1 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :
満州事変、盧溝橋事件、通州事件、第二次上海事変、南京陥落、徐州作戦、
武漢攻略作戦、重慶空襲、トラウトマン工作、拉孟の玉砕、大陸打通作戦等……。
日中戦争を軍事的に語るスレッド。帝国陸海軍の内情も可。
前スレは「容量オーバー」のため、655でお亡くなりになりました。合掌w。
まだまだ語るべきことは尽きません。引き続きマイペースで進行していきます。
2 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/19(日) 22:41:37 ID:MZm1DGq0
3 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/19(日) 22:42:32 ID:MZm1DGq0
,r---、
. _ソヽ/`、シi
._>=ヘ 丞/=<,.
((ん'ノノルレム)) ペチッ
_ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_ ミ i っ 状況開始!
),k'ヲ_`:´アつXE無旺〉ノ| っ
(ン::::/:::l::ヽ. .(_,ノ
`~i,ンT,ノ~´
5 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/19(日) 23:15:39 ID:MZm1DGq0
>>655 >>「軍事情勢の変化と世論の圧力があるので、
>>(和平条件は)これ以外に有りえない――」
国民政府に「城下の誓い」を強いるような超強硬な和平条件となった訳ですが、
東亜局長の石射猪太郎は呆れ果てて、●「こうなれば案文などは、どうでもよし。
日本は行く所まで行って、行き詰まらねば駄目と見切りをつける」と述べています。
またその日の日記には、
●「対ドイツ回答案、(12月22日)午後6時に執行される。(外務)大臣官邸に
ドイツ大使を招致し回答文を与える。大臣大使間に問答あり。ドイツ大使は蒋介石は
これではキクマイと。その通り。こんな案件で蒋が講和に出てきたら彼はアホだ――」
さて、斎藤実内閣の外相として「私の在任期間中に戦争は無い」と国会答弁していた
広田弘毅ですが、この様変わりの真意は一体どこにあるのでしょうか? 以前、石射が
部下の課長と共に連名で辞表を出したときに広田は、●「黙れ! 閣議の事情も知らぬ
くせに、勝手なことを言うな」と声を荒げましたが、その後に首相も経験した広田は
一外交官というよりは『半分、政治家』へと変わらざるを得なかった訳です――。
6 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/19(日) 23:40:38 ID:MZm1DGq0
その点、「外務官僚」として己の信じる本分をストレートに出して貫けばいい
石射をこの時の広田は羨ましく思ったのではないでしょうか。もし支那事変が
広田の1回目の外相の時に起こっていれば展開は変わったと思います。しかし
「2・26事件」を経て、首相の時に『粛軍』を担当し苦汁を舐め、もともと
乗り気で無かった2回目の外相就任です。近衛内閣が多分に「ポピュリズム」に
立脚している以上、陸軍に加えて『沸き立つ国民世論』に広田も流されて
いかざるを得なかった訳です――。
さて話が脱線しましたが、一連の「トラウトマン工作」の流れは、広田弘毅が
北平の参事官・森島守人に宛てた外交電報でも確認できます(北平大使館記録)
ので、もう一度「和平条件」を追ってみましょう。
第1の条件に広田は、●「満州国の正式承認が含まれることはもちろんである」と
ディルクゼンに伝えたとあります。また防共問題については、●「(日独伊)防共
協定への参加でも、日満支3国間の(新たな)防共協定締結でも可」とし、さらに
中ソ不可侵条約は●「もし廃棄できれば結構である」と、より具体的に述べた事が
分かります。
7 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/19(日) 23:55:02 ID:MZm1DGq0
さらに第2の条件について広田は、
●「『非武装地帯』は北支、内蒙古、江南地方など各地に設けることになる。
特殊の機構とは、内蒙古は自治政府とし、北支は必ずしも自治政権という
訳にはいかないが、広範な権限を有して『日満支』の経済合作を成すべき
ものだから、中央(国民)政府に『ディペンド』せず、ただ支那主権下に
立つものである」
と述べました。ディルクゼンが、●「北支の特殊機構とは(既に樹立されていた
北支那方面軍傀儡の中華民国)臨時政府を意味するのか?」と確認すると、広田は
●「実際上、或いはそうなるかも知れない」と答えています。
そうなると『第ニ満州国』は確定です。というよりも、広田が1回目の外相の時に
火が付いた「北支分治工作」が完成すると言った方が正確かもしれませんが。
8 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/20(月) 00:06:26 ID:d5YvvjwA
最後に第3の条件についてディルクゼンが、
●「経済協定とは、過去の懸案の解決を意味するものか?」と尋ねると、広田は
●「懸案解決のみならず、資源の開発・関税・交易・航空・交通・通信など一般的に
日満支間に新たな協力を成す意味である」
とし、日本の要求をふんだんに盛り込んだ、広範な『経済協定』を支那に課そうと
匂わせた訳です。
9 :
名無し三等兵:2009/04/20(月) 11:55:04 ID:???
スレ立て乙
前スレはまたえらい短命だったね
中国復員物語のせいか?w
10 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2009/04/21(火) 04:19:51 ID:f3q6Ga4l
>国民政府に「城下の誓い」を強いるような超強硬な和平条件となった訳ですが、
敗戦国ってのは古今東西どこでも悲惨な条件を呑まされるもんだ。日本だって東京大空襲や広島長崎
の原爆投下をやられてなお東京裁判を敷かれて、悪いのは日本ですたなどと土下座外交をさせられた。
それと負けは負けでも日本の場合は帝政ドイツのそれと同じで余力を残しておりそれが有利になった。
工業技術で日本と中国とを比べれば人間と動物くらいの差があって、戦争特需であろうが米軍は中国を棄て日本を頼りにした。
日本軍はあれだけ大勢の中国人を軍靴の下に隷属させてたんだから強硬になるのは当たり前。
足りないようならさらに大陸打通作戦を発動して、逃げ回るチンピラゴロツキを徹底的にどつき回すww
世界最先端のドイツ陸戦兵器で迎撃し、さらにそのドイツ軍を制空権でねじり伏せた米陸空軍
の航空支援を受けつつも、日本軍に虐殺されていったチンピラゴロツキ3500万!!!!
悪いのは武器ではなくて、専ら中国人の腐った脳みそ。全ては中国人の脳みそが腐っていたから。
いくら優秀な武器を供給されても中国人の腐った脳みそを修正できるわけではないのだ。
中国とか中国人とかは、その存在価値はというとただひたすら日本軍に虐殺されることだけだった。
日中戦争というのは戦争というよりは日本軍によるワンサイド中国人殺戮ゲームであった。
11 :
名無し三等兵:2009/04/21(火) 04:23:21 ID:???
だつお殺戮ネタってつくづく不謹慎だよな。
コテと芸風を継承するのは結構だが少しは考えてほしいもんだ。
12 :
名無し三等兵:2009/04/21(火) 05:17:12 ID:???
いいですか?日本人は中国の人に謝罪と賠償をせねばなりません。
13 :
名無し三等兵:2009/04/21(火) 12:25:02 ID:???
>>11 M4に勝てないならM4との戦いを避けて、中国人殺戮に専念するのが賢い戦法のはず。
それともキングタイガーがM4を破壊するのは立派な戦果だが、97式中戦車チハが中国人を殺戮するのは犯罪なのか?
14 :
名無し三等兵:2009/04/21(火) 14:05:29 ID:???
15 :
名無し三等兵:2009/04/21(火) 14:19:17 ID:???
>>14 中国人殺戮がそんなに許せざる犯罪なら、なぜ米軍は中国人を助けに行かなかったのか。
16 :
名無し三等兵:2009/04/22(水) 08:49:11 ID:???
男子隊員がいない時に、
寒さに耐えかねた女性自衛官が仮設風呂に入っているのを、
中国兵が見たらどうなったかな?
17 :
名無し三等兵:2009/04/22(水) 16:06:03 ID:???
>>11 日本人が東京大空襲や広島長崎の原爆で虐殺されるのは自業自得でも、
中国人が97式中戦車チハで肉挽きにされるのは心が痛むのか?
そもそも97式中戦車チハの使い道はといえば、中国人殺戮以外に何があるというのだ?
18 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/22(水) 22:38:29 ID:gMXSIUl7
新しいスレを立てたはいいですが、体調を崩して2日ほど放置しておりました…orz.w。
>>9 >>スレ立て乙 前スレはまたえらい短命だったね 中国復員物語のせいか?w
どうもでございます。短命の原因ははっきりしておりまして、以前は長い文章でも
「省略されました」にならないよう16行を目安に区切っていたのですが(→必然、
スレ番号が伸びる)、最近はそれをサボっているからですw。あとは、スレ違いの
「広田弘毅」の話が際限なく続いているのと、「脱走兵」になってからというもの
スレが何となく寂れてきたような気がしますw。
>>8 の続き。さて日本の新しい『和平条件』が駐支ドイツ大使トラウトマンを通じて
支那の国民政府に伝えられたのは、師走も押し迫った1937年12月26日のことでした。
その時の支那側の様子を、広田弘毅は駐日ドイツ大使ディルクゼンから聞かされて
おりまして、更にそれを広田が北京大使館の森島守人参事官に伝えた電報から見て
みましょう。日付は、新年が明けた1938年1月6日のものです。
19 :
名無し三等兵:2009/04/22(水) 22:42:11 ID:???
>「脱走兵」になってからというもの スレが何となく寂れてきたような気がしますw
今からでも遅くないから原隊に帰れ
20 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/22(水) 22:56:35 ID:gMXSIUl7
広田:「(新和平)4条件は蒋介石病気のため、12月26日漢口において孔祥熙
および壮美齢に伝えられたが、両名とも非常なる『ショック』を受けた。孔祥熙
自身は、日本側条件を直ちに拒絶すべきか否か迷っていた様子だが、支那政府は
未だ何ら決定に達していないようある――」
と広田は、北京の森島参事に現状を通達しています。ここで疑問なのは蒋介石が
「本当に病気か?」という点ですが、当然勘ぐるならば「時間稼ぎの仮病」です。
外相の広田弘毅が懸念したのは、支那が先の上海決戦の間に行なわれた「9ヵ国会議(ベルギー・
ブリュッセル)」と同様に、日本の『新和平条件』を米英各国に伝えて自身への同情と歓心を買い、
日本側を批判する圧力をかけるよう背後で策動するのではないか? ということでした。いわば、
自業自得の苛められっ子が学校の先生に泣きつくようなものですが、弱いがゆえに鍛えられた
支那のロビイスト的性格を考えれば当然のことでしょう。広田はこの点を大いに憂慮し、
先ほどの森島参事に宛てた電報にも、以下のように加えています――。
●「支那側は我が方の条件を米国その他に伝え、その意向を探るなど種々策動している模様」
21 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/22(水) 23:15:24 ID:gMXSIUl7
>>20 >>●「支那側は我が方の条件を米国その他に伝え、その意向を探るなど
>>種々策動している模様」
この点が、外相の広田弘毅を憂慮させ、短慮に走らせ、強硬派に転じさせた大きな
理由ですが、喩えれば広田は『借金取り』のようなもので、早く支那から和平条件
という「お金」を取り立てなければならない訳です。
ここで支那に変な時間を与えてしまうと、なけなしの金をギャンブルで増やそうとか(反攻)、
いや、いっそ用心棒(米英)を雇って借金取り(日本)を叩き返せばいいなどと余計なことを
考えるに決まっているからです。支那に『考える時間』を与えてはなりません。そのためには
北・中支那派遣軍が作戦行動を続けて、軍事的プレッシャーを加えるのは当然の事なのです――。
このような訳で、広田弘毅の態度は硬化し始め、高揚する世論に押されて、近衛内閣は蒋介石の
国民政府との交渉を早くも見切り始めます。駐日ドイツ大使・ディルクゼンに「新和平条件」を
伝えた僅か2日後の12月24日(クリスマス・イブ)には、●「今後は必ずしも南京政府との
交渉成立を期待せず――」と『事変処理要綱(甲)』を閣議決定していた訳です。
22 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/22(水) 23:36:01 ID:gMXSIUl7
>>20 >>ここで疑問なのは蒋介石が「本当に病気か?」という点ですが、
ただ『昭和天皇独白録』を見ますと、●「この時の日本案なるものは宋美齢が
握りつぶして、蒋介石の手には届いていなかったらしい」とありますから、蒋が
本当に病気で関知していなかった可能性もあります。ただ、この昭和天皇の言は
『元外相の幣原喜重郎によると』という但し書きが付きますから、当時在野の身
であった幣原がどのようなルートで情報を得たのか?という点も含めて、真相は
藪の中です――。
>>21 >>今後は必ずしも南京政府との交渉成立を期待せず――
既に「国民政府を対手とせず」の片鱗が見てとれる訳ですが、北支に傀儡の『防共
親日満政権』を樹立させて育成していく方向へと急速にシフトしていきます。先に
述べたように北支には「中華民国臨時政府」が成立していますし、中支には同じく
「維新政府」の準備が着々と進められていました。まあ、『第2満州国』『第3
満州国』と考えれば理解が早いでしょうw。
23 :
名無し三等兵:2009/04/22(水) 23:40:43 ID:YqaFCd50
24 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/22(水) 23:59:45 ID:gMXSIUl7
>>652 >>「とにかく中国側に伝えるが、年末までの回答は無理だから、せめて明年1月
>>5〜6日頃まで延期してはどうか?」と申し出たので、外相の広田はこれだけは承諾
当然というか、やはりと言うべきか――。1938年の新年が明けても、支那から
日本側の和平条件について回答は戻って来ません。現実問題、トラウトマンを通じて
(つまりドイツ本国・外務省を経由して)国民政府に伝えられたのが12月26日
ですから無茶な話ではあります(※外相の広田がディルクゼンに伝えたのは12月22日)。
回答期限が迫った1月4日に中間報告として、駐日ドイツ大使・ディルクゼンから
広田に、●「未だ諾否の応答なし」と伝えられました。さらに1週間が経過した1月
11日に天皇の前で日露戦争以来となる『御前会議』が開かれまして、「支那事変
処理根本方針」が討議・決定される運びとなります。
ちなみに御前会議の出席者は、近衛首相、広田外相、杉山陸相、米内海相、末次内相、
賀屋蔵相、平沼枢密院議長、閑院宮参謀総長、多田参謀次長、伏見宮軍令部総長、古賀
峯一軍令部次長の、錚々たるメンバーです。
25 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/23(木) 00:28:23 ID:JjD4I3V3
天皇が着座すると「進行係」となった近衛首相は、外相の広田弘毅に「状況説明」を
求めます。広田はこれまでの交渉の経過を説明しますが、要約すると●「今後、和戦
両様の構えを取るべき」と論じました。そして「近衛内閣の方針」として、支那・国民
政府が和平を拒否するならば、
●「帝国は爾後、これ(国民政府)を相手とする事変解決に期待を掛けず、新興支那政権の
成立を助長し、これと両国国交の調整を協定し、『更生新支那』の建設に協力す――」
と和平交渉の打ち切りを示唆しました。これが「根本方針」となる訳ですが、枢密院議長の
平沼麒一郎も、閑院宮参謀総長・伏見宮軍令部総長の両皇族軍人トップも「政府案」に賛成
しています。
更に2日後の1月13日に「(御前会議に出られない)閣僚懇談会」が行なわれ、
支那側が1月15日までに回答しなければ、トラウトマン工作を打ち切ることが
決定された訳です。
26 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/23(木) 00:48:58 ID:JjD4I3V3
この頃になると外相の広田弘毅は、半月以上経っても支那側から回答が来ない事に
苛立っており、近衛内閣の方針自体、国民政府との「和平交渉」に見切りを付けて
「傀儡政権の育成」に比重を移すとされた事も、以後の進展に拍車を掛けました。
他方の支那といえば、蒋介石は日本側の新しい和平条件を『亡国条件』として
憤然と蹴ったと云います。また老獪な王寵恵・外交部長は、駐支ドイツ大使・
トラウトマンに●「口頭説明だけでは内容に不明な点があるので、日本側から
公式文書として詳細の説明が欲しい」と時間の引き延ばしを図ります。
ちょうどこれが1月14日、連日の閣議でトラウトマン工作を打ち切る方向で
話し合っている最中のタイミングに、広田がディルクゼンに会見を求められて
伝えられる運びとなりました。
「それ見たことか」と激怒した広田は、支那側が代案(希望案)も出さずに
ただ日本側の細目を求めるのは、●「支那側に何らの誠意もなく、いたずらに
遷延(時間稼ぎ)を策するものである」と断じます。
>>18 >>新しいスレを立てたはいいですが、体調を崩して2日ほど放置しておりました…orz.w。
.「^ヽ,ry'^i
,ゝ"´ ⌒`ヽ
くi Lノノハノ)」 本当は、オバマが「銀行の『ブラックホール』に
λ.[i ゚ ヮ゚ノi! 公的資金は投入しない」なんて言うので(ダウ、
レ',ヘ.i`ム'」つ旦~ 大暴落)卒倒していたそうよ。ちなみにストレス
,く_,//T.iλ テストの結果は5月4日発表ですw。でも今週
"ーr_,t_ァ'" 金曜日にも「何か」(ガイドライン発表)があると
思うわよね。
>>19 >>今からでも遅くないから原隊に帰れ
,.-.、
/ ./ _,..-、
i /__/,..--,i
., ' ` ´ヽ、
i <ノルレノル'
i !i;゚ ヮ゚ノ!|. そりゃあ帰れるものなら帰りたいと、思わないことは
| /,リ_'Y_rつ ないですけど…。というか、それだったら時間を戻したい
'i'<,_i__i_,」リ. です。味方を見捨てて1人で逃げた、あのときの自分に。
.!,ンイノ
29 :
名無し三等兵:2009/04/23(木) 03:34:24 ID:???
名前:月曜の朝φ ★[] 投稿日:2009/04/23(木) 03:30:32 ID:???
2009/4/22 19:51 - 戦前の日本による中国侵攻を題材にした小説「太陽の帝国」で
有名な英小説家、ジェームズ・グラハム・バラードが19日、死去した。78歳だった。
1984年には、幼少時代に戦前の日本占領下の上海に住んでいた経験とゼロ戦な
どのテクノロジーに対する子供ならではの憧れをまとめた小説「太陽の帝国」を発表。
「太陽の帝国」は1987年にはスティーブン・スピルバーグの手によって映画化されていた。
http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200904221951
30 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/24(金) 01:13:30 ID:833QrCDj
>>26 >>「支那側に何らの誠意もなく、いたずらに遷延(時間稼ぎ)を策するものである」
ディルクゼンとの会見を終え、閣議に戻った外相の広田弘毅は、改めて「明日15日を
回答期限とする」ことで同意を取り付けます。また「予定通り、国民政府を相手とせずの
政府声明を出すべきだ」という意見が閣僚から相次ぎました。
この時の模様を、農林相の有馬頼寧は●「蒋は条件の内容を更に聞きたいとの回答で、
『断然蹴る』ことになった。1月16日には(政府)声明書を発表する事に決定された」
と自身の日記に綴っています。
しかし、参謀本部がこの段階になって交渉打ち切りの閣議決定を「軽率だ」として強硬に
反対します。カンジ(石原莞爾)の『不拡大論』を引き継いだ参謀次長の多田駿を筆頭に、
もともと支那事変が際限なくなり●「対ソ戦」の備えが疎かになることを恐れる意見は
根強いものがありました。端的に言えば、冬季(今は1月)だからこそ大規模な作戦を北方に
不安を感じることなく実行できますが、「春以降になったらどうなるか?――」という話です。
31 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/24(金) 01:33:14 ID:833QrCDj
こうして参謀本部(統帥部)の要求によって再度、大本営政府連絡会議が開かれる
異例の事態となり、運命の1938年1月15日を迎える事になります。今やトラ
ウトマン工作(和平交渉)を打ち切るかどうかの瀬戸際であり、連絡会議は15日に
首相官邸で開かれましたが、当然の如く「支那側からの正式回答」は来ませんでした。
1月15日の会議は午前中から始まり、参謀次長の多田が回答期限の延長を強く主張し、
●「中国側の最終回答を待たずに、しかも挙国的決意も準備も不十分のまま、長期戦に
移ることは出来ない」と訴えました。これに参謀総長の閑院宮も同調します。また海軍
側の統帥部である、伏見宮軍令部総長と古賀峯一次長も多田を支持しました。
しかし近衛を筆頭とする政府側は、頑強に「交渉打ち切り」を主張して譲らず、
午前中の会議は散会となります。午後に再開されると、政府と大本営が午前中の
主張を繰り返して激しく対立、陸相の杉山元が●「期限までに回答が無いのは、
国民政府に和平の誠意が無い証拠だ。蒋介石を相手にせず、屈服するまで作戦を
続けるべきだ」と多田参謀次長と真っ向からぶつかり、陸軍同士で激論となりました。
32 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/24(金) 01:43:39 ID:833QrCDj
ここで外相の広田弘毅が語気を強め、政府側として杉山の反論に同調します。
●『長き外交官生活の経験に照らし、支那側の応酬ぶりは『和平解決』の誠意なき
こと明瞭である。参謀次長は外務大臣を信用しないのか?――第2弾の策、即ち
長期抗戦に移して、どこまでも支那に対抗していく決心を固めなくてはならない』
広田の強硬論に力を得た首相の近衛文麿は、
●『速やかに和平交渉を打ち切り、我が態度を明瞭ならしめることが必要だ』
と述べ、さらにトドメとばかりに、海相の米内光政が多田に詰め寄りました。
●『政府は外務大臣を信頼する。また統帥部が外務大臣を信用しないのは、政府
不信任だ。内閣は総辞職の他は無い――』
33 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/26(日) 01:28:31 ID:3D4C8YWV
この日の午後の「大本営政府連絡会議」には、閑院宮と伏見宮の両総長は出席して
おりません。こういう土壇場の対立になりますと、陸相(杉山元)より1つ格下に
あたる参謀次長(多田駿)では押しが効きません。
お互いの頭を冷やすために再度会議は散会となりまして、多田は参謀本部に戻って
討議を行ない、さらに海軍軍令部と意見を調整しました。そして午後7時半からの
3度目の会議で、多田は次のように大幅な譲歩を述べます。
●「蒋介石政権の否認を本日の会議で決定するのは時期尚早で、『統帥部』としては
反対であるが、『崩壊』(内閣総辞職)しては内外に悪影響を及ぼすので、交渉
打ち切りは『黙過』し、あえて反対しない――」
この瞬間、参謀本部(統帥部)が政府に屈服した事になりました。明治大正の時代
ならいざ知らず、昭和に入ってからでは稀有の出来事となるでしょう。ことは重大
なので、支那の国民政府との「交渉打ち切り」決定は、閑院宮・伏見宮・近衛首相の
3人が別個に天皇へ報告することになりました――。
34 :
名無し三等兵:2009/04/26(日) 05:45:20 ID:???
見て来た様な
>>32 >>広田:『長き外交官生活の経験に照らし、支那側の応酬ぶりは『和平解決』の
>>誠意なきこと明瞭である。参謀次長は外務大臣を信用しないのか?』
_,........,_
, ´,.-== ,ヽ
i (ノノλノ)リ これが岡田啓介内閣での外相時に、
ルイ) ゚ ヮ゚ノ) 『私の在任中に戦争は断じてない――』、
`,く_,`ハ,イつ と宣言した男の成れの果てなのね……。
,(,ノ┐ハゝ
`'-i'_ィ,ァ"´
36 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/27(月) 00:46:31 ID:vP5obT0O
>>21外相の広田弘毅を憂慮させ、短慮に走らせ、強硬派に転じさせた大きな理由
元来は『協和外交』の推進者である広田弘毅が、なぜここまで短慮に走ったか?といえば、
1月22日から再開される帝国議会が目前に迫っていたからです。南京攻略から1ヵ月以上
経過している訳で、(満足な条件での)和平かそれとも継戦なのか、政府として態度を明確
にしなければならないと焦っていた訳です。当然ながら議場で具体的な答弁を迫られます。
また熱狂的な国民人気(ポピュリズム)が、その政治基盤となる近衛内閣としては尚更です。
ちなみに明治期では、閣僚がすべて貴族院議員や官僚で占められるなど、政党(=国会)に
立脚しない内閣のことを『超然内閣』と呼びましたが、近衛内閣はその真逆にあった訳です。
広田を擁護するならば、何度も繰り返しになりますが、すでに首相を経験していたことが
大きいでしょう。当然、国会運営の苦労は身に染みて分かっている訳で、和戦の結論を急ぐ
結果となりました。もしこの時が「初めての外相」であれば、恐い物知らずで自身の協和
外交を貫くことが出来たのかもしれませんが……。
37 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/27(月) 01:02:16 ID:vP5obT0O
かつて総理時代の広田は外務省の部下に、
「軍部は野放しの暴れ馬だ。それを止めようと真っ向から立ち塞がれば、
蹴り殺される。といって、そのままにしておけば、何をするか分からん。
だから正面から止めようとしては駄目で、横から飛び乗って、ある程度
思うままに寄せて、抑えていく他はない」
「もっとも、この馬には鞍も無く飛び乗るのが大変だし、裸馬だからいつ
振り落とされるかも知れん。しかし、誰かがやらなくてはいかん。そう
思って自分は飛び乗ったのだ」
と語りましたが、いまやこの馬は、軍部のみならず熱狂した国民世論をも
指しているかもしれません。外相の広田としては「ある程度、思うままに
寄せて、抑えていく他はない」と考えたのでしょうが、広田自身もすでに
冷静さを失っているのは間違いありませんでした。
_
_....(゚ー゚)
, ´ ⌒ヽi)
i|(( ) )) )iリ
(リ,i;゚ ヮ゚ノョ' ちなみに近衛文麿は、
゙,ヘi_i][i,l\ [] 西園寺公望に匙を投げられて
<_/ノ:;:;:;ヽ>ij^) 『狐が馬に乗ったよう』と言われていますw。
`¨i.ラi.ラ'´ (
 ̄  ̄
39 :
名無し三等兵:2009/04/27(月) 01:14:23 ID:???
*'``・* 。
| `*。
,。∩ * もうどうにでもな〜れ
+ (´・ω・`) *。+゚
`*。 ヽ、 つ *゚*
`・+。*・' ゚⊃ +゚
☆ ∪~ 。*゚
`・+。*・
40 :
名無し三等兵:2009/04/27(月) 01:15:51 ID:???
>>34 うちの地元では前の戦争は大化の改新だからな。
理論上では見れなくもない。
41 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/28(火) 01:07:47 ID:WneSv1xE
さて翌日の1月16日、外相の広田弘毅は駐日ドイツ大使・ディルクゼンに、
支那との『和平交渉打ち切り』を通告しました。これを受けてドイツ本国
外務省も駐支大使・トラウトマンに和平工作の打切りを指令しています。
しかしその前日の1月15日に国民政府行政院長・孔祥熙は、トラウトマンに
●「中国政府は日本側提案を回避するものではない」との口上書を渡している
のですから、日支双方とも間が悪い事この上ありません。当然、ドイツ本国を
経由しますからタイムラグがある訳です。前述の『9ヵ国会議』の結果待ちの時と
同様、どうして支那は『手遅れ』になってから、グダグダ言ってくるのでしょうw。
もはや1月16日には、近衛政府が運命の『国民政府を対手とせず』の政府声明を
出す訳です。念のためもう少し声明を補足すると、●「爾後国民政府を対手とせず、
帝国と真に提携するに足る新興支那政権の成立発展を期待」となります――。
42 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/28(火) 01:28:02 ID:WneSv1xE
さて、この展開に東亜局長の石射猪太郎はというと、既に匙を100本ぐらい
投げておりまして、外相の広田弘毅に以下のように述べました。
●「あの加重された条件では、到底色よい回答が中国側から来るはずがありません。
和平は差し当たり絶望です。日本が事変を持て余して目が醒めるまでは、時局を
救う途はありません。そうした時機はやがて到来します。それまでは『国民政府を
相手とせず』で結構です。この点について、私は争いません――」
そして1月16日に、外相の広田がディルクゼンに和平交渉の打ち切りを伝え、
近衛が政府声明で「国民政府を対手とせず」の旨を公表すると、石射はむしろ
サパサパした気持ちとなり『反逆的な快味』をさえ感じたと云います。
43 :
元32:2009/04/28(火) 02:11:26 ID:???
>>35 >これが岡田啓介内閣での外相時に、
>『私の在任中に戦争は断じてない――』、
>と宣言した男の成れの果てなのね……。
鋭すぎる。
>>36 >また熱狂的な国民人気(ポピュリズム)が、その政治基盤となる近衛内閣としては尚更です。
上手にポピュリストをするのも才能ですからね。
近衛には人気はあったけど、人気を利用する才能はなかった。
44 :
名無し三等兵:2009/04/28(火) 23:16:31 ID:???
俺たち終わったな・・・
日本の将来に夢も希望も無い・・・
ttp://it.nikkei.co.jp/business/column/natsuno.aspx?n=MMIT33000021042009 年金逃げ切り世代の50代は給与が高いにも関わらず失業率は低い。
50代以上で、1400兆円にのぼる日本の個人金融資産の80%近く(60代以上で6割)を保持している。
日本の繁栄を味わえる最後の世代。
これに対して、30代はロストジェネレーションと呼ばれ、大学卒業時にはすでにバブル崩壊。就職は氷河期。
年金は払う額以上に受け取れないこともはっきりしている。
貯蓄からローンなどの借り入れを引くと、平均はマイナス、つまり債務超過。
昇給もスロー、昇進も超スロー。
20代はさらにひどい。
人件費は50代の3分の1以下で、パソコンもケータイも使いこなせるのに、失業率は何倍も高い。
45 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/30(木) 00:14:38 ID:hxIZWXqw
>>43 >>近衛には人気はあったけど、人気を利用する才能はなかった。
毎度どうもでございます。まさにその通りですね。人気を持て余していますw。
>>35 >>『私の在任中に戦争は断じてない――』と宣言した男の成れの果て
さて、日本の針路を大きく分けた『国民政府を対手とせず』の政府声明ですが、外務省東亜局
第一課長の上村伸一が口述したものを課員が速記したのが、元々だと云います。上村曰く、
●「支那事変処理根本方針の内容に依拠したに過ぎず、『対手とせず』の文言に
落ち着いたのは、曖昧な表現を残すことで解釈の余地を残そうとした――」
とのちに釈明しました。もちろん外相の広田弘毅が閣議にかけて決定したもの
ですが、本来「相手とせず」と書くところを「対手とせず」と換語した理由は、
●「(支那の)新政府が樹立され、日本が正式に承認した後でなければ法律上、
(蒋介石の)国民政府を否認することが出来ない。そこで国民政府を無視し、
新政府とその承認を予告した政治的表現だ」とされました。
46 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/30(木) 00:37:36 ID:hxIZWXqw
>>45 >>「国民政府を無視し、新政府とその承認を予告した政治的表現だ」
しかし、これは広田弘毅にとって建前論でした。なぜなら閣議では陸軍を中心に
『蒋介石打倒』や『殲滅』という文言を政府声明に盛り込もうとする空気が満々
でしたので、あえて広田が
>>45 の後段のようなことを述べて『対手とせず』の
表現に緩和したのでした(蔵相・賀屋興宣の回想より)。
>>35 >>『私の在任中に戦争は断じてない――』と宣言した男の成れの果て
外相の広田にとっては帝国議会の再開が迫るなか「最後のタガ」とも言うべきもの
でしたでしょう。そんな広田の心中を知ってか知らずか、近衛内閣は1月18日の
補足声明のなかで、『対手とせず』は『否認よりも強い』ものであり、『国民政府を
否認すると共にこれを抹殺せんとするものである』と読み上げたのでした。
そして「もし蒋介石が和平を申し出てきたら、これを相手にするのか?」の質問に対して
近衛は、広田が重い口を開く前に『絶対に相手に致しません』とトドメを刺した訳ですw。
_
_....(゚ー゚)
, ´ ⌒ヽi)
i|(( ) )) )iリ
(リ,i;゚ ヮ゚ノョ'
゙,ヘi_i][i,l\ [] 悲劇も度を過ぎると、喜劇になりますね。
<_/ノ:;:;:;ヽ>ij^)
`¨i.ラi.ラ'´ (
 ̄  ̄
48 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/30(木) 01:03:09 ID:hxIZWXqw
そして同日の1月18日には、駐支日本大使・川越茂に外務省から帰朝命令が出され、
1月20日には駐日支那大使も日本から引き揚げます。完全に「正規の外交ルート」が
断絶する事になり、ここに泥沼の日中戦争が改めて開始されました――。
49 :
名無し三等兵:2009/04/30(木) 01:37:51 ID:???
50 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/04/30(木) 01:44:46 ID:hxIZWXqw
>>46 >>外相の広田にとっては帝国議会の再開が迫るなか『最後のタガ』
かつての『協和外交』の旗手として、広田は忸怩たる思いだったかもしれません。
また内心では「どうしてこんな結果となったのだろう?」と磨耗させていたかも
しれませんが、第77回帝国議会は1938年1月22日に容赦なく再開されます。
首相の近衛に続いて貴族院に登壇した広田弘毅は、●『国民政府を対手とせず』の
政府声明について、そこに至る水面下の交渉を議会で明らかにします。そのうえで、
●「支那側が何ら『誠意』を示すところの回答を寄こさなかったのであります」
●「帝国政府の与えましたところの『最後の好機』を自ら放擲したと見るべきで、
――到底、事変解決の見込みがないことが明らかと相成ったのであります」
●「帝国と真に提携するに足る『新興支那』政権の成立発展を期待し――これが
帝国の理想とする日支提携による東亜の安定を得る唯一の途であると信じて
疑わないのであります」
と絶叫して政府の、そして日本の正当性を訴えたのでした。また衆議院でも
同様の演説が繰り返されます――。
51 :
名無し三等兵:2009/04/30(木) 11:09:34 ID:???
52 :
名無し三等兵:2009/04/30(木) 18:57:18 ID:???
なんだそのM資金は?
53 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/01(金) 01:12:04 ID:Z8p7mJYB
>>50 >>と絶叫して政府の、そして日本の正当性を訴えたのでした。
外相の広田弘毅が、貴族院・衆議院で支那との『和平交渉』のプロセスと和平条件まで
公表し、そのうえで「和平の見込み無し」と断じたことは大きな反響を生みました。
翌日の1938年1月23日の『東京毎日新聞』には、
●「我が対支要求の4点――防共・非武装地・経済協定・賠償、最小限度の条件鮮明、外相演説」
と大きく報じられました。また広田は「将来的にも最早、第3国が和平を仲介することは無い
であろう」と議会で答弁しつつも、支那への『宣戦布告』については慎重な態度を崩しません
でした。これは、もし宣戦布告となれば、アメリカが「中立法」を発動して日本に対する貿易を
制限しかねないなど「不確定要素」が多すぎたためです。
同様に政府の補足的声明でも『宣戦布告』については、「宣戦布告ということが流布されて
いるが、帝国は無辜の支那民衆を敵視するものではない。また国民政府を対手としない
建前から宣戦布告も有り得ぬ」と釘を刺しています。まあ、そもそも『支那事変』という
名称そのものが『戦争ではない』という建前である訳ですが……。
54 :
某脱走兵:2009/05/02(土) 16:42:26 ID:???
