日本の支配階層は奈良百済人である! 

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1日本@名無史さん
伊達も北条も奈良百済人である藤原氏、源氏、平氏の末裔です。
2日本@名無史さん:2005/06/25(土) 06:04:04
正しいれしき認識ですね。
日本王室は韓国系。
3日本@名無史さん:2005/06/25(土) 06:27:02
王室だけではありません、国人、守護、地頭全部
奈良百済人の末裔です。
現代においても上層部はほぼ奈良百済人の末裔で独占されている。
4日本@名無史さん:2005/06/25(土) 07:00:35
同民族なら日韓併合は内政問題
半島を再び侵略しても無問題
(ノ゚Д゚)八(゚Д゜)ノイェー
5日本@名無史さん:2005/06/25(土) 07:50:56
金達寿の亡霊が立てたスレ
6日本@名無史さん:2005/06/25(土) 19:42:10
百済人の祖先が流し込まれた中国人の遺伝子なりハプロタイプなりが
日本人からほとんど見られないという現実。
7日本@名無史さん:2005/06/25(土) 20:10:35
三種の神器の中には朝鮮からの賜り物が在るらしいですね。
8日本@名無史さん:2005/06/25(土) 20:48:40
歴然たる事実です。
我々はこの事実を確かと受け止めることが必要です。
9日本@名無史さん:2005/06/25(土) 20:51:54
応神天皇やそれを祀った八幡神なども朝鮮由来でしょうね。
10日本@名無史さん:2005/06/25(土) 20:53:10
朝鮮人は根拠の無い話しか始めない馬鹿だから、
耳を貸してくれるのも朝鮮人みたいな馬鹿だけ。
11日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:00:34
住吉神も朝鮮由来の神様。
応神天皇とその母、神功皇后に仕えた武内宿禰も朝鮮系らしいし。

朝鮮人が大和民族を滅ぼしたと言う説もある。
12日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:02:26
神話板行け。
13日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:19:59
>朝鮮人は根拠の無い話しか始めない馬鹿だから、
>耳を貸してくれるのも朝鮮人みたいな馬鹿だけ。

そうそう。
根拠の全く無い嘘を100万回垂れ流して無知者を洗脳し、
嘘を事実にしてしまうのが朝鮮人のいつもの手口。

その代表的な例が、

「天皇は朝鮮人だが〜」「朝鮮人の天皇が〜」などと、
さも当たり前のように書く事で洗脳する。

これが大ホームランだった。
ほとんどの無知日本人は洗脳された。
14日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:21:36
まぁ今の半島民と古代百済人とは全く別の人種だけどね。
優秀な民族は日本で成功して、それ以外が半島で居残り今日の状態に成っている。
15日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:27:02
何だ。
やっぱり思いつきで出鱈目な事を書いてるだけだったか。
朝鮮人の言う事はいつも信用できないね。
16日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:28:21
朝鮮征伐行ってきまーす



⊂(゚д゚⊂⌒`つ≡≡≡3
17日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:31:10
>まぁ今の半島民と古代百済人とは全く別の人種だけどね。
>優秀な民族は日本で成功して、それ以外が半島で居残り今日の状態に成っている。


ちょうど良い朝鮮洗脳材料が出てきたね。

まず当時の百済人と今の半島人が別人種だというよく見る文章。
これにはなんの根拠もソースもない。
いつも同じ事を馬鹿みたいに叫び続けているだけ。

今の半島人も当時の百済人も、土着人が中国人と混血した
人種がベースである事には変わりは無いのだ。
18日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:34:57
>>17
>今の半島人も当時の百済人も、土着人が中国人と混血した

あとモンゴル人との混血な。
(焼肉文化もモンゴル経由の可能性が高いと思う)
19日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:35:02

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
20日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:39:04
現代日本人と現代朝鮮人の遺伝形質には大きな違いがある現実とは随分矛盾した妄説だな。
やはり朝鮮人は日本人と違って馬鹿だよな。
21日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:40:17
ま、いいんじゃない?今の朝鮮人は女真の子孫だし。
22日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:44:44
つまり、楽浪郡南部人、帯方郡人がのちの百済人となっていく訳で、

すでに当時の百済人は、

中国人から赤の南方モンゴロイド遺伝子afb1b3をたーっぷりと
注ぎ込まれた後の南方人化した人種だよ。

gm遺伝子
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
23日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:51:06
>あとモンゴル人との混血な。
>(焼肉文化もモンゴル経由の可能性が高いと思う)

これも良く見る朝鮮洗脳文だね。

これにもなんの根拠もソースもない。
いつも同じ事を馬鹿みたいに叫び続けているだけ。

日本人に最高頻度のハプロタイプとモンゴル人に高頻度の
ハプロタイプは一致するが、朝鮮人にはこのハプロタイプが
ほんのわずかしかないという現実。

モンゴル人は朝鮮人のルーツではないという科学的根拠である。
24日本@名無史さん:2005/06/25(土) 22:10:04
今の朝鮮人と百済観音などに見られる古代百済人とは顔の形が似ていない件について。
25日本@名無史さん:2005/06/25(土) 22:22:33
仏陀はアーリア人がモデル。
最初から朝鮮人には似てないよ。
26日本@名無史さん:2005/06/25(土) 22:25:17
鬼室の子孫って居るのかな
27日本@名無史さん:2005/06/25(土) 22:31:11
日本の支配階層で近畿に由来がない人を見つける方が困難。
遡れば9割以上近畿の豪族に行き着くという。
そしてその近畿の豪族は半島人と密接な血縁関係を持つ。
28日本@名無史さん:2005/06/25(土) 22:33:48
>近畿の豪族は半島人と密接な血縁関係を持つ。


で、そのソースは?
29日本@名無史さん:2005/06/25(土) 22:56:40
つーか扶余族じゃね?
百済も大和朝廷も高句麗の扶余氏の分派じゃね?
で倭人=新羅人だろう。
30日本@名無史さん:2005/06/25(土) 23:04:02
電波飛ばすなや。
31日本@名無史さん:2005/06/25(土) 23:10:45
>で倭人=新羅人だろう。

最初に渡来したいわゆる弥生人は新羅方面から来た弓月氏の一族
その弓月氏は弓月国(ユダヤ人国家)の末裔という説が有力らしい。
なんでも、始皇帝の万里の長城建設に嫌気がさして半島に逃げ込んだらしい
32日本@名無史さん:2005/06/25(土) 23:12:38
奈良時代、百済の文化、技術が勝っていた事は事実。
しかし、日本にはそこから大きく発展していく土台が在った。

後にこれが明治維新後の文明開化から戦後日本へと続く。
33日本@名無史さん:2005/06/25(土) 23:17:30
>>32
問題はそれだけに留まらない、日本各地に赴任した支配者は
全部ナラ人の末裔だ。大量繁殖したぞ。
34日本@名無史さん:2005/06/25(土) 23:33:48






百済人の祖先が流し込まれた中国人の遺伝子なりハプロタイプなりが
日本人からはほとんど見られないという現実。





35日本@名無史さん:2005/06/25(土) 23:37:06
なぜ、このいとも簡単な説があまり公になされないか?
それは現政権・支配層そのモノが百済貴族の直系だからであるwwwww
36日本@名無史さん:2005/06/25(土) 23:51:12
>>35
本当ですか?
歴史の真実を隠蔽している倭人はやっぱり糞だな。
37日本@名無史さん:2005/06/25(土) 23:59:54
少なくとも日本の名家と呼ばれる人達はどの経路図でも
ナラの貴族に繋がりますからね。
38日本@名無史さん:2005/06/26(日) 00:02:39
そもそも「貴族」と言う制度そのものが大陸からの輸入だろう。
39日本@名無史さん:2005/06/26(日) 00:05:27







百済人の祖先が流し込まれた中国人の遺伝子なりハプロタイプなりが
日本人にはほとんど見られないという現実。







40日本@名無史さん:2005/06/26(日) 00:25:44
尼崎JR脱線事故】「先進国とは思えない後進国的事故」「日本の自尊心も脱線」と韓国紙報道
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1114945561/l50

41日本@名無史さん:2005/06/26(日) 00:35:47
>>40
三豊百貨店崩壊事件(ソウル)
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Apricot/3495/projectk/pk45.html

パラオKBブリッジ(韓国製) 崩壊事件
http://www.asyura2.com/0406/idletalk10/msg/583.html
42日本@名無史さん:2005/06/26(日) 00:40:05
>>1
おまえに良いこと聞かせてある。
そういう捏造話をする必要も無くなるW
なぜなら、これから、朝鮮半島は中国に併合され
歴史の表舞台から消え去るW
そうすれば、日本に対して、劣等感を抱く必要もなくなってくる。
43日本@名無史さん:2005/06/26(日) 00:56:35
【共存】日本の中に在日国家を作ろう【共栄】
http://www.2ch.net/2ch.html

441:2005/06/26(日) 01:07:05
>>42
Wって特徴的ですねw
別に劣等感なんてありませんから、
科学的に検証しましょうよ。
45日本@名無史さん:2005/06/26(日) 01:11:51

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
46日本@名無史さん:2005/06/26(日) 01:13:02
楽浪郡南部人、帯方郡人がのちの百済人となっていく訳で、

すでに当時の百済人は、

中国人から赤の南方モンゴロイド遺伝子afb1b3をたーっぷりと
注ぎ込まれた南方人化した人種。

gm遺伝子
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
47日本@名無史さん:2005/06/26(日) 01:14:00

5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じで
ある。ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子
パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を
受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などに
よって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会
がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。

http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html

>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。

http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html
48日本@名無史さん:2005/06/26(日) 01:19:43
というか、たしか、朝鮮半島の史書で
新羅の何代目かの国王が倭人だったという記述があったはず。
ただ、その国王というのは、異国人だったので、
1代限りで国王の座から追われたはず。

古代中国の史書だと、倭人の風俗というのは
完全に、太平洋の島々の風俗を思わせるような記述だったと思われ。

朝鮮半島の場合、新羅は、倭国の影響下にあり、
百済は、中国の楽浪郡時代から影響で、中国の影響下にあったと思われる。

それが、新羅が強大化し、倭国の影響下から離れることにより、
倭国は百済を支援、逆に、中国が新羅を支援するようになる。

ちょうど、近代・現代の朝鮮半島情勢を見るような
展開が起こっていたと思われ。
491:2005/06/26(日) 01:20:05
それよりナラの貴族・武士が全国支配をする過程の方が重要だと思う。
50日本@名無史さん:2005/06/26(日) 01:21:37







百済人の祖先が流し込まれた中国人の遺伝子なりハプロタイプなりが
日本人にはほとんど見られないという現実。





51日本@名無史さん:2005/06/26(日) 01:27:40
>>48
神功皇后の三韓攻めの時代かな・・・
521:2005/06/26(日) 01:29:41
>古代中国の史書だと、倭人の風俗というのは

挿絵でも倭の五王時代の倭人と半島の人は全く異なって
描かれています。
本格的に百済半島系の支配が始まったのは奈良時代以降、
ナラ貴族・ナラ武士の全国支配が始まってからと思われます。
53日本@名無史さん:2005/06/26(日) 01:41:05
>>48

>古代中国の史書だと、倭人の風俗というのは
>完全に、太平洋の島々の風俗を思わせるような記述だったと思われ。

魏志倭人伝のことですね。
54日本@名無史さん:2005/06/26(日) 01:43:49
>>52
>本格的に百済半島系の支配が始まった

残念ながらそういう事実はございません。
風俗というか衣服が呉服になったのは、現代人の我々が西洋の支配を
受けていなくても洋服を着ているのと同じ理由です。
551:2005/06/26(日) 01:44:20
後漢書じゃないですか?
後漢書には日本の謎が隠されています。
56日本@名無史さん:2005/06/26(日) 01:45:26
>>55
後漢書は三国志の後に書かれています。
倭人についても、三国志を参考にしています。
571:2005/06/26(日) 01:53:12
どうもそのようですね、しかし、魏志倭人伝だけではなく
他の書物の記述もこの後漢書に編纂されたそうです。
58日本@名無史さん:2005/06/26(日) 02:08:55
>>52
あのさ、要するに奈良時代というのは
日本が中国との外交関係を積極的に
行うようになった時代なわけで。
そういう意味で、奈良時代というのは
中国様式の風俗になったわけで。

それと、百済移民でも百済王族なんかは偏狭へ流されている、
移民で優遇されたのは、大半が中国系の連中で、下級貴族としての採用。
百済遺臣の位置づけは、あくまでも貴族以下の位置づけ。
だから、桓武天皇の母親の出自が問題になったわけで。
桓武天皇の母親は、光仁天皇の側室(正妻ではない)で
身分が非貴族階級だった。

上位貴族というのは、皇別、藤原氏族、大伴氏族の独占で
最終的には、皇別と藤原氏族の独占になったわけで。
堂上華族の殆どが、藤原氏族と皇別。
59日本@名無史さん:2005/06/26(日) 02:13:59
だいたい、朝鮮半島で稲作が盛んだった地域と
小麦が盛んだった地域と境界線というのは
自然科学上の気候による緯度の境界線という指摘が高い。
よって、日本の稲作が、半島を横断して来たというよりも
長い時期を重ねて、気候の温暖な地域から北上していったという説が有力になっている。
つまり、半島南部の稲作というのは、日本から来ているわけで。
これは、自然科学的な面から考えてそうである。
60日本@名無史さん:2005/06/26(日) 02:16:16
百済帰化人が中国人の末裔にもかかわらず、日本人からは中国人に
多い遺伝子やらハプロタイプがほとんど出てこない。

つまり人口比からしたら半島帰化人はほんのごくわずかだったという
証左に他ならない。
611:2005/06/26(日) 02:24:06
>>58
確かに奈良時代は中国を意識し始めた時代ではあるよ。
しかし、その前の時代に半島系の人が相当混じっているでしょう?(日本書紀)

問題は彼らの子孫(奈良百済人)
がナラ時代に全国に広がったことだと言ってるんです。
62日本@名無史さん:2005/06/26(日) 02:29:34
奈良時代人のファッションセンスはけばけばしい原色志向で
半島の伝統衣装と同じだよ。
63日本@名無史さん:2005/06/26(日) 02:35:05
>>59
「幸せ」は「仕合せ」とも書くけれど、
実は、シアッ(朝鮮語で種)+ワセ(早稲)=種早稲
「メシの種が早く実る事」がシアワセなのだ。
64日本@名無史さん:2005/06/26(日) 02:35:39
>>61
全国に広がったといっても、
日本人のDNAを細かく調べると
ここ3000年ほどでも、殆ど混血の頻度は低い。
また、全国には土着の豪族の地盤も強いし、
彼らが重要な土地基盤を独占しているから
半島系の少数の移民にとっては、非常に辛い立場にある。
彼らが、日本人にとって奇異な文化資産を持っていただろうが、
それでも、政治的には弱小の存在でしかない。
だいたい、百済遺臣の末裔とか言うのが
九州の山奥とか東北の山奥に隔離されているんだわな。
そこからも、彼らの待遇が分かるでしょう?

たしか、源平合戦の頃、百済王の後裔とかいう人物が出てくる。
もちろん、彼は貴族や武家でもない。
651:2005/06/26(日) 02:36:05
全国の名家の家系は尽く奈良人に繋がるんですよ。
もう決定でしょ。
66日本@名無史さん:2005/06/26(日) 02:37:28
>>62 :日本@名無史さん :2005/06/26(日) 02:29:34
>奈良時代人のファッションセンスはけばけばしい原色志向で
>半島の伝統衣装と同じだよ。

あれは、どう考えても、中国式。
67日本@名無史さん:2005/06/26(日) 02:41:48
桓武天皇の妾は百済亡命人だらけ。
681:2005/06/26(日) 02:47:02
>>64
広島の大内氏ですか?
彼らは日本での百済人の地位が地に落ちてからの
帰化人でしょう。

691:2005/06/26(日) 03:01:10
訂正
大内が百済人の末裔であるというのは半島との交易を有利に進めるための
でっち上げだったという説もあり定かではない。
70日本@名無史さん:2005/06/26(日) 06:34:51
現政権、支配層がもしも本当に百済の末裔であるなら、
別にそれをコソコソ隠したりせずに堂々と言えば良い筈だ。
倭人とその末裔を恐れて、被支配層である倭人をいつまでも自称しなきゃならないのか?
そんな支配層が居る訳ないだろ。
朝鮮人というのは本当に馬鹿なんだな
71日本@名無史さん:2005/06/26(日) 06:37:46
1ひとりが馬鹿なだけでしょう。
72日本@名無史さん:2005/06/26(日) 06:46:16
朝鮮人には珍しくもない症例だよ。
矛盾だらけで根拠が無い妄説を信じ込んでる時点で、
朝鮮人には日本の支配層になる能力を持たない事が証明されている。
73日本@名無史さん:2005/06/26(日) 06:58:58
>>70
ばかだなぁ。
奈良百済人は君達のような下層民の倭人と違って慎み深いんだよ。
そんなことは世間のじょうきしだよ。
74日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:08:10
>>70-72
先ず、奈良人が支配階層であるという前提から日本史を検証してみましょう。
するとそのうち、それを否定する材料を見つける方が困難になる。
75日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:13:44
天孫民族と九州土民を一緒にしないでくれたまえ
76日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:17:19
慎み深いからといって自分の出自を偽る支配層が居る訳ないだろ。
支配層が出自を偽る時というのは、本当の出自を公表すると都合が悪い時だけだ。
倭人に対して百済人が出自を偽っているのは、日本国内では日本の属国である百済の血が下賎だからに過ぎない。
77日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:21:30
>>76
それは、百済が滅亡し百済の価値が地に落ち
朝鮮半島や日本で中国の権威が高まったせいじゃないでしょうか?
それ以前にすでに混血が進んだ奈良の人達はその出目を隠さざる
負えなかったのではないでしょうか?
78日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:24:24
平安貴族、関東武士、全国津々浦々の殿様のほとんど全てが
奈良出身であるという現実。
79日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:25:55
百済は倭の属国として朝貢したり王子を人質に送ったりしてるんだから、
日本における百済人の地位は最初から低いよ。
80日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:28:52
関東武士の先祖の多くが奈良出身かどうかはともかく、
奈良人は百済人じゃない
81日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:31:34
>>79
百済から受け入れた飛鳥文化は属国の文化だったと言い張るのですか?
82日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:33:16
そうそう。奈良人の多くは磯城津彦とか、土着奈良人の子孫。
83日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:36:38
とはいうものの、西日本人には稲作と共にやってきた半島人の血が多く混血している。
84日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:38:21
仮に百済人が日本の支配層になっていたと仮定するなら、
その時点で百済の血を隠し続ける理由が無くなる。
その頃には被支配層である倭人の血の方が下賎になる筈だからだ。

現代日本で支配層の殆ど全員が百済の末裔を自称していないというのは、
百済の血は下賎だというのが日本での現実だからだ。
85日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:46:44
日本と唐が書き記した歴史書によると、当時の百済は日本に服従していた事実を書き記してある。
因みに朝鮮半島には当時の書物が現存していない。
百済の文化は、まぎれもなく属国の文化だよ。
現代日本で例えたら、キムチやメッコールと同じようなものだ。
日本にキムチやメッコールが入って来たからと言って、
現代日本が朝鮮人の支配下にあると口走る奴は単に馬鹿なだけだ。
86日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:49:55
>>84
奈良の貴族にある程度百済の血が入っていることは歴史上の事実ですよ。
そして、関東・東北を支配した武士、開拓団のほとんどがこの奈良人です。
(もっというなら奈良人がそのまま関東人、東北人になったといえるのでは)
この歴史の事実を現政権支配層は積極的には伝えないでしょう?
その命題は根本から誤りだと思います。
87日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:52:01
>天皇以前はスメラミコトなどで、

以前ではない。天皇号と同時期、あるいは後の可能性すらある。
88日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:53:22
>現代日本で例えたら、キムチやメッコールと同じようなものだ。

大きな誤り、日本は文字から宗教、文化様式ありとあらゆるものを当時
百済から吸収したんだよ。
89日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:59:11
来日した百済人の総数は数千人程度に留まる。
その殆ど大多数は平民や奴卑扱いであり、
日本社会で支配層に入り込めた百済人というのはあくまで一握りの例外に過ぎない。
桓武天皇が嫡男でありながら最初は太子になれなかったのも、
生母の10代前の先祖が百済人だったからだ。
つまり日本では1024人の先祖の中に一人でも百済人が紛れ込んでいると問題になるくらいには百済の血が下賎だったんだよ。
90日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:00:01
>>88
同感。当時は百済が圧倒的文化先進国。倭は野蛮な軍事国家。何か今の日本と北の逆だな。
91日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:01:00
日本文化における百済経由の文化の比重なんてキムチ以下だよ。
92日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:03:16
>>89
>>91
もう、そこまでいうと逆効果、嘘くさいよ
93日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:05:09
近頃の朝鮮人は遣唐使も知らんようだ。
日本では唐文化の偽物に過ぎない百済文化よりも唐文化の方が重要だったんだよ。
94日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:06:34
朝鮮人の方が根拠も出せずに支離滅裂だから嘘臭いけど?
95日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:06:37
坂上田村麻呂も百済系だよな、東北・関東には
大量に百済移民と奈良貴族、武士が送り込まれたようです。
96日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:07:42
根拠は?
97日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:09:58
チョンの場合、3よりも大きな数字は全部「たくさん」なんでしょ
98日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:10:15
>>95
根拠なんかいらないですw常識ですからw東漢氏(坂上)
99日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:16:40
百済の血が下賎であることは「水鏡」にも書いてある。

「(藤原)浜成申していはく『山部親王は御母卑しくおはす。いかでか位に即き給はん』と申ししかば、帝(光仁天皇)『まことにさる事なり。酒人内親王を立て申さむ』とのたまひき。
 浜成又申していはく『第二御子稗田親王、御母卑しからず。この親王こそ立ち給ふべけれ』と申ししを、(藤原)百川目を怒らかし太刀を引きくつろげて、浜成を罵りていはく、『位に即き給ふ人、さらに母の卑しき尊きを選ぶべからず。(省略)』
と責め申ししかば、帝ともかくものたまはで立ちて内へ入り給ひにき。」

藤原百川が桓武天皇の即位に賛成したのてあって、藤原浜成と桓武天皇の父である
光仁天皇はともに桓武天皇の即位に反対。理由は桓武天皇の母である
高野新笠が 「卑しい」 から。
100日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:23:25
水鏡って相当後の書物でしょw
ちゃんと飛鳥、奈良時代の評価と照らして考えないと意味ないよ。
101日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:26:02
>>100
続日本紀で桓武天皇の官位および官位昇任時期とか調べるといいよ。
102日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:26:17
「水鏡」は文学的にも史料としても価値が低い。
103日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:29:00
そういえば、東日本訛り=百済訛りという説は聞いたことがあるな・・・
104日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:29:23
その割にはよく引用されるのだが w
なにか不都合なことでもあるのかな?
105日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:30:35
いや、東国は寧ろ新羅・高麗人が多い。
百済人は畿内に多い。
106日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:40:22
>>104
sageるのは
なんか不都合なことでもあるのかな?w
107日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:42:16
http://www.kurikomanosato.jp/to-siba11-kodai.htm
朝鮮半島は旱魃がしばしばあって、梅雨があり台風の多い典型的なモンスーン地帯である日本列島
よりもはるかに農耕がむずかしい。
その半島で農耕生産を安定させようとおもえば当然、灌漑などの農業土木が発達せざるをえないのだ
が、2千人の百済人たちはその技術をもって武蔵国の田園をふやして行ったにちがいなく、田園がふ
えるにつれ当然ながら人口もふえた。

開墾地主が、簇生した。その開墾地主が、つまりは武士である。これが荘園制度とからんでいわゆる
坂東武士団がつくられてゆく。
108日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:43:13
>>106
default 設定が sage なまでだが。
なら、ageとくよ。 w
109日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:53:40
>>107
西日本での大規模な渡来系との衝突はおそらく倭国大乱だろう。
東日本は少し遅れたがその分大規模な戦闘集団が完膚なきまでに
先住民を根絶やしにした。
110日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:18:59
東漢氏が百済人?
アホかこいつ
111日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:21:37
>>110
ごめん、半島人の間違いw
112日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:27:44
朝鮮半島で農耕が発達したのは日帝統治が始まってからの話だよ。
それ以前には適当に種をバラ蒔いたら実を結ぶ時まで放置するという出鱈目な真似をやっていただけで、
進歩の形跡が無かった。
113日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:32:12
秦氏や東漢氏は半島などを経由したり、あるいは別なルートで来日した大陸人であって、
現代朝鮮人や百済人とは異なり半島人とは言えない。
114日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:36:59
>>112
コーリャン専門。

115日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:38:02
何でこのスレは右翼だらけなの?
116日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:39:22
左翼だらけだが。
117日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:39:27
今の朝鮮人はオランケの子孫だしね。古代半島人とは
別人種。
118日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:42:41
漢の植民地だったのだから中国人が多いのは当然。
なにも不思議はない。
119日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:45:49
>>117
東突厥人(オランケ)ですね
120日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:47:44
東京・青山墓地の金玉均の墓、強制移転の危機
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1116761479/l50
121日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:51:52
>>120
韓国に送り返せばいいだろ。
もっとも送り返せば破壊するだろうが w
122日本@名無史さん:2005/06/26(日) 10:06:18
渡来氏族は神祇官にはなれない、
天神地祇、天皇、豪族の祖先神を祀れないからね。
桓武天皇のときは出来たらしいけど
123日本@名無史さん:2005/06/26(日) 10:08:26
えっ朝鮮人て女真じゃないの?
124日本@名無史さん:2005/06/26(日) 10:23:05
そもそも百済とは、日本の属国のことだろ。>1
>>123
中国を征服した偉大なる満州族と、朝鮮民族ごときを同一視するなよ。
高句麗と新羅と一緒にするくらいアホな行為だ。
125日本@名無史さん:2005/06/26(日) 12:01:13
話は変わりますが
よく2chの書き込みでみられる
チョッパリと云う言葉ですが
日本人が草履を履くと偶蹄類の蹄のように見える事から
ハングル語で日本人を揶揄した言葉だそうです。
126日本@名無史さん:2005/06/26(日) 13:15:25
【米韓】「反米国家韓国から米軍を完全撤収せよ」…ブッシュ政権シンクタンク★6[6/25]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1119723857/
127日本@名無史さん:2005/06/26(日) 13:20:50
【米韓】「同盟を精算して韓国から米軍を完全に撤収せよ」…ブッシュ政権シンクタンク★7[6/25]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1119756769/
128日本@名無史さん:2005/06/26(日) 17:55:08
チョッパリって猿。
129日本@名無史さん:2005/06/26(日) 17:57:45
まぁ、熊ではないわな。
130なら貼るぞ:2005/06/26(日) 19:15:17
再入国許可証廃止キヴォンヌ。在日は北朝鮮/韓国の国民
なんだから、本国発行のパスポートがあれば、日本政府の
発行する身分証明書なんか要らないよなw
131日本@名無史さん:2005/06/26(日) 19:31:37
>>125
日本人のゲタの跡が豚の足跡に似てるからチョッパリなんだろ。

そう言えば、ゲタ履きの人も居なくなったな。
132日本@名無史さん:2005/06/26(日) 20:38:48
朝鮮人の眼は下駄の跡と豚の蹄跡が区別出来ないのかとんだ節穴だな
133日本@名無史さん:2005/06/26(日) 20:45:09
亡命した百済支配階層はツングース系。
庶民は新羅系で、簡単に征服者に同化した。
134日本@名無史さん:2005/06/26(日) 20:46:00
李氏朝鮮の祖である李成桂は女真族出身で高麗国の将軍だったんだよ。
半島原住民とモンゴル人の混血人だった主君に反逆して高麗を滅ぼして朝鮮を建国し、
半島原住民(=朝鮮人)を支配した。
135日本@名無史さん:2005/06/26(日) 20:50:09
モンゴル人に近いのは朝鮮人ではなくて日本人

◎HLA遺伝子 B52-DR15(B52-DR2)の頻度



本土日本人 8,6%、 沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル人  5,9%



日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm
136日本@名無史さん:2005/06/26(日) 20:58:51
モンゴルの臣下だった高麗王朝では、
代々の国王は必ずモンゴル人の妃と結婚する事を義務づけられていたんだよ。
だから高麗国王の血統に限っては、殆ど純粋なモンゴル人と化していた。
137日本@名無史さん:2005/06/26(日) 21:03:41
基本的に朝鮮人は

縄文人の亜種×華北人×満州人

それに対し日本人は

縄文人×シベリア南部人
138日本@名無史さん:2005/06/26(日) 21:03:59
朝鮮人は自分達の先祖がこんなにブザマな歴史を歩んでいた事をまったく教わってないんだろうな〜
だけど日本や中国に残る歴史書まで歪曲する訳にはいかないから、
外国人は朝鮮の歴史教育なんかに騙されたりしないんだけど。
139日本@名無史さん:2005/06/26(日) 21:11:28
オランケって何?
140日本@名無史さん:2005/06/26(日) 21:19:41
ジュルチ=オランケ=女真=満州=東突厥
141日本@名無史さん:2005/06/26(日) 21:55:34
>>136
奈良人同士の婚姻が半ば慣習化していた日本各地の殿様みたいだねw
142日本@名無史さん:2005/06/26(日) 22:02:23

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。

楽浪郡南部人、帯方郡人がのちの百済人となっていく訳で、
すでに当時の百済人は中国人から赤の南方モンゴロイド遺伝子afb1b3を
たーっぷりと注ぎ込まれた南方人化した人種。

gm遺伝子
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
143日本@名無史さん:2005/06/26(日) 22:03:14

5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じで
ある。ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子
パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を
受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などに
よって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会
がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。

http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html

>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。

http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html
144日本@名無史さん:2005/06/26(日) 22:04:08







百済人の祖先が流し込まれた中国人の遺伝子なりハプロタイプなりが
日本人にはほとんど見られないという現実。






145日本@名無史さん:2005/06/27(月) 01:19:49
 あげ
146日本@名無史さん:2005/06/27(月) 01:48:46
奈良百済人って、韓国の国定教科書だけに登場する想像上の民族じゃないか。
日本史板にそんなキムチ臭いデンパを飛ばすなよ。
147日本@名無史さん:2005/06/27(月) 02:28:01
>>144

朝鮮に中国のDNAが混ざったのは、
百済が滅亡して日本に亡命した後だろうな。
148日本@名無史さん:2005/06/27(月) 02:47:04
漢民族による植民地である楽浪郡は紀元前103年に成立していて、
それから百済滅亡までの約800年間に渡って大々的に混血が進行しているんだがね。
無論、楽浪郡成立以前の伝説的王朝である箕氏朝鮮や衛氏朝鮮についても、
いずれも王祖は支那からの移住者だったとあるので漢民族王朝であった可能性がある。
朝鮮半島では百済滅亡以前からかなり漢民族との混血が進んでいたのは間違いない。

そして、その漢民族や現代朝鮮人が日本人と大きく異なる遺伝形質を持つと言う事は、
日本国内に移住した百済人の数が日本社会では殆ど影響を与えていない証拠となる。

朝鮮人の歴史観はつくづくデタラメだな。
149日本@名無史さん:2005/06/27(月) 02:51:55
朝鮮人に論理的思考を期待している奴は素人。
150日本@名無史さん:2005/06/27(月) 02:55:21
>そして、その漢民族や現代朝鮮人が日本人と大きく異なる遺伝形質を持つと言う事は、
>日本国内に移住した百済人の数が日本社会では殆ど影響を与えていない証拠となる。

デタラメは君だよ。
こと近畿に関しては漢民族の遺伝的な特徴を色濃く残している。

>殆ど影響を与えていない証拠となる。
とまではいえない。
151日本@名無史さん:2005/06/27(月) 02:57:13
>>148

それは、箕氏朝鮮や衛氏朝鮮のDNAと現代の中国人のDNAが
別物だからだろうな。
152日本@名無史さん:2005/06/27(月) 03:05:04
箕氏朝鮮・・・漢民族亡命者が立てた王朝
衛氏朝鮮・・・漢民族亡命者が立てた王朝
高句麗・・・朝鮮人とは無縁の扶余系民族である高句麗人の王朝
百済・・・高句麗の分家筋、倭人が王位についた記録も残っている上、倭にも朝貢していた。
新羅・・・扶余族に支配されていた韓族王朝。倭人が王位についた形跡があり、倭にも朝貢していた。
高麗・・・高句麗の末裔を自称する無関係な狩猟採集民族である高麗人王朝。モンゴルに朝貢すると王族の血統はモンゴル化。
李氏朝鮮・・・高麗の将軍であった女真人が国家を簒奪した女真族王朝。被支配民族である韓族との混血が進んで現代朝鮮人を出現させた。
大韓帝国・・・高句麗を除き、名目上初めて朝鮮半島に成立した独立国。しかしその実態は案の定大日本帝国の属国。
大韓民国・・・1948年に建国したばかりの新興国。名目上独立国だが、実態は案の定アメリカ合衆国の属国。
朝鮮民主主義人民共和国・・・韓国と同時に建国された新興国。名目上独立国だが、実態は旧ソ連や中華人民共和国の属国。
153日本@名無史さん:2005/06/27(月) 03:07:03
証拠も無く違うと言い張っても説得力は無い。
日本における百済人の影響が皆無に等しいという説明の方が合理的であり、史料とも調和的だ。
154日本@名無史さん:2005/06/27(月) 03:14:32
>>153
ちょいまて。
>高句麗・・・朝鮮人とは無縁の扶余系民族である高句麗人の王朝
>百済・・・高句麗の分家筋、倭人が王位についた記録も残っている上、倭にも朝貢していた。
奈良に百済人が入ったのはこの辺だ、まだ、北のモンゴル、ツングースなどの
影響が小さい頃の漢族系の半島人。つまり、奈良に半島人の影響が無いとまでは
言えない。諸々のデータと照らしても
155日本@名無史さん:2005/06/27(月) 03:16:42
現代の漢族と朝鮮族の遺伝形質の近さを見る限り、
文献で確認できるだけでも紀元前の昔から2000年以上に渡って楽浪郡や帯方郡などを築いて朝鮮半島を支配した漢民族が原住民との混血を繰り返していた事は明らかだ。
さまざまな民族が興亡し、戦乱と強姦が繰り返された結果として、
支那人と朝鮮人は血統的には相違点が皆無に等しい存在となった。
ところが日本では、韓国併合で大量の移住者が発生する20世紀になるまで朝鮮半島からの移民はトータルで数万人以下に留まっている。
百済の頃の日本人口は400万人ほどであり、百済滅亡に伴う大量移住でも数千人程度しか移住していない。
日本社会における百済人は、所詮一握りの戦争難民程度の取るに足らない連中に過ぎなかったというのが現実だ。
156日本@名無史さん:2005/06/27(月) 03:20:09
百済が滅亡する以前から、日本では遣隋使や遣唐使を派遣してシナ王朝と直接交易している。
百済文化などは、さまざまなルートで日本に入り込んだ諸外国文化の中の一例に過ぎず、百済が存在していた当時から既にシナ文化ほどの影響は日本に与えていない。
157日本@名無史さん:2005/06/27(月) 03:25:56
唐の正史にも日本書紀にも、百済人は嘘ばかりついて信用できないと書いてある。
唐と日本が口裏を合わせて嘘を書いている形跡は無いから、
実際に百済人の信用は無かったという事実を反映している。
日本の支配層が百済人なら、そんな記録は残っている筈が無い。
嘘つきである百済人が、百済人は嘘つきだなんて真実を正直に書き残す訳が無いからだ。
158日本@名無史さん:2005/06/27(月) 03:40:03
>>156
>百済が存在していた当時から既にシナ文化ほどの影響は日本に与えていない。
確かにそういう面も否定はできない。しかし日本各地が近畿人に支配され
始めた頃が近畿人の渡来人との混血がピークにあたる。
さらに大阪、関東平野の開拓と人口の膨張もそこを境に鰻登り。
159正史を認識しよう:2005/06/27(月) 03:59:54
日本は韓国の祖の一つである奈良百済の植民地だったんですね。
つまり奈良時代というのは、実質は、日本列島を支配した韓国の時代ですね。
奈良も古代韓国の都市のひとつになります。
160日本@名無史さん:2005/06/27(月) 05:01:50
現代朝鮮人はオランケの子孫で古代朝鮮人とは別人種
161日本@名無史さん:2005/06/27(月) 06:31:24
古墳時代の人物埴輪なんかは袴姿で後世の日本の服装とは違うよな、
かといって同時代の朝鮮の服装や髪型とも違う、謎だ。
なんか鍔つきの帽子まで被ってるし。
162日本@名無史さん:2005/06/27(月) 06:50:29
>>161
中央アジアから渡来した秦氏の影響
163日本@名無史さん:2005/06/27(月) 06:56:02
歴史の真実はこっちだ

