「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか12)
32 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :
>>22 「卑弥呼」は「ヒミコ」とは読めないよ。
「女」を「コ」と読むようになったのはわりと新しい時代。
古代では、女を「メ」とか「ミ」とかの「m音」で呼んでいた。
後に「ヒルメ」となったのではなく、もともと「ヒルメ」だろう。
33 :
日本@名無史さん:03/10/03 05:56
>>32 なぜ、「卑弥呼」は「ヒミコ」とは読めないの?
少なくとも、「卑」「弥」の「ヒ」「ミ」への対応付けは他の例からも問題なく、
残るは、「呼」が、のちの大和時代には存在しないH系の音であるくらい?
34 :
日本@名無史さん:03/10/03 06:17
逆に、奈良時代には存在しなかったH音のものを輸入するときは、
上海(シャンハイ)のハイをカイとしたように、日本語ではK音になってる。
また、同じく当時は、現在のH音(は行)はP音(ぱ行)発音だったのも事実。
その観点からは、卑弥呼の『pi-mi-ho』は、
日本語に取り入れる段階で、(当時存在しない)H音をK音でとらえ、
『ひみこ』(もちろん当時の発音は『ぴみこ』)で問題ないのだが、
落とし穴として、もともと日本で『ぴみこ』と呼んでいたのを、
なぜ漢字にて、『卑弥呼』と書いたかという逆を吟味するべき。
もちろん、どちらが先なのかは、わからないし、
あとから漢字の場合でも、それをどの国のものが当てたかで話が変わる。
H音は古くは日本に存在しなかった音と考えられるのが普通。
中国人が発音するH音をKで写しているのが事実。
さて、じゃ古代日本人の発音するKを中国人がHで聞き取る可能性がないかというと
「狗」や「古」で写したKと違う種類のKがなかったとは言い切れないのでは?
36 :
日本@名無史さん:03/10/03 06:28
乙類で発音するミコトの「コト」とか?
37 :
日本@名無史さん:03/10/03 06:35
>>35 なるほどね
じゃあ例えば、モンゴル系のkhanとかが転化して、当時khoとなっていた可能性は?
38 :
日本@名無史さん:03/10/03 06:40
一般的には有声音のhと無声音のhがあるらしい。
もちろん日本では奈良時代にはどちらも存在しなかったわけだが。
39 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/10/03 11:48
>>34 >日本語に取り入れる段階で、(当時存在しない)H音をK音でとらえ、
『ひみこ』(もちろん当時の発音は『ぴみこ』)で問題ないのだが、
問題大有りでしょう。
音が取り入れられるのは、5世紀〜6世紀になってからです。
当時では有り得ないと思うよ。
40 :
日本@名無史さん:03/10/03 11:58
>>39 H音を持たない倭人は、H音を持つ他の言語を聴いたときに、
K音としてとらえるというのは、異文化に接すればいつでもありうることなので、
なぜ、5世紀〜6世紀になってから、といえるのか、理解に苦しみます。
>>40 問題は、倭人伝の漢字表記を誰が決めたかだろう。
普通に考えれば、漢語話者が倭人の発音聴いて「h音」を充ててるわけだ。
なんか、ズレてるねー、あなた・・・
42 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/10/03 13:12
倭人が「コ」と発音したのを中国人が聞いたら「古」とか「狐」と
書く筈で、けして「呼」とは書かないでしょう。
中国人がh音の「呼」を当てたのならば、倭人はk音を言ったのではなく
h音に近いp音を言ったと考えたほうが良いのではないだろうか。
>5世紀〜6世紀になってから、といえるのか、
この点は、かなり前ですが「大○争」のほうである方に詳しく説明
して頂いたのですが、忘れてしまいました。
どなたか、この点について詳しい方がおられましたら、変わって
説明して頂けないでしょうか。
43 :
日本@名無史さん:03/10/03 14:03
倭人がh音に近いp音を言ったと考えたほうが、というのはおかしい。
なぜなら、倭人のp音は正しい漢字に対応づけられているからだ。
そもそも、卑弥呼の卑がその例の一つである。
よって、h音に近いp音を言ったと考える、のは成り立たない。
万が一そうであれば、卑弥呼は、pi-mi-poとなるわけだが。
44 :
日本@名無史さん:03/10/03 14:09
>>41 倭人伝の漢字表記を誰が決めたかは、
(漢民族に圧迫されて移動した)大陸南方系の移住者である倭人だと思われ。
つまり自己申告なのである。
ふっくらとした顔立ちの方で、常は前冠(額の上)に鏡をいただく
素敵な女性です。このスタイルで、神おろし等を行っていたようで、頭頂部
即ち冠頂にアンテナ状の一本針を、伊勢神宮の心の御柱に見立てて
飾っておりました。
>>44 だからさ、漢字が判る奴なら「ko音」に「呼」は使わないんだってば。
47 :
日本@名無史さん:03/10/03 15:59
>>46 そこが本質ではないことを理解すべし。
例えばちょっと回り道だが、
なぜ[呼]の音読みが[こ]なのか?
いろんなところが、ズレまくってるヒトだねえ。
49 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/10/03 16:46
?????
50 :
日本@名無史さん:03/10/03 17:03
ようするにさ、大陸北方音と南方音の違いだわさ。
倭の五王も南朝に詣でていて、そのあいだ北方は異民族が跋扈。
鮮卑系の隋や唐が大陸支配する頃には、発音まるで変わってしまったのさ。
51 :
日本@名無史さん:03/10/03 18:23
ぷっ
52 :
世界@名無史さん:03/10/03 18:30
南方音つったって、上海語、福建語、広東語、潮州語とかいろいろありますが。
御前ら、三世紀の東アジアを語れよ。
重複スレです
、 /⌒ヽ, ,/⌒丶、 ,エ
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iキ / ,;;´ ;lllllllllllllii、 \ iF
iキ' ,;´ ,;;llllllllllllllllllllii、 ナf
!キ、._ ,=ゞiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!! __fサヘ.
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i' ,._Ξミミミミミヾ巛彡////iii_ |
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| if! |l lヾヾシヾミミミ川|ii//三iリ `キi |
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| iサ ;サ, |リ リリ川川川川川l爪ミミiリ ,キi キi |
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;メ'´ !彡ノリリリリリゞミミシ `ヘ、
;メ ヾリリリリノ巛ゞシ `ヘ、
;メ ``十≡=十´ `ヘ、
ノ ゞ
↑
>>1 本スレはこちら
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1056891949/
55 :
日本@名無史さん:03/10/03 19:55
原点に帰れば、倭人の発音するxxを中国人が聞き取って「呼」という漢字を当てたわけです。
それがどんな音かというと、まず現代日本人の発音する「Ko」ではない。
といって、もちろん「Ho」でもないわけです。当時Hは無いはずですから。
コ乙は万葉仮名で「許」なども当てられているので、この可能性が高いのではないでしょうか。
>>1 ── =≡∧_∧ =!!
── =≡( ・∀・) ≡ ガッ ∧_∧
─ =≡○_ ⊂)_=_ \ 从/-=≡ r< >
── =≡ > __ ノ ))< > -= 〉# つ
─ =≡ ( / ≡ /VV\-=≡⊂ 、 ノ
── .=≡( ノ =≡ -= し'
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
. .│
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. .│ 道 頓 堀
57 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/10/03 20:01
3世紀頃の日本には「h」音が無かった代わりに「p」音が使われていたら
しいので、当時「ハヒフヘホ」は「パピプペポ」と発音していた事になる。
にもかかわらず、「呼(HuA)」とあたかも倭人が「h」音を言ったかの
様に書かれていると言う事は、倭人が「PuA」と言ったものに、それに
近い音の「呼(HuA)」をあてたのではないかと推測出来る。
重複スレです
、 /⌒ヽ, ,/⌒丶、 ,エ
`,ヾ / ,;;iiiiiiiiiii;、 \ _ノソ´
iキ / ,;;´ ;lllllllllllllii、 \ iF
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!キ、._ ,=ゞiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!! __fサヘ.
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ノ ゞ
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>>1
59 :
日本@名無史さん:03/10/03 20:05
>>57 倭人がPuAといったならば、「不」とかを当てるんじゃないの?
なぜ、わざわざ、「呼」なのか説明になってない。
60 :
日本@名無史さん:03/10/03 20:10
>>55 なるほど、『こ(乙)』が万葉仮名で『許』をあてるように、
『こ(乙)』に『呼』をあてた可能性というわけか。
しかし、根本的な問題としては、
万葉仮名は、奈良時代の北方音とはかけはなれている点に注意。
倭習ともいわれるが、わりと古い南方音ベースに、
倭語的な変調がかかったものになっている。もちろん音読み自体も。
重複
類似スレッドが複数あるようなので
こちらを倉庫スレッドに移動しようと思います
935 :にゃんちゅー :03/09/26 20:26
どっちにしても、汚い荒らし犯の作った偽スレの書き込むなよ。
ノ } ゙l、 」′ .,/′ .,ノ _,,y
.,v─ーv_ 〕 〕 .| .il゙ 《 ._ .,,l(ノ^ノ
,i(厂 _,,,从vy .,i「 .》;ト-v,|l′ _,ノ゙|.ミ,.゙'=,/┴y/
l ,zll^゙″ ゙ミ .ノ .il|′アll! .>‐〕 \ _><
《 il|′ フーv,_ .,i″ ||}ーvrリ、 ¨'‐.` {
\《 ヽ .゙li ._¨''ーv,,_ .》′ ゙゙ミ| ,r′ }
\ ,゙r_ lア' .゙⌒>-vzト .ミノ′ 〕
.゙'=ミ:┐ .「 ./ .^〃 :、_ リ .}
゙\ア' .-- ,,ノ| 、 ゙ミ} :ト
゙^ー、,,,¨ - ''¨.─ :!., リ ノ
〔^ー-v、,,,_,: i゙「 } .,l゙
l! .´゙フ'ーv .,y ] '゙ミ
| ,/゙ .ミ;.´.‐ .] ミ,
| ノ′ ヽ 〔 ミ
} } ′ } {
.| .ミ .< 〔 〕
.{ \,_ _》、 .{ .}
{ ¨^^¨′¨'ー-v-r《 〔
64 :
日本@名無史さん:03/10/03 20:25
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/´  ̄`ヽ
/ 〃 _,マ---‐一ヘヽ
i /´ リ}
| 〉. -‐ '''ー {!
| | ‐ー くー |
ヤヽリ ´゚ ,r "_,,>、 ゚'}
ヽ_」 ト‐=‐マ' !
ゝ i、 ` `二´' 丿
` '' ー--‐f
_| |_
/ \ おじいさんと一緒に♪
< <~| |~> 〉
\`| |'_ノ
/ \
//O| |O\\
// // \\
| | //= ヽ | |
| | // 二 \|| チクタクチクタク♪
| | (_ノ ― = )| |
(_) (_)
)
(
,, ) )
゙ミ;;;;;,_ (
ミ;;;;;;;;、;:..,,.,,,,,
i;i;i;i; '',',;^′..ヽ
゙ゞy、、;:..、) }
.¨.、,_,,、_,,r_,ノ′
/;:;":;.:;";i; '',',;;;_~;;;′.ヽ
゙{y、、;:...:,:.:.、;:..:,:.:. ._ 、}
".¨ー=v ''‐ .:v、,,、_,r_,ノ′
/;i;i; '',',;;; _'∀' ヾ.ミ゙´゙^′..ヽ
゙{y、、;:...:,:.:.、;:..:,:.:. ._ .、) 、}
".¨ー=v ''‐ .:v、冫_._ .、,_,,、_,,r_,ノ′
/i;i; '',',;;;_~υ⌒¨;;;;;;;;ヾ.ミ゙´゙^′.ソ.ヽ
゙{y、、;:..ゞ.:,:.:.、;:.ミ.:,:.:. ._υ゚o,,'.、) 、}
ヾ,,..;::;;;::,;,::;):;:;:; .:v、冫_._ .、,_,,、_,,r_,ノ′
重複ですね。
妨害のための偽スレかどうかを判別する方法
>>1 の内容が西都の宣伝であるかどうかを確認する
西都の文字があったら、それは妨害のための乱立している偽スレなので、
そのスレには絶対に書き込まないこと
67 :
日本@名無史さん:03/10/03 20:29
そもそも上古音じたい、いかがわしいもんだしな。
原史料も少ないし先秦時代の言語不統一 も計算に入ってない。
嬉しそうに「卑弥呼」は上古音では「ヒミホ」だとかいうが、全く相手にされてないし…
重複です。
どっちにしても、汚い荒らし犯の作った偽スレの書き込むなよ。
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70 :
日本@名無史さん:03/10/03 20:33
上古音がいかがわしいというのも少し失礼
厳密さの度合いに疑問があるといっても程度の問題
71 :
日本@名無史さん:03/10/03 20:34
中国がふざけた当て字しなかったら
卑弥呼って日巫女、日御子、日皇女、日神子のどれ?
72 :
日本@名無史さん:03/10/03 20:36
重複です。
935 :にゃんちゅー :03/09/26 20:26
どっちにしても、汚い荒らし犯の作った偽スレの書き込むなよ。
ノ } ゙l、 」′ .,/′ .,ノ _,,y
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64
74 :
日本@名無史さん:03/10/03 20:39
日皇女はあまり言われないようですけど
それと資料を漁った所「ヒミファ」よりも
「ヒミホ」「ヒミフォ」の方が有力みたいです
75 :
日本@名無史さん:03/10/03 20:42
↑
見え透いた『偽装荒し』は止めなさいな。程度が知れるよ。
>>75 何か、『急所』を突いちゃったみたいだね。ゴメンね。
77 :
日本@名無史さん:03/10/03 20:51
『許』と『呼』って、向うでの発音の違いはどうよ?
78 :
日本@名無史さん:03/10/03 20:55
『呼』は上古音『hag』、中古音『ho』、中世音『hu』、現代音『hu』。
といっても、北方基準で、しかも北方といっても異民族の影響うけまくりだ。
79 :
日本@名無史さん:03/10/03 21:03
孫を意味するアイヌ語の最も多用されると思われる言葉はmippo であり、
「美穂津姫」、「美保の関」などの「美保」に残っていそうに見える。
この「ミホ」が「卑弥呼」と関連あるのではないか。
80 :
日本@名無史さん:03/10/03 21:12
卑弥呼の呼の漢字の発音に当てられているhは、
より正確にはkhとすべきものである。
日本語のハ行音はPから出たものである。
従って、倭人のkh発音をp音と混同するのはおかしい。
81 :
日本@名無史さん:03/10/03 21:14
奄美大島のある地方の方言では、東京語のkがhになっている、また、東京語のhがpで保存されている
82 :
日本@名無史さん:03/10/03 21:20
「日本語の系統」を著している服部四郎によれば、
3世紀の倭国の発音に/k/も/kh/もあって、
卑弥呼の「呼」は/kh/を意図して記録されたものと考えられ、
日本語の主流ではこの/kh/は/k/に合流して、ヒミコ、と読まれたことになるらしい。
83 :
日本@名無史さん:03/10/03 21:21
『卑』は上古音『pieg』、中古音『pie』、中世音『pi』、現代音『p∂i』。
日本においては、『ヒ甲』にて用いられている。
84 :
日本@名無史さん:03/10/03 21:50
情報追加。
『彌』は上古音『mier』、中古音『mie』、中世音『mi』、現代音『mi』。
日本においては、『ミ甲』にて用いられている。
85 :
日本@名無史さん:03/10/03 23:46
卑弥呼=日巫女、っていうことであってる?
>>88 と
>>84 と
>>55 から、
『ひ(甲) み(甲) こ(乙)』となるけど、対応する大和言葉は?
86 :
日本@名無史さん:03/10/04 00:13
卑弥呼=日巫女
だとしたら
卑弥弓呼=?
87 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/10/04 06:36
魏での「呼」の発音hが正確にはkhだったって?
少なくとも中国の言語学者は、そんなこと言ってないよ。
88 :
日本@名無史さん:03/10/04 07:27
89 :
日本@名無史さん:03/10/04 08:45
90 :
日本@名無史さん:03/10/04 09:05
魏志倭人伝といわれる記事は晋の陳寿(〜297)のえらんだ「三国志」のひとつである「魏書」卷三十・東夷傳・倭人の条
91 :
日本@名無史さん:03/10/04 09:11
呼の使用例は、不呼国、呼邑国、卑彌呼、卑彌弓呼と4ヶ所だな。
つまり、呼を王などを示す尊称系の外来説っていうのも、にわかに信じがたい。
92 :
日本@名無史さん:03/10/04 09:25
「は行」(当時の日本では「ぱ行」)に注目するとよいのだが。
使われている「ぱ行」の文字は、『巴(pa)』『卑(pi)』『不(pu)』『柄(pe)』で、
なぜか、オ列の「ぽ(po)」だけがない。
一方、「は行」の文字は、『呼(ho)』と、オ列の「ほ(ho)」しかない。
つまり、当時日本のでは、現在のH音がP音で発音されていたという原則はOKだが、
オ列については、PよりもHに近い音で発音されていた、ということがわかる。
93 :
日本@名無史さん:03/10/04 10:06
まあ、現代日本人も、『は ひ ふ へ ほ』と話してるつもりでも、
他が聞き取ると、『HA HI FU HE HO』らしいからなあ。
94 :
日本@名無史さん:03/10/04 10:42
さしすせそも、sa shi su se soになってる現代日本人。
95 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/10/04 11:33
>>89 魏で書かれたものを、後に単に書き写しただけでしょう。
それとも、もとは別の字で書かれていたものを「卑弥呼」
と書き換えたとでも言うんですか?
たちつてと>>ta ti tsu te to
魏志ができた頃なんて、倭人は毛皮にはだしで走りまわてった頃、そんんな
時代の人が中国に渡って朝貢したなんて考えれれない
きっとヒミコはコリアン、ヤマタイコ国もきっとコリア半島のどこかにあったのだ
ろうと考えるのが自然、これに反対するバカはウヨク、韓日友好に反する
98 :
日本@名無史さん:03/10/04 11:53
↑同意
99 :
日本@名無史さん:03/10/04 11:56
935 :にゃんちゅー :03/09/26 20:26
どっちにしても、汚い荒らし犯の作った偽スレの書き込むなよ。
ノ } ゙l、 」′ .,/′ .,ノ _,,y
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おくれてるー
最近は縄文だってそんな原始イメージで語られない。
101 :
日本@名無史さん:03/10/04 11:57
935 :にゃんちゅー :03/09/26 20:26
どっちにしても、汚い荒らし犯の作った偽スレの書き込むなよ。
ノ } ゙l、 」′ .,/′ .,ノ _,,y
.,v─ーv_ 〕 〕 .| .il゙ 《 ._ .,,l(ノ^ノ
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| ノ′ ヽ 〔 ミ
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102 :
日本@名無史さん:03/10/04 15:47
当時のハ行は、『巴(pa)』『卑(pi)』『不(pu)』『柄(pe)』『呼(ho)』と、
発音していたという結論で正しいのですか?
103 :
日本@名無史さん:03/10/04 16:14
当時の中国には、F音がなかったらしいので、
FOをHOと捉えた可能性はあるな。
104 :
日本@名無史さん:03/10/04 19:23
邪馬台国の「台(正確には薹だけどここでは略)」についてだけど、
上古音では「d∂g(t'∂g)」、中古音では「d∂i(t'∂i)」なんだよね。
後世になってようやくアがはっきりしてタイ「t'ai」となってる。
ちなみに、ここで、「∂」はよくみかける、eが逆さになったような曖昧母音。
TAには「多」が当てられてるので、「台」をTOと介するのは十分あり。
大和政権とのつながりをぜひ知りたいので、教えて欲しい。
105 :
日本@名無史さん:03/10/04 20:33
『邪馬台』は、随書や北史では『邪摩堆』なのだが、
『堆』は、「ト」でいいんだよな?
106 :
日本@名無史さん:03/10/04 20:36
シャマ・タイゴ と言っている人が居ました。
107 :
日本@名無史さん:03/10/04 21:26
>>106 たしかに、(邪)の上古推定音は ngiag だし、
中古推定音には yia と zia があるので、
ジャマタイもありうるが、そのシャマタイとはなんぞや?
108 :
日本@名無史さん:03/10/05 00:02
『耶』も『夜』も、『diag』→『yia』という発音変遷で、『ヤ』なので、
『邪』も同様に、当時の倭語の『ヤ』を写したと見てよいであろう。
109 :
日本@名無史さん:03/10/05 01:13
琉球語は日本語と音韻対応がつく同系統の言語である。
九州北部に上陸した渡来人の言語がわずか数百年にして、
北は津軽の岬から南は八重山群島の先まで波及し、
先住の縄文人の言語に入れ替わったという説はありえない。
110 :
日本@名無史さん:03/10/05 02:35
ヤマタイとしてだね、「タイ」の不思議さに注目する人は居ないのか?
タイ国、台湾、沖縄(ウチナー=ウテナ=台)と来るんだからね。
ダイ国てのもあったし。
ヤマタイは山に拠った「タイ族」ではないのか?
111 :
日本@名無史さん:03/10/05 03:11
なるほど。
タイ族といえば、漢民族が北方の夷狄に押し出されて南下してくるまで、
今の中国大陸部の南側に幅広く分布していたんだよな。
そういう観点からは、春秋戦国時代に漢民族からの圧迫をさけて
山中へ入ったり南下したりしたものではなくて
海路へと活路を見いだしたものが黒潮の流れにのって
日本列島へたどり着いたものであるという説の補完になるかも知れず。
112 :
日本@名無史さん:03/10/05 04:44
タイ族は漢民族が前6世紀に「蛮夷」と呼んだ江南地域(雲南省周辺)→日本
春秋時代末(紀元前473年)越王勾践により呉滅亡⇒呉国の倭人が→日本
113 :
日本@名無史さん:03/10/05 05:55
卑弥呼たちの魏ならびに晋への朝貢のあと、
そのあとの倭の五王が宋などの南朝にだけ朝貢していたことを考えると、
そのとき北朝であった、鮮卑系の北魏などは夷狄とみなしていたのであろうね。
そういう意味では、倭国としては一貫していて、
そのまま鮮卑系の隋が中国統一してしまってからは、
まずは隋には対等外交を申し入れるなど我々の外交よりかなりまし。
114 :
日本@名無史さん:03/10/05 16:10
邪馬台国からヤマト朝廷まで一貫して、
漢の流れの後継国(例えば南朝の宋など)へは朝貢するけども、
異民族系の国(例えば鮮卑系の北魏や隋など)へは対等意識があったわけね。
115 :
日本@名無史さん:03/10/05 17:54
鮮卑系の北魏・隋・唐は漢文化にとりこまれてしまたわけだが、
日本の場合は、唐の衰退を見越して、遣唐使の意義がないと早々と縁切り。
邪馬台国も魏と晋のあとの五胡は相手にしていないように見える。
116 :
日本@名無史さん:03/10/05 18:59
>>115 つか、使者を送ろうとしたらその国が滅んでしまっていたなんてケースの方が多そうだが。
117 :
日本@名無史さん:03/10/05 22:11
た〜しかに。宋の場合は、倭からの使者の記録が史実の最後だった気がする。
そんなボロボロの南朝に対して、倭は、高句麗をなんとかしてくださいー、と。
とはいえ、それ以降の短命のへは、倭からの使者の記録すらない気が。
あの栄光の漢をひきつぐ政権があまりにボロイので見切りをつけたのでしょうか。
同時に高句麗なども南朝に使者を送っていたのですが、その後は、
東北部〜半島〜日本列島の各諸国は自立して中央集権化へと向かいます。
そこへ鮮卑系の隋が南北統一してしまったので、高句麗は隋を打ち負かし、
倭も対等交渉の文書を送るなど、漢とその後継の時代とは様変わりですな。
118 :
日本@名無史さん:03/10/05 23:55
公孫氏の出自をどなたか教えてください
119 :
日本@名無史さん:03/10/06 00:16
邪馬台国にとって公孫氏は、あこがれの漢への窓口だったと思う。
120 :
日本@名無史さん:03/10/06 00:52
邪馬台国が大和朝廷へと変化する過程において、
大陸からの亡命人が大きなポイントではないかと思う。
特に、五胡十六国の乱にて、
中原は拓跋鮮卑に、遼東〜半島は慕容鮮卑の支配下となり、
(残留したものもいるが)多くは南下あるいは半島や日本列島へ移動。
ここが、邪馬台国のあと、倭の五王が南朝と通じた根本であろう。
121 :
日本@名無史さん:03/10/06 02:48
光武帝が倭王に金印を授けたのは、
漢を復活させるにあたり、周辺国からの認知を必要としたからだよね。
もちろん、単なる相互関係の確認だけではなく、
倭王は今で言うところの貿易通商権を得たという点が大きいね。
122 :
日本@名無史さん:03/10/06 09:29
弥生時代の始まりから倭奴王や卑弥呼の時代にかけて、
日本における漢字の使用はどうなっていたのでしょう。
124 :
日本@名無史さん:03/10/06 22:34
>>123 蔡倫による製紙法ってのは2世紀になってやっとだぜ。倭奴国王金印よりもあと。
つまり、弥生時代になったからといって、書物がどどーんという時代じゃない。
誰も紙がどうのとは逝って無いんじゃない?
当時は木簡・竹簡でしょう。
書物がどどーんとなくても帰化人がいれば簡単な文章くらい習えるだろう。
布とか絹とかが紙代わりに使われていたとも思われ。
127 :
日本@名無史さん:03/10/07 05:08
春秋戦国時代に大陸から日本列島へ移住してきた人々が弥生人の一派なわけですが、
当時の漢字は、のちに一般的になった今のような漢字と形が違います。
つまり、春秋戦国時代よりまえならば甲骨文字であり、
春秋戦国時代においても古文とよばれる甲骨文字が少しだけ簡略化されたものです。
さらに加えて、始皇帝による漢字の統一までは、各地で漢字はばらばらでした。
もちろんそれは、甲骨文字に毛が生えたようなものだったからです。
そして、始皇帝による漢字の統一で、篆書となりましたが、これでようやく甲骨文字と現在のものの中間くらいです。
さらに、漢代には隷書となって、その後にようやく、我々が用いている漢字である楷書となったわけです。
128 :
日本@名無史さん:03/10/07 10:06
渡来してきた弥生人は、仮に大陸にいたときに漢字を使っていたとしても、
倭において今の書体のような漢字の考古物が出るわけないってことだな。
その後の卑弥呼のような魏とのやりとりで入ってきた漢字とは別もんだよな。
どこですか11)が未完
131 :
日本@名無史さん:03/10/07 12:51
132 :
日本@名無史さん:03/10/07 12:53
神功皇后が、卑弥呼なのでしょうか?
あるいは、古代の卑弥呼の活躍の記憶が、神功皇后の伝説を生んだのでしょうか?
133 :
日本@名無史さん:03/10/07 14:06
卑弥呼が魏と交流したあと、台与が晋と交流して、
そのあと東晋へ倭の五王の最初のが交流してるっけ?
北魏と交流した倭王はいない??
134 :
日本@名無史さん:03/10/07 17:07
宋にとっての倭・百済・高句麗の存在意味を検証してみましょう。
最初に百済ですが百済は472年に1度だけ北朝の北魏に朝貢して軍事救援を要請したことがありましたが、
おおむね南朝とは友好関係にありました。半島における大事な友好勢力なのです。
次に高句麗。高句麗は南北両朝に両属する外交方針を取っていましたが、「対北魏」という軍事的戦略からみると
軍事強国の高句麗は「北魏包囲網」からは外せない存在です。だからこそ、高い格式を与えていたのでしょう。
最後に倭ですが、はっきり言いまして殆ど重要視されていなかったと考えるのが妥当でしょう。
宋にとって遠く海を隔てた倭国は魅力的ではなかったことでしょう。
その上、半島の友好勢力の百済を「辺隸」と称し、宋の軍事の基幹方針である「対北魏」に必要な、
高句麗の征伐をぶちあげる倭国の対外姿勢は宋の外交方針とは相容れないものがあったと考えます。
とても、倭王武の要求は聞き入れる訳にはいかないものだったでしょう。
>>132 日本書紀の編纂者が神功皇后に卑弥呼のイメージを付加したものとオモワレ。
実際はヤマトトトヒモモソヒメあたりが卑弥呼ではないかと言われている
136 :
日本@名無史さん:03/10/07 18:43
>>135 倭迹迹日百襲姫は偉い長生きして国を護ったことになってますな。
しかし、箸墓古墳に埋葬されたことになっているのに、
箸墓古墳には殉死埋葬者は0だったので卑弥呼と合いませんな。
初代ヤマトトトヒモモソヒメが卑弥呼、2代目が台与
>箸墓古墳には殉死埋葬者は0だったので
誰が調べた(藁
たしか発掘できないのでは?
140 :
日本@名無史さん:03/10/07 20:32
>>134 倭国の戦略としては、北魏と組んだ方がよかったきがしますよね。
>>137 ふむふむ。ヤマトトトヒモモソヒメに初代と二代目ってのがいるのね。
箸墓のほうは、初代と二代目どちらなんでしょ?
142 :
日本@名無史さん:03/10/07 20:43
箸墓築造はトヨ(倭迹迹姫)の時代
144 :
日本@名無史さん:03/10/07 22:27
>>143 にゃるほど。卑弥呼が死んでから作ったわけですね。
すると、モガリの期間がかなり長かったのでしょうか?
