1 :
日本@名無史さん:
2 :
日本@名無史さん:02/07/16 19:04
2ゲット
4 :
日本@名無史さん:02/07/16 23:37
肴に何よけむ鮑栄螺か石陰子良けむ
これは婿取りに熱心な親が意中の男に対し
「(酒の)肴には鮑や栄螺もいいでしょうが、なんといってもうちの娘のおまんこが
最高ですよ、イヒヒヒ」と誘っていると解釈してもいいのでしょうか?
5 :
日本@名無史さん:02/07/17 00:58
3のリンク先を見ない人もいると思うので書きますが
ちゃんと質問スレはありますので3のリンクをたどってください。
このスレは削除すべきでしょう。
「質問」で検索してヒットしないスレタイをつけた方も手落ちだけどね。
質問何ですが。
戦争時の日本と今の日本は根本的に国が違うんでしょうか?
それとも国が同じで憲法が改制されただけ何でしょうか?
どなたか教えて貰えないでしょうか?
お願いします。
>>3の所で聞いた方がいいみたいっすね・・・
失礼しました・・・・。
8 :
日本@名無史さん:02/07/25 18:38
戊辰戦争の時、官軍の武将がかぶってるライオンのたてがみみたいなのは
何という名前なんですか?
白黒赤の三色あるようですが。
9 :
日本@名無史さん:02/07/25 18:49
天武天皇の皇位簒奪説を真剣に解説しているサイトかスレないでしょうか?
2ch過去ログ検索したのですが、朝鮮の話に途中から脱線しているものか
荒らされてるモノしかなかったです…
井沢の読んだだけだから、詳しい反論を見たいのですが
其ノ七が1000逝くまでsageで参ります。
明日は晴れますか?
19 :
日本@名無史さん:02/07/29 22:38
坂本竜馬展をやってるのは京都のどこでしたっけ?
21 :
日本@名無史さん :02/08/01 13:00
昔、子供の好きな物は「巨人、大鵬、卵焼き」だったそうですが
今なら何なんでしょう?
22 :
日本@名無史さん:02/08/01 14:03
>21
お金、ベッカム、ハンバーグ
23 :
日本@名無史さん:02/08/01 14:49
>21
マリナーズ ヒクソン コンビニ食品
24 :
日本@名無史さん:02/08/01 15:33
>22
ベッカムは工房らへんじゃない?
古代の名族・ふんや氏には表記が2つあり、
綿麻呂のように「文室」と書かれる場合と
康秀のように「文屋」と書かれる場合とが
ありますが……この2つのふんや氏はどう
違うのですか?
26 :
日本@名無史さん:02/08/08 08:36
征夷大将軍や関白、太政大臣になるには
「源氏の一族、藤原の一族」だということが条件になり、
それらの系譜を継いでいない、養子縁組を断られたがためにそれらの職に就けない者もいた、
と聞きましたが、
そのような人たちは当時の日本の最高権力者であったはずです。
なぜ制度自体を(自分でも継げるように)変えたり、
あるいはそれらの上にあたる新しい職を作ったりしなかったのでしょうか?
27 :
日本@名無史さん:02/08/11 17:36
すみません、「明智光秀生存説」なるものをどこかで見かけたんですが、
これって何か根拠があるものなのでしょうか?
光秀は秀吉と戦ったあと、戦死したんじゃないんですか?
29 :
日本@名無史さん:02/08/13 02:37
このスレッドが理解できないが、
>>1 の質問に。
越中富山は約30万石、能登は約20万石。加賀はさて約50万石でしょうか?
30 :
日本@名無史さん:02/08/13 02:50
>>27 明智光秀七十五歳とかって彫られた石碑が残ってんだよ。
あと、南光坊天海っていう坊主になったとも言われてる。
32 :
日本@名無史さん:02/08/13 19:02
なんで江戸を「八百八町」というんでしょうか?
新スレってどうやってたてるんですか?
34 :
考える名無しさん:02/08/15 04:16
日本史の勉強ができる客観的なサイトないでしょうか?
35 :
【 ´,_ゝ`】参議ショッカー:02/08/15 09:17
36 :
日本@名無史さん:02/08/15 10:46
世界的に大東亜戦争が終結したのは千九百四十五年九月四日とされているやうですが、
その所以は何でありますか
37 :
日本@名無史さん:02/08/21 12:49
笑っていいともご先祖様スレはどこに行った?
なくなったのなら、立てようか?
38 :
日本@名無史さん:02/08/21 14:37
徳川家の初代から十代目まで教えてください。至急です。マジお願いします
39 :
日本@名無史さん:02/08/21 14:45
家康,秀忠,家光,家綱,綱吉,家宣,家継,吉宗,家重,家治
40 :
2チャンねるで超有名サイト:02/08/21 14:47
41 :
日本@名無史さん:02/08/21 14:51
42 :
日本@名無史さん:02/08/21 16:05
43 :
日本@名無史さん:02/08/22 00:57
>>39 遅くなりましたがありがとうございました。
sage
ちょっと知りたいのですが・・
武将のフィギアが付いてる本があると思うのですが、タイトルが不明です。
教えてくだされ!
47 :
日本@名無史さん:02/09/13 02:37
戦国覇王ですな。
かの扶桑社から出てます。
47さん ありがとうございました。
49 :
日本@名無史さん:02/09/14 22:30
江戸時代の制度について詳しく書いてあるサイトはありませんか?
その制度について不満は持たなかったんでしょうか?
漏れがここに書くの間違ってたら移動ヨロ
50 :
日本@名無史さん:02/09/15 21:54
ヽ(`Д´)ノウワァァァン 誰かかいてけれ
51 :
日本@名無史さん:02/09/16 01:57
三島由紀夫って割腹した後、介錯ってどうやったんですか?
まさか、首バッサリ・・・?
52 :
日本@名無史さん:02/09/16 08:00
>51
森田必勝が介錯したが、失敗したんで別の同志が首を落とした。
>>49-50 何の制度?身分制?幕藩制?
キィワードをいくつか入れて検索すれば出ると思うよ
54 :
日本@名無史さん:02/09/17 01:24
民藝運動ってなんと読むのですか?
55 :
日本@名無史さん:02/09/17 11:01
>54
「みんげいうんどう」
「藝」は「芸」の旧字体。
56 :
日本@名無史さん:02/09/17 11:24
>>52 なかなか首が落ちずに頭蓋に数度歯が直撃したため
かなり凄惨だったようだな。
三島も苦しんだろうな。
57 :
日本@名無史さん:02/09/18 00:21
松前船について詳しく載ってるホームページありますか?
58 :
日本@名無史さん:02/09/18 01:13
嘉納の三家と治五郎の父親の関係がはっきりしません知っていたら教えて下さい
すいません、やっぱりいいです。
質問です。
伊達の騎馬鉄砲ってのは実在したんでしょうか?
武田騎馬隊が虚構というのを知って以降、気になっております。
講談か何かの創作なのでしょうか?
史料に出てくるのであれば、何に出てくるのでしょうか?
ご教授願います。
61 :
日本@名無史さん:02/09/19 17:06
質問
朝鮮が南北に別れたのは何年ですか?
挑戦を植民地にしていた時期は何年ですか?
62 :
日本@名無史さん:02/09/20 18:33
嘉納治五郎の父親は本嘉納家の出身らしいですが、
そこから、またわかりません、征服してください。
小さい頃から疑問に思っていること。
「東京都」は「東京」、「京都府」は「京都」、
「埼玉県」は
\ │ /
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─( ゚ ∀ ゚ )< さいたまさいたま!
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∩ ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< さいたまさいたまさいたま!
さいたま〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
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 ̄ / /
 ̄
では、「北海道」が「北海」と呼ばれないのは何故?
あと、東京が「都」なのも、京都が「府」なのも、なんとなく理解できるんだけど、
(首都であったり、朝廷があった場所であったり、だと思っている。)
北海道が「道」であることと、大阪が「府」であることが理解できない…。
何か意味はあるの?
64 :
日本@名無史さん:02/09/23 01:24
>>63 うろおぼえですが
北海道は東海道、東山道などとと同じ扱い。
明治になって蝦夷地が国割されたとき、北海道とされた。
すぐに北海道開拓使かなんかで統括されたため。
府については、当初首都候補とであった大阪、京都、東京は「府」とされた。
東京はのちに「市」を経て「都」になった。
65 :
日本@名無史さん:02/09/23 01:40
忠臣蔵について。
浅野内匠頭が、吉良上野介に切りかかったのは
実はとんでもなく恥ずかしい理由だった・・・
と聞いたことがあるのですが、詳しいことご存知の
方いらっしゃいましたらぜひカキコお願いいたします。
ハイ。
66 :
日本@名無史さん:02/09/23 04:49
室町時代の守護制度について解説したサイトor書物でいいものありませんか?
特に分郡守護とか半国守護について知りたいです。
67 :
日本@名無史さん:02/09/23 07:19
戦前、満州に取り残された中国残留日本孤児は今でも話題になりますが、その逆の
日本残留中国孤児というケースもあるはずですが、全然取りざたされないのは
何故でしょうか。私の素朴な疑問であります。
68 :
日本@名無史さん:02/09/23 08:08
嘉納治五郎 18601938 父は加納治郎作 1813-1885
69 :
日本@名無史さん:02/09/23 08:16
>>63 >>64さんを補足すると、「北海道」は戦前まで単なる地名だったからです。
開拓使廃止後、札幌・函館・根室の3県が置かれたこともありますが、
すぐに廃止され北海道全域を統括する北海道庁が設置されました。
この場合、「北海道」が地名で「庁」が官庁名、トップは「長官」です。
自治体としては「北海道地方費」という名称の法人が存在しました。
つまり、戦後になるまで「道」という自治体は存在しなかったわけです。
>>64 東京府と東京市は並存しています。
二重行政の弊害のため、戦時中に統合され東京都になりました。
この場合、「東京」が地名で「都」が官庁名、トップは「長官」です。
長官は上記の北海道の他、戦時中に内地に編入された樺太庁にもいました。
したがって、戦時中は「都道府県」ではなく「都庁府県」でした。
71 :
日本@名無史さん:02/09/23 08:26
御影町の加納治作の養子、加納家は本嘉納の分家?
72 :
日本@名無史さん:02/09/23 08:34
加納と嘉納の姓は表記上の問題なのか???
「北海」という呼び名が使用されたこともごく短期間あります。
大戦末期、広域行政の必要上、全国に「地方総監府」が設置された際、
北海道・樺太を統括する「北海地方総監」が任命されました。
この場合、「北海地方」には樺太も含まれていますが・・・
74 :
日本@名無史さん:02/09/23 09:12
>65
昔、赤穂事件を題材にした小説を読んだ事がある。
その小説では、浅野内匠守は乱心して吉良に斬りかかった。
つまり、吉良に非は無い。という事だった。
続き
乱心なら後継ぎがいればその人に継がせてお家断絶とはならなかった。
(現に、殿の叔父さんが起こした事件ではご乱心上での犯行と処理されお家存続が認められた)
大石は殿がご乱心の上吉良を斬ったと考えていた。なのでそこのところを
何とか幕府に理解してもらい殿の弟に後を継がせてとお家存続に最大限努力した。
しかし、乱心として処理されず殿の弟は本家(広島藩)預かりとなりお家断絶となった。
この裁定に納得に行かない大石は“そっちがその気ならこれは喧嘩だ”といって吉良邸に討ち入りをした。
この討ち入りは徳川綱吉への当てつけ。でも、まさか江戸城に討ち入りするわけにも行かないので
吉良邸になった。なにも悪くなかった吉良は単なるとばっちりで本当にお気の毒と言う話でした。
乱心として処理されなかった理由は
浅野内匠守が当時仰せつかっていた役目は朝廷からの使者の接待係。
それも親孝行な徳川綱吉が母へ破格の位を贈ろうとしていてそれに係わる朝廷の使者の接待係だった。
幕府の裁定の際には浅野内匠守は乱心の上での犯行という意見もあったそうだが
乱心として処理をすれば、徳川綱吉としては母の為の大事な朝廷からの使者の接待係に乱心者を担当させていた
というになる。それは絶対に認められない事だった。で、お家断絶となった。
76 :
日本@名無史さん:02/09/23 11:38
側室って愛人でしょうか?
77 :
日本@名無史さん:02/09/23 11:39
>76
厳密には違います。
78 :
日本@名無史さん:02/09/23 11:45
子供を生まない側室は家臣扱いで、子供ができたら家族扱いになるの?
79 :
日本@名無史さん:02/09/23 11:45
>>77 どう違うのでしょうか?
正室は妻なら側室は?
80 :
日本@名無史さん:02/09/23 11:55
妾だろ。
81 :
日本@名無史さん:02/09/23 12:48
正室=妻
側室=妻
どちらも同じ
82 :
日本@名無史さん:02/09/23 12:52
>>81 側室の子は正室に子が生まれなったら家督をついで正室に子が生まれたら
出家とか他の家に養子として出されるんだっけ?
>>81 消防・厨房にいいかげんなことを吹き込むな
正室=主人の配偶者
側室=使用人
地位がまったく違う
84 :
日本@名無史さん:02/09/23 18:31
豊臣秀吉やその近親の苗字はずっと「羽柴」だったのではないでしょうか?
「豊臣朝臣」というのは、いわば徳川氏の「源朝臣」にあたるものでしょ。
当時の武家の習慣からいって、苗字がないということは考えられないのですが。
85 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/09/23 18:58
結局こっちが本スレなの??
86 :
日本@名無史さん:02/09/23 19:01
16 名前:日本@名無史さん :02/09/23 12:03
戦略結婚で幼い時に結婚した場合でもSEXはちゃんとするのか?
87 :
日本@名無史さん:02/09/23 19:03
脇毛の処理はしたのでしょうか?
88 :
日本@名無史さん:02/09/23 19:13
>>87 しません、日本人が腋毛の処理をするようになったのは20〜30年前から。
89 :
日本@名無史さん:02/09/24 11:27
90 :
日本@名無史さん:02/09/24 19:07
>>89 多分、当時の人が姓と名字と両方使っていたことをさしているのでは?
例、源朝臣家康と徳川三河守家康
91 :
日本@名無史さん:02/09/24 21:30
日の丸が国旗になった由来を誰か教えてください。
92 :
日本@名無史さん:02/09/24 21:52
こんな記述を発見。
-----以下引用----------------------------------
こん皇室で日章旗(日の丸)が重んじられたのは、皇祖神である天照御大神がその御神徳(寛大・温和・公平無私・広大無辺)から「太陽神」と崇められたからだと考えられる。
その後、平安末期源平の頃になると武士が台頭し、盛んに日の丸の扇等を使用した。
那須与一が射落とした扇も日の丸であったらしい。
南北朝時代には、後醍醐天皇が武将に日の丸を下賜された記録もある。この頃より、紅い日の丸が使用された様だ。
秀吉は朝鮮半島出兵の折、船に日の丸を掲げたとも言われている。
江戸時代なると、幕府が船に日の丸を使用した。1854年7月11日、日米和親条約締結の折、徳川斉昭・島津斉彬等の提案により国旗として日章旗が「日本総船印」と決定した。
正式に色・寸法等を含む国旗が制定されたのは、明治3年1月27日の太政官布告57号によってである。この事により以後、「日章旗」は国内外でも日本の国旗だと認識されてきた。
最初の部分が抜けたので追加。
日本では、文武天皇元年(697)正月の儀式に当たって、大極殿の前に掲げられた事が初めて記録に記されている。
94 :
日本@名無史さん:02/09/25 15:14
質問
茶釜の表面のブツブツはどんな意味があるんでしょうか?
95 :
日本@名無史さん:02/09/25 22:05
96 :
日本@名無史さん:02/09/26 20:51
>>84>>90 豊臣というのは、あくまで「氏」であって「名字」ではないよね。
だから「豊臣秀吉」という言い方は「源家康」に対応するものであって、
「徳川家康」と並べて書くのなら「羽柴秀吉」でないとおかしい。
それとも豊臣というのは、「氏」でもあり「名字」でもあるのか?
97 :
日本@名無史さん:02/09/26 21:08
>>95 そもそもの原因は軍令部が外務省に正確な開戦時刻をいくら聞いても教えなかったところにあるよ
98 :
日本@名無史さん:02/09/26 21:52
>>96 実弟の秀長について「羽柴秀長」と表記する本もあります。
誰か豊臣姓と羽柴名字の件について納得いく説明のできる人はいませんか?
99 :
日本@名無史さん:02/09/27 14:02
豊臣=氏
羽柴=苗字
これは明らかでしょう。
豊臣賜姓後の秀吉は、苗字を使用しなくなったと思われるので、
厳密には不明ということになるかもしれません。
ただ、諸大名に豊臣、羽柴の名をそれぞれ別個に与えているので、
苗字は羽柴のままということではないでしょうか。
100 :
日本@名無史さん:02/09/28 16:00
でも豊臣って氏なのに後に「とよとみの」ってゆうふうに「の」をつけないね。
もしや豊臣は氏でもあり苗字でもあるんでは?
101 :
日本@名無史さん:02/09/28 16:15
天下餅の歌(羽柴がこねし云々)や歌舞伎の「真柴久吉」から考えると、
近世は「羽柴秀吉」の方で一般には知られていたのでは?
そもそも武将や大名の名前を実名で呼ぶことって昔は少なかったし・・・
102 :
日本@名無史さん:02/09/29 01:59
蘇我入鹿はな・・・実は中大兄皇子の妄想なんですか
104 :
日本@名無史さん:02/09/29 19:46
105 :
日本@名無史さん:02/09/30 12:46
>100
>でも豊臣って氏なのに後に「とよとみの」ってゆうふうに「の」をつけないね。
本当は「の」をつけないといけない。
106 :
日本@名無史さん:02/10/01 09:54
新選組についてのスレってありますか?
立てても重複しそうだし、荒らされそうだし
ふつうに伸びていってるスレがあれば別板でもいいです
107 :
日本@名無史さん:02/10/01 10:35
>>106 比較的まじめなレスが多いのは
高台寺党にかんするスレッドです。
探してみて。
>>107 ありがとうございます
うっかり801板とか探してみちゃったりして鬱
109 :
日本@名無史さん :02/10/01 21:33
北岡 伸一の著作に手を出してみようと思っているんですが評判はどうでしょうか?
皆さんの評価、プロの評価、もしよろしければ教えてください。
110 :
日本@名無史さん:02/10/07 01:18
日本の首相で暗殺されたのって
原敬と犬養毅だけだっけ?
111 :
日本@名無史さん:02/10/07 13:36
質問です。
日本で稲作の歴史が古い地域は何処ですか?
発見された遺物ベースなら、
岡山市朝寝鼻貝塚から出土した炭化米-6千年前(B.C.4,000年)では。
>>112 レスありがとうございます。
でもちょっと古すぎます。(しかしたいへん勉強になりました・・・)
私の質問が大雑把過ぎました。
例えば今は米所と言えば新潟ですが、
新潟の水田が整備されてきたのは昭和30年代の頃だそうです。
それではその頃の米所は何処だったのでしょうか?
また江戸時代はどうだったのでしょうか?
114 :
日本@名無史さん:02/10/07 23:23
115 :
日本@名無史さん:02/10/08 00:33
116 :
日本@名無史さん:02/10/08 00:39
117 :
日本@名無史さん:02/10/09 12:55
武士の食生活について質問です。
江戸時代の武士は「西瓜」や「ふぐ」、「まぐろ」等、食べないもの、
食べてはいけないものがあったそうですが、それは何故だったのでしょうか?
うなぎの背開きと同じような理由だったのですか?
宜しくお願いいたします。
118 :
日本@名無史さん:02/10/09 18:12
>117
「武士だから」という理由で食べないのではないよ。
>>118 ありがとうございます。
と、いうことは「町人」「公家」なども同じような禁忌をもっていたのですか?
そういう時代であった、ということなのでしょうか。
121 :
日本@名無史さん:02/10/12 21:26
旗本や藩士の家臣は明治維新後、士族になれたんですか?
122 :
日本@名無史さん:02/10/13 04:40
>>121 旗本はもちろんなれました。
藩士の家臣って、中間や小者なんかのこと?それは平民でしょう。
123 :
日本@名無史さん:02/10/13 09:39
>>122 書き方が悪くてすみません。旗本が士族ということは知っています。
旗本の家来や上級藩士の家来(陪臣)はどうなったか、ということです。
124 :
日本@名無史さん:02/10/13 12:03
>>123 淡路洲本の稲田氏家臣の例では、陪臣は卒族になっている。
仙台藩は敗戦で大幅に減封されたので、重臣の家臣は帰農して平民になった。
例の高家大沢氏は万石以上を取り消されて、家臣は平民になったはず。
個々のケースでちがうようだが、誰か補足してもらえませんか?
125 :
日本@名無史さん:02/10/14 12:31
イタリアは対日戦勝国ということでいいんですか?
126 :
日本@名無史さん:02/10/14 14:09
家の近くにやたら円応教の教会が多いんですけど、そもそも円応教って何なんですか?
危険度はどれくらいですか?追い払ったほうがいいですか?
127 :
日本@名無史さん:02/10/14 15:14
すいません、中学生内容の歴史年表が載ってるいいHPありませんか?
探してるんですが内容が深すぎるものばかりで、、、、
>>126 グーグルなりなんなりで検索して自分で確かめてから質問してるかい?
追い払うかどうかなんて、そこに住んでる奴らできめろ。
何かしら害があると思うから追い払おうとしてるんだよな?
132 :
日本@名無史さん:02/10/14 16:44
大河ドラマを見ていると頭(「つきさや」? 「つきかげ」?)を沿っていない髷の鬘が多いが?
戦国 → 江戸 の時代はみんな剃っていたのでは?
あとひげのない登場人物が多いのも?です。確か「ひげなし」は武士にとってとても侮辱で「ひけなし」とあざけあられ決闘沙汰になったことがあると聞いた。
詳しい人、髷とひげについて教えて著。
133 :
日本@名無史さん:02/10/14 20:09
京都府って
なんで京「都」と付けといて「府」なの?
134 :
日本@名無史さん:02/10/15 22:54
>133
月代(サカヤキ)で検索するとヒットするかも?
135 :
日本@名無史さん:02/10/16 11:24
>133
「京都」「府」だから
136 :
日本@名無史さん:02/10/16 11:26
>132
「ひげ」はたしか江戸時代に禁令か何か出ていたと思うけど?
月代を剃るのが定着したのもやはり江戸時代から。
137 :
日本@名無史さん:02/10/18 11:18
家の先祖は江戸中期から明治期にかけて
石高150石、10戸程度の小さな村の庄屋だったそうです。
蔵が3つありそれなりに豊かな暮らしをしてたみたいなんですが、
こんな小さな村でも庄屋ってのはある程度金持ちなんでしょうか?
139 :
◆HOLE.UUAkU :02/10/19 21:55
ちょっと卒論書いてていきづまったので質問させてください。
1700年を「江戸中期」と表現した場合、1550年を的確に表現する
言い方って何だと思いますか?
140 :
日本@名無史さん:02/10/19 22:08
あるいは「戦国期」?
142 :
日本@名無史さん:02/10/19 22:13
>>139 「室町末期」または「室町後期」かなあ。
143 :
◆HOLE.UUAkU :02/10/19 22:35
>>140-142 やっぱり室町末期が妥当でしょうか?
とりあえずそれで書いてみて教授に相談してみます。
144 :
日本@名無史さん:02/10/21 23:22
鎌倉時代には人馬30騎を乗せられるような船があったの?
>>139 寝ちゃったかな。その分類の仕方は幕府基準だよね?
となると室町期が始まってから(1338)江戸期が始まるまで(1603)、265年間。
1550年は1338年の212年後に相当するので265年間のうちの80%の時点に相当します。
ゆえに1550年は「室町後期」または「室町末期」と規定してよいと思います。
ただし「戦国期」や「安土・桃山期」をどう取り扱うかを考え出すとまた解釈や基準が違うだろうし、
それはよい様に考えてください。
ちなみに1550年というと、戸石崩れ、二階崩れのW崩れの年ですね。あと足利義晴が病没です。
146 :
日本@名無史さん:02/10/22 01:09
中山法華経寺の円立房が創立されたのは何年ですか?
147 :
◆HOLE.UUAkU :02/10/22 02:26
>>145 親切にどうもありがとうございました。
1550年〜1700年までの年表を作りたいのですが表題をどうするか迷って
いたのであります。
148 :
日本@名無史さん:02/10/22 04:43
ライト兄弟のより数十年前に飛行機の原理を発見し軍部に開発を提案した人ってだれ?よかったら参考文献もキボンヌ!
149 :
日本@名無史さん:02/10/22 11:33
ダレス・吉田会談の内容を知りませんか?
ググルで検索しても本の紹介ぐらいしかありません。
何を話し合ったのですか?
150 :
日本@名無史さん:02/10/22 14:37
152 :
日本@名無史さん:02/10/22 20:38
>>151 ありがとう完璧です。こんな資料が欲しかったのです。(チュッ
153 :
日本@名無史さん:02/10/23 02:15
「その時歴史が動いた」で官軍の旗にインドネシアの国旗があったけどあれは何なの
154 :
日本@名無史さん:02/10/23 15:51
今年高校受験なんですが、どうしても年号が覚えられません。
ゴロでなんとか覚えたいのですがそういうスレってありますか?
なかったら立てたいと思いますが。
155 :
日本@名無史さん:02/10/23 17:16
>154
そんな暇があったら、まじめに勉強しろ!!
156 :
日本@名無史さん:02/10/23 19:02
乳母ってさ、委託された子供に乳あげて
自分の子供はだれが乳あげんのよ。
157 :
日本@名無史さん:02/10/23 19:11
上流社会では乳母を雇う。
庶民は、母親の姉妹が子供を育てる。
乳母も自分の子供は自分の姉妹が育ってるから平気。
男の子だったらマザコンに育てて性教育までやってしまう。
でも実の親子じゃないから大丈夫。
実の母が自分で子育てするとヤバイことになるので、必ず他の女性に委ねる。
158 :
日本@名無史さん:02/10/23 19:13
159 :
日本@名無史さん:02/10/23 21:27
田中耕一さんの島津製作所って紋つかってるところみると薩摩藩と関係あんのかな
160 :
日本@名無史さん:02/10/23 22:42
>>159 島津製作所&島津家でググるとたくさん出てくるので見てみよう。
161 :
日本@名無史さん:02/10/23 22:46
162 :
日本@名無史さん:02/10/24 00:34
島津公爵家は許してるわけね
金禄処分で実業に進出して家紋が社章になってるって会社ないかな
163 :
日本@名無史さん:02/10/24 16:12
不謹慎かも知れませんが、原爆の爆心地は8000度だと聞きました。
本当なのでしょうか?
164 :
日本@名無史さん:02/10/24 16:26
>島津公爵家は許してるわけね
それってほんとにほんとなんですかね。
165 :
◆HOLE.UUAkU :02/10/24 19:28
166 :
日本@名無史さん:02/10/25 00:43
武田家が滅んだ時、またその後、武田の名臣の家系はどうなったの?
真田ぐらいしか知らないんだけど。
高坂家、内藤家、馬場家、山県家などは?
木曽家は家康関東移封時に1万石?ぐらいもらってどっかの大名なってたよね、たしか。
(いくらなんでも、信濃の領土はもっとありそうだが… )
167 :
日本@名無史さん:02/10/25 01:03
柴田勝家の北ノ庄城落城時、勝家の妹と娘が秀吉の陣に連行されたが、
開放(捨てられただけだが)され、数日後餓死したってほんと?
小説か何かで読んだから真偽不明なんで教えてください。
168 :
日本@名無史さん:02/10/25 02:17
蒙古襲来絵詞で竹崎季長がのった馬が後ろ足をあげている場面
(教科書にのってる有名な部分)で季長の兜に朱色の矢が薄く描かれて
いるのですが、これも、その横の逃げる蒙古兵と同じように
後世の人間が描いたものなのでしょうか?
高校のときに、季長自身が「ここにも矢がささってたわい」といって
描き足したものだと習ったんですがはたして?
北一輝
永田鉄山
がどんな人だった、何をした人だったか詳しく教えてください。
170 :
日本@名無史さん:02/10/25 15:09
>>166 家康が、かなり引き取った。家康の信玄好き名家好きは有名。
>>169 北一輝>戦前戦中の右翼国家主義者。東京裁判で有罪。
永田鉄山>陸軍統制派の首領格。皇道派に殺される。
信玄以前は諏訪、村上の方が名門だったの?
172 :
日本@名無史さん:02/10/26 02:41
鎌倉御家人〜戦国大名というのは
大和政権に下ったムラムラの主たちが中央貴族の支配下から(6世紀から12世紀まで)
数百年かけて独立を復したものとみて良いんでしょうか?
173 :
日本@名無史さん:02/10/26 02:49
ん、ちょとちがうか
ムラの王→(郡司)→大名たと→地頭
と千年にわたって生き続けた家ってあるんでしょうか
174 :
日本@名無史さん:02/10/26 04:10
幕末の頃の身分制度に詳しい方はいらっしゃいますか?
最近新撰組に興味が出てきて、関連の本を読み漁っているのですが・・・
近藤や土方がもともとは農民出身だということをそこで初めて知り、びっくりしました。
そこで疑問に思ったのですが、
子供の頃近藤は「いつか加藤清正のような武人になりたい」との希望をもっていた。や
土方のエピソードで、武士を夢見て竹を植えた、などと出てきたのですが、
農民から武士に取り立てられるというような例は、当時けっこうあったものなのでしょうか?
ちょっと調べてみたのですが、わかりませんでした。ご存知のかた、お願いします。
>>174 「風雲児たち」って漫画で描かれていたのだけど
株を買うんじゃなかった? 御家人株とかそういうの
(・・・たしか、養子になるんだと)
勝海舟のおじいちゃんとか、坂本竜馬のご先祖も
商売で成功して、その財で身分を買ったり
最上徳内、伊能忠敬は才能を認められたり・・・
莫大な財や、尋常でない才能があれば不可能ではなかったと
幕末だと、才を求めて更に身分の垣根が壊れていく・・・そんな描き方でした
あんま、参考にならんか・・・
177 :
日本@名無史さん:02/10/26 08:35
武田家が滅んだ時、またその後、武田の名臣の家系はどうなったの?
真田ぐらいしか知らないんだけど。
高坂家、内藤家、馬場家、山県家などは?
木曽家は家康関東移封時に1万石?ぐらいもらってどっかの大名なってたよね、たしか。
(いくらなんでも、信濃の領土はもっとありそうだが… )
↑
>家康がかなり引き取った…
上記四家とも? 江戸時代はどういう待遇だったの??
>175さん176さん
なるほど、幕末という時代だからこそですか・・・
いやー最初ネットで調べようとしたのですが、ちょっと調べてみたところ、ローン会社やら、新撰組ピースナンタラという
マンガのファンサイトやら、お目目キラキラな土方&沖田とかのイラスト(しかも衆道テイスト・・・)
とかばっかしで、なんだか悲しくなってしまっていたところです。ありがとうございました。
それにしてもホモ系イラストのサイトが多いのには驚きました。
本に池田屋事件の前、厭戦気分が蔓延し、屯所内で男色が流行したとありましたが、
そのせいなのでしょうか・・・
179 :
◆HOLE.UUAkU :02/10/26 18:27
新撰組のおホモだち関係というと加納クンとかかぁ・・・。
あれって実在の人物なのですか?
司馬先生の創作って説と実在説があったんですが。
180 :
日本@名無史さん:02/10/26 19:50
維新後、旗本の用人や上級武士の家来は士族になれたんでしょうか?
