【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ5 【壬辰倭乱】

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1人間七七四年
秀吉の朝鮮征伐を語るスレ

前スレ
【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ4 【壬辰倭乱】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150531200/

関連スレ
秀吉による朝鮮役の軍事分析4【日本・明・朝鮮】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1179749016/
世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その5
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1188893412/
【文禄慶長】 秀吉の朝鮮出兵スレ4 【壬辰倭乱】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1150604376/
2人間七七四年:2007/11/25(日) 22:23:08 ID:MSb5OCh2
日能研のテキストみてたら「朝鮮侵略」になってた

日韓併合と紛らわしいやん
3人間七七四年:2007/11/25(日) 22:42:35 ID:bJOQZArG
朝鮮侵略

日本を平定した豊臣秀吉は、明を我が物にしようと企む。
朝鮮から明入りを果たそうと試みるが、朝鮮兵や明兵のかつてない強力な攻撃の前に豊臣軍は大苦戦。
さらに名将李舜臣の活躍で日本水軍は木っ端微塵に潰されてしまった。
秀吉の死によって、無謀な侵略行為はようやく終わることとなった
4人間七七四年:2007/11/25(日) 22:51:17 ID:VeySJWxp
いまや低能嫌韓厨と東亜板的釣り人しか居ないしもうこのスレ意味無くね?
前スレ中盤から朝鮮征伐についてまともな考察してないし
5奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2007/11/26(月) 22:27:24 ID:0QKvzbaB
朝鮮側から見た視点の朝鮮出兵って語られないよな。
6人間七七四年:2007/11/27(火) 19:41:00 ID:kLiGluyv
明から見た方が正しいし。
7人間七七四年:2007/11/27(火) 21:32:15 ID:r3Y8GaI7
李舜臣が倭将加藤清正に送る降参勧告文書
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfree&page=2&nid=347225

本当かよ?
8人間七七四年:2007/11/28(水) 17:40:53 ID:eoe7C0WF
水軍の李がなんで陸軍の加藤に文書送らにゃならんの?
低脳すぎて釣りにもネタにもならんな。
9人間七七四年:2007/11/29(木) 21:09:19 ID:9ZNilhBe
日本側って連戦連敗だったの?
10人間七七四年:2007/11/29(木) 21:39:07 ID:o1orgS4z
連戦連勝だったお
平壌まであっという間に攻めきったくらい
11人間七七四年:2007/12/01(土) 17:28:46 ID:fa3pALF4
最近の教科書、何であんなに汚染されているの?
二昔、一昔と全然違うじゃん。
12人間七七四年:2007/12/01(土) 17:37:05 ID:fIeiD+ML
韓国人の歴史資料って、特に日本が関わってる箇所は基本的イマイチ信用できない。
13人間七七四年:2007/12/01(土) 17:50:05 ID:o6Iy2XHl
それって偏見じゃないの?

日本の歴史資料だって当然批評していかなきゃいけないだろ
14人間七七四年:2007/12/01(土) 18:08:01 ID:pgaRWGt3
韓国人は李舜臣を朝鮮軍総司令官だと思ってるフシがある

ちなみにオレは陳舜臣と混同してた。
15人間七七四年:2007/12/01(土) 18:13:12 ID:fIeiD+ML
恐らく、日本が関わった半島史に関して無批判に韓国人の主張をそそまま記載してる日本の出版物にも問題があると思うんだが

「市民と朝鮮軍が全滅するまで抵抗した」と表現されるのはあり得る事なのか?

関連するわけではないが、90年代辺りまでの朝鮮併合時代の出版物には
「世界で類をみない過酷な統治だった」という表現のが多々あったし。
韓国人の現在の日本視観から歴史を評価しすぎている観が多分にあるんでないかな
16人間七七四年:2007/12/02(日) 05:41:03 ID:WGYmFc6c
>>15市民も、民族も、近代まで無かったろ?
17人間七七四年:2007/12/02(日) 17:15:07 ID:WGYmFc6c
韓国や日本の「良心的」学者はなんで、当時存在していない近代的な概念を適用した歴史解釈をするのかね?
近代的概念を保有する聴者におもねっているとしか思えない。
学者は宗教指導者じゃないんだが。
18人間七七四年:2007/12/05(水) 00:14:11 ID:Wyu0Prhi
>>15
全滅が全員死んだではなく、全員逃げたので抵抗勢力としては壊滅した
とすれば無問題
19人間七七四年:2007/12/09(日) 12:45:51 ID:1sF9z57f
>>2-3
国際戦争なわけだし、名称としては普通に考えると日明戦争か日朝戦争が妥当かな。
秀吉の狙いは明らかに明侵略だったし(李氏朝鮮は対馬の支配領域だと思ってたらしい)
実際に日本軍と戦った主力軍は明軍だったのだし、日明戦争の方がしっくりくるかな?
日明戦争という名称をあてる事はどっかの半島の国が猛反対しているようだが・・・。
20人間七七四年:2007/12/09(日) 13:18:05 ID:SHNqUaGz
まぁ朝鮮は中華帝国の独裁者の搾取のせいで
元々悲惨な人民ばかりだったから有史以来日本が助けに行ってるようなもんだよ。
21人間七七四年:2007/12/09(日) 17:53:16 ID:ADsK7UHh
>>19
日本と支那、南北朝鮮以外じゃ「日明戦争」(「明日戦争」)的な訳語だったような。
22人間七七四年:2007/12/09(日) 19:52:54 ID:ADsK7UHh
・・・と思ったけど、Wikipedia見ると違ってたw
23人間七七四年:2007/12/19(水) 21:33:49 ID:LPxLAJQQ
24人間七七四年:2007/12/31(月) 18:14:14 ID:H4LG4Q3X
戦国の生き残り=勝ち組が結集しても明や朝鮮にあっさりぼこられるということは、日本の戦国時代ってたいして強くないってことか
25人間七七四年:2007/12/31(月) 20:38:09 ID:l1InkKVa
ボコられてねーよwチョンだけでは勝てないから明に援軍頼んで、やっと全敗スコアをなんとか勝率3〜4割にかろうじてできただけ。
命令出してた秀吉が死んだから仕事を打ち切っただけで、もし秀吉があと5年は長生きしていたら朝鮮半島は日本領になってた。
もっとも、朝鮮半島はあくまで明本土への通り道にすぎないから、あんな貧しい土地を得たところでありがたみもクソもねーけどよ。
まぁ結果論から言って、中途半端に旨味のない半島しか得られないくらいなら大陸事業をさっさと引き上げて正解だったがな。
26高句麗:2008/01/01(火) 22:29:51 ID:PCf28Lzm
>>25
そんな悲しい考え方しかできないチョッパリがいるから、いまだに朝鮮では反日教育が盛んなんだぞ。
敗戦国日本は過去に朝鮮に与えた未曾有な悲しみに対して真摯に陳謝し、謝罪セヨ!
27人間七七四年:2008/01/02(水) 19:25:47 ID:hINAnP0+
正月早々釣りかよ。
28奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2008/01/02(水) 19:40:56 ID:ivGTq5x1
高句麗ならトリップ付けてやってほしかった。
29人間七七四年:2008/01/04(金) 09:57:05 ID:x2aQVOvE
もっと徹底的にやれば良かったよな。秀吉温過ぎ。
30人間七七四年:2008/01/04(金) 13:54:54 ID:gkKqywCu
戦略的に中途半端な感じがするよな。
31人間七七四年:2008/01/06(日) 12:57:01 ID:IBPKyqxc
山川出版社 日本史リブレット「秀吉の朝鮮侵略」北島万次著

これって歴史観や事実の検証についてどの程度正確ですか?
侵略時の日本軍の日本崇拝とか、泗川の戦いは誇張が酷いとか、
明は朝鮮を裏切ったとか、朝鮮全土での民衆の抵抗とか、
他の本と比べてもかなり偏向じみている気がするんですが。
32人間七七四年:2008/01/06(日) 13:50:51 ID:BoQ0lO+P
>>31
教科書を家永と共に政治的主張から書き換えた北島、氏ね。
33人間七七四年:2008/01/06(日) 19:52:41 ID:GfTC3H9k
>>26
25は事実を書いただけ。客観手的な事実を認識する能力が無く、自分に都合の良い
ようにしか物事を理解できないのは朝鮮人の特徴の一つだがな。これをなおさんと
いつまで経っても軽蔑される2流3流民族だ。
34人間七七四年:2008/01/07(月) 09:42:21 ID:3SfD5yaZ
【日明戦争】文禄・慶長の役【万暦役】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1182128954/
35人間七七四年:2008/01/13(日) 22:54:06 ID:rGmtDiRX
戦国時代の武将「小野木重勝」として生きた記憶を夢に見た415が、
2chオカ板の前世スレで、細々と自分の夢を語る所から、物語は始まった・・・

【戦国・前世】415・お市総合【日月・ひふみ】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/occult/1200010173/

なにがガチでどれがネタなのか?
おまいらにはこの世界に渦巻く嘘と真実を見抜くことができるか!
36人間七七四年:2008/01/30(水) 07:46:21 ID:zzu2P8B8
維持。
37人間七七四年:2008/02/04(月) 14:04:55 ID:l06Cr+71
李舜臣揚げ
38人間七七四年:2008/02/05(火) 16:39:12 ID:tEac3hYM
朝鮮征伐が題材のRTSゲームやってるけど
日本軍が弱すぎて面白い
39人間七七四年:2008/02/05(火) 18:38:02 ID:KeZe/lUT
>>38
そんな嘘データで作られたゲームを無邪気に楽しんでるお前の知欠っぷりが面白いw
それともバカゲー・ネタゲーにつきもののデータの嘘っぱちを哂って楽しんでるって意味であれば前言は撤回するが。
40人間七七四年:2008/02/09(土) 15:22:04 ID:pRMlcVLs
41人間七七四年:2008/02/11(月) 01:59:33 ID:Rr13ha1W
>>32
あとつくる会も
42人間七七四年:2008/02/11(月) 06:04:00 ID:W+UfIDPK
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:Contributions/220.46.144.49
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:Contributions/Eriotipaizer

同一人物のようだが何次にも渡って韓国人のウィキペディア工作が続いています。
43人間七七四年:2008/02/12(火) 17:12:02 ID:c1oyReQk
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2151841

にて、天皇陛下を貶める悪質タグの投稿が行なわれています。
みなさま、削除にご協力下さい。

なお、動画自体は両陛下に対する元大統領・金大中夫妻の
無礼な態度の証拠映像です。
44人間七七四年:2008/02/13(水) 12:11:43 ID:xTSz1WQ+
沙也可という小説を見掛けたが面白いか?
45人間七七四年:2008/02/14(木) 03:25:35 ID:VlGp8AwT
ちょん征伐の犠牲者

日本 13万
朝鮮 30万
明  3万
46人間七七四年:2008/02/14(木) 17:21:56 ID:loCiiksj
明が三万ということはない。
下手すれば島津の一会戦だけで三万くらいは討ち取る
47人間七七四年:2008/02/14(木) 18:46:38 ID:1IfQNV5S
>>45-46
なにこいつら?w
朝鮮人並に頭悪そうなんだけどw
48人間七七四年:2008/02/15(金) 00:15:55 ID:0c2camR2
何とか川で3万 何とか山で1万 何とか館で6千
あと細かい戦闘をあわせて最低でも5万以上明軍は死んでる。
49人間七七四年:2008/02/15(金) 02:14:27 ID:6vs5aUvc
明軍が総計でどれだけ死者出したかはわからんが、泗川の戦いで明軍は3万もいないよ
泗川の明軍皆殺しにしても13500人分しかならん

それと日本川が13万の数字も出所不明、そんなに死んでたら日本軍は壊滅してたっつーにw
50人間七七四年:2008/02/15(金) 08:08:19 ID:0c2camR2
泗川の明軍は34000人くらい。東路軍の一部と中路軍が合流してる
51人間七七四年:2008/02/25(月) 15:41:21 ID:KjyD7/D4
軍事板の朝鮮征伐スレッド
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1203686918/l50
52人間七七四年:2008/02/25(月) 19:02:19 ID:L6ZqkeJe
新ジャンル:ソースは参謀本部
53人間七七四年:2008/03/02(日) 00:53:25 ID:XEZPOcEO
417 :世界@名無史さん:2008/02/14(木) 10:12:15 0
日本などすぐにひとひねりだと豪語した李如松が明軍来援したのは
1593年の正月
そこから各地で日本軍は敗戦を重ねて1593年 3月
漢城付近まで追いつめられる

漢城で連署された報告書には
小西・宗 18700→6692人
加藤   10000→6629人
鍋島   12000→7644人
大友   6000→2052人

まで減っている

弟を殺された小西は明軍を甘く見てた。桁違いだとフロイスに手紙を書いているし
大友は士気壊滅で勝手に脱走→改易
それを見てた最上義光は明日は我が身だ。坊主になっても生きながらえたい。せめて死ぬなら祖国の土の上でと手紙を残す


一応13万かどうかは知らないがそうとう初期にやられていたみたいだ
54人間七七四年:2008/03/02(日) 00:55:19 ID:XEZPOcEO
117 :名無し三等兵:2008/02/26(火) 11:44:32 ID:???
まあ資料を直視できない馬鹿も聞いてくれ

1次朝鮮役の末期に朝鮮南部に終結した日本軍を軍目付けが調べた数字によると、

朝鮮に侵入した1〜7軍の総数13万7300人あまりの軍兵は、
実数で7万3214人にまで激減していた。
死者総数は6万4086人。
生き残った者の割合は53%。実に47%、
約半数の軍兵が死んだのである。最も奥地に進んで激戦を演じた第1軍小西軍の被害は甚大で軍兵の実に60%が死んでいる。
第2軍の加藤清正軍は被害が37%、鍋島軍も36%であった。3軍の黒田軍は被害が54%、4軍島津軍は60%。5軍も40%、6軍は44%。
最もしんがりを務めた7軍の毛利軍で43%であった。

完敗と言えよう。こうして明軍が来るまで圧勝していたにも関らず日本軍は侵入から一年後には釜山周辺に押し戻され、明との間で講和交渉に活路を見出すこととなる。

あとこれも
55人間七七四年:2008/03/02(日) 01:23:22 ID:6YaqQK7b
42 :世界@名無史さん :2008/02/29(金) 01:58:17 0
然自關白侵東國,前後七載,喪師數十萬糜餉數百萬,
中朝與朝鮮迄無勝算。至關白死,兵禍始休

簫堯藝文網・明史・卷三百二十二
ttp://www.xysa.net/a200/h350/24mingshi/t-322.htm

>朝鮮における中朝軍の勝算は無くなった。

>>41よりも中国人の方が冷静に歴史を見てるな。

こういうのもあるがね。
56人間七七四年:2008/03/02(日) 02:54:59 ID:XEZPOcEO
まあ、お互い様だなw
日本もまた同じように勝算があったなんて思っていた武将もいないし
結局痛み分け
57人間七七四年:2008/03/02(日) 03:11:07 ID:qJTWb6CJ
>>54-55
それでも、朝鮮出兵によって当時の李朝の矛盾が一気に噴出したんだよな
58人間七七四年:2008/03/02(日) 03:18:19 ID:7i084CAv
結構死んでるな。日本軍
ほぼ半数死亡か。
59人間七七四年:2008/03/02(日) 03:19:41 ID:Eq04T6Gc
小西は1軍で所詮商人だからしゃーないが
島津よわっ
60人間七七四年:2008/03/02(日) 03:29:48 ID:7i084CAv
彼は日本人の中国観を次のように紹介している。
 「人々はシナ人は天性惰弱であり、たとえ無数といえるほどいても、
鉄砲の音を耳にし、抜き身の刃を見れば、
こちらが少数であるにもかかわらず敵を恐れて逃走するにちがいない、と思っていた。
このような考えは、軍兵がいないシナの海岸地帯へ盗みに行った幾ばくかの日本人(倭寇)に基づくものであった。
そこには武器など手にしたことのない農民と土着の住民しかいなかったので、2百人ないし3百人の日本人が無数のシナ人を追い払ったように見えたのであった。
またこの考えは、広東のシナ兵について語ったポルトガル人の証言とも一致するものがあった。
これらの兵士たちは、一度も敵に接したことがなく、戦争の経験がなかったので、戦意に欠け、
たまたまある機会に争った際に、きわめて卑怯に振舞ったのであった」と(「フロイス日本史5:第43章)。

2当時フロイスが中立的視点から日記を書いているが意外と的を得ているな
61人間七七四年:2008/03/02(日) 12:30:58 ID:dQ3YfNrE
なんだ。トウ子竜って70歳だったのか。そんなじいさん討取っていい気なっている無知も可哀想だな
しかも討取られたんじゃなくて傷が元で死んだだけか。
62人間七七四年:2008/03/03(月) 09:11:39 ID:6ivpzVcK
碧蹄館の戦いの時点において兵糧はもういくばもなかった。漢城は講和によって明け渡している。

碧蹄館の戦いに負けた明の李如松は開城に退いて明朝へ上奏文を送ったが、その申に曰く、
「賊兵の都に在る者二十余万衆寡敵せず、且臣|病《やまい》甚し、他人を以て其任に代えんことを請う」と言い訳してるが、
周りの者に二十万もいなかったやろと突っ込まれている。

このとおり戦意を失っていたため、明は碧蹄館の戦い以降はロクに戦ってはいない。
63人間七七四年:2008/03/03(月) 13:52:36 ID:jhYI2z4x
二十余万は誇張だが、衆寡敵せずだったのは一応事実。
碧蹄館の戦いは戦術的な敗北ではあったが、戦略的には明が勝っていたため
将兵の士気は高く、そのまま漢城に攻め込んで朝鮮を回復しろという主張が多かったらしい。
さすが大将の李如松は冷静に見てたな。碧蹄館の戦いで日本軍はそんなに甘くないと判ったし
数で圧倒的に勝る日本軍に突撃したら全滅である。
上手く将兵を宥めて、無理攻めはせず本国に救援要請している。
64人間七七四年:2008/03/03(月) 19:12:19 ID:SW+2Q9a6
そのらしいという史料は提示されていないけどな。
負けたけど将兵の士気は旺盛だ、と本国に言い訳してるとも取れる。
明軍の数も不明確で参謀本部以外に寡兵であった事を補強する「史料」が無い。
65人間七七四年:2008/03/03(月) 20:39:48 ID:U5SSsVGI
参謀本部の調べを補強する一次資料は?
66人間七七四年:2008/03/03(月) 20:51:41 ID:twTAC/Qx
軍事板のスレッドが活況だな。
何故?
67人間七七四年:2008/03/03(月) 23:15:08 ID:u1/VzlNI
本当に日本のほうがそんなに死んだのかね。
名だたる武将がほとんど死んでないのが不思議だな。
一気にせめて一気に引いただけじゃないの?
68人間七七四年:2008/03/04(火) 04:48:56 ID:RO5M4Agz
軍板では、寒さによる凍死という状態なら十分あり得るそうだ。
>>53は1月から3月だから、厳しい寒さだっただろうね。
69人間七七四年:2008/03/06(木) 18:39:28 ID:aDT84B7V
陣幕内にいた武将はそれほどでもないが
足軽あたりは相当冬場の寒気で病気になって
亡くなったんでしょうね
70人間七七四年:2008/03/07(金) 18:43:09 ID:aAauwaTY
西国の人間にあの寒さは辛かろうて。
冬着も東北や北陸のものとは大分違うし。
71人間七七四年:2008/03/08(土) 04:58:45 ID:SmGsu/hV
ウィキペディアの文禄・慶長の役
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9

英文・中文版のコピーが追記されて日本軍の損害13万?
72人間七七四年:2008/03/17(月) 08:16:33 ID:tsRg5yHV
碧蹄館で前線で戦った兵力は互角あるいは日本側が少ないでしょ?
だからカンネイの戦い同様に研究対象とされたわけだし。
73人間七七四年:2008/04/04(金) 15:02:55 ID:vNiunO0x
>>29
その意見には同意せざるを得ない
74人間七七四年:2008/04/10(木) 09:28:05 ID:8410MrPC
英文Wikipediaだとなんなの?
75人間七七四年:2008/04/10(木) 14:29:20 ID:7iRyV+as
朝鮮征伐じゃなくて唐入りだろ?
失敗したから朝鮮征伐っていうけど。
76人間七七四年:2008/04/10(木) 15:00:34 ID:obOR6HMq
文禄の役は唐入り、慶長の役が朝鮮征伐だね
77人間七七四年:2008/04/10(木) 16:04:38 ID:AS6Ai7sV
戦さで死んだ大名および大名家の武将はほとんどいない。
体調不良で、病没というのは、チラホラ。

知っているかぎりでは、
朝鮮で病没した大名および武将。
加藤光泰
長谷川秀一
島津朝久
香宗我部親泰(渡海中に死亡)

陣没戦死
来島通総
森村春(阿波水軍)
菅正陰(淡路水軍)
江上家種(龍造寺正骼汳j)

このぐらい。
あきらかに病死と戦死で武将の知名度が違いすぎないか、これ?
78人間七七四年:2008/04/11(金) 14:17:30 ID:BTD2/X/v
寧ろ、大名が討ち死になんてよっぽどのことがないとないから
少ないのは不思議ではない
79人間七七四年:2008/04/11(金) 14:31:25 ID:/E+yunwa
>>78
明鮮軍の将軍に戦死者が多いのは戦闘で日本軍にブチ破られて潰走したから。
80人間七七四年:2008/04/12(土) 12:06:25 ID:FZHGdlCB
>>78
国内戦なら大名だって戦死しているじゃん?
81人間七七四年:2008/04/14(月) 09:21:35 ID:Wd09PPkP
>>80
戸次川の合戦とか?
当たり前だけど、たしかに敗走したほうは戦死武将が多いな。
82人間七七四年:2008/04/14(月) 18:21:24 ID:nV7rUcYj
朝鮮の場合、陥落した市城の太守(?)などが多数死んでいるけど、これらは朝鮮人民衆の暴動で殺された者が少なくない。
(文禄の役)
83人間七七四年:2008/04/14(月) 18:39:04 ID:LIhnH9hz
当初は積極的に日本軍に加担する朝鮮の民衆(とくに下層)は多かったんだよね。
それだけ、当時の朝鮮社会のひずみが大きく、外圧を機に一気に噴出したわけだ。
84人間七七四年:2008/04/15(火) 12:34:56 ID:moe9kbPy
それを念頭に置いた宣撫もあったんでは?

小西はそういう状況知ってた訳だし
85人間七七四年:2008/04/16(水) 00:40:42 ID:Wcv1iX8O
ようつべで動画ハケーン
ニコ動にも一部がうpされてる『不滅の李舜臣』
全編有るみたい? 英語字幕付きで分かりやすいかも。

The Immortal YSS Ep. 1 Part 1
ttp://www.youtube.com/watch?v=tKKp0tguDYY&feature=related
86人間七七四年:2008/04/16(水) 20:48:18 ID:0eQfKy/Q
>>81
沖田畷の合戦もだな
87人間七七四年:2008/04/18(金) 09:24:21 ID:CUT+KCqF
>>86
そうだね。
88人間七七四年:2008/04/18(金) 09:33:21 ID:ZUbGTGCK
兵力規模が同等で、戦列ぶち抜けず組織的戦闘が継続した場合、だいたい明軍の勝利に終ってる。

朝鮮軍?
それって美味しい?
89人間七七四年:2008/04/18(金) 14:21:33 ID:CUT+KCqF
>>88
具体的には?
禝山とかでも明軍が引いているじゃん。
負けたほうは被害が大きいのが基本傾向だからな。
明も朝鮮もほとんど日本を敗走させていない。
90人間七七四年:2008/05/05(月) 16:21:15 ID:xm9+jA5m
その通り。
91人間七七四年:2008/05/05(月) 17:14:18 ID:uvxxJgBh
補給面で現地調達ができない貧しい土地と不衛生な朝鮮の水による風土病が敵であって後は大した事ないな。
92人間七七四年:2008/05/05(月) 23:05:33 ID:YjbDduO9
どうにも・・・
朝鮮は19世紀の写真でアレだからなあ。
陶器以外は何も補充できなかったろうな。
93人間七七四年:2008/05/06(火) 18:08:06 ID:VbpMbOnj
商人上がりの小西など使わなかったら明征伐は成功していた可能性が極めて高い
94人間七七四年:2008/05/07(水) 02:04:39 ID:gHcBQFHC
アホか
戦力のほとんどを失うほど頑張ったのは小西だからだろ
95人間七七四年:2008/05/09(金) 00:55:39 ID:/Alt7L0y
小西の裏切りがなかったら北京くらい余裕で落とせただろ
当時の明なら首都が落ちたら瓦解する
96人間七七四年:2008/05/10(土) 21:54:52 ID:5GrkbfM4
 
97人間七七四年:2008/05/10(土) 21:58:23 ID:gE0w51eV
>>95
むり、兵站が続かん
98人間七七四年:2008/05/11(日) 23:01:47 ID:/9g/PBKq
勝ち負け自体は
戦争後の明軍の高官自体が、明が勝ちとは到底言えないと書いてるし引き分け程度じゃないの。
というか、指揮官級の戦死者の数が日本と明、朝鮮軍と比較して
圧倒的に違いすぎる。
兵の損耗は宣教師も3割失ったと書いているから、五万程かと。
それと降倭も多かったみたいだし。
というか李瞬臣は名将なのは分かるが、騒がれるほど活躍したの??
99人間七七四年:2008/05/12(月) 01:18:29 ID:FUFXwSfk
W杯の日本代表もたいして活躍してないのに国内で騒がれるだろ
ご当地ご当地
100人間七七四年:2008/05/12(月) 15:03:51 ID:I9kazbIj
和将で戦死したのは来島だけだしな。
明将では副将が戦死しているし。
101人間七七四年:2008/05/13(火) 08:57:37 ID:8VnGr2Fr
>>100
明軍は副総兵が二人も戦死してるのな。参将の戦死も多い。
102人間七七四年:2008/05/13(火) 14:47:28 ID:8VnGr2Fr
世界史板、また始まった。
103人間七七四年:2008/05/15(木) 05:01:21 ID:g/5GelxT
正直ここにいる奴の方がレベル高いな
104人間七七四年:2008/05/18(日) 10:34:30 ID:Vr2Timd8
>>103
ここは強制表示だからな。十四万厨は来ないだろうな。
105人間七七四年:2008/05/18(日) 21:57:46 ID:th2AVsa4
>>98
秀吉は明を征服すると宣言していたんだから
明領内にも入れず朝鮮すら支配できなかった時点で豊臣政権としては明確な敗北
諸大名は領地を増やすために渡海したのであって敵を殺すのが第一の目的ではない
106人間七七四年:2008/05/20(火) 18:47:23 ID:PBlHCrsU
倭賊は勇将李舜臣の用兵の前になすすべもなく討ち取られ秀吉も寝所にまで切り込まれ
逃走した。
倭賊の死者数は14万を超え死体で海面が見えない程だったと史書には伝えられる。
また多数の戦国大名も戦死したので豊臣政権の崩壊にも繋がったともいえる。







107人間七七四年:2008/05/20(火) 22:49:11 ID:ntQuR4SF
                             |
                             |
      ∩___∩             |
      | ノ  _,  ,_ ヽ        ((  | プラプラ
     /  ●   ● |         (=)
     |    ( _●_)  ミ _ (⌒)   J  ))
    彡、   |∪|  ノ
⊂⌒ヽ /    ヽノ  ヽ /⌒つ
  \ ヽ  /         ヽ /
   \_,,ノ      |、_ノ
108人間七七四年:2008/05/24(土) 18:53:26 ID:fOWMqBR5
この間世界三大提督李将軍の話をしていたらチョッパリがびびってたw
倭奴は何をやっても劣等民族だと証明されているね。
チョッパリ自重しとけwwwwwwwww
109人間七七四年:2008/05/24(土) 20:07:52 ID:LbwIv6Pi
| 釣れますか?                ,
\                         ,/ヽ
   ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄         ,/   ヽ
   ∧_∧          ∧∧  ,/         ヽ
  ( ´∀`)         <゚Д゚,>,/            ヽ
  (    )      (|  つ@               ヽ
  | | |   ___ 〜|  |                ヽ
  (__)_) |――|.  ∪∪                     ヽ
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|                 ヽ
  /⌒\/⌒\/⌒\/⌒\|彡~゚ ゜~ ~。゜ ~ ~ ~ ~~ ~ ~~ ~ ~~ ~~ ~~
  ⌒\/⌒\/⌒\/⌒\/⌒\彡 〜 〜〜 〜〜 〜〜 〜 〜
110人間七七四年:2008/06/12(木) 11:49:12 ID:h/bvGCjP
李氏朝鮮だって朝鮮を支配することに失敗して国土を荒らしていたんだよな。
111人間七七四年:2008/06/12(木) 15:10:51 ID:6E+87kt3
義弘は8万余討ち取ったという説があるが、それは誇張にしても
万単位の死者は出てたんちゃうん
112人間七七四年:2008/06/12(木) 18:02:55 ID:AizwhZrF
島津だけで万も殺されてたら朝鮮軍なんか消滅する
民間合わせて行くか行かないかだろ
113人間七七四年:2008/06/13(金) 03:23:38 ID:B6TookQn
役が始まる前、帳簿上、朝鮮は14万の兵を動員できる事になってた(常備軍は八千だけど)。
死者数万じゃまだまだかな?

あと四川では、明朝鮮連合軍三万八千島津七千で島津の取った首二万じゃなかったっけ?
鼻を集めて集計したはずだから実数には近いと思う。 
114人間七七四年:2008/06/13(金) 04:51:06 ID:eK5PevhD
小国で侮ってた日本が意外と強くて当時の明はびっくりしたんじゃない?
115人間七七四年:2008/06/15(日) 03:11:59 ID:v2EYiOx1
韓国の成人向け漫画から倭乱を扱ったネタを抜粋

ttp://www.kt.rim.or.jp/~sokohaka/chin-man/pics/virus02.jpg

…女傑にも ほどがあるっつーの!
116人間七七四年:2008/06/15(日) 10:42:31 ID:V5b6S8Dk
>>114 それを言うなら、日本軍こそ秀吉以下明軍を侮っていた分、その強さ
に衝撃を受けたと思うよ!
 大体明軍は文禄の役には5万人、慶長の役では8万〜10万程しか送っていず、
日本軍の場合は文禄の役16万〜20万、慶長の役14万〜18万だから日本軍の方が
文禄で3〜4倍、慶長の役で2倍程多いんだよ!
117人間七七四年:2008/06/16(月) 03:31:57 ID:sGlQS6TR
>>116
…いちお”明朝鮮連合軍”だったわけで……
明軍より多い数の朝鮮軍が、明の武将の配下で攻撃に参加してるよ。
118人間七七四年:2008/06/16(月) 08:49:13 ID:zJq1jieI
>>117
いや明鮮軍の中の朝鮮軍は二、三割。
それに加えて両軍の支援を行う人足は朝鮮人が大量だが。
119人間七七四年:2008/06/17(火) 23:52:27 ID:4YQFRzIE
豊臣軍は所詮秀吉のカリスマ性によってまとまっているだけのバラバラな派閥の集合体だから
個々の強さと数で優れていても秀吉が現地にいなければ最終的には烏合の衆と化して
派閥抗争が勃発してしまい勝てなくなってしまうんだよ
120人間七七四年:2008/06/18(水) 11:16:17 ID:9S+G8v/Q
>>116
残念でした、兵数なら同レベルだし、兵数有利でも明軍は何度も敗走している。
121人間七七四年:2008/06/18(水) 12:12:05 ID:ZXez6TPX
連戦連戦なのに叩き出されるなんて
大本営発表の太平洋戦争みたいだな
122人間七七四年:2008/06/18(水) 17:05:36 ID:c1TzGENt
朝鮮出兵について詳しく書かれている
小説ってなんでしょうか??
是非お教え下さい。
123人間七七四年:2008/06/18(水) 20:52:25 ID:9S+G8v/Q
>>121
「連戦連勝なのに叩き出された」の主語は?
朝鮮のことかな?
124人間七七四年:2008/06/18(水) 23:40:58 ID:DArLXzTz
>>120 お前さー、人に意見するならソースだせや!
それとの戦国厨の脳内妄想でいっているのか!
もちろん野戦をだぞ! 城攻めなら兵数有利だからといって
撤退させるのはそれほど難しくないからなー
あとお前は「兵数有利でも何度も敗走している。」といって
いるんだから1つではなく2〜3ぐらいは例をだせや!
125人間七七四年:2008/06/19(木) 18:50:58 ID:XfP/8aL6
>>123
「現文」でも「国語」でもなく、「こくご」からやり直したら?
126人間七七四年:2008/06/19(木) 21:39:45 ID:u55nTHwk
>>124
第一次蔚山の戦いの野戦も泗川の戦いの野戦も、明軍は大軍で出張ってきたのに目茶負けしたな。
127人間七七四年:2008/06/19(木) 23:11:15 ID:ColgZVYr
>>126 その2つとも野戦といえるのか!?
 攻防戦の一部だろ!
128人間七七四年:2008/06/19(木) 23:26:56 ID:ColgZVYr
>>126 野戦というのは、三方ヶ原の合戦や川中島の戦いのように
あるいは関ヶ原の戦いのようなのをいうんだよ!
第一次蔚山の戦いも泗川の戦いの城攻めを受けた城側が敵の隙を
見て打って出た戦であり、通常の野戦とはちがうだろ!
たとえば、郡山城の戦いにおいて、毛利軍が尼子の3万の軍に対して
再三打って出て戦果を挙げたがそれも野戦ああつかいするのか!
129人間七七四年:2008/06/20(金) 00:25:42 ID:SC9Lvbew
>>128
わかったから落ち着けよ
>野戦ああつかい
130人間七七四年:2008/06/20(金) 02:46:46 ID:44UpEMkE
野戦なら「碧蹄館の戦い」くらいじゃないかなぁ…
それ以外は だいたいが明朝鮮連合軍側が三倍以上の戦力持ってるから攻城戦ばかりだよね。

ただ、日本軍が祖承訓率いる士気の高い明軍に驚いた(その能力を見直した)のは事実かと。
ルイスフロイス日本史第四十三章(第三部五十四章)に記述あるよ。
131人間七七四年:2008/06/20(金) 06:33:11 ID:rHWqo7Wo
>>128
その論理なら長篠の戦いも攻城戦だよね?第一次蔚山の戦いと同じ構図。

関ヶ原も佐和山城を攻めに行く東軍に対して西軍が阻止に出たから攻城戦?
132人間七七四年:2008/06/20(金) 07:03:59 ID:urkKET0Z
会戦とか遭遇戦に限定したいだけなのか?
133人間七七四年:2008/06/20(金) 14:26:40 ID:Daand6wx
134人間七七四年:2008/06/20(金) 16:37:34 ID:urkKET0Z
>>127
明軍は野戦で大敗しているな。
135人間七七四年:2008/06/22(日) 14:44:54 ID:KQYUkBAJ
野戦バカ一代
136人間七七四年:2008/06/23(月) 23:25:49 ID:/kh5Q/ey
137人間七七四年:2008/06/24(火) 20:59:36 ID:3mFhje/F
日本史板の朝鮮征伐スレッド
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1214026579/l50
138人間七七四年:2008/06/24(火) 22:11:39 ID:PcBcnSnT
世界史版でも主張したことだが、日本の戦争目的は文禄の役(大明
征服)慶長の役(朝鮮南部の制圧)だったはずだ!
そのために文禄の役では16万〜20万人、慶長の役では14万〜18万人
の兵力を投入している。
戦争期間は文禄の役は約1年間、慶長の役は1年半程戦ったが、結局
外国に寸土もてにいれることができなかった!
やれ、朝鮮半島は寒くて凍死者が続出したとか、あるいは朝鮮半島
が貧しくて現地調達がうまくいかず餓死者がでたとか、また沿岸部
に建設した倭城は1つも落城していない、とか強がってみても、上記
目的を持って半島に侵略しながら、成果を挙げられなかったのは、
秀吉の戦争指導の不味さもあるが、日本軍が大してつよくなかった
ということだろう!
139人間七七四年:2008/06/25(水) 02:17:02 ID:qGH3gO/c
>鎌倉時代の元も、ベトナム戦争のアメリカも弱い
まで読んだ
140人間七七四年:2008/06/29(日) 20:50:52 ID:sdW8ZLhG
>>138
1年半じゃ足りなかっただけじゃないか
でも制圧に向けて着々と進んでるじゃん

上陸→戦闘で勝利→築城


元寇の時のように上陸の時点で阻止されたら明・朝鮮軍強いなと言えるけど

上陸→

ココで阻止
141人間七七四年:2008/07/01(火) 18:33:38 ID:71aIFZmm
明や朝鮮が軍事力で日本を追い払えなかった事には変わり無い。
142人間七七四年:2008/07/01(火) 18:39:50 ID:B48WKOy+
文禄の役の後半は日本の敗色が濃かったな
閑山島で敗れピョンヤンをとられソウルをとられ・・
この時にもう少し頑張って欲しかった
143人間七七四年:2008/07/01(火) 19:50:47 ID:inj7EjY/
上陸→戦闘で勝利→築城→逆撃→ご破算
太平洋戦争みたいだな
144人間七七四年:2008/07/01(火) 22:49:09 ID:NyOhzLYS
南部制圧の拠点である倭城がひとつも落ちてない点で
太平洋戦争とはかなり状況が違うけどな
145人間七七四年:2008/07/02(水) 03:06:11 ID:5I2OKJN2
占領維持が不可能なんだから
ケツ捲くるのが遅かったか早かったかの違いしかない
146人間七七四年:2008/07/02(水) 12:48:12 ID:+jGzN1zB
占領維持は不可能ではないけど時間が必要なんだろ
モンゴル人や満州人が朝鮮に侵攻したときも制圧には長い年月を要してるしな
明の援軍がない朝鮮は雑魚だというのに
147人間七七四年:2008/07/02(水) 15:24:05 ID:FdzT4eY5
兵士の強弱云々より、単純に兵士を海外に出しといたら経済的に持たなかっただけじゃないの?
”天下様”の遠征だから、諸費用自前だし。

秀吉が秀次に手紙で「金貸してきれいな武具をそろえさせろ」と指示してるし、
加藤清正の肥後なんて臨時税取りすぎてボロボロだったり、
家屋敷まで税をかけようとしたり、どーみても限界だったよなぁ。
148人間七七四年:2008/07/02(水) 22:46:30 ID:HzWcB8q1
各支社長・各支店長達が赤字経営だって口酸っぱく進言してんのに、
会長が頑として計画見直しをしないグループ企業みたいな感じだよね。
秀吉の死去を喜んだのは、大陸2国よりもむしろ前線の諸大名の方じゃないかな?
149人間七七四年:2008/07/05(土) 11:04:05 ID:CMVDE4c8
支社と支店じゃ単一企業でしかないから企業グループになってないじゃん
150人間七七四年:2008/07/05(土) 11:10:56 ID:CMVDE4c8
○○商事、○○造船、○○重工みたいな纏まりがグループなのに支社支店如きじゃ話になんねーだろ
151人間七七四年:2008/07/05(土) 16:46:28 ID:0hao5Yc1
>>147
朝鮮に攻め入った大名は支出する一方でもなかったけどな
向こうは貧しい国ではあったけど財宝や文化財があるにはあったから略奪したり
朝鮮人を拉致して労働力にしたり、スペイン・ポルトガルの奴隷商人に
売り払ったりもしていたらしい
152人間七七四年:2008/07/06(日) 02:24:24 ID:52OyuCZR
>>151
直江山城守が朝鮮にあった漢籍を持ち帰った話は有名だしね。
そこらへんの話は豊後の太田一吉の家臣が記録を残している
153人間七七四年:2008/07/06(日) 13:06:45 ID:I3UqOnRC
朝鮮半島に金や銀の鉱山でもあれば相当旨味もあったろうにな
154人間七七四年:2008/07/07(月) 20:06:28 ID:HWhLNpMV
朝鮮人参は薬材として珍重され、
当時の東アジアの国際貿易でも高値で取引されてたそうだが
主な産地は女真と李氏朝鮮の境界地帯だけど
155人間七七四年:2008/07/08(火) 08:59:32 ID:abeHSAT9
江戸時代には人参ブームもあったとか
156人間七七四年:2008/07/09(水) 13:52:32 ID:SzFkXzF3
ところで文禄の役の明の援軍って5万ぐらいしかいなかったってマジ?
157人間七七四年:2008/07/09(水) 15:11:50 ID:5HOZM4j5
>>156
第二派として派遣された数がそれ位。
158人間七七四年:2008/07/09(水) 15:23:26 ID:ZQif3gBy
李叙松が率いてたのは4万くらいだから、まぁそんなもん。
159人間七七四年:2008/07/09(水) 19:12:32 ID:Rdtdzd2R
その援軍には勝利してるんだよな
厄介だったのは冬将軍とゲリラ
160人間七七四年:2008/07/09(水) 23:16:07 ID:SpdJtble
碧蹄館の戦いね。両軍とも全軍では4万位で、実際に戦ったのは
双方約2万同士だったんだけど、何故か双方敵軍の方が大軍だっ
たと思ってるという戦いねw
161人間七七四年:2008/07/10(木) 00:05:49 ID:61adpXrg
脳筋は10以上の数が数えられないでFA
162人間七七四年:2008/07/10(木) 14:08:35 ID:UfdGEdKR
>>160
敵軍の方が多いと認識しながらわざわざ冬の時期に移動して
攻撃しかけてくる明はアホとしか言いようがないな
163人間七七四年:2008/07/10(木) 20:13:19 ID:hG0QUaY1
Wikipedia(笑)では碧蹄館の戦いにおける明軍の数が、いつの間にか1万2千になってるなw
164人間七七四年:2008/07/10(木) 22:05:16 ID:U9Uqayka
学研の戦国群雄シリーズでは日本軍41000、明軍43000、朝鮮軍10000になってるけど、
実際どうなんだろうな
165人間七七四年:2008/07/11(金) 02:37:20 ID:HKIb3AdF
>>162
朝鮮って夏は関東並だが、冬は北海道並になる気候だぞ?
日本軍が北海道並の冬に慣れてない以上気候のアドバンテージは原住民側にある
西国人が冬の北海道でアイヌと対陣するようなもん
圧倒的に不利