  ★出雲国=韓人国家 【★古代史の真実】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1119821415/
164日本@名無史さん:2005/06/27(月) 08:01:02
埴輪(弥生後期)については岡山広島あたりが起源とされ、
それが畿内で発展したとされる。
顔立ちが極めて新モンゴロイドの形質を特徴つけていて
馬、古墳、蒙古襞から中央アジア系とは考えにくい。
中央アジア系?弓月氏、徐福などと関係があるとされる渡来系は
紀元前3〜2世紀あたりだからその後に来た新しい渡来系では?・・
165日本@名無史さん:2005/06/27(月) 08:18:00
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/news/1119800871/l50

生活者ネット、「在日朝鮮人に対する特権の強化を!」
1 :番組の途中ですが名無しです :2005/06/27(月) 00:47:51 ID:fns2X6vL0● ?###
生活者ネットってどんな団体かと思ったら
http://www.seikatsusha.net/peace/top.html#0128

(;´∀`)アチャー
166日本@名無史さん:2005/06/27(月) 08:18:44
5・6世紀の埴輪の着ている衣服は
北方騎馬民族の影響だと思うがほんと不思議だね。
朝鮮半島ではなくもっと彼方から渡来した一族かも。
みずらなども時代は下るがモンゴル人が耳の横で髪を輪っか状に結うのと
関係性があるのかもしれない。
167日本@名無史さん:2005/06/27(月) 08:31:16
埴輪の服は俺の知ってる限りだと匈奴の服と瓜二つ
匈奴の土偶は中国でも多数残っているが基本的に
新モンゴロイド的特長がある。想像だけど、
弥生後期に出雲あたりに匈奴系が渡来して広島・岡山
から畿内に大和政権を立てたんじゃないだろうか?
先に到着していた徐福の一団との戦争が倭国大乱
168日本@名無史さん:2005/06/27(月) 08:51:04
奈良が朝鮮と関係があるという説は
ナラという音が現代韓国語で国家を意味するという所に由来するそうだが
もし朝鮮の一都市だというならどうして国家なんて名前をつけたんだ?
どう考えても無理がある。
ナラってのは平って意味であって現代韓国語とは何の関係もありません。
169日本@名無史さん:2005/06/27(月) 08:56:39
縄文時代の服を復元したものも有るけど、
それみる限り、縄文時代の衣服からそのまま発展して
あのハニワ服になったと考えてもおかしくないよ。
170日本@名無史さん:2005/06/27(月) 09:06:54
しかし考えてみれば、あのズボンに帽子のファッションで
ガンダムのアンテナみたいなのが付いてる
南方系高床式建物に住んでたのか?ウキ杉w
171日本@名無史さん:2005/06/27(月) 09:32:46
>>168
おっしゃるとおり。
なら(した)まち=平城(ならまち)=奈良町
平城京というでしょ。
172日本@名無史さん:2005/06/27(月) 09:44:31
だめだ、漏れには無理、もうわけわからん。
173日本@名無史さん:2005/06/27(月) 11:06:32
そりゃもちろん(プス日本を支配していたのは、(プス
全て百済人で、(プス
桓武天皇をはじめとして、すべての天皇は(プス
百済人だし、(プス
すべての日本文化は百済発祥(プスだし、法隆寺の
壁画なんかも百済人が(プス描いたものだし、(プス
歴史的に日本は(プス、朝鮮を(プス宗主国(プスだと見ていた。(プス
ああ俺は日本人に生まれて、ずっと(プス
韓国を兄の国(プスであると(プスス
思って(プスおります(プスです。(プス
174日本@名無史さん:2005/06/27(月) 11:07:28
>>173
プスプス言ってるー!
175日本@名無史さん:2005/06/27(月) 12:09:48
古代日本語では「平たい土地」という意味にすぎなかったのが奈良盆地の代名詞として使われなくなって固有名詞化した訳だが、
それが朝鮮半島に伝わって「国」を意味する一般名詞に変わったと考える方が自然だな
176日本@名無史さん:2005/06/27(月) 12:38:46
カタカナの起源

韓国語で「カッタ」という単語があります。これは「同じ、等しい」という意味です。
漢字の読みの音と仮名の読みの音は同じです。
つまり、漢字も仮名もその読み方は等しく同じなのです。
その疑問詞が韓国語で「カッナ」です。「ナ」は「・・・のか」「・・・の」という疑問を表したものです。
片仮名は「阿、伊、宇」の漢字の一部をそのまま引用して「ア、イ、ウ」と
表記したのですから 字の一部は等しくその音と同じです。つまり、韓国語で言えば「カッタ、カンナ」
になります。
177日本@名無史さん:2005/06/27(月) 12:40:21
ヒラカナの起源

「平仮名」は「安、似、宇」の漢字をくずして「あ、い、う」と表記したものですが 字体は簡単に略して書き、その音はやはり同じです。
韓国語での「ピョダ」 注B は「広げる」「開く」「容易にする」という意味です。
その命令形が「ピョラ」です。
「ラ」 注C は「・・・よ」「・・・せよ」という命令詞で、「見てみよ」、「行って見よ」という表現に用います。
「ヒラカナ」は韓国語の「ピラ、カンナ」がなまったものです。
178日本@名無史さん:2005/06/27(月) 18:08:53
>>176, 177
プッ
179日本@名無史さん:2005/06/27(月) 18:33:47
仮名というのは漢字を意味する真名の対義語であり、
漢字の一部を取り出して表音文字体系にしたものを片仮名と呼び、
漢字の草書体をさらに簡略化して表音文字体系にしたのが平仮名だ。
漢字の一部を切り取ったから片仮名、
漢字の運筆を草書体からさらに平たくしたから平仮名なのであって、
朝鮮語には本来関係ない。
180日本@名無史さん:2005/06/27(月) 19:58:54
朝鮮語のナラって、政治的な国家という意味よりも、
地理的な風土、土壌って意味なんだけど。もともとは。
181日本@名無史さん:2005/06/27(月) 20:48:46
ポマイラ真面目だよな。半島電波に懸命に反論してさ。
ウリナラには学問なんかないんだから議論は成立しないよ
最初から。主観と客観を分けられない、知性が欠落した民族
なんだから、より強電波な方が勝つ泥沼バカ合戦にしかならない。
182日本@名無史さん:2005/06/27(月) 21:28:06
谷亮子ちゃんと猪熊柔は似ている?
http://2chart.fc2web.com/2chart/ryoko.html

りょこの穴
http://2chart.fc2web.com/2chart/ryokoana.html

谷亮子を見て吐き気を催す長嶋茂雄
http://2chart.fc2web.com/2chart/taw.html
183日本@名無史さん:2005/06/27(月) 21:28:27
谷亮子ちゃんと猪熊柔は似ている?
http://2chart.fc2web.com/2chart/ryoko.html

りょこの穴
http://2chart.fc2web.com/2chart/ryokoana.html

谷亮子を見て吐き気を催す長嶋茂雄
http://2chart.fc2web.com/2chart/taw.html
184日本@名無史さん:2005/06/27(月) 21:43:02
風土という地名、都市名もおかしいね。
奈良百済なんて発想は自家撞着と言うことで終了。
185日本@名無史さん:2005/06/28(火) 09:58:03
服装なんて唐服着てた時代もあるわけだし一概にはいえんが
倭人が胡服を採用する契機になったのは
たぶん4世紀の朝鮮半島への遠征じゃない?
186日本@名無史さん:2005/06/28(火) 10:07:11
じゃあ呉服は?
187日本@名無史さん:2005/06/28(火) 10:14:59
八幡さんは三韓征伐の戦利品です。
188日本@名無史さん:2005/06/28(火) 11:51:26
>>185
当時の朝鮮人は胡服を着ていたのですか?
189日本@名無史さん:2005/06/28(火) 12:10:02
日本書紀
斉明天皇六年七月 高麗の沙門道顕(高句麗・帰化僧)曰く春秋智(武烈王)、
大将軍(唐・左衛)蘇定方の手を借りて、百済を挟み撃ちて亡ぼしつ。
或いは曰く  百済、自づから亡びぬ。
君(こきし・義慈王)の大夫人(はしかし・恩古)の妖女道無くして、擅に
国柄を奪いて、賢良を誅し殺すに由りての故に、斯の禍を招けり。
慎まざるべけむや。慎まざるべけむやといふ。

百済の王義慈、その妻恩古、その子隆等、その臣、佐平千福、国弁成孫登等
すべて五十餘、秋七月十三日に蘇将軍の為に、捉ゐられて唐国に送去らる。
蓋し是故無くして兵を持ちし徴(しるし)か。
190日本@名無史さん:2005/06/28(火) 12:33:58
ミズラは弥生時代から倭人はすでにあの髪型だったみたいだぞ
tp://www.sagatokimeki.ne.jp/yosino/kouza/chishiki/seminar/kiso/kiso3-1.html
191日本@名無史さん:2005/06/28(火) 19:37:31

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。



楽浪郡南部人、帯方郡人がのちの百済人となっていく訳で、
すでに当時の百済人は中国人から赤の南方モンゴロイド遺伝子afb1b3を
たーっぷりと注ぎ込まれた南方人化した人種。

gm遺伝子
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
192日本@名無史さん:2005/06/28(火) 19:38:37

5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じで
ある。ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子
パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を
受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などに
よって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会
がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。

http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html


>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。

http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html
193日本@名無史さん:2005/06/28(火) 19:39:07







百済人の祖先が流し込まれた中国人の遺伝子なりハプロタイプなりが
日本人にはほとんど見られないという現実。






194日本@名無史さん:2005/06/28(火) 19:53:09
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。

実は全然 流れていない。
7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百名。
7Cに来た半島帰化人は全部合せて5000人くらい。

それ以前の帰化人が始まった5C、続く6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。

半島帰化人の総数は7〜8000人くらい。

古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。
195日本@名無史さん:2005/06/28(火) 20:00:40

ニュース板の天皇スレで、古代について話題になっているので、
よければ少々知識を披露してあげてください。
ほかのスレにも張ります。

http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news2/1119715154/l50
196日本@名無史さん:2005/06/28(火) 20:27:40
>>184
弥生人は?
197日本@名無史さん:2005/06/28(火) 20:28:14
間違えた>>196
198日本@名無史さん:2005/06/28(火) 20:28:50
ああああああああア、また間違い orz >>194
199日本@名無史さん:2005/06/28(火) 20:42:02
弥生人は朝鮮半島から渡来したんじゃなくて、ブリアートあたりから
朝鮮半島を素通りして日本に渡来したのである。

朝鮮半島は弥生人に素通りされただけで、朝鮮半島には弥生人は
ほとんど定着していない。

だから、日本人とモンゴル人は最大のハプロタイプが同じで、
同祖を高頻度に共有しているが、朝鮮人にはこのハプロタイプが
わずかしか見られない。

その代わり、中国人に多く見られるハプロタイプが朝鮮人には見られる。
これが日本人にはほとんどない。

日本に弥生人がやって来た後、朝鮮半島は中国人に侵略されたからである。

朝鮮半島人はハプロタイプが日本人と6割以上も違う異人種である。
200日本@名無史さん:2005/06/28(火) 20:42:51
日本人の遺伝子から土着系(縄文系)を除いた部分を多くの遺伝学は
必ずブリアートからモンゴルあたりを指し示めしている。

つまり弥生人はブリアートからモンゴルあたりから南下し、満州と
朝鮮半島を素通りして九州北部に渡り、人口爆発して西日本一帯に広がり、
土着系と混ざりながら大和民族が形成されていったのである。

朝鮮半島は当初は縄文系とほぼ同種の土着系が住んでいたと考えられるが、
弥生人が素通りして日本列島へと消えていったその数百年後、
ついに朝鮮半島は華北人に侵略され、楽浪郡を置かれて400年間も
支配された。その後、今度は満州東部から流入した高句麗人に朝鮮半島
北部を侵略され、土着系たちは華北と満州の血を注ぎ込まれながら、
ここにようやく朝鮮民族が形成されていったのである。
201日本@名無史さん:2005/06/28(火) 21:04:39
>>199-200
実際問題ありえないでしょw そんなこと
なぜ朝鮮半島を素通りする必要があったわけ?
いかにもとってつけたようなご都合主義だな
202日本@名無史さん:2005/06/28(火) 21:11:03
>>201
鮮人必死だなw
203日本@名無史さん:2005/06/28(火) 21:38:15

弥生人=倭族とその王ジンムを考える上で非常に参考になる
ヴァンダル族とその王ガイセリック


ヴァンダル族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AB%E7%8E%8B%E5%9B%BD


ガイセリック
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF


204日本@名無史さん:2005/06/28(火) 21:55:50
>>203
実際問題ありえないでしょw そんなこと
なぜイベリア半島を素通りする必要があったわけ?
いかにもとってつけたようなご都合主義だな
205日本@名無史さん:2005/06/30(木) 23:00:11
show up!
206日本@名無史さん:2005/07/02(土) 00:08:37
朝鮮半島って人があまりいなかったんじゃないの?
207日本@名無史さん:2005/07/02(土) 10:04:37
日本の支配階層に過短頭、絶壁頭が多いとは思えない

百済のような小国にそれだけの財政力、造船技術や航海術があるわけねーだろ
208日本@名無史さん:2005/07/02(土) 10:20:50
日本の支配階層の僧侶=だいたいが綺麗な頭の形

韓国、朝鮮民族=坊主頭が似合わない (過短頭、絶壁頭)
209日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:02:18
100年前の日本人はほとんど中頭だったんだよね。
今は中頭に近い短頭だが、それでも朝鮮人に比べると全然違う。

形質だけの時代はもう終った。
これからは様々な遺伝学で人種系統を解いていく時代。
210日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:12:56
ゲルマン人でも絶壁もいれば長頭もいる、それをもって
東洋人だゲルマン人だと区別するヤツはいないw
211日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:14:20
パラノイアの人だから相手にしない方がいい。
212日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:21:20
流石に絶壁のゲルマン人は居ないだろ。
軍装品をコレクションしてるが、
ドイツ軍の帽子は極端に長頭用のデザインになっててびっくりしたもんだ。
213日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:22:17
ナチのローゼンベルクもどきがいるのか(w
214日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:26:08
>>212
沢山いるでしょw
テレビとかで坊主の白人観察しなよ
アラブ人、イラン人も多い。
特にボッコっと出てる人はいないよ。むしろ東洋人に多い。
215日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:32:59
頭の形って赤ちゃんのときに頭蓋骨が固まってその形ができるんでしょ?
216日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:36:44
個人で見ればどこにでも長頭はいるが、
ヨーロッパの人種に長頭の人種はないよ。
せいぜい長頭に近い中頭まで。
217日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:43:51
黒人だと後ろが丸いのはいるね、白人の軍人は
後ろ頭全然丸くないじゃん。
218日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:11:30
絶壁のゲルマン人が大勢居るとは初耳だな。
もしかして朝鮮人=ゲルマン人説か何かか?
219日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:15:19
>>218観察力がない、色眼鏡で物事見すぎる。
そもそもぼこーっと出てるのは東洋人と黒人に多い。
220日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:32:07
そう言えばヨーロッパの頭示数マップあっただろ。

あれは俺が持ってきたんだけど、どこかにやってしまったので、
誰か貼ってくれないかな?


221日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:36:46
>>220
平均だからね。
白人にも後頭部の出てない人は沢山いる。
標準偏差もないと意味はない。
白人と東洋人との絶対的な違いは蒙古ヒダ
222日本@名無史さん:2005/07/04(月) 08:10:14
ヨーロッパでもアルプス山岳系は短頭、他の地域でも短頭は散在するが絶壁頭は珍しい

短頭、絶壁頭の民族は、韓国朝鮮人、モンゴル人、トルコ人など
223日本@名無史さん:2005/07/05(火) 20:48:34
いや、アルプス人種の一部は超短頭なんだよ。

他に超短頭はロシア人の一部などの東ヨーロッパ人種やセルビア人などの
ディナール人種やタイ人などのインドネシア人種だった記憶。

モンゴル人の短頭は一部ではないか?

内モンゴルからブリアートにかけては確か中頭の地域だったはず。
224キリスト:2005/07/05(火) 21:23:07
大頭族 三波春夫 池田太作 金正日 
225日本@名無史さん:2005/07/05(火) 21:39:31

源氏は新羅じゃないか?
新羅三郎なんてのもいるし、白旗掲げている。
平氏はモンゴルかな?
モンゴルは赤い旗だ。モンゴルの首都ウランバートルは「赤い戦士」と言う意味。
226日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:06:22
つまり、こういうことか!

朝鮮通信使・朴瑞生の帰国報告。
日本に行ってみたら、倭寇にさらわれ奴隷にされた朝鮮人がたくさんいて驚いているのです。
通信使をみて、助けを求めているんだけれど、みんな鎖につながれて逃げることもできない
(『世宗実録11、12乙亥』より)
227日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:07:44
>>225
おまえ、他スレにも同じこと書いてたな。
あんまり、あちこちで無知を晒すなよw
228日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:13:22
>>227
朝鮮通信使・朴瑞生の帰国報告だよw
229日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:16:21
>>227
朝鮮通信使・朴瑞生の帰国報告だよw
2301:2005/07/05(火) 22:19:59

間違い
百済じゃない新羅・高句麗征服王朝だ〜〜!!
神社はツングース系支配民族が温厚な倭人を力で支配する為に立てた
施設・・
231日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:20:17
>>228-229
>>227>>225にレスしてるだろが!!アホ!!キチガイ!!死ね!!
232日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:23:52
>>230
支離滅裂だアホ!!煽るならまともな知識身に付けてから来い!!
アホ!!キチガイ!!死ね!!
233日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:26:08
>>232古代史スレみてください。認めたくない気持ちはわかります。
234日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:29:51
ヒステリー起こすなよw
いいじゃねーかよ、どうせ糞スレなんだから
235日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:33:28
>>233
そこで無知なおまえが感化されちゃったわけかwwwwwww
アホ!!キチガイ!!死ね!!
236日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:37:06
>>230
その割には日本人に離れた細い寄り目が居ないな。
色が黒くて頭が小さく頬が長くてあごの無い異様な焼きいも長顔も。
極端なのっぺらで潰れたような低鼻。
薄いハの字眉もいないし。
土人のように突き出していつも半開きのビビンバ唇も居ない。
237日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:39:14
>>231
ちょっと酔っ払ってて、間違えただけだよ
ごめん
238日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:39:18
まあまあ、落ち着いて。取りあえず奈良百済なるものや名称があったのか、その事実から考えていこうよ。
239日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:41:10
これって、マジスレなのw
240日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:41:15
>>230
ビビンバ顔(色黒長顔のっぺら低鼻ハの字眉寄り目土人唇)
は高句麗顔だろ?
241日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:42:26
奈良百済はいいや、新羅の列島支配に比べれば・・
242日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:46:59
どこの大学でこういう馬鹿な研究をやってるの?
243日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:50:04
>>242
酔っ払いには教えません
244日本@名無史さん:2005/07/06(水) 20:54:03
朝鮮大学校に決まってるだろ。
245日本@名無史さん:2005/07/07(木) 11:12:07
つまり、こういうこと

韓国、朝鮮人は、非常に人種差別的、権威主義的、 階級意識の強い人々

韓国、朝鮮人は、自分たちの階級意識や権威主義的、人種差別的、価値観を他国に押し付けたがる人々

韓国、朝鮮人は、日本の権威、権力と自分達とを無理やりこじつけて、日本人に対して優越感を持ちたがっている
246日本@名無史さん:2005/07/07(木) 14:50:50
頭骨・風習・服装、どれからみても古代日本と朝鮮は異質であると。
247日本@名無史さん:2005/07/07(木) 22:28:56

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。

楽浪郡南部人、帯方郡人がのちの百済人となっていく訳で、
すでに当時の百済人は中国人から赤の南方モンゴロイド遺伝子afb1b3を
たーっぷりと注ぎ込まれた南方人化した人種。

gm遺伝子
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
248日本@名無史さん:2005/07/07(木) 22:30:12

5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じで
ある。ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子
パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を
受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などに
よって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会
がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。

http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html


>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。

http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html
249日本@名無史さん:2005/07/07(木) 22:31:18







百済人の祖先に流し込まれた中国人の遺伝子なりハプロタイプなりが
日本人にはほとんど見られないという現実。






250日本@名無史さん:2005/07/08(金) 00:18:25
遺伝的に現代朝鮮人と現代日本人はほぼ無関係なんだから、百済も新羅も関係ない。
百済と新羅は倭の属国だったから、かすかに遺伝的な共通点があるが、
日本国内では古代から属国出身の百済系、新羅系は下賎の存在だった。
251日本@名無史さん:2005/07/08(金) 00:32:09
朝鮮人と遺伝的な関係は4割あるよ。6割は異人種。

ただ従来のように日本人と朝鮮人は、
弥生人と関係が深く縄文人とは関係が薄いというのは誤りで、
縄文人と関係が深く弥生人とは関係が薄い。

日本に定着した弥生時代の渡来人はモンゴルあたりの北方モンゴロイドで、
朝鮮に定着した弥生時代の渡来人は華北の中央モンゴロイド。
252日本@名無史さん:2005/07/08(金) 00:38:21
半島に帰れ
253日本@名無史さん:2005/07/08(金) 01:10:47
何が4割だよ。
朝鮮人は無根拠なデタラメしか書けないのか。
254日本@名無史さん:2005/07/08(金) 01:16:47
おまえが朝鮮人なんだろがw
弥生人を朝鮮人にしておきたかったな。残念w


>日本人と韓国人では、大体40%くらい同じものを持っている
>ということが分かってきました。

http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html


裏返せば、韓国人は60%のHLA遺伝子が違う人種という事だ。
255日本@名無史さん:2005/07/08(金) 03:07:41
奈良時代の文化の担い手は帰化人
どうしようもない事実
256日本@名無史さん:2005/07/08(金) 04:01:21
百済文化の担い手が百済人なのは当たり前だ。
日本文化にはそういう担い手が四方八方から帰化している。
日本文化における百済人や新羅人など、所詮は日本文化にとって卑小な存在であったに過ぎない。
257日本@名無史さん:2005/07/08(金) 04:06:12
朝鮮人とは、自分で思っているよりも遥かに無能で愚劣な連中に過ぎない。
現在、朝鮮人国家が2つ実在しているが、
その両方ともが世界最低クラスの民度の低さを全世界から軽蔑されている。
258日本@名無史さん:2005/07/08(金) 04:13:44
郡、里がついてる地域、小郡、郡山、郡山、郡上、郡中
って地名はヤマトの勢力圏
259日本@名無史さん:2005/07/08(金) 04:17:01

そう蝦夷成敗とは実はヤマト成敗だった。

大嘘つき、ねつ造、極悪朝鮮人共め!!!
260日本@名無史さん:2005/07/08(金) 04:34:15
石、山、国分、この名前がついてる場所、
殆ど西九州(ヤマト)の地名と
似た地名がついてるのはヤマトの勢力圏だよ。
東日本にもたくさんある。
全部暴こう。
261日本@名無史さん:2005/07/08(金) 04:39:29
東北でも岩手は西九州の地名だよ、
おめでとう君たちはヤマトの末裔。
秋田、青森はどうやら半島系。
262日本@名無史さん:2005/07/08(金) 05:49:36
何でこのスレは朝鮮人だらけなの?
263日本@名無史さん:2005/07/08(金) 08:24:47
ごめんなさい奈良の人、百済の一部は立派な縄文系の
末裔が住んでいた土地です。
264日本@名無史さん:2005/07/08(金) 12:05:42
奈良って韓国の人たちが住んでいた土地じゃないの?
265日本@名無史さん:2005/07/08(金) 12:12:47
710年に新首都・平城京を造営するまで荒野。
266日本@名無史さん:2005/07/08(金) 13:25:11
えええ?それがほんと奈良、韓国人って荒野に巣くうモグラだったの?
267日本@名無史さん:2005/07/08(金) 15:29:39
>>262
ここは朝鮮人達が 自作自演の茶番を繰り広げているスレです
268日本@名無史さん:2005/07/08(金) 17:26:29
ここは威張るのは好きだが努力の嫌いなミンジョクが脳内麻薬で
トリップする阿片窟ですよ
269日本@名無史さん:2005/07/08(金) 18:04:23
◆電波系プロパガンダ・スレ◆ヲチ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1120796763/l50
270日本@名無史さん:2005/07/09(土) 03:17:21
>250
えー、皇后陛下とほんのりとDNA的つながりのある(漏れのジイサンの
母親の母親が皇后陛下のジイサンと兄妹)漏れが言わせてもらいますが、

>百済と新羅は倭の属国だったから、かすかに遺伝的な共通点があるが、
逆なんじゃないですか?倭国は百済だか新羅だかの植民地というか飛び地
では?
それと、天智が百済・新羅系で天武が高句麗系でトルコ系遊牧民が先祖
だと聞いたことがあります。
271日本@名無史さん:2005/07/09(土) 03:18:34
朝鮮には弥生時代の大規模な銅剣・銅鉾なんかの工房跡の出土例って無いだろ。
最古の古墳も日本より二百年以上も新しい上に小さいそうだし。
結局、朝鮮は昔から中華世界と日本の両文化の中心から外れた辺境なんだよ。
272日本@名無史さん:2005/07/09(土) 03:31:02
武装武器は朝鮮が上だったのは明らかだ。
273日本@名無史さん:2005/07/09(土) 03:44:33
古墳時代の倭と朝鮮南部じゃ出土品の武具から見てそう違いは無いんじゃね?
目くそ鼻くその装備同士で最後にものを言うのは

死 を 恐 れ な い 士 気 の 差 な ん だ よ 
キタコレ。
274日本@名無史さん:2005/07/09(土) 08:39:30
>>270 俺もその話を聞いたことがある。話をした人は三十代の在の人なんだけど奈良百済によって日本が建国されたそうな。(伝聞だけで悪が)
275日本@名無史さん:2005/07/09(土) 09:44:25
>274
在本人乙
276日本@名無史さん:2005/07/09(土) 12:00:34
というか、>>270=>>274
自演乙
277日本@名無史さん:2005/07/09(土) 12:04:32
高句麗人の貴族かなんかが天武天皇とか
トルコ人の騎馬民族が日本に侵略とか「あっち系」のお話か。
278日本@名無史さん:2005/07/09(土) 12:24:34
昔々朝鮮半島に百済、中国東北部には高句麗という国がありました
百済は高句麗に一度滅ぼされましたが、南下して再度建国しました
だけど、朝鮮半島の正当な支配者である百済は新しく出てきた新羅に
滅ぼされました
滅ぼされた百済の人々は海を越え、倭へと渡りました
百済人は瞬く間に倭で重要な位置を占め倭に貢献しました
つまり、今の日本人は百済人の血を引いた 正 統 な 朝 鮮 支 配 者 なのです
今支配している朝鮮人は本当の朝鮮人ではありません
だから、私たちは郷土を取り返すために朝鮮半島を日本に組み込みました
偽朝鮮人は朝鮮半島から出て行きなさい!
279日本@名無史さん:2005/07/09(土) 12:35:24
>>277
それ井沢の逆説の日本史だかで読んだw
誰かの説の引用だったけど
280ホワモン:2005/07/09(土) 12:35:58
もまいら、伊右衛門(イエローモンキー)だろw
281日本@名無史さん:2005/07/09(土) 12:54:17
日本の支配階層の人々は、皆 少年愛者もしくは同性愛者でした

そこで、韓国、朝鮮人たちに質問

韓国、朝鮮は歴史的にみて少年愛者もしくは同性愛者が多いのですか?
282日本@名無史さん:2005/07/09(土) 13:21:24
飛鳥時代の古墳の規模と数は圧倒的に日本が上。

次に小氷河期下ではシベリア降しなどの大陸性気候の
影響をモロに受ける半島では独自の都市文化を発展さ
せるだけのまとまった人口を維持するのは不可。


起源うんぬんを問う前に、この現実を直視してくださいね。
お約束だけど秀吉とかは出さないでね。
283日本@名無史さん:2005/07/09(土) 13:34:10
>>281
歴史的な同性愛については分かりませんが
社会的世情としてのノーマル男同士でのスキンシップは韓国の方が上みたいですね。
親しい友人同士だと、ごく自然に手をつないで歩いてたりとかしますし。
これが日本だと誤解と偏見に基づいたウホッ認定をされますね。

少なくとも気心の知れた知人どうしの距離感は
男女を問わず日本より圧倒的に近いと思います。
284日本@名無史さん:2005/07/09(土) 13:41:00
男相手に強姦とは恐ろしい国だ
285日本@名無史さん:2005/07/09(土) 13:45:16
>>283
そういうのは、少年愛とか同性愛とは違う

少年愛とか同性愛者の人たちほど、他人との距離感に敏感
286日本@名無史さん:2005/07/09(土) 13:50:00
徳川氏は清和源氏の新田氏の子孫というのは疑わしいというのが定説。
家康が三河統一をなしとげた時それまでの松平姓を本姓の徳川氏に復したいと朝廷に願い出て三河守に任命されている。
その折源氏を強調したようだ。

松平氏が源氏の新田氏の末を宣言したのは、家康が征夷大将軍に補されたときで、将軍職を負うには清和源氏の出身であることが必要とされたからだ。
いずれにせよ、新田源氏とはいいながらもそれほど出自の明かでない低層階級から台頭した族であった。

戦国時代のことばを借りていえば、織田信長や豊臣秀吉と同じ「成り上がり者」氏族で、新興氏族に過ぎなかった。
しかし、だからといって徳川氏の偉業が損なわれるものではない。乱世を生き抜き、明治維新に至るまでの太平の世を現出したことは事実なのだから。
下克上の戦国時代、名流をもって君臨したものの多くは滅亡し、最後に生き残ったのは、徳川家をはじめ、そのほとんどが自己の能力と運をもって成り上がった者だった。
これは、中世から近世への過渡期に起こった革命でもあったのだろう。
287日本@名無史さん:2005/07/09(土) 13:52:12
徳川慶喜は将軍に就任して以来、列強諸国から「日本の皇帝」(エンペラー Emperor)として承認されていました。
その彼が、12月9日の「王政復古」の政変による幕府廃止に伴い、
将軍職を辞任(と言うよりも更迭)させられた一週間後の12月16日、大坂城(大阪城)に各国公使を引見した際、
慶喜は引き続き「自分自身が日本の主権者である」旨を宣言しており、公使達もそれを支持していたと言う事実です。
更に重要な事は、「大政奉還」にしろ「王政復古」にしろ、朝廷=新政府(薩長主体の)には、発足当初、日本を統治する何らの実力も無かったと言う事です。
「大政奉還」を受理した朝廷は、国家の重要案件や外交問題の処理については「衆議を尽くす」事、
その他の案件については「召しの諸侯上京の上、御決定これあるべく」として、諸大名に対して朝廷から上京命令が発せられたのですが、
譜代大名(徳川家の直接の家臣)の多くがこの命令を辞退(無視)し、朝廷より賜った官位を返上しようとした事実です。
つまり、彼ら譜代大名にとっては、徳川家こそが自分達の主権者であり、
外様(とざま)である薩長が主体の新政権=朝廷に指図を受ける筋合いは無い、と考えた訳です。だからこそ、
上京命令無視・官位返上と言う挙に出ようとした訳です。これが意味するものは、
例え将軍職(列強諸国が言う所の「エンペラー」)を辞したとしても、慶喜が「日本の主権者」である事に何ら変わりがなかったと言う事です。
そして、その慶喜が最終的に目指したもの、それは将軍に代わる新たな地位 ── すわなち「日本国大統領」の座だったのです。

「日本国大統領」。慶喜は、自らの政治顧問である西周(にし-あまね)に『議題腹稿』を起草させています。
これは言うなれば「憲法草案」と言えるものでした。(以下、概要)
288日本@名無史さん:2005/07/09(土) 13:52:35
この中に謳(うた)われている「大君」こそ、慶喜が将軍職に代わって新たに狙っていた地位なのです。
確かにその名称は「将軍」の対外的呼称であった「大君」(タイクーン:Tycoon)と同じです。
しかし、『議題腹稿』に定義されている新たな「大君」職は、行政府の長であり、立法府の長であり、尚かつ、軍最高司令官をも兼任する強大な権限を有しており、
それはさながら、古代ローマ皇帝(元首:Princeps プリンケプス)か、アメリカ合衆国大統領(President プレジデント)と言った所でしょうか。
そして、それを可能にする素地が実際にあったからこそ、慶喜は「大政奉還」の挙に打って出、将軍職を辞任しても何ら臆する事が無かったのではないでしょうか?

