1 :
日本@名無史さん:
神武天皇は日本に舞い降りてきた
元祖天下りですww
2 :
日本@名無史さん:2006/04/27(木) 19:19:59
朝鮮からの天下りだな
一発ネタでスレ立てるな
4 :
日本@名無史さん:2006/05/03(水) 18:28:57
神武天皇てかっこいいね
久しぶりの神武スレ
6 :
日本@名無史さん:2006/05/05(金) 11:38:56
市川混は今年90歳だがまだ現役で
イヌガミ家のリメイクをやるそうだ。
神武天皇が百歳以上生きたてのも嘘とは言えないだろ。
7 :
日本@名無史さん:2006/05/05(金) 11:40:19
>>1 ちなみに天下りしたのは
ニニギノミコトで
神武天皇ではない。
8 :
日本@名無史さん:2006/05/05(金) 13:29:50
我が皇軍は天下る
9 :
日本@名無史さん:2006/05/05(金) 13:30:42
日本陸軍の落下傘部隊ですか
10 :
日本@名無史さん:2006/05/06(土) 18:42:00
最近実在性が高まりつつあります
11 :
日本@名無史さん:2006/05/06(土) 18:48:02
>10
神武天皇のことでしょ?
12 :
日本@名無史さん:2006/05/06(土) 18:50:39
そうですよ
神武以前の歴史刻む 古文書「上記」を登録 /大分
◇書家の子孫から寄贈−−中国陶瓷美術館で展示中
臼杵市は、幕末生まれの臼杵藩の書家、春藤倚松(しゅんどういしょう)(1821〜98年)の子孫から、
古代文字風の筆跡で神武天皇以前の神話時代の日本の歴史について記した古文書「上記(うえつふみ)」の寄贈
を受け、市の文化財に登録した。28日まで同市市浜の中国陶瓷美術館で開催中の「春藤倚松里帰り史料展」で
展示している。
「上記」は記号のような異形文字で書かれている。解読を進める郷土史家で市文化財調査委、吉田稔さん
(58)らによると、序文に鎌倉時代に豊後守護、大友能守(よしなお)が文献や言い伝えをまとめたものと記
されている。初代天皇である神武以前に大分を中心に72代の王朝が存在したなど、歴史ロマンあふれる内容。
倚松は当時臼杵藩だった戸次(現在の大分市戸次)の代官。6歳から書を習い、廃藩置県後に臼杵にできた
「市浜学校」の書の教師も務めた。明治初期、初代県令(知事)森下景端が上記を明治政府に献上する際、書写
するよう指示を受けた。
政府は上記を偽書(偽りを書いた文書)と判断したが、倚松は家宝として保管し、長男脩(おさむ)氏=故人=
も東京に転居した際に土蔵付きの家で保管した。春藤家は45年5月の東京大空襲で全焼したが、上記は土蔵の
中で焼失を免れた。
今回、ひ孫にあたる東京の主婦、松本澄子さん(83)らが個人宅での保管が困難になったため「春藤の古里
の役に立つのなら」と寄贈を思い立った。上記研究家で千葉県柏市の本・雑誌編集者、中村和裕さん(43)は
「上記は誰が何のために書いた文書か絞りきれていない。大分県立図書館にも所蔵されており、これを機に、内
容とゆかり深い大分で研究が進めば新たなことが分かるかもしれない」と話す。史料展は入場料300円。
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/oita/news/20060512ddlk44040386000c.html
14 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 20:54:19
日本人は共産主義は嫌いだがカストロ議長個人はなぜか日本人に人気がある。
日本人は国でも企業でも創業の英雄に対しては
大変な敬意を払うからでしょう。
そのカストロ議長、今回の健康診断で医者から
こな調子が続けば140才まで生きられると言われたとのこと
15 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 01:35:59
スカトロ
16 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 18:48:03
神武は架空の人物
神武天皇は一度くらいお札になってもいい。
それ程の功労者
18 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 19:47:15
>若光の故国高句麗は、紀元前1世紀ころ朱蒙(しゅもう)によって建国されたといわれています。
>最盛期は5世紀の広開土王(こうかいどおう)長寿王(ちょうじゅおう)の100年で、
>中華人民共和国吉林省集安県にある広開土王碑からはそのころの高句麗の強勢ぶりをうかがうことが
>できます。
>若光が渡来した年代についての社伝はありませんが『日本書紀』天智天皇称制5年(666)年10月、
>高句麗から派遣された使節の中に「二位玄武若光」の名があります。
高麗神社:公式HP
http://www4.ocn.ne.jp/~fkoma/ どうも、高麗神社は若光のことを高句麗人だと誤解しているようだ。
若光は狛人(コマ人)であり、高句麗人(フヨ人)ではないのだが・・。
高麗神社という神社名が誤解の元か。
ならば、楽浪神社と改称したほうが良いな。
「楽浪神社」と書いて「コマ神社」と読む。良いアイデアだと思うが。
19 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 21:10:15
神武は、簡単に言いますと、二度天皇になってる! 以後の濃密な時代に、登場している!
20 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 21:17:01
マジ?二回天皇になっる(重祚)のは中継ぎの女帝ぐらいでなかった?
21 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 13:19:34
>>20 お前は死んでお詫びしろ!こんなスレでチンタラしてるから、わからねーんよ!
22 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 14:31:30
昔の天皇は、神・ヤマト・イワレヒコとか、彦ホホデミとか、日本語と語順が
異なるものがあるが、これは南方系の語順なので天皇家は南方系だろう。
23 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 20:27:03
>>22 ありえますし、日本は明らかに混血ですよね。
どれとどれだとは、難しいです。
この順番を体系的にする、学問と研究者が是非必要ですよね。
24 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 21:44:20
25 :
20:2006/07/04(火) 23:34:41
>>21 おいおい、いきなり死んで詫びろとはあんまりじゃねーか。せめて説明の一つあっていいだろう。
26 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 00:13:26
27 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 21:17:29
天皇家は誇れる先祖がいれば空想上のアマテラスなんて持ち出さないで
真の先祖を記したろうに、誇らしく
なんで嘘の先祖を捏造したんだろう
28 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 21:21:41
頭逆様
29 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 21:27:48
記紀の登場人物でしかない神武
実在した証拠がない
邪馬台国より前の人物であることからも『捏造の人物』
30 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 21:28:53
↑これ書いてどうする?!
え、天皇って空から降ってきたんじゃなかったけ?
32 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 21:48:50
>神武は、簡単に言いますと、二度天皇になってる! 以後の濃密な時代に、登場している!
33 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 21:54:11
712や720に1000年前のことを書いても
そんなものを信じるほどの愚か者はあまりいない。
34 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 21:57:53
あの あほがきました
>>33 でもお前はキリスト教の西暦は信用するわけだ。
歴史の信用なんて時代によって変わるもの。安易に馬鹿にするのはよくないな
36 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 10:08:52
新潮新書の最新刊『貝と羊の中国人』の
第七章は「黄帝と神武天皇」。
37 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 18:09:38
>>35 西暦は信用できる
日常生活で西暦を使い続けて信用している
記紀は捏造のでっち上げ
恥知らずが自分の本当の先祖をひた隠し
神の子孫だとの嘘を捏造の事績を記して主張した下衆な記紀は信用できないのがあたりまえ
38 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 18:47:08
もしかしてキリストが西暦元年に生まれたと思ってるの?
39 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 19:25:11
西暦を利用する人はキリスト教徒だと考える人は社会ではやっていけないんじゃない?
自分の妄想に世界を当てはめすぎ
40 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 19:30:40
元号は不便だからいらないし邪魔
数字や西暦を使うのに天皇信者が愚痴愚痴言うのがキモイ
41 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 20:50:03
確かKの国ってキリスト狂徒が多いんだよな^^
42 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 21:10:06
人間は必ず何らかの宗教を持ってると考える
>>41 日本人的感覚じゃないよ
日本人は宗教は嫌いが大多数、だから宗教儀式や宗教的風習でも何の気もなしに日常に取り入れる
神道もキリスト教も関係ないから西暦だろうが初詣だろうがクリスマスだろうが平気
人の行為をいちいち宗教に絡めて考える人は日本人を理解できないだろう
>>40 日本の象徴である元号まで馬鹿にしますか…。
そのうち国号まで馬鹿にしかねないな、アンタは。酷すぎ
44 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 22:23:43
スレッドレイプされて感じちゃってる連中がいるのはここですか?
新羅本紀 第二十八代 真徳王(在位647〜654)
三年(649)春正月、はじめて中国の衣冠を着ることになった。
三年 春正月始服中朝衣冠
四年(650)六月、この歳、はじめて中国の年号である永徽の年号を用いた。
是歳 始行中国永徽年号
三国史記編者、金富軾曰く
辺境にある小国でも、天子に臣下として、仕えるものは
勝手に年号を称してはならない。もし新羅が二心なく中国につかえるならば・・・
このとき以後、唐の年号を奉ずるようになった。
そもそも過ちをよく改めたというべきであろう。
則偏方小国 臣属天子之邦者 固不可以私名年
若新羅以一意事中国 使航貢 相望於道 而法興自称年号 惑矣 厥後承愆襲繆
多歴年所聞太宗之譲 猶且因循 至是然後 奉行唐号 雖出於不得已 而抑
可謂過而能\改者矣
>>36 その本は評判悪いぞ。著者の思い込みばかりで、
まるで文化論の体をなしていない。
天オタは相変わらず論理がないな
捏造と妄想が論拠で普通の日本人を「天皇のために死ねないのは非国民」なじる反社会的な連中
社会で孤立し人間関係がつくれなかったためネットで社会を攻撃、まるで国際社会になじめない北朝鮮の個人版
>>47 痛すぎる・・
天皇=戦前の軍国主義という程度の低い認識
神武天皇を教えない学校は糞
50 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 10:02:40
「神武」って字面もいいし、「ジンム」って響きもかっこいいね。
まさに初代にふさわしい。
51 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 10:18:20
神武って、誰?
と、本人は思うだろうな。
52 :
太国:2006/08/16(水) 13:14:53
54 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 19:34:55
>若光の故国高句麗は、紀元前1世紀ころ朱蒙(しゅもう)によって建国されたといわれています。
>最盛期は5世紀の広開土王(こうかいどおう)長寿王(ちょうじゅおう)の100年で、
>中華人民共和国吉林省集安県にある広開土王碑からはそのころの高句麗の強勢ぶりをうかがうことが
>できます。
>若光が渡来した年代についての社伝はありませんが『日本書紀』天智天皇称制5年(666)年10月、
>高句麗から派遣された使節の中に「二位玄武若光」の名があります。
高麗神社:公式HP
http://www4.ocn.ne.jp/~fkoma/ どうも、高麗神社は若光のことを高句麗人だと誤解しているようだ。
若光は狛人(コマ人)であり、高句麗人(フヨ人)ではないのだが・・。
高麗神社という神社名が誤解の元か。
ならば、楽浪神社と改称したほうが良いな。
「楽浪神社」と書いて「コマ神社」と読む。良いアイデアだと思うが。
56 :
太国:2006/08/16(水) 22:00:51
57 :
太国:2006/08/16(水) 22:04:23
58 :
太国:2006/08/16(水) 22:24:01
59 :
太国:2006/08/16(水) 22:24:54
ニセ者王
62 :
プラム 東広島:2006/08/16(水) 22:49:57
にせ者王
ニセ名人
66 :
ホモプラム 東広島:2006/08/16(水) 22:59:28
大ニセ王
ニセ俳優
ニセ面
ニセガセ王
ニセ者七変化?
76 :
言語虫:2006/08/16(水) 23:12:57
78 :
原爆広島プラム:2006/08/16(水) 23:37:37
501 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/08/07(月) 20:36:58
『取り敢えず 結論を先に』
陳壽のカキコした邪馬壹國の範囲は?
対馬・壱岐を含む九州と四国(淡路島を含む) です。
○これプラムの邪馬台国!国がダブっているね、ご都合が読み取れる。○
328 :パタパタママ :2006/08/15(火) 20:03:57
>>501 >国がダブってる
>>この発想じゃぁプラムの相手にはならない
間違いない。
○間違いないなら、キチンと理由を返事してください○
79 :
太国:2006/08/16(水) 23:40:02
501 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/08/07(月) 20:36:58
『取り敢えず 結論を先に』
陳壽のカキコした邪馬壹國の範囲は?
対馬・壱岐を含む九州と四国(淡路島を含む) です。
○これプラムの邪馬台国!国がダブっているね、ご都合が読み取れる。○
328 :パタパタママ :2006/08/15(火) 20:03:57
>>501 >国がダブってる
>>この発想じゃぁプラムの相手にはならない
間違いない。
○間違いないなら、キチンと理由を返事してください○
80 :
太国:2006/08/16(水) 23:43:26
82 :
太国:2006/08/17(木) 00:19:59
83 :
太国:2006/08/17(木) 00:20:31
ニセ王
85 :
言語虫:2006/08/17(木) 13:40:39
86 :
言語虫:2006/08/17(木) 14:04:25
87 :
言語虫:2006/08/17(木) 14:34:53
88 :
言語虫:2006/08/17(木) 14:38:26
89 :
言語虫:2006/08/17(木) 14:59:37
90 :
言語虫:2006/08/17(木) 16:25:32
91 :
言語虫:2006/08/17(木) 16:26:09
92 :
言語虫:2006/08/17(木) 17:20:03
93 :
言語虫:2006/08/17(木) 17:24:47
95 :
日本@名無史さん:2006/08/17(木) 20:44:15
>スサノオは、黄泉国に行く前に、姉のアマテラスに別れの挨拶をしようと天上に昇る。
>スサノオが天に昇るとき、海は轟きわたり、山も鳴りひびいた。このあまりの猛々しい登場ぶりに、
>アマテラスは、スサノオが国を奪いに来たのかと男の姿で武装してのぞむ。
★日本神話におけるアマテラスとスサノオの関係★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1067010993/148-150 古代日本の二大勢力、日向族と出雲族の戦争が、神話に投影されている。
>スサノオの行いがひどかった。
>アマテラスが機殿で神衣を織っているところに、屋根に穴を開けて皮を剥いだ馬を投げ入れるという
>スサノオの暴挙に対し、それまで我慢していたアマテラスもとうとう怒る。
>アマテラスは天の岩屋戸に閉じこもり、世界は暗闇につつまれてしまう。
スサノオが日本神話の中で、アマテラス(日向族の神)を困らせる悪神にされているのは、
この神話を書いた日向族が、ツクヨミのエピソードを、スサノオのエピソードに書き変えた
せいでもあるが、戦勝部族である日向族が、敗戦部族である出雲族の神=スサノオを、
神話の中で意図的に悪役として描いたためである。
アメリカ軍占領下の日本で、日本人を悪者扱いする<歴史教育>が行われたのと同じことである。
97 :
日本@名無史さん:2006/08/17(木) 20:54:18
>スサノオは、黄泉国に行く前に、姉のアマテラスに別れの挨拶をしようと天上に昇る。
>スサノオが天に昇るとき、海は轟きわたり、山も鳴りひびいた。このあまりの猛々しい登場ぶりに、
>アマテラスは、スサノオが国を奪いに来たのかと男の姿で武装してのぞむ。
★日本神話におけるアマテラスとスサノオの関係★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1067010993/148-150 古代日本の二大勢力、日向族と出雲族の戦争が、神話に投影されている。
>スサノオの行いがひどかった。
>アマテラスが機殿で神衣を織っているところに、屋根に穴を開けて皮を剥いだ馬を投げ入れるという
>スサノオの暴挙に対し、それまで我慢していたアマテラスもとうとう怒る。
>アマテラスは天の岩屋戸に閉じこもり、世界は暗闇につつまれてしまう。
スサノオが日本神話の中で、アマテラス(日向族の神)を困らせる悪神にされているのは、
この神話を書いた日向族が、ツクヨミのエピソードを、スサノオのエピソードに書き変えた
せいでもあるが、戦勝部族である日向族が、敗戦部族である出雲族の神=スサノオを、
神話の中で意図的に悪役として描いたためである。
アメリカ軍占領下の日本で、日本人を悪者扱いする<歴史教育>が行われたのと同じことである。
100頂
101 :
プラム自作自演中:2006/08/17(木) 21:37:24
102 :
ニセ:2006/08/17(木) 22:08:44
大ニセ王
神武天皇実在説をとなえている学者は誰がいますかね?