181 :
日本@名無史さん:02/10/26 22:03
最近の日本の本とか見てると
「真珠湾攻撃は卑怯な奇襲ではなく、外交の手違いが原因」が定説で
問題はルーズベルトが事前知っていたかどうかが議論の対象に
なってるような気がしますが
アメリカや中国韓国は映画とか一部の主張はともかく、
今でも多くの人が卑怯なだまし討ちと思ってるのでしょうか?
182 :
日本@名無史さん:02/10/26 22:07
>>181 攻撃した方から見れば手違い。
攻撃された方から見れば、卑怯な奇襲。
客観的に見れば、攻撃側に責任が生じる。
加害責任だね。
183 :
日本@名無史さん:02/10/26 23:07
だとしたらアメリカや韓国なんかは十分な議論もせずに
日本が悪のほうがいいから卑怯なだまし討ちと主張してるわけか?
歪曲もいいとこだな
>>183 182を読んでどうしてそんな結論になるのかがわからない・・・
185 :
最上流道場主 ◆6mlUWeFFMo :02/10/26 23:21
186 :
日本@名無史さん:02/10/26 23:22
蒲生郷舎と横山喜内は別人なのですか?横山喜内=蒲生頼郷なのですか?
関ヶ原で活躍したのは蒲生頼郷で蒲生郷舎ではないのですか?
関ヶ原の三成前衛部隊は蒲生頼郷それとも蒲生郷舎?
どなたか教えてください。お願いします。
>>173 大和政権の時から明確な系譜関係を導き出せる地方豪族の家など、まずないのでは。
(存在しないと言ってるわけではなく、史料がないので証明できないということ)
188 :
日本@名無史さん:02/10/27 10:47
誰も答えてくれない…
仕方がないスレを立てよう!
朝鮮の王は中国からの使者に対して、
皇帝の代理人であるので自分よりも格上に扱ったそうですが、
室町時代や江戸時代の頃に日本を訪れた中国皇帝の使者はどのような待遇を受けたのでしょうか?
190 :
日本@名無史さん:02/10/27 19:49
武田の家臣が名臣になったのは甲陽軍艦以降だから
武田家滅亡時にはヒキも少なかったんでは
名臣たちの孫世代ぐらいになると怪しい子孫たちが
そこら中に仕官してたような
仕官した子孫は戦武堂さんとこの掲示板に結構詳しくあった
192 :
日本@名無史さん:02/10/27 20:19
「豊臣秀吉の朝鮮出兵の歴史的意義について」
教えてください。
朝鮮半島でキムチがつくられるようになった
194 :
日本@名無史さん:02/10/27 23:47
195 :
日本@名無史さん:02/10/27 23:56
>>189 室町時代は明に朝貢してたので中国の使者は上座に座った。
ただし日本国王に冊封されたのは室町将軍なので、下座に座ったのは将軍。
天皇は表にでなかった。(というか蚊帳の外に置かれた)
江戸時代は朝貢貿易もしてないし、中国の正式な使者って来てないんじゃな
いかな?ちょっと自信ない。
196 :
日本@名無史さん:02/10/28 00:06
日本史の範疇かわかりませんが、
琉球民族、アイヌ民族、朝鮮民族・・・
日本に古来から住む民族は何民族って言うんですか?大和民族?日本民族?
まあ、もとをたどればみんな大陸から来たんだろうけど。
時宗はフビライの使者を斬りましたが、なにか?
198 :
日本@名無史さん:02/10/28 12:17
>>186 >蒲生郷舎と横山喜内は別人なのですか?横山喜内=蒲生頼郷なのですか?
横山=蒲生頼郷というか蒲生備中(真令)。郷舎は戦後も蒲生家に仕えている。
>関ヶ原の三成前衛部隊は蒲生頼郷それとも蒲生郷舎?
したがって三成家臣は郷舎ではない。
199 :
日本@名無史さん:02/10/28 12:23
200 :
日本@名無史さん:02/10/28 12:28
>178
別に幕末だから身分の垣根が低くなったというわけではありません。
誰でも武士にはなれます。
201 :
日本@名無史さん:02/10/28 16:30
江戸時代の大名は、ふつう親藩・譜代・外様に分けられていたといいますが、
江戸時代にもそういう切り分けはあったのですか?
概念としてはあったかもしれませんが、明確にあったのでしょうか?
202 :
日本@名無史さん:02/10/28 16:50
>>170 北一輝はニ・二六事件の首謀者として死刑。
東京裁判ではない。
203 :
日本@名無史さん:02/10/28 16:53
>>201 江戸城内の席順、幕府内の付ける役職・・・なにからなにまで細かく定められています。
204 :
日本@名無史さん:02/10/28 17:29
>>203 そうではなくて「親藩」「譜代」「外様」という区分けと名称が
当時厳密にあったかどうかを知りたかったんです。
当時からあった言い方なら
三家・三卿・連枝・家門等々でせう
譜代には安城譜代とか細かな区別もあった
外様はそのまま外様かな(w
206 :
日本@名無史さん:02/10/28 18:53
198さん、ありがとうございました。
209 :
◆HOLE.UUAkU :02/10/29 04:56
北一輝は奥さんを使って心霊現象の研究もしてた人だね。
それで本も出してるし。
210 :
日本@名無史さん:02/10/29 05:12
211 :
日本@名無史さん:02/10/29 05:28
★★★★★ Do we need the 天皇 ? 4章 ★★★★★
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/soc/1035259265/291 にあった書き込みですが,この説,私が知っている終戦前後の日米交渉や政府の動き
とかなり違います.この説の根拠となる資料をご存知の方,教えてください.
#単なるデムパだとは思うのですが…
291 翻訳家 ◆RtP1SAplzQ 02/10/29 01:58
>>270 >昭和天皇はマッカーサー元帥に土下座して、
>「自分を助けてくれたら、国民はどうなってもかまわない」と
>頼まれたそうです。
???
長崎に「新型爆弾」が落とされ、その被害が「破滅的」なものと知らされても、
「家宝」を守ることが、「何よりも」大切である。
「家宝」の安全を保証させるまでは、「なにを犠牲にしても」仕方ない。
こう言って、米国に交渉したが、即座に蹴られ、そのうち広島に落とされ、
次は、京都が危ない、という段になり、やっと「負けました」。
ちなみに、これは昭和天皇のことだ。
また、「家宝」とは「三種の神器」のこと。
そんな人間が、どうなってもかまわない、何ぞ、それこそ「死んでも」言わない。
天皇の地位を「三種の神器の継承者」である、と言い切った人だ。
つまり、国民・国家より、人の命より、ウチのお宝が大事、ということだ。
それはそれで、見上げた根性だが、そんな考えの人間を「現人神」と祀り上げて、
主権者に据えていたから、結果は知っての通り。
どこぞの国の金某とまったく、いっしょ。
213 :
日本@名無史さん:02/10/29 06:41
そろそろ「マイBEST!AV女優ベスト10」を決定しようと思うんですが、
名前を忘れてしまって選考にてこずっています。
同じ悩みの人はいないか、AV、ベストでスレ検索したのですが、これまた多すぎて…
みんなはどうやってマイBESTを決めたのか教えてください。
夕樹舞子、星野ひかる、金沢文子、三浦あいか、森川いづみあたりが上位に来るとは思いますが…
214 :
日本@名無史さん:02/10/29 21:32
たしかに悩ましいなぁ
写真一覧があると決めやすいね。。。
216 :
日本@名無史さん:02/10/30 22:08
東条や石原莞爾ってずっと禿?
髪の毛のある東条って想像できないけど大竹まことみたいな感じかな
217 :
日本@名無史さん:02/10/30 22:12
>>216 東条はドイツ滞在中、髪を伸ばしていた。
218 :
日本@名無史さん:02/10/31 07:52
まぁ小林ひとみは伝説の人だから入れとくとして…
AVが世に出まわった80年代後半から、でしょうか。
それ以前だと、マニアしかわからんし…
219 :
日本@名無史さん:02/10/31 08:09
>夕樹舞子、星野ひかる、金沢文子、三浦あいか、森川いづみあたりが上位に来るとは思いますが…
小川明日香、桜樹ルイ、林由美香、小林ひとみ・・・ 意外に思い出せないなぁ
桃井望は名誉の戦死で二階級特進
野坂なつみ
222 :
日本@名無史さん:02/10/31 17:46
歴史ってやつは奥が深いねぇ
223 :
日本@名無史さん:02/10/31 18:25
日本刀って両手持ちなのに、何であんなに細いんでしょうか?
両手持ちなら、西洋の剣みたにもっと太くすれば破壊力上がると思うんですが・・・・・
昔の日本人は、腕力なかったのかな?
224 :
日本@名無史さん:02/10/31 18:32
>>223 実際の戦闘は槍や弓や投石が中心で、
刀は相手を倒してから首を切る時に使うくらい。
「そり(反り)」を利用して、馬上から相手を切れるようにしたためでもある。
スマン、一言余計なこと言わしてくれ
小林ひとみと飯島愛がイイィ!
225 :
日本@名無史さん:02/10/31 18:33
>223
ものの見方が主観的だね。
226 :
日本@名無史さん:02/10/31 23:10
>>223 世界に冠たるジャパーニーズウタマロの特徴は太さより、硬さ、そして反りだ!
227 :
日本@名無史さん:02/10/31 23:18
>>220 ただの殺人事件じゃねーか
つか解決したのか?
228 :
日本@名無史さん:02/10/31 23:35
>>223 西洋だって片手持ちで発達したのはフェンシング。
平時に技術体系を発達させるには、そんなもの。
229 :
日本@名無史さん:02/10/31 23:38
なんで戦後すぐアメリカ占領下の日本で
社会党政権が誕生したのですか?
アメリカが認めたのですか?
230 :
日本@名無史さん:02/11/01 00:11
>>227 え?桃井望ってなんかあったの?
ぐぐっても何もでないけど・・・。
231 :
日本@名無史さん:02/11/01 00:17
殺されたんだよ。
AV板とかニュース関連の板いってみな。
プチ祭りだったからまだスレ残ってるかも。
232 :
日本@名無史さん:02/11/01 00:30
233 :
日本@名無史さん:02/11/01 00:36
恥ずかしい質問ですみません。
日明貿易の勘合符ってありますよね。
あれは正式な貿易船と倭寇を区別するためのものと習いますが
勘合符の半分が盗まれたり偽造されたりした場合どうしたんでしょうか?
例えば倭寇が半分を持って貿易をしようとした場合など。
234 :
日本@名無史さん:02/11/01 22:32
>>229 選挙で社会党が勝ったから。
傾斜生産方式(石炭・鉄鋼などに資金を重点的につぎ込む)などで復興の基盤作り。
急激な社会主義化(国有化)や激しいソ連より路線でなかったので、
アメリカも容認。アメリカ自体もまだ、日本をソ連に対抗する強い資本主義にする
というよりアジアのスイスにしようとしていたから。でないかな。
>>233 貴重品で数も少なかったので、大切に保管されてたんでないのかな。
235 :
日本@名無史さん:02/11/01 22:38
>>234 それでもアメリカからしたら自分たち意見があいそうもなく
政治的に混乱するとは思わなかったのか。
それに社会党が今後過激化するとも分からないのに?
236 :
日本@名無史さん:02/11/01 22:49
昭和22年は軍事占領下ですよ
237 :
日本@名無史さん:02/11/01 22:56
GHQと片山哲らの考え方のギャップは大きいと思う
結局GHQは片山哲に何を期待して、政権発足を認めたのかわからんよな
下手したら党員を擁して自分たちに噛み付いてくかもしれないのに
238 :
日本@名無史さん:02/11/02 16:38
>>237 左派にあった、米軍は日本国民を日本軍国主義から解放してくれた、
解放軍規定が(その後変更されたけど)、微妙に影響してたのでないかな。
239 :
日本@名無史さん:02/11/02 16:52
辞世の句を集めた文庫本て何かないですか?
人物の解説なんかが少し載ってると猶良し。
240 :
日本@名無史さん:02/11/02 23:31
騎馬民族渡来説は今のところどういう扱いなんですか?
専門家の本を読んでも門外漢の人間にはどうにも評価できないのですが。
241 :
日本@名無史さん:02/11/02 23:36
電波扱い。
242 :
日本@名無史さん:02/11/02 23:45
243 :
日本@名無史さん:02/11/02 23:47
>>239 検索してみたら少しあったよ。検索してみたら?
1、戦国浪漫・辞世の句
www.m-network.com/sengoku/senjisei.html - 21k - キャッシュ - 関連ページ
2、
f1.aaacafe.ne.jp/~rekisi/jisei.htm - 28k - キャッシュ - 関連ページ
3、辞世の句
www6.plala.or.jp/siromaru/jisei.html - 6k - キャッシュ - 関連ページ
4、戦国武将逸話集
www2u.biglobe.ne.jp/~kazu310/jiseitop.htm - 6k - キャッシュ - 関連ページ
5、辞世の句
web.kyoto-inet.or.jp/people/kajyu/jisei.htm - 9k - キャッシュ - 関連ページ
>>240 最近は、あまり評価されてないようだね。
しかし、謎の4世紀に大胆な仮説は、当時はそれなりの仕事したと思う。
たしかに、4世紀は馬関係の遺品が古墳から出てくるようになったしね。
大陸や半島から何らかのエネルギーがあったとは思うのだが。
>>237 GHQ の特に民生局を中心に左よりの連中が多かったって話を聞いたことがあるけど.
245 :
日本@名無史さん:02/11/03 00:10
>>243 馬関係の遺品は確かに出てくるんだけど単に舶来品的な感じです。その
ため説も自然に立ち消えしてしまいました。
この仮説に関してはずいぶん大激論があったようなので、日本史研究の
役にはたったと思います。
246 :
日本@名無史さん:02/11/03 00:11
GHQの一部は、リベラリストと言うか理想主義者というか、
日本の民主化に、若い血潮で燃えてたそうです。
247 :
◆HOLE.UUAkU :02/11/03 01:40
江戸時代の町の境界がわかる地図ないですか?
武蔵国全部が1枚になってるものを探してます。
線路図、道路図など余計なものが入っていない白地図です。
248 :
日本@名無史さん:02/11/03 02:41
GHQの日本分割統治案について。
北海道・東北がソ連、四国が中国(今の台湾?)だったのは覚えてるんだけど
あとはどうなってたっけ?
米英仏蘭で分割するという案のはずだが詳細を知りたいのです
googleで調べたけど分割のしかたの詳細は見つからなかったんで
どなたかお願いしまつ
249 :
日本@名無史さん:02/11/03 02:49
北海道の北半分がソ連と聞いた・・・ 学校の授業で。
250 :
日本@名無史さん:02/11/03 03:32
GHQってアメリカ人のみ?
レスありがとうございました。
>>247 江戸の古地図なら、神田の三省堂の入り口で、以前に売っていた。
>>250 他国人がいたかもしれんが、実際はアメリカ人のみみたいなものだと思うが。
分割案は、東日本がソ連、西日本がアメリカと聞いたことはあるが。
253 :
◆HOLE.UUAkU :02/11/03 22:29
>>252 古地図を探してるワケじゃないんですけど・・・。
254 :
日本@名無史さん:02/11/03 22:44
連合国による当初の日本分割案は下記のとおり。
北海道・東北=ソ連
関東・中部=アメリカ
近畿=米英
中国・九州=イギリス
四国=中華民国
で、この案が流れたあともソ連は日本占領に執着し、
北海道の北半分の占領を要求して拒否されたとか。
255 :
日本@名無史さん:02/11/03 22:45
分割占領ではないが、中国地方には英連邦軍が進駐している。
>>253 武蔵の地図なら、国会図書館か埼玉県立図書館で、明治の一番古い地図
を探せば。
江戸時代の町の区切りが出てるのでは。
あとは、都市町村の史料編纂室に聞く。
意外と古い地図が出てくるかも
257 :
日本@名無史さん:02/11/04 00:42
東京はベルリンと同様、分割統治。
258 :
日本@名無史さん:02/11/04 00:45
>246,252
今日の昼に鶴瓶&南ちゃんの番組に出てたおばあさんがghq民生局で日本国憲法の
人権部分を書いたんだって、当時22歳!
オストリア人で父は音楽家、芸大の先生として来日、アメリカの大学に入ると
太平洋戦争がはじまり、終戦後家族に会うためにghqに入ったんだって。
うぉい、俺はツッコミを入れてしまったよ、専門家がつくっていたんじゃないなんて。
もっともマッカサも憲法は日本につくらせるつもりでいたというけど、2度目の草案を
ボツにした後、民生局の少ないスタッフで予想外の仕事をしたんだって。
260 :
日本@名無史さん:02/11/04 17:30
>>259 ああ、聞いたことある。
22?条かの個人の尊厳と男女平等にかかわる部分でしょ。
割と本にもなってたような。
>日本側の憲法草案を没
実態が天皇主権の憲法草案だったからね。
GHQとしては、譲れないと言うか、あきれたのか、どっちだろ。
261 :
日本@名無史さん:02/11/04 17:34
しかし、どんな内容であれ日本政府の案を没にした上、
メリケンの若僧が作った憲法草案を押し付けられたのは納得いかん。
松本案でも帝国議会で審議したら、かなり修正されただろう。
262 :
日本@名無史さん:02/11/04 19:04
みんな間違った認識で書かない様に.。
正しくは
ソ連=北海道、東北
アメリカ=関東、信越、東海、北陸、近畿
中国=四国
イギリス=中国、九州
東京は米英中ソの四ヶ国共同管理
大坂は米中の二ヶ国共同管理
これが昭和20年8月から9月初旬にかけての、
米国統合作戦本部内の統合戦争計画委員会での分割統治案です(その後は立ち消え)。
これはソ連には知らされてなく、8月16日の要求をトルーマンが蹴った時点で
廃案が運命づけられました。なぜ蹴る事ができたかについては極東委員会の
「緊急中間司令権」という、英中ソの拒否権を無視して政策を進める事ができる仕組みに
なっていたからです。
263 :
日本@名無史さん:02/11/04 20:25
>>261 担当者は若くても、GHQ原案はかなり以前から練られていたと思われる。
帝国憲法と条項を合わせ、天皇条項から始まっているし、議院内閣制・
地方自治・憲法遵守条項など技があると感じるが。
>松本案でも帝国議会で審議したら、かなり修正されただろう。
ちょっと疑問かな。共産党以外は賛成してしまったんじゃないかな。
戦後の社会党大会や憲法祝賀会で天皇陛下万歳の三唱をしてた時勢だからね。
天皇主権はとおちゃったかもしれないよ。
264 :
日本@名無史さん:02/11/04 20:34
占領下だし、時代の流れもあるし、松本案そのままにはならなかったのでは?
別に今の憲法より天皇の地位が強くても、立憲君主制の憲法としては普通だし、
象徴なんて曖昧な表現になるよりはよかったような気がする。
265 :
日本@名無史さん:02/11/04 20:56
古代から天皇制は世俗とかかわらなかったという説の信者には、
象徴天皇制はよくできた仕組みではないかな。
松本案は、確か2度目の政府原案だったような。
政治上部層は、相変わらず天皇主権にこだわってたんじゃないのかな。
個人的にはGHQ原案でよかったと思う。
その後の世論調査も、GHQ憲法を7〜8割以上支持してるしね。
266 :
日本@名無史さん:02/11/04 21:00
まあ、おっしゃることは十分わかりますよ。
ただ、天皇の地位について社民党あたりが難癖つけるのを見てたら、
はっきり「元首」と明記した方がよかったんじゃないかと思う。
むろん、元首といっても象徴的元首としてだけどね。
267 :
◆HOLE.UUAkU :02/11/05 11:24
>>256 だから古地図を探してるわけでは・・・。
268 :
日本@名無史さん:02/11/05 11:51
>>267 具体的に何が知りたいの?
江戸期の武蔵(武州)の中の村の境界線?
269 :
日本@名無史さん:02/11/05 13:58
270 :
◆HOLE.UUAkU :02/11/05 14:09
271 :
PURE-GOLD:02/11/05 14:12
272 :
日本@名無史さん:02/11/05 14:15
>>270 明治初期にかなり廃寺になってるから、やりがいのある仕事だ
>>270 江戸期の古地図から丹念に洗い出す。
江戸の古地図は、国会図書館にでもあるんじゃないのかな。
あとは、廃仏毀釈された寺院も復活しているところが多いから、
現在の地図から足で調べ、由来・縁起を聞きまくる。
頑張れ!
274 :
日本@名無史さん:02/11/05 22:55
なぜ寺を知りたいのかな?
275 :
◆HOLE.UUAkU :02/11/05 23:17
データはできてるので、後は地図に寺の位置を書き込むだけなんですけど・・・。
そのために地図さがしてるんですが・・・。
276 :
日本@名無史さん:02/11/05 23:18
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>>275 なるほどね。
白地図に書くか。
江戸期の地図に記入するか。どっちかだね。
278 :
日本@名無史さん:02/11/06 10:13
279 :
日本@名無史さん:02/11/06 20:18
280 :
◆HOLE.UUAkU :02/11/06 20:27
>>279 書籍探してるンですけど、なかなかいいのがみつからないのでぃす。。。
自分で加工することにしました。
281 :
日本@名無史さん:02/11/06 23:16
>>280 エライね君は。
完成したら、画像アップしてね。
282 :
日本@名無史さん:02/11/08 09:34
283 :
日本@名無史さん:02/11/08 20:04
ICE CUBE の 「BLACK KOREA」 のコピペ キボンヌ。
慶喜の隠居生活って、いまの細川さんの趣味人生みたいな感じなのかな
↑いや、他意はないです
280さんはすごい仕事ですね、学部生、院生かな?
286 :
日本@名無史さん:02/11/10 19:39
age
287 :
日本@名無史さん:02/11/10 23:33
>>284 趣味に没頭している姿で、政治に関心はないとの姿を演出したかった面も
あったような・・・。
趣味は、一流の域だったようですが。
288 :
日本@名無史さん:02/11/11 05:50
現代史の質問です
石原広一郎 (右翼のスポンサー。戦犯となるも、後、釈放) と
石原慎太郎 は、血縁関係はありますか?
>>288 聞いた事はないな。関連検索ではヒットしなかった。
290 :
日本@名無史さん:02/11/11 19:58
291 :
日本@名無史さん:02/11/11 21:08
>>284 しばらくしたら、徳川慶喜って侯爵に叙せられたんだよね
どんな気持ちで島津公爵や毛利公爵と会話したんだろうか・・・
292 :
日本@名無史さん:02/11/11 21:13
>>284 「長州は最初から敵だったから恨みはない。
裏切られた薩摩には、しこりをもっている」
と、近習に語ったとか・・・。
293 :
日本@名無史さん:02/11/11 23:52
慶喜や公爵レベルの秩禄公債って年額どんくらいで、それだけだとどんくらいの生活
ができたんだろ?今の国会議員の年収2000万はくらいかな
295 :
日本@名無史さん:02/11/12 06:53
ドラマなんかの華族のくらしはすごいから、もっともらってたんじゃないの?
296 :
日本@名無史さん:02/11/12 06:57
>288 石原慎太郎さんの父親は山下汽船の重役で、慎太郎裕次郎兄弟にヨットを
買い与えいます。金持ちー。そのまた先祖も有力者なのかなー。
ウィーン国立歌劇場の監督についた小沢征爾さんは満州生まれで、石原莞爾と
板垣征四郎から一字ずつもらったというのは有名な話ですね。でも戦後は貧し
かったらしく、征爾さんのためのピアノは親戚から中古で買ったのだそうです。
298 :
日本@名無史さん:02/11/13 13:51
ビートルズのジョン・レノンは、ヒトラーの空襲中に生まれ、
父親は発作的に愛国心におそわれ、チャーチルの名前をもらい、
ジョン・ウィストン・レノンと名づけました。
299 :
日本@名無史さん:02/11/13 13:56
>294
爵位とは直接関係ないが、元大名は秩禄公債を士族からかき集めてすごい金持ち。
今の地方銀行にはそういう人たちのものすごい財産が残っているらしい。
毛利なんて何千億も持っているんじゃないかな。
公家出身はビンボーだったみたいだけど。
300 :
日本@名無史さん:02/11/13 23:04
阿片戦争が明治維新に多大な影響を及ぼしたって学校で習ったのですが
本当ですか?
301 :
日本@名無史さん:02/11/13 23:56
>>300 そりゃあんた、これまでスリや空き巣さえいなかった平和な田舎村で、
強盗殺人があったとしたら、大騒ぎじゃろ。
302 :
日本@名無史さん:02/11/14 13:40
>>300 18世紀は東アジアは安定期でしたから、19世紀になっての欧米のアジアへの
侵攻はアジアに波風をたてました。
オランダ風説書や唐人風説書から江戸幕府は情報を得ました。
直接、オランダ人から情報を得ています。
列強の開国を断った場合や、通商を断った場合どうなるかを考え始めました。
清国が欧米に負けたというのもショックでした。
軍事力の差を理解したようです。
異国船打ち払い令が薪水給与令に改められられ、異国船に丁寧になりました。
幕末・明治維新の戊辰戦争などで、列強に内戦への参加口実を与えないことに
気を使ったようです。
ハリスが通商条約を求めた時、アヘン戦争の例を持ち出し、おどしたとかにやも
聞いたことがあります。
303 :
日本@名無史さん:02/11/14 20:44
鎌倉時代(12世紀末〜13世紀)の日本の国力というのは、同時代の世界各国
と比べてどれくらいのものなのでしょうか?
304 :
日本@名無史さん:02/11/14 21:19
鎌倉中期以降から2毛作が西国から始まり、農業生産は高まってきた。
鍛冶屋などの手工業も各農村にできた。
軍事的にも、モンゴルにはかなわないだろうが結構いけたのでは。
ただ、承久の乱以前は、東西2政権の様子もあったから不安要素あり。
元寇後の集団戦法の学習後なら、ビザンツや神聖ローマ帝国に
経済的にも、政治秩序的にも軍事的にもひけを取らなかったのでは?
弱点は、京都荘園領主支配と鎌倉地頭支配の二重支配があった点かな。
どうして南北朝の動乱って60年も長引いてしまったんですか?
教科書を見てもわからなくって…(>_<)易しく詳しい説明で教えてください★
お願いします!!
306 :
日本@名無史さん:02/11/14 22:29
詳しく知りたいなら、やはり本を読むべし。
各地の兄・弟や叔父・甥が、土地の相続を主張し、
片方が北につくと、もう片方が南につく。
急に逆方についたりする。
多くは主義主張より、土地の安堵を求めて自己利益のために、
南朝・北朝をかついだ。だから、長引いた。
北の天皇が死ぬと、南の天皇が潜在的脅威となり、
それをかついで兵をあげる。
北の天皇に何かあるたび、各地でまた南朝をかついで領土を増やそうという
輩があらわれる。だから、長引いた。
意味のない戦いが続いた時代です。
307 :
日本@名無史さん:02/11/15 00:02
スペインやポルトガルはなぜ「黄金の国」日本を占領しなかったのですか?
ザビエルとかいっぱい来てたんじゃないの?上陸後、見た目は貧しくても
財宝を隠しているかもしれないじゃない
目的は略奪なんだから、やるだけやって帰ったらいいじゃない?
308 :
日本@名無史さん:02/11/15 00:06
天皇に接近できないまま植民地化の野望を見抜かれたのと、
かといって当時の日本国内の武装勢力を排除するための武力も持てず、
振興の帝国主義精力との争いが激化してそれどこれはなくなった
309 :
日本@名無史さん:02/11/15 00:06
新興の変換ミスすまん
310 :
日本@名無史さん:02/11/15 00:28
寝る前にage
質問スレは常にageとこうぜ
311 :
日本@名無史さん:02/11/15 00:40
でも「黄金の国」だぜ
イギリスもスペインもそう簡単にあきらめたのかね?
312 :
日本@名無史さん:02/11/15 00:48
ヨーロッパ諸国は今も昔も人口少ないからね。
確か当時のイギリスの動員兵力は数万人、
最大のスペインでも20万人ぐらい。
しかもヨーロッパ内でも戦争続きだから日本を占領しようとしても、
千人派兵できるかどうかも怪しいな。
313 :
スレ立て希望(突発OFF板に):02/11/15 01:24
【日本】12月に歴史検定受ける奴が集まるOFF【世界】
受ける奴皆で集まって歴史について語り明かそう。
場所は関東(出来れば横浜で)キボウ
314 :
日本@名無史さん:02/11/15 07:46
鳥羽伏見の戦いの後から江戸城無血開城直前までの
徳川宗家の保有していた兵力、戦力を教えて下さい。
特に、洋式調練を受けた陸軍について。
おおよそで良いのでお願いします。
315 :
日本@名無史さん:02/11/15 09:13
>>314 榎本ひきいる幕府海軍は、圧倒的優勢。艦砲射撃で東海道江戸侵攻軍撃破
も可能だったらしい。なぜか動かず。
陸軍は、大阪に2〜3万集まっていたんじゃないかな。
そのうち、フランス式の軍隊は千人前後じゃないかな。
軍備は様式でも、家柄にこだわって格下と一緒の横並びの歩伏前進とかを
いやがったそうだ。
あと、フランス語の命令指示も弱点。長州は日本語訳していた。
ちょっと不正確なんで、検索でもしてネタの裏を取ってください。
316 :
日本@名無史さん:02/11/15 13:50
こういうスレが欲しい、こんなスレがないんじゃないか?って要望あったら
言ってくれ。
オレも同感したら、オレが立ててやる。
(面倒くさがりって多そうだから)
317 :
日本@名無史さん:02/11/15 14:56
古事記と日本書紀はどう違うのでしょうか(どう覚えればいいですか?)
319 :
日本@名無史さん:02/11/15 17:27
>318
まず熟読しよう。
説明には
古事記・・・現存する日本で最古の歴史書 歌謡も盛り込まれている
日本書紀・・・日本で最古の歴史書
とあるのですが違いってこんなもんですかね?
321 :
日本@名無史さん:02/11/15 21:29
>>320 古事記→3巻の『説話的史書』。帝紀・旧辞を筆録。
神代から推古朝まで、中央集権的な国家意識を反映。
日本書紀→日本最古の『官撰正史』。30巻。帝紀・旧辞の他、利用できる資料を
使い、神代から持統天皇末まで。大陸諸国に対立する自国の歴史の必要から
作られた。中国風の漢文・『編年体(年代順)』で書かれている。
323 :
日本@名無史さん:02/11/15 23:31
>>314>>315 > 榎本ひきいる幕府海軍は、圧倒的優勢。艦砲射撃で東海道江戸侵攻軍撃破
> も可能だったらしい。なぜか動かず。
榎本艦隊は新政府の徳川宗家に対する処置を待って(≒有利な条件を引き出すための威圧として)
動か(け)なかったっす。そして時期を逸したと・・・。
>>74さんへ
2ヶ月も経ってしまいましたが、レスありがとうございます。
留置されておりましたので(+その他諸々)お礼が遅れました。
アメリカ→米
イギリス→英
フランス→仏
・・・
なのに、なぜソ連だけ「蘇」ではなく「ソ」とカタカナで書くのですか?
日本だけの当て字なんだから、漢字でもいいと思うけど
「ソビエト」は「議会」という意味。
「ソビエト社会主義共和国連邦」と日本語で称される国名は
形態を表した言葉であって、固有名詞が全く含まれない。
そのあたりが関係あるのかも知れない。
327 :
日本@名無史さん:02/11/16 00:37
ごみ
328 :
日本@名無史さん:02/11/16 00:37
すみません、誤爆です
けっこう榎本が効果的に動けば維新期の流れも違っていたかもしれないと思えてきました
331 :
日本@名無史さん:02/11/16 09:40
age
332 :
日本@名無史さん:02/11/16 10:08
>>325 >アメリカ→米
>イギリス→英
>フランス→仏
>・・・
江戸時代からの名残り。
>なのに、なぜソ連だけ「蘇」ではなく「ソ」とカタカナで書くのですか?
