渡来人とその子孫

このエントリーをはてなブックマークに追加
858日本@名無史さん:2007/06/25(月) 15:24:18
ちゃまちゃまのおなーりー
859日本@名無史さん:2007/06/26(火) 11:05:20
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。

実はほとんど流れていない。
続日本紀によると、7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。
帰化人の最もピーク時だった7Cでも全部合せて5000人くらい。

それ以前の帰化人が始まる4C、続く5〜6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。

半島帰化人の総数は7〜8000人くらい。

古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。
860日本@名無史さん:2007/06/26(火) 11:14:13
渡来したからといって必ず日本人と結婚して子供を作ったとは
限らないしね。結婚しても子ができなかった人もいるだろうし

861日本@名無史さん:2007/06/26(火) 11:31:39
多くは定着できずに消えていっただろうね。

それに逃げ帰った人も多かったようなんだだよ。
862日本@名無史さん:2007/06/26(火) 11:58:53
連投乙
ひとつにまとめて書くように
863日本@名無史さん:2007/06/26(火) 12:35:44
はぁ???

861だが、860は俺じゃねえが。
864日本@名無史さん:2007/06/26(火) 17:40:23
鎌倉時代の守護・地頭の派遣
江戸時代の大名の国替え
薄く、広く、日本人の血に溶け込んでる。
865日本@名無史さん:2007/06/26(火) 19:22:20
>>864
それ言うと、終わっちまう。
軒先貸して母屋取られる形で、トドメ刺される。
866日本@名無史さん:2007/06/26(火) 20:19:07
 秦氏=朝鮮人 京都県民と部落民の関係  
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1131991701/
867日本@名無史さん:2007/06/26(火) 20:28:59
富山県には呉羽山があるそうで、文字を使えた渡来人が着けたのか、文化そのものが
渡来人によってなされたのかが
868日本@名無史さん:2007/06/26(火) 22:43:45
そりゃ0.001%くらいは入ってるだろうなw

隣の国なんだから無関係ではいられんわな。

ただ渡来人と言うと普通は弥生人を指し、弥生時代に北九州に
やって来た北方モンゴロイド形質の人骨の人類集団を指すのだよ。

それに彼らは半島人ではなくて北方アジア人。

古墳時代にやって来た半島人は帰化人と言って渡来人と区別される。

日本人の血統に深く関与しているのは帰化人ではなく渡来人の方
なのはもう言うまでもないか。
869日本@名無史さん:2007/07/02(月) 17:26:14
>>868 「古墳時代にやって来た半島人は帰化人と言って渡来人と区別される」

そういう区別をする人もいる、というだけですよ。そんな定説があるわけじゃ
ない。むしろ、最近の傾向としては、「帰化人」という言葉は誤解を招くため
「渡来人」という呼び方のほうが一般的でしょう。本来帰化とは、「君王の徳化
に帰服する」、つまり王の徳を慕ってその家来になることですから。手許にあ
る山川の日本史教科書でも、「朝鮮半島からの渡来人(いわゆる帰化人)」に
なっています。
870日本@名無史さん:2007/07/02(月) 19:33:33
おまえ、ひょっとして帰化人と渡来人の違いも分からん厨房か?w

古墳期の方は帰化人で良いんだよ。

帰化人が正しい。

倭国に帰化した異国人(百済国人、高句麗国人、新羅国人)だから
古墳期のものは「帰化人」なんだよ。
871日本@名無史さん:2007/07/02(月) 19:42:03
>>870

