日本の黎明期に渡来してきて多大な貢献をした渡来人.
彼らは歴史の闇に埋もれた感があるが,中国朝鮮の血が我々に混ざってるのは間違いない.
個人的には古来から栄えた関西は,中国,朝鮮の血が濃いような気もする.
今日とには古代中国人の移住地だった太秦と言う地名もあるし.
出も,関東にも高麗川って言う地名もある.彼らの足跡を教えて。
2 :
日本@名無史さん:02/09/27 18:01
お前の顔
3 :
日本@名無史さん:02/09/27 18:04
2の顔・体格その他全て
俺はベトナム人というあだ名ですが何か?
5 :
日本@名無史さん:02/09/27 18:07
こういうネタスレはもういいよ。
俺はガチャピンですが何か
7 :
日本@名無史さん:02/09/27 21:05
age
9 :
日本@名無史さん:02/10/08 00:27
帰化人の間違いでは?
最近不景気続きのせいか右傾化が進行してるような気がするね、俺も
渡来人を帰化人と言えって知り合いのコヴァから説教されたし(苦笑
でもよく考えてみればさ、当時の朝鮮人から見りゃ倭人なんぞチンケな
劣等民族に過ぎなかったわけだろうが、ふつー格下だと思っている相手
のとこに「帰化」なんてするかねぇ?むしろ「渡来」してこいつらアホ
だからうまいこと支配したろーってな感じだったんじゃねーぇの?
天コロだって去年先祖は朝鮮からきたってようやく認めたからなぁ。
ま、こんなせちがらい時代、せめて「渡来」を「帰化」と言い換えてナ
ショナリズムを満足させていい気になりたいってのはあるんだろうが・・・
なんつーか必死だなって感じだよねぇ(苦笑
12 :
日本@名無史さん:02/11/09 15:24
関東の場合、ほとんどは関東武士になったとおもいます。
ただし、関東武士の最上位は皇孫である源平、あるいは藤原でしょうね。
13 :
日本@名無史さん:02/11/16 00:54
高麗川のところは、高麗(=朝鮮)人ではなくて、
高句麗人が日本に帰化して配置された場所です。
というか戦前から70年代までずっと帰化人なんだけどな。
アジアが可哀想とかいう、基地サヨが差別とか皇民化政策の名残だとか、
寝ぼけたこと逝って、強引に歴史擁護を改竄したんだよね。
迷惑なことだ。
>>10 煽りにレスするのもなんだが、帰化人なんてポートピープルみたいなものだよ。
みんな関東などの僻地に飛ばされているし、帰化人ってだけで出世できなかった。
非常に低く見られてたんだよ。
ところで、
>>1の書く文章は、なぜピリオドと句点が混在しているのか
16 :
日本@名無史さん:02/11/16 02:27
ネタだから。
17 :
多いに乱れる:02/11/28 18:41
大阪しの古代は百済郡と住吉郡しかなくて回りは浅海になってるよ、大阪がそんな状態
なんだから、日本中、百済人と新羅人でいっぱいになっても不思議でない、先住民は新型ウイルスに
弱くて大量に風邪ひいて死んだ
古代、コリアンは倭列島に渡り未開の先住民族である倭人を征服し「日本」を創った。
酷で吉が拉致ってきたコリアンは、その後「日本」を代表する陶工の一族となった。
現在かつての軍国「日本」に拉致された大量のコリアンは、在日コリアンとして世界でも
例をみないほどの民族差別にさらされながらも、「日本」の政財界、芸能会において多数
の成功を収める人材を多数輩出した。
「日本」とかいう幻想の産物に必死にしがみついてナショナリズムを叫ぶ右翼は、「日本」
とやらが多くのコリアンのたゆまぬ努力によって生み出されたものであることを知れ、恥知らずが。
(在日コリアンは「日本」の人口の1%もいないのに「日本」のGNPの大多数を稼ぎだしているそうだ、
愛国を叫ぶ輩が自宅にひきこもりディスプレイの前でばかげた文章をネットに投稿している間に。)
19 :
日本@名無史さん:02/12/08 23:54
関東武士の起源はほとんど渡来系であるが、
中央からやってきた源平の支配下にはいるにつれて、
自分達も源平系であることを主張しはじめた。
20 :
日本@名無史さん:02/12/09 00:00
>>20 もうその頃からの血を受け継いでいる奴なんていやしない。
22 :
日本@名無史さん:02/12/15 23:27
ほとんどの関東武士(一番上の源平系をのぞく)は高句麗人では?
23 :
日本@名無史さん:02/12/15 23:45
>>22 関東武士も西から来た者が土着したんだよ。
なんでこんな低脳にレスせなあかんのよ、君だよ>22
アフォは何処にでもいるから、ショウがネーヨ。
>>1 古代の日本には、朝鮮人は来なかったよ。
てゆーか、入国禁止だった。朝鮮人(高句麗人)は敵だったから。
クダラ人、カラ人、シラギ人、コマ人は、朝鮮人じゃないからね。
彼らは、朝鮮人に侵略された半島系・農耕民族で、ヤマト人の同胞。
朝鮮人とはちがう別の民族だよ。
コクリョ人(高句麗人)とコマ人がちがう民族だということ、知ってる?
コクリョ人=朝鮮人
コマ人=ヤマト人の同族
コクリョ人とコマ人は「敵対関係」にあった。
コクリョ人=侵略者
コマ人=被征服者
26 :
日本@名無史さん:02/12/16 16:04
大和が昔、朝鮮半島を支配下に置いていたとき、
半島に居住していた中国系の渡来人を受け入れた事はある。
今のヨーロッパと同じように植民地出身がわが国においても
都市部で生活を許されていた。
それがすべて。
長曽我部元親
28 :
日本@名無史さん:02/12/20 10:01
古代史にいう渡来人(帰化人)と現在半島に住んでいる
民族とは無関係と言う事だけを理解すればよい。
むしろ凶悪な虐殺を逃れて逃げ延びてきたのが渡来人で、
冷酷非情な性格の屠殺者が現在のコリア。
29 :
日本@名無史さん:02/12/31 01:50
>>28 そりゃ、現在半島に住んでいる民族が形成されたのは、
新羅統一から高麗成立くらいまでに時間をかけて形成されたもの。
そもそも、現在の韓国語の先祖にあたる新羅語(古代韓国語)は、
朝鮮半島のうちの南東部のごく一部でしか用いられていなかった。
そういう時代に半島から日本へ帰化した人々は、
どう考えても今の朝鮮民族とは直接関係ない。
30 :
日本@名無史さん:02/12/31 02:28
日本人でモロ朝鮮顔の奴たまに居るな。キモキモ
31 :
日本@名無史さん:03/01/11 06:27
二重まぶたの方が可愛く見えるのは仲間意識?
(^^)
(^^)
34 :
日本@名無史さん:03/01/17 06:08
どっちが優先遺伝するんだっけ?>一重/二重
36 :
日本@名無史さん:03/01/26 14:08
>>25 コマも高句麗もコクリョも同じだろ。
お前は「ヤマト」と「日本」と「ジャパン」が別の国だとでも?
それに当時は半島に各種の種族がすんでいたのであって
「朝鮮人」というひとつの民族など存在しない。
単細胞な二分論で朝鮮人と日本人に分けようとするのは
チョンなみの馬鹿に見えるからやめろ。
37 :
日本@名無史さん:03/02/02 18:09
>>25 >入国禁止だった。朝鮮人(高句麗人)は敵だった...
高句麗政権と倭政権が敵対した時期もあったが、修好の時代もあったんだよ。
呉服部は、句麗からの渡来人で、むろん中国動乱期の呉ではなくてね。聖徳太子の懇意の
僧も高句麗からの渡来僧だったんだよ。
38 :
日本@名無史さん:03/02/02 18:43
日本人の三分の一〜四分の一は漢氏と秦氏の血が大なり小なりあると聞いたが?
>>37 「呉人(くれひと)」や「呉服部(くれはとり)」は
文字どおり中国の六朝(呉、東晋、宋、斉、梁、陳)からの帰化人でよい。
でも高句麗と倭が仲良かった時代も結構あって
高句麗からの帰化人も多いのは
>>37のいうとおりで正しい。
>>38 以下はあくまで律令時代の話で、しかもあくまで
庶民レベルのことだけど・・・・
漢氏もすごく多いんだけど、秦氏がダントツで多かったよ。
秦氏に比べると漢氏たいしたことなく見えるけど、秦氏がすごすぎ。
割合的には、韓国人に金氏が多いのと同じくらい。
でも次第に源氏や平家や藤原がふえて秦氏はへっていった。
>>39 減って行ったのではなく、同化や同属化だろう。
41 :
日本@名無史さん:03/02/09 10:58
関東人の先祖は、縄文人の後裔と、高句麗からの帰化人と、後にやってきた源平(武士化)ですが、どうして大和政権は高句麗からの帰化人を関東へ入植させたのでしょう?
42 :
日本@名無史さん:03/02/09 23:14
ところで、天皇家はどこから来たんだ?
本当に朝鮮半島か?
それとも、北方騎馬民族か?
まさか、空から舞い降りてきた宇宙人じゃないよな。
>>41 当時は関東は未開拓の地が多かったので広大なフロンティアだった。
わざわざ人口過密な都においてもスラム化するだけ。
44 :
日本@名無史さん:03/02/19 01:46
そうすると、関東を開拓するために、高句麗人を配置したってこと?
45 :
日本@名無史さん:03/02/19 02:14
668年高句麗滅亡。
霊亀2年(716年)
朝廷の好意により東国に分散して住まわされていた高句麗人
1799人を集めて、高麗の王の末裔を郡の役人とした。
わずか1799人が朝鮮人の手にかかると大勢力に変化するのだよね。
46 :
日本@名無史さん:03/02/19 02:44
あのね、スレとあんま関係ないような気がするんだけどね、
昔の日本の建築ってね、
白塗りの壁に瓦屋根とね
木材に瓦屋根とね
木材に藁葺(OR桧皮葺?よくわからんけど瓦じゃない植物)ってあるよね。
藁葺(桧皮葺)って別に貧乏だからじゃなくて
(桧皮葺の武士の家とかもあるし)
あれって東海地方とかの文化だと思うんだけどどうかね。
>>42 天皇家の出自は、はっきりいっていまだに謎。
半島を「経由」した形跡はあるが、一時的に通過しただけと思われる。
大陸のはるか西、ユダヤの失われた十氏族の一つという説があるくらいだからね、
まあ、その1799人のおかげで高麗郡というあたらしい郡を一つ増やせたというわけだ。
入植の当初、しばらく郡民は税金を免除されたりしてたから亡国の遺臣、遺民達にとっては破格の待遇だったわけだな。
高麗王若光の末裔が高麗郡守に任命されていたわけだが、高麗姓のまま現在も高麗神社の神主をやっていたりする。
古の高句麗王の末裔も今では皇祖皇宗、豊秋津根の大八嶋の安寧と繁栄を祈る司祭なわけだからなんと感慨深いことか。
49 :
日本@名無史さん:03/02/19 03:25
郡守じゃなくて郡司でそ
関東には渡来人の勢力は皆無で、高句麗王家の末裔ですら郡司程度だったが、河内、和泉では渡来人の勢力は大きく
豪族化した者さえいる。
有力豪族にまで発展できた豪族は
・弓月君を祖とする「秦氏」
・阿知使主(あちのおみ)を祖とする「東漢(やまとのあや)氏」
・王仁を祖とする「西文(かわちのふみ)氏」
である。
また八色の姓(真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連・稲置)のうち忌寸は
直姓の国造のほか、渡来人系の有力氏族にも与えられ、その身分を保証された。
51 :
日本@名無史さん:03/02/19 06:55
■ 朝鮮半島と日本列島の交流は、日本の国家体制が確立するはるか以前、
弥生時代以来ひんぱんに行われたいたが、7世紀〜8世紀にかけて朝鮮半島
からの渡来がひとつのピークを迎えている。
■ 主なできごとを列挙すると、次のような出来事が記録されている。
●666年(天智5年)……「百済人男女2千余人東国移住」
●684年(天武13年)……「百済人僧尼以下23人を武蔵國へ移す」
●687年(持統元年)……「高麗人56人を常陸國、新羅人14人を下野國へ移住」
「高麗の僧侶を含む22人を武蔵國へ移住」
●716年(霊亀2年)……高麗郡の設置(駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・
下野七カ国の高麗人1779人を武蔵國に移す)
●733年(天平5年)……「埼玉郡の新羅人徳師ら53人に金姓を与える」
●758年(天平宝字2年)……新羅郡の設置(日本に帰化した新羅の僧32人、
尼2人、男19人、女21人を武蔵國に移住)
●760年(天平宝字4年)……「新羅人131人を武蔵の地へ移り住む」などである。
■ この要因には、朝鮮半島における国家間の争いが大きく関係している。
当時の朝鮮半島は、おおまかには高句麗・百済・新羅という三国に分かれていた。
この三国の争いが激しくなり、7世紀後半に百済が滅亡し、つづいて高句麗が滅び、
新羅が朝鮮半島を統一するという状況にあった。
こうした情勢を受けて、政治的には、これまでの日本各地の渡来人を東国の
武蔵にまとめる必要がおきたこが考えられること、そして、新たに渡来する人々が
増える中で、大和政権の東北への勢力拡大のため、これらの渡来人を武蔵國に
移したものと思われる。
↑23人とか53人とかの規模の話をされてモナー(w
そんなこといったら現代日本に混血して入り込んでる白人や黒人の血の方が数万倍濃いだろ。
いつだったか、前にNHKの番組で長野県のとある田舎の集落が
どこからかの渡来した人たちで、今でもそれを誇りにしていると
かなんとかの内容を見た。悔しいことに詳細は忘れたんだよねぇ
関心なったし、そのころは。渡来したのは少なくとも数百年以上
前という説明だったと思う。どこだったっけな?
>>53 モンゴルじゃない?
馬丁として贈られてきた人たち。
56 :
日本@名無史さん:03/03/01 21:28
>>51 >7世紀〜8世紀にかけて朝鮮半島からの渡来...
は、現代でいう政治難民だったんだろうが、当時の大和政権の東国植民政策の必要性って
何だったのですか。東北への勢力拡大目的なら、武蔵国でなくもっと北辺に植民させる
と思うのですが。
57 :
日本@名無史さん:03/03/01 21:48
>>56 坂東から奥羽へ移民があって、その後に渡来人が送り込まれたんじゃないのかな?
馬の飼育、つまり牧の経営とかに渡来人の知識・技術が必要だったのだろうか?
詳しい方、オシエテ。
東北までいかなくても、関東でも十分すぎるフロンティアだったんだよ
59 :
日本@名無史さん:03/03/01 22:04
60 :
catv-133-032.tees.ne.jp:03/03/01 22:05
61 :
日本@名無史さん:03/03/01 22:17
開墾や牧畜の技術を求められたようですね。
説によっては、日本人の三分の一くらいが秦氏と漢氏と関係するとか。
62 :
日本@名無史さん:03/03/01 22:17
日本史板だよ!朝鮮顔スペシャル
というスレ、ほんとに立てるぞ。
63 :
日本@名無史さん:03/03/01 22:47
>>61 >日本人の三分の一くらいが秦氏と漢氏と関係するとか。
詳しく解説キボンヌ。
64 :
日本@名無史さん:03/03/06 01:28
>>61 そう言えば、西日本は牛牧畜文化、東日本は馬牧畜文化と対比される事もあるね。
渡来人の子孫は、日本人だよ。
67 :
日本@名無史さん:03/03/06 02:48
日本人としては、縄文系はかんべんな。
68 :
日本@名無史さん:03/03/06 03:09
縄文も弥生もそれ以降、渡来、帰化人も日本人だな。
近代では帰化もしないんだよな、ご先祖様は偉かったな。
>67
既に、弥生、半島系と結論されている。
「69は半島系」と認定されたようです
おいおい、俺を認定するなよ。
>67に説明しただけだ。
半島人キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
>>56 東北は無理でしょう。650年までは大和は関東までしか来れてないし、850年になっても
青森はまだ敵領。紛争地帯でつ。
74 :
日本@名無史さん:03/03/14 23:43
アメリカで白人が、原住民の黄色人種を征服して西海岸へ進んでいったのを思い出す
75 :
日本@名無史さん:03/03/15 07:05
天日槍は倭人でつか?
76 :
日本@名無史さん:03/03/15 09:58
惟宗氏系・・・ 宗氏 島津氏 神保氏 等
日本人ってようは列島にいた劣等(しゃれではないぞ)
な先住民と半島から追い出された犯罪者が列島に島流し
されて混血したんでしょ、でそのトップが一番のワルだった天皇一家。
そのあときたちゃんとした半島の人たちが今で言う「渡来人」でしょ、
そこらへん分けて考えないとな、そういう人が現在の「日本」文化なる
ものの基礎を形作ったんだし(もともといた倭人が今の「日本」文化な
るものに与えた影響が皆無なのがその証拠)。
今の日本人が韓国に歯向かうのはいってみれば育ててもらった親に
反抗期のガキが逆らってるようなもんじゃね?
↑チョンちゅねー!
79 :
日本@名無史さん:03/03/22 03:12
でも、関東に配された高句麗系日本人は、関東武士を形成しましたよ。
もちろん、親玉は天皇の子孫の源平か藤原ですけども。
いまの朝鮮半島に住んでいる民族と百済とかが在った頃、半島に住んでいた民族とはほとんど
違う民族だよ。
いまの半島民族は元の時代にモンゴル人の遺伝子が征服してしまっている。
本来住んでいた民族は、二重まぶたが多く目も大きい。(といっても王貞治さんやお笑いの板尾のような
ギョロッとした目)
だから仮に日本を支配したのが渡来人だとしても、いまの朝鮮人とは関係無い。
81 :
日本@名無史さん:03/03/22 03:58
4〜5世紀ごろから、ギリシャには頻繁にスラブ人が侵入し
(スラブ人だけでないのはもちろん)ギリシャ中で定住&混
血しまくりましたが、「スラブ系ギリシャ人」などという概
念を発明して喜び、それに基づいて歴史叙述をするような好
事家が生まれなかったのは本当に幸いですね。
ついでに言うと、半島民族は過去に何度も入れ替わってるよ。
どんな時でもたえず他国に支配され、蹂躙され、何度も大虐殺され・・・・
元々いた民族は方々にちらばっている。
その中で日本に逃げてきて文化を気付いたとしてもなんの不思議も無いが、いまの朝鮮人が
「ウリの文化マンセー」というのはアフォかと馬鹿かと・・
83 :
日本@名無史さん:03/03/30 15:59
ちなみに、日本語の音韻に関する最近の研究結果には、
「日本語非五母音説」が新たに生まれています。
コンピュータによって日本人の自然な会話の音韻を解析した結果、
「ア」「イ」「エ」「オ」に四種類ずつ、
「ウ」に八種類の微妙な差異(つまり別の音)があることがわかり、
実は日本語は世界でも最も母音の多い言葉であることが判明してます。
表面上は五母音なので余りわからなかったわけですが、
つまり、書き分けようと思えばもっと複雑な文字にせざるを得ないでしょう。
例えば、韓国人や中国人が日本語を聞き取ると、日本語では同じ文字でも、
彼らが持つそれぞれの言語での微妙な使い分けで、記述するのはそのためです。
84 :
日本@名無史さん:03/04/05 20:26
ようするに、8母音説ってのは、帰化人が多かった一時期の現象なのか?
85 :
日本@名無史さん:03/04/08 20:21
現皇室に男系で確実に血が繋がっていることが
世間一般に認知されていることが絶対条件。
また、どんなに男系で血が近かろうが
一旦他氏を継いだ者及びその子孫は候補対象外。
86 :
日本@名無史さん:03/04/15 00:35
8母音説の欠点は、すべての行に8つあるわけではないこと。
特に、あ行で8つあるわけではないことが最大の欠点。
渡来人を「帰化人」などとでたらめな呼称にすりかえたり、コリアが「日本」の
形成に関わっていなかったかのように捏造する、平成不況が長く続き考古学の
世界も藤村某の件以降醜態をさらしっぱなしですね
とりあえず音韻論を勉強してくださいとしか言えんな。
(^^)
90 :
日本@名無史さん:03/04/18 02:40
>>87 帰化人のほうが当時の用語として歴史学的には正しいです
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
93 :
日本@名無史さん:03/04/26 15:57
百済と高句麗の滅亡後、
どれくらいの人数が日本へ帰化してきたの?
高句麗出身の帰化組は主に高麗、狛、大狛を称していたが、本国滅亡後に亡命してきた
王族が「高麗」を称するにあたり、別表記を用いた「狛」を名乗るようになる。
これが狛氏の起源である。
だそうです。
お前等、今後、「狛」にしないとご先祖さんに失礼ですよ w
95 :
日本@名無史さん:03/04/30 23:28
たぶん、貊と狛と百済(伯済)は関係あるよね
同じ音の字を使っているし
>>77 日本に寄生し犯罪行為をするしか他に能の無い外道在日ウンコリアンと
昔の自主性と公共心の己に富んだ善良な渡来人を一緒にするのは失礼です。
自らを在日とか抜かす帰化ゴキブリチョンは現在の日本に住む約3割ぐらいの
半島系渡来人の直系子孫に謝罪と反省をしる!!
97 :
日本@名無史さん:03/05/01 00:37
ケント・デリカットとその子孫は今どうなってるの?
98 :
日本@名無史さん:03/05/01 03:04
>>77 日本にいた先住民族は劣等ではないでしょう。縄文人と弥生人によって形成された
人種がその後半島よりも発展したのは先住民族の遺伝子によるものも大きいだろう。
それに弥生人が朝鮮人と勘違いしているようだが、違いますよ。さらに半島の文化というより
大陸の文化と読んだほうがよいのは現在も見て分かるように半島の文化は殆どが大陸
文化の継承でしょう。百済もしかり。その中国もインド、中東の文化を継承しているだけ
であるのは既知。親も子もないのは文化の変遷の歴史をたどれば明らかなはず。
中国がインド、中東に文化の親子関係を問うていますか?極東が文化伝来の最終地点
であるのは誰が見ても明らか。それをとやかく言っても仕方あるまい。低レベルの争い
にしか過ぎない。言語にしても縄文語弥生後を経て日本語になっているのだから。
100 :
日本@名無史さん:03/05/01 09:24
NHKの「我々はどこからきたのか」で最新の研究結果
日本人のDNAサンプル取りまくって世界中にルーツを求めた末に出た結論。
なんとマンモスを追ってユーラシア大陸を横断してしまった民族が日本人のルーツ。
DNAの5割ほどという痕跡を残してる。寒さに対応するため、目は細く、省エネ型の小さな体になった大
きな要因。
そして、日本列島の近畿までその民族が制圧して、南からあがってきたのは
今の中国福健省とかあるあたりの海岸周辺の民族が海を渡って「直接」入ってきた。
潮の流れに助けられたらしい。で彼らはユーラシアからきた連中より体が大きく、
一気に列島を北上し近畿あたりで拮抗した。
彼らのDNAが4割。その後、稲作の技術などが鍵になって劇的に混血が始まった。
今は南北均等に血が混じり、
ユーラシア系と中国南部系だけで90%は構成されている。
残りの10%はインドネシア系等のさまざまなDNA、
今の朝鮮半島のDNAと似たものが5%ほどだそうだ。
101 :
日本@名無史さん:03/05/01 17:27
日本史版からcopy
NHKの「我々はどこからきたのか」で最新の研究結果
日本人のDNAサンプル取りまくって世界中にルーツを求めた末に出た結論。
なんとマンモスを追ってユーラシア大陸を横断してしまった民族が日本人のルーツ。
DNAの5割ほどという痕跡を残してる。寒さに対応するため、目は細く、省エネ型の小さな体になった大
きな要因。
そして、日本列島の近畿までその民族が制圧して、南からあがってきたのは
今の中国福健省とかあるあたりの海岸周辺の民族が海を渡って「直接」入ってきた。
潮の流れに助けられたらしい。で彼らはユーラシアからきた連中より体が大きく、
一気に列島を北上し近畿あたりで拮抗した。
彼らのDNAが4割。その後、稲作の技術などが鍵になって劇的に混血が始まった。
今は南北均等に血が混じり、
ユーラシア系と中国南部系だけで90%は構成されている。
残りの10%はインドネシア系等のさまざまなDNA、
今の朝鮮半島のDNAと似たものが5%ほどだそうだ。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1033117171/
102 :
日本@名無史さん:03/05/03 05:22
奈良に近いとこに住む京都府民だが「狛田」という駅が近鉄にある。ちなみに駒という名字の家がある。
駒田・駒井などは駒氏から派生した名なのか?
また壬新の乱の時に天武側についた駒田勝忍人(すぐりのひと)という人物がいたらしい。帰化人である可能性はあると思われ。どう思いまつか、皆さん?
103 :
日本@名無史さん:03/05/03 05:25
スマソ
すぐりのおしひと、ですた
>>102 日本列島に居住する帰化高句麗氏族の代表的な氏族名
朝明、出水、殖槻、王、大井、大狛、男、雄坂、柿井、下部、河内民、黄文、浄岡、清原
桑原、卦婁、高、後部、後部王、後部高、後部薬、高麗、古衆、高麗(こま)、狛、狛染部、
狛人、栄井、嶋、嶋岐(木)、嶋野、肖奈、上部、須々岐、前部、多珂、高井、高倉、高里、
高田、高岑、高向、高家、高安、高安下、竪部、田村、東部、舎人、豊原、豊宗、鳥井、直道、
長背、難波、額田、祝部、広篠、広宗、福當、日置、松川、鋺師、鞠部、御笠、御井、御坂、
神人、陸奥、八坂、和、和薬、吉井
高句麗氏族が出雲に上陸したのは、五世紀末
これらの全てが在日関係というわけではないが。
106 :
日本@名無史さん:03/05/12 19:09
おいおい、5世紀〜8世紀に日本列島に来たやつが在日なのか?
そもそも、東北のほうはまだ日本ですらなかった時代だぞ。言語すら違う。
107 :
日本@名無史さん:03/05/12 20:11
今にいう在日コリアンというのは戦後の存在。こんな常識ぐらい知っておけよ。
108 :
日本@名無史さん:03/05/12 20:13
古代の関東、特に現在の東京や埼玉に新羅郡・高麗郡が設けられた史実
がある。埼玉の新座などは新羅からついた地名だ。
109 :
日本@名無史さん:03/05/12 20:13
110 :
日本@名無史さん:03/05/12 21:05
>なんとマンモスを追ってユーラシア大陸を横断してしまった民族が日本人のルーツ。
>DNAの5割ほどという痕跡を残してる。寒さに対応するため、目は細く、省エネ型の小さな体になった大
>きな要因。
でんぱ発見!
縄文人は目がパッチリですが何か?
111 :
日本@名無史さん:03/05/12 21:10
112 :
日本@名無史さん:03/05/12 21:15
↑ 必死 別ないいかたしたらお前もみたことあるのだね。
113 :
日本@名無史さん:03/05/12 21:18
>>112 みてもいないのにどうしていえるんだよ。
114 :
日本@名無史さん:03/05/12 21:19
115 :
日本@名無史さん:03/05/12 21:20
在日がいろいろ人種工作やってるけど、真相はかなり違う。
大雑把に、
頭示数が、韓国人は短頭〜過短頭、日本人は中頭〜短頭。
鼻示数が、韓国人は中鼻、日本人は広鼻〜中鼻。
二重の出現率が、韓国人は約3割、日本人が約7割。
一般的に韓国人の顔は、ツリ目が多く、鼻は低く目立たず、彫りが浅い。
頭は絶壁頭の傾向が強く、その分頬骨が高い。体毛が薄いのに比例して
眉毛や髭などが薄い。全体的に見て平坦な印象。形態もさる事ながら、
中国人ほどではないが遺伝子の方もかなり違う事から考えれば、
韓国人は人種的に日本人とはかなり違った異人種であるという事が分かる。
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
116 :
日本@名無史さん:03/05/12 22:02
>>105 そのなかには中国系渡来人の姓氏もいくつかはいってますね。
素朴な疑問なんだけど、5世紀に高句麗やら新羅やら、武士団を
結成できるほどの人数が日本へ上陸できたのか?
118 :
日本@名無史さん:03/05/12 22:30
日本史で謎の5世紀ってよく言われるけど
なぜそこだけ欠落してるんだ?
119 :
日本@名無史さん:03/05/12 22:31
中国の資料が無いからだよ。
ちなみに謎の四世紀ね。
120 :
日本@名無史さん:03/05/12 22:36
三国史記でもよければあるよ。
そこにはあいもかわらず新羅などは倭の侵攻を受けている
ことが書かれている。
121 :
日本@名無史さん:03/05/12 22:40
『弥生人=半島人』説にしろ、4〜5世紀の高句麗人の関東入植にしろ、
資料の比較的薄い時期に、朝鮮愛好家の想像力が広がっているのかな。
122 :
日本@名無史さん:03/05/12 22:47
中国で日本と朝鮮に論争に終止符を打つような
謎の四世紀を解き明かす資料が発見される可能性まだあるのかな?
123 :
日本@名無史さん:03/05/12 22:53
★一重瞼★目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ツリ目かトガリ目★
★ヨリ目★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★
★肌が茶色い★ヒゲが薄いか生えない(男性限定)★
★歯が大きい、または出っ歯★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★
★頬骨が強く張っている★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★
★うりざね型の面長★絶壁頭(過短頭)★
以上のうち4つ以上該当すれば朝鮮
124 :
日本@名無史さん:03/05/12 22:58
高句麗人の関東入植は8世紀。
高麗氏
こまうじ
高句麗の王族級出身の渡来氏族。668年の高句麗の滅亡前後,日本に亡命,
帰化した人々の子孫。716年(霊亀2)駿河,甲斐,相模,上総,下総,常陸,
下野の7国の1799人の高句麗人を移して武蔵国に高麗(こま)郡が置かれた
(埼玉県飯能市,日高町一帯)。武蔵高麗氏の始祖は若光といわれ,703年
(大宝3)王姓を与えられた。高麗神社(日高町)社家高麗氏にはその系図が伝わる。
発掘された大寺廃寺,高岡廃寺も高麗氏が造営した奈良・平安時代の寺院であろう。
一方,背奈福徳を祖とする系統は上京して官人となり,行文は720年ごろ,
明経博士で宿儒とされ,《万葉集》《懐風藻》に詩歌を残す。
その甥高麗福信は豎子から弾正尹に至り,名をあげた。ほかに高麗大山,
同広山,同殿嗣など,奈良時代の外交使節として唐,渤海に渡った人物が多い。
彼らははじめ背奈(消奈)公(のち王)を称したが,のち高麗(巨万)朝臣,
高倉朝臣と順次改姓された。王族系と別系統の氏族はもっぱら大狛,狛氏を称した。
125 :
日本@名無史さん:03/05/12 23:06
渡来人って、本当は半島に住んでいた倭人が帰ってきただけだろ。
血液分析により民族の移動経路を判明する
最近、韓日医学者は両国民の白血球に付着している‘人間白血球抗原(HLA)’がどんな
種類なのかを分析し、朝鮮民族と日本民族の移動経路を追跡した。
2000年11月タイのバンコクで開かれたアジア太平洋骨髄移植学界で、カトリック医学大学の
キム・ドンウック教授と慶応大学の岡本しなちろう教授は、「両国の骨髄寄贈者17万人余りの
HLAを分析した結果、図のようにそれぞれの別のHLAを持った幾つかの群れの人々が中国
を経由して韓国と日本に定着したことが分かった」と発表した。
それぞれ異るHLAは子女に遺伝されるため、HLAの種類を分析すると民族の単一性と
移動経路が判明される。
∇どの国民が単一民族か
医学的には、韓国人、タイワン人、日本人の中で日本人が最も単一民族に近い
確率が高いほど単一民族に近く、登録者が多いほど移植される確率が高くなるため、3ヶ国の
供与登録者を12万人に換算して計算した。その結果、韓国は70%、日本は80%、タイワンは
50%だったという調査結果が出た。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2001010317828
126 :
日本@名無史さん:03/05/13 00:01
>>125 >単一民族度 韓国は70%、日本は80%、タイワンは50%だったという調査結果が出た。
それがどうしたのって感じ。 血が濃い=電波度が高い位しか思いつかない。
遺伝上 近縁の者同士より血縁の遠いものが一緒になる方が良いに決まってる。
その点、日本人は電波度が高いってことか。。
127 :
日本@名無史さん:03/05/13 00:05
>>126 電波度が高さについて韓国人・半島人の右に出るものは
いない。
80%か、単一民族じゃないんだな、やっぱ。
ちなみに、倭人てのは、日本海をまたいで、西日本と半島に住んでた人々ね。
自然な生活文化圏。日本から行ったわけではない。
>>116 現在の半島の名前は殆ど中国の名前や歴史的に名高い名前を自分が
好きな字を選んでつけたものが大半よって王と言う名前でも高句麗王家
の王とは限らない。高句麗王家崩壊後、王姓は迫害から逃れるために
玉、全と姓を変える人が多かったらしい。半島に全姓が多いのもこれが
由縁かも。
ちょっと文が変になってしまった。
132 :
日本@名無史さん:03/05/15 21:05
天皇はちょんです
>>132 違います。勉強してください。桓武天皇からどうぞ。
134 :
日本@名無史さん:03/05/18 13:38
>>125 正しい。渡来人を「朝鮮人あつかい」したがる朝鮮人が多いが、渡来人は倭人であって、今の半島にいる
朝鮮韓国人とは、まったく別種の民族だ。朝鮮韓国人は、後から来て半島を乗取った侵略者の末裔だ。
古代日本に亡命し移住した百済人は、日本人と同じ倭人である。
我々は8割の血はチョンです。
土蜘蛛や熊襲や隼人や蝦夷をチョンが鉄の剣とボーガンで抹殺しました。
かれらを異種だといって狩りに狩りました。
日本人はチョンの生態を良く知っているでしょう?
彼らは調子に乗れば何でもやります?5000年の歴史の捏造だろうが、
人殺しだろうがなんでもです。
チョンが日本人を差別する原因は純粋な人種差別です。
彼らは本当に純粋無恥な差別主義者なのでどうしようもないのです。
チョンの子孫は原住民との混血を嫌がりました。
白人がインディアンや黒人との混血を嫌がるのと同じです。
なぜ、8世紀にチョンが関東に入植してるの?それがそもそも不自然じゃないか?
