日本史よろず問い合わせ処 其ノ七

このエントリーをはてなブックマークに追加
937日本@名無史さん:02/11/03 01:44
蘇我馬子、橘諸兄、藤原道長、平清盛、源頼朝←のが付く
北条義時、足利尊氏、織田信長、徳川家康←のが付かない
938日本@名無史さん:02/11/03 02:05
>>936
番組でちらっと見ただけなのでよく覚えてないけど、
本人(紫式部)が書いた部分は半分ぐらいで、
残り半分は3系統の後世の加筆だとかいう話だった。
939日本@名無史さん:02/11/03 09:26
>>292
あのー・・・
出典も何も、式部と道長がデキてたって言うのは、割とよくみる、定説に近い
話ですよ。正式の愛人じゃないって言うのは、当時は「召人(めしうど)」っていう存在が
ありました。
公卿の屋敷に仕える女房なんかで、位が低いので側室として認められなかった
立場です。
式部と道長の歌のやり取りでも、それっぽいのがよくでてくるので、式部が道長の
召人だっただろうっていうのは、マジ定説の一つです。(学者によってもちろん色々と
意見が分かれますけど)
ただ、そのことを恨みに思って源氏物語を書いたかどうかは知りません。
その説は、まだ見たことはないです。
>>935>>936
光源氏の性格が物語の場所によってあまりにも違うので、作者は一人では
ないのではないか、と言う話があります。
940日本@名無史さん:02/11/03 09:35
>>939

申し訳ないですが、デキテタ説の研究者の名前を二三挙げてください
図書館で探してみますから

同時代で接点のある男女は必ずヤルという話でなければ幸いですが
941日本@名無史さん:02/11/03 09:42
>>940
調べてみますが、私は研究者でない上、手持ちの平安時代の本が50冊くらいあって、
その何処に出てたか探しますので、ちょいと時間をくださいな。
夜までには載せておきます。
942941:02/11/03 10:23
出典は、「尊卑文脈」のようです。
ですが私は原文は読めないので、ご自分でお読みになってくださいなー。
943942:02/11/03 10:29
あややや・・・
「尊卑分脈」でした・・・
スマソ
944日本@名無史さん:02/11/03 12:21
>>940は図書館へ行ったのか?
945日本@名無史さん:02/11/03 18:02
んで、尊卑の道長のとこに、式部とヤッタとか
書いてあるのか?
もしくは式部のとこに道長の召人と明記されてるとか?
946日本@名無史さん:02/11/03 18:08
問題は召人=肉体関係、ということが
遺憾なく証明されてるかどうかでしょ

もちろん、紫式部=道長の召人ということも
ちゃんと証明されてるか、ということでしょ
947日本@名無史さん:02/11/03 21:23
証明・・・?
どうやって、証明するの?
今の歴史上の定説っていうのは、色々な文献をもとに
こうだろうと推測したものでしかないんだから、
証明するっていうこと自体、ナンセンスだと思う。
昔の記録に「物の怪がでた」って書いてあったとしても
それが事実とは思わないでしょ。
色々な意見があっていいじゃない。
私も尊卑分脈は読んでないけど、式部が道長の召人だったっていう話は
聞いたことあるよ。
948日本@名無史さん:02/11/03 21:27
紫式部日記に道長に口説かれたかのようなことが
書かれてなかったけ?
確か女郎花がどうのという歌をどっちかが詠んでたような。
949日本@名無史さん:02/11/03 21:40
>>947

強烈なネタですよね(笑)

証明、とは

@或る事柄が事実または真理であることを証拠立てること。
A【論】(proof)或る物事または判断の真偽を定むべき根拠
 を示すこと。或る命題を根本原理から導き出すこと。論証。
B(以下、略)            ーー広辞苑ーー

すべての(歴史)論文は史実を証明する為に書かれるのでは?
950日本@名無史さん:02/11/03 21:59
ちょっと待てよ。史料の引用もなしにただ憶測を書くのは歴史学じゃないぞ。歴史文学だ。
憶測が伝聞の伝聞で薄まっていって定説になるなんて歴史学じゃない。
951日本@名無史さん:02/11/03 22:23
ともかく、定説だっていうヤツはその論拠となる資料を提示しろよ。
『尊卑分脈』ってのが出てたけど、
そのどういう記述からどうやってその結論を出すのか、
まずはあきらかにすることだな。
952日本@名無史さん:02/11/03 22:33
>>883
なんで平安以前の人は名字と名前の間に「の」が付くかって言うと。
結論から言うと、「の」は同格の「の」。
で、正確には名字じゃ無くて氏ね。氏姓制度の氏の方。
例えば、藤原道長は正確には藤原朝臣道長。藤原(氏)朝臣(姓)道長(名)。
藤原「の」朝臣 道長。
その後各地に散らばっていった一族が、氏とは別にそれぞれの土地で名字を名乗る。
足利尊氏→正確には源の朝臣 尊氏。
織田信長→正確には藤原の朝臣 信長。
信長の場合は、先祖があやふやで藤原を名乗ったり平を名乗ったりといい加減。
で、江戸時代の国文学者の荷田春満や賀茂真淵は荷田も賀茂は実家が神社で両方とも
名字じゃなくて氏なんだそうだ。
ってな事が昔戦国板に書いてあった気がする。
953日本@名無史さん:02/11/04 00:47
荷田氏なんていないぞ。
954日本@名無史さん:02/11/04 01:09
955908:02/11/04 09:43
908でつ。