「列藩会議」。慶喜は、徳川宗家の持つ強大な軍事力、
「前将軍」と言う知名度、そして、列強諸国から依然として「日本の主権者」として認知されている事実を最大の武器に、
朝廷が諸大名を招集して開催するであろうこの会議において政治の主導権を掌握し、
『議題腹稿』に則って「大君」 ── 事実上の「日本国大統領」に推戴される事を狙っていたのでしょう。
しかし、歴史の歯車が狂い、戊辰戦争において「朝敵」の汚名を受け、遂に日本国初代大統領の座を掌中にする夢は潰(つい)え去ったのです。
その後、日本は薩長土肥主体の明治新政府が成立、時をおいて内閣、そして議会が開設されていくのですが、
私は、慶喜の思惑通り事が進み、例え『議題腹稿』に沿った新国家が成立していたとしても、
我々の知る「歴史」とそれ程違った体制になったとは到底思えないのです。発足当初こそ大名主体だったとしても、
時が経てば当然の事ながら民主化されたでしょうし、天皇も現在の地位である「日本国民統合の象徴」として定着した事でしょう。
要は、「明治維新」と言うある種の「革命」があったかなかったか、改革が急進的だったか漸進的だったかの違いでしか無かったのでは無いでしょうか? 
もし、歴史に「if」が許されるのであるならば・・・そう考える時、
慶喜が目指した新国家の「その後」の歴史が、実際どの様に推移していっただろうか?と、知りたくもあります。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/keiki.html
289日本@名無史さん:2005/07/09(土) 13:54:10
なんかくだらんやりとり。そんなの当事者同士の好きでいいじゃん。
そんな事まで人種の優劣云々持ち出すな。
290日本@名無史さん:2005/07/09(土) 18:46:07

●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族
が朝鮮王に封ぜられたといわれる。

●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が
朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で
ある王険城を都とし、3代約90年間存続。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
291日本@名無史さん:2005/07/09(土) 18:48:03

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。

楽浪郡南部人、帯方郡人がのちの百済人となっていく訳で、
すでに当時の百済人は中国人から赤の南方モンゴロイド遺伝子afb1b3を
たーっぷりと注ぎ込まれた南方人化した人種。

gm遺伝子
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
292日本@名無史さん:2005/07/09(土) 18:49:55

5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じで
ある。ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子
パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を
受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などに
よって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会
がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。

http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html


>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。

http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html
293日本@名無史さん:2005/07/09(土) 18:50:42
日本人からはほとんど南方系のハプロタイプが出てこない。
朝鮮人は2番目に多いハプロタイプに南方系が出てくる。
漢人に犯られた事が原因。

◎本土日本

B52-DR15 8.2%(弥生) > B44-DR13 5.2%(縄文) > B7-DR1 3.6%  

◎韓国

B44-DR13 4.5%(縄文) > ★B44-DR7 3.8%(中国) > B13-DR7 3.4%

>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。

http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html
294日本@名無史さん:2005/07/09(土) 18:51:57







百済人の祖先が流し込まれた中国人の遺伝子なりハプロタイプなりが
日本人にはほとんど見られないという現実。





295日本@名無史さん:2005/07/09(土) 19:29:24
日本の支配階層の人々は、皆 少年愛者もしくは同性愛者だった

ということは、朝鮮半島の人々も少年愛者もしくは同性愛者
296日本@名無史さん:2005/07/10(日) 02:50:40
>>1
百済を半島から駆逐して絶滅させた新羅人の末裔が起源を説くな
おまえは新羅という百済からすれば不倶戴天の敵同士の末裔だろうが。
ゼイリブに出てきたインベーダーか、この新羅野朗が。
297日本@名無史さん:2005/07/10(日) 02:55:10
今の不特定な遺伝子じゃなあ
当時の支配階層の遺伝子を知りたい
298日本@名無史さん:2005/07/10(日) 03:30:44
B52-DR15
299日本@名無史さん:2005/07/10(日) 03:36:19
>>296
これ立てたも俺、あやまりでした。ごめん
300日本@名無史さん:2005/07/10(日) 03:38:01
くだら(ツングース語)って地名も元があるんじゃない?
地名変えるのは彼らの手口だから。
悪魔の化身ズングース
301日本@名無史さん:2005/07/10(日) 03:41:42
日本人がツングース系なら朝鮮人と同様にB52-DR15がカラッポ!
302日本@名無史さん:2005/07/10(日) 07:25:36
つまり、朝鮮人はホモの集まり
303日本@名無史さん:2005/07/10(日) 09:07:30
いくらなんでもホモに失礼
304日本@名無史さん:2005/07/10(日) 21:17:23
百済ない。
305日本@名無史さん:2005/07/10(日) 22:37:53
5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じで
ある。ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子
パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を
受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などに
よって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会
がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。

http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html

強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
306日本@名無史さん:2005/07/10(日) 23:23:59
で、「奈良百済人」ってなんなの?正体ないしは出典掴めたの?
307日本@名無史さん:2005/07/10(日) 23:37:48
現代百済人は鶯谷とか日暮里あたりで淫らな支配階層をやってるなw
308日本@名無史さん:2005/07/10(日) 23:41:06
>>305
もしそうだとしたら、中国人と違い 何で馬鹿なんだろう?
309日本@名無史さん:2005/07/10(日) 23:50:04
「奈良百済」の出典は、韓国軍が採用した歴史教材「大朝鮮帝国史」だと聞いたが。
あまりに出鱈目な内容の為、歴史歪曲の酷さで世界中から顰蹙を買っている韓国の歴史学者からさえ批判されているという。
310日本@名無史さん:2005/07/10(日) 23:53:56
中国人も同じくらい、いや、それ以上に馬鹿じゃないのw

赤の遺伝子が多い人種は南方人。穢らわしい。
311日本@名無史さん:2005/07/11(月) 12:47:24
(参考)
韓国、朝鮮ってこんなだった

http://photo2.jijisama.org/
312日本@名無史さん:2005/07/11(月) 21:05:07
百済の亡命 王族、貴族は下級貴族。
としてあつかわれてたよ。
313日本@名無史さん:2005/07/11(月) 21:43:36
桓武天皇の母親が百済系帰化人だったな。
314日本@名無史さん:2005/07/11(月) 21:50:03
皇族が外国人と結婚するのは世界的に見て昔からよくあること
315日本@名無史さん:2005/07/11(月) 21:53:03
日本ではどうなの
316日本@名無史さん:2005/07/11(月) 21:58:40
桓武天皇の生母の10代前の先祖の一人が百済人というだけの話。
先祖を10代遡ったら全部で1024人だから、
桓武天皇に入り込んだ百済の血は2048分の1に過ぎない。
しかもそれが問題視されて、始めは皇太子になれなかったくらいの大騒ぎだった。
2048人の先祖の中に一人でも百済人が紛れ込んでいる者は天皇に相応しくない汚れた血統だという意見が当時はある程度確立していた訳だ。
317日本@名無史さん:2005/07/11(月) 22:07:18
しかも、歴代の天皇の中には養子もいたりして血のつながり自体は何度か途絶えているのでは?
318日本@名無史さん:2005/07/11(月) 22:14:54
え?養子で皇位についた天皇?確認できないけど誰?それとも妄想?
319日本@名無史さん:2005/07/11(月) 22:26:43
>>318
大阪読売テレビの そこまで言って委員会 って番組でゲストで宮内庁の人が言ってたような?
320日本@名無史さん:2005/07/11(月) 22:31:48
ひょっとして携帯のことか?
321日本@名無史さん:2005/07/11(月) 22:34:11
日本の百済王氏の本流は義慈王の王子・余善光→敬福(大仏黄金献上)
高野新笠は傍系でないの
322日本@名無史さん:2005/07/11(月) 22:39:51
>>319 その番組upできる?内容とかもう少し詳しく知りたい。
323日本@名無史さん:2005/07/11(月) 23:19:01
>>322
録画してないのでUPはできないけどグーグルで調べてみると
養子の天皇はしょっちゅうだったらしい

ということは天皇家での百済人の血は全く途絶えてる思う
324日本@名無史さん:2005/07/12(火) 02:53:31
>>323
しょっちゅうあったっていうのなら、ひとつくらいあげられるだろ。
あげて見ろよ、ほれほれw
325日本@名無史さん:2005/07/12(火) 07:50:19
征夷大将軍か何かと混同してる馬鹿なんじゃないのか?
天皇家の場合血統は大前提だから、どんなに遠縁でも必ず血縁者が皇位を継ぐ事になっている。
326日本@名無史さん:2005/07/12(火) 09:19:47

宮家出身者が天皇の養子になることに何か問題が?
327日本@名無史さん:2005/07/12(火) 17:48:02
ユダヤ人説 → Japanese Jewish Resource Links
328日本@名無史さん:2005/07/12(火) 20:24:20
楽浪郡南部人、帯方郡人がのちの百済人となっていく訳で、
すでに当時の百済人は中国人から赤の南方モンゴロイド遺伝子afb1b3を
たーっぷりと注ぎ込まれた南方人化した人種。

gm遺伝子
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
329日本@名無史さん:2005/07/12(火) 20:24:56
5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じで
ある。ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子
パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を
受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などに
よって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会
がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。

http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html

強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
330日本@名無史さん:2005/07/12(火) 20:25:25
日本人からはほとんど南方系のハプロタイプが出てこない。
朝鮮人は2番目に多いハプロタイプに南方系が出てくる。
漢人に犯られた事が原因。

◎本土日本

B52-DR15 8.2%(弥生) > B44-DR13 5.2%(縄文) > B7-DR1 3.6%  

◎韓国

B44-DR13 4.5%(縄文) > ★B44-DR7 3.8%(中国) > B13-DR7 3.4%

>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。

http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html
331日本@名無史さん:2005/07/12(火) 20:26:07






百済人の祖先が流し込まれた中国人の遺伝子なりハプロタイプなりが
日本人にはほとんど見られないという現実。





332日本@名無史さん:2005/07/13(水) 06:40:14
自分たちの歴史を日本に求めて満足しようとする朝鮮人の典型のスレですね。
まあ祖国には誇れるような歴史も文化もないのだからしょうがないのでしょうかね?

今でも韓国はドラマ、歌やお笑い、テレビ、アニメ、お菓子などほとんどが日本のパクリもので出来ていますが
きっと50年後には韓国が日本に伝えたものになってるんでしょうねw

日本刀や茶道、剣道、柔道、サムライ、その他多数が韓国の文化らしいですよ。
しかもその情報を世界に英語で配信しています。
恥ずかしくないのでしょうか?
彼らの歴史はどこまでも創作と空想でできているようですねw

ttp://nandakorea.sakura.ne.jp/html/kigen.html
333日本@名無史さん:2005/07/13(水) 15:19:59
茶道はカトリックの聖体拝受が原型だという説もあります。
334日本@名無史さん:2005/07/13(水) 19:12:21
この人物達は朝鮮系には見えないけれど (中頭が多いし、濃いし、鼻が高い)

ttp://y-hyouma.hp.infoseek.co.jp/retsuden/yoshihuru.html
ttp://www.ndl.go.jp/portrait/datas/28.html?c=0
335日本@名無史さん:2005/07/13(水) 19:14:54
>>334それは天孫族に魂を売った人
【人種論】
日本神話では、いわゆる「天孫{てんそん}民族」が新しくきて、
国土を統一したように伝えている。それを歴史に読み替えて、
天孫民族が日本人、先住民族がエゾですなわちアイヌという理論に
発展した。『類聚国史{るいじゆうこくし}』では、エゾを「風俗部」
に数え、これを一種の「国内殊俗{しゆぞく}」すなわち「国内異民族」
扱いしている。歴史的経過に照らせば、北東日本に拠った「国内異民族」
にあたるものがアイヌであることは、まことに自然である。だから、
エゾをアイヌと考えることは、十分理由のあることである。しかし、
これは、蝦夷をエゾと読むようになった平安中期以降では無条件に正しい
のであるが、蝦夷をエミシ(エビス)とよんでいた古代においては、
これをすぐにアイヌと置き換えるだけの十分な理由がない。古代エゾ観念
は人種観念でないからである。それを、エミシ時代の古代エゾをも含めて、
通して、アイヌか日本人かという二者択一の人種論でとらえようとしてきた
ところに、この議論の誤りがあった。
336日本@名無史さん:2005/07/13(水) 19:15:32
【歴史上の蝦夷観念】
初めエゾという呼称はなかった。エミシ(エビス)であった。
それをすべてエゾと考えてきたところに問題があった。エミシは
もともと「勇者」の意味である。人名にエミシがあるのはこの意味である。
他方、この勇者は、神武{じんむ}歌謡以来、「東の抵抗する勇者」
として意識されるに至っている。「エミシを一人{ひたり}、百{もも}な人 
人はいへども 手向ひもせず」が、皇師東征の歌であることに注意すべき
である。こうしてエミシは「あずまびと」への賤称{せんしよう}という
ことになる。「あらぶる人たち」「まつろわぬ者たち」というのがその
性格規定である。「夷」はヒナとも読んだが、
「あずま」もヒナ=辺鄙{へんぴ}の意味であった。エミシはヒナ人である。
律令{りつりょう}時代に彼らが無法、無道とされるのもこの意味である。
すなわち歴史上のエゾ観念は、政治的、文化的な蛮族観念である。
人種の違いに基づく異民族観念ではないのである。古代国家の統一に抵抗し、
その支配と文化を受け入れないゆえに、体制側からすれば、未開、野蛮な人
たち、その意味での政治的、文化的異民族であったのである。人種上の
異民族であったかどうかは、別途の考察を要する。
337日本@名無史さん:2005/07/13(水) 19:33:44
だめだよう、自作しなきゃぁ富の蓄積がないと
338日本@名無史さん:2005/07/14(木) 02:51:10
日本人と韓国人には生物学的形質に超えられない隔たりがある

ttp://choxets.blog8.fc2.com/blog-entry-219.html
▽ソース:ttp://www.altpenis.com/penis_news/global_penis_size_survey.shtml

日本人5.1in (13.0cm)

韓国人3.7in (09.4cm)プギャー(^Д^)9cm
339日本@名無史さん:2005/07/14(木) 05:43:23
スレタイはアホですがこのスレまじで勉強になります。
自分たちのルーツを知るって神秘的だ。

>332
>彼らの歴史はどこまでも創作と空想でできているようですねw

創作というより妄想ですねw
でも笑っていられないよ。危機感持たないといけない。

>338
平均が9cmってこは太さは小指くらいかな
340日本@名無史さん:2005/07/14(木) 12:47:18
>>339
ユダヤ人だった!!
http://www5.ocn.ne.jp/~magi9/isracame.htm
341日本@名無史さん:2005/07/14(木) 14:29:08
>>335-336

つまり東北は本来ヤマトの土地で平安時代にツングースが政権とって
勇者から蛮族という認識になったのですね。
まさに悪魔の化身ツングース
342日本@名無史さん:2005/07/14(木) 16:26:43
>340
英語分からん。
文化の類似性だけじゃないの?
343日本@名無史さん:2005/07/14(木) 21:25:13
>この人物達は朝鮮系には見えないけれど (中頭が多いし、濃いし、鼻が高い)


2500年くらい前までの朝鮮半島人もそういう顔だったと思われ。
もとは縄文人が進化してYAP+を失った亜種。

弥生人が北方から半島を素通りして日本に消え去った後、
中国人と混血、満州東部から来た弥生人とは別種の北方モンゴロイドと混血
して南方北方混血人種となる。
344日本@名無史さん:2005/07/14(木) 21:30:27
>>343
全羅道あたりには倭人など古モンゴロイド系がいたので
残っているかも、しかしあの辺は半島人の差別の対象らしいし
氏姓制度で絶滅したかもしれないが、少しはいるんじゃないか・・
345日本@名無史さん:2005/07/14(木) 21:38:14
チャンドンゴンみたいなのが本当の土着系朝鮮人だろ。
縄文系に似ている。
346日本@名無史さん:2005/07/14(木) 21:43:19
347日本@名無史さん:2005/07/14(木) 21:59:58
在日は日本人の方がいっぱい顔があると言うが、
日本人から見れば朝鮮人の方が顔の種類が多い。

日本人が縄文人と弥生人の二重構造なのに対して、
朝鮮人は土着系をベースにして中国や満州や北方の各地から
色々な系統が流れ込んで民族形成されたからと考えられる。
348日本@名無史さん:2005/07/14(木) 22:05:11
>縄文人と弥生人

これが既に誤魔化し、ハッキリとしてる、倭人系ヤマトと
土井が浜ツングース出雲人
349日本@名無史さん:2005/07/14(木) 22:20:40
>>348
科学的ソースは?


それと、寄り目がはみ出してるぜw
350日本@名無史さん:2005/07/14(木) 22:33:48
出雲系と大国系、神仏習合系色々あるが
出雲系アマテラスはツングース嫡流

351日本@名無史さん:2005/07/14(木) 22:36:28
だから科学的ソースは?


352日本@名無史さん:2005/07/14(木) 22:41:16
>>351
わざわざ「科学的」ソースなどと言われると、あの手のソースを張ってみたくなるわけだが。
353日本@名無史さん:2005/07/14(木) 22:42:21
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/kodai.html
新羅、高句麗ツングースは
出雲日本海裏日本、関東へと広がったことは明らかだね。
354日本@名無史さん:2005/07/14(木) 22:47:06
もろビビンバサイト貼ってやんのwwww
355日本@名無史さん:2005/07/14(木) 22:51:48
>>354
でもビビンバさんに好かれてるよwwwww
356日本@名無史さん:2005/07/14(木) 22:54:19
出雲はね、中国地方では珍しく縄文系で有名な場所なんだよ。
357日本@名無史さん:2005/07/14(木) 22:56:32
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/4sumiall.htm
古代ビビンバ王国
東北の白虎隊会津も彼らの末裔かもね、吉備のビビンバ埴輪も
彼らの遺跡と関係ありそう。
358日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:00:12
>>356
朝鮮顔ばかりで驚くよ、
漏れも裏日本に住んでいたからよくわかるw
関東人の列島への入り口を貶されて気分が悪いのかもしれんが・・
真実
359日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:02:24
出雲は日本各地から人が参拝に来る古代からの聖地なんだから
出雲の文化が日本各地に伝わるのは当然だろが。
360日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:04:25
>>356
知り合いの島根人はほとんどが縄文顔だ。このヴォケビビンバ!
361日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:05:31
>>359
世間知らずだな、こいつら征服者だよ?
大和人にとっては目の外人だよ目のつり上がった。
君らは出雲朝鮮人そのものだから分からないのよ。
362日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:08:20
ビビンバ妄想が止まらないw

科学的ソースは一切なしwwww
363日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:10:08
ファビョるなw

邪馬台国は九州であるという前提で話を進めるスレ!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1120434956/l50
【毛野】関東に大王あり【武蔵】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105834872/l50
日本人なんていない、コリア系渡(略 U
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1087072485/l50
【裏の歴史】空白の四世紀【タブー】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1085642650/l50
【DNA】西日本は中国系で東日本は半島系か
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1114947979/l50
 日本の支配階層は奈良百済人である! 
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1119646322/l50
【江上】騎馬民族説は今。。。vol.3【波夫】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1120222213/l50
ヤマタノオロチ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/min/1002290828/l50
弥生人⇒優等、縄文人⇒劣等
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/geo/1114177067/l50
朝鮮人に近い県民性の都道府県
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/geo/1086142963/l50
「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか16)
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1119925933/l50
364日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:11:01



朝鮮人は弥生系ではない。

あなた方は中国人から南方遺伝子を入れられた南方人。
満州人から超短頭の遺伝子を入れられた絶壁人種。

よりめ絶壁南方人種。

ビビンバロイド。


365日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:15:23
現実をみろ、鏡をみろ
ねつ造はやめろ、君らは吊り目の東朝鮮ツングース。
外人なんだよ。

366日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:25:33
現実をみろ、鏡をみろ
ねつ造はやめろ、君らは吊り目の東朝鮮ツングース。
外人なんだよ。

俺様こと黒色小頭頬高長顔のっぺら低鼻うすうすハの字眉
離れたほそい寄り目突き出してめくれたビビンバ唇人種には
科学的ソースも根拠もなーにもないんだ。

すぐ嘘がバレちまうからな。

ただひたすらおまえらにビビンバ妄想を聞かせてやろう。
367日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:27:20
92 :通りすがりの医者ですが :03/02/21 14:02
平たく言うと血液型をABOとかRHだけでなく、もっとこう徹底的に分類しまくった
というその世界では有名な調査があります。それによれば糸魚川あたりで関西人と
関東人がくっきり二分できたんですが、その際、関西圏中で出雲だけが完璧な関東
人型を示したんですね。

93 :通りすがりの医者ですが :03/02/21 14:07
中途半端に京都あたりでなく、神の国出雲が関東の飛び地であった
事実に、当時医学生だった私は太古のロマンに夢を馳せ、しばしうっとり
したものでした。

「東日本と西日本 」というスレが立ってますが、二度書くほどの中身でもないので
一応、こちらでご披露させていただきます。
失礼致しました。

94 :通りすがりの医者ですが :03/02/21 14:10
あ、自分の文章ながら、ひとつだけ
つっこませていただければ「関東が出雲の飛び地」なのかもね。

99 :通りすがりの医者ですが :03/02/24 09:41
でも今日はいいことありそうだから気を取り直して教えてあげよう。

オリジナルは北海道大学現第三内科(血液)の業績だけど、
ヒューマンヒストコンパーティビリティを語る上で学生の食いつきの
良い話なので、どこの医学部の授業でも必ず取り上げられてる話なんですね。
まわりで医者でも医学生でも捕まえてヒューマンヒストコンパーティビリティ
ってなに?って訊ねてみ。まともなやつなら先ず出雲の話、し始めるから。
368日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:27:44
686 :日本@名無史さん :2005/07/07(木) 20:54:49
出雲族は関東へ

出雲の姓は関東の地名へ. 出雲古代史に詳しい朴(パクビョンシク)氏は、東部出雲の
人の姓を電話帳で調べ、最も多い姓を次の3群 ... まさに、出雲人の関東への移住は、
県名にまで及んでいたのである。 明治天皇が東京へ遷幸されたのち、最初に詣でたのは ...
www003.upp.so-net.ne.jp/kodaisi/kantou.htm - 12k - キャッシュ - 関連ページ

数々の朝鮮系神社、朝鮮由来の地名、高麗山、高麗川、高句麗国(神奈川、埼玉)、新羅国、朝鮮人の国

関西と関東の昔の関係は大和と新参朝鮮人か、、、、、
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369日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:32:39
俺達は差別はしないからw
吊り目の出雲朝鮮人さんよー
370日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:37:18
ビビンバの妄想展示会かw
371日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:37:53
君たちはヤマトではないんだ、出雲ツングースなのです。
ちなみに蝦夷(えぞ)として東北で人殺しをしたのも
君たち出雲ツングースだよ、悪魔(化け物顔)。

ヤマトにとっては蝦夷(えみし=えびす=抵抗する勇者)は
立派な大和人でした。
372日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:39:10
373日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:42:03

大和系が少し混じってるからだよ。
現実には出雲ツングースは人殺し吊り目人種だと思うぜ。
悪魔(化け物貴兄顔)
374日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:45:33
科学的ソースを出さない限り、
いつものただの朝鮮人の戯言なだけwwww
375日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:46:27
【人種論】
日本神話では、いわゆる「天孫{てんそん}民族」が新しくきて、
国土を統一したように伝えている。それを歴史に読み替えて、
天孫民族が日本人、先住民族がエゾですなわちアイヌという理論に
発展した。『類聚国史{るいじゆうこくし}』では、エゾを「風俗部」
に数え、これを一種の「国内殊俗{しゆぞく}」すなわち「国内異民族」
扱いしている。歴史的経過に照らせば、北東日本に拠った「国内異民族」
にあたるものがアイヌであることは、まことに自然である。だから、
エゾをアイヌと考えることは、十分理由のあることである。しかし、
これは、蝦夷をエゾと読むようになった平安中期以降では無条件に正しい
のであるが、蝦夷をエミシ(エビス)とよんでいた古代においては、
これをすぐにアイヌと置き換えるだけの十分な理由がない。古代エゾ観念
は人種観念でないからである。それを、エミシ時代の古代エゾをも含めて、
通して、アイヌか日本人かという二者択一の人種論でとらえようとしてきた
ところに、この議論の誤りがあった。
376日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:46:50
【歴史上の蝦夷観念】
初めエゾという呼称はなかった。エミシ(エビス)であった。
それをすべてエゾと考えてきたところに問題があった。エミシは
もともと「勇者」の意味である。人名にエミシがあるのはこの意味である。
他方、この勇者は、神武{じんむ}歌謡以来、「東の抵抗する勇者」
として意識されるに至っている。「エミシを一人{ひたり}、百{もも}な人 
人はいへども 手向ひもせず」が、皇師東征の歌であることに注意すべき
である。こうしてエミシは「あずまびと」への賤称{せんしよう}という
ことになる。「あらぶる人たち」「まつろわぬ者たち」というのがその
性格規定である。「夷」はヒナとも読んだが、
「あずま」もヒナ=辺鄙{へんぴ}の意味であった。エミシはヒナ人である。
律令{りつりょう}時代に彼らが無法、無道とされるのもこの意味である。
すなわち歴史上のエゾ観念は、政治的、文化的な蛮族観念である。
人種の違いに基づく異民族観念ではないのである。古代国家の統一に抵抗し、
その支配と文化を受け入れないゆえに、体制側からすれば、未開、野蛮な人
たち、その意味での政治的、文化的異民族であったのである。人種上の
異民族であったかどうかは、別途の考察を要する。
377日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:57:11
↑よりめ妄想wwww
378日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:58:21
百科事典の記述などを引用しております。
379日本@名無史さん:2005/07/15(金) 00:08:37
創作にな。
380日本@名無史さん:2005/07/15(金) 00:12:13
殺りく吊り目ツングース。
人類至上最低最悪の醜悪な悪魔人種
381日本@名無史さん:2005/07/15(金) 00:14:43
自分自身に言ってるんだろw
382日本@名無史さん:2005/07/15(金) 00:22:51
いまどき朝鮮人の言う事なんか信用する馬鹿は居ない。
383日本@名無史さん:2005/07/15(金) 00:26:14
東:毛人
西:倭人
384日本@名無史さん:2005/07/15(金) 00:36:50

蝦夷は必ずしも毛人とは限らないみたいだよ、
大和朝廷までは東国一帯も大和勢力であった。(平和な世の中)
平安期に入り徐々に蝦夷(えぞ)が征伐の対象となるみたいです。
出雲系の勢力、渡来人が力つけ始めてからであろうか。
この頃朝廷も朝鮮顔が目立つようになる。(京都人)
385日本@名無史さん:2005/07/15(金) 01:06:59
人類至上、容貌、性格最低最悪の極悪人種ツングース。
人類のゴミ、世界のゴミ。悪魔
386日本@名無史さん:2005/07/15(金) 01:35:29
日本の神話が北欧やギリシャ神話と類似点が多いのはなぜだろう
387日本@名無史さん:2005/07/15(金) 04:57:18
日本神話では海幸彦の子孫が隼人で、山幸彦の子孫が大和なんだそうな。
388日本@名無史さん:2005/07/15(金) 13:03:15
隼人もヤマトもいずれにしても先住民族の血をひくものであろう。
ヤマトが列島の侵略者のごとく
ねつ造してきた吊り目ツングースは
真実を明かせ。
389日本@名無史さん:2005/07/15(金) 15:59:20
>>386
世界中の神話の要素がふくまれてる・・・と、19世紀に日本に来た西洋人は驚いてる
390日本@名無史さん:2005/07/15(金) 16:03:10
厩戸皇子なんてイエス・キリストの話そのまんまだしな
391日本@名無史さん:2005/07/15(金) 16:03:39
ごまかすな
392日本@名無史さん:2005/07/15(金) 16:04:18
その神話の最終形が天皇の顔、スンダランドの
ツングース化。
393マングース:2005/07/15(金) 16:05:58
馬鹿の一つ覚えみたいにツングースツングースとやかましいぞ。
394日本@名無史さん:2005/07/15(金) 16:12:25
出雲ツングースはキチガイ、変態顔ですが・・
395日本@名無史さん:2005/07/15(金) 16:16:51
土井が浜出雲ツングースが吊り目遺伝子を東国へ広め
後にヤマト(倭奴=アイヌ=土着縄文人)を殺した。
殺りく人種、出雲土井が浜ツングース。
396日本@名無史さん:2005/07/15(金) 16:29:29
ツングース【Tungus・通古斯】
シベリアのエニセイ川からレナ川・アムール川流域やサハリン島、中国東北部に
かけて広く分布するツングース諸語(アルタイ語の一つ)を話す民族の総称。
漢代以降の鮮卑、唐代の靺鞨まつかつ・契丹きつたん、宋代の女真じよしん、
満州族などを含む。狭義にはそのうち北部のエヴェンキ族を指し、生業は狩猟・
漁労・採集、トナカイ・馬・牛の飼育等を主とする。

[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
397日本@名無史さん:2005/07/15(金) 18:19:00
歴代天皇はなぜみんな鷲鼻なんだろう? (ツングース系は鷲鼻じゃないよな)

もしかしてユダヤ系なんじゃ
Japanese Jewish Resource Links
398日本@名無史さん:2005/07/15(金) 18:31:51
奈良百済説は、任那が日本から朝鮮への足がかりだとわかった時点で否定される説。
地下から出てくる遺跡も、日本から朝鮮への人の伝播を示している。
今後、百済の王族が日本由来だと言う説が出てくるか?
399日本@名無史さん:2005/07/15(金) 18:37:09
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/4sumiall.htm
古代ビビンバ王国の
本家本流、馬鹿ん頭源氏吊り目ねつ造、情報工作員政権。
400日本@名無史さん:2005/07/15(金) 18:41:56
百済は半島西南部に追いやられた半島の最後の先住民族勢力だろ
新羅政権以降差別の対象だし、氏姓制度は金、白でツングースの血を
濃くしてるから百済の先住民族の血なんか残ってないだろ。
日本もそうなるよ、みんな天皇顔に
401日本@名無史さん:2005/07/15(金) 18:51:56
三韓は倭とは別だろ本来、しかし顔は似てたよ
縄文人だもん。しかし次第に北の方から目のつり上がった
出雲朝鮮人が下ってきて、一部は倭と同盟結んだね。
しかし、三韓も分裂し次第に新羅一色になったのであろう。
402日本@名無史さん:2005/07/15(金) 22:05:29
百済王の誰だったかは日本列島出身だったという記録が残っている。
倭国で生まれた百済人なのか、倭人が属国の王として異動になったのかは分からん。
403日本@名無史さん:2005/07/15(金) 22:09:14
>>328
>楽浪郡南部人、帯方郡人がのちの百済人となっていく訳で、

はぁ?
404日本@名無史さん:2005/07/15(金) 22:21:58

少なくとも百済の貴族の名前は日本風だよ。
当時の日本人の貴族の苗字とそっくりだ。
百済も殆ど倭人の国だったのだろう。
405日本@名無史さん:2005/07/15(金) 22:31:36
新羅人も唐に朝貢して唐風に創氏改名する以前には、
倭人風の民族名だった。
406日本@名無史さん:2005/07/15(金) 22:33:56
ただ、新羅人は百済、倭人と習俗宗教が異なるので・・
407日本@名無史さん:2005/07/16(土) 13:58:55
>>402
前者。倭の庇護下にあった。
408日本@名無史さん:2005/07/16(土) 16:52:49

百済の前身

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
409日本@名無史さん:2005/07/16(土) 18:22:31
倭が大陸に進出したのは、朝鮮半島が群小集落が主流の時代だった。
その後、倭は百済の成立に対し干渉した。百済と倭の親密さはそれ故。

天皇家と半島との繋がりを主張する人もいるが、この説なら半島と繋がるには
高野新笠の登場を待つしかない。
410日本@名無史さん:2005/07/16(土) 19:24:03
>関ヶ原の戦いで、東軍=徳川軍が、西軍に勝った後、
>徳川家康公は、大規模な国替えを行い、
>重要地帯である関東周辺−関西周辺間を、ほぼ全て、徳川一門の大名・徳川恩顧の大名で固め、
>もとからいた外様大名は、勢力の大きかったものを中心に、とりつぶすか、西日本の僻地・東北の僻地に追放し、
>追放先には、監視・けん制の為、徳川一門の大名・徳川恩顧の大名を適数、置いた。

>関西の支配層=武士階級は、ほぼ全て、徳川一門の大名・徳川恩顧の大名と、その臣下=関東武士・東日本武士に入れ代わって、
>もとから関西にいた外様大名と、その臣下は、西日本の僻地・東北の僻地に追放され、
>残った関西の庶民は、関東武士・東日本武士の支配下に置かれた。

>だから、関西に意外と縄文顔の人がいたり、東北に意外と朝鮮顔の人がいたりする。

>>関ヶ原で西軍がどうなったと思っている、
>>大名は打ち首・遠島、領土は召し上げ、さらに豊臣恩顧の大名は、
>>10年以内に、その殆どが、つまらん理由で潰されている。

>下の近畿の大名を見てみな。

>重要地帯である関東周辺−関西周辺間は、親藩・譜代藩が圧倒的に多く、
>関西周辺を除く西日本・東北は、外様藩が圧倒的に多い。
>ここから、武士階級が中心であるが、住民の系統がわかる。

>※親藩=徳川一門の大名の藩
>譜代藩=徳川恩顧の大名の藩
>外様藩=関ヶ原の戦い以後、徳川側についた大名の藩

http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

>日本は、徳川家・関東武士・東日本武士を中心とした、サムライの国である。マンセー。
411日本@名無史さん:2005/07/16(土) 19:25:10
>>1
宗教というのは人に押し付けてはいけない
信仰は自由だが
それは自分の胸のうちに収めて置きなさいw
412日本@名無史さん:2005/07/16(土) 19:29:05
199 名前:日本@名無史さん 投稿日:2005/03/09(水) 01:23
神道が古代宗教とすると、新しい宗教はもちろん大陸からもたらされた仏教で
蘇我氏など渡来系貴族は仏教を中心に結束していた。
物部・中臣などは神道をまつり、仏教をはげしく排斥した。

蘇我氏は渡来人として血縁はもちろん、大陸の言葉もつかえたであろうから
海外との交易・交流で財をなし、朝廷での発言力も財務担当の大臣として
じょじょに強まっていった。
だが物部は朝廷の軍事を司るというから、これは容易な敵ではない。
じじつ、さいしょは蘇我は物部より小さく、婚姻関係をむすぶことで機嫌を
うかがってきた。

蘇我氏は馬子の時代に物部氏を滅ぼしたが、数万の軍勢の戦いであったというから
古代の大戦争であった。
物部氏は本国を攻め取られ、男は殺され女は犯しつくされたという。
このとき、おそらく何十万が女奴隷となり朝鮮人の子を産まされたはずだ。


だから、天皇家がまちがいなく弥生系で、関西人の祖先も弥生系だとしても、
物部の敗北で犯しつくされ、全員朝鮮人に生まれ変わったというのが真実。


蘇我氏なんてしらね、全員滅亡しただろ?とDQNは思ってそうなので1つ。
奈良盆地南部には蘇我川が流れてます。そう曽我川です。
ようするに蘇我さんは、曽我さんになったのですね。そう、日本全国にいる曽我さんです。
四国に長曽我部なんて大名もいましたよね。そんな調子で子孫はいっぱいいます。
もし大化の改新がなければ「曽」は「蘇」でしょう。

蘇我川を支配してたから蘇我氏。つまり奈良盆地は蘇我の領地ですw
奈良といえば、幼女誘拐の小林薫さんですね。
ああいう顔の人がいっぱい住んでます。
413日本@名無史さん:2005/07/16(土) 20:04:09
論じること自体が悪
日本人は日本人これが結論
414日本@名無史さん :2005/07/18(月) 02:38:18
渡来人⇒トライ人⇒挑戦人⇒朝鮮人?
 そんなはずねーだろ。
渡来人、渡来人とうるさい奴らめ。
そもそも半島南部は日本の勢力化にあったのシラネーの?
古代の古墳やらシナの歴史書やら記紀やら広開土王碑やら
証拠は腐るほどアルだろ。満州みたいに日本人いっぱいだ。
それがだ、白村江の戦いで、みーんな日本に帰るべ、と
なったんだな。特に日本から向こうへ行ったものは帰りたいべ。
そんな連中が渡来人なんだな。つまり日本人というわけだ。
多くの日本人が残された半島南部は半島人に差別され
それは現在も続いているように見えるんじゃね?
帰ってきた者で日本本土は初めてで先祖の墓が無い者は
神社を建てたりしたんだろ。
つまり413の言うとおり。
415日本@名無史さん:2005/07/18(月) 02:51:04
一部同意だけど、神社神殿は白村江よりもっと後に作られるでしょ、
それに、日本が単一民族というのは嘘、それで国民を騙して
稼いでる氏族集団もあるくらい。苗字を許されなかったヤシらは
彼らの犠牲者だぞ、そこは解明していかんとならん。
416日本@名無史さん:2005/07/18(月) 03:09:03
談合トラストって地縁・血縁が根にあるのよ
それを江戸時代徹底的に断絶させられた一般人は
支配階級的氏族から今も経済的不利益を受けていると考えられる。
在日が結束して経済力を付けているのと性質は同じ。
417日本@名無史さん :2005/07/18(月) 04:55:31
倭と百済の仲のよさ?
何人も王族を人質に出して安全保障を結ぼうとするわ
国が滅びかけた時には助けられるわ
そりゃ百済は倭に足向けて寝られんさ。
418日本@名無史さん:2005/07/18(月) 11:39:29
ミトコンドリアDNAで鑑定しろ
419日本@名無史さん:2005/07/18(月) 11:48:09
みんな地図を見て想像しているね
朝鮮半島なんて平城以外山地でとても文化が栄えるところではない
ソウルも平城平野の南端に位置する
地図で色が塗られているということと勢力があったということはまったく別
アフガニスタンを見ればわかるだろ?
カルザイはカブール市長に過ぎない
420日本@名無史さん:2005/07/18(月) 18:15:45
蘇我氏は渡来人ではない
蘇我氏が地名になったのではない、武内氏が領地の地名をとって蘇我をなのるようになったんだろ。やれやれ

韓人というのは蝦夷とならぶ蔑称。
421日本@名無史さん:2005/07/18(月) 18:32:54
仏教を取り入れた理由は、神道(アマテラス)をもって政治的に
深く関与する部族に対抗する為に日本内の民族とは一切無関係な
仏教を広めること彼らの力を弱めようとしたのでは?
422日本@名無史さん:2005/07/18(月) 18:52:08
それは単なる空想だな
もしかしたらそうだったのかも知れないが、別な理由があっただけなのかも知れない。
教義が非常に論理的である仏教には、数多の異教とは比較にもならない圧倒的な説得力があるんだから。
423日本@名無史さん:2005/07/19(火) 07:29:28
>>166
当時の東アジアではズボンは、どの民族問わず普及的だったのでは?
少なくとも倭の豪族層はそのファッションを導入してる
庶民は巻頭衣だったのかな?
424日本@名無史さん:2005/07/19(火) 08:51:52
>>庶民は巻頭衣だったのかな?

