日本史よろず問い合わせ処 其ノ七

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世界史板

世界史なんでも質問コーナー2
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高校生用質問スレ Part 2
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1009621327/

三国志・戦国時代板

@雑談・質問スレッド@
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1020330373/
5 :02/06/23 21:52
過去のスレッド

素朴な疑問質問のスレ
http://mentai.2ch.net/history/kako/969/969624784.html
日本史版質問統一スレッド
http://mentai.2ch.net/history/kako/974/974738924.html
★くだらない質問、近現代史編★
http://mentai.2ch.net/history/kako/985/985320244.html
くだらない質問はここに書け
http://mentai.2ch.net/history/kako/981/981044823.html
くだらない質問はここに書け その2
http://mentai.2ch.net/history/kako/1005/10051/1005111739.html
日本史なんでも質問コーナー Part6
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1016622804/

6 :02/06/23 23:50
明日は晴れますか?
7日本@名無史さん:02/06/24 00:04
>>6
本日の東京地方ですが

晴れ時々曇り
最高気温22度
最低気温18度
風: 北東→南東
波: 0.5 m



8坂東国男:02/06/24 00:40
俺は死刑になりますか?
9日本@名無史さん:02/06/24 19:52
>>1
スレ建て乙。

「質問」で検索しても出てこなかったから焦ったぞ。
雑談・質問スレは正直凝ったスレタイにしてほしくなかった。
10日本@名無史さん:02/06/25 01:20
確か臨在宗かなんかで、師匠が弟子にかけ、そして弟子がそれについて
一所懸命に考える謎々のようなものをなんと言いましたっけ?
>>10
禅問答?・・・アイマイ
12日本@名無史さん:02/06/25 01:23
>>11
いえ、それじゃないです。
喉まででかかってますが出ません。
13日本@名無史さん:02/06/25 01:31
>>10
「公案」では?
1410:02/06/25 01:33
>>13
おおおおおおお、それです、それです。
いやあどうもありがとうございました。
15日本@名無史さん:02/06/25 01:57
江戸時代の旅籠というものは、例えばおかみさんとかが
部屋にお茶を運んでくるとかそういうサービスみたいなものがあったんでしょうか?
16日本@名無史さん:02/06/25 03:09
>>15
もちろんありました。その時にお客の懐具合をよむのがプロの仕事です。
小金を持ってる客には夜に頼んでもいない女が来たりします。
それも十人も寝てる部屋に(w

十篇社一句が返還できない米国のソフトはだめだね。
17日本@名無史さん:02/06/26 16:05
このスレが、

[日本史}日本史なんでも質問コーナー Part17

ということでアゲておきます。
18日本@名無史さん:02/06/26 16:26
>>9
確かにねえ。
「スレッド一覧でキーワード検索して、類似スレが重ならないようにする」
て基本的なことだし、それを意識したスレタイトルにしてほしいすね。

次にたてる人は気をつけてねー
19日本@名無史さん:02/06/26 17:17
蹴鞠って
サッカーでいうところのリフティングなのん?
20日本@名無史さん:02/06/26 18:08
>>19
全然違う。バカ。
21日本@名無史さん:02/06/27 08:07
>>16たん。
「じっぺんしゃいっく」でなら、
米国のソフト会社がつくったIME2000でも変換できますよ。
十返舎一九。ほらね。

でもATOKのほうがすき。
22日本@名無史さん:02/06/27 19:54
>>20
質問スレなんだから「バカ」はないと思うけど。
23日本@名無史さん:02/06/27 19:58
速報+版の小便禁止スレにあった疑問なんですけど、奈良・平安時代頃の庶民の識字率って判っているのでしょか?
24日本@名無史さん:02/06/27 20:25
当時の識字率など分かろう筈がない
お触れの類いは、読み上げればこと足りる
25日本@名無史さん:02/06/27 20:46
>>24
もちろん正確な所はわからないのでしょうが、なんか傍証のようなものも何もないんですかねぇ。

話がそれますが、平安京や平城京のような都に限定するとして、そもそも奈良・平安時代の庶民って誰?
下級官吏みたいのは庶民の内なんでしょうか?
26日本@名無史さん:02/06/27 21:13
官吏という言葉にこだわるのであれば、官位さえあれば
・・たとえ、小初位下であろうと庶民ではないことになる
27日本@名無史さん:02/06/27 22:45
>>26
言葉が足らなかったですかねえ。
現代は高級官僚なんかはともかく、ただの公務員なら庶民のうちじゃないですか。
そういう感覚で考えて、当時都では官吏である事自体、特権的な存在だったのでしょうか。
例えば最下級の官吏でも家柄みたいのがあって、登用される以前から生活水準が違ったりするんですか?
28日本@名無史さん:02/06/28 09:43
奈良・平安時代というと、たいへん長い期間ですので、変遷があったろうと
思いますが・・
日本の官吏は中国のように科挙によるのではなく、一定の家格(氏と姓)を
もった氏族から出ます(つまり激貧な庶民からは出ない?)
また、いつまで機能したかは知りませんが、一定以上の官職には、
位田・職田というものが付属します
29日本@名無史さん:02/06/28 11:21
>>20

>全然違う。バカ。

漏れもマジで違いが分からんので教えて頂きたいと思う
説明もつけずに、バカ呼ばわりはイタスギる
30日本@名無史さん:02/06/28 14:59
【蹴鞠】
7世紀頃、中国から伝わる蹴鞠は、約七間四方の庭(鞠懸)の四隅に
各四間程を隔てて松・桜・柳・楓(式木)を植え、その中で鞠足(プレイヤー)が
6人〜8人で、手を使わず鞠を足で蹴り上げ、蹴り渡し、またこれを身体で
受けて蹴り続ける遊技です。鞠を蹴り上げる回数が多いのを良しとし、勝負を
競わないのが特色とされています。
31日本@名無しさん:02/06/28 16:30
>>29
だよね!同意。

バカとか発言するから、歴史ヲタとか煙たがられちゃうってこともあるんだよね…。
だいたい知識ある人はエラそうにひけらかしたり見下ろすような言い方しないのがフツウ。
バカとか発言する奴は決まって局部的に偏ってるヲタだったりする場合が多いのかも
と推測してみる試み。

質問ではないのでサゲ!
32日本@名無史さん:02/06/28 16:57
>>28
回答ありがとです。
>>26とか見て、ここは「小役人が些細な書式ミスを罵倒するスレ」じゃないかと思いかけていたので…。

なるほど家格が必要だったのですね。じゃあ庶民とはいえないんだ。

貴族や官吏以外の一般市民って何をやってる人たちだってんでしょうか?
こちらのHPを見ると、平安時代前期では貴族・官人・職人・天皇・皇族・奴婢等を除いた一般市民は約9万人くらいとの推定があります。
ttp://homepage1.nifty.com/heiankyo/teiki14.html
彼らは何をして生活してる人たちだったのでしょう。
33日本@名無史さん:02/06/28 20:33
>>32
>貴族・官人・職人・天皇・皇族・奴婢等
その家族。
34日本@名無史さん:02/06/28 21:30
>>33
よくわからないんですがつまり、平安京には純粋な意味での一般市民はいない、ということですか?
35日本@名無史さん:02/06/28 21:33
ごくつぶしばっかり、酒食の溺れ、色と遊興ざんまい
36日本@名無しさん:02/06/28 22:58
近代まで婦女子は生理中どのように対処していたんでしょう?
欧州などは中世、期間中は隔離されたと聞きますが…。
ニッポンの場合はどうしていたんでしょうか?
なにか記述は載っていませんか?
37日本@名無史さん:02/06/28 23:39
>>36
日本でも時代によって色々ですし、各地方においても違うと思いますが、
農地においては生理中に過ごす家もあったようです。
38日本@名無史さん:02/06/28 23:48
>>34
奈良・平安時代の都に庶民は居住してないと思います。
当時の農家の発掘遺跡を見ると柱のない住居(竪穴式?)に住んでた
ようだし、貧富の差なんて言われる以上の差があったのでしょう。
39日本@名無史さん:02/06/29 00:11
>>38
商人は?
40おばかさん:02/06/29 00:36
あのーーーー
とってもおばかな質問していいですか?
一応検索エンジンは見てみてんけどよおわからんくて・・・

キリストが生まれたのって日本の何時代??
41日本@名無史さん:02/06/29 00:42
>>40
弥生時代中期頃です。
漢書地理志によると、「この頃倭国は百余国に分かれ、一部の国は前漢の楽浪郡に朝貢した」とあります。
42おばかさん:02/06/29 00:48
おお41さんありがとうっ
そうか弥生時代か・・・
私の中ではもっと前だと思ってた・・
意外と日本文化って古いのね。。。
43日本@名無史さん:02/06/29 01:11
>>38
>>38
ご回答ありがとうございます。
しかし人口十数万全てが政府関係者+職人・奴婢というのは多すぎるような気がするんですが…。
44日本@名無史さん:02/06/29 10:45
>>40
ちなみに当時
中国は劉邦が建てた前漢の末期(その後キリスト存命中に滅亡−後漢建国)
ローマはカエサル(ジュリアス・シーザー)暗殺後跡を継いだ初代皇帝アウグストゥスの治世下でした。
45日本@名無史さん:02/06/29 11:21
対馬や与那国島って何で日本領なんですか?
46日本@名無史さん:02/06/29 14:52
僧兵って何ですか?本当にいたのですか?
たとえば本願寺の兵力というのは何なんでしょうか
47日本@名無史さん:02/06/29 22:54
>>45
おそらく、対馬には日本列島攻略の最初の拠点があったのでしょう。
それ以来の歴史上で日本です。

与那国は琉球国の支配地ですから、琉球国を日本が支配した時に
日本になりました。
48日本@名無史さん:02/06/29 23:01
>>46
おそらく、日本一有名な僧兵は源義経と行動を供にした弁慶でしょうね。
僧兵は本質としては宗派的な坊主の圧力集団でしょう、本願寺の兵力
は百姓と地侍なんで僧兵とは違う。
49日本@名無史さん:02/06/29 23:28
一例をあげる為に、少し国旗や国歌の話から脱線しますが、この掲示板に話題が出てたので・・
アヘン戦争は、たしかにイギリスが中国に押し付けたものですが、日本はその後の大戦前に中国
人を強制労働でアヘンを作らせ、しかもそれを中国で売りさばいた事実。
中国の人に聞いて下さい。
口を揃えてイギリスも酷いが、日本はもっと酷い事をしたと言っています。

http://www.vote.co.jp/vote/29432868/discussion.phtml?Pos=11

こういうカキコがあったんですが、事実ですか?

ところで中国人の強制連行の話はよく聞きますが、これは
どのような根拠に基づいて行われたのでしょうか?
図書館に中国・朝鮮人強制連行の一次資料集がありましたが、
どういった資料があるんだろうか?

50日本@名無史さん:02/06/29 23:39
>>47
> おそらく、対馬には日本列島攻略の最初の拠点があったのでしょう。
> それ以来の歴史上で日本です。

すいませんが、これはどの辺に論拠があるんでしょうか???
騎馬民族などの外部勢力による征服王朝仮説は、現在認められているとはいえない状況だと思うのですが。
51日本@名無史さん:02/06/29 23:47
>47
>琉球国を日本が支配
薩摩だよ。
52日本@名無史さん:02/06/29 23:48
>>51
薩摩は日本です。
53日本@名無史さん:02/06/29 23:50
>>50
征服王朝かどうかは不明だけど、弥生人が渡来系というのは定説でしょ?
54日本@名無史さん:02/06/29 23:53
>52
薩摩は、当時から日本人と言う意識?
55日本@名無史さん:02/06/29 23:54
>>46
僧兵がいたのは天台、真言などの旧仏教で、本願寺のような浄土真宗にはいなかったようです。
本願寺勢と織田勢が戦った石山合戦でも、本願寺側の主力は紀州雑賀衆の土豪や地侍だったとのこと。
56日本@名無史さん:02/06/30 00:09
>>54
朝鮮来歴デンパ説はいらない。

日本史板を浄化したい。
57日本@名無史さん:02/06/30 00:10
>>53
弥生人は別に王朝を担うようなまとまった勢力として渡来してきたわけじゃないですから…。
実際、縄文人と弥生人の間に闘争があったような痕跡も見当たりませんし。
ですから>>47にあるような「日本列島攻略」のような描写は適切じゃないと思います。
58日本@名無史さん:02/06/30 00:18
>56
違う、
奄美、沖縄から見れば、おそらく、古代から「大和」では、
時代とともに、その意味も変質。
59日本@名無史さん:02/06/30 01:46
>>49
中国から日本への強制連行については次のような資料がありました。
http://ha6.seikyou.ne.jp/home/Yoshinori.Kigoshi/Gaymusyo/KirokuMokuzi.htm
私はこの件については良く知らないのでコメントできませんが…。
60日本@名無史さん:02/06/30 01:56
>>43
それ以外にも臨時の建設や荷物の運搬に従事するものや
諸国の税などを納めに来る人もいるから
人口とするとそんなもでは。

在住者はもっと少ないと思いますが。

それと識字率のことを質問していたかと思いますが
奈良時代には下級官吏の文章(木管に書いた借金の申し込みだったかな)がありますから
それ以上の身分では字が読めたとしてあと職業的に字が読めたと考えられる僧侶や農民のなかでの税の関係者
などの人口比を割り出せば識字率の最低ラインは割り出せるのではないでしょうか。
61日本@名無史さん:02/06/30 01:57
>>59
なんで中国の人達は親日のなのに・・・。
毛の時代以降に殺戮した歴史もあるし・・・。
62日本@名無史さん:02/06/30 02:06
>>49
阿片作らせて売ったのは事実ですけど、
強制労働は嘘ですね。むしろ作業効率の為でしょうが、
慰撫政策を実施していたらしいです。
63日本@名無史さん:02/06/30 02:11
>>62
阿片は今でこそ麻薬と認識されてるけど、当時は嗜好品だよ。
64日本@名無史さん:02/06/30 02:19
>>60
丁寧な回答ありがとです。
ここ数日悩んでた(w事が大方解決しました。

識字率の件、なるほどそういう算出方法も考えられるのですね。
何れにしても全国的には相当少なそうだなあ。文字読める人。
65日本@名無史さん:02/06/30 03:49
日本史板を浄化したいのですが、無駄な努力でしょうか。
66 :02/06/30 09:54
無駄です
67日本@名無史さん:02/06/30 10:02
>>65

完全登録制にでもしない限り、浄化など夢のまた夢です
68日本@名無史さん:02/06/30 10:28
幕末の鹿児島藩医・喜多村良宅(きたむらりょうたく)の情報きぼんぬ

いちおう辞書は見ました。今日ふうに言うと精神科の医師のようです。
生没年・墓所、未詳
69日本@名無史さん:02/06/30 12:58
>>59他の皆さん、ありがとうございました。
とても参考になりました。

従軍慰安婦に関しては、よくネットで記事を見ますけど、こっちの
問題についてはあまり語られないですね。

>>63
アヘン戦争が、すでに100年前に起こっていたのに、いまだに嗜好品という
位置付けだったんでしょうか? 日本国内には売ってなかったわけですよね?

70日本@名無史さん:02/06/30 13:04
>>69

広辞苑で「あへん」を調べたら
>わが国では、あへん法(一九五四年制定)により、阿片の採取・所持・輸出入・売買を規制。
こういう記述を発見。

戦後になって、はじめて規制されたのかな?

71日本@名無史さん:02/06/30 13:29
原敬を殺した犯人って鉄砲玉?
72日本@名無史さん:02/06/30 15:40
>70

津軽藩の秘方「一粒金丹」というものには、アヘンが含まれていたそうです。
弘前大学の報告にあります。してみると、江戸時代はけっこう平気で使われて
いたのではないかと
73日本@名無史さん:02/06/30 17:58
>>70

日清戦争で台湾を得た後、台湾総督府は阿片追放にのぞんでるよ。
単なる嗜好品として見てたわけではないでしょう。
しかし阿片税なんかでもうけられるから製造はやめなかったみたいねん。

ちなみに、こんなページもあった
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/386_5.html

74日本@名無史さん:02/06/30 19:13
>>73
> 日本統治下、阿片は専売局の工場でのみ製造されたが、奇妙なことに阿片吸煙者が急減し
>ていったにもかかわらず、この工場での阿片製造は太平洋戦争とともに、昼夜兼行のフル操
>業となった。それはなぜか。
>
> 作者は当時の専売局担当官にインタビューし、阿片を占領地などに流したのではないかと追
>及したが、「そんなことは一切ない」との答え。ところが側にひかえていた奥さんが突然、夫に
>「あなた、いい加減、本当のことを話しなさいよ」と発言したという。事実は闇の中なのだ。

うーん。(笑
流してたっぽいねぇ。

戦争中だったから、なりふり構わなかったんだろうな。

子孫としては残念無念でありんす。

75日本@名無史さん:02/06/30 19:24
鳥追い女 というのが時代劇や小説に出てくるけど、あれはホントに鳥を追ってたの?
あんな格好で鳥なんて獲れるのかしら?それとも別の意味があるのかな
76日本@名無史さん:02/07/01 09:54
鳥追いは芸人ですね。以下大辞林より。

とりおい ―おひ 【鳥追(い)】
(2)田畑の害鳥を追おうとする小正月の行事。子供たちが鳥追い歌をうたって家々を回ったり、田畑の中に仮小屋を作り、鳥追い歌をうたいながら正月のお飾りを焼いたりする。鳥追い祭。
(3)門付(かどづけ)の一。正月に、扇で手をたたきながら祝詞を唱えて米銭を乞い歩いたもの。たたき。
(4)門付(かどづけ)の一。江戸時代、編み笠を被(かぶ)り三味線に合わせて歌をうたい、銭を乞い歩いた女。

googleで探したあるサイトでは「鳥追い女は夜になると鷹になることもある」とも書いてありました。
77日本@名無史さん:02/07/01 10:50
下関戦争、薩英戦争、天狗党の乱、戊辰戦争など幕末から明治にかけての
戦争について経過と各藩の装備を詳しく書いた書物やサイトがあれば
教えて下さい。
78日本@名無史さん:02/07/01 17:16
>>77
そんな便利なのがあったら私も欲しい(w
もし戦史的というかミリタリー的な記述がお望みなら、軍事版の方がわかる人がいるかもしれません。

第二次長州征伐(四境戦争)のみでしたら、歴史群像2002年6月号に「新生長州軍」という記事がありました。
奇兵隊など諸隊の編成と変遷、実際に使用された戦術、装備、そして四境戦争の経過について簡単(8P)ながら良くまとまった記事だと思います。
取りあえず今わかることのみ。見当違いならごめんなさい。
79軍事板住人より:02/07/01 18:16
>>78
軍事板に来ても幕末、維新の戦役はあまり話にならないと思うよ。
現代の話が圧倒的に多くて次にww2関係かな。

それに軍事板は半分、兵器板みたいなもので
兵器に詳しい人は多いんだけど、維新前後の戦いで兵器の進化あまりないから興味がわかないんだろうね。
戦史や戦略,戦術に詳しい人ももともとあまりいないし。

たまに軍事日誌みたいに細かいデータあげてくれる人もいるけど。
80日本@名無史さん:02/07/01 19:07
>>79
話がそれますが…

幕末・戊辰の戦いって、戦史的にも面白そうなのになー。
幕末の事だから、現場にいて日記とか手紙を書いてた人は多いだろうし、そういうの丹念に読み解いていけば、パウル・カレルもどきくらいは書けるんじゃないかと。
しばらく前に野口武彦の「幕末気分」を読んでそう思ったですよ。
この中の一編に第二次長州征伐に向かう幕府軍遊兵隊の行動を、一人の日記を元に再現してる文章があります。道中のぐうたら具合、いざ戦場での殺伐さ具合とか、更にいえば何事もスムーズに進まない感じが、とてもリアルで戦記っぽくって良かった。
まあパウル・カレルになるか、吉田満になるかは書く人の感性によるんでしょうが。
81軍事板住人より:02/07/01 19:26
>>80
野口武彦氏って江戸時代や幕末関係の話をよく書いている人ですよね。
3年位前に「幕末パノラマ館」とか言うのを歴史読本かなんかに連載しているのを読んだことがあります。
たしかに民衆や一般兵レベルの視点で歴史を書いているのは異色であり面白いです。
82日本@名無史さん:02/07/01 20:02
>>81
野口武彦知ってる人がいて嬉しいので更に。

江戸時代って公の物も私の物も含めて、大量に文書がある時代で、まだ世に知られてない(研究者の方はともかく、少なくとも私のようなド素人には)物が山ほどあるわけです。
そういう沢山の生史料の中から、とりわけ面白い物を見つけてくれる。しかも江戸という今の世に直結してそうな時代の、でも現代と微妙にズレてるポイントを見つけるのが上手い人だなぁといつも感心して読んでます。
実際小説のタネにでもなりそうなオモロイ話が山盛りなんで、まだ知らない人は読んで損はないと思われ。

…私はただのしったかですが。
83日本@名無史さん:02/07/02 03:27
日本の歴史って呼べるのは、何年くらいあるのですか?
中国は4000年の歴史とか聞くし、日本はどのくらいの歴史があるのか教えてください。
84日本@名無史さん:02/07/02 03:49
>>83
中国は4000年というのはキャッチフレーズであって歴史としての意味
はありません。歴史は全世界共通に流れています。
85日本@名無史さん:02/07/02 03:51
三種の神器って壇ノ浦に沈んだままなの?
86日本@名無史さん:02/07/02 04:02
>>85
質問する前にもう少しお勉強を希望します。
87日本@名無史さん:02/07/02 08:20
>>83

日本の歴史=大和朝廷の成立と仮定すれば、1700〜1800年くらい前です
魏に朝貢した卑弥呼を大和朝廷の前身と見るか、別な政権と見るかで変わって
きます。いずれにせよ、2000年弱です

ちなみに、戦前までは神話に基づき、紀元前660年に神武天皇が政権を
建てたとされていました。勿論これは伝説であって史実ではありません
88日本@名無史さん:02/07/02 15:54
>>87さん

丁寧なご説明ありがとうございました。
日本の歴史は、大雑把に2000年弱と覚えておけば良いですね。
89日本@名無史さん:02/07/03 23:56
官吏age
90日本@名無史さん:02/07/04 00:42
>88
そう簡単に納得されても‥‥
例えば中国の場合、殷王朝は今から3000年前だから
4000年といった場合は、その前の仰韶文化や竜山文化を
含んでいるわけです。
日本でも縄文文化や弥生文化を日本の歴史として見るのが
一般的でしょう。更に言えば縄文の前にはいわゆる旧石器文化の
時代もあります。列島に人類が来て以降ということなら
更に遡り、列島自体の歴史すなわち大陸から離れて以降と言うことでも
かなり昔のこととなります。

国家と言うことで考えるなら、近年は前方後円墳体制というのが
初期国家論とも相俟って有力な説に成りつつあります。反論も多いですが。
流石に邪馬台国の時代を国家と考える人は現在では稀でしょうが
都市国家と見る人も中にはいます。逆に遅く見る人では
8世紀律令国家の確立を以て日本という国家の成立と見る人もいます。
一時期はかなり有力な説でしたが、最近は少ないと思います。
もちろん7世紀や6世紀、5世紀とする人、前方後円墳体制以外の3・4世紀論者もいます。

話がずれますが、現在の日本に繋がるという意味では、
南北朝に民族的変革を唱える人もいれば、応仁の乱以降とする人もおり、
もちろん律令国家とする人もいれば、平安時代こそ日本の古典期だとする人、
下って享保以降とする人もおれば、戦前の国家総動員体制が
現在の官僚制につながるとか、ともかく国家をどう考えるか
また経済的な観点から画期を見出すか、あるいは政治体制か
それとも文化的要素か、はたまた社会的同質性か、民族・宗教は‥‥

たとえば今何かと話題のアフガニスタンの場合、同名の王国が
出来たのは18世紀のことですが、その前にもサファビー朝、チムール朝、
イル・カン国、モンゴル帝国、ホラズム、ゴール朝、ガズナ朝、
サーマン朝、サッファール朝、アッバース朝、ウマイヤ朝、正統カリフ、
サーサン朝、エフタル、クシャーナ朝、大月氏、バクトリア、セレウコス朝、
アレクサンドロス、アケメネス朝、メディアなどの治下にありました。

これは何もアフガニスタンに限ったことではなく、ヨーロッパの
いわゆる先進諸国も同様です。いつを以て、何を以て、その国の始まりとするかは
観点によって千差万別です。それは当然のことです。
なぜなら現在のいわゆる国民国家も所詮歴史上のヒトコマに過ぎないからです。
永遠に続く絶対的な存在ではありません。出来たのも精々ここ100年ほどのことです。
始源を探る基準とは到底成り得ないものなのです。
91日本@名無史さん:02/07/04 01:42
すいません。日本史板に初めて来たんですけど
「もしも昔に2ちゃんねるがあったら」みたいなスレッドってありますか?
昔どこからかリンクで飛んで見たことがあるのですが
とてもレベルが高くて面白かったのを記憶しています。
探してみたけど日本史板のは見つからなかったんです。
教えてチャンでごめんなさい。
92日本@名無史さん:02/07/04 01:47
>>91
今のところ板に残っているのは

平安時代に2chがあったら
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1024396208/

だけみたいです。レス数も少ないけど。
後は過去ログにあると思いますよ。

93日本@名無史さん:02/07/04 01:52
>>91
レベルの高低は知らんがあることはある。

もしも江戸時代に2chがあったなら
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1024542943/
9491:02/07/04 02:00
>92>93
ありがとうございます。
でも私が昔見たのはこれではなかったような気がします。
【〜】とかが頻繁に使われるようになる前だったので・・・
根気よく探してみたいと思います。
95日本@名無史さん:02/07/04 05:47
>>90さん

歴史をどこから最初とするかでいろいろ難しいようですね。
ただ単純に中国は4000年、ワールドカップで韓国は5000年とか言っているのを
聞いて、日本はどのくらいの歴史なのかな?と思い質問しました。
見方によって歴史の基準点が変わるというお話、充分納得いたしました。
大変ありがとうございました。
96日本@名無史さん:02/07/04 06:57
>>90
邪馬台国を「都市国家」なんて言う人がいるんですか。
戦後の日本歴史学では、国家とは何か、についてスターリン主義的国家論の影響が大きく、国家起源についての考え方にも社会主義が崩壊した現在もその名残があります。
前方後円墳体制を提唱した都出さんもその一人。
97日本@名無史さん:02/07/04 07:17
>>96
素朴な疑問かもしれませんが1つお尋ねしたいことが。(もちろん>>96さんでなくても、どなたかお答え下されば幸いです)

吉野ヶ里とか見てるとやがて中国式に城邑に発展していきそうな気がするんですが、実際の日本はそうではなかったですよね。
中国のように都市国家が発展しなかったのは何故なんでしょうか?

用語または史実の認識に間違いがあったらごめんなさい、です。
98日本@名無史さん:02/07/06 21:21
>>97
平安京とか平城京は都市国家ではないの?

まあでも、地形的な事情とかもあるのではないかと思うんだけど。
山が多くて海に囲まれて細い川も多い陸地だから・・・
町ごと囲んだ城ってのもあることはあるよね。
99日本@名無史さん :02/07/06 21:40
>97
思いっきりズレてるかもしれないが...
安全だったから。

日本は文化、考え方の違う異民族が攻め込んで来る心配・恐れが全くなかったので、
中国のように街を城壁で囲む必要がなかった。
中国は城壁で囲まれたエリアの中に都市機能を持つ街を造る必要があった。 ...っていうのはダメ?
100日本@名無史さん:02/07/06 22:43
>>99
それでは、日本にも寺内町や惣構の城があったことの説明は?
101日本@名無史さん:02/07/06 22:44
友達にメールで、
「日本人がお人よしとか親切とか言われるのはどうしてだろう」
と聞いたら、
「歴史の始まりからずっと金持ち国家だったから」
と返事が返ってきました。
これは本当でしょうか?これは金がたくさん取れたということでしょうか
102日本@名無史さん:02/07/06 22:48
>>98
>>99
回答サンキューです。

>>98
平安京や平城京は城壁がないうえに、都だけって感じですよね。

>>99
古墳時代以降の日本は城壁を築く必要があるほどの、戦乱が無かったと考えていいのかな。(戦国時代は別)

ちょっと繰り返しになりますが、97を書いたときに疑問に思ったこと。
弥生時代には「防御性集落」のような重装甲な村が全国各地にありました。
そのまま進化していけば、やがて中国のような城壁都市だらけになりそうな気がするのに、どうしてならなかったんだろう?
…って事だったんです。
これはやはり弥生期には全国的に激しい戦乱があって、その後はたいしたことなかった。と考えてもいいもんでしょうか。

例によって、用語または史実の認識に間違いがあったらごめんなさい、です。
103V(‘∀’)V ◆NOGdAaKc :02/07/07 10:26
ちょっと聞きたいんだけど、江戸時代と現代社会の共通問題って何かある?
レポートで1600字でまとめなければならぬ模様。
104日本@名無史さん:02/07/07 11:31
政治腐敗 
105日本@名無史さん:02/07/07 11:35
赤字
106V(‘∀’)V ◆NOGdAaKc :02/07/07 11:56
>>104 >>105 結局、そこに逝きつくよな。ありがとう。
107日本@名無史さん:02/07/07 16:38
>>103
えらく底の浅いレポートになりそうな。

政治腐敗とかいってるのは、賄賂などの事を主に指してるのかもしれないが、現代とは常識が違う事を考慮しないと。
全体的に近代以前の社会としては、政治機構が高度に組織化され、腐敗も少なく、社会的秩序がはっきりしていて、人口と富が多く、産業が発達していた。

また赤字とは財政赤字の事だと思うが、当時の幕府・藩の税収は基本的に年貢に頼っている(そうではない藩もある)。そのため税収規模が小さい。
108V(‘∀’)V ◆NOGdAaKc :02/07/08 00:07
>>107 うは、マジレスありがとうございます。

>政治腐敗とかいってるのは、賄賂などの事を主に指してるのかもしれないが、現代とは常識が違う事を考慮しないと。
 その点は納得できます。しかし

>全体的に近代以前の社会としては、政治機構が高度に組織化され、腐敗も少なく、社会的秩序がはっきりしていて、人口と富が多く、産業が発達していた。
 腐敗、少ないかしら?腐敗はどこの国・いつの時代の政治体制につきものだと思うが。
もう一点疑問なのは、政治機構が高度に組織化されという点。そこまで果たして言えるのか?ということ。

上記の通り、やたら抽象的な課題であるため、はっきり言って端緒が見つけづらい。まだまだ、アイディアがあればお願いしますれす。
109日本@名無史さん:02/07/08 18:37
大学のレポートかな?ジャンルは決められてないの?
だとすれば時代に関係ない普遍的な問題を取り上げればなんでもOKだと思うけど・・・

たとえば都市の治安維持の政策については?