同じ数で夏に戦うよりは百倍賢い
冬に弱い日本軍(大陸人より相対的に)に対して冬に嫌がらせをするのは戦略的には極めて有効
166人間七七四年:2008/07/11(金) 05:19:12 ID:n8d+Xkvj
>>162
兵糧事情もあるかも。
明は現地調達(というか、朝鮮側から補給)だったから、
秋の収穫がそのままつかえる冬の方が大軍を動かしやすい。

日本軍も同様に収穫期を見計らって戦起こしてるよ。
167人間七七四年:2008/07/11(金) 10:19:02 ID:y3ImuSoC
>>165
いくら慣れてるといっても北海道並の寒さの時期の行軍は兵をかなり疲弊させたんじゃないか?
それが敗退の一因になってる気がするけど
168人間七七四年:2008/07/11(金) 10:34:25 ID:y3ImuSoC
>>166
援軍としてきてる明軍が収穫前で兵糧確保できないから兵を動かしにくいとかは、
ないんじゃないか。朝鮮側は優先的に明の兵糧は確保してたと思うよ
169人間七七四年:2008/07/11(金) 10:36:27 ID:iDRcNx6M
>>166
日本も明も朝鮮もメインは現地調達だな。
日本からの回漕があるだけ日本有利。
170人間七七四年:2008/07/11(金) 18:38:48 ID:n8d+Xkvj
>>168
税が集まらなきゃいくら優先したくても…

ただでさえ足りないのに無理矢理徴収して明軍優先に配ったので、朝鮮軍から民にまでえらい不満が起きてるよ。
あまりに税取りまくったから日本軍がきてない群まで荒廃した、って記録が残ってる。
秋→冬でこの状態だから、春夏の軍事活動が可能かどうか、微妙なところ。
171人間七七四年:2008/07/11(金) 19:42:26 ID:iDRcNx6M
>>170
春は麦が取れるが、基本的に不足。朝鮮の徴発や、食料不足の明軍の略奪で、餓死多発。
172人間七七四年:2008/07/11(金) 21:52:05 ID:y1lgONsV
まあ400年以上たった今でも餓死者多数だけどな。
173人間七七四年:2008/07/12(土) 11:48:15 ID:6ZoRb8rf
>>170
明「兵糧用意できなきゃ戦ってあげないよ」
明「自前で兵糧負担する気もないよ」
ということか。明軍つかえねー
174人間七七四年:2008/07/12(土) 15:09:52 ID:1dT7dDIm
ゆとりの思考回路ってこんなに狂ってんの?
本格的に日本終わったな
175人間七七四年:2008/07/12(土) 16:56:12 ID:f6dflOsY
ファビョーン
176人間七七四年:2008/07/12(土) 19:57:15 ID:EpBZgXap
たしか江南から食料を船で運んできてたはず
陸路運搬するのは、朝鮮人にやらせたそうだが
177人間七七四年:2008/07/12(土) 20:49:24 ID:AYkRS3Fn
そうゆうのも暴徒化した住民に奪われたりしてたんだろうな
178人間七七四年:2008/07/13(日) 03:10:27 ID:S/SfqW7V
>>176
その記録、教えてー 自力で見つけられんかった…

つか水軍すら朝鮮に来てからの補給は朝鮮頼りだったのに、奉天からくる陸軍の補給が江南から?
明は、外征する際の補給は現地調達、が基本だったけどなぁ…
179人間七七四年:2008/07/13(日) 15:05:25 ID:D/wyXbi2
>つか水軍すら朝鮮に来てからの補給は朝鮮頼りだったのに、
補給艦を従えて行くか、物資を半分消費したら母港に帰って補給するか、寄港地で補給するか
理論展開がおかしい
「すら」じゃなくて「だからこそ」
180人間七七四年:2008/07/13(日) 18:14:33 ID:S/SfqW7V
>>179
「明本国から遠征軍に補給されてた」
…ってとこで、おいらは[「水軍も陸軍も現地補給が普通じゃない?」
…って書いて「水軍は現地調達だろ」って突っ込まれたけど、
「だからこそ」なら、”陸軍への補給があった”という認識なのかな?
”その記録”が知りたいだけなんだけど……なぜソコにツッコミなのかよくわかりません。

あと時代変わるけど、弘安の役の江南軍は本国(江南)から全補給物資運んでなかったっけ?
水軍だって本国から補給した例はないわけではないような……
181人間七七四年:2008/07/13(日) 19:53:22 ID:SwLhfsAu
>>178
上垣外憲一 「文禄・慶長の役 空虚なる御陣」 (二〇〇二年、講談社学術文庫)
のP128の3行目から5行目
この記述が何の史料に基づくのかは、出典が示されていないので分からない

巻末の主要参考文献は以下のもの

田中健夫 「中世対外関係史」 (一九七五年、東京大学出版会)
池内 弘 「文禄慶長の役」 (一九八七年、吉川弘文館)
中村栄孝 「日鮮関係史の研究」上・下 (一九六九年、吉川弘文館)
吉田蒼生雄訳註 「武功夜話」第三巻 (一九八七年、新人物往来社)
参謀本部編 「日本戦史 朝鮮役」 (一九七八年、村田書店)
柳成龍 「懲録」 (一九七九年、平凡社東洋文庫)
青柳綱太郎 「朝鮮史家の記せる豊太閤朝鮮役」 (一九七三年、名著出版)
北島万次 「朝鮮日々記・高麗日記」 (一九八二年、そしえて社)
姜  「看羊録」 (一九八四年、平凡社東洋文庫)
桑田忠親編 「豊臣秀吉のすべて」 (一九八二年、新人物往来社)
ルイス・フロイス 「日本史」2 (一九七七年、中央公論社)
阿部吉雄 「日本朱子学と朝鮮」 (一九六五年、東京大学出版会)
太田青丘 「藤原惺窩」 (一九八五年、吉川弘文館)
関西大学東西学術研究所編 「芳洲外交関係資料・書翰集」 (一九八二年、関西大学出版部)

以上の内のどれかに依ってるんじゃないかな
182人間七七四年:2008/07/14(月) 03:44:56 ID:Cp/HruR8
水軍なんてのは陸軍沿岸隊なんだから別々に考える方に無理がある
よって「水軍(で)すら」という表現は不適切
183人間七七四年:2008/07/14(月) 12:39:40 ID:A4gzG6D6
>>170
>春夏の軍事活動が可能か
明本国からの補給もあったようだし可能と言えるんじゃないか
慶長の役末期に蔚山とか順天とかの攻略目指して行動起こしたときも夏ごろだったはずだし
184人間七七四年:2008/07/14(月) 20:23:03 ID:fMbAr61T
上垣外の本って全然検証してない駄目な奴じゃん。
185人間七七四年:2008/07/14(月) 21:38:43 ID:TkX/cPzk
参考文献に「武功夜話」があるのはどうかと思うが、
問題は、その箇所の典拠は何なのか、その典拠となった史料の信憑性はどうなのか、だろ
とりあえず上に出てる参考文献にあたってみたら、答えは自ずと出てくるだろう
まっ、主要な参考文献以外の参考文献が典拠の可能性もあるが…
186人間七七四年:2008/07/15(火) 09:26:09 ID:VENXioIg
>>183
それは秋から冬にかけて。
187人間七七四年:2008/07/15(火) 12:40:00 ID:y4HYuf+E
大きな戦が開始されるのは9月に入ってからだけど、
軍事行動開始は7月か8月だったような…。ソースは忘れたけど。
数万の大軍が南の沿岸部に到達するには時間もかかるし
188人間七七四年:2008/07/15(火) 22:12:33 ID:21Sn1Z5B
>>187
1592年12月攻勢
1597年12月攻勢
1598年9月攻勢+11月攻勢
189人間七七四年:2008/07/15(火) 22:35:24 ID:d2etGTf7
どこからを軍事活動と定義するかだよな〜
あたりまえだけど朝鮮に駐屯してるだけで兵糧は必要なわけだしな
190人間七七四年:2008/07/16(水) 05:58:31 ID:6d2eLwz4
朝廷から指揮権を貰った将軍が指揮して部隊移動が始まったらに決まってんだろ
移動前は準備活動
191人間七七四年:2008/07/16(水) 13:15:27 ID:54tPk8SF
つまり夏も軍事活動可能だな
192人間七七四年:2008/07/16(水) 14:40:34 ID:1FpUtxPW
第2次蔚山城の戦いについて詳しく書いた本てある?
193人間七七四年:2008/07/16(水) 21:59:08 ID:54pjY5Yr
wikiの『碧蹄館の戦い』の項目は此れで良いのかい?
私は良くは知らないがどうも日本側の史料ではない気がするんだがどうだろう?
(っていうか書き方からして中国ないしは韓国の方が書いたと思う。他国語のwik
に自国史観を押し付けるならばその根拠を示して頂きたかった)
この戦いが書かれている史料等はどんなものがあるの?
194人間七七四年:2008/07/16(水) 23:20:11 ID:Q8ieLERR
史料ではないけど
http://kindai.ndl.go.jp/index.html
ここで朝鮮役で検索すると日本戦史がよめる
[第1冊]朝鮮役 (本編・附記)の129/325ページから碧蹄館の戦いについて載ってる
195人間七七四年:2008/07/18(金) 00:11:31 ID:sZo0BBn8
>>181
ありがとー!!

その本 図書館で読んでみたけど、確かに出典示してくれてないなぁ……兵站に興味ない著者なのかなぁ。
「日本史」「参謀本部編」にはなかったすね。他でありそうなのは「懲録」くらいか…… 
196人間七七四年:2008/07/19(土) 19:26:07 ID:uKZGiXPu
明史に消耗した軍糧が数百万にもなったと書かれてるぐらいだから
明からも相当な量の兵糧が投入されてるのは確かだろうな
197人間七七四年:2008/07/20(日) 02:02:06 ID:ix9EnxWf
>>196
たぶんそれ、遠征軍の国内移動に費やした分だと思う。

文禄の役に李如松が派手な報償ぶち上げたのに払わなかったので江南で騒動起こってるし、
その結果慶長の役の時、募兵しても人が集まらないから、より僻地の兵(四川とか)送ってる。

だから余分に軍糧を消費したわけで、
それが(それまでの明の慣例を破って)国外軍の補給を国内から送った、までは言い切れないと思う。
198人間七七四年:2008/07/20(日) 13:47:19 ID:SEm395lC
明からの補給がなかったとなると
>>181の本の著者が大ウソついてることになるぞ
199人間七七四年:2008/07/21(月) 20:22:05 ID:HX9MxlvN
【萬物相】朝鮮陶工の「望郷の詩」
>壬辰倭乱は日本の歴史で「陶磁器戦争」とも呼ばれている。
当時、日本の上流階級では茶の湯(茶道)がブームだった。
豊臣秀吉の命令で出陣した各地の大名たちは、
日本の陶磁器とは比べものにならないほど素晴らしい朝鮮白磁に目を付け、
先を争うように朝鮮の陶工を連れ帰った。
そうして朝鮮から近い日本の各地に、朝鮮白磁を焼く窯が作られた。
http://news.livedoor.com/article/detail/3737908/

"陶磁器戦争"でググると
・当時日本は磁器を生産できない土器を使用する水準だったが 日本人たちが「陶磁器戦争」 と称するくらい多くの韓国の陶工を日本へ連れて
・日本人たちが陶磁器戦争だと呼ぶ韓日戦争を引き起こす契約となったのであり
・日本歴史では壬辰の乱と丁酉災乱を陶磁器戦争だと呼ぶ.
・当時日本は磁器を作ることが出来ず陶器を使っていたが、日本人がこの戦争を陶磁器戦争 と呼んでいることからも分かるように、

こんなのばっかり出てくるんだが
韓国では16世紀の朝鮮出兵を「日本では陶磁器戦争と呼んでいる」ことになっているらしい
200人間七七四年:2008/07/21(月) 20:44:38 ID:u19K4lOj
日本って海戦で勝ったことあんの?
201人間七七四年:2008/07/21(月) 21:10:31 ID:5u4kjG6/
>>199
韓日戦争?
202人間七七四年:2008/07/21(月) 21:11:43 ID:5u4kjG6/
>>199
「日本人」連発しすぎw
203人間七七四年:2008/07/22(火) 02:20:08 ID:8RbVWZ+A
>>200
あるよ
李瞬臣に変わって朝鮮水軍を指揮した元均は負けて戦死してる
204人間七七四年:2008/07/22(火) 03:30:56 ID:Itl1le1K
>>202
ウリナラ主張の抜粋の箇条書だから、主語である日本人が連呼されるのは当然
205人間七七四年:2008/07/22(火) 13:55:58 ID:8IRjuIiw
ところで加藤清正のオランカイ侵攻では
帰順した朝鮮人が500人ぐらい参加してたという説があるらしいが
事実なのかな?
206人間七七四年:2008/07/22(火) 17:26:45 ID:Qd/dNPM5
>>198
大嘘じゃなくて、国内移動の分と遠征軍への補給を混同してるんじゃないかと。
朝鮮国内での戦いの話をするときに、自国内移動分は普通含めないでしょ?

…つか その本しか、明国内から朝鮮派遣軍に物資補給した、って記述がないのよね……
旧陸軍編では、本国内の補給は明、朝鮮領土では朝鮮担当になってるし、
一次資料が見つかれば、そこらがはっきりすると思うんだけど見つからん……
207人間七七四年:2008/07/23(水) 03:56:24 ID:as4QLRaL
拉致被害者還せ!
208人間七七四年:2008/07/23(水) 05:58:49 ID:AhuXXRU9
>>205
んな話は無い
209人間七七四年:2008/07/23(水) 12:38:14 ID:HVuayy+N
つまり作家が創作した話か
210人間七七四年:2008/07/24(木) 02:33:10 ID:FxcDY2uV
>>209
ただし、日本軍が朝鮮へ侵攻した時点で朝鮮の下層民のなかには
日本軍へ恭順して、日本側についた連中も少なくは無かった。
当時の朝鮮王朝の支配体制の歪みが、外圧によって一気に噴出したわけだな。
官軍を駆逐した日本勢と戦った義兵の中核は地方の有力者層だし。
211人間七七四年:2008/07/24(木) 04:18:08 ID:HsSGeKrO
ひょっとして李舜臣ってとんでもない名将なのでは?
212人間七七四年:2008/07/26(土) 10:37:58 ID:ADBN3q1E
朝鮮人を部下に最後の戦死以外致命的なミスを戦闘で犯さなかったというだけで名将だな。
213人間七七四年:2008/07/28(月) 19:52:30 ID:+sOBm5mq
>>181
柳成竜「懲録」の中にそれらしい記述がありましたよ。
ただ、これだけだと明の南方からなのか朝鮮の南方からなのか、いまいち判別できませんけど。
214人間七七四年:2008/07/28(月) 22:01:35 ID:GLfB5X8F
>>213
お! どこらあたりでしょう? 手元に本あるので確認したいです。
215人間七七四年:2008/07/28(月) 22:10:02 ID:+sOBm5mq
私が持っているのは東洋文庫のものですが、その中の 四十七 飢民の救済 のところです。
216人間七七四年:2008/07/29(火) 00:13:21 ID:GOP+KHUC
>>215
ありがとうございます。
>この頃、今にも(明国から)大軍が再来するというので、南方からきた軍糧輸送船が、
>みな江岸に列をなして碇泊していた。(その軍糧は)決して他には転用しなかった。

この項は柳成竜が国庫から窮民に食糧を分け与える話で、
その輸送船も本人管轄下にあるようですから朝鮮のモノかと。


↑の出典にはありませんけど、明史日本伝に
>然れども関白、東国を侵してより前後七載、師を喪うこと数十万、
>軍糧などの出費数百万、明と朝鮮とは勝算無きに迄べり…

…とありました。でもこれじゃおおざっぱすぎてよくわからないですね……
217人間七七四年:2008/07/29(火) 18:40:13 ID:Yvnsj01R
このスレの伸びは日韓関係の緊張を如実に表しているな。
218人間七七四年:2008/07/30(水) 21:48:38 ID:HHfClmxU
>>216
明史の朝鮮のところとか、広東方面からの朝鮮援兵軍の陳璘の伝とかを眺めてもそれらしい記述は見当たりませんね。
219人間七七四年:2008/07/30(水) 22:44:37 ID:8pJVfbrk
俺は川口市在住だが、以下の文章を川口市にメールで送った。
生活保護法は国民が対象で、外国人の保護受給は権利ではないとされているはずです。
川口市内でも、生活保護を受けられず、やむなく浮浪者としてゴミ箱を漁り、明日の希望もなく生活している日本人がいます。
私も川口市に住んでいますが、浮浪者をよく目にします。一部の外国人は、生活保護を受けるために脅迫めいた手段を講じる者もいると聞きます。
本当は日本人として当然に生活保護を受ける権利があるにもかかわらす゛、一部の外国人のように「うるさくないから」等の
安易な理由で生活保護を受けられない日本人もいると聞きます。生活保護の原資も元はといえば我々の「血税」です。少なくとも生活保護法は国民が対象で、
外国人の保護受給は権利ではないとされているのであれば、すべての困窮する日本国民を保護した後に、
なお余剰があれば外国人の生活保護も検討すべきなのではないでしょうか?
あなたがたは、すべての困窮する川口市民に日本人として、また人間としての基本的人権を保護できているんですか?
優先順位を間違えていませんか?納税者として発言させて頂くと、生活保護法で保護されていない外国人の生活を面倒を見る余裕はありません。
また、不正に生活保護を受給しているずる賢い外国人は絶対にいないとも言い切れないはずです。
外国人に対する生活保護をやめなさい。川口市としても市の負債があると聞きます。
あなた方が大風呂敷を広げて外国人にも生活保護を支給することにより、その負担をすべて負うのは終局的には我々の子供たちです。
権利もない人間を救うだけの財政的な余力があなた方にあるんですか?外国人に対する生活保護をやめなさい。以下の質問に回答ください。
@川口市在住の日本人の人口と生活保護を受けている日本人の数。A川口市在住の外国人の数と生活保護を受けている外国人の数。
B外国人の生活保護として年間に支出した金額(年度集計でも可)。面倒くさいと思うかも知れませんが、財政が逼迫する中、大風呂敷を広げて本来権利もない外国人に生活保護を支給
しているのならこれくらいの数字は当然把握しているはずです。納税者として川口市をより良くすべく質問しています。必ず回答ください。
お前らも居住する市区町村の生活保護課へメールしろ。
220人間七七四年:2008/07/30(水) 23:00:20 ID:U68hVKe/
>>153
銀山はあったようだ
221人間七七四年:2008/07/30(水) 23:23:18 ID:wVwsNu4Q
「対馬は、遠い昔から韓国に朝貢を行ってきた韓国の領土だった。
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を起こした日本が対馬を武力で占領した
が、決死の抵抗を行った(対馬の)義兵がこれを撃退し、義兵の戦蹟
碑は対馬の至るところにある。1870年代に対馬を不法占拠した日本
は、不法に所有した領土をポツダム宣言によって返還することになっ
たのだから、韓国に返すべきだ」 

 1949年1月7日、大韓民国の初代大統領・李承晩(イ・スンマン)が
初の年頭記者会見で語った発言だ。

朝鮮日報
「対馬は韓国領」説に歴史的根拠あり(上)
http://www.chosunonline.com/article/20080727000010
222人間七七四年:2008/07/30(水) 23:46:03 ID:AMVLJ05O
どんな突拍子も無い捏造でもありだなw
223人間七七四年:2008/07/31(木) 01:14:00 ID:giOpDvMj
:人間七七四年:2008/05/25(日) 17:57:19 ID:T1dk2yM7
天下統一をした後の政策が・・・ねぇ。

名分が立たず、しかも惨めに失敗した対外遠征。
実の息子かわいさに養子を殺し、しかもその妻妾子供(普通は幼い女の子位は助けるもんだ)皆殺し。
淀城 聚楽第 名護屋城・・・趣味としか思えない大土木工事。
上記の政策を支えるのに必要な重税・・・。
・・・暴君だもんな。

横山光輝の「豊臣秀吉」だったっけ? 天下統一したところで
「老年の彼は、それまでとは比べ物にならない位愚かになった事も追記しておく」って
終わりで締めたの。
224人間七七四年:2008/07/31(木) 02:39:21 ID:/QBxp6N6
>>218
少なくとも>>181の中や明史には「江南から食料を船で運んできた」記録はなさそうですよねぇ…
今のところ、明本国(江南)から食糧を遠征軍に送った記録はない、と判断するしか。

たぶん筆者が、李如松の配下に江南兵がいたことから勘違いしたか、
>>215の記述を江南からの食糧と錯誤したか、のどちらかのような気がします。
225人間七七四年:2008/08/02(土) 11:05:32 ID:XqSdmiQO
天下統一をした後の政策が・・・ねぇ。

名分が立たず、しかも惨めに失敗した対外遠征。
実の息子かわいさに養子を殺し、しかもその妻妾子供(普通は幼い女の子位は助けるもんだ)皆殺し。
淀城 聚楽第 名護屋城・・・趣味としか思えない大土木工事。
上記の政策を支えるのに必要な重税・・・。
・・・暴君だもんな。

横山光輝の「豊臣秀吉」だったっけ? 天下統一したところで
「老年の彼は、それまでとは比べ物にならない位愚かになった事も追記しておく」って
終わりで締めたの。
226人間七七四年:2008/08/02(土) 18:19:40 ID:dgLmQMPk
コピー乙
227人間七七四年:2008/08/04(月) 14:55:07 ID:dPfvVetF
秀吉が死んだ後って朝鮮には死んだ事隠したまま将兵引き上げさせたんだよね?
一応和議は結んで帰ってきたの?
228人間七七四年:2008/08/04(月) 17:11:02 ID:XpKKtvw3
講和交渉は完全に撤退してからも続いてる
日本はその後も派兵をほのめかしてるから明軍もしばらく駐屯してるし
229人間七七四年:2008/08/04(月) 19:23:34 ID:Vijws/Kd
文禄役での二重外交のお陰で日本側の信用度は0だったからね
230人間七七四年:2008/08/05(火) 08:18:40 ID:nMYpgtBB
>>228-229
そうか、引き上げ命令来た時、清正とか日本軍はわけわかんなかったろうねえ
231人間七七四年:2008/08/05(火) 13:15:23 ID:Xccu9htj
撤退の命令の時はもちろん秀吉の死を伝えてるよ
敵に察知されないために多くの兵にはつたえられてなくて
わけわからんかっただろうけど。次の年にまた大規模な派兵計画も予定されてたしな
232人間七七四年:2008/08/08(金) 14:24:26 ID:ilBtJea5
消防の弟が子供会の旅行で名護屋城行くんだと
233人間七七四年:2008/08/08(金) 15:24:43 ID:AY0/QdyB
弟が消防ってことはお前は厨房だな
234人間七七四年:2008/08/08(金) 18:08:29 ID:ilBtJea5
今年26になるニートでつ
235人間七七四年:2008/08/08(金) 23:54:27 ID:xISmoewN
働け働け
236人間七七四年:2008/08/13(水) 20:23:26 ID:O9zyGlkF
>>227
結ばれていないから帰国に付け込まれて攻撃された。
すべて撃退したが。
237人間七七四年:2008/08/20(水) 02:34:26 ID:g2xj5WYr
保守
238人間七七四年:2008/08/25(月) 08:15:35 ID:gF7+GCYi
>>229
はあ?0って意味ワカンネ。
239人間七七四年:2008/08/25(月) 13:16:19 ID:2EhXlxtq
小西と沈がお互いに独走状態だったのさ。
日本側だけが信用0とかそういう問題じゃない
240人間七七四年:2008/08/25(月) 21:55:34 ID:uGvonbDx
>>236
ほとんど島津義弘の活躍で撃退したんだよな。
241人間七七四年:2008/08/25(月) 22:58:12 ID:dS1n5CE4
英語版Wikipediaの安土桃山時代なのですが、韓国人から

『加藤清正が朝鮮の王子を捕らえた』という根拠になる歴史資料と
どこに書いてあるかを提示しろと言われました。
(『それができないなら、その記述は捏造だから削除する』と言われてます)

だれか適切な資料とかご存知でしたら教えてください。
242人間七七四年:2008/08/25(月) 23:41:52 ID:ApDJ4OdA
>>241
柳成龍「懲録」の二十一章
「賊兵が咸鏡道に侵入し、二王子が捕らえられる」
…に、まるまる書かれてるよ。

243人間七七四年:2008/08/26(火) 01:56:22 ID:Wf3r4713
ありがとうございます。手直しをしてきました。

おそらく韓国人は難癖をつけて、差し戻しをしてくると思いますが
そのときはよろしくお願いします。

こちら側の記述は、
「朝鮮半島で明と日本が戦った。朝鮮水軍は明を支援して、日本の補給路を断った。
そのため、日本は明と和平交渉を始めた」

韓国側の記述は
「日本軍は陸の略奪をEnjoyしていたが、海はイスンシン将軍の活躍で大敗してました
イスンシン将軍のすばらしい活躍で、日本は和平交渉を求めてきました」

という内容で、韓国側は一切の妥協をしないそうです。
244人間七七四年:2008/08/26(火) 03:09:10 ID:5XG8ZsCq
>>243
>日本の補給路を断った
確か軍事板だったか世界史板で、朝鮮側による補給線への攻撃が功を奏したのは序盤頃までで、
後に日本側の防衛策が構築されてからは大した戦果を挙げられなかった主旨のレスを読んだ記憶がある。

それと、こっち側も一切の妥協をしちゃダメだ。正論に聞く耳持たない図々しい相手に誠意は通じない。
245人間七七四年:2008/08/26(火) 06:03:42 ID:EU2j0W/e
ん?朝鮮水軍の攻撃で補給困難にはなっていないぞ?
水軍は陸の支援がないと継戦できないから攻撃も一過性だし、足も短い。


それと大量消費を必要とする近代戦と違って、中世の遠征は現地調達が基本。
246人間七七四年:2008/08/26(火) 06:07:27 ID:EU2j0W/e
ん?朝鮮水軍の攻撃で補給困難にはなっていないぞ?
水軍は陸の支援がないと継戦できないから攻撃も一過性だし、足も短い。
それと大量消費を必要とする近代戦と違って、中世の遠征は現地調達が基本。


捕虜にした朝鮮二王子の返還は和平交渉の条件になっているから、リアルタイムの清正書状などの史料や宣祖実録などの編纂史料にも記録されています。
247人間七七四年:2008/08/26(火) 12:31:39 ID:uZwOrV3n
和平交渉って、明の兵部尚書(軍務大臣)の石星の意向、
トップダウンで始められたんじゃないかなぁ、現地の状況無関係で。
日本側も、現地滞陣武将の中にもともと”嫌戦気分”が広がってたから和平交渉を受けた(フロイス日本史)
ような記述もあるよ。

実際、沈惟敬が停戦決めたときは、朝鮮関係者は「みなその理由を推測できなかった」(懲録)とあるし、
李如松なんて休戦隠れ蓑に軍動かして不意討ち狙ってるし、
明宮廷でも事情がわかってくると、和平交渉止める意見が強くなってる。

まぁ、明確なことはわからんけど……
李舜臣は明朝鮮日本含めて当時での一流海軍大将の一人だったとは思うなぁ。


248人間七七四年:2008/09/01(月) 20:02:54 ID:TDBTGJ5g
>>247
いや、石星の意向は無関係でしょう。
249人間七七四年:2008/09/02(火) 19:09:08 ID:DK2vUpme

秀吉による朝鮮征伐に関する考察
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/war/1220349972/l50
250人間七七四年:2008/09/02(火) 20:37:01 ID:wyvo68Jy
徳川、伊達、黒田、などの不満分子を先陣させて高見の見物させればあんな事に、
251人間七七四年:2008/09/02(火) 23:00:40 ID:mi/vQ19u
朝鮮に行くんだから西日本の大名が先陣するのは当たり前だろ
不満があるかないか以前の問題だ
252人間七七四年:2008/09/03(水) 10:16:31 ID:BMW57Guc
>>250黒田はすでに先鋒だが?
253人間七七四年:2008/09/03(水) 21:20:10 ID:fwgZiNPQ
家康を渡海させて、せめて城の普請させていればよかったのでは?
254人間七七四年:2008/09/03(水) 22:58:21 ID:UFhKKDmM
>>253
殿下の指示で転封した関東の統治が忙しいしー…
そもそも俺が行かなければならんほど、殿下の部下て頼りないわけ?
俺が行ってもし勝っちゃったら、俺の威勢がもっともっと強くなっちゃうよ?

家康が行けばいろんな意味で有利だが、勝たれても豊臣の面目潰れるしな。
255人間七七四年:2008/09/04(木) 05:42:01 ID:tCCymjOR
250 それくらい知ってるよ
黒田がやる気なく碁をやっていたところ石田がhideにチクったという(朝鮮遠征中)話もあるくらいだから
256人間七七四年:2008/09/04(木) 05:54:49 ID:+fX/6N01
メインは黒田長政だよ。
257人間七七四年:2008/09/04(木) 23:41:59 ID:4hNvS6Hh
朝鮮出兵の目的と結果を混同している奴が多いな
秀吉は諸大名を虐めるために出兵したわけではない
子飼いや親豊臣の大名を大勢派遣して領地を勝ち取ることで
より政権基盤を強くすることが秀吉の目的だろ
失敗したから家康の一人勝ち状態になったが
秀吉の脳内では成功を確信して始めたことだ
258人間七七四年:2008/09/05(金) 13:43:58 ID:hNvQ9N9Y
失敗するのがわかってたらやらんよね
259人間七七四年:2008/09/07(日) 16:18:02 ID:/FdWFXzw
西国大名を弱体化させて豊臣支配を強化することに成功しますた。
260人間七七四年:2008/09/07(日) 23:28:10 ID:73OXqym4
秀吉の大後悔時代
261人間七七四年:2008/09/09(火) 20:22:08 ID:TRPVSO9k
?
262人間七七四年:2008/09/09(火) 20:28:00 ID:UrhrwvS+
家康や秀次は奥羽征伐で九戸まで遠征したから朝鮮ではパスできたんでないか?
263人間七七四年:2008/09/09(火) 22:26:19 ID:ZvEyUwRk
これ以上家康の領土を広げさせる義理はないからだろ
264人間七七四年:2008/09/15(月) 08:40:27 ID:dG4WNeX6
倭城の普請を家康に命じて、
財力を使わせて弱体化させるのがよい。
知行を増やさせずに済むし。
265人間七七四年:2008/09/15(月) 21:49:06 ID:sOqnR1Y0
現実に家康には普請も渡海も何も命じることができなかったんだから仕方がない
秀吉本人が不可能と判断したんだから無理だろう
266人間七七四年:2008/09/23(火) 21:46:20 ID:uMgDOOo3
保守
267人間七七四年:2008/10/06(月) 21:42:35 ID:HOP3gSKP
age
268人間七七四年:2008/10/14(火) 20:08:16 ID:KWOHlbht
もう少しで秀忠が動員されそうだったじゃん。
269人間七七四年:2008/10/15(水) 11:29:05 ID:bTPSfoHj
鳴梁大捷再現中板屋船に火災〜全焼〜 2008-10-11 22:18:45
http://www.dailian.co.kr/news/n_view.html?kind=menu_code&keys=3&id=129510
全南道(チョンナムド)が主管した鳴梁大捷祭り開幕日に板屋船が仏陀全焼する事故が発生した。
事故(思考)板屋船は鳴梁大捷祭り開幕日の11日16時頃右水営港で進度サビ陣まで運行した後ウォン・インモを火災が発生して,完全全焼された。
燃えた板屋船は海南(ヘナム)右水営港〜陣も溶けることは区間を二度運航した後右水営港で帰航していた途中機関室側から初めて火が始まったと分かっている。
板屋船に火災が発生するや板屋船に搭乗した人々は緊急待避して,人命被害はないと明らかになっている。
板屋船に火災申告で海上警察と消防署が出動して鎮火に出たが火を消すことができなくて完全全焼した。
全焼した板屋船は先月鳴梁大捷祭りに合わせて乾燥(建造)したし,祭り当たりである初めての運航した。
板屋船が燃えた姿を見守った住民たちは数千万ウォンらで製作した板屋船がハルンマンに燃えてしまったとし,一回用(使い捨て)になってしまった格好だと非難した。
また鳴梁大捷祭りハイライトの海上戦闘再現に参加する計画だったが出場もできなくて仏陀鳴梁大捷で倭船の安宅船に破った格好になってしまったとヒョルルチャッタ.
270人間七七四年:2008/10/15(水) 20:28:27 ID:I8tJcfYp
秀吉による朝鮮征伐の軍事分析PartY
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1208168005/l50
271人間七七四年:2008/10/16(木) 00:40:44 ID:JR7Sme1f
文禄・慶長の役が海外で誤解されまくってる件
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1224042272/
272人間七七四年:2008/10/16(木) 05:54:13 ID:u1DWPk+3
家康ら東国大名には小田原征伐や奥州仕置で働いてもらったから
唐入りではあんまり無理な要求は出来なかったんだろう
それでも名護屋まで兵を出させてたわけだし、秀吉が必要だと思えば
何時でも大陸に渡ったんじゃないか>家康
この頃の秀吉に逆らえる奴なんて居ないだろ
273人間七七四年:2008/10/17(金) 00:52:44 ID:AmBfbnTz
戦国時代には遠征地に近いところから多く動員され
より先鋒となって戦う原則があった。
文禄慶長でも、その原則に沿って遠征先の朝鮮に近い西国衆が派遣された。
西国衆の中でもより朝鮮に近い九州勢が、中国・四国勢よりも、
より多くの軍役が課せられ、先鋒に近い所で戦っている。
その九州勢の中でも先鋒の一番隊に配属されたのは、隊長の小西を除けば
宗義智 松浦鎮信 有馬晴信 大村喜前 五島純玄といった
特に朝鮮に近い所の大名たち。
274人間七七四年:2008/10/17(金) 00:58:25 ID:AmBfbnTz
「家康が朝鮮に渡らなかったのが、家康自身の意思によるもの」といった
ものは俗説に過ぎない。

因みに第二次晋州城攻略戦では家康も含め東国大名も総渡海させ
戦列に加えるプランもあった。
275人間七七四年:2008/10/18(土) 01:50:20 ID:MyxcUsyq
名護屋城布陣での余談をひとつ。
鍋島直茂勢の家中に前田伊豫守家定と云う武将が居たんだけど。
旧隆信のお側衆で当時知行ニ百町(ニ千石余?)で沖田畷の生残り。
その前田家定がノコノコと前田利家の陣地を尋ねて行き、
「同姓も何かの縁、以後宜しく…」って云ったそうな。
それを聞いた直茂がカンカンに怒り即、切腹。
以後、前田姓を禁じた為に子孫は野村姓に変えたんだって。

276人間七七四年:2008/10/24(金) 18:30:05 ID:wpOhLC7Y
日本語版の李舜臣が機械翻訳の韓国人にやられました。
277人間七七四年:2008/10/25(土) 06:41:57 ID:SSsRt6Bs
いちいち李舜臣なんてザコを教科書に載せなくていいから、加藤清正や島津義弘ら日本軍の活躍中心に紙面を割いてくれ
278人間七七四年:2008/10/29(水) 00:34:15 ID:O2FA+fTL
>>275
すまんが、どうして前田同士があったことに直茂が怒ったのか教えてくれないか。
279人間七七四年:2008/11/01(土) 17:09:21 ID:sp04xBSI
連携がなあ・・・
280人間七七四年:2008/11/01(土) 18:41:55 ID:sCPZAg7y
>>278
直茂が怒ったのは陣中規律違反。
勝手に陣中を離れたのが理由です。
281人間七七四年:2008/11/01(土) 19:41:23 ID:3SClkurw
器の小さいやつだ
282人間七七四年:2008/11/02(日) 00:15:53 ID:UKegKkd4
朝鮮出兵はちょっとした規律違反でも豊臣政権からどんな処罰を受けるか分からないのだから
大名側としては敏感にならざるを得なかったのだろう
283人間七七四年:2008/11/02(日) 13:15:04 ID:GB+vbgDZ
義弘が小西助けて撤退してる間に
釜山にいた大名どもは城焼いて撤退してて
豊久しか待ってなかったそうだな
284人間七七四年:2008/11/03(月) 10:12:23 ID:/Gz/rE2C
明との講和条件七ケ条
  一、明帝の女を日本の皇妃に迎える。
  二、勘合貿易の復活
  三、日明両国大臣の誓紙交換
  四、朝鮮の京畿、忠清、全羅、慶尚、四道の割譲
  五、朝鮮の王子、大臣を質とする
  六、捕虜の朝鮮両王子を送還する
  七、朝鮮の大臣が永久に日本にそむかぬよう誓約する
285人間七七四年:2008/11/24(月) 15:21:47 ID:iFLAwYIi
286人間七七四年:2008/11/25(火) 19:04:59 ID:NR09EGoM
>>283
指令通りじゃん
287人間七七四年:2008/12/02(火) 20:18:37 ID:LUaRn/kI
ちょとした疑問なんだけど、李舜臣が”流れ弾”に当たって戦死というのは
いつ誰が言い出したものなんだろうね。

そもそも、敵の旗艦の指揮官というのは第一目標であって、たまたま目標を
それた弾が当たるというよりは、狙って撃ったものが当たったと考える方が
妥当だろうし、また、日本人なら流れ弾に当たるというのはむしろ不名誉で、
先頭に立って奮戦の最中、弾丸に当たったとする方が誇らしいと考えると思うのだが、
あるいは半島人的には憎きチョッパリに意図的に討ち取られたとするより、
たまたま運悪く死んだという方が心情的に納得できたりするのだろうか?
288人間七七四年:2008/12/02(火) 20:26:58 ID:LUaRn/kI
ついでに、よく言われる島津”追撃”中に、というのも
何が出典なのか謎なんだよね。 史実的には勝敗の
帰趨が未だ定まらない乱戦の最中という解釈が
妥当だろうと思うのだけれど。
289人間七七四年:2008/12/03(水) 04:30:15 ID:iAxcvrX/
「明史」のケ子龍伝には、
他舟誤擲火器入子龍舟。舟中火、賊乘之、子龍戰死。舜臣赴救、亦死。
と書いてある。

旗艦は、ケ子龍が乗っていた舟の方だね。
290287:2008/12/03(水) 14:12:18 ID:bZygoiV6
レスども〜

確かにそう言われてみれば、ケ子龍は明艦隊ではなく朝鮮軍の方に分派されて
いたようだし、単なる軍目付ではなく実質的にはケ子龍が朝鮮水軍を統制していて
ケ子龍の船がマジで旗艦だった可能性があるのか。 目からウロコ
291人間七七四年:2008/12/03(水) 17:57:31 ID:9Ci6IRPe
>>288
そうだよ。運が悪かったと思いたい人が考えた創作修飾。
金時敏も流れ弾に当たって死んだという表現を見たことがある。

早い時間に死んだようだしな。
この海戦の指揮官は明将の陳リン。
292人間七七四年:2008/12/03(水) 18:07:00 ID:bZygoiV6
>>291
やっぱり、そういうところに落ち着くんですかね。(笑)

イギリス人はネルソンが流れ弾に当たって死んだなどとは
決して言わないよなぁ。
293人間七七四年:2008/12/04(木) 03:18:10 ID:L6aes0CE
秀吉の朝鮮征伐は無謀だのボケただの言われてるけど
第2次世界大戦とか言葉文化人種の壁を超えて国を占拠できてたじゃん。

勝算はあったんじゃねーの?
294人間七七四年:2008/12/04(木) 11:55:57 ID:muOBiI6J
海戦だからな。暗殺の特定狙撃じゃないし鉄砲でも矢でも
どうあっても結局んところ流れ弾に落ち着くだろうな
陸戦で討ち取られて首実検されたとかだったらどーなったんだろうね
295人間七七四年:2008/12/04(木) 13:30:31 ID:Jr57ymWS
>>294
味方に撃たれた可能性もあるよ。
テイ子龍も誤射去れているし、まさか朝鮮兵か?
296人間七七四年:2008/12/04(木) 18:14:34 ID:wLT4NMZ5
志村〜っ トウ、トウ
297人間七七四年:2008/12/09(火) 08:11:54 ID:ri8muI5z
最後は2ちゃんらしく「いつもの法則が発動しただけ」で落ち着くと思うが。
298人間七七四年:2008/12/11(木) 03:37:50 ID:FhuFufIw
しかし、秀吉の「大儀」とか何にもないの?

