日本書紀はどこからが史実なんでしょう?

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912日本@名無史さん:2005/11/03(木) 08:16:11
欠史八代の陵墓については畝火山周辺と剣池の御陵がある程度まで絞り込めるとしても
規模と年代の問題がどうしても出る。
913日本@名無史さん:2005/11/05(土) 20:22:06
法隆寺焼失再建の記事も事実だったし、
山田寺跡や長屋王邸跡発掘
も記紀の信憑性の高さを証明した。
914サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/11/05(土) 21:28:59
天皇家の発祥地を南九州にしたのは、記紀の編者の誤認です。
天皇発祥の地は福岡市の西部一帯です。
そこを中心に考えると、天孫降臨以降の話は無理なく解釈できます。
9153番3:2005/11/05(土) 21:31:53
編集方針が一書に曰くとして異説を羅列するというこの時代としては世界に類例を
見ない公正さ。当時の天皇も編集者が給与不払いに対して公金を抑えてもこれを
かばったといわれる。まさに血の出るようなナショナルプロジェクトであったのでは。
9163番3:2005/11/05(土) 21:36:26
>>914
有事の際に政府機関が避難することはありえる。西都原の辺の発掘が進むと
何が出てくるかもわからない。
917サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/11/06(日) 09:01:54
宮崎県は投馬国です。サイ奴(ト)国はその中の一国です。
何が出てくるかはわかりませんが、卑弥呼や天皇家と関係(中心であるという)のあるものはでてきません。
918日本@名無史さん:2005/11/06(日) 09:25:04
福岡県八女市の地名は
日本書記において八女津姫(ヤメ国の姫の意)という巫女が
政を行った地であることから由来しているんだが、
ヤメはヤマと読み、ヤマタイコクかもしれない、という説を聞いたことがあります。
しかも日本で唯一といっていいほど特異な石碑文化があった地方だとか。

ここらへん詳しい人います?


9193番3:2005/11/06(日) 11:29:32
古代ブリャートは太陽を女性、偶数、八本足、月を男性、奇数、九本足としたそう
ですから、八女とは太陽女神となり、アマテラスのおられた場所となります。
このインド・アーリア系の風貌の女神がアマテラスであると思っているのですが↓
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-Higo.html
9203番3:2005/11/06(日) 12:44:39
北西九州は弥生開始から1000年間、先進的な大陸の玄関口をつとめたが、吉野ヶ里
時代と平原遺跡時代に大陸の混乱の余波を受けている。この頃に東方には方形周
溝墓/銅鐸、箱式石棺墓/四隅突出型墳の拡大が起きており、北西九州では甕棺墓
が終了、やがて、大和の前方後円墳が入る。大和の前方後円墳が始まるのと甕棺墓
の終幕の間、甕棺墓の文化は肥後、豊後に交代していたのではないかと考えられる。
肥後から豊後への天下りこそ天孫降臨ではなかったのではなかろうか。
9213番3:2005/11/06(日) 12:47:07
豊前の英彦山信仰を考えると天孫降臨は日田経由で行われた可能性も残るが。
922日本@名無史さん:2005/11/13(日) 20:50:46
高天原の場所やら日本の起源について検証する
スレッドは他にもあるだろばかものが。
同じような内容をあちこちに書き散らすな。

ここは日本書紀の信頼性そのものについて語る場所だたわけものが!

さて、書紀の記述どおり先程
甘樫の丘より蘇我氏の邸宅跡と
思われる遺跡が発掘された。

もはや日本書紀の歴史資料的信憑性は疑うべくもない。
923日本@名無史さん:2005/11/13(日) 20:54:34
>>914
南九州の具体的地名さえもいくつか記されているのに
何を根拠に誤認と言うのか?

