1 :
世界@名無史さん:
侵略から国を守ろうと戦った世界屈指の海の名将・李舜臣将軍の本スレです
2 :
世界@名無史さん:2009/03/23(月) 22:32:37 0
2ゲット
いろんな意味で可哀相な人だよな。朝鮮なんぞに生まれついたのが運の尽き
4 :
世界@名無史さん:2009/03/23(月) 22:35:39 0
世界屈指
神の手は、指が何本あるのだろう...?
5 :
世界@名無史さん:2009/03/23(月) 22:38:12 O
ああ、イギリスの式典で名前で呼んでもらえず
「コリアンシップ」って言われた船の元ネタの人ですね
実は結構負けてるよねこの人。
補給線も切断できておらず北九州からじゃんじゃん半島南部に物資陸揚げされてるし。
7 :
世界@名無史さん:2009/03/23(月) 23:55:16 O
どっちかっていうと補給船に護衛もつけずほったらかしてた
日本軍が間抜けだっただけだしね。実際守り固めたら勝てなくなってる。
結局戦国大名打ち破ったのは李一族はじめとする明の武将たちなんだよな。
8 :
世界@名無史さん:2009/03/24(火) 04:37:39 O
打ち破ったと言えるのか?
ヘキテイ館とか大きな戦では大体明の方がやられてるから
正面きって打ち破ったとはちょっとなあ
9 :
世界@名無史さん:2009/03/24(火) 05:04:25 O
秀吉が生きてたら続いてたろ
10 :
世界@名無史さん:2009/03/24(火) 10:29:30 0
朝鮮出兵で大名を唯一討ちとられた来島通総
彼は李舜臣によって打ち取られた
11 :
世界@名無史さん:2009/03/24(火) 11:03:43 0
日本人は江戸時代に明朝鮮軍が攻めてこなかったことについて深く感謝すべき
12 :
世界@名無史さん:2009/03/24(火) 11:46:07 O
徳川家康は国交回復する際に明や朝鮮に謝罪するどころか
「通商に応じねえとまた攻め込むぞゴルァ!」って脅迫してるけどね。
13 :
世界@名無史さん:2009/03/24(火) 13:36:15 0
14 :
世界@名無史さん:2009/03/24(火) 13:41:04 0
15 :
世界@名無史さん:2009/03/25(水) 17:51:01 O
>>11 中華は兎も角として、朝鮮は室町時代に1万の正規軍で対馬攻めて
たった数百人の現地の武士達にフルボッコにされる
レベルだったんですけど。
16 :
世界@名無史さん:2009/03/30(月) 00:26:33 0
朝鮮の寸土も領有できず悔しいのう悔しいのう
17 :
世界@名無史さん:2009/03/30(月) 02:36:10 O
今になって対馬侵略とかやめてよね
>>11 国土の何割かが焦土になってすさまじい人的被害を被った朝鮮にそんな余力があるものか。
19 :
世界@名無史さん:2009/03/30(月) 11:30:36 O
秀吉が死んでなければ戦争は続いた訳で
基本的に戦争は有利だったが、異民族を海を越えて支配するのは大変なコスト
まぁ元寇の逆だな
しかし植民地奴隷たちがわいとるな。
宗主国様の言葉を与えられた光栄を忘れたか
20 :
世界@名無史さん:2009/03/30(月) 13:38:41 O
>>19 元の場合は上陸すらさせなかったのが大きいと思うぞ。
あれで防塁突破されてたら九州は蹂躙されてた。
21 :
世界@名無史さん:2009/03/31(火) 01:14:51 0
日本水軍の敗北話を避けたがるネット右翼のみなさま
22 :
世界@名無史さん:2009/03/31(火) 01:57:11 0
チョンは、現在に至るまで〜漢の時代から2000年以上、
他国の奴隷国家ですよ。
ところで韓国て何処の国?
日本の島?中国の省?
23 :
世界@名無史さん:2009/03/31(火) 02:56:04 0
李舜臣より権慄のほうが名将だと思うんだけど
隆景や秀家破ってるし
>>20 火薬と投石機を使えるのに、よく空中戦にもちこまなかったな>元寇
海戦では、使えないってことか。
25 :
世界@名無史さん:2009/03/31(火) 05:51:42 O
>>23 結局やる気無しモードの戦国武将達と明の田舎部隊が
ちょこっと小競り合いしただけで朝鮮軍は完全に空気だったからなあ
26 :
世界@名無史さん:2009/03/31(火) 07:52:53 0
>>24 元寇の時、実質的に海戦はなかったでしょ?
もっぱら水際の迎撃戦。
27 :
世界@名無史さん:2009/03/31(火) 13:21:47 O
一回目:平原で迎撃するとかなりギリギリだった。
↓
だから上陸を阻止するお
↓
二回目:上陸自体をさせない。元軍、ひたすらプールに落とされる出川の如し
28 :
世界@名無史さん:2009/03/31(火) 18:30:08 0
明と停戦して撤収する小西を奇襲したものの島津の援軍が来てそのまま逃げられ逆に戦死した人か
29 :
世界@名無史さん:2009/04/01(水) 20:58:55 0
日本の水軍もあんがい他愛なかった
というか日本は昔からシーレーンを守るのが下手なんだな
ソマリアの海賊相手に練習しようか
30 :
世界@名無史さん:2009/04/01(水) 21:44:53 0
秀吉が死んだのが撤退理由だが、
もう一つ朝鮮には何もなくて、居続ける理由がなかったのだろう。
秀吉が死んだのなら、統制が緩むはずだし、金銀宝の山だったら、
明軍と戦い続けても居残ろうとするに違いない。
カスみたなものしかなかったので、
これ以上明と戦っても益はないということだろう。
これが明の内陸まで攻め込んでいたら、
激戦になっても多少はうまみのある国滞在しようと思うだろうが。
地元の地理に明るいのを生かして相手の船団にいきなり奇襲しかければ緒戦は勝つに決まってる
そのあと相手の主力が来る前に撤退すれば被害は避けられるがこれでは制海権をみすみす渡してしまっている
当然ながら戦争中の対馬海峡の制海権は日本側が握りっぱなしで
この人は敵前逃亡ということで罷免
後任の元均というやつは本格的に戦ったけどあえなく全滅して戦死
結局、他と比べて比較的マシ(決定的敗北をやっていない)というだけで評価された
最後、撤退していく日本軍を追いかけ最後尾の小西だけでも倒そうとしたがそれも出来ずに返り討ちにされたのは哀れ
元均は、盧泰愚大統領時代に
テレビドラマ 「壬辰倭乱」で再評価されたよ。
33 :
世界@名無史さん:2009/04/05(日) 17:00:47 0
李舜臣が採用される前は元均が水軍を指揮したが、ことごとく敗れてる
やっぱり李舜臣の軍配はすごいんだよ
李舜臣は凄い
朝鮮は文官の国だったから冷遇されたらしいが
李舜臣は、文官・武官ハイブリッドだろう?
もともと文官で科挙通っていて、地方官をやったからハイブリッドになった。
そこから、水軍の将軍になったから、特に不得意分野はない。
>>35 そういう意味ではなくて、
武官として功をあげた者を警戒し過ぎる傾向があったと思う。
高麗で起きたクーデター・武官政権のこともあってなのかなぁ。
李舜臣の場合は他の将からの妬みもあったとも聞いた気がするけど。
37 :
世界@名無史さん:2009/04/06(月) 08:13:47 0
>>31が史実だろうな。
李舜臣伝説ができた後は、あらゆる解釈が李舜臣の経歴美化に収斂される
からな。あと、柳某とかいう当時の李朝の宰相が、李舜臣に目をかけてい
て彼に好意的な記述を残していたのも重要な要素。
海域を敵から奪取できない李舜臣が、李朝に罷免されたのも仕方のない側
面はある。彼に与えられた条件では、不可能な課題だったかも知れないに
せよだ。むろん党争もあっただろうが、有事における人事は、当局に相応
の失望感を与えたことも裏づけている。
死後は正規軍将官のなかで唯一、気を吐いた人物として忠武公と名づけら
れ暫し祀られたとか。2ちゃんでは、最後の海戦のさいは生還しても処断
が待っているだけなので捨て鉢になっていたとか、一族は抹殺されたとい
う説話もあるが、こちらのソースは見たことが無いな。
この人の場合韓国政府の反日政策の一環として
日本の侵略から朝鮮を守った英雄という位置づけになってるからなぁ
39 :
世界@名無史さん:2009/04/06(月) 18:51:42 0
実際朝鮮を守ることに貢献しましたが何か?
>>38 べつに、三・一運動で、急ごしらえで発掘された人物ではないはず。
韓国の歴史から抹殺されていた人ではないわけ。
儒者が、国防を説く時に、李舜臣の名は使われていた。
41 :
世界@名無史さん:2009/04/06(月) 21:34:41 0
実は李舜臣の名前が広まったのは日帝統治時代
42 :
世界@名無史さん:2009/04/06(月) 22:12:16 O
つーか東郷さんが再評価してから
>>42 海軍の東郷が、評価するのは、予算引き出すためで
儒学者や地方官が、国防予算引き出すのための話しと同レベル。
そういえば、西郷、大久保、木戸のほかに
勝海舟の弟子で坂本竜馬がいたけど、実はすごい大者だった。
海運業と商社だけでなく、シーレーン防衛の海軍も創設したんですぞとか。
神格化されたのは、昭和になってから。
李舜臣と坂本竜馬は似ている立場だね。
44 :
世界@名無史さん:2009/04/06(月) 22:34:37 0
45 :
世界@名無史さん:2009/04/06(月) 22:37:28 0
46 :
世界@名無史さん:2009/04/06(月) 23:56:14 0
>>43 再評価したのは東郷じゃなくて山屋他人らしいが
東郷が評価しただのってのは小説か何かの話だろうに
グレート東郷ではないことは確かだな。
大名にやる気があったら半島の南部くらいは支配できてたろ。
やる気が無かったから秀吉が死んだらさっさと引き揚げただけで。
ま、徳川家康が不参加だったのはチョンにとっては幸いだったな
51 :
世界@名無史さん:2009/04/07(火) 06:43:24 O
あとは先鋒の加藤と小西が犬猿の仲で内部分裂起こしたからな。
正直、蒙古襲来時の元軍以上にまとまりが無かった
52 :
世界@名無史さん:2009/04/07(火) 09:28:30 0
加藤はやる気満々だったろ
>>49 悪の枢軸が発生する
北半分が残っているなら、意味なし。
北の地から発生するやつらは、
岩石の島の領有権争うだけのセコい相手ではないからな(笑)。
54 :
世界@名無史さん:2009/04/07(火) 13:15:16 O
>>52 うん、やる気満々の加藤とやる気ゼロの小西や石田が
仲間割れ起こしたのが明や朝鮮にプラスに働いた
WBCの日韓戦に乗して立てられたのに
真面目にレスするとはここもまだまだいけるな
北朝鮮も、李舜臣、世宗大王、広開土王を英雄化して
金日成親子の個人崇拝を止められんものか。。。
金一族の価値相対化に、李舜臣の起用を金沢イボンヌ。
57 :
世界@名無史さん:2009/04/07(火) 14:48:14 O
公開土王って確か今の朝鮮民族とは無関係だったような
元寇のときの日本だって激しく抵抗したんだ。日本が攻めたらやっぱり必死に抵抗されるのも当たり前。
59 :
世界@名無史さん:2009/04/07(火) 19:52:08 O
でもたった1ヶ月で国土蹂躙されますた
でも最後に負けたのは日本側だけどな。
文禄の時は、都市を殆んど制圧したわな。でも兵站に無理がでてきて撤退。
慶長の時は、都市の制圧は眼中になく、農村や山間地の水源押さえて
逆に都市を包囲して長期戦に持ち込めた。
全羅や慶尚にばかり進駐するような戦略転換があり、首都の漢陽なんか眼中にない。
進駐者が、農民を人質にとって、食料確保できるうえに
租税も食料も役所に入らないなくなるので、王朝が自滅するのをカウントダウン。
因幡鳥取城(飢餓攻め)や備中高松城(水攻め)の再現みたいなのを積み重ねていく。
秀吉自体は、戦略について学習能力があり、柔軟だった証拠だね。
長生きしていたら、秀吉軍が屯田兵化して、農民に租税低減して漢陽を飢餓攻め。
次ステップには、春川あたりにダム作って決壊させて、漢陽大洪水で、王朝滅亡。
秀吉が死んだら、陶工が誰だか識別してあるので、拉致して終わりで手を打つかと。
62 :
世界@名無史さん:2009/04/07(火) 20:25:53 0
日本は昔から戦闘は上手いが戦争は下手
信長や秀吉は、戦闘は上杉なんかに比べて圧倒的に下手だったが
戦争自体は、上手かったと思うよ。
信玄の情報戦による策略、
桶狭間の今川ような農繁期での動員方式を取り入れたうえに
秀吉の農民の心理に通じた長期戦をプラスアルファして
ほとんど、個人技に頼らないで、天下をとり、家康もそのやり方を継承していた。
戦闘自体は、楠木正成が上手かったかもしれないが
足利尊氏、直義、高師直などは、総力戦が上手かったといえる。
64 :
世界@名無史さん:2009/04/08(水) 00:07:22 O
つーか合戦の規模で言うと戦国より南北朝のがデカい
楠木正成は、こんな戦いしたら負ける、といって容れられず突撃したりしたからね。
武士としては立派だったのかもしれんが。
李舜臣は、楠木正成のような立場なのかな?
水軍に十分支援が得られないのに、それでも戦ったということで。
秀吉が死んだ後だから、明のほうは講和の内示出している段階であり
王が講和するか逡巡している間に、李舜臣は、戦死してしまうんだから。
朝鮮側としては、二度と日本軍がこないように、徹底的に叩いておきたかったんだろうね。
さすがに秀吉という日本史上特異なキャラクターがなければ(少なくとも二百数十年は)何もない、とは相手からすれば想像できんかっただろうし。
徹底的に叩くも何も、講和して引き上げてくだけだっただろう
結局戦闘で城はひとつも落ちなかったしな
日本人は、戦術的勝利を最優先に考える思考があって。
戦略とか兵站とかの、玄人やプロの部類は軽視する傾向があるからね。
それが最悪の形ででると、WW2での凄まじい兵士飢餓率になる。
秀吉の妄想だと、中国を支配して皇族をそっちにうつして領国やるとかぶちあげてたんだけど。
実際には朝鮮で敗退だからね。
日露戦争で従軍した軍人で戦史家の佐藤鉄太郎も、日本の大陸進出は歴史的にみて失敗する、としている。
宗主国が講和といっているんだ。宣祖王を相手にせず日本は引き上げの当然。
いずれにせよ 宣祖王が講和だと言っても李舜臣は抗命するだろうし
明の支援が無いまま戦闘しても、玉砕
>>36の
>武官として功をあげた者を警戒し過ぎる傾向
だから、王の周囲は、李舜臣に死んでもらいたかったんだろう。
宣祖王が個人的に李舜臣に親愛感じていても、周囲はあぼーん願望。
慶長の役は、明軍の進駐して居座り
各地で民間人の起義があって、カオス状態になり
どの軍が何やったかもわからなくなっているし
役所の公文書なんかも無くなっている。
日本側でも、関が原合戦に進むので慶長の役の記録なんぞ散逸している。
だから、日本の大陸進出は何も記憶が無いまま、日中戦争に挑んだだろうな。
戦略とか兵站とか、古文書は断片なので、都合よく脳内幸福回路。
73 :
世界@名無史さん:2009/04/08(水) 07:39:58 0
そもそも実利収入のない外征なんざ、長くは持たない。
南蛮人から技術導入して、ニュージーランドや豪州を入植地として
ゲットする方向にしていたらな、などと妄想してみる。
By小松左京の南海太閤記
74 :
世界@名無史さん:2009/04/08(水) 09:08:23 O
戦闘は強いが戦争は下手。それが大和民族クオリティ
>>71 停戦を一度破って攻めたのは日本だよ。
これには双方の使者が都合いいことばかりそれぞれの首脳に復命していた複雑な事情があるけど、傍から見ればそうなるし。
警戒するなというほうが無理じゃあ?
まさか「秀吉っていう俺らのボスが死んだから、もう朝鮮攻める理由はないんだ。二度とこないから黙って帰してくれ」と使者に言わせるわけにもいかんしな
慶長の役は、途中の時代の史料が失われているけれど
文禄の役のほうは、日本にも韓国にも記録が結構残っているので、
その時の停戦は、どうなっていたか推論できる。すんなり帰っているよね。
慶長の役は、二度目だから、停戦しても誰も信用していない。
騙していて、何か仕掛けるんだろうと疑心暗鬼。
78 :
世界@名無史さん:2009/04/08(水) 18:39:30 0
>>76 チョン側もあっさり、そうですかって訳にも行かないしな
>>29>>69 李舜臣伝説とは異なりシーレーンはガッチリ確保できていましたので、
前線部隊が孤立する事も無く全軍無事に退却できたのです。
>>79 と、いう新たな伝説を作ろうとなさっているんですねw
海戦して、血路開いて必死に逃げた島津らの立場は……
小西行長ら脱出試みる→明・朝鮮船団に邪魔されて替えれない→
撤退のために終結済みだったほかの武将(島津立花等)らが救援に→戦闘、だからね
82 :
世界@名無史さん:2009/04/08(水) 21:21:21 0
>シーレーンはガッチリ確保
その素晴らしいシーレーンでは、具体的には
何隻ぐらいの輸送船が稼働していたのですか。
83 :
世界@名無史さん:2009/04/08(水) 21:34:03 0
>具体的には何隻ぐらいの輸送船が稼働していたのですか。
シーレーンを塞いでいた偉大なる李舜臣艦隊は日常どれくらいの船数で海域を支配していたのですか?
ってくらいバカな質問だな。
つうか当時の水軍は、現代の海軍のように継続して襲撃〜護衛作戦なんて不可能。
だから双方ゲリラ的な行動や、沿岸襲撃をメインにしていたわけで。
まず、頭からゲーム追い出せ
>>79
元々水軍力自体は日本が上だったからね。
元均という朝鮮の提督も、正面から戦うのは無謀だと反対したのに後方の命令で挑んで戦死しているし。
それでも李舜臣には脇坂氏らが撃破され、来島氏が当主戦死させられ、藤堂高虎も負傷、島津義弘も乗船水没のところをあやうく他家の船に助けられたりしている。
一人気を吐くって形だから、かの国で英雄とされても不思議じゃない。
「功名が辻」では、秀吉の死は伏されたまま
十分な和平交渉をせずに、血路開いて必死に逃げたと
されていたのだが。
取り残された部隊が出るのは当然じゃない?
小説は小説、ドラマはドラマw
慶長の最後では、小西行長が個別に明朝鮮の武将と交渉したけども。
さすがに一武将の行為じゃあ限界があったんじゃ?
日本の武士が発行した約定なんか、朝鮮人が信用しないだろう。
そんなに、金や銀が流通していたわけではあるまい。
18世紀になって、租税の物納が開始されているのである。
日本みたいに、戦国時代を経ていて
兵糧米の代わりに、金銭を交渉手段として使う習慣はないだろうに。
90 :
89:2009/04/08(水) 23:06:10 0
× 租税の物納
○ 租税の金納
当時の日本首脳は、秀吉死の混乱に手一杯で、朝鮮にいた連中に帰って来い、と命令だすだけだったからね。
正式の交渉を一本化していれば結果は違ったかもしれんのに。
92 :
世界@名無史さん:2009/04/09(木) 00:47:22 0
>>81 李舜臣と明軍副将まで戦死したあげく、日本軍は袋のねずみだった最後尾の
小西までまんまと帰国。日本が目的を達し、明と朝鮮が返り討ちになったと
いうのが実態ですな。
正直いって白村江海戦に比べると、李舜臣の「戦果」は省略可能。
元寇でも、日本は地上の防衛ラインと水上ゲリラの連携で、二次戦役での上
陸は阻止しきっている。朝鮮水軍には、サラミスやレパントやアルマダや、
トラファルガーやツシマの栄光が無い。上陸阻止に失敗した時点で、海戦
史上の存在意義がない。
>>31の指摘どおりで、李舜臣は制海権確保という戦略が達成できなかった。
理解しても力不足でできなかったのか、もともと理解できなかったのかは
判らないが。いずれにせよ、秀吉が水上ゲリラ対策として陸からの逆封鎖
を方針づけてからは、撃退されるだけの存在となり、先細りになっている。
敵の陸軍が港湾基地を制圧したら最後、海軍はもろい。アレキサンダー大
王も、ペルシア海軍にかなわないと知って海軍を解散し、陸戦に専念。陸
の本拠を制圧して、海軍の出番を封殺している。
そんな乱暴な論法(しかも初歩的な間違いすらあるし。文永でも元軍は上陸してきている)でいうのなら、
朝鮮どころか中国支配という野望をまったく達成できなかった日本将兵の勝利とか苦労一切は、それ以下ということで完全省略可能ですなw
文永でも→弘安でも
万暦帝から、金印送られてきたのが成果。
中学生の頃は、そう思っていました。
わーい。宝物を献上してきたよっと。
それに、平清盛が持っていた、あの貿易の権利が復活して秀吉さん金持ちーと。
でも、秀吉は平清盛と同じ待遇ではなかったんだね。
>>95 あれはオレに従う王として認めてやるって意味だからね。
実質はともかく形式としては。
明が降伏した、といわれていた秀吉さん大激怒。
とばっちりで二度目の出兵でみんな迷惑。
だれか止めてろよって話だがそうなると粛清されそうだし。
朝貢貿易の権利がついていない金印貰っても
秀吉でなくても、大激怒するよ。
生前に、巨大な地下宮殿造営していた皇帝に
経済力なんてあるはずがない。
実際は朝鮮南部の港を支配すると李舜臣はろくな活躍できなかったわけだが。
海軍は港がなければ活動できないと言う基本的なことを忘れてるのは
>>84のほう。
ろくな活躍ができない?
そんな相手のために、日本は沿岸部に資源と人材を取られたわけ?w
話が逆だろ。日本がそこまで備えたから、猛威が軽減されたわけで。
それでも退路を扼されかけるぐらいには活動をゆるしているわけで。
日本の敵であっても、気に食わないってだけで貶めようと暴論吐くのはよくないね。逆のことされたらどう思うか想像してみろ。
幸いなことに、日本にはそういう対外侵略された経験がほとんどないから想像はしにくいかもしれんがさ。
朝鮮の役の陸戦では、大身の大名にはほとんど損害でてないのに。
海戦だと村上水軍の来島通総・得居通之の指揮官二人を戦死させられたりしているしね。
海戦と陸戦じゃ勝手が違うからね。
陸戦では無敵のオスマン・トルコも、海戦では散々だったし、
最強の陸軍国だったフランス共和国も、海戦でイギリスに敗北した。
俺には海上の補給路をちゃんと確保できてた秀吉軍を
確保できてないと嘘付いて貶めてるようにしか見えないわけだが。
オスマントルコとは最近言わないし、
オスマン帝国海軍は東地中海の制海権を取れるくらい強かったですよ。
>>103 できてないんじゃないの?
無論すべてを遮断されたって話でもその逆でもないだろうが。
日本軍の進撃が全羅道で停滞したのは事実。
陸上ゲリラもあるが、水軍の戦力取られたのも理由じゃないか。
実際、陸兵化していた水軍衆も呼び返す事態になっているし。
106 :
世界@名無史さん:2009/04/09(木) 03:13:59 O
てか深夜なのによく伸びるスレですことw
俺?ちょっと目が覚めただけだから今から寝るよ
>>103 慶長の役では、補給できていた証拠がない。
秀吉軍が、明軍と一緒になって徴発していた可能性もある。
誰が、どれだけ徴発したかも、分からなくなっている。
この時代の朝鮮って、租税の記録も、戸口の記録も
文書という文書が全滅しているんだから。
慶長の役では、石田三成が、前線に行ってないから、
補給や兵站については、不明な点が多すぎる。
三成は、補給が問題だとおもったかどうかはともかく、後退して体勢を立て直すことを進言したんだっけ。
それでいけいけ路線の武将と喧嘩。
まあ彼らからすれば、俺らが命がけで取った土地を放棄するとは、と思ったんだろうけど名。
慶長の役と文禄の役とで違うというか良く分かってないのか。
李舜臣も、日記に直接攻撃は倭軍には通じない、糧道を狙うべきだとか書いているしね。実際、他の水軍がやる攻撃に参加しないとかして不和になったり、後の失脚の伏線になっている。
文禄では、秀吉から海戦を避けて沿岸固めろ、とまで直接命令出させるぐらいだし。
慶長なんか、アホな王朝幹部の命令で艦隊が大損害蒙った後に、いってみればその後始末押し付けられた状況だったのにね。それでも日本側に少なからぬ打撃を与えているからなぁ。
>>109 文禄の役の頃は、朝鮮側にも日本側にも
記録が残っているので、史料的な裏づけはあると思うよ。
じゃあ、李舜臣は名提督。
秀吉は補給軽視のアホではない、という事で良いじゃん。
>>113 お前の脳内以外、誰もそんなこといってないってw
115 :
世界@名無史さん:2009/04/09(木) 09:03:30 0
>>93朝鮮どころか中国支配という野望をまったく達成できなかった日本将兵の勝利とか苦労一切は、それ以下ということで完全省略可能ですなw
どっちが乱暴なんだかw おれが批判的なのは、李舜臣じゃなくて李舜臣伝説。
それが読み取れないのなら、議論にならない。「李舜臣は秀吉の大陸戦役という
歴史に残るべき大事件の中で、異常に過大評価されている」といいたかっただけ。
まあ言葉足らずだったかもだし、「省略可能」という言い方が反感を買うのは認
めるが、過大評価の弊害を忘れないでほしい。
日本海軍の予算取り用の与太話が、韓国の民族主義により生き残ったことで、
戦争の実態把握を歪めていることは、李舜臣を語るにあたってもっと問題視
されるべきだと思っている。
上陸阻止も撤退阻止もできなかった朝鮮水軍の存在意義が、戦役全体のなか
で実態にくらべて余りに大きく喧伝されている現状に、戦前に発生した日本
のプロパガンダの悪弊が残っている。そこに嫌悪を感じている。
>>99 日本軍が戦線を撤退した末期の、最後の出口一箇所に攻撃が集中できる
時期のことだろう。そしてそれにすら、失敗しているだけだ。
情勢が有利なときなら、愚将だろうとよほどポカやらない限り勝てるもの。
戦争っていうのは個人の能力より物量とかで決まるものだしね。
諸条件が圧倒的に不利な中でこれだけ奮戦した李舜臣は、やはり一級の名将といってもいいだろう。
同じ条件で戦ったほかの水軍提督は相当日本軍に苦戦し、大敗すら喫しているしな。
民衆に好かれそうな要素てんこもりだからね。
侵略者への強烈な抵抗、上司の無理解やいじめにあうけどめげない、
たとえ兵卒に落とされようとくさらずがんばり、最後は悲劇的。
日本人にこんな人物がいたら、多分同じようにヒーローにしたんじゃないの?