>952さん、御教授感謝

とくに自説にこだわるわけではありませんが、理論はともかく
慣用=発音しやすさ、というのもあると思いますよ

東常縁は十中八九の人は、「とうの・つねより」と読むでしょう
正式には誤りかも知れませんが・・
もちろんフルネームでは、東左近将監平朝臣常縁ですね(w
956日本@名無史さん:02/11/04 10:40
道長・式部デキテタ論の信奉者は
平安の貴族社会は「フリーセックスのユートピア」論者じゃないのかな

あ、単なる感想でし。何の根拠もありません
957日本@名無史さん:02/11/04 11:50
940です

「尊卑分脈」なら図書館に走るまでもなく所有しております
道長の項に「道長公伝」というのが書いてありますが、ちょっと見た感じでは
彼の官歴ばかりのようですが
うpしてもいいのですが、1200字くらいありそうで、躊躇しています
958日本@名無史さん:02/11/04 12:13
「その八」スレたてたよ
     ↓
「日本史よろず問い合わせ処 其ノ八」
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1036379545/
959日本@名無史さん:02/11/04 17:25
>>957
官歴に、どこどこの女とできていたとか、書かないでしょう。
他の資料の方がいいと思われます。
960日本@名無史さん:02/11/04 18:44
まあ、>>941 さんに、かつがれたというところが結論だな<尊卑
961日本@名無史さん:02/11/05 18:31
>953
荷田県主



なんてね。
962日本@名無史さん:02/11/06 03:00
徳川家康は小便たれですか??おしっこちびった??合戦のとき。
963日本@名無史さん:02/11/06 07:28
>>962

ちびったのは、ウンチですよ@三方原合戦
964日本@名無史さん:02/11/06 12:52
うろ覚えですが...
「尊卑分脈」には道長ではなく式部の方に「藤原道長妾」と
記載してあったような記憶が。
965964:02/11/06 13:57
新スレの22にすでにありましたね。
966日本@名無史さん:02/11/06 14:47
>>964

同時代の史料ではないということで、ふりだしに戻りますた
967日本@名無史さん:02/11/06 20:42
家康ウンコちびりなのか…。アヒァアとか言って糞たれたのかな。いくつのときなの??
968日本@名無史さん:02/11/06 20:54
馬上で脱糞しながら、逃げ帰りました。
信玄軍が本当に恐かったんだろうねw。

家康は1542年生まれ、三方ヶ原の戦いは1572年です。
引き算してください。
969日本@名無史さん:02/11/09 17:52
あげ
970日本@名無史さん:02/11/09 20:39
age
971日本@名無史さん:02/11/09 20:45
972日本@名無史さん:02/11/10 10:08
あげ
973日本@名無史さん:02/11/11 20:19
あげ
974日本@名無史さん:02/11/13 12:40
戦国時代って英語では何と言うんでしょうか?
975日本@名無史さん:02/11/13 12:44
the Warring States period
976日本@名無史さん:02/11/13 12:44
>>974
〔日本史〕 the Age of Civil [Provincial] Wars;
〔中国史〕 the Age of the Warring States.

出典はNew College Japanese-English Dictionary,
4th edition (C) Kenkyusha Ltd. 1933,1995,1998より。

直訳なのか意訳なのかは良くわかりません。
977日本@名無史さん:02/11/13 18:23
>>974
日本語に直訳しなおすと
日本史→内乱の時代
中国史→戦闘国家郡の時代
ですね。日本の戦国時代はまだ京都に天皇や将軍家がいたから「内乱」だけど、
中国のはもう完全に国家同士の争いということでしょうか。
春秋時代はthe Age of Civil Warsになるんでしょうか?
978日本@名無史さん:02/11/15 00:29
寝る前にage
質問スレは常にageとこうぜ〜
979日本@名無史さん:02/11/15 02:33
「日本史よろず問い合わせ処 其ノ八」
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1036379545/
980日本@名無史さん:02/11/16 16:55
あげ
981日本@名無史さん:02/11/16 17:07
別にあげなくていいよもう
982日本@名無史さん:02/11/17 09:47
あげ
983日本@名無史さん:02/11/17 22:21
鎌倉末期から室町にかけて、守護が地頭に代わって
勢力を伸張することができた要因について教えてください。
半済令?守護請?いまいち整理できんのです。
984日本@名無史さん:02/11/17 22:30
「滅亡」の定義について教えて下さい。
滅んだというのは、その血筋を受けた人が一人もいなくなる
という事なのでしょうか?
それともその家を継ぐ者がいなくなった事なのでしょうか?
985日本@名無史さん:02/11/17 22:45
>>984
家でしょうな。
986日本@名無史さん
>>983
足利尊氏は、守護に軍事・警察権のほか、半済令で守護の力を強めて、
全国の武士をまとめようとした。
このため、守護は、その地位を利用して自分の領地を拡大し、
国内の地頭や新興の武士を家来として従えていった。

背景には、分割相続の繰り返しによる、地頭層の御家人の弱体化が
あるのかと思われます。

管領や侍所の長官には有力な守護が任命され、政治を行った。
守護大名は、国司の権限を吸収し、一国全体を支配するようになった。

有力守護は一揆(団結)を結び、将軍に意見をしていった。