2
3 :
日本@名無史さん:03/09/27 22:55
4 :
ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派 ◆Q.pECj.Kaw :03/09/27 22:58
5 :
ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派 ◆Q.pECj.Kaw :03/09/27 23:00
>4
失礼。1にPAT1のURL貼ってましたか。
>>5
このスレもよろしく。
7 :
日本@名無史さん:03/09/27 23:16
8 :
日本@名無史さん:03/09/27 23:18
9 :
日本@名無史さん:03/09/27 23:57
【学校教育は間違っている!!!既存の学説にとらわれない考えで科学界に革命を起こそう!!!】
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10 :
日本@名無史さん:03/09/28 16:44
age
11 :
日本@名無史さん:03/09/30 18:39
12 :
日本@名無史さん:03/09/30 22:28
近衛家(家紋:近衛牡丹)
藤原北家の嫡流にあたる名族。藤原基通が内大臣、
摂政関白となって、京都近衛の北、室町の東に邸宅を構え、
「近衛殿」と称したことからこの名が起こり、のちに氏の名となった。
【江戸時代の禄高:2,860石】
13 :
日本@名無史さん:03/09/30 22:39
近衛家
藤原北家の嫡流にあたる名族。藤原基通が内大臣、
摂政関白となって、京都近衛の北、室町の東に邸宅を構え、
「近衛殿」と称したことからこの名が起こり、のちに氏の名となった。
【江戸時代の禄高:2,860石】
鷹司家
北家の近衛家実の四男兼平を祖とする名族。
その邸が鷹司室町にあったことから、
この名が起こり、のちに氏の名となった。
【江戸時代の禄高:1,500石】
九条家
藤原忠通の子兼実を祖とする名族。
五摂家の中では近衛家につぐ古い家柄。
兼実は漢籍・和歌・書に通じ、その日記「玉葉」は有名。
代々京都九条の邸を伝領したことから、その名が起こり、氏の名となった。
【江戸時代の禄高:3,043石】
二条家
藤原北家九条家流の名族。
九条道家の二男良実が東二条殿を伝領して、
二条京極を居所としたことから二条殿と称し、のちに氏の名となった。
庶流から俊成・定家などのすぐれた歌人を出している。
【江戸時代の禄高:1,708石】
一条家
鎌倉時代に九条家から分かれた名族。
室町時代には兼良が学問や連歌の分野で活躍している。
戦国時代に土佐に下向し戦国大名化した土佐一条家も有名。
【江戸時代の禄高:2,044石】
15 :
12・13・14:03/09/30 22:45
訂正【誤】11・12
【正】12・13
16 :
日本@名無史さん:03/10/02 00:09
五摂家の二条家と定家卿子孫の二条家は同じ藤家でも系統が違うとおもうのですが?
17 :
日本@名無史さん:03/10/02 00:11
18 :
日本@名無史さん:03/10/02 00:13
19 :
日本@名無史さん:03/10/02 23:05
age
20 :
日本@名無史さん:03/10/03 21:20
摂関家が五家に分立したのは公家の勢力を分散させるための陰謀(by北条氏)らしい。
これは江戸幕府が本願寺を東西に分立させたのに似ている。
21 :
日本@名無史さん:03/10/03 21:22
ところで本願寺が摂家と養子縁組を結んだ経緯について詳細希望。
22 :
ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派 ◆Q.pECj.Kaw :03/10/04 10:11
>21
14世寂如は子供が全て早世したため、摂家から跡取りとして養子を迎えた。
それが15世住如。ところで養子を迎えた後、寂如に実子が生まれ、無事成長した。
その子を住如が養子にした。その人が16世湛如で本願寺派は再び蓮如の男系に復帰。
その湛如も子が無く、13世良如の十男の次男を養子にし、それが17世法如。
23 :
日本@名無史さん:03/10/04 10:13
>>22 親鸞の末裔が摂家から跡取り養子がとれるほどの家柄に出世したてのもすごいよな
24 :
日本@名無史さん:03/10/06 00:00
あげ
25 :
日本@名無史さん:03/10/09 17:14
西は摂家から養子取ったり傍系を跡取りにしたりとしてるが、
東は全て父子相続、それも現門首以外は長子相続とは大したもんだ。
東の法主・門首は正統性は申し分無いにしても、DQNが多いのも確かだが。
26 :
日本@名無史さん:03/10/11 20:31
西東よりマイナーな仏光寺や興正寺に皇族摂家の血が入ってますね
27 :
日本@名無史さん:03/10/11 20:43
今週どっかの新聞に
>これは江戸幕府が本願寺を東西に分立させたのに似ている。
ていう俗説は違うっていう資料が発見されたって言う記事が出てたな。
まじっすか?
29 :
日本@名無史さん:03/10/12 06:04
>26
真宗高田派の法主は伏見宮の血筋だな。
>>28
つまり
家康:「カネ出すから独立してみろよ」
ではなくて
教如:「独立したいから手伝ってよ」
ってことらしい。
ま、家康には京都に徳川シンパを置きたいっていう意図がもちろんあったんだろうとは思うけど
31 :
20, 28:03/10/15 00:00
なるほど、さんくす
32 :
日本@名無史さん:03/10/15 08:21
>29
高田派は摂家。
伏見宮は仏光寺派。
33 :
日本@名無史さん:03/10/18 22:07
親鸞の長男、善鸞は父の教えに背いたとして父に義絶されたとされてるが、
実際は、関東の門徒の監督に父の代理として京都から派遣された先で
関東教団の主導権を親鸞の弟子達と争い(親鸞の長男と親鸞の一番弟子たちの争いですな)、
弟子側が「弟子をとるのか息子をとるのか」と迫られ、弟子をとる羽目になった感じか。
後世、当然一番弟子の系統の高田派系は善鸞を肯定するわけないし、
「親鸞の子孫」をウリにしてる本願寺系も善鸞を肯定したら「親鸞の末娘の子孫」より
「親鸞の長男の子孫」の方が尊いじゃないか、と門徒達が考えかねないから「善鸞は背教者」に
しといたほうが都合よかったんだよな。
34 :
日本@名無史さん:03/10/23 19:40
age
35 :
日本@名無史さん:03/10/27 21:51
age
36 :
日本@名無史さん:03/11/03 00:57
門跡寺院っていくつくらいあるんですか?
37 :
日本@名無史さん:03/11/03 01:00
38 :
日本@名無史さん:03/11/04 22:10
今現在で
39 :
日本@名無史さん:03/11/09 19:15
age
40 :
日本@名無史さん:03/11/09 19:21
今は門跡制度がないから自称門跡ばかりなんだが
円満院みたいに門跡名乗って霊感商法まがいのことやってる寺もあるし
いくつあるかは数え方によるんじゃないの
41 :
日本@名無史さん:03/11/09 19:25
滋賀の円●院は実際参拝したとき、どうなってんの?って感じ
でした。
42 :
日本@名無史さん:03/11/09 21:04
東本願寺系大谷家4兄弟はそれぞれ門跡を名乗ってるしな。
43 :
日本@名無史さん:03/11/17 00:43
東本願寺の話はもういいよ、、、
44 :
日本@名無史さん:03/11/17 07:54
門跡の話だろ?なら本願寺を避けるわけには・・・。
45 :
日本@名無史さん:03/11/21 21:32
寧ろ本願寺と摂家の猷子関係を話題にしたい
46 :
日本@名無史さん:03/11/21 22:51
本願寺宗主で最初に摂家の猷子になったのは関白九条尚経の猷子になった証如(蓮如の曾孫で顕如の父)だったかな。
47 :
ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派 ◆Q.pECj.Kaw :03/11/21 23:20
証如の時代から本願寺は戦国大名化し始めた。
細川春元の要請があって門徒を率いて宗主自ら出陣するのも証如が初めてだったし、
証如の時代には教義に反した門徒を宗主が「生害(死刑)」にするようなことも始めた。
戦国大名化した宗主が戦陣で式をとり、命令違反の家来を死刑に処すというのは戦国大名として不思議は無い。
この間、証如が有力な大叔父(蓮如の子)たちを統制し、細川家や法華宗に山科本願寺を攻撃されたりと紆余曲折を
経ながら「戦国大名」として発展していく。蓮如の時代に「聖界」で勢力をのばした本願寺は証如の時代に世俗でも勢力を伸ばし、
その一環で証如は摂家の猷子になった。
子の顕如の時代になって1559年に本願寺は門跡に補され、翌年5月昇殿を許されるようなった。
同月織田信長が桶狭間で今川義元に勝利。両者が順調に勢力を伸ばし大坂を舞台に対決していくのは
皆さんのご存知のとおり。
48 :
日本@名無史さん:03/11/22 00:50
摂家と猷子関係を結べるようになるまでは代々本家たる日野家と猷子関係を結び、
その縁で若年時には延暦寺等の有力寺院で勉強した後、本願寺に戻って宗主や末寺の住職の
座に就いてたんだよな。本願寺独自に一族に教育を施せるようになるのは蓮如の子供から。
独自の学修機関を設置し、宗主一族・有力門弟を組織的に教育できるようになるのは江戸時代。
その学修機関は今日の龍谷大学・大谷大学に発展する。
今日でも独自の教育機関を持たない他宗の弱小教団の僧侶の子弟が真宗の龍谷大学に進学するのは
昔、本願寺一族が他宗の有力寺院の教育機関を利用して勉強していたことを髣髴とさせる。
49 :
日本@名無史さん:03/11/24 22:55
本願寺と関係の深い寺院と言えば青蓮院門跡が有名ですね。
本願寺は当初、青蓮院の脇門跡という待遇だったと思うが、、、
50 :
日本@名無史さん:03/11/24 22:59
「猶子」て漢字で書けないのかよ
51 :
日本@名無史さん:03/11/24 23:13
猶子,,,ああこの字だっけ
52 :
日本@名無史さん:03/11/28 20:46
江戸時代の善光寺の領主は「大勧進」と「大本願」で、
この二つのお寺が大名と同じ資格で『善光寺領』を治めていたそうです。
ただ、大勧進住職や大本願住職は表向きは政治に関係しないで、
その下にいる寺役人(寺侍)が政治をしていたとの事です。
そして、大本願は尼寺なので、大勧進の寺侍が主に政治をしていたそうです。
(寺役人は大勧進や大本願につかえている武士で、寺侍と言われていた)
もっとも、現在の善光寺でも、
お貫主様やお上人様に権限はなく、(もちろん、御意見は反映されるだろうが)
実際に善光寺の管理を取り仕切っているのは、善光寺事務局なんですね。
言わば、象徴的な存在なんでしょうか。
53 :
ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派 ◆Q.pECj.Kaw :03/11/28 22:40
浄土真宗関係門跡勅許年次
仏光寺1465年
本願寺1569年
専修寺1574年
本願寺や専修寺より(現在では)マイナーな仏光寺が真宗で最も早く門跡になってたりする。
>>52 現在の大本願の上人様は鷹司家からいらしてますね。
55 :
日本@名無史さん:03/11/29 00:39
56 :
日本@名無史さん:03/11/29 18:37
今晩テレ朝見るだろ。
57 :
日本@名無史さん:03/11/29 19:09
鷹司誓玉上人は6歳くらいで入門されたと思う
お寺から小学校へ通うお姫様ってちょっと萌えるね
神社のほうが萌え、だな
59 :
日本@名無史さん:03/12/05 22:01
age
60 :
日本@名無史さん:03/12/12 22:36
本願寺ばかり話題になっていますが、本願寺は青連院の脇門跡ですから、
まずは青連院について詳細希望。
61 :
日本@名無史さん:03/12/12 22:37
青連院→青蓮院
62 :
日本@名無史さん:03/12/12 22:46
>>60 そうはいってもなー。
「嘘はつきじのご門跡」ってきめ台詞もあるしなー。
63 :
日本@名無史さん:03/12/13 08:45
>60
基本的にここは公家スレ=世襲貴族のスレということで
門跡についても世襲の本願寺が最もすっきりくるんだろうな。
64 :
日本@名無史さん:03/12/13 09:15
いまの青蓮院門跡は確か香淳皇后の実弟が務めていたはずだな
65 :
日本@名無史さん:03/12/13 17:01
本願寺が青連院の脇門跡?
興正寺は本願寺の脇門跡だから
興正寺は青連院の脇門跡の脇門跡ということで
青連院の「孫分」にあたるの?
大聖寺門跡は花山院さんだ。
>>64 そうですか。どうりで皇族がよくお見えになってると思いました。
68 :
日本@名無史さん:03/12/13 23:41
青蓮院て天台だろ
その脇門跡が本願寺?
脇門跡って何
宗派とは関係ないの?
69 :
日本@名無史さん:03/12/13 23:51
>>68 親鸞はじめ鎌倉仏教の宗祖は比叡山で修行してます。
70 :
日本@名無史さん:03/12/14 14:21
>68
そもそも天台宗は念仏あり、題目あり、座禅あり・・・のなんでもあり仏教の百貨店。
そこで修行した法然、親鸞、日蓮、道元なんかが独立して
念仏、題目、座禅の専門店を開業したってこと。
例えば本願寺は8世蓮如の頃まで青蓮院の末寺だったけど
天台宗の念仏部門専門の支店だったってこと。
で、蓮如は支店の立場の本願寺の完全独立を画策し、色々な妨害の末
それを果たしたということ。
71 :
日本@名無史さん:03/12/14 17:00
わきもんぜき【脇門跡】
門跡に準ぜられる格式の寺院。
また、他の門跡寺に対して従の関係にある門跡寺をいう。准門跡。
72 :
日本@名無史さん:03/12/14 17:26
本願寺は、
門跡(大企業)である青蓮院の支店→8世蓮如のころ支店の立場から独立の一社(ベンチャー企業)へ→順調に発展して11世顕如のころ元の本社と肩を並べる門跡(大企業)に
ということで青蓮院の脇門跡というわけではないのでは?
73 :
日本@名無史さん:03/12/16 00:36
age
74 :
日本@名無史さん:03/12/16 12:49
本願寺は准門跡
75 :
日本@名無史さん:03/12/16 15:31
>68 >70
法然は死ぬまで天台僧だな。
親鸞も越後追放を解かれたあとは一応天台僧に復帰したことになってるのかな。
天台側から破門はされてないし、親鸞側から離脱表明もしてないし。
子供や孫たちを比叡山に入れて勉強させてるしな。
>74
う〜ん。最初はそうだけどいつの間にやら「准」がとれて
門跡扱いされるようになったよな。
76 :
日本@名無史さん:03/12/16 21:07
能登の総持寺が、いまだに大本山を自称してるのがチト痛い。
77 :
日本@名無史さん:03/12/16 21:50
総持寺が鶴見に移転したのは明治時代。
しかも、みんながみんな、鶴見移転を歓迎していたのではない。
移転積極派が、出し抜いたかのように、総持寺の仏像や什物を持ち出して
鶴見移転を強行したという話を聞いた事がある。
「イメージ」的には祖院のほうが、曹洞宗の大本山という趣なのだか…。
78 :
日本@名無史さん:03/12/18 21:31
永平寺系のお寺さんの間じゃ、総持寺で修行してました。って言っても
相手にされません。
もっとも、総持寺系のお寺じゃ反対ですが・・・
79 :
日本@名無史さん:03/12/19 21:06
総持寺の雲水はヒドい!一般人は知らない方がいいよ。ショック受けるから。
漏れは実体を良く知っているが(内部の者ではないよ)、あれは修行じゃなくて修行の「フリ」
だね。川崎のソープ街に行けばスキンヘッドに帽子かぶった総持寺の坊さんがウヨウヨしてるよ。
永平寺も大した事ないけど。典座(食事を作る係)が余り物大量に捨てているようじゃお話にな
ってないね。道元禅師が泣いておられるゾ。
80 :
日本@名無史さん:03/12/21 19:02
道元って摂関家の生まれ?
81 :
日本@名無史さん:03/12/21 19:08
道元(どうげん)
1200〜1253(正治二〜建長五)
鎌倉時代の禅僧。曹洞宗。宇治木幡の人。父は内大臣久我通親。母は松殿基房〔1145〜1230.86歳〕女の伊子。
82 :
日本@名無史さん:03/12/21 20:12
>80 >81
清華家の生まれですな。
母が摂家出身とは知らなかったですが。
83 :
日本@名無史さん:03/12/21 20:48
松殿って五摂家に入ってないじゃん
84 :
日本@名無史さん:03/12/21 21:05
>83
積極的に源義仲に味方したのが敗因だな。
日和見決め込んでたら摂家として明治を迎えられたろうに。
85 :
日本@名無史さん:03/12/21 21:11
親鸞は日野家の生まれ、道元は久我家の生まれ、法然は中国地方の豪族の生まれ、
・・・日蓮は?
86 :
日本@名無史さん:03/12/21 21:14
安房の漁師の生まれ?
87 :
日本@名無史さん:03/12/21 21:32
漁師って・・・。出自は
道元>親鸞>>>>法然>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>日蓮
かよ。
88 :
日本@名無史さん:03/12/25 20:06
age
89 :
日本@名無史さん:03/12/25 20:13
松殿家は江戸時代に2度にわたって再興されてるんだけどね。
2度とも初代当主が早世してお家断絶となったが。
90 :
日本@名無史さん:03/12/28 19:18
花園家も短命なんだよな
91 :
日本@名無史さん:03/12/28 19:25
花園?花園左大臣の家か?
92 :
日本@名無史さん:03/12/28 19:33
江戸時代の新家だったとおもう
あぼーん
94 :
日本@名無史さん:04/01/11 11:44
公家のなかで、華族としては伯爵クラスどまりの方たちの中に、歴代天皇の称号を
姓に使っている家名が散見されますよね。
冷泉とか、嵯峨とか…そういえば鳥羽というのもありましたっけ?
こういう姓を使うのは、どういう事情なり理由があってのことなのでしょう?
やはりそれぞれ、その天皇の傍系という血筋があってのことでしょうか?
ついでに、その種の姓がすべて網羅できるリストってあります?
クレクレ君ですみませんがご存知の方、おながいしまつ
95 :
日本@名無史さん:04/01/11 11:51
>>94 天皇の諡とは関係なく、住所やゆかりの地名を採用しているケースが多いです。
96 :
日本@名無史さん:04/01/12 03:33
というより天皇の贈り名がむしろパク(ry
>>94 明治以前,○○天皇の○○には,大雑把に言って「追号」と「諡号」がある。
諡号は,死後に贈る格好いい名前(光孝以前・文徳・安徳・崇徳・光格〜孝明)。
追号は,その天皇の御所や陵所などのあった地名から付けられる名前(上以外)。
そして,冷泉や嵯峨は,後者の追号だから,本来的には単なる地名に過ぎない。
一方,冷泉や嵯峨などの公家の「苗字」(正確には『称号』)も,
邸宅のあった場所の地名から付けられたものだから一致しても,当然といえば当然。
98 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:26
本に載ってたんですけど門跡寺院って門跡が空位のことが多いみたいですね。
房官(坊官)は世襲なのに。
房官以下の家臣の宗派も全くバラバラらしい。
つまり門跡が天台でも家臣は浄土宗、日蓮宗など色々なんです。
99 :
日本@名無史さん:04/01/13 09:26
94です。95さん96さん97さん、ありがとう。
地名からってことは、冷泉帝より冷泉家のほうが歴史が長い可能性もあるってこと
ですね(むろん冷泉家の成立が、帝より先だった場合にかぎるけど)。
あと、あるかどうか分からないけど、個人的には深草とか水尾とか醍醐といった
名も好きなんですよね。追号かどうか知らないけど。
でも追号じゃないとすれば…こういう姓名じたい、誕生の余地がないということ
になるんですね。
>>95でも
>>96でも
>>97でもないけど
まだ誤解されているようなので補足
>冷泉帝より冷泉家のほうが歴史が長い可能性もあるってこと
>ですね(むろん冷泉家の成立が、帝より先だった場合にかぎるけど)。
冷泉天皇は平安時代半ばの人
冷泉家の成立は鎌倉時代
101 :
日本@名無史さん:04/01/13 09:46
102 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:37
冷泉ってひやみずと読むの?
103 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:52
れいぜん、れいせん、れいぜい、のどれかだったような?
104 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:58
「れいぜい」だろ
冷泉家ってあんまり好きじゃないんだよなー
激しくスレ違いだけど
106 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:20
それは定家卿が嫌いなのですか?
歌道でもうけすぎたからですか?
それとも侍従長の親戚だからですか?
107 :
日本@名無史さん:04/01/14 08:29
>>98 宮門跡は天皇家や宮家から皇子女をいただかなくてはいけないけど、具合のいい皇子女が
そうそう都合よく産まれるわけではないし、いただいても小さいうちに亡くなってしまう場合もあるしね。
妙法院は伏見宮の皇子を三顧の礼で迎えたけど、伏見宮本家で跡継ぎがいなくなったら
もどっってしまったことがあったり、林丘寺は寛政以降皇女を迎えられないし。
108 :
日本@名無史さん:04/01/14 19:59
門跡寺院は天皇や世襲親王家の世継ぎ候補のための腰掛けとして
存在するんじゃないでしょうか。
109 :
日本@名無史さん:04/01/17 12:04
age
110 :
日本@名無史さん:04/01/17 14:48
>>108 一度、出家した皇族は天皇に原則的にはなれんよ。
門跡寺院が皇族をいただいたのは寺院の権威を高めるためだと思う。
日光の輪王寺門跡は徳川家が権威を高めるため門跡にした典型的な
例。
111 :
日本@名無史さん:04/01/18 06:11
>107
紀宮殿下を迎えられないのかな。
近い将来女帝を認めることになるにしろ、
上位の皇位継承権者に愛子、眞子、佳子と3人もいることだし。
どうでもいいが、あのキモダサ同人女に「殿下」はつけるな。
あと、あそこのガキどもは天皇なんてなれんよ。
113 :
日本@名無史さん:04/01/18 09:12
>>112 いちいちキレるなよ、うっとうしいな。
殿下は殿下だろ。殿下じゃなかったらなんだというのだ。
114 :
日本@名無史さん:04/01/18 09:16
ブサヤコ
逝かず後家の同人女
115 :
日本@名無史さん:04/01/18 09:33
紀宮殿下には改正皇室典範のもとでの女性皇族の結婚第1号になっていただこう。
女性皇族も結婚しても皇族の身分を離れないことになるのだ。
116 :
日本@名無史さん:04/01/18 09:36
また、妄想かよ!
わるいが、あのご面相と年齢では一般人になっても結婚は無理w
117 :
日本@名無史さん:04/01/18 11:04
>>116 人のことを云々できるようなご面相なのかよおまえさんはw
118 :
日本@名無史さん:04/01/18 11:11
ま、ナルヒト、ブサヤコの2人が東洋人としても醜いことは間違いないな。
119 :
日本@名無史さん:04/01/18 11:12
皇族の名前をカタカナで書くのって馬鹿丸出し
120 :
日本@名無史さん:04/01/18 11:15
善光寺大本願は門跡なの?
121 :
日本@名無史さん:04/01/18 11:15
ブサイクな皇族を支持するのも馬鹿丸出し
122 :
日本@名無史さん:04/01/18 11:20
日本人の9割が馬鹿丸出しなわけね。けっこうなことだ。
123 :
日本@名無史さん:04/01/18 11:21
9割も本気で支持してるわけねーだろ、ヴォケ
124 :
日本@名無史さん:04/01/18 11:24
>>123 本気で支持してるんだよ。事実を直視しな。
日曜日に引き籠もって皇族の悪口を書き込んでるヒッキー坊やにはわからんかもしれんがな。
125 :
日本@名無史さん:04/01/18 11:29
本気でバカにされてるんだよ。事実を直視しな。
日曜日に引き籠もって皇族を必死で擁護してる狂信者にはわからんかもしれんがな。
126 :
日本@名無史さん:04/01/18 11:37
世論調査は嘘をつかない。ヒッキー坊やは世論調査を信用してないみたいだけどね。
↑
天皇信者のタワゴト
128 :
日本@名無史さん:04/01/18 11:43
そんなに皇族がうらやましいのか。かわいそうにな。
そんなにブサイクの臣下でいたいのか。かわいそうにな。
130 :
日本@名無史さん:04/01/18 12:36
臣下ではない。われわれは主権者だ。天皇を任命する存在だ。
132 :
日本@名無史さん:04/01/18 13:51
>>131 いまだに臣民意識の抜けないアンチにも困ったものだ
133 :
日本@名無史さん:04/01/18 18:25
漏れの知り合いで青蓮院の東伏見門主の孫と知り合いだというヤツがいたなあ。
青蓮院の門主って香淳皇后の弟なんだろ?
134 :
日本@名無史さん:04/01/18 18:38
>>132 「大臣」は大きな権限を持った、臣下ではないの?
135 :
日本@名無史さん:04/01/18 18:44
>>134 吉田茂首相が同じことを言ったそうだが。
もちろんジョークだ。おまえのもジョークだよな?
ここは公家スレなので天皇制批判は他のスレでしてください。
で、善光寺大本願は門跡なの?
138 :
日本@名無史さん:04/01/18 22:00
>>137 ちがうでしょ。
少なくとも江戸時代に「門跡」とは認められていなかった
139 :
日本@名無史さん:04/01/19 05:03
古代の平群とかその辺の豪族の子孫ってどこいっちゃったんですか?
公家にはいないよね?いつの間にか子孫絶えてたの?
それともまだいるの?いたら下手な公家より凄くない?
宗岡(蘇我)とか伴(大伴)とか巨勢とかは地下官人の中にいる。
141 :
メトロン星人Jr.:04/01/19 07:52
>139
阿倍、巨勢、和気、大伴、下毛野は地下官人として残ってるな。
平群もあったような。宗岡(蘇我)もあるけどこちらは
系図が連続していない。石上(物部)は神主として存続してる。
俺的には源平藤橘なんかよりよほど名族と思うのだが。
142 :
日本@名無史さん:04/01/19 08:06
すげーまだ残ってるんだ
子孫何やってるんだろ
143 :
メトロン星人Jr.:04/01/19 09:03
144 :
日本@名無史さん:04/01/21 09:23
江戸時代のように公家が京都でヒッキ-してたころにも、地下人から殿上人になりた
さで、金をばらまくような椰子はいたのだろうか(むろん、大名でなく公家で)。
145 :
日本@名無史さん:04/01/21 09:51
146 :
日本@名無史さん:04/01/21 16:09
>>143 典薬頭の半井家が直接ナカライテクスに発展したの?
147 :
日本@名無史さん:04/01/21 20:35
江戸後期の高名な歌人である香川景樹は鳥取藩の下級武士だったが、
若い頃に上京して徳大寺家の家臣である和歌の宗匠香川梅月堂の養子となり、
六位のナントカの介になっている。
148 :
日本@名無史さん:04/01/22 00:52
久我家諸大夫春日潜庵も有名ですね。
149 :
竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/01/22 01:40
>>145 家業で儲けた地下官人はおらんかったのですかね?
装束やら織物やら工芸品やら料理やら薬やらで
>>149 いますよ、と自分で言いたげな質問だなw
151 :
竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/01/22 02:24
>>150 マジで知らん
ただ、京都の老舗は地下官人の子孫がやっていたりするらしいので
そこそこ儲けた奴もいたのではなかろうか。。。と
152 :
日本@名無史さん:04/01/22 03:52
>>149 有名なところでは真鍋家が鋳物師の元締として免許料稼いでた
153 :
日本@名無史さん:04/01/22 05:47
>>144 戦国時代だったら、富小路家が成り上がったけどね。
しかも、元々地下官人でもなかったか。
154 :
日本@名無史さん:04/01/22 08:41
富小路家はもともと九条家の諸大夫だったんだっけ?
155 :
日本@名無史さん:04/01/22 18:08
>>154 その前は土倉(金融業)。
二条家に繋がる系図を買った。
156 :
日本@名無史さん:04/01/22 22:39
>>155 だから藤原氏のはずなのに半家なんですか?(たしか半家でしたよね)
そうです。摂家の二条家から直に分かれているのに半家です。
もっとも公家同志の何百年にわたる縁組で公家の血が無数に
流れているはずだが。
土倉をやってたほうが良かったんじゃないの?
貧乏公家なんかになるより。
159 :
日本@名無史さん:04/01/23 06:14
160 :
竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/01/24 00:14
伝統やら格式やらにうるさい公家によくなれたな
よほど強力な後押しか、世の乱れがあったに違いない
161 :
日本@名無史さん:04/01/24 00:35
>>160 多くの公家の反対を押し切って強行されたんだけどね
大和絵の冷泉為恭は、一時地下官人だったそうで(日曜美術館で言ってた)
富小路は更級日記にでてたらしいが?違う?
富小路家は詩人の女性当主がお亡くなりになって絶家したのでは。
それより塩小路だよ。
菅家七家あるのか?
五条、高辻、西高辻、唐橋などでないのに直系とは。
二条御家流みたいだな。
165 :
日本@名無史さん:04/01/24 07:01
少なくとも塩小路という堂上公家はないな。
九条家の諸大夫に塩小路という菅原姓の家があるからそれじゃないか?