俺   「・・なあ、何というか・・手心というか・・」
870 「痛くなければ覚えませぬ。」
869 「打ったね!?オモニにも打たれたことないのにーー!」
872日本@名無史さん:2007/07/02(月) 21:14:29
======== 半島の歴史 ==========
10世紀 長白山が過去2000年間で世界最大級とも言われる
    巨大噴火を起こす(リセット)
1010年 「契丹」に侵略される。首都開城が陥落。(キタン人化)
1013年から1019年まで継続して侵略される。   (キタン人化)
12世紀 「女真」の侵入。侵略。「金」に朝貢。   (満洲人化)
1231年 「蒙古」に侵略される。首都開城が陥落。国王江華島に逃亡
    長い間、無抵抗の半島はモンゴル軍に蹂躙される。(モンゴル人化)
1247年 「蒙古」に再侵略される。しばらく蹂躙が続く。 (モンゴル人化)
1258年 雙城総管府を置かれる。翌年、王子を人質に降伏。(モンゴル人化)
    国内には多くの蒙古軍人が駐留。        (モンゴル人化)
1270年 東寧府を置かれる。              (モンゴル人化)
    反対派が済州島に移って徹底抗戦。1273年に鎮圧 (モンゴル人化)
1274年と1281年「元寇」(半島人主力で日本侵略。が、全滅(モンゴル人化)
1356年から1362年までの紅巾賊侵入により首都開京が陥落 (シナ人化)
1419年 「応永の外寇」 17000人で対馬を襲撃。船、家を焼き、住民を虐殺する。
    しかし、少数の対馬軍に撃退される。
1592年 と1598年秀吉の「唐入り」 首都漢城が陥落(短期でヤマト化は無理)
1627年 「金」に侵略される。首都漢城が陥落。国王江華島に逃亡(満洲人化)
1636年 「清」に侵略される。首都漢城が陥落。国王江華島に逃亡(満洲人化)
    降伏し、大清国属国となる。(満洲人化)
873日本@名無史さん:2007/07/02(月) 22:16:06
俺は日本人じゃヴォケ!
874日本@名無史さん:2007/07/02(月) 22:55:43
>>873

在日と申したか
875日本@名無史さん:2007/07/03(火) 01:19:41
>>870「倭国に帰化した異国人(百済国人、高句麗国人、新羅国人)だから
古墳期のものは『帰化人』なんだよ」
こういうのは、トートロジーといって、まともな論理の世界では相手にされ
ないよ。
「天下りとは、天下った人のことである」と定義するのと同じ。
876日本@名無史さん:2007/07/03(火) 09:18:33

黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!


赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。


それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄で臭くて汚らしい穢れた遺伝子。

台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。

赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。

gm遺伝子
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
877日本@名無史さん:2007/07/03(火) 10:06:26
>>875 こういうのは、トートロジーといって、・・・
横からですが。
確かに、引用された文だけを読むとトートロジー(同語反復、同義反復)になっています。
しかし、文章全体から、「渡来人と帰化人とは違いがあって、古墳期のものは渡来人ではなく帰化人だ」と言いたいのだろうということは理解できます。
トートロジーなんぞと指摘してもペダンチックな揚げ足取りのようなもので、例えば「渡来と帰化の違いは何か」など、建設的な指摘をしたほうがいいと思います。

さて、古墳期のいつごろからかは分かりませんが、日本列島へ来た人たちは、日本の権力者に対し、姓や冠位や官人としての職を欲しがったり(つまり臣下になりたがったり)、地方に土着して農業や馬の飼育などに従事するため土地と食料を欲しがったりします。
弥生のころに渡来した人たちとは明らかに違います。
同じ古墳期でも、こういう人たちと、単に日本にやって来ただけの渡来人(例えば慧慈など)とでも、意味がまったく違います。
日本列島の人間になろうという意思の有無が重要なのでしょう。(その理由が祖国の混乱や滅亡であるかどうかは、関係ない。)

こういうのは本来は「帰化」と言うのでしょうが、アンチ皇国史観という古臭い偏見のため、また現代の政治的問題を歴史という学問の領域に持ち込むという下劣なやり口のため、「帰化ではなく渡来と言え」と強制されているように思われます。
878875:2007/07/04(水) 13:33:08
私も、歴史用語として「帰化人」を一切使うななどと言うつもりはありません。
ただし、「帰化」という言葉は日本書紀以来現在にいたるまで使われているた
め、限定なしに用いると、近代国家成立以降の制度としての帰化(国籍の変更)
と、古代の「帰化」(帰服君王徳化)との区別が曖昧になります。また、たん
なる「他の土地への移住定着」も帰化に含めると、弥生人も、初期アメリカ入
植者も帰化したことになります。
こうした背景から、誤解や政治的利用をまねかないよう、‘70年ごろから「帰
化人」という呼称が見直されるようになったと記憶しています。時代を区切り
厳密に定義した上で使用する必要がある、ということでしょう。
879日本@名無史さん:2007/08/06(月) 00:26:01
渡来の初代はトモカク、子孫が朝廷より姓をもらったり、新選姓氏録にのっけてもらったりしてる場合は、
「帰化氏族」ってことでイイのでは?
880日本@名無史さん:2007/08/29(水) 12:18:22
>>878 近代国家成立以降の制度としての帰化(国籍の変更)と、古代の「帰化」(帰服君王徳化)との区別が曖昧になります。