江戸と現代の比較論でいいなら、地方分権の問題なんかも書きやすいかもね。
110日本@名無史さん:02/07/08 22:00
その講義がどういう講義であったかわかれば、レポートのお題が何を狙っているのかも
見当がつきそうなんだけどねん。

111V(‘∀’)V ◆NOGdAaKc :02/07/09 21:20
>>109 ありがとうございます!
>>110 申し上げにくいのですが、実は仲間から相談されたことを
自分が代理としてここに書きこんでおりますので、どういう講義であったか
サパーリ分からんのです。
112日本@名無史さん:02/07/10 01:40
信長が蘭丸をえらくお気に入りだったというのは
美少年だったからですか?それとも信長はそっちのケもあったのですか?
色んな話があって、本当はどうなのか分かりません・・。
113日本@名無史さん:02/07/10 04:09
日本・韓国・中国以外に国宝がある国を教えてください。
114日本@名無史さん:02/07/10 07:06
元ちとせが西郷隆盛の奄美時代の子の子孫というのは本当ですか?
115日本@名無史さん:02/07/10 08:17
>>114
わはは!
あんた、日本史版でそんなこと聞いて答えがあると(略)
116日本@名無史さん:02/07/10 08:27
>>112
そっちのケもあったと思われます。
前田利家なども信長の愛寵を受けていた模様。
ちなみに色好みで有名な豊臣秀吉は、そっちの方には興味がなかったようです。
117日本@名無史さん:02/07/10 09:05
>>111
それを友達に聞かなきゃ話にならないでしょうが・・・
118日本@名無史さん:02/07/10 09:36
>>114
元ちとせは上沼恵美子の隠し子だそうです。
119日本@名無史さん:02/07/10 14:44
吉原の遊郭が廃止されてから、現在の吉原に至るまでの歴史を調べてるんですが
今のところ、料亭の女将が出版した本にちょこっと記載されてるのと、
昔から吉原で遊んでいたおじいさんの話を聞いたところで行き詰ってます。
歴史を専門に学んだことがないのですが、その辺りのことをご存知の方、
また、出版物などご存知の方がいらしたら、お教えください。
ソープ板の方が、案外詳しい人が多いのかな?
ちなみに、遊郭については腐るほど情報はありますです。文化ってことですかね。
120日本@名無史さん:02/07/10 14:56
その手の話題は世の好事家のもてはやすところなので
資料は腐るほどあると思われ
121119:02/07/10 15:10
うーむ。
ネット上ではなかなかみつからないのですよ。
まずは好事家さんとやらを探してみます。
とりあえず、腐るほどあるっていうのがわかってよかったです。>120さん
122120:02/07/10 16:24
とりあえず、台東区史の近世・近代編あたりに
沿革がありませう
123日本@名無史さん:02/07/11 08:29
すみません、ふと思ったのですが、江戸時代以前はウンコした後、
尻は何で拭いていたのでしょうか?
江戸頃にはちり紙はあったとは思うのですが・・・。
12477:02/07/11 16:44
78−82さん 有り難うございました。
野口武彦の名前と歴史群像の6月号著者を頼りに調べてみます。
原剛の幕末海防史 についてはどうでしょうか?

この時代は、軍制改革や、どの小銃を輸入するか(様々な技術レベルの小銃が
売り込まれたらしいです)、等々面白いと思うのです。
125日本@名無史さん:02/07/12 22:50
>>124
亀レスですが、
国立歴史民俗博物館が監修している「人類にとって戦いとは」というシリーズがあります。
これの3巻目に「幕末維新期の軍制と英仏駐留軍」という一章があって参考になるかもしれません。
私はこのシリーズの1巻目しか持っていませんが、戦いに関する論文集という感じで、実証的です。
参考文献もたくさん載ってるのでここから探すのも良いかもしれません。
発行は東洋書林、値段は3200円です。
126日本@名無史さん:02/07/13 01:26
当方リア厨。検索の仕方がまずかったのかヒトせず。
江戸時代、鎖国していても、朝鮮とオランダと中国とは貿易していたと習いました。
けれど、その前に秀吉が、朝鮮侵略してましたよね?
教科書とかではそうとう惨かったらしいですけど、なぜ貿易するまでになったんですか?
唐辛子を国に入れたのが認められたからですか?
それとも、ほとんどなにもしなかったけど、教科書に書いてあるだけなのですか?

いままでずっと気になっていて、調べたけどヘタだったみたいで殆わからなかったです。
ということで、分かればぜひ教えてください。
127日本@名無史さん:02/07/13 02:12
>>126
それぞれの国ごとに事情が違いますが、このうち李氏朝鮮に関しては、秀吉が死んだこと、日本側が交易の利を求めていたために、捕虜を帰すなど積極的に和平交渉を行った事が大きいです。
128126:02/07/13 02:28
>>127さん
どうもありがとうございます。
もうちょっと詳しく教えてもらえませんか?
誰を中心に交渉した、とか、実行した藩とかも出来れば教えてもらいたいです。
129日本@名無史さん:02/07/13 03:07
>>128
宿題かに?自分で調べた方が身に付くと思うが…。

交渉の中心は対馬。藩主宋義智、家老柳川調信、玄蘇和尚あたりが交渉役。
なぜ対馬かというと、朝鮮との交易が藩の生命線だから。他にも倭寇対策として朝鮮から給付米を受けたりしていた(朝鮮国王の藩臣という形をとった)ので、断絶したままだと生きていけなかった。
130日本@名無史さん:02/07/13 03:41
>>128
東京に近ければ見ておいで。

日韓文化交流特別展
韓国の名宝

会期:2002年6月11日(火)〜2002年7月28日(日)
会場:平成館特別第1室〜第4室

韓国の国宝に指定されている美術、工芸の名品270点を展示

131日本@名無史さん:02/07/13 04:41
>>128
129に補足して

実際に朝鮮通信使が再開されたのは秀忠の時代で
豊臣家が滅び国内が安定したこともあります。

また、この朝鮮と日本の国書のやり取りにおいて将軍をどういう呼称にするかで議論があり
仲介役となった宗氏は国書を改ざんして朝鮮に渡していたので後に大問題となります。
132日本@名無史さん:02/07/13 04:49
>>131
>>仲介役となった宗氏は国書を改ざんして朝鮮に渡していたので後に大問題となります。

宗氏の内紛を幕府が大人の器量で丸く収めた。くらい書けよ。
133129:02/07/13 05:11
>>131
そこまで書くと話が広がりすぎと思いますが…。
後の朝鮮通信使と、慶長12年の朝鮮使節団(講和の受け入れのために派遣された)とは一緒にはできないでしょう。
134日本@名無史さん:02/07/14 17:39
鎌倉北条氏の流れで後世まで続いたところはありますか?
135126:02/07/14 22:28
128―133
みなさん、本当にどうもありがとうございました。
夏休みの歴史のレポートのテーマを決め兼ねていたので、
丁度とっかかりになりました。
明日帰り際に図書館行ってきます。

>>130
すみません、首都圏なんですが山梨なので無理そうです。
136日本@名無史さん:02/07/17 15:39
植木枝盛は日記の中で自分のことをなんと呼んでたんですか?
137日本@名無史さん:02/07/17 16:56
公家ってどこまで指すの?
雅楽の人とか大神社の神官とかも含むの?
138日本@名無史さん:02/07/18 00:23
 ここで聞けといわれたので質問

 肴に何よけむ鮑栄螺か石陰子良けむ

 これは婿取りに熱心な親が意中の男に対し
 「(酒の)肴には鮑や栄螺もいいでしょうが、なんといってもうちの娘のおまんこが
最高ですよ、イヒヒヒ」と誘っていると解釈してもいいのでしょうか?


139日本@名無史さん:02/07/18 02:14
遣隋使派遣以前とそれ以後の日中交流を調べたいんだけど
どーしたらいい?
140age:02/07/18 16:02
質問何ですが。
戦争時の日本と今の日本は根本的に国が違うんでしょうか?
それとも国が同じで憲法が改制されただけ何でしょうか?
どなたか教えて貰えないでしょうか?
お願いします。
141日本@名無史さん:02/07/18 16:10
>>139
何のために調べるの?どれくらい調べるの?
ネットで検索してみた?
図書館行って、通史なり事典なり年表なり見てみた?

そんな質問では具体的じゃなさすぎて何を質問してるのかもわからない。
何を答えたらいいのかもわからないよ。
142日本@名無史さん:02/07/18 16:16
>>140
国の定義によるかもしれないけど

例えば「日本(自国)の歴史」として戦前の歴史も教えているということは
現在の日本は戦前の日本と連続しているという認識の上になりたっているもの
なのでは。
故に、戦前の日本と現在の日本と「根本的に国が違う」ということはないと思う。
143sage:02/07/18 16:19
>>142
そうでしたね。すっかり忘れてますた・・・
でも国の名前は違ってませんでしたっけ?
名前はあんまり関係ないか・・・
ありがとうございました。
144日本@名無史さん:02/07/18 16:25
>>137
朝廷に付属した雅楽の人なら公家では?
神社についてはケースによって違うような気もするけど・・・

辞書見ると、朝廷の機関に勤める人であれば公家であるように
書いてあったような。
145日本@名無史さん:02/07/18 16:51
加賀藩の石高に占める越中地域の米算出量はどれぐらいなのでしょう
146日本@名無史さん:02/07/18 21:57
なぜ、伊達秀宗は宇和島に来たのでしょうか?
ただ単に、政宗の側室の子だという理由からでしょうか?
出来ましたら、詳しく教えて下さい。
147日本@名無史さん:02/07/18 22:05
日露戦争でほとんど話題にでない
鴫緑江軍ってなぜ編成されたのですか?
何か役に立ちましたか?
148日本@名無史さん:02/07/18 23:05
>>146
質問の趣旨を誤解しているかもしれんが、以下妄想

恐らく秀吉から一時拝領してるんで、豊臣政権下では側室の子だとか関係なく跡継ぎと認知されていたと思われ。
秀吉しんじゃうと、徳川にはばかって、側室の子だという理由をつけて家を継がせない。

伊達家が大坂の陣で大活躍
伊達家>お家騒動の種になりそうな長男をどーにかしたい
幕府 >加増してやっても良いけど、仙台近辺は嫌だなー
と言うような感じじゃないかなーと。
149日本@名無史さん:02/07/18 23:59
>>148
一時ってのは一字のことですな。
ありがとうございます。

でも、他の説も聞いてみたいです。何かないですかねぇ。
150日本@名無史さん:02/07/19 00:44
北条の一族の「大仏」は、なぜオサラギとよむのでしょうか?
邸宅の地名が「オサラギ」という場所ででもあったのか、と想像したのですが。
大仏(だいぶつ)となんか関係でもあるのでしょうか?
151日本@名無史さん:02/07/19 14:20
>>147
「戦勝しているからにはロシア本土の領地も獲っておきたい」という中央からの命令で、鴫緑江からウラジオストク方面を制圧する軍を作ろうとしたんではなかったか。
ただ、当時の日本軍にはそれを作れるだけの予備兵力がすでになく、お飾りの宮様連隊や後備旅団をかき集めて体裁だけ整えたという。
当然戦闘力はほとんどなし。実戦では奉天攻防戦などに参加。

>>150
諸説あってはっきりしない。
鎌倉大仏の所在地がもともと「オサラギ」というところで、そこに住んでいたからとか。
もともと大仏流北条の誰かが「オサラギ」という場所(陸奥国稚木?)に領地を持っていて、そこから鎌倉大仏の近くに引っ越したので読みだけ持ってきた、とか。
152日本@名無史さん:02/07/19 18:52
質問させてください。

よくある話なんでしょうが、
歴史大嫌いだったのに、司馬遼太郎の竜馬がゆくを読んでから
歴史に興味津々になりました。
これから歴史を知るのに、あんな感じの小説タッチの読み物はないでしょうか?
それか、このような質問をしてもいいスレッドを教えてください。
よろしくお願いします。
153日本@名無史さん:02/07/19 19:36
>>144
ありがと!
154日本@名無史さん:02/07/19 20:19
>>152
とりあえず司馬は竜馬だけ読んだの?
幕末に興味をもったんなら司馬の幕末モノをとりあえず読んでみたら。
(長編なら「燃えよ剣」「世に棲む日々」「花神」、
 短編集では「酔って候」あたりがお薦め)

そんでお気に入りの人物・気になる事件なんかができたら他の作家や、
新書で出ているよう素人向けの歴史本なんかを読む・・>日本史ヲタ

>このような質問をしてもいいスレッドを教えてください。
一般書籍板に「時代・歴史小説」スレッドがあったのでそこで聞くのが良いかも。
盛り上がってないけど。
155129:02/07/19 22:06
>>152
私も他の司馬作品を読んでみることをおすすめします。
たぶん司馬遼太郎が一番面白いので。特に幕末〜明治もの。
それで実際の歴史に興味がわいたら、中公文庫の日本の歴史シリーズあたりを読むのがいいと思います。
司馬遼太郎はけっこう小説的創作も多いので史実との違いを楽しむのもまたオツなものです。
156日本@名無史さん:02/07/19 22:24
司馬遼太郎が好きな人には申し訳ないが、俺は一つも面白いと思えなかった。
俺が好きなのは、池波正太郎とか、佐々木譲とかだな。
157日本@名無史さん:02/07/19 22:27
江戸時代の蕎麦ってやっぱ美味かったんですか?
当時からてんぷら蕎麦とかあったんですか?
衛生が悪かったって話がありますけど
実際のとこどうなんでしょうか?
158日本@名無史さん:02/07/19 23:13
丁寧にありがとうございました!
なにぶん歴史初心者なもので、助かりました。
現在竜馬を毎晩何回も読み直している状況なので、
「燃えよ剣」「世に棲む日々」「花神」「酔って候」を
早速購入してきます。
その後中公文庫の日本の歴史シリーズも読んでみます。
制覇したら池波正太郎、佐々木譲も読んでみたいです。
燃えてきました。ありがとうございました。
159日本@名無史さん:02/07/19 23:14
すみません。158は152です。
160日本@名無史さん:02/07/19 23:34
>>156
池波の真田ものは絶対読むべきですねー。
あと最近の作家では安部龍太郎もいいです。おすすめは「関ケ原連判状」(新潮文庫)。偏ってるなぁ。
幕末モノ中心ですが、中村彰彦もおすすめ。司馬・池波と比べると史実寄りなスタンスの作家なので、少々とっつきにくくはありますが。

佐々木譲は第二次大戦三部作(ベルリン飛行指令、エトロフ発緊急電、ストックホルムの密使)以外は、私はオススメできないです…。
161150:02/07/19 23:57
>>151さん、さんくすです。

この件について気になってしかたがないので、少し自分で調べても見たいと思っています。
どなたか調べ方について手がかりを頂けないでしょうか?
162日本@名無史さん:02/07/20 00:07
>>160
確かに・・・佐々木譲は「鉄騎兵跳んだ」と昭和三部作以外はおもしろくないよね。
163日本@名無史さん:02/07/20 00:16
>161
『国史大辞典』(吉川弘文館、全10何巻)を引くのが一番オーソドックス。
奥富敬之『鎌倉北条氏の基礎的研究』(1980、吉川弘文館)とか。
氏姓に関することなら太田亮の『姓氏家系大辞典』があるが古い(戦前)。
近年、『神奈川県姓氏歴史人物大辞典』(1993・角川書店)というのが出ている。
地名に関しては、吉田東伍『大日本地名辞書』があるがこれも古い(戦前)。
現在では『神奈川県の地名』(平凡社日本歴史地名大系)、
『神奈川県地名大辞典』(角川日本地名大辞典)がオーソドックス。
164150:02/07/20 00:20
>163
さっそくありがとうございました。
メモして調べて見ます。
165日本@名無史さん:02/07/20 00:24
>>160>>162
そうですかい? あたしはやっぱり、『五稜郭残党伝』ってのが、随分と面白かったと思ってんですけどね。

んで、オススメは安部龍太郎の『関ケ原連判状』ですかい。今度読んでみますよ。
166日本@名無史さん:02/07/20 00:34
160じゃないけど >>165 さんへ
安部龍太郎なら「信長燃ゆ」も良いよ。
信長ヲタなら最高に萌える!
167日本@名無史さん:02/07/20 00:37
>>157
幕末以前は蕎麦は今みたいな麺じゃなくって「そばがき」で、
天麩羅も一般的ではなかったって聞いたことがあるような。
168日本@名無史さん:02/07/20 01:21
>>167
江戸期に蕎麦は切り蕎麦で広まってる。
>>157は天ぷらと蕎麦が何処で合体したかを知りたいのでしょう。

江戸っ子は一人者が多かったので外食産業が盛んでした。
飯時になると屋台の店がたくさん出ていたようです、寿司・天ぷら・うどん・そば、その他物売りも。
そんな中でそばを食いながらとなりの屋台の天ぷらのせた客が最初でしょう。
169日本@名無史さん:02/07/20 01:27
海外から見た日本史でなにかいい書ってないですかね。
日本人とは違った見方もあるだろうし、いい比較対象でもあるかと思うんですが
170日本@名無史さん:02/07/20 02:46
>>166
信長ヲタならですかい。う〜ん。
あたしは大権現様のヲタ……というより、血のつながりがあるもんで。
まぁ、一つ読んでみましょうか。せっかく、薦めていただいたわけですし。

>>168
外食産業が盛んになったのは、元禄の頃からですな。

>>169
英語、お出来になりますかい?
171日本@名無史さん:02/07/20 03:09
>>157
「江戸のファーストフード」(大久保洋子・講談社選書メチエ・1500円)という本があります。

この本によると、江戸も後半には麺そばがポピュラーなものになっていたようです。
ただこの時代のそばは「蒸籠で蒸した「そばきり」」で、現在のような「水でさらして冷たくした「もりそば」」とは少々違うようです。
で、この「そばきり」に汁をぶっかけて天ぷらを載せた「てんぷらそば」もあったようです。(この本にあるのは芝エビが具)
ちなみに価格例としては、ただのそば16文、てんぷらそば32文とか。

>>166
おお、大権現様のご縁籍なら、隆慶一郎「影武者 徳川家康」は欠かせないでしょう。ほぼフィクションですが、面白さは抜群です。
隆慶一郎は歴史作家には珍しく、信長に冷たく家康に熱い人でした。
172日本@名無史さん:02/07/20 03:20
江戸時代の若党という身分に興味を持ちました。
馬に乗る資格を持たない二本差の従者ということは分かりましたが、
どんな服を着ていたか、待遇・給金はどうだったのか、などその生活を
知りたいと思います。
どなか良い本かサイトなどありましたらお教えください。
173日本@名無史さん:02/07/20 03:26
>>172
「図録・近世武士生活史入門事典」(武士生活研究会編・柏書房・2800円)というのがなかなか便利です。
174日本@名無史さん:02/07/20 03:40
>>173
ありがとうございます。手に届く値段なのでさっそく注文しようと思います。
175日本@名無史さん:02/07/20 11:24
これって、日本史か微妙だけど、日本最古の世界地図にオーストラリアって
書いてありましたか??
176緊急事態:02/07/20 11:42
あと、日本人がオーストラリアに初上陸したとこはメルボルンかどうか
でもこれは日本史かな
177日本@名無史さん:02/07/20 20:41
高校生クイズの1問目のために2ちゃんでスレ立てか
時代も変わったな
178日本@名無史さん:02/07/20 21:54
>>177

どのスレッドのこと?
179日本@名無史さん:02/07/20 22:12
>>178
俺は177ではないが、これな。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1027133630/l50
180日本@名無史さん:02/07/20 22:16
黒坂勝美ってどんな人?
181日本@名無史さん:02/07/20 22:20
182日本@名無史さん:02/07/20 22:26
>>181
そんなのもあったのか。
同じ7/20にいくつも同じスレ作って、さらにここでも質問か…。
迷惑なヤシだな。
183日本@名無史さん:02/07/21 15:44
戦国時代の庶民って、どんな家に住んでたの?
山間部はその当時も竪穴式住居って聞いたんだけど。
184日本@名無史さん:02/07/21 23:28
>>183
良く知らないんだけど、青森の根城なんかでは戦国期遺構から竪穴式の建物跡が沢山見つかってるようです。
地方によっては戦国期あたりまで、普通の建物だったのかも。
185日本@名無史さん:02/07/22 00:58
>>181
というかそいつ日本史板にも来てたのか。
世界史板にも質問スレに書き込んだ上にスレも立てるなんてことをして、かなりウザかった。
186日本@名無史さん:02/07/22 01:31
>>185
ご愁傷様。
はじめて2chにやってきたリア厨だったのだろうか。
187日本@名無史さん:02/07/22 02:12
広開土王碑文 について教えてください。
古代日本が朝鮮半島を占領、支配していた?
ってホントなの?
188日本@名無史さん:02/07/22 02:26
>>187
碑文には「倭が百済や(不明)や新羅を臣民とした」という文章があるのは確かです。
ただしこれは碑を築いた高句麗の上記諸国に対する軍事侵攻を正当化するための文飾であるとの解釈が妥当なようです。
当時百済は高句麗に対抗するため、倭に軍事援助を求めており、倭軍は渡海して高句麗とたびたび交戦していました。
189日本@名無史さん:02/07/22 12:24
刑部と書いて「オサカベ」と読むのは、何故?
190日本@名無史さん:02/07/22 15:49
鉄砲伝来・1543年。中学生ですら必須の暗記歴史年号だが、
中学生が覚える必要あるか?
仏教伝来なら、仏教抜きで日本文化は語れないほどだし、それ以降、
仏教関連の重要歴史事項なんて腐るほどある。
しかし、鉄砲は伝来して以降中学の教科書にのるくらいの何か
重要なことをやったのか?具体的に教科書の文面に出てきたか、というと
伝来以降ほったらかし。じゃあ何の為に覚えるのさ?
・・・懸命に考えて出た答えは、「その時代の『南蛮文化との交流』を意識させる
ために、「キリスト教伝来」(&「天正遣欧使節派遣」)と一緒に覚えさせる
・・・かな?誰か真相を教えてくれい!
191日本@名無史さん:02/07/22 16:08
>190

伝統の刀・弓・槍だけだったら、戦国時代を終わらせるのに
あと100年は余分にかかっただらう
192190:02/07/22 16:11
>>191
そんなことが中学の教科書に載ってたか?
どっちかというと鉄砲伝来は文化史の方に取り上げられてたような
気がするぞ?
だから190のような結論に達したのだが
193187:02/07/22 16:40
>>188
ご教授ありがとうございました。
ってか、嘘だったんですか・・。残念です。
194日本@名無史さん:02/07/23 17:03
杉並区に今川という地名がありますが
戦国武将の今川家と何か関係があるのでしょうか。
また、江東区にも毛利という地名がありますけど
これも毛利家と何か関係あるのでしょうか。
195日本@名無史さん:02/07/23 18:27
>>194
杉並区の今川は今川家に由来してます。
今川氏真の建てた寺(名前失念)があって、今川家の菩提寺だったはず。
ついでだが氏真は品川に住んでいて、子孫は品川さんになってるそうです。

江東区毛利については知りません。
196日本@名無史さん:02/07/23 23:46
毛利と関係ある地名は厚木にあるらしいが。
197日本@名無史さん:02/07/23 23:48
今、教育テレビの小和田のおっさんの話を聞いてるヤシっているのかな?
198日本@名無史さん:02/07/23 23:51
>>197
見てもツマランと思うぞ。
ありきたりの説しか言わんし。
199194:02/07/24 00:42
>>195
ありがとうございました。
200日本@名無史さん:02/07/24 01:14
地名の由来が、外国人というのは、東京・八重洲以外にどこかありますか?
201日本@名無史さん:02/07/24 01:49
>>192
正確な年代などちゃんとした資料さえあれば個人が覚える必要はない。
大事なのは前後関係。
1543年単独で覚えても意味はなく1544年以降と1542年以前の出来事を並べたときの
1543年の鉄砲伝来がどうかを考えるだけ。

202日本@名無史さん:02/07/24 18:30
>>200
外国人=西洋人だとすると、三浦安針に由来した地名が横須賀にあったと思う。
人名じゃないけど、ミュージック(のラテン語?)>無鹿 と言う地名が九州にある。
203日本@名無史さん:02/07/24 20:20
ディズニーランドがある駅の舞浜は?

前に、マイアミをモジって舞浜って付けたって聞いた事あるんだけど
204日本@名無史さん:02/07/24 21:23
宮本武蔵の養子の伊織は小笠原藩で筆頭家老になったそうですが、
宮本家はその後も家老職等藩の重鎮として代々続いたのでしょうか?

また、夢想権之助も小笠原藩で禄を食んだと聞きましたが、
彼の子孫はどうなったのでしょうか?
205日本@名無史さん:02/07/25 08:01
>>202
無鹿ですか。ありがとうございます。
三浦安針に由来した場所って、どこなんでしょうか? ちと気になります。

>>203
それは面白い情報ですが、人名でお願いします。
206日本@名無史さん:02/07/25 11:35
>>205
三浦安針のお墓がある安針台のことですね。
最寄駅は京急の安針塚駅。
お墓のあるのは同駅から上り坂を登りきった小山の上で
とても眺めのいいところです。
207日本@名無史さん:02/07/25 19:34
すみません.別のスレに質問を書いてしまいました.
あらためて質問をさせて下さい.


天武天皇の皇位簒奪説を真剣に解説しているサイトかスレないでしょうか?

2ch過去ログ検索したのですが、朝鮮の話に途中から脱線しているものか
荒らされてるモノしかなかったです…
井沢の読んだだけだから、詳しい反論を見たいのですが
208日本@名無史さん:02/07/25 19:50
戊辰戦争の時、官軍の武将がかぶってるライオンのたてがみみたいなのは
何という名前なんですか?
白黒赤の三色あるようですが。
209日本@名無史さん:02/07/25 23:31
>>208
白熊(ハグマ)・黒熊(コグマ)・赤熊(シャグマ)
まとめて「家康に過ぎたるもの」の「唐の頭」のこと。
ヤク(チベットあたりにいる牛みたいなの)の毛でできた兜の飾り。

姉川の合戦で助勢した褒美として、信長がたくさん家康にあげた。
んで高級品だった「唐の頭」をつけた者が変に沢山いる徳川方を見て
武田方が上の有名な文句を言ったとされる。

んで、時はくだって幕末。
江戸城を接収した官軍が、上記のような由来のある「唐の頭」を持ち出した。
だからドラマなんかで鳥羽伏見の時に出てくるのはおかしいらしい。
210日本@名無史さん:02/07/26 19:17
石原莞爾ってなんで満州に進行したの?
211日本@名無史さん:02/07/26 19:18
>210
感じやすい人だったから。
212日本@名無史さん:02/07/26 19:55
親切な人・・・教えてください。

応仁の乱で京都の大原野の寺院は焼き尽くされました。

何故ですか?

東軍又は西軍の支配下にあったから?

それとも誰かをかくまった?

よろしくお願いいたします。
213 :02/07/30 00:51
坂本竜馬展をやってるのは京都のどこでしたっけ?
214日本@名無史さん:02/07/30 12:18
215日本@名無史さん:02/07/30 23:24
とあるスレ読んでて疑問に思ったんですが、戦前の日本は皇国史観だったといいますが
では戦前においては縄文や弥生といった時代については教えていなかったのでしょうか?
もし教えていたのだとしたら、どのように整合性を取っていたのでしょう?
216日本@名無史さん:02/07/31 00:18
>では戦前においては縄文や弥生といった時代については教えていなかったのでしょうか?