たとえば満州族とかは「七大恨」とかぶちあげて、その報復として明を征服したわけだ。
そういうのって秀吉には何にもないのかね。
299人間七七四年:2008/12/11(木) 08:56:47 ID:XOSCu+Y9
スペイン(エスパニア)がアジアを植民地支配しようとしてて中国を取られたら日本が危ないから先に取ろうとした説がある
あとは唐入りは信長の野望でもあった
300人間七七四年:2008/12/11(木) 14:47:03 ID:FhuFufIw
>>299
信長の野望だったのはありそうな説だけど、さてそれが正当な開戦の動機には、ならないとおもう。
中国を取られたら日本が危ないってのも自分勝手すぎるよな。だったら中国に援軍を送るべきだろ?

もっと正しい戦争だといえるようなことってないのかね。たとえば真珠湾を攻撃されたみたいなことだよ。
301人間七七四年:2008/12/11(木) 17:25:13 ID:NEDfDUYw
正しい戦争って・・・しかも引き合いが真珠湾を攻撃されたみたいなこと?(笑)

いや、お里が知れますね。
302人間七七四年:2008/12/11(木) 17:28:02 ID:FhuFufIw
>>301
まあ簡単に言えば先制攻撃をしたほうが悪いんだよ。

元寇とか持ち出すか?まあそれでもいいけどさ。
303人間七七四年:2008/12/11(木) 17:47:57 ID:FhuFufIw
ところで日本では先制攻撃が悪いという風習ってなかったのかね?

いやもちろんあったよな?
304人間七七四年:2008/12/11(木) 23:15:07 ID:NEDfDUYw
>まあ簡単に言えば先制攻撃をしたほうが悪いんだよ

小学生ですか?(笑)
305人間七七四年:2008/12/11(木) 23:25:09 ID:FhuFufIw
>>304
だいたいどこの法律でもそうなってるでしょ?

江戸時代の法律とかどうよ?
306人間七七四年:2008/12/12(金) 05:18:36 ID:Tm7fUWkH
>>305それ現代だろ(笑)
国連も無い混沌とした時代を、今の価値観で
「悪!」と思考停止する頭の悪さ(笑)
小学生だよな、おまえ?(笑)
307人間七七四年:2008/12/12(金) 05:39:42 ID:ULVnbSLP
今の価値観では悪だと認めたのな
いまの価値観ってのは過去の価値観からつながってることが多いよ
308人間七七四年:2008/12/12(金) 08:31:40 ID:q2ZXoWU1
>>307
日本が真珠湾攻撃に至るまでのアメリカのやり方を調べてみ。
それでも正しい戦争って言えるか?
悪の枢軸との戦いとか、テロとの戦いとか言ってるが、
アメリカの戦争も国益の為に行われてるにすぎない。
他の連合国も酷いもので、
毛沢東やスターリンは、ヒトラーがユダヤ人を殺した以上に自国民を殺したし、
イギリスの二枚舌外交は、未だに各地の火種になっている。
日本がそれ以上に悪い事をしたと言われるのは、負けたからに過ぎない。
晩節を汚したとされる秀吉も、勝っていれば評価は違っていただろうし
おまえさんが納得いく正しい戦争wの理由も後付けされていただろう。
309人間七七四年:2008/12/12(金) 12:52:22 ID:MjSVJCxJ
秀吉は南方も攻めようとして浅野長政なんかに
絶対やめとけアホって言われてる
そのせいでオランダ領あたりに噂が伝わって警戒命令が出たw
310人間七七四年:2008/12/28(日) 13:14:35 ID:3nkY/C3J
>>303
つまり盧溝橋でも、広安門でも、第二次上海事変でも日本軍に最初に攻撃仕掛けてきたのは、
中国軍。
中国の侵略戦争で、中国が悪いということでいいねw
311人間七七四年:2008/12/28(日) 16:35:42 ID:qNTCoSC/
「盧溝橋事件は中国共産党が起こしたもの」と昔から中国共産党が宣伝しているので間違いは無いでしょうw
312人間七七四年:2008/12/29(月) 19:10:10 ID:TDdNGWIM
313人間七七四年:2009/01/02(金) 16:34:00 ID:m1d89YZQ
古来、先制攻撃は誉められこそすれ、悪いものであるはずないが?
314人間七七四年:2009/01/03(土) 15:25:06 ID:oZ7AooUb
>>302
先制攻撃の何が悪いの?
315人間七七四年:2009/01/20(火) 02:12:55 ID:5/BKvJ3L
文禄の役で得た朝鮮半島支配地を保持し続けることは不可能だったのかな
316人間七七四年:2009/01/25(日) 21:19:48 ID:kMafqyIu
317人間七七四年:2009/01/27(火) 22:28:22 ID:jGq4czMg
小西行長らが上陸したとき、朝鮮の簡単な地図を持たされていたが
直前に工作員から得た情報で書かれた杜撰なものだった。

夏服のままだったから、10月にもなると寒くてもたないと
現地農民からすぐに見てとられた。このため凍死者続出。

慶長の役では、海岸線近くの倭城での天と線確保で精一杯だった。
制海権もなかったから、釜山と対馬の線上から西
海伝いの補給が困難であった。

やはり無理っぽ..
318人間七七四年:2009/02/05(木) 14:26:00 ID:Uw7dUaNh
万歴の3大征
モンゴル降将ボハイの反乱1592年
遼東の李如松が派遣され鎮圧
戦費銀180万両

壬辰倭乱1592〜98年
戦費780万両

播州土司楊応龍反乱1597〜1600年
4年間20万の官軍で鎮圧・戦費銀200万両

319人間七七四年:2009/02/05(木) 19:38:13 ID:dMjWCF5J
明は3大征のせいで国力が低下して女真族に
数百年も支配されている。
320人間七七四年:2009/02/05(木) 21:37:40 ID:yyQPezK0
清正は勢いあまって、女真族のテリトリーまで侵入してしまった。

不毛の大地が延々と広がっていた。
誰もいないと思ったら、家臣が李朝の二人の王子を
とっ捕まえてきた。
これが彼の最大の戦利品。後の戦後交渉にも役立った。

気をよくした清正、女真族と手を組み
共闘で北東から大いに明に攻め込むかと思うや、
案に諮らずや、女真族と戦闘勃発となってしまった。
321人間七七四年:2009/02/10(火) 11:31:40 ID:O14JOiZz
漏れの住んでる五島の武士が活躍した戦いだわ・・・・どこまで本当か分からんが。
322人間七七四年:2009/02/22(日) 09:56:54 ID:18GQDdOR
韓国の唐辛子は秀吉が持ち込んだものではないという研究結果が発表されましたが。


323人間七七四年:2009/02/22(日) 12:59:39 ID:oYnTKmcl
・マネートゥデイ(韓国語)の画像に使われた『救急簡易方』の文章から
 これが唐代の孟セン著の『食療本草』の引用である事が発覚。
http://imgnews.naver.com/image/moneytoday/2009/02/18/2009021810561219525_1.jpg

・食療本草は日本でも平安時代に丹波康頼が『医心方』で引用。
 第三十巻にその部分があり、たまたま茨城大の学生がレポート用に
 訳したページがGoogleのキャッシュから発掘される。
http://tinyurl.com/ak9bga

・中国の古医学書が大量にHTML化されてるページも紹介される。
http://www.theqi.com/cmed/oldbook/
 その中に孟セン著の『食療本草』があり、裏が取られた。
http://www.theqi.com/cmed/oldbook/book44/index.html
324人間七七四年:2009/02/27(金) 00:36:10 ID:X2bI/OCk
結果的に、唐入りは秀吉の明国に対する独立戦争
成功した
325人間七七四年:2009/02/27(金) 10:27:31 ID:r7F2V/W4
>>323

茨城大学生のレポートの盗用ってこと?
つか文中に出てくるのは唐辛子じゃないのにムリヤリ唐辛子に断定してると言う可能性はないの?
326人間七七四年:2009/02/27(金) 18:35:28 ID:PyPl8TJG
>>324
たとえ下手糞な釣りでも、俺みたいなヒマ人に相手してもらえてよかったなw
327人間七七四年:2009/02/27(金) 19:26:11 ID:JqdZLEcc
今度は日本史スレに鮮脳された馬鹿がやってきました。
どうぞ存分にお楽しみください。
328人間七七四年:2009/02/28(土) 10:19:26 ID:aDVYRWGl
明国の劉「糸廷」←これで一文字
っていう将軍が、
「秀吉は日本を治めているが、英雄といえど寿命の長短は料想することができない。
例え秀吉が長寿を保っても、彼は汝(清正)を憎み、その功を憎む。」
っていう手紙を清正に送ってるよね。
これは石田三成が、清正の手柄を握り潰し、規律違反などの落度のみを秀吉に進言してる、
いわば淀派と北の政所派の派閥争いを表してるわけだが、
そういう風に、
明側は現場の一将軍までが、日本のトップの派閥争いの事情まで把握してるのに、
一方の日本側は、
政宗が唐入りを、
「明国の事情もよく知らずに攻め入るなど、第一歩から無謀そのもの」
って批判するくらい、明側の事を何も知らなかったんだよね。

情報戦の見地からも、無謀極まりない戦だったような気がする。
329人間七七四年:2009/02/28(土) 16:15:18 ID:wrC4VdWU
情報戦何もトップが色々勘違いしてるからなぁ・・・
330人間七七四年:2009/03/01(日) 14:48:58 ID:2B6HPbC+
文禄の役、王さえ押せてしまえば民は従う筈。
首都に一直線に侵攻、結果補給線が伸びすぎて一時孤立した。
戦国時代の常識が通用しなかった。
慶長の役、まず朝鮮の南半分を平定しようとする。
軍を派遣した後に、各所に倭城を作り防衛戦を構築。
と、一応学習はしてる気もがするがね。
秀吉が死んじゃったから、死守してた領地も放棄しちゃったけど。
331人間七七四年:2009/03/01(日) 18:17:26 ID:15XTtGd+
>>330
普通に統治能力の差を見せつければ、どちらに靡くかは必然と思ったのも仕方がない。
朝鮮の民が計算高ければ秀吉に付いていたろう。
しかし、彼らには自己利益になる統治者という概念が無く、損得計算が出来なかった。
332人間七七四年:2009/03/01(日) 21:33:58 ID:IZqe0+wv
いくら統治能力が高くても、異国から来た人間を支持なんて
簡単にはできないだろう。
アメリカが戦後、日本を直接統治してたら、反米感情なんて今の比じゃなかった

ような気がする
333人間七七四年:2009/03/02(月) 11:29:03 ID:ovtA+4bq
最初は解放者だと支持されたが、やった事は結局李氏朝鮮と変わらなかったので、支持失った
そういう単純な話、>>330みたいなのは無視していい
334人間七七四年:2009/03/04(水) 11:11:37 ID:/gKIgBWT
まあ言語の壁は高いなってこった
335人間七七四年:2009/03/08(日) 12:15:53 ID:+Kp9tRvM
昨日の朝鮮征伐は見事に成功しました
336人間七七四年:2009/03/10(火) 18:09:05 ID:jUXFHyi6
【青森】「いつでも北朝鮮と勝負する!」 羽柴誠三秀吉氏、迎撃ミサイルを準備[03/10]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1236675672/
337人間七七四年:2009/03/22(日) 15:39:19 ID:xDJ9FmA9
338人間七七四年:2009/03/25(水) 18:54:22 ID:xrAs5YGp
韓国ドラマ「ホジュン」の壬辰倭乱で脇坂家の旗印が出たw
339人間七七四年:2009/03/26(木) 19:31:07 ID:F7viJFMX
「不滅の李舜臣」を2巻まで見たが、歪曲しまくりで萎えたww
340人間七七四年:2009/03/31(火) 15:39:49 ID:uG726DvX
すべての準備が整った西暦202年10月、
この勇猛な女王は肥前の海岸から出航し、無事に新羅の海岸に上陸した。
新羅王はこの東国から来た精強な軍隊と巨大な船団を見て大いに驚愕した。
恐れおののいた新羅王は、直ちに服従の意を示した。
彼は自分の手を縛って女王に拝謁し、自分は日本の奴隷であると宣言した。
神功皇后は自分の矛を王宮の門に立て、新羅王の服従のしるしとした。
彼女は門に「新羅国の大王は日本の犬なり」と書いたとさえ言われている。

ウィリアム・グリフィス『隠者の国・朝鮮』より
341人間七七四年:2009/04/09(木) 11:05:21 ID:S1QFYoaT
342梵天丸家臣:2009/04/09(木) 20:05:34 ID:zvUMK+vA
朝鮮出兵を朝鮮からの目線で描いたテレビドラマ「不滅のイ・スンシン」が
4月25日からスカパーのKNTVチャンネルで放映されますよ ただし小西行長も
韓国人俳優が演じるという恐ろしいものですがね
343人間七七四年:2009/04/10(金) 03:31:45 ID:S9BhIJRq
不滅のイ・スンシンw

ほろんでるじゃん
344人間七七四年:2009/04/10(金) 21:23:50 ID:6zHg9Kac
またあからさまで悪質な嘘が喧伝されるのか
困ったもんですね
345人間七七四年:2009/04/11(土) 09:07:04 ID:y57ECnqx
釜山に上陸した日本軍に対し、朝鮮軍はあっという間に敗北。

釜山鎮の戦い(鄭撥戦死)、東莱城の戦い(宋象賢戦死)、尚州の戦い(李鎰敗走)、弾琴台の戦い(申立戦死)などで日本軍は勝利を重ねた。
日本軍は第1軍(小西行長、他)、第2軍(加藤清正、他)、第3軍(黒田長政、他)を先鋒に三路に分かれて急進し、
翌5月には首都漢城(現在のソウル)を占領。
朝鮮国王の宣祖は平壌へ遷都して避難、
さらに日本の進撃が迫ると遼東との国境である北端の平安道義州へと逃亡し、
冊封に基づいて明に救援を要請するが、
その間にさらに北上した日本の第1軍と第2軍は平壌を占領して進撃を停止した。

あまりに容易に李氏朝鮮の王都である漢城が陥落したため、
日本の諸将は5月に漢城にて軍議を行い、
各方面軍による八道国割と呼ばれる制圧目標を決めた

平安道 第1軍小西行長他、 
咸鏡道 第2軍加藤清正他、 
黄海道 第3軍黒田長政他、 
江原道 第4軍毛利吉成他、 
忠清道 第5軍福島正則他、 
全羅道 第6軍小早川隆景他、 
慶尚道 第7軍毛利輝元他、 
京畿道 第8軍宇喜多秀家他、

日本軍は北西部の平安道と全羅道を除く朝鮮全土を制圧し、
加藤清正の一隊は国境を越えて明領オランカイへ攻め入った。
346人間七七四年:2009/04/11(土) 10:01:30 ID:eYZI44BU
>>345明領オランカイへ攻め入った。
馬鹿?
347人間七七四年:2009/04/11(土) 11:42:48 ID:y57ECnqx
それしか言えないんだろうな
348人間七七四年:2009/04/12(日) 18:47:59 ID:9mHNLz6K
パステルス「日本スペイン交渉史」
ルソン提督がスペイン王フェリペ2世に宛てた手紙
「コーチシナ、ここは1000人で征服できます。
カンボジア王国、ここは我ら(スペイン)の生活の面倒をみてくれています。
シャム、ここは1500人で征服できます。
いずれも偉大なスペインの旗を立てるのは容易ですが・・・・・
日本が攻めて来れば、ルソンは壊滅します。」
349人間七七四年:2009/04/15(水) 02:09:03 ID:/HiPNYvP
日本圧倒的だな
350人間七七四年:2009/04/21(火) 20:22:30 ID:Vc0lvHnG
明朝連合軍がカス過ぎるだけだろ
351人間七七四年:2009/04/23(木) 13:34:52 ID:ttMYhPlH
カスだから圧倒されたんだろ
意味変わらんじゃんw

やっぱ日本圧倒的だな
352人間七七四年:2009/04/27(月) 09:06:10 ID:vXPiP5Dz
韓国国定歴史教科書には日本の侍めちゃ弱く
逃げ帰った、と書いてあるよ
http://members.tripod.com/textbook_korea/fr_2.htm
353人間七七四年:2009/04/27(月) 09:18:23 ID:/KiSzNAr
めちゃくちゃ弱かったら国土蹂躙させる事なく、上陸した辺りで撃退してるだろ。
354人間七七四年:2009/04/27(月) 19:12:22 ID:/TB7KfCb
>>352
逃げ帰るってのは何から逃げたんだ?
355人間七七四年:2009/04/27(月) 19:57:00 ID:HAcFso5s
>>354
寒さと貧困からだろう
356人間七七四年:2009/04/27(月) 22:43:06 ID:qoGlA0gV
この戦は、日本と中華王朝ではだいたい見方は一致していて、
戦では日本強し、最後は日本は倭城に篭り、明はやる気なし状態、秀吉死んだから日本撤収、
朝鮮は役に立たない、で一致している。
自国領土で行われた戦に何の役にも立っていない朝鮮だけが、自分を誇らしげに胸を張っている・・。
おまえはほとんど傍観者だろとw

357人間七七四年:2009/04/27(月) 23:52:50 ID:/KiSzNAr
そういや中国の教科書ではどう扱われてんの?
358空手龍 ◆xSZBqZMT.M :2009/04/28(火) 00:14:42 ID:fnGkKj36
降りしきる弾丸と矢の雨の中、飢えで戦意を失った兵卒を叱咤しながら俺は明軍の中に単騎突撃した。
数千の明兵に取り囲まれ血だるまになった俺の顔を見て明軍は一斉に浮足立ち我先にと崩れたった。
ただ一騎、俺の奮迅の働きで日本軍壊滅を防いだのだ。

俺の強さの秘密はこのシュミレーションによってさらに磨かれていく。
359人間七七四年:2009/04/28(火) 01:11:27 ID:UL8C6zLd
そりゃ加害者と第三者、被害者じゃ感覚が違って当たり前。
むしろ統一してたらそのほうが恐いわw
360人間七七四年:2009/04/28(火) 07:50:29 ID:SRRaRa4Z
そこらもあるけど、朝鮮の中枢部がダメダメだったからなぁ
そこをごまかそうとして色々歪んどる
361人間七七四年:2009/04/28(火) 15:09:09 ID:ZTKdl95i
倭猿どもはウリたちの水軍と神機箭を前に
大敗しビビって逃げ帰ったニダ
362人間七七四年:2009/04/29(水) 13:38:54 ID:aqTPhtBq

>>345に何か一言どうぞw
363人間七七四年:2009/04/29(水) 16:06:54 ID:5kuApnCY
>>345
364人間七七四年:2009/04/29(水) 18:14:57 ID:GruqnfHV
>>345
では一言。
真面目に戦えよ朝鮮軍、こちとら間島まで行っちまったじゃねえか。
365人間七七四年:2009/04/29(水) 18:54:58 ID:X9L+rUHc
>>360
だめっぷりでは日本も負けてないけどな。
そもそも仕掛けた日本側が猿自重wwwwwww
といいたくなるぐらい無茶苦茶だし。
講和条件がこじれたのだって、日本側の和平派が工作した結果なのに、なぜか逆切れで再攻撃かますし。
そら嫌われて当然。立場が逆なら日本だって同じ態度だろうな。
366人間七七四年:2009/04/29(水) 19:20:01 ID:vChfom/q
↑ザイ発見WWW
367人間七七四年:2009/04/29(水) 20:12:00 ID:lFhs+2qT
土下座外交のパイオニア
368人間七七四年:2009/04/30(木) 02:23:17 ID:zrzhuXEz
>>345
明ですこんにちは
朝鮮はもう倭にあげるのでどうかもう許してください
369人間七七四年:2009/04/30(木) 02:29:19 ID:5cpcsiUR
史実としてはその後反撃食らって。
関白降表というもう参りましたごめんなさい、という文章を和平派がでっちあげてでも戦争やめたいとしたほどなんだがな。
370人間七七四年:2009/04/30(木) 14:05:32 ID:zrzhuXEz


単に秀吉亡き後の政権争いに集中したかっただけだねぇ
371人間七七四年:2009/04/30(木) 16:34:04 ID:S+llkJeI
それにしても倭城が一つも陥落していないというのは凄い防御力だな
372人間七七四年:2009/04/30(木) 16:37:07 ID:h/qXZg1H
倭城は戦国時代で練り上げられた防御ドクトリンの産物だからな。
相手は内乱とか異民族侵入はあっても基本的に平時で文治優位だったところ。
まぁ、陥落するまでもなく放棄するハメになったわけだが。
373人間七七四年:2009/04/30(木) 16:40:08 ID:h/qXZg1H
>>370
石田三成なんかも、このままじゃ日本軍は全滅(無人)するぞ、と連署で秀吉に報告しているぐらい。
戦術的には日本優位でも、戦略上は相手側優位だから。
結局朝鮮南端に逼塞させられ、それさえも確保できず引き上げたのが結果だから。
374人間七七四年:2009/04/30(木) 17:40:11 ID:yh5UEJqQ
>>373
無補給で戦えばって当たり前の前提つきの報告だよね。
食料再生産の見込みのない朝鮮の奥地よりは、補給の見込める日本寄りに陣を築くと言う妥当な戦略を選んだ。
武威を示したし、人質もいるから敵も降伏すると考えた。降伏しないなら再攻撃すれば良い。
375人間七七四年:2009/04/30(木) 19:44:38 ID:42lY95zP
三成は「補給考えずに無計画に戦線拡大してんじゃねえよバカ」って指摘しただけじゃん。
376人間七七四年:2009/04/30(木) 19:56:28 ID:h/qXZg1H
>>374
ところが黒田家譜によると、三成の案には和平派だった小西行長らすら反対して孤立したらしい。
でも結局兵糧つきて、小西が独断で講和退却するハメに。受動的に追い込まれたんだよ。

>>375
指摘しただけ、もなにもそれこそが一番の問題だろうに。
それこそ下手打てば全滅必至の。
377人間七七四年:2009/04/30(木) 20:01:44 ID:h/qXZg1H
また三成は同連署で、「たとえ敵を五百、千と討ち取ってもこちらも戦死し手負いがでる、このままでは全滅する」というところで「無人」といっている。
相手との動員力の差、日本側の補充能力も問題にしていた。
378人間七七四年:2009/04/30(木) 20:44:36 ID:wQTbhVGk
日本だったら余裕で持久出来るぐらいの国土だったのが、
朝鮮の荒廃した大地と無能な農民の前に現実的な補給地点へ
移動しただけで軍事的圧力で退いたわけではない。
379人間七七四年:2009/04/30(木) 21:21:49 ID:fQPOEutY
>>378
その荒廃した大地とやらに、勝手に攻め込んだ挙句困って逃げた日本軍は終わっていたというオチですね、わかります。
380人間七七四年:2009/04/30(木) 21:30:04 ID:S+llkJeI
あれはいい遊びだった。
381人間七七四年:2009/04/30(木) 21:35:12 ID:wQTbhVGk
>>379
戦国日本の豊かさと比べたら平時でも生産者の農民から毎春餓死者が出る朝鮮の自給体制の貧弱さは想像つかないからね。
攻めてみたら現地の自給体制がクソだった。だから自軍が持久出来る位置へ移動したという戦略的要求に応えた当たり前の行動。
日本国内でも手持ちの食糧が乏しくなって、更に現地調達出来なくなったら軍を退くことは当たり前。

持久出来る位置で戦うという当たり前の戦争様式なんだが?
382人間七七四年:2009/04/30(木) 21:45:20 ID:fQPOEutY
後の昭和の日本軍が敗北を転進といいかえたようなもの。
現在でもそういう馬鹿は健在かw
383人間七七四年:2009/04/30(木) 21:47:25 ID:fQPOEutY
>>381
つまりそんなところへ身勝手な攻撃を仕掛けた挙句、勝手に困って逃げることを余儀なくされたってオチじゃん。
この場合、朝鮮を罵倒すればするほど、じゃあそこに馬鹿やりにいった日本はもっと惨めとブーメランするだけだよw
384人間七七四年:2009/04/30(木) 23:44:12 ID:UJNA8Wwt
戦闘でいくら勝利しても、戦争目的がないとぐだぐだになるという例だったな。

出征した大名がそもそも朝鮮や大陸の領土をまるで欲していないという欲のなさ。
日本本土がもっと貧しい地域であったならば、新天地を欲する大名もいただろうが。
385人間七七四年:2009/05/01(金) 01:30:25 ID:bxFcf92E
豊臣秀長が、領地欲しけりゃ俺の領地をとりあげてくれ、とまでいって止めようとした馬鹿戦だからな。
秀長が死んで、晩年の劣化猿を止める人物がいなくなったのが痛かった。
386人間七七四年:2009/05/01(金) 06:27:13 ID:fOFr+ALu
お早う御座います。
余儀なく日本軍に7年も占領された国があると聞いてやってきました。
387人間七七四年:2009/05/01(金) 07:12:53 ID:6dsCykOc
つかだな。明軍も戦闘しないときは明領寄りまで退いたり帰国していたわけだが?
朝鮮軍はゲリラレベルの規模だしな。
漢城への大軍の駐屯に失敗していると言うのであれば、それは三国共通。
388人間七七四年:2009/05/01(金) 08:41:03 ID:yYgvdl6A
朝鮮は問題外だが、明が弱すぎるのはなぜ?
それとも日本が強すぎただけ?
389人間七七四年:2009/05/01(金) 09:41:06 ID:WOqaIn/q
なんで朝鮮は清に攻められた時、倭城に立てこもらなかったのか?
390人間七七四年:2009/05/01(金) 12:10:51 ID:uv2tFMk0
戦略的には明もあれ以上の増援は不可能であり、逆に日本はやろうと思えばまだ出せた
戦闘では基本的に日本の圧勝

朝鮮は自国の貧しさに救われただけ

首都すら糞まみれで疫病の宝庫だしな。フランス以下の衛生事情
391人間七七四年:2009/05/01(金) 12:26:58 ID:fGh0ZRGZ
なんだただのネトウヨか
392人間七七四年:2009/05/01(金) 12:30:30 ID:uv2tFMk0
>>391
韓国のネトウヨが来てるな
393人間七七四年:2009/05/01(金) 13:41:07 ID:kiwtgzhV
ネトアサが来てるなw
394人間七七四年:2009/05/01(金) 18:32:08 ID:Ps6R8DGK
>>388
精兵を碧蹄館の戦いで叩かれて、後は質を捨てて数だけ送ったってイメージだな。
395人間七七四年:2009/05/01(金) 18:51:03 ID:6dsCykOc
>>388
朝鮮で戦ったからでは?

朝鮮戦争の時もよ、米軍は敵対的でも有効的でも朝鮮人が足枷となって自由に戦えなかった。
米軍兵士は敵なら撃ち殺せるのに、命令があるからといって戦闘の邪魔になる朝鮮市民をなぜ撃ち殺してはいけないのか理解できなかった。
396人間七七四年:2009/05/01(金) 20:06:21 ID:E7RVInwb
>>395
明軍は「天将」「天兵」としてやりたい放題でした。
朝鮮としては、日本軍からの被害もさることながら
天兵さま達のご無体も洒落にならなかった。
397人間七七四年:2009/05/02(土) 04:01:04 ID:mwQFt/9E
1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、
スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。
さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。
人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。
こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。

実はこれは日本人にとっても他人事ではない。
戦国時代にスペインやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、
日本が信長や秀吉や家康のようなすぐれた人物に恵まれず、
また民族的なエネルギーも不足していたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。
現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。

イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、
武士の戦闘能力とその動員数、そして鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、
本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。
そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、
九州の神社仏閣を破壊し、日本の中にキリスト教区を作ろうとした。
さらに明の侵略にも使おうとしたのである。

豊臣秀吉は、明がスペイン人に征服されては、いずれは日本にも魔手が伸び
元寇と同じ事が起こると考え、バテレン追放令を出し、
さらに先手をとろうと明征伐に向かったのである。
それは文禄の役のときスペイン領フィリピン総督府あてに牽制の手紙を出していることでも明らかだ。

歴史の教科書では、こうしたスペイン人の侵略を伏せている。
これではキリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としてしか描けない。

398人間七七四年:2009/05/02(土) 10:29:59 ID:Fa3H2atT
>>397
そこまで秀吉が国際情勢を把握しているなら
そこからの迷走振りが説明できなくなってしまう
だいたい秀吉は朝鮮南部の割譲と勘合貿易で講和しようと考えていたが
明がスペイン人に征服されると考えていたらこんな講和に何も意味はなくなる
399人間七七四年:2009/05/02(土) 12:07:30 ID:l+/wygab
硝石の産地である明と貿易したかったんだろ。欧州の先手を打ってアジアを日本の勢力圏にするにしても、国防をするにしても火薬は必要だし、日本じゃ硝石は取れなかったから

まあ、実は糞と灰を混ぜれば硝石は作れるんだけど、当時は知られてなかった

大々的な貿易で国力を増したかったってのもあるだろうし
400人間七七四年:2009/05/02(土) 13:34:16 ID:gRcP0Mdc
>>397
新教国との戦争はもちろんのこと、旧教国同士でも慢性的に戦争やりあってたのに
キリスト教化すれば征服できるという発想が理解できん。

>>399
それじゃ慶弔の役が説明できん。
401人間七七四年:2009/05/02(土) 14:56:05 ID:tJXFvmGg
>>399
小便石とかいって少量ながらも作ってなかった?
402人間七七四年:2009/05/02(土) 16:53:58 ID:l+/wygab
>>400
そうでもない
天草の乱なんかもあるように、宗教一揆は始末が悪い
有力なキリシタン大名もいたしな
そういうのを基盤にして日本を支配しようという策動はあった。煽動工作としての布教だな

慶弔の役は、文禄の役の日本側の講和条件に貿易が含まれていたのに明の皇帝がこれを却下したために再侵攻って話になったんだよ
どこも矛盾してないさ。達成されたと思ってた目標が実は達成されてなかったからもう一度ってだけだ

>>401
大々的な生産じゃないからなぁ……
403人間七七四年:2009/05/02(土) 17:49:32 ID:gRcP0Mdc
>>402
絶望的な反乱の原因は食えない人間の存在。
宗教が無くとも由井小説の乱も大塩平八郎の乱も起こる。
「策動」の存在の信憑性も甚だ薄い。
「ユダヤが一致団結して世界征服を狙っている」という説と同レベル。

日本国王への冊封は朝貢貿易の許可と同義。
それに戦略物資確保のための戦争だったら、
それを確保している明と交戦状態になった時点で軍事行動に支障が出なきゃならない。
404人間七七四年:2009/05/02(土) 18:09:27 ID:P1IVlTEb
民主党 小沢 「外国籍の在日韓国人50万人の選挙権をプレゼントします」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1421356829

民主党・鳩山「日本列島では日本人だけのものではない」
http://www.youtube.com/watch?v=1BBomcbCy_s&feature=PlayList&p=0E02E7FA4B4986E2&playnext=1&playnext_from=PL&index=42
405人間七七四年:2009/05/02(土) 18:32:45 ID:gRcP0Mdc
朝鮮出兵の際に連行された朝鮮の陶工の子孫に対して
韓国のマスコミが「御苦労なさったことでしょう」とインタビューしたところ
「俺は日本人だ馬鹿野郎」と答えたという話。

特別永住者の大半も日本生まれだしな。
そうカリカリしなさんなって >>404
406人間七七四年:2009/05/02(土) 19:46:01 ID:mwQFt/9E
>>398

唐入り以降
スペインはルソンから怖くて出られなくなってたからね

407人間七七四年:2009/05/03(日) 03:16:59 ID:MccyaUFq
パステルス「日本スペイン交渉史」
ルソン提督がスペイン王フェリペ2世に宛てた手紙
「コーチシナ、ここは1000人で征服できます。
カンボジア王国、ここは我ら(スペイン)の生活の面倒をみてくれています。
シャム、ここは1500人で征服できます。
いずれも偉大なスペインの旗を立てるのは容易ですが・・・・・
日本が攻めて来れば、ルソンは壊滅します。」
408人間七七四年:2009/05/03(日) 17:08:40 ID:/naJSdeL
>>403
貧困が原因なんてのは反論の論拠にはならん。平和な世の中でも貧困な奴はいるからだ
飢饉の事前防止が可能な時代じゃないからな
その精神的支柱になる宗教の政治からの独立的権威を叩き潰しておく事が重要だったんだよ
そりゃあ、日本の軍備を見て侵略を欧州が諦めたってのは宣教師の報告から分かるが、諦めたかどうかを当時の秀吉が知る訳がない
だが、植民地に基督教を、時には強引に布教していた事実は伝え聞いてたんだよ
基督教の布教は潜在的な、または既存の植民地に行われていたのは事実だ
西国での基督教絡みの話には録なもんがないのも一因かね。硝石を買うために日本人を奴隷にして売ったり、寺社の焼き討ちをしたりとな
まあ、実際にスペインが侵略する気満々で策動してたとは言わんよ。だが、そう見えた訳だ

で、朝貢貿易は許可されてないぞ。本来なら冊封された時点で貿易は許可されるのだが、倭冦やらの影響で公式な貿易は停止されたままで、講和条件の時も日本との貿易は許可されなかった
あっちは日本が降伏したと思い込んでたし、属国への配慮だったんだな

硝石の購入は当時はスペインや明からの私的な交易船とやってた
正式な貿易では一切無い。だから影響も無かったんだよ

どうも、戦国時代に明と正式で大々的な貿易があったと思ってないか?
409人間七七四年:2009/05/03(日) 19:39:24 ID:WJ+oIebs
>405
永住外国人に地方参政権を与えるとどういうことになるのか
お前は解かっていまいらしいな。。
410人間七七四年:2009/05/04(月) 05:33:47 ID:kmTTuQBQ
真田昌幸や幸村が朝鮮出兵してたら戦況はどうなってた?
411人間七七四年:2009/05/04(月) 05:43:21 ID:0ir2Z/UU
何の役jにも立たんよ。せいぜい渡海するのは1000人とかだろうし
412人間七七四年:2009/05/04(月) 06:03:08 ID:kmTTuQBQ
>>411
事実はそうかもしれないが、真田家お得意のゲリラ戦法で寡兵で明の大軍をキリキリ舞いさせるとか痛快じゃないか?
真田信者の戯言でスマソ
413人間七七四年:2009/05/04(月) 06:17:37 ID:VvktnDgc
それぐらい立花や島津がやってる
むしろ必要だったのは誰もが「あの方なら」と従える総大将、総指揮官だろう
家康や秀吉とかな。まず無理だろうが
414人間七七四年:2009/05/04(月) 08:22:12 ID:SdJfaZLt
つ豊臣秀長

生きてればなぁ‥
415人間七七四年:2009/05/04(月) 10:44:17 ID:XolP0x2S
>>413
そうそう。
あの戦いで必要だったのは、寡兵で大軍を打ち破る武将じゃなくて
万の軍勢を一度に動かせるだけの統率力を持つ人物だよね。
416人間七七四年:2009/05/04(月) 13:08:07 ID:F/sGns2G
>>415
軍事的には最後まで圧倒していたのだから、そんなの関係ないだろ?
撤退したのは秀吉が死んだからだし、死ななければ百年でも駐屯可能だった。
朝鮮農民が自給自足ブラス日本軍を支えるぐらいの生産力さえ発揮できなかったのが支配の動機を失わせたのだから。
417人間七七四年:2009/05/04(月) 13:17:03 ID:XolP0x2S
確かに戦術レベルでは終始明軍を圧倒してたけど
戦略レベルではグダグダだったじゃん。そこんところ引き締める総大将が必要だったのでは?
418人間七七四年:2009/05/04(月) 13:20:18 ID:w0YsjRQC
>>416
別に朝鮮は食糧輸入国だったわけでもないのに
現地生産で支えられなかったのであれば
軍政がダメダメだったからと結論づけられる。
419人間七七四年:2009/05/04(月) 14:11:24 ID:F/sGns2G
>>418
食料輸入国ではないが供給不足で毎年不足分の餓死者を出している国だぞ?
420人間七七四年:2009/05/04(月) 15:00:09 ID:nvUCmEXF
戦略どうこうじゃないべ
お家騒動が忙しくて外国行ってる場合じゃなくなっただけだべ

朝鮮は食糧輸入国じゃなかったからこそ餓死者だらけだったんだべ
凍土と枯れた地力では碌な作物は育たなかったし
灌漑技術もろくに発展しなかったし。
日本なんかもともと肥沃な土地なのに
16世紀にはすでに「川の流れをごっそり変える」などの大規模な工事ができるほど
土木技術があったわけでそういう恵まれた環境と能力の中育ってきた俺らには想像もつかないほど
朝鮮は何もないとこだったのだ
421人間七七四年:2009/05/04(月) 15:09:23 ID:w0YsjRQC
というか河内王権時代に淀川の開削工事をやっているわけだが
それを設計監督したのは朝鮮出身の渡来人たち。
422人間七七四年:2009/05/04(月) 15:27:07 ID:nvUCmEXF
>>413
ヒント:第16軍
423人間七七四年:2009/05/04(月) 17:04:40 ID:+TjhwA/U
>>421
優秀な技術者はみんな日本に渡り半島には、本当の残り滓しかいなかったって事だな。
424人間七七四年:2009/05/04(月) 17:25:40 ID:F/sGns2G
仏教や技術は殆ど半島と列島に同時に横流しで移入しているんだよね。
半島の各勢力は人口に勝る日本の援軍を当て込んだ歓心欲しさに躍起になっていたしな。
425人間七七四年:2009/05/04(月) 18:48:59 ID:nvUCmEXF
現在の朝鮮人は、半島東北部の太白山脈の東側に住んでいたワイ族の子孫である。
高句麗人(フヨ族)ではないし、韓人(カラビト)でもない。
今、国際社会で「コリアン」と呼ばれている民族は、実は朝鮮人ですらない。
もともと朝鮮人というのは、紀元前1世紀の時代に半島北部に住んでいた漢人のことである。
つまりチャイニーズのことだ。
衛氏朝鮮国の住民である漢人が「朝鮮人」と呼ばれていたのだ。
現在の『コリアン』と呼ばれている半島人(ワイ族)とは、異種なのである。

古代の半島南部に住み、日本列島の住民から韓人(カラビト)と呼ばれていた人々は、倭人系民族だった。
彼らは、当然倭語(日本語)を話したし、現在の半島人とは人種・民族が異なっていた。
カラ半島南部においてワイ語(現在の朝鮮語の基になった言語)が公用語になったのは、8世紀以降であり、
7世紀までは、半島南部の公用語は倭語(日本語)だったのである。
古代日本人が交流していた相手は、あくまでも半島南部の倭人であって、ワイ族(今の朝鮮人の先祖)ではない。
古代における日本列島住民と半島南部住民の交流には、現在の朝鮮人(ワイ族)は無関係なのである。
426人間七七四年:2009/05/05(火) 09:54:44 ID:+yxzgGP+
だって偉大な大中華一の属国だってんなら、せめて治水なんかは日本と同水準だと思うじゃん
あんなカスみたいな状況だと思わないじゃん
琉球の方がまだマシだったんじゃね?
427人間七七四年:2009/05/05(火) 12:02:22 ID:kGVW5aH/
江戸時代になって
朝鮮通信使が来た時に日本の水車すごすぎて作り方分かんないニダみたいなこと書いてた気が…
428人間七七四年:2009/05/05(火) 13:30:21 ID:ruMcFV/s
文禄慶長を概括して言えば、進攻したはいいけど欲しいものが特になかったという、世界でも珍しい侵略戦争だったと言える。
もし大名が領土が欲しければ秀吉死後も居座り続ける大名があってもいいはずだが、ドリフのように全員撤収した。
429人間七七四年:2009/05/05(火) 13:57:58 ID:R2/kApJC
レジスタンスが激しくて居座れなかっただけだろ
430人間七七四年:2009/05/05(火) 14:17:16 ID:+yxzgGP+
自国の軍や援軍を襲うレジスタンスなんぞいない
あれはただの夜盗だよ。よくて国人衆だな
単に治安が乱れて発生しただけだから、戦線が収まればどうとでもなる
朝鮮の夜盗共はあまり関係無い。寒さの方がよほど問題だった
431人間七七四年:2009/05/05(火) 14:56:54 ID:eERKRhKq
>>429
七年間は居座れて、八年目は居座れなかったなんてことはないでしょ?
日本の武将は最後まで軍事力で追い払われたんじゃないんだから。
432人間七七四年:2009/05/05(火) 15:35:30 ID:R2/kApJC
地元の名主層に徴税させるシステムが通用しなかった。
つまり、地主・吏僚といった土地の知識層に総スカンを食っていた。
で、略奪に走って更に嫌われるという悪循環。
7年も居りゃもう限界だっただろう。
433人間七七四年:2009/05/05(火) 16:06:45 ID:kGVW5aH/
全16軍のうち9軍までしか渡航してない段階で圧勝w