>日本だけの当て字なんだから、漢字でもいいと思うけど
大正時代だったからじゃないかな。
ロシアは露と、江戸時代の名残りで言ってたし。
でも、オーストラリアは豪州か。ふむ。
「ソ」は、他国とかぶらないし、簡単で便利だったからかな。
333 :
日本@名無史さん:02/11/16 17:26
山田顕義という人について詳しくご教授願います。
>>333 「ナポレオン山田顕義一剣と法典」古川薫(文芸春秋)
「志士の肖像 上・下」早乙女貢〈集英社文庫〉
「抵抗の器」もりたなるお(文芸春秋)
「後生畏るべし」もりたなるお(講談社)
「山田顕義・人と思想」日本大学総合科学研究所
「山田顕義伝」日本大学(非売品)
335 :
日本@名無史さん:02/11/16 20:49
>>314 >特に、洋式調練を受けた陸軍について。
>おおよそで良いのでお願いします。
前レスの訂正。
洋式軍は15000人の募集だったそうです。
旗本で足りず、庶民からも募集したそうです。
336 :
日本@名無史さん:02/11/16 20:56
>>333 >>334さんの本を読んだ方がいいと思うけど。一応紹介。
http://www.nihon-u.ac.jp/history/yamada-sj.html 本学の前身である日本法律学校の創立者・山田顕義は、弘化元年(1844年)、
現在の山口県萩市に生まれました。14歳で吉田松陰の松下村塾に入門、
この折りに高杉晋作、木戸考允、伊藤博文、山縣有朋ら維新史に名を残す
錚々たる人物たちと深く交わり、その後の人生観・世界観に大きな影響を
受けました。25歳のとき戊辰戦争で討伐軍の指揮官として活躍した際には、
西郷隆盛をして「あの小わっぱ、用兵の天才でごわす」と言わしめたといいます。
しかし、明治4年に岩倉具視を全権大使とする使節団の一員として、
フランスを訪問した山田顕義は、ナポレオン法典と出会い
「法律は軍事に優先する」ことを確信し、以後一貫して法律の研究に
打ち込むようになります。
そして、明治16〜24年の約9年間にわたり司法大臣として、
近代国家の骨格となる明治法典(刑法、刑事・民事訴訟法、民法、商法、
裁判所構成法など)の編集に当たり、”近代法の父”と呼ばれるようになりました。
337 :
日本@名無史さん:02/11/16 22:15
日本史の知識が皆無に等しい工房にちょうどいい書籍教えてくらさい。
うお
339 :
日本@名無史さん:02/11/16 22:42
340 :
日本@名無史さん:02/11/16 22:52
野見宿彌は土師部の長なの?十二柱神社って土偶作りの土師部の
神社?
341 :
日本@名無史さん:02/11/16 22:58
ミイラもつくってたのか?
>>339 前にチャレンジしますたが、つまんなすぎるのであきらめますた。
普通の本でいいんでおもしろくて読みやすいのきぼんぬ
343 :
日本@名無史さん:02/11/17 00:53
江戸時代における、石田三成や豊臣秀吉の扱いや、
朝鮮出兵の扱いは、どんな感じだったのでしょうか?
極悪人、極悪非道な行為だったのでしょうか?
それとも、単なる歴史の1ページになってたのでしょうか?
もちろん初期と晩期では違いがあるとは思いますが
それも含めてお願いします。
あるいはそれに詳しい書籍などがあれば。
344 :
日本@名無史さん:02/11/17 01:22
>>337 書店の歴史コーナーいってみよう。ナツメ社とかがよく出してる
「図解雑学〜」
「図説でよく分かる〜」
「早わかり〜」
などの本をまず買ってみよう。一通りの事を絵で理解しながら覚えられるよ。
たいていそういう本は引用元も一緒に書いてあるので、より興味が湧いたらさらに調べると。
2・26事件って
「ニテンニロクジケン」が正しいの?「ニニロクジケン」が正しいの?
>>342 そもそも時代は徳川支配とはいえ
中期ぐらいまでは関西が中心だったし
どっちかといえば家康が裏切り者といったイメージのほうが強かった
別に思想統制してなかったしね
>>337 みなもと太郎『風雲児たち』(潮出版)
を、とりあえず薦めてみる
>346
「織田がつき羽柴がこねし〜食ふは家康」と江戸時代に歌ってもお縄にならなかったかな
350 :
日本@名無史さん:02/11/17 11:25
>>340 野見宿彌は土師氏の祖先と言われています。
http://www1.nara-i.net/~masuga/jyuni.html ↓
十二柱神社(じゅうにはしらじんじゃ)付『出雲人形』
この出雲は垂仁天皇のころ、当麻蹴速と相撲を取り、勝者となった野見宿彌に
ゆかりの所とされる。
昔から出雲には小振りで野趣味あふれる土偶が作られ、出雲人形と呼ばれて長谷詣り
の土産物として珍重されて来た。今は窯元水野家が、昔そのままの技術を活かして
出雲人形の再興を図っておられる。
垂仁天皇から「殉死」の風習を改めるように相談を受けた野見宿彌は、
故郷の出雲から土部(はじべ)100人を招き、人や馬など様々な物の形の
土偶を作って、陵墓に埋めるようにした。これが後の埴輪である。
宿彌は土部臣(はじのおみ)となり、天皇の喪葬を司どることになった。
その後、桜井市出雲には土偶を造り、販売する家が沢山出来たということである。
>>343 六国四鏡以来久しく絶えていた歴史編纂事業を、江戸時代にはじめて本格的に再開したのは水戸藩の二代目藩主、水戸黄門こと徳川光圀とされている。
彼はみずからの出自が御三家の末席であったことにコンプレックスを持っていたらしく、この『大日本史』編纂において幕府将軍家の正統性に疑問を投げかける文言を多数残している。
石田三成、真田幸村といった謀反人に対し「主家(豊臣氏)に忠義を尽くしたので忠臣である」としてその名誉を回復させ、また尊王賎覇を暗に匂わせる人物(楠木正成、新田義貞等)を忠臣の鑑として持ち上げた。
当時の幕府は歴史の価値を軽視してか、あるいは御三家に対しての遠慮があってかこの件に関して何の咎め立てもしなかった。
結果江戸中期以降の歴史家のほとんどは潜在的反政府主義者という異常事態が起こり、これが幕末の尊皇倒幕運動へと繋がっていくのである。
352 :
戦国のおしえてくん:02/11/18 10:16
戦国時代の拷問について知りたいのですが・・・。
353 :
日本@名無史さん:02/11/18 10:43
>>352 <領民に対して>国内産業活性化で領国の総合力を高めるために、領民には
全体的に援助をした。一揆に対しては、首謀者獄門だが、多くは免罪。
家康は一向一揆の家臣を許している。信長は一向一揆は皆殺し。
さほど、拷問はきびしくなかったのでは?
江戸期の方がきびしい感じがする。
<武将に対して>
完全敵対者は自害させる。味方につかせる余地のあるものは許す。
<犯罪者に対して>
殺す。しかし、原則は、領内が一致団結して他大名と対峙することなので、
犯罪者集団も仕事を与え、囲い込んだと予想される。
354 :
日本@名無史さん:02/11/18 11:07
355 :
日本@名無史さん:02/11/18 21:47
戦国時代、街道はどれくらい安全だったのでしょうか?
例えば東北の南部氏が
「家督の継承がありました。つきましては新たな当主に官位を授かりたく思う所存……」
などという使者を京都に陸路で送って、無事に往還できるのでしょうか?
356 :
日本@名無史さん:02/11/18 22:12
>>355 例えば小田原北条攻めに参陣した津軽家の場合
岩木川を利用し十三潟へ出て、鯵ケ沢から海路をとって敦賀へ上陸。
琵琶湖畔・大津を経て、三月二十七日には沼津で秀吉に見参
大坂の陣の陣に参戦した南部家の場合はもう戦国の世ではなくなっているから
道中はより安全だと思ひます。
357 :
日本@名無史さん:02/11/18 22:57
明治の首相の権限と
今の首相の権限って同じぐらいですか?
かなり違うよ、例えば戦前の首相には閣僚の罷免権はないし、軍の指揮権もない。
でも逆に戦前の首相には都道府県知事などの任命権があったりもした。
総合すると権限は戦前の方が広いけどそれなりの弱点もあるよ。
359 :
日本@名無史さん:02/11/19 02:31
近代史で質問
1、朝鮮総督、台湾総督の地位って軍人にとって重要あるいは魅力的なポストでしたか?
2、明治末期なんでソビエト連邦もないのに社会主義者をあれほど恐れたのですか?
3、岸信介って出世できたのはやはり長州閥だからですか?
4、田中義一はなんで天皇なりたての、たかだか27歳の若造の言葉にびびったのですか?
360 :
日本@名無史さん:02/11/19 03:39
>>355 上杉謙信は海路で敦賀まで逝って上洛したな。そういや。
室町時代から戦国にかけて、各地の有力者は街道にさかんに関所を設け、通行する商人から関税を徴収した。
つまり当時関所を立てて儲けが出るだけの需要が街道にあったわけで、諸国の大名も街道を商人が通れないほど危険な状態にはしておかなかっただろうと思われ。
361 :
日本@名無史さん:02/11/19 11:20
>359
1、はい
2、社会主義は国体を変えようとするものだから
3、それだけではありません
4、天皇だから
362 :
日本@名無史さん:02/11/19 11:27
>360
そんな単純な話ではないでしょう。
少なくとも安全ではない。
363 :
日本@名無史さん:02/11/19 11:38
>>359 2、社会主義思想が、労働運動の台頭にともない広まり、1901(明治34)年
に最初の社会主義政党である社会民主党ができた。政府は直ちに禁止。
1910年、大逆事件。社会主義者12人処刑。
@労働運動の台頭を押さえたかった。裏に主義者がいると考えた。
A朝鮮併合の時期で、社会主義者は日露で反戦、併合には反対だった。
B当時の主義者はマルクス主義者より無政府主義者が多かったが、
ともかく民衆と結びつくのを恐れた。自由民権運動の後遺症かな。
364 :
日本@名無史さん:02/11/19 19:57
宜しくお願いします。
今日本史の勉強しててふと思ったことなんですが2・26で殺された鈴木実っているじゃないですか。
彼は日満議定書に調印して満州国を認めるなど積極的外交を進めていたと思うんですがそれなのに軍部に暗殺されたのはなぜですか?
365 :
日本@名無史さん:02/11/19 20:32
内大臣の斎藤実のこと?
軍部ファシズムに融和政策をとり、満州国承認・国連脱退。
2・26事件を起こしたのは皇道派なので、統制派と認識されていたん
じゃないかな?あるいは、君側の奸と見られていたか?
366 :
日本@名無史さん:02/11/19 22:56
日清戦争や太平洋戦争のときって相手国をかく乱するためにスパイっていたのですか?
また日露戦争でもロシアの革命煽動スパイっていたのですか?
367 :
日本@名無史さん:02/11/19 23:57
>>366 日露戦争の時は明石元二郎大佐が有名ですね。
明石が任された機密費は総額10万円、現在の貨幣価値にして100億円
を超える。明石は活動家にはふんだんに資金提供したが、宿や食事など自ら
のためには出費を惜み、3割の資金を戦争後に返却した。
明石の謀略活動は、世界史的に見ても最も成功したものの一つであろう。
それは日露戦争の勝利に貢献しただけではない。第一次ロシア革命を起爆し
そのエネルギーが1917年の第二次ロシア革命で遂に帝政打倒を実現した。
368 :
日本@名無史さん:02/11/20 00:02
>>366 太平洋戦争の場合は森村正(本名:吉川猛夫)氏が有名だよ。
彼は開戦前からハワイ総領事館の外務省書記生として赴任したいたんだけど、
1941年5月12日から1941年12月6日にかけて真珠湾の状況を報告していました。
彼の報告のおかげで真珠湾の攻撃日が決まったんです。
369 :
日本@名無史さん:02/11/20 00:12
明石は戦争終了後、あまりにも華々しい活躍のため、スパイにあるまじく名が知れ渡って
しまい、諜報活動が満足に出来なかったという。
皮肉な話ですね。
>>355 安全さは地域ごとによっても時期によっても違うよ。使者の能力によっても違うし。
敵国を避けて迂回したりすることもあるし。
山田邦明さんの『戦国のコミュニケーション』て本がそのへん詳しいらしい。
371 :
日本@名無史さん:02/11/20 11:13
ageとくか。
山本五十六は、なぜ真珠湾攻撃を企てたのですか?
一度戦闘に勝てば講和が出来ると考えていた、とい
う話を聞いたのですが、当時仲介をしてくれるよう
な第三国があったとは思えないのです。
373 :
日本@名無史さん:02/11/20 19:11
age
近代法についての質問なんですが、近代、日本の司法局は大きな疑獄事件をきっかけにつよくなったらしいのですが、その過程について詳しく教えてください
375 :
日本@名無史さん:02/11/20 19:32
>>367 ロシアの共産化、のちの冷戦の責任の一部は日本にあり?
『石光真清(まきよ)の生涯』 ドラマ NHK衛星第2で放送 中村トオル主演 平成10年(1998)
<<367
この話も、そういう事をもとに作られたのでしょうか?
>360
謙信は越前くらいまで勢力圏でその先の浅井朝倉には鷲と鳥篭なんかのおみやげを
あげて道通してもらったんだって
越前→越中
ソ連を仲介役に想定してるってのが甘いよね
>>343>>346 思想統制じゃないけど、浮世絵等で安土桃山近辺の人物名は使っちゃダメよ、メッ!♥
徳川時代、信ちんは特にタブー
故に明治政府は逆に勤皇の志として称え、神号を追贈したそう
380 :
日本@名無史さん:02/11/21 05:03
どうして御一新以前の社会には馬車が用いられなかったのでしょうか?
平安期などには牛車が用いられていたのですから、それを継承・発展し、
馬車が用いられても不思議はないと思うのですが…。
なにか見解をお持ちの方、またそれを解説した書籍などありましたら、
どうか御教示願います。
>>372 制海権を握って、勢力範囲を大きくしておいて、有利な講和にまでしか
考えてなかったようです。
敗色濃くなってからは、政府中枢は、ソ連の仲介の幻にすがってましたね。
>>374 :法制史 :02/11/20 19:30
>近代法についての質問なんですが、近代、日本の司法局は大きな疑獄事件を
>きっかけにつよくなったらしいのですが、その過程について詳しく教えてください
詳しくなくてすまないのだが、
1、時の政財界の真の実力者層が、疑獄事件該当者を切ろうと判断した時、検察は強い。
2、世論が捜査停止の強権発動を出させないまでに成長してるのが背景にある。
>>375 :日本@名無史さん :02/11/20 19:32
>>367 >ロシアの共産化、のちの冷戦の責任の一部は日本にあり?
そこまでは、言えないと思う。
383 :
日本@名無史さん:02/11/21 10:15
>>380 平安期の年中行事・儀式の前例を尊重したからと思う。
江戸期までは、馬車の概念がなかった。
明治以後は、欧米を手本とした。
>>381 372です。
たしかソ連は、陸軍と戦端が開かれていたと思うのですが。
にもかかわらずソ連に縋るしかなかったんでしょうな。
言うまでも無いことですが、国際社会で孤立した状態で戦争を始めるなど無謀、ということですね。
あの時代に児玉源太郎が居れば・・・と埒も無い妄想をしてみる・・・・
お答えいただき有難うございました。
385 :
日本@名無史さん:02/11/21 20:50
厳島合戦って何て読むんですか?
386 :
日本@名無史さん:02/11/21 20:51
>>382 もう少し詳しくお願いします>法制史について
388 :
日本@名無史さん:02/11/21 21:32
>>374 日糖事件の事じゃないかな。
夏目漱石の「それから」にもこの事件の事が出て来ます。
日本で初めて検察が政界にメスを入れた事件です。
389 :
日本@名無史さん:02/11/21 22:11
>>382 質問とあうか自信がないが・・・。
昭和29年/1954年に、造船疑獄で吉田首相が犬養健法相に指揮権を発動
させたことは、強い政治不信を。吉田内閣もついに総辞職、第1次鳩山
一郎内閣が誕生
この事件では、検察が逮捕直前で指揮権発動のため不可能に。
しかし、その後の疑獄事件では指揮権が発動されてない。
例えば、田中首相の犯罪「ロッキード事件」。
政府権力が、本気で守ろうとすれば、指揮権発動できたはず。
しかし、
1、政府権力が本気で守ろうとしなかった。
2、たとえ、守ろうとしても、大きな世論の反発が怖い(次の選挙)。
3、検察は正義との世論が、幾つかの政治事件解明のなかで生まれてきた。
4、検察の疑獄事件解明の積み重ねが、国民の信頼を得た。
5、それが検察のバックアップとなり、強くなった。
6、違憲立法審査権でもわかるように司法の優先がある。
7、戦前より戦後の方が疑獄事件は多い。
などが、要因と考えられます。
390 :
日本@名無史さん:02/11/21 22:20
391 :
日本@名無史さん:02/11/21 22:25
>>384 広島原爆8月6日
長崎原爆8月9日
ソ連参戦8月9日?
ポツダム宣言受託通知8月14日
ですね。
392 :
日本@名無史さん:02/11/21 23:33
>389
「その後の疑獄事件では指揮権が発動されてない」−それはどうでしょうか。「汚職
の構造」(室伏哲郎著・岩波新書)によれば、法務大臣による指揮権発動は造船疑獄
の後も、公にはなっていないだけで実際は汚職捜査潰しのためにしばしば発動されて
いるそうですが。
また「ロッキード事件」も逮捕起訴有罪になったのはトライスター・ルートの田中角栄と
橋本登美三郎の二人だけで、P3Cルートの岸信介、中曽根康弘らは逮捕されて
いない。岸、中曽根らについてはマスコミも”何故か”当時ほとんど報道しなかったようで、
世論の反発もなかったのでは。結局検察も政府・自民党内の権力闘争と時には
(少なくとも「ロッキード事件」の際には)アメリカ合衆国の意向によって動いて
いるだけ、と言ったらやや言い過ぎでしょうか(邪魔な検察官は左遷してしま
えばいいのですから)。検察やマスコミ業者を過大評価するのは危険でしょう。
393 :
日本@名無史さん:02/11/22 05:25
age
394 :
日本@名無史さん:02/11/22 05:36
太政大臣、関白、摂政、征夷大将軍ってどう違うの?
395 :
日本@名無史さん:02/11/22 11:09
>394
ぜんぜん違うよ。
396 :
日本@名無史さん:02/11/22 14:54
>>394 百科事典でも引くことを薦めるが・・・。
>太政大臣
律令体制のの二官八省の最高職
>摂政
天皇が幼少や女帝の時、天皇を助ける役職
>関白
天皇が成人して後も、天皇を助ける役職
摂政関白とも、政治実権を奪ってしまうことが多い。
>征夷大将軍
はじめは東北征伐軍司令官。後に武家の棟梁・大将。
武家政治になってからは、政治の最高権力者。
>>391 ソ連と戦端が開かれたのって降伏間際だったんですね。
もっと早いのかと思い込んでました。
384で知った風なことを書いてしまい、恥ずかしいです・・・
398 :
日本@名無史さん:02/11/22 15:16
>>396 サンクス
太政大臣がいまいちわからないけど、自分で調べて見ます
399 :
日本@名無史さん:02/11/22 18:39
茶臼山古墳が継体天皇陵で無い事が、
出土した埴輪の年代推定で確実になったようです。
では、あのドデカイ前方後円墳は誰の墓なのです?
400 :
日本@名無史さん:02/11/22 21:50
西郷の首とか遺体とかその後どうなったの?
行方不明?
あと江藤の首はあの後、ちゃんと墓に埋葬されたの?
401 :
日本@名無史さん:02/11/22 22:08
江藤新平が司法卿になって、磔やら獄門などの前近代的な刑罰は
廃止されたと聞いたような気がするんだけど、江藤の首が
蒲池の如く晒されたその法的根拠はなに?超法規的措置?
402 :
【^▽^】刺客兼用心棒ジョーカー:02/11/22 22:14
>>401 まだきょうしゅ(=獄門)刑は残っていたはずです。
西郷や桐野の首が晒されなかったのは、
大久保が同じ薩摩だから同情したのではなく、
西郷と桐野は4年前まで帝国軍人だったから。
>>402 なるほど、そうだったのか。軍人ってのはいいもんだね。
どうもさんくすです。
404 :
日本@名無史さん:02/11/22 23:02
>>402 それは表向きじゃないの?
やっぱ西郷のさらし首はあまりにも刺激しすぎるからとかじゃないの?
405 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/23 04:54
まあ鎌倉時代は騎射戦主体であるなら巴は映画等の様に
薙刀では無く現実には弓を武器としていた訳だろうか
406 :
日本@名無史さん:02/11/23 08:57
age
407 :
日本@名無史さん:02/11/23 11:41
hage
>>402 軍人だから許されるってことはないだろう。
ましてや現役でもなく退役だし。
それなら江藤だって、参議という政府要職に就いた人間。
軍人よりはずっと格上。
江藤の晒し首は、政府の威信と見せしめの意味があったし、
もしかしたら江藤ファンが言うように、大久保の江藤に対する
個人的な敵意があったのかもしれない。
西郷たちが晒されなかったのは、もっとも強力な反政府勢力である
薩摩士族が滅んだので示威行為が必要でないと判断したとか
西郷を晒すことで人々の反感を買い、一旦鎮圧した叛乱が再びおきる
恐れがあったとか、いろいろな理由があったのだろう。
409 :
日本@名無史さん:02/11/23 12:25
≫408
あんた、ふざけた憶測でモノを書くんじゃない。
402の書いた通り、「法律」があったんだよ。
第一西郷は当時唯一の陸軍大将、桐野は少将。
時代を考慮すれば十分高い。今とは違うんだよ。
軍人だったから、晒されなかったんだよ!!
軍人だったから、「許された」んだよ!!
根拠のない憶測で、他人(402)の書いた
正論を否定するなよ。
402とは何も関係はないが、憤りを覚えので書いた。
二度とふざけたこと書くなよ。
410 :
日本@名無史さん:02/11/23 13:02
>>409 そんなにあつくなんなよ(w
>>402によるとまだ獄門刑は残ってたようだが、「元軍人は晒されない」
などという法律はあったのか?
411 :
日本@名無史さん:02/11/23 13:31
>>405 :某研究者さん
>まあ鎌倉時代は騎射戦主体であるなら巴は映画等の様に
>薙刀では無く現実には弓を武器としていた訳だろうか
戦国時代は、鉄砲・弓・槍など射程の長いものから使いますよね。
それを考えると、射程の長い弓から使うのが普通ですが。
ただ、一騎打ちが作法というのが真実なら
「騎射→騎乗で槍→落馬したら一騎打ち」
かもしれないですね。
412 :
いまさらゴメン:02/11/23 16:13
教えてください。天武天皇って本当は誰?聖徳太子の子だとか
朝鮮半島の要人だとか諸説有りますよね?
・・・で、本当は誰???
どうしても、知りたい。
413 :
日本@名無史さん:02/11/23 19:11
>>410 >まだ獄門刑は残ってたようだが、「元軍人は晒されない」
>などという法律はあったのか?
君は日本語が理解できないのか?あったと書いてあるだろ。二度も。
それから、君は初心者か?だったら、人にモノを尋ねる時の態度を先に勉強しろよ。
初心者じゃないなら、自分で調べろ。(w←とか言ってる前にな。
だいたいな、西郷も元参議なんだよ。これだけでも408が無茶苦茶な事言ってるのが
わかるんだよ。
間違ったり、無知だから、恥ずかしいんじゃないんだよ。俺だって解らないことの方が
多いんだ。神さま、仏さまじゃないんだからよ。ただよ、もちっとこうあるだろ。
姿勢とかよ、考えてくれよ。
414 :
日本@名無史さん:02/11/23 23:03
>>361 >田中義一はなんで天皇なりたての、たかだか27歳の若造の言葉にびびったのですか?
>天皇だから
でも山県や東郷は裕仁を小僧にしか見てなかったみたいだし
杉山元や板垣も天皇に叱られて「へへ、また怒られちゃった」みたいに小馬鹿にしてるし
本庄も満洲事変の際、昭和天皇の追求に「知りません、断じて謀略ではありません」と堂々と嘘を言ってる
石原も「陛下を利用すればやりやすくなる」とも言ってる
結局、田中がバカ正直だっただけじゃないの?
>>414 本人の性質もあるかもしれないが、
結局天皇と田中等のわずかな者しかいない場でのことだから
何をどう言われたのかなんてことはわからんのだよ。
田中が何を思ったのかもわからんし。
「バカ正直だったから」と思ってるんなら、別にそれでいい
んじゃないの?
416 :
日本@名無史さん:02/11/23 23:56
木戸日記や原敬日記や近衛日記や天皇独白録って
どれだけ歴史的価値があるのですか?
結局、捏造してる部分が少なからずあると思うだけど?
もちろん、本人や関係者が死んだ今となっては、もはや真相は闇の中だと思うけど
417 :
日本@名無史さん:02/11/24 13:44
>>412 :いまさらゴメン
>天武天皇って本当は誰?
父は舒明天皇(大王)、母は斉明天皇(大王)。
天智天皇(大王)の同母弟。即位前は大海人皇子。
天武から、天皇号ができた。
で、いいんじゃないの。
418 :
日本@名無史さん:02/11/24 14:22
>>413 だったらその法律をあげてみればすむことだろ。バカか?
って言うか、
>>402は
>まだきょうしゅ(=獄門)刑は残っていたはずです
といってるが、そのあとの
>西郷や桐野の首が晒されなかったのは、
>大久保が同じ薩摩だから同情したのではなく、
>西郷と桐野は4年前まで帝国軍人だったから。
ってのはただの温情であったとも、法的根拠があったとも
どちらとも読めるだろうが。アフォか?
419 :
日本@名無史さん:02/11/24 14:34
って言うか、
>>418も
>>413も日本語不自由すぎ。朝鮮系の方ですか?
>>402は獄門が「残っていた」とはいってるだけであって、
軍人の首は晒されない、という法律があったとはいっていない。
420 :
日本@名無史さん:02/11/24 15:07
413は釣師だろ。大漁だな。釣師じゃなかったらキチガイ。
で、次のお題はまだ。
422 :
日本@名無史さん:02/11/24 15:35
>>416 >木戸日記・原敬日記・近衛日記
日記の目的が自己弁護や後世への評価期待でないので、
傍証も多く取れますし、多くの学者が使ってます。
ただし、日記なので、裏づけ資料も必要です。
>天皇独白録
昭和帝には悪いが、独白録の目的が自己弁護と後世への評価
なので、そこらへんを差し引いて考えないと危険だと思います。
特に戦争関係や、マッカーサー会見関係は注意が必要と思います。
423 :
日本@名無史さん:02/11/24 16:45
他スレでこんなのがあったんですけど、
違うような気がするのですが、
どのスレで聞けばいいですか。
ここでいいですか?
105 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん :02/11/12 00:57
松井証券の松井社長が
米軍に最初に撃沈された空母はみずほだって
WBSで言ってたよ
424 :
日本@名無史さん:02/11/24 17:00
ネタだと思うけど、みずほ銀行のこと。
現在の経済情勢を戦争にたとえての発言だとおもわれ。
アメの圧力で・・・・
マジレスしちまった。漏れってかっこわりぃ。
それはわかっているんですけどね。
米軍に最初に撃沈された空母が何か知りたいので。
ミッドウエーの赤城・加賀じゃないよね。
瑞穂の「瑞」が、空母<瑞鶴>を連想させているのだろうけど。
427 :
日本@名無史さん:02/11/24 17:21
瑞鶴が沈んだのってレイテ沖海戦でしょ。
一番最初に沈められたのは珊瑚海海戦の軽空母祥鳳じゃない?
・・・たぶん。
428 :
日本@名無史さん :02/11/24 17:26
429 :
日本@名無史さん:02/11/24 17:29
「赤城」
進水 - 大正14年4月22日:呉
戦没 - 昭和17年(1942)6月6日
おやおや
430 :
日本@名無史さん:02/11/24 17:39
レス、どうもありがとう。
>>428=429
おやおやってなによ?まさか水上機母艦が空母だといいたいのか?
( ´,_ゝ`)プッ
433 :
日本@名無史さん:02/11/24 17:59
>>413 >だいたいな、西郷も元参議なんだよ。これだけでも408が無茶苦茶な事言ってるのが
>わかるんだよ。
何が無茶苦茶なんだ?おまえ、せめて小学生レベルの読解能力を身に付けろ。
434 :
日本@名無史さん :02/11/24 18:06
>>432 水上機母艦も空母のカテゴリーに入れているサイトもあるよ。
435 :
日本@名無史さん:02/11/24 18:45
何で支那が差別用語なんですか?
あと中国で以前は国連の五大国は国民政府が代表でしたが、
核は五大国のみ保有可能だと思いますが、その時の中共と台湾の核関係はどうなってたのですか?
436 :
日本@名無史さん:02/11/24 19:18
質問で〜す。
ペリーが浦賀に来る前に琉球にも押しかけて
通交を要求していたって聞きましたがほんとですか?
それと、ペリーってどう言う立場の人なんですか?
教科書的には「米国使節」でかたづけられてますけど・・・
>>433 413ではないが、408は
>それなら江藤だって、参議という政府要職に就いた人間。
>軍人よりはずっと格上。
とある。
西郷だって江藤と同じ参議についてるんだよ、という意味でしょう。
438 :
日本@名無史さん:02/11/24 19:44
439 :
日本@名無史さん:02/11/24 21:07
携帯天皇の墓は今着塚で、どでかい方は、私の親類の墓です、
昨日、近所のみずほ銀行行ったんです。みずほ銀行。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで両替機使えないんです。
で、よく見たらなんか張り紙がしてあってて、2000円札両替できます、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、2000円の両替如きで普段来てないみずほ銀行に来てんじゃねーよ、ボケが。
2000円札だよ、2000円。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人でみずほフィナンシャルか。おめでてーな。
よーしパパ100枚両替しちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、1円札やるからその両替機空けろと。
みずほ銀行ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
後ろに並んだハゲ親父といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。で、やっと両替機の前に立ったかと思ったら、
隣の奴が、500円札に両替できないです、とか行員に言ってるんです。そこでまたぶち切れですよ。
あのな、500円札なんてきょうびねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、500円札、だ。
お前は本当に500円札を両替したいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、500円札って言いたいだけちゃうんかと。
みずほ銀行通の俺から言わせてもらえば今、みずほ銀行通の間での最新流行はやっぱり、
守礼門、これだね。
守礼門9枚板垣20枚。2万円これが通の頼み方。
板垣20枚ってのは100円札が20枚入ってる。そん代わり2000円札少なめ。これで2万円。これ最強。
しかしこれを頼むと次から行員にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、二重引き落としでもされてなさいってこった。
442 :
日本@名無史さん:02/11/24 22:33
>>439 少なくともあったと書いてる人がいる。
何度「あった」と書いてあっても納得しないんだろうし
自分で調べた方がいいんじゃないの。
443 :
日本@名無史さん:02/11/24 22:52
>>442 そのあったって言ってるヤツは一人だけなんだよね。しかも厨丸出しで、
その法律の名前あげないし。検索しても出てこんし。
444 :
日本@名無史さん:02/11/24 22:58
だから、自分で調べればいいじゃん。
厨丸出しというなら、もう1人の方(君か?)も厨に見えるぞ。
445 :
日本@名無史さん:02/11/24 22:59
まあでも法があるならそれの名前は知りたいな。勉強のために。
446 :
日本@名無史さん:02/11/24 23:02
>>442-443 そんな法律ねえよ。ないもんググったって出てくるわけねえだろ。
大体なんで軍人だけ特別なんだよ(藁
っていうか、いいかげん江藤スレ逝け。
447 :
日本@名無史さん:02/11/25 00:29
岡田や米内、近衛は東条内閣に終始反対し倒閣工作を行っていましたが
なぜ海相辞任→その後海相拒否で東条内閣を潰さなかったのですか?