鍬を担いだ埴輪が存在するんだが,それを農民を象ったものとするなら
ちょうど豪族の衣服から袴のみを脱いだ感じだったのではないかと。
後世の浴衣の丈をヒザ辺りまでにした感じの。
425日本@名無史さん:2005/07/21(木) 22:09:45

百済の前身

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。

百済の前身

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
426日本@名無史さん:2005/07/23(土) 13:10:23
5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じで
ある。ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子
パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を
受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などに
よって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会
がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。

http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html

強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
427日本@名無史さん:2005/07/23(土) 13:26:40
どの国民が単一民族か

医学的には、韓国人、タイワン人、日本人の中で日本人が最も単一民族に近い。

ttp://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2001010317828
428日本@名無史さん:2005/07/23(土) 14:28:42
HLA遺伝子で日本人からはほとんど南方系のハプロタイプが出てこない。
朝鮮人は2番目に多いハプロタイプに南方系が出てくる。
漢人に犯られた事が原因。

◎本土日本

B52-DR15 8.2%(弥生) > B44-DR13 5.2%(縄文) > B7-DR1 3.6%  

◎韓国

B44-DR13 4.5%(縄文) > ★B44-DR7 3.8%(中国) > B13-DR7 3.4%

>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。

http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html
429日本@名無史さん:2005/07/23(土) 14:30:25






百済人の祖先が流し込まれた中国人の遺伝子なりハプロタイプなりが
日本人にはほとんど見られないという現実。





430日本@名無史さん:2005/07/24(日) 17:24:31
431日本@名無史さん:2005/07/25(月) 18:06:42
432日本@名無史さん:2005/07/26(火) 12:05:49
亜種を含めたら数倍になる、朝鮮人の最多ハプロタイプ・B44−DR13は、縄文人のHLAの1つではなく、
渡来人のHLAの1つ。

もし、亜種を含めたら数倍になる、朝鮮人の最多ハプロタイプ・B44−DR13が、縄文人のHLAの1つなら、
朝鮮人は、沖縄人やアイヌ人と同じ縄文系という事になるが、
朝鮮人に縄文顔の人は、10人に、1人か2人しかいなく、非常にマイナーな存在。


朝鮮人が縄文系に見えるなら、あんた、精神病院に行ったほうがいいよ。


韓国人には、
琉球系縄文人=沖縄系縄文人の遺伝子が約17%しかなく、
アイヌ系縄文人の遺伝子が約1%しかなく、
非常に、マイナーな遺伝子。


縄文人のmtDNAは琉球人によく見られるタイプのmtDNAとして現れるが、
意外な事に、韓国人の方が縄文人のmtDNAが本州日本人より僅かに多い。
その分、本州日本人(伊東市)にはアイヌのmtDNAが入ってくる。
アイヌは東日本までは確実に南下したようだ。

http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm
433日本@名無史さん:2005/07/26(火) 19:59:22
434日本@名無史さん:2005/07/31(日) 12:18:06
>>1
お前の事が書いてあるぞ

http://homepage1.nifty.com/eggs/narcis.html
435日本@名無史さん:2005/08/13(土) 11:41:14
昨日、出雲大社に行ったら雲太で説明員が「日本は百済の半植民地だった」と言ってた。阿呆らしいし時間
がないからから反論しなかったが、行く機会がある人はこのおもしろ解説を聞いてみたら。おたっぽい二人
組が解説員。一緒に行った彼女は一言「あの人たちキモイ」と言ってた…。こいつらこんなこと言うってこ
とは、解説員なのに歴史に詳しくなかったのかなあ。
436日本@名無史さん:2005/08/22(月) 00:30:10
437日本@名無史さん:2005/08/22(月) 05:04:02
>>435
出雲大社に抗議しる
438日本@名無史さん:2005/08/27(土) 12:28:26
432が朝鮮人の工作だとすぐに分かる人は中級レヴェル以上。
439日本@名無史さん:2005/09/03(土) 23:05:57
倭と百済は一体だったのではないか、紀元前に白木人が捕虜として大量に倭に来たので
京都の開発もできたし、あとから来た百済人は朝廷に厚遇されて華やかな役職についたが、新羅人は
土木工事とかきつい仕事ばかりさせられて、いやになっちゃった。
440日本@名無史さん:2005/09/03(土) 23:26:13
>>439
そうなの?新羅人の方が厚遇だと思ったが
441日本@名無史さん:2005/09/03(土) 23:34:54
新羅人も百済人も高麗人も任那人もきてるよ。
任那が滅亡して三国抗争が激化してから
百済優遇がはじまった。
442日本@名無史さん:2005/09/04(日) 00:49:45
朝鮮を支配したのは日本である
443日本@名無史さん:2005/09/04(日) 00:52:17
来てるだろうけど、日本の中枢が何系なのかって事が
知りたい。少なくとも倭人伝に描かれている倭人のようにはみえない。
新羅か百済なのか?漏れは新羅だと思っている。
中枢が一番重要でただの一般人なら他の倭人と同等程度しか
増えない、しかし政治的に高い位置にあると瞬く間に増殖してしまう。
444日本@名無史さん:2005/09/04(日) 01:04:44
日本は昔から倭人の国だよ。
新羅も百済も古代から日本国内では支配下の少数民族に過ぎない。
445日本@名無史さん:2005/09/04(日) 01:53:13
支配階層は変わってると思うね。
まず古代倭人ではない。
446日本@名無史さん:2005/09/04(日) 02:03:43
思いつきでそんな事を言われても何の説得力も無い。
朝鮮半島では倭が圧倒的な国力で新羅や百済を属国にしていたのに、
どうして倭人だらけの列島では少数の下っ端にすぎない新羅人や百済人が支配層になれたりするんだよ。
447日本@名無史さん:2005/09/04(日) 03:19:27
帰化氏族の位階のトップは従五位の下(地方官)どまり。例外が
倭に残った義慈王の王子(余善光)と、桓武天皇の高野の新笠と父親。
448日本@名無史さん:2005/09/04(日) 04:03:56
こっちのスレも注目してあげてね

*倭人、弥生は東日本を侵略していない*

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1125130790/
449日本@名無史さん:2005/09/04(日) 05:05:43
在日が夢見てるようだが
朝鮮半島統一したら在日は帰らないといけないんだよ
450日本@名無史さん:2005/09/04(日) 05:26:00
あのさ、支配階級変わったなら、なぜ祭事や年行事が変化しなかったの?
俺それがしりたい。
451日本@名無史さん:2005/09/04(日) 08:48:33
銅鐸から銅鉾に変わりました、今来た渡来人はあまり出世しなかったが、紀元前にきた
白木人は日本の骨格を造った、人も、都市開発も、法律整備も
そこで邪馬台国は九州にあり、新型は
452日本@名無史さん:2005/09/04(日) 08:49:53
>>451
仏教国から来たのに神道を根絶しないんだね、大陸の文化ってそういうの根絶するんじゃねぇの?
453日本@名無史さん:2005/09/04(日) 09:40:31
>>447
漏れはアホか。
物部氏、蘇我氏、秦氏も渡来系。皇族に至っては滅亡した公孫氏の外戚か
臣下だぞ。従五位の下どころではない。
454日本@名無史さん:2005/09/04(日) 09:43:22
物部って関東の鈴木と同系らしいけど、どういう繋がりだろう。
455日本@名無史さん:2005/09/04(日) 09:51:40
物部と蘇我は渡来系じゃないよ。
秦氏はもともとペルシャだから新羅でも百済でもない。
456日本@名無史さん:2005/09/04(日) 10:06:59
>>1在日乙。
4571:2005/09/04(日) 10:38:06
>>456おっす,帰化人くん。
458日本@名無史さん:2005/09/04(日) 11:06:07
チョンのみんな。
残念ながら君達が受けた歴史教育はアカデミズムの吟味に耐える説得力が無いそうだ。

つまり精神異常を起こすくらいにみすぼらしい歴史を歩んで来たチョンが、
日本に対する劣等感を癒す為に事実を歪曲してるだけと考えられている訳なんだな。

15世紀以前の文献が伝わっていない朝鮮半島とは違って、
日本や支那には膨大な史料が現存している。
朝鮮人程度の知的水準で日本史をネジ曲げるのはかなり困難という事だよ。

そういう無駄な努力にばかり励んでないで、
現在は未来の為に自己を磨き、いつの日にか日本人を実力で乗り越える事を目指したまえ。
日本人は未来を切り開く努力に関しては世界で最も努力しているよ。

そんな日本にこれから追い付き、追い越す為には過去の歪曲なんかやってる暇は無いぞ。
459日本@名無史さん:2005/09/04(日) 11:24:59
朝鮮人にそれが分かっているようなら、現在これほど日本との差が開く事もなかった。
460日本@名無史さん:2005/09/04(日) 12:59:44
>>458
いまだに邪馬"台"国とか教科書に書いてる国の椰子が偉そうアルね。
461日本@名無史さん:2005/09/04(日) 13:48:49
古代日本の国名を支那人がどう表記しようと日本人には無関係アル
462日本@名無史さん:2005/09/04(日) 15:29:00
『親日派の弁明』の作者が、歴史上の人物の子孫に対する名誉毀損の咎で賠償命令喰らいましたね。
韓国にマトモな歴史アカデミズムが存在しないことがまた立証されたわけですが。
463日本@名無史さん:2005/09/04(日) 19:16:45
秦人はのちの漢人、前の燕人。華北人。中央モンゴロイド。
夫余はのちの高句麗人。満州東部人。北方モンゴロイド。
韓人は6000年以上前に日本から渡った先住民。北方古モンゴロイド。

モンゴル方面から北方モンゴロイドの倭人が朝鮮半島西岸を通過して
渡海して日本へと消えていった後から、燕人に始まる中央モンゴロイドの
華北人が徐々に朝鮮半島に入植し始め、続く秦人、続く漢人でついに
半島全土は侵略され、楽浪を通して歴代の華北王朝の支配下に置かれたが、
ようやく満州東部から倭人とは別種の北方モンゴロイドの高句麗が侵入して
楽浪を滅ぼし、ここでようやく中央モンゴロイドこと華北人による400年
以上にも及ぶ朝鮮支配は終焉を迎えた。
464日本@名無史さん:2005/09/04(日) 19:19:00
中央モンゴロイド(中央蒙古人種)は華北に広がる人種で、
南方モンゴロイドと同系統の先住民に6000年前に北方新モンゴロイド
が侵入して交配した混血人種である。

中央モンゴロイドは北方新モンゴロイドや南方モンゴロイドのように
自然に進化して誕生した人種ではなく、両者の交雑によって生じた。

朝鮮人は3割ほどの土着の北方古モンゴロイドと3〜4割の中央モンゴロイド
と3〜4割の数種類の北方新モンゴロイドと交雑した人種と考えられる。

朝鮮人の血の半分以上は新モンゴロイド由来であろうが、遺伝学から
日本の北方新モンゴロイドとは別系統という事も分かっている。

重要な事は、朝鮮人は中央モンゴロイド(南方モンゴロイドと北方新モンゴロイド
の混血人種)を通して間接的に入ってきた北方新モンゴロイドの血も
あるという事で、これが日本人とは大きく異なる特徴の一つでもある。
465日本@名無史さん:2005/09/04(日) 20:43:48
長曽我部氏は、泰氏の後裔を称していた。
泰氏は古代の有力な渡来民族で、
秦の始皇帝の子孫
466日本@名無史さん:2005/09/04(日) 21:00:42
今は、ロッポンギヒルズだがね・・・
467日本@名無史さん:2005/09/05(月) 09:51:09
蘇我氏が新興宗教の仏教を入れて、古い守旧派を追放したのは、いまの郵政
民営化で、外国の進歩的な社会にするために、反対はを刺客で壊滅させるのと
同じで、退化の改心の平成の改心を実行する物です
468日本@名無史さん:2005/09/05(月) 18:22:19
百済系が支配層にしては百済王族やけに日本の朝廷内で扱い低いな。
下級貴族だろ、あれ。
469日本@名無史さん:2005/09/05(月) 18:35:00
>>1
本国で読んだ電波在野の説を日本に来てまで書くなよ朝鮮人
470日本@名無史さん:2005/09/05(月) 18:41:38
百済王氏は文字通り百済から逃げ出した王族だよ。
移住した日本では良くて下級貴族どまりの下っ端に過ぎなかったけど。元から百済の国自体が日本の属国だったんだから、
昔から日本社会ではたいした家系じゃない。
471日本@名無史さん:2005/09/05(月) 18:54:41
百済王家は日本に来亡命したが、
会社で言えば、よくて課長、まあ、係長クラスだモナ。
472日本@名無史さん:2005/09/05(月) 19:25:08
亡命キューバ人みたいなもんだな。
473日本@名無史さん:2005/09/05(月) 19:29:20
>>469
ごめんなさい、ゆるして
474日本@名無史さん:2005/09/05(月) 19:47:03
>>473
だめニダ。
475日本@名無史さん:2005/09/05(月) 22:34:43
百済人よりも先にきてた白木人が足場を固めていたので、政権争いでもよく負けました、
 やけになって、競艇に狂ったりしたが、朝廷が熱くもてなしたので、大阪では百済郡を設けて住んで
もらいました。皇室と親戚やったかも
476日本@名無史さん:2005/09/05(月) 22:39:10
>>475 百済王の姫だったと思うが、時の天皇に嫁いだはず
側室だったと思ったけど・・・・一応国王だったから・・・微妙
ちなみに、今の朝鮮人は百済人の末裔じゃないよ。漢人系の異民族。
捏造中だからそれを朝鮮半島でいうと大変な目に会うよ
477日本@名無史さん:2005/09/05(月) 23:48:04
昔の渡来人と今の朝鮮半島人が同じだったら、
今の日本と韓国の経済・技術・文化の差はなんなのさ。
今の半島人がまったく別の生き物であることは歴然だよ。
478日本@名無史さん:2005/09/05(月) 23:49:48
sageてしまった…orz
age!
479日本@名無史さん:2005/09/06(火) 00:12:21
>>477
朝鮮人は同じ民族だと教え込まれて信じているから困ったことになっている。
日本人でも一部の人が勘違いしてるし・・・・・・俺も歴然だと思うが・・・・
まあ、それを誤魔化す為にやっきになって、韓国で捏造、日本批判をしてるわけなんだけどね。
ちなみにそういうことを学校の社会などで言おうものなら、その教師はバッシングを受ける始末。
だからこそ、こういう題名が成り立つわけだし
480日本@名無史さん:2005/09/06(火) 03:15:18
>>447>>455が正しい(秦がもともとペルシアというのはどうかと思うが)

>>453は典型的な朝鮮デンパ。秦氏が渡来系というのしか合ってない。
481日本@名無史さん:2005/09/06(火) 12:33:37
日本人の血の30%は半島や大陸からの日本へ来た帰化人である
その帰化人の内訳は半島では新羅に国を滅ぼされた百済、高句麗の人々
大陸では漢民族に、国を滅ばされた人々である
その中でも技術者や知識人、貴族などが多く日本に逃げ込んできた
だから日本人は中国人や朝鮮人に比べて優秀である。
でも今の中国人と朝鮮人と今の日本人は全く別物である。

これが俺の歴史認識。どうかな?
482日本@名無史さん:2005/09/06(火) 14:07:57
>>481 俺の認識もほぼ一緒!
強いてあげれば
>日本人の血の30%は半島や大陸からの日本へ来た帰化人
のパーセンテージをもっと上げてもいいかなと思っている。
俺の認識だと弥生人も外来者なので、原住民のと混血がもっと進んでそう。
勘違いだったらごめん
483日本@名無史さん:2005/09/06(火) 16:23:54
四隅墓を残した出雲・武蔵族これが本州の最初の本格的渡来人
彼らは新羅の三崎を熊野にくっつけるという
独特の神話を持っている北方系ツングース。
極めて凶暴、戦闘能力たかし。

同じ頃、江南東南アジア地域から隼人の渡来がある、彼らはイジャナギ/イジャナミの祖先
ではないか?九州沿岸部、瀬戸内、紀伊半島域に広がる、温厚な性質を
持っている。

東北にも沿海州を中心とした別の渡来があるようです。

また、大和朝廷の背いた隈背、土蜘蛛、隼人征伐に
渡来した畠姓、辛島氏、勝姓が文献に顕れる最初の本格的渡来人だろう。
彼らを利用し本州の朝廷は力をつけていった、まさに神降臨であった。
484日本@名無史さん:2005/09/06(火) 16:37:31
渡来人の勝浦などが本州全域に広がるが、
やはり旧権力倭(九州)を
征伐した事に対する証ではないか?
485日本@名無史さん:2005/09/06(火) 16:43:19
畠姓、辛島氏、勝姓このあたりは所謂エリート階級。
もっと開発に従事した労働者階級の渡来も無数にあったでしょうね。
開発の遅れた地域を開拓してくれた、縁の下の力持ち。
486日本@名無史さん:2005/09/06(火) 16:50:28
物部は出雲・武蔵族、
蘇我氏は百済系、
中臣(朴占、藤原)は対馬の豪族、
中臣は隼人か北方系の血を引いているかも。
487日本@名無史さん:2005/09/06(火) 16:52:41
本州の主要な豪族はそういったとこです。
四国、九州、瀬戸内にはまた別の古代氏族がいて
これがまた面白い。
488日本@名無史さん:2005/09/06(火) 17:32:15
つまり、倭は滅び日本という
本州人と渡来人を中心とした
国が出来たという事ではないか。
489日本@名無史さん:2005/09/07(水) 01:17:15
で、いつ頃、半島と縁を切ったの?
490日本@名無史さん:2005/09/07(水) 05:48:14
七世紀、百済と高句麗が滅亡した時に半島とは縁が切れた。
491日本@名無史さん:2005/09/07(水) 11:01:48
聖徳太子の付き人が高句麗人なので、不思議に思います、普通はその系統で
執事とかを選ぶのではないか
492日本@名無史さん:2005/09/07(水) 12:15:54
国内権力闘争に外圧を利用したのだろうな〜
493日本@名無史さん:2005/09/07(水) 19:57:55
いまでもアメリカに逆らうと○○されるのだろうな、総理でも
494日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:53:25

◎HLA遺伝子 B52-DR15(B52-DR2)の頻度



本土日本人 8,6%、 沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル人  5,9%



日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm
495日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:54:00
渡来系は単一種が西日本で人口爆発して拡散したもの。

◎HLA遺伝子 B52-DR15(B52-DR2)の頻度

西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
496日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:54:30

●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族
が朝鮮王に封ぜられたといわれる。

●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が
朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で
ある王険城を都とし、3代約90年間存続。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
497日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:56:01

5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じで
ある。ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子
パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を
受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などに
よって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会
がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。

http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html

強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
498日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:57:26
HLA遺伝子で日本人からはほとんど南方系のハプロタイプが出てこない。
朝鮮人は2番目に多いハプロタイプに南方系が出てくる。
漢人に犯られた事が原因。

◎本土日本

B52-DR15 8.2%(弥生) > B44-DR13 5.2%(縄文) > B7-DR1 3.6%  

◎韓国

B44-DR13 4.5%(縄文) > ★B44-DR7 3.8%(中国) > B13-DR7 3.4%

>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。

http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html
499日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:59:08
弥生人は朝鮮半島から渡来したんじゃなくて、モンゴル以北から
朝鮮半島を素通りして日本に渡来したのである。

朝鮮半島は弥生人に素通りされただけで、朝鮮半島には弥生人は
ほとんど定着していない。

だから、日本人とモンゴル人は最大のハプロタイプが同じで、
同祖を高頻度に共有しているが、朝鮮人にはこのハプロタイプが
わずかしか見られない。

その代わり、朝鮮人には中国人に多く見られるハプロタイプが見られる。
これが日本人にはほとんどない。

日本に弥生人がやって来た後、朝鮮半島は中国に侵略されたからである。

朝鮮半島人はハプロタイプが日本人と6割以上も違う異人種である。
500日本@名無史さん:2005/09/07(水) 23:00:09
日本人の遺伝子から土着系(縄文系)を除いた部分を多くの遺伝学は
必ずブリアートからモンゴルあたりを指し示めしている。

つまり弥生人はブリアートからモンゴルあたりから南下し、満州と
朝鮮半島を素通りして九州北部に渡り、人口爆発して西日本一帯に広がり、
土着系と混ざりながら大和民族が形成されていったのである。

朝鮮半島は当初は日本の縄文人に近い土着系が住んでいたと考えられるが、
弥生人が素通りして日本列島へと消えていってからしばらくした後、
ついに朝鮮半島は華北人に侵略され、楽浪郡を置かれて400年間も
支配された。その後、今度は満州東部から流入した高句麗人に朝鮮半島
北部を侵略され、土着系たちは華北と満州の血を注ぎ込まれながら、
ここにようやく朝鮮民族が形成されていったのである。
501日本@名無史さん:2005/09/07(水) 23:01:15
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。

実はほとんど流れていない。
7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。
7Cに来た半島帰化人は全部合せて5000人くらい。

それ以前の帰化人が始まった5C、続く6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。

半島帰化人の総数は7〜8000人くらい。

古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。
502日本@名無史さん:2005/09/07(水) 23:10:13
なんで、学校の社会や日本史って、この辺を誤解させるように教えるのかな?
学校でこの辺を明言しないのがこういう勘違いの原因の気がする。
科学的にも資料的にも渡来人=現朝鮮族とかありえないのに・・・・
そうすれば、奴等の捏造も少しは抑止できると思うのだけど
自分も高校生まで勘違いしてたから、恨み言として言いたい
503日本@名無史さん:2005/09/08(木) 02:45:47
>>501
その時代に限ればそうだろうなあと思うけど、一方日本列島で人間が発生したわけ
ではないし、どっかから移ってくるとなると半島が一番近いから半島経由かと思う。
時代を限らなければ、90%は半島経由というのが私の印象。
>>502
戦前は神国日本ということで違うと主張していた積もりではないか。戦後そうは
いえなくておかしくなった。その後研究が進んで違うということになって来た
ような印象。司馬遼太郎ではないが、アジアで日本人はちょっと違うのは
どうしてかというのは、私もまだ得心が行かない現象。幕の内弁当文化を追求
すべきか。(サンドイッチとかテレビ・ランチってのはよそにもあるが。)
504日本@名無史さん:2005/09/08(木) 02:53:05
>>503
90%はおおげさすぎ。南方系の神話・民話が持ち込まれていることも考慮せよ
505日本@名無史さん:2005/09/08(木) 02:57:55
90%はおおげさすぎに1票
506日本@名無史さん:2005/09/08(木) 09:14:38
紀元前は倭は九州と半島南部だけで、今の本土は騎馬民族系の新羅人が先に入ってたかも

その後から倭が攻め取り、又は談合でヤマトを造る、
507日本@名無史さん:2005/09/08(木) 13:51:26
新羅民族ってどこから来たの?
北方のモンゴル系なら>>506に同意するけど・・・・
508日本@名無史さん:2005/09/08(木) 13:59:20
>>506
紀元前には新羅人はいませんが
509日本@名無史さん:2005/09/08(木) 14:49:52
奴隷として日本支配層に仕えたのが百済人
510日本@名無史さん:2005/09/08(木) 18:52:31
【韓国】2000年前の雄大な百済文化がひと目で・・・「百済歴史再現団地」(09/07)
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1126092114/
511日本@名無史さん:2005/09/08(木) 20:27:43
白木人はいませんが、とにかく大陸の優秀な技術を持ったのがイテテ、行くってた

日本人が応用が利いて英語も日本語も両方まぜて使えるのは、古代に日本の成立と関係があり
仏教と神道をまぜて使えるのも日本人だけで、これはなにかある
512日本@名無史さん:2005/09/09(金) 01:55:28
カレーに福神漬けを混ぜるのも日本人だけで、これはなにかある

キリスト教だって現地の信仰にあわせて、神についての説明等を微妙に変える
こともあるけどな。
513503:2005/09/09(金) 05:39:24
>>504-505
すれ立てる前の....スレ:379 に奇しくも90%の数字が出ていた。
半島経由というのとは違うが。
>>511-512
つまみ食い文化は聖徳太子からというのが堺屋太一氏の書いたものにあった。
平安時代の唐風和魂、明治時代の和魂洋才に繋がっているようだ。
今風にいえば移民国家日本での妥協の結果かも知れない。
近代思想が普及した後の米国のような人工国家では、法律で一本筋を通した
仕組みになったんだろうが、日本は自然発生したような形が残ったままで
ま、ぐずぐずという感じ。
514日本@名無史さん:2005/09/10(土) 09:42:01
天橋立の北に2000年以上の歴史を有する元伊勢籠神社がある。
垂仁天皇及び雄略天皇の時代に天照大神と豊受大神が現在の伊勢に遷されたので,
「元伊勢」と名がつけられた.)))))これは
百済人と違い白木人が先輩ではないのか
515日本@名無史さん:2005/09/10(土) 11:10:24
なぜ白木人と考えるに至ったのか、その理由を具体例を交えて簡潔に説明せよ。
516日本@名無史さん:2005/09/10(土) 13:26:00

 YAP+型は“縄文系”の男性とみられる。宝来聡・総合研究大学院大学教授
(人類学)の研究では、アイヌ民族の88%にYAP+がみられる。古い形質を
残した遺伝子型のようだ。このタイプはアジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や
中国、シベリアにはみられない。世界を見渡しても日本人のほかには黒人にしか
みられない変わった遺伝子型だ。

 中堀教授は、YAP+の集団を「タイプ2」とした。タイプ2は、都市部では
北から南まで均等に分布し、金沢、福岡、大阪、札幌のいずれで調べても、人口
の三割程度を占める。しかし本州や四国の山間部では五割を占めていた。
弥生人に追われた縄文人という通説にほぼ合致する結果だ。精子濃度が薄いという
特性があるという。

http://www.horagai.com/www/salon/edit/ed2003g.htm

アジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や中国、シベリアにはみられない
アジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や中国、シベリアにはみられない
アジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や中国、シベリアにはみられない
アジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や中国、シベリアにはみられない
517名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:22:23
対抗する渡来人の雄、倭の漢氏を意識して、百済人といつわったことが、
白木人の実力があり
518名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 00:31:47
>>517
日本語でお願いします
519名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:43:22
白木人の実力がありすぎて、百済人の朝廷とのコネでも勝てなかったので
血筋の良さを自慢するためには、白木を百済と偽ったと言うことですね。
520名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 19:03:26
金達寿ってヒドイよな
阿蘇の「ソ」はソウル語源だとか、奈良は「ナ」と「ラ」が韓国語で国を表すとか
そんな単語の中のさらに一つの発音だけで語源が韓国だとかw
なんでもありだよホント
しかも現代韓国語で当てはめてるしw
現代の日本語と古代の日本語ですら簡単な用語でも全然違うのにさ
まして古代の韓国語ってのは資料がまったくないから何も分かってないわけじゃん
ほんと牽強付会とかこのことだな
あと、日本の歴史家もヒドイよな
たぶん戦後世代の歴史家が多いからだろうが、戦前の右翼への反動からか
もしくは韓国への贖罪をこめてか、左翼的な発言しとけば知識人と思われるからか
結局日本の歴史家が韓国よりの本書いたりするから馬鹿が洗脳されるんだよ
521名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 19:04:55
そういや徳川家康が新羅系とかって言われないよな?
522名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 19:26:25
家康は清和源氏の流れだから、八幡大菩薩が氏神のはず。
秦の一族だぞ。
523名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 19:38:12
家康の源氏は捏造、これ常識。
さらに家系と血統はまったく別物。
これも常識
524名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 19:44:51
つまり捏造した家系のほうは秦の流れだが
血統はまったく無関係ってことか
525名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:24:13

捏造した家系(源氏)の方も秦氏ではなく皇孫だよ。
源氏も平氏も始祖神は天照大神。

ただ源氏は義家が関東に本拠を置いたときに八幡に氏神を変更しただけの事。
平氏は清盛のときに厳島に変更。
526名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:26:42
>>525
つまり関東武士団=渡来人か
527名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:27:41
松平氏の先祖がどこから来たのかは不明だ。
だが家康は清和源氏新田に系図をつなげた。
これは実は松平氏が新羅人の血を引いていることを隠すためではないか。
徳川家が代々、朝鮮通信使を手厚くもてなしたのも、同族意識があったからだろう。

とか言い出しそうな悪寒w
528名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:28:56
違うよ。関東・東北は新羅系渡来人が多かったので、源氏は彼らの八幡信仰
に入らねばならなかったのだよ。関東に拠点を移した家康が源氏の末裔とし
て岩清水八幡宮に氏神の礼をとったのも、同じ理由にすぎない。

郷に入れば郷に従えさ。
529名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:29:53
>>526
よく「人の話を聞かない」と通信簿に書かれたでしょ
530名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:35:58
関東に根を下ろした源氏の皇孫の血は自然と秦の血が濃くなるのは当然。
源氏はみな渡来人の血を色濃く持った性格を持っている。
同族争いや順位格付けに五月蝿いのも朝鮮渡来ならではのもの。

一族共和団結の桓武平家と対照的なのが、わからないか?
531名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:38:24
>>530 一族共和団結の桓武平家と対照的
ウソつきw
武士はみんな同じだよ。同族で殺し合い。
532名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:38:46
岩清水八幡って、岩清水=源流というところから「源」氏の隠語なんだって。
533名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:44:57
どうかなぁ。平治の乱以降、いつも同族の内紛・裏切りで棟梁争いに
明け暮れたのが源氏だが、平家は一門がスクラムを組んで、武士から
公家へ脱却しようとしていた。一門の結束が強かったからこそ、壇ノ
浦で全滅してしまうが、これが逆に源氏なら自分一人だけでも逃げ回
っていたはず。
ま、平家でも東国に行った平将門は同門平家に討たれているが、東日
本だったからこそといえなくもない。坂東は昔から、粗野で野蛮だか
らな。

534名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:54:21
藤原の他氏排斥っぷりのほうが野蛮だと思うが
535名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:55:23
清盛と頼盛
小松家と宗盛
維盛と資盛
こいつらが仲良かったとでも?
536名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:58:35
源氏だと首級の取合い、一家斬殺が「仲悪い」と言うのだがなにか?
537名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:59:42
平氏も源氏も天武(紀伊のアマ族)の血を引く、
しかし、同時に古代大王の血も引いているわけで、これが
元で対立が生まれたように感じる。
遺伝子レベルでどっちがアマの血が濃く、ハヤトの血が濃いか
分からないが、源氏は概ねアマ系に与したと思う。
538名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 21:07:12
そもそも全国に散らばる源氏と、平氏のなかのごく一部に過ぎない平家を比較することに無理があるのだが
539名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 21:09:23
全国に広がっていても、故郷は近畿の東から
尾張辺りを出自としてるのが源氏、平氏だし。
540名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 21:09:35
白木人ではかっこが悪かったので、名門の百済系とうそを着いて本に書いたらしいよ、
八秦は八旗かな、和語に漢字をあてはめたが、できない和語はカタカナの表記になった、
なんせ、漢字を使えたのが外人だけで、主都の名前を付けるのに、外人が勝手にナラと付けた
541名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 21:18:22
八幡は先住民勢力征伐をする為に
大王家が半島から連れてきた、助っ人なわけで
大王家にとっては神様のような存在でしょう。
血縁関係も結んだので完全に同族になってしまったと思う。

では、彼ら八幡がどういう渡来人だったか?それが問題。
馬韓には大月氏国、安息国など明らかにイラン系の国名があるが
これだったらいいね。
八幡は胡服きた騎馬系であることは間違いないので、もしかすると
この系統か?それとも吊り目の北方系か?
542名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 21:27:27
日本って神話のヤマタノオロチとかの例があるように
「8」って数字に聖なる意味が持つ民族だったんだよ
たとえば大嘗祭って天皇の即位の後初めて催行される収穫祭だけど
その年の新穀をもって天神地祇を奉斎することによりはじめて天皇としての資格を得る
この際天皇がお座りになる、京都御所紫宸殿の高御座は八角壇で、八つの角にはそれぞれ八角柱が立てられている。
八幡も同じように8がある
八角形の拝火殿を持つゾロアスター教を信仰したササン朝ペルシアとか、
やはり大月氏と深いつながりがあると思う
543名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 21:31:09
ちょと多い=八=ラッキーナンバー
沢山=百
これは古代極東アジア人の共通の数の多さを表す数値だと思う。
ただ、先住民族もこれを持っていたかはわからない、
渡来的思考かもしれない。
544名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 22:22:46
?
545名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 22:38:41
電柱が高いのもポストが赤いのも渡来人的思考かもしれない。
もちろん元からこのような思考があった可能性も否定はしないが。
546名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 22:51:35
何いってんだ?
547日本@名無史さん:2005/09/12(月) 01:49:38
>>539
近畿の東から尾張あたりが出自???
源氏? 平氏? なんのこと? 本気でわからん???
548日本@名無史さん:2005/09/12(月) 03:16:17
「どんだけ諸国に割拠しようとも
元をたどると河内源氏とか摂津源氏とかの近畿周辺からきたんだろ?」

っていいたいんだろ。趣旨まではわからんが。
549日本@名無史さん:2005/09/12(月) 08:42:41
大和の都の意向にそった武士が全国に派遣されるので、徳川時代も藩主は松平家が
全国にあふれ返ったのであり、それ以後の名前が松平でも中身の人は在地豪族かも
550日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:06:33
江戸時代、大和の都の意向により武士が派遣されたって・・・もうなんなんだよ。改易大名ぐらい家康・秀忠・家光でぐぐればいいじゃないか。幕藩体制を語る資格なし。
551日本@名無史さん:2005/09/12(月) 22:00:28
白木人は名誉的にいまいちだったので、
552日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:42:20
>>548
それなら意味が通るが、>>539がなにを言わんとしていたのかはわからんな。
だいいち摂津も河内も畿内の西だし。
平氏の出自は伊勢とでも言うつもりだろうか?おバカですな

畿内の東。。。美濃? ああ、土岐厨かw
553日本@名無史さん:2005/09/14(水) 19:43:31
とりあえず「白木」と書いてる奴はデンパ。
554日本@名無史さん:2005/09/16(金) 11:04:46
白木人は立派で日本の基礎を築いたかたたちで、あつくお礼もうしあげたてまつります。どや
555日本@名無史さん:2005/09/16(金) 16:32:35
白木屋はあっちこっちにありすぎだな。メニューがつまらん。
556日本@名無史さん:2005/09/21(水) 20:27:53
発音がちがうのでは、シラギとシロキでは全然違うのであります。
557日本@名無史さん:2005/09/21(水) 21:33:27
もちろんです。
5世紀頃、倭人に攻め込まれるだけで撃退できず、百済に圧迫を受けては高句麗に助けを求めるようなヘタレ新羅と、古代アジア史上最強を謳われた白木とは全く違います。
558日本@名無史さん:2005/09/21(水) 23:00:36

 YAP+型は“縄文系”の男性とみられる。宝来聡・総合研究大学院大学教授
(人類学)の研究では、アイヌ民族の88%にYAP+がみられる。古い形質を
残した遺伝子型のようだ。このタイプはアジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や
中国、シベリアにはみられない。世界を見渡しても日本人のほかには黒人にしか
みられない変わった遺伝子型だ。

 中堀教授は、YAP+の集団を「タイプ2」とした。タイプ2は、都市部では
北から南まで均等に分布し、金沢、福岡、大阪、札幌のいずれで調べても、人口
の三割程度を占める。しかし本州や四国の山間部では五割を占めていた。
弥生人に追われた縄文人という通説にほぼ合致する結果だ。精子濃度が薄いという
特性があるという。

http://www.horagai.com/www/salon/edit/ed2003g.htm

アジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や中国、シベリアにはみられない
アジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や中国、シベリアにはみられない
アジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や中国、シベリアにはみられない
アジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や中国、シベリアにはみられない
559日本@名無史さん:2005/09/22(木) 01:01:44
>>556-557
自演してんじゃねーよ、この糞デンパが。
「白木=シロキ」なんて国はない。そんなものどこにあるんだ、出典だせるもんなら出してみろ。
560557:2005/09/22(木) 01:14:48
>>559
あーあ、自演扱いされちゃった。
ギャグとの区別もつかんのかw
561日本@名無史さん:2005/09/22(木) 02:50:47
ギャグ?
何がどうギャグなんだい?
562日本@名無史さん:2005/09/22(木) 12:16:24
支配層が韓国系なら、日本人は韓国にずっと搾取されつづけているということだな?