「直系」と言えるかどうかはわからんが。
166 :
日本@名無史さん:04/01/25 19:30
167 :
日本@名無史さん:04/01/26 04:07
2ちゃんねる初心者です。
どなた様かパート2や朝鮮貴族のスレも読めるようにして下さいませ。
宜しくお願い致します。
おまえ打ち首
169 :
日本@名無史さん:04/01/26 20:58
青蓮院の門主が譲位されました。皇太后陛下の弟宮から次男の執事長へ。
170 :
日本@名無史さん:04/01/26 20:59
いくら旧皇族でも寺院の私物化はいかんよな。
171 :
日本@名無史さん:04/01/26 21:04
青蓮院門主交代へ
後任に東伏見慈晃執事長
天台宗の門跡寺院、青蓮院(京都市東山区粟田口)の東伏見慈洽(じごう)門主(94)が
退任し、後任に二男の東伏見慈晃(じこう)青蓮院執事長(61)が就任することが23日、
明らかになった。慈洽門主は、香淳皇后の実弟で天皇陛下の叔父にあたる。青蓮院の門主
を50年間務めた。
慈洽門主は、東京都出身。1934年に京都大文学部卒業後、京都大、大正大の各講師、
善光寺大勧進住職を経て、1953年、門主に就任した。京都仏教会会長。
慈晃執事長は、中央大法学部卒。都市銀行勤務を経て、93年に得度し、94年から執
事長。
渡辺恵進天台座主から辞令を受け取る親授式は2月5日、大津市の滋賀院門跡で行われ
る。
青蓮院は、浄土真宗の宗祖・親鸞が得度したことでも知られる天台宗の名刹。門主には
歴代、皇族が就任する。青蓮院は92年に宗派離脱を表明したが、天台宗側が規定で門跡
寺院の後継門主を宗派の委員会で決める対象から青蓮院を外したため、撤回した。慈洽門
主は名誉門主に就任する。
172 :
日本@名無史さん:04/01/26 21:05
久邇宮家は代々ろくな奴がいないなあ
173 :
日本@名無史さん:04/01/26 21:13
50歳まで銀行マンだった男が門主の息子ってだけで次の門主なのか?
とても僧として十分な経験と学識があるとは思えないが・・・
174 :
日本@名無史さん:04/01/26 21:15
青蓮院って東伏見家の所有物じゃねえだろ。
175 :
日本@名無史さん:04/01/26 21:17
>>171 どっちもえらい高学歴だなあ。
京都大学はもちろんだが以前の中央大学法学部も難しい
大学だからなあ。
176 :
日本@名無史さん:04/01/26 21:25
京都帝国大学だと当時でも実力で受かったわけかね?
177 :
日本@名無史さん:04/01/26 21:27
戦前の華族は帝大にコネで入れたらしい。
もと皇族で皇后の実弟の東伏見伯爵なら(ry
178 :
日本@名無史さん:04/01/26 21:36
近衛文麿も京大だったな。
179 :
日本@名無史さん:04/01/26 21:38
高学歴でも、中央大学法学部じゃ仏教と全然関係ないな。
やっぱり、こういうのってよくないんでは?
180 :
日本@名無史さん:04/01/26 21:40
>戦前の華族は帝大にコネで入れたらしい。
そうなんだ。
旧華族の人って高学歴の人が結構多いなあと思っていたのだが
おつむの程度はかなり割り引いて考えないといけないね。
181 :
日本@名無史さん:04/01/26 21:42
青蓮院門跡の地位を自分ちで世襲するために天台宗から脱会する騒動まで起こしていたとはすごいなw
182 :
日本@名無史さん:04/01/26 22:13
結論
門跡の地位と寺院を私物化するヒガシフシミは最悪のクズ
183 :
日本@名無史さん:04/01/26 23:11
長男が死ぬかドロップアウトするかしちゃったんっじゃねえの?
シリアのアサド大統領も前大統領の次男だったけど長男が死んで
目医者やってたのを大統領にされちゃったし
184 :
日本@名無史さん:04/01/26 23:19
185 :
日本@名無史さん:04/01/26 23:34
東伏見伯爵といえば浅見雅男の「華族たちの近代」に若かりしころの逸話が載っていたなあ。
京都帝大をコネで入れてもらっていながら都落ちを嫌がってごねたらしい。
186 :
日本@名無史さん:04/01/28 04:53
時間的推移から見るに一人芝居おつ。
でもおもしろかった。続編希望。
なんで旧皇族が都市銀行なんぞに。中央じゃなくても慶應なら幼稚舎いけただろうに。
五摂家の某当主も中央だし、足利家の先代当主も中央だな。
188 :
日本@名無史さん:04/01/30 19:03
今の時代、どこの大学に行こうが本人の勝手だろう。
つまらんことを気にするヤシだな。
189 :
日本@名無史さん:04/02/01 16:34
きっと大学に行けなかった低脳がカキコしてるんだよ。相手にするな
と高卒が言っておりますが。
191 :
日本@名無史さん:04/02/02 01:42
ano、すっごいバカな基本的なド素人質問してもよいですか?
仁和寺って、門跡じゃないの?
昔はバリバリ、御室の宮がおったけど・・・
192 :
日本@名無史さん:04/02/03 00:32
現在の門跡寺院には仁和寺も含め基本的に宮様はいないのでは。
旧皇族の住まう青蓮院が今では例外なんじゃないの。
193 :
日本@名無史さん:04/02/05 01:48
age
194 :
日本@名無史さん:04/02/05 05:54
>>187 >五摂家の某当主も中央だし
渉外弁護士の一条さんね。
あの当時だから、弁護士になりたかったから中央行ったんじゃないの?
公家じゃないけど、表千家の家元も中央だね。
195 :
日本@名無史さん:04/02/05 07:15
子孫オタ=弁護士オタうざい
196 :
日本@名無史さん:04/02/05 10:32
一條さんは高額納税者にも載っておられるくらいの方だから、平民に
なられてもそれなりの暮らしを維持されてるんではないでしょうか?
でも、お顔はあまり公家顔ではないような。。。。
197 :
日本@名無史さん:04/02/05 20:12
中○卒でアンダー○ン毛○に入れたのは摂家だったからかも?
198 :
日本@名無史さん:04/02/05 21:15
司法オタは司法試験板に去れ
199 :
日本@名無史さん:04/02/05 21:17
なんで2ちゃんねらーは華族や弁護士の話に異常に関心を示すのか?
歴史板だから華族ネタはいいとして、司法ネタはウザすぎ。
200 :
日本@名無史さん:04/02/05 23:37
司法オタはウンコ
201 :
日本@名無史さん:04/02/06 00:01
だって、俺弁護士だもん。
ゴメン、これで弁護士ネタはおしまい。
たしかに毛利に入れたのはコネかも。だって中央だぜ。
203 :
日本@名無史さん:04/02/07 16:45
法曹界の中央閥を知らないのはチト世間知らず
弁護士ネタが全然おしまいになってないぞ、ゴラァ!!
205 :
日本@名無史さん:04/02/07 18:43
渉外が東大有利ってことを知らないのはなんで?
おまいら、板違いですよ
板ちがいだし、もっと子孫の方のプラーバシーに配慮してください。
209 :
日本@名無史さん:04/02/09 00:32
北河原家って名門?
210 :
日本@名無史さん:04/02/09 01:16
奈良華族ですか?
211 :
日本@名無史さん:04/02/09 01:55
そうかもしれません。
その方は東大寺の執事だな。東大寺の池の近くに記念碑があって和歌が詠まれている。
北河原公○公謹製ある。
213 :
日本@名無史さん:04/02/11 00:07
結局、奈良華族なんですか?
214 :
日本@名無史さん:04/02/11 00:24
興福寺には今は摂家関係の人は入らないんですか?
215 :
日本@名無史さん:04/02/11 02:15
>>213 2月8日付で東大寺執事長に就任した北河原公敬氏は旧奈良華族の家系の出身です。
北河原家は四辻家(明治17年室町と改姓、旧伯爵)の分家。
そうですか。ありがとう。
大聖寺の門跡、中宮寺のトップらしき尼僧も堂上家のご出身です。
218 :
日本@名無史さん:04/02/12 18:17
>>217 現大聖寺門跡は旧子爵石野(いわの)家の出身。
現中宮寺門跡は旧伯爵日野西家の出身。
219 :
日本@名無史さん:04/02/12 22:59
220 :
日本@名無史さん:04/02/14 03:45
>>218 石野家の出身って、慈栄尼のことかな?
慈栄さんは、随分前に亡くなられたはずだけど。
この方は、本当に肉を全く食べないで過ごしたらしいよ。肉っぽいだしのスープも体が受けつけなかったらしい。
222 :
日本@名無史さん ◆9XuF3XEACk :04/02/14 04:18
test
花山院門跡ですよ。大聖寺。
大聖寺っていい庭もってるんでしょ?
たまには公開したらいいのに。
225 :
日本@名無史さん:04/02/21 14:19
age
226 :
日本@名無史さん:04/02/22 01:46
age
227 :
日本@名無史さん:04/02/22 18:22
どこの大聖寺でしょう?
228 :
日本@名無史さん:04/02/24 22:21
age
229 :
日本@名無史さん:04/02/26 01:02
公家の子孫は高学歴者が多いですな。
230 :
日本@名無史さん:04/02/29 22:18
あげ
231 :
日本@名無史さん:04/02/29 22:22
スレ違いかもしれませんが、誰か御存知の方があったら教えていただきたいのですが。
平安時代中期以降事実上正六位下以下の位階は消滅しています。
ところで幕末の時期には七位は史生の位、八位は一部下級官職(それも維新直前)としても、
正六位上から従六位下まではちゃんと機能しているようです。(「幕末の宮廷」より)
いつの間に復活したのでしょうか?
鎌倉〜江戸後期にかけての朝廷下級官僚についてはあまりかかれた本もないようでよくわかりません。
「官職要解」とか「中世公家と地下官人」などは読みました。
232 :
日本@名無史さん:04/03/01 03:15
春日大社の葉室宮司は元子爵家だっけ
著書の書評を読んだらこの人宮司でありながら
世界的に有名な形成外科医でもあるんだと
形成外科ってアレだよなブサイクを美人に変えたりする・・・
233 :
日本@名無史さん:04/03/01 03:56
234 :
日本@名無史さん:04/03/01 17:33
>>232 葉室宮司は愛子様の主治医になってほしい
形成外科と美容整形外科は別モノでおじゃる。ホホホホホ。
坊門家はどうなったの?
237 :
日本@名無史さん:04/03/02 15:00
クビチョンパでしょ。
いやん
239 :
日本@名無史さん:04/03/02 21:49
葉室家は伯爵家でつ
240 :
日本@名無史さん:04/03/02 23:05
後鳥羽上皇に従って斬首された葉室さんは親類ですか?
傍系になるのでしょうか?
241 :
日本@名無史さん:04/03/02 23:53
後鳥羽上皇の側近であるが故に家名をあげたが、
また政争にも巻き込まれたんじゃないかな。
242 :
日本@名無史さん:04/03/03 15:34
>231
近年の近世朝幕研究ではいろいろと論文ありますよ。
243 :
日本@名無史さん:04/03/04 19:26
ありがとうございます。
でも残念ながら、田舎に住んでて金もこねもない人間には、
論文までは手が回らないんですよ。
読めるのは公立図書館に有る書籍,雑誌くらいでしてね。
愚痴ですね。失礼。
244 :
日本@名無史さん:04/03/07 19:21
京都御苑の敷地内にある管理事務所は、もとナントカ宮の御殿なんだってね。
245 :
日本@名無史さん:04/03/07 23:19
>>244 旧閑院宮邸だね。
二条城の本丸御殿も旧桂宮邸を移築したもの。
246 :
日本@名無史さん:04/03/07 23:58
なんで京都には九条さんもお住まいなのに、公家でもない当主がブイブイ言わせてるんですか?
冷泉家当主かね。新撰組でいう多摩の百姓から武士みたいなもんだ。
おれがおれがと日本文化の担い手と吹聴してまわるからたちが悪い。
248 :
日本@名無史さん:04/03/08 05:36
九条さんとかどう思ってらっしゃるんだろう。
本物の名門公家の血筋の方って藁ってそう。
そもそも冷泉家って成り立ちからしてDQNだしね。
250 :
日本@名無史さん:04/03/08 14:04
公家装束してもなあ、九条さんならありがたいが・・・。
時代祭りにしか見えん。。。。(汗
251 :
日本@名無史さん:04/03/08 20:10
所詮、マガイモノのレイゼイw
252 :
日本@名無史さん:04/03/09 08:59
>>251 藻前、近衛家についても同じようなこと言ってたろ
253 :
日本@名無史さん:04/03/09 10:04
近衛家の場合は別に「全く」の偽者じゃないでしょ?
254 :
日本@名無史さん:04/03/09 10:26
>>253 近衛忠輝氏は立派に「本物の近衛」だと思うが。
斎藤龍興がトップクラスのへタレだろ
256 :
日本@名無史さん:04/03/09 17:31
今のコノエはホソカワくんであって(ry
所詮、マガイモノのコノエw
庄屋と大名家では比較にならん。加古郡だよ。加古郡。
「私は日本文化の伝道師」とのたまう御仁だよ。
259 :
日本@名無史さん:04/03/09 22:23
近衛も冷泉も終わったな・・・
260 :
日本@名無史さん:04/03/09 23:23
近衛様は別に母方の実家に養子に入っただけだから無問題。
養子に行かなくても華族の家の子だし。
でも、華族でもない家から・・・・・・・・
261 :
日本@名無史さん:04/03/10 00:00
京都にいると公家姿の写真とか時々目にする機会があるけど、なんか見てはいけない
ものを見てしまったような気がしてしまった目をそむけてしまう。
262 :
日本@名無史さん:04/03/10 00:10
冷泉なんとかっていう評論家?って冷泉家の関係者?
263 :
日本@名無史さん:04/03/10 03:23
旧閑院宮邸の使い方は勿体無いな。
綺麗に復元して、金とって公開したら良いのにな。
264 :
日本@名無史さん:04/03/10 16:53
>>263 あれ?博物館かなんかにして公開するんじゃなかったっけ?
ずいぶん前に聞いたような・・・
265 :
日本@名無史さん:04/03/10 17:09
266 :
日本@名無史さん:04/03/10 18:18
図書室や研修室なんかに使わず、そのまんまで公開しろと言いたいのだろう。
267 :
日本@名無史さん:04/03/10 18:50
公家の家職
ってご存じですか?
今でも継承されているんでしょうか?
268 :
日本@名無史さん:04/03/10 20:48
>>266 そういうこと。
忠実に復元した上で、公開して欲しい。
269 :
日本@名無史さん:04/03/10 21:29
1668年発行の公家の案内書「諸家家業」と言う本に
19種類の家業が載っているそうです。
ただしうち8種類は摂家から新家までの家格なので、
狭義の家業は和歌、装束、文章博士、明経、能書等11種。
中には外記・史等職名=家業の家もあります。
日本史のリブレット「江戸幕府と朝廷」より
家業は平安以来の伝統をひいてはいますが、
江戸幕府によって改めて定められ側面もあるので、
維新・遷都で継承する意義を失い、
ほとんどの家は忘れてしまったのだと思います。
令泉家は今でも継承しているつもりでしょうけど。
誤字脱字だらけでした。
特に
×令泉家 日本史のリブレット
○冷泉家 日本史リブレット
271 :
日本@名無史さん:04/03/11 09:36
血は継承して(ry
ナイスつっこみ。令税家は養子を取ったほうがいい。血をリフレッシュしなきゃ。NHKスペシャルで当主が和歌を講じていたけど。
農家の出が披講するなんて。
273 :
日本@名無史さん:04/03/12 09:11
ま、この家系出自も出自だからな・・・
274 :
日本@名無史さん:04/03/12 15:04
>家業は平安以来の伝統をひいてはいますが、
>江戸幕府によって改めて定められ側面もあるので、
>維新・遷都で継承する意義を失い、
>ほとんどの家は忘れてしまったのだと思います
やはり明治維新は間違いだった。日本の良き伝統を破壊した。
八条忠基は?
age
278 :
日本@名無史さん:04/03/17 19:57
279 :
日本@名無史さん:04/03/17 21:34
飛騨姉小路は公家ですか?
>>280 そうだよ。
だって大納言とかなってるもん。
282 :
日本@名無史さん:04/03/18 22:00
京都仏教会の有馬理事はあの有馬家の末裔のかたですか?
名前にも頼という字が入ってたはずですけど。
283 :
日本@名無史さん:04/03/18 23:14
有馬頼底さん?
284 :
日本@名無史さん:04/03/18 23:20
>>283 そう。
あの方、九州の有馬家の末裔なんですか?
285 :
日本@名無史さん:04/03/19 00:10
姉小路は途中で三木氏が勝手に名乗っただけじゃなかったか。うろ覚えだけど。
286 :
日本@名無史さん:04/03/19 01:02
>>284 そうだけど分家だね
有馬記念で有名な有馬頼寧伯爵の弟の子
学習院初頭科の同級生には
三條、鷹司、久我、とか居たと日経新聞の私の履歴書に書いてありました。
288 :
日本@名無史さん:04/03/26 21:30
age
289 :
日本@名無史さん:04/03/29 11:30
290 :
日本@名無史さん:04/03/29 13:48
>姉小路は途中で三木氏が勝手に名乗っただけじゃなかったか
伊勢の北畠氏、土佐の一条氏と並んで三国司の一つであった姉小路家は
滅亡した。その後、飛騨の国人の三木氏が名跡を継いだ。
291 :
日本@名無史さん:04/03/29 17:12
292 :
日本@名無史さん:04/03/29 23:38
293 :
日本@名無史さん:04/03/29 23:41
294 :
日本@名無史さん:04/03/30 00:57
久我美子さんは今でも華族のかたたちと交流はあるんでしょうか?
一応は華族のなかでも名門なんですよね?
295 :
日本@名無史さん:04/03/30 13:26
旧閑院宮邸の修復工事始まる
京都御苑の公家屋敷
環境省京都御苑管理事務所(京都市上京区)はこのほど、同御苑に現存する唯一の公家
屋敷である旧閑院宮邸の修復保存工事に着手した。半解体し、約2年かけて基礎の補強や
痛んだ部材の取り替えをし、御苑の自然や歴史に関する資料室などを整備する。
同邸は江戸後期の書院造りの公家屋敷で、中庭を囲む4棟からなり、総床面積は約10
50平方メートル。明治維新後は宮内省の支所が置かれ、戦後は御苑を管理する厚生省分
室が使用。現在は御苑のグラウンドやテニスコートの管理などを行う財団法人京都御苑保
存会の事務所となっている。
工事では、戦後に増築されたトイレやふろ場などを撤去して江戸時代の姿に戻す。天井
や床、かわらを外し、ジャッキで1・5メートル持ち上げて、基礎部分をコンクリートで
補強。腐った部材の取り替えや継ぎ足し補修をする。今月初めから作業を始めた。工事費
は約5億円。
2006年3月に完成予定で、御苑の歴史や自然に関する写真パネルや絵図、京都迎賓
館建設の際に出土した遺物などを展示する「収納展示室」を設け、希望者に一般公開する。
図書室や保存会事務所や会議室、レクチャールーム(講義室)なども設ける。その後、敷
地内の池や日本庭園の整備を行う予定。
閑院宮家は伏見、桂、有栖川と並ぶ江戸時代の四親王家の一つで、1710(宝永7)
年に創始されたが、戦後は皇族籍を離れた。
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2004jan/28/W20040128MWD1K1B0000062.html
296 :
日本@名無史さん:04/03/30 23:14
297 :
日本@名無史さん:04/04/05 03:29
九条と西園寺は親武家で
勤皇とは縁なさそう?
298 :
日本@名無史さん:04/04/05 06:25
>>297 西園寺家は、明治維新の時に若き日の公望が官軍で働いた。
299 :
日本@名無史さん:04/04/19 01:15
age
300 :
日本@名無史さん:04/04/25 23:11
300
301 :
日本@名無史さん:04/04/26 17:09
>>162 為恭はいわゆる堂上の冷泉ではない。
朝廷の絵所預という役所の下級官人で本当の家名は岡田。
だからいわゆる歌の冷泉家とは無関係だし、「地下官人だった」という表現も
間違い。最初から最後まで地下。
佐幕派に接近しすぎて殺されたが。
>>277 すごいページだなここ。
途中まで本物らしく書いといていきなり偽の歴史に入っていく。
信じ込む香具師出てくるぞ。
もしかして書いてる本人が信じてるっぽい?
>>301 日曜美術館で言ってたのですが出身は狩野家(諱名は忘れました)。
大の平安オタクで日常も平安時代の装束を着ていたとか。
どうしても禁裏に出仕したくて岡田家の養子になったそうです。
>>303 芸術家としては大和絵の復興者として知られているけど、いろいろ
エキセントリックだったみたいだね。 禁裏行きたくて養子になったり
平安ファッション(当時の身分制社会では地下だと本当はダメなはず)
に身をつつんだり。
暗殺の原因にしろ、どこまで政治的に接近していたかは諸説ある
ようだし。単なるシャベり過ぎとか実際に行動していたかとか、まともに
調べるとなかなか面白い人物なのかも。
305 :
日本@名無史さん:04/05/03 17:22
かっこ悪い奴だ
現代の政治化並のかっこ悪さ。あのペパーダインのおっさんみたい。
308 :
日本@名無史さん:04/05/05 20:54
age
309 :
日本@名無史さん:04/05/07 23:47
age
310 :
日本@名無史さん:04/05/08 10:36
>>297 西園寺家は鎌倉や室町幕府とは親密だったが、江戸幕府とはそれほどでもない。
311 :
日本@名無史さん:04/05/10 02:23
上級公家はどんな世の中になっても美味く立ち回れるので安楽を望んで時の武家に媚びる
下級公家は鬱憤やるかたなく勤皇思想
312 :
日本@名無史さん:04/05/11 02:31
>>311 宝暦事件の時など、江戸幕府に媚びる五摂家による尊皇派への処罰の厳しさには、
むしろ幕府の側が驚いたくらいだったらしいね。
313 :
日本@名無史さん:04/05/11 02:34
>>310 室町幕府と親密か?
足利義満のとき北山山荘取られちゃったジャン。
314 :
日本@名無史さん:04/05/11 02:39
>>311 あれは、幕府に媚びたというより、
摂関+三公+武家伝奏=朝廷執行部体制に逆らったからでしょ。
つまり、自分らの地位・利権を脅かしたから。
315 :
日本@名無史さん:04/05/11 03:10
西園寺が最も裕福?
316 :
日本@名無史さん:04/05/11 19:08
「公家侍秘録」の日野西家、高丘家、実在の公家の家名なんですが、
やはりモデルなんですか?
4巻に出てくる東辻家とか毬小路家とか葉室寺とかは架空の名前のようですが。
それと松江松平が家宝を借金のかたにとられていたとか、
前田家や細川家の家臣が犯罪したりとか出てきちゃいますけど、
クレームとか大丈夫なんでしょうかね。
>>317 いや、成田三樹夫じゃないし・・・
誰だろ?
320 :
日本@名無史さん:04/05/12 00:17
徳大寺家ってなかなか出てこないんですけど
マイナーですかぁ?
車評論家の人は公家の出じゃないんだよね。
322 :
日本@名無史さん:04/05/12 02:36
>>316 何のドラマか判らないけど、演じているのは菅貫太郎?
>>321 公家の徳大寺家とは全く関係なし。
323 :
日本@名無史さん:04/05/12 03:02
NHK テレ朝 TBS テレビ東京 朝日新聞
など
日本のマスコミは情報操作をすることによって
政治家を騙して 政治や経済 株式市場を 混乱させている
なぜこういうことができるかというと
政治家 経済人 投資家にとって 業務を行う上で
情報が必要なため マスコミが情報を提供するというと
つい受け取らざる終えなく
しかもマスコミが 情報のソースを明かさないので
鵜呑みにして 嘘情報を信じざる終えない
それでマスコミが 情報を操作して
伝えて 政治 経済 市場を混乱させることができるからである
このような情報の独占と 情報支配 それによる 情報操作
という 左翼マスコミの陰謀に対抗する必要がある
324 :
日本@名無史さん:04/05/12 05:32
325 :
日本@名無史さん:04/05/12 07:53
>>318 >それと松江松平が家宝を借金のかたにとられていたとか、
前田家や細川家の家臣が犯罪したりとか出てきちゃいますけど、
クレームとか大丈夫なんでしょうかね。
それをいったら、水戸黄門には毎週バカ殿様やら悪代官が実名で出てくるし、
時代小説なんかにもしょっちゅうでてくるでしょう。大丈夫でしょ
326 :
日本@名無史さん:04/05/12 11:31
>>318 >東辻家とか毬小路家とか葉室寺
「東辻」のモデル家名は何なんだろう?
「毬小路」は万里小路をヒントに
「葉室寺」は葉室からアレンジして
創作したんだろうけどね
327 :
日本@名無史さん:04/05/12 15:48
「公家侍秘録」の虚実(非常に好きな本なのでつい調べてみました)
日野流に日野西家は実在ですが、作中の日野西家とは別と思われます。
まず晴季なる当主は実在しません、ほぼ時期的に重なるのは1846年76歳で死亡の延光あ
たりでしょうか。
作品は第4話「びんぶく」から1830年代と推定されます。
作中から得られる情報:慈性法親王が24歳以前である、約4年前にお忍びで島原通い、1846年33歳で輪王寺門跡に。
最高の24歳と仮定して1837年、4年前の島原通いが仮に14歳としてもこの時18歳、
すると1831年となります。まあ常識的に考えて1820年代以前ということはないでしょう。
また作中の日野西家は御蔵米公卿ですが、実在の日野西家は日野流の中でも広橋家の分
家で新家ではありますが200石の家禄があります。
作中のように家臣一人と言うことはないと思います。少なくとも下男は居たはず。
「幕末の宮廷」によれば普通一代限りの近習を置き、下男はどんな家でもいたとあります。
第5話「古筆守り」に登場の高丘永季、益季父子は実在です。
益季、実は柳原家からの養子で1833年位記返上、その後は永季の実子と思われる基季が
継いでいます。すると作品は1933年以前か?
なにか不行跡があって廃嫡されたのかもしれません。作中の行動も根拠があるのか?
作中のとおり中園家の分家で30石3人扶持の御蔵米公卿。
第6話「幻術」に登場の千種有功は作中の説明のとおり実在。
岩倉家の分家で家禄150石
第3巻第2,3話「袴垂」に登場の油小路隆輔は実在せず、ただし油小路家(家禄150
石、西大路家の分家)は実在し、確かに代々隆を通字としているようです。
1834年41歳で死亡の隆道(蔵人頭を務めています)あたりがモデルでしょうか?
