邪馬台国は九州であるという前提で話を進めるスレ!

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933日本@名無史さん:2005/10/13(木) 13:17:08


ヒッキー君は、どうも、論破されて悔しくてファビョってるみたいだなあ。


934日本@名無史さん:2005/10/13(木) 13:57:39
>>932

天皇家の王統は、何度か交代があったと考えるべき。

玉を考えるなら、「玉造」を地名に持つ山陰・出雲が生産地。
オオクニヌシの支配地だったが、後から他の国の王に国譲りさせられた。
というところまでは考えられる。

玉は天皇家のルーツには結びつかないだろう。
935日本@名無史さん:2005/10/13(木) 14:02:27
そうかなあ?
936日本@名無史さん:2005/10/13(木) 14:21:31
まあ九州という言葉自体が天下という意味だからね
禹が天下を9州に分けたという故事に倣ったメイドインジャパンの9州
だからある時代まで九州島がイコール日本だったと思われる
937日本@名無史さん:2005/10/13(木) 14:55:26
日本ではなく倭国だな。
日本は日本平とかの地名のある中部地方だろう。
938プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/10/13(木) 15:00:32
>>934
>山陰・出雲が生産地
それは主に瑪瑙だろう
939日本@名無史さん:2005/10/13(木) 15:08:23
九州倭奴(な)勢力、
出雲熊野意宇(おう)勢力、
濃尾海部(あま)日本平勢力
これらが列島三大勢力
近畿はこの三つの勢力が何らかの形で関与している。
940日本@名無史さん:2005/10/13(木) 15:51:43
勾玉は朝鮮半島が原産と思われていますが、実はそうではありません。
勾玉は縄文中期には既にその原型にあたるものが日本各地で出土しております。
近畿では少ないようでこれが後に勾玉の文化をもった者に征服された
的な発想に繋がったのかもしれませんね。
勾玉は極めて高度な技術と原石によって作られ列島、半島各地で宝とされた
ようです。
941プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/10/13(木) 16:01:19
玉は、今でも身近な宮中に置いてある様で
玉は
「天下を治める」と言う意味がある様で
942日本@名無史さん:2005/10/13(木) 16:46:54
>>936

九州=筑紫島には、国は4つしかありません。


943プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/10/13(木) 18:06:18
1665年に出雲大社の東方から銅戈(弥生期)とともにヒスイ製の勾玉が出土している
出雲では元来有ったヒスイを参考に、独自の地元産出の瑪瑙を利用し玉を製造した。
これが玉造の地名の由来と考えられる
ヒスイによる勾玉と玉造の地名とは、直接的な結び付きを見出だす事は困難かと
ヒスイありきの 出雲の玉製造かと
ようするに、二番煎じでは?
944日本@名無史さん:2005/10/13(木) 18:08:21
>>942
国がいくつあろうと関係ないの
九州という言葉が権力者から見て天下=わが国土という意味なんだよ
945日本@名無史さん:2005/10/13(木) 18:18:38
>>944
ずいぶんと無茶な理論だな・・
他に何か証拠はあるのか?
それだけだと、却下だよ。
946妄想中:2005/10/13(木) 18:45:32
いまでも勾玉の穴を開ける技術は難しいので
947日本@名無史さん:2005/10/13(木) 19:06:58
>>944
九州が九州と呼ばれるようになったのは、平安時代だろ。
948日本@名無史さん:2005/10/13(木) 19:23:08
>>947
想定される回答その1:

偉大なる九州王朝(もしくは九州倭国)の記憶が平安時代でもまだ強く残っていたからこそ、
九州という名前がつけられたのだ。

想定される回答その2:

平安時代なら、九州王朝の全盛期だ。
なんといっても、三十三間堂も桂離宮も九州王朝からの移築だからな。
949日本@名無史さん:2005/10/13(木) 19:26:03
>>944
九州は筑紫島
本州・秋津島
四国・伊予二島
あの時代には九州という地名はないはずだが
950妄想中:2005/10/13(木) 20:52:15
わが国を9つの地域にわけたのは、どの天皇やろか
951日本@名無史さん:2005/10/13(木) 22:36:37
>>944