教えてないだろ。
217日本@名無史さん:02/07/31 00:45
>216
うーん、しかし「君たちはどう生きるか」という本の中で直接ではないにしろそう
いった時代について言及がなされています。それもたいした説明もなしに。
これはある程度、皇紀以前の時代が有ったということについて知られていたか
らではないでしょうか?
218日本@名無史さん:02/07/31 05:58
元帥ってなんですか?
山県有朋の肩書で、「議政官枢密院議長元帥陸軍大将公爵」とあったんですが、
「陸軍元帥」ではなく「元帥陸軍大将」となっているからには、単純に
大将の上の階級ってわけでもないようなんですが・・・。
219日本@名無史さん:02/07/31 06:37
天皇の軍事上の最高顧問。
陸海軍大将の中から老功卓抜なる者を選ぶとされた。
山県の死後(1922)その権威は低下したといわれる。
官職ではなく称号で終身現役の扱いを受けた。
45年廃止。
220日本@名無史さん:02/07/31 23:45
聖徳太子二王子像
脇に立ってる2人は何者ですか?
どーしても気になるので教えてください。
221日本@名無史さん:02/08/01 01:47
>>220
マッシュとオルテガです。
222日本@名無史さん:02/08/01 02:04
>>217
まあ弥生時代や縄文時代は社会のスタイルの問題だから別にそこに天皇家がいるのは問題ないでしょ。

そりゃ突っ込めば国家の形が出てくるのは弥生時代とかあるけど。
成長しても教育を受ける人は当然歴史の建前と本音を区別するだろうし。

実際、皇国史観って言っても神話とごっちゃにするのはかなりまれな例じゃない。
223日本@名無史さん:02/08/01 02:27
>215
旧制高校(今の大学)以上では教えていたらしい。
帝大などでは、こちら(縄文・弥生)が本当なんだが
教育上は神話のほうを事実として教える、
君たちにはこちらを教える、
研究と教育は別、とかいって教授連中は
(自分自身も)納得させていたらしい。

>220
山背大兄と殖栗
224日本@名無史さん:02/08/01 03:06
>>223
平泉氏などもそういう感じだったのかな?
プロパガンダと史実の区別には自覚的だったのだろうか。
225日本@名無史さん:02/08/01 03:08
>>220
ソクラテスとファルカン。(一人たらねえ…)
226日本@名無史さん:02/08/01 04:54
>>220
ラオウとトキ
227日本@名無史さん:02/08/01 17:49
渋沢栄一の合本主義は、ガッポンですかゴウホンですか?
228日本@名無史さん:02/08/01 18:24
>>227
アイボン
229日本@名無史さん:02/08/04 03:14
あんまり質問に答えてやれないのな。

・・・・・・そりゃ板も荒れるわ。
230日本@名無史さん:02/08/04 03:17
和泉元爾の祖先もダブルブッキング当たり前だったんですか?
231日本@名無史さん:02/08/04 04:01
真面目に答えたものか悩むが、
和泉元彌も祖父まで辿れば野村家から出た人間だ。
232日本@名無史さん:02/08/04 10:51
>>229
確かに世界史版の同類スレに比べると人材の不足を感じる。
自分もなるべく答えるようにしているが、わからん事が多いし力不足を感じるよ。
233日本@名無史さん:02/08/04 12:01
その原因は急に特異になったスレタイトルのせいかも。
234日本@名無史さん:02/08/04 21:31
すみません。
普通日本人は下駄や草履、ふんどしを履きますが、韓国人は履きません。
神社の鳥居のルーツはタイ国やその周辺みたいですが日本にあって朝鮮にはありま
せん。ということはこれらのものは朝鮮を通らずに日本に直接きたものなんでしょうか?
235日本@名無史さん:02/08/05 13:25
肥前名護屋城の「名護屋」という名は、尾張の「名古屋」と関連があるのでしょうか?

詳しい方、教えてください。よろしくお願いします。
236日本@名無史さん:02/08/05 13:30
>>227
渋沢栄一の合本主義は、ガッポンですかゴウホンですか?

がっぽん。
つか、それくらいなら辞書引いた方がはやいぜ。
237日本@名無史さん:02/08/05 16:00
>>235
よく知らないけど関係ないんじゃないの?

名護屋の他にも、日本中同じ地名がある地はたくさんあるけど
ほとんど関係ないし
238日本@名無史さん:02/08/05 16:11
>234
稲、又は、古層文化のルートの問題だろ?
北方、半島系に、したい連中が居る様だが疑問?
239ともチャン:02/08/05 16:15
>>235
名古屋、根小屋、根古谷、これみんな同じ。
山の根にある建物だから「根小屋」。
日本中にある地名。これに適当な漢字が当てられて、
あるいはちょっとなまって「名古屋、名護や、根古谷」とかになった。
240日本@名無史さん:02/08/05 16:55
愛知のも名護屋から名古屋になったのは明治になってから。
241234:02/08/05 19:10
何でも文化は朝鮮から伝わったとする人が多い。
実際、この板にもいるようだし。
でも本当はどうなのか。
朝鮮の古代史研究は日本なみなのか。
朝鮮は古代史があやふやなことを盾にして自ら優位に立とうとしてるのではないか。
そのへんが知りたい。

242日本@名無史さん:02/08/05 21:53
戦国時代の鎧冑をきた武者が下痢とかでうんこしたくなったらどうしてたんですか?
脱ぐの横仰だと思うんですが?
243日本@名無史さん:02/08/05 22:33
>>240
初耳だな。ひょとしてなんかのネタ?
244日本@名無史さん:02/08/05 23:38
江戸時代
将軍から名前をもらう場合
それ以外の一字
たとえば前田光高の高、綱紀の紀は
どのような基準でつけられたのでしょうか。
245日本@名無史さん:02/08/05 23:56
>>243
いや、これで検索した
http://www.google.com/search?num=50&lr=lang_ja&q=名護屋 名古屋 由来 名前

でも240はちょっと違ったな。
明治に統一されるまでは漢字はまちまちだったらしい。
246234:02/08/06 18:45
韓国の古代研究のレベルは高いですか?
韓国では下駄やわらじは発掘されてないのですか?
長江文明、または、越人と倭人の関係はどうなんですか?
だれかオセテ。
247日本@名無史さん:02/08/06 19:16
漫画の日本の歴史では何がいいですか?
248日本@名無史さん:02/08/06 19:25
>>247
好み。

個人的には中公の文庫版コミック。
わりあい詳しいし、文庫だから場所とらないし。
249日本@名無史さん:02/08/07 00:57
古代史で質問なんですが、
「本所」とはなんなのでしょうか?
山川出版社の日本史の用語集では、「領家・本家を問わず実質的に荘園の支配権を持つもの」
とされていますが……

例えば、歴史資料「東寺百合文書」に出て来る肥後国の開発領主、中原高方が脱税目的で
肥後国を統轄支配している太宰府の藤原実政に領家になってもらいますた
それから権利を譲られた「実政」の末流、「願西」が、自分の力が微力なので
より大きな権力をもつ天皇家の「高陽院内親王」に寄進しますた。

実質的トップは本家の「高陽院内親王」な訳ですが、
現地を支配しているのは太宰府(略)の「実政」の末流、「願西」だと思われるのですが
ということは「本所」とは「願西」のことを指すのでしょうか?
それとも、実質的トップの「高陽院内親王」が「本所」なのでしょうか?

詳スィ方、教えてください。
250日本@名無史さん:02/08/07 01:08
所詮日本の歴史なんて中国、朝鮮の付属物みたいなもんだしな
251日本@名無史さん:02/08/07 02:36
世界史版の方が向いてるのかもしれないが、朝鮮のオリジナリティってなんだろう?
中国周辺の他の諸民族と比べてより独自性が高いと言えるのかな。
252日本@名無史さん:02/08/07 02:40
>>251
朝鮮のオリジナリティもありますが周辺諸国へ影響を与える物ではないです。
影響を受けたのは日本国くらいなのでは。
253日本@名無史さん:02/08/07 02:45
>>252
よろしければもう少し具体的に知りたいのですがどうでしょう?
何か良い資料や史書はないですかね。朝鮮史関係は政治的意図の絡むものが多くって…。
実証的な本があれば知りたいです。
254日本@名無史さん:02/08/07 02:53
>>253
サッカーの時に上野国博で展示をしていたのにね。

日本の茶道には影響が大きいと思うよ。
255日本@名無史さん:02/08/07 03:04
>>254
茶道に対する影響って、主に茶器関係ですよね?それなら中国の影響も大きいと思うのですが。
それに茶道そのものにそれほど影響があったのでしょうか?
256235:02/08/07 03:49
>>237>>239>>240>>245

レスどうもありがとうございます。
「根小屋」が元だったんですね。驚きました。
257日本@名無史さん:02/08/07 03:52
>>255
詫び寂びシンプルは中国系ではない感じ。
258日本@名無史さん:02/08/07 06:24
>>257
出来ましたら、”〜感じ”とかいうご意見ではなく、詫び寂びはこれこれこういう
ルーツなんですよ、という点を教えて頂きたいのですが。
259日本@名無史さん:02/08/07 06:29
詫び寂びではなく侘び寂びでした。謝ってどうする。訂正シマス。
260日本@名無史さん:02/08/07 06:52
>>255
儒教思想が入ってるよ。
261ともチャン:02/08/07 08:14
侘び寂びは中国ルーツかもよ。
いわゆる清談的なもんが室町時代に流行して
そこから風流とかそんな感じになっていくわけだが。
この清談というのはまぁ野暮ったいものは嫌いというか、
竹林の七賢なんか見ればわかるだろうけど、
ゴテゴテしくないスカッとしたものを好む傾向がある。
枯山水なんかもそういった方向性だな。
それと禅文化が結びついて侘び寂びにいくのではないかと。
262日本@名無史さん:02/08/07 13:53
>>260
とりわけ儒教的には感じませんがどうなんでしょう。

>>261
確かに清流や禅文化とのかかわりはありそうですね。
室町末期で風流というと東山文化を思い出しますが、足利義政は東山殿でたびたび
茶会を行っていたようですし、この辺とも関係があるのかもしれないですね。


引き続き、>>251>>253に対してのご知見もお待ちしています。
263日本@名無史さん:02/08/07 18:31
房な質問でスマソ。
秀吉はなんで征夷大将軍にならなかったの?

むかーーーーーーし、嘘臭い理由で「信長が源氏で、その後を
継ぐと考えていた秀吉は平氏を名乗った。でも信長が征夷にな
らなかったため、平氏の秀吉は征夷をもらえなかった」という
のを聞きました。
実際、どうしてだったのですか?
264日本@名無史さん:02/08/07 18:39
>>263
足利義昭の養子になろうとして失敗したから。
ならなかったのではなく、なろうとはしたけど、なれなかった。
んで、近衛家(関白に馴れる家柄ね)の養子になって手っ取り早く関白になった。

ところで、信長が源氏と言うのはあんま聞いたこと無いんだが・・
平氏とか藤原とか忌部とかは聞いたことあるが。
265日本@名無史さん:02/08/07 18:43
>>236
信長が名乗ったのは、源氏の足利の次だから平氏。
秀吉は系図の詐称も出来ないほどの低い生まれなのが周囲に知られていたから、
将軍の条件である源氏になれなかった。そこで足利義昭の養子になろうとしたが
拒否されて、結局、公家の筆頭になる事で武士を配下におさめるしかなくなった。

・・・まあ、現在では別の解釈もあるかもしれないが。
266日本@名無史さん:02/08/07 18:43
>>262
ハン板で聞くのがいいんじゃない?
情報の取捨選択さえできれば、あっこ詳しい人おおいでしょ。
267265:02/08/07 18:45
>>265
間違えた。
>>236>>263
268日本@名無史さん:02/08/07 18:50
>264,265
ありがとうございます。
どうにも間違いが多いようでした。

それでなのですが、将軍の条件である源氏……という件
がありますが、いつ頃からその条件になったのでしょうか?
ずいぶん前は皇族などがなっていた気がするのですが。
269265:02/08/07 19:00
>>268
申し訳ない。その事はわからない。
そうだった。鎌倉時代には親王将軍だけでなく藤原将軍もいたんだ。
そうなると近衛家の養子になった秀吉も将軍になれてしまう・・・。
270日本@名無史さん:02/08/07 19:03
>>268
鎌倉時代には宮将軍、摂家将軍なんてのがいますから、室町時代ではないでしょうか。

南北朝で揉めてるあたりで
足利氏が源氏の嫡流に近いと言うことで、将軍=武家の棟梁としての正当性を確保
・・というようなイメージ形成があったのではないかと(大雑把な推測だが・・)
271日本@名無史さん:02/08/07 19:18
秀吉が将軍になろうとするのは全く問題になりません。
形式的に近衛家に養子に入っただけで、関白にすらなれたのですから。
このときも揉めましたが力で押し切りました。
当然ながら公家社会の格としては関白の方が高いわけですし、将軍にならな
かったのは、なる気がなかったからだと思われます。

>>269さんも書かれているように征夷大将軍は源氏以外もなっていますが、戦
国期には家格として頼朝の子孫がなるものという認識があったかもしれません。
それならば、適当な源氏(今川氏なり吉良氏なりたくさんいる)を用意して養子に
なれば済むことです。足利義昭が拒否してもたいした問題じゃありません。
272日本@名無史さん:02/08/07 19:24
>>271
それでは、秀吉が義昭の養子になろうとした・・というのは何故ですか?
273日本@名無史さん:02/08/07 19:49
徳川家康は、家光を三代将軍に指名したわけなんだけど、もとから
決めてたのだろうか。忠長を三代将軍にしてもいいと考えてはいなかったのか。
そのへんを知りたい。
274日本@名無史さん:02/08/07 19:55
>>273
なぜ、あなたがそのような疑問を持つにいたったか。
そのへんを知りたい。
275日本@名無史さん:02/08/07 19:59
>>274
駿河大納言忠長マンセーだから
276271:02/08/07 20:06
>>272
秀吉が義昭の猶子(すいません用語間違いでした)なろうとしたという事実はなかった
という可能性が高いです。
というのも、この猶子問題の初出が林羅山(徳川幕府の儒者)の「豊臣秀吉譜」という
書だからです。
つまり徳川幕府としては武家政権の正統を、「鎌倉幕府->室町幕府->徳川幕府」だと
思わせたい意図があったのではないでしょうか。征夷大将軍になったものが武家の
統領だと。

「多聞院日記」には秀吉に対して将軍職を与えたいとの勅定があったが秀吉が断った
という記事があります。こちらは同時代史料ですので、より信憑性が高いと思われます。

秀吉は将軍職に就くよりも公家社会の官位を極める事で、朝廷の権威を利用したいと
の考えがあったのかもしれません。
277274:02/08/07 20:06
>>275
納得しますた。
ムカーシ、忠長スレあったような気がします。漁ってみては。
278日本@名無史さん:02/08/07 20:10
>>277
さんくす。探してみまする。
279272:02/08/07 20:23
>>276
ソースまで示して頂き、丁寧なレスありがとうございます。
280263:02/08/07 20:32
みなさま、いろいろありがとうございます。
非常に勉強になります。

あともう2点疑問。
徳川幕府のとき、征夷大将軍に就任すると内大臣、従一位、
源氏の長者、淳和奨学両院別当、兼右近衛大将、右馬寮御監
(これで全部?)がオプションでついてきましたが、これは
いつ頃からでしょうか?

征夷大将軍がいないときは、源氏の長者はどうなる(誰がな
る)のでしょうか。
281日本@名無史さん:02/08/07 20:47
そんだけキーワードが揃ってるなら検索すれば良いとと思うのだが。
以下、某所からのコピペ

氏長者と征夷大将軍を兼務したのは足利義満と徳川家康のみでした。義満以降
の足利家は淳和院・奨学院別当となってはいますが、どうも氏長者になってい
るのは足利義持、義教くらいしかいないようです。もっと後になると別当すら
持っていない将軍がいますね。
で、もちろん源頼朝も氏長者になっておりません。

では、氏長者って何かと言いますとね
藤氏長者の場合、氏神、氏寺、大学別曹、氏共有財産の管理、氏爵の推挙がそ
れで、源氏長者の場合、村上源氏の官位第一の者がその任に辺り、実務は藤氏
長者と同じとされています。(足利義満以降、村上源氏が氏長者になるという
ルールはなくなりました)
つまり、軍事には関係せず、本質は源氏内部での優越者に過ぎません。
282日本@名無史さん:02/08/07 21:00
>>266
ハン版はなんかこわいんで…。
もう少し様子みて何もなかったらアプローチしてみようと思います。

というわけで、>>251>>253に対しての情報がありましたら、よろしくお願いします。
283日本@名無史さん:02/08/07 21:03
>>282
板違いなんで、さっさとハン板に逝ってネ!
284日本@名無史さん:02/08/07 21:20
>>283
そですね。やっぱり移ることにしました。
世界史版ですが…。
285日本@名無史さん:02/08/07 23:31
>>276
それと、足利義昭が将軍職を辞退や解任されたとする信頼できる資料がないので
将軍職をめぐって政治的対立をするメリットがなかったのかもしれません。

286日本@名無史さん:02/08/09 13:52
age
287日本@名無史さん:02/08/10 22:45
征夷大将軍や関白、太政大臣になるには
「源氏の一族、藤原の一族」だということが条件になり、
それらの系譜を継いでいない、養子縁組を断られたがためにそれらの職に就けない者もいた、
と聞きましたが、

そのような人たちは当時の日本の最高権力者であったはずです。
なぜ制度自体を(自分でも継げるように)変えたり、
あるいはそれらの上にあたる新しい職を作ったりしなかったのでしょうか?
288日本@名無史さん:02/08/10 23:47
>>287
羽柴秀吉は、関白になるために藤原摂関家の一近衛家の養子になりますが、
当時藤原氏の氏長者であった九条稙通が「藤原として認めん!」と反対。
結局、藤原姓でなくて、全く新たな下賜姓「豊臣」を新設することになる。
これはもう十分ウルトラCでしょう。

289日本@名無史さん:02/08/11 00:00
>>287
その上に天皇っていうのがいて、力がないようでいて、わりと言うこと聞かないんだよ。
今谷明(<いろいろ批判もあるようだが)とか読んでみたら?
290日本@名無史さん:02/08/11 00:20
>287
あんた最高権力者なら何でも出来ると思ってんの
だとしたらあまりに幼稚だよ。歴史を知らなさすぎる。
291日本@名無史さん:02/08/11 00:33
>>287
二極体制だからね。基本的に。
朝廷とは分けて考える必要がある。
征夷大将軍について、ちょっと(ほんとうにちょっとだけでいいから)調べてごらん。
歴史上一番最初に任命されたのは誰なのか。その意図は。
292日本@名無史さん:02/08/11 00:44
>287
あんた最高権力者なら何でも出来ると思ってんの
だとしたらあまりに幼稚だよ。歴史を知らなさすぎる。
293日本@名無史さん:02/08/11 00:46
>>292
その意味を語らない貴方も幼稚です。
294日本@名無史さん:02/08/11 00:57
>293
はあ? わざわざ語る必要があるのか?
常識だろうが。
295日本@名無史さん:02/08/11 01:02
おれは、294の負けだと思うぜ。

でもまぁ、みんな五十歩百歩ってどこだから、
わかんなかったらオレにきけ。
おれは研究とかめちゃしてるから、ちょっと頼りになる。
296日本@名無史さん:02/08/11 01:03
>>295
本能寺スレから出てくるな。
ここをネタスレ化するなよ。
297日本@名無史さん:02/08/11 02:03
荒らしには放置プレー
マゾの彼らにはそれが気持ちいいらしい
298日本@名無史さん:02/08/11 08:05
そんじゃあ、
>>287-300は自作自演ということで(藁

>287
君はいつの日か思い知るだろう。
この国に深く根をとざす、「伝統」という名の怪物のことを。

まあ、征夷大将軍が武士の棟梁と同義語になったのは失敗だと私も思うけど。
源頼朝、おまいは本当にアズマ(奥州藤原氏も夷なのか?)を成敗する気があったのかと小一時間とうぃ(以下略
299日本@名無史さん:02/08/11 12:14
>287
あんた最高権力者なら何でも出来ると思ってんの
だとしたらあまりに幼稚だよ。歴史を知らなさすぎる。
300日本@名無史さん:02/08/11 12:41
しかし日本以外含めても、本当に好き勝手出来た最高権力者っているか?
それに近いのとしてスターリンくらいしか思い浮かばないんだがどうだ?
301日本@名無史さん:02/08/11 13:24
粟田口国綱とか虎徹など、日本にはさまざまに有名な刀剣が残っています。
僕はそれを勉強したいと思っているのですが、どこかにいいサイトはありませんか?
できれば、サイズとか歴史とかわかるとうれしいです。画像なんかがあると、もっとうれしいです。
302日本@名無史さん:02/08/11 13:26
>287
あんた最高権力者なら何でも出来ると思ってんの
だとしたらあまりに幼稚だよ。歴史を知らなさすぎる。
303日本@名無史さん:02/08/11 14:23
>>301
さぁちえんじんの使い方を覚えよう。

>>302
いい加減飽きた。
304日本@名無史さん:02/08/11 15:32
>>301
サイトに頼らず書籍を買ったほうが吉です。例えば…
*『新・日本名刀100選』 佐藤寒山著 秋田書店刊
*『日本刀おもしろ話』『日本刀よもやま話』  福永酔剣著 雄山閣出版刊
初心者でも読みやすい本ですので、ぜひともお買いください。

後は美術館などで実際の刀剣をぜひ見てください。
眼福を養うことが日本刀の愛好には必要です。(刀はスペックで決まるものではない!!)
305日本@名無史さん:02/08/11 17:16
>>303
検索したんですけど、なかなかいいサイトがなかったんです。

>>304
日本刀を愛好するためじゃなく、いろいろと刀を見て、カッコイイなと思った刀の模造刀を買い、全く同じ物を真剣で作ってもらうつもりなんです。
だから、姿形とかが見れれば嬉しいんですけど。
本もいいですけど、近所の本屋に売ってるかどうか、心配です。
あと、「眼福」って日本語がわかりません。すいませんです。
306日本@名無史さん:02/08/11 17:21
>日本刀を愛好するためじゃなく、いろいろと刀を見て、カッコイイなと思った刀の模造刀を買い、全く同じ物を真剣で作ってもらうつもりなんです。

なんに使うの?
307日本@名無史さん:02/08/11 17:24
>>306
持っておきたいってのと、家のガードのためです。
ゴシン(漢字知りません)とかいうやつです。
308日本@名無史さん:02/08/11 17:33
>>307
護身とか眼福を知らない君が刀を持つのは恐ろしいので止めれ。
309日本@名無史さん:02/08/11 17:35
>>308
なぜですか?
日本語をよく知りませんが、持ちたいのです。
お願いします。いいサイトを教えて下さい。
310日本@名無史さん:02/08/11 17:39
311日本@名無史さん:02/08/11 17:39
312日本@名無史さん:02/08/11 17:41
ここの掲示板で訊ねるが良かろう
ttp://www.l-wise.co.jp/sword/auction/
313日本@名無史さん:02/08/11 17:42
>>311
いまいちわからなかったのですが、法律のようですね。
僕には関係のないことです。
僕は、ユタにいますので、日本の法律は関係ないです。
314日本@名無史さん:02/08/11 18:00
315日本@名無史さん:02/08/11 18:18
小説や映像作品では、
「日本刀は芸術品だ」
とか言うやつに限って精神が腐っているような気がします。
316日本@名無史さん:02/08/11 18:21
人切り包丁=刀
317日本@名無史さん:02/08/11 18:29
>>309
だんだんネタに思えてきた…。
本当にユタならIPさらしてみれ。
318日本@名無史さん:02/08/11 19:28
素人な質問で申し訳ないのですが、
一応学校では習ったけど、北陸出身なんですが、同和がどんな差別を受けている
のかが実感としてわかりません・・・西日本だけだそうですが。
本当にただの過去の職業だけなんですか?あと韓国人と天皇とはどうゆう関係が?

関係ないのかもしれないけど、なんでそんなにみんな韓国人嫌いなの?
319日本@名無史さん:02/08/11 19:33
>>318
板違い。
320日本@名無史さん:02/08/11 19:40
幕臣・小栗上野介を処刑したのは官軍の何藩の部隊?
処刑命令を下したのは誰だかわかってるの?
321日本@名無史さん:02/08/12 00:17
>>317
そんな大切なもの、公表するわけないでしょ。
322日本@名無史さん:02/08/12 02:52
>>321
はいネタ決定。
323日本@名無史さん:02/08/12 06:58
>>322
あなたはIPというものがどういうものか、わかってないでしょ?
まぁ、無理に信じなくてもいいですけど。
324日本@名無史さん:02/08/12 07:24
>>323
ここでIPなんか晒せねぇよ。
晒せるのはリモートホストだけだ。知らないのはお前だ。
クラックの心配でもしているのか?
厨は逝け。
325日本@名無史さん:02/08/12 07:47
>>324
出そうと思えば出せれますよ。
326日本@名無史さん:02/08/12 07:49
>>324
それに、
>クラックの心配でもしているのか?
当たり前じゃないですか。
ファイアーウォールも、ノートンも破られた今、信用なんて出来るソフトがないですからね。
327日本@名無史さん:02/08/12 07:52
陽子、寝なさい。
328NateWallce ◆ZM2rWOXw :02/08/12 08:01
とりあえず、どなたか教えて下さい。
質問は>>301に書いてあります。
329日本@名無史さん:02/08/12 08:02
厨房っぷり全開だな。
ノートンは固有名詞だが、ファイアーウォールは違うぞ。
330日本@名無史さん:02/08/12 08:13
同じ物を作ってもらうって……刀鍛冶じゃなきゃ作れないよ。
何言ってんだこいつは……。
青龍刀でも持ってろ。
331NateWallce ◆ZM2rWOXw :02/08/12 08:39
>>330
だから、刀鍛冶はいますって。
日本刀でも、ヴィーキングの刀でも何でも作る人が。
材料も、いろいろと選べるし。
332日本@名無史さん:02/08/12 08:46
>>331
ハァ?
焼き入れできるの?ウソだろう。
模造刀でいいなら売ってる所は沢山あるから適当に探せ。
333NateWallce ◆ZM2rWOXw :02/08/12 08:51
>>332
日本刀の正確な作り方とは違うかもしれませんけど、外見は同じで、切れ味もきちんとあるという刀を作ってくれます。
334日本@名無史さん:02/08/12 08:56
>>333
そんなのをちゃんと作れる人なら刀の種類にも詳しいはずだ。
本人に聞くのが早い。

逆に知らないというなら、
>外見は同じで、切れ味もきちんとあるという刀を作ってくれます。
というのはウソっぱちだな。
お前騙されてるぞ。
335NateWallce ◆ZM2rWOXw :02/08/12 09:12
>>334
種類は沢山知ってると思います。
でも、僕はそれだけじゃなく、歴史も知りたいんです。
その人は、歴史は知らないみたいなので。
嫌な話に出てくる刀は、いくらかっこよくても、使いたくないですからね。
336日本@名無史さん:02/08/12 09:31
>>335
堂々巡りだなあ。
妖子よ、いつまで続けるつもりだ。
つーか俺遊ばれてたな。鬱だ…

もうこれで最後にする。
逸話が知りたいなら304の福永氏の本がおすすめ。
終わり。
337NateWallce ◆ZM2rWOXw :02/08/12 09:41
>>336
妖子ってなんですか?
それにサイトを知りたいんです。
本はどうだっていいんです。
338日本@名無史さん:02/08/12 09:47
>>301-
とりあえず刀剣博物館逝って勉強して来いよ。
眼福なんて言葉も知らないヤツがいきなり刀を蒐集したいなんて
キチ○イに刃物そのままだなゴルァ
339NateWallce ◆ZM2rWOXw :02/08/12 09:49
>>338
だから、難しい日本語を使わないで下さい。
それに、刀剣博物館て、東京がどこかにあるんですよね?
日本に行くお金をプレゼントしてくれるなら、喜んで見に行きます。
340日本@名無史さん:02/08/12 10:09
>>339
何でオマエが日本にくる金を遣らないといけないのさ。
勉強したいって気があるなら当然ユタなんて田舎に引き籠もってないで
日本でちゃんと勉強するだろ。
本や画像でいくらたくさん見ても実物を1つもみてないんじゃあ
そんな知識は俺に言わせりゃクズだね。
百聞は一見に如かずってこれくらいはわかるんだろ?
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刀剣博物館
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>>338×
>>337