これは「帰化ではなく渡来と言え」(>>877)と強制するときの、建前の典型としてよく聞く話ですね。

しかし、例えば、現代の日本の国籍法にも第五条第一項の六に「・・・政府を暴力で破壊することを・・・主張・・・したことがないこと」という意味の条件があり、どんな思想や主義主張の者でも帰化できるわけではありません。
また、第九条には「日本に特別の功労のある外国人」などの表現があります。
これを見ると、帰化は単に事務的に「国籍の変更」を行うだけの手続きに過ぎないことであるかのような言い方には作為を感じます。

また、他の用語、例えば、「役人」や「官僚」などは、古代は大王や天皇の家来であるのに対し、現代では国民の奉仕者であり、まったく立場が異なりますが、「帰化」のように区別があいまいだから別の用語にしようという意見を聞いたことがありません。
こういうところの一貫性のなさも、悪意を感じます。
アンチ皇国史観という古臭い偏見のため、また現代の政治的問題を歴史という学問の領域に持ち込むという下劣なやり口のため、「帰化ではなく渡来と言え」と強制されているように思われます。
881日本@名無史さん:2007/08/29(水) 17:04:15
現代でも帰化と永住権は別物です。
帰化は、その国の国民になる、その国の義務を負う、その国に貢献する、その国の将来に責任を負うといった精神的な意味が重要だと思います。
これは、古代も近代・現代も、実は変わらないことなのではないでしょうか。(日本では、義務、貢献、責任などは死語かな。)

古代においても、日本に来ただけで日本の制度や風習に馴染もうとせず、姓などをもらえないままでいる者(a)もいたのでしょうが
日本の制度や風習に早く馴染もうとし、姓などを持とうとした人(b)は「帰化人」という言い方でよいのではないでしょうか。
aとb(=帰化人)を併せて「渡来人」と総称し、さらにその子孫を加えて「渡来系」と呼ぶ。
ただし、帰化人とその子孫は、渡来系とはいっても日本人です。

例えば、772年に坂上苅田麻呂などは自ら先祖が「帰化」したと言っているし、その子の田村麻呂も命がけで朝廷に貢献した。
これをわざわざ渡来人とか渡来系とかいうのは、いかがなものか。

一方、820年には、遠江・駿河の新羅人700人が反乱を起こし、大量粛清されています。
これが、日本に住んでいながら日本の制度や風習に馴染もうとせず、日本に貢献することもなく、帰化しなかった渡来系の末路なのでしょう。

何でもかんでも一緒こたにして「渡来系」では、歴史を見る眼が霞み、思考が鈍っていくような気がします。
882日本@名無史さん:2007/08/30(木) 04:35:46
大和は700年くらいまでに渡来人と混血になり人種の基礎はできた
関東は街ができあがった大和を離れた渡来人により、人が少なく湿地帯だった関東平野に稲作を発達させた。
みたいなのは習ったぜ



近畿人=先祖は渡来人と縄文人の混血
関東人=先祖は渡来人

みたいなのは習ったぜ
883日本@名無史さん:2007/09/03(月) 16:37:17
ヒステリーチャンネル見ました?
884日本@名無史さん:2007/09/03(月) 17:35:35
>>882 関東人=先祖は渡来人
かわいそうに。
馬鹿教師に嘘を教えられてしまったのですね。

例えば、
東京の狛江古墳群を渡来系の集団の古墳群とする学説は、考古的に崩壊しています。
つまり、コマエ=コマ=高句麗由来 という俗説はウソ!!!

あなたも、「関東人=先祖は渡来人」などとおもっていたら、馬鹿教師の同類・お仲間になってしまいますよ。
885日本@名無史さん:2007/09/03(月) 17:43:20
>>882 大和は700年くらいまでに渡来人と混血になり人種の基礎はできた 関東は街ができあがった大和を離れた渡来人により、人が少なく湿地帯だった関東平野に稲作を発達させた。

一度、最寄の地域の遺跡地図などを実際に見てごらんなさい。
(例えば、ttp://www.syougai.metro.tokyo.jp/iseki0/iseki/index.htm
そして、遺跡、特に弥生時代や古墳時代の遺跡の密度が濃密な地域が多いことを実感してください。

関東の多くの地域は、7〜8世紀ころの渡来人が来るより、はるか以前から開けていました。
886日本@名無史さん:2007/09/03(月) 18:12:32
>>882 人が少なく湿地帯だった関東平野に稲作を発達させた
至るところがダウトなことを教えられてしまったのですね。

関東では、稲作は最初は小さな小川や湧き水があるような谷間のような所から始まったと考えられています。
やがて、大規模な土木工事が行われるようになって、平地で大規模な灌漑などにより、田んぼが開発されていきました。