434人間七七四年:2009/05/05(火) 16:08:30 ID:kGVW5aH/
15軍だった
435人間七七四年:2009/05/05(火) 21:21:13 ID:+yxzgGP+
>>432
それは文禄と慶弔で大分対応が違うんだがな
文禄では優しく接していて、従属者も多かった。兵糧不足は単に土地が痩せていたのが原因だ

慶弔は懲罰戦争だからな。多少の反発など覚悟の上でやってる
慶弔が朝鮮の実効支配を目的でやったと思ってるのか?ならそいつは筋違いだ
436人間七七四年:2009/05/06(水) 17:45:16 ID:8s5b9RJF
慶長の役が終わって約10年後、徳川家康が将軍になったのちの1609年
日本の軍事分析を終えたスペインは
ルソン提督に「日本とはもう絶対にもめるな。日本ともめそうならば明の植民地化はしなくていい。いたずらに我が軍の威信を損なうようなことはしなくていい」という意の異例の通達を出している。

437人間七七四年:2009/05/06(水) 20:21:41 ID:lnIFcuXO
当時の日本の人口は世界三位だしな
438人間七七四年:2009/05/06(水) 20:32:01 ID:OHB01ETq
「勝利の総括的概念...死傷者の数に関する彼我の報告は、いずれも正確ではない、正直な発表は極めて稀であり、大方の場合故意に事実が歪められている。
...敵側が闘争を放棄するということだけが我が方の勝利を示す唯一の証拠なのである。」
(クラウゼヴィッツ「戦争論」)

名目はどうあれ、一方的に仕掛けてしかも闘争を放棄した日本の敗北だな。
439人間七七四年:2009/05/06(水) 21:02:14 ID:lqHvXs83
朝鮮領土の割譲が和平条件で、それを蹴られて慶長の役になった。
「居座ろうとしなかった」という説はどこから来ているのやら。

で、膺懲戦争というのならサッと荒らして引き揚げればいいものを
支配するでもなし引き揚げるでもなし、と
戦争目標が不明瞭なままダラダラと戦い続けた。
これでは非難されて当然。
440人間七七四年:2009/05/06(水) 21:09:02 ID:Yqq9VOjc
つうか和平不調だった理由は、日本側の実務担当(小西とか)が戦争終わらせたいために、降伏しますと相手に伝えたりしたからなんだが。
それが何でいきなり相手への懲罰になるのやらw
本気でいってるのなら身勝手すぎるぜ。
441人間七七四年:2009/05/06(水) 21:15:42 ID:r9V7LvXH
戦争目的は土地の支配だ。封建の世で当然。
第一回は大明大討ち入りだったが失敗し、それでは封建の世の恩賞も与えられずどうしても朝鮮の土地が必要になり、下からの突き上げもあって第二回になった。そして失敗。
戦争目的を達成できず、大損害を出したのだから明らかな敗戦だ。
だからこそ豊臣政権の衰退にもつながるんだからね。
442人間七七四年:2009/05/06(水) 21:34:24 ID:SeKOnSSD
>>441
ほどなくして明は滅ぶし、朝鮮は後金に全面降伏してるけどな。w
443人間七七四年:2009/05/06(水) 21:37:21 ID:Yqq9VOjc
>>442
明滅亡は1644年。
豊臣家が滅んだ後。
ほどなくって具体的に何を基準に?
444人間七七四年:2009/05/06(水) 21:44:05 ID:lqHvXs83
後金には降伏した朝鮮も
日本軍には徹底抗戦。
何が違ったんだろ。
445人間七七四年:2009/05/06(水) 22:16:10 ID:6qhER+Ad
>>438-440
文禄じゃ小西が勝手に講和工作しただけなんでな。秀吉には明が日本に降伏したと報告をしてた
その辺の流れを認識しなきゃ話にならんぞ
そもそもあの戦いに勝者も敗者も無い。私貿易は爆発的に増えたし、朝鮮は日本を恐れて交易せざるをえなくなったし、日本にしてみればある程度の戦略目標は達成したと言える

>>442
国家対国家として見た基準だろう
日本に明は大きく力を削がれて滅亡し、当の日本は権力者が変わっただけという訳だ
国家対国家としては明の大敗北だな?清に変わった事で関係も改善したし

>>443
大中華様には平伏すが、倭に支配されるのは屈辱という惨めな意地だよ
446人間七七四年:2009/05/06(水) 22:44:49 ID:Yqq9VOjc
>>445
はぁ。思いっきり日本軍が総退却したのは勝負無しで、
日本側から偽首送ってまで講和して貿易再開したのは朝鮮が恐れて、ですか。
ダブスタ乙です。
447人間七七四年:2009/05/06(水) 22:45:36 ID:Yqq9VOjc
訂正。
ダブスタ→ひっちゃかめっちゃか

ダブスタのほうがまだマシだなw
448人間七七四年:2009/05/06(水) 22:49:56 ID:ri5sgLI9
日本が負けたことを認めたくない、惨めな意地だけの強弁ですな
それでよくかの国を笑えるものだ。近親憎悪?
いやこっちのほうが酷いか
449人間七七四年:2009/05/06(水) 23:07:41 ID:lqHvXs83
>>445
レス番がひとつづつズレているとみてレスするけど
まだ清になっていない後金は全然大中華じゃないけどな。
なのに日本との扱いの差は何なんだろうなということ。
450人間七七四年:2009/05/06(水) 23:19:08 ID:lqHvXs83
日朝貿易は戦前の状態に復したに過ぎんよ。
互恵貿易に「恐れて」もへったくれもない。
451人間七七四年:2009/05/06(水) 23:20:13 ID:SeKOnSSD
電波が湧いてるなぁ。 偽首送って貿易云々ってのは、朝鮮貿易に依存した
宗氏のローカルなお家の事情だろうに。
ウリナラ本国教科書に、経済的に困窮した日本が貿易の再開を懇願したとか
書いてるのを民族学校でもを鵜呑みにしてるのかね。w

>>449
思うに、明の衰えをみて、ここに至っては事大先を乗り換えるべきと、例によって
朝鮮一流の処世感覚で判断したんじゃないかな。
452人間七七四年:2009/05/06(水) 23:30:50 ID:lqHvXs83
>>451
そうだとすると、その後の親明的な動きが説明しにくくないかな。
というか、わずか数年で鬼畜米英聖戦貫徹が180度ひっくり返った日本の方が事大的な気が。
453人間七七四年:2009/05/06(水) 23:41:58 ID:UHjHxfA7
GWも終わるから、板違いのウヨはウヨ板へ帰って欲しいものだが。
日本側の失敗や譲歩は個別事情と強弁するくせに(国書偽造なんぞは、柳川一件事件で幕府が公式に追認しているわけだが)、
全体で日本退却は勝負無しとかいいはる無茶振り。
まぁさらに惨めになるだけだろうね。
454人間七七四年:2009/05/07(木) 00:34:08 ID:ZyI2B6kJ

 〃∩∧_∧
⊂⌒(  ・ω・) はいはいワロスワロス
 `ヽ_っ⌒/⌒c
     ⌒ ⌒



〃∩ ∧__∧
⊂⌒ ( ・ω・)  あーねこ きたねこ
  `ヽ_つ  ,.ヘ_ヘ
      (   )
       u,__っ) )))))
     ミーミー
455人間七七四年:2009/05/07(木) 00:34:53 ID:ZyI2B6kJ
>>452
親明というより三跪九叩頭の屈辱による反清に重点がある感情的な反発でしょ。
オランケに対する小中華意識ってのも無論あるだろうけど。

でも、明−清の力関係としては、サルフの戦いの時からすでに見切って
裏でこっそり後金に事大してる形だし。
456人間七七四年:2009/05/07(木) 02:47:31 ID:1fCftbWa
>>454
誰に対するレスだ?
457人間七七四年:2009/05/07(木) 03:44:50 ID:JZQcjvCJ


ルソン提督がスペイン王フェリペ2世に宛てた手紙
「コーチシナ、ここは1000人で征服できます。
カンボジア王国、ここは我ら(スペイン)の生活の面倒をみてくれています。
シャム、ここは1500人で征服できます。
いずれも偉大なスペインの旗を立てるのは容易ですが・・・・・
日本が攻めて来れば、ルソンは壊滅します。」

パステルス「日本スペイン交渉史」
458人間七七四年:2009/05/07(木) 04:25:44 ID:CqtcrpLt
極東じゃ頑張ってせいぜい千人程度しか動員できない南蛮など
最初から比較にならん。
459人間七七四年:2009/05/07(木) 05:09:07 ID:JZQcjvCJ
「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった

「朝鮮王朝実録」
 「日本兵との接近戦を禁じた」
 「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」

「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。
460人間七七四年:2009/05/07(木) 08:12:01 ID:CqtcrpLt
日:「降伏します」
明:「よし。じゃあ日本国王に封じてやろう。」
日:「なんだとゴルァ!戦争再開だ!」

という反応を示す相手との戦争を
根拠地叩かずに終わらす術は思いつかんだろ。
あと数字は太平記並みの精度だな多分。
461人間七七四年:2009/05/07(木) 13:34:24 ID:GxaWOK5T
>>446
首の要求こそ朝鮮のなけなしの意地であり、偽物を渡されても追求出来ずに国交を開いたのが日本への恐れを示しているだろうに

偽首を渡したから日本が朝鮮に下手に出たとでも?馬鹿言え

撤退は内政的な事情で行われた事。撤退戦でも勝っている
中期的な戦略目標こそ達成出来なかったものの、初期の戦略目標としては一定の成果もあった

翻って朝鮮は、明はデメリットしか受けていない。幕府が出来てからは朝鮮と同じく属国の琉球が日本に制圧される始末

朝鮮では日本軍が帰るまで、偵察隊すら迎撃せずに籠城していただけ
琉球は救えなかった

この様で、明は何に勝利したんだ?

まあ100歩譲って「朝鮮侵略」に明が辛勝した事にしても、「倭乱」には間違いなく敗北している

全体として日本が負けたとは言えん。明白じゃないか
462人間七七四年:2009/05/07(木) 15:01:05 ID:rmiD/jC8
>>461
「倭賊の撃退に成功」なんだから、明は”勝利”してんじゃないの?

まぁ侵略された側にとっては、侵略軍が居なくなったら”勝利”なわけで、
明や朝鮮は「勝った!!」って言ってもいい気はするよ。

でもそれと軍の強弱は無関係だけどね
463人間七七四年:2009/05/07(木) 16:00:41 ID:JZQcjvCJ
どっちが弱かったかでいえば
明と朝鮮の方が弱かったというのは
どの意見の人間でも共通の認識なわけだな
464人間七七四年:2009/05/07(木) 16:55:22 ID:1fCftbWa
遠征計画もロクに練らないで、補給も考えずにグダグダやって自滅した日本もカスだが
国境付近の最精鋭の部隊引っ張り出しといて
そんなグダグダな日本に戦術レベルではボコられてた明軍もカスだな。
チョンは端から論外。
465人間七七四年:2009/05/07(木) 17:40:53 ID:JZQcjvCJ
少なくとも慶長の役では
餓死者や凍死者が出ていないことを考えれば
緒戦以外は補給は滞ってなかっただろうね
466人間七七四年:2009/05/08(金) 09:09:51 ID:fFYNRMxI
この乱について、日本とシナ王朝の見方はほぼ一致しているのに、何もできなかった朝鮮が異を唱えているのは喜劇です。
467人間七七四年:2009/05/08(金) 17:51:58 ID:/cj+wIOJ
>>464
なんで?常に食料を考えて戦ってきたじゃん?
468人間七七四年:2009/05/08(金) 19:03:34 ID:Nd5uh5Kd
>>466
基本的に中国は日中戦争あたりの記述を除けば
多分日本以外の国の中では、一番日本の歴史を正確かつ客観的に捉えてるよ。
前に中国が作った近代以前の日本史の特集番組見たけど
一昔前の日本の高校レベルの日本史教科書そのまま引用したの?
って思うぐらい正確な内容でビックリした。
SAMURAIフィルターかかってる欧米やウリナラ史観の韓国とは大違いだ。
469人間七七四年:2009/05/09(土) 04:53:29 ID:B3lf4Pmh
史実としては、一方的に仕掛けた日本が敗退。
ただこれだけだからな。
470人間七七四年:2009/05/09(土) 09:58:23 ID:5w5dlO/J
1981年生まれの28歳だが、小学生の時に読んだ秀吉の伝記漫画なんかじゃ「朝鮮出兵」
だったのに、中学高校の日本史だと「朝鮮侵略」になってたなあ。

「朝鮮征伐」が一番響きがいいよな!
471人間七七四年:2009/05/09(土) 13:36:55 ID:LBqRCTLs
まあ文禄の役については
「明侵略のつもりが中途半端に終わったので結果的に朝鮮侵略」だわな。
日清戦争物語と化した江川達也の日露戦争物語みたいな。
ただ、慶長の役についてはまぎれもなく朝鮮侵略であろう。
472人間七七四年:2009/05/09(土) 14:32:15 ID:J+GVcBvv
>>469
勝敗を論ずるまでもなく、一方的に蹂躙されたという事実から逃げ、妄想にふける日々のチョン乙w
くやしいのうwくやしいのうw
473人間七七四年:2009/05/09(土) 14:33:45 ID:q0hw4qJ6
なんか戦国板というより東亜板みたいな流れw
474人間七七四年:2009/05/09(土) 14:33:56 ID:LBqRCTLs
じゃあ元寇は日本の負けだな
475人間七七四年:2009/05/09(土) 15:22:58 ID:q0hw4qJ6
一回目はたった1日の戦闘で引き上げたのに?
二回目は上陸すら出来なかったのに?
476人間七七四年:2009/05/09(土) 15:27:43 ID:LBqRCTLs
何年も戦って何も得られず撤退することは
ちょっと戦ってすぐ引き揚げることよりはるかに劣る。
477人間七七四年:2009/05/09(土) 15:31:11 ID:q0hw4qJ6
朝鮮から陶工を多数拉致(笑)しましたw
478人間七七四年:2009/05/09(土) 15:42:48 ID:q0hw4qJ6
ああなんか自分でもアホな事書いたわ。
まあ戦略レベルでは最終的には当初の目的果たせなかったし
普通に負けでいいと思うよ。まあそれと当時の軍隊の強弱はまた別の話
479人間七七四年:2009/05/09(土) 16:14:42 ID:byV0m2jb
近代兵学クラウゼヴィッツ流に言うならば、戦略目標を果たせなかった日本の敗戦・失敗となるのだろうが、
なにしろ16世紀の話だからな・・

通常、近代以前の侵略戦争では必ず居座って国を造る奴が出てくるものなのだが、
慶長の役でも朝鮮南部を欲しがる大名がいないというのは、
誰も欲しがらない土地、朝鮮・・恐るべし・・。
480人間七七四年:2009/05/09(土) 16:41:01 ID:LBqRCTLs
謙信がなぜ関東に居座らなかったのか?というような話だな。
宋代にも遼が中原を支配しながら、居座ら(れ)ずに引き揚げている。
「必ず居座って国を造る奴が出てくる」というのは嘘。
481人間七七四年:2009/05/09(土) 16:49:32 ID:LBqRCTLs
中原まで進出したのは宋代じゃなくてちょっと前だったか。
いずれにせよ引き揚げている。
482人間七七四年:2009/05/09(土) 17:07:29 ID:byV0m2jb
すまんかった
483人間七七四年:2009/05/09(土) 17:33:13 ID:q0hw4qJ6
歴代の中華王朝もみんな属国にしただけで
誰も半島を直接支配してないしなあ
484人間七七四年:2009/05/09(土) 17:40:47 ID:LBqRCTLs
漢・魏はソウルまで支配してたよ。
唐も一旦は漢代の支配域を回復しているが新羅に奪われる。
485人間七七四年:2009/05/09(土) 19:30:13 ID:hTAxqoFn
パステルス「日本スペイン交渉史」
ルソン提督がスペイン王フェリペ2世に宛てた手紙
「コーチシナ、ここは1000人で征服できます。
カンボジア王国、ここは我ら(スペイン)の生活の面倒をみてくれています。
シャム、ここは1500人で征服できます。
いずれも偉大なスペインの旗を立てるのは容易ですが・・・・・
日本が攻めて来れば、ルソンは壊滅します。」
486人間七七四年:2009/05/09(土) 22:13:49 ID:lbS+R9pX
>>454
和んだw
487人間七七四年:2009/05/10(日) 05:55:50 ID:NJOP55iV
争場はそもそも大義も相無き軍事、国を離る事数千里、仮令勝利をうるといえども繁々満目皆敵ナリ。長陣寒気到来なるや、
寒気凛冽その地広大、期風天日を覆うと聞き及ぶなり。向こう所の我国の軍兵その征衣薄きなり、
万里の辺地に兵糧続かず寒死を免れずなり。おもえば空恐ろしき事に候。

関東北越の三百余万石を在国せしめ、九州、四国、中国の諸将を始め御一門衆、譜代衆の費えは
豊家衰落の禍とも成り難き軍立に候わずや

(細川幽斎)
488人間七七四年:2009/05/10(日) 17:29:31 ID:rxU9WbiI
>>485
しかし日本には実際にはルソンどころかより近場の朝鮮で敗退。
第三者の風聞で勝てるなら苦労しないよ。
489人間七七四年:2009/05/10(日) 21:18:53 ID:BoQa2oPK
>>488
まず結論ありきの思い込みの激しい単なるバカは書き込まなくていいから
おまえはどうしても日本が負けた、という事にしたいようだなw
朝鮮で敗退なんて史実にはそんなの一切無いから
それこそ役立たずの朝鮮軍(笑)=第三者の風聞じゃねえかよw
490人間七七四年:2009/05/10(日) 21:22:58 ID:D5XZkSbH
ルソン駐留のスペイン軍なんて済州島守備兵程度だろ。
島津だけに平定を申しつけてもお釣りがくるレベル。
491わせだのかちだ!:2009/05/10(日) 21:24:00 ID:R4aEFeI+
わせだのかちだ!わせだのかちだ!
み・や・このせいほく
ばんざーい!ばんざーい!
しゅくはいだ!しゅくはいだ!うめぇー!
492人間七七四年:2009/05/11(月) 14:58:41 ID:BTQmpLGu
どの国にせよ、敢えて日本の征服に乗り出すには日本は強国過ぎたのである。

ポルトガル人には日本征服どころか、その考えすら起こらなかった。
スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。
1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送られ、日本軍を前にして
「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」
との厳命が下っているのである(フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にある)。
ただ一度だけ、日本の不正規軍…
…浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体…とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。
1620年代、シャムにおいてだ。
どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。

支那について言えば、朝鮮での戦いのいくつかの小競り合いで支那が勝ったことはある。
だが、戦争それ自体に支那が勝利を収めたわけではない。
そのことは支那自身が明言している。
(中略)
1644年に滅ぶ明朝の最後に至るまで、この恐るべき侵略者の記憶は生々しく残り、
「日本人と言うだけで、人民は神経をとがらせ、警戒し、息を殺した」と付言されている。

ノエル・ペリン
493masao:2009/05/11(月) 22:53:30 ID:xoSqQZGU
大体明が送り込んだ兵力は文禄・4万3千、慶長8万〜10万
朝鮮の正規軍は7千人 各地で両班が挙兵したけど戦闘経験のない
農民ばかり!
対する日本軍は文禄15万8800人、慶長14万1千人そのほとんどが
農民といえども戦国時代120年を生き抜いた戦闘経験豊富な兵士
せれで足掛け7年間も戦闘を続けて寸土も得ることがなく逃げかえって
きているんだから日本軍の情けなさはない!
494人間七七四年:2009/05/12(火) 03:22:18 ID:BtHcwmNc
日本国内の領地もってるのに、うっかり確保して朝鮮に国替えさせられたらヤダから、
秀吉死んだ時、すぐみんな戻ってきたんじゃ?

当時の記録も、朝鮮は豊かどころか、日本も明も南蛮人もヒドイ有様だった記録しか残してないよ?
495masao:2009/05/12(火) 22:55:57 ID:NVZO34wM
>>494
文禄の役では死者7万〜8万
慶長の役では死者5万〜6万
あわせて12万〜14万も死者が出ているのに
やる気ないじゃすまないだろ!
496人間七七四年:2009/05/12(火) 22:59:13 ID:6nBlsbYI
>>494
一家二家だけ命令に背いて残留したら、いい餌食になるだけだろ。
497人間七七四年:2009/05/13(水) 02:18:00 ID:u01d4Pa0
>>495
それって”戦死者”じゃん。しかも数万って、逃亡や日本に送り返された傷病入ってるし…
世界中みれば一回の戦場で数万って死者が出てるのもあるし
遠征でその程度の損害は出るものじゃないかな?

つか秀吉が攻め込む前の朝鮮じゃ、飢饉で自国民100万単位で死んでるし、
引き上げた後も明に食料渡したおかげで餓死者累々じゃん。


「命令聞かなかったら領地没収死刑!」っていう秀吉が生きてる限り
海を渡らざるを得なかったんじゃないの?
だから死んだとたん、帰国命令でたし、だれも3回目の渡航なんて言い出さなかったし。
498人間七七四年:2009/05/13(水) 04:06:23 ID:UoXIpP0e
30万の内12万も死んでたら大変
旧軍より酷い損耗率じゃん
499人間七七四年:2009/05/13(水) 06:37:48 ID:mk+lJDw/
なんか妙な流れになってますね
500人間七七四年:2009/05/13(水) 08:29:55 ID:vhX0lqcl
中世温暖期と近世小氷期が切り替わる時代だったからな。
低開発国だった日本は新田で食糧不足を補えたし
東南アジアに渡航した日本人も多かった。

朝鮮は先進地帯ゆえに古来から開発し尽くされていたので
そういう手が使えなかった。
501人間七七四年:2009/05/13(水) 08:41:06 ID:fzUYbhvD
小氷河期はともかく、朝鮮半島が当時、先進地域だったというのは初耳だな。詳しく。
502人間七七四年:2009/05/13(水) 08:59:13 ID:vhX0lqcl
春秋戦国の頃には燕に領土化されている
その後に建国された衛氏朝鮮が漢に併合され
漢も崩壊して魏の領土になって
その頃ようやく卑弥呼が出てくる。

半万年はオーバーにしても、日本とは比較にならない歴史があるわけで。
503人間七七四年:2009/05/13(水) 09:52:47 ID:H8X/Feh0
長いのと積み重ねのあるなしは別問題
504人間七七四年:2009/05/13(水) 10:51:42 ID:MAj76+da
>>495
出典くらい貼れや
505人間七七四年:2009/05/13(水) 11:21:55 ID:fzUYbhvD
>>502
ハイハイ属国史属国史。
506人間七七四年:2009/05/13(水) 19:21:23 ID:mk+lJDw/
縄文時代ですでに日本列島と朝鮮半島では人口にかなりの差があるし、巍史倭人伝の記述を割り引いたとしても当時の日本は少なくとも人口では大国。
とても朝鮮半島が開発された先進国とは考え難い
507人間七七四年:2009/05/13(水) 22:21:13 ID:e1YDoJfy
>>495
そんなに死んだのに、よく武将達は無事帰国できたな
508人間七七四年:2009/05/14(木) 08:46:06 ID:3NvDuV8v
そこで超時空太閤ですよ
509人間七七四年:2009/05/15(金) 13:28:03 ID:xX365lRT
>>495
文禄の役で日本の受けた損失と朝鮮に与えた損害について

> もっとも信頼でき、かつ正確と思われる情報によれば、兵士と輸送員を含めて十五万人が朝鮮に渡ったと言われている。
> そのうち三分の一に当たる五万人が死亡した。しかも敵によって殺されたものは僅かであり、大部分のものは、まったく、
> 労苦、飢餓、寒気、および疾病によって死亡したのである。
> 
> 朝鮮人の死者については知り得なかったが、死者と捕虜を含め、その数は日本のそれとは比較にならぬほど膨大であった。
 
ルイスフロイス 「日本史」
510人間七七四年:2009/05/15(金) 14:57:34 ID:YXu9HRO2
いつの時代も変わらんのだなあ日本軍は
511人間七七四年:2009/05/15(金) 15:21:50 ID:JeO/rgzN
秀吉は古今、日本最大の過ちを犯した。


21世紀世界の迷惑朝鮮人を殲滅しなかった。
512人間七七四年:2009/05/15(金) 18:36:42 ID:We60gkLX
それはむしろかつての大日本帝国と今のアメリカに言うべきだろ
513人間七七四年:2009/05/16(土) 23:10:19 ID:GrgVouV9
>>512
帝国主義の全盛期に「人種差別撤廃」を訴え続けてきた大日本帝国にそんな事ができるかっ!w
514人間七七四年:2009/05/16(土) 23:23:31 ID:8aTJRgBf
まあ「帝国」というものは、むしろ人種主義とは相反するものだけどね。
近年では国民主義以前の帝国制度が部分的に見直されてきている。
515人間七七四年:2009/05/17(日) 02:02:25 ID:xyIspP9s
戦国時代が好きで中学ぐらいから歴史物小説読んだりしてきたけど、
30のオッサンになる最近まで朝鮮出兵はなんとなくスルーしてたぜ。

でも、調べるほどに面白いな。
西国武将のオールスターの快進撃、
小西行長の漢城からの大脱出、
10倍の敵を蹴散らした「石曼子」、
蔚山籠城と救援、
朝鮮の英雄李舜臣に苦戦しっぱなしだったのかと思っていたら、実はぶっ殺して、
慶長の役では海戦でも優位だったとか。

たまらんっす。
概説書じゃなくて、超詳細まで語ってるオススメの本ない?
516人間七七四年:2009/05/17(日) 02:10:26 ID:SnOS0m+u
うぃきぺでぃあのそおすでもよんでろはげ
517人間七七四年:2009/05/17(日) 02:24:21 ID:xyIspP9s
>>516
大謝。
518人間七七四年:2009/05/17(日) 02:27:19 ID:2x2gJIle
>>515
まずは朝鮮の役 (徳間文庫―日本の戦史) がいいんじゃないの。
概略をつかんで、第二編の資料見ていろいろ一次資料探すと良いかと

その後、懲ひ録 (東洋文庫)を読んでみると、朝鮮側の苦労がよくわかっておもしろいよ。
519人間七七四年:2009/05/17(日) 02:47:21 ID:r4pjNsQ1
唐入りと蒙古襲来は調べれば調べるほど面白いよね
ただこの手の話題は香ばしいのがしょっちゅう湧くのが難点
520人間七七四年:2009/05/17(日) 03:30:09 ID:xyIspP9s
>>518
おかげさまでアマゾンでポチった。
絶版なんだ。
古本乞食業者しかなかったから、送料入れて1500円くらいかかったぜ。
521人間七七四年:2009/05/17(日) 08:35:56 ID:Yzdx4Ydx
確かに蒙古襲来と唐入りは面白い要素が多い。
だが、イデオロギーを持ち込む人が多すぎる・・・。
朝鮮が絡むと
522人間七七四年:2009/05/17(日) 10:30:46 ID:ir4A0vzv
>>520
「日本戦史 朝鮮役」は、文庫版では資料編が現代語訳の上に大幅に割愛されてるから、
国会図書館の近代デジタルライブラリーで無料公開されてるオリジナル版の史料原文を
読んでみるのも一興だよ。
523人間七七四年:2009/05/17(日) 11:10:50 ID:r4pjNsQ1
>>521
そしていずれも、教科書や一般の書籍に書かれている事が
史実とは余りにかけ離れてる。
524人間七七四年:2009/05/18(月) 14:45:44 ID:qsaRqF+r
>>500
ハア?
525人間七七四年:2009/05/19(火) 11:48:25 ID:labaQBX5
Japanese invasions of Korea (1592–1598)
http://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_invasions_of_Korea_(1592%E2%80%931598)#Aftermath_and_conclusion

朝鮮出兵の英語版ウイキペヂアの内容が・・・
島津義弘が2万人倒した〔中国側の記録だと8万人戦死と記録されてる〕
↑これに関しての記述が無い。とゆーか各戦闘における
明と朝鮮側の被害については完全無視(笑)

それに対して日本側の被害については詳細に書いてあるのだが・・・
さらjに、同時期に他の倭城を同時攻撃して全敗だった事についてもスルーしてる(笑)
明朝鮮に都合の悪い事は全部’抽象的’に。
そしてそして、イスンシンはたった15隻で復員中の日本の船250隻破壊したって書いてあるwwwwwww
なんだこりゃwwwwwwww
これ読むと日本がめちゃくちゃ弱くて、朝鮮めちゃ強かったように感じるな
526人間七七四年:2009/05/19(火) 11:50:31 ID:labaQBX5
文禄・慶長の役が海外で誤解されまくってる件
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1224042272/

スレあったんですねスマソ
527人間七七四年:2009/05/19(火) 12:13:07 ID:ikcvwmOb
ウィキなんて所詮嘘八百ばかり。
とはいえ、最近はウィキやようつべでの半島人の言うことを
真に受ける人増えてんだよな
528人間七七四年:2009/05/19(火) 14:00:46 ID:qYS/wM18
>>525
これは酷い。
これのせいでサムライのイメージダウンで
少なからず関連産業に被害が出てると思う
<丶`∀´>Wikipediaに謝罪と賠償を求めるニダ
529人間七七四年:2009/05/19(火) 19:20:37 ID:doNxAN9F
>>525>>528
さっさと編集合戦してこい。

>>525が清正で、>>528が行長、俺が秀吉な。
530人間七七四年:2009/05/19(火) 21:15:34 ID:6Mt7N3Nr
足並みそらわんから成功しなかったんだろ。ボケた秀吉でいいからも出陣してたら全軍必死に働いただろうな。それにしても大名たちは出兵したくなかっただろうな。
531人間七七四年:2009/05/19(火) 21:34:01 ID:doNxAN9F
>>530
出兵に際して不確定要素が多すぎたが、
大名たちも朝鮮の領土取れたらラッキーって思いもあったんだろ。
当時の三国の情報が丸見えの俺らが思ってるほど、泥沼化あるいは敗戦を確信してなかったんじゃね。
だいたい、朝鮮に出兵する前の段階で反対してたって記録で残ってるのは、
池田輝政くらいしかいねーんだよ。
失敗した後で、「勝つと思ってたけど失敗しました。」なんて無能さをアピールするやつはいねえからよ。



って、週刊新説日本の争乱「朝鮮出兵」の記事で誰かが言ってた気がする。
532人間七七四年:2009/05/20(水) 04:21:58 ID:+4wSZqsU
日本軍の構想としては、渡海輸送能力から一軍を一万二千から一万五千人とし、
第十六軍に徳川家康軍を予定していました。
第十七から二十軍が秀吉の旗本と本隊の予定です。
実際に渡海したのは第九軍(大将は羽柴秀勝)までです。
ただ、第十六軍の家康軍の人数は約五千です。
当時の徳川家はその所領から換算した動員可能兵力は約七万五千人ですから、
七万の兵力を国内に残し、かつ秀吉も六万の旗本を手元に残していたわけです。

何故家康を第十六軍にわずかな兵力で配置したかというと、
秀吉自身の渡海直前の軍として兵力というより政治的な統治の要人としての渡航であったと言えるでしょう。

実際これらの兵が渡海すると、第十六軍の段階で二十五万人の兵力が渡海している計算になります。
当時の日本の動員可能数はこの倍の五十万人と計算できます。
それ故、十万量兵で防衛準備していても、明から十万の援軍が来ても、兵力数は日本軍優位の情勢。
加えて鉄砲の数量が違いますから、一大会戦のようなことになったら完全に日本軍優位です。
当時の日本軍は長い戦国時代を経て、戦術的にもまた個々の戦闘能力もずば抜けているので
平時の朝鮮・明連合軍との戦いは日本軍優位といわざるを得ません。
533人間七七四年:2009/05/21(木) 03:56:55 ID:BYlYOhpp
>>532
”遠征”という前提がつくなら動員可能数より補給し維持できる人数の方が問題なのでは?

明軍万は完全補給された十万、それに対し日本軍は数万名でも補給路を確保できない状況。
そんな戦場にがんがん人数を送り込む仮定は無意味な気がします
(実際名古屋や対馬で待機してますし)
534人間七七四年:2009/05/21(木) 04:05:42 ID:FIFALSMo


そういえば実際慶長の役では
餓死や凍死が出なかったらしいね

さすが日本、
対策立てなおすのうまいね
535人間七七四年:2009/05/21(木) 04:27:06 ID:9GfdL2c5
>>533
ほー、完全補給された明軍がなぜか略奪しまくりだったワケだ。w
536人間七七四年:2009/05/21(木) 05:09:33 ID:BYlYOhpp
>>535
明軍の略奪の記録ってありますか?

明軍の補給は朝鮮政府が全責任を持って行われてたんですよ。
ぜひ「懲ひ録」(柳 成竜)を一読を。
民に餓死者が出てるのに明軍のために確保した物資には手がつけられないし……
…なんて愚痴みたいな苦労話が載ってます。
537人間七七四年:2009/05/21(木) 08:20:16 ID:CQn8LDiw
明軍の略奪は軍紀問題だろ。
中央から南部の省に来た倭寇討伐軍があまりに無茶するんで
現地軍と戦争になった話もあるし。
まして朝鮮では天兵扱いだからな。
538人間七七四年:2009/05/21(木) 13:06:06 ID:9GfdL2c5
>>536
なんで北辺の安全地帯にいる柳成竜が、当座の軍糧を確保したといってるだけのものが
最前線までの完全補給の証拠になるんだろう。w

李氏朝鮮が朝鮮内の補給を請け負ったということは、逆に言えば補給が滞れば
現地調達勝手次第と言うことだよ。
539人間七七四年:2009/05/21(木) 13:53:56 ID:FIFALSMo
日本の兵鈷に重篤な不備があれば七年間も占拠し続けられないわな
540人間七七四年:2009/05/21(木) 15:20:51 ID:BYlYOhpp
>>538
…とりあえず「懲ひ録」読んでくださいな……


想像で書くなら英語wiki荒らしてる朝鮮人とかわらんですよ
541人間七七四年:2009/05/21(木) 22:39:35 ID:9GfdL2c5
>>540
例の日韓歴史研究に初期の朝鮮側の兵站についてのレポートがあるけど、
勢力下だった平安道でさえまともに軍糧調達ができなかったことがよく分かるぞ。
必要総量もカロリー量もさっぱり計算できていなかった柳成竜の見通しの甘さも
指摘されてるし、日本軍・明軍の過酷な現地調達が民衆の反乱を招いたとも
ある。

朝鮮の自賛史料を鵜呑みにするだけなら、乱中日記を元に
李舜臣提督は23戦23勝の無敗の聖将とか言ってる韓国ネチズンと
変わらんよ。
542人間七七四年:2009/05/21(木) 22:49:51 ID:byCtpYyf
李舜臣がいなければ、海上からの釜山→漢城ルートが安定していただろうし、
そうなれば、戦局が日本優位変わっていたはず!
だから日本軍が撤退したのは、明の助けがあったからというよりは、すべて英雄李舜臣がいたからである。






と適当なことを言ってみる。
543人間七七四年:2009/05/22(金) 01:50:21 ID:bPcwzNFi
>>542
李舜臣は対日本用にひそかにテコンVを開発していたって聞いたぞ
544人間七七四年:2009/05/22(金) 02:11:55 ID:vbaudvp4
>>541
もともとが>>532が発端なわけで、役全体の補給を考えるに
朝鮮政府の混乱した初期の問題を前面に押し出すのはちょっと……
政府として安定した慶長の役では、かなり補給はちゃんとしてましたしね
まぁ柳成竜自身は明に援軍を求めるのには反対してましたし、
初期の混乱を柳成竜の無能にすべて帰するのも気の毒な気が。

まぁ当時の”略奪”がナニをさすのか、が問題になるとは思うのですよ。
調理用の薪とか攻城専用の資材とかそこらは当時の軍の現地調達は常だったので、
それを”略奪”と呼ぶと、まぁ明日本南蛮世界中どこの軍でも略奪し放題なひどいイメージになるような気もします
545人間七七四年:2009/05/22(金) 02:36:17 ID:vbaudvp4
蛇足
ネットから>>541さんが指摘した報告が読めるのではっときます(pdf注意)

ttp://www.jkcf.or.jp/history/2/1_1_2roku_j.pdf
546人間七七四年:2009/05/22(金) 09:33:57 ID:r4DGT70y
>>540
直接的に補給に失敗したと書いていない本を読めってどういう料簡?
失敗を匂わす朝鮮の苦労や飢餓は書いてあるけどね。
明への補給が成功したなんて書いてないし。
どゆこと?

そんなことよりも、実録に書いてあるように最初に来た四万八千を二ヶ月食わす見込みが立たないまま援軍を迎えた事実とか、
後半に明が食料くれないなら屯田させろよという要求を婉曲に謝絶したりしているんだが。
547人間七七四年:2009/05/22(金) 10:55:12 ID:bPcwzNFi

「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
548人間七七四年:2009/05/22(金) 11:47:11 ID:QtjOkaf9
>>544
ほー、すると日韓共同歴史研究でいうところの”現地調達”は、同じ現地調達でも日本軍はむろん食糧込みだったたのに対して、
明軍は薪や攻城用資材のみだったと言いたいわけjか。どっだけダブスタやねん。w


そもそもは、ろくな道路網もない半島を縦断して陸路を手繰りで逓送するしかないという条件は双方同じなのに、>>533

>明軍万は完全補給された十万、それに対し日本軍は数万名でも補給路を確保できない状況

と根拠もなく断定するから始まったんだよ。民を動員できる朝鮮は輸送には利はあるけれど、元々物資不足であり、他方日本は
策源地である釜山に物資集積は出来ているから南方に戦線縮小すれば補給の問題は解消され、逆に明軍は補給に問題が
生じると解釈すべきモンだろ。



>>545
フォローども。階層戻らなくていいからこっちがいいかもね。

ttp://www.jkcf.or.jp/history/report2.html
549人間七七四年:2009/05/22(金) 15:55:12 ID:vbaudvp4
>>548
資材現地調達も明軍は現地政府公認ですから”略奪”とは言えないが、
日本軍は”侵略軍”ですから同じ行動でも”略奪”と呼べましょう。それをダブスタと呼ばれても……

それに「遠征軍としての補給」の話をしているわけで、
朝鮮政府が明軍の補給を重視する余り朝鮮軍や民はおろそかになっていた実情でも、
実際慶長の役では明軍は中国本土兵での数万単位の作戦を半島南端三方面で同時に行っており、
明軍の兵站だけみれば、朝鮮政府は明遠征軍に十分な補給をした、と評価してかまわないのでは?