最新の研究成果では、箸墓の築造年代は、3世紀中葉まで遡ることが報告されています。
147 :
日本@名無史さん:03/10/07 23:22
するってえと、孝霊天皇の皇女なのは、卑弥呼と台与のどっち?
垂仁天皇の皇女が、台与??
孝霊
‖━━━━━━┳倭迹迹日百襲姫(ヒミコ)
大倭國阿礼姫 ┗(孝元)━━━━大彦━━━━━━━御間城姫
┣倭迹迹姫(トヨ) ‖
┣(開化)━━━━━━御間城入彦
┣武埴安彦
149 :
日本@名無史さん:03/10/07 23:53
倭迹迹日百襲姫命は、孝霊天皇と倭国香媛の娘。
考元天皇は、孝霊天皇と細媛命の息子。
倭迹迹姫は、考元天皇と欝色謎命の娘。
よって、倭迹迹日百襲姫命は、倭迹迹姫の父の異母姉。つまり叔母さん。
倭迹迹姫を台与だとして、倭迹迹日百襲姫命を卑弥呼だとすると、
台与は卑弥呼の姪ということになる。
「オホヤマトクニアレヒメ―ヤマトトトヒモモソヒメ(ヒミコ)―ヤマトトトヒメ(トヨ)」という、巫女の系譜のほうが重要
151 :
日本@名無史さん:03/10/08 00:25
親子関係だと、意富夜麻登久邇阿礼比売命は、安寧天皇の曾孫娘。
安寧天皇−師木津日子命−和知都美命−意富夜麻登久邇阿礼比売命
>>150 そういや意富夜麻登久邇阿礼比売命は結婚して子を生んでるけど巫女になれたのか
>>151 はじめから結婚してたわけではないだろうね。処女じゃなきゃいけなかったかどうかもあやしいし。
153 :
日本@名無史さん:03/10/08 02:16
倭迹迹日百襲姫命(卑弥呼)は未婚だったわけですよね?なぜ??
154 :
日本@名無史さん:03/10/08 03:05
血統は後から繋げたものだろう。
占い能力によって巫の順位が決まり、その力は隔世遺伝(生まれ変わり)的に伝わると考えていた。
男王にいたっては、占いによる巫の指名だから血統は関係ない。
後に男子皇統が確立したが。
>>154 それは中国の場合だろう?倭国では血統を大事にしたと思うぜ。母系制だったかもしれないが。
156 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/10/08 03:39
天皇家は、万世一系などと言われてはいるけれど、古代は何度か王朝が
交代したのではないかと考えられてもいる。
その一番有名な説が神武王朝、崇神王朝、応神王朝の3朝交代説だが、
僕は、
1、「神武〜懿徳」までの「神武王朝」
2、「孝昭〜孝元」までの「孝昭王朝」
3、「開化〜◯◯」までの「開化王朝」
4、「崇神〜仲哀」までの「崇神王朝」
5、「応神〜」の「応神王朝」
の、5つの王朝が交代したのではないかと考えている。
↑の「◯◯」の部分には「大田田根子」を入れて、
大日日(開化天皇)が卑弥呼で、「大田田根子」が本当は
「大日日根子」であって台与なんじゃないかと考えています。
大田田根子は男性だよ
>>156 その5つの王朝が交代したと思う根拠は?通説とずいぶん違うみたいだが・・
ちなみに開化天皇(ワカヤマトネコヒコオホビビ命)の推定年代はヒミコの時代よりちょっと前だったと思う。
159 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/10/08 04:27
本当は、女だったが男に変えたのではないのかと言う事です。
ふむふむ。
161 :
日本@名無史さん:03/10/08 05:38
>153
太陽の妻だから。
日巫女
162 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/10/08 06:43
>>158 先ず、
「神武王朝」(神武〜懿徳)ですが、
この4人の天皇の和風諡号の語尾を見て頂きたいのですが。
全て「み」又は「みみ」が付くのです。
「記紀」や「風土記」に出てくる神名、人名に「み」又は「みみ」が付くのは
その殆どが出雲に関係がある人である事から、この「神武〜懿徳」の天皇は
出雲系と考える事が出来ると思います。出雲系の人が王になっていた時代は
記紀では、「天つ神」が来る以前の「大国主」が支配していた時代となっています。
つまり、彼らは「大王」とか「天皇」ではなく「大国主」だったのではないか
と僕は思うのです。そして、懿徳天皇に「徳」の字が与えられているのは、
彼が「天つ神」に滅ぼされた最後の「大国主」であり不幸にして死んだから
ではないでしょうか。
僕は、「大国主の国譲り」の話は、「懿徳」が「孝昭」へ国を譲った(滅ぼされた)
のを元にしてして出来た話ではないかと考えているのです。
次に、
孝昭王朝(孝昭〜孝元)ですが
この4人の天皇の漢風諡号を見て頂きたいのですが、
この4人の漢風諡号には、全て通字で「孝」の字が付いているのです。
これは、ひょっとすると彼ら4人は、外来侵略者であり同じ王朝であった
と言うことを暗示させているのではないでしょうか。
元々は彼らには、漢風諡号は無く後から贈られたものだそうだが、彼らの
漢風諡号を考えた人達は、彼らが外来侵略者の同じ王朝であったと言う事を
口伝などで知っていて、その事を暗示させる為に漢風諡号に通字で「孝」
の字を与えたのではないかと僕は考えているのです。
以下省略
ふむふむ、つづきは?
164 :
日本@名無史さん:03/10/08 10:38
>>162 孝昭王朝?(孝昭〜孝元)の和風諡号の共通性はどうなんでしょう?
漢風諡号がおくられた頃にそれ以外の情報がもし伝わっていれば
記紀などにもなにか反映がありそうな予感。
165 :
日本@名無史さん:03/10/08 12:18
>>162 神武天皇は出雲系だったのですね
邪馬台国の出雲説に頑張って欲しい
166 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/10/08 13:14
>>165 彼らの一族が後に出雲を治める事になったために、出雲系なのであって
大国主たちは近畿にいたでしょう。「大国主」の別名の「大物主」が
近畿に祭られているし。
僕は、国譲りの際に、大国主の子の事代主が天つ神に抵抗せずに従った
ために許され、出雲の統治を任されたと考えている。
167 :
日本@名無史さん:03/10/08 17:32
なるほど。神武天皇から懿徳天皇までは代々の大国主だったのですね。
すると、神武天皇が大和入りで戦った登見津彦(異称・長髄彦)は、
初代大国主と戦ったということになるんでしょうか?
>>162 >「神武王朝」(神武〜懿徳)ですが、
>この4人の天皇の和風諡号の語尾を見て頂きたいのですが。
>全て「み」又は「みみ」が付くのです。
神武>カムヤマトイワレビコ・・・何故、誰もつっこまない?
169 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/10/08 19:26
それは『諱』
171 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/10/08 20:03
「カムヤマトイワレビコ」という名前は、「ヒコホホデミ」と比べると
なんとなく古代的でなく、ずっと後の時代になってから付けられた名前
ではないかと言う気がしてならない。
邪魔大国
173 :
日本@名無史さん:03/10/08 21:08
951 :にゃんちゅー :03/09/26 21:08
__,,,,_
/´  ̄`ヽ
/ 〃 _,マ---‐一ヘヽ
i /´ リ}
| 〉. -‐ '''ー {!
| | ‐ー くー |
ヤヽリ ´゚ ,r "_,,>、 ゚'}
ヽ_」 ト‐=‐マ' !
ゝ i、 ` `二´' 丿
` '' ー--‐f
_| |_
/ \ おじいさんと一緒に♪
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\`| |'_ノ
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| | //= ヽ | |
| | // 二 \|| チクタクチクタク♪
| | (_ノ ― = )| |
(_) (_)
174 :
日本@名無史さん:03/10/08 22:13
ヒコホホデミはいいとして、そのあとは耳だけどいいの?
175 :
日本@名無史さん:03/10/08 22:49
投馬国の官のミミとの関係は?
人名に「み」又は「みみ」が付くと出雲系?
177 :
日本@名無史さん:03/10/08 23:49
という事は、ローバー・ミミは出雲系か?
178 :
日本@名無史さん:03/10/09 04:23
>>162 > 「神武王朝」(神武〜懿徳)ですが、
> この4人の天皇の和風諡号の語尾を見て頂きたいのですが。
> 全て「み」又は「みみ」が付くのです。
懿徳天皇はつきますか?
初代 神武天皇 彦火火出見(ひこでみみ)
二代 綏靖天皇 神淳名川耳尊(かみぬなかわみみ)
三代 安寧天皇 城津彦玉手看(しきひこたまてみ)
四代 懿徳天皇 大日本彦鍬友(おおやまとひこすきとも)
> 「記紀」や「風土記」に出てくる神名、人名に「み」又は「みみ」が付くのは
> その殆どが出雲に関係がある人である事から、この「神武〜懿徳」の天皇は
> 出雲系と考える事が出来ると思います。
「み」又は「みみ」が付く例で出雲系を教えてください。
あほか。
ミのつかない出雲系もたくさんいるし、出雲系でなくてもミのつくのはいる。
とりとめもない思いつき電波垂れ流してんじゃねぇよ(w
180 :
日本@名無史さん:03/10/09 06:29
邪魔大国
181 :
日本@名無史さん:03/10/09 06:36
邪馬台国 四国山上説これ最強 定説 全ての説に打ち勝った
182 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/10/09 09:43
>>182 ヲヒヲヒ・・甲類のミも乙類のミも一緒くたやん
184 :
キョウジュ:03/10/09 19:41
投馬国・・・出雲
邪馬台国・・大和 (おそらく魏の死者は日本海側から丹後あたりに
上陸)
卑弥呼・・・倭迹迹姫(箸墓の被葬者)
弟王・・・・崇神天皇
186 :
日本@名無史さん:03/10/09 20:24
投馬国の長官(top)は『弥弥(みみ)』であるという記述がポイントだな。
神々や初期天皇などの名前にも最後に『みみ』と付くのは、投馬国なのは明らか。
倭国全体的にメジャーな名前だろ
188 :
日本@名無史さん:03/10/09 21:43
魏志倭人伝で、弥弥(ミミ)となっているのは投馬国だけなわけだが、
投馬国の戸数は他を圧倒しているよな。なんでそんなでかいんだ?
戸数はいくつよ
190 :
日本@名無史さん:03/10/09 22:01
投馬国は5万戸だから、1戸が5〜10人として、50万人都市かも。3世紀に!!
191 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/10/09 22:32
>>188 魏志倭人伝には、
「不彌國」から「邪馬台國」まで水行20日+10日+陸行1月の間に、
「投馬國」しか出てこない、と言うことは、海沿いに水行30日だが
「不彌國」と「投馬國」との国境が分からないので、少なく見積もって
ても海沿いに水行20以上の距離がある巨大な国土を有する国である事が
分かる。
日本海沿いには山陰〜北陸方面に掛けて、四隅突出型墳丘墓が広く分布
しているが、僕は、この山陰〜北陸方面までを「投馬國」と考えている。
魏志倭人伝にある
【「投馬國」に至るに水行すること二十日。】
の部分は、おそらく正しくは
【「投馬國」の国都に至るに水行すること二十日。】
だろうと思う。
192 :
日本@名無史さん:03/10/09 23:52
>>162 にゃんちゅーさん、
仁徳天皇に「徳」の字が与えられているのはなぜですか?
193 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/10/10 01:57
>>192 仁徳天皇に「徳」の字が与えられているからには、彼が不幸にして死んだ
んだろうと僕は思っている。しかし、「記紀」などを見てもそれを伺わせる様
な記述は何処にも書かれていない。
そこで僕は、天皇の漢風諡号から「徳」の字が付けられた理由を推測する。
先ず、仁徳天皇の次は、履中天皇だが、
「履」とは「その地位に身を置く」と言う意味。(例:皇王の位を「履」む)
「中」とは、在野の対義語で「宮中」と言う意味。
つまり、「履中」とは「天皇の位に就いた」と言う意味と推測する。
次に、履中天皇の次の、反正天皇だが、
「反正」とは、「元の状態にかえす」と言う意味。
つまり、「正統でなかったものを、正統に戻した」という意味と推測する。
以上から、
16代「仁徳」(不幸にして死んだ)
17代「履中」(天皇の位に就いた)
18代「反正」(正統でなかったものを、正統に戻した)
となり、この事から大胆に推測すれば、
「仁徳」は、正統な皇位継承権の無い「履中」に殺されて死に
「仁徳」亡き後「履中」が皇位に就いた、しかし、その後
正統である「反正」が皇位に就き皇統は元に戻った。
と推測出来る。
ゆえに、仁徳天皇には「徳」の字が与えられたのではないかと僕は考えている。
「徳」の字には「不孝にして死んだ」という意味は、漢文の上ではまだない。
それは中世に生まれた日本独自の解釈。日本書紀の諡号は奈良時代のものだから、漢文での意味しかない。
「履中」は「中庸を行った」という意味のちゃんとした漢語。「天皇の位に就いた」と言う意味はない。
「反正」は「正しい状態に返した」の意味で、墨江中津王を滅ぼしたことをさしていると思われ。
195 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/10/10 02:28
>「仁徳」は、正統な皇位継承権の無い「履中」に殺されて死に
>「仁徳」亡き後「履中」が皇位に就いた、しかし、その後
>正統である「反正」が皇位に就き皇統は元に戻った。
↑のような事を書く訳にはいかないので
漢語を用いて、暗示したとは考えられないのだろうか。
196 :
日本@名無史さん:03/10/10 21:07
魏志倭人伝で、投馬国の副長官(ってなんだ?)の名前は、
ミミナリなんだろ?
ようするに古事記とかにでてくる、大量の、〜耳っていう神様と同じじゃねえか。
197 :
日本@名無史さん:03/10/10 21:43
『みみ』は、いわゆるモンゴル高原方面で言うところの、汗だな。
198 :
世界@名無史さん :03/10/10 21:49
>>197 むしろ「ジノン」もしくは「ホン=タイジ」あたりだあね。
倭国ではたぶんそのまま「耳」の意味だろう!
200 :
日本@名無史さん:03/10/10 22:19
御(み)じゃねの?
「わたつみ」「やまつみ」の「み」(神霊の意)も甲類だな
202 :
日本@名無史さん:03/10/10 23:28
>>156 1、「神武〜懿徳」までの「神武王朝」
2、「孝昭〜孝元」までの「孝昭王朝」
3、「開化〜◯◯」までの「開化王朝」
4、「崇神〜仲哀」までの「崇神王朝」
5、「応神〜」の「応神王朝」
2,3に「神」がない理由はありますか?
203 :
日本@名無史さん:03/10/10 23:32
甲ミが、古代日本における、神とか霊とか王の意味っていう結論でよろしいか?
タギシミミ
長官と副長官がいるってのが面白いね
206 :
日本@名無史さん:03/10/11 08:54
倭人伝では邪馬台国の使者に銀印青綬が送られたが 何か記録とかあるのだろうか?
208 :
日本@名無史さん:03/10/11 21:51
なるほどね。
『〜耳』っていう神が、当時で人口50万人という驚異の投馬国の支配者とすると、
このたび、「天皇総合スレ」で1000を取りました。いや、激しかった、1000争奪戦。
しかし、初めて手に入れた1000.その感触・匂い・形。すべてが嬉しい。
>>1にも、この喜び届けー!!!
210 :
日本@名無史さん:03/10/11 22:40
天忍穂耳 あめのおしほみみ
211 :
日本@名無史さん:03/10/11 23:03
弥弥(みみ)が倭国での支配者の称号だと記録していた魏の使者は偉いな。
212 :
日本@名無史さん:03/10/12 00:45
伝承を伝えてきた日本人と古事記もエライ
213 :
日本@名無史さん:03/10/12 02:00
ニニギも、元はミミギらしい。
214 :
日本@名無史さん:03/10/12 02:06
よってたかってミミ厨を祭ってるのか?
それともミミ厨の自作自演?
215 :
日本@名無史さん:03/10/12 03:39
ミミ厨てなに?
ここで初めて聞いた。
217 :
日本@名無史さん:03/10/12 04:53
>>162 >> 「記紀」や「風土記」に出てくる神名、人名に「み」又は「みみ」が付くのは
>> その殆どが出雲に関係がある人である事から、
ここか。
たしかに出雲率が飛び抜けているともいえないことはないわな。
しかし既出の説な気がするがミミ厨とはそういうことなのか??
なんか自分のホムペ(?)で論じてたような・・
219 :
日本@名無史さん:03/10/12 13:05
> 懿徳天皇に「徳」の字が与えられているのは、
> 彼が「天つ神」に滅ぼされた最後の「大国主」であり不幸にして死んだからではないでしょうか。
大国主ってやっぱり何人もいて、ようするに、大王ってことかな?
220 :
日本@名無史さん:03/10/12 13:18
固有名詞だってスリコミから開放されてみると
「国主」は「王」を一段低めていう呼び名だがら
「大国主」≒「大王」だね。
大倭日子鋤友命 西紀前510年2月4日 即位
222 :
日本@名無史さん:03/10/12 17:33
>>221 大倭日子は尊称のおまけだから、本名は、『鋤友(すきとも)』だったんだろな。
223 :
日本@名無史さん:03/10/12 17:49
実在していたらなw
224 :
日本@名無史さん:03/10/12 19:18
「ミミ」が邪馬台国の官職名で、後に美称化して人名にくっ付いたのかも知れん。
天忍穂耳(アメノオシホ・ミミ)、多芸志美美(タギシ・ミミ) 岐須美美(キス・ミミ)、
神八井耳(カムヤヰ・ミミ)、神沼河耳(カムヌナカハ・ミミ)。
→アメノオシホ太夫、タギシ衛門、キス乃輔・・・
六耳の猿 西遊記
226 :
日本@名無史さん:03/10/12 21:26
なるほど。
太夫とか衛門とか乃輔の、古代の偉い人versionが、ミミなわけか。
227 :
日本@名無史さん:03/10/12 22:09
ミミがつく人物とつかない人物に明らかな属性のちがいがあるのか?
228 :
日本@名無史さん:03/10/12 22:43
ミミが略されてなのかミだけのも多いという点もあるなあ
229 :
日本@名無史さん:03/10/13 00:38
ヒコ系とミミ系ってのは、日本国内での、別勢力だったんだろうか?
230 :
日本@名無史さん:03/10/13 01:10
同じ一族にミミもヒコも混ざってるのに?
231 :
日本@名無史さん:03/10/13 02:16
投馬国の場合は弥弥(ミミ)とミミ系であるけど、
狗奴国の場合は狗古智卑狗(キクチヒコ)とヒコ系ですよね。
両者は対立していませんでしたか?
232 :
日本@名無史さん:03/10/13 02:45
対立してたのは「邪馬台国を中心とした倭国全般」VS「狗奴国」
投馬国は倭国の一部にすぎないし、倭国には弥弥より卑狗の方が多い。
倭人伝読んだことないの?
233 :
日本@名無史さん:03/10/13 06:49
>>232 おいおい、それをいったら、狗奴国だって倭国の一部にすぎないのでは?
234 :
日本@名無史さん:03/10/13 08:34
このスレ よんでるが 九州説 大和説どちらか判断むづかしくなった 遺跡、古墳から金印が 出てくれないと けりがつかないかも
235 :
日本@名無史さん:03/10/13 08:53
>>234 このスレのどこにも、九州説とか大和説といった低レベルな議論してないんですけど?
スレタイは「どこですか」だけどな
237 :
日本@名無史さん:03/10/13 10:22
景行天皇12年の土蜘蛛討伐のところで、
耳垂(みみたり)というのが出てくる。
彌彌那利(みみなり)が魏志倭人伝に出てくるわけで、なにやら関係くさい。
238 :
日本@名無史さん:03/10/13 10:54
倭国の使者で難しょうめ ともう一人の名前が倭人伝に記載されてるが、記紀等にこれと同一と思われる人物はあるのだろうか?
239 :
日本@名無史さん:03/10/13 11:00
倭国の記録とチョンの欺瞞(記紀)とは一致しません。
卑弥呼と神功皇后が同じと思う?
240 :
日本@名無史さん:03/10/13 11:10
卑弥呼って3世紀のひとで、
記紀編纂は8世紀なわけです。
今から、500年前といえば、応仁の乱のあとの戦国時代初期。
書物でもなければ大量の情報を伝えるのは無理です。
で、昔のことは、口伝えによって、語り継がれますが、
500年もあれば20世代以上で、どんな伝承も変化してしまっていることでしょう。
241 :
日本@名無史さん:03/10/13 11:25
重要なのは、卑弥呼が語り継がれるべき存在かどうか。
当時の大陸側の魏や晋にとっては、
東西から朝貢があることがとても重要であったし、金印も授けた。
しかし、それが、日本において語り継いでいくような意味あることかどうか。
それよりも、古事記などにあるような、神話あるいは昔の人の事件、
といったことのほうが、語り継がれる対象ではないか。
242 :
日本@名無史さん:03/10/13 12:04
>>237 『た⇔な』の変化は生じやすいことが有名。
よって、『耳垂(みみたり)』=『彌彌那利(みみなり)』と思われ。
243 :
日本@名無史さん:03/10/13 13:13
244 :
日本@名無史さん:03/10/13 21:41
ようするに、日蝕とかの大事件は語り継がれて、古事記のように伝わってるけど、
卑弥呼(日巫女かもね)がどうのこうのや朝貢ってのは、伝わらなさげ。
245 :
日本@名無史さん:03/10/13 22:09
>>244 中国に朝貢していたというのは、ある意味で「不名誉な歴史事実」だからねえ。
卑弥呼(日巫女)っつーのは固有名詞じゃなくって、役職名である。
言うならば「市川団十郎」みたいなもんだ。
だから卑弥呼(日巫女)が死んで壱与が立ったっつーのは、おかしい。
なぜなら壱与も卑弥呼(日巫女)だから。
要するに卑弥呼(日巫女)が戦争のさ中にお隠れになったあと、
再び新たな卑弥呼(日巫女)が現れたわけだ。
この文章の「卑弥呼(日巫女)」を「アマテラスオオミカミ」に
変換してみたまえ。
厳密に言うと、日ミコのミコは「巫女(フジョ)」というよりも「御子」の意識が強かったような気がする。
248 :
日本@名無史さん:03/10/13 22:20
ヒミコの語源は「日輪の御子」かにゃー?
東アジア一帯に伝わる「日輪感受説」とかと何らかの関係あるのかにゃー?
249 :
日本@名無史さん:03/10/13 22:54
卑弥呼=日巫女=大ひる女命
250 :
日本@名無史さん:03/10/14 00:46
日蝕の計算データが地球回転率の微妙な変化の研究結果を採り入れて、
データ補正されて時間や地域が少し変わったらしいけど、
3世紀の日蝕データの最新情報を誰か詳しい人教えてください。
補正前のデータはここの過去スレで見たことあって、
微妙に卑弥呼の推定死期と一致していたと思います。
251 :
日本@名無史さん:03/10/14 05:30
日本書紀や古事記に書かれております「天の岩戸」のお話は、
江戸時代に荻生徂徠が、 皆既日蝕を物語として伝えたのではないかと考えたのが初めであるようです。
“ヒミコ”は古代宇宙企画帝国語で、
「おらが村の特産品」という意味で、
現代風に訳すと「愛媛の伊代柑いい予感」となる。
253 :
日本@名無史さん:03/10/14 15:14
卑弥呼は、曾我氏(蘇我稲目)のご先祖かも。
ヒミコはコリア系渡来人、名前からしてそうだ間違いない
255 :
日本@名無史さん:03/10/14 17:10
>>254 コリアなんてその時代にはありませんでしたが。
伽耶のこと言ってるの?
釣られ杉
258 :
日本@名無史さん:03/10/14 18:17
>>254>>256 伽耶国の始祖、夷弥嘉のことかと思われ。
もっとも、この名前自体が卑弥呼の真似っぽいが。
なんや?夷弥嘉て
260 :
日本@名無史さん:03/10/14 18:37
いやいや、渡来人ではない。顔は似ているが。
261 :
日本@名無史さん:03/10/14 18:39
朝鮮に神社ってあったっけ?
263 :
日本@名無史さん:03/10/14 21:31
皆さんにお聞きしますが 邪馬台国の決定的な比定は 古墳、遺跡の発掘を念入りにすれば達成できるだろうか?
そんなことしたらロマンがなくなって、村おこしができなくなる村がでてくる罠
265 :
日本@名無史さん:03/10/14 22:00
>>263 無理だね。古墳や金印が出土してもそこが邪馬台国だという
決定的な証拠にはならん
ヤマトに収奪されたんじゃ〜って叫べば何でもOK
何もないのは収奪された証拠!
収奪されたということは邪馬台国だという証拠!!
これが邪馬台国の決定的な証拠!!!
267 :
日本@名無史さん:03/10/14 23:11
最終的な比定なんてどうでもいいじゃないか。
比定に関連する様々な要素にすいて議論するのがこのスレ。
理解できないやつはこのスレを最初から読めや。
268 :
日本@名無史さん:03/10/15 06:09
>>84 そのように、『彌』は、日本において、『ミ(甲)』に用いられているならば、
投馬国の長官の『彌彌(ミミ)』においても、同じだろうから、
古代大和言葉での、甲類ミの意味って、霊とか神とかだっけ?
>>268 同音異義語は多いから、一概に神(み)・霊(み)とは言えない。
水(み)・見(み)・御(み)・深(み)なども甲類。もちろん耳(みみ)も甲類。
270 :
日本@名無史さん:03/10/15 22:16
それぞれの(み)は、すべて、神聖なイメージからの派生であろう。
271 :
日本@名無史さん:03/10/15 23:26
やはり、みみ=御霊(あるいは同じだけど御神)、なのね。
西宮一民の神名の釈義によると、「正勝吾勝々速日天之忍穂耳命」のところに、
>「耳」は「神霊(み)」を二つ重ねた表現で尊称
だとさ(ちなみにその名義は「まさしく立派に私は勝った、勝利の敏速な霊力のある、高天の原直系の、威圧的な、稲穂の神霊」)。
出雲系の尊称とでも言うのであろうか…。
935 :にゃんちゅー :03/09/26 20:26
どっちにしても、汚い荒らし犯の作った偽スレの書き込むなよ。
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274 :
日本@名無史さん:03/10/16 05:38
>>272 記紀による操作を考慮して、
出雲系以外の『〜ミミ』をピックアップして厳密に議論してみようぜ。
275 :
日本@名無史さん:03/10/18 10:13
綏靖天皇 = 神淳名川耳尊
276 :
日本@名無史:03/10/19 00:16
邪馬台国はエジプトだよ〜ん。
帯方郡から邪馬台国までの道のりは、ローマからエジプトまでの道のり。
魏志倭人伝の作者が、ヨーロッパのネタをパクっただけさ。
277 :
日本@名無史さん:03/10/19 02:19
>>276 ここは、邪馬台国がどこかなんて低レベルの話を直接してるのではなく、
それにつながるための各関連要素について議論を深めているわけです。
〜説とか唱えるのはさすがに園児でもできますよ。
278 :
日本@名無史さん:03/10/19 03:48
天照大神「豊葦原の千秋長五百秋長之瑞穂の国は、我が子、正哉吾勝勝速日天押穂耳尊が治めるべき国である。」
279 :
日本@名無史さん:03/10/19 05:13
↑だから何?
280 :
日本@名無史さん:03/10/19 05:23
瑞穂の国だから、天押穂が治めるってのわかるんだけど、
天押穂のうしろの耳尊てなによ?
●●●マスコミの 「盗聴/盗撮」 は許されるの?その5●●●
http://natto.2ch.net/mass/kako/998/998142751.html 724 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 01/09/09 17:52 ID:Na9tEsUs
>>722 >早朝番組の「占いコーナー」なんて、個人向けメッセージの宝庫かもしれないですね。
雑誌の占い欄もそうですね、以前も書いたけど。
「あなたの成果を横取りする人がでてくるかもしれません。その人の要領の良さに嫉妬しないで」
というアドバイスをある占いから頂きました。でも残念ながら,盗聴の要領の良さは嫉妬の対象になりません。
それに、成果を横取りするよりも、私にとっては、私生活の侵害のほうが遥かに腹立たしいです。
> 口では「マスコミの盗聴」に反対しながら、本音の部分では喜んでるんだろ、と思っている。
だから、盗聴に対する罪悪感がないのだ。その根底にあるのは、
女子アナ・芸能人というものに特別の価値があるという自惚れだ。
あはは、なるほど。そう言えば、盗聴やストーキング行為は、
かっこいい人にならされてもいいと言った、某マスコミ関係者がいたらしい。
された事ないから、わからないんだよね。それを聞いた人が
「なんだ、盗聴されても悪い気はしないんだ」と思い、罪悪感無く盗聴を続ける事になる。
いくら尊敬している人でも、かっこよくても(笑 盗聴がわかった時点で、信用は無くなります。
282 :
日本@名無史さん:03/10/19 06:18
>>280 耳は、魏志に出てくる官名の彌彌で、尊は尊称なんじゃねの。
283 :
日本@名無史さん:03/10/19 13:39
>>282 てことは、天照大神の子が、魏志に出てくる官名(たしか最高位)を持っていることになるのだが‥
284 :
日本@名無史:03/10/19 19:23
だからエジプトだって。
邪馬台国なんて日本にはなかったんだよ
>>283 「ミミ」自体が「神霊(み)」を二つ重ねた表現で尊称だよ
魏の使者は尊称だと分からずに官名だと思ったんじゃね?