日本人は、二千年ものあいだ韓国人に搾取され土地を奪われて苦しんでいるのです。
賠償と謝罪を要求しる!
563557=515=518:2005/09/23(金) 00:58:08
>>561
ん、説明の必要がありなのか?
ここだけでなく、あちこちのスレで白木人なる造語を用いている電波野郎を
からかっただけなのだが。

日本に早くから土着(これもいつからなのかは、その場その場でコロコロ
変わるが)した実力者で強い白木人という電波な説を粉砕するには
(白木人=新羅人だろうから)新羅が情けない存在であることを証明すれ
ばいいわけで。それが>>557

ギャグになってないと言われたら、ハイそうです。としか言えませんわ。
564電波:2005/09/23(金) 11:31:08
白木人とちごて高麗人かもしれません。
565日本@名無史さん:2005/09/23(金) 23:07:08
狛犬の顔がライオン見たいなんですが、何故でしょうか
566SJ:2005/09/23(金) 23:35:31
日本の支配層は馬場面の進化する巨人チェ・ホンマンです。 進化する野獣ボブ・サップは下野しました。
567SJ:2005/09/23(金) 23:37:45
もしくはボビー・オロゴン。
568日本@名無史さん:2005/09/24(土) 02:48:05
>>563
そうなのか?
白木電波野郎は新羅とは別に白木が存在したといいたいんじゃないの?
だからこそ新羅とは別な書き方をしてるんだろ?
569日本@名無史さん:2005/09/25(日) 15:08:00
新羅人は強制送還じゃないか。やっぱし。
570日本@名無史さん:2005/09/25(日) 22:53:57
高来人は、すばらしいので、政治を造った
571日本@名無史さん:2005/09/28(水) 09:19:38
新羅人ではかっこうが悪かったので、名門の百済系とうそを
572日本@名無史さん:2005/09/28(水) 20:27:50
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。

実はほとんど流れていない。
7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。
7Cに来た半島帰化人は全部合せて5000人くらい。

それ以前の帰化人が始まった5C、続く6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。

半島帰化人の総数は7〜8000人くらい。

古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。
573日本@名無史さん:2005/09/28(水) 23:02:36
>>572
半島の人に言い返したい話だ。

ところで、その400万人は日本列島で自生したのなら尚すばらしい。
574日本@名無史さん:2005/09/28(水) 23:06:58
アフリカが紀元なので、自生は無理です、元も地表を歩いて来たので
575573:2005/09/29(木) 09:03:08
>>574
その地表が半島だとくやしい。
みんな樺太迂回とかならいいが。南西諸島が地続きとか。
しかしまあ元は大陸か。
576日本@名無史さん:2005/09/29(木) 20:07:53
そうなんです、30歩多く歩いたかどうかの違いだけで、ほぼ同じなのです
577日本@名無史さん:2005/09/29(木) 20:24:51
キチガイの論法を真似て遊んでるんだろ
578日本@名無史さん:2005/09/29(木) 20:30:08
チョンは陸路よりも海路の方が長距離移動が容易である事を理解出来ない。
船舶の発達が遅かった朝鮮半島の社会ではピンとこないみたいだ。
579日本@名無史さん:2005/10/08(土) 07:39:39
そうねえ。犬でも平気で海に入るのとそうでないのはいるねえ。
580日本@名無史さん:2005/10/15(土) 12:01:17
≫≫1なんだって??
581日本@名無史さん:2005/10/15(土) 13:50:45
奈良の支配者層は百済なの?シラギじゃないの?
582日本@名無史さん:2005/10/15(土) 15:34:17
>>576 それにしては容貌が違い過ぎるのでは?とにかく一目で朝鮮人だと分かる
人間が半数くらいは居るようだ。

 日本人の大半は大陸から分離した時に陸封された人間集団なのだろう。列島と
大陸では生物相も違うし、言語も古代から異なる。


583日本@名無史さん:2005/10/15(土) 16:09:35
>日本人の大半は大陸から分離した時に陸封された人間集団なのだろう。


YAP+遺伝子からもそれは証明される。

そこにモンゴル方面から朝鮮半島を素通りしてきたB52-DR15を
高頻度に持つ新モンゴロイドが侵入し定着して繁殖した。
簡単に言えば、


日本人種=YAP+を持つ古モンゴロイド + B52-DR15を持つ北方新モンゴロイド
584日本@名無史さん:2005/10/15(土) 16:18:59
新羅も百済も日本の支配層なんかじゃないよ。
昔からチョンは被支配層
585日本@名無史さん:2005/10/18(火) 09:14:30
まだうちの台所にはゴキブリがたまに出るけど、ヤツらは支配されているとか
支配しているとか意識はあるんだろうか。
586日本@名無史さん:2005/11/15(火) 02:06:31
チョンである
587日本@名無史さん:2005/12/02(金) 23:52:40
588日本@名無史さん:2005/12/09(金) 22:44:25
亡命百済人系の殆どは代を重ねるごとに歴史の波の中に消えていった。
ある程度歴史の表舞台で踏ん張ったのは
渡来300年400年の秦や東漢なんかの古参だけだね。
古墳時代なら正しくは、
渡来人は大王家や豪族の配下として計画的に分配され活躍しただ。
589日本@名無史さん:2006/01/08(日) 15:55:27
ほほー
590日本@名無史さん:2006/01/08(日) 16:12:05
遺伝子は容易には消えない。関西の血脈は基本的に全部朝鮮・中国系統だが。
591日本@名無史さん:2006/01/08(日) 16:16:19
ここではそんな戯言はもう誰も信じないだろうね。

もっと頭の弱い集団が集まる場所で脳内妄想を流布してきたら?

たとえばニュース議論だとかw
592日本@名無史さん:2006/01/22(日) 14:54:14
★古代カラ半島国家の歴史★

【志良岐】
国号の読みはシラギ。正しくはシラキ。4世紀以前の東アジア半島(現在の朝鮮半島)の
南東部にあった国である。神武天皇の兄・稲飯命によって建国される。
シラキとは「治らす木」の意味である。治らす(シラス)は日本語古語で治めるの意味であり、
木とは神木、すなわち天孫たる日本皇族のことである。したがって、治ら木(シラキ)とは、
「国を治める皇孫」の意味であり、稲飯命の別名なのである。
この事実から考えるならば、シラキの国号をその意味と音に合わせて漢字表記する場合、
『治良木』と書くのが適切である。しかし、わが国では昔から志良岐と表記したり、
また、新羅と表記するのが一般的ある。
神武天皇の兄=稲飯命によって建国され、その子孫が代々の王(キミ・国の主)となった
志良岐は、古代東アジア半島の南部諸国の中で、日本国(ヤマト)ともっとも友好関係に
あった国である。
その政治制度は、王(キミ)の下に国吉士(クニキシ。コニキシとも呼ばれる)という長官
が置かれ、王の統治を補佐するという独特のシステムであった。しかし、この制度が原因で、
志良岐王(シラキのキミ)は、臣下である第十七代・国吉士(クニキシ)=金奈勿に王権を
奪われることになった。
奈勿は、高句麗と手を組んで謀反を起こし、稲飯命の血を引く志良岐王族を皆殺しにした。
そして、志良岐の国号を『新羅』に改め、自分が新しい王となったのである。
金奈勿は金氏新羅の初代王であるが、志良岐人(倭人)ではなく、朝鮮人である。
金氏は謎の一族である。彼らが、いつ、どこから来たのか、どのような方法で志良岐に
移住したのか、それを記した資料はなく、すべてが謎に包まれている。
韓国に伝わる新羅の建国神話によれば、稲飯命が森の中で拾ってきたという逸話があるが、
もちろん作り話である。新羅建国(奪国)者=金氏に関する歴史的資料は皆無なのだ。
593日本@名無史さん:2006/01/22(日) 14:55:30
★古代カラ半島国家の歴史 2★

【任那】
地名の読みは、ミマナである。
日本国の第十代大王(オオキミ)である崇神天皇=孫木入彦命(ミマキイリヒコ)の御名を
記念して命名された。地名の意味は「皇孫の名」である。
志良岐の西側にあった日本国領土である。
任那は、正確に言えば「国」ではない。ヤマト朝廷が直接統治する天皇家の「領地」であった。
神武天皇が日本国を建国する以前から、任那には多くの倭人が住んでいた。隣接する志良岐や
久多良とともに、任那は日本文明圏を構成する地域の一つだったのである。
崇神天皇の時代に日本国の正式領土となった任那には、ヤマト朝廷が管理する鉱山と製鉄所が
置かれ、日本列島および志良岐、久多良へ鉄材が輸出されていた。
これらの鉄は、鍋などの生活用品を製造するための原材料として使われると同時に、剣や槍など
の武器の製造にも利用された。
そのため、日本にとっての任那は、経済面だけでなく、軍事面でも重要な意味を持つ地域で
あった。任那にはヤマトから派遣された軍が常駐していた。任那の軍は、任那の独立を守る
ための組織であると同時に、志良岐および久多良に対する軍事支援を行う任務も持っていた。
また、カラ半島北部の騎馬民族勢力に対する監視活動・情報収集活動等も行っていた。
朝鮮人国家の金氏新羅に征服されるまでは、多くの倭人が居住し、日本文化が花開く美しい
土地であった。
594日本@名無史さん:2006/01/22(日) 15:01:07
★古代カラ半島国家の歴史 3★

【久多良】
国号の読みはクダラ。正しくはクタラ。
6世紀以前の東アジア半島(現在の朝鮮半島)南部にあった国である。日本国・志良岐・任那と
同じく、日本語を公用語とする倭人(日本民族)の国である。
久多良(クタラ)の語源は、降つ(クタツ)である。降つは、降る(クタル)ともいう。
クタツ=クタルは日本語古語であり、「日が傾く」「日が沈む」という意味の大和言葉である。
古代日本領であった志良岐や任那から見て、西側に位置していたことから、「日が沈む方角にある国」
「西の国」という意味でクタラと呼ばれていた。それがそのまま国号となったのである。
久多良(クタラ)の地には、紀元前から倭人が居住していた。もちろん、日本列島の倭人とは日常的
に交流があり、経済面だけでなく、政治面、軍事面でもヤマトと一体であった。
久多良は、古代日本の一部であり、久多良文化は日本文化である。久多良人(クタラビト)も
大和人(ヤマトビト)も、同じ古代日本語を話し、日本文化を共有していたため、両者は強い同族意識
で結ばれていた。大和と久多良が、対高句麗戦争で常に一体となって戦っていたのは同族だったから
である。
久多良の統治は、大和の天皇(スメラミコト=清めら御子人)が任命する国吉士(クニキシ)が
担った。クニキシはコニキシとも呼ばれ、カラ半島南部の国を統治する役人の最高位である。
古代の日本列島およびカラ半島南部には、ヤマト(日本国)を中心にした日本文明圏が形成されて
おり、久多良・志良岐・任那は、日本文明圏に属する地域だったのである。
3世紀の半ばに、志良岐が、朝鮮人の国吉士・金奈勿に乗っ取られ、『金氏新羅』という朝鮮人国家
に変質した。この金氏新羅が、6世紀に久多良を侵略して滅ぼしたが、久多良が滅びた時、多くの
久多良人(倭人)が大和(日本国)に亡命し移住した。
なぜ、大和朝廷は、久多良人(クタラビト)の日本への移住を許可したのか。それは、久多良人が
我々と同じ日本民族だったからである。
現在、久多良という国はない。しかし、久多良人の血は、今も日本民族に受け継がれ、
我々の体の中で生き続けているのだ。
595日本@名無史さん:2006/01/22(日) 15:07:03
東日本こそ朝鮮の本場だろ、紺野、五十猛系や
皇別がほとんどだ、これってほぼ高麗系だぜ
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/01.htm
実は、百済の方が土民だったんだな〜
596日本@名無史さん:2006/01/22(日) 15:11:13
★古代カラ半島国家の歴史 4★
〜謎の民族カラビトの正体〜

古代のカラ半島南部に住み、日本語を話していた謎の民族=カラビト(韓人)とは何者なのか。
『渡来人』とも呼ばれた彼らの正体は、「倭人」である。
カラビトは、カラ地方(韓)に住んでいたことから、韓人=カラビトと呼ばれたわけだが、
彼らが話していた言語は日本語であり、大和言葉の方言である。古代カラ半島には三つの国が存在した。
シラキ、ミマナ、クタラの三国である。これらの国に住んでいたカラビトは、日本にも移住し、
古代日本の繁栄に貢献したが、彼らは倭人(日本人)なのである。
つまり、古代日本に、朝鮮人は移住していない。古代日本に朝鮮人は来なかったのだ。
戦後、朝鮮人は「古代日本には多くの朝鮮人が移住し、日本文化の発展に貢献した」という宣伝を
組織的に展開しているが、これはデタラメなのである。
古代日本に移住したのは、カラ半島に住んでいた倭人=カラビト(韓人)であり、彼らは日本民族
だったのである。
カラビトは、現在の朝鮮半島に住んでいる朝鮮人とは、民族が違うのだ。

597日本@名無史さん:2006/01/22(日) 15:15:47
★古代カラ半島国家の歴史 4★
〜謎の民族=カラビトの正体〜

古代のカラ半島南部に住み、日本語を話していた謎の民族=カラビト(韓人)とは何者なのか。
『渡来人』とも呼ばれた彼らの正体は、「倭人」である。
カラビトは、カラ地方(韓)に住んでいたことから、韓人=カラビトと呼ばれたわけだが、
彼らが話していた言語は日本語であり、大和言葉の方言である。古代カラ半島には三つの国が存在した。
シラキ、ミマナ、クタラの三国である。これらの国に住んでいたカラビトは、日本にも移住し、
古代日本の繁栄に貢献したが、彼らは倭人(日本人)なのである。
つまり、古代日本に、朝鮮人は移住していない。古代日本に朝鮮人は来なかったのだ。
戦後、朝鮮人は「古代日本には多くの朝鮮人が移住し、日本文化の発展に貢献した」という宣伝を
組織的に展開しているが、これはデタラメなのである。
古代日本に移住したのは、カラ半島に住んでいた倭人=カラビト(韓人)であり、彼らは日本民族
だったのである。
カラビトは、現在の朝鮮半島に住んでいる朝鮮人とは、民族が違うのだ。

つまり、
日本人と韓国人は同祖ではない。
日本人と韓国人は同祖ではない。
日本人と韓国人は同祖ではない。
日本人と韓国人は同祖ではない。
日本人と韓国人は同祖ではない。
日本人と韓国人は同祖ではない。
598日本@名無史さん:2006/01/22(日) 20:44:46
↑アホ現れるw
599日本@名無史さん:2006/01/23(月) 18:37:20
これコピーして、近所にバラまけぇ〜〜〜っっ!!
_____________________

/    ||    :ヽ
   ┌|(⌒ヽ :|| ..:⌒: |┐   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   |::|::ヽ.__:):||(___ノ ::|::|  │
    |:|: ..   :||    .. |:|  │
    :|: ..   ||    ..|| <   古代のカラ半島南部は
                     日本領だったのだ!
     :\ [_ ̄] /::|   │
::     |\|_|_|_|_/:::|    \________
   __| |   / / :|___

古代カラ半島の歴史1・2・3をコピーせよ。
近所にバラまきたまえ!
地球を守るために、ウルトラマンに協力せよ!!
600日本@名無史さん:2006/01/25(水) 20:58:54
今時ねえ、こんなに目の肥えた連中だけが残されたこの日本史板で、
そんなソースも証拠もなーんにもない脳内創作で、一体誰が釣れるというのかね?w
601日本@名無史さん:2006/01/26(木) 19:55:36
朝鮮人は、古代のカラ半島南部にあった、志良岐・任那・久多良は
朝鮮人の国だったと信じ込み、
「半島の国々から、古代日本に多くの朝鮮人が移住し、半島や大陸の先進文化を伝えた」
と主張する。
だが、こういった説は妄想に基づく妄言である。
朝鮮人が古代日本に移住したという事実はない。
朝鮮人は、古代日本に一人も移住していないのである。志良岐・任那・久多良は
倭人の国だった。
また、この三国と古代日本の文明レベルは同程度であり、半島に『先進文化』なるもの
は存在しなかった。高句麗の文化も日本と同じレベルだったのだ。
先進文化ウンヌンという話は、日本人に対し優越感を持ちたい朝鮮人の妄想が生んだ
フィクションである。
602日本@名無史さん:2006/01/27(金) 18:06:11
奈良百済人ってなんだよ 百済から亡命してきた人か?
603日本@名無史さん:2006/01/28(土) 18:06:30
フヨ病患者=朝鮮人に注意!
こんなこと言う奴です
   ↓ ↓ ↓

北方アジアから朝鮮半島を短期間で突き抜けて、
九州北部に侵入した特定の単種の北方モンゴロイド扶余族が
九州地方に上陸し、古代ヤマトを建国した。

皆さん、フヨ病患者の言うこと、信じないでね!(笑
クタラ(久多良・百済)を建国した余氏は、
帯方郡出身の越人(倭人)ですよ。

扶余族がカラ半島を短期間で通過することは不可能。
遼東を中国人が支配してたから。
半島北部には楽浪郡があるので南下できない。
604日本@名無史さん:2006/01/29(日) 12:54:40
★古代朝鮮人は、日本に移住していない★

朝鮮人は、古代のカラ半島南部にあった、志良岐・任那・久多良は 朝鮮人の国だったと
信じ込み、
「半島の国々から、古代日本に多くの朝鮮人が移住し、半島や大陸の先進文化を伝えた」
と、主張する。
だが、こういった説は妄想に基づく妄言である。 朝鮮人が古代日本に移住したという事実はない。
朝鮮人は、古代日本に一人も移住していないのである。志良岐・任那・久多良は 倭人の国だった。
また、この三国と古代日本の文明レベルは同程度であり、半島に『先進文化』なるものは
存在しなかった。高句麗の文化も日本と同じレベルだったのだ。 先進文化ウンヌンという話は、
日本人に対し優越感を持ちたい朝鮮人の妄想が生んだ フィクションである。
そもそも、日本列島にもカラ半島南部にも、紀元前から、長江以南の越地方から多くの越人(倭人)
が移住しており、日本列島とカラ半島南部の倭人は、紀元前から日常的に交流していたのだ。
つまり、『同一の文化』を共有していたのだ。だから、古代ヤマトとカラ半島南部で、文化水準の
レベルに差があった、などということはありえない。ふつうに考えれば分かることである。
たしかに、古代ヤマトもカラ半島南部も、大陸文化の影響を受けてはいる。
しかし、ヤマトとカラに文化的影響を与えたのは、越地方の越人(倭人)と帯方郡の漢人であって、
朝鮮人ではないのだ。古代朝鮮人は『先進文化』を持っていなかったのだから、ヤマトやカラに
文化的影響を与えるわけがないのだ。無いものは与えようがないではないか。


605日本@名無史さん:2006/02/02(木) 20:41:00
新羅と志良岐は違う国じゃん。

新羅(シルラ)は313年以降に、朝鮮人=金奈勿一派が建てた国だろ。

志良岐(シラキ)は、稲飯命が建てた日本民族の国じゃん。
金奈勿が高句麗と手を組んで、志良岐王家を滅ぼし、新羅を建てたのが真相。

金奈勿は、もともとは志良岐王家に仕えていた役人だけどね。
606日本@名無史さん:2006/02/03(金) 17:03:42
世界史板で、こんなん見つけました。

世界@名無史さん :2006/01/12(木) 00:46:24 0
たびたびあっていた海外からの侵略

日本が外国勢から侵略を受けるのは、「元寇」が初めてではない。
日本側の記録によれば(『太宰管内志(大宰府管内誌)』『類聚三代格』『日本三代実録』
『百練抄』 『日本紀略』『扶桑略記』等)、それまでたびたび侵略を受け、
九州北部はもとより薩摩大隅にまで及んでいたことが記録されている。
詳細(海賊・倭寇の起源を探る)
その大半は、朝鮮半島からのものであった(これが倭寇の正体。倭寇=朝鮮人)。数隻の賊船に
よるものがほとんどであったが、中には、
45隻・2500人の新羅の者が来襲し、捕らえた捕虜が「王の命令を受けて略奪に来た」と
述べたこともあった。(『扶桑略記』)
また、どこの国のものかは定かではないが、最大規模のもので、 承徳元年(1097年)、
異賊船100隻が松浦・筑前に攻め寄せ、 大宰府官兵・九州軍士が賊船を撃破し賊徒数万を
海没させた、という記録がある。
九州大宰府は、古代から日本外交の窓口の役割を果たしてきたが、同時にそこは外冦防衛の
拠点でもあった。
607日本@名無史さん:2006/02/15(水) 20:46:19
新羅と志良岐は違う国じゃん。

新羅(シルラ)は313年以降に、朝鮮人=金奈勿一派が建てた国だろ。

志良岐(シラキ)は、稲飯命が建てた日本民族の国じゃん。
金奈勿が高句麗と手を組んで、志良岐王家を滅ぼし、新羅を建てたのが真相。

金奈勿は、もともとは志良岐王家に仕えていた役人だけどね。
608日本@名無史さん:2006/02/15(水) 21:02:05
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。

実はほとんど流れていない。
続日本紀によると、7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。
帰化人のピーク時の7Cでも全部合せて5000人くらい。

それ以前の帰化人が始まる5C、続く6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。

半島帰化人の総数は7〜8000人くらい。

古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。
609日本@名無史さん:2006/02/15(水) 21:05:25
日本誕生も朝鮮半島より遅かったよ
610日本@名無史さん:2006/02/16(木) 21:02:49
>>608
>高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。

実は、高句麗人は一人も来てない。旧帯方郡出身の倭人だけが来た。
いわゆる「狛人」と呼ばれた倭人たち。
高句麗人は日本民族の敵だったので、大和朝廷は、高句麗人の日本移住を
認めなかった。だから一人も来ていない。
これが正しい歴史。
  ↓↓

★★ 和漢同盟と百済建国 ★★

4世紀(西暦300年)以前に成立した
日本と楽浪郡=帯方郡の同盟、いわゆる和漢同盟について、皆さんの意見を書き込んでください。
和漢同盟があってこその、百済建国ですね。
反高句麗で連帯していた、大和と楽浪=帯方郡。
和漢同盟が基礎となって百済が建国されたという事実から推測するならば、百済はやはり倭人国家か。

百済が、最初は、日本領・任那の北部地域に建国されたという事実に注目しましょう。
任那とは、日本国の第十代大君=崇神天皇が建国した、あの任那です。任那は、志良岐の西側に、
広大な領土を持っていました。
中国の自治領である楽浪=帯方郡の南方にあった倭人の二つの国、それが志良岐と任那です。
任那から分離して誕生したのが百済。最初は駒国(狛国。コマ)と呼ばれていました。
楽浪=帯方郡が古代日本人から「コマ」と呼ばれていた点に注目してください。
百済が任那領内に設置されたコマ(楽浪=帯方郡)の亡命政府であった事実が見えてきます。
西暦313年、高句麗の攻撃によって、楽浪=帯方郡が滅ぼされました。その時、コマ(帯方郡)の役人や武将、
民間人が、難民となって任那に流入したことは容易に想像できますね。
611日本@名無史さん:2006/02/16(木) 21:15:44
そんな創作を誰が信じるんですか?w
612日本@名無史さん:2006/02/16(木) 21:23:00
だからなんなんだ?朝鮮民族は優秀だってか?アイゴー。やめてくれ。
せつないのー。
613日本@名無史さん:2006/02/16(木) 21:24:01
おまえ頭おかしくないか?
614日本@名無史さん:2006/02/16(木) 21:25:25
で、このスレをたてたキョッポは何が言いたい?朝鮮民族は優秀だってか?
アイゴー、やめてくれ。切ない。
615日本@名無史さん:2006/02/16(木) 21:26:12
で、
616日本@名無史さん:2006/02/18(土) 14:19:24
【『嫌日流』まとめサイト】
http://homepage3.nifty.com/hakch/

マンガで描かれている日本人の顔と朝鮮人の顔がおもしろい(W
目が細く、目尻が吊り上った、一重マブタの、着物を着ている女二人組が
日本人だという。

1)目が細い
2)目尻が吊り上っている
3)一重マブタ

これらの特徴は、朝鮮人の顔に見られるものなんだが(W
逆に、マンガに登場する韓国人の女たちは、二重マブタ(笑)で、
目が大きい日本人顔で描かれているよ。

よく、
「韓国人が、日本人について語っていることは、すべて韓国人自身に
 当てはまることだ」
と、言われるが、ニセ嫌日流は、まさに日本人と韓国人の容姿を逆転させて
描いているんだよな(笑
韓国人は、いつも、事実を真逆に語る(描く)よな。
嫌日流が日本で出版されたら面白くなるね(笑
617日本@名無史さん:2006/02/18(土) 14:42:25
関東の源氏・平家の武士団の大半が、実は百済人入植者のコロニーを起源にしているんだよね?
朝廷が百済難民を蝦夷対策に東日本に入植させ、そこに首長として皇族を東下させ、
源平などの氏を名乗らせたのが、関東武士団の起源。
そこで皇族・百済人・西日本人・関東現地人の血が混じりあい、発展していった。
だから馬の扱いが西日本の武士団よりうまいのも、半島・大陸での馬文化の名残のため。

618日本@名無史さん:2006/02/18(土) 15:00:18
え?武士の大半が渡来人であることが判明したんだ。大発見じゃん。武蔵七党などの古い主要な武士団にはそんな人いなかったから確率的に東夷か和人がほとんどだと思ってた。
619日本@名無史さん:2006/02/18(土) 17:02:57
>>618
>>617が言っているのは、関東武士団が渡来人の血を引いているという
意味で、関東武士団そのものが渡来人だといっていないと思われ

それに百済王の一族はそれ自身も有力な貴族であり、後宮や他の氏族にも
女性をドンドン送り込んで姻戚関係を結んでいるから、関東武士団に
限らず、天皇家や貴族たちも百済人の血を引いている
日本で金を産出・精錬できるようになったのも、陸奥介として奥州を
支配した百済王とその一族のおかげだし
620日本@名無史さん:2006/02/18(土) 17:22:32

★★ 朝鮮民族の先祖はワイ族だった!! ★★

最近、韓国人が宣伝している歴史観は、韓国人=フヨ人説に基づいた『騎馬民族征服論』である。
満州地方に住んでいたフヨ(扶余)民族が、朝鮮半島に侵入し、半島南部に新羅や百済を建国し、
さらに対馬海峡を渡って日本列島の先住民(日本人)を征服して、古代ヤマトを建国したという説。
『2ちゃんねる』の日本史板や考古学板を中心に、この説を宣伝している。
もちろん、すべてデタラメであるが。
朝鮮人はフヨ人ではない。フヨ人の子孫でもない。フヨ人に征服された民族が、朝鮮人である。
高句麗およびその後継国=渤海国はフヨ人の国である。また918年に建国された高麗もフヨ人の国である。
そして、フヨ人とは満州民族であって、朝鮮民族ではないのである。
朝鮮人は、韓人(カラビト=倭人)でもない。
朝鮮民族の先祖として、もっとも可能性が高いのは、穢(ワイ)族である。
このワイ族は、現在の韓国の江原道地方(ソウルの東方地域)に住んでいた少数部族であるが、
高句麗が楽浪郡=帯方郡を滅ぼした313〜314年頃に南下して、日本領=シラキに移住した。
後に、高句麗と手を組んで稲飯命の子孫である志良岐王族を虐殺し、王権を簒奪して志良岐を
乗っ取った金奈勿(キン・ナブツ)も、ワイ族であった。
おもしろいのは、韓国の歴史学者や政治家たちは、朝鮮民族の先祖について語るとき、フヨ人や韓人に
ついては積極的に語るが、このワイ族については語ろうとしないことである。
おそらく、韓国朝鮮人は、自分たちの先祖がワイ族であることに、うすうす気づいているのだろう。
ワイ族のワイ(穢)には、「汚い」「ケガレている」という意味がある。
このような名前の部族が朝鮮民族の先祖だとは、認めたくないのだろう。

彼らは、楽浪=帯方郡を支配していた中国人から、そのように名付けられた部族なのである。
朝鮮民族は、けしてフヨ人ではないのである。
もちろん、倭人=日本人でもない。

ウィキぺディアなどで、朝鮮人の工作員が、
「ワイ族は扶余族だ。ワイ族が改名して扶余族になった。高句麗人も百済人も、
 みんなワイ族だ!日本人もワイ族だ!」
と、宣伝しているが、大ウソなので、騙されないように。
621日本@名無史さん:2006/02/18(土) 17:27:16
濊が朝鮮人の祖先なのは当たり前なんだが、濊は1〜2Cに半島に流入した
北方系だろ。

土着系ではないよ。

朝鮮半島の土着系は縄文人骨によく似た短い顔、彫りが浅くなく
隆起した鼻骨を持つ中央モンゴロイドの系統。
622日本@名無史さん:2006/02/20(月) 18:01:55
韓国はやる気だ!!  
檀君神話を歴史大河ドラマ化して全世界で捏造工作開始!!
韓国が「明成皇后」や「チャングム」に飽きたらずに、
今度はヨン様を起用してまた歴史捏造ドラマを制作するそうです。


【韓流】長髪ヨン様ドラマ!90カ国配給、総制作費52億円!【久石譲】
 http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1140394846/
 http://p2.chbox.jp/read.php?host=news18.2ch.net&bbs=mnewsplus&key=1140394846&ls=all
長髪ヨン様ドラマ!90カ国配給、総制作費52億円!
 http://live22x.2ch.net/test/read.cgi/news/1140397922/
 http://p2.chbox.jp/read.php?host=live22x.2ch.net&bbs=news&key=1140397922&ls=all
【韓国芸能】ヨン様が長髪に! 『太王四神記』の撮影に備え大変身(画像アリ)〔02/20〕
 http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1140417766/
 http://p2.chbox.jp/read.php?host=news18.2ch.net&bbs=news4plus&key=1140417766&ls=all
623日本@名無史さん:2006/02/21(火) 17:46:59
「最近、あちこちで(日本人に)文句を言うと、『出てけ』とか『帰れ』と言われる。
そうすると、『ハイわかりました。朝鮮人はみんな帰ります。天皇つれて帰ります』
と言ってやる。(笑)。だけど、アイツ働かないからな(笑)」
【「正論」2003年号1月号81ページ 憲法集会での辛淑玉の発言】
                               ↑
                       救いようのないバカ(嘲笑

★★ 古代朝鮮人は、日本に移住していない ★★

朝鮮人は、古代のカラ半島南部にあった、志良岐・任那・久多良は 朝鮮人の国だったと
信じ込み、
「半島の国々から、古代日本に多くの朝鮮人が移住し、半島や大陸の輝かしい先進文化を伝えた」
と、主張する。
だが、こういった説は妄想に基づく妄言である。 朝鮮人が古代日本に移住したという事実はない。
朝鮮人は、古代日本に一人も移住していないのである。志良岐・任那・久多良は 倭人の国だった。
また、この三国と古代日本の文明レベルは同程度であり、半島に『輝かしい先進文化』なるものは
存在しなかった。高句麗の文化も日本と同じレベルだったのだ。 先進文化ウンヌンという話は、
日本人に対し優越感を持ちたい朝鮮人の妄想が生んだ フィクションである。
そもそも、日本列島にもカラ半島南部にも、紀元前から、長江以南の越地方から多くの越人(倭人)
が移住しており、日本列島とカラ半島南部の倭人は、紀元前から日常的に交流していたのだ。
つまり、『同一の文化』を共有していたのだ。だから、古代ヤマトとカラ半島南部で、文化水準の
レベルに差があった、などということはありえない。ふつうに考えれば分かることである。
たしかに、古代ヤマトもカラ半島南部も、大陸文化の影響を受けてはいる。
しかし、ヤマトとカラに文化的影響を与えたのは、越地方の越人(倭人)と帯方郡の漢人であって、
朝鮮人ではないのだ。古代朝鮮人は『先進文化』を持っていなかったのだから、ヤマトやカラに
文化的影響を与えるわけがないのだ。無いものは与えようがないではないか。
624日本@名無史さん:2006/02/21(火) 19:32:37
朝鮮人の主張
「高句麗が滅亡した後、高句麗人が1800人くらい日本に移住した」

実は、高句麗人は一人も来てない。旧帯方郡出身の倭人だけが日本に来た。
いわゆる狛人(コマ人)と呼ばれた倭人たち。
高句麗人は日本民族の敵だったので、大和朝廷は、高句麗人の日本移住を
認めなかった。だから一人も来ていない。
これが正しい歴史。
  ↓↓
★★ 和漢同盟と百済建国 ★★