貴様の勝手な妄想を根拠に紀記の記述を勝手な否定するとは
無礼千万である。
924日本@名無史さん:2005/11/13(日) 21:02:12
日本書紀の記述どおり蘇我氏邸宅発見!
925日本@名無史さん:2005/11/14(月) 02:13:29
パラ西都

コユ國は、児湯郡だろね。
あの国々は、だいたい後の郡規模(=中国造・大県主)でしょ。
でも他は適当な地名が見当たらないなあ。
926シバザクラ:2005/11/15(火) 10:30:10
同名の地名なら、日本各地いくらでもある。あきらかに畿内のことだと思われる紀の場所が急周にそろっているということで、
大和朝廷は九州にあったような論もあるようである。
わたしは、南九州各地にある記紀神話や神武天皇に関する地名説話や神社等の存在は、平安時代や江戸時代に記紀にもとずいて作られたものと
考えています。
927日本@名無史さん:2005/11/15(火) 17:16:07
そういうのもあるかもしれないが
今時時代遅れな意見だな、藁
928シバザクラ:2005/11/15(火) 18:36:04
大事なのは、正しいか堂かであって、流行りか真新しいかではない。
929日本@名無史さん:2005/11/15(火) 18:46:07
そうだな。紀記はいんちきだって正しくないデマ
が流行ったこともあったからな。
930日本@名無史さん:2005/11/15(火) 18:52:10
近い時代は知られている事が多いから正しく伝え、古いことは政権の都合のよいように創作。
712、720年に645年ぐらいのことは伝えられても、空白の世紀なんて伝え様が無い。
931日本@名無史さん:2005/11/15(火) 18:57:05
>>930
という君の想像はいいが
せめてなにか根拠をひとつくらいあげろよ。

まだ高千穂に天孫が天より降ったて話しのほうが
信憑性があるな、藁
932日本@名無史さん:2005/11/15(火) 18:58:10
続日本紀にある白村江敗戦時の混乱期の年号、白鳳、朱雀も日本書紀は書かなかった。
933日本@名無史さん:2005/11/15(火) 19:02:21
書かなかったから続編で書いたんだろボケ。
934日本@名無史さん:2005/11/15(火) 19:11:17
天孫降臨なんて神道の信者が騙る嘘はオカルト板でどうぞ
935日本@名無史さん:2005/11/15(火) 19:13:59
違うて証拠があるのかよ
936シバザクラ:2005/11/16(水) 12:33:56
現在でも天下りという表現が立派に通用しているのであるから、古代人が天孫降臨というような
現象があったとしんじても不思議ではない。
937日本@名無史さん:2005/11/19(土) 11:44:27
>>924
盛り上がってないね
938日本@名無史さん:2005/11/21(月) 00:37:58
>936
シバザクラ=シバキザクラ=サガミハラハラさん

天孫降臨とは、天照大神の孫(=天孫)が対馬ないし壱岐から
九州本土に上陸したことですから、別に信じる信じないの問題ではなく
単なる事実。
939サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/11/21(月) 09:04:41
天孫降臨については、高天原がどこかについて論争妄想がいろいろあるわけであるが、
天孫が弥生人であること、九州のあるところに渡来したと伝えられることから、九州のどこかか九州に近いところと考えるのが、
合理的です。わたしのみるところ、有力な候補地は、半島の南部(加羅)、対馬か壱岐、背振山、大分県西部の山岳地帯(日出生台等)
がかんがえられます。
降臨の場所であるが(二二ギノ命の)、古くからは、宮崎県の北部と南部が想定され(日本書紀の影響)ていたが、近年糸島半島説が
提唱され、1時はおおくの支持者をあつめたのであるが、等の古田武彦氏が「東日流外三郡志」問題で評判を落としたため
下火となった。
わたしは、高天原背振山説であり、糸島半島付近降臨地説です。
それが正しいと思います。
940日本@名無史さん:2005/11/21(月) 09:49:09
だから〜 東京の弥生町で発見されたから弥生人。
941日本@名無史さん:2005/11/21(月) 12:23:46
東京の弥生町で発見されたのは土器です。人ではありません。
942日本@名無史さん:2005/11/21(月) 16:17:00
>>939