344日本@名無史さん:02/08/12 10:45
>>342
相手間違ってるぞ
345日本@名無史さん:02/08/12 10:47
>>343
修正済みだったか。スマソ
346NateWallce ◆ZM2rWOXw :02/08/12 11:41
>>342
ありがとうございました。
さぁ、これで刀を作ってもらって、コヨーテで人斬りの練習をしようっと。
347日本@名無史さん:02/08/12 11:56
>>346
やっとネタ終了か。長かったな
348日本@名無史さん:02/08/12 11:59
ネタ師のレベルが低い(っていうか同一?)から、あんまり面白くならないね。
ループになるばかりで。
349日本@名無史さん:02/08/12 12:53
おい陽子!
ネタ持ってこーいゴルァ
350日本@名無史さん:02/08/12 20:01
すいません、
壁紙にできそうな鳥獣戯画の画像があれば場所を教えて下さい。
351日本@名無史さん:02/08/12 20:58
>287
あんた最高権力者なら何でも出来ると思ってんの
だとしたらあまりに幼稚だよ。歴史を知らなさすぎる。
352日本@名無史さん:02/08/12 21:08
>>351
妖鼓といい、こいつといい、すっかり荒れスレになってしまった…カナスイ
353日本@名無史さん:02/08/12 21:10
>>352
同意。
この類のスレがきちんと機能してると、単発質問スレとか立たないんだけどね・・・・・
354日本@名無史さん:02/08/12 21:13
大学生のおにいさん達が夏休みで実家に帰ってるかからかな。
誰も答えてくれない。
355日本@名無史さん:02/08/12 21:20
356日本@名無史さん:02/08/12 21:23
植民地等あわせて戦前の大日本帝国領が最大の時の地図とか
の資料ありませんか?
書籍でも、web上でもかまいません。大学生で戦前について研究
しています。できるだけ知識がほしいので(日本人の考えなど)
今話題?の竹島等の意見も聞きたく思います。
(日本史板にあえてスレをたてたのは歴史関係に詳しい人が
いると思ったからです)
よろしくお願いします(^^;
357日本@名無史さん:02/08/12 21:29
>>356
それほど苦労しなくとも手に入る資料をここで請求すると・・・。
358日本@名無史さん:02/08/12 21:37
>>357
別にイチャモンつけるような質問じゃないと思うが。
わかるなら答えてやれよ。わからんなら黙ってるといいぞ。
359日本@名無史さん:02/08/12 21:55
>>356
「竹島は日本固有の領土である」と、昭和天皇が言ってたが、俺も激しく同意。
360日本@名無史さん:02/08/12 22:17
>>356
目的に合う資料が欲しいだけなら、図書館や文書館、公文書館に質問して
みたらいかがでしょう。
ああいうところはレファレンスも業務の一つですから、目的がはっきり
しているなら、できるだけその目的に合致する資料を探してくれると思います。
(博物館や資料館でもいいかもしれないですが、展示業務が主であまり
レファレンスをしてくれない所もありますから・・・)
361360:02/08/12 22:20
付け足し
ネットで質問するのも便利でいいですが、学生ならばせっかくの夏休みが
あることですし、そういう機関へ問い合わせして尋ねてみるだけでも
勉強する方法の勉強(わかるかな?)になっていいと思います。
362日本@名無史さん:02/08/12 22:29
>>350
本物の資料の画像でしょうか?
そういう画像はまずネットで公開しないと思います。

鳥獣戯画チックな壁紙をお探しなら、googleで「鳥獣戯画 壁紙」
とキーワードを入れて探せば出てきますよ。
363日本@名無史さん:02/08/12 22:29
>>359
ソースキボンヌ
俺の記憶ではそんな発言はないと思う…
364日本@名無史さん:02/08/12 22:33
>>363
竹島問題が浮上したときに陛下が、「竹島に蘇鉄はないのか? あれは日本固有の植物である」と言い、確認したところ、蘇鉄が確認された。ソースは・・・ちょっと探してくる。
365日本@名無史さん:02/08/12 22:41
>>363
ごめん。俺の勘違いだった。竹島じゃなく、尖閣諸島問題についてのときだった。
366日本@名無史さん:02/08/13 00:07
みなもと太郎氏は信じてヨイですか???
367日本@名無史さん:02/08/13 03:53
>>340
Hush!! Japanese baby
368T部長:02/08/13 03:59
>>367

×(バツ) つまらん
369日本@名無史さん:02/08/13 04:47
>>368
つまらない?
意味わかってる?
370日本@名無史さん:02/08/13 04:51
>>367
ニッポンのアホがナニほざいてるんじゃーこりゃー!
371日本@名無史さん:02/08/13 09:12
>>367
何でコイツはいきなり黙れとか言ってんだ?
>>340って正論だよなぁ。
372Nate Wallce ◆ZM2rWOXw :02/08/13 10:10
>>370>>371
Hush!! Jap!!
373日本@名無史さん:02/08/13 10:43
もう飽きたよ。
毛唐だってのもネタだし。
お前のネタはつまらんのよ。
374日本@名無史さん:02/08/13 11:50
陽ー子ー!!!!!
早くーイイネタ持ってこーい!!!
糞のようなネタ死しかいねぇから
スレが腐りそうだー!!!
375日本@名無史さん:02/08/13 12:26
>>374
ようこ(=373=◆ZM2rWOXw)、ヒマなら一度病院に行ってはどうか。
メンヘル版で良いところを紹介してもらえると思う。
通院中ならスマソ。早くよくなるといいな。
応援してるぞ。
376Nate Wallce ◆ZM2rWOXw :02/08/13 13:56
僕の父親も、母親も日本人です。
377日本@名無史さん:02/08/13 14:15
今、徳島で阿波踊り祭りやっとるのだが、祭り前にかつての殿様に参加者がお参りしていたのね。
で、その殿様の名前は「蜂須賀」と言っていたんだが、この蜂須賀は秀吉の部下だった
蜂須賀正勝の子孫なんでしょうか?それとも本人?
378日本@名無史さん:02/08/13 14:42
>>377
その人が子孫かどうかは知らないが、徳島の阿波藩主の蜂須賀氏は
蜂須賀小六正勝の子孫です。
379日本@名無史さん:02/08/13 14:49
>>378
情報サンクス。そうか、蜂須賀さんは阿波の殿様か。
380日本@名無史さん:02/08/13 14:49
>>377
多分本人だす。
蜂須賀正勝は四国長宗我部氏を降した際に阿波一国を受けましたが、
子家政がこれを継ぎ自身は隠居してます。
正勝は隠居料五千石を与えられ、大坂城内に仕候していたそうです。
ただ、徳島の興源寺にも蜂須賀家累代の墓があるそうなので
一緒に祭られているのではないかと。
381日本@名無史さん:02/08/13 14:57
>>380
さらに詳しい情報サンクス。尾張の土豪が阿波の殿様か・・・人生はわからんな〜。
382日本@名無史さん:02/08/13 17:36
>>381
まめちしきー!

オーストラリア大使館は、蜂須賀屋敷。
383日本@名無史さん:02/08/14 18:19
土豪だか山賊だか。

明治時代、貴族の晩餐会でお皿をもって帰ろうとした蜂須賀の殿様に
むかって明治天皇が
「さすが蜂須賀小六の子孫」と言ったとか。。。
384日本@名無史さん:02/08/14 18:39
年末時代劇人気ランキング
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385日本@名無史さん:02/08/14 18:45
>>383
お皿ではなく煙草だったと記憶してます。
明治天皇との懇談中、陛下が席を外したときに目の前にあった皇室専用の
煙草を吸ってみたら素晴らしく美味かったので、一握りポケットに忍ばせた
そうな。
戻ってきてそれに気づいた陛下が冗談っぽく、「先祖の血は争えんなあ」と
言ったとか。
386日本@名無史さん:02/08/14 19:10
>>383
>>385
ただ、作り話だったらしいがね。
387385:02/08/14 19:21
>>386
そうそう、真偽不明なんだよね。
俺は確か司馬遼太郎で読んだんだが、出典はなんなのだろうか。
388日本@名無史さん:02/08/15 03:40
三笠宮は双子だそうですが、皇族で残ってるのは兄ですか? それとも、弟ですか?
そして、そのもう一人は、どこに行ったんですか?
389日本@名無史さん:02/08/15 04:49
>>388
双子のもう一人は女。

390日本@名無史さん:02/08/15 06:13
>>390
そのお方はどこに行かれたんですか?
また、その理由はなぜですか?
系図にも書かれてないようですが。
391日本@名無史さん:02/08/15 08:53
朝鮮出兵は秀吉の私戦だったのでしょうか?
それとも、帝からちゃんと綸旨やらを受けていたのでしょうか?
392日本@名無史さん:02/08/15 10:09
>>391
少々自信がないのでより詳しい方の回答を待つ間の刺身のつまだとでも思ってください。

受けていないようです。
この時期は秀吉自身が朝廷と一体化しているので必要なかったのではないでしょうか。
朝鮮との交渉も秀吉の名前で行っていますし。
393日本@名無史さん:02/08/15 16:06
正直、田沼意次って頭良いと思うんですが、、
394日本@名無史さん:02/08/15 17:24
ちょっと教えて下さい。戦時期の「報国ブーム」の
一部で、「温泉報国」ってのがあると思うんですが、
その分野の著名な研究者とかって知りませんか?
あまり文献探しても出てこないんですが…。
研究されてないのかな?
395日本@名無史さん:02/08/15 17:40
age
396日本@名無史さん:02/08/15 17:40
397日本@名無史さん:02/08/15 18:08
戦前の情報統制って具体的にいつ頃から始まったんですか?
398妹尾河童:02/08/15 18:19
>>397
開戦と同時に、新聞の天気予報がなくなった。
399@docomo:02/08/15 18:42
>>396
椎名氏って研究テーマは原爆関係だよね。温泉報国の文献はないかな?
花巻温泉か・・・。笠井雅直さんも同じ感じで論文書いてたな。
400日本@名無史さん:02/08/15 18:44
400
401日本@名無史さん:02/08/15 18:46
>>399
知らない。カキコを見てから、すぐに検索して出てきたところのURLをコピペしただけだから。
402日本@名無史さん:02/08/15 18:47
>>401
まあそれだけマイナーな研究テーマってことで。
403日本@名無史さん:02/08/16 03:59
>>390
寺に預けられたとか。
また隠された理由は当時、双子は畜生腹と言って忌み嫌われためだとか。
畜生腹というのは動物が同時多産が多いことかららしいが。

404日本@名無史さん:02/08/16 06:03
>>390&403
デムパの影響が強いな、気をつけないとダメだよ。
405日本@名無史さん:02/08/16 10:55
>>404
でも、宮内庁もほとんど認めてるじゃん。
406日本@名無史さん:02/08/16 10:59
黒田官兵衛の軍師説は否定されていますが、彼は実際秀吉配下では何の職に
ついていたのですか?
407日本@名無史さん:02/08/16 11:32
>>406
そも、「職」という認識があの時代に希薄。
408日本@名無史さん:02/08/16 14:53
>>406
織田家時代の話をされていると思いますが、まず官兵衛は秀吉の部下では
ありません。彼も秀吉も信長配下の同格の部将です。
ただ中国攻めは秀吉に任されていたので、信長から与力として付けられた
官兵衛は秀吉の指示に従って行動していますが、別に何らかの職について
いる訳ではありません。
官兵衛は有能な人物として信長からも秀吉からも信をおかれていたので、何
かにつけ相談を受けたりしたでしょう。
その辺から軍師話が出てきたのかもしれませんね。
409日本@名無史さん:02/08/16 15:23
ちなみに軍師という言葉が日本で使われるようになったのは三国志演義
の影響です。
そして三国志演義が日本で普及するのは江戸期以降なので、もし「軍師」
などという用語を使用している戦国期史料があったとしたなら、それは眉唾
ものである可能性が高いです。
410名無しさん:02/08/17 01:21
「軍監」が正しいの?
411日本@名無史さん:02/08/17 10:18
>>410
軍師=軍監じゃないっす。

軍監はしばしば見られるけど、軍師なんて役職がある軍隊なんてある…???
412:02/08/17 10:30
古代の名族・ふんや氏には表記が2つあり、
綿麻呂のように「文室」と書かれる場合と
康秀のように「文屋」と書かれる場合とが
ありますが……この2つのふんや氏はどう
違うのですか?
413日本@名無史さん:02/08/18 23:37
age
414日本@名無史さん:02/08/19 14:54
なぜ安土「桃山」時代なのでしょうか。
何故に大坂じゃないのでしょう?
漢字表記が現在と当時の大阪では違うからややこしい、とか?
実際の政務は伏見で執ってたから、とか?
秀吉死後、家康が伏見で事実上政権を握ってた時期も含まれるから?
415日本@名無史さん:02/08/19 15:12
>>414
脇田修先生なんかは安土大坂時代と呼ぶように主張してますね。
どういう経緯で桃山になったのかはわかりませんが…。
416日本@名無史さん:02/08/19 17:14
江戸時代の農家の嫁・姑関係や女性の生き方はどんなものだったのでしょうか?
みなさんの意見を参考にしたいです。
417日本@名無史さん:02/08/19 17:51
質問1:江戸時代に一番足が速かった人は誰ですか?
質問2:縄文時代には、人々はどのような言葉を使ってたのですか?
質問3:「ミス江戸」は誰だったのですか?
418日本@名無史さん:02/08/19 17:56
>>414
秀吉が晩年をすごしたのが主に伏見だったからです。
桃山というのは伏見城跡のこと。伏見城は徳川時代に破却されました。
桃を植えたから桃山と呼ばれるようになりました。
何故桃かというと、桃には霊を鎮魂するみたいな意味があるそうです。
419日本@名無史さん:02/08/19 18:12
伏見以外にも,桃を植えた例がいくつかあるよね.
政治的敗者の記憶が残る土地に多いようだ.
ひとびとに怨みを忘れさせる効能が桃にはあるのかなあ.
420日本@名無史さん:02/08/19 20:40
>>417
1と2はわからん(2は推測できる資料はないだろう)ので3だけ。
おそらくほとんどの人が「笠森お仙」を挙げると思う。
笠森お仙は 江戸谷中の感応寺の南西隅(西黒門際)にあった笠森稲荷横の水茶屋
「鍵屋」で働いてました。
鈴木春信により錦絵に描かれたのがきっかけで評判になり、
「鍵屋」は押すな押すなの大繁盛だったそうで。
18歳で幕府旗本の倉地家に輿入れしたそうです。

鈴木春信の錦絵
ttp://www.cc9.ne.jp/~fuji/kakejiku/syasin1.files/image002.jpg
421日本@名無史さん:02/08/19 22:27
>>420
おお。レスサンクス。
検索して、「キセルを持った青年に、茶を出す「お仙」の図」ってのを見てみたが、
なんか愛想の悪そうなお顔(失礼!)ですね。江戸時代は、今の美人と言われてる
女性の条件である、「二重で目がクリっとしてる」という条件はなかったんでしょうか。
よく見る浮世絵とかも、目は細長で、顔は長い感じの女性が多く「美人」として描かれて
ますが。たとえば、松嶋菜々子に瓜二つの女性が江戸時代にいたと仮定して、その女性は
江戸の男たちに振り向かれなかったのかなぁ。
422420:02/08/19 22:55
>>421
美人の条件なんてその時々で変わるので、そうかもしれませんね。
古来から日本で美人の条件のひとつとされた顔は「瓜実顔」。
色白でふっくらした、少し面長な顔が美人とされてきました。
平安時代ではウエーブヘアーは醜女の代表だし。
423日本@名無史さん:02/08/19 23:24
>>422
じゃぁ、光源氏は今の有名人でいうと誰あたりをイメージして書かれたのだろうか。
キムタクみたいではなかったとは思うけど。
424420:02/08/19 23:43
>>423
よく「平安貴族は柔らかい食べ物ばかり食べていたので顔がほっそりしていた」
といわれます。
いわゆる「しょうゆ顔」ですね。
今の有名人ね…う〜ん。中村橋之助とか中井貴一か?
425日本@名無史さん:02/08/20 00:52
>>424
源氏物語絵巻とか見ると、かつてのタケシ軍団のグレート義太夫とか、
最近だと「三平です」の三平を白塗りした感じじゃない。
当時の美男子の条件て、下膨れてプックリしてることでしょ。
426日本@名無史さん:02/08/20 15:25
「延政」という元号を知っていますか?

ttp://www5.ocn.ne.jp/~sai-1/jiin/jk040.htm

このお寺の縁起に出てくるのですが…
427日本@名無史さん:02/08/20 16:00
>>425
そうそう。
美男子だからこそ、金太郎が今でも伝えられてるんだよ。
もちろん、当時のね。
428日本@名無史さん:02/08/20 16:15
>>427
確かにしもぶくれではあるのですが、坂田金時はどちらかと言えば武者系、体は筋肉質。

そこいくと、源氏のきみはやんごとなくみごとなまでに運動不足。
体までムチムチ系だったでしょう。現代人からするとかなりキモい。でも、平安の女たちからすれば、それがまたたまらない感触で、...(以下自粛
429日本@名無史さん:02/08/20 16:17
源義経は、使用してた鎧から、体は小さくてしかも猫背だったのがわかったと、
どこかで聞いたが、本当なのでしょうか?
430日本@名無史さん:02/08/20 16:25
肖像画という絵を見ると、正に猫背で小男。とてももてそうにない風体ですね。
奥州藤原氏という金に糸目をつけない強力なパトロンがいたので、金に物を言わせていたということでしょうか。
431日本@名無史さん:02/08/20 16:27
猫背がわかったというのは、聞いた話によると(確証はない)、鎧の背中の
部分が緩めてあったからだとか。マジなんかな〜。
432日本@名無史さん:02/08/20 16:28
>>426
1793年は、寛政5年ですね。
433日本@名無史さん:02/08/21 00:55
平安時代の女は、総デブ専か。
当時の常識なんだけど、今から考えると、キモイな。
434日本@名無史さん:02/08/21 01:58
>>433
前近代社会では、どこの国でも恰幅の良いのがいい男だって共通点があるように思う。
太れるのは豊かさのあらわれって事だろう。
435日本@名無史さん:02/08/21 15:29
>>432
つまり「延政」は間違いということですか?

あるいは同時期に別の元号が存在したとか。
436日本@名無史さん:02/08/21 16:56
>>433
でも、枕草子には男の人は「若い内は細めの方がいい」と書いてるようですよ。
437日本@名無史さん:02/08/21 16:59
いま話題になってる狂言の和泉宗家について。
なんでも、伊勢神宮の奉納狂言は和泉宗家に限るという300年前?の古文書が
みつかって・・・というようなことが言われてるんですが
どこが所蔵している史料なのか、ご存じのかたいらっしゃいませんか?
438日本@名無史さん:02/08/21 17:02
「若き人、ちごどもなどは、肥えたる、よし」
でなくて?
439日本@名無史さん:02/08/21 17:51
>>436
その細めの基準が問題。
象より豚の方が細めだよな。
440日本@名無史さん:02/08/21 20:10
時代劇で公家の入った風呂の湯を飲むと縁起がいいって言って飲んでたんですが
実際こういう話はあったんですか?
441日本@名無史さん:02/08/21 22:42
>>440
あったらしい。
昭和頃でも皇室の人が利用した風呂などを、ありがたくもらっていく人がいたようなので。
442日本@名無史さん:02/08/22 00:38
>>438
あれ?「漫画で読む古典」でそう言ってたような気がするんだけど・・・
太ってると眠そうに見えるとか・・・
違ってるのかな
443日本@名無史さん:02/08/22 10:48
この部分だね。

雑色、随身は、すこしやせて細やかなる。よき男も、なほ若きほどは、さる方なるぞ、よき。いたく肥えたるは、寝ねぶたからむと見ゆ。
444卒論かかなきゃ。:02/08/22 16:17
自分が研究してる、または研究しているやつ知ってるぜ
っていうマイナーな歴史の分野教えてください。
445日本@名無史さん:02/08/22 16:19
君の専門って何史なの??
446日本@名無史さん:02/08/22 16:21
つ・り・し
447日本@名無史さん :02/08/22 16:28




次のスレタイには質問って文字入れろ
                   検索し難い










448卒論かかなきゃ。:02/08/22 16:30
なんか漠然としてまだわかんないんだけど、
近代日本の観光史とかおもろしろそうかなっと・・・。
449日本@名無史さん:02/08/22 16:58
450日本@名無史さん:02/08/22 17:54
↑↑↑↑
なかなかおもろいっす。
451すみません:02/08/22 19:04
日本の成り立ちに興味があって
岡田英弘「倭国」を買って読んだのですが

この解釈はほぼ妥当なものと捉えてよいのでしょうか?
大陸・半島の変遷も含め説得力があるように感じたのですが
452日本@名無史さん:02/08/22 20:01
すんません、質問させて下さい。

小藩の藩士の子孫のことを調べようと
思って、その藩の、藩士墓地へ行って来ました。

お目当ての墓はありました。

しかし ----

「○○家の墓」

という情報以外何も記されていないのです。

・埋葬されている人物の名、没年
・家紋
・戒名

等、何1つありませんでした。

おそらくこれは藩士の子孫の墓で、
昭和期頃に建てられたものだと思うのですが、
墓がこのような形式になっているのは、
何か理由のあることなのでしょうか。

宜しくお願い致します。
453日本@名無史さん:02/08/22 20:49
>>451
いやあ岡田氏の本、面白いよね。折れも一時はまりましたわ。
ただし、氏の主張は独自のものにも関わらず、出典や論拠が示されていないため
氏の妄想と考えるのが自然なようです。残念。
454>>451:02/08/22 22:31
ありがとうございます
なるほど、一般的には「異説」なんですね

実は中央公論社の昭和40年の「日本の歴史1神話から歴史へ」
(井上光貞著)がたまたま実家にあって読んだのですが
いま一つはっきりしなくて....
まあ神代のころの話ですし。

どうもありがとうございました。

455日本@名無史さん:02/08/22 22:40
>>454
まあ氏の本は”見てきた”かのように明快だもんね。
でも実際は史料も何もない時代の話なんで、はっきりわかる方がおかしいんです。
とはいえ現代は考古学的物証もどんどん増えていることだし、いずれ解りやすく語
られるようになるでしょう。
気長につき合いましょ。
456日本@名無史さん:02/08/22 22:46
>>452
その墓に墓誌はないんだな、墓石の横とか裏にもなにも書かれていないんだな。

そのお墓の付近に同姓のお墓はありませんでしたか?家族の者だけが誰の墓か
知っていればいいわけですから、基本的に墓は個人的なものですから。
457日本@名無史さん:02/08/22 22:47
>>454
講談社「日本の歴史」の2巻や3巻なんかは、最近の古代史の成果をうまく
取り上げているので、入門編にいいんじゃないかな。
どちらも今一番活きのいい学者さんが書いてるし面白いよ。
458>>451:02/08/22 22:55
ご丁寧にありがとうございます。
講談社「日本の歴史」は今度の土日に買って読んでみます。

重ね重ねありがとうございました。
459452:02/08/22 23:13
>>456

はい、墓石の横、裏には、何も書かれていませんでした。

周囲に同姓の墓はありませんでした。

基本的に江戸時代くらいからの藩士の墓ですので、
同じ一族の墓は、ひとまとまりに寄り添うように
集まっているのですが、
今、話題にしている墓は、
ぽつんと1つだけでした。

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461  :02/08/22 23:25

あのー、すみません。
魚を、日本刀だけで、触らずに捌く神事のような行事を、
テレビで見た覚えがあるのですが、何処の神社のなんと言う行事か、
知ってる人は居ますか?


462日本@名無史さん:02/08/22 23:38
>>461
包丁式という行事ですね。伊勢神宮その他いろいろなところで
行われています。
463日本の人口の:02/08/23 00:38
変遷にとても興味があります。
歴史上のさまざまな事象と密接に関係するようで。

明治初期が3300万超、江戸初期が2800万くらいだと思うのですが
正確な調査は江戸中期くらいからと聞いてます。

例えば7世紀くらいから江戸初期まで、日本の推定人口の推移をまとめた
良著・サイト・論文などはあるのでしょうか?

門外漢なので、もしガイシュツでしたらすみません。
よろしくお願いいたします。
464日本@名無史さん:02/08/23 01:45
>>463
鬼頭宏氏の研究が著名だと思います。
手に入りやすい所では「人口から読む日本の歴史」(講談社学術文庫)なんか
どうでしょうか。

私も素人なので他にも良い研究があるなら知りたいですが。
465日本@名無史さん:02/08/23 01:52
>>459
同じ一族の墓があるのであれば、家族の人達は誰の墓かを知っています。
研究したいのであればお寺さんを通して紹介して貰うしかない。
466ありがとうございました:02/08/23 02:10
「鬼頭宏」でいくつも検索できました。
「人口から読む日本の歴史」(講談社学術文庫)
の他にも
 速水融・鬼頭宏・友部謙一 2001 
『歴史人口学のフロンティア』東洋経済新報社
もおもしろそうです。
いくつか買って読んでみます。
467普段は世界史@名無史:02/08/23 03:46
友人と「江戸時代」の幕府の政策、
特に経済&農業政策に儒学・儒教の影響のあるなしに付いて議論をしたのですが、
結局双方決定打が出ませんでした。
そこで日本史板の皆さんにお聞きしたいのですが、
「江戸時代、幕府の政策に儒学・儒教の影響の有無」に付いてご教授願います。
抽象的で申し訳ないのですが、誰か教えて下さい。
468日本@名無史さん:02/08/23 04:06
>>467
煽りが来るレス入れるよ。

徳川政権は中央集権国家ではない。

日本人は神教・仏教を信心していたが基本は儒教的な人々だ。

儒教に近い考え方のキリスト教に宗旨換えするのは楽だった。

儒教から朱子学そして水戸学へと進んだ。

絶対主義者を尊ぶ思想に・・・。

あぁ天皇絶対になっちまう。
469468:02/08/23 04:09
>>468
>儒教に近い考え方のキリスト教に宗旨換えするのは楽だった。
人達も多かった。だ!
470普段は世界@名無史:02/08/23 04:25
>>468
レスありがとうございます。
幕藩体制と言う言葉の通り、徳川政権が中央集権ではなかった事は理解しているつもりです。
また、
儒教>朱子学>尊皇攘夷
へ移行したのも理解出来ます。
ですが、日本でキリスト教が流行ったとは寡聞にして知らないのですが、
もしかして西欧式と言う意味でしょうか?

因みに私は儒教の影響があった派でした。
例えば、印旛沼開拓と言った過度の農業重視、
また幕府(政府)だけではなく、一般市民にまで質素倹約を強要した経済統制政策、
この辺などは儒教の影響のように思えるのですが・・・
471468:02/08/23 04:51
>>470
俺もよう知らん、なんか昨日協会の図書館で暇つぶししていて見付けたんだ。
金山開発地や干拓地に隠れキリシタンが多いという説。というか彼らが日本の技術を育てた?
だから言って見たのよ。深い意味はない。
472普段は世界@名無史:02/08/23 05:33
>>471
なるほど!
確かに戦国期から江戸初期にかけて鉱山などに欧州式を取り入れて、
生産量を飛躍的に伸ばしたって話は良く聞きます。
確か大久保長安もキリシタンでしたよね?