残念、「九州」と呼ばれる前にまず「九国」と呼ばれていたんだよ。

952プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/10/13(木) 23:03:25
>>934
出雲では玉湯町の花仙山から良質の碧玉や瑪瑙が産出され
古墳時代頃から周辺で玉作りが行われてきた
この周辺では、玉作りの遺跡が集中し、仁多郡に玉作りの社がある

「山の嶺に玉工の神あり」
953日本@名無史さん:2005/10/14(金) 00:30:02
勾玉でなくとも、トンボ石のようなものはそれこそ先史時代からあった
日本では江戸時代にトンボ石の造り方は入ってきたが、それ以前から勾玉を作っていたわけでね
トンボ石も勾玉も起源は一緒でないかと考えたことあるけど
954あぽ〜:2005/10/14(金) 00:36:44
勾玉は縄文時代早期から今の日本列島各地で愛好されていた装飾品です。
もともと翡翠などの加工貴石類のデザインの一種で私見では牙を模倣したもの思われます。
故に九州が発祥の地と言うわけでもなく、逆に関東・東北方面からの伝播の可能性の方が強いでしょう。
また、勾玉型のデザインにも多数のバリエーションがあり、地域性もあります。
弥生期の九州ではカーブのきつい「コの字」型が好まれたようです。
ちなみに「八尺瓊勾玉」もこのタイプのデザインです。
955日本@名無史さん:2005/10/14(金) 01:21:24
「八尺瓊勾玉」が、記紀のどこに登場するか調べれば、
三種の神器の起源が九州とは無関係なのがわかるだろ。
956プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/10/14(金) 07:40:43
>>955
日本書紀神代下巻の天孫降臨の部分ですね
957日本@名無史さん:2005/10/14(金) 08:07:32
三種宝物の仲で勾玉は鏡と剣とは違い文化と深く関係あることは確か。
鏡、剣はその実用性から使用されるもので人の動きとは無関係に
物のみ移動する性質を持っている。
その実用性から今でも鏡、剣は今でも使用され続けている。
しかし、勾玉は明らかにその土地の人の文化的な象徴である。
人の動きと連動して動く性質がある。これは埋葬方法や言葉と
同様の性質をもつ。
958日本@名無史さん:2005/10/14(金) 09:16:21
プラム、自演乙。
お前の精一杯の努力、泣けてくるが、
心根の卑しいまねはもう寄せ。
三種の神器というのは、三点のセットであるのが
ポイントだろ。勾玉の起源だけ云々してもむなしい。
959妄想中:2005/10/14(金) 09:18:21
出雲白木系が玉を
960日本@名無史さん:2005/10/14(金) 09:44:28
日教組に染まった中学校の教師連中は邪馬台国が九州に存在したとは、記紀に盲従する復古主義者だって子供に教えていたよね。
しかし実際に発掘物を見れば、畿内説を裏付ける根拠となるものが数多くある
ヒミコの墓に相当すると思われる同時期の大型古墳に魏から贈られたと考えられる銅鏡
結局のところ、教師連中は天皇崇拝を否定したいから記紀否定に走ってそう子供達に教えていただけだったな
961日本@名無史さん:2005/10/14(金) 09:48:27
そうか、神功皇后により邪馬台国は滅ぼされていたのか
962日本@名無史さん:2005/10/14(金) 10:02:06
>>961
記紀の記述を見れば九州勢力や出雲勢力の討伐は何度も繰り返し起こっている。
崇神天皇の四道将軍派遣やヤマトタケルのクマソ討伐などなど
ってことは、それだけ九州勢力を完全に恭順させるには時間がかかったってことだ
963プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/10/14(金) 10:20:00
>>958
残念でした。ハズレ
964日本@名無史さん:2005/10/14(金) 11:30:45
>>962

つまり、九州の邪馬台国が東遷したことはない。
九州の邪馬台国は、畿内の大和朝廷に滅ぼされたのだ。



965日本@名無史さん:2005/10/14(金) 11:50:56
>964

その大和朝廷は、九州王朝(邪馬台国)から来て
大和土着王国を滅ぼした天武系朝廷なわけだが
966日本@名無史さん:2005/10/14(金) 11:54:55
>>965

天武は、アマ族だろ。
967日本@名無史さん:2005/10/14(金) 12:01:01
そう、九州王朝には有明湾岸の熊襲族系と
博多・唐津湾岸系のアマ族系がいるが、天武はアマ族系。
968日本@名無史さん:2005/10/14(金) 12:09:42