:にゃんちゅー :03/09/26 20:26
どっちにしても、汚い荒らし犯の作った偽スレの書き込むなよ。
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288 :
日本@名無史さん:03/10/20 02:11
>>286 なるほど。
魏の使者の頭の中では、倭における尊称という概念が全くなく、
官名の一種としてとらえてしまった可能性は確かにありえそうだ。
とすると、天照大神の子の天押穂耳という神話あるいは事実を言い伝えた集団と、
魏の使者が訪れて、ミミを記録したところの集団は、同じ系統であると言えそうだ。
ん〜、実はアマテラスは確かもっと新しく(しかも女神として)取り入れられた神なんだな。
天押穂耳はどうかわからないけど。
290 :
日本@名無史さん:03/10/20 06:04
天照(アマテラス)は、とりあえずおいておくとしても、
天押穂耳(アメノオシホミミ)という魏志に出てくる官名(実は尊称?)を
持つ名前が古事記に伝わっているという点には大きく注目していいのではないか?
百舌の耳原
百舌 五十音図×2を聴く ひらがなとカタカナ五十音二つ
古神道関係
292 :
日本@名無史さん:03/10/20 09:54
293 :
日本@名無史さん:03/10/20 21:32
>>290 やはり、邪馬台国から大和朝廷へは、つながってるってことか。
邪馬台はヤマトとしか考えられないしね。場所は保留するとしても。
295 :
日本@名無史さん:03/10/21 01:10
邪馬台国が今の大和地方に移転してきて、大和の地名が出来上がったんだってば。
296 :
日本@名無史さん:03/10/21 04:58
>>295 ようするに、それは邪馬台国=大和朝廷ってことだろ?
297 :
日本@名無史さん:03/10/21 08:57
九州の邪馬台国の送り出した移民先発隊が大和をハケーンし、
一部の人を残して国民の大半が移り住んだわけだ。
そして大和組が周囲の原住民や渡来人らと国家を形成し、
残った九州組は大陸・半島への窓口行政機関となった。
つまり、九州は元祖邪馬台国、畿内は本家邪馬台国。
298 :
日本@名無史さん:03/10/21 10:03
じゃあ九州人ってチョンなの?
299 :
日本@名無史さん:03/10/21 12:58
ヤマトの当て字が邪馬台だろ?
倭奴=古代コリア民族が先住の土人を征服し雌を犯して産ませたガキの子孫
倭王=コリアで犯罪を犯した一族が倭島に島流しになり当地で支配者階層に収まった
301 :
日本@名無史さん:03/10/21 16:22
ちょっと真剣に考えてみたのだけど、これはどう???
邪馬台国は、実は島。
しかし、時代が過ぎるにつれ、沈没したかも。
周辺にサンゴが確認されています。
とんでもない偉そうな言い方でごめんなさい。
302 :
日本@名無史さん:03/10/21 18:16
>>301 魏志倭人伝にかかれた邪馬台国の位置をそのまま当てはめると
太平洋上に存在したことになるけど、ちょうどそのあたりに「沖の鳥島」が存在してるね。
303 :
日本@名無史さん:03/10/21 18:31
船で一ヶ月(水行20日+水行10日)としか書いてない。
距離なんか判らん。 もっと遠く台湾・フィリッピン・ジャワ
でもおかしくない。 邪馬台国(ジャバタイ)はジャヴァ島に
あったと確信してる。
304 :
日本@名無史さん:03/10/21 18:35
↑アホか。
305 :
日本@名無史さん:03/10/21 19:22
昔、「邪馬台国は沈んだ」というトンデモ本があったのを
思い出した…。
306 :
日本@名無史さん:03/10/21 21:03
邪馬台国の海底遺跡を探すと、卑弥呼の墓や、農業道具とか出てくるかな。
沖ノ鳥島は、唯一邪馬台国の血を引いているかも。
303は、、、ありえない。
>>300 アフォか。その頃コリア(高麗)の概念自体希薄だ。
308 :
日本@名無史さん:03/10/21 21:58
300意味不明。
309 :
日本@名無史さん:03/10/21 22:16
邪馬台国は中津田(兵庫県)
310 :
日本@名無史:03/10/22 00:05
邪馬台国は、魏志に書いてあるのだから、当時の発音なら「邪馬台」=「サバディ」と発音されると聞いた事がある。
これが事実だとすれば、「邪馬台=サバディ」が「ヤマト」の音変化と考えるのには無理があるのでは?
>>310 サバディサバディサバディサバディサバディサバディ
サバディサバディサバディサバディサバディサバディ
あれは「カバティ」だったかw
卑弥呼(ヒムカ)日向の巫女
壹與(トヨ)豊の巫女
カバティ?
九州にはタミル語がいち早く上陸していた地域だからね..当然朝鮮にもタミル語の影響はあったはず。
>>313 インドのスポーツっす!
スレ汚しスマソ
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僕のHNで書くのは止めて下さい。
迷惑です。
317 :
日本@名無史さん:03/10/22 18:23
309名分けない。つまり、兵庫県ではない。
318 :
日本@名無史さん:03/10/22 18:35
行くぞ。って言って日本に渡り、>309の地点に届いた。
>>1 ┏━━━━━━━━┓ ┏━━━━┛┗━━━━┓
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>>1 深呼吸して考えてみてください。何故貴方が一般に言う駄スレというものを立ててしまったか。
目的など最初から無いでしょう。ただ現実社会から迫害されつつある貴方は、
そんな現実から居た堪れなくなりネットを利用して、他人に構ってもらおうとする。
お気持ちは判ります。そういう私もそのような行為を繰り返してきましたから。
しかしながら、そのような事を繰り返していても最後には、虚無感しか残らないのですよ。
世の中でうまく過ごしてる人達を羨むあなたは、何度も果敢にチャレンジを遂行されてました。
しかし何をやっても全て裏目に出てしまう。
泣きたくなりますよね。本当にお気持ちはよ〜く判ります。
ですが皆それ以上の努力を陰でコツコツと行っているのですよ。
一見馬鹿面に見える貴方の知人も、見えないところでとんでもない努力をされています。
お気づきだとは思いますが、ここにおられる2ch住民も、各々学校にも行ってますし、
仕事もきちんとこなしています。あくまで息抜きでここに来ているに過ぎません。
万が一貴方が、「ここの住民は俺と同じだ。ここに居ると安心するなあ。」
などと愚考していたならば、最大の勘違い野郎です。貴方だけが堕ちこぼれなのです。
先程にも述べましたが、そういう私も貴方と同じ愚行行為を遂行していましたが、
自ら気付き仕事を再開しました。恥ずかしながら、今付き合って3ヶ月の彼女と、
最高のお付き合いをさせてもらってます。
こんな私にも出来るのですから、過去にチャレンジ精神豊富だった貴方ならば必ず出来るでしょう。
本当に頑張って下さい。私も陰ながら応援させて頂きます。
コピペ邪魔だな
322 :
日本@名無史さん:03/10/22 23:23
荒らしのせいで一気に日本史板がおかしくなっていきそうです
323 :
日本@名無史さん:03/10/22 23:51
ねえねえ、「怡」っていう字って、
「い」って読むし「たい」にもつながってそう。
そして、「怡」を漢和辞典でひいたら
「やわらぐ。和。」ってあったんだよ!
これってハゲシクガイシュツ?
325 :
日本@名無史さん:03/10/23 06:15
「やわらぐ」は大和言葉かもしれないけど、和を「わ」と読むのは異国語では?
326 :
日本@名無史さん:03/10/23 06:21
文献記録上で最古といわれる超新星爆発の残骸(ざんがい)を特定したと22日、福井康雄・名古屋大教授(天体物
理学)らが発表した。さそり座の方角にある「G347・3−0・5」で、歴史上の文献に記されたうち、超新星爆発
に間違いないとされる七つすべてが突き止められたことになるという。
超新星は、太陽の約10倍以上の重さを持つ恒星が、一生の最後に爆発して明るく光るもの。最古の文献記録は中国
の歴史書「宋史」にあり、紀元393年ごろ、超新星爆発があったとされる。
福井教授らは、チリに設置した名古屋大の電波望遠鏡「なんてん」で観測した。この超新星の残骸が直径約60光年
であることなどから、爆発後約1600年と推定。宋史の記述と同一のものと判断した。
??意味不明
ノ } ゙l、 」′ .,/′ .,ノ _,,y
.,v─ーv_ 〕 〕 .| .il゙ 《 ._ .,,l(ノ^ノ
,i(厂 _,,,从vy .,i「 .》;ト-v,|l′ _,ノ゙|.ミ,.゙'=,/┴y/
l ,zll^゙″ ゙ミ .ノ .il|′アll! .>‐〕 \ _><
《 il|′ フーv,_ .,i″ ||}ーvrリ、 ¨'‐.` {
\《 ヽ .゙li ._¨''ーv,,_ .》′ ゙゙ミ| ,r′ }
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゙\ア' .-- ,,ノ| 、 ゙ミ} :ト
゙^ー、,,,¨ - ''¨.─ :!., リ ノ
〔^ー-v、,,,_,: i゙「 } .,l゙
l! .´゙フ'ーv .,y ] '゙ミ
| ,/゙ .ミ;.´.‐ .] ミ,
| ノ′ ヽ 〔 ミ
} } ′ } {
.| .ミ .< 〔 〕
.{ \,_ _》、 .{ .}
{ ¨^^¨′¨'ー-v-r《 〔
331 :
日本@名無史さん:03/10/23 21:29
比定地論争に決着! 全ての説の王 邪馬台国 四国山上説 北倭は此処なり 南倭は東海の姫氏国也
332 :
大木彡ヒロシ:03/10/23 21:33
四国(しこく)は神国(しんこく)が訛ったものですっ!!
333 :
日本@名無史さん:03/10/23 21:40
金印は 発掘されるであろう 朱に包まれてな
334 :
日本@名無史さん:03/10/23 21:53
山上説を論破した研究者をあげてくれ
335 :
日本@名無史さん:03/10/23 22:36
チーズが伝わったのが聖徳太子のころとすると、卑弥呼は食していないはず。
336 :
日本@名無史さん:03/10/23 22:38
ネェネェ!ヾ( ̄Д ̄;≡; ̄Д ̄)ツ キイテキイテ!、取りあえず邪馬台国って漢字で書かんといてほしい
すっごい不吉な漢字。
これは、中国側が勝手に書いた字だよ。
337 :
日本@名無史さん :03/10/24 03:06
ところで、地名相似に関してはいかがでしょう。
紀伊半島に見える、アワ、○ヶ里御浜、勝浦、鯛ノ浦が
房総に見えるのは、なぜでしょう?
遷東の根拠にも、その否定にも見えるのですが。
338 :
日本@名無史さん:03/10/24 10:08
ヤマト国が房総に進出したときにつけたのかな?
339 :
日本@名無史さん:03/10/24 10:23
黒潮ルートだろうか。
340 :
日本@名無史さん:03/10/24 16:13
1。だーかーら。島。一応日本。
341 :
日本@名無史さん:03/10/24 22:00
>>326 日蝕に続き、超新星の記述まで正しかったことになると、
卑弥呼はやはり天文ショーの被害者の蓋然性が高まるのではなかろうか?
342 :
日本@名無史さん:03/10/24 23:11
ここってさ、邪馬台国がどこにあるかのスレなんだろ?だったら、真剣に語れよ)w
↑。天文学じゃないぞ。
あそこは近くに赤道?(日本海流だよ)が流れているから、食料とか豊富だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
考古学者ってさ、何で以外の考えを思いつかないかな。
>>337 それはスレ違い。紀州人が黒潮に乗って房総に移住
>>336 秦の始皇帝の時代から有名な山東省の霊峰である浪邪山も
「邪」がついてるけどな。
345 :
日本@名無史さん:03/10/25 05:56
卑弥呼が天の岩戸に隠れたとき、日蝕が起ったんだよね。
346 :
日本@名無史さん:03/10/25 08:39
そーそー。
神の声って、錯覚じゃない??
337、あんた帰って。飼育できん。
347 :
日本@名無史さん:03/10/25 15:32
伊代が子供ですよ。
348 :
日本@名無史さん:03/10/25 16:49
349 :
日本@名無史さん:03/10/25 17:36
だーだー
350 :
日本@名無史さん:03/10/25 22:09
作れたりするな。塩で。
ーーーーーーーーーーー
考古学者だめだな。
351 :
日本@名無史さん:03/10/25 23:24
古事記の天の岩戸のが日蝕だとして、
卑弥呼の時代に十分効果がある日蝕があったかどうか?
352 :
日本@名無史さん:03/10/25 23:53
>>351 まだ政教一致の時代だから、一種の宗教的パフォーマンスだったんじゃない?
女王(老齢の卑弥呼)、岩戸に籠もる
↓
日食おこる
↓
民衆、パニックに陥る
↓
日食が終わると同時に岩戸から若返った女王(台与)が現れる
↓
女王の神通力に民衆はあらためて心服する。
こんな感じかにゃー?
>>352 若返ったのもヒミコ(日御子)に変わりないのに、魏の使者はなんで「台与」なんて名で記録したのだろう。こっちは本名?
あ、記録したのは使者じゃないけど
355 :
日本@名無史さん:03/10/26 01:08
>>353 きっと張さん、就任する前の彼女と面識あったんだよ。
あ、そうか。先代のヒミコはすでに誰も近寄りがたかったもんな。
357 :
日本@名無史さん:03/10/26 05:25
お前ら、ホント進歩しないなぁ。
時々とんでもない方向に「進歩」させるやつもいるけどなw
359 :
日本@名無史さん:03/10/26 08:44
よーするに、卑弥呼については本名がわからなかったし、
倭において、みなが、ヒミコと呼ぶだけだったので、卑弥呼と記述か。
匈奴の冒頓単于の父親の頭曼とかも、
本名なのか、tumenの一人だったのか、謎とされてるもんな。
360 :
日本@名無史さん:03/10/26 08:45
ああ、そうやって記載されてあるんだよ。アホじゃないの。
361 :
日本@名無史さん:03/10/26 10:45
卑弥呼を当時の言語で発音すると、「ヘメカ」に近い発音になるんだよ。
これ知ってる人は少ない。
>「ヘメカ」に近い発音になるんだよ
井沢本では、日向だったな。
363 :
日本@名無史さん:03/10/26 14:29
『卑』は、他の用例からも、『ぴ(pi or pie)』であることは確定すると思うが。
364 :
日本@名無史さん:03/10/26 14:43
365 :
日本@名無史さん:03/10/26 15:45
362って相手が何言ってるのか理解できない人のようですね(w
366 :
日本@名無史さん:03/10/26 16:20
ノ } ゙l、 」′ .,/′ .,ノ _,,y
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| ノ′ ヽ 〔 ミ
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368 :
日本@名無史さん:03/10/26 18:21
>>366
「トンデモ」系統意外のちゃんとした本をたまには読め。
事実だよ。
369 :
日本@名無史さん:03/10/26 18:32
三世紀の倭語の発音がわかってるっていってる本があるとしたら、
そいつがトンデモ本だと思うがナ。
370 :
日本@名無史さん:03/10/26 18:44
>>369 大学の研究内容とかもちっと調べてからモノ言わんと恥じ書いてるぞ。
371 :
日本@名無史さん:03/10/26 18:48
じゃあ、その研究内容とやらを書いてごらん。
書けるもんならね。
372 :
日本@名無史さん:03/10/26 18:50
>>371 自分で調べろや。
調べる能力があればね。
>>370 と言っても、8世紀の文献資料と魏志倭人伝あたりから類推する程度だろ。
374 :
日本@名無史さん:03/10/26 18:54
>>367 おい、堀川!
おい、船虫!
荒らすなボケ!!
375 :
日本@名無史さん:03/10/26 18:54
>>372 ないものは調べられない。
>>373 まあ、そんな程度でそ。
薄い仮説を積みあげてかろうじて復元するくらいの所で、
それが正しいかどうかは保証の限りじゃないってところでしょ。
376 :
日本@名無史さん:03/10/26 19:04
>>375 恥をかきまくりだね。
古代言語の研究をしてる学者にその台詞言える?
377 :
日本@名無史さん:03/10/26 19:12
言語考古学を知らない馬鹿が盛り上げてくれているところを水注すようで申し訳ないが
下記HPをご参照あれ。
こんなことこの分野に興味がある人間ならば誰でもしってるぞ。
結論:
当時の発音を類推可能であり、学問分野として立派に成立している。
この先生の説では「pimiho」と発音する。
378 :
日本@名無史さん:03/10/26 19:16
>>377 「ヘメカ」とはずいぶん違うね(激ワラ)
379 :
日本@名無史さん:03/10/26 19:20
>>378 ちゃんと研究してる学者がいるじゃん!(激藁
あんた馬鹿だね。
あくまでもこの先生の説だろうが。
380 :
日本@名無史さん:03/10/26 19:26
>>379 人によってまるで違う結果になるなら、【わかってる】なんて到底いえないよね。
つまり、
>薄い仮説を積みあげてかろうじて復元するくらいの所で、
>それが正しいかどうかは保証の限りじゃないってところでしょ。
ってこと。
382 :
日本@名無史さん:03/10/26 19:53
375 名前:日本@名無史さん :03/10/26 18:54
>>372 ないものは調べられない。
ミ ・ ジ ・ メ .................
383 :
日本@名無史さん:03/10/26 19:55
>>380 どんな説にも反論ってのはあるんだよ。
ちゃんと本読んでる?
とにかくあんたはイタイ。
384 :
日本@名無史さん:03/10/26 20:11
380はその理屈で社会科も物理も化学も地学も何もかも否定することで
自分の低学歴と低学力を正当化してきたんだろうな。
お前の言う【わかってる】っていうことの例を示して欲しいもんだ。
385 :
日本@名無史さん:03/10/26 20:24
なんか久々に盛り上がってうれしいなぁ。
ちょっとレベルが低い馬鹿が主人公なのがざんねんだけど。
>>363 国語学界では日本語の「はひふへほ」は当時パピプペポと発音したと考えられているから、問題はない。
387 :
日本@名無史さん:03/10/26 21:27
歴史上のことで、真実だとわかってることなんかあるのか?
些細な記録をつなぎ合わせてなんとか筋道立ててるだけなんだぞ。
明治維新の真実だって未だ不明な部分がある。
388 :
日本@名無史さん:03/10/26 21:30
390 :
日本@名無史さん:03/10/26 21:42
「へめか」か「日向」かしらんが、
「日御子」にせよ「日巫女」にせよ、あるいは「日向」にせよ、
「日」は当時は「pi」だったわけで、
「ひみこ」や「へめか」はありえない。
やっと反論らしきものになってきたな。
392 :
日本@名無史さん:03/10/26 21:49
「天日干し」と言う時など、今でも「pi」を使うよな。
393 :
日本@名無史さん:03/10/26 22:05
394 :
日本@名無史さん:03/10/26 22:06
>>388 「間違い」とか「ありえない」ならわかるが、「ウソ」っていう表現は不適格だな。
まだまだ馬鹿ぶりを発揮してくれてうれしいよ。
ぷぷぷぷぷっぷ。
で、当時は本当に「はひふへほ」はなかったのか?
「ふ」については今現在も無いわけだが。
395 :
日本@名無史さん:03/10/26 22:11
>>393 これらの発言はどうするよ?
必 死 だ な
369 :日本@名無史さん :03/10/26 18:32
三世紀の倭語の発音がわかってるっていってる本があるとしたら、
そいつがトンデモ本だと思うがナ。
371 :日本@名無史さん :03/10/26 18:48
じゃあ、その研究内容とやらを書いてごらん。
書けるもんならね。
375 :日本@名無史さん :03/10/26 18:54
>>372 ないものは調べられない。
396 :
日本@名無史さん:03/10/26 22:15
なんだ、結局は393=375=371=369が必死こいて自分の無知や失敗を誤魔化そうとしてるだけか。
他人のふんどしで自分が反論した気になってる卑怯な馬鹿という烙印を押されてるのに気づかないのかな。
なんかカワイソ。
こういつってきっと学校や職場でもこういう振る舞いしてて陰で馬鹿にされてるんだろうな。
ま、本人は気づいていないから幸せかな?
>>393 誰が何を認めたのかはよくわからんが、
なんか満足しているみたいなので、うれしい限りです。
卑弥呼=「ヒムカ」って誰の説だっけ。昔、高木彬光の小説でもその説とってたような気がする。
あ、支持してないけどねw
399 :
日本@名無史さん:03/10/27 00:15
>>393 明日も頼むよん。
オマエの馬鹿さ加減はスレを盛り上げるのにぴったりだ。
400 :
日本@名無史さん:03/10/27 01:20
これだけ赤っ恥かいて自分で上塗りまでしちゃってたら、
普通の神経の持ち主ならば来れないって。
401 :
日本@名無史さん:03/10/27 06:48
北緯19度東経21度
さあこれは何でしょう。これができるまじめな人だけ書き込め。
402 :
日本@名無史さん:03/10/27 17:16
へめか。なわけないだろっ。じゃさ、卑弥呼「ヒメコ」でもいいと思ったんだけど、
403 :
日本@名無史さん:03/10/27 17:32
これは最高レベルの国家機密だけど、
三種の神器にはハングル文字が書かれている。
404 :
日本@名無史さん:03/10/27 18:49
オメコでもOK?
405 :
日本@名無史さん:03/10/27 20:29
だから、卑は「ぴ」だぞ。
せめて、「ぴ」から始まる単語を考えろや。
406 :
日本@名無史さん:03/10/27 21:32
ピンコ
ふぢはらへめか
408 :
日本@名無史さん:03/10/27 23:19
『彌』は上古音『mier』、中古音『mie』、中世音『mi』、現代音『mi』。
日本においては、『ミ(甲)』にて用いられている。
409 :
日本@名無史さん:03/10/27 23:38
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< へめかへめか!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< へめかへめかへめか!
へめか〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
『卑』は甲類のヒに用いられてるね
まっほ〜う゚+.(・∀・)゚+.゚
412 :
日本@名無史さん:03/10/27 23:48
おばさんですから
413 :
日本@名無史さん:03/10/28 00:16
409=昨日の馬鹿?
現代のシャーマン・中森明菜にヒミコ様の役をやってほしい
415 :
援軍求む!:03/10/28 01:07
416 :
日本@名無史さん:03/10/28 01:31
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
,,--―'''""`ヽ'  ̄`ヽ、
/ ヾ / ~`ヽ
/ ヽ;: /"""ヾ ヽ
/ ;:;;:::'''' l /;:;;:::''' \ i
/ /;:;;:::''' ヽ ヽ
| | ヽ |
/ ;/ ヽ ヽ
/ ;:;:ヽ ,,,,;;::'''''ヽ |
i / ,,,,;;::::::::::::::: __ ヽ ヽ
| | " __ :::: '"ゞ'-' | |
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| ;:| ::::::: | :|
| ヽ. ( ,-、 ,:‐、 | |
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.. | `、ヽ ヾニ二ン" / |
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ヽ. :人 `ー――''''' / ヽ
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,.-'" \: \ .,.-''" |
/. \ ~>、,.-''" |
,,..-‐'''"" ヾ ,.-''"| /――――、/
卑弥呼を「へメカ」であると読める人でないと
(古代史をやるのは)難しい
417 :
日本@名無史さん:03/10/28 01:54
せめてペメカと言え。
もともと日本語と中国語では音韻体系がちがうんだから、
漢字の音を復元したところで中国人がどうきいたかということにしかならない。
あくまで参考程度。
420 :
日本@名無史さん:03/10/28 22:22
421 :
日本@名無史さん:03/10/29 01:15
何度読んでも笑っちゃうね。
369 :日本@名無史さん :03/10/26 18:32
三世紀の倭語の発音がわかってるっていってる本があるとしたら、
そいつがトンデモ本だと思うがナ。
371 :日本@名無史さん :03/10/26 18:48
じゃあ、その研究内容とやらを書いてごらん。
書けるもんならね。
375 :日本@名無史さん :03/10/26 18:54
>>372 ないものは調べられない。
422 :
日本@名無史さん:03/10/29 16:57
海でも検索してよ。遺跡が出てきたらね。
これは馬鹿でしょう。↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑はね。あんたは消えてほしい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
考古学者は何で島説など、考えもしないの??九州と畿内説ばっかり信じて、金がなくなる。
423 :
日本@名無史さん:03/10/29 18:26
>>422 四国も邪馬台国の候補地だとでも言いたいのかい?
九州信じてる考古学者もういないべ
高島某
奥野某
奥野は素人あがりでマトモな学者といえるほどのものではない。
いや、普通ならそんな偏見をもとうとは思わなかったのだが・・・・
あいつは自分の著書で、畿内説論者を軍国主義の復活をめざしてるなどと白昼夢まるだしな中傷をした上、
さらに恥ずかしいことに再版した時には何事もなかったように削除していた。
こんな破廉恥漢はなかなかいない。もちろん版元はアサヒ系の某社・・・・
427 :
日本@名無史さん:03/10/30 04:02
とりあえず、九州説や畿内説といった、低レベルなことをいう連中はほっておいて、
元の様々な豊富な話題に戻ろうぜ。
428 :
日本@名無史さん:03/10/30 13:06
卑がpiという発音だった?だれがそれを正しいと確認したんだ?
ついこの前までみんなが当然に発音していた「ゑ」なんて字の発音も
ほとんど忘れているのに、約2千年も前の発音がわかるってすげえ。
>>428 だぁから、piでも問題ないんだって…
日本語の「はは(母)」が上代には「papa」に近い発音だったらしい、って有名な笑い話じゃんw
430 :
日本@名無史さん:03/10/30 17:53
423私は島だと思っているw
あの辺は島があるから。サンゴ礁もあるらしいから。
431 :
日本@名無史さん:03/10/30 19:21
432 :
日本@名無史さん:03/10/30 22:13
Di、Du、Yi、Ye、Wa,Wi、Wu、We,Woの発音もわすれられつつある。
Waは忘れないよ。。。
434 :
日本@名無史さん:03/10/30 23:20
調子に乗って間違えちゃいました。
Waは忘れてませんね。
ついでに追加すると、
Si,Tiも忘れてるというか変わっちゃってる。
Tuもそうだろう。
Tsa とか Tso とかもそうでないか。
436 :
日本@名無史さん:03/10/31 00:28
昔のTiは今はティと表記します。Tuはトゥ。
Tsa、Tsoは知らん。ツァ、ツォ?
437 :
日本@名無史さん:03/10/31 07:54
とりあえず戻ろうよ。小さな国があるな。
438 :
日本@名無史さん:03/10/31 17:25
439 :
日本@名無史さん:03/10/31 17:53
440 :
日本@名無史さん:03/10/31 18:49
441 :
日本@名無史さん:03/10/31 19:06
>>440 戸数は「万」じゃなくて「億」だな、その「小さな国」は(w
442 :
日本@名無史さん:03/11/01 15:54
魏志によれば、投馬国は5万戸だから、1戸が5〜10人として、50万人都市かも。3世紀に!!
443 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/11/01 19:52
少なくとも横に数百キロの国土を持つであろう投馬国には、
国都以外にも沢山の都市や集落などがあるだろうから、
3世紀と言えど30万〜40万の人がいたとしても
なんら不思議ではないでしょう。
444 :
日本@名無史さん:03/11/01 19:58
小山修三のシミュレーションでは弥生末の列島人口は100万
ベースデータが古いので実際はもっとUPだらう
445 :
日本@名無史さん:03/11/01 21:12
邪馬台国は推定25万人が住む大都市。
446 :
日本@名無史さん:03/11/01 22:14
単純に土地の面からいっても、
半島に比べて日本列島は人口・生産・軍事面において圧倒していたみたいね。
水戸市よりも人口多いみたいだな
一戸あたりの平均人口は25人。
「戸」の実態は魏志倭人伝に若干の記述がある。日本側で詳細がわかるのは奈良時代になってから。
同じ農業社会で庶民レベルでは奈良時代と大差なかったと考えると、
奈良時代には「郷戸」(1戸あたり平均25人)と「房戸」(1戸あたり平均7、8人)があり、
魏志倭人伝に記述された倭人の家族生活の描写から察するに
これは「郷戸」に相当するものをさしているとしか解釈のしようがない。
結果的に、不自然なまでに倭国の総人口が過剰になってしまうが、
とりあえず機械的・論理的にはこういう結論にならざるを得ない。
>>448 このあたりの描写から判断して言ってるのかな?
>其俗國大人皆四五婦下戸或二三婦婦人不淫不妬忌
>不盜竊少諍訟其犯法輕者没其妻子重者没其門戸及宗族
>>443 >横に数百キロの国土を持つであろう投馬国
なぜ横に数百キロ?
>>449 いや、そこじゃないよ。今日はもう寝るのでまた。
453 :
日本@名無史さん:03/11/02 04:16
投馬国の比定は、出雲吉備じゃないっけ?