スイマセンが仕事がぎゅうぎゅうで途切れ途切れになると思います。
帰省先でも「お持ち帰り」ですorz……w。
55 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2009/05/02(土) 18:34:41 ID:GEXPPMw3
独断と偏見で愚行を書きなぐる。
軍縮だからといって軍艦製造を止められては列強工業国としての取り柄がなくなってしまう。
通信にしても自動車にしても当時の状況だとやはりライセンス止まりで、最先端技術開発とは言い難い。
アメリカを別とすれば空母は日本にできて独ソにできず、だが戦車はというと97式中戦車チハ止まり。
あれはあれで大陸打通作戦では地獄車として活躍したが、そうだとしても全世界に輸出というほどでもないだろう。
こんな状況で唯一の取り柄である造船を規制されたら国際競争の場ではやっていけなくなる。
競争力の乏しい非効率企業は切り捨て競争力の強い企業を牽引車として使わないと経済成長はおぼつかない。
対支21カ条要求も中国側の抗議で7カ条が撤回されたし、軍縮にも応じて軍艦を廃棄処分にしたりしてるが、
この間にもドイツとソ連は独ソ協定で重工業育成に猪突猛進しており、中国人の眼からすればドイツから
ドイツ陸戦兵器を輸入してドイツ式軍事訓練をすれば日本恐るるに足らずとの侮日機運が盛り上がってきたことだろう。
下の記述は何度も引用してきたが、再度繰り返しておきたい。
ところが、ナチズムの権力掌握後、独ソ関係の悪化によりこの軍事協力関係
の維持は不可能となり、ドイツ国防軍がみずからの活力を維持するためには、
あらたな軍事的パートナーを必要とするにいたったのである。この面で
ドイツ国防軍、主として陸軍が注目したのは中国であった。・・・中略・・・
また、国防経済という観点からも、ドイツ国防軍が親中路線を採用する理由が
存在した。なぜなら、両国の経済は相互補完的であったからである。ドイツ国防
経済は、ロシアとの関係悪化後、技術刷新の継続のためにも、また付加的な
輸出の拡大のためにも、あらたな市場を求めていた。一方、中国側は、ドイツから
の工業製品輸入を天然資源の輸出で相殺することができたし、また一九三五〜三六年
のドイツの武器輸出総額のうち、実に五七・五パーセント(二千万ライヒスマルク)
が中国に向けられていたのである。
これに対し日本はその一パーセントにも満たない十七万七千ライヒスマルクであった。
<ナチズム極東戦略 日独防共協定を巡る諜報戦 / 田嶋信雄/著 >
56 :
名無し三等兵:2009/05/02(土) 18:55:47 ID:???
愚行・・・・・・
つくづく愚かだな、だつおは
57 :
名無し三等兵:2009/05/02(土) 21:27:42 ID:???
58 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2009/05/04(月) 10:47:19 ID:PyveBNP5
技術開発競争は米英のみならずソ連やドイツともやっていかなくてはいけない。
ソ連とは満州国境沿いで、あっちの国はスペインや中国にも飛行機輸出をする技術大国。
武器輸出は国際技術開発競争で、工業技術の優劣を競うビジネスゲームなのだから。
旧ソ連も宇宙開発を推進して、自国の工業技術の優秀さを世界中の国々にアピールしたものだ。
>ドイツの武器輸出総額のうち、実に五七・五パーセント(二千万ライヒスマルク)
>が中国に向けられていたのである。
> これに対し日本はその一パーセントにも満たない十七万七千ライヒスマルクであった。
防共協定を結んだからと言って同盟国と思ったら大間違い。
日本が技術開発を止めれば直ちに中国への武器輸出を発動し中国人の抗日侮日を煽ってくる。
ここでお前らは、ドイツ陸戦兵器と日本のそれとでは、どっちが優秀で工業技術は上と思う?
59 :
名無し三等兵:2009/05/04(月) 11:21:39 ID:nAPdD4BE
日本の陸戦兵器が、チェコやドイツに劣るのは明白。
ま、日中戦争は、戦術的に日本軍の連勝でも、
戦略的には中国に「してやられた」というのは、徐州作戦でも判ってる話。
そのうえ、外交的にも(ry
日中戦争の認識の甘い厨が居るようだが、呉淞上陸作戦なんか、悲惨なものだ。
60 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2009/05/04(月) 11:50:31 ID:PyveBNP5
>日本の陸戦兵器が、チェコやドイツに劣るのは明白。
ということはつまり中国人の知能障害は先天的かつ絶望的でそのような武器性能では到底覆るものではなく、
皇軍の大陸打通作戦3000キロで中国のチンピラゴロツキどもはションベンちびってみんな逃げ出してしまったのだとww
チンピラゴロツキに援助しても、チンピラゴロツキはチンピラゴロツキwwwwww
>戦略的には中国に「してやられた」というのは、
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1208053108/l50 イギリス軍がマレー・インド洋で日本軍に惨敗した理由
イギリスはソ連の三倍もの援助を受け取っておきながら、しかも北アフリカでは
僅か3個師団のドイツ軍を相手にしていたに過ぎないのに、日中戦争も日米戦争も抱えて
四苦八苦してた大日本帝国に惨敗した理由を、ネタでもいいから述べてみてくれ。
またそんな状況で真珠湾攻撃はどうして「成功」したのか、陰謀説抜きで説明してみてくれ。
それとソ連の対独戦勝と比べて、中国抗日戦争とやらの貢献はいかほどだったのか述べてみてくれwww
61 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2009/05/04(月) 11:59:59 ID:PyveBNP5
>日中戦争の認識の甘い厨が居るようだが、呉淞上陸作戦なんか、悲惨なものだ。
それをいうなら朝鮮戦争のマッカーサー率いる米軍の「仁川上陸作戦」だって悲惨なものだぞ。
朝鮮戦争で中国のチンピラゴロツキ蛆虫も撃破できなかった米軍が、どうして日本本土で皇軍主力を撃破できるのか
教 え て く れ よ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ お ぉ お ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ !
教 え て く れ よ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ お ぉ お ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ !
教 え て く れ よ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ お ぉ お ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ !
教 え て く れ よ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ お ぉ お ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ !
62 :
名無し三等兵:2009/05/04(月) 16:09:17 ID:???
米軍の「仁川上陸作戦」は全然悲惨じゃないけどねw
63 :
名無し三等兵:2009/05/04(月) 16:43:04 ID:???
>>62 米軍にとって朝鮮戦争は楽しいピクニックですから♪
64 :
名無し三等兵:2009/05/04(月) 16:54:04 ID:???
全然悲惨じゃないとか、楽しいピクニックだとかいうなら、そういってるお前が行けと言いたい。
戦争はどんな戦争でも悲惨なもので、日本軍だけに限った話ではない。
悲惨ではない戦争があるというのなら、そこの軍隊へ志願してみたらいい。
沖縄戦で日本軍も悲惨だったが米軍も死傷7万5千を出しており兵員損害からして同じくらい悲惨。
朝鮮戦争だって米軍は死傷16万を出しておりそれはそれで悲惨なものだった。
65 :
名無し三等兵:2009/05/04(月) 16:59:04 ID:???
>>64 趣旨には全く同意だが落ちつけ。
貴重な良スレを無意味にスレ違いに消費する連中は放置汁。
66 :
名無し三等兵:2009/05/04(月) 17:16:26 ID:???
朝鮮戦争は悲惨でも「仁川上陸作戦」は全然悲惨じゃないね♪
67 :
名無し三等兵:2009/05/04(月) 17:26:02 ID:???
>>66 >朝鮮戦争は悲惨でも
チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 惨 な 米 軍
チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 惨 な 米 軍
チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 惨 な 米 軍
チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 惨 な 米 軍
チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 惨 な 米 軍
68 :
名無し三等兵:2009/05/04(月) 19:36:37 ID:???
いやだなぁわざとですよ
69 :
名無し三等兵:2009/05/06(水) 08:23:00 ID:???
日独伊三国同盟を結んで、英米+ソ連を敵にすると言う無謀な戦略って結局ナチスの謀略に嵌められたんだろうね。
だいたい日本が真珠湾開戦するよりも前に、アメリカは日本の木造住宅都市を燃やして効率よく大量虐殺する研究を
進めてきた。そこで開発されたのが焼夷弾だ。
じゃ原爆は?と言うと開発はしたいけどアメリカの独力では造れない。そこでドイツ人科学者を集めて開発を進めた。
ところがなかなか開発が進まないので、ナチスが開発した原爆を代用として広島に落としたと言う話だ。
遅れてアメリカ産の原爆が出来たので是非テストしたいということで長崎に落とされた。
また京都は歴史的建造物が多く存在するので原爆投下の対象から外したという説が随分昔はやったが
実際は京都も第1ターゲットの一つに入っていたが、天候不順のため広島への原爆投下に急遽決定されたと言うことだ。
そもそも独伊と軍事同盟を結ぶメリットなんか日本には存在しなかった。
70 :
名無し三等兵:2009/05/06(水) 10:05:09 ID:RmngSQUc
じゃあなんで日ソ中立条約なんて結ぶんだよw
71 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2009/05/06(水) 10:32:19 ID:T7JbF1iz
>>70 ソ連はいい国だよ。だって日ソ中立条約で満州国を承認してくれたんだから。
なのにドイツはそれを無視して勝手にソ連との戦争を始めた。
いい国、というのはあくまで満州国承認を拒否した米英中と比べてのことで、
ソ連も最終的には日ソ中立条約を踏み倒して満州国を潰しにきた。
だが満州進攻にシベリア抑留含めても、東京大空襲や広島長崎の原爆といった米軍の凶悪さと比べればマシ。
もう少し早くベルリン封鎖が起こっていればとか、もう少し早くソ連の核実験が成功していたらとか、
もう少し早く朝鮮戦争が起こっていたらとか、米英中に害を加える共産主義ソ連は頼りになるいい国だ。
同様にアルカイダテロも良いことづくめで、文句があるなら米軍こそ東京大空襲や広島長崎の原爆への謝罪をすべき。
それは農作物を食い荒らす害虫アブラムシの天敵であるテントウムシは益虫というのと同じ論理だ。
米英中にとっての敵(中ソ蜜月はほんの一時期)である共産主義ソ連は、敵の敵は味方となる。
何しろベルリン陥落から日本降伏までの間、ナチスドイツを撃破した共産主義ソ連は国威も最高潮で、
ヨーロッパでは暴れ放題でテューリンゲンなど米英はずるずると西側へ戦線後退されるばかりだった。
あ り が と う ソ 連 邦 !
>>54 >>スイマセンが仕事がぎゅうぎゅうで途切れ途切れになると思います。
せめて、日本語らしく――。
73 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/09(土) 01:06:40 ID:vAzJ5XRN
>>53 >>外相の広田弘毅が、議会で「和平の見込み無し」と断じたことは
>>大きな反響を生みました。
これが1938年1月22日ですが、東亜局長の石射猪太郎は「日本は行く処まで
行って、行き詰まらねば駄目」と見切りを付け、憤懣やるかたありませんでした。
そんななか石射は2月2日、三菱関係者を主催とする懇談会で「中国問題」の話を
頼まれます。場所は一ツ橋如水会館の香村寮で、出席者は外務省の元大使級と並んで
陸海軍の退役将官たち。そして、その主賓格には元陸軍大将の宇垣一成がいました。
この時の宇垣は近衛内閣で参議を務めておりましたが、これが石射と宇垣の初めての
出会いとなります。後で述べますが、現在の外相の広田弘毅に大きな不満を抱えて
いた石射は、その反動で宇垣に対して過剰に傾倒しました。また、言うまでもなく
宇垣は近衛内閣で「広田の後任の外相」となる訳です――。更にちなみにですが、
石射は宇垣の初対面の印象を、●「かつてメキシコで謁見したオブレゴン大統領の
不適な面影を彷彿せしめるものであった」と回想していますw。
74 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/09(土) 04:18:03 ID:vAzJ5XRN
>>73 >>出席者は外務省の元大使級と並んで陸海軍の退役将官たち
数奇をこらした日本間で酒肴に囲まれたなか、石射は「ご覧の通りの顔ぶれで
絶対漏洩しない約束なので、支那事変について腹蔵なき話を聞かせて欲しい」
と頼まれました。
事変の処理については「憾み千万」であり、酒を飲んだこともあって石射は
かなり激しい口調で政府を批判します。まあ、糞が焼けた「ヤケクソ」状態
だった訳です――w。
「国民政府を対手とせず」の政府声明が出されるまでの経緯や、近衛首相を
始めとするだらしない政府首脳(当然、外相の広田も含まれる)、和平条件の
吊り上げでトラウトマン工作を台無しにした大本営政府連絡会議の愚策……。
いくら『オフレコ』でも、外務省の渦中の人物としては危なっかしい内容です。
そして最後に、支那事変の解決には先の「国民政府を対手とせず」声明を乗り
越えて(チャラにして)、支那(国民政府)に和平の手を差し伸べられる強い
政治家の登場こそを願う――として話を閉めたのでした。石射には質問が相次ぎ
その中には、後に外相となって石射の上司となる宇垣一成もいた訳です。
75 :
名無し三等兵:2009/05/09(土) 07:09:26 ID:???
確かにドイツは国民党に武器を提供し、軍事顧問は派遣していたが、
国民党は1936年の西安事件以降、容共親ソ傾向を強め、
ソビエトへの依存を強めており、ドイツの国民党への熱心な支援も
国民党は鼻の先であしらう様になり、ドイツは1938年には手を引いた。
例えドイツが親中反日で蒋介石を支援したとしても、ソビエトへの傾斜路線は変わらない。
それに蒋介石が応えるというわけにはいかない事情があった。
76 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2009/05/09(土) 21:55:33 ID:T1UrIF1c
大陸打通作戦が米中関係に及ぼした影響がどんなに大きかったかは、カイロ宣言とヤルタ協定を比べてみれば一目瞭然と思う。
何しろ「三巨頭」の一つであったはずの中国代表が、ヤルタでは出席さえ許されなかったのだから。
太平洋戦争でいくら敗北してもなお日本軍の戦力はそれだけ大きく戦争終結はドイツ降伏後18カ月後になるだろうと。
これだけ徹底的に中国軍が敗北してしまっては、アメリカの極東戦略そのものが一から練り直しになってしまう。
ホーンベックやシェンノートなど、ホワイトハウス内の対日強硬派を失脚させたのも大陸打通作戦がきっかけ。
何しろ中国と比べれば日本は工業技術で圧倒しておりそれは米軍の航空支援で覆るものではないから。
戦前日本の工業技術は米英独ソではなくて中国と比較するのが妥当で、中国と比較すれば神の領域ww
日本軍が弱いなら、その日本軍に終戦まで支配されていた中国人はどれだけ惨めな蛆虫なのかと。
77 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/10(日) 00:55:10 ID:1IeK7Yp5
>>50 >>かつての『協和外交』の旗手として、広田は忸怩たる思いだったかもしれません。
1938年1月16日の「国民政府を対手とせず」声明のあとも、広田の困難は続きます。
後で詳しく述べますが、1月末には『対支政策』を扱う総理直属の中央機関として『東亜
事務局』を設置する案が持ち上がります。これは外務省の権限を、引いては外交の一元化
を大きく損なうものですから、とくに担当者である東亜局長の石射猪太郎は慌てましたw。
この問題は広田の外相辞任以降も引っ張りますので、ひとまず置いておきますが(のちに
興亜院[1938年12月]、更には大東亜省[1942年11月]に拡大。ちなみに興亜院・初代総務
長官は、第10軍司令官だった柳川平助w)、この第73回帝国議会で一番の肝となる
のは、やはり『国家総動員法』の成立とその過程でしょう――。
その狼煙が上がるかのように2月17日夜、政友会と民政党の本部が襲撃されました。
襲ったのは「政党解消」を要求する「防共護国団」600人でしたが、その背後には
内相の末次信正、法相の塩野季彦(いわゆる思想警察のドン)がいたと噂されます。
78 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/10(日) 01:39:54 ID:1IeK7Yp5
それはさて置き「国家総動員法案」は陸軍の発案により2月24日、議会に提出
されることになります。もちろん来たるべき総力戦体制のために、国民の自由や
権利を大きく束縛するものですから、当初より「憲法無視」の批判が上がりました。
しかし近衛内閣としては、なし崩し的に無茶苦茶な統制を軍に引かれるよりは、
大筋だけでも議会を通して法案を制定することで、一定の歯止めをかける事が
可能となり、なおかつ立憲の精神にも叶う――との説明を続けました。
この法案の制定に広田がどの程度関わったかは分かりませんが、上記のような
陸軍という荒馬を何とか苦心して誘導しようとするのは、いかにも広田らしい
やり方だと思えます。
しかし当然の事ながら議会は紛糾しまして、3月8日には有名な佐藤賢了中佐
による『黙れ!事件』が衆議院の「総動員法案委員会」で起こりました。この
時の佐藤は、陸軍省軍務課の政策(国内)班長で、法案の説明員の役割だった
訳です。もともと総動員法案は陸軍の提案によるものであり、政府の文民出身
者では、その趣旨や必要性を説明するのが難しいのが背景にありました――。
79 :
名無し三等兵:2009/05/10(日) 01:47:35 ID:???
どーも日中戦争は戦力がどうなっているのかよく分からん
東南アジアとかフィリピンとかは、作戦や実際の戦闘がけっこう分かるんだけど
中国はなんかもうグチャグチャで、どこでどういう戦闘をやっていたのか今ひとつ分からない
分かりやすいサイトなど知っている人いない?
80 :
名無し三等兵:2009/05/10(日) 11:06:04 ID:???
極東軍事裁判記録を読んでいただきたい。
まず、裁判長ウエッブは天皇訴追論者だった。
ウエッブはオ−ストラリア出身で、地方裁判所の裁判長程度の経歴であり
同時にすでにニュ−ギニアで戦争犯罪人を裁いていた。
この時点で、彼の頭の中には天皇を頂点とした日本帝国主義という
権力構造の図式が成り立っていた。
主席検事のキ−ナンは、アメリカの総意として天皇訴追は避けるべきであり
日本を統治する上で、精神的シンボルである天皇制を利用することが
有効であるというマッカ−サ−の意を汲んでいたことは事実だ。
ソ連は何が何でも天皇訴追であり、ソ連が提出した口供書は日露戦争まで
さかのぼって日本帝国主義の戦争犯罪という書き方をしてあった。
有罪と判定され、告訴された被告の内戦地での残虐行為を追求された者・・
南京虐殺・・・松井石根陸軍大将
捕虜に対する残虐行為・・・木村兵太郎陸軍大将
中国における謀略行為・・・土肥原賢二陸軍大将
民間人への攻撃・・・橋本欣五郎陸軍大佐
を除けば、当時政治の中枢にあった陸軍で言えば軍務局、海軍で言えば
軍令部の局長、部長経験者は多数被告になっている。
特に、陸軍の軍務局関係者は
武藤章・・・陸軍中将、東条首相時代の軍務局長
佐藤賢了・・・陸軍中将で軍務局にあり、失言が元で政党政治を弾圧したと勘違いされ
被告となる。今で言えば、国会のヤジ程度の発言で取るに足らない内容。
東条英機、木村兵太郎・・・軍務局の要職経験者
死刑になった被告7名の内、五名が何らかの形で陸軍省軍務局に関わっている。
アメリカの太平洋戦争に関する考え方が、陸軍主導で計画され実行された戦争であり
海軍がそれに追随し、内政は陸軍に対し戦争をはじめとする侵略行為を止めなかった
責任を取らされた形と言える。
81 :
名無し三等兵:2009/05/10(日) 11:07:07 ID:???
ナチスドイツの組織が、ヒトラ−を頂点としてきれいな縦割りになっていたのに対し
日本の戦争遂行は最高戦争指導者会議という、東条首相の私的とも言える会議で
決められそれが陸軍にあっては東条閥というか、子飼いの部下達によって
計画されていったとアメリカは理解していたようだ。
天皇の戦争責任に関して、木戸幸一内大臣が戦犯指名され終身刑の判決を下されたが
これは言い換えれば、天皇に情報を伝え戦争回避の行動をさせるべきにもかかわらず
それを怠ったという形になっている。
実は、アメリカが驚いたことの一つに国粋主義の思想的指導者として、
梨本宮を逮捕したところ、国民が大変に驚き希望をなくしたのを見て
これ以上皇室関係者を逮捕すれば、影響が大きすぎて進駐軍の手に余る
状況になってしまう・・・事実、南京虐殺では松井大将がこの事実を知ったのは
虐殺が発生してだいぶ経ってからで、しかも彼はその時に南京にはいなかった。
現地には、柳川陸軍中将と朝香宮鳩彦陸軍中将がすでに駐屯しており
虐殺が起きた段階でもこの二名は現地で回避活動をしなければならなかった。
それを怠ったのであるが、キ−ナンは梨本宮の二の舞を恐れて朝香宮の逮捕を躊躇した。
アメリカがこの時点で相当皇室関係に配慮していた事実がここにある。
82 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/10(日) 23:52:48 ID:5pZlC8gz
>>78 >>3月8日には有名な佐藤賢了中佐による『黙れ!事件』
>>80 >>佐藤賢了・・・陸軍中将で軍務局にあり、失言が元で政党政治を弾圧したと
>>勘違いされ被告となる。今で言えば、国会のヤジ程度の発言で取るに足らない内容。
まあ、佐藤賢了の『黙れ!事件』は有名ですが、あまりに断片的に語られることが
多いので補足しておきましょう。佐藤は「国家総動員法案」の陸軍側の説明員であり、
衆議院で審議中に板野友造議員が、
●「この法案は若い軍人や官僚たちの起案したもので、政府諸侯は分かっていないから、
誰でも良いから分かっている人が説明してくれ――」
と苦情を述べたところ、説明員の佐藤賢了が登壇して事項の説明に当たった訳です。
しかし、聞かれたことだけ答えれば良いものを、佐藤はアメリカに駐在していた経歴が
あり(米野砲兵第12連隊付)『知米派』を自認していましたので、どんどん話が
関係ないところまで広がり際限が無くなります。
83 :
名無し三等兵:2009/05/10(日) 23:58:07 ID:???
ごーすとっぷ
おう みすていく
84 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/11(月) 00:11:12 ID:PV6YPf2n
●佐藤「米軍は戦略を知らず、モルトケ以来の戦略戦術を知る日独の前に鎧袖一触…」
あまりの長口舌に痺れを切らした議員の何人かが佐藤に野次を飛ばし始めます。
そして宮脇長吉議員が、●「委員長!この説明員にどこまで発言を許すのか!」
と声を上げたところ、激昂した佐藤が●「黙れ!(長吉)」と怒鳴りつけました。
議場という場所柄を考えまして、辛うじて(長吉)は飲み込んだ訳ですが、国会
議員でない「説明員」の一介の中佐の暴言に委員会は荒れ狂い、いったん休憩が
挟まれました。その後、佐藤は陸相の杉山元に叱責を受けまして、翌日に杉山が
議会に陳謝。佐藤は議会から姿を消すことになります――。
しかし、この「黙れ!事件」以降、国家総動員法案の審議は順調に進みまして、かえって
『怪我の功名』との声がのちに上がりましたw。また、この事件が大きく取り沙汰されるのは
もう1つ訳がありまして、佐藤に「黙れ!」と野次を返された宮脇長吉議員は「元陸軍大佐」で、
佐藤が陸士時代の教官でした。かつての教官に「黙れ!」と帝国議会で怒鳴りつけたことは、
別の意味で『語り草』になった訳です。
85 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/11(月) 00:29:56 ID:PV6YPf2n
まあ、陸相の杉山が翌日の議会で陳謝した訳ですが、佐藤自身に明確な処分が
下らなかったことが、更なる批判を浴びる結果となりました。「黙れ!」自体は
>>80 >>今で言えば、国会のヤジ程度の発言で取るに足らない内容。
の、かわいいものだった訳ですが、それも佐藤が「国会議員」であればの条件が
つく話です。やはり「一介の中佐風情が」という目で見られた面は大きいでしょう。
それにしても、佐藤は1938年7月には大佐に昇進して、陸軍省新聞班長兼大本営
報道部長の職に就く訳ですから、何やら『悪い冗談』としか思えませんw。
ちなみにですが、他方の当事者である宮脇長吉議員は、元陸軍大佐ながらその
「自由主義的」「反軍的」な気質により、1942年の翼賛選挙では推薦が得られず
落選。戦後は、元陸軍大佐という経歴が問題視され「公職追放」を受けて立候補
できないという、政治家としては非常に不遇な立場にありました。
86 :
元32:2009/05/11(月) 00:36:35 ID:???
課長殿も無理なさらぬよう。
>>73 近衛と広田に懲りて宇垣とは。
どんどん蟻地獄に落ちていくな、石射は。
>>84 >>85 近衛が議会で逃げてばかりで(なにかあると病欠)、
佐藤賢了も議員たちもかなりフラストレーションが溜まっていた、
とは本人の弁です。
佐藤自身の弁では、説明そのものは好評だったということです。
佐藤っておもしろい人ではありますね。
87 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/11(月) 00:53:17 ID:PV6YPf2n
>>77 >>この第73回帝国議会で一番の肝となるのは、やはり『国家総動員法』の
>>成立とその過程でしょう――。
やはり佐藤云々よりも、肝となるのは『国家総動員法』の成立自体でありまして、
民間ではあらゆる業種に「事業組合」が網羅されることになります。具体的には
企業の借り入れ、増資、配当にまで制限を受けるようになり、当然のことながら
「事業組合長」は官僚の天下りです。
これにより膨大なペーパーワークが発生することとなり、銀行貸出しについても
大蔵省の許認可が要るという「非現実的」な内容でしたが、さすがに実行不可能で、
規制は緩められました。しかし各企業への金融は大きく抑制される結果となります。
もちろん、これでは「新規の設備投資」は困難になりまして、生産力の拡大について
各企業は既存の設備をフル稼働させることで対応しますが、これでは「先が無い」のは
目に見えていますw。結局、企業間競争も阻害されまして、新しい技術や新製品の開発に
対するモチベーションは急速に失われていきます――。
88 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/11(月) 01:10:22 ID:PV6YPf2n
これが日本経済の停滞を招きまして、後から振り返れば『総力戦体制』どころの
話ではなくなる訳です。なぜこのような『自爆テロ』のような事を目指したかと
いえば、当時の「自由主義経済」の行き詰まりと、ソ連の「5ヵ年計画」による
経済発展に目が眩んだためです。カンジもこれに傾倒していましたが……。
まあ結論から言えば、日本が生んだのは単なる『官僚天国』であり、ソ連のように
独裁者のスターリンが成果如何によって『粛正を言い渡す』のを嬉々として待って
いる環境とは根本的に違う訳です。話が飛ぶのでこの辺にしますが、「戦前日本の
統制経済が、統制でも何でも無かった」と気付くのは戦後のことになります――w。
89 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/11(月) 01:17:07 ID:PV6YPf2n
>>86 >>近衛と広田に懲りて宇垣とは。どんどん蟻地獄に落ちていくな、石射は。
先に言っちゃイヤンw。「よりにもよって宇垣かよ」という気はしますが、石射に
とって何より重要だったのは、支那事変の解決と、陸軍に面と向かって対抗できる
豪腕の外相だった訳です。まあ、それほど藁にも縋るというか、追い詰められていた
とも云えます。
何日か前、母の日に花を送るために花屋へ逝きましたら、「**県って本州
ですよね?」と店員が周りに聞いていたのに絶句しましたw。
>>90 >>何日か前、母の日に花を送るために花屋へ逝きましたら、
. .「^ヽ,ry'^i
ゝ"´ ⌒`ヽ /[]
くi Lノノハノ)」 / []]
λ.[i ゚ ヮ゚ノi! / [] [] 某脱走兵も、ちゃんと人から生まれてきたのね。
レ',ヘ.i`ム'」つ/ [] [][] 意外すぎてビックリだわw。
..く_,//T.iλ
. "ーr_,t_ァ'"
ヘ
イ"´ ̄`'ヽ
| i.|ノリハノリ〉_
,ヘルlリ ゚ ヮ゚ノiiノn 一番、「人間離れ」しているのは、
ゝ<,_,i`ハ´i,〕ツ 博麗の巫女ですけどねw。アンタ
`,し/~/:ハ だけは言うなって感じですよ。
`'ィ ァ~ィ ァ´
T T
93 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/12(火) 01:45:25 ID:yD59bpzm
さて、この頃のトピックとしましては、1938年3月28日に「中華民国維新政府」が
南京に樹立されています。梁鴻志を行政院長とするものですが、中支那方面軍の
主導で作られたものです。南京(上海)に自治政府を設けることは、松井石根が
最優先に近い順位で力を注いだものですが、この頃には松井は司令官を交代させ
られ、日本に帰国復員しています――。
言うまでもなく、既に北支には「中華民国臨時政府」(1937年12月14日)が成立
しており、近衛内閣が『国民政府を対手とせず』とした以上、こうした急速に
拡大していく日本の占領地をいかに処理していくかは、焦眉の急の問題でした。
>>77 >>1月末には『対支政策』を扱う総理直属の中央機関として『東亜事務局』を
>>設置する案が持ち上がります。これは外務省の権限を、引いては外交の一元化を
>>大きく損なうもの
という訳で、対支中央機関として総理直属の『東亜事務局』を設立する動きが強く
なったのですが、当然これは外務省の権限を大きく削ることになります――。
94 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/12(火) 02:15:41 ID:yD59bpzm
まあ、旧大蔵省から金融庁を分離させるようなものかもしれないですが、この場合、
『外交の一元化』を損なうことが一番の問題な訳です。とはいっても、きちんとした
占領地行政を立ち上げない事には、いつまでたっても現地軍(特務機関)が関与する
結果となります。さりとて、外務省の東亜局だけで手に負える問題でもありませんが。
この頃になると、外相の広田弘毅は当初の志ここにあらず、心身ともに磨耗させて
おりまして、首相の近衛文麿が前向きだったこともあり「対支中央機関」の設置に
『断固反対』という構えではありませんでした。
むしろ中間案として、外務省の対支経済事務局として『外局』を設け、長官には
厄介者だった白鳥敏夫(言うまでもなく、後の「A級戦犯」)をおっぽり出そうと
考えていたと云います。外相の広田は部下の米沢菊ニ(調査部長)に愚痴として、
●「(支那)事変処理の責任を他の機関が取るというのなら、それも止むを得ない
であろう。いわんや近衛首相がこれに同調している以上、自分1人が反対しても
その目的を達成することは至難であろう――」と、こぼしています。
95 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/12(火) 02:24:37 ID:yD59bpzm
要するに、日本軍が支那に占領地を急速に拡大させていく以上、外務省として
責任を負える範囲は限られる――。また石射の表現を借りれば、●「なるべく
なら事変処理の責任を外務省の他の機関に転嫁して、『身軽』になりたがって
いたのだ」という訳です。
96 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/14(木) 00:33:28 ID:Bgywx+QO
>>95 >>なるべくなら事変処理の責任を外務省の「他の機関」に転嫁して『身軽』に
外相の広田弘毅としては、外務省の権限が奪われることを出来る限り避けるため、
「対支中央機関」を外務省の『外局』に留めようと考えましたが、それでも東亜
局長の石射猪太郎は強硬に反対します。もちろん石射は、自分の責任部署が放り
出される訳ですから、当然と言えば当然ですがw。
石射は、外務次官の堀内謙介、調査部長の米沢菊ニらとともに、広田の大臣室に
押しかけ「対支中央機関」の実現を阻止するよう訴えました。しかし3人掛かりで
議論しても広田には良いように言い含められましたので、次官の堀内は帰り際に、
●「うちの大臣の頭の良さは、相当なものだなあ……」と感嘆したと云います。
ともあれ、外務省の権限が削られることは、いくら楽になりたいとはいえ、広田の
本意とする所ではありませんでしたので、首相の近衛を抑えて、議会でも確答を避け
ついには外相を辞任するまで、この問題の結論を引き延ばしました。
97 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/14(木) 00:57:58 ID:Bgywx+QO
>>95 >>なるべくなら事変処理の責任を外務省の「他の機関」に転嫁して『身軽』に
こうした広田弘毅の姿勢を『情けない』と思うかもしれませんが、後任の外相となる
宇垣一成はこの「対支中央機関」設立問題で自分の主張(反対)が通らないと見るや、
辞表を叩きつけて僅か4ヵ月で外相を辞任です。一見格好良いようで「無責任なのは
一体どちらか?」という話です――。
まあ、かつての斎藤実(首相)も同じようなことを西園寺公望に言われましたが、
「何もやらない」「グズ」と周りに批判されよう、のんべんくらりと間を取って
かわしていくしかない訳です。西園寺いわく、
●「結局、喧嘩すれば憲法なんか飛んで行ってしまう。今でも半分くらい飛んでいる
のだから、何と言われても、まあゆっくり段々にやって行くより致し方あるまい」
と広田を評していました。まあ、これは広田が首相時代の話ですけど。
98 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/14(木) 01:27:57 ID:Bgywx+QO
しかし広田にも限界が訪れます。いくら議会の再開が迫っていたとはいえ
●『国民政府を対手とせず』の政府声明は、『協和外交』を信条に掲げて
いた広田にとって「しまった」と悔やんでも悔やみきれない痛恨事でした。
また首相経験者として、本来なら1回り以上歳下の近衛の目付役(副首相格)で
入閣した訳ですから、その意味でも己の体たらくに忸怩たる思いでしたでしょう。
議会開催中の2月に、広田は近衛首相に「外相を辞任したい」と申し出ます。
一説には、議事堂の院内で、海相の米内光政や陸相の杉山元もその場に同席
していたと云います。しかし近衛は「ともかく内閣改造まで待つように」と
辞意を受け付けず、さらに広田は「内閣改造のときは是非辞任させて欲しい」
と念を押しました――。
そして支那事変が泥沼化する中で、近衛自身も「対手とせず」声明が取り返しの
つかない失敗だったと気付き始め、広田ばかりか近衛も病気を理由にして首相を
辞任したがるようになります。まあ、近衛の辞任は重臣や周りの説得で翻意させら
れる訳ですが、この辺りから近衛は本格的に『内閣改造』を考え始めるのでした。
99 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/14(木) 02:00:25 ID:Bgywx+QO
詳しくは、閑話休題の極小テーマ『近衛文麿の逆襲:首相指名による陸相交代』
でやりますが、支那事変の「国民政府を対手とせず」の詰め腹を切らせる形で、
外相の広田弘毅、陸相の杉山元、そして蔵相の賀屋興宣(支那事変の戦時予算の
途を開く)が内閣改造の目玉として放逐される事になります。
後任はそれぞれ、外相が宇垣一成、陸相が板垣征四郎(注:カンジ派)、蔵相が
池田成彬ですね。
広田が外相を辞める際には、「広田外相は少しも陸軍を抑えようとしないので、
近衛首相から飽きられている」という噂が流れましたが、これには広田に批判
的な東亜局長の石射でさえ(石射はもともと幣原喜重郎―佐分利貞夫の系列)、
●「(近衛)自身、陸軍の意のままに動くくせに、あまりに虫の良い首相の
他力本願というべきであった。私は広田外相の辞任に、些かも惜別を感じ
なかったが、首相の心事に不愉快を禁じ得なかった――」と呆れていますw。
100 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/15(金) 00:34:28 ID:DDq7d/FB
>>99 >>閑話休題の極小テーマ『近衛文麿の逆襲:首相指名による陸相交代』
さて結論から言ってしまうと、広田弘毅は1938年5月26日の内閣改造により外相を
自ら辞任した(近衛からすれば放逐)訳ですが、陸相の杉山元の交代を含めれば、
そこには画期的な出来事がありました。首相の近衛文麿の主導によって、陸相の
杉山を馘首にして、近衛自身が指名した(つまりは首相の任意選択)板垣征四郎を
「新しい陸相」に就けることに成功したのです。
一般的な歴史の評価ですと、広田弘毅内閣で復活した『軍部大臣現役武官制』が
日本の進路を誤らせた的な見方が強いですが、それを真っ向から否定する出来事
だった訳です。まあ、この話をするのは、広田が「A級戦犯」として文官でただ
一人死刑になった説明として、必ず「軍部大臣現役武官制」が挙げられるという
理由もあります。何が言いたいかというと要するに、それに対する反論なのです。
まあ、大テーマ「広田弘毅とその時代」の閑話休題として、今までに『宇垣内閣の
流産』『石原莞爾の野望』をやってきましたが、その一連の流れとして『近衛文麿の
逆襲』を参考にして頂ければ幸いです。
101 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/15(金) 01:18:09 ID:DDq7d/FB
>>支那事変が泥沼化する中、近衛自身も「対手とせず」声明が取り返しのつかない
>>失敗だったと気付き、広田ばかりか近衛も病気を理由にして首相を辞任したがる
さて近衛の狡猾なところは、この『病気を理由にして辞任したがる』という行為も
自らのアリバイ作りな訳です。つまりは周りを心配させることで、多少の無茶――
強引な『内閣改造』もやり易くなるのです。まあ、いざとなったら本当に辞めても
構わない訳ですしw。「政界のプリンス」の真骨頂とも、「公家的な卑怯さ」とも
言えるでしょう――。
近衛としても「国民政府を対手とせず」声明が、取り返しのつかない致命的な
失敗だった事に気付いて後悔しますが、方針を大転換するには「トカゲの尻尾
切り」よろしく、誰かに責任を取らせなければなりません。外相の広田弘毅は
自ら「辞任する」と言っていますので手間はかかりませんが、最大の問題は陸相の
杉山元です。もともと皇道派に近い近衛文麿は、統制派の杉山元を当初から好いて
いませんでした。まあ、次官の梅津美治郎は、それに輪をかけて嫌いでしたがw。
>>100 >>今までに『宇垣内閣の流産』『石原莞爾の野望』をやってきましたが、
_,........,_
, ´,.-== ,ヽ
i (ノノλノ)リ
ルイ) ゚ ヮ゚ノ) そういえば、『石原莞爾の野望』の主題は、林銑十郎内閣で
`,く_,`ハ,イつ 板垣征四郎を陸相に送り込むことだったわね。このときは
,(,ノ┐ハゝ 梅津美治郎に阻止されてカンジの野望は失敗に終わった
`'-i'_ィ,ァ"´ けれど、今度は近衛がそれを実現させるという訳かしら?