同じ距離(平壌)では日本軍は兵糧確保に失敗しており、
>明軍万は完全補給された十万、それに対し日本軍は数万名でも補給路を確保できない状況
…という記述に、”遠征軍の兵站”という立場から見た場合、問題があるとは思えません

もともと秀吉の作った補給システムに内在した問題
集積地から前線までのシステムが旧態依然のままなため十分な兵糧集積が行われながら前線で不足する
というのは九州征伐でも起こっており、朝鮮でも同様な状況だったかと思いますね
550人間七七四年:2009/05/22(金) 17:32:15 ID:QtjOkaf9
>>549が、明軍の現地調達とは”調理用の薪とか攻城専用の資材”のみだったと想像で書いているだけで、
英語wiki荒らしてる朝鮮人と変わらないということはよくわかった。
551人間七七四年:2009/05/23(土) 01:12:12 ID:ODCJnBMS
明代に出来た支那の民謡に「盗は梳くが如し、兵は剃るが如し」というのがあってだね。
内容は文字通り、盗賊は櫛で梳くように盗んでいくが、兵隊は刃物で剃るように盗んでいくというもの。
元々は山賊胎児に軍隊が駆り出されたが、山賊の方が土地勘もあって捕まえられない。
しかし、手ぶらでは帰れない。
だが、生首には「私は山賊です」だとか「おっすオラ盗賊」だなんて事は書いてない。
そして、村がひとつ消滅したと。

まあ、支那の軍閥も真面目に戦争するのもいれば、そうじゃないのもいるから全てがそうだとは言い切らないが基本形はコレ。
国内でこれなんだから、属国の国内ではどうだろうね。
生首なら頭頂部剃れば倭人も朝鮮人も区別は付かないしね。
耳だけとかなら尚更証明は難しいわけだ。

朝鮮の義兵が明軍も襲ったというのは、単に食糧事情の問題だけでは無いと思うよ。
552人間七七四年:2009/05/23(土) 03:45:53 ID:Vv/Hfyyn
>>550
”現地調達”だけじゃ通じなさそうだから出した細部にこだわるとは……
まぁガチンコで反論されないのは、ある意味光栄ですね

>>551
ううーん、戦闘時に一般人を巻き込むことは”略奪”っていっていいのでしょうか?
朝鮮政府は明軍の行動に抗議したことがない、つまり抗議する必要がない判断なわけで、
少なくともその地の政府が”不法行為”と認めなければ”略奪”とは言い難い気がしますけど。
553人間七七四年:2009/05/23(土) 08:53:31 ID:huT8qT4H
日本軍の構想としては、渡海輸送能力から一軍を一万二千から一万五千人とし、
第十六軍に徳川家康軍を予定していました。
第十七から二十軍が秀吉の旗本と本隊の予定です。
実際に渡海したのは第九軍(大将は羽柴秀勝)までです。
ただ、第十六軍の家康軍の人数は約五千です。
当時の徳川家はその所領から換算した動員可能兵力は約七万五千人ですから、
七万の兵力を国内に残し、かつ秀吉も六万の旗本を手元に残していたわけです。

何故家康を第十六軍にわずかな兵力で配置したかというと、
秀吉自身の渡海直前の軍として兵力というより政治的な統治の要人としての渡航であったと言えるでしょう。

実際これらの兵が渡海すると、第十六軍の段階で二十五万人の兵力が渡海している計算になります。
当時の日本の動員可能数はこの倍の五十万人と計算できます。
それ故、十万量兵で防衛準備していても、明から十万の援軍が来ても、兵力数は日本軍優位の情勢。
加えて鉄砲の数量が違いますから、一大会戦のようなことになったら完全に日本軍優位です。
当時の日本軍は長い戦国時代を経て、戦術的にもまた個々の戦闘能力もずば抜けているので
平時の朝鮮・明連合軍との戦いは日本軍優位といわざるを得ません。
554人間七七四年:2009/05/23(土) 10:55:12 ID:V4fWkIMI
>>552
想像で語る明軍への完全補給やら明軍の厳正な現地調達やらにどう反論しろと?w


ちなみに、先に触れた歴史共同研究レポートの”現地調達”は薪でも攻城資材でもなく
当然”軍糧”についてのものであるわけだが。

ttp://www.jkcf.or.jp/history/2/1_2_4roku_j.pdf
555人間七七四年:2009/05/23(土) 15:07:57 ID:lGfCaMW2
>>549資材現地調達も明軍は現地政府公認ですから”略奪”とは言えないが、

↑えっ?どういうこと? 朝鮮政府が文句を言おうが言うまいが、客観的に明軍のした略奪も略奪に違いないだろ?
556人間七七四年:2009/05/23(土) 15:22:50 ID:lGfCaMW2
>>549
ちなみに実録でも、盗みや殺しをした天兵について抗議して天将から謝られた記録を残しているわけで・・・略奪公認ってどっから出てきた話?
李舜臣や趙慶男なんかも明軍の略奪について記録を残しているよね。
557人間七七四年:2009/05/23(土) 15:48:40 ID:OoFk14Hs
>>555
単に属国だから親方の命に従うのは当然、と考えるのは自然だろ
客観的にみるなら尚更だ
李なんとかや趙なんとかや金、パク、リらがいかに記録を残そうとも、彼らは最高責任者である王ではない
それにその李とやらが明に対して略奪行為を正式に抗議したって記録でも残っているの?
属国として援軍を当てにする盟約を結んでいる以上、それらを略奪とは言わないよ常考
558人間七七四年:2009/05/23(土) 16:13:18 ID:lGfCaMW2
>>557
りゃく‐だつ【略奪/×掠奪】
[名](スル)暴力的にうばい取って自分のものにすること。「現金輸送車を―する」「―者」
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]

りゃくだつ0 【略奪・▼掠奪】
(名) スル
力ずくで奪いとること。暴力で自分のものとすること。
・ 財宝を―する
[ 大辞林 提供:三省堂 ]


独特の日本語を使われるようですね?
いや、だから、宣祖実録にも記録されていますが?
だいたい、明軍は朝鮮では大軍補給が出来ないから度々撤退や分散配置をしているわけだし。
559人間七七四年:2009/05/23(土) 17:09:20 ID:MiRY47zR
>>554
計画時から破綻してるじゃん。
560人間七七四年:2009/05/23(土) 17:29:37 ID:EzDGS6mS
朝鮮人捕虜の日記「看羊録」だと、
日本兵に幼い子供二人水ん中に投げ込まれて殺された人が、
日本に連行されたときに「秀吉様もむごいことなさる」と日本人にたすけられて、
あんな酷いことしたのは命令のためだったに違いない、と書き残したりしているな。
でも実際には日本人同士の内戦でも結構無茶苦茶やっているから……。
561人間七七四年:2009/05/23(土) 18:40:31 ID:UE7lckbm
>>558
個々のケースになら当てはまるかも知れないが、
国家間、しかも宗主国と属国という視点からみた場合、それは当てはまらないよ
562人間七七四年:2009/05/23(土) 20:27:51 ID:Ggb1dH6C
「朝鮮征伐記」って二種類あるみたいだけれど、
両方読んだ方おられます?

これって片方が片方のパクリ?
類似性あるのかな。
563人間七七四年:2009/05/24(日) 03:27:37 ID:/ubcXkgV
>>554
史実では、明軍は蔚山、泗川、順天への同時攻勢かけているわけですが、
それの補給を説明していただけるなら、おいらは納得しますよ。

紹介された報告の質疑応答に、報告者の兵糧の把握が完全(少ない)ではないか、
という疑問も出されて今後の検討課題になってますので、
ソレをもって明軍の補給が足りない根拠とされても……
564人間七七四年:2009/05/24(日) 07:43:46 ID:LYvqdfLL
>>563
短期間の遠征なら食料はある程度は手持ちで保つがな。

1597年のウルサンでは明軍の装備補給の失敗で寒気にやられている。
日本側はそれを敗走させたわけだ。

1598年の三路攻勢も長期攻撃が維持できずに短期で補給地点まで撤退した。
565人間七七四年:2009/05/24(日) 11:55:26 ID:DFknwspk
>>563
あのねぇ・・・素で馬鹿なの?

当時の軍が秋口に一斉行動してりゃ、それは食糧の行軍先での現地調達(朝鮮政府公認の掠奪かw)を
想定してに決まってるだろうに。

さらに兵力三分なんでいう明らかな兵法上の愚策を採っていると言うことは、それは補給がが十分だった
証拠ではなく、むしろ逆に十万の軍をまとめて喰わすだけの兵站が一方面だけでは確保できなかったと
解釈すべきモンだろ。
566人間七七四年:2009/05/24(日) 12:43:04 ID:nLgWmpdX
>>565
へー、何で兵力三分が愚策なの?
彼我の術力を良く考察し、状況や戦訓を生かした良索だと思うけどな?
つうか、アンタ全然戦争の経緯を理解していないからそんな馬鹿なことを言ってんのか?
567人間七七四年:2009/05/24(日) 14:16:51 ID:DFknwspk
>>566
ほー、じゃぁその良策でどんな大戦果を挙げたのか教えて欲しいモンだが。

現実には、中路軍が壊走したことで東路軍は遊兵と化し、西路軍も腰が引けて
あっというまに戦略破綻してるだろうに。そもそも投入された明朝軍兵力は
在番の日本側総兵力と有意の差がないのに、それをさらに分散するのは
愚策以外のなにものでもないな。

参本の朝鮮役あたりの記述を鵜呑みにしてるのかもしれんが幼稚すぎだろ。w
568人間七七四年:2009/05/24(日) 15:32:19 ID:nLgWmpdX
>>567
少なくとも第一次蔚山の戦いの轍を踏まずに、途中で相互援護されて攻城を中断する羽目には陥らなかった罠。
東事軍が遊兵ってどういう事よ?攻城こそ成らなかったが、狙い通りちゃんと清正や長政を拘束してるじゃん。
569人間七七四年:2009/05/24(日) 15:34:35 ID:nLgWmpdX
>>567つーか、戦略破綻の前に戦略をご存じなのかと小一時間。
570人間七七四年:2009/05/24(日) 18:37:08 ID:DFknwspk
小一時間泣き叫ぶのか?w
571人間七七四年:2009/05/24(日) 21:19:28 ID:/ubcXkgV
>>565
おいらは最初から”遠征兵站としての補給”の話をしてるつもりなんですが、

>それは食糧の行軍先での現地調達(朝鮮政府公認の掠奪かw)を想定してに決まってるだろうに。
あなたが指摘された>>554の報告では、明軍の食料補給を朝鮮政府が行ったことについては疑問視されてないのですが、
なぜ、慶長の役の際にそれに反する”食糧の行軍先での現地調達”という主張を今されるのでしょう?
その根拠をお示しいただけるとありがたいのですが……

つか、広東四川兵なども含む遠征み国境超えた半島南端で大規模作戦に支障がない補給は、
どうみても「朝鮮政府による補給は十分行われた」としか言えないのでは?
それに対し、日本軍は釜山〜平壌間すら維持できませんでしたし。
572人間七七四年:2009/05/25(月) 08:34:12 ID:8PkoFXYq
補給が滞ってたら七年も占拠され続けるなんておかしいよね

文禄慶長の役って言うがその両役のあいだずうっと日本軍は朝鮮に居座り続けてるんだよねw
573人間七七四年:2009/05/25(月) 19:10:49 ID:tWl98OCO
>>567が全然明軍の作戦指導内容を理解しないまま脳内ソースで妄想している件。
574人間七七四年:2009/05/25(月) 19:26:59 ID:PprEWcU8
撤退という結果がすべてのような
575人間七七四年:2009/05/25(月) 20:49:29 ID:9KJumyVC
>>565
862 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/05/25(月) 07:18:22 O
略奪が公認されていたって?
どんな公的許可だったのかソースきぼんぬ。

属国だから当然とかの脳内ソースは勘弁な。
576人間七七四年:2009/05/25(月) 21:28:58 ID:ahIMc2M3
>>572
講和結んだあと一回撤退しなかった?
577人間七七四年:2009/05/26(火) 05:30:57 ID:tCfeIJ3N
>>444
明の後ろ盾があったから日本と戦っただけだろ
朝鮮単独じゃとっくに日本が占領してんだろ
578人間七七四年:2009/05/26(火) 05:40:52 ID:tCfeIJ3N
>>469
誰に敗退したのかな?
579人間七七四年:2009/05/26(火) 07:21:04 ID:JaoqhNem
>>576
駐留部隊が居座っていた。
一番少ないときで4、5万ぐらいかな。
580人間七七四年:2009/05/26(火) 15:43:44 ID:vI6jQOeU
>>579
つまり交渉中もずっと日本が占領。
交渉決裂と同時に援軍を送ったわけか
581人間七七四年:2009/05/26(火) 17:41:32 ID:JaoqhNem
そして日本側が減員している頃は明軍も朝鮮軍も撤退したり分散して補給不足の解決に努力していた事に注目だよね。
日本側だけ見て、引き籠もりだ敗退だといわれてもねえ。
582人間七七四年:2009/05/26(火) 18:01:07 ID:KuoikORE
>>581
”なんとか補給不足を解決できた側”と”できなくて補給が届く所まで退いた側”とじゃ
かなり事情がちがうんじゃぁ……

つか秀吉死後日本が退いたのも朝鮮の土地が国内より魅力がなかっただけな気もする
当時の日本側は負けたとは思ってない(家康も後の朝鮮との外交態度でもそうだし)
まぁ中国にとっては大規模倭寇来襲(局地防衛戦)って認識くらいだったろうし
こういうのって、勝った負けたは判断しづらいよね。戦場になった所は気の毒だけど
583人間七七四年:2009/05/26(火) 18:36:05 ID:JaoqhNem
>>582
はあ?そこで言っている、なんとか補給を解決できたというのは日本軍のこと?
584人間七七四年:2009/05/26(火) 18:39:52 ID:fubH8rlB
「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった

「朝鮮王朝実録」
 「日本兵との接近戦を禁じた」
 「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」

「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

585人間七七四年:2009/05/27(水) 18:40:15 ID:RLOs4DuX
>>582
それが明軍も朝鮮軍も補給できる地点まで何度も撤退しているんですよ。
586人間七七四年:2009/05/28(木) 10:38:21 ID:HM1nfjND
戦線から離脱すること=撤退なのか?
587人間七七四年:2009/05/28(木) 17:05:03 ID:zOKCyiXy
>>585
それは戦術上の兵站問題で遠征全体の”補給不足”の問題とは別なのでは?
588人間七七四年:2009/05/28(木) 17:39:52 ID:IVViLItM
その理屈なら日本側も遠征全体の”補給不足”は起こしてないよねぇ。w
589人間七七四年:2009/05/28(木) 17:58:23 ID:QsHtgBRa
ちょっと教えて頂きたいんだが、
唐入りの理由として応仁の乱あたりから続いてきた戦争中心の社会で、
今後戦争がなくなることから大量の浪人・失業者等が出る事が予想された。
その対策のための現代でいう公共工事が唐入りだったってのをこの間読んで、
妙に納得したんだけど、ここの住人的にはこの説はどうなの?
590人間七七四年:2009/05/28(木) 18:29:00 ID:GglPJjoz
秀吉がそんな現代の経済学者みたいなこと考えるわけないだろ
昔の武家社会なんてほとんどヤクザみたいなもんなんだから
秀吉からしたら早く我が軍門に下れば悪いようにはしないよ!っていう宣伝工作
で天下とったようなものなんだから
早ければ早いほどおいしい目ができる…
これは?
そう、ねずみ講ですな
ねずみ講が破綻しては困るから出兵したのが真相
でもまあ天下統一しちゃって自分は万能みたいに思ってるだろうからそんな後ろ向きな
気持ちよりは、わしの言うとおりやればきっとうまくいくわい
明さえ支配すればほうびくらいくらでもやるわい
てなかんじだろ
591人間七七四年:2009/05/28(木) 18:53:38 ID:Duarwh/k
>>587
言っていることがわからない。
明軍も遠征に足りる補給がないので奥地に引き籠もったり、遼東で屯田していた。
前線に遠征しても留まれるのは手持ちの食料の保つ短期間。
朝鮮軍に至っては開戦時の備蓄を食い尽くした後は大軍の結集自体に失敗していた。
592人間七七四年:2009/05/28(木) 19:20:06 ID:zOKCyiXy
>>588>>591
もともと朝鮮に旱魃がおそった時期に役があったわけで、それの対策(屯田等)が成功したから
十数年半島(沿岸部内陸問わず)に10万規模の即時作戦可能遠征軍を減する必要がなかった、
…というのは、平壌すら前線な明側から見れば遠征軍の補給に成功したことになるのでは?
前線を整理する、と、兵站維持できず占領地を放棄する、は、別に評価すべきかと。

今まで言及しませんでしたが、朝鮮軍に関しては、義兵の補給に政府管理があった報告もあり、
もう少し研究が進まないとはっきりしないのではないかと思います。
593人間七七四年:2009/05/28(木) 19:29:37 ID:Duarwh/k
>>592
だから明軍も補給が続かないから一度進出して占領した地点を放棄して撤退するということを繰り返しているでしょ?
で、休戦期に反乱軍が漢城を襲おうとしたり、釜山と漢城の中間に反乱軍や義兵が割拠したわけです。
594人間七七四年:2009/05/28(木) 20:12:18 ID:99QjYqcz
あの無政府状態の中でまるで日本軍がいない地域は朝鮮が確保していたと思っているような奴がいるな。
595人間七七四年:2009/05/29(金) 04:15:10 ID:aX7xnJVY
明軍に完全補給した上に義兵にまで補給とは・・・
>>592の脳内李氏朝鮮、テラ余裕だな。w
596人間七七四年:2009/05/29(金) 08:40:14 ID:LmgjnKY0
>>592
全体的に言っていることがわからん。特に一、二行目。

一行目 旱魃のソース希望。
二行目 日本語でおK
597人間七七四年:2009/05/29(金) 18:10:24 ID:LmgjnKY0
解説は無しと。
598人間七七四年:2009/05/29(金) 18:24:49 ID:LmgjnKY0
>>589
そのような効果はあるかも知れないが、それは副次的なものであって目的に設定されたような根拠はないと思う。

それに出征は今までの政権運営の延長にすぎないと思える。
つまり政権武将に新参配備して先鋒に敵対勢力を攻めさせ消耗させたり無能者を排除する。
出征中に本土では検地をガンガン行って表高以上の領土は政権のものとする。
外様は直接的間接的に弱体となり豊臣政権は強化される。
そして譜代についても無能であれば改易。ある意味、戦争を継続することで健全な人材を供給し続ける社会だったのかも知れないね。
だから、単純に戦争を止めたほうが政権不安定となる傾向があったという意見であれば同意。
599人間七七四年:2009/06/01(月) 18:13:24 ID:YhSr8lJD
たとえば豊臣日本軍が朝鮮全土から撤退したとき、
鬱陵島と済州島だけ確保することは可能だっただろうか?
600人間七七四年:2009/06/01(月) 22:23:24 ID:VSZdheX4
誰もそんな離れた島に興味なし
601人間七七四年:2009/06/02(火) 21:18:15 ID:v0yCfYtG
11 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/06/02(火) 19:14:13 O
水軍とか関係なしに朝鮮沿岸からのアクセスが必要だから、ミリ。
逆に言えば、その沿岸を陸軍が押さえていれば支配可能。
602人間七七四年:2009/06/04(木) 15:26:19 ID:itogBam0
旧参謀本部の朝鮮の役買ったんだが、
これ誰がどういう経緯で編纂したの?

本の中に全く解説がないってどういうことだよ


と元寇スレに誤爆してしまったが、教えてくれ
603人間七七四年:2009/06/04(木) 15:33:31 ID:SUmCZXNw
参謀本部の誰が編集したって事?
604人間七七四年:2009/06/04(木) 16:05:42 ID:itogBam0
>>603
そう。
そういうのもだし、
そもそも参謀本部が何かとか、どこの部署かとか、
なんでそこまで昔のことまで昔の戦史にさかのぼって再検討しなければならなかったとか、
ちゃんとした経緯を知りたいんだけど。
605人間七七四年:2009/06/04(木) 16:25:12 ID:SUmCZXNw
編集されたのって明治だよな。
経緯は分からんが、日清戦争とかあったからその影響あるんじゃないか?
陸軍が戦史研究のために編纂したんじゃ
たしか関ヶ原の戦史研究もしてたはず
606人間七七四年:2009/06/04(木) 16:55:07 ID:+gsT7kq/
>>596
ここは過疎板なので即レスはあんま期待しないでくださいな。
一日で勝利宣言はちょっと……規制もありますし……

えっと、おいらが言いたいのは”遠征としての補給”が前提で、
鉄道路で考えると日本軍は平壌釜山間580km、明軍は新義州釜山間780km陸路での補給を行ったことになりますが、
その際
>明軍万は完全補給された十万、それに対し日本軍は数万名でも補給路を確保できない状況
になっていた、ってだけなんですけど。
遠征の補給としては日本軍は(特に陸路)欠陥を持っていた、って主張なので過去レスにさかのぼっていただけると……

飢饉については初期には北部で一揆がおきてますね。
慶長の役では柳成竜が明軍用の兵糧を一部民に放出したことを自慢していますし
あまり豊作の時代ではなかったかと。
607人間七七四年:2009/06/04(木) 21:00:49 ID:9wddf2Ru
>>606
うんうん、間髪は口から出任せであったと。ふむふむ。
608人間七七四年:2009/06/05(金) 02:50:32 ID:UMXXE4po
>>607
柳成龍『懲録』47章 餓民の救済
これでよろしいか?

あなたは「おいら個人に勝ちたい」みたいですけど、
おいらはここらの事象に興味を持ってくれる人が増えるのと、自分でも興味があるので、
出来ればいろんな研究や資料を紹介していただけるとうれしいのですが…
609人間七七四年:2009/06/05(金) 17:42:59 ID:inpa6C6M
ふむ、では今手元にある『戦争の日本史16 文禄・慶長の役 中野等/吉川弘文館』 に、
出典は示されていないものの、完全補給の軍律正しい明軍を歓呼して迎える朝鮮民衆の
姿が描写されているので少し引用。

>>こうして、朝鮮王朝救援のため、遼東の明軍が鴨緑江を越えることになる。朝鮮側は明軍を支える兵粮の確保・輸送に腐心するが、
>>友軍たる明の将兵は朝鮮国内で軍馬を民家に乱入させるなど、その軍紀は弛緩しきったものであった。朝鮮義州の人々は明軍の
>>略奪・乱暴を恐れて山に逃れ、市街は無人と化すありさまであったという。 (75頁)
                                                          ※義州は鴨緑江河口の国境の街
610人間七七四年:2009/06/05(金) 18:08:44 ID:OURS/m+w
日本軍の補給に難があったの一点張りの人は
必ずと言っていいほど時系列をあいまいにするね

七年間ずーっと補給に難があったように印象操作したいのかな
611人間七七四年:2009/06/06(土) 04:07:10 ID:8II0z5T4
>>608
東洋文庫版 『懲録』 200頁の”四七 飢民の救済”の記述には
旱魃のカの字もない件について。
612人間七七四年:2009/06/06(土) 06:07:47 ID:EPBY7NUD
↓空想上の旱魃ですか?というか、朝鮮には積極的に治水をして生産性を上げるという思想がないからバッファ無しで毎年凶作の荒らし。ま、豊作でも搾取されて春窮になるんだけどね。
 指導層も農民も生産性を上げないダメ社会。日本軍が来て努力すれば報われる制度を導入しても馬鹿だから怠けるばかり。

592 :人間七七四年:2009/05/28(木) 19:20:06 ID:zOKCyiXy
>>588>>591
もともと朝鮮に旱魃がおそった時期に役があったわけで、それの対策(屯田等)が成功したから
十数年半島(沿岸部内陸問わず)に10万規模の即時作戦可能遠征軍を減する必要がなかった、
613人間七七四年:2009/06/07(日) 16:41:34 ID:diY4DNAy
文禄2年1594年の、マニラ総督宛ての秀吉の書状が残っている。
スペイン国王に開城するように申し渡している手紙である。

(前略)
予は既に日本全国及び朝鮮国を手に入れ、数多の武将がマニラの攻略許可を求めている。
これを知って原田(喜右衛門)と(長谷川)法眼は予に、
『彼我の地の間には諸船の往来があり、それによって(マニラが)敵であるとは思えない』と
言った。
この道理によって予は(マニラへ)軍勢を派遣することを思い留まったのである。
(中略)
もし彼ら(シナ人)がその言葉を守らぬならば、
彼らと戦うために予自ら出陣するであろう。
こうしてシナに到ればルソンはすぐ近く予の指下にある。
予は我ら(日本とフィリピン)が永久に友好を保つことを希望する。
これを(カスティリャ王に)書き送られよ。
遠隔の地を理由にカスティリャ国王が予の言葉を軽んずることがないようにせよ。

「パステルス・松田毅一訳『日本・スペイン交渉史』」
614人間七七四年:2009/06/08(月) 18:07:50 ID:yaA9IdWq
旱魃は口から出任せだったと。
615人間七七四年:2009/06/08(月) 18:18:36 ID:0einKznC
>>606 明軍は、陸路も使ったが、船で補給だよ。

北京から朝鮮まで内湾状態だから、平壌越えてソウル近郊で上陸も簡単。
対馬海峡横断の日本軍よりもずっとラク。

日清戦争のときも、清軍は船で前線に兵士を送っている。
日本軍はというと、清国艦隊がいたため直接前線まで船で運ぶことができず、
日本海から朝鮮東岸に上陸して、陸路歩いて平壌方面まで行くありさま。

補給がしづらかったため、清国艦隊を撃滅するため、日本艦隊はやっきになって探し回るはめに。
616人間七七四年:2009/06/08(月) 23:09:44 ID:Jh9dANvo



もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/

もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/

もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/

もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/





617人間七七四年:2009/06/09(火) 19:36:00 ID:FqJP8NyR
>>610
もともとが「日本軍の動員兵力より補給できる人数の方が遠征軍として評価すべき」
から始まってるのと、明軍の補給と比較した日本軍のソレ、という部分があるので、
なんだか”日本軍の補給がダメダメ”論者ととられても困るところが……
文禄の役の際の補給の問題は秀吉が渡海していたら解決していた、と思ってたりします。

>>611
おいらは”軍の補給”と比較対象して飢饉について言及したので、
そこらの真偽は本論と無関係じゃぁ……といいたかったんですけど、
本論に反論されないのなら、おすきにどぞどぞ。

>>615
慶長の役には広東の船団も加わったので、それに対する(現地までの)補給は確かに。
つか初期と後期を最初にごっちゃにしたのはおいらじゃないので……

ただ近代戦では補給の多くが弾薬等に変わったので完全に補給は本国からですが
朝鮮の役の時代は攻城戦用資材などは現地調達で補給の多くは食料だったので、
日清戦争の事例は、あまり参考にならないんじゃないかと、おいらは思います。
618人間七七四年:2009/06/10(水) 10:46:37 ID:jmOsx7h6
食料だけ、って言っても、
3万の軍勢が一日で食べる米は、一日30トンだぞ!。

1人一日で1kgの米を食う、と計算すればわかりやすい。
1000人で1000kg=1トン
10000人(1万人)=10トン

朝鮮にいた日本軍は、何ヵ月もいたんだろ。しかも、船が使えないとなれば
(博多からソウルまで船で直行はできなかったらしいから。)
すぐに飢えちまう。
619611:2009/06/10(水) 11:59:08 ID:0eLLg9bv
>>617
ん? 自分が言い出した旱魃のソースを挙げられず、>>607氏に旱魃が口から出任せと批判されて、
やおらあなたが根拠として挙げたものが、全然ソースになっていないという事実を指摘しただけだが?

ちなみに本論には最初から散々つきあってあげてるよ。w
620人間七七四年:2009/06/11(木) 19:31:59 ID:zk1a70mv
>>619
>明軍万は完全補給された十万、それに対し日本軍は数万名でも補給路を確保できない状況
…という記述に異論がないのなら、おいらはソレでいいのですが、そこは??

つか本論そこなんで、それにつきあっていただけないと……
>571なんて放置だし……
621人間七七四年:2009/06/11(木) 21:25:07 ID:yF9dRicY
口から出任せの旱魃云々について何の謝罪もせず、今度は
いきなり”振り出しに戻る”かよ・・・

エンコリあたりの韓国人を相手にしてたのと同じ徒労感が
あるなぁ。ヤレヤレ
622凄いよウィキペディア:2009/06/12(金) 06:53:18 ID:smkG8MW+
873 日本@名無史さん age 2009/06/12(金) 06:19:04
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9&curid=254813&action=history
文禄・慶長の役 の変更履歴

次々とSilverpenguinが英語版からの翻訳を日本語記事にしている。


874 日本@名無史さん sage 2009/06/12(金) 06:50:02
>>873
板屋船が音訳されたり狂ってるな。
623人間七七四年:2009/06/13(土) 17:59:30 ID:Gfq0aMsb
>>622
何でそんなおかしなことに?
624人間七七四年:2009/06/15(月) 10:20:52 ID:9uqxe6ZP
>>618
軍勢より一桁二桁は圧倒的多数の住民はもっと食っているわけな。
625人間七七四年:2009/06/19(金) 20:00:48 ID:k9pp+tQE
文禄慶長の役のおすすめの本を教えてください
626人間七七四年:2009/06/19(金) 23:46:10 ID:Nq+dZbbn
『日本戦史 朝鮮役』
627人間七七四年:2009/06/20(土) 00:17:48 ID:UEI1UgUt
>>623
少し前に韓国版の唐入りの記事を英訳して
英語版に貼り付ける作業をしてたが、今度は日本語版にもやり始めた模様
628人間七七四年:2009/06/20(土) 18:48:10 ID:vHq+D+aR
旱魃のはなしはどうしちゃったの?
本論でないから嘘を書いてオレらを騙そうとしていたわけか?
629人間七七四年:2009/06/21(日) 17:37:51 ID:zXWDYTlR
>>625
中野等の文禄慶長の役、吉川弘文社、戦争の日本史シリーズ。
630人間七七四年:2009/06/21(日) 18:35:03 ID:7Yg1vbq2
>>629
文庫か新書では何かありませんか
631人間七七四年:2009/06/21(日) 19:10:50 ID:vPUzvLXm
『黄金太閤』山室恭子あたりはどうだろう。
秀吉の政策などが中心だけど、朝鮮出兵にも触れられていた筈。
ただ、文章のノリは初めて読む人にはびっくりこくかも。
632人間七七四年:2009/06/21(日) 19:13:25 ID:UR8ZulL5
>>620
まあ庭から見える景色が殺風景だと一面の山に植林しちゃうぐらいだからなぁ

すくなくとも兵士食わす以外にそれだけの土木工事のできる人足やとって食わせるぐらいの余裕はあったようだね
633人間七七四年:2009/06/22(月) 19:52:17 ID:PwC+/wDj
>>630
選べるほど良い本はない。
中野等の単行本がダメなら古本屋で旧参謀本部の徳間文庫版を探すしかないとオモ。
634人間七七四年:2009/06/23(火) 23:48:15 ID:EOX0Ay8Y
>>631
>>633
ありがとう。参考になりました
635人間七七四年:2009/06/24(水) 00:05:17 ID:L+Cpdcnq
>>634
文庫じゃないけど、比較的安価で入手しやすいのは
学研の『歴史運像35 文禄・慶長の役』かな。ブクオフなら
300〜600円ほどだとオモ。

ま、韓国寄りの記述が目立つので、内容を鵜呑みにしちゃ
いかんけどさ。(笑)
636人間七七四年:2009/06/24(水) 00:07:35 ID:L+Cpdcnq
おっと
× 運像
○ 群像
637人間七七四年:2009/06/24(水) 15:32:12 ID:UfIquSXr
学研もあんな本売ってるようでは信用なくすぞ。
朝鮮側の史料でも「勝てなかった」と書いてある戦いも
学研本では朝鮮軍の大勝利になってるんだから。

まあ、学研本に限らず朝鮮出兵関連の書籍はインチキ記述がまかり通ってるがな。
638人間七七四年:2009/06/25(木) 00:02:39 ID:CCip4gHO
学研の歴史群像シリーズは明確な編集ポリシーがないからねぇ。
単に執筆依頼した原稿を検証もせずに寄せ集めているだけという感じ。

特に、朝鮮役関係の研究者は左がかったのとかが元々多いし、さらに在日やら
本国やらの文をそのまま載せたら、まぁ、あぁなるだろうな、といういい見本。

でも、図版や付録地図なんかは結構重宝してる。(笑)
639人間七七四年:2009/06/26(金) 02:03:09 ID:F7nkIFoo
>>638
歴史学者自体左系の人が多いし、いわゆる「自由主義史観」なんかも、
本業の歴史学者の言っていることじゃないし、思想的にかなり稚拙なんだよね。
朝鮮の役なんかは、そういう面倒くさい問題が多い。
本国へ送還された後の朝鮮の捕虜の話なんかも殆ど触れられないしね。

まあ、歴史群像に限らず、一般むけの歴史本とかって、大体が
編集スタンスがハッキリせずに、学者、作家、郷土史家など寄せ集めの
原稿で中身に落差大ってことが多いんだよね。
最近じゃ歴史街道なんかは、時代小説集みたいになってきてるし。
640人間七七四年:2009/06/26(金) 02:18:52 ID:v4PMjghg
そういや、義兵将のその後とかも不可触領域だよなぁ。
641人間七七四年:2009/06/27(土) 15:10:26 ID:qaqwMPfu
関連スレ

六チンの乱を語る
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1246072639/l50
642人間七七四年:2009/06/27(土) 20:06:47 ID:XiM+I0eY
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
「朝鮮王朝実録」
 「日本兵との接近戦を禁じた」
 「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」

「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
643人間七七四年:2009/07/04(土) 03:10:46 ID:GG7lN89P
元寇や文禄慶長は
よっぽど朝鮮のコンプレックスを刺激するらしいの
644人間七七四年:2009/07/04(土) 16:29:34 ID:2kxzB2lp
わざわざ歴史なんて見ずに
大人しく今ねサムスンやLGや現代のシェアで
ホルホルしとけば彼らも惨めな思いしなくて済むのに
645人間七七四年:2009/07/05(日) 14:16:26 ID:DCeQo/hl
それはそれで砂上の楼閣
646人間七七四年:2009/07/05(日) 16:00:15 ID:ROu4QYM6
晋州城の戦いと幸州山城攻防戦は過大評価されすぎだと思う
日本の勝ちとは言わんけど、朝鮮のプロパガンダに利用されてる
647人間七七四年:2009/07/07(火) 04:31:44 ID:bf/NUnQU
釜山に上陸した日本軍に対し、朝鮮軍はあっという間に敗北。
釜山鎮の戦い(鄭撥戦死)、東莱城の戦い(宋象賢戦死)、尚州の戦い(李鎰敗走)、弾琴台の戦い(申立戦死)
などで日本軍は勝利を重ねた。
日本軍は第1軍(小西行長、他)、第2軍(加藤清正、他)、第3軍(黒田長政、他)を先鋒に
三路に分かれて急進し、翌5月には首都漢城(現在のソウル)を占領。

朝鮮国王の宣祖は平壌へ遷都して避難、
さらに日本の進撃が迫ると遼東との国境である北端の平安道義州へと逃亡し、
冊封に基づいて明に救援を要請するが、
その間にさらに北上した日本の第1軍と第2軍は平壌を占領して進撃を停止した。

あまりに容易に李氏朝鮮の王都である漢城が陥落したため、
日本の諸将は5月に漢城にて軍議を行い、
各方面軍による八道国割と呼ばれる制圧目標を決めた

平安道 第1軍小西行長他、 
咸鏡道 第2軍加藤清正他、 
黄海道 第3軍黒田長政他、 
江原道 第4軍毛利吉成他、 
忠清道 第5軍福島正則他、 
全羅道 第6軍小早川隆景他、 
慶尚道 第7軍毛利輝元他、 
京畿道 第8軍宇喜多秀家他、

日本軍は北西部の平安道と全羅道を除く朝鮮全土を制圧
648人間七七四年:2009/07/07(火) 23:31:21 ID:Kel9G3oi
*************【 急 募!! 】*************
仕事内容 : 道路造り(釜山から北京まで)
期   間 : 天下統一後から、いつでも 
勤 務 地 : 朝鮮半島及び明北部
給   与 : 3食賄い(おかゆ)付き・漬け物食い放題(唐辛子は各自入手のこと)
採用条件 :  戦場がなくなって、仕事にあぶれた方
        渡海するため、船酔いをしない方
        誰でもできる簡単なお仕事です。
        朝鮮王宮見学旅行等、保養も充実。
        ※徳川様に御関係の方はご遠慮願います。


申込み先 :  椛セ閤 (担当:加藤トラ)
649人間七七四年:2009/07/08(水) 10:35:28 ID:i3R41rrZ
第十五軍か16軍が徳川さんじゃん
650人間七七四年:2009/07/08(水) 22:47:01 ID:P28aGADt
「新史 太閤記」 by司馬遼太郎
651人間七七四年:2009/07/08(水) 23:31:35 ID:B629ofA4
>>649
第16軍なんて秀吉からすれば、お前らは渡海させてやらないから恩賞もあげないよ
に分類される軍だろ
成功を妄信する秀吉と失敗を確信する家康からすれば互いにとって有益な位置になるけど
652人間七七四年:2009/07/09(木) 15:01:26 ID:MxBW5MtA
「どの国にせよ、敢えて日本の征服に乗り出すには日本は強国過ぎたのである。
ポルトガル人には日本征服どころか、その考えすら起こらなかった。
スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。
1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送られ、日本軍を前にして
「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」
との厳命が下っているのである(フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にある)。
ただ一度だけ、日本の不正規軍…
…浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体…とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。
1620年代、シャムにおいてだ。
どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。
支那について言えば、朝鮮での戦いのいくつかの小競り合いで支那が勝ったことはある。
だが、戦争それ自体に支那が勝利を収めたわけではない。
そのことは支那自身が明言している。※
(中略)
1644年に滅ぶ明朝の最後に至るまで、この恐るべき侵略者の記憶は生々しく残り、
「日本人と言うだけで、人民は神経をとがらせ、警戒し、息を殺した」と付言されている。

ノエル・ペリン noel perrin( ダートマス大学英米文学教授)が分析した戦国日本の軍事力(著作「鉄砲を捨てた日本人」より)



※「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
(日本との七年に及ぶ戦争によって我が明は膨大な犠牲を強いられた。
我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが、関白豊臣秀吉の死によって戦争は終わった)

653人間七七四年:2009/07/10(金) 09:33:44 ID:lwm21A9a
大東亜戦争でも秀吉の唐入りでも化け物みたいに強いな、日本軍
654人間七七四年:2009/07/10(金) 10:16:00 ID:3XAtAikH
>>651
渡航させる気がないならそもそも軍編成に加えないよw
655人間七七四年:2009/07/11(土) 13:43:09 ID:jpOnlWd4
>>654
自分が渡海すると家康が言った時に秀吉本人が強硬に拒否したことを知らないの?
656人間七七四年:2009/07/11(土) 19:46:11 ID:zGFzmuyb
パステルス・松田毅一訳『日本・スペイン交渉史』
文禄2年1594年の、マニラ総督宛ての秀吉の書状が残っている。
スペイン国王に開城するように申し渡している手紙である。

(前略)
予は既に日本全国及び朝鮮国を手に入れ、数多の武将がマニラの攻略許可を求めている。
これを知って原田(喜右衛門)と(長谷川)法眼は予に、
『彼我の地の間には諸船の往来があり、それによって(マニラが)敵であるとは思えない』と
言った。
この道理によって予は(マニラへ)軍勢を派遣することを思い留まったのである。
(中略)
もし彼ら(シナ人)がその言葉を守らぬならば、
彼らと戦うために予自ら出陣するであろう。
こうしてシナに到ればルソンはすぐ近く予の指下にある。
予は我ら(日本とフィリピン)が永久に友好を保つことを希望する。
これを(カスティリャ王に)書き送られよ。
遠隔の地を理由にカスティリャ国王が予の言葉を軽んずることがないようにせよ。

パステルス「日本・スペイン交渉史」


家康が16軍、秀吉が18〜20軍
うん、渡航させる気だねこれは
657人間七七四年:2009/07/18(土) 11:08:45 ID:MlAuE9uK
>>634
徳富蘇峰の「日本近世国民史 朝鮮役上・中・上」

文禄・慶長の役の本の中で、一番中立的だと思う。徳富蘇峰は、第二次世界大戦中アレだったから
ほとんど現代では無視されてるけど、彼の本を読んでみるとそういった思想的なものをあまり感じ
させない。膨大な日本の史料、朝鮮・明の史料を展示し、一つ一つの場面で両方の見方を紹介して
くれてるのが、ありがたい。ただ、戦前に書かれたものなので漢字や文章表現が、現代人からすると
読みにくいことがあるかもしれないが、読み進めていくうちに慣れてくる。
まあ、買う気があるなら、ネットの古書店でも探したらあるかも。ちなみに一冊700ページぐらいで
3冊あるから、相当分厚い。
658人間七七四年:2009/07/18(土) 11:16:42 ID:vLPUzQWe
>>657
アジア主義だからなあ。腐っているところが多々あるぞ。
659人間七七四年:2009/07/19(日) 11:27:23 ID:8mDM87Xw
読まれるとそんなに困るの?
660人間七七四年:2009/07/20(月) 23:15:29 ID:1obBBqJD
>>627
なにそれww
661nomu:2009/07/21(火) 00:07:14 ID:wrbozhfb
いつも同じようなこと言い続けているんだが、
戦国時代厨や豊臣秀吉厨などのやからには馬鹿の壁
でもあって事実を受け入れられないんだと思うが、
日本軍は文禄の役(16万〜20万)、慶長の役(14万〜18万)
も動員しているのに対し、朝鮮軍は正規軍(7千人)後は
両班が率いる義勇兵(民兵)人数不明、慶長の役、正規軍の人数
不明  明軍は文禄5万、慶長10万程度以上から日本軍の動員人数
がいかに多いかわかる。
その上、慶長の役では朝鮮南部の倭城での篭城戦に終始し、
総大将の秀吉の死に際しても折角作った豊国大明神社での盛大
な葬儀もできず、寂しく密葬に伏したくらいだから、無様な
惨敗なのがわかる!
662人間七七四年:2009/07/21(火) 01:14:49 ID:z2HEvP7v
87 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/07/18(土) 16:14:29
馬鹿の壁があるヤツには、動員定数と実数の違いも判らないし、
日本軍の半数以上は非戦闘員の人夫であったことも一向に
理解できないんだよね。

で、馬鹿みたいに、っつーかマジ馬鹿だから朝鮮正規軍7千人とかいう
根拠不明の数字を念仏のように唱えているよね。w


90 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/07/18(土) 17:57:18

明の記録では、明とその属国は数十万の兵を失い、勝算が無かったと書いてある。

【明史】
列伝第二百十二 外国三 『日本』

前後七載,喪師數十萬糜餉數百萬,中朝與朝鮮迄無勝算
至關白死,兵禍始休,諸倭亦皆退守島?,東南稍有安枕之日矣

喪師數十萬・・・・数十万の軍を失い
糜餉數百萬・・・・数百万の食糧も失い
中朝與朝鮮迄無勝算・・・・我らに全く勝算が無かった
至關白死〜・・・・・でも関白が死んで倭人は帰った。安心して寝れる。
663人間七七四年:2009/07/21(火) 01:16:02 ID:z2HEvP7v
92 名前: nomu 投稿日: 2009/07/18(土) 18:50:03
>>87 お前ってホント馬鹿だね!
日本軍の半数以上は非戦闘員の人夫であったとしても
周り敵だらけの朝鮮半島において、戦闘に関わらなかった
っててどうしていえるんだ!
城攻めにおいても守勢側は人手不足の場合老若男女を城に入れて
戦いに参加させているのに!

