448 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/04/20(火) 08:50:21
1年中新聞、ニュース等を眺めていると、突然変異とかで金色の蛙だとかそう
いう珍しい色の動物が各地で稀に発見されて話題になることがある。
金鵄もそれで、絵画では鵄が金光を強力に八方に放って誇張されているようだが、
当時の実際ではうっすら金色がかった鵄が珍しいので吉兆と珍重されたの
だろう。そこらへんが現実だろうな。
449 :
日本@名無史さん:2010/04/20(火) 11:36:06
a
450 :
日本@名無史さん:2010/04/23(金) 12:29:37
>>447 馬ヤド皇子の話なんかもろ中東起源でしょ。
>>446 神武天皇と祟神天皇が違う血統だとすれば
天照を追い出したともとれますか?
452 :
日本@名無史さん:2010/04/23(金) 13:07:03
卑弥呼はモモソとは別人だと思うのだが。
女の子は誰でも素敵な魔法使い
454 :
日本@名無史さん:2010/05/15(土) 10:42:19
この人(神)の母親が住んでいた海神の国って朝鮮ですか?
455 :
日本@名無史さん:2010/05/15(土) 14:04:12
>>454 当時の朝鮮南部は倭人地帯だから、朝鮮南部の多島海か済州島あたりかもしれないが、
普通に考えれば瀬戸内海(淡路島のイザナギ、イザナミ神社付近)だろう。
保守
卑弥呼・トヨって偉大な女王だと思うのに、
親族がまったく不明なのはどうして?
かろうじて卑弥呼とトヨが関係ある程度の記述しかないってさ・・・
タカミムスビ=藤原不比等
ニギハヤヒ=大友皇子
神武=天武
ニニギ=首(おびと)皇子<聖武天皇>
> 2・漢書に漢の臣と記載された倭の5王を先祖から外すために、応神・・・・・・・継体・・天武 とした事
応神・<讃、珍、済、興、武>
継体(応神天皇5世の子孫)・・天武
466 :
事業仕分け:2010/05/28(金) 12:36:01
全国遊漁船業協会
そろそろ、マスコミでも取り上げて欲しい。
>>428-429 藤原不比等と奈良・飛鳥
http://fujiwara-fuhito.paslog.jp/category/94887.html 首皇子は13歳で立太子し、元明天皇退位の折は15歳だったが、
病弱であることを理由に即位していない。
代わりに登極したのが首の伯母であり、父・文武天皇の姉に
あたる元明天皇が中皇命(なかつすめらみこと)として即位
したのだが、おそらくは蘇我氏と藤原氏の対立があったのだ
ろう。
元正天皇は、諱を氷高皇女(ひだかのひめみこ)と言い、
即位時35歳の独身女性だったのである。
この皇女は美貌と知性で政務をこなし、果敢にも藤原氏に
挑んだ姫である。
しかし、結局は甥の首皇子が登極することは避けらず、
藤原氏の血筋による天皇・聖武天皇が誕生する。
>>415-417 >>461 「日本史教科書」再読ドリル/日本・天皇・元号・律令
誌名 : 週刊新潮 [ 2010年06月03日号] 発売日 : 2010年05月27日
キーワード : 小島毅・東京大学大学院准教授/遺唐使 、 歴史学者・吉田孝
キーワード2 : 網野善彦 、 倭国 、 推古天皇 、 大宝律令 、 大和朝廷 、 平城京
遣隋使・・・推古天皇より。600-618年 倭の五王上表より1世紀ぶり
『隋書』「東夷傳?國傳」の姓の阿毎はアメ、多利思北孤、の1回目は書紀に記述なし(煬帝激怒は2回目)
遣唐使・・・630-669天智8年。持統が、孫の文武天皇に譲位して、大宝2年(702年)に30年ぶりに再開。
この時から国号・日本を名乗る(それ以前は倭)
大宝元年に作られた律令が公布された年。律令は近江令、飛鳥浄御原令もあったが、大宝が本格
暦も連綿と続くのは大宝以降で、推古年は大化の改新への疑問とともに不確実。
こうしたことから大王と違う、初代の天皇が誰かと議論されている。
「日本史教科書」再読ドリル/教科書消えた「大和朝廷」
誌名 : 週刊新潮 [ 2010年06月10日号] 発売日 : 2010年06月03日
キーワード : 小島毅・東京大学大学院准教授/ヤマト政権 、 大和朝廷 、 倭
キーワード2 : 中国 、 聖徳太子「17条憲法」 、 吉田松陰
近年、学校の教科書では大和朝廷を「ヤマト政権」と表記している。大和朝廷の始まりがいつか不明だからである。
「ヤマト」というのは山の山処(ふもと)という意味であり、飛鳥は山に囲まれた土地
ヤマトは元は中国が当て字にした「倭」だったが、大宝律令でヤマトを66国の1つし、国名は全て二字にするよう決めた際、
元明天皇が「大倭」とし、「倭」を良い意味での「和」に変えて「大和」となった