103 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/16(土) 02:07:16 ID:do7NnE+7
>>101 >>もともと皇道派に近い近衛文麿は、統制派の杉山元を当初から好いていません
さて『近衛文麿の逆襲』の始まりです。首相の近衛の一番の不満と言えば、陸相の
杉山元が「陸軍の作戦」について何も教えてくれない事です。文字通り指を咥えて
見ているしかない訳で、自分のことを『マネキンガール』みたいな物と自虐ネタを
天皇の前でも披露していましたw。要するに「何にも知らされないまま、(陸軍に)
自分が引っ張っていかれる」という意味です。これについては天皇も、「いかにも
気の毒だ」と近衛に同情しています。
まあ1例を挙げますと、杉山元は1938年3月30日に急遽、北支に飛行機で出かけますが、
その目的を他の閣僚に何も打ち明けません。そればかりか、杉山の訪支を知っているのは
首相の近衛と外相の広田弘毅、そして海相の米内光政の3人だけで、他の閣僚には訪支
自体が秘密にされていました。
近衛は「陸軍のやり方は全てこういう風だ」と天皇周辺にも度々不満を漏らして
いたのですが、先にも述べたとおり、これは以降の『布石』だった訳です――。
【鴻池議員】JR東海の改札に「アホ探知機」を設置しろと豪語していた
「JR東海の社長さんよ。改札に『アホ探知器』を設置してくれ」。“女性問題”で官房副長官を辞任した
鴻池祥筆参院議員のホームページの「鴻池だより」に、こんな一文がある。夏休み中の新幹線で後ろに座った
子供たちが大騒ぎしても母親は知らん顔。うるさくて本も読めず「アホな親からバカな子供が育つ」と怒ったのだ。
週刊誌によると同氏は4月末に2泊3日で熱海に人妻とゴルフ旅行に出かけ、国会議員に与えられている
JRの無料パスを使ったとか。冗談じゃない。国民の方こそ「JR東海の社長さんよ。
改札に『国会議員プライベート使用探知器』を設置してくれ」といいたい。
それにしても鴻池議員、68歳にしてお盛んなことだ。今年1月にも今回の人妻を議員会館に招き入れて
いたことが週刊誌で報じられたばかりだ。昔の政治家は愛人などごく当たり前で、対立候補に「愛人が3人いる」
と暴露され「いや5人の間違いだ」と悠然としていた大物もいたらしいが、いまはとても許容されることではない。
[産経新聞]2009.5.15 10:12
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090515/stt0905151016005-n1.htm
105 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/16(土) 02:40:09 ID:do7NnE+7
近衛は陸軍について――もっと直接的に言えば陸相の杉山元について、
●「軍の無責任な行動に対して、非常に不満を持っている」
●「現在の陸軍大臣について非常に不満を持っており、こういう『先生』を
相手にしたんじゃあ何も出来ない」
●「誰かに(首相を)代わる方法は無いか? まあ辞めたい」
と陸軍に対する不満と自らの辞意に関する『実績』を積み重ねていった訳です。
これには昭和天皇も、
●「かねて陸軍から崇敬されていたお前が言えば、陸軍は言うことを聞くんじゃ
ないか?」と近衛を気遣っていたのですが……。
106 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/17(日) 23:24:43 ID:9Xsm58An
さて、天皇を筆頭に宮中で着々と『根回し』を進めていった首相の近衛文麿ですが、
非常に心強い味方がもう1つありました。それは陸軍の「参謀本部」です――。
もともと参謀本部は、次長の多田駿を筆頭に支那事変の『不拡大派』の影響力が
強かった訳ですが、先の「トラウトマン和平工作」の顛末では多田の必死の反対
にも関わらず、陸相の杉山元によって全く無視されてしまいました。
まあ、参謀本部が『不拡大派』といっても別に平和主義であった訳では無論なく、
本分の『対ソ戦』(そして満州の防衛)が支那事変によって疎かになっては本末
転倒である――という主張だっただけです。また多田駿は、以前は参本作戦部長
だったカンジ(石原莞爾)に対して非常にシンパシーを持っていたので尚更でした。
もちろん参謀本部内の意見も一枚岩ではありませんが、この場合、参謀本部の強い
希望を「陸相がすげなく袖にした」という点が問題となり、要するにメンツの問題に
なってくる訳です。このため陸相の杉山元に対する参謀本部の不満は大いに高まり、
「こぞって杉山排斥に傾いていた――」と云います。
107 :
◆FU/OcfTlfM :2009/05/18(月) 00:00:35 ID:9Xsm58An
当然、参謀次長の多田駿は「陸相の杉山元」に対して怨み骨髄であり、杉山排斥の
急先鋒でした。また更に都合の良いことに、参謀総長の閑院宮は熱心な近衛支持者
の一人であり、●「近衛のやりいいようにしてやるがいい」と述べていた訳です。
本来なら「国民政府を対手とせず」の政府声明は、首相の近衛の責任も断トツに
大きいはずなのですが、●『華麗にスルー』されてしまうあたり、生来の近衛の
「都合のいい立場」というか、単に「陸軍という同じ身内だからこそ杉山が憎い」
に走るのか……。
それはさて置き、1938年4月21日に杉山が中支の視察から戻ってくると、元帥の
梨本宮から突然お召しがありました。ちなみにこの時、梨本宮は「臨時伊勢神宮
祭主」という立場です。杉山が梨本宮の下を訪れると突然、何の理由も示さずに
●「この際、陸軍のために(陸軍)大臣を辞めてもらいたい――」と鶴の一声が
ありました。杉山にとっては正に晴天の霹靂であり「辞める」と言わないでいると、
今度は参謀総長の閑院宮からあけすけに「辞めたほうが良いぞ」と勧告されたと
云います――。
108 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/18(月) 00:36:14 ID:HxzUxaqS
これには杉山も『涙目w』で、皇族軍人の両元帥(梨本宮・閑院宮)から陸相の
『辞任』を迫られた訳です。言うまでもなく、皇族が陸相に辞任を勧告するなど
前代未聞のことであり、呆れ果てた杉山元は切れ者次官の梅津美治郎にすぐさま
相談します――。
真相を明かせば、実はこの背景には天皇の存在があり、近衛の希望(杉山排斥)を
受けた天皇は、参謀本部も同じ希望(杉山排斥)だと確認すると、閑院宮を通じて
梨本宮に話を持っていかせたという訳です。まとめると、
●「近衛→天皇→閑院宮→梨本宮→杉山」の壮絶コンボになります。これでは
杉山は堪ったものではありませんw。
ちなみにですが、当時文部大臣だった木戸幸一に、この話が内大臣の湯浅倉平を
通じて伝わったのが1938年4月23日です。つまりそれまでは、ほぼ極秘に
『陸相辞任』工作が進められていった訳です。
真っ黒だな
110 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/19(火) 00:53:45 ID:5pFGDjd7
さて辞職勧告を受けた陸相の杉山元はというと、●「(工作の)原動力がいずれに
あるにせよ、皇族から見放された以上、(陸軍)大臣の職を遂行することは困難で、
一身上の都合として直ちに辞職することを(一旦は)決意した――」と云います。
また4月23日の深夜に首相の近衛文麿は、閑院宮から「杉山は辞めることを
承諾した」と聞かされるのですが、当然のことながら事態は二転三転します。
結局、それから10日以上経っても杉山は一向に陸相を辞任せず、文相だった
木戸幸一が5月5日に杉山と夕食を共にして、『陸軍首脳の交代問題』の話を
向けるのですが、実にあっけらかんとしています。そして「自分は辞任しない」
と杉山は言うので、木戸は
●「どうも陸軍大臣は何事も無い様子で、いかにもケロッとしておりアレは判らん。
もう少し経たないと様子が判らん」と大いに困惑しています――。
111 :
名無し三等兵:2009/05/19(火) 21:35:21 ID:yzA+pSWt
日本人であることが恥ずかしい。
日本人を代表して台湾をはじめア ジアの皆さんに謝罪いたします。
以後この掲示板の書き込みを禁止します。
これは私だけでなくア ジアの人民の命令である警告で
あるとわかりなさい。
この掲示板の日本人優越の語句は非常に不快な
気分をあたえていともうだろう
もういいだだろ? だから炭焼きにこれ以上の書き込むを
撤去し管理員はこの掲示板を閉鎖する必要はある!!!
112 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/20(水) 01:23:18 ID:i1XMc45A
杉山陸相の辞任工作は頓挫したかのように見えたのですが、1938年5月11日に近衛が
木戸に対して、●「やはり板垣(征四郎)を陸軍大臣にしたい。これはなるべく早く
促進したい」と述べたことから、さらに事態は進展していきます。
なぜ近衛が板垣征四郎の陸相にこだわったかは後で述べますが(当然、カンジ絡みw)
以前(
>>107)杉山に「辞職」を勧告した参謀総長の閑院宮が天皇に、
●「陸軍大臣は、もうすぐ辞めると言っておったんでございますが、未だに辞めません。
で、参謀総長がこの戦時状態にある時に代わるということは、よくございませんけれ
ども、陸軍大臣が代わるのは、別に直接作戦に関係ないんでございますから、差支え
ないように思いますけれども、未だに辞めないのはおかしな話でございます」
●「やはり、この次の陸軍大臣は板垣が適当だと存じます」
と述べたところ、天皇は「まずそれでよかろう」という御言葉だったそうです。
_,........,_
, ´,.-== ,ヽ
i (ノノλノ)リ
ルイ) ゚ ヮ゚ノ) 「杉山排斥」のためとはいえ、閑院宮がここまで近衛を
`,く_,`ハ,イつ 支援するのは、ちょっと異様に感じるわね。それにしても
,(,ノ┐ハゝ 天皇に話しかける時の『ございます』口調のくどさは何とも……。
`'-i'_ィ,ァ"´ ちなみに閑院宮と天皇の年齢差は、ざっと35歳ですw。
不敬ながら、村西とおる監督の声で再生させていただきましたでございます。
亀井静香だが、日本の警察機構は戦前の内務省の組織がそのまま残った。
一見すると、戦後ずいぶん変わったような印象もあるだろう。しかし、アメリカは
戦後すぐに共産党の脅威を感じて、つぶすはずだった内務省の暗部・・・すなわち
特高に代表される個人監視のシステムを温存した。
同時に、そのシステムの同調者を見ていない振りをして温存した。それが、いわゆる
児玉機関であり北炭の萩原氏のような政商なのだ。あの当時は日本の基幹産業には
すべて共産党員がオルグ活動をしていて、いつ何時でもストを打つ構えをしていた。
だから、そのような反労組の非合法活動と資本家や経営者は結びつきが出来た。
それらの動きを監視していたのが、旧内務省の警察官僚でありその代表が後藤田正晴氏なのだ。
後藤田と亀井の大きな違いは、後藤田氏は自分がその連中に同化しないで命令を出せた点で
この関係は、わかりやすく言えば「陰陽師」の安部晴明と式神の関係だ。
無条件に言うことを聞いた。戦後、一番怖い男は誰だ?と聞かれたら
俺は後藤田を挙げる。国を相手に嘘をつける度量は、彼しか持ち得ない。
だから彼は、手を汚さずに事を進めることが出来た。
亀井はその人脈を受け継ぐのだが、度量は三分の一もないだろう。
だから、言うことを聞かせるために無理をしなければならない。
主と従の関係が、距離が近くなってしまった。亀井が人情家を装うのも
己の弱さの表れだよ。それだけ、気が弱いし人を動かせない。
無理をするので、常に噂が絶えない。
許永中との関係だが、確かにメッセンジャ−だったし最初はよく働いたそうだ。
ただ、彼は押さえきれなかったのでそのメッセンジャ−が暴走を始めた。
同時に、自分も色々無理をしなければならない。そこに隙が出来る。
ただし、韓国との関係では深入りはしていない。操った人間は、他にいる。
そんな妙なコピペ貼らなくていいから。
「軍事以外ノ知識著シク低級ナルハ争フベカラズ」 硫黄島の栗林陸軍大将の論文発掘 軍体質批判する勇気ある内容
映画「硫黄島からの手紙」などで知られる旧日本陸軍の栗林忠道大将が、中尉だった1919(大正8)年に
発表した軍の旧態を批判する論文を、出身地・長野市の「人間・栗林忠道と今井武夫を顕彰する会」(井上昭英会長)
が発掘した。同会は「軍でタブー視されていた体質を批判する勇気ある内容で、栗林の面目躍如たるものがある」
としている。
栗林大将は1891(明治24)年、西条村(現長野市松代町)生まれ。長野中学校(現長野高校)卒業後、
陸軍士官学校に進んだ。1944(昭和19)年、中将で硫黄島守備隊総司令官に着任。米軍上陸後、大将に昇進し、
最後の総攻撃で戦死した。
論文は「吾人(ごじん)ノ軍事知識以外ノ知識ノ著シク低級ナルハ争フベカラズ」と題し、陸軍将校の
親睦(しんぼく)会の機関誌「偕行(かいこう)社記事」に寄稿。当時の将校が軍事以外の知識は不要としていた
ことを批判し、部下を心服させるためには民主主義や一般常識も広く学ぶべきだと訴えている。
顕彰する会は、栗林大将とともに、中国との和平工作に尽力した同窓の今井武夫少将の功績を広めようと、
長野高校OBを中心に今年3月発足。今月8日に開いた勉強会で、会員の川上昭三さん(81)が知人から
譲り受けた資料の中から、論文の2次資料を発見した。
同会は24日、2人の肉親を招いた集会を長野市民会館で開く。長野高校管弦楽班による演奏もある。入場無料。
問い合わせは、同会事務局へ。
[中日新聞]2009年5月19日
http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20090519/CK2009051902000022.html 栗林忠道大将
http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20090519/images/PK2009051902100118_size0.jpg
118 :
元32:2009/05/28(木) 13:33:07 ID:???
ほしゅー
イナゾウは何処
イナゾウは居ずや
軍神
豚インフルでダウンしたイナゾウ
スイマセン。「貧すれば鈍する」「貧乏ヒマ無し」ではありませんが、仕事の方が
自転車操業でしばらく軍板から離れておりました。つーか、現在進行形ですけどw。
123 :
元32:2009/05/31(日) 23:27:03 ID:???
124 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/31(日) 23:28:40 ID:mFtoRQB4
>>113 >>閑院宮と天皇の年齢差は、ざっと35歳ですw。
ちなみにですが昭和天皇は1901年生まれですので、この時点(1938年5月)では
まだ37歳です。天皇と云えば、どうしても『年齢を超越した存在』のように思われ
がちですが、若い若いと言われる首相の近衛文麿(1891年生まれ)より10歳も年下
なのですねえ。という訳で、これから天皇には(**歳)を補足するようにしますw。
>>112 の続き。>>●陸軍大臣は、もうすぐ辞めると言っておったんでございますが、
>>未だに辞めません。>>●「やはり、この次の陸軍大臣は板垣が適当だと存じます」
さて、これには陸相の杉山元も辞任の腹をついに決めまして、●「自分は病気(の名目)で
辞める。それで後任はまず第一に古荘(幹郎)にでもしたいと思うけれども、古荘がいけ
なければ西尾(寿造)で、なおそれでもいけなければ、シマイに止むを得ない板垣……w。
とにかく徐州(作戦)が済んで一段落ついたら代わります――」と嘆息を付いたのでした。
125 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/05/31(日) 23:48:04 ID:mFtoRQB4
>>124 >>なおそれでもいけなければ、シマイに止むを得ない板垣……w。
このようにして近衛は、杉山元を陸相から辞めさせる事に成功した訳ですが、
●「板垣征四郎を後任の陸相にする」という当初の目論見からすれば、まだ
3分の1の道のりでしかありません。残りの1つは、板垣自身に陸相を引き
受けさせることであり、最後の1つは「陸軍三長官」会議で後任人事を認め
させることです。
>>124 で述べたように、杉山はせめて自分の後任を古荘幹郎(中将・台湾軍
司令官)に譲ろうと考えていましたし、それが駄目なら教育総監に就任した
ばかり(1938年4月〜)の西尾寿造に……という希望だった訳です。
また陸軍の序列から言っても、後任は古荘が適当(次官経験あり)とする見方が
一般的でしたし、何より板垣征四郎のキャリアは、参謀本部の支那課と関東軍が
大半を占めており陸軍省での勤務は皆無でした。そんな男を後任陸相にしようと
いう訳ですから、いかに『ぶっ飛んだ』閣僚人事だったかが知れますw。
126 :
◆FU/OcfTlfM :2009/06/01(月) 00:19:09 ID:fjmQiyNp
>>125 >>残りの1つは、板垣自身に陸相を引き受けさせることであり、
なぜ首相の近衛文麿が「板垣征四郎」に拘ったかと云えば、自身も重大な誤りで
あったと気付いた●『国民政府を対手とせず』声明の180度転換にありました。
支那事変の『不拡大派』の中心人物だったカンジ(石原莞爾、当時・作戦部長)の
兄貴分であり、石原理論の実行役(さらに石原信者でもある)だった板垣征四郎を
陸相に据えれば、状況は一変すると考えたのでしょう。この時点で参謀次長の多田
駿も『不拡大派』ですし、カンジは関東軍参謀副長に飛ばされていましたが陸相の
権限を活用すれば、いずれ中央にカムバックさせることも十分可能でした。
しかし、これほど大胆な『絵』を描いた割に、近衛と板垣は一度会った程度の関係
でしかなく、板垣が(全く畑違いの)陸相を引き受けるどうかは博打のような状態
だった訳ですw。さらに参謀次長の多田駿も、陸相の後任人事は「序列から云って
古荘が適当だ――」と述べており、内閣書記官長の風見章が「板垣ではどうか?」
と水を向けても、「気乗りのしない返事しかなかった」と云います。
127 :
名無し三等兵:2009/06/01(月) 00:22:42 ID:JaM5FJeL
128 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/01(月) 01:12:48 ID:fjmQiyNp
さらにこの時、板垣征四郎は第5師団長(広島)として北支におり、「陸相就任」を
打診しようにも連絡を取ること自体が困難という『寸詰まり状態』にあった訳ですw。
まあ、話が急ぎすぎましたので、ちょっとここで第5師団長の板垣について補足して
おきましょう。板垣が第5師団長に就いたのは1937年8月で、支那事変が勃発した直後
でした。北支那方面軍に配属された第5師団はチャハル作戦を援護しますが、その後、
板垣は独断で山西省に入り省都の太原を攻略してしまいます(1937年11月9日)。
これは「新たな河北作戦に参加せよ」という参謀本部や北支那方面軍の命令を無視した
ものであり、そもそも第5師団は連絡も途絶えがちだったと云います。板垣征四郎は、
参謀次長の多田駿、作戦部長のカンジ、そして直接の上司にあたる寺内寿一(北支那
方面軍司令官)の3者に対して私信で、
●「北支においては概ね、綏遠(チャハル)〜太原(山西省)〜石家荘(河北省)〜斉南
(山東省)〜青島(山東省)の線を占め、ここに包含する資源を獲得し、そこに住む一億
民衆を同僚として『新北支政権』を結成すべし」と具申していました。
129 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/01(月) 01:26:51 ID:fjmQiyNp
要するに『北支分治工作』(第二満州国)の完成であり、「不拡大派」の中心人物
だった作戦部長のカンジも、●「あのめったに手紙を書かない人(板垣)が、熱心な
意見を書いて寄こしたのに動かされた」と回想しています。
>>支那事変の『不拡大派』の中心人物だったカンジ(石原莞爾、当時・作戦部長)の
>>兄貴分であり、石原理論の実行役(さらに石原信者でもある)だった板垣征四郎を
>>陸相に据えれば、状況は一変すると考えたのでしょう。
とどのつまり、既にこの時点で『不拡大派のカンジ』と板垣では齟齬が生じている
訳ですが、おいおい述べていく事にしましょう。
今日 レンタル屋行ったら蟻の兵隊貸してたから
みんな見ておくように
131 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/02(火) 00:37:01 ID:HoilK6CQ
>>128 >>北支那方面軍に配属された第5師団はチャハル作戦を援護しますが、その後、
>>板垣は独断で山西省に入り省都の太原を攻略してしまいます(1937年11月9日)。
その間に、板垣征四郎の第5師団は「平型関」で輜重部隊が八路軍により酷い目に
遭っていたりします。補足ですが、平型関は山西省北部の山岳地帯にあり、5Dの
第6兵站自動車連隊(第21旅団)と歩兵第21連隊(浜田)の大行李(輸送隊)が
別個に襲撃を受けました。両部隊とも1937年9月25日午前11時頃のことです。
第21連隊の大行李の場合、70台ほどの車両に食料・弾薬を満載していたのですが、
前夜からの大雨で坂道がぬかるみ、にっちもさっちもいかない所を崖上から八路軍の
急襲を受け、護衛の小隊も含めて100名ほどが全滅。土人共は補給物資にむらがり、
戦死者からは血塗れの衣服をはぎ取り、腕時計・財布・万年筆などの所持品を何一つ
残さず奪い取った挙げく、生き残った負傷者を車両に縛り付けて、ガソリンをかけて
車両ごと焼き殺したと云います。
第6兵站自動車連隊(トラック80両・約200名)も以下同様ですw。
132 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/02(火) 01:12:11 ID:HoilK6CQ
まあ、板垣征四郎の第5師団主力が「平型関」を占領したため、西方の霊邸から
補給物資を届けるために平型関に向かった第21連隊の大行李と、それとは逆に
平型関から霊邸に戻る第6兵站自動車連隊に同時に起きた『偶然の悲劇』だった
訳です。ちょっとややこしいので、簡単な図で表すと以下のようになります。
平型関―――→「第6」×死 死×「第21」←―――霊邸
それはさて置き、第5師団が「平型関」を苦労して抜いた後、ようやく省都・太原の「正式な
攻略命令」が板垣のもとに届きました。要するにお決まりの『追認』という奴ですw。その後、
河北省の石家荘を占領した上級部隊の第2軍が西進し、板垣の5Dと合わせて北と西から太原を
包囲する形となり、ようやく1937年11月9日に太原城を占領できた訳です――。
>>それで後任はまず第一に古荘(幹郎)にでもしたいと思うけれども、古荘がいけ
>>なければ西尾(寿造)で、なおそれでもいけなければ、シマイに止むを得ない板垣……w。
ちなみに第2軍の司令官は、
>>124 で名前が出てきた西尾寿造ですね。これも偶然です。
133 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/02(火) 01:47:52 ID:HoilK6CQ
>>ちなみに第2軍の司令官は、
>>124 で名前が出てきた西尾寿造ですね。
>>これも偶然です。
さらにちなみにですが、第2軍司令官の西尾寿造は、徐州作戦を前に司令官の職を
東久邇宮稔彦王に譲り、教育総監に就任。前述の陸相候補に挙がったあと、初代・
支那派遣軍総司令官となります。
極めて厳格な性格で部下に怖れられたと云いますが、西尾は無口ながら諧謔を解し、
非常な毒舌家でもありました。太平洋戦争中の軍事参議官時代に、記者から質問を
受けた西尾は、●「そんなことは知らん。毎朝『クズ箱』をあさっとる奴がいる
だろう。そいつに聞け」と答えましたが、もちろん『クズ箱』をあさっている奴
とはヒデキ(東條英機)を指します。
これを聞いてカンカンに怒ったヒデキは、西尾を予備役に編入しますが、
サイパン島が陥落してヒデキが失脚すると西尾は東京都長官にカムバック
します。まあ、ちょっと話が脱線し過ぎましたw。
134 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/03(水) 00:23:19 ID:mpEs6T6h
>>128 >>ここに包含する資源を獲得し、そこに住む一億民衆を同僚として
>>『新北支政権』を結成すべし
1937年12月14日、北京に『中華民国臨時政府』(政府委員長:王克敏)が
成立すると、板垣征四郎の念願だった「第二満州国」(北支分治工作)が実現する
ことになりました。しかし翌年1938年1月16日には、近衛内閣による『国民
政府を対手とせず』声明が出され、まだまだ戦争が終わらないことが確定します。
そんななか焦点となったのが「徐州の攻略」でした。徐州は江蘇省の北西部にあり、
津浦線(天津〜浦口=南京の揚子江対岸)と隴海線(蘭州〜西安〜鄭州〜徐州〜
連雲港)が乗り入れる「交通の要衝」です。古来から●『中原に鹿を追う者が必ず
押さえるべき戦略要点』として、支那通のみならず広く軍人の頭に叩き込まれています。
また北支那方面軍と中支那方面軍の「占領地域は分断」されておりましたから、直接
陸路で両軍が連絡するためにも「徐州」の攻略は必要不可欠だった訳です――。
135 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/03(水) 01:01:17 ID:mpEs6T6h
>>134 >>古来から●『中原に鹿を追う者が必ず押さえるべき戦略要点』として、
>>支那通のみならず広く軍人の頭に叩き込まれています。
「徐州作戦」をやるかどうかは一時、参謀本部と現地軍で意見が割れましたが(後述)、
北支那方面軍司令官の寺内寿一は、●「どうしても徐州はやらなくちゃならぬ。8月
以降になると気候の関係(超絶熱波のため)で非常にやりにくい。また敵情もそれを
許さぬだろう」と述べています。
まあ、寺内の主張よりも当時、朝鮮軍司令官だった小磯国昭(大将)の言の方が
当時の軍人の一般的な考え方をよく表しているでしょう。
●「いやしくも支那を討つ者が、徐州に手をつけないということは嘘だ。しかし、
俺は漢口をやれと(まで)は言わん――」
あんたこの問題に突っ込んでくる割に全然理解してないし調べようともしてないだろ。正直すごく面倒くさいんだけど?
>もう一回原価を払うの。なんだかよく分からないなあ。いつどこに払ってるの?本部?
今回はサービスで一回だけ説明してやる。
前提 商品は買取、ロイヤリティは 50:50、値引、仕入のキックバック等はなし。
利益 1、コンビニ会計 総売上−(仕入原価−廃棄原価)=売上総利益 ←POINT 売上総利益と粗利益は概念が違う
利益 2、一般会計 総売上−仕入原価=粗利益
原価70円 売価100円の商品を10個仕入れて7個販売、3個廃棄した場合。
一般会計 100円x7個−70円x10個 = 0円
コンビニ会計 100円x7個−(70円x10個−70円x3個)=210円
210円を本部と加盟店で分配 本部105円 加盟店105円
ここで実際のお金の動きを考えてみよう。一般会計をみればわかるように
実際の儲けは0、会計方式を変えても金が儲かるわけではない。
帳簿上分配をかいても儲けはないので実際は210円ショートしている。
そこで別枠の営業費が登場、廃棄原価は営業費と唱えながらオーナーの財布から
70x3=210円を抜き取る。
上記を考慮して最終的な利益を見る。 本部 105円 加盟店 105−210=△105円
なんのことはない、儲けが0でもオーナーの財布から本部へ105円支払われているだけ。
二つの別の計算で成立しているので、片方の計算式の上では「ロスにチャージはかかっていない」が成立する。
が、トータルで考えればロス分の金額xチャージ率はきっちり加盟店から盗られている。
結論、ロスチャージはない(帳簿上)しかしそれと同額を加盟店は負担している。
137 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/04(木) 01:09:04 ID:wfAcQzRy
>>135 >>「徐州作戦」をやるかどうかは一時、参謀本部と現地軍で意見が割れましたが、
これは何故かというと、支那事変勃発当初、参謀本部は『不拡大派』のカンジが
作戦部長として頑張っていたからです。そのカンジは、1937年9月27日に
関東軍参謀副長として飛ばされてしまいますが、作戦課長の河辺虎四郎(大佐)が
カンジの不拡大方針を引き継いでいました。
河辺は既に支那に送り出せる部隊が底をついた(新たな師団は編成中)ことを理由に、
参謀本部として当面、大きな作戦を見合わせる方針を現地軍に説明して回っていましたが、
当の河辺自身が1938年3月1日に、浜松飛行学校教官に飛ばされてしまいますw。
河辺の後任の作戦課長には、積極派の稲田正純中佐(前・陸軍省軍事課高級課員)が
就いたため、徐州作戦は一気に動き出すことになります。河辺が頑張っていた時期は、
例えば第2軍の参謀長だった鈴木率道(皇道派・少将:ヒデキのもう一人の仇敵)が
「西尾(寿造)軍司令官の『意志』」として、隷下の部隊に鉄道沿線への進出を命じる
など、苦しい(orセコイ)命令のやり方を取っていた訳ですw。
138 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/04(木) 01:37:23 ID:wfAcQzRy
>>137 >>「西尾軍司令官の『意志』」として進出を命じる
参謀本部の目があり「正式な命令」が出せなかったためですが、命じられる現場の
将兵とっては、軍司令官の『意志』だろうと『命令』に何ら変わりありませんw。
ただ、参謀本部の人事異動により状況が変わりましたので、第二軍の「(勝手な)
南進はしないから、大運河以北の『眼前』の土人だけを撃破したい」という要望は
中央に認められる事になりました。ここから徐州作戦の幕が降ろされる訳です。
さて、第二軍は隷下の第10師団(姫路・磯谷廉介)の瀬谷支隊(第33旅団長・
瀬谷啓少将指揮、岡山第10、松江第63、野砲兵第10、工兵第10、野戦重
砲兵第2の各連隊に、山砲兵・独立軽装甲車隊を付属)を動かすことにします。
瀬谷支隊は、松江連隊の1個大隊と野砲兵1個大隊を中心とする「台児荘派遣隊」を
1938年3月27日に派遣しました。事前の予想では、敵はいないと考えられて
いましたが、ところがどっこい。意外にも孫連仲が指揮する国民党中央軍3個師が
布陣しておりまして、日本軍に猛攻を浴びせてきた訳です――。
139 :
廣島・もみじ民 ◆cjIySZ2iYw :2009/06/04(木) 22:23:51 ID:xuxWX+7C
>>131 広島第五師団は、チャハル作戦の援護じゃのうて主力ですど。
平型関と太原城攻略戦の間に、1013日〜11月3日までの忻口鎮の激闘を
抜かしておられる。
忻口鎮付近の戦闘で、参加5Dを基幹に15MB・萱島部隊(北支2i)・配属
砲兵等で、戦死1,651名(うち将校60名)、戦傷4,594(うち将校142名)、
計6,245名。
太原攻略戦では、20Dを加えて、戦死889名(うち将校41名)、戦傷2,827名
(うち将校83名)、計3,716名。
140 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/05(金) 00:51:24 ID:ykxB+PFg
>>138 >>日本軍に猛攻を浴びせてきた訳です――。
「ゼークト・ライン」というと『上海攻略決戦』を真っ先に思い浮かべますが、実は
徐州・開封・洛陽・西安を拠点に、黄河南岸1千キロにもわたって「半永久陣地」が
構築されていました。もちろんゼークトとは、中テーマ『支那とドイツ軍事顧問団』
で登場した団長のフォン・ゼークトを指します。
蒋介石は日本軍の更なる南下を防ぐために、第5戦区司令長官に李宋仁をすえ、その
指揮下に60個師・45万の土人の大軍を配置して備えた訳です。そして瀬谷支隊の
先遣部隊が、徐州の北東60キロにある台児荘を押さえようとして、この防衛網に
引っかかる事になりました。
台児荘は運河を背にした要衝であり、孫連仲が指揮する中央軍3個師など約10万の
兵力が待ち構えていたと云います。瀬谷支隊の兵力は、全体でも約1万人弱。最初の
先遣部隊は前述のとおり、歩兵1個大隊と野砲兵1個大隊に過ぎませんでした――。
141 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/05(金) 01:31:50 ID:ykxB+PFg
>>140 >>台児荘は運河を背にした要衝であり、
国府軍は1937年12月から台児荘に進駐し、住民は城外に追い出しましたw。
高さ3メートルの堅固な城壁と水濠を張りめぐらし、城内には交通壕や地下道を
掘って要塞化しています。
瀬谷支隊の先遣隊は僅か「2個大隊」規模でしたが、台児荘の攻撃を夜開始し、
勇敢にも城内の北東角を占拠しています。しかし逆に支那の土人共に包囲され
100人以上の死傷者を出し、全滅の危機に瀕してしまいます――。
これが1938年3月27日の出来事ですね。
>>140 黄河南岸1千キロとかw
マジノ線もびっくりだなw
全部連結してないにしても冗談がきつすぎだろ。
60個師・45万なんてのも一体どんな編制だって感じだがw
つくづく大陸の数字は信用がおけないなw
143 :
暫編第一軍:2009/06/05(金) 21:20:03 ID:???
>>142 抗戦初期に存在していた調整師を例外として、戦争中の中国軍の師の編制上の定員は約1万とされます。
60個師45万なら充足率75%ですから悪くないかなと。
本当は軍直轄部隊なども多少あるのでもう少し師の人員は少なくなるでしょうけど。
144 :
名無し三等兵:2009/06/05(金) 21:57:27 ID:IB1NMOiG
145 :
第2次上海事変 日本の記録映像:2009/06/05(金) 23:12:20 ID:0v4QhrOC
146 :
:2009/06/06(土) 16:14:04 ID:???