93 名前: nomu 投稿日: 2009/07/18(土) 18:54:08
>>90 お前も馬鹿だね!
確かに『明史』においては正直に
明・朝鮮軍は勝算がなかったって
言っているが、じゃあ日本側には勝算
があったって思っているのか!
あの派手好きの太閤秀吉が死んだのに
葬式もせず、密葬で済ませている事態
からも日本こそ明・朝鮮以上に勝算が
まったくなかったことを証明しているのに!

94 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/07/18(土) 19:03:10
       . … .
       :____:
     :/_ノ  ー、\:
   :/( ●) (●)。\:   
  :/:::::: r(__人__) 、::::\:  
  :|    { l/⌒ヽ    |:
  :\   /   /   /:
 必死過ぎだお

664人間七七四年:2009/07/21(火) 18:10:44 ID:x07Grpsu
どのみち日本軍にいいように蹴散らされた事実は変わらないわけだが
665人間七七四年:2009/07/22(水) 12:59:35 ID:sD0Jilym
蹂躙っていい響きだよね
666人間七七四年:2009/07/24(金) 20:33:26 ID:jhuvIx+l
そんなに勝ちまくっていたのに米軍占領期並みの七年間も誰の占領を許していたのかと。
そんなに占領を許してくれて、有難うございましっしゃ。
667人間七七四年:2009/07/25(土) 09:51:49 ID:SaXLFLu5
李舜臣関連が韓国側史観そのままに大幅に書き換えられてるので義勇兵急募です。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/%E3%81%8D%E6%9D%AF
668人間七七四年:2009/07/25(土) 10:43:25 ID:62Hq8dgd
わお!
wiki工作かよ韓国人。
669人間七七四年:2009/07/25(土) 18:49:45 ID:Meq4WPWC
日本、明、朝鮮の戦死者ってそれぞれどの位だったの?
670人間七七四年:2009/07/25(土) 21:57:32 ID:K3lkvXtY
>>667
その“き杯”とやらのソースは日本人研究者のものばかりだな。
李舜臣関連に限らず、韓国関係史は古代以来、悉く研究者が糞ばかりの実状が反映されてるよ。
671人間七七四年:2009/07/26(日) 02:02:17 ID:LhaTyzE0
団塊は赤く染まった連中ばかりだからな
672人間七七四年:2009/07/26(日) 09:09:22 ID:Lli9V4er
北島は教科書に朝鮮侵略という記述を載せさせた張本人だし、
貫井は左巻きの高校教師だしな。
673人間七七四年:2009/07/26(日) 18:53:11 ID:Lli9V4er
>イギリスの英雄、ネルソン提督と肩を並べる人物がいるとするなら、それは、一度も敗れず、敵軍の中で戦死した李舜臣だ

>大日本帝国海軍の佐藤鉄太郎は李舜臣を「ネルソン以上の提督」と評している

>現代でも北島万次や貫井正之、上垣外憲一、中野等といった歴史研究家が李舜臣を名将と評している



なんかね・・・もうね、在日がよってたかって基地外じみたマンセー記事にしてしまったな・・・
674人間七七四年:2009/07/26(日) 19:05:16 ID:GY4B4w2b
秀吉の朝鮮征伐でお勧めの本ある?「朝鮮の役」以外で。
「無益だった」とか、左翼史観的なのばっかで、読む価値のないのが多過ぎ。
675人間七七四年:2009/07/26(日) 19:27:26 ID:LhaTyzE0
敵軍の中で戦死

それは負けてるじゃんw
676人間七七四年:2009/07/26(日) 19:31:43 ID:LhaTyzE0
和城からの砲撃になすすべなく翻弄された
李舜臣が名将?

677人間七七四年:2009/07/26(日) 20:42:35 ID:Uk+d4JV6
信玄か幸村かって位に美化されとるのぉ
他国に迷惑かけずに自国内だけでやってたら別に文句は無いんだが
678人間七七四年:2009/07/26(日) 20:50:58 ID:xe6G+eW+
李舜水が死んだ戦いの日本軍の目的は小西行長を助けるためで、
目的を達して速やかに撤退しただけなんだがな。

明・朝鮮軍は名のある武将が何人も討ち死にしてるのに、日本側は
誰も死んでないしw
679人間七七四年:2009/07/26(日) 21:43:22 ID:fi5KX53e
>>674
島津家文書
浅野家文書
その他出征した大名家文書
清正高麗陣覚書
朝鮮王朝実録
明史
懲録
乱中日記
680人間七七四年:2009/07/27(月) 01:09:29 ID:8jhpLMu7
最近このモム君とやらがやたらと絡んでるが
夏なの?
681人間七七四年:2009/07/27(月) 05:18:45 ID:8RUmL+hh
>>678
名前が混乱しているw
明清交代で黄門様の所へ亡命した 朱舜水 が混じってんぞ。
682人間七七四年:2009/07/27(月) 12:46:37 ID:FuL+G+yl
>>678
露梁海戦で島津勢は舟潰されて陸路伝いでも撤退したらしいが
家老格や侍大将級の武将殆ど死んで無いんだよな

雑兵の死傷者多数と記録はあるがどういうこったろう
最後は悠々と釜山でも味方回収して殿軍で帰ってきてるし
683人間七七四年:2009/07/27(月) 14:40:40 ID:hygodIEv
超時空ネルソン出現!w

>イギリス海軍のネルソンは李舜臣を「東郷平八郎以上の提督」と評している。

ttp://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9D%8E%E8%88%9C%E8%87%A3&curid=434982&diff=27099094&oldid=27098261
684人間七七四年:2009/07/27(月) 14:49:58 ID:CrTmlVMP
>>682
船だし、負けていたら逃げるのも容易にはいかなったろうしな。
>>683
ワロタwマジで頭おかしいな、韓国人て
685684:2009/07/27(月) 15:09:41 ID:CrTmlVMP
失敬
船だし、負けていたら逃げるのも容易にはいかなったろうしな。
 ↓
船だし、負けていたら逃げるのも容易にはいかなかったろうしな。
686人間七七四年:2009/07/27(月) 16:22:59 ID:8RUmL+hh
>>682
島津軍の内、船が座礁したり追い込まれて上陸した軍勢な。
たしか200人から400人ぐらい。
当時の船戦は撃沈するだけの攻撃力がないし、元々陸の近くでしか航行できないし戦闘できない技術力だからな。
687人間七七四年:2009/07/29(水) 00:17:16 ID:VlNmVkk/
>>683
東郷平八郎がネルソンに比して賞賛された時、「しかし李舜臣には遠く及ばない」
と言ったとされるエピソード(ほんとかどうかは知らん)を何とか使いたかったんだろうな…
しかしそのまま使ったのでは、かえって東郷の株が上がってしまうから、こんな
形になったのだろうw

指摘しても、「大筋ではあってるじゃん」とか言われそうw
688人間七七四年:2009/08/02(日) 13:55:16 ID:hwuSUEO3
軍板 秀吉による朝鮮征伐の軍事分析PartX
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1247907984/
日本史板 【文禄】 秀吉の朝鮮征伐 【慶長】パート2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1246664853/
世界史板
世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その8
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1243771115/
李舜臣vs日本水軍
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1237814841/
戦国板
【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ5 【壬辰倭乱】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195992731/
朝鮮出兵のタブーでメジャーになれない武将
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1228738050/
文禄・慶長の役が海外で誤解されまくってる件
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1224042272/
【朝鮮出兵】日本人は朝鮮人に未来永久謝罪すべき
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153627160/
戦争・国防板 秀吉による朝鮮征伐に関する考察
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/war/1220349972/
中国英雄板
秀吉の朝鮮征伐を明の観点からの考察
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1204276024/
【日明戦争】文禄・慶長の役【万暦役】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1182128954/
ハングル板 秀吉の朝鮮出兵には義がなかった
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/korea/1248847887/
689人間七七四年:2009/08/02(日) 17:26:37 ID:qyWuhajs
>>683
ネルソンって、まさかナポレオン戦争のときの海軍提督のこと?
690人間七七四年:2009/08/02(日) 17:30:03 ID:L1ulPRK8
>>687
しかもその東郷のセリフって確か司馬の小説の創作じゃなかった?
691人間七七四年:2009/08/02(日) 20:53:40 ID:jCxQtRvH
>>690
司馬の小説にも、そんな背r不は無いよ。
692人間七七四年:2009/08/04(火) 11:44:53 ID:XZjNm4hY
wikipediaで矢沢康祐の論文を出典として、朝鮮民衆が自国にも苦しめられたって書いてあるけど、
矢沢の論文には義兵の活躍が多く記載されてるから、公平にその部分も書いてほしかったな。

693人間七七四年:2009/08/04(火) 12:51:48 ID:l8d1nGuI
便所の落書きでgdgd言ってないで自分で書けよw

ま、公平に書くということなら、義兵の活躍ばかりでなく、当初朝鮮の民衆には
咸鏡道をはじめとして日本軍を解放軍として迎え、恭順した者も多かったという
ことをきちんと書くべきだろ。
694人間七七四年:2009/08/04(火) 17:44:50 ID:XZjNm4hY
>>693
ああ、そして恭順した人間も日本軍が解放軍ではないと気付き始めて、咸鏡道を含む朝鮮全土で義兵が蜂起するってことも書かないとな。

695人間七七四年:2009/08/04(火) 20:42:10 ID:A6XUxOKB
>>694
おとなしく割譲してりゃ、後世周辺からバカにされることも無かったろうにw
696人間七七四年:2009/08/04(火) 21:16:40 ID:zhZ+5I0H
>>694
だからお前が編集して来いってw
697人間七七四年:2009/08/07(金) 18:19:21 ID:td33XspE
加藤清正は朝鮮出兵の際数えきれないほどの武勲を挙げた名将。朝鮮は彼にはまったく歯が立たなかった。
しかし、和平(売国)派の石田三成による裏工作で清正は戦線から外され、それが結局朝鮮出兵失敗の原因となった。
これ最低限覚えておきたい知識な。
698人間七七四年:2009/08/08(土) 13:42:29 ID:HWiQW3Eu
>>697
清正が戦線から外されたとは、どういう意味で?
699人間七七四年:2009/08/08(土) 22:42:08 ID:NT+vO2Zv
バカを相手にすんな
700人間七七四年:2009/08/09(日) 17:33:18 ID:rdI06Xvy
朝鮮征伐と書いてる時点で、このスレの住人が秀吉マンセーなことがわかる
701人間七七四年:2009/08/10(月) 00:46:49 ID:0wzowxam
北島の後書きよんで、あーそういうことかってのがわかった
702信玄:2009/08/10(月) 04:38:54 ID:crcS+lIK
東郷平八郎、李舜臣提督を評して曰く、
「あなたのお国の李舜臣将軍は私の先生です。」
「自分はネルソンに比べられるかも知れない。
 しかし、李舜臣は私を越えている。」

藤塚明直「アドミラル李舜臣を讃ふ」
『慶熙』第8号(京城公立中学校同窓会 1977)
703 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2009/08/10(月) 09:09:40 ID:rEoJL1K0

   ∧_∧  
  <丶`∀´>
  (゙づ  ゙づ 

韓国人李英介・談
704人間七七四年:2009/08/10(月) 11:48:46 ID:CMXo9maL
まあ李舜臣を英雄に祭り上げたのは日帝、朝鮮総督府ではあるがな

それまでは朝鮮でも無能な将扱いだった
併合に当たり朝鮮人の士気高揚のため「郷土の英雄」にあたる人物をでっちあげる必要があった。
普通にそういう英雄がいればそんな必要もなかったが朝鮮人の間でそういう人物がいなかったため総督府が代わりに歴史を調べてこいつに白羽の矢をたてた
705人間七七四年:2009/08/10(月) 18:38:06 ID:jWbUu1qP
朝鮮人ならこんな奴なんかより、戦歴も人格も
旧帝国軍人の洪将軍や白将軍のが遥かに偉大だがな。
尤も本国じゃ親日派の筆頭として売国奴扱いだが
706人間七七四年:2009/08/12(水) 08:17:37 ID:ZqayvaJq
そんなお国柄だからホントの意味での偉人が殆どいない
707人間七七四年:2009/08/13(木) 06:48:16 ID:FV19XxAW
日本で人気のある戦国武将が束になってかかったけど神である李舜臣の前に一掃させられたからな。
朝鮮人にとっては痛快なんだろうな
708人間七七四年:2009/08/13(木) 07:47:01 ID:QTgbwxlC
>>702
李舜臣と日本海軍 言説四種
http://kaokaosama.hp.infoseek.co.jp/YiSunsin.html
709人間七七四年:2009/08/13(木) 12:12:21 ID:/4ENuFnt
>>707


          ‖
          ‖ ウェーハハハハハハハ♪
          ‖   /⌒ヽ
          ‖  √.李. ̄ヘ    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          ○  /<`∀´>ヽ  <  ウリは23戦23勝の鋼鉄の霊将ニダ!
    ζ。//。ζ ‖ \ ⌒巛巛 ⌒ゝ\__________
     ミ 皿ゞ 彡    (;;;;◎;;;;;)○) 
       ゝvv|   /;;;;;;∧;;;;;\
   / ̄ |vvv| ̄ ̄\ ̄ ̄ ̄ ̄ ──── __
  ‖==|vvv.|==‖========== \
  ‖==ヽvv |==‖===========‖
  ‖◎ ‖■‖◎ ‖◎‖◎‖◎‖◎‖◎‖◎‖
   ====================
   \:::::::::::::::::::::::::::::/:::::::\:::::::\:::::::\:::::::\:::::::\::/
 从从从从从从从从从〜从从〜从〜从从〜从〜从从〜〜〜〜

710人間七七四年:2009/08/13(木) 12:13:44 ID:/4ENuFnt
>>709
                                   哀号!!
                                 ‖   /⌒ヽ
                                 ‖  √.李. ̄ヘ ぐわあ!
                                 ○  /<`田´;;>ヽ
                           ζ。//。ζ ‖\ ⌒巛巛 ⌒ゝ
                      '∵;'””,,;' ミ 皿ゞ;;彡'∵;'””,,;' '∵;'””,,;''∵;'””,,;'
             ズキューン .'∵;'””,,;'        ゝvv|   /;;;;;;∧;;;;;\
    ┣===ユ┳=======~~          / ̄ |vvv| ̄ ̄\ ̄ ̄ ̄ ̄ ──── __
    ∩∧_∧∩   ..     .      ‖==|vvv.|==‖========== \
    ( ´∀`)しつこいなもー ..      ‖==ヽvv |==‖===========‖
    ( 島津 )                ‖◎ ‖■‖◎ ‖◎‖◎‖◎‖◎‖◎‖◎‖
=============       ====================
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〜从〜〜〜〜从〜〜〜〜从从从〜〜〜〜〜从从从从从从从从从〜从从〜从从从〜〜〜

711人間七七四年:2009/08/13(木) 13:23:46 ID:WeyRbgeU
そのAA「おまる」が立派過ぎないか?
712人間七七四年:2009/08/13(木) 13:49:03 ID:/4ENuFnt
カンシャクオコル!!
     ∧,,∧  __                      
   <#`田´>(゚ξ < おまるじゃなくて世界初の鉄甲船ニダ!     
  ヽ皿皿皿_//                    
  <____フ               
    し^''J    
713人間七七四年:2009/08/13(木) 14:59:07 ID:WeyRbgeU
ニダ―かわいいよニダ―
714人間七七四年:2009/08/13(木) 20:10:42 ID:FV19XxAW
日本史の教科書やテレビが取り上げない本当の理由は、
一気に朝鮮半島に上陸して奇襲したのに、すぐ明や朝鮮に返り討ちにあって撤退を余儀なくされた事実を日本国民に教えるわけにはいかないからじゃね?
715人間七七四年:2009/08/14(金) 02:38:58 ID:rQ+YnwWL
偉大な英雄 李舜臣物語

朝鮮軍を徹底的に壊滅させた日本軍は明に攻め入る勢いで北上していました
しかし朝鮮は宗主国の明国様に援軍を乞いました
明は属国の朝鮮を助けるために日本軍を上回る大軍を派遣してくれました
しかし、それでも日本軍は優勢です

打つ手を失った朝鮮は日本軍の兵糧を断とうとして朝鮮全土を焼き払い焦土作戦に出ました
と同時に、戦前は無実の罪で犯罪者扱いされていた李舜臣を再登用して
日本軍の兵糧戦ばかりを狙うゲリラ作戦に出ました
ちなみに李舜臣が罪人扱いされた率右は他の朝鮮人よりは優秀であったことに対しての妬みだったようです

李舜臣は軍船とは戦わず、徹底して輸送船を狙いました

が、現地で多くの城を築いた日本は和城からの砲撃との連携によりすぐに巻き返します

やがて秀吉が病死し、大陸の戦争より国内の政争へ動き出す日本は講和へと路線が変更になります。
講和が成立し日本軍は撤退を開始します。
さて、明軍と朝鮮軍の連合軍(連合軍といっても朝鮮軍は数も少なく士気も無く全く役に立たなかった)は
撤退を見るやすぐに約束を忘れ、勢いづいて、追撃してきます

しかし日本軍は巧みな撤退によって無事に退却していきました

そして朝鮮南部の海岸線に築かれた和城での籠城戦では20万の明朝連合軍に対して日本軍は1万。
それでも日本側籠城軍の大将、加藤清正の奮闘によって20万の明朝連合軍は大敗し、
明の将軍も討ち取られてしまいました

李舜臣も同様に日本に退却していく日本の船団に追撃をかけましたが、
残念ながらそれは正規の戦闘軍。
あっけなく返り討ちにあって島津義弘の軍勢に捕縛され、
邪魔だということで海に捨てられて溺死してしまいました
716人間七七四年:2009/08/14(金) 08:28:51 ID:Ev3IVyZt
>>714
本当は日本側の圧勝だった蒙古襲来を
教科書やドラマでは殆ど敗北に近いように扱ってるのにそんなわけねーだろ
717人間七七四年:2009/08/14(金) 17:27:47 ID:sTtHWx/Z
>>704
> まあ李舜臣を英雄に祭り上げたのは日帝、朝鮮総督府ではあるがな

挙句にトラファルガー海戦200周年記念式典の新聞記事でネルソン提督のことを
"イギリスの李舜臣と言われるホレイショ・ネルソン提督"なんて書くようになっち
まったわけで、思えば罪作りなことをしたもんだ。
718信玄:2009/08/15(土) 05:04:04 ID:V4U03yxl
(遠い眼で信玄は語る)
日露戦争の天王山、日本海海戦。
「敵艦見ゆ」
最新鋭戦艦4隻を擁し、世界最大・最強を誇る巨大バルチック艦隊。
遙か西の方を仰ぎ、李舜臣提督への鎮魂の礼を行う日本海軍将士たち。
韓日連合艦隊は、世界海戦史上最も完全に近い勝利を収める。
李提督を師として忘れずにいた限り、日本海軍には常に栄光があった。
719信玄:2009/08/15(土) 05:13:02 ID:V4U03yxl
凱旋した東郷平八郎。
ロシアの脅威に怯える国々は熱狂して東郷を讃える。
「この度の大勝利は歴史に残る偉大なものだ。
 ちょうど、ナポレオンをトラファルガーの海戦で敗ったネルソン提督に匹敵すべきあなたは軍神である。」
東郷それに答えて曰く、
「真に軍神の名に値する提督があるとすれば、それは李舜臣提督ぐらいのものであろう。
 李舜臣に比べれば自分は下士官にも値しないものである。」
720人間七七四年:2009/08/15(土) 07:49:34 ID:yyLIBYgr
実際は、司馬が捏造したのをチョンが更に針小棒大に喚き散らしてるだけだしなあ。
ソースを出せた例無し。
721人間七七四年:2009/08/16(日) 09:49:44 ID:xTy2NS5T
>>717
ああ、韓国の自慢のお船が名前で呼んで貰えず
コリアンシップって言われたアレですねwww
722奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/08/17(月) 07:46:52 ID:cd14GrEz
とりあえず日本人の宣伝戦の不得意さがわかる逸話なんだな。
723人間七七四年:2009/08/17(月) 13:46:50 ID:ljkJ31dO
日露戦争のときはめちゃくちゃうまかったのにね>日本
724人間七七四年:2009/08/24(月) 00:33:19 ID:vgqaP3bk
日本人は兵站と情報軽視ばっかする。
725人間七七四年:2009/08/26(水) 16:06:57 ID:h7fTPjSv
日露戦争のときはめちゃくちゃうまかったのにね>日本
726人間七七四年:2009/08/28(金) 17:42:13 ID:+ugUfue4
理由は何であれ撤兵した以上、豊臣秀吉率いる戦国選抜日本軍は、明・朝鮮軍に「完全敗北」したということになる。
727人間七七四年:2009/08/29(土) 00:42:11 ID:HSOqaJEs
相手をフルボッコしてるのに完全敗北だって?
728人間七七四年:2009/08/29(土) 01:39:22 ID:1B5mEEJf
>>726
撤兵≠敗戦じゃねーよw夏厨らしい下手糞な釣りだなwww
敗戦とは戦争目的を果たせなかった事を指すが、
秀吉の病没後に遺臣一堂が目的変更を行った結果の撤収なので敗戦にあらず。
もし半島や明の征服が遺臣一堂にとって魅力的なら秀吉死後も継戦してたろう。

ちなみに七年戦争では、オーストリアの要請でプロイセンに侵攻してたロシアが、
戦争推進派のエリザヴェータから戦争反対派のピョートル3世に皇帝が代わった事で、
プロイセンをフルボッコにしたにも関わらず、ロシアはプロイセンから撤兵したが、
このロシアを敗軍とする史家はいない。唐入りはそれと同じ事。
729人間七七四年:2009/08/29(土) 03:18:27 ID:o3SbPuAN
スペインの明侵略を断念させた段階で
秀吉は目的の半分は果たしてる
730人間七七四年:2009/08/29(土) 12:24:52 ID:LReKXyS6
戦術では優勢、戦略では未達成or敗退、外交面で大きく影響なく、直後に内乱が起きている
日本側のまとめとしてはこんな感じか

そもそも真っ当な国なら、相手の敗北より先に自国の勝利を(根拠付きで)主張するもんだが
731名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 03:47:01 ID:wECjY/cX
明朝鮮が敗北していたことは
さすがに動かせないので
あとは日本が「勝ってない」とこき下ろすことしかできないんだよ
732人間七七四年:2009/09/02(水) 23:48:02 ID:cv792mOb
>>709->>715
そもそもご自慢のコリアンシップでの海戦なんて
そうそうあったのかね?

倭城からの砲撃のなかどれぐらい補給船に近寄れるもんなの?

733人間七七四年:2009/09/03(木) 08:58:15 ID:/Q6QycTd
ロシア人の中にはノモンハンどころか
日露戦争すらウリナラ大勝利を吹聴するお馬鹿もいるよ
734人間七七四年:2009/09/03(木) 19:13:07 ID:pUM4fZ9j
立ち上がった朝鮮義兵の前に木っ端微塵に打ち砕かれる侵略日本軍。
いやぁ勧善懲悪のお話は実に痛快。
735人間七七四年:2009/09/04(金) 01:47:18 ID:haOvvhCS
妄想でしか勝てない朝鮮哀れw
736人間七七四年:2009/09/04(金) 18:41:47 ID:haOvvhCS
海戦が多発したソースなんてないんじゃね
737人間七七四年:2009/09/05(土) 10:25:04 ID:JJfDNpoV
>朝鮮義兵
朝鮮義足にみえた
738人間七七四年:2009/09/07(月) 14:27:09 ID:QqcV05Oy
明滅亡時と清成立時の朝鮮の対応といったらもう
739人間七七四年:2009/09/08(火) 04:13:50 ID:C5Yugxwo
>>736
結局ないのか
740人間七七四年:2009/09/11(金) 18:29:50 ID:ilOEkwp2
「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
741人間七七四年:2009/09/11(金) 22:59:36 ID:C0K2l/YO
>>740
日本ひどすぎる。平和に暮らしてる無抵抗な人々を奇襲して惨殺したなんて・・・・
豊臣秀吉を英雄として祀ってるんだから最悪><
742人間七七四年:2009/09/12(土) 03:01:46 ID:mwbJ9AF4
無抵抗なのか抗日英雄が大活躍したのか
嘘をつくにしてもどっちかにしろよwww
743人間七七四年:2009/09/13(日) 16:59:33 ID:GDqnIhOt
結局海戦では朝鮮が勝ってたって言うソースはないのね
744人間七七四年:2009/09/13(日) 17:03:10 ID:xKsEVsL0
>>743
「勝ち」と「海戦」の定義にもよるが、勝った海戦もあったろ。
745人間七七四年:2009/09/14(月) 03:45:57 ID:mNNKXF9S
一例か二例、勝った海戦「も」あっただけ
なのと
一例か二例負けたけど全般的に勝っていたというのはだいぶ違うからなぁ
746人間七七四年:2009/09/15(火) 13:12:16 ID:kJJlx98Z
失敗の原因は総大将がいなかったからだな。
戦術では最強だが、戦略が個々で勝手にやってるためグダグダになってる。

家康に行かせたら向うで独立しそうだし、利家が適任だが秀吉に意見できる人が
居なくなってしまうため、渡航は心配でできなかったのだろう。

秀長、小六が生きていたらなあ。
747人間七七四年:2009/09/15(火) 13:55:30 ID:gE4K2Dvg
まぁ本来、秀吉自身が早々に朝鮮入りするつもりだったし、そうだったら総大将云々は
全く無問題な話。

もし、秀吉の渡海に李舜臣が影響を与えていたとするなら、確かにウリナラ救国英雄と
言えるかもしれん。まぁ、裏付け史料皆無だけどな。
748人間七七四年:2009/09/17(木) 14:50:45 ID:OCxtj8iO
749人間七七四年:2009/09/17(木) 16:00:16 ID:Yg4bFngs
怖くて踏めない
750人間七七四年:2009/09/17(木) 18:15:03 ID:lS/Iv/Pb
単なる日教組的見解に基づく秀吉と朝鮮征伐解釈ダタヨ。
751人間七七四年:2009/09/17(木) 19:40:42 ID:/xlUIwhE
>>748
明軍が碧蹄館で加藤清正に大敗とかずいぶん適当な内容だなw
752人間七七四年:2009/09/18(金) 06:26:58 ID:sDRmEkPv
http://mainichi.jp/select/opinion/hito/news/20090918k0000m070145000c.html

ひと:前田憲二さん 秀吉の朝鮮出兵をテーマに記録映画

 「秀吉の絵が自分の顔に見えてきた。徹底的に人を殺し、自らの長寿を求めた秀吉の足跡をたどることで、
 誰しもが持つ残虐さや欲の醜さが浮かび上がった」。
 豊臣秀吉の朝鮮出兵を、侵略された側の視点でまとめた記録映画「月下の侵略者 文禄・慶長の役と『耳塚』」を完成させた。

 約20年前から構想を練り、朝鮮半島や中国、日本を約3年間かけて歩いた。陶工を連れ帰ったり、人身売買を目的に女性を
 拉致したことを、現地に残る絵などで紹介。歴史学者にも語ってもらった。朝鮮兵の鼻や耳を切り取り、戦果の証しとして
 持ち帰った「耳塚」を京都市などにも訪ねた。一方で、病に侵されたことをつづった秀吉の書状から生への執着を紹介する。

 撮影時、韓国人スタッフから「(日本側に)加藤姓や島津姓はいませんね」と冗談半分に聞かれた。
 今も現地では、秀吉の命で出兵し“活躍”した、加藤清正や島津義弘らへの嫌悪感が根強いのを知った。

 これまで、祭りなど日本の民俗を撮る中で、日本文化の起源は東アジアにあると感じてきた。半島からの渡来文化や戦時中の
 強制連行をテーマにした作品を撮ってきたが、今回はドキュメンタリー映画としては「誰も手がけていない」朝鮮出兵を題材にした。

 「朝鮮半島との間に横たわる歴史を見つめ直すことで、今をどう生きるかを考えるきっかけにしてほしい」。答えは映画を見た人に託される。【井上梢】

 【略歴】前田憲二(まえだ・けんじ)さん 京都府出身。全国で順次公開。問い合わせはハヌルハウス(03・5996・9426)。73歳。
753人間七七四年:2009/09/18(金) 20:14:15 ID:mS/wrL/v
秀吉の政策は逆らわぬ限り共存共栄。
馬鹿は氏ね。
754人間七七四年:2009/09/18(金) 20:34:08 ID:mS/wrL/v
>>746
総大将など些細な問題。
755人間七七四年:2009/09/19(土) 09:45:44 ID:uM5dacTb
>>751
立花宗茂&小早川隆景&石田三成「俺らの活躍無視っすかw」
756人間七七四年:2009/09/19(土) 23:06:33 ID:4YzHj4Nt
>>752
それ「蔚山倭城では、倭軍が全滅。」とか捏造してる朝鮮人映画。

http://www.labornetjp.org/news/2009/1248163798103staff01前田憲二 監督作品

月下の侵略者
─文禄・慶長の役と「耳塚」

プロデューサー:イ・ウィチク 中 智 前田憲二

企画・制作
NPO法人ハヌルハウス
映像ハヌルビデオプロジェクト

製作委員:
 李義則
 中 智
 金床憲
 尹達世
 山本和信
 高ヒョンミ
757人間七七四年:2009/09/20(日) 05:21:59 ID:NjJf7s1l
徹底的に人を殺し自らの長寿を求めた豊臣秀吉 彼の朝鮮出兵を侵略された側の視点で日本人監督が映画化
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1253217193/
758人間七七四年:2009/09/20(日) 17:05:12 ID:nyigOr3F
朝鮮弱すぎ
759人間七七四年:2009/09/20(日) 17:57:46 ID:kfTAvPUx
>>284
小西・石田は済州島すら放棄して撤退した理由は、勘合貿易の為だったんだね。
商人は目先の利益重視で貪欲さが足りないよねぇ。
760人間七七四年:2009/09/20(日) 18:18:39 ID:p0Zbibni
>>759
済州島は制圧していないので放棄も不可能ですか?
761人間七七四年:2009/09/20(日) 19:15:38 ID:kfTAvPUx
スマソ、巨済島だった。
762人間七七四年:2009/09/21(月) 00:33:49 ID:aFAOmjPr
唐入りだ
朝鮮は通り道
763人間七七四年:2009/09/22(火) 00:43:05 ID:FBhDGfbD
イスパニアが外洋船を提供していたら直接明を攻める予定だったんだよね
764人間七七四年:2009/09/23(水) 00:19:16 ID:i3GtFir+
船だけじゃなく、航海士の手配もしくは遠洋航海術の取得も必要なんだけどね。
でも両方を沢山揃えるのは大変だからなぁ。仙台伊達藩のサン・ファン・バウティスタ号も一艘だけだったし。
765人間七七四年:2009/09/23(水) 05:18:23 ID:2Sv0Vnze
藩主と天下人いっしょにするなよw
766人間七七四年:2009/09/23(水) 16:18:39 ID:LcBrJkIJ
>>764
スペインはイギリス攻めで傾いたね
767人間七七四年:2009/09/25(金) 07:47:52 ID:/C5fYf7j
戦闘でダメージを受けて、更に天測、航海、操船ミスの自爆コンボで座礁しまくって壊滅した無敵艦隊(自称)か…。
768人間七七四年:2009/10/06(火) 18:35:24 ID:soGeG9Z1
412 名無し三等兵 sage 2009/09/28(月) 17:57:13 ID:???
戦国期の渡海方法
1.目的地が見える。
2.目的地に向かって追い風が続く。
1と2の条件が整ったら一気に帆を掛けてGO!外したら難破です。


従って、1は誤差が出てもフォローの効く海岸線や列島線であることが望ましいで
す。
2は細かく言うと潮流の要素もありますが、季節や時間など一定時間の
風を受けられる確信が必要です。
一般的には昼と夜で海風と陸風が時間別に吹く沿岸風を利用した陸伝いの航海が普通
でした。
不確定な海象が起きた場合は事前にそれを避けて投錨できる港があれば最高ですが、
無ければそのまま海に居るわけにも行かず難破します。

巨済島のみの保持云々が提起されていますが、釜山目指した船が少し外して
着くのが巨済島であり、その程度の誤差は当たり前だしそのリカバリ出来る範囲を
味方が保持していないと目的地に着くのは難しいでしょう。
よって、巨済島のみを軍事的に保持し、その他が敵対勢力である場合は
補給にしろ連絡にしろ維持が難しいと思われます。
769人間七七四年:2009/10/06(火) 18:37:23 ID:soGeG9Z1
416 名無し三等兵 sage 2009/09/29(火) 15:04:33 ID:???
厳島合戦、石山合戦、四国・九州・小田原・朝鮮の各役で海上移動をやっているが、全て陸伝いの地乗り航法が前提。
沖乗り航法でショートカットできるようになるのは弁財船の運用実績を積んだ江戸中期以降。
770人間七七四年:2009/10/06(火) 18:38:17 ID:soGeG9Z1
417 名無し三等兵 sage 2009/09/29(火) 15:05:45 ID:???
>>412
>1.目的地が見える。
これは違う。
「航海の目印になる陸地が見える。」が正解。
771人間七七四年:2009/10/06(火) 18:39:10 ID:soGeG9Z1
420 名無し三等兵 sage 2009/09/29(火) 18:13:47 ID:???
>>417
まあ正確にはそうだな。
あと夜は基本的には動けないから航路を外れたときに一晩やり過ごせる、深過ぎてもいけず浅すぎてもいけず強風や早潮のない停泊可能地が必要。
772人間七七四年:2009/10/07(水) 15:20:12 ID:UIcLyusJ
偉大な英雄 李舜臣物語

朝鮮軍を徹底的に壊滅させた日本軍は明に攻め入る勢いで北上していました
しかし朝鮮は宗主国の明国様に援軍を乞いました
明は属国の朝鮮を助けるために日本軍を上回る大軍を派遣してくれました
しかし、それでも日本軍は優勢です

打つ手を失った朝鮮は日本軍の兵糧を断とうとして朝鮮全土を焼き払い焦土作戦に出ました
と同時に、戦前は無実の罪で犯罪者扱いされていた李舜臣を再登用して
日本軍の兵糧戦ばかりを狙うゲリラ作戦に出ました
ちなみに李舜臣が罪人扱いされた率右は他の朝鮮人よりは優秀であったことに対しての妬みだったようです

李舜臣は軍船とは戦わず、徹底して輸送船を狙いました

が、現地で多くの城を築いた日本は和城からの砲撃との連携によりすぐに巻き返します

やがて秀吉が病死し、大陸の戦争より国内の政争へ動き出す日本は講和へと路線が変更になります。
講和が成立し日本軍は撤退を開始します。
さて、明軍と朝鮮軍の連合軍(連合軍といっても朝鮮軍は数も少なく士気も無く全く役に立たなかった)は
撤退を見るやすぐに約束を忘れ、勢いづいて、追撃してきます

しかし日本軍は巧みな撤退によって無事に退却していきました

そして朝鮮南部の海岸線に築かれた和城での籠城戦では20万の明朝連合軍に対して日本軍は1万。
それでも日本側籠城軍の大将、加藤清正の奮闘によって20万の明朝連合軍は大敗し、
明の将軍も討ち取られてしまいました

李舜臣も同様に日本に退却していく日本の船団に追撃をかけましたが、
残念ながらそれは正規の戦闘軍。
あっけなく返り討ちにあって島津義弘の軍勢に捕縛され、
邪魔だということで海に捨てられて溺死してしまいました
773人間七七四年:2009/10/08(木) 17:27:25 ID:e2u71qk4
その程度か?
774人間七七四年:2009/10/09(金) 19:48:11 ID:Aj94uj8H
まあな。
775人間七七四年:2009/10/10(土) 11:11:22 ID:s4q9Vfw1
ヘタレばかりの朝鮮軍の中で数少ない漢だ。
勝ち星も多いから、ヒトモドキども唯一誇れる。
それでもその程度の武勲なんだけどw

けど、日本軍がもっとも恐れた武将であることは確かだ。
776人間七七四年:2009/10/10(土) 11:51:26 ID:+KpDT0KJ
同時代にフランシスドレイクがいたわけでしょ
こんな奴を世界最高の提督とか言ってる半島はほんと
777人間七七四年:2009/10/10(土) 11:58:21 ID:HOlxz2YG
>>775
「最も恐れた」のソース希望。
何が「確かに」なんだ?
778人間七七四年:2009/10/10(土) 15:16:53 ID:CTtcCQJS
大勝に驕って独走した脇坂安治隊(1500名)を李舜臣は6000人で攻撃しながら逃げられてる時点でダメだろ。
779人間七七四年:2009/10/11(日) 19:12:56 ID:A6tv6I3I
>>778
ソースまたは見積もり根拠希望。
780人間七七四年:2009/10/12(月) 00:53:52 ID:m+WCRVBG
閑山島海戦だろ?
脇坂の動員定数は1500なのは常識だから説明はいらんだろうから、朝鮮水軍は李舜臣が24隻(内3隻亀甲)元均7隻、李億祺25隻の計56隻
で、大体朝鮮水軍の板屋舟の定数が100〜200人。(朝鮮王朝の実数報告では戦舟1隻の定数は150〜200人とする資料もある)
単純に計算しても5000人以上で、定数一杯の200人だと1万人程になるな
781人間七七四年:2009/10/16(金) 22:33:38 ID:B7MjBP9G
いろいろあるさ
782人間七七四年:2009/10/17(土) 11:29:29 ID:zBT7fFzr
李舜臣は「こうあるべき」と後に作られ過ぎた性で、惨めになってるような気がする。
783人間七七四年:2009/10/17(土) 12:06:30 ID:t1pZU4Za
そういや、日本車もどきの溢れるソウルのど真ん中に李舜臣のでかい銅像あったな。
784人間七七四年:2009/10/17(土) 15:26:10 ID:zBT7fFzr
>>783
あれ、何故が日本刀差してるんだよな。
ウリナラの装備って片手剣に盾が標準なのに
785人間七七四年:2009/10/17(土) 19:51:32 ID:oZL6+IGB
少し前っつうか今でも
日本には盾が無いニダ!
日本は装備も戦術も幼稚だったニダ!
ってホロンが主張してた癖にねw
786人間七七四年:2009/10/17(土) 22:55:15 ID:8muErLDz
実際に戦ったニダーの遺してる資料には、日本兵は両手で刀扱うから片手では力負けして盾意味ねーみたいな事あったな。
槍も単なる木の棒に穂先付けただけだから、槍ごとぶった切られたり
787人間七七四年:2009/10/18(日) 00:23:11 ID:YxhJZFng
>>772は悪意に満ち満ちているといっていいな。
李舜臣と戦って戦死した唯一の大名の来島の名前さえでてこないんだからw
788人間七七四年:2009/10/18(日) 05:49:29 ID:Au+sLeDN
一人たおしただけで有頂天とは
789人間七七四年:2009/10/18(日) 07:36:50 ID:tU6XV3J6
てか、来島が死んだ唐浦の合戦?て、李舜臣91隻に対して、来島通之・亀井茲矩は僅か20隻程と戦力圧倒的に違うぞ?
ここでも脇坂と同じく亀井取り逃がしてるし、李て実は戦闘とことんダメなんじゃね?
元は文官目指してた話もあるし
790人間七七四年:2009/10/18(日) 13:40:24 ID:YxhJZFng
来島って朝鮮出兵で唯一死んだ大名だったよな
791人間七七四年:2009/10/18(日) 13:50:24 ID:5+NCIrta
潰れた大名だったら敗走中の小西行長を見捨てて敵前逃亡し
めでたく改易になった大友の事も皆さん忘れないであげてください
792人間七七四年:2009/10/18(日) 14:42:39 ID:tU6XV3J6
>唯一死んだ大名

来島は朝鮮行くときも3000石のままだったのかね?だとするととても大名とは呼べないんでない?
軍団(備)揃えるのに、最低1万石はないと維持出来なかったらしいから、亀井茲矩や脇坂安治みたいな1万石越えの大名と違って殆ど戦力持ってないんじゃないか。
793人間七七四年:2009/10/18(日) 15:14:41 ID:F20ssvAl
それ以前に誰おまレベルの知名度
794人間七七四年:2009/10/18(日) 18:13:35 ID:EsXP06wb
>>792
1万4千石じゃない?
795人間七七四年:2009/10/18(日) 18:23:04 ID:5+NCIrta
むしろ来島を知らない人がこの戦国板にいる不思議
796人間七七四年:2009/10/18(日) 19:18:04 ID:Mm0ahXjN
>>795
この板や日本史板、歴ゲー板では有名だと思うよw
797人間七七四年:2009/10/18(日) 19:52:37 ID:YxhJZFng
>それ以前に誰おまレベルの知名度



・・・・・・
798人間七七四年:2009/10/18(日) 23:37:17 ID:yAdPlGzt
石高一万四千石、動員兵力700名。
朝鮮兵に討ち取られた唯一の戦国大名、その名も来島通総
799人間七七四年:2009/10/19(月) 00:10:13 ID:mjgN9um6
打ち取られた、首取られたというより、
船上で流れ弾に当たって戦死したのでは。
800人間七七四年:2009/10/19(月) 00:33:22 ID:JgYO89e6
流れ弾とか言いだすのは朝鮮人と同じレベルで(・A・)イクナイ
801人間七七四年:2009/10/19(月) 00:49:20 ID:7r8ot4jg
元河野家の人かな

この時にあらかた始末しとけば賠償問題とか起きなかったかもしれんね
802人間七七四年:2009/10/19(月) 06:51:35 ID:iMnJ3akz
流れ弾が当たって討ち死にしたって、ただのドジだよな。創作するにしても、もうちょっとかっこよく書けば良いのに。
23戦23勝ってどこのソースだよ。
803人間七七四年:2009/10/19(月) 07:02:56 ID:la2JNRUV
明の副将をはじめ高級将校がアホみたいに戦死してる中、李舜臣だけ運悪く流れ弾に当たっただけって説得力無いよな。
804人間七七四年:2009/10/19(月) 13:12:27 ID:ugJphg9i
ていうか戦争で敵の弾に当たったのを流れ弾っていうの?
狙撃で一撃死しなきゃいけないの?というのが疑問である
間違って同士討ちだったとしてもそれはそれでまさか○○を倒したのは
○○の味方の手柄って言うわけにもいかんだろうし
805人間七七四年:2009/10/19(月) 13:17:49 ID:d5DPAyvo
流れ弾も糞も普通は戦死。
806人間七七四年:2009/10/19(月) 21:58:42 ID:zukb5aW7
敵も味方も辱めるのが得意なようで
807人間七七四年:2009/10/19(月) 23:32:00 ID:mjgN9um6
来島氏は、豊後森、大分の山あいの盆地で続いたのは、
その後の江戸幕府の意図があったのでしょうね。

九鬼氏も分家して内陸になったし。
808人間七七四年:2009/10/20(火) 01:00:08 ID:2cvJliwz
>23戦23勝ってどこのソースだよ。

『不滅のイ・スンシン』がソースでつ
809人間七七四年:2009/10/20(火) 06:54:16 ID:+FajN/lJ
向こうの人達は真顔でそういうからなあ
810人間七七四年:2009/10/20(火) 20:48:52 ID:UajrGaVK
>>803
首は取れなかったんだろ?
じゃあ、どう言われようとしょうがないわな
811人間七七四年:2009/10/20(火) 21:26:21 ID:1awcC9BB
>>804
「○○に討ち取られた」と言われないための予防線。
相対評価のためなら、絶対評価を貶めてもOKらしいw
812人間七七四年:2009/10/20(火) 21:49:58 ID:6Eco1Cgt
海戦では、船沈んで陸に上がってこなかったら戦死、ではいかんとですか?
813人間七七四年:2009/10/20(火) 22:09:40 ID:nhbJRCny
ウリナラの正しい歴史認識では、誰が撃った弾が当たったのか
チョッパリが証明できない限りすべて流れ弾ニダ<`∀´,,>
814人間七七四年:2009/10/21(水) 06:18:16 ID:l55FSpcc
単に海に捨てられただけじゃないの
815人間七七四年:2009/10/21(水) 08:24:25 ID:9PN16ocb
別に李が乗っていた船が沈んだわけじゃないからな。
李は魚の餌とか言ってる奴は韓国人並って事で。
816人間七七四年:2009/10/21(水) 08:40:53 ID:kitUicoj
いや、どっちにしろ殆ど不意打ちに近い追撃戦で
大将が「流れ弾に当たる」程追い込まれた
という事実につっこむべきでは?
817人間七七四年:2009/10/21(水) 09:40:45 ID:iezCjRhL
当時世界最強の韓国水軍を相手に愚将秀吉は身の程知らずに
挑みかかり散々に打ち破られ四天王始め大多数の死傷者を出
し、大阪に逃げ帰り、失意の内に病を発し死亡した。
818人間七七四年:2009/10/21(水) 10:12:01 ID:GqJ/8+Yn
>>816
そもそも追撃戦じゃねーし。

韓国のプロパガンダで端から勘違いしてるのが多いが、小西行長他の順天守備軍の
救援の為に西進する島津勢を基幹とした急造の日本水軍を、明水軍の指揮下で
待ち伏せて迎撃したのが李舜臣の死んだ露梁海戦。
朝鮮水軍自体は追撃どころか出撃地点(観音浦)まで島津勢に押し戻されている。
819人間七七四年:2009/10/21(水) 12:31:32 ID:9PN16ocb
>>817
クックックッ、四天王最弱の奴を倒して浮かれておるわい・・・じゃなくて、豊臣四天王って誰だよ?
真田十勇士みたいなもんか?
820人間七七四年:2009/10/21(水) 16:06:24 ID:xqMtvFgW
>>819
来島通総、脇坂安治、九鬼嘉隆、加藤嘉明あたりか。

えらく小ぶりな四天王だがw
821人間七七四年:2009/10/21(水) 16:41:56 ID:9PN16ocb
>>820
戦死実績で来島通総、得居通幸、菅正陰、森村春か?