448 :
日本@名無史さん:02/11/25 10:12
>>433 参議というなら、江藤=西郷で同じ。だが、西郷以外の軍人も梟首になっていない。
ということは、お前が格下だと思っている軍人達には何かあると思うのが普通だろ。
あの参議の江藤でさえ梟首になったんだぜ。西郷はまだしも桐野以下(の軍人)は
どうなんだ?ということだろ。これこそ読解力というものだ。
ま、それはおいといて礼儀もわきまえない、初心者だかなんだかわからん奴のために、
「法的根拠」を調べてきてやったぞ。それによると、
「明治政府の軍人だった者には梟首はおこなわれないことになっていた」。なぜなら
武官を勤めた者は退役しても、また官を奪われても3年間は軍律が適用された。
軍律には梟首の刑はなかった。ということだ。正確な条文は自分で調べろよ。
そこまで面倒見きれんからな。自衛隊でもどこでも尋ねてな。
>>443、ネットだけじゃ駄目だぞ。足を使い、汗水流して調べろよ。そうしないとな、
今のお前のように、偏見や先入観にとらわれてしまうぞ。
結論は402、409がおおむね正しい。408、420、433、443、446等・・・。お前達が言っていた
罵詈雑言の対象はお前ら自身だったということだ。
最後に
>>446よ。
なぜ、「軍人だけが特別」で梟首のような「不名誉」な刑を免除されていたのか。
おまえは軍人の職務やその特性等を勉強して、調べろ。自分でな。そしていかに自分
がそれから遠い存在か思え。精進しろよ。
449 :
日本@名無史さん:02/11/25 10:13
↑長文すまん。
>>435 >何で支那が差別用語なんですか?
戦時中、日本で差別的・侮蔑的な意味をこめて使用してた人たちがいたからです。
>あと中国で以前は国連の五大国は国民政府が代表でしたが、
>核は五大国のみ保有可能だと思いますが、
核は、インドとパキスタンも保有。イスラエルが有力疑問視です。
>その時の中共と台湾の核関係はどうなってたのですか?
中国の核保有は共産党政権になってからです。
その時、協力を要請された旧ソ連のフルシチョフが
「ズボンもはいてない人間がいる国が核を持ってどうするんだ」
と言ったとか言わないとかでもめたとか言う笑い話があります。
>>436 >ペリーが浦賀に来る前に琉球にも押しかけて
>通交を要求していたって聞きましたがほんとですか?
はい。インド回りで来て、日本に来る前に琉球によってます。
>それと、ペリーってどう言う立場の人なんですか?
>教科書的には「米国使節」でかたづけられてますけど・・・
大統領の国書を持ってきた提督です。
本人は戦闘意欲満々だったそうなんですが、政府から戦いはできるだけ避けろ
と指示され、艦隊装備レベルも落とされ、不満を持っていたようです。
条件付の委任特派員ですかね。
その後来た、ハリスの方が格上です。
>>447 >岡田や米内、近衛は東条内閣に終始反対し倒閣工作を行っていましたが
>なぜ海相辞任→その後海相拒否で東条内閣を潰さなかったのですか?
開戦前は、開戦に向けた状況が出来上がってきてしまい、
緒戦の勝利のうちは、東条の鼻息も荒かったですからね。
戦争後半に、東条内閣を打倒していますね。
453 :
日本@名無史さん:02/11/25 10:48
>>448は歴史解釈においてまったく間違っているとおもう
>>448は例えていうと自民党右派の考え方
奥野法相とかの極右に近い考えだと思われる
奥野法相も何かとバッシングされたがやはり法務大臣不適確だったと断ぜざるをえない。
現実の政界では高村前法相や現法相の考え方が
自民党中道穏健派=与党主流派の見識としてとらえられている。
逆にそうでないと日本の法曹界も容認しないだろうし法政策に説得力を欠いてしまう。
そういう流れを大局的に見て小渕とか野中とかが仕切るところは仕切り政局を乗り切ってきた。
>>448のいうのは明らかな間違い。
軍人勅諭が定められて日清日露戦争の行方を国民が固唾をのんで見守った明治後期の頃までに
徐々に形成された「日本国民」的な挙国意識は明治初期においては極めて希薄だった。
軍人の跋扈がやむをえずという風潮になったのは
日本が対露戦争に勝利を収めてから「皇軍」としての神格が備わってきてから後の話。
明治初期ではシビリアンコントロールをいうまでもなく文官の優位は決定的なもの。
太政官制度に復帰したばかりの明治初期では
「朝臣」を出した藩は藩主が当該「朝臣」にへりくだるほど尊敬され畏まれていた。
その「朝臣」を嬲り殺していいという
>>448の議論は暴論以外の何物でもない。
454 :
日本@名無史さん:02/11/25 11:03
仮に
>>448のいうように軍人の扱いをほかとは違って扱えという法規があったとする。
それでもいい。
しかし、それではイラクや旧ソ連のような軍事国家になってしまう。
日本がそうなったのは明治後期から(大正で緩和されてまた)風雲急をつげる昭和初期の話。
この頃は東洋の島国「日本」が異国情緒をともなう憧憬で語られる時代だった。
世界の列強が日本を脅威と感じ始めるのは日露戦争勝利後。
なにがなんでも軍人を良しとする
>>448の脳内妄想がこういう非常に偏った解釈を可能にしてしまう。
日本が治外法権を勝ち取るのにどれほどの労力がかかったか?
日本が関税設定自主権を認められるまでどれほどの時間が経過したか?
軍人よりも立法院、行政官のほうが百倍尊敬されていた。
この頃の日本は金融、郵政、土木といった社会インフラをつくりあげることを
諸外国からの優先課題として与えられていた「小学校一年生」。現代の中国みたいな状況。
>>448は適当なことを書くな。
>>453-454はバカ?
なんで西郷が梟首にならなかったか?って質問で
「法があったから」という答えに対して
全然見当違いの論点ズレた事を長文でダラダラ言ってるんだが…
法が存在しなかったって言いたい訳か?治外法権とか関係無いだろうに…
>>453 おれがいつ、明治初期の文官優位(=シビリアンコントロール)を
否定した?いつ「軍人の跋扈がやむをえずという風潮になった」と
言った?別に「特別に軍人は偉かった」などと言っているわけじゃないぞ。
大丈夫か?おれは、「法的根拠」を述べただけだぞ。何が明らかな間違いなんだ?
歴史解釈でもなんでもない。江藤が梟首にされて、薩軍の軍人達が
梟首にされなかった事実(江藤も朝臣だろ)を「法的根拠」を元に合理的に
説明しただけだぜ。あんたが言っていることは、江藤には適用されないのか?
それに、明治初期は士族の反乱に政府はビクビクしてたんだろ。見せしめは
当然必要だろ。
もちろん、政府首脳は西郷に対する温情も腹の中では持っていただろし、
そういう「法的根拠」は「具合が良い」と思っていたことまでは否定しないよ。
ただ、あんたの否定は的外れなんだよ。
457 :
日本@名無史さん:02/11/25 11:26
>>402>>403は史上最低の発言だね。
というかIQ40だろ。
まず洋服を着て山高帽をかぶってステッキをついて肉食をする「文化的生活」の第一歩から
日本が歩きはじめた状態。
日銀兌換券もキシャポッポも郵便制度も欧米列強の資本なしには何も出来なかった。
何もさきに進まなかった。
わたしは紀律を乱す反乱士族を厳罰にさらすという文脈で
超法規的に旧幕時代の慣行を一時的に復活させるという新政府の行為を容認しないわけではない。
しかし東チモールをめぐるようなインドネシア政府のギャク切れスタンスは
古今東西を通じて国際的に認知されない。
インドネシア政府のいうように
現地人の尊厳と独立を勝ち取るようにまずは国内の統一を、という理由はまったくもって正当だ。
大久保のいうことも正しい。
しかし世界の情報媒体はインドネシア政府を常識以前の野蛮国家として報道した。
それはNGOを迫害虐殺しカトリック修道院を襲撃した、という蛮行を働いたからだ。
其の意味で明治初期の江藤は東チモールにおけるNGOやミッションと同じような立場。
江藤配下では多くの御雇い外国人や欧米からの学位を取得した優秀な日本人たちが働いていた。
彼らは一体となって日本の旧幕時代の白州のお裁きから
欧米スタンダードの整備された法制度へ昇華させようと日夜努力邁進していた
間違いなく江藤司法卿は尊敬されるべき存在であったし、事実欧米からの評価がもっとも高かった
新政府要人だった。
だから明治新政府の不平士族弾圧はいまだに世界史主流派の見解では理解をえられていない。
>>453 あんた、
>>454でもわけのわからんこと書いてるな。
もう相手にする気もなくなってきた。
軍人コンプレックスでもあるのか?ほんと大丈夫か?
まあまあ、質問スレッドですから、その辺までにして。。。
質問が来なくなっちゃうよ。
恐れをなしてw。
460 :
日本@名無史さん:02/11/25 11:50
>>402や
>>403や
>>456>>457は常識の範囲内で否定される議論以前のレベル。
福澤の楠公権助論を一読しろ。
旧幕時代の封建思想にもとづいて権助なりAなりBなりという一日本国民が
朝起きて通りに水を張って暖簾をあげて帳簿をつけて客を接待して頑張ったとする。
来る日も来る日も精進して浅草寺にもお参りし家業に精を出したとする。
そんなこと欧米はひとつも評価しない。
彼らの頭を叩くと因循姑息の音がした。
Aというアメリカ人商人がきたら仕入れ値と売り値を教える、というレベルにまるっきり達していなかった。
外国人商人を見たら背中をみせない、とか、
横柄でないビジネスマンとしてのモラルを備えている相手だったら基礎英語で商談する、とか
外を出歩いたり客を接待するときには洋装で臨む、とか
「文化国家」として認知されうる最低レベルに「幕府」という親方は持っていけなかった。
悪いことに当時の幕府には井伊大老などというキチガイ行政者までいた始末。
だから欧米列強にこの政府はいとも簡単に転覆されてしまった。
こういう権助やら八兵衛やら有象無象の旧幕時代の申し子が闊歩する東洋の島国から脱却して
「投資適確」というレッテルを勝ち取るのに明治政府は必死だった。
その新政府がトンデもないことをやってのけたのが江藤の晒し首写真。
新政府が戊辰から明治10年までの躍進から
一気に「自由民権運動」という停滞期に入るのは必然だった。
帝国議会開設や憲法制定ももっと早くてしかるべきだった。
>>459 そうだね。結論も出たし、もう打ち止めにしますわ。
助言ありがとう、感謝。
462 :
日本@名無史さん:02/11/25 12:02
はじめまして、です。
いきなりなのですが、質問させてください。
「家康に過ぎたるものがふたつあり 唐の頭に本多平八」というのを聞いたのですが
唐の頭≠チていうのは、一体なんなのでしょうか?
どなたか答えを宜しくお願いします。
463 :
日本@名無史さん:02/11/25 12:48
>>448はなんか悪い薬でもやってんのか?スレタイを見ろよ。「初心者歓迎」だぞ。
そんな得体の知れない法律が仮にあったとしても初心者に見っけられるわけないだろ。
で、お前はあいも変わらずわけのわからん罵倒ばかりで根拠となる法律名を挙げてないわけだが。
西郷や桐野は軍人辞めて3年たってることをどう説明する?
> 参議というなら、江藤=西郷で同じ。だが、西郷以外の軍人も梟首になっていない。
>ということは、お前が格下だと思っている軍人達には何かあると思うのが普通だろ。
>あの参議の江藤でさえ梟首になったんだぜ。西郷はまだしも桐野以下(の軍人)は
>どうなんだ?ということだろ。これこそ読解力というものだ。
前原一誠だって参議だが。あの参議の江藤だからこそ梟首になったと解釈するのが普通。
君が常識人では理解できないきわめて優れた読解力をお持ちだということはよくわかった(w
>>453>>457 ごめん、何いってんのか全然わかんない。おれって読解力ないみたい(w
>>435 >>何で支那が差別用語なんですか?
中国国内のサイトSINAcomが差別用語だというので中国で訴えられましたが、
差別に当たらないと司法判断されておりました。
まぁSINAの漢字が新浪ではあったが。
465 :
日本@名無史さん:02/11/25 14:00
>>463 >448はなんか悪い薬でもやってんのか?スレタイを見ろよ。「初心者歓迎」だぞ。
>そんな得体の知れない法律が仮にあったとしても初心者に見っけられるわけないだろ。
>で、お前はあいも変わらずわけのわからん罵倒ばかりで根拠となる法律名を挙げてないわけだが。
>西郷や桐野は軍人辞めて3年たってることをどう説明する?
確かに、読解力ないな。「退役しても」軍律が適用される。
「官を奪われても3年間」は軍律が適用されるんだよ。
法律名?おれは現在の法律でも正確な法律名解らんもの多いぜ。
条文もな。まあ、一応軍律って挙げてるんだが、明治の昔の正確な法律名(しかも軍律も関係している)
なんて専門の研究者じゃないと解らんのじゃないの?少なくともおれは知らん。
だから
>>448で自分で調べろってかいてあるんだろ。だが、内容の大意くらいは
わかるだろ?たしかにここは初心者スレだが
>>448に書いた内容で質問
には十分応えていると思うが?初心者だからって全部調べてきて、教えんといかんの?
前原は確か斬刑に処せられたと思うが、その後のことは知らん。ただ、戊辰戦争は
のころは指揮官だったし、後に兵部大輔にもなっていたことは確かだな。
他の反乱者についても調べてみるとよいのでは?ケースバイ・ケースかもしれんし。
ただ、あくまでも趣旨は江藤と西郷。
>>448の内容で大概の人は納得して
くれるんじゃないの?一応客観的だし。
そんなに、疑うならそれこそ自分で調べてくれよ。こうなると、最早
信じるか、信じないかの問題だから。
466 :
日本@名無史さん:02/11/25 14:18
>>465 だから西郷、桐野はその3年の期限が切れてんだよ。
もうちょっと日本語のお勉強をしろ。
って言うか、
>>402ですでに「4年前」ってでてるんだけど。
お前は自分自身ももろくに知らないマイナーなその法規をネタに、
人様を初心者扱いして嘲笑してたわけだ。あきれたな。
でもそんな法規の内容をよく知ってたね。感心感心。
ところで君は何を怒ってたんだ?
467 :
日本@名無史さん:02/11/25 14:21
>>463 西郷は下野する時辞職したのは、参議と近衛都督な。
陸軍大将の官を奪われたのは乱が起こった後だぞ。
468 :
日本@名無史さん:02/11/25 14:30
>>466 はー。大丈夫か?いいか、ゆっくり説明してやる。
いいか、軍律が適用されるのは
1、退役した者(桐野とかな)
2、(武)官を奪われても3年間(以内の者)=西郷
わかった?日本語云々はいいから、少しは考えろよ。
それからな、初心者扱いしたんじゃなくてな、質問してる立場のくせに
文句ばっか言ってからなの。そんなに文句あって初心者じゃないなら
自分で調べろよ。
469 :
日本@名無史さん:02/11/25 14:31
>>467 そうだね。西南戦争の際に陸軍大将の肩書きで兵を募ったから剥奪された。
桐野はたぶんとっくにやめてたと思うが。隠棲しても大将のままとは
昔はおおらかだったんだね。
470 :
日本@名無史さん:02/11/25 14:33
>>468 って言うか、いきなりけんか腰だったのはあんたじゃん。
471 :
日本@名無史さん:02/11/25 14:44
>>462 海外輸入品の角や毛皮を鎧兜の装飾に使うのが
当時の三河武士の間で流行ってたと聞いたことがある。
因みに当時は、外国を全部まとめて唐と呼ぶ人が多かったみたいだ。
472 :
日本@名無史さん:02/11/25 14:46
これ以上やるなら、専用スレでもつくれよ。
ここは初心者質問スレなんだから。
473 :
日本@名無史さん:02/11/25 14:49
おめ−ら江藤新平スレいけ。
>>471 レスどうもありがとうございました。勉強になりました。
なんか、場違いなところへきてしまったような気もしていたのですが、
少しホッとしました。
ついでにもうひとつ質問させてください。
今、池波正太郎の忍びの風∞忍びの女≠読み終わったのですが、安土城について、
忍びの風≠ノは「なぜが分からないが信雄が焼いた・・・」とあり、
忍びの女≠ナは「明智光秀により焼かれてしまった・・・」とあります。
まあ、事実は分かりようが無いのかもしれませんが、一般的にはどういう解釈になって
いるのでしょうか?
私としては、明智光秀が焼いたというのが、もっともらしいと思うのですが・・・?
475 :
誘導蒲池君:02/11/25 15:57
476 :
日本@名無史さん:02/11/25 16:39
>>474 光秀というより、秀満が焼いたという説と信雄が焼いたという説両方あって、
定説は信雄が焼いたという方では?
477 :
日本@名無史さん:02/11/25 17:08
風呂椅子もノブカツが焼いたって書いてるね。
普通より知恵が劣っていたので云々
>>476,
>>477 レスありがとうございました。
フロイスも書いてるんですか? 勉強になります。
ちなみに、関が原の戦いの際、西軍に加わっていた岐阜城主の織田秀信。
難攻不落の山城のはずなのに、なぜ数日で落ちてしまったのか、それも不思議です。
信忠の子供なのに、やっぱり凡人だったのでしょうか?
479 :
日本@名無史さん:02/11/25 18:10
>>478 篭城前に野戦で完敗してるからね。
兵も結構逃げちゃったらしいし、士気も落ちてただろうし。
攻め手の池田輝政はもと岐阜城主だから城のこと詳しいだろうし。
480 :
日本@名無史さん:02/11/25 18:29
落城というより降伏。
援軍が来る希望もなくなって、池田輝政の降伏勧告に応じたもの。
481 :
日本@名無史さん:02/11/25 18:32
降伏は降伏でも本丸まで攻められてるからね。
あと一刻も持たなかっただろう。
482 :
日本@名無史さん:02/11/25 19:57
mage
483 :
日本@名無史さん:02/11/25 21:06
関東軍の憲兵隊には政治犯を裁判抜きで殺害する権利が合法的に
認められてたって本当ですか?
484 :
日本@名無史さん:02/11/25 21:29
文学に入っちゃうかもしれないんですけど、
「源氏物語」の完成は宮仕え前か宮仕え中なのか教えてください。
宮仕え後?ちゃったっけ?
>>479-481 レスどうもありがとうございました。
いろいろ勉強になりました。なんだか、とてもスッキリしました。
487 :
日本@名無史さん:02/11/26 20:28
なぜ高橋内閣は
陸軍海軍宮中官僚が総反対だったのに
山県の国葬を強行したのですか?
朝日新聞の天声人語に、日本史の3悪人の話がでてました。
その3悪人が足利尊氏、道鏡、田沼意次でした。
一番理解出来ないのは、足利尊氏がその3人に入っている事です。
この3人の悪人ある由縁は何なんでしょう?
489 :
日本@名無史さん:02/11/27 08:08
>>488 足利尊氏は北朝を擁立した大功臣、
南朝にとっては大逆臣
>>488 490に補足みたいになっちゃうけど
皇国史観跋扈の世の中でできた「3大悪人」だから。
足利尊氏・道鏡=天皇家に対して最大級の失礼をした奴
田沼意次=日本史上最大の賄賂政治家
というような言われ方でそうなったかと。
>>491 徳川家康が悪人に入らないのは何故?
やっぱ、明治維新の助けをした徳川慶喜のおかげかな?
493 :
日本@名無史さん:02/11/27 12:46
>>492 家康は、戦国の世を終わらせたというのが、京都公家勢力からの評価だった
みたいよ。
幕末時にも、「家康は戦国を終わらせた貢ありととしても、その後の将軍は朝廷
をないがしろにし〜」っていうのが過激公家の決め台詞だったみたいから。
494 :
日本@名無史さん:02/11/27 12:50
>>483 >関東軍の憲兵隊には政治犯を裁判抜きで殺害する権利が合法的に
>認められてたって本当ですか?
日本国内でも特高警察による暴行は良くあることだったから、
満州では関東軍憲兵が政治犯に暴行することは予測できるね。
ただ、殺害する権利まであったかどうかはわかりません。スマソ。
495 :
日本@名無史さん:02/11/27 13:01
>>487 >深代惇郎さんの天声人語の「山縣と大隈」というコラムです。
>『国葬と国民葬はどこが違うのかよく知らないが』、という書き出しで始まり、
(中略)
>死んだ時、山縣有朋は天皇のご沙汰により国葬をもって遇せられた。
> 大隈重信は国民の声で国民葬が行われた。山縣の国葬はさびしかった。
(中略)
>同じ日比谷公園で、1ヶ月前に行われた大隈の国民葬は参加者30万人
>を数え、雑踏の中で盛大をきわめたものだったと。
天皇のご沙汰が出てるようですね。
国民葬にして、全然人が来なかったら、よけいヤバイですからね。
496 :
日本@名無史さん:02/11/27 13:17
497 :
日本@名無史さん:02/11/27 18:04
>462:唐の頭
> 唐の頭≠チていうのは、一体なんなのでしょうか?
確か、チベット産の「ヤク」という、毛足が長い牛の仲
間か何かのシッポだかの毛を植えた帽子の類いで、
流通の関係で、当時は非常な貴重品扱いされた
…とか?
ヤク以外の毛を使ったバージョンもあるかも?
ちなみに、維新の当時に「シャグマ」とかいうのが登
場するのも、同じ系統のものらしいですね。で、色で
「藩別」したとか。シャ→赤が土佐だか薩摩?
突っ込み希望。
498 :
日本@名無史さん:02/11/27 20:52
>>488 日本の三悪人は
田沼意次、岩倉具視、山縣有朋だろうが
>>497 しゃぐま【赤熊】
1、ヤクのしっぽの毛を赤く染めたもの。
払子(ホツス)や旗・槍(ヤリ)・兜(カブト)の飾りに使う。⇒白熊(ハグマ)
2、縮れ毛で作った入れ毛。
う〜ん、官軍は赤系統だったよね。
熊じゃないんだ。
501 :
日本@名無史さん:02/11/28 13:43
>>498 ご高説ありがとう。じゃあね、バイバーイ。
国体護持って単に天皇が廃位されない、天皇制がなくされないというだけですか?
国体にはそれに付帯していろんなことまで含んでいるんでしょうか?
504 :
日本@名無史さん:02/11/28 21:57
>499
関係ないけど、ロック歌手とかにシャグマのがいたような。
シャグマってことはないか。 W ←こんなの。
>>503 まぁ今となっては共和制に移行しても、なんの問題もないっちゃないんですが。
それやっちゃうと宮内庁・神社本庁経由で流れてくる公的資金がストップしちまうので、まぁ景気対策としての国体護持つうことでひとつ。
507 :
日本@名無史さん:02/11/28 23:31
問題大ありでしょ。国民がこれだけ支持してんだから。
おれは共和制でもいいけど。
508 :
日本@名無史さん:02/11/28 23:33
509 :
日本@名無史さん:02/11/28 23:52
日本で国民投票でやっても絶対に共和制にはならないな
一応世界最古の皇室というステータスだし
共和制移行最後のチャンスは敗戦時のGHQだったんだよ
510 :
日本@名無史さん:02/11/28 23:53
このまま皇統が断絶すれば否応なしに共和制になると思うが・・・
>>510 右翼共和派っつーのもあるぞ。
サイト探してみ。ちょっと面白いこといってると思ふ。
天皇家だけが皇居にかこわれていても
もう華族制度もイエ制度もなくなっちゃったんだから国体は解体されたに同じだと。
天皇制にとっては堀を埋められた大阪城… 江戸城だけど
>>507 国民が支持?一般国民は真剣に天皇制の事を考えた事ないでしょう?
国民が知っている皇族のイメージはワイドショーで流される日本版
王家の優雅なイメージでしょう。実際問題、無関心層が大多数でしょう。
514 :
日本@名無史さん:02/11/29 11:55
>>503 :ポツダムさん
>国体護持って単に天皇が廃位されない、天皇制がなくされないというだけですか?
>国体にはそれに付帯していろんなことまで含んでいるんでしょうか?
日本側は、天皇主権を要望してました。
敗戦後のGHQに見捨てられた天皇主権の新憲法案でもわかります。
ただし、最終的には「天皇制度」が残ればよかったようで、
昭和帝の譲位案、凄いのになると連合艦隊で出撃させたり案まで内部で出てて、
新天皇による「天皇制」を守ろうとしたようです。
>>512 象徴天皇制によって、立憲君主制天皇制は終わりを告げ、
天皇制の歴史は、もう終わったのかもしれませんね。
一部、右翼サイドによる言論抑圧はありますが。
515 :
日本@名無史さん:02/11/29 12:07
>>508 遊女引退後の平均寿命は統計がないでしょうからわからないでしょう。
ただし、現役遊女の平均寿命が23歳というのは、病気・性病・過労
などが想定されますから、引退後はあまり長生きしてないだろう
というのが妥当な予測かと思います。
関東大震災の時の被害者の遊女は、近隣の寺に多数投げ捨てられてますね。
人命や健康の配慮はあまりなかったようです。
516 :
日本@名無史さん:02/11/29 22:53
>>513 >国民が支持?一般国民は真剣に天皇制の事を考えた事ないでしょう?
それはあるものとして認識されてるから
いざ無くなるか、国民投票で決めるとなったら断絶反対運動が盛り上がるだろう?
世界最古で1500年の歴史を国民の意思で捨てるとは思えない
「興味がない」と「なくしたほうがいい」は全く違うぞ?
イギリスは一回途切れてるからその分ステータスが大幅に低下してるから分からんけど
「神ながらの統治」とは「和をもって本とする」統治に他ならない。天皇の御統治は
神ながらの御統治であるから、その御稜威(みいつ)はもとより絶対である。
しかしながらこれは単に権力とか権威とかいふ如きものの絶対ではなくして、どこまでも
皇祖天照大神の和魂(にぎみたま)を本とする御陵威である。即ちこの国を安国(やすくに)
と平らけくしろしめし給ふ大御心(おおみこころ)の現はれである。かかる御統治の下に於いて、
日本国家は人倫的・道義的に一体となって居る。ばらばらの個人から成り立つところの個人主義
的な社会ではなく生命的な全一体となり切ってをる。これが日本の国柄であり、国体の精華である。
(小野清一郎 刑法)
だって。解体していますなあ。
518 :
日本@名無史さん:02/11/29 23:10
皇室は国民の七割以上が支持してます。
519 :
日本@名無史さん:02/11/29 23:16
タカマド逝ってよし!!
520 :
日本@名無史さん:02/11/29 23:24
もういきましたがなにか?
天皇家って、国が雇ってる芸能人みたいなもんじゃないの。
「東大卒アイドル!」みたいな感じで「歴史がある!高貴!」がウリの。
>世界最古で1500年の歴史を
歴史をなくせということではないでしょう。
別のかたちで存在すりゃいいんじゃないの。宗教法人とか(w
つか、質問スレッドじゃなくなっている・・・
天皇は本当に必要か、という議論は、日本にとって歴史は必要かと問うているのに等しいが、そこにかけられている費用については一考の余地があると思う。
年間二百億円超あれば、どれだけ多くの文化財が保護できるか・・・。
今の天皇家の習慣について教えて下さい。
@昭和天皇は土葬でしたか?火葬だったのでしょうか?
A高円宮さまは土葬になるんでしょうか?火葬になるんでしょうか?
ちょっとだけ「もがり」について調べていたので宜しくお願いいたします。
524 :
日本@名無史さん:02/11/30 06:16
二人とも土葬と答えてみるテスト。
日本国憲法を尊重しない非日本人=鮮人たちが宗教法人にすればいいとか。
この国の事についてとやかく言う筋合いではないと思うのですが。
これに対する非日本人のコメントは不要です。
526 :
日本@名無史さん:02/11/30 06:32
高窓は火葬です。
秩父宮、高松宮も、遺言により火葬。
秩父宮は解剖もされた。
みなさんレスありがとうございます。約1名火葬されていない方がいらっしゃる
わけですね。「もがり」の参考になりました。
529 :
日本@名無史さん:02/11/30 10:29
>>523 長らく孝明天皇までは仏教式の火葬です。仏教伝来以降の天皇家は最新流行を
取り入れ、仏教式でしたから。
明治帝から、古式の神道式葬儀が行われるようになりました。国策ですね。
昭和帝は土葬の気がします。
530 :
日本@名無史さん:02/11/30 10:29
ふー、こうもあっさり騙されるとは。
ヤレヤレだぜ(w
531 :
日本@名無史さん:02/11/30 11:33
明治中期以後は
あの一家の隠れ宗教は日蓮宗だよん
天皇がこっそりナンミョーホーレンゲーキョーを唱えているのを想像するとかわいいね
532 :
日本@名無史さん:02/11/30 11:35
>>530 禿同。
大正後期からはラマ教に凝ったらしいが…
533 :
日本@名無史さん:02/11/30 13:21
こんにちは。笑わないで僕の質問を聞いて下さい。
そしてよろしければ、どなたか答えていただければ、幸いです。
遺跡ってどうして、土の中から出て来るのでしょうか?
化石だの、縄文、弥生時代の遺跡だというのならまだ分かるのですが、奈良、
平安時代の屋敷後だとか、東京の汐留辺りでは、江戸時代の旗本屋敷跡が
土の中から発掘されたりしています。
ずっと人が住んでたはず場所がいつの間に土の中に埋もれてしまったのでしょう?
それを考えると夜も眠れません。
ふた昔前の漫才みたいですが、ほんと、真面目なんです。
どなたかよろしくお願いします。
534 :
日本@名無史さん:02/11/30 13:25
>>533 建物を解体したり整地するときに、盛り土するからでは?
大火や地震のあとは、焼け跡の片付けの必要もあるし。
535 :
日本@名無史さん:02/11/30 13:56
江戸東京博物館や福岡市博物館で古代〜現代の地層の断面を展示している。
昔は火災が多かったから、その都度盛り土している。
536 :
日本@名無史さん:02/11/30 14:25
実に下らない質問で申し訳ないのですが、信長の楽市楽座て西暦何年ですか?
537 :
日本@名無史さん:02/11/30 14:45
自分で調べろ。
538 :
日本@名無史さん:02/11/30 16:32
>>534-535 レスありがとうございます。
盛り土ですか・・・。江戸東京博物館、行ってみたいです。
539 :
日本@名無史さん:02/11/30 16:43
戦後、韓国は日本に賠償じゃなくて経済協力を求めたって教わったんですけど、
経済協力って具体的にどういうことなんですか?
また、韓国にとって賠償より経済協力にするメリットって何ですか?
540 :
日本@名無史さん:02/11/30 16:44
楽市と楽座を同じに語っているところで答えにくいがな。
541 :
日本@名無史さん:02/11/30 18:40
>>536 1568年9月、岐阜の城下町近くの加納市場に「楽市・楽座の上、諸商買
すべしの事」と出す。
信長の楽市・楽座令は、座を全面的に否定した物ではなく、特定の都市や市場に
ついて行われた。他の戦国大名も同じである。
1577年7月、安土城下を楽市と定める。
(「日本の歴史15」講談社)
542 :
日本@名無史さん:02/11/30 18:41
維新後、断髪令が出たとき、総髪の人は問題なかったと思うが、
月代を剃ってた人はどう対応したんだろう。
いきなり切ったら、月代が残ってかなりカッコ悪い状態になるので、
やっぱり前髪が伸びるのを待ってから断髪したのだろうか?