楠木正成はヒーローではないの?
仕えた後醍醐天皇が悪いからこそ引き立つ。
今の皇室の祖先である光厳天皇に、敵対したから
ゆとりネットウヨの人気は無いかもしれんが。
鏡と勾玉をその時点で持っていた(剣は壇ノ浦で紛失)ので
血統は完全無視にして、後醍醐が正統ということでOK。
>>118 戦前は、忠君愛国の手本に祭り上げられた事情もあってすごかったけどね。
現代はさほどでは……。
確かに下手に老害まきちらしたり、政争に敗れて失脚しますたとかよりも
最後の最後で戦死の方が物語的にはしまりが良い。
なぜか日本では、当の朝鮮では李舜臣は近代まで嫌われていて、日本が評価したからヒーローになったんだ、という珍説もあるな。
実際には戦死時に国王からの弔問がおくられ、左議政という地位を追贈し、功臣録に一等と記される。
忠武公の諡号も、百年たってから贈られたもの。
廟ができたのも二百年後。
西郷隆盛は、不平士族を道連れに、流れ弾に当たって死んでくれたから
>>120の条件を満たす。
大久保利通も、無防備な状態で旧加賀藩士に殺害されたので、
>>120の条件を満たす。
薩摩は、国賊扱い。伊藤博文達の天下になりました。めでたしめでたし。
朝鮮でも、李舜臣が死んでくれてウマーな人いたはずだ。
侵略者への抵抗っていう条件を満たすヒーローが少ないのは(北条時宗とか。でも実際に戦ったわけじゃないからかマイナー系)、日本がどれほど幸せな歴史だったかの一つの例だろうなぁ。
aggressive warのツケを払って、
invasionから本土防衛をした話は、『硫黄島からの手紙』
侵略者ではなく、インベーダーへの抵抗は多いんだよね。
125 :
世界@名無史さん:2009/04/09(木) 23:26:09 0
>>115 元寇の時の松浦党と同じだろ
松浦党はよく頑張ったが上陸阻止も撤退阻止もできなかったから大したことないとは言われない
当時の日本水軍は、秀吉が全国に石高ごとに船を作らせた大船団だったしね。
元々、数量が違うだろう。
ただ、日本の船は外洋航行の経験が少ないせいか、よく難破しかけたらしい。
乱中日記にも悩まされる日本船の記述が散見される。
127 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 05:21:41 0
李舜臣は政治的理由で持ち上げられすぎ。本土への上陸を許した時点で英雄じゃ
ないし、秀吉軍の武将のほとんどは生きて帰ってきている。秀吉が死んだから撤
退しただけだし。「救国の英雄」は過大評価なだけでなく、嘘っぱち。明軍の助
勢こそが朝鮮を救ったのであり、そこは史実を踏み間違えないでほしいね。
128 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 05:27:42 O
北条時宗はネトウヨに持ち上げられすぎ。本土への上陸を許した時点で英雄じゃないし
元・高麗軍の武将のほとんどは生きて帰ってきている。矢が尽きたから撤退しただけだし。
「救国の英雄」は過大評価なだけでなく、嘘っぱち。台風と高麗の民衆の助勢こそが
日本を救ったのであり、そこは史実を踏み間違えないでほしいね。
上陸できずに撃退されたんだが
改変チョン哀れ
>>128 元寇、唐入り共に2度あったぐらいは知ってるよな?w
鹿屯島の戦い
132 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 06:16:17 O
同じ「本土への上陸」でも精々博多ぐらいまでしか来れなかった蒙古襲来と
二回とも少なくとも半島の南半分は占領した唐入り一緒にしちゃダメだろ
133 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 06:17:54 0
>>127>>128 こうやって比べてみると、鎌倉幕府と李氏朝鮮の懸隔が際だつね。
国防に責任をもつ政府を13世紀の時点で持てた日本人は幸せだよ。
元・高麗軍は船上で寝泊まりしているしね。一片の土地も占領できなかった。
135 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 06:55:37 0
文禄の役では鴨緑江まで進軍してるしな。
完全に半島縦断。
海岸線でチョコチョコやってた元寇と比べちゃ駄目でしょ。
137 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 08:10:00 O
まてお前ら。秀吉の目標は明だったわけだから
そういう意味では明帝国は国土に殆ど踏み入れさせる事なく
日本を撃退したわけだぞ。朝鮮は言わば蒙古襲来で言えば対馬とか壱岐みたいなもんだ。
138 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 09:52:28 0
>>127 過大評価だけど
救国の英雄には間違いないだろ
139 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 11:01:22 O
倭猿最弱伝説w
白村江の戦い→わずか7000の唐軍に惨敗
刀伊の入寇→撃退したと主張するも実際は掠奪、拉致を完了した女真族が帰国しただけ
(壱岐では住民が35人に激減)
一部の女真族が高麗を攻撃したが、高麗水軍に敗れ拉日致されていた日本人を解放帰国させた
文永の役→対馬、壱岐で惨敗たやすく制圧される
暴風雨により帰国していただく
日本側大勝利を喧伝するも海路侵攻にも関わらず敵の高級将官を一人も捕虜に出来ず
弘安の役→対馬、壱岐で惨敗たやすく制圧される
前回より兵力は多かったが、多くは武器より農具を多く持ち込んだ旧南宋の老兵
暴風雨により帰国していただく
今回も日本側大勝利を喧伝するも日本側に捕虜にされた将官は皆無
応永の外寇→いとも簡単に朝鮮軍に対馬を占領される。日本は朝鮮に朝貢すると土下座してお帰りいただく
コシャマインの乱、シャクシャインの乱→アイヌモシリ侵略しようとしたらアイヌの土人にボコられる。騙し討ちでなんとか事なきを得る
秀吉の朝鮮侵略→中国制圧という戦略目標はおろか、朝鮮制圧も達せず、長い年月と多額の費用、 多数の犠牲を出し敗北撤退 多数の犠牲を出し敗北撤退
下関
とりあえず今週のへうげものは笑えるぞ
>>137 当時の船舶技術で渡海侵攻を成功させるというのは難しいという事だろう。
モンゴルですら日本に碌な橋頭堡を築けなかった。
元寇は朝鮮征伐に数百年遡るとはいえ、秀吉軍の安宅船などモンゴルの軍船と大差ない。
現地調達の難しい朝鮮国土の不毛さを考えれば、
首都ソウルを陥落させて半島を蹂躙しただけでも大したものだ。
なんで嫌韓厨は人がいなくなったころ見計らって同じコピペでループさせたがるんだろう。
IDないから自演とかとわかってても自動であぼんできないのが辛いなw
李舜臣は、ごくまっとうな判断をまっとうに実行しただけだからね。
(実は戦争ではこれが一番難しいわけだが)
相手の戦力をしっかり把握して、正面がダメながら絡め手から弱いところを攻める。
孤立した敵の分力を自分の全力で叩く。
戦果自体は少なくても、敵の後方にアクセスできる、と示せばそれだけで相手の戦力を割けさせることができる。
誤爆か自爆か知らんが、莫迦もいたものだ
>>141 その程度でたいしたもの、というのなら盗賊と変わらんのじゃw
……変わらないだろうなぁ、実際はorz
146 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 13:15:13 O
水軍は一手になってこれにあたれ、という戦力集中命令
陸戦の勝利で先行していた水軍衆を引き戻してまで沿岸護衛に当てる
これらを劣勢の中日本軍から引き出した、つまりは正規軍によるゲリラ戦?
日韓翻訳掲示板で見たんだが、李舜臣が水戦に勝ったのに後退したのだから愚か、というような書き込みがあったんだが。むしろ逆だろうね。勝ったのに、冷静さ保って後退したんだから。
それとは逆。
>>108 彼我の戦力差から非現実的な完全勝利ができないからたいしたこと無い、とか明らかにヘン。
まぁかなわずとも玉砕、というのは日本人の中でも右は好きな傾向だが。
149 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 13:52:47 O
まあ優れた戦闘指揮官なのは確か
しかし彼に与えられた脆弱な水軍兵力では大規模な日本のシーレーンに大打撃を与える事は不可能だった。
よって戦争の主体はあくまでも明軍
しかし明軍によって勝てたとは韓国人も認めたくはないからまるで戦争の主導権を李舜臣が握っていたかのように喧伝した
つう理解で良いのかい?
韓国人もって……。
李舜臣は別にナショナリズムが高揚してから生み出されたわけでもないぞ。
病的な嫌韓国から抜け出せない人なのになぜ学問板にくるんだろうね?
なんとか矮小化に必死。そら過大視と同じレベルってやつですぜ。
151 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 14:35:56 O
148だけど150はバカだろう
李舜臣こそ虚構のナショナリズムの権化ではないか。
局地戦では結構負けてるのに23戦23勝とか
明朝連合軍の実質的な総帥だったとか…そういうデタラメな韓国側の喧伝を真に受けるなと言ってるんだ。
オレは李舜臣が軍人として無能なんて言ってないよ
150こそ韓国に洗脳されているんだろう
だから23戦23勝なんていうのは近代になって出たこと。
当時、そんなマンセーとは別に既に功績あった、それは一等だったと記録されている。
お前が韓国嫌いなのは勝手だが、人の脳内まで勝手に決め付けないでくれ。
気持ち悪いから。
嫌韓厨から見れば、客観視すら韓国贔屓扱いだからな。
もしかしてごくまっとうな戦術を使用し、その結果日本軍の戦略全体(特に水軍の兵力移動)を拘束し少なからぬ影響を与えた、程度に書き込んだオレも洗脳扱いされるんだろうか?w
154 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 14:53:02 O
151
お前本当にバカか
当時の王朝が功臣として認めたとか関係ないだろう
合理的に軍人としての評価だよ
152
だから李舜臣が有能なのは認めてるって(笑)
ただあの戦争はやはり明と日本の戦争なんだよ
李舜臣が戦局をひっくり返したって話がおかしいと言ってるんだ。
ユーゴ紛争の時には
「アメリカが料理を作りヨーロッパは皿洗いをした」って言われたんだ。
文禄慶長の役で朝鮮軍が明軍のサポート的な役割しか出来なかったのは兵力的に仕方ないの
この人は李舜臣が日本のシーレンをズタボロにしたおかげで
日本軍は撤退を余儀なくされた的な李舜臣伝説を批判してるんじゃないの?
李舜臣が名将なのは認めてるじゃん。他の奴が指揮したら日本水軍にボロ負けしてるんだし。
156 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 15:15:00 O
実際に李舜臣の作戦ってそんなに成功してない。
釜山浦でも熊川でも敗退してるし巨斉島でも負けてる。
最後の梁津海海戦もお互いの被害から見たら良いとこ引き分けだね
トラファルガーのネルソンのような大戦果ではない。
李舜臣の能力もさることながら、日本側の問題も大きいだろ。
水軍を統率した藤堂高虎などは、確かに名将だったが水軍の専門家じゃない。
村上水軍は秀吉に嫌われていたせいか陸戦に刈りだされて、
阿波水軍の大将とかの専門家も多くて数百の兵で陸将に付属させられた。
これじゃ数の優位があっても苦戦する罠。
今年ノ春、朝鮮ニハ慶尚道水軍ノ使元均、日本勢ノ大軍ニ恐レ昆陽ノ海口迄敗走シケルガ、
李英男ガ進メニ依テ全羅道水軍ノ使李舜臣ヲ相招キ勢ヲ并セテ巨済ノ唐島ニ船ヲ浮ヘ日本勢ト戦ハントス、
茲ニ因リ御船手ノ九鬼大隅守、脇坂中務大輔、加藤左馬介、菅平右衛門以下相向ハント擬セラレシ処ニ、
三月三日藤堂佐渡守高虎早先立、手勢五百ニテ船ヲ乗出シ、唐島ヘ押寄セ賊ノ番船ニ乗懸乗移ラル、是ハ見セ船ニテ人数多カラズ、
数十艘乗取ラレケリ、時ニ諸将モ相続カセラレ番船百余艘乗取ラル、各々唐島ヘ上リテ暁払ヒ首百余級切捨ラル、
(『鍋島直茂公譜考補』)
日本側も、ある程度相手の司令官の姓名、傾向などを把握していた模様。
当時から李舜臣は日本にも知られていたらしい。
相手側も日本の武将名把握していたそうだしな。
映画やテレビで絵になる、亀甲船の体当たりがあるから
李舜臣は、かっこいいんだと思う。
山屋他人も、そのビジュアル系のかっこよさで
引き合いにして海軍予算引き出しの話に使ったんだよ。
日本側にも朝鮮側にも相手からの投降者や、捕虜から取り立てられた者がいる。
李舜臣は、『俊沙』という降伏者から、討ち取った日本武将の名前とかを確認していたそうだ。
161 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 15:52:00 O
亀甲船は実際は鉄の装甲艦ではなく木の板張りの船だったらしいね。
信長の装甲艦も藤本正行あたりは疑わしいと言っている。
動力源がない船に鉄の装甲は無理だろうね。
162 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 15:55:11 0
>>
九鬼とかは
途中で送ってしまったスマン
>>157 九鬼とかは水軍専門だけど結構苦戦してたような。
沙也加は、金官伽耶・駕洛国の末裔であって
16世紀になって投降した倭人ではない。
金官伽耶自体が、倭人出身とみられていたから
あたかも、投降したように改竄されているんだろうな。
日本側記録にも、岡本越後守と名乗っていた人物、また阿蘇宮越後守という人物が朝鮮に投降した、と残っている。
特に岡本越後守は、数千の将となりまた日本との外交折衝の場にも出てきている。
朝鮮側についたものの、微妙な心情からか日本側に攻撃があることをこっそり伝えたりとなかなか複雑な行動をとっているね。
水軍側だと、そう大規模な投降はないようだけども。
別に沙也可とは一言もいってないのに、それを出して嘘つきよばわりするヤツってなんなんだろうね?
そんなに日本人が朝鮮についたのが気に食わないんだろうか。
16世紀の倭人が投降したり、
現代の日本人が帰化したら
どこの誰でも、本貫は金海金になってしまうシステムなのか?
168 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 16:54:41 O
素人の日本水軍に勝ったり負けたりしてる李舜臣って大した事ないんじゃない?
それをいったら、当時の軍隊自体が、各国とも臨時徴集したのが中心な素人主体なわけだが。
職業軍人なんて少数なご時勢ですぜ。
武士でさえ、近世化で選任の軍人官吏になりはじめたところ。
170 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 17:07:43 O
>>166 お前さっきから過剰反応しすぎでうぜえんだよ
「南宮」と「皇甫」が、和系本貫かなんかじゃないの?
「金」が、和系だとしても、全部が金官伽耶ではない。
172 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 17:15:06 O
李舜臣の「全羅左道水使」ってどれくらいの地位なの?
朝鮮水軍の総司令官なの?
>>170 よぅ、降将といえばサヤカしか知らない人乙
李舜臣を真面目に語るには
ネットウヨクとチョンを排除しないと
175 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 17:33:57 0
朝鮮軍の軍装の画像が見れるサイトってありませんか?
176 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 17:49:28 O
178 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 18:11:43 O
>>158 懲ヒ録や看羊録が日本で読まれるようになった後の編纂物だからね。
リアルタイムの武将達はほとんど李や元の名前は知らないと思うよ。
>>138 はて?李舜臣が何をどうやって救ったのか見当が付かないんだが?
>>178 思うのは勝手だが、断定できる理由も無いだろうに。
普通、降伏した相手から事情ぐらい聴取せんか当時でも。
実際、お互いの記録に(ほとんど読みを漢字宛したものだが)名前らしきものは散見される。
182 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 18:40:02 O
>>181 例えば誰の書状?
俺は水軍の敵将の名前が記録された文書は宇都宮高麗帰陣物語しか見たことがないんだが?
183 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 18:42:37 O
だから、ほとんどと書いたんだが何か異論あるんなら、むしろ出典を教えて欲しいんだけど?
184 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 18:51:21 O
日本側で李を含むマイナー敵将の名前が出てくるようになるのは前2書や両朝平攘録を読んだ堀正意が朝鮮征伐記を出した江戸時代以降だと思うが、諸賢の意見はどうよ?
185 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 18:57:18 0
倭猿最弱伝説w
白村江の戦い→わずか7000の唐軍に惨敗
刀伊の入寇→撃退したと主張するも実際は掠奪、拉致を完了した女真族が帰国しただけ
(壱岐では住民が35人に激減)
一部の女真族が高麗を攻撃したが、高麗水軍に敗れ拉日致されていた日本人を解放帰国させた
文永の役→対馬、壱岐で惨敗たやすく制圧される
暴風雨により帰国していただく
日本側大勝利を喧伝するも海路侵攻にも関わらず敵の高級将官を一人も捕虜に出来ず
弘安の役→対馬、壱岐で惨敗たやすく制圧される
前回より兵力は多かったが、多くは武器より農具を多く持ち込んだ旧南宋の老兵
暴風雨により帰国していただく
今回も日本側大勝利を喧伝するも日本側に捕虜にされた将官は皆無
応永の外寇→いとも簡単に朝鮮軍に対馬を占領される。日本は朝鮮に朝貢すると土下座してお帰りいただく
コシャマインの乱、シャクシャインの乱→アイヌモシリ侵略しようとしたらアイヌの土人にボコられる。騙し討ちでなんとか事なきを得る
秀吉の朝鮮侵略→中国制圧という戦略目標はおろか、朝鮮制圧も達せず、長い年月と多額の費用、 多数の犠牲を出し敗北撤退 多数の犠牲を出し敗北撤退
下関
馬多時(乱中日記)とかはどう発音してどう字を選んだんだろうね?w
187 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 18:58:50 0
倭猿最弱伝説w
白村江の戦い→わずか7000の唐軍に惨敗
刀伊の入寇→撃退したと主張するも実際は掠奪、拉致を完了した女真族が帰国しただけ
(壱岐では住民が35人に激減)
一部の女真族が高麗を攻撃したが、高麗水軍に敗れ拉日致されていた日本人を解放帰国させた
文永の役→対馬、壱岐で惨敗たやすく制圧される
暴風雨により帰国していただく
日本側大勝利を喧伝するも海路侵攻にも関わらず敵の高級将官を一人も捕虜に出来ず
弘安の役→対馬、壱岐で惨敗たやすく制圧される
前回より兵力は多かったが、多くは武器より農具を多く持ち込んだ旧南宋の老兵
暴風雨により帰国していただく
今回も日本側大勝利を喧伝するも日本側に捕虜にされた将官は皆無
応永の外寇→いとも簡単に朝鮮軍に対馬を占領される。日本は朝鮮に朝貢すると土下座してお帰りいただく
コシャマインの乱、シャクシャインの乱→アイヌモシリ侵略しようとしたらアイヌの土人にボコられる。騙し討ちでなんとか事なきを得る
秀吉の朝鮮侵略→中国制圧という戦略目標はおろか、朝鮮制圧も達せず、長い年月と多額の費用、 多数の犠牲を出し敗北撤退 多数の犠牲を出し敗北撤退
下関戦争→わずかな水兵が上陸しただけで長州兵は恐れを成して砲も破壊せず遁走
連合軍は無傷の砲を多数捕獲
薩英戦争→英艦隊に圧倒され敗色が濃かったが、英艦隊が砲弾が少なくなったため、撤収
薩摩側は完敗を認め賠償金支払い
鬼曼子、とかなぁ。
あるいか官名で呼んだとか。上官、とか。
確か小西行長だっけか。和平交渉のために官位と豊臣姓を自称したケースもあったな。
そういう交渉の場に出れば、わかったんじゃないの?
「倭奴は紙をかんで飢にあて、溺(小便)を飲んで渇をとくにいたる。造飯するたびに、まず砲をあつかう者を食わせ、余は餓死するに任せた」
(「中国文明の歴史8」中公文庫)
190 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 19:10:44 O
朝鮮の王様ってシナからの使者を土下座して迎えたらしいね。
191 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 19:14:12 O
今の議題は敵に知られた日本武将の名じゃなくて、日本武将に名を知られた前線の敵将なわけで。
>>188 小西はほとんどの方に属さない可能性の強い武将だとは思いますが、書状などに敵将の名を残しとたかどうか?
>>191 いや、君と君の話題に合う人同士のレスなら勝手にして、だけど。別にそっちに興味ないこっちにまで自治られるのは断る。
>>187 こらこら、そこまでにしておけ(w
続きは絶対に書いてはいけない。
我々は、明治以降の記述で「倭」を使われると
歴史用語としては、見なせなくなる。
194 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 19:41:05 O
高麗奴が生意気な
195 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 19:49:37 O
>>187みたいなアホにガチで釣られる奴がいないあたり
この板もまだ捨てたもんじゃないな。
196 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 19:55:01 0
ただ単に反論できないだけだろw
「先手のふねとも八敵船にあひ、手負あまた、いてき申し候、その他ふね手の衆めしつれられ候、かろう(家老)のもの共もくわん(過半)手負い討死に仕り候。
(高山公実録)
信長の鉄張り船なら、多聞院日記に記録あるけどな。伝聞だけど。
火も矢も通さない船、だからほとんど動かない浮き城砦だったんじゃないの?
>>196 反論するより、事実は事実と認めるよ。
唐には惨敗しても、明には互角でしょ?
戦場にしてしまった韓国の人には申し訳ないけど、
明とか清には勝っているから、進歩ではないの?
あくまで、朝鮮半島という土俵で、中国と戦った場合ね。
中国の中まで行くと、さすがにアウェイの洗礼だからね。勝てなかったよ。
日本だって、こっちがホームだったから、元寇には勝たせてやってないよ。
>>199 先手の来島がやられた部分だけじゃなく、ちゃんと日本の本隊の救援と勝ったところまで提示しろよ。
「さき手のふねともハ敵船にあひ手負あまたいてき申候中にも来島出雲守殿うちしににて御座候
其外ふね手の衆めしつれられ候からうのもの共もくわはん手負討死仕候処に毛利民部大夫殿せき舟にてはんふねへ御かゝり被成候
はん船へ十文字のかまを御かけ候処にはん船より弓鉄砲はけしくうち申候に付船をはなれ海へ御はいりなされおやうく候処に藤堂孫八郎藤堂勘解由同人船をよせ敵船をおいのけたすけ申候
朝の五しふんより酉の刻まて御合戦にて御座候みなとのやうすはん船能存候に付風を能見すまし其せと口をぬけほをひきかけはしらせ申について是非なくおつかけ申儀もまかりならすいつみ様も手を二か所おはせられ候」(高山公実録)
>>202 それって勝ったの?w
強がりとしか思えないんだが。
大将が負傷したことも素直に書いてるし。
204 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 23:56:15 0
>>125 いや。歴史上、李舜臣が松浦党なみの評価であれば、素直に「李朝武官にも
人材あり」で落ち着いただろうよ。
ところが日韓の反日史観によれば、「明軍そっちのけで李朝の鞍馬天狗・
李舜臣が連戦連勝。秀吉の戦略そのものが大番狂わせ」という評価では
突っ込みたくもなるってもんだ。
「奇策で大軍を撃破」という芝居がかった与太話と本物の戦争の区別をつけ
られない日本人の、近代戦の参戦国としては不利な外交・軍事センスが、李
舜臣伝説の源泉だと思っている。
この伝説を韓国人が、「金日成は日本軍に10万回も勝利した」的な民族主義
のノリで継承し、冷静な分析を不可能にして、わけわかめな伝説が肥大して
いる。松浦党の評価に、そんな奇怪な状況など生まれてやいない。
誰も韓国史観に基づいた李舜臣なんて語ってないのに。
嫌韓厨の、ウヨ板と勘違いした独り相撲はいつまで続くのやら。
>明軍そっちのけで李朝の鞍馬天狗・
>李舜臣が連戦連勝。秀吉の戦略そのものが大番狂わせ
ドラマ「不滅の李舜臣」とか「壬辰倭乱」といったドラマでは
そんな講談調には、描かれておらず、
むしろ、悲劇的なんだけど、滅びの美学すらも感じさせなかった。
流れ矢に刺さって、突然終わるような、そんな無常観で一杯だった。
むしろ、鞍馬天狗的な講談の演目は、郭再祐なのではないかな?