大ニセニセ王
106 :
日本@名無史さん:2006/08/20(日) 14:34:17
『日韓同祖論』という妄説がある。
学問的な根拠がまったくない、まさに妄説であり、狂説である。
日本人と韓国人が、何の関係もない別種の民族であることは、両民族の言語を分析すれば
すぐに理解できる。
【日本語】 【韓国語】
空(そら)→ ハヌル
稲(いね)→ ビョ
白(しろ) → ヒンセク
白い(シロい)→ ヒダ
頭(あたま)→ モリ
目(め)――→ ヌン
手(て)――→ ソン(またはパル)
足(あし)―→ ダリ
犬(いぬ)―→ ゲ
猫(ねこ)―→ ゴヤンイ
虎(とら)―→ ホランイ(またはボム)
刀(かたな)→ カル
弓(ゆみ)―→ ファル
槍(やり)―→ チャン
比較してみれば、まるで違う言語であることが分かるであろう。
『日韓同祖論』がいかに馬鹿げた説か、理解できますね。
108 :
日本@名無史さん:2006/08/21(月) 18:53:42
>>107は、この掲示板の管理人=朝鮮人。だから野放し。
>>107は、この掲示板の管理人=朝鮮人。だから野放し。
>>107は、この掲示板の管理人=朝鮮人。だから野放し。
>>107は、この掲示板の管理人=朝鮮人。だから野放し。
>>107は、この掲示板の管理人=朝鮮人。だから野放し。
>>107は、この掲示板の管理人=朝鮮人。だから野放し。
109 :
日本@名無史さん:2006/08/29(火) 16:48:47
>27
古代、どの民族も自身を神々の子孫とする神話を持っていました。
大和だけが自分達を神々の子孫とする神話を持っていたわけではありません。
ただ現代まで纂奪される事無く神話の最高神の子孫がありつづけている国が一国しかなく、
それが日本であるだけです。
言語虫は
似非長州のふりしているけど、単なる東広島の無国籍な奴なんだ!
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111 :
桜丸:2006/08/29(火) 18:50:14
揚げ足取るようだけど、天降ってきたのは神武天皇じゃなくて、その曾祖父のニニギノミコトだよ。
112 :
日本@名無史さん:2006/08/29(火) 19:48:06
倭=ヤマト朝廷は出雲人が建てたのよ。
日向国のニニギ天皇の時代から、出雲人は朝廷内に入り込んでいたようだ。
ヤマトの京(みやこ)を、北九州から近畿に移したのも出雲人。
日向人にまったく相談しないで、出雲人の独断で強行したらしい。
とうぜん、日向人は怒って、「京を北九州に戻せ!」と要求したが、
そもそも、近畿に遷都した目的は、天皇がいる京を日向から遠ざけることで、
日向勢力の朝廷への影響力を排除するためだから、出雲勢力は拒否した。
だから、神武天皇が崩御した後、ヤマトは日向圏と出雲・大和圏という
二つの地域に分裂してしまった。
いわゆる欠史八代と呼ばれている時代は、この分裂時代のことだよ。
神武天皇の時代から国の統一が始まった、というのが日本古代史の建前だが、
実はウガヤフキアエズ時代以前に(日向と出雲は)すでに統一されていたのだが、
神武東征(近畿への遷都)が原因で、大八島国が分裂してしまったのだ。
ヤマトタケル時代になっても、日向国(九州中南部圏)の出雲=大和圏への憎悪は収まらず、
日向国と出雲=大和連合との対立は続いていた。
大和地方は、もともと出雲の支配下にあった(神武天皇時代から)。
つまり、出雲=本家、大和=分家、という関係だったのだが、
興味深いのは、ヤマトタケル時代になると、分家だった大和のほうが強くなり、
出雲が大和に対し反発して、出雲−大和の関係も断絶していたらしいことだ。
だから、ヤマトタケルが出雲タケルを殺したわけだ。
ぷりぷりぷー
ぷりぷりぷー
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114 :
桜丸改め桜千代:2006/08/29(火) 23:05:59
それは古田武彦さんか誰かの説?
115 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 09:02:49
神武天皇が、淀川から木津川へと向かわずに和歌山に向かっているのは、
神宮皇后が幼い応神天皇を和歌山に避難させていたから。
116 :
桜千代:2006/08/30(水) 10:35:11
それは神武天皇と神功皇后の間の子が応神天皇だったということ?
その結論に達した経過は?
はじめ河内の生駒山あたりから入ろうとしているわけで、じかに和歌山に行ったんじゃないんだな。
んで、川を使って敵の陣地に入ったら射的の的になるだけなのでは?
あそこは、紀によれば無人ではなくニギハヤヒ配下の長脛彦ら土着民が守りを固めていたわけで。
118 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 17:20:30
神武=応神という事。
それで、ニギハヤヒが何者かも見えてくる。
最初の戦いで神武の兄貴が死んだんでしょ。
神武が上陸しようとして長脛彦に敗れたのは河内。
淀川は摂津で、秀吉が埋め立て工事を行うまで湿地が多かった。
難波宮が上町台地に造られたのもそのため。
119 :
太国:2006/08/30(水) 17:35:27
神武≠應神
>118
そそ、海はずっと内陸まであったわけ。
浪速に着いてから先、山に囲われた大和内部に行くのに船を使えば、五瀬尊が負傷して死ぬくらいじゃ済まないだろうと思う。
応神を神武=始祖にしちゃうと三韓討伐がなくなっちゃうねぇ。その他、物部やら何やらの始祖のからんだ話は創作ってことになっちゃうし。
色々がぐちゃぐちゃになるだけで、それは無茶だと思うな。
そもそも立証できる史料や史蹟などの根拠がないだろ?好太王碑文はどうするつもり?
五瀬尊は河内に上陸しようとしたときではなく、
河内から大和へ山越えしようとうろうろ歩いていたときに撃たれたんだよな。
ルート的には川越えじゃなくて今の阪奈国道だよ
>ニギハヤヒ配下の長脛彦ら土着民
これも仮定に仮定を重ねたご意見ですねw
長脛彦こそが畿内の王かもしれないし、神武と同様の弥生東漸民かもしれないし、
それが銅鐸文明の王かどうかも不明。
神社の過去帳さえしっかり保存されれば、と思うが、仮に大和朝廷強勢期の宗旨
替えを免れたとしても、その後畿内の幾多の戦乱で多くの神社が灰燼に帰したか
らね。
123 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 21:01:58
ニギハヤヒは何者だと考える?
応神と皇位継承権を争う者だと思うが。
>122
川越えしたなんて言った覚えはないんだが。
川越えをしていたらひどくやられるから徒歩ではいり、撃たれて引いて海に出て東に回ったんだろ、と言ってるわけ。
で、俺は日本書紀を根拠に話をしてるんだが、あんたは何を根拠に置いて「長脛彦」とか言ってるわけ?
もしも「日本書紀が信頼に足らないから不明」とするなら、そんな人物がいたことさえ「不明」にしなければならない。てか、その時代の記述全部を「不明」にしなければならない。
仮定に仮定を重ねているのは君の方だよ。
>123
もう一人の天孫。
この時代あたりの記述の流れは神話と史実とが不可分に絡み合ってる。
わかるのはただそれだけでしょう。
126 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 21:26:40
127 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 21:27:54
ぷりぷりぷー
ぷりぷりぷー
_| ̄|_| ̄| | ̄|_| ̄|__| ̄|_| ̄| | ̄|_| ̄|_| ̄|
|_ _|| | ̄ | | | | ̄ | |  ̄|
r┘└へ| |二コ ┌'| |二コ ┌| |二コ ┌'| |二コ ┌┘
〈 〈] ゚,、〈| | o ヽ| | o ヽ| | o ヽ| | o └「 ̄\
ヽ-ヘ_>ノ_ノ|_|、_ハ/|_|、_八ノ|_|、_ハ/|_|、_ハ/`⊇.ノ
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, -‐ (_) |r┬-| |, -‐ (_) |r┬-| |, -‐ (_). |r┬-| |
l_j_j_j と) | | | / l_j_j_j と) | | | / l_j_j_j と) | | | /
神武天皇も今日のご慶事を喜んでいるだろう
( ^ω^) < 「俺、神の子孫だから皇位につくお!」
神武
(^Д^) < 「マジっすか!そりゃ奉り申し上げます」
アホ日本土人
以降2600年間、延々と【詐欺師一族】を奉るお間抜け土人www
神武天皇が戦国時代にタイムスリップしてきた本を今読んでます
132 :
唐松山:2006/10/17(火) 18:08:46
ほつま伝を読む
ナガスネヒコ 神武より少し前にツクシより船を仕立てて逃げ出す。
このナガスネを討つために軍隊が、派遣される。
この軍隊の残留者が大和(ヤマアト)とカワチに残る
この情報から、神武等25名ほどで アスス51年キミエにひむかを出発
同58年サナト橿原元年
同134年 ツアト カヌカワミミ
同170年ネアト 安寧天皇元年 以下日本書紀
戦時中、島嶼では玉砕と称して日本兵はお互いに足を引っ張り合いながら団子になって死んでいった訳だが、
生き残った人が「彼らの死を無意味だったとは遺族には言えない」と言っていた。
どうすれば彼らの死を無駄にさせないことが出来るか、思い悩んでいる様でもあった。
日本では、未だに戦争の張本人、責任者である天皇の戦争責任が問われていない。
これを明らかとし、二度とこの様なことが起きない様に天皇制を廃棄する事こそが、彼らの死に報いることではないだろうか。
そうして初めて、戦争で死んでいった数百万の日本人の死が無駄ではなくなるのである。
134 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 09:43:40
ニートとセレブの所得格差が加速的に進み、少子化、異常気象、老齢化、赤字国債の
際限なき膨張が臨界点を突破し始めている。この時代に現体制を暴力的に破壊すれば
北朝鮮のような道を歩む危険性があるが、天皇制の転覆と言う考えはこれにどう対処
するのかを示さなければ左翼政党の主張同様無責任な扇動に終始し、なんら内容を持
たないことになる。いまさら天王の責任ではあるまい。国民に責任がなかったとでも言う
のか。
135 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 13:49:12
神武は天武をモデルにして天武を権威付けよとした架空の人物。
史記において武帝をモデルにして作られた黄帝と同じ存在。
136 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 20:40:26
だれかれをモデルにして
造ったて
初代をそんなふうに創作したとしたら
書紀の作者はかなりタチ悪いやつだな。
しかし、他の神話古記述をみても
書紀編纂者はわりと客観的に
当時伝わっていた話しを
記録していると思う。
よって神武創作説はむしろその説のが
うさんくさい。
137 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 20:54:07
?神話に創作も捏造もないべよ。神武なんて事実として存在していない事は確定だろ。
まあ、神話はあったと思うけど。
138 :
太国:2007/01/06(土) 21:01:50
確定しているのは津田病に伝染した連中の頭だ。
139 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 21:03:53
>>138 激同。津田君は単なる皇国史観への反動ですから。
いまや過去の遺物。
140 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 21:05:11
141 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 21:09:18
東征の具体的記述が少ないから
捏造というのもかなり強引な解釈。
むしろ神武即位から千年近く経って
もあれだけの記録が残っていたわけだから
むしろリアリティを感じます。
142 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 21:13:13
創業者や初代のことを
日本人のようなまじめな民族性の国民が捏造なんてするかな?
当時伝わっていた伝承をなるべく
忠実に記録したと思うぞ。
143 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 21:17:54
よく崇神天皇をモデルにしたていう説が
あるが根拠の一つ
「ハツクニシラス」が神武と同じて
よく見たら漢字が全然違うじゃねーかよ!
音は同じとしても意味が全然違うぞ!
146 :
唐松山:2007/01/07(日) 08:33:38
↑ 昭和初期か? 日本進出後の写真だ
147 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 12:03:16
神武天皇=応神説に1票
ニギハヤヒは巻向王朝の系統の大王だろう
允恭の真の父とかじゃないか
148 :
唐松山:2007/01/08(月) 18:01:29
書記 で 麻雀 してるのか?
149 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 18:57:50
慶応年間の隼人族の東征て
応神東征をモデルにした捏造か?
藁
150 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 07:58:19
151 :
日本@名無史さん:2007/01/15(月) 04:48:19
古代の歴史書の冒頭に架空の始祖を置くのはどこの国も一緒。
聖書もそうだし史記もそう、日本書紀も同じだってだけだよ。
152 :
日本@名無史さん:2007/01/15(月) 04:49:15
>>143 > よく崇神天皇をモデルにしたていう説が
> あるが根拠の一つ
> 「ハツクニシラス」が神武と同じて
> よく見たら漢字が全然違うじゃねーかよ!
> 音は同じとしても意味が全然違うぞ!