彼等流の拡大解釈なら加藤清正、小西行長、島津義弘、藤堂高虎か?
822人間七七四年:2009/10/22(木) 17:27:48 ID:9gEDg8Ic
なんやそれ
823人間七七四年:2009/10/22(木) 20:49:16 ID:EOIz0F1B
>>821
瀬戸内四天王って言った方がまだ名前負けしなさそうだなw
824人間七七四年:2009/10/22(木) 22:28:12 ID:lBPLCikU
得居通幸(来島通之)が文禄元年(天正二十年)の六月に唐浦で死んだって?
この時期、弟の通総や長宗我部と一緒に内陸部で繋ぎの城を作っていて
海岸部に出てくるのは七月十六日以降だぞ(高山公実録)。
ちなみに藤堂が玉浦の戦いに敗れたというのもデタラメ。
五月七日にはまだ国内に居るぞ。高山公実録にも(朝鮮)征伐記や
(高麗)船戦記のデタラメな説が流れていて困っていると書いてあるぞ。
825人間七七四年:2009/10/24(土) 01:26:47 ID:svkgl2Xw
ある時秀吉の寝所にまで勇敢なサウラビが切り込んできて、秀吉の親衛隊長の
金田津軽守や秀吉の信頼厚い伊東祐武など名だたる武将が切り殺され朝鮮男
児の忠烈に秀吉はおそれおののき二度と朝鮮の地を踏まぬと朝鮮通信使の前で
百拝して誓った。
また神将李提督は日本海沿岸を亀甲船団で襲撃して多大なる戦果を挙げた。
倭人は神出鬼没の神将李提督の事を「武神」「天将」と呼んで恐れた。
826人間七七四年:2009/10/24(土) 01:30:15 ID:2HkkQ7Dt
ホルホルホルホル
827人間七七四年:2009/10/24(土) 01:38:47 ID:K7XQ37Lp
サムライの起源はサウラビといったとんでもない馬鹿話が何故韓国で流布するのだろうか。

サウラビ起源説の「起源」を追ってみたところ、1983年まで遡ることが判明している。
初めてこの説が発表されたのは、
数学史が専門で漢陽大学教授の金容雲が著した「韓国人と日本人」(1983) だ。
彼の説明では次のようになるそうだ・・・

>韓国語で戦うということを「サウル」といい、男を「アビ」という。
>「戦う男」を韓国語でじかに表現すると、「サウルアビ」になる。
>飛躍がすぎると叱られるのを覚悟で、アマチュア式思考でいうと、
>日本の「サムライ」と、韓国の「サウルアビ」と、
>なにかつながりがありそうに考えられる。

本人の言う通り、素人の思い付きにすぎない。
こうしてサウラビ起源説は世に現れたらしい。
これが時間の経過とともに「学説」となり、
さらに「歴史的事実」として韓国人の間に流布していったそうだ。
828人間七七四年:2009/10/24(土) 10:23:29 ID:6XuAW/Tj
人は信じたいことだけを信じるのです…
829人間七七四年:2009/10/24(土) 11:45:34 ID:juzzqa12
>>828
かの国のナマモノは人に入りますか?
830人間七七四年:2009/10/24(土) 21:44:51 ID:BH/HmI7/

碧蹄館の戦い なぜなにQ&A


Q.そもそも「碧蹄館の戦い」って何?

A.平壌で日本軍に大勝した勢いに乗じ、首都・漢城目指して南下を続けていた明軍を、
  体勢を立て直した日本軍が撃破した戦いです。文禄の役における最大規模の戦闘でした。


Q.双方の兵力はどのくらいだったの?

A.5000の騎兵を引き連れた祖承訓が日本軍に惨敗して逃げ帰ってから、
  新たに増強された明軍はおよそ43000でした。しかし平壌城を奪還した後、
  「残った倭兵は少数の弱兵のみ」という誤った情報を聞いた明軍は移動に時間のかかる火軍を残し、
  騎兵を主力とする部隊のみで日本軍の殲滅に向かいました。
  その数は諸説ありますが、19000〜2万数千人程度と思われます。
  一方日本軍は先鋒隊20000、本隊21000の合計41000。明軍を圧倒する兵力でした。
  もっとも実際の戦闘にはほとんど先鋒隊しか参加していないので、
  双方とも2万前後と兵力ではほぼ互角の戦いだったことになります。


Q.明軍を迎え撃つ前、日本軍は野戦論の他に篭城論や漢城放棄論まで考えててえらく悲観的だけど、
  兵力では圧倒的に勝っていたのになぜ?

A.まず、第一に明軍が思いのほか精強であったことが挙げられると思います。
  豊臣秀吉は明のことを「振袖の国」(文人の国)と甘く見ていましたが、
  実際には世界一の動員兵力と大量の火薬兵器を配備した軍事大国でした。
  「明は弱い」というイメージはのちの清の時代になって作られたもののようです。
  平壌城の戦いで大敗を喫した小西行長は「明軍を甘く見ていた。桁違いだ」
  という風なことを語っています(要出典)。
  第二には、「漢城目指して南下する明軍の兵力はおよそ30万」という風評が伝わっていたことでしょう。
  なので日本軍も兵力的に自分達が有利であるという認識はなかったのではないでしょうか。
  碧蹄館の戦いは、彼らにとってまさに起死回生を狙った決死の一戦だったというわけです。


Q.加藤清正は参加したの?

A.参加していません。


Q.明軍司令官の「李如松」ってどんな人?また、なんて読むの?

A.遼東安定に功のあった名将・李成梁の長男で、寧夏の乱(モンゴル人ボバイによる反乱)
  の鎮圧に活躍しました。遼東の騎兵軍団の要職は彼ら李一族によって占められていたといい、
  モンゴルや女真相手に連戦連勝、向かうところ敵なしと称されていました。
  文禄の役の際には救援軍総司令官として朝鮮に向かっています。
  大口径野砲の威力を遺憾なく発揮して小西行長の守る平壌城を攻め落としますが、
  漢城郊外の碧蹄館の戦いで日本軍に大敗し平壌へ撤退しました。慶長の役には参加していません。
  1597年には遼東総兵官に出世しますが、土族鎮圧中に伏兵にあい戦死しました。
  ちなみに「リー・ルウスン」と読みます。
831人間七七四年:2009/10/24(土) 21:47:36 ID:BH/HmI7/

Q.時々書籍などに「明・朝鮮連合軍」と書いてあるけど、朝鮮軍も参加していたの?

A.はい、実は参加しています。朝鮮の武将・高彦伯率いる1300人です。
  先鋒隊に加わっていました。ただ、明軍と比べると人数がかなり少ないため、
  「明・朝鮮連合軍」でなくただ「明軍」と表記されることが多いようですね。


Q.立花宗茂について「碧蹄館の戦いで寡兵をもって明の大軍を打ち破った」と聞くけど、
  碧蹄館の戦いで日本軍と明軍の兵力は互角ではなかったの?

A.立花宗茂が寡兵をもって明の大軍を打ち破ったのは事実です。
  ただ、それは先鋒隊同士の前哨戦でのことです。
  立花隊は3200人程度と比較的少なかったのですが、日本軍の軍議の際、
  「立花の3000は他家の10000に匹敵する」ということで先鋒に任命されました。
  この時代は先鋒部隊の勝敗がそのまま戦闘の勝敗につながると言われるほど、
  先鋒の役割が重要なものでした。「西国無双の勇士」と讃えられた立花宗茂は適任だったわけです。
  さて、こうして立花隊は明将・査大受率いる明軍先鋒隊10000と激突します。
  立花隊は鉄砲隊の一斉射撃による撹乱の後の抜刀切り込み、機を見ての本隊による側面攻撃など
  見事な戦法で明軍に勝利します。3倍以上の敵軍を撃破した、実に称賛すべき前哨戦でした。


Q.明軍は騎兵が主力というけど、火薬兵器は使わなかったの?

A.使っています。明将・楊元が途中で火軍を率いて救援に現れて、
  虎蹲砲や仏狼機砲などを投入して戦いましたし、それ以前にも霹靂砲や神機箭が使われています。
  朝鮮の記録「宣祖修正実録」では「天兵短剣騎馬にして火器なく・・・」とありますが、
  これは明を擁護するための筆のすべりだと思われます。


Q.戦いは日本軍の圧勝だった?

A.確かに戦いには日本軍が勝ちましたが、圧勝とは言えません。
  日本軍の被害も大きく、敗走する明軍を追撃する余力はありませんでした。
  日本軍は槍や鉄砲、刀による白兵戦で明軍を圧倒しましたが、
  明軍の一糸乱れぬ陣形と集団戦法、そして強力な火器に衝撃を受けたようです。
832人間七七四年:2009/10/25(日) 00:20:15 ID:eiP6YzoO
【岡田外相 「民主党が"天皇は植木職人になるべき"と言うのならば、そうなる」】


植木職人発言オフレコ(岡田外相・金曜夜プレ懇) デスクオンリー/オフレコテープ起こしママ/公表不可 納品 2009年10月24日 02:11:40

1/5 Q.「まず、今回の外相の発言の真意をお伺いしたい。ご発言は、天皇の国事行為を前提とした、という理解でいいんですよね?つまり、あくまで内閣の助言と承認…(カブリ。聞き取れず)」
岡田氏「(さえぎり。カブリ)内閣とか国事行為とは無関係だ。あくまで陛下の……(聞き取れず) ご自身のお考え…お声を知りたいということだ」

2/5 Q.「では、宮内庁というのは?」
岡田氏「宮内庁というのは方便…というかレトリック(聞き取れず)とでも…。  陛下自身のお考えが聞きたいという趣旨。もちろん、宮内庁が陛下のお考えを聞いて起案し、文章化するとか措辞を整え とかあるだろうが、陛下自身のご意見が問題だ」

3/5 Q.「ズバリ、大臣は、陛下にどのようなお言葉が…(カブリ)」
岡田氏「(カブリ)そりゃ…政権交代ですよもちろん。
"勝てば官軍"といえば言い過ぎでしょうけど(数名笑い声)、民主党がこうして 勝った訳ですから、陛下もそれに恭順…(…間…)というかその支持をご自身のお言葉で表明してほしいですよね? 
このままじゃ"自民党の皇室"のままだ」

4/5 Q.「大臣のそういうお考えは内閣としても憲法上問題である、という見解が…」
岡田氏「内閣といっても法制局でしょ。"官"ですよ。政権がかわれば、憲法解釈もかわります。我々は政治主導です。そういうくだらないことを言うんであれば、法制局長官
をクビにするだけです。それが政治主導です」

5/5 Q.「陛下の政治的中立を守らないと皇室の維持の将来にも問題が…」
岡田氏「政治的中立とか…(…間…)政治的中立って憲法に書いてあるんですか?マニフェストに書いてあります?皇室の将来より民意ですよ。民意は民主党支持なんです。
民意より皇室の維持が重要なんてあり得ない。民主主義です民意が"天皇は植木職人になるべき"というのならばそうなるんでしょ」(了)
833人間七七四年:2009/10/25(日) 02:37:13 ID:Eb7WDS0C
釜山に上陸した日本軍に対し、朝鮮軍はあっという間に敗北。
釜山鎮の戦い(鄭撥戦死)、東莱城の戦い(宋象賢戦死)、尚州の戦い(李鎰敗走)、弾琴台の戦い(申立戦死)
などで日本軍は勝利を重ねた。
日本軍は第1軍(小西行長、他)、第2軍(加藤清正、他)、第3軍(黒田長政、他)を先鋒に
三路に分かれて急進し、翌5月には首都漢城(現在のソウル)を占領。

朝鮮国王の宣祖は平壌へ遷都して避難、
さらに日本の進撃が迫ると遼東との国境である北端の平安道義州へと逃亡し、
冊封に基づいて明に救援を要請するが、
その間にさらに北上した日本の第1軍と第2軍は平壌を占領して進撃を停止した。

あまりに容易に李氏朝鮮の王都である漢城が陥落したため、
日本の諸将は5月に漢城にて軍議を行い、
各方面軍による八道国割と呼ばれる制圧目標を決めた

平安道 第1軍小西行長他、 
咸鏡道 第2軍加藤清正他、 
黄海道 第3軍黒田長政他、 
江原道 第4軍毛利吉成他、 
忠清道 第5軍福島正則他、 
全羅道 第6軍小早川隆景他、 
慶尚道 第7軍毛利輝元他、 
京畿道 第8軍宇喜多秀家他、

日本軍は北西部の平安道と全羅道を除く朝鮮全土を制圧し、
加藤清正の一隊は威力偵察のため国境を越えて明領オランカイへ攻め入った。
834人間七七四年:2009/10/25(日) 07:50:13 ID:xZSqKTDs
だって朝鮮軍はたった兵5000しかいなかったじゃん当たり前
835人間七七四年:2009/10/25(日) 10:39:06 ID:V8HJRNEn
>>830
「振袖の国」 ←振り袖じゃないでしょ?
「李如松」 ←り・じょしょう(日本語読み)
「平壌城を攻め落とし」 ←本丸まで攻め寄せたけど、最後は交渉で開城撤退させて追撃と言う流れ。

>>831
「(立花宗茂が)敵軍を撃破した」 ←苦戦しつつ小早川の加勢まで持ち堪えただけでは?まあこれが包囲の勝機を生んだのは事実だが、家臣幹部にも多数被害が出ている。

「衝撃を受けた」 ←元々前から講和のために停戦していた日本側と比べて、明指導部の好戦から厭戦への変化の方が衝撃を感じるよね?
836人間七七四年:2009/10/25(日) 11:06:38 ID:BJLoO+Gb
>>835

午前六時、査大受の明軍先鋒部隊と衝突
十時伝右衛門の部隊500が2000〜3000の明軍部隊に突撃
鉄砲隊で攪乱した後、抜刀して騎兵に襲い掛かり明軍を後退させた
すると査大受の本隊7000が左右から来襲、十時の部隊を包囲した。十時らは鉄砲で応戦するも、
霹靂砲(散弾砲)が火を吹き部隊は総崩れとなり、十時も討ち死にを遂げた。
変わって小野和泉と立花三右衛門の部隊700が戦うが苦戦。
そこへ立花宗茂・高橋直次の本隊が殺到し、明軍の右翼の側面を突いた。
明軍は総崩れとなって退却した。立花勢は後方にさらなる大軍が控えていることを考え、
追撃には移らなかった。

↑「秀吉の野望と誤算」にはこのように書いてあったんですが、これを見る限りは
「明軍先鋒隊一万を撃破」と言えそうです。小早川の救援は確か書いてなかったような?
立花だけで撃破したのか、救援到来まで持ちこたえただけなのか、結局どっちなんでしょうか。
振袖云々は記憶違いでした、すみません。
837人間七七四年:2009/10/25(日) 12:36:31 ID:xZSqKTDs
それ二回にわけて考えるべき
宗リンが先鋒同士で戦って撃破した後に
追撃せんと調子にのった宇喜多と小早川がやってきて戦い始めた。
小早川は「宇喜多は元々は当家の家臣筋だから遅れをとるわけにならんから宗リンどけ!」
そんで宇喜多と小早川苦戦に陥る。
宗リンは小高い丘で勝機を見計らって、明軍を横撃し大勝を得る。
この横撃は島津の得意技と言われるが、普通に常識レベル。
西日本やチョンや中国兵はバカだからよく引っかかる。
哨戒策敵の情報戦の激しい近畿や東日本じゃまず引っかからない。
838人間七七四年:2009/10/25(日) 13:46:56 ID:QIMqmLXZ

( ´,_ゝ`)プッ

839人間七七四年:2009/10/25(日) 15:26:53 ID:xZSqKTDs
さすが宗麟
840人間七七四年:2009/10/25(日) 17:32:53 ID:pVDY5MEv
やはり、明軍は相当な軍隊だったんだろうな。あまりにも貧弱な朝鮮軍と
戦った後だから、その衝撃は相当でかかったと思う。

日本軍の碧蹄館の戦勝後の明軍評
「馬の大きさはけしからず候。男もけしからず候。上衆もけしからずおぢ被入候也。
日本にても、かほどの働は、稀成よし、其沙汰候。何も武辺つよき唐人かと、上衆
も手ををかれ候也。」『吉見家朝鮮陣日記』

「人数黒み、備しづかにして、いきほひ殊の外見事なり。」『朝鮮軍物語』

やはり、明の軍は対異民族戦で相当鍛えれた、戦いのプロフェッショナル軍団であり、
相当強かったんだろう。日本軍も日本軍で平壌戦敗戦後秀吉の死まで、全く明軍に遅れを
とらなかったんだから、学習能力の高さには驚嘆する。
841人間七七四年:2009/10/25(日) 17:58:05 ID:Eb7WDS0C
碧蹄館は結局日本の勝ち戦で明の提督は碧蹄館で戦意を失った

柳成竜は明軍が日本刀にやられたと書いている。
フロイスも朝鮮は日本刀に対抗出来ず征服された(日本史第三十七章)と書いている
三十八章でも鉄砲に加え太刀の威力で散々襲撃したので朝鮮軍が遁走
鉄砲では朝鮮軍は後退するも完全に崩れておらず、太刀の突撃で戦場を放棄したとしている。
その後、明が日本の武具を入手して対抗策を講じた事が書かれている (第四十一章)

フロイスは四十三章冒頭に祖承訓との合戦で小西行長は明兵に対する認識を改めたと書いている。朝鮮よりははるかに強い明兵を小西は評価したようだ。
が、碧蹄館後の記事でフロイスは日本人はシナ人より勇敢で、武器ならびに戦術の点で優れており、
種々の面でシナ軍の劣勢は掩うべくもないと分析した(第四十三章)


結局の所、明軍も弱くはないが日本軍の方が戦上手で強いという評価に落ち着く。
842人間七七四年:2009/10/26(月) 08:56:12 ID:JG55OZsU
戦国期の海外侵略では優れた武器で圧倒
第二次大戦の精神主義な日本軍首脳に教えてやりたいな。
843人間七七四年:2009/10/26(月) 14:37:12 ID:wUlj6ftP
スレ違いネタに食いつくのもなんだが
そもそもが物資がないから始めた戦争
精神主義にならざるを得ない面もある

日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もない。
彼らは綿も羊毛も石油も、錫もゴムも、そのほか、実に多くの原料が欠如している。
そして、それらすべて一切がアジアの海域には存在していたのです。
もし、これらの原料の供給が断たれたら、日本国内で1000万人から1200万人の失業者が出ていたでしょう。
日本人は、これを恐れていました。
したがって、日本が戦争に突き進んでいった動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだったのです。
1951年に開かれたアメリカの上院軍事外交合同委員会

844人間七七四年:2009/10/26(月) 22:51:00 ID:vejJEuUr
てか第二次大戦頃はどこの国も精神主義は似たり寄ったりだけどな
米軍もガダルカナルで初期の上陸部隊は準備不足で上陸したものだから食料すら足らず、補給不足に陥って催促するも、気合で頑張れとかやってるし。
ドイツは総統閣下もアレだけど、ロンメルとかも結構アレな人多い
845人間七七四年:2009/10/27(火) 01:14:20 ID:zLLrud4W
日本軍首脳の無謀ぶりはひどいだろ。
そもそも物資が足らんのに中国戦線を縮小もせずに対米戦にまっしぐら。
挙句の果てにはインパールw
アメリカは戦時経済に移行する前に戦争突入だし、
アメリカ軍の物資不足は日本のそれに比べたらはるかにマシ
ロンメル言ってもあれはイタリーが悪い。
846人間七七四年:2009/10/27(火) 04:04:54 ID:ocbaBg0n
邦人が死んでるのにwなんてよくつけられるな
847人間七七四年:2009/10/27(火) 22:01:59 ID:AJjOR/C8
島津義弘って、中国のウィキペディアではどう書かれてるんだろう。
アホだから閲覧しても中国語が読めない。向こうからしたらマイナーな外人だから日本のと違って簡潔に書かれてはいるけど

http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E7%BE%A9%E5%BC%98
848人間七七四年:2009/10/28(水) 16:29:00 ID:7IPG7t6b
【画像あり】「同級生の女の子に頼んでみた」中学生ハメ撮りAVが流出 ★14
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1256707678/



54962158203124
849人間七七四年:2009/10/31(土) 17:21:22 ID:y3S1BuOo
>>842
武器性能が同じでも大差ないだろ?
戦時態勢が構築維持できるか否かの問題。
850人間七七四年:2009/11/01(日) 21:36:34 ID:02fT651Z
>>849
武器だけで勝てるなら日中戦争で中国が勝ってるわな。
初期はドイツから武器入って、後半は米軍から武器貰ってるのにあの様だし。
851人間七七四年:2009/11/01(日) 23:32:12 ID:RmsgJdA0
それも極端だな
852人間七七四年:2009/11/04(水) 13:39:04 ID:pVyir6ef
>>847
これいくらアホだからつっても見ただけで文意は大体把握出来るだろ
日本で一般的に知られていることばかりしか書かれてないよ
しかし簡体字って漢字のデザインつーか、苦労したであろう古人の意匠が台無しだな
853人間七七四年:2009/11/04(水) 20:59:35 ID:B8tboImW
>>847
大一番の泗川の戦いがスルーされとる・・・
854人間七七四年:2009/11/09(月) 19:07:00 ID:6AfyPbcR
>>853
ダメじゃん。
855人間七七四年:2009/11/10(火) 00:01:31 ID:6Tqh9zsx
島津義弘厨はどこにでもわいてでてくるんだなw
856人間七七四年:2009/11/10(火) 08:00:23 ID:/GcVg4Ab
明らかにゲームの影響だろうな
857人間七七四年:2009/11/10(火) 12:52:31 ID:9OpsJqGE
「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
858人間七七四年:2009/11/10(火) 17:01:44 ID:CkjMMPJf
加藤清正『日本軍は皆、儂の配下じゃ』
明『じゃあ清正倒せばいいんだな』
朝鮮『明の精鋭を集めてさっさと殺りましょう』
加藤清正『ちょ待ってwまだ城出来てないってw』
859人間七七四年:2009/11/10(火) 17:57:01 ID:hT6MKoqO
>>858
蔚山の築城担当は毛利とか浅野だよ?
860人間七七四年:2009/11/10(火) 20:10:41 ID:6Tqh9zsx
韓国ドラマ『不滅のイ・スンシン』では李舜臣のライバルは脇坂安治だった。
たった1500の兵で朝鮮軍5万を倒す場面もちゃんとある。
ウィキで見たら確かに脇坂安治には上記の戦績があって驚いた。
我々日本人には島津義弘の故事ばかり有名だが脇坂安治もすごい名将だな。

861人間七七四年:2009/11/10(火) 20:26:19 ID:EN9ubIZv
でも脇坂は関ヶ原で裏切って、大谷隊を殲滅しちゃったんだよね……

862人間七七四年:2009/11/10(火) 22:17:47 ID:CkjMMPJf
>>859
加藤清正も一番重要な縄張りを担当してる。

863人間七七四年:2009/11/14(土) 07:43:16 ID:u+L1X4jV
まぁ清正は日本史上でも最強武将で不敗だからな
支那畜が狙うのも無理はないな
864人間七七四年:2009/11/14(土) 12:06:48 ID:/4yi6OCM
やっぱり後顧の憂いなくチョンを一匹残らず絶滅しておくべきだった
865人間七七四年:2009/11/14(土) 18:31:34 ID:+Bfb+326
>>864
モンゴル軍がとっくの昔に絶滅させましたが?w
866人間七七四年:2009/11/14(土) 18:42:11 ID:rI9Xf2Ri
>>865
あいつらのした事はチョンを一時的に家畜にしただけだよ
牧人が落ちぶれたので家畜が逃げ出して野生化した
867人間七七四年:2009/11/14(土) 19:18:11 ID:l9Q3gWra
>>860
世界的に見ても、強大な軍隊を持っていた明軍を寡兵で破った島津と
軍事面では、アジア最弱の部類に入る朝鮮軍を寡兵で破った脇坂とは
やはりインパクトが違いすぎる。インパクトという面でいうと、連戦連勝
を続けていた日本軍が、少数ながら始めて敗北した閉山島の戦いの方がインパクトが
大きくて龍仁の大勝も帳消しになってる感も否めないが。
868人間七七四年:2009/11/14(土) 19:44:40 ID:v6WIQdbl
いや脇坂の方が島津よりすごいだろ。
島津なんて70万石もある大大名だが脇坂は3万石しかない大名だ。
それが朝鮮出兵の功績で3千石加増され3万3千石に。
関が原で西軍を裏切って2万石加増され5万3千石に。
島津は最初から恵まれてるから功績を立てて当たり前。
869人間七七四年:2009/11/15(日) 09:57:45 ID:JEcyz6bV
島津の戦績は捏造が多いから信用できない
870人間七七四年:2009/11/15(日) 11:38:55 ID:ebboWnhd
「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
871人間七七四年:2009/11/15(日) 21:41:44 ID:SBhNNdny
>>868
なんで、石高比較になるんだ。朝鮮の役で繰り出した兵力は、島津軍1万に対して脇坂1500で
10分の一も兵力に差はないんだよ。
泗川の戦いではそれより兵力は少なく、淵邊眞元覚書に記されている兵力は5千であり、若干の兵力差はあっても
泗川の戦いでは島津軍は1万を下回っていた。
その勝利の結果、五大老から感謝状もだされ、その中で「お手柄比類無し」とまで
言われいている。
脇坂も活躍しているのは事実だが、島津以上ということはあり得ない。


>>869
で、対する明軍の敗戦評(明実録・神宗実録)
「驕将敵を軽んじ、惰将敵を畏れ、主帥驕を挫き惰を鼓するあたわざるに因り、分布法無く、
 申令厳ならず、一軍少しく退き、衆軍皆走るを致す。国を辱め威を損ず、深く痛恨すべし。」
872人間七七四年:2009/11/16(月) 00:02:18 ID:jhAAaDiF
島津義弘厨、うわさ以上に必死だな
873人間七七四年:2009/11/16(月) 01:14:53 ID:XEbZ48YP
俺は島津家久厨だから
唐入りの件はスル〜 するわw

家久の子息 豊久は頑張ったとは思うケドw

874人間七七四年:2009/11/16(月) 01:31:31 ID:yYviFTfS
最近は宗茂厨が大量発生してると思ったが
島津も厨の古豪として頑張ってるなw
九州関係はほんと凄い
875人間七七四年:2009/11/16(月) 01:32:19 ID:Gu6QUT3C
清正やクロカンは島津を雑魚と思ってたみたいだし
九州の武将は過大評価過ぎるよな
876人間七七四年:2009/11/16(月) 01:59:57 ID:xE3I1QoF
新潟や山梨にも言える事だけど
田舎だからご当地の武将ぐらいしか
自慢できるもんが無いんでしょ。
877人間七七四年:2009/11/16(月) 02:17:42 ID:0wsN6wF/
|∀・).。oO(  李舜臣とかなーw
878人間七七四年:2009/11/16(月) 12:56:18 ID:LB4/Ahxn
伊達政宗とかな
879人間七七四年:2009/11/17(火) 00:56:47 ID:pEBjU9Py
伊達政宗って朝鮮いったのに何をしてたのかよくわからない。
今年の大河ドラマの上杉景勝も同様だが。
880人間七七四年:2009/11/17(火) 13:14:18 ID:0vtxwLW1
上杉は城建ててた。
881人間七七四年:2009/11/17(火) 15:19:22 ID:sUnPN3W1
伊達も城普請のお手伝い。
882人間七七四年:2009/11/17(火) 15:32:49 ID:C7oliXZF
朝鮮での政宗は
清正に邪魔だから後ろに下がれや!と言われ、
いろいろと便宜を図ってくれていた大恩ある浅野に兵糧を横領されたとかいろいろと濡れ衣を着せまくって、朝鮮での失態の言い訳として悪口を言いまくってた。
帰朝後に絶縁状を送りつけた。浅野は何がなんだかわからずポカーンだった。
その後、浅野家では忘恩の徒として伊達を嫌い続けた。
ちなみに小田原陣で秀吉に対して、浅野家と一緒に木村吉清も政宗を庇い弁護していたわけだが。
木村はあまりに秀吉に喰ってかかり、秀吉の逆鱗に触れて改易寸前にされたほどだが、
その木村を葛西大崎の乱を煽って政治生命を断ち切るほどの失脚に追い込んで、木村の領地をもらったのも政宗公。
883人間七七四年:2009/11/17(火) 22:28:40 ID:pEBjU9Py
>その木村を葛西大崎の乱を煽って政治生命を断ち切るほどの失脚に追い込んで、木村の領地をもらったのも政宗公。


木村の領地、政宗のものになってねーがらw
884人間七七四年:2009/11/17(火) 23:26:57 ID:yrk+WJVG
>>883
こいつはいろんなスレにこういった故人の中傷ありきのことを
書きまくってる荒らしくんだから構わない方がいいよ。
885人間七七四年:2009/11/18(水) 15:41:23 ID:HTIKcdxE
島津の70万石っていつの時点の話だよ
886人間七七四年:2009/11/20(金) 14:31:35 ID:yIGUwd5b
種子島久時が踊りながら鉄砲で狙撃してたそうな
887人間七七四年:2009/11/21(土) 00:18:29 ID:EScSjIjH
このスレの住人に予告だよ〜

ETV特集 シリーズ日本と朝鮮半島2000年第8回「豊臣秀吉の朝鮮侵略」
2009年11月29日(日)午後10時〜11時29分
http://www.nhk.or.jp/japan/program/prg_091129_3.html
888人間七七四年:2009/11/21(土) 00:25:56 ID:wrBq9Xj9
>朝鮮侵略

発狂する奴が多数でそうだなw
889人間七七四年:2009/11/21(土) 11:48:52 ID:/eZCR66M
>>883
では木村の旧領は誰の領土になったんだね?
890人間七七四年:2009/11/21(土) 18:26:51 ID:cJnQmn6j
悲劇(笑)って、そんなもんどんな戦でも殺し合いだから同じ悲劇じゃん。特別視しすぎ
891人間七七四年:2009/11/22(日) 00:24:27 ID:bDuG2r9x
朝鮮人多数が連行されたり奴隷として売り飛ばされたなんて
当時の日本では当たり前のことだからな
NHK
892人間七七四年:2009/11/22(日) 00:31:52 ID:bDuG2r9x
途中で送信してしまった

NHKも日本の侵略の出発点と書いたり苦しすぎるだろ
んなら元寇はなんなんだよ
弱肉強食が当たり前の時代の出来事を現代の価値観で
断罪とかやめてくれよと
893人間七七四年:2009/11/22(日) 14:02:01 ID:6mDjsv5i
足利義持の時代の朝鮮の対馬侵略も
倭賊退治の義戦の大勝という意見をNHK側も認めちゃってるな。
そのあとに朝鮮側が敗走して追い出された部分にもまったく触れなかったし。
日本側は倭賊は日本人というより日本海を舞台にした国境無き人々と弁明するのが精一杯な感じだったな。
ようつべなどでこの対馬上陸大勝までのドラマを垂れ流して海外の人々を洗脳してるしな。
日韓歴史認識統一なんて言っても韓国への譲歩的妥協でしかないな。
894人間七七四年:2009/11/22(日) 20:25:54 ID:x6YBC5DG
一体あの戦いのどこをどう取ったら「朝鮮軍の大勝」になるのか理解に苦しむよね。
戦略目的を果たせなかった上に戦闘でも惨敗してるんだから。
895人間七七四年:2009/11/22(日) 22:33:59 ID:S2s1sm+Q
りょーしん的なけんきゅーしゃと犬HKは日本が軍事的に勝利することが大嫌い。
896人間七七四年:2009/11/23(月) 04:52:27 ID:0j9CQ8vO
てか、対馬の宗氏って確か立場的に
大内あたりの子分じゃなかった?
897人間七七四年:2009/11/23(月) 06:10:00 ID:Vs4SEA/7
当時、日本より強い国ってアジアに存在したの?
898人間七七四年:2009/11/23(月) 12:22:42 ID:C/QHvQYz
素人のゲリラ戦で倭賊に勝利した朝鮮最強
899人間七七四年:2009/11/23(月) 12:59:48 ID:jhImjQOs
ベトナムは普通に強いだろね
900人間七七四年:2009/11/23(月) 17:12:26 ID:Yv3U/LRA
>>898
連戦連敗の雑魚が嘘つくなよw
901人間七七四年:2009/11/23(月) 17:35:42 ID:f7zjnJSs
>戦略目的を果たせなかった

朝鮮はこの点だけは果たしてるよ。
つまり自国から敵軍を完全に追い払ってる。
少なくとも暴君で(朝鮮で)有名な光海君の時代に日本軍残党など存在しなかった。
902人間七七四年:2009/11/24(火) 01:33:53 ID:5jnUG/ay
これだから嘘吐きチョンには困ったもんだ
日本が自分の都合で帰っただけで、チョンは自力で追い払う事は最後までできなかった
903人間七七四年:2009/11/24(火) 16:24:58 ID:54tYb1lu
次の日見てみたら朝鮮人にされててワロタw
904人間七七四年:2009/11/24(火) 16:53:27 ID:DHKWbsi8
つまり903はチョン並の低脳だって事だなw
905人間七七四年:2009/11/24(火) 17:02:38 ID:bAe7Gwv7
旦那がた
ここはトイレの壁ですぜ
906人間七七四年:2009/11/29(日) 16:46:59 ID:vCR1u4d8
韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、 いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたワイ族。
百済人、高句麗人は古代の満州地方に住んでいた遊牧民族=フヨ族。

ウィキペディア-朝鮮民族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F

歴史
朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。
高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。
一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。

ウィキペディア-新羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85

脚註
^ なお韓国では、高句麗の滅亡後にその遺民が靺鞨族と共同して満州に建国した渤海を高句麗の後継国家と見なし、新羅・渤海をあわせて南北国時代と呼び、朝鮮民族史の及ぶ地理的範囲を朝鮮半島から満洲・沿海州を含めた領域としている。
しかしながら、言語的観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と、高句麗・渤海とでは、民族的・言語的に隔たりがあり(金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』)、
高句麗・渤海を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家と見なす十全な根拠がないため、高句麗・渤海の故地を領土に含み、また高句麗・渤海と民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国との間に軋轢が生じている(→東北工程)。
907人間七七四年:2009/11/29(日) 16:50:22 ID:LYRZoTlR
朝鮮人(高麗族、コリョ族)は中国東北部起源の北の蛮族
「楽浪半島、もしくは東シナ半島」の歴史(中国と日本の歴史)
前1000年頃 殷の廷臣、箕氏(中国人)が周の武王から楽浪(半島北部)に封じられる?(周の属国)その後、周の凋落で王を称す?
戦国期 編纂されはじめていた地理書「山海経」に「楽浪の南に、燕に朝貢する倭がある」旨、記される。 辰国(半島南部、百越人の国)は倭そのものか? 百越人(弥生人)とは、失われた長江文明の担い手。現在そのDNAは半島、日本、ベトナム以南にしか残されていない。
前195年 秦に滅ぼされた燕からの亡命武将、衛満(中国人)が箕氏楽浪を乗っ取る。 このころから辰国は三韓に分かれはじめる。 馬韓(後の百済)は百越人の国。秦韓(辰韓、後の新羅)は始皇帝から逃れてきた秦民の国。弁韓(後の任那)も秦韓に似る。
前108年 中国皇帝の武帝が衛氏を滅ぼし楽浪郡を設置、植民地とする。
前37年 東胡を祖とするコリョ族(高麗族)が中国東北部に高句麗(前高麗)を建国。
2世紀 遼東太守、公孫度が扶余族(穢族からコリョ族と分岐)の王、尉仇台に嫁を与え馬韓(後の百済) の王とする。先から三韓の王族は全て扶余族となっていた? 倭王も同族? 新羅三王家のふたつに倭出自伝説が残されている。
3世紀初 公孫康 、曹操の許可を得て楽浪郡南部を帯方郡(後の百済)として設置。
4世紀 晋の八王の乱の混乱に乗じて、高句麗が楽浪郡を不当占拠。百済、新羅が建国。日本を大国と崇め、人質を送る。任那も併せ三韓は日本の勢力下にあった。
7世紀 任那、百済と順に滅亡、遣隋使と合わせて日本は半島から手を引く。新羅、高句麗を征伐。統一新羅は中国の属国となり、独自の名前と年号を捨て、中国式の名前と年号を使い出す。
918年 新羅滅亡、高麗(後高麗)建国。新羅内に雌伏していたコリョ族が国を乗っ取った。