543 :
日本@名無史さん:02/11/30 18:48
>>539 1965年日韓基本条約で国交正常化。
日本国の生産物と日本人の役務の供与。
有償(低利の貸付)援助・無償援助合わせて5億ドル。
ちょっと自信ないが、有償が4億ドル・無償が1億ドルくらいかな。
賠償というと、植民地支配の是非(謝罪)や、日韓相互の財産権とかが絡
むから、資産の相互放棄で、経済援助方式にしたんじゃないのかな。
日本側が「賠償として」という名目にすることを拒否したんだよ。
545 :
日本@名無史さん:02/11/30 21:20
>>542 チョンマゲは、断髪令以後も、結構いたようだよ。
546 :
日本@名無史さん:02/11/30 21:27
独立祝賀金(・∀・)イイ!!
547 :
日本@名無史さん:02/11/30 21:28
>>545 古河市兵衛も明治中期までチョンマゲだったらしいね。
叙勲されたのをきっかけに断髪したとか。
でも、明治初期に切った人たちは月代の処理をどうしたんだろう?
548 :
日本@名無史さん:02/11/30 21:32
>>544 (゚Д゚)ハァ?
賠償ってのは何か悪い事した場合、それに対する償いだろ
日本がチョンに何か悪い事したのか?(近代化させたり、人口を倍にしたりしたけど)
549 :
日本@名無史さん:02/11/30 21:36
独立を奪ったこと自体が罪。
550 :
日本@名無史さん:02/11/30 21:37
>>548 だ・か・ら
日本はそういう理屈で「賠償」とつけなかったのでしょう。
よって日本は賠償金払ってません。
OK?
551 :
日本@名無史さん:02/11/30 21:40
経済協力の方が賠償金よりお金になるのかなあ?
552 :
日本@名無史さん:02/11/30 21:40
>>549 ネタ?
むこうか併合してくれってなき付いて来たんだろ
553 :
日本@名無史さん:02/11/30 21:41
まあ、日本側がそんな発言をし交渉が紛糾したんだが。
554 :
日本@名無史さん:02/11/30 21:41
555 :
日本@名無史さん:02/11/30 21:42
チョンの話よりチョンマゲの話をしようよ。
556 :
日本@名無史さん:02/11/30 21:54
幕末の写真では、大名・幕臣も含めて総髪の武士が多いけど、
幕府の規定じゃ月代は剃らないといけなかったのでは?
病気なので総髪届を出したとかいう記録を見た覚えがある。
557 :
日本@名無史さん:02/11/30 22:15
万延や文久の遣外使節(新見や竹内)はちゃんと月代剃ってるけど、
横浜鎖港談判のための池田長発は月代を伸ばしてるな。
パリ万博のときの民部公子の随員は、ほとんど総髪ばっかりだな。
もう文久以降は月代剃らなくなったの?
558 :
日本@名無史さん:02/12/01 06:40
いや、だから経済協力が賠償金に比べてどれくらいお得だったかって事でしょ。
それとも、交渉の末、韓国はいやいや経済協力に持ち込まれたの?ホントは賠償金名目で欲しかったのに。
559 :
日本@名無史さん:02/12/01 10:36
慶喜も京都時代は月代だが、将軍時代の写真は総髪だね。
文久〜慶応の間に月代人口が一気に減ったってこと?
560 :
日本@名無史さん:02/12/01 10:38
ただ、文明開化期の錦絵では町人の丁髷、月代は多いんだよね。
町人の総髪って、あんまり聞いたことないよね。
561 :
日本@名無史さん:02/12/01 11:29
月代って生え揃うまでどれくらいかかるの?
それまでボーボー状態ってのもむさくるしいね。
562 :
日本@名無史さん:02/12/01 11:40
何か大正時代の生活を説明してるようなサイトない?
学校で調べろ(゚Д゚ )ゴルァ!!とか言われた。
564 :
日本@名無史さん:02/12/01 15:01
>>552 一番の罪は
李承晩ラインで何もしなかったことと
日韓条約時に決着済みという事を明確しなかったこと(相手国が事実上反故してる)
最大の問題は過去カードをもっとも有効な打ち出の小槌にした
日本政府・日本人の事なかれ主義
565 :
日本@名無史さん:02/12/01 15:19
>>563 検索しまくれ。
最近の本なら、「日本の歴史22・政党政治と天皇」(講談社)。
大正の時代風俗というなら何がいいかね。
アマゾン検索は?
>>564 竹島の事?竹島は16世紀に朝鮮の行政区分に入ってたね。
日本人の発見は江戸時代。領有宣言は、外交権剥奪後の明治後半。
サンフランシスコ講和条約で棚上げ確認。日韓条約でも棚上げ確認。
>>560 第一回総選挙(1990年・明治23年)の絵(ビゴー作)で、
チョンマゲが投票していますた。
うちの近所では、昭和までいたそうです。
566 :
日本@名無史さん:02/12/01 18:34
567 :
日本@名無史さん:02/12/01 19:47
日露戦争を反対した堺利彦や与謝野晶子ってやっぱ売国奴ですか?
だってあれ戦わなければ確実に朝鮮はロシアにとられ、そのうち日本も脅威にさらされたんでしょ?
568 :
日本@名無史さん:02/12/01 21:01
>>567 戦後、売国奴という言葉はなくなったと思うんですが。
戦争反対も、国民や国を愛す愛国心の一つともいえますから。
朝鮮問題は難問ですね。
朝鮮を植民地化して、直接に陸続きで中国・ロシアと対峙したことが、はたして
安全保障上の軍事的にも経済的にも良かったのかどうか意見が分かれる点です。
その後の満州事変への展開もありますしね。
日露戦争は、朝鮮権益をめぐる帝国主義同士の戦争ですから、
朝鮮の立場からはどうなんでしょうかね。
中立宣言出したものの、日本に破棄され日本側につきましたが。
日英同盟があったので、海上防衛ラインで安全確保はできたかもしれません。
>514
近代の完成形がアトム個人の国家との1対1関係としたら、現代の大衆社会は
みごとにその個人化、個人主義をみせていますね。
華族制度もイエ制度の解体も、日本にやらせれば自分でできたことだと思います。
社会経済の進展に合わせて(多少時間はかかっても)独力で改革できていたはずです。
それをアメさんにやられて、日本は悪かったとか遅れていたとか思わされたことが
悔しいです。そして自分を信じていない日本人のなんと多いことか。
570 :
日本@名無史さん:02/12/02 13:29
>>567 他にも荒畑寒村などの社会主義者や、内村鑑三などのキリスト者が
日露戦争に反対してるね。
反対論は、金持ち同士の金儲け戦争だと、かなり的確に、
日露戦争がブルジョワが朝鮮権益をめぐる帝国主義の植民地分割戦争と
分析できてるよ。
非国民という言葉はもう死語でしょう。
571 :
日本@名無史さん:02/12/02 16:46
>567は、あるいはビッグコミックSの漫画「日露戦争物語」を史実だと
思い込んでいるのではないかと。 金儲け主義の雑誌の漫画をあまり
本気にしない方がよいかと思われます。 なお、日露戦争は朝鮮と、満州の
植民地権益をめぐる帝国主義戦争かと思いますが、いかがでしょう。
572 :
日本@名無史さん:02/12/02 16:50
あっそ。
573 :
日本@名無史さん:02/12/02 17:01
>>571は当時の日本の実力を過大視していると思われる。
と、煽ってみるテスト。
574 :
日本@名無史さん:02/12/02 18:47
>>567 非国民とは呼ばれるかもしれんが売国奴とは呼ばれんでしょう。
別に国を売る目的で反戦思想だったわけではないのはハッキリしているし。
575 :
日本@名無史さん:02/12/02 20:28
「山田有信」のスレ、ここか三戦板で立てようと思うんだが
人集まると思う?
576 :
日本@名無史さん:02/12/02 20:53
あんまあつまらんだろうな。
島津系は結構立っちゃってるし。
スレタイを耳川や息子の有栄の関ヶ原と絡めたものにするとか・・・。
だめだね。
577 :
日本@名無史さん:02/12/02 21:10
「戦国期の薩摩武士」ってのはダメかね?
578 :
日本@名無史さん:02/12/02 21:15
>577
三戦版へ行くがよろし。
579 :
日本@名無史さん:02/12/02 21:16
なぜこの板は殺伐としているのですか?
580 :
日本@名無史さん:02/12/02 21:20
>579
日本史勉強する前に、道徳(消防レベル)を身に付けてないから。
581 :
日本@名無史さん:02/12/02 21:36
>>579 歴史論議は簡単に決着できないことを
理解してない厨ちゃんが多いから
582 :
日本@名無史さん:02/12/03 00:12
北大路欣也の子連れ狼も悪くないね
それにしても、「柳生一族の陰謀」だの「魔界転生」だの、柳生一族は完全に
色物と化してますが、なんであんなに嫌われ者なの?
柳生十兵衛は旗本のくせにTVの黄門ばりに全国漫遊したんだろうか?
柳生博がカツラって本当?
教えてエロイ人!
583 :
日本@名無史さん:02/12/03 00:27
584 :
日本@名無史さん:02/12/03 13:26
今朝の新聞で興味があったので、ぜひ皆様のお知恵を拝借したいのですが。
最近道路工事をしていると、軍隊跡地から毒ガスが出てしまう事故が多いですよね?
こういう場所ってどうやって調べることができるのでしょうか?国会図書館等々のOPAC使って検索したんですが、あれって本のタイトルだけで中身が調べられません。検索にかけると膨大すぎる資料の数・・・。とてもじゃないけど調べるのが容易ではありません。
そこでお願いがあります。
東京都内だけで良いので、軍隊跡地等の場所を把握するために良い資料を教えて下さい。よろしくお願いします。
585 :
日本@名無史さん:02/12/03 13:29
国立情報学研究所を利用してみれ。
586 :
日本@名無史さん:02/12/03 13:48
>>565 >竹島の事?竹島は16世紀に朝鮮の行政区分に入ってたね。
だめだよそういう嘘書いちゃ。
588 :
日本@名無史さん:02/12/03 21:35
>>586 >>竹島の事?竹島は16世紀に朝鮮の行政区分に入ってたね。
>だめだよそういう嘘書いちゃ。
本当だよ。でも、15世紀からだった。
「朝鮮では15世紀の『東国輿地勝覧』以来、于山島の名で武陵島(ウルルン島)
とともに、江原道ウルチン県に所属させ領土として意識していた。日本では江戸
時代に漁業者などによって、その存在が知られたが自国領とは考えられていなか
った」
大日本百科事典(小学館)11巻より
589 :
日本@名無史さん:02/12/03 22:04
590 :
日本@名無史さん:02/12/04 02:22
某板某スレで
「油小路は日本人の常識でしょう!」と
新撰組ファンと思われる方が息巻いておられました。
…アレって常識なレベルでしょうか……………
油小路って、異常なレベルの新撰組マニアでないと知らないと思います・・・
592 :
日本@名無史さん:02/12/04 11:05
>588
でもそれは現在の竹島じゃないでしょ?
593 :
日本@名無史さん:02/12/04 11:52
まあ、俺は竹島が「本来」どこの国の領土か?には
関心ないな。決められんもん、主観が入るから。
ただ、少なくとも近現代(戦前までの)では国際的にも国内的にも
我が国が実効支配していたというのは事実だな。
「今現在(現時点ね)」において、近現代以前(大昔)の資料で「平和な時」
に無理矢理領土をイジクリ回せば(韓国みたいにw)、世界中大騒ぎになるな。
戦争か紛争逝きの可能性が高いな。最後には
「ここは○○原人の縄張りだったんです、だから我が国固有の領土です。」
とか言う基地外が出る可能性もあるなw
もちろん、国家戦略としてなら理解できるから(韓国の立場ね)、
こっちも(日本人なんだから)「日本の領土だ!」というのが無難だな。
悪文スマソ。
>近現代以前(大昔)
の部分は近現代よりも前の意味ね。ごめぽ。
596 :
日本@名無史さん:02/12/04 13:49
「朝鮮では15世紀の『東国輿地勝覧』以来、于山島の名で武陵島(ウルルン島)
とともに、江原道ウルチン県に所属させ領土として意識していた。日本では江戸
時代に漁業者などによって、その存在が知られたが自国領とは考えられていなか
った。
1905年、島根県知事が鉱山採掘権申請を機会に、領有権を島根県告示という形
で宣言。
朝鮮政府は、すでに保護条約で日本政府の支配下にあったため抗議できず。
ポツダム宣言に基づく連合軍指令は竹島を日本領と認めず、韓国は領有権を
行使。
日本政府は、なお譲らず、日韓条約で未解決問題として将来問題とする」
大日本百科事典(小学館)11巻より
597 :
日本@名無史さん:02/12/04 13:53
ふーん、で?だから何?
598 :
日本@名無史さん:02/12/04 13:54
>>594 関心ないことにいい加減な書き込みするなよ。(w
599 :
日本@名無史さん:02/12/04 14:29
>>593 ちがう。
それは現在の「松島」のこと。
600 :
日本@名無史さん:02/12/04 14:31
>596
>ポツダム宣言に基づく連合軍指令は竹島を日本領と認めず
これも嘘
601 :
日本@名無史さん:02/12/04 23:27
>591
そうですよね…新選組好き位しか知らないですよね…
ありがとうございました……
602 :
日本@名無史さん:02/12/05 00:43
あのー・・・卒爾ながら質問です。
なんで「逆剥」はタブーなんでしょうか。
603 :
日本@名無史さん:02/12/05 00:57
なんで日英通商航海条約の調印に国民世論は反対だったのですか?
>>602 流れに添えってこと。2Ch的に言えば空気読めってこと。
605 :
日本@名無史さん:02/12/05 01:05
なんで板垣退助は
反対する自由党を振り切って海外に行ったのですか?
単なる好奇心にしか思えないんですが?
>>603 外国人は全て敵だと言う意識だったから。
>>605 外遊した経験のない引け目もあったでしょうね。
608 :
日本@名無史さん:02/12/05 01:44
なぜ幕府を開くのは征夷大将軍なのですか。鎮守府将軍は鎮守府は開けるけど
幕府を開く資格がないと規定されていたのでしょうか。
609 :
日本@名無史さん:02/12/05 01:45
開国前にヨーロッパに渡った日本人っているんですか?
天正少年使節一行以外でお願いします。
もしいたとしたら、その子孫とかはどうなっているんでしょうか?
教えて下さい。
>>609 天正少年使節団以前の記録はないはず。
スペインには子孫達がつくったヤパン村が今でもある。
612 :
日本@名無史さん:02/12/05 02:47
あと一つ、鎌倉将軍三代目の実朝が殺され、犯人公暁も死んで頼朝の子孫は
絶えたとされてますが、頼朝の弟には子孫がいたはず(阿野?吉野?)。
なぜ彼らは将軍を継ぐことができなかったのか、教えてください。源以外の
苗字を名乗るとダメなのか。
614 :
日本@名無史さん:02/12/05 04:08
プッっていうのはどういう意味?
615 :
日本@名無史さん:02/12/05 04:12
シッ。だまっときな。「プッ」とか書いたやつが説明しだした途端、
厨房バレバレになる、2chのお約束。(w
616 :
日本@名無史さん:02/12/05 10:31
>>608 もともとは幕府というのは近衛府の唐名。
そっから転じて近衛大将の居館をいうようになり
右近衛大将になった源頼朝が征夷大将軍になってもそのまま居館が幕府とされ
それが同じように征夷大将軍になって政権を握る場合も幕府と称されるようになった。
>>599 >それは現在の「松島」のこと。
?ネタ?
>>600 >>ポツダム宣言に基づく連合軍指令は竹島を日本領と認めず
>これも嘘
疑りぶかい人だなw。自分で百科事典でも調べてみたら。中立な。
>>603 その前の裁判官に外国人を採用するとかの案もあって、この時の日英通商航海
条約も治外法権撤廃はあったが、関税自主権については不十分だった。
軟弱外交と見られたもよう。
619 :
日本@名無史さん:02/12/05 13:11
>>605 >なんで板垣退助は
>反対する自由党を振り切って海外に行ったのですか?
>単なる好奇心にしか思えないんですが?
板垣と後藤の外遊資金は井上の斡旋による三井の金。
政府は板垣外遊により、自由党の弱体化を狙うとともに、政策の現実化を期待。
板垣は自由党の過激化に不安をいだいてたもよう。
板垣はフランスの「遅れ」と不安定さに幻滅を感じたらしく、イギリスに近づいた。
三井資金に不満で一部自由党員脱退。改進党は自由党が政府の買収されたと非難。
自由党は大隈と三菱の関係を非難。板垣外遊は民権運動に泥仕合を持ち込んだ。
621 :
日本@名無史さん:02/12/05 13:21
>>609 >開国前にヨーロッパに渡った日本人っているんですか?
1613年、伊達政宗に命じられた支倉常長がメキシコを経てスペインに渡った。
ローマに行って教皇に会っている。(慶長遣欧使節)
622 :
日本@名無史さん:02/12/05 13:26
>>620 ごめん、読みこめない。
良かったらリンク先をアドレスのコピーで貼ってくれませんか。
623 :
☆☆☆☆☆:02/12/05 13:26
ま、百科事典も時にはあてにならんということだ。
627 :
日本@名無史さん:02/12/05 14:33
>>612 実朝は孤立無援的で、すでに実権は北条氏にかなり取られてました。
実朝は北条時政に暗殺されそうになり、時政は娘婿を将軍にしようとし、
政子に阻止されています。
嫡流が途絶えたことで、これ幸いに源氏将軍を廃止したと思われます。
北条氏と、関東武士団の源氏の京都接近を嫌っての事かもしれません。
北条義時は、親王を将軍にしようとしたが後鳥羽上皇に拒否され、
頼朝の遠縁の藤原摂関家の頼経2歳を迎えた。
628 :
日本@名無史さん:02/12/05 14:39
>>626 『西洋の地図』のとこをよく読んでみて。
629 :
日本@名無史さん:02/12/05 14:59
そもそも韓国の成立はいつ?
そもそも北朝鮮の成立はいつ?
彼の国は、日本と違って、連続した国家ではありません。
清と明の領土が違うのと同様です。
ところが、韓国や中国は、そこのところを都合よく解釈して、
自己の領土的野心に正当性を与えようとしています。
630 :
日本@名無史さん:02/12/05 15:27
西暦元年頃の日本ってどんな感じだったの?
既に平安時代みたいな生活様式だったの?
631 :
日本@名無史さん:02/12/05 15:42
>>628 なんか、どっちもどっちの感じかなぁ。
韓国側意見だと、
「流民防止のため、鬱陵島の人々を召還した、同時に独島(現・竹島)に対する
管理も行き届かなくなった。その後、安龍福が鬱陵島に来た日本人漁夫を追い出し、
日本まで行って抗議している。しかし、日本人はひそかに来て、伐採などをしてた。
1881年、日本に抗議し、鬱陵島への移民を奨励し、官庁を置いて独島(現・竹島)
まで管轄するに至った」
この竹島が位置違いじゃないかで意見が割れてるんだね。
お互い引かないんじゃどうしようもないからなぁ。
GHQに放棄させられたのが痛いね。
ま、個人的には平和的解決を求めます。
632 :
日本@名無史さん:02/12/05 15:47
633 :
日本@名無史さん:02/12/05 16:03
>>632 あー、確かにそうですた。
いや、弥生時代ってたて穴式住居でアフリカの先住民のような
生活をしてたイメージがあるから。
その2.300年後にはもう平安時代のような生活になったって事?
634 :
日本@名無史さん:02/12/05 16:08
平安時代が何年からなのか、まず調べてみてはいかがですか。
635 :
日本@名無史さん:02/12/05 16:58
>>631 空自と韓国空軍で爆撃して海に沈める
これ最強
636 :
日本@名無史さん:02/12/05 18:29
徳川御三家の序列は尾張>紀州>水戸のはずなのに、なぜ紀州の吉宗が将軍になったの
でしょうか。数年前のNHK大河では、尾張の当主が「私は家康公から一世代遠い」と
言って辞退していましたが、そんな理由であっさり引き下がるものかしら?
また、家宣には弟がいたらしく、仮に母親が同じならば最有力候補でしょうに。
その辺の事情を記した資料などご存知ありませんか。
637 :
日本@名無史さん:02/12/05 18:31
候補者がみんな死んだんだよ。
吉宗の兄、尾張のガキ。
638 :
日本@名無史さん:02/12/05 18:32
>>636 ちゃんと大河見てた?
大河は別に歴史どおりではないが
尾張の当主があっさり引き下がったわけではなくて
後継将軍をめぐっての駆け引きが行われていたのは描かれていたと思うが
639 :
日本@名無史さん:02/12/05 18:34
>636
弟というのは越智清武。
庶子であり、家臣の養子になった。
のち松平姓を許されて大名となった。
あくまでも譜代大名です。
のちの老中松平武元(たけちか)の先祖。
(清武に実子はいないけど。)
640 :
日本@名無史さん:02/12/05 18:46
>>638 要するに、吉宗の根回し勝ち・作戦勝ちで、尾張が世代数を理由に辞退したのは、
格下の紀州に負けたことを正当化するための言い訳てことですか。
641 :
日本@名無史さん:02/12/05 18:50
>>640 ドラマでもやってたが
吉宗も家柄では尾張殿が適任とか言っていたの、表向きでは
だから単なる社交辞令なだけだったんだが。
642 :
日本@名無史さん:02/12/05 18:53
皇族が臣下になるときに、源とか平とか新しい姓をつけるけど、今回は何、次回は何って
誰が決めるんだ? 知ってるヤシいますか?
643 :
日本@名無史さん:02/12/05 18:59
決まりはありません。
三世の王以下が賜る時は平、
親王が賜る時は源、
ともきいたことあるけど。
644 :
日本@名無史さん:02/12/05 19:04
そうだとすると源経基は王だったから違うよね。
時代とともにかわるんだろうけど。
645 :
日本@名無史さん:02/12/05 19:08
昔からよくわからんのだけど、三世ってゆーのは天皇の孫orひ孫? マジ教えて
646 :
日本@名無史さん:02/12/05 19:47
>>639 家宣も正妻の子ではなかったんでしょう。
清武が将軍候補にもならなかったのは、庶子であることが理由とは思えないけど。
いったん家臣の養子になったことで失格したのでしょうか。でも後に松平になる
わけだし、ちょっと教えていただいた内容の意味がわかりません。
647 :
日本@名無史さん:02/12/05 20:36
確か家宣も側室の子で、最初は家臣の家に里子に出されていたはず。
その後、父に引き取られて甲府家世子になったと思う。
その時、腹違いの清武はなぜか家臣の身分のままで、
兄が将軍世子になった時も、当初は「寄合」として召し出されている。
8代将軍吉宗だって最初は加納家の子として育てられていたわけだし、
どうも清武の待遇の悪さには疑問が残る。
648 :
日本@名無史さん:02/12/05 21:55
スレが立てられないっす。
日本の近現代の偉人5人を話し合いたいんですけど。
どなたか立ててくれませんか?
スレ違いスマソ。
650 :
日本@名無史さん:02/12/06 01:13
室町時代の守護の権限には、大犯三箇条以外にどんなものがありますか?
651 :
日本@名無史さん:02/12/06 01:16
652 :
日本@名無史さん:02/12/06 11:25
>>645 ほんとにマジなんでしょうね。
1世=本人、2世=子、3世=孫、です。
653 :
日本@名無史さん:02/12/06 11:39
>>642 時代にもよるが、基本的に源。
ほかは例外だと思っとけばよろし。
654 :
日本@名無史さん:02/12/06 11:40
>>650 南北朝期から、
・領地争いにおける実力行使権(刈田狼藉)
・採決の執行権(使節遵行)
・半済法(荘園の年貢の半分を兵糧米として徴収)
・守護請(荘園年貢の徴収代行)=権限というより荘園領主の依頼による
・国内の民事裁判
等です。
655 :
日本@名無史さん:02/12/06 17:10
あげとくか。
656 :
日本@名無史さん:02/12/06 22:10
>>652 回答サンクス。中学時代クラスにいた系図ヲタ同士が議論してたのを
妙に覚えてたんです。
近藤、お前が正解、おめでとう。
657 :
日本@名無史さん:02/12/06 22:13
>>656 系図ヲタ限定の知識なんかじゃないよ、そんなの・・・
ニュースとかで「日系3世」とか「2世議員」と言うのを何だと思ってたんだろう。
658 :
日本@名無史さん:02/12/06 23:33
井上馨と井上良馨って親戚か何かですか?
あと三木武夫と三木武吉も
>>604殿
サンクスコ。
一瞬、漏れ自身に言われたのかと思って( ´・ω・)ショボーン
だったけど(w
660 :
日本@名無史さん:02/12/06 23:41
すいません
明治維新初期に
左大臣と右大臣ってあったと思いますが
この職って具体的に何をするのですか?
どっちのほうが権力を持ってたのですか?
あと、内務大臣もいまいち何をやる職なのか分からない
661 :
日本@名無史さん:02/12/06 23:57
左右大臣は首相に相当する太政大臣を補佐する副首相的地位。
内務大臣は地方行政、警察、土木、衛生などを管掌。
いまでいえば総務兼国土交通兼厚生労働大臣と国家公安委員長。
662 :
日本@名無史さん:02/12/07 00:22
左と右の違いってあるの?
単に二人副首相制?
663 :
日本@名無史さん:02/12/07 00:44
バカみたいな質問ですが
歴史は一次資料でやるといいますが
一次資料ってなんですか?
誰かの回想録や語録集などですか?
664 :
日本@名無史さん:02/12/07 00:55
>>662 特に違いはないが、左大臣が上席。
実際には両方任じられていた期間は短い。
665 :
日本@名無史さん:02/12/07 01:24
ポルトガルにも日本人の子孫がいるんでしょ?
666 :
日本@名無史さん:02/12/07 01:35
なんでも右より左が上位だったらしいよ
667 :
日本@名無史さん:02/12/07 01:50
>>663 1次史料は、直接の関係者によってその当時に作成されたもの、2次史料は、
伝聞をもとに後日作成されたもの、なんて習った記憶がある。
回想録や語録集は、後日あるいは第三者によって作成されるので、2次史料
でしょう。
668 :
日本@名無史さん:02/12/07 01:57
日本史スレは全体が厨房の質問スレなんですか?
669 :
日本@名無史さん:02/12/07 01:59
>>666 右よりも左のほうが格上というのはなんとなくわかる気がする
670 :
ガリガキ君:02/12/07 02:59
えーとですね、後藤又ベエと前田ケイジについて知りたいのですが、マイナーすぎて本がないっす。
何かありますか?よろしくお願いすます。また本だけで無く教えてくだされば大変助かります。
671 :
日本@名無史さん:02/12/07 03:00
人物ヲタ、出番だぞ!
672 :
日本@名無史さん:02/12/07 04:00
質問します。
日本は太平洋戦争を起こしたわけですが、僕はその動機の考え方として「実は国の
上層部(のうち誰か)が、日本人を大量に殺したかったのではないか」というアプローチ
があるのではないか、と思いました。
そのようなアプローチを提唱した歴史家、歴史学者っていますか?
673 :
日本@名無史さん:02/12/07 04:20
質問です。歴代の関白、太政大臣の表は確認できたのですが、歴代の三公の表がどうしても見つかりません。どなたか、いいスレをご紹介ください。
674 :
日本@名無史さん:02/12/07 04:31
平安時代の公務員である公卿には降格人事はあったのでしょうか。
政争に絡んで太宰帥や権守に左遷された人は別として、大納言から参議なんて
格下げされた人をご存知ありませんか。
675 :
日本@名無史さん:02/12/07 04:38
追加で質問します。
公卿の序列は、官位と職名のどちらが優先するのですか。例えば従三位の中納言と
正三位の参議とでは、どちらが上位に座るのですか。
>>675 参議って正四位下でしょ?
ついでに官位とは、官職の順位で正三位とか従四位とかの事で
官職名というのが参議とか中納言とかいう、職の名前
677 :
日本@名無史さん:02/12/07 09:12
678 :
日本@名無史さん:02/12/07 09:26
>>675 位階が優先し、正三位の参議が上席者です。
679 :
日本@名無史さん:02/12/07 09:50
680 :
日本@名無史さん:02/12/07 10:03
参議や中納言に位階は無いでしょ?
令外の官職で、参議は正三位以上の人間がなれて、俸給が従四位下扱い
中納言は、職掌は大納言と同じで、俸給は従三位扱い
>>680に追加
参議になれる資格は他にも、蔵人頭・左右大弁・左中弁・左右近衛中将に任じられた人
中納言は、参議・左右大弁・左右近衛中将・検非違使別当に任じられた人と、摂政・関白の子
>>676,678,680
おはようございます。レスありがとうございます。
で、結局、宮中など公式の場では、従三位中納言の人と正三位参議の人は
どちらが上位者なんですか(同族内での長幼序列には興味なし)。同格で
あとは年齢順でしょうか。姓名のイロハ順なんてことはないですよね。
683 :
日本@名無史さん:02/12/07 10:56
>参議や中納言に位階は無いでしょ?
ホントかよ?参議や中納言になったとたん無位になって、
位田や位封召し上げられちゃうのかい?そら殺生でっせ。
684 :
日本@名無史さん:02/12/07 10:58
>>682 従三位中納言は、左右近衛大将との兼任と考え、位階は近衛大将の従三位
正三位参議は、大納言との兼任と考え、位階は大納言の正三位
よって正三位が上位者
が、この場合の表記ですが
従三位中納言はそのままとしても、正三位参議と表記せずに
正三位大納言と表記すべきと思います
685 :
日本@名無史さん:02/12/07 10:59
687 :
日本@名無史さん:02/12/07 12:15
>>670 :ガリガキ君
>後藤又ベエと前田ケイジ
後藤又兵衛→後藤基次(1560−1615)のこと。
安土桃山の武将。通称又兵衛、後に隠岐守と称す。黒田孝高・長政に仕え重用。
1587年の九州征伐従軍、朝鮮侵略で晋州城やウルサンで活躍。関が原後、長政の
筑前の大隈城1万6千石となる。謀反の嫌疑をかけられたという説があるが、
ともかく1606年に去り、諸国を流浪。大阪の陣では豊臣方で籠城。奮戦するが
討ち死に。武勇伝は多くあるが、いづれも史実に乏しい。
前田玄以(げんい)かな。1539−1602。安土桃山の武将。民部卿法印・徳善院・
半夢斎とも称す。比叡山の僧から織田信長の臣になったと言われる。1582年、
本能寺の変で信忠が二条城に囲まれた時、信忠の子三宝師を連れ清洲に逃れる。
織田信雄から京都政治を任され、賤ヶ岳の戦いの後は秀吉に重用され京都奉行。
1985年丹波亀山の城主で5万石。98年五奉行となる。関が原では西軍の属しな
がらも、東軍に通じ、戦後も所領を安堵された。
688 :
日本@名無史さん:02/12/07 12:24
689 :
日本@名無史さん:02/12/08 00:45
質問です。
教科書には古代は条里制、中世に惣村ができて現在みられる集落、農業共同体が形成されたと
書かれていますが疑問です。稲作をするようになったら必然的に集村ができるのではないか
と考えるのですが、いかがでしょうか?弥生遺跡も集落ですよね。
奈良県に残る条理遺構は奈良時代に畿内に無理してつくられたにすぎないのではないでしょうか?