第3巻第7,8話の「貴船川の姫君」倉橋中納言、安倍氏土御門の家の分家に倉橋家有
り、ただし当時中納言が居たかどうか不明(と言うか調べ忘れた)。
第4巻第3話「江戸の土産話」の葉室寺家、第4話「名椿の森」の毬小路家、第5,6
話登場「寒山・拾得」の東辻家は架空のようです。
ただし当然ながら葉室、勧修寺、裏辻、北小路等似たような名前の家はあります。
一つだけ突っ込み、一巻で天野家は六位の侍とかありましたが、普通の公家侍は位階なしだと思います。
幕末のころに日野家など極少数の家が宮殿の修理か何かの功績で六位侍を与えられた(実際は家臣に
六位の位を与える)とか格別に由緒の有る家の家臣とかで例外的存在です。
ただし大臣家以上には五位侍もいますし三位、四位になりうる諸大夫もいます。
幕末の宮廷
女官
典侍7名(筆頭は大典侍) 堂上のうちでも名門の家の娘 一二〇石
内侍4名(筆頭は勾当内侍、二〇〇石)堂上の娘 一〇〇石
命婦5名 地下のうち三位以上になれる家の娘(両局、諸大夫、神官中の名家等) 六〇石
女蔵人1名 命婦に昇進可 六〇石
御差1名 四位の娘でも良い 六〇石
御末7名 六位以上の娘
女嬬7名 六位以上の娘
御服所7名 無位の娘でも良い
仲居 商人の娘
検非違使 従六位から正四位 従五位下になると弾正忠または国守
尉、志 看督長 火長 使庁(下部)
旧家三軒、正六位上から正四位下、功労によって正四位上
新家三軒、従六位下から正四位下
非蔵人 再興時の4家は60石、他は20石、15石 15石三人扶持、番頭は役料三石
両局 諸大夫 従5位下から正四位上 退任後正三位まで
出納 侍 正六位上から従四位上 特に正四位下
医師 従六位上から正四位下まで 正四位上は非常破格
新家は従六位下から 中国介
医生は従六位下から正六位上まで 中国介 正七位下から進む家有り
法体の医師 法印(四位)、法眼(五位)、法橋(六位)
史生 正七位下 国目
楽人 正六位下から正四位下 旧家で八〇歳以上は正四位上、五位六位は将監、将曹
江戸は正六位下から正五位下60石から100石
滝口 左衛門少尉から大尉 従六位から正六位上 老年者は従五位下
院 院蔵人(終始正6位上)所衆(極位正五位下)、召次(極位正六位下)、上北面20石3人扶持
下北面 従六位下から正4位下
旧家13軒は家禄100石から25石、新家蔵米15石
文久三年の加増 15万俵=6万石
摂家500俵、親王・30石公卿400俵、一般公卿200俵、六位蔵人100俵、三催50俵、その他30俵を加増
宮中席次(准大臣以上が公、従一位以下が卿)
摂政、関白、准三后(前関白)、太政大臣、前太政大臣、左大臣、前左大臣、右大臣、前右大臣
准三后(宮門跡、摂家門跡)、皇族、内大臣、前内大臣、准大臣、従一位、権大納言、前権大納言、権中納言
前権中納言、参議、前参議、正二位、従二位、正三位、従三位
摂家 従五位上→従四位下権少将→正四位下
正五位下→従四位上権少将→従三位権中将→権中納言(中将元のごとし)
→権大納言(帯剣を許す)→左大将兼→内大臣(大将元のごとし)→右大臣(随身、兵仗)
→左大臣→関白(氏長者、内覧、随身、兵仗、牛車)
清華 従五位下→従五位上→正五位下→従四位下権少将→権中将→三位中将→権中納言(帯剣)→正二位→権大納言
→右大将兼→内大臣(通常ここまで)→右大臣→左大臣
広幡家は内大臣になると大将を止める、菊亭は昇進が遅い
大臣家 清華と同様の昇進だが大将を兼ねない、内大臣止まりでそれもすぐに止める、実際はなれないことも多い
平堂上 菅原一族は正六位上(道真にちなんだ単なる習慣で他家に劣るわけではない)から、他家は従五位下から
昇進限度は権大納言又は権中納言、位は通常正二位まで
中山、飛鳥井、中御門(松木)、園、日野、広橋、柳原、烏丸、甘露寺、葉室、勘修寺、万里小路、清閑寺、
中御門、坊城、庭田(宇田源氏)は功労により従一位まで
そのうちで中山、中御門(松木)、園、広橋は准大臣までいける
家格が低いと権大納言、権中納言ですぐ辞職
更に低いと位は正二位でも官は三位相当の京官で老年でようやく参議、更に下は従二位止まり
例外を除き200石、180石、150石、130石などが多い、新家は30石3人扶持
羽林家 五位侍従→権少将→権中将→蔵人頭(一部の家のみ)→参議(中将元のごとし)→権中納言→権大納言
名家 五位侍従→弁官→蔵人→兼検非違使→蔵人頭(一部の家のみ)→参議(弁官元のごとし)→検非違使別当
→右衛門督→権中納言→権大納言
六位蔵人 役料100石
北小路2軒(諸大夫格)、典薬頭小森、非蔵人細川・藤島・橋本、官務壬生
北小路2軒は幕末に堂上に昇格、橋本は近年なし
壬生は従五位下左大史を辞して新蔵人、氏蔵人へその後また地下の従五位下左大史に戻り昇進
使部 掾
内舎人 32軒中2軒は五位まで他は六位まで、但し六位でも職の亮になれる
衛士 3軒中1軒のみが有位有官他は無位無官
兄部、沙汰人(共に駕輿丁の指図役)、駕輿丁 町人 無位無官 慶応3年に全員が従八位下、国目
左右近衛府(旧御随身)
2軒は将曹から将監、28軒は府生から将監、23軒は番長から府生
陰陽助、権助 幸徳井2軒(諸大夫)正六位下から正三位
典薬頭、助 小森(諸大夫)六位蔵人になる家
権助 藤木2軒 針博士、権針博士を兼ねる
画所預 土佐2軒 従六位上から正四位下 左近将監から国守、介
摂家の諸大夫 正六位下から正三位 官は省輔、寮頭、職亮、司正等
親王家の諸大夫 摂家とほぼ同格
伏見宮の殿上人 若江 従五位下から正四位下 官は職大夫、八省大輔、弾正大少弼、国権守
清華の諸大夫 従六位上から従三位
大臣家の諸大夫 従六位下から正四位下
中山家は平堂上で唯一諸大夫有り 官位は大臣家と同じ
門跡の坊官 法橋(六位)から法印まで、法印は本来四位の待遇だが特に三位の扱いを受ける
准門跡の坊官(錦織寺はなし) 法橋から法眼(五位)を経て法印まで、法印昇進は門跡より不利
門跡の諸大夫 正六位下から正四位下 官は位階相当の京官又は国守
仁和寺、梶井、照高院及び准門跡は諸大夫はなし
聖護院の坊官今大路、照高院の坊官杉本は100石、このように門跡の坊官諸大夫は比較的高禄
摂家、親王家等の諸大夫は多くて50石少なくて20石、近衛家の進藤の100石は例外
摂家の侍(五位の侍、六位の侍)
従六位下から従5位下 八省大少丞、職大少進、四府の大少尉、国介、まれに寮助
親王家の侍 摂家とほぼ同格
清華、門跡、大臣家中中院、平堂上の中山家は侍有り
平堂上の柳原、広橋、野宮は幕末より山稜補修御用係の功労で六位の侍有り、官位は摂家よりやや格落ち
准門跡は諸大夫、侍なし、但し下記の寺には下記の家から手伝(出向)有り
東本願寺(近衛家一名)、西本願寺(九条家一名)、仏光寺(二条家一名)、専修寺(有栖川宮二名)
摂家、親王家、清華、大臣家、門跡の侍のうち一部は諸大夫に進める
摂家、親王家家、門跡は侍の下に用人、近習、中小姓、勘定方、青士、茶道(ここまでが士分)
小頭、中番、下僕
近衛家 近習三,四〇人、中小姓一〇人、青士二,三〇人
一条家 用人三,四人、近習一四,五人、中小姓三人、勘定方三人、青士一〇人、茶道二人、小頭四人、中番四人
清華、大臣家 侍の下に近習、青士有り。近習は通常一,二名、多くて四,五人
平堂上 雑掌、近習有り、雑掌一,二名、近習二,三人もいれば多い方。
通常は一代抱の近習一名(三石さん)、下僕は必ずいる。
門跡の一部には他に侍法師(六位侍の次席)、院家候人、承仕等有り
院の女官 上臈三名(元典侍)、中臈三名(元掌侍)、下臈(元命婦)三名
母后、中宮、東宮にも各上臈、中臈、下臈有り
皇子 上臈一名、女中二名、仲居一名
摂家、親王家の女房
上臈、老女(御年寄)、若年寄、中臈、表使、女中、御次衆、茶之間(仲居)
上臈は堂上、老女から女中までは諸大夫、侍、士分、医師、藩士、郷士など
御次衆は御目見以下の士分、史生、衛士、茶之間は町人、農民、仕丁
高家、四位の大名の官
職大夫、八省大輔、弾正大弼、吉井家は例外として左兵衛督、高家の隠居後の再勤で特に左衛門督が有り
五位の大名、五位の旗本の官
八省少輔、弾正少弼、四府佐、寮頭、職亮、司正、弾正忠、左衛門尉、例外として職大夫四家有り
院家 堂上の出身 僧都から大僧正 僧都は殿上人、僧正は参議、大僧正は大納言の待遇
准院家 堂上、地下両方有り 僧都から大僧正
院室、出世、住侶 堂上、地下両方有り 僧都から僧正
江戸時代の昇進の原則(寛延三年以降)「近世公家社会の研究」著橋本政宣より
清華
従三位までは毎年昇進、以後は旧例による。大将は40歳前後、内大臣は40歳以上、左右大臣は欠員次第
旧家の内しかるべき家(正親町三条、三条西、滋野井、正親町、中山、中御門、中院の七家)
従三位までは中置1年で昇進、以後は旧例による
旧家
従三位までは中置2年で昇進、以後は旧例による
新家の内慶長年間までに出来た家
従三位までは中置3年で昇進、侍従は可
新家の内元和以後に出来た家
従三位直前までは中置3年・従三位は中置4年で昇進、侍従は不可
少将は従四位上から正四位下に昇進するころに任官、中将は従三位昇進の前年に任官、極端な新家は中将、少将は不可
大・中納言、参議は家例がないと原則不可
大外記、官務
従五位下から正四位上、中置5年
外記、史
正六位下から従五位上(60歳以上)、正五位下は非常破格
権少外記は少外記、史は大史に成って従5位下(40歳以上)
史生は従五位下まで(60歳以上)、従五位上不可
官掌は正六位上まで、従五位下は老年でも不可
召使は正七位下から正六位下まで
左右馬寮、掃部寮、造酒司、大膳職、大舎人寮、内舎人は正六位上まで
諸大夫(摂家、親王家)
旧家(譜代七代以上相続)
一条家難波、近衛家進藤・斉藤、二条家信濃小路、九条家朝山二軒、信濃小路、石井
九歳で従五位下、従三位は七〇歳以上で中置一〇年(臨時の取り扱い)
新家
六位侍から、従三位は八〇歳以上で中置一五年(臨時の取り扱い)
>中山、中御門(松木)、園、広橋は准大臣までいける
>旧家の内しかるべき家(正親町三条、三条西、滋野井、正親町、中山、中御門、中院の七家)
従三位までは中置1年で昇進、以後は旧例による
> 中山家は平堂上で唯一諸大夫有り
上記のうち正親町三条、三条西、中御門、中院の3家は大臣家、他は全て平堂上
以上の点から中山、中御門の両家(共に羽林)はほとんど大臣家に近い平堂上最高の家格では?
園、広橋(共に名家)、滋野井、正親町(共に羽林)はそれに准ずる?
なお、中御門(松木)は羽林の最とされてます。
「女官通解」(浅井虎夫著:講談社学術文庫)第一章女子の任官法(付しん(糸+晋)紳家のこと)より
日本郵船の役員の日野西さんが当主。東大卒。コレマジ
元役員でした。
菊亭家から太政大臣になったのは晴季ひとり。清華家でも西園寺家あたりが高位により進んでいる。
「公家侍秘録」の倉橋中納言は架空の人物と思われます。
1830年代当時の倉橋家の当主は倉橋泰行(1779〜1858)で最終官位は非参議正二位。
そもそも倉橋家(家禄150石)は中納言どころか歴代非参議で泰行以外は従二位から従三位程度、
早死にしたのか四位止まりの当主もいます。
平堂上の中でもさほど家格は高くないと推定されます。
華族になり損ねた公家の諸家
伏見宮家の殿上人若江家、おそらく直臣でなかった為に華族になれなかった。
殿上人であるため三位に昇進できないが、その他は堂上並。
男爵になった両局(大外記押小路と官務壬生、地下の棟梁、諸大夫身分)より家格は高かったはず。
元々は各宮家に殿上人が付いていたが、他は廷臣にもどり若江だけが残った。
六位蔵人小森(典薬頭)、細川・藤島・橋本家等
大江姓の北小路2軒は三代連続して極臈(六位蔵人の筆頭)を経験して幕末(1家は慶応年間)に堂上になった。
とは言え官位等は上記の家とさほど変わっていない。
小森家などは権利は持っていたが、六位蔵人の役料が惜しくて堂上にならなかった為、華族になれなかった。
両局と並び蔵人方地下官人の筆頭であった平田出納家
おそらくは諸大夫よりワンランク低い侍身分であったことがネック。
陰陽助、権助を独占した幸徳井2軒(諸大夫身分)、ここはなぜでしょう?
その他摂家・宮家・清華・大臣家の諸大夫、やはり直臣でなかったためか?
北小路のうち1軒は叙爵内規の「一新前に家を起こしたる旧堂上」として子爵、もう一軒はそれに該当せず男爵。
同じ平堂上でも大納言になれることもある上位の家が、この程度の家と同格の子爵では不満がでますよね。
ちなみに同じく叙爵内規で「大納言までの宣任の例多き旧堂上」に該当すれば伯爵です。
参考資料、「幕末の宮廷」平凡社東洋文庫とか「華族誕生」浅見雅男著リブロポートとか
「女官通解」によると清華のうち三条、徳大寺、西園寺は家格が高い。
花山院、菊亭(今出川)、大炊御門、醍醐はそれに次ぎ、源氏である久我、広幡は家格が低い。
ちなみに三条・徳大寺・西園寺は全部閑院流、菊亭は西園寺の分家、
醍醐は摂家一条家の分家、花山院・大炊御門は五摂家分流以前に摂家から分かれた家。
久我は村上源氏の嫡流、広幡は正親町源氏。なお広幡と醍醐は新家。
「幕末の宮廷」によると、広幡家は内大臣になると大将を止める、菊亭は昇進が遅い。
家格と昇進の有利不利は必ずしも連動しないのか?
その代わりと言うか、なぜか菊亭は家領が飛びぬけて多い。権力者に上手く取り入ったのか?
延宝3年で1356石、他の清華は徳大寺の715石、久我の700石が最高。
なお江戸時代に左大臣になった当主がいないのは久我、広幡、菊亭の三家、他の六家で10人の左大臣。
江戸時代の清華の当主は100人以上、右大臣までが20人、内大臣までが22人、計大臣以上52名で約半分。
これが大臣家になると延べ26人中右大臣二名、内大臣二名のみ(准大臣を含めても1/3)とかなり厳しいことになる。
おまけになってもすぐ止めるので舐る(舐める)だけだとして舐り大臣と称された。
(「日本史リブレット江戸幕府と朝廷」、「幕末の宮廷」、「華族誕生」より)
実は羽林、名家でも比較的上層の家では結構大臣、准大臣が出ていて、
官位昇進の面では余り大臣家の家格に意味はない気もします。
三条(転法輪三条)の分家が大臣家の正親町三条、その又分家が同じく大臣家の三条西。
なぜか、三条西の方が正親町三条より家格が高いらしいし石高も高い、これはなぜでしょう。
ちなみにもう1家の大臣家中院(久我の分家)は両三条家の中間。
ところで三条・徳大寺・西園寺、先祖は兄弟のようですが、どこが閑院流の嫡流でしょうか?
343 :
日本@名無史さん:04/05/28 19:22
保守
三條家だけど。兄三條、弟西園寺家だけど、西園寺家の母親が「うちが嫡流やねん」とごねはったため、一時西園寺家が嫡流となった。
しかし、三條家から「なにいうとんねん。カスが」とクレームが入り再び嫡流となった。
西園寺家は設立当初から太政大臣を続けて輩出した、その子孫のうちの一人が内大臣にとどまったのを、とある公家の日記で
奇妙だと書かれていた。
大阪・河内長野に西洞院さんがいるが、公家の西洞院家と関係あるのかな?
続群書類従完成会発行の「公卿諸家系図集」では、
三条が閑院流の嫡流、西園寺、徳大寺は閑院庶流とされています。
摂家は近衛が筆頭、鷹司は近衛の庶流、一条と二条は九条の庶流。
近衛と九条の関係が微妙です。
勧修寺流は甘露寺が嫡流、日野流は日野、四条流は四条、水無瀬流は水無瀬、
高倉流は高倉が各々嫡流。御子左流は上冷泉が嫡流。
平氏は西洞院が嫡流、清原氏は舟橋が嫡流、安倍氏は土御門が嫡流。
このあたりははっきりしているようですが、菅原氏の高辻と唐橋、
宇多源氏の庭田と五辻はどちらも特に嫡流とはされていません。
卜部氏も荻原は吉田庶流、錦織は荻原庶流ですが、藤井は吉田同祖
と藤井の扱いが微妙です。
村上源氏も久我に対する中院が庶流とはされていないですね。
中御門と持明院の関係、花山院・大炊御門・難波の関係も微妙。
しかも難波は中絶の後庶流飛鳥井の庶流として復活、どちらが嫡流?
347 :
日本@名無史さん:04/05/29 18:45
八條忠基さんて以前某固定から八条家の関係者ではないと証言されていたよね。
富小路家って摂家の分家なのになんであんなに待遇悪いんですか?
醍醐家とか五摂家分流後に分かれた諸分家(断絶)は、
系図で確認できる官位から見て江戸時代の家格で言うと
羽林家以上に相当する感じですけど。
350 :
日本@名無しさん:04/05/30 21:02
近衛家の戦後の様子などはわりと取り上げられて知られていますが、
同じく摂家で明治・大正天皇の皇后まで輩出した名門
一条家や九条家の末裔は今何してるんですか?
同じく三条や久我などの清華家も。
351 :
日本@名無史さん:04/05/30 22:38
352 :
日本@名無史さん:04/05/30 22:48
>>349 >富小路家って摂家の分家なのになんであんなに待遇悪いんですか?
土倉(金貸し)が金で系図を捏造したゆえのはったりだから。
>>347 たまたま知っただけで知り合いでも何でもないです
三條家の先代は平安神宮宮司。現宮司が九条家当主。
>>352 それって具体的にはどういうことなんですか?
二条家が金で系図を売ったってことですか?
なにか文献か何か残っているんですか?
>351,354
教えてくれてありがとうございました。
一条さん、優秀なんですね〜。顔はゴツイ系ですな。
平安神宮宮司は名家当主が多いのか。
357 :
日本@名無史さん:04/05/31 12:48
>>165 その塩小路って明治に爵位とかもらったんだっけ?
358 :
日本@名無史さん:04/05/31 15:44
>>341 >菊亭は昇進が遅い。
>その代わりと言うか、なぜか菊亭は家領が飛びぬけて多い。権力者に上手く取り入ったのか?
秀吉に取り入ったからでしょ。
平安神宮宮司は、冷泉、徳大寺等すべて堂上ですが。名家どころじゃなく、超お家柄重視です。
明治神宮もお家柄です。
360 :
日本@名無史さん:04/05/31 23:29
>>357 東灘区に塩小路家の美術館らしきものがある。菅家の直系だと称しておる。
秘伝を伝承してきたらしい。
361 :
日本@名無史さん:04/06/01 05:27
>>359 春日大社宮司も藤原氏の氏社だけあって、藤原氏限定、それも堂上限定のお家柄重視だな。
今の宮司は葉室さんだし。前は花山院さんだし。
362 :
日本@名無史さん:04/06/01 10:44
宮司って常駐じゃないんじゃない?
何十人も神職いるし
葉室さんも本職医者だしね
堂上藤原氏の家柄が必要なのかもよ
奈良市の電話張にその先代宮司の名前があるんだが。あんま治安いいとこじゃないな。むしろちょーやばいとこ。
ガクブルだよ。
B?
365 :
日本@名無史さん:04/06/06 14:57
age
366 :
日本@名無史さん:04/06/12 13:39
age
367 :
日本@名無史さん:04/06/22 17:43
>>355 実隆公記にたしかそのへんの記述があった。
368 :
日本@名無史さん:04/06/25 22:52
明治天皇のお顔が濃いのは松浦家の血筋ですか?
369 :
日本@名無史さん:04/06/25 23:01
>>359 明治神宮の外山さんって公家の家系なんですか?
それと、たとえば「今の」冷泉家の当主が平安神宮の宮司になりたいといえば
なれるんですか?
370 :
日本@名無史さん:04/06/25 23:40
一条テスさんって外人さん??
371 :
日本@名無史さん:04/06/26 01:34
>>368 それはどうか知らんが
明治12年に来朝した米国前大統領グラントが天皇の印象を
日本人にしては背が高い
下顎が出てハプスブルグ家の皇帝を思わせる
と日記に記しているらしい
ハプスブルグ家は代々シャクレを遺伝した
373 :
日本@名無史さん:04/07/12 08:22
>>341 菊亭家所領が多いのはおそらく358が言うように秀吉の側近として権力を
振るった晴季がいたため。
>>342 三条西家は実条が春日局との関係があったためと思われ。
先祖に一人そういうのがいると先例扱いされて家格が上がるのは公家社会の
掟みたいなもん。
374 :
日本@名無史さん:04/07/17 00:15
>>373 >三条西家は実条が春日局との関係があったためと思われ。
それは無いだろ。
お福は、若い頃、三条西家の下女をやっていただけだ。
そんなので家格が上がるか。
>>374 その縁で、春日局が参内した時には三条西家の縁者という形にして
いたはず。 幕府から頼み込んでるわけだから何らかの見返りが
あっても然るべきじゃないかな。
それでなければ実隆の文芸的な功績・・・ってことになるが古すぎるし。
376 :
日本@名無史さん:04/07/21 16:00
何度か話題になった富小路家について調べてみました。
系譜の上では二条家の分家ですが、通説では室町時代に
土倉(金融業者)が系図を買って公家になった家です。
富小路家の初代道直は二条道平の子ということになってます。
二条道平は従一位関白で4人の子があり、
長男良基は従一位摂政関白太政大臣と位人臣を極め、
次男良忠は正二位権大納言に昇ってから出家しました。
娘の栄子は後醍醐天皇の女御になってます。
三男が富小路道直で蔵人、伊予権介、左衛門佐。
位取りが全然違うだけではなく、上の3人と違ってこの道直は
尊卑分脈に名前が出てこないのです。
富小路家の2代目通則は無位無官。
3代目永職は蔵人、石見守。
4代目永則は石見権守、宮内大輔、修理大夫。
どうもこの頃宮中に食い込んで公家に化けたのではないでしょうか。
初代・2代は架空の人物のような気がします。
377 :
日本@名無史さん:04/07/21 16:20
富小路家5代目の則氏は修理大夫。
6代目の通治は石見権守。
通治には子がなく、弟の子俊通が養子になって7代目を継ぎますが、
俊通は蔵人、石見権守る、弾正少弼、宮内卿、修理大夫を歴任し、
従三位に叙されて、富小路家は初めて堂上に列せられました。
あるいはこの俊通が土倉上がりで、
6代目以前はすべて架空なのかもしれません。
しかし、この土倉上がりの富小路家は11代秀直で途絶えます。
秀直には良道という子がありましたが、
良道は大阪で戦死という公家らしくない最期を遂げました。
秀直の後を継いだのは持明院家(藤原氏)から来た頼直です。
以後、富小路家は家格が上がり、最高は正二位までいきました。
ところがこの系統も途絶えて、
伏原家(清原氏だが吉田家=卜部氏から養子が入っている)から
養子が入って、家格も元の従三位相当に落ちています。
昭和の華族制度廃止まで続きます。
富小路家の出世が遅いのは、実の血統が卜部家だからでは
ないでしょうか。その前は早かったのです。
378 :
日本@名無史さん:04/07/21 16:30
なお、歌人の富小路禎子は最後の当主・隆直の娘ですが、
隆直には男子がなく、三室戸家(藤原氏)から養子に迎えた
文光は離縁してしまったので、家は続いていません。
また、分家の相楽家も実子が続かず、
嵯峨家(藤原氏)から迎えた養子公愛は戦死してしまい、
結局富小路家は本家・分家とも絶えてしまいました。
379 :
日本@名無史さん:04/07/25 23:16
age
380 :
日本@名無史さん:04/07/26 18:35
興味深い
381 :
日本@名無史さん:04/07/29 22:43
>>334 >平堂上 雑掌、近習有り、雑掌一,二名、近習二,三人もいれば多い方。
通常は一代抱の近習一名(三石さん)、下僕は必ずいる。
一代抱の近習一名(三石さん)って、三石しかもらえなかったの?
>>381 どうもそのようです(もちろん抱える家柄などによって差はあるでしょうが)。
ただ基本的な衣・食などはこれとは別に主人から出されるはずですし、今とは貨幣価値の
違う時代なので、これでどこまで生活できたかはわかりません。
まあ苦しいのは当然でしょうが。
江戸時代の公家のお墓って見ることできますか?
けっこう有名どころでなくてもいいんですが
>>383 京都の古い寺に行ってみ。
結構あるよ。ただしたいていの場合、本姓で示してある(藤原朝臣とか)から
多少知識がないと誰の墓だかはわかりずらい。
>>384 ありがとうございます。
京都の古いお寺って言うと、清水寺とか仁和寺なんかの有名どころの
お寺なんでしょうか?
それともガイドブックに載っていないような知られていないようなお寺ですか?
387 :
日本@名無史さん:04/08/03 16:57
>>381-382 一石は大体一両で、一両を現代の貨幣価値に換算すると、
6〜10万円(時代により金の含有量が違ったので)だそうな。
年収、18万円〜30万円?
きついなー
388 :
日本@名無史さん:04/08/03 17:42
浄土真宗大谷家はどういう家でつか?摂家とのかかわりはいつごろですか?
蓮如は摂家なのでつか?
389 :
日本@名無史さん:04/08/04 00:10
>>383 ニ尊寺に行ったら、たくさんの公家の墓があるよ。
390 :
日本@名無史さん:04/08/04 00:14
>>388 親鸞以来の世襲一族。蓮如は親鸞の子孫で摂家ではないと思う。
最近は大谷家内部や大谷家と寺が揉めていて時々、新聞ネタに
なる。
391 :
日本@名無史さん:04/08/04 01:16
PART1スレにあったと思うが、親鸞は日野家の出身。
本願寺の代々宗主は親鸞の娘、覚信尼の子孫。
彼女の配偶者もまた日野家の出身なので子孫は
日野家の傍流とみて差し支えないと思う
11世顕如以降代々摂家の猶子となっている。
また、本願寺派(西本願寺)15世住如は九条家からの養子。
16世以降は再び親鸞(覚信尼)の子孫に復帰。
揉めて新聞ネタになってるのは大谷派(東本願寺)系。
392 :
日本@名無史さん:04/08/04 04:40
内親王はほとんど尼門跡にならざるを得なかったと思うけど
東西本願寺の裏方(法主夫人)になれたらラッキーだったろうね
393 :
日本@名無史さん:04/08/04 08:09
門跡になるのと裏方になるのとどっちが幸せなんだろう?
394 :
日本@名無史さん:04/08/04 19:06
>>393 セクースの有無により幸不幸が分かれるのでは?
中にはセクース大嫌いって人もいるだろうけど
395 :
日本@名無史さん:04/08/06 20:22
>394
だな。皇族や摂家の次男以下の男でも門跡寺院に行くなら真宗各派の寺院がいいよな。
東西本願寺は親鸞の子孫が世襲しているが、高田派専修寺とか仏光寺派仏光寺とか。
396 :
日本@名無史さん:04/08/06 22:19
そうだね真宗以外だと嫁取りできないからね。
宮家や摂家の娘も本願寺や専修寺なんかに嫁にいっているんだよね。
でも、本願寺や専修寺ならともかく、越前や田舎のほうの真宗の寺の嫁に
なった女王や摂家のお姫様はやっぱ都落ちの心境なのかな。
397 :
日本@名無史さん:04/08/07 07:01
真宗十派のうち京都、近江、伊勢にある仏光寺、東西本願寺、専修寺、錦織寺、興正寺は
門跡・准門跡に列しているが、門跡に列していない越前の専照寺、毫摂寺、證誠寺に
内親王・女王や摂家の姫は嫁がなかったのでは?
それはそうと門跡勅許の年次が仏光寺1465年、本願寺1569年、専修寺1574年と
現在ではややマイナーな印象がある仏光寺の門跡勅許年次が本願寺より100年以上早い。
毫摂寺には一条忠香の養女(醍醐輝弘女)
越中の勝興寺に鷹司政通女
播磨亀山本徳寺に二條治孝女 斉信女
幕末だとこんなとこでしょうか。
さすがに皇族はいかないのかな
摂家より下になればこのあたりのクラスの寺に嫁に行くことになるのかな
399 :
日本@名無史さん:04/08/07 11:28
現在の仏光寺の門主は伏見宮から入った方の、
興正寺の門主は鷹司家から(さらに男系で遡ると東山天皇に行き着く)
入った方の子孫ですな。
専修寺は近衛家から入った方の子孫だったかな?
400 :
日本@名無史さん:04/08/07 15:41
本願寺は門主の血統が絶えても何が何でも覚信尼の男系子孫を
遠縁からでも迎えて後継者に据えるのでなかなか皇族や摂家が入り込む余地無いが
専修寺や仏光寺は絶えたらそのたびに宮家や摂家から後継者を
迎えるんだな。
その中で西本願寺15世住如が例外的に九条家から迎えられたが何か特殊な事情があったのかな?
住如も子孫を後継者にすることができずに結局は覚信尼の男系子孫に「大政奉還」
することになるんだが。
401 :
世界@名無史さん:04/08/07 22:19
>>400 その結果が連綿としてDQNの続くお東さん
劣化の血統としか言いようがない
東大卒とかじゃなかった?
403 :
日本@名無史さん:04/08/08 05:59
>402
たしかに学歴は悪くない。
お東の長兄:京大、次兄:東大→ソルボンヌ→京都外大教授、三兄(現門首):京大
末子:阪大
西の門主:麻布高校→東大文学部→龍谷大博士前期(修士)課程→東大博士後期過程
404 :
日本@名無史さん:04/08/08 06:06
お東の一族は
「人間の尊さは門地や学歴ではない」ということを
身を張って門徒に教えてくれてるようだな。
405 :
日本@名無史さん:04/08/09 08:47
お東では後継者候補がことごとく脱走・追放されて現門首に近い男系親族がいない。
最近、大谷佳人氏(24)が鍵役に任命されて後継者候補に浮上してきたが
氏は前門首の従兄弟(大谷演彗氏)の娘の次男。
つまり3代前の第22代法主大谷光瑩(現如)の子孫で現門首とは7親等も離れててしかも女系。
門首は愛子タンや眞子タン佳子タンとさえ6親等しか離れてないのに。
406 :
日本@名無史さん:04/08/09 08:55
>門首は愛子タンや眞子タン佳子タンとさえ6親等しか離れてないのに。
すみません。5親等でした。(といっても門首の母と今上天皇の母が姉妹ということで、
この内親王たちが親鸞の血を引いてるわけではないので「尼門跡」として本願寺に入れる可能性は低いですが)
407 :
日本@名無史さん:04/08/09 08:59
>406
後段の説明に基づいて数えたら6親等で正しいと思うが。
408 :
日本@名無史さん:04/08/22 22:19
age
409 :
日本@名無史さん:04/08/23 07:47
>405
そもそも大谷家は親鸞の娘の子孫なので女系でもいいんじゃない?
しかし女系でもいいならもっと近いところに親戚いそうだな。
門首の姉妹の子とか。
410 :
日本@名無史さん:04/08/26 06:14
前門首の四男大谷光道氏が真宗本廟(東本願寺)内事の私邸を使用していることについて、
真宗大谷派が明渡し請求をして昨年京都地方裁判所で勝訴、光道氏側が控訴していた民事事件で
和解が成立。内容は「光道氏は私邸を明渡す、大谷派は光道氏に2,000万円支払う」というもの。
今までの経緯はともかく、皇室に例えれば(門徒にとっては大谷家は天皇家も同然)
宮内庁が先帝の長男、次男を皇籍離脱に追い込み、高齢で子の無い三男を傀儡の帝位につけ、
皇居の奥で最後まで抵抗していた四男も2,000万円の手切れ金で追い出し、
遠縁の、しかも女系の者を引っ張ってきて皇太子に据えたようなものか。
真宗本廟って大谷家の先祖霊を祀ってるところ?
412 :
日本@名無史さん:04/08/28 07:58
>411
真宗本廟とはかつての東本願寺のこと。
宗派内に左翼が台頭したりして紆余曲折の末、法的に「東本願寺」は解散されて今は存在しません。
かつて東本願寺と呼ばれた寺院は「真宗本廟」という真宗大谷派の本部となりました。
今でもその本部を慣例的に「東本願寺」と呼んではいますが。
それと、
>大谷家の先祖霊を祀ってるところ?