ここまでは、朝鮮人の歴史ではない。

朝鮮人とは朝鮮半島の南側に住んでた原住民で、三韓(馬韓、弁韓、辰韓)人
それに対して高句麗(※)も百済も朝鮮人を支配してた扶余(ツングース)民族だな

広辞苑より
【扶余】前一世紀から五世紀まで、中国東北地方北部に活動した民族。
また、その建てた国。ツングース族の一。一〜三世紀中頃が全盛期、もと百済の別称。
【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙(東明王)の建国という。
中国東北地方の南東部から朝鮮北部にわたり、四世紀広開土王の時に全盛。
都は二○九年より丸都城、四二七年以来平壌。唐の高宗に滅ぼされた。高麗(コマ)。
【渤海】八〜一○世紀、中国東北地方の東部および朝鮮半島北部のあたりに起った国。
靺鞨(マツカツ)族の首長大祚栄が建国。唐の文化を模倣し高句麗(コウクリ)の旧領地を
併せて栄え、七二七年以来しばしばわが国と通交。一五代で契丹に滅ぼされた。
【靺鞨】(マツカツ)ツングース族の一。有力な部族が七部あり、その一である
粟末(ゾクマツ)靺鞨の首長大祚栄は渤海国を起し、また黒水靺鞨は後に女真と称した。
【女真】中国東北地方の東北部から沿海州方面に住したツングース系の民族。
五代の頃より女真と称し1115年完顔(ワンヤン)部の首長阿骨打(アクダ)が金を
建国し宋に対抗。後に清朝を興した満州族も同一民族である。

一方朝鮮人は、朝鮮半島の原住民の事です。 馬韓、弁韓、辰韓の民族ですね。
なので 百済≒高句麗≒渤海  ≠  三韓=朝鮮民族
908人間七七四年:2009/11/29(日) 16:52:33 ID:/opepzBR
高句麗=扶余系=満州系なんだわな。
高句麗の発祥地は中国の東北地方で、高句麗の数百年の歴史のうちの最初からの半分以上が中国東北地方にしか版図がなく、朝鮮半島には存在はしてなかった。
そして、彼らが滅亡した後は、ほとんど満州の部族に移行している。つまり、どう考えても、高句麗は中国東北系の国なんだわな。

高句麗と朝鮮の関係って大日本帝国の朝鮮と似たようなもんでしょ。
朝鮮に日本家屋があることを理由に、朝鮮人が江戸文明を作ったとかぬかすくらいあつかましい主張でしょ。
何しろ、文明が継承されてないんだもの。
満州人はきっちり高句麗文明を継承してるけど朝鮮は100年前は土人文明だもの。
高句麗はシナと新羅(朝鮮)が連合して消滅させた異民族の古代国家にすぎない。
百済も、高句麗の後継国家、渤海も同じ。

なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie?
http://www.youtube.com/watch?v=9ATZG6pyY88
http://www.youtube.com/watch?v=jbgbbXk0n1k
http://www.youtube.com/watch?v=KR7z_-jagCE

■朝鮮人が認められない歴史的事実一覧

・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)であること
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、王家の二つが倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても倭人説があること
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在)
・常に某かの国の属国として歩んできた歴史
・姓が中国文化の影響を受け、みずから改名し、中国語氏名であること
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている)
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ)
・オンモン(朝鮮文字)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、しかもカナより600年遅れて作られたものであること
909人間七七四年:2009/11/29(日) 16:53:31 ID:/opepzBR
長い歴史の中で数多くの国や王朝に朝貢し冊封され支配、統治され
朝鮮人は混血も重ねています(大きいところでは中国諸民族、縄文人、倭人、蒙古人、満州人、大日本帝国)

近年韓国で医学界等の遺伝子や血液の分析で朝鮮のルーツは北方である事
南部からの流入(日本の縄文人や倭人、倭人王については完全にスルーしてますが)との
混血である事も徐々に指摘、新聞でも報道されはじめました

血液分析により民族の移動経路を判明する 東亜日報
韓国 台湾 日本、もっとも単一民族に近いのは日本人
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2001010317828

"韓民族は単一民族ではない!" 韓国 朝鮮日報
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2009/01/09/2009010901296.html

韓国人、違う民族の血40%位まじっている 韓国 朝鮮日報
http://www.chosun.com/national/news/200604/200604050360.html

顔で見た韓国人、すでに他民族血統…“80%が北方系” 日本版 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90507&servcode=400

もし日本人、韓国人が似てると感じれば、それは激しく混血を重ねた朝鮮人が似てるのであって
日本人が似ているのではないのです

朝鮮はこの通り朝鮮民族だけの物ではありません、
今後は友愛の精神で朝鮮半島は異民族を多く受け入れ多民族多人種社会となり
それぞれの民族の国籍を認め韓国朝鮮人と同じ権利を持ってもらい共生すべきです

国連、「韓国の単一民族強調」人権侵害の恐れ 日本版 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90362&servcode=400

韓国の民族主義を告発、スタンフォード大シン教授(上)
http://www.chosunonline.com/news/20090623000056
910人間七七四年:2009/11/29(日) 16:54:17 ID:/opepzBR
【質問】『「我々韓国人は高句麗人(フヨ族)の子孫だ。高句麗は韓国人が建国した国だ」と主張していますが、 これは事実でしょうか?』

【回答】 完全なウソです。韓国人の作り話です。韓国人と高句麗人はまったく別種の民族です。高句麗人は
古代の満州地方に住んでいた 遊牧民族=フヨ族の一派ですが、韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、
いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたユウロウ族です。狩猟民族=ユウロウ族の子孫が
現在の韓国人です。このユウロウ族はシベリア奥地の山岳部から半島東北部に移住してきた民族です。
 満州地方に住んでいた遊牧民である高句麗人(フヨ族)とは何の関係もありません。強いて関連付けるならば、
一時期、フヨ族がワイ族を 支配化に置いていたこと、くらいです。
 では、高句麗人の子孫にあたる民族とはどのような民族なのか。それは女真族(満州族)です。
高句麗が唐によって滅ぼされた後、高句麗人(フヨ族)は彼らの故郷である『満州』に逃げました。
 高句麗人はこの地において契丹族や鮮卑族、モンゴル族と混血しました。それによって誕生したのが
女真族(満州族)なのです。 この女真族が、1115年に満州地方から中国北部にまで版図を有する
『金国』を建国しました。金国が滅びた後、1616年に、 同じく女真族の国である第2次金国=後金国が建てられ、
この『後金国』が清国へと発展していきます。

911人間七七四年:2009/11/29(日) 16:55:25 ID:1y9KAinO
高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。

〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕

 見ての通り、高句麗と韓国人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、
韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ
満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは韓国語で「野蛮人」の意味です。
 韓国人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、
野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。
 ところが最近の韓国人は、時と場所によって「満州族と韓国人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、
韓国人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し
歪曲しているのです。 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。この2つの民族は
最初から別種なのだ。

912人間七七四年:2009/11/29(日) 16:56:19 ID:1y9KAinO
高句麗は、夫餘から出た別種である。(『旧唐書』高麗伝 :「高麗者、出自扶餘之別種也。」)
高句麗は本来夫餘の別種である。(『新唐書』高麗伝 :「高麗、本夫餘別種也。」)
という記述にもあるように、高句麗族はその起源伝説の類似点から、ツングース系と考えられる
扶余と同じ民族と見られることが多い[2]。史上でも扶余の流民を受け容れていることが記されているが、
民族を同一とするにたる明証はなく、墓制の違いを見る限りは扶余と高句麗との差は歴然としている[3]。
但し、『魏書』百済伝の百済王蓋鹵王の上表文には、「臣と高句麗は源は夫余より出る」
(臣與高句麗源出夫餘)とあり、当時の百済人は高句麗人を同種の夫余とみていたことになる。
なお、扶余族は他に、沃沮(東沃沮・北沃沮)・?・百済(王族)など朝鮮半島に広く分布していた。

wiki より

上記からも、高句麗はツングース系と確定している。当然、朝鮮民族ではない。



百済→王族は扶余族、倭人と混血 、民衆は長江文明の遺臣の弥生人(百越人ともいう)
新羅→王族は扶余族、三王家のふたつに倭人出自説あり、民衆は弥生人と、始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)
高句麗→ツングース系女真人
高麗→ツングース系女真人
渤海→ツングース系女真人

渤海と高句麗の民族的人種的なつながりははっきりとはわからないが、
新羅に滅ぼされた高句麗の遺民が建国した国ではないか、とは言われている。
何度も日本に朝貢している。
渤海が滅んだのち、今度はその遺民が高麗を建国した、というのがだいたいの流れ。
中国東北部にいた人々が一時期朝鮮半島に国を作ったとも言えるし、それが朝鮮人であるとも言える。
朝鮮半島は漢族、倭人、中国東北部族、モンゴル人等々、種々雑多な人種が入り乱れている。
日本と違って、半島というのはどこでもそういうもの。いわば人種民族の通り道的な存在。
913人間七七四年:2009/11/29(日) 16:57:15 ID:1y9KAinO
前12世紀〜前2世紀の箕子朝鮮は中国人の箕子が建国した中国人国家。
箕子朝鮮を滅ぼして前2世紀〜前1世紀の衛氏朝鮮は中国人の衛満が建国した中国人国家。
前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼして朝鮮半島北部に前1世紀〜後3世紀に設置した漢四郡(楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡)は中国植民地。
百済と高句麗はツングース系民族の夫余族の国家。渤海は夫余族と靺鞨の国家。夫余族と靺鞨は中国・満州族の母体。
秦からの亡命中国人が前2世紀〜4世紀に朝鮮半島南部に建国したのが辰韓(秦韓)で、後に12カ国に分裂して、その一つの斯蘆国が新羅。
百済と高句麗を滅ぼしたのは新羅ではなく唐。唐は百済と高句麗の滅亡後に旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府として半島全域を藩属国から羈縻州(中国国内扱いにした事を指す)にした。
このため一時的に朝鮮に「国」はなくなった。

朝鮮の歴史は半万年ではなく千百年弱

「朝鮮、属国史」の始まり
918年 高麗建国
10世紀 宋に朝貢、契丹(東胡の末)に朝貢。
12世紀 金(女真族、東胡の末)に朝貢。
13世紀 高麗はモンゴルの属国となる。劣等感から、一然という僧が檀君神話を捏造し、忠烈王がモンゴルに日本侵略を唆す。
14世紀 高麗滅亡、李朝建国。李朝は最初から明の冊封国で、国名も中国に決めてもらった。
17世紀 清(女真満州族)に服属、三跪九叩頭の礼に甘んじる。
19世紀 日本が日清戦争で中国を破り、属国の李朝は独立させてもらう。(日本の保護国)
1910年 李完用の要請により日本に併合してもらう。李氏朝鮮(大韓帝国)滅亡。
1948年 戦後アメリカ軍政庁の統治下にあったが、アメリカの後押しで大韓民国が成立。
1950年 アメリカとソ連の代理戦争である朝鮮戦争が起き分断国家となる。
1991年 ようやく国連加盟、史上初めて世界から独立国家として認められる。 
1993年 韓国、軍事独裁制を脱し、史上初めて独立民主政体となる。
現在 いまだ言論、学問の自由もなく民主主義とは程遠い国である。北は論外。
914人間七七四年:2009/11/29(日) 16:58:32 ID:JDqyjQSg
======== 偉大な韓国の歴史 ==========
10世紀 長白山が過去2000年間で世界最大級とも言われる巨大噴火を起こす(リセット)

1010年 「契丹」に侵略される。首都開城が陥落。(キタン人化)
1013年から1019年まで継続して侵略される。   (キタン人化)
12世紀 「女真」の侵入。侵略。「金」に朝貢。   (満洲人化)
1231年 「蒙古」に侵略される。首都開城が陥落。国王江華島に逃亡
    長い間、無抵抗の半島はモンゴル軍に蹂躙される。(モンゴル人化)
1247年 「蒙古」に再侵略される。しばらく蹂躙が続く。 (モンゴル人化)
1258年 雙城総管府を置かれる。翌年、王子を人質に降伏。(モンゴル人化)
    国内には多くの蒙古軍人が駐留。        (モンゴル人化)
1270年 東寧府を置かれる。              (モンゴル人化)
    反対派が済州島に移って徹底抗戦。1273年に鎮圧 (モンゴル人化)
1274年と1281年「元寇」(半島人主力で日本侵略。が、全滅(モンゴル人化)
1356年から1362年までの紅巾賊侵入により首都開京が陥落 (シナ人化)
1419年 「応永の外寇」 17000人で対馬を襲撃。船、家を焼き、住民を虐殺する。
    しかし、少数の対馬軍に撃退される。
1592年 と1598年秀吉の「唐入り」 首都漢城が陥落(短期でヤマト化は無理)
1627年 「後金」に侵略される。平壌を超え、侵略されるが漢城までは来なかった。
    しかし、国王は江華島に逃亡(満洲人化)
1636年 「清」に侵略される。首都漢城が陥落。清軍が、す早く江華島への道を遮断。
    泥濘の中、朝鮮王仁祖は清の太宗に降伏、大清国属国となる。(満洲人化)

「屈辱の象徴」三田渡碑の移転決定
http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/610163/
韓国マイナー観光
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kikyo/1239/w-18.htm

915人間七七四年:2009/11/29(日) 16:59:30 ID:JDqyjQSg
「アイゴー!シンガポールヤフーが韓国を中国領と表記してるニダ!」

シンガポール ヤフー(sg.travel.yahoo.com)とカナダのブリティッシュコロンビア(BC)州政府サイト
(www.protocol.gov.bc.ca)が韓国関連の誤りを訂正した。
サイバー外交使節団「バンク」は「1週間前までシンガポールヤフーはアジア地図で韓国を中国の領土と表記していたが、5日現在、『韓国領』に是正された」と明らかにした。(略)

http://www.worldtimes.co.jp/kansok/kan/shakai/090106-3.html


韓国紙・中央日報が韓国人のプライドをめちゃめちゃにする事実を報道していた


『有名教科書と地図「韓国は中国領土」』

英国オックスフォード大の出版社が制作している教科書をはじめ、世界の教育機関、博物館、テレビ局、新聞社、ポータルサイト、
百科事典など総34個の世界有名機関の世界地図53個が、韓国の領土全体または一部を中国領土に表記していることが分かった。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=65416


『スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」』

スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213



アメリカ大使館「朝鮮に歴史無し。昔から中国、日本、偏狭蛮族の属国」
http://s04.megalodon.jp/2008-0104-0331-22/www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&page=9&nid=3182743
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&diff=8434966&oldid=8280871

916人間七七四年:2009/11/29(日) 17:01:56 ID:l2CboN7K
統一新羅
http://www.memomsg.com/dictionary/D1096/390.html

統一新羅は、676年の朝鮮半島の統一から935年に滅亡するまでの新羅の事を差す。
この統一新羅、いわゆる新羅は、現在の韓国、朝鮮両国の共通の先祖の国家の初代といえる。
それ以前の国家は民族・言語・文化的につながりが薄い。当然、統一新羅の前身である新羅と統一新羅は連続している。
統一の過程で滅んだ、高句麗、百済は現在の韓国及び朝鮮とは連続性があまりない。
高句麗は実質的に後継国家として渤海があり、現在の中国東北部に小さく民族移動して国家を再建設している。



東北工程:百済・新羅の歴史も「中国史の一部」=中国社科院 『朝鮮日報2007年6月4日』
http://www.chosunonline.com/article/20070604000018

公式研究書に百済と新羅の歴史も「中国史の一部」と記述していたことが3日、分かった。
百済に対しては「(高句麗と)同様に古代中国の辺境にいた少数民族である夫余人の一部が興した政権」とし、
新羅については「唐は(百済が滅亡した)660年以前には羈縻政策を、それ以降には直接統治を行った」と記述した。
また、新羅は「中国の秦の亡命者が樹立した政権」であり、「中国の藩属国として唐が管轄権を持っていた」とした。



東北工程・高麗も中国が建てた国『朝鮮日報2007年6月6日』
http://www.chosunonline.com/article/20070606000006  

高麗について、「箕子朝鮮、高句麗に続き、中国が朝鮮半島に打ち建てた3番目の政権」と主張したところの、
吉林省社会科学院が隔月刊で発行する歴史雑誌『東北史地』の2007年第3号に掲載された「後唐の明宗が、高麗を建国した太祖・王建の族籍を明らかにした」と題する論文の存在が確認された。
この論文は、「王建は決して朝鮮半島の新羅人の子孫ではなく、中国・淮河流域から来た漢人の末裔」と主張し、
933年に後唐の2代目の明宗が太祖・王建に送った冊封詔書などをその根拠として提示した。冊封詔書には太祖・王建を「長淮の茂族」と呼んでいる部分があり、この論文は「長淮は淮河流域を意味する言葉で、太祖・王建の本籍地が中国であるため、高麗は中国人が建国した国

917人間七七四年:2009/11/29(日) 17:02:51 ID:l2CboN7K
各国教科書に見る朝鮮半島
http://bansensyukai.blog23.fc2.com/blog-entry-7.html
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ オーストラリアの教科書
「朝鮮は近代に到るまで、その国内での抵抗に関わらず、中国と日本の属国だった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ インドの教科書
「朝鮮は永らく中国の属国だった」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」

韓国と北朝鮮の国内でどれだけ洗脳教育をしても勝手ですが外の世界に出れば朝鮮半島は古代から下関条約まで常に属国。
これが世界の一般的な認識ということです。
918人間七七四年:2009/11/30(月) 01:05:54 ID:ruu0IAb+
コピペ厨ウザー(´Д`;)
919人間七七四年:2009/12/09(水) 07:00:47 ID:aJQZABFk
>>916
当然だよ。日本人が造った人工言語なんだから。
福沢諭吉もはじめはカナ漢字交じりの表記を普及させようとしたんだけれど五十音は彼らには難しすぎて教えられなかった。
そこで諭吉の弟子である井上角五郎が母子音あわせて半分以下の二十四種類で済む(そう。アルファベット26文字より少ない)ハングルを、
紀元前の日本人が使っていた神代文字を基に考案したんだ。
これによって世界一知能の低い朝鮮人と(むろん朝鮮人同士の間でも)言語による意思の疎通が可能になった。
もっともそれで話が通じるかどうかになるともう一段高いハードルがあるようだけど。
920人間七七四年:2009/12/20(日) 03:49:38 ID:EMpako0s
軍事力

明>秀吉>>>>>>サツマイモ>朝鮮
921人間七七四年:2009/12/20(日) 14:21:23 ID:c3m8vsNh
朝鮮が島津へ報復行動を開始していたら、日本は占領されていた
922人間七七四年:2009/12/20(日) 17:50:28 ID:evwD89sL
朝鮮がそんな事出来る訳ないじゃん
明でも無理だよ
いい加減チョンは学習しろ
923人間七七四年:2009/12/21(月) 23:54:22 ID:KBzPg9WJ
当時の朝鮮の人口は数百万で動員兵力も一万くらいだから
明がいなけりゃ島津単独で落とせるんじゃないかね
924人間七七四年:2009/12/22(火) 06:47:56 ID:A5/yJ8Zb
>>921
薩摩どころか対馬単独でフルボッコにされたのに・・・か?
925人間七七四年:2009/12/22(火) 15:39:11 ID:FYKyuFvP
対馬も侵略に備えて色々対策をたててあったし訓練もつんであったのもあるが
数で圧倒してた朝鮮兵があそこまで一方的に負けちらかしたのはなぜなのか疑問。
926人間七七四年:2009/12/22(火) 23:32:39 ID:R+11MHWp
負けない朝鮮はただの豚
927人間七七四年:2009/12/23(水) 15:24:59 ID:tbXjKFR1
まあ朝鮮軍は開戦数日で壊滅したからな。
当時の朝鮮は稲作に適した土地が南部だけで主食は雑穀や麦で人口少なかったし。
928人間七七四年:2009/12/23(水) 17:27:33 ID:UbEcS3/c
穀倉地帯の半島南部を完全防衛されたのが痛かった。
ここを押さえておけば日本軍の輸送問題は解決されていた。
929人間七七四年:2009/12/28(月) 07:47:19 ID:masEfK/l
>>928
そんなに穀倉地帯というほど豊かでないし、
戦時の混乱で統治崩壊して共食いして人口が三分の一
(政権の把握可能な耕地)になっている状況では
余剰作物もたかが知れている。
930人間七七四年:2010/01/15(金) 19:15:36 ID:lPhJzBJh
>>925
弱い民族は理論とか理解とか常識とか全て超越して弱い
近代軍で土人に負けたイタ公とか



朝鮮の場合。よくある普通の弱小国で相手が悪かっただけとも言えるが・・・
931人間七七四年:2010/01/30(土) 07:00:08 ID:+hZfivG5
明・朝鮮連合軍がなだれ込んでいたら、今頃日本列島は台湾のように中国の一部であったであろう
932人間七七四年:2010/01/30(土) 15:38:35 ID:ztp87prd
はいはい
つまらない自称釣り(笑)してないで将来のことかんがえようね
933人間七七四年:2010/01/30(土) 21:22:10 ID:tt3APZxP
その自称釣りに釣られてるんだよお前はww
934人間七七四年:2010/02/02(火) 17:04:07 ID:ykjhfVlf
顔真っ赤wwwww
935人間七七四年:2010/02/02(火) 20:08:42 ID:ykjhfVlf

   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \
 |   ( ●)(●)  <おっと、それ以上は言うなよ…
. |     (__人__)____
  |     ` ⌒/ ─' 'ー\
.  |       /( ○)  (○)\
.  ヽ     /  ⌒(n_人__)⌒ \
   ヽ   |、    (  ヨ    | 釣りすんなと言われて、それを釣れたとか必死す・・・むぐっ
   /    `ー─−  厂   /
   |   、 _   __,,/     \
936人間七七四年:2010/02/02(火) 20:12:51 ID:ykjhfVlf
スレと関係ないんだけどさ、俺「釣り」とか「釣り師」っていうのは、

 釣り師 ↓     
.            /| ←竿
     ○  /  |
.    (Vヽ/    |
    <>     |
゙'゙":"''"''':'';;':,':;.:.,.,__|_________
             |
  餌(疑似餌)→.§ >゚++< 〜
                 の組み合わせだと思ってたんだけど、

最近自称釣り師がダイレクトで自分の本音を攻撃されて「釣れた!」とか
言ってるの多いよね。
 これは、どっちかというと、



          ,〜〜〜〜〜〜 、
|\     ( 釣れたよ〜・・・)
|  \    `〜〜〜v〜〜〜´
し   \
゙'゙":"''"''':'';;':,':;.:.,.,  ヽ○ノ
          ~~~~~|~~~~~~~ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                 ト>゚++<
              ノ)

かと思うんだけど、どうよ?

あとはこのあたりか・・・
937人間七七四年:2010/02/03(水) 15:37:35 ID:li3shKL+
どん底だった韓国経済も復活。
サムソンは日本の家電大手合わせた売上よりさらに上を行ってる。
朝鮮人の本気を知るがいいよ?
938人間七七四年:2010/02/03(水) 16:57:18 ID:Z6Ip3c+3
|∀・).。oO(  最後の”?”が弱気だな
939人間七七四年:2010/02/04(木) 05:19:13 ID:qQgdpoRG
戦国時代を生き残った勝ち組ですら明や朝鮮の抵抗に屈した事実
940人間七七四年:2010/02/04(木) 07:47:03 ID:X0JAerKf
朝鮮は日中という強国に挟まれてるから弱く見えるけど
東アジア以外の地域でならそこそこ強い
まあ強いのは元寇あたりまででその後は牙が折れてしまうけど
明と清の圧力で奴隷根性に拍車がかかったのが原因
ああならないと生き残れなかった
941人間七七四年:2010/02/04(木) 20:06:30 ID:zk6SiDZG
「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
942人間七七四年:2010/02/05(金) 03:45:00 ID:qnSvT2/s
コピペ厨ウザス
943人間七七四年:2010/02/05(金) 19:37:13 ID:4hSoa9Eh
頭悪いチョンの妄言よりはいいさw
944人間七七四年:2010/02/06(土) 07:33:52 ID:K8Ne37Uv
奇襲したにも関わらず結局跳ね返された弱い秀吉軍の実力からして、
当時世界屈指の軍事力を誇った明が日本征伐を開始していれば、抵抗する間もなく豊臣秀吉は生け捕りになっていただろうな
945人間七七四年:2010/02/06(土) 16:17:11 ID:CR+4jLKs
明「小日本が調子にのってんじゃねーよ!冊封されろカス」
日本「はぁ? お前、世界が自分の為にあると思ってね? やってみれば?ズタズタにしてやんよwww」

超意訳
946人間七七四年:2010/02/08(月) 18:44:29 ID:XBYGx1YK
日本軍が連戦連敗w
947人間七七四年:2010/02/08(月) 20:38:49 ID:ChCvW2vZ
碧蹄館
948人間七七四年:2010/02/08(月) 21:43:46 ID:jZat8Bfa
朝鮮征伐
949人間七七四年:2010/02/08(月) 22:04:09 ID:jo2TTc7Z
秀吉の悪行で罪の無い朝鮮の人々を苦しませたのは事実
950人間七七四年:2010/02/08(月) 22:13:49 ID:DlnEKFmv
>>949
だんだん煽り方が適当になってきてるなw
951人間七七四年:2010/02/09(火) 08:03:02 ID:HEEp09h5
>>949
その根拠は?
952人間七七四年:2010/02/09(火) 18:50:12 ID:pkc/5CgG
明軍はこの戦役でどうしていたんだ?
953人間七七四年:2010/02/09(火) 19:13:03 ID:hUxEDabD
平和に暮らしていた朝鮮を襲撃したんだから、半島に住む人々も巻き添えをくらったのは確かだろ
954人間七七四年:2010/02/09(火) 19:14:45 ID:PzeAbiSL
戦争なんだからしょうがない
弱い方が悪い
955人間七七四年:2010/02/09(火) 19:16:15 ID:E9rR6BR8
現在の北朝鮮レベルの”平和な暮らし”だけどな。
956人間七七四年:2010/02/09(火) 20:55:07 ID:Ae3r0gr7
957人間七七四年:2010/02/10(水) 17:38:12 ID:STVYaB2S
よく考えたら朝鮮って隣国なのに歴史とか殆ど知らないよね、学校でさっぱりだった気がする
渡来人とか三国時代の時に援軍送って、それが敗れ、その後統一とか
朝鮮出兵でちょこっと出て、朝鮮通信士が来て、後は明治維新から現代に至るまで

中国なら初代王朝から現代まで知ってると言うのに
958人間七七四年:2010/02/10(水) 18:28:46 ID:UjdAcdto
朝鮮の歴史?
ずっと支那の属国でした。
ずっと支那の奴隷供給地でした。

これで特に問題は無いから。
これ以上必要も無いし。
959人間七七四年:2010/02/10(水) 18:46:28 ID:JF7pfKqq
>>957
その反省を込めて、現在の教科書では文禄・慶長の役を朝鮮侵略と教え、
たとえ東郷平八郎は載せなくとも李舜臣を救国英雄として覚えさせ、
また日本の元首相を暗殺したテロリストの名も非道な日本統治に抵抗した
愛国者としてしっかり教えるようになりましたよ・・・
960人間七七四年:2010/02/11(木) 00:08:42 ID:RDyJhi4d
>>957
鎌倉時代を習う授業で筑後大宰府と博多の権益を差配した少弐氏のについて習うだろうか?
室町時代を習う授業で伊勢に土着した北畠氏の履歴を初代から覚えるだろうか?
江戸時代を習う授業で播州池田藩の家老は○○家と△△家があるなどとテストに出るだろうか?

朝鮮についても同じ事が言える訳で有史に登場して以来ほぼずっと属国
そのような国の歴史をわざわざ学ぶ時間があればその無駄な時間を中国諸王朝の
歴史掘り下げに使った方が余程有意義
961人間七七四年:2010/02/14(日) 14:27:15 ID:O1rGDxUC
歴史でも経済でもスポーツでも芸能でも何でもかんでも
日本が韓国を過剰に持ち上げ過ぎ
普通の国、普通の隣国として扱えばいいんだよ。
同じ隣国でも台湾やフィリピンなんて空気扱いだし。

バレーボールなんて日本が何十連勝もしてるのに未だに
「アジアの壁韓国!」
「宿命のライバル韓国!」
「驚異的な身体能力を誇る韓国人選手!」
こんなノリだから褒め殺しになってる
962人間七七四年:2010/02/14(日) 23:39:02 ID:ea/LqaYT
そういうこと
963人間七七四年:2010/02/15(月) 19:09:52 ID:yWxVvhS6
>>961
「アジアの壁韓国(笑)!」
「宿命のライバル韓国(笑)!」
「驚異的な身体能力を誇る韓国人選手(笑)!」


こう言う意味だったんだよ!
964人間七七四年:2010/02/17(水) 20:55:35 ID:quuJyFzw
965人間七七四年:2010/02/17(水) 23:02:48 ID:ZkGn6FwO
>>964
なんでまた5なんだ〜 シャザイシル!(笑)
966月孔雀:2010/02/18(木) 01:18:56 ID:FS6rgjQd
韓と倭は、ほとんど変わらんよ。
967人間七七四年:2010/02/18(木) 21:14:31 ID:UVlLV+bH
968人間七七四年:2010/02/20(土) 21:03:13 ID:L02d2ScC
968
969人間七七四年:2010/02/21(日) 17:35:13 ID:UHwazjmV
970人間七七四年:2010/03/09(火) 13:50:38 ID:Mm9ZXgQW
970
971人間七七四年:2010/03/27(土) 08:38:43 ID:F08KHkLI
小西とかが小細工しないで素の秀吉を明に伝えていたらどうなってたろ。
972人間七七四年:2010/04/11(日) 15:50:30 ID:9U3LgEmx
972
973人間七七四年:2010/04/11(日) 17:14:44 ID:A668LU1R
973
974人間七七四年:2010/04/11(日) 17:58:16 ID:O3iwZnzd
974
975人間七七四年:2010/04/11(日) 18:44:58 ID:DgJDw/G5
975
976人間七七四年:2010/04/11(日) 18:56:11 ID:cNqQUbCU
976
977人間七七四年:2010/04/11(日) 19:06:50 ID:7FdWZOkI
977
978人間七七四年:2010/04/11(日) 19:08:51 ID:1a+KU42g
978
979人間七七四年:2010/04/14(水) 22:00:43 ID:uJDYXjJJ
イ・スンシンまんせー!
嗚呼、亜細亜の至宝よ。
おお、世界三大提督の一人よ。
980人間七七四年:2010/04/14(水) 22:03:57 ID:uJDYXjJJ
日露戦争の時に東郷平八郎が日本海海戦で大勝利して凱旋した。
そのお祝いの席上である人が
「この度の大勝利は歴史に残る偉大なものだ。
 ちょうど、ナポレオンをトラファルガーの海戦で敗ったネルソン提督に匹敵すべきあなたは軍神である」
といった。
東郷はそれに答えて
「おほめにあずかって恐れいるが、私に言わせればネルソンというのはそれほどの人物ではない。
 真に軍神の名に値する提督があるとすれば、それは李舜臣ぐらいのものであろう。
 李舜臣に比べれば自分は下士官にも値しないものである」
と言った。
981人間七七四年:2010/04/14(水) 22:10:25 ID:uJDYXjJJ
英雄は英雄を知る。
名提督東郷は知っていた。
李舜臣の人類史上懸絶した実力を。その清廉潔白な人柄を。
982人間七七四年:2010/04/15(木) 15:33:13 ID:OfJt08Tj
必死だなw
983人間七七四年:2010/04/15(木) 20:23:26 ID:YlXQuSPW
東郷を長官とする連合艦隊が、鎮海湾にひそんでバルト艦隊を待ちうけていて、いよいよそこを出動しようとするおり、ある水雷艇の将校は、李舜臣の霊にひたすらないのりをささげている
984人間七七四年:2010/04/15(木) 20:26:14 ID:YlXQuSPW
国民に希望を与えますから!
壬辰倭乱は決して敗北した戦争ではない。
侵略者の意志を折り、祖国の山河を守りきった勝利の戦争だった。
絶体絶命の危機においても希望を失わず、7年間の戦争でついに勝利をもたらした李舜臣、彼は夢見る人々の英雄である。
そして、私たちは李舜臣の生涯を通じて、私たちの夢と希望をもう一度確認することが出来るだろう!
おう!
985人間七七四年:2010/04/15(木) 20:30:57 ID:YlXQuSPW
「俺は百済。俺達宗主国。俺はニッポンの宗主国」
(ナヌン ペクチェ ウリン チョンジュクッ ナヌン ニッポンエ チョンジュクッ)

「未開だったお前らにしてあげたこと覚えてるか? 記憶してるか(記憶してるか?) 七支刀...七支刀」
(ミゲヘットン ノヒエゲ チョットンゴル キオッカニャ?キオッカニャ? チルチド、チルチド)
986人間七七四年:2010/04/15(木) 20:33:58 ID:YlXQuSPW
「世界で倭奴の書かれたチョッパリビッチ、チョッパリビッチ」
(セゲソゲ ウェノミラ チッキョットン チョッパリセッキドゥル、チョッパリセッキドゥル)

「自国の歴史まで騙すの?(ハイ)騙すの?そう、騙せ!騙せって!」
(チネナラ ヨクサカジ ソギョ?(ハイ)ソギョ?クレ、ソギョソギョソギョラ!)
987人間七七四年:2010/04/15(木) 20:40:51 ID:YlXQuSPW
   >┴<   ⊂⊃
 -( ゚∀゚.)-        ⊂⊃    
   >┬< 
       /⌒ヽ                /⌒ヽ
 イ・スンシン (*´ω`*) アッショウ      アッショウ ( ^ω^)
       .( O┬O                .( O┬O 
   .≡.◎-ヽJ┴◎           .≡.◎-ヽJ┴◎     
;;⌒::.;;.⌒⌒/   /| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/   /::. :; ;⌒⌒:.:⌒:;⌒;;⌒
..  ,::.;  /   /| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/   /.., ,; .:   ,,。,.(◯)   ::
  : :::., /   /| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/   /,,;  (◯)  ::: ヽ|〃  ;;:
.  ,:.; /   /| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/   /.., ,; :ヽ|〃  ,,。,    ::;
988人間七七四年:2010/04/16(金) 08:40:15 ID:l+pVNXTV
                                 ‖   /⌒ヽ
                                 ‖  √.李. ̄ヘ ぐわあ!
                                 ○  /<`田´;;>ヽ
                           ζ。//。ζ ‖\ ⌒巛巛 ⌒ゝ
                      '∵;'””,,;' ミ 皿ゞ;;彡'∵;'””,,;' '∵;'””,,;''∵;'””,,;'
             ズキューン .'∵;'””,,;'        ゝvv|   /;;;;;;∧;;;;;\
    ┣===ユ┳=======~~          / ̄ |vvv| ̄ ̄\ ̄ ̄ ̄ ̄ ──── __
    ∩∧_∧∩   ..     .      ‖==|vvv.|==‖========== \
    ( ´∀`)しつこいなもー ..      ‖==ヽvv |==‖===========‖
    ( 島津 )                ‖◎ ‖■‖◎ ‖◎‖◎‖◎‖◎‖◎‖◎‖
=============       ====================
\::::::::/:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/        \:::::::::::::::::::::::::::::/:::::::\:::::::\:::::::\:::::::\::::::: \::/
〜从〜〜〜〜从〜〜〜〜从从从〜〜〜〜〜从从从从从从从从从〜从从〜从从从〜〜〜
989人間七七四年:2010/04/16(金) 14:46:04 ID:wFNKsQ1z
ID:YlXQuSPWほど「負け犬の遠吠え」が似合う奴はそうそうおるまいw
990人間七七四年:2010/04/16(金) 23:52:33 ID:Gp3rWQmG
        (~)
      γ´⌒`ヽ
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   ノ⌒マ ( ´・ω・) イ・スンシン ステキダネ
<´  ノ ``と  )   _,,..,,,,_
 ヽ    ィ'´人__j  ./ -ω-ヽ サイコウダネ
   ー'´ し'⌒ J  l      l
            `'ー---‐´
991人間七七四年:2010/04/17(土) 00:01:45 ID:DrrFeNMB
 ○○○
○ ・ω・ ○ イ・スンシン まんせ〜
 ○○○
c(_uuノ
992人間七七四年:2010/04/17(土) 00:02:36 ID:DrrFeNMB
私がいちばん恐れる人は李舜臣であり、
最も憎い人も李舜臣であり、
最も好む人も李舜臣であり、
最も欽慕して崇めたてる人も李舜臣であり、
最も殺したい人もやはり李舜臣であり、
最も茶を一緒に飲みたいのもまさに李舜臣だ。
<壬辰倭乱参戦日本軍大将、脇坂安治>
993人間七七四年:2010/04/17(土) 00:03:39 ID:DrrFeNMB
李舜臣の偉大な人格、優れた戦略、天才的創造力、外交的な手腕などはこの世のどこにおいても彼に代わる人物を探すことができない絶世の名将として誇りとするところだ。
<日本海軍准将,佐藤鉄太郎>
994人間七七四年:2010/04/17(土) 00:05:01 ID:DrrFeNMB
李舜臣は実に朝鮮役において、朝鮮の英雄だけでなく東洋3国を通じて最高の英雄だった。
<『近世日本社』著者,徳富猪一郎>
995人間七七四年:2010/04/17(土) 00:06:38 ID:DrrFeNMB
李舜臣は清廉な人物で、その統率力と戦術能力を見ても、忠誠心と勇気を見ても、このような人物が実在したという自体が奇跡というほかない理想的軍人だった。
世界歴史上李舜臣ほどの人物はいないし、かえって日本人の方で彼に対する尊敬心が継承されて、明治維新期間に海軍が創設までされたので、その業績と戦術が研究されなければならない。
<歴史作家,司馬遼太郎>
996人間七七四年:2010/04/17(土) 00:08:10 ID:DrrFeNMB
小西、島津などは李舜臣が死んだのも知らずに戦ってまた敗走した。
これこそ死せる諸葛孔明生ける仲達を走らすも同然だ。
死ぬことによって国を守ったその忠烈。
一つ、豪傑李舜臣の令名はいつまでも輝くだろう。
<『李朝史大全』著者,青柳南冥>
997人間七七四年:2010/04/17(土) 00:09:16 ID:DrrFeNMB
東郷が輝かしい戦果をたてたことは事実だが、李舜臣将軍と比較すると彼の足の指一本にも及ばない。
李舜臣にネルソンのような挙国的な支援とそれだけの豊富な武器と艦船を与えたとすれば、我が日本は一日で占領されてしまっただろう。
非常に失礼だと思うが、韓国人は李舜臣将軍を聖雄だと持ち上げるばかりであって、彼が本当にどれほど偉大な人物であるか日本人よりも知らずにいるようだ。
<日本海軍戦略研究家,川田功>
998人間七七四年:2010/04/17(土) 00:10:59 ID:DrrFeNMB
同胞が李舜臣の名前を胸の中に刻むのは、彼が戦争当時、ただの一度も敗北せず韓民族が排出した世界人類歴史上、最も偉大な海戦将帥であるからだけでなく、
彼が持っていた死を超越した精神が、彼が属した共同体に向かう愛、彼とともに歴史をつくっていった国民に対する仕える心などが今日を生きていく同胞たちに人生の羅針盤になるからだ
999人間七七四年:2010/04/17(土) 00:12:30 ID:DrrFeNMB
多様な各状況で完全無欠にことを処理していくところに非の打ちどころがなかったのだ。
李舜臣の全業績を要約しようとするなら、過去の歴史の中で指針とするほどの教えがなかったにもかかわらず、
彼は海で戦わなければならないとき戦い、常に勝利に導き、彼の祖国を守護する最上の犠牲で人生を終えた。
<英国海軍准将ジョージ・アレクサンダー・バラード、G. A. Ballard>
1000人間七七四年:2010/04/17(土) 00:14:42 ID:DrrFeNMB
李舜臣「朝鮮義民よ。我々の完全なる勝利を共に祝ってくれ。」
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   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
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  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
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