4世紀(西暦300年)以前に成立した
日本と楽浪郡=帯方郡の同盟、いわゆる和漢同盟について。和漢同盟があってこその
百済建国である。
反高句麗で同盟していた、大和と楽浪=帯方郡。
和漢同盟が基礎となって百済が建国されたという事実から推測するならば、百済はやはり倭人国家か。
百済が、最初は、日本領・任那の北部地域に建国されたという事実に注目してほしい。
任那とは、日本国の第十代大君=崇神天皇が建国した、あの任那だ。任那は、志良岐の西側に、
広大な領土を持っていた。
中国の自治領である楽浪=帯方郡の南方にあった倭人の二つの国、それが志良岐と任那です。
任那から分離して誕生したのが百済。最初は駒国(狛国。コマ)と呼ばれていました。
楽浪=帯方郡が古代日本人から「コマ」と呼ばれていた点に注目してほしい。
百済が任那領内に設置されたコマ(楽浪=帯方郡)の亡命政府であった事実が見えてきます。
西暦313〜314年、高句麗の攻撃によって、楽浪=帯方郡が滅ぼされた。その時、コマ(帯方郡)の役人や
武将、民間人等が、難民となって任那に流入したことは容易に想像できる。
百済とは、大和朝廷が日本領=任那を守るための防波堤として、帯方郡の漢人・倭人を援助して
計画的に建てた人工国家なのだ。人工国家という意味では満州国に似ているが。

625日本@名無史さん:2006/02/25(土) 06:48:12
電波コピペばっかりでうんざりだな
626日本@名無史さん:2006/02/25(土) 07:38:04
ウヨ嫌韓も、サヨの電波もどっか別のところでやってくれ。
東アジアで細分化してどっちが偉いとか歴史はそういう問題じゃない。
627日本@名無史さん:2006/02/25(土) 17:40:52
>>626
>東アジアで細分化してどっちが偉いとか歴史はそういう問題じゃない。

「どっちが偉い」という宣伝をしてるのは、おまえら在日じゃん。
「朝鮮人のほうが偉いんだ。上なんだ」と本気で信じ込んでいるところがイタイな(W





628日本@名無史さん:2006/02/25(土) 18:30:35
「最近、あちこちで(日本人に)文句を言うと、『出てけ』とか『帰れ』と言われる。
そうすると、『ハイわかりました。朝鮮人はみんな帰ります。天皇つれて帰ります』
と言ってやる。(笑)。だけど、アイツ働かないからな(笑)」
【「正論」2003年号1月号81ページ 憲法集会での辛淑玉の発言】
                               ↑
                       救いようのないバカ(嘲笑

★★ 朝鮮人は、古代日本に移住していない ★★

朝鮮人は、古代のカラ半島南部にあった、志良岐・任那・久多良は 朝鮮人の国だったと
信じ込み、
「半島の国々から、古代日本に多くの朝鮮人が移住し、半島や大陸の輝かしい先進文化を伝えた」
と、主張する。
だが、こういった説は妄想に基づく妄言である。 朝鮮人が古代日本に移住したという事実はない。
日本列島にもカラ半島南部にも、紀元前から、長江以南の越地方から多くの越人(倭人) が移住しており、
日本列島とカラ半島南部の倭人は、紀元前から日常的に交流していたのだ。
つまり、『同一の文化』を共有していた。だから、古代ヤマトとカラ半島南部で、文化水準のレベルに差があった、
などということはありえない。古代においては、日本列島もカラ半島南部も『倭人の世界』だったのであり、
同じ倭人どうしが交流していたのだ。朝鮮人は、古代日本とは何の関係もないのである。
朝鮮人は、韓人(カラビト=倭人)ではない。
朝鮮民族の先祖として、もっとも可能性が高いのは、穢(ワイ)族である。
このワイ族は、古代カラ半島北部にあった中国の自治領=帯方郡の東部地方・ワイ郷(現在のソウルの東方地域)に
住んでいた少数部族であるが、高句麗が楽浪郡=帯方郡を滅ぼした313〜314年頃に難民となって南下し、
日本領=シラキに移住したのである。後に、高句麗と手を組んで稲飯命の子孫である志良岐王族を虐殺し、
王権を簒奪して志良岐を乗っ取った金奈勿(キン・ナブツ)も、ワイ族であった。
朝鮮民族は、けして韓人(カラビト)ではない。 もちろん、倭人=日本人でもない。
辛淑玉は、日本人と朝鮮人を同族だと思いたいようだが、残念でした、何の関係もありません(笑
629日本@名無史さん:2006/02/25(土) 21:32:32
スレタイの「奈良百済人」って何?どの本の用語にも載ってないよ。
630日本@名無史さん:2006/02/26(日) 02:44:50
>>627
なんで在日になるんだ?
コピペばっかりするきもいサヨもお前らウヨも出てけよ。
どっちも迷惑。N速とかそういうとこ池
631日本@名無史さん:2006/03/10(金) 21:23:22
まあ、元をたどれば日本は大陸(半島)から来たか
南方から来たかの違いしかない。

しかし、鎌足は百済人であり、古来から祭祀一族として由緒ある
中臣氏を乗っ取った。
そして藤原氏となった。
しかし、祭祀一族中臣氏は別系統として存続した。
632日本@名無史さん:2006/03/20(月) 17:57:36
【『嫌日流』まとめサイト】
http://homepage3.nifty.com/hakch/

マンガで描かれている日本人の顔と朝鮮人の顔がおもしろい(W
目が細く、目尻が吊り上った、一重マブタの、着物を着ている女二人組が
日本人だという。

1)目が細い
2)目尻が吊り上っている
3)一重マブタ

これらの特徴は、朝鮮人の顔に見られるものなんだが(W
逆に、マンガに登場する韓国人の女たちは、二重マブタ(笑)で、
目が大きい日本人顔で描かれているよ。

よく、
「韓国人が、日本人について語っていることは、すべて韓国人自身に
 当てはまることだ」
と、言われるが、ニセ嫌日流は、まさに日本人と韓国人の容姿を逆転させて
描いているんだよな(笑
韓国人は、いつも、事実を真逆に語る(描く)よな。
嫌日流が日本で出版されたら面白くなるね(笑
633日本@名無史さん:2006/03/20(月) 20:42:14
1)目が細い
3)一重マブタ

は日本人も同じだよ。

2)目尻が吊り上っている

は朝鮮人やシナ人種。

日本人は吊り上らない切れ長の目である。
634日本@名無史さん:2006/03/21(火) 18:28:36
中国に『山海経』という古文書がある。
山海経は、中国でもっとも古いとされる地理・博物書であるが、この書物の中に
義和国という国が登場する。

【山海経・義和国の話】
東海の外側に義和国という国がある。その国には女が住んでおり、名を義和(ぎか)という。
義和は今、太陽に水浴びをさせているところである。

古代日本の呼称である「倭国」が「和国」に改号される時、山海経に登場する義和国から、
『和』の字を借りて、和国にしたのかもしれない。
義和国を支配する義和という女神は、日本神話の天照大神にそっくりである。
義和も、天照大神と同じように太陽の女神なのだ。
山海経によると、義和国には扶桑という巨大な神木があり、扶桑の枝には十個の太陽がとまって
いるという。
そして、義和が十個の太陽を支配しているとされているのだ。
日本神話の天照大神の原型は、この義和なのかもしれない。

■『山海経』について■
http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/chubun/ohno/sengai.htm
635日本@名無史さん:2006/03/22(水) 18:22:47
なんで、大和朝廷が作った人工国家=百済の文化を、日本人が羨むんだ?(笑
_____________________________________
韓国人がアホな歴史教育をしているようだ。

【歴史教育、幼稚園から実施】

教育人的資源部(訳注:日本の文部科学省に相当)は、幼児の時から正しい歴史意識を
身に付けさせるために、多様でおもしろい活動を素材とした『幼児のための歴史教育活動
資料』を発刊し、全国8300余りの国・公・私立幼稚園に無料配布するほか、保育施設など
で出力して活用するようにホームページ( www.moe.go.kr )にも掲載することにしたと、16日
発表した。
この資料は、幼児期発達に相応しくておもしろい10編の時代的歴史エピソードと、33種類
の多様な活動で構成されており、歴史に対する幼児たちの関心と好奇心を引くことが期待
される。
(省略・・・)
★『韓国の文化の誇り、百済』編には、「日本が羨んだ百済文化」が紹介されている。←(苦笑)
(省略・・・)
古朝鮮(訳注:檀君の建国した国のこと)などのテーマも入っている。
教育人的資源部では、この資料が幼児教育現場で有効に活用されるようにするため、2月
に全国16道・直轄市の教育庁幼児教育担当講師要員400人余りを対象に研修を実施する予定だ。

▽ソース:Yahoo!Koreaニュース(韓国語)(2006.01.16 20:21)
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=4&newssetid=746&articleid=2006011620210117447
636日本@名無史さん:2006/03/31(金) 01:38:41
在日挑戦人はなんまんにん?
637日本@名無史さん:2006/03/31(金) 12:20:24
最近、韓国人が宣伝している歴史観は、韓国人=フヨ人説に基づいた『騎馬民族征服論』である。
満州地方に住んでいたフヨ(扶余)民族が、朝鮮半島に侵入し、半島南部に新羅や百済を建国し、
さらに対馬海峡を渡って日本列島の先住民(日本人)を征服して、古代ヤマトを建国したという説。
日本史板や考古学板を中心に、この説を宣伝している。 もちろん、すべてデタラメであるが。
朝鮮人はフヨ人ではない。フヨ人の子孫でもない。フヨ人に征服された民族が、朝鮮人である。
高句麗およびその後継国=渤海国はフヨ人の国である。また918年に建国された高麗もフヨ人の国である。
そして、フヨ人とは満州民族であって、朝鮮民族ではないのである。
朝鮮人は、韓人(カラビト=倭人)でもない。
朝鮮民族の先祖として、もっとも可能性が高いのは、穢(ワイ)族である。
このワイ族は、現在の韓国の江原道地方(ソウルの東方地域)に住んでいた少数部族であるが、
高句麗が楽浪郡=帯方郡を滅ぼした313〜314年頃に南下して、日本領=シラキに移住した。
後に、高句麗と手を組んで稲飯命の子孫である志良岐王族を虐殺し、王権を簒奪して志良岐を
乗っ取った金奈勿(キン・ナブツ)も、ワイ族であった。
おもしろいのは、韓国の歴史学者や政治家たちは、朝鮮民族の先祖について語るとき、フヨ人や韓人に
ついては積極的に語るが、このワイ族については語ろうとしないことである。
おそらく、韓国朝鮮人は、自分たちの先祖がワイ族であることに、うすうす気づいているのだろう。
ワイ族のワイ(穢)には、「汚い」「ケガレている」という意味がある。
このような名前の部族が朝鮮民族の先祖だとは、認めたくないのだろう。

彼らは、楽浪=帯方郡を支配していた中国人から、そのように名付けられた部族なのである。
朝鮮民族は、けしてフヨ人ではないのである。
もちろん、倭人=日本人でもない。

ウィキぺディアなどで、朝鮮人の工作員が、
「ワイ族は扶余族だ。ワイ族が改名して扶余族になった。高句麗人も百済人も、みんなワイ族だ!日本人もワイ族だ!」
と、宣伝しているが、大ウソなので、騙されないように。
638日本@名無史さん:2006/03/31(金) 18:13:45
>>612
ようするに、こういうコトでしょ。

◆◆ 和漢共栄時代から三民戦争時代へ。カラ半島の古代史 ◆◆

3世紀以前のカラ半島は、半島北部地方は、漢民族が楽浪郡を置いて支配し、半島南部地方は、
倭人(日本民族)が、志良岐と任那を建国して支配していた。この時代が、『和漢共栄時代』である。
しかし、313年から314年にかけて、満州地方のフヨ人(高句麗人)が、漢人が支配する楽浪郡を
攻撃して滅ぼしたため、これ以降、『三民戦争時代』に突入する。
三民戦争時代とは、カラ半島北部の高句麗を支配するフヨ人、任那・百済を支配する倭人、そして、旧帯方郡の
東部地方に住んでいたが、356年に倭人国家=志良岐(シラキ)を乗っ取り、新羅を建てたワイ人(穢人。朝鮮民族の先祖)
が、カラ半島の支配権をめぐって戦争を繰り返した時代である。
当初、ワイ人国家=新羅は高句麗に朝貢し、倭人勢力と戦争していたが、433年に高句麗に対して反乱を起こした。
そして、倭人国家=百済・任那と同盟を結び、今度は高句麗と戦争した。
だが、550年代になると、ふたたび倭人勢力とワイ人勢力の関係が悪化し、新羅と百済の間で戦争が再開された。
643年には、敵対関係にあった倭人とフヨ人が反新羅で同盟を結び、ワイ人国家=新羅を攻撃した。
倭人とフヨ人は協力してワイ人国家=新羅と戦ったが、660年、唐と手を組んだワイ人勢力=新羅によって、
百済は滅ぼされた。
668年には、フヨ人国家=高句麗も、ワイ人勢力=新羅と唐の連合軍の攻撃により都を落とされ滅びた。
最終的に、カラ半島はワイ人によって統一された。このワイ人が、後の朝鮮民族である。
倭人=日本人勢力は、663年の白村江戦争で敗北した後、カラ半島の領土を手放した。
しかし、白村江戦争以降も、ワイ人=朝鮮人勢力は、海賊活動を中心に何度も日本侵略を繰り返した。
これが、古代カラ半島の真実の歴史である。7世紀以前のカラ半島は、三つの民族が領土戦争を展開して
いた地域だったのである。
639日本@名無史さん:2006/04/06(木) 08:32:00
>>637
ひどいデタラメだな。朝鮮人なみにめちゃくちゃなことをいってる。

夫餘は朝鮮人でも満州族でもないよ。夫餘=穢族だよ。
で、朝鮮人は夫餘でも穢でもない。
640日本@名無史さん:2006/04/16(日) 11:39:10
★★任那の真実★★

任那問題・・。これは重要な問題である。
下記のサイトの文をよく読んで、考えよう。
日本古代史について研究するとき、カラ半島南部諸国=志良岐・任那・百済との関係を
考えるのは当然であるが、それに加えて、半島中部の駒国(コマ。すなわち楽浪郡)と
古代日本の関係がどうであったかも研究する必要がある。
また、日本-駒国の関係に、中国北朝=魏が与えた影響、その魏の政治情況が、
古代日本と任那の関係にどのような影響を及ぼしたのかも研究しなければならない。
魏が、公孫度領=楽浪郡を攻め滅ぼしたことがきっかけで、任那は古代日本(崇神天皇)に
助けを求め、日本領となった事実。日本がその任那を通じて魏と交流した事実、
これらの事実をふまえた上で、日本列島とカラ半島の古代史を研究することで、
古代における日本とカラ諸国の関係が、どういう形であったかが見えてくるはずである。

■任那問題と古代日朝関係■
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/0415b.html
■好太王碑 最古の拓本発見■
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1145111903/l50
641日本@名無史さん:2006/04/16(日) 13:21:42
ウィキペディアの『百済史年表』の記事に、百済の言葉として
日本語が出てくる。

【後期‐泗?時代】
(中略・・・)

657年 百済、王の庶子41人を佐平の官に任命 ←佐平の官。塞の神(さへのカミ)と同じサヘ。

660年 唐・新羅連合軍、百済を滅ぼす
663年 倭国の百済救援軍、白村江で唐軍に大敗

「佐平」は塞(さへ)と同じ意味だろう。守護・防衛を意味する日本語の古語だろ。
◆サエギル=塞きる=防ぐ=防衛

■百済史年表
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88%E5%8F%B2%E5%B9%B4%E8%A1%A8

やはり、百済人は日本民族だったようだ。
642日本@名無史さん:2006/04/20(木) 13:28:17
関西・大和の国・西日本を含む、日本の支配層=武士階級は、
ほぼ全て、徳川一門の大名・徳川恩顧の大名と、その家臣=関東武士・東日本武士。

神君・徳川家康公は、静岡県出身なので東日本人。

関ヶ原の戦いで、東軍=徳川軍が、西軍に圧勝した後、徳川家康公は、大規模な国替えを行い、
重要地帯である関東周辺−関西周辺間を、ほぼ全て、徳川一門の大名・徳川恩顧の大名で固め、
もとから関西にいた外様大名は、勢力の大きかったものを中心に、とりつぶすか、西日本の僻地・東北の僻地に追放し、
追放先には、監視・けん制の為、徳川一門の大名・徳川恩顧の大名を適数、置いた。

関西の支配層=武士階級は、ほぼ全て、徳川一門の大名・徳川恩顧の大名と、その家臣=関東武士・東日本武士に入れ代わって、
もとから関西にいた外様大名と、その家臣は、西日本の僻地・東北の僻地に追放され、
残った関西の商人・農民などの庶民は、関東武士・東日本武士の支配下に置かれた。

だから、関西に意外と縄文顔の人がいたり、東北に意外と朝鮮顔の人がいたりする。

>関ヶ原で西軍がどうなったと思っている、
>大名は打ち首・遠島、領土は召し上げ、さらに豊臣恩顧の大名は、
>10年以内に、その殆どが、つまらん理由で潰されている。
643日本@名無史さん:2006/04/20(木) 13:30:00
下の近畿の大名を見ると、

重要地帯である関東周辺−関西周辺間は、親藩・譜代藩が圧倒的に多く、
関西周辺を除く西日本・東北は、外様藩が圧倒的に多い。
ここから、武士階級が中心であるが、住民の系統がわかる。

※親藩=徳川一門の大名の藩
譜代藩=徳川恩顧の大名の藩
外様藩=関ヶ原の戦い以後、徳川側についた大名の藩

http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%81%8C%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84


日本は、徳川家・関東武士・東日本武士を中心とした、サムライの国である。
644日本@名無史さん:2006/04/20(木) 13:42:58
下克上の戦国時代になると、
地方豪族・庶民・浪人等から成り上がった戦国大名に、源平系の大名等は、ほとんど滅ぼされた。

また、源・平・藤原等の出身であっても、実際には自称=偽者のケースが多かった。


>戦国時代のことばを借りていえば、徳川家康は、織田信長や豊臣秀吉と同じ「成り上がり者」氏族で、新興氏族に過ぎなかった。
>しかし、だからといって徳川氏の偉業が損なわれるものではない。乱世を生き抜き、明治維新に至るまでの太平の世を現出したことは事実なのだから。
>戦国時代、名流をもって君臨したものの多くは滅亡し、最後に生き残ったのは、徳川家をはじめ、そのほとんどが自己の能力と運をもって成り上がった者だった。
>これは、中世から近世への過渡期に起こった革命でもあったのだろう。

http://www2.harimaya.com/aoi/tokukeiz.html
645日本@名無史さん:2006/04/20(木) 14:03:47
そりゃそうだろ確固たる同盟のもとに相互の人的支援や百済滅亡に伴う
大量の非難民の受け入れ、長年にわたる積極的な技術移民の受け入れ、などなど考慮すれば
例えば百済系倭人や、あるいは倭人系百済人なんかも相当数いたんジャマイカ?とか考えられる。
646日本@名無史さん:2006/04/20(木) 16:14:12
>>645
戦前の朝鮮や台湾を仮定して考えると良い、受け皿つまりはベースとなる
のはいわずもか。
647日本@名無史さん:2006/04/28(金) 09:13:20
ひとつ疑問なんだけど
百済に仏教が入ってきたのは384年。そのころ倭と百済は共同で新羅を破るなどの
交流があったにも関わらず、百済から日本に仏教が入ってきたのが538年まで遅れた。
その理由は何故?
648日本@名無史さん:2006/04/28(金) 09:23:40
面倒くさかったから
649日本@名無史さん:2006/04/30(日) 03:16:51
【百済への仏教伝来】
384年、枕流王(ちんりゅうおう)元年7月, 東晋に遣使朝貢し,さらに9月には
胡僧(インド僧)摩羅難陀(まらなんだ)が晋より海路を経て来朝したので,
宮中に迎えて礼敬したのが百済仏教の始めという。
翌385年、漢山に寺を建て、十人の僧を徳度した。

【伝来年代の諸学説】
高句麗に仏教が伝来して十数年後に百済に仏教が伝来したとする「三国史記」
の記事への疑問と,枕流王2年(385)の創寺度僧の後,聖王19年(541)に至
るまでの一世紀半の間,「三国史記百済本紀」に仏教関係の記事が
あらわれない事への疑問,「日本書紀」の百済僧観勒上表文の解釈・再検討から,
当時の中国の仏教事情,中国との国交,そして史料及び発掘調査報告書からの百済
の仏教事情を加え,以下のような諸説がある。
アー1)毘有王(427-455)代とする説。★
アー2)452年頃ではないかとする説。
イ)百済仏教伝来を武寧王(501ー523)代とする説。
ウ)524年頃ではないかとする説。

【百済仏教の特色】
北朝文化が百済に影響をあたえたという説もあるが,南北朝時代における百済の対中国
外交,そして百済と高句麗の関係等を整理することによって,百済仏教に影響を与えた中国
仏教といえば,南朝仏教か,南朝を経由してきた仏教に限られていたとする見方が強い。

南朝との関係を強調し,百済は中国南朝文化(仏教)を受け入れながら,
国内の素朴な支配的イデオロギーをより多様に,または洗練されたる貴族的なものに発展させた。
百済仏教には戒律中心の特徴が見られ戒律主義的で,
特徴の一つとして「山林仏教」。弥勒信仰が盛んであった。

【日本とのかかわり】
聖明王が日本に仏像・経巻を送る(538年、549年、552年など諸説あり)
観勒など, 来日した学僧も少なくない。
仏像様式の研究から,止利様式が百済を通して日本に影響を与えた。
650649:2006/04/30(日) 03:21:10
>>647
単純に倭国が要求しなかったからではないかな。
百済が仏教を伝えたのも倭国から請求されたわけではなくて、
派兵を催促する意味で百済の方から贈り物としたのが仏教。
651日本@名無史さん:2006/05/02(火) 20:31:37

百 済 か ら の 渡 来 人 は 結 局 難 民 な ん だ 〜

鉄を取るため倭の植民地だった百済が高句麗にやられた時に流れてきた。

もちろんそれ以前に出雲系の権力者達は武蔵・科野から大勢の兵士を派遣した。

その子孫が後に難民として渡来している。いわば里帰りだ!
652白村江の戦い:2006/05/02(火) 20:57:22
白村江の戦いで、唐、新羅連合軍が、百済、日本連合軍(但し、ここに日本というのは誤解を招く。
実質的にそれは百済系の日本内分国、植民地としての奈良王朝ということである。
奈良王朝は母国百済存亡の危機にみまわれ、総力を挙げて母国救援の軍を出した)を壊滅させた後、
いよいよ唐が日本占領に乗り込んで来るのであるが、唐の占領政策は、日本列島内で主導権争いを続けていた高句麗系、新羅系、百済系の対立抗争を巧く利用する。
653文部省の学校歴史:2006/05/02(火) 20:58:34
即ち、百済系を重用し、これを主たる代理人として、日本の全国統一権力体系を作ること。それゆえ百済系をして、高句麗系、新羅系、古代海人族を駆逐させること。
こうして唐の占領軍は日本原住民の大叛乱の抵抗に対して、百済系を手先として全国統一の律令体制を確立し、その支配のイデオロギーとして、彼らの仏教を利用する。
七世紀末から八世紀初頭にかけての、三、四十年を準備期間として、日本はこのように一変したのだが、それから千二百年の間、現在に至るまで、天皇を頂点とする、
この律令体制の大枠は維持されている。
そして文部省の学校歴史とされている。
654後進国まわり:2006/05/02(火) 20:59:08

小泉さんは連休中かねてODAで買収?してあるエチオピアなどを回って
日本の常任理事国入り支持再確認をアピールしている様だが、
幾らで買った?w
ODAは悪いことではないが、民主主義が未定着で政治が腐り、国内で馬鹿なことばかりやっていては
金で歓心は買えても尊敬は買えないよ。
655後遺症はじつに六〇〇年以上:2006/05/02(火) 21:02:08
日本人が過去に体験した戦争で、その影響力の点で太平洋戦争に匹敵するのは七世紀後半の対唐・新羅戦争と一三世紀後半の対元・高麗戦争(元寇)であろう。
六六〇年に始まり六六三年の白村江の敗戦で終わったこの戦争の影響はじつに平安前期、菅原道真の建議により遣唐
使の派遣中止となる(八九四年)まで続いた。日本がその政治的・社会的・文化的アイデンティティを恢復、いわゆる国風文化が成立したのは平安中前期だが、唐滅亡(九〇七年)以降も日本の為政者や国民には白村江敗戦のコンプレックスが潜在し、
それがほぼ解消されたのは対元・高麗戦争(元寇、一二七四から八一年)の終戦以降である。
つまり、対唐・新羅戦争敗北の後遺症はじつに六〇〇年以上も続いたということになる
656松本清張:2006/05/02(火) 22:04:00
松本清張は、
「日本と朝鮮は、同一民族」の説をうち出している。つまり、その意見は、
「皆が思っているように吾々が朝鮮文化を吸収したのではなく、もともと同一民族で
極言すれば、日本は朝鮮から分かれた国で、対馬海峡があるので向こうが動乱のとき
日本は独立し、先住原住民の風習を融合しより日本的になった。つまりアメリカが英
国から独立したごとく‥‥」というのである。
 凡俗の歴史家の述べるところよりは卓越なものである。
657藤原勢力:2006/05/02(火) 22:05:19
だが、竿頭一歩すすめれば、これでも違う。
 つまり八世紀に大陸から独立をしたのは、なにも日本の国そのものではない。進駐
してきていた藤原勢力が、
「もはや、われらは唐ではなく藤である」
 と、彼らは勝手に独立したのだろう。征圧されていた高句麗系の北鮮人や、土着の
天の朝系の西南種らの日本原住民を、奴隷化して、ここに独立したのである。
 いうなれば、故マッカーサー将軍以下が、あのまま住みついて日本各地に、その後
も基地を置きっ放しで、新アメリカ日本州として独立させてしまったようなものであ
る。
658井上光貞説:2006/05/02(火) 22:06:58
これに関しては朝日新聞社刊の『日本原住民史』に、詳しく、その経緯がでている。
 さて、日本古代史が専門という井上光貞説では、
「七世紀後半の物と高松塚古墳は推定できる。八世紀に入ってからとは考えられない。
文武天皇の時から火葬になっているのに、高松塚には骨が残っていない」と、きわめ
て明快だが、これではあまりに単純すぎる。東大で講座をもっている方の説だから傾
聴したいが、どうも感心しない。これは六国史の中の、
『日本文徳天皇実録』の中からの援用だろうが、高句麗人は西南系土着民と混じって
から、「拝火教」の宣撫をうけ彼らの火葬に同化するが、百済人は土葬であって、こ
れは858年の文徳帝の死後も、河内交野を初め百済系の多かった墳墓の発掘によっ
ても、明白にされていることである。
659日本@名無史さん:2006/05/03(水) 11:55:49
また電波が湧いてるのかw 所詮糞スレだもんな〜
660百済系朝鮮美人:2006/05/03(水) 19:55:48
桓武帝をかつぎあげた朝鮮系が、宮中をすっかり押さえてしまったので、帝
の後宮は、女御として、
「クダラ王教法媛」「クダラ王永継媛」
 そして女官長に当る尚侍(ないしのかみ)に、「クダラ王の娘教信」、その次長に
「クダラ王明信の娘」「クダラ王教仁姫」「クダラ王貞香娘」
 さながら今日のキイサンクラブのごとく、クダラの女官が御所の後宮を取りしきり、
この後の嵯峨天皇の御代も、
「女御はクダラ王媛貴命」「尚侍はクダラ王慶命媛」と変らず、人皇五十五代の仁明
帝の代でも、クダラ王永慶媛があがっていた。
 帝の御側近が朝鮮の百済の姫たちばかりゆえ、御政務を補助する文武百官もこれみ
なクダラ人が、その重要なポストを占めていたことはいうまでもなく
661クダラにあらざれば人にあらず:2006/05/03(水) 19:58:03
かつて吾が日本列島が馬韓辰韓弁韓の三韓時代に支配されていた時代は、終戦直後
よりひどく、ナラ時代、韓国のカントリーの意味だそうだが、金大中の御先祖さま
[これは単に百済系をさす意味]が君臨の昔、「クダラにあらざれば人にあらず」と
され、「クダラぬやつ」「クダラん事はするな」とまで、現代でさえ用いられるくら
いに、韓国の御先祖さまは日本へきて君臨なさり、好き勝手な事をなさっていた。
 新羅人や高麗人も、日本海よりベーリング寒流で入ってきて勢力争いをした。だか
ら日本の古名は越前越中越後とか備前備中備後と、三韓時代に三分割されていたまま
なのもその例証である。
662青丹よし奈良の都は咲く花の:2006/05/03(水) 19:59:31
「青丹よし奈良の都は咲く花の」とよばれる「ナラ」の言葉が、朝鮮語の「国」を意
味するという程だから、日本へ渡ってきて落着いてしまった朝鮮人の勢力は、侮り難
いものがあったのだろう。
「人皇五十代光仁天皇は、四十七代の女帝孝謙帝御妹君の井上内親王の御聟であらせ
られたが、当時河内の平野郷に住まっていた朝鮮系の高野新笠がうみ奉った桓武帝が、
その死後に代られると、未亡人の井上皇后は太子と共に吉野の山寺へ押しこめられ、
そこで食を絶たれたもうて餓死させられた
663日本@名無史さん:2006/05/03(水) 20:48:49
あの時代の半島人は自らを、秦人とか漢人・今来漢人とか称して
支那人を騙っていたんじゃないん
664勧学院派日本書紀:2006/05/04(木) 10:16:34
仏教側の勧学院派日本書紀では、百済人が日本原住民の奴隷を苛使し奈良の大
仏を建立したのを祝って、願文を奉ったとしている。奈良の町は大仏建立のために犠
牲となった日本原住民の屍で埋まったと言われる
665日本@名無史さん:2006/05/04(木) 16:20:40
「くだらない」の語源をフツーに調べてみろWWWWW
お前の寒いダジャレで歴史がつくれると思っているのかWWWWW
666高松塚古墳:2006/05/04(木) 18:46:37
高松塚古墳の遺骨が誰なのか?
 つまり何族人なのか?というので、いろいろ談義されているが、草壁皇子にしろ高
市皇子であっても、百済人であるとみれば問題ない。
 それを七世紀後半の日本列島に、ちゃんとした日本国が厳然としてあって、そこに、
「日本人」とよぶ民族が既に今のごとく、存在していたとするからすべてが可笑しく
なる。
 つまり『日本文徳天皇実録』をも含む六国史が、渡来したトウの人の漢文によって
書かれたものと正確につかめず、それを、
(日本国なるものがイザナギ、イザナミの二神によって、天の浮橋より天の鉾にて創
られた時から、ある程度の国家形態をととのえ七世紀まで確固として存続。百済が滅
びた時も断固武力にて本土防衛をして、亡命した帰化人を保護し得るだけの実力があ
った)
 とするような妄想に取りつかれるからして、ために種々の揣摩臆測が出るのだろう。
667高松塚古墳:2006/05/04(木) 18:49:12
「皇子」なる文字からして、どうも誤まるのだろうが、
『日本書紀』の中でも堂々と、中大兄皇子が蘇我入鹿を大極殿で仆してしまう条を、
「韓人、鞍作りを殺す」と、中大兄皇子のことを頭ごなしにそう呼び、後に皮はぎし
て馬鞍や馬具作りとなる北鮮系の、騎馬民族の末裔の蘇我氏を侮るごとくに書いてい
る。
 だから、その遺骸から首級がなくなっているのも、埋葬後何人かが入って荒らして
いる事実も、盗人の仕業ではなく、つまり、
「政争で世の中が変わり、敗者となり反体制となった被葬者への、制裁か報復での墓
あばきとみられる」と、奈良県種原考古学研究所でも、高松塚への意見を発表してい
る。
668高松塚古墳:2006/05/04(木) 18:50:10
ということは、これも、
(クダラ系が押さえていた天下を、やがて藤原氏と自称する唐からの人たちに奪われ、
かつては吾らの事をさえ、クダラでないのはクダラねえと罵りおった不届き者め‥‥)
と、その墓を荒らされたのだとする裏書きともなるのだろう。
 なにしろ高松塚古墳の場所が、
「藤原京」ともよばれた橿原の朱雀大路の下ってきたところ。大極殿の建物のあった
個所から真っすぐの地点にあるゆえ、そこの地元の研究所の意見は正しかろうと想え
る。
 また、被埋葬者を、持統・天武の御子、とされる草壁皇子や高市皇子とする推測の
他に、
「天武帝の九番目の御子の刑部親王」
 ではないかとする説も出ている。
669語源由来辞典:2006/05/04(木) 18:57:43
くだらないは、動詞「下る」に打ち消しの助動詞「ぬ」がついて「くだらぬ」、「ない」がついて「くだらない」となった。
「下る」には、通じるといった意味を示す場合があり、それを「ない」で否定して、「意味がない」「筋が通らない」などの意味となり、そこから取るに足りないという意味に転じたとされる。
他の説では、上方から関東に送られる物を「下りもの」と言い、その中でも清酒は灘や伏見が本場であるため、「下り酒」と呼ばれていた。
反対に関東の酒は味が落ちるため「下らぬ酒」と言われ、まずい酒の代名詞となり、転じて現在の意味となったとする説がある。
しかし、「下りもの」と呼ばれる以前から、「くだらぬ」は使われていたため、この説は考え難い。
また、日本に農作を伝えたのは現在の朝鮮にあたる百済の人々で、百済の人々を頭の良い人としていたため、頭が悪く話の通らない人を「百済ではない人」と呼び、略され「くだらない」となったとする説もある。
http://gogen-allguide.com/ku/kudaranai.html
670日本@名無史さん:2006/05/04(木) 19:41:12
百済は、扶余とは何の関係もないっしょ。
扶余=高句麗と敵対関係にあったのが百済と大和。
百済王族の姓は「余氏」だが、これ「多氏」と関係ありそうだね。
余氏も「オホ氏」と読むんじゃないかな。「ヨ氏」じゃなくて「オホ氏」と。

数多という日本語の古語があるが、数多(アマタ)は、余るの根語であるアマに
形容的接尾語のタを付けた言葉だという。数多=多くの=沢山のという意味。

アマ+タ=アマタ

つまり、数多は余多なのだ。古代日本語では、余(あまる)という言葉には
「多い」という意味が含まれていたらしい。
多氏は神武天皇の子孫だという伝承がある。
百済王家=余氏は、多氏の分家じゃないかな。

■日本の苗字7000傑
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01222.htm

あっ、余豊璋が多氏の娘と結婚してる!!
671山部親王:2006/05/04(木) 21:14:09
親王御生母は百済人高野新笠だが、光仁さまの御子となっている。だったら自分の
お子さまに譲位されるのにしては、悲壮な御勅語はおかしくも想える。なにしろ時に
光仁さま六十歳。山部親王は四十七歳だが、ご長子に間違いないのなら、これは当然
の順位である。
 なのに、天応辛酉(てんのうしせいの読み方がある)の翌年は改元され、延暦元年
になるが、その正月に、「天武帝の孫の氷上川継」をもって皇位にたてようとした首
席公卿の左大臣藤原魚名父子、参議原浜成が騒乱罪によって次々と処分されている。
 そして桓武帝となられた山部親王の女御は、「百済王俊哲の姫の教法」にあらせら
れ、「女嬬」と申し上げる後世の第二第三夫人にあたる御方も、やはり百済王の孫姫
の「真善」「真徳」「貞香」の女性達で、「宮中取締まりの掌侍」つまり女官長は、
「百済王敬福の孫姫の明信媛」と、祭事一切を司る宮人も、恵信、明本といったその
同胞にあせられる。あとの「平城・嵯峨」の帝にあらせられても、やはり百済家の姫
君達が入内して居られる。
672日本@名無史さん:2006/05/04(木) 22:13:07
日本史板至上稀に見る糞スレ
673日本@名無史さん:2006/05/06(土) 23:28:18
なにこの電波スレ
674日本@名無史さん:2006/05/23(火) 00:03:41
すばらしいじゃん
675日本@名無史さん:2006/05/23(火) 15:02:49
>>634
倭国が和国に改号した例はない。
倭国は武側天の時に正式に「日本」に改名してもらったのだ。
但し、それまでも「日本」と称しおり、正式に国名を変えたい
旨を中国に伝えて改名に到ったのだ。
理由は「易姓革命」などではない。