チョンなんか入植させずに抹殺すればよかったんじゃないの?土蜘蛛は抹殺されたんだから。
8世紀だろうが何世紀だろうが問題ない。少なくとも当時の日本人は原住民より
移民のチョンに親近感がありそのため関東に土地を与え入植させてるわけよ。
イギリス人がドイツ人や他のゲルマン系を北アメリカに入植させたのと同じ。
137 :
日本@名無史さん:03/05/18 19:48
弥生系は徐々に消えていく運命にあるだろうね。
なぜなら、醜いから。
この130年間で、白人を知った日本人は、自らの醜さの原因が、
渡来系の人種的特徴にあると知ってしまった。
おまけにここに来て、テレビ、ビデオ、パソコン、インターネット、DVD、
写メール携帯、 世の中はヴィジュアル社会の真っ只中。
ヴィジュアル社会の飽くなき追求は、醜い渡来系を一掃するのには
もってこいなのである。 醜いものはすぐ晒され消される。
2000年以上、在来種を侵してきた弥生系や半島系などの醜い外来種は、
この先数百年で急速に駆逐され、日本人はより白人に近い縄文顔の人種が
日本人の主流になっていくだろう。
138 :
日本@名無史さん:03/05/18 23:31
日本史あるところにチョン電波(略してチョンパ)あり。
チョン電波(略してチョンパ)あるところに根拠なし。
139 :
日本@名無史さん:03/05/18 23:51
>>136 入植というか難民です
倭人は心が広いので難民を受け入れたのです
>>139 そうです。難民と侵略者です。
百済は難民、移民が多かったですが、
高句麗は圧倒的に侵略者が多かったです。
実際、高句麗からの渡来人は攻撃的で決して友好的な人間達ではなかったと
史実にも言われております。
141 :
日本@名無史さん:03/05/19 07:31
>140
高句麗からの人が攻撃的であったとしても
数が知れているのではないの?
結局、民族(?)的にも文化的にも日本列島に呑み込まれてしまう運命なのでは。
142 :
日本@名無史さん:03/05/19 07:35
高句麗の侵略者など知らんね。
亡命者については1700名ほど記録がある。
その亡命者が攻撃的だったんでしょ。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
145 :
日本@名無史さん:03/05/22 14:34
高句麗といえば倭国と敵対、とばかり思いこんでるドキュンがいるな。
広開土王碑しか知らないんだろう。
倭と高句麗は友好関係にあった期間の方が敵対していた期間よりはるかに長いんだがな。
>>145 それに広開土王碑は万セイ碑文。そんなのを前提に語る人間は小学生級。
150 :
日本@名無史さん:03/05/22 22:46
いま『平戸記』読んでたら「百済王光房」が寛元四年の後深草天皇即位の叙位で従五位下に叙位されてますた。
この時代にもまだ百済王氏を名乗ってたんだね。
ちなみに百済は高句麗では百残と侮辱されていた。
152 :
日本@名無史さん:03/05/25 18:58
>>142 高句麗から日本に逃げてきたのは、高句麗人ではなく、
実は高摩人(こま人)なんだけどね。
彼らは高句麗人(朝鮮系)とは、民族が違うんだよな。
倭人系だから。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
154 :
日本@名無史さん:03/05/28 17:16
高句麗人の関東入植は8世紀
155 :
日本@名無史さん:03/06/01 14:36
>>154 古代に高句麗人が日本に移住した事実はないだろう。
日本への移住を許可されたのは、高摩人。
高句麗人=朝鮮人は、隣国の高摩を征服したが、それが原因で日本と敵対関係になった。
高句麗人は、続いて新羅城(しらぎ)を征服して植民地化した。新羅城は朝鮮化が急速に進み、
やがて新羅(しら)と国名が変わった。
この新羅と日本の関係が悪くなったときに、日本と高句麗の間に同盟が結ばれたのだが、
このとき、日本人(倭人)と高句麗人(朝鮮人)の仲介をしたのが、倭人系の高摩人だ。
高摩人が仲介をしたから、日本は高句麗との同盟を受け入れたが、高句麗人への敵意、
不信感は消えなかった。高句麗が滅びたとき、同族(倭人系)の高摩人の亡命は認めたが、
高句麗人の亡命については拒否した。
だから、日本にはコマという地名はあるが、コウクリとかコクリョという地名はないんだな。
高句麗人は、けっきょく最後まで、日本人から信用されなかったわけだ。
156 :
日本@名無史さん:03/06/01 15:16
>>145 高句麗人が日本人と敵対していたのは事実。
ただ、国としては、倭人系の高摩人が日本との同盟締結を仲介してくれたおかげで、
日本と同盟を結ぶことができたが。
高句麗人は、日本人に最後まで信用されなかったね。
>>152,155-156
なんだよ「高摩人」って。捏造もたいがいにしろ、この糞電波が。
158 :
日本@名無史さん:03/06/05 21:11
>>157 高摩人っていうのは、狛人(コマ人)のことじゃない?
高摩ってのは、新羅城(シラギ)のすぐ北にあった国だろ。倭人の国じゃん。
朝鮮人の国・高句麗とは別だろう。
高句麗より歴史が古い国だろ。後に、高句麗に侵略されて併合されてしまうけどね。
159 :
日本@名無史さん:03/06/05 22:01
160 :
日本@名無史さん:03/06/06 15:09
>>158 「高摩人」と書かれている例は?出典はどこ?
新羅のすぐ北には「高摩」という地名はないぞ。
高句麗より歴史が古いなら、何年に建国されたんだ?
高句麗に併合されたのは西暦何年だ?
どこのなんていう書物に書かれてるんだ?
答えろよ。この脳内妄想自作自演野郎が。
なに必死になってんだ?こいつ。
162 :
日本@名無史さん:03/06/07 01:54
何あせってんだオマエ(w
漏れが必死かどうかなんて、関係ないし、どっちでもいいことだな。
問題は、高句麗とコマは別の国だとか「高摩人」なんて言い出したりしてる
お前のアホな主張が、どこまで根拠があるのか、それとも脳内妄想たれ流してるだけか。ってことだ(w
163 :
日本@名無史さん:03/06/07 14:29
「たいがいにしろ!」おじさんは、今日もチンピラよろしく、ガン付けまくって元気だな〜!
こんなチンピラ許してる、ひろゆきも大変だ。馬鹿が感染しないよう、みんなで注意しましょう。
164 :
日本@名無史さん:03/06/07 15:14
天皇は朝鮮人
166 :
日本@名無史さん:03/06/07 20:48
>>162 まあまあ落ち着けよ。興奮しすぎで鼻血が噴いてるぞ。
167 :
日本@名無史さん:03/06/07 21:09
◎二重瞼の出現頻度
アイヌ96.8%
奄美諸島84.0%
北海道73.2%
新潟70.4%
三重67.5%
京都66.9%
山形65.8%
奈良58.1%
朝鮮南部42.1%
168 :
日本@名無史さん:03/06/07 22:39
日本人の場合、二重まぶたの割合は、幼児で20%,50歳で80%位なんだと。
調査対象の年齢によっては全然違った結果になる。
169 :
たいがいにしろおじさん:03/06/07 23:32
要するに、
>>162には答えられないわけだ(w
まぁ答えられると思ってなかったけど。
「必死」「ガンつけ」「鼻血」ときて
今度はどんな中味のない誹謗で強がるんだ?
170 :
日本@名無史さん:03/06/08 00:31
171 :
日本@名無史さん:03/06/08 04:28
たいがいにしろおじさんキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
必死なのがバレて焦ってんのか?カコワルーイぞ。(藁
172 :
日本@名無史さん:03/06/08 04:48
どっかの苗字サイトで見たけど村主っていう姓は渡来系らしいな。
フィギュアスケートの村主、顔がモロ。
173 :
日本@名無史さん:03/06/08 21:45
>>171 必死なのは、あ・な・た(w
漏れが必死だってことにしたいなら、どうぞご勝手に。
いくら平静を装っても
お前が
>>162に答えられないことに変わりはない罠(w
174 :
日本@名無史さん:03/06/09 20:00
お、とうとう必死なことを認めるのか(w
意外とあっけなかったな(w
175 :
日本@名無史さん:03/06/10 00:36
漏れが必死かどうかは、お前が罵倒してるだけで、本筋とぜんぜん関係ないけどな。
本題は、お前が脳内妄想たれながしの電波クンだったってことだから(w
>>150 揚名の可能性もあるんじゃないかな、どうなんだろ。
いやいや、本筋はおまえが必死かどうかだよ。
で、おまえは必死だったわけだ。
いいかげん落ち着けよ(w
日本人でも普通は自分達を特別だと思ったりしないのだろう。
ただ、一部の、国籍にアイデンティティを求めざるを得ないような
日本人が、まわりより声を大にして主張をしているだけ。
文字どおり主張して吠えているだけで犬にでも出来ることだが、
幼子のように泣きわめき、あたりらす不肖の弟の没落する姿に
韓国人は心を痛めている。
なんとみじめで悲惨でおちぶれた国になったことか。
要は韓国の躍進に対し地の果てまで落ちてゆく斜陽国家日本に
すがりつく連中が優秀な朝鮮人に嫉妬するということだろう。
しかし我々は日本の幼児のような精神を許容してやらねばならない。
貧困の中で礼節を忘れるのは獣同様だが、本能に忠実なのは
50年前と変わらない。しかたないのだ。
日本は南米のように墜落するが、兄として過去の弟の悪行を
許して助けても良い。
まずは許しを超え。
>>178 韓国は日本の子ですよ
勘違いしないように。韓国の建国は何年かご存知??(嘲笑)
180 :
日本@名無史さん:03/06/10 21:06
>>160 なんで、
>>158に文句言ってるんだい?
>>155と
>>158は別人だろう。
言いたいことがあるなら、
>>155に言えばいいじゃないか(笑
>>155が言ってることは、ようするに古代の半島に、狛(コマ)という国が
あったということだろう。「高摩」っていうのは、ただの当て字だろう。
別に電波じゃないよ。高摩でも、湖間でも、庫馬でも、音は同じコマだしね。
>>155は、高句麗という国と狛は違う国だって言いたいんだろ。
たしかに興味深い意見だよ。
俺も、狛(高麗・こま)という国は、高句麗とは別の国ではないかって思うよ。
ただ、両国は無関係ではないだろうけど。
高句麗は、古代の一時期、百済まで支配下に置いたからね。
もともと別の国だった「狛」を、併合したのかもしれないしね。
>>179 1948年だろ?、それくらい知ってるよ
宗主大王によって生み出された(実際は既存のものを改良したものといわれているが)ハングルを
復活させ、世界に認知させたのは日本であることもご存知か?
183 :
日本@名無史さん:03/06/11 03:30
また自作自演厨があばれています(w
184 :
日本@名無史さん:03/06/11 05:59
>>177 いやいや、漏れが必死かどうかはどうでもいい。
面倒くさいから必死だってことにしてやったわけさ。
さて、漏れは必死だったとしておこう。よかったね。
ところで話はかわるが、
>>162への回答はどうした?
漏れは必死だけど(?)お前が必死に回答拒否してもぜんぜん困らんがな(w
185 :
日本@名無史さん:03/06/11 06:03
スケート選手の村主(すぐり)って人いるよね。
この人の名前が気になって古語辞典で調べたら
古代朝鮮語で「村長」というなんだって。
ということは村主って渡来人の子孫なの?
マスコミの「盗聴、盗撮」は許されるのか?その8
http://natto.2ch.net/mass/kako/1011/10115/1011522150.html 536 名前: 532 投稿日: 02/03/02 23:39 ID:3mG/RL4O
さっきの書き込みをして盗聴集団の一員がある場所で早速
(私は)「かなり頭のおかしい人」とかいってました。
盗聴をして知り得た事実、私の婦人科通院内容を自分らの盗聴推進
プロパガンダを補強する素材として、事実を全く逆転した形で、
作品に反映して金儲けをしてしまう業界の君らにそんなことを言われても、
それをどう捉えたらいいのか、本当はもう分かりかねています。
盗聴・盗撮といった負の行為に頼って、悪意を行間に挟み込んだ
作品を何も知らずに消費させられている人がかわいそう。
誰もそれを盗聴・盗撮によって得ている情報から出来ただなんて
疑う余地はないのだしね。でもそれって一種の偽装ですよね。
それが、マスコミがこの盗聴・盗撮の連携によって
必要とした”結果”なのでしょうか?
187 :
日本@名無史さん:03/06/11 09:00
>>184 ん?おまえが必死だったってことで話の結論は出たはずだが。
なに枝葉末節に拘ってるんだ?どうでもいいことだろ?
どうしても教えてほしいんなら哀願してみろよ。
態度しだいでは考慮してやらんこともないぞ。
188 :
日本@名無史さん:03/06/11 14:41
>>187 まあまあ、無理すんな(w
>おまえが必死だったってことで話の結論は出たはずだが。
結論はでたろ。だからその話は終わり。
さて。そろそろコマ国と高句麗は別の国だという話をききたいのだが、
>なに枝葉末節に拘ってるんだ?どうでもいいことだろ?
別の国だという根拠をだせ、という漏れの話は、
「枝葉末節」で「どうでもいいこと」なのか?
ずいぶんとまた逃げ腰だなぁ。
もしかしてコマ厨スレできいた方がいいのかな?
189 :
日本@名無史さん:03/06/11 20:38
>>188 >別の国だという根拠をだせ、という漏れの話は、
>「枝葉末節」で「どうでもいいこと」なのか?
そうだよ。本題は君が果たして必死なのかどうかだった。
で、きみは自分が必死だったことを認めて謝罪したわけだ。
それで、哀願はまだ?
190 :
日本@名無史さん:03/06/11 23:06
はいはい、わかった、わかった、
結局、コマと高句麗が別の国だという証拠はないってことだね。
「別の国ニダ!」といってるアホは、漏れが必死かどうかという愚にもつかない話題にすりかえて
最後まで根拠を提示しようとしなかった。つーかできるわけないんだが。
この擦れをみてるギャラリーには明白だろう(w
長い間つきあってくれてありがとう。
じゃ、漏れは次ぎのスレに移動して続きをやるから。
くれぐれもブチ切れてAA荒らしなんかやるなよ(w
191 :
日本@名無史さん:03/06/11 23:38
うわ・・・これが噂に聞く勝利宣言ってやつか(w
ほんとに必死だったんだなぁ。少し哀れ。
それより藻前ら、
>>180が痛すぎて見てられない(w
なんで高句麗とコマはちがう国だとか
突飛なこというのかと思ったら・・・・
*********************
62 名前:日本@名無史さん 投稿日:03/06/11 21:26
>61
高麗王若光という人物は、高句麗の王様なの?
何代目?
なぜ、高句麗王じゃなくて、高麗王なのかな。
*********************
これお前だろ?
ほんとに基本的な知識がゼロなんだな(w
日本書紀も姓氏録もなんにも見たことすらないんだろ?
194 :
日本@名無史さん:03/06/12 05:04
>>191 やれやれ。
強がりもほどほどにね(w
ほっとしてる顔が目に浮かぶようだけど、
「次ぎのスレに移動する」の次スレって、
どこだかわかってんだろうな(爆
195 :
日本@名無史さん:03/06/12 05:15
えっ?どこどこ??
196 :
日本@名無史さん:03/06/12 05:19
哀願まだぁ〜?
198 :
日本@名無史さん:03/06/12 09:47
>>194 おや?まだいたのかい?もう移動したのかと思ってたが(w
199 :
ウソがばれた/強制連行・創氏改名の巻:03/06/12 09:53
/ ̄ ̄ ̄丶 ♪ウソがばれた ウソがばれた
川ノリノノ丶ハ ♪真っ赤なうそが
|/||⌒ ⌒|| ♪出稼ぎだった ウリの入国
(G|| ● 、●|| ♪ウソがばれた
(○)||" ▽ " ノ||○) ♪ウリの名前 ウソがばれた
/ ̄ ̄/ ̄\ ヽ †† o 。♪真っ赤なウソが
| ||三U三三三三m三三Ε∃ ♪欲しがっていた 日本の名前
\__|_/-イ`,. †† ゚ ゚ ゚ ♪ウソがばれた
/ ハ \ ♪♪
 ̄// ̄| | ̄ ♪ウソよウソよ 小さなウソ
// | | ♪そのままここで つかせておくれ
(__) (__)
元歌:バラが咲いたbyマイク真木
201 :
日本@名無史さん:03/06/12 10:07
中国が太陽日本が地球なら朝鮮半島は月だろ。
半島=ほうき星
203 :
日本@名無史さん:03/06/15 04:53
あれ?
自作自演癖のきちがいコマ厨はいなくなったのか?
漏れも「高句麗とコマは別の国」というふうに考えがかわったから出てこいよ。
204 :
日本@名無史さん:03/06/15 05:56
>>203 ほー、じゃあ説明してみろよ。
まさかコマとは高麗のことだとかいうんじゃないだろうな?
205 :
日本@名無史さん:03/06/15 06:09
新羅語の直接子孫と思われる前期中世朝鮮語(高麗時代)の語彙の中には、
高句麗語と一致するものがごく少数ながら存在することが知られています。
これは高麗が高句麗の故地であった開京を都としたために、
高句麗語の語彙の一部が前期中世語の中に入り込んだことによるものと推定されます。
ただし、これらの高句麗語的要素は次第に新羅語のそれに置き換えられて漸次消滅し、
今ではほとんど残っていないもようです。
一方、日本語においては、高句麗語のうち判明している数詞(3,5,7,10)全てが
ほぼ一致し、世界中の言語の数詞を見回してもこのような偶然の一致は見られず、
なんらかの借用輸入があったかあるいは同言語系である可能性が考えられます。
(倭→高句麗、あるいは、高句麗→倭、あるいは、共通祖→倭&高句麗)
>高句麗語のうち判明している数詞(3,5,7,10)全てが
>ほぼ一致し
言いすぎW
207 :
日本@名無史さん:03/06/15 11:17
高句麗語と日本語の数詞は「似た音」なだけで「一致」しているわけではないんだが。
208 :
日本@名無史さん:03/06/15 11:27
209 :
日本@名無史さん:03/06/15 16:18
こいつ→
>>203は、工作員だろう。
コマ厨だってよw
朝鮮人を批判する者は嫌韓厨、
女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人である朝鮮人グループを批判する者はコンクリ厨、
○○厨というレッテルを貼り付けて2ちゃんねらーを潰すのは、工作員の常套手段だ。
朝鮮人にとって都合の悪いことを、日本人が書き込むと、すぐ○○厨というレッテルを
貼るんだよなw。
最近、朝鮮労働党から朝鮮総連へ、「高句麗語と日本語の祖語は同じだ」という
プロパガンダ工作をやれ、と指令が出たようだ。
日本史板やハングル板に、同じようなスレが増えているのはそのためだろう。
工作員もたいへんだなw。
日本語と高句麗語は、ぜんぜん韓系ないんだけどなw。
210 :
日本@名無史さん:03/06/15 16:31
女子高生コンクリ詰め殺人の犯人って、朝鮮人だったの?
確かに、朝鮮人の多い地域ではあったが・・・
212 :
日本@名無史さん:03/06/15 17:23
>>209 そんな感じするねぇ。
明らかに組織的だね。
2chだけでなく他の掲示板でも見かけるよ。w
上代日本語 高句麗語 新羅語 高麗語 中期朝鮮語 現代朝鮮語
1 pito" −− hっtっn hっtっn hΛnah hana
(一等) (河屯)
2 puta −− tu"pっ"r tuβっr turh tu:r
(二尸) (途孛)
3 mi mil −− sei s∂ih se:s
(密) (洒)
4 'jo" −− −− nei n∂ih ne:s
(廼)
5 'itu 'utu −− ta∫us tasΛs tasっs
(于次) (打戍)
6 mu −− −− 'jur∫us 'jっsΛs 'jっsっs
(逸戍)
7 nana nanun −− 'irkup nirgub 'irgob
(難隠) (一急)
8 'ja −− −− 'jurtap 'jっdщrp 'jっdっr
(逸答)
9 ko"ko"no" −− −− 'ahop 'ahob 'ahob
(鴉好)
10 to"'wo" tek −− 'jっr 'jっrh 'jっ:r
(徳) (噎)
214 :
日本@名無史さん:03/06/16 05:09
>>212=
>>209 またコマ厨の自作自演かよ
トンデモ説が馬鹿にされたり否定されたりすると、
かならず組織的な陰謀だとか言い出すよな。お約束みたいなもんだ。
ただ面白がられてるだけなのに(w
>2chだけでなく他の掲示板でも見かけるよ。w
2ch以外でもやってたのか。
それでまともに相手にされず「組織的な・・・」だと。
典型的な電波くんのパターンですなぁ。
>最近、朝鮮労働党から朝鮮総連へ、「高句麗語と日本語の祖語は同じ」という
>プロパガンダ工作をやれ、と指令が出たようだ。
>日本史板やハングル板に、同じようなスレが増えているのはそのためだろう。
>工作員もたいへんだなw。
>日本語と高句麗語は、ぜんぜん韓系ないんだけどなw。
まじめにいってんならキチガイだな。
高句麗語と日本語の類似が指摘されたのは明治くらいの大昔で
それから現在まで一貫した学説史がある。
この説は多くの場合、高句麗語は新羅辰韓語や百済馬韓語より
倭語との関係を近縁とみるため、結果的に高句麗語と新羅辰韓語や百済馬韓語との
距離が倭語よりも大きくなり、「高句麗・新羅・百済は同じウリナラ民族ニダ!」
という朝鮮人には昔からすこぶる評判が悪い。
したがって朝鮮人が「高句麗語と日本語の祖語は同じ」という工作をやることはありえない。
215 :
日本@名無史さん:03/06/16 05:20
高句麗語と日本語の類似が指摘されたのは明治くらいの大昔で
それから現在まで一貫した学説史がある。
この説は多くの場合、高句麗語は新羅辰韓語や百済馬韓語より
倭語との関係を近縁とみるため、結果的に高句麗語と新羅辰韓語や百済馬韓語との
距離が倭語よりも大きくなり、「高句麗・新羅・百済は同じウリナラ民族ニダ!」
という朝鮮人には昔からすこぶる評判が悪い。
したがって朝鮮人が「高句麗語と日本語の祖語は同じ」という工作をやることはありえない。
216 :
日本@名無史さん:03/06/16 05:28
それは言語学を少しは知ってる知的な朝鮮人だけの発想でしょう。
「韓系諸語(新羅語系)と高句麗&百済語は古朝鮮時代には(方言的な差は
あったかもしれないが)一つの言語だった」というのが、一般的な朝鮮人の認識。
だから、「高句麗語と日本語の祖語は同じ」と平然と言ってのけるヨ。
あ、そうじゃないかも。「(新羅語とそれほど違わない[と信じている
朝鮮人が大多数])高句麗語こそ、日本語の原型」と平然と言ってのける、
かな。
217 :
日本@名無史さん:03/06/16 06:19
>>216 魏志東夷伝に「夫餘・高句麗・東沃沮・邑婁・穢・韓・倭人」の6つの伝があるが、
これらのうち「夫餘、高句麗、沃沮、穢」の4つは似た言葉を話していたとある。
一方、「邑婁」はそれらとは言語が異なる、とあり、
さらに、「辰韓・弁韓」は「馬韓」とは異なり、中国語の一種を話していたとある。
ちなみに、残念ながら「倭」については言語について記述がない。
このうち、沿海州方面にあったと記述されている「邑婁」がツングース
(つまり、後の女真・満族やオロチョン族)であることは歴史的に明白なので、
「夫餘、高句麗、沃沮、穢」の4つの言語はツングース語ではないことになる。
ここで、高句麗語と倭語についても同様に似ていたことの解明により、
当時の半島においては辰韓・弁韓を除く大半が、倭語と類似の言語となってしまう。
このことが確定してしまうことを、朝鮮人・韓国人は恐れているのである。
218 :
日本@名無史さん:03/06/16 08:01
219 :
日本@名無史さん:03/06/16 11:01
>>214 工作員キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
では自説をどうぞ。
220 :
日本@名無史さん:03/06/19 20:32
やれやれ。
ソースは?ときかれてるのに
必死だの工作員だのと愚にもつかぬことを並べたてるだけ。
で、証拠はなにも出ない(w
もういいよ、誰もお前に期待してないから。
もう少し遊べるかと思ったがなぁ
221 :
日本@名無史さん:03/06/19 20:39
>>217 辰韓=新羅の住民が中国語を話していた?
新羅語は、現在の「朝鮮語」の祖語だぞ。
朝鮮語と中国語は、ぜんぜん違う言語だぞ。
どういうこと?
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
222 :
日本@名無史さん:03/06/19 20:45
>>215 >朝鮮人が「高句麗語と日本語の祖語は同じ」という工作をやることはありえない。
やってるじゃん。おまえがw
223 :
日本@名無史さん:03/06/19 21:03
>>220 逃げたと思ったらまた来たのか。
つーか、どうせならもっと気のきいたことカキコすりゃいいのに。
つまらんやつだ。
224 :
日本@名無史さん:03/06/20 00:38
日本の独立(国際承認)は 608年。
朝鮮半島初の独立は、1895年。
>>224 日本は倭の誤王が勝手に朝貢止めたときだろ。
226 :
日本@名無史さん:03/06/20 22:30
>>224 日本の独立の国際的承認は701年の則天武后によると思う。彼女にしてみれば
朝鮮半島と日本列島は「情勢が安定」「唐に恭順」していればどんな国でも良かったようだ。
227 :
日本@名無史さん:03/06/20 22:58
在日がいろいろ人種工作やってるけど、真相はかなり違う。
形質を大雑把に、
頭示数が、韓国人は短頭〜過短頭、日本人は中頭〜短頭。
鼻示数が、韓国人は中鼻、日本人は広鼻〜中鼻。
二重の出現率が、韓国人は約3割、日本人が約7割。
一般的に韓国人の顔は、ツリ目が多く、鼻は低く目立たず、彫りが浅い。
頭は絶壁頭の傾向が強く、その分頬骨が高い。体毛が薄いのに比例して
眉毛や髭などが薄い。全体的に見て平坦な印象。形質もさる事ながら、
中国人ほどではないが遺伝子の方もかなり違う事から考えれば、
韓国人は人種的に日本人とはかなり違った異人種であるという事が分かる。
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
228 :
日本@名無史さん:03/06/21 09:39
>>221 辰韓・弁韓で中国が話されていたというのは、3世紀までのことで、
おそらく支配階級が真番郡以来の漢人植民者と混血していたから。
しかし土着語が消えたわけでなくその後徐々に土着語が盛りかえしたと思われ。
これが後の新羅語の基礎(朝鮮語の遠い祖型)になるが、
中国語の影響が強くて高句麗語や倭語とはちがった特色をもつに至った。
>>222は自分のトンデモ説が論破されると「工作員の仕業だ!」と電波を発します(w
230 :
日本@名無史さん:03/06/21 09:47
それおまえ。
231 :
日本@名無史さん:03/06/23 20:54
232 :
日本@名無史さん:03/06/23 21:02
小野妹子国書に返書があって対等の地位が認められたのが、独立承認では
ないかい?
233 :
日本@名無史さん:03/06/23 21:04
234 :
日本@名無史さん:03/06/23 21:25
紛失っていうか、都合が悪いから捨てた。
hg
237 :
日本@名無史さん:03/06/24 01:19
73 名前:日本@名無史さん 投稿日:03/06/12 10:23
高句麗語と日本語は同じだったと電波をまきちらしてるウヨがいるようだが
高句麗とコマはまったくちがう。高句麗は今の朝鮮人。コマは倭人だ。
これをごっちゃにしてる電波ウヨは、倭国があんまりしょぼいので
偉大なる高句麗帝国を日本人の同族だったと言いくるめようとする歴史捏造民族。
だが、残念ながら歴史事実では、倭人=コマ人は、高句麗の支配下におかれた奴隷民族。
このコマ人が日本語だったのは当たり前で、
高句麗語が日本語だったことにはまったくならないのだよ(w
240 :
日本@名無史さん:03/06/24 16:44
チンポを吸い込めや!
241 :
日本@名無史さん:03/06/24 16:47
在日の人が日本史板に書き込むのは自由ですが、
歴史を捏造する電波は、止めて下さい。
242 :
日本@名無史さん:03/06/27 06:24
243 :
日本@名無史さん:03/06/27 06:49
古代の渡来人の子孫と在日は、まったく別だよ。
きちんと歴史的背景を理解せずに同一視する奴は歴史無知の馬鹿。
古代の渡来人の子孫と在日は、まったく別だよ。
きちんと歴史的背景を理解せずに同一視する歴史無知の馬鹿は
いいかげん北の祖国にカエレ。
>>239 その高句麗は倭人連合の新羅に滅ぼされたわけだがwwww
248 :
日本@名無史さん:03/07/05 16:26
保守
249 :
日本@名無史さん:03/07/05 16:34
だいたい帰化人は中国系が圧倒だろう。
帰化人をかってに半島系と置き換えるな
同じ様なもんだろ。
251 :
日本@名無史さん:03/07/05 16:49
>>249 帰化人は「中国」系という事実を認めてしまうと、
同時に当時の朝鮮半島内には多数の
「中国」人コロニーが存在した事実を認めざるを得ない。
ようするに日本人の起源じゃなくて
朝鮮人の起源が怪しいという話に発展する。
だから認められないんじゃない?
漏れはそれが真実だと思うけどね。
渤海から来ようが、半島から来ようが時代が下れば、
遺伝学的に大差ないと言う事だろ?
253 :
日本@名無史さん:03/07/05 18:02
それならば、半島人は中国人ということで決着だな w
254 :
日本@名無史さん:03/07/05 18:16
だいたい琉球やチベットが中国の言う通り中国の固有の領土なら
朝鮮半島も当然中国の固有の領土だろう
誰か、教えてやれよ、顔が万里の長城の北側にはみ出してると、漢民族だか
何だか知らんが今更、歴史的な中心性を南においてもナ。
256 :
日本@名無史さん:03/07/05 19:20
>>254 8世紀の前半までに、与論から石垣まで西南諸島の全島が大和朝廷に服属。
対して、この時点での唐の認識では、「琉球」=台湾および西南諸島は「化外」
つまり華夷秩序の外にある地域。
ずっとあとに、明の時代にオランダの拠点を追放しても、まだ、なお化外の地で
結局日清戦争でもさして問題にはならなかった。日清戦争の、中国側の呼び方は、
「朝鮮戦争」。朝鮮の宗主権をめぐる戦争。
それまで朝鮮は一貫して中原王朝の属藩国。
チベットは随以降、朝貢国。清朝では四族(主要民族、満・漢・蒙・蔵の四つ。
後に回(トルコ系)を加えて五族)の一つ。
但し、度々、離反し、また、インドに朝貢したり、インド圏の小国を保護したり
している。或る意味、漢印両属。
大和朝廷は隋に対して離反・対等外交の要求を出している。また、唐に対しては
一方的に外交使節の派遣を停止。
だから、中国の領土権とか固有とかの主張は、チベットや朝鮮に対しての正統性と
琉球、台湾への正統性は、全くレベルが違う。
257 :
日本@名無史さん:03/07/05 19:21
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秦氏、賀茂族、八坂族、
京都の豪族は、みな渡来人です。
秦氏が、松尾大社、賀茂族が、上賀茂神社、下鴨神社、八坂族が、八坂神社。
お稲荷さんも、渡来人の神社です。
遷都前の京都は、渡来人の住む所だったのです。
>256
上っ面はそうだな、当然、異質か同質かは中国内部の論理があるだろ。
260 :
日本@名無史さん:03/07/06 04:01
確か、徳川綱吉の生母が済州島の系統のチョソ
261 :
日本@名無史さん:03/07/06 05:51
>>258 今でいえば欧米の先端技術者集団が住んでいるようなものだね。
262 :
日本@名無史さん:03/07/06 08:45
北部九州の渡来系弥生人と中国山東省で発掘された前漢時代の墳墓より出土の古人骨
とが酷似しているという日中共同の調査結果が、今年はじめに発表された。
現代の科学的人類学的分析で、古人骨に高い類似性が指摘されたわけである。
前漢は日本の弥生時代前半に当たり、大陸から古代人が農耕や金属器文化など
と共に次々と渡来していた可能性が出てきた。
従来の朝鮮半島南部経由の古代人渡来ルートとは異なる新説ということである
が、再び鍼医・徐福の渡来伝説や日本人の起源が新たな注目を浴びることになった。
263 :
日本@名無史さん:03/07/06 10:58
胸毛もケツ毛も生えてこないような奴らと一緒にすんなよ。
264 :
日本@名無史さん:03/07/11 06:16
秦氏は中国系だし、八坂氏も渡来民だとも言われているが、加茂氏が渡来民だと言うのは
初耳。
だいたい海流からみれば中国→九州の線も多かったのは至極当然。
韓国から船で漂いながらたどり着くのは山口から鳥取島根あたり。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
267 :
日本@名無史さん:03/07/13 01:13
01武寧王(姓は扶餘氏。名は斯麻。倭国生まれ後に戻り第25代百済王に 461〜)
02純陀太子(淳陀。即位前に死去)
03斯我君(505年倭国に帰化)
04法師君(ここまでは純血百済人?)
05雄蘇利紀君(ハーフ?)
06和史宇奈羅(和史(やまとのふびと)を賜る。史は帰化人系下級官僚のカバネ)
07和史粟勝(1/8百済人?)
08和史浄足(1/16百済人?)
09和史武助(1/32百済人?)
10高野朝臣乙継(娘の入内により高野朝臣を賜る。朝臣は高級貴族のカバネ)
11高野朝臣新笠(桓武天皇の生母。1/128百済人?)
12桓武天皇(1/256百済人?)
半島の北の端から九州を通り台湾に下って遺伝子調査すりゃ答え出るだろ。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
271 :
日本@名無史さん:03/07/17 04:23
日本の独立の国際的承認は701年の則天武后による??