とありますが、浄土真宗では宗祖親鸞以来「霊」「祟り」等の存在を否定しています。
(だからコアな門徒は厄払いはしないし、終戦記念日に黙祷なんかもしない、
北陸地方には墓すら無い村もある、火葬したあとの遺骨は捨ててしまうとか。
宗祖親鸞も「漏れが氏んだら遺体は鴨川の魚のエサにしてくれ」と言い残した。
さすがに家族や弟子達はそんなことはできなかったけど)
>>412 ありがとうございます。全く知らなかったのでビクーリです。
410と併せて考えると、酷い話ですね。
何とかしようという動きはなかったんでしょうか。
>>412 宗教法人としての「東本願寺」が存在しないってこと?
このゴタゴタ初めて知った。
もうちょっと詳しく教えてくれ。
「宗教法人東本願寺」は解散されますた。
左翼の台頭に大谷家前門首の子(長男、次男、四男)は抵抗しましたが、
そもそも兄弟仲がひどく悪く、一致した邸抗ができませんでした。
結果、長男は東京本願寺を切り取って独立、次男は本願寺維持財団を分捕って独立、
四男は最後まで頑張ったけど坑しきれず。
元々三男ということで後継の目も無く、僧籍はあるものの東京でリーマンをやっていて
宗派内のゴタゴタや兄弟喧嘩に全くかかわっていなかった大谷暢顕氏を左翼主導の宗派が門首に擁立、
散々悩んだという末に門首就任を受けたとのこと。
416 :
日本@名無史さん:04/08/28 17:49
417 :
日本@名無史さん:04/09/08 03:30
age
江戸時代や明治の時の五節の舞姫って何処の家の娘がやったんですか?
419 :
日本@名無史さん:04/09/24 07:02:46
420 :
日本@名無史さん:04/10/09 05:34:11
NHKで天気予報やってる半井さんは和気氏の出か?
422 :
日本@名無史さん:04/10/09 15:10:35
>421
え?なに?門跡が成人病で死んだらマズいの?
423 :
日本@名無史さん:04/10/09 15:16:39
タテマエとしては、門跡が酒飲みってのは感心せんな。
酒は飲んでいない 般若湯だわ
425 :
日本@名無史さん:04/10/09 18:59:17
426 :
日本@名無史さん:04/10/09 19:49:59
427 :
日本@名無史さん:04/10/09 22:41:31
エンペラー吉田
「天才・たけしの元気が出るテレビ」で有名な素人。
「偉くなくとも正しく生きる」の座右の銘と入れ歯をはずすその技で、お茶の間を沸かせた。
428 :
日本@名無史さん:04/10/23 04:48:14
保守age
429 :
日本@名無史さん:04/10/24 19:46:47
京都の、ある尼門跡の寺院の庭を見に行ったことがあるんだけど
子供の頃からそういうお寺で幽閉されて、結婚もしないで一生暮らす
というと、随分悲劇的な印象を受ける。
実際、どんな人生だったんだろう?あまり、それぞれの個人について
記録は残ってないんだろうけど。
430 :
日本@名無史さん:04/10/24 20:12:23
>429
みんなが結婚して子孫を残せるようになったのは経済が恒常的に拡大するようになった
明治期以降。
経済成長のほとんど無い近世以前は簡単に分家を興せない。
近世以前は男子なら長男以外は坊主になるか部屋住み。
男子が長男しか結婚できない以上女子だって余ってくる。
一生父や長兄のやっかいになるより「尼門跡」として
地位を得て独立した生計をたてられるならまだしもマシと思う。
女子は「側室」「妾」になる道もあるから男子よりは子孫を残せるチャンスは多かったが。
「妾」と「尼門跡」のどちらが良いかはそれぞれの価値観しだいだが。
ふつうは妾でそ
432 :
日本@名無史さん:04/10/24 23:01:24
>>429 川路聖謨の日記にあるようだよ。
奈良奉行時代、養父母と共に赴任していたが江戸に寡婦となった実母がいて
しょっちゅう手紙を書いていた。母を面白がらせようとして下ネタを満載
したようで、取材にもことかかない。当時、奈良に美丈夫の門跡がいた。
どうやって性欲を処理してるんだろうかあれこれ想像したりしてね。で、
若く美しい尼門跡もいたとこのとで、理想的なカップルになりそうなのに
もったいないことだという感想も洩らしてたらしい。
でも、「側室」「妾」ならば跡継ぎを産まない限り一生宮仕えだけど
寺に入れば小さくても一国一城の主でしょ。(男子もそうだけど)
どっちがいいかは本人次第のような気がする
尼になったって実家との行き来はよくしているようだし、幽閉ってことはないでしょう。
ただ、どっちにしろ本人の適性が尼にしろ側室にしろ向いていなければ悲劇だわな
434 :
西洞院:04/11/06 01:00:57
345の書き込みにある河内長野市の西洞院家は西洞院信愛子爵の
四男時雄(京大文学部卒業、極楽寺住職)の系統をいっているのだ
ろうか?そうだとしたら、現在は故時雄氏の長男文昭氏が当主です。
西洞院本家は、信愛の三男愛雄が継承し、現在はその次男の愛信氏
がご存命ならば西洞院本家当主になるはずです。たしか今は分家と
同じ河内長野市に住んでいるのではなかったかな。
明治以降は全くお付き合いもありませんが、西洞院家の庶流のある
家の者より。
435 :
日本@名無史さん:04/11/06 01:30:56
>西洞院
平氏だよね?
奈良市に某清華家の名前が。。。
目立つ名前です。来年の大河の主役級です。
437 :
日本@名無史さん:04/11/09 23:32:57
>348
単にペンネームってことじゃないの?
車評論家の徳大寺有垣氏だって、徳大寺家の人じゃないって
何処かで書いてあったし
438 :
日本@名無史さん:04/11/11 03:23:27
>>434 何か貴家にまつわるエピソード教えてください
特定されない範囲で
439 :
西洞院:04/11/12 23:57:28
時代錯誤の野暮な書き込みはほどほどにしておきますよ。
440 :
日本@名無史さん:04/11/18 12:15:05
過去ログ読むのが面倒(皆さん博識すぎて、情報膨大杉)なので、いきなり質問
いたしますが
皇族の門跡というのは、現在では存在しないのでしょうか。また、復活する可能性
はないのでしょうか?
明治以降、仏教にたいして、皇室はどこか距離があるように思えてなりません。
いまではもう、皇族から門跡が現れる可能性そのものがなくなっているのでしょうか?
皇族の門跡とか、歴史上の、僧形の天皇(法皇)とかいった存在が、ダライラマみたいで
萌え萌えの小生には、さびしくてなりません。
441 :
日本@名無史さん:04/11/18 16:43:40
>>440 ご存知のように明治維新で宮門跡はみんな還俗し、門跡制度は廃止されました。
その後、各宗派が門跡を名乗ることが許されましたが、すべて普通の僧侶です。
旧皇族出身の門跡は、戦前に臣籍降下した東伏見慈ごう氏(久邇宮邦英王)だけで、
青蓮院の門跡です(最近、銀行マンだった子息に譲位したそうです)。
ただ、東伏見氏慈ごう氏の場合は、個人的に仏教に関心を持ったからであり、
皇室・旧皇族の宗教は神道なので、皇籍離脱した皇女が伊勢神宮の祭主なったり、
旧皇族の年配者が伊勢神宮の大宮司や神社本庁の要職につくことはあっても、
仏教界の要職につく可能性はきわめて低いと思われます。
442 :
日本@名無史さん:04/11/18 16:59:06
戦争末期、近衛文麿は連合国による昭和天皇の責任追及を回避するため、
出家させて法皇にすることを考えていました。
そのため、仁和寺の門跡と秘密に交渉し、天皇受け入れの準備もしました。
近衛の案では、出家後は「裕仁(ゆうにん)法皇」の名で仁和寺門跡となり、
それまでの門跡が執事長として仕える予定だったそうです。
443 :
日本@名無史さん:04/11/18 19:28:51
441さんに補足。
真言宗の宮門跡の勧修寺も厳密には旧皇族ではありませんが、
かなり旧皇族にちかいのではと思います。
ご門跡の筑波常遍さんは山階宮家のご一門で
父君の故藤麿さん(旧皇族、臣籍降下して旧侯爵)は、
山階宮菊麿王の第三王子、戦後は靖国神社の宮司を勤めました。
母君は島津家のご出身で、香淳皇后の母君とご姉妹です。
<山階鳥類研究所で有名な芳麿さんは、異母兄>
筑波常遍さんは、確かその藤麿さんの次男だったと思います。
間違っていたらごめんなさいね。
444 :
440:04/11/23 14:14:48
445 :
日本@名無史さん:04/12/03 15:11:32
名のある寺の住職って儲かるのかな?
寺はどこでも儲かってるよ。
447 :
日本@名無史さん:04/12/16 12:47:37
>>447 えーと、あなたは天然? それとも釣り?
リンク先は分かりやすいが、447の真意が分かりにくい。
ボケるなら、もっと突っ込みやすく書いてくれないと。
449 :
日本@名無史さん:04/12/20 22:03:12
450 :
日本@名無史さん:04/12/20 23:11:20
87歳で来年4月に晋山式って生きてない可能性も
451 :
日本@名無史さん:04/12/23 16:14:02
>>450 甘い。
渡辺恵進天台座主は、現在94歳。
山田恵諦・前座主は100歳で遷化。
87歳なら、まだまだ若い。
仏教界で出世するには、何より、長命。w
452 :
日本@名無史さん:04/12/23 16:31:04
秋篠宮やトモさんが落飾して門跡に(ry
453 :
日本@名無史さん:04/12/23 17:32:04
454 :
日本@名無史さん:04/12/23 17:57:05
↑ 不敬罪!
455 :
日本@名無史さん:04/12/28 00:24:33
●天台宗日光山輪王寺 新門跡に菅原栄光氏就任
http://www.rinnoji.or.jp/monshu/sugawaraeiko.html 平成7年3月1日よりご就任の日光山 第83世 輪王寺門跡
鈴木常俊 大僧正には、健康上の理由により第二期目の任
期末である平成17年2月28日を待たずに勇退を表明され
ました。それを受けて一山会議の推薦により12月21日か
ら、日光山輪王寺一山 醫王院住職 菅原栄光 大僧正が、
当山 第84世門跡として就任されることとなりましたのでお
知らせ申し上げます。
日光山 第84世 輪王寺 門跡
菅 原 栄 光 大僧正 略歴
年 齢 満80歳(大正13年3月生)
学 歴 昭和20年9月 大正大学卒業
456 :
日本@名無史さん:05/01/08 21:57:16
桂宮なんて独身で子供もいないんだから、輪王寺宮にしちゃえよ。
457 :
日本@名無史さん:05/01/17 05:30:08
>455
80才で「就任」というのが凄い。
頭耄碌してないんだろうか、
それともボケていてもできるような仕事なのか‥‥
458 :
日本@名無史さん:05/01/17 23:19:11
>>457 甘い。
渡辺恵進天台座主は、現在94歳。
山田恵諦・前座主は100歳で遷化。
80歳はまだまだ若い。
459 :
日本@名無史さん:05/01/17 23:46:14
春日大社の宮司葉室さんのことだが、葉室家は代々男の子が育たず、養子相続ばっかだったそうな。
葉室宮司の祖父、父親も養子らしい。
父親は葉室家としては、はじめて武家(鍋島家)から入ったそうだ。
461 :
日本@名無史さん:05/02/06 21:41:36
葉室家って旧伯爵だよね。
代々、天皇の側室を輩出していて明治天皇の側室で第一皇子を産んで死んだ光子もこの家の出身。
第一皇子も生まれてすぐ死亡(死産?)したけどもし育ってたら外戚?・・・
462 :
日本@名無史さん:05/02/06 22:06:16
ご住職とかは規則正しい生活をしているせいか、長寿なんだね。。
463 :
日本@名無史さん:05/02/06 23:25:40
住職は規則正しいんだろうが
隠元禅師愛用の急須テレビで見たけど
注ぎ口が変色してるのな
茶を茶碗に注いで飲まずに
急須に口つけて直接飲んでたみたい
あんまり行儀よくなさそうw
464 :
日本@名無史さん:05/02/11 14:39:41
むかし、このスレによく来ていた「ええじゃないかい解放戦線伊勢派」とかいう人は
もう来ないのかな?
465 :
日本@名無史さん:05/02/11 15:54:10
これが最終書き込みか。
53 :ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派 ◆Q.pECj.Kaw :03/11/28 22:40
浄土真宗関係門跡勅許年次
仏光寺1465年
本願寺1569年
専修寺1574年
本願寺や専修寺より(現在では)マイナーな仏光寺が真宗で最も早く門跡になってたりする。
466 :
日本@名無史さん:05/02/11 17:05:53
40 名前: 名無しさん@京都板じゃないよ 投稿日: 05/02/11 14:51:44
真言宗 18年度大阿は佐藤令宜門跡 長者に宮坂宥勝化主
467 :
グレープフルーツ ◆Q.pECj.Kaw :05/02/11 22:28:52
>464
来てますよ。最近は見てるだけだけど。
最近はHN変えて(トリップは変えてない)、株板と投資一般板で積極的に活動してるけど。
468 :
日本@名無史さん:05/02/24 23:08:20
株板で何やってるの?
未公開株の魅力とか堀江とフジサンケイグループの話とか札幌証券取引所などマイナー市場の応援とか。
470 :
日本@名無史さん:05/03/18 21:26:43
28 名前: なまら名無し 投稿日: 2005/03/18(金) 21:24:16 ID:65AMOclw
http://rokudaishimpo.jp/1/20050127/2b3fc01e05b.php 次年度御修法大阿に佐藤仁和寺門跡
(写真説明…次年度御修法への抱負を述べる佐藤仁和寺門跡(手前))
各山会では、去る一月二十七日開催の新年総会で、平成十八年度後
七日御修法大阿闍梨を総本山仁和寺門跡佐藤令宜大僧正に決定した。
佐藤仁和寺門跡は「内示を頂いてより、まだその任ではないとの思い
が強く、本年御修法の供僧もその思いを持ちながら務めた。今、そ
の思いは頂点に達するが、推挙頂いたからには懸命に任を果たした
い」と抱負を述べた。
471 :
日本@名無史さん:05/03/18 21:46:28
江戸時代、どの程度の官位から、牛車を利用したのですか?
472 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:56:13
江戸時代にも牛車はあったの?
473 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 22:15:47
今だって、お祭りであるのに>牛車
474 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 15:28:05
そういう問題かよ。
475 :
日本@名無史さん:2005/05/07(土) 00:01:31
476 :
日本@名無史さん:2005/05/14(土) 00:21:34
現代の門跡スレに堕したな、ここ。
477 :
日本@名無史さん:2005/05/15(日) 15:45:29
478 :
日本@名無史さん:2005/05/16(月) 00:42:44
ここって武家(公方)門跡もおk?
足利・徳川時代には結構、将軍家の庶子が門跡・尼門跡に入れられてるけど、
その初例って誰なんでしょうか?
やっぱ義満の子供?
義詮の子
480 :
日本@名無史さん:2005/05/16(月) 21:42:03
徳川時代にも?
徳川時代にはない。
482 :
日本@名無史さん:2005/05/17(火) 23:50:35
根岸を領地とした門跡といえば?
483 :
日本@名無史さん:2005/05/18(水) 22:40:21
開基・仁海の偉業後世に山科の隨心院が供養塔建立
初めて建立した開基の仁海の供養塔(京都市山科区・隨心院)
京都市山科区小野御霊町の隨心院が寺の開基・仁海(にんがい)の
供養塔を境内に建立し、16日に開眼法会を行った。開基でありなが
ら墓地や記念碑がなく、寺の役員が今年の仁海生誕1050年に合わ
せて建立した。隨心院は「拝観料はいただかないので、どなたでもお
参りいただきたい」としている。
仁海は7歳で高野山に入り得度、受戒。九九一(正暦二)年に山科・
小野に曼荼羅(まんだら)寺を開いた。隨心院は同寺の塔頭だったと
される。
供養塔は高さ約2・5メートルの御影石製の五輪塔。塔に刻まれた
梵語(ぼんご)は隨心院に残る仁海真筆と伝わる教典「不空羂索明
(ふくうけんさくみょう)」から引用した。
開眼法会には大覚寺や醍醐寺、泉涌寺など真言宗各宗派の代表約
80人が出席。隨心院の水谷修夫門跡(83)は「仁海僧正は仏教の作
法の源流である小野流の祖でもある。供養塔は各宗派の祖山参拝
の拠点でもあり、檀門徒にもお参りいただきたい」と謝意を述べた。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005051700067&genre=J1&area=K1J
484 :
日本@名無史さん:2005/05/19(木) 00:48:06
476 :日本@名無史さん :2005/05/14(土) 00:21:34
現代の門跡スレに堕したな、ここ。
485 :
日本@名無史さん:2005/05/20(金) 21:59:50
いちおう公家がメインですけど
486 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 01:39:39
>>460 >父親は葉室家としては、はじめて武家(鍋島家)から入ったそうだ。
その父親は、安田銀行に勤めていたそうだが、大正時代に車で通勤していたのは、
頭取の安田さんと平社員の葉室さんだけだったとか。
葉室家は公家華族なので貧乏だったが、鍋島は金持ちだったので、持参金や仕送りで潤っていたとか。
487 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 11:27:54
どこの鍋島家?
488 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 13:18:23
>>485 バカ。
水谷家は明治になってから出来た華族だ。
公家じゃねぇだろう。
489 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 14:29:02
490 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 15:06:51
491 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 15:48:44
492 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 21:59:15
水谷川家は近衛分家の奈良華族
元は興福寺僧侶
>491
葉室頼昭さんの父直躬氏は鍋島直柔の三男。
鍋島直柔は子爵、元肥前蓮池藩主。
鍋島本家(佐賀)ではないです。
494 :
日本@名無史さん:2005/05/23(月) 18:43:20
二條誓康尼って誰の娘?
実父 男爵二條正麿
正麿養兄 公爵二條基弘の養女になる
俗名 康子
496 :
日本@名無史さん:2005/05/24(火) 19:28:32
>>495 ありがとうございます。尼になられた方は五摂家の養女になられた方が多いですね。
小倉家出身で一条家に入られた方や戦国家出身で九条家に入られた方など。
誓康尼が康子という名前だったことは、弟子(?)の伏見誓寛尼も実は寛子という名前ですか?
497 :
日本@名無史さん:2005/05/24(火) 19:32:38
>>493 鍋島直柔さんも本家からの婿養子で直躬さんのすぐ上の兄も堀田家の婿養子になったからまさに養子一族ですね。
498 :
日本@名無史さん:2005/05/24(火) 22:22:21
公家や大名の家は養子でつないでいきますね。
婿養子なので血統はつながる。
499 :
日本@名無史さん:2005/06/05(日) 13:24:18
婿養子ではないケースも多いだろ。
500 :
日本@名無史さん:2005/06/05(日) 14:27:17
500
501 :
日本@名無史さん:2005/06/08(水) 15:49:39
阿蘇家って凄いと思います
502 :
日本@名無史さん:2005/06/08(水) 20:32:43
誰がアソコの毛やねん
503 :
日本@名無史さん:2005/06/08(水) 21:16:29
阿蘇神社
肥後國一之宮
御祭神
健磐龍命、阿蘇都比当ス、国龍神、比東芬q神、彦御子神、若比盗_
新彦神、新比盗_、若彦神、弥比盗_、速瓶玉命、金凝神
504 :
日本@名無史さん:2005/06/08(水) 22:17:33
あっ、そうケ。w
505 :
日本@名無史さん:2005/06/10(金) 21:49:38
age
506 :
日本@名無史さん:2005/06/13(月) 23:47:11
age
507 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 23:43:20
ところで准門跡って何?
准門跡
真宗六派の本山即ち本願寺(六条御殿)・東本願寺・興正寺・仏光寺・専修寺・錦織寺(木部御殿)の六ヶ寺で
これを六派門跡と称えます
「幕末の宮廷」より
509 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 18:26:13
門跡・准門跡・尼門跡の一覧は、見た事がありますが、
准尼門跡について、ご存知の方、いませんか。
徳川家光の側室のお万の方(六条家の出)が、還俗前に住職だった、
伊勢の慶光院(臨済宗・現在は廃寺)が、准尼門跡ですが、
その他の准尼門跡の一覧を、知りたいです。
510 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 23:12:20
511 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 23:13:38
六派門跡はいづれも華族になっていますね.
512 :
日本@名無史さん:2005/06/16(木) 23:55:21
age
513 :
日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:46:20
age
514 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 20:33:21
准尼門跡は善光寺大本願、熱田誓願寺、慶光院だったような。その他に公家の女性が入ったのは、奈良興福院、京都三時知恩寺、がありますが門跡では無かったような気がします
大聖寺のご門跡は旧清華だよねぇ。
516 :
日本@名無史さん:2005/07/05(火) 02:31:52
清華のどの家ですか?
517 :
日本@名無史さん:2005/07/05(火) 03:41:22
花山院慈薫師のことですね
518 :
509:2005/07/05(火) 10:23:43
>>514 どうも有難うございます。
准尼門跡寺院も、住職は、紫衣着用だったそうです。
熱田誓願寺というのは、初耳です。
何とか、記憶の基になっている、資料名を、思い出して頂けないでしょうか。
なお、三時知恩寺は、別名を入江御所といって、
准尼門跡ならぬ、尼門跡寺院十五ヶ寺(江戸時代)の内の、1つです。
中宮寺も旧華族だし。
520 :
日本@名無史さん:2005/07/06(水) 20:08:23
熱田誓願寺、慶光院、善光寺の院主は日本三上人と呼ばれ尼僧の中で特別な格式が有ったそうです。善光寺以外は廃されたそうですが、誓願寺は現存しているとか。
521 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 23:13:32
age
522 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 19:13:26
他所のスレから:
明治になって、士族や平民ができた、そのとき、
神官、坊さんは、どうなったんですか。
また、秩禄を一時もらったんでしょうか。
本願寺の大谷家に仕える人は、主君が華族なので、彼らは士族になったんでしょうか。
今日の産経大阪版は津守氏について。
524 :
131:2005/07/09(土) 21:30:12
ここによく来る門跡関連の情報教えてくれくれ厨は、実は京都の某仏教系大学で卒論執筆中という噂。
525 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 21:58:17
公家は江戸時代でも牛車に乗っていたのか?乗らないのならば、何に乗って参内したのか?まさか徒歩で束帯姿で参内したのか?
526 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 12:04:29
徒歩。幕末の公家姉小路公知は徒歩で御所から退出するところを暗殺された。
527 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 12:45:40
だってほとんどの公家は御所の周りに住んでたから。
本当に御所の周囲をぐるりと公家屋敷が取り囲んでいた。
牛車や輿は管理維持費もかかっただろうし。
お出かけの時や儀式の時は、五摂家などの裕福(?)な家から
借りていた模様。
車に限らず、装束道具類とかも結構貸し借りがあったぽい。
なんせ金がないから。
528 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 16:52:02
大鏡を見ていたら村上源氏も二代目は道長の娘の子孫なんですね。
後一条天皇以後の天皇は全員道長の子孫だし、
ほとんどの公家は女系で道長の子孫になりそう。
堂上で道長の血が入ってないところはあるんですか?
529 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 17:01:41
>528
それは調べるのが大変だw
昭和の華族廃止以降、華族とは全く関係のないところから
養子(婿養子ではなく)をむかえている家もあるので、
そういうところでは、最近の数代は道長の血を引いていないということに。
けれど幕末〜明治の公家と呼ばれていた時点で、道長の血が入っていない家は、
まず無いんじゃないでしょうか。
今度ヒマなときにでも調べてみよう。
安倍氏、清原氏や菅原氏の新家あたりがちょっと怪しいと思うけれど、
でもおそらくは道長につながってると思います。
530 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 19:12:23
華族廃止以降は、もう普通の人なんだし、歴史的存在としての堂上家ではないんだから、
別にどこから養子をとろうが、歴史板的にはどうでもいいわけだが。
531 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 19:50:14
当家は今尚、平民さんとは通婚致して居りませぬぞ。
532 :
日本@名無史さん:2005/07/11(月) 02:20:25
女系をいうならば、天皇家から堂上家まですべて、
その時々の貴族層とは言いがたい、お手付きの母の血が混じっている。
日本では歴史的にも女系は、子の評価には影響するけど、
長い目で見て、結局家格にはほとんど影響しない。
道長の血筋を取り上げるなら、女系よりも男実系の方が、おもしろいと思う。
ただし幕末までだが。
533 :
日本@名無史さん:2005/07/11(月) 07:07:58
そうなんだよな
八百屋の娘にお手が付いて親王が生まれたとして
二代目は血の半分が八百屋、三代目は4分の3が八百屋
八代目には128分の1が天皇の血で128分の127が八百屋の血
534 :
日本@名無史さん:2005/07/11(月) 07:24:59
>531
そういう旧堂上家もあるけど、その結婚相手の家が平民と通婚
してたりするからあまり意味をなさなくなってる。
535 :
日本@名無史さん:2005/07/11(月) 13:01:49
道長の男系といえば定家が道長の男系子孫と知った時はへーと思った。
536 :
日本@名無史さん:2005/07/11(月) 19:15:52
公家に限らず藤原道長の血が入っていない日本人なんてほとんどいないと思うよ。
それぐらい広範囲に伝播してると思う。
口からでまかせを言ってるわけではなく、自分の父方・母方のファミリーツリーを
作った経験からの感想。
公家の系譜みると、生母「家女房」って多いよね。つまり
奉公に来てる下女(農工商の娘)に手をつけて産ませるわけだ。
それでも大納言とか何とかの姫君だからな
538 :
日本@名無史さん:2005/07/11(月) 22:43:37
家女房と書いてある女性が皆そんなに身分が低いわけではない。
知っているものでは地方のそこそこ名のある武将の息女とかの例もあるし。
つーか農・工・商の確かな実例って逆にあるの?
539 :
日本@名無史さん:2005/07/11(月) 23:59:18
>>536 まあ「〜藤」の苗字は、藤原氏とか言うしね。
ただ皇室・公卿はともかく、徳川家や大名から庶民に至るまで、
戦国〜江戸時代に、盛んに「系図買い」が、横行した結果とも、言えるかもしれない。
その系図も、妾の子が正妻の子になってたり、養子が実子になってたり、
妻の連れ子が夫の実子になってたりとか、かなりいい加減な部分もある。
男系でも、戦国時代以前にさかのぼって、先祖の名が不明になると、
同時代の「有名人」に、ふらっと結び付けたりしてる事が、多い。
それと女の身としては、身分のある男の子供を生みたいもの。
正室・側室が不義密通して生んだ子供を、夫が知らずに認知した事も、
天皇家でさえ、あったかもしれない。
こればかりは、血液検査のない時代に、確かめようがない。
崇徳天皇は、父の鳥羽天皇から、陰では「叔父子(おじご)」と呼ばれていた。
系図上は、「白河法皇−堀河天皇−鳥羽天皇−崇徳天皇」、だが、
崇徳の母の待賢門院璋子は、鳥羽に入内以前から、白河の養女となって、そのもとで育てられ、
初潮後の璋子と白河は密通していて、崇徳の父は、白河だという噂があった。
角田文衛氏が、『待賢門院璋子の生涯』(朝日選書)の中で、日記類などから、
璋子の生理日・受胎日や、璋子・白河・鳥羽の行動・寝所・態度などを、綿密に検証して、
「崇徳の父は、鳥羽ではなくて、白河。」と、結論づけている。
540 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 02:28:50
養子を除いた実系の男系で、堂上家の範囲をはみ出さないで、
正しく道長の血統を伝えていて、最も嫡流に近いのは、二条家か?
541 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 23:08:43
二条傍流の冨小路でしょう
542 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 01:28:13
土倉上がりの冨小路も2度の血統入れ替えで実の血が藤原氏になったけど
名義上の氏素性が怪し過ぎるから嫡流とは言えんだろ
543 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 06:35:40
系図に関しては、男系だけに限ってみても、
まあ何とか信用できるのは、皇室・公卿・社家などぐらいで、
大名・旗本・武家・庶民は、一部を除き、信用できない。
(鎌倉〜安土桃山あたりの時代が)
女系は、公卿でさえもあやしいものがある。
さらに現実のDNAとか、不義密通とかを、言い出したら、
すべての系図と言う系図は、信用できない事になる。
544 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 08:58:34
>>535 :日本@名無史さん :2005/07/11(月) 13:01:49
>道長の男系といえば定家が道長の男系子孫と知った時はへーと思った。
そんなこと言えば、大江広元、毛利元就も
藤原道長の男系の子孫。
大江広元は母方の大江氏を継いだわけだから。
>>544 それは間違い。
もともと男系の大江氏だから、中原氏から大江氏に戻した。
546 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 13:03:53
>>545 いいや、たしか、大江広元の母親が大江氏で、
父親が藤原光能(藤原道長の6男・長家の後胤)。
で、広元の両親が離婚し、母親と一緒に大江氏に戻っていたが、
その後、母親が中原氏と再婚したために、
中原氏を名乗るようになっていた。
つまり本当は藤原なんだが母親の大江を名乗ったり
義父の中原を名乗ったりしてたのか?
なんにしろややこしい男だな。
548 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 15:49:07
549 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 16:18:57
>>544・
>>546 その通りで、正しいようですね。
ただ、広元が母方の大江氏を、「継いだ」というよりは、藤原氏から大江維光の養子となり、
次に中原広季の養子となり、最後にまた大江氏に戻った、という事でしょう。
大江氏の本流は、維光の実子の匡範が、継いだわけですから。
あと、大江広元と毛利元就との間の11代は、
養子や付会・仮託とかを含まないで、信用できる血筋なんですかね。
550 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 17:14:22
だいたい、日本の場合は氏姓を男系で厳密に受け継がないからややこしい。
支那や朝鮮は厳密なようだが。
551 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 17:29:31
大江維光に実子がいたのにわざわざ広元が大江氏を名乗ったのはなんでだったんだろう?