690 :
日本@名無史さん:02/12/08 01:15
惣村というのは、中世の村落の一形態で、「百姓の家の自立」を前提に
村落運営に百姓・地侍等の全員(家の代表)が参加する組織です。
鎌倉時代後期から室町・戦国時代に主に畿内で典型的に成立したもので
領主に対して年貢を請負う村請(百姓請)を行うものや、家を単位とした村落独自の課税、
一般的な治安維持から村落への裏切り処罰などの科刑も行い、
運営は家長全員の寄合で合議され、地下掟という村法なども制定しました。
戦国から織豊を経て、幕府の成立によって、少なからざる権限が
支配側に吸収されましたが、以後も基本的性格は変わることなく
近・現代の農村に引き継がれたと評価されています。
(もちろん明治以降変質した部分もあります)
近現代の直接の淵源であるということです。
実際、旧行政単位の大字(おおあざ)は中世以来の村であることが非常に多いです。
もちろん昔から集落や人々の共同体はありますし、
それらを区別することなく一括して論ずることにはもちろん意味もあり
そういう学問も実際存在しますが
歴史学はその名の通り、そういう歴史的段階・差違を無視するような
「非歴史的」な考え方はしません。
実際古代の村と中世以降の村落共同体とでは、見かけも中身も
全然違う、同じく「村」とはいいながら全く別物です。
(古代の村はどちらかというと弥生集落に近いと言えるかも知れません)
ちなみに条里以降は東国から西国まで全国的に見つかっています。
何十年か前でしたら空中写真で一目瞭然でした。
区画整理でほとんど見られなくなりましたが。
691 :
日本@名無史さん:02/12/08 01:49
質問ですが、古墳の形が丸かったり四角かったりするのは理由があるんでしょうか。
>690 どうもありがとうございます。
「古代の村」がどういったものなのかいまいち分かりません。「百姓の家の自立」を
前提としていない家族の集合、共同体と考えていいのでしょうか?古代でももちろん
村は米作のための共同体であったんですよね。
50戸を里とし里長をおいた、というときの50戸は共同体を反映していたのでしょうか?
693 :
日本@名無史さん:02/12/08 02:21
お尋ね申します。
明治政府は親政と言えるでしょうか。
694 :
日本@名無史さん:02/12/08 02:34
質問です。
後北条氏が、今川家の家臣意識から抜け、一個の独立した大名と
認識したはいつ頃なのでしょうか?
早雲の代ではないですよね?かといって氏康の時には、三国同盟という
形を取り、対等の独立した関係をとっているように見えます。
凋落した今川家を保護しなかったし。
いったい、いつ頃なんでしょう?
695 :
日本@名無史さん:02/12/08 02:42
>>694 人の心の中は、その人にしか分かりません。恐山のイタコを通じて、早雲、氏綱、氏康の3人に対し、
それぞれの認識を問い質してみて下さい。
696 :
日本@名無史さん:02/12/08 03:27
質問です。歴代の関白、太政大臣の表は確認できたのですが、歴代の三公の表がどうしても見つかりません。どなたか、いいスレをご紹介ください。
697 :
日本@名無史さん:02/12/08 03:55
何か過去レス嘘が多いなあ。
賜姓に関しては
>>643さんの
>三世の王以下が賜る時は平、 親王が賜る時は源、
というのが正しい。
つまり二世王(孫王)すなわち親王の子の場合は、どちらもありうる。
それと関連してだが、令で何世王という場合、親王が一世、孫王が二世、 その子が三世、以下五世まで続く。
貴族の座次の問題は、単純に言えば「位階から官職へ」、
つまり律令の「位階に依れ」という原則が次第に貫徹しなくなり
延喜式までの間に「官秩に依れ」となった。
但しこれは当の貴族達の間でも後々まで幾度も問題となっており
非常にややこしい話でもあるので詳しく述べ出すとキリがない。
もちろん公卿に限らず、むしろもう少し下の連中の間で、よく争われる。
時と場合にも因るし。儀式によって違ったり、同じ儀式の中でも違ったり。
まあ、しかし公卿に限って言えば、『公卿補任』に見えるとおり、
太政左右大臣・大中納言(正官のあとに権官)・参議の順。
それと関連してだが
>>676 >ついでに官位とは、官職の順位で正三位とか従四位とかの事で
>官職名というのが参議とか中納言とかいう、職の名前
ちがう、ちがう。官位とは官職と位階。 官職は中納言とか検非違使とか。位階は正四位下とか。
>>684 >従三位中納言は、左右近衛大将との兼任と考え、位階は近衛大将の従三位
別に兼官なんか無くたって、加階なんていくらでもあるよ。
てゆうか、そもそも発想が逆。官があるから位があるんではなくて 先に位ありきなんだから。
てゆうか従三位中納言なんてざら。むしろそうじゃないほう捜すほうが難しい。
>正三位参議は、大納言との兼任と考え、位階は大納言の正三位
は? 大納言兼参議? もうちょっと基礎から(以下略
698 :
不思議の国の名無し仔猫:02/12/08 04:17
近代日本郵政の立役者の前島密って俺の遠縁の親戚なんだけど、
スレッドないな・・・。
699 :
日本@名無史さん:02/12/08 04:27
>>692 >「百姓の家の自立」を前提としていない家族の集合、共同体と考えていいのでしょうか?
その通りです。さらに言えば現代のような「家」はありません。
「村」もそうなのですが、専門書などで「イエ」「ムラ」、あるいは「クニ」
などと表記するのはそのためです。現代の「家」「村」「国」と
同じものと考えられると、それは違うから、区別するためです。
>古代でももちろん 村は米作のための共同体であったんですよね。
米作も含めた、社会全般にわたる共同体ですね。
人々はそれなくしては生きていけませんでした。
大胆に言えば家は共同体に埋没しているという状況でした。
もちろん家のみの力で出来ることも皆無ではありませんでしたが
社会的な意味は非常に小さく限られたものでした。
>50戸を里とし里長をおいた、というときの50戸は共同体を反映していたのでしょうか?
ほとんど反映していません。
もちろん現実と全く無関係ではありませんが、しかし機械的・人為的なものです。
律令の本家中国では,家族集団の実態把握をめざしたものですが
日本では実態としての〈家〉が社会的に未成熟だったので
結果的に徴税や力役・兵役などの賦課の単位という側面が重要視され
現実社会的な意味より、行政上の性格が強いです。
戸というのも、戸主の親子などのほか親族・寄口・奴婢などを含む
平均20数人で複数の世帯からなる大家族で、現代の核家族とはもちろん、
近世の家とも質を異にするものです。
しかし平安時代中期あたりから次第に家の萌芽らしきものが生成しはじめ
古代(律令)国家は変質を迫られ、中世社会へと移行していきます。
もちろんこれは社会の一方的な変化ではなく、国家側の
それに対する対応・施策にまた社会側が対応してというように
両者入り交じって歴史が展開していくことはいうまでもありません。
700 :
日本@名無史さん:02/12/08 04:32
>696
三公って大臣のこと?
そのくらいのことだったら、載せてるサイトいくらもあるだろうけど
見つからないようだったら、本のほうが手っ取り早いよ。
そこそこの年表や便覧にはたいてい載せてあるから。
701 :
日本@名無史さん:02/12/08 04:36
>>700 三公は本当にないんです。困っています。年表や便覧にも、関白と太政大臣しか載っていません。
702 :
日本@名無史さん:02/12/08 05:27
703 :
日本@名無史さん:02/12/08 06:35
>701
高校生の方なのかな。学習用の参考書・便覧だと確かに載ってないですが
手に入れるのにこだわらないんでしたら、そこそこの図書館に行けば、
『読史備要』『読史総覧』『国史研究要覧』『日本史総覧』といった本があります。
あと、表にはなってませんが、これらの本が典拠とした史料そのものとして
『公卿補任』というのがあり、活字刊行もされています。
ただこれらは個人で手に入れるには難があるかと思います。
もし常に所持していたいというのでしたら、ある程度のボリュームの年表類なら
平安時代、要するに鎌倉幕府より前なら載せているのが間々あるようです。
但し全時代をカバーしているのはさすがに、なかなか見当たらないようですね。
先程はたぶんあるだろうと思って、軽く書いてしまったのですが
さすがに一般にも手に入りやすい価格で、しかも全時代となると、
ちょっと無いみたいです。
>699 たびたび丁寧な説明ありがとうございます。
「平均20数人で複数の世帯からなる大家族」これは教科書でも載っていましたが、奴婢
というのが感覚がわきません。自分の血族(核家族)の近くに奴婢の家族が住んでいる、
という感じでしょうか。奴婢の婚姻は他の奴婢から貰ってくるんでしょうか。
鎌倉期まで庶民の家は竪穴式住居だったとされますが、復元された竪穴住居に入った
ことがありますが、広さ的には現在の核家族から三世代家族くらいにちょうどよさそう
な感じでした。「複数世帯からなる大家族」は2、3の竪穴住居に住む一つの単位と考え
てよいでしょうか。
稲作の共同体である集落を、律令国家は機械的に里に編制しようとしたが、行政区分と
してだけ機能し、村の実体をともなっては再編されなかったと考えてよいでしょうか。
(あれ、そもそも律令国家の意図もそこまでだったのか?)
>戸主の親子などのほか親族・寄口・奴婢などを含む
縄文遺跡が広場を中心に円形に住居が並ぶもので各住居に上下の別がないというのが
本当だとすれば、奴婢を戸に含む状態になるのにはどういう経過があったのでしょうか?
弥生時代のバトルロイヤル(笑)の過程で奴隷に堕ちる人々はいたかもしれません。
また、弥生人が縄文人を征服、奴隷化していった、というのはトンデモ説でしょうか。
706 :
日本@名無史さん:02/12/08 07:56
>自分の血族(核家族)の近くに奴婢の家族が住んでいるという感じでしょうか。
近くにというか、まあ近くといえば近くでしょうが、
一つ屋根の下に20人と考えたほうが分かりやすいと思います。
戸主、戸主の親、妻、子、兄弟姉妹、その配偶者と子供、その他親類、奴婢などなど。
もちろん核家族に当たるような存在はありますが、現実生活において
あまり意味はなく、20人が一体として、戸を形成しているわけです。
もちろん良民と賤民(奴婢)の身分差は厳然と存在します。
戸というのは今の家と言うよりは、むしろ小さな町工場みたいなものと
考えたほうが近いと思います。経営体です。
従業員が血縁関係で結ばれているという点が異なりますが。
>奴婢の婚姻は他の奴婢から貰ってくるんでしょうか。
家内の奴婢どうしの場合もあるでしょうし、農作業その他で
近所の戸に属している奴婢と知り合うこともあったでしょう。
また男女問わず良民と結ばれることもありました。違法ですが。
>「複数世帯からなる大家族」は2、3の竪穴住居に住む一つの単位と考えてよいでしょうか。
いいと思います。鎌倉時代になると庶民でも家が生成しつつあるので
奈良時代と全く同列に論じることはできませんが。
>村の実体をともなっては再編されなかったと考えてよいでしょうか。
はい。唐の、つまり当時の日本とは異なる社会構成、家族形態に
対応する政治形態・法制度である律令を、日本の為政者が
自国の古代国家成立に際して、採用したことがその原因です。
もちろん当時はそうするより他無かったでしょうし、また律令郡里制が
全く現実村落と無縁な存在であったわけでもありません。
村落も当然その影響を受けざるを得なかったですし、実際
中世村落には様々な形で律令制度の痕跡が残っています。
律令国家の完全に思い通り目的通りに行かなかったと同時に
村落のほうも律令と全く無縁に歴史を歩むことは出来ませんでした。
国家と社会が拮抗する中で歴史的展開は遂げられます。
これはどの分野でもいつの時代でも変わらぬことです。
707 :
日本@名無史さん:02/12/08 10:09
>>697 >何か過去レス嘘が多いなあ。
>賜姓に関しては
>>643さんの
>>三世の王以下が賜る時は平、 親王が賜る時は源、
>というのが正しい。
>つまり二世王(孫王)すなわち親王の子の場合は、どちらもありうる。
>それと関連してだが、令で何世王という場合、親王が一世、孫王が二世、 その子が三世、以下五世まで続く。
そりゃちゃうだろ。っていうか、言ってることがよくわからんのだが。
親王の子の場合はどちらもありうる、というなら
>>646は正しくないじゃん。
賜姓には特にきまりはない。平安以降は基本的に源があたえられた。
平はあくまで平安初期の例外。
708 :
日本@名無史さん:02/12/08 10:26
709 :
日本@名無史さん:02/12/08 10:31
>>707 643は「一世(親王)=源」と「三世以降=平」だけを言い、697は643が言及しなかった二世(孫王)
について「二世=源または平」って補足説明してるんだから、いいじゃないの。
710 :
出会い最強新機能でOPUN:02/12/08 10:32
http://Jumper.jp/dgi/ 朝までから騒ぎ!
今回HP新装OPUNしました!
断然使いやすくしています!
PC/i/j/ez/対応にしました
アンケ−ト、ランキング集など
高機能なシステムに大変身
メル友、コギャル、ブルセラ
大人の恋愛、熟女、ぽっちゃり
出会いサイトの決定版です
今後高機能続々導入します
711 :
日本@名無史さん:02/12/08 11:14
賜姓についてのちゃんとした制度はなかったとおもう。
平氏は桓武平氏、仁明平氏、文徳平氏、光孝平氏の4つだけ。
口減らしのためにさっさと臣籍に下すようになったためか、
はたまた平氏はただの例外であったのか、平氏は平安初期のみ。
血統が天皇に近いのが源氏、遠いのが平氏という傾向があったことは
あったんだがね。
孫王には源氏になった香具師もいれば平氏になったのもいる。
そういえば、「平」というのは平安京にちなんだために、
平安遷都の記憶が新しい平安初期に与えられたとかいう見解があったような。
712 :
日本@名無史さん:02/12/08 12:08
>>708 >>670 >前田慶次なの?
前田利家の甥にあたり、戦国の世を自由に生きぬいた傾奇者(かぶきもの)、
前田慶次。上杉家に仕え、晩年は米沢に庵を結んだと伝わる慶次の足跡は、
今も米沢市内の各所に残っています。
慶次は織田信長の知将として知られる滝川一益(たきがわかずます)のいとこ、
益氏(ますうじ)の子として生まれましたが、前田利久(としひさ)の後妻と
なった母・ひさの連れ子として前田家に入りました。ゆくゆくは尾張荒子
(おわりあらこ)城を継ぐはずでしたが、信長の命により城は利久の弟・前田利家
に与えられることとなり、利久・慶次親子は放逐されてしまいます。
羽柴秀吉(はしばひでよし)(豊臣秀吉)の天下統一後、前田家に呼び戻されて
しばらくは利家に仕えますが、養父利久の永眠で前田家との実質的なつながり
がなくなると、慶次の「傾奇者」ぶりが始まりました。
ある寒い日、慶次は茶の席に招いた利家になんと水風呂を勧め、あまりの冷たさ
に利家が悲鳴を上げている間に名馬「松風」に乗って前田家を出奔。
窮屈な武士の生活を嫌い、その後は京都に仮住まいを求め自由気ままな生活を
送りました。(続く)
713 :
日本@名無史さん:02/12/08 12:09
とはいえ慶次は和漢古今の書物に親しみ、千利休に茶を学ぶ風流人であり、
一方で馬術・武道にも優れ多くの戦場で活躍したと伝えられています。
そんな慶次が文武ともに己を凌ぐ人物、生涯の友として認めたのが直江兼続
(なおえかねつぐ)であり、兼続が仕える米沢藩主・上杉景勝(うえすぎかげかつ)
に慶次もまた仕えることになったのでした。
上杉家には一千石で召抱えられ、組外御扶持方組頭(くみほかおんふちかたくみがしら)
と呼ばれる自由な立場であったといいます。仕官にあたって慶次の条件は、
「禄高(ろくだか)は問わない。ただ自由に務めさせてもらえば良い」という
ものでした。天下分け目の関ヶ原の戦いでは黒い具足に猖々緋(しょうじょうひ)
(黒味を帯びた鮮やかな赤色。中国の伝説上の怪物、猖々の血で染めた色といわれる)
の陣羽織、首には金の数珠という派手ないでたちで戦いに臨んで武将達を驚嘆させ、
主君景勝についてめざましい活躍をしたといいます。
その後は米沢で堂森山北東のほとりに「無苦庵(むくあん)」を結び、
風花吟月を友として悠々自適の生活。この庵で記されたのが「無苦庵記」で、
自らの人生を“欲もなければ罪もない”とし、「生きるまで生きたらば 死ぬ
るでもあらうかとおもふ」と結んでいます。
没年には諸説がありますが、多くの史料によれば慶長十七年(1612年)六月四日
に亡くなり、米沢藩内にあった堂森善光寺または北寺町一花院(現在は廃寺)
に葬られたとされています。
傾奇者と呼ばれながらも権力に屈しない男気を持ち、風流を愛して戦国の世を
自由に生きた男、それが前田慶次です。
http://www.yamagatakanko.com/tokushu/maeda/
714 :
日本@名無史さん:02/12/08 12:15
715 :
日本@名無史さん:02/12/08 12:22
>>693 >明治政府は親政と言えるでしょうか。
明治憲法制定以前は、薩長土肥の有司(官僚)専制。
明治憲法制定後も、明治時代は薩長(土肥)勢力が強かったようです。
明治天皇は、壮年になると、重要なポイントで立ち回り、
元老が良い役になれるようにしてあげているようです。
まあ、そう使われてたと言えば、それまでですが。
天皇親政ということは言いがたいと思います。維新時は少年でしたし。
716 :
日本@名無史さん:02/12/08 12:34
一橋治済が徳川家斉にあうときは臣下の礼をとったのでしょうか。
また治済は大御所になったのですか。
717 :
日本@名無史さん:02/12/08 12:51
>>716 大御所になりたかったらしいが、松平定信の反対で実現せず。
ということは、あくまで臣下ということです。
閑院宮典仁親王と光格帝の関係と同じですな。
719 :
日本@名無史さん:02/12/08 14:06
1.明治以後は天皇が変わる毎に元号を変えるようになりましたが
それ以前は何を基準に変えていたのでしょうか?
2.太陰暦の月日を太陽暦の月日に変換する方法(数式)はありますか?
例えば、関が原の戦い(1600年9月15日)を太陽暦に直した月日というのは
分かるんでしょうか?
3.江戸時代、幕府は大名を常に国替えして勢力を安定して保たせなかったと
学校で教えられましたが、島津や毛利、前田など有力大名などは
一度も国替えされていないのではないでしょうか?
外様大名は江戸から離れた所に置かれましたがそれらの藩を同じく離れた所に
配置換えするようなことはなかったのですか?
>706 どうもありがとうございました。
721 :
ガリガキ君:02/12/08 14:17
どうも返事遅くて、すいません。
レスくれた方々ありがとうございまた。
本を読んでみます、
あの明治政府って親政と呼んで正しいですか?
>722 715が答えてくれてるぞ 親政とはとても言えないと思う
>>723 ほんとだ、見落としていました。
私も同意見で親政とは思ってないのですが、他の板で自信を持って
馬鹿にしてくる人がいました。
725 :
日本@名無史さん:02/12/08 14:41
>>719 1、基本的には昔も天皇が変わるときに変えていました。
明治以降は天皇の代替わりのときにしか変えないということになったことです。(一世一元)
もちろん例外もありますけど。
また代替わり以外では吉兆のしるしや戦乱や災害などの歓迎しないことが起きたとき
また、辛酉や甲子などの暦上の忌むべき年になった場合でした。
726 :
日本@名無史さん:02/12/08 16:19
>>693 親政といえば親政。雄藩代表者からなる太政官のうえに天皇がいたという点では、
有力貴族からなる公卿の合議体の上に天皇がいた江戸時代以前と変わらない。
天皇が年少であるなど、太上天皇の意思が天皇を上回る場合は院政、天皇が上皇
はじめ他の皇族に左右されないほどしっかりしておれば親政。
天皇親政を、中国皇帝やフランス王朝のような「君主独裁」の意味で使用している
のなら、親政でないことは明らかです。
727 :
日本@名無史さん:02/12/08 16:20
奉公衆って何ですか?
728 :
日本@名無史さん:02/12/08 16:24
>>727 室町時代の幕府奉公衆のことなら
幕府に直結する常備軍のことです。
729 :
日本@名無史さん:02/12/08 17:08
>>725 ありがとうございました。
引き続き他の回答もお待ちしております。
731 :
日本@名無史さん:02/12/09 12:25
>>719 >1.明治以後は天皇が変わる毎に元号を変えるようになりましたが
>それ以前は何を基準に変えていたのでしょうか?
>>725さんの通りですね。飢饉や事件やペリーが来た等で変えています。
幕末の孝明天皇は5回くらい変えています。
>2.太陰暦の月日を太陽暦の月日に変換する方法(数式)はありますか?
>例えば、関が原の戦い(1600年9月15日)を太陽暦に直した月日というのは
>分かるんでしょうか?
難しいですね。旧暦明治5年12月3日を明治6年1月1日にしたから、引けば
いいんだろうけど、862年から宣明暦を使い、1277年からは授時暦、1684年から
は貞享暦、1754年からは宝暦暦、1798年から寛政暦、1844年から天保暦を使っ
ている。かなり、複雑な計算が必要かと思われます。
>3.江戸時代、幕府は大名を常に国替えして勢力を安定して保たせなかったと
>学校で教えられましたが、島津や毛利、前田など有力大名などは
>一度も国替えされていないのではないでしょうか?
>外様大名は江戸から離れた所に置かれましたがそれらの藩を同じく離れた所に
>配置換えするようなことはなかったのですか?
1、配置換えの理由を与えないように外様が慎重に行動した。
2、そのかわり、薩摩への木曽川工事請け負わせ等の金遣いはさせている。
3、江戸防衛圏・京都大阪防衛圏にそった配置だった。東北外様は庄内の酒田・
水戸の徳川が防ぎ、北陸前田は越前越後の松平・若狭の酒井・彦根の井伊が防ぐ。
九州・四国には本州への入り口に小笠原や松平を配している。
4、関が原後、動かなかった毛利は所領返還を申し出るほど大きく領地をけず
られている。同じく防衛戦のみ行った島津も秀吉時代に大きく所領を縮められ
ている。
5、領地は多く表面的には重んじられていたが、実際は敬遠され要職にほとんど
つけない。
6、リアクションを考慮した。敵に回すより、味方につける。
等が考えられます。
732 :
日本@名無史さん:02/12/09 19:15
天皇主義ってなに?
733 :
日本@名無史さん:02/12/10 11:29
平安時代の頃、土地の私有が認められて荘園ができ、藤原氏が栄えたと言う事ですが
その土地を手に入れた経緯というのは、
当時の豪族(藤原氏など)が次々と人を使って開墾していったという事なのでしょうか?
また、多くの土地が寄進されたそうですがそれによりどんなメリットがあるのでしょうか?
税金逃れ
>>734 なるほど
少し考えたら分かりそうな質問でした すみません&ありがとうございました
736 :
日本@名無史さん:02/12/10 12:43
>>732 1、天皇絶対君主制
2、天皇元首制(実質政治指導者)
3、立憲君主天皇制(政治関与は制限内)
などかな。
いずれも、天皇を重臣が利用する形になると思われ。
象徴天皇制は入らないかな。
天皇主義より、天皇制の方が良く使われるね。
>>731 ありがとうございました。
特に2は長年疑問に感じていたのですっきりしました。
738 :
日本@名無史さん:02/12/11 08:26
新大陸の歴史などを見ると、天然痘で人口が激減した、なんて記録がありますが、
日本ではあまり聞かないですよね。
日本国内にヨーロッパの病原菌(ペスト・コレラ・天然痘など)は
影響を与えたことがあったんでしょうか。
また、与えなかったとしたら、それは何故なんでしょうか。
739 :
日本@名無史さん:02/12/11 08:30
>>738 コレラなんかは幕末から明治にかけて何回も流行している。
わが国で最初に流行したのは1822(文政5).
朝鮮または東南アジアから西南地方へ入り,
山陽道を経て大坂・京都・伊勢路・東海道沼津辺りまで広がった。
740 :
日本@名無史さん:02/12/11 12:28
>>738 天然痘は、何度か流行している。聖武天皇が大仏建立を思いついたきっかけと
言う俗説がある。
幕末の開港後、横浜からコレラが入り、多数の患者を出し、「コロリ」(コロリと
死ぬ)と言われて恐れられたと聞くが。
ちなみに、コレラ・天然痘はアジア系の風土病。
新大陸の人々には全く免疫がなかったのだろうと思われます。
1824年蝦夷に天然痘が流行した時、ロシア抑留者だった中川五郎治が牛痘接種
を行い、蝦夷から仙台までを救った。
1849年、バタビアからオランダ船がもたらしたものをオランダ人医師モニケが
楢林宋建の子らに接種して成功。佐賀鍋島藩を通じて京都・大阪・江戸などに
広まり、長崎苗とかモニケ苗と呼ばれ、明治まで牛痘接種の原苗となった。
741 :
日本@名無史さん:02/12/11 23:38
日本史の超マニアックな問題が載ってるサイトがあったと思うんですが知りませんか?
742 :
日本@名無史さん:02/12/12 12:43
743 :
日本@名無史さん:02/12/12 17:56
ものすごい訛りの強い方言をもつ
薩摩出身:西郷隆盛
長州出身:板垣退助
土佐出身:坂本竜馬
らは、どうやって薩長同盟を結んだんでしょうか??
当時は共通語というものはなく、方言で物事をすすめていくとなると難しいものがあったと思います。。。
今日、社会の授業のとき先生が考えていたんでこちらで質問させていただきますv
だれか、何か知っていたら教えてください(><)
>>743 互いに「〜に候」「〜なり」とかいう文語調で会話したそうな。
ちなみに薩摩で京言葉が話せる人材は非常に重宝されたらしい。
西郷隆盛が野に下ったのも、一説にはいつまでも候調でしかしゃべれなかったからとか。
745 :
日本@名無史さん:02/12/12 21:41
746 :
日本@名無史さん:02/12/12 21:47
>>744 なるほど!!
丁寧に答えてくださって有難う御座いましたっ。
>743 江戸屋敷があるから武士は違う地方の人でも共通語(武士言葉)で通じたらしいよ
748 :
教えて君@さいたま:02/12/13 00:05
「宇内混同秘策」について教えて下さい。
749 :
日本@名無史さん:02/12/13 11:58
>>748 混同秘策・ 佐藤信淵・1823年(文政6)/経世論。
国学思想の影響を受け、日本が「世界を混同し万国を統一する」ための必要な
政治改革法を述べている。この中で、政治機構を3台6府14省(省は地方の
「国」をまとめた行政組織)とし、より確固たる中央集権制度を示している。
当の佐藤信淵(1769年(明和6年)〜1850年(嘉永3年))も、当時の封建社会
には受け入れられずに、時に追放される事もあり、名声のわりには生涯恵まれ
ない生活を送った人ということができよう。実際、日本
ではほとんど並び立つ人がいないほどの、多種多様な知的領域に関心を示し、
しかもまた日本ではえがたいほどの体系的な組み立てを求めた点で、
本来なら十分に注目してよい思想家といってよい。にもかかわらず、
なぜ今ここで問題にされなければならないかといえば、文字どおり
「大東亜共栄圏の首唱者 信淵」と見なされる、その根本的な理由の故である。
後者の選集によると、八紘為宇篇にあげられている「宇内混同大論」と
「宇内混同秘策」がその問題性を描き出している書であるが、阿片戦争後の
最晩年にものされた「存華挫狄論」は国防兵学篇のなかにあげられている。
その中にある「防海策」は国防論としてなら問題はないかもしれないが、
上記二論考と関連付ければ無視できない。ともあれ、問題の八紘為宇の理念
に基づく大東亜共栄圏の首唱者とみなされる時、そもそも大東亜共栄圏と
いう見方がいかに独善的な日本中心主義的な幻想に過ぎないかは、一目いや
一読瞭然なのである。阿片戦争後、敗北した清国ではなく、イギリスを打つべし
という「存華挫狄論」は、その思想性よりも、むしろあの大東亜戦争時の狂信性
を想い起こさせるには十分なのである。
750 :
日本@名無史さん:02/12/13 11:59
>>748(続き)
佐藤は、1823年『宇内混同秘策』で「皇大御国は世界万国の根本」として、
「万国の君長皆臣僕と成すべし」との考え方から、「支那経略論」を提唱した。
ところが、アヘン戦争を経てヨーロッパの東アジア侵略に対する警戒感が強ま
ると共に、清に対する同情心が沸き、彼は日清が提携してヨーロッパ勢力を駆
逐しようとする「存華挫狄論」に転換した。ここに、西洋という「他者」の脅
威を前に、アジアを自己同一化の対象とせざるを得ない当時の人々のアイデンテ
ィティの揺らぎを見ることができる。
しかし、注意しなければならないのは、彼の元々の主張である「支那経略論」
がそもそも中国を「他者」として位置付けていたのかという点である。
前述したように、こうした主張は、中国中心の階層秩序からの脱却を意味して
はいても、第三者の存在が想定されていないために中国をどのように位置付け
ているかが曖昧だからである。また当然の事ながら、この時代の「支那経略」
論者にとっての「我々」とは国民国家としての日本ではない。ナショナル・
ヒストリーの枠組みの中では、佐藤以後も続く支那経略論、明治初期に不平士族
によって繰り返し唱えられた征韓論と、1910年の日韓併合は歴史的連続と
して捉えられる。確かに、「勢力東漸」に対抗するために「我々」も勢力を拡張
しようという「支那経略論」の論理は、後のアジア主義と一致するものであるが、
その間に「我々」の定義に関する決定的な断絶がある以上、「彼ら」としての
対中国・朝鮮観も、全く同じ視点で捉えることは出来ないはずである。
・「宇内混同秘策」か「混同秘策」か「佐藤信淵」で検索してみては?
751 :
日本@名無史さん:02/12/13 12:15
昨日 日テレの「どっちの料理ショウ」で江守とおるが日米戦争の日本の暗号が
最後は薩摩弁だったと言ってましたが本当なの?初めて聞きました。
753 :
日本@名無史さん:02/12/13 12:36
太子と大兄はどう違うんですか?
754 :
日本@名無史さん:02/12/13 14:34
同意じゃないの?
755 :
日本@名無史さん:02/12/13 19:41
とりあず通史読もうと思ってる者ですが、過去ログざっと見たところ、中公、集英社、
講談社、小学館からシリーズ出てるようですね。
中公文庫は品切れ(絶版?)
集英社はtp://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=09860717
講談社はtp://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=31054412
小学館はtp://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=18705257
のシリーズで間違いないでしょうか。中公がとりあえずスタンダードということらしい
ですが、古書店でしか手に入らないとなると、上記シリーズではどれがおすすめで
すか?「どれでもたいして変わんないよ」ということなら一番安い小学館にしようと
思ってるんですが。
756 :
日本@名無史さん:02/12/13 20:20
>>743 話し言葉は違っていても(口語)、書き言葉(文語)は一緒でしょ?
だから意志の疎通には困りません。
大名同士で書翰のやりとりもするし、
養子縁組の時に言葉が通じないわけがない。
公家と大名の交流も多い。
日本は兵農分離によって城と農村が切り離された。
間をつなぐのは文書。
江戸屋敷の有無は関係ない。
757 :
日本@名無史さん:02/12/13 20:47
758 :
日本@名無史さん:02/12/13 20:51
>>755 近年、歴史学は新資料によって日進月歩です。
個人的には、発刊中の講談社版が好きです。スタンダードと新見解の
バランスがいいとお思います。
759 :
日本@名無史さん:02/12/13 20:55
760 :
日本@名無史さん:02/12/14 00:40
>>753 大兄とは、同母兄弟間の長子を意味する古代の語で、
皇太子の先駆的呼称とする見解もあります。
複数の大兄の皇子の同時存在や、
大兄以外の皇子の即位の例もあり,後の皇太子と同一視はできません。
大兄制とか、そのへんは研究が分厚く存在している。
古代史専門のスレで聞いてみたら?
761 :
日本@名無史さん:02/12/14 01:34
大名の気持ちになって話をすることはだめですか?
762 :
日本@名無史さん:02/12/14 01:42
神社にある楠の鎮守の森ってなんか意味あるの?