高句麗は朝鮮人じゃないから、日本人と高句麗人が同祖でも
べつに日本人と韓国人が同祖ということにはならない。
つーかそもそも高句麗とかの時代には朝鮮人なんてのはいまだ存在していない。
朝鮮人ができたのはずっと後の時代だから、
日本人と朝鮮人が同じ祖先から分かれでるということは論理的にありえない。
273 :
日本@名無史さん:03/07/23 00:49
274 :
日本@名無史さん:03/07/26 05:28
最近は「弥生人なんてものはいなかった」とか言い出してるな。
どこまで錯乱するのやら(w
弥生渡来人は「朝鮮人」ではないことだけは一致してるでしょ。
276 :
日本@名無史さん:03/07/27 04:09
>>275 ぜんぜんフォローになってない(w
弥生渡来人がどこからきたかという議論の最中に
「弥生人なんてものがそもそも存在していない」はいくらなんでもひどいだろ。ギャグかよ。
仮に半島を“経由”していても、大陸系は半島系にはならんし
さらに仮に半島系だったとしても(それはありそうにないが)
今の朝鮮人とは関係ないだろ。朝鮮人なんてのはその頃まだ存在してないし(w
277 :
日本@名無史さん:03/07/31 10:04
278 :
トライジン:03/07/31 11:07
いろんなところから渡来してるらしいよ。
この国はホントいい国だよ。一度住んだら出たくなくなる。
最近も結構多いだろ。渡来して、そのまま日本に住み着くひと。
半島だけじゃなくて、ジャワ、スマトラあたりからも渡来したらしい。
それに、シルクロードを通って、ユダヤも来ているらしい。
ある、民族学者の話だが、日本人の顔は世界中の血が混じっている
という。朝鮮だけじゃないよ。大昔から日本に住んでいた縄文人の系統は
いま、北海道、沖縄、薩摩に多いらしい。それも、ほんの一部だ。
そうなると、われわれはみんな世界中のどこかからやってきた仲間という
ことになるね。めでたしめでたし。
瓶の底に液体のカスが沈殿するrように、人間のクズが倭列島に沈殿してできた
見ん族、それが 倭日本人
だからどうしよーもない劣等民族なのdさ、チョソn朝鮮聡連への嫌がらせみた
いなことを平気でする民度の低さ・・・・・
280 :
日本@名無史さん:03/07/31 11:56
弥生人の起源は不明です。
大陸や半島における同時代の人骨が少ないから
比較研究できないのです。
山東半島の人骨と類似しているという話も有りますが、
結論は急ぐべきでは有りません。
(^^)
>>280 少なくとも弥生人は朝鮮人ではないことだけは確かだな。
朝鮮人は原住民と日本で言う弥生系渡来人との混血→倭人(縄文人+弥生系渡来人)、モンゴル人、
中国人の流入により混血により出来た人達。
283 :
日本@名無史さん:03/08/05 00:28
284 :
日本@名無史さん:03/08/05 00:39
>>282 朝鮮人は短頭人種。この形質は満州人から。
夫余族は満州人。
一番重要な満州人を抜かしては韓国朝鮮人は語れない。
先住民+弥生人+満州人=コリア人
日本人との差は満州人が入っているところだろう。
285 :
日本@名無史さん:03/08/05 01:20
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289 :
日本@名無史さん:03/08/09 16:54
290 :
日本@名無史さん:03/08/09 17:44
渡来人→現代風に言うなら難民ですか?ね
>>290 そう。戦火を逃れて安住の地を捜し求めてやって来た難民といった方が良いかもしれない。
292 :
日本@名無史さん:03/08/13 16:14
安住の地を求めてやってきたのはいいが、
原住民との争いは不可避であったが正解かも。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
295 :
日本@名無史さん:03/08/15 20:20
>>292 同意
ところではなし変わるけど、携帯ゲーム機"プレイステーションポータブル(PSP)
久夛良木氏は,“PSPはゲーム業界が待ち望んだ究極の携帯機”として説明。「ここまでやるかと言われるスペックを投入した」という。
発表によれば「PSP」は,曲面描画エンジン機能を有し,3Dグラフィックでゲームが楽しめる。
7.1chによるサラウンド,E3での発表以来,クリエイターたちにリクエストが高かった無線LANも搭載(802.11)。
MPEG-4(ACV)による美しい動画も楽しめるという。これによりゲーム以外の映画などでのニーズも期待する。
外部端子で将来,GPSやデジタルチューナーにも接続したいとする。
また,久夛良木氏は,繰り返し「コピープロテクトがしっかりしていること」と力説。会場に集まった開発者たちにアピールしていた。
さらに,ボタン設定なども明らかにされ,PS同様「○△□×」ボタン,R1・L1,アナログスティックが採用される。
この際、スク・エニもGBAからPSPに乗り換えたらどうでしょう。スク・エニの場合、PSPの方が実力を出しやすいような気がするんですが。
任天堂が携帯ゲーム機で圧倒的なシェアをもってるなら、スク・エニがそれを崩してみるのもおもしろいですし。かつて、PS人気の引き金となったFF7のように。
いきなりへんな事書いてスマソ・・・・
GBAと比べてみてどうなんでしょうか?シェアの事は抜きで。
297 :
日本@名無史さん:03/08/21 11:06
298 :
日本@名無史さん:03/08/29 20:41
299 :
日本@名無史さん:03/08/31 08:26
東京圏の大多数が 400年以内の ■ 帰 化 チ ョ ○ の 子 孫 ■
そもそも徳川家康が嫌がった「江戸」の背景となった
武蔵の国そのものが海外からの亡命者や入植者、★百済人による入植地だった。
府中は国の司(つかさ)が百済人 と決められていた時期があります。
崩壊した百済の支配層を受け容れ亡命させるためですね。
桓武天皇以来、東夷(あずまえびす!!)が住む関東の姿とは
アイヌ系の先住民と朝鮮の百済の人の入植地であり、時代ごとの政権からの派遣の
源氏や平氏が割拠する土地だった。 ( 「 海老〜 」、「 蝦〜 」 )
7世紀後半以降、 新羅が朝鮮半島を統一するという情勢を受けて、政治的には、
これまでの日本各地の渡来人を東国の 武 蔵 にまとめる必要がおきた。
〓 666 年 「 百済人男女 2千余人 東国移住 」
〓 716 年 「 高麗郡の設置 関東の高麗人 1779人を武蔵国に移す 」
〓 760 年 「 新羅人131人を武蔵の地へ移り住む 」
1600年 1700年 1800年 1920年 1960年
15 万人 85 万人 130 万人 400 万人* 1000万人*
武家に対し、 町人は江戸の全体面積の 15 〜20%の土地に65万人が生活。
多摩川以西はおろか新宿区、世田谷区、目黒区なども帰化大陸、朝鮮人だらけ!
隅田川以東の 足立区〜江東区は 上総の国 で、 江戸ではない。 大凶の地。
外堀以外の地、 埼玉、 千葉、 神奈川も帰化系の人間が大多数にのぼる。
明治以降の不法入国者(関東)も100万以上にものぼる。消えるどころか増殖したのだ。
生粋の「日本」人だが「日本」とゆう虚構の概念より確かな存在としての
朝鮮のほうにより親しみを感じアイデンティティもそちらに属すると思う、
渡来系コリアンの末裔としての誇りも感じるし在日コリアンへの不当な差別は
許しがたい、即刻在日参政権は実現さるるべきだと思いますが何か?
>>300 まさにそのとおり!
あなたは在日同胞の期待の星です。今後のより一層のご活躍を期待しております。
やればできる。かならずできる。
>>300 もうそうでしょ。朝鮮にどこが確固たる存在としての認識があるんだよ。
渡来系コリアンなんて概念はないし、朝鮮半島だって渡来系に支配されて
伝承があやふやなのは承知の通りではないか。
虚構のコリアン=高麗族を信用するにはそれなりの確証というものがおありでしょう
ぜひ、自論をお聞かせいただきたい。古朝鮮や檀君神話を抜きにして。
303 :
日本@名無史さん:03/09/07 00:31
304 :
日本@名無史さん:03/09/07 00:39
くさい朝鮮顔は寄り目ちょーせん
寄 り 目 ち ょ ー せ ん ! !
↑火病
306 :
日本@名無史さん:03/09/13 23:48
307 :
日本@名無史さん:03/09/14 01:01
>>300 >「日本」とゆう虚構の概念より確かな存在としての
朝鮮のほうにより親しみを感じアイデンティティもそちらに属すると思う、
じゃ、韓国か北朝鮮の参政権もらわないと意味無いじゃん
虚構の概念の「日本」なら、政治に参加する意味ないでしょ
素朴な疑問です。
日本への渡来人は多数だったらしいが独自の風習や文化を残して
いないのはなぜですか。
倭人とはまったく異なる風習や文化をもっていれば残されていそ
なもんでしょ。
不思議ですね。
風習や文化に大差がなかったということでしょうか。
>>308 1)渡来人が現役だったころ残るような風習や文化はなかった。
2)渡来人は着の身着のままだったから生活用具などは倭国の習俗に馴染んだ。
3)今日の日本の風習は平安時代以後のことだから渡来人と倭人の差はなくなった。
ってなところですか。
だって倭人の生息地域は、半島にまで広がっていたんだから残るのも当然でしょ。
韓国で縄文式土器見てきました。
秦河勝の直系子孫って本当に世阿弥?
312 :
日本@名無史さん:03/09/20 04:23
age
313 :
日本@名無史さん:03/10/01 08:42
314 :
日本@名無史さん:03/10/09 21:35
315 :
日本@名無史さん:03/10/09 22:03
>>314 直系とは書いていないと思うが「花伝書」に記述はある。
東儀秀樹も我が祖は秦河勝と書いてたな。
楽人の祖という伝承があるのでしょう。
316 :
日本@名無史さん:03/10/10 00:02
>>311 子孫だというのは有名だけど「直系」ではないだろ。誰が直系なんていってんだ?
317 :
日本@名無史さん:03/10/10 00:55
古代の渡来人について朝鮮人という語の使用はおかしい。
古代に朝鮮人なんていたの?
今の朝鮮人や韓国人の先祖はいたかもしれないが、彼らを朝鮮人と呼ぶのは非歴史的。
例えば、新羅の人は新羅人であって朝鮮人ではない。
あほか。百済人も新羅人も朝鮮人じゃ。
>>317-318 百済人・新羅人・高句麗人を「朝鮮人」ということは、もちろんあるよ。
ただし、その場合はあくまで「朝鮮半島に居住していた民」の意味にすぎない。
現代の朝鮮人との人種的・言語的・民族的な系統関係を語る場合にはかなり不正確な用語。
朝鮮人の形成は李氏朝鮮
じゃあ日本人の形成は明治だね(w
323 :
日本@名無史さん:03/10/12 11:35
325 :
日本@名無史さん:03/11/02 16:38
326 :
日本@名無史さん:03/11/21 21:52
統一新羅って、最盛期ですら、北緯40度以南だけでしょ。
半島を全部支配できた最初って、いつ頃なの?
朝鮮人が統一した民族として成立したのは高麗時代で、李朝がそれを発展させた。
↑
檀君朝鮮は?鬼子朝鮮は?衛氏朝鮮は?
歴史歪曲は止めましょう。
>>328 燃料としてはイマイチ。芸がなさすぎだよ
330 :
日本@名無史さん:03/12/11 07:31
吉備出身。うちの先祖は辰韓(秦韓)で古い中国話を話していたよ
地元の秦小学校のマークは、弓月王のモチーフから、弓と月。
神武が長期滞在したといわれる元伊勢の葦森神社はいまも名を変えて健在。
県下で一番古い六世紀の秦寺跡からは、飛鳥式ではない瓦がごろごろでる。
鳩、馬、羊の土偶のようなものもでる。明治の頃に神社の長老が庭から魏から
卑弥呼に贈られたという青銅の獣鏡もでてきて、なにげに陳列してる。
伝承では、新羅、中華南朝、西域とも交易していた華僑系豪族だったらしい。
近くに古代再大規模の鬼城、製鉄所跡地、堤土木跡がある。地名には
呉、服部などがある。もっと先端渡来人の評価がでないと世間的には誤解も
受けるから、複雑な印象だなあ
331 :
日本@名無史さん:03/12/13 00:42
日本人が単一民族に近いか否かについては。
ある一定の他民族同士で何度も交配が行われると、血が濃くなり、単一民族といわれるほどに民族性が固まるのは確か。
しかも日本は島国だから。
韓国や中国では血が濃くなるまえに他の民族の血が交配によって混ざるから、日本ほどに血が濃くならない。
でも、これをもって、日本人=単一民族とは、いえない。
それに、半島に住んでいた倭人が日本に戻ってきたとかいうのは、屁理屈だ。
時代の半島人と今の半島人でも民族的にも違うはずだし、それは今の日本人と当時の日本人にもいえることで、
すくなくとも、日本には多民族が流入して日本人の基礎が作られていったのは確か。
今の日本人の特徴と今の朝鮮人の特徴を比較して、当時の民族的違いを説明するのも、無理。
それに当時の日本に渡ってきた人間に、「帰化人」「渡来人」にこだわりを持つもの無意味。
そもそも渡来してきて簡単に半島に帰ることができるほど、安全な旅ではなかったはず。
あの鑑真だって何度も何度も挑戦してやっと日本に来れたっていうじゃないか。
日本に渡来してきた人間のほとんどが「亡命」にちかい理由が多かっただろうから。
渡来の概念はあっても帰化の概念は無かった時代だ。
実質、当時ならば渡来も帰化とおなじ意味をもつのだから、帰化という言葉ににこだわる必要などない。
332 :
日本@名無史さん:03/12/24 21:10
333 :
日本@名無史さん:03/12/29 09:47
>>331 藻前が「渡来」という言葉にこだわる必要などない
334 :
日本@名無史さん:03/12/30 01:50
朝鮮人は、人種的にはモンゴル系の黄色人種で、形質的には日本人に
もっともよく似ている。身長、頭形、顔形、血液型、指紋などでは、
日本人と満州族とにもっとも関係が密で、中国人とはそれほど類似して
いない。北部の朝鮮人は満州族に、南部は日本人に似ているが、
例外として、モンゴル帝国の占領下にあった済州島人の頭形は満州族に
近く、平安南道・南北黄海道人の頭形はもっとも華北型に近い。
ツングース族に属する満州族や東部シベリアの古アジア諸族などが、
前40世紀ごろから朝鮮半島に移住し、これより前に南方から移住してきた
人々と共存していたとも考えられている。(世界大百科事典/平凡社)
北部の朝鮮人は満州族に、南部は日本人に似ている
これより前に南方から移住してきた人々=縄文人
北部の朝鮮人は満州族に、南部は日本人に似ている
これより前に南方から移住してきた人々=縄文人
あぼーん
336 :
新・三田市:04/01/07 11:04
荒木村重は偉大
その息子、岩佐叉兵衛も偉大
伊丹一族も偉大
337 :
日本@名無史さん:04/01/07 20:20
>古代朝鮮人の中でも特に優秀で海を渡る気概のあった人
>+南洋の海洋性民族の中でも特に運が良かった人=現代日本人の祖先
>古代朝鮮人の残り滓=現代朝鮮人の祖先
↑これ、実は在日特有の日本人洗脳表現
日本人は朝鮮系なんだから、在日が住んでも、同化しても良いじゃないか、
という下心らしい。全部嘘だが。
あたかも大量の半島人が古代の日本に渡ってきて日本人の祖先に
なっていったかのようなレトリックだが、事実は逆で、
半島人など、古墳期に関西へほんの数千人しか来ていない。
大量に海を越えていったのは縄文期や古墳期の日本人の方。
日本人種と満州人種の混血人種が朝鮮人。
古代日本人こそが朝鮮人の祖である。
338 :
日本@名無史さん:04/01/11 23:52
江戸時代の高級武家で、秦氏を名乗ったのはどうなんかね?
源平籐橘を名乗るのと比べて、信憑性は高いのだろうか?
339 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:07
でも、文法の流れが朝鮮と日本は同じだよね。
>>338 江戸時代に公式に秦氏(=惟宗氏)末裔を名乗っていたのは対馬藩・宗家だけだったのでは?
教えてえろい人たち。
島津も江戸時代以降は源氏末裔を主張してるし
長宗我部は大阪夏の陣であぼーんしたので江戸時代には大名ではない。
長宗我部の秦氏末裔説はちょっと怪しいかも?といわれていたような。
島津と宗に関しては秦氏末裔で学会ではほぼ確定しているような。
◆◆君も歴史の目撃者!愚か者が再生産される瞬間!◆◆
◆◆とんでも与太話→→朝鮮半島内に倭地はなかった!
>436 :日本@名無史さん :04/01/12 05:06
>よくわかったよ。
>九州王朝説というのは任那日本府実在説と同レベルなんだ。
>この一語に尽きるよ。
>439 名前:日本@名無史さん :04/01/12 05:37
>漏れは九州王朝支持派でもないけど、任那日本府はあると思ってた。なかったの??
>
>
>440 名前:日本@名無史さん :04/01/12 05:52
>それが今は普通。
登場人物はすべて朝鮮半島内に倭地はなかったと言い張るバカどもです
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1072200231/2-
342 :
日本@名無史さん:04/01/12 10:01
>340
旗本で名乗ってる家が何家かあるだろ。
343 :
日本@名無史さん:04/01/12 11:13
語彙が全然違うだろチョン語と日本語
344 :
日本@名無史さん:04/01/23 23:38
日本の文化は朝鮮人が作った。
345 :
日本@名無史さん:04/01/24 15:35
>>344 朝鮮の北側は中国人が支配して作った。
朝鮮の南側は日本人が支配して作った。
満州から基地害が南下してきて半島は荒れまくった。
346 :
日本@名無史さん:04/01/24 15:39
韓国の野党に「ハンナラ党」という名前の政党がある。
ハンナラという音の響きが面白くて憶えている。
響きがちょっとクレージーキャッツみたいだと思っていた。
と思ったらこの前読んだ本に、
埼玉県の飯能市が朝鮮語の「ハンナラ」が語源であるという説も
あると書いてあった。 (渡来人の村があったらしい)
347 :
日本@名無史さん:04/01/24 15:53
348 :
日本@名無史さん:04/01/24 15:55
キムチくさ!
349 :
日本@名無史さん:04/01/24 15:56
埼玉県には相当多数の朝鮮系渡来人が定着していたらしいよ。
高麗川という地名もあるし、新座も新羅が語源らしい
350 :
日本@名無史さん:04/01/25 23:14
>>349 埼玉の高麗(こま)だけじゃなく、神奈川という地名も韓川(からがわ)が訛って出来た地名で。百済系が多かった。もともと南関東一帯は百済や高句麗からの渡来人が開拓して作った土地なんだよ。
だけどひとつ注意してほしいのが、(てゆーかハン板や日本史板ではよく云われてるが)彼らが現在半島に住んでいる人とは違う人々であったということ。韓国人の土地だったわけじゃないからね!
百済系の氏を名乗る武将や公家の話に燃える在日の香具師には困ったものですよ。日本人の先祖と韓国人の先祖を混同してるからね。
351 :
日本@名無史さん:04/01/25 23:24
「アメリカは日本だった!」って本があったな。
オハイオは「お早う」が語源なんだそうだ。
なんかこのスレをながめていたら思い出しちゃったよ。w
352 :
日本@名無史さん:04/01/25 23:27
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353 :
日本@名無史さん:04/01/25 23:56
たしか百済の難民を、哀れに思った朝廷が関東に入植させてアイヌを駆逐させ、さらに
天皇家の者をその集団の長に据えた結果、彼らはその長の氏を名乗って源氏・平氏などを称し、
後の関東武士団の基礎を作った。
関東武士が乗馬を得意とするのも、百済系入植者だったころからの伝統があるから。
一方、技能や学芸を持つ渡来人たちは、畿内に定着して朝廷に仕えた。
だから、朝鮮・中国を叩いている香具師も数十世代遡れば、いわゆる在日・帰化人の血が
一滴も混じっていない者などほとんど存在しないんだろうなあ。
354 :
日本@名無史さん:04/01/25 23:58
ハワイは羽合温泉
355 :
日本@名無史さん:04/01/26 00:01
なんか最近昔を辿ればチョンという話が急増してないか?
どういうわけなんだろ?
356 :
日本@名無史さん:04/01/26 00:03
15歳少年を餓死させようとした
烏野容疑者はチョンだろ?
岸和田市ってチョンばかりなのか?
357 :
日本@名無史さん:04/01/26 00:13
353は在日特有の文章だね。
いつ密航してきたんだ?w
渡来人との混血は美的にはつまらない方向に行くからね。
現代では思いっきり負け組だわなww
>>357 なるほど、だからキミは負け組みなのか。
長年の疑問が氷解したよ。
レスさんすこ。
359 :
日本@名無史さん:04/01/26 00:35
>>358 で、おまえってやっぱ一重ツリ目なの?w
360 :
日本@名無史さん:04/01/26 09:53
>>353 百済人や高句麗人が現代朝鮮民族に似ているとか民族的に近いなんていう話は聞いたことありませんが何か?
新羅人の子孫は黙ってて下さいw
361 :
日本@名無史さん:04/01/26 10:51
>>360 いまの全羅道人は血統面では
百済人の末裔と言っても過言ではない。
ただし言語的には、征服により、
新羅のそれにとって代わられたようだが、
基層言語として方言的要素を付与しているかしれない。
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/26 11:15
あげ
関東武士団の発生には諸説があるが高句麗起源だの百済起源だのは電波。
●666年(天智5年)……「百済人男女2千余人東国移住」
●684年(天武13年)……「百済人僧尼以下23人を武蔵國へ移す」
●687年(持統元年)……「高麗人56人を常陸國、新羅人14人を下野國へ移住」
「高麗の僧侶を含む22人を武蔵國へ移住」
●716年(霊亀2年)……高麗郡の設置(朝廷の好意により駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・
下野七カ国に分散して住まわされていた高麗人1779人を武蔵國に移し高麗の王の末裔を郡の役人とした。)
●733年(天平5年)……「埼玉郡の新羅人徳師ら53人に金姓を与える」
●758年(天平宝字2年)……新羅郡の設置(日本に帰化した新羅の僧32人、
尼2人、男19人、女21人を武蔵國に移住)
●760年(天平宝字4年)……「新羅人131人を武蔵の地へ移り住む」などである。
累積:新羅人計272人
↑たかが300人ばかりの規模の話をされてモナー(w
そんなこといったら現代日本に混血して入り込んでる白人や黒人の血の方が数万倍濃いだろ。
累積:百済人計2023人、高句麗人計1857人
↑百済人や高句麗人をいれてもやっと4000人。
わずか4000人が朝鮮人の手にかかると大勢力に変化するのだよね。
百済人や高句麗人にしてみれば新羅人なんかとごっちゃに言われるのは
えらい迷惑だろうけどなw
365 :
日本@名無史さん:04/01/26 15:12
>>364 最近の話じゃなくて数十世代昔の話だからね。
記録に残存するのは、当事者の内、ごく一部でもある。
>そんなこといったら現代日本に混血して入り込んでる白人や黒人の血の方が数万倍濃いだろ。
ガクガク<<<<<<<<<<<<<(@.+;>>>>>>>>>>>>>ブルブル
・・・・★アホでつか?★
お前の体内にも数滴分くらいは必ず入っているだろうし。
だからと言って別に「日本人としての誇り」など捨て去る必要もないのだが。
ご先祖さまが、お前の枕元に立って「日韓友好」を訴えたりしないだろうし。
記録にないものをあると言い張るのはトンデモの始まりだよ
>お前の体内にも数滴分くらいは必ず入っているだろうし。
それを強調することにどんな意味があるのだ?
千数百年前のことだぞ。
子どもの頃習った「万葉集」はみんな朝鮮系渡来人が書いたものだった。
子どもの頃から食べていたロッテのお菓子もコリアンのものだった。
誇っていた京都、奈良の遺跡を作ったのはコリアンだった。
教えられた誇るべき歴史はすべて朝鮮系渡来人のつくったものだった。
「サムライ」は朝鮮起源だった。
野蛮だった縄文人に教育をつけ、文化に浴させてくれたのもコリアンだった。
等々、日本人が真実を知る日はやがて来るのだろうか?
だから無理矢理ネタふらなくていいっての。
山上憶良(だっけ?)はコリア系渡来人だよねーたしか
万葉集は少なくとも渡来人製作なのは間違いなさそう
>>369 だからむりやりなネタふりで煽らなくていいっての。
第一に万葉集は帰化人の歌も採用されているというだけで
なんで「渡来人製作なのは間違いなさそう」などとは針小棒大な捏造。
第二に山上憶良は百済系帰化人。コリア系渡来人という言い方は
百済も現在の韓国も同じコリアという呼び方で誤解を招く不正確な言い方。
渡来人も不正確。正しくは帰化人。帰化した日本人だ。
と釣られてみるテスト
>>361 全羅道人よりも京都人や神奈川人や長崎人に百済系の血が濃く流れてる。
前者は新羅人や元軍の兵士との混血、後者は倭人との混血。文化的にも言語的にも近い者同士の混血ですぞ。
>>370 悔しさのあまりファビョったりしないでほしいニダ
>>372 ウリはファビョってないニダ。
そっちこそもっと面白く捻った煽りしないと盛り上がらないニダ。
なんだか自作自演と思われそうニダなw
374 :
世界@名無史さん:04/01/27 22:23
今の朝鮮人は新羅人の子孫だろ
何で滅ぼした百済や高句麗までウリナラニダなんだ
375 :
日本@名無史さん:04/01/27 22:24
>>374 アホだな
新羅人は朝鮮人の王族・貴族のみ
庶民や奴隷は百済人や高句麗人だ
新羅人はもともといろんな連中の混血だから
支配層と庶民層にわけること自体たいして意味はないよ
日 本 の 国 語 は 、 す べ て 韓 国 語 に す べ き。
理由 歴史的には韓国語をしゃべっていた
日本語は臭い
日本の文化のルーツはすべて韓国
だから、むりな釣りなしなくていいってw
379 :
日本@名無史さん:04/01/29 11:02
いいかげんいしろ!
いっぺん死んで来いやゴルァ!
日本語は臭いw
381 :
世界@名無史さん:04/01/29 22:05
アメリカじゃ韓国人はグックと呼ばれて馬鹿にされている。
382 :
日本@名無史さん:04/01/29 22:18
そもそも韓国語なんてない
日本と違って国字の発明が遅れたために
基本的な語彙までほとんど漢語になっている
>>382 ハングルは自然発生的な言語ではなく作られた言葉だから合理的で覚えやすい。
と聞いた。
384 :
日本@名無史さん:04/01/29 23:02
>全羅道人よりも京都人や神奈川人や長崎人に百済系の血が濃く流れてる。
>前者は新羅人や元軍の兵士との混血、後者は倭人との混血。文化的にも
>言語的にも近い者同士の混血ですぞ
ソースは?
いかにも日本人が朝鮮半島から来たというデタラメを洗脳させる在日特有の
工作の訳だが。
ウソは大きければ大きいほど、ウソだと見抜けない、をよく実践している。
真相は朝鮮人の方が日本系です。
日本系と満州系の混血人種です。
一重ツリ目、平面顔、ゼッペキ、貧毛、と満州人化した朝鮮に渡った
古代日本人の末裔です。
385 :
日本@名無史さん:04/01/29 23:05
朝鮮人は、人種的にはモンゴル系の黄色人種で、形質的には日本人に
もっともよく似ている。身長、頭形、顔形、血液型、指紋などでは、
日本人と満州族とにもっとも関係が密で、中国人とはそれほど類似して
いない。北部の朝鮮人は満州族に、南部は日本人に似ているが、
例外として、モンゴル帝国の占領下にあった済州島人の頭形は満州族に
近く、平安南道・南北黄海道人の頭形はもっとも華北型に近い。
ツングース族に属する満州族や東部シベリアの古アジア諸族などが、
前40世紀ごろから朝鮮半島に移住し、これより前に南方から移住してきた
人々と共存していたとも考えられている。(世界大百科事典/平凡社)
北部の朝鮮人は満州族に、南部は日本人に似ている
これより前に南方から移住してきた人々=縄文人
北部の朝鮮人は満州族に、南部は日本人に似ている
これより前に南方から移住してきた人々=縄文人
386 :
日本@名無史さん:04/01/29 23:05
>以上で明らかなように、朝鮮人は日本人、満州人の両方に最も関係が
>密であって、両民族をつなぐ橋の役目をしている。しかし朝鮮人は
>漢民族の華北型とは案外に密接せず、後者とは、日本人のほうが
>むしろ縁が深い。
>指紋調査の結果では、各型の出現頻度(ひんど)が、日本人と
>蒙古・満州人との中間を朝鮮人は示し、その北方は蒙古・満州人に、
>南方は日本人に近似する傾向を示している。(世界大百科事典/平凡社)
人種的に、
朝鮮人は日本人と満州人の中間に位置し、
華北人とは朝鮮人より日本人の方が縁が深い。
つまり、日本から人が朝鮮半島に渡り、華北から人が日本に渡った。
朝鮮系って何系になりたいのだろうか。
どう転んでも日本系か大陸系なのだが。
388 :
日本@名無史さん:04/01/29 23:07
朝鮮系というのは日本系と満州系の混血人種の事。
朝鮮人にとって日本人は偉大なる祖先。
現代日本人と縄文人は異種だし。
390 :
日本@名無史さん:04/01/29 23:12
朝鮮人にとって日本人は偉大なる祖先。
朝鮮人にとって日本人は偉大なる祖先。
朝鮮人にとって日本人は偉大なる祖先。
朝鮮人にとって日本人は偉大なる祖先。
朝鮮人にとって日本人は偉大なる祖先。
朝鮮人にとって日本人は偉大なる祖先。
朝鮮人にとって日本人は偉大なる祖先。
朝鮮人にとって日本人は偉大なる祖先。
朝鮮人にとって日本人は偉大なる祖先。
朝鮮人にとって日本人は偉大なる祖先。
朝鮮人にとって日本人は偉大なる祖先。
朝鮮人にとって日本人は偉大なる祖先。
392 :
日本@名無史さん:04/01/29 23:33
こうした研究成果から想像をたくましくすれば、同じ人種の海洋民が朝
鮮南部沿岸と対馬、西北九州一帯に住んでいたとも考えられます。実際これを
裏付けるかのように、韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が
発掘されたと、釜山大学・鹿児島大学の共同作業チームが報告しています。
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
393 :
日本@名無史さん:04/01/29 23:35
日本人は朝鮮系だともうオナれなくなった気分ってどうなの?w
394 :
日本@名無史さん:04/01/29 23:37
395 :
日本@名無史さん:04/01/29 23:40
整形で誤魔化してるが、色黒寄り目鮮人に近いよな。BOAって。
あれが満州人に近い方の鮮人だろw
396 :
日本@名無史さん:04/01/30 05:52
>>386 >つまり、日本から人が朝鮮半島に渡り、華北から人が日本に渡った。
朝鮮からも華北からも日本に移住者が多数いて、
縄文人を駆逐していったってことか。
おかげで華北や朝鮮ほどじゃないけど、醤油顔が多くなった。
397 :
日本@名無史さん:04/01/31 01:59
弥生時代の半島南部人の頭蓋は短頭。
それに対して弥生人骨の頭蓋は中頭。
朝鮮から日本に人は渡っていない。
むしろ魏志倭人伝にある通り、
弥生時代は日本から半島に人が渡っていた。
398 :
日本@名無史さん:04/01/31 12:05
>遺伝子的には、朝鮮人と日本人は変わらないと、少し前のニュースで
>流れてたがな。
そうだろうねえ。日本から朝鮮に人が渡ったんだから。
朝鮮南部は古代日本人の遺跡の宝庫。
関西人に朝鮮半島人の人種的要素があるという資料はたくさんあるが、
渡来人が来た北九州や山口に朝鮮半島人の人種的要素があるという資料は
一切無い。
これは北九州や山口の新モンゴロイド要素は朝鮮以外から来たという事。
つまり弥生期の渡来人は朝鮮から来たのではない。
399 :
日本@名無史さん:04/01/31 22:12
大陸では短頭は華南のほうに多く中頭は華北に多い。が、北方民族は短頭が多い。
円形に近い頭を持つモンゴロイド(華南人)が中頭のそれよりも南にいる。不自然だよね。
現在の華北に住んでる漢民族の先祖の一派は西から来たのか?そして旧王朝の時代を生きた漢族や遊牧民族を南及び北に追いやったのではないか。
広東省に住む人達が自分達を「唐人」と名乗るのもそのためか。
日本列島では中央部(畿内)に短頭人種が多く、朝鮮半島では中央部の西海岸(ピョンヤン・ソウル近辺)に中頭人種の影響が今も少し残ってる。
が、畿内の日本人にエラ張った奴はあまりいない。むしろ面長が多いと感じた。
これは朝鮮型というよりむしろ華南型だろ?
ユンソナチュキ
401 :
日本@名無史さん:04/01/31 22:41
>朝鮮半島では中央部の西海岸(ピョンヤン・ソウル近辺)に
>中頭人種の影響が今も少し残ってる
朝鮮半島で華北型の中頭人種の影響が残ってるのは中央部でなくて北西部。
平壌は入るがソウルまでは入らない。
朝鮮人は短頭で高頭で面長。
華南人は短頭で低頭で面長でなく、二重が多く広鼻で小柄。
鹿児島人は華南人の影響を受けていると思われるが、
畿内人は違うと思われる。
402 :
日本@名無史さん:04/01/31 22:45
渡来人がやって来たのは北九州・山口だというのは中学校で勉強しましたね。
朝鮮学校ではどうかは知りませんが。
その北九州・中国地方に半島人的要素があるという資料が
一切無いんですよね。あるなら是非教えて欲しい。
あるのは関西に半島人的要素があるという資料ですよ。
これは古墳時代にわずかに来た捕虜や難民の名残だそうで。
つまり渡来人は朝鮮半島から来たというのは間違い!
403 :
日本@名無史さん:04/01/31 22:46
>以上で明らかなように、朝鮮人は日本人、満州人の両方に最も関係が
>密であって、両民族をつなぐ橋の役目をしている。しかし朝鮮人は
>漢民族の華北型とは案外に密接せず、後者とは、日本人のほうが
>むしろ縁が深い。
>指紋調査の結果では、各型の出現頻度(ひんど)が、日本人と
>蒙古・満州人との中間を朝鮮人は示し、その北方は蒙古・満州人に、
>南方は日本人に近似する傾向を示している。(世界大百科事典/平凡社)
404 :
日本@名無史さん:04/01/31 22:47
人種的に、
朝鮮人は日本人と満州人の中間に位置し、
華北人とは朝鮮人より日本人の方が縁が深い。
つまり、日本から朝鮮半島に人が渡り、華北から日本に人が渡った。
しかし、朝鮮人は華北人と縁が薄い。
渡来人は朝鮮を経由せず、華北から海路で直接日本にやって来た。
405 :
日本@名無史さん:04/01/31 22:55
あちこち行き来していた。
個人的な考えだが。
そもそも、半島のような貧相な土地に、自然発生的に文明が起こるだろうか。
農業にも牧畜にも適していない、山ばかりの土地で、多数の人口を養えないように思える。
しかしながら、半島には古来より人間がいた。
これはなぜかと考えると、文明を持った人間がどこかから入植してきたのではないかと。
文明を持った土地で生活してきた人々が、そこで培った技術を駆使して未開の土地を開拓したのではないかと。
実際、人類は農耕に適した地域から、それ以外の不毛な地域に拡大してきた歴史を持つ。
この流れを見れば、他の土地から半島に入植してきたという説は、不自然ではないと思う。
で、半島の周辺国で、農業に適した土地を持つ国はといえば、日本と支那。
また、満州も半農・半狩猟の生活の国。
つまり、これらの土地から来た人々により、半島の礎はつくられたと考えるのが自然ではないかと。
特に縄文人は土木技術に秀でていたと、何かで覚えている。
不毛の土地であった半島を開拓したのは、彼らではないかと勝手に思っているが。
407 :
日本@名無史さん:04/01/31 22:59
朝鮮半島に人が住み始めたのが7000年前。
南方から移住してきた人々という事らしい。
朝鮮半島のすぐ南には九州がありますが。
408 :
日本@名無史さん:04/01/31 23:02
ここで言ってる渡来人って
日本書紀に記録されている人たちのことじゃないの?