天武は、東海系のアマ族だろ。
969プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/10/14(金) 12:26:26
降臨するホノニニギに対してアマテラスが与えたのが八尺瓊勾玉、八咫鏡、草薙剣の三種の宝物である。
三種セットで出てくるのは、天孫降臨の時だけ
しかも日本書紀の本文ではなく一書(異伝)にであるそこには、三種の関連性を示す材料はなく
三種セットの宝物である理由等全然出てこない。
970日本@名無史さん:2005/10/14(金) 13:06:53
プラムも、まだまだだな。

三種の神器が登場したのは、天孫降臨じゃない。天の岩戸隠れだよ。
日本書紀をよく読みな。


八坂瓊の五百箇の御統・八咫鏡・茅纏の矛が三種の神器の原型。

「矛」がポイントだな。
つまり、天の岩戸隠れは九州の伝説ということだ。
よって、卑弥呼=アマテラス

971日本@名無史さん:2005/10/14(金) 13:24:31
「勾玉」をつくったのは、大玉命。

大玉命は、忌部の遠祖。
天大玉神社は、奈良県橿原市忌部町にある。

古代から勾玉を生産していたのは、畿内ということだ。
勾玉を重要視するなら、天皇家は畿内出身である。

よって、九州・邪馬台国は、畿内・大和朝廷によって滅ぼされた。


972日本@名無史さん:2005/10/14(金) 13:30:12
記紀神話は、日本中に伝わっていた伝承を寄せ集めたもの。

九州の岩戸隠れ神話、畿内のイザナギ・イザナミ神話、出雲のスサノヲ神話などを寄せ集めて、
記紀神話は生まれたのだ。

そこに、なんらかの意図を読み取ろうとするのは愚か者である。
アマテラスが天皇の祖とされても、事実とは限らない。
973日本@名無史さん:2005/10/14(金) 14:02:32
ヒッキー君が常々言ってるとおり
邪馬台国と大和朝廷は別物ですよ。
卑弥呼=アマテラスなんて言ってる人は
電波です。
974日本@名無史さん:2005/10/14(金) 14:35:33
アマテラスは神功皇后だよ。
宇佐神宮由緒とか鹿島神宮の縁起読めば判る。
記紀神話は5世紀に亡命してきた伽耶人の伝説である事が首露王神話とあわせて読めば良く判る。
神功皇后は応神天皇の母親だから高天原は朝鮮だ。
つまり、卑弥呼は大和とは全く無関係。
975日本@名無史さん:2005/10/14(金) 16:30:13
>>974
おまいの言ってるのはわからん、漏れがバカなのかもしれんが
言ってるのはアマテラス=神功皇后で卑弥呼は誰なんなんだ?
976安曇連浜子:2005/10/14(金) 16:42:24
卑弥呼も神功皇后でいいんじゃない?「日本書紀」の書き方がそうなん
だし。でも>>974の記紀神話は5世紀に亡命してきた伽耶人の伝説であ
るというのはよくわからん。
977プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/10/14(金) 17:27:52
>>970
鏡と玉は岩戸隠れだけど
剣は、ヤマタノオロチ退治ではないかい!

>>975
卑弥呼=卑弥呼だろう
魏への朝貢記事も、神功皇后紀に記載してあるだけで皇后の使者とは書かれていない。
978日本@名無史さん:2005/10/14(金) 19:53:08
以前から思っていたのだが、卑弥呼(=日御子)という呼称はどうも男性的な名称に感じるのだよね
あの時代に女性であれば、比女とか戸女とか呼ばれるだろう。
比子とか御子など、最期がコで終わる名称は男性の呼び名だ。現在とは違ってな
それを考えると卑弥呼という呼び名は男王の卑弥呼に仕えた彼女の弟の呼称でなかったのかな?
巫女だった卑弥呼と取り違えて魏の使者に記憶された可能性はないだろうか
979日本@名無史さん:2005/10/14(金) 19:57:23
発音は、「ヒミヲ」ですよ?
980日本@名無史さん:2005/10/14(金) 20:13:48
>>978
可能性は無い
張政が告喩しに訪れている
981妄想中:2005/10/14(金) 20:36:48
共立した女王なので、知事みたいなもので、影の実力者に使われていた


982日本@名無史さん
>>978
ヒメミコの音を省略して、卑弥呼としたという説もある。