官員になったことはないし、伝承だけ一人歩きできる存在。
>>145 その程度と言われても、海を越えて遠征して敵国の首都を陥落させたのが盗賊と変わらないというのなら、
歴史上のどの戦いも盗賊と変わらんぞ。
まあ、世界最大の帝国を作ったモンゴルも、規模の大きな盗賊と言われればそうかもしれんが。
>>205 相手が皆嫌韓厨だと勘違いした一人相撲乙
彼は嫌日厨
>>203 朝鮮水軍が支配していた海峡を制圧し、
日本水軍の通行が自由になったのだから
勝利では?
シーレーン厨乙
いやいやいやw
シーレーン厨こそ海軍の仕事だろ。
213 :
世界@名無史さん:2009/04/11(土) 10:22:26 0
>>210 被害は大きかったけど戦略的には日本の勝ちてとこじゃない?
何と比較して大きいとか小さいといっているのかも不明w
戦略的に勝ちというのは北京を占領して紫禁城に秀吉が住む事じゃないのか
216 :
世界@名無史さん:2009/04/11(土) 13:11:31 0
日本史にたとえれば、
硫黄島で劣悪な環境・戦力でそれでも奮戦して敵に相応に打撃を与えた栗林兵団に、
お前らはアメリカ全軍を食い止めたわけでもその戦略目的を挫いたわけでもないからダメだ、といってるようなもんだからな。
>>205
217 :
世界@名無史さん:2009/04/11(土) 13:54:22 O
>>157 オー、あなたも当時の敵水軍に対抗するのに艦隊決戦のような同型戦備で対照戦をしないと思い込んでいるのですね?
トテモ可哀相ニ思イマース。
>>217 誰もそんなこといってないわけだが。
煽りさえ下手だな、お前はw
219 :
世界@名無史さん:2009/04/11(土) 14:05:38 O
制海権は文禄と慶長の両役を通して日本軍にあったんだろう。
日本は地上戦が膠着状態になっていたところに秀吉の死による撤退が始まったわけだ。
別に李舜臣に負けたわけじゃない
明の物量に対して負けたわけだ。
当時は制海権なんて概念もないし、仮に支配海域だろうと継続して保持する力がないのは双方同じ。
日本の戦国期でいえば、織田を悩ませた毛利水軍のように、補給やその妨害合戦だったんだろ。
だから側背を脅かす相手の水軍は、機を見ての遭遇戦で潰すのが優先だった。
秀吉が全水軍を一手にして潰せ、と指示したのもそういう意味だろ。
実際には李舜臣に返り討ちにあった挙句、捕捉に失敗して水戦諦めて沿岸固めに切り替えたが。
221 :
世界@名無史さん:2009/04/11(土) 14:32:05 O
じゃあ海上優位でいいや…
概念の問題じゃなくて実質的にどちらが海上作戦を優位に行っていたかの問題だよ。
各海戦においても日本水軍の優位は間違いない
こちらで大名級の戦死者は来島ぐらいだが向こうは李舜臣や元均をはじめとして名だたる将が戦死してる
沈められた船も朝鮮側の方が多い
元均も李舜臣も戦死した時は統制使だ。
艦隊司令長官が2人も戦死させられてるわけだ。
日本水軍の優位は間違いないよ
>>221 その概念でいうのなら、水軍を集中しても勝てず、水戦を回避する命令さえ出した日本の不利だな。
沿岸防御に変えた、といえば聞こえはいいが、要するに主導権を放棄せざるをえなかった、ということだから。
実際、幸州山城・晋州城攻略失敗のように、陸戦にも悪影響がでているし。
223 :
世界@名無史さん:2009/04/11(土) 14:42:34 O
>幸州山城戦
日本軍が十倍の兵力で攻撃し、粘られてさすがに落ちかけた時に朝鮮水軍が補給のために現れ日本側は阻止できなかったので挟み撃ちを警戒して後退せざるを得なかった展開だからね。
日本の内戦でいえば石山本願寺攻めに類似している。こっちはここで信長が大船(いわゆる鉄甲船とされるもの)を投入して再度の補給を完膚なきまでに阻止して、孤立した本願寺は備蓄食い潰した上落ちるんだが。
むろん、日本側も馬鹿だったわけじゃない。
二度目の侵攻の際は、一度目のように当たるを幸いに突進せず、
しばらく釜山周辺固めに専念していた。
これに元均が(正確には彼の反対を押し切って攻撃を強要した李王朝幹部が)ひっかかって大敗。
ここは日本軍の思う壺。
誤算は、そこまでして叩いた朝鮮水軍が、なお余力を残していた点。
北進したのに水戦で負けてまた後退、を繰り返してしまった。
実戦とは別だが、宗主国の明兵の略奪とかの取締りを許された属国の将軍って李舜臣ぐらいだよな。
227 :
世界@名無史さん:2009/04/11(土) 14:59:35 O
「飛車」かっこ良すぎる!!
228 :
世界@名無史さん:2009/04/11(土) 15:14:46 O
我々ウリナラ族は全ての文明の原点なのニダ
忠武公李舜臣将軍はナポレオンやネルソンを越える名将なのニダ
おまえら倭奴が忠武公様にいろいろ難癖をつけるのは我が偉大な民族に対する嫉妬なのニダ
寛容なる我が民族はおまえらを許してやるニダ
あらら。普通に語っている相手に、なんとか日本軍優位を認めさせようとして失敗したら荒らしに転じてらw
230 :
世界@名無史さん:2009/04/11(土) 17:26:23 0
>>219 物量だったら豊臣軍も負けてないんじゃない?
>>220 その沿岸支配で李舜臣の水軍はほぼ無力化されたわけだが?
李舜臣自身が水軍だけで攻撃しても効果ねえよ、陸軍働けよ、と書き残してるしな。
>>221 ひでえなそれ。
最高指揮官が二人共討ち取られるとは山本長官が撃墜されて古賀長官が遭難したより酷い。
233 :
世界@名無史さん:2009/04/11(土) 18:11:12 O
>>220 水戦で達成しようとした目的を沿岸防御で達成したわけで、何か問題あるの?
>>224 をい!鉄甲船は本願寺の補給路を断ってないぜ?
その後どんだけ継戦したと思ってんだよ?
日本が防備を固めていた海岸では朝鮮水軍は自由に活動出来ないし、
朝鮮が防備を固めていた海岸では日本水軍は自由に活動出来というだけことでしょ。
>>219 別に明も物量に優れていたわけじゃないよ。朝鮮軍は問題外。
秀吉は武威を示せば不利な敵は降伏すると思って居たんだ、敵も不利は嫌だろうという同レベルの思考でね。
しかし朝鮮は国土国民が荒廃して復興の見通しが無くても何とも思っていなかったわけ。
秀吉死後は単なる損切りって奴だよ。
征服しても利益がないことに気付いたから撤退しただけ。
一回目はそこそこやる気もあったが、二回目はやる気なし状態だったみたいだしね
>>236 郭再祐みたいなのが、王朝に見切りをつけて
起義(民衆による武装蜂起)してしまうんだから、
宣祖王は、もともと統治能力ないだろう。
明に助けてもらうにしても、自分では決断できずに動けなく、
宰相の柳成龍に、全部まかせる羽目になっているのが宣祖王。
李舜臣を大抜擢したのも、柳成龍。
正規の朝鮮軍よりも、ゲリラ戦法の郭再祐の民兵のほうが人望があったろう。
郭再祐たちは、明軍が略奪すれば、明軍も叩いて敵扱いしている。
決して凡将ではないが名将とまではいえないってあたりが妥当な評価か?
>>231 無力化してたら、最末期でさえ小西行長らが封鎖されかけることもないんじゃない?
防備固めて被害を局限する代わりに、主導権を相手に渡したわけで。
幸州山城戦のように、陸の勝ちが海の活動を押さえられなかったせいで失われた例もいくつもある。
名将っつーとまた定義で荒れそうだな。
でも、世間様では一戦域でも目覚しい活躍した人も名将っていうぐらいだからねぇ。
馬鹿な上司と強大な敵軍双方に悩まされながらここまでやったんだから。
名将は名将だと思うが。
なんか日本の敵だったってだけで必死にくさそうとしている連中が毎日沸いて笑えるな。あの徳川光圀だって、祖父の敵三成を彼は彼なりに忠義を尽くした立派な男だと認めているというのに。幻想的マンセーしているならともかく当たり前に語っていても噛み付くってどういうことよ?
ホント史板住人?
石原勇輔とか朴舜臣とか出てくる
東映製作の日本映画があったのは、面白いな。
>>239 朝鮮水軍を維持したって点は驚異的に非凡であるが、
肝心の戦闘については水軍自体が勝っても負けても
どうでも良い戦力だったというのが彼の評価だな。
246 :
世界@名無史さん:2009/04/11(土) 20:53:15 0
いわゆる制海権、とかいう概念じゃなくて。
具体的に水軍がどんな影響を与えたかの実例がでているのはいいね。
ウヨが暴れようがさすが史板だ。
他板だと、そこからは水掛け論だけで終わっちゃうから。
やっぱり水軍は軽視できないわけか。>
>>224>>240
248 :
世界@名無史さん:2009/04/11(土) 21:09:14 0
>>240 小西が封鎖されたのは敵に海岸支配をやられたからだが?
そんで、それ以前の話しに戻ると、水軍を放置したからって、
渡してないよ戦争の主導権。
>>242必死にくさそうとしている
どちらが腐そうとしている評価なのかな?かな?かな?
>>225 慶長の役の直前に、小西行長の使者がこっそり攻撃計画がある、と漏らしたとか一種の情報工作が行われたといわれているね
悩まされた朝鮮水軍をはめるための謀略だったと結果からみても言われているが。
小西行長とか宗義智は和平を嘘ついてまで締結しようとしたぐらいだから、案外本気で撃退されることを祈ってたのかも。
朝鮮王朝の勲功では、李舜臣と元均の水軍指揮官二人が一等。あと一人は権慄。
明王朝のそれでも、総兵中で水軍指揮官の陳リンが一等。
あっち側からみても総じて水軍の評価は高かったのかね。
252 :
世界@名無史さん:2009/04/11(土) 21:25:48 0
>>2513人とも「勝った勝った」とそれなりに宣伝出来たからね。
具体的レスがないじゃん。
例え話に食いついただけで>打消し
ウヨ用語では、イチャモンつけただけで打ち消しというのか?w
>>225 最後の方おかしいだろ?
慶長の役で陸軍や水軍が敵軍に圧迫されて後退したことなんかあったのか?
>>254 幸州山城も後巻効果で晋州城の時と一緒、水軍でなくとも援軍であれば短期決戦を諦めていたわけ。
小西の孤立も沿岸を支配されたから水軍に活動された結果でしょ?
258 :
世界@名無史さん:2009/04/11(土) 21:40:25 0
どっちが具体性無いんだよwww
それと
>>181の日本側が知っていた根拠の朝鮮武将の名前が勝てある記録もあるあるって言いっ放しなんだが。
記録はないのかな?
名目だけ勝っても(価値というか、凌いだだけ?)、どっちみち撤退に追い込まれて幸州山城という拠点を失ったのは権慄なんだが?
蔚山の戦いで日本軍は勝利したが、前線の武将らはこれは突出しすぎだ、と
その蔚山・順天城を放棄して戦線縮小するよう具申しているんだよね。
石田三成がそれを受け取ったんだが、本土からは言語道断とまでいわれてしまった。
これが通っていれば、退却時の戦闘は無かったかもね。
小西が孤立したというのも政治的に戦闘目的がなくなっから消去的になったためで、
実際に強行突破も諸将の間で議論されているよね。
>>260 なんで?倭軍撤退が前提の明の攻撃なんだから戦線が縮小していても狙ってくるんじゃないの?
島津家の『征韓録』だと、明や朝鮮の船は石弾や火壺を使ってきたらしい。それで相当舟が焼かれた、とかある。
日本側にも、村上水軍が使ったことで知られる焙烙のようなものはあったはずなんだが、効果はどうだったんだろう?
中国の船は、宋代には既に密水構造(区画を区切って造船、一箇所が浸水してもそこで局限する造り)を実用化していたけど、明の船もこの流れ?
なんか儒学者に造船書が焼かれた、とかいって技術が失われたとかいわれているんだけども。
>>262 縮小理由として、交通が不便で救援不能、とあげられている。
当然、小西勢の進退も難しく、水路が遮断されると独力突破はできなかった。
島津勢らと早めに合流して下がっていれば、そんな事態は避けられたんじゃないかな、と。
相手側からみると、やっぱり日本軍で一番厄介だったのは鉄砲だったらしい。
特に水戦では、抱え筒と思われる大型の鉄砲で首脳部が殺傷されたことが宮中に報告されるほど。
陸戦でも有名だな。
島津義弘が「鑓は役に立たない、とにかく鉄砲を用意だ」と(いくらなんでも槍がまったく不要ってことはなく誇張だと思うが)書状出している。
266 :
世界@名無史さん:2009/04/12(日) 05:50:57 O
戦争は火力だよ、兄貴
>>265 そのまま戦乱の世で火力や技術が発達してたら、西欧列強のように海外に植民地を広げていられたかもしれないな。
269 :
世界@名無史さん:2009/04/12(日) 10:36:28 0
李舜臣と不仲だった元均が、引き立て役になっているのが哀れ。
大敗したとはいえ、元均は正しい意味で制海権をめぐって戦った。
全滅の原因も、陸軍が協働を拒んだことが大きい。
李舜臣はといえば、撤収する日本軍への追撃戦で戦死。
李舜臣は、元均より有利な条件で、かつはるかに低い戦略価値の決戦において、戦死した。
日本は主導権を手放さず、元均と李舜臣は、それを得るときと不要になって捨てるとき、
討ち取った敵将であるに過ぎない。
李舜臣は、勝ち目のない決戦を避けてスコアを稼ぐ点、有能な軍人であると同時に抜け
目の無い官僚だった。決戦を避ける限り制海権は得られないが、戦績を宮廷に上奏して
覚えをめでたくできる。
白衣従軍も、敗北必至の戦場で自分の評価をいたずらに失うまいとする、官僚の知恵だ
ったと思われる。だから最後の決戦は誤算だった。
乱中日記を読むと、戦役末期、息子の戦死という個人的大事件があったことがわかる。
それで自暴自棄、完全に切れてしまっていたらしい。
「親より息子が先に死ぬなど、あってよいことか!」と、激しく哀号、日本への復讐心
を吐露している。よりによって最後に火病を起こしてしまったらしい。
だから最後の決戦は、彼らしくも無く、打算ぬきの感情的な出撃だったと思われる。だが
戦死することで、抜け目のない官僚主義者の一面をもつ彼が、悲劇の英雄になった。
無論その上で、彼が豪胆で非凡な戦術家であったことは動かないだろう。
270 :
世界@名無史さん:2009/04/12(日) 11:51:13 O
>>269 李は日本の水軍については最後までまともに対戦したことがなかったから閑山島海戦レベルだと舐めていたんじゃないか?
だからどうしてウヨは真面目なレスが続いている間にも出没してスレ汚し(しかも煽り文までコピペで……)するんだ?
ウヨ板に帰れっての。
蔑視感情丸出しの煽りはいいから、具体的な戦の流れが知りたい
幸州山城のようなケースのほかに水軍の影響が活動を与えた戦ってどれぐらいある?
オレは思想偏向ないから、日本勝利でも明朝鮮勝利でもどっちでもいいよ
勝敗でいったら明朝鮮連合勝利は動かない。
日本は戦略目標を何一つ達せずに撤退したんだから。
戦術的な優勢なんてウヨの自慰に過ぎない。
274 :
世界@名無史さん:2009/04/12(日) 14:14:54 0
>勝敗でいったら明朝鮮連合勝利は動かない。
>日本は戦略目標を何一つ達せずに撤退したんだから。
>戦術的な優勢なんてウヨの自慰に過ぎない。
だからどうして真面目なレスが続いている間にも出没してスレ汚しするんだ?
帰れっての。
こないだからウヨウヨ言ってる奴が一番スレ汚してる件
276 :
世界@名無史さん:2009/04/12(日) 14:31:53 O
問題は李舜臣の軍事的な意味合いの話だろう?
トータルの戦争の話ではなく李舜臣の作戦の評価だろう
乱中日記を読めばいいだろ。煽ってるウヨはじめとして読んでない気配ぷんぷんだけども。翻訳だってされているのにさ。
戦役中、日本軍が飢えに苦しめられたのは確か。
よく釜山までは〜というが、実際にはその釜山付近でも苦労しているから、
どっかで妨害くらったか、それとも元々日本軍の輸送量が到底必要に満たなかったかどちらかだろうな。
朝鮮水軍による輸送船襲撃は、近代戦での海上封鎖ほど頻繁ではなかったし。
>>278 李舜臣の所だって飢えているよね?
水夫がバタバタと飢え死にしたり疫病に倒れたり。
それを評して同じく「どっかで妨害くらったか、それとも元々朝鮮軍の輸送量が到底必要に満たなかったかどちらかだろうな。」と言っていい?
「此所こそ往生の庭よ、いまやいまやと往生を待ち申すばかりなり」
「水はなし、食物もなし」
「水に渇え迷惑したが、雨になりきつく降り、城中諸人口を漏らし、一息つく。」
(従軍した僧侶・慶念『朝鮮日々記』)
雨でやっと渇をしのぐ程度だしね。
長束正家・石田正澄宛の前線武将の連署報告だと、
兵糧がない、どれだけ敵がいても兵糧あればなんとかなるが、足りなくて陣の移動すらままらない
と窮状を訴えているし
細川藤孝が予見したとおりだろ。
争場はそもそも大義も相無き軍事、国を離る事数千里、仮令勝利をうるといえども繁々満目皆敵ナリ。長陣寒気到来なるや、
寒気凛冽その地広大、期風天日を覆うと聞き及ぶなり。向こう所の我国の軍兵その征衣薄きなり、
万里の辺地に兵糧続かず寒死を免れずなり。おもえば空恐ろしき事に候。
関東北越の三百余万石を在国せしめ、九州、四国、中国の諸将を始め御一門衆、譜代衆の費えは
豊家衰落の禍とも成り難き軍立に候わずや
元々、構想自体に無理があったんだ。李舜臣や義兵ゲリラの活動はそれを加速したんだろうがな。
>>280それは備蓄準備前に重囲に陥った第一次蔚山城の戦いの時の話で常態の補給を語る上では不適当な引用でしょ?
閑山島海戦で脇坂安治勢が抜け駆けして返り討ちにあったのは、
日本側が水軍を集中するきっかけになった李舜臣の二度の襲撃で差配する船が多数焼かれたせいなんだろうか。
>呼び名
第一次普州城攻防戦で、日本軍を撃退した相手の将・金時敏を、
日本側記録だと もくそ=木曽なんて記載しているからな。
音宛だと妙な字になる。木曽、はともかくもくそって・・・
日本が攻撃してくるとは思わず、中国の宋代を思わせる文官偏重だった朝鮮側の暢気っぷりもアレだが。
戦国時代で戦なれしているはずなのに、調子こいて突っ込んでから兵糧が無い、とかいってる日本の武将もなぁ。
日本の内戦だって、兵站は重要だったろうに。
郭再祐らの義兵が、略奪するものは、
たとえ、朝鮮軍だろうが、日本軍だろうが、明軍だろうが
ゲリラ戦で叩いて、奪い返した。
まさに、「外患内憂」の状態ではないのか?
郭再祐らが、農民を味方に付けて、兵站の主導権をとって、
李舜臣も秀吉軍もよって飢えて当然だろう。
この代の朝鮮の王は、統治能力ゼロ。
まぁ豊臣秀長も反対した。
日本にとってさえ意味の無い戦だったからな。
朝鮮から見たらまさにたまったもんじゃない迷惑。
誘拐された朝鮮人が、相当奴隷として売られたからな
東南アジアの白人に売られたケースも
…刀伊の入寇の時には高麗王朝は女真族撃破して、さらわれた日本人わざわざ帰してくれるほどだったのに。
元寇の件もあるし、隣国同士だと争うことが多いねぇ。
ウヨレッテル厨のレス抽出。具体性が無く煽ってばかりでレベル低いなぁー。
>>118 :世界@名無史さん:2009/04/09(木) 12:52:06 0
楠木正成はヒーローではないの?
仕えた後醍醐天皇が悪いからこそ引き立つ。
今の皇室の祖先である光厳天皇に、敵対したから
ゆとりネットウヨの人気は無いかもしれんが。
鏡と勾玉をその時点で持っていた(剣は壇ノ浦で紛失)ので
血統は完全無視にして、後醍醐が正統ということでOK。
>>128 :世界@名無史さん:2009/04/10(金) 05:27:42 O
北条時宗はネトウヨに持ち上げられすぎ。本土への上陸を許した時点で英雄じゃないし
元・高麗軍の武将のほとんどは生きて帰ってきている。矢が尽きたから撤退しただけだし。
「救国の英雄」は過大評価なだけでなく、嘘っぱち。台風と高麗の民衆の助勢こそが
日本を救ったのであり、そこは史実を踏み間違えないでほしいね。
>>174 :世界@名無史さん:2009/04/10(金) 17:28:22 0
李舜臣を真面目に語るには
ネットウヨクとチョンを排除しないと
>>205 :世界@名無史さん:2009/04/11(土) 00:14:44 0
誰も韓国史観に基づいた李舜臣なんて語ってないのに。
嫌韓厨の、ウヨ板と勘違いした独り相撲はいつまで続くのやら。
(ウヨレッテル厨のレス抽出の続き)
>>244 :世界@名無史さん:2009/04/11(土) 20:48:10 0
真面目に語りたいのなら、まだ本スレのほうがいいだろ。
最近に限ったことじゃないけど、ウヨってどこの板にでも湧いて来るね。
世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その7
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1204066393/ >>247 :世界@名無史さん:2009/04/11(土) 21:07:24 0
いわゆる制海権、とかいう概念じゃなくて。
具体的に水軍がどんな影響を与えたかの実例がでているのはいいね。
ウヨが暴れようがさすが史板だ。
他板だと、そこからは水掛け論だけで終わっちゃうから。
やっぱり水軍は軽視できないわけか。>
>>224>>240 >>254 :世界@名無史さん:2009/04/11(土) 21:29:17 0
具体的レスがないじゃん。
例え話に食いついただけで>打消し
ウヨ用語では、イチャモンつけただけで打ち消しというのか?w
>>271 :世界@名無史さん:2009/04/12(日) 11:57:55 0
だからどうしてウヨは真面目なレスが続いている間にも出没してスレ汚し(しかも煽り文までコピペで……)するんだ?
ウヨ板に帰れっての。
>>273 :世界@名無史さん:2009/04/12(日) 13:01:28 O
勝敗でいったら明朝鮮連合勝利は動かない。
日本は戦略目標を何一つ達せずに撤退したんだから。
戦術的な優勢なんてウヨの自慰に過ぎない。
>>277 :世界@名無史さん:2009/04/12(日) 16:25:13 0
乱中日記を読めばいいだろ。煽ってるウヨはじめとして読んでない気配ぷんぷんだけども。翻訳だってされているのにさ。
292 :
世界@名無史さん:2009/04/12(日) 21:18:40 0
レッテルを貼るだけじゃな。
トリップをつけて発言検証に耐えるぐらいやらないと。
無理だと思うけど。
>>284 抜け駆け戦功狙いは、戦国時代からよくあったこと。
>>286 戦国時代の兵站は、大半を略奪や現地調達で賄っていた。
そのつもりでやってたんでしょ。
20世紀の日本軍も同じ轍を踏んでるな。
>>264 実際、蔚山は加藤清正自らが篭って一度は敵を撃退したけど結局放棄するハメになってるしね
小西行長も孤立した
このあたりは前線武将に自由な進退権限がなかったからな
文禄元年(1592)全羅道右水使・李舜臣指揮のもと
四月十三日、
秀吉軍釜山上陸。
五月七日、
巨済島東岸入り江の玉浦の海戦、日本側船二十六隻沈没、生き残りは山中に逃
走。
五月七日夜、
合浦前洋の海戦、日本側大型船五隻炎上沈没。
五月八日早朝、
赤珍浦の海戦、日本側大船九隻・中船二隻破壊。
五月二十九日、
泗川の海戦、日本側大船十三隻炎上。
六月二日、
唐浦の海戦、日本側二十一隻全滅。
六月五・六・七日、
唐項浦の海戦、日本側船舶(加藤家輸送船?)全滅、損害七十四隻。
七月七・八日、
閑山島(見乃梁)の海戦、日本脇坂軍五十九隻損害、脇坂安治負傷。
七月九日、
安骨浦の海戦、日本四十隻余全滅。九鬼・加藤軍。
八月二十九日、
朝鮮水軍、釜山浦の日本船四百七十余隻を攻撃、百隻余りを破壊。
戦果については、近代戦でもしばしば戦果過大があるため差し引く必要あり。
>食糧不足
戦国期の軍隊は、戦闘員のほかに多数の非戦闘員のお供をつれていったからね。当然彼らも飯を食う。
このあたりの事情は多分、同時代の明朝鮮も似たり寄ったりだと思うが。
この点は、フィリッポス二世時代のマケドニアのほうが優れているな。
297 :
世界@名無史さん:2009/04/13(月) 04:54:20 0
>>295 釜山近くでも船が相当やられてるじゃん。まぁ小舟とかも含めて、の数だろうけども。
298 :
世界@名無史さん:2009/04/13(月) 08:05:43 0
>>297 ほんの数時間の滞在攻撃でどこまで正確な戦果を評価できるもんなんですかねえ?