……あれ?
儒教の話が何故にキリスト教に・・・しまった Σ( ̄□ ̄;)!!
473461:02/08/23 08:59
>>462
有難うございました。
検索しても見つからなかったので、助かりました
474日本@名無史さん:02/08/23 10:34
日本の首都は、正式にはまだ「京都」だって話を聞いたことがあります。
明治維新のときに、遷都の詔が出ておらず、天皇が単に「江戸」へ移られた
だけだから…ということなんですが。
実質的に「東京」が首都であることは事実なんですが、その辺、詳しい方が
いらっしゃったら、お教え下さい。
475日本@名無史さん:02/08/23 11:44
>>474
「遷都」ではなく「奠都」の形がとられたんじゃなかったかな?
476日本@名無史さん:02/08/23 11:47
桂小五郎と桂太郎ってなんか関係あるんですか?
毛利の重臣に桂というのがいましたが、それの一族なんでしょうか?
それから、桂小五郎はなぜ姓を木戸に改めたのでしょうか?
477日本@名無史さん:02/08/23 13:00
>>475
即レスありがとうございます。
で、すいませんがその意味も教えて下さい。
478日本@名無史さん:02/08/23 13:08
>>476
桂太郎はドイツ留学中に、73年の岩倉使節に随行していた木戸
と出会ったそうだよ。帰国後、木戸の推薦で陸軍に入隊したとか。
木戸は桂家の養子だよね。
479 :02/08/23 16:33

あのー、すみません。
法隆寺の落書きについて詳しい方、居ますか?
たしか、チンコの落書きとかあったはずです。
できれば説明と画像が両方あるWebページや、本を教えて下さい。

あ、修学旅行のガキが悪戯したやつじゃないです。念のため。
おねがいします。
480日本@名無史さん:02/08/23 18:45
>>477
う〜ん…実は私もよく知らないんだよね。
遷都したら京が怒っちゃうから、天皇が東京に巡幸して
そのまま居座ってるって感じかな?
ごめんなさい、わからん!!!
どなたかお助けレスを…。
481日本@名無史さん:02/08/23 21:45
なんか奠都とかいう言葉があったよな。
意味はよく知らないけど。
482日本@名無史さん:02/08/23 23:01
せんと 【遷都】
(名)スル
都を他の地へうつすこと。みやこうつり。

てんと 【▼奠都】
(名)スル
都を定めること。都を建設すること。


483日本@名無史さん:02/08/24 13:21
>>474
ちょっと法律のことになるから、板違いでスマンけど一言。
法律上、日本の首都〔東京〕を明記した法律はないんだよ。
それを利用(?)して、(似非)右翼連中は「皇都は京都である」と主張しているわけ。
ところが、首都機能に関する法律などは、〔首都・東京〕を前提に作られている。
そういった矛盾が生じてるわけだよ。日本にはよくあることだよ。

>>476
確か、どちらの桂家も、桂元澄から出てたと思う。
前スレか前々スレに俺の答えがあるから、それを読んでね。
484日本@名無史さん:02/08/24 17:19
真田幸村って子供いたの?
485日本@名無史さん:02/08/24 17:46
486日本@名無史さん:02/08/24 17:55
>>485
ありがとう
487日本@名無史さん:02/08/24 19:03
>>484
真田幸村の子孫のサイト
ttp://www1.odn.ne.jp/~cah49810/papa/sub1.htm
488日本@名無史さん:02/08/24 19:33
>>484
真田大介。
489日本@名無史さん:02/08/24 22:11
>487
仙台の犬となりはてた幸村後裔(w
490日本@名無史さん:02/08/24 23:19
>>489
犬だって。下らんバカがいるもんだ。
491日本@名無史さん:02/08/24 23:27
>>489
えたいの知れない虫が血統書付きの犬を笑ってる。
492日本@名無史さん:02/08/25 00:08
血統書付きって・・・
普通、ワンコロには血統書くらい付いてるだろ、まともなとこで買えば。
493pt:02/08/25 00:14
家名存続したもん勝ち! 
長宗我部みたいに滅んでは元も子もないし
494日本@名無史さん:02/08/25 03:50
>>492
犬の血統書は、金で買える。
というより、あれは買うものだな。
495日本@名無史さん:02/08/25 04:01
>>493
長宗我部家は、滅んでないよ。
子孫はまだいるし。ちなみに、場所は教えないけど、某神社にいるよ。
496日本@名無史さん:02/08/25 04:50
>>487
URLすぐ晒すのやめろよ。ここ前から知ってるが管理人まじめな人なんだぞ。
>>489みたいなのが脊髄反射してるし。
497日本@名無史さん:02/08/25 07:00
>496
2ちゃんで今更何言ってやがる(w
498日本@名無史さん:02/08/25 14:19
>>496
おまえバカか?
ホームページは人に見てもらうために作ってんだろうが
499474:02/08/26 12:15
>>480〜483
レス有り難うございます。
>>482さんの引用された意味からすると、今まであった都を移すのじゃなくって、
「今までのは無し!新たに一から造るんだzoー!」って感じですね。
500500ゲッター:02/08/26 12:43
500番ゲットだ
ばんざーい、ばんざーい
501日本@名無史さん:02/08/26 16:06
502日本@名無史さん:02/08/26 18:15
>>501
誰?
503日本@名無史さん:02/08/26 23:46
幕末の頃には、天誅が流行ったそうですが、その亡骸の処理はどうしていたんですか?
504日本@名無史さん:02/08/26 23:51
防人ってなんだったんですか。
行ったのは九州? 朝鮮?
何しに行ったんですか?
505日本@名無史さん:02/08/26 23:55
>>503
現代と同じです、検視後に葬式しました。
506山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/26 23:57
時代別京都の人口  世界最大都市の人口
弥生           ローマ   100万
飛鳥           長安    100万
平安  30万     バグダッド 200万
鎌倉  30万     杭州    150万
室町 100万     カイロ    150万
江戸  50万     江戸    100万?
明治  50万     ロンドン   600万
平成 150万     東京    3500万
某板に貼られていたものですが、実際の数字を教えて下さい。戦国時代の山
口の人口が40万人だったという説を信じている人が貼ったのですが、本当
のところはどうなのかについても。
507日本@名無史さん:02/08/26 23:58
>>504
日本史の教科書を読みなさい。
508日本@名無史さん:02/08/27 00:04
>>507
日本史の教科書の何ページですか。
509日本@名無史さん:02/08/27 00:12
>>506
周防山口は大内義隆の根拠地で、当時「西の京都」と呼ばれ
『大内文化』を花開かせた場所です。
どうやってはじき出した数字かは知りませんが、根拠のない数字だとは思いませんよ?
510日本@名無史さん:02/08/27 00:13
日本史の教科書を読みなさい。
511山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/27 00:16
>509
それにしても多すぎて常軌を逸していませんか?
512日本@名無史さん:02/08/27 00:20
夷守って何ですか?
513日本@名無史さん:02/08/27 00:21
>>509
俺も40万は多すぎると思うが。今のところ根拠となる資料はないが。
調べてみようっと。

俺も大内氏の経済的・文化的重要性は重々認めるけどね。
514日本@名無史さん:02/08/27 00:34
日本史の教科書を読みなさい。
515日本@名無史さん:02/08/27 00:51
506
東京は3500万もいないだろう。
516日本@名無史さん:02/08/27 01:04
日本史の教科書を読みなさい。
517日本@名無史さん:02/08/27 01:07
東京23区は平成3年で800万6千人。
東京都でも1100〜1300万くらいだったとおもふ。

山口はザビエルだか風呂椅子だかの記録に戸数が出てたとおもふ。
細かいことは忘れたが、それから推定すると3万〜4万くらいだったような。
もっと少なかったかもしれん。
518日本@名無史さん:02/08/27 02:21
>>505
埋葬する場所は、特別にあるんですか?
それこそ、脱藩浪人だと氏素性もわからず、無縁仏になるんじゃないですか?
そういった場合、どこか決まった(埋葬する)場所ってのがあるんですか?
519日本@名無史さん:02/08/27 02:28
>>518
天誅の被害者はむしろ素性がはっきりしている人間がおおいよ。
もともと幕府方の人間だし。

素性がはっきりしないのは天誅をしてたほう。
520日本@名無史さん:02/08/27 04:05
>>519
天誅じゃないや。
新撰組とかが斬ってた、不逞の浪人とやらは、そこの藩の者に引き取らせに呼んだりしたんですか?
それとも、新撰組で勝手に埋葬したんですか?
521山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/27 08:15
>513,517
有難う御座いました!&しばらく来れないのでもし次の教えて下さったとしてもな
かなか御礼を申し上げられません。
522日本@名無史さん:02/08/27 17:12
戦間期の地方の政治・経済や地方振興論について調べたい
なんて思ってんですが、なんかいい文献とか史料の所在
について知ってる人がいたら教えてくださいませんか?
523日本@名無史さん:02/08/27 17:20
横レス
山口「県」なら周防・長門で30万石=30万人ってことで
40万人でもおかしくはない
524日本@名無史さん:02/08/27 17:58
age
525日本@名無史さん:02/08/27 23:22
この板で訊いて良いものかどうか、しばし悩んだんですが。

筑摩書房の『現代日本思想体系』(65年頃)シリーズの月報に橋川文三が「思想のドラマ」と題して連載してるようなのですが、それをまとめたものって出版されてるのでしょうか?
橋川の著作のどれかに入ってるんでしょうか?
ご存知の方いらしたら、ご教示下さい。
526日本@名無史さん:02/08/28 01:23
>522
卒論かなにか?
もう少し具体的に言ってくれないとなんとも答えにくいけど。
『内務省史』あたりから手つけてみれば?
527日本@名無史さん:02/08/28 02:28
幕末の京都の街の様子を実況レポートしてください。
528日本@名無史さん:02/08/28 02:33
日本史の教科書を読みなさい。
529日本史@名無史さん:02/08/28 02:34
維新志士が佐幕派を切りまくって打てます
530日本@名無史さん:02/08/28 02:49
維新志士や新撰組が京都をうろついてた時は、街の人は知らんぷり、見て見ぬ
振りをしてたのでしょうか?
531日本史@名無史さん:02/08/28 02:52
自分に難が及ばぬ限り見物しておりました 
532日本@名無史さん:02/08/28 02:53
>>530
とりあえず言うが、新撰組は警察と同じようなものだ。
533日本史@名無史さん:02/08/28 02:54
所司代はまったく機能してませんからね
534日本@名無史さん:02/08/28 02:59
>532
警察と同じように、庶民の味方としての信頼を新撰組は得ていたのだろうか?
庶民の中だって、倒幕と佐幕に分かれてたんじゃないだろうか?
だから、新撰組を敵と見る庶民も少なくはなかっただろう。
535日本@名無史さん:02/08/28 03:01
新撰組や維新志士が京都の夜をうろついてた時、庶民の夜の営みの安全は
確保されてたのでしょうか?
536世界史@名無史さん:02/08/28 03:03
壬生狼って呼び名は信頼得てるとは思えないな
>>534
537日本@名無史さん:02/08/28 03:04
>>535
障害があるほど萌えるものだよ(トオイメ
538日本史@名無史さん:02/08/28 03:05
尊王攘夷派は強盗と紙一重っぽいぞ
539日本@名無史さん:02/08/28 03:11
池田屋事件で維新が一年遅れたというのは定説のようですが、
その理由を説明できるやつは説明してください
540日本@名無史さん:02/08/28 03:12
>>530
能力のある奴が死んだから。
541日本@名無史さん:02/08/28 03:15
>>540
わかった!
542日本@名無史さん:02/08/28 03:16
>>539

そんなの定説でも何でもないよ。
時代小説の話。
543日本@名無史さん:02/08/28 03:18
>>542
なんと申すか!
544日本@名無史さん:02/08/28 03:18
>>540>>530>>539ね。
545日本史@名無史さん:02/08/28 03:18
小説…
546日本@名無史さん:02/08/28 03:20
ああ、池田屋事件で1年維新が遅れたよ。そりゃ本当だよ。
小説じゃないよ。
547日本史@名無史さん:02/08/28 03:23
やはり維新の原動力たる人材が多数失われたからか?
548日本@名無史さん:02/08/28 03:24
>>542はそのうち、「池田屋事件のルーツは我が国にある」とか言いそう。
549日本@名無史さん:02/08/28 03:25
でもなんで、江戸時代の人たちは、現代人と比べて、髪形が高度(レベル)だったんだろう。
現代人の髪形のほうが自然じゃない?変に手を加えないで、普通に伸ばせば現代人の髪型に
なったろうに。
550日本@名無史さん:02/08/28 03:26
維新の原動力たる人材って誰よ?あんま有名じゃなくない?>池田屋事件で死んだ人
有名になる前に新撰組にやられたってことなのか。芽を摘まれたタイプ?
551日本@名無史さん:02/08/28 03:30
>>550
殺されたメンバーが生きてたらどうなったかは知らんが、あれがきっかけで維新で遅くなったのは確かだな。
あのように派手に動けば、また被害が出、どうしても慎重にならざるを得なくなり、そのために遅くなったと思う。
552日本@名無史さん:02/08/28 03:34
>>551

そうか・・なるへそ。
それはそれとして、俺は維新を遅らせた最大事件は安政の大獄だと思う。
アレが無ければ、「慶応」の元号はなかったくらいだと思う。
553日本@名無史さん:02/08/28 03:39
ホントに歴史小説好きが多いな。
司馬遼太郎が死んで残念だったな。
554日本@名無史さん:02/08/28 03:43
俺は司馬は読まん。池波を読む。
555日本@名無史さん:02/08/28 03:45
俺は小説は読まん。歴史雑誌をよく読む。
556日本史@名無史さん:02/08/28 03:45
日本史板だからなw
557日本@名無史さん:02/08/28 03:47
俺がタイムマシーンを作るから待っててくれ諸君。
558日本@名無史さん:02/08/28 03:48
>>554
池波も死んで残念だったな

>>555
歴史読本か歴史街道か?
559日本@名無史さん:02/08/28 03:50
日本人なのだから、日本史を知らねば話にならないと思うので俺は日本史を
勉強した。しかし、アメリカの州立大学に留学する直前に、日本人として
世界史を知らねばなるまいと思い立ち、世界史を学んだ。
そんなこんなで今の俺は、日本史板と世界史板を行き来する人になりました。
560日本@名無史さん:02/08/28 03:50
>>557
マジレスすると、君が生まれる以前には行けない。

>>558
俺がファンになった時には、もうすでにお亡くなりになっておりました。
561555:02/08/28 03:51
>>558
なぜわかった?それに図書館にある雑誌も読むぞよ。
562日本@名無史さん:02/08/28 03:53
>君が生まれる以前には行けない。
宇宙の収縮し始めれば行けるようになるのだ。
563日本@名無史さん:02/08/28 03:55
で、いつ収縮するの?
564日本@名無史さん:02/08/28 03:59
>>562

来年ぐらいか?
565日本@名無史さん:02/08/28 03:59
>563
レスストッパーだな、おまえ。
566日本@名無史さん:02/08/28 04:00
>>565
答えられなくなったための逃げ口上ですか?
567日本@名無史さん:02/08/28 04:01
>>564
今、世界の頭脳がそれについてかんげーてるから待っとくこと。
568日本@名無史さん:02/08/28 04:02
>>566
それは宇宙の難問・奇問・珍問・珍プレーのカテゴリーだから、
回答は珍答になる。
569日本@名無史さん:02/08/28 12:15


屋代俊幸って何のために生きてるの?
他人と協調しないで、生きてなんになるの?
友達も恋人も作らないで幸せなの?
日本史も幕末も新選組もぜんぶ素人丸出しの宗教じゃん。
君はなにが趣味なの?
なんのために生きてるの?
生きる価値がないなら死んだ方がいいよ。
みんな喜ぶよ、まじで。

天性のトラブルメーカー。主に新選組関係スレッドへの狂信的妄想行動
過去、現実社会でも数々のトラブルは記憶に新しい
トラブルを注意され、反論すら出来なかった相手への中傷発言に終始する。

一方的な主張と反論できなくなると無視や逆切れをすることにより、
参加したありとあらゆる歴史研究サークルで問題を起こし追放もされている。
現実社会での活動は難しいと見るや、2チャンネルなど匿名で書き込みできる
BBSにて無ハンドル(名無しさん)で暴れ、
自分の名に傷をつけないようにするという手法をとるようになった。
一旦はおとなしく息を潜めるも、思い出したように活動する
異常なまでの執念深さを見せつけ、web板で偽造IP情報収集する
「屋代俊幸」の姿は、それを見た住人達を大いに戦慄せしめた。
自分はさんざんやってるくせに「自作自演」「妄想」が口癖。

とにかくDQNなので日本語自体がまず意味不明で、
我々日本人の常識やモラルが全く通用しない。
自分の意見が一番と思い込み、他の価値観を決して認めずに攻撃し、
妄想の入った極めて自己中心的な論理に終止する。
必ず特定個人を貶めることに終始、実際の評判に関してはもの凄く曖昧で、
いい加減な文章を書いておきがら、読み手がそれを指摘したり反論すると、
その全ての人を「○○の関係者か?」と決め付け、
後はそこから話が全く進まない。2chにおいて多くの方が
また、自分にも当てはまることでも、自分のことは棚に上げて他人の文句を言う。
場を変えてもハンドルを変えても同じトラブルを繰り返す。
なんともたちの悪いネットワーカーである。
570日本@名無史さん:02/08/29 00:58
>>569
アフォ
571日本@名無史さん:02/08/29 21:21
>>549
人が異性の気を引く工夫を怠らないのは、どんな時代でも変わらない。
何でも機能性を重視した方が格好良く見える現代の方が、歴史的に見れば異端。
572もおすぐ学校だー:02/08/29 21:31
秀吉を筑前守と言うのは筑前の守護だったからなんでしょうか?
光秀は播磨守でしたっけ?
播磨って秀吉の領地じゃありませんでしたっけ?
頭ゴチャゴチャです(ToT)
教えて下さい。
573日本@名無史さん:02/08/29 22:23
光秀は日向守だろ
574日本@名無史さん:02/08/30 00:35
>>572
信長がこれから攻め取りたいところキボンヌとうことで
領地でも何でもないところを名乗らせたわけだ。
>>羽柴筑前守、明智日向守
575日本@名無史さん:02/08/30 00:51
>>572
戦国時代には実際の所領と〜守の名乗りとはほとんど関係ないです。
この時期の織田家家臣の名乗りは一応朝廷から許可もらって名乗って
いるのだけどね。
576574:02/08/30 01:54
>>575
どの領国を選んだのかという部分で、
天下統一の最終段階としての、九州攻めの意志はありありでしょ。
577日本@名無史さん:02/08/30 02:13
>>576
ん?
それはその通りだけど、実際その時に持っていた所領とは関係ないでしょ。
578574:02/08/30 02:34
要するに、
(1)自分の領土に関係なく、他人の領土だろうと関係なく官職名を名乗る
(2)他人の領土を侵略する意図を持って、その行為が正当化され、
   有利に運ぶように、他人の領土の守護などの官職を得て名乗る。
上記の2つは性格の異なる行為だが、
当時、戦国期に官職名というのが非常に軽々しく扱われた時期、
多くの者は(1)を行ったわけだが、
信長が行ったのはむしろ(2)であった。

と、以上のようなことが言いたいわけです。ご理解いただけたでしょうか。
579日本@名無史さん:02/08/30 07:03
前スレとかで詳しく解説していると思いますが、いわゆる養老律令によって定められている官職を、朝廷から貰っている場合は「官名」、自分で勝手に名乗っている場合は「受領名」といって区別します。
ちなみに「守護職」は室町幕府から貰うものなので、例えば「筑前守」と「筑前国守護」は全然違う役職です。

上洛以後の信長と秀吉、大内義隆などは、朝廷からわざわざ官位を貰って家臣に配るという変った趣味があったため、
その系統の大名の官位(羽柴筑前、徳川内府、石田治部少輔など)は正式な「官名」ですが、それ以外(高坂弾正、武田典厩、上泉伊勢守など)は「受領名」と考えてもかまわないはずです。
580日本@名無史さん:02/08/30 07:27
91 名前: 蘊蓄魔人(日本中世史) 投稿日: 2001/06/01(金) 16:22

>>82
日本や中国では、本名のことを「忌み名(諱名)」といって、他人から呼ばれることが不吉だと言われていました。
そこで「○兵衛」「○衛門」「○○守」などの古代官名を勝手に私称したり、雅号や入道号を名乗って出来るだけ本名を呼ばれなくても済むようにしたのです。
今でも他人を呼ぶときは、名前より苗字、苗字より職名(部長、先生など)を使おうとしますよね? あれはこの時代の名残なんです。
581もおすぐ学校だー(572):02/08/30 07:49
教えてくれたみなさんありがとうございました。
播磨守×
日向守○
間違えてました(^。 ^;)
筑前守と筑前国守護とは別物だったのですね。
思惑めいた?受領名と言うのも戦国時代の面白い所なんですね。
近くの図書館にある本にはこういった事は載ってなくて
モヤモヤしてたんですが、なんとなくすっきりしました。
前スレもよく見てみます。
過去にあった内容なのに、教えてくれたみなさん
本当にありがとうございました。
582日本@名無史さん:02/08/30 08:38
>579
じゃぁ、大石「内蔵助」も受領名っすか?
583日本@名無史さん:02/08/30 09:04
上泉伊勢守は最初武蔵守を自称、上洛したときに伊勢守を
正式に与えられたんじゃなかったっけ?デムパだったらスマソ。
584通りすがりの無職:02/08/30 09:28

エド時代には正式に拝命してたのではないかと・・・。
585日本@名無史さん:02/08/30 12:05
>>579
前スレが見られませんが…。

>前スレとかで詳しく解説していると思いますが、いわゆる養老律令に
>よって定められている官職を、朝廷から貰っている場合は「官名」、自
>分で勝手に名乗っている場合は「受領名」といって区別します。
これおかしいと思いますが…。
受領名って〜守などの称号そのものの事で、朝廷から貰おうが自ら名乗
ろうが関係ないと思います。
更に官名というのも官制による職名の事ですから、同上でしょう。

それから579さん(または前スレで書き込んだ人)は受領というのを勘違い
しているのでは?
本来は守または権守(どちらも存在しない国の場合は介)などを指す言葉
で、広義に捉えても地方官に対して用いるものです。
内府・弾正・治部・典厩は地方官ではないので受領ではなく、受領官とは
呼びません。
586日本@名無史さん:02/08/30 14:35
受領名とは585が書いているのように地方官である国司が名乗る守や権守のことです。
赴任した地方官の最高位にものが受領といわれます。だから目代や介もその可能性がありますね。
「受領は倒れるところに土をもつかめ」でいわれる受領の名称ですから。

で治部大輔や左馬助、中納言など中央での役職は官途名といいます。

でそれらの名前で中国の職制に当てはめてあちらの名称が別称として使われるのが唐名です。
典厩は左馬助、黄門は中納言、宰相は参議、のそれぞれの唐名。というように

それで朝廷の官職である上記の名前を全てひっくるめて官名といいます。

それで自称だから受領名であるというわけではありませんが
応仁の乱以降、幕府によって禁止されていた直奏(直接、朝廷に官職を求めること)と自称が横行し
戦国時代では自称が普通という形になったようです。
587日本@名無史さん:02/08/30 14:56
>>579
こういうもっともらしく間違った文章書かれるのが一番困るぞ。
588日本@名無史さん:02/08/31 03:05
ソースを忘れてしまったのですが…。
自称と思われてる官職名、受領名なども実は朝廷から貰っている可能性があるら
しいです。
例えば織田信長は一時期弾正忠を名乗っていて、しばしば自称だと言われますが、
朝廷とのやり取りでも用いており、正式な物らしいとか。
もちろん正式といっても、お金を弾めば結構簡単に貰えたようなので、乱発していた
のでしょう。

また私称のケースも、自称の他に守護などから貰ったり先祖が正式に貰っていたの
を子孫が受け継いだり色々あったようです。
そういうのは主にローカル限定で使用していたようです。

589日本@名無史さん:02/08/31 17:23
>>588
弾正忠は上洛後に貰ったものだが、その前の上総介は自称だったはず。
590日本@名無史さん:02/09/01 04:09
>>574
>信長がこれから攻め取りたいところキボンヌとうことで
>領地でも何でもないところを名乗らせたわけだ。
惟任日向守光秀は、朝廷から拝領したんだが。
591574:02/09/01 07:24
うん、この時期に信長が配下の武将に与えている官職は
朝廷から正式に拝領しているものと、信長が勝手に与えている
ものが半々くらいかな。
筑前守も朝廷拝領の正式なものだね。誤解を招く表現に陳謝し
ましょう。ペコ。
592日本@名無史さん:02/09/01 07:38
総ては夢、幻でござる。
593日本@名無史さん:02/09/01 10:05
朝倉氏は守護代を務める名家でだった言ってる人がよくいるんですが
本当に守護代だったんですか?
594日本@名無史さん:02/09/01 15:22
>>593
それは間違いないと思うよ。名家かどうか知らんけど。
確か朝倉家と甲斐家、あともう一家が守護代格の家で、朝倉孝景は
応仁の乱当時の守護代。越前の兵を率いて暴れまわったので、うざがった東軍が
越前守護職をえさに寝返らせた。
595日本@名無史さん:02/09/01 18:28
>>593
朝倉氏が初めて守護代になったのは応仁の乱の活躍で有名な孝景の時なの
で、それほど古いわけではないです。
ただ皇孫でもあり、源平期にも活動が知られていて、室町時代全般を通じて越
前で大きな勢力を誇っていたので、まあ名家と言っていいんじゃないでしょうか。
596日本@名無史さん:02/09/02 05:17
>>592
名言。
597日本@名無史さん:02/09/02 21:52
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=05622043
この本を去年の夏祭りで10円で買ったのですが、この板的に評価はどうなのでしょうか?
598日本@名無史さん:02/09/03 00:12
江戸時代の旗本はかなり生活が苦しかったと聞きます。
財政難の原因は、たくさんの家来を養わなければならなかったためらしいですが、
そんな逼迫した家に雇われていた下級武士や従者たちの生活が気になります。
本当に中間たちの中には時代劇のように賭場を開いたりする者もいたのでしょうか?
小身の旗本に雇われていた、おとな侍や若党は二本差しだったのでしょうか?
いくらぐらい給金をもらっていたのでしょうか?
自分の部屋は持っていたのでしょうか?
結婚はできたのでしょうか?
599日本@名無史さん:02/09/03 00:14
本能寺の変って秀吉がめっちゃくさいんですが?
どの道光秀がやってなくても、秀吉がやっているように思うんですが
600日本@名無史さん:02/09/03 01:05
>599
こっちを読んでごらん。
本能寺の変、信長暗殺は家臣の謀議によるもの?
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1025475477/l50
601日本@名無史さん:02/09/03 20:20
徳川家光、忠長兄弟についてお伺いしたいのですが。
彼等に関する評伝、歴史小説を読むと、

家光=「名君。徳川幕府の基盤を仕上げた。」or「暗愚。家臣の支えが無ければ将軍職は勤まらなかった。」
忠長=「優秀な人。兄に憎まれて気の毒」or「狂気の人。甘やかされて思い上がっていた。」

と、いう風に評価が分かれているのですが、なぜでしょうか?
今現在の歴史学ではどのような見方が一般的なのでしょうか。ちょっと混乱しております。
602日本@名無史さん:02/09/03 20:38
あのー、平安時代のことなんですが。
殿上人たちは清涼殿のどのあたりまで入って良かったのでしょうか?
殿上の間の他、後宮には行けたみたいですが、東側の孫庇なんかにも入れたのでしょうか?
それとも、人(位階)によったのですか?
603日本@名無史さん:02/09/03 22:07
ポルトガルにライオンはいますか?
604日本@名無史さん:02/09/03 22:42
戦国時代、なぜ堺は『堺』になれたのでしょうか?
昔から不思議でしようがありません。どなたかご存じの方、
教えてください。

1)そんなに良港(←地形的に)とも思えないのに、
  なぜ港町が発展したのだろう?
2)東南アジア、中国、朝鮮貿易に向いた港は、他にもいくらでも
  あっただろうと思えるのに、なぜ堺がトップになれたのだろう?
  (京都との位置関係では、摂津の灘地方などの方が、便利だろうに?)
  (淀川の水運との関係では、現在の大阪付近の方が便利だろうに?)
3)細川氏、三好氏などなど、内紛が絶えない諸勢力の支配下にあり、
  戦乱が絶えない畿内で、なんで堺が発展出来たのだろう?
  もっと政治的に安定した地域にある港町がいくらでもあったろうに?

などなど、なぜあの場所に国際貿易港が栄えたのか、不思議です。
専門の方にとっては、おかしな疑問かも知れませんが、宜しくご教授下さい。
605電波@名無史さん :02/09/03 23:21
>>604
やはり三好氏の存在が大きいと思われ
あと根来衆、雑賀衆などが求めた硝石供給中継地というのも大きな要因かと。
それゆえ、秀吉が石田三成を堺奉行に任命して堺の自治権を剥奪して根来衆や雑賀衆の
鉄砲と言う武器を使用させなくしたとか。

あ、睡魔たっぷりの電波なので本気にしないでくらはいね。
606日本@名無史さん:02/09/03 23:25
>>605
堺が発展するのってもっと前じゃないの?
607 ◆607getSs :02/09/04 06:54
age
608日本@名無史さん:02/09/04 21:05
時代劇で江戸時代の殿様とかが病気の時
「赤い鉢巻」を左側に結んでるシーンを多く見るんですが
これってホントでしょうか?
また、現実ならどんな理由があるんでしょうか?
教えてください
609日本@名無史さん:02/09/05 05:39
堺は実は発展してなかったんだよ
610日本@名無史さん:02/09/05 11:43
>608
あれは、「赤い鉢巻」ではなくて「紫」だとおもうけど。
紫は色としては最上級で、穢れを祓うと信じられていたから。
611日本@名無史さん:02/09/05 12:13
ドォーモ打ち切れ !
612日本@名無史さん:02/09/06 21:50
赤穂義士全員の生年月日と、禄高を知りたいんですが、いいサイトはありませんか?
あと、最初に仇討をすると決まったときの、他のメンバーなど野も知りたいです。
お願いします。
613日本@名無史さん:02/09/07 01:58
>>612
ほとんどの生年月日は不明と思われ。

>>604
旧国名図とかを眺めると、摂津国の国境線が途中まで淀川に沿っているのに、現在の大阪市を包括するようにぽこっと出っ張っているのがわかる。
この部分は淀川の堆積物から成っていて、要するに平安時代くらいまでは海だった。
石山本願寺が出来た頃でも大坂一帯は各地に湖沼が点在する湿地帯で(信長が攻めあぐねた理由のひとつでもある)、産物の輸送に適した場所ではなかったと思われる。
大坂の土地が乾いて、堺より京に近い商業都市の風格を醸すのは、秀吉が淀川の改修工事を行ってからのことである。
614612:02/09/07 04:07
>>613
ならば、石高はいかがにございますか?
615日本@名無史さん:02/09/07 04:54
貿易でぼろ儲けしてたでござるぞ
>>609
616日本@名無史さん:02/09/07 06:49
>>615
実は赤字だったんだよ。不況とデフレの波は堺にも押し寄せ、堺商人達は
日々値下げ競争に明け暮れておりました。で、赤字を補填するために
二束三文の茶碗に高値をつける手法を編み出したわけ。
617日本@名無史さん:02/09/07 15:43
>>614
ttp://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi11.html
「赤穂 禄高」でググったら一発で出た。
>>612は精進するよーに。
618質問です。:02/09/07 16:58
レポートがでたんですが全く答えが分かりません。
1.「寺内」の形成と戦後法の世界について書け。
2.加賀一向一揆と地域の平和について書け。
って問題です。
619612:02/09/07 17:54
>>617
ははぁ〜。
有難き幸せにございます。
620612:02/09/07 18:29
ところで、サイトの方を見たんですが、最初は200人ぐらいいたんですよね。
それ以外の方の苗字、禄高、役回り、生年などはわかりませぬか?
621日本@名無史さん:02/09/07 21:21
>>620
そりゃ足軽陪臣含めて五百余名いたとかいうから・・・
詳しく調べようと思ったら郷土資料館とかに逝くしかないと思うが、そもそもそんなもん何に使うのか?
マイナーな人物を使うほどいい歴史小説だとかいう考え方はおぢさん感心せんぞ。
622日本@名無史さん:02/09/08 16:31
江戸時代、幕藩にあったのは徴税権? 地代、警護サービス代金債権(&取立権)?
(武士は朝廷の徴税請負人? 不輸地の所有者? でも開発新田には・・)

あと、天皇(朝廷)の徴税権はどうなってたの?
(律令制ではすべて国有地だったのに・・いつのまに・・。
総じて、朝廷の法制はどこまで生きてたのか・・)

・・お答えださい。
623日本@名無史さん:02/09/08 16:36
墾田永年私財法って習わなかった?
624日本@名無史さん:02/09/08 17:17
622 です。(レス有り難う!)
墾田永年私財法では開墾地を私有できる(500町〜庶人10町の限度)
だけで、必ずしも免税ではなかったみたいです。
だから、不輸・不入の権のある有力者に寄進したみたいです。
(役人のピンハネより、免税地の管理人になって
管理料をもらったほうがうまみがあった??)