しかし城野宏って人もついこの間まで
敗戦後の日本の未来を考えて中国に残った軍師
獄中で中共に屈しなかった愛国者と讃えられていたのが
いまや山西残留日本軍問題で一転して人間のクズ呼ばわりだからな
人間の評価ってのはわからない
>>130 >>今日 レンタル屋行ったら蟻の兵隊貸してたから
>>みんな見ておくように
_
_....(゚ー゚)
, ´ ⌒ヽi)
i|(( ) )) )iリ
(リ,i;゚ ヮ゚ノョ' 中佐の成れの果ては、現実世界が
゙,ヘi_i][i,l\ [] 『蟻の兵隊』でヒーヒー言ってますw。
<_/ノ:;:;:;ヽ>ij^)
`¨i.ラi.ラ'´ (
 ̄  ̄
, -─ 、y)
(ル,, ===Oo、
l´(ノ))ノ)),)´
ノノ!l.゚ ヮ゚ノil 夏のボーナスが劇的カット
(v,<リ,_ネ_iリつ された人、この指とまれw。
,(ン'、_x_x_ヽ、
`^i_ソ'^i_ソ^゙
 ̄ ̄  ̄
149 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/07(日) 00:12:58 ID:bmQN+DID
ウズベキが『青のユニフォーム』なので、見ていて非常に混乱するのですが…w。
>>142 >>60個師・45万なんてのも一体どんな編制だって感じだがw
>>143 で補足して頂いていますが、「1個師・1万」と考えると手っ取り早いと
思います。しかしあくまで名目上のものであって、実質「1個師が数千人」しか
いないというのはザラにあります。
日本人には想像もつきませんが、支那の場合『部隊の水増し』という大きな問題が
ありまして、例えば、本当は3千人にしか兵隊がいないのに、中央には5千人いる
と報告する。そうして物資や弾薬、給料を余分に受け取ろうとする訳です――。
まあ、現代の程度の低い民間企業や公務員も『水増し請求』をやるでしょうが、
それが支那の場合、軍隊でも行なわれていた訳です。もちろん現場がズルして
いる訳ですが、バカ正直に正確な兵員の数の報告をしていたら、スズメの涙の
補給しか来ないという理由もありました。水増し請求してもカツカツな訳です。
150 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/07(日) 00:42:39 ID:bmQN+DID
この『部隊の水増し』が支那では日常化しておりまして、中央もそれを勘定に
入れますから問題は深刻です。下の部隊から「こちらは何人」と言ってきても、
「本当は※割増しであろう」と下算しますから、ますます1人あたりの補給が
減らされる悪循環に陥ります。それならばと、下級部隊はさらに部隊の兵員を
水増して過大に報告し……イタチごっこですよね。
そうなると(戦線全体で)兵員は一体どれぐらいいるのか、正確な人数は
誰も分からなくなる訳で●「近代陸軍の基本的な条件とは何なのか?」を
考えさせる1つの好例ではあります。
>>143 >>本当は軍直轄部隊なども多少あるのでもう少し師の人員は少なくなる
砲兵などは軍直轄の場合が多いですから、支那の場合、「師」という単位は
本当に「歩兵だけの集団」に近いものがあります。という訳で、部隊の水増し
も含めまして、支那の「1個師」は日本軍の「1個連隊」相当の戦力という
当時の評価はあながち間違っていないでしょう。
151 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/07(日) 01:22:15 ID:bmQN+DID
『青のユニフォーム』が一斉に前進すると、反射的に興奮してしまう……w。
>>150 >>支那の「1個師」は日本軍の「1個連隊」相当の戦力という当時の評価
言い方を変えれば、「日本軍の1個師団で支那の3個師を撃破できる」という
計算になります。まあ、日本の4単位制(4個連隊)の重量級師団(2万5千人
以上)と比較すれば、支那の1個師は定数を満たしても1万人程度な訳ですから、
当たり前の算数の話になってしまいますが。まあ、本当は「それ以上の格差」が
あった訳です。
>>140 >>60個師・45万の土人の大軍を配置して備えた
という訳で、日本軍に換算すると「15〜20個師団相当」になりますが、
実際の戦力としてはもう少し低いでしょう。後述しますが、徐州作戦での
日本軍の兵力は約10個師団ですので、いろいろ換算してもやはり兵力過小
だった事実は否めませんでした。
152 :
:2009/06/07(日) 01:42:24 ID:???
>>146 インドネシア残留日本兵だって
今は独立戦争の英雄だけど
もし1965年の共産革命が成功してたら全員日本へ強制送還されて
恩給も受け取れず今頃大問題になってただろうしね
むかし小野田少尉は軍国主義の亡霊と呼ばれたゾ
154 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/07(日) 02:40:15 ID:vBtUwQhL
>>141 >>瀬谷支隊の先遣隊は僅か「2個大隊」規模でしたが、台児荘の攻撃を夜
>>開始し、勇敢にも城内の北東角を占拠しています。しかし逆に支那の土人共に
>>包囲され100人以上の死傷者を出し、全滅の危機に瀕してしまいます――。
部下の危機を救うべく、連隊長(福永真平大佐)自ら1個大隊を率いて救援に
向かい、「台児荘」城内の北西角を占拠しました(3月28日)。しかし弾薬が
尽きてこれまた全滅の危機に陥ったため、第10師団長の磯谷廉介(支那通)は、
「瀬谷支隊」に主力をもっての攻略を命じます(3月29日)。
これを受けて第10連隊(岡山)の2個大隊と砲兵1個大隊が救援に駆けつけ
合流、更に台児荘の東門、南門を占領しますが、死傷者が続出でした。そのため
今度は別師団の板垣征四郎率いる第5師団の「坂本支隊」(坂本順少将・第21
旅団長)を台児荘に向かわせる事になります(4月2日)。
坂本支隊の主力は、台児荘東方5〜6キロまで進出し、瀬谷支隊と無線で連絡を
取りつつ、支那の土人軍との交戦に入った訳です。
155 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/07(日) 03:10:35 ID:vBtUwQhL
しかし支那の土人共の抗戦意欲は高く、場所によっては全員戦死するまで
戦い続けました。このため台児荘の攻略はならず、「坂本支隊」も多勢に
無勢、包囲されて苦戦に追い込まれます。
その激戦の最中、坂本支隊は第5師団長の板垣征四郎から突如、●「沂州
攻略に参加するため転進せよ」との命令を受けます。これは板垣が台児荘が
既に陥落したものと誤解したために生まれたハプニングで、坂本支隊長は
心苦しくも4月5日夜、瀬谷支隊長宛に●「翌6日の日没後に反転する」
と打電しています。
これに驚いた瀬谷支隊長は、単独では全滅すると台児荘の放棄を決意し、
6日の日没後に坂本支隊と時を同じくして、部隊を北方に転進させました。
タイミング悪く、第10師団長の磯谷廉介は所属の第2軍司令部に総力戦
による台児荘攻略を訴え、同意を得たばかりでしたから、瀬谷支隊撤退の
一報に慌てて『転進中止』を命じています。
156 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/07(日) 03:26:28 ID:vBtUwQhL
しかし瀬谷支隊長は全滅を免れるため、磯谷の命令を無視して独断で
部隊を撤退させる結果に――。
当然のことながら、瀬谷支隊と坂本支隊の『撤退』は大問題となり、
とくに独断で部隊を引いた瀬谷少将に非難が集中しました。瀬谷は
陸士首席卒業の英才だった訳ですが、この台児荘が災いして早期に
予備役に編入される羽目となります――。それでも中将には昇格
していますが……。
>>148 中途採用の内定切りに合いましたが、何か?
158 :
廣島・もみじ民 ◆cjIySZ2iYw :2009/06/07(日) 22:17:39 ID:E9XpLjWf
>>150-151 日本軍では、成果の水増しがなされたんですから、中国の白髪三千丈を
笑える立場に無いでしょう。同一戦場を通過した部隊が仮に三個中隊
あったら、それぞれの中隊の破棄死体数として報告されるので、
一人の破棄死体が三倍にもなります。
中国国府軍の編成なんか、欠員が圧倒的で、多い師で六千〜八千、
少ない師は三千名程度でしょう。
>>155 坂本支隊は、瀬谷支隊の後退で7日突然転進命令が下ったんですけど。
159 :
廣島・もみじ民 ◆cjIySZ2iYw :2009/06/07(日) 23:34:14 ID:E9XpLjWf
>>156 福山第41聯隊史 「台児荘」を参考にすると、伊藤正徳氏の
『軍閥興亡史』が瀬谷少将の予備役編入を流布したんでしょう。
そして秦郁彦氏らが伊藤正徳氏に追従して。
稲葉正純氏が「後退は大本営からの命令で瀬谷、坂本両少将が
うまく危機を脱して、敵の主力を寄せつけたので、徐州会戦で
敵を壊滅出来たので、「瀬谷少将は責任を問われて予備役に退けられ
た。」とあるのは誤りも甚だしく、現役中将に進級のうえ、
勲一等、功三級に叙せられた。」と。
ほいで、福山聯隊史には総論として「戦後、民間の歴史家が筆を
執るとき、実情の機微に疎い旧軍人の話を聞くか当時の印象か
記憶になって陳述されたこと、それにしても当時第一線部隊と
後方司令部、幕僚との間に感情の隔離があったことも伏在している
ことも否めない。しかし、瀬谷少将の予備役編入と虚偽の記述は、
世上に誤った歴史を流布ずるものは、福山歩兵第四一聯隊に
全く関係なきものと云っても看過し難いのであえて述べた。」
広島第十一聯隊iA隊の記録では、「瀬谷少将が後に陸大兵学教官と
なったが、陸大ではこの戦闘を敵前における戦場脱出成功の
模範例戦例として教材に活用している。」
(キン州攻略寸前を救援にきた坂本部隊である。しかも台児荘からの
撤退は、敵の追尾がなかったので成功している。ピンボケも
甚だしい。)
台児荘の松江63i戦闘詳報の作為記述を根拠に流布したんは、
瀬谷少将の圧力が陸軍省史実調査部に影響しておると。
広島側じゃあ、カンカンに怒っとりますよ。
自分の部隊の連隊史を読むほど腹の立つことはない、と書いたのは誰でしたか。
161 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/08(月) 00:08:31 ID:1mQ7tVPr
>>156 >>当然のことながら、瀬谷支隊と坂本支隊の『撤退』は大問題となり、
結局、瀬谷支隊(第10師団:姫路:磯谷廉介)と坂本支隊(第5師団:広島:
板垣征四郎)が別個の師団長に指揮されていたことに問題の一端がありました。
それに通信連絡上のミスが重なった訳です。これに気付いた第2軍司令部は4月
8日、坂本支隊を第10師団長の指揮下に入れて、指揮の統一を図りましたが、
時すでに遅しでした――。
4月8日に忽然と姿を消した日本軍に気付いて、台児荘を守る支那軍は狂喜乱舞し
国民政府は●「日本の第10師団と第5師団を包囲して、3万人を殲滅した――」
と大々的に宣伝しました。もちろん過大な戦果で、適当な期間の数字がありませんが、
例えば第10師団の場合、1938年3月14日〜5月12日の2ヵ月間で受けた損害が
●戦死1088:戦傷4137。同じく第5師団が1938年2月20日〜5月10日の
3ヵ月弱で、●戦死1281:戦傷5478です。これを多いと見るか、少ない
と見るかは各人の感想にお任せします。
162 :
廣島・もみじ民 ◆cjIySZ2iYw :2009/06/08(月) 00:59:25 ID:C3NoYRy+
>>160 誰がそがぁなことを書いたんなら。わりゃ、はっきり提示せぇや。
>>161 撤退が大問題になった云うてどこでですか?
未だに通信連絡上のミス云われとる根拠は誰の引用ですかいのう?
坂本支隊を第10師団の指揮下に入れた云う根拠は何ですか?
指揮統一を図った云うて誰がですかいのう?
5月12日まで云うたら、向城の籠城戦もキン州再攻撃も含んでおるじゃ
ないですか。
163 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/08(月) 01:01:50 ID:1mQ7tVPr
>>140 >>「ゼークト・ライン」というと『上海攻略決戦』を真っ先に思い浮かべますが、実は
>>徐州・開封・洛陽・西安を拠点に、黄河南岸1千キロにもわたって「半永久陣地」が構築
さて『上海決戦』『南京戦』で大敗を喫した国民党軍にとっては「望外の勝利」だった
訳ですが、日本軍を撃退したことに満足して追撃は思いもよらず、全く不徹底に終わり
ます。ドイツ人軍事顧問団だったファルケンハウゼンは、もう無いはずの頭髪を掻き
毟って口惜しがったと云いますが……w。
さて台児荘の話が長引きましたので、『徐州戦』は手短かに済ませようと思います。
台児荘で思わぬ支那土人軍の大群がいることが確認されたため、これを包囲殲滅して
国民政府の『抗戦意欲』を挫くため、その火蓋が切って落とされる事になりました。
まあ、大本営が北支那方面軍と中支那方面軍の両方の指導をする形となり、参本
作戦部長の橋本群少将(1938年1月〜)以下が、支那現地へと派遣されます。4月
17〜18日に済南で各軍の作戦参謀を集めて協議が行なわれましたが、ここでも
『作戦目的』をめぐって紛糾します――。敵野戦軍の殲滅か、徐州占領かの優先順位です。
164 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/09(火) 00:36:35 ID:jwsNwHWZ
>>163 >>ここでも『作戦目的』をめぐって紛糾します。敵野戦軍の殲滅か?徐州占領か?
北支那方面軍司令部と第2軍は●「作戦目的は徐州攻略で、敵の撃滅はその手段である」
と主張し、逆に中支那方面軍司令部と第1軍は●「敵撃滅を主とする」との意見を出し、
協議は紛糾しました。
結局、作戦部長の橋本群少将を筆頭とする『大本営派遣班』は、北支那方面軍司令部の
意見に半ば同調しましたが、作戦目的も攻撃発起の時機も、曖昧なままに終わりました。
そもそも『大本営』が徐州戦に踏み切った目的は、●「蒋介石軍主力を殲滅して、敵の
抗戦意欲を破砕する」ことにありましたから、明らかに大方針がブレて矛盾しています。
本来、徐州戦の目的は『土人兵の絶滅』でなくてはならなかった訳です。
まだこの時機には「支那派遣軍総司令部」が存在しませんでしたから、北支と中支で
統一した最高指揮官もいなかった事も大きいでしょう。それでも「徐州攻略作戦」は
5月初旬から開始され、約10個師団の日本軍が、60個師・45万の支那国府軍に
向けて進撃を開始しました――。
165 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/09(火) 01:26:00 ID:jwsNwHWZ
まあ、何で『徐州戦』の話をしているのかというと、近衛首相による板垣征四郎の
「陸相就任工作」が一体いかなる状況の中で進められたのか?――を理解して頂き
たいからです。もちろん言うまでも無く、徐州戦の真っ最中に行なわれた訳ですw。
徐州攻略の主力となったのは北支那方面軍の第2軍ですが、広島5D(板垣征四郎)、
姫路10D(磯谷廉介)、宇都宮104D(末松茂治)、京都16D(藤江恵輔)と
独立部隊は5月7日、北支から徐州に向けて南進を開始します。また第1軍の宇都宮
14D(土肥原賢二)は5月12日、黄河を渡って徐州西方の蘭封に進出しました。
また中支那派遣軍は5月5日、主力の金沢9D(吉住良輔)と仙台13D(萩洲立兵)が
北上して徐州を目指します。また東京101D(伊東政喜)と熊本6D(稲葉四郎)が
支隊レベルで周辺の要路を攻略しています。そして南京警備の名古屋3D(藤田進)も
南から徐州を攻撃しました。
特筆すべきは13Dの挺身隊(戦車第1大隊長・岩仲義治大佐)で、敵中50キロを
一昼夜で強行突破するなどして5月14日、徐州―開封間の隴海線鉄橋の爆破に成功
します。これにより、支那軍の鉄路による退路を遮断することができた訳です。
166 :
廣島・もみじ民 ◆cjIySZ2iYw :2009/06/09(火) 23:42:39 ID:Stnba9cl
>>164-165 >>159の広島側の戦記の続き、「この台児荘の戦闘で、東京中枢部は、
はからずも敵の大部隊(50個師40万)が徐州付近に集結しているのを知った。
−もしこれが本当なら、日本軍の情報機関は一体何をしていたのか。と
言いたくなる。しかも気の遠くなるような大金を、情報収集に必要と
称して、秘密のうちに湯水のように使っている。(中略)北上軍の、
13D長荻洲中将は、ー我が師団は必ず徐州に一番乗りせねばならん。
そのため敗走の敵にかまうことなく、一路徐州へ突入せよ。−と。
戦闘の目的はたんに徐州という田舎都市を攻略することか、それとも
敵部隊を潰滅させることか。いまさら典範令の綱嶺をのべるまでもない。
荻洲中将の要望にあるものは、ただ名誉欲の満足であり、そのセンスは
戦国時代で、併進した他師団(3D・9D)は迷惑したことだろう。」
北上軍は逃げ腰の中国軍に追撃で、広島5Dや姫路10Dのようにガチンコで
中国軍と戦闘しとりません。
蒙城に戦車突っ込んだり、鉄橋爆破の仙台13Dよりも、北上軍最強の金沢9D
の方が健闘しとるでしょう。仙台13Dは結局退路を遮断するどころか、
敵兵の逃げた徐州に無血入城ですからね。
167 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/10(水) 01:55:21 ID:Z8SfvUuU
>>135 >>北支那方面軍司令官の寺内寿一は、●「どうしても徐州はやらなくちゃならぬ。
>>8月以降になると気候の関係(超絶熱波のため)で非常にやりにくい」
まあ、徐州会戦と云えば火野葦平の名作『麦と兵隊』が連想されますが、火野は
中支那派遣軍の金沢9Dの報道班員として従軍していた訳です。火野の小説を元に
陸軍報道部は歌にすることを決定して作詞させるのですが、最初「ああ生きていた
生きていた 生きていましたお母さん」の歌い出しが命を惜しむものと大問題となり、
「徐州 徐州と人馬は進む」と似ても似つかない歌詞になったことは……、まあ話が
脱線しましたねw。
それはさて置き、徐州攻略作戦は5月から始められたのですが、すでに猛暑であり
小麦の刈り入れ季節でした。小麦の他にも米、大豆、甘藷、高粱、落花生、菜種、
綿花と、この地方の農産物はとても豊富です。しかし戦火が目前に差し迫ると、
支那の土人共は麦を刈る余裕も無く右往左往します。そして波打つ麦畑の中を
日本軍が進攻していく――それが『麦と兵隊』な訳です。
168 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/10(水) 02:23:30 ID:Z8SfvUuU
更にちなみにですが、火野は『土と兵隊』『花と兵隊』も著しており(累計300万部の
超ベストセラー)、『土』は杭州湾上陸作戦を描いたものであり(映画『プライベート・
ライアン』の支那事変版と言えなくもないw)、『花』は兵隊の故郷に残してきた妻を
表しています。
また火野は芥川賞作家でもあり、支那事変の従軍中に受賞を知り(出征前の作品)、
小林秀雄が戦地での授賞式に赴きました。
>>165 >>1938年5月14日、徐州〜開封間の「隴海線」鉄橋の爆破に成功
>>します。これにより、支那軍の鉄路による退路を遮断することができた
これを受けて5月16日、徐州の支那軍の主力は西方へと撤退を開始します。
もともと予想される日本の武漢攻略作戦を遅らせるための時間稼ぎでもあり、
撤退というよりも小部隊ごとに散開して逃げ惑う形に近く、とても1ヵ月前に
台児荘で猛抵抗を見せた同じ軍隊とは思えない体たらくでしたw。
大東亜戦争に勝利する方法は、昭和20年になってもあったと思うんだが。
ベトナム戦争やイラク戦争を見たまえ。市民がゲリラ化して長期化した戦争がどうなるかを。
本土決戦を選択してゲリラ戦を挑めば、いかなアメリカ軍も最後は撤退せざるを得まい。
現在の自由や平和がもし自分たちで勝ち取った自由や平和だったらどんなに誇らしかったろうかと思うと悔やまれてなりませんな。
あんなに中途半端に降伏して、戦死した将兵や天照大神に申し訳ないと思わなかったんだろうか?
一度も外国の干渉を受けなかった神州を異人の蹂躙にまかせるくらいなら、一億全滅も覚悟して米英と差し違えるべきじゃなかったのか?
171 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/11(木) 01:39:47 ID:gYpN9Pmu
>>168 >>これを受けて5月16日、徐州の支那軍の主力は西方へと撤退を開始します。
支那の土人軍の退却を知った中支那派遣軍は、全軍に徐州突撃を命じます。仙台13Dの
歩兵第103旅団は予定以上の猛スピードで強行軍を続け、そして5月19日朝6時――
同旅団の第65連隊(両角業作大佐)が徐州南門から突入して『一番乗り』を果たした
訳です。ちなみに、この連隊は会津若松の編成で●『白虎連隊』とも呼ばれていました。
まあ、65@からすれば『賊軍』の意地の見せ所だったのでしょう。
また南からの13Dに続いて、北からは京都16Dが徐州に突入して逃げ遅れた土人兵と
市街戦となります。そして5月25日には、北支那方面軍司令官・寺内寿一と中支那派遣
軍司令官・畑俊六が揃って●『徐州入城式』を行なっています。
「徐州一番乗り」を達成した仙台13Dの荻原立兵中将は、●「一撃以奪銅山県(徐州)」
と詠んで自軍の将兵を誇りましたが、大本営の評価は13Dが『暴走』したため包囲網に
大穴が開いて敵主力を逃したと、むしろ非難の考えでした。実は本来、中支那派遣軍は
徐州に入れない事になっていた訳です――。
172 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/11(木) 02:00:32 ID:gYpN9Pmu
>>171 >>大本営の評価は13Dが『暴走』したため包囲網に大穴が開いて
>>敵主力を逃したと、むしろ非難の考えでした。
しかし、そう考えるのは大本営の『机上の作戦』でしかなく、現場で「徐州一番乗り」の
競争が生じないと想像する方が誤っています。前線将兵の戦場心理を知らなさ過ぎるもの
でしょう。要するに作戦部の指導力不足(橋本群少将)であり、それなら北支那方面軍と
中支那派遣軍の両兵団を統一指揮する最高指揮官を置くべきでした。これが、のちの支那
派遣軍総司令部(CGA)設立の流れへと繋がっていきます――。
>>172 >>現場で「徐州一番乗り」の競争が生じないと想像する方が誤っています。
_
_....(゚ー゚)
, ´ ⌒ヽi)
i|(( ) )) )iリ
(リ,i;゚ ヮ゚ノョ' 下克上と独断専行は『帝国陸軍の華』ですよねw。
゙,ヘi_i][i,l\ []
<_/ノ:;:;:;ヽ>ij^)
`¨i.ラi.ラ'´ (
 ̄  ̄
>>169 >>一億全滅も覚悟して米英と差し違えるべきじゃなかったのか?
. .「^ヽ,ry'^i
ゝ"´ ⌒`ヽ /[]
くi Lノノハノ)」 / []]
λ.[i ゚ ヮ゚ノi! / [] [] 260万英霊に謝れ。
レ',ヘ.i`ム'」つ/ [] [][]
..く_,//T.iλ
. "ーr_,t_ァ'"
175 :
廣島・もみじ民 ◆cjIySZ2iYw :2009/06/11(木) 03:02:00 ID:TGdLHBCF
>>172 仙台13Dんは抜け駆け云うんですよ。後の荻洲氏がノモンハンで
後方におってウイスキーを飲みながら、小松原が死んで呉れれば
良いと漏らしたようですが(辻政信氏の見解)。
一番乗りは、20Dが忻口鎮で激闘した広島5Dより早く太原攻略戦に
かかったが、川岸20D長が、北支で歴戦した広島5Dの健闘から
「太原攻略の栄誉は、広島五師団のものである。抜け駆けの
功名など出来ぬ」とされた態度と抜け駆け功名を是とする
荻洲氏やイナゾウ氏とは違いますね。
ほいで今村均大将の言ですが、
「支那事変の指導者は、一番乗りを競わせしめたりした為、
各部隊は、手間がとれて足手まといになる捕虜や市民の扱いを
いい加減にし、ただ入城だけをあせった為、いつでも、敵の軍隊
そのものは逸してしまい、のみならず支那兵をして捕虜に
なることは戦死と同様のことだと観念させ、また荒らされた市民の
恨みを買い、敵兵の抗戦意識と後方の兵站線の不安とを大きくし、
進むことは進みえるが、いつまでたっても敵は手を挙げず、
ついに長期戦にしてしまった。
即ち知る!戦陣道徳。敵対する敵軍以外の者には、慈悲心を
もって接することが、迂遠なようで、実は戦勝獲得の近道で
あることを。」と、名言です。
「机上の理論」はIQの高い、逆に判断力に乏しいエリート軍人で
ある限り、知性という日本やドイツの文明的脆弱を持つ大半の軍人は
逃れようが無いでしょう。知性を軽蔑する野蛮人たる英国の将校と
違いますよ。指揮官の能力とは、戦利、戦略じゃのうて、
人徳による識見ですから。
ドイツ贔屓のクラウゼビッツ理論の『机上理論』の戦利、
戦略の合理主義解釈で妄想するナチス・レイシストのイナゾウ氏
には、理解出来んでしょうけど。
176 :
名無し三等兵:2009/06/11(木) 04:06:17 ID:wqZUkodf
廣島さん
中途半端な広島弁を入れないで、わかりやすい文体にして、会話するつもりで書き込みすればいいじゃん。
しかも喧嘩腰だしww
あなたくらい知識をもってる人なら、もっと建設的な書き込みができるだろう?
良スレなんだから、頼むぜ。
スルーが基本だよ
178 :
名無し三等兵:2009/06/11(木) 23:56:27 ID:shxZYO0J
どっかで読んだが、国家総動員法が成立してから戦後の1954年まで、日本の経済成長はゼロだったってのは本当?
統制経済って怖いもんだなぁ。
180 :
名無し三等兵:2009/06/12(金) 01:15:40 ID:cLjN9jUv
>>179 読んだ。なるほどなぁ。
ヴォルフレンとかは偉そうに官僚批判をやってたけど、
日本の歴史をちょっと勉強すれば、
そんなのは誰でもたどり着く回答だったわけだ。
181 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/12(金) 01:59:44 ID:oxDUF6ot
さて徐州占領後も、西方へ逃げた支那軍への追撃戦が引き続き行なわれました。
京都16Dなどは600キロも追撃したと云います。ところが、河南省の省都・
開封を占領(1938年6月6日)した辺りから、土人共が猛反撃に転じた訳です。
それは開封のすぐ西(100キロ程)には鄭州があり、京漢線(北京〜漢口)が
走っていた事によります。鄭州は隴海線と京漢線が交わる「交通の要衝」であり、
鄭州から真っ直ぐ線路を南下すれば『漢口』にぶち当たる訳です。
ちなみにですが、鄭州は「現在の」河南省の省都であり、徐州を占領したことで
打通できた津浦線は天津〜浦口(南京)を結ぶ鉄道です。そもそも支那側(国民
政府)の徐州への兵力集中は、来たる日本軍の漢口攻略作戦を遅らせる時間稼ぎが
目的でありましたから、鄭州まで占領されてしまっては何の意味も無い訳です――。
それゆえ国府軍は大挙、増援部隊を送って日本軍の西進に抵抗し、その極めつきが
●『黄河決壊作戦』でした。6月7日から黄河の堤防を爆破して一帯を水浸しにし、
その冠水面積は実に「河南・安徽・江蘇」の3省にわたる5万4千平方キロでした。
183 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/14(日) 02:07:45 ID:wwJInC/U
>>181 >>その冠水面積は実に「河南・安徽・江蘇」の3省にわたる5万4千平方キロ
「5万4千平方キロ」の面積というと直ぐには想像できないでしょうが、東北6県より
少し狭く、九州6県よりは少し広い大きさです。この『黄河決壊』は国府軍の第1戦区
副司令官・劉峠の●「黄河の堤防決壊により洪水を起こし、日本軍の進撃を阻止」する
という意見具申が蒋介石に認められたものです。
実行を命じられた第32軍司令官の商震は、蒋介石から日本軍の前衛部隊が通過した後、
その背後を突くようなタイミングで堤防爆破を命じられます。まあ、後続部隊の進攻を
断つと同時に、敵中に取り残された孤軍の前衛部隊を血祭りに上げようという魂胆です。
しかし商震は、味方の撤退が完了するまで『堤防爆破』を先延ばしにしていましたので
蒋介石から何度も爆破の督促を受けています。結局、6月7日に中牟で実行されますが
上手くいかず、6月9日に場所を花園口に移して、ようやく決壊させました。国府軍は
1個師の兵力と付近の農民を動員したと云いますが、6月の雨季も重なって増水した水の
威力は凄まじく、黄河の流れそのものが南側に変わり、黄海に注ぐようになりました――。
184 :
名無し三等兵:2009/06/14(日) 02:47:51 ID:0QUSGADT
支那派遣軍より強い三沢さんが死んだ
なんでや???
185 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/14(日) 02:54:12 ID:wwJInC/U
『黄河決壊』による被害は凄まじく、11の都市と4000の村と100万の家々が
水没し、特に農地と農作物に対する影響は深刻でした。つーか食糧全滅です。直接の
水死者・行方不明者は89万人、被災者は1250万人と言われます。
当然のことながら日本軍に対する奇襲効果を発揮するために、支那軍は近隣の住民に
「黄河決壊」の計画や事実を伝えませんでしたので、大多数の土人住民たちは逃げる
間もなく、突然起きた洪水に家財ともども飲み込まれる結果となりました。
更にいつもの如く、支那軍は『黄河決壊』を日本軍の仕業と国内外に宣伝しています。
6月11日には●「日本の空爆で黄河決壊」との虚偽の第1報を発信し、後には全国
メディアで●「黄河の堤防に避難している国府軍を攻撃するために、日本軍が堤防に
爆撃と砲撃を加えた」ともっともらしい説明を流しました。
ご丁寧に、●「日本軍は洪水から避難する民に銃撃を加えている」とも……w。
>>184 >>支那派遣軍より強い三沢さんが死んだ なんでや???
永田鉄山少将が相沢中佐に斬殺された時は、自分も声が出ませんでした。
せめて相手が小畑敏四郎だったら……と思わない事もありませんでした。
∩
( ;ω;)彡 ミッサッワッ!ミッサッワッ!!
⊂彡
生き返れバカ野郎!
188 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/15(月) 00:22:11 ID:twsAbpMz
>>185 >>いつもの如く、支那軍は『黄河決壊』を日本軍の仕業と国内外に宣伝しています。
もちろん日本は直ぐに反論し、●「追撃のための進撃路を自ら潰すバカはいない」
●「堤防の大きさから爆撃と砲撃で破壊するのは不可能である」●「堤防破壊は
支那軍と強制された農民の仕業である」との声明を出しました。
まあ、規模からして堤防を破壊するには『土木工事』の類が必要となります。
諸外国もさすがに支那側の主張には無理があると感じまして、支那に同情的な
メディアでも『被害』を伝えるだけで人為的な災害である事は伏せたり、支那と
日本の主張双方を載せるに留めました。むしろ支那の『自作自演』を非難したり、
●「中国軍は黄河の堤防を破壊して『ノアの大洪水』に勝る大水害を起こそうと
している。中国の中部地域における70万平方キロメートルの地域が水没の危機に
さらされ、7千万の住民が大洪水の犠牲となろうとしている。しかし英米仏いずれ
からも、この世界に前例なき人類一大殺害に対し一言たりとも抗議する声を聴かない」
189 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/15(月) 00:59:01 ID:twsAbpMz
と非難しています。まあ、結果として『黄河氾濫』により日本軍の追撃は
うやむやとなり、徐州戦は終息を迎えることになります。蒋介石が怖れた
鄭州を占領され「京漢線」を南下しての「武漢速攻」は避けられた訳ですが、
結局、史実のように4ヵ月後の10月26日には「武漢三鎮」が占領されて
しまいます。『黄河氾濫』による膨大な人的・地理的被害と勘定が合うか
どうかは大いに疑問でしょう。
とくに水害による農地と農作物の被害は後々まで深刻な問題を引き起こし、
国民党軍の農民に対する食料徴発が激しさを増します。また黄河の流れが
変わったため、1942年に河南省で干ばつが起きた際には大飢饉となり、
餓死者が続出しました。黄河の流れが復するのは、10年近く経った戦後の
1947年に堤防が再建されるのを待たなくてはなりません――。
徐州で日本軍の「合同慰霊祭」が行なわれたのは6月29日のことでした。
190 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/15(月) 01:15:31 ID:twsAbpMz
>>188 >>「中国軍は黄河の堤防を破壊して『ノアの大洪水』に勝る大水害を
>>起こそうとしている」
上記のコメントはスペイン紙ですね。また日本の同盟ニュースも6月23日付の記事で、
●『濁流渦巻く水禍の中に皇軍必死の救助作業続く』との写真付きの見出しで、
「非人道極まる黄河堤防決壊による水禍は、皇軍勇士の必死の努力に関わらず
家を奪われ、食を奪われ、或いは生命を奪われる者約10万。惨憺たる阿鼻
叫喚の巷、生き地獄と化しつつあり。我が皇軍の適切な救助処置に支那良民を
敵とせずの心情を目の当たりにした土民たちは、感謝の瞳を以って皇軍に協力
している。写真は『水魔』と戦う皇軍勇士――」
と日本国内に伝えています。まあ、脱線が長引きましたが、次回から板垣征四郎の
陸相就任工作に話を戻したいと思います。まあ、こんな徐州戦の最中に近衛文麿は
板垣に陸相を打診していた訳です。
>>182 >>「もしも東方のキャラクターが現実の戦争に参戦したら」
、.人/
) ● {
}ヽ、ノ{ /`Y^`
ヾヘ. }フ⌒⌒ヾ{ ,ィ'ツ
,ミ:〈ヽ.幺ノメ人ヽゝノ ,〉彡, 黒い太陽、八咫烏様。私に力を与えてくださった事に感謝します。
i ミ::\彡リ ゚ ヮ゚ノゝ/::彡 i 地上に降り注ぐ太陽の光。それは新しい原子を創る核融合の熱――。
!。 ミ:::::ソ(,_,)`Φ,〉)つ:::彡。! 究極の核融合で、身も心も日本人も支那人もフュージョンし尽くすがいい!
ヽ∵*(/ 7´ ̄`ヾ∵ *゚ ノ
`ー〈__/=もi_ラ'"=―"´
)、,,(/
) ● ゝ
,}゙>‐<'{ /`Y`^
ミヽ, )フ'⌒⌒ヾ{ ,ィソ
,ミ〈\iシノメ人ヽゝ/〉ン あなたも、私とフュージョンしましょ?
i ミ::\チリ.゚ ヮ゚ノゝノ シi
| .ミ:ノ(ニ)^Φ,〉)つ:" !