縄文人が渡来人って訳分からなめ。
409 :
日本@名無史さん:04/01/31 23:09
韓国人にとって渡来人は縄文人と古墳人の日本人種。
ようやく属国民たる半島人が日本にやって来るのは古墳時代5C以降の関西。
それまでは日本から朝鮮にバンバン人が渡っていた。
410 :
日本@名無史さん:04/01/31 23:11
帰化人と言うべき
411 :
日本@名無史さん:04/01/31 23:13
日本と朝鮮の帰化人同士の言い争いか。
412 :
日本@名無史さん:04/01/31 23:17
弥生時代のが渡来人で、古墳時代のが帰化人。
前者は華北から、後者は主に朝鮮。
413 :
日本@名無史さん:04/02/01 09:42
>>401 あのエラ張った顔が「面長」に分類されるのか?
414 :
日本@名無史さん:04/02/01 10:31
>>413 朝鮮族はモンゴロイドに属しており、形質的にはアルタイ系諸族とは
区別しにくい。世界諸民族の身長分布のうち、中頭大身長のうち大きい
ほうで、首が比較的細く、背側深層筋群が発達しており姿勢が正しい。
また下肢が長く身体各部の比率配分が、欧米人に比べて均衡がとれている。
頭部は短頭で、長径の短い特異な短頭が多い。顔はモンゴロイドの特徴で
ある広顔だが、長顔でもあり、頭腔容量も大きく脳重も重たいほうであると
いわれている。(日本大百科事典/小学館)
顔はモンゴロイドの特徴である広顔だが、長顔でもあり、
顔はモンゴロイドの特徴である広顔だが、長顔でもあり、
顔はモンゴロイドの特徴である広顔だが、長顔でもあり、
顔はモンゴロイドの特徴である広顔だが、長顔でもあり
また大昔の古い事典持ち出して・・・・
416 :
日本@名無史さん:04/02/02 19:47
417 :
日本@名無史さん:04/02/14 08:55
山上憶良はコリア系渡来人
×山上憶良はコリア系渡来人
○山上憶良は百済系帰化人
コリア系≠百済系。渡来人≠帰化人。
419 :
日本@名無史さん:04/02/14 18:40
歴史をたどると、高麗川(現・日高町)に入植した朝鮮人の集団が、
さらに武蔵野各地に転住し、一つは大宮周辺、そしてもう一つの集団が志木郷に入ったのだそうです。
その中に金子一族もいて、鎌倉時代の関東武士団の中の有力氏族として「金子氏」の名前が出てきます。
道理で関東武士は、騎馬はお手の物。火が広がりすぎないように野火止して焼き畑を開墾し、作物を作り、
馬を飼っていたらしい。(ヤギを飼う心情もその名残り?)
>>419 高麗川(現・日高町)に入植したのは朝鮮人ではなく高句麗人。
日高市は、1991年に市制施行された。
いつの話でつか(w?
すまん、日高町って十年以上前に日高市になったのか。
419をそのままコピーしてしまった。
716年。奈良時代のはじめの頃だな。その時に高麗郡を設置。
現在の日高市のあたりのどこかだろうな。
私は生粋の日本人だけど、渡来人の血を引いていたらどんなによかったか
425 :
日本@名無史さん:04/02/20 04:55
_
426 :
日本@名無史さん:04/02/29 12:55
アホだ。 千人そこそこの農民と百人前後の武士団でどうやって関東をとれるんだ? 女子供老人を含めても四千いくかどうかの里の話に夢持ちすぎだって。
427 :
日本@名無史さん:04/02/29 12:56
アホだ。 千人そこそこの農民と百人前後の武士団でどうやって関東をとれるんだ? 女子供老人を含めても四千いくかどうかの里の話に夢持ちすぎだって。
428 :
日本@名無史さん:04/02/29 13:21
帰化人は今でこそ左翼によって祭り上げられてるが当時はほとんど賤民扱い
帰化人のトップであった秦氏が朝廷に莫大な資産を寄進してようやく貴族の最低クラスになれた程度
429 :
日本@名無史さん:04/02/29 13:39
二度書きすまん。 甲賀や伊賀や風魔みたいな特殊な武装勢力なら小さくてもそれなりに存在感もあるだろうけど高麗って・・・人口増えた今でもハイキングコースしかない寂しいとこだよ。
430 :
日本@名無史さん:04/02/29 13:44
古墳時代、半ば奴隷で関西に来た半島人は全部合せても7〜8千人程度。
主な功績として、
日本人種に、ツリ目、のっぺら、ゼッペキ、頬骨などの形質をもたらす。
431 :
日本@名無史さん:04/02/29 13:49
貧毛もな。
432 :
日本@名無史さん:04/02/29 14:52
でも余氏の後裔は貴族としてはいい線いってたかな? 八色の姓では下から二番目だったけど平安に入ってからは百済朝臣の姓を賜って上から二番目になったりした。
433 :
日本@名無史さん:04/02/29 14:54
百済河成(782〜853)なんかは備中介、播磨介なんか歴任したし、 今昔物語で飛騨工と競って両者とも京の人々から喝采された逸話なんかもあるから 結構有名人ぽかったのかな。
434 :
日本@名無史さん:04/02/29 15:02
渡来人=宇宙人
その子孫=泉重千代翁
435 :
日本@名無史さん:04/02/29 15:11
まあ、こういうこと書くとこれ幸いと、妄想と拡大解釈でまた願望を史実にしようとする半島の方が出てくるのが非常に痛くて困るんだよな。
436 :
日本@名無史さん:04/02/29 20:54
◎朝鮮人は日本人と満州人の混血人種
朝鮮人は、人種的にはモンゴル系の黄色人種で、形質的には日本人に
もっともよく似ている。身長、頭形、顔形、血液型、指紋などでは、
日本人と満州族とにもっとも関係が密で、中国人とはそれほど類似して
いない。北部の朝鮮人は満州族に、南部は日本人に似ているが、
例外として、モンゴル帝国の占領下にあった済州島人の頭形は満州族に
近く、平安南道・南北黄海道人の頭形はもっとも華北型に近い。
ツングース族に属する満州族や東部シベリアの古アジア諸族などが、
前40世紀ごろから朝鮮半島に移住し、これより前に南方から移住してきた
人々と共存していたとも考えられている。(世界大百科事典/平凡社)
437 :
日本@名無史さん:04/02/29 23:37
人類の元はアフリカン
438 :
日本@名無史さん:04/03/03 12:04
大学院大学 一般教養 古典乙1 入学問題、
以下の説を論評せよ。 制限時間10日
日本書紀で高の字が出たら高句麗と考えよ説。
明の字のついたのはネストリス教、ペルシア・西アジア系説。
大化とは、大きく化けるに成功したの意説。
百済聖明王と欽明は同一人物説。
天智と金春秋は同一人物説。
天武と高句麗の泉蓋蘇文は同一人物説。
朝廷藤原氏は百済滅亡時の亡命王族・貴族説。
古朝鮮語でフジハラはクダラのクニ説。
推古、古を推し量れは卑弥呼、北条政子、女人謙信を思い起こせ説。
日本人の権威恭順の性は倭人伝倭人DNA回帰説。
推古以下の女帝はくっついてた男王が編纂時はがされた説。
権威従順の国、倭国乗っ取りは王族が女帝と仲良しになるだけでOK説。
藤原氏の外戚志向は賢明であった説。
蘇我、我は蘇りの西アジア系抹殺は仏教側の一石三鳥勝利宣言説。
うそも方便、仏教国の賢明さ理解はマックス・ビーバーも絶賛の岩並の実理論での説。
サザエさん人気は女帝到来、倭人回帰願望DNAうずき説。
アサハラ・ショウコウ三代前先祖は北朝鮮秘密警察官説。
オウムは日本の某教団韓国の某教団の援助で大きくなった説。
TVタレントに半島系多いは日韓友好促進支援説。
しこむしてますの屋球人の父は半島からの人説。
KCIAとヤクザ指導層はツーカーの仲説。
時代は今、国境越えて東アジア単位で考えよう説。
439 :
日本@名無史さん:04/03/24 18:40
440 :
日本@名無史さん:04/03/24 18:51
聖学院大学の神谷真理子さん、かわいい。
人類の元はアリラン
442 :
日本@名無史さん:04/04/06 04:29
朝鮮からも華北からも日本に移住者が多数いて、
縄文人を駆逐していったってことか。
おかげで華北や朝鮮ほどじゃないけど、醤油顔が多くなった
443 :
日本@名無史さん:04/04/06 07:52
天皇家自体が朝鮮人だからな。
だから古墳がトップシークレット。
散々朝鮮を差別している右翼が
実は日王が朝鮮人だと知ったら
暴動おこりかねないからな。
そうですね、てゆーかファビョって兄に迷惑をかけるのではないかな?w
独島にイカダで上陸したり、dへを「倭海」と書き換えた地図を配ったり
まぁ精神のバランスが崩れると何しでかすかわかりませんからなw
>>442 醤油顔は華北起源だろ。朝鮮人の満州・モンゴル系エラ顔とは別。
しかし、「朝鮮人」なんてのがいつできたかもわからん馬鹿が、まだこのスレにいるのかw
446 :
日本@名無史さん:04/04/24 17:11
おそらく朝鮮人の形成は、中国南方からの移民と、日本列島からの縄文人に加え、
最後に、大陸北方民族が進出して混血したものと思われ。
>>443 朝鮮人は、人種的にはモンゴル系の黄色人種で、形質的には日本人に
もっともよく似ている。身長、頭形、顔形、血液型、指紋などでは、
日本人と満州族とにもっとも関係が密で、中国人とはそれほど類似して
いない。北部の朝鮮人は満州族に、南部は日本人に似ているが、
例外として、モンゴル帝国の占領下にあった済州島人の頭形は満州族に
近く、平安南道・南北黄海道人の頭形はもっとも華北型に近い。
ツングース族に属する満州族や東部シベリアの古アジア諸族などが、
前40世紀ごろから朝鮮半島に移住し、これより前に南方から移住してきた
人々と共存していたとも考えられている。(世界大百科事典/平凡社)
上記のように、周辺民族が混血し、高麗の時代に元のモンゴル人に
強姦されまくってできたのが現在の朝鮮人の原型。
(満州族+華北人+縄文人)×モンゴル強姦 = 原朝鮮人
元の支配に懲りた原朝鮮人は、その後朝鮮が侵略する値打ちのない
道端で糞尿を垂れ流すカス国家であることを演じ続けた。発展する事を
自ら否定し、常に飢餓に晒され、生き残るのはずるがしこい者、
ずうずうしい者だけという人類史上かつてないほどの愚劣な淘汰を
自ら実行した。そしてできあがったのが現在の「朝鮮人」である。
モンゴルに強姦されまくる前の混血状態の「原朝鮮人」を「朝鮮人」と
呼ぶにしても、天皇家に入っているのは百済出身者の子孫であるため、
「天皇は朝鮮人である」とはまったくのでたらめである。
448 :
日本@名無史さん:04/05/04 14:54
日本人に、呉越の血と文化が伝わっているかどうかを知りたい。
449 :
日本@名無史さん:04/05/04 15:19
>>446 朝鮮人の主な形成は、
最初に日本列島からの縄文人(約7000年前)、次に満州人(約4000年前)、
次に華北人(約2100年前)との交配。
その後も、北からは満州人、南からは縄文人に華北人が混ざった倭人が
何度も朝鮮半島に入って来る。
450 :
日本@名無史さん:04/05/04 15:30
華中(江南)との文化交流は縄文時代から最も古くから日本で行われたが、
華中人の渡来はあまり無かったようだ。
土井ヶ浜弥生人、吉野ヶ里弥生人、ともに華北型を示しており、
南九州・離島タイプと呼ばれる琉球〜南九州のみで発見される
特殊な渡来系弥生人は小柄、短頭、顔が低く(面長でなく)、
のっぺりしておらず、華南以南からの渡来種であると推測される。
451 :
日本@名無史さん:04/05/04 15:44
>>448 領土最大時の呉は華南も含まれていたから、
華中系(江南系)ではなく、華南系の呉人なら琉球〜鹿児島に
上陸していた可能性もある。
しかし、南九州・離島タイプはその後 特に目立った活動はせず、
土井ヶ浜タイプのように、日本各地で発見されるような日本人にとって
身近な存在にはならなかった。
452 :
日本@名無史さん:04/05/21 23:36
453 :
日本@名無史さん:04/05/21 23:52
ある人口統計では弥生時代晩期では二百八十万人、そして崇峻朝
頃に四百万人という数字がある。これを基にして考えると、古墳時
代の人口五百万人というのは晩期で、それも多めに見積ったものと
考えてよさそうである。こう考えれば古墳時代初期の疫病蔓延説は
かえって渡来人の受け入れを――数字は別にして――よく説明出来
るのである。
454 :
日本@名無史さん:04/05/21 23:52
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。
実は全然 流れていない。
5C、7C、古墳時代に属国民や難民として来た朝鮮半島人は
全部合せても数千人程度。
仮に多く見て、朝鮮半島人が1万人来たとしても、
古墳時代の日本人口が400万人ほどであったから、
単純に計算すると、1万÷400万=0.0025となり、
どんなに多く見ても、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.25% 未満に過ぎない事が分かる。
455 :
日本@名無史さん:04/06/06 15:06
いや、高句麗人とか関東に集められたから、その地を引くものが関東には多いよ
と思いたい朝鮮人
457 :
日本@名無史さん:04/06/06 22:01
>>455 残念だが、それも上の計算に入れてある。
朝鮮南部が倭の属国になった4世紀末〜7世紀までに来た半島人や
満州系高句麗人は全部合せても6〜7000人くらい。
どう頑張っても、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.25% 未満に過ぎない。
実はその前の弥生期に朝鮮から日本に渡来人がたくさん来ていた。
だが、その人たちは土着の朝鮮系の人たちではなくて、
当時、朝鮮を植民支配していた華北人たちなのであった。
458 :
日本@名無史さん:04/06/22 19:10
週刊新潮によると、金丸家の先祖は北朝鮮地域出身だそうだが、
いつ日本に来たのだろうか?秀吉の頃か古代か?
北朝鮮側はそれを調べ上げて日朝交渉に持ち込み、金日成との会談でも
その話題になったんだって。
なんか古代の渡来人が話題の中心みたいですが、
それ以降の渡来人とその子孫っているんですか?
有名なところだと小田原の外郎家とか。
460 :
日本@名無史さん:04/07/22 22:54
461 :
日本@名無史さん:04/08/20 02:09
462 :
日本@名無史さん:04/09/09 05:50
>>457 あんた算数もできないのか?
例えば、おまえや、おまえの子孫が、単純に二人ずつ子を作っていくとする。
日本のように母集団の規模が十分大きくて、
近親婚姻がほぼ起こらないと仮定してみよ。
おまえ自身は、たったの1/120000000に過ぎないが、
おまえの血を引くものは、代を重ねる毎に、1,2,4,8,16,32,64,....と増えていく。
もちろん、ある程度の数まで行くと、おまえの血を引くもの同士の婚姻なども生じるので、無限に倍々となるわけではないが、
おまえたった一人の血を引く者が、ものすごく増えるわけだ。
つまり、大海の一滴ってことだろ
464 :
日本@名無史さん:04/10/01 01:27:03
465 :
日本@名無史さん:04/10/20 05:16:25
とはいえ、子孫であることにはかわりがない。
466 :
日本@名無史さん:04/10/20 05:23:37
渡来人じゃなくて帰化人だろーが。
日本書紀にも帰化人って書いてある。
そーいや「たかじんのそこまで言って委員会」で
帰化をかたくなに拒否してる在日コリアンが
「帰化」は差別語ってほざいてたな。
467 :
日本@名無史さん:04/10/21 00:29:55
古代史にかんしていうと「帰化人」は差別じゃないし「渡来人」は不正確でよくない。
現代でいうと「帰化」は差別じゃないけど、古代とはまたちがう意味で差別じゃない。
差別だといってる奴はいろいろな話をごっちゃにいう傾向がある。
↑こっちが本スレじゃない?
470 :
日本@名無史さん:04/10/26 19:29:44
千葉ヤフー削除工作に必死、どこまでも卑劣
471 :
日本@名無史さん:04/11/19 15:20:45
つーか、ここまでスレが伸びてるのに
どうして急に重複なんて言い出すんだよ?
言うならもっと早く言え。
削除人も、スレが建って2年も経ってるのに
たった一人の人間の気紛れの削除依頼に
乗っかって削除なんてするなよな。
472 :
日本@名無史さん:04/12/03 14:11:54
帰化した在日だろ。金 丸信(キム・ウォンシン)が本名じゃないのか?
474 :
日本@名無史さん:04/12/05 21:05:14
>>450 南西諸島タイプはけっして彫りはふかくなくのっぺりだよ。
もっと調べてね。
475 :
日本@名無史さん:04/12/05 21:07:23
476 :
日本@名無史さん:04/12/05 22:45:08
>>450 少し違った。のっぺりかどうかはわからないが
平坦な骨格で縄文系とはあきらかにことなるそうだ。
477 :
日本@名無史さん:04/12/05 22:51:33
>>450 あとは自分で調べてください。
わざわざ専門家が一般人に企業秘密である情報を教えるかっつーの。
自分もくわしいことはしらん。
478 :
日本@名無史さん:04/12/05 23:34:32
日本も朝鮮も聖徳太子の時代までは中国の属国に過ぎなかった。
これは歴史的事実だからしょうがない。春秋・戦国の混乱を避けて渡ってきた
中国系渡来人が縄文人を征服し支配層を形成した。その後、日本は独立するのだが
479 :
日本@名無史さん:04/12/05 23:58:33
日本人最多のHLAであるB52-DR2の起源はモンゴル東部。
本州日本人に平均10%もの高頻度で検出され、
西日本人に至っては13%もの高頻度で検出される。
しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。
しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。
しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。
しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。
しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。
しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。
日本人と朝鮮人は新モンゴロイドの種からして違う。
つまり、朝鮮人は異人種です。もちろん華北人も。
しかし、モンゴル人には5.9%も検出される。
480 :
日本@名無史さん:04/12/06 00:06:14
西日本人のB52-DR2の頻度は10%以上。中国人は1%以下。
渡来人が中国から来たとするのは科学的に無理。
渡来人はB52-DR2が高頻度であるモンゴル東部〜ブリアート地方から
朝鮮半島を足早に駆け抜けて九州北部に上陸した集団。
481 :
日本@名無史さん:04/12/06 00:28:39
縄文人はブリヤート人。
482 :
日本@名無史さん:04/12/06 01:11:14
渡来人が華南人だったというだけの話だろ。
弥生系の大半は華南人だったんだから。ウヨがどう抗おうと倭が前漢に朝貢して
いたのは歴史的事実。
483 :
日本@名無史さん:04/12/06 01:11:23
25000年前のね。
縄文人は間氷期にブリアート地方から樺太経由で来た。
氷期が20000年前から始まるが、弥生人は氷期が終わる12000年前まで
モンゴル東部〜ブリアート地方で過ごして新モンゴロイドに進化。
13000年間ですっかり別人種同志になってしまった。
484 :
日本@名無史さん:04/12/06 01:15:04
483は481へのレスですよ。
>>482 君の時代はとっくに終わった。
日本史板からそろそろ消えましょうね。
ご苦労様。
485 :
日本@名無史さん:04/12/06 01:16:39
モンゴル人のデータがあるだけで華南人はそれ以上に近いかもしれんじゃん。
2000年前のことにそこまで何故拘る?日本が中国の属国だったのは聖徳太子の
時代まででその後も遣唐使を廃止するまで相当強い影響下にあったのは事実なんだから
しょうがない。
486 :
日本@名無史さん:04/12/06 01:20:03
その後は日本が元寇を退けたこともあって互いにほとんど干渉しない体制が
明治まで続いた。足利義満の時代に形式的に朝貢したことはあったが。
487 :
日本@名無史さん:04/12/06 21:33:04
>>485 弥生人が持ち込んだB52-DR2の頻度は、
本土日本人 10%、モンゴル 5.9%、中国朝鮮族 2.2%、韓国人 1.4%、
中国北部漢族1%
と、はるか華南まで遠く及ばない。
と言うか、華南だろうが華北だろうが、そもそも弥生人が中国から
やって来たとするのは、B52-DR2の頻度から考えても無理な話。
弥生人の故郷はモンゴル東部に近い場所である。
488 :
日本@名無史さん:04/12/06 23:57:27
だから中国南部漢族のデータを出してからそういうことは言えよ。
弥生人がどこ出身が多かったとしても日本が中国に長い間従属的立場だったのは
歴史的事実だったんだから。朝鮮半島とその後大きく歴史が変わったのは単純に海があるかないかだけ
489 :
日本@名無史さん:04/12/07 00:17:50
>だから中国南部漢族のデータを出してからそういうことは言えよ。
華南でB52-DR2なんか、1%未満でほとんど検出されないレヴェル
だろうから、データなど永遠に出てこないとは思うけどね。
出したところでますます華南説は窮地に追い込まれるだけかとw
490 :
日本@名無史さん:04/12/07 03:50:51
>>490 そもそも免疫系の一部タンパク質のデータがどこまで信用できるかは疑わしいな。
それに朝鮮、華北、モンゴルのデータがあるなら当然華南のデータだって調べようと
思えば調べられるはずだろ。あくまで1%未満なんてのは憶測に過ぎんよ。
どれほど起源が違っていようと、日本が中国に従属していたという歴史的事実は変えられない。
それに元になったデータのソースは?
491 :
日本@名無史さん:04/12/07 06:11:46
>>490 まず自分で探してみな。
華南のD52-DR2のデータなんか無いから。
華南にはD52-DR2がほとんど無いから、データも無いのだろう。
日本やモンゴルや朝鮮や華北はあるがなw
492 :
日本@名無史さん:04/12/07 12:01:55
皇室朝鮮渡来はおそらく真実だろうけど、今の朝鮮人と古代朝鮮人は民族的に別物なんじゃないの?
混血の具合とかもあるし
493 :
日本@名無史さん:04/12/07 12:11:35
私、福島県の出身なんですが、
生まれつき髪の毛が茶色っぽくて、目の色が緑っぽいと言うか
薄い茶色で、肌の色が凄く白くて、顔の彫りも深いんですが、
白人の混血でも何でも有りません。DNA検査もしましたが、間違いなく
両親の子供でした。アルミノでも有りません。
こう言う事って、他の日本人にも出るんでしょうか?
それとも、先祖帰りか。
494 :
日本@名無史さん:04/12/07 12:21:24
でも、東北人って白人系の血が混ざってるて聞いたことない?
秋田美人は色白、長身で有名だし、顔立ちもほりが深くて二重まぶた
の人多いよね。東北人と渡来系弥生人の混血濃度は西に比べると低い
から、多少の身体的特徴の違いも有るそうだし。
495 :
日本@名無史さん:04/12/07 16:16:39
すごい!
496 :
日本@名無史さん:04/12/07 20:58:22
>皇室朝鮮渡来はおそらく真実だろうけど、今の朝鮮人と古代朝鮮人は民族的に
>別物なんじゃないの?混血の具合とかもあるし
それは無い。古代朝鮮には新モンゴロイドが居なかった。
古代朝鮮人とは基本的には縄文人の亜種。そこに色んな新モンゴロイドの種族が流入した。
皇室の起源は、日本人最多のHLAであるB52-DR2を持ち込んだ弥生人の王族か、
在来種である縄文人の王族のいずれか。
弥生人は朝鮮半島人ではなく、B52-DR2の起源であるモンゴル東部あたりに
居た集団。民族大移動で朝鮮半島をごく短期間で通過して九州北部に上陸して、
朝鮮半島から消えてしまった集団。
弥生人にとって朝鮮半島とは単なる通過地点に過ぎなかったようだ。
その事が、B52-DR2の頻度を比較するとよく分かる。
本土日本人 10%、モンゴル 5.9%、中国朝鮮族 2.2%、韓国人 1.4%、中国北部漢族1%
497 :
日本@名無史さん:04/12/26 13:56:59
「ごく短期間」とはどの程度の期間をイメージして言ってるの?
498 :
日本@名無史さん:04/12/26 15:05:15
早ければ1〜2年、遅くとも4〜5年くらいでしょう。
続日本紀には、百済は日本の属国で日本人の血筋が王だと書いてある。そして、日系の王が日本に亡命したと書いてあるのに、都合の良い事しか、指摘しない、さすが歴史偽造大国、都合の悪い事は聞こえない|(-_-)|
500 :
日本@名無史さん:04/12/26 17:22:28
陛下は続日本紀には触れたが自分は百済王の末裔だとは、一言も言って無い、んだけど、ヤハリ、都合の良い事しか、聞こえないんですね。
501 :
日本@名無史さん:04/12/26 17:31:16
皇室朝鮮渡来はおそらく真実だろう
ダルビッシュ、室伏、ヒロコグレース、桐島兄弟
一代の混血で同レベルに改良されるんだから絶望せずみんな白人と結婚すればええんやね
504 :
日本@名無史さん:05/01/04 17:20:46
嘘だという理由は?
505 :
日本@名無史さん:05/01/04 17:23:55
578 :日本@名無史さん:05/01/04 12:50:47
百済滅亡の時、日本に亡命してきた王族の13代目(だったかな?)和史乙継の子
「高野の新笠」でしょ。詳しいこと覚えてないが。。
>>496 >弥生人は朝鮮半島人ではなく、B52-DR2の起源であるモンゴル東部あたりに
>居た集団。民族大移動で朝鮮半島をごく短期間で通過して九州北部に上陸して、
>朝鮮半島から消えてしまった集団。
短期間で通過する意味が分からん。何故?何のために短期間で通過したの?
急行に乗ってたのか?
>>501 >皇室朝鮮渡来はおそらく真実だろう
皇室は百済系ですか?
>>499 >続日本紀には、百済は日本の属国で日本人の血筋が王だと書いてある。
自国の正当性を主張する為の歴史書だろうから、真実とまったく逆を書いている
場合だって考えられる。
桓武天皇は渡来人系でしたっけ。
510 :
日本@名無史さん:05/01/04 21:10:46
>>506 もともと遼東は東胡などのモンゴル系の種族が南下して住んでいたが、
そこを燕人が侵略した。
理由の一つに、燕人に追われていた事も考えられる。
511 :
日本@名無史さん:05/01/04 21:20:11
>>509 百済武寧王-------和史乙継
|
|----------高野の新笠
| |
土師真妹 |--------桓武天皇
|
光仁天皇
512 :
日本@名無史さん:05/01/04 21:21:22
>>509 修正
百済武寧王---(略)----和史乙継
|
|----------高野の新笠
| |
土師真妹 |--------桓武天皇
|
光仁天皇
513 :
日本@名無史さん:05/01/04 21:23:57
百済武寧王---(略)----和史乙継
の間は13代くらいあったと思う。よく覚えてないけど・・
だけど、いくら百済武寧王の系としても、13代くらいあれば
完全に帰化してるから、桓武が渡来系と言えるのか?
光仁天皇も帰化人の遠祖とやったぐらいで以後の皇統が渡来系にされるとは思わないかっただろう。
515 :
日本@名無史さん:05/01/04 22:02:28
桓武平氏は朝鮮の侵略だ!とかいう椰子もいるしなW
516 :
日本@名無史さん:05/01/05 00:10:25
っていうか、清和源氏が新羅系なのは常識。
517 :
日本@名無史さん:05/01/05 00:14:08
>清和源氏が新羅系なのは常識
略系図はどんなかんじ?
518 :
日本@名無史さん:05/01/05 00:29:53
服部とか黒部とかは渡来人の苗字だって本当ですか?
やれやれ、天壌無窮の天子様に、蛮土の宮女一人輿入れたからといって、蛮族扱いか。
520 :
日本@名無史さん:05/01/05 01:06:34
>>518 はたおりべ→はっとり
よって渡ってきて定住し、最終的に同化した人々です。
といって、今いる服部さんのDNAが某国の人と同じ
かというと、それはまた別問題。混同しないでね。
それにしても518で服部とはこりゃまた奇遇な。
敢国(字あってたっけ?)神社のZip-Codeの頭3字と
一緒じゃんw
521 :
日本@名無史さん:05/01/06 20:28:19
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。
実は全然 流れていない。
7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百名。
7Cに来た半島帰化人は全部合せて5000人くらい。
それ以前の帰化人が始まった5C、続く6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。
半島帰化人の総数は7〜8000人くらい。
古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。
522 :
日本@名無史さん:05/01/06 20:33:41
桓武って在日11世くらいになるのか
523 :
日本@名無史さん:05/01/11 20:09:58
@ハプロタイプHLA−A24−B52−DRB1*1502(DR15)
本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%
このハプロタイプは日本人で最多頻度のハプロタイプであり、且つ文献(a)に
よると、北九州、山陽、近畿、更に秋田・山形でも高い頻度で観察されます。
又、国外では、韓国や、おそらく北朝鮮のハプロタイプ頻度を反映していると
考えられる「中国朝鮮族」でも、そこそこの頻度で観察されること、及び文献(c)
で、中国北部漢族でも見られ、以前の報告ではモンゴル(共和国)の一集団でも
高頻度(文献(a)で5,9%?)であると発表されています。
私は、このハプロタイプが、日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に
高頻度であることから、弥生時代開始前後に、遼河流域周辺から、半島西岸を一気に
南下して、半島南部に到達し、更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面
に上陸・移住し、瀬戸内から近畿に弥生文化とともに拡がって、ついに国家形成・
民族形成・日本語を形成するに至った集団「倭人」の民族移動を表わすものと考えています。
524 :
日本@名無史さん:05/01/11 20:30:27
遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、
更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住
遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、
更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住
遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、
更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住
遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、
更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住
遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、
更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住
525 :
日本@名無史さん:05/01/30 15:19:01
そろそろ高麗川で、高句麗復活するか
526 :
日本@名無史さん:05/01/30 15:36:31
そこら中にそのコピペ貼ってるだろ。
ただのネット中毒デブだろ
帰化氏族の高官も従五位で地方官だろう。後の5.6万石の大名どまり
528 :
日本@名無史さん:05/01/30 18:48:58
渡来人がどうとかじゃなくて、従五位だと田位は8町、資人は20人だから500石ぐらいの官吏じゃね?
陸奥守とか出羽守、百済王敬福、黄金献上で従三位。
百済義慈王の直系五世かな。
その後見事に消えたね
531 :
日本@名無史さん:05/02/18 22:35:20
名前が変わっただけで、子孫は続いているんじゃ?
百済王敬福─理伯─俊哲─教俊┬慶仲
└〈三松〉豊俊─俊聡─俊行・・・(百済王神社神主家)
533 :
日本@名無史さん:05/02/19 03:34:33
長宋我部
始皇帝─(16代)─弓月君─(5代)─秦河勝─(19代)─能俊─(18代)─元親
535 :
日本@名無史さん:05/02/19 17:23:28
島津や宗も負けてはおらんぞ
536 :
日本@名無史さん:05/02/19 19:26:19
537 :
日本@名無史さん:05/02/19 20:06:37
_■_ ________________
|∵∴∵|:::ー-ーーー-ー─ーー--ーーーー-ーー-ー,||
|∵∴∵|:::: ダサツマの系図 i ||
|∵∴∵|:::: ; ||
|∵∴∵|:::: 檀 君-──┬──文鮮明 :; ||
|∵∴∵|:::: │ | ||
|===|:::: 山 窩──白丁隼人 ! ||===-3
|∵∴∵|:::: │ ; ||
|∵∴∵|:::: マレー系土人─李氏朝鮮 | ||
|∵∴∵|:::: │ i ||
|∵∴∵|:::: 島 津 家 | ||
|∵∴∵|:::ーーー ーー- -ーー-ーー-ーー-ーー─||
 ̄■ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【ダサツマの秘密】
538 :
日本@名無史さん:05/02/19 20:08:51
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|∵∴∵|:::: ダサツマの系図 i ||
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|∵∴∵|:::: 島 津 家 | ||
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【ダサツマの秘密】
539 :
日本@名無史さん:05/02/19 20:39:08
島津って韓国人なんだって?
なんか誇らしいな。
540 :
日本@名無史さん:05/03/06 11:56:52
まじ?