大江氏なんて名乗っても、あんまりメリットがないような気がするんだが?
552 :
藤原定価百円一種:2005/07/16(土) 18:19:14
>540
藤原家の嫡流は近衛家なので、最も嫡流に近いと言うのは、意味不明ですが、
他姓の血を交えず、道長の男系を伝えたのは二条家です。摂家の他の四家は
天皇か宮家、またはその子孫を養子に迎えており、王孫となっています。
しかし、いずれも近衛前子(後陽成帝の女御)の所生であり、女系ではありますが
道長の血統は流れています。
553 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 18:25:55
だから女系まで含めたら、ほとんどの日本人に藤原道長の血は流れているって。
554 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 18:33:37
この手の話題になるとそういうことを言う奴がすぐ現れるが、
微々たる道長の血以上に圧倒的多数の農民の血が流れているわけで、
ほとんどの日本人には道長の血などなんの意味もない。
555 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 18:34:52
いわば大海の中の目薬一滴みたいなものを強調しても、意味ないってこと。
556 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 18:36:35
意味がある、なんて誰も言ってないだろうが。なんで「意味」の問題に
無理やりしたいんだ?
圧倒的多数の農民の血が流れていることが道長の血も流れていることの
否定になるのか?寝言は寝て言え。
557 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 18:38:32
部落民の嫉妬だろ。
558 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 18:42:09
559 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 18:43:31
>all
まあまったりいこうや
560 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 18:47:17
561 :
藤原定価百円一種:2005/07/16(土) 19:09:37
>540の書き込みをよく見て下さい。堂上家の範囲をはみ出さないで、とあるでしょう。
だから、摂家の中の血統として答えたわけです。>553の意見は全く、私の論旨から
ずれていますよ。その後の論争も不毛。
562 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 21:09:12
>>552 九条家も、藤原道長の男系の血ですよ、たしか。
あなたの言うとおり、
摂家の殆どが、皇胤か、二条家の血統に
なってしまいました。
563 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 21:15:11
>>561 おまえこそ
>>540をよく読めよ。「男系で」って書いてあるだろ。
いい年こいてくだらないコテハンつけて、墓穴掘ってるんじゃねーよ馬鹿w
564 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 21:20:57
>>549 毛利氏の場合
長年、地頭職にあったわけで、
どこの馬の骨か分からない家系では
ないですからhね。
565 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 21:37:00
>>556 まあ、道長の血が流れている「可能性」が「あるかもしれない」ってだけで、
確証はないわけだから、そうムキになるな。
家系や血統のスレは、可能性だけで断定したがる傾向があるけど、大半の庶民の場合、
立証不能なんだから可能性だけで断定するのは「妄想」にしかならないぞ。
566 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 22:36:46
立証不能なのは公家だって同じだろ。
庶民と公家で何が違うの?
567 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 22:43:35
そんなこと言ったら、公家スレの存在価値がなくなるわけだが・・・
ま、一応、何百年も貴族階級として続いていた家なんだから、
系図も何もない全くの庶民とは同列に論じられない。
医学的、生物学的につながってるかどうかは別問題だがな。
568 :
藤原定価百円一種:2005/07/16(土) 22:44:45
>563
だから男系は二条家に伝わっていると言っていますよ。女系の件は、「しかし」と
但し書きになっているでしょう。あくまでも、参考として書いたつもりですが。
せめて、小学生程度の国語読解力は欲しいと思いますが、その文言の低級さでは、
望むべくも無いようですね。
>562
残念ながら、九条家は、一度鷹司政通の子供の幸経を養子に迎えています。
政通の祖父輔平は閑院宮直仁親王の末子になり、したがって九条家は幸経の時点で
王孫になっています。その意味で一度も王孫を交えていないのは二条家だけなのです。
569 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 23:03:26
二条家って不思議
明治以降の皇室とは摂家のなかでもっとも縁遠い。
歴代当主が将軍の名の一字を拝領。
570 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 23:05:13
しかも土倉が勝手に分家を名乗る。
571 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 23:08:28
572 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 23:21:03
1良実
2師忠
3兼基
4道平
5良基
6師嗣
7満基
8持基
9持通
10政嗣
11尚基
12 尹房
13晴良
14昭実
15康道
16光平
17綱平
18吉忠
19宗煕
20宗基
21重良
22治孝
23斉通
24斉信
25斉敬
26基煕
573 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 00:38:49
>>567 庶民でも系図ぐらいある家はいくらでもあるぞ。
574 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 01:42:00
>>568 だから
>>540は男系限定で聞いてるのに、なんで女系の話を持ち出してるんだよ?
その時点で既に自分自身逸脱しているのに、「堂上家の範囲をはみ出さないで」
という部分にだけは何故そんなに固執してるんだよ。
そこに拘るなら「男系」の「範囲」も「はみ出さないで」語るのが筋じゃないのか?
独り善がりがダブルスタンダードを設けていることにすら気づかないのか?
バカはいやだねえ・・・。
575 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 01:51:24
>>569 二条は最後の摂政だからな。
そのへんの理由もあるんだろう
576 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 07:20:32
577 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 07:24:59
>570
勝手じゃないだろ。資金難の折に多額の献上をして許されたんだろ。
578 :
藤原定価百円一種:2005/07/17(日) 08:31:18
>574
ダブルスタンダード?そんな大げさな問題か?粘着!
579 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 10:44:52
系図の本を見りゃ簡単にわかるようなことを
さも自分が発見したように偉そうに書いてるんじゃねえよw
580 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 10:47:20
>>575 摂政だったのと、縁が遠いのと、どういう関連があるの?
581 :
藤原定価百円一種:2005/07/18(月) 09:57:53
579は573と同一人物?意見に対して、中傷したり、揚げ足を取るような
一部の書き込みが見られますが、我々は素人の趣味仲間です。稚拙な文章や
間違った記述もあると思いますが、それも御愛嬌で、気にせず、どんどん発言
しましよう。それに対して意見があるのなら、ハンドルネームを明らかにして
堂々と切り返したらいい事です。皆さんどう思いますか?
582 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 13:58:09
>皆さんどう思いますか?
おまえさんなんぞと「素人の趣味仲間」になった覚えはない。
583 :
藤原定価百円一種:2005/07/18(月) 15:02:02
>582
あまりにも予想通りの答え、思わず笑ってしまいました。
このスレに書き込んでいると言うことは、少なくとも興味が有る訳で、あなたの
覚えに係わらず、趣味仲間のカテゴリーに入っているんだよ。もし、如何しても
覚えが無いのなら、これから書き込む時は「素人の趣味仲間ではない」と注訳でも
付けるんだね。
あんたちょっとウザいんだが?
585 :
藤原定価百円一種:2005/07/18(月) 15:31:23
>584
その通りです。もうこの件についてはやめます。しかし、仲間ではないにしろ
気持ち良く書き、且つ読みたいと思う気持ちには変わりはありません。失礼、
またウザくなってしまいました。
586 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 16:23:00
だからさあ、他の人の「気持ち良く」「読みたいと思う気持ち」
を自分が踏みにじっていることを理解できない?
587 :
藤原定価百円一種:2005/07/18(月) 18:35:27
>686
頭が悪いのか理解出来ません。私の>552の書き込み内容が、それ程>563から
悪罵を受ける内容でしょうか?また>563の書き込みがこの板に相応しいでしょうか?
誰が踏みにじっているのでしょうか。教えて頂けませんか。最後にしたいので。
あんたすごーくウザいんだが?
589 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 19:09:42
定価さん粘着しすぎ〜つうか真面目すぎ〜どこでも馬鹿はいるんだからして
相手になるだけそんそん。ほっとくべしべし
590 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 19:22:17
つーか定価自身がバカだろ。
大多数の人間はあんたのヒステリックな妄言なんぞ聞きたくないんだよ。
つまりあんたは
>>586が言ってるとおり、他人だって気持ち良く読みたいと
思っているのにしつこく騒ぎ立てて踏みにじっているじゃないか?
「誰が踏みにじっているのでしょうか」という質問には「あんただよ」としか
答えようがなかろうが。ここまで噛んで含めるように言わないと理解できんのか?
読解力がどうのこうのと上のほうで言ってるのに。
591 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 19:35:58
妙なレスは無視
これだけでいい
592 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 21:10:57
なんやと、おんどれあ、がたがたぬかしゃがって!すごーくウザイやと、女の
腐ったようなきもいぬかし方しかでけへんのか、このど基地外が!おんどれの
書き込みの中身見てみい。低脳のボケが聞いた風な事ぬかしさらすな。どたま
かち割って腐った脳みそぶちまけたろか!
593 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 22:36:13
594 :
1:2005/07/18(月) 23:34:35
定価さんもその他の名無史さんも、せっかくお互いマイナーな分野に
興味があるんですから仲良くマタ〜リいきましょう。
595 :
1:2005/07/18(月) 23:40:10
こないだ平戸城に行ったんですが、大名家から貧乏な公家に嫁いだ姫って
どんな気持ちなんだろうっておもいましたね。
(城主松浦家は中山家と親戚)
以上ちょっと強引なネタふりでした。
596 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 00:11:36
563、568,582、584、586、588、590のど基地外ども、腐った目でよく見たか。
しょうむない事に揚げ足とるこの蛆虫のボケ共が!くたばれ害虫!
597 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 00:15:27
593死ぬのはおんどれじゃ、かす!ぼけ!あほ!
598 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 00:17:26
593降臨もできん地に這う蛆虫が!
599 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 00:20:05
藤原定価が名無しになって罵詈雑言か?
600 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 00:46:25
599あたりまえじゃ、ぼけが。ど基地外どもになんぼ言うてもいい足りんわ!
お前も言うてほしいんか。このかす!
601 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 00:55:22
ここ数日、公家関係のスレに出没している河内弁か奈良弁の下品な奴糞関西人=
>>600よ。
死ね。
氏ねじゃなくて直ちに死ね。
602 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:15:21
601俺は少しばかり霊能力があるが、お前はここ10日の内に死ぬ。
運転に気をつけろよ。
>>595 大名家も内情は・・・それでも貧乏公家よりはマシだったかも知れないが。
公家の方は姫様の持ってくる持参金に期待してたんですかねぇ。
松浦家って明治天皇の外戚?になるんでしたっけ。
604 :
1:2005/07/19(火) 22:25:31
松浦家の姫が京の中山家に嫁ぎ中山家の姫が明治帝を産みました。
こうして水軍(海賊)の血が皇室に流れた。
605 :
1:2005/07/19(火) 22:28:20
公家は姻戚の大名の“お手伝い”を相当期待していたようです。
606 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 23:12:28
>>604 そのおかげで松浦家は本来なら子爵に叙せられるところを伯爵にしてもらえたらしい。
607 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 23:13:54
>>605 姻戚の大名のお手伝いを期待できたのは上級の公家だけじゃないの?
いわゆる三十石公卿なんかは大名と姻戚にはなれないだろう。
608 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 02:37:39
>607
いわゆる御蔵米公卿であっても、大名と姻戚関係を結んだ家はある。
外山家……柳沢家(大和郡山)
梅小路家…加藤家(近江水口)
山井家……中川家(豊後岡)
風早家……柳沢家(大和郡山)、酒井家(播磨姫路)
大原家……松平家(讃岐高松)
これらは江戸時代中に、大名家の女性が公家に嫁いだパターン。
藩名は多分幕末の時点のもの。
藩主の娘ではなく、藩主一族の女性が嫁いだ例も含む。
大藩かどうかは微妙、お手伝いがあったかどうかも分からない。
けれど、新家の三十石公卿でも大名家から嫁の来手はあった模様。
609 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 04:31:42
公家と大名の姻戚関係から幕末史をひもとけば面白いはず。
あと近衛と島津って昔からつながりがあったと思う。
610 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 04:36:48
酒井家(播磨姫路)、松平家(讃岐高松)みたいな大藩から30石の家へ、、、
姫君も大変ですね。
611 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 05:07:04
>>552,
>>568 え???
二条家以外の摂家はすべて皇胤になっちゃってるの?
藤原氏も落ちぶれたもんだなー
しかも九条家まで・・・・
もはや鎌足の遺裔は没落したに等しいな。
612 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 05:10:33
いや鎌足の子孫は藤原姓ではなく、隠し姓として持っていた吉田を名乗って今日に至っているという
話を指導教授から聞いたことがある。来年、共同発表予定。
613 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 05:48:51
>611
近衛家が細川家=清和源氏ということで皇胤というのはともかく
鷹司家=松平家を皇胤というのには抵坑を感じる。
子供は両親に血統を引き継ぐのだから、50%
孫で25%、ひ孫で12.5%・・
藤原だの皇胤だのと言ったところで・・
615 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 22:24:43
皇胤っつても婿養子じゃねえの?
616 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 22:29:31
126代天皇は皇太子殿下。
127代天皇は愛子様。
128代天皇は婿養子が愛子様に産ませた皇子様か皇女様。
617 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 22:36:37
バカか
618 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:40:35
>611
皇胤が零落れる事になるのかは、一応措いておくとして、現在の摂家の血統は
次の通り。
近衛家 忠輝氏が細川護貞の子のため現在は清和源氏。但し、藩祖幽斎の出自に
疑問が残るとの意見もあり、絶対的な確証は無い。近衛前子と温子の二人が
女系ながら、名門近衛の血を伝えたのは執念の為せる業か?
鷹司家 閑院宮から輔平が入り王孫となるが、のち九条尚忠の子煕通が継ぎ籐氏に復帰。
だが現在、松平家から尚武氏が継いでおり、姓不詳(とても清和源氏とは言えない
だろう)しかし、尚武氏の母鷹司章子は、女系で鷹司の血を伝えている点、近衛と同じ。
九条家 鷹司政通の子幸経が入り、一度王孫となるも、一代で、籐氏に復し、現在に至る。
二条家 一度も王孫を交える事なく、籐氏の血統を守る。
一条家 ややこしいのがこの一条家。明治になり、大炊御門師前の子の実孝が継いでいる。そして、この
大炊御門家を辿ってみると、江戸中期に大納言経音に行き着く。現在はこの血統なのだが、
経音の出自が不明で、先々代経光の子とする説と、外孫とする説があり、宮廷公家系図集覧を
みても経光の子供の記載がなく、外孫説が強いように思われる。そうなると、名門一条家の
血統は女系を通じても、不明と言う事になってしまう。公家諸法度の「養子は同姓から」
などと言う規制がある訳でも無し、千年も一系相続出来る方が、不思議だと言う事か。
619 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:53:16
>>618 え???
九条家が皇胤だったのは一代きりで藤原だったのか。ややこしいね。
620 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:54:48
まともなの九条家と二条家だけじゃん。
他は馬の骨。ろくなもんじゃないな。
摂家で財団法人もってるの近衛家だけだな
九条家も財団法人つくるぐらい家宝がありそうなもんだが・・
622 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:59:01
大炊御門といえば清華家の一つなのに、歴代の系図が曖昧なのか。
説が複数存在するというのはなんでなんだろう?
宮内庁書陵部や東大史料編纂所なんかには大炊御門家の系図なり家譜なりが
存在すると思うんだけど、そういうものの記載も曖昧なままなのかなあ?
623 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 03:21:05
別に女系でつながってもいいでしょう。
公家社会って元々女系で邸第を相続したりすることが多いんじゃないですか。
624 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 06:11:55
気になる点が、2点。
・鷹司家当主尚武氏の実父の、松平乗武は、どの系統の松平氏なのですか?
・二条家当主基敬氏には、子供が絵美子さんしかいないようですが、
絵美子さんの夫や子供や、二条家の跡取り問題は、どうなっているのでしょうか?
せっかく忠通の男系実系と摂家内のワクを、出る事なくつないで来た血筋が、
ここに来て、残念な事になるのでしょうか?
何かご存知の方、お願いします。
625 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 15:38:48
618について、補足します。大炊御門経音に関して、手持ちの資料の記載は次の通りです。
経光の外孫説は宮廷公家系図集覧(尊卑文脈と系図纂要がベース)。経光の孫説(外孫かどうかは不明)は
諸家伝、諸家知譜拙記、公卿辞典。経光の子供説は公卿補任、公卿人名大事典(間違いが多く、資料的価値は低い)。
などです。経光と経音の年齢差は44歳あり、若年結婚の多かった当時の公家社会においては、孫説が有利ではないで
しようか。娘を通じての外孫なら、よりそれは強くなります。
刊行された市販の資料では、家系の裏の内情まで見る事は、先ず難しく、行き詰まってしまいます。
現段階では、経光の子供が確認されないため、孫説なら、一条家の血統は不明。子供説なら、経光以前の大炊御門経頼が
准大臣中山孝親の子供にあたるため、関白師実流花山院家の血統になり、一応道長の男系は伝えられますが、あくまでも
経音が子供の場合です。調べてみると、近世に創設された堂上家の家祖の中にも、出自のはっきりしない人物が、何人も
あり、驚きました。長くなりますので、また書きます。
それと>624の松平家ですが、名乗りに「乗」が付いている事から、大給松平かと思います。「乗」の付く大給は、西尾、
岩村、田野口の三子爵家があり、華族家系大成を見れば、分かるのではないでしょうか。
626 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 16:47:04
諸太夫から上ってきた家で近世になり創設された場合は出自がわからなくなるのかな?
明治にはいって平堂上が清華以上と婚姻する例が増えたらしい。
大炊御門家から摂家に養子にいくなんてかつては考えられなかったのではないか。
この場合は次男以下が格上の摂家に養子にいったのでしょうか?
628 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 19:42:20
>625
そもそも大炊御門家は、経光の後に男子がなく、近衛基煕の次男信名を
養子に迎えている。そして、その信名が10代で早世してしまったため、
孫に当たる経音が家を継いだ。
信名が近衛家から大炊御門家へ入った時、大炊御門家には姫がいたことが
確認されている(『皇女品宮の日常生活』)。
この姫は、もちろん経光の娘で、信名よりは数歳年上で義理の姉にあたる。
一方で、経音は経光の孫であり、父親には内藤義龍(義既?)という人物を
あげている資料がいくつかある。
母親が上記の姫かどうかは分からないが、父親は武家の人間なので、
経音は経光の外孫であると思われる。
(何の血の繋がりもない武家の子を、清華家の養子に迎えるとは考えにくいので)
つまり、男系では大名の内藤家(何藩だったか失念)につながっている、らしい。
629 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 21:30:22
>せっかく忠通の男系実系と摂家内のワクを、出る事なくつないで来た血筋が、ここに来て、残念な事になるのでしょうか?
こういう気色の悪い考え方ができるクズと同じ列島に暮らしていると思うだけで虫酸が走る。
男系で血統をつなぐことがそれほどまでに貴重なことなのかね。実にいやらしい根性だ。
630 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 21:47:52
いまのコノエはホソカワ君であって、所詮、マガイモノのコノエw
631 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 22:06:08
>>629 俺も男系にこだわるのはどうかと思うがそこまで言うのは言い過ぎじゃ。
スレが荒れないよう言葉を選んで欲しい。
632 :
藤原定価百円一種:2005/07/21(木) 22:26:17
>628
625です。新たな御意見有難うございます。早速手持ちの「皇女品宮の日常生活」を
見ると、確かに姉娘が一人いると言う記述がありました。しかし、どうして、その
娘の存在が、系図上に出てこないのでしょうか?経音がその娘であり、父親が、書いて
おられる様に、陸奥磐城平藩主内藤義概(よしむね)としたら、娘は系図に内藤義概室と
書かれるのではないでしょうか。ひとつ考えられるのは、その娘が正室では無く、側室の
場合ですが、近衛家から迎えた養子の義理の姉に当り、清華家と言う家格の高い公家の娘が
7万石の内藤家の側室になったとは、考えにくいのです。それに、義概の子供とすれば、
経音は生まれ年から、義概63歳の時の子供と言う事になりますが、可能性とすれば、どうで
しょうか?因みに義概の没年は66歳です。経音の父親を義概とする資料が幾つかあると言う
事ですがよければ、資料名を教えて頂けないでしょうか。ますます疑問が深まりそうですから。
633 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 22:29:40
定価卿に質問
皇女品宮の日常生活、について内容を紹介してください
634 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 22:44:07
629いやらしい根性や?ああっ?おんどれの文章してみいや!人の書き込みに
どこをしたら、おんどれみたいな根性の腐った口が叩けるんじゃ。あほんだらが!
どんな神経してけつかるんじや。虫酸が走るんはおまえじゃ、このぼけが!
基地外氏ね!!
636 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 23:04:45
>632
正直に言うと、その辺がよく分からんのです。
1.経音は内藤義概の子
2.経音は内藤義龍の子で、義龍は義概の子
3.経音は内藤義概=義龍(概と龍で誤写?)の子
こんな感じでいくつかの可能性に分かれていたりする。
詳しくは、Yahoo!の日本史掲示板を見てください。
タイトルに「公家」が入ってるトピックを当たってもらえれば、
大炊御門家について詳しく述べられている記事がいくつかあるので。
系図の件は作成した当事者にでも聞くしかないが、
大炊御門家に限らず、ちゃんと存在していたはずの女性が
載せられていないのはままあること。
特に、武家に嫁いだ女性はよく省かれてる。他意はないでしょうが。
637 :
藤原定価百円一種:2005/07/21(木) 23:13:42
>633
皇女品宮の日常生活。岩波出版、2001年発行、2700円です。
著者は瀬川淑子氏と言い、アメリカの大学で、英語、英文学、東洋学の
学士、修士、博士各号を取得した日本文学の研究者です。
内容は後水尾天皇の皇女品宮常子内親王の34年間の日記の解説、紹介
です。近衛基煕の妻として、娘を将軍家宣に嫁がせた、母として、日常の
こまごまとした生活や、父後水尾帝や兄弟の宮たちとの絵巻物のような暮らし。
そして、妻として、母として近衛家を守り立てようとする力強さなど、趣味や
遊びや食べ物などと共に見事に活写していて興味が尽きません。
当時の皇族や上級公家の生活がよく分かる資料としても一級だと思いますので
岩波の社長に成り代わり一読をお奨めします。(笑い)
638 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 23:23:54
639 :
藤原定価百円一種:2005/07/22(金) 00:40:20
見落としていましたが、日本史諸家系図人名辞典の大炊御門の項を見ると、
経光━義竜━経音となっており、これでは、経光の男系の孫と言う事になって
しまいます。平凡社の大人名事典で内藤義概を見てみると、義泰とも言い、
風虎、風鈴軒、白藤子などと号した著名な俳人であった事が分かり、義竜の
名前は出てきません。やはり、概との誤写なのでしょうか?
まあ長々と書いてきましたが、どちらにしても、一条家は忠通以後の摂家の血統を
伝えていないと言う事ですね。明治以後公家社会は、怪しげな華族(元々、清華家の
別称)と言う新興貴族モドキの集団に組み込まれたのがそもそもの間違いで、京都の
片隅で、鉄漿を注しながらにっと笑っていて欲しかったですね。世界遺産のように。
640 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 01:04:06
内藤家の系図でも見れば、案外簡単にわかるんじゃないのかな?
641 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 01:32:11
Yahoo!掲示板によると、
「内藤義龍は大炊御門経光の長男。内藤義泰(義概)の養子となる」
とのこと。
経音は義龍の子らしいので、どうやら経光の男系の孫のようだ。
道長からは中山家を通って男系で繋がってる。
642 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 01:43:31
男子一人しかいなかったのに内藤家に養子に出したってこと?
吉良義久ー上杉綱憲ー吉良義周みたいなもんか?
643 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 02:56:50
うーん。
その場合は母親が上杉家出身だし、上杉の方も男子がなかったぽいし、
色々理由があるといえばある。
しかし大炊御門の場合、経光の妻は細川家出身で内藤家とはまったく関係なし。
経光自身も多分関係なし。
内藤家の方も男子がなかったわけではないらしく、養子の必要性なし。
何のために大切な男子を養子へ出したのか謎。
しかも摂家からの養子が早世したら、あっさりと実の孫に継がせているし。
よくわからん。
生みの母親の出自云々にしても、そんな公卿はゴロゴロいるしな。
644 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 05:32:55
>>618 ただ、それは本家だけの話だけどね。
近衛家の分家は、皇胤が継承されているし、
鷹司家のほうも分家は、藤原氏が継承されていると...
645 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 05:37:51
646 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 08:16:47
血統なんてしょせんそんなものだ。
647 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 20:29:45
>621 摂家で財団法人もってるの近衛家だけだな
九条はんとこ、お宝は戦前・戦後に古書店にお払いやしたんやて。
九条家は戦前は高島屋以外出入り禁止。
下男は家人と口をきいてはいけなかったらしい。
>>647 へー
>>648 >九条家は戦前は高島屋以外出入り禁止。
下男は家人と口をきいてはいけなかったらしい。
詳しく
650 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 23:54:21
>>637 ありがとうございます。
ほかにもこのスレに関連するような書籍があれば御教示ください。
651 :
藤原定価百円一種:2005/07/23(土) 11:20:42
>650
貴方の興味のある事柄は何ですか?また、現在何かそれに関する本は持って
おられますか。その辺が分かれば、少しはアドバイスが出来るかも知れません。
因みに私は、歴史全般好きですが、中でも制度・組織(官職)、人事(補任・系図)に
興味があり、時代的には、近世の朝廷、公家社会、藩史、旧陸軍などです。
652 :
日本@名無史さん:2005/07/23(土) 15:04:25
近所の図書館で『系図纂要』を調べてみました。
底本は内閣文庫にあるので私が見たのはもちろん活字本です。
経光:寛永15年生、宝永元年薨、67歳(1638−1704)
信名:実摂政基熈公二男、母越中守忠利朝臣女
寛文9年生、貞享元年薨、16歳(1669−1684)
経音:実経光公孫、母中務大輔細川立孝女
天和2年生、正徳4年薨、33歳(1682−1714)
経音の母が細川氏となっているので外孫説は否定されます。
肥後宇土藩主細川立孝の項を見ると次のようにありました。
女:大炊御門内大臣経光公簾中
つまり経音の母は経光の妻なのです。
太田亮『姓氏家系大辞典』を見てみると大炊御門家の実子系図として
中山13代孝親−大炊御門17代経頼−経孝−経光−経音
となっていて、何の疑問もありません。
653 :
日本@名無史さん:2005/07/23(土) 20:43:52
>652
系図纂要の「母」は、実母(生母)ではなく、
嫡母のことを指している場合も多々あるので、鵜呑みにしないように。
経音は間違いなく経光の内孫であり、祖父母夫妻の養子となった。
よって、系図上では父経光、母経光室(細川立孝女)。
ちなみに、近衛家から養子として入った信名の生母は前述の皇女品宮。
652で母越中守忠利朝臣女とあるのは、経光の妻=細川立孝女のことだろう。
忠利と立孝は兄弟なので、おそらくは立孝の娘を忠利の養女として
大炊御門家に嫁がせた。
そのへんを系図の編者がごっちゃにしたのでは。
654 :
日本@名無史さん:2005/07/23(土) 20:47:07
↑
「祖父母夫妻の養子」というよりは、
「祖父とその正室の養子」という方が正しいかも。
655 :
藤原定価百円一種:2005/07/23(土) 21:45:58
書き込む時間が無く、>653に先に指摘をして頂きましたが、>652における信名の件ですが、
まず、実父の近衛基煕は摂政ではなく関白です。母は、間違いなく後水尾帝の娘である常子内親王
(品宮)です。>652の資料は、養子先の養母の心算で書いたのでしょうが、実父の名と並べて母が養母と
言うのもおかしいですね。寛政譜を見ていないので、軽々には言えませんが、>653の指摘通り、
清華家とのバランスを考えて、兄である本藩藩主の養女にして嫁がせたのでしょう。
しかも、経音、実経光公孫と書いておきながら、外孫説(?)は否定されます。と続き、最後には
「姓氏家系大辞典」まで引用して、経音を経光の実子と結論づけ「何の疑問もありません。」と
言い切るの及んでは、驚きます。厳しい事を言いますが、「系図纂要」も「姓氏家系大辞典」も
系図、家系を調べる基本資料の一つですが、家系と言うその家の内情に係わる問題も含んでいる
ために、記述が幾つかある内の一説に過ぎない事がよくあります。その辺をよく吟味しないと
今回のような出鱈目な内容になってしまいますよ。
656 :
650:2005/07/23(土) 21:58:37
>>651 定価卿
私は近世公家社会に興味があります。
657 :
650:2005/07/23(土) 22:01:18
特に武家伝奏、あるいは公家出身の高家について良い本はないですか?
658 :
日本@名無史さん:2005/07/23(土) 22:02:56
>>655 652ですが、私は自分が見た史料を紹介しただけです。
「何の疑問もありません。」を大炊御門家の系譜についての
私の見解と受け取られたようですが、『姓氏家系大辞典』に
おいて太田亮が実子系図を作る際、何の疑問もなく経光と
経音を実の父子として結びつけているということです。
659 :
藤原定価百円一種:2005/07/24(日) 00:29:40
>658
きつい言い方になって、申し訳ありませんでした。「何の疑問もありません。」の件、
貴方では無く、太田氏が疑問もなく実子として、結びつけていると言う事ですね。
了解しました。しかし、>653の指摘も有った様に、系図書の記述は間違いが多く、
一応類書を当たって、確認をする様にしたいものです。先ほどの例で言うと、
「信名:実摂政基煕公二男、母越中守忠利朝臣女」と言う所ですが、まず、関白で
ある事は>655で指摘した通りですが、母が忠利女と言うのも、絶対に無いとすぐに
気付かないといけないのです。それは、信名の実母は基煕の正妻品宮常子であり、
常子は内親王と言う皇女です。しかも、夫より6歳年上で、完全に姉さん女房として、
振舞っています。既に常子との間に嫡男家煕をもうけていた基煕が54万石の大大名の
娘と、その様な状況下で関係を持ち、公認された子供をなすと言うことは、先ず
有り得ないでしょう。子の様に考えると、この資料は変だなと気付くし、確認の為に
細川忠利の子供を調べると、近衛家と関係のあった子のいなかった事はすぐに
分かります。この様に、先ず気付き、裏を確認して行けば、ある程度正確なものに
なるのではないでしょうか。
660 :
日本@名無史さん:2005/07/24(日) 12:33:46
あげ
661 :
日本@名無史さん:2005/07/24(日) 13:23:56
大炊御門家ほどの上級公家でもこれだけ系譜が問題になるのだから、ほかは推して知るべし。
公家も武家と同様、系図などあてにならないということだな。
662 :
藤原定価百円一種:2005/07/24(日) 19:49:16
>653
疑問が一つ。経音は間違い無く、経光の内孫と書いておられますが、内孫なら
男系の直系の孫ですよね。ならば、経音は誰の子供なのですか?やはり、
内藤義龍の子供でしょうか。「日本史諸家系図人名辞典」ではそうなっていますが、
それなら、内孫とは言えないと思います。それとも、別に父親がいるのでしょうか?