後世の同じ時期に創作されたとみられる聖徳太子の17条憲法の1条目は「和を持って尊しと為す」であり、「和」の字には特別の思い入れが感じられる
「"大和"朝廷」が誕生したのはこの頃である
「0033」 論文 和、大和、日本、Japan−日本の国名についておさらいする(1)高野淳(たかのじゅん)筆 2009年5月14日
ttp://soejimaronbun.sakura.ne.jp/files/ronbun033.html
472 :
日本@名無史さん:2010/07/19(月) 22:04:48
保守
時代は神武天皇より、だいぶ後だけど、諡号が同じ、この人に最近興味ある。
北漢の初代皇帝劉崇(大漢神武皇帝)
北漢(ほくかん、951年 - 979年)は、中国の五代十国時代に山西省北部を支配した国。十国の一つ。
劉崇は後漢の高祖劉知遠の弟として生まれ、若くして飲酒と賭博を好み、顔に刺青を施して従軍していたと史書に記録されている。
北漢は国土が矮小であり民力も貧しかったが、後漢の復興を目標に活動した。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E5%B4%87 誤解されないように念を押しとくけど、日本の神武天皇より、ずっと後の時代の人。
日本書紀の記述に、神武天皇の部下の大久米が顔に刺青をしていたという記述があったり、
名前が同じでどちらも初代皇帝だったり、奇妙な一致点が多くて驚くけど、
日本の神武天皇の方が絶対先なんだよね。
709 :名無しさん@3周年:2010/07/20(火) 21:20:10 ID:pDc/AswO
ところで歴代の天皇は神武天皇が実際にいた人物であり
自分はその子孫であると信じてきたんだろうか?
もし神武が自分の先祖でもなく実在すらしなかったとすれば
自分が神武の子孫であると信じる天皇は馬鹿だということになるし
信じていないのに天皇をやめないとしたら天皇はいい人ではないという
ことになる。
??日本でOK
江戸時代ごろまで日本人は神を信じていたから
昔の天皇は素直に自分たちは神武天皇の子孫だと信じていたろうな。
しかし神の存在が信じられなくなった現代では
天皇が神武天皇の子孫のふりをして国民を騙している疑いもでてくる。
江戸時代はどうだろう
むしろ明治以降に天皇=神というある種の洗脳教育が行われたと
478 :
日本@名無史さん:2010/08/01(日) 10:02:04
>>476 継体天皇の子孫ではあるのだから問題はないかと。
479 :
日本@名無史さん:2010/08/01(日) 17:11:29
>>476 自分の先祖は神
それは思ってないだろうね
体のつくりから人生思い通りにならないところまで
天皇は庶民と何も変わらない
母親が庶民の出身という天皇までいたのに
千年以上前は神だったという説話があるんだ
といわれてもさすがに血が薄まり過ぎだろう
敗戦後に昭和天皇が人間宣言をしている
昭和天皇がすんなりそれを受け入れたのはいうまでもなく
天皇自身人間にほかならないことをわかっていたからだ
とにかく昭和天皇以降の天皇が神だといったことは一度もなく
現代の天皇は間違いなく人間だよ
480 :
日本@名無史さん:2010/08/01(日) 20:38:16
日韓併合はなかったことにしろと日本に押し付けてくる国のやつ
よりは日本人の方が遥かにまともだし、妄想史観で歴史を塗り替
えようとする連中よりも良心的なはずだな。
未来は変えられるが、過去の史実は変えられない。正確な検証を
願いたいものだ。史観なんてものは願望から来る妄想とは異なる
次元のものだろう。
多くの人間が『神である』と言えば、それは神なのです。
神とは生物学的に人間と異なる存在を意味するのではなく、
多数が神と認識することに意味があるわけ。
善人も悪人も、逆臣も忠臣も、みな本人がそう決めたのではなく、
周囲の人の評価なのです。
結局歴史とは、同世代または後世の人間の評価でしか無いのだから、
後世の我々が神でないと言えば、神ではないということです。
482 :
日本@名無史さん:2010/08/02(月) 00:54:17
日本の国譲り神話には興味深いものがある。
大和の神武天皇カンヤマトイワレヒコは、出雲の大国主オオクニヌシから
国譲りを受けたとされているからだ。
葦原中国である日本を治めていたのは、もともとオオクニヌシなのであるが
いつのまにか神武天皇の子孫とされる渡来人系の天皇家が、日本の主権を取ってしまった。
だから日本人には、皇室に対するモヤモヤとした違和感が残っているというわけだ。
483 :
日本@名無史さん:2010/08/04(水) 12:08:41
確実に実在だとされる天皇で1番古いのは仁徳天皇か?