違う漢字表記で同じ発音の言葉なんて、日本書紀には腐るほどあるが。
153 :
日本@名無史さん:2007/01/15(月) 04:49:54
むしろ古事記のほうが統一されているので日本書紀の後に書かれたって説が出てくるわけだが。
155 :
日本@名無史さん:2007/01/18(木) 12:37:17
156 :
月光仮面:2007/01/18(木) 12:46:13
神武の業績は熊野神宮本宮の
中四社
第五殿(禅児宮): 忍穂耳命 : 地蔵菩薩
第六殿(聖宮): 瓊々杵尊 : 龍樹菩薩
第七殿(児宮): 彦火火出見尊 : 如意輪観音
第八殿(子守宮): 鵜葺草葺不合命 : 聖観音
ここに自分の系譜を刻したことであり、ここには本来
下四社
第九殿(一万十万): 軻遇突智命 : 文殊菩薩・普賢菩薩
第十殿(米持金剛): 埴山姫命 : 毘沙門天
第十一殿(飛行夜叉): 弥都波能売命 : 不動明王
第十二殿(勧請十五所): 稚産霊命 : 釈迦如来
があったことが考えられる。
157 :
月光仮面:2007/01/18(木) 13:03:01
物部氏、蘇我氏滅亡の際には相当大量の古代史データが消失したと考えられ、
現在の記紀を読むには単に考古学ではなく、ユーラシア全体の考古学、民俗学、
巨石遺跡、神社仏閣の研究を加味する必要がある。現在、白鳥、クマン、箱式
石棺墓、獅子舞等で相当面白いことがわかる気がする。
158 :
月光仮面:2007/01/18(木) 15:41:44
>>156 これが神武の政治力の限界だったんだろう。
上四社
第一殿(西御前): 熊野牟須美大神・事解之男神 : 千手観音
第二殿(中御前): 速玉之男神 : 薬師如来
第三殿(證証殿): 家都美御子大神 : 阿弥陀如来
第四殿(若宮): 天照大神 : 十一面観音
ケツミ御子というのはスサノオらしく、毛を引っこ抜かれる処刑後の前科一犯
ではあるが、それでも天照大神よりは1ランク上と言うのが実情。しかし、天香具山
の主神香具土神は天照大神にその座を奪われ、中部、東海、近畿の銅鐸、銅剣、
銅矛は地中及び荒神谷、加茂岩倉に埋納された。下四社は神武以前の中四社
を示す。
159 :
日本@名無史さん:2007/01/18(木) 21:06:47
■古代カラ半島の歴史研究◆日本と中国の資料が重要■
3世紀から4世紀にかけてのカラ半島史には謎が多い。
しかし、中国王朝の興亡の影響を受けて、カラ半島でも政治的動乱が続いていたことは、
さまざまな資料から分かる。
あの時代のカラ半島の歴史を知るためには、次の資料を調べると良い。
・古事記と日本書紀
・後漢書
・三国志
・広開土王碑
・三国史記
このうち最後の三国史記は、12世紀という中世の時代になってから書かれたものであり、
内容にも捏造や歪曲が多いが、他の4資料と比べながら読むことで、3〜4世紀のカラ半島の
政治情況を窺い知ることができる。
神功皇后が、志羅紀にヤマト朝廷軍を派兵した363年頃から、志羅紀は任那日本府の管理下に
置かれたようである。つまり363年以降、志羅紀は任那を構成する国の一つとなったのだ。
志羅紀が『加羅』という別名で呼ばれるようになったのは、おそらく、この時代からであろう。
任那はもちろん存在した。
任那とは、中国の史書である『後漢書』や『三国志』で語られている馬韓のことである。
4世紀のカラ半島南部には、馬韓の他に、弁韓(志羅紀)と辰韓(辰国)が存在したが、この3国のうち最大の面積を
誇ったのが馬韓(任那)である。
神功皇后が志羅紀に派兵した363年以降は、志羅紀も任那の一部となり、任那日本府の管理下に置かれた。
この時代から志羅紀は『加羅』という別名でも呼ばれるようになった。
任那と志羅紀が合併したのは、314年から始まった高句麗と辰韓による侵略から志羅紀と任那を防衛する
ためである。北方の異民族勢力の脅威に対処するために韓地方の倭人勢力を政治的・軍事的に一体化する必要が
あったのである。
任那は、西暦315年には旧帯方郡の漢城地方に進攻し、この地方を併合し支配した。伯済国(コマ)と名付けられた
漢城地方は任那を構成する一国となり、任那日本府の支配下に入った。つまり、363年以後、任那は志羅紀と百済(コマ)
を吸収し、カラ半島南部における最大国となったのである。
そして、この任那を支配していたのがヤマト朝廷の政治・軍事機関である任那日本府である。
160 :
月光仮面:2007/01/19(金) 14:34:53
騎馬民族国家の国の形の問題として、雄略の最大版図vs高句麗と言うのは不安定で
列島/半島に分断するのが歴史の定めだったようだ。日韓両国は互いに楔のような
騎馬民族の文化遺産を共有することを両国の永遠の友情の木曾に置くべきと言うのが
古代史が導く一つの結論であろう。そして欧州のように環境が整備された時に経済的
バリアーを取り去り、中国を初めその他のアジアを含め、真の大東亜共栄圏の設立を
目指すのが筋だ。アジア共同市場としても好い。
161 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 17:30:02
騎馬民族文化が日本に伝わったのは明治時代。西洋から伝わった。
日本国と西洋諸国は騎馬民族文化を共有しているわけだ。
■-志羅紀の語源-■
志羅紀(シラキ)の語源については、いろいろな説がある。
代表的な説を二つ紹介する。
(1)稲飯命の別名説
シラキとは「知らす木」の意味である。知らす(シラス)は日本語古語で「治める」の意味であり、
木とは神木、すなわち天孫たる日本皇族のことである。したがって、知ら木(シラキ)とは、
『国を治める皇孫』の意味であり、稲飯命の別名である。
(2)「後ろの城」説
シラキとは、古代日本語で「後ろにある城(砦)」の意味とする説。
まず、シラキのシラとは後(シロ。うしろ)の意味であり、キとは城(砦)を意味している。
大和地方から見て、出雲国の後方に位置していることから、「出雲の後にある城(砦)の国」という
意味で『シラキの国』と呼んだのである。
京都の古代名を山背国(ヤマシロの国)というが、これは「山の後(シロ)にある国」という意味である。
志羅紀も、出雲国の後方に位置していることから、ヤマト朝廷は「後城(シラキ)の国」と呼んだ。
162 :
月光仮面:2007/01/21(日) 14:42:52
こういうことを考えていたんだが、神武が西都原方面の人だとすれば熊野で軍事行動
を起こす際に出身地及び隣接する鹿児島からの兵站に頼ると言うことは、丸木舟の
時代としては不可能であり、倭宿禰/珍彦の無制限の援助がなくては動きが取れない。
↓
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1166287199/231 >231 :月光仮面 :2007/01/21(日) 08:19:28
>神武天皇がリレーしたかのようなフツの御霊と言うのは、平原、石上神宮出土品
>から見て素環頭太刀であろうが、フツの語源が不明。歴史考古学的前後関係
>からすれば箸墓を護る兵主神・蚩尤、仏教時代の毘沙門天信仰から見て、後漢
>の時代の流行語・浮屠の可能性はあろう。これは金冠伽耶首露王にインドから
>姫が嫁ぐと言う伝承、首露王遺跡にある極めてアーカイックな仏塔を考えると
>払拭しきれない可能性といえる。
ところが神武にはそうした援助はなかったと見え、終にフツの御霊を高倉持に質入
したようである。この辺に仏の御霊を狙う近畿勢の陰謀があったのではなかろうか。
そうした逆境にも耐えて神武は終に銅鐸を打倒、鏡国家を建設する礎を築いたよう
だがその後継者タギシミミは暗殺され、倭国乱の時代に入る。そうして女王を共立、
最終的には卑弥呼が即位をして国の形ができたのだろう。
163 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 16:02:33
たしか、畿内にある国を九州から船でまわって奇襲したはずだったな。
164 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:01:46
日曜日はどの板も皇室嫌いな書き込み増えるな。
学校の先生達かな?早く日教組崩壊すればよいのに。
我が家にも日教組と闘った退職者が居るが
家庭内ではまんま日教組だわ。外を知る事が怖いんだな、あれは。。
165 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:08:18
九州からの天下り
166 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:59:18
■志羅紀の地理的位置■
中国の史書『後漢書』の記録である。馬韓については「その北は楽浪と南は倭と接し、辰韓の西にあり」と
記している。また弁韓についても、「辰韓の南に(弁韓は)あり、その南また倭と接す」とある。
『三国志』も同じく、「馬韓は南で倭と接す」とある。さらに「弁辰は十二国のうち、讀盧(どくろ)国は
倭と界を接す」とある。
「辰韓の南に弁韓あり、その南また倭と接す」
後漢書のこの記述は、ひじょうに興味深い。
・辰韓は北にある。
・弁韓は辰韓の南にある。
・弁韓の南に倭がある。
この記録は、稲飯命が建国した志羅紀(シラキ)の位置を語っているのである。
辰韓→ ワイ人の国(後の新羅=シンラ)。3世紀に南下して志羅紀を侵略する。
弁韓→ 倭人の国。志羅紀。神武天皇の皇兄=稲飯命が建国。天日矛命の国。
倭→ 弁韓(志羅紀)の南方にある倭人国・ヤマト。日本国。
こういうことなのだ。
やはり、志羅紀と新羅は別の国なのである。シラキの王子=天日矛命が倭人であることが、『後漢書』の記録によって
証明された。天日矛命の子孫が神功皇后である。神功皇后の新羅征伐は、ワイ族(朝鮮人)に侵略された先祖の祖国=志羅紀
(シラキ=弁韓)を解放するための聖戦だったことが明らかになった。
167 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 00:06:18
コピペにアレだが、「接する」ってことは、
『倭』は半島南端にあったんじゃねぇの?
『ヤマト。日本国。』とは違うだろ。
168 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 00:09:39
あの〜、日本史をまとめているサイトってありますか?
それもかなり詳しくまとめているサイト
神武天皇のご存在の有無は日本最大の謎でありロマンだな
170 :
日本@名無史さん:2007/01/30(火) 15:19:39
架空の人物だから何とでもいえるもんな。
171 :
日本@名無史さん:2007/01/30(火) 17:22:00
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は
空洞になっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)
の上に米を置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋
(ふた)の間から,湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。
つまり「氣」です(後漢の『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
172 :
日本@名無史さん:2007/01/30(火) 17:29:54
173 :
日本@名無史さん:2007/01/30(火) 17:35:30
神武天皇は神武天皇陵のどの辺に埋葬されてるの? 宮内庁に聞けば教えてくれるの?
174 :
日本@名無史さん:2007/01/30(火) 19:44:19
天下りなので以前は別のとこに住んでましたが、それはどこかは秘密にしてますよ
175 :
日本@名無史さん:2007/02/11(日) 01:58:04
紀元節age
176 :
日本@名無史さん:2007/04/08(日) 23:00:55
age
177 :
月光仮面:2007/04/09(月) 08:20:13
場所的に神武の墓は藤原京建設の犠牲になったんではなかろうか。時代的にも
弥生時代の人なんで古墳の風習がなく、方形周溝墓みたいなフラットなもので、
藤原京の時には田圃になってしまっていたということもあるかもね。縁者が日向
にしかいなかったということもあるかな。
178 :
日本@名無史さん:2007/04/10(火) 00:35:10
神武士天皇陵はじつは江戸時代からいくつか候補があった
179 :
日本@名無史さん:2007/04/10(火) 14:11:04
いいかげんに現実を直視して日本人として飛躍しようよ!
天下りとは船にのって渡来することで、朝鮮から侵略者や殖民者がきたことです。
日本列島にはアイヌ等先住民もいたが古代には三韓の植民地だよ・・
地名、人名、信仰等朝鮮由来のものばかりでしょう。日韓併合後差別するように
なったのですよ。朝鮮の歴史書は日本軍がほとんど処分したが中国の歴史書はできない
から適当に漢文(中国語)を読み替えてるね・・・
神武王は新羅王にいるよ・・先入観をすてて調べてごらんよ・・・
それが愛国者というものだよ
180 :
日本@名無史さん:2007/04/10(火) 15:55:18
>>179 渡来して来た人たちの多くは、中国大陸や朝鮮半島の人間となることを嫌い、おぞましく思い、日本列島へやって来て、この国の人間になろうと決意し、早く同化して、この国に貢献すべく努力した人たちである。(そうしなかった帰化人は皆殺し。)
近年の、帰国も帰化もしようとしない連中や、インチキな「多文化共生」なんぞと言う連中とは、別。
優秀な半島人は、日本列島へ渡ることが許され、土下座して、多くは僻地に住まわせてもらった。
ごく一部の者だけが、都の近くに住み、官僚になることができた。 (秦氏、東漢氏、西文氏など)
なお、当然のことだが、日本列島へ来た後、朝廷に逆らった帰化人は粛清された。(820年など)
半島には、自分の文化さえ満足に継承できないようなカスが残った。
181 :
日本@名無史さん:2007/04/10(火) 17:45:58
高天原とは恐らく北部九州から中九州一帯のことであろう
その中にある邪馬壱国を主命とする連合体が
二世紀前半に起きた倭国大乱で、出雲の先天下り連中どもを平らげ従えさせることに成功する。
卑弥呼は本国である九州と畿内に鎮座し、神託を受けたつもりの巫女の指針により王が実行統治する神政府が大和に生れ、幾代続く。
三世紀後半、大陸情勢の悪化により列島は乱れ、戦国の世を呈し、日向の崇神が先ず九州を平らげ中国〜畿内へと
見事上洛を果たし、征夷大将軍(大王)となる〜
景行治世、各地で王統争に端に発した反乱が起きる、これを鎮圧するために征圧に出る
特に激しく抵抗した地域が同じ系譜の連中であった熊襲や隼人がいる九州であり
鎮圧まで20年近くを要することとなる。
出雲も大和に反旗翻したが九州ほど激しいものではなかった。
国が治まりかけたころ秀吉がごとくヤマトタケルにより朝鮮出兵が断行される
新羅は倭の水軍に恐れおののき疾風に降伏、百済は倭の沌家国となり、屈する。
>>179-180 おい、朝鮮人よw
中国の歴史書にはそんなことは書いていない。w
中国の学会では、任那日本府も認められているww
また、神武天皇の誕生は、紀元1世紀
新羅が誕生する紀元4世紀よりもずっと前。
このスレタイ、間違っている。
神武天皇は天下ってない。
天下ったのは、神武天皇の曽祖父のニニギ。
そして、神武天皇が東征した畿内には
曽祖父のニニギの兄であるニギハヤがいた。
そして、神武以前に畿内を治めていた事大主神は
ニニギやニギハヤとは何代か前に分かれた神様の家系。
184 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 10:43:31
>>182 180を書いたのが朝鮮人とは思えんが。
> 渡来して来た人たちの多くは、中国大陸や朝鮮半島の人間となることを嫌い、おぞましく思い、日本列島へやって来て、この国の人間になろうと決意し、
> 早く同化して、この国に貢献すべく努力した人たちである。(そうしなかった帰化人は皆殺し。)
> 近年の、帰国も帰化もしようとしない連中や、インチキな「多文化共生」なんぞと言う連中とは、別。
> 優秀な半島人は、日本列島へ渡ることが許され、土下座して、多くは僻地に住まわせてもらった。
> ごく一部の者だけが、都の近くに住み、官僚になることができた。 (秦氏、東漢氏、西文氏など)
> なお、当然のことだが、日本列島へ来た後、朝廷に逆らった帰化人は粛清された。(820年など)
> 半島には、自分の文化さえ満足に継承できないようなカスが残った。
最近おもうのだが、
日本書紀の歴代天皇の記述は多少の錯誤はあれども概して事実なような気がする。
在位年数とか没年齢とかは多分にミスがあるのだろうけど
即位の順番とか諱などは伝承に忠実なように思う。
改竄とか捏造する理由がないもんな。
当事者の心境から考えても。
だから神武東征は実際にあったんだろうなぁ。
最近の歴史家は一概に捏造と判断するのは拙速だと説いているな。
中国史を見ても明らかなように、前政権を瓦解させたその代の政権は、
歴史改竄によって自らの正当性を誇示し、結果民衆の信頼を得て長期政権となった前例がある。
中国は現代において歴史を見直す過程で、自国の歴史の偏倚ぶりに漸く気がついて、
第三国で、中国をある意味では最も研究している日本へ史料提供を求めた。
まあ、それはいい。
問題は、神武東征が決して神話で語られるには不明瞭な点がある。
実際、神武天皇は東征なされる過程に騙し討ちや毒殺など、数多くの陰謀に手を染めていた、と記されている。
元の文献が本当に100%捏造から発生したものならば、どうしてこのような皇室の汚点が記述されているのか。
皇室が日本統一した事によって日本は良くなった、と記述したいのならこのようなマイナス面は逆効果だ。
これを口実や皮切りに皇室打倒を訴える権力者がいてもなんら不思議はないのにも関わらず、だ。
187 :
185:2007/05/14(月) 18:24:45
>>186 ですね。自分の考えもそこにあります。
個人的には神武一行は日向からの移民だと考えます。
ニニギもまた半島からの移民ではないかと思います。
その一族の遠い記憶が、千年ちかい歳月を経て神格化され神話となったのだろうと。
その神武の末裔が現在の天皇家の祖先であるかどうかは判然としませんが
ヤマト政権の伝承のなかに「はるか昔、このクニの創始者は日向から来た」
として語り伝えられたのでしょうね。
188 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 19:15:41
ageとく
189 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 19:42:31
統一王が歴史書を作るにあたって、自分の先祖の事を書くのは当然で、
歴史書の成立から時代がさかのぼるので、そもそも初代については不正確なのは当然。
で作られた歴史書で明確なのは、
1・武烈帝系の皇族を貶めて皇籍を剥奪したこと(八色の姓)
2・漢書に漢の臣と記載された倭の5王を先祖から外すために、応神・・・・・・・継体・・天武
とした事
3・朝鮮半島での権益を、先祖史に残す事
4・ある初代(神武)が立ち上がり代々領土を広げ現在の倭の領土を納めた事。
5・さらなる先祖は神であること
5を除けば、史書としてごく普通。 神武が架空も糞もない。
人には先祖がいるし、小さな所領から始まるのも当然なので神武に相当する人物が実在するのは
架空でもなんでもない真実
190 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 15:53:33
神武またはニニギが徐福だったら?と仮定して妄想してみる。
神武だとして、前210年ぐらいに来航したとする。
ここから、推古即位まで約800年。
30代だから、1代あたり26年ぐらい在位。
うん。無理ない数字だね。
天皇家が、執拗に血脈を保ってきた理由も説明できそうだ。
ニニギだとする。
代数は数代増えるので、在位年数が若干短くなる。
で、徐福が連れてきた男女がウズメやらタケミカズチやらとなる。
これまた神話の説明となる。
外堀のごく一部は埋まった。
これからさらに埋めていこう。
191 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 22:38:05 BE:1122768195-2BP(0)
皇族の人たちのDNAが研究されたことはあるのでしょうか。たとえば系図が詳しく
残っている徳川家や藤原氏の人々のミトコンドリアと比べてみるとか。万世一系
に疑惑を呈しかねないからやっぱりタブーなんでしょうかね。
192 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 23:23:20
DNA鑑定は理論上可能らしいが、まだ、実績がないのにいきなり天皇・皇族は無理だろうね。
まずは徳川家など比較的新しく、遺骨が誰かはっきりしてるケースで鑑定手法の確立や精度の向上をするのが先だろうね。
それでも、最近真の継体天皇陵とされる古墳が発掘されたが、骨は出てきてないみたいで、骨が無いと鑑定しようがないし、古墳の被葬者がはっきりしてない場合も多いから、「万世一系」を遺伝子的に証明するのは条件が厳しいね。
まぁ、オイラはどっちでも構わんけどね。
古神道的にはDNAは天皇の萬世一系を拘束しません。
194 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 09:49:10 BE:1596826188-2BP(0)
戦前に弥生や縄文といった時代の研究はまともにされていたのでしょうか?「研
究の結果、神武天皇の御世(紀元前600年ごろ)にはまだ文明が発達しておらず〜
〜」なんてことを学会で発表したら右翼に刺されたり学会から追放されたりしそ
うな気がするのですが。
195 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 11:12:21
研究者はいたが、その言論は封殺されていた。
196 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 11:40:35
戦前には不敬罪があったから、たとえ学術論文であっても注意が必要だった。
論敵が学問の独立を売り渡してでも学者生命を抹殺しようとする可能性があったし、無知な右翼がテロを仕掛けてくる危険性も絶えずあった。
普通に研究されてたよ。
そもそも弥生や縄文といった時代区分が出来たのは戦前だし
198 :
日本@名無史さん:2007/05/31(木) 17:27:16
定期age
199 :
日本@名無史さん:2007/05/31(木) 17:33:16
196は嘘。
昔の方が研究は自由だった。
変な左翼団体が差別だと暴れ込むことも無かったしな。
この板ってチョンが荒らしてること多いの?