541 :
日本@名無史さん:05/03/06 13:10:10
@武寧王(461年日本生まれ)
A純陀太子(淳陀。即位前に死去)
B斯我君(505年日本に送られる)
C法師君
D雄蘇利紀君
E和史宇奈羅
F和史粟勝
G和史浄足
H和史武助
I高野朝臣乙継
J高野新笠
┣桓武天皇(在位781-806)
光仁天皇
ちなみに光仁天皇の皇后と皇太子はそれぞれ
井上皇后と他戸親王。しかし、ともに百川の策略で廃位。
桓武天皇の即位に関しては父である光仁自ら反対しているも百川の強力
push でしぶしぶ認める
542 :
541:05/03/06 13:13:39
その2
そのくだりは以下の通り 「水鏡」より
//----------------------------------
帝仰せらるゝやう「山部は無礼の親王なり。我いかに言ふとも、いかで后をば犯すべきぞ」と
のたまはせしを、百川申していはく「この仰せ言いはれなく侍り。父の言ふことを違へざるを
孝子とはいふなりと仰せ言ありしかばこそ、親王は仰せに従ひ給ひしか。初め勧め給ふも帝
におはします。後に嫌ひ給ふも帝なり。いかにかくは仰せ言あるぞ」と申すに、浜成申してい
はく「山部親王は御母卑しくおはす。いかでか位に即き給はん」と申ししかば、帝「まことにさ
る事なり。酒人内親王を立て申さむ」とのたまひき。
浜成又申していはく「第二御子稗田親王、御母卑しからず。この親王こそ立ち給ふべけれ」
と申ししを、百川目を怒らかし太刀を引きくつろげて、浜成を罵りていはく、「位に即き給ふ人、
さらに母の卑しき尊きを選ぶべからず。山部親王御心めでたく、世の人もみな従ひ奉る心あ
り。浜成申すこと道理にあらず。我、命をも惜しみ侍らず。又、二心なし。たゞ早く帝の御こと
はりをかうぶり侍らん」と責め申ししかば、帝ともかくものたまはで立ちて内へ入り給ひにき。
百川この事を承り聞かんとて、歯をくひしばりて、少しも眠らずして、四十余日立てりき。
帝、百川が心の強く弛ばざる事を御覧じて、「さらばとく山部親王の立つべきにこそ」としぶ
しぶに仰せ出だし給ひしを、御言葉いまだ終らざりしに、庭に下りて手を打ち喜ぶ声おびたゞ
しく高くして人々みな驚き騒ぎゝ。
百川やがて官々を召して、山部親王の御許へ奉りて、太子に立て奉りにき。
帝あはたゞしく思してあきれ給へるさまにてぞおはしましゝ。
浜成、色を失ひ、朽ちたる木などのごとくに見え侍りき。
--------------------------------------------//
543 :
541:05/03/06 13:14:23
その3
「高野新笠は卑しい」そしてそのことに父である光仁天皇も同意。
よって酒人内親王を立てようとするも百川が反対。そしてしぶしぶ
桓武天皇がつくというわけ。
血の問題でいうと、
帰化一代であるB斯我君から数えて桓武で10代目。
仮にB斯我君の次のC法師君から1/2だとすれば桓武天皇は
(1/2)^9=1/512
ちなみに遺伝子は水などのように希釈されるというような伝達形式を
とらないので父系でつなぐかあるいは母系で繋ぐかというような事象が
(父系で繋ぐというのはY染色体、母系で繋ぐというのはミトコンドリアDNAの意)
ない限り原理的には孫の代で他人となるうる(もっとも多少の組換えを認め得るが)。
はっきりいうが父系でも母系でもつながりのない武寧王と
桓武は確率的に血の繋がりは遺伝的に確率的に0(=1/512)といって差し支えない。
ましてや、現天皇となると遺伝的繋がりは全くあり得ない。
544 :
日本@名無史さん:05/03/06 13:18:42
血が遠いからっていって遺伝的繋がりが無いなんて
ことにはならんだろ。
545 :
日本@名無史さん:05/03/06 13:25:12
>血が遠いからっていって遺伝的繋がりが無いなんて
>ことにはならんだろ。
いいえ、そのようなことはありません。原理的には孫の代で繋がりはなくなりえます。
546 :
日本@名無史さん:05/03/06 13:32:08
父(AB) X 母(CD)
子の代で それぞれAC AD BC BDです
次にそれぞれの子が EF と交配すれば
孫の代で
AE AF CE CF , AE AF DE DF, BE EF CE CF, BE BF DE DF
でその中で父の遺伝子であるA or Bを持たないものを数えてみなさい。
547 :
日本@名無史さん:05/03/06 13:34:48
先にも書いたが、父系で繋ぐか即ちY染色体でつながっている場合。
あるいは母系でつながっている場合即ちmDNAでつながつているばあいには
100%繋がりはありえます。
しかし、武寧王と桓武天皇は父系でのつながりも母系でのつながりもありません。
548 :
日本@名無史さん:05/03/06 17:23:02
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。
実は全然 流れていない。
7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。
7Cに来た半島帰化人は全部合せて5000人くらい。
それ以前の帰化人が始まった5C、続く6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。
半島帰化人の総数は7〜8000人くらい。
古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。
549 :
日本@名無史さん:05/03/13 12:01:50
>>541 この系譜は、高野新笠の立場を有利にする目的で、
作為された可能性が濃いと言われている。「武烈紀」
七年条には、斯我君の子法師君が「倭君之祖也」と
あるが、高野朝臣の本姓は和史であって別族である。
倭君は「やまとのきし」、しかし代数を経て王族とはいえなくなってから
「きし」はおかしいだろうから何らかの別のカバネを名乗っていたろう。
和史は「やまとのふびと」、和も倭も「やまと」の当て字で同じ。
ただし、倭君と和史とを確実に結びつける史料は無い
決定的な反証もないな。
553 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 00:33:03
なんだかよくわかんないケースではとりあえず伝承を尊重しとくのが常道ではないの?
554 :
ましゅまろ:2005/04/12(火) 22:01:34
私は、東京出身ですが、富山と和歌山の血が半々。でも小さいときから
髪の色が茶色、色が白くて、白人のような薄いそばかすまで少しあります。
目は薄いブラウン。よくハーフかクオーターに間違えられるのですが、両親、
から2、3代さかのぼっても純粋の日本人のようです。最近髪の毛か何かで
検査すると、ルーツがわかると聞いたのですが、本当でしょうか。
もし検査機関などご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけ
ますか?
555 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 10:11:51
>>537 島津氏は関東方向からやってきたことを考えると縄文系だよ。
いわゆる渡来系弥生人の形質は人口空白地帯の西南日本には北九州を中心に
(一部は南から違うタイプもやってきた)
古代の段階で東は濃尾平野〜南は鹿児島まで既に浸透しネーティブ化してるよ。
東のネーティブと西のネーティブみな日本人だし誰が支配者になっても結構うまくいってるよ。
>>555 >島津氏は関東方向からやってきたことを考えると縄文系だよ。
朝鮮系の間違いだろ?
557 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 16:02:28
島津姓って身長デカイやつが多いけど、それでも朝鮮系?
558 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 18:01:47
朝鮮系って何なの?
そんなものは存在しない。
おまえらは日本から渡った縄文人と華北人と満州人のごった煮なんだよ。
日本人とHLA遺伝子が6割も違う。
特に弥生系と異なる。
弥生系はモンゴル人に近い。
559 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 18:33:29
人類=朝鮮系ってことじゃねーの? ここまでくると。
560 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 18:58:58
◎HLA遺伝子 B52-DR15(B52-DR2)の頻度
本土日本人 8,6%、 沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル人 5,9%
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
561 :
日本@名無史さん:2005/05/03(火) 01:48:22
古代朝鮮を支配した日本人とその子孫
562 :
日本@名無史さん:2005/05/03(火) 02:25:50
島津はもともと関東の卑しい下級武士だったよ
>>562 「卑しい下級武士」が、情緒的感想にすぎず、歴史的には何ら意味は無いが、
もし、そういうのなら、そもそも、源氏や平氏など武家の大もとそのものが、
当初は、「卑しい地下人」のように蔑まれていた歴史がある。
564 :
日本@名無史さん:2005/05/19(木) 22:03:51
賜姓された初代とかもさげすまれてたの?
565 :
日本@名無史さん:2005/05/20(金) 08:42:05
初代は貴族だから大丈夫。帰農したり武家になり下がった郎党は別。
566 :
日本@名無史さん:2005/05/20(金) 09:04:58
>>564 そのための官位でしょう。三位以上なら無問題だが、受領ならもはや転落
567 :
日本@名無史さん:2005/05/20(金) 12:45:36
高望王は臣籍降下して平高望になった時に与えられた官位は従五位下上総介。
568 :
日本@名無史さん:2005/05/20(金) 13:51:04
>>563 源氏や平氏など武家の大もとにあごで使われてたのが島津
卑しい下級武士は歴史的事実
569 :
日本@名無史さん:2005/05/20(金) 13:55:08
いまさら、島津の出目なんぞどうでもいいよ歴史は変えられん。
中だしで子供増やし経済力維持せねば。
570 :
日本@名無史さん:2005/06/02(木) 23:51:40
はあ
571 :
日本@名無史さん:2005/06/03(金) 02:26:23
はあ、あげとこう。
572 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 21:12:41
ははあ
573 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 00:57:55
574 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:17:00
>中国朝鮮の血が我々に混ざってるのは間違いない.
>個人的には古来から栄えた関西は,中国,朝鮮の血が濃いような気もする.
>今日とには古代中国人の移住地だった太秦と言う地名もあるし.
>出も,関東にも高麗川って言う地名もある.彼らの足跡を教えて。
このウソ、完全に落ちたね。
575 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:33:52
5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じで
ある。ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子
パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を
受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などに
よって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会
がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html ●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。
●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
576 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:34:09
577 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 02:25:41
↑各板で己のスレタイ同時進行自作自演してるだろ!!バレバレですよ!地理人学板も同様コピぺみたぞ!俺は記憶力があるからなぁ!
578 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 22:27:46
陶晴腎=朝鮮人
579 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 07:35:58
トピヌシですが、私の意向は古代中国からの移民による大陸文化の伝播の批評分析でした。
民族的虚勢による朝鮮人ネタ多くて幻滅です。何で日本人投稿者まで朝鮮に固執するのか不明です。
呉音・漢音など日本語の形成、漢文と大和言葉の関係など論じましょう。
580 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 07:41:17
私見では、京都は壮大な中華街だと思ってます。
唐の長安を模倣した平安京に、中国仏教の寺院が立ち並び、
中国から招いた高僧を大きな寺院の住職にした国際都市。
舞楽など中国伝来の芸能は、大陸からの難民の子孫である帰化人が
世襲で伝承。服部というのは、機織を業とする帰化人の性。
581 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 13:04:04
主張はわかるが、中国人はもちろん、それに関連した日本人も半島人ニダ。
583 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 22:24:17
ウホッホ
なんで新羅も百済も高句麗も
日本に攻め込まれた記録ばかりなのか
答えは簡単、日本に攻め込まれてばかりだったから
渡来人が日本の権力の中枢にいたなんて、はっきりいってただの妄想
戦乱から逃れてやってきた外国人が、自分の技術を売り込んで権力に取り入った
朝廷はその技術と引き換えに生活を保障した
ただそれだけ
なんだか今の在日に似てるな
技術持ってるかどうかは別として
585 :
日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:59:22
586 :
日本@名無史さん:2005/09/13(火) 08:46:40
下品な海賊とみられてて、確かにそう思われても仕方ない面もあり、
587 :
日本@名無史さん:2005/09/25(日) 10:27:20
400年間も漢に支配されてたので、泣きながら日本に逃げてきました
ありがとうございます、日本様
>泣きながら日本に逃げてきました
ソースきぼんぬ
589 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 01:31:38
天皇家の祖先は朝鮮半島の出身。
590 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 01:42:39
もはや念仏みたいに繰り返すのは流行らんのよ。内容がほしいんよ内容が。
591 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 17:13:20
はあ?
592 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 17:01:28
ほしいなら金出せ。
593 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 19:21:44
寄り目出せ。
古代日本は辺境のミニ中華思想国家で、朝鮮半島の国家を見下していた。
だから朝鮮半島から渡来した氏族も、自らを中国系と偽った。
そんなわけないだろw
597 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 17:55:03
>中国朝鮮の血が我々に混ざってるのは間違いない.
>個人的には古来から栄えた関西は,中国,朝鮮の血が濃いような気もする.
すでに
>>1から間違ってるんだから、もうどうしようもねえよな。
日本人種は、YAP+古モンゴロイドと、
B52-DR15が高頻度な特定の新モンゴロイドとの混合。
中国も朝鮮も、YAP+もカラッポ!B52-DR15もカラッポ!
日本人種の形成とはなんら関係のない人種。
598 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 18:09:33
毎回変わらない劣化パターンも飽きる
599 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 18:18:18
この先おそらく、日本人種の子孫たちに1万年以上は余裕で語られていく
遺伝学であり、かつ科学的遺産なんだから、飽きたら2chをやめましょうねw
600 :
595:2005/11/04(金) 03:08:12
>>596 東夷の小帝国として三韓に君臨してたのはその通りだが
だからって帰化人が出自を偽ったという証拠にはならない
って言ってるんだよ。
>>600 朝鮮蔑視の思想がまだ無い時代には、渡来系氏族も朝鮮からの由来は否定してない。
でも、朝鮮諸国に対する「蕃国」思想の影響で、渡来系氏族も自らの系譜を
中国系の系譜に改ざんするようになった。
>>600 だから具体的に論証しろよ。
秦氏や漢氏が朝鮮系を名乗ったことがあるのか?
>>602 sageてるから、広島人じゃないよな?
秦氏の場合、『古事記』には応神朝に日本にやって来たとしか書かれてない。
『日本書紀』だと、弓月君は百済からやって来て、途中で新羅に妨害されて、
加羅に留まった、それから日本に来たと記述が長くなる。
『古事記』、『日本書紀』には、秦氏・漢氏と中国の関係は全く記述がない。
『新撰姓氏録』(815年)には、秦氏(始皇帝後裔)も漢氏も中国王朝の末裔となってる。
それで先祖の細かい事跡が詳細に書かれてる。
漢氏の場合、漢の皇帝の末裔を称するのは『続日本紀』の坂上刈田麻呂上表文(785年)が最初。
これらはミニ中華思想(朝鮮蔑視)に基づいて捏造されたものといわれている。
ただ、秦氏が秦の遺臣だった可能性もあるんだろうけど・・・、どっちにせよ朝鮮半島に
長く留まっていた事にはなるよな。時代差を考えれば。
604 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 12:21:12
>そもそも日本人種なんて存在しない。
日本人種は確実に存在している。日本人種に一番近い人種は間違いなく
朝鮮人であるが、朝鮮人の容貌や形質、頭示数、二重瞼率、発毛の具合など、
朝鮮人の身体的特徴は日本人種とはかなり違っている。
しかも朝鮮人のHLA遺伝子は日本人種となんと60%くらいも違っている。
日本人種に一番近い朝鮮人でさえもこの程度なのである。
その他のアジアの人種ならば、それ以上に違っているという事になる。
つまり、日本人種は日本列島だけに存在する日本独特の人種である。
更に、少数民族を除き、YAP+遺伝子を東アジアで唯一高頻度に持っているのは
日本人種だけである。YAP+遺伝子は日本人種が間違いなく存在しているという
決定的な証拠である。日本の周辺人種にはこのYAP+遺伝子がほとんど無い。
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-52.htm
605 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 13:09:45
俺みたいに沖縄や台湾先住民やアイヌの
血が混じっている者はどうなるんだ?
それに遠い先祖には百済氏と漢氏がいると伝えられている。
こればかりは本当かどうかわからんが。
実況前橋&高崎から一時帰還
603にプラス
ミニ中華思想(蕃国観)=辺境で軍事的地理上に恵まれた日本が、朝鮮諸国の軍事的立地上の
立場の脆さを見透かして優位に立とうとした。実際にそうなるが。
時代が下ると半島への蕃国思想は更に強まって、渡来人も東へ東へと移住させていく。
『日本書紀』だと、秦氏は百済から来たといってるんだが、実際の秦氏は新羅系だと言われてる。
『新撰姓氏録』は自己申告したものだから信用できないだろ。
漢氏は百済系。
東漢氏族の中で突出した力を付けた坂上氏が、中国・漢の皇室に繋がる系譜を自ら創出したもの。
『寛政重修諸家譜』の怪しげな武家系図と重なるな・・・。
607 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 22:16:07
関西以上に多い地域があるのを知らない無知め!
608 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 22:25:09
渡来は一回とはかぎりまへん、30回40回とあってその最先端が南米のマヤ文明になったとも
609 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 22:30:48
確かに、数百年もの昔に南米にも渡来人らしき姿(東洋人)を見たと言うのを聞いたことがある。
当日の服装や船は渡来系中国人の姿だったと言う資料が南米に保管されているらしい。
610 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 22:38:24
>>606 >『日本書紀』だと、秦氏は百済から来たといってるんだが、実際の秦氏は新羅系だと言われてる。
>『新撰姓氏録』は自己申告したものだから信用できないだろ。
後世の言葉遊びよりも古代の自己申告の方がはるかに信頼できる。
>漢氏は百済系。
>東漢氏族の中で突出した力を付けた坂上氏が、中国・漢の皇室に繋がる系譜を自ら創出したもの。
これはどういう理由で?
>>607 俺は関東人。
東国に移住させられた朝鮮系渡来人を、別に負い目とは思わない。
先進技術者だし、騎馬文化も伝えたろう。
高句麗滅亡で日本に亡命、後に高麗郡へ集中移住した高句麗遺臣は、
高句麗王族の一族も含まれて居たろうし、血統は良いな。
>>610 言葉遊びって何の事?
系譜、系図を鵜呑みにしてたらキリがない。
秦、漢氏に限らず渡来系豪族が中国系を偽ったのは、朝鮮蔑視の思想と
関係してるっていうのは603、606のレス。
漢氏の「漢」は「アヤ」と読むけど、朝鮮南部の安羅に由来。
秦氏の「ハタ」は新羅語の「ハタ=海」に由来するという説がある。
言葉遊びって語源の事を言ってたのか?
確かに受け取り方は色々出てくるが・・・。
でも、系図なんてのは古代も、近世も偉く見せようとするもの!
>漢氏の「漢」は「アヤ」と読むけど、朝鮮南部の安羅に由来。
>秦氏の「ハタ」は新羅語の「ハタ=海」に由来するという説がある。
奈良の都の「ナラ」は「ウリナラ」のナラですよね?
・・・あほくさ。
「信用してたらキリがない」んじゃないんだよ。
「疑ってたらキリがない」だろ。
疑うに足るしかるべき根拠をだしてから否定しろ。
そうでなければ伝承を尊重すべき。
すべて疑ってたら古代史は闇の中で
「まったくわかりません」しか言えなくなるじゃないか。
もっともなんでもかんでもウリナラ起源にしたがる連中や
意図的に日本の古代史をウヤムヤにしたがる人たちもいる
わけだが、そんな連中の論法を真に受けてなにか論じた
ような気になってるのは感心しないね。
秦氏は加羅系とする説と新羅系とする説が対立していて
決着していない。たぶん永久に決着しないだろ。
どっちもたいした根拠ないんだから。一時的にせよ
半島にいた、そしてそこから追い出されたということ
しかわからない。秦韓は中国人の子孫ということは三国志に
でている。そして5世紀にも「秦韓」という勢力が「新羅」とは
別個に存在したこともわかっている。「秦」を名乗る連中が
半島から逃げてきて「おれら中国人ですが何か」と自称した。
これのどこが疑問なんだ?(続く)
615 :
614:2005/11/08(火) 14:55:49
>>614から続き
漢をアヤと読むのは「楽浪」からきてるんだろう。
安羅も楽浪に由来するのかも知れない。楽浪系の
漢人は半島にもいたし日本にもきたことがある。だから
漢氏の中国系説も別に疑わなければならない必然性はない。
「朝鮮蔑視のせいでわざと格上の中国系と偽称した」
というのは根拠ないよ。それならなぜ大量の半島系を自称する
氏族が存在するんだ? 説明できるのか?
日本の学者は「ウリナラ民族ニダ」といわれると面倒くさいから
「はいはい」と適当に流してまともな反論すらしないが、別に
本心から容認してるわけではない。だから中国人学者に
「実際には半島系の帰化人の方が中国系より高い地位に
ついてるのにわざわざ出自を偽ってまで中国系と自称する
意味はない」と責められて沈黙するしかない。本当に情けないよ。
>>614 真実味のない系図を信じろってのか?
それじゃ、日本中藤原氏、源氏の子孫になるな。
つか、漢氏の場合は、「漢」よりも先に「アヤ」が先だろ。
だから『日本書紀』に漢織を穴織と書く例があるそうだし。
安羅国の「アヤ」が最初で、アヤを「漢」と称するようになって
漢から中国・漢の皇室に繋げたんだろ。
ハタ氏=海と書いた部分は忘れてくれw諸説あるし、有力じゃないから。
機織りのハタ、新羅の波旦のハタ。
根拠つーか、秦氏は『日本書紀』の段階では朝鮮系だって言ってるのに
『新撰姓氏録』の段階では秦王朝の末裔と違う事言ってるよな。
他の氏族だと、西文氏は百済系だったのが、『続日本紀』には漢王室裔を称してる。
『新撰姓氏録』に記載されてる渡来系豪族は畿内周辺の豪族(貴族)だろ。
半島への蕃国思想は貴族階層におけるものじゃないのか?
『新撰姓氏録』の朝鮮渡来系の豪族が中国系に改めたのと、東国の朝鮮系豪族とは
違うとおもうのだが。
俺も連カキ
>そんな連中の論法を真に受けてなにか論じた
ような気になってるのは感心しないね。
そんな偉そうな気でレスしてないぞ。
だって、俺は元々野球総合板の住民だしw
それと、秦氏の由来が中国系だったかもしれないという事は否定してない。
>>603 漢氏もそうかも知れない。ただ証拠がないのだが。
とはいえ、長らく朝鮮半島に居た事にはなるだろう。特に秦氏は。
618 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 22:11:17
>>617 >つか、漢氏の場合は、「漢」よりも先に「アヤ」が先だろ。
>だから『日本書紀』に漢織を穴織と書く例があるそうだし。
>安羅国の「アヤ」が最初で、アヤを「漢」と称するようになって
>漢から中国・漢の皇室に繋げたんだろ。
奈良の都の「ナラ」はウリナラ・・・
>根拠つーか、秦氏は『日本書紀』の段階では朝鮮系だって言ってるのに
>『新撰姓氏録』の段階では秦王朝の末裔と違う事言ってるよな。
>他の氏族だと、西文氏は百済系だったのが、『続日本紀』には漢王室裔を称してる。
ん?朝鮮系だなんて言ってたっけ?
何で朝鮮人をそこまで蔑視するのかな?
俺の母方の祖父母や叔母もわけもなく朝鮮人を侮辱していたけど。
620 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 22:22:34
身分や地位も低くなれば低くなるほど違った弱い者を作りだす。
貧乏人も八つ当たりフラストレーションかもね。
>>619 禿同。朝鮮の人たちも日本人と同じ米を食ってるのにね。
622 :
冬のオイラ(「勇俊):2005/11/08(火) 23:00:18
同じ米ではないニダ
>>623 だからなに?
横レスされるのが嫌なら掲示板などで議論しないことだな。
>>624 ???、別に嫌じゃないが。
・漢氏(東漢氏=やまとあやうじ)の氏族形態はこんな感じか?間違ってたら訂正して。
東漢氏の諸氏族(同族的豪族。他豪族のような氏上・氏子の格差が少ない)
↓
村主姓の氏族(漢人たちの長的存在)
↓
漢人(職能を持って奉仕した渡来人集団。ただし、身分階層は幅広い)
↓
漢人部、漢部(主に日本人の民衆、農民集団)
自分で先ず誤爆訂正:やまとのあやうじ
村主は「すくり」、カバネの事。
>ん?朝鮮系だなんて言ってたっけ?
この部分少し言ってる意味を、俺がはき違えてたようだ。
改めて・・・、⇒秦氏は『日本書紀』で半島(百済)から来たと言ってる。
半島には漢が4郡を設置してたんだから中国系がいても不思議はないよ。
628 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 14:24:40
>>25 これ、意味分かる奴いるか?
なんでコクリョとコマを人種的に分けてるんだ?
>>619 ウリナラ起源を強弁するからに決まってるだろうが。
>>616 信用できないなら「真相はわからない」といってりゃいいのに
「捏造ニダ」っていうから決めつけになっちゃうんじゃないの?
あと漢とアヤはどっちが先かはなんともいえない。
後からアヤと言い出したのならその語源はなんだということになるし
後から漢と書き出したのなら、アヤなのに漢は普通むりだろうから
やっぱり何かあるんだろう。
しかしいずれにしろ漢氏渡来の頃はすでに漢字はあったろうから、
「現存文書の上では」前後ということはいえるがあんまり意味ない。
それと新撰姓氏録(左右京と畿内五国)にも半島系の氏族は大量に出てるよ。
>>631 「真相はわからない」、では何も生まれないよな?
そこ(系譜)から、別の視点で読み取れる事もあるんじゃないか?
秦氏は、弓月君が百済から渡来したという『日本書紀』の記述から、
朝鮮に居住していた在地勢力(首長)だった事は確実だろうが、『新撰姓氏録』には
秦氏先祖の弓月君は始皇帝の末裔だといい、系譜の詐称は明らか。
これを捏造だと切り捨てる事も出来るけど、そこから発展させて、かつての
秦氏の遠祖は、秦国と何か関係した一族であって、その由来が系譜に反映され
半島に長い間居たにしろ、遡れば亡秦の遺臣だったという可能性もあるだろう。
秦氏の系譜だけでは証明は出来ないけど。
それでも、南朝鮮からの渡来氏族だったことも又、事実。
>あと漢とアヤはどっちが先かはなんともいえない。
それ、苦しくないか?ソースはあるのか?知らないんだが。
まず読みがあって、そこに漢字を当てはめたと考えるべきじゃないのか?
「アヤ」を「穢」と読む例が古くにあるのに対して、「漢」を「アヤ」とは読めないそうだし。
意柴沙加宮⇒忍坂宮、開中⇒河内、
↑みたいな、音に対する漢字の当て方が固定してなかった頃には、
当てる漢字が変化している。
まず「アヤ」と読む氏が有り、そこに「漢」を当てはめたのでは?
「漢」が「アヤ」と読めないというのだから。
>それと新撰姓氏録(左右京と畿内五国)にも半島系の氏族は大量に出てるよ。
当然の指摘だよな。
秦氏、東漢氏(坂上氏)が中国系を詐称したのは、朝廷(貴族)の新羅に対する蕃国思想
(ミニ中華思想)はあるだろう。秦氏、坂上氏も有力階層だから。
朝鮮系渡来諸氏には弱小豪族が多いんじゃないかい?
高麗氏のような渡来時期が新しく、出自の明らかな豪族は改めようがない。
高麗氏は朝臣という高位のカバネ。
『新撰姓氏録』では朝鮮系豪族でも、より上位のカバネを求めて
系譜を立派なものにみせようとしてる。王の子孫を称したり。
あと、漢氏族の統率下にあって、もちろん同族ではない村主姓の豪族が、
村主よりも上位のカバネを求めて、漢氏と同じく漢王室の末裔を称し
忌寸姓などを与えられてる。
あ〜、疲れる
今の朝鮮は嫌いだが、歴史事実とは別。
634 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 01:21:32
つーか、藤原氏=百済系だろ
ほんで東国武士団=新羅系だろ
天皇&源氏はそもまま半島系だろ
もうオマエラ諦めろw
むしろ日本人全員少しはチョンの血が入ってんだからw
>>632 つーか、秦が朝鮮から来たからって、なんで系譜を捏造したことが明らかなのかさっぱりわからん。
後世に、中国から直接来た、と主張したというんなら捏造だろうが。
秦氏も普通は従五位の下の地方官。
渡来氏族は神祇官にはなれない、
天皇の皇祖皇宗、各氏族の祖先神、国つ神を祀れない。
例外が、桓武天皇の時
つくづくアホだな。
秦の加羅系説も新羅系説も日本書紀の記述のこねくり回し以外に根拠なんかない。
(残るのはナラは朝鮮語ニダ、のたぐいだけ)
ゆえに日本書紀を否定したら加羅系説も新羅系説も成り立たない。
漢は「あや」という訓もあるよ。これはあるからあるんでそうとしかいえない。
固有名詞ってそういうもんだろ。その語源や由来を探ることには意味はあるが
すでに存在している訓に対して「そうは読めない」なんて言い分を「根拠」
にするのは馬鹿げてる。漢が「あや」と読めないなら穢はさらに読めないだろ。
帰化は「まいく」という和語が先行してそれを表記する時に漢文的文脈を借りたもの
で律令以後の蕃国思想を溯らせて「差別ニダ」なんてのはナンセンス。
むろん属国の王は臣としての格の上下意識はあったにせよ
蕃国思想なんて特定の用語は適切ではない。倭の五王の時代の
「極東の小中華帝国」というのは比喩的な言い方。実際に用語から儀式から
なにから中華帝国そっくりのパクリ世界があったわけじゃないぞ。
あ〜、疲れる
今の支那は嫌いだが、歴史事実とは別。
>秦氏が本当に中国出自なら、なぜ『日本書紀』では百済から来たなんて言ってるのか?
>おかしいと思うのだが。
おかしいのは藻前だろ。
百済からきたのは弓月君であって、
秦氏の大集団がいきなり百済からきたわけではない。
部族の移動を新羅が邪魔するような情況にあったのだから
その首長が倭国につながりつけるのに
まず倭と友好的な百済を経由するのは自然なことじゃないか。
そこで倭が襲津彦を派遣して新羅を牽制してやっと秦の民を
召し寄せたってストーリーだろ。
この流れで弓月君が百済からきたら何がおかしいってんだ?
秦は起源をたどれば中国系だけど辰韓地域に長くいたんだろう。
別になんらおかしなこともないし何の問題もないよ。
641 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 16:56:34
とても勉強になります。
642 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 18:13:38
>>636 > 各氏族の祖先神、・・・・を祀れない。
伏見稲荷もそうか?
643 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 18:17:21
>>637 半島には漢によって四郡が設置されていた。
中国出自の氏族がいても全く不思議はない。
そんなこともわからんとは、ひょっとして阿保?
>>638 なんだい、白馬青牛サンみたいなケンカ腰の口調は?
>日本書紀を否定したら加羅系説も新羅系説も成り立たない。
・『日本書紀』の記述には脚色が入っているとも言われている。
秦氏の前歴はともかく、日本に渡来する以前には、朝鮮したという点は確実視されている
と思う(『日本書紀』記事の信憑性に疑問があっても)。
それで、『古事記』にある記述はこれ(応神天皇の段)↓
「又秦造之祖、漢直之祖、及知釀酒人、名仁番、亦名須須許理等、參渡來也」
実際の渡来時期は、応神朝よりも遅い時期といわれているよ。
>「あや」という訓もあるよ。これはあるからあるんでそうとしかいえない。
・だから、漢をアヤと読ませるようになったから、後世、漢をアヤと読めるように
なったんだろ。それは当然の事。
>漢が「あや」と読めないなら穢はさらに読めないだろ。
「穢」自体が「濊」の当て字だそうだし、その時代は読みに対する漢字の当て方に
一定のものが無かった。
>>632で説明したんだが?
例えば、皇別系のワニ氏があるよな。後世、春日氏・小野氏などになる古代大豪族。
このワニ氏だと、色々な例(丸とか)があるよ。面倒だから出さないけど。
『新撰姓氏録』の記事↓
「姓を賜ひて波陁(ハタ)と曰ふ。今の秦の字の訓なり」
秦氏自身が「ハタ」を「波陁」と読み、「秦」以外にも用例がある事を認めているんだが?
他に、『古語拾遺』には「陀陀」という用い方もされているようだし。
『古事記』にある記述はこれ↓
「又秦造之祖、漢直之祖、及知釀酒人、名仁番、亦名須須許理等、參渡來也」
『日本書紀』の記述はこれよりも詳細になってる。
>>637 『新撰姓氏録』の記事↓
「姓を賜ひて波陁(ハタ)と曰ふ。今の秦の字の訓なり」
>帰化は「まいく」という和語が先行してそれを表記する時に漢文的文脈を借りたもの
で律令以後の蕃国思想を溯らせて「差別ニダ」なんてのはナンセンス。
・それは違う。
帰化という言葉は『後漢書』にも出てくる言葉。
意味は「皇帝の支配する中華の内部に帰属する」というそうだ。
>実際に用語から儀式から
なにから中華帝国そっくりのパクリ世界があったわけじゃないぞ。
・そんな事は言ってないよ。
古代日本に朝鮮(新羅)への蔑視があった事を言ってる。
朝鮮だけに限らず、国内の蝦夷を蔑視する思想も当然あったが。
>>640の部分、俺の言いたい事が通じてなかったね。
本当に中国が出自なら、わざわざ朝鮮から来たなんて『日本書紀』の段階で
言わないだろ?そこに作為があるだろうと俺は思ったわけよ。
それと、『新撰姓氏録』には 『日本書紀』で書かれていた朝鮮諸国の名が
全く見られない。これをどう説明できる?
>秦は起源をたどれば中国系だけど辰韓地域に長くいたんだろう。
>>643 秦氏が朝鮮から渡来した氏族(一度に来たわけではないが)だったのは確実。
朝鮮時代の秦氏先祖の由緒が、中国か朝鮮土着かは、俺は断定していないんだが?
今までのレスを読んでくれ。
レス返してない部分があったか。。。
>秦は起源をたどれば中国系
・中国系とは断定は出来ない。
概ね、(前歴の考察は別)朝鮮⇒日本、中国⇒朝鮮⇒日本の両説あり。
他にも色々あるんだろうがね。オカルトっぽいのもあるけど。
>辰韓地域に長くいたんだろう。
その事は、否定も肯定もしない。通説の一つ。
>>644 >・『日本書紀』の記述には脚色が入っているとも言われている。
だから? 具体的にどの部分がどう(史実に反する)脚色だ、と指摘して
くれないと、そんなこと言われても「はぁ」としか言えないな。
>秦氏の前歴はともかく、日本に渡来する以前には、朝鮮したという点は確実視されている
>と思う(『日本書紀』記事の信憑性に疑問があっても)。
>実際の渡来時期は、応神朝よりも遅い時期といわれているよ。
そもそも応神朝の年代が推定でしかないわけでそんなことを
いっても意味ないよ。もれが議論の文脈を忘れてるだけかも知れないが。
>「穢」自体が「濊」の当て字だそうだし、その時代は読みに対する漢字の当て方に
>一定のものが無かった。
>>632で説明したんだが?
いやそうじゃない。アヤを「阿夜」とか「吾屋」とかいろいろ書いたっていうのなら
それはわかるが、「漢」と書くのは単なる当て字とは別の事情だろ。
そもそも「漢」って表音でもない当て字でつかう(つまり表意)には
固有性がはっきりしすぎて適切でない。前のレスはべつに当時一定の当て字
が定まってたなんていいたかったわけではぜんぜんないぞ。
ちなみに「穢」も「シ歳」も[草カンムリ+歳]もぜんぶ同じ字で同じ種族だよ。
文字自体が同系でもある。どれが間違いってことではない。
>>645 ハタ云々については何をいいたいのかさっぱりわからないのでパス。
引用文についてはもとから知ってるしどこが反論なのかもわからない。
>>帰化は「まいく」という和語が先行してそれを表記する時に漢文的文脈を借りた
>>もので律令以後の蕃国思想を溯らせて「差別ニダ」なんてのはナンセンス。
>帰化という言葉は『後漢書』にも出てくる言葉。
>意味は「皇帝の支配する中華の内部に帰属する」というそうだ。
あほか。もれが「帰化は日本人の造語だ」とでもいったと思ったのか?
外国人が我が国にきたことを漢文で表現したら「帰化」だろうが。
>
>>640の部分、俺の言いたい事が通じてなかったね。
>本当に中国が出自なら、わざわざ朝鮮から来たなんて『日本書紀』の段階で
>言わないだろ?そこに作為があるだろうと俺は思ったわけよ。
あほか。日本書紀は秦氏の系図集ではない。秦氏渡来に関する新羅との
交渉、葛城氏の活躍など一連の事件の歴史じゃないか。略記すれば
「秦氏がきた」の五文字だ。詳しく書いたら渡来にかかわる経緯がかかれる
だろ。その時に朝鮮が舞台になるのは当たり前。なにが不満なんだ?
>>645 >それと、『新撰姓氏録』には 『日本書紀』で書かれていた朝鮮諸国の名が
>全く見られない。これをどう説明できる?
秦氏と関係ないからだろ。日本書紀の記事はべつに秦氏自身が活躍した
記事じゃないから秦氏の条で詳細に写す意味ない。すでに日本書紀に書いて
あるんだし。そもそも日本書紀と新撰姓氏録は書物としての意義・目的が
ちがうのになんで同じことが同じように書かれてないと納得しないわけ?
