>>256 「百万の野人(女真族)さえ、十万の倭卒(日本兵)の敵ではない。
にも関わらず、国家は南を軽んじ、北を重視する。今だにその理由が分からない。」
・・・姜「看羊録」
女真は金と清、二回も中華を席巻してるが何でそんなに強かったんだろう?
モンゴル系やトルコ系みたいな遊牧騎馬民族が強いのは感覚的にわかるんだけど
女真はツングース系で狩猟採集民(あとちょっと農耕)みたいだし
半農だからその分遊牧民より人口は多いし、食糧・物資の集積もできる。
要は、兵力・兵站共に継戦能力が高いってことじゃないかね。
単に、明が国家崩壊間近だっただけだろ
満州族を征服に行ける国力も無く、金を出して服属してる事にして貰うのが精一杯だった
そして、官僚主義の弊害で公称百万の大軍団は逐次投入されて各個撃破
明軍の体制が、とてもではないが戦える状況ではなかったというだけだ
実際、歴代の中華王朝は、体勢が万全な時代なんかは遊牧民を武力で服属させてただろ
国が崩壊するって時に攻めてるんだから、そりゃ勝つだろうよ。別に満州族が強い訳じゃない
明からすれば、情報戦に秀でたはずの秀吉が、情報に疎かったことは相当助かっている。
逆に、明は情報戦で秀吉を陥れている。日本は当初、破竹の勢いで進軍していたが、
名将李如松は日本に敗れ力でなく知恵で日本を陥れた。小西行長を買収し、石田三成に
工作を働きかけ、秀次事件を起こし、秀次及びその3族、重臣を皆殺しにし、秀次に親し
かった加藤清正等を悉く追い出した。死者だけで数万と言われる。
これはクリティカルヒットだった。日本は相互不信で大混乱に陥り、戦闘不能となり、その
後和睦への道のりとなった。結局破綻し、再度出兵となるが、秀次事件の影響で相互不信
に陥ったやる気のない日本は朝鮮南端を荒らし回るにとどまり、二度と力が復活すること
はなかった。
>>260 明は崩壊間近でもない。万歴帝の暴走は17世紀からだし、当時は(張居正が
やったことだが)財政を立て直し、モンゴル高原を服従させ、悪い状態では
なかった。明の財政は朝鮮出兵が原因で悪化した。順序が正しくない。
>>261 明
逆
名
工
か
こ
後
に
は
?(・∀・)ニヤニヤ
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/02(水) 19:09:16.29 ID:XJXdnPz/0
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/05(土) 23:29:33.38 ID:scNB+/eTO
単純に大陸では兵站が日本とは勝手が違ったってことでしょ。
>>265 大陸じゃねーし、ハントーだし。
兵站もそんなにかわらん。
日本や中国と違ったのは朝鮮の貧弱な再生産力。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/26(土) 19:07:14.75 ID:Lt/viWf/0
?
中国では朝鮮征伐は、倭寇のイメージの延長で捉えるって本当?
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/24(土) 15:23:49.16 ID:CVQMFDiO0
朝鮮征伐
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/02(日) 08:46:37.82 ID:VmLT5O1g0
中国からしたら辺境の朝鮮で日本がちょっと暴れたぐらいの感覚だろう
271 :
ティムール:2012/12/03(月) 16:42:18.15 ID:HmK9fhd50
日本と消耗戦して明も滅んだよー万歳!!!
272 :
ティムール:2012/12/03(月) 16:43:10.19 ID:HmK9fhd50
俺の本懐はこと時、達成された
273 :
ティムール:2012/12/03(月) 16:44:18.41 ID:HmK9fhd50
満州民族によって滅ぼされた明、なっさけねーな
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/22(土) 21:31:01.01 ID:gCecaGJf0
?
ウリナラは滅ぼされなかったニダ!ホルホルホル
なんじゃね? 三跪九叩頭して歳貢させられてたけどな。
>>273 清は明の仇を討ったというのがイデオロギー。
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/30(日) 16:02:59.99 ID:w01Y8dvP0
?