あと、新規に私有地ができただけで、元の国有地はどうしちゃったのかなと・・
(レスみて思ったけど、幕府や大名が不輸・不入の権のある有力者の子孫を
名乗ったかも・・でも武士でない有力者の子孫は??)
625日本@名無史さん:02/09/08 17:36
>>624
中世の戦乱と在地勢力の横領で事実上公有地に対する朝廷の支配権は失われ
名目的には秀吉の時代に消滅。
626日本@名無史さん:02/09/08 17:37
>>620
不忠臣蔵という本を誰かが書いていたから調べてみたら。
627日本@名無史さん:02/09/08 19:23
不忠臣蔵は井上ひさしだよ
628日本@名無史さん:02/09/08 19:31
江戸時代の米屋ってなぜ免許がいるんですか 米屋にはどういう出自の人がなったのですか
629612:02/09/09 00:43
>>626>>627
情報サンクス。早速買ってきま〜す。でも、まだまだ読めない(涙)
630日本@名無史さん:02/09/09 01:22
>>629
井上ひさしの本だからね、資料性は無いよパロディだからな。
631日本@名無史さん:02/09/09 01:25
>>630
要するに
Don't buy it! ってことだな。>>629
早まるなよー。
632612:02/09/09 02:29
>>630>>631
ゲッ!! マジっすか?
よかった、夜中で。
633日本@名無史さん:02/09/09 02:34
634日本@名無史さん:02/09/09 02:38
>>633
氏んでくれ(怒

まあ、ひっかかった俺もあほだが
635日本@名無史さん:02/09/09 02:49
>>633
ブラクラ貼ってなにが楽しいのか聞いて見たいよ。
636日本@名無史さん:02/09/09 12:05
でも井上って半端じゃない読書家だぜ。文庫で買うくらいの価値あり。
参考文献とか載ってないかな。
637日本@名無史さん:02/09/09 12:10
まあ、本屋でちょっと立ち読みしてから決めりゃいいだろ。
本人の趣味もあるし。
638日本@名無史さん:02/09/09 13:05
資料的価値がないから買う意味がないというのも変だと思うが。
きっかけをつかむ意味でもl読む意味はあると思うぞ。
それを盲信しなけりゃいいだけで。
639日本@名無史さん:02/09/09 13:18
本人が決めりゃいいじゃん。以上。終了。
640612:02/09/09 14:06
なんか、僕が言い出したことでもめてるみたいですね。
ごめんなさい。>>639さんの言うとおり、最初の2行だけ読んで、買うかどうか決めてみますね。

それと、もう一つ質問です。
日本軍で、開発されたにもかかわらず、実戦投入されなかった兵器について勉強したいんですが、どこかいいサイトとか、本とかありますか?
641名無し三等兵:02/09/09 15:54
>>640
「日本の秘密兵器 海軍編」「日本の秘密兵器 陸軍編」小橋 良夫著 学研M文庫
「幻の秘密兵器」木俣滋郎著 光人社NF文庫
がすぐに手に入る本としては良いですね。
マニアックなところで 「グランドパワー2000年11月号別冊 日本軍秘密兵器」デルタ出版
などもあります。
642日本@名無史さん:02/09/09 16:01
遠藤盛遠(後の文覚)が殺した袈裟御前の夫、源渡はその後どの様な一生をたどったのですか?
643612:02/09/09 16:56
>>641
おお、情報ありがとうございます。
やっぱり学研か光人社なんですね。
644日本@名無史さん:02/09/09 19:10
>>628
初耳です。
札差とか株仲間の免許くらいしかなかったと思いますが・・・。
645日本@名無史さん:02/09/09 20:15
誰か>>598にも答えてやってくれ。
俺も気になってたまらんのよ。
646日本@名無史さん:02/09/09 22:49
>>645
じゃ解る部分だけ。
武士の暮らし振りを書いた書籍の基になっているのは大抵が寒河正親『子孫鑑』。
そこに出てくる三百石取りの家計の内訳。
おとな侍一人女房扶持共七両。
若党四人十二両。
647日本@名無史さん:02/09/09 23:26
キーンの明治天皇と
ビッグスの昭和天皇読んだ厨ですが、
今の天皇さんの家系って、直接血筋だけを上に
たどっていくと、どこまで行くの?天智天皇とかまでさかのぼっちゃうの?
それともどこかで途切れるのかしら・・・
648日本@名無史さん:02/09/09 23:29
>647
キーンは所詮亜米利加DQN帝国の臣民。
649日本@名無史さん:02/09/10 00:43
>>647
とりあえず、継体までは系図上は確実にさかのぼれる
650日本@名無史さん:02/09/10 02:11
>>598

図書館に行って、
「国史大辞典」(吉川弘文館)を見る。
旗本、譜代、武家奉公人、人宿などの項目をひく。
参考文献も出てる。



旗本財政の研究論文もかなりあるよ。
651日本@名無史さん:02/09/10 03:14
>>642
渡辺党として頑張りました。
渡辺惣官をめぐる遠藤氏との争いは
子孫の代まで続きました。
652日本@名無史さん:02/09/10 12:28
>>598>>645
>江戸時代の旗本はかなり生活が苦しかったと聞きます。
>財政難の原因は、たくさんの家来を養わなければならなかったためらしいですが、
基本的に違います。旗本に限らず、当時の武士の給料には昇給がありません。
物価はあがっても、給料が変わらないので貧乏になるのです。

>本当に中間たちの中には時代劇のように賭場を開いたりする者もいたのでしょうか?
いました。そもそも江戸も後期になると、雇われのわたり中間がほとんどですから。

>小身の旗本に雇われていた、おとな侍や若党は二本差しだったのでしょうか?
若党や侍は、一応武士です。
でも、去年までA家にいた中間が、今はB家の用人になっている、
なんていうこともあるようなので、そこはいい加減です。

>いくらぐらい給金をもらっていたのでしょうか?
決まってはいません。当然ながらそれぞれの家の事情によります。

>自分の部屋は持っていたのでしょうか?
これも一概には言えません。

>結婚はできたのでしょうか?
もちろんできます。通いの用人なんていうのもいましたし。
653日本@名無史さん:02/09/11 00:14
皆様御教授お願いします。
日米修好通商条約は井伊直弼が朝廷の許可を得ないで結んだというのは
有名ですが、日米和親条約も朝廷の許可を得ないで結んだのですか?
色々探しているのですがズバリ書かれているものがなくて困っています。
654598:02/09/11 02:34
たくさんのお答えをありがとうございました。
おかげさまで疑問が消えてすっきりしました。
お答えいただいた参考文献も探して読んでみます。
655598:02/09/11 02:36
皆様ありがとうございました。
656日本@名無史さん:02/09/11 04:27
>>598>>654>>655
大きな図書館に行くと
「旗本人名辞典」(正確な書名忘れた)という4分冊ぐらいの本がある。
それの解説(解題)が、旗本についてはかなり詳しく書いてある。
657日本@名無史さん:02/09/11 15:54
幕府がつぶれた時、朝臣になった(復古記なんかにズラリ載ってる)連中は
その後、どうなったの?
明治政府が何か官職をあてがったのか?
その後がわかる史料はあるのだろうか?
658日本@名無史さん :02/09/11 16:08
織田無道は3代将軍家光の血を引いているのですか?

 ソース http://www.shipss.com/odamudo/kakeizu.htm
659日本@名無史さん:02/09/11 16:14
>658
過去レス、過去スレともにこの話題は出すぎ。
660日本@名無史さん:02/09/11 18:26
>>653
江戸時代通じて外交条約に調停の許可なんて要らなかったんだから、
>日米修好通商条約は井伊直弼が朝廷の許可を得ないで結んだというのは
なんて、反井伊派が難癖つけただけ・・・とか言ってみる。
661日本@名無史さん:02/09/11 19:08
切腹についてなんですが、その作法というのはどういうものだったのでしょうか?
女性や幼い者の切腹の時は作法にも違いがあったのでしょうか。
お答えいただけると幸いです。
662日本@名無史さん:02/09/11 23:21
>>660
教えて下さり有り難うございます。
663日本@名無史さん:02/09/12 01:07
>>647
誰が継いでも万世一系になるんじゃない
平清盛が継いでも正盛〜貞盛〜高望〜桓武天皇で万世一系
足利尊氏が継いでも義氏〜義国〜義家〜経基〜清和天皇で万世一系
あやしいアズマ人が継いでも〜〜〜〜〜〜○×天皇で万世一系
664日本@名無史さん:02/09/12 01:12
質問です。
戦前・戦中・戦後で結構裕福な暮らし・特別食べ物に困らない生活を
していた人達、もしくはそういう地域等の記述がある本をご存じないでしょうか?
国全体で見たらはダメージがでかくても案外食べ物や住む所に
困らなかった人達もいたはずです。実際、戦中体験で
「草の根やバッタを食う程じゃなかった。TVで言う程ひどくもなかった」
という話も聞いたことがありますし、平成大不況と呼ばれる現在でも
まったく困ってない人達もいる訳です。戦時中の知識が浅い為、
稚拙な質問だと思いますが、わかる方がいらっしゃいましたら、
教えて下さい。よろしくお願いします。
665インチキ教員:02/09/12 01:37
四神(玄武・朱雀・蒼龍・百虎)のカラー画像が欲しいです。
資料として使いたいので、大きいのがあれば教えて下さいませ。。。
自分で探しても、ちっこいのしか無いです、、、、
よろしくお願いします!
666日本@名無史さん:02/09/12 10:28
>>665
希望サイズは何Kくらいで、今入手済みが何Kくらいと書いた方がいいよ。
大きい・小さいの基準はひとそれぞれだから。
667日本@名無史さん:02/09/12 14:25
>>666
エレクトしたときに、23cmぐらいがいいです。
668日本@名無史さん:02/09/13 16:37
>>664
まず軍部。とくに支那方面。
それから農家。配給制になってから米食が一般化した。
669日本@名無史さん:02/09/13 18:35
>>664
とりあえず図書館など行って色んな体験本などを読んでみるのが良いのでは?
地域や立場によって千差万別だと思われます。

一般的にいって都市部ほど食料難だった印象があります。
私の父は北海道で農家でしたが、戦時中には特に不自由なかったようです。
670日本@名無史さん:02/09/13 20:02
>>664
>平成大不況と呼ばれる現在でもまったく困ってない人達もいる
皆が困ってる時代に、困ってない人もいる・・・そういうつもりで書いたのだろうが、あの時代と今を同じように書くのはどうかと思う。
あの時代は、己が食うために娘を売ったりする人もいるし、それに松の皮を食べて飢えを凌ぐほどの凄惨さ。今はホームレスでさえ、それなりに飯が食え、自分でテレビも持ってたりする。
そんな風に、天と地の差ほどもあるのだ。
671コマシタレ第6巻 ◆IayNv1kE :02/09/14 00:03
いきなりこんな質問するのもなんですが、
「史学」ってなんですか?
672日本@名無史さん:02/09/14 00:15
>>671

歴史学
673日本@名無史さん:02/09/14 03:42
>>672
>>671は、そういう答えを希望してないと思う。

質問!!
大石内蔵助良雄の母親の名前を教えてください。
それと、彼の次男と三男はどうやって生活していったのでしょうか?
674日本@名無史さん:02/09/14 08:45
>673
確か三男が広島藩に取り立てられたはず。
次男は島流しにされ、夭折。
675日本@名無史さん:02/09/14 09:20
>>674
どのくらいの役職で、禄高はわかりますか?
676日本@名無史さん:02/09/14 16:17
>>675
内蔵助の三男は大石大三郎(大石外衛良恭)です。
正徳三年(1713)九月、広島藩浅野安芸守吉長に召し抱えとなりました。
広島城二の丸に居宅を与えられ、禄は千五百石(内蔵助と同じ)です。
旗奉行次席、番頭、留守居番頭、表番頭などを歴任しています。
次男大石吉千代は豊岡で出家していたのですが夭折。
母は備前池田家の家老の娘でお熊。
677日本@名無史さん:02/09/15 03:47
>>676
ありがとうございます。
678日本@名無史さん:02/09/15 22:24
大和政権が半島ないしは大陸からの征服王朝であると言う説がありますが、
これは現在の専門家の間ではどのように認識されているのでしょうか?

1、外来政権である可能性は高い
2、外来政権である可能性はあるが証拠はない
3、現時点ではどちらともいえない
4、外来政権である可能性は低い
5、電波

私としては、記紀の記述からすると、征服王朝という可能性は十分考えられると思うのですが…
679日本@名無史さん:02/09/15 22:26
>>678
6、そんな昔のことはどうでもよい

6が学会の通説になりつつあります。
680日本@名無史さん:02/09/15 22:28
>>678
>私としては、記紀の記述からすると、征服王朝という可能性は十分考えられると思うのですが…
詳細きぼん。
68133:02/09/15 22:31
>>678
大和王朝がそうかは知らんが、もともと日本にいたのが縄文人。
征服(移民?)してきたのが弥生人だ。
682日本@名無史さん:02/09/15 23:14
>>678
678さんの仰ってる説はおそらく1954年に江上波夫の唱えた「騎馬民族征服仮説」
の事だと思いますが、これは現在専門家には全く相手にされていないのが実情です。

その最大の理由は考古学的な物証が全く見当たらない事です。現在は考古学資料が
豊富で古代史に関するあらゆる論議は考古学の成果との照らし合わせが必須です。
江上説は4世紀に騎馬民族の征服があり古代王権を打ち立てたというものですが、実
際の出土物を見る限りそのような断絶がありませんし、当時の文化にも遊牧民族的な
痕跡がきわめて薄弱です。

詳しい事は古代史関係の概説書などを参照されると良いと思いますが、比較的手に入
り易い物としては講談社「日本の歴史02」あたりをオススメします。
また最近出た朝日新聞社AERAMOOK「古代史がわかる」にも騎馬民族征服仮説に関
する項目があるので立ち読みでもしてみて下さい。
683678:02/09/15 23:23
>>682様、皆さま、レスを頂きありがとうございました。

>その最大の理由は考古学的な物証が全く見当たらない事です。現在は考古学資料が
>豊富で古代史に関するあらゆる論議は考古学の成果との照らし合わせが必須です。

物証が存在しない説だったのですね。
自分としてはちょっとありえそうに思っていたのですが(すいません、井沢説にかなり影響されています)、
出土物の様式が連続しているなら可能性はかなり低そうですね。

紹介していただいた本など図書館で探してみたいと思います。
どうもありがとうございました。
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685日本@名無史さん:02/09/15 23:27
>>681
弥生人は征服してきたわけではないんです。
北九州に関して言うと、当時の遺跡をみても弥生人vs縄文人の闘争のあとが余り
ありませんし、弥生人と縄文人が同居していた形跡のある村も多数見つかってい
ます。
ただ人口比では弥生人の方が圧倒的に多かったようなので、縄文人は弥生人に
呑み込まれてしまったと考えられるかもしれません。
686日本@名無史さん:02/09/16 23:29
http://mentai.2ch.net/history/kako/969/969899150.html
誹謗中傷の雨霰なんで読むのに苦労したんですが、
264等を読むと古代史研究というのはノストラダムス研究の様ですね。

それと煽り抜きで、日本史板以外(学会?)でも、
「邪馬台国畿内説=ウヨク、九州説=サヨク」という認識なんでしょうか。

あと古代中国の王族の子孫でありたいとおもってる人たち(320前後)もサヨクですか?
倭の支配層=天皇の先祖が中国の王族の子孫だといってるんだからサヨクですよね?
687日本@名無史さん:02/09/16 23:34
>>686
2ちゃん史観というものがありまして、ここでしか通用しない史観です。
真面目に答えている人達もいますけどね。
688日本@名無史さん:02/09/16 23:46
>>686
そのスレは読んでおりませんが、考古資料の充実している現在、邪馬台国畿内説
が専門家の主流だと思います。イデオロギーは関係ありません。

もし邪馬台国が九州にあったとすると、同時期に近畿には遥かに巨大な勢力がある
ことになってしまって、と〜っても不可思議な事になります。
689日本@名無史さん:02/09/16 23:51
>687-688
レスありがとう御座います
690日本@名無史さん:02/09/20 17:14
利家とまつに「くじら屋」という店が出てきますね。あれは江戸時代の遊郭を意識した
もののようですが、あの時代(室町時代後期)には既に遊郭とか遊女という商売は
成立していたのでしょうか?
691日本@名無史さん:02/09/20 17:32
アメノウズメ以降売春は数千年の歴史アリ。神官と同じ起源だそうですね。
秀吉は小田原に遊閣つくって包囲したらしいからあるんでしょ
692日本@名無史さん:02/09/20 18:37
鎌倉時代の遊女だと
曽我物語に出てくる「大磯の虎」なんてのがいるね.
693日本@名無史さん:02/09/20 19:46
白拍子なんかも遊女を兼ねてたしな。静御前なんかもその系統
694日本@名無史さん:02/09/23 04:51
室町時代の守護制度について解説したサイトor書物でいいものありませんか?
特に分郡守護とか半国守護について知りたいです。
695日本@名無史さん:02/09/23 16:15
日本は昔から武器のほとんどは弓矢で刀は指揮刀か首取り用だったって本当ですか?

あと日本馬はサラブレットなどに比べて劣っていて
ナポレオンがやったような敵中央突破なんてとても無理って言うのも本当ですか?
696日本@名無史さん:02/09/23 23:13
遊女の話で関連するんですが
能のプロに女の人がいなくなったはいつごろからなんでしょう?
白拍子って、能の系統なんですよね?
697日本@名無史さん:02/09/23 23:19
>>696
能の成立のほうがあとじゃなかったけ?
698日本@名無史さん:02/09/24 01:10
年代らくらく暗記法、語呂合わせ
みたいなスレって
ありますか?
699日本@名無史さん:02/09/24 01:30
>695
日本の在来馬の蹄はとがっていて、山道では走りやすかったそうな
また体は小さかったが気性が荒く、相手の馬に体当たりしたり
噛み付いたり、馬も戦っていたんだってさ
中央突破については知らない
700日本@名無史さん:02/09/24 01:38
>>695
戦国期の合戦では負傷例の大半が遠距離武器(弓、鉄砲、礫)によるもので
わずかな白兵戦での負傷も槍がほとんどらしい。
誰か忘れたけど刀を現代の戦場における拳銃のようなものだと喩えてたな。
701日本@名無史さん:02/09/24 02:38
>>695
とりあえず、「刀と首取り」(平凡社新書)を読んでみよう。名著。
702日本@名無史さん:02/09/24 03:57
>>698
立っては落ちで長続きしないよ。

年号のごろあわせを考えよう
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1029134500/
703日本@名無史さん:02/09/24 04:00
>>695
サラブレットは競馬用に改良した種類だよ。体格も小さめ。

軍用・使役馬はアラブ種。
704日本@名無史さん:02/09/24 10:26
教えてください。戦国末期の国の石高ですが、一般に言われているものと
太閤検地の石高に差がある(国によっては大きい)のはなぜですか?
例えば土佐、太閤検地では98,200石だけど、一般には
盛親22万石・山内一豊20万石。なんででしょー?
705日本@名無史さん:02/09/24 10:56
>>704
過小評価・過小申告が原因では。
現代でも、申告漏れ・脱税はいくらでもあるでしょ。
706日本@名無史さん:02/09/24 11:16
>704
他のスレで過去にもその話題があったけど、
当初は、山内氏入国まで土佐は98000石で、その後の高直しで20万石になった。
それから太閤検地のときから20万石あった。
という意見が出てた。
707704:02/09/24 11:29
>705 >706 レスさんくす
>706さん、その過去スレの情報キボンヌ
山内氏入国まで98000石なら掛川(6万石?)からの移封は
あんまりウマくないなー。
7082チャンネルで超有名:02/09/24 11:30
http://wqll.jpn.ch

http://sakayasan.net/zjjj1/

女子中高生とHな出会い
  ロリロリ児童とHな?
  2チャンネルで超有名
709日本@名無史さん:02/09/24 18:49
太平洋戦争で徴兵を拒否して投獄された人達の刑期を教えてください。
また、この罪で逮捕された人は現在でも「前科者」扱いされるんですか?

話は少しずれますけど、警視庁の犯罪者の犯罪暦データーって、戦前の物も記録されてるんですか?
710日本@名無史さん:02/09/24 19:32
>>709
徴兵を拒否して投獄された人で有名なのは、灯台社の明石真人ですね。
彼は軍事法廷における軍法会議で不敬罪・抗命罪で禁固三年の刑に処せられています。
現在では存在しない組織と法によって裁かれたのだから、前科者とは言いがたいですよね。
念のため言っておくと、戦争中の兵役拒否者のほとんどは上記の灯台社
(現在のエホバの証人)や共産党員だったはずです。
711日本@名無史さん:02/09/26 12:40
ちょっとお聞きしたいのですけど
ネット上で史料を公開するには、何か手続きがいるのでしょうか?
例えば、既に出版されている史料集から史料を集めてネット上で公開すること。
それから、史料調査や図書館などで集めた昔の原史料や印刷物(戦前とかそれ以
前とか、とにかく50年以上たっているもの)を、掲載するとか。
712日本@名無史さん:02/09/26 16:05
>>711
テキストは引用元さえ明記すれば原則問題なし。
画像は版元に許可を得て下さい。
出版社倒産等、版権の所在が明らかでない場合は、その旨エクスキューズを入れて公開すれば大丈夫だと思います。

ちなみに著作権の消滅は、著者の死後から数えて50年となっております。
713日本@名無史さん:02/09/28 12:08
廃刀令の影響で官吏が帯刀できなくなって警察も一時サーベルから六尺棒に変ったって
書いてるのを見たんですが当時の軍人も一時帯刀できなくなってたんですか?
714日本@名無史さん:02/09/28 20:07
騎兵科以外の軍人が帯刀するようになったのは、昭和以降って聞いたような気がするが・・・。
ちょっと調べてみる。
715711:02/09/28 23:00
>>712
ありがとございます。
716日本@名無史さん :02/09/29 22:22
室町幕府成立期の足利氏の直轄地って具体的にどこなんですか?
下野と三河あたり?
717日本@名無史さん:02/09/29 22:55
歴史学の方法論についてお伺いします。
「史料批判」など、歴史学での「素養」みたいなものを知りたいのですが、
そういうものを知る上でオススメのガイドブック・入門書などを教えて下さい。
718日本@名無史さん:02/09/30 10:23
>>717
意味がわからないが・・・

史料批判できる力を身につけたいとかそういうこと?
それだったら、それは史料批判の入門書があるわけではなくて、当時の勉
強をしていろんな史料を読んで古文書等々の知識もついて、自然と身につ
けられるものであるはずなんだけど。経験とセンスがものをいう。

それとも古文書学概論みたいな本が知りたいと言うこと?
歴史学とは何か、ということ?
719日本@名無史さん:02/09/30 10:58
ちょっと世界史板からきたのですが。
日本の支配階級であった武士が日本人であることに覚醒し始めた
つまり四国,本州,九州が日本と言う国を構成してそこに住む人間は
日本人だと意識し始めたのはいつ頃でしょうか?
私見だとペリー来航以降のように思うのですが。
720日本@名無史さん:02/09/30 18:12
質問があります。
武士が切腹の時に着る死に装束は、浅葱色など、純白ではなかったと聞きますが、
女性が自害の時に着る死に装束は、純白だったのでしょうか?
お答えいただければ、幸いです。
721717:02/09/30 23:55
>>718さん

>意味がわからないが・・・

すみません。歴史学については右も左もわからない素人なもんで…
…漠然とした質問になってしまい申し訳ありませんm(_ _;)m。

>史料批判できる力を身につけたいとかそういうこと?

 はい、聞きたかったのはこれです!

>それだったら、それは史料批判の入門書があるわけではなくて、当時の勉
>強をしていろんな史料を読んで古文書等々の知識もついて、自然と身につ
>けられるものであるはずなんだけど。経験とセンスがものをいう。

なるほど、そうなんですか。
僕は史学科に入ったばかりの大学生がはじめに読む定番みたいな
「歴史学入門」「史料批判入門」などの本があるのかなと思ってたんです。

大雑把な質問にもかかわらずご丁寧な解答をしていただき、
本当にありがとうございましたm(_ _)m。
722日本@名無史さん:02/10/01 00:27
ぶっしつけな質問すみません。
平安時代に人口を倍に増やすため、朝鮮半島から人を向かい入れた歴史は本当ですか?
天皇が半島の人間を嫁にもらったのは事実ですか?
723日本@名無史さん:02/10/01 00:43
そんな質問誰も答えないよ。
しかし、
天皇稜を掘らないのも事実、
平安時代に人口が増えてるのも事実
724日本@名無史さん:02/10/01 00:51
>>721
史料批判の入門書というのは思いつかないけど、日本史論文の書き方
とかそういう本が参考にはなるかもしれない↓

歴史科学協議会編
『卒業論文を書く : テーマ設定と史料の扱い方』 山川出版社

中尾尭, 村上直, 三上昭美
『日本史論文の書きかた : レポートから卒業論文まで』吉川弘文館

725717:02/10/01 01:07
>>724さん
 レスありがとうございますm(_ _)m。
 参考にさせて頂きます。
726日本@名無史さん:02/10/01 18:38
>>722
鬼頭宏の研究によると、
平安初期(800年):5506.2(千人)
平安末期(1150年):6836.9(千人)
で、特に大きく増えてはいない。

>天皇が半島の人間を嫁にもらったのは事実ですか?
これ桓武天皇の母の事を言っているなら、「事実ですか」も何も日本書紀にある通り
百済系帰化人和乙継の娘です。別に隠しているような話じゃないでしょう。
727訂正:02/10/01 18:45
>>726
日本書紀->続日本紀
728日本@名無史さん:02/10/01 18:48
半島の人間じゃないだろ。
「半島からの帰化人の遠い子孫(でその時は日本人)」が正しい。
729日本@名無史さん:02/10/01 21:04
まあ桓武天皇の父、光仁天皇は即位前は皇位継承順位の非常に低い皇子だったので、正妃がどこの馬の骨でもあまり気にされなかった、というのもあるかもしれないが。
そもそも天武天皇が万世一系とは無縁の帰化人だとかいう説もあるくらいだから・・・。
730日本@名無史さん:02/10/01 22:30
>>720
死に関する装束は白が基本です。

一般の葬式でも参列者は白装束でした。
731日本@名無史さん:02/10/02 17:09
>>728
母が百済系だというのは強く意識していたようで、桓武帝はしきりに帰化した
百済王族の顕彰をしたりしてる。

つーか、なんで現代の人間は半島の連中といいバカウヨといい、出身がどこか
とか気にするかねえ。
現代の政治意識を古代の歴史に持ち込んでもバカらしいだけじゃん。
732ほい:02/10/02 17:42
もしあの時代に新選組が存在しなかったらその後の日本は
どんな展開を見せていたと思いますか?