それにもまえは日本書紀に書いてあればあったで「なんでわざわざ朝鮮から
って書いてあるんだ?」、姓氏録に書いてなければないで「なんで朝鮮が
書かれてないんだ?」。結局なにがどうなっててもどのみち「中国説は疑わしいニダ」
っていうための理屈にするんだろ? 正直まじめに相手する気になれないんだがね。
>秦氏が朝鮮から渡来した氏族(一度に来たわけではないが)だったのは確実。
>朝鮮時代の秦氏先祖の由緒が、中国か朝鮮土着かは、俺は断定していないんだが?
&
>>647 じゃ、なにがいいたいのよ? 真相はわかりませんっていう当たり前のこと(中立的なこと)
が言いたいわけじゃないんだろ? 「中国説を否定するのは難しい」って空気を
薄めたいわけだろ? 最初からそういえばスルーしたのに。
>>648 『日本書紀』記述(秦氏)の脚色
・古事記よりも伝承が具体的になっている(漢氏も)。
・百済から来た事になってる。(新羅蔑視観から百済に結び付けたのでは?なんて説もある)
・仮に応神朝を5世紀初頭と否定すると、『日本書紀』はその時期に秦氏が渡来したと
言いたい訳だが渡来時期を雄略期(5世紀後半)とする説がある。
でも、5世紀初頭の渡来を肯定する説もある。
>アヤ、漢
まず、「アヤ」という氏が存在して、それを漢字で「漢」と表記されるようになり「漢」氏
となった、って事には同意できる?
それで、漢という文字を使うようになった理由はなぜ?と聞きたいの?
それはどうなんだろ??わからん。
韓・漢が通じて用いられる点から、語源が韓地方から来ているなんて説もあるが。
>>649 秦氏の場合も、「ハタ」あるいは「ハダ」が先で、後に秦という漢字で表記されるようになった。
それは
>>645の、秦氏自身が「波陁」と使っている事を言ってる点でもわかる。
>帰化
帰化という言葉の持つ真意には差別感(自国より見下す)があるって事。
古事記、風土記には帰化とは書かれていない。
日本書紀になると、朝廷が蔑視観を持つ朝鮮半島から来た人に使われているが、
中国から渡来している人物には使われていない。
>秦氏『日本書紀』『新撰姓氏録』による記述の違いについて
同じ事繰り返すが、書紀に書かれている朝鮮半島とのつながりが姓氏録には無視されている。
で、新羅への蔑視観から姓氏録の秦氏や漢氏の系譜が、中国系の皇帝へ結ばれるものが
造られるようになったと言ってるんだが?
それと、上位のカバネを求める理由もあった
>>633。
>>650 俺が言いたいのは、秦氏や漢氏が中国から直接日本に来たというのは間違いだという事!
中国説といっても、何百年も朝鮮半島に居住していた事にはなる。
秦、漢氏といっても渡来時期は1回だけじゃなく、擬制的な同族集団ともいえる。
日本に渡来する以前、つまり半島だが、それ以前のルーツが何処から来たか?
という事になると言及していない学者もいる。まあ、辿れないという事もあるが。
その点は朝鮮側の問題もあるだろう。
それと、『日本書紀』の記述が秦氏と関係ないって事はないだろう。
弓月君という『新撰姓氏録』で秦氏が先祖とする人物が登場してるんだから。
3連カキ、訂正
それは
>>645の、秦氏自身が「波陁」と使っている事を言ってる点でもわかる。
↓
それは
>>645の、秦氏自身が「波陁」と使っている点でもわかる。
>>651 ・古事記よりも伝承が詳細になっているのは不思議でもなんでもない。古事記は一氏族の
家記ではないのだから。日本書紀で詳細になった理由は説明済み。
・新羅蔑視から百済に結びつけたなんて説はヨタ話もいいところでまったく成り立たない。
なぜといって秦氏はすでに中国系を自称してるのだからその途中経路が新羅か百済かと
いうことは捏造してまでこだわる価値のないことだ。
・秦氏自身が「波陀」を使ってるのはそのシーンでは音を表わす意図があったからで
それは文脈に明らかだろう。新撰姓氏録は語源俗解による氏族名起源説話で
別に「秦」より「波陀」が古いとう証拠にはならないと思ウヨ。百歩譲っても、表記が一定
してなかった時代にどれが先行するとかいっても決定的な意味はないだろう。
陁は文字化けするので「陀」で代用。ほとんど同じ字だよ。
★「秦・漢」という氏族名(文字表記)と「ハダ・アヤ」という氏族名(発話呼称)がどっちが先かは
わからないし、秦と漢では事情が別々である可能性すらあるだろう。アヤは楽浪に由来するん
だろうが、ハダはわからない。強いていえばハダは月氏に由来するのかも知れないがこれは
電波がかってるので強く主張するつもりはない。いずれにせよそれらは日本渡来以前に
すでに確立していた可能性があり、日本史の枠組みでどっちが先かはあまり意味を認めない。
>>652 >帰化
つまり古事記・風土記では使われてない。日本書紀という「公式の」 「漢文的世界観の」
「建前の」「官僚的作文の」「学者の観念での」「現実離れした」書き言葉では
《帰化》と表現されるっていうことだろ。
>同じ事繰り返すが、
しつこいね。まだわからない?
>書紀に書かれている朝鮮半島とのつながりが姓氏録には無視されている。
その理由は何度か説明済み。
>で、新羅への蔑視観から姓氏録の秦氏や漢氏の系譜が、中国系の皇帝へ
>結ばれるものが造られるようになったと言ってるんだが?
新羅への蔑視感がここで援用される筋道はない。日本書紀の段階ですでに「秦」なんだから
中国の皇帝とはいわないまでも中国との結びつきはすでに当時の人にも容易に予感されること。
なんでくだくだ絡まれるのかわからないねー
>>652 >俺が言いたいのは、秦氏や漢氏が中国から直接日本に来たというのは間違いだという事!
当たり前だろ。空飛んでくるのかよw
>中国説といっても、何百年も朝鮮半島に居住していた事にはなる。
当たり前だろ。始皇帝っていつの人だよ。
>秦、漢氏といっても渡来時期は1回だけじゃなく、擬制的な同族集団ともいえる。
皇帝の子孫なら自分の支配民=領民って感覚はむしろ整合性あるなw
まぁ日本にきてからは部民だからそりゃそうだろ。溯っていってんじゃないの?
>日本に渡来する以前、つまり半島だが、それ以前のルーツが何処から来たか?
>という事になると言及していない学者もいる。まあ、辿れないという事もあるが。
>その点は朝鮮側の問題もあるだろう。
どの程度の関連づけをもって「辿れる」「辿れない」というかだろ。
楽浪郡や帯方郡に中国人がたくさんいたのに「辿れない」の一言で済ますのは
どうかと思うがね。「辿れない」なりに「辿れない」という結論に至るまでの
まともな考察の過程はみたことないねw
>それと、『日本書紀』の記述が秦氏と関係ないって事はないだろう。
>弓月君という『新撰姓氏録』で秦氏が先祖とする人物が登場してるんだから。
それは単純にあなたの誤読。もれはそういう趣旨で書いてはいない。
>つまり古事記・風土記では使われてない。日本書紀という「公式の」 「漢文的世界観の」
「建前の」「官僚的作文の」「学者の観念での」「現実離れした」書き言葉では
《帰化》と表現されるっていうことだろ。
・だから、貴族層に差別感情が芽生えてるから「帰化」という記述が『日本書紀』にみられる。
>新羅への蔑視感がここで援用される筋道はない。日本書紀の段階ですでに「秦」なんだから
中国の皇帝とはいわないまでも中国との結びつきはすでに当時の人にも容易に予感されること。
・秦はハタ、もしくはハダから付けられた。
・容認されてた?何処から判ったの?
>辿れる、辿れない
確かにハタの語源には諸説あるよね。上田氏、加藤氏などは朝鮮以前の由緒は述べていないと思う。
秦氏の持つ技術から中国との関わりを推測する学者も多い。けど、その技術も間接的なもの、つまり
中国と血の関わりを述べない学者もいる。
漢氏の場合、アヤ(安羅)から来たというのは、ほぼ定説だと思うんだけど、あなたが言うように
安羅以前の漢(あや)氏の、楽浪郡やあるいは他の地域(中国)との関わりを説く学者もいる。
>当たり前だろ。空飛んでくるのかよw
・それはないがw、朝鮮経由を感情的に否定する輩は多い。
>皇帝の子孫なら自分の支配民=領民って感覚はむしろ整合性あるなw
まぁ日本にきてからは部民だからそりゃそうだろ。溯っていってんじゃないの?
・色々な地域からの渡来人も同族として組織したって事。擬制的にね。
漢氏・秦氏に組織された、漢人・秦人なんかは特にそうでしょう。
657の続き
当時の日本が持つ感情には、親日的な百済とそれに対する新羅とでは違ってたと思う。
秦氏の伝承にも、それが反映されたものなのかな?
新羅滅亡の時期と、『日本書紀』成立の時期では朝鮮へ対する蔑視観は増している。
更に100年後の『新撰姓氏録』成立の時期では格段に蔑視観はUPしていた。
日本の新羅、渤海に対する差別感情は、それによって自国の立場を優位に
しようとする点にもあった。
でも、新羅はそれを承服していた訳ではなかった。立場上仕方なくって事。
東漢氏族が祖とする都賀使主(漢霊帝裔を称す、応神朝渡来)は東漢掬直と同一人物
とする説が有力で、掬は雄略朝の人。
漢人、漢部集団を支配下に置いた直姓の東漢氏(漢氏)はこの後裔という事になる。
漢人(東漢人)というのは、後世に、百済などから渡来した人々(技術者集団)を
直姓の東漢氏に掌握させて、その支配下に組み込ませたものが多い。
それでだけど、『新撰姓氏録』には、漢の霊帝裔を称する東漢氏族の同族として
かつて、直姓漢氏の支配下にあった村主、漢人の末裔達が同族として組み込まれた。
本来は同族ではなく、直姓漢氏に支配されていた漢人系の氏族がね。
本来、安羅の首長出身とされる東漢氏だけど、
漢の皇帝に繋がる系譜を創作した東漢氏族は、坂上氏とするのが定説。
安羅以前の漢氏が、中国と系譜上の関わりがあったか?
その可能性はあると思うが。
漢人集団の技術面は中国⇒朝鮮⇒日本だと思う。
659 :
冬のオイラ( 「勇俊):2005/11/24(木) 01:48:35
お前ら暇だなー
660 :
高知少将ジーモン土佐守ジョーカー:2005/11/24(木) 01:55:45
ヨン様ことペ・ヨンジュンなんぞおよびじゃないのよっ。
今はホン様ことチェ・ホンマンの時代だぜ。
661 :
高知少将ジーモン土佐守ジョーカー:2005/11/24(木) 02:02:50
秦氏や漢氏は伽耶から来たんじゃなかったっけ? 俺の記憶違いかな。
662 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 02:03:01
>>652 >俺が言いたいのは、秦氏や漢氏が中国から直接日本に来たというのは間違いだという事!
直接来たなんて言ってる人いるの?ちょっと名前あげてみてくり。
>>659 まあ、成り行き上な(ry
>>660 俺はボクシング派だぞw
>>661 秦氏も、その氏族形態の巨大さからして新羅&加羅中心に色々な地域から渡来したんだと思う。
漢氏は安羅中心に南加羅からの渡来も含むんだろうな。
両氏に従属する秦人・漢人などは中国との関わりもより深いんじゃないか?
元々、日本に来ていた渡来人も、後から来た漢氏・秦氏にそれぞれ漢人・秦人として
改めて支配組織が作られたようだよ。
>>662 そう?
それじゃ、半島に短期間しか居なかったというのは間違い、に訂正するよ。
>>657 >貴族層に差別感情が芽生えてるから「帰化」という記述が『日本書紀』にみられる。
そうじゃない。単なる原始的な差別感情じゃなくて「帰化」という言葉が問題に
される時は体系化されたイデオロギーとしてだろ。単なる原始的な差別感情としてなら
最初から認めてるよ。
>・秦はハタ、もしくはハダから付けられた。
それはちがうだろ?秦と「ハダ」の間に直接の関係はないよ。どっちも確立した表記または呼称で
あとからくっついたわけだろ。どっちかに一元的に由来があるなら、ハダを秦とは書かないし
秦をハダとは読まないだろ。
>容認されてた?何処から判ったの?
秦という自称をそのまま容認してるじゃん。古事記も日本書紀も。あなたは大和朝廷が勝手に
「秦」という名を押し付けたという説なの?
>ハタの語源には諸説あるよね。(以下略)
ハダの語源については鉄案はもれにもないですよ。
>漢氏の場合、アヤ(安羅)から来たというのは、ほぼ定説だと思うんだけど、あなたが言うように
>安羅以前の漢(あや)氏の、楽浪郡やあるいは他の地域(中国)との関わりを説く学者もいる。
そう。とりあえず「中国(?)→楽浪郡→安羅→倭国の漢氏」と考えてる。
今んとここれが妥当かつ二枚腰三枚腰で穏当な見解だろ。
>>657 >>当たり前だろ。空飛んでくるのかよw
>それはないがw、朝鮮経由を感情的に否定する輩は多い。
それはあなた、2chという狭い世界ばかり見過ぎだよ。
学界という2chよりさらに狭い世界では(以下ry
>>まぁ日本にきてからは部民だからそりゃそうだろ。溯っていってんじゃないの?
>色々な地域からの渡来人も同族として組織したって事。擬制的にね。
>漢氏・秦氏に組織された、漢人・秦人なんかは特にそうでしょう。
だから部民だといってるわけで。なにがいいたいのがいまいちわからないのだが、
秦人部が部民だと思う奴はいてもそれがみんな現実の血縁氏族だと
思ってる奴はいないんじゃの?
>>658 べつにいいんじゃないの? ごく一部を除いてとくに異論ないし
どこが反論なのかもわからない。独り言のようなレスだな。
議論の本筋と関係ないこと長々かくのはかまわないが、
それならレス番おれに指定するなよ。
>>663 >秦氏も、その氏族形態の巨大さからして新羅&加羅中心に色々な地域から渡来したんだと思う。
>漢氏は安羅中心に南加羅からの渡来も含むんだろうな。
>両氏に従属する秦人・漢人などは中国との関わりもより深いんじゃないか?
べつに間違ったことはいってないと思うけど
北条氏や足利家の先祖を問題にしてる時に、配下の足軽のルーツの話するようなもんだな。
>>664 帰化の意には差別感情があるよ。
>あなたは大和朝廷が勝手に「秦」という名を押し付けたという説なの?
そうは思ってない。
>そう。とりあえず「中国(?)→楽浪郡→安羅→倭国の漢氏」と考えてる。
今んとここれが妥当かつ二枚腰三枚腰で穏当な見解だろ。
安羅国の首長など(漢氏先祖か)の出自が、以前は楽浪郡から来たと見るんだね。
ありえると思うよ。
>>665 まっ、ここは2ちゃんだからw
嫌韓厨以外でも、珍説唱えてるお人がいるなあ、ハクバ・・・・・
>独り言のようなレスだな。
そういや、そうだなw
>秦人、漢人⇒北条氏や足利家の先祖を問題にしてる時に、配下の足軽のルーツの話するようなもんだな。
秦人や漢人も、『新撰姓氏録』の段階では同族として組織されてる。
秦人や漢人は足軽のような者ではないよ。
両方とも渡来人集団の総称として呼ばれてるだけで、内部の身分階層は幅広い。
支配階級の官人・豪族クラスから、新羅・百済系などの先進技術者集団、
更にそれらに隷属する階層も含んだ広範囲に及ぶものだから。
最澄の出身氏族、近江の豪族・三津首(カバネ)は西漢人の後裔氏族といわれてる。
>秦人や漢人は足軽のような者ではないよ。
本当にあああいえばこういう見本みたいなやつだな。
秦人や漢人は部民として編成されたもので血縁集団じゃないってことだろ。
殿様と家来だっていってんだよ。
もまえは「たとえ」を一つのレベルでしか受け取れないのか。
668 :
日本@名無史さん:2005/12/10(土) 14:25:45
669 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 13:48:26
age
今年中に返しとくか
>>667 今更だし、もういいや
672 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 17:08:33
age
白馬青牛爺さんの相手するか・・・orz
>>671 うほっw
おれは白馬青年じゃないぞ。あんな電波と一緒にするなよw
>>674 うん。
あの人、知識は豊富なんだけどねw
676 :
白馬青牛:2006/01/13(金) 23:07:54
>>674 しばらくこのスレを見なんだら、わしがおらんとこで、糞カバチたれ
あがる。あんな電波たァ何ない。わしの何処が電波なら。言えいや。
わりゃ、人がおらんとこでつまらんカバチたれなやのう。
このスレに話題を戻して、秦氏は韓人あるいは漢人では無く、秦韓経由の
中国西北部の秦人系(おそらくチベット・ビルマ系の羌系か)と考えても
よいと思う。水利・土木事業の技術者の側面は中国西北部との関連を
森浩一氏も指摘されておられる。秦氏が、聖武天皇の騎馬護衛に当った
こと(秦忌寸ら)、秦氏には平安期も随身の家柄もあった事等、様々な
側面がある。秦は「ハタ」と言う読み方でなく、「秦」の事であろう。
>>676 お〜い、相手間違ってるぞwww
森氏のは『古代豪族と朝鮮』に記述されてるからな。知ってるぞ。
森氏の意見はこうだろ。
古くは中国の秦のところにいた可能性
↓
戦乱を避けて朝鮮半島で数百年繁栄
↓
日本へ
武力という点に関しては、秦氏よりも漢氏(東漢&西漢)の方が強力な組織がある。
それが漢人&西漢人集団。
>>676 言い忘れたが、おまいさんの事は
『知識が豊富な強烈電波』だと思ってるw
679 :
白馬青牛:2006/01/14(土) 22:31:02
>>678 『強烈電波』だと思うのは、具体的にどの部分か聞いとるんじゃ。
>677の漢氏の武力集団の側面は、同意出来るが。
大和朝廷から見て、秦氏は秦人で、狛は高句麗であり貊人、
原住民の佐伯も同じく。北陸の越(越前、越中、越後)は森浩一氏の
指摘するが如く、江南起源とされる縄文期の玦状耳飾の影響もあり、
中国江南の越人に近いと思う部分はあったろう。
これが電波になるんかのう。
>>679妄言亀さん
ワロス
急にまともぶるなよ、いつもは妄言コテのくせして。
江上スレのおまいさんだよ。
681 :
白馬青牛:2006/01/16(月) 01:48:02
>>680 誰がうれしゅうて、まともぶるんか。じゃけえどこの文が妄言か言えいや。
自分に気に入らん文を妄言、妄言と認定する方がおかしいと思うど。
682 :
日本@名無史さん:2006/01/16(月) 02:00:24
4C中頃、楽浪・帯方系半島人の弓月君が率いた技術集団秦氏。
初めて日本に本格的な中国文化が入ってきた。
北陸の江南起源とされる縄文期の玦状耳飾は単に縄文人が
持ち帰ってきただけだろう。
683 :
日本@名無史さん:2006/01/16(月) 12:25:37
彼岸花で有名な埼玉県の高麗巾着田
高句麗が滅亡して 日本に逃げて来た一族が
開拓の為に送りこまれて定住したらしい
684 :
白馬青牛:2006/01/16(月) 23:43:19
>>682 本格的な中国文化とは、曖昧で何を指すのかよう解らんのですが。
それはさておき、森浩一氏によると「玦状耳飾は、江南の越の地域、
日本では新潟、富山、石川など日本海沿岸に集中現象があり、
日本海沿岸でも出雲のあたりには影響を与えていない。そういう意味で、
普通古代史でいっている「越」(こし)についても再検討がいる。」
出雲勢力による北陸侵出は、四隅突出墳にも現れるが、神話の記述にある
八岐大蛇を退治する話「高志(こし)の八俣の遠呂智」は、その反映とも
思える。オロチとは、ツングース語で土地(現地)の者達であり、
「蛇」トーテムは江南から東南アジアに広がっておる。
大蛇退治の話は出雲のみでなく、四隅突出墳の分布する安芸では、
大蛇退治は神楽にもある。
篠田氏のDNAから縄文人のルーツは、シベリアから、中国雲南省の
集団も含むらしいが、北陸人(越人)のルーツはよう解らんので断定は
出来んが、越の東南アジア蛇族の文化要素は強いであろう。
685 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 20:48:43
本格的な中国文化とは中国の直接的な物的文化の事。
秦氏(弓月君)=機織、醸造、土木建築。
東漢氏(阿知使主)=製鉄、機織、製陶(須恵器=灰陶)。
西漢氏=不明。
東文氏=文筆。
西文氏(王仁)=文筆。儒教。
縄文人のルーツは大陸と繋がっていた15000年くらい前までの
古モンゴロイド。
今の樺太あたりからの経由あり、今の半島・中国あたりからの経由あり。
あくまで陸地伝いの移動によるものなので渡来人ではなく土着系と
言うべきだろうし、大陸における古モンゴロイドは変化してしまい
北方モンゴロイド、中央モンゴロイドなどの新モンゴロイドになってしまった。
686 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 20:55:58
★古代カラ半島国家の歴史★
【志良岐】
国号の読みはシラギ。正しくはシラキ。4世紀以前の東アジア半島(現在の朝鮮半島)の
南東部にあった国である。神武天皇の兄・稲飯命によって建国される。
シラキとは「治らす木」の意味である。治らす(シラス)は日本語古語で治めるの意味であり、
木とは神木、すなわち天孫たる日本皇族のことである。したがって、治ら木(シラキ)とは、
「国を治める皇孫」の意味であり、稲飯命の別名なのである。
この事実から考えるならば、シラキの国号をその意味と音に合わせて漢字表記する場合、
『治良木』と書くのが適切である。しかし、わが国では昔から志良岐と表記したり、
また、新羅と表記するのが一般的ある。
神武天皇の兄=稲飯命によって建国され、その子孫が代々の王(キミ・国の主)となった
志良岐は、古代東アジア半島の南部諸国の中で、日本国(ヤマト)ともっとも友好関係に
あった国である。
その政治制度は、王(キミ)の下に国吉士(クニキシ。コニキシとも呼ばれる)という長官
が置かれ、王の統治を補佐するという独特のシステムであった。しかし、この制度が原因で、
志良岐王(シラキのキミ)は、臣下である第十七代・国吉士(クニキシ)=金奈勿に王権を
奪われることになった。
奈勿は、高句麗と手を組んで謀反を起こし、稲飯命の血を引く志良岐王族を皆殺しにした。
そして、志良岐の国号を『新羅』に改め、自分が新しい王となったのである。
金奈勿は金氏新羅の初代王であるが、志良岐人(倭人)ではなく、朝鮮人である。
金氏は謎の一族である。彼らが、いつ、どこから来たのか、どのような方法で志良岐に
移住したのか、それを記した資料はなく、すべてが謎に包まれている。
韓国に伝わる新羅の建国神話によれば、稲飯命が森の中で拾ってきたという逸話があるが、
もちろん作り話である。新羅建国(奪国)者=金氏に関する歴史的資料は皆無なのだ。
コピペ協力よろしく!
バラまいてね!
687 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 20:59:06
688 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 22:27:13
>>687 コピペ協力しまっス!
これでイイっスカ!
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
/": : : : : : : : \
/-─-,,,_: : : : : : : : :\
/ '''-,,,: : : : : : : :i
/、 /: : : : : : : : i ________
r-、 ,,,,,,,,,,、 /: : : : : : : : : :i /
L_, , 、 \: : : : : : : : :i / 古代日本?偉大な国だったでしょう。
/●) (●> |: :__,=-、: / < シラキは、やはり日本領土だったと思ふ。
l イ '- |:/ tbノノ \
l ,`-=-'\ `l ι';/ \
ヽトェ-ェェ-:) -r'  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヾ=-' /
____ヽ::::... / ::::|
/ ̄ ::::::::::::::l `──'''' :::|
志良岐の国号を、勝手に新羅に変えた金奈勿は許せないっス。
689 :
日本@名無史さん:2006/01/18(水) 11:49:43
徐福(秦の始皇帝のナンチャッテ家来)一行が不老不死の薬を探すふりして
日本に来たらしいが
690 :
がいやまん:2006/01/18(水) 18:35:11
漏れは、徐福集団は楽浪近辺で百済の前身の集団「ハクサイ」に潜伏、百越、百工、
騎馬民族、鹿牧畜民族等、東南アジアからユーラシア中央・南部の中国周辺諸民族
からなる複雑な集団として、後に三韓に分布したものと考える。参考↓
http://www.geocities.jp/hiroji69/1johukutyuugoku.html 「(始皇は徐福に命じ神の持つ珍品を求めさせたが帰り偽って言う。『私は海上で
大神に会い、「お前は西皇の使いか。」と声を掛けられました。私は「そうです。」と
答えました。
神は「お前は何を求めているのか。」と聞くので「寿命を延ばす薬が欲しいのです。」
と言いました。すると神は「お前の秦王の供物が少ないので見せることはよいが、
与えるわけにはいかない」と言うのです。そして、すぐに私を従えて東南の方向の
蓬莱山に行き、ここで芝の宮殿を見せました。使者がおりましたが、彼は銅色を
しており、形は龍のようで、光は天を照らしていました。そこで、私は再拝して聞
きました。「どんな供物を献げたらよろしいのでしょうか。」と。すると、海神は答え
て「良家の童男・童女および百工を献ずれば、望みが叶えられよう。」と言いました。
』始皇おおいに悦びて、男女三千人、これに五穀の種と百工を加えて派遣した。
徐福は平原広沢〈へいげんこうたく〉を得て王として止まり来たらず。)」
↑高良神社近辺の倭人じゃなかろうか。
691 :
がいやまん:2006/01/18(水) 18:38:53
「方士徐市ら海に入り仙薬を求めるも、数年経るも得ず。費用
が嵩み譴責を恐れて、偽りて言う。「蓬莱の薬は手に入れることができます。しかし、
いつも大鮫(鯨)に苦しめられて、到達することができません。どうか上手な射手を
供にしてください。見つけたら連弩(連射できる強弓)でこれを射止めたいと思います。
・・・・」と。
すなわち、漁夫に巨魚を捕える漁具を用意させ、自らも連弩を持ち大魚を射んとす。
琅邪より北へ進み栄成山に至るもこれを見ず、芝罘しふ(今の煙台)に至り巨魚を
発見し、一魚を射殺す。」
徐福集団は特殊な弓を神宝としている可能性がある。
692 :
がいやまん:2006/01/18(水) 18:50:24
徐福宗教集団(鬼道集団)が渡来するのはその後400年もたった後で、既に徐福
は神、ヒボコ、ユフツ、神宝はフツのミタマ(石弓か)等となっていたのであろう。
オキツシマ姫、十市、等に漢字を、各地に渡来伝承をばら撒いたのは秦氏集団
の連中だろう。フトダマ、フツヌシなどもそうだと思う。
693 :
日本@名無史さん:2006/01/18(水) 19:09:45
そうか、秦氏は半島に400年停留した徐福集団と
考えると面白い。
694 :
日本@名無史さん:2006/01/18(水) 19:37:37
★古代カラ半島国家の歴史 2★
【任那】
地名の読みは、ミマナである。
日本国の第十代大王(オオキミ)である崇神天皇=孫木入彦命(ミマキイリヒコ)の御名を
記念して命名された。地名の意味は「皇孫の名」である。
志良岐の西側にあった日本国領土である。
任那は、正確に言えば「国」ではない。ヤマト朝廷が直接統治する天皇家の「領地」であった。
神武天皇が日本国を建国する以前から、任那には多くの倭人が住んでいた。隣接する志良岐や
久多良とともに、任那は日本文明圏を構成する地域の一つだったのである。
崇神天皇の時代に日本国の正式領土となった任那には、ヤマト朝廷が管理する鉱山と製鉄所が
置かれ、日本列島および志良岐、久多良へ鉄材が輸出されていた。
これらの鉄は、鍋などの生活用品を製造するための原材料として使われると同時に、剣や槍など
の武器の製造にも利用された。
そのため、日本にとっての任那は、経済面だけでなく、軍事面でも重要な意味を持つ地域で
あった。任那にはヤマトから派遣された軍が常駐していた。任那の軍は、任那の独立を守る
ための組織であると同時に、志良岐および久多良に対する軍事支援を行う任務も持っていた。
また、カラ半島北部の騎馬民族勢力に対する監視活動・情報収集活動等も行っていた。
朝鮮人国家の金氏新羅に征服されるまでは、多くの倭人が居住し、日本文化が花開く美しい
土地であった。
これコピーして、近所にバラまけぇ〜〜〜っっ!!
695 :
日本@名無史さん:2006/01/18(水) 20:36:00
先進技術・武器を持った徐福集団が 先住民を征服して
邪馬台国→大和朝廷
になったという新説を唱えてみる、テスト
696 :
がいやまん:2006/01/18(水) 21:29:53
徐福カルト集団、(アメノ)ヒボコ集団、ヒョウスベ、ヘッポコなんかと関係ありそうだが、
神功皇后などの出自でもあり、オキという字に古代中国王家をちらつかす点はヒミコ
あたりと関係がありそうでもある。箸墓は兵主神社、夕月が嶽を指すがこれまた秦氏
関係。
697 :
674:2006/01/19(木) 02:27:50
>>673 もまえがアホの名前だしたから三馬鹿トリオが寄ってきたじゃねーか。
せっかく数少ないまともなスレだったのに。責任とれ。
698 :
がいやまん:2006/01/19(木) 12:56:33
>>696 これは邪馬台国時代の話だが、伊都国県主イトデが仲哀にはなしたところでは
彼の出自はアメノヒボコで、ウルサンとのこと。一方アメノヒボコ、銅鐸、オオクニヌシ
に関係があるので、徐福集団の当初の広原光沢の地は検丹里であったのかも。
オオクニヌシの出雲には吉野ヶ里の朝鮮小銅鐸が入っている。
699 :
がいやまん:2006/01/19(木) 16:14:07
三韓についての漢籍の語るところは、馬韓に来た流浪の民に馬韓の主体が辰韓
の土地を与えた。辰韓に鉄が出るので周辺国の租界、弁韓、ができた。そのうち
倭の租界は加羅であり、倭人はこれを任那と呼んだということだ。この任那から
鉄の輸入をしていたのは最初は九州北西、その後は山陰、吉備あたりではなか
ろうか。需要が供給を上回り、この産地が捨てられ、筑豊の香春に移るのだと見
たい。この流浪の民には徐福カルト集団の他に、遼寧方面からの探鉱・冶金専門家
(アルタイ西部)も含まれていたのであろう。
700 :
日本@名無史さん:2006/01/19(木) 16:23:24
聖徳大使も卑弥呼も大陸文化を持ちんだ中国人だったりする。
701 :
がいやまん:2006/01/19(木) 16:25:19
あるいは、後漢末期に中国本土でより競争力のある鉄の供給が始まり、鉄製品を
中国から輸入する方向に変わったのかもしれない。
702 :
がいやまん:2006/01/19(木) 16:31:16
アメノヒボコと離婚、出戻りの難波の女王アカル姫の話などからすると、
近畿の倭人は半島の「婆」を抜くほどの国ではなかった感じもするが。
703 :
日本@名無史さん:2006/01/19(木) 17:00:59
★古代カラ半島国家の歴史 3★
【久多良】
国号の読みはクダラ。正しくはクタラ。
6世紀以前の東アジア半島(現在の朝鮮半島)南部にあった国である。日本国・志良岐・任那と
同じく、日本語を公用語とする倭人(日本民族)の国である。
久多良(クタラ)の語源は、降つ(クタツ)である。降つは、降る(クタル)ともいう。
クタツ=クタルは日本語古語であり、「日が傾く」「日が沈む」という意味の大和言葉である。
古代日本領であった志良岐や任那から見て、西側に位置していたことから、「日が沈む方角にある国」
「西の国」という意味でクタラと呼ばれていた。それがそのまま国号となったのである。
久多良(クタラ)の地には、紀元前から倭人が居住していた。もちろん、日本列島の倭人とは日常的
に交流があり、経済面だけでなく、政治面、軍事面でもヤマトと一体であった。
久多良は、古代日本の一部であり、久多良文化は日本文化である。久多良人(クタラビト)も
大和人(ヤマトビト)も、同じ古代日本語を話し、日本文化を共有していたため、両者は強い同族意識
で結ばれていた。大和と久多良が、対高句麗戦争で常に一体となって戦っていたのは同族だったから
である。
704 :
日本@名無史さん:2006/01/19(木) 17:02:03
久多良の統治は、大和の天皇(スメラミコト=清めら御子人)が任命する国吉士(クニキシ)が
担った。クニキシはコニキシとも呼ばれ、カラ半島南部の国を統治する役人の最高位である。
古代の日本列島およびカラ半島南部には、ヤマト(日本国)を中心にした日本文明圏が形成されて
おり、久多良・志良岐・任那は、日本文明圏に属する地域だったのである。
したがって、カラ半島諸国は、文化的にはもちろんのこと、政治的にも日本の支配下にあったのだ。
3世紀の半ばに、志良岐が、朝鮮人の国吉士・金奈勿に乗っ取られ、『金氏新羅』という朝鮮人国家
に変質した。この金氏新羅が、6世紀に久多良を侵略して滅ぼしたが、久多良が滅びた時、多くの
久多良人(倭人)が大和(日本国)に亡命し移住した。
なぜ、大和朝廷は、久多良人(クタラビト)の日本への移住を許可したのか。それは、久多良人が
我々と同じ日本民族だったからである。
現在、久多良という国はない。しかし、久多良人の血は、今も日本民族に受け継がれ、
我々の体の中で生き続けているのだ。
705 :
がいやまん:2006/01/19(木) 17:27:50
狩猟・採集から照葉樹農業へと穏やかに発展していたところに、超高度な水田稲作が
始まる。他方、大陸においては狩猟から鹿/馬の牧畜・遊牧へと産業革命を経ていた
民族がいたが、水田耕作と共通するノウハウは季節の把握、金属の利用等があった。
朝鮮半島・日本列島のサンベルト地帯への大陸からの第一波は鹿を飼育するノウハウ
を持った民族であった。この流入は弥生時代と共に既に始まっていた。戦国末期、弥生
末期の日本列島への流入にも同じようなツングース系要素も入っていたことであろが、
既に中国風に大地を四角で表現し、祭壇を作って祭祀を行うようになっていたのでは
ないか。最終的にはトルコなどでタングリ、テングリという天神、日本ではタギリ姫と
いうのがこの言葉を伝えるみたいだが、円形の古墳を作る儀式で全土の統一が図ら
れる。こんなことではなかろうか。
706 :
日本@名無史さん:2006/01/19(木) 18:47:35
★古代カラ半島国家の歴史 3★
【久多良】
国号の読みはクダラ。正しくはクタラ。
6世紀以前の東アジア半島(現在の朝鮮半島)南部にあった国である。日本国・志良岐・任那と
同じく、日本語を公用語とする倭人(日本民族)の国である。
久多良(クタラ)の語源は、降つ(クタツ)である。降つは、降る(クタル)ともいう。
クタツ=クタルは日本語古語であり、「日が傾く」「日が沈む」という意味の大和言葉である。
古代日本領であった志良岐や任那から見て、西側に位置していたことから、「日が沈む方角にある国」
「西の国」という意味でクタラと呼ばれていた。それがそのまま国号となったのである。
久多良(クタラ)の地には、紀元前から倭人が居住していた。もちろん、日本列島の倭人とは日常的
に交流があり、経済面だけでなく、政治面、軍事面でもヤマトと一体であった。
久多良は、古代日本の一部であり、久多良文化は日本文化である。久多良人(クタラビト)も
大和人(ヤマトビト)も、同じ古代日本語を話し、日本文化を共有していたため、両者は強い同族意識
で結ばれていた。大和と久多良が、対高句麗戦争で常に一体となって戦っていたのは同族だったから
である。
久多良の統治は、大和の天皇(スメラミコト=清めら御子人)が任命する国吉士(クニキシ)が
担った。クニキシはコニキシとも呼ばれ、カラ半島南部の国を統治する役人の最高位である。
3世紀の半ばに、志良岐が、朝鮮人の国吉士・金奈勿に乗っ取られ、『金氏新羅』という朝鮮人国家
に変質した。この金氏新羅が、6世紀に久多良を侵略して滅ぼしたが、久多良が滅びた時、多くの
久多良人(倭人)が大和(日本国)に亡命し移住した。
なぜ、大和朝廷は、久多良人(クタラビト)の日本への移住を許可したのか。それは、久多良人が
我々と同じ日本民族だったからである。
現在、久多良という国はない。しかし、久多良人の血は、今も日本民族に受け継がれ、
我々の体の中で生き続けているのだ。
これコピーして、近所にバラまけぇ〜〜〜っっ!!