ヽ:::((/'7´二`ヾ:::ノ
 ̄〈_,/£!^i,ラ´ ̄
 ̄ ̄  ̄  ̄
>>189 >>『黄河氾濫』による膨大な人的・地理的被害と勘定が合うか
>>どうかは大いに疑問でしょう。
まあ、現代版『レッドクリフ』と言えないこともありませんが……。
三国史の時代でやっていたら、間違いなく歴史に残ったでしょうw。
194 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/16(火) 01:28:41 ID:B3aZXzZ6
>>190 まあ、こんな徐州戦の最中に近衛文麿は板垣に陸相を打診していた訳です。
さて話を戻したいと思いますが、外相については広田弘毅自身が辞任を望んで
いましたので手間はかかりません。最も難題なのは陸相交代ですが、杉山元を
辞めさせる所までは同意を取り付けました。次は板垣を口説き落とすことです。
しかし前述したように参謀次長の多田駿も、杉山を陸相から引き摺り下ろす事に
ついては忌憚なく話し合いできても、後継の陸相を板垣にする話については正直
困惑していた訳です――。何はともあれ、まずは板垣自身に陸相を引き受けさせ
なければなりませんが、板垣は第5師団長(広島)として北支の戦地にいます。
当然、北支に『陸相打診』の密使を遣わす必要がありますが、初手から大きな問題に
直面する訳です。最初は近衛の首相秘書官である岸道三を派遣しようとしましたが、
以前、宮崎龍介を蒋介石への「和平の密使」として送ろうとして陸軍の憲兵隊に
神戸港で逮捕された失敗(1937年7月)が直ぐに思い出されます――。
195 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/16(火) 02:07:27 ID:B3aZXzZ6
近衛が首相秘書官を支那に派遣しようものなら、●「自分は怪しい事をして
いますので勘付いて下さい」と陸軍に宣伝しているようなものですw。しかし、
ちょうど内閣書記官長(現在の官房長官)の風見章が『国際通信』に勤めていた
時代の同僚が『同盟通信』の幹部で主幹の地位にありました。名を古野伊之助と
言います。しかも都合の良いことに、この古野と板垣征四郎は北京時代から旧知
の間柄だった訳です。
さらに前年の1937年、板垣が蒙疆で帯陣中に古野は北支への出張ついでに
足を伸ばし、わざわざ板垣を慰問に訪れた経験を持っています。よって古野で
あれば、近衛の使者として板垣を説得しうる人物と期待されました。
また大手通信社である『同盟通信』の主幹という立場で、板垣と会見するならば
陸軍にも怪しまれる可能性は低いという点も好都合でした――。
196 :
名無し三等兵:2009/06/16(火) 22:38:03 ID:ivHzrf2I
「バックで犯してください」と言われてドキッとした
「バッグを置かしてください」だった
197 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/18(木) 00:59:10 ID:Fk7yeheH
>>193 >>大手通信社である『同盟通信』の主幹という立場で、板垣と会見するならば
「主幹」だと分かりにくいかもしれませんが、古野は同盟通信社の専務でもあります。
古野は1938年4月27日、山東半島の青島に上陸します。板垣征四郎の第5師団
司令部のある?城は山東省の南部で、青島から西南に300キロ、徐州からは東方へ
100キロにある場所でした。
古野は途中、自社の同盟通信の従軍班と偶然落ち合い、軍用トラックを乗り継ぎながら
3日間かけて板垣の元へと急ぎます。その道中は『敵中』でもあり、しばしば国府軍の
攻撃を受けたと云います。そしてようやく古野が?城に到着すると、前回と同じく陣中
慰問だと勘違いした板垣征四郎は「おお、よく来た」と古野を歓迎しますが、
●「僕は慰問に来たんじゃない。あなたを引っ張り出しに来たんだ――」
と切り出して板垣を驚かせます。古野は近衛首相から『陸相打診』の3条件を
聞いていましたので、これを含めて板垣に陸相就任の説得を始めました。
198 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/18(木) 01:29:17 ID:Fk7yeheH
さて、古野が板垣を訪れたこの時期はというと、●『徐州作戦』の実施が既に
本決まりとなっています。参本作戦部長の橋本群少将らが支那へ打ち合わせに
訪れたのが、4月17日〜18日――。そして板垣の第5師団が攻勢を発起
するのが5月7日ですから、作戦開始前の「ギリギリ」にあたりますね。
そして●『非常に重要なポイント』ですが、古野が近衛首相の伝言として
陸相就任の条件(これを呑んだうえで板垣に陸相を引き受けて欲しい)に
挙げたものが3つあります。
●「日本軍の北支撤兵」●「支那事変の収拾」●『東条(ヒデキ)次官任命』
です。特に3つ目は、ヒデキが陸軍中央の要職に就く最初のきっかけとなり、のちに
太平洋戦争の開戦首相への道を開くものになるのですから、どんなに強調してもし過ぎる
ことはありません。ただし一般的には、ヒデキの陸軍次官就任は、罷免された杉山元陸相
(梅津美治郎次官)の置き土産(画策)だとする説が根強いのですが、ここで最初の条件に
挙げられている以上、とんだミスリーディング(誤誘導)な訳です――。
199 :
イナゾウ虜囚 ◆FU/OcfTlfM :2009/06/18(木) 01:48:07 ID:Fk7yeheH
まあ、この辺りは後で詳しく補足します。それはさて置き、古野の説得を受けた
板垣征四郎は最初困惑しますが(そもそも陸相なんて畑違いもいいところ、海軍
なら水雷専門の南雲が、空母機動部隊の司令長官を引き受けるようなもの)、
●板垣:「わしもこの戦争を『無名の師』とまでは言わんが、早く止めた方が
良いと思う。どこまで行っても切りの無い、1歩1歩深みにはまる戦争――。
ことに毎日のように兵隊の生命が失われてゆくのを見ては、やり切れん気持ち
がする。しかし、たとえわしが陸軍大臣になっても、果たして北支撤兵、全面
講和に持ってゆけるかどうかは全然分からない」
●古野:「容易なことでは無いことは僕にも分かる。自信のある人などありっこ
無い。かといって日本がこのまま戦争の泥沼から足を抜くことができなければ、
日本は滅亡だ。和平が国のためと信ずるなら、命を賭けて引き受けてくれ」
と夜を徹して熱心に口説いた所、板垣もついに古野の情熱に動かされ、●「では、
事の成否は別として命がけでやってみよう」と陸相就任を了解したのでした。
200 :
名無し三等兵:2009/06/19(金) 21:42:17 ID:IYtn86bs
* 張家口警察署* 宣化警察署* 大同警察署 * 厚和警察署
* 包頭警察署* 北京警察署 * 豊台警察署 * 通州警察署
* 保定警察署 * 石門警察署 * 彰徳警察署 * 順徳警察署
* 開封警察署* 新郷警察署 * 太原警察署 * 天津警察署
* 塘沽警察署* 唐山警察署* 柏各荘警察署 * 山海関警察署
* 芝罘警察署* 威海衛警察署* 青島警察署* 坊子警察署 * 済南警察署
* 張店警察署 * 博山警察署 * 上海総領事館警察署 * 上海警察署
* 南通警察署 * 楊樹浦警察署* 新市街警察署* 寧波警察署 * 蘇州警察署
* 常州警察署* 無錫警察署 * 杭州警察署* 金華警察署 * 南京警察署
* 鎮江警察署 * 揚州警察署 * 徐州警察署 * 海州警察署 * 蚌埠警察署
* 蕪湖警察署 * 安慶警察署 * 九江警察署* 南昌警察署* 漢口警察署
* 武昌警察署 * 大治警察署 * 厦門警察署 * 広東警察署 * 海口警察署
>そもそも戦前、「軍人には選挙権なかった」からね。
これマジ?
陸海軍軍人ハ現役中選挙権ヲ行フコトヲ得ス及被選人タルコトヲ得ス其ノ休職停職ニ在ル者亦同シ
予備役で政治家に転身した人の立場は・・・?
まあ当時は議院内閣制じゃないから元軍人宰相とか必ずしも政党を率いてはいなくはあるんだが
204 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/06/24(水) 00:23:56 ID:6SC77fTF
株をやっていると経済の見方が変わってきて面白いのですが、とにかく
実体経済の方は厳しい限りで、ボーナスがナッシングになりそうれす。
夏コミの予算は一体どうしませふ……。『蟻の兵隊』万歳!w
>>203 >>予備役で政治家に転身した人の立場は・・・?
田中義一も陸軍に最後まで留まっていれば、『元帥』間違いなしだったのですが
政党政治に勢いがあった1920年代半ばでは、軍人を辞めて「政友会総裁」に
ならなければ首相になれなかった訳です。まあ、「軍人トップから政界トップへの
大胆な転身」と見出しを付けていた歴代総理大臣の本が最近ありましたが……。
>>199 の続き。>>夜を徹して熱心に口説いた所、板垣もついに古野の情熱に動かされ、
>>●「では、事の成否は別として命がけでやってみよう」と陸相就任を了解した
1938年5月2日早朝、『同盟通信』主幹の古野より「板垣・陸相受諾」の報が
送られます。古野は専用の無電機を持参しており、遥か支那より『同盟通信』の
東京本社・総務部長宛に「暗号電文」を打ったのでした。
205 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/06/24(水) 00:53:55 ID:6SC77fTF
東京では杉山元を「陸相更迭」に追い込んだ所でしたので、待ちに待った古野の
一報は、首相の近衛文麿や内閣書記官長の風見章の胸をホッと撫で下ろさせます。
「古野の板垣説得に3日かかった」と近衛周辺には伝わりますが、これはオーバー
でしょう。古野が青島に上陸して第5師団司令部に辿り着くまでに3日程かかり
ましたから、おそらくこれがゴッチャになっています。あるいは、板垣が陸相を
受諾してからも、古野は今後の対応を話し合うために数日留まっていますから、
こちらかもしれません。
しかし面白いのは、板垣征四郎が一時●『次の陸相は多田駿がよい』と推薦した
ことです。かつてカンジ(石原莞爾)も同じように多田を陸相に推したことが
あり、木戸幸一などは『石原派の策謀』ではないかと疑ったあたりが興味深い
でしょう。言うまでも無く、多田駿(参謀次長)はカンジに近い関係な訳です。
206 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/06/24(水) 01:21:07 ID:6SC77fTF
それはさて置き、首相の近衛文麿は「内閣改造」にあたって杉山元を辞めさせ、
新しい陸相に板垣征四郎を指名しようとしたのですが、最後の難関、●『陸軍
三長官会議』でその後継を認めさせるという問題が残っています。
杉山は自身の後継に「古荘(幹郎・中将)はどうだ?」と固執し、多田など参謀
本部が健康上の問題を理由に拒否すると、杉山はなお「自分が古荘の健康を確認
しよう」と粘ります。また教育総監の西尾寿造は「我関せず」とばかりに、後継
陸相の賛否の意見も言わぬまま、とっとと伊勢神宮に参拝に逝ってしまいますw。
何やかんやで結局、宮中や皇族が「近衛の意向」を強く支持する形となりまして、
まず参謀総長の閑院宮が天皇(37歳)に、「結局は板垣になります」と伝えた
のでした。
しかし陸軍の長老格である閑院宮が、あまりに陸相のポストを軽く扱う(政府と
陸軍の橋渡し程度)雰囲気が見られるので、逆に内大臣の湯浅倉平に噛み付かれ
ます。●「陸軍大臣がそんなに軽い存在であってはならん――」という訳です。
207 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/06/24(水) 01:39:54 ID:6SC77fTF
湯浅は天皇(37歳)に、●『近衛は板垣陸相でなければ内閣を投げ出す』
という予測を暗に匂わせつつ、「(新陸相を)総理との了解なくして、単に
陸軍三長官(会議)だけで決定しても、場合によっては内閣を瓦解させ、
その政治的責任を(陸軍が)負わなくてはならない――」と伝えたのでした。
これを受けて天皇(37歳)は、●「もう一度、参謀総長を呼んでその点を
注意しようか」という話の流れになりまして、閑院宮が再度召されることに
なる訳です。当然、閑院宮は近衛の希望どおり板垣を推す訳ですから、結局
湯浅は閑院宮を批判する格好を取りつつも、近衛の意向をサポートしている
ことに変わりはありません。
564 名前:夢見通り@埼玉方面帰宅中 ◆yumemiK1w6 [sage] 投稿日:2009/06/23(火) 19:19:04 ID:/CfYFJtk
皆様こんばんわ。
Yahoo!トップに出ていたんで知りましたけど、宮崎の東禿はなんなんでしょ。
いきなり自民党総裁になる気満々ですね。
宮崎県民以外はどん引きしますわ。
571 名前:福岡愛知[] 投稿日:2009/06/23(火) 19:20:47 ID:UQFfo5A8
>>564 立憲政友会総裁に天下った田中義一2世ですよ。
田中義一には陸軍機密費もあれば、在郷軍人会もありましたが、
淫行禿にはテレビ番組しかありませんw
衆院選出馬要請に東国原知事「自民総裁にするなら」
自民党の古賀選挙対策委員長は23日、東国原英夫宮崎県知事と同県庁で会談し、
次期衆院選に自民党公認候補として出馬するように求めた。
これに対し、東国原知事は、全国知事会が作成したマニフェスト(政権公約)を自民党の公約にすべて取り込むことと、
自身を自民党総裁として衆院選に臨むことを出馬の条件に挙げた。
古賀氏は「お聞きしました」と述べ、即答しなかったという。
読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090623-00000759-yom-pol 松波健四郎議員、東国原知事の条件に激怒
「顔を洗って出直してこい」
わざわざお願いに行って、芸人上がりにコケにされた古賀のほうが「顔を洗って出直してこい」だが。
いや、その理屈はおかしい
余録:出馬の「条件」
党員でもない人を総裁=総理に迎える例もないわけではない。
麻生太郎首相の祖父・吉田茂が請われて自由党総裁を引き受け、吉田内閣を発足させた戦後政治の幕開けがそうだ。
同党を率いて総選挙に勝利した鳩山一郎が占領軍の追放を受けたためだ
▲「金作りはしない。閣僚の人事はすべて任せろ。いやになったらいつでもやめる」。
それが吉田の総裁を引き受ける条件だった。もう一つ、鳩山が追放から戻ったら政権を返すという条件が
あったのかどうかが問題になるのは後年のことだ
▲「私は吉田が条件を突きつけ、総裁になってやるという態度を示したことがひどく癇(かん)にさわった。
資金についてはわがままだなぁと思い、人事については独裁的で、全体に虫がよすぎると考えた」。党の
幹事長だった河野一郎はそう回想する
▲それでも他に人材を見いだせなかった混乱期だった。つまりは今日の政治リーダーの払底も終戦直後
並みなのか。自民党の総選挙出馬要請を受けた東国原英夫宮崎県知事が「自分を次期総裁候補にする
なら」との仰天条件を提示したという
▲普通なら出馬を断るジョークだろうが、知事1期目中途のご当人が国政に意欲満々なのにも驚く。因果
はめぐり今度「ひどく癇にさわった」のは、退陣を求められたも同然の麻生首相だろう。自民党もなめられ
たものだとのため息が、党内はむろん野党からも出るのが情けない
▲リーダー選びに失敗を重ね、テレビへの露出で人気の知事を総選挙の看板にしようと虫のいいもくろみ
を立てたのは自民党だ。ならば文字通り「党の顔」にしろとの条件を突き返され、またも露呈した政権党の
地盤液状化である。
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20090625k0000m070119000c.html
212 :
中国:2009/06/25(木) 22:01:48 ID:OOaXk16A
我が儘な五目殿下が支配する中華魔界は、人間界から近いが、
人間は誰もその存在を知らない遠い世界。
その中華魔界に住むヒロイン・ぱいぱい(小沢なつき)には
レイモンドと言う恋人がいた。五目殿下はぱいぱいを花嫁にする為に
邪魔なレイモンドを魔法でラーメンに変えてしまう。
ラーメンとなったレイモンドは逃げ出す途中、
ラーメンの器からナルトを落としてしまう。
かくてナルトの入っていないラーメンにされてしまった
レイモンドを追いかけて人間界にやって来たぱいぱいは、
母親代わり(家政婦)として高山家に居候する事になる。
ちゅうかなぱいぱいかよ!
いぱねまのほうが好きだったなぁ
自民信者ってwww
麻生太郎ファンクラブ44
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1245829933/329-332 329 :可愛い奥様:2009/06/25(木) 18:49:39 ID:flBxfT9w0
母子加算を復活 生活保護法改正案が委員会で可決
330 :可愛い奥様:2009/06/25(木) 18:52:54 ID:gsPnWeZl0
>>329 これは自民党GJだね。
うちの周りにも母子家庭いるけどさ、本当たいへんそうなんだよね。
332 :可愛い奥様:2009/06/25(木) 18:53:56 ID:gsPnWeZl0
>>329 あ、民主が決めたのかこれw
それじゃダメだ。
財源はどうするんだって話。
無限に金が湧いてくるわけじゃないんだからさw
215 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/06/26(金) 00:16:51 ID:UQQlbAU8
>>207 >>●「もう一度、参謀総長を呼んでその点を注意しようか」
以下、天皇(37歳)と閑院宮の会話です――。
閑:「板垣(が陸相)でなければ近衛は(首相を)辞めるでしょうか?」
天:「十中の八九までそうだろう」
閑:「しらかば、板垣なら引き続いてやっていくつもりでしょうか?」
天:「十中八九まではそうであろう」
閑:「それならば三長官会議で(杉山)陸軍大臣が(古荘に)頑張った場合には、
2対1で押し切りましょう。また(徐州作戦の終了時期を考えて)杉山陸軍
大臣の『辞表』は5月25日頃になるでしょう――」
ここで杉山の命運は尽きた訳ですが、まず陸軍次官が杉山の手により梅津美治郎
からヒデキ(東条英機)に代わる事となりました。このため人事局長の阿南惟幾が
戦地に向かっています。1938年5月23日には、西園寺公望の秘書である原田
熊雄が最終的な事態を確認するために、杉山に電話をかけています。
216 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/06/26(金) 00:32:32 ID:UQQlbAU8
「一体(陸相を)辞めるという噂があるが、どうなんだ?」という原田の問いに杉山は、
以下のように答えました。
「もう既に手が回っているから、どうにもならん。閑院宮さんにも今度は随分申し上げて
『参謀本部が思っているような事をなすれば、陸軍の下克上は再び元に戻って、酷い事に
なりますよ。自分たちのこの【統制回復】についての努力は少しも察して戴けないで、
まことに残念な話であります。
元来、次官の梅津(美治郎)にしろ自分にしろ、何とかしてこの陸軍の統制を回復する
事に専念していたのでありまして、そのために非常に評判が悪かった訳でありますけれ
ども、評判の悪い方が実際は良いのであります』という事をよほど申し上げてみたが、
どうしてもお聞き入れにならん。どうも近衛総理は、伝法肌(勇み肌)の人が好きなんで
自分達なんかはとても駄目なんだ。折角落ち着きかけた陸軍が必ずまたゴタゴタし出す」
このように杉山は、近衛の威を借りた陸軍内部の『下克上』であると考えていた訳です。
217 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/06/26(金) 00:59:25 ID:UQQlbAU8
杉山の泣き言に対して原田熊雄は、
「だから今日に至るまで何遍ともなく自分は貴下に、『とにかく胸襟を開いて
(近衛総理と)よく話してみろ。思い切って打ち込んで話せば、秘密も漏らす
ことも無いだろうし、また互いの気持ちが分かるんだから、遠慮なく話せ』と
しきりに言ったではないか。
貴下が今日までそうした話をしないから、離間中傷にあってこんな事になるんだ。
寺内(寿一)陸軍大臣当時にも、自分は石原(莞爾)や浅原(健三)の事について
『よほど用心しなければいかん』という話を貴下にもし、寺内にもしたにも関わらず
『絶対そんなことはない』と言っておったが、今日こうなってみると、やはり石原
なんかの意図が着々と実現していくじゃあないか!――」
と怒りますが、原田もまた『石原派』の下克上ではないかと疑っていた訳です。しかし
その真相はというと、カンジは全く関係なく、近衛のスタンドプレーでした。カンジは
関東軍参謀副長として、上司のヒデキ(関東軍参謀長)のもと、ヒーヒーしていましたw。
218 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/06/26(金) 01:26:39 ID:UQQlbAU8
>>217 >>「とにかく胸襟を開いて(近衛総理と)よく話してみろ。思い切って
>>打ち込んで話せば、秘密も漏らすことも無いだろうし」
外相の広田弘毅も同じことを述べていましたが、陸相の杉山元は「近衛首相の
周りから作戦が漏れて困る」と不満を述べていた訳です。
支那事変当初、近衛に「陸軍はどの線まで進むのか?」と閣議で尋ねられた杉山は
何も答えず黙っていました。見かねた海相の米内光政が「保定のあたりまで――」と
代わりに返事すると、後で杉山は米内に●「そんな『統帥事項』に関して口を滑らす
なんてどういう積もりか?」と散々嫌味を述べたと云います。
しかし現実はというと、ゾルゲ事件で首謀者となる尾崎秀実が近衛内閣の嘱託として
鎮座する訳です(1938年7月〜)。まあ、この頃は、近衛側近の後藤隆之助が主催する
『昭和研究会』に所属する立場でしたが。それにしても、尾崎は内閣書記官長の風見
章とは既に盟友の関係にあった訳です――。この点、原田の批判の方が言いがかりで
あり、「近衛周辺の人物」に対する杉山や広田の懸念の方が当たっていたのでした。
近衛周辺の身体検査も満足にできない憲兵と警視庁の責任だろ
>>219 それは近衛の側が拒否するだろう。
憲兵がつくってことは陸軍に監視されてるようなもんだ。
ソ連の政治将校と同じ。
221 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/01(水) 23:25:42 ID:U4zL32o4
しばらく「アクセス規制」に遭っておりました……w。
>>215 >>このため人事局長の阿南惟幾が戦地に向かっています。
板垣の最終的な説得のために、阿南人事局長が北支臨汾の第5師団司令部を訪れますが、
なかなか色良い返事が得られなかったと云います。その様子を同行した額田坦(人事局
補任課高級課員)が次のように記録していました。ちなみに額田も後に人事局長となり
まして『額田坦回想録 最後の陸軍省人事局長』や、熱心な宇垣一成の「信者」として
『秘録 宇垣一成』などの著作があります。
阿南は熱心に板垣征四郎に「陸相就任」を求めますが、ついに諒解を得られず夕方に
一旦辞去――。青島に夜戻った阿南は額田に、
●「今日、板垣閣下に陸軍大臣就任を懇請したが、どうしても首肯されない。時刻が
遅くなって困ることはよく分かっていたが、執拗にお願いしていたのだよ。しかし
遂によい御返事を戴けなかった――」
222 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/01(水) 23:58:12 ID:U4zL32o4
とボヤく訳ですが、阿南は後日改めて板垣に面談し、漸くにして『陸相就任』の
承諾を得られたのでした。まあ、今までの話の流れからして、板垣は既に近衛の
「密使」である古野の説得で陸相を引き受けることを決心しているのに、なぜ
今さら阿南(人事局長)の正式な要請を渋るのか、『奇異』に感じる人がいる
かもしれません。
>>219 >>近衛周辺の身体検査も満足にできない憲兵と警視庁の責任だろ
一般的には、セットで陸軍次官にヒデキ(東条英機)が付いてくる条件を板垣に
呑ませるために時間が掛かったと言われますが、もちろんこれは首相の近衛から
挙げられた陸相の就任条件に既にありましたから違います。むしろ阿南の要請を
「二つ返事」で引き受けてしまったら、自分が近衛との(謀略的な)関係を一層
疑われる羽目になりますから、わざともったいぶる必要があった訳です。
自分は陸軍中央からの要請によって、陸相を仕方なく引き受けるのだと――。
223 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/02(木) 00:24:59 ID:tsLbTEuQ
当然、陸相を罷免される杉山元を筆頭に(次官の梅津美治郎も)、陸軍中央の
一部はこの人事に『怒り狂う』訳ですから、話の転び方次第では板垣も自身の
キャリアに致命的な傷が付きかねません。棚からボタもち的に「陸相の座」が
降って来た訳ですが、そうそう甘くはないのです。
東国原知事も「ボタもち」というか「野心剥き出し」で国政に進出して、果たして
吉と出るんでしょうかね。県知事を最低一期務める必要があると思うのですけどw。
さて、こうして板垣は6月2日午後2時、北支から福岡に帰国し、夕方5時には
羽田に到着しました。翌3日朝に陸相官邸で杉山から事情の説明を受け、正午に
近衛首相から正式に「陸相就任」の打診があり、午後3時には宮中で親任式が
行なわれる慌しさです――。
首相の近衛は、内閣主導で「自分の希望通り」の陸相人事が達成できたことに
非常に満足したと云います。
224 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/02(木) 00:55:23 ID:tsLbTEuQ
内閣書記官長(現在の官房長官)の風見章の回想によれば――。
板垣の陸相親任式後、首相官邸に戻ってきた近衛文麿は、●「馬鹿馬鹿しく
苦労させられたよ」とボヤきながらも、●「苦労のしがいがあった。本当に
良かった」と言って、珍しくハイになりますw。秘書官室に菓子を用意させ、
風見や秘書官たちとそれを食べながら冗談を言い合ったのでした。
しかし当然の事ながら、近衛の強引な陸相人事は、陸軍内部に「強い軋轢」を
生じさせました。支那事変の『不拡大派』の中心人物の1人だった軍務課長の
柴山兼四郎大佐が首相秘書官の岸道三のところへ怒鳴り込んだり、杉山陸相の
更迭のスクープを素っ破抜いた『朝日新聞』が風見の手により『発禁処分』と
なったり……。「政府は陸軍の政治関与を非難するが、これは政府の軍政関与
ではないか!」という訳です。天に唾すると言えば、それまでですが(藁)w。
まあ、『朝日新聞』の発禁処分は次項で少し補足しておきましょう。
225 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/02(木) 01:29:38 ID:tsLbTEuQ
>>224 >>『朝日新聞』の発禁処分は次項で少し補足しておきましょう。
まあ、新聞の『発禁処分』と聞くと、陸軍の方を連想するかもしれませんが、
今回行なったのは内閣書記官長の風見章です。杉山陸相の更迭工作が終盤に
差し掛かった1938年5月下旬、『朝日新聞』の夕刊にこの問題が大きく
報道されたため、風見は内務省に命じて即刻「発売禁止処分」にした訳です。
風見がこのような強引な手段を取ったのは、これが最初で最後でした。
まあ、この更迭工作は『極秘裏』に進められていた訳ですが、次第に首相官邸記者団に
勘付かれ始めます。風見が「困った…」と頭を抱えていると、同盟通信の記者たちが、
●「国家のためにぜひ陸相更迭を成功させて貰いたい。しかし、これは千番に一番の
芸当で生易しいことではない。何より世間に漏れぬことが大事で、漏れたが最後、
せっかくの苦心も水泡に帰するのは目に見えている。我々も新聞記者の立場を離れ、
記事にしないのはもちろん、自社の幹部にも報告しない事を仲間で固く誓ったので
安心してやって貰いたい。協力できる事があれば、何でも手伝いする――」
226 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/02(木) 01:54:05 ID:tsLbTEuQ
>>225 >>風見が「困った…」と頭を抱えていると『同盟通信』の記者たちが、
これを聞いて風見は「グッと胸に来た」と自身で回想していますが、
板垣征四郎への密使となった古野伊之助は『同盟通信』の主幹ですし、
そもそもこの話(密使の依頼)を『同盟通信』の岩永社長に持って
いったのが風見だった訳です――。
何やら『作為的なもの』を感じますが、とにかく「せっかくのスクープを
記事にしない」と約束してくれた他の新聞記者たちへの『義理』からも、
抜け駆けをした形の『朝日新聞』を発禁処分にせざるを得なかった訳です。
まあ真相を言えば、陸相更迭工作に反発した陸軍省の誰かが、『朝日新聞』の
首相官邸記者ではなく、陸軍省担当の番記者にリークしたために起こった騒動
でした。当然、工作を頓挫させるためにわざと漏らした訳ですが、おかげで
朝日新聞の記者は、他の首相官邸記者団から『村八分』の目に遭っていますw。
協定破りかYO!w
さすが朝日様はやることが違うw
これは売国奴尾崎は絡んでないん?
昨日の麻生の人事=天一号作戦
航空部隊(党内)の援護がない中、軍艦(人事)を使った水上作戦が上手くいくわけもなく、
その先の作戦、目的地で艦を座礁させ代用砲台、乗員は上陸襲撃(都議選、衆議院選)で
勝利を得るなんて、空想主義まっしぐら。
229 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/03(金) 05:09:38 ID:D1Bj0J8k
>>227 まあ、陸軍省と首相官邸で「番記者」の担当が違う訳ですし、『朝日新聞』
全体はともかく、村八分に遭った首相官邸の番記者は少し気の毒な気がしますw。
尾崎が近衛内閣の嘱託となったのは、1938年7月ですから少しタイミングが
早いでしょう。尾崎が絡んだかどうかは分かりませんが、こう考えると理解が早い
はずです。杉山陸相・広田外相=更迭(板垣陸相・宇垣外相=新任)の「無理ヤリ」
内閣改造が、ソ連(中共)を利するかどうか?――
当然、近衛の意図としては「国民政府を対手とせず」声明を撤回して支那事変の
早期解決が目的な訳ですから、少なくとも中共にとっては国府軍(蒋介石)と
日本軍が潰し合いを続けてくれていた方が良い、となります。
小沢艦隊の左舷への集中攻撃、夜間雷撃でよいのでは?
231 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/03(金) 05:43:00 ID:D1Bj0J8k
まあ、超テーマ『広田弘毅とその時代』の一環として脱線話が続いている訳ですが、
「第1次近衛内閣の改造」を取り上げるには、やはり幾つか理由があります。
1つには、太平洋戦争の開戦首相であるヒデキ(東条英機)を陸軍次官として
中央にデビューさせるきっかけとなったこと。これは何にも増して重要です。
2つには、広田弘毅は(自殺した)近衛文麿の身代わりのような形で文官で唯一
東京裁判で死刑となったこと。ですから近衛の所業については深く掘り下げる必要
がある訳です。また広田が死刑になった理由の1つに●『軍部大臣現役武官制』の
復活が必ず取り上げられますが、今回は陸軍『省』の意向を無視して100%近衛の
希望が通っている訳です(それが綱渡りの幸運だったとしても)。戦後史観として
あまりに軍部大臣現役武官制が『都合の良い言い訳』に使われ過ぎている気がします。
3つ目には、近衛も広田も杉山も梅津も板垣も、この内閣改造の関係者がほぼ全員
「A級戦犯」となり因果関係があることですw。
232 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/03(金) 05:45:35 ID:D1Bj0J8k
まあ、この強引な陸相人事を伴なう内閣改造は、近衛文麿が『政治力』を
発揮した稀有なケースになる訳ですが……。話の顛末はもう少し続きます。
はいさい、おじさん
おめえの顛末なんか聞きたくもねぇよ
234 :
名無し三等兵:2009/07/03(金) 19:14:59 ID:dmDiOg54
だんだん戦前と似てきたなぁ。
天皇の政治利用と批判=町村氏発言で民主幹事長
民主党の岡田克也幹事長は3日の記者会見で、町村信孝前官房長官が、天皇陛下が外国訪問から
帰国する17日まで衆院解散を避けるべきだとの考えを示したことについて「麻生太郎首相をかばうわけ
ではないが、発言はある意味で天皇の政治利用だ。厳に慎むべきだ」と批判した。
岡田氏は「制度上、皇太子殿下が(天皇の国事行為を)代行できるのは明らかだ」と述べ、天皇の外国
訪問中でも解散は可能だと指摘。「天皇陛下のご不在に名を借りて解散権を制限しようとする動きは
見逃すべきではない」と語った。
http://www.jiji.co.jp/jc/c?g=pol_30&k=2009070300805
235 :
名無し三等兵:2009/07/04(土) 02:41:49 ID:PwbHsHRm
統帥権問題がないだけマシだが・・・まあそれを国会に持ち込んだ政治家の孫が野党の党首なわけだが
236 :
名無し三等兵:2009/07/04(土) 03:50:39 ID:GdezmhDd
天皇からすれば、自分の不在を盾にして「天皇不在だから解散できん」といわれたら困るんじゃないか。
自民と結託して時間稼ぎをしているかのように見られたら…。
237 :
名無し三等兵:2009/07/04(土) 03:55:39 ID:GdezmhDd
そもそも、天皇陛下の海外訪問の日程を決めたのは内閣なわけで…
自分で日程を決めておいて「天皇不在だから」って、マッチポンプだろ?
麻生総理の就任したときからいつ解散するのかが話題になってることの方がおかしい
このスレの流れと通じるものがあるが
戦前の総理の権限が弱すぎて大臣やめたら内閣こけるというグダグダの反省で
総理大臣の権限を強化したんだろ?
なのになんでメディアや各政党が揃って解散解散言ってるんだよ
議会の選挙ごとに行政の長を変えたいのなら議員内閣制なんてやめてしまえ
現行の制度を続けるのなら尊重しないといけない権威や判断ってのはあるだろう
と憤らずにはいられないのでチラシの裏に書きなぐってみました
239 :
名無し三等兵:2009/07/04(土) 05:11:47 ID:GdezmhDd
>>238 官僚に首根っこ抑えられてどうにもならないのに、
解散のときだけ主導権を発揮しても麻生の評価は上がらないよ。
安部内閣が参議院で負けた時点でこうなる事は予想出来たんだろうけどなあ・・・
自民と民主の大連立が成立してれば・・・
結局gdgdになっちゃうだけか・・・
241 :
唐朝:2009/07/04(土) 16:03:38 ID:Mv0ir7O1
「キッド(駆逐艦)は日本機を一機撃墜した
。パイロットは落下傘で機内から脱出したが、
キッドがそのパイロットを捕虜にしようと引き揚げた時には
すでに死亡していた。血気にはやる数人の乗組員たちは
日本人パイロットの遺体をナイフできりつけ、耳を殺ぎ落としたり、
首をはねたりなど、非道な行為にはしった。
中には、下顎を頭蓋骨からはずし、それで装飾品をつくった者もいた。
しかし、日本人は中国・韓国朝鮮人に対してより残虐だったことは
忘れてはならない。
そんなグロ話、妙な改行でコピペしなくていいから。
243 :
イナゾウ虜囚@旅先:2009/07/04(土) 21:26:29 ID:1h0Ry6xz
>>226 >>陸相更迭工作に反発した陸軍省の誰かが、『朝日新聞』の首相官邸記者
>>ではなく、陸軍省担当の番記者にリークした
一説には、リークの出所は陸軍次官の梅津美治郎だったと言います。梅津は朝日
新聞の記者に、●「内閣が陸相更迭の陰謀をやっているとは、ちっとも気づかずに
いた。徐州戦ではないが、八方塞がりで手も足も出せなくなっていた。酷いことを
しやがる――」と話したと云いますが、梅津にしては『言葉が汚過ぎる』ので、
おそらくは陸軍省の中堅どころが『梅津の意思』として記者に語ったのでしょう。
むしろ、山本五十六が原田熊雄(西園寺公望の秘書)に語った「梅津の人物評」の
方が的を射ています。当時の山本は海軍次官で、陸軍次官だった梅津美治郎とは
非常に近い立場にあった訳です。山本の話を要約すると、以下の通り。
●「梅津という人物について、今まで大体は判っておったけれども、あんまり
よくは判らなかった。ところが昨日、次官会議の帰りに非常に(梅津が)憤慨
してはっきり自分に言っておったが、言うことは全てその通りだと自分は感じた」
244 :
イナゾウ虜囚@旅先:2009/07/04(土) 21:47:56 ID:1h0Ry6xz
●「『元来、(近衛)総理大臣は、今まで自分から自主的にこうしたらどうだとか、
ああしたらどうだとかいう事を少しも言わないで、常に受身の態度でいて、少し
面倒臭くなると寝込んでしまう。自分達の(陸軍内部の)統制に対する苦労を
明察する事も無ければ、ただ一部の者の示唆によって人を代えたりなんかしよう
とする。甚だけしからん話だ――』
と言って、(梅津は)はっきり総理の態度を非常に憤慨していた。あんなにはっきり
怒ったのは、自分はかつて見たことが無い」
な訳です。これ以後、陸軍の一部には絶えず『反近衛熱』が残っていたと云いますが、
「いずれも、いわゆる梅津系の人達であった」と内閣書記官長の風見が回想しています。
>>231 >>1つには、太平洋戦争の開戦首相であるヒデキ(東条英機)を陸軍次官として
>>中央にデビューさせるきっかけとなったこと。これは何にも増して重要です。
そしてこの『梅津の怒り』の矛先が、ヒデキ(東条英機)の後継次官の就任であった
という説が根強いのですが……。
245 :
名無し三等兵:2009/07/04(土) 22:58:59 ID:6udEnM6/
日本高等文官軍官は子孫をも政治追放せよ 私は真理を友好するぞ
246 :
イナゾウ虜囚@旅先:2009/07/04(土) 23:01:10 ID:1h0Ry6xz
>>244 >>この『梅津の怒り』の矛先が、ヒデキ(東条英機)の後継次官の就任?