この頃幕末に興味があって、色々話したいです。
でも、まだ知識が足りないのでいらいらさせてしまうかもしれませんが
勉強させてください
733日本@名無史さん:02/10/02 18:18
>>732

幕末に詳しいサイトもスレッドもいっぱいあるから
勉強したいならそこに行かれては?
734ほい:02/10/02 18:33
>>733
ええ、そうなんですけど、なかなか「新選組がいなかったら・・・」
の話題がないんです。だからここにきてみたんですけど・・・。

今とくに新選組に興味があって、その話題で友達とかと
話したりするんですけど、今日は、
もし新選組がいなかったらどうなっていたかの
話題でかなりもりあがって。。。
もしよろしければ、意見をおねがいします。
735日本@名無史さん:02/10/02 20:14
シラネーよ>734
736日本@名無史さん:02/10/02 20:27
>>734
別の似たような集団(幕府よりで武力による都市の治安維持をになう)が新撰組と同じ様なことをしていただけだと
思われる。
737日本@名無史さん:02/10/02 20:35
>>732
特に変わらないんじゃないか。
あえていうなら池田屋事件がないぶん、維新が多少遅れたかもね。
738日本@名無史さん:02/10/02 20:52
>>732
マジレスすると、
壬生寺が色紙や似顔絵まみれにならなかっただろう
739日本@名無史さん:02/10/02 20:59
さっき違うところでも質問しちゃったけどPCの記憶が吹っ飛んだので、もう一度
勝手に質問させてもらいます!!!!

平安、江戸・・・・など、昔の女性は生理のときどういう処理してたかわかりますか?
下着とかってないんじゃないっけ?どうするんだろ?
740日本@名無史さん:02/10/02 21:16
あのさあ、それこそ神武認めるから邪馬台国日向説認めるべきじゃないの?
741日本@名無史さん:02/10/02 21:38
>>739
おーい、
雑談スレ@日本史
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/973427193/l50
ここの864
742日本@名無史さん:02/10/03 06:30
過去ログになかったっけ・・・?
他のスレかな。
平安時代は、布を当てて、どこか別の部屋なり屋敷なりでおとなしくしてたらしい。
当時の一般庶民のことは知らないけど、布を当てて働いてたんじゃないかな。
日本のことじゃないけど、聖書に「生理中だからこの場から立てません」って言うところがある。
やっぱり昔は、一箇所におとなしくしてたんだね。
743日本@名無史さん:02/10/03 10:54
744日本@名無史さん:02/10/03 12:34
>>716
>室町幕府成立期の足利氏の直轄地って具体的にどこなんですか?
>下野と三河あたり?
いや、建武中興時の恩賞だった信濃・武蔵・相模や新田氏ら南朝方から没収した下野・越前・丹波など東国・近畿・四国のかなりの部分が足利一門の領地でした。
ちなみにのちの蔵入地・天領に相当する幕府直轄地は初期の室町幕府には存在しません。
室町幕府は足利一門らの有力大名が手弁当で上洛して運営されるものでした。
745日本@名無史さん:02/10/04 16:53
746日本@名無史さん:02/10/04 17:34
伊賀惣国一揆に対して、伊賀の守護大名(仁木氏?)は何してたの?
747日本@名無史さん:02/10/04 17:41
10月9日(水)早稲田大学7号館218教室 午後4時20分より呉智英先生講演! 

浅羽通明の日本現代文化論(無料、潜入容易、ニセ学生歓迎!)の枠内

きてね
748日本@名無史さん:02/10/04 17:55
>747
浅羽オタ、うざい。
749美濃部:02/10/04 18:35
明治憲法関連のスレはないの?
あったら教えて。
750日本@名無史さん:02/10/05 18:57
>>749
昭和5年のいわゆる「統帥権干犯問題」までは
世界最高の憲法でしたね。
拡大解釈により軍部の独走が始まるまではね。

でもよくできた憲法だと思う。
751日本@名無史さん:02/10/05 23:23
>>750
偏見かもしれませんが、前時代的なものかと思ってました。
どの辺がすぐれてるのか解説してもらえませんか?
752日本@名無史さん:02/10/05 23:36
私も知りたいな。
753日本@名無史さん:02/10/05 23:43
知りたいとはおもわんが、言わしてみたいとは思う。
754日本@名無史さん:02/10/05 23:54
外見的には天皇がシラシたまう国家の形を取っているが、
実質的には国民の国家帰属意識を喚起し、日本を国民国家に変貌させた。国民国家は戦争に強い。
結果、明治憲法施行後の帝国日本は海外雄飛した。

その後、昭和になってから軍部の暴走により明治憲法は実質停止状態になり
「日本社会主義帝国」になってからは国運衰退。敗亡した。
755日本@名無史さん:02/10/05 23:56
憲法典は硬性憲法であったが、
附属法などを含めた憲法体系は柔構造になっていたので
憲法改正の必要が少なかった。
756日本@名無史さん:02/10/05 23:59
>>明治憲法関連のスレはないの?
過去ログ倉庫で見つけた。↓
http://mentai.2ch.net/history/kako/1015/10150/1015089668.html
今はないみたい。スレ立てたら?
757日本@名無史さん:02/10/06 00:04
権利章典を備えていた。
帝国議会が協賛を経た法律でなければ、国民に義務を課し、権利を制限することはできない。

昭和憲法は「公共の福祉」などというマジック・ワードのもとで
官庁の通達一本で人権が制限されてしまう。
昭和憲法は半社会主義憲法だからな。
758日本@名無史さん:02/10/06 00:06
ちなみにアメリカ合衆国憲法でさえも
もともと権利章典はなかった。
後から修正条項でつけたの。
759日本@名無史さん:02/10/06 00:08
田中正造が困窮の中で死ぬ際、
数少ない所持品の一つは帝国憲法だった。
760日本@名無史さん:02/10/06 00:11
帝国憲法公布前は「民権運動」と呼ばれていたものは
公布後は「護憲運動」となった。
当時の日本人にとって明治憲法=民権だったのよ。

明治憲法=悪法という観念は、
戦後の洗脳教育によって植え付けられたもの。
761日本@名無史さん:02/10/06 00:36
洗脳されちゃてる日本人。
北朝鮮人をバカにできないね。
762日本@名無史さん:02/10/06 00:41
ずいぶんおそまつな議論だな。
早く大学受かれよ>760
763日本@名無史さん:02/10/06 00:42
>>762
きみ、具体性ないね。
764日本@名無史さん:02/10/06 00:43
>>762
そうそう。きみさ、六三問題についてはどう思う?
765日本@名無史さん:02/10/06 00:46
まあ妥当だと思うよ。
小学校は6年、中学校は3年で十分。高校は必要なし。
766760:02/10/06 00:51
>>765
ちゃうちゃう。
文脈を理解する知能あるでしょ? 今は明治憲法の話をしてんのよ。
明治憲法の六三問題といえば、もちろん法律63号の六三問題だよ。どう思う?
767760:02/10/06 01:15
>>762
ネットで検索してみた? 全然ヒットしないよね。 明治は遠くなりにけり、か。
月曜になったら学校の図書館にでも逝って、近代法制史のテキストか何かで六三問題を調べてから出直してきなさい。
768日本@名無史さん:02/10/06 01:38
・・・釣られてるよ(w
で、六三問題ってなんなの?憲法の授業で明治憲法やったときには出てこなかったが、
なんかでかい問題なの?
769日本@名無史さん:02/10/07 10:25
幕末の薩摩藩医、田宮安実(たみや・あんじつ)の情報きぼん

国書人名辞典は見ました。明治初年までは生存しているようですが
没年や墓所について御存知でしたらお願いします
770日本@名無史さん:02/10/08 16:13
質問があります。
戦国時代においては、10代前半や10歳未満で結婚した例も多いと聞きますが、
彼等は、結婚初夜とかには、ちゃんとSEXをしていたのでしょうか?
12,13で結婚した男女でも、10歳未満で結婚した男女でも、当時は、SEXをしていたのですか?
非常に気になるので、どなたかお答えをよろしくお願いします。
771771 ◆6t6CYCuKNY :02/10/08 17:16
神武天皇は実在ですか?
私としてはアメリカにおけるアメリゴに相当すると思うんですけど。
772日本@名無史さん:02/10/08 17:38

失礼ですが、>>770 さんは童貞ですか

民族板あたりで聞いたほうがよいのでは?

773日本@名無史さん:02/10/08 21:20
手頃なところで司馬の「城塞」にちょっと書いてある>>770
774日本@名無史さん:02/10/09 00:37
勢州軍記って市販されてますか?
775日本@名無史さん:02/10/09 00:51
>>774
まずはこれを見よ
http://www.netlaputa.ne.jp/~kitsch/siryou/edo/sisho/ed-sisho.htm

どうやら図書館には置いてあるらしい書籍の様だな
776日本@名無史さん:02/10/09 01:13
質問があります。近世における京都魚市について研究したもので
一番新しい研究はなんでしょう。1989年以降のものはありますか?
777日本@名無史さん:02/10/09 01:19
らくらく 777
778日本@名無史さん:02/10/09 01:26
>>777
日本史板でゲット行為をするのは自慢にもならない落第生な訳だが・・。
779日本@名無史さん:02/10/09 02:31
777ぐらいはええやろ
780日本@名無史さん:02/10/09 03:34
ぐへへへへ〜 780げっとぉ!!
781日本@名無史さん:02/10/09 03:48
>>780
英数全角って初心者なんだろね、2ちゃんやるのにも勉強が必要なんだよ。
782日本@名無史さん:02/10/09 04:28
もぐらもぐら、もぐば目主るがらばハヒ〜ン782ゲットーに帰れユダ公ブパー!!!
783日本@名無史さん:02/10/09 06:55
英数全角がなぜ初心者なのかと小一時間
784日本@名無史さん:02/10/09 13:03
治安維持法はどのくらい悪法だったのでしょう。
当時の共産主義者が言ってみればテロリストのようなもので、
摘発されて投獄されるのはわかるのですが、
総計して、どのくらいの人数が虐殺・死刑にされたのでしょうか?
また、それが他国の戦時中に出来た思想弾圧系の法律と比べて、
どのくらいの悪法なのか、など、教えていただけると嬉しいです。
785日本@名無史さん:02/10/09 13:18
>>784
下手な煽りだな(藁
786日本@名無史さん:02/10/09 13:23
>>784
治安維持法違反の判決死刑者はいない。
被逮捕者6万人
被起訴者6千人

取調べ中の拷問や虐殺による死者は治安維持法違反の評価により諸説あり
787日本@名無史さん:02/10/09 13:58
>>783
初期の2Chでは、カナ英数は半角というルールがあったのです。
788日本@名無史さん:02/10/09 14:19
>>781
>2ちゃんやるのにも勉強が必要なんだよ
>>787
>カナ英数は半角というルール

全然必要じゃねーじゃん。(w
789784:02/10/09 14:53
>>785
すみません。煽りじゃないんです。
「虐殺・死刑」というのは、小林多喜二とか治安維持法とかをキーワードにして
検索してみると、わりとそういう表現を使っているサイトが多くて、
でも具体的に数値がわからなかったので、ここで質問してみたんです。
無知でごめんなさい。
>>786
ありがとうございます。「諸説」というのを調べてみます。
790日本@名無史さん:02/10/09 17:46
治安維持法は戦時中のものとはかぎらんに。
何故「他国の戦時中の」と比べるのか。
791日本@名無史さん:02/10/09 18:10
治安維持法=戦時体制
792日本@名無史さん:02/10/09 18:57
>>791
ごめん。
治安維持法成立時からと、第二次大戦中(戦時中ってそういうことだと
思ったんだが)の諸外国のと比べても・・・という意味だった。
よくみりゃそこまで書いてなかったな。
793教えて君:02/10/10 18:11
今Yahooの戦国板で「淀君」は差別用語かって議論になっているんですけど
「○○君」というのは遊女を指すからってことなんだけど、実際そうですか?
調べた限りでは「淀君」っていう言い方は江戸時代に入ってからの言い方で
同時代には無かったようなんですが。
794日本@名無史さん:02/10/10 18:28
>>793
姫君という言葉もあるし、君の名称は高位の人への敬称でしょう。

辻君や立ち君はどうなんだ言われれば、現代でも泡姫とかいうようなもん。
795日本@名無史さん:02/10/10 23:32
>>793
差別語というほど大げさなもんじゃないと思うが、蔑称には違いないでしょう。
江戸時代うんぬんというのも、あなたの言うとおりだと思う。
796日本@名無史さん:02/10/10 23:48
>>793
反語的な意味もあるんだよ、君の意味の一番めは天皇だし。
797日本@名無史さん:02/10/10 23:56
淀殿に対して使えば、蔑称ってことかね。
798教えて君:02/10/11 00:29
考えてみると「室」のことを「○○のきみ」と呼んでいた事例って聞いたことないんですが。
普通は「おかたさま」って呼んでますよね。
799日本@名無史さん:02/10/11 00:32
>>798
家内の呼称と文章に書く時の敬称も決まりがあったはず。
800日本@名無史さん:02/10/11 01:48
>>798
将軍の正室は「御台所様」と呼ばれます。
801日本@名無史さん:02/10/11 06:48
よろずって何でもいいの?
専売制で作物の買上値を相場値と定値
の2つの形態で買上ているのには理由があるの?
藩側の目線から考えて欲しいんですけど。
802日本@名無史さん:02/10/11 22:57
源義経ゆかりの地は鎌倉では腰越以外にはどこがありますか?
803日本@名無史さん:02/10/11 23:18
>802
衣川
804日本@名無史さん:02/10/11 23:53
>>803
衣川は平泉だろと小一時間・・・。
>>802
鎌倉で義経ゆかりの地は腰越満福寺以外はないでしょう。
鎌倉にいらっしゃるのなら↓のサイトの方のように想像逞しく散策してください。

義経伝説
http://www.st.rim.or.jp/~success/yositune.htm
805日本@名無史さん:02/10/11 23:58
「腰越状」は鶴岡文庫にあるんじゃなかったっけ。金沢文庫の方かな?
文書だからゆかりの「地」とは言えないか。

後は義経も尋ねただろう大蔵幕府跡の清泉小学校とか。
ただの小学校だが。(w
806日本@名無史さん:02/10/12 01:11
社会主義と共産主義がいまいち良く分からず頭に残らないのですが
教えてもらえませんでしょうか?
807日本@名無史さん:02/10/12 01:52
>>806
元は一緒マルクス思想、その思想の実践でゴチャゴチャやってるだけ。
日本の党派でいえばソ連よりが○○党、中共よりが○○党だった。
808日本@名無史さん:02/10/12 04:45
だれか801の質問に答えてくれませんか?
これじゃあよろずじゃないじゃないっすかあ。
江戸の流通経済史ですよ〜詳しいひといないの?
皆興味さえないかあ・・・
809日本@名無史さん:02/10/13 20:29
日露戦争における日本海海戦のような大勝利の戦いは
日清戦争でいうとどの戦いですか?
810日本@名無史さん:02/10/13 20:40
>>809
軍事版の方が適切と思う。
811日本@名無史さん:02/10/13 20:44
>>806
資本主義の次の段階が社会主義「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」
さらに生産力が発達すると共産主義「必要に応じて働き、必要に応じて受け取る」
と、理想的には考えられていた。

今は、ほとんど区別せずに、資本主義とは違う経済システムとして考える。
812日本@名無史さん:02/10/14 06:25
>>809
日本海海戦のようなパーフェクトに近い勝ち方をしたは戦史でもまれです。
日清戦争でそこまでのものはないでしょう。
813日本@名無史さん:02/10/14 22:46
質問します。『洛中洛外図』の小川の一本奥の通りには「仁木殿」として屋敷
が描かれていますが、歴史事実として、1540年〜あたりの京都において
仁木氏の屋敷はどこにあったのでしょうか?もししっていたら教えて下さい。
814813:02/10/14 22:48
すいません。「仁木殿」の描かれた『洛中洛外図』とは東博模本のことです
815日本@名無史さん:02/10/14 23:42
わからんな。でも仁木氏は南北朝時代には非常に有力な武将であったようだ。
ソース http://www2.harimaya.com/sengoku/html/niki_k.html
816日本@名無史さん:02/10/18 20:35
あげ
817日本@名無史さん:02/10/18 22:05
教えて君でスマソ
1.「縄」をキーワードとして日本人の起源、歴史が解説してある本は
ありますか?「土器」、「しめ縄」、「しめ飾り」、「相撲」etc

818日本@名無史さん:02/10/19 12:21
板違いかもしれませんが質問です。

学校で授業の前後に行われる「起立」「礼」「着席」の「礼」について
ですが、これは軍隊の敬礼からきてると聞きました。
それでは、学校以外での、「礼」をする、というのは、どのような
経緯で行われるようになったのでしょうか?
819日本@名無史さん:02/10/23 22:21
あげ
820日本@名無史さん:02/10/24 00:07
>>818
よく知らないけど、礼をすること自体の話ではなくて
形式の話じゃない?
「起立」「礼」「着席」の一セットで礼をするということの。
821日本@名無史さん:02/10/24 00:09
>>817
私は知らない。民俗・神話板の方が詳しい人いるかも。
822日本@名無史さん:02/10/24 09:59
他スレで見かけたのですが
秀吉が城攻めをする際、ろう城する城主への見せしめとして
すでに他家へ嫁しているその城の姫君を、わざわざ嫁ぎ先から連れてきて
門前にて雑兵どもになぶりものにさせたという史実はあるのでしょうか?
婚家としても我が妻となった姫をそうやすやすと引き渡したのでしょうか?
なぶり殺しにされると知りながら。
詳しい方、教えてくださいまし。
823日本@名無史さん:02/10/24 10:47
>>822
そんな事実はありません。

824日本@名無史さん:02/10/24 11:32
>>822
似てるといえば山名豊国の娘の話かな。
確か毛利に服属して、自分の妻子及び家臣の妻子を
人質に出していたのだが、
秀吉相手に籠城戦をしているとき、
その人質たちが秀吉に奪われて、家臣の妻子は殺され、
自分の娘が磔にされたのを見て降伏。
娘は命は助けられたけど、秀吉の側室になった。
825日本@名無史さん:02/10/24 16:48
>>823 レスをありがとうございました。

>>824
詳しい説明をありがとうございました。
他スレでこの話を読んだとき他の方々からは何も反論がなかったので
え、本当なの?だったら秀吉嫌いになりそう・・・とずっと思ってました。
この似たようなお話に尾ひれがついてしまったのかな。チョト安心しました。
826教えて下さい:02/10/24 23:44
1609年の薩摩軍琉球侵攻について、何か良い本はありませんか?
827日本@名無史さん:02/10/27 21:14
あげ
828名無し募集中。。。:02/10/27 21:34
利家と松見てたら唐入りにみんな猛反対してるみたい。
でもあの時徳川家康、秀忠、家光が海外に出兵せず、鎖国したせいで
200年後、日本はあわや植民地になりかけたわけでしょ。それを
考えると結果はともかくとして秀吉のやったことは方向性としては
正しかったんじゃないですか?また東南アジアで侵略可能な
国があったら教えてください。国内の戦乱が治めた後、東南アジア海戦
の物語があったら面白そう。
829日本@名無史さん:02/10/27 22:00
>>828
最初に言っとく「利家と松」をベースにウンヌンいうと無視されるか叩かれるかだ。

鎖国していたせいで植民地化を免れた面もある。
開国以来独立を侵されなかった国はアジアでは日本とタイじゃなかった。
タイも長い間、鎖国をしていた国。

戦国期にはベトナムに日本人町があったりとかししたけどね、軍団を運ぶには
当時の航海能力では遠すぎる。
830日本@名無史さん:02/10/27 22:03
「豊臣秀吉の朝鮮出兵の歴史的意義について」
教えてください。
831名無し募集中。。。:02/10/27 22:06
>>829
なるほどありがとうございました。
だけど以前まんが日本の歴史を読んだとき宣教師が
大砲つきの船を売ろうとして秀吉の不振をかった。みたいな
のを読んだ覚えがあるんですが、なにが言いたいかというと
宣教師から船を買えば問題ないのではないですか?
私も鎖国をしてキリスト教の洗脳から日本から守った点では
徳川を評価しています。
すいません、モー版の住人が生意気言って。
832日本@名無史さん:02/10/27 22:45
>>828
同じ東アジアでも、日本みたいに鎖国のような事してた李氏朝鮮はもろ植民地化
されたし、別にそんなことしてなかった清は列強の食い物にされた。
日本は鎖国してたせいでどうのとかいうのはヘンだと思う。
833日本@名無史さん:02/10/27 22:50
>>830
曖昧すぎて答えようがないよ。
文化史、政治史、軍事史色々意義や課題はあるだろう。

史観的な事聞いてるなら、いろいろ歴史的事実を調べた上で自分で考えたほうが
いいと思う。
俺自身はあんまりそういう個人の政治的信条とかが絡むような歴史のとらえかた
は嫌い。
なんつーかさ、もっと歴史学って科学的なものにならんかねえ。
834日本@名無史さん:02/10/27 22:52
>>832
横入りだが
それは「鎖国していたせいで植民地化を免れた」という論にも適用されると考えてよろしい?
835日本@名無史さん:02/10/27 23:23
>>834
どちらの情勢にもなりえるのはその原因としては「関係がない」と結論づけるのが普通。

836チョト質問:02/10/27 23:32
全然話違うけど、
昔の人の会話言葉って大河みたいな
現代っぽい喋り方だったのかなあ
もっと現代人からは理解し難い言葉や
言い回しがたくさんあったように
思えるのだけど・・・
837日本@名無史さん:02/10/27 23:40
>>836
それ忠実に再現すると聞き取りが難しくなっちゃうからしょうがないんじゃないかな。
今の我々が聞いてわからないわけじゃないですけど。
戦国よりはやや古いけど、現在聞ける中世の話言葉としては狂言のセリフなんか
があります。たまにNHK教育なんかでやってるのでどんなものか聞いてみるといいで
すよ。
838日本@名無史さん:02/10/27 23:42
リアルな歴史的話言葉に変えた途端、

大河の視聴率が15%下がるに1万ルピー。
ついでに原たいらさんにも3000点です。
839日本@名無史さん:02/10/28 00:49
>>836
「葵・徳川三代」見てみ、古文の言い回し全開だから。
ある程度素養がないとかなり意味不明だけど。

それでもずいぶん現代人がしゃべる形態に近づけている
840日本@名無史さん:02/10/28 00:52
>>839
そんな事無いだろ、昔の時代劇の会話だよ。
今の大河は完全に現代語だけどさ。
841日本@名無史さん:02/10/28 01:13
元老・元勲スレ建てますけど
黒田清隆
伊藤博文
山県有朋
松方正義
井上 馨
西郷従道
大山 巌
西園寺公望
桂 太郎
で良いですか?
842日本@名無史さん:02/10/28 01:28
843日本@名無史さん:02/10/28 01:34
>>842
ログに入れろと?
844日本@名無史さん:02/10/28 18:27
別のスレで誰も答えてくれなかったのでこっちにも貼っておく

日本史の範疇かわかりませんが、
琉球民族、アイヌ民族、朝鮮民族・・・
日本に古来から住む民族は何民族って言うんですか?大和民族?日本民族?
まあ、もとをたどればみんな大陸から来たんだろうけど。
845日本@名無史さん:02/10/28 18:48
>>844
答えなかったのは質問の意図がわかりずらいから。
「古来から住む民族」って先住民の事を指してるの?
846日本@名無史さん:02/10/28 18:57
んーたとえばさー、今の日本人の99%くらいを占めている民族のことだろ。

で、俺は答え知らない。
847日本@名無史さん:02/10/28 18:57
んーたとえばさー、今の日本人の99%くらいを占めている民族のことだろ。
君や俺のこと。

で、俺は答え知らない。
848日本@名無史さん:02/10/28 18:57
げろ、二重で書いちまった。すまん。
849日本@名無史さん:02/10/28 19:30
>>844
戦前はアイヌ・琉球民族などと区別する意味で「大和民族」という言葉が存在したが、今は歴史用語としても抹殺されている。
850日本@名無史さん:02/10/28 19:54
だいたい「民族」なんて曖昧な言葉使われても答えようがないよなあ…。
一番沢山いるのはアイヌ人・沖縄人等を除いた人々(ふつう一般的に思い浮か
ぶ日本人の事)だが、遺伝的にはとてもばらつきがある。
隣りの朝鮮人なんかは日本人と比べると遺伝的にはもっと均一だ。
それだけ日本には色々な人々が流入したって事なんだろうけど。
851日本@名無史さん:02/10/28 20:34
>>844
誰も答えてくれないというか、それは誰も明快に答えられない質問です。

そもそも民族の定義とは何か?
言語・宗教・血縁・文化が同じなら同一民族なのか?
そうである場合、どのレベルまで同じなら同じ民族と見なすのか?
一つでも違えば別の民族なのか?
他に同一民族として判定するべき要素は無いのか?

などなど、例を挙げるとキリが無いので書きませんが、
「民族の定義は学者の数だけある」と言われる所以です。

地理・人類学板で質問した方がもうちょっと科学的に
回答してもらえるかもよ〜。
852日本@名無史さん:02/10/29 02:16
じゃあ、例えばみんなは、お前は何民族はなんだ?って聞かれたらなんて答える?

おおざっぱな意味で他の民族のことは、やれゲルマンだスラブだラテンだって言うじゃん。
おおざっぱに我々は何?日本民族?学術的に正式名称無いの?
853日本@名無史さん:02/10/29 11:26
>852
「じゃあ、アメリカ人は何民族なの?」
という質問と同じく無意味。
854名無し:02/10/29 12:17
中国人は日本人のことを大和民族っていうぞ。
855日本@名無史さん:02/10/29 13:15
おおざっぱでいいんなら、わざわざ突き詰めて学問する奴いねーし
856日本@名無史さん:02/10/29 14:42
日本=倭民族(やまと)
韓国=倭民族(わ)
朝鮮=倭民族(わ)
857日本@名無史さん:02/10/29 17:33
アメリカは民族と人種のサラダボウルだろ。日本とは違う。
858日本@名無史さん:02/10/29 17:54
>>852
おおざっぱでいいなら”大和民族”でいいじゃない?
>850や>851にあるように全く厳密性に欠ける言い方だけど。
もちろん日本人=大和民族ではないのは自明だし、俺なら但し書きなしで
「大和民族」について書かれてる文章を見たら、アヤシゲだなと思うけど。
859日本@名無史さん:02/10/29 18:55
アメリカには合衆国民は居てもアメリカ民族は居ないね
860日本@名無史さん:02/10/29 20:02
>>852
「宗教・言語・文化を一にする集団」という定義からすると、だいたい今の日本国民はまとめて「日本民族」とするのが正しいのだろうが、
そういう回答を政府なり学会なり日教組なりが認めたがらないので、ひと昔までの国旗国歌と同じく、「わたしは何民族でもありません」というのが一応今時点での正解。
861日本@名無史さん:02/10/29 20:06
日本「語族」とすると間違いじゃないのかな。いちおう。
862日本@名無史さん:02/10/30 00:47
つか、国民でいいじゃん。
なんで民族っていいたがるのさ?
民族って自意識が明確にないなら別にそれでいいんじゃないの?
日本人には変わりないじゃん。
863日本@名無史さん:02/10/30 04:28
主観じゃなくて客観的に自分が何民族であるのか知りたいよな。
そりゃ、普段は国民って言っていれば問題ないんだけど。
864日本@名無史さん:02/10/30 04:31
教科書の表記とかってどうなってんだろ?
例えば多民族国家の説明があって、当然ほぼ単一民族である日本の説明もあるんでしょ。
中国の大部分を占めるのが漢民族。その他の少数民族。
これに似たような表記があってもいい気がするけど。
865日本@名無史さん:02/10/30 11:16
>864
ふつうは漢族といって、あまり漢民族とは言わないのでは?
その他の少数民族は、朝鮮族、苗族、荘族、回族とかふつう「〜族」と言うし。
朝鮮民族、苗民族なんて言わない。
回族なんて、宗教で分けられているだけだし。

866日本@名無史さん:02/10/30 14:52
細川越中守・藤堂和泉守などの「○○守」はどういう意味ですか?
実際の領国とは違うし、また同時代に何人も同じ国名を名乗っています。
大名とは思えない小名・幕臣でも「○○守」を名乗っているようですが。
867日本@名無史さん:02/10/30 17:23
>>866
てきとーな答え。間違ってたらごめんなさい。

戦国期には実質的に国司制は消滅していましたが、偉そうにみえるので〜守などの
官名を名乗る事が流行っていました。
こういう官名は実際に朝廷から任官(といっても名乗ることを許されるだけで実質はな
いですが)されたものもあれば、勝手に自称しているものもありました。ダブったりして
るのはそのせいもあるでしょう。
868日本@名無史さん:02/10/30 18:21
>>866
大名かどうかで官職を貰うわけではありません。
位階に応じてもらうわけです。
基本的に「○○守」の「○○」自体にはそれほどの意味はありません。
869日本@名無史さん:02/10/30 18:24
>866
過去ログをよく探すように。
870日本@名無史さん:02/10/30 18:31
>866
戦国時代までは大名が勝手に家臣に与えるのを含めて、
勝手に官職を名乗っていました。

871866:02/10/30 20:41
皆さんお答えありがとうございました。
やはりガイシュツの質問だったようで、すみませんです。
872日本@名無史さん:02/10/30 21:17
質問です。660年に百済が滅亡してるのに何で日本(この頃は大和政権か)は白村江で唐や
新羅と戦ったんですか?白村江の戦いは百済救済のためだと日本史で習ったもので。年表みてたら
660年百済滅亡って書いてあるじゃないですか。どーなんでしょうか?
873日本@名無史さん:02/10/30 22:16
>>872
白村江の戦いは百済の王朝を助けては戦いましたが国家としてはその前に滅んでいるので
百済再興のためでもあります。
百済というのがあいまいに記述されている結果です。
874日本@名無史さん:02/10/30 22:21
>>866
亀レスだが。
○○守とかの朝廷の官職は、戦国期には天皇家・公家への贈与(わいろ)
で、買えました。
隣の大名や、部下のやばそうなのに対抗する時の権威・大義名分として
使いました。
戦争の時など、大義名分になるからね。
でもって、戦国期は、天皇の「権威」は、地方では将軍よりも上のことも
ありました。当然「権力」はなく、機内ではただの金食い虫でしたが。
875日本@名無史さん:02/10/30 22:24
>>872
>>873
伽耶(任那)地方の鉄資源が狙いとしては大きかったと予測されます。
876872:02/10/30 22:36
>873
国家として滅ぶって?国が滅ぶって何をもってそうゆーのでしょうか?
>875
鉄資源を狙うってのは聞いたことあります。でも唐・新羅の連合軍に喧嘩売るなんて正気の沙汰
とは思えませんよね。やっぱ当時は情報網が発達してないので?
877日本@名無史さん:02/10/30 22:47
>>876
新羅・唐の軍勢により、百済王朝逃亡。かな。

>喧嘩売った理由
同じ倭人を祖とする共同体意識と、
百済王族が倭の王朝にいたのと、
倭が百済の宗主国であると倭内部の大王儀式でつくろっていたのと、
唐が出てくるとの情報が不足してた、
等などではないかと思うのですが。
878日本@名無史さん:02/10/30 22:50
>>876
>でも唐・新羅の連合軍に喧嘩売るなんて正気の沙汰
>とは思えませんよね。やっぱ当時は情報網が発達してないので?