>>697 すまん手遅れ
青牛亀はこのスレの存在を、去年11月から知ってたよ。
708 :
白馬青牛:2006/01/19(木) 23:53:30
>>707 はあ、亀?それたァ越後の越人蛇に喰われた関東蛙は、何時越人先祖の地、
中国江南へ土下座しに行くんか。
709 :
日本@名無史さん:2006/01/20(金) 20:01:29
>>707 >>708 これコピーして、近所にバラまけぇ〜〜〜っっ!!
_____________________
/ || :ヽ
┌|(⌒ヽ :|| ..:⌒: |┐ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|::|::ヽ.__:):||(___ノ ::|::| │
|:|: .. :|| .. |:| │
:|: .. || ..|| < 古代のカラ半島南部は
日本領だったのだ!
:\ [_ ̄] /::| │
:: |\|_|_|_|_/:::| \________
__| | / / :|___
古代カラ半島の歴史1・2・3をコピーせよ。
近所にバラまきたまえ!
地球を守るために、ウルトラマンに協力せよ!!
710 :
日本@名無史さん:2006/01/20(金) 20:11:51
>>698 がいやまんさん。
伊都国県主イトデがアメノヒボコと言ってるソース下さい。
ただ、五十迹手ですので名前から出雲系であることはわかります。
その意味でアメノヒボコなのでしょうが
>>710 横スレ。風土記。
怡土郡
筑前(つくしのみちのくち)の國の風土記に 曰(い)はく、 ・・・・・・・天皇(すめらみこと)、
勅(みことのり)して、「 阿誰人(たれひと)ぞ」と問ひたまへば、 五十跡手(いとて) 奏
(まを)ししく、「 高麗(こま)の國の 意呂山(おろやま)に 天(あめ)より 降(くだ)り 來(こ)
し 日桙(ひぼこ)の 苗裔(すゑ)、 五十跡手(いとて) 是(これ)なり」とまをしき。
712 :
がいやまん:2006/01/21(土) 09:48:15
713 :
日本@名無史さん:2006/01/21(土) 10:44:36
記紀では出雲ではありませんね。
日桙は但馬に入り高天原から
伊都県に降臨したのだろうか
714 :
日本@名無史さん:2006/01/21(土) 11:40:31
どうやら
新羅、高麗人に
倭は乗っ取られたようでございます。
715 :
がいやまん:2006/01/21(土) 13:36:01
四世紀だが、大和・河内古墳勢力内部で権力闘争があり、三韓、筑紫でも高句麗
の脅威が増大、新羅ヒボコ系神功皇后、伊都県主イトデ等の新羅シンパが反戦派の
仲哀、忍熊、カゴサカ等を倒し、朝鮮出兵を敢行、高句麗好太王に敗退したが、国内
的には三韓征伐に成功の部分だけを大本営発表したのだろうね。雄略の時代の本当の
三韓征伐の地ならしであったのかも。神功皇后なんて新羅のスパイと違うか。やることが
日本人の桁外れだし、イデオロギー的に常世のスクナヒコナ、これは、高句麗同様の
天神思想だ。不義の息子応神には洋酒をプレゼントし、大陸とのつながりを教えている。
のっとられたというのは言いすぎであるが、近畿の豪族は政争に明け暮れ、ガードが
甘かったようだ。しかし、これが雄略の三韓支配に結びついたのかも。
716 :
日本@名無史さん:2006/01/21(土) 13:58:16
伊都にヒボコの子孫天下りさせたのは、
近畿の人ではないんですかね。。
ヒボコは但馬に移住してますし
脱解もどうやら但馬の人だし
野洲川近辺の高天原の人でしょう。
おそらくソソキノで征伐された熊鷹も反戦派で殺されたんだろ
酷い話だ
717 :
がいやまん:2006/01/21(土) 14:45:03
新羅、辰国、辰韓、震国、秦韓・・・これらは馬韓の方向から東にあり、易学
により、それなりの意味があったものともう。東方の海中に墓を作るなどというのも
その現われ。新羅から舟に乗って東に向かえば出雲から北陸の海岸に到着する
ので、その辺に竜宮があってもおかしくはないし、南に向かえば九州、沖縄方面
となる。徐福(ヒボコ)カルト集団の使命は東方海中三山仙薬ということであり、三上
山、熊野、富士山に徐福伝説が残るのはうなづける。タナバ国などというのは
タン州という言葉からつけられたもので徐福伝説からきているのだろう。ただこの
海の幹線に乗って渡来したのは徐福カルト以外にさまざまな要素があるようだ。
曹操に討たれた烏丸、琵琶湖、京都の烏丸、ワン(丸)、和邇、宇賀、ウガノミタマ
等も怪しいね。
718 :
日本@名無史さん:2006/01/21(土) 15:14:34
元々の高天原はどこかしらないけど、常に移動してたように思う。
記紀からみるかぎり最初は高句麗だろう。高皇産霊尊がよこした
少彦名が最初。その後集団で出雲に渡来している。
記紀には見えないが、辰韓、馬韓、葦原中津国(九州)にも
天下りさせたと思う。辰韓と本州では比較的上手くいったが
最後まで手を焼いたのが馬韓(青海原)と九州(葦原中津国)
だと思う。そこで今度は高天原を本州(おそらく琵琶湖周辺)
に移した。
そして自らの子孫を半島や九州に天下りさせた。
そして21世紀の現代の高天原は霞ヶ関ということであろうか
カルトチックな民族である。。
シモタッ!!
旗本スレ落ちてる・・・orz
720 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 16:00:44
★古代カラ半島国家の歴史 4★
〜謎の民族=カラビトの正体〜
古代のカラ半島南部に住み、日本語を話していた謎の民族=カラビト(韓人)とは何者なのか。
『渡来人』とも呼ばれた彼らの正体は、「倭人」である。
カラビトは、カラ地方(韓)に住んでいたことから、韓人=カラビトと呼ばれたわけだが、
彼らが話していた言語は日本語であり、大和言葉の方言である。
つまり、古代日本に、朝鮮人は移住していない。古代日本に朝鮮人は来なかったのだ。
戦後、朝鮮人は「古代日本には多くの朝鮮人が移住し、日本文化の発展に貢献した」という宣伝を
組織的に展開しているが、これはデタラメなのである。
古代日本に移住したのは、カラ半島に住んでいた倭人=カラビト(韓人)であり、彼らは日本民族
だったのである。
カラビトは、現在の朝鮮半島に住んでいる朝鮮人とは、民族が違うのだ。
つまり、
日本人と韓国人は同祖ではない。
日本人と韓国人は同祖ではない。
日本人と韓国人は同祖ではない。
日本人と韓国人は同祖ではない。
日本人と韓国人は同祖ではない。
日本人と韓国人は同祖ではない。
↑ただのあほの妄想w
722 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 20:12:14
こうした研究成果から想像をたくましくすれば、同じ人種の海洋民が朝
鮮南部沿岸と対馬、西北九州一帯に住んでいたとも考えられます。実際これを
裏付けるかのように、韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が
発掘されたと、釜山大学・鹿児島大学の共同作業チームが報告しています。
http://www.han.org/a/half-moon/hm009.html 韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
723 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 20:13:31
●従来の日韓同祖論
×朝鮮半島から弥生人がやって来て、日本の縄文人を征服して滅ぼした。
●日韓同祖論の真相
○弥生人は北方アジアから朝鮮半島を短期間で突き抜けて九州北部に
渡ってきた北方系の種族で、朝鮮半島には縄文人に近い土着の種族がいた。
724 :
日本@名無史さん:2006/01/26(木) 19:53:03
朝鮮人は、古代のカラ半島南部にあった、志良岐・任那・久多良は
朝鮮人の国だったと信じ込み、
「半島の国々から、古代日本に多くの朝鮮人が移住し、半島や大陸の先進文化を伝えた」
と主張する。
だが、こういった説は妄想に基づく妄言である。
朝鮮人が古代日本に移住したという事実はない。
朝鮮人は、古代日本に一人も移住していないのである。志良岐・任那・久多良は
倭人の国だった。
また、この三国と古代日本の文明レベルは同程度であり、半島に『先進文化』なるもの
は存在しなかった。高句麗の文化も日本と同じレベルだったのだ。
先進文化ウンヌンという話は、日本人に対し優越感を持ちたい朝鮮人の妄想が生んだ
フィクションである。
725 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 21:42:24
日本に侵入したのは北方から朝鮮半島を通過しただけの北方モンゴロイド。
朝鮮半島の種族ではない。ただし、
>志良岐・任那・久多良は倭人の国だった。
>また、この三国と古代日本の文明レベルは同程度であり、
>半島に『先進文化』なるものは存在しなかった。
>高句麗の文化も日本と同じレベルだったのだ。
この部分は頭の悪さを曝け出しすぎ。
朝鮮半島はBC2C末から楽浪郡より先進の中国文化が入っている。
日本に先進の中国文化が入ってくるのは4C中期の秦氏の渡来まで
待たねばならない。
今更マジレスする気力も湧かない
727 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 17:48:14
秦氏は確かにロマンを感じさせるが…
728 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 14:07:21
朝鮮人は、古代のカラ半島南部にあった、志良岐・任那・久多良は
朝鮮人の国だったと信じ込み、
「半島の国々から、古代日本に多くの朝鮮人が移住し、半島や大陸の先進文化を伝えた」
と主張する。
だが、こういった説は妄想に基づく妄言である。
朝鮮人が古代日本に移住したという事実はない。
朝鮮人は、古代日本に一人も移住していないのである。志良岐・任那・久多良は
倭人の国だった。
また、この三国と古代日本の文明レベルは同程度であり、半島に『先進文化』なるもの
は存在しなかった。高句麗の文化も日本と同じレベルだったのだ。
先進文化ウンヌンという話は、日本人に対し優越感を持ちたい朝鮮人の妄想が生んだ
フィクションである。
朝鮮人が古代日本史について語るときの基本パターンは、
古代日本と呉・越との深い関係を故意に無視し、満州地方を本拠地としたフヨ族と
日本民族を結びつけて語ろうとする事だ。
フヨの神話と日本神話には共通点がないにも関わらず、である。
日本神話は、むしろ越地方の神話と共通点が多いのだ。
★ 日本王権神話と中国南方神話 諏訪 春雄著(角川選書)★
【紀伊国屋書店ブックウェブ】
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/bwtsea.cgi?STRCT=1&FLG=&REV-COD=OB22%2FO11
729 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 17:13:32
弥生文化は朝鮮半島南部の文化がただ単に九州北部の縄文人と朝鮮半島南部
の土着人との間の交流で九州北部に伝わったか、北方アジアから朝鮮半島を
短期間で定着せずに突き抜けてきた北方系の種族が朝鮮半島南部を通過する
ときに運んできたかのいずれか。
ただし、その北方系の種族はBC10〜BC4C末までに九州北部に侵入しているので、
1〜2C頃に朝鮮半島に侵入し定着した夫余とは全く関係がない。
しかし古墳期の帰化人は、初期のものは、もと楽浪・帯方郡の華北人の
後裔であって、秦氏に始まり、倭に初めて本格的な中国文化が伝えられた。
ただし古墳期後期に亡命してきた百済人や高句麗人は、すでに土着系、
楽浪・帯方中国系、夫余や穢や貊などの北方系の混血した今の朝鮮人に
近い種族であっただろう。
また古墳期の帰化人は全部合わせても1万人前後くらいと見られ、
当時400万人くらいだった日本人口から考えればほんの微々たるものである。
730 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 17:47:45
★★ 古代朝鮮人は、日本に移住していない ★★
朝鮮人は、古代のカラ半島南部にあった、志良岐・任那・久多良は 朝鮮人の国だったと
信じ込み、
「半島の国々から、古代日本に多くの朝鮮人が移住し、半島や大陸の輝かしい先進文化を伝えた」
と、主張する。
だが、こういった説は妄想に基づく妄言である。 朝鮮人が古代日本に移住したという事実はない。
朝鮮人は、古代日本に一人も移住していないのである。志良岐・任那・久多良は 倭人の国だった。
また、この三国と古代日本の文明レベルは同程度であり、半島に『輝かしい先進文化』なるものは
存在しなかった。高句麗の文化も日本と同じレベルだったのだ。 先進文化ウンヌンという話は、
日本人に対し優越感を持ちたい朝鮮人の妄想が生んだ フィクションである。
そもそも、日本列島にもカラ半島南部にも、紀元前から、長江以南の越地方から多くの越人(倭人)
が移住しており、日本列島とカラ半島南部の倭人は、紀元前から日常的に交流していたのだ。
つまり、『同一の文化』を共有していたのだ。だから、古代ヤマトとカラ半島南部で、文化水準の
レベルに差があった、などということはありえない。ふつうに考えれば分かることである。
たしかに、古代ヤマトもカラ半島南部も、大陸文化の影響を受けてはいる。
しかし、ヤマトとカラに文化的影響を与えたのは、越地方の越人(倭人)と帯方郡の漢人であって、
朝鮮人ではないのだ。古代朝鮮人は『先進文化』を持っていなかったのだから、ヤマトやカラに
文化的影響を与えるわけがないのだ。無いものは与えようがないではないか。
731 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 18:04:08
>>730 >日本列島にもカラ半島南部にも、紀元前から、長江以南の越地方から
>多くの越人(倭人)が移住しており
では、その越人から生命的存在を伝える確証となる物的文化は
一体何が伝わってるのかね?
732 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 18:10:38
朝廷は渡来系の持ちこみ
733 :
日本@名無史さん:2006/02/12(日) 14:20:26
>>730 何も答えられないところを見ると、その越人から生命的存在を伝える
確証となる物的文化は、なーんにも伝わってないようですねえw
長江以南の越地方からは幽霊の集団でも来たんでしょうか?(爆笑
734 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 17:31:03
★★ 朝鮮民族の先祖はワイ族だった!! ★★
最近、韓国人が宣伝している歴史観は、韓国人=フヨ人説に基づいた『騎馬民族征服論』である。
満州地方に住んでいたフヨ(扶余)民族が、朝鮮半島に侵入し、半島南部に新羅や百済を建国し、
さらに対馬海峡を渡って日本列島の先住民(日本人)を征服して、古代ヤマトを建国したという説。
『2ちゃんねる』の日本史板や考古学板を中心に、この説を宣伝している。
もちろん、すべてデタラメであるが。
朝鮮人はフヨ人ではない。フヨ人の子孫でもない。フヨ人に征服された民族が、朝鮮人である。
高句麗およびその後継国=渤海国はフヨ人の国である。また918年に建国された高麗もフヨ人の国である。
そして、フヨ人とは満州民族であって、朝鮮民族ではないのである。
朝鮮人は、韓人(カラビト=倭人)でもない。
朝鮮民族の先祖として、もっとも可能性が高いのは、穢(ワイ)族である。
このワイ族は、現在の韓国の江原道地方(ソウルの東方地域)に住んでいた少数部族であるが、
高句麗が楽浪郡=帯方郡を滅ぼした313〜314年頃に南下して、日本領=シラキに移住した。
後に、高句麗と手を組んで稲飯命の子孫である志良岐王族を虐殺し、王権を簒奪して志良岐を
乗っ取った金奈勿(キン・ナブツ)も、ワイ族であった。
おもしろいのは、韓国の歴史学者や政治家たちは、朝鮮民族の先祖について語るとき、フヨ人や韓人に
ついては積極的に語るが、このワイ族については語ろうとしないことである。
おそらく、韓国朝鮮人は、自分たちの先祖がワイ族であることに、うすうす気づいているのだろう。
ワイ族のワイ(穢)には、「汚い」「ケガレている」という意味がある。
このような名前の部族が朝鮮民族の先祖だとは、認めたくないのだろう。
彼らは、楽浪=帯方郡を支配していた中国人から、そのように名付けられた部族なのである。
朝鮮民族は、けしてフヨ人ではないのである。
もちろん、倭人=日本人でもない。
ウィキぺディアなどで、朝鮮人の工作員が、
「ワイ族は扶余族だ。ワイ族が改名して扶余族になった。高句麗人も百済人も、
みんなワイ族だ!日本人もワイ族だ!」
と、宣伝しているが、大ウソなので、騙されないように。
735 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 17:33:58
濊が朝鮮人の祖先なのは当たり前なんだが、濊は1〜2Cに半島に流入した
北方系だろ。
土着系ではないよ。
朝鮮半島の土着系は縄文人骨によく似た短い顔、彫りが浅くなく
隆起した鼻骨を持つ中央モンゴロイドの系統。
736 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 17:50:34
こうした研究成果から想像をたくましくすれば、同じ人種の海洋民が朝
鮮南部沿岸と対馬、西北九州一帯に住んでいたとも考えられます。実際これを
裏付けるかのように、韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が
発掘されたと、釜山大学・鹿児島大学の共同作業チームが報告しています。
http://www.han.org/a/half-moon/hm009.html 韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
737 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 17:51:30
●従来の日韓同祖論
×朝鮮半島から弥生人がやって来て、日本の縄文人を征服して滅ぼした。
●日韓同祖論の真相
○弥生人は北方アジアから朝鮮半島を短期間で突き抜けて九州北部に
渡ってきた北方系の種族で、朝鮮半島には縄文人に近い土着の種族がいた。
738 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 18:31:10
渡来人で一番偉いのは秦氏だよ!秦氏が渡来してこなければ今の日本文化はありません!秦氏の子孫の人は誇りに思いましょう!ちなみに秦氏の日本名は、「は」で始まり、次に、たちつてとがきます。羽田、波多野、畑中、畠山、波田、などいろいろです。
739 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 21:02:00
秦氏は帰化人だがなw
740 :
白木人 :2006/02/23(木) 21:27:53
呼んだ??
741 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 13:26:09
渡来人と帰化人ってどうちがうの?昔か最近かって事?秦氏は弥生時代?ぐらいだから渡来人でしょ?
742 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 13:56:09
渡来人。
トライ。
挑戦する人。
なんかカコイイ。
と、いうネタが浮かんだので書いてみた。
743 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 14:33:38
土師氏も渡来人。後に大江氏や菅原氏になった。
また、オリンピックで活躍した村主も渡来人系の苗字
横浜で15代続く名家
帰化人だろ。
745 :
日本@名無史さん:2006/02/25(土) 19:46:13
「最近、あちこちで(日本人に)文句を言うと、『出てけ』とか『帰れ』と言われる。
そうすると、『ハイわかりました。朝鮮人はみんな帰ります。天皇つれて帰ります』
と言ってやる。(笑)。だけど、アイツ働かないからな(笑)」
【「正論」2003年号1月号81ページ 憲法集会での辛淑玉の発言】
↑
救いようのないバカ(嘲笑
★★ 朝鮮人は、古代日本に移住していない ★★
朝鮮人は、古代のカラ半島南部にあった、志良岐・任那・久多良は 朝鮮人の国だったと
信じ込み、
「半島の国々から、古代日本に多くの朝鮮人が移住し、半島や大陸の輝かしい先進文化を伝えた」
と、主張する。
だが、こういった説は妄想に基づく妄言である。 朝鮮人が古代日本に移住したという事実はない。
日本列島にもカラ半島南部にも、紀元前から、長江以南の越地方から多くの越人(倭人) が移住しており、
日本列島とカラ半島南部の倭人は、紀元前から日常的に交流していたのだ。
つまり、『同一の文化』を共有していた。だから、古代ヤマトとカラ半島南部で、文化水準のレベルに差があった、
などということはありえない。古代においては、日本列島もカラ半島南部も『倭人の世界』だったのであり、
同じ倭人どうしが交流していたのだ。朝鮮人は、古代日本とは何の関係もないのである。
朝鮮人は、韓人(カラビト=倭人)ではない。
朝鮮民族の先祖として、もっとも可能性が高いのは、穢(ワイ)族である。
このワイ族は、古代カラ半島北部にあった中国の自治領=帯方郡の東部地方・ワイ郷(現在のソウルの東方地域)に
住んでいた少数部族であるが、高句麗が楽浪郡=帯方郡を滅ぼした313〜314年頃に難民となって南下し、
日本領=シラキに移住したのである。後に、高句麗と手を組んで稲飯命の子孫である志良岐王族を虐殺し、
王権を簒奪して志良岐を乗っ取った金奈勿(キン・ナブツ)も、ワイ族であった。
朝鮮民族は、けして韓人(カラビト)ではない。 もちろん、倭人=日本人でもない。
辛淑玉は、日本人と朝鮮人を同族だと思いたいようだが、残念でした、何の関係もありません(笑
よくそんな思いつき書けるな。お前より物知ってる奴はいくらでもいる。
恥ずかしくないのか?
747 :
日本@名無史さん:2006/03/04(土) 05:31:32
カルト話なら幕末維新は秦氏のオンパレードだよ
京都秦氏3神社の賀茂系を自称した徳川家
新生日本を夢見た秦氏本流の勝家末裔の海舟
江戸期に元賀茂の糺すの池(バプテスマ洗礼説のある蚕の社)に有名な
秦氏シンボルの三柱鳥居を寄進し、呉服から金融にものりだした三井家
による鳥羽伏見以降の巨額の軍資金提供
英国の後押しを受けた戦国最大の秦氏大名島津家
秦氏系長曽我部遺臣の土佐勤皇党
(王制復古のため庄屋同盟が血判状に秦臣下と記したのは有名な逸話)
御所から北山まで京都の公家は、まあ大小秦氏だから言うに及ばずだが
後にサントリイまで洋酒会社の社名になる始末
上海メーソンもせっせと長崎、薩摩で武器商談したらしいし
748 :
日本@名無史さん:2006/03/04(土) 05:56:33
勝 安房(海舟)は、男谷家からの養子
749 :
日本@名無史さん:2006/03/04(土) 07:57:34
江戸時代、穢多頭は代々、弾左衛門を襲名。
幕府からもその統治、特権を公に認められていた。
さて、幕府に対しこれらを認めさせたとされる由緒書がある。
これは鎌倉時代からの被差別民の支配、有する特権の正統性を裏付けるものである。
「弾左衛門由緒書」 と呼ばれるものがそれである。
これ自体は朱印等から明らかに偽書。
しかし内容にはいくつか見るべきものもある。
が、↓これはどうだろうか?
「弾家の祖先は秦氏であり、のちに藤原氏に入り藤原と称した。」
秦氏は高位でも従五位下の地方官
(四・五万石大名)どまりだよ。
751 :
日本@名無史さん:2006/03/04(土) 10:09:52
>>750 土佐の長宗我部 薩摩の島津 越後の神保 を知らんのか?
>>747 > 御所から北山まで京都の公家は、まあ大小秦氏だから言うに及ばず
これくわしく教えて。
751、
諸大名が秦の社稷なら、唐入り御陣に参加せんだろ。
753 :
日本@名無史さん:2006/03/04(土) 11:05:30
>>752 関係なし。
いったいどのくらい時代が流れているのか。
それに戦国時代、下克上の時代、忘れたのか?
なにをかいわんや。
秦は忘れられたと、
>>1 マジか!?太秦・・・
変わった読み方だとは思ってたけど。
757 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 00:20:55
758 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 15:37:55
759 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 01:17:14
760 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 21:52:53
だったら、100万人くらい来たって事になるぜw
弥生晩期の人口は約280万人と言われている。
どうやって来るんだよ。
バカジャナイノwwww
761 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 22:52:11
弥生期以前に来て、日本人と婚姻関係持ってその子孫達はどんどんその血が
日本人に入ってきた・・・っていう意味では?
直感的に、B型とAB型の割合に似ているね。特殊な技術や才能があるって点でも。
762 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 23:13:07
弥生期に秦氏と漢氏が来てたら、弥生時代から日本に灰陶(須恵器)
や漢文や土木建築や織機や製紙などの中国文化があっただろうにw
763 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 23:23:26
まあまあ、結局日本人と秦氏の血が混ざり合って結局1/3くらいは
秦氏の血が入ったんだよ、きっとそうだよ。
764 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 23:27:39
きっと違うだろ。
しらけー
765 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 23:28:05
>>761 B型はどこでも嫌われるんだ・・・・・欝
先っき元モー娘。中澤が
条件でB型以外の人だって!欝
766 :
日本全国に秦氏由来の土地がある:2006/04/19(水) 23:30:21
武蔵國や関東近辺にも多く、埼玉には男衾郡(現寄居町・嵐山町・小川町を中心とした地域)に
幡々郷(幡多郷)があり、幡羅郡(現熊谷市・深谷市・妻沼町)には幡羅郷(現原郷)
があった。東京にも幡ケ谷(渋谷区)がある。また、かつて武蔵國に属し、今の神奈川県に
あった都筑郡には幡屋郷(現横浜市)があった。
767 :
白馬青牛:2006/04/19(水) 23:48:57
>>760 埴原和郎氏は、100万人渡来説であるが。弥生晩期の人口のそれは、
小川修三氏の説であろう。じゃが弥生期の西日本は低顔の縄文形質が多く、
古墳期になって北方渡来系の高顔形質が増えて来る。弥生渡来系は、
山陽地方でさえ弥生期には少ない。世界的民族移動期の古墳期に渡来した
集団が多かったであろう。
768 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:06:58
単に弥生期の渡来系の方が精子が強く、それで増えてきただけ。
渡来形質が広がりだすのは弥生前期末から。
769 :
白馬青牛:2006/04/20(木) 00:34:58
>>768 渡来系の方が精子が強く?山口西部と北九州の一部地域に多い集団が、
生殖能力が強いとしても、九州西部の低顔集団や、山陽地方の在来系
低顔集団と混血したのであれば、南方形質が強く残っておるじゃろうに。
渡来形質は、弥生期、近畿の一部や関東の三浦半島にもあるが、
家族単位で、多数を占めた訳でもあるまい。しかも弥生渡来人は南方習俗。
東南アジアの抜歯・ポンチョ人。本格的な北方習俗は、古墳期以降じゃ。
770 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 01:15:52
なに寝言言ってんのかね?このジイさんw
在来種は南方形質なんかじゃありませんよ。
西洋人並の高い鼻骨、隆起した眉骨と深い眼窩、中頭〜長頭で
シビリーデ(シベリア人種)的な形質ではあるが。
形質遺伝も渡来系の方が強いから変えられてきただけ。
それに紅陶無文土器、支石墓、金文や酒器や三足器の無い青銅器の
一体どこが南方文化なのかね?
抜歯は縄文中期以前からの文化だ。
771 :
白馬青牛:2006/04/20(木) 22:36:03
>>770 アイヌ人もそうじゃが、高い鼻骨でも鼻根部は凹型じゃろ、縄文人は。
隆起した眉骨深い眼窩は南方形質じゃないか。シべリア系でそのような
形質を持った種族があるんなら類例を挙げいや。
支石墓は、朝鮮から西北九州に入ったが、低顔・鼻根部陥凹の縄文系
在来民型で北部九州の甕棺墓・北方形質ながら南方習俗の抜歯系とは
違う。抜歯は東南アジア・オセアニアの習俗で南方系。
>767は、小川じゃなく小山修三氏の推定人口では、縄文晩期7万
5千800、弥生期59万4千900、土師期(古墳時代)539万9千
800人と推定されておられる。
>>749 東大寺の学僧「然が938年に宋の太宗に謁見した時、藤原氏を名乗るが、
元来、秦氏出身と自称したことも考慮すると、秦氏と藤原氏の関連は
強いと思える。
772 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 16:08:42
>>771 うははっ!爆
ひょっとして君、シビリーデ(シベリア人種、古アジア人種)も知らんのかね?w
今までシベリアにはツンギーデしか居らんと思って生きてきたのかw
では、この機会に知覚したまえよ。シベリアの人種は3つあるんだよ。
トゥンギーデ、シビリーデ、エスキミーデ。
a.シビリーデ(古アジア人種)
皮膚は黄色であるが、蒙古的特徴が弱く、白人に近い点もある。
古い混血集団か、あるいは人種分化以前の形といわれる。
ウラル地方と北東シベリアに分布。
773 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 16:23:52
774 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 16:52:06
775 :
白馬青牛:2006/04/23(日) 01:06:45
>>772773 あんたら人種厨が、低脳のくせに、自分を知識がある人間に見せたいのは、
痛ましいので同情するよ。
シベリアの人種分類は、西シベリアのウラル系エニセイ・オスチャックは、
白人との混血もあろう。東北部の原住民について言えば、
バイカル型(エヴェンキ、ユカギール、ナナイ等)のツングース系、
極北型(イヌイット型とも云われ微弱な蒙古ひだ、直毛のひげが発達して、
アイヌの波状型とは違う。)アムール・サハリン(樺太)型
(古アジア系ニブヒに多く、比較的に黒い皮膚、樺太ニブヒは毛髪が
剛いが、ときに波状でアイヌ人との混血、共通性もある。シロコゴルフ氏は
ニブヒと朝鮮民族との類似を指摘し、南部韓人との人種的、言語的類似も
検討したい)のいずれかに含まれるが、移行型もあって3種類と単純に
解釈出来ん。
抜歯は、東南アジア〜オセアニアの習俗で縄文・弥生人の習俗も概ね
南方系じゃ。
776 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 14:20:16
>>775 うははははっ!爆
シビリーデはツンギーデではないし、エスキミーデでもないがw
無論、影響は受けているかもしれんがな。
アムール・サハリン(樺太)型とは近いが、アムールは世界で最も扁平な
顔面を持つツンギーデだよw
アムールがアイヌと混成してサハリン型になっているだけだ。
私が人種厨なら、君はシロコゴルフ厨だなw
ハイハイ、抜歯も紅陶無文土器も支石墓も金文や酒器や雷文や三足器
も無い青銅器も南方南方。
うははははっ!うははははっ!うははははっ!爆
777 :
白馬青牛:2006/04/24(月) 01:27:17
>>776 相変わらず低脳振りを発揮しとるよのう。
アムール・サハリン型は、古アジア系ニブヒ族の人種型。アルセーエフ、
ゴッホマン1984、でのシベリアの人種タイプ分類でも。
アムール川流域のツングース系は「バイカル型に偏り、ニブヒ族に比べ、
彼等の皮膚、目や毛髪の色は著しく明るく、」とあるように、
アムール・ツングース系は概ねバイカル型じゃろうに。
人種厨にして、南方文化崇拝の弥生ポンチョ厨は、面白いことを云う。
778 :
205名無しの歩き方@お腹いっぱい。:2006/04/24(月) 01:37:54
779 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 19:55:01
>>777 ところで、君、シビリーデが北東シベリアのどの地域に分布しているのか、
具体的に州や自治管区などを一つ挙げてみたまえよ。
780 :
白馬青牛:2006/04/24(月) 22:46:19
>>779 ニブヒ族は、樺太やアムール下流域、コリャックは、概ね
カムチャッカ半島、チュクチ(イヌイット含めも)も旧チュクチ
民族管区に広がっておるが、ツングース系は、エヴェンがカムチャッカ
半島まで分布し、エヴェンキがエニセイ流域からアムール地方に及んで
おるが、馴鹿遊牧民の彼らは、定着民ではないので分布は広い範囲に及ぶ。
カムチャッカ半島に分布の古アジア系コリャックも、馴鹿飼育民である
トナカイ・コリャック、トナカイ・チュクチは、海岸の住人と違い、
人種型としては、ツングースの基本型である「バイカル型」の影響も強い。
あんたは、移動生活の彼らを、どの地域と、定着民的発想で、地縁社会の
血族に結びつけとる。文化形態を知らんと人種は語れんよ。
781 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 20:46:30
>>780 うははははっ!爆
よしよし。
調べてようやく分かったみたいだねw
樺太やアムールなんか最初から関係ないの。
うははははっ!うははははっ!うははははっ!爆
>うははははっ!クンへ
いいよいいよその調子いけいけ
783 :
白馬青牛:2006/04/25(火) 23:43:22
>>781 何が分かったんか?樺太やアムールが関係ない?どこと関係ないんか?
低脳の論理は支離滅裂じゃわい。具体的なことを云わず、うはははっ!爆
と程度の低さを繰り返すのみか。関東アイヌ縄文白人厨と地理・人類学板
や考古学板で、同じコピーを繰り返し、低脳合戦でもしとる方がええよ。
784 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 23:51:01
うははははっ!うははははっ!うははははっ!爆
うははははっ!うははははっ!うははははっ!爆
うははははっ!うははははっ!うははははっ!爆
奈良時代の戸籍みると全国的に秦氏が異常に多いのは事実だが
それから短絡的にあまり飛躍した結論を急ぐのはどうかと思われ。
786 :
日本@名無史さん:2006/04/29(土) 17:29:42
秦氏が弓月君とともに来たのがBC4C半ば。
数万人来たという説もあるが、実際は数十人〜数百人程度だったと思われる。
その400年後の奈良時代に祖先に一人でも秦氏を持つ人は、最初の秦氏を
200人として、30年で世代交代して土着人との間に2人ずつ子孫を残したと
すると、世代交代を13回してるから、ざっと計算して約160万人になっている。
787 :
日本@名無史さん:2006/04/29(土) 17:31:14
×秦氏が弓月君とともに来たのがBC4C半ば。
○秦氏が弓月君とともに来たのが4C半ば。
スマソ
788 :
日本@名無史さん:2006/04/29(土) 17:36:34
渡来氏族としては五十猛、五十鈴 木を忘れてはならんぞ!!