201 :
月光仮面:2007/06/04(月) 14:48:04
戦前といっても、226前後以降と、それ以前とでは全然違う。
また、明治でも久米筆禍事件や正閏論争以前と以後では全然違う。
203 :
月光仮面:2007/06/14(木) 14:44:34
204 :
月光仮面:2007/06/14(木) 15:03:01
倭人伝では最初に男王が立ったが国中が服さずという、この男王を長髄彦と考えると、
神武の力でこれを倒した大和を中心とする豪族が途中卑弥呼を立て、終には崇神に
始まる大和朝廷を開いたと言うことですっきりするがねー。
205 :
日本@名無史さん:2007/06/14(木) 16:09:07
天皇機関説は大学で講義されなくなったな。
自由だったのは戦前と呼ばれた時代よりも前の時代。
206 :
日本@名無史さん:2007/06/14(木) 16:13:45
江頭2:50を君主に(笑)
>>206 江頭って皇族ともつながりがあるらしいね。
まあ本来は凄く優しい人だから、言われてもそう驚かないが
208 :
日本@名無史さん:2007/07/10(火) 17:05:13
神武天皇はアレキサンダー大王をモデルにした架空の人物
聖徳太子はイエス・キリストをモデルにした架空の人物
209 :
日本@名無史さん:2007/07/11(水) 14:04:30
ソースか論拠だせよ
210 :
日本@名無史さん:2007/07/13(金) 18:58:19
ソースは「ブルターク英雄伝」だお
神武東征とそっくりの逸話がのってる
聖徳太子の別名は厩戸皇子というのだが
生誕にまつわる逸話がイエス・キリストとそっくり
211 :
日本@名無史さん:2007/07/13(金) 19:27:20
神武東征の数十年前にも
東征があったらしいな。
天火明命(神武の曽祖父の兄)の東征。
彼らはアマテルとして神武皇統から崇拝の念をもたれていた。
紀元前660年と3ケタ生きたってのは流石に疑問が残るが、
古事記の神武天皇の強かさと計算高さの描写が消されてないから存在はしてたと考えるのが尤も。
伝説化したいならそういった描写は大化の改新やそれ以前に改竄されているはず
万世一系って言うけど、継体天皇のときに王朝は変わったという説もあるよね。
214 :
月光仮面:2007/07/26(木) 17:15:02
215 :
日本@名無史さん:2007/08/12(日) 11:32:39
あげ
オリックス社代表の宮内義彦という政商がいた!! オリックス社代表の
宮内義彦は、外貨獲得で大貢献していたトヨタ社の社長よりも政治発言
がはるかに多かった!!
在日華僑、宮内義彦の会社が何か日本に貢献していたことがあったのか!!
宮内義彦という在日中国人のたんなる実業家が、なんであれだけ多くの
政治発言を日本国内でやっていたのか!!
華商であった宮内義彦の最後がITバブルの大黒幕だったという噂だけで、
華商の宮内義彦がどれだけ巨額のカネを持ち逃げしたのかがわからない
ままだ!!
日本の警察と防衛省は、何もやっていない!!!!
税金ドロボーの日本国政府!真面目に仕事をやれ!!!!!!
217 :
日本@名無史さん:2007/10/04(木) 23:11:58
高天原→朝鮮のどっか
天皇家→朝鮮貴族
ニニギ→朝鮮人
218 :
日本@名無史さん:2007/10/04(木) 23:53:31
はいはい。
219 :
日本@名無史さん:2007/10/05(金) 13:46:29
間抜け歴史お宅のみなさんへ。
明治維新後長州が招聘したリースによって、日本史を創造した。国威発揚のため単一
民族、万世一系天皇、神国など無知な庶民を発奮させる物語を捏造したのが事実
です。日韓併合時には朝鮮の資料を処分、改竄などして古代史を現在の間抜けの
暇つぶしにした。古事記や日本書紀を都合よくよみ、中国の資料は漢文を読めな
い帝大(東大)教授が身勝手に作文。これが真実で中国の学者から笑われている。
面白いことに朝鮮が作った日本国の事実をどうしても否定したい連中はさまざま
な古典にその事実が記されているにもかかわらず認めない。観察してみると、ど
うも先住民族の子孫の血が濃い連中?征服され奴隷にされた恨みは今や生理的
嫌悪になっているのか?
220 :
日本@名無史さん:2007/10/05(金) 14:32:19
>>219 朝鮮が作ったって、朝鮮半島は文化も人も通過点だぜ。
紀元あたりから倭と新羅は仲が悪いんだ。言葉も異なる。
高句麗、百済のほうがまだ日本に近い。でも高句麗は中国人国家、
百済の支配層はほとんど日本に渡来しているし、
百済は日本の領土だったといってもよい。
唐にでたらめちくりまくって白村江で大敗したが、
いまも米国にでたらめちくりまくって、
なんとか日本を貶めようとするところは同じだ。
221 :
日本@名無史さん:2007/10/05(金) 15:25:45
>>219 大宝令の注釈書「古記」には、
「隣国は大唐、蕃国は新羅なり」とある、新羅は未開の国だとさ。
書紀にも、新羅について、無道の国と何度も非難している。
古代の日本を朝鮮が作ったなら、新羅についてはもっと好意的だろう。
なにもないな、古代からただの野蛮な敵国としてかみてない。
>>唐にでたらめちくりまくって白村江で大敗したが、
でたらめってなんのことだよ
敵対している倭と百済が攻め込んできたから唐に頭をさげて
援軍を送ってもらっただけだろ
223 :
日本@名無史さん:2007/10/10(水) 20:49:32
224 :
日本@名無史さん:2007/10/17(水) 21:07:46
反日本親朝鮮の記事捏造アサヒる新聞は日本から出て行け。
225 :
【驚愕】古代天皇家・近親相姦の真相:2007/10/25(木) 01:52:49
原始時代はいざ知らず、近親相姦は文明時代の段階になると許されない行為であるという認識は諸文明で共通のもの
となった。それは東洋でも同じことであり、中国や中国文明の影響を強く受けた朝鮮半島では「同姓不婚」という考えがあり、
姓と本籍地を同じくする男女は代を遡れば共通の先祖を持っているため結婚できないとするほど近親相姦を忌み嫌って
いた。
しかし、同じく中国文明の恩恵に与っていたはずの古代日本では、どうやら事情が違っていたようなのだ。古代日本史を
記録した日本最古の史書、古事記の天皇家の婚姻に関する記述がそれを明らかにしてくれる。古事記に記載されている
天皇一族の婚姻45例のうち、半数の22例もが現在民法で禁止されている三親等以内の近親結婚なのだ。さらに驚嘆
すべきことに、そのうち11例は兄弟姉妹間の結婚である。仁徳天皇や用明天皇、そして備達天皇とあの推古天皇の夫婦
は、異母きょうだい間での結婚をしている。また安康天皇と木梨之軽王はそれぞれ、なんと己の同父同母の姉妹と結婚
しているのである(ただし後に書かれた日本書紀では、中国の影響か流石に同父同母はまずいと感じたのか、安康天皇
は別の女性と結婚し、木梨之軽王はこの近親姦を責められて流刑に遭ったという歴史改竄が行われている)。
こうしたごく近親での結婚は、平安時代以降に藤原氏の人間と通婚するようになって廃れたが、天皇家と藤原氏が互いに
娘を出し合う通婚形式を繰り返せば、おのずと互いの血統が同一の物となり、近親相姦と変わらない状態となることは
明白であろう。
このように、日本では近親相姦に対する嫌悪意識は低かったのである。その影響はなんと現在の日本人のなかにも
見受けられる。たとえば調査によると、東京でのいとこ婚の夫婦は全体の4%であり、英の0.4%、仏の1%に比べて
高い数字である。また小説・漫画やポルノ等でも近親相姦(特に兄妹相姦)を扱った作品がしばしば見られる。いとこ
同士の性愛表現がある日本の漫画が、米国(過半の州がいとこ婚を禁じている)で発禁処分を受けた例もある。
日本は他国に比べ、街で知的障害者を見かけることが多い。もしこれが近親相姦に寛容な社会構造が影響している
のだとしたら(近親相姦と障害に関しての確定的データはないが)忌々しき問題である。
226 :
日本@名無史さん:2007/12/05(水) 16:54:49
227 :
日本@名無史さん:2007/12/12(水) 13:35:46
高天原→満州のどっか
天皇家→扶余貴族
ニニギ→扶余人
日本→扶余が建てた国
他の扶余系国家→百済、高句麗
228 :
日本@名無史さん:2007/12/12(水) 17:21:04
>>225 近親相姦は文明時代の段階になると許されない行為であるという認識は諸文明で共通のもの
エジプトとかは?
嘘から始まる文章というのは、困ったものだ。
229 :
日本@名無史さん:2007/12/12(水) 21:41:05
正確に言えば神武天皇は日向地方の人間であり、父のウガヤフキアエズも南九州の出だが、朝鮮半島の一部を平和統治していたのであろう。
韓国にはカヤグムという楽器がありカヤグムのカヤはウガヤのカヤと漢字が同じである。
またウガヤ時代の朝鮮貴族の末裔が亡命のために飛鳥時代前後に日本へ来ていたのは事実であり、皇族の聖徳太子が温かく迎え入れている。
230 :
日本@名無史さん:2007/12/12(水) 21:47:01
古代日本は超文明国家であった事は事実である。
例えば古代の日本語ではホツマ文字やアヒル文字といった文字があり、神武天皇についても記述されているのである。
231 :
日本@名無史さん:2007/12/16(日) 19:55:24
江戸時代に行われて
>>230のような偽史創作に詳しいスレってどこですか?
232 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/12/16(日) 20:54:37
日本各地にあるというペトログラフっていうのは、たいがいが
岩石上の文字だから消せっこないからねぇ。神武即位前ならもう
神代文字になろうな。
233 :
日本@名無史さん:2007/12/16(日) 23:43:36
竹内巨麿に憧れてんですか?
234 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/12/16(日) 23:46:39
竹内巨麿は別に思考に入れていませんが。
ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・
高天原というのは中央アジアのどこかだろう。
遊牧民の一派が中国を迂回して、北方まわりで朝鮮半島を経由して、
日本列島にやってきた。
それが神武の祖になる。
ただし、日本には元から住んでいた人々、縄文人や弥生およびその混血やら、
先住民がいた。中でも大和は発展した地方だった。
南九州あたりでくすぶっているわけにはいかない、ということで
神武東征が始まった。
そして、大和にて神武が長として君臨し、
後の大和朝廷の元となった。
きわめてまっとうな話。
236 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 22:53:15
自殺、売春、虐待、大量殺戮、女性差別、は農耕社会になってから始まりました
天皇はA型で朝鮮の出身です。A型は2000年前に日本に来たから帰ればいいのに。
A型は100%農耕民族とはいえないがO型かB型にぜんぜん好かれないA型は
農耕民度が高すぎるから2000年前に日本の先住民族を大量に殺してきた
遺伝子、多そうだね。
遊牧民族は厳しい自然の中を小さい家族で移動しながら生活してきたので家族と他人の線引きをはっきりさせたと思う。
これをクールと感じる。だから、そのぶん身内にはあつくなるのか。
B型は遊牧民族、O型は狩猟採取民族。
A型は農耕民族。農耕民族は2千年前(つい最近)に、中国から日本に来た。A型は2万5千年ごろ誕生して農耕社会を
作ってきた。農耕民族社会になってから狩猟採取民族が大量に殺され滅び吸収され、ホームレス、虐待、売春、
女性差別 が始まり、強制的に横並び結婚し横並び子作りしないと女が生きていけない社会になる。
横並びの群れ社会(農耕民族社会)は無理やり敵を作り差別しないと作れない。これが、いじめ。
ブサイクで、もてない農耕民族はとくに性欲として横並びの群れ社会を作りたがる。
農耕民族社会はA型女も不幸になります。
237 :
日本@名無史さん:2007/12/21(金) 11:06:58
ただ馬というのは呉音なんだよな。
239 :
日本@名無史さん:2008/01/01(火) 01:26:47
漢音て鮮卑語の発音なんじゃないの?
240 :
日本@名無史さん:2008/01/01(火) 05:29:57
>>210 キリスト教ってのは、ローマ帝国の権力者が民衆支配の為に、西暦400年頃にキリストの逸話を作って民衆に強要、普及させた新興宗教ですよ
キリスト教が崇める「十字架」は、ローマ軍のシンボルマークだった十字架を信仰させただけだよ
キリストの逸話と聖徳太子が似てるのなら、パクったのはキリスト教の方だよ
神話やキリストの出生はヘブライ神話やエジプト神話からパクってる訳だし、死んだ日も釈迦の生誕日の3日前に処刑された事としたりさ
新約聖書の福師音は孔子の儒教をパクったりさ
けど当時は民衆はキリストを信じないとローマ帝国軍により殺されちってたよ
キリストを絶対神と信じる者だけは殺されずに救われる宗教がキリスト教っす
新約聖書が書かれたのは一世紀ぐらいでしょ
いくらなんでも聖徳太子をぱくったというのはありえない
聖徳太子の逸話はただの偶然だろう
ウガヤフキアエズ
ワカミケヌ
タギシミミ
カムヌナカワミミ
なんかへんな名前だね、当時の日本人はみんなこんな名前なの?
それともやはり天皇家は扶余人で
日本の原住民を征服していったの?
ゲルマン人がスラヴ人を征服して
ルーシ建てたのと同じことだな
244 :
日本@名無史さん:2008/01/05(土) 05:06:16
天皇家並に古い豪族である吉備氏、尾張氏、出雲氏の首長はどんな名前だったんだろ
245 :
日本@名無史さん:2008/01/09(水) 19:17:36
244
尾張氏:天火明命を祖神とし天忍人命から始まるとされる。
出雲氏: 天穂日命→武夷鳥命→出雲建子命
吉備氏:吉備津彦命が一般的
246 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 14:19:37
>>242 ホムダワケとかイザホワケとかのうよな変な名前だったんじゃないの?
>>242 それは人の名前というより、神様の名前だろう
天皇の名前なんだが
天皇は神なんだが
250 :
日本@名無史さん:2008/01/11(金) 23:10:03
宇治谷 孟「あとがき――解説に代えて――」
『日本書紀・全現代語訳 下』(講談社学術文庫)
>この海彦・山彦の話にしても、産室の屋根をウの羽で葺くのに、それが葺き終わぬうちに子が生まれたので、
>ウガヤフキアエズと名づけたなどというのは、われわれもオトギ話程度にしか受取っていなかったものである。
>ところが韓国の古代史研究家によると、三韓を遡る数百年前から、南部朝鮮に「伽耶」という高度の文明国があり、
>韓国固有語で、上伽耶(ウカヤ)・下伽耶(アラカヤ)と呼ばれる兄弟国であったという。
この宇治谷という人は、本物の馬鹿ですなあ。
韓国語に「上伽耶」だの「下伽耶」だのといった表現法は無いんだよ。
何だよ、「上伽耶」って?