454 :
日本@名無史さん:03/11/02 07:02
>>442を考えると30万人です。小さなクニがあったのだから、10万人だろ、
そこは。
455 :
日本@名無史さん:03/11/02 09:12
学会では、近畿説の方が多いと言いますが、
瀬戸内海ルートと日本海ルートのどっちの支持者が多いんだろうか?
456 :
日本@名無史さん:03/11/02 13:12
↑おれ、島説だと思うんだが。
457 :
日本@名無史さん:03/11/02 16:48
松本清張は、たしか瀬戸内海ルートだったな。
458 :
日本@名無史さん:03/11/02 18:35
え?セーチョーって宮崎説じゃなかった?
トマだけ瀬戸内?
459 :
日本@名無史さん:03/11/02 19:59
清張が比定したのは、博多一帯だよ。
460 :
日本@名無史さん:03/11/02 20:01
松本せいちょうさんは、邪馬台国が仮に近畿だったとしたら、
瀬戸内海を通って行っただろうと言っていた。
461 :
日本@名無史さん:03/11/02 22:21
_,. -‐ '' " ",. ̄'' ̄` ''‐、
,.-' ,r'' _,,.. - 、 ` 、
,.r'/// / ,.-' `' 、. \
/ ,r' ,r' ,rfn、 \ '、
/ ///// ,' ,' ,rffn. '" ヽ ',
i ,.ァ .i '" ,riiニヽ. ',. ',
| ,.r '" |. { ,riiニヽ _. ', ', ヨコハマタイヤ様が素敵な笑顔で461GET!!
| .,.r' | ! ,.. _,,.. -‐' _,..r' i .i 轢き殺されたくなかったら道をあけろ!!
|,' ', ', '、., __ ,.. -‐''"゙ } | .|
| ', `、 ヽ ! } .}
', ', '、 ヽ ./ ! .|
>>3 タッチの差だな。タイヤ交換しろ!
'、 `、 \ `ヽ==='゙ ,' !
>>4 おせーよバカ 教習所からやり直せ(プ
`、 '、 ' 、 / .,'
>>5 クルマ乗る前にオンナに乗れよ(ゲラ
'、'-..,,_____ ___`、 `''‐- ..,, ,,.. r' /
>>6 ペーパードライバーって素人童貞のことだろ(ワラ
\ ヾヾヾヾヾ \ /
>>7 毎晩シフトレバー磨いてんじゃねーぞ(爆
` 、 、、、、、、、、 ` - ..,,, _ _,.r'゙
>>8 おめーの人生転がりっぱなしだな(ギャハ
`' - .,,_ _,. - ''"
>>9 ガキの頃俺の顔見て泣いてたの知ってるぞ(クス
`"'' '' '' ""
>>10-1000 ちゃんと空気圧チェックしろよ!
462 :
日本@名無史さん:03/11/03 09:01
邪馬台国は、魏志に書いてあるのだから、当時の発音なら「邪馬台」=「サバディ」と発音されると聞いた事がある。
これが事実だとすれば、「邪馬台=サバディ」が「ヤマト」の音変化と考えるのには無理があるのでは?
>>462 今どきどっからそんなガセネタもってくるやら。
465 :
日本@名無史さん:03/11/03 09:27
↑魏音ならそうなるんだろ。
466 :
日本@名無史さん:03/11/03 09:33
>>465 おまえら、いったいいつの魏音の話をしてるんだ?
まさか、鮮卑の立てた魏の話にすり替えてないだろうな?
467 :
日本@名無史さん:03/11/03 10:32
サバディは出鱈目でつね。
馬=バの発音が後世のモンだってことはちょっと知識がある者ならみんな知ってる。
陸行水行で浜中が「宮崎と鹿児島の間」と言ってるんだが、これは小説の中だけか。
469 :
日本@名無史さん:03/11/03 21:13
ムー大陸にあったんだよん
471 :
日本@名無史さん:03/11/03 23:51
邪魔大王国は阿蘇にあったよ
騎馬民族の侵入で滅んだ
472 :
日本@名無史さん:03/11/04 00:29
邪馬台国は東京のヤマテにあったはず。
だって語韻が似てるもーん。
473 :
日本@名無史さん:03/11/04 01:45
邪馬台って「ジャパン」のことじゃなかったの?
474 :
日本@名無史さん:03/11/04 01:55
>>471〜473
もうちょっと真面目な書き込みしてよ。
475 :
日本@名無史さん:03/11/04 02:19
476 :
日本@名無史さん:03/11/04 22:17
しかし、甲類だからなあ
焼酎?
478 :
日本@名無史さん:03/11/05 01:29
吉野ヶ里遺跡の発掘以来、邪馬台国は北九州説を推す。
畿内では、あれほどの発掘物はでないだろうし、発掘できる土地が住宅地などに
なっていて不可能。大和朝廷への政権移行の100年で、北九州から大和への
移行は、これまでの文献ではありえないという解釈が多数だが、実際には意外に
簡単だったのではないかと思われる。
後の、天皇の即位ごとの遷都も、このときの名残のようにも思えるし・・・。
難しいね。
479 :
日本@名無史さん:03/11/05 03:03
邪馬台国の習俗は、兄磯城・弟磯城などの南方海洋系で考えると大和にも当てはまる。
480 :
日本@名無史さん:03/11/05 03:04
テレビで愛子ちゃんに愛子様なんて、北チョンみたいに敬語の大安売り
してるからその反動にすぎない。 別に愛子とか呼び捨てにする必要も
ないが、愛子様はねえだろ。 ただの不細工なガキに。
>>480 スレ違いですよ。ふつうに敬宮殿下でいいんだよな。
482 :
日本@名無史さん:03/11/05 04:43
承子タン ハァハァ・・・
483 :
日本@名無史さん:03/11/05 09:13
>>481 やっぱり金正日と呼んだら不敬になる国の出身ですかぁ?
将軍様って敬語使わないといけないんでしょ、で不細工な
餓鬼に敬宮殿下(うぷぷ)ですか、事大主義は大変ですね。
事大主義の意味しってんの?だいぶ漢字能力が落ちているようだな、あの国の人は。
485 :
日本@名無史さん:03/11/05 09:52
そりゃもう文科省のゆとり教育のせいで、がた落ちだっせ。
しゃーから国民の飼い犬にまで敬語をつかうアホが発生するんや。
スレ違い。どっか逝けよ
>>486 いいじゃないか。
どうせAAコピペ以外に使い道のないスレなんだから。
うざいよ。この糞荒らしが。
誰か話戻して。し切り直しに、倭人伝の原文のうpきぼん
490 :
日本@名無史さん:03/11/06 00:53
倭人は帯方(今のソウル付近)の東南大海の中にあり、山島に依りて
国邑をなす。旧(もと)百余国。漢の時朝見する者あり、今、使訳通ず
る所三十国。
郡(帯方郡)より倭に至るには、海岸に循(したが)って水行し、韓
国(主に馬韓)を歴(へ)て、乍(あるい)は南し乍(あるい)は東し、
その北岸狗邪韓国(くやかんこく)に到る七千余里。始めて一海を度(
わた)る千余里、対海国(対馬)に至る。其の大官を卑狗といい、副を
卑奴毋離(ひなもり)という。居る所絶島、方四百余里ばかり。土地は
山険しく、深林多く、道路は禽鹿の径の如し。千余戸あり。良田なく、
海物を食して自活し、船に乗りて南北に市糴(してき)す。また南一海
を渡る千余里、名づけて瀚海(かんかい)という。一大国(壱岐)に至
る。官をまた卑狗といい、副を卑奴毋離という。方三百里ばかり。竹木・
叢林多く、三千ばかりの家あり。やや田地あり、田を耕せどもなお食す
るに足らず、また南北に市糴す。
また一海を渡る千余里、末盧国(今の唐津)に至る。四千余戸あり。
山海に浜(そ)うて居る。草木茂盛し、行くに前人を見ず。好んで魚鰒
(ぎょふく)を捕え、水深浅となく、皆沈没してこれを取る。東南陸行
五百里にして、伊都国(今の糸島郡)に到る。官を爾支といい、副を泄
謨觚・柄渠觚という。千余戸あり。世々王あるも、皆女王国に統属す。
郡使の往来常に駐(とど)まる所なり。東南奴国(今の博多)に至る百
里。官をジ馬觚といい、副を卑奴毋離という。二万余戸あり。東行不弥
国(今の行橋)に至る百里。官を多模といい、副を卑奴毋離という。千
余家あり。
491 :
日本@名無史さん:03/11/06 00:54
南、投馬国(今の西都市)に至る水行二十日。官を弥弥といい、副を
弥弥那利という。五万余戸ばかり。南、邪馬壹国(今の串間市)に至る、
女王の都する所、水行十日陸行一月。官に伊支馬あり、次を弥馬升とい
い、次を弥馬獲支といい、次を奴佳タイという。七万余戸ばかり。女王
国より以北、その戸数・道里は得て略載すべきも、その余の旁国は遠絶
にして得て詳かにすべからず。
次に斯馬国(しまこく)あり、次に已百支国(いひゃくしこく)あり、
次に伊邪国(いやこく)あり、次に都支国(としこく)あり、次に弥奴
国(みぬこく)あり、次に好古都国(こうことこく)あり、次に不呼国
(ふここく)あり、次に姐奴国(しゃなこく)あり、次に対蘇国(つい
そこく)あり、次に蘇奴国(そなこく)あり、次に呼邑国(こおうこく)
あり、次に華奴蘇奴国(かなそなこく)あり、次に鬼国(きこく)あり、
次に為吾国(いごこく)あり、次に鬼奴国(きなこく)あり、次に邪馬
国(やまこく)あり、次に躬臣国(くじんこく)あり、次に巴利国(は
りこく)あり、次に支惟国(しゆいこく)あり、次に烏奴国(うぬこく)
あり、次に奴国(なこく)あり。これ女王の境界の尽くる所なり。
その南に狗奴国(今の熊本)あり。男子を王となす。その官に狗古智
卑狗あり。女王に属せず。郡より女王国に至る万二千余里。
男子は大小となく、皆黥面文身す。古より以来、その使中国に詣(い
た)るや、皆自ら大夫と称す。夏后少康の子、会稽に封ぜられ、断髪文
身、以て蛟竜(こうりゅう)の害を避けしむ。今倭の水人、好んで沈没
して魚蛤(ぎょこう)を捕え、文身しまた以て大魚・水禽を厭(はら)
う。後やや以て飾りとなす。諸国の文身各々異り、あるいは左にしある
いは右にし、あるいは大にあるいは小に、尊卑差あり。その道里を計る
に、当に会稽の東治(とうや)の東にあるべし。
492 :
日本@名無史さん:03/11/06 00:56
その風俗淫ならず。男子は皆露カイ(ろかい)し、木緜(もめん)を
以て頭に招(か)け、その衣は横幅、ただ結束して相連ね、ほぼ縫うこ
となし。婦人は被髪屈カイ(くっかい)し、衣を作ること単被(たんぴ)
の如く、その中央を穿(うが)ち、頭を貫きてこれを衣(き)る。禾稲
(かとう)・紵麻(ちょま)を種(う)え、蚕桑(さんそう)緝績(し
ゅうせき)し、細紵(さいちょ)・ケン緜(けんめん)を出だす。その
地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲(じゃく)なし。兵には矛・楯・木弓を
用う。木弓は下を短く上を長くし、竹箭(ちくせん)はあるいは鉄鏃(
てつぞく)、あるいは骨鏃なり。有無する所、タン耳(たんじ)・朱崖
と同じ。倭の地は温暖、冬夏生菜を食す。皆徒跣(とせん)。屋室あり、父母
兄弟、臥息(がそく)処を異にす。朱丹を以てその身体に塗る、中国の
粉を用うるが如きなり。食飲にはヘン豆(へんとう)を用い手食す。そ
の死には棺あるも槨(かく)なく、土に封じて冢を作る。始め死するや
停喪(ていそう)十余日、時に当りて肉を食わず、喪主哭泣し、他人就
いて歌舞飲酒す。已に葬れば、挙家水中に詣(いた)りて澡浴(そうよ
く)し、以て練沐(れんもく)の如くす。その行来・渡海、中国に詣る
には、恒(つね)に一人をして頭を梳(くしけず)らず、キ虱(きしつ)
を去らず、衣服垢汚、肉を食わず、婦人を近づけず、喪人の如くせしむ。
これを名づけて持衰(じさい)と為す。もし行く者吉善なれば、共にそ
の生口・財物を顧し、もし疾病あり、暴害に遭えば、便(すなわ)ちこ
れを殺さんと欲す。その持衰謹まずといえばなり。
真珠・青玉を出だす。その山には丹あり。その木にはダン・杼(ちょ)
・予樟(よしょう)・ボウ・櫪・投・橿(きょう)・烏号・楓香あり。
その竹には篠・カン・桃支。薑(きょう)・橘・椒(しょう)・ジョウ
荷(じょうか)あるも、以て滋味となすを知らず。ビ猴・黒雉あり。
その俗、挙事行来に、云為(うんい)する所あれば、輒(すなわ)ち
骨を灼(や)きて卜し、以て吉凶を占い、先ず卜する所を告ぐ。その辞
は令亀の法の如く、火タク(かたく)を視て兆を占う。
493 :
日本@名無史さん:03/11/06 00:57
その会同・坐起には、父子男女別なし。人性酒を嗜(たしな)む〔『
魏略』にいわく、その俗正歳四節を知らず、ただ春耕秋収を計りて年紀
となすのみ〕。大人の敬する所を見れば、ただ手を搏(う)ち以て跪拝
に当つ。その人寿考、あるいは百年、あるいは八、九十年。その俗、国
の大人は皆四、五婦、下戸もあるいは二、三婦。婦人淫せず、妬忌(と
き)せず、盗窃(とうせつ)せず、諍訟(そうしょう)少なし。その法
を犯すや、軽き者はその妻子を没し、重き者はその門戸および宗族を没
[滅]す。尊卑各々差序あり、相臣服するに足る。租賦を収む、邸閣あ
り、国国市あり。有無を交易し、大倭をしてこれを監せしむ。
女王国より以北には、特に一大率(いちだいそつ)を置き、諸国を検
察せしむ。諸国これを畏憚(いたん)す。常に伊都国に治(ち)す。国
中において刺史の如きあり。王、使を遣わして京都(魏都洛陽)・帯方
郡・諸韓国に詣り、および郡の倭国に使するや、皆津に臨みて捜露し、
文書・賜遺の物を伝送して女王に詣らしめ、差錯するを得ず。
下戸、大人と道路に相逢えば、逡巡(しゅんじゅん)して草に入り、
辞を伝え事を説くには、あるいは蹲(うずくま)りあるいは跪(ひざま
ず)き、両手は地に拠り、これが恭敬を為す。対応の声を噫(あい)と
いう、比するに然諾(ぜんだく)の如し。
494 :
日本@名無史さん:03/11/06 00:58
その国、本また男子を以て王となし、住(とど)まること七、八十年。
倭国乱れ、相攻伐すること歴年、乃(すなわ)ち共に一女子を立てて王
となす。名づけて卑弥呼という。鬼道に事(つか)え、能く衆を惑わす。
年已に長大なるも、夫婿(ふせい)なく、男弟あり、佐(たす)けて国
を治む。王となりしより以来、見るある者少なく、婢千人を以て自ら侍
せしむ。ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝え居処に出入す。宮室・
楼観・城柵、厳かに設け、常に人あり、兵を持して守衛す。
女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり。また侏儒国
(しゅじゅこく)あり、その南にあり。人の長(たけ)三、四尺、女王
を去る四千余里。また裸国・黒歯国あり、またその東南にあり。船行一
年にして至るべし。倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、ある
いは絶えあるいは連なり、周旋(巡りめぐっての意)五千余里ばかりな
り。
景初二年(238年)六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わし郡に詣
り、天子に詣りて朝献せんことを求む。太守劉夏、吏を遣わし、将って
送りて京都に詣らしむ。
495 :
日本@名無史さん:03/11/06 01:01
その年十二月、詔書して倭の女王に報じていわく、「親魏倭王卑弥呼
に制詔す。帯方の太守劉夏、使を遣わし汝の大夫難升米・次使都市牛利
を送り、汝献ずる所の男生口四人・女生口六人・班布(はんぷ)二匹二
丈を奉り以て到る。汝がある所踰(はる)かに遠きも、乃ち使を遣わし
て貢献す。これ汝の忠孝、我れ甚だ汝を哀れむ。今汝を以て親魏倭王と
なし、金印紫綬(しじゅ)を仮し、装封して帯方の太守に付し仮授せし
む。汝、それ種人を綏撫(すいぶ)し、勉めて孝順をなせ。汝が来使難
升米・牛利、遠きを渉(わた)り、道路勤労す。今、難升米を以て率善
中郎将となし、牛利を率善校尉となし、銀印青綬を仮し、引見労賜し遣
わし還す。今、絳地(こうち)交竜錦五匹〔臣の松之(しょうし)以為(
おも)えらく、地は応(まさ)にテイと為すべし、漢の文帝は皀衣(そ
うい)を著(き)る、これを弋テイ(よくてい)と謂う、これなり。こ
の字は、体(のっと)らず、魏朝の失(あやま)ちにあらざれば、則ち
伝写せし者の誤りなり〕・絳地スウ粟ケイ(すうぞくけい)十張・茜絳
(せんこう)五十匹・紺青五十匹を以て、汝が献ずる所の貢直に答う。
また特に汝に紺地句文錦三匹・細班華ケイ(さいはんかけい)五張・白
絹五十匹・金八両・五尺刀二口・銅鏡百枚・真珠・鉛丹各々五十斤を賜
い、皆装封して難升米・牛利に付す。還り到らば録受し、悉(ことごと)
く以て汝が国中の人に示し、国家汝を哀れを知らしむべし。故に鄭重に
汝に好物を賜うなり」と。
西都−串間が水行十日陸行一月ってのはちょっとあれだなぁ・・・・
497 :
日本@名無史さん:03/11/06 01:02
元始元年(240年)、太守弓遵、建中校尉梯儁(ていしゅん)等を
遣わし、詔書・印綬を奉じて、倭国に詣り、倭王に拝仮し、ならびに詔
を齎(もたら)し、金帛・錦ケイ・刀・鏡・采物を賜う。倭王、使に因
って上表し、詔恩を答謝す。
その四年(243年)、倭王、また使大夫伊声耆・掖邪狗等八人を遣
わし、生口・倭錦(わきん)・絳青ケン(こうせいけん)・緜衣(めん
い)・帛布・丹・木フ・短弓矢を上献す。掖邪狗等、率善中郎将の印綬
を壹拝す。
その六年(245年)、詔して倭の難升米に黄幢(こうどう)を賜い、
郡に付して仮授せしむ。
その八年(247年)、太守王キ官に到る。倭の女王卑弥呼、狗奴国
の男王卑弥弓呼と素より和せず。倭[の]載斯烏越等を遣わして郡に詣
り、相攻撃する状を説く。塞曹掾史(さいそうえんし)張政等を遣わし、
因って詔書・黄幢を齎(もたら)し、難升米に拝仮せしむ、檄を為(つ
く)りてこれを告喩す。
卑弥呼以て死す。大いに冢(ちょう)を作る。径百余歩、徇葬する者、
奴婢百余人。更に男王を立てしも、国中服せず。更々(こもごも)相誅
殺し、当時千余人を殺す。また卑弥呼の宗女壹与年十三なるを立てて王
となし、国中遂に定まる。政等、檄を以て壹与を告喩す。壹与、倭の大
夫率善中郎掖邪狗等二十人を遣わし、政等の還るを送らしむ。因って臺
(魏都洛陽の中央官庁)に詣り、男女生口三十人を献上し、白珠五千孔・
青大勾珠二枚・異文雑錦二十匹を貢す。
親切な人キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !!!
サンクスd。今日は寝るからまた明日読みます。
末盧国を今の呼子、伊都国を今の三雲、奴国を今の早良、不弥国を今の那の津、投馬国を今の玉野、狗奴国を遠江に比定する人もいるよね。
>>498 >奴国を今の早良
これは見たことない。誰?
500 :
日本@名無史さん:03/11/07 18:35
>>490-495 それって「義誌」倭人伝です?
んじゃ「74へぇ〜〜〜」で
島だといいんだけど。それから、四国説。
501 :
日本@名無史さん:03/11/07 22:06
邪馬台国に至る道筋だけじゃなく、周囲の様子も参考にしないとね。
> 女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり。
>また侏儒国(しゅじゅこく)あり、その南にあり。
>人の長(たけ)三、四尺、女王を去る四千余里。
>また裸国・黒歯国あり、またその東南にあり。船行一年にして至るべし。
>倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、
>周旋(巡りめぐっての意)五千余里ばかりなり。
これってどこの島とか地方を指しているんでしょうね?
502 :
日本@名無史さん:03/11/07 23:18
岡田英弘氏は、邪馬台国までの距離や人口が誇大に表現されているのは
「親魏大月氏王」と釣り合いをとらせたためだと書いてますね。
大月氏の使節を招き寄せたのは曹真の功績であり、曹真は司馬懿の政敵・曹爽の父。
それに対して、司馬懿も大月氏と負けないぐらいの大国を朝貢させたんだぞ、と。
戸口が七万戸(当時の洛陽のそれとほぼ同じ)なのも、
洛陽〜楽浪郡の距離五千里と帯方郡〜邪馬台国の距離一万二千里を足すと洛陽〜大月氏の首都までの距離と同じなのも、
韓半島が実際の十六倍の記述にしたのも、大国にして司馬懿の功績を↑させるため。
また邪馬台国を南方、つまり呉の背後に位置させ、戦略上の重要度もアップさせた。
504 :
日本@名無史さん:03/11/08 09:50
>>501 > 女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり。
→結合前の分裂した状態の東日本
>また侏儒国(しゅじゅこく)あり、その南にあり。
>人の長(たけ)三、四尺、女王を去る四千余里。
→北海道
>また裸国・黒歯国あり、またその東南にあり。船行一年にして至るべし。
>倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、
>周旋(巡りめぐっての意)五千余里ばかりなり。
→小笠原諸島
505 :
日本@名無史さん:03/11/08 16:09
九州の方位って狂ってるから参考にできないね。
西が北を指してるんだもんな。
507 :
日本@名無史さん:03/11/08 21:34
>506
あまてる≠卑弥呼
あまてるは、玄界灘のヴァイキング=アマ族の首長で対馬在住
卑弥呼はその何世代も後の呪術王で博多在住
素戔鳴尊は九州を征服したことがない
博多湾岸を征服したのは、ににぎのみこと
508 :
日本@名無史さん:03/11/09 10:38
ににぎのみことの拠点
宮之城→都城→西都 都や宮がつく地名は皇室の拠点だったとこなんだよ。
天孫降臨神話に大体あうよ。これだと。
509 :
日本@名無史さん:03/11/09 15:59
>>502 マンガのストーリー、そのまま
信じちゃダメだよ。
漫画って?
512 :
日本@名無史さん:03/11/09 18:57
>>510 ナムジ−神武じゃない?
今コンビニに並んでるから、最近愛読してる。
ちょっとだけ九州説シンパになった。
結局、西都説だったのには思わず吹いたけど。
513 :
日本@名無史さん:03/11/09 20:27
どの漫画?
ナムジ−神武は原田説にのっとってるみたいだけど、原田説ってどうよ?
515 :
日本@名無史さん:03/11/09 23:20
つーか。わかんねーなら、わかんねー!って言えば良いのに、
わかんない同士で、俺が正しいとか言いあってるから、
外野で見ていると萎えまくり。
>508>都や宮がつく地名は皇室の拠点
全国にいっぱいあるので、邪馬台国は全国にあるのか?
「記紀以前の天照大神は男性だった」は今や常識だし、「神武天皇は婿養子だった」は納得できそう。
>>518 う〜む。調べるだけ無駄のようだ。
二つめのリンク先のとおりなら、別の楽しみかたはありそうだが。
でも原田常治の説はネット上でよく支持されてるよね?
原田常治は有名な電波。と学会では何度も笑い物にされてるよ。
大物主とかニギハヤヒ関係の電波はけっこう納得できるんだけどね。ヒミコが大物主の巫女だったとすれば記紀の記述ともつながる。
魏志倭人伝には大物主なんてでてこないし、大物主神話に卑弥呼なんてでてこない。
うかつな書き方するお前が一番デムパっぽい。
525 :
日本@名無史さん:03/11/10 03:03
原だ説によれば書紀の8割以上が電波。乞食のほうは5割が電波。
526 :
日本@名無史さん:03/11/10 15:58
このごろ島説を思いついた俺。
オノゴロ島?
528 :
日本@名無史さん:03/11/11 02:05
ひょっこりひょうたん…
529 :
日本@名無史さん:03/11/13 04:39
530 :
日本@名無史さん:03/11/13 05:01
>>522 日向説のどこがデンパだよ。スケールのデカイ遺跡群だろうよ。それこそ日向は (w
ぷっ、西都原だろ(w
532 :
楽しみですよ。:03/11/13 12:41
↑
w
533 :
日本@名無史さん:03/11/13 19:01
西都原(宮崎県西都市)である証拠。
1、地名の語末に「都」という文字を使うのは、実際に首都であった場合に限られる。
類例、京「都」、東京「都」。宇「都」宮のような音借とは違う。
西都の「西」、方位のことではなく、西洲(九州)という固有名の地の都という意味(原文に沿わせるとこうなる。)
2、三角縁神獣鏡も出土。(魏鏡説らしい)
3、西都のオサホ・メサホ塚は宮内庁の管理化であるため発掘ができない。
9割5分以上が手付かずらしい。発掘調査の実施を強く宮内庁に要求したい。
4、現在、長岡京や藤原京の場所は特定できるのに、同じく古都である邪馬台国の所在が何故特定できないのか?
政治的意図(天皇制)による組織的な隠蔽工作が行われたと思量する。これに荷担する畿内説は不快である。
5、国内最大級の古墳群が西都にはある。また、九州で一番大きな帆立貝式古墳(オサホズカ)がある。
6、神話伝承の数では日向地方は出雲地方についで2番目に多い。その日向地方の中心地は西都。
7、弥生時代(つまり卑弥呼の時代)日向地方は人口密度が一番高かった。
人間の生活痕跡である遺跡の数がその証拠である。
8、朝鮮総督府修史委員会の「黒板を中心とする焚書のウワサ」は、畿内説による歴史改竄を思わせる。
オサホ塚に後方部をつける改修は、卑弥呼の墓が円墳であることから、これを隠蔽する行為である。
9、好太王碑文の改竄、カンダンコキの焚書も歴史改竄であろう。
記紀による天皇家の出自も歴史改竄、現実は神武も卑弥呼も朝鮮からきた。
これの隠蔽行為によって邪馬台国の所在は不明とされている。
西都の発掘調査が行われれば一気に論争も解決するだろう。
邪馬台国に至る道筋だけじゃなく、周囲の様子も参考にしないとね。
> 女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり。
>また侏儒国(しゅじゅこく)あり、その南にあり。
西都なら↑はどこにあたるのさ?w
534 :
日本@名無史さん:03/11/13 19:30
日向は、神武東征の出発地であって
邪馬台国の首都ではないだろう。
神武東征はおそらく2世紀末の倭国大乱と関連があるだろう。
卑弥呼、台与は3世紀の人だから、
天照大神ではないか、
もしくは天照大神と神武東征の順番が記紀とは逆
(おそらく歴史を引き延ばすために倒置した)ということではないか?
535 :
日本@名無史さん:03/11/13 22:05
>>533 西船橋の西は九州の意味だったのか。知らなかった(藁
536 :
楽しみですよ。:03/11/15 02:28
邪馬台国=宮崎県西都(東に海)
(日向は九州島の東海岸沿いにあるから西都の「西」を
西洲(九州)の都
>>535と訳さず東西南北の意味の「西」(ニシ)と読もうとしたら
あまりにもおとなげない。)(いや、
>>535 ハ・ク・チ!!)
(人口も多い)
(さらに国府が置かれた)
狗奴国=沖縄、(ハブがでる。日本中で牛、馬の骨が出土しないのはココだけ)
投馬国=川内(国府が置かれた人口多い)
、余傍21ヵ国=南西諸島、とのことですが、
倭人伝には郡より女王国(邪馬台国)まで12,000里と記載されています。
郡から邪馬台国までの12,000里を邪馬台国から狗奴国までの距離と読みます。
この場合の郡は 狗奴国の事。
同じく倭人伝には倭地を「周旋5,000里」としています。この5,000里 とは、
邪馬台連合国家のだいたいの領域の範囲を示すものですが、
邪馬台国=西都説の場合は、伊都国と玉名のタラバ国と西都の邪馬台国です。
沖縄は日本本土から約1,000キロも離れた小さな島です。この沖縄を本拠とした
狗奴国が日本本土を支配していた邪馬台国と対等に戦う兵力を養えた。
狗奴国における九州島での飛び地が投馬国。狗奴国と投馬国は同じ地下式板石積石室分布圏です。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku212.htm
537 :
くやしいだろうけど理論整然としてましゅね(w:03/11/15 02:34
つまり「投馬国」とは隼人の事なんだよねえ。
(※「ツマ」とは薩摩の「つま」の事。)
>>536 また、『アサヒグラフ』の『1993年古代史発掘総まくり』でも、森氏は石室の印象を
[南九州の隼人が残した地下式板石積石室を巨大化したのではないか]
と述べる。
539 :
南を東と読み変えるようではまだまだマトモな話は出来ませんね。 w:03/11/15 06:25
>>535 マア箸墓を卑弥呼の墓に比定したいやつが年々古墳時代の到来を早めて、ついには年輪年代法
を持ち出して古墳時代が220年頃に始まったと言い出した。
土器編年による、寺沢説でさえ、これまでより2,30年
繰り上げてきたのに百年も繰り上げる年輪年代を信じるやつは厨房だね。同意
どう考えても西都原だな邪馬台国は。畿内説は、トンデモこじ付け大魔王ww
西都原以外に考えられないんじゃないか?