一説には、板垣(征四郎)陸相の下における『次官の人選』に、梅津は肝胆を砕いたと
されます。最悪のパターンとしては、「板垣陸相・カンジ(石原莞爾)次官」ラインが
予想されますから、これを何とか回避してヒデキ(東条英機)を『交換条件』として
次官に送り込んだと云うのです。これなら、「板垣自身の役人的ルーズさにも一定の
歯止めをかけることが出来る」と踏んだという訳です。
そして近衛自身、後年の回想として「(板垣新陸相の)交換条件として、梅津は
東条を次官とすることを要求し、取り敢えず(杉山陸相の)更迭を行ないえたの
である」と振り返っているのですが、これは
>>198の内容と100%矛盾します。
>>そして●『非常に重要なポイント』ですが、古野が近衛首相の伝言として
>>陸相就任の条件(これを呑んだうえで板垣に陸相を引き受けて欲しい)に
>>挙げたものが3つあります。
>>●「日本軍の北支撤兵」●「支那事変の収拾」●『東条(ヒデキ)次官任命』
247 :
イナゾウ虜囚@旅先:2009/07/04(土) 23:52:30 ID:1h0Ry6xz
>>246 >>これは
>>198の内容と100%矛盾します。
詳しくは後述しますが、結論から言えば「板垣新陸相」は近衛にとって全くの
『期待ハズレ』に終わった訳です。内閣改造の主眼であった「支那事変の終結」
には、糞の役にも立たなかった――。後から振り返れば、当然のことながら
首相としての近衛の『任命責任』が問われますから、●「陸相としての板垣は
良かったが、梅津や杉山の「置き土産」「最後っ屁」となった次官のヒデキが
問題だったのだ」という、もっともらしい言い訳を広く流布したのです。
板垣もまた自ら、●「どうしても陸軍大臣にならなければならないなら、我輩は
陸軍省に勤務したことがなく、全く事務が分からないから、事務に堪能な東条を
次官にしてくれ」と人事局に要請したという話もあり、
>>198 で説明した近衛の
「陸相就任の条件」をそのまま板垣が口にしたと考えれば、すんなり納得できます。
また、北支の第5師団司令部にわざわざ出向いて板垣の説得に当たった『同盟通信』の
古野も自身の回想で、
前の年に少将に進級したばかりの石原が次官って不可能だろ
249 :
イナゾウ虜囚@旅先:2009/07/05(日) 00:14:35 ID:k71Q88Vq
●「板垣は包容力はあるが、行政面はあまり得意でないので、これにカミソリと
部内から異名を付けられるほど事務の切れる東条英機を就けることが『近衛の
配慮』で、3条件の1つに加えられたのである」と語っています。
もっと言えば近衛自身、1938年4月末の段階で、「内閣改造」を相談した
原田熊雄に対して、
●「政府は板垣と東条のコンビネーションで行くことが一番良いと思っている。
参謀本部の石原(次官)案ではあまりに『石原色』が濃くなる。で、我儘を
させても困るから、まず板垣のような「西郷隆盛」式の男に東条のような
緻密な人を付けたら良いと思う」
と述べているのです。まあ、近衛が思いついた当初は、「板垣・東条」が日露
戦争の「大山巌・児玉源太郎」コンビのように感じられたかもしれませんがw。
250 :
イナゾウ虜囚@旅先:2009/07/05(日) 00:41:03 ID:k71Q88Vq
>>244 >>「自分達の(陸軍内部の)統制に対する苦労を明察する事も無ければ、
>>●『ただ一部の者の示唆』によって人を代えたりなんかしようとする――。
>>甚だけしからん話だ」
実は、上記のような「東条次官案」を近衛に示唆したのは、鈴木貞一(少将・
内閣企画院調査官・第16師団司令部附)でありまして、近衛から「板垣を
陸相に取ろうと思うがどうか?」と聞かれた鈴木は、
●「この人は、補佐官がしっかりしている人が付いていれば、右へでも左へでも
行く人なんです。だから陸軍大臣に取るならば、余程しっかりした軍を固める
人を次官にしないと、かえっていけないかもしれない」
と暗にヒデキを示唆したのでした。
>>248 >>前の年に少将に進級したばかりの石原が次官って不可能だろ
まあ、1937年3月に少将進級で、1939年8月に中将進級なので
ちょーと早過ぎるわなw。もう少し時期的に後なら、杉山元の例のように
少将で陸軍次官心得という手もありますが。
251 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/05(日) 22:28:31 ID:EmItSAPC
>>223 >>こうして板垣は6月2日午後2時、北支から福岡に帰国し、夕方5時
>>には羽田に到着しました。
しかし、大きな苦労して実現させた板垣新陸相ですが、早くも近衛はその『本領』を
発揮させることになります。6月3日に近衛は、食事を取りながら初めて板垣と懇談
する訳ですが、早くも板垣に『失望した』と云います――。
近衛の『板垣評』を聞かされた天皇(38歳)は、内大臣の湯浅倉平に以下のように
語っています。
天:「近衛は板垣のことを、会ってみましたけれども『ぼんくらな男だ』と言って
おったよ。近衛はすぐ変わるねw」
これだけならまだしも、近衛は梅津が陸軍次官を離任する際、初めて長時間会談した
のですが、その時の感想として●「梅津という人は、なかなかしっかりした人で、
もっと早く会っておけば良かったと思ったw」と愚痴をこぼしたのでした。
そりゃ板垣と比べれば梅津のほうがよく見えるに決まってる
>>251 >>●「梅津という人は、なかなかしっかりした人で、もっと早く
>>会っておけば良かったと思ったw」
_
_....(゚ー゚)
, ´ ⌒ヽi)
i|(( ) )) )iリ
(リ,i;゚ ヮ゚ノョ' ……(絶句)。言うに事欠いてお前が
゙,ヘi_i][i,l\ [] 言うか、って感じですねーw。
<_/ノ:;:;:;ヽ>ij^)
`¨i.ラi.ラ'´ (
 ̄  ̄
254 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/05(日) 23:04:17 ID:EmItSAPC
>>252 >>そりゃ板垣と比べれば梅津のほうがよく見えるに決まってる
もともと近衛は、梅津のことが嫌いで「彼は赤(共産主義者)ではないか?」と
疑っていました。もちろん梅津は赤でも何でもありませんが、『無言将軍』とも
呼ばれた実務家で、自他共に認める「裏方役」でした。梅津の笑顔を見た新聞記者は
一人もいないと云います。
梅津は陸軍内の「統制回復」に己の精力を注ぎ、近衛の周辺には「猟官運動」する
政治家や官僚、軍人が群がっていたのですが(ex.鈴木貞一、吉田茂)、当然見向きも
しませんでした。ただ生来の「貴族的気質」の近衛にとって、自分を無視するような
態度の梅津は、それだけで気に入らない存在だったでしょう。
また近衛は「皇道派軍人」が大好きでしたので、「統制派」の実力者である梅津は余計に
虫が好きません。近衛が梅津のことを「赤」と揶揄したのは、単に統制派の梅津に対する
『偏見』と思われます。近衛の工作がなければ、杉山陸相の後継は次官の梅津とも、陸軍
部内で目されていたのですから、本当に何をやっているのか分からない訳ですw。
なにいってるんだい。
国家総動員法による官僚統制を狙っていた統制派は左翼そのものじゃんw
256 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/06(月) 00:00:06 ID:EmItSAPC
>>254 >>近衛の周辺には「猟官運動」する政治家や官僚、軍人が群がっていた
結局、あまりに「多くの人間」が近衛の周りに群がっていたため、他人の評判や
噂話、ちょっと見だけの印象で相手の資質を判断するため、近衛自身の『人物鑑』が
まるで抜けている事の証左でした。また「あいつが言ったことだから――」と自身の
責任をあまり感じないのは、近衛の『政治的な浮気性』にも繋がっています。
また余談ですが、陸士では梅津(15)は板垣(16)より一期先輩、中将に昇進
したのも梅津が先任となります(ヒデキは17期)。なので慣例上、後輩の板垣が
陸相になれば梅津は次官として留まり難くなりますので、梅津は「第1軍司令官」
として支那の戦地に赴くことになります――。
また「梅津→ヒデキ」の次官人事が、「杉山→板垣」の陸相人事に先立って行なわれた
ことで、
>>247 の『置き土産説』の根拠とされるケースも多いのですが、補任課長の
額田坦が回想するように、梅津・板垣の『先輩・後輩問題』に配慮したに過ぎません。
257 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/06(月) 00:23:51 ID:2I0hbjTr
それにしても恐ろしいのは、のちに近衛(風見章も)が太平洋戦争中(1943年秋)に
●「あの場合は気付かなかったが、(次官の)東条は『梅津と同心一体』の存在で
あったのだ――」
と臆面も無く語っているように、ヒデキを次官にお膳立てしたのは近衛自身である
にも関わらず、責任を梅津(杉山)に擦り付けて『被害者ヅラ』している事ですw。
そして、それが1つの歴史的な通説として成り立ってしまっているのも同様です。
まあ、近衛が杉山を陸相に指名したのは言い逃れできませんが、「極秘の工作」で
あったため、次官にヒデキをお膳立てした事実まで知る関係者は、ごくごく僅か
だった訳です。そのため、このような弁明が罷り通る結果となりました。
まあ、次回からは話を元に戻しますが、『軍部大臣現役武官制』が広田弘毅内閣で
復活して実際どうだったのか?を考えるために取り上げてみました。
258 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/06(月) 00:43:03 ID:2I0hbjTr
【補足】
近衛が政治力を発揮した『稀有なケース』(間違った方向でw)となりますが、
自分の希望する陸相を押し通すことができた背景には、もちろん今まで見てきた
ように「天皇の助力」もありました。
しかし天皇(38歳)からしてみれば、「首相と参謀本部の両方が(杉山罷免を)
希望しているので自分は動いた」という論理であったでしょう。統治権を総攬する
元首ならびに、統帥部の頂点にいる自分がこの両方の希望を実現していくことは、
憲法上も問題のない範囲の口出しだったと考えていたはずです。
>>257 >>責任を梅津(杉山)に擦り付けて『被害者ヅラ』している事ですw。
,r---、
. _ソヽ/`、シi
._>=ヘ 丞/=<,.
((ん'ノノルレム)) ペチッ 「天知る、地知る、我知る、人知る」ですね。
_ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_ ミ i っ
),k'ヲ_`:´アつXE無旺〉ノ| っ
(ン::::/:::l::ヽ. .(_,ノ
`~i,ンT,ノ~´
なにいってるんだい。
国家総動員法による官僚統制を狙っていた統制派は左翼そのものじゃんw
261 :
元32:2009/07/06(月) 08:41:37 ID:???
>>246 >板垣陸相・カンジ(石原莞爾)次官
この二人が軍政を担ったら、どんな政策を目指すか以前の問題として、
本当に事務が混乱して人間関係が崩壊して無茶苦茶になっただろうな。
>>249 意外なことに、板垣大将と東條大将は仲がよいのです。
262 :
名無し三等兵:2009/07/06(月) 13:17:18 ID:wkT3mYpV
対米英戦に入る前の40年で(期ごと処理だから39年)国力が伸びきって
頭打ちしてるとしか読み取れないけど?
まだ生産設備が破壊されたわけでもないのに全面戦争に突入してから
GDPが伸びないってw
経済の基礎の基礎も知らないんかあ?
264 :
名無し三等兵:2009/07/07(火) 00:10:45 ID:2nhY+qCZ
>>263 しかし戦争するにあたっては、国家による合理的な管理が必要だったのではないか。
腐った商人どもに任せていては、利潤追求主義で国力を浪費するものしか作らなかったであろう。
企業活動には国家による統制が必要だったのだ。
何その結論ありきのアホ話w
軍が口出しして民間の船が足りません><
剣は折れた。だが私は折れた剣の端を握ってあくまで戦うつもりだ。
ド・ゴール
>>264 >腐った商人どもに任せていては、利潤追求主義で国力を浪費するものしか作らなかったであろう。
わはは。統制経済で効率よく生産・流通できるってアホ以前の
マジで病気レベルの妄想としかw
統制経済は資源・人材のどちらも配分の効率が商業資本に依るものより
明らかに悪いことが理論でも実際のケースでも証明されているというのに。
ある事実や現象を自分が信じたいように都合良く解釈してしまうという、
痛い歴史観や社会観を持つアレな人は時折いるが、元から存在し無いものを
「ある」と言い張るのは精神の病気だよ。
統制経済に必要なもの
独裁者
政治警察
強制収容所
この三点セットがないと統制経済はまともに機能しません。
戦時なら別だがな。
日本の統制経済って、木っ端役人が威張って無責任に好き放題やるだけのごっこ遊びだったからね。
戦時でも権限を集中させる独裁者だけは不可欠。
まあ東條じゃなあw
昔のインドだって統制経済やってたけどな。日本の高度経済成長までの
経済政策なんて統制経済そのものだし、金融・保険に関しては平成まで
統制下に置いていた。
フランスの中央集権型の経済体勢は今も健在で、このリーマンショックが
起きるまではアメリカから経済政策に文句を言われ続けて来たわけで。
統制経済はそれなりの官僚組織があれば可能だよw
>>270 お前はホンダと経産省が統制を巡って喧嘩した話を知らんのか。
したねぇ>大喧嘩
経産省つかまだ通産省だっけ?
ヘタすりゃホンダなくなってたもんねぇ。
>>270 インドとか左派の官僚統制でついこないだまで暗黒経済じゃないかw
日本も、国が焦土になって膨大な復興需要があるというのに統制経済下で傾斜生産とか愚策やって時間を費やし無駄に国民に長期の耐乏生活を強いた。
フランスも、悪名高い官僚統制のおかげで農作物とブランド品と二流兵器以外国際競争力のない国になっちまったじゃないかw
失敗例ばっか挙げて可能だよといわれればそりゃ可能ですねとしか言いようがないな。
結果国が破綻するけどなw
274 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/08(水) 00:59:02 ID:JKxMzY4B
>>261 >>意外なことに、板垣大将と東條大将は仲がよいのです。
何気に、陸相の板垣も、陸軍次官のヒデキも(自称w)、海相の米内も
岩手県出身ですしね。
>>本当に事務が混乱して人間関係が崩壊して無茶苦茶になっただろうな。
危うく「林銑十郎内閣」(前述:石原莞爾の野望)でそうなりかけましたw。
『板垣陸相』は石原派の最初の一里塚だった訳ですが……。
>>269 >>日本の統制経済って、木っ端役人が威張って無責任に好き放題
>>やるだけのごっこ遊びだったからね。
>>269 の内容が全てでしょう。もし3点セットで補足するならば「『優秀な』
独裁者」となります。その点、米国のルーズベルトだって立派な独裁者です。
官僚のインナーサークルではどうしても……。結局、参謀本部万能論、作戦
万能論が経済政策にまで行き着くと――という話です。
板垣陸相のパーティで米内さんと板垣陸相が親しげ話してたら嫉妬した東条が割って入ろうとしたが
生まれが東京なので岩手出身と見なされなかったとか。
276 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/08(水) 01:22:21 ID:JKxMzY4B
>>271 >>お前はホンダと経産省が統制を巡って喧嘩した話を知らんのか。
今ごろになって『官僚たちの夏』がドラマ化するのは何か理由があるのでしょうか?
旧通産省と「特振法」(特定産業振興臨時措置法)は切っても切れない関係ですが、
「自分たちが指導しないと民間には力が無い」という視点が見え隠れします。
『官僚たちの夏』の主人公のモデルとなったのは佐橋滋(さばししげる:元通産省
事務次官)ですが、長年の悲願であった四輪業界への進出を目指す本田宗一郎に対し、
佐橋:「私たち官庁は、国のためにどうあるべきかを考えている。あなたは自分の
欲望や会社のことしか考えていないのではありませんか?」
本田:「何だと? 俺が私利私欲で会社をやっているとでも思っているのか! 俺たちが、
オートバイで世界1位になった時、お前らは何て言った? 日本のために日の丸を揚げて
くれて感謝しています、なんて言ってやがったじゃないか。いいか、俺がもし自動車で
日の丸を揚げた時には、お前は切腹するぐらいの覚悟をしておけ!――」
あまり本田宗一郎に言われても説得力ないなw
278 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/08(水) 01:46:32 ID:JKxMzY4B
>>256 >>近衛自身の『人物鑑』がまるで抜けている事の証左でした。
まあ、次章へのインターリュード(間奏曲)として、明治の元勲2人の人事に
ついて近衛と比較してみましょう。近衛に酷過ぎるのは十分承知の上ですがw。
山県有朋の場合、使えると思って自分が起用した人間は、大きな過ちを犯さない
限り決して見捨てることはありませんでした。そして伊藤博文の場合、「適材」を
発見して「適所」に用いた後は、放置して顧みません。とくに伊藤の場合、女性
関係もそうで、自分の関わった女性を他の男に世話する辺りによく表れていますw。
またもう1つインターリュードで、この頃の「師団の増設」についても触れて
みたいと思いますが(当然、統制経済にも関係してくる)、明日は朝が早い
のでお休みなさいませ……。
師団増設って確かシナ事変勃発以前に着手されてるんだよな。
それ聞いたときは、陸軍のバカども本気で対ソ戦争政治不在でおっぱじめる気だったのかねえとちと暗澹たる気分になった。
独逸の再軍備宣言以来いろんな意味で変わってきているよね
当時の陸軍と独逸との繋がりが判る資料とかないだろうか・・・
経済も歴史も知らないアホばっかだな。というかまともな会社で働いたことのない
軍オタのオナニーレスばっかw
>お前はホンダと経産省が統制を巡って喧嘩した話を知らんのか。
こんな基礎的な出来事、経済紙を読んでる普通の社会人なら知ってるだろ。
社会人の基礎読書だった城山三郎の代表作だし(オマエはどうせ、TBSのドラマで覚えたんだろがw)
無知だから統制経済って北朝鮮や共産圏のような独裁国家でないとおもってやがる。
国が総量規制かけて資産が1/3や1/4になった人が俺の周囲に何人もいるけど、
日本政府を訴えることは出来ない。
民主的な法治国家でも経済を職務権限で統制をかけることは普通に行われている。
統制経済国家と呼ばれるかどうかは、その程度の度合いに過ぎない。
>>273 >インドとか左派の官僚統制でついこないだまで暗黒経済じゃないかw
当時のインドは独裁国家か? それに左派ねえ・・・w
>失敗例ばっか挙げて可能だよといわれればそりゃ可能ですねとしか言いようがないな。
成功した独裁国家の統制経済の実例を挙げてみろよw
お前の理屈は矛盾してるぞww 統制経済をやるためには独裁者他の3点セットが
必要なんだろ?
>>282 インドなんて最近までは駄目駄目国家だったじゃん。
「独立の英雄」ガンジーのおかげ。
>>281 >こんな基礎的な出来事、経済紙を読んでる普通の社会人なら知ってるだろ。
>社会人の基礎読書だった城山三郎の代表作だし(オマエはどうせ、TBSのドラマで覚えたんだろがw)
そのせいで官僚政治打破を唱える民主党に票が集まってるんだね。
>>278 >とくに伊藤の場合、女性関係もそうで、自分の関わった女性を他の男に世話する辺りによく表れていますw。
ほとんど大名の拝領妻。
>>276 >今ごろになって『官僚たちの夏』がドラマ化するのは何か理由があるのでしょうか?
官僚批判が高まってるからだろ。
警察24時だの警察肯定ドラマだのと同じようなもの。
>「自分たちが指導しないと民間には力が無い」という視点が見え隠れします。
ボケ官僚どもはいつだってそう思ってるよ。
だいたい、小泉改革の「新自由主義」なんて、変な規制を増やして官僚の権力を強化し、
天下り先もバンバン増やしてやっただけじゃないか。
>>283 >インドなんて最近までは駄目駄目国家だったじゃん。
はひほ? 50年代、60年代ちゃんと国内生産を伸ばして、70年代以降は乳幼児死亡率も下げ
高等教育も揃えて来ましたけど? 後発国では貧困対策や人口対策をきちんととり続けていた
数少ない国だしなあ。
最近のインドITブーム期しか知らんのか? 学校で緑の革命とか習わなかったんか?
>>286 >だいたい、小泉改革の「新自由主義」なんて、変な規制を増やして官僚の権力を強化し、
>天下り先もバンバン増やしてやっただけじゃないか。
小泉政権がやったことはトンデモ政策だが、さすがにココまで勘違いされると小泉や竹中が可哀想だなw
もうなんでもかんでも非難の道具にしてないかw? 新聞くらい読もうよ
>>288 今年に入って官僚の天下りポストが一気に増えたことがばれたんだけどw
それ小泉のやったことなんか? 小泉って何年前の首相だよ。
オマケに「変な規制増やして」ってw
どんどん規制撤廃してフリーにしてホリエモンや三木谷みたいな連中を生んだんじゃねえか。
>>290 >それ小泉のやったことなんか? 小泉って何年前の首相だよ。
再調査してようやくばれたもので、何年も前から継続で増えてる。
>どんどん規制撤廃してフリーにしてホリエモンや三木谷みたいな連中を生んだんじゃねえか。
官製不況って知らないの?
警察官僚はひたすら増員する一方だしな。
>>291 >どんどん規制撤廃してフリーにしてホリエモンや三木谷みたいな連中を生んだんじゃねえか。
ホリエモン逮捕はまあいいが、ボケの警察が経済のことを考えずに動いたもんだから、民間に大打撃を与えたなw
警察官僚が増えてるのと不況の関係は? 意味ワカラン
官製不況とは逆に小泉政権のようなレッセフェール政策が敵とするものなんだけど?
それと、寡聞にして天下り規制問題で小泉政権の政策が原因で天下りポストが
増えたとは聞いたことがないんですが? 公務員制度改が始まったときにも
渡辺喜美が更迭されたときにもかなりたくさんの記事が出てたけど、どこかに
小泉がポストを増やしたって伝える記事でもあるの?
警察官僚が日本をダメにする(キリッ
>>291 警察庁のキャリア採用枠が拡がり続けているってソースは?
>>293 >警察官僚が増えてるのと不況の関係は? 意味ワカラン
レッセフェールなら官僚の増員に否定的なはずだよねぇ?w
スクールガードと称した警察OBの天下りにも熱心なのだがね。
>官製不況とは逆に小泉政権のようなレッセフェール政策が敵とするものなんだけど?
だから、小泉政権がレッセフェールっていうのが間違いといってる。
小泉は自由主義の旗を掲げただけ。
>寡聞にして天下り規制問題で小泉政権の政策が原因で天下りポストが
>増えたとは聞いたことがないんですが?
日本はこれまで、小泉政権の「新自由主義」と呼ばれる路線を継続していたはずなんだがねw
答えになってない。というか基本的な言葉の意味がわかってないから
トンチンカンな回答になっているぞ。ひょっとして高校生くらいか?
早く小泉政権が天下りポストを増やしたという資料と、警察庁の一種採用が増えたソースを出せw
かいつまんで覚えた単語を並べているだけだろ。
もう子供をからかうな。スレ違いだ。他でやれ!
このタイミングは自演だな。間違いない、図星だろ。
出た!自演鑑定団!
>>295 警察の増員は有名じゃん。
今28万に増えてて、これからさらに増やしていくって話。
>>297 渡りや天下りが増えるのを容認し続けてきたのが小泉政権でしょうにw
手のひらの上にうんこすると気持ちいいお
お前はキャリア採用の警察官僚とお巡りさんの区別もつかんのか?
よく軍板に出てこられるなw
そんな低レベルで語る人間が主張がマトモとは思えませんw
すげー。ほとんど1分おきのカキコ。自演だ自演だw なんちゃって
>>301 横からマジレスすると、団塊大量退職が迫っているから
その事前補充だよ。そのため大量退職が始まった2000年の
約5年ほど前から見込み増員をしている。
これは普通に警察白書にも書いてあることで問題はない。
>渡りや天下りが増えるのを容認し続けてきたのが小泉政権でしょうにw
まだその主張を繰り返すのなら、なんらかのソースをださないと
スレの無駄遣い。あんたが知ってるなら、それがニュースになってるだろうから
それを引用してきなよ。
小泉は派遣の恨みを買ってるからなあ。
ポストが赤いのも電信柱が高いのもみんな小泉のせいなんだよ。
気持ちはわからんでもないぞ。
>>304 木っ端役人を増やすのは官僚を増員したわけじゃないって、そういう問題かw
>>306 俺は小泉改革の「新自由主義」が、自由主義でもなければ官僚制度改革もやってないって事を言いたいのであって、
それには、官僚の天下りポストや官製の妙な規制が増加し続けていることを示すだけで十分だろう。
いい加減、余所でやれよ。
この禁治産者共。
他所のスレでやれよ
IDもコテもないし訳訳わからんわ
312 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/09(木) 01:16:54 ID:k7kOZcre
>>278 >>またもう1つインターリュードで、この頃の「師団の増設」についても
>>触れてみたいと思いますが(当然、統制経済にも関係してくる)、
支那事変が勃発した際、日本陸軍には17個師団ありました。ざっと挙げると以下の通り。
近衛(東京)、1D(東京)、2D(仙台)、3D(名古屋)、4D(大阪)、
5D(広島)、6D(熊本)、7D(旭川)、8D(弘前)、9D(金沢)、
10D(姫路)、11D(善通寺)、12D(小倉)、14D(宇都宮)、
16D(京都)、19D(羅南)、20D(龍山)
平時の師団が1万人として(17万人)砲兵や航空部隊などを合わせると
約20万人という規模だった訳です。これが「上海決戦」の頃から師団の
増設が相次ぎ、支那事変1年目の1937年に6個師団が新設されます。
13D(仙台)、18D(久留米)、101D(東京)、108D(弘前)、
109D(金沢)、114D(宇都宮/溝の口)
313 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/09(木) 01:43:16 ID:k7kOZcre
徐州作戦(1938年3〜5月)までは「上記の23個師団(17+6)」で日本軍は
戦った訳ですが、近衛文麿の内閣改造(杉山陸相の罷免→板垣陸相の就任工作)が
行なわれていた4〜6月にかけて、実に「10個師団」が一挙に新設されることに
なりました(前述の『国家総動員法』の公布が4月1日)。
15D(京都)、17D(姫路)、21D(金沢)、22D(仙台)、23D(熊本)、
27D(東京)、104D(大阪)、106D(熊本)、110D(姫路)、116D(京都)
まあ、支那事変勃発から正味1年の間に16個師団が新設された訳で、師団の数だけでも
倍になった計算になります。また歩兵以外の「特科部隊」の増設も激しかったので、実質
的には3倍近い兵力でしょう――。
結論を先に言えば、「板垣新陸相」は近衛にとって全くの期待外れに終わりましたが、
1938年初頭には徐州作戦ばかりか、「武漢攻略作戦」「広東攻略作戦」の計画が
立ち上がっており、上記の『師団増設』はその準備段階だった訳です――。
314 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/09(木) 02:06:06 ID:k7kOZcre
要するに「この段階」で戦線の拡大を阻止することは、もはや何人たりとも不可能
であり、それ故に板垣も陸相就任を「果たしてそれが出来るかどうか、分からない」
と最初渋っていた訳です。振り上げかけた拳を下ろすのは難しいというか、大きな
作戦を立てれば『やってみたくなる』のが軍人の性というものです。それが武漢
攻略ともなれば尚更でしょう。
「鶏が先か、卵が先か」は別として、陸相の杉山元に信用が無かった近衛は(首相
周辺から作戦が漏れるw)今行なわれている徐州作戦が、『武漢・広東攻略作戦』の
プレリュードであるとは想像も付きませんでした――。
また板垣がカンジ(当時:参本作戦部長)と同志を超えた関係だったとはいえ、支那
事変の不拡大論者では全然ないことに気付かなかったことも、近衛の不明でしょう。
板垣が山西省の「太原攻略」に意欲を燃やしてカンジを困らせたように、板垣は
もともと北支に『第二満州国』を建設しようと血道を上げていた訳です。
_....._ム
゚ (¨゛==:::`,,
、 ((,(( ((()\i,
- sリi、ヮ ゚.リも_) )) あ、おねいちゃん。円ドルが死んでるよw。
´ /^i、_:Q、_〉
<y/::ノ:::iヽ、
`^t_ァ'i_ァ^´
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( ソノ))ノハ((
Xネ.゚ ー.゚ノ( まさか、91円にタッチするとは「驚き・桃の木・山椒の木」ですねw。
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'〜i_テi_テ〜'
 ̄  ̄
師団の増設は対ソ戦に備える為でも有るんではないだろうか・・・
大手メディア2社の最新情勢調査によると、自民党は現有48議席から、38〜39議席に激減。
1議席減の21議席と予測される公明党と合わせても59〜60議席となり、
定数127に対する過半数(64議席)を割り込むことになりそう。
一方、民主党は現有34議席から52〜53議席となり、都議会第1党に大躍進する。
共産党は13から11、生活者ネットワークは4から2にそれぞれ議席を減らし、
無所属は4議席から2議席という結果になっている。
http://www.zakzak.co.jp/top/200907/t2009070933_all.html 公明は、2人落選濃厚か!
12日には、都民の方は、是非投票に行きましょう!
与謝野馨経済財政担当相、「景気は底を打ったと強く推定できる」
2009年06月30日(火) 終値 9,958.44
2009年07月01日(水) 終値 9,939.93 (▼18.51)
2009年07月02日(木) 終値 9,876.15 (▼63.78)
2009年07月03日(金) 終値 9,816.07(▼60.08)
2009年07月06日(月) 終値 9,680.87(▼135.20)
2009年07月07日(火) 終値 9,647.79(▼33.08)
2009年07月08日(水) 終値 9,420.75(▼-227.04)
まさに大本営発表
>平時の師団が1万人として(17万人)砲兵や航空部隊などを合わせると
>約20万人という規模だった訳です。
今の陸自と空自に毛が生えたぐらいの戦力しかないな。
これでロシアやアメリカ、イギリスとの戦争を考えてたんだから恐ろしすぎる。
自衛隊とは動員力が全く違う
旧軍が自衛隊に毛がはえた程度じゃなくて、
自衛隊が経戦能力の無い旧軍程度と見るべき
何時の時代も平時編成ではこれが適切な量という事だろ
それに、英は志願が基本ぎりぎりまで徴兵しないし
米は平時の戦力が極端に少ない
>>321 英米も平時は似たような規模でしかなかったから・・・
ソ連はマジで桁が一桁違ったわけだがw
師団数だとあれだが編制とか充足率とか勘案するとまた戦力比は違ってくるんだけどね。
なんで日本が独ソ戦開始時に素直にシベリアに突っ込まなかったかっていえば、
結構無視されてることだが、ソ連は挟撃作戦でも相手にするにはハードで、
一方アメリカならチョロイと思われていたことが確実にあるんだよね・・・
今となっては信じられない誤断なわけだがw
軍人の彼我の優劣の判断って、これも今では信じがたいが、現有兵力ベースで、国力とかほとんど勘案しないんだw
そんなの検討したらきりがないwし、計画立てるほうは予備役でもない一般市民訓練して反攻してくるまで戦争続けることなんて考慮しないから。
3年以上に渉る戦争計画とか上司に提出したら頭カチ割られるわw
平時の通常兵力が国勢に対して極端に小さいと抑止力として働かないというのが第二次世界大戦のひとつの教訓。
日本のもたらした教訓にはあと、パワーバランスの急速な、極端な崩壊は戦争を呼ぶ(場合がある)ってのがあるが、
これは日本海軍にしか通じない特殊例でもあるんだよなw
同じことやってアメリカ、冷戦には勝ったからなぁw
吉田茂の全体ももっと暴かれるべき
日米開戦は、10年前の満州事変、上海事変のときにすでに必至だった
特に、上海租界で日本の狼藉を目の当たりにしていたアメリカは、
このとき、日本をこらしめることを固く決意していたという
上海事変を現地で指揮していたのは吉田茂
東条は抜き差しならない状況で日米開戦に追い込まれた
抜き差しならない状況を作った吉田達(新聞・・・も含め)は、
東条よりむしろ責任は重いかもしれない
325 :
名無し三等兵:2009/07/12(日) 01:55:05 ID:CrPCj1UY
ここで選挙ネタ 政局ネタをやるのはやめて下さい。
以後禁止します
326 :
名無し三等兵:2009/07/12(日) 12:37:50 ID:09/+QQ6l
>>324 外務官僚に過ぎないw吉田 茂をw
軍人と勘違いするw
大馬鹿者のwキモブサ童貞乙w
>>325 政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である。
毛沢東
328 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/14(火) 01:28:57 ID:FpGgSGfY
仕事でしばらく頓挫しておりました……。土日もクーラーガンガン(17℃w)付けて
やっていましたら、夕方から気持ち悪くなって朝まで寝込む始末。何やってんだかw。
>>323 >>英米も平時は似たような規模でしかなかったから・・・
ちなみに1939年のアメリカ陸軍の総兵力が約40万人でした。欧州大戦がその年に
始まると、取り急ぎ航空兵力の増強を中心に陸軍予算が増額され、兵員も約45万人
(10%強)に増えました。これが太平洋戦争直前の1941年6月には150万人の
兵力が動員される事になります。まあ、陸軍予算も挙げると1940年の80億ドルが
1941年には260億ドルです――。
まあ第1次世界大戦が、ロシアの威嚇目的の「部分動員」がドイツのシュリーフェンプランに
基づく『総動員』を招き……と考えると、やはり現代の(一般人の)感覚で当時を考えるのは
難しいかもしれません。それにしても、第二次大戦でソ連が(実は、フランスやポーランドも)
「総動員」を開戦直後にかけたのに対して、日本とドイツはかなり遅い時機までかけません
でした。ドイツは経済が必要以上の打撃を受けるのを怖れたためですが、日本も似たような
ものでしょう。ただし日本の場合、本当に経済が回らなくなるため、欧米並みの動員は元々
不可能だった訳ですが――。ちなみにヒデキ(東条英機)も、編制動員課長を務めています。
329 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/14(火) 01:45:01 ID:FpGgSGfY
>>323 >>これは日本海軍にしか通じない特殊例でもあるんだよなw
>>同じことやってアメリカ、冷戦には勝ったからなぁw
「今なら勝てる」→「今やらなきゃ絶対に勝てない」という判断と、何よりも
日本海軍には、同じ国の中に日本陸軍という『特殊要因』がありました。以後の
予算のブン獲り合いを考えると、口が裂けても「やれない」とは言えない訳です。
その意味で、他と比べて『理性が働きにくい』と言えるかもしれません。
さて、そんなこんなで首相の近衛文麿は『改造内閣』を成立させる訳ですが
(1938年5月26日〜)、
●外相:広田弘毅→宇垣一成(拓相兼務)
●陸相:杉山元→板垣征四郎
●蔵相:賀屋興宣→池田成彬(商工相兼務)
●文相:木戸幸一→荒木貞夫
330 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/14(火) 02:02:35 ID:FpGgSGfY
外相・陸相は当然として、支那事変の『軍事予算』の途を拓いた蔵相の賀屋興宣まで
首を切られるのですから、見事な「トカゲの尻尾切り」な訳です。池田成彬はのちに
首相候補にも挙げられるキーマンですが、ここでは置いておきましょう。
上記で一番大きい閣僚人事は、実は外相の宇垣一成です。今の私たちが考える以上に
当時の日本国民やマスコミは『宇垣内閣流産』における陸軍の横槍に反発を感じて
いましたので、ポピュリスト近衛の面目躍如だった訳です(人気取り)。
そして2・26事件後の陸軍主流派だった『統制派』に対して、宇垣一成(組閣を
流産させられた)、板垣征四郎(カンジ〈石原莞爾〉派)、荒木貞夫(皇道派)と
包囲網を敷くように1人ずつ入閣させた訳です――。まあ、日中戦争は統制派が
始めた戦争という言い方がされる時もありますが、『国民政府を対手とせず』声明を
無かったことにして戦争終結を望む近衛にとって、いわゆる統制派を牽制することは
必要不可欠だった訳です。
広田弘毅については、後でまとめて触れるとして、後任の外相となった宇垣の方に
少し話を移したいと思います。
332 :
名無し三等兵:2009/07/14(火) 22:34:16 ID:YT9uH+xN
ニシキゴイ、ゲットン!?