尼子亀井、穂積(新羅の地名)=鈴=銅鐸さ
秦氏といえど従五位下・地方官、五万石の大名並み
よほど功がないと
790 :
日本@名無史さん:2006/04/29(土) 21:04:32
791 :
日本@名無史さん:2006/04/30(日) 00:18:04
でむぱジイさんでむぱジイさんでむぱジイさん
うははははっ!うははははっ!うははははっ!爆
でむぱジイさんでむぱジイさんでむぱジイさん
うははははっ!うははははっ!うははははっ!爆
でむぱジイさんでむぱジイさんでむぱジイさん
うははははっ!うははははっ!うははははっ!爆
792 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 14:07:25
結局、日本人と朝鮮人は別系統、ということは良く分かりました。
やっぱりNHKのDNAの話が、一番説得力ありますね(^_-)☆
793 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 00:34:05
ん?
794 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 00:54:00
NHKだろ!
あれは、説得力あるよ!
795 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 11:19:59
いっぱい
796 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 14:28:25
服部(中国系)も忘れないでね。
797 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 14:37:38
>>759 その資料は、都合の良い電波だな。
秦氏が伽耶土着系?
何で新羅から亡命してくるんだろうな。
秦人は、半島では孤立していて、柵を作って
身を守っていたらしいからな。
今で言うところの、客家の大楼みたいなもの
だろうな。
798 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 14:59:35
楽浪に吸収された衛氏朝鮮の人たちだろう。
799 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 15:07:27
辰韓時代からの中国人だろ。
800 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 18:32:59
徐福の子孫かも那。
秦人…秦氏。
801 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 22:25:00
>>768 なるほど。
アフリカ人も、繁殖能力が低いのか?(YAP+)
「 土地は湿地多く、虫けらどもの群がり生じ、瘴気のたちこめた風土。蛙と亀は穴を
共にし、人と鳥は群れを同じくしておる。ざんばら髪の君には長者の相なく、
入墨(いれずみ)の民は貧相な体つき呉人の亡者、建康(今の南京)に住まいし、
ちっぽけな冠帽に、ちんちくりんの着物。おのれを阿イ農{人ベンに農}(おいら)と言
ふた言めには阿(お)、お{返事などの時}の連発。菰(まこも)の芽と稗(ひえ)が
代用飯、茶が飲物代わり。じゅんさいの羹(あつもの)をガブガブ、蟹の黄(こ)を
クチャクチャ。手には豆寇{共にクサかんむり}(ずく)をつかみ、口にはビンロウを噛
む。中州のところで、魚に網うち、すっぽん掬い、菱の実、蓮の根にかじりつき、
鶏頭(みずふき)フキを採り歩いて、蛙やアサリの吸い物のご馳走。 」
* 六世紀に書かれた「洛陽伽藍記」より *
華北出身の楊元慎が、江南出身の高官張景仁を批判した言葉です、
まるで現在の日本人が、批判されてる様な気に成りませんか、どれも美味そう!
803 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 16:40:52
オレの友達は渡来人と言う事を自慢してた
804 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 17:03:18
純血日本人数万年前消滅した。
近親相姦でもし続けたのか?
805 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 17:21:03
>>803-804 早く、ウンコの臭いのたち込める
遺伝子真っ赤っかチャンコロ南方人ランドに帰れや(嘲笑
806 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 18:14:15
>>804 数万年前に日本人はいない。
日本人は、比較的新しい民族。
807 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 10:13:10
マンモス?
808 :
がいやまん:2006/07/03(月) 10:22:24
809 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 20:59:48
いや南だ
810 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 11:44:04
>>776 なんか、シニーデとかツンギーデでぐぐっても2chの駄レスばかりが
ヒットして、学術的なもんがあまりヒットせんのよね。
学問は堕落した?
時代が、きな臭くなつたからだよw
812 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 12:05:44
朝鮮人の先祖はエベンキ族と判明したので、日本にもエベンキ族が入って
いるということだな。朝鮮人やシナ人よりアイヌ人の血の方がはるかに濃い
と思うが。
813 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 13:16:33
三都主は渡来人。
814 :
日本@名無史さん:2006/07/18(火) 14:33:58
>>812 中国の文書ではすべて、倭人≠高句麗人≠沃沮(エベンキ)≠中国人
というスタンスで記されている。
倭人は、かなり早い段階で独立した民族であると認識されていたようだ。
倭人やツングース諸民族、中国人、エベンキらと混血したのが今の
朝鮮族だと思う。
日本人≒倭人とも言えるが、現代日本人がエベンキと混血したかどうかは
不明。
815 :
日本@名無史さん:2006/07/18(火) 14:59:51
>>812 だったら、日本人にはエヴェンキは入っていないという事だよ。
渡来人は朝鮮に定着しなかった部族なんだから。
816 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 17:26:22
またあ
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818 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 23:54:52
江戸時代に明から大勢の亡命者がきたと言われているけど、何人ぐらいきたん
だろうか?
819 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 12:29:19
ヒストリーチャンネルで縄文人と渡来人を放送してる
面白い
820 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 12:37:54
天皇マンセーの国学院の教授でも弥生人は大陸から来たんだって言ってるな
821 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 12:56:02
渡来人と本来の日本人が交わって今の日本人となってきたのは2000年前ぐらいなんだってさ
822 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 16:51:08
BC11C頃の華中の長江流域はこんな有り様(嘲笑)
呉城文化 B1400?〜B1000?
江西地方の文化はB3000年〜B2500年頃の山背文化を最後に一時停滞していたが、
良渚文化や石家河文化の崩壊後に呉城文化が抬頭した。黄河流域とはまったく
異質の造形美術を特色とし、豊富な幾何学印文陶や釉陶のほか原始磁器も出土し、
中国磁器の源流に再考を促した。また符号を刻した土器や鋳型も発見され、
符号の総数は170を超え、12個を列記したものも出土している。隣接する湖南省
では1960年代に寧郷県で多数の貴重な青銅器が発見され、人面方鼎・四羊方尊など、
商文化を凌ぐ鋳造技術と独特の造詣を示していたが、このときには商文化の一分派
と認識された。1970年代に江西省樟樹市(旧清江)で発見された呉城遺跡の城壁址は
4万uで、地方的な政治中心のひとつに過ぎなかったと考えられる。
http://home.t02.itscom.net/izn/chu0.html
823 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 17:24:59
>豊富な幾何学印文陶や釉陶のほか原始磁器も出土
>符号を刻した土器や鋳型も発見
>青銅器が発見され、人面方鼎・四羊方尊など、商文化を凌ぐ鋳造技術
印文陶、釉陶、原始磁器、鼎、尊・・・
BC11C頃の華中の長江流域の出土物は日本の弥生遺跡で
出土しないものばーっかり(嘲笑)
824 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 17:28:43
↑
9cmのチョン半島
825 :
日本@名無史さん:2006/08/12(土) 21:54:57
吉野ヶ里墳丘墓のルーツはどこなのか。中国・長江下流域の江南に多く見かけられる
土?墓(どとんぼ)(B.C.800〜500)ではないかといわれている。(中略)
同じく「土?墓が墳丘墓の源流ではないか」という樋口隆康氏(参考文献5)が江南の
土?墓について書いている。少し長いが紹介したい。[江南の土?墓とは盛土墳で、
地上に埋葬したものである。中原の殷・周時代の墳墓は地下深く抗を掘って埋葬してあり、
墳丘を持たないのが通例である。墳丘は秦代以降に出現したとされるので、江南の土?墓
は中国における墳丘初現の例になるかもしれない]。「この土?墓は長江下流、特に
江蘇省南部の太湖周辺から浙江省杭州や安徽省屯渓までに分布している。すなわち呉越の地
である。丘陵から平野にかけて径15〜30m、高さ2〜3mほどの大小の塚が群在している」。
「この土?墓の盛土は版築ではなく一つの土?墓の中に数個の埋葬がなされている。それらは
地面に礫石を敷いたり、紅焼土を詰めたりして棺床としている。石を遺体のまわりに並べて
囲ったり、あるいは石室を築いたりしている。その石室も竪穴式と横穴式のタイプがある。
これらの土?墓はだいたい西周時代から春秋時代にかけてのものである」。「この墓から出土
する遺物は、印文硬陶と原始施釉陶が大半であり、また青銅器も出るが、中原の文物とは
異なった図文をもっており、銅剣は身柄一鋳のものである」。
http://www2.saganet.ne.jp/niesu/zyofuku/dotonbo.htm
826 :
日本@名無史さん:2006/08/12(土) 21:56:14
>この墓から出土する遺物は、印文硬陶と原始施釉陶が大半であり、
印文硬陶と原始施釉陶が伝わっていない事には一切触れない低脳学者のすっとぼけぶり(嘲笑)
↑
9cmのチョン半島 火病中 凶暴に付き注意
828 :
日本@名無史さん:2006/08/12(土) 22:16:36
↑
実はコイツが江南誘致の南方人チャンコロ(大爆笑)
829 :
日本@名無史さん:2006/08/12(土) 22:39:15
830 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 14:58:32
831 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 17:08:08
百済は縄文系?
それとも大陸系弥生人?
832 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 21:58:00
今のアメリカの渡来人(白人移民)とインディオの関係を参考に縄文人と渡来人を考える
今のアメリカの言語にインディオの言語は影響しているか?
インディオの文化や宗教は今のアメリカの文化にどのくらい表れているか?
政治の中心には渡来人
上流階級も渡来人
混血や純粋なインディオは辺境で影響力を持たない
833 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 11:04:22
834 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 11:29:33
奈良時代に帰化したペルシア人はここで語ってもいいの?
836 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 14:15:46
837 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 21:20:02
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、
個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、
近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先から愛・地球博のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めての万博に興奮し、
母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
愛・地球博の会場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは割引券で、これでは入場できないと言われた。
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、会場の周辺を夕方まで散歩した。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
うつむいた母は「母ちゃん、入場チケットだと思った。バカでごめんね」と言って
少し涙をこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、
一生懸命に勉強した。
親元を離れて新聞奨学生として大学まで進み、
いっぱしの社会人になり毎月少しばかりの仕送りもできた。
結婚もして、孫を見せてやることもできた。
そんな母が去年の暮れに病気で亡くなった。
死ぬ前に一度だけ目を覚まし、うわごとのように「愛・地球博、ごめんね」と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。
838 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 19:02:18
どこのコピペだよ・・ったく
奈良時代のペルシア人の規模はどれぐらいですか?
840 :
日本@名無史さん:2006/09/28(木) 21:13:15
蒙古班!!!
インカ民族にもあるが なぜアイヌ民族には無いのか!!
アイヌが無いのは蒙古襞の方だろw
むしろアイヌの蒙古班の出現率は99%と日本の中で一番出現率が高いんだよ。
純粋なアイヌなんてもうずいぶん前に絶滅してるのに
よく蒙古斑の有無なんて統計調べられたなw
843 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:32:53
北方アジアは一切抜きの偏向調査で作為的に中国・朝鮮に誘致していた
スットボケ遺伝学者(嘲笑)
宝来センセイによると、韓国や中国にはそれぞれドミナントなミトコンドリアDNAがあるのに、
日本本土では、とくにドミナントなものがない。つまり系統的にさまざまな人たちから成り立って
いるのである。また、これまで、大陸から渡来した弥生人によって分断され、北に追いやられたのが
アイヌ、南に追いやられたのが琉球人といわれてきた。しかし、アイヌと琉球は少なくとも1万2000年
以上まえに分岐しており、紀元前3世紀以降に渡来してきた弥生人によって分断されたんではないという。
1万2000年前にそれぞれ日本に住み着いたアイヌと琉球人。そこへ紀元前3世紀以降になって渡来し、
稲作をはじめた中国・朝鮮系の人びと。こうした人たちの子孫がわたしたちなのだ。
それにしても紀元前3世紀以降の大陸からの渡来って、それ、秦の始皇帝のころの、徐福たちじゃない?
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm http://youtube.com/watch?v=iRD3k2j9BeA
844 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:34:02
まーだ宝来mtDNAデータのトリックと欠陥が分からない脳弱が
いるようなので、簡単に説明しておくと、
朝鮮半島も中国大陸も、古代より北方アジア人の侵入定着が絶え間ない
地域であったのにもかかわらず、宝来mtDNAデータには北方アジア人に
関するタイプのデータが一切出てこない。
しかも、調査サンプルに北方アジア人のサンプルが一つも入っていない。
つまり、宝来mtDNAデータは北方アジア抜きの偏向調査で出された
偏向データなのであって、ただひたすら中国や朝鮮からやって来たと
錯覚させるだけの極めて悪質な欠陥データに過ぎないのである。
845 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 21:17:07
846 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 21:19:26
宝来 宝来 宝来 宝来 宝来
宝来 宝来 宝来 宝来 宝来
宝来 宝来 宝来 宝来 宝来
宝来 宝来 宝来 宝来 宝来
宝来 宝来 宝来 宝来 宝来
宝来 宝来 宝来 宝来 宝来
宝来 宝来 宝来 宝来 宝来
シネ
847 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 14:14:27
ho-
第29代 欽明天皇(509〜571 在位:539〜571)
妃 ▲蘇我堅塩姫 第四皇子 大兄皇子(橘豊日尊) 用明天皇
第三皇女 額田部皇女 推古天皇、敏達天皇后
妃 ▲蘇我小姉君 穴穂部間人皇女 用明天皇后
泊瀬部皇子 崇峻天皇
蘇我氏は渡来系氏族か
BIGLOBE 日本史ボード #9171
2001年04月09日 SPM07550
飛鳥時代の筆頭豪族である蘇我氏一門は、その実在が記録上ではっきりす
るのは蘇我満智からです。その満智が渡来人だとしたら、その影響は大きいも
のがあります。
まず、皇族では崇峻天皇や推古天皇、用明天皇などが渡来人の5代目子孫、
聖徳太子は6代目子孫ということになり、天皇の祖先は意外な側面をみせるこ
とになります。
さらに、これまでの「帰化人史観」では、百済や新羅などから来た「帰化
人」が倭に文化や技術を伝えたと理解していたのですが、それが一転して渡来
系氏族もヤマト政権の一翼をになったということになります。
このように右翼を仰天させるような大胆な説が門脇禎二氏により提唱され
ましたが、この説は地元の明日香(あすか)村教育委員会でもまともに信じら
れているようです。職員のキタムラ氏は蘇我馬子の墓と伝えられる飛鳥の石舞
台を前にテレビでこう語りました(注1)。
「この古墳に葬られている方はどなたかというと、蘇我馬子といわれている。
その当時、今から1400年前に勢力を持っていた方で、この方の先祖、正し
くはひいおじいさんは韓国の百済からお越しになった方で、韓国のお名前を木
羅満致(もくらまち)、そして日本では蘇我満智(まち)という方」
http://www.han.org/a/half-moon/hm081.html
妃 ▲蘇我堅塩姫 第四皇子 大兄皇子(橘豊日尊) 用明天皇
第三皇女 額田部皇女 推古天皇、敏達天皇后
妃 ▲蘇我小姉君 穴穂部間人皇女 用明天皇后
泊瀬部皇子 崇峻天皇
妃 ▲日影皇女
留意されるべきは、欽明天皇皇子に“宗賀之倉王”がいたことである。こ
の皇子の母は日影皇女(宣化天皇の娘)だが、皇子の呼び名が母の出自に縁っ
ていたのなら、満智の後裔の一族に、宮廷倉庫を管掌するものが生じていたと
みられよう」
「蘇我氏はすでに宣化天皇と姻戚関係を結んでいたという、記・紀にも記さ
れていない関係が復元できる。この点、前の拙著(『飛鳥』)で気付きながら
解けなかったこと、つまり、王宮も陵墓もともに蘇我氏の勢力圏の飛鳥の檜
前・身狭に初めて営まれたのが宣化天皇であったことの理由も解けてくるよう
に思う。それは、おそらく蘇我氏が一族の日影皇女の母を、すでに宣化天皇に
納れていたということによっていたのである」
門脇氏は思わぬ発見をしたようですが、それはさておき、以上が門脇説の
あらましです。この説にはもちろん反論があります。たとえば、加藤氏は「い
ずれも蘇我氏と百済との親密な関係を示唆する、いわば状況証拠」と批判しま
した(注2)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm081.html
妃 ▲蘇我堅塩姫 第四皇子 大兄皇子(橘豊日尊) 用明天皇
第三皇女 額田部皇女 推古天皇、敏達天皇后
妃 ▲蘇我小姉君 穴穂部間人皇女 用明天皇后
泊瀬部皇子 崇峻天皇
妃 ▲日影皇女 倉皇子
留意されるべきは、欽明天皇皇子に“宗賀之倉王”がいたことである。こ
の皇子の母は日影皇女(宣化天皇の娘)だが、皇子の呼び名が母の出自に縁っ
ていたのなら、満智の後裔の一族に、宮廷倉庫を管掌するものが生じていたと
みられよう」
「蘇我氏はすでに宣化天皇と姻戚関係を結んでいたという、記・紀にも記さ
れていない関係が復元できる。この点、前の拙著(『飛鳥』)で気付きながら
解けなかったこと、つまり、王宮も陵墓もともに蘇我氏の勢力圏の飛鳥の檜
前・身狭に初めて営まれたのが宣化天皇であったことの理由も解けてくるよう
に思う。それは、おそらく蘇我氏が一族の日影皇女の母を、すでに宣化天皇に
納れていたということによっていたのである」
門脇氏は思わぬ発見をしたようですが、それはさておき、以上が門脇説の
あらましです。この説にはもちろん反論があります。たとえば、加藤氏は「い
ずれも蘇我氏と百済との親密な関係を示唆する、いわば状況証拠」と批判しま
した(注2)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm081.html
851 :
日本@名無史さん:2007/01/07(日) 12:46:09
大内は渡来人の子孫のようだが
852 :
日本@名無史さん:2007/01/26(金) 11:11:21
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
853 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 11:07:23
古代の渡来人は、もうみんな日本人。
854 :
日本@名無史さん:2007/04/01(日) 00:29:12
ふうん
なんとな〜くの想像
群馬南部・埼玉北部〜茨城の薄いタイプの顔=日本人+古代朝鮮人の子孫
関西圏の品のない顔=日本人+近現代朝鮮人の子孫
いわゆる朝鮮人ぽい顔といってもなんか違う
>>855 関西には都があったから渡来人の子孫もそれなりに多く
近現代朝鮮人はどこの地方でもたくさんいます
最低限の知識を蓄えるか、せめてスレを1から読んでから書いてください
想像とかうわ言は学問板では馬鹿にされるだけですよ
858 :
日本@名無史さん:2007/06/25(月) 15:24:18
ちゃまちゃまのおなーりー
859 :
日本@名無史さん:2007/06/26(火) 11:05:20
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。
実はほとんど流れていない。
続日本紀によると、7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。
帰化人の最もピーク時だった7Cでも全部合せて5000人くらい。
それ以前の帰化人が始まる4C、続く5〜6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。
半島帰化人の総数は7〜8000人くらい。
古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。
860 :
日本@名無史さん:2007/06/26(火) 11:14:13
渡来したからといって必ず日本人と結婚して子供を作ったとは
限らないしね。結婚しても子ができなかった人もいるだろうし
861 :
日本@名無史さん:2007/06/26(火) 11:31:39
多くは定着できずに消えていっただろうね。
それに逃げ帰った人も多かったようなんだだよ。
連投乙
ひとつにまとめて書くように
863 :
日本@名無史さん:2007/06/26(火) 12:35:44
はぁ???
861だが、860は俺じゃねえが。
864 :
日本@名無史さん:2007/06/26(火) 17:40:23
鎌倉時代の守護・地頭の派遣
江戸時代の大名の国替え
薄く、広く、日本人の血に溶け込んでる。
>>864 それ言うと、終わっちまう。
軒先貸して母屋取られる形で、トドメ刺される。
867 :
日本@名無史さん:2007/06/26(火) 20:28:59
富山県には呉羽山があるそうで、文字を使えた渡来人が着けたのか、文化そのものが
渡来人によってなされたのかが
868 :
日本@名無史さん:2007/06/26(火) 22:43:45
そりゃ0.001%くらいは入ってるだろうなw
隣の国なんだから無関係ではいられんわな。
ただ渡来人と言うと普通は弥生人を指し、弥生時代に北九州に
やって来た北方モンゴロイド形質の人骨の人類集団を指すのだよ。
それに彼らは半島人ではなくて北方アジア人。
古墳時代にやって来た半島人は帰化人と言って渡来人と区別される。
日本人の血統に深く関与しているのは帰化人ではなく渡来人の方
なのはもう言うまでもないか。
869 :
日本@名無史さん:2007/07/02(月) 17:26:14
>>868 「古墳時代にやって来た半島人は帰化人と言って渡来人と区別される」
そういう区別をする人もいる、というだけですよ。そんな定説があるわけじゃ
ない。むしろ、最近の傾向としては、「帰化人」という言葉は誤解を招くため
「渡来人」という呼び方のほうが一般的でしょう。本来帰化とは、「君王の徳化
に帰服する」、つまり王の徳を慕ってその家来になることですから。手許にあ
る山川の日本史教科書でも、「朝鮮半島からの渡来人(いわゆる帰化人)」に
なっています。
870 :
日本@名無史さん:2007/07/02(月) 19:33:33
おまえ、ひょっとして帰化人と渡来人の違いも分からん厨房か?w
古墳期の方は帰化人で良いんだよ。
帰化人が正しい。
倭国に帰化した異国人(百済国人、高句麗国人、新羅国人)だから
古墳期のものは「帰化人」なんだよ。
871 :
日本@名無史さん:2007/07/02(月) 19:42:03
>>870 俺 「・・なあ、何というか・・手心というか・・」
870 「痛くなければ覚えませぬ。」
869 「打ったね!?オモニにも打たれたことないのにーー!」
======== 半島の歴史 ==========
10世紀 長白山が過去2000年間で世界最大級とも言われる
巨大噴火を起こす(リセット)
1010年 「契丹」に侵略される。首都開城が陥落。(キタン人化)
1013年から1019年まで継続して侵略される。 (キタン人化)
12世紀 「女真」の侵入。侵略。「金」に朝貢。 (満洲人化)
1231年 「蒙古」に侵略される。首都開城が陥落。国王江華島に逃亡
長い間、無抵抗の半島はモンゴル軍に蹂躙される。(モンゴル人化)
1247年 「蒙古」に再侵略される。しばらく蹂躙が続く。 (モンゴル人化)
1258年 雙城総管府を置かれる。翌年、王子を人質に降伏。(モンゴル人化)
国内には多くの蒙古軍人が駐留。 (モンゴル人化)
1270年 東寧府を置かれる。 (モンゴル人化)
反対派が済州島に移って徹底抗戦。1273年に鎮圧 (モンゴル人化)
1274年と1281年「元寇」(半島人主力で日本侵略。が、全滅(モンゴル人化)
1356年から1362年までの紅巾賊侵入により首都開京が陥落 (シナ人化)
1419年 「応永の外寇」 17000人で対馬を襲撃。船、家を焼き、住民を虐殺する。
しかし、少数の対馬軍に撃退される。
1592年 と1598年秀吉の「唐入り」 首都漢城が陥落(短期でヤマト化は無理)
1627年 「金」に侵略される。首都漢城が陥落。国王江華島に逃亡(満洲人化)
1636年 「清」に侵略される。首都漢城が陥落。国王江華島に逃亡(満洲人化)
降伏し、大清国属国となる。(満洲人化)
873 :
日本@名無史さん:2007/07/02(月) 22:16:06
俺は日本人じゃヴォケ!
874 :
日本@名無史さん:2007/07/02(月) 22:55:43
875 :
日本@名無史さん:2007/07/03(火) 01:19:41
>>870「倭国に帰化した異国人(百済国人、高句麗国人、新羅国人)だから
古墳期のものは『帰化人』なんだよ」
こういうのは、トートロジーといって、まともな論理の世界では相手にされ
ないよ。
「天下りとは、天下った人のことである」と定義するのと同じ。
876 :
日本@名無史さん:2007/07/03(火) 09:18:33
877 :
日本@名無史さん:2007/07/03(火) 10:06:26
>>875 こういうのは、トートロジーといって、・・・
横からですが。
確かに、引用された文だけを読むとトートロジー(同語反復、同義反復)になっています。
しかし、文章全体から、「渡来人と帰化人とは違いがあって、古墳期のものは渡来人ではなく帰化人だ」と言いたいのだろうということは理解できます。
トートロジーなんぞと指摘してもペダンチックな揚げ足取りのようなもので、例えば「渡来と帰化の違いは何か」など、建設的な指摘をしたほうがいいと思います。
さて、古墳期のいつごろからかは分かりませんが、日本列島へ来た人たちは、日本の権力者に対し、姓や冠位や官人としての職を欲しがったり(つまり臣下になりたがったり)、地方に土着して農業や馬の飼育などに従事するため土地と食料を欲しがったりします。
弥生のころに渡来した人たちとは明らかに違います。
同じ古墳期でも、こういう人たちと、単に日本にやって来ただけの渡来人(例えば慧慈など)とでも、意味がまったく違います。
日本列島の人間になろうという意思の有無が重要なのでしょう。(その理由が祖国の混乱や滅亡であるかどうかは、関係ない。)
こういうのは本来は「帰化」と言うのでしょうが、アンチ皇国史観という古臭い偏見のため、また現代の政治的問題を歴史という学問の領域に持ち込むという下劣なやり口のため、「帰化ではなく渡来と言え」と強制されているように思われます。
878 :
875:2007/07/04(水) 13:33:08
私も、歴史用語として「帰化人」を一切使うななどと言うつもりはありません。
ただし、「帰化」という言葉は日本書紀以来現在にいたるまで使われているた
め、限定なしに用いると、近代国家成立以降の制度としての帰化(国籍の変更)
と、古代の「帰化」(帰服君王徳化)との区別が曖昧になります。また、たん
なる「他の土地への移住定着」も帰化に含めると、弥生人も、初期アメリカ入
植者も帰化したことになります。
こうした背景から、誤解や政治的利用をまねかないよう、‘70年ごろから「帰
化人」という呼称が見直されるようになったと記憶しています。時代を区切り
厳密に定義した上で使用する必要がある、ということでしょう。
渡来の初代はトモカク、子孫が朝廷より姓をもらったり、新選姓氏録にのっけてもらったりしてる場合は、
「帰化氏族」ってことでイイのでは?
880 :
日本@名無史さん:2007/08/29(水) 12:18:22
>>878 近代国家成立以降の制度としての帰化(国籍の変更)と、古代の「帰化」(帰服君王徳化)との区別が曖昧になります。
これは「帰化ではなく渡来と言え」(
>>877)と強制するときの、建前の典型としてよく聞く話ですね。
しかし、例えば、現代の日本の国籍法にも第五条第一項の六に「・・・政府を暴力で破壊することを・・・主張・・・したことがないこと」という意味の条件があり、どんな思想や主義主張の者でも帰化できるわけではありません。
また、第九条には「日本に特別の功労のある外国人」などの表現があります。
これを見ると、帰化は単に事務的に「国籍の変更」を行うだけの手続きに過ぎないことであるかのような言い方には作為を感じます。
また、他の用語、例えば、「役人」や「官僚」などは、古代は大王や天皇の家来であるのに対し、現代では国民の奉仕者であり、まったく立場が異なりますが、「帰化」のように区別があいまいだから別の用語にしようという意見を聞いたことがありません。
こういうところの一貫性のなさも、悪意を感じます。
アンチ皇国史観という古臭い偏見のため、また現代の政治的問題を歴史という学問の領域に持ち込むという下劣なやり口のため、「帰化ではなく渡来と言え」と強制されているように思われます。
881 :
日本@名無史さん:2007/08/29(水) 17:04:15
現代でも帰化と永住権は別物です。
帰化は、その国の国民になる、その国の義務を負う、その国に貢献する、その国の将来に責任を負うといった精神的な意味が重要だと思います。
これは、古代も近代・現代も、実は変わらないことなのではないでしょうか。(日本では、義務、貢献、責任などは死語かな。)
古代においても、日本に来ただけで日本の制度や風習に馴染もうとせず、姓などをもらえないままでいる者(a)もいたのでしょうが
日本の制度や風習に早く馴染もうとし、姓などを持とうとした人(b)は「帰化人」という言い方でよいのではないでしょうか。
aとb(=帰化人)を併せて「渡来人」と総称し、さらにその子孫を加えて「渡来系」と呼ぶ。
ただし、帰化人とその子孫は、渡来系とはいっても日本人です。
例えば、772年に坂上苅田麻呂などは自ら先祖が「帰化」したと言っているし、その子の田村麻呂も命がけで朝廷に貢献した。
これをわざわざ渡来人とか渡来系とかいうのは、いかがなものか。
一方、820年には、遠江・駿河の新羅人700人が反乱を起こし、大量粛清されています。
これが、日本に住んでいながら日本の制度や風習に馴染もうとせず、日本に貢献することもなく、帰化しなかった渡来系の末路なのでしょう。
何でもかんでも一緒こたにして「渡来系」では、歴史を見る眼が霞み、思考が鈍っていくような気がします。
大和は700年くらいまでに渡来人と混血になり人種の基礎はできた
関東は街ができあがった大和を離れた渡来人により、人が少なく湿地帯だった関東平野に稲作を発達させた。
みたいなのは習ったぜ
近畿人=先祖は渡来人と縄文人の混血
関東人=先祖は渡来人
みたいなのは習ったぜ
ヒステリーチャンネル見ました?
884 :
日本@名無史さん:2007/09/03(月) 17:35:35
>>882 関東人=先祖は渡来人
かわいそうに。
馬鹿教師に嘘を教えられてしまったのですね。
例えば、
東京の狛江古墳群を渡来系の集団の古墳群とする学説は、考古的に崩壊しています。
つまり、コマエ=コマ=高句麗由来 という俗説はウソ!!!
あなたも、「関東人=先祖は渡来人」などとおもっていたら、馬鹿教師の同類・お仲間になってしまいますよ。
885 :
日本@名無史さん:2007/09/03(月) 17:43:20
886 :
日本@名無史さん:2007/09/03(月) 18:12:32
>>882 人が少なく湿地帯だった関東平野に稲作を発達させた
至るところがダウトなことを教えられてしまったのですね。
関東では、稲作は最初は小さな小川や湧き水があるような谷間のような所から始まったと考えられています。
やがて、大規模な土木工事が行われるようになって、平地で大規模な灌漑などにより、田んぼが開発されていきました。
湿地に米をまくだけでは、たいして稲はできませんよ。
きちんと、水の給排水などを考慮した、一定の面積で平坦な田んぼを作らないとダメです。
最近の馬鹿教師は、稲刈り体験だけで米作りを知った気分になり、田んぼ作りに無知だから、トンチンカンなことを教えるのでしょう。
何しろ、自然の川と用水路の区別ができず、また自然の植生と植林との区別が出来ず、植林された山をバックに用水路で遊びながら「自然はいい」とか言う馬鹿レベルが多いですから。
887 :
日本@名無史さん:2007/09/04(火) 23:59:47
在日韓国・朝鮮人は白丁。
888 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 16:23:36
在日韓国・朝鮮人は、ほとんどが白丁と済州島人。
890 :
日本@名無史さん:2007/10/16(火) 07:59:48
はい
891 :
日本@名無史さん:2007/10/16(火) 08:39:03
881 明治維新でも生きていけないような土地に配属された士族がいたように、古代にも
新羅系の氏族が差別が元でひどい土地に追放されたので反乱をおこさざるをえませんでした、
大日本もえいbcdラインで首を絞められたので真珠湾攻撃にさそいこまれてしまい
892 :
日本@名無史さん:2008/01/18(金) 21:56:37
アゲ
893 :
な:2008/01/19(土) 04:06:15
DNAの観点から見ると渡来人の流入が明確になるよ。下戸又は酒が弱い人ってのはアルコールを分解する酵素の欠損DNAを持った人なんだが−両方欠損=下戸、片方欠損=弱い人−
894 :
な:2008/01/19(土) 04:17:02
出アフリカを果たした一部の人類が世界へ拡散する過程に於いてたまたま中国南東部で下戸遺伝子を発生させたのよ。環境下でDNAは突然変異を起こすからね。大陸の東端だから下戸人は東南アジアやら半島へ拡散
895 :
な:2008/01/19(土) 04:28:34
んで半島経由やらあるいは東南部から弥生期に流入したのが第一波と考えられている。原住民=縄文人との混血は定かではないが混在していたわけ。因みに現在でも遠隔地のアフリカ、西欧では下戸DNA保持者は0%
896 :
日本@名無史さん:2008/01/19(土) 04:36:55
いまさら?
897 :
な:2008/01/19(土) 04:45:36
やがて弥生人が幅を利かせ始め日本の原型を造り、純縄文人の一部は隼人や熊襲やアイヌとなって隅に追いやられたがやがて同化して今に至る。下戸=一部の渡来人なわけだが下戸DNAの地方別の構成比を見ると明確
898 :
な:2008/01/19(土) 04:59:37
一位は関西。当たり前。ニ位は関東。後進地域でありながら入植率の高さを物語っている。三位は北九州。近いし当時の先進地域。沖縄、南九州、東北一部は非常に少なく縄文系比率が高い結果となっている。
899 :
な:2008/01/19(土) 05:09:51
国が形成されてからは混血もあるし現代では特性は希薄になったが、今の日本人を調べても上記のような渡来人の多かったと想定される地域では下戸比率が高い結果となっている。携帯からスマソ
900
901 :
日本@名無史さん:2008/01/22(火) 19:30:30
台湾人を叩く奴は全部チョン
台湾に悪い事は全部チョンのせい
李登輝を日本の総理大臣にしよう
日本人は台湾人が大好き
日本人は台湾が好き!朝鮮嫌い!
日本に来る台湾人歓迎!朝鮮人出て行け!
台湾人はマジでかわいい
ヴィック・チョウは日本女性に大人気
日本人種は在日チョン用語
金美齢は絶世の美女
902 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 20:32:42
俺は毛深いほうだし、顔の彫りが深いし、下戸じゃないから縄文系だな。
蘇民祭
904 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 09:50:44
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
905 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 12:31:15
★鮮人系の名字一覧★
『金田』『金森』『金子』『原』…他は?
906 :
日本@名無史さん:2008/02/27(水) 06:55:56
白田白井白畑白山青山青木青野は朝鮮人及び帰化人&部落人に良くみられる
907 :
日本@名無史さん:
日本に渡来人によって漢字が持ち込まれる前は日本人は文字は持たなかったんっすか?
神代文字がどうのっていうのは無しで。