報告が過大であるほど負けの込んでいる中央は喜んで大捷を宣伝するし、少なくとも当面の倭軍は報告に文句を言いませんし。
大敗でもして密告されないかぎり、水増しでみんな幸せです。
>>298 たぶん忠武公全書に収録の乱中日記と壬辰状草が元ネタ。
攻撃側からの戦果申告です。
301 :
世界@名無史さん:2009/04/13(月) 13:17:34 0
英語版wikiの朝鮮出兵の項目は充実しすぎだなw
英語版wikiは日本の言い分はあまり入らない傾向があるからね。
日本人で、英語で論争して勝てるのが少ないのか。
それとも所詮、日本の常識は世界の非常識、なのかw
単に英語を知っている日本人が少ないだけだろ
李舜臣いわく、日本の舟は飛ぶように早い。
安定性より速度重視した、関船クラスが主体だったのかね?
>>297 万石取り以上の大名で殺されたのは来島氏ぐらいだが、数千石程度の上級武士だとかなり死傷させられているからね。
最後の海戦でも、島津家の記録でも名前がはっきり載る士分だけで26人が戦死、その他夥しい数がやられた、とあるし。
陸戦でも大名は死んでないけど
上級武士だと結構戦死してるんだよね。
女性の論介に殺害された上級武士もいる。
>>305 士分で26人ぐらいだと足軽や雑兵だと、もっと被害多いんじゃ
あと、病死も結構いたような。
これは相手方も同じだけどね。
当時の朝鮮は、冷害続きだったというし。
大軍の運用に適さないところへ、三ヶ国の大軍が戦したわけだからなぁ。
>>309 鍋島家だと咸鏡道の撤退までに、
かなりの武将達が病死したってレス見たことあるな。
討死するのなら武士として名誉だろうが、異国で病死ってのは無念だったろうなぁ・・・
まぁ島津家他は、そのかわり相手の名将李舜臣ら敵の首脳を殺傷してるわけだがな。
島津義弘も危うく戦死しかけて他家の舟に助けられたりとか、かなりの激戦だったのは確からしい。
>>295 加藤家の輸送船全滅てのは、清正?嘉明?どっち?
>>311 時代違うけど
太平洋戦争の時とか異国での病死て辛かっただろうなー
スレちがいスマン
>唐項浦の海戦
一次と二次があるが、多分一次で加藤清正家の船団のほう。(二次は、配下の将軍が指揮で李舜臣はいなかった)
日本版wikiじゃあ戦果が上がらなかった海戦、と他と一まとめにしているが。
本スレのほうで、双方の主だった死者・病没者がまとめてあるから見てくればいいんじゃないか?
実際の戦果てどれくらいだったんだろう
全滅て言うのをまるっきり信じる訳にも行かないし
加藤家の記録とかあるかな?
六月二十三日付けの書状で、秀吉が脇坂・九鬼・加藤(嘉明)ら水軍衆に一手になって敵水軍叩け、と指示をわざわざ出しているから。
現場だけじゃ対応不能だ、と思われるほどの損害はくらったんじゃないか?
>>315 まぁ戦果はともかく、陸との連携を考えるようになって一方的にやられることは無くなったのは確か。
八月の釜山甫の戦いでは、李舜臣側にも高級幹部(万戸)に戦死者が出ている。
>>309-311 鍋島家はかなり死んでるな
1592-1593○ 咸鏡道撤退までに陣没した鍋島家家臣
諸岡彦右衛門、永田源左衛門、横尾十五左衛門、
中島九郎兵衛(病死)、納富六郎、武藤主嘉允、
馬渡相右衛門、武藤新九郎、乙咸五兵衛、
高木内蔵助、姉川平右衛門(中務大輔)、水町平右衛門(丹後守)、
鹿江太郎左衛門、公文六郎兵衛、緒方牛之介、
321 :
世界@名無史さん:2009/04/13(月) 17:31:00 O
>>294 いや、籠城で引き付けて援軍が撃退するのは規定路線。
計画通りですよ。
322 :
世界@名無史さん:2009/04/13(月) 17:32:08 O
>>294 いや、籠城で引き付けて援軍が撃退するのは規定路線。
最初の蔚山は準備が不完全だった以外は計画通りですよ。
>>321 ガイシュツの通り、前線武将は連署して放棄を願ったが聞き入れられず。
撃退したものの、酷い飢えに悩まされて苦戦。
結局放棄するハメに。
どこが規定?
>>308 士分の十倍が死んだとして一万前後の島津軍のうち260人が討ち死にだから大損害だよね。
325 :
世界@名無史さん:2009/04/13(月) 17:41:56 O
>>323 君の認識は順番が逆のような気がするが?
>>325 逆なのはそっちじゃないの?
日本側が連署して上訴したのが先、加藤清正篭城は後。
明と朝鮮の武将同士は、宗主国と属国という関係からかとかく仲悪いケースがあったが。
陳リンと李舜臣は仲良かったようだね。
陳リンは李舜臣が死んだと聞いたら三回もへたり込んだそうだ。
まあ、自分の副将も死んでるから一人だけを惜しんだわけじゃなかろうが。
>>323 規定路線、南部布陣をするために倭城を築く、敵が攻めてきたら籠城して後ろ巻きの援軍と共に撃退。
第一次蔚山戦、完成間際の城を敵に攻められて兵糧と兵力不足に。援軍が来て敵を撃退。
準備が万全でなかったこと以外の対処は計画通り。
現場では戦線縮小案が出たが、
政治を優先して一城以外は政治的決断で撤退命令が来るまでは維持。
329 :
世界@名無史さん:2009/04/13(月) 17:51:25 O
>>323餓えたから放棄した城って具体的にどこよ?
>>327 明と朝鮮もそうだけど
日本も武将同士仲悪いよな
加藤と小西の対立が無かったらもっと戦況がマシだったと思うんだけど
>>328 だからそれを規定どおりいかなかったというのではw
文禄では、石田三成の引き上げ策に前線武将達は反発したっていうが、
慶長では逆に前線武将が戦線縮小訴えて窮するまで蹴られたってあたりが面白い。
当人達はたまったもんじゃないだろうが。
>>331 豊臣姓を騙り、嘘ついでまで和平したかった小西と、
いけいけで秀吉命の清正だからね。
たしか、「小西は所詮商人あがり、オレこそ本当の武士」とか明側に啖呵きったんじゃないか清正。
いいたいことはわかるが、交渉相手に仲間の当事者低く見せるような発言したらダメだろw
>>333 豊臣姓を偽ったのは清正じゃなかったけ?
どっちにせよ、二人とも子供みたいw
清正篭城後、こんどは宇喜多秀家らが連署で放棄を願ったんだけどそれも一度蹴られたんだよね。
窓口(宛)は石田三成で、朝鮮に渡って実情もしってる三成がそんな馬鹿いったとは思えんが。
この件でも恨みかうことになったのかなぁ?
>>334 確か小西。あと、同時に和平派の宗氏も官位等詐称している。
必死だったんだろうな。秀吉にバレたら殺されてもおかしくない。
>>332 だから規定路線通りじゃん。
更にその規定路線は継続実施さるてるし。
で、戦線縮小案が出た後にどこの城が飢えに苦しんだのですか?
>>335 それは篭城救援戦で戦った黒田らを、石田三成と親しい軍目付が、
あいつら戦ってませんでした、と秀吉に注進したからでは?
三成はこの件ではとばっちりくさい。
339 :
世界@名無史さん:2009/04/13(月) 18:20:28 O
>>332 石田三成の引き上げ案てなあに?どこの文書に記録されていること?
この人、時系列も言ってることもメチャクチャだお。
>>335 宇喜多が出した奴がみんなが話題にしている戦線縮小案だっつーの!
清正の縮小案って何だよ?
一月二六日付の秀吉宛連著注進状、では13人の武将が、蔚山含めた三城の放棄を正式に提案しているね。これ以前と以後の時系列はよくわからんが。
この間、「こんどは城に食料今度は溜め込んだから大丈夫」という義弘書状以外は、相変わらず飢えが日本側で記録されているし。
>>336 清正も名乗っている。他にも振る舞いがいろいろあって、それを三成に報告されて譴責くらったり。
他にも三成と現地武将の衝突は(信憑性は勘案しないといけないだろうが)いろいろあるな。
もちつけ。
まずは籠城戦の前後に複数の縮小案があったと御主張の御仁にどんな根拠の縮小案なのか聞こうじゃないか。
さあご高説をどうぞ!根拠があるならチャンスですぞ!
344 :
世界@名無史さん:2009/04/13(月) 18:31:38 O
>>341だからウルサン籠城戦後に何処の城が飢えていたのさ?
一、 大明国へ年内乱入事、先手へ申遣、跡々の衆可押詰之由令相談候之処ニ、小西都(漢城)へ罷越、さきさき兵糧己下も之無、其上赴寒天如何之由申候、又跡之路次無人にて
通路不輙候付而(たやすからず)、先被仰付国都へ入渡所務申付静可申通、各致相談、得、御掟候事、
一、 小西、小野木先手より罷越候て申ハ、唐人為加勢少々相越、朝鮮人数加、小西、小野木陣所へ三万計にて取懸候之間、及一戦追崩千計討捕候由候、小野木弟又六なとも討死仕候、
何□□何之国□□□人成敗仕候も、追崩数多討とり候ヘハ敵五百も千もころし候ヘハ、
此方の者も五十百つ、相果候、又手負以下も候ヘハ、勝申候内ニ日本人は無人に罷成候間、年内之儀如此先国難治、今年ハ如何候条、丈夫ニ申付候事、
(文禄元年三奉行連署状。□は判読不能部分)
翌年には、三成が兵を勝手に引かせたってことで秀吉から詰問使を送られている。
そこまでした三成が、引き際を無視するとは考えにくいからな。
やっぱりもうろくした秀吉さんの……。
またやっちゃったんだよきっと。
>>345 それは文禄の役の頃の話でウルサン戦の前後とどんな関係があるんですか?
「黒田家譜」によると文禄の漢城会議では小西らすら強硬論唱えて、三成は孤立してたらしい。
>>347 ん? 三成宛の放棄要請を、三成が蹴るとは考えづらいから、もっと上の人の話じゃないかなっていう傍証。
そっちはそっちでやっててよ。
>>345 それは平攘で明の大軍に小西が負けて漢城に帰ってきた時の報告だね。
>>345 三成愚将説への批判スレで見た覚えがある
よく戦況見ているよな
それをいったら現地みずともダメだ、と判断を事前にできた豊臣秀長らもすごいが
>>349 了解。時期も場所も前提が違う参考情報ということね。
だとしてもどっちみち、三成の撤退案についてはノータッチですよね?
なんか全体的にグダグダだな
>>335その連署に書名しなかったってことで加藤嘉明が加増されているぐらいだからな。明らかに秀吉だろ。
>>353 だって根拠なしで戦況を語りたがるから。
356 :
345:2009/04/13(月) 18:50:22 0
なんでこっちはこっちの話でレスしてたら、横で別のレスしているヤツにいきなり巻き込まれて参考だね、とか扱いされにゃならんのだ。
勝手にしろよ、もう……。
島津家文書の9月16日付(李舜臣に敗れた来島通総が戦死したのと同日)だと、小西行長の持ち場を白国(慶尚道)内予定だったのを、
赤国(全羅道)順天郡内に変更、とあるよ。
この時点で後退自体ははじまっていたんじゃ?
>>358 攻勢中から南部越冬は計画されていたよ。
ソースなしで語ってるくせにイチャモンと思い込みだけのヤツは放置プレイでよろし。
あと、連署とかいうのならせめて日付よろしく。あとはこっちで調べるから。
宇喜多他の出した戦線縮小案は蔚山籠城戦が終わった状況を受けて提出されたもの。
縮小案を却下したのは命令があるし明確に秀吉。
実際に縮小しなくとも戦線は維持できた。
これぐらいは共通認識かと思っていたんだが?
>>359 ソースは?
もう歴群あたりでもいいからさ。
>>362 九月に全羅道の井邑から秀吉に出した連著状。
慶長3年の7月26日付島津家文書だと、釜山への後退集結が指示されている。
全軍後退の様相を呈するのはこの頃かな。
秀吉の死去前だから、死後撤退の指示とは別だろうし。
慶長二年の九月一三日の時点では、(島津家文書)「全州表」への攻勢命令が伝達されている。これが破綻→後退
>>358、防備→それも破綻
>>365、という展開かね
>>365 慶長三年なら講和交渉を受けた巨済島からの撤退でしょ?
九月に決裂して翌年が慶長の役の攻勢の年。
水軍関連では、慶長二年の2月21日付木下文書かな。
船が入用な時は、船手衆に届け出て必ず警固船と行動するように、とある。
輸送船攻撃への防御措置か。
>>367 いや、「御在陣衆」だからそこだけ、とかは指示されてない。
370 :
世界@名無史さん:2009/04/13(月) 19:29:58 O
混沌としてきたな。
追求に反証できないから、わざとか?
混沌? むしろ文書と日付がはっきりしたお陰で、すっきり結論が出たと思うがw
さて、反証はあるのかな?
悪いが俺はののしりあう連中のために文書調べたわけじゃないから。
勘違いなら勘違いでしかたないだろ。
そういう連中は論旨は別に、なるべくかかわってこないでくれ。
>>366 いや、島津や鍋島は九月以降も留まって暫らく全羅道の制圧を続けている。
先に退いた部隊が拠点に築城中。
>>373 それは無防備に一斉引き上げしたら追撃食らうからの当然の処置では?
進撃命令が沿岸固守に変動するまでの数ヶ月に何があったんだろうね。
攻勢、せめて維持にこだわる秀吉がぶち切れたら、秀家らが連署しようが蹴られるくらいなのに。
376 :
世界@名無史さん:2009/04/13(月) 19:36:48 O
論点が何なんだかワカランな。
あと、反証待ちの論点って何?
慶長の役で全羅道は一揆の巣窟として認識されていて、
目的は敵性軍民の制圧が目的とされた。必ずしも占領は目的ではない。
この認識はここでは通っているの?
>>378 全羅や慶尚以外は、食料生産地としてあんまり意味はない。
因果関係は、南で徴発や略奪をやってしまって、
農民が武装蜂起したから、全羅で泥沼に入ったとみるのが自然。
>>379 全羅と慶尚も耕す気も能力も耕地も貧弱だから食料生産地としてあんまり意味はないよ。
日本の農民でも入植して日本レベルとまでは行かないまでもインフラ整備と開墾をしなきゃ解決しない。
実際、併合前後に市場原理が導入されるまで生産は抑圧れて毎春農民が飢える春窮という専門の言葉まであった世界だ。
日本でいうと、東北地方にあたる気候だからな。
元々、生産力が低い。
そこへ大軍が攻め込んで略奪しまくったんだ、飢えるなというほうが無理。
慶長の役の秀吉軍の「軍票」残っていても、時効だからな。
謝罪と賠償はあるまい。
>>382 いや、生産拡大の動きを絞め殺す搾取政治をしていた朝鮮王朝と
絶望して怠けていた朝鮮農民の合作。
秀長らがいったとおり、攻め込んだこと自体が間違い
侵略した挙句敗北、という歴史的汚点を残しただけじゃん
>>382 攻めた日本軍が飢えるのは自業自得だが、被害側はたまったもんじゃなかろうな。
「みなてをあはせてひざまづき、聞きもならわぬ唐ことば、
まのうまのうということは、助けよとこそ聞こえけれ。
それをもみかた聞きつけず、きりすてうちすてふみころし、
是をいくさがみのちまつりと。女男も犬猫も、皆きりすて
て、きりくびは三万程とこそ見へにけり」
(吉野甚五左衛門覚書)
秀吉も狂ってるが、日本人も狂ってただろ。日本の内戦でさえ、こんな撫切りはそうはねーぞ。
>>384 まさか、功臣田という名の不在地主の土地が
いっぱいあったのは、そっちのほう?
16世紀の朝鮮って、不在地主だらけってのもあり得るけど。
>>386 元々、平時でも生産者たる農民が毎春に飢え死にしていたから恐ろしい。
390 :
雑感:2009/04/13(月) 21:08:36 0
では、読んでみて「自分の知っていることと違うな、何を根拠に言っているのかな?」と思ったレス。
>>294実際、蔚山は加藤清正自らが篭って一度は敵を撃退したけど結局放棄するハメになってるしね
↑政治的な判断から撤退するまでに蔚山は放棄されていない。「結局放棄」とは何のことなのか?
>>321-330あたりの噛み合わない会話が不思議。
>>341義弘書状以外は、相変わらず飢えが日本側で記録されているし。
1598年だと思うが蔚山戦後に何処の誰が飢えた記録なのだろうか?
>>359のソースは質問元の
>>358の書状。
>>362の再質問に答えた
>>364は
>>358のこと。ループしている。
>>365の慶長3年の7月26日付の書状は釜山への後退集結ではなく、小西と寺沢が島津忠恒に打ち合わせに来いと言う内容では?義弘の本陣は泗川から動いてないでしょ。
391 :
世界@名無史さん:2009/04/13(月) 21:40:11 0
日中戦争みたいな終わり方だよな>慶長の役
393 :
世界@名無史さん:2009/04/13(月) 22:22:37 0
ベトナム戦争はジョンソン大統領失職により出征したアメリカ軍の撤退
ベトコン大量に殺したしアメリカの勝利
>宇喜多秀家ら13名連署
これって、お伺いじゃなくてこうしたよ、という通知の体裁をとってるんだよね。
秀吉が怒り、首謀者だとした黒田・蜂須賀の領土没収騒ぎになったのは指揮系統の問題では?
実際、孤立の危険を名指しで指摘された三城のうち、実際にそうなったのは小西の担当のみ。
もう後退ははじめていたんじゃ?
>>389 それは日本も同じ。当時はどこも冷害には弱かったから。
慶長二年九月が陸海のターニングポイントかな。
稷山の戦いで黒田氏が負けはしなかったが相応の損害蒙り、北上限界に達した時期と。
(正確には、たいした抵抗を受けなかった加藤清正軍も清州までいってるんだが)
鳴梁海戦で朝鮮水軍にまだ抵抗力がある、と証明された時期。
冬であることもあり、撤収策を取ったのは自然なこと。
「前後6年あまりにわたる日本の侵略は、朝鮮に莫大な被害を与えた。耕地は約3分の1に減少し、日本軍による虐殺や、
家を焼かれ流亡するなかでの餓死者・病没者の続出によって、人口も大幅に減少した。日本に強制連行された朝鮮人も5万―6万人に達した」
(日本史大辞典より)
朝鮮通信使は、連行された元の自国民を連れ戻したの?
それとも、時間が経ちすぎて世代交替し、
自国語忘れて同化していたから、諦めたの?
>>394 日本から、秀吉死後撤収のために数百隻が送られた、といわれるから。
明朝鮮水軍の活動が集中していた順天に比べて、右岸側は楽に撤収できたんじゃ?
そういえば加藤らって小西救援軍に名前はいってないよね。
400 :
世界@名無史さん:2009/04/14(火) 01:14:54 0
>>397 「耕地は約3分の1に減少し」
それ嘘臭い
耕作適地という意味ではなく、
実際に耕作されてる=農民が逃散していないのを耕地という。
日本では、耕作放棄地は、農地と呼ぶが、耕地とは絶対に呼ばない。
出兵失敗後、帰ってきたものたちで迎えた吉見正頼の日記だと。
帰ってきた者達は手負いが多くて散々な様子だったそうだよ。
天下取った後の家康が出した駿河銅活字(印刷)って、朝鮮の銅活字に倣ったものらしいけど。これも略奪してきたもの? それとも仲直りしたとき教えてもらった?
電波乙
駿河版銅活字は重要文化財として実在しているわけで、電波ではないw
ただ、説明みても「朝鮮伝来の銅活字にならって新鋳」としか書いてないわけで。
あと伏見版な。李朝の銅活字は清正が略奪して秀吉→天皇と献上されたはず。
朝鮮出兵って失敗だの無謀だの地味だのと散々酷評されて、碌に語られもしないけど
俺的にはロマンが有って好きなんだよな。
当時の侍が異国に行って半島や大陸の異民族と戦ったなんてカッコイイじゃん。
まあ、侵攻された側はたまったもんじゃなかったろうけど。
加藤清正とか島津義弘とか小西行長が朝鮮半島で転戦してたってだけでも燃えるね。
>>394 え?敵に包囲されて孤立するのは当たり前。
三城はその後の援軍の連絡が悪いという主張。
それでも蔚山も順天も援軍は送られたし、その防御力を発揮して軍事的な陥落はしなかった。
>>394 いや、秀吉の下知次第やりたいという、お伺い書状だよ?
>軍事的には
こういう言い訳する悪い癖は現代でも健在か。
素人は戦術を語り、プロは戦略を語り、玄人は兵站を語る、だっけか?
日本軍は、明征服を唱えながら、その手前の朝鮮で負けて挫折したのに、必死で言い訳をみつくろうの。
慶長三年三月十三日付の島津義弘宛秀吉書状だと、
今度こそ遼東境目まで侵攻するぞ! とアホなこといってるぐらいだしな。
現場の諸将は連署して退かせてくれ、やべぇからといってるのに。
>>410 そういうのを結果でしかものを見ない馬鹿と言う。
太平洋戦争は日本が負けたから過程など意味がない
ベトナム戦争はアメリカが負けたから過程など意味がない
〜戦争は〜
結果でホルホルしたいだけなら、チラシの裏にでも書いてろ。
そうしないと立つ瀬がないだろ
無道を分かってて、秀長らが必死で止めた愚行を行い、無用の流血を大量に行った挙句、惨めになすところなく帰国だからな
成果といえば文物略奪したことぐらい
慶長二年八月二六日の連署状では、さらに進撃するぞ、同時に赤国(全羅道)も完全制圧するぞ、といきまいていたのにねぇ。
このとき赤国攻撃に回す、とした船手衆が李舜臣に撃破されたのはほんの一ヵ月後。
>>413 議論に窮する連中がよく使う手だ。
どうせ負けたんだから全て無駄だろ、という奴。
近代以降の対外進出路線時代を除けば、こんな馬鹿なことしたのは秀吉だけだしね。
白村江ですら、友邦国救援という名目があったのに。
>>415 事実は事実だろ。
まさか殺した数で敗北があがなえる、とでも?
だいたい窮しているのは、ソース一つ出せない側では?w
書状、日付まで出して内容はこうだ、といってるのにイチャモンつけているだけの反対側のほうがどうみても苦しんでるんだけども。
ソースはwikiだろ。だから唐項浦海戦なんかでもその記述鵜呑みにしているし。
>>410 じゃ素人じゃない人は明征服がどの期間に称えられて、どの程度の具体的対応が取られたか、当然知っているよね?
420 :
418:2009/04/14(火) 13:17:05 0
×ソースは
○軍事的とか言ってるやつのソースは
>>417 何の話だ?
過程を無視して結果論でしか物事を語れないどっかの馬鹿に対して書いてあるんだが。
>>416煬帝とか簡単に思いつくけど?領土拡張のために遠征した奴なんか腐るほどいたろ?
愚かと言うのは、「西人」の黄允吉、「東人」の金誠一で別々の意見を出して混乱させたことじゃないのか?
ここでちゃんとしていれば、もう少し被害を減らせただろうに。
>>417 書状の修辞句と重要点が読めない君じゃわからんだろうよ。
その書状も希望を持って現地で頑張れと言ってるだけじゃん。
プロパを真に受けんなよ。
425 :
世界@名無史さん:2009/04/14(火) 13:26:37 O
>>417貧して鈍したのは誰かしら?
ソースも引いたつもりが読めない奴かな?
インドを征服できなかった秀吉軍は敗者ってか?