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/12(土) 20:20:06.57 ID:cNQHGvld0
清は明の仇を討ったというが、ならば明を復興したらいいだろ。
実際やったことは、明の領土を丸ごと乗っ取ってるだけだろうに。
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/17(木) 22:29:12.35 ID:+cEnqDkS0
何で明は日本側の朝鮮南部の領土割譲を拒否したんだろうね?
どうすれば朝鮮南部の割譲を明に認めさせる事が出来たんだろうか?
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/18(金) 15:53:14.30 ID:JLr822LkO
自国領(例えば名目独立してても所詮朝鮮は明からすりゃ自領)は、寸地たりとも東海の夷国の日本なんかにゃやりたくない。
だから何を言っても条件(そもそも日本は欲しいだけだから明に譲る物なんか無い)出しても、話が通じる筈がない。
>>280 秀吉が後3年ほども長生きしてりゃ、秀吉が死去した慶長三年の夏には予定どうり
再侵攻してたハズだし、南部四道の実力割譲を勝ち取るという形で手打ちになった
可能性は大きいんじゃないかね。
はっきり言って朝鮮半島南部なんて取っても意味ないんだけどな
何も無しじゃ秀吉の沽券に関わるってだけの戦
一回目にさっさと河北に進出できてない時点で当初の目的は挫折してるんだし
中学生?w
ただ当時の戦争の最大の恩賞はやはり所領の加増だから、半島南部だけでも入手して参戦大名に分与しないと豊臣政権の不安定化をもたらす。
少なくとも秀吉在世中はともかく、次世代は余計な苦労を強いられる。
体調に不安を抱える秀吉としては秀頼が幼少だけに何とかしたかったんだろう。
まあ結局総てオジャンとなり家康に天下餅ウマーされてしまったが、もし秀吉在世中に半島南部だけでも分捕り諸大名に分割出来てたら
関ケ原の様相はどうなってたんだろな。
>>285 九州みたいに二毛作・二期作あたりまえの土地に比べれば見劣りするにしろ、
米作可能な南朝鮮は分配原資として充分価値があるよな。禄高では豊臣より
徳川の方が上だったしね。
朝鮮半島への転封で参戦できない大名が出る
誰が送られるだろうな?加藤とか小西とか子飼いが主になるのかな
むしろ徳川に朝鮮半島南部を与えたい
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/17(日) 15:21:26.83 ID:Wg3/ZGxr0
征伐
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/14(日) 16:04:37.27 ID:4+mTlBlf0
朝鮮征伐
>>288 徳川さんとこはハワイの方を向いてたやん
>>266 あの時代、朝鮮では何一つ補給出来ないという致命的な誤算
>>291 狸爺さんの狙いはメキシコとの交易
確かに方角としてはそっちだな
ただメキシコが既にスペイン領である事は三浦按針と八重洲が誤魔化したのか
本人が勘違いしたのか把握してなかった模様
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:1P9bEziE0
>>256 日本軍に勝てなかった明軍の評価だから、
当たっているのか間違っているのか結局のところ不明。
明軍が関わった数万単位の合戦で、明確に明軍の勝利と
言えるのは第三次平壌攻めくらい(おまけに不意打ち)
第二次平壌の戦い(日本勝利)
第三次平壌の戦い(明軍勝利 勧告により小西が城を明け渡す)
碧蹄館の戦い(日本勝利)
稷山の戦い(日本勝利)
南原城の戦い(日本勝利)
第一次蔚山(日本勝利)
第二次蔚山(日本勝利)
泗川 (日本勝利)
順天(日本勝利)
露梁(日本勝利)
露梁について補足。
明軍、朝鮮軍、日本軍の2倍の兵力&待ち伏せの好条件ながらも
小西軍、島津軍を殲滅できずに取り逃がす。
朝鮮軍主将の李舜臣が戦死 明軍副将のケ子竜が戦死。
特に慶長役で明軍が負けた戦いは、いずれも明史、朝鮮王朝実録などで
大敗、大損害、人が溶けたと表現されるくらいの潰走っぷり。
第二次晋州城攻防戦では明軍救援に赴かず(または秀吉軍に撃退されたとも)
南原の戦いでも付近にいた陳愚衷旗下の明軍3000千は動かず、
南原が落ちると、これも付近にいた朝鮮軍1000とともに散り散りになって逃げた。
戦意も低く、日本軍を恐れているのがわかる。