大炊御門の話は飽きた。もうお腹いっぱい。
664 :
日本@名無史さん:2005/07/24(日) 20:16:26
>663
じゃ、なんかネタくれ
665 :
日本@名無史さん:2005/07/24(日) 22:03:27
666 :
日本@名無史さん:2005/07/25(月) 00:46:31
自分で、五摂家の歴代当主の、男系実系の系図を、作ってみた。
養子縁組関係は無視して、最終苗字・代数・最終名前を、男系・実系だけで、つないで行く。
けっこう大変だったけど、面白かった。
結局、藤原忠通・後陽成天皇・大炊御門師前・細川護貞・松平乗武の子孫の、5系統ですべて収まる。
次は、花山院流7軒でも、してみようかな。
667 :
日本@名無史さん:2005/07/25(月) 00:58:09
5つの家の男系なんだから最大5系統で収まるに決まってるじゃん。
668 :
日本@名無史さん:2005/07/25(月) 01:19:56
>>666 さらに遡ると天智天皇一人に収まります。
669 :
666:2005/07/25(月) 01:44:55
>>667 5つの家の男系が、最大5系統で収まったのは、偶然ですよ。
近衛家は忠通系・後陽成系・細川系、鷹司家は、忠通系・後陽成系・松平系、九条家は忠通系・後陽成系、
二条家は忠通系、一条家は忠通系・後陽成系・大炊御門系に、またがっています。
歴代の中に、別系統の実家を持つ養子がいたなら、実系統はもっと増えた事になります。
実際、九条家15代の稙通は、14代尚経の実子とする説の他に、
尚経の養子とする説もあり、養子とした場合の実父は、不明のようです。
それよりも清華家内でも序列があるね。
西園寺家が頭ひとつ抜けてる感じがする。
671 :
日本@名無史さん:2005/07/25(月) 02:05:49
西園寺家は一時期は五摂家よりも繁栄した家だからなあ。
672 :
日本@名無史さん:2005/07/25(月) 02:52:49
>670ー>671
『女官通解』によると、
「三条・徳大寺・西園寺の三家は格高く、
花山院・菊亭(今出川)・大炊御門・醍醐は中なり。
以上七家は共に藤原氏なり。
久我・広幡の二家は、他家に比して格卑し。」
とのことなので、藤原氏かどうかがまず第一に重視された?ようだ。
そのうえで、道長の後裔である花山院・大炊御門系よりも、
閑院系の方が格上とされているのは、国母や后を多く輩出したからか、
それとも歴代当主たちの官職によるのか、もっと違う理由があるのか、
詳しいことは載っていない。
673 :
日本@名無史さん:2005/07/25(月) 03:32:12
少し話しがそれますが、大臣家ってのが中途半端でよくわかんないです。
大臣になっても任期が短くねぶり大臣と言ったとか。
674 :
突然済まナイ(´д` ||):2005/07/25(月) 03:34:12
What is the first language introduced to Japan??
675 :
藤原定価百円一種:2005/07/25(月) 12:09:17
>673
平安末期に、後世摂家や清華家や羽林家と呼ばれる家格の萌芽が見られ、のち
室町時代の日記「康富記」の嘉吉2年9月13日の条に閑院・花山院・中院(久我)の
三大臣家を清華と称したとあります。そして、その中から、近衛大将になる家が
清華家、その他が大臣家になったと言う事です。大臣家は、村上源氏久我家庶流の
中院家、閑院流三条家庶流の正親町三条家とその庶流である、三条西家の三家ですが、
大臣官暦は、右大臣が三条西家二人、中院家一人であとは全て内大臣と准大臣です。
これで見る限り、大臣家の極官は内大臣であり、しかも、江戸中期以後、三家とも
全く大臣を輩出しておらず、大臣家と言うのも単なる家格名に過ぎない感がします。
>632の文中にある「ねぶり大臣」はよく引用する「幕末の宮廷」の中の大臣家の
説明の所で、清華の持った内大臣の跡を一寸任じられてすぐ辞職をする、内大臣を
一寸舐るだけですから舐大臣と申す悪口があります。と言っています。実際官位の
昇進も、羽林家や名家の中の旧家と変わらず差は有りません。しかし、清華家も近世は
殆ど摂家の内大臣の後を数週間から数ヶ月任じられるだけなので、(右大臣の場合も同じ。
左大臣は寛延2年2月2日辞任の醍醐冬煕の後、清華家からの就任は無し)舐清華に
成り下がってしまいました。
676 :
日本@名無史さん:2005/07/25(月) 13:35:25
定価卿へ。ことさらケチをつけて、非難する気持ちではないのですが、
長文になると、文章の内容ではなくて表記形式が、読みづらいです。
「、」が少ないですし、行の長さを均等に近づけようとせずに、長さにメリハリをつけて下さい。
文章全体の量が多くなる事に、気が引けてそうしているのなら、
言葉の言い換えなどで、短くする事も考えて下さい。
短い文はともかく、長文の「。」は、できるだけ行末に置くようにして、
「。・、」なしの改行の撤廃や、空行の設置も、考えて下さい。
すみません、単なる老婆心です、怒らないで下さいね。
677 :
藤原定価百円一種:2005/07/25(月) 13:55:53
>676
仰せの通りですね。自分ではなるべく長くならない様に、気を付けている心算なのですが、
家名や官位名など、同じものが何度も出たり、少しでも詳しく説明したいと言う気持ちから、
ついついロングロングになってしまいます。今後は読み易い文章を心掛けたいと思います。
678 :
676:2005/07/25(月) 16:00:58
>>677 別に、1回の投稿文全体の、占めるスペースが大きくなる事は、構わないと思いますよ。
長文には、それに応じた量の、読む価値のある内容が、あるわけですから。
要は、読み進む過程に於いて、鬱陶しさや苦痛や閉塞感を、感じないで済むように、
句読点や改行の位置や、空行の設置を、工夫して欲しいという事です。
逆上もすっかり静まったようで、期待してます。本当にどうも、失礼致しました。
679 :
藤原定価百円一種:2005/07/25(月) 17:50:34
>678
いやいやお恥ずかし次第です。常識の無い書き込みには、つい過剰に反応してしまい、
汗顔の至りです。恥ずかしくて「定価」のネームを隠し参加しょうかと思いましたが、
これが又、自意識過剰だと、ネームが気に入っている事もあって、そのまま続ける事に
しました。
これからも、僅かな知識を「しったか」して参加しますので、宜しくお願いします。
680 :
673:2005/07/25(月) 21:52:23
681 :
日本@名無史さん:2005/07/25(月) 23:10:39
>>672 「幕末の宮廷」では菊亭家はほかの清華家よりも昇進が遅いようなことが書いてあったが・・・
それに広幡家は大臣と大将を兼ねることができないそうだ。やはり新家は格落ちなんだね。
682 :
藤原定価百円一種:2005/07/25(月) 23:27:08
>673卿、参考になれば幸いです。
>650 返事遅くなってすいません。公家社会との事、なかなか無いんですよね。
やはり、平凡社東洋文庫353の「幕末の宮廷」でしょうか。二条家の侍であった、
下橋敬長翁の談話を速記したもので、緒言に「摂家の御側席を勤めたるを以て、
朝廷の公事に精通し、博聞強識なるを以て、維新前後の事実を記憶し、
往事を談じること掌を指すが如し。」と書かれているように、微細に公家社会の
内情が生き生きと描かれています。しかし、絶版になっていると思いますので、
古書店で探すしかないでしょう。
あと、雄山閣の「考証幕末京都の四民の生活」があり、題の通り、幕末の京都に
生きる、堂上、地下、侍、庶民の生活を描いており、先の「幕末の宮廷」をかなり、
引用しています。ただし、これも昭和49年発行の為、絶版。
ですが、今月吉川弘文館から、李元雨著「幕末の公家社会」が出るとの事。
HPで内容を見ると、公家社会をあらゆる角度から描いており、小生も大いに期待しています。
683 :
669:2005/07/26(火) 02:17:01
>>682 『幕末の公家社会』、知りませんでした、情報有難うございます。
なかなか良さそうですね、と言うより、この手の本自体が少ないので、
222頁で\7,350には不満ですけれど、絶版前に買うしか、選択の余地がなさそうです。
『幕末の宮廷』(持っています)と、『考証幕末京都の四民の生活』(持っていません)は、
あらゆるネット古本検索やオークションでも、1冊も出て来ない現状のようなので。
大臣家3軒が現実的には、羽林家・名家の上位クラスと、殆ど変わらない存在だった事は、
『華族誕生』の中で、詳しく解説されていますね。
九条家15代稙通の実父について、14代尚経以外の説を、ご存知ではないでしょうか。
個人的な感触では、かなり信用できる気がする、『宮廷公家系図集覧』では、
稙通は尚経の養子となっていて、実父の記載がありません。
684 :
藤原定価百円一種:2005/07/26(火) 10:43:42
>683
『幕末の公家社会』HPの内容を見る限り、¥7,350 は決して高くはないと思います。
まあ、この手の本は、直ぐに古書店に出ますから、小生はそれを待っても遅くはないかなと、
考えています。やっぱり高いもんね(笑)
『華族誕生』が有りましたね。持っているのを、すっかり失念していました。
でも、正親町三条(嵯峨)実愛が、大臣家は特別の家柄だとごねて侯爵を射止めた記述は、
覚えていました。
>669でも疑問提起があった九条稙通の件ですが、父は尚経で間違いないと、思いますよ。
手持ちの資料でも養子説は『宮廷公家系図集覧』だけで、しかも、実父不明のままですよね。
小生は以前にも書いた事が有りますが、『宮廷公家系図集覧』は系線や記述に間違いがあり、
鵜呑みにせず、必ず他の資料で確認し直します。
実父説としては、吉川弘文館の人物叢書『三条西実隆』を見れば分かるのでは、
ないでしょうか。現在は手放して持っていませんが、その中で、実隆の娘保子が、
九条尚経の正室となり、孫の稙通が可愛いくてならない様子の内容が書かれていた、
記憶があります。『実隆公記』はとても難解でしょうが、人物叢書『三条西実隆』は、
入手可能ですので、一度調べてみて下さい。
685 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 19:43:40
嵯峨家が伯爵から侯爵に昇ったのは明治維新で勲功があったからではないでしょうか。
686 :
藤原定価百円一種:2005/07/26(火) 21:25:54
>685
嵯峨侯爵の件は、ただ勲功だけと言う単純なものではなく『華族誕生』の、
「第五章 侯爵が欲しい!」に62ページにわたり、詳しく書かれています。
明治天皇の外戚を考慮された、中山家が侯爵と知っ実愛は、猛烈な運動を開始し、
結局、嵯峨家は3年後に念願の侯爵に昇ることが出来ましたが、他の不平華族をも、
巻き込み、維新の功績を鑑みても些か見苦しき体の有った事実は、如何ともし難い様です。
687 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 22:54:19
>>686 はて?
中御門家と嵯峨家は「討幕の密勅」偽造の功績で伯爵から侯爵に昇ったのではないのですか?
「華族誕生」にもそう書いてあるはずですが。
実愛が、中山家が侯爵で嵯峨家が伯爵であることに不満を持った最大の理由は、
同じく「討幕の密勅」にかかわった中山・中御門・嵯峨の3人の中で中山だけが侯爵になったからでしょう。
中山家が伯爵であれば、実愛も不満などいだかなかったはず。
見苦しいなんてとんでもない。正当な権利の主張と言ってよいと考えますが。
688 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 23:30:12
>>687 そんなことは書いてない
倒幕の密勅は偽勅であり墓の中まで持っていかなければならない
論理としては倒幕の密勅→維新政府での高官歴任→爵位1級上昇
中山は天皇の外祖父だから侯爵に叙されたのは誰でも気付くが
公式には「国家に勲功」で1級上がってるので
官歴に於いて中山と遜色ない嵯峨実愛が自分にも勲功があると主張
実愛は勲功について中御門と共に密勅と無関係の大原も挙げてる
689 :
藤原定価百円一種:2005/07/26(火) 23:56:59
>687
「討幕の密勅」偽造がそれ程の功績なら、どうして始めから侯爵が与えられなかったのでしょうか?
中山家だけと言う事は「華族誕生」にもあった様に、明治帝の外戚としての事実が、
考慮されたからでしょう。そして、福井や宇和島の大名華族の昇爵問題とのバランスもあって、
かなり、政府高官(勿論華族)達のお手盛り的な部分も見えます。そして、言葉は悪いかも知れませんが、
それらにつけこみつつ、中御門や大原も引き合いに出して、望みを通そうとした点など、どう見ても、
見苦しき体に見えてしまいます。
それが通るなら、勝海舟は「俺の功績はたった伯爵かい?」と言いたいでしょうし、
大久保や西郷の遺児たちも、「伊藤や山県さんが公爵で、うちの父は侯爵ですか?」と同じ様に、
文句の一つも言いたいでしょうね。
690 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 00:03:50
691 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 00:21:19
公家とはどんな職業で?朝廷に支えてきた日本文化の伝統的な継承職業で?
692 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 00:22:42
中山家は明治天皇の外戚、側室の実家だから?
693 :
藤原定価百円一種:2005/07/27(水) 00:46:37
>690
「幕末の朝廷」によると、中山家は3代続いて准大臣を出したから、と言っていますが、
その事実はなく、不明です。
雑掌と言いますね。宝暦3年5月4日明け方、桑原長視は、屋敷に入り込んだ犬を下男と、
追い出しますが、雑掌の重野右兵衛は寝ていた為、桑原と口論になり、桑原は、重野を刀で、
突き殺してしまうと言う事件が起きています。桑原家は五条家の分家で、30石公家の為、
雑掌重野と、青侍、妾、下男各1人の計5人暮らしで、何か哀れをもようします。
殺された重野も7・8年前に雇った者で、請け人も無く、身寄りも無い者であったとの事で、
下級公家の雑掌の一面でした。
694 :
690:2005/07/27(水) 02:04:27
>>693 公家の家臣って簡単になれるみたいですね。
幕末、尊皇派の浪士が公家の家臣になりすますことも多かったのではないでしょうか?
丁寧なレス感謝です。
そもそも西園寺にしても当初は侯爵でベルサイユ条約締結の功で公爵になったわけだが。
清華で最初から公爵だったのは三條と徳大寺だけ。
侯爵運動?といえば四条家もそうですよね。
この家が侯爵ってのは??ですが。
696 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 19:54:50
徳大寺は最初侯爵だよ。ちなみに公爵になるまで27年掛かっている。
どちらにしても、華族たちのお手盛り受爵じゃない。まあ、滅ぶべくして、
滅んだ社会と言う事だな。
697 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 20:29:04
四条家は別に昇爵運動はしてないでしょ
参与、鎮撫使、征東総督、大阪・名古屋・仙台の鎮台司令官
という隆謌の経歴から言って嵯峨や中御門が昇爵した以上
四条も侯爵に上げるのが自然だっただけだと思うが
698 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 21:34:16
四条家と言えば料理の宗家。
ところで公家出身の軍人って大名出身の軍人より多いですね。
699 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 21:50:34
醍醐忠重とかな。戦犯としてピストルで銃殺された人。
この人、お父さんも親戚にピストルで撃たれて死んだんだよな。
子供のころ、その様子を見ていたそうだが、まさか自分が・・・。
700 :
藤原定価百円一種:2005/07/27(水) 21:55:28
徳大寺実則は西園寺公望の実兄。長く明治帝の侍従長を務め、内大臣も歴任。
尊攘派の公卿として活躍はしたが、やはり宮廷官僚としての公爵でしょう。
維新を見ずして亡くなっていった草莽の志士達の嘆きの声が聞こえてきそうですね。
『俺達は、こんなにたくさんの華族を作るために死んだんじゃない!』と。
701 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 22:02:46
大炊御門って明治以降はあまり聞きませんね
702 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 22:06:12
いつのまにか「陞爵した公家華族を叩くスレ」になってますが。
そういう非生産的なことは別スレを立ててやったらどうですか。
703 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 22:15:05
ところでなんで大炊御門が一条家を継いだのよ
有栖川宮の王子がなんで西園寺を継いだのよ
公家の継承法は良く分からん
704 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 23:19:47
>702 いやいや、いろんな話があってこそ、スレは飽きまへん。
いちいち目くじら立てんでも永遠に続く訳でもなし、心配せんでもそのうち話は、
あっちゃこっちゃに飛びまっせ。あんたの書き込みこそ非生産的でっせ。
何?お前もやて、そらえらいすんまへん。まあ、そんな書き込みする暇があったら、
ネタの一つも探しなはれ。ほなさいなら。
705 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 23:21:54
↑定価卿か?
706 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 23:38:06
定価はときどき名無しで攻撃的なこと書くからな。
707 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 23:41:16
定価でおま。ばれた?
708 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:17:22
>703
どうして分からんのよ(あなた流に)
大炊御門家の件は明治になってからで、身分差の婚姻がかなり自由になっていたと思われますが、
西園寺家の件はおかしくないですよ。公家諸法度には、「養子は同姓から」と言う条項が、
有りますが、そうそう上手く見つかる訳も無く、別姓からの養子も沢山あります。
まあ、その別姓も辿って行けば又同姓などと言う話はごろごろです。
ただ、「有栖川宮の王子がなんで」と言っておられますが、西園寺家は由緒の有る家柄で、
歴史的には有栖川家より名門だと言っても過言ではありません。
宮中席次も、天皇の直宮の親王は、清華家の現任右・左大臣の上に来ますが、宮家の諸親王は、
清華家の現任右大臣の下です。つまり、清華家も現任の右・左大臣である限り、席次は
宮家を凌ぎ、従って西園寺家に宮家から養子に来ても、全然不思議な事はありません。
709 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:50:49
>>708 お前、官家士族スレでも低脳を自分で晒してる大間抜け野郎だろw
資源のムダだから早串ねw
710 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:00:59
うるせー禿
711 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 19:39:24
712 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 21:24:10
定価やったらあかんのか!よう、われ。
713 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 21:49:00
できれば定価卿には回線切って首を吊ってほしいな
層化教なんだろ。
715 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 23:12:23
定価は年食ってる割に傷つきやすくてナイーブなヤツなんだから
イジめるなよw
716 :
1:2005/07/28(木) 23:15:23
日本史のマイナーな話題で盛り上がれるのも掲示板ならではです。
できれば仲良くして欲しいですね。
717 :
藤原定価百円一種:2005/07/28(木) 23:41:18
>693では30石の御蔵米公家の内情に触れましたが、「幕末京都四民の生活」では、
近衛家の構成の記述があり、その対照的な規模に驚かされます。
まず、邸の大きさは東西190メートル、南北160メートル、面積は29,200平方メートル。
坪にすると8848坪になります。他の摂家の邸が4〜5000坪なのを見ても、いかに大きいかが分かります。
でも御蔵米公家の屋敷が150坪と聞いて、小さい?いやいや、自分の家よりも遥かに大きい事実に、
がっくり来てしまいます。
家臣団は、まず諸太夫が7軒。内、筆頭の進藤家は特別で100石です。近衛家の筆頭諸太夫ともなれば、
何かと実入りも多かったでしょう。続いて侍が20軒、近習が約40人、中小姓が10人、
青士が約30人、茶道が数人、小頭、中番、下僕などと呼ばれる小者が数十人。それに上臈、老女以下の
女房らが数十人と言う大変な数でした。従って、3000石弱の家禄では、
内情は決して楽ではなかったとも言われています。しかし、御蔵米公家とは雲泥の差があり、
家礼と言う一種の主従関係がある摂家と清華家以下の公家達の間には、同じ堂上家とは思えない、
超え難い身分の差のある事が分かりますね。
718 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 23:50:18
定価卿の情報参考になる。ちょっと読み辛いのが玉に瑕だが。
719 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 01:09:21
>>717 清華が摂家の家礼になることはあるんですか?
720 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 03:34:50
>>717 『考証幕末京都の四民の生活』は、持っているのですか?
地方都市の、市立図書館あたりでも、大体置いてあるものなのでしょうか。
一般的な表記では、太夫→大夫(だいぶ)、
茶道→茶頭、(西本願寺茶頭薮内某の様に)、だと思うのですが、
原著者の誤記か、逆に根拠のある表記なんでしょうかね。
摂家が、宮家や清華家以下と、隔絶した存在なのは、
『幕末の宮廷』で、事あるごとに、述べられていますね。
>>719 『幕末の宮廷』によると、清華以下の堂上家は、概ね五摂家に分属していて、
これを門流とも御家礼(かれい)とも言う、とあります。
清華以下133軒のうち、どの摂家にも属さない家は、15軒で、
どの摂家に属するかは、系図上の一門一流の通りではない、との事です。
721 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 05:47:23
>>708 いや別に有栖川宮が西園寺家継いでも良いんだけどなんでそういう経緯に
なったか知りたいのよ。
722 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 06:03:10
719さんへ
西園寺、花山院、大炊御門、菊亭、醍醐が一条家の家礼(門流)ですよ。
久我、三条、徳大寺、広幡は無所属。
また、正親町三条は近衛家、中院・三条西は無所属です。
723 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 06:13:14
722です。
近衛家の領地は、ほかの摂家と違って、
ほとんどが攝津国川辺郡(伊丹周辺)12カ村で2000石ほど。
『幕末の宮廷』にも実入りのいい領地だと証言してるね。
御台所や御簾中も出しているから嫁ぎ先の援助もあっただろうし。
おまけに別宅や別荘も確かあったと思う。
予楽院さんの書いたものをいくつか拝見したけど、
とても良い料紙を使っていて「お金持ち」って感じたね。
724 :
藤原定価百円一種:2005/07/29(金) 07:39:40
>719
あります。その意味では、堂上公家は摂家とそれ以外のカテゴリーに分かれていますね。
>720
持っています。十数年前に偶然古書店で見つけました。近くの図書館では見た事はありません。
「大夫」の件、御指摘の通りで、小生の単純な変換ミスです。
「茶道」は、本では「茶道(さどう)」とありましたので、そのまま引用しました。
>721
経緯は各家の事情なので分かりません。しかし、養子は公家も庶民も同じで、家格さえある程度合えば、
失礼な言い方になりますが、需要と供給の関係としてまとまるのではないでしょうか。
皇族から上級公家への養子は、前述したように、近世においては何例もみられ、不思議な事ではありません。
>722
書かれておられる家名についてはその通りだとおもいます。ただ門流、家礼については、
複雑な過程の歴史があり、それについて、詳しく書かれた本がありますので、まだでしたらぜひ一読を、
お奨めします。
「法政大学出版会1980年刊・日本中世家族の研究(平山敏治郎著)」で、公家や村落家族を、
血縁的家族としての面から捉えた好著で、小生は何度も読み返しています。
その中で、「第六章 家礼・門流」の項があり、58ページにわたり、詳しく考証されています。
内容は次の通りです。
第一節 家礼の意義、第二節 江戸時代の家礼、第三節 家礼人々、第四節 家礼相論、
第五節 室町時代の家礼慣行、第六節 近衛殿家礼、第七節 鷹司殿家礼、第八節九条殿家礼、
第九節 一条殿家礼、第十節 二条殿家礼、第十一節 諸家家礼 以上です。
完璧かどうかは分かりませんが、家礼に関してはまず理解できると思います。
725 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 22:50:14
>>724 有栖川宮が西園寺家敬称の件
そこなんだよね
何故継いだのかがわからない。鷹司を閑院宮が継いだときは春日大社のくじ
だったそうだが、何故わざわざ宮家から継承させたのか?やはり、くじとかか?
大炊御門が一条を継いだけど、もともと一条実輝の後継者としては
実輝の養叔母を娶った九条良致が適任だと思う。実際、実輝の実子、実基は
分家して叙爵された、でも結局大炊御門から養子が入ってきた。
ここら辺が分からない。
>>725 宮家の次男以下は行き先に困ってたからじゃないの?
本人もやっぱ坊主はやだろうし、名のある大きな寺でも受け入れに限度があるだろう。
727 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 05:22:01
722です。724さまこの本は未読でした。
図書館で探して読んで見たいと思います。
ありがとうございました。
728 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 09:59:01
>>725 スマソ
九条良致は武子のつまで九条道良だったな
この九条道良の存在のせいで実輝の実子、実基は分家してるのに。
道良は夭折したのかな?
729 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 13:22:26
公家屋敷の遺構としては、冷泉家が唯一のものとよくいわれているが、
移築されたものとしては京都御苑内の閑院宮邸、二条城本丸の桂宮邸、
東京国立博物館内の九条館などがある。
730 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 23:52:25
名古屋に一条家の屋敷が無かったかな?
731 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 10:15:56
定価卿へ。何だか関西人のようですが、関西在住ですか?
自分は現在関西在住なので、関西内で、このスレ関係に強そうな、
お薦めの古書店がありましたら、ご紹介下さいませんか。
自分は、具体的な書名を目的として、古書店に探しに行った場合、
目的の本を探し出せた事が、1度もありません。
古書店とは、あてもなくぶらぶらして、
もし掘り出し物に出会ったならラッキー、ぐらいの感覚です。
それと、現在絶版や品切れでないもの、大書店でなら売っている本の中で、
基本的な本やお薦めの本がありましたら、ご紹介お願いします。
733 :
藤原定価百円一種:2005/08/01(月) 00:11:00
>731
ご推察通り、何だか関西人です。古書店に関しては、大阪は駄目ですね。と言うより、
我々の探している本は簡単には出ないでしょう。でも、店頭に無い店でも、
目録を出している店は、中に良い物が見つかる時があります。店では、京都方面のほうが、
充実している気がしますが、どうでしょうか?それと古書店のガイドブックが出ているので、
それで探すのも良いかと思います。
小生は最近はアミューズ編「神田神保町古書街ガイド」と言うガイド本で探しています。
店名、扱い種目、TELなどが載っており、何店か利用しましたが、目的の本は全部ありました。
さすが神保町と、今では絶大な信頼を置いています。旭屋本店で買ったのですが、
2年位で新版が出るみたいですので、一度探して下さい。
基本的な本ですが、補任や系図などの記録類は基本資料なので種々あると思いますが、
研究書や一般書は、どの程度基本的なのか判断が難しいのではないでしょうか。
出版社で言えば、「吉川弘文館」や「続群書類従完成会」の本が多くの基本書的な物を、
出していると思いますが、それらの出版目録から探されるのも一つかと思います。
それと、貴方の興味のあるジャンルや、今持っておられる本はどのようなものが、
あるのでしょうか?
734 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 09:09:39
実基って後妻の子じゃなかったっけ?
735 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 11:05:06
↑まだやってんの どっちでもいいじゃん 後妻の子だったら何なのよ?
うるせー禿
737 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 11:46:52
↑馬鹿の一つ覚え。ボキャ貧困。禿はてめえだろう。
738 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 13:56:50
「関西人」とは、何処の地の方々のことを謂うのでしょうや?
もしや「上方」ないし「畿内」の人々の謂意でありましょうかの?
739 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 14:23:03
「華族スレ」が見当たらぬ故、ここにて伺います。
関東大震災で圧死した宮家の人たちに就いては、
よく取り沙汰されますが、同じく犠牲となりし華族には
どういった人々が居るのでありましょうか?
740 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 14:39:26
便乗して質問するけど、空襲で亡くなった華族っているの?
742 :
731:2005/08/01(月) 20:23:13
>>733 レス、どうも有難うございます。えーと、何からどう話したら良いのやら。
古書店については、長い間東京には行った事がなく、これからも同様だと思うので、
足を運ぶ価値のある、「関西内」での「具体的店名」、を知りたかったのですが、
大阪よりは京都の方が充実、との情報は収穫でした。ちなみに、府民でなく県民です。
自分が興味あるジャンルは、皇室・公家・後宮・寺社に関する、通史・制度・格式・家系と、
このスレ関連外では、神話・古代史・仏像・大奥などで、単なるアマチュアです。
蔵書では、持っていても未消化の本や、シリーズ物のうち資金難で欠けている物も、多いです。
「絶版でない」、推薦書の中から、ちゃっかりと未所持の本を、チェックするつもりでした。
所持している本は、どこまでがこのスレ関連なのか、判断が難しいですけど、
自分が「資料」として扱う事の多い本や、このスレで誰かの言及のあった本を、中心に挙げます。
『宮廷公家系図集覧。古代豪族系図集覧。公卿諸家系図。群書系図部集。尊卑分脈。公卿補任。
日本系譜綜覧。日本歴史人名辞典。大日本人名辞書。大日本女性人名辞書。官職要解。女官通解。
交代式弘仁式延喜式。日本史小百科。有職故実。幕末の宮廷。中世公家と地下官人。華族誕生。
皇女品宮の日常生活。江戸幕府と朝廷。新撰姓氏録の研究。待賢門院璋子の生涯。』 長文乞御免。
743 :
藤原定価百円一種:2005/08/01(月) 22:46:53
>742
あまり意に添えなかった様で申し訳ありませんでした。古書店に関しては、
貴方と同じで何時もがっかりする事が多いので、基本的にはあまり行きません。
時間の無駄ですから。その中でも比較的にいい物が有るなと思うのは、
灘波ビックカメラ前の「天地書房なんば店(HPあり)」と梅田桜橋第一ビル1Fの、
「高尾書林」ぐらいでしょうか。
御手持ちの資料、遥かに小生より充実しておられますね。この中に無い物で、
比較的よく利用する手持ちの資料を一応挙げておきます。
「日本史諸家系図人名辞典」 「日本史総覧(補巻U通史) 「有職故実大辞典」
「公卿辞典」 「歴名土代」 「中世家族の研究」 「公卿人名事典」
「講座前近代の天皇(2巻)天皇権力の構造と展開」 「弁官補任」 「幕末京都四民の生活」
「近世公家社会の研究」 「諸家伝」 「幕末の天皇」 「平安王朝の宮廷社会」
「歴史読本1999・6月号徳川15代将軍家と天皇家」などです。
それと、学習院大学資料館や徳川林政史研究所など、大学や研究所が、
研究成果を出版しており、参考になりそうです。
744 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 23:10:27
age
745 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 22:57:15
系図オタクが買った本の数の自慢をし合うスレはここですか?