>>423 秀吉からの明への道案内を断っていたのに秀吉軍に対して
何の対策も行わず連戦連敗しまくって明から不信感を持たれ
たという面白い史実もあったなw
それならそもそも日本は対外遠征自体数えるほどしかしていないという話が
日本が、多民族国家だったとしなければ、
北海道開拓は、他の民族の土地に入っていったので、領土拡大。
その数えるほどしかない対外遠征での中でも
こんな馬鹿なことしたのは秀吉だけてことじゃないかな?
>>428 そうなの?
じゃ九州や東国の異民族を攻めた大和朝廷もアホになるのかな?
433 :
世界@名無史さん:2009/04/14(火) 13:47:08 O
434 :
428 :2009/04/14(火) 13:50:39 0
>>432 それは征服成功してるんだから問題ないかと
日本側記録にもある虐殺とか略奪を見ると本当に泣けてくる。
日本の武将で一人ぐらいそんな真似はしなかった人いないのかな?
>>414それが数ヶ月後には、海岸に引きこもった挙句、そこさえ放棄させろ、だからな(実際に梁山城等は放棄されているし)
秀吉からしたらふざけんなって感じかな? 海をへだてて実情を把握なんて難しいだろうし。
まぁ一番ふざけんな、と日本と敵側双方から言われるのは秀吉本人だろうがw
>>438 現場の武将の中でも秀吉が海わたって直接指揮しろよって思ってる奴多そう
思ってても絶対言えないと思うけどw
言ったら殺されるよね?
>>439 実際に秀吉自身は海を渡って指揮取ろうとしていたけど、利家に止められている
秀吉自身のかわりに側近や軍目付が派遣されたんだろうが。
その三成らがそれこそ秀吉の怒り買ってもおかしくないような反対論をぶってるのに、続行だからな。
>>345
戦闘員の死傷もさることながら、文禄二年の二月の時点で、船頭・水夫が過半数になったから吉川広家にさらに徴発しろ、と命じているぐらい。
比較的戦況が有利だった時点でさえこれだからな。
>>442 どの辺が反対論?
書状で漢城に留まると申告して、それが秀吉に許可されているが。
>>440 下手に諫言したら凌遅三千刀、滅九族にされると思う
前野家文書や博多記だと石田三成は元々反対派だったそうだな。
日本軍は全滅するぞ、とまで言い切ってるんだから。
黒田家譜なんかでも相当やりあっているし。
その黒田長政が、関が原戦後に敗れてさらし者にされる三成に羽織をかけてやったのはどういう心境だったんだろう。
しかし、この頃の秀吉は若い頃と違ってかなり駄目になってるな
若い頃なら、入念に下調べをしてわざわざ朝鮮王族を焼き討ちした民衆を敵に回すようなことしなかっただろうに
もし秀吉が、部下に与える土地のために朝鮮を攻めたのが本音だったら。文禄の講和で欲しがった朝鮮南半分は保持したかっただろうからな。
それを朝鮮に出した大名らに分け与えれば面子も立つ。
拠点放棄が事後追認か承認受けてからかは知らないが、蔚山救援戦と絡んで蜂須賀家と黒田家という豊臣譜代の大名がぶっつぶれかねない事態になっているからな。
これには目付衆の妙な報告も間に挟まったせいだろうが、それも把握しきれてない弊害だ。
秀吉の暴発のせいで、十数代後の宇喜多・小西の子孫が頭下げるハメになったりしているしなw
朝鮮の公式記録「李朝実録」によると、暴徒と化した朝鮮の民衆が王宮に乗り込み、略奪し、放火したという。
当時2ちゃんがあったら、「猿自重wwwwww」とか散々やられてただろうなぁ
>>450 それ、織田信長と明智光秀の子孫が、対面したのと似たようなイベント。
李舜臣将軍の13代子孫と宇喜多秀家の13代子孫が対面して、スピーチをした。
>子孫が謝罪
元凶の秀吉の子孫は息子の代で絶えちゃったからね。謝ることもできん。
458 :
世界@名無史さん:2009/04/14(火) 16:15:10 O
昨日の戦線縮小案が複数あったってのは結局ガセだったの?
>>458 ガセではない。実際にそういう文書は複数ある(同じ件が別の記録で残っただけの可能性もあるが)。
日本軍が、稷山や清州まで北上したのに釜山付近の海岸に撤収したのは、各戦いの位置からみても確かだしな。
どこまでが意図的で、どこまでが状況の変化に対応したものかは文書だけじゃよくわからんが。
>>459 南部に蔚山から順天までの戦線ができたのは1597年12月でしょう?
蔚山の戦いが同月末だからその間に出た戦線縮小案なんて聞いたことがないんだが?
島津文書だと、慶長二年九月十三日付で全州表への義弘らによる再進撃が指示されたのに。
三日後付ではその義弘らは海岸の城守れって命令に変えられている。
同時に、釜山担当を立花宗茂から毛利吉成に変えて
島津・鍋島の持ち場の間に立花に新しい城普請させるよう指示がでている。
この間、かね。急激だ。
当時のことだから、決定と日付に時差があるのでは?
それに敵の手に落ちるのを恐れたのか、書状には「詳細は○○から伝える」みたいな口頭指示を伺わせる部分が多い。
字面みれば強攻策だが、実は後退指示とか(あるいはその逆)もあったんじゃ?
朝鮮の役のとき、日本ではやった戯れ歌
太閤が 一石米を 買いかねて
今日も五斗買い 明日も五斗買い
秀吉は一石(=朝鮮一国)すら手に入れられないのに、
諦めもせず五斗買い(=御渡海)と毎日ほざいてらw
という不満の表れ
464 :
世界@名無史さん:2009/04/14(火) 17:26:23 O
>>461 適当なこと書いてんなよ。
九月十三日付けの書状は国元の義久が現地の義弘と忠恒に宛てた書状だろ?
内容は主に七月の漆川梁海戦の勝利報告への返信。
どこに全羅道へ攻め込む話が出てんの?勘違いしてないか?
それとも、これ以外の史料なのか?
ソースの提示のつもりか知らないが、文書特定のために日付の他に出し元や宛先を書かずに、島津家文書とか採録先を書いている奴何なの?
一方、九月十六日付けの書状は現地の諸将と目付十五人が連署して、本国の四奉行へ向けた報告。
つまり秀吉へ伝達される書状だ。
前者は言われるような内容でもないし、それぞれの性質も全然違うものだ。
秀吉軍は冬に向い陸上の戦線を縮小したが、海戦の敗北、明軍の蔚山城加藤清正包囲などあり、翌慶長三年(1598)年三月、
宇喜多秀家らは蔚山・梁山・順天を放棄して釜近地に移る事を請う。秀吉は徐々に、諸将の撤去帰国を命じ、
宇喜多秀家・毛利秀元・蜂須賀家政らは五月二十九日帰国した。
(中公文庫『日本の歴史』12巻・林屋辰三郎)
冬が原因、という見方もある。
それで1597年9月13日付の文書は誰が誰に出したの?
経緯はともかく、秀吉軍が攻勢限界に達して後退を開始したのは事実のようだな。ここでもう諦める、という選択肢はなかったんだろうか。無駄な戦をさらに続けてもなんともならんかったのに。
>>461 全州はすでに前月の8月20日に無血占領済みだけど?
その後に左軍も右軍も集まって軍議をしているよ。
○○文書って今ネットで閲覧できるっけ?
また偽ソースを出しちゃったのw
それとも読めなかったw
>>468 それをいったら会議で南下組も一度支配したりした箇所への再移動が決められているぜ。取り返されたって記録はないから、支配を確立するための面制圧じゃ?
まぁ偽ソースを使っているのはどっちか、図書館行けば一発で分かるわけだがな。
要するに情勢の大筋の変動はかわらないわけだし。
>>469 つーか、○○文書とかの情報より先に書かなきゃいけない情報があるでしょ。
言わば、雑誌の連載を特定するときに「4月14日発売の集英社の雑誌」みたいに発売日と出版社を提示しているようなもん。
日付は重要だが、他に雑誌や連載のタイトルや作者名を書かなきゃ特定し難い。
いいからソースを出せよ。
検証可能な実在の奴な。
9月13日付けって、増田長盛・長束正家連署で鼻切りの目録伝達賞与と命令を通知したやつでしょ(2−987号)。
それこそ現場と本営・指示と報告のタイムラグでは?
実は日付だけ見て違う文書を同じと勘違いしたとかいう落ちはないよね?
あるいは「こういう命令を伝達されたよ」と手紙にかいたら、そら命令があったとしても文書自体は手紙、になる罠。
>>475 そっちだとしても、現地の進路と関係ない書状だねい。
急激な変更などとは評価できない。
彼が何を見て、何が言いたいのかよく分からんな。
478 :
世界@名無史さん:2009/04/14(火) 17:58:47 O
だんだん怪しくなってきたね。
半端な提示は混乱するだけだから止めてほしいな。
9月13日というと島津はすでに南下を開始していて、忠清道と全羅道の道境辺りにいた頃だね。
9月16日には井邑で軍議があったのは既出のとおり。
480 :
世界@名無史さん:2009/04/14(火) 18:06:17 O
>>472いいから図書館に行けば確認できるレベルの出典情報出せや。
>>475 でも、「全州表」なんて引用風な書き方をしているし、何かは見ているんじゃないですかね?
見当違いじゃなきゃ興味深い史料ですが、今の情報では検証不能。
483 :
世界@名無史さん:2009/04/14(火) 18:20:16 O
本日の業務は終了したか?
あるいは図書館で今頃主張に合うソースを探しているのか?
結局、8/15の南原城攻略の現地朝鮮からの報告に対して、
9/13に本国日本から発給した返事の書状でした。
>>475さんのオチ予言が大当たり。
486 :
世界@名無史さん:2009/04/14(火) 20:49:28 O
やっぱりダメダメだったか…
徳富蘇峰いわく、李舜臣は朝鮮のネルソン。
東郷平八郎が尊敬した、というのは信憑性ないがな。
ただ、いくつかあるバリエーションの中には面白いものもある。
なんで及ばないのか、と聞かれたら自分には陸上の優勢があったから、と答えたケース。
確かに当時の海軍でも陸の情勢は無視できず、バルチック艦隊が苦戦した理由でも日本に友好的な中立国が寄港を妨害して給養が十分でなかったことが挙げられている。
李舜臣も水上で勝っても陸からの攻撃で本営落とされて苦戦に陥ったことあるし。
この話創作した人はよく知ってたんだろうね。
なんで東郷平八郎のヨタ話は有名で、本当に李舜臣評価した佐藤鉄太郎日露戦争参戦の艦隊参謀長)は知られないんだろうね。
もっとも佐藤自身、日本国内的には無名で、むしろ世界で戦史家として名高いわけだが。
佐藤は朝鮮出兵などを例に、日本の大陸進出は失敗する、と予想もしてた人。
>>475 つまり
本営「よーし、お前ら全州までいけや」
といった頃には既に「後退させて海岸守らせてね」、と提言したってことか。
まぁ妙な話だよな。
朝鮮戦史全般通して、戦線縮小訴えたのは常に前線側で、逆に秀吉本営は強硬論だったし。
490 :
世界@名無史さん:2009/04/14(火) 21:47:10 0
なんか近代のガダルカナルやニューギニア戦を思い出す。
前線と大本営の情報の行き違いから、情報が正確に伝わらず錯綜。
米軍の強さが分からず、負けると敢闘精神が足りないからだ、と尚更尻叩くとか。
この頃から進歩してねぇw
佐藤鉄太郎って有名な戦史家なんだよね。モリソンと並ぶとか(コンビニで見た500円本がソースだからツッコまないでねw)。
あと一人明治期で有名な戦史家はやはり日本軍人出身の東条英教。
東条英機のお父さん。
文禄慶長の役は全般を見渡すと日本武士の戦闘能力と
優れた戦略判断、決断が証明された戦役だったように思える。
背後条件(統一政権基盤の脆弱さ、不確定要素=情報不足)
の悪さの中で、最後まで統制が崩壊せず、整然と事を進めた。
関が原を経て江戸期の安定政権へと軟着陸できたのも宜なるかな。
あれだけの事業の遂行能力は明治維新へと引き継がれた。
李舜臣に関しては、初期に日本側が準備が整わない海上対策の間隙で戦果を挙げた。
常に数の優位を保つ形の巧妙な戦法でよく戦った、朝鮮側の名将として良いだろう。
ただし従来一般的に言われているほど戦局を左右する力はなかったように思える。
>>493 いや、彼は和製マハンだよ。
シーパワー論(海上権力論)が世界中を席巻していたころ、艦隊拡張のためのイデオローグだったのが佐藤。
結論を導くための事例としてオランダやイギリスの歴史を引いたりしている中で朝鮮役も俎上にあがっているが、結構強引だよ。
「制海権云々で補給不全が生起して撤退」という解釈は佐藤の我田引水から来ている。
結果を見て自論を当てはめているだけで、個々の詳細は理解していない感じ。
それでも日露前のロシアや第一次前のドイツがマハンにかぶれて世界二位の艦隊を建造したように、日本も太平洋前に世界二位の艦隊を建造したのは佐藤の理論が有ったことも一因。
>>489 違うよ。
慶長の役では全羅道については「成敗」が目的、因みに忠清道には「できるだけ(成敗)」。
だから戦略爆撃ならぬ戦略進攻をして一種の経済戦争をやっていたんだよ。
だから不穏分子の排除で上官狩りをしたり、良民の後送で労働力を奪った。
まあ、焦土作戦は先に朝鮮側で掲げられて実施されていたが。
なお占領については慶尚道と全羅道に一城は規定路線で井邑会議での上申はこれを受けた直近の実施案です。だから文面には原案を受けた改正案が書いてある。
秀吉の書状は南原戦報告への各家へ配布した感状で主旨は「首を○○個取った君の活躍聞き届けた」で「次の全州攻撃も頑張ってね」ということが書かれている。
言われるまでもなく実際に日本軍は南原の隣接地である全州に進駐して全羅道制圧を進行していた。
497 :
世界@名無史さん:2009/04/15(水) 10:43:40 0
>>385 秀長が朝鮮出兵には反対したって確証ないんじゃ
498 :
世界@名無史さん:2009/04/15(水) 18:32:12 O
今日は定休日なのか?
昨日の書状を読めなかった失態で昼から夕方まで暴れていた奴は来なかったみたいだな。
今頃、ネット検索でユニークな史料解釈でもやりながら珍説を考えているのかな?w
499 :
世界@名無史さん:2009/04/15(水) 19:37:45 O
500 :
500:2009/04/15(水) 20:02:16 O
500Get
亀甲船
501 :
世界@名無史さん:2009/04/15(水) 21:14:46 0
日本の歴史上最大の失敗は朝鮮半島と言う、植民地にする価値すら、いや国交を樹立
する価値すら、いや支配する価値すらない、はっきり居て無価値な地域を属国どころか
併合するという馬鹿な事をやった事だ!
どれだけ韓国が無価値かという事を、中国、ロシア、モンゴルの歴史が教えてくれる
可の4000年の歴史を持つあのアジアの強国中国は、過去4000年間、東西南北広大な
面積を直接支配してきたが、中国の中心からほどなく近く、また弱い朝鮮半島を一度たりとも
を直接支配したことはない。
また欧州最大の国家ロシアは1860年代からずっと朝鮮半島と国境を接する様になり、
また何度も好機がありながら、ロシアは南下政策最大の目的である不凍港確保を
掲げながら、その不凍港を多く所有する朝鮮半島に一度たりとも攻めはいらなかった
可の一時期世界最大帝国を作り上げた、モンゴル帝国でさへ朝鮮半島を直接支配
しようとはしなかった。
この三国から見ても、朝鮮半島という地域は無価値なのだ
しかし日本は馬鹿だった。
この無価値なる朝鮮半島をどの国も攻めはしないし
触れたくもないだろう、しかし朝鮮半島が自らが世界に触れて欲しいかの如く
問題を起し続けている、まさ世界の癌だ。
日本の最良の選択は朝鮮半島を無視すること
502 :
宣祖:2009/04/15(水) 23:06:12 0
>>501 無視しようとしても、
無視してくれんなと毎日かまびすしいのがお前さんたちじゃねえのかw
504 :
万暦:2009/04/16(木) 07:23:15 O
>>504 地下宮殿なんか造って、人民を苛め続けるなら
お前の人民を解放するために、攻め入るぞ(w
506 :
袁崇煥:2009/04/16(木) 11:38:42 0
>>505 来るなら来い蛮族、ボコボコにしてやんよ
∧_∧
( ・ω・)=つ≡つ
(っ ≡つ=つ
/ ) ババババ
( / ̄∪
507 :
世界@名無史さん:2009/04/16(木) 12:14:24 0
碧蹄館の戦いで明軍が
日本の兵糧倉焼きはらったらしいけど本当か?
508 :
万暦:2009/04/16(木) 13:46:26 O
>>505 贅沢も知らぬとは、そちは朕のように皇帝の器を持たぬのだな?
朝鮮半島は無価値でも満州平原は軍事的にきわめて重要。
金、元、明、清、ロシア、日本帝国など、満州を征するもの東アジアを制してきた。
なぜ、朝鮮民族は満州平原に打って出た歴史がないのか? 平和を愛するからか?
>>507 1593年3月に漢城南方の龍山にある食料庫が明軍の焼き討ちに遭っている。
明副総兵 査大受の配下である金志貴と朝鮮の倭通事 金善慶などが潜入して23カ所(別説では13カ所)の食料庫を焼き討ち。
なお、龍山の食料庫は元々李氏朝鮮の貯蔵施設であったもの。
512 :
世界@名無史さん:2009/04/17(金) 10:42:16 0
日本軍は食量庫に護衛をつけてなかったのか?
>>512 さあ?
どれだけ中身が入っていた倉が焼かれたのかもわからんし。
どっちしても無用心だな
護衛がやられたということもあるんじゃないの?
516 :
世界@名無史さん:2009/04/17(金) 11:34:07 0
明軍馬鹿にしてたけど意外にやるじゃん
>>510 高句麗はしっかり満州東南部と遼東半島制圧してるじゃん
高句麗は朝鮮民族の王朝ではない
519 :
世界@名無史さん:2009/04/17(金) 19:54:50 O
>>517 それは制圧の定義によるがな。
古代の支配など律令もないし、行き届かない曖昧な境界だからな。
勢力圏とかの色塗り去れた地図を見て劣情をもよおされても、正直困る。
520 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 14:09:06 0
日本も制圧出来なかったしな
522 :
世界@名無史さん:2009/04/19(日) 00:25:57 0
>>511 これだな
3月。漢城に立て籠もる秀吉軍に一大事が起こります。
明軍の経略(←参謀の意味)・宋応昌が、
漢城郊外の龍山にあった兵糧貯蔵庫を襲撃して焼き払うという戦果を挙げました。
この兵糧庫には、漢城駐留軍約5万人の二か月分の兵糧:1万4000石が貯蔵されていたため、
漢城駐留軍は明軍と講和することを余儀なくされました。。
>>422 秀吉が叩かれるのはやっぱり失敗したからじゃないか?
唐太宗も高句麗遠征失敗を酷評されてるし
524 :
世界@名無史さん:2009/04/19(日) 11:39:57 O
525 :
世界@名無史さん:2009/04/19(日) 13:04:54 O
総司令官を管理する文官かな。
それと朝鮮行政も経略の管理下か。
>>435 これ言ったらチョン扱いされそうだけどw
耳塚は日本人でもちょっと引くよね
日本の合戦だと普通だったんだろうけど
>>407 世界史板の連中は歴史にあんまりロマンとか求めてない
耳とか鼻を削ぐのはただの戦果確認だからな
鎌倉時代とかまでは首斬って持って帰って手柄として主人に申請してたわけで
戦国あたりになると合戦参加者が滅茶苦茶多いから、死体も多く、
ゴロゴロ重い首抱えていくわけにもいかないので鼻や耳をそのかわりにした
殺した相手の一部を手柄にするのは何処でもやってたと思うが
その一部をわざわざ供養するのは日本ぐらいだと思うが
532 :
世界@名無史さん:2009/04/20(月) 12:54:35 0
533 :
世界@名無史さん:2009/04/20(月) 16:21:30 0
韓国人が日本の武将は生きた人間の耳や鼻も斬ったて言ってるけど
あれはチョンの捏造?
死んでようが生きてようが、鼻や耳を取った後は普通に殺すだろ
生かしておく必要がない
535 :
世界@名無史さん:2009/04/20(月) 17:32:37 O
>>534 なにいってんだよ。
まず敵兵を殺し、次にその証拠に鼻を採集するのだ。
戦果水増しするために非戦闘員の耳や鼻も切ったてのは本当?
二回目の「慶長の役」でな。
一回目は結構寛容だったけど、二回目になると秀吉の命もあって相当エグいことした。
「朝鮮日々記」にも書いてある。
そもそも「慶長の役」自体、現地の部隊はほとんどやる気がない状態だったから、ウサ晴らしもあったかもな。
>>536 だってバカな朝鮮指導部が日本基準で言う非戦闘員を動員して戦闘員に仕立てちゃうんだもの。
戦闘員ならもう刈るしかないでしょ。
ゲリラに参加する農民とかなら仕方ないけど
本当の非戦闘員にしてたなら幻滅だな
ゲリラかどうか判断するの難しいと思うけど
どうせ鼻切りせずに拉致ったら拉致ったで文句を言うんだろ?
>>539 劉備玄徳の時代から、農民がゲリラを匿うのは常態だろう?
彼がダメ人間なのは、そういうところに甘かったから。
曹操は、非情だったから、禍根を残すとして無実の人も殺害して
口封じしていった。
曹操はやりすぎだろう
544 :
世界@名無史さん:2009/04/21(火) 19:05:29 O
なんで、
朝鮮水軍+明水軍vs日本水軍
じゃないの?
明は、ゲリラ慣れしているから
日本兵匿っているだろうと言って
朝鮮の農民を矢で射って、殺してたんだろうな。
日本も、「その手があったか」と、捜索もせぬうちに
矢を射って、皆殺しして、食糧強奪。
鉄砲だって、かなり持っていただろうから、晴れていれば効率よかったろう。
こんなところだろ?
雨がふったら鉄砲打てないの?
547 :
世界@名無史さん:2009/04/21(火) 21:40:54 0
>>522 日本の武将たち兵糧軽視しすぎじゃね?
5万人の兵糧二か月分焼かれるなんて
>>542 世界史的に見ると秀吉の虐殺なんて可愛いもんかもな
日本史では最悪だけど
549 :
世界@名無史さん:2009/04/22(水) 09:09:53 O
割り引いてもやっぱり無用心
551 :
世界@名無史さん:2009/04/22(水) 19:03:18 O
>>550 どういう根拠で、どんだけ割り引いたんだ?
君、勘定しないで話しているだろ?
552 :
世界@名無史さん:2009/04/22(水) 19:35:32 O
初戦で朝鮮水軍が負けたことについては?
李舜臣あげのために、適当に慶尚道水軍が自沈・逃亡したとか適当な事を書いていても、
日本側は生け捕りとか軍船の捕獲が記録されているんだが?
李舜臣が撃たれて負傷したのも、朝鮮製の火器だったかもね。
↑なにこれ?
>>553 初期の海戦のことだろ?
李を持ち上げて李以外は無能と切り捨てることによって無謬性が強調されているのが現状だからね。
そうか?
>>554 それは、朴正熙時代だろう。
金泳三時代以降、他の元均などの再評価がされている。
557 :
世界@名無史さん:2009/04/23(木) 15:59:42 0
李舜臣と比べると権慄て地味だな
李は猛将だったよ
別に戦局に影響は与えなかったし、結局敗死したがな
李舜臣が撃たれて負傷したのも、朝鮮製の火器だったかもね。
上陸した後の日本水軍の活躍で慶尚道に配備された水軍の四分の三ぐらいが壊滅したんでしょ?
日本陸軍の活躍に比べたら、行き掛けの駄賃程度かも知れんが?
562 :
世界@名無史さん:2009/04/23(木) 20:02:36 O
>>559 日本水軍は朝鮮水軍の軍船や武器を大量に捕獲しているし、なんか不思議なことあるの?
563 :
世界@名無史さん:2009/04/23(木) 21:59:44 0
朝鮮に居たのが不幸な人
ただし朝鮮以外にいて
出世して大部隊率いたとしても弱そうなタイプ
少数の兵士を率いるのが最適
同意
まあ脇坂よりは優秀だと思うが
日本にいったら加藤嘉明クラスぐらい
>>564 不同意。
脇坂安治〈李舜臣〈加藤嘉明
の根拠が不明。
李舜臣が撃たれて負傷したのも、朝鮮製の火器だったかもね。
>566
朝鮮で、火器が全国普及するのは、慶長の役以後の話。
全国配備にはなっていないと思われる。
韓国ドラマでも、宣祖以前には、火縄銃や大砲は出さない。
宣祖以後のドラマだと、出てくる。
ドラマの時代考証では、そういう線引きをしているので、それはないだろう。
ドラマがソース?