湿地に米をまくだけでは、たいして稲はできませんよ。
きちんと、水の給排水などを考慮した、一定の面積で平坦な田んぼを作らないとダメです。

最近の馬鹿教師は、稲刈り体験だけで米作りを知った気分になり、田んぼ作りに無知だから、トンチンカンなことを教えるのでしょう。
何しろ、自然の川と用水路の区別ができず、また自然の植生と植林との区別が出来ず、植林された山をバックに用水路で遊びながら「自然はいい」とか言う馬鹿レベルが多いですから。
887日本@名無史さん:2007/09/04(火) 23:59:47
在日韓国・朝鮮人は白丁。
888日本@名無史さん:2007/09/11(火) 16:23:36
在日韓国・朝鮮人は、ほとんどが白丁と済州島人。
889日本@名無史さん:2007/09/11(火) 22:02:27
>>882
どこぞの変人に習ったのか
890日本@名無史さん:2007/10/16(火) 07:59:48
はい
891日本@名無史さん:2007/10/16(火) 08:39:03
881 明治維新でも生きていけないような土地に配属された士族がいたように、古代にも
新羅系の氏族が差別が元でひどい土地に追放されたので反乱をおこさざるをえませんでした、
大日本もえいbcdラインで首を絞められたので真珠湾攻撃にさそいこまれてしまい
892日本@名無史さん:2008/01/18(金) 21:56:37
アゲ
893:2008/01/19(土) 04:06:15
DNAの観点から見ると渡来人の流入が明確になるよ。下戸又は酒が弱い人ってのはアルコールを分解する酵素の欠損DNAを持った人なんだが−両方欠損=下戸、片方欠損=弱い人−
894:2008/01/19(土) 04:17:02
出アフリカを果たした一部の人類が世界へ拡散する過程に於いてたまたま中国南東部で下戸遺伝子を発生させたのよ。環境下でDNAは突然変異を起こすからね。大陸の東端だから下戸人は東南アジアやら半島へ拡散
895:2008/01/19(土) 04:28:34
んで半島経由やらあるいは東南部から弥生期に流入したのが第一波と考えられている。原住民=縄文人との混血は定かではないが混在していたわけ。因みに現在でも遠隔地のアフリカ、西欧では下戸DNA保持者は0%
896日本@名無史さん:2008/01/19(土) 04:36:55
いまさら?
897:2008/01/19(土) 04:45:36
やがて弥生人が幅を利かせ始め日本の原型を造り、純縄文人の一部は隼人や熊襲やアイヌとなって隅に追いやられたがやがて同化して今に至る。下戸=一部の渡来人なわけだが下戸DNAの地方別の構成比を見ると明確
898:2008/01/19(土) 04:59:37
一位は関西。当たり前。ニ位は関東。後進地域でありながら入植率の高さを物語っている。三位は北九州。近いし当時の先進地域。沖縄、南九州、東北一部は非常に少なく縄文系比率が高い結果となっている。
899:2008/01/19(土) 05:09:51
国が形成されてからは混血もあるし現代では特性は希薄になったが、今の日本人を調べても上記のような渡来人の多かったと想定される地域では下戸比率が高い結果となっている。携帯からスマソ
900日本@名無史さん:2008/01/19(土) 16:26:44
900
901日本@名無史さん:2008/01/22(火) 19:30:30
台湾人を叩く奴は全部チョン
台湾に悪い事は全部チョンのせい
李登輝を日本の総理大臣にしよう
日本人は台湾人が大好き
日本人は台湾が好き!朝鮮嫌い!
日本に来る台湾人歓迎!朝鮮人出て行け!
台湾人はマジでかわいい
ヴィック・チョウは日本女性に大人気
日本人種は在日チョン用語



金美齢は絶世の美女


902日本@名無史さん:2008/02/03(日) 20:32:42
俺は毛深いほうだし、顔の彫りが深いし、下戸じゃないから縄文系だな。
903日本@名無史さん:2008/02/03(日) 22:33:00
蘇民祭
904日本@名無史さん:2008/02/26(火) 09:50:44
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
905日本@名無史さん:2008/02/26(火) 12:31:15
★鮮人系の名字一覧★
『金田』『金森』『金子』『原』…他は?
906日本@名無史さん:2008/02/27(水) 06:55:56
白田白井白畑白山青山青木青野は朝鮮人及び帰化人&部落人に良くみられる
907日本@名無史さん
日本に渡来人によって漢字が持ち込まれる前は日本人は文字は持たなかったんっすか?

神代文字がどうのっていうのは無しで。