> 天孫が弥生人

文献的・科学的な裏付けがないのになぜ勝手に決めつけるのか。

> 九州のあるところに渡来したと伝えられること

伝えられた事項が裏づけとなるなら、「(鹿児島・宮崎とされる)高千穂」に降臨
したことがなぜそのまま裏づけとならず、「九州もしくはその近辺」なら合理的と
なるのか。
943サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/11/21(月) 19:08:05
天孫が弥生人であることは、文献的な裏ズケは、記紀の高天原の記述が弥生時代であることです。
科学的については、天孫が降臨した北部九州が弥生時代の遺蹟遺物が豊富であることなどです。

記紀の記述の地名は、編者の誤解や調査不足などがみられ、そのままでは受け入れるわけにはいきません。
説話の内容やそのつながり等からかんがえて、南九州ではありえないのは確実です。
944日本@名無史さん:2005/11/21(月) 19:37:34
蘇我氏の邸宅跡から「天皇記」「国記」が発見されたら何もかもが解決すると思うけどな
945太国:2005/11/21(月) 19:44:04
真の高天原は九州にあらず。何となれば、
古事記冒頭あたりの記述を見ればわかる。九州の国生み前に既に高天原が先に
成ったとある。だから九州は高天原ではない。しかしながら、
太古から、2次的3次的意味での高天原は存在した。そういう意味では
九州の某所を高天原だという主張はあながち誤りではないが・・・。
946日本@名無史さん:2005/11/21(月) 23:17:56
天孫降臨した場所はあくまで「筑紫」の日向の高千穂のクシフルダケ。
高天原は壱岐の原の辻。
947:2005/11/22(火) 00:11:33
それは第3第4次的の高天原。東京銀座の名を地方でも○○銀座と言うが如し。
古事記には、まず高天原が成って後、大八島生成後に壱岐島が生成したとある。
したがって、本来の高天原には非ず。
948日本@名無史さん:2005/11/22(火) 00:20:17
いや、すでにアマテルとニニギの伝承が曖昧になった後での
誤情報による高天原なわけで。高天原は壱岐の原の辻。
949:2005/11/22(火) 08:33:55
誤情報に非ず。
950日本@名無史さん:2005/11/22(火) 13:25:53
対馬を中心にしたアマ族(安曇族)が、立派な船着場のある
農業に適した島、壱岐を得て人口が爆発した。
アマテルは対馬の人。ニニギは壱岐の人。
壱岐からは稲作をしていた九州本土が目の前だ。
壱岐一番の平原、原の辻から必然的にニニギは
天孫降臨したわけである。その場所は
「筑紫」の日向の高千穂のクシフルダケだった。
951日本@名無史さん:2005/11/25(金) 01:23:36
アホか。
弥生人が来るまでは世界に天孫降臨神話が存在しなかったとでもいうわけ?
弥生人と天孫降臨はまったく関係ないと断言できるだろ、普通に人類学の知識があれば。
952:2005/12/01(木) 01:25:12
ひとりごとはチラシにでも書いておけ
953日本@名無史さん:2005/12/15(木) 21:28:12
>>952
スル〜で!
954日本@名無史さん:2005/12/17(土) 04:12:11
神話と歴史をごっちゃにするのは電波の始まり。
955日本@名無史さん:2005/12/17(土) 10:49:52
神話と歴史をごっちゃにしてトロイの木馬は発見されたわけだが。
956日本@名無史さん:2005/12/17(土) 14:28:57
神話は事実無根と妄想しちゃって済ませていた似非学者、哀れ。
957日本@名無史さん:2005/12/17(土) 20:22:54
トロイの木馬は神話の証明でもなんでもない。
958日本@名無史さん:2005/12/17(土) 22:46:27
神話だから荒唐無稽だと片付ける、似非学者は哀れ。
959日本@名無史さん:2005/12/18(日) 00:23:13
トロイは発見されたが、
木馬は見つかってないだろう。
960日本@名無史さん:2005/12/19(月) 23:20:37
木馬は俺のパソコンで発見された。
961日本@名無史さん
>>960
俺のパソコンでも・・・