569 :
世界@名無史さん:2009/04/24(金) 18:22:32 O
>>567 適当なこと書いてんなよ。
普及の度合いは定義によるが、配備はされていたし使った記録もある。
舜臣も戦前も含めて日記に射撃訓練を記録していますし、戦中には王朝に火薬備蓄量を報告していますが?
570 :
世界@名無史さん:2009/04/24(金) 18:56:26 0
>>570ならば、明梁海戦で勝った勝った高虎は李舜臣より上なんだろうか?
ま、李舜臣が捕獲した日本船には鉄砲や大筒の他に朝鮮水軍が使っていた大砲が載っていたわけで。
そういう記録も踏まえれば、李舜臣の二度の負傷も朝鮮製の大砲だった可能性もあるわけだ。
コピペの人が何を言いたいのかは未だわからないけどね。
黙って解説無しに逃げると思うけど。たぶん、李舜臣がいつ撃たれたのか把握していない予感。
可能性だけで言ったらなんでもOKになるだろう
そんな日本製とか朝鮮製とか、分かるわけないだろ
西郷隆盛みたいに、流れ弾に当たって死んだなら
政府軍が撃った 薩軍が撃った 関係なかろ。
李舜臣も、流れ弾で横死。
結局の所流れ弾か普通に負けて殺されたか分からないかどれ?
明暦1592年5/29の泗川海戦で李舜臣が弾傷を受けたことを知らない奴が大杉。
578 :
世界@名無史さん:2009/04/24(金) 21:42:23 0
「流れ弾」ってなに?
普通に射殺されたと考えるのが当然でしょ。
結果的に、前線出すぎて、自軍の兵士から撃たれたんだろう。
クロスファイアーやってりゃ、味方同士撃ち合うし。
580 :
世界@名無史さん:2009/04/24(金) 22:04:30 0
なんか話しかみ合ってないと思うの俺だけ?
582 :
世界@名無史さん:2009/04/25(土) 09:09:36 O
李舜臣が撃たれて負傷したのも、朝鮮製の火器だったかもね。
刻印してあっても記録に残ってなきゃどっちの国のものかなんて分かるわけがない
どうでもいいだろこの話は
>>584 それがあるんだよ記録が。
1592年の9月の釜山襲撃の報告書、釜山破倭兵状には反撃で打ち返してくる奴に朝鮮人が居ると大怒りしています。
また、同じく襲撃の直前に拿捕した日本軍船から押収した兵器の中には、
日本製鉄砲や大砲に混じって、我国長箭、地字銃筒、玄字銃筒、などの火器名称が記録されています。
587 :
世界@名無史さん:2009/04/25(土) 20:54:27 0
なるほど。
李舜臣が撃たれて負傷したのも、朝鮮製の火器だったかもね。
地字砲とか玄字砲って口径5〜10センチくらいの大砲だから当たったら負傷じゃすまないぞ
590 :
世界@名無史さん:2009/04/26(日) 15:10:51 O
とてもありえそうもないレベルの可能性ではない。
わからないレベルの可能性。
>>586 単に日本が使ってる武器に朝鮮のものが混じってたってだけじゃん
なんかアホみたいに連投している、
>李舜臣が撃たれて負傷したのも、朝鮮製の火器だったかもね。
の答えになっていないよ。
592 :
世界@名無史さん:2009/04/27(月) 14:47:08 O
>>591 俺には答えを出すための問題が何だか理解できてないんだが?
君がレスした「答えていない」に対応する質問は何?
>>584の前後のレスを読めば理解できるだろ
俺でも理解できたぞ
コピペに主張や質問の意味があるのかな?
ありえないって言いたいのかな?
いや、朝鮮の砲は官製だから製造年や種類が識別できたといいたいんじゃないかな。
597 :
世界@名無史さん:2009/04/27(月) 18:16:24 O
朝鮮は大砲を持っていない前提で話しているのだよ。
>>591 李舜臣が戦っていた日本水軍が朝鮮製の大砲を使っていたり、
日本軍船に朝鮮兵が乗って戦っていたんだから、
朝鮮大砲で撃たれた可能性があるって論理展開でしょ?
李舜臣は捕獲した倭砲と朝鮮砲を区別してリストアップしている。
で、どんな質問だったの?
大砲の話はどうなったの?
李舜臣が撃たれて負傷したのも、朝鮮製の火器だったかもね。
説明できずにコピペで逃亡ワラ
命中率も初速も低い朝鮮製の火器に当たったかもしれない李舜臣は
どんくさい、というスレはここでつか?
607 :
世界@名無史さん:2009/04/29(水) 17:55:31 O
李舜臣が撃たれて負傷したのも、朝鮮製の火器だったかもね。
609 :
世界@名無史さん:2009/05/02(土) 14:53:38 0
敵中突破して逃げたらよかったのに
611 :
世界@名無史さん:2009/05/04(月) 13:22:48 O
612 :
609 :2009/05/04(月) 16:01:40 0
>>612 乱中日記に書いてあるぐらいでしょ。
指揮しながら切開して弾を取り出したとか。
指揮しながら切開てスゲー
つくづくチョンに生まれたのが悔やまれる
演義関羽のパクりだな
616 :
世界@名無史さん:2009/05/05(火) 06:04:39 O
武勇伝w武勇伝w
617 :
世界@名無史さん:2009/05/05(火) 06:49:47 0
日本人の正しい歴史認識を望みます
過去に日本人が犯した残虐的侵略戦争を反省する事の大切さを感じましょう
618 :
世界@名無史さん:2009/05/05(火) 07:01:43 O
619 :
世界@名無史さん:2009/05/05(火) 09:43:57 0
>>606 そのどんくさい奴に負ける脇坂っていったい・・・
621 :
世界@名無史さん:2009/05/05(火) 23:22:18 0
なかなか面白いスレだ。
622 :
世界@名無史さん:2009/05/06(水) 00:06:09 0
しかし、朝鮮人は戦争に弱いな。
李峻臣も戦国大名のビックネームだれもたおせてないし、
え?こんなもんという感じ。
民族ごと無能というのも、悲しいね。
世界は弱肉強食だからそのうち中国に食べられるだろうね。
>>620 まぁ、うかつにもチョン校の生徒に路地裏に引きずり込まれて
よってたかってタコ殴りにされたようなモンだな。
625 :
世界@名無史さん:2009/05/10(日) 10:19:25 0
連休で、「不滅の李舜臣」を27巻までレンタルし、昨日やっと見終わった
アホな点も多々あるが、それなりに日朝両側のことも出してるし、結構面白かった
日本が攻めてくるのを知りながら、それすらネタにして際限なく政争を続けるのは、朝鮮人の性なのかね
19世紀も、それやってたから、このままロシアに取られるよりはと思った明治政府に併合されちゃったんだろうね
それにしても、名護屋城が名古屋にあったのには、目が点になった
626 :
世界@名無史さん:2009/05/26(火) 08:01:30 O
>>625 交渉不足だな。
漢城もソウルとか言ってるの?
627 :
世界@名無史さん:2009/05/26(火) 11:46:31 O
>>625 名古屋間違いは俺の小学生頃と同じやなw
地図をみて常識で考えれないのか。
秀吉の本拠地より朝鮮に遠いがな
628 :
世界@名無史さん:2009/06/03(水) 22:45:59 0
>625
今でも変わらんだろ 反省なきチョン
629 :
世界@名無史さん:2009/06/05(金) 01:56:47 0
しょせんチョン
劣化民族
630 :
世界@名無史さん:2009/06/13(土) 16:27:11 O
ウィキペディアは凄いことになってるな。
631 :
世界@名無史さん:2009/06/14(日) 20:48:30 0
声討って、知ってる?
632 :
世界@名無史さん:2009/06/16(火) 18:11:32 O
633 :
世界@名無史さん:2009/06/16(火) 20:26:12 O
今まで英語版で工作やってたが、遂に日本語版でもやり始めたか
634 :
世界@名無史さん:2009/06/16(火) 21:23:45 0
NHKは大河ドラマの主役にいっそのこと李舜臣を起用してはどうか?
もう国内はネタを使い尽くして残りは小粒なのばかりだし。
ついでに制作も丸投げして、いっそのこと本社も移転したらどうか。
たぶん今とたいして変わらん。
>>634 すでに韓国ドラマであるから、それを吹き替えすればいいんじゃない?
今の犬HKなら本当にやりそうだ。
637 :
世界@名無史さん:2009/06/17(水) 09:45:37 0
>>634-636 まあ嫌韓なんて言っても何一つ日本の現実を変えられない、
無力な存在だということだな。
韓流ブームなんてゾンビウェーブと揶揄されていたけどな。
>>638 変な勘違いしてるな。嫌韓ってのは何かを変えるためにあるんじゃなくて、変わった結果でしかないんだが
>>623 あれは功にあせって先走りしすぎた脇坂もDQN
加藤や九鬼と強力して戦ってたら負けなかったのに
642 :
世界@名無史さん:2009/06/22(月) 07:59:56 0
>>435 チョン相手の虐殺や略奪だし別にいいじゃん
>>634 龍馬と信長を3年ごとぐらいに使い回せば、問題なし。
日本人ってそんなものさ。w
なぜ、モンゴル軍のように長期のプランを建てなかったんだろうか。
モンゴル軍なんて、南宋滅ぼすのに数十年もかけて成功させたのに。
日本軍は、やる気がなかったのだろうか。
645 :
世界@名無史さん:2009/06/24(水) 12:53:42 0
不滅の李舜臣 妓生の姐さんがかっこよすぎ
だって、老いぼれ老人の気まぐれが元だもの。
それを利用した連中もいただろうけど、秀吉の思いつきがなければあんな愚行はしないよ。
せめて40代の秀吉だったら、前線を自分の足で歩いただろうし、もう少しまともな兵站線
を通したんだろうけどね。
九州の役は、49歳の時に終わっているからな。
文禄・慶長は、55歳〜61歳と秀吉としては晩年だ。
不滅の李舜臣オモロー
脇坂「太閤殿下は、李舜臣を家康どのに匹敵する好敵手と考えておられる」
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
650 :
世界@名無史さん:2009/06/25(木) 17:17:19 0
むしろ脇坂や藤堂と好敵手だと思う
651 :
世界@名無史さん:2009/06/25(木) 23:12:20 0
秀吉は王様のようなもの スンシンは武将 立場が違う
652 :
世界@名無史さん:2009/06/26(金) 00:43:17 O
そもそも小早川隆景と鬼島津除けば
朝鮮で戦った主な武将って殆どが二軍レベルの奴ばっかじゃんw
当時としてオールスターだと思うんだけど
654 :
世界@名無史さん:2009/06/26(金) 11:06:03 0
>>648 古代進とデスラーみたいなもんかな
韓国ドラマでは九鬼・来島が威張っていて
細川(長岡)忠興が部下扱い、何かおかしい気がする
日本軍には連射できる火縄銃があり、朝鮮水軍にはロケット砲がある
時代考証とかは韓国NHKにはないのか?
>時代考証とかは韓国NHKにはないのか?
何を今更。
韓国はTVドラマの内容が歴史的事実になる超時空エリアだぞ。(笑)
656 :
世界@名無史さん:2009/06/26(金) 12:20:48 0
ダディャーナザァン活躍しすぎ
658 :
世界@名無史さん:2009/06/27(土) 07:51:06 0
沖田艦長とデスラーだろ
どうも不滅の李舜臣では脇坂が日本最強の武将という事になってるようだ。
「藤堂の知略と来島の勇猛さを兼ね備えた武将」なんだそうだ
しっかし陣笠かぶった足軽が馬に乗って突撃してたり、すごいドラマだなwww
660 :
世界@名無史さん:2009/06/28(日) 00:46:49 0
日本兵はほぼ全員が火縄銃を持って連射している
三八式歩兵銃より高性能だな
661 :
世界@名無史さん:2009/06/28(日) 03:43:05 O
>>659 脇阪なんて日本じゃ、関ヶ原で小早川の裏切りに
便乗したその他大勢の1人ぐらいの知名度だし
来島に至っては誰おまレベルだしw
662 :
世界@名無史さん:2009/06/28(日) 07:15:26 0
>>661 7本槍の一人ぐらいの知名度だな
ちなみに福島正則は脇坂ごときと同列扱いするなと怒ってた
もちろん脇坂は脇坂で武功立てて活躍してるんだけどね
664 :
世界@名無史さん:2009/06/28(日) 10:54:29 O
あとは、丹波の赤鬼こと赤井直正を単身で調略しにいったぐらいか?>脇阪
小牧・長久手で上野城攻略とか
脇坂は優秀なんだけど、駆けに抜きは軽率だったかな
666 :
世界@名無史さん:2009/06/28(日) 20:43:02 0
脇坂は国内で戦功が低いから朝鮮で挽回しようとしたんだろ
小早川隆景と加藤清正、島津はどうした?
>>660 いちおーボルトアクション式だから、連射らしきものは出来るぜー
え? そんなレベルじゃない?
669 :
世界@名無史さん:2009/07/02(木) 01:49:26 0
朝鮮ドラマは火縄銃の撃ち方が現代銃なのはともかく、音があぶないデカ
レベルなのが悲しいw
670 :
世界@名無史さん:2009/07/02(木) 02:00:20 0
李舜臣なんて所詮、軍船で日本輸送船団を襲って沈めた程度だしな。
防備のしっかりした軍船とはまともに戦ってないし。
敵の補給を叩くのは戦術として重要なことだろうが
ちょっと恥ずかしいぞ
672 :
世界@名無史さん:2009/07/02(木) 08:39:41 O
戦術としては重要だったが実際にはあまり効果なかった
674 :
世界@名無史さん:2009/07/02(木) 11:52:57 0
>>671 670は同じ軍船同士なら李舜臣など弱いといってるんだろ。
まあ大提督という冠をつけるにはチト華がないというか
名将だとは思うんだけど
小さな戦闘でコツコツ戦果あげたイメージしかないんだよな
677 :
世界@名無史さん:2009/07/07(火) 22:17:49 0
まともに軍が機能してない朝鮮ではよくやったと思う
あの朝鮮にも例外があった。
陸戦でソコソコ活躍した権慄なんか例外中の例外だな
679 :
世界@名無史さん:2009/07/23(木) 00:26:25 0
>>43 それ全部お前自身じゃん、惨めで無力無能:なゴミクズ汚物よww
お前みたいな::惨めで無:力無能な:ゴミクズ汚物と一緒にするなよww
また惨めなゴミク:ズ汚物:の惨めな妄想かww
お前何:もできや:しないじゃんwwただ惨めに野垂れ死んでいくだけww
ほんと惨めな:汚物だなお前はww
お前みたいな惨めで無力無能なゴミクズ汚物が何ほざいてもww何やってもwwどんなに生きててもww
お前み:たいな:惨めで無力無能なゴミクズ汚物の全ては無意味無効無駄ww
ああ、レスしても無駄wwもう見ねえからww
火病誤爆か
Wikipediaが韓国評価に大きく偏ったな。
683 :
世界@名無史さん:2009/07/27(月) 14:54:42 0
684 :
世界@名無史さん:2009/07/27(月) 14:57:12 O
吹いたwwwwww
ついにネルソンまで時空を越えたかwwwwww
なんか本当に…
こういう奴らに媚びる事が謙虚な姿勢なのかな
妄想で頭が狂ってるな朝鮮人は
狂人は精神病院に閉じ込めておかなきゃならんはずなのにな
wikiで遊ぶな
直してやれよ
俺? メンドクセ
688 :
世界@名無史さん:2009/07/31(金) 18:27:38 0
>>688想像だけで12隻なんて記録はないのにな。
鳴梁海戦やその他李舜臣関係はyasoshima氏のHPかブログ読んどけ
ぐぐれ
693 :
世界@名無史さん:2009/08/02(日) 15:26:13 0
スレ大杉
偉大な英雄 李舜臣物語
朝鮮軍を徹底的に壊滅させた日本軍は中国に攻め入る勢いで北上していました
しかし朝鮮は宗主国の中国様に援軍を乞いました
中国は属国の朝鮮を助けるために日本軍を上回る大軍を派遣してくれました
しかし、それでも日本軍は優勢です
打つ手を失った朝鮮は日本軍の兵糧を断とうとして朝鮮全土を焼き払い焦土作戦に出ました
と同時に、戦前は無実の罪で犯罪者扱いされていた李舜臣を再登用して
日本軍の兵糧戦ばかりを狙うゲリラ作戦に出ました
ちなみに李舜臣が罪人扱いされた率右は他の朝鮮人よりは優秀であったことに対しての妬みだったようです
李舜臣は軍船とは戦わず、徹底して輸送船を狙いました
輸送船団は戦闘能力の弱く、敵軍を見れば逃げるのは当然だったでしょう
が、現地で多くの城を築いた日本は和城からの砲撃との連携によりすぐに巻き返します
やがて秀吉が病死し、大陸の戦争より次の天下取りへ動き出す日本は講和へと路線が変更になります。
講和が成立し日本軍は撤退を開始します。
さて、中国軍と朝鮮軍の連合軍(連合軍といっても朝鮮軍は数も少なく士気も無く全く役に立たなかった)は
撤退を見るやすぐに約束を忘れ、勢いづいて、追撃してきます
しかし日本軍は巧みな撤退によって無事に退却していきました
そして朝鮮南部の海岸線に築かれた倭城での籠城戦では20万の中朝連合軍に対して日本軍は1万
それでも日本側籠城軍の大将、加藤清正の奮闘によって20万の中朝連合軍は大敗し、
中国の将軍も討ち取られてしまいました
李舜臣も同様に日本に退却していく日本の船団に追撃をかけましたが、
残念ながらそれは正規の戦闘軍。
あっけなく返り討ちにあって島津義弘の軍勢に捕縛され、
邪魔だということで海に捨てられて溺死してしまいました
永楽帝なきあとの明朝
おそらく中国史上最低の統一王朝だからな。
そのなかでも、万歴帝は一番程度の悪いやつ。
李舜臣カワイソス。
>>695 李朝が焦土作戦などという組織だった活動方針を採ったという話は初耳だぞ。
あと停戦の交渉はしたものの、結局約束としては成立してなかったのでは?
李舜臣が捕縛されて溺死というのも初耳。
698 :
世界@名無史さん:2009/08/06(木) 00:00:52 0
李舜臣のドラマ見たけど
結構面白い
日本の大河より良く出来てる
「いくさはいやじゃ」とか姫様が言ってる
昨今の大河よりはいいんだろうね
>>697 慶長の役では、朝鮮が当初から清野(焦土)戦術を採っているというのは
『近世日本国民史』に史料原文付きで載ってるし、常識レベルの話だと思うが。
ま、最近の書籍なんかは、愛国心に燃える朝鮮民衆の義挙で悪逆非道な日本軍を追い払った
みたいな話しか載っとらんかもしれんけど。
あと李舜臣溺死はともかく、露梁海戦は停戦合意して明水軍から人質まで送ってきた後の交戦だから、
明・朝鮮軍の協定破りと言われても仕方がないと思う。
もっとも、協定を交わしたのは小西とであって島津とじゃないから違反ではないニダとか強弁する輩も
いるけどね。
>>699 まぁ、現在絶賛放映中のは、姫様どころか戦国武将が
主従揃ってそう言ってるらしいしw
愛なんて兜をかぶったばっかりに、400年後の世界で優男キャラが確立した直江さん。
忍者が出てきたり
トンでもな所もあるけど
戦闘シーン頑張って迫力あったり思ってたより面白い
大河は安っぽい
706 :
世界@名無史さん:2009/08/06(木) 07:48:11 O
>>702 閻魔様へのお手紙とかファンキーな事やってた人なのにねw
707 :
世界@名無史さん:2009/08/06(木) 15:34:01 0
>>703 最低の統一王朝は晋だろ
司馬懿の子孫とは思えないくらい屑ばっかりの皇族
考えてみると、今の朝鮮大河はNHKの30年、40年前の”天と地と”とか”国盗り物語”とかの
血湧き肉踊る娯楽路線と同じなんだろうな。
もっとも、40年後の韓国で”いくさはいやじゃ”なんていう自省的なドラマをやってるとも
思えんが・・・というか40年後に韓国があるかどうかがそもそも疑問だけどさ。(笑)
709 :
世界@名無史さん:2009/08/06(木) 15:55:23 0
幼少から贅沢に甘やかされてれば素質は優れてもダメ人間になるんじゃね?
オスマンみたいに兄弟で殺し合いレベルの熾烈な闘争があれば別なのかもしれんが
710 :
世界@名無史さん:2009/08/06(木) 16:06:14 0
305 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/05(日) 05:31:49 ID:vz7I???
弱い者いじめが許せない人はコピ協力してほしい
俺は陰険な心理的負荷を与えるパワハラや社内イジメが大嫌いだ!
かつがれて妄想理由、妄想差別で嫌がらせをする奴には腸煮え繰り返る!
こと既婚男上司が特定の女性(容姿年齢に関係なく)にだけやる弱い者いじめは許せない!
大きな日本の印刷会社の○○!お前のことだ!故意に失業者を増やしたいのか!
大人しい女性、聞きわけのいい人女性だけ狙いやがって、それでも男か!
広めてやる!てめえが会社や世間、身内に知られたくないことも広めまくってやる。
2ちゃん以外にも広めまくる!当然の報復だ!
貴様のせいで会社や身内に迷惑がかかる。自業自得だ!
会社が○○を粛清するまで、俺の余命が尽きるまで続けてやる!
>>709 明の皇帝もそうだけど悪い素質だけ受け継がれて、いい素質が受け継がれてない気がする
悪い所だけ似ちゃったみたいな
スレチガイスマン
>>708 李舜臣美化、日本軍残虐に貶める所が鼻につくけど
李舜臣が味方の被害増やさないために孤立した部下見捨てる非情なシーンもあったり
意外に良くできたドラマって印象だった
その手のオリジナルドラマを作る技能は韓国ドラマは結構優秀だな
チャングムも史実なんてガチ無視していたけど、面白かったし
>>711 まぁ良い皇帝もいれば悪い皇帝もいるわけで・・・
万暦帝や崇禎帝だけを見ずに弘治帝や宣徳帝の治世も見て欲しいもんだ
また自らは取り得がなくとも有能な臣の輔弼を受けて治世を安定させた隆慶帝のような人間もいるわけだし
朝鮮も治世がおかしくなった明を頼るよりも、
日本や女真と一緒に、明を倒す発想はなかったのかな。。。
李自成のような動きもあって、明朝もうだめぽって読めてなかったのかな?
明の兵隊なんか朝鮮に呼び込んだら、
放火略奪されるの目に見えていたのにな。
716 :
世界@名無史さん:2009/08/06(木) 20:32:42 0
>>715 微妙な所じゃないの
明より先に豊臣政権が斃れてるくらいだし
717 :
世界@名無史さん:2009/08/06(木) 20:54:35 O
いや豊臣政権潰れたのは唐入り関係無いだろ。
元々脆弱な政治基盤で家康放置してたんだし
つ 小中華主義
中華の次の席次にいると勘違いしている朝鮮にそれより低い地位の国と手を結ぶという発想は無い。
今の韓国からは、小中華主義は想像もつかないが
北朝鮮は、その名残りが存在するよな。
>>717 まぁ唐入りは諸大名からも悪評高かったし
無関係とは言いがたいんじゃないかな
Wiki見たけど
あれ見る限り、どう考えても朝鮮水軍の戦果に対する
韓国人の過大評価は異常だなぁと痛感した
すごい勢いで首都落とされて、王子人質にされて
部下、逃げまくりで
それでも組織的反撃ができたのが凄いといえば凄いけど
とにかく朝鮮弱すぎ、
やっぱりこの戦争の主体は日本と明じゃないの?
朝鮮はやっぱり通過点でしょ
そうですよ。通過点と言うか戦場だけど。
>>700 あんだけの行軍スピードで稲刈り取ったりしてる暇ないだろ。
それに小西行長も朝鮮側への内通文書の中で、稲を刈り取るよう忠告してるってことは
朝鮮側は焦土作戦について組織だった行動はとれてなかったということだろ。
やむをえず独断で官舎の兵糧庫を開いて民衆に分け与えた朝鮮役人が処罰されたりしたんだし。
日本軍が兵糧に苦しんだのは、もともと兵糧庫のたくわえが少なかったことと、民衆が兵糧庫を襲って
略奪してたからだろ。結果的に焦土作戦っぽくなったにすぎない。
停戦合意も正式にしてない。
溺死してないことは認めたんだね。
>>723 文禄の役と慶長の役の区別すら付いてないのか・・・ 馬鹿?
× 700だが697じゃねーよ
○ 700だが695じゃねーよ
726 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 12:27:28 0
あれだけ愚鈍な王でも滅亡しなかった李朝ってゾンビのような国家だな
清はなぜ李朝を属国化するだけで征服しなかったのだろう。
朝貢冊封関係があり、規模が大きいため、王として認めた者を
併合することは、元朝も明朝もやっていないから。
ただ、王を皇帝の一族にすげかえたりは、元朝や明朝もやっている。
特に元朝は、かなり規模の大きいウイグルやチベットに対して行った。
朝貢してきたあげく、軍備を言われるがまま削減するようなやつをわざわざ併合するだろうか・・・
>>648 wwwwwwwwwwwwwwwwwww
李舜臣が撃たれて負傷したのも、朝鮮製の火器だったかもね。
韓国での歴史学者の李舜臣に対する評価と、アマチュアの評価ってそれぞれどんな感じなの?