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/11(水) 16:35:41.33 ID:NV/rPWK60
柳成竜『懲録』
「明国軍が碧蹄で敗れ、李如松が臆病風に吹かれる」
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
・(李如松)提督が、自分が〔本国に送る〕奏達文の草稿をとり出して示したが、その中に、
「賊兵、都城に在る者二十余万。衆寡敵せず」とあり、また文末に、
「臣、病甚だし。他の人をもってその任に代えんことを請う」ともあった。私は驚いて、
手でその部分を指して言った。「賊兵は甚だ少ない。どうして二十万にもなりましょうか」と。
提督は、「私がどうしてそれを知り得よう。おまえの国のものが言ったのだ」と言ったが、
どうも口実のようであった。
李如梅のあんちゃんも相手が強いとなると仮病を使って任から離れようとしたり
数が多いので無理ですとか過大申告しようとしたのを朝鮮人に軽蔑されてるくらいだからなあ
「倭兵は体躯倭少なれども、敏捷にして、鳥銃をよくす。ただし一人同志の戦いとなれば、
倭兵三十人をもってしても、満兵一人に敵せざるなり」
実は、実際に日本兵と女真兵が「一人同志の戦い」をした記録があるんだよね
「清正高麗陣覚書」によれば、加藤清正がオランカイ遠征の際に「川上の方の名城」を攻めたとき、
木田孫兵衛という武士が女真兵と組討になり負傷しながらもこれを討ち取る功名を上げたとか
戦域を拡大させて補給をおろそかにするというのは日本の戦争の伝統芸ですかw
太平洋戦争でも同じ間違いやってたじゃん
>>298 別に秀吉軍だけでなく、補給が切れて苦労した話は
東西関係なくあるわけで・・・そこでww2の話に飛ぶのもどうかと・・
一例として30年戦争にも、皇帝軍や諸侯軍にも
補給不足や寒気に苦しんだ事例は多くあるのだが。
で本題の、秀吉軍だが補給で苦労したのは1592年の7月-1593年の3月くらいまでで、
しかも、文禄2年3月3日の書状にも4月11日まで食料はあると記されており、
釜山にも食料があると書かれてる。 同書状には食糧輸送の遅延の原因は道が険しいことと、
人手不足のせいだとも。
【釜山海之御兵糧も、山坂に而御座候間、五日路六日路、道中届かぬ可申候哉、
川に付て船にてのほせ申儀も、今のつなきの御人数にては、難届候由申候】
文禄2年の春には船をフルに活用して、釜山やその周辺に補給が再開されて、
半島南部の秀吉軍を、一年半以上持ちこたえられるほどり物資に
溢れていると記されている。
実質、補給に苦しんだのって8-9ヶ月だよ(ブサヨとか在日はこの戦役全期間の印象操作してるけどね)
文禄の経験を活かした秀吉は、慶長の役では失敗していない。
ナポレオンも物資の事前集積してロシア侵攻したけど
結局輸送力が不足してるね
まぁさすがにドイツあたりからモスクワまで馬車しかないに時代に輸送しろとか無理な話
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 03:34:37.05 ID:o+W2G9qv0
>>100 実は、その平壌戦の戦果って首級の半分は朝鮮の民で、
焼死と溺死者も朝鮮人ってのが判明して、
大問題になったんだよ。
(当時リアルタイムで記された戦果は1285首 半分朝鮮人)
平壌戦は明軍だけで3000人の損害を出していて、
日本兵一人を討ち取るのに5-6人を失ったってある。
これで計算すると明軍3000の死傷者数と大体一致するから、
日本の損害は650前後になる。
http://town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffcf9hyw5e 小西軍の大半の損害は、食料がない状態で
厳寒の中を行軍した際に発生したもの。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/18(月) 12:05:01.03 ID:pNvSnvVS0
朝鮮征伐
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/15(月) 21:29:31.72 ID:EWiAn/230
秀吉が死んだおかげで日本は救われた
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
モンゴルが大帝国を築けたのは、
「逆らった国には鬼のように残虐だが、早めに従った国には意外と優しい」という政策でパシリを効率良く増やしていけたから。
大陸でパシリを増やせない秀吉軍では、あの版図が精いっぱい。