回答になってるかどうかわかりませんが、広開土王碑でも倭を主敵として
表現してる(実際は倭と百済の連合軍)し、文化的文明的にはともかく古
代の日本は軍事強国としてみられていて、かつ自分たちでもそういう自負
があったんじゃないでしょうか。
その辺も理由の一つのような気がします。
879872:02/10/30 23:23
みなさんありがとうございました。ところで話は全然変わりますけどこの前学校で
”歴史家はなぜ予言をしないのか”と言う文章をみました。寺田なんとかって言う人の文章
だったと思います。その人曰く歴史は未来を展望しつつ過去を眺めるのだから未来は予測できるんじゃないかってゆーとこから話がはじまってます。
みなさんはどうお考えでしょうか。板違いな質問ですいません…。個人的にすごいおもしろいと思ったので。
880866:02/10/30 23:29
>874さんもありがとうございました。
江戸の切絵図を見るのが好きで、○○守・中務等の官職名が
気になっての質問でした。
881日本@名無史さん:02/10/30 23:39
僭称はよくあることさ。
882日本@名無史さん:02/10/30 23:39
国司はいつから現地に赴かなくなったの??
883日本@名無史さん:02/10/30 23:43
江戸時代の国文学者、賀茂真淵、荷田春満ってなんで名字と名前の間に
「の」が付くんですか?
884日本@名無史さん:02/10/31 00:14
>>879
こういう疑問にスマートに答えるのは難しいね。

未来はともかく、よく過去を引き合いにして現代社会を語るような歴史家は
結構いるよ。その通りだと思うことは少ないんだけど。

ぶっちゃけ過去わかったって未来なんかわからんよ。って事じゃないか。
江戸時代の歴史家に明治維新を想像できたか?冷戦期の歴史家に東欧
革命を予見できたか?…とかいくらでも例はあるような。
885日本@名無史さん:02/10/31 11:26
予言と予測じゃ大きく違うよ。
886日本@名無史さん:02/10/31 13:09
>>882
平安中期ごろからじゃないかな。
後期には行かないのが普通だったような。
887日本@名無史さん:02/10/31 15:46
>>885
879はおそらく寺田寅彦の文章の意訳じゃないかと思ったので、予測の
意味だと解しました。
たぶんボアンカレの翻訳か、バタフライ効果の話か何かかと思うんだけど
どうだろう?>872
(寅彦の時代には「バタフライ効果」は命名されてないけどね)
888訂正:02/10/31 15:52
>>887
ボアンカレ->ポアンカレ
889872:02/10/31 17:31
>887
そうです。寺田寅彦さんです。バタフライ効果とか難しいことはよくわかんないけど歴史が
ただ漠然と存在してるのではなく現在や未来の視点から再構成されるって話です。例えば
戦前の教科書は神話から始まってるのに今は〜人の話から始まってるでしょ?これは視点が
違うから構成される歴史が異なるってことじゃないでしょうか。個人的な見解ですけど。
890日本@名無史さん:02/10/31 18:09
>>886
国司が赴かないで誰が国衙を治めていたの?
国司が赴いて土着したのが武士の始まりだよね?
ここらへんとのからみで赴かなくなったのかな?
891日本@名無史さん:02/10/31 18:13
>>889
あ、それは俺が想定してた話と違ったかも。
俺は物事が決定論的に決まるでのはなく、なにげないちょっとした変化によって
結果が大きく変わるよ、というようなのかと思った。
いや、879の文章で思い浮かんだのが、寺田->寺田寅彦->ポアンカレ->三体問題
->多体問題->カオス、だったので。

だから未来の予測なんかできないよ、という。
892日本@名無史さん:02/10/31 18:21
>>890
国司の代理人が行くか、現地請負人が年貢を請け負う。

武士の発生は諸説ある。
西日本は武士は特別職能集団、東日本は自力開墾系集団とも言われる。
地元豪農集団は、国司や国司代理の貴種性を大義名分にして武士団となる。
近年は、武士の発生は、貴族内の特別技能職能集団から発生の説が多い。
893日本@名無史さん:02/10/31 18:32
>890
国衙には役人が他にもいると思うけど・・・。
894日本@名無史さん:02/10/31 18:43
平安後期ころには地方で税を収納するのが困難な状況が多々あった。
それで受領や受領代は武士のような実力行使が可能な人材を召し抱えて
赴任していった。それらの武士達の中にはそのまま土着する人々もいて、
そんなこんなで全国津々浦々に武士が広がった…というような解説を最近
読んだのだけど、どうだ?
895日本@名無史さん:02/10/31 18:53
桓武平氏や清和源氏も土着武士じゃなくて職能の発展系?
896日本@名無史さん:02/10/31 18:55
そういや、墾田永年私財法が施行されて以来、国衙領と荘園の割合ってどのくらいだったのかな?
897日本@名無史さん:02/10/31 20:11
>>894
そんな感じかな。

>>895
京都在中の幹部は職能系。実働体の関東武士は土着系でないかな。
898日本@名無史さん:02/10/31 21:15
>>888
ポアンカレ->ボンカレー
899日本@名無史さん:02/10/31 22:07
>>896
数的処理的にはわからないが。
わりと国衙領はしぶとく残り続けた。

国衙領から何とか収入をあげようと、荘園整理令を出したり、
武力のあるものを配置したりした。

平安中期から、政府が王朝国家制に移行していったが、
それに対応してか、荘園公領制に移行していき、
何とか財政を持ちこたえようとした。
900日本@名無史さん:02/10/31 22:14
>>896
900年代以降、国衙領はものすごい勢いで減少していったらしい。
平安末期には「知行権」といって大貴族や武家が各国の国司を任命する権利を持つようになっていた。これはその国の国衙領を私有しているのに等しく、この時点が事実上の国衙領の消滅とされている。
901日本@名無史さん:02/10/31 22:27
しかし、のちの南北朝合一の際の講和条件の中に「長講堂領は持明院統が、諸国国衙領は大覚寺統が領有する」の一文がある。
これは義満の詐略だったのか、それともこの時期でもまだ国衙領にウマ味があるものと見られていたのかどうかはわからない。
902日本@名無史さん:02/10/31 23:51
ふと思ったのですが、日本で刺身を食べるようになったのはいつ頃なんでしょうか?
江戸時代の中頃には「早鮨」があったことを考えるとその頃にはあったということなんでしょうが。
903日本@名無史さん:02/11/01 00:06
>>898
ポンカレー?
904日本@名無史さん:02/11/01 01:47
>>889
その再構成は歴史が変わるのではなくて歴史の見方を変えているということです。
個々の同じ事実を論者の価値観や時代背景が結びなおしているんです。
そのため歴史観には主観がはいりすぎると批判の対象にもなっています。

まあ、その例として戦前の神話教育を持ち出すのはふさわしくないですが。
神話教育はあくまで国民教育のための方便だということは戦前から歴史のアカデミックな場では共通の見解でした。

それと未来予測についてですが
他の学問もそうですが過去の事例または実験から抽出して来たデーターを応用する場合
そのデーター以外のことはすべて普遍なものであるか、または結果への影響が無視できるほど小さいものでない限り
そのデーターで未来予測につなげることには確実性がありません
ただし歴史上の過去の事例と同じ状況が現代や未来に存在すること自体がまれなのでサンプル数が多いような社会学や経済学ならともかく
歴史上の事件と未来を当てはめるのは難しいでしょう。



905日本@名無史さん:02/11/01 01:58
>>897
つまり平将門は土着系だよね?平忠盛は職能系?
源氏で言うと誰かな?

>>900
え?国衙領って消滅したの?
明治維新まで細々存在してるもんだと思ってた・・・。鬱氏。
906日本@名無史さん:02/11/01 02:00
>>899
> 平安中期から、政府が王朝国家制に移行していったが、
これの説明きぼん。王朝国家制って何ですか?
907日本@名無史さん:02/11/01 02:01
誰も883に答えてないけど、俺もわからない。
908日本@名無史さん:02/11/01 07:53
>>883

ふつうは氏と名前の間に「の」を入れるけど(例:平の清盛etc)
そうじゃない場合は単に語調を整える為だよ。特に2音だけの苗字の
場合、発音しにくいから(例:東の胤頼etc)
909日本@名無史さん:02/11/01 17:42
>>908
それ、不正解っぽい。昔、戦国板に模範回答があったはず。
調べるか、思い出すからちょっと待て。
910日本@名無史さん:02/11/01 18:08
リア工でつ。日本史のレポート提出が冬にあるので
何について調べようかと考えているのですが、どうもピンとくる
テーマが思い浮かびません。ありきたりなのではつまらないので、
何かおもしろそうなテーマないですかね?
911日本@名無史さん:02/11/01 18:28
>>883>>908
例にあげた賀茂真淵、荷田春満って本名じゃないよ。
いわば芸名。
だから別にいいんだよ。
912日本@名無史さん:02/11/01 18:33
>>910
ちょうど良いテーマが目の前に転がってるじゃん。
なぜ姓名の間に「の」がつくか?
913日本@名無史さん:02/11/01 21:23
>>910
冬=クリスマス=豊臣政権時の
キリスト教禁教に至るまでの経緯を考察なんてどうだね
googleで検索して楽できそうだし、いかにもレポート向きだと思うが

関係ないけど、質問スレは常にageときましょう>ALL
理由は言わずもがな
914日本@名無史さん:02/11/01 21:59
>>905
源義家なども若い頃は御所の不寝番で活躍してたような。
天皇が悪夢にうなされると、手にした弓をギュンギュンと弾き鳴らし、
義家ここにおりますと叫ぶ。
天皇は安心して眠ると。なんて話を聞いたことも。


>>906
>王朝国家制
平安時代中期頃から、藤原氏が天皇家と組み、ある一種の安定均衡政権となる。
年中行事を無事こなし、宮廷の儀式にそつのないことが好まれ、
一種の国風的安定(停滞ともいえるが)となる。
この平安中期以降を、王朝国家制というらしい。

地方の税収も、荘園公領制といわれる、公領・私領の名目はともかく租税を請
け負い負担する仕組みとなる。
915日本@名無史さん:02/11/02 01:10
>>902
世界で魚介類の生食が一般的でないのは、ナマの魚というのは食感はよいがアミノ酸の含有量が少ない=まずいからであって、
アミノ酸を際立たせる調味料を常備する米食文化圏(日本・朝鮮・中国)の海辺の住人はわりと古くからやっていた。
日本では中国語で魚の生食を示す「鱠」という字に「なます」という読みを当て、おもに酢で食べていたらしい。

のちにアミノ酸の味覚を最大限まで引き出す調味料『醤油』の発明により、生食できる魚介類の種類は一気に広がり、日本料理は世界を代表する生食体系を得るに至った。
醤油が日本民俗史に与えた影響はわりと大きい。
916日本@名無史さん:02/11/02 01:45
味噌、醤油、豆腐、納豆、日本を代表する食品といえます原材料すべて大豆ですよね。
大豆の最大生産地は何処ですか。
917日本@名無史さん:02/11/02 02:48
>>916
そんなものを調べたデータを見たことはないが。
大豆は味噌や醤油の産地が集中的に生産する以外は、各農家が畦道脇などのスペースにちょこちょこ植えている程度で用を足していた筈なので、最大生産地と言えるほどの場所はなかったのではないか?
918日本@名無史さん:02/11/02 02:59
天保の薪水給与令とかに外国船に水や食料などを与えろってあるじゃないですか。これって
販売の意味ですか?それともタダで?
919日本@名無史さん:02/11/02 11:08
>>918
ただじゃないか?
920日本@名無史さん:02/11/02 13:30
>>918
タダです。目的は漂流民の救済や異国船の補給を助けるところにありました。

この背景には清がアヘン戦争で敗れ、オランダの通告によりイギリスの
次の標的が日本であると知らされた事があります。
そのためそれまでの異国船打払令を緩和して穏やかに
異国船の退去を求める様、政策転換がなされました。
921日本@名無史さん:02/11/02 15:04
ふと思ったのですが、日本で刺身を食べるようになったのはいつ頃なんでしょうか?
江戸時代の中頃には「早鮨」があったことを考えるとその頃にはあったということなんでしょうが。
922日本@名無史さん:02/11/02 15:04
>915
なるほど。
すると現在のように刺身を醤油につけて食べるスタイルが一般化したのは江戸時代と
いうことになりますね。
「利家とまつ」で生牡蠣に酢をつけて食べるシーンが出てきましたが、あれはその食べ方も
時代も適当だったんですね。
923日本@名無史さん:02/11/02 15:09
>921
すみません、誤爆しました。
924日本@名無史さん:02/11/02 16:43
海草を食べる民族も割と限られているんだそうだ。
日本人や韓国人は良く食べる。倭人文化だね。
アイルランド人は海の雑草といって食べないそうだ。
じゃがいも飢饉の時も、海草がたくさんあるのに、食べずに死んだ。
925日本@名無史さん:02/11/02 19:57
910の高校生くんはどの程度のレポートを求められているんだ?
史料の裏付けなし程度のレポートで良いのか?
926日本@名無史さん:02/11/02 21:25
927漫画事件史:02/11/02 21:45
質問です。
岡本一平(1886〜1948。岡本太郎の父)が山本権兵衛(1852〜1933。海軍
から政治家)に告訴されたという未確認情報があるのですが、それについて
何かご存知の方がいらしたら教えて下さい。
928日本@名無史さん:02/11/02 21:58
http://money.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1027915688/
【北鮮】中山正暉、マジ逝ってよし【忠犬】

http://choco.2ch.net/test/read.cgi/giin/1027915274/
【北鮮】中山正暉、マジ逝ってよし【忠犬】

http://choco.2ch.net/test/read.cgi/giin/1032661950/
野中や中山をこのままにしていいのか
                                 
http://choco.2ch.net/test/read.cgi/giin/1016528113/
なんで最近いい人ぶってる!?中山正輝

http://choco.2ch.net/test/read.cgi/giin/1016986519/
自民・中山正暉議員ってどうよ?
929日本@名無史さん:02/11/02 22:24
すいません、今日「世界不思議発見」で、
インチキ臭い女が出てきて
「藤原道長と紫式部は性的関係があって、でも式部はちゃんとした愛人として
認められなかったから、それが悔しくて、藤原のライバルであった源氏が栄華を誇る
小説を書いた」とか新説をとなえたので、思わず飲んでいたお茶を吹いたのですが、
こいつは電波ですか?
(なんか平安エッセイストとか古文エッセイストとか名乗っていたと思う)
それとも俺には学が無いので、彼女の論ずるところを理解できないだけですか?
930日本@名無史さん:02/11/02 22:58
>>927
岡本一平は、トントントンカラリンと隣組の作詞家ですね。
漫画絵と寸評・風刺が有名。
戦争関係も書きましたから、何か当局の気に触ったことも
あったのかもしれませんね。
クグッテみたけど、その事件ズバリはありませんでした。

>>929
その話は、聞いたことがありませんね。
資料はあるのでしょうか。
931929:02/11/02 23:04
>930さん
聞いたことが無かったので、何か文献等の名前を出して
説明するのかな?と注意して聞いていたのですが、
その女ったら、(道長&式部のカップリングは)「定説ですね」というだけで
何一つ資料の名前をあげませんでした。
こんなインチキ・アマが歴史関係でメシ喰っているんですね。
932日本@名無史さん:02/11/02 23:14
>>931 929さん
紫式部の方が12歳の年上ですね。
確かに式部は夫と死別してますが・・・。
「定説」なら、何かの本に出てそうなものですけどね。
あまり、聞かないですね。
933929:02/11/02 23:36
>932さん
やっぱりそうでしたか・・・
あからさまにウサン臭かったのですが、
俺はあまり日本史をよく知らないので、ここにいらっしゃる
歴史に詳しい方におうかがいしてみようと思いました。
公共の電波でいいかげんなことを言わないで欲しいし、それも流さないで欲しい・・・
(自分のような素人が混乱するから。)
930さん、932さん、ありがとうございました。
934日本@名無史さん:02/11/02 23:42
>>929
番組は見てなかったけど、これ読んでお茶吹いたよ!
不思議発見は結構好きでたまに見るけど、ハンコック取り上げたりしてトンデモを
平気で放送する傾向があるね。
935日本@名無史さん:02/11/02 23:43
源氏が4っつぐらいに分割されるっていうのもホント?
936日本@名無史さん:02/11/03 00:15
>>935
意味が不明。もちっと詳しく。
937日本@名無史さん:02/11/03 01:44
蘇我馬子、橘諸兄、藤原道長、平清盛、源頼朝←のが付く
北条義時、足利尊氏、織田信長、徳川家康←のが付かない
938日本@名無史さん:02/11/03 02:05
>>936
番組でちらっと見ただけなのでよく覚えてないけど、
本人(紫式部)が書いた部分は半分ぐらいで、
残り半分は3系統の後世の加筆だとかいう話だった。
939日本@名無史さん:02/11/03 09:26
>>292
あのー・・・
出典も何も、式部と道長がデキてたって言うのは、割とよくみる、定説に近い
話ですよ。正式の愛人じゃないって言うのは、当時は「召人(めしうど)」っていう存在が
ありました。
公卿の屋敷に仕える女房なんかで、位が低いので側室として認められなかった
立場です。
式部と道長の歌のやり取りでも、それっぽいのがよくでてくるので、式部が道長の
召人だっただろうっていうのは、マジ定説の一つです。(学者によってもちろん色々と
意見が分かれますけど)
ただ、そのことを恨みに思って源氏物語を書いたかどうかは知りません。
その説は、まだ見たことはないです。
>>935>>936
光源氏の性格が物語の場所によってあまりにも違うので、作者は一人では
ないのではないか、と言う話があります。
940日本@名無史さん:02/11/03 09:35
>>939

申し訳ないですが、デキテタ説の研究者の名前を二三挙げてください
図書館で探してみますから

同時代で接点のある男女は必ずヤルという話でなければ幸いですが
941日本@名無史さん:02/11/03 09:42
>>940
調べてみますが、私は研究者でない上、手持ちの平安時代の本が50冊くらいあって、
その何処に出てたか探しますので、ちょいと時間をくださいな。
夜までには載せておきます。
942941:02/11/03 10:23
出典は、「尊卑文脈」のようです。
ですが私は原文は読めないので、ご自分でお読みになってくださいなー。
943942:02/11/03 10:29
あややや・・・
「尊卑分脈」でした・・・
スマソ
944日本@名無史さん:02/11/03 12:21
>>940は図書館へ行ったのか?
945日本@名無史さん:02/11/03 18:02
んで、尊卑の道長のとこに、式部とヤッタとか
書いてあるのか?
もしくは式部のとこに道長の召人と明記されてるとか?
946日本@名無史さん:02/11/03 18:08
問題は召人=肉体関係、ということが
遺憾なく証明されてるかどうかでしょ

もちろん、紫式部=道長の召人ということも
ちゃんと証明されてるか、ということでしょ
947日本@名無史さん:02/11/03 21:23
証明・・・?
どうやって、証明するの?
今の歴史上の定説っていうのは、色々な文献をもとに
こうだろうと推測したものでしかないんだから、
証明するっていうこと自体、ナンセンスだと思う。
昔の記録に「物の怪がでた」って書いてあったとしても
それが事実とは思わないでしょ。
色々な意見があっていいじゃない。
私も尊卑分脈は読んでないけど、式部が道長の召人だったっていう話は
聞いたことあるよ。
948日本@名無史さん:02/11/03 21:27
紫式部日記に道長に口説かれたかのようなことが
書かれてなかったけ?
確か女郎花がどうのという歌をどっちかが詠んでたような。
949日本@名無史さん:02/11/03 21:40
>>947

強烈なネタですよね(笑)

証明、とは

@或る事柄が事実または真理であることを証拠立てること。
A【論】(proof)或る物事または判断の真偽を定むべき根拠
 を示すこと。或る命題を根本原理から導き出すこと。論証。
B(以下、略)            ーー広辞苑ーー

すべての(歴史)論文は史実を証明する為に書かれるのでは?
950日本@名無史さん:02/11/03 21:59
ちょっと待てよ。史料の引用もなしにただ憶測を書くのは歴史学じゃないぞ。歴史文学だ。
憶測が伝聞の伝聞で薄まっていって定説になるなんて歴史学じゃない。
951日本@名無史さん:02/11/03 22:23
ともかく、定説だっていうヤツはその論拠となる資料を提示しろよ。
『尊卑分脈』ってのが出てたけど、
そのどういう記述からどうやってその結論を出すのか、
まずはあきらかにすることだな。
952日本@名無史さん:02/11/03 22:33
>>883
なんで平安以前の人は名字と名前の間に「の」が付くかって言うと。
結論から言うと、「の」は同格の「の」。
で、正確には名字じゃ無くて氏ね。氏姓制度の氏の方。
例えば、藤原道長は正確には藤原朝臣道長。藤原(氏)朝臣(姓)道長(名)。
藤原「の」朝臣 道長。
その後各地に散らばっていった一族が、氏とは別にそれぞれの土地で名字を名乗る。
足利尊氏→正確には源の朝臣 尊氏。
織田信長→正確には藤原の朝臣 信長。
信長の場合は、先祖があやふやで藤原を名乗ったり平を名乗ったりといい加減。
で、江戸時代の国文学者の荷田春満や賀茂真淵は荷田も賀茂は実家が神社で両方とも
名字じゃなくて氏なんだそうだ。
ってな事が昔戦国板に書いてあった気がする。
953日本@名無史さん:02/11/04 00:47
荷田氏なんていないぞ。
954日本@名無史さん:02/11/04 01:09
955908:02/11/04 09:43
908でつ。

>952さん、御教授感謝

とくに自説にこだわるわけではありませんが、理論はともかく
慣用=発音しやすさ、というのもあると思いますよ

東常縁は十中八九の人は、「とうの・つねより」と読むでしょう
正式には誤りかも知れませんが・・
もちろんフルネームでは、東左近将監平朝臣常縁ですね(w
956日本@名無史さん:02/11/04 10:40
道長・式部デキテタ論の信奉者は
平安の貴族社会は「フリーセックスのユートピア」論者じゃないのかな

あ、単なる感想でし。何の根拠もありません
957日本@名無史さん:02/11/04 11:50
940です

「尊卑分脈」なら図書館に走るまでもなく所有しております
道長の項に「道長公伝」というのが書いてありますが、ちょっと見た感じでは
彼の官歴ばかりのようですが
うpしてもいいのですが、1200字くらいありそうで、躊躇しています
958日本@名無史さん:02/11/04 12:13
「その八」スレたてたよ
     ↓
「日本史よろず問い合わせ処 其ノ八」
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1036379545/
959日本@名無史さん:02/11/04 17:25
>>957
官歴に、どこどこの女とできていたとか、書かないでしょう。
他の資料の方がいいと思われます。
960日本@名無史さん:02/11/04 18:44
まあ、>>941 さんに、かつがれたというところが結論だな<尊卑
961日本@名無史さん:02/11/05 18:31
>953
荷田県主



なんてね。
962日本@名無史さん:02/11/06 03:00
徳川家康は小便たれですか??おしっこちびった??合戦のとき。
963日本@名無史さん:02/11/06 07:28
>>962

ちびったのは、ウンチですよ@三方原合戦
964日本@名無史さん:02/11/06 12:52
うろ覚えですが...
「尊卑分脈」には道長ではなく式部の方に「藤原道長妾」と
記載してあったような記憶が。
965964:02/11/06 13:57
新スレの22にすでにありましたね。
966日本@名無史さん:02/11/06 14:47
>>964

同時代の史料ではないということで、ふりだしに戻りますた
967日本@名無史さん:02/11/06 20:42
家康ウンコちびりなのか…。アヒァアとか言って糞たれたのかな。いくつのときなの??
968日本@名無史さん:02/11/06 20:54
馬上で脱糞しながら、逃げ帰りました。
信玄軍が本当に恐かったんだろうねw。

家康は1542年生まれ、三方ヶ原の戦いは1572年です。
引き算してください。
969日本@名無史さん:02/11/09 17:52
あげ
970日本@名無史さん:02/11/09 20:39
age
971日本@名無史さん:02/11/09 20:45
972日本@名無史さん:02/11/10 10:08
あげ
973日本@名無史さん:02/11/11 20:19
あげ
974日本@名無史さん:02/11/13 12:40
戦国時代って英語では何と言うんでしょうか?
975日本@名無史さん:02/11/13 12:44
the Warring States period
976日本@名無史さん:02/11/13 12:44
>>974
〔日本史〕 the Age of Civil [Provincial] Wars;
〔中国史〕 the Age of the Warring States.

出典はNew College Japanese-English Dictionary,
4th edition (C) Kenkyusha Ltd. 1933,1995,1998より。

直訳なのか意訳なのかは良くわかりません。
977日本@名無史さん:02/11/13 18:23
>>974
日本語に直訳しなおすと
日本史→内乱の時代
中国史→戦闘国家郡の時代
ですね。日本の戦国時代はまだ京都に天皇や将軍家がいたから「内乱」だけど、
中国のはもう完全に国家同士の争いということでしょうか。
春秋時代はthe Age of Civil Warsになるんでしょうか?
978日本@名無史さん:02/11/15 00:29
寝る前にage
質問スレは常にageとこうぜ〜
979日本@名無史さん:02/11/15 02:33
「日本史よろず問い合わせ処 其ノ八」
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1036379545/
980日本@名無史さん:02/11/16 16:55
あげ
981日本@名無史さん:02/11/16 17:07
別にあげなくていいよもう
982日本@名無史さん:02/11/17 09:47
あげ
983日本@名無史さん:02/11/17 22:21
鎌倉末期から室町にかけて、守護が地頭に代わって
勢力を伸張することができた要因について教えてください。
半済令?守護請?いまいち整理できんのです。
984日本@名無史さん:02/11/17 22:30
「滅亡」の定義について教えて下さい。
滅んだというのは、その血筋を受けた人が一人もいなくなる
という事なのでしょうか?
それともその家を継ぐ者がいなくなった事なのでしょうか?
985日本@名無史さん:02/11/17 22:45
>>984
家でしょうな。
986日本@名無史さん
>>983
足利尊氏は、守護に軍事・警察権のほか、半済令で守護の力を強めて、
全国の武士をまとめようとした。
このため、守護は、その地位を利用して自分の領地を拡大し、
国内の地頭や新興の武士を家来として従えていった。

背景には、分割相続の繰り返しによる、地頭層の御家人の弱体化が
あるのかと思われます。

管領や侍所の長官には有力な守護が任命され、政治を行った。
守護大名は、国司の権限を吸収し、一国全体を支配するようになった。

有力守護は一揆(団結)を結び、将軍に意見をしていった。