>>732 同じ。
だって韓国の歴史学者=アマチュアだものw
金在瑾って人はまともだろう。
金在瑾も李舜臣マンセー!、ウリナラ水軍マンセー!なのは一緒。
736 :
世界@名無史さん:2009/08/12(水) 02:58:07 0
李舜臣は優れた功績をたたえられるどころか、
嫉妬政治のため死刑になりかかった。
ちょうど2度目の日本進軍があったので
復帰するがほとんど一平卒に格下げされた。
しかし後任の指揮者では戦果をだせず再び指揮をとる。
結局戦死してしまうのだけどあまりのばかばかしさに
いやけがさしていたのかもしれない。
それにしても朝鮮は今も昔も国益なんかより保身や私益
に他人ををいくら犠牲にしてもいいという基地外国家
朝鮮戦争の白将軍も親日派認定されて売国奴扱いみたいだし
つくづく成長しない民族ですね
【MMO】オンラインゲーム強国韓国、日本‘コーエー’の歴史観を正した![08/13]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1250174848/ ゲームで常習的に歴史歪曲を事とした日本開発社‘コーエー’がこの頃変化をした。
コーエーは今年12月日本でサービスされる‘大航海時代オンライン’の拡張パックで
朝鮮と李舜臣将軍を比重あるように扱って注目を集めている。
コーエーは‘大航海時代オンライン’東北アジアアップデートで‘朝鮮、日本、中国、
台湾’を追加すると明らかにした。特に韓国ユーザーのために朝鮮を最初に披露して、
李舜臣将軍と亀船をゲームの主要キャラクターとして登場させた。
韓国ユーザーたちはコーエーの変化した態度に一応歓迎しながら怪訝な雰囲気だ。
これまでコーエーが行った‘歴史歪曲の記憶’がとても大きいためだ。
コーエーと‘李舜臣将軍’の縁は今回が初めではない。コーエーは‘三国志10’拡張
パックの追加武将で李舜臣将軍を登場させた。しかし23戦23勝不敗神話の李舜臣を
能力値70の下級武将に格下げして韓国ゲーマーたちを憤怒させた。
それだけではない。過去コーエーは韓国の歴史を常習的に縮小、歪曲して社会的に
物議をもたらした。戦略ゲーム‘三国志10’で高句麗の地である楽浪を中国の領土に
編入させて韓国で審議不可の判定を受けた。
‘ジンギスカン4’では高麗三別抄の抵抗を‘反乱’と表記して、‘提督の決断’では日帝
時代‘挺身隊’まで登場させて物議をもたらした。
また、‘豊臣秀吉’、‘加藤清正’、‘小西行長’など壬辰倭乱の戦犯たちを美化して、
韓国ゲーマーたちの心機を不快にさせた。
コーエーは今回の‘大航海時代オンライン’拡張パックを通じて韓国ユーザーをなだめに
出た。東海表記や独島問題など韓日間の敏感な部分は韓国ユーザーの意見を積極
反映して調整される予定だ。
特に韓日間の敏感な歴史問題も避ける雰囲気だ。拡張パックで日本の英雄として
登場した‘伊達政宗’は実際の歴史でも壬辰倭乱と関連が無い人物だ。ともすれば
朝鮮侵略の戦犯を主人公として登場させた以前のゲームとは違う雰囲気だ。
業界はオンラインゲームで韓国が無視できない強大国に成長したので日本オンライン
ゲームの歴史観も変わるしかないと説明する。
‘大航海時代オンライン’韓国サービス社のCJインターネットは「オンラインゲームで
韓国市場は既に日本市場を大きく追い越す水準」として「今回のアップデートは韓国に
対する日本開発社の変化した態度を見せてくれる事例」と話した。
実際にCJインターネットはコーエーを説得して‘大航海時代オンライン’部分有料化
政策を成功させたことがある。大航海時代の新しい拡張パックは来る12月日本で
アップデートされて、来年4月韓国に適用される予定だ。
▲中央日報(韓国語)2009/08/13 19:35
온라인게임 강국 한국, 코에이 역사관 바로 잡았다!
オンラインゲーム強国韓国,コーエー歴史観正した!
http://article.joins.com/article/itview/article.asp?Total_ID=3725240
もうたかがゲームでウザ過ぎるから朝鮮なんて国は無いことにしろよ。
>>738 >拡張パックで日本の英雄として登場した‘伊達政宗’は実際の歴史でも壬辰倭乱と関連が無い人物だ。ともすれば朝鮮侵略の戦犯を主人公として登場させた以前のゲームとは違う雰囲気だ。
馬鹿だなあ。政宗は文禄の役の終盤に渡海して南部を掃討したり、約束された補給が実施されずに浅野長政と絶縁したりしているんだがなあ・・・
捏造・改変なんでもあり! やっぱり変わらない韓国メディアの「反日無罪」=西村幸祐
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20090608-01/6.htm もちろん、韓国国内でも自国のメディアに問題があることに、気づいている人はいるだろう。だが、反日の渦巻く国内では、誰も発言はできない。つまり、自浄作用など一切期待できない。
では、このような病気ともいえる症状に日本人はどう接したらいいのだろうか? それは第一に、韓国の反日の源になっている歴史問題で、日本が正しい歴史事実を示していくしかない。
政治家のように、お茶を濁しているのではなにも解決しない。当然、摩擦は起こるのだが、それでも正しい歴史事実を感情的にならず突きつけていくしかないのだ。
李舜臣って追撃失敗して討ち死にしてるよね。
不敗?
海の戦いしかしてない武将の能力なんだから70くらいが妥当だろ。
むしろ規格外の高スペックにしちゃうのも面白いかも。
李瞬臣は名将には違いないけど、持ち上げすぎだろ。
747 :
世界@名無史さん:2009/08/17(月) 21:44:34 0
日本水軍の武将と比較すればやっぱり名将だと思う
この李何とかって言うオッサン島津軍に捕まり面倒くさいから
海に突き落としたら溺死したって日記に書かれてた奴だろ!
>>747 違うな。
朝鮮の武将の中ではまともだというに過ぎない。
752 :
世界@名無史さん:2009/08/19(水) 01:24:27 0
看護婦さんもみてます
754 :
世界@名無史さん:2009/08/19(水) 14:32:58 O
おーっと、君が自慢するその朝鮮一の名将。
日本じゃあ1200000番目だ。
755 :
世界@名無史さん:2009/08/19(水) 14:41:24 0
実際まあまあ優秀な1武将程度
756 :
世界@名無史さん:2009/08/19(水) 14:47:05 0
【実際の活躍度(日本の識者の間では常識)】
李如松(明将)>>>>>>楊鎬(明将)>>>>>>董一元(明将)>>>>李舜臣
●実際に戦っていたのは明軍ばかりで朝鮮軍は明軍の補助ばかりしていた。
たまに戦ってもどうせ負けるので明軍からウザがられていた。
抗日義勇軍もはっきり言って盗賊団と大差がなかった。始めこそ士気が高かったものの、数年後にはすっかり堕落し病死した韓国人の首を日本兵の首だと偽って、朝鮮の朝廷から恩賞を貰ったりしていた。
李如松って碧帝館の戦いでボロ負けしてるけど、その後は無理攻めせず
徐々に日本軍を追いつめてると思う。
でも一般的な評価は愚将では?
>>757 明将はことごとく愚将揃いだったというウリナラ史観に毒されてるんでは・・・
ま、李舜臣はフツーに良将だとは思うけど、陳リンが李舜臣の卓越した指揮ぶりや高潔さに心服して
明水軍の指揮権も与えたとか、李舜臣の死を知って慟哭したとか、明側の史料に全くないことを
史実として吹聴するのはどうかと思うわな。
759 :
世界@名無史さん:2009/08/20(木) 02:53:45 0
どうしても韓国の評価だと悪意的にみてしまう
当時の日本川と明側の陣営内部の情報がよくわかる本ってない?
石田三成が秀吉に宛てた書状のなかに「前線には食料も兵士も足りない」と
書いてるから、やっぱ李舜臣の輸送船撃破作戦は有効だったのか?
1.李舜臣が輸送船撃破作戦を行ったことはない。
2.釜山には兵糧が在った。
>>763 李舜臣は輸送船ばかり狙ってたから、勝率が高かったというが?
兵船と戦ってあの撃沈数をあげてたのか?
釜山に食料あったとしても、三成の書状からは各地の前線には食料がないという・・・
つまり、釜山から各地の前線に送る分には足りない量しか輸送できなかったのでは?
もしくは、釜山から前線に送る途中で義兵の略奪にあってたのかもしれんが。
毎度の何十隻、何百隻撞破・焚滅とやらの大戦果は
あくまで李舜臣の自称なんだがw (・∀・)
いわゆる亀甲船も韓国人の夢見るような鉄板張りの船でもなんでもないんだよな
当時の資料には切り込みを防ぐために兵士に槍持たせて林立させた船としか書いてない
何年か前に韓国で亀甲船の復元ってか創造をしてたが、
二階建てでひょろっと高くてただでさえ重心高すぎなのに、
さらに屋根を鉄板張りにしたもんだから進水直後に転覆した
李舜臣の頭にシーレーン攻撃という発想はなかったし
そういう行動をとったこともない。
ではなぜ三成は前線に食料がないと言ったのか?
貧しい朝鮮では日本国内のようには現地調達が出来ず、かつ策源地である釜山からの
途上に匪賊が跋扈して輸送が思うに任せなかったからから。(・∀・)ニヤニヤ
陸上輸送はコストが大きいってのもある。
>>768 前線に食料がないから前線に食料がないと言った
いいかい?
そもそもは、当時のロジスティクスってのは…
朝鮮人からして飢えてんのに現地調達できるわけないわな
まさかそこまで何もないとは秀吉も思いもよらなかっただろう
19世紀の普仏戦争ですら食料は現地調達してます
ましてや16世紀の戦争なら、現地調達は当然のこと
ソースはクレヴェルトの補給戦
朝鮮人が貧しくて現地調達できなかったという記述はあるのか?
日本軍より多い中国軍は現地調達できてた?
天兵様に対しては、朝鮮官民上げての兵站業務の強要で
餓死者累々、人肉食が横行してたがw
159 名前:日本@名無史さん:2009/07/29(水) 07:35:34
主人公が唐入りに反対するのは大河ドラマの伝統。
多分、仮に加藤清正が主役の大河が作られたとしても
唐入りに反対する流れにすると思うよ犬HKはwwww
史実の兼続については知らん。
ただ石田三成が
「朝鮮半島の収穫が糞すぎて、このままじゃ補給持たねえよwwww」
って書状書いたのはガチ
778 :
世界@名無史さん:2009/08/25(火) 00:10:38 0
清正には法則は発動しなかったな
779 :
世界@名無史さん:2009/08/25(火) 04:37:47 O
清正死んだ後に断絶してなかった?
>>778 本当かどうか分からないけど、朝鮮で梅毒貰って早死に説があるよね。
>>779 断絶は清正の子供の代
781 :
世界@名無史さん:2009/08/25(火) 10:15:28 0
唐入りに関しては
秀吉のほうから関ってきたんで法則は当てはまらないと思う
海で食料が消えたのか、陸で食料が消えたのかどっちかだ。
海で消えたのなら、李舜臣の活躍のせいだろうが、
陸で消えたのなら、義兵、匪賊の活躍のせいだ。
>>777 補給がもたないという部分の書状は見たことあるが、朝鮮半島の収穫が低すぎてという部分はあるのか?
兵糧は釜山に溜まっていた。
この時代物資の大量輸送手段は船しかない。
釜山までは海路だから船で大量に輸送できる。
しかし釜山より先は陸路だから輸送効率が頗る悪くなる。
馬の背中に米俵2〜3俵積めるだけだから
馬100頭で隊列を組んでも米俵200〜300俵しか積めない。
これは小さな船1隻分にしかならない僅かな量にすぎない。
続き
小さな船1隻動かすのに人員は20人もいらないだろう
しかし馬100頭で隊列だと、馬1頭につき口取り一人は必要だから100人は必要で
さらにゲリラに備えて大量の護衛兵をつけなければならない。
このように海路と陸路の輸送効率の違いは歴然としている。
まーた、
クレヴェルト厨の、知ったかぶりがはじまったwwww
786 :
世界@名無史さん:2009/08/25(火) 20:02:46 O
反論すればいいじゃん
けなすと荒れるが、議論なら盛り上がるだろ?
輸送効率は船の方が上だが、慣れない海ではなかなか岸に付けるのも難しい。
海流や潮流、暗礁、航路、いろいろ大変だよ。
馬による陸上輸送の方が、ある意味でconvenienceなのだよね。
単純に海の方が絶対に良いとは言えないよ。
あれこれ妄想したところで三成は釜山には兵糧があると言っている。
釜山までは問題なく海上輸送されていたということ。
棄車保帥 ◆jGok8klrco
↑
こいつでググると笑えるなw
キモい2次汚多ロリコンは巣にカエレ!
1 :棄車保帥 ◆jGok8klrco :2009/06/23(火) 11:33:22.30 ID:WMdQtoeZ0
梨花「まだ膣内でびゅくびゅくして……あぁっ……みぃー赤ちゃんできひゃうのです……」
126 : 棄車保帥 ◆jGok8klrco - 2009/07/07(火) 15:54:31.61 ID:OiNlQFGS0(+38+20)
ロリコンなんてすごいっすね。
一般人には、理解できない特別な性癖を持ってるなんてマジかっこいいっす。
>>1さんは、そこらのパンピーとは一味違いますね。
李舜臣の海戦を見てると、軍港に停泊している日本の船に対して挑発して沖におびき出して撃破してるのが多い。
兵糧を運ぶ途中の輸送船を襲うのは詳細な日数と航路を知らないと出来ないから、無理だろ。
でも、船の数自体を減らせば輸送を滞らせることはできる。
日本の全体の軍船の数のうちどれだけ撃破されたのか問題だな。
李舜臣に何隻撃破されてようと
釜山には兵糧があると石田ミッチーが言ってると言ってるだろ。
輸送に影響ない程度の船舶損失ってことだよ。
釜山は兵糧の集積地だからあるのは当然だろう。
ただ、そのうち何割かを李舜臣によって失われてる可能性はある。
そのために各地の前線に配られる兵糧は少なくなってしまうということ。
そういう可能性も考えられるぞ。
られますぇん
輸送船がやられてたのは初期だけで、
ちゃんと護衛するようになってから李舜臣の戦力は
どんどん削られてってほとんど明水軍だけに
>>794 護衛用に使われた船腹が、ある意味で朝鮮水軍の戦果だよ。
輸送量が、それだけ削られたんだから。
在日君は朝鮮北部に逃げ込んでた朝鮮人にしては恐るべき事に標準的な能力を誇る李提督が
どのように日本海沿岸〜朝鮮南部の日本の輸送船団を襲ったのか説明できるのだろうか
さてはワープか?!
全員北に逃げ込んでたら飯が無くなって死ぬぞ
>>797 『芝峰類説』
癸巳(1593)春、大いに飢ゆ。各道の人民、流離巣を失し、餓ヒョウ※相属し、人相殺食す。
山中の草葉、松楡の皮根、並びに尽く。
甲午(1594)夏、(中略)人相殺食し、女子稚児、敢えて任意出入せず。餓ヒョウ※相続き、
飢民争いてその肉を喰らう。死骨を剥ぎて、汁を取り咽下するに至る。
※ヒョウはくさかんむりに俘のつくり=飢え死にすること
>>795 んでその朝鮮水軍は護衛船にぼろぼろにされたわけで、
結局秀吉さんの戦果を増やしただけ
>>795 当時は護衛なんてやっていないし、
輸送船がフル回転するような輸送も
やっていないのだが?
どれだけ史実を踏まえて話しているのやら、
大丈夫?
801 :
世界@名無史さん:2009/08/29(土) 21:01:35 0
さらし
家康が参加してたらもう明までフルボッコになってたな
803 :
世界@名無史さん:2009/08/31(月) 14:59:46 O
まとめてさらしあげ
>>799 ぼろぼろにされたっていうのは、いつの戦いのこと?
おいおい。
せめて、史料をもって語れよ。
キモい2次汚多ロリコンは巣にカエレ!
朝鮮制圧した部隊は3万とか4万の日清日露の戦いですら、朝鮮の悪路のせいで補給
に難儀したのに、10万以上の大軍送れば大変な苦労だっただろう。
>>794って何も具体的なことかいてないよな・・・
>>809 だから釜山にはあるんだと
>>810 実際そうなんだけど
李舜臣が自前の朝鮮水軍率いてたのは初期だけで、
戦いの中で消耗して行き明水軍ばかりになったんだから
おいおい、学問板だろ?
史料をもって語れよ。
814 :
世界@名無史さん:2009/09/02(水) 21:36:03 0
>>814 んなこたぁある
一度の海戦で全滅ってんじゃなく、徐々に消耗していった
>>816 wikiだが
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E8%88%9C%E8%87%A3 秀吉の戦術転換で陸上から攻撃され、多くの被害を出す。
泊地をどんどん占領されてって後退を続け、日本水軍が進出。
1598年、李舜臣は明水軍の指揮下に入って順天城の海上封鎖を行った。
救援の島津水軍を明・朝鮮水軍は露梁海峡で迎撃したが、明・朝鮮軍は損害を出しつつ苦戦、
厭戦気分が蔓延して攻撃は頓挫、海上封鎖を解いて朝鮮沿岸を転々と後退した。
この露梁海戦で李舜臣戦死。他に明水軍副将を初めとする明・朝鮮水軍の主たる将が
多数戦死し壊滅的打撃となり朝鮮水軍は敗走した。
818 :
世界@名無史さん:2009/09/04(金) 07:11:10 0
>>817 >李舜臣が自前の朝鮮水軍率いてたのは初期だけで、
>戦いの中で消耗して行き明水軍ばかりになったんだから
いやいや、↑こんなこと書いてないよ?
書いてあるよ
日本側は海上をゲリラ的に動き回る李舜臣を追いかけるのをやめて、
陸上に砲台をたくさん作って攻撃、朝鮮水軍は消耗していって、結局明水軍の指揮下
海上輸送を絶つことはできなかった
>>819 いや書いてないな。明水軍が出てきたのが何時か?よく読め。
>>817 そもそもwikiをソースにするんじゃないよ。
まず「陸上から攻撃され、多くの被害を出した」という戦いを挙げろ。
>>820 書いてある。数が減って押されて引っ込んでたとこに明が南下してきて合流
>>821 wikiには出典も書いてある
一度の海戦で全滅ってんじゃなく、徐々に消耗していった
>>822 だって明水軍が来たのは七年戦争をやってた七年目の最後の数か月ですよ?
それを初期と言うのはどうかと。
wikiとかねwwwwww
史料だよ、史料。
史料以外には何の価値もない。
826 :
世界@名無史さん:2009/09/07(月) 15:03:22 O
>>825 だっておかしいだろ、最後の2行?
811 世界@名無史さん sage 2009/09/02(水) 05:15:03 0
>>809 だから釜山にはあるんだと
>>810 実際そうなんだけど
李舜臣が自前の朝鮮水軍率いてたのは初期だけで、
戦いの中で消耗して行き明水軍ばかりになったんだから
>>826 おかしかないが
実際そうなったんだから
>>827 陸上からの攻撃があった戦いの名前を挙げてくれ。
ところで合流した明水軍はどの港を使っていたんだろう。
>>828 >急造の日本水軍を出撃させて朝鮮水軍に当たる海上戦闘は不利であると
>悟った秀吉は日本軍勢力範囲の要所に城砦(倭城や鉄炮塚と呼ばれる砲台)を
>築いて大筒や大鉄砲を備え、船対船の積極的な海上攻撃作戦から船対陸の
>水陸防御作戦へ戦術を変更した。この戦術転換は有効に機能し、以降の
>李舜臣による日本側の泊地への攻撃は釜山浦攻撃、熊川攻撃など
>被害が多く成果が上がらないために出撃回数は激減した。
>>829 李の出撃が段々減っていったことが、なんで指揮していたのが初期だけという結論になるんだ?
1592年の開戦以前から更迭された1597年初頭までと、再登板した同年夏以降から死ぬ1598年の11月まで李は朝鮮水軍の指揮にあたっていたわけで。
ちなみに明水軍が来たのは1598年になってからなので、殆ど明水軍と言うのも語弊がある。
露梁海戦で戦死した明の副将は朝鮮軍船に乗っていたし。
>>830 陸上からの攻撃があった戦いの名前を挙げてくれって言うから書いたんだが
そして消耗して明軍が来るまでは引っ込んでいた
明軍が来てからは明軍の指揮下だよ
>>831 1593年も1594年も攻撃作戦は実施しているし、常駐拠点は閑山島まで前進させているわけで、引っ込んでいるってドユコト?
>>831 釜山浦や熊川に日本水軍が篭ってたってだけで、李舜臣がどれだけ被害を出したか
ソースがない限り全然わからんのだが。wikiの引用だけじゃ限界があるな。
結局、李舜臣が消耗して出撃できなかったのではなく、日本水軍が応戦しなかっただけじゃねーの?
>>832-833 陸上から攻撃されるので攻撃もうまくいかなくなり、
被害が増え、そのうえ日本水軍がどんどん進出して
明軍が来るまではほとんど何もできない状態
輸送を絶つ事もできなかったしね
日本側が応戦しなかったならそうはならないし、泊地も占拠されてるはずだろう
835 :
世界@名無史さん:2009/09/10(木) 06:44:38 O
>>834 その定義を使った場合は「何も出来ずに引っ込んでいるしかなかった」は日本の方により適用できるわけか?
それと初期っていつなんだよ?w
文禄の役全期間に慶長の役の殆どの期間、李舜臣は指揮をしていたが、君んちじゃそれを初期だけしか指揮していなかったと表現するのか?
>>835 泊地の防備を固め、陸上から攻撃して撃ち減らし、さらに水軍を進める、
これを「何もできなかった」ということはできない。それで李舜臣は封じられたんだから
秀吉の戦術転換までだね。まともに戦えた初期ってのは
その後は消耗した手勢を率いていたって戦局には影響を与えることができなかった
泊地の占領や海上輸送路の遮断という目的を達成できなかった李舜臣が「何もできなかった」んだよ
838 :
世界@名無史さん:2009/09/10(木) 09:03:03 O
>>836 それのどこをどう解釈したら「李舜臣が朝鮮水軍を指揮していたのは初期だけで、明水軍に取って代わられた」ことになるのかと小一時間問い詰めたいw
これ見ると秀吉って補給重視だよね。
840 :
世界@名無史さん:2009/09/10(木) 20:11:45 O
>>839 どれを見るんだか知らないけど、秀吉はもちろん兵站を重視しているが?
大戦中の陸海軍のイメージで「補給軽視は日本の伝統ww」とか知ったか言う奴が多いから。
>>838 初期の海戦の経験から秀吉が戦術転換してからはうだつの上がらない状態で、
明軍が来るまではほとんど何もできなかったんだから李舜臣は
結局明軍の指揮下だしね
それは元均が李舜臣が罷免されてる間に水軍を壊滅させちゃったからでは?
それでも李舜臣は復職後に脇坂を破ってるわけだが。
>>843 李舜臣の失脚は慶長の役初頭の命令不服従の為で、脇坂安治を
破った閑山島海戦は文禄の役だが。w
ウリナラの誇る大勝利で、世界4大海戦の一つwということなんだから
ちゃんと勉強しとけよ。
>>844 鳴梁海戦に参加した武将の名前も勉強しとこうな
>>845 鳴梁海戦に脇坂安治が参加していたとする史料は皆無な訳だが。
”不滅の李舜臣”あたりではそうなってるのかもしれんがw
>>847 勝手に人違いしてるようだが、馬鹿すぎだろ。w
潔く
>>843、
>>845での自分の無知発言を認めるか、さもなくば脇坂安治が
鳴梁海戦に参加したということを示す史料を出すべきだな。
訂正しとけよ。
794 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 04:42:23 0
られますぇん
輸送船がやられてたのは初期だけで、
ちゃんと護衛するようになってから李舜臣の戦力は
どんどん削られてってほとんど明水軍だけに
つまり日本は勝ったのか、
それとも勝てたけど、敢えて勝たなかったと言う奴か
852 :
世界@名無史さん:2009/09/12(土) 19:18:48 0
つーか 島津義弘に負けて戦死してんじゃん
>>851 キルレシオでいったら日本水軍の圧倒的勝利だろ。
日本側のまとまった損害は、緒戦時の陸岸沿いに移動していた小部隊と
閑山島海戦での小船中心の脇坂勢、路梁海戦での荷船中心の島津勢
くらい。
李舜臣は、百隻単位の日本船を撞破・焚滅と毎回大本営発表的に
自著に書き散らしてるけど、対応する日本側の記録に乏しい。また、
その大半は小早クラスの小軍船と荷船と思われ。
他方、朝鮮軍は緒戦で慶尚道の軍船をまとめて数百隻喪失し、その後も
漆川梁海戦だけでも戦艦相当の大型船(板屋船)数十隻を含む軍船200隻
以上を一気に失って壊滅状態になってるからな。
854 :
853:2009/09/12(土) 20:38:57 0
× 路梁海戦
○ 露梁海戦
855 :
世界@名無史さん:2009/09/12(土) 20:54:32 0
>>843 ☆ チン マチクタビレタ〜
マチクタビレタ〜
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・) < 鳴梁海戦に脇坂安治が参加した史料まだ〜?