333 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/15(水) 01:09:22 ID:5JmGHwFv
さて『官僚たちの夏』を話題に挙げましたが、この時期の外務省では東亜局長の
石射猪太郎こそが「主人公」だったかもしれません。ちょうど1938年の夏に
かけての話ですし。まあ、通産省ではないですが、●『自分たちが指導しないと
民間には力が無い』というメンタリティは、石射にも色濃く現れています――。
まあ、自身の傲慢というよりも『国民不信』ですがw。
宇垣一成の外務大臣就任は、石射にとっても意外だったようで当初不安を感じた
と云います。陸軍主流(統制派)から嫌われているとはいえ、陸軍の大物である
ことには違いなく、「支那問題」に対する気心も知れなかった訳です。
首相の近衛は「外相の就任条件」として宇垣に、●「二元外交をやらないこと」
●「支那との和平交渉の開始」●「『国民政府を対手とせず』声明の撤回」の
3条件を挙げていたのですが、宇垣はそれらを全て呑んでいました。この経緯を
知らない石射猪太郎は外務大臣室へ挨拶に行った際、「何とぞ大臣のお力で
『国民政府を相手とせず』を乗り切って頂きたい。今やその時期が迫りつつ
あります」と切望するのでした――。
334 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/15(水) 01:44:26 ID:5JmGHwFv
宇垣一成はご存じの通り「調子のいい性格」ですから、石射猪太郎に対して、
●「君の言うことは、もっともじゃ。近衛総理から『外務省を引き受けてくれ』と
交渉を受けた時、わしは『このわしに井伊掃部頭になれというのか?』と反問すると、
(近衛は)『そうじゃ』というのだ。『しからば引き受ける。その代わり1月16日の
(国民政府を対手とせず)の声明を反古にするかもしれんがよろしいか?』『よろしい、
万事任せる』という了解で外務を引き受けたのじゃ。命を投げ出してし(支那)事変を
解決する決心じゃよ」
と、かなり(都合のいい)脚色めいたことを言います。陸軍と『妥協的』な前任外相の
広田弘毅に失望していた石射はその反動からか、宇垣の言に「コロッ」と逝ってしまい
まして、『大臣がそのご決心なら、水火の中へも私はお供します。あの声明を突破する
からには、外務省の焼き討ちくらいは覚悟してかからねばならぬと思います――」と
答えたのでした。
335 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/15(水) 02:08:08 ID:5JmGHwFv
>>334 >>『このわしに井伊掃部頭になれというのか?』
言うまでも無く宇垣は、「安政の大獄」で暗殺された井伊直弼と自分を
ダブらせて言っている訳ですが、こういう所にも「誇大妄想狂」の気が
見受けられます。「陸軍の宇垣! 日本の宇垣! 世界の宇垣!――」
まあ、広田は「陸軍と妥協的」と批判されましたが、広田は陸軍と単に対立
するのではなく、陸軍にも責任を取らせるように持っていかなければ結局は
駄目だと考えていたのです。なかなか石射には理解されませんでしたが。
そうこうして「外務大臣・宇垣一成」「東亜局長・石射猪太郎」のコンビが
誕生する訳ですが、溺れる者は藁をも掴むとだけ言っておきますw。
>>334 井伊掃部頭に
大老(総理)にはなり損ねたけどなーw
つうことで就任早々の比喩から破綻必至w
なんにしても不穏等にもほどがあるがw
不穏当だw
>>335 >>「外務大臣・宇垣一成」「東亜局長・石射猪太郎」のコンビ
補足ですが、広田弘毅が外務大臣を辞めると、白鳥敏夫(のちの駐イタリア大使)を
外務次官に擁立しようと『革新派』の若手事務官たちが運動したと云います。親分の
白鳥を次官に持ち上げること実質、省内の主導権の掌握を狙ういわば『下克上』だった
訳ですが、さすがにこれは成功しませんでした。むしろ逆に、佐藤尚武や有田八郎が
外務省顧問に任用されて、主流派が補強されることになります。
339 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/17(金) 00:52:58 ID:AM4CrnZ1
さて後世の視点から見ると、「なぜ石射がここまで宇垣に傾倒したのか?」は
理解に苦しむところですが、一言で答えるなら「陸軍にガツンと言ってくれる
『大臣』が欲しかった」に尽きるでしょう。
また外相に就任したばかりの宇垣に、石射が『対支政策』の意見書(超長文)を
提出すると、宇垣は何日もかけて熟読し「君の意見は自分の所見と一致している」
と言ってくれたばかりか、「五相会議の前に各大臣にも読ませておきたいから」と
石射の意見書を複製したものを配ってくれたのでした。
そして「閣議では(意見書に対する)異論が続出して、何もまとまらなかったが
自分はこれで行くと言い切っておいた」と結果を石射に伝えたので、すっかり
石射は宇垣に感服してイカれてしまった訳ですw。
また、新しい陸相は「板垣征四郎」ですが、陸士で言えば外相の宇垣一成は1期、
板垣は16期でかけ離れています。
340 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/17(金) 01:36:49 ID:AM4CrnZ1
板垣も「人並み外れた粘り腰」こそあれ、決して「頭の切れる」タイプでは
ありませんでしたから(それ以前に『軍政畑』の門外漢w)、陸軍省の下僚
からは陰口を叩かれました。それを陸軍省の誰かが石射に、
●「うちの(板垣)大臣と宇垣大臣では、てんで勝負にならない。大先輩と
後輩の貫禄の相違ばかりでなく『頭の組織』が違っている。閣議などでも、
うちの大臣は宇垣大臣からやり込められて帰ってくるので、部内では
歯痒がっている――」
などと吹き込みますので、ますます石射は宇垣に期待するところ大となって
しまう訳です。もちろん板垣が本当に『無能』であれば、平沼麒一郎内閣の
最後まで陸相を続けられるはずがないのですが……。まあ、海相が岩手県の
同郷の米内光政でしたので(征ちゃん、米内さんの仲)、その意味でやり
やすかったという点はあります。
341 :
イナゾウ虜囚 ◆PM9NuOfnVuZj :2009/07/17(金) 01:48:49 ID:AM4CrnZ1
まあ、宇垣『外相』で特筆するとすれば、やはり支那との和平工作に触れなければ
なりませんが、これも「張鼓峰事件(1938年7月〜)」と「武漢作戦(1938年6月〜)」
の最中に行なわれる、綱渡りというか絶望的な内容でした。
安倍が近衛、福田が米内、麻生が東条。鈴木貫太郎がいない自民党。
麻生を東条と比較しては東条に失礼だ。
同時代の人間による評価と後世の人間による評価とは異なることが多い
これを肝に銘じて人物を評価しなければならない
346 :
名無し三等兵:2009/07/19(日) 16:30:13 ID:u/02BZmo
>>343 えぇっ。麻生のほうが、明らかにましでしょう。
本気で言ってるとしたら・・・ゆとり脳って怖いな
ゆとりじゃなくても理解できないな。
350 :
名無し三等兵:2009/07/22(水) 22:37:07 ID:a78o1hOU
age
人類の歴史のなかからホモを排除してしまったならば、
その歴史はうたかたのごとく消えてしまうほどに
ホモと英雄伝説は表裏なものがございます。
また芸術的な世界でもホモセクシャル的感性は不可避的なもの
なのでございます。
たとえばそれは我が国の芸能の世界が、ジャニー喜多川と
バーニング周防氏との「ホモダチの輪」がなければ
「成立しえなかった」ことによっても明らかでございます。
ホモがそれほどダ棄されるほどに公共良序を犯し嫌悪される
ものであるならば美輪明宏は公共の電波を使ったテレビ界から
即刻放遂されなければなりません。美川憲一、おすぎにピーコ、
イッコーにピーターと「罪人」の数はとどまるところを知らない
のでございます。
平井堅、志垣太郎、氷川きよし、平幹二郎、成宮寛貴、高橋英樹、etc・・・
と噂が噂をよんでおります。松平健がふだんはオネエ言葉で、
槇原敬之が二丁目のキンちゃんに「捨てないで」と泣いてすがった
からといって、「それがどうした」なのでございます。
三田村邦彦が水戸黄門の楽屋で伊吹五郎に襲われそうになった、
との噂も「それがどうした」でございます。織田裕二が肛門科の
先生に「あんた、これはあんまりだぞ」と使いすぎにお叱りを
うけたからといって、そんな噂が「どうした」でございます。
170cm以上の長身美女は北京に連行して、
スポーツエリートやエリート将校と結婚させる。
チャイナベビーが数多く誕生する。
これらにより、男系の日本人は断絶する。
353 :
名無し三等兵:2009/07/26(日) 21:06:45 ID:bAkwoELy
.:::::::;' ';:::::::.
:::::::::i l::::::::.
::::::::::! 日本人の奥ゆかしさをアピールしたい i::::::::
::::::::::l ';::::::::
' ― ―‐ -- 」 L_:::::
,,ノ´⌒`ヽ,,  ̄ ̄ ̄
__,. -┐ ,,γ⌒´ ゝ,,
_ ,. -‐ '' ´ :::::::::', / )⌒ヽ r::- _
:::::::::'、 / γ""´´⌒⌒``゙゙゙゙゙ \ `) /:::::::: ´` '
:::::::: / ノ ヽ ( ,.:':::::::
:: ( 彡 i )/:::::::
) i /\ /\ i (::'::::::::::
( ! ヽ / i ):::::::::
r⌒ (○)ヽ ( ○) ⌒i:::::
{ ( ヽ,,__,,ノ ノ ヽ.,,_,,ノ .) }\
/ \_! \ /( )\ !ノ`、 \
/ , ' 't / ^ i ^ ', / ヽ \
/ , ヽ _, -‐‐-、._ / ヽ \
/ , ' \_ヽ. ヽ ノ _/ \
/ , ' \. `ニニU´ λ. 、 \
./ , ' _,,ノ| 、` ‐-‐-‐/ ./ \ `、 \
_,,..r''''" ノ .| \ / / / ̄`'''ー
今日半藤一利が言ってたんだけど
鳩山=三条実美 小沢=西郷隆盛 菅=木戸孝允
岡田がどこまで大久保利通に慣れるかが鍵だって言ってた。
三条なんて明治政府じゃ最高位だけど単なる看板にすぎなかった
鳩山もそんなもんでいいんじゃない。
355 :
名無し三等兵:2009/07/26(日) 23:43:04 ID:/hoZVwyu
半籐・鳩山由紀夫・小沢・菅などの共通点。
戦後に、崩れやすい東京軍事裁判の結審結果とその歴史史観を守り続ける事を
条件に、
日本人となった朝鮮系戸籍原本捏造組1万人のひとり。
1994年から1996年にかけて、戦勝国は何度も公式文書で。
東京軍事裁判の結審結果とその歴史史観を全面否定している。
日本は、日本の権力者達のお里が知れると言う事で外交機密文書へ。
揉み消した上で捏造歴史を肯定し、相手国に謝罪と補償をしている。
この件で、言い逃れできないひとつのしるしとして。
戦勝国が公式文書で全面否定するかどうか。
捏造歴史肯定派の方々と、金玉とサオを賭け。
みなさん、公式文書を確認し、負けを認め、金玉やサオをカットしている。
皇室を含め、1800人以上のカットなった。
上述4人は、どうしょうもない売国奴で、金玉なしのサオだ。
コピペにマジレスしても仕方ないんだが、
少なくとも半藤・鳩山・小沢は家系的にも朝鮮とは関係ないぞ。
鳩山家に興味ないが、三条、西園寺の公卿政治家を軽く見すぎだ
天誅暗殺排除が選択肢のひとつの時代に、御輿にされるだけの価値があっただけでも相当だぞ
事変前〜事変中期のシナの政治、経済、金融事情調べてますがお金かかりますねー
戦前の資料や研究書に頼ることも大なので・・・
国会図書館にもないことがよくある
共産党関係の資料も戦前の左畜がこしらえた資料がかなり重宝します
社会科学系は出来るだけ復刊してもらえませんかね・・・
図書館に置いてもらうだけでいいんですが・・・
359 :
元32:2009/08/01(土) 21:22:22 ID:???
さしあたり保守。
2009年の中国の実質GDP成長率は推定7〜8%、一方日本はマイナス6.8%。
GDPは中国4.9兆ドル、日本は5兆ドル。
すでに中国の為替の割高が問題になっているので
為替調整すれば日本を抜いているんだけど
2010年は中国が名実ともに日本を抜いて
GDP世界第二位になる歴史的な年になるんだと。
軍部官僚がやることに手も足もでなかった大日本帝国のような話。
549 :ヤマガタ :2009/08/03(月) 08:47:22 ID:ddqDRubE
>自民党支持の立場で今の自民党に助言できるとしたら、
>抽象的な言葉使わずに、具体的な言葉でTVや政策を言った方がいい。
それができない理由がある。
それは、官僚が具体的な政策をすべて牛耳っていて、自民党がそこに
立ち入ることを許さないからだ。
政権党なのに、マニフェストの提出が一番遅れているのも、自民党が自分の
頭で政策を立案できないことの表れ。
未だに「年金制度は破たんしていない」「消えた年金は解決できる。野党のデマだ」
と官僚の言う通りの発言しかできない。
このスレで選挙活動するなよ
官僚が政治家を馬鹿にして好き勝手にやってた極東の某国と似てきたな。
●自民党・霞が関に操られるメディア
●民主党マニフェスト批判の本当の理由
総選挙に向けた民主党のマニフェストが大手メディアから集中砲火を浴びている。
「財源が不透明だ」とか「ばらまきという点で他と変わらない」といった指摘が、そうした批判のポイントだ。
しかし、こうした批判の本当の発信源は、実は政権の座を失いたくない自民党と、その走狗と化した霞が関の各官庁だ。
劣化する一方のメディアの多くが、こうした批判の発信源やその意図を冷静に検証する作業を怠ったまま、
敵役である自民党の言い分に過ぎない民主党批判を垂れ流すという致命的失態を犯しているのである。
内容を見る限り、民主党のマニフェストは、批判されているほど悪くなどない。
むしろ、郵政3事業の民営化だけを唯一の公約に掲げて、
郵政民営化さえ実現すれば他の多くの改革も自動的に実現できるかのような幻想を抱かせた
4年前の小泉純一郎・自民党政権の無責任なマニフェストと比べると、
鳩山由紀夫・民主党は様々な問題に対する取り組み姿勢を易しく説明している。
そのマニフェストは、誠実で分かりやすい内容と言える。(中略)
●民主党公約のあら捜しを 自民党が省庁に依頼
民主党政権が実現すれば、改革を迫られるのが確実な霞が関の官僚の中には、
こうした自民党の情報戦を「民主党政権の誕生を阻止する好機だ」と捉えて積極的に協力した向きが少なくなかったらしい。
それほど積極的ではなくても、政権与党の座にある以上、無視できないと、
要求に従い、民主党の粗探しにつとめた向きもいるそうだ。
とはいえ、官僚の中にも「自民党には政権与党の座に君臨してきた誇りがかけらほどにも感じられない。
相手を批判するネガティブ・キャンペーンばかりで志が低いうえ、それを官僚に依存するほど能力も低い」
と露骨な軽蔑のまなざしを向ける者も存在する。(後略)
http://diamond.jp/series/machida/10086/?page=2
364 :
東部会:2009/08/04(火) 23:30:55 ID:ovYBhkw3
第一師団廃止反対!
栄誉ある頭号師団を思いつきで廃止するな!
広島39Dの大隊長が告白した、宜昌、当陽での虐殺・強姦などの残虐行為について、
松江に住む浜田連隊(島根)の元兵士が出版するそうです。
ソースは知り合いの兄ちゃん(夫婦でマスコミ)。
平和都市・広島が生んだ知られざる軍隊の歴史の
第一級の資料だそうで。
「(満州)事変当時日本で食いつめた一旗組が、中国の奥地に流れ込んで、
阿片の密売に従事しているものが多かつた。彼等は治外法権を盾に日の丸の
国旗を掲げて公然と阿片を売つているのである。
だから中国人の内には、日の丸の旗を見てこれが阿片の商標だと間違えている
ものが少なくなかつた。時々日本の国旗凌辱事件が起り外交問題に発展すること
があつたが、よく調べると中国人はそれを国旗とは知らず、阿片の商標だと思つて
いたという、全く笑い話のような滑稽談さえあつた。
戦前に或る日本の名士が中国奥地を旅行した。車窓から山間の寒村に日の丸の旗が
翻つているのを見て『日本の国威がかくも支那の奥地に及んでいるのか』と随喜の
涙を流したという話がある。何ぞ知らんそれが阿片の商標であることを知つたら
彼はなんといつて涙を流したであろうか。
兎に角、日本人の阿片密売者は中国人から蛇蝎の如く恐れられていた」
元陸軍中将池田純久「陸軍葬儀委員長」(日本出版協同・昭和28年3月)
池田は、謀略と宣撫工作部門を所管した関東軍第四四課嘱託時代の里見(甫)と
一緒に机を並べた男
佐野眞一 「阿片王 満州の夜と霧」新潮社 P141
367 :
廣島・もみじ民 ◆cjIySZ2iYw :2009/08/07(金) 23:01:33 ID:YG+ml275
>>365 広島39Dは軍紀厳正な師団じゃったよ。
梶浦元231i(広島)長は、「我部隊は中国人に信用された。その証拠に
前部隊(仙台13D)の時は鶏、豚は全く見られなかったのに、交代後は
住民は安心して鶏、豚を飼い路上に女、子供が戯れ遊ぶ様になった。
殊に交戦中水や炭を運んでくれたこともあった。
終戦後私は戦犯容疑者として漢口軍事裁判にかかった時、役所や新聞を
通じて沙市、宜昌に於ける私及我連隊の非行や損害を申し出る様に勧告
したが、両地方から何一つ訴え出る者がなかったので私は極刑を免れた。」
澄田元39D長は、「糧まつ補給が絶えたためやむなく師団の命令により
徴発(住民不在のため購買票を残すが、敵地域のため作戦終了後も代金を
とりに来る者もなく支払うすべもなかった。まず徴発とは体裁のよい掠奪
であった)させたりしたものを除くと真に部下が行った犯罪と思われる
ものは二十件内外に過ぎなかったと記憶する。他の師団の犯罪数(中国側
から見せてもらった)に比べると実に九牛の一毛である。」
宜昌で広島39Dと交代した132D(広島39Dの三分の一の兵が残留した)は、
終戦の当陽で武装解除で進駐した国府軍第三十七師の師長吉星文氏らから
佐野大佐は「当陽駐屯中非常に住民を可愛がって下さったそうで
感謝します」と。宜昌に進駐した国府軍の第一声も「宜昌の住民を大切に
して下さって有難う」ということであった。『華中第一線』森金千秋著。
戦前の日本
〇 学校では毎日全体朝会がもたれ、君が代斉唱のもとに「宮城遥拝」が行われました。
東に向きをかえ、はるか宮城(天皇がいる所)に向って、君が代の曲の終るまで
黙とうをささげました。
〇 平日には「御真影」(当時の天皇・皇后の写真)は、校舎から独立して安全で
人目のつく所に丈夫に作られた「奉安殿」に安置されていました。
この「奉安殿」は、登下校の児童生徒や学校に来る一般人の礼拝の的でした。
〇 祭日や記念日には、これに国旗掲場や教育勅語の朗読が加わわりました。
これらの儀式には町村長その他地域の知名士も参加していました。
黙とう始めの号令で黙とうが始まると、燕尾服に身をつつみ、白い手袋をつけた校長が、
「奉安殿」の扉を開け、教育勅語を取り出して朗読する間、ほとんど頭を下げたままの連続でした。
〇 1933年(昭和八年)頃、沖縄本島南部の第一大里小学校長が、御真影の件で責任をとり、
割腹自殺をはかった事件があったくらい、校長にとっては責任の重いものでした。
〇 学校は、「国体の本義」と「臣民の道を一人ひとりの子どもに徹底させることが最高の目標でした。
〇 国体の本義を簡潔にいうと「万世一系」「忠君愛国」「義勇奉公」の3つになり、
教育勅語の精神をいかに徹底させ得たかが、教師の指導力のバロメーターでもありました。
〇 天皇制教育は食事の面にまでも及んでいて、
「薯とらば天地御代(あめつちみよ)の御恵み君と親との御恩味わえ」
(これからいただくものは天皇陛下のお恵であるから、
天皇陛下と親に感謝していただきます)の歌を歌いました。
知れば知るほど、北朝鮮にそっくりだな。
知らない人間ほど戦前と北朝鮮を同一視するパターンはもう飽きたんだが。
んでイナゾウはどうしてんのよ?
もうお盆だ
忙しいは通じんぞ
今度長期行方不明になったらコテは絞首刑か死刑囚に変更だ
新コテはA級戦犯で
【元気のでる歴史人物講座】(32)大西瀧治朗 神風特攻隊が遺したもの
2009.8.12 07:38
日本はわれわれが思っている以上に世界の国々、人々から深く親愛され尊敬されている。
世界が日本を尊敬する理由の一つに神風特攻隊がある。敗れはしたものの世界の覇権を握る米英に対して敢然と立ち上がり、
神風特攻まで行い、死戦死闘した日本民族の勇気と気概に、世界の人々は今も心の奥底で畏怖(いふ)と
尊敬の念を抱き続けているのである。
この神風特攻隊を組織し指揮したのが大西瀧治郎(たきじろう)海軍中将である。大西は特攻を敢行した理由をこう述べている。
「この神風特別攻撃隊が出て、しかも万一負けたとしても日本は亡国にならない。これが出ないで負ければ真の亡国になる」
「ここで青年が起(た)たなければ日本は滅びますよ。しかし青年たちが国難に殉じていかに戦ったかという
歴史を記憶する限り、日本と日本人は滅びないのですよ」
比類なく尊く立派な歴史と伝統を有する日本を滅亡させないために、大西は心を鬼にし涙をふるって神風特攻作戦を
推進し、最後に責任を取り割腹自殺した。
特攻は玉砕戦とともに米軍を震撼(しんかん)させた。その結果、アメリカは講和条件を緩和、日本は辛うじて亡国から免れた。
大西の言葉を銘記したい。日本はいざとなれば神風となって祖国を守り戦い抜く民族−世界の人々をかく思わせてきたことが、
日本の存立にとり計り知れぬ力となっているのである。(日本政策研究センター主任研究員 岡田幹彦)
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090812/acd0908120739001-n1.htm
日本政策研究センターってのは
「特攻は玉砕戦とともに米軍を震撼(しんかん)させた。その結果、
アメリカは講和条件を緩和、日本は辛うじて亡国から免れた。」なんて
大嘘を書いても主任研究員になれる酷使研究所ですか?
特攻の話題は該当スレでおながいします
A、B、C、D、Eカップ。
F、G、Hとかありえない。
爾霊山?
イナゾウさんは明日の準備で忙しいんじゃないかな?
軍資金がないっつってなかったっけ?
内臓でも売ったか?
退職金があるだろうjk
第一次大戦後、日本はドイツを山東半島から追い出し、権益を受け継ぐ
↓
中国「ありがとう、じゃあドイツを追い出したんだから日本もすぐ立ち去れ」
↓
日本「それは出来ない。ボランティアで戦争はできない。戦争で勝ち、権益を確保し経済を潤し、さらに西洋列強、ロシアと戦わなくてはならない」
↓
中国「ありえないアル!日本はさっさと帰れアル!」
↓
日本「そんな事より、日本に協力しろ。一緒に西洋列強と戦おう。
まず、山東半島の権益を受け継ぐことを保証してくれ、
内モンゴルの鉱山、南満州などもあるとロシアと戦いやすい、
製鉄技術教えるから協力してくれ。あと、沿岸地域を欧米に売るな.これは当然だ」
↓
中国「なるほどなるほど、わかったアル」
↓
中国「アメリカさん!日本がこんな理不尽な要求するアル!」
↓
アメリカ怒り、結果日本は山東半島すら手放さざるをえなくなる
↓
中国「ホルホルホル〜日本追い出せたアル」
382 :
元32:2009/08/19(水) 22:53:03 ID:???
保守
383 :
名無し三等兵:2009/08/21(金) 01:23:14 ID:91IGJdJb
8月21日 夕刊フジ 鈴木棟一の風雲永田町
「自民系切り崩し比例に 勝ちに行く小沢流」
自民党の幹部が19日漏らした。
「小沢は比例名簿に元自民党議員を何人も取り込み、これによって小選挙区での
勝利を目指している。まさに選挙プロの動きだ」
・東京10区に元自民党代議士、小林興起を民主比例名簿にノミネート
・北信越ブロックで自民党元参院議員だった沓掛哲男を純粋比例1位に置いた。
沓掛の持つ票に、故奥田敬和の票も合わせて森を倒す作戦
・東海ブロックには本自民県議の笠原多見子氏をスカウトし純粋比例1位に。
ターゲットは岐阜1区の野田聖子。
・近畿ブロックの純粋比例1位は兵庫県議の室井秀子氏。96年に兵庫8区で冬柴と
闘った室井邦彦の夫人。新党日本に田中康夫票に加えて、その側面支援が狙い。
「小沢は明らかに勝ちに出ている。自民党を分析し、かつての中選挙区での対立を利用し、
やれることはなんでもやっている。さすがに経験豊富で選挙を知っている。」
「民主党は小沢が戦略・戦術を立て、選挙を見事に仕切っている。対して自民党の参謀本部は
瓦解している。」
384 :
名無し三等兵:2009/08/21(金) 02:18:13 ID:zThI3QAi
民主基地外が選挙ネタ書き込むなら俺は絶対に自民に投票する スレ違いやめろ ボケ
太平洋戦争に例えると、
05年衆議院=真珠湾攻撃
07年参議院=ミッドウェー海戦
09年都議選=サイパン島玉砕
09年衆議院=8月15日
こんな感じかな。
開戦〜敗戦が同じ4年間なんだよなあ。
俺敵には
09年首長選連敗
=南方戦線連敗
09年都議選=東京大空襲
09年衆議院=原爆
自民党崩壊=終戦
て感じ。どんな「玉音放送」が聞けるんだろうね。
「敗戦日本の前途は洋洋たり」と喝破したのは後に首相になった石橋湛山だったが、
自民に党を再生できる人材が残っていることを祈るよ
こんな過疎板にまで政治厨が沸いてんのか
388 :
名無し三等兵:2009/08/23(日) 11:46:10 ID:xet+zfa4
>>385 貴殿のレスに(-@▽@)
ほぼ同意ですぞ(-@∀@)
389 :
名無し三等兵:2009/08/23(日) 14:19:43 ID:s/7Qw4dp
古い話で恐縮だが、
戦前の二大政党制の時代 政友会と憲政会( 後の民政党 )
憲政会は苦節10年という時代があった。
・・・でも、加藤高明首班でやっと政権にありついたのだが、
これは、加藤高明のヒトとカネとが大きかった。
ヒトは兎も角、カネは加藤が三菱財閥の娘婿で、そこから政治資金が出ていた
( 今の鳩山民主党と似ている部分であるが・・・ )。
さて、それで総選挙後の自民党
このままでは、来年の参議院選挙も厳しい可能性が有るわけで、
そうなると、加藤高明 に匹敵するような人物が必要になってくるのだが、果たして 今の自民党に居るのか?
393 :
名無し三等兵:2009/08/29(土) 20:31:10 ID:foUmuVjf
小沢征爾氏のお父さん小沢開作氏って、
満州で結構いろいろとある人だったんじゃないかな?
確か、征爾って名前もwikipedeiaにあるように
「板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつ貰っ」た名前らしいし
政治的なことに話が及ぶと結構ややこしい人だから避けているんだと思う。
旧満州国の生活の話は好きみたいだけど、開作氏と政治の関係については
あまり触れられたくない感じだったと思う。
イナゾウは選挙運動にかり出されてるに一票
あの野郎 学会員だったのか・・・
見損なった・・・
イナゾウは学会の走狗となり果てました。
___
| イ |
| ナ |
| ゾ |
| ウ |
,,,. | の | ,'"';,
、''゙゙;、). | 墓 | 、''゙゙;、),、
゙''!リ'' i二二二二!゙''l!リ'''゙
‖ `i二二二!´ ‖
昌 |: ̄ ̄ ̄ ̄:| 昌
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さっさと戻ってこないと、牟田口並に不名誉な風評が付加されてそうだなw
398 :
名無し三等兵:2009/09/01(火) 18:44:12 ID:MjLNVZPD
何かと思ったらベッキーのとこかよ
時々話題になってるから過去ログ全部嫁
400 :
名無し三等兵:2009/09/04(金) 02:24:00 ID:KM6ArzLx
401 :
名無し三等兵:2009/09/07(月) 14:48:08 ID:rspVLXxs
「支那に於ける我が軍隊」
七月八日――其の日、東京はざわめいて居た。人々は号外を手にし、そして河北盧溝橋事件を論じ合つてゐた。
昭和十二年七月七日夜、支那軍の不法射撃に端を発して、遂に、我軍は膺懲の火ぶたを切つたのである。
続いて南口鎮八達鎮の日本アルプスをしのぐ崚嶮を登つて、壮烈な山岳戦が展開せられた。
懐来より大同へと我軍はその神聖なる軍をつゞけ、遂に、懐仁迄攻め入つたのである。
我国としても出来得る限りは、事件不拡大を旨として居たのであるが、盧溝橋事件、大山事件に至るに及び、
第二の日清戦争、否!第二の世界大戦を想像させるが如き戦ひに遭遇した。
〜〜〜〜〜〜〜〜
(続く)
平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
402 :
名無し三等兵:2009/09/07(月) 14:49:05 ID:rspVLXxs
「支那に於ける我が軍隊」
飲むは泥水、行くはことごとく山岳泥地、そして百二十度の炎熱酷暑、その中で我将兵は、
苦戦に苦戦を重ねて居るのである。その労苦を思ふべし、自ら我将士に脱帽したくなるではないか。
たとへ東京に百二十度の炎暑が襲はうとも、そこには清い水がある。平らかな道がある。
それが並大抵のもので無いことは良く解るのである。
併し軍は、支那のみに止らぬ。オホーツク海の彼方に、赤い鷲の眼が光つてゐる。
浦塩(ウラジホ)には、東洋への銀の翼を持つ鵬が待機してゐる。
我国は伊太利(イタリー)とも又防共協定を結んだ。
併しUNION JACK は、不可思議な態度をとつて陰険に笑つてゐる。
噫!世界は既に動揺してゐるのだ!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
支那在留の将士よ、私は郷らの健康と武運の長久を切に切に祈るものである。
平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
>オホーツク海の彼方に、赤い鷲の眼が光つてゐる。
>浦塩(ウラジホ)には、東洋への銀の翼を持つ鵬が待機してゐる
米ソを随分カッコ良く描いてるな
404 :
名無し三等兵:2009/09/07(月) 16:37:08 ID:/NNb5IYR
うぇ?
すごい12歳
親に手伝ってもらった12歳の作文だな。
経験者だからわかるw
暴支庸懲
小学生の作文でもこんな文字が当たり前にあった戦前
品が無いと松井大将はカンカンに怒っていたようだが
>406
まて、12歳の名前をもう一度確認しろ
410 :
名無し三等兵:2009/09/10(木) 19:01:36 ID:3IHWW+QD
『合理性を欠くわが国民性は、やることなすことが行き当りばったりで、相互の間に理屈が合わない。
セクショナリズムの国民性は、ものをみる視野が狭く、やることが独善的である。
因襲から容易に抜け切れない国民性は、気が付いても、直ちに180度転換の進歩的革新を行うことができない。
熱しやすく冷めやすい国民性は、すぐ思い上がって相手を見下げる。
かと思うと自主邁進の気迫に乏しい日和見的な国民性は、他力本願になりやすく、卑屈な事大主義ともなる。
合理性を欠くために希望と現実を混同して、漫然とことに臨み、敗れて後はじめて名論卓説を述べる』
これは、淵田美津雄がその著「ミッドウェー」の巻末に述べた言葉だ。
日本海軍の惨敗であるミッドウェー海戦に攻撃隊の総指揮官として参加した彼の分析は非常に厳しい。
>>407 当時としても早熟な子どもだったらしいがな。
つっても戦前は小学校高学年になれば漢文の素養は無いのに
教わった中国の古典由来の言葉や文章を交えて作文を書いてるから
当時の13〜15歳くらいの文章は今の目からはやたら大人びてる。
401-402の三島の文もベースになる雛形があるんじゃないか?
よくできてはいるけど、紋切り型だもん
>410
それっと淵田さん本人のあれ?
奥宮っぽい文章だけど
>>406 あの12歳の御方は、この世に出現なされるとき、天上天下唯我独尊とは
のたまわれることなきも、産道で苦しみをご記憶されておられるほど
凡人には理解不能でおわします。
最期はまったくドンキホーテの如くというおまけ付でしたが。
愛国議員連合艦隊の総選挙海戦戦果
○敵艦撃沈
戦艦麻生(司令長官) 戦艦安倍 駆逐艦稲田
○沈没
重巡中山 重巡中川酒 軽巡西村
中国軍って、日本の41式山砲をコピー生産して使ってたんだね。
しかし砲身が作れないから日本から輸入してたって……
あんなに簡単そうな山砲も作れないって、当時の支那の技術力って
如何ほどの物だったのか……
>>416 大砲の砲身製造は材質が特殊鋼だし相当の技術力が要るぞ。
輸出元の日本だって、砲身や砲尾の閉鎖機構の強度や耐久性には散々苦労させられてる。
というか敗戦までそれが大砲の性能向上のボトルネックだ。
逆に、砲身以外の主要部品をコピーできていたならそのことのほうが驚きだ。
日本で言えば、十三年式村田銃では大砲じゃなく小銃の銃身程度が国産できず輸入に頼ったぐらいだ。
兵器製造関連で言えば、戦前戦中の中国国内の製鋼業って詳しい人いる?
満州国内だと日本の資本でいろいろやってたのは知ってるんだが。
中国って小火器レベルだと当時のそれこそありとあらゆるものをコピー生産しているが、
その全部が主要コンポーネントを輸入して国内で組み上げたなんちゃって国産モデルのわけないんだよな。
でもその割りにその基盤となる製鋼業の実態が見えてこないという奇怪さ…
日本だって高炉や製鋼設備は輸入品やライセンス、外国の物まねだからね。
工作機械も同様。
419 :
名無し三等兵:2009/09/17(木) 00:32:24 ID:IKjFw0LG
そもそも当時の中国って、どれくらい工業化がすすんでたんだろう?
まさか洋務運動のころのまんま?
ドイツの協力で工場はあっちこっち出来ていたんじゃなかったかな。
確かUボートを中国でライセンス生産する話もあったな。
沿岸部を日本に制圧されてポシャッたけど。
425 :
大日本帝国:2009/09/20(日) 17:08:18 ID:Ee3yKSlj
9時から交戦4回!
わかった?
同じケンカ何年続くんよ!
さっさと入れろ!
わからんのか!
国の中のプライバシーを保つため
ケンカの音
わたしのわがままの音じゃない
国際調停を前提とした抗議の音
そうそう私の泣き声、悲鳴
そうそう、ケンカの上でのことなのに
なんで私だけが悪いのか?