だいたいあれほど多数で広大な規模の古墳群があるのに意図的(政治的)に
ほとんど手がつけられてこない事実を誰も変だと思わないのか??
つまり都合の悪い事実があるんだよ。
海外の研究者はとっくにこの点に最も注目してるのに。 (爆笑
↑正直、痛くてみてられない
【隔離スレ】という言葉を知らない誰かさんが粘着嵐をやりつづけた結果、
結局ここもサイトネタで埋まるか。
ご愁傷さま。
542 :
日本@名無史さん:03/11/15 11:18
画文帯神獣鏡の存在は?
「南を東と読み変え」たというより、中国と日本では東西の道と南北の道の呼び方が真逆だったから、そこんとこの情報の混乱はじゅうぶんありえることでした。
新たな電波の登場でつ(w
545 :
日本@名無史さん:03/11/17 04:19
西都原宮完全削除記念age
546 :
日本@名無史さん:03/11/17 21:51
邪馬台国は八代か西都かのどっちかだ!
投馬国は玉名。
玉名から水行10日で八代。
ただし、水行10日そしてさらに陸行1月かかると訳すならば
西都にもなりうる。
「水行10日、陸行1月」
これの訳は中国人に聞いても2通りにとれるそうだからな。
547 :
日本@名無史さん:03/11/17 21:52
「魏志倭人伝」を読むと、邪馬台国はバハラタの東に位置する辺境の土地。
ヒミコが統治し、決まり事は祭事による。
ヤマタノオロチにより若い娘(がウッフーン)が少なくなっている。
「ガイジンは嫌いじゃ!」が合い言葉。
548 :
日本@名無史さん:03/11/17 21:54
投馬を「つま」って発音するんじゃねーよ!!!
中国人は「たま」って言うよ。
うそだと思ったら聞いてみな。
おれは中国人から実際に聞いたんだからまちがいねえよ。
549 :
日本@名無史さん:03/11/17 21:54
行程や方角を真に受ける香具師は岡田英弘から読み直せ。
岡田英弘=デンパ
これ常識
ただし
行程や方角を真に受ける香具師=デンパ
これも常識。
551 :
日本@名無史さん:03/11/17 22:04
行程や方角を勝手に自分の都合のいいように解釈するな。
近畿のあたりは九州が鉄剣もってたころ、まだ銅剣しかない
おくれた土地だったのだよ。
552 :
日本@名無史さん:03/11/17 22:07
学問は真理を追求するもんだろ?
記述してあるそのものを信じるのが正しいだろ?
南って書いてあるのにそれは北東の間違いだろうだなんて。
あんた、それってあなたの妄想そのものなんじゃない?
それを妄想といわずになんつーわけ?
だから邪馬台国は八代か西都なの。
553 :
日本@名無史さん:03/11/17 22:28
葛城氏、物部氏、大伴氏など大和朝廷の初期の豪族はみな九州を本貫地として
いることは多くの学者の認めるところ也。
したがって邪馬台国は九州にあった。
大連出身の女に聞いた。
ほとんど魏の国といってもよかろう。
帯方郡はたしか大連に近いだろ。
そういう意味でなく・・・
マジレスすると、時が経てば発音は変化していくんだよ・・・
557 :
日本@名無史さん:03/11/17 22:59
>>552 記述しているものを信じるのなら『古事記』をまるごと信じるか?
>南って書いてあるのにそれは北東の間違いだろうだなんて。
なぜそんな間違いを書いたか。岡田英弘の倭国(中公新書)に答えが書いてある。
>>552 「南」って記録したのは、倭人の話を聞いた魏の人だろ?
例えば和語の「ひむかし」を漢訳するときに誤解があってもおかしくないよ。
>>557 >なぜそんな間違いを書いたか。岡田英弘の倭国(中公新書)に答えが書いてある。
記述しているものを信じるのなら『神々の指紋』をまるごと信じるか?
560 :
日本@名無史さん:03/11/17 23:19
561 :
日本@名無史さん:03/11/17 23:43
だから魏志倭人伝にかかれている文章から推定地を論争しとるわけやろ?みんな
それを南と書かれているのにそれは「間違い」とか勝手に言ってんのは
学者的な態度じゃねーって言ってんだよ!
おめーらばかじゃねーか?
おまえらどこの大学出たんだ?
漢字が読めるんですか?南は「みなみ」って読むんですよ。「ひがし」でも「きた」
でもないんだよ。
あくまで、間違いだと言い張るのなら、中国人の記録には間違いが実に多いという例を
いっぱいだしてほしい。
562 :
595959:03/11/17 23:44
>>561 >あくまで、間違いだと言い張るのなら、中国人の記録には間違いが実に多いという例を
>いっぱいだしてほしい。
文献史の常識
とくに、『中国人の記録には』と中国に限定した話じゃないが。
>>561 あんたこそ古代語の難しさを分かってない厨房だよ
565 :
日本@名無史さん:03/11/18 00:48
じゃあっさ、「東方にある黄金の国・ジパング」って記述したヨーロッパ人が
いたけどさ、東方じゃなくて北西にあるって解釈してもいいのかな?
南は南だ。政治的な意図とか間違いだとかじゃなくてそのものから推定すると
どうなるのかという議論が大事。
事実重視
566 :
日本@名無史さん:03/11/18 00:50
投馬の発音
百歩ゆづって「つま」と発音できるとするなら
投馬国=薩摩(川内)説には賛成したいけど。
>>565 魏の使者が方位磁石持って進んだわけではなかろう。当然倭人の案内があった。
「日のタテ」「日のヨコ」という言葉が中国での言い方と逆なんだから、それを聞いたら中国風に書いてしまうのが普通じゃない?
568 :
日本@名無史さん:03/11/18 01:00
投馬国ってどうもくせもんなんだよ。
邪馬台国と同じくらいの人口規模だろ?
この国にひっかかるんだ。
569 :
日本@名無史さん:03/11/18 01:01
魏の使者が実際に邪馬台国まで行ったかどうかもアヤシイ
570 :
日本@名無史さん:03/11/18 01:02
571 :
日本@名無史さん:03/11/18 01:03
当麻じゃないの?
572 :
日本@名無史さん:03/11/18 01:13
魏の使者が行ったのは伊都国まで。
方位磁針なくても太陽みてるからそんなまちがえねーよ。
古代人の方向感覚は出水まで飛んでくるナベ鶴並みに正確なはずだぞ。
>>572 伊都国から先のことは日本人の語りをもとに記録を作ったんだろ?まずそこで翻訳の問題点がある罠。
さらに、中国の記録の不確かさの問題もあるしな。
574 :
日本@名無史さん:03/11/18 01:30
投馬は集落の遺跡の規模からみて、
江戸時代からの定説どおり、鞆の津〜岡山平野だと思います。
漢字の発音をこねくりまわすより、
遺跡発掘の成果が如実に真実を語っているでしょう。
>>574 俺もなんとなく吉備の国っぽいなと思ってた。
576 :
日本@名無史さん:03/11/18 01:34
鹿児島市内の言葉と出雲地方の言葉の方言の語尾が似てるからな。
出雲は薩摩の投馬国の人間が出雲地方に移住したんじゃねえの。
とも思えるんだがな。
スサノオが「根の国」にいったという神話もあるくらいだしな。
根の国っていったら島根しかねーだろ?
もともとスサノオは南九州にいたんだが、出雲にいかされたという神話じゃねーか?
>>576 『古事記』の出雲は後世の出雲の国とイコールとは言い切れません。
578 :
日本@名無史さん:03/11/18 01:37
>>根の国っていったら島根しかねーだろ?
(´,_ゝ`)プッ
579 :
日本@名無史さん:03/11/18 01:38
吉備だと?
それは後世の話であってだ。魏志倭人伝を書いた当時としてはまだ
吉備の国なんて栄えてねえよ。
神武天皇が吉備の国に立ち寄ったことによって栄えてんだよ。
とにかく方位の記述を無視していいのって言ってんだよ。
中国人の書物に誤植が多いという例をあげておれを納得させてほしいよ。
話はそれからだ。
投馬=鞆っぽいな
581 :
日本@名無史さん:03/11/18 01:40
古事記』の出雲は後世の出雲の国とイコールとは言い切れません。
>じゃあ、どこよ?577
582 :
日本@名無史さん:03/11/18 01:40
>>579 >>まだ吉備の国なんて栄えてねえよ。
おいおい、必死だな
583 :
日本@名無史さん:03/11/18 01:43
歴史って不思議だよね。
まだ、決定的と言えるような根拠が無い、仮説が乱立している状態なのに、
すぐに真贋論争というか、決着をつけようとする。それも、あちこちに、主張者
自身が自説が正しくあって欲しいという願望を込めた仮定を一杯つけて。
「わからんものはわからん。」
何故、この一言がいえないのか。
仮説の段階で、結論決めようったって、多数決とか声のでかいもの勝ちにしか
ならん。それじゃ真に学問的態度とはいえないと思うよ。
しまいには、証拠物を捏造する馬鹿まで出る始末だしw
584 :
日本@名無史さん:03/11/18 01:45
それじゃ真に学問的態度とはいえないと思うよ。
それじゃ真に学問的態度とはいえないと思うよ。
それじゃ真に学問的態度とはいえないと思うよ。
585 :
日本@名無史さん:03/11/18 01:47
まあ、投馬を「たま」と発音し、100歩ゆずって方位も南は間違いだとしよう。
さすれば十分吉備がその候補になりえるとは思う。
吉備、いまの岡山にたしか玉なんとか市ってあるわけだからな。
そこがくさいとは思うがな。
方位が間違いとすればだぞ。
やっぱり吉備に玉っていう地名があるのか。
587 :
日本@名無史さん:03/11/18 01:50
南方向ににそれだけの土地があればな
588 :
日本@名無史さん:03/11/18 01:54
倭人が帯方郡の使者に「邪馬台国は日に向かって行く」と言えば、しかもそれが通訳を介してのことなら、
「東に行く」を「南に行く」と受け取られることは十分に考えられます。
589 :
日本@名無史さん:03/11/18 03:44
仮に、神武東征が和国大乱と合致するなら
邪馬台国は大和になる。
しかし卑弥呼は天照大神ではなくなる。
が、記紀に天照以外に卑弥呼らしい人物はいない。
なんらかの理由で、神武と天照の順序を入れ替えた
と思うがどうよ?
590 :
日本@名無史さん:03/11/18 12:07
近畿の王が九州も一応治めていたのだが、
だんだん九州の豪族がしたがわなくなり、
魏の国にはおれたちが邪馬台国の人間だ!などと言ってまわっていたんじゃねえか?
邪馬台国連合国家群のなかでもとくに強かったのが、九州にあってその国を
魏の役人は邪馬台国そのものと思ったんじゃないか?
それなら、邪馬台国は近畿だと考えても九州にあったと考えても
どちらも間違いじゃない。
591 :
日本@名無史さん:03/11/18 12:47
倭の地は温暖
たんじ・朱がいと同じ
とかかれているから近畿は蚊帳の外だったんだよ。
魏の役人の目には。
だから 邪馬台国は 九州 と考えて 間違い ないんだよ。
592 :
日本@名無史さん:03/11/18 12:48
邪馬台国は連合国家じゃなくて、ひとつの「国」でしょ
でなきゃ、対馬国とか、伊都国とかと並列な書き方はしない。
「倭」という国号を用いてることからも
連合国家名が「倭」で、邪馬台国はその中で最も強大な1国
という解釈以外ありえない。
593 :
日本@名無史さん:03/11/18 17:23
邪馬台国の領地が繋がってなくても良いじゃない。
点々とした港市国家をネットワークしたのが邪馬台国連合と考えれば。
中間には政治的に従属関係にないお隣さんがいたかも知れないし、原野だったかも知れない。
邪馬台国といった場合、ココからココまでと地図を塗り分けれる物じゃなく、通商拠点のネットワークなんだよ。
だから、卑弥呼のカリスマ性とか魏の承認という求心力が重視された。
卑弥呼は魏に朝貢し倭王の地位を承認されている。
その意味は、邪馬台国傘下の港市国家にとっては、近海を大手を振って航行でき、
港に荷揚げして市で商売できる、という特権であったのかも。
日本列島内および近隣諸国との交易での話だ。
逆に、邪馬台国に入ってないと、海賊に略奪されたり、市から締め出されたりしたかも。
595 :
日本@名無史さん:03/11/18 23:20
倭国大乱と神武東征が別の事件であるなら
倭国大乱に相当する出来事が記紀に記載されていてしかるべきだが
東征ほどの大規模な事件は、ない。
卑弥呼と天照大神が別人であるなら
卑弥呼に相当する人物が記紀に描かれていてしかるべきだが
それらしき人物は、いない。
>>595 記紀の記述はそんな単純なものじゃないよ
597 :
日本@名無史さん:03/11/19 00:14
>>595 倭国大乱は崇神天皇の頃だと思うよ。ヤマト側からヤマトを朝廷として書いてるから大乱としては描いてないけど。
598 :
日本@名無史さん:03/11/19 01:10
そーいや岡山の南に玉野があって
タマヨリヒメ祭った神社があったわ。
599 :
にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :03/11/19 02:14
>>597 「後漢書東夷伝」に記されている、倭国大乱は2世紀中期〜後期頃の話である。
したがって崇神天皇の頃(三世紀後期〜4世紀前期)は、ありえない。
600 :
日本@名無史さん:03/11/19 02:17
その大乱と同じ大乱じゃないだろ??
601 :
日本@名無史さん:03/11/19 10:53
だから、倭人伝を素直に読めば
熊本県八代市 か 宮崎県西都市 だって。
福岡県内に推定する学者がいるが、水行20日、水行10日もしていくとこかって。
ばかじゃない?
まだ近畿説唱えているやつのほうが数倍マシ。
p.s 俺が書いた文章の下に空白欄残すな。外野と人間かおまえ等組織の書き込みかの
判別つけとんのやろ?わかっとんのや。
602 :
日本@名無史さん:03/11/19 10:58
>>601 それが正しいなら学会で発表して認めさせればいいじゃん。
2chで吠えたって無意味。
一般人が学会で発表などできんだろ?>602
604 :
日本@名無史さん:03/11/19 11:05
>>603 あんた一般人なの?
組織がどーたらって書いてあったから
一般人じゃないと思った。
どんな組織があるのか知らないけどさ。
学会で発表できないなら、本でも出せば?
それかWebサイト開いて力説してみるとか。
>604
カネにならんことはそこまでやる必要ないよってな。
2ちゃんはひまつぶしや。
こう書けば相手はどう反応するか?とか
おちょくってみて相手がどうでるか?とか
とにかくただ書き込みたくなって書いたとか
人間いろいろあんねん。
しつもーん。
考古学的資料として、
何が出てきたら邪馬台国だと確定すんの?
戸数7万の大遺跡なんてみつかんの?
607 :
日本@名無史さん:03/11/19 13:19
>>606 邪馬台国は畿内全域(奈良〜河内あたりまで)って説があるよ。
そのくらいじゃないと7万戸は無理じゃないかって。
608 :
日本@名無史さん:03/11/19 14:24
倭人大いに塚をつくる。
この文章により西都市に決定だね。考古学的資料はこれ。
なにしろ古墳がうじゃうじゃあるからね。
九州で一番多いから。
おまけに温暖とかいてある。
これより以北は遠絶にして・・・ともあるから西都から北って
まー本州のこっちゃろ。
西都じゃ。
レスありがとー。
でもワカンネ。素人で馬鹿の俺には問題点が整理できね。
「投馬国」から南に行ったら邪馬台国だよね。
上の方のレスみたら「投馬」は南九州っぽいね。
俺も岡田さんの『倭国』は読んでみたけど、距離方位を無視出来るんなら
国名だって無視できそうな勢いだよね。わかんね。
中国史書・記紀と関係なく考古学資料で実名が確認できるのは
5世紀の「ワカタケル」だよね?(合ってる?)
ワカタケルの鉄剣には、鉄剣作った氏族の系譜が書かれてたよね。
そっちから『魏志』に出てくる国名との関係は分かってるのかな?
>>609 稲荷山鉄剣銘の一般的な解釈はこんな感じだ。
辛亥年七月に記す。ヲワケの臣。
上祖オホヒコ、その子タカリノスクネ、その子テヨカリワケ、
その子タサキワケ、その子ハテヒ、その子カサヒヨ、その子ヲワケの臣。
先祖代々杖刀人の首として仕えいまに至る。
ワカタケル大王がシキの宮にあるとき天下治めるを助け、
百練の刀をつくらせ,由来を記す。
地名としては「斯鬼宮(シキの宮)」しかでてこない。
一般的には現在の奈良県磯城郡にあったとされている。
610さん、あんがとー。
なるほど。繋がんないね。
もう一個は江田船山だっけか。そっちは関東だしね。
素人目に『魏志』に出てくる「対蘇国」とか「華奴蘇奴国」とか
ネーミング的にも断絶しちゃった流れがあるっぽいね。
>>607さんも言ってるけど
どうも卑弥呼の直轄地は全然小さいみたいだのう
専門の方、がんばってください
612 :
日本@名無史さん:03/11/19 23:51
大野七三氏の説はどうなの?
613 :
日本@名無史さん:03/11/20 00:33
化石に近い九州説論者、必死だなw
614 :
日本◎名無史さん :03/11/20 00:33
「邪馬台国は著者の住む町にある。」
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/| / / /ヽ 三____|∪ /⌒ヽ)
| | ̄| | |ヽ/l (/~ ∪ [ 祭 _]
| | |/| |__|/ 三三 三___|∪
| |/| |/ 三三 (/~∪
| | |/ 三三 三三
| |/ 三三
| / 三三
|/ 三三
/
616 :
日本@名無史さん:03/11/26 23:50
邪馬台国は耶馬渓にあるのは常識。
考古学者ははやく発掘しろ。
改作 (過ぎた)夏の思い出(日本史版 ver.2)
作曲・中田喜直 作詞・日本@名無史さん
夏でなくても わいてくる おもろい奴 変な厨
夢の中で ぎゃーぎゃーと 騒ぎ立てる 自説だけ
人の目なんか ちっとも 気にしない
夢見て 咲いている 2チャンの中で
指摘されても 気にしない
偉いの撲 他は馬鹿
618 :
日本@名無史さん:03/11/27 02:07
619 :
日本@名無史さん:03/11/27 02:43
>>595 >東征ほどの大規模な事件は、ない。
スサノヲと天照の争い
>それらしき人物は、いない。
モモソ姫
卑弥呼より壱与ちゃんはカワイイ。
621 :
日本@名無史さん:03/11/27 22:07
魏志倭人伝の種本と思われる魏略には「投馬国」の記載と「水行十日陸行一月」の記載はない。
だから「投馬国」と「水行十日陸行一月」を抜いて考えれば良いのだ。
万二千余里だけで行き着く所が邪馬台国なのだ。
お気楽なやつだな
623 :
日本@名無史さん:03/11/28 11:30
にゅあに?
魏志倭人伝に種本なるものがあるってネタじゃねえのか?
漢書地理志とか魏略とか王沈魏書とかのことかな?
>>623 「倭人伝には種本がある」
>>624 歴史書なら先行する本などの資料を利用するのが当然のこと。
陳寿先生はそういった資料を閲覧できる部署にいたのだからなおさら。
ただし、三国志は当時において既に類書の圧巻と認められていた点を忘れないこと。
追加訂正よろしく
↑別に記述内容が正確だとか詳細だとかという理由で
「圧巻だ」と認められたわけじゃないんだが・・・・
627 :
日本@名無史さん:03/11/29 00:32
悪漢だ。アッカンべ〜〜
629 :
日本@名無史さん:03/11/30 12:00
陳壽は三国志を書くにあたって当然史記や漢書も参考にしただろう。
東夷伝の序文を見ればそれが判る。
倭人伝については魏略を種本にした可能性は高い。
書き方がそっくりの部分が沢山ある。
陳壽が独自に入手した情報追加とスポンサーに対するオモネリなどがあって全く同じにはならなかったと言うのが真相だね。
スポンサーって誰?
で、どこがオモネリなの?具体的に。
>>630 オイオイ。10以上もあるんだぞ。
書くなら、何番目のスレの何番目のレスかちゃんと書けよ。
でなきゃ、おめェがなに考えがえてんのかわかんねぇよ。
634 :
日本@名無史さん:03/11/30 21:56
スポンサーは当然「晋」だ。
オモネリは「呉の太伯の子孫」というくだりが省かれたこと。
あらら、とてつもない勘違いしてる椰子があらわれたな(w
>>626 同時代人には見え見えの虚偽に満ちあふれた杜撰な書物が「圧巻」と認められるわけはない。
>>634 どうしてそれがオモネリなんだか理解できん。
わかるように書いてくれ。
だいたい、省かれたというのは確定なのか?
通行本にないのは確かだが、陳寿が省いたというのはどこから出てくるのだ?
伝写の過程の脱落もありえるぞ。
だから634は勘違いしてんだって。(ネタでボケかましてる可能性もあるがw)
どっちにしろ話がへんなズレかたするので真面目に突っ込まないように
>>637みたいなこと言い出したらキリがないな。
該当箇所の脱落が無い逸文とかが、有ると言うのだろうか?
640 :
日本@名無史さん:03/12/02 00:06
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| く_/`ヽ
>>642 翰苑
魏略曰・・・・其俗男子皆點而文、聞其舊語、自謂【太伯之後】、昔夏后少康之子・・・・
太平御覧魏志倭人伝
其俗男子無大小皆黥面文身。聞其舊語、自謂【太伯之後】、又云 自上古以來、其使詣中國、・・・・
どう違うのかな?
そうそう。
魏志倭人伝
男子無大小皆黥面文身。【ないよ】自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。夏后少康之子封於會稽・・・・
それより、
『「呉の太伯の子孫」というくだりが省』かれていることがオモネリになるっていう理路を明らかにしてくれんかなぁ。
さぱ〜り理解できんのだが。
>>643 「違う」のは「話の筋」だよ。
もともとは
>>637が言い出した「三国志の伝写の過程の脱落」の話なのに
何故に「御覧」を持ち出すんですか?
「太平御覧」は三国志の異本じゃないでしょう。
>>646 >該当箇所の脱落が無い【逸文とか】が、有ると言うのだろうか?
太平御覧に魏志倭人伝として引用されてるやつに『太伯之後』があるんだなこれが。
だから、この時代までは、『太伯之後』が入っている異本があった可能性があるでしょ。
逸文というには量が多すぎるが、まあ【逸文とか】の一種ではあるわな。
それより、
『「呉の太伯の子孫」というくだりが省』かれていることがオモネリになるっていう理路を明らかにしてくれんかなぁ。
さぱ〜り理解できんのだが。
おっと、異本というのはおかしいな。それが正本かもしれんからナ。釣られちまった。
なんせ最初の刊本まではまだずいぶんと間があるし。
おっと、いけねぇ。また筆が滑った。
最初じゃなくて、現存最古ね。
陳寿のスポンサーは張華だろ。張華のスポンサーは司馬一族。
『「呉の太伯の子孫」というくだりが省』かれていることは関係ない。
ふと思ったんだけどさ
「卑弥呼」とか「邪馬台国」とかってこの漢字は正しいのかな?
当時の日本にはまだ漢字はなかったんでしょ?
権力者が自分の名に「卑しい」という字を用いる物なのか?
国の名に「邪」とか入れるもんなのかな?
>651
> 「卑弥呼」とか「邪馬台国」とかってこの漢字は正しいのかな?
原本が現存しない(仮にどこかに現存するとしても発見されていない)ので、最初に何と記載
されていたかは不明。他の例に準じて、筆写で伝えられていくうちに誤字が混入した可能性あり。
ただし、傍証により「誤りではない」とするのが通説。
異説があり、また、字体に異なる部分があるので、そのままでは誤りです。
> 当時の日本にはまだ漢字はなかったんでしょ?
「その時点での中国人が申告を聞いて当てた表記」だから、申告した側が漢字を使用していたか
どうかは関係なし。
> 権力者が自分の名に「卑しい」という字を用いる物なのか?
単なる当て字だから、そういう問題ではないです。ただし、「卑」という漢字に「日本の現在の
辞典に載っている意味しか存在しないというわけではない」点は注意を要します。
なお、「発音」は時代によって変化するものですが、三国志が書かれた時代の発音がどうだった
のか「定説が存在しない=現時点ではいずれか一方と規定するのは一つの仮説でしかない」とい
う点に注意。
いずれにしても、「現在の日本での発音=漢字を流用している外国のはるか後世の発音」とは、
発声からして違うことは動かないので、「hi mi ko」とか「ya ma tai koku」
とかいう風に読むものと誤認しないように注意。
はい、突っ込みどうぞ。
>>650 それもよく聞く話だけど、史料上の根拠あげてくんない?
張華が陳寿に金出してたっていうのがわかるところ。
まあ、金じゃなくても、お宝とかくいもんとかの物納でもいいわけだが。
654 :
日本@名無史さん:03/12/03 23:05
陳寿伝
>>654 陳寿伝のどこ?具体的に書いてよ。
どこをどう読んだら金を出してたことになるんだい?
656 :
日本@名無史さん:03/12/04 02:01
陳寿は張華のおかげで就職つーか仕官できたんだろ。
人脈の中では陳寿のボスは張華。それで張華は政界の中では司馬の派閥の一員。
陳寿は晋に仕官した訳だが…
「司馬の派閥」ってどういう意味?煽りじゃないよ
>>656 なんとまぁ・・・
あれを純朴に信じてる香具師がいるとわ思わなかったよ。
孝簾って知ってる?
あれ、地方の有能なものを中央に推薦する制度で、主に出身地の郡太守の役目なのさ。
張華が孝簾に推挙するなんて、ほとんどありえないことだよ。
このとき張華は司空じゃないし。
>>657 おれもそれ書こうとおもてた。晋の臣なら全部司馬の派閥。
司馬の派閥じゃないのは、孫の派閥とか、劉の派閥とかだな。
まあ、劉の派閥がつぶれたから陳君は司馬の派閥に入ったわけだが・・・・
>658
なるほど。そうするとパトロン説は架空のものですか?
>>659 三国志が勅撰でないだけにそれも一概には…
>>659 パトロン説ってなあに?
パトロン(金出してくれた人ね)がいた/いないだけ?
それとも、パトロンのために筆を曲げたまで含むの?
で、それを誰がどう主張してるの?
(日本史板では電波としてつとに有名な岡田君はのぞいてね。)
662 :
日本@名無史さん:03/12/06 01:16
金の流れどうこうだけじゃなくて共同体の問題でそ
幇だから
始皇帝の「阿房宮」は炎上せず、発掘調査で判明
www.yomiuri.co.jp/main/news/20031206i513.htm
史料というのはこういうもの。
史料に書かれているものは史料上の事実ではあっても事実とは限らない。
ましてや邪馬台国のように史料だけではまったくのデータ不足の場合はなおさら。
考古史料なども含めた総合的な判断が必要になる。
と書いてから確認してみたら、阿房宮を焼いたっていう史料はなさそうだ・・・・
正確には・・・
羽乃屠咸陽,殺秦降王子嬰,燒其宮室,火三月不滅・・・
羽見秦宮室皆已燒殘,又懷思東歸・・・
(漢書 陳勝項籍伝)
とあり、みな焼けたと書いてあるので、阿房宮も項羽が焼いたとみな信じていたわけだ。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
魏志倭人伝を読まず邪馬台国を語ろう
邪馬台国は岩手にあったに決まってるだろ
あぼーん
あぼーん
677 :
日本@名無史さん:03/12/12 20:52
あぼーん
あぼーん
>>677 魏志倭人伝の記述
素直に読めばそうなる
あとは地名がそう言ってる
あぼーん
あぼーん
684 :
日本@名無史さん:03/12/15 01:03
今月号の「ムー」を読んで勉強汁!