外交的な理由と、単なる見栄えの問題だ。
676日本@名無史さん:2006/05/23(火) 15:06:47
>>669

「くだらない」は「(京や大阪などの上方から)下らない」の意味です。
当時は、上方から江戸へ下ってくる品物は、昔の「舶来品」と同じような
響きがあったのです。
677日本@名無史さん:2006/05/23(火) 15:35:55
>>669が国語学界の通説(江戸時代の国学者の時代以来こっちが常識)
>>676は俗説(長屋の熊さん八っつぁんのレベル。ウリナラ電波よりましな程度)
678日本@名無史さん:2006/05/29(月) 22:46:01
たしかに朝鮮の古い地図には日本を奈良百済と記載している。
ただ東北以北は別国だった。
蝦夷のアルタイは大和朝廷まで連れてこられて斬首されているが、この辺が本当の
日本の真実なんじゃないかな
679日本@名無史さん:2006/05/29(月) 22:48:01
えみし、とみしはせの関係
680日本@名無史さん:2006/05/30(火) 00:48:42
古代文化や天皇家は朝鮮から来たってのはもはや定説みたいになってるよな・・・

洗脳って怖いよ

戦前までは朝鮮なんて古代から日本の領土ってのが常識だったのに

しょせん歴史なんてその時代時代のイデオロギーで変わるってことだ

今はガマンだな・・・

そのうち朝鮮なんて古代から後進国だってことが判明するさ
681日本@名無史さん:2006/05/30(火) 01:04:52
結局、大衆の妄想が社会を動かしているってことだろう。
所詮、権力者なんてのはお飾りにすぎない。

一昔前までは醤油顔もハンサムの代名詞だったが
今やチョン顔だもん。

国民の9割はアテルイとアルタイが区別できてないのだ
そんな国民を一流大卒の先生が大々的に自説で教育すれば
簡単になびく。

だからこそ我々はそういう大衆心理と学者の邪な考えを
逆手にとり先手先手を打たねばならない。

大衆は馬鹿、しかし社会は大衆が作る。
682日本@名無史さん:2006/05/30(火) 03:06:01
>>678
>たしかに朝鮮の古い地図には日本を奈良百済と記載している。

あほか。そんな実例はない。なにが「たしかに」だ。悪ふざけもたいがいにしろ。
683国定韓国高等学校歴史教科書:2006/05/30(火) 12:02:51
百済が刮目すべき発展を遂げるに至ったのは、4世紀後半の近肖古王のときのことであった。このとき百済は領土を大きく広げ、馬韓の残った領域を征服して全羅道南海岸に達し、北では高句麗の平壊城まで攻撃した。
同時に、洛東江流域の伽耶諸国に対しても支配権を行使した。こうして百済は今日の京畿、忠清、全羅道と洛東江中流地域、江原、黄海道の一部を含む広い領土を確保した。また、百済は水軍を増強して中国の遼西地方に進出し、
つづいて山東地方と日本の九州地方にまで進出するなど、活発な対外活動を展開した。
684国定韓国高等学校歴史教科書:2006/05/30(火) 12:10:58
新しい文物をもって日本に渡ったわが国の人たちは古代の日本人を教化した。

 百済の阿直岐と王仁は日本に渡って漢文を教えたが、このとき漢学は日本人に文学の必要性を認識させ、儒教の忠孝思想も普及させた。
また、百済は仏教、仏像と五経博士、医博士、暦博士、そして画家と工芸技術者等を送ったが、その影響で五重の塔も建てられ、百済伽藍という建築様式も生まれた。
685国定韓国高等学校歴史教科書:2006/05/30(火) 12:11:29
三国時代にわが国の流移民が日本列島に渡って、先進技術と文化を伝え、大和政権を誕生させ、日本古代の飛鳥文化を成立させるのに貢献した。

http://f17.aaa.livedoor.jp/~kasiwa/korea/textbook_korea/
686地図には日本を奈良百済と記載:2006/05/30(火) 12:37:39
687日本@名無史さん:2006/05/30(火) 13:11:02
>>684 百済を滅亡させた新羅(朝鮮)が百済を我が国と呼ぶのは歴史の
捏造だ。高句麗も同じ。

 百済の伝えた文化はシナ、インド、西域文化で朝鮮文化ではない。儒教も
仏教も朝鮮文化ではなく、朝鮮は楽浪郡という漢の植民地支配を受けていた
ために日本より少し早く受容したに過ぎない。
688日本@名無史さん:2006/05/30(火) 13:30:22
三国史記 百済本紀
第18代  腆支王
腆支王(応神紀の直支王とも云う)梁書には映。
阿辛王第三年(394)に太子となり、六年(397)倭国に人質として行った。

405年、腆支は倭国にいて父の訃報を聞き、大声をあげて泣き、帰国を要請した。
倭王は百人の護衛をつけて送り国境まで来た。
このとき漢城の人の解忠が来て
大王が亡くなると、王弟の?礼が兄を殺し、自立しました。
どうか太子は軽々しく国に入らないでください。と告げた。
腆支〔王〕は倭人を留めて自衛し、海中の島にたて篭って時期を待った。
国人が?礼を殺し、腆支〔王〕を迎え王位に即けた。
689日本@名無史さん:2006/05/30(火) 15:17:04
>>686
日本列島の半分と中国の一部も百済になってる!
690高句麗と斬った張った:2006/05/30(火) 15:47:57
山東や河北の百済領は名目的なものだったみたいだけど、
遼西地方はもしかしたらほんとに領有してた可能性はあるかもね。
そいで渤海〜黄海あたりを航行する海洋民族って一面もそれなりにあったろう。
それぐらいでないと長いこと高句麗と斬った張ったできなかったろうし。
691井上秀雄『古代朝鮮』:2006/05/30(火) 15:51:13
井上秀雄『古代朝鮮』から抜粋
「前燕が三七〇年に前秦に滅ぼされてからは、高句麗が遼東地方を支配した。
百済は広開土王・長寿王の圧迫に苦しんだが、中国の南朝宋の冊封を受け、
南朝鮮諸国と連合して高句麗と対立した。おそらくその一時期に、遼西方面と
政治的な連携ないしはその一部を支配したのではないかと思われる。
百済は東晋や宋との国交を海上交通で結んでおり、当時東アジアでもっとも
進んだ海上交通国であった。(中略・日本は国際社会の末端で、云々)
百済は三七七年に北方の前秦にも朝貢しており、北方の遼西地方に
強い関心を抱いていた。前秦の崩壊にともなう遼東・遼西地方の政治的混乱期に
百済が三七一年の対高句麗戦の大勝の余勢をかって一時的にしろ遼西郡を
侵略することは、じゅうぶん可能性のあることである。さらに可能性の強い
考え方をすれば、南朝宋では高句麗に対抗するものとして百済を高く評価
している。高句麗が北朝の魏や燕と結んでいるのを牽制する意味でも、百済の
遼西郡侵略を誇張して取り上げる必要があったのでなかろうか。」
692日本@名無史さん:2006/05/30(火) 16:16:38
あるうる事は事実なのか?
693百済系・新羅系渡来民の勢力争いの舞台:2006/05/30(火) 18:07:19
6〜8世紀、日本は半島の百済系・新羅系渡来民の勢力争いの舞台だった。
当時の日本の政変は半島及び日本における百済・新羅勢力の抗争の影響を抜きには語れない。
蘇我王朝は百済系のため、百済語は当時の日本で公用語のごとき扱いで百済人と意思の疎通は十分だった。
新羅人との会話には通訳を必要としたらしい。
「乙巳の変」は百済系蘇我王朝に対する新羅系孝徳のクーデターという説は有力。その証拠に孝徳政権ブレインはみな新羅系。
その後孝徳と対立した天智は百済派。「乙巳の変」で蘇我を殺した立役者との整合性が今ひとつではあるが。
いずれにせよ天智は半島に軍を送って百済支援を図ったが白村江で大敗。百済は滅亡し、貴族・官僚が多数日本に亡命した。

「橘は己が枝々生れれども玉に貫くとき同じ緒に貫く」(『日本書記』天智天皇十年正月)
(亡命百済貴族多数に官位を授けたことを風刺して歌われた)

日本の大王・有力氏族は半島王室と同ルーツ:この場合百済、だということがよくわかる。

ちなみに天智〜弘文朝を壬申の乱で倒した天武は、天智の弟(大海人王子)とされるが出自に謎が多いことは有名。新羅系王族との説もある。
天武を支えたのは新羅系氏族であり、政権樹立後、天武は親新羅政策をとり百済系氏族を排斥した。
唐とも直接国交は持たず、新羅を通じての間接外交によった。天武時代の仏教は新羅僧が中心である。
日本書紀の推古朝編纂も新羅で学んだ僧の手になる。聖徳太子の十七条などにはその後代の学問影響やくせが反映されており編纂者の創作説が根強い。
太子そのものが創作である可能性は極めて高い。
694高句麗:2006/05/30(火) 18:22:33
キトラ古墳には高句麗壁画古墳だけにみられる独自で典型的な四神図壁画、
周辺には高句麗特有の寺院伽藍配置である一塔三金堂様式を持つ飛鳥寺をはじめ、
高句麗文化が濃密な飛鳥の地との関係について、もっと解明が進むとよいと思います。
695東北大学名誉教授:井上秀雄:2006/05/30(火) 18:32:27
東北大学名誉教授:井上秀雄さん
5月30日(日)名古屋韓国学校において、上記テーマにて井上秀雄さんの講演を実施致しました。
古代の「倭」は従来から日本のことと論じられてきましたが、先生は古代・中世の中国や朝鮮の文献・資料並びに日本の記紀から、古代の「倭」は中国や朝鮮半島にも存在していると推論、多元的に見直す必要があると提起され興味深い内容でした。
先生から提供された資料は、これらの文献から古代の「倭」に関する情報を整理されたものであり、古代の「倭」について調査あるいは学ぼうとする方には貴重な資料となるものです。
696日本@名無史さん:2006/05/30(火) 18:52:42


百済人や新羅人や高句麗人が古代日本の中枢を担った割には、言語的に殆ど影響を与えとらんな。
天皇家自体が和語をしゃべってる。古文書も漢文か和語で書かれてる。
697大阪市:2006/05/30(火) 19:08:36
■大阪市北区 兎我野町(通称:トキノ):古代朝鮮の都祈野(ときの)から名付けられました。
■大阪市中央区 久太郎町(通称:百済町):百済町と書いたのを後世に久太郎町とする。
■大阪市中央区 高麗橋(通称:コマ):朝鮮国使来朝のために架けたといわれる。橋の東端に難波高麗館がありました。
■大阪市中央区 難波(通称:ナルニワ):朝鮮語の「ナルニワ」が訛りナニワ、「日の出」る聖なる場所という意味。
■大阪市中央区 心斎橋(通称:新羅橋):心斎橋は昔、新羅橋だった。織田信長軍、石山本願寺軍攻撃配置図にも記載あり。
■大阪市鶴見区 鶴見区(通称:ツルミ):ツルミとは朝鮮語で鶴。古朝鮮語ではツル及びツルミで山を表した。
■大阪市小橋町(通称:オバセ):新羅系渡来人の小橋氏が由来。小橋でオバセと読みます。
■大阪市生野区(通称:イクノ):古代新羅系渡来人の生野長者が由来。
■大阪市生野区 林寺:古代このあたりに百済系渡来人である林史氏が居住しており、彼が立てた寺もありました。
■大阪市平野区 杭全(通称:クマタ):中世このあたりは杭全荘とよばれ、百済系渡来人の子孫である坂上広野麻呂の荘園であった。
■大阪市平野区 加美鞍作(通称:カミクラ):河内国渋川郡賀美郡といい、鞍作氏はじめ百済系渡来人が栄えた場所。
■大阪市東住吉区 百済貨物(通称:クダラ):生野区のあたりを古代、摂津国百済郡と呼び、百済系渡来人が多く住みついた。
■大阪市西成区(通称:ナル):東西に分かれる前は単にナリと言った。ナリはナルの転訛であり朝鮮語で太陽の意味。
■大阪市西成区 岸里玉出(通称:タムデ):古代新羅渡来系氏族の難波吉士(なにわのきし)の居住したところで、吉士が岸となる。
698万葉集と古代韓国語:2006/05/30(火) 19:19:18
古代の朝鮮半島の言語は高句麗・加耶(任那)・百済・新羅の言葉が認められ、高句麗と加耶の言葉は旧満州の扶余の系統である。倭語は扶余の言葉を基層するらしい(高句麗語と倭語の数詞等の語彙がかなり一致し、加耶語は新羅語や百済語よりも高句麗語に近く、
倭語とも関係が深いと比定される)。百済語には諸説あるが、現代韓国語は新羅語を基層にしていて、扶余系の言葉に南方系の影響を受けた倭語は文法は同じだが、語彙は異なる。
699高市皇子は新羅人:2006/05/30(火) 19:25:22
佐治:  鹿島説によると、壬申の乱は高市皇子が新羅軍の指揮者であって、熊津の百済軍を率いる大友皇子の余隆を破ったと言う図式ですね。

鹿島:  高市が新羅人だということは「万葉集」にかいてあります。
柿本人麻呂というのは百済人だといいますが、その人麻呂の作歌で「高市皇子尊の城上のもがりの宮の時」というのがあります。
「ちはやぶる人をやわせと、まつろわぬ国を治めと、皇子ながら、よさし給えば、大御身に、太刀取りはかし・・・吹きなせる、小角(くだ)の音も、敵見たる、虎が吼ゆると、
諸人のおびゆるまでに・・・・・・百済の原ゆ、神葬(かみはふ)り、葬りいまして・・・・・・」というのです(巻2・199)
 この意味は、高市が皇子ながら剣を取って、猛虎のごとく戦った。そして百済の地で百済の王族たちを殺し続けた、と言うものです。この時代百済と倭国は連合しており、新羅がそれを破った。
だから百済の王族を破ったという高市は新羅の王子でなければならないわけです。・・・・・・・・

700万葉と新羅の郷札:2006/05/30(火) 19:26:25
佐治:  鈴木武樹氏は「いまわれわれが万葉ぶりといっているのは、案外古代朝鮮ぶりかもしれない」といっていますね。

吾郷:  金思華(「三国遺事」の訳者)氏は万葉と新羅の郷札(ヒャンチル)「新羅の古歌」が似ているといっています。
701日本@名無史さん:2006/05/30(火) 20:29:39
「倭人」とか馬鹿にしている割には、「倭国」を堂々と名乗っている。
国号を変えたがらない。不可思議。

   
702倭国という国号を嫌う意識:2006/05/30(火) 20:48:42
6世紀末から7世紀初頭にかけて倭国は隋から冊封を受けて朝貢した。607年に派遣された第2回遣隋使に、小野妹子が持参した隋への国書に倭国の名称を用いず、「日出處」(日出ずるところ)と称した。
これは単に東方にあることを示しただけとする考えもあるが、倭国の称を嫌い始めたと見る考えもある。
その後、7世紀後期に至るまで倭国と称し続けていたが、天武天皇に始まる律令制の構築の中で倭国という国号を嫌う意識が再び醸成され、701年前後になってついに、倭国を改め「日本」という国号が採用されることとなった。
703倭・倭人の語源・語義:2006/05/30(火) 20:50:52
「倭」には小さい人という語義があるが、日本列島に住む人々が倭・倭人と呼称されるに至った由来にはいくつかの説がある。倭は遙か遠いところを表すとする説、倭は柔順な性格という語義もあり、
当時の倭人が中国人から見て柔順に見えたのだとする説、小柄な人びと(矮人)だから倭となったとする説、
中国に到着した倭人が自分を指して「わ」(われ=自分のこと)と読んだことから倭となったとする説、倭は『わ(やまと)』の音訳とする説などがある。
また、中国の古書である『詩経』、『小雅』、『四牡』などの書物における「倭」の用字から見て、「倭」は必ずしも侮蔑の意味を含んではいないとする解釈もある。

704日本@名無史さん:2006/05/30(火) 20:55:44
>>702

朝鮮半島への影響力を示す狙いで、敢えて倭国を捨てようと決心したと言う
話もあります。朝鮮の古文書にも「倭が日本と改めた」と出てきますね。
705現代的な概念で考えない方がいい :2006/05/30(火) 21:34:26
倭人=日本人という、民族・国籍で明快に区分する現代的な概念で
考えない方がいいと私は思う。
朝鮮南部から日本列島にかけて住んでいた、北方民族系でない、
漁労採集も行う人々を総称して倭人といった方がいいのでは。
倭人で朝鮮に住んでいたのが百済や加羅になり、日本列島に住んでいたのが
倭国の人々となった、というように。
中国の歴史書かなんかで、朝鮮南部から日本列島を漠然と「倭」と呼んでいたものが
確かあったようなきがするんですが、だれか知りませんか?

どうでもいいけど、韓国の人は北に行くほどでかい。
特に女の人がわかりやすい。170前後ある人は大体ソウル周辺の出身。
で、日本人とたいして変わらない人は、釜山、テーグ、光州だったりする。
顔つきも、北部の方が、えらが張り目が切れる典型的な朝鮮顔で、
南部の方がマイルドで日本人に近い感じ。
この頃は顔や体つきだけで、大体出身地が想像つくようになった。
正直、北部出身の女の人の方がスタイルが良くて格好いい。手足が長い。
706日本@名無史さん:2006/05/30(火) 22:16:36
>>705 それはシナでも同じで北人は体格が大きく、南方へ行くほど小さく
なるので、朝鮮にもそういう傾向があるのだろう。ヨーロッパでも北欧人
が南欧人より大きい。

 動物にもそういう傾向があるらしいので気候の影響だろう。
707日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:29:58
>>690-692
百済の遼西支配はありうるよ。つか否定しなければならない直接の理由はない。
708日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:31:02
>>705
日本人=倭人で問題ないよ。
709日本@名無史さん:2006/05/31(水) 07:42:38
>>705
『三国志』ですか?
半島の古文書にも出てきますよ、それらしき記述が。
半島の倭人も刺青をしていて、列島の倭人によく似ていたそうです。
710日本@名無史さん:2006/05/31(水) 07:50:07
>>705
それは感じる。
北朝鮮のニュース映像で映る人々の顔つきが、化粧や整形のせいでは
なくて、異質に感じる。顔がより平たく、エラがより張っていて、
頬骨がより出ていて、目がより小さく感じられる。
以前観光旅行をしたときに気が付いたのだが、済州島の人々の中には、
眉毛の濃い九州顔が結構いた。
711倭国にはどの様な結末が待っていたのでしょうか:2006/05/31(水) 21:32:50
倭国は事ある毎に朝鮮半島に一定のプレゼンス(影響力)を行使してきました。
その帰結が「白村江の戦」なのですが、この戦争で負けた倭国・百済連合の一方の当事者・百済は名実共に滅亡し、その領土は新羅に併合されてしまいました。
では、もう一方の当事者、倭国にはどの様な結末が待っていたのでしょうか?

712日本@名無史さん:2006/05/31(水) 21:42:41
>済州島の人々?
原住民はほとんどが在日。
今のは他所から移って来たのが多い。
713日本@名無史さん:2006/06/01(木) 06:51:14
>>712
いくらなんでも、そりゃ言い過ぎだ。
済州島民の一部が移住してきただけで、多くは島に残っている。
済州島の伝説、三姓穴の伝説は詳しくないが、かなり日本に関係
がある。済州島では微妙に記述が異なるが、韓国本土で編まれた古文書
では、日本の娘達と韓人が結婚した事になっていると思う。
714済州島の出身:2006/06/02(金) 19:40:40
家光の末子上州十万石綱吉は、生母が京都の八百屋の娘の於玉とされてい
るが、当時京坂には多く住まっていた済州島の出身だというので、大老酒井忠清と水
戸光圀が反対して、京の有栖川幸仁親王を五代将軍に立てようとした。
715済州島の出身:2006/06/02(金) 19:42:03
「赤穂義人纂書」に鍋田晶山が詳しく書いているように、済州島の血をひくゆえ、
日本人よりは貴種であると、やがて綱吉は千代田城を朝廷とよび幕閣を公家と称する
ようにさせた。
 よって京よりの勅使は大納言とか侍従といった官位をひとまず返上。前大納言、前
侍従となり無位無官で遠慮して江戸の伝奏屋敷に入り、京へ戻ると前官にまた復して
いたものである。
716713:2006/06/02(金) 21:33:36
>>714・715
ありがとう。
済州島民の日本での出世物語ではなくて、できれば、古代の倭国との
関わりを、考古学や伝説の面から説明してくれないかな?
そうすれば嬉しいんだけど。
717日本を倭と呼ぶ:2006/06/02(金) 22:05:08
北朝鮮の労働新聞は17日、日本のマスコミなどが国名を「北朝鮮」と呼称していることについて、
「わが国の存在と権威を無視する行為だ」と非難し、「日本反動層が主張しているように他国の国号を慣習どおりに使うなら、
われわれが公式言語生活で使う『日本』という単語は『倭』(日本を軽蔑する言葉)に変わる」と主張した。
朝鮮通信(東京)が国営朝鮮中央通信の報道として伝えた。
718売国奴綱吉 :2006/06/02(金) 22:24:34
現在係争中の竹島というのは、明治以前は「竹島」という名前ではなく、
「松島」と呼ばれていた。明治以前の竹島とは、いわゆる鬱陵島のこと。
この鬱陵島に関しては、五代将軍・綱吉の時代に、朝鮮領だと認めたという経緯がある。
鬱陵島が朝鮮領になってしまったことに対して不満を持つ日本人もいたが、
さまざまな資料から見て、その南にある松島は明らかに日本領で、
これについてはまったく問題ないところだった。
ところが明治以後、近代国家として領土を確定する際に、
日本は「松島」を日本領として正式に認定したのだが、
そのときあろうことか「松島」に「竹島」という名前をつけてしまった。
要するに、本来自分の領土であると思っていたかつての日本名竹島(鬱陵島)が
朝鮮領になってしまった悔しさを紛らわすために、
「松島」に「竹島」と名付けてしまった。
そこからすべての問題が生じてくるわけだ。
719「玉の輿」の語源:2006/06/02(金) 22:35:17
徳川三代将軍家光公の側室であり、五代将軍綱吉公の生母になられた、「桂昌院様」は幼名を「お玉」といい、「玉の輿」の言葉の語源になっています。
720生類憐れみの令:2006/06/02(金) 22:45:27
綱吉の生母は済州島からよんだ伯父隆光に大きな寺を持たせた。そして仏経をもって国教を統一するため、邪魔になる神信心や拝火宗の祇信心の者らを転向させようとした。
 従来は一人で何年も勤めた寺社奉行を、宗門改革のため二人立て三人立て四人も一緒に任命し幕政を混乱させた。それでも効果なしとみてとると柳生俊方の献策で、神祇派の資金源となっている製革業の弾圧を企てた。
つまり「生類憐れみの令」はその目的のために施行された法律だった。
721下馬将軍:2006/06/02(金) 23:11:39
四代将軍家綱が亡くなったとき、跡目がなかった。そこで実弟にあたる上州館林の
綱吉をという声もあったが、ときの大老酒井雅楽頭が綱吉を毛嫌いして、強硬に突っ
ぱね、
「有栖川宮親王をお迎えして」とまで、これに反対した。だから延宝八年[1680]
八月二十三日付で、綱吉が五代将軍になると、
「憎っくきやつめ‥‥」と早速、大老の酒井をくびにしたが。が、それでも腹がいえ
ぬとみえ、翌年正月十五日には、今の大手町にあった酒井の屋敷すらとりあげ、これ
を綱吉は気に入りの堀田正俊に与えた。この結果、
「下馬将軍」とまであだ名され権勢をほしいままにしていた酒井も、ここに反体制と
されてしまったのである。さて‥‥


722生母が朝鮮系:2006/06/02(金) 23:13:34
酒井が綱吉に反対したのはその生母が朝鮮系だったせいだが、邪魔者がいなくなる
と将軍はまず音羽の護国寺を建立している。

私は”天朝教”

 さて酒井一家の[ような]原住系は、ビニールや擬革のなかった時代には、他に代
用品とてない皮の専売をする部族を持っていて、これからの収入は莫大なものだった。
このため大老の権力の座から酒井忠清を追い払っても、彼らの潜在勢力はすこしも衰
えなかった。そこで、
(皮はぎの仕事を奪ってしまう)ということになったが、まさかそのものずばりに、
「動物の皮をはぐことの禁止」との、ふれも出せないので、1678年正月に、
「生類憐れみの令」というのを発布した。
 つまり皮をとるには殺さなくてはならぬ。
 それをしてはいけないというのでは、酒井一族にくっついている革屋も倒産の他は
ない。
 このため、これら原住系はみな落ちぶれ、人い侮られるような極貧階級に転落した。
723日本@名無史さん:2006/06/03(土) 00:15:59
奈良時代に入ると、済州島では宇佐八幡信仰が広まっていった。
724四万人以上:2006/06/10(土) 22:46:05
朝鮮半島解放後の一九四八年、米軍政下の「南」では大韓民国建国に向けた「単独選挙」が準備され、それに反対する闘いが、
済州島では四月三日の武装蜂起とその後の「パルチザン闘争」に発展した。朝鮮戦争をはさんだ六年有余で鎮圧となるが、その真相は積極的に明らかにされてこなかった。
長期間の戦闘と、「三万人以上の島民が虐殺され、四万人以上が日本に逃れた」という規模にもかかわらずにである。
http://members3.jcom.home.ne.jp/wing-pub/book/book016.html

725日本国号の秘密 :2006/06/11(日) 09:59:27
日本は朝鮮半島で移住した韓民族によって建国された国と言う実際を韓国人々は
大部分分っているが日本人たちはこのような実際をうまく認めないです。
かえって昔に自分が朝鮮半島のガヤ地方を支配したと「任那日本部説」を
主張したりします。「イムナ日本付設」は上古時代に韓国の相当部分は
中国が支配してその下は自分たち日本が支配したとでっちあげられた学説です。
「任那」は引き受ける人、国那で「イムナイル本部」は日本を
とっている富からと言う意味がなります。すなわち、「イムナイル本部」はガヤで
日本と言う国をとって治めていた富からと言う意味です。過ぎてと任那を
紛っていることです。
日本が本当に朝鮮半島を治める為に立てたものなら当然に「支那日本部」
と言ってこそ言葉になります。われわれが日本に会社を
別に立てれば日本支社になって日本で韓国に会社を別に立てれば韓国支社に
なることと同じです。
これを後押しすることで日本と言う国号に秘密の鍵が隠れられてあります。
日本と言う意味は「日」は「太陽」を意味します。だから日本国旗を見れば
白い基礎に赤い点がけれども刷られてあるのにこれは「太陽」を象徴します。
「本」は「根源」と言う意味であるので日本を解釈すれば「日が昇る所」と言う
意味があります。地図を頭の中に描いた後日本で日が浮かぶ所を考えれば
アメリカになります。そうなので日本で住んでいる人々が日本と言う国号を作ることが
できないです。日本に住んでいます人はアメリカを見て日本であると言ってこそ合います。
ところで朝鮮半島で日本を見れば日が昇る所になります。すなわち、朝鮮半島で
生きていた人々が日本に移住して国名を付けたものがすなわち日本です。
だから日本を支配していた勢力の一つである百済人々が日本に渡って国を立てて
名前を日本であると言ったものです。
日本と言う国号を作った人は「天智王」で百済ウィザワンの36名王子うちの
一人です。それではまさに韓国が本国であって日本が支国になることです。
726日本@名無史さん:2006/06/11(日) 10:17:18
>>725
倭人のルーツは、弁韓(半島南端=南方風俗)や済州島だと思う。
もっとも、その弁韓人や済州島民の農耕漁労の南方風俗がどこから
やってきたのか?と言えば疑問で、中国中南部の影響が見え隠れ
する。(少なくとも風俗に関してはそうだろう。)
古代の遺跡、古文書の記述、済州島の建国神話などからも、倭国
との近縁性が感じられてならない。

あなたは、百済、百済と呪文のように唱えているが、倭人の本流は、
農耕漁労、イレズミの「半島南端」という気がする。倭人は形質的には
北方的要素が強い(しかし、遺伝子レベルではバラエティーに富む)が、
騎馬民族ではないと思う。
727日本@名無史さん:2006/06/11(日) 11:03:15
>>725
「日本」という国号は、倭国が始めに国内で使い始め、則天武后に
正式に許可されて定められたものです。

「朝鮮半島」を意識したのではなくて、「大陸」を意識したものに
決まってるでしょう。
728日本@名無史さん:2006/06/11(日) 12:26:56
「朝鮮」「和寧」李成桂が、明の朱元璋に選んで戴いたのは
どっち?

729日本@名無史さん:2006/06/11(日) 14:24:02
>>728
http://toron.pepper.jp/jp/kr/textbook/kokumei.html←これか?

「朝鮮」を選んでもらったようだ。

かくいう倭国も「国号が野暮ったいので日本に変えたい」などと言って
中国の許可をもらっている。良いとか悪いとかじゃなくて、当時の国際
ルールに従っただけなので、特にどうという事も無いが。当時の国際法
みたいなもんだ。

だけどあれだな、韓国人は漢字が読めないから「夜郎自大」まっしぐらだな。
中国の古文書とかを読めば、いくらでも真相が解るのだが、同情するぞ。
730日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:29:55
>倭国も「国号が野暮ったいので日本に変えたい」などと言って
>中国の許可をもらっている。

そんな事実はない。
唐書にかいてあるのは日本に改名した理由について中国人側の推測。
許可したなんて事実もない。
731日本@名無史さん:2006/06/11(日) 21:32:32
>>730
事実上の許可だと思う。
新・旧『唐書』の方には、則天武后が「国号を定めた」事が書かれている。
本当の改名の理由は、半島への影響力を高めいたからじゃないかと思う。
732日本@名無史さん:2006/06/13(火) 08:47:58
事実上の許可なら、単なる容認じゃないの?
733日本@名無史さん:2006/06/13(火) 11:46:46
許可じゃなくて「正式に定めた」んでしょう。
日本がリクエストした事には間違いが無いが。
734日本@名無史さん:2006/06/13(火) 14:16:45
日本はまず勝手に国内的に改名。
しかる後に、周(則天武后)に通告した。
周はそれについてとやかく言ったり拒否したりはしていないから
単純に「あっそ」と容認しただけ。
ただ改名の理由についてはよく理解できずモヤモヤが残った。
唐はそのまま周の態度を引き継いだだけ。

リクエストしただの許可しただの言ってる奴はかなりの珍説。
735日本@名無史さん:2006/06/13(火) 21:01:15
>>734
中華の「面子」により、古文書の方では「定めた」事に
なってたと思う・・・
あくまでも形式的なものでしょう。仕方が無いというか・・・
736日本@名無史さん:2006/06/14(水) 01:06:50
>>735
古文書って?唐書以外になにかあるの?
737日本@名無史さん:2006/06/14(水) 10:38:19
『唐書』でしょ。
738日本@名無史さん:2006/06/14(水) 12:40:07
「新唐書」日本伝
咸亨元年(天智九年、六七〇)唐に使者をつかわして、唐が高句麗を平定したこと
(六六八年)を慶賀した。
その後、次第にシナ語に習熟し、倭という名をきらって国号をあらため
日本と名乗った。

咸亨元年、遣使賀平高麗。
後稍習夏音、惡倭名、更號日本。使者自言、國近日所出、以爲名。
739日本@名無史さん:2006/06/14(水) 13:52:26
「唐書」じゃなくて「史記」の方らしい。

「倭国は、武皇后、改めて日本国と曰ふ」(夏本紀)

体裁的には「武皇后が日本と改号した」事になっているようだ。
あくまでも、表向きっちゅうことでしょう。
740日本@名無史さん:2006/06/14(水) 13:53:37

「史記」ではなくて「史記正義」ね。
741日本@名無史さん:2006/06/14(水) 14:30:31
飛鳥浄御原令 689年

粟田真人 遣唐使701〜705年
則天武后 在位 690〜705年
742日本@名無史さん:2006/06/14(水) 15:42:15
>>1 百済、新羅その他の朝鮮半島南部諸国は倭の五王が支配する属国だったと
好太王碑に書いてあるが。
743日本@名無史さん:2006/06/14(水) 15:58:47
>>741
栗田真人は、改号を直訴する為に中国へ渡ったんだな。
744日本@名無史さん:2006/06/14(水) 21:52:56
そもそも、聖徳太子が喧嘩を売って以降、8Cの日本が中国と対等の
地位にあったとするのは大間違いで、なぜ遣唐使船があれだけ派手に
難破したかと言うと、わざわざ季節風の吹き荒れる時期に渡航し、中
国の皇帝に対して正月の挨拶をする必要があった為だと思う。

ただ、国内向けに「天皇」を名乗ったり、元号を自国で決めても咎め
られるような事もなかったので、かなり自立性の高い強力な国ではあ
ったと思う。
745日本@名無史さん:2006/06/15(木) 12:41:02
>>739
史記正義をもちだしてまで言い張る神経がわからん。素直に唐書よめばいいのに。

>>743
直訴じゃなくて通告。
746745:2006/06/15(木) 12:43:09
>>744
安全な季節に渡唐して正月まで滞在してればいい。
難破が多かったのは新羅沿岸の安全な航路をさけて
東シナ海横断航路をとったからというのが定説。
747日本@名無史さん:2006/06/15(木) 22:21:45
安全な季節ていつ?
748日本@名無史さん:2006/06/16(金) 02:38:05
>>747

>>744のいう「季節風の吹き荒れる時期」でない時期でしょ。
それがいつなのかは>>744が教えてくれるんじゃない?
749日本@名無史さん:2006/06/16(金) 09:29:39
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。

実はほとんど流れていない。
続日本紀によると、7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。
帰化人の最もピーク時だった7Cでも全部合せて5000人くらい。

それ以前の帰化人が始まる4C、続く5〜6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。

半島帰化人の総数は7〜8000人くらい。

古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。
750仁徳陵:2006/06/16(金) 09:48:53
広大な仁徳陵と称せられるような大規模なものになると、ブルドーザーもなかった
昔ゆえ、何千どころか数万の奴隷が鞭打たれつ何年も働かされて構築されたものゆえ、
古代史の中では、奴隷社会の始まりといえよう。もちろん同国人を奴隷にしてまで、
ひどく酷使できる筈はない。
 となると、鉄製武器をもって渡来された方が、原住民である日本縄文人を捕え働か
せたものとみるが至当で、珍、讃などと中国からよばれた五王の四世紀初頭の捕虜課
役大工事だったろう。
751奴隷は99.5%:2006/06/16(金) 09:55:45
判りやすい例では西暦663年の白村江の戦いの時に、クダラ系の官人が母国救援
に将軍となり将校となって、「四つ」の防人の戦奴二万七千をかりだしているから、
仮に壮丁は人口50名に一人とし、昔は赤紙の召集令状をだす市町村の兵事課もなか
ったから、百名に一人とすれば日本列島の当時のクダラでない系統の原住民人口は約
二百七十万人となる。終戦後、進駐してきた郭ムソウ後の藤原軍が初めは二千、後か
らは倍加。軍夫軍属や一旗組を倍とみて計二万余が。後の「良」で日本原住民は討伐
され捕虜となったのが「賎」ゆえ、喜田試算はまったく逆であって、古代でも部落民
は、良一人に対して二百七十人以上ということになる。奴隷は5%どころか、その5
0倍近い数字となる。
752日本@名無史さん:2006/06/16(金) 10:01:55
うぉーい、クダラではない原住民てなんやねん?