「北伽耶」「南伽耶」という表現なら分かるが、上伽耶なんていう表現は、
韓国語には無い。
日本語にも無いし、中国語にも無い。英語にも無い。
ふつうは、北○○、南○○と表現するだろ。
それに、『上伽耶』なんていう名前の国は、過去に存在したことは無い。
251 :
日本@名無史さん:2008/01/11(金) 23:53:22
あら=ありし=おろし=下
う=うえ=上
252 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 16:14:07
日本語における上・下の表現は、「川上の地」「川下の地」とか、
「山上の地」「山下の地」といった意味で使われるのであり、
朝鮮人が主張しているような北(上)と南(下)という意味ではないよ。
そもそも、日本語には「北は偉くて上位、南は卑しくて下位」というような政治思想は無い。
これは朝鮮人の思想だろう。
前・中・後も東西南北と同じように水平方向を表す言葉であって、
上・下というような垂直方向(政治的な上下関係)を表す言葉じゃあないだろ。
上→南 下→北 になることが多いな
254 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 18:16:33
天皇一族は苗族か扶余族か
255 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 18:34:30
古代の半島東南部に、志羅紀(シラキ)という倭人国が存在した。天日矛の祖国・シラキの国号の意味が、
ついに明らかになった。
シラキとは、知城(知らす城)の意味である。つまり、「首都」という意味の言葉である。
シラキとは金城(現在の慶州)の古名なのである。金城とその周辺地方をシラキと呼んでいた。
なんと、1世紀頃まで、つまり漢朝の時代まで、シラキは半島南部の全域を支配していたらしい。
紀元前1世紀の半島にあった漢朝の地方領、真番郡・臨屯郡の南方に位置した韓(カラ)という国。
実は、この韓(カラ)こそが、神武天皇の皇兄=稲飯命によって建てられた志羅紀(シラキ)なのである。
日本海側から東シナ海側に至るまで、4世紀以降からミマナ・クタラと呼ばれるようになる地域まで、
シラキ領土だったのだ。
大和朝廷が半島南部を支配するために置いてた官庁・任那日本府は、3世紀頃までは金城(シラキの都)に
置かれていたのである。
興味深いのは、漢朝が半島に四郡を置いて支配していた紀元前1世紀の時代においても、
漢朝は韓(カラ=シラキ)を漢領土に組み込むことなく、その独立を認めていたことである。
この事実は、紀元前1世紀の時代に、すでに倭人と半島漢人の間には友好的関係が確立されていたことを
暗示している。
伊沙那己 伊沙那未 偉い名前 阿那伽耶金新羅 伊沙の 金
伊那奈利
258 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 21:59:03
上北沢とか下北沢なら日本でも普通の言い方だろ。
259 :
日本@名無史さん:2008/01/15(火) 21:59:13
つーか、今でも天皇が神とか思ってる奴いるの?進化論でも学びな
260 :
日本@名無史さん:2008/01/17(木) 09:53:35
天皇一族は、明らかに「継体・欽明天皇の前で絶えている」のに神話と同じにしては駄目!
欽明天皇からしばらくは、神道でもなく密教的な仏教が天皇一族の精神的な支柱になっていくのに!「聖徳太子」に至ってはは、完全な密教的仏教であって「神道なんか信じていない!」
神道はそもそも宗教じゃないしね。
皇室も中世までは法皇(出家した天皇)なんてものも存在したし
262 :
日本@名無史さん:2008/01/19(土) 01:39:30
神武天皇って、あの「ナウシカ」のアニメの最後に出てくる人でしょう?
263 :
日本@名無史さん:2008/01/19(土) 06:49:58
天皇は神じゃなかったら廃位すべきだな
264 :
日本@名無史さん:2008/01/19(土) 23:48:15
それが、誰にも出来ないところが不思議なんだ!
265 :
日本@名無史さん:2008/01/20(日) 22:39:45
これが伝統の重みってやつさ。
266 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 00:58:10
寿命がやたら長いのは暦法が違ってたからじゃね?
>>252 古代朝鮮人の一部がやって来て、まだ未開な日本に”悪知恵”を施したのは間違いない。
268 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/03(日) 07:40:28
>>266 そうだと思う。それを紀の編者らは知らなかったようで、大陸、半島と日本
との年代に大幅なズレがあるので、れはどうしてなんだろう?と考えながら
なんとか合わせようと苦労をした。日本は当時倍暦をやっていて1年が実質半年
等の時間経過だから百年以上の不具合が存在していた。
当時干支年をやってたから合わせるには漢字2個分が一致せねばならず、60の
倍数のいずれかで大半、調整の選択をした。もっとも合うように思えたのが60
の2倍の120年の動かしであり、卑弥呼が神功らしいと思ったか、120年調整を
行い、これがだいたい真だろうと決めて小康状態を保ったつもりが、これは真
ではなく、卑弥呼の活動年代は崇神世であり、彼らはこれに気付かずにいた。
こういう調整をやってるうちに、神武即位も大幅に違う年代になってしまい、
故意ではないんだが、紀元前660年に位置することとなった。
269 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/03(日) 08:05:59
>>266 >>268 欠史八代は最も合わなかった時代なのか、史実の記載が殆ど無いのは、そこの
年代調整が具合よく出来なかったために失敗を恐れ、記載を思い留まった。
だからここの無記載は大陸の属国とか史実負けしてるからのことではなく、年代
の調整間違いを回避したためであり、一個の記録が前後の年代の矛盾にも波及
するからこういう保留で終わったということだ。もし大陸の属国、記事負けの
屈辱で書かないようにしたんなら、そこの部分だけ書かねばいいわけで、八代間
にはまだ屈辱にはならない書いても支障のない記録は紀に記載ができるという
ものである。年代の断層は前後に影響するから2代〜9代までも記載をためらう
こととなったということである。阿礼の記憶にも八代間のものはあっただろう
が、安万侶も不合を感知し、記も記載に至らなかった。こういうことだな。
270 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 08:10:13
神武立太子 BC697
神武〜懿徳 185年間
孝昭・孝安 185年間
孝霊〜孝元 133年間
開化 60年間
崇神 68年間
垂仁 99年間
景行・成務 121年間
仲哀〜応神 121年間
仁徳〜反正 99年間
允恭〜雄略 68年間
清寧〜宣化 60年間
欽明〜壬申 133年間
文武立太子 AD697
271 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 14:31:15
>>260 :日本@名無史さん:2008/01/17(木) 09:53:35
>天皇一族は、明らかに「継体・欽明天皇の前で絶えている」のに神話と同じにしては駄目!
だから、おまえの空想には興味ない。
272 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 03:03:46
言われっぱなしだとむず痒いのは判るがね
邪馬台国スレはめちゃんこ盛り上がってるのにここは過疎スレもいいとこだね。
275 :
日本@名無史さん:2008/02/07(木) 09:00:30
つまみ食いが難しいからな
神武天皇の話も邪馬台国論争の上に成り立っているから。
まず、邪馬台国論争の解決があって
それからでしょう?神武天皇の話は。
邪馬台国スレの人たちは擬似歴史談義してるだけだから^-^
神武の話は記紀編纂過程から始めないと駄目でしょ?
でもまぁはココもそーゆースレじゃないネタスレですから
テキトーにやったら?
じゃあこっちも疑似歴史談義に花咲かせるかぁ〜
神武天皇ってちょっとだけど実在説もあるんでしょ?
280 :
日本@名無史さん:2008/02/07(木) 20:37:37
何をもって実在とするかによるね
神武に関する伝承は大伴氏の家伝に由来するらしいから
本来の神武は大伴氏が興った時期と同世代の人物という考え方ありです。
とりあえず
天皇陵の発掘を宮内庁に認めさせるのが先決だな
282 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 01:39:14
>>279 神武天皇実在の立場を採る史学者は多数存在する。
そうなのか?ウィキには「否定的見解が強い」って書いてあったけど
実在した方が夢がある
285 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 04:08:26
キリストがユダヤ人だったように
神武も熊襲人だった。
とりあえず、神武は祟神。これは間違いないね。
日本書紀を書いたやつらは口伝書をもとにして書いて
数百年後だもん。祟神以前のことなんてわかるわけない。
聖徳太子を厩で生まれたなんて聖書からバクってくるような頭だからな。
>聖徳太子を厩で生まれたなんて聖書からバクってくる
ソースplz
287 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 00:27:47
紀元節age
288 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 00:47:46
神武天皇バンザイ
今日は神武天皇が建国あそばされた日ですな。
めでたき事だ
ウヨは消えろ
293 :
日本@名無史さん:2008/02/14(木) 17:35:43
また、会見から一カ月後の十月二十七日、ジョージ・アチソン政治顧問代理は国務省宛てに、
マッカーサーから聞いた天皇のご発言について次のように打電した。
「天皇は握手が終ると、開戦通告の前に真珠湾を攻撃したのは、まったく自分の意図ではなく、
東条のトリックにかけられたからである。しかし、それがゆえに責任を回避しようとするつもりはない。
天皇は、日本国民の指導者として、臣民のとったあらゆる行動に責任を持つつもりだと述べた」
この文書を最初にアメリカ国立公文書館で発見した秦郁彦氏は、「決め手と言ってよい文書」
「天皇が全戦争責任を負うつもりであったのは明らかである」と指摘する。また氏は、次のよう
な根拠も挙げている。
「このことは、八月二十九日天皇が木戸内大臣に、『戦争責任者を連合国に引渡すは真に苦痛に
して忍び難きところなるが、自分が一人引受けて、退位でもして納める訳には行かないだろうか』
(木戸日記)と語ったところや、九月十二日東久邇宮首相が、連合国の追及に先立って、戦争犯罪
人を日本側で自主的に処罰する方針を奏上すると、即座に反対して撤回させた事実と首尾一貫してくる」
(『裕仁天皇五つの決断』)
なお、「東条のトリック云々」のご発言にひっかかる向きがあるかもしれないが、秦氏はこう解釈する。
「天皇がこだわったのもむりはない。東郷外相ですら無通告攻撃に傾いていたのを『事前通告は必ずやるように』
と厳命したにもかかわらず、奥村在米大使館書記官のタイプミスで結果的に通告がおくれてしまったのだから、
痛恨の思いは誰よりも深かったであろう。
しかも、この時点では天皇は真相を知らされていなかったので、東条に欺かれたと信じこんでいたのが、言い訳
めいた言動になったと思われる」(『文藝春秋』平成16年1月号)
294 :
< 神武天皇 >:2008/02/22(金) 20:41:08
295 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 02:38:34
さらしあげ
296 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 04:35:39
清らかな神武天皇が最近、朝鮮や琉球に毒されております。
赤鬼や黒鬼は早く帰れ!
神武の野郎は、今以って地獄で苦しんでいるのが実情です。
神武!GOGO♪u
神武艮征○
神武東征×
300 :
日本@名無史さん:2008/05/25(日) 07:48:00
1世紀頃に九州にあった勢力が大和に移動した。
これが神武東征だろう。
神武東征×
神武東遷○
302 :
日本@名無史さん:2008/06/30(月) 12:44:02
保守
303 :
月光仮面:2008/07/20(日) 10:27:33
304 :
月光仮面:2008/07/20(日) 10:42:47
305 :
月光仮面:2008/07/20(日) 10:51:27
「山幸彦は帰る場所を失い、悲嘆にくれて海辺にたたずんでいた。すると、波間から老爺が一人顔を出し、
塩土老翁神(塩釜に本社を置く塩専売公社海運部所属)と名乗って、山幸彦に悲しみの理由を尋ねた。
山幸彦が語るのを聞いた塩土老翁神は、任せておけと言って小舟を作り、それに山幸彦を乗せた。そして
船を波間に押し出しながら、「このまま潮に従って行けば(難波の)海神(ワタツミ)の宮に行けるだろう。
ついたら門の脇の桂の木(葛城・高尾張)に登って待つといい。そうすれば海神(海部)の娘が出てきて
相談に乗ってくれるだろう。」と告げた。」
http://www.din.or.jp/~a-kotaro/gods/method/yamasati.html
306 :
月光仮面:2008/07/20(日) 11:00:04
「ある日、ふと自分が何をしにここへ来たかを思い出した山幸彦は、帰らなければいけないと妻に告げた。
そのときすでに彼の子を宿していた豊玉姫命は、父神にそのことを話した。父神も承諾し、海幸彦の釣り
針を飲み込んでいた鯛*を捕らえて針を取り戻し、さらに呪文と塩満玉(シオミツタマ)、塩乾玉(シオヒルタマ)
という2つの宝玉を山幸彦へと与えた。妻の豊玉姫命を宮へと残し、山幸彦は宝物を持って地上へと帰っていった。」
http://www.din.or.jp/~a-kotaro/gods/method/yamasati.html *実は父神の末端組織で隠岐に本拠を置く「ワニ」組の組長が対馬で船団を襲撃、後漢から帥升に
下賜された銅鏡、鉄剣等を秘匿していたことが発覚、父神はこれを押収、密かに出雲に隠したのであった。
307 :
月光仮面:2008/07/20(日) 11:08:32
「再び大地を踏んだ山幸彦は、3年前の兄の仕打ちに対する報復として海神から授かった呪文を使い、
兄の国をたちまち貧乏にしてしまった。これに怒った海幸彦は山幸彦の国へと攻めかかるが、山幸彦は
兄を塩満玉によって溺れさせ、兄が命乞いをすると塩乾玉の力で助けたという。これによって海幸彦は
山幸彦へと服従を誓わされて、山幸彦はめでたく支配者となった。」
http://www.din.or.jp/~a-kotaro/gods/method/yamasati.html このとき兄は志賀島において金印を秘匿したが、その後それは行方不明となったという。山幸の子孫は
豊前・日向で繁栄し、その子孫から神武が生まれる。
308 :
月光仮面:2008/07/20(日) 11:17:42
さて、「妻の豊玉姫命が臨月を迎え、お産のために夫のもとを訪れた。いよいよ出産が迫ったときに、
豊玉姫命は夫に「決してお産をする姿を見ないでくださいね。」と言い置いて産屋へと入った。しかし山幸彦
も好奇心いっぱいの若者。(つうか、嫁が実家で出産する風習を知らずに。)そんなことを言われて黙って
いられるはずがない。彼がこっそりと産屋を覗くと、そこには身をもがく八尋(ヤヒロ:一尋=180p)のワニ
の姿があった。(つうか、海賊のワニ族の風習に従ってお産をするので、海部一族と安曇海人族、つまり、
海幸の血縁関係が露見した。)出産後にこのことを知った豊玉姫命はこれを恥じ、夫を恨んで我が子を置
いて海へと帰っていった。 しかし、我が子のことはさすがに気になる。男の手では、満足に赤ん坊を育て
られまい。そう考えた豊玉姫命は、妹の玉依姫命*に子供の世話を頼んだ。妹は快く承諾し、地上へと上が
っていった。
http://www.din.or.jp/~a-kotaro/gods/method/yamasati.html *これは卵を依り代にするシャーマンであったが、後にオオタタネコと言う偉大な神官を生むのではとも。
やがてその子が成長し、鵜葺草葺不合神として立派に成人すると、玉依姫命はその妻となり、4人の子を産んだ。その第4子が神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)、後の神武天皇である。 」
309 :
月光仮面:2008/07/20(日) 12:06:45
つまり、九州・西部日本には(1)背振山周辺甕棺文化圏、ハヤヒ地域(ワケ・伊都・甘木朝倉を含む)
(2)周防灘周辺圏(豊葦原瑞穂・倭面土(大元))地域があり、近畿北陸東海にも銅鐸文化圏があった。
これらの地域間には朝鮮半島・対馬と東海地方の間をとると、(1)壱岐-関門経由、(2)沖ノ島-隠岐経由
という外航航路と(1)瀬戸内海、(2)山陰という内航航路の2本のシーレーンがあり、高地性集落という
インフラがシーレーンの安全保障の機能を果たしていた。これらの地域グループ間の抗争、連合の中
から倭国連合、大和が生まれた。記紀にある国譲り、日向三代の話は大和国家誕生直前の倭国乱を描
くものである。
310 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/20(日) 13:46:30
孝安は帥升というのは間違いだと想う。両者は時代が近いので、漢字の牽強付会
からそうした説になってしまう。別人だな。
311 :
月光仮面:2008/07/20(日) 15:56:35
太国さん、おひさしぶりです。
日子穂穂出見命、山幸、彦火峰出観尊・・・中央アジアの草原では中央石組みから左右に天体の
地平線入出観測の「峰」の石列を作り、シャーマンが朝夕にこれを観測したということが天文考古学
で立証されているが、「彦火峰出観尊」の「火」とはこうした観測対象「天体」と考えられる。とりあえず
帥升を日子穂穂出見命、山幸と想定し、齟齬をきたさない場合は想定がしっかりしているということ
にして論を進める。・・・マー、最後まで言わしてね。
312 :
月光仮面:2008/07/20(日) 16:16:02
弥生末期の西日本各地にゲルマン民族大移動のような歴史的イベントが起こりえる可能性は先ずなかった
であろう。逆に、近畿、筑紫共に農地の排他的専有は厳しさを増し、東海の朝日遺跡とか、吉野ヶ里のように
戦闘的防衛力強化が行われており、各地の高地性集落は局地集落共有及び連隊の防衛施設で、構成の
城のようなものであったのであろう。そうした環境化にあっても山陰海岸部とか、東日本からは俘虜のような
労働力が河川工事、古墳造りに動員されていたらしいことは記紀からも察しがつく。こうした背景において
鏡作り集団が九州から近畿に到着し、銅鐸、中国地方の銅剣、銅矛を中央集中の鏡・古墳に変えるという
大変革が行われ、これが邪馬台国・大和朝廷成立と一緒になっている。したがって、瀬戸内海地域にあっ
ては鏡作り、土師、兵士の移動に伴って多少の軍事緊張は存在したはずである。神武の戦闘も各地の
武勇談のほかに幾分かは本当の戦闘もはいっているのではなかろうか。
313 :
月光仮面:2008/07/20(日) 16:23:28
神武東遷とは周防灘・九州勢力と近畿東海北陸勢力の間に軍事的同盟関係が成立し、この安全保障
の枠組みで青銅祭器の廃止、大和朝廷による中央集権が開始されたということであろう。国譲りとは
西南の役のように一部の旧体制、狗奴国の残党とかがゲリラ戦の火種として九州や中部地方にくすぶ
っていたことを意味するものと考えたい。
月光仮面さん、研究の進展を祈る。
神武の皇后について教えて下さい。
316 :
月光仮面:2008/07/26(土) 08:07:22
>>314 深謝。
「10月5日、磐余彦は兄の五瀬命らと船で東征に出て、速吸之門に来た時、国津神の椎根津彦を道案内と
した。筑紫国宇佐に至り、宇佐津彦、宇佐津姫の宮に招かれて、姫を侍臣の天種子命と娶せた。
筑紫国崗之水門を経て、12月に安芸国埃宮に居る。3月に吉備国に入り、高島宮の行宮をつくって3年
滞在して船と兵糧を蓄えた。」メドレー風のこの部分、実に深い意味がある。海幸・山幸、帥升を考慮し、
関係各地の神社伝承・古伝、風俗、遺跡を検討の必要がある。
317 :
月光仮面:2008/07/26(土) 08:20:40
>>315 15歳のときに皇太子となり、長じて吾平津姫(あひらつひめ)を妃とし、息子の手研耳命(たぎしみみのみ
こと)を得た。
3月、畝傍山の東南の橿原の地を都と定める。庚申の歳、大物主の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたら
いすずひめ)を正妃とした。・・・これは倭国元首と同等クラスに昇進したということでしょう。つまり、男王と
なった。つまり、公邸では元首と公務を遂行、私邸では吾平津姫と生活を営んだということ。大物主の娘
というのは出雲系ということであり、天孫系が地祇系と連合関係に入ったことをも意味しているのでしょう。
318 :
日本@名無史さん:2008/07/28(月) 20:35:07
舞い降りたのは神武じゃないだろ!ニニギだろ。
どちらかと言うと神武は左遷だろ!