746 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 23:20:13
そうよ。知らなかったのかい、馬鹿だね〜っw
これは『公家・廷臣・門跡』の資料だぜ。知らない奴の参考になったらいいんだよ。
尻の穴のちいせい事言うんじゃねいや。
747 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 23:51:01
関西人はセコイね。
748 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 00:05:12
↑てめえは何処か言ってみな。どうせ田舎もんだろうが。
749 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 05:02:19
公家スレらしく、紳士的態度で、いきましょう。
750 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 09:03:44
その通り!文句があるなら内容で。反論があるなら紳士的に。と言う事。
751 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 09:13:21
公家って紳士?
鼻の下長くのばした好色漢って印象が強いんだがw
752 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 13:31:31
映画やテレビの影響もあるだろうが、まあ、たしかに光源氏の古より、
貴族(公家)の世界では色恋は表芸のひとつだろう。
鎌倉、室町から江戸にかけても宮中の風紀が乱れて事件が起こったという
事例は枚挙にいとまがない。
特に江戸時代においては、公家諸法度で生活全般を厳しく制限されたんじゃ、
公家だってエネルギーのはけ口のひとつも欲しいだろう。しかし、その中で、
家業に専念して、学問に励んだ公家もいたに違いない。
それともうひとつ、その当時好色なのは何も公家の専売特許じゃなくて日本人の多くは、
好色だったと言う事。
753 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 23:07:11
>>748は官家士族板から流れてきた九大出のド田舎者です。
みなさん基地外を相手にすると基地外が伝染るので、相手にするのはやめませう。
754 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:16:55
官家士族って?誰かと間違ってませんか。
755 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:33:45
公家っていつ頃…何で消えたんですか?
756 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:49:23
↑何時頃ってあなた、そりゃ明治維新で消えちゃいましたよ。
757 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 04:05:24
官家士族スレの、二の舞にならぬように、
野卑な罵倒言葉だけは、慎んで欲しいものですね。
758 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 02:45:16
定価卿が名無史さんに切り換えて撒き散らす関西弁の野卑な罵倒言葉もなんとかしてもらいたい。
759 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 03:00:55
性悪の関西人に何を言っても無駄。
760 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 08:26:44
そろそろ本論に戻りましょう。
気を取り直すために、誰か、長文でお願いします。
761 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 09:04:07
公家は腹黒いものですよ。
762 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 10:07:54
公家の家に伝来した典籍・古文書でまとまって残っている家とそうでない家がある。
家自体は平安・鎌倉以来のお家でも、途中で断絶していたり
火事で焼けたりしたりすると、残っていないことがある。
よく応仁の乱で沢山焼けたと言う学者がいるがそれはどうも怪しい。
反町茂雄さんの話で、
「自分の家が火元でなければ、火が迫ってくるまで時間があるので
まず家人が大事なものを持ち出して避難する。
だからこの国には沢山の古典籍が残存している」と。
五摂家で近衛・九条家は古い古典籍が多く伝来したけど、
二条家・一条家・鷹司家はあまり聞かないのは、前記の事情からなのかな?
かって山本信吉先生が、
「平安・鎌倉以来の皇室伝来の古典籍は30指にも満たない」
と言われていた。
そういわれれば現在御物とされているものの多くは明治期に集められたもの。
京都御所も火事でよく焼けているしね。
763 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 10:32:23
762です。
反町茂雄さんの『古書肆の思い出』全5巻を読むと
九条・三条西、吉田、冷泉(上・下)水谷川家の話が出てきて、
どういう本があったかがわかって面白い。
764 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 10:53:12
幕末の宮廷の官位勅問のところで官位小折紙の裁可で
「御上が親指の御爪点を遊ばします」とあつて
そのときは、訳がよくわからなかった。
おととし霊鑑寺で拝見した折紙には、門跡の名前の候補が三つあり
真ん中の名前に後水尾天皇の爪あとがやや斜め縦方向に残っていた。
これを見てやっと合点がいった。
それにしても、面白い決裁方法だねえ。
愛子内親王さんのお名前もこうやってご裁可になったのかな?
そうなんだけど。
766 :
藤原定価百円一種:2005/08/06(土) 17:37:20
>>764 >幕末の宮廷の官位勅問のところで官位小折紙の裁可で
>「御上が親指の御爪点を遊ばします」とあつて
>そのときは、訳がよくわからなかった。
想像力がえらい貧困やなぁpupupu
767 :
藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/06(土) 18:16:23
>766
この書き込みは私(定価)ではありません。騙りが出るとは驚きだ。
768 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 18:55:47
769 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:12:30
関西人っていけずやわー。
770 :
藤原定価百円一種:2005/08/06(土) 22:52:59
>>767 トリップつけてまで漏れになりすまして、一体どうするん?
771 :
藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/07(日) 00:13:56
>770
俺はお前の様な番号の書き方はしないから騙りと言うのはバレバレだが、
まあ相当の基地外らしいから、次の質問に答えてみろ。
>743の手持ちの資料として挙げた本全部の100ページめには何が書いてあるか言ってみろ。
自分の蔵書だから当然分かるわな。さあ何時までに答えられるかな?
リミットは一時間としようか、さあさあどうだ。
772 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:21:58
関西人っていけずやわー。
773 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:35:49
定価卿はふだんの無理に丁寧にしている文体とキレて罵倒するときの口汚さのギャップがいいね
774 :
藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/07(日) 00:50:08
さあ、もう寝るから朝までに宿題書いて提出しておけよ、>770の基地外。
775 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 01:24:35
藤原定価って人、性格悪そう。
776 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 01:50:12
ところで公家の二三男で僧になる人のための寺院て興福寺院家以外にも
あったのでしょうか?
堀川周丸が岩倉家の養子に決まる前、寺院に入る予定だったというのを
読んだことがあります。
777 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 02:22:27
>>774はキャップつけてるが定価さんではなく偽者だろ。
定価さんはこんなに性格悪くない。
778 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 05:50:22
776さんへ
門跡寺院や東大寺などの大寺あたりに入室した模様。
女子の場合、尼門跡の一老になることもあった。
779 :
藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/07(日) 07:23:56
>773
ギャップがある?そうだな、仕事の関係上普段はキレる事が出来ないので、挑発に乗って、
此処では存分にキレさせて貰っている。スレの無駄使いになるので内心忸怩たる思いもするが、
ストレス解消にはもってこいなんでね。でも「馬鹿の相手はいい加減にやめとけよ」と、
冷ややかに自分を見ているもう一人の自分がいるのも事実。まあ自分も馬鹿か?
>770
こらこら、夏休みの宿題はどうしたんじゃ、この基地外が。ネームを騙るなんぞ100年早いわ、ボケ!
お前の様なアホな頭では何をしても時間の無駄じゃ、とっとと氏ね。
またそれに懲りず、今度は>777か?横から攻めてる心算かも知れんが、内容から見て自作自演の
お前しかおらんやろが、アホんだら。「もう一寸頭使え」と言っても腐った脳味噌のお前では無理やろう。
まあ、型通りキレたし、吉本新喜劇の台詞やないけど「今日はこのくらいにしといたろ」
780 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 08:40:27
781 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 08:50:06
>またそれに懲りず、今度は>777か?横から攻めてる心算かも知れんが、内容から見て自作自演の
お前しかおらんやろが、アホんだら。
777ですけど濡れ衣ですよ。過去の丁寧な書き込みからして、まさかあなたが
本人だとは思わなかったんです。どうやら本人らしいですね。その上、濡れ衣まで
着せられてちょっとショックです・・・。
783 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 12:19:27
ひどいやっちゃなあ。
784 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 14:34:26
あたま悪いね
785 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 15:22:55
前スレで活躍していた「ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派」という人は、もう来ないのか?
786 :
1:2005/08/07(日) 16:50:58
>>785 来て欲しいけど今の状況じゃ嫌な思いさせそうだ。
もし見ていたら匿名で書き込んで欲しい。
787 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:54:51
とにかく定価卿は回線切って首を吊れ
788 :
藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/07(日) 22:27:11
>782
それは失礼。ただ、あまりにもタイミングが良過ぎたからね。
それに>771を読めば>774が定価だと言う事は分かるはずだが。
「定価さんはこんなに性格悪くない」は作為的?それともアイロニー?
>775が言うように、定価は性格悪いよ。
それはそうと、今日、先日出た吉川弘文館の「幕末の公家社会」古書店でゲットした。
定価7350円が4000円、新本同様の美本とくれば、これはラッキー。
しかし、本文154P(注があるので、実質130P程)はちょっと物足りない気もするが、
興味のある内容が要領よく纏められているみたいだ。
それに、巻末の40P弱に及ぶ付表は参考になりそう。今まで異論のあった堂上家の「内々」と
「外様」を明確に分けているのと、地下官人の種類、職掌、身分などが詳しく載っている点、
いいと思う。参考文献一覧も必見。
1991年から10年間の日本留学で、ここまで日本政治史を自家薬籠中のものとした、
李 元雨氏に敬意を表したい。それとこの本が、李氏が韓国在住のため、
吉川弘文館は国際郵便と電子メールで本作りをしたとの事、これにも時代を感じる。
幕末の鷹司政通の身分、立場はどんな感じ?
790 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:26:58
岩倉具視が鷹司公に近づくため和歌の弟子になったとか。
それだけ大物ってことかな。
791 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:31:02
>>788 >>775が言うように、定価は性格悪いよ
自分のことを冷静に評価できる方のようですねw
少しは見直しましたww
それから『幕末の公家社会』に対する評価ですが、自分がド素人のマニアである
ということを告白しているようなものなので、今後は慎まれた方が宜しいかとwww
792 :
藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/08(月) 01:44:17
>791
見直さないでいいよ。君の読みはまだ浅いから。
「自分がド素人のマニアである云々・・」その通りだ。私は別にプロの研究家でも無いし、
第一専門家がこんなスレに書き込みをするか?素人のマニアが知ったかするから面白いんじゃないか。
言っているように、私はまだ買ったばかりで「幕末の公家社会」はよく読んでいないし、また、君がどのくらい
精読したかも知らないが、私は自分の興味がある分野の本は何はともあれ、著者に敬意を払うと共に、
座右に置きたいと思っている。文面からして君は相当の碩学と見たが、
この著作の低評価の根拠は如何に。
793 :
742:2005/08/09(火) 00:41:57
定価卿、1週間ぶりですね、荒れるきっかけとなったのが、自分みたいで、失礼しました。
お手持ちの本のリストを、ネット検索して、中から安い古書を3冊、購入注文を出しました。
高価な本が多いですね、古書価格で5千円以上の本は、手に取らずに買う度胸が、ないです。
新刊としての取り寄せが、不能の絶版で、かつ古書検索にも、1冊も出て来ない本は、
よく言及のある『幕末の宮廷』と『考証 幕末京都四民の生活』と、それに『三条西実隆』でした。
それから、書名というものは固有名詞なので、正確でないと、検索に手間取る事があります。
自分の例では、『尊卑分脈』→『尊卑分脉』、『大日本人名辞書、大日本女性人名辞書』→『〜辭書』、
『交代式弘仁式延喜式』→『交替式・弘仁式・延喜式前編、延喜式中篇、延喜式後編』、でした。
あなたの例では、『有職故実大辞典』→『有識〜』(驚き!)、『中世家族の研究』→『日本中世〜』、
『公卿人名事典』→『〜大事典』、『幕末京都四民の生活』→『考証 幕末〜』、でした。
『幕末の公家社会』の紹介、有難うございます。自分もできれば、古書店で入手したいですね。
>>792で、あなたが言いたいと思われる事、おおむね同感です。
一流大学の教授が、メインテーマに扱うとは思えない、元々マニアックな分野ですからね。
>>779の居直り態度、納得できません。ネームを付けてる事・豊富な知識・関西人である事などから、
やっかみ・そねみ・反発での、マナー・意地の悪いレスは、これからもあるでしょう。
が、売られた喧嘩は、買う方も悪いです。ぐっと我慢して相手にしない、大人の態度を望みます。
「基地外」や「氏ね」の文字は、目にしたくないし、本当にストレス解消だとしたら、迷惑です。
794 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 01:03:11
家族や同僚に見せてやれよ、恥ずかしい書き込みを>定価
795 :
藤原定価百円一種 ◇U2UnG/UZg2 :2005/08/09(火) 01:34:04
>>793 >一流大学の教授が、メインテーマに扱うとは思えない、元々マニアックな分野ですからね
お前アホか?
一流の研究者でこの分野の研究してはる人なんてごっつ沢山おるわ。
わしのこと批判しくさってストレス解消しとるんはお前の方ちゃうんか。
もういい加減氏んどいて。
>>794 恥ずかしいのはお前の顔の方。
796 :
793:2005/08/09(火) 03:58:54
>>795が、本物の定価卿とは、思えませんね。
自分が書いたのは、「この分野」の、捉え方にもよりますが、
(武家関係を排除した)、近世の公家を、
(二流三流でない)、一流大学の、
(助教授以下でない)、教授が、
(一生をかけた)、メインテーマに、
といったような意味合いですが、少々軽率だったかも知れませんね。
797 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 09:46:43
『幕末の公家社会』ジュンク堂で入手しました。
ざっと目を通しましたが、労作で東久世日記のあたりは面白いと思いました。
今日は休みなのでこれからゆっくり読んでみます。
皆様、情報ありがとうございます。
確かに安いとはいえない本なので中身を確認できないときは、
図書館でリクエストすることをお勧めします。
ちなみに、私の近所の図書館では少し待てばだいたい取り寄せてくれます。
私は、その中で手元に置きたい本を購入しています。
798 :
藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/09(火) 12:20:58
791のような意見もあるが、『幕末の公家社会』はなかなかの労作だ。
しかも、韓国という外国の研究者の手になった事がよりいっそうその感を強くする。
刊行本の少ない分野だけに日本の研究者ももっと果敢に挑戦して欲しいと思う。
それと、791で「ド素人のマニア」云々の発言があったが、どの分野の研究でも、
プロとアマチュアの壁は無い。牧野富太郎や南方熊楠の例を出すまでも無く、
古今東西素晴らしい研究成果を残したアマチュアたちはたくさんいる。
むしろ、アカデミズムの何たるかをよく考えてみるべきだ。
>>798 労作ではあるとは思うが
論文の焼き直しであり
歴史文化ライブラリーで十分だったと思う。
800 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 13:48:33
>>795 俺は定価が本物でも偽者でもどっちでもいいが、お前は騙りやな。
この場面では定価が
>>793にキレる必要はないやろう。不自然や。
それと
>>796に見抜かれて、まさに語る(騙る)に落ちるやな。
ご丁寧にトリップまで付けているが、定価の◆マークが◇になってるしな。
面白い奴やな、でも馬鹿。
定家さんは冷泉家の御方
802 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 14:36:11
>>800 そうそう、馬鹿は馬鹿。頭隠して尻隠さず。解〜散!
803 :
藤原定価百種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/09(火) 18:31:55
>793
先に798に書き込んでしまい遅くなりましたが、書名間違いの件、全く気付かず、
ネット検索では苦労されたとの事、申し訳ありませんでした。
それと、定価の779の書き込みに対する苦言ですが、その通りで反省しきりです。
文面への責任上ネームを付けましたが、身から出た錆とは言え、795の様な偽者が出るに及んでは、
何をか言わんやです。
ただ結果的には、これによって貴重なスレを荒らし、また無駄にしてしまいましたので、
それに対しては、皆さんに深くお詫びしたいと思っています。
「何を今更」という方も居られると思いますが、今後はスレを荒らす事無く、
貴重な発表の場として書き込みしたいと考えておりますので、定価に付き合ってやろうと思われる方は、
何卒宜しくお願いします。
804 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 18:38:50
そんな宣言なんぞしないほうがいいよ。
おまえさんは幼稚な人間だから、またこのスレの誰かと
喧嘩することになるだろう。それ見たことか、と馬鹿に
されるのがオチ。
806 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 20:34:03
>>804 うぜえよ。お前のような珍化な馬鹿がいるからスレが荒れるんだよ。
とっとと消えナ!
定価卿よ、あんたもこれでキレたらTHE ENDだよ。
807 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 20:41:48
>>804 そうそう、馬鹿は馬鹿。何処まで行っても馬鹿は馬鹿!解〜散!
さあ、選挙選挙。早く選挙区へ帰って準備だよ〜っ。皆さん小泉を宜しく。
808 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 20:48:49
809 :
1:2005/08/09(火) 21:43:51
まあ仲良くしようや
仲良きことは美しき哉
↑
さる公家華族(但し分家して平民)のお言葉です
810 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 22:00:00
BY 実篤
811 :
藤原定価百円一種 ◇U2UnG/UZg2 :2005/08/09(火) 23:17:59
812 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 23:20:53
813 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 00:25:31
うるせー禿!
814 :
藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/10(水) 07:12:26
藤原道長の子供には倫子所生の頼通(関白)、教通(関白)と明子所生の頼宗(右大臣)、
能信(大納言)、長家(大納言)らがいるが、極官を見ても分かるように、
明らかに昇進に差がある。正妻と権妻と違いと言えばそれまでだが、
等しく可愛い筈の子供達に差をつけた(つけざるを得なかった?)道長の心を忖度してしまう。
また兄弟間ではどうだったのだろうか?現に能信は後兄頼通の意向に反し後冷泉帝即位に尽力し、
そしてそれが後三条帝の即位に繋がり、やがて院政への道を開いて行った事を考えれば、
藤原摂関家にとって大きな兄弟差別であったと言えるかも知れない。
815 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 10:08:43
ちんぽ
816 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 15:02:08
>>814 そんなんまだええ方やで
モンゴル帝国なんか側室腹の子は家臣扱いや
817 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 15:18:03
倫子と明子の実家の勢力に元々差があり、それぞれの所生の男子にとって、
後に后や国母となってゆく、同母姉妹の存在にも差があるので、
その後の男子の昇進も、おのずと違ってくるのだろう。
子供は母方で育てられる妻問い婚の時代の、異母兄弟姉妹間の親愛感情は、
現代のいとこ間程度か、あるいはもっと低かったかもしれない。
818 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 22:57:39
血統は倫子より明子のほうが尊貴なんだけどな。
倫子は皇曾孫、明子は皇孫。
実家の勢力も大差がない。
倫子の父親の雅信は左大臣だが、兄弟たちは中納言が最高で大臣にはなっていない。
明子の父親の左大臣高明は安和の変で流罪になったハンデはあるが、
高明の子息俊賢は大納言になっている。
雅信の子孫と高明の子孫を見比べても繁栄ぶりにそれほどの差はない。
倫子系と明子系の差は、道長の個人的な愛情の差かも知れん。
819 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 23:47:13
無知無学が露見した藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2=
>>796=
>>793が
必死になってどうでもいい戯言を連続カキコしているスレはここですかw
820 :
藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/11(木) 00:15:28
>818
言われるように、倫子と明子の血統はほぼ互角だ。しかし>817の意見にもあるように、
何と言っても明子の父高明は既に失脚他界している。
それに対して倫子の父雅信は現任の左大臣であり、経済面に措いても大きな差があったと思う。
それと「雅信の子供は中納言が最高」とあるが、長男の時中は長徳2年大納言になっている。
俊賢の大納言も道長の摂政辞任の人事に伴うもので、58歳の俊賢に対する餞であったろう。
事実俊賢は翌寛仁2年には大納言を辞任している。道長の二人の妻の背景には、
やはり大きな差が有ったと言わざるを得ないが、それにしてもこの異母兄弟達の処遇はあまりにも
類型的と言うか、あざといばかりだ。
>814で書いたが能信はやはり頼通などに強い対抗意識を持っており、
そのあたりは永井路子氏の能信を主人公にした小説「望みしは何ぞ」によく描かれている。
院政への扉を開く役目を担った能信は、結果的に父が完成させた摂関政治の没落への弔鐘を
鳴らしたのだ。一兄弟差別と言う思惑を超えて。
821 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 00:17:30
定価卿は人の言うことをまるで聞かない。
822 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 00:40:20
いや定価さん、面白いテーマでしたよ。永井さんならずとも歴史小説家なら、
書いてみたいでしょうね。早速
823 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 00:46:05
>>820 すみません。途中で「書き込む」を押してしまいました。
定価さん、面白いテーマでしたよ。永井さんならずとも歴史小説家なら、
書いてみたいでしょうね。早速『望みしは何ぞ』読んでみたいと思います。
安部龍太郎が
かんいん流対摂家の対立を盛り込んだ新著を上梓している。
なぜ閑院流が花山流他に優位にあるかといえば、早く枝分かれした分、摂家と伍していく実力を
つけたのではないかと。というか先例をいちはやく確立した。
825 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 01:16:51
もし彰子が、明子の腹から生まれていたなら、逆転もありえたのでは?
道長の、倫子とその息子たちへの傾きは、
彰子以下の女子を生んだ事に対する信頼が、かなり大きいと思う。
826 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 01:39:23
>>821 定価卿じゃなくて、ID:◆U2UnG/UZg2 の馬鹿は定価狂だよw
827 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 03:45:16
828 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 06:15:04
まだ読んでないけど、これかな?
『浄土の帝』安部龍太郎著 角川書店 本体価格1800円
829 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 10:33:10
>>826 そうですか?人のトリップをセコセコ打ち込んでる貴方も変わりませんよ。
定価卿は毀誉褒貶半ばというよりは毀と貶が多いけど、分かり易くていいんじゃない。
アナーキーな壊れ方をする裏面の定価卿も面白いし、真面目な顔して書き込んで来る
表面もなかなかユニークだと思うな。
>>803ではなにか改心しているけど、関西人(?)らしくほたえなはれ(関西の人、
これで間違っていませんか)
830 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 11:11:30
>>829 「ほたえる」を使う時は普通「騒いではいけません」という意味で否定的に
「ほたえたらあきまへん」のように使う事が多く、あまり肯定的には使わないと思う。
831 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 16:07:13
>>829 今時大阪でもそんな言葉使ってないよ。戦後生まれの人間は絶対使わない。
832 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 20:18:20
定価卿を観察してみんなで笑いものにするスレはここですか?
833 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 20:46:35
あ〜あ、スレが減っていく。無駄使いは止めようね。
あ〜あ、俺もそうだ。スマソ
834 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:17:35
>>829=バカ定価w
自分で自分のことを誉めて楽しいか?
下劣な人間性を自ら晒すとはバカここに極まれり!
ゲラゲラゲラ
浄土の帝だよ。
安部さんは公家の記述が多い。
信長燃ゆでも近衛前久が主役級だった。
836 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:34:47
>>834 残念ながら私は定価卿ではないんですよ。でもあなたの書き込みを見ていると、
ますます定価卿のほうがまともに見えますね。
ひょっとして以前定価卿に口汚く面罵されたひとりですか?
だったらバカと罵りたくなりますよね。ふふふ。
837 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:53:39
838 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:55:39
>>836 違うんだったら相手にしなきゃいいだろ。
やっぱり定価はバカ丸出しだな。
ついでにティムポも丸出しにして町の中を歩ってろ。
839 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:57:51
定価百円は源俊賢が一条天皇の信任の篤い重臣であったことを知らないらしい。
「寛弘の四納言」なんて聞いたこともないんだろうな。
俊賢は実力で大納言になったんだよ。親の七光りの時中といっしょになるものか。
840 :
1:2005/08/12(金) 06:27:47
まあマタ〜リいこうよ。
841 :
日本@名無史さん:2005/08/12(金) 09:06:10
>>840 自分の偽物が現れると下品な人間性を露わにして汚い言葉でののしるくせに、
テメエは1を騙って自分への非難をかわそうとする見下げた根性。
定価は早く史ね。
842 :
藤原定一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/12(金) 22:06:28
>839
ご指摘の通り。不明を恥じます。
それと「親の七光りの時中といっしょになるものか」と切った啖呵、決まってますね。
ついでに>829以下、定価ではないので残念!
843 :
1:2005/08/13(土) 01:01:47
いえ、本物の1ですが。
最近私の立てた非蔵人スレが全く同じような荒れ方をしています(笑)
正直こんなレスの消費のされ方はどうかと思う。
しかし閑古鳥が鳴くよりはいいのか?
私は国連よりも公正中立(例えがイマイチ)なのであまり苛めないでくれたまえよ。
844 :
1:2005/08/13(土) 01:14:24
ところで1からの真面目な質問あんどネタふりなんだが
奈良華族についてのサイトや文献があればどうか教えてもらえんでしょうか?
浅見雅男の本は持ってます。
というわけでよろしく。
845 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 08:54:25
>844
「浅見雅男」なんて、他人様のことを呼び捨てにする無礼な池沼には教えてやらん。
846 :
1:2005/08/13(土) 09:27:04
そういえば森鴎外や夏目漱石も呼び捨てにしていました。
847 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 10:53:55
呼び捨て云々の問題はどうでもいいことだと思うが
なんだかこの人の物言いは人を挑発するようなところがあるね。
人にモノを頼む態度だとは思えん。
848 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 17:16:58
849 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:46:50
>843
本当に奈良華族の文献や研究って見つからないねえ。
雑誌記事索引でくぐったけどなかったよ。
850 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:15:03
>>1 霞会館華族家系大成編輯委員会編「平成新修旧華族家系大成」
は見ましたか?
あと「明治珍聞録」に竹園男爵の話が
ちょいと載ってましたが、文献ではないですがね。
851 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:50:34
852 :
藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/14(日) 10:06:37
>844
直接の資料ではないがその所在が分かるものとしては下記のものはどうでしょうか。
学習院大学資料館刊
旧華族家資料所在調査報告書(全5巻) B5版2302P 12100円
853 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 11:07:08
>>852 中身を見てからものを家。
本の名前をたまたま知ってるからって、それを言えばいいってものではない。
知ったかは迷惑だぞ。
854 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:11:17
いままでも相当ひどかったが
>>852はいくらなんでもひどすぎる。
定価卿は本の中身だけではなくタイトルも理解できないのか。
「資料」の所在と書いてあるではないか。
これは、もと旧華族の所蔵していた古文書がいまどこの研究施設に移されているかを記した書物だろう。
奈良華族に関する調査とはなんの関係もない。
わざとやっているのか?いくらなんでも馬鹿すぎるぞ。
855 :
藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/14(日) 17:14:19
>853
ここのスレは「知ったかしようぜ」じゃないのか?
学習院大学資料館発行の資料館紀要第5巻の調査報告「旧華族家資料の所在調査報告その一について」は、
>852の基になった資料のレポートだと思うが、各家ごとの資料の所在地、資料名、年代、目録(出典名)
などが出ており、しかも公的機関所蔵の資料であれば、閲覧の可能性もあるのではないか。
また資料の所在地が分かるだけでもいいだろう。
1さんならいざ知らず、あんたに文句を言われる筋合いはない。
そんな暇があれば尋ねている文献の一つも教えてあげればどうだ。
856 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:21:26
そんなもん、回答したうちに入らないだろ、ガキかあんたは!
857 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:23:13
またキレてるよ。みっともねえな。いいかげんいなくなれよ。迷惑だよ。
858 :
藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/14(日) 17:24:10
>854
生の資料も資料だろう。そこから自分の手に負えるものと負えないものを
取捨選択すればいいだけだ。それなら奈良華族についての文献がどこにあるか
言ってみろ。
859 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:31:14
>>854に「言ってみろ」というのはおかしいだろ。
いい加減なことを言うのは慎め、という一般論を
>>854は語っているのであり
その指摘は正しいだろう。
>>854が当該史料について知っているかどうか、そんなことは別の次元の話。
そんなこともわからないのか?
860 :
藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/14(日) 17:45:50
このスレの住人達は自分では何の書き込みも出来ないくせに人の揚げ足だけは
見事に取るね。昔、文部官僚の事をそのやり口から「御殿女中」と呼んだもんだが、
全くそれ以上だな。もう一度言うが、誰が奈良華族の文献を知っているんだ?