天皇家自体が倭人なのだがな?
753日本@名無史さん:2006/06/16(金) 10:08:13
日本武尊(ヤマトタケル)は倭健命て書くぐらいだから、百済じゃないんだよ。
倭国では基本が倭人、諦めなさいよ。文献だって、倭語と漢文でしか書かれてない
でしょ?
754日本@名無史さん:2006/06/16(金) 10:13:48
日本書紀
斉明天皇六年七月 
百済、自づから亡びぬ。君(義慈王)の大夫人(恩古)の妖女道無くして、
擅に国柄を奪いて、賢良を誅し殺すに由りての故に、斯の禍を招けり。
慎まざるべけむや。慎まざるべけむやといふ。
755日本は百済の属国 :2006/06/16(金) 13:26:07

・日本は5世紀まで石器文化だった。
・古代日本は分裂しており大規模な軍隊がない。
・前方後円墳の起源は紀元前後の北朝鮮慈江道・雲坪里古墳群。
・七支刀は百済王が下賜したもの。侯王は百済の臣下の意。
・広開土王碑は日本軍による捏造。主語は高句麗。
・日本書紀は捏造。
・三国史記の「質」に人質の意味はない。
・扶桑略記に蘇我馬子が百済服を着て法興寺建設を祝ったとある。
・総論として先進国百済が後進国日本の属国になるはずがない。
756日本@名無史さん:2006/06/16(金) 13:49:13
>>755
弥生時代には、鉄器や青銅器があるんだけど…。
757百済人:2006/06/16(金) 13:53:46
藤原勢力は、まず百済人によって制圧されていた高句麗系や新羅の北鮮人や、
土着の天の朝系の西南種らの日本原住民を、奴隷化し使役して建国し独立したのである。
(ここからは南鮮の百済について話を進めます。)
この百済人達が「今来のカミ」として日本へ持ち込んできたのが平野四神で、
「三代実録」によれば「平野今来神正二位が、従一位」、
それが「祝詞式」の記録ではその今来の神様が皇大御神(スメラオオカミ)
になったという。今来と言うのは発音通り「今来たばかり最新到来の百済人
の神」のことであろう。

だから「日本神祇史」などは「玉海」からの引用で「宮内省に坐す神は園神
社一座、韓神社二座の三座なり」と明記されている。
また金達寿氏は言う「大仏殿をこしらえた行基大僧正や比叡山のてっぺんに延暦寺を建てた最澄上人。
東大寺を建立した良弁和尚が、皆朝鮮人であったことを今だに知らぬ日本人が多いのは情けない」
責任は怠惰にして研究心に欠如したわが歴史屋にこそ帰せられるべきだが、氏は何も知らされずに来た日本人を真っ向から責めるのである。
758天皇の母が渡来人の妻:2006/06/16(金) 14:05:33
日本書紀が「日本国」の純血性や天皇の万世一系の最高貴種性を正当化する為の書物であるなら、
天皇の母が渡来人の妻であったなどという些末な過去を隠さず態々記録に残すのは何故なのでしょう?
759百済人征東大将軍紀ノ古佐美:2006/06/16(金) 14:18:38
東北に追われた原住民を組織化し、
百済人征東大将軍紀ノ古佐美の率いる五万の大軍を北上川で全滅させ、
鉄武器を奪って田子の浦まで攻め込んだアルテイがいた。
しかし次々と大陸の援助で鉄武器を大量に補給された坂上田村麻呂ら
と12年にもわたり戦ったが利あらず。
百済部隊に制圧されて滅びた。
アルテイは今の大阪府の杜山まで連行され斬首、さらし首にされたが、
東北に残っていた妻子や残党は、大きな穴を掘らされて生きながら埋
められ惨殺されたのは、パレスチナ難民の群をイスラエル兵が皆殺し
にしたのとまるで同じ状態だった。

ただ違うのは、生き埋めの上に土をかけ、その上に出てこられぬよう
に降伏し奴隷となった者らに踏みつけさせた。
これが今の東北三大奇祭のネブタである。
つまり根(死)の国へ追いやる為の土かぶせの蓋ゆえ、
踏んづける恰好をする踊りで土地の各会社がスポンサーになり、
坂上田村麻呂の山車が賑々しく彩りを添える。エルサレム難民が、
惨殺を指揮のキリスト教右派の少佐の山車を担ぎ出しワッショイ
ワッショイとは、まさかやる訳はないだろう。まさに無知とは罪悪である。
760日本@名無史さん:2006/06/16(金) 15:04:34
>>758
普通は記すでしょう。
しかも帰化人で、来日して何世代も経過しているのに…

そのような些細な記録さえも残す天皇家が、なぜ「百済」や「新羅」ではなく、
「倭国」を延々と名乗り続けたのでしょうね?
中国の古文書にも「倭人」「倭国」の記述はあっても「扶余の王」「百済の王」
「新羅の王」「高句麗の王」などという記述は、寡聞にして知りませんが。
百済人や新羅人や高句麗人や漢民族や烏丸が「帰化」して、実に仲良く暮らせた
もんだ。倭人が天皇だから、上手くまとまったんじゃないですか?
これが、新羅系の王朝に百済人が亡命してきたりしたら、大変な事になりますよ。
761金達寿氏:2006/06/16(金) 15:13:37
金達寿氏はもう20年も以前、はっきりと「古代日本文化は帰化人を通じ朝鮮から多くの物を学んでいる。
と日本の歴史家達は説く。が帰化人等というものは古代の、
少なくとも7世紀以前の日本には一人も居なかった……何故なら、
彼らこそ古代日本を作ったそのもの自身だったからである」
とまで言い切って発表している。
762歴史学博士はいない:2006/06/16(金) 15:15:33
確かに「いにしえの奈良の都…」のナラが、
朝鮮語の国を意味するナラと同じであることは認める。
「日本の歴史家はデタラメである」とここまで中外に喝破されては
国辱ものである。
さらに、ロンドンデリーの囲み物連載にまで堂々と、
「Korean culture induced to Japan」
(コリアによって日本は作られた)式のものを書かれて、
日本の歴史家は阿呆で何も知らず、銭儲けの本ばかり書いている、
と軽蔑されている。

さらに日本には医学博士や文学博士はいるが、歴史学博士はいない。
763歴史学博士号は許さず:2006/06/16(金) 15:17:39
明治維新後、長州より招かれてお抱え教師となり、
現代日本史の開祖となつたアドルフ・リースが欧米にならって
日本でも「博士号設定」となったとき彼は歴史家なのに理学博士
や医学博士は認めたが「独・英・仏・伊には歴史学博士の称号は
あるが、この国にはその設定は無理なり。
文字を弁じうる程度なれば文学博士にて間に合わすべきである。」と、
後にベルリン陸大の歴史教授となり「ゲルマン民族優秀説」
を発表しナチスに利用させたリース博士は、
日本では開明学校が東京大学になると「史学会雑誌」
を刊行させはしたが、歴史学博士号は許さず帰国した。
764日本書紀:2006/06/16(金) 15:52:51
「日本書紀」は滅亡した朝鮮半島の百済国に対する絶縁状でもありました。

以降、殆どの日本人は今日に至るまで、自分たちの王族が百済の王家であることを知りません
765日本@名無史さん:2006/06/16(金) 17:35:38
>>761 中国人は3世紀の日本、倭国は百余の国家があって邪馬台国連合と
いう連邦国家を作っていて、列島には倭人しかいないと書いてある。

 その倭人の各国の戸数も書いてあり、邪馬台国には7万戸くらいあった
らしい。

 5世紀の倭の五王は中国に安東大将軍の称号を求めて、百済、新羅その他
の半島南部諸国も倭の属国として認めるよう要求している。


766日本@名無史さん:2006/06/16(金) 18:40:43
>>762
「奈良」と「ナラ」は関係ないと思うんですけど。
『日本書紀』にも書いてないし、「認める」とか一方的に
断言しないでくださいね。

>>764
漢籍などのソースを提示してくださいよ。
中国の文献に書いてありますか?「倭国は百済系」だって。
百済なんて腐れ縁でしかなくて、実際に関係が深かったのは、
任那などでしょう?
767奈良の語源:2006/06/16(金) 19:14:13
奈良の語源については
「古代に朝鮮半島からの移住者が奈良の辺りに多く住み着き、そこに王朝を作って朝鮮語で"国"を意味する"ナラ"と名付けた。」
と言う説がある。
最初にその話を知った時にはトンデモ説だと思って気にも留めていなかったが、この説は決してトンデモとは言い切れないようだ。

奈良人のDNAを検査した結果、周辺の県より突出して朝鮮系のDNAを持つ人の割合が多かったらしい。
奈良に朝鮮系の渡来人が大勢住んでいたのは確かなようだ。

それに奈良でも使われている挨拶言葉 「あんじょうしてまっか?」は、朝鮮語の「アンニョンハシムニッカ?」が訛ったものであろう。
どちらも「安寧にしてますか?」と言う意味の言葉だ。

768日本@名無史さん:2006/06/16(金) 19:41:57
>>766
奈良の語源は通説は均す(ならす)で平の土地の意味。
平城京って名称にも通じる。
少数説は楢(なら)が由来とする。
ウリナラのナラ説は最近の韓国人が言っているだけ。
日本書紀や三国史記にも根拠がない。
769日本@名無史さん:2006/06/16(金) 19:57:41
>>767 あんじょうは安寧ではない。語呂合わせは学問ではなく言葉遊びに
すぎない。

 奈良と朝鮮語のナラ(国)も関係のない語呂合わせだ。

770馬韓渡来の神功皇后:2006/06/16(金) 20:04:34
日本歴史は、好意的に馬韓渡来の方に、神功皇后の御名をつけマタニテ
ィードレスの女将とするくらい、本心では韓国に敬意を失っていない。なにしろ、日
本の歴史教科書は単なる暗記もので、ドイツ人リース門下作ゆえ責めても、不勉強の
歴史屋が悪いのだから仕方がない。
 もし日本古代史が乳離れするみたいに記紀離れして、藤原王朝が作ったのから脱却
していたら良かった。半世紀もたたぬ最近のことを突き廻す被害者顔の近隣諸国に、
せめて五世紀までさかのぼって日本の歴史家が解明していたならば、薮を突っついて
蛇を出すような、しっぺ返しができたものを、従来の学校教育に甘んじ、学者だと自
認している連中たちは何も知らぬ。
771国辱:2006/06/16(金) 20:05:47
無智ということは罪悪である。いくらナラ朝時代は韓国製の日本史、七世紀からは
トウのトウゲン[桃源=藤原]王朝史だと判らぬのか知らぬのか、何も反対意見を出
せぬままの現状ゆえ、この侭では、「ご無理ごもっともです」と、教科書検定審議会
の答申をうけ、抗議されるままに訂正して、「おっしゃるように、なおしました」と
いう事になるのだろう。世界中どこの国が、他国より干渉されて、その学校歴史を改
訂するといった例が、はたして悲しい事だがあったであろうか。「国辱」というもの
があるのなら、これ以上の屈辱はないだろう。
772日本@名無史さん:2006/06/16(金) 20:10:45
朝鮮に古代の歴史書はなく日本史については記紀とシナの史書に基づいて
論ずるしかないだろう。
773日本天皇家と百済王家の関係:2006/06/16(金) 20:14:04
百済の中興を成し遂げた武寧王の王陵は、
発掘当時(1971.7)からさ間ざまな疑問が議論されてきた。
なかでも発見された奥歯一つの研究は、これまで隠されていた
日本での武寧王の家族史を明らかにした。
よって行跡が知れないままであった武寧王の生まれてから40歳までの、
斯麻としての行方についても、日本で成長し結婚して淳陀太子をもうけ、
またその淳陀太子を通じて子孫を繁盛させた可能性が高くなったと
専門家は言う。この事実は古代韓日関係において、
特に日本天皇家と百済王家の関係においても、とても重要な意味をもつ。
まだ様々な疑問と多くのミステリーが絡んでいる韓日古代史の真実は、
武寧王の韓日に残ったそれぞれの家族関係がより詳しく明らかになる
ことによって、両国の関係をより近づけるのではないだろうか。
歴史と言う過去と現在をうまくつなげ、明るい未来が開くことを願う。
774日本@名無史さん:2006/06/16(金) 20:16:49
>>767「 あんじょう」を調べてみると大阪や徳島で使われている「味良う」
が語源らしい。安寧とは何の関係もない言葉だ。
775桓武天皇の生母、高野新笠:2006/06/16(金) 20:18:02
2001年12月23日、日本の今上天皇は、
桓武天皇の生母が武寧王の子孫であるとしている「続日本紀」
の記録に韓国とのゆかりを感じると会見し、
韓日両国に大きな反響を起こした。
また「日本書紀」には武寧王が日本福岡の加唐島(かからしま)
で生まれたと伝えており、その島には現在もその伝説を語る様
々な証拠が残っている。その後武寧王は日本の島で生まれたことから、
島の音を借りて"斯麻"とも呼ばれていたといわれている。
しかし武寧王が加唐島(加羅島)で生まれた後、
百済の武寧王に即位した40歳になるまでの行跡は知られていない。
一方「続日本紀」や「日本書紀」に武寧王の息子と書かれている淳
陀太子は、武寧王の20代の初婚で産んだ息子と考えられる。
また淳陀太子は父武寧王が52歳であった513年に死亡した
と伝える記録から、死亡当時、30歳を越えていたと推定されている。
つまり、武寧王は日本で子孫をもうけた可能性が高いと考えられる。

それでは武寧王の日本での子孫たちは、
どこで生活していたのだろうか。
「続日本紀」によると桓武天皇の生母、
つまり光仁天皇の皇太后の高野新笠は、
姓は"和"で名前は"新笠"であった。
日本貴族の族譜「新撰姓氏録」によると、
"和氏"は武寧王人で、はじめは久度神社(大阪と奈良の間の神社)
で祀られたが、後に平城京(奈良)の宮闕に移し、
皇太子が直接祭祀を行ったという。
8世紀桓武天皇によって平安京(京都)へ遷都した後は、
平野神社に移され、今も平野神社では百済系渡来人を祀っている。
京都には現在も桓武天皇の生母、高野新笠の墓がある。
776飯能市:2006/06/16(金) 20:32:42
韓国の野党に「ハンナラ党」という名前の政党がある。

ハンナラという音の響きが面白くて憶えている。
響きがちょっとクレージーキャッツみたいだと思っていた。
と思ったらこの前読んだ本に、
埼玉県の飯能市が朝鮮語の「ハンナラ」が語源であるという説も
あると書いてあった。 (渡来人の村があったらしい)
777京都は壮大な中華街:2006/06/16(金) 20:35:33
私見では、京都は壮大な中華街だと思ってます。
唐の長安を模倣した平安京に、中国仏教の寺院が立ち並び、
中国から招いた高僧を大きな寺院の住職にした国際都市。
舞楽など中国伝来の芸能は、大陸からの難民の子孫である帰化人が
世襲で伝承。服部というのは、機織を業とする帰化人の性。
778日本@名無史さん:2006/06/16(金) 20:54:19
大陸と台湾の対立は凄いよ>支那街
779日本@名無史さん:2006/06/16(金) 21:47:01
>>769
京都の自転車やにパンクを直してもらいに言った時、当時80歳近い爺さんが
出てきて「そこに(自転車を)あんじょう止めよし。」って言ってて風情が
あったよ。

「あんじょう止めよし。」いいねぇ!

>>777
どうでもいいけど、日本の古代史において中国人は存在感全然無いよ。
一応「奴国」の宗主国だったんだから、半島のウザイ馬鹿を引っ叩いてくれ。
その他の事は、どうでもいいからさ。
780日本@名無史さん:2006/06/16(金) 21:50:05
ほんでもって、由緒正しき奈良百済人とやらの

家系図を子孫達は、由緒正しいんだからあるんだろうね?
781クダラ史の漢字訳:2006/06/16(金) 22:01:13
「日本書紀はクダラ史の漢字訳にすぎぬ」と主張する方が、
まだ「記紀」を金科玉条としている歴史屋さんよりは、遥かにまさっているだろう。
これでは正史偽史どころの騒ぎではないらしい。
782唐の占領政策:2006/06/16(金) 22:06:14
白村江の戦いで、唐、新羅連合軍が、百済、日本連合軍(但し、ここに日本というのは誤解を招く。
実質的にそれは百済系の日本内分国、植民地としての奈良王朝ということである。
奈良王朝は母国百済存亡の危機にみまわれ、総力を挙げて母国救援の軍を出した)を壊滅させた後、
いよいよ唐が日本占領に乗り込んで来るのであるが、唐の占領政策は、
日本列島内で主導権争いを続けていた高句麗系、新羅系、百済系の対立抗争を巧く利用する。
783百済系を手先として全国統一の律令体制を確立:2006/06/16(金) 22:07:44
即ち、百済系を重用し、これを主たる代理人として、
日本の全国統一権力体系を作ること。それゆえ百済系をして、
高句麗系、新羅系、古代海人族を駆逐させること。
こうして唐の占領軍は日本原住民の大叛乱の抵抗に対して、
百済系を手先として全国統一の律令体制を確立し、
その支配のイデオロギーとして、彼らの仏教を利用する。
七世紀末から八世紀初頭にかけての、三、四十年を準備期間として、
日本はこのように一変したのだが、それから千二百年の間、現在に至るまで、天皇を頂点とする、
この律令体制の大枠は維持されている。
そして文部省の学校歴史とされている。
784日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:09:37
百済なんかと同盟組んじゃって、日本はいい事なんて何一つ無かったよ!
国が傾きかけて、桓武天皇の頃は大変だったんだ。

しかも邪魔な上に、ゾロゾロと亡命してくるんだよ。百済も邪魔だが、
新羅や高句麗なんて、戦争までした間柄なのに、国が傾いたら都合よく
亡命してきやがって…。おまけに子孫は「古代日本は百済人が作った」
とかでかい事抜かしやがって、、、(泣;

あぁ、亡命なんて許可しなけりゃ良かったよ!
785白村江の戦がもたらしたものは:2006/06/16(金) 22:31:04
白村江の戦がもたらしたものは「倭国の滅亡」だけではありませんでした。
筑紫君薩夜麻らの帰国は、唐人2000人の「進駐」(日本書紀に記述)
を日本側に告知する為になされた措置だったのです。
つまり、先の大戦終結後、米軍が「進駐」してきたのと同様に、
唐人が進駐してきたのです。
更に、様々な資料から、唐人だけでなく、もう一方の戦勝国・新羅人も、
亡国の民・百済人も、日本に流れ込んできました。
日本側の史料では、彼らを日本に「帰化」したと書いていますが、実際は、
日本に「進駐」したと言う方が正しいでしょう。
その証拠に、その後の「親唐路線」や、朝廷内に於ける「帰化」
系氏族の増加(彼らの多くが先の敗戦まで「貴族」としての特権を有していた)
と言った事実が挙げられます
786後遺症は600年以上:2006/06/16(金) 22:35:30
日本人が過去に体験した戦争で、その影響力の点で太平洋戦争に
匹敵するのは七世紀後半の対唐・新羅戦争と一三世紀後半の対元・高麗戦争(元寇)であろう。
六六〇年に始まり六六三年の白村江の敗戦で終わったこの戦争の影響はじつに平安前期、菅原道真の建議により遣唐、
使の派遣中止となる(八九四年)まで続いた。日本がその政治的・社会的・文化的アイデンティティを恢復、
いわゆる国風文化が成立したのは平安中前期だが、
唐滅亡(九〇七年)以降も日本の為政者や国民には白村江敗戦のコンプレックスが潜在し、
それがほぼ解消されたのは対元・高麗戦争(元寇、一二七四から八一年)の終戦以降である。
つまり、対唐・新羅戦争敗北の後遺症はじつに六〇〇年以上も続いたということになる
787日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:36:27
>>779
味よく→味よう→あんじょう だね。いい言葉だ。
788日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:36:43
>>784 別に百済の亡国の民などは日本に大した影響も与えず、同化していっただけ
なのでどうでもいいことだろう。

 百済貴族や高句麗人は今の朝鮮人とは関係の無い異民族で日本語族に近い種族
だったようだし。
789日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:41:04
>>787 あんじょうは漢語かと思っていたが、味良くのことで四国では
アジョーという地域もあるそうです。

 にぎやか>にんぎゃかと同じ発音変化ですね。
790日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:41:49
>>788
馬鹿のおかげで、やらなくてもいい戦争をやってしまった。
戦費がどれだけかさんだ事やら…(トホホ)

高句麗は扶余系(扶余の一派)だと思ったが。
日本人が近いのは、半島の土着韓人(今の韓国人じゃない)でしょ。
791日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:44:27
貴方達も日本人だよ日本語使えるからね。
だけど自分の立場だけで言っても、
何が生まれるかな?
本当の日本人はやさしいよ!
792日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:48:56
>>790 高句麗語も一応日本語と40%近い共通性があったそうだ。

 土着韓人というのは半島倭人との混血も多くて相当、近い種族だっただろ
うな。その後、新羅の統一で消えてしまうが。

793日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:49:50
安東金氏、アンジョンファン、
東北の安東氏、金氏、昆氏、紺野氏

全部新羅系で同族
794日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:55:30




坂上、秦、高向、栗栖、などは中国系帰化人。



795日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:58:11



蜂田、赤染、も中国系帰化人


796日本@名無史さん:2006/06/16(金) 23:05:58



服部も中国系帰化人



797日本@名無史さん:2006/06/16(金) 23:09:42
そりゃ日本人の中にはアイヌ人やポリネシア人も多少混じっているだろう
が、数代も経てば同化されて日本人化しているのだ。
798日本@名無史さん:2006/06/16(金) 23:13:14
多分、シナ系や半島系よりアイヌ系の方が多いだろうな。特に東北地方
同じ列島に住んでいたのだから当然だ。
799日本@名無史さん:2006/06/17(土) 01:54:44
人類学的なパースペクティブを簡単に説明。

縄文人はバイカル湖周辺に発生した旧モンゴロイドで、シベリア、サハリンを経て日本列島に渡来。
弥生人は長江の流域から渡来。民族的には楚、呉、越で江南系。しかし江北との地理的なせめぎ合いの中で北方系
民族との混血がある程度進んでいたものと見られる。
即ち弥生人は旧モンゴロイド(江南)と新モンゴロイド(江北)の混血。

朝鮮半島にもともと定住していたのは日本列島から渡った縄文人。
その後弥生人が、長江の流域から北九州一円(半島南部含む)へ渡来。
このことから、古代の北九州一円(半島南部含む)における定住者の間に、大きな人種的差異はなかったものと考えられる。

現在ある日本人と朝鮮人との間の人種的な差異は、その後の半島におけるツングース系民族の侵入、移入による混血が原因。

即ち、

日本人=縄文人+弥生人
朝鮮人=縄文人+弥生人+ツングース系
800日本@名無史さん:2006/06/17(土) 01:57:01
よく百済との関係を云々する人がいるが、新羅との関係の方が遥かに興味深い。
そもそも広義の「倭」という概念を適用すれば新羅は倭人国家。百済は王族以外は倭人だったが王族がツングース系のフヨ
だった。そして新羅の場合、なんと狭義の倭人が王になって王統をも伝え、述べ8代の王を輩出したとされている。

初代 赫居世居西干(朴氏)
*2代 南解次次雄(朴氏)
*3代 儒理尼叱今(朴氏)
*4代 脱解尼叱今(昔氏) ←倭人。丹波の国出身説が有力。
*5代 娑婆尼叱今(朴氏)
*6代 祗摩尼叱今(朴氏)
*7代 逸聖尼叱今(朴氏)
*8代 阿達羅尼叱今(朴氏)
*9代 伐休尼叱今(昔氏)
10代 奈解尼叱今(昔氏)
11代 助賁尼叱今(昔氏)
12代 沾解尼叱今(昔氏)
13代 味鄒尼叱今(金氏)
14代 儒礼尼叱今(昔氏)
15代 基臨尼叱今(昔氏)
16代 訖解尼叱今(昔氏)
17代 奈勿尼叱今(金氏)

そしてさらに、それ以上に重要なのが建国時に重臣となって影の王のように振る舞い活躍した瓢公という、瓢箪を腰に付けて
船で渡来したとされる倭人で、この人物は現代の朝鮮人のアイデンティティの根幹を揺るがしかねない問題をはらんでいる。
というのも、現代の朝鮮人の姓名は中華への服属意識を如実に表す、音読みで姓=漢字一字、名=漢字二字という漢族式で、
実際の姓自体も漢族が使用するもののパクリが殆どという有様だが、新羅の初代王の朴赫居世に始まる「朴」という姓だけは、
古代朝鮮語の「バク」という単語を借字で音写した独自の姓で、特殊な姓と言える。ではこの「バク」という古代朝鮮語が何を意
味するかと言うと、「瓢」。影の王のように振る舞った倭人の「瓢」公となんと同じ。
このことから、瓢公と朴赫居世は共に倭国から渡来した同族、あるいは同一人物であるとも言われている。
ちなみに金氏の祖は、件の、倭人である昔氏初代、脱解の治世時に、これまた件の倭人瓢公が拾って来たとされている。
瓢公(あるいは朴氏も)や昔氏一族といった倭人たちが新羅建国に深く関わり、王、宰相として支えたわけです。非常に興味深いですね。
801日本@名無史さん:2006/06/17(土) 01:57:47
【広開土王碑】より
百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭(ロく)耒卯年来渡(海)破百殘■■新羅以爲臣民
<訳> そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯の年(391年)に■を渡り
    百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。

*なお、「■を渡り」は残欠の研究から「海を渡り」とされているが異論もある。

【隋書】より
新羅百濟皆以イ妥為大國多珍物並敬仰之恒通使往來
<訳> 新羅・百濟は、みな倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬い仰ぎて、恒に使いを通わせ往来す。
802日本@名無史さん:2006/06/17(土) 01:58:23
【三国史記・新羅本記】より

紀元前50年 倭人達が兵を率いて辺境を侵そうとしたが、始祖に神徳があるということ聞いて、すぐに帰ってしまった。
*14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
*73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角千羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を侵した。
123年 春三年に倭国と講和した。
232年 夏四月に倭人が金城を攻める。
233年 五月 倭兵が東辺を侵した。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
295年 春 王が臣下に向かって「倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。
        私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見はいかがか?」ときいた。
        これに対して、舒弗邯、弘権が「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危
        険があることを恐れます。いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、
        かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。
345年 二月に倭王が、書を送って国交を断ってきた。
346年 倭兵が風島に来て、進んで金城を包囲して攻めて来た。
364年 倭人は多数をたのんで、そのまま直進して来る所を伏兵が起ってその不意を討つと、倭人は大いに敗れて逃走した。
393年 倭人が来て金城を包囲する。
803日本@名無史さん:2006/06/17(土) 01:59:02
【三国史記・新羅本記】より

402年 三月に倭国と通好して、奈勿王の子、未斯欣を人質とした。
405年 倭兵が明活城を攻める。
407年 春三月 倭人が東辺を侵し、夏六月にまた南辺を侵す。
418年 王弟の未斯欣が倭国から逃げ帰った。
431年 倭兵が、東の辺境に攻めて来て、明活城を包囲したが、功なくして退いた。
440年 倭人が、南の辺境に侵入。夏六月にまた東の辺境を侵した。
444年 夏四月に、倭兵が金城を十日包囲して、食料が尽きて帰った。
459年 夏四月に、倭人が兵船百余隻を以って東辺を襲い、月城を囲んで進撃したが、追撃してこれを破る。
462年 夏五月に、倭人が活開城を襲い破り、一千名を捕らえて連れ去った。
463年 倭人が歃良城(梁山)を侵して勝てずして去った。
476年 倭人が東辺を侵す。
477年 倭人が兵をあげて五道に侵入したが、ついに何の功もなく帰った。
482年 五月に倭人が辺境を侵した。
486年 夏四月に倭人が辺境を侵した。
500年 春三月 倭人が長峯鎮を攻め陥した。
663年 倭国の水軍が来て、百済を助ける。
731年 日本国の兵船三百隻が海を越えて、東辺を襲う。
753年 秋八月に日本国使が来た。高慢無礼なので、王は接見を許さず、すぐ追い返した。
802年 冬十二月、均貞に大阿?の官を授けて、仮の王子にして、日本国への人質にしようとしたが、均貞がこれを断った。
804日本@名無史さん:2006/06/17(土) 02:01:06
■近肖古王 在位345〜375
姓は余。名は句。日本書紀では速古王。日本と手を結び新羅に対抗。謝礼に日本へ七支刀を献上。
■近仇首王 在位375〜384
姓は余。名は須。日本書紀には貴首王と表記される。近肖古王の息子。
■枕流王 在位384〜385
姓は余。近仇首王の息子。東晋から来た僧侶が仏教を伝えた。
■辰斯王 在位385〜392
姓は余。名は暉。しんしおう。近仇首王の息子。日本書紀には、「(辰斯王が)仁徳天皇に対し無礼な振る舞いが
あったので、紀角宿禰らを遣わし譴責した。百済国は、辰斯王を殺して謝罪した。紀角宿禰らは阿花(阿?王)を
王位につけて帰国した」とある。
■阿華王 在位392〜405
姓は余。名は阿芳。枕流王の息子。軍事的支援を乞うため日本へ息子(のちの腆支王)を人質として献上。
■腆支王 在位405〜420
姓は余。名は腆。阿華王の息子。直支王とも。人質として日本で生活。日本の援軍を得て高句麗との決戦中
阿華王が死去。帰国して即位。
■久爾辛王 在位420〜427
腆支王の息子。日本書紀によると幼少だったため権臣・木満致が権力をふるったという。
■斐有王 在位427〜455
姓は余。名は斐。久爾辛王の息子。眉目秀麗。弁が立つ王であったと言われる。
■蓋鹵王 在位455〜475
姓は余。名は慶。斐有王の息子。近蓋鹵王ともいう。人質として弟・昆支王を日本へ献上。高句麗により百
済は一時滅亡。
■文周王 在位475〜477
姓は余。名は牟?。あるいは?。蓋鹵王の息子。百済滅亡時、新羅へ援軍要請に出たが到着時には王は捕縛
殺害されていた。やむなく木満致らと共に逃亡して半島南部に新たな地盤を堅め、百済を再興した。重臣・昆
支王の死後、解仇により殺害された。
■三斤王 在位477〜479
姓は余。名は壬乞。文周王の息子。父を殺した解仇の傀儡として即位した。反乱をおこした解仇を倒す。
805日本@名無史さん:2006/06/17(土) 02:01:51
■東城王 在位479〜501
姓は余。名は牟大。昆支王の息子。日本生まれとされる。日本書紀では末多王と記述。幼少時より優秀で雄略
天皇に寵愛される。三斤王急死により、日本から帰国し即位。中国・南斉や新羅との同盟政策で安定をはかった。
臣下の恨みを買い、暗殺された。
■武寧王 在位501〜523
姓は余。名は隆。東城王の息子。日本生まれのため斯麻(しま)王とも呼ばれる。日本書紀では蓋鹵王の息子。
また「嶋王」と表記。東城王を殺した臣下を斬る。中国南朝・梁の武帝や日本・継体天皇と友好関係を維持。高
句麗と戦い、また南方にも勢力を広げた。
■聖王 在位523〜554
姓は余。名は明。聖明王ともいう。武寧王の息子。日本の援軍を得て高句麗からの攻撃を新羅と共同で撃退。一
時は百済の旧領地・漢江流域を回復。日本に仏教教典を献上。
■威徳王 在位554〜598
姓は余。名は昌。聖王の息子。戦死した聖王のあとをうけ即位。王子(恵王)を日本に人質として献上。
■恵王 在位598〜599
姓は余。名は季。聖王の息子。554年、聖王が戦死。555年、援軍要請のため日本へ渡る。556年、帰国(562年日
本、高句麗へ出兵)。
■法王 在位599〜600
姓は余。名は宣。孝順ともいう。恵王の息子。
■武王 在位600〜641
姓は余。名は璋。法王の息子。隋・唐に対し高句麗征討の要請を続けた。
■義慈王 在位641〜660
武王の息子。唐の侵攻に備え非主流派の貴族や王族を追放。追放された貴族や王族は日本に亡命した。こ
の時代、新羅に金春秋や金捨信が現れ、新羅と盛んに戦う。最終的に唐と新羅に両面攻撃を受け滅亡。王族
のほとんどが唐に連れ去られた。
■豊璋王 在位***〜***
姓は余。名は豊璋。義慈王の子。唐の圧迫が強まる情勢の中、631年、人質として日本へ。以後30年間日本で
生活。660年、唐の攻撃により百済降伏。義慈王は捕虜となる。亡国の王子となった彼は亡命政府の主となるが、
白村江で戦い敗北。豊璋は高句麗に逃亡。百済は完全に消滅した。
※禅光王
義慈王の息子。20代豊璋王の弟。百済滅亡後日本に帰化。持統天皇より従五位下の下級貴族として「百済王
(クダラノコニキシ)」の姓を賜る。
806日本@名無史さん:2006/06/17(土) 02:02:40
■朝鮮半島南部にある前方後円墳群

現在までに全羅南道に11基、全羅北道に2基の前方後円墳が確認されている。
朝鮮半島の前方後円墳はいずれも5世紀後半から6世紀中葉という極めて限られた時期に成立したものであり、
百済の国境沿いに近い伽耶の地のみに存在し、円筒埴輪や南島産貝製品、内部をベンガラで塗った石室といった倭系遺物を伴うことが知られている。

■関連する大和王権側人物

穂積臣押山 (ほづみのおみおしやま)

継体紀七年六月条に引く百済本紀には、委(やまと)の意斯移麻岐弥(おしやまきみ)とある。

継体六年十二月、百済は任那の上タリ、下タリ、娑陀、牟婁の四県を請うたが、タリの国守の押山は、
その与えることの可なることを奏し、大伴金村もその意見に同意して上奏した。よって、上表のままに四県を百済に賜った。
この後、流言があって、大伴金村と押山は百済の賄賂を受けたといわれたという。
継体七年六月、百済は姐弥文貴将軍らに押山を副えて、五経博士段楊爾を献じ、
伴跛に奪われたというコモンの地がもどるよう計らってくれるように願った。
継体二十三年三月、百済王は下タリの国守押山に、加羅の多沙津を朝貢の海路としたいことを乞うた。
押山は奏問し、加羅王の反対を排して津を百済に賜った。
このため、加羅は日本を恨み、新羅と結ぶようになったという。
807日本@名無史さん:2006/06/17(土) 08:05:38
>>792
高句麗語が日本語と40%近い共通性があったって言っても、高句麗語そのものの
復元が殆ど進んでないんでしょう?
808日本@名無史さん:2006/06/17(土) 09:16:26
数詞じゃないか
それもヨタっぽいんだけどね
日本語は文法的にはアルタイ系で、音韻的には南方系ってのが定説
http://yamatai.cside.com/katudou/image/213-2.gif
809日本@名無史さん:2006/06/17(土) 10:54:49
『倭名類聚抄』によると、日本語の虎(トラ)は、楚語に由来しているらしい。
楚語の於兔(オト)に由来し、「ラ」は助語に過ぎないと記されている。

詳しくは知らんけれど、「於(オ)○○」という言い方は、北方には無いのかも
知れない。高句麗語には、あるのかな?
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