初代左遷で大成功した例だな!
ゲルマンやアメリカ人みたいなものだ。
319 :
月光仮面:2008/07/29(火) 09:51:45
実際は京都-名古屋勢力と大阪-奈良勢力の争いに宮崎の有名人が利用されたようなきがするね。
用済み後はポイで、その後の代になると九州征伐に向かうことになる。とんでもない話だよなー。
どげんかせんとイカン
321 :
日本@名無史さん:2008/07/29(火) 20:02:43
卑弥呼の亭主らしいぜ
322 :
月光仮面:2008/07/30(水) 12:32:48
要するに義兄弟の杯を交わすのと同じ意味で神聖にして犯すべからず女性元首のパートナー級の
地位を得たということだろう。半ば神話上の地位であり、実際の神武の妃は油津姫、皇太子はタギシミミ
であったはずだ。
323 :
月光仮面:2008/07/30(水) 12:40:00
スキタイの考えは、国には操縦士と射手の二人の王が必要と言うことで、卑弥呼の専制君主というのは
外国に対してのことだけであり、国内的には推古天皇と聖徳太子と言うように二人と認識されていたと
見るのが穏当だろう。ただ豪族の力関係が拮抗していると限りなく女性専制君主に見えたのだろう。
324 :
日本@名無史さん:2008/09/02(火) 16:27:56
保守
325 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 09:07:25
神武天皇は身長3メートル以上で、角が生え、背中に鱗があるレプティリアンとかいう爬虫類人だという説があるのを最近知った
二代目天皇も人を食べる趣味があったらしい
最初はバカ話だと思ったけど、もしかして本当に龍の神様なんじゃないかって思ったりもしている
半信半疑
神武の親父は神、ウガヤフキアエズ。
母親も神、玉依姫尊(タマヨリビメ)。
要するにイエス・キリストと同じなんだな。
神の子≠神、神の子=聖人ってやつ。まぁ神武の場合は母親も神だけど。
327 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 02:12:53
神武は7人いて、そのうち6人が大国主に倒されたって説も聞いたことあるぞ。
それは酷い黒澤映画ですね
329 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 13:48:15
年代や後代の天皇とのつながりは置いといて、
とにかく北九州からやってきてやまとに入り、
そこで新しく娶った妻との間にもうけた子供を跡継ぎにした、
ということくらいは事実だろうか。
330 :
サガミハラハラ:2008/09/09(火) 14:26:30
確かにそのとおりです。
やまといりをして橿原で即位したのは、復元日本書紀紀年法によると、西暦131年秋年前期です。
331 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 10:04:31
>>330 他にも、
127年説(橋田慶造)
279年説、285年説(安本美典)
241年説(原田常治)
61年説(ポプラディア)
があるね。
332 :
日本@名無史さん:2008/09/22(月) 22:45:21
神武天皇=邇邇芸命
綏靖天皇=火遠理命
安寧天皇=鵜草葺不合命
大和に東征したのは神武天皇ではなくて懿徳天皇
なんてのはどうでござんしょ
333 :
日本@名無史さん:2008/09/22(月) 22:46:32
>>1 一応言っとくと、
天下ってきたのは神武天皇ではなくて邇邇芸命。
神武天皇は畿内へ東征した。
334 :
日本@名無史さん:2008/09/28(日) 23:01:26
ニニギ〜神武天皇、
それは筑紫倭王族にして、
国境管理長官的なもの。
独自に東方開拓隊を組織する。
>>331 181年説もあったな
八木なんとかってやつの
神武東征は日向が出発地になってるけど
あの日向は今の九州の日向なんだろうか?
東征ルートが一度九州の北へ上がってから戻ってきて瀬戸内海へ侵入してるよね
あれ少し変じゃないかね、実は古代に北九州のどこかに日向なる地域があってそこからというルートなのでは
337 :
日本@名無史さん:2008/11/26(水) 10:08:44
神武一行は夜、日本海側から山を越えて播磨に入った。
夜明けを迎えた時に神武が「明かしっ!」と言った所が今の兵庫県明石市。
338 :
日本@名無史さん:2008/11/28(金) 16:38:02
>>336 その場合は早良区日向峠が主流だね。
不思議なことに矢部村日向神を指摘する人間はほとんどいない。
339 :
日本@名無史さん:2008/12/07(日) 19:21:25
モデルの海老ちゃん
(宮崎県出身)をテレビで見たが
あの美貌はまさに天から
下されたものだろう。
エビ=夷は蛮族の証
341 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 20:16:38
現在の 私の編年
天皇 即位西暦 治世 増し 古事記
神武天皇 41年 19年間 57年
空白(タギシミコ) 3年間
綏靖天皇 63年 14年間 19年
安寧天皇 77年 11年間 27年
懿徳天皇 88年 5年間 30年
孝昭天皇 93年 26年間 57年
孝安天皇 119年 26年間 76年 119年 己丑年 古事記の干支の初め
孝霊天皇 145年 19年間 57年
孝元天皇 164年 19年間 38年
開化天皇 183年 5年間 55年
崇神天皇 188年 28年間 40年 230年 戊寅
垂仁天皇 216年 23年間 76年
景行天皇 239年 22年間 38年
成務天皇 261年 4年間 57年 267年 乙卯
仲哀天皇 265年 9年間 0年 274年 壬戌
神功皇后 274年 50年間 19年
応神天皇 324年 43年間 0年 366年 甲午
仁徳天皇 367年 33年間 54年 399年 丁卯
履中天皇 400年............................... 404年 壬申
342 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 20:24:53
日本書紀の暦法
書紀は太陰暦で読めるよう編纂されています。
是を正しい太陰暦に戻すには、
四分暦は、19年6940日を一つの単位として組み立てられている。
書紀の各天皇紀から、19年*n回の増しを差し引く。
これが基本、何人か二人で一つの暦となりますが、これは世継ぎが幼かった
為と思われます。
もうじき神武生誕二千年…
もう二千年過ぎかも?
やっぱ、邪馬台国と神武王朝は別だよなぁ・・・
344 :
日本@名無史さん:2008/12/23(火) 17:47:43
神宮皇后を3世紀の人物にするのは間違いだろう
345 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 21:05:25
2月11日age
346 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 22:22:26
建国おめでとうございます
347 :
日本@名無史さん:2009/05/03(日) 15:48:36
>>316 >磐余彦は兄の五瀬命らと船で東征に・・・・
東征進発時点の神武4兄弟の名前に含まれる地名は、ぞれぞれ何というのでしたっけ?
348 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 10:53:40
349 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 12:39:02
天皇家はタケルの男系かあ。昔愛知県に東海湖あり、伊勢湾台風水没点がほぼ古代温泉沸く海岸線で、タケルは海兵隊率い、アイヌ連合諏訪王家を北関東から千葉県まで追い散らしだ。三重県は海岸大和政権下だか、山手はタケル射るアイヌ連合。
350 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 12:45:30
末子正統の神武はそのタケルさんが手本にした。剣の神聖化も同じだね。東征将軍から男系皇統の本流に位置付けられるあたりもね。
351 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 18:41:30
恐縮ながら余談。神武は明らかに先祖天照崇拝天照神、神武に支配受ける三輪山出雲人は巨石信仰、神武に従う熊野物部も巨石信仰、神武先祖の人としての天照は、万物自然崇拝。
352 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 19:14:03
神武国営神宮は最近で、手本のタケルみると、平和将軍終結宣言で物部古地に剣置き、縁の天照祭る。タケル天皇家皇統決まり合祭。最近伊勢神宮の下部組織に熱田神宮の話ある。神武は三輪山出雲反発で神宮無理みたい。
353 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 19:31:52
武陽陰士っていうコテが文学板を荒らして困ってます。
どうにかして下さい。ちなみにあだ名は芋姉ちゃんw
354 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 20:22:07
天照の孫に出雲国造。その日向系で末の北島家は天皇家に出入りするので親戚では。天照のひ孫に隼人系南宮崎県民の吾平津姫出し。叔父に大和行くそこで大和出雲人の嫁もらう・子が陸軍物部祖。神武の宮崎の嫁の子が手研耳ですかあ・・
355 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 20:32:12
人としての天照の世界観 宗教は、天地創造主の天之御中主=伊勢神宮太一・北極星=江戸時代京都遠く三重県の神職免許出した伊勢吉田神道の北斗七星ー指し示す星。地上に投影降り立つ神が同一神の国之常立みたいよ。
356 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 20:44:05
臍の天之御中主決まりビッグバン、男女プラスマイナスエナ御産巣日と神産巣日二次元決まり、萌神の宇摩志葦芽彦、東西南北三次元決まり・・物理になりそうなので歴史ロマンにもどりましょ。
357 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 20:54:42
おいらの雑文章、すでに大手出版社に提出してて著作権あるみたいで、よしなに。昭和神宮さあ、神武になるかタケルになるかね?
358 :
日本@名無史さん:2009/05/06(水) 11:28:23
神武手本のタケルの休戦ラインは、南北朝浪合村から飯田に大和政権の豪族派遣。四日市楠城主諏訪十郎は末で、今王家ゆかりは一般人中島さんに。タケル家来が開発森林丘陵地知多半島は、江戸常滑焼きの蒔きやタケルの進軍船り、倭姫の基地もありましたね。
359 :
日本@名無史さん:2009/05/06(水) 13:11:38
武陽陰士っていうコテが文学板を荒らして困ってます。
どうにかして下さい。ちなみにあだ名は芋姉ちゃんw
360 :
日本@名無史さん:2009/05/06(水) 15:29:32
神武の先祖天照信仰は、宮中の祭礼に残る、稲穂を米倉に太陽示す鏡置き感謝が神明造の元。天照正統神武は摂津大敗後、熊野からその太陽背に三輪山北進軍勝利に意味みる。御柱に通ず歴代天皇即位の秘宝館的秘儀。
361 :
日本@名無史さん:2009/05/06(水) 15:51:12
ちなみに蚕が宮中に入るのは、大陸奥地から王家ら建国の今の半島系ではない、稲田姫の大山系 大山見 大山昨子孫が高槻に定住し、上流で全国の秦をまとめた松尾秦に官位与え、養蚕で国を豊かにしたあの天皇以降ですね。
神武=崇神=応神て同一人物なの?
それとも、違う王朝の創始者なの?
363 :
日本@名無史さん:2009/05/06(水) 16:24:44
初期天皇は実在説と非実在が混在してて今も決着がついてない
でも継体前で切れて、継体を踏まえて欽明朝が実質的出発点ではないの?
366 :
日本@名無史さん:2009/05/07(木) 10:12:19
今の時代ですから、考古学的裏付けないと、国民は納得しませんが、三者は客観的5W1Hでも別もの。歌舞伎襲名の様に寿命の長さは名跡襲名では、明治になり天皇数が増えたりはよくあります。
367 :
日本@名無史さん:2009/05/07(木) 10:34:33
タケルの男系に、皇統つなぐ場合に似てますが。武烈の男系の皇統は、武烈の姉が皇后として、遠地の親王男系の皇太子誕生させて、古代の神武や祟神らとつながっているようです。
368 :
日本@名無史さん:2009/05/07(木) 10:42:23
都心から離れた旧皇族の東久邇や竹田の男系に、武烈が内乱初め、例えば天皇家の皇女にその男系旧皇族とに皇太子誕生みる形ですね。
369 :
日本@名無史さん:2009/05/07(木) 11:38:09
最近の男系旧皇族復活論議や、幕末の水戸徳川による親王家中川宮天皇に即位の動きなど。中川宮は、伏見帝祖の男系伏見宮家は650年天皇家の血縁なく、純系保つ家柄で、それに比べれば男系皇統タケルも継体も短いのかも。
370 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 14:32:55
>>347 4兄弟の名は、五瀬、稲飯、三毛野、狭野だね。稲飯命以外は比定地名が
南部九州にあるのじゃなかったかな?
天皇家先祖は北部九州に上陸(降臨)後、サヌの親世代までに南部九州に移住した?
>>362 崇神は東征とかやってないだろうし、崇神=応神も無いな・・・
373 :
宇陀古代史:2009/05/21(木) 09:46:13
374 :
soopllofeiv:2009/06/21(日) 19:41:52
低能平下「今日から日本は絶対王政&天皇主体主義になります」
過去"俺は神だ!"という天皇がシタ事象
ゼロ戦に人を乗せ敵国の兵器にブツケル策(何故 自決行為が"神風"なのか?)