>>482 オオクニヌシから国を譲られたのはオシホミミだよ。
485 :
日本@名無史さん:2010/08/19(木) 06:23:01
保守
486 :
日本@名無史さん:2010/08/21(土) 09:52:27
真面目に「天皇が渡来した可能性」とか語ろうとしても、
気持ち悪い書き込みで埋め尽くされるからな。
脅迫観念みたいなものでもあるのか?
487 :
日本@名無史さん:2010/08/21(土) 09:54:42
天皇のルーツを丹念に調べるのは日本の成り立ちを探るのに欠かせない。
488 :
日本@名無史さん:2010/08/21(土) 18:09:51
ウヨにとっては自らの存在意義を破壊されること。
可能性を語るといっても、文献上や考古学上の根拠が無きゃ語っても無意味だし。
490 :
日本@名無史さん:2010/08/21(土) 20:22:01
天孫降臨、神武 東征から先住民系ではないことは確実じゃないの?
縄文人みたいなのと戦ってるぞ。
491 :
日本@名無史さん:2010/08/21(土) 21:53:52
現役だから調べにくいんだよ。
神武が長脛彦に「天神の子は大勢いる」と言っているように
日本各地に神の子孫を称する人々がいたと思われる。
ニギハヤヒもそうだが、ニニギの天孫降臨神話は大陸からの人の渡来のほんの一例にすぎない。
神武東征の目的は物語上は争いのない平和な統一国家を作ることと設定されている。
戦う相手は主に支配層の豪族たちぐらいでなければならず、
仮に神武が土着の民の抵抗を受けたとしても
国の統治の正当性に関わるので堂々と書くことはできなかったはずだ。
〔熊野でその地の神が毒気を吐いて皇軍を苦しめたが、
夢で天照大神と武甕槌神を見た高倉下が天皇に剣を献上したら皇軍は助かったという。
これは熊野の人々の抵抗を静めた話を伏せて表現したのではないだろうか?〕
しかしこの時代にはとうに混血が進んだ後で神武も戦う相手も大きな違いはなかった
かもしれない。
493 :
日本@名無史さん:2010/08/21(土) 23:10:38
神武は先住民を攻撃しているものの、先発のニギハヤヒは先住民と仲良くやってたらしいからなあ。
二人(二集団)の渡来時期の違いか。
神武=天照
ニギハヤヒ=スサノオ&大国主(両者の折衷)
ナガスネヒコ=タケミナカタ
495 :
日本@名無史さん:2010/08/23(月) 09:05:07
ニニギの天孫降臨は神武から遡って一百七十九万二千四百七十余歳の昔っつーことになってるが
竹内文書とか馬鹿にできないくらい基地がってるな
509 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 22:50:20
>>この関連性はなんだ?
歴代君主―(春秋.呉クレ、句麗に音が近い)司馬遷の史記「呉太伯世家」
1,寿夢――(第19代、寿夢じゅぼう王、扶余系、高句麗、始祖,朱蒙に音が近い)
2,諸樊
3,余祭――(百済の王姓余と関連か?王子.余豊璋)
4,余昧――(百済の王姓余と関連か?)
5,僚
6,闔閭――(コウリョ、高麗、句麗、に音が近い)
闔閭の弟、夫概の後裔夫余を氏の説有り
風俗通に[呉公子夫概奔楚、余子在呉者、因以為氏焉]
7,夫差――(夫概、夫余氏と関連か?)
510 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 22:51:25
司馬遷の史記「呉太伯世家」(紀元前585年頃 − 紀元前473年)【天皇紀2600年に近い?】
[魏略]の逸文注1)の【その旧語を聞くに、自ら太伯のすえという】
晋朝注2)の史書[晋書][梁書]の倭人伝中の【自ら太伯の後と謂う】
呉は西暦前473年に滅亡。越は呉の後を追い都を山東半島の根本の琅邪(徐福の出地)
に移します。しかしこの越も西暦前334年に楚に滅ぼされます。
*この頃より九州北部「吉武高木遺跡」に三種の神器を持った王が現る。
*始皇帝本紀には「楚国、越国を滅ぼす」、始皇帝の『越絶書』には
「外越と内越がある」と書いてある。内越とは中国大陸にいる越で、
外越は会稽の東海の彼方にいる越で、交流を絶つべしと命ずる。