どうして楠なの?
なんか、こんもりしてるけど・・・
>>758 >>759 ありがとうございます。よく考えたら古いやつは旧石器捏造をフォローして
いませんね。あれは2000年の出来事でしたでしょうか。
ということはやはり講談社の通史と。
765 :
日本@名無史さん:02/12/14 12:45
できれば、中央公論の「日本の歴史」も座右に置いて読み比べては?
766 :
日本@名無史さん:02/12/14 12:57
>>762 古くからある楠と、明治以後に天皇の忠臣としての楠正成を宣伝する
ために植樹したのの両者あると思われます。
うちの地方では、日清戦争従軍者の実家に楠が下賜され、
今は巨大な大木となってます。
767 :
日本@名無史さん:02/12/15 13:16
age!
768 :
日本@名無史さん:02/12/15 15:21
一般的に赤紙や青紙といわれているものには
具体的にはどういった事が書いてあったの?
戦国時代、大名間の一般的な人質とはどのような待遇を受けたのでしょう?
一日中座敷牢に閉じ込められていたのでしょうか?
望めば(見張りつきでも)外出をさせてもらえたのでしょうか?
育ち盛りならば、ちゃんと教育もさせてくれたのでしょうか?
はたまた尻を掘られたりしなかったのでしょうか?
771 :
日本@名無史さん:02/12/15 20:20
>>769 人質の家康が厳しく教育されてると聞いて、今川義元は言った。
「だめだ、甘やかせ」ダメ人間にしようとした。
友好関係にある人質は優遇されてたもよう。
772 :
日本@名無史さん:02/12/16 14:04
日中戦争初期の時系列が詳しくわかる本てありませんか?
773 :
日本@名無史さん:02/12/16 14:08
>>769 山岡荘八「徳川家康」読むな!
何も調べずに書いてるヤシだぞ!
774 :
日本@名無史さん:02/12/16 15:59
厳しく教育されたら、人質側にしてみたらそれはそれで「冷遇された」ってことになるのでは(w
775 :
日本@名無史さん:02/12/17 01:21
776 :
日本@名無史さん:02/12/17 03:35
>>772 とりあえず『戦史叢書』の該当巻を見たらどうですか?
777 :
日本@名無史さん:02/12/17 12:54
778 :
日本@名無史さん:02/12/18 14:04
あげ
779 :
日本@名無史さん:02/12/18 14:51
>775
日本人に因んでいるらしいけど、
必ずしも日本人の子孫とは言えないそうです。
780 :
日本@名無史さん:02/12/18 18:06
あの、明治時代の千円って今の時代ではいくらくらいなんでしょうか?
どなたかわかりますか?
781 :
日本@名無史さん:02/12/18 18:24
学校の総合的な学習で、「武士道」について調べてます。
どなたか、大雑把な事でいいんで教えて下さい。
782 :
日本@名無史さん:02/12/18 18:28
天皇制の是非について論じるのにいい本とかない?
783 :
日本@名無史さん:02/12/18 18:44
>781
「武士道=死ぬこと」です。
>>781 まずは武士道+葉隠で検索してみましょう
785 :
日本@名無史さん :02/12/18 20:20
世界史は教科書でしか知らない者です。
日本には記紀から始まる多くの歴史書や資料があり美術品も豊富だと思いますが、
海外、特にアジア方面で日本並かそれ以上に資料や美術品に恵まれている国って中国以外に
どれ程あるのでしょうか?
また、諸外国の自国史に対する関心も知りたいのですが。
786 :
日本@名無史さん:02/12/18 20:31
>>781 綜合的学習って、調べる過程を自分で発見し、
身につけることが目的でしょう?
2ちゃんで聞いたら意味がないと思う。
787 :
日本@名無氏さん:02/12/18 21:15
なぜ、豊臣政権は崩壊したのですか?
説得力のあるやつを。おねがいします。
>>787 説得力っつってもいろいろあるが。
社会的要因と組織的要因と経済的要因、どれがいい?
789 :
日本@名無史さん:02/12/18 22:35
790 :
akuY ◆c0IRE/HCS. :02/12/19 00:27
質問スレはage進行でしたねすいません。
>>787 主観ですが
社会的には、重なる朝鮮出兵に対する厭戦感が高まり、、さらに中央集権主義に対する反発が興じてきた
組織的には、後継者があまりにも幼すぎて残された元老や高級官僚を抑制できなかった。
しょせん豊臣政権ではなく秀吉政権だった。また、まだ戦国の気風が色濃く残っていた。
経済的には、中央官僚の進める重商主義政策への反発。それまで所領こそ富の全てだった武士階級に
とって、モノを動かして富を得るという物流経済の感覚にどうしてもなじめなかった。
あと挑戦出兵に絡むけど、占領しない事には産地も消費者も生まれない訳で、
朝鮮出兵の失敗が重く経済負担となった。
どうでしょう。
791 :
やたからす:02/12/19 00:45
神武天皇の東征のところの
熊野から吉野
って、
すごい山の中を何日も歩きますよね。
今でも、難所です。
そんなところに、何百人とかが突破できるとは?
自衛隊の装備くらいなら、徒歩で突破できるですか?
素朴な疑問です?
792 :
日本@名無史さん:02/12/19 01:04
ふと思ったんですがね、天皇ってありますよね。
この訳なんですが、なぜキングじゃなくエンペラーと訳すんでしょう?
今は大日本帝国じゃなく日本国なんですよね。
帝国じゃなく国なら、国王(キング)でいいと思うんですけど・・・。
世界各国は帝国と思ってるんでしょうか?それとも日本が各国に
エンペラーと訳すように言ってるのか。
それとも昔の名残でエンペラーと言ってるだけなのか。
詳しい人、いません??
793 :
日本@名無史さん:02/12/19 02:54
>>792 現在の日本国は国民主権であって、天皇は元首ですらありません。
元首は総理大臣で、天皇の地位は象徴というあいまいなものです。
天皇元首説もあることはあるんだけどね。
ちなみにスペインも同じです。国王はいるけどあくまで象徴。
国号でキングかエンペラーかを決めるというんなら、現在の日本国は「日本王国」
ではなく単に「日本国」なんだから、キングと称するのもおかしい、
ということになってしまいます。
794 :
日本@名無史さん:02/12/19 04:22
国民主権で天皇は象徴ってのはわかってますが、
外国の人は報道する時エンペラーを使うでしょ。
スペインの国王はキングっていうんじゃないの?
国号は関係ないとしたら、日本が外国に対して、天皇のことを
エンペラーと呼んでくれといってるんじゃないのかなぁと推測したんだけど
違ってるのかな?
中国皇帝に対抗して天皇と名乗って、それを皇帝と同じように
エンペラーと訳した名残でいってるだけ??
795 :
日本@名無史さん:02/12/19 05:44
そうでしょ。戦前からエンペラーだからね。
スペイン国王ってもともとキングだし。
っていうか、こちらからお願いしなくてもまともな外国は
エンペラーと呼んでくれるとおもわれ。
かってに格下げして王扱いするのは南鮮くらいのもんだよ。
796 :
日本@名無史さん:02/12/19 07:25
>>793 明文上の規定に「元首」とないからといって元首でないというのは疑問。
不文憲法のイギリスはどうなる。
首相を任命し、国会を召集・解散し、外交使節を接受する立場は「元首」だろ。
行政権の有無は、議会制民主主義の今日、あまり重要ではない。
797 :
日本@名無史さん:02/12/19 07:30
民主政治が発展すれば君主が儀礼的存在になるのは先進国共通の現象。
国民主権だから元首でもエンペラーでもないというのは硬直した見解では?
798 :
日本@名無史さん:02/12/19 10:15
>>796 明文上、わざわざ「象徴」と規定されている。
イギリスは不文憲法だが、確か、なんかの法で元首の規定があったと思う。
この世には元首みたいで元首じゃない連中も存在しているのだよ。
ただ、元首の定義というのはいろいろあるから、ものによっては
天皇を元首とするものもある。
なお、数年前金大中が天皇のことを元首と呼んだときには新聞ではわざわざ「元首」
と括弧つきで、あくまで金大中個人の見解である旨の補足説明がなされていた。
朝日新聞じゃないよ。
>>797 >国民主権だから元首でもエンペラーでもないというのは硬直した見解では?
少なくともこのスレでは誰もそんなこといってないとおもわれ。
799 :
日本@名無史さん:02/12/19 10:42
>>780 >あの、明治時代の千円って今の時代ではいくらくらいなんでしょうか?
米の価格は100倍になったと言うが。物によっては1000倍のものもある。
>>781 >学校の総合的な学習で、「武士道」について調べてます。
総合は調べることが勉強です。で、ヒントだけ。
源平期・鎌倉期・戦国期・江戸中期以降でそれぞれ変化しています。
維新後の思い込み・利用法も入れても面白いかも。
>>782 >天皇制の是非について論じるのにいい本とかない?
左右両論併記の本は見かけないね。
現在を考えるなら「象徴天皇制」岩波新書
戦争指示の事実なら「昭和天皇の軍事思想と戦略」山田朗・校倉書房
マンガなら「日本人と天皇」雁屋哲・イソップ社
どれもちょい左よりだけど、それだけ追及は鋭い。
>>791 神話ですから。物語の展開上必要があったのかもしれません。
あるいは、奇襲作戦か?
>>792 明治にエンペラーでお願いし、それが続いていると聞いた記憶がどこかで・・・。
>>792 サンクスコ。
参考にするよ。
マジありがとう。
>>799 ふむふむ、参考にいたします。
ありがとうございました。
802 :
日本@名無史さん:02/12/19 19:02
>>793 >>795-799 サンクス
戦前から(明治から?)エンペラーって使われていたわけだね。
天皇ってのは中国に対抗して大昔から使われてたんだろうけど
外国(中国・朝鮮各国以外)に対してどう紹介していたのか気になってね。
明治以前については、日本には豪族とか藩とかの国がたくさんあって
それらの長を任命したり、幕府の長を任命したりとかの
「皇帝」という立場があったから、エンペラーか。
明治以降から戦時中までも、やっぱエンペラーか。
ま、そういう歴史があって天皇家も存続してるから
今でもエンペラーで通用するんだろうな。
世界各国には、大昔に(日本の規模はともかく)中国から独立しようとして
天皇と名乗ったことが評価されてるのかな。
なんとか自己完結してみたが、これでいいのかな?
803 :
日本@名無史さん:02/12/19 19:18
>>798 「象徴」と「元首」は相反する概念ではない。
通常、どの国の元首も国家の代表としての象徴機能を持っている。
いわば天皇は、儀礼的権限のみに限定された元首。
天皇より限定された権限しか持たないスウェーデン国王が「元首」である一方、
スペイン国王やネパール、カンボジアの国王も「象徴」と明文規定がある。
今の時代、意図的に元首と象徴を区別して天皇は元首でないと言うのは、
意識的に天皇の地位を引き下げようとする憲法学者くらいだろ。
天皇が好きか嫌いかは別として、天皇が元首で全然不都合はない。
804 :
日本@名無史さん:02/12/19 22:50
>>803 新憲法制定過程、第九十帝国議会において、天皇を「元首」と明記すべきという
主張があったが、結局「象徴」で押し切られた。当時はまだ天皇の訴追、廃位への
恐怖感が残っていたためか、議員たちもおおっぴらに天皇を担ぐことが
憚られたのかもな。新憲法の成立過程で「天皇=元首」が排除されてしまった以上、
憲法は天皇を「元首」としていない。解釈改憲はよろしくないかと。
上でも言われているように、元首の定義なんぞ人それぞれ、腐るほどあるわけで。
憲法学者たちもけっこう触れずに逃げてるし。
民主制の発達で、古い定義では「元首」でなくなってしまう「元首」が出てきて
しまうために、実態に合わせるというかたちで戦後、急速に変わってきている。
スウェーデンで国王の権限がほとんど消滅したのは1975年の憲法改正でそれまで
古い「元首」としての権限を備えていた。
ちなみに憲法学者は左側の人間が多い(らしい)。先日亡くなった最高権威氏なんぞ
共産党員だったし。
805 :
日本@名無史さん:02/12/19 22:54
自衛隊が合憲なら天皇が元首でも無問題だと思うけどなあ。
806 :
日本@名無史さん:02/12/19 23:00
自衛隊=ないと困る
天皇=元首じゃなくても困らない(憲法上半元首的)
必要度によって憲法解釈の度合いが変わってるってことか?
807 :
日本@名無史さん:02/12/19 23:10
といってコイズミごときを元首にはしたくない(w
まして国会=元首なんて説は論外。
日本人は君主制のありがたみがわかってないな。
808 :
日本@名無史さん:02/12/19 23:14
自衛隊にせよ天皇にせよ、海外では軍隊や元首として通用している。
それを国内では玉虫色の表現でごまかす日本人って・・・
どうせ認めるなら、中途半端なごまかしはするなと言いたい。
809 :
日本@名無史さん:02/12/19 23:16
ブ左翼がいけないんだよ。
810 :
日本@名無史さん:02/12/19 23:28
>>807 >日本人は君主制のありがたみがわかってないな。
ありがたみって何ですか。わからないので説明してください。
811 :
日本@名無史さん:02/12/19 23:41
まあ、君主制ってのは廃止するのは簡単だけど、
復活が困難なのは東欧やアフガンの例を見ればお分かりでしょう。
日本の天皇制は一応現存最古の現役の王朝なので、
マジで無形文化財というか天然記念物的な価値はあると思いますよ。
そういう意味での「ありがたみ」だと思って下さい。
812 :
akuY ◆c0IRE/HCS. :02/12/19 23:42
エチオピアの例もありますから、大事にしておいていいと思いますよ
って、質問スレで主張してても仕方ないですね、失礼です。
813 :
日本@名無史さん:02/12/19 23:52
>>811 全然ありがたくないですね。
「いったん廃止すると復活が困難だから」というのは全く存続の理由
にはならないですね。
814 :
日本@名無史さん:02/12/19 23:55
>>813 日本の天皇制は一応現存最古の現役の王朝なので、
マジで無形文化財というか天然記念物的な価値はあると思いますよ。
まあ、君主制ってのは廃止するのは簡単だけど、
復活が困難なのは東欧やアフガンの例を見ればお分かりでしょう。
そういう意味での「ありがたみ」だと思って下さい。
815 :
日本@名無史さん:02/12/20 00:07
この国の政財界のお偉方はみな必死になって皇室と縁故を繋いでいる。
血はなくても遠い親戚って奴だ。現代貴族の閨閥たどれば皇室に行き着く。
皇室はこの国そのものなんだよ。貧乏サヨがいくら騒いだって無理無理。
816 :
日本@名無史さん:02/12/20 00:15
>この国の政財界のお偉方はみな必死になって皇室と縁故を繋いでいる。
まじか?たとえば?みっちー以外で。
817 :
日本@名無史さん:02/12/20 00:20
>>815 うちも天皇家とは親戚ですけど、特に天皇制の存続を希望してないですが。
815さんは何で他人の心配をしてくれるんですか。親切な人ですね。
818 :
日本@名無史さん:02/12/20 00:28
一昔前の中曽根宮沢辺りの東大宰相や竹下まで全員そう。角栄だけ違った。
企業は豊田から大手ゼネコン、銀行、旧財閥系まで幅広く網羅されてる。
今の内閣で有名なのは福田阿部麻生、平沼もそうかな? 次期首相候補達だよ。
現在、藤原氏のようなのはいないけれど、皇室はこの国始まって以来、
常に時の権力者達と縁故を結び続けている。誰が支配しようが同じ事。
だから最古にして最長の王朝。俺達が税金で皇室を生かしてるんじゃない。
皇室に連なる現代貴族達のおこぼれで俺達が養ってもらってるようなもんなんだよ。
819 :
日本@名無史さん:02/12/20 00:41
>>802 幕末、フランスの公使は徳川将軍のことを「日本皇帝」として本国に紹介している。
要するに宗教的権威(≒法王)である天皇から任命された政治主権者であるから「皇帝」である、と。
幕府が倒れて、天皇が宗教的権威兼国家元首になってしまったので、そこから天皇がエンペラーになったということにしようと。
清王朝や李氏朝鮮の首脳部は、日本のミカドの正式名称が「天皇」であることを明治になってから初めて知り、とくに朝鮮などは猛反発したと、司馬遼太郎だったかで読んだ。
821 :
日本@名無史さん:02/12/20 02:25
なぜsageる?
822 :
日本@名無史さん:02/12/20 13:00
話は飛ぶが、田中角栄までの総理大臣は、伊藤博文以来、面々と婿養子や
嫁もらいで全部親戚だった。こういうのって支配階級というのかな?
823 :
日本@名無史さん:02/12/20 16:39
名前(名乗り・通称も。姓氏に対するもの)について話してるスレってありますか?
苗字は専用スレもあるし、わりにあちこちで話題になることが多いんですが名前はあまり・・
渡辺党の一字名はえらいカッコイイけどなんでまた?とか、
ある時代でもヘンな名とみなされた名とか、
なんで江戸時代の武士の名は(姓じゃなく)、朝廷の官職の名がよくあるのか・・とか
親子の共通字をつかう感覚っていつごろあるのかとか・・あれやこれや
824 :
日本@名無史さん:02/12/20 18:28
>>820 サンクス
なるほど。天皇を宗教的権威である法王とみなせばそうなるなぁ。
なんか納得できる。
でも法王って、形式的でも「〜ノ守」とかの任命はしていたのかな?
征夷大将軍と太政大臣って同じじゃないよね?
中国・朝鮮が「天皇」を明治まで知らなかったというのは驚き。
親書とか公文書にはどう書いていたんだろ。
今でも朝鮮は日王って書くけど、中国はなんて言ってるんだろな。
825 :
日本@名無史さん:02/12/20 19:00
>>823 スレは知りませんが
>なんで江戸時代の武士の名は(姓じゃなく)、朝廷の官職の名がよくあるのか・・とか
これについては
武士の現在の名前に当たる諱は忌み名ともいって生前、親類以外の他人が呼ぶのは無作法だった。
そのため通称やその人の官職で呼ぶ習慣が出来た。
まただんだん、武士が自称で受領名や官途名をなのるのが一般化して
武士同士はそれで呼び合うようになった。
その記録が後世に伝えられているので現代人からみるとそれが名前のように見えている。
実際にはちゃんと遠山左衛門尉景元みたいに後ろに名がついている
826 :
日本@名無史さん:02/12/20 19:26
>>824 >中国・朝鮮が「天皇」を明治まで知らなかったというのは驚き。
これ間違いですよ。中国の歴史書には「天皇」ってちゃんと出てくるし、
朝鮮人だって歴史書くらい読むから知らないはずはない。
というよりも、中国人よりも先に知っていたとおもわれ。
827 :
日本@名無史さん:02/12/20 19:29
>>818>>822 閨閥本には、悪意をこめてそういうことが書いてあるが、
別に意図的に天皇家とつながろうとしたわけじゃないだろう。
政治家や実業家が自分たちの仲間うちで縁組することは当たり前だし、
成功者が名門と縁組したがるのも世の常。
結果的に政財界が一つにつながっても全然不思議じゃない。
>>826 たしかに隋唐の頃は朝廷が天皇の名前で朝貢を行っていたから、中国でも日本の首長が「天皇」であることを知っていたはずだが、
たとえば江戸時代になると、当の日本人のほとんどがミカドの正式名称が「天皇」であるという事実を知らず、それを知っている国学者や歴史学者は外国人に会う機会がなく、
外国人に会う幕府役人が自国の政治形態を説明する際にわざわざ「オカミから任命されたダイクンが・・・」とかいうことを言うはずがなく。
まして中韓の官僚、学者がわざわざ蛮国の外交史を調べるなどという労をとるはずがなく。
かくして諸外国は、江戸時代を通じて日本に天皇がいるということを知る機会がなく、たとえ知っていたとしても徳川家の食客くらいにしか考えていなかっただろうと。
ペリー来航の際、幕府が朝廷におうかがいを立てに行ったのを見て、まず誰よりもオランダ人が驚いたという事実がそれを証明している。
829 :
日本@名無史さん:02/12/20 20:58
830 :
日本@名無史さん:02/12/20 21:14
>>826 朝鮮は中国の冊封制度に組み込まれてますから
日本で「天皇」という称号が使われているのを知っていても、
中国皇帝と同一視する筈がない
>>824 >でも法王って、形式的でも「〜ノ守」とかの任命はしていたのかな?
「禁中並公家諸法度」とか「紫衣事件」とか検索しる。
>今でも朝鮮は日王って書くけど、中国はなんて言ってるんだろな。
普通に「天皇」。
あの国は敵国が帝政をとっている方が都合がいいので。
832 :
日本@名無史さん:02/12/20 21:43
>>831 サンクス
検索してみた。任命権とかは徳川幕府時代に制限されてたんだね。
中学で歴史の知識(というか年号丸覚え方式なんだが)
が止まってるので、このスレ役に立ちます。
ま、俺の検索下手なのがイタイんだけど。
833 :
日本@名無史さん:02/12/20 23:33
>>830 コピペを一部抜粋
>第11次朝鮮通信使節(1763〜1764)の一員だった金仁謙の日本紀行文、
>「日東壮遊歌」金仁謙著 高島淑郎訳注 平凡社東洋文庫 より。
>京都を見ての電波(笑)
>「惜しんで余りあることは この豊かな金城湯池が 倭人の所有するところとなり 帝だ皇だと称し
>子々孫々に伝えられていることである この犬にも等しい輩を 皆ことごとく掃討し
>四百里六十州を 朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳をもって 礼節の国にしたいものだ」
やつらは天皇のことを思いっきり知っていたようだ。
で、当時から必死だったと(w
834 :
日本@名無史さん:02/12/20 23:38
それ、日本語訳なんだろ。原文は?
835 :
日本@名無史さん:02/12/20 23:53
>>834 しらね。だが「帝だ皇だと」なんて原文にそう書いてあったとしかとれんだろ。
興味あったら自分で読んでみな。
836 :
日本@名無史さん:02/12/21 00:17
>>828 むしろ隋唐の頃のほうが知らなかっただろう。
後世の学者は知っていたのでは?正史くらい当然読むだろうから。
というよりも、わざわざ大君という呼称を用いていることからも
それより上がいたとの推定が及ぶわけで。
837 :
日本@名無史さん:02/12/21 00:19
>>835 責任持てよ。翻訳家なんて適当なもんだ頼りにはならんぜ。
839 :
日本@名無史さん:02/12/21 00:34
幕末の話で、幕府が権力を失って、新政府が成り立つ直前に鳥羽・伏見の戦いっておきたんですっけ?
840 :
日本@名無史さん:02/12/21 00:37
鳥羽伏見の戦いって幕府が勢力を失って、新政府ができる直前に起きたんですか?
841 :
日本@名無史さん:02/12/21 00:37
織田が武田を破った設楽ヶ原の戦いに秀吉が出陣していたと言う説と、
いなかったと言う説がありますが、皆さんはどちらが正しいと思われますか?
失敗。838で書いたのは
>>833宛でした。
>>833 その帝とか皇ってのは、そもそも天皇のことをあらわしているんですか?
実際、彼らは将軍に会いに江戸へ向かっているはずなんだけど。
843 :
日本@名無史さん:02/12/21 00:46
>>842 そりゃ天皇でしょ。将軍は大君だったし、京都での発言だし。
>>839 大政奉還と鳥羽伏見の戦いの年代を較べてみて下さい
845 :
日本@名無史さん :02/12/21 00:50
>>841 天正三年の、いわゆる長篠の戦いのことですね。
羽柴秀吉は、戦いに織田信長の部将として従軍しています。
秀吉は、織田・徳川連合軍のほぼ中央の有海原に陣を張りました。
以上、『信長公記』より
>>843 うーん、よくわからないが
では何故、新井白石が朝鮮に「大君」から「日本国王」の称号に、
という要求して、それが通ったんだろう?
原本は持ってないけど、さらっとうちにある本あさってみたら
やっぱ、ここでの「皇」は天皇を指してるみたいっす。
んでも、京都は素通りで天皇にも会ってない。
(天皇は会いたいと言った時も幕府が会わせなかったらしいし)
そんな「皇」を、通信使はどんな存在だと思っていたんだろか、
そのへん興味ありだなあ。
話逸らしてスンマセンでした
848 :
日本@名無史さん:02/12/21 12:18
おーい、みんなぁ。このスレはage義務スレだどー。\(^O^)/
849 :
日本@名無史さん:02/12/22 16:51
じゃあ、age!!
よく、「日本は村社会」なんて言われますが
村社会の特徴として「閉鎖的」とか「お互いに見張ってる」とか「周りに従う」とかが挙げられると思うんですけど
どういう経緯で村社会が形成され、そういう人間が出来たのでしょうか
いつ頃からなのかとか、こういう制度が要因だとか、
ネットでしらべてもあまり詳しく載ってなくてよくわからないので誰か教えてくださいませんか?
あと五人組は村社会形成に関わってると思うのですがこの制度はいつ出来たのでしょうか
851 :
ガリガキ:02/12/23 06:32
島原の乱の際、幕府側の第1陣の大将、板倉重昌の死に方ってどんな討ち死にの仕方かどなたか知りませんか?
延喜式で定められたような「国」は、どのような根拠で定められたのでしょうか?
以前の「国造」や「県主」が治めていた版図をそのまま流用したり、つぎはぎしただけなのでしょうか?
853 :
日本@名無史さん:02/12/23 12:02
明治期の士族には、まだ「幼い頃は幼名。元服したらちゃんとした(例えば先祖伝来の通字が入った)名前をつける」という風習は残っていたのでしょうか?
例えば出生時に「小三郎」とでもいう幼名で戸籍登録した人が、元服してから「安治」という名前にしたい、と改名を申し出て受理されたのでしょうか?
854 :
日本@名無史さん:02/12/23 12:04
>>853 華族の場合、養子縁組や相続を機に改名しています。
855 :
日本@名無史さん:02/12/23 12:18
>>850 鎌倉・室町期、特に室町後期に村の自治力が発達したようです。
村掟の中に、「よそ者に土地は渡さない。よそ者が来たら連絡する」など
が、各地にあります。ただ、同時に「山の葉(肥料)は話し合いで決める。
土地境界争いが決着しない時は金で済ます(暴力禁止)」などもあります。
よって、閉鎖的監視的というより、領主支配を否定した自治力の向上と
見てよいのかと思います。
秀吉の検地で、国侍が否定され兵農分離になりましたが、自治権は保持
され年貢は村単位で請負い、内部で負担の自主配分しています。
これは、江戸期も続いたようです。
5人組は、この自治力を支配者が相互監視システムに利用した物です。
キリスト教や年貢不払いや反抗の企てを連帯責任にしました。
江戸時代に始まりました。村の閉鎖性相互監視制の暗いイメージは、
ここからきているとおもわれます。
ただし、村の自治自体は民衆史的には前進してますし、江戸期にも
一揆などで自治力は確実に巧妙かつ力強くなってます。
暗いイメージは多分に後世の思い込みの面もあるのでは。
また、戦時中は隣組制度で戦争推進に利用されました。
日本でこの共同体システムが破壊されたのは高度経済成長期です。
マンションで隣人が隣の部屋で死んでても気づかないとか・・・。
856 :
日本@名無史さん:02/12/23 12:19
幕末の武士っていみながあまり知られてないのって結構多くない?
江藤新平(胤雄)とか大村益次郎(?)とか。
857 :
日本@名無史さん:02/12/23 12:26
>>851 この頃、松平信綱が上使として江戸を立ち九州に向かっていた。
これを聞いた徳川軍の兵士達は、「重昌がなかなか攻め落とせないので、
派遣されたのだ」と噂し始めた。実際はまったく関係がなかったのだが、
これを知った重昌は焦り、冷静さを失った。そのため彼は、諸将に持久策
を命じていたにも関わらず、なんとしても城を落とさなければならない
と考え始めた。そこで正月なら敵も油断しているだろうと勝手に思い込み、
全軍に対して総攻撃を命令。徳川軍の兵士達はいきなり変更された命令
に唖然としながらも、全力で城を攻撃したが、一揆勢は万全の態勢で待ち
構えており、なんら状況は変わらなかった。
それを見た重昌は陣頭に立ち指揮したが、胸に銃弾を浴び絶命してしまった。
享年51歳。
この正月の戦いでの戦死は覚悟の上だったらしく、出陣の朝に辞世の句を残している。
『あら玉の としにまかせて 咲く花の 名のみ残すを さきがけと知れ』
http://tikugo.cool.ne.jp/osaka/busho/itakura/b-itakura-masa.html
858 :
日本@名無史さん:02/12/23 12:26
>>856 大村の諱は「永敏」。
当該期の人名は『明治維新人名辞典』を見れば宜しい。
859 :
日本@名無史さん:02/12/23 12:29
公家華族の「麿」も幼名ですよね。
明治になってから一時、「麿」字の名前が増えたけど、
これも幼名のまま改名しなかった例ですかね。
860 :
日本@名無史さん:02/12/23 12:38
>>853 明治5年だったかに、法令が出て改名は禁止になったと思います。
861 :
ガリガキ:02/12/23 12:48
857どうもありがとうございま、
マンガ日本の歴史とかだと何か、凄い愚将っぽく描かれていて、最後は頭に弾食らって死んでました。
鉄砲で戦死までは史実通りだったのか…
862 :
日本@名無史さん:02/12/23 12:53
>>860 原則はそうですが、平民でも野口英世や広田弘毅は改名しています。
また、華族の改名はわりと普通におこなわれていたようで、
尾張の徳川義親侯も実家の松平家にいたときは「錦之丞」でしたし、
慶喜の家を相続した慶久公も最初は「久」でした。
863 :
日本@名無史さん:02/12/23 13:00
864 :
日本@名無史さん:02/12/23 13:01
それを言うなら、現在でも改名できます。
865 :
日本@名無史さん:02/12/23 13:03
華族の場合、江戸時代のしきたりが明治以降も継続してたんでしょう。
866 :
日本@名無史さん:02/12/23 13:05
逆に近衛篤麿など「麿」字の公家は、幼名のまま通したんでしょうね。
867 :
日本@名無史さん:02/12/23 13:14
>>852 国郡制
大化の改新後、はじめは、地方豪族の範囲で分けてたもよう。
例えば、武蔵国では胸刺(ムサシ)や秩父(チチフ)など3つあった。
その後、国司が地方行政を確実に掌握するために、何度か改定され
ムサシでは武蔵国と一つにまとめられたように統合されていったもよう。
統合すれば、国司が支配権を確実にし、旧豪族がその下の下部機関になる
からね。
>>855 なるほど
ありがとうございましたm(_ _)m
869 :
日本@名無史さん:02/12/23 13:19
ムサシモと胸刺の関係はどんなもんでしょう?
870 :
日本@名無史さん:02/12/23 14:15
植物のムサシモですか?ありえるかもしれませんね。
変わった説では、ムサ→ムサシのシモ→ムサシモ→ムサシ
ムサ→ムサシのカミ→ムサガミ→サガミ
ってのもありました。
言葉は、音が先だと思うので、植物のムサシモもありえるかもしれませんね。
871 :
日本@名無史さん:02/12/23 14:42
何で日本史板って韓国・朝鮮ネタのスレが多いんですか?
正直、ウザいんですけど。
872 :
日本@名無史さん:02/12/24 12:56
ハン版からの難民がいるようです。
明治維新後は貴族はなくなりましたか?
皆、公爵、伯爵、男爵などの家族になり、
貴族制度はなくなりましたか?
874 :
日本@名無史さん:02/12/24 15:09
もとの公家と大名が華族となりました。皇族以外の貴族制度はなくなった
ようですが、華族制度ができたので、似たようと言えば似たような・・・。
>>874さん
そうですか。皇族以外はいなくなったんですね。
とてもお詳しいですね。
ありがとうございました。
876 :
日本@名無史さん:02/12/24 18:44
昔あったえたひにんって
区別を作るときにどういう基準で選ばれたの?