盲目的な邪馬台国九州説狂徒が正しい解明を恐れて妨害を繰り返しているのでつ
あぼーん
こんな脈絡の無いコピペが罷り通るのもこのスレならでは
688 :
日本@名無史さん:03/12/18 23:08
もういい加減、この繰り返しやめて、真面目な議論をしてくれ。
そんな無体な。
ここに住んでる香具師らは、
・ひたすらアドバールンだけあげて、あとはほったらかしの香具師
・ひたすら下品なAAを貼りつづける香具師
・「勉強しろ」、「本読め」、「馬鹿」以外の語意を持っていない香具師
だけだから。真面目な議論は無理だよ。
特に最後の香具師が一番の問題。
真面目に論拠をあげて議論しようとすると、必ず邪魔しに来て、
「馬鹿」「アホ」の連呼と人格攻撃で
せっかく動きかけた議論をつぶしてしまう。
>>689 議論を放棄した人に、真面目な議論が無理なのは当たり前。
理由がどうあれ、自分から議論を放棄して、愚痴を述べるだけの負け犬は、
必要ありません。
議論を伯耆というより、もともと議論にならないという話なのだが・・・・・
『アホ』『馬鹿』と言い合うのは議論じゃないよ。
そんなものにつき合い切れないのは当たり前。
とあるレスが『アホ』なら、きちんと根拠を明示してなぜアホなのかを示さなければ議論にはなりようがない。
まったく議論にならないから一人去り、二人去り、
現在のあまりにさびれた、見るも無残なスレの残骸だけがある。
これは荒らし君だけのせいじゃないよ。
さてこの現状をどうしたらかつての状況に戻せるか。
前途は暗い・・・・・・・
694 :
日本@名無史さん:03/12/21 10:18
695 :
日本@名無史さん:04/01/03 05:42
>>694 すごい電波野郎だな
その次のレスで完璧に論破されてるのに
それすら気付いてない様子
どうでもいいが「日本=ヤマト」の”当て字”は
「日(ひ)=ヤ」「本(もと)=マト」じゃないの?
半島の一部が倭に含まれていたというのは電波じゃないよ。
698 :
日本@名無史さん:04/01/03 15:12
最近の考古学の成果を考えれば、卑弥呼の時代の邪馬台国の領地は
以下のような状態だったかと。
・畿内大和
・南九州の一部
・北九州は伊都国による間接統治
北九州は一大率による直接統治でそ
あぼーん
701 :
日本@名無史さん:04/01/11 08:12
702 :
日本@名無史さん:04/01/26 02:40
出雲って、勢力圏に入っていたの?それとも別勢力?
投馬国をどこに比定するかで意見が別れるんじゃない?
>>698 直接統治ではない単なる連合国関係としても、その時点で、それだけの広範囲に
影響を及ぼすことができていたものか?
そうだとするなら、それだけの連合国を悩ませるだけの敵対国とはいったい何か?
>>694 > 倭は半島も含んでいた。
そういう説もありますね。
少なくとも、現時点のように海峡で分かれている状態が本来であるとは、
ちょっと考えにくい。人類がアフリカで発祥したとするなら、どうせ、
流れ流れて東路の果ての半島あたりまで来たご先祖様が、さらにハミ出
して、果てよりもなお奥つ方に渡ったに決まっているわけで。
706 :
日本@名無史さん:04/01/26 21:02
>>705 列島から半島に渡って行ったんでねーの。
黒いの・白いの・黄色いの賑やかだけど?
>>706 そりゃ時代が違う。といっても千年ちょっと違うだけの話ではあるけど。
708 :
日本@名無史さん:04/01/27 00:08
近畿にあった邪馬台国はナガスネヒコ
(あるいはその先祖)に滅ぼされる。
そのとき、伊都国へ派遣されていた神武天皇が
近畿へ戻りナガスネヒコを倒して
邪馬台国を再建、それが大和朝廷。
709 :
日本@名無史さん:04/01/27 02:07
>>708 ん、なんか面白そう。長髄彦は何処から来たの、鈴鹿の峠を越えてきたん?。
710 :
日本@名無史さん:04/01/27 10:18
日本の成り立ち:
BC10000年ごろ,マラヨ・ポリネシア系の母音で終わる言語集団在住
BC10000年ごろ,お尻が青いモンゴル系の集団来住,上と斑状に住む.
BC5000年ごろ,ツングース系言語集団来住,朝鮮系言語との分離始まる.
BC1000年ごろ,米作が揚子江流域から伝わる.関係集団来住
BC500年ごろ,中国で戦国時代,難を逃れて中国,朝鮮半島の集団来住
BC200年ごろ,平安南道に中国人の居留地成立,先進文化を四囲に伝える.
AD100年ごろ,倭成立,三韓成立
711 :
日本@名無史さん:04/01/27 10:19
韓半島での集団
BC10000年ごろ,お知りの青いモンゴル系集団来住
BC5000年ごろ,沿海州から「わい」と呼ばれるツングース系集団東海岸に来住
このころ,現在の韓国語の祖語と日本語の祖語の分離はじまる.
BC1000年ごろ,中国華北から鉄器を持った集団来住
BC500年ごろ,中国戦国時代で戦乱を避けた集団来住
BC200年ごろ,平安南道に中国人の居留地成立,高度文明を四囲に伝える.
AD150年ごろ,北部は中国文明,東部は「わい」文化,南部は韓文化成立
712 :
日本@名無史さん:04/01/27 20:24
>>707 遅くなってスマソ。早とちり?ん万年前に像使いがやってきた話でねーの。
何から千年か教えていただける?。
713 :
706・712:04/01/27 20:29
どっちがニセモノだったか忘れたけど落ちちゃって今はこれしか無いんだね
西都厨は氏んじゃったのかな?
715 :
日本@名無史さん:04/01/28 07:57
>>707 BC200年[高祖7年]ごろ,平安南道に中国人の居留地成立,高度文明を四囲に伝える.
蒼海郡[武帝元朔2年(BC127年)春3月置]の事ではなかろう。
解らん、寝不足になってしもた、出自と居留地名教えてたもれ。
概ね承知、倭国が半島に弁辰狗邪国[伽耶]を所領していたのも承知。でも弁韓は元々
主体は半島人でないの。倭人が鉄を求め渡来し、その一部が居ついたところが弁辰狗
邪国。倭人が庇を借りて、母屋を乗っ取り任那に仕立て上げたのではでないの。
705Resでは、倭人の居残り組(これを倭人と言うか疑問)が列島の倭人と組んで、環
倭国を形成したように取れましたがいかがでしょうか。
サテオシゴト・・・鯖マデオツカイ・・・オツカイオワルマデマッテテチョ
魏志倭人伝を読んで疑問に思ったことが
あります。誰か詳しい人、教えてください。
1)郡から狗邪韓国まで7千余里、狗邪韓国から千里で
対馬国、それから千余里で壱岐国、それでまつろ国まで
また千余里。ここまでですでに1万里から1万1千里
の距離。
一方、郡から邪馬台国まで12000里と書いてあるので、
まつろ国から邪馬台国までは千里から2千里の間という
ことになりませんか?
2)「南」を「東」に読み替える場合、女王国から「北」の国は
「西」の国と読み替えますか。でも、それだとおかしなことに
なりませんか。
>>716 対馬国は方400里、一支国は方300里だから「乍東乍南」で2辺づつ
合計1400里を加算しないといけない。つまり末羅国まで11400里。
末羅国から伊都国まで500里、伊都国から奴国まで100里。
これでちょうど12000里。魏志倭人伝は女王国まで12000里だとは
いっているが、邪馬台国まで12000里だとはいっていない。
つまり奴国=女王国。実際に奴国を女国、あるいは女王国を女国と
誤写したりした伝本がある。
方角については全体的に45度傾いているね。
于弥国から投馬国へは南行だが、これはだから正確には東南になる。
日本海航行で途中の出雲沖あたりから但馬へ向かうのは東南になるから
この部分を表現したんじゃないだろうか。
あとは方角については問題ないと思う。
1 丗有王皆統屬『女王國』
2 自『女王國』以北其戸數道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳
3 自郡至『女王國』萬二千餘里
4 自『女王國』以北特置一大率檢察諸國畏憚之常治伊都國
倭人伝に度々登場する『女王國』と言う単語、2と4は絶対に『邪馬壹國』と同義。
1は『女王共立連合』の意とも解釈できそうだが『邪馬壹國』の方がすっきりする。
3も『女王共立連合』の意の方が都合が良いが、確実な用例が無い以上、『邪馬壹國』と解すべき。
それで、路程の計算が合わんのは致し方ない。不合理箇所は、他にもいっぱいあるしね。
3と4は奴国かも試煉名。
レスありがとうございます。勉強になります。
郡から12000里のポイントは奴国の可能性が高い
ということですね。確かに邪馬台国とは言っていません
でした。「女王国」の境界までが12000里で、
国内に入っても、邪馬台国=首都まではまだまだ
ある、ということでしょうか。
方角については、やっぱり謎ですね。奴国から出雲を
目指す場合(関門海峡から瀬戸内海に入る場合も)、
一度北上しなければなりません。それを南と書いて
あるのは不思議です。
721 :
日本@名無史さん:04/01/30 04:58
日本全体が邪馬台国で
その中に奴国だの伊都国だのがあったというだけの話だろ?
日本は大和か九州か、という設問がナンセンスなのと同じで
邪馬台国は大和か九州か、という設問もナンセンス。
強いて言えば、東京といったときに、東京都全体を指す場合と
23区のみを指す場合があるのと同じで
邪馬台国という国家の中に邪馬台国という行政区があった
という考え方はあるかもしれんが。
722 :
日本@名無史さん:04/01/30 05:02
邪馬台国は都市国家でしょ?倭国の首都であり、行政の中心。
女王国=邪馬台国
卑弥呼連合=邪馬台+投馬+奴+伊都+・・・第二の奴国
倭=卑弥呼連合+狗奴+海東千里の倭種
>>720 不思議といえば不思議だが「まず東して途中から南」を略したか
伝写の過程で誤脱したか、どっちかだろうと想像。
まぁ投馬国=但馬説を採用しない場合には
他にもいろいろ考えられるでしょうけど。
>>720 「ひむかし」(日向かう方角?)のことを「南」と訳されちゃったとオモワレ
726 :
日本@名無史さん:04/02/03 13:37
なんか昨日・・NHK教育で魏書のことやってたよ。
三国志の話で。なんか・・・うそくさいんだ。これ。
>>717 > つまり奴国=女王国。実際に奴国を女国、あるいは女王国を女国と
> 誤写したりした伝本がある。
見つけましたよ。岩波文庫(新訂版)の136ページの『広志』逸文には
たしかに「女国」という言葉がありますね。
これとは別の疑問なんですが、『後漢書』東夷伝では、狗奴国の位置が
邪馬台国の東になっていますよね。しかも千余里の距離。これは、
『魏志』の別の箇所との単なる混同として済ませるべきなんでしょうか?
それとも、『後漢書』のほうが正しいと考えることができますか?どなたか
教えてください。
後漢書はあくまで参考程度にすべき。いい加減な再編集が大杉。
魏志と後漢書を同等にして、自説に都合のいいところだけ
両方からつまみぐいする奴とは議論しても得るものは何もない。
729 :
日本@名無史さん:04/02/03 20:11
で、狗奴国の位置が東に変わってることが合理的説明つく?
つかねば、自説に都合のわるいところだけ目をつぶってると言われても仕方なし。
東ってことは蝦夷地か
翰苑 巻三十 魏略逸文
従帯方至倭循海岸水行歴韓国至拘邪韓国 七十里
始度一海千余里至対馬国其大官曰卑狗副曰卑奴無良田南北市糴
南度海至一支国置官与対同地方三百里
又度海千余里至末廬國人善捕魚能浮没水取之
東南五百里到伊都國戸万余置官曰爾支副曰洩渓柄渠其国王皆属女王也
女王之南又有狗奴國以男子為王其官曰拘右智卑狗不属女王也
自帯方至女国万二千余里其俗男子皆黥而文聞其旧語自謂太伯之後
昔夏后小康之子封於会稽断髪文身以避蛟龍之害今倭人亦文身以厭水害也
魏志倭人伝には1狗奴国は南、それと関係なく
2邪馬台国の東にまた倭国がある。
後漢書はそれをごっちゃにして雑な簡略しただけ。
733 :
日本@名無史さん:04/02/04 02:33
邪馬台国を遠い大国に見せかけて、「そんな遠い大国を朝貢させたぞ、俺!」と言う為に
司馬家が捏造したんだよ。遠い大国の大月氏を朝貢させた曹真に対抗するため。その後
クーデターで曹一族を排斥した司馬家が史書で邪馬台国を持ち上げないわけが無い。
親魏大月氏王の金印を送った十年後に親魏倭王の金印を送ってる。
距離は洛陽から大月氏の都まで1万7千里。邪馬台国も(捏造した結果)1万7千里になってる。
戸数は大月氏が十万。邪馬台国は7万。晋の首都圏の河南郡全体でも11万戸の時代にだよ。
司馬家の晋朝になってから家臣の張華の家臣の陳寿が三国志を書いたわけだが
張華は北京駐在で当然朝鮮や倭については詳しい。陳寿もそうだろう。
だから確信犯。晋の開祖の司馬家の功績についてライバルの曹真より低いこと書けなかったのだ。
という岡田英弘の説はどう?おれは正しいと思うけど。
734 :
日本@名無史さん:04/02/04 06:50
>>732 きみは倭種の国と倭国をごっちゃにして雑な簡略しただけ。
735 :
日本@名無史さん:04/02/04 08:21
>>733 朝鮮人じゃあるまいし、そんな姑息なことして自国を誇大宣伝する
必要が無い。だいたい邪馬台国は魏のときに入貢してるのであり
魏の宣伝になってしまう。(晋の時には一回だけ、卑弥呼・イヨの
は魏の時代)おまけに晋の歴史は後の時代に書かれるのだから、
魏の時代に何度も朝貢し、晋の時代に一回しか朝貢してない倭国
(邪馬台国)を持ち上げても、将来の歴史家が訂正すれば逆効果。
歴史が誤魔化せるという朝鮮思考は、朝鮮人か(チョンの支配する)
大和朝廷くらいのもの。
>>734 はいはい、倭国を倭種に訂正するよ。気が済んだか?
>>733,
>>735 司馬家の功績を曹真との兼ね合いで過大に目立つようにしたという
のはわかるが、それは里程を1万2000里にしたことで曹真の大月氏
とのバランスはとれてる。呉の背後にもってくることもできてるし。
しかし人口まで捏造とは思えない。そもそも当時の中国は史上稀に
見る人口大減少の時代であることは岡田自身が他の学者以上に最も
声高に叫んでるわけで、周辺異民族が乱入してくる直前の情況。
それなのに「中国と比べて多すぎる」はないだろ。
>>714 どっかに隔離されたんじゃない? それとも障るからPCを取り上げられただけかな?
>>717 > 対馬国は方400里、一支国は方300里だから「乍東乍南」で2辺づつ
> 合計1400里を加算しないといけない。
「乍東乍南」なんてどこにも存在しません。虚偽を書かないように。
「乍南乍東」は「半島西岸」を進むときの話。
>>721 > 日本全体が邪馬台国で
> その中に奴国だの伊都国だのがあったというだけの話だろ?
全くの誤り。
変な風に拾い読みして、奇妙な具合に間違って思い込む悪い癖を
改めないと駄目。
>>722 > 邪馬台国は都市国家でしょ?
おそらくそういうものだったはず。
> 倭国の首都であり、行政の中心。
「行政」の意味次第で、「そうである」とも「そうではない」とも
いえます。
ただし、「卑弥呼さんが死んだ後ですぐに政争が起きる程度の不安
定な政治体制しかなかった」ことは間違いないし、「隣接する国か
ら攻められて弱音を吐く」程度の軍事力しかなかったことも間違い
ないから、「長期にわたって安定して継続した強大無比の国ではあ
り得ない」ということは動かないでしょう。
結果として、「その時期に長期にわたって安定して継続した政権が
存在した地域」は「邪馬台国ではない」可能性が高いといえます。
>>736 > しかし人口まで捏造とは思えない。
文字が使われていたわけではないなら、数という概念があったとしても、
ある程度以上の規模の集計を必要とする調査の類いが可能だったとは思
われないから、当時の倭国には、正確な人口を把握している者など存在
しなかったと考えるほうが事実に近いと思う。
結果として、人口は「口から出任せの類い」でしかありえないと思う。
>>735 史書を捏造して誇大宣伝するのは中国でよくあることだし
まず前提として、魏志倭人伝は晋の時代に陳寿が書いたもので
よくあるように、前時代を現政権の正当性の有利なように捏造したと思われる。
つまり、曹一族より司馬一族のほうが優秀であるという証拠を史書に書くものだ。
だから曹派(曹真〜曹爽)の西北地盤と司馬派(司馬イ〜司馬炎)の東北地盤
の対立を史書に書く上で陳寿は司馬(現政権)の功績を高めるため捏造した。
それに呉は魏の背後の公孫淵と同盟して1万の兵を海上から派遣してる。
こういう呉を牽制するために邪馬台国の位置を呉の背後にあるように捏造して
司馬の功績(邪馬台国を朝貢させたという)をより高めたと言える。
将来の歴史家がどうとかいう問題は中国の史書には必要ない。
まさか、まったく中国の史書を信じるわけじゃあるまい?
人口については、邪馬台国だけで7万とある。
邪馬台国は都市国家だろうからこれだけの人数は多すぎないだろうか。
対馬国 千
一支国 三千
末路国 四千
伊都国 千
奴国 ニ万
不弥国 千
投馬国 五万
邪馬台国 七万
とある。七万もあれば周囲の国が反乱など起こさないだろうし、そもそも
「柵で宮殿を囲う」程度の国がこれほどの住民を支えられるだろうか・・・
744 :
日本@名無史さん:04/02/05 01:54
魏志の倭人のところには、邪馬台国の「人口」が七万なんて
書いてない。 そんな雑な読み方をしてるから、電波を受信
するんだよ。(733のように孤独な引き篭もりなら一戸に
一人だけどなw)
746 :
日本@名無史さん:04/02/05 04:14
「邪馬台国は都市国家だろうから」という自分の思い込みを
史料より優先するトンデモ説特有の我田引水w)
>>746 このスレに邪馬台国は都市国家じゃないと思ってるやついるの?
もちろん都市国家なんかじゃない。
749 :
日本@名無史さん:04/02/05 08:00
都市国家とはちゃうやろなあ。
都市国家ってのの定義の問題もあるけど、中国の都市や
ギリシアのポリスの類ではないわなぁ
750 :
日本@名無史さん:04/02/05 08:09
てか、戸数七万余戸ってある。今のような核家族じゃないから、
一戸が古代で4人とかって考えにくい。大家族とすると十人以上と
しても不思議じゃない。庚午年籍なんかでは一戸は10〜20人だ。
とすると邪馬台国は70万〜150万人の都市国家ということになる。
3世紀の最盛期のローマや長安並みの都市国家があったというのは、
電波か池沼というしかない。
都市ではあっても都市国家じゃないだろ
え?漏れも都市国家だと思うよ。今考える国家じゃなくて。
都市国家 古代の国家形態の一つ。都市のそれぞれが政治的に
独立して一国家を形成したもの。古代ギリシャやローマ
が有名(集英社国語辞典)
反対に都市国家以外の国家とは、
1 国家の中に多くの都市を含む(例:近代国家)
2 国家と呼びうる制度・権力を備えているものの都市を形成していない
あるいは都市を本拠としない
のどちらかまたは両方だろう。問題はどのレベルまで発達すれば都市と
呼べるかだな。吉野ヶ里レベルでも都市と呼びうるのなら、古代倭国は
都市国家群。邪馬台国はアテネ。
マヤ文明諸都市みたいな感じだった?
755 :
日本@名無史さん:04/02/05 12:47
>>752-753 点と線だね、邪馬台国と言っても。
点と点の距離が、かなり離れていてもイイ様な気がする。
九州から畿内にかけて、都市国家を交易などで繋げたものが邪馬台国だった?
>>755 交易してたのは華僑だろ。秦王国っていう中国人の国があったわけだし。
その華僑を保護してたのが「大倭」という倭人の首領。
その市場が徐々に拡大してって都市が生まれたんじゃないかな。
都市国家というか都市国家連合みたいなものだと思う。
百済や新羅の成り立ちを見てもそんな感じだし。
それほど中央集権的でもないし。
卑弥呼という宗教的シンボルを祭り上げなきゃまとまらなかったところも
連合という感じが正確な気がする。
倭人が記述どおりの人口を抱え、中国の正史に
魏里ではない倭人里?を採用させるほどの
一大勢力だったかもしれない、何て話は
無しなの?
魏志東夷伝の「國」の文字は現代日本語の国家の意味じゃないよ。
これは都市。倭国は中央集権。都市連合でも部族連合でもない。
>>757 「邪馬台国連合」と言ってしまうと、まるでEUのように
話し合いでこしらえた政治連合のようなものを想像
してしまう。これはちょっと違うんじゃないか。女王国
は諸国に一大率をおいてにらみをきかせていた。
強固な覇権国家と呼ぶべきものだったと思う。
761 :
日本@名無史さん:04/02/05 19:09
都市国家とは電波でまくりだな
>>760 「一大率」を「女王國以北」に「特に置いた」のは帯方郡だって説もあるよ。
一大率の設置主体が倭人側だとしてもその権威の源泉は邪馬台国単体では無く
女王共立諸国全体の力だと思うよ。
邪馬台国の王=州知事
倭国王=合衆国大統領
州知事兼大統領みたいなとこで
>「一大率」を「女王國以北」に「特に置いた」のは帯方郡だって説もあるよ。
電波
インドネシアとかイギリスとかフィリピンって
現在いずれも女首長好きだよね。
いずれも内部に分裂問題を抱えてる。
島国連合には意外と女首長制が会うのかもな。
大陸国家は女首長では国家が維持できないだろうね。
あまりにも周りに敵が多すぎてね。
島国国家ってのは外部への防御が必要ない分
内部は分裂気味になるのではないだろうか。
ついでにニュージーランドも女性が総督。
やっぱ島国はいいね。
ついでに日本の天皇ってのも機能としては
古代日本がまだ分裂状態で
あったときのなごりだったのだろう。
>>765 神武東征の時、女酋長がけっこう登場するね
>>762 > 「一大率」を「女王國以北」に「特に置いた」のは帯方郡だって説もあるよ。
だうと。
倭国が分裂していたというのは、邪馬台国を中心とする一派と
狗奴国を中心とする一派に分裂していたというのならわかるが・・・
それと一大率が帯方郡の機関だというのは昔松本清張がとなえた電波。
後で本人が恥かいて撤回している。
倭の「國」には独立勢力の狗奴国の王と、伊都国の飾り物になっていた王
の他は邪馬台国の女王しか王はいない。
他の「國」には王はなく、それらの國を治めていたのは「官」。
つまり邪馬台国からの派遣官か邪馬台国に承認された世襲官。
これらは都市ではあっても都市国家ではありえない。
769 :
日本@名無史さん:04/02/06 05:19
>>757 都市国家連合というより都市連合国家じゃない?
世界史的にいうと「古代国家」ってのは
もともと都市が連結してできてんだがな。
だから「都市連合国家」ってのは
当たり前すぎて何をいいたいのかわからない。
話とっかえるゾ、なんで日本はとんぼの島なんだ。(雄略天皇のあたりで言ってた)
見えないぞーとんぼなんて!あと、倭王武の話で、西は衆夷を服すること六十六国
なんかいい感じ!(使訳の通ずる三十国)半分くらいか、とにかく関西っぽいな。
邪馬国から派生した邪馬台国あたりにしたらいけない貝?邪馬国(大和)で邪馬台国(九州の
出張国)あーやっぱおら電波だぎゃー!!!!さらば!
>>771 そう言えばそうなる。仲哀天皇はなぜかいきなり九州に宮を置いて、あっさり...
神功皇后が後を継ぎ、あれこれしてから大和に凱旋。(帰国)仲哀天皇が九州に行ったときから何年、宮を造れば
7万戸も出来上がったかも。基の大和はあれこれ鑑みて、凱旋する神功に白羽の矢を立てる。
神功が勝利してまた大和に戻る...(紀も神功を卑弥呼みたくしてるし...)問題は時代なんだよねぇ。
時代は違うし仲哀天皇の代だけでは出来ないとは思うけど、こんな流れがあったら?どうなんだろか?
紀もここから(応神天皇から仁徳天皇へ話が変わるしねぇ)時代が100年跳んでるかも?と、言って惑わす!
773 :
日本@名無史さん:04/02/06 21:26
>西は衆夷を服すること六十六国
出雲や隼人の国だろ。
あと「東は毛人の五十五国を制し、〜略〜 渡りて海北の九十五国を平らぐ。」
とあるから毛人は蝦夷、アイヌら、海北は朝鮮か。
狗邪韓国って、伽揶加羅の事じゃなあないの?
既出?
>>774 他に何があるんだよ???藻前の考えいってみろ
776 :
日本@名無史さん:04/02/07 18:04
777 :
日本@名無史さん:04/02/07 23:14
777げっと〜ぉ!
>>775 いやさ、伽揶って国名は中国の史書にはない=ゆえに日本の捏造
とか耳にしたから言ってみたのじゃが
さすがに伽揶は無いよな・・・・と揶揄してみるテスト
451年倭王済が宋より使持節・都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事・安東将軍・倭国王の称号をもらってる。
宋書にも載ってるでしょ。
>>774 中国の史料や日本の史料では「加羅」、半島の史料では「伽耶」。
3世紀の狗邪国(狗邪韓国=弁辰狗邪国)を中心に結集した国々が
みな「○○加羅」と呼ばれた。
のちにその中心が伴跛国(3世紀の半路国)に移り、これを単独でも
「加羅国」というようになった。
伽耶=加羅なのは、ふつうは常識とされていると思う。
782 :
日本@名無史さん:04/02/20 04:58
【良スレあげ】
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ) < イヤなら無視すればいいだろ…
(⊃ ⊂) \
| | |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(__)_)
クルッ _____________
∧_∧ /
( ・∀・ )彡< おまえが学校でされてるようにな!!!!
⊂ つ \
人 Y  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
し (_)
783 :
日本@名無史さん:04/02/23 18:43
>>772 カミさんが武内宿禰に寝取られたからなぁ。
なにせ、御年三百六十余歳で因幡に下ったような、人間を超越した香具師だから、
絶倫だったのかも。
まぁ、仲哀さんは別として、古代の天皇家の皆々様方は、長寿でいらっしゃる。
羨ましい限りです。
784 :
日本@名無史さん:04/02/25 20:42
>>781 >中国の史料や日本の史料では「加羅」、半島の史料では「伽耶」。
洛東江の中流、西側に伽耶山というのがあって、加羅の方々にとって、
とても神聖な山の一つです。
「伽耶」の名を用いる時には、どこか神聖な気持ちを込めて言っている
ことが多いとか。
785 :
日本@名無史さん:04/02/25 23:41
年代測定が進んで古墳時代が早くなった。箸墓古墳が卑弥呼の時代に重なる
ようになり、箸墓古墳は卑弥呼の墓であることが現実味を帯びてきた。
つまり、邪馬台国は奈良県にあったことになる。
伊都国は卑弥呼の近縁の王の治める国で北九州の糸島半島、福岡市の付近に
あり、西南諸国の管理、外交使節の入国チェックetcを担当。
伊都国に統括された西南諸国の支持をバックに東海地方にあった狗奴国と対
峙していたが、卑弥呼の死後、卓越した指導者を欠き、邪馬台国連合内では
狗奴側につく国や内応する国があらわれた。倭は大争乱に陥り、邪馬台国政
権は首都を放棄、親戚の伊都国に亡命した。しかし、北九州に本拠をおいた
ことで、朝鮮半島からの鉄の独占、狗奴への海上封鎖に成功。ヤマトタケル
(雄略天皇)が王になると東方への版図を取り戻していき、首都奪回、倭を
統一した。そのため、畿内では旧邪馬台国の時代と文化の断続性が生じ、大
陸の影響の強い文化があらわれた。狗奴は崩壊し、東北地方に落ち延び、子
孫は蝦夷と呼ばれるようになった。
卑弥呼の墓は古墳だろ。
魏志倭人伝に
塚を作って人間も一緒に埋めたって
書いてあったよね。
787 :
日本@名無史さん:04/02/28 01:37
古事記、日本書紀には邪馬台国について載ってるんだっけ?
載ってる わけがない
神功皇后が とか言うな
古事記は書紀より新しい云云は 最近どうなってるの?
日本書紀の原形となった資料群(または「(原)日本紀」)
よりは古事記の方が新しい、です。
790 :
日本@名無史さん:04/03/05 22:42
古田武彦 『邪馬台国はなかった』S52 角川文庫
を読んだ。
納得しちゃったんだけど、現在の評価を教えてちょうだい。
>>790 あからさまに賛成すると、学閥からはじかれるから、何食わぬ顔してパクリが横行。
考古学者と歴史学者は、古田説に反論が難しいから、あたらず触らずだが浸透中。
792 :
日本@名無史さん:04/03/06 02:10
明確な形の反論を読みたかったんだけど・・・無しなのか
オイオイ、つーことは25年も経ってまだ表舞台に出てないってことか?
それでは、ここの皆さんにとって古田説の信憑性はどんな程度?
|
|
ぱくっ|
/V\
/◎;;;,;,,,,ヽ そんなエサで
_ ム::::(,,゚Д゚)::| 俺様が釣られると思ってんのか!!