\_/⊂ ⊂_ ) \_____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| 島根らっきょ |/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>>853 つまり勝ったのか、
それともキルレシオにすがって慰めているのか
857 :
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2009/09/12(土) 21:10:24 0
∧__∧ 韓国に対する愛情はないのかーっ!
<#`Д´>|||
( O//バンッ!!
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| |
キルレシオのみが大事、となると
つまり殺しにいっただけで別に領土とか支配とかは一切興味が無かった?
秀吉が長生きしてれば半島南部の領土割譲くらいいけたかもよ。
>>850 何を?
李舜臣がまだまともに戦えたのは秀吉の戦術転換前の初期だけ
結局明軍が来るまではほとんど何もできず、明軍の指揮下に入った
なにも訂正する必要ないが
>>856>>858 キルレシオとかいう以前に李舜臣は目的を何も達成できていないから
ちょこちょこ日本軍に被害を与えてるだけで
誰も目的を達成できない戦争。嗚呼空しい。世の中そんなもの。
>>859 日本に足りぬは意思統一のみってことになるんだろうか。
>>863 わけがわからないが
李舜臣が結局何もできなかったも同然なのはどうしようもない
865 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 15:38:34 O
>>864同じ物差しを使えば倭水軍が朝鮮水軍以下なのは仕方がない。
866 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 17:59:25 O
お前は一体何を言っているんだ?
倭水軍って言い方から察してやれ。
869 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 21:06:43 O
なんだただの基地外か
統一された倭水軍どころか豊臣水軍すらないのに・・・
補給線を断つことが出来なければ海戦の意味がないざます。
どんどん上陸を許している時点で意味がない。
よくて嫌がらせ程度の意味。
中国軍の補給はどうなってたんだ。
日本軍よりはるかに大人数だったんだろ。
朝鮮は貧しくとても大軍を補えるわけないし、略奪しても足りないはずだ。
後方から補給してたのか?
>>865 同じ物差しとは?
結局李舜臣と朝鮮水軍がなにもできなかったも同然なのはどうしようもないんだよ
>>872 朝鮮で現地調達した。これは資料がある。
当然明からも輸送させたでしょう。
また満州からも輸送させたんじゃないかな。ヌルハチだったかどうか忘れたけど満州の部族長が戦いに参加したいとかって李如松か誰かに送った手紙があった気がする。
あとやはり推測ですが日本軍から略奪する手もあったでしょう。
土民は日本兵糧米が眩しくみえたのでは?だから蜂起したのかもー
>>874 ちょっとまて、なんで現地調達できたんだ?
当時朝鮮は貧しくてとても10万以上の明軍を長期間滞在させられるだけの食料はない。
明からの輸送も、陸路では日本と同じく馬に積んだとしても2俵だぞ。無理無理。
満州なんて朝鮮より北部なんだからまともな食糧生産できやしないだろ。
残るは、中国本土からの大規模な海上輸送しかないはずだが、違うか?
山東糧という山東半島から遼東半島経由で漢城までの沿岸伝いの運送ルートは
あったらしい。漢城からは朝鮮の官民を強制動員しての陸送だから日本側とさして
事情は変わらんけどな。
877 :
世界@名無史さん:2009/09/16(水) 02:07:20 0
李舜臣は23戦23勝のはずだけど
拠点攻撃で全敗してるよね。
釜山
熊川
長門浦
順天
これ全部敗退
日清戦争でも海上(黄海側)から食料物資を輸送できるかどうかが問題になってたけど
文禄、慶長でも同じだったに違いない。陸路は義兵や農民の非協力で困難だったろう。
中国軍は黄海側からどんどん食料を海上輸送してたからあの大軍を維持できたんだろう。
ということは、日本軍は釜山らへんの制海権をどうこうするより、黄海側の制海権を握らなければ
ならなかったんじゃないか?そうすりゃ明軍の補給路も断てるから、明軍は帰らなければならなくなる。
あとは陸路を確保するために、周辺の義兵を掃討できなかったことが敗因だな。
>>875 確か当時の朝鮮は700万石。10万位の軍勢なら養えますよ。
日本軍も現地調達したろうし、
元々の朝鮮官僚・軍なども養わないといけないから、
朝鮮人にとって負担は大きくなったろうけどね。
勿論、戦争が長引くにつれて土地が荒廃したり、
体系的に徴収することが困難になったろう。
>>877 敵の先鋒にちょっと攻撃加えて逃げるのが勝利か
ピンポンダッシュみたいだな
881 :
世界@名無史さん:2009/09/16(水) 06:41:30 O
物は言い様。
882 :
世界@名無史さん:2009/09/16(水) 07:11:52 0
ピンポンダッシュで大勝利
>>879 養えなかったからこそ人肉食まで横行したんだろうにw
双方20万以上の軍が特定地域に集中すれば、生産力に乏しく、
またろくなインフラがなく他地域からの食糧・物資の移送も困難だった
朝鮮では賄いきれずに飢餓状態に陥ったということだろ。
>>878 水軍が活躍するには近場に港が必要だけど、それがないんじゃね?
885 :
世界@名無史さん:2009/09/16(水) 19:21:43 O
>>875 簡単なことだ。調達した分を食べるはずの現地人が餓死したのだ。
中世の戦争は現地調達が普通だからな。
援軍を送る前提条件も軍勢が遼東側にいる分は明、朝鮮側にいる分には朝鮮と決めてから出兵した。
結局、明軍の補給は不足して輸送や屯田に励むことになったが。
>>885 結局、双方とも現地調達できなかったので
後方からの輸送があるかないかで勝負が決まったんだろ。
そして陸路は双方ともきついので、海上輸送が決め手になった。
なかでも前線へ輸送できる黄海側の制海権が決め手になったと思う。
日本水軍が南岸から西岸へと制海権を広げられなかったのが敗因。
>>886 黄海側から前線への輸送なんてしてねーって。
ろくな道路網もないのにそんなん無理。
実際、李舜臣自身が難民船から食糧巻き上げてるだろうがw
>>886 皆無ではないが、明朝鮮では大規模な海上輸送など行っていないと思うよ?
餓死しても良いから民より収奪していた。
「なかでも前線へ輸送できる黄海側の制海権が決め手になったと思う。」
↑これの具体的根拠を提示して下さい。妄想なのか?史料があるのか?とても知りたい。
889 :
世界@名無史さん:2009/09/17(木) 07:30:19 O
>>887 たまに補給も来るけど少量、休戦中は艦隊を分散させて屯田で自活させていたが補給不全で餓死や逃亡が続出。
栄養不足と衛生不良で疫病が蔓延したので医者の派遣を中央政府に要請している。
武官採用は本来は中央集権の専管事項だが、補充が来ないので中央の許可を取って現地で採用試験を実施した。
ま、李舜臣は朝鮮にあるまじき豪族的な自活力で軍を維持した。
これは一種経営力の優秀性と言っても良いでしょう。平時には中央統制を離れて乱した粛正対象になると思うけど。
実際に統制に不服従だから、戦前戦中と二度も更迭されているし。
>>887-888 だから現地調達や収奪では明軍を養えないよ。
朝鮮は貧しかったんだよ?
それとも明軍を養えるほど朝鮮は豊かだったと言うのか?
>ろくな道路網もないのにそんなん無理。
だから陸上輸送は日本も明も無理だったんだろ。
じゃあ残るは海上輸送しかねーじゃねーか。
>史料があるのか?とても知りたい。
あるわけねーだろ。
状況証拠から言って、海上輸送しか考えられないってことだよ。
>>890 妄想で語ってたにも関わらず居直ってるなw
だから、明軍は、現地民が餓死しようと食糧が調達できる間は南下して日本軍と対峙しても、
それが尽きると本国からなんとか補給が届く漢城付近までさっさと引き上げてたんだよ。
全羅・慶尚を押さえられないと、現地調達なんて無理無理。
>>890 朝鮮人が食うもんを取り上げてたんだよ
そのぶん朝鮮人の餓死者が出まくる
>>890 翻訳掲示板のバカ韓国人も根拠無く同じようなことを言ってたな。
妄想も程々に。
896 :
世界@名無史さん:2009/09/18(金) 19:58:52 O
韓国人並みの日本人は死ねばいいのに
>>891 もともと朝鮮人さえ食うものがなかったのに、明は何を奪うんだよ。
それとも朝鮮人は戦争が始まる前まで餓死しない程度には食えてたというのか?
>本国からなんとか補給が届く漢城付近までさっさと引き上げてたんだよ。
本国からの補給は陸路だと考えてるのか?
相当な距離だぞ?正気か?
もし陸路で運んだと言うなら、なぜ日本は陸路で釜山から前線まで運べなかったと思ってるの?
>>897 >>876 脊髄反射の墓穴掘りばかりしてないで、無知なら無知で、
少しはスレの流れ読めよ。(苦
>>897 生き延びた朝鮮人は何を食っていたと思って居るんだね?
>>897 食うものがなかったらとっくに全滅してるだろ
んで、何とか食っていたものを取り上げられて餓死者がでまくった
なぜこんな理解になる?
食糧が不足して餓死者が多数出た → 食糧がない
取り上げられたら食糧がなくなるだろ
ソース無しで考えてみると食糧不足の場合、餓死者が出ると
消費が減って食料需要がバランスするため全滅に至らない
ような気がする。
そういえば1600年頃の日本の人口はは千二百万代と推定されて
いるそうで、てことは江戸最大人口までなお2〜3倍の延びしろが
あったらしい。
朝鮮は世宗より後は耕地面積はあんまり変わってなかった気が
すんので前近代の限界人口(千数百万?)に達していたのかもなあ
とか思った。
>>903 朝鮮の場合、供給者から収奪しすぎて平時でも餓死していたからねえ。
>>898 だから、漢城まで船で補給してたなら、日本軍としては黄海の制海権を握って
その補給路を断たないと戦争勝てないだろが
だから結論として黄海の制海権までとれなかったことが敗因なんだろ
単に秀吉が死んだからだよ
>>906 秀吉が生きてた時代からもうすでに南岸維持に後退してたじゃねーか
最終目標であった北京進軍はできっこなさそーだったし、平壌奪還すら
難しかったじゃないか
>>907 何言ってんだ
日本水軍では到底明水軍に勝てっこないとでも?
>
>>907 >何言ってんだ
>日本水軍では到底明水軍に勝てっこないとでも?
>>907は、オマエが16世紀末の戦争に,、制海権云々というマハン以降の概念を持ちだして
駄々をこねてる超時空馬鹿だということを揶揄しただけだろ。
それだけかよ。もう少しまともな反論しろ。
>>908 秀吉が死んだから明と講和したんだよ
でなきゃ南半分はずっと占領状態だったな
確か明の将軍の戦後報告書かなんかで、
明軍はかなりギリギリの状態で、秀吉の死がなかったら
前線崩壊してあとは北京まで日本軍をさえぎるものは何もなかったって書いてた
>>905 わかったわかった。つまり言いたいのは「おおすみ」や「C-130」で漢城に補給を送らなかった秀吉軍は補給概念の無い無能武将だったということですよね?
現実性のある話し、しような?
>>905 はいはい、お爺ちゃん。
どの程度の補給をしていたのか把握してから書き込み直しましょうね。
攻勢時以外は何のために明が援軍主力を北部や本国まで引かしていたと思っているのやら。
915 :
世界@名無史さん:2009/09/23(水) 03:20:51 0
今もそうだが海の戦いで全部を制することはできないよ
陸の戦いこそ本命
秀吉が死んだので停戦した
917 :
世界@名無史さん:2009/09/23(水) 05:38:12 O
とりあえず海の戦いつーのは安全に陸軍とその補給物資を届けるという
補給線への攻撃だからなぁ。
最近はそうでもないが。
十万以上の軍勢を運んで帰ってきたってことは補給線の遮断は出来てないんだな
>>911 なんで秀吉が生きてた時から平壌維持できなかったのよ?
実際は脇坂安治(動員定数1500名)に4倍以上の兵力で有利な状況で挑み辛勝が李舜臣の実力。
他の加藤(動員定数750名)、九鬼(動員定数1500名)には手を出せず撤退している。
韓国人が勝ったと騒いでいる戦いも少々被害を与えて撤退止まりだし、勝利と呼べる戦果は一つも無い。
李舜臣って漢城近郊で5万で1500の脇坂に敗れた李洸よりはマシ程度の将軍でしかないのだよな。
平壌以北まではとても陸路を輸送するのは無理だから、結局秀吉が生きていようが
南岸を維持するのが限界だった?
朝鮮自体の生産力の低さと合わさった焦土戦術で、明も日本も現地調達が出来ず補給には難儀していた。
家康が朝鮮に行っても日明の戦いはgdgdにしかならない。
>>920 日明両軍にとって飢餓半島で糧秣が何とかなる線で膠着したから
しかし後がない明軍にとって秀吉の死は天恵だった
ピンポンダッシュ戦術で勝った勝った喜んでるのが朝鮮人
>>924 それって結局明朝鮮の作戦勝ちじゃん・・・
明もまもなく滅亡するのだが。
そうはいっても勝ちは勝ちだよなぁ
>>927 作戦なんてもんじゃないw
明がただ泥沼でのたうってたら秀吉が死んじゃって命拾いというオチ
931 :
世界@名無史さん:2009/09/27(日) 19:34:55 0
ところで23勝の具体的な海戦名を教えてくれ。
いろんな史料を探しても23勝どころか公式認定17勝にもならんのだが。
鳴梁も露梁も朝鮮側の大敗としか言い様が無い惨状。
>>930 兵糧なくて困ったのは北京まで進軍するのが目的の日本軍のほうだろ。
明は前線の朝鮮で足止めできてれば目的達成なんだから。
のたうってたのは日本のほう
>>933 倭城の前に死体の山を築いてのたうってたのが明軍
秀吉の死以外では戦争は終わらなかった
明軍の将軍がそう書いている
死体の山を(朝鮮人で)築こうが、明は秀吉の条件を飲まず、属国から撤退させれば勝利。
兵糧が無くてのたうっていたのは明も同じ、明軍は無理せず兵糧攻めにすれば勝てそうな戦いが、幾つかあったけど無理な力攻めで失敗している。
明軍も兵糧不足から長期戦が出来なかったのじゃないか。
最後に李舜臣と明水軍がボコボコにされてるの見れば、
陸でも海でも明は劣勢だったな
秀吉ももうちょっと長生きすればよかったのに
明との貿易で稼いでた武将がさっさと終わらせたかったのもあるな
ま、日本側はのたうってたというのとはかなり状況が違う
>>931 調べ足りないね。ものは言い様だから23勝ぐらい軽く計上できるだろ?
調べなおすと、どれも勝利と呼ぶにはおこがましい戦果しかない。
勝利どころか大敗としか思えない物も幾つかある。
<丶`∀´> ピンポンダッシュ戦術で100万勝ニダよ
941 :
世界@名無史さん:2009/09/29(火) 15:17:34 O
>>939 奴らの主観だから君の主観と違うのは仕方がない。
鳴梁の拠点放棄で制海権を失い、撤退中に部隊高官が日本軍の捕虜になる。
のは主観抜きにしても大敗としか言い様が無いと思う。
943 :
世界@名無史さん:2009/09/30(水) 00:53:46 0
鳴梁海峡周辺を含めて全羅道征伐という戦略目標を達成したのは日本側。
李舜臣はそれを阻止できなかった。
戦略的観点からみると鳴梁海戦は日本側の勝利。
もっとも朝鮮水軍は漆川梁海戦で殆ど壊滅したてたので
李舜臣の元には僅か13隻しかなかったのだから
ちょっと嫌がらせをして逃げ去るのが精一杯だったともいえる。
<丶`∀´> ピンポンダッシュはウリナラ起源ニダ
>>942 誰だよ部隊高官って?
李の部隊なのか?
姜かな
藤堂高虎によって捕虜となった
姜は部下じゃないけどな。
ま、右水営の守備兵やら中小の補助船舶の部下やらは全部
見捨てて逃げたみたいだから、下っ端の将兵は大量に捕虜に
なっただろうけど。
>>947 カンハンなら明将の下請けで食料を集めていたが明将が逃亡して戦線崩壊したので避難していたら捕まった奴だ。
秀吉が死ななかったら、どこまでいけただろう?
水軍の総指揮が李なのに部下じゃないとはこれいかに
>>950 総指揮していないから部下でない奴もいるだろ。
水軍のトップだろ李は
なのに部下じゃないとはこれいかに
>>952 李はただの三道水軍統制使兼全羅左水使です。ある意味、GF長官兼第一艦隊長官ぐらい?
陸軍や他道の艦隊は指揮下にない。
上の高官捕虜が姜のことなら彼は陸軍だね。
海上輸送してるのにか?
956 :
世界@名無史さん:2009/10/01(木) 16:00:00 0
脇坂も水軍やったり陸軍やったりしている。
軍の再編で地上勤務から海上勤務に異動させられたのだろ。
>>956 李が北上して留守にしている間に捕虜になった有名な姜や鄭なら家族と避難中にだ捕されているね。
無論、水軍勤務にされた形跡はない。
北上する敵の進行に合わせて拠点を捨てて北上するのは留守とは言わず撤退と呼ぶ。
名前が残る幹部級の味方を捨てたと言う事は、
1.余裕が無く直属だけで逃げるのが手一杯だった
2.派閥意識か何かで仲が悪く見捨てた
のどっちかだな。
>>956-957 んなこと言い出すと「日本水軍」なるものも存在しなくなっちまうだろ
撤退を「留守」とは言い換えひどいな
それで、捕まったどの辺の誰が舜臣の部下だったのか?
姜だろ
>>961 レスの文面から姜の事を前提に書いたのだと思うが、看羊録には姜が誰の部下で捕虜になるまでの経緯が書かれているが、水軍とは直接関係なさそうだな。
963 :
世界@名無史さん:2009/10/02(金) 07:24:07 0
海上輸送してんのに関係ないってこたーない
>>963 姜の海上輸送ってなあに?
家族と避難中に手に入れた小舟でどっちに行っていいか分からずにはぐれてうろうろしていた時に日本水軍に捕まったんだけど?
海上輸送とは李舜臣の留守中に日本水軍が黄海沿岸で捕らえた大量の捕虜を本国まで海上輸送していたことを指して言っているのかな?
966 :
世界@名無史さん:2009/10/02(金) 19:10:07 O
心配するな。どうせ大したことは言っていない。
海上輸送と言えば戦役中一度も途絶えなかった北九州(名護屋)→対馬→釜山じゃないのか。
釜山で上げられた物資は主に陸路で前線に送られた。
朝鮮で日本軍に捕えられた者の多くはキリスト教圏に奴隷として売られた。
で、日本の負けなのか明の負けなのか
防衛戦に成功した明の勝ちで、明から何も得られなかった日本の負けだよ。
明・朝鮮は日本軍を撃退するという戦略目標を最後まで達成出来なかった。
戦争は秀吉の死によって終結した。
>>971 勝利条件は
明=日本の要求を飲まずに日本軍を引かせる(or引くまで粘る)
日本=明に対し優位な条件で講和を結ぶ
だから、どんな形で有れ条件を満たしている明の勝利だろ。
>>972 それを自力で成し遂げることは出来なかったよね明は
しかし朝鮮は戦場になっただけで何も出来てないな
元寇(弘安の役)だって鎌倉軍は水際で元軍を一ヶ月以上の足止めをして、橋頭堡を築かせなかっただけ。
元軍崩壊の決定打は嵐で自力だけとは言い難い。
明軍は辺境戦で日本軍を足止め、秀吉の死まで粘ったのだから同じような物だろ。
朝鮮は貧しく現地調達が難しく、朝鮮から明に攻め込むのは再開発の目処が立ってからになるが。
>>975 一ヶ月も足止めされて、どうしようもない時点で
もう遠征軍としては駄目ぼ状態。馬の遊牧も出来ず、
人員もストレス溜まりまくりって消耗激しく撤退するしかないよ。
慶長の役
日本軍・・・1597年8〜9月、全羅道・忠清道征討を戦略目標とする→目標達成。
明・朝鮮軍・・・1597年12月〜1月、蔚山城攻略を戦略目標とする→失敗。
明・朝鮮軍・・・1598年9月〜10月、蔚山城・泗川城・順天城の三城攻略を戦略目標とする→失敗。
秀吉死去に伴い日本軍帰国を開始。
明・朝鮮水軍・・・1598年11月、順天城の小西の撤退阻止を図る。→失敗。(しかも李舜臣・ケ子龍といった幹部が戦死)
戦略次元の目標を達成しているのは日本軍であり、失敗しているのは明・朝鮮軍。
これで明・朝鮮が勝利しているなどというのは噴飯もの。
>>977 どんだけ恣意的に細かく区切ってんだよw
>>978 はぁ?
これが慶長の役の概略的な流れだが。
>>975 橋頭堡を築かせず撃退した日本と、橋頭堡をしっかり築かれて
大軍を送りこまれてた朝鮮じゃ比較にならないな
秀吉の健康状態なんて相手には知りようがないわけだし、運任せだな
秀吉の死によって日本の国内情勢・パワーバランスが大きく崩れ、
海外で戦なんかしてる場合ではなくなったわけで、
結局のところ、秀吉存命時と死亡後では日本側諸侯の目的が大きく変わっていることから、
日本が結果的に撤退したから明軍の勝利だ〜なんておかしいわな
関ヶ原合戦の動員兵力の方が朝鮮の役のよっかはるかに大きいということが、
日本の武将達にとっての重要度の違いの大きさを物語っている
明軍が何か戦略目的を達成したという事例があるのかな
明の政略目標は
明領内に日本を入れず、敵軍の要求を飲まない。
交渉で引かせるか、出来るなら武力で撃退する。
日本の政略目標
明国に入り、中原を支配する。
講和にしても諸侯に示しが付く程度の要求を飲ませる。
政略レベルでは明の勝ちじゃないのか。
ベトナム戦争で米国の政権が変わり撤収したが、アレはベトナムの敗北か?
>>983 過大な戦費が衰亡の引き金になったことを思えば
勝ちとは言い難いような。
後知恵で判じれば、明としては文禄の役後の交渉で
朝鮮南部を日本にくれてやって手打ちにした方が
結果的には良かったんだろうな。
あえて三者の中で勝者は誰かと言えば、やっぱ政体を
維持した李氏朝鮮の支配階級じゃないの。
ま、国なり民族なりで全体的に見れば、ガラパゴス状態の
中で経済・文化ともに著しく退行したという人類史上希有な
例でもあるけど。w
>>983 >交渉で引かせるか、出来るなら武力で撃退する。
交渉で引かせることも、武力で撃退することもできなかったじゃないかw
>>985 日本軍は朝鮮南部から北上できなかったじゃないかw
北京まで行くんじゃなかったのか?
>>986 マジレスすれば慶長の役の目的は朝鮮南部の占領割譲であって
元々北上は計画されていなかったワケだがw
>>983 情勢が変わったんだから目的もまた変わる
結局は秀吉の死以外に戦役を終わらすことが出来なかったのが明
990 :
世界@名無史さん:2009/10/06(火) 10:40:20 O
秀吉は過小評価されているな
運でも何でも日本に居つかせなかったのだから、明の防衛戦は一応成功と見ていいのじゃないか。
朝鮮の場合、文禄の役で明の指揮下に入っているので勝敗条件は消失。
992 :
世界@名無史さん:2009/10/06(火) 23:46:57 0
といっても明が来てからの日本軍は南部に追いやられてるからなあ
明は戦いで殆ど敗北してるんだから、防衛戦で成功したとは言えないよ。
防衛戦では失敗したと言わなければならない。
戦いとは無関係な出来事である秀吉の死で日本軍が引いたんだから。
「朝鮮王朝実録」
「日本兵との接近戦を禁じた」
「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」
「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」
「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。
「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
996 :
日本@名無史さん:2009/10/07(水) 11:56:15 0
慶長の役で日本軍が平壌まで攻めのぼれたとは思えん
歴史を「公正」に見るネトウヨならすぐに北京まで進軍できるように見えるかもしれんが
慶長の役で日本軍が平壌まで攻めのぼるつもりだったといってる
無識ニダが湧いているのはこのスレでつか?
998 :
世界@名無史さん:2009/10/07(水) 12:20:04 0
秀吉の誇大妄想をおk大妄想と思わないネトウヨ
麻生の支持率はニコ動が正しい自民党大勝利を疑わなかったネトウヨ
999 :
世界@名無史さん:2009/10/07(水) 12:35:34 O
明・朝鮮連合軍の勝利を認めない奴はネトウヨ!←New!
はいまたネトウヨの定義増えましたーw
おk大妄想キタ━━━━━ヽ(゚∀゚)ノ━━━━━!!
1001 :
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