魚雷に人を乗せ敵国の戦艦にブツケル策(人間魚雷 回天)
大和は戦闘機が殆どナイ状態で戦地に赴いた・・・
(戦艦は不動の物で"飛行機が護衛"でツカナケレバ運用価値はナイ)
終局マジカの日本の戦闘機と戦艦が燃料に使用した物
当時国は 広島&長崎の原爆投下を隠してイタ
在日朝鮮人を従軍慰安婦として戦地に派遣・731部隊は瀬戸内海で人体実験(朝鮮人で)
集団自決と食人をシナガラ日本に逃げる旧日本軍南方戦線部隊(奥崎謙三氏談)
1972年マデ日本で無かった那覇
375 :
おおひるめのむち:2009/07/06(月) 11:00:26
俺は天皇の中では、垂仁天皇が一番好きだぜ。
垂仁天皇本人のことも好きだし、その周りの人たちも好きだぜ。
特に好きなのは、田道間守の話だぜ。
天皇は殉死を禁止したのにもかかわらず、
田道間守は自ら命を絶ってしまったという、なんという・・・
みなさんは、常世の国とはどこのことだと思いますか?
376 :
おおひるめのむち:2009/07/06(月) 11:03:18
俺は妄想の世界ならば、不老不死の世界だと思います。
@俗人の行けるところではないということ
A非時香菓を採って帰って来た時には、
天皇は亡くなっていた(天皇の命が残り少ないので、採りに行かせた的な意味で)
、という2つの理由からそう思うのです。
377 :
おおひるめのむち:2009/07/06(月) 11:06:22
現実的に考えるのならば、半島のどこかだと思います。彼の祖先の
故郷の新羅なのか、仲良くしていた百済かどこかだと思います。
この考えをする場合、「味方の国に助けを求めた」と俺は考えてしまうのです。
非時香菓は例えで実際は戦力だとか医術や何かの技術を意味してるのではないかと
思います。なぜ非時香菓なのかと言うと、その実がレアからです。
追い求めていたそのものもきっと、珍しいものではなかったのでしょうか。
なぜ助けを求めたか?みぞうゆうの天災が起きたとか、
大戦争が起こりそうとか、疫病が再度蔓延し始めたとか
そんな感じではないでしょうか?助けを求めたのならば、
新羅に行くといくことは考えにくいですかね。
だって、新羅とは仲悪いし。
378 :
おおひるめのむち:2009/07/06(月) 11:07:14
でも、旅から帰ってたら、天皇がすでに亡くなっていた
ということを考えると、天皇は不治の病にかかっていて、
それで万能薬を求めさせたのか、
ただ単に不老不死になりたかったのか、
重要なプロジェクトの途中だったから、少しでも長生きして
それが完成のを見届けたかったのか。
379 :
おおひるめのむち:2009/07/06(月) 11:08:18
個人的には、田道間守が非時香菓を採りに行く旅を
詳しく見てみたいところです。どんな困難があったのか?
常世の国へはどうやっていったのか?
そこで女神や悪しき神などに出会ったりしたのか?
380 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 13:50:27
カムヤマトイワレビコスメラミコトはヘブライ語で、サマリアの王、ヤハウェのヘブライ民族の高尚な創設者、という意味です
381 :
おおひるめのむち:2009/07/06(月) 14:02:23
ニニギ降臨やヤマトタケルらがどこかに行く際、
何かしらのアイテムを授けられていた。ニニギであればお供の者とか、
ヤマトタケルであれば、草薙の剣だとか。
田道間守も出発の際、何かを授けられたかも。いや、そのはずだ。
記紀にはくわしく載っていなかったが、なにかしらあるだろう。
彼の旅を助けた何かがあるはず。それを知りたい。
今年は垂仁天皇陵に行ってみようかな
382 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 20:08:26
垂仁天皇ファンとは
なかなかのレアマニアですな
383 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 21:31:14
>>375 常世国は燕の別称
常世氏
燕国王公孫淵の後裔と伝え、河内を本貫として赤染部(紅藍染に従事した品部)を掌る。
天平勝宝二年に赤染造広足、高麿ら24人が常世連姓を賜う。
常世国は燕国の別称にて多くは常世姓に改称するが、広足の系は節安に至り赤染連に復姓。
後裔の赤染時用の養女赤染衛門(実は平兼盛の娘)は藤原倫子に仕えたのち大江匡衡に嫁すが、
女流歌人として著名でまた「栄華物語」の作者と伝えられる。
娘の江侍従も歌人で後拾遺和歌集以下の勅撰集に和歌が収められている。
384 :
日本@名無史さん:2009/07/07(火) 03:22:47
神武天皇=日向御子=大田田根子
らしいですよ。
神武天皇が約前600年より前にいたって説はある?
何か皇室は3000年続いてるとか聞いたんだけどそれはないよな?
386 :
soopllofeiv:2009/07/18(土) 17:56:53
以上 まんが日本昔ばなしでした・(”
387 :
國學院大學卒:2009/07/26(日) 18:36:21
神武天皇も崇神天皇も
「ハツクニシラススメラミコト」という称号だから
二人は同一人物で
神武天皇はいなかったという説。
よく見ると漢字が全然違うのに
勝手に「ハツクニシラススメラミコト」
と同じ読みをしているだけ。
かりに同じ読みとしても
漢字が全然違うので
意味が全く異なる。
同一人物ではない。
389 :
日本@名無史さん:2009/07/26(日) 23:44:10
asano&wasizaki(反日工作員で仄めかし要員)がオレのメールアドレス(
[email protected] )
を無断使用しメール送信していた時期があります
ぜったいに 許せません
G oo gle 検索→ 告白2【誰?】【創価】【在日特権】【緒方県】
ココも 読んどいて↑
390 :
h:2009/07/30(木) 21:59:02
書き込みが無いな
391 :
日本@名無史さん:2009/07/31(金) 10:48:44
架空の人物は人気が無い
392 :
日本@名無史さん:2009/07/31(金) 22:35:23
393 :
日本@名無史さん:2009/08/01(土) 12:57:24
>>392 だよな。日本語における漢字表記の幅も知らねーんだからw
バカまるだし
394 :
日本@名無史さん:2009/08/04(火) 05:42:14
>>220 嘘ばっかり!
神功皇后は、
新羅に行きたい、新羅に行きたいとばかり言っていたわ。
新羅が大好きだった!
395 :
日本@名無史さん:2009/08/04(火) 15:42:05
とりあえずスレタイ面白い。
>>394 お前は何だ?
日本語で。
征服したいんだから好きなのか…?
396 :
日本@名無史さん:2009/08/04(火) 20:25:32
つうか【元祖天下り】ならニニギだろと・・・
そりゃそーだがマジレスはなしよ〜。
398 :
おおひるめのむち:2009/08/05(水) 21:08:03
ニニギの前にニギハヤヒが一番に天下りしたって言うことだけど、
日本書紀には詳しくは書かれてないね。
>>385 本年は皇紀2668年、即ち神武即位から2668年目なので、3000年は
あと332年後ですね。天皇家の男系子孫が絶滅しなければの話ですが。
>>372 >崇神は東征とかやってないだろう・・・・
おいおい、記紀によれば親征はしていないが、四道将軍に平定を指令している。
東方には従兄弟にあたる武渟川別等を派遣している。
そもそも神武=崇神説は、天皇家の始祖の功業をこの2人に分割投影表記した
という説なのだから、どちらが何を遂行したかは意味がないがね。
>>387 >漢字が全然違うので意味が全く異な・・・
おやおや、本当に國學院大學卒なのかね?古代日本では、漢字は本来の表意でなく表音文字
即ち当て字として使われていたことを、学ばなかったのかね。例えば神武后は蹈鞴五十鈴媛
とか多多良伊須須岐比売とか書かれて表記は一定していない。
404 :
名無しさん名無しさん:2009/12/17(木) 20:00:14
騎馬民族説ね・・・
あったねそんなのが
箸墓古墳が卑弥呼の墓ならば、
ヤマトトトヒモモソ媛命が卑弥呼と同一人物となり、
だとしたら、彼女が生存中のイニエ命(崇神天皇)の立場は
正当な倭王ではなく、それを補佐する最高権力者だったことになる。
つまり、卑弥呼のいた当時、倭国には、
宗教上の最高権威者と、政治上の最高権力者がいて
崇神天皇も、大叔母のモモソ媛命の存命中は
政治上の最高権力者であっても、宗教上の最高権威者ではなかったことになる。
崇神天皇が、神武天皇とは別のもう一人の初代天皇といわれるのは
日本書紀によると、モモソ媛命の死後の直後のことである。
大国主と天照を宮中から余所に移したのが崇神なんだよな
卑弥呼がモモソだとするとこれが何を意味するのか
>>405 そうなると、
祟神天皇=卑弥呼の弟のヒミココという可能性も出てくるかな?
関裕二さんによると、
初期の天皇は祭祀王としての色が強かったと言ってるよ。
大和の呪いを解くために招かれた出雲の元大王だったそうだ。
"すじん"って祟る神って書くでしょ?
410 :
日本@名無史さん:2010/01/06(水) 22:45:28
>>310 > 孝安は帥升というのは間違いだと想う。
同意する
411 :
日本@名無史さん:2010/01/10(日) 22:24:55
3男・神武の兄の十数目代子孫 →→→ 卑弥弓呼=熊そなどを従えた 日向く王
・・・だからなんだというのですか?
>>407 関ユウジって、あのトンデモの関ユウジ?
57年の奴国とか、107年の師升ってのは、
基本的に、近畿を中心とした中央政界と関係ないでしょう。
この時期は、倭国全国は内乱状態で
近畿地方は、九州における統制力を喪失していたんじゃないのか?
おそらく、2世紀中ごろの倭国大乱以前にも
大きな内乱があったのでは?という考古学者もいる。
一つは、出雲国譲り、
そして、もう一つは、ナガスネ日子の反乱と神武東征
覆されるか「日本書紀」(2)−「聖徳太子はいなかった」説はホントなのか
◆ 作家・足立倫行/日本書紀、聖徳太子(厩戸皇子)、帝国書院
週刊朝日(2009/11/20), 頁:106
「聖徳太子」の誕生 (歴史文化ライブラリー) (単行本)
大山 誠一 (著)
出版社: 吉川弘文館 (1999/04)
覆されるか「日本書紀」(3)/大化改新の「真相」は?
誌名 : 週刊朝日 [ 2009年11月27日号]
ページ : 34
発売日 : 2009年11月17日
カテゴリ : 社会
キーワード : 作家・足立倫行/日本書紀 、 甘樫丘東麓遺跡 、 蘇我入鹿
キーワード2 : NHKスペシャル「大化改新・隠された真相〜飛鳥発掘調査報告」 、 考古学者・猪熊兼勝 、 飛鳥大仏他
記事の扱い : 特集記事など3頁以上
Webページを検索 作家・足立倫行/日本書紀
甘樫丘東麓遺跡
蘇我入鹿
NHKスペシャル「大化改新・隠された真相〜飛鳥発掘調査報告」
考古学者・猪熊兼勝
飛鳥大仏他
419 :
日本@名無史さん:2010/01/17(日) 07:29:23
>57年の奴国とか、107年の師升ってのは、
基本的に、近畿を中心とした中央政界と関係ないでしょう。
そんな感じだね。
すいしょうの件は卑弥呼が倭の王様を勝手に名乗ったんでしょ?
なこくは福岡だっけ?
俺も卑弥呼の時代の邪馬台国は近畿とは関係ないと思ってるよ
421 :
日本@名無史さん:2010/01/18(月) 21:18:51
でも邪馬台国は近畿のマキムクになったような感じになってきたなあ。
422 :
日本@名無史さん:2010/01/18(月) 21:42:05
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm 小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
423 :
日本@名無史さん:2010/01/21(木) 22:00:56
紀伊半島に入ってからは明らかに別人の話。
425 :
日本@名無史さん:2010/02/17(水) 19:59:42
>>423 > 紀伊半島に入ってからは明らかに別人の話。
だろうか?
ナウシカに出てきたな
test
>>417 >>712 アマテラス=元明天皇(天智天皇の四女/持統天皇の子である草
壁皇子の妻)
アメノホシオミ=文武天皇(持統天皇の孫/草壁皇子と元明天皇
の子)
タカムスビ=藤原不比等
タクハチチヒメ=宮子(不比等の娘)
ニニギ=首(おびと)皇子(聖武天皇/文武天皇と宮子の子/不比
等の孫)
『神々の体系』(中公新書)より
日本神話が、なぜ天子降臨ではなく、天孫降臨とならなければな
らなかったのか、この対応表でよくわかります。
不比等は、自分の血が入った天皇を自分の手で生みださなけれ
ばならなかった、と。それが孫の聖武天皇として実現しました。
ttp://www.uedam.com/huhito.html
430 :
日本@名無史さん:2010/03/05(金) 08:58:53
藤原不比等は中途半端に過大評価されていると思う。
431 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 16:04:52
饒速日の元に婿入りしたのが日向御子=大田田根子だろう。
つまり、大物主の称号が饒速日から大田田根子に移ったのである。
本来、「大物主」こそが大和の支配者であった。
次に大物主の元に婿入りしたのが崇神なのだ。
その後も、多くの氏族から婿を迎え、国は統合されて行った。
時は流れ、パワーバランスは崩れ、ある一族が主導権を握る。
彼等は「天皇」を名乗り、そして、歴史は書き換えられた。
抹殺すべきは、石上と大神の歴史。それが真の国の始まり。
神武とは、日向御子=大田田根子を包み隠すベールなのだ。
432 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 16:49:57
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
433 :
日本@名無史さん:2010/03/09(火) 20:20:28
神武東征のルートは、実は真逆で
本当は征西だったって説があるんだけど、そこんところどうなんでしょうか?
神武天皇が海ルートで瀬戸内海を沿岸の征服を行い、その後
崇神天皇が陸ルートでの征服を行ったという二段構えの説です。
ソースは故・宮崎市定先生。
神宮皇后=卑弥呼としてる人です。
この説、だと南九州から出発してるくせに、なんでそのあと王朝の後継政権が
故地である南九州を征伐してるのか?という矛盾が晴れるんですけど。
クマソって明らかに異文化の種族っぽいし・・・
436 :
日本@名無史さん:2010/03/16(火) 01:33:28
記紀のどっちかで
クマソと大王家の家系がつながっていると書いていなかったか?
437 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 13:07:40
さあ。
438 :
日本@名無史さん:2010/04/02(金) 22:50:48
古代歴史に詳しいみんなに聞きたいんだけど
神武天皇って本当に架空の天皇?
それとも本当に存在していたの?
あとどうして神武天皇が初代の天皇になれたの?
どうやってなったの?
父親や祖父が初代にならなかったの?
今思うと他にも初代天皇になりたいって考えた人物が
いたかもしれないと思うんだけど・・・
古代日本歴史に詳しい皆 教えて!
439 :
日本@名無史さん:2010/04/06(火) 06:13:50
神武という名の初代が存在したかどうかは不明。
誰が本当の初代かはわからないが、いずれにせよ、初代は
婿入りしたのではないかと思われる。
つまり、イソノ王家の婿がマスオ天皇と名乗り、その子孫が
本家(イソノ家)を押し退けて権力を独占して行った。
440 :
日本@名無史さん:2010/04/06(火) 13:10:53
いや、その後マスオがツツモタセに捕まったんだよ
441 :
日本@名無史さん:2010/04/07(水) 16:06:59
この手の創作説って、つきつめていえばシオンの議定書みたく、
陰謀史観だよね。
442 :
日本@名無史さん:2010/04/07(水) 16:16:18
何もつきつめて言わなくても「陰謀があった」と言ってる
なんで「シオンの議定書」なんてわざわざ出してくるかな
面倒な人だね
443 :
日本@名無史さん:2010/04/07(水) 23:01:42
>>438 半ば架空だろうね、初代天皇ってのは後づけ。
大陸から宮崎に流れ着いた人達が、近畿に攻め込んでみたら、
実は牛耳ってるのが同じ民族だったんだよ。で、新たな首長に納まった、と。
追い出されたナガスネヒコが津軽に行ったとかって説があるらしいけど、
実際その後、東北から奥州藤原氏が出てくるわけでしょ。
青森では、アイヌ・東京で見られない遺伝子タイプの人が8%もいる。
宮崎には百済滅亡後、王が亡命してきたらしいし。
研究者の間ではもう、いろんなことが分かっているんだと思う。
公表されないだけで。
444 :
日本@名無史さん:2010/04/17(土) 16:50:33
>>438 >どうやってなったの?