ヽツ.(ノ:::::::::.:::::.:..|)
ヾソ:::::::::::::::::.:ノ
` ー U'"U'
794 :
日本@名無史さん:04/03/11 03:31
あんまマイナーな学者知らないんだから
ある程度その学者の説の内容を書いてくれよ。
そしたら反論できるから。
795 :
日本@名無史さん:04/03/11 23:59
古代史学者であること自体、マイナー。
一人の学者が唱えている説の数は無数。
796 :
日本@名無史さん:04/03/12 10:29
>>785 狗奴を東方に移動するものと解釈すると「クニの郷」(京都)、
クガチヒコのくがち「北陸」、東海土器の東進、毛野(群馬、栃木)等
がうまく解釈できる。移動するという発想はおもしろい。丹後の大江山
近辺で「クガミミ」、「ヒキメ」等がヒコイマスに討たれているが、
狗奴国は「オオクヌヌシ」とともに関東に進むと読むのもどうかと
考えたりするんだが。
797 :
日本@名無史さん:04/03/12 10:37
イザナギ時代に粛清された「クガツチ」のことも考えるとクガ(北陸)
と瀬戸内(吉備を中心とする邪馬台国政権中枢)は素より、つまり、
歴史的に、文化的に対立していたのかなーとも思う。
798 :
日本@名無史さん:04/03/12 10:52
箸墓墳頂で祭祀を主宰した吉備、モモソヒメの兄弟であるキビツヒコ
の吉備こそ邪馬台国の初代政権であったとみている。ただし、倭人伝
からも一時的であったことが読み取れるようである(考古学的には
特殊器台と同期)。
799 :
日本@名無史さん:04/03/12 20:19
>>796-797 クガとかクガチヒコとかクガツチって何ですか?
勉強不足なのか初耳なんですが…。日本書紀に出てきます?
>>798 モモソヒメの前にキビツヒコが祭祀を主宰したってことですか?
それに「箸墓墳頂」って、少なくともモモソヒメの死後のことでは・・・
800 :
日本@名無史さん:04/03/12 21:58
801 :
日本@名無史さん:04/03/12 23:19
其南有狗奴國。男子爲王。其官有狗古智卑狗。->クゴチヒコ
倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和。->ヒミキコ
吉備津彦関連炉しては、・・・
大吉備津日子命と若建吉備津日子命の二柱、相ひ副えて、
針間の氷河ノ前に忌甕をすえて、針間を道の口として、
もって吉備国を言向け和せり。
>>801 > 其南有狗奴國。男子爲王。其官有狗古智卑狗。->クゴチヒコ
> 倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和。->ヒミキコ
その読みの根拠は?
狗古智卑狗くこちひく 卑彌弓呼ひみきゅうこ
だろ、普通は。
804 :
日本@名無史さん:04/03/14 13:10
現代日本語はそうだ。しかし1800年前の華北、また呉の方面からの
発音の影響が強かったと考えられる倭国の発音の相互作用を考慮
する場合に現代日本語の発音で律しきれるものではなく、子音の
時を経た変化は少なかったにせよ、母音においてはある程度の
ゆらき、競馬の連勝複式程度の幅を許容して解釈するのが
却っていいのかもしれない。
>>804 何か、ごちゃごちゃ書いてるけど、
「当時の母音は経年変化で今とは多少は違うんじゃないの。」
って言いたいのかな。
三国志に登場する地名や人名の発音は?
上古音か中古音か本場でも定説がない。
だからといって、発声からして異なり、しかも子音に母音をくっつけて発音する癖がある
外国の後世の発音を好き勝手に採用するなどナンセンスの極み。
>>805 > 「当時の母音は経年変化で今とは多少は違うんじゃないの。」
> って言いたいのかな。
明確な資料が発見されていないのだから、違うかどうかさえも分からないとするのが正確。
ただし、当時よりも後の資料等から推定するなら、現代と同じではなかった可能性が高い。
808 :
日本@名無史さん:04/03/14 20:11
だけど、ミミナリ、ヒミコ、イトなんて現代と全く同じだし、ヤマタイ
だってヤマトに近い。一大卒の卒なんて後の大宰府の権のソチ
とか、カツラギのソツ彦と関係があるんじゃないかと思う。
>>808 > ヤマタイだってヤマトに近い。
その「ヤマタイ」という発音は「中国語の上古音」ですか「中古音」ですか?
倭人伝は当時の中国語で書いてある、ということのを忘れてませんか?
> 一大卒の卒なんて後の大宰府の権のソチ・・・と関係があるんじゃないか
「卒」は「軍事関係の司令官」の意味で、例によって、意味を若干取り違え
たりしながら流用したという可能性は限りなく高そうですね。
一大卒の卒なんて後の大宰府の権のソチ
> とか、カツラギのソツ彦と関係があるんじゃないかと思う。
卒>率
どちらかというと上古音で一致する率の方が中古音で一致する率より高いね。
今、松本清張の清張通史の邪馬台国を読み始めてるんですけど
この20年以上前の本は、どのような評価を受けてるんですか?
815 :
日本@名無史さん:04/03/15 10:35
邪馬台国=古代大和王朝とすればやはり九州。
古代政権を正当化するための古事記でも神武東征(筑紫の日向から)
魏志倭人伝福岡南部までの足取りがわかっているなら、
方位距離は諸説がありますが、吉野ヶ里から西に10kmほどの佐賀県大和町か
吉野ヶ里から南に十数キロの山門郡あたりと考えたほうが自然です。
ただ、農地としてかなり掘り下げられているから遺跡が出る可能性は低いと思います。
あの、吉野ヶ里遺跡でも魏志倭人伝の時代よりも古い遺跡です。
816 :
日本@名無史さん:04/03/15 12:46
関西人はもともと
上海付近にあった「呉」と言う国、
呉服の呉、呉越同舟の呉から戦乱かなんかで
渡って来た中国人の末裔(多分、弥生人?)
なので、人格的に卑しい奴が多い。
中国の歴史書(複数)にもちゃんと、
「倭人は先祖は呉から来たと名乗っているが、
真実かどうか不明」と記述されている。
また、知人が転勤で、大阪に5年いた後、上海に行ったのだが、
上海の人は、関西人に見た目そっくり・・・と良く言っていた(w
817 :
日本@名無史さん:04/03/15 13:07
>>794 え〜と古田氏の説は、
・後漢書以降の資料は三国志からの転載であり、改変が加えられている。
・三国志には、主張されるような方位、距離、日程の記述の誤りは無いと考えることが可能。
・邪馬台国ではなくて、邪馬壱国とかいてある。
・旅程記事をそのまま読めば、女王国は福岡市。
というような感じでした。
お前、こんなクソスレが通用すると思うか?
思うか?思うか?思うか?思うか?思うか?
思うか?思うか?思うか?思うか?思うか?
思うか?思うか?思うか?思うか?思うか?
思うか?思うか?思うか?思うか?思うか?
思うか?思うか?思うか?思うか?思うか?
819 :
孤高の24歳無職:04/03/15 16:33
五丈原で実は諸葛孔明は死んでなく
日本に渡り邪馬台国、狗奴国を滅ぼし
大和朝廷を開き、神武天皇を名乗った。
これが結論ということで異存はないですね?
>>819 すれ違い。
>>818 頭の中にギッシリ詰まったものを撒き散らさないでくれる? 二番煎じ君。
821 :
日本@名無史さん:04/03/15 17:51
>>819 神武諸葛亮説の根拠とは?
何かだしてね。
諸葛=神
孔明=武
カシミール語で直訳
>>817 >後漢書以降の資料は三国志からの転載であり、改変が加えられている。
それは古田と関係なく以前からいわれていたこと。
>三国志には、主張されるような方位、距離、日程の記述の誤りは無いと考えることが可能。
そう。さらには三国志には誤りはない、誤字脱字もない。という説。
結果、邪馬台国は存在せず、存在したのは邪馬壱国。
それと東日流外三郡誌は偽書でなく本物。ヤマト朝廷が日本を統一したのは3世紀ではなく、
ずっと後で、それまで「九州王朝」やら「東北王朝」やらいろんな王朝が並列していた。
これを「多元史観」と自称。
詳しくは九州王朝スレできいてください。
824 :
日本@名無史さん:04/03/16 19:36
>>814 まったく相手にされてないよ。
当時は「衝撃的な観点だ」とか「真摯に受け止めるべき」とか
中国から抗議された政治家みたいなこといってる学者が多かったが
結局学界でなにか変わったわけではなく、清張が死んだら珍説も消えた。
今思うと、文学界の大物だったから学者も世話になってる出版社に頼まれて
適当におべんちゃら言ってただけだったのだと思われ。
原田スレで出てた
www8.ocn.ne.jp/~douji/shihou.htm
のまん中あたりに書いてあることでいいのかな?
826 :
日本@名無史さん:04/03/16 22:57
>>809 「当時の中国語(の音)で書」く、というのは本当に常に正しいのだろうか。
たとえば中国人は「カナダ」のことを「ジャーナーダ」と言う。
これはひと昔前の音を用いて語頭の「カ」に「加」の字を当て、読み方は
現在の音で読むからだ。
音を表す文字の使い方には「古典主義」が働く可能性がある。
>>826 > 「当時の中国語(の音)で書」く、というのは本当に常に正しいのだろうか。
それは分からない。
ただし、「当時の中国語(の音)」がどうであったのかを一顧もせずに
現代日本の読みで押し通そうとするのが痴人の誤りであることは動かし
ようがないでしょう。
>>824 なんだ・・・そうなんだ・・・
読むのやめようかな・・・
清張の通史読んでて気になったんだけど
それと、対馬海峡を朝鮮海峡というのは
この時代では普通なんですか?
清張は読み物としても面白くない
安吾の方がまし
830 :
日本@名無史さん:04/03/17 19:01
>>823 今まで読んだ邪馬台国ものの中では一番説得力があったのだけど、
ここを読んでいても名前も出てこないし、挙句の果てに
「マイナーな学者はしらん」扱い。
2ちゃんねらもたいしたことないな、と煽っても食いつきそうに無いほど。
ここで話されているレベルのことは、古田氏が論破できているように思うけど、
かの説に対する反論をぜひしりたい。
>>830 はあ・・・・やれやれ。
まじな話、もうみんな飽き飽きしてるんだよ。
不毛なやりとりは。
ともかく、
>>825のリンク先嫁。
なんなら、直接原田スレに行って書いた本人に聞いてみれ。
>>830 > ここで話されているレベルのことは、古田氏が論破できているように思うけど
錯覚です。一部に、メチャな書き込みはありますが、それは「論破」
とかいうレベルではないです。
> かの説に対する反論をぜひしりたい。
2ちゃんねるで改めて取りざたされるほど新しい話ではないです。
833 :
日本@名無史さん:04/03/28 21:27
最近、邪馬台国=アルファ・ケンタウリ説というものを知った。
あるSF作家のヨタ話なのだが、なぜ邪馬台国がアルファ・ケンタウリにあるのかというと、
まず「アルファ・ケンタウリ」とはケンタウロス座のα星(最も明るい星)を指す。
ここでケンタウロスは神話における半人半馬の存在なので、古代中国人は「邪馬」と
表現したのだ。また、α星は一番明るい星という意味なので、邪馬の第一、すなわち
「邪馬壹国」という表記が出てきたのだ……というもの。
834 :
日本@名無史さん:04/04/18 01:33
>>828 「対馬海峡=朝鮮海峡」なのではなくて、
対馬海峡には西水道と東水道があり、その西水道が「朝鮮海峡」。
ただし80年代頃から徐々に「日韓海峡」とよぶようになってると思う。
835 :
日本@名無史さん:04/04/25 23:02
天皇、皇后両陛下を迎えて植樹祭 宮崎・西都原古墳群
http://www.asahi.com/national/update/0425/005.html 第55回全国植樹祭が25日、宮崎県西都市の特別史跡公園「西都原(さいとばる)古墳群」で、天皇、皇后両陛下
を迎え、約1万人が参加して開かれた。
天皇陛下は、長年にわたり森林を守り育て、豊かな木の文化を生み出した先人たちの足跡にふれて「山村地域の過疎
化、高齢化が進むにつれて、森林の恵みを受ける国民各層からの幅広い協力が求められます」と述べた。そして、天皇
陛下がイチイガシなど、皇后さまがイロハカエデなどの苗木を植樹。それぞれオビスギ、キリシマミズキなどの種をまいた。
836 :
日本@名無史さん:04/05/03 02:08
>>522 >原田常治は有名な電波。と学会では何度も笑い物にされてるよ。
それはよく聞くが、「電波」であるところを具体的に立証している文献があれば
ご教示願いたい。
電波とトンデモが馴れ合ってるような糞スレで
生真面目につっこむやつの気が知れないなw
古田といえば10年ほど前に、「政・宗・満の法則」というのを唱えてたけど、
これには反論があって潰れたの?それとも放置プレイ?
>838
放置プレイにされている。
反対派は外三郡誌攻撃に専念、
大人気ない「古田学説全部否定」の勢い。
841 :
日本@名無史さん:04/05/05 00:56
読むのがめんどくさいんでその法則とやらを簡潔に説明してくんない?
>>841 クリックしてみればわかるが、めっちゃ短いんで読んでみてよ。俺まとめるの下手だし。
まず、邪馬台国について。
魏志倭人伝は、倭国に長期にわたり滞在した張政による軍事報告書としての側面を持っている。
したがって報告や距離に誤りがあると見るのは適当でない。
また、倭国までの総日程が書かれていなければならないのではないか。
それなしには食糧補給や軍備増強などに目処が立たないから。
↑これが木佐さんという人の提言。
で、古田によればこの提言を満足させるのは私の説だけだというわけ。
第一、方角にあやまりはない。
第二、里程は真実(リアル)である。
第三、帯方郡から邪馬壱国までの「総日程」は四十日(水行十日・陸行一月)である。
次、倭国と日本国について。
唐の武将、郭務[心hen宗]は白村江の戦いの後、3度にわたって来日をして数ヶ月滞在している。
旧唐書倭国伝は帰国後の彼の報告が参考にされているはず。戦った相手を間違えている
とは考えにくい。したがって、彼の倭国観は正しい。
阿倍仲麻呂(仲満)は、近畿天皇家(日本国)から唐に渡り、その後50年にわたり滞在した。
旧唐書日本国伝は彼にも取材して書かれたと考えられる。
仲満が倭国と日本国を取り違えるということは考えられない。
張政、郭務[心hen宗]、仲満からそれぞれ一文字とって、
政・そう・満の法則(そうは正しくはりっしんべんに宗)。
844 :
日本@名無史さん:04/05/09 21:44
伊都国は糸島半島近辺で確定なの?
なんか「伊都国」って書いてある遺物とか出たんだっけ?
末盧国を松浦半島にすると、糸島半島あたりまでの道が見あたらないんですわ。
方角も魏志と合わないし。
松浦半島から内陸は難所だし。最初から壱岐から糸島に向かえばいいじゃんと思っちゃうくらい。
>>845 うん、もう一つの方に書いたんだけど、テーマと違ってたからこっちに書き直したのよ。
死ぬほど迷惑かけたみたいですまんね。
847 :
日本@名無史さん:04/05/10 13:32
でも時間の都合ですれ違うかもしれない。
常駐板にリンクくれたら用件を伝えます。
848 :
日本@名無史さん:04/05/12 00:38
邪馬台国ネタは概ね畿内説が不利だが、週間読売2000.1.23号掲載の説はそれなりに仮説として読み応えがあった。
読んだ人いる?
849 :
日本@名無史さん:04/05/12 00:57
↑そんな大昔の記事、読んだとしても忘れてるよw
850 :
日本@名無史さん:04/05/12 22:59
>>844に答へてあげる
「末盧国」って「逝くに前に人を見ず」ってぐらいだから内陸部は進みません。
直接糸島に逝くより、壱岐からはここの方が近いので(現在のフェリー等でも呼子か唐津)、
ここに寄港して海産物でも食べた後に呼子から「東南」に逝く。糸島は「東」
の方ですが構いません。船で逝くんだから「東南」に道なりに逝って結局糸島に着くのです。
>>850 当時は海面が今より高く、呼子から糸島までの海岸沿いの道は無かったんじゃないか
というのを読んだことがあります。
海岸線の道がアウトだとすると、唐津から糸島に行く道は地形図を見ても結構無理が
ありそう。佐賀と福岡の県境の尾根が、鳥栖あたりから海まで続いてます
あと、夏の潮流は東向きでかなりきつく、東に1000里(対馬−壱岐と同距離)いくほうが
唐津・呼子に行くより楽だって話も。この距離だと糸島と言うより宗像だけど。
>ここに寄港して海産物でも食べた後に呼子から「東南」に逝く。糸島は「東」
>の方ですが構いません。船で逝くんだから「東南」に道なりに逝って結局糸島に着くのです。
↑ここ、ちょっと意味がわかんない。解説希望。
>>850 補足
ちなみに末盧国→伊都国は
「東南『陸行』五百里」
君が代とは女王卑弥呼を讃えた歌だと言うのを聞いたんですが本当なんですかね?
>>853 うーん、なんとコメントしていいか困惑するなぁ
要するに史料は正確だといいたいわけでそ?
別にデタラメだといってる論者はそう多くはないと思うが・・・
856 :
日本@名無史さん:04/05/13 01:53
857 :
日本@名無史さん:04/05/13 02:14
これだろ?
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/himika.html 2 君が代の真実
我が君は 千代にやちよに さゞれいしの いはほとなりて こけのむすまで
さてその次は、「君が代」について思いがけない結論に到達しました。結論が出たときに、
何か言いにくいというか、奇をてらって言っているように思われるかも知れないが、思い切って
言ってみます。「君が代」の歌は、九州王朝の君主である卑弥呼(ひみか)を賛美する歌ではないか。
この結論です。
まあ古神道研究や新古代学と照らし合わせれば今まで見えなかったことが色々見えてくるのは
確かだな。
858 :
日本@名無史さん:04/05/13 02:21
859 :
850ですが:04/05/13 07:55
>>851 一応。岸沿いに(ここが肝心、湾内では岸に近いところを進む)
船を走らせると東南→東→東北に進むということで。
それから「陸行」はブッシュだらけの内陸を進むわけないと思って
ますので「陸に沿って」とか「もし陸を行くなら」の意味かな、と
>>855 > 要するに史料は正確だといいたいわけでそ?
> 別にデタラメだといってる論者はそう多くはないと思うが・・・
倭人伝けっこうデタラメだと思ってるから、距離とか方角とかを好き勝手に弄っちゃうわけで。
それに、みんな倭国と日本国は同じ国だと主張してる人がほとんどですよね?
中国側が混同してるだけだと。
古田、歳だしもう長くはないだろうから、いきてるうちに誰かこれに関して触れて欲しい。
>>859 お、了解。理解理解。
つまり、「陸行」を「陸づたいに船で行く」と解釈して、
出発時の方向は「東南」ということね。
陸路なら難路だけど解決か。
これで行くとして、その後の奴国、不弥国、投馬国
はどの辺だと考えてます?
>>860 >それに、みんな倭国と日本国は同じ国だと主張してる人がほとんどですよね?
>中国側が混同してるだけだと。
新唐書も旧唐書も、本文では「倭国=日本国」としてあつかってるじゃん。
別の国というのは伝聞の一説としてちょこっとふれてるだけ。
投馬国は薩摩これ常識。
864 :
日本@名無史さん:04/05/13 17:28
865 :
日本@名無史さん:04/05/13 18:28
863ではないけれど、
さ(接頭語)つま(投馬)国。
>>862 旧唐書には倭国伝と日本国伝にわかれていると思うんだが。
「倭国は古の倭奴国なり」とあり、「日本国は倭国の別種なり」とある。
古田の立場からすれば、唐はもともと九州を中心とする倭国と国交を結んでいたのが、
倭国は白村江で敗れて以後衰退し、日本国に併合された。で、唐はそれ以後日本国との
国交に切り替えたと。
それを補強するのが
>>843 郭務[心hen宗]は白村江で敗れた倭国に何度も行っている。
阿倍仲麻呂(仲満)は倭国を併合した後の日本国から唐に来てる。
867 :
日本@名無史さん:04/05/13 19:34
ちょっと思ったんだがあの時代に女性が国を支配するって結構珍しい事だったんじゃないのか?
外国でも普通に行われてたことだったのだろうか・・・
>>867 そのはず。
ただし、「支配」といっても「鬼道支配」で、多分に象徴的のようだから。
869 :
日本@名無史さん:04/05/13 19:45
>>866 では中大兄皇子が神武天皇のモデルという事?
鬼道って何?
871 :
日本@名無史さん:04/05/13 20:35
>>870 五斗米道の病気を治したり、患わせたりする妖術
>>861 ふむ。奴国=福岡、不弥国=宇美、とオーソドクースに考えてまつ。
そして投馬国=出雲。これも新規性はないのですが先ほどの理論を使って
「南至投馬国水行二十日」は、まず帯方郡からまずは南に出航する。
その後に東に行ったり東南に行ったりはご自由に。ということかな。
だから方角的には全然南ではないが出雲でよいと思う。
ところが邪馬台国はというと自分の中で定まらない。
以前は30国の総称が邪馬台国かなあと思ってましたが最近は畿内でもいいかと。
で、
>>867>>868さんも触れているが実は女王国は結構あったんじゃないか?
と思ってます。唐津の遺跡からも腕輪つけた(恐らく)女王が見つかって
いるし。100人近く併葬されているし。おっとこれってひょっとして卑弥(ry
だから「女王の都する所」の邪馬台国は畿内にあったがそこの女王は何も卑弥呼
のことでなくてもよく、別のおばさんだった。で、たまたま7万戸もあったと。
ただそれだけ。北九州の倭国連合とは往来はあっただろうが支配関係はない。
とか思ってます。
>>869 いや、神武天皇のモデルとなった東征伝説は実際にあったという立場。
倭国の一部勢力が東征して大和に来て、大和朝廷(日本国)を作ったっていうんだったと思う。
記紀は自分たちの先祖の伝説や、併合した倭国に伝わる話(九州平定)とか
あちこちからの伝承を寄せ集めて書かれたとのこと。
876 :
日本@名無史さん:04/05/14 00:31
神武天皇の東征伝説は、3つくらいの史実が反映されている。
@プレ大和政権氏族の東方移住
A崇神の大王着任と大和入り
B東国の宣撫活動
>>873 ふむふむ。船出の方角説+距離方角帯方郡からリセット説ってことかな?
とすると、それまで帯方郡から不弥国までの行程を記述した理由は何だと思います?
あと、奴国=福岡は遠賀川流域の物部かな?
あとね、個人的に、何で数ある論の中からその論が有力だと思ったか、聞きたいなー
ところで、水行って、風待ちとか潮待ちとかで進んで、一日なんkmくらい進めた
もんなんだろうか。当時の船で。
878 :
日本@名無史さん:04/05/14 08:12
投馬国は薩摩
何故陸行ではなく水行かというと那国南に女王国に従わぬ国熊襲・現在の熊本周辺があり水路を使わざる終えない
南至水行20日は黒潮の流れを逆らうようにいかなければなら無いので20日かかった。
879 :
日本@名無史さん:04/05/14 16:00
邪馬台国連合・・・宮崎県を首都とする、大分北九州市宮崎
邪馬台国に属する那国を中心とする北九州連合・・・福岡県
従わないクナ国・・・熊本県
投馬国・・・鹿児島県
その他倭種・・・本州・四国
880 :
日本@名無史さん:04/05/14 16:12
邪馬台国は百済と密接な繋がりがあるいわば姉妹国家
別の言い方をすれば九州と朝鮮半島南半分を領域とする海洋性連合国家
後に半島を失い畿内関東までを領域とする国になる、それが日本国
日本国の生い立ちは当時の超大国中国に対する倭種の防衛意識が生み出したといえる。
質問です。
邪馬台国が存在したって明確な証拠は魏志倭人伝以外にあるのですか?
倭人伝の記述は途中から南北が間違えていて、
邪馬台国は実は東北、八幡平にあったという説は?
>>881 「邪馬台国」という表記は、魏志倭人伝がベースに使ったといわれる魏略(全体が
残っていない)と、あと1つくらいだっけ?
>>882 後世よりも当時のほうが交通の便がはるかに良くて、東北から九州辺りまですぐに行き来
できたから、軍事的な影響を及ぼすのも容易だった、とかいう奇妙な状況を前提とするの
でないなら、牽強付会の説でしかありえないでしょう。
886 :
873ですが:04/05/14 23:58
>877 その1
私は陳寿ほどの人が(と言っても門外漢なのでよくシラネ)でたらめを書いたり嘘を
書いたりはしないと思うのです。一時褒貶とか微言大義という思想?があって
矛盾に見える記述も実はその矛盾の中に真実が隠されている。レトリックってやつ。
それを駆使しているのかなと。だから誤字があったり方角がでたらめだったり表現
が稚拙などと言ってもそれは読者の側が読解力不足だと言いたいのです。
・・・・例外的に書写段階での誤字はありますが(一支→一大とか)
887 :
873ですが:04/05/15 00:12
>877 その2
づばり卑弥呼は奴国にいたと思うのです。
微言とは「至る」と「到る」の違い、官の有る国無い国、○○戸と○○家
の違い、方角+目的地+至 と 方角+至+目的地の違い。全て意味が有る。
その言い回しで陳寿は何かを伝えたいのであろうと。
888 :
873ですが:04/05/15 00:42
>877 その3最後
「郡より女王国に至るに万2千余里」なのですが、
郡→狗邪韓国 7000里
狗邪韓→対馬 1000里
対馬→壱岐 1000里
壱岐→末慮 1000里
末慮→伊都 500里
伊都→奴 100里
ここまでで10,600里---@。さあここからが見ものだよ
「対馬(対海国)方400里」「壱岐(一大国)方300里」に意味が有る。
わざわざ島の大きさを述べて有る。なんで?それは島をぐるっと周遊して
進めと言うことさ。で、400×2 + 300×2 = 1,400里---A
さあ@+A=1万2000里!!! といわけで奴国と解釈してます。
あと、奴国は伊都国の隣国としてのな国と、周辺国としての奴国、2回登場
しますが同じ国だと思うな。つまり、「奴国=女王国」とは事情があって
書けないが、ヒントを書いたからわかる人だけわかってね、という計らいかな
水行のことは次回ね
889 :
日本@名無史さん:04/05/15 00:52
>884
魚拳(ギョケン)ですね。
あとは夏候湛(カコウタン)の「魏書」かな?
>>886-888 うんうん、なるほど。
陳寿が文章に埋め込んでまで伝えたかったことか・・・何なんだろうね。
陳寿が書いた他の文章も見ると少しは傾向がわかるかな。
あと、今残ってる倭人伝は写本だろうけど、何回くらいうつしたかわかんないけど
(知ってる人いたら情報求む)、写すたびに写した人の意図が反映される可能性
もあるのかな。
「至る」と「到る」の違いが、中国人には歴然としていたりすることはないのかな。
エラーか意図かを、写本の回数、写本した人の違い、中国語の知識でもって
選別作業した人はいないのかな?
自分自身、原文を読んでも、漢字の羅列でどこで文章が切れるのかすらもわからないのが
悲しい・・・
>>886-888 例えば、「方可四百余里」の表現も、これが「400里四方」を意味するとは
わかんなかった。これって中国語の常識?
うーんしかし、やっぱり陳寿が謎かけをする理由がわかんないな・・・
陳寿の友人の仲間ウチのいたずら?w
次回待ってるよん。
もともと漢文で「方四百里」といった場合は、
「一辺の長さが400里の正方形」と「4辺の合計が400里の正方形」の
二つの意味があり、どっちが正しいかはケースバイケース。
ただ、魏志倭人伝の場合は
>>888の解釈でよいと思われ。
それ名前忘れたけど中国人学者の説だったよな。
一万二千里=奴国までの行程∴奴国=女王国で
魏の使者は奴国までしかいってなかった。
いっていれば里程がわかったはず。日数で距離を示すのは倭人のやり方
だと書いてある。つまり奴国から先はすべて伝聞。
893 :
日本@名無史さん:04/05/15 08:31
邪馬台国とクシャン国を同等に見せかけるため遠さをクシャンと同じ値に捏造したと言う説は?
同じく金印をもらってるけど邪馬台国はクシャンほど発展してなかったし。
距離もクシャンが正しいのに比べ邪馬台国はおかしい。
その背景には朝貢を促した国内派閥の対立があった。
ここの人はみんな知ってる説だと思うけど。
894 :
日本@名無史さん:04/05/15 12:43
>>893 俺は知らないな。
クシャン国って何?
クシャーナ朝?
大月氏のことだろ。
>>893は岡田英弘の説。大月氏の朝貢は曹爽一派の功績。
これに対立していた司馬一派の功績(倭国の朝貢)をもちあげるために
陳寿が距離を捏造したという説。しかし三国志編纂段階ではすでに時代が
かわっていて、真相も知られてるだろうし晋の時代の読者を騙す必要がある
のか、などの疑問があり、あまり賛同されてないと思う。
三韓と倭だけ、周時代の古い里の単位が残っていて
実際に使われていたんだろう(安本美典の説だったかな)。
(三国志の里程はすべて短里という説(古田武彦)もあるが
そりゃ無茶だと思う)
しかし倭人は日数で距離を示し里程で示す習慣がないとある。
短里は倭だけでなく三韓から使われてるので、あるいは三韓で実際に
使われていて、魏使がスタッフとして韓人を頼っていたのか?