861 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:59:03
揚げ足取りに見えてるあんたが異常。
奈良華族についての文献を誰が知ってるかどうかなんてそんなことは
どうでもいい話。
ほかに誰も知らなければ、自分が適当なことを言っても赦されると
思っているのか? その論理がわからねえな。
862 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:50:09
>>854以下の書き込みさん達、今回定価は
>>844(1)の頼みに対して答えているんだろう。
だったら
>>844(1)の判断に任せばどうだ?「そんなものは参考になりません」と言われりゃ
定価はそうですかと引き下がるしかないだけで、
>>844(1)を差し置いてあんた達がつべこべ
言う筋合いのもんではないだろう。
863 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:53:24
ふん、また自演か。定価も見え透いたことをする。
864 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:07:00
>>863 予想通り痛いところを衝かれたら定価の自演と来る。本当に単純。
定価が御殿女中と嘆くのもあながち無理ではないな。
865 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:25:00
そうは言ってもこうみえみえの自演をやられてはなあ。
866 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:25:16
>>862の意見が出たので地雷を踏む覚悟でかきこします。
このスレテーマが好きで最初から目を通してきましたが、定価氏が切れたのは
>>563の暴言に対してでしょう。つまり、無視をすればなんと言う事はなかったのに
定価氏は見事に反応してしまってそれからはご覧の通り。
一口で言うと「単純」「短気」「唯我独尊」的かな。中高年(?)らしいから
もう少し度量が欲しいと思うと同時に、皆さんも意味もない暴言や中傷は最低ですよ。
867 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:25:57
自演?
868 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:26:58
自演?
869 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:27:45
自演?
870 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:28:30
自演?
871 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:32:00
>>866 読んでみたが、暴言というが、物の言い方はともかく内容的には
>>563の言ってることに理があるように思うけど?
872 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:40:52
804 :日本@名無史さん :2005/08/09(火) 18:38:50
そんな宣言なんぞしないほうがいいよ。
おまえさんは幼稚な人間だから、またこのスレの誰かと
喧嘩することになるだろう。それ見たことか、と馬鹿に
されるのがオチ。
873 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:46:47
↑自演
874 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:10:32
あのー。まったくのド素人ですが
>直接の資料ではないがその所在が分かるものとしては下記のものはどうでしょうか。
>学習院大学資料館刊
>旧華族家資料所在調査報告書(全5巻) B5版2302P 12100円
は、書名のとおり資料の所在目録だなあと素人の私でも思ったよ。
そこから資料を自分で探しなさいということなんだなと読みましたが。
ワタシら素人じゃ大学のセンセイなどに聞く機会なんてまずありません。
ここで教えてもらった資料をひとつひとつ手に取って学んでいる部分がありますので、
みなさんそんなに怒らないでくださいな。
875 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:33:48
路傍の石よろしく傍観してきたが初めて二言三言言わせてもらう。
定価に反感を持つのは個人の自由だがつまらん潰しでスレを無駄使いするな。
お前らは何様のつもりや。定価を攻撃すれば皆拍手喝采するとでも思っているのか?
大部分の参加者は公家や廷臣が好きでささやかな知的知ったかを楽しんでいる事を知れ。
定価であれ誰であれ興味を満足させてくれる書き込みがあればそれでいい。
お前らにそれを潰す権利は無い。少なくとも定価には書き込みや返答に対する真面目な
姿勢がある。これは否定出来んやろう。お前らも自演自演と吼えんと潰したかったら内容で勝負しろ。
最後に定価に言うがあんたも何故これ程反発をくらうかよく考えてみたらどうや。
どっちにしても大多数の者にとっては迷惑千万な話やから。
876 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:39:53
華族スレは別にある訳だから、この公家スレ内で、
奈良華族の資料の話題を、もうこれ以上続ける必要は、ないと思います。
>>866・
>>871 暴言や中傷は、たとえ意味や内容があったとしても、最低です。
定価さんも、定価さん嫌いの人も、どちらかと言えば定価さん側の人も、
反論・批評・批判をする時には、理路整然とした説得力のある、ある程度の長文で、
非礼でない言葉遣いで(これ重要)、慎重に、行なって欲しいものです。
ところで、『幕末の公家社会』の中で、典侍(ないしのすけ・すけ)の、
音読みを(てんし)、としている事が、初耳で、腑に落ちません。
尚侍しょうし・典侍てんじ・掌侍しょうじ・内侍ないし、の読みで憶えていたので。
『禁中方名目鈔校注』という本に、よるらしいのですが、
どなたか何か、情報や意見を、お願いします。
877 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 21:01:38
878 :
876:2005/08/15(月) 21:43:00
>>877さんへ。
>>876の書き込みは、定価さんではないですよ。
自分が最も言いたい事は、すべての書き込みは、礼儀正しい言葉遣いで、という事です。
『幕末の公家社会』、結局買いましたが、『幕末の宮廷』以上の内容も、含んでいて、
決してお買い得とは言いませんが、興味があれば買って損はない、と思います。
典侍の件、よろしくお願いします。
879 :
875:2005/08/15(月) 22:03:09
>>877 内容をよく読め。お前のような奴がまたややこしくする。
もういいのはお前だ。
880 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 22:30:41
>路傍の石よろしく傍観してきたが初めて二言三言言わせてもらう。
わざわざこういうエクスキューズをしてから発言するところが
いかにも怪しいね。
881 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 23:29:15
882 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 00:16:19
883 :
1:2005/08/16(火) 01:04:39
884 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 01:09:59
もう出てくるなよw
885 :
1:2005/08/16(火) 01:14:40
>>850 >霞会館華族家系大成編輯委員会編「平成新修旧華族家系大成」
それは写真とかある?
887 :
1:2005/08/16(火) 01:23:04
スレタイ読んでもらえばわかるように「知ったかぶり」する
スレなんで書き込みの内容が公家に関することなら多少大雑把な
ことをいっても構わないはずです。
とにかく書き込むのであれば公家に関するネタふりにして欲しい。
>>855 テレビにでていた。
田園調布に家がある。
889 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 15:12:22
>>886 ない
しかも本家筋しかのってない
水谷川優子ちゃんの名前も出てくるな
890 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 15:53:44
水谷川家は関白近衛忠煕の子一乗寺門跡応照が還俗して忠起と名乗り、
水谷川を称して明治17年男爵を受けている。そして順一と言う実子があったが、
近衛を継いだ弟篤麿の4男忠麿を養子に迎え、その子忠俊(音楽家)、優子と続いている。
つまり優子さんにとっては近衛文麿は父方の大伯父にあたる。
宮廷公家系図集攬参照
891 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 16:12:25
優子ちゃんのプロフィールに祖父秀麿とあるのはどういうこと?
510 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/08/13(土) 16:21:47
>>502 215 :_ :2005/06/07(火) 23:53:30
大本山善光寺大本願法主鷹司誓玉台下は慶応大学卒、佛教大学卒、大谷大学大学院卒と、
あの時代の女性としてはもちろんだけど、現代から見てもかなりの高学歴ですね。
ちなみに愛人のバーのママとガス中毒死した平通氏とはいとこですね。
誓玉さまは正真正銘の鷹司家の娘
父は鷹司熙通(陸軍少将、大正天皇侍従長)の子信敬
いとこは昭和天皇第三皇女孝宮和子と結婚した平通
学習院では孝宮和子と同級
>>892 >大本山善光寺大本願法主鷹司誓玉台下
その方は日本の尼僧の最高位にいる方ですね
894 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:08:50
>>892 正真正銘の鷹司家の娘と言ったって、爺さんの煕通は九条尚忠の子供だし、
その尚忠だって二条治孝の子供と来たら、その台下さんは立派に正真正銘
二条家の血を引く娘と言う事になる。
花山院ご門跡、日野西ご門跡もおわすれなく。
896 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:40:51
897 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:49:31
>>896 プロフ作った奴は忠麿も秀麿も文麿も同じだったんだろう。
898 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 22:23:06
899 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 07:44:12
age
900 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 23:00:22
だから明治以降の華族の話しは華族スレでしろって言ってるだろうが。
おまえらみんな史ね。
901 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 12:47:43
賀茂社氏人の南大路家が「菊家」と改姓していたのは、
いつ頃からいつ迄の間の事なのでしょうか?
英照皇太后の生母の家柄だけに気に懸かります。
902 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 20:47:08
地下人・社家は、官家士族スレで、どうぞ。
903 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 20:53:25
門跡も、明治以降は消滅し、戦後の門跡は自称門跡。
門跡関係の話題も、江戸時代までにして下さい。
904 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 20:57:55
確かに今の門跡の大半はただの坊さんだしな。
905 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 21:07:41
青蓮院門跡は皇室所縁じゃないの?
906 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 21:10:00
しかも世襲=私物化
現青蓮院門跡は、前青蓮院門跡の次男。
前青蓮院門跡は、久邇宮家出身で東伏見宮家に養子に出た元皇族。
という訳でその通りです。
>>905 住職・門跡は基本的に世襲。
つーか他になにがあるのよ(w
908 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 23:24:57
もおう、明治以降の話はすべて、この公家スレでなく、華族スレ他とかで。
以前あったような、門跡准門跡(現代の)オタクのスレ違いが、はびこらないうちに。
909 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 23:48:05
だから明治以後の華族や門跡なんかが出ないように「公家・廷臣」の
書き込みをどんどんしなければ。
910 :
1:2005/08/18(木) 23:49:59
別に明治以降の話はいけないとは明記していませんけど。
911 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 23:52:28
912 :
1:2005/08/18(木) 23:52:45
公家・廷臣・門跡といった言葉が明治以降急に廃れたわけではないので
全然構いません。
913 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 00:04:44
>>912そうだろうか? 華族スレが存在する以上、やはりスレ違い。
だいたい、
>>844で華族ネタふったのが、一連のスレ違いの始まり。
>>1としての自覚が足りない。公家ネタふれば良かったのに。
さっ、本論以外の無駄議論レスは、もうこれで終わりっ。
914 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 00:29:46
915 :
1:2005/08/19(金) 07:39:10
歴史ってのは自分たちが現在生きている時代までの連続性が実感できるから面白い
のです。
916 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 08:50:01
この板の傾向として近代の華族ネタ、現代の子孫ネタに傾斜しやすいのは事実。
現代の子孫が誰それなんて話はどうでもいいことで、歴史上の公家を語ってほしい。
917 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 10:21:14
このスレは
>>1がでしゃばりすぎ。
だから荒れる。
918 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 10:33:32
>>910 >別に明治以降の話はいけないとは明記していませんけど。
はあ?
何寝言ぬかしてやがる。
>>1にそういう注意書きをしなかった時点で、てめえの全面的な過失なんだよ。
今更のこのこ間抜け面晒して戯言ほざいてんじゃねえよ。
この馬鹿が。
>>912 >全然構いません
はあ?
てめえ、何様のつもりなんだ?
誰もてめえのためにカキコして差し上げてるわけじゃねえんだよ。
管理したかったら、てめえでBBSをレンタルしてサイトを開設しろ。
だいたい、てめえらが本当の1かどうか分かったもんじゃないしな。
919 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 12:03:06
スレタイの「公家・廷臣」の「廷臣」とは、具体的にどういう人たちのこと?
諸大夫や地下官人などのこと?
920 :
1:2005/08/19(金) 21:54:36
品の悪い人がいますね。
例えば加山雄三と久我美子が同族であるというようなことは、ネタふりと
して充分ありだと思うけど。
別に論文書くわけじゃないし。
どう話が広がるかわからないから掲示板は面白いのでは?
921 :
1:2005/08/19(金) 22:01:10
公家は堂上家のみをさす場合と地下家まで含む場合があります。
廷臣は堂上家と地下家を含みます。
この二つの用語を並列に置くのはおかしいかもね。
堂上・地下・門跡・院家について〜、とでもすればよかったかな。
923 :
藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/20(土) 01:08:08
やっと1という後継者が出ましたので心おきなく引退させていただきます。
ただ1さんに言っておきますが、タイトルに沿っていい内容を書き込んで下さい。
924 :
1:2005/08/20(土) 03:21:07
>>923 質・量ともに充実したレスの数々感謝します。
というか別に引退しなくてもいいんじゃないですか。
925 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 14:07:02
>>920 >品の悪い人がいますね。
お前はアタマ悪杉
>どう話が広がるかわからないから掲示板は面白いのでは?
面白がってるのはお前だけ。
ほかの皆は迷惑しっぱなしだ。
史ね。
926 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 14:31:19
>>923 後継者って、叩かれキャラっていう事?
引退って、名無史に戻るっていう事?
>後継者って、叩かれキャラっていう事?
前後関係から考えて、そうとしか受け取れないなw
928 :
藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/20(土) 15:32:36
>926
そうでしょうね。名無史に戻るかって?いやいや、もうこんな詰まらないスレに戻る気は
全然ないので御心配無く。急にさめてしまうと本当に馬鹿馬鹿しいね。
まあ皆さんまた叩かれキャラでも見つけて騒いで下さい。どうせろくな内容の書き込みも
ないだろうから。これからはゆっくりとそれを見ながら楽しませてもらいましょうか。
でも本当にまともな書き込みの育たない、いや育てないスレだったな。
929 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 17:17:54
>>928 まあ今はそうでも、またひょいっと気が向いた時には、ぜひ参加して下さい。
自分も確かに、ろくな内容の書き込みは出来ないけれど、他人を「叩いた」憶えはありません。
この分野が好きな者同士のあなたと、多少なりともやりとりが出来て、良かったと思ってます。
>>926
>そうでしょうね。
肯定するなよw
931 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 17:33:17
>>928 お疲れ様でした。
もう二度と舞い戻ってくるな、この池沼めが。
932 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 17:35:37
>>928 本当にまともな書き込みの育たない、いや育てないスレだったな。
一番まともでない書き込みをしてたのはお前だよ、お前。
自分の責任を他人に転嫁するとは、とことん卑しい下郎だな。
933 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 17:49:04
803 :藤原定価百種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/09(火) 18:31:55
(前略)
ただ結果的には、これによって貴重なスレを荒らし、また無駄にしてしまいましたので、
それに対しては、皆さんに深くお詫びしたいと思っています。
「何を今更」という方も居られると思いますが、今後はスレを荒らす事無く、
貴重な発表の場として書き込みしたいと考えておりますので、定価に付き合ってやろうと思われる方は、
何卒宜しくお願いします。
928 :藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/20(土) 15:32:36
>926
そうでしょうね。名無史に戻るかって?いやいや、もうこんな詰まらないスレに戻る気は
全然ないので御心配無く。
いい年して、たった10日でこんなに言ってることが違う。
なんて人だ・・・。
934 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 17:52:52
>>926>>927 1は叩かれキャラじゃなくて嵐キャラじゃない?
定価狂も1もこのスレの健全な成長を妨害してきてるからねぇ。
嵐の後継者が現れたので、安心して他スレを嵐に行かれるってことでしょ。
次に嵐されるのは官家士族スレか!?
935 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 17:53:50
936 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 19:00:45
>>933 いい年して、たった10日でこんなに言ってることが違う。
あなたはこう言っていますが、定価さんの
>>803のあと、すぐ
>>804のような心ない書き込みがあります。
この10日間で定価さんに何があったのかは知りませんが、あのとき皆さんはそういう心境になっていた
定価さんを受け入れようとしましたか?少なくとも次ぎはどんな書き込みをするのか黙って見てやろう
という気持ちがありましたか。前にも誰かが書いていましたが、少なくとも定価さんの書き込みの内容は
真面目であったと思います。
私も
>>929さんと同じ気持ちです。というより定価さんよりの書き込みをするとすぐに自演だと言われるので
>>929さんの勇気に驚いています。私も今まで自演だと取られるのが嫌で定価さんの事で参加出来ません
でしたが、定価さんの引退宣言を見て思い切って書いてみました。
最後まで定価さんらしい嫌われキャラでしたが、実際このところいい内容の書き込みが無いのも事実です。
また気が向いたら名無史でいいから参加して下さい。私には定価さんの書き込みなら分かると思いますので。
最後になりましたが、面白い内容の書き込み有難うございました。
937 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 19:09:51
>>936 1or定価狂のなりすまし乙!プ…
>あのとき皆さんはそういう心境になっていた定価さんを受け入れようとしましたか?
はぁ?
なんで定価みたいな馬鹿を受け入れなくちゃならないんだ?
受け入れてもらいたかったら、開き直らずに、最後の最後まで頭を低く垂れてればいいんだよ。
さんざん嫌われるような書き込みをしてきたくせに、たった1度の謝罪カキコだけでみんなが赦してくれるはずないだろうが。
自分に都合良く世の中が動くと思ったら大間違いだ。
938 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 19:15:10
>>936 だから〜、面白いと思ってるのは嵐仲間のお前だけなんだよ。
ほかの人は全員不愉快・迷惑この上ないとおもってるんだからな。
いい加減にしろ。ペッ!
939 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 19:18:56
>>936 >>804のような書き込みがあったなら、なおさら自戒して挑発に
乗らないようにすればよかったのではないのかな?
>>804の予言どおりのことをやっちゃったのに、それが定価卿の
せいではなく周りのせい?
940 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 21:11:21
>>939 幼稚な椰子には何言っても通じませんから、このくらいにしておいてあげましょうよw
941 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 21:16:39
>>837 >さんざん嫌われるような書き込みをしてきたくせに、たった1度の謝罪カキコだけでみんなが赦してくれるはずないだろうが。
>自分に都合良く世の中が動くと思ったら大間違いだ。
禿げしく胴衣。
定価も1も936も次スレには絶対来て欲しくない。
942 :
1:2005/08/20(土) 23:08:40
>>941 いいこと教えましょうか。あなたが好きなようにスレたてれば良いんです。
私は絶対行きませんよ。
943 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 00:48:07
ホントにここのスレは馬鹿ばかり。
944 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 13:22:27
>>943 スレ勃てたのが1みたいなアフォだから仕方ないよw
945 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 14:59:20
>>942 お前とか定価みたいな基地外と池沼だけが集まる新スレでも立てて史んでろw
946 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 19:57:28
↑ホントにここは馬鹿ばかり
947 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 21:29:09
>>945 ば〜か!だからお前らは低脳だって言うんだよ。ば〜か!
>>943に乗せられやがって。943は誰かな?定価かかな??????
定価は引退したから名無史になってスレ潰しに掛かるんじゃないの。
でもまあ残り少ないし、どうでもいいか。1さん頑張ってね〜
ホントにここは馬鹿馬鹿ばかり。へへへへ
↓ おまえら
見た目はキモデブヲタそのもの。脂っぽい長髪にフレーム付きの
度の強い眼鏡を太った顔に食い込むようにかけている。
ゴジラが大きくプリントされたTシャツを着用。そのうえバンダナと
レーシング手袋、紙袋は必携してるw
949 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:06:20
>>948 ひえ〜っ!それはあんたの事?それとも
>>937以下の低脳の馬鹿共の事?
だったらOK、理解できるよ。
950 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:09:27
潰れてしまえ潰れてしまえこんなスレ〜(ウルトラマンの節で、皆さんもどうぞ!)
951 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 00:12:17
>>937 お前のような人間の心を解さない人非人が偉そうに吼えるな、この馬鹿が。
なりすましとか相変わらずワンパターンな事しか言えんのか。
何回でも言うがお前のような基地外の低脳プリンがスレを荒らしてるんだよ!
お前のような奴が「公家・廷臣」とは大笑いや。「外道」のスレでも立てろ。
ば〜か、史ね。
952 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 00:15:46
↑ホントにここは馬鹿ばかり
953 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 00:22:09
↑そうそう、でも俺の台詞とらんといてくれるか。
オリジナル考えや。潰れるスレはアホばかり。
954 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 00:25:47
あのう、ここはいったい何のスレでしょうか?定価卿の怨念スレですか?
公家の怨念は怖い怖い。お〜怖。ぶるぶる。
955 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 01:13:02
今盛んに暴れているのは本当の定価さんじゃありませんよ。
以前
>>770.
>>795.>.817でIDまで書き込んで定価さんを騙っていた偽者です。
全部あいつです。はい、間違いない!(最近ちょっと人気落ちたな)
956 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 01:16:39
本当の定価か否かがわかるのは本当の定価自身以外にはいないわけだが
957 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 01:40:17
958 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 07:34:05
高倉家3軒のうち、本家の高倉(衣紋道の家)の家格が、半家で、
分家の堀河・樋口の家格が、羽林家となっているのは、何故なんだろうか?
1つの家系の中に、羽林家・名家と、半家とが、混在する場合には、
他の宇多源氏・平氏の例では、半家は皆、分家筋である。
高倉は、北家長良流である高倉家の、嫡流で、旧家・内々、家禄は813石余と多い。
堀河・樋口は共に、高倉庶流で、新家・外様、家禄は各230石余・200石。
門流は、高倉が近衛家、堀河・樋口が九条家。高倉・堀河は、武家昵懇衆である。
江戸時代の極位極官は、高倉・樋口が、正二位権大納言、堀河が、従二位権中納言。
3家とも掌侍を出しているが、高倉は他に中宮の、(中臈でなく)上臈女房を、出している。
以上色々考えても、分家が羽林家で、本家の高倉が半家なのは、不可解。
歴代に何か失策があって、羽林家から半家に、落とされたのだろうか?
959 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 09:12:22
>>957 だからお前もバカだって言うの。騙るに落ちたって、よく読んでみろ。
本気で隠しているのかどうか。つまり、おちょくられているんだよ。
挑発されているの。それも分からずにバカ定価とは、バカの単細胞は
お前だよ、お前!ば〜か。これからも定価の挑発は続くんじゃないの。
960 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 09:42:58
>958
本当によくわかんないよね?
本家が官位があがらなかった例はあるけど、
3家とも半家という感じのお公家さんだね。
961 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 14:07:18
以下は、確証がなく、推測によるものだが。
藤原氏の内での半家は、高倉の他には、二条殿別流の、富小路だけである。
並び順として、藤原氏の最後尾は、二条殿別流で、高倉家は、そのすぐ前に位置している。
高倉家の高倉は、二条殿別流の富小路と共に、元々から、家格が半家だったのでは、ないだろうか?
高倉としての始祖、永季以来幕末まで、左右近衛府の少将中将を、経ていないようだ(?)。
そうすると、堀河・樋口の家格が、なぜ羽林家なのか?、という問題になる。
系図を調べると、高倉永相の弟の親具が、水無瀬家の養子となって、左中将に任ぜられ、
水無瀬家を継ぐ前に義絶されて、高倉家に戻され、高倉家も継げないで没している。
この親具の息子である、康胤・信孝が、高倉庶流として、堂上に取り立てられて、
それぞれ、堀河・樋口の、初代となっている。
その取り立ての折、父の官職の左中将か、あるいは、羽林家である水無瀬家の、ゆかりによって、
半家である高倉庶流ながら、羽林家の格を与えられたのでは、ないだろうか?
962 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 00:14:46
>>958>>961 親具は養家の水無瀬家で実子の氏成をたてようとして親具を毒殺しようとした
家人を殺し、徳川家康に直訴している。その後出家しているが、徳川家とは縁が深く、
慶長年間に家康の執奏で堀河、樋口両家が新家として取立てられた。
樋口信孝の子供達の中には旗本になった次男中条信慶の他、大奥や尾張家に使えた娘もいる。
私見ではあるが、おそらく親具が養家で既に羽林家として左中将に任じられていた事と、
徳川家の後見などがあり、羽林家としての家格を確立出来たのではないかと思う。
余談ではあるが、後年の岩倉具視はこの堀河家からの養子である。最も具視の父の
堀河康親も萩原家からの養子だが。
反定価の低脳の馬鹿共、ちょっとまともな958や961のような書き込みが出ると、
とたんにだんまりか?所詮お前らの様な脳味噌の無い空の頭の外道らには、
難し過ぎて無理だわな。だから定価にも馬鹿扱いされるんだよ。人の揚げ足ばかり
取らずにまともな書き込みの一つもしてみろ。ば〜か。
963 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 00:30:37
>>962 親具は養家の水無瀬家で実子の氏成をたてようとして親具を毒殺しようとした
ソースは?
964 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 00:54:34
>>963 ソースか醤油か知らんが、それがものを教えてもらう態度か、ば〜か。
自分で調べろ。系図の本でも見たらいいだろう。これがヒントだ。
965 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:10:10
浅見唯男の『華族誕生』だと高倉家は羽林家になってるね
>>959 >これからも定価の挑発は続くんじゃないの。
定価はお前だろうが、ば〜か。
968 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 07:15:25
>>967 だからお前も
>>959を読んでいないのか?それとも文を理解出来ないほどの馬鹿か。
見れば定価かどうか明白だろうが。今ごろ何を素っ頓狂な事をかきこしてるんだ。
何度も言うが本当〜に救いようの無い馬鹿だね。
969 :
961:2005/08/23(火) 07:19:19
>>962 なるほど、そういう裏事情が、あったのですか。うーん、中々面白いですね。
自分は、系図集の記事の、養子・義絶・出家ぐらいまで止まりで、そこまで、たどり着けませんでした。
あなたの「ソース」とは、別でしょうけど、962を読んだあとで、発見しましたが、
『公卿辞典』の「水無瀬親具」の欄に、ごく簡略ですが、事件のあらましが、載っていました。
手持ちの本全部に、その度に当たるのは、面倒で無理だけど、調べるという事は、楽しいものですね。
>>965 『華族誕生』を見直してみて、驚きました。確かに高倉が、羽林家となっていますね。
ただ、平堂上すべてに、家格が記されている、他の複数の資料類では、高倉は半家となっていますし、
公卿に至らず没した、当主の最終官職に、中少将が見当たらないので、やはり高倉は、半家だと思われます。
『華族誕生』の、参考資料一覧を見ると、明治時代史料が豊富で、近世公家関係は、心許ない気がします。
属閑院家(元南家流)の、藪(別名高倉)との、ケアレスミスの可能性も、全くないとは言えません。
堀河家は花山院家にも養子をだしている。岩倉具視の実弟。
平堂上から清華に養子という従来の上下関係が緩やかになってきたのも江戸末期あたりからか。
971 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 11:27:13
>>969 962だが、講談社の「日本史諸家系図人名辞典」と平凡社の「大人名事典」をちょっと見て、
適当に書いただけなので所謂「知ったか」しただけ。
堀河家は所謂「昵近衆」と言われる公家ではないが、花山院、水無瀬、大炊御門、
竹内、徳大寺、西洞院、平松らとならんで、徳川と近い関係のあった公家なので、
親具も家康の庇護を求めたのだろう。養家の水無瀬家では事件のもとになった
実子の氏成は父の兼成や親具との年齢差から見て、おそらく親具が水無瀬家に
入った後に生まれたと思われるので、そこにお決まりのお家騒動の目があったのだろう。
お家の為と実子の氏成の擁立を図って殺された家人も哀れではあるが、一方命を狙われた
親具もたまったものではなかったろう。こうして見ると、堀河、樋口両家の出自も
興味深いものがある。
972 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 11:46:26
>>970 何かの勘違いではないか?江戸時代後期の花山院家いおける他家からの養子は
庶流の中山家か入った愛徳がいるだけだが。
堀河家からの養子は明治になってからで、岩倉具視の実弟ではなく、甥の堀河康隆の
七男親家が花山院忠遠の養子になっている。再度確認して頂きたい。
973 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 13:42:32
>>970・
>>972 堀河家は、江戸中期以降養子が多く、特に幕末〜明治は、入り組んでいる。
詳細は省くが、明治に花山院家の養子となった親家の、父の堀河康隆が、
実は岩倉具視の実弟で、系図上は、岩倉具視の甥とも言える。
余談だが、孝明天皇寵愛の、衛門内侍=堀河紀子は、岩倉具視の実姉。
花山院、水無瀬、大炊御門、
竹内、徳大寺、西洞院、平松らとならんで、徳川と近い関係のあった公家
くわしく。
官位では花山院家は優遇されているともおもえない。
>>972 花山院さんて奈良の治安の悪いというか天理街道あたりのディープなところに住んでる。
Bっぽいんだが。
養子の件については明治でしたね。訂正サンクス。
ところで花山院家の系図みてると師賢といった南朝についた人を数えないようだけど。
清華家の婚姻の相手は三條家が井伊家と姻戚にありましたね。
清華以下だとだいたいどの家との婚姻が多いのでしょうか。
おおい御門の吉良家との婚姻は吉良が大名でないことを鑑みるに、レアケースなのでしょうか。
ちなみに吉良公は例の事件の前日あたりに主家筋である喜連川家の対偶改善を嘆願していた
ほどの家柄ヲタク。
翌日に似非源氏の浅野某がきたもんだから。
花山院家は通字は最初は家であったり定を多用していたが
江戸期には徳川家に遠慮して「家」の字を控えていたのかとおもっていた。
質問なのですが菅家10家なるものがあったのでしょうか?
塩小路さんという書家が菅家であると名乗っているのですが。
ぐぐればでてきます。
紀宮花山院流という華道のHPも見れば見るほど笑えてくる。
979 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 16:39:07
>>973 972 だが、ご指摘通り康隆は系図上は具視の甥ではあるがその実、康親の六男で具視の弟であり、
見落としていた。しかも、具視の義兄、康隆の養父となる堀河親賀は先々代親実の実子だと言う
ややこしさだ。本当に堀河家の養子継承の多さは、昔、実子を擁立しようとして殺された水無瀬家の
家人の怨念かとも思えてしまう。
吉良と大炊御門との婚姻の事実は知らなかったが、あっても不思議ではないだろう。
なにせ吉良は足利庶流であり、徳川家を始め出自不明の大名達の多い中では出色の家柄に違いなく、
しかも大名にはなれないと言う屈折した心境は理解できる。
心中将軍家をも見下していても可笑しくはない。その吉良から見たら浅野の分家大名など、
虫けら同然であり、禄高だけは10倍もあると言う、憎しも百倍だろう。
980 :
日本@名無史さん:
>962だが、講談社の「日本史諸家系図人名辞典」と平凡社の「大人名事典」をちょっと見て、
>適当に書いただけなので所謂「知ったか」しただけ。
確かに適当で知ったかな奴だな。
さすが自分のことは自分がよく知ってるってわけだ。
そんな孫引きじゃダメだろうが。
ちゃんとした典拠史料を示してみろ。
事典の項目記事というのは、他の事典の記事を、その内容が本当か嘘かをきちんと確かめずにアレンジしただけのものが多いからな。
まったくもってソースだか醤油だかわからんカキコだなw ば〜か。