>父親や祖父が初代にならなかったの?
君は小学生なのかな。松下幸之助翁が松下電器の社長にどうやってなったの?
何故松下幸之助翁の父親や祖父が松下電器の社長にならなかったの?と訊いて
いるわけなんだが。
【学問・文系】板には、オチンチンの毛が生えてから出入りしようね。
445 :
日本@名無史さん:2010/04/20(火) 01:29:20
田舎の一武将にすぎなかった家康が天下統一できたのは
その前に室町幕府があり、彼が信長、秀吉についたおかげであったように、
神武天皇の前にも統一国家の原型を作っていた人たちがいて、
それに天皇家が婿入りして天下統一を進めたのかもしれない。
神武が初代天皇ってのは後付けで、最初は彼も今の奈良県知事みたいな地位で
大和一国を治めるのが精一杯だっただろう。
本当の意味で初代天皇といえるのは畿内から外へ進出した崇神あたりからじゃないかな?
で、崇神も神武とは別の血筋の王朝ともいわれてるけどどうだろうね。
だから前王朝の故地である南九州を征伐できたのか?
446 :
日本@名無史さん:2010/04/20(火) 01:58:23
>大国主と天照を宮中から余所に移したのが崇神なんだよな
>卑弥呼がモモソだとするとこれが何を意味するのか
移されたのは天照だけです。倭大国魂神(大国主)は大和の地元民の神なので
天皇が手放すことは大和の支配を放棄することになるのでできません。
天照も皇祖神であれば祭政一致の当時においては簡単に手放せないはずでしたが、
崇神天皇を大国主の激しい勢い(地元民の抵抗)から助けてくれるだけの力はありませんでした。
そんな崇神天皇の窮地を救ってくれたのは大物主神でした。
それで天皇家は恩返しに自分の身内の女性に大物主を祭らせるか、大物主を祭る豪族に
身内の女性を嫁がせるかしたと考えられます。それがモモソヒメのお話ではないでしょうか。
447 :
日本@名無史さん:2010/04/20(火) 02:30:29
神武天皇のお話で不思議なのは長脛彦との決戦で
苦戦していたとき、天から金鵄が降りてきて天皇の弓先に止り
敵兵を幻惑させたので天皇が助かったって話。
聖書でエジプト兵に追い詰められたモーゼとヘブライ人の前で
紅海が割れた話に似ていると思う。
448 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/04/20(火) 08:50:21
1年中新聞、ニュース等を眺めていると、突然変異とかで金色の蛙だとかそう
いう珍しい色の動物が各地で稀に発見されて話題になることがある。
金鵄もそれで、絵画では鵄が金光を強力に八方に放って誇張されているようだが、
当時の実際ではうっすら金色がかった鵄が珍しいので吉兆と珍重されたの
だろう。そこらへんが現実だろうな。
449 :
日本@名無史さん:2010/04/20(火) 11:36:06
a
450 :
日本@名無史さん:2010/04/23(金) 12:29:37
>>447 馬ヤド皇子の話なんかもろ中東起源でしょ。
>>446 神武天皇と祟神天皇が違う血統だとすれば
天照を追い出したともとれますか?
452 :
日本@名無史さん:2010/04/23(金) 13:07:03
卑弥呼はモモソとは別人だと思うのだが。
女の子は誰でも素敵な魔法使い
454 :
日本@名無史さん:2010/05/15(土) 10:42:19
この人(神)の母親が住んでいた海神の国って朝鮮ですか?
455 :
日本@名無史さん:2010/05/15(土) 14:04:12
>>454 当時の朝鮮南部は倭人地帯だから、朝鮮南部の多島海か済州島あたりかもしれないが、
普通に考えれば瀬戸内海(淡路島のイザナギ、イザナミ神社付近)だろう。
保守
卑弥呼・トヨって偉大な女王だと思うのに、
親族がまったく不明なのはどうして?
かろうじて卑弥呼とトヨが関係ある程度の記述しかないってさ・・・
タカミムスビ=藤原不比等
ニギハヤヒ=大友皇子
神武=天武
ニニギ=首(おびと)皇子<聖武天皇>
> 2・漢書に漢の臣と記載された倭の5王を先祖から外すために、応神・・・・・・・継体・・天武 とした事
応神・<讃、珍、済、興、武>
継体(応神天皇5世の子孫)・・天武
466 :
事業仕分け:2010/05/28(金) 12:36:01
全国遊漁船業協会
そろそろ、マスコミでも取り上げて欲しい。
>>428-429 藤原不比等と奈良・飛鳥
http://fujiwara-fuhito.paslog.jp/category/94887.html 首皇子は13歳で立太子し、元明天皇退位の折は15歳だったが、
病弱であることを理由に即位していない。
代わりに登極したのが首の伯母であり、父・文武天皇の姉に
あたる元明天皇が中皇命(なかつすめらみこと)として即位
したのだが、おそらくは蘇我氏と藤原氏の対立があったのだ
ろう。
元正天皇は、諱を氷高皇女(ひだかのひめみこ)と言い、
即位時35歳の独身女性だったのである。
この皇女は美貌と知性で政務をこなし、果敢にも藤原氏に
挑んだ姫である。
しかし、結局は甥の首皇子が登極することは避けらず、
藤原氏の血筋による天皇・聖武天皇が誕生する。
>>415-417 >>461 「日本史教科書」再読ドリル/日本・天皇・元号・律令
誌名 : 週刊新潮 [ 2010年06月03日号] 発売日 : 2010年05月27日
キーワード : 小島毅・東京大学大学院准教授/遺唐使 、 歴史学者・吉田孝
キーワード2 : 網野善彦 、 倭国 、 推古天皇 、 大宝律令 、 大和朝廷 、 平城京
遣隋使・・・推古天皇より。600-618年 倭の五王上表より1世紀ぶり
『隋書』「東夷傳?國傳」の姓の阿毎はアメ、多利思北孤、の1回目は書紀に記述なし(煬帝激怒は2回目)
遣唐使・・・630-669天智8年。持統が、孫の文武天皇に譲位して、大宝2年(702年)に30年ぶりに再開。
この時から国号・日本を名乗る(それ以前は倭)
大宝元年に作られた律令が公布された年。律令は近江令、飛鳥浄御原令もあったが、大宝が本格
暦も連綿と続くのは大宝以降で、推古年は大化の改新への疑問とともに不確実。
こうしたことから大王と違う、初代の天皇が誰かと議論されている。
「日本史教科書」再読ドリル/教科書消えた「大和朝廷」
誌名 : 週刊新潮 [ 2010年06月10日号] 発売日 : 2010年06月03日
キーワード : 小島毅・東京大学大学院准教授/ヤマト政権 、 大和朝廷 、 倭
キーワード2 : 中国 、 聖徳太子「17条憲法」 、 吉田松陰
近年、学校の教科書では大和朝廷を「ヤマト政権」と表記している。大和朝廷の始まりがいつか不明だからである。
「ヤマト」というのは山の山処(ふもと)という意味であり、飛鳥は山に囲まれた土地
ヤマトは元は中国が当て字にした「倭」だったが、大宝律令でヤマトを66国の1つし、国名は全て二字にするよう決めた際、
元明天皇が「大倭」とし、「倭」を良い意味での「和」に変えて「大和」となった
後世の同じ時期に創作されたとみられる聖徳太子の17条憲法の1条目は「和を持って尊しと為す」であり、「和」の字には特別の思い入れが感じられる
「"大和"朝廷」が誕生したのはこの頃である
「0033」 論文 和、大和、日本、Japan−日本の国名についておさらいする(1)高野淳(たかのじゅん)筆 2009年5月14日
ttp://soejimaronbun.sakura.ne.jp/files/ronbun033.html
472 :
日本@名無史さん:2010/07/19(月) 22:04:48
保守
時代は神武天皇より、だいぶ後だけど、諡号が同じ、この人に最近興味ある。
北漢の初代皇帝劉崇(大漢神武皇帝)
北漢(ほくかん、951年 - 979年)は、中国の五代十国時代に山西省北部を支配した国。十国の一つ。
劉崇は後漢の高祖劉知遠の弟として生まれ、若くして飲酒と賭博を好み、顔に刺青を施して従軍していたと史書に記録されている。
北漢は国土が矮小であり民力も貧しかったが、後漢の復興を目標に活動した。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E5%B4%87 誤解されないように念を押しとくけど、日本の神武天皇より、ずっと後の時代の人。
日本書紀の記述に、神武天皇の部下の大久米が顔に刺青をしていたという記述があったり、
名前が同じでどちらも初代皇帝だったり、奇妙な一致点が多くて驚くけど、
日本の神武天皇の方が絶対先なんだよね。
709 :名無しさん@3周年:2010/07/20(火) 21:20:10 ID:pDc/AswO
ところで歴代の天皇は神武天皇が実際にいた人物であり
自分はその子孫であると信じてきたんだろうか?
もし神武が自分の先祖でもなく実在すらしなかったとすれば
自分が神武の子孫であると信じる天皇は馬鹿だということになるし
信じていないのに天皇をやめないとしたら天皇はいい人ではないという
ことになる。
??日本でOK
江戸時代ごろまで日本人は神を信じていたから
昔の天皇は素直に自分たちは神武天皇の子孫だと信じていたろうな。
しかし神の存在が信じられなくなった現代では
天皇が神武天皇の子孫のふりをして国民を騙している疑いもでてくる。
江戸時代はどうだろう
むしろ明治以降に天皇=神というある種の洗脳教育が行われたと
478 :
日本@名無史さん:2010/08/01(日) 10:02:04
>>476 継体天皇の子孫ではあるのだから問題はないかと。
479 :
日本@名無史さん:2010/08/01(日) 17:11:29
>>476 自分の先祖は神
それは思ってないだろうね
体のつくりから人生思い通りにならないところまで
天皇は庶民と何も変わらない
母親が庶民の出身という天皇までいたのに
千年以上前は神だったという説話があるんだ
といわれてもさすがに血が薄まり過ぎだろう
敗戦後に昭和天皇が人間宣言をしている
昭和天皇がすんなりそれを受け入れたのはいうまでもなく
天皇自身人間にほかならないことをわかっていたからだ
とにかく昭和天皇以降の天皇が神だといったことは一度もなく
現代の天皇は間違いなく人間だよ
480 :
日本@名無史さん:2010/08/01(日) 20:38:16
日韓併合はなかったことにしろと日本に押し付けてくる国のやつ
よりは日本人の方が遥かにまともだし、妄想史観で歴史を塗り替
えようとする連中よりも良心的なはずだな。
未来は変えられるが、過去の史実は変えられない。正確な検証を
願いたいものだ。史観なんてものは願望から来る妄想とは異なる
次元のものだろう。
多くの人間が『神である』と言えば、それは神なのです。
神とは生物学的に人間と異なる存在を意味するのではなく、
多数が神と認識することに意味があるわけ。
善人も悪人も、逆臣も忠臣も、みな本人がそう決めたのではなく、
周囲の人の評価なのです。
結局歴史とは、同世代または後世の人間の評価でしか無いのだから、
後世の我々が神でないと言えば、神ではないということです。
482 :
日本@名無史さん:2010/08/02(月) 00:54:17
日本の国譲り神話には興味深いものがある。
大和の神武天皇カンヤマトイワレヒコは、出雲の大国主オオクニヌシから
国譲りを受けたとされているからだ。
葦原中国である日本を治めていたのは、もともとオオクニヌシなのであるが
いつのまにか神武天皇の子孫とされる渡来人系の天皇家が、日本の主権を取ってしまった。
だから日本人には、皇室に対するモヤモヤとした違和感が残っているというわけだ。
483 :
日本@名無史さん:2010/08/04(水) 12:08:41
確実に実在だとされる天皇で1番古いのは仁徳天皇か?
>>482 オオクニヌシから国を譲られたのはオシホミミだよ。
485 :
日本@名無史さん:2010/08/19(木) 06:23:01
保守
486 :
日本@名無史さん:2010/08/21(土) 09:52:27
真面目に「天皇が渡来した可能性」とか語ろうとしても、
気持ち悪い書き込みで埋め尽くされるからな。
脅迫観念みたいなものでもあるのか?
487 :
日本@名無史さん:2010/08/21(土) 09:54:42
天皇のルーツを丹念に調べるのは日本の成り立ちを探るのに欠かせない。
488 :
日本@名無史さん:2010/08/21(土) 18:09:51
ウヨにとっては自らの存在意義を破壊されること。
可能性を語るといっても、文献上や考古学上の根拠が無きゃ語っても無意味だし。
490 :
日本@名無史さん:2010/08/21(土) 20:22:01
天孫降臨、神武 東征から先住民系ではないことは確実じゃないの?
縄文人みたいなのと戦ってるぞ。
491 :
日本@名無史さん:2010/08/21(土) 21:53:52
現役だから調べにくいんだよ。
神武が長脛彦に「天神の子は大勢いる」と言っているように
日本各地に神の子孫を称する人々がいたと思われる。
ニギハヤヒもそうだが、ニニギの天孫降臨神話は大陸からの人の渡来のほんの一例にすぎない。
神武東征の目的は物語上は争いのない平和な統一国家を作ることと設定されている。
戦う相手は主に支配層の豪族たちぐらいでなければならず、
仮に神武が土着の民の抵抗を受けたとしても
国の統治の正当性に関わるので堂々と書くことはできなかったはずだ。
〔熊野でその地の神が毒気を吐いて皇軍を苦しめたが、
夢で天照大神と武甕槌神を見た高倉下が天皇に剣を献上したら皇軍は助かったという。
これは熊野の人々の抵抗を静めた話を伏せて表現したのではないだろうか?〕
しかしこの時代にはとうに混血が進んだ後で神武も戦う相手も大きな違いはなかった
かもしれない。
493 :
日本@名無史さん:2010/08/21(土) 23:10:38
神武は先住民を攻撃しているものの、先発のニギハヤヒは先住民と仲良くやってたらしいからなあ。
二人(二集団)の渡来時期の違いか。
神武=天照
ニギハヤヒ=スサノオ&大国主(両者の折衷)
ナガスネヒコ=タケミナカタ
495 :
日本@名無史さん:2010/08/23(月) 09:05:07
ニニギの天孫降臨は神武から遡って一百七十九万二千四百七十余歳の昔っつーことになってるが
竹内文書とか馬鹿にできないくらい基地がってるな
509 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 22:50:20
>>この関連性はなんだ?
歴代君主―(春秋.呉クレ、句麗に音が近い)司馬遷の史記「呉太伯世家」
1,寿夢――(第19代、寿夢じゅぼう王、扶余系、高句麗、始祖,朱蒙に音が近い)
2,諸樊
3,余祭――(百済の王姓余と関連か?王子.余豊璋)
4,余昧――(百済の王姓余と関連か?)
5,僚
6,闔閭――(コウリョ、高麗、句麗、に音が近い)
闔閭の弟、夫概の後裔夫余を氏の説有り
風俗通に[呉公子夫概奔楚、余子在呉者、因以為氏焉]
7,夫差――(夫概、夫余氏と関連か?)
510 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 22:51:25
司馬遷の史記「呉太伯世家」(紀元前585年頃 − 紀元前473年)【天皇紀2600年に近い?】
[魏略]の逸文注1)の【その旧語を聞くに、自ら太伯のすえという】
晋朝注2)の史書[晋書][梁書]の倭人伝中の【自ら太伯の後と謂う】
呉は西暦前473年に滅亡。越は呉の後を追い都を山東半島の根本の琅邪(徐福の出地)
に移します。しかしこの越も西暦前334年に楚に滅ぼされます。
*この頃より九州北部「吉武高木遺跡」に三種の神器を持った王が現る。
*始皇帝本紀には「楚国、越国を滅ぼす」、始皇帝の『越絶書』には
「外越と内越がある」と書いてある。内越とは中国大陸にいる越で、
外越は会稽の東海の彼方にいる越で、交流を絶つべしと命ずる。