どういうふうに考えてもなにかちょっとムリがあり今のところ真相不明。
896 :
日本@名無史さん:04/05/15 15:07
大月氏=クシャン国
岡田英弘とかが言ってた説で
倭を朝貢させたのは東北を支配した司馬派閥で大月氏を朝貢させたのは西北を支配した曹(真)派閥。
曹真は大月氏を朝貢させることに成功し、「親魏大月氏王」の金印を送っている。これは曹派閥の大きな功績となる。
曹ヒ亡き後、曹真の子・曹爽と司馬イが国内を2分して権勢を競う過程で「親魏倭王」の金印が送られた。
これは曹派閥に対抗する形で司馬イの功績上げとして送られたのは明らか。
さらに244年曹爽は司馬イの反対を押し切り西北で軍事行動を起こし力をアピールすると(西北の地盤確保)
244年司馬イは高句麗を攻め、さらに朝鮮半島を席巻し、倭の難弁米に軍旗を送ったりして功績を誇る。
そしてついに249年司馬イはクーデターを起こし曹一族を追放する。
こうして成立した晋朝の武帝によって編纂された「三国志」は、むろん司馬イの功績をたたえるように構成されている。
つまり東北、朝鮮半島などであげた功績を誇り、曹真の功績の西域のことは書かないのである。
だから大月氏朝貢という大事件があったのに三国志には烏丸・鮮卑・東夷伝はあっても西域伝はないのである。
そして作者の陳寿はパトロンに張華という安北将軍(北京駐在)を得ている。
張華は朝鮮半島の工作に従事していて朝鮮や倭のことも詳しい。だから陳寿は邪馬台国の距離を間違うわけが無い。
ここで陳寿は親魏大月氏王と親魏倭王を少なくとも同等に扱うという政治的理由(晋朝=司馬イをたてるため)により
大月氏の都は洛陽から一万六千里、「戸十万、口四十万、勝兵十余万人」であるから
これと張り合うために距離を遠くしたのである。戸数も邪馬台国七万余戸、投馬国五万余戸・・・・
さらに南方の大国と設定したのも、呉の背後をつける国を朝貢させたという意味を持たせてさらにはくつけするためでもあった。
と、まぁこんな具合です。
>>895 もう書いてたのね。
あと中国の歴史書は自分の正当性を訴えるために編纂されるきらいがあるので
自国の建国理由である司馬イの功績をもちあげることは当然するでしょう。
さらに対抗派閥の功績は下げる。
中国の歴史書は勝者によって書かれてるからそこらへん割り引いて読まないといけない。
結論はすでにあがっているのにね。
こいつらほんと沈下す以下 w
>>896 その説はあってると思うが、結局邪馬台国が近畿にあるのか九州にあるのかは分からないじゃん。
>>896 >曹ヒ亡き後、曹真の子・曹爽と司馬イが国内を2分して権勢を競う過程で「親魏倭王」の金印が送られた。
ここ嘘です。
時系列をもう一度確認しませう。
901 :
日本@名無史さん:04/05/15 16:20
902 :
日本@名無史さん:04/05/15 18:05
原料がでしょ?
今も日本製のアルミって無いよね(ボーキサイトは採れないから)
904 :
日本@名無史さん:04/05/15 19:04
九州説危うし
鏡の分布がそのまま邪馬台国なのか?
905 :
日本@名無史さん:04/05/15 19:52
国産の青銅器でも、原料は日本産じゃないという説は
昔からあるよな。バイアスのかかった報道だ。
これには同意せざるをえないな
とはいえ、バイアスのかかってない報道なんてないけどな
まあ、大人はわかってるはずだが
考古学的には結論は前から出ていたが、これで確定だな近畿にあったのは
魏志倭人伝を、いくらこねくり回しても答えは出ないのは何十年前から
分かってる事だしね
結論は出ていたが確定していなかった、ってか?
なんというか・・・・・笑うしかないな・・・・・
>>908 よく読めよ、「考古学的には」って限定してるだろ。
>>902-909 >青銅鏡のコレクションを持つ京都市の泉屋博古館(樋口隆康館長)
樋口ネタじゃねーか。
検体もたったの8枚だろう。
既に別の方法で成分比率を検証済みのだけでやったんじゃねーの?
発表会で笑わしてもらうか?
912 :
日本@名無史さん:04/05/16 05:58
魏志倭人伝をそのまま読むと、台湾のあたりになるらしいが。
913 :
日本@名無史さん:04/05/16 10:04
魏志倭人伝をそのまま読むと西都原だって。
914 :
日本@名無史さん:04/05/16 14:51
そのまま読んだら太平洋の海上だって。
915 :
日本@名無史さん:04/05/16 15:01
916 :
日本@名無史さん:04/05/16 21:04
まあ、魏志倭人伝と邪馬台国を信じてるようじゃ、文科省と宮内庁に騙されたまんまだ。
似非考古学者登場。
邪馬台国が「大和盆地のどこにあったか」の論争ならわかるが、変なカルトにはまってるバカが多すぎ。
日本の前期旧石器時代とか、マルクス史観とか、マルクス経済学とか、文化人類学における構造主義とか、癌ビールス説とか・・、
トンマなモンにはまって一生を無駄に過ごしたバカは後世まで笑われる。
いいかげんにせーや
>>918 九割ぐらい賛同するが、さて、あなたの説は?
>>895,896
解説ありがとう。そういう説があったんですね。
面白い見地ですね。頭に留めておこう・・・
しかし、なんでこうも荒れるんですかね。
不愉快攻撃しなくても議論する方法あるのに。
気が立ってるのかな?
>>918 おまえが荒れてる元のようだな
二度と来るな、マジ死ね。
>918
金印や阿蘇山の邪馬台国が、大和盆地のどこにあったか?
少し冷静になれや>918
阿蘇山の邪馬台国?
922は邪馬台国阿蘇山説か?珍しいな。
>923
日本語大丈夫か?
邪馬台国阿蘇山説も邪馬台国金印説もとなえてないぞ
金印と阿蘇山にゆかりがあるといっているんだが。
「阿蘇山の邪馬台国」って自分で逝ってるじゃんw
>>935 924は、日本語や脳のコントロールが困難な方(統合失調症)なんだから、
それぐらい「解って」やれよ。
927 :
日本@名無史さん:04/05/19 10:46
>925は池沼
922 :日本@名無史さん :04/05/18 01:14
>918
金印や阿蘇山の邪馬台国が、大和盆地のどこにあったか?
少し冷静になれや>918
------------------------------
↑「阿蘇山の邪馬台国」だそうですw
929 :
日本@名無史さん:04/05/19 16:03
邪馬台国のいろんな学説論点をまとめた本で、なにかお薦め本ありますか?
岡本健一「邪馬台国論争」講談社1995 は持ってるんだけど、ほかに何かあれば。
>928
邪馬台国阿蘇山説≠邪馬台国が金印と阿蘇山にゆかりがあるとする説
↓
>923の妄想説
言い訳見苦しい
あっそ
933 :
日本@名無史さん :04/05/26 19:54
畿内説では狗古智卑狗ククチヒコのことをどう考えてるの?
ちなみに菊池は古代ではククチと呼ばれていたというは定説。
この当て字を考えた中国人にはコがクに聞こえたと、
そうゆう仮定ですが、この例以外でも人名に「卑狗」が
複数でてくるのと、地名+彦という名前はけっこうあるので。
*「卑狗」でぐぐってみてください。
どうして狗狗智卑古って書き取らなかったんだろ
・同じ漢字を続けて使わない慣例があるようです。
・コはヒミコの「呼」を使っています。
投馬国の大官は彌彌、副は彌彌那利。同じ漢字を続けて使ってますね
>>933 畿内説でも狗奴国=熊本県説(狗古智卑狗=菊池説)はありうるよ
940 :
日本@名無史さん:04/05/26 23:24
>>939 どうしてありうる?
畿内の南ではないし、攻められるには離れすぎている。
東が南と間違えたとする畿内説の根拠にも矛盾する。
>>941 畿内の南ではないが北九州(=邪馬台国の勢力圏)の南ではあるだろ
そもそも「邪馬台国の南」だとは倭人伝には書いてない。
(女王の境界の南、または奴国の南、という意味にならとれなくもないが)
だから「攻められるには離れすぎ」ということにはならない。
北九州地域(=邪馬台国の勢力圏)に接してるわけだから。
それに、畿内説でも「東が南と間違えた」とはしない立場があるうる。
邪馬台国の勢力圏の南という解釈、文の流れからして強引と思わないか?
そもそも東西に長大な範囲のどの部分の南か説明しないのでは、
九州なのか四国なのか畿内なのかわからない。
日本はロシアの南、と説明するひとはいないでしょう。
畿内説が念頭にないひとならそのように読むことはないでしょう。
スマソ
文脈から奴国の南が狗奴国とよめる。
藁をもすがる必死さですぐに鏡が出るたびにヒステリックに報道するアカ日ってなんでつか?
・鏡の多さ → とっくに「卑弥呼の鏡」って無理なのに。
・金属分析 → 改鋳なんて古代では常識。銅山の半島ルートが使えなくなるだけでも改鋳される必然性。
・歴史年代 → 土器編年とかもう宗教?10年区切りでわかるって、そんなもん土器工房全部発掘されて
から言えや。唐津とかじゃねえんだから。年輪法とか放射性同位体法とか馬鹿にしすぎ。
理系の漏れには異常としか思えない。
・東遷説 → 偉いさんの学者が雁首揃えてアフォ?全軍&全住人率いてはるばる九州から奈良まで行く
わけねえってw 何処の土地にも先住民はいるから、一回だけで移動するわけない。
どっちにしても、汚い荒らし犯の作った偽スレの書き込むなよ。
ノ } ゙l、 」′ .,/′ .,ノ _,,y
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《 il|′ フーv,_ .,i″ ||}ーvrリ、 ¨'‐.` {
\《 ヽ .゙li ._¨''ーv,,_ .》′ ゙゙ミ| ,r′ }
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゙\ア' .-- ,,ノ| 、 ゙ミ} :ト
゙^ー、,,,¨ - ''¨.─ :!., リ ノ
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| ノ′ ヽ 〔 ミ
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.| .ミ .< 〔 〕
.{ \,_ _》、 .{ .}
{ ¨^^¨′¨'ー-v-r《
947 :
日本@名無史さん:04/06/01 23:45
age
948 :
日本@名無史さん:04/06/02 00:03
950 :
日本@名無史さん:04/06/02 01:37
邪馬台国は豊後筑後筑前南部にあり狗奴国は肥後にあったというのが一番素直な解釈だ。
951 :
日本@名無史さん:04/06/02 02:28
>>949 「栄養源の塊」? もうちょっと・・・ 無理かな・・・
魏志の中の倭と倭人と倭国って
おなじ物をさしてるの
違うものならどういう風に違うの
>>953 倭=倭人=倭種
倭=倭地>倭國>女王國>邪馬台國
「たけしのこんなはずでは」というTV朝日の番組で、卑弥呼が魔鏡を使っていた、という再現TVRを流していた。
また捏造!
昔の金属鏡は粗雑な研磨の過程で、ほとんど魔鏡化するんじゃない?
957 :
日本@名無史さん:04/06/17 00:38
886-888ですが
一ヶ月ぶりに登校しまつ。ちと仕事が忙しくてごめんね
俺>877の人好きやー。ええかげんなリーマン古代史ファソの俺に勉強を促してくれてるし。
>895も>896もそのとおりだと思うな。「露布」といって魏志ってのはさ、対外記事を書くときは
わざとオーバーに書くのさ。大本営発表と一緒。
「里」の10倍説の解釈はそれが根拠なのよ。でも「戸数」は実数のようだし。そこがたまらなく
ミステリーだったりして。
いや、漏れのカキコは岡田英弘説には疑問を呈しているのだがな。
(かといって代案もだせずわからないといってるわけだが)
「露布」(10倍表記)は戦争中の情報戦の一環。
したがって戦争が終われば
少なくとも政府の記録には正確に残るはず。
それに魏志の短里は正確に7.6倍であって、
10倍という大雑把なものではない。短里が周代短里と寸法が
同じなのは偶然ではかたずけられないだろう。
>>958勉強になりまつ。
でも司馬イ将軍の功績を称えるのに時代がかわっていて
もそのオーバーな表現を変えないと思うなあ。
賛同されてない意見と思うが。
>>959 いや、短里表記は実際そのような単位が使われていたなら
記事としてウソではないし、しかも見た目の数字(距離)
の上では曹爽の大月氏とも拮抗するから司馬懿への
おべんちゃらも成立して、一石二鳥ということなのでは。
961 :
帰ってきた24歳無職:04/06/18 00:40
つうか普通に大和朝廷=邪馬台国だと
思ってるんだけど・・無理に邪馬台を
やまたいと読まなくてもやまとと読めば
万事解決じゃん
そんな簡単なら論争なんて起こらないってw
じゃあ「ヤマト」ってどっから来たの?・・・・・同じ問題はどこにでもあるってこと。
九州にヤマト郡があるが、それと関係があるのか、それとも全く独自なのか、あ
るいはヤマタイなのかヤマイなのかヤマウィなのかヤマドゥなのか、等々。
色々ある罠
いや、邪馬台はヤマトだろ。そこまでは簡単な議論だよ
ただし、筑前国山門郷とかあるから…
まだ当時の音韻の定説が確定していないから、それも本当かどうか。
「ヤマ国たい!」って博多弁がそのまま記録されてしまったっていう説もあるし。
学者が言ってるほど確定してることなんてない罠
それを無理に「こうだ」っていうからいい年した偉い学者が人を平気でののしった
りする羽目になる。ほんと藤村氏は壮大なパロディーだよな。この体質を変えな
いとダメポ。
965 :
日本史@名無しさん:04/06/19 17:44
これって日-韓-中の3カ国語程度通しているんじゃないかな。日本語の
乙(?)から韓国語のオとアの中間、それが中国語でアとエの中間、更に
二重母音というように変化した。日本語の清音tが濁音にされるのが
どうも現代韓国とよく似ている。
だいたいね、魏志倭人伝には「邪馬台国」と書いてあるけど
「国」というのはあくまでもcountryを表す中国語であって
当時の日本はcountryのことを国とは言わなかったんじゃないかと。
強いて言うなら「和(環?倭?)」と言ってたわけで。
魏志倭人伝の邪馬台国というのは「邪馬台」という名前の「国」と
読むべきだと思う。つまり当時の倭人は自国のことを
「邪馬台国」ではなく「邪馬台」と呼んでいただろう。
ここで興味深いのは「大和」と書いて「やまと」と読むこと。
この漢字は音に対する当て字ではなく意味を表している。
「和」が国を意味しているのはいいとして「大和」は
統一されて「大きい」 「和(=国)」という意味。
そしてその国名は「やまと」
つまり「やまと」という名前の「大和(=統一国家)」
こう考えると魏志倭人伝中の「邪馬台」は「やまと=大和」の音に対する
中国側の当て字であるいうのが自然ではないでしょうか?
ということで「大和」=「邪馬台国」で畿内説を推したい。
・・・ここまではいいんだけど「やまと」ってなんだろ?「山人」かな?
>>966 漢文の「國」にはいろんな意味があるが
第一には「城郭都市」
英語のcountryはどちらかというと
「郷土」というニュアンスだからだいぶズレがある
>>967 それは失礼したね。
混乱を避ける目的なので別にカタカナで書いても良かったんだが。
要は「国」を意味する、漢字でない単語であれば
なんでもよかったのは説明するまでもないと思う。
「國」は都市の意味だから邪馬台国を現代語に訳せば「ヤマト市」か
じゃあ「国王」はさしずめ市長さんですか。
神奈川県邪馬台国 とか。
中国史には詳しくないけど、その時代中国には
えらくたくさん国王がいてみんな金印を持ってたのかな?
邪馬台がヤマトは分かるのですが、
日本人側が「大和・倭」をヤマトって発音してたのは
どうして分かっているのですか?現在まで言い伝わって来たのでしょうか?
972 :
日本史@名無しさん:04/06/19 22:07
山峡、例えば大和川は平野と平野を山峡で結ぶ。筑後平野、熊本平野などが開ける
場所、という地理的用語じゃなかろうか。日本中にある。
>>971 今まであたかも当然のごとく書き込んでおいていいかげんな話だけど、
寡聞にして俺は知らない。
もちろん現在そう伝わっているわけだけど、いつからというのは
知らないね。ずっと後世(といっても今から数百年前)の学者が
言い始めたのかもしれないし。
まあ、少なくともひらがな(あるいは万葉仮名)成立後は
漢字と読みを結びつけられる資料があるんじゃないかな?
いずれにせよ、歴史も言語も門外漢なもんで。
>>972 「山と山(の間)」の省略形とかW
山が門になる=山門かもしれないね。そうすると、日本中にある地名だよね。
でも、そんなこともない。
つうかむしろ九州に問題の地名が多すぎることが非常に気になる。山門、日向、京都、伊勢、志摩、日本、
須磨、明石、他にも福岡=筑紫地方にはてんこ盛り。これは、当時一般名詞だった地名が、何か特別な事
情で近畿に移植されたと考えるべきなんじゃないかな?
「邪馬台」の読み
倭人伝の当時の発音が上古音なのか中古音なのか中国でも定説がないので不明。
いずれにせよ、日本語とは声の出し方からして違うので、はるかに後世の外国
の読みをそのまま割り振って「やまたい」とか読むのは、英語をBとVやLと
Rが区別できない日本語発音で読んで云々するのと同じナンセンスの極み。
>>970 おいおい、都市といっても現代日本の行政区画の「市」とはちがうってw
その頃の中国の都市は「県」。県の首長は中央から派遣されてくる官僚で「県令」という。
しかし異民族の世界の都市は中国ではないから本来の意味で「國」の字を使ったんだろう。
魏志にでてくる対馬國〜投馬國の国々は、
王がいなくて「官(つまり邪馬台国からの派遣官僚)」が治めていたわけだから
倭国の「県」みたいなもんだと思われ。
「王」かどうかは中国からみて代表権を認定されてるかどうかということ。
かつては奴國がそうだったので「王」としての金印を授かった。
3世紀には邪馬台国が倭国全体の王と認定されていたということで、
金印の頃の奴國と卑弥呼の頃の奴國が実態として違ってたわけではあるまいと思う。
977 :
日本@名無史さん:04/06/20 01:11
「何か特別な事情」の代表格が「そこに政権が移った」だと思うけど。
「やまと」が何か複合語だとすると「や-まと」あるいは「やま-と」
(「や-ま-と」の可能性はちょっとおいといて)
やっぱり「やま-と」な感じ。
「やま=山」だとすると「と」は何か?
何かが訛って「と」となったとすると、もとの語は「と」「とお」「た」「たい」くらい?
「と」戸、門あるいは人かな?
「とお」遠かな?
「た」多?これは反則?
「たい」台、太 これも反則?
ここからはちょっと強引だけど、例えば「山多」あるいは「山太」だった場合
山の多い場所、または大きな山の場所という意味になるわけだが
そうすると次は「どこに比べて?」という話になる。
それはもちろん(言語的)故郷に比べてでしょう。
ということでやっぱり日本人のルーツは山の少ない南の島々・・・
妄想ふくらみます。W
その上「やま」が「やみ」「やむ」「やめ」の訛り(というのか活用というのか)
あるいは「や」は「あ」の変化だとか考えるともうえらい組み合わせですな。
978 :
日本@名無史さん:04/06/20 01:52
>>FAQ
いずれにしても「邪馬台」は表意ではなく表音だと思うのですが
上古音、中古音だとそれぞれどんな発音になるんでしょうね?
そもそも、カタカナが外来語を正しく表記しない(場合がある)ように
漢字が音を正しく表しているとは限らないわけで、真実は更に闇の中。
(更に言うと、「邪馬台」自体が表音ですらなく中国側の造語で、実は
日本人の誰一人として自国を「邪馬台」と呼ばなかったかもしれない。)
こうなると現存する地名から類推することに意味がなくなってしまうから
あんまりこの可能性は信じたくないな。
979 :
日本@名無史さん:04/06/20 19:22
>>966 邪馬台が(仮に発音にズレがあったとしても)ヤマトに対する当て字である
というのには同意だが、それを根拠に畿内説を推すのには賛成できない。
なぜなら畿内の地名の大半は、北九州からそのまま持ってきたものだから。
たとえば、畿内大和郷の地名を大阪湾(難波津)から右回りに1周してみると、
住吉神社(近くに、額田−日下)−三笠山−春日−笠置山−田原−山田−上山田−
鳥見山−クズ((略))−天ヶ瀬−高取山−天の香具山−ミズマ(水間)−久米−
朝倉−賀美−長谷山−高田−雲梯−三輪−織田−三井−池田−平群−住吉神社
北九州の夜須町の地名を博多湾(那の津)から右周りに1周して並べると、
住吉神社(近くに、野方−草ヶ江)−御笠山−春日−笠置山−田原−山田−上山田−
鳥屋山−クズ(玖珠)−天瀬−鷹取山−香山−ミズマ(三潴)−久留米−
朝倉−加美−長谷山−高田−雲堤−三輪−小田−三井−池田−平群−住吉神社
これは、北九州から大和にある程度大規模な移民があったことを示している。
ただし、倭(和)が大きい倭(和)に発展したという推論は、すごく良いと思う。
(九州の豪族連合国が、西日本一帯を支配するようになったのだから。)
あと、魏志倭人伝には「邪馬台では鉄を使っている」とあるが、鉄器が良く出るのは北九州。
剣玉鏡を埋葬するのも北九州、東征と南征をして西日本を統一できるのも北九州、
畿内銅鐸消滅の謎を説明できるのも北九州説、九州から皇位継承者がやってきて
いきなり天皇に即位した事例が複数あるが、その謎を説明できるのも北九州説。
畿内説を推すには、せめて銅鐸消滅の謎くらいは解明して欲しい。
うわー!よく調べましたね。それとも何か出典があるんですかね?
それとともに、近畿一円も同様な地名類似がありますね。
伊勢神宮なんかも明らかだと思いますが、そう考えると伊勢神宮に実は近代までほとんど
近畿天皇家は参らなかったという事実も興味深いです。
それと、九州に無いと思われる地名として、「とみ」というのがあります。鳥見神社はもとより、
鳥見山、登美の里、登美が丘、登美山・・・。奈良にも大阪にもあります。これは明らかに登
美の長脛彦の「とみ」だと思われますが、どうでしょうか。地名というのは相当寿命が長いよ
うですね。大阪の「登美」は、それぞれかつての河内湖の北岸と南岸に当たるところに位置
しています。
地名のコピーが意味するのは、大規模移民どころか計画的な遷都だろうと思うのです。
1代か2代という短期間で広島岡山をすっ飛ばして移らないと、地名と位置関係を
精度良くコピーできないだろうから。
ちなみにこれは脳内妄想ですが、
ナニワ←ナノワ←那の和
↓ ↓
難波←←ナんワ
(ナンバ)
とか考えると那の津と難波津もつながりそうな。
もちろん「難波」には「海流が速くて・・・」みたいな意味も併せ持つでしょうが。
無学の強みでもうひとつ妄想すると、大阪から九州にコピーした可能性はないかな?
大阪で見つかる鉄器が少ないのは、その後の歴史の表舞台となった近畿では
実用品としての鉄のリサイクルが盛んだったんじゃないかな?と。
人の往来が多い所では埋まるほど長いこと放置されなかったかも。
邪馬台=(表音)やまと(表意)=大和 説の場合、邪馬台が卑弥呼の時代に大きな和であった必要がありますね。
大きさは程度の問題なので博多一帯、九州一帯、西日本一帯のどれでもアリでしょうけど。
大阪からだと東征は滋賀とか伊勢とか、南征は和歌山で熊野か。うーん。
銅鐸消滅の謎?ワカンネェ
つうか大阪→九州なら西征と言われていただろうね
983 :
日本史@名無しさん:04/06/20 22:28
遠見山、高地性集落、望楼の機能にあるが戦略的に重要な地点への外敵の
侵入を早期警戒する軍事目的の監視点であり、防衛軍司令官の直轄であった。
近畿銅鐸国の南北の要所に配備され戦闘専門の部族が警備に当たった。
984 :
日本史@名無しさん:04/06/20 22:30
てな風に考えると神武というのはもろにこの警戒網に引っかかっている。ヤラセ?
985 :
日本史@名無しさん:04/06/20 22:47
つーか、そういった防衛担当部族の伝承を収録したら神武メドレーが浮び上がり
時の皇室に諮ったら、「ウン、こりゃー物部をやっつける大義名分に向いてるぞ。
朕が更に手を加えてやろう。」等という秀才、才媛の天皇達がいたのかも。
986 :
日本@名無史さん:04/06/21 00:50
「邪馬台=やまと」の話なんだが、もともと魏志にも後漢書にも「邪馬台」
なんて書いてないってのは有名な話だと思ってたんだが、違う?
魏志では「邪馬壱(いち)」、
後漢書では「邪馬臺(だい)」。
どちらも「やまと」とは読めない。
「壱」にも「臺」にも「と」という読み方はない。
そこで「壱」は誤字で、「臺」が正しいと決めつけ、
「臺」は発音の同じ「台」に置き換え、
ようやく作ったのが「邪馬台」という架空の国名。
そのうえで「台」は「と」と読めるから「やまと」だ、
と言うことにしているだけでしょ。
ここまでは古田武彦の受け売りです。
「やまいち」が正しいのか、「やまだい」が正しいのか
どちらも正しいのか(時代による国名変化?)
それを判断する能力なんて俺にはないけど、
すくなくとも「邪馬台=やまと」ってのは
強引なこじつけとしか言えないと思うなあ。
だってそんな国名は中国の原典にないんだもん。
魏志には「邪馬壱(本当はもっと画数が多い字)と書いてある
「現存最古とはいえ、原本の成立よりもはるかに後世の刊本の単なる誤植(版木だから誤刻)」
> だってそんな国名は中国の原典にないんだもん。
現存の刊本よりもはるかに以前の中国の歴史書に「魏志に邪馬台(表記は違う)と書いてある」
と書かれているから、「単なる誤植」でまず間違いなし。
989 :
日本@名無史さん:04/06/21 02:05
>>986 あのね、「壹」と「壱」さえも本来は別字ですよ。なのに、「台」を批判して「壱」と書くんですか?
それに、後漢書、梁書、隋書、北史では「臺」。魏志だけが「壹」。
魏志も、隋書とかも、「魏略」(該当部分は現存せず)がネタ本なので、
同一の国を指しているとしたら、「壹」は間違い(あるいは意図的変更)と推定できるでしょ。
それに、女王「臺與」(台与)or「壹與」(壱与)のこともあるから、
別の国ではなく、同一の国を指している。つまり、ヤマイチ国なんて無かったんだよ。
確かに、邪馬臺は素直に読めば、ヤマタイ・ヤマダイ・ヤマイ・ヤマドなどで、ヤマトとは読みにくい。
ただね、外来語固有名詞の当て字というのはエゲレス・メリケンくらい発音がズレても普通だし、
ヤマト言葉の方も発音は変化しているから、「ヤマト」の大昔の発音が「ヤマト」とも限らない。
ヤマト国のトヨを意味する、ヤマタイ国のタイヨでも、ヤマド国のドヨでも別に困らない。
更に、中国の歴史書は、邪馬台と大和朝廷を倭の五王などを通じて連続した王朝と見ているしね。
出版関係者だが
単なる誤植はよくあるものだ。
気ぃつけてんだけどね
>更に、中国の歴史書は、邪馬台と大和朝廷を倭の五王などを通じて連続した王朝と見ているしね
どの本ですかな?詳細キボンヌ
993 :
日本@名無史さん:04/06/21 10:43
>>992 宋書、梁書、晋書、南斉書など。
ただし、当時の中国側が連続した倭と思っていても、
単なる中国側の認識であり、それが必ずしも事実とは限らない。
日本の研究者で大和朝廷と関係ない(九州王朝説)とする人もいる。
しかしながら、書いてある文字を素直に読めば、倭王の勢力は
西に広く、東もある程度あり、海を渡った北の大地にも相当ある。
(大和が首都で西日本全域と東は関東くらいまで。
東北からは領土外で、朝鮮半島に進出していると解釈可能。)
かなりの大勢力で、当時の日本に、大和朝廷と九州王朝の両方があったとは、
個人的には考えにくい。(九州王朝説の人にも、それに対する言い分はあるだろうが。)
たびたび中国に朝貢して、安東大将軍とか鎮東大将軍とか
征東大将軍とかの官位を貰っている。
卑弥呼の親魏倭王時代から、いわば中国の属国であった倭の独立を、
隋に承認させた(隋は高句麗に苦戦していたので倭国に甘かった)
のが聖徳太子だが、彼も連続した倭国の王として記述されている。
なお大和朝廷側の歴史書は、中国の属国であったことを隠蔽している。
(独立承認の607年が第1回遣隋使とされているが、実は600年にも隋に行っている。)
その隠蔽が大和朝廷と中国に朝貢する王朝は別勢力と思われる主な原因だと思う。
近畿の「海北」は沿海州になるわけだが。それと、論証の基礎として、倭の五王が大和朝廷の先人達だと
いう前提を証明しなければならないが?それに畿内勢力が遙か朝鮮半島に大兵を率いて渡海作戦を連年
遂行する必要が奈辺にあったのかということの論証も必要だし。
それと、旧唐書はどう評価するのかな?
995 :
日本@名無史さん:04/06/21 13:58
1000
畿内勢力じゃなくて日本列島勢力もしくは西日本勢力でそ
999
はい、おつぎの方、1000ですよ。
1000 :
日本@名無史さん:04/06/21 15:52
1
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。