878 :
日本@名無史さん:02/12/25 14:10
真珠湾は、欧州に参戦する口実のために、アメリカが日本軍に差し出したスケープゴート
だった(?)という説がありますが、これについて語られたスレはここの板にありますか?
879 :
日本@名無史さん:02/12/25 14:17
質問です。
満州から引揚げするときに最低でも鍋や食料等を持って逃げますよね?
その時はどんなものに家財道具を括りつけたのでしょうか?
風呂敷では積載量がちょっと物足りない気がするし、
リヤカーでは移動するのが大変そうな気がします。
答えていただけると助かります。
880 :
日本@名無史さん:02/12/25 14:40
>879
一般的にそんな荷物は持って帰れません。
ほぼ着の身着のままです。
881 :
日本@名無史さん:02/12/25 15:23
>>878 ゴーマニズム板というところに、あるようです。
882 :
日本@名無史さん:02/12/25 15:57
>>880 ドモ、アリガト。
すごい・・・、犬の脳味噌食ったってのはほんとの話だったのか。
あかんぼだったかもしれないけど
883 :
日本@名無史さん:02/12/25 16:55
>>881 サンクスでつ。
そっちに行って探してきます。
878より
884 :
日本@名無史さん:02/12/25 17:16
>>882 犬は普通に食べます。
赤犬はくせが無く、美味しいそうです。
885 :
日本@名無史さん:02/12/26 10:30
すいません、また引き揚げ系の質問なのですが、
引き揚げのための列車に乗りそびれたら、
交通手段のありそうな近くの町まで
平原を歩きまくって着かなければならなかったんでしょうか。
そんなことあったんでしょうか。
友達はなんかすごい自信まんまんであったってほざいてるんですが。
886 :
日本@名無史さん:02/12/26 10:44
>>885 無いと思うほうがどうかしていると思うけど。
>>886ゴメンネ、アリガト。
でも、ほんとは僕に友達なんていないんだ…
ただの思いつき…
歴史にその名を刻むような人達はどのくらい勉強してたんですか?
889 :
日本@名無史さん:02/12/26 14:55
エジソンは小学校中退だ。みんな、がんばろう!
890 :
日本@名無史さん:02/12/26 14:57
アインシュタインは英語赤点。
891 :
日本@名無史さん:02/12/26 15:00
2人とも自分の専門の勉強の仕方は半端じゃないな。
勉強を「学校の」というところに限定する必要はないな。
2人とも努力家で勉強家。集中力も半端じゃない。
三方が原の戦いのあと、家康が城の門を開けっ放しにしたのはほんとうですか?
であれば、どうして信玄は家康を討ち取らなかったのですか?
893 :
日本@名無史さん:02/12/26 16:09
門の開いている城は攻めるなという親の遺言を守ったから。(w
えと たそがれ清兵衛という評判の映画なのですが
劇中武家の床の間?に具足が飾られていました。
上意討ちを迎える家なのですが。
このような飾り方は有るのでしょうか 具足櫃に入れたりしませんか?
端午の節句のようではありませんでした。
御教示ください
895 :
日本@名無史さん:02/12/26 16:53
>>892 余裕を見せたかったのでしょう。脱糞してましたから。
信玄は目標の方角が京都でしたから、あまり道草を食いたくなかった。
とかしてるうちに、病魔が・・・。
896 :
日本@名無史さん:02/12/26 16:57
>>894 いつでも、戦いの用意をしているとの意味では。
普通は櫃に入れておきますね。
897 :
日本@名無史さん:02/12/26 17:14
二つの国A、Bがあったときに
AはBの国で話している言葉を卑語として
BはAの国で話している言葉を卑語にする
ようなことってあったの?
地方によって話に癖があると思うけど
相手の国の癖を丁度いやみな言葉という
意味にするようなことはあったのでしょうか
898 :
日本@名無史さん:02/12/26 17:34
はじめまして、私は中世北陸の宗教勢力について勉強している者です。
加賀一向一揆の中での衣料の座に関して、少々気になることがあるのです。
たとえば次郎紺屋という紺屋座が金沢にあったそうなのですが、天正8年、織田軍の加賀侵攻に際して、
金沢の割出村から河北郡森下(現在の金沢市森本町)に逃げ、そこで染物業を営んだといいます。
こういった座というものが一向一揆、あるいは時宗など宗教勢力とどのような関わりを持っていたのか、
もしどなたか思うところが有ればお話を聞きたいです。お願いします・・・。
899 :
日本@名無史さん:02/12/26 17:50
細川元総理って明智光秀の
子孫になるって聞いたけど
本当ですか
900 :
日本@名無史さん:02/12/26 17:52
細川忠興の妻ガラシャは明智光秀の娘。
901 :
日本@名無史さん:02/12/26 17:53
本当です。
902 :
日本@名無史さん:02/12/26 17:54
同じように三日天下ってやつですか?
ありがとうございます
>902
血は争えないってやつですか
904 :
日本@名無史さん:02/12/26 21:23
>>897 フランスでは英語を卑下してますよね。ワザと答えなかったり。ハリウッド映画を
輸入規制しようとしたり。でも、ちょと前の赤ちゃんの名前ベストテン1位は、
ケヴィンだったそうです。ハリウッドスターのケヴィン・コスナーのケヴィンです。
一部国民が激怒してましたw。
日本では朝鮮語への偏見が一部の人にありますね。韓国では、日本語の歌など
を最近までは禁止してましたね。解禁されたけど。
905 :
日本@名無史さん:02/12/26 21:35
>戦国時代の加賀は、一向一揆の嵐の真っ只中とよく言われていますけれど、
>少なくとも一般生活においては、他地域とそれほど変っているということ
>はなかったはずです。
>のべつまくなしに南無阿弥陀仏を唱えて、年がら年中合戦にいそしんでいる
>イメージがありますが、それでは日々の生活が立ち行きません。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/5469/real048.html 座は、寺社公家や領国大名による保護が必要ですから、旧にせよ新にせよ
有力者サイドについたのではないでしょうか?
また、商工業者は法華宗(日蓮宗)が自主自立の経営の気性とあってたようで、
農民より割合が多いようです。
906 :
日本@名無史さん:02/12/26 21:51
犬は、敗戦後しばらくまで日本人は食べてたようです。やっぱ赤犬かな。
弥生文化伝来とともに入ってきた食習慣らしい。
907 :
日本@名無史さん:02/12/27 19:36
>874,875
公家、大名以外にも明治維新の功労者が華族に任ぜられた。大久保利通や桂太郎、伊藤博文
、大熊重信らがそれに該当する。
>>898 座は歴史的には寺社・公家の保護(実質等価交換との説もあるが)だから、
神道や興福寺・延暦寺系の旧仏教に入っていたかもしれない。
ただし、現場での商売の都合上は加賀などでは浄土系に入るのも自然かも
しれません。商工業者に法華(日蓮)系が多かったのは前述の通り。
909 :
日本@名無史さん:02/12/27 21:02
犬を食べるのは韓国人だけかと思ってたので驚きました。
日本人も最近まで食べてたんですね。
>>833 高師直は400年かかって朝鮮に転生したのか
>>850 村を北朝鮮にしてみる
「閉鎖的」「お互いに見張ってる」「周りに従う」
911 :
日本@名無史さん:02/12/27 21:19
村を戦時日本の隣組にしてみる
「閉鎖的」「お互いに見張ってる」「周りに従う」
912 :
日本@名無史さん:02/12/27 21:34
ザ・ワイドで北のTV番組見た率直な感想。
日本も戦争に負けてなかったら、今頃あんな感じだったんだろうな。
負けた相手がメリケンでよかった。
913 :
日本@名無史さん:02/12/28 00:04
家紋ってありますよね。
あれの由来とか、同じ家紋の家は、関係あるとかいろいろ教えてホスイです。
ちなみに、三つの巴?が時計まわりになってます。
なんか、オタマジャクシみたいで嫌だったんですが。あれは、変えたりできるんですか?
よろしこ。
914 :
日本@名無史さん:02/12/28 00:17
自分で変えたきゃ、変えればいいじゃん。
三つ巴は、かなり古い家紋。っていうか「家紋」というものルーツに近い。
ただし現在では使っている家があまりにも多く、玉石混交。
名門なんだか、そこらの馬の骨なんだか、三つ巴だけではわからない。
915 :
日本@名無史さん:02/12/28 12:41
>>913 >家紋は厳密にまた狭義に解釈すれば,武士のみのものであったが,その使用
>の制限・統制は,菊,桐,葵紋および領主の家紋を除いては,苗字のように
>使用を禁じられることはなかったので,紋付を着用できるほどの者は,勝手
>次第に用いていた。
>明治維新後,庶民にも苗字を名のることが義務づけられ,紋付羽織袴が礼装
>として一般化するようになると,家紋は苗字に付随してあるべきものとされ,
>普及をみた。しかし第2次大戦後は,和装が,ことに男の礼装として用いられ
>なくなると紋の使用も廃れ,わずかに墓石などに形をとどめるにすぎなくなった。
>ただ紋屋の見本帳を集成した〈紋帳〉や〈紋鑑〉は,日本の伝統的なデザインを
>示すものとして,近年とみに関心を集めている。
「紋帳」「紋鑑」で調べてみたら?「見聞諸家紋(東山殿御紋帳)」が最古の家紋集らしい。
ご先祖様の由来や気持ちがあるから変えないほうがいいのでは?
勝手に変えてもいいみたいけど。
ただ、なかには被差別民の家紋だとかいう馬鹿がいるので注意。
ところで、地租改正の地券には菊の家紋と葵の家紋が入ってるがなぜかわかる
人いますか?
個人的には、江戸時代の旧弊の名残か、格式付けのためかと予測してるのだが。
外見が1番強そうだったひとはだれでしょう?
917 :
日本@名無史さん:02/12/28 13:25
西郷どん
>>914 >>915 サンクスです。
そっか、そんな話なんですか。
漏れの家は、どこの馬の骨かわからんのですが、
ご先祖さんがつけてくれたから、大事にします。
オタマジャクシ。
こんど、図書館に行ってきます。
919 :
日本@名無史さん:02/12/28 22:03
ちゃんと、お礼が返ってくると気持ちいいね。913くん、偉いよ。マナーだよね。
日本赤軍の歴史について詳しく書かれた著書を
教えて頂けますか?
921 :
日本@名無史さん:02/12/29 01:36
『日本三代実録』がネットでUPされているところありますか?
922 :
日本@名無史さん:02/12/29 01:45
海外で現代の時代劇って放映されているの??
923 :
日本@名無史さん:02/12/29 08:32
皆さんは、第二次世界大戦のうちアジア・太平洋地域での戦争のことをなんと言っていますか?
太平洋戦争、アジア太平洋戦争、アジア・太平洋戦争、大東亜戦争などありますが、
どう言っていますか?
924 :
日本@名無史さん:02/12/29 08:52
第二次世界大戦で統一してます。
>>924 一般的には、
日本の膨張主義を重視する人は→15年戦争
わけて考える人は→満州事変、日中戦争、アジアと太平洋の戦争
最近の学者で多いのは→アジア・太平洋戦争
教科書は→太平洋戦争(アジア・太平洋戦争は検定で、まだ一般的でないと変更される)
日本の正義を前面に出したい人は→大東亜戦争
個人的には、アジアと太平洋で戦争があったので、アジア・太平洋戦争です。
この呼称をめぐるスレが日本史版にあった気がしたが?
>>922 タイなどの東南アジアでは、「おしん」が馬鹿うけだったようです。
水戸黄門もやってるとの噂を聞いたが、不正確です。
「海外 テレビ 時代劇」の検索で出てくるかも。
928 :
日本@名無史さん:02/12/29 10:59
>>921 >日本三代実録
>日本古代の官斤の史書。略して《三代実録》ともいう。六国史の第6。50巻。
>《日本文徳天皇実録》のあとをうけ,清和,陽成,光孝3天皇の代,858年
>(天安2)から887年(仁和3)まで30年間のことを記す。宇多天皇の命により編纂
>され,醍醐天皇の901年(延喜1),藤原時平らの手で完成された。
>六国史中もっとも詳細でかつ史書としての体裁が整備されているが,現存する
>写本には脱文や後人伝写のさいの抄略が多い。
>《新訂増補国史大系》所収。
だ、そうです。
いろいろ検索してみてください。
ただし、本のほうが勉強になると思います。
>>925さん、どうもありがとう。
買って読んでみます。
930 :
日本@名無史さん:02/12/29 18:16
中山参与と公家の中山家(明治帝の外戚だっけ)って関係ある?
>中山家
藤原氏北家花山院の流れ。花山院家忠の男忠宗の三男忠親(ただちか)を家祖と
する。羽林家の一つで,世々将官を経て,大納言にいたるのを例とした。
江戸時代には家禄200石を給されたが,愛親(なるちか)は光格天皇が生父典仁親王
に太上天皇の尊号を奉ろうとした,いわゆる尊号一件に座して閉門に処せられたが,
その女績子は仁孝,孝明,明治の3天皇に典侍として仕え,正三位に叙せられた。
幕末の忠能(ただやす)は議奏,国事御用掛等を務め,維新後は神梢官知事,
宣教長官等を歴任し,また明宮(大正天皇)の養育掛となり,従一位,准大臣に昇った。
その女慶子(よしこ)は孝明天皇に仕えて典侍となり,皇子祐宮(明治天皇)を生み,
従一位に昇ったが,一方忠能の男忠光は尊攘派の志士と交わり,天誅組の首謀者となり,
長州に逃れて暗殺された。
忠能は1884年華族令の制定により侯爵を授けられた。
これかな?違う?
932 :
日本@名無史さん:02/12/29 19:58
どうよ?
933 :
日本@名無史さん:02/12/29 20:11
>中山忠能 1809‐88(文化6‐明治21)
>なかやまただやす
幕末・維新期の公縁。羽林家200石の中山家に生まれ,権大納言にすすむ。
曾祖父愛親が尊号一件にかかわり,その子中山忠光は天誅組の乱に参加。
また娘慶子が権典侍として孝明天皇に仕え,祐宮(明治天皇)を生んだので,
外祖父として養育にあたる。幕府からの公武合体のための和宮降嫁要請には
岩倉具視とともに活動し,和宮に従って東下した。具視のように朝廷を
追われることはなかったが,1864年(元治1)禁門の変後参朝を停止された。
しかし67年(慶応3),明治天皇が即位すると出仕が許されて朝政の中心となる。
この間,蟄居(ちつきよ)を命ぜられていた岩倉具視と連絡をとり,討幕の密勅
がだされるにあたって重要な役割を果たした。
王政復古とともに議定に就任し,新政府の下では神梢官知事などを歴任する。
《中山忠能日記》3巻がある。
これで、OKかな?
934 :
日本@名無史さん:02/12/29 20:26
中山姓なんて珍しくもない。
ほんとに関係があったら、ワイドショーか週刊誌が言及するだろ。
そんな話、全然聞かないということは無関係。
935 :
日本@名無史さん :02/12/29 20:39
幕末のころの質問です
将軍=天皇ですか?
937 :
日本@名無史さん:02/12/29 20:58
天皇>将軍
家茂以降ならね。
938 :
日本@名無史さん:02/12/29 20:58
939 :
日本@名無史さん:02/12/30 10:57
天皇と将軍の違いって、自明のような気がするけど・・・
天皇は古代以来の伝統的君主。将軍は武家政権の主。
江戸期の天皇は、伝統文化の宗家みたいなもので、官位授与のために存在。
内政、外交の実権をもった実質上の君主が徳川将軍。
ただ、文久の改革や家茂が上洛したあたりから逆転してくるけど。
940 :
日本@名無史さん:02/12/30 13:30
ま、明治天皇が壮年になるまでは、いいように使われてたけどな。
牛肉食べよう運動の広告塔にされてたりw。
>>926 詳しいご説明ありがとうございます。
アジア・太平洋戦争か、15年戦争にしようと思います。
ありがとうございました。
942 :
日本@名無史さん:02/12/30 14:40
>>941 どういたしまして。このスレはアゲが義務ね。\(^O^)/
943 :
日本@名無史さん:02/12/30 15:58
江戸時代の浪人の子孫って、ずっと浪人だったの?
町人や農民にならないかぎり、半永久的に武士の格好ができたの?
944 :
日本@名無史さん:02/12/30 18:13
昔の知識人の実力ってどのくらいだったんでしょうか?
空海最澄、藤原公任、定家から新井白石、藤田東湖…などの人たちは、
今でいったら東大の教授みたいなものでしょうか?
分かりません。
946 :
日本@名無史さん:02/12/30 19:20
>>944 社会的影響力という面では、現在の東大教授と戦前の東大教授でさえ比になりません。
日露戦争時の七博士意見書とか、学者が政策に意見することもあるんですから。
947 :
日本@名無史さん:02/12/30 20:20
日本にはなぜイスラム教が入ってこなかったのですか。
948 :
日本@名無史さん:02/12/30 20:31
>>944 東大の教授に匹敵するのは、例えば佐藤一斎のような昌平校の教官クラスでしょう
949 :
日本@名無史さん:02/12/30 21:27
>>947 東京の代々木上原にはイスラームのモスクがありますよ。
950 :
日本@名無史さん:02/12/30 21:28
皇国史観では四条天皇はどのような扱いを受けていたのでしょう?
951 :
日本@名無史さん:02/12/30 21:31
三国時代の百済人は、王国崩壊時に虐殺されるか日本に亡命するかしてしまったため現在の半島の人たちとは血のつながりがないというのは本当ですか?
952 :
日本@名無史さん:02/12/30 23:34
越前の松平家は御三家とくらべてどのような扱いだったのですか?
953 :
日本@名無史さん:02/12/31 01:43
>>951 うそ。そんなたくさん殺されるわけないじゃん。
954 :
日本@名無史さん:02/12/31 09:03
渤海の建国について「大祚栄が高句麗の遺民を率いて建国」という表現がでてくるのですが、
別に異民族が半島や沿海州になだれ込んできたというわけではなく、身一つで乗り込んだ大祚栄が現地の人を指導した、ということなのでしょうか?
955 :
日本@名無史さん:02/12/31 10:41
>>943 必死で仕官の道を探してましたね。
>>947 地理的影響と中世以降は移入民が少ないと言う2つの理由でないかな。
東南アジアと中国にまではイスラムは来てるね。
現在は、
>>949さんの言うように、ポツポツとモスクがあります。
アラブ系の人が多いが、日本人もいる。上野などでは園内放送にアラビア語を
使っています。本田勝一とかイスラム教だったかな。
956 :
日本@名無史さん:02/12/31 10:49
>>952 [越前家]
初代将軍徳川家康の次男秀康の子孫をいう。秀康は豊臣秀吉の養子となり,
ついで関東の名族結城晴朝の養子となって結城氏を称した。
1600年(慶長5)関ヶ原の戦後越前国67万石を領有して北ノ庄(福井)城に
住し,2代将軍秀忠の代には将軍の兄として特別の待遇を受けた。
2代忠直は松平氏を称し,暴政を行ったという理由で23年(元和9)配流され,
秀康次男忠昌が福井52万5000石をついで3代となる。忠昌の子孫は領地高
の変遷はあるが福井に住し,1818年(文政1)以降32万石を領有した(福井藩)。
一方忠直の長男光長は,父配流のとき越後高田25万石を与えられたが,
越後騒動の結果1681年(天和1)所領を没収された。養子宣富の代98年(元禄11)
美作津山10万石に封ぜられ,以後津山松平家と呼ばれる(津山藩)。
越前家では,福井城主の忠昌系と,その兄忠直系の津山家との間で本家争いがある。
そのほか秀康の子で大名となったのは,三男直政,四男直基,六男直良である。
直政は1638年(寛永15)出雲松江18万6000石に入封,子孫も同地を領有した(松江藩)。
直基は結城氏の名跡を継ぐが松平を称し,48年(慶安1)播磨姫路15万石,
子孫は各地に転封され,5代朝矩の1767年(明和4)武蔵川越に入封(川越藩),
のち17万石となり1867年(慶応3)11代直克のとき上野前橋に居城を移した(前橋藩)。
直良は1644年(正保1)越前大野5万石,2代直明の代82年(天和2)播磨明石6万石に移封
(明石藩),9代斉宣は1840年(天保11)2万石加増されて8万石となるが,
将軍家斉の子だったため10万石の格式を与えられた。以上の5家のほか,
福井松平家4代光通の長男直堅を祖とし,直堅の孫直之が1717年(享保2)
越後糸魚川1万石に入封した糸魚川松平家,松江松平家祖直政次男近栄,
同じく三男隆政を祖として1666年(寛文6)創立された出雲広瀬松平家(3万石)
と出雲母里(もり)松平家(1万石)があり,合わせて8大名が存在した。
こう見ると、御三家より下じゃないかな。
957 :
日本@名無史さん:02/12/31 10:55
>>954 大祚栄を中心とする高句麗人および靺鞨人の一派は,契丹(きつたん)人
李尽忠の反乱に乗じて営州を脱出し,現在の吉林省敦化を根拠地に建国した。
渤海の建国に参加し,新たに支配階級となった高句麗遺民や靺鞨人の多くは,
中国風の教養を身につけていたようであるが,その建国の方針は高句麗の復活
にあったらしい。
958 :
日本@名無史さん:03/01/01 13:00
新年アゲ\(^O^)/
誰か新スレッド立ててください。漏れは立てられない。
959 :
日本@名無史さん:03/01/01 21:08
新スレ立てるときには、
他の板の初心者板を参考にした文章を1に書いた方がいいかも。
世界史板は同じ歴史だし、一番参考になるかなぁ。
960 :
日本@名無史さん:03/01/01 22:30
決戦いろはカルタって全部覚えている方います?
い 一億火の玉
ろ 論より実行
へ 兵隊さんありがとう
ち 地図は変わる
っていうやつです。
よろしく
962 :
日本@名無史さん:03/01/02 06:31
戦前って文章にカタカナ使ってたみたいですが
いつから平仮名、英語はカタカナになったんですか?
平仮名って女の人の使う文字だったんでしょ?
963 :
日本@名無史さん:03/01/02 10:20
>>962 中世の農民の訴え文はカタカナ。江戸時代の訴え文には平仮名が見られるね。
近世の名主や農民への文書は平仮名だったんじゃないかな。
明治憲法は天皇の言葉だからカタカナ、しかも、濁点はなし。
小学校でも、戦前はカタカナから勉強したね。
外来語は、戦前の一事の狂った時代の前はカタカナだったもよう。
敗戦後は小学校の教科書が平仮名から勉強になったんじゃないかな。
964 :
日本@名無史さん:03/01/02 11:10
昔の人達は、正しい地図を持っていたのでしょうか?
たとえば行基図を例に取ると、安房や丹後のような小さい国と備中や下野のような国とが同じ大きさに描かれています。
ですから、A国の領主に「今度はB国の領主にしてやるよ〜。(地図上では)A国より大きい国だよ〜」とだます事も出来たのでしょうか。
965 :
日本@名無史さん:03/01/02 11:33
>>964 国司の配置とかかな?
収奪利益を上げるのに必死だから、内部情報は詳しかった様子。
〜国の国司にして欲しいとか、朝廷や上層部に働きかけている。
豊かな○○国だと大宴会開いて、しょぼい△国とかになると、
葬式のように静まっちゃったとか本で見たことある。
情報交換は熱心だったようだから、面積は良くわからなくても、
儲かるかしょぼいかは良くわかってたみたい。
ちなみに、平安も乱れてきてからの現地現場領主は中間管理職で
上と下にいびられ大変だったみたい。辞退者も出てるし、半分ヤクザ者や
軍事自慢がやっている。真っ先に殺されるからね。
966 :
日本@名無史さん:03/01/02 12:55
いくら面積が広くても、山と谷だらけの荒地じゃあ……。
結局、石高や産物といった情報が重視される。
そしてそういうものは各国の風土記にきちんと記されていた。
>>931-934 ありがとう、中山参与の喋り方がいかにも、いいとこ出な雰囲気だったからさ
風土記っていつごろまで全巻残ってたんですか?
969 :
日本@名無史さん:03/01/02 19:12
宿題で日本の歴史系の博物館に行かなくてはならないのですが、どういう所がありますか?
都内で教えて下さい。
デパートの催し物でも「日本の歴史」についてやってればなんでも良いそうです。
970 :
日本@名無史さん:03/01/02 19:15
江戸東京博物館と国技館の相撲博物館
971 :
日本@名無史さん:03/01/03 01:08
天皇の一般参賀の時、天皇一家が立って手を振る場所の後ろをよく見ると
武田家の家紋(武田菱)があるんだけどなんでかわかります?
972 :
日本@名無史さん:03/01/03 01:10
武田信玄の子孫が皇室を背後から操っているのです。
973 :
日本@名無史さん:03/01/03 01:25
ドイツ人の政治家や学者は議会の開設には否定的であったが、
明治政府は議会を開設した。しかし、憲法改正を発議する権
限はなかった。
当時の明治政府首脳は憲法改正を発議する権限がないとい
う点についてどうかんがえていたのでしょうか?
974 :
日本@名無史さん:03/01/03 12:25
>>968 9世紀には、まだあったようです。しかし、60余部が全巻そろったのかどうか
疑問の声もあります。
975 :
日本@名無史さん:03/01/03 12:26
>>969 上野に東京国立博物館がある出ないの。まじめに見たら、一日では終わらない。
976 :
日本@名無史さん:03/01/03 12:30
>>973 「不磨の大典」の意識では。
天皇主権を、変えられ得る道をふさぎたかったのでしょう。
議会が主導権を握ったら困りますからね。
超然内閣と、超然憲法です。
日本国憲法への改正は、昭和帝が改正の手続きをしてますね。
天皇のみが変更権限を有していると秘めていたのでは。
977 :
日本@名無史さん:03/01/03 12:59
>>971 菱は、古くから、天皇家に関係のある模様のようだよ。
武田菱とは、違うんじゃないかな。
>桐竹鳳凰菱(きりたけほうおうのひし)
醍醐天皇の尊像に見られる文様で、江戸時代に復元されて上皇の装束と
して用いられました。桐竹鳳凰は古くから帝王のシンボルで、さまざまな
形でモチーフとされてきました。ここで見られるような自由な造形の他、
唐草文様的な利用が多かったようです。現代の天皇の袍に見られる
「桐竹鳳凰麒麟」の文様が形式化したのは鎌倉時代とされています。
>繁菱(しげびし)
装束の下着である単(ひとえ)に用いられた文様です。
正式な束帯などの場合は紅色の(繁菱4)ものが用いられました。
略装の衣冠や直衣などの場合は黄色や萌黄色なども用いられたようです。
>遠菱(とおびし)
束帯の裾を長く引く「裾(きょ)」と、それに続く束帯の下に着る
「下襲(したがさね)」。冬は白ですが夏は蘇芳色の遠菱文様です。
「遠い」というのは、菱と菱の間が開いていることを言います。
>竪菱(たてびし)
単の繁菱、下襲や裾の遠菱は横方向の菱が原則ですが、天皇や東宮、
摂関家などでは他と区別するために、たて方向に菱を配しました。
http://www.geocities.co.jp/Milano-Aoyama/4661/sozai1-3.html
978 :
日本@名無史さん:03/01/03 16:27
『○○院蔵人』のような物にも位階ってあるの?
古語辞典のような物を引いても出てない
979 :
日本@名無史さん:03/01/03 16:30
位階を持った人じゃないと、院の近臣にはなれないでしょ。
じゃあ源行家なんかは殿上人だったんだ
資料集って新品と古本どっちがいい?
ネットで検索かけてみると、価格差は殆どないんだよね
新品で買う(9000円程)
古本で買う(8000円程、初版だと殆ど定価と同じ)
新古書店で根気強く探す(定価の半額程度)
982 :
日本@名無史さん:03/01/03 18:11
いよいよレス1000が近づいてきました。そこで提案ですが、次に質問スレッドを立てる
際は、全ての時代を一つのスレで扱うのではなく、時代別で分けてはどうでしょうか(例えば
「平安時代以前」、「鎌倉時代から江戸時代」、「明治時代以降」という風に)。
その方が、質問した際に的確な答えがもらいやすく、また自分の専門分野、関心のある分野を
見つけやすいし、レス1000に届くのもかなり遅らせられると思うのですが。
983 :
日本@名無史さん:03/01/03 18:37
>>982 質問者が時代を知っているかどうかだな。
984 :
日本@名無史さん:03/01/03 19:34
質問スレが2つあるから、片方が江戸幕府成立(豊臣滅亡・1615年)まで、
もう片方が江戸中期以後ってのはどうかな?
>>981 その資料集が新解釈や新資料が加味されない物なら、安いのでいいんじゃない。
新しいのが加味されるのなら、新しいほどいい。
「日本の古本屋」サイトは見たのかな?
985 :
日本@名無史さん:03/01/03 19:37
時代に関係ない質問はどこでするの?
987 :
日本@名無史さん:03/01/03 20:03
初心者の質問スレなのだから、初心者の気持ちで考えれば
質問スレは一本の方がいい。
解答者の都合でスレを分けたら質問者が混乱するだけだ。
988 :
日本@名無史さん:03/01/03 20:06
僕の学校の歴史の教科書には日露戦争は二三行しか書いてありません
で日本海海戦のことは勝利を収めただけしか書いてないんです
なので日本海海戦で検索するまでは日本海軍がすごい勝利を収めたなんて全然知りませんでした
すごい事したこととかはあまり書かないのになぜか日本が悪いことしたときのことは何行にもわたって書いてあります
(特に日本が朝鮮併合したときのこと)歴史の教科書作ってる人は反日的な人が多いんでしょうか?
洗脳されてるようで嫌なんですが
989 :
日本@名無史さん:03/01/03 20:39
>>988 近隣諸国の友好を考え、歴史の真実に迫れるよう執筆者・編集者・文部省
教科書検定官が努力していると思います。
歴史には色々な見方がありますが、中学や高校で基礎を学び、さらに自分で
深めていくと良いでしょう。
なお、洗脳という言葉を使われているところから予想すると、小林氏や自由主義
史観の本を読まれたのかと思われますが、彼らも資料のつぎはぎで洗脳しようと
していると批判を受けていますので、どちらが正しいかは、言えないと思います。
例えば、日本海海戦を1ページ使うようなすごい事したかは意見が割れると思います。
色々な本やサイトでたくさん勉強してください。
特に逆の立場を学ぶと骨太になるのでは。
2,3行しか書いてないのってどこの出版社のものでしょう。
言ってごらん。
991 :
日本@名無史さん:03/01/03 20:59
確かに2,3行ってことはないか。ネタかな。
まもなくここは 乂1000取り合戦場乂 となります。
\∧_ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ < 1000取り合戦、いくぞゴルァ!! ,,、,、,,,
/三√ ゚Д゚) / \____________ ,,、,、,,,
/三/| ゚U゚|\ ,,、,、,,, ,,、,、,,,
,,、,、,,, U (:::::::::::) ,,、,、,,, \オーーーーーーーッ!!/
//三/|三|\ ∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
∪ ∪ ( ) ( ) ( ) )
,,、,、,,, ,,、,、,,, ∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
,,、,、,,, ( ) ( ) ( ) ( )
993 :
日本@名無史さん:03/01/04 00:07
スレッドを時代で分割するよりも、「中高生用」「大学生用」とかの分け方が良いかも。
994 :
日本@名無史さん:03/01/04 13:02
1000取りの前に誰か新スレ立てておくれ!!おいらのは立たないんだ。
目立つしるしつけて頼むよ!
はうっ
あれ、2つ立ってる?
1000キタカー?
1000 :
日本@名無史さん:03/01/04 14:47
今度こそ、1000か?
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。