相手がいてケンカが成立している
迷惑してるんだったら解決したらいい
この人一人のケンカじゃない
この人の話を聞いて動く人がいる
私は一人だけど他の人は徒党を組んでる
こちらの善意の第三者は見て見ぬふり
絶対私許せない、戦うよ
人数が多ければ多いほどやりがいがある
だって相手が間違っている
>>369 少なくとも薬局でシャブを堂々と売っている所はそっくりじゃんw
さすが大日本帝国、シャブ中をじゃんじゃん量産して一億火の玉・玉砕戦を敢行しようとしたわけだw
427 :
名無し三等兵:2009/09/21(月) 00:58:03 ID:vGWnbWQw
一応商売だから、バカの間違いは訂正しておかないと。
レーダーの原理を発見したのはハインリッヒ・ヘルツ。初めて実用レーダー
を開発したのはロバート・ワトソン・ワット。
英国で1935年に初探知に成功。1940年にはバトル・オブ・ブリテンで早期警戒
に用いられ、多大な効果を挙げた。
どこにも八木先生、宇田先生の名前は出て来ませんね。
八木先生宇田先生が発明したのはヤギアンテナ。正確には八木・宇田アレー
ですな。これが英米のレーダーに使われたのは事実だが、官僚の怠慢で
特許を失ったというのは無い。軍が採用しなかったのは事実だが、それ以前
の問題として、陸軍も海軍も、レーダーアンテナの開発で苦しんだ話は無い。
苦しんだのは極超短波の受信。マグネトロンにこだわった結果、安定して
いた鉱石検波を採用しなかった事で苦しむ結果になった。
一言:バカなのは勝手だが、ジャーナリストを名乗って嘘を書くのはやめれ。
国府軍のチェコ軽機は96式軽機より誤作動が少なかったらしいけど
<書評>「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(加藤陽子。朝日出版社)
日本近現代史が専門の東大教授が、高校生に対し、日本はなぜ無謀というしかない太平洋戦争に
突入していったのか、特別講義したものを本にしたもの。
相手が高校生故、そのころの歴史の一般知識がなくても読める。
だが、わが国政界と軍部そして一般国民の動向と、帝国主義時代だった当時の世界情勢を交え、
しかも最新の研究成果も披露しており、そのレベルは高い。
軍部の暴走はよく言われるところだが、本書を読むと、テロを恐れてモノを言わなくなった政治家、
マスコミもそうだが、何より多数の国民が軍部、すなわち中国侵略を支持していたからこそ、
太平洋戦争に突入したわけで、日本人という“人種”の一度熱すると冷静さを失う危うさを痛感する。
それは、あの小泉郵政選挙時とも重なるものがある。
しかも、太平洋戦争の道に繋がる日中戦争に関し、当時、日本は中国を侵略しているのではなく、
むしろ匪賊を討伐している意識だったが、それは9・11NYテロ後の「正義」を掲げるアメリカとも
似ているとの指摘は新鮮だ。
■日本人は鬼畜なのか?人の心を持つのか?南京大虐殺を描く映画がついに日本で配給決定
1937年の日中戦における日本軍の南京攻略を描いた陸川監督『南京!南京!』が、日本公開されることが分かった。
同作品はスペインで開催中の第57回サンセバスチャン国際映画祭のコンペティション部門に出品されており、
現地時間21日に行われた公式会見の席上で陸監督が明かしたもの。◇
同作品は日本でいまだタブー視されているいわゆる南京虐殺事件を、
日本兵と中国兵の両方の視点から描いた2時間15分の大作だ。
今年4月に公開された中国では、主人公の日本兵・角川(中泉英雄)が、
繰り返される一般市民への虐殺、強姦などの蛮行にいたたまれなくなって最後に自殺を遂げることから、
「日本寄りだ」の批判が相次ぎ、陸監督には殺害予告の脅迫状まで届く騒動に発展している。
本作は、今年度のコンペ作の中でも一番の問題作と言われている。
プレス上映では拍手喝采に包まれ、その直後に行われた会見は、通常30分程度で終わるところ、
各国記者からの質問が相次ぎ1時間にも及んだ。◇
日中両方の視点から描いた理由については「あの戦争で何があったのか。
両方の視点で描くことが真実を正確に伝えることが出来ると思ったのです。
そのために私は、中国で裏切り者と言われていますが、私は多くの中国の戦争映画で見られるような、
日本人を鬼畜として描きたくなかった。
なぜなら、私は元日本兵の日記を読んだ時、人間の心を感じたからです。
この映画は、決して日本人を批判するために作ったものではない。
この映画をきっかけに、お互いの史実を見直す、日中の架け橋になることを願ってます」と語った。(後略)
http://www.cinematoday.jp/page/N0019790
>>426 アホか。覚醒剤は当時は合法の精力剤。国民をシャブ中にして戦争遂行なんて
概念は当時は持ち得ねえよ。
北朝鮮と同じというなら、関東軍や現地派遣軍が中央に黙って、
こっそりアヘン畑を作って栽培させて、アヘンやコカインを売って
武器購入や威信の低下で通用しなくなった軍票の代わりに用いたとかの
方を出さないと
アヘンや麻薬は国際条約で禁止されていて、日本も批准していたわけだからな。
おまけに現地軍が勝手に売りさばいて軍費に充てるなんて近代国家じゃねえよ。
今は知らないが最近までCIAも同じ事をやってた
近代国家って何?って世界だな
アメリカが麻薬を資金源にしたってことはあるの?
麻薬を見逃したり(西側よりの地方軍閥のケシ栽培を見逃すのとか)、麻薬・覚醒剤を
政治的理由で対象国内での拡散を追求しなかったりはあるけど、
アメリカやその国務機関が「自ら麻薬製造」や「流通」に手を染めたことってあるんですかね。
ある種のプロステタンティズムで、暗殺より麻薬の方がタブーな国だから。
麻薬>>>>>暗殺>>>高官のウソ>>>>>>>>>民間人殺傷 こんな感じ。
くだらないことを言う前に満州国の建国理念を調べれば。
あそこはあくまで中国の一部なんだから
プロテスタンティズム(笑)反近代(笑)とか的外れもいいところ。
言ってる意味がわからんよ
自民党内も、抗争の前線に立つ兵隊(若手・中堅)が少なくなって、
より派閥のボスに近いところで戦闘が行われるようになっている、
又戦いの様相も己の生き残りをかけた凄惨なもになりつつある。
戦いが終わった後にどのような荒涼とした風景が現われるか??
同族・同種の戦いは残忍なものになる。
,,,,。―'━━-_:
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.l ,l゙ .ー'=?″ ."ヘ,xxil} `,r‐'"゙゙_,,,,,,,,,,,i| .リ
:| .l′ ゙'''ll,=- .゙l .'",,,,,レ | .l:
:| ゙l .゙"l━=''''''''゙“““““゙゙゙~'k l: : |僕ドラえもんですか?
.l、 l `i,, _,,,,,,l, ケ ]
ト .| ゙ヽ、 .,i'゚~ [ .,ト .l
.゙l, ゙k “'・'r---ニ---v┘ .] ┃
.ヒ :l、 ._,wwwwrr←―ー=-v,,,,,,,,__, ,ド l!
.'k ゙V'″ : : .゙~''y,,┘
゙'┴.,,。,,,,,,,,,,,_ ,,r'°
>>435 >くだらないことを言う前に満州国の建国理念を調べれば。
>あそこはあくまで中国の一部なんだから
へへ? 歴史的中国文明の一部じゃないから満州の独立国と主張したわけで。
また歴史を適当にいじる酷使さまの登場ですかw
/ ///_roェ-_ ::::/:::::: ヽノ
./ /. //^):: ー ’ ̄ヽ/ .j
i ^ r /")、::_ ノ i
l ^ 'γ'. ) ヽ ノ ヽ
r 、 : j:::~’::: `
>;;:: . /`'_ ̄` /
/; ::. / ヽ_ _ ノ/
/:::: // ll //
>>435 少しは勉強しようね。
万里の長城は何の目的で作られたか調べてごらん。
万里の長城w
影佐の残念な孫が自民総裁に
祖父譲りの謀略のテクニックで民主を陥れられるかどうか
イナゾウさん、だからあれほど本業に注力せよと言ったのに。
リストラされてご臨終ですか。残念だ
448 :
名無し三等兵:2009/09/30(水) 13:45:32 ID:jNH2xuar
忙しいだけだろ
111 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/09/30(水) 18:45:08 ID:N5hhHRBT0
江田五月お気に入り
ttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/6b/1dbba7287edbe73576657095b0f314bc.jpg 浅草クラブ CLUB Royal(クラブ ロイヤル)
ttp://www.plaza-ueno.com/royal/ 11 金 :ワイシャツのみでお出迎え
18 金 :ナースのお仕事
25 金 :真ん中から割れとるday
なあ、川端って文科大臣じゃなかったっけ?
3 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2009/09/30(水) 19:25:33 ID:FYqgLOMF0
対象スレ:【政治】 民主党閣僚の政治団体、キャバクラ代等を政治活動費で支払い→官房長官「適切かどうかは、国民が判断することだ」★4
240 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/09/30(水) 19:03:21 ID:fhMsbG0X0
電凸しました。
【電凸先】クラブロイヤル
【対応者】男性
【問い合わせ内容】
Q:「真ん中割れとるdayとはどんなものなのか?」
A:「毎週金曜日に行っているが、女の子が着ている服がセンタースリットが入っていて、
下着が見えるかどうか微妙な状態。」
450 :
名無し三等兵:2009/10/03(土) 05:16:25 ID:aD27XEb+
451 :
名無し三等兵:2009/10/07(水) 04:23:10 ID:0MwIMDla
>>451 田母神はなにせ
国民は権力者や金持ちにもっと敬意を現さなければいけないと
公然と言ってのける狂気猿だからな
http://www.news.janjan.jp/living/0910/0909280877/1.php 私たちは、中国では捕虜を捕まえたときに、尋問をして用済みになったら、みんな殺していました。
だから、すぐに殺されるだろうと思っていました。
どうせすぐに殺されるのだから、せめて水がほしいと思いました。
何日も水を飲んでおらず、とてものどが渇いていました。
ダメだろうなと思いながら、アメリカ軍の兵士が腰につけている水筒を指さして『ウォーターウォーター』と言うと、
水をくれました。
そのときに、おや、アメリカ兵はなにかが違うぞ、と思いました。
私たちは、中国人の捕虜が水をほしがっても、あげるようなことはしなかったからです。
ほかにもタバコをもらったりしました。
どうらや殺されることは無く、しばらくして捕虜の収容所に連れて行かれて、とても驚きました。
捕虜の収容施設として、ちゃんと立派な建物が作ってあるのです。
私たちは捕虜のために建物を作るようなことはしていませんでした。
山西省の地図が書いてあるくらいだから、この人は62師団と思うが、この師団
は43年編成で、4年兵と書いてあるからには、独立混成4旅団か独立混成6旅団
に属してたはず。沖縄戦は45年だから師団新規兵で4年兵は存在しない。
62師団は44年に大陸打通作戦の京漢作戦に参加してるが、最大の激戦だった
許昌では37師団が主攻で62師団は迎撃師団として控置されたため、捕虜を取る
ような戦闘はほとんどしていないはず。
もし独混4旅だとすると、八路軍の便衣にかなりやられた旅団で、便衣はゲリラ
だから捕虜を取らないのは当然ですな。
この人が中国で正規軍と戦闘やったのかには、結構疑問があると思う。
ちなみに独混4旅は例の通州で編成された現地編成旅団。この中の人が残虐行為
したとして、許す訳には行かないが、理解はできるね。通州事件を考えれば
だけどね。
455 :
名無し三等兵:2009/10/13(火) 07:11:46 ID:Oh99kGEk
大東亜戦争敗北後に軍部や政治家が
「国民の判断が悪かった」
「アメリカに風が吹いた」
「次やれば勝てる」
「マスゴミが〜」
とか言ってたら国民から袋叩きだろw
自民はまったく現状を理解してない
WWIで負けた際のドイツ軍は言っちゃったんだよねw
それまで日本のベトナム戦争の報道はほとんどアメリカからのニュースを伝えるというかたちで、
アメリカから見たベトナム戦争のニュースがほとんどを占めていました。
ところが、相手の北ベトナムに行ってみると、その戦争は全然様子がちがっていました。
実際はアメリカが負けそうになっている戦争だということを直感しました。
それを「ハノイ 田英夫の証言」という番組にして放送しました。
その放送の直後に、自民党の田中角栄、橋本登三郎といった、いわゆる郵政族議員という人たちが数人、
私の所属していた東京放送(TBS)の社長以下幹部を呼んで、懇親会という名目で会を開いて、
その席でTBSはなぜ田君にあんな放送をさせたのか、といって圧力をかけてきました。
TBSの社長はひじょうにリベラルな人でしたから、「田君はうちの社の社員だ、TBSは報道機関だから
ニュースのあるところはどこへでも社員を出す、取材をするのは当たり前じゃないか」と言って、
座が白けたという話を聞きました。
が、それがきっかけで、自民党のTBSに対する圧力がつづくことになりました。
最後は、私には直接関係のないことでしたが、別の取材班が成田空港の反対運動をしている農民の
みなさんの実態を、いわゆるルポルタージュで、ドキュメンタリーでつくりあげようとしていました。
ある日集会があって、TBSのクルーが取材していた農家のおかみさんたちもそれに出かけて行くというので、
それならうちのマイクロバスに乗って行きなさいと一緒に集会場に向かいました。
おかみさんたちは、小さなプラカードを持って割烹着を着てバスに乗っていたわけです。
ところが、途中で警察の検問があって、TBSは「凶器を持った農民」を運んでいたという報告が警察庁に
もたらされたのです。
これを取り上げた当時の福田赳夫自民党幹事長が、オフレコの記者懇談で、なんと
「このようなことをするTBSは再免許を与えないこともありうる」という発言をしたのです。
ただいま執筆中、とかないの?
イナゾウ氏のレスが途絶えて3ヶ月以上になるな。
やはりお亡くなりになったか。(-人-)ナームー...
___
| イ |
| ナ |
| ゾ |
| ウ |
,,,. | の | ,'"';,
、''゙゙;、). | 墓 | 、''゙゙;、),、
゙''!リ'' i二二二二!゙''l!リ'''゙
‖ `i二二二!´ ‖
昌 |: ̄ ̄ ̄ ̄:| 昌
| ̄:|_|;;;l"二二゙゙l;;|_| ̄:|
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 ̄|三|三三|三三三三|三三|三| ̄
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稲造が土人土人というのを余りに酷いと思い
当時の中国人の社会文化研究見聞録を色々読んだよ
確かに土人だわ
こんな土人ども相手にしてたら、アホの拡大派が慢心するのも仕方ない
462 :
名無し三等兵:2009/10/21(水) 15:28:30 ID:WOXPI7ZU
色々読んでなんかいないから、聞いてやるな
イナゾウさん・・・
死ぬ前に今までの参考文献全部だしてください。
きっと、きっと誰かが後を継ぎますから。
昭和15年の標語から
離せ金銀 離すな国債
買った国債 売らぬが忠義
国債は 興亜の力 産む家宝
買わされたあげく敗戦後は紙屑…
純粋な資金収拾と考えれば
現代の日本人にも通じる特性を利用した素晴らしい妙案だと評価できる>戦時国債
■10月21日付 よみうり寸評
〈相対的貧困率〉とは国内の低所得者の割合を示す指標だ。日本のそれは2007年の調査で15・7%
◆ほぼ7人に1人が貧困ということ。国民一人ひとりの所得を順に並べて、真ん中になる人を定め、
その額の半分に及ばない人が全体のどれだけいるかという数字がこれだ。
長妻厚生労働相が20日の記者会見で発表した
◆と聞いて、先日見たNHKスペシャル「セーフティーネット・クライシス」を思い浮かべた。
「子どもに貧困がしのびよる……家で食事ができない。学費が払えない」の映像だ
◆熱があっても病院へは行かずに、学校の保健室へ直行する子、朝晩の食事が抜きで昼の学校給食が頼りの子、
授業料滞納がかさむ生徒にアルバイトを勧める教師
◆貧困率の反映がこれらの映像だろう。こんなピンチに追い込まれた子たちが不憫(ふびん)でならない。
非正規雇用の増加などによる格差拡大、それに追い打ちをかけた不景気、そんな深刻な背景がある
◆〈一億総中流〉などと言ったのはいつのこと、どこの国?の感がある。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column2/news/20091021-OYT1T00620.htm ■格差は政治の責任 五十嵐仁法大教授〔『産経新聞』2009年10月21日付〕
「やはり」というのが率直な感想だ。
これまで言われていた貧困の拡大、格差の増大が初めて具体的な数字で示された。
平成4年、宮沢内閣の生活大国5ヵ年計画の理念は「物質的な豊かさから精神的な豊かさへ」だったが、
十数年で日本はここまで“転落”した。
平成14年から今回の調査年の19年まで続いた戦後最長の景気拡大で大企業は潤ったが、
利益が一般国民に行き渡らなかった。
これは富の再分配政策を取らず、むしろ規制緩和で非正規労働、ワーキングプア(働く貧困層)を増やした政治の責任だ。
政権交代もその結果といえるが、政府は貧困世帯の生活再建へ緊急に取り組まなければならない。
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2009-10-23
468 :
俄将軍:2009/10/25(日) 02:51:23 ID:???
山中恒「戦争ができなかった日本 総力戦体勢の内側」
1931年生まれの著者の書いた本書は、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラ
ム」直撃世代なのか、欧米列強の「悪行」や、ソビエト、共産主義の「悪行」には、特に言
及せず、持たざる国であった、大日本帝国の「悪行」だけに、殊更厳しい感もあるが、戦
争、事変の違いから、第一次世界大戦前後からの満州、中国大陸を巡る経済戦、思想戦
などを、把握するのには、安価で良い本ではないか、などと。
総力戦体制構築の失敗が、戦後の高度経済成長の成功の源となり、現在の日本国債、特別会計
巨額の財政赤字、年金問題なども、総力戦体勢の構築が源、といことになると、大日本帝国
敗戦、再び、ということもあるのか、などと、嘯いてみたり。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091025-00000002-maip-soci 井上靖 従軍日記見つかる 中国出征から送還までの半年 10月25日10時38分配信 毎日新聞
手帳に小さな字でびっしりと鉛筆書きされた、井上靖の従軍日記=鶴谷真撮影
小説家、井上靖(1907〜91)が大阪毎日新聞(毎日新聞の前身)に在籍中の1937(昭和12)年から翌年にかけ、
日中戦争の体験を書いた従軍日記を、プール学院大学長で独文学者の長男修一さん(68)が遺品の中から見つけた。
生前ほとんど従軍体験を語らず、戦争を正面から取り上げた作品も残さなかったが、戦争を書く意志はあった
とされるだけに貴重な資料。
小さな字でつづられた言葉は、空腹や家族愛など正直な心情に満ちており、頑健で無頼漢という井上の
人間像の変更を迫るものだ。
37年8月25日の「……五階の宿直室でうとうとしてゐると ふみ(妻)から九時頃電話、召集令状。一旦帰宅」で始まる。
輜重(しちょう)(輸送)隊に属して中国大陸を行軍中の10月には心身のつらさの吐露が目立ち、
11日「河上ニハ屍(しかばね)山ノ様ナリト ソノ水デ炊事シタ 相変ラズ人馬ノ屍臭紛々タリ」、
14日「アヽフミ(ふみ)ヨ! 伊豆ノ両親ヨ 幾世(長女)ヨ!」、19日「神様! 一日モ早ク帰シテ下サイ」、
24日「フミヨ、今度コソハ参ツタ」、
28日「相変ラズ車輪ヲミツメ湯ケ島ノコトヲ考ヘテ歩ク……羊カンデモ汁粉デモ甘イモノガタベタイ」などと書く。
井上は徐々に体調を崩してかっけになり11月19日には入院が、12月18日には内地送還が決まったとの記述がある。
翌38年1月18日には船で門司(福岡県)に着き「ラヂオデ国技館ノ角力(すもう)ニユースヲ聞ク
コノ熱狂ハナンダロウ」と、戦地とのギャップに戸惑う。
日記は3月7日で終わる。
470 :
名無し三等兵:2009/10/27(火) 00:55:22 ID:ptVCYWvD
中国軍戦死者推定130万
集団軍司令2人(張自忠、李家ウン)
軍長8人(カク夢齢、呉克仁、王銘章、武士敏、陳安宝、王甲本、唐維源、)
師団長30人含む
廬溝橋事変 死傷者推定15000
上海事変 18万ー30万
南京防衛戦 戦闘の死者は1ー2万程度か
武漢会戦 死傷者約40万
472 :
名無し三等兵:2009/11/04(水) 08:41:22 ID:RrFe4D9K
思えば、安倍の内閣改造直後の投げ出しは、日本の憲政史上最低最悪に近い行為だったな。
林銑十郎の食い逃げ解散並み。
>>469 かっけってあの脚気?
日本陸軍は麦飯採用で克服したんじゃなかったんかい。
474 :
名無し三等兵:2009/11/12(木) 16:37:12 ID:EByRtB0R
20年くらい前、沖縄に行っておじいさんの個人タクシーを一週間貸切り、
戦跡をじっくり案内してもらったことがあります。
海がきれいだな、とか全然思わなかった。観光客が来ない田んぼの防空壕は、
天井に頭蓋骨がたくさん突き刺さっていました。
当時の日用品も散乱していました。
おじいさんが観光協会の方で特別に見せてもらった場所もあり、多くは封鎖されていました。
モンペと骨(たぶん尾てい骨)がこびりついた壁は瞼に焼き付いて離れません。
女性は日本軍に強要されて手りゅう弾で自爆させられたのですけど、おじいさん曰く、
若い娘は最後の宴とばかりに軍人によってたかって犯されたそうです。
そんなことはひめゆりの塔はもちろん、教科書にも書かれていません。
戦争の痛みを理解できるかと言えば、まず不可能でしょう。
例えば広島で、川に飛び込んで死んでいった人がどれだけ熱かったなんて想像でしかないわけです。
同じ苦痛を味わいたければ焼け火箸を体中にくっつけるしかありません。
若い女の子が、手りゅう弾を渡されてピンを引き抜く時の気持ちなんて、分かるはずもありません。
楽しかった学校生活が一瞬にして終わり、重労働を強いられた。
アメリカ軍のじゅうたん爆撃の中を逃げ回り、味方であるはずの軍人に犯されてズタズタになり、
最後は手りゅう弾で死ねと言われる。その絶望感が分かるはずもないのです。
玉砕寸前の兵隊の性欲はどのようなモノだろう?
勃つか、勃たぬか。
477 :
名無し三等兵:2009/11/13(金) 08:52:37 ID:rwu1HajR
そんなにナイーブではイナゾウスレを楽しむことは出来まい。
米軍と戦わなければならない日本軍の兵隊が貴重な手りゅう弾をそう簡単に女学生に渡したりするものだろうか?
自決用だからな
小銃すら2人か3人に一丁しかないほど物資欠乏してるのに?
481 :
名無し三等兵:2009/11/14(土) 14:48:20 ID:cs7xjIbf
482 :
名無し三等兵:2009/11/17(火) 13:31:14 ID:czInD6uk
小沢すげぇぇぇ。 産経の記者は適当な質問に突っ込まれて焦っただろうな。
――高野山を訪れた際に、西洋文明の行き詰まりの文脈でキリスト教について言及があった。日本キリスト教連合会が抗議文。
「え?」
――「幹事長の発言こそが独善的だ」という抗議文を出している。
「どこに出されているの。産経新聞に?」
――いや、産経新聞は。
「私は文明論と宗教論を言ったんです。君は何教だ?」
――家は仏教です。
「仏教っていうのはどういうの?」
――浄土真宗。
「いやいや、仏教というのは、どういう哲学だっつうの」
――すぐに答えられません。
「ね。仏教っつうのは、死ねばみんな仏様になるんだよ。そうでしょ。除夜の鐘はいくつだったか、君、知ってるか?」
――108です。
「うん。108っていうのは、どういう意味だ」
――煩悩。
「そうだ。煩悩をすべて超越して、生きながらに超越できる人が生き仏だ。おしゃかさんが最初の人だ。その以降にもいろいろ
あったと思うけれども。いろんな、それに、お釈迦様に近い人もいっぱい出てきただろうと思う。これだけ普及したんだからね。
だから、そういう意味で、生きながらにして仏になることもできるし、死にゃあ、みな煩悩がなくなるから仏様。君んとこも
仏様あるだろ?だから、他の宗教で神様になれるところがあるか?そうでしょう?基本的考え方が違うということを僕は
言ってるんですよ。仏教哲学というか、が背景だけれども、東洋の思想ちゅうのは、悠久なる自然の中の、人類は、そのひとつの
営みというとらえ方だ。わかる?『それ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり』という李白の詩があるけれども。
西洋文明は、人間が、うーん、霊長類として最高の、自然をも、人間のいろいろな、まあ、これは少し、宗教ちゅうより政治論
になるけれども、ために存在するという考え方だ。だから、有名なエベレスト征服したときに、なぜエベレストを征服したのか、
そこに山があるからだと答えをしたイギリス人がいたけども、地元では、霊峰としてあがめられて、そのエベレストを征服しよう
などという考え方は、アジア人にはほとんどない。そういう根本的な宗教哲学と人生観の違いを僕は述べたんです。
わかった?僕も君も死ねば仏になれるんだ、だから」
483 :
名無し三等兵:2009/11/17(火) 13:57:09 ID:sgv8Ct0I
手りゅう弾や小銃で自決した兵隊が多数いますが
貴重な弾薬を使っていますよ
ネット右翼よ、どう説明する?
>>483 そもそも、自決をやれる段階まで生き残っている兵が少数だと思うが。
米軍に散々に打ち減らされ、敗走中には負傷と病気と飢えと指揮の混乱で多数が落伍。
もちろんその途中で自決するものもいただろう。
まあ、自決する本人にとっては既に弾薬か貴重かどうか何てことはどうでもいいコトナわけだが
落伍兵の蛮行はいつの時代もある。
一方日本は、支那事変で蒋介石率いる国民党に手を焼いていた。
蒋介石というのはもともとは親日的だったのだけれど、英米からビルマルートでの補給物資を
受け取るようになると、一点して抗日運動家になった人物です。
日本としては、その援蒋ルートを絶たなければならない。
実際、大東亜戦争のあと、米英が援蒋ルートでの補給をやめると、途端に蒋介石率いる国民党は、
毛沢東率いる八路軍にあちこちで散々破られ、ついに国を追われてしまった。
毛沢東の率いる八路軍は、日華事変のさなかには、武器も食料もなく、ただシナの国内を
逃げ回っていただけです。それが大東亜戦争末期にソ連が参戦し、武装解除した日本軍から
奪い取った武器弾薬や糧食を、まるごと八路軍に分け与えた。
補給の整った八路軍、補給を断たれた国民党。形勢は一瞬で逆転した。
たしかにインパール作戦は、無茶な作戦でした。しかし、援蒋ルートを断つという日本軍の
目論見そのものは、決して意味のないものではなかったという一点だけは、異論はあるかも
しれないけれど、しっかりと押さえておく必要がある点だとねずきちは思っています。
ねずきちって誰?
>>487 異世界の歴史だな。
元々親日的とか。
共産党打倒を対日本より優先していただけで国民党率いるようになって親日的だったことなんてねーよ。
西安事件で優先順位が逆転しただけだろ。
戦争後半は援助物資を後の対共産党に温存して日本軍にやられたりしたが。
インパール作戦は意図も糞も、どう計算しても補給無理で幕僚が反対している作戦を強行する時点でどうしようもないんだけどね。
援蒋ルート遮断という目的を否定する奴はいねーよ。
意味が無いものでなかったなんて言う意味がないだろ。
ついに右翼が暴れだしたぞ
民主党本部に侵入の男 「ネットの民主党批判に触発された」
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1258790514/ 政権交代に伴い「国会や皇居並み」(警視庁)の厳重な警戒が敷かれるようになった民主党本部に
10月、木刀を持った男が侵入して暴れ、現行犯逮捕された。インターネットの民主党批判に触発
されたと供述、警視庁は「今後も同様の事件が起きる可能性がある」と警戒を強めている。
警視庁によると、建造物侵入容疑で10月27日に逮捕されたのは相川哲一被告(24)=同罪で
起訴。本部のある民間ビル1階にスーツにネクタイ姿で現れ、警備員に名刺を見せて中に入り、
8階の代表室に侵入。背中に隠し持っていた木刀で鳩山由紀夫首相のパソコンを壊したとされる。
相川被告は、在日韓国人ら永住外国人への地方参政権付与や夫婦別姓問題をめぐり、民主党の
政策を非難する主張をネットで閲覧し、党本部に出向いたという。
政党本部や国会を警備する機動隊員は、主な右翼・左翼関係者の容ぼうを記憶し、不審者を見分ける
訓練も積んでいる。しかし、相川被告は対象となっておらず、身なりも一般人と変わらなかったため、
事件を未然防止できなかった。
http://www.47news.jp/CN/200911/CN2009112101000446.html
492 :
名無し三等兵:2009/11/21(土) 22:51:55 ID:elyD2H1P
★ドイツ映画「ジョン・ラーベ」を日本で上映すべきだ
4月2日、ドイツであの南京虐殺の最中、
中国市民の保護に務めたドイツ人「ジョン・ラーベ」を主人公とした同名の戦争映画が封切られた。
ラーベ氏はその活動から、「南京のシンドラー」と言われている。◇
<あらすじの一部>
…日本軍側は、南京攻略を前に、捕虜を全て殺害するという非人道的な方針をとり、
以後市民に対しても残虐な行為に及んでいく。
ラーベは、安全区域に入れなかった者が周囲で残虐に殺害されていく状況で、他の安全区域のメンバーと共に、
1人でも多く市民を救うために、安全区域を日本軍側に認めさせるための折衝と、
安全区域内の食料、医薬品等の確保等に奔走する。
その間、ラーベはヒットラー宛に、日本軍の非人道的な行いをやめさせるように諫言するも、成果は得られない。
日本軍側との折衝に訪れた際に、ラーベの中国人運転手が日本軍人に一方的な言いがかりを付けられ、
ラーベの知らない内に処刑場に送られてしまう。
運転手の行方を追うラーベは一歩及ばず、目前で運転手が斬首されてしまう。
ラーベは、日本軍の残虐さを目の当たりにすることになる。…
<感想>
…但し、描き方が、事実を淡々と再現している感じで、日本人を糾弾するために作った映画ではないことは、よく伝わってきます。
とは言ってもやはり、日本人としてこの映画を見ると、あまりにも残虐な行為の数々と、
それを行ったのが日本人であることに、息苦しくなります。
さて、こんな話を聞くと日本で上映をすべきでないという意見も出るかもしれない。◇
ドイツでは、自らを加害者として過去の歴史を振り返る作業が国民的に始まったのが、今からほぼ30年前で、
それはメリル・ストリープ主演のアメリカの連続テレビドラマ「ホロコースト」が西ドイツで放映されたのがきっかけだったという。◇
そのドイツが今、日本の戦争犯罪をテーマにした映画を提供している。何ともいえない皮肉である。◇
映画を日本で上映できれば、日本社会が過去を真正面に受け入れる姿勢が示され、
また、言論の自由の幅が広いことも世界に示すことになる。
http://www.news.janjan.jp/culture/0904/0904081171/1.php
493 :
名無し三等兵 :2009/11/22(日) 22:52:55 ID:LkWV3c3V
ジョン・ラーベとか守銭奴の嘘つき野郎だろww
494 :
名無し三等兵:2009/11/24(火) 02:04:57 ID:Uh4Shg0i
国民軍は日本との闘いでかなり消耗し、
それが国共内戦で敗れた原因の一つだったのは間違いない
だが共産党政権が日中戦争は
「共産党が頑張った。国民党は消極的だった」
と宣伝していることに対し
71軍長、88師長孫元良(1904ー2007)は
中国メディアのインタビューで怒りを露わにしている。
蒋介石軍でもドイツ軍の指導や援助を受けた
中央軍の精鋭部隊は初期の上海、南京戦で投入されたが
死傷者約20ー30万以上と壊滅
孫元良が率いた88師団も
上海戦最初から参加した精鋭だったが、
孫自身は天寿を全うしたものの、
2つの旅団(264旅、266旅)の旅団長のうち、
266旅長黄梅興は上海で戦死。後を継いだ高致嵩と264旅長朱赤も共に南京で戦死。
孫も南京陥落後南京市内に身を隠し脱出している。
国民党軍は戦死者130万(〜300万まで諸説あり)
集団軍司令2名、軍長8名、師団長30名と多大な犠牲を出した。
一方共産党軍の八路軍と新四軍は数ある中の集団軍の1つにすぎず、
日中戦争で22あった主要会戦(動員双方20万以上)中
共産党軍が参加したのは華北が主戦場だった
初期の太原会戦のみ。百団大戦は捏造等怪しい部分があり、
太原会戦時林彪115師が板垣師団に大打撃与えたとされる
平型関の戦いも日本軍被害は1万というが孫によると
実際は千人未満だった可能性高い。
八路軍は副参謀長左権(43年戦死)以外
高級士官に犠牲者なく、それでは泉下の同士達に申し訳ないと孫は言う
495 :
名無し三等兵:2009/11/24(火) 02:08:30 ID:Uh4Shg0i
補足。国民軍が消極抗戦だったと言われるのは同士達に申し訳が立たない、という意味で
498 :
名無し三等兵:2009/11/24(火) 11:05:31 ID:Uh4Shg0i
上海戦で最初に日本軍を攻撃した第9集団軍の36師87師88師
87師長の王敬久(1902ー1964)は35歳、36師の宋希簾(1907ー1993)に致っては30歳だし数年後30代前半で集団軍司令官になってる
他にも74師喩済時、98師の夏楚中も当時30代前半と思われ
すでに八路軍師長だった林彪も同世代
>>498 林彪以外は黄埔軍官学校の第1期生なんですね(林彪は4期)
税警総団長の黄杰(上海戦当時35歳)も1期生です
国民党一番の名将は誰だろう?薛岳上将?
501 :
名無し三等兵:2009/11/26(木) 19:24:18 ID:klmfrLrz
>>500 佐々木氏の長沙作戦を読んでいたので、自分も薛岳長官を思いついた
他に上将クラスだと白崇禧将軍はどうかな?
前線指揮官だと張霊甫が名将、というより猛将だろうか
504 :
名無し三等兵:2009/11/28(土) 22:54:27 ID:o8WFOu7K
戦死したこともあり張自忠の人気と知名度が高いと思う。いくつかの主要都市に「張自忠路」はあるし
上に挙がった他は李宗仁、孫立人、張發奎、杜律明、湯恩伯、衛立煌、孫連仲などか
共産党軍だと林彪か
505 :
名無し三等兵:2009/11/30(月) 20:08:55 ID:KurlzK80
蒋介石は日本の陸軍士官学校の正式な「卒業生」ではなかったの?
506 :
505:2009/11/30(月) 20:10:21 ID:KurlzK80
あとなんか俺のIDって兵器っぽくね?
宋哲元とか手堅くがんばってるのに、時期的なもので貧乏くじ引いてるイメージがある。
>>505 蒋介石は陸軍士官学校には入学していない
中正紀念堂公式サイトより
ttp://www.cksmh.gov.tw/jp/index.php?code=list&ids=13 ◎「蒋介石が日本の振武学校留学時学友と一緒に撮影した写真」
>振武学校は1903年創設で、清政府が派遣した留学生を教育する為に
>日本政府が設置した予備学校です。蒋介石は学校で3年間修業し、
> 1910年11月に卒業。12月に新潟県高田市の野砲兵第19連隊にさ
>れ、実習を受けました。1年の実習課程は4期に分けられていま
>す。辛亥革命が起きた時、蒋介石は第3期の訓練を受けていまし
>た。蒋介石と学友の張群らは休学届けを出さずに離隊、帰国し、
>辛亥革命に参加した為、退学及び退隊処分を受けます。
509 :
名無し三等兵:2009/12/01(火) 01:31:25 ID:uthCypLo
宋哲元は満州事変や熱河作戦で頑張ったけど
第29軍は廬溝橋〜北京天津で副軍長(トウ麟閣)師団長(趙登兎)が戦死する等惨敗、その後は殆ど檜舞台にはおらず印象は良くない
510 :
名無し三等兵:2009/12/01(火) 02:30:05 ID:uthCypLo
集団軍司令クラスと違って局部の小規模な戦いで見れば
山西での林彪、湖南の方先覚、余程万何かもどうだろう
511 :
名無し三等兵:2009/12/02(水) 09:53:47 ID:5dPxpmax
233 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/11/30(月) 20:12:53 ID:lKwCveIv0
俺、横田基地の街の電気屋のバイトしてたことあったけど
基地に蛍光灯1本単価1000円とかで納品してるんだぜw
マジでお金は降ってくるよ。
将校のメイドの年収が600万円とか、夜は飲み屋で金つかってくれるし
公共事業以上にお金は落ちるし、裾野が広いんだ。
>>510 方先覚の第10軍が2度も総攻撃をしりぞけて40日以上衡陽で健闘したことは
一号作戦での中国軍が不甲斐なかった中で一際輝いていると思う
しかも方軍長は一度捕虜になりながらも脱出に成功してとはw
×脱出に成功してとは
○脱出に成功しているとは
林彪と余程万はあまりよく知らないんだけど、どういう戦いの指揮したの?
514 :
名無し三等兵:2009/12/02(水) 18:26:48 ID:Ixam50FX
林彪は平型関
余程万は湖南省(常徳か)で師団長で残り100人くらいまで頑張った
方先覚は中国側兵力が日本軍よりかなり少ない中で死傷者がかなり下だった点で稀有
先月29日に高知県で行われた男子ゴルフツアー「カシオワールドオープン」の会場で、
TBSテレビの外部委託スタッフが乗ったカートが、
ギャラリーの女性らをはねて計4人が重軽傷を負った事故で、
同社の石原俊爾社長は2日の定例記者会見で、
「被害者の方に心よりおわび申し上げる。
選手や関係者、ギャラリーの皆さんにも大変ご迷惑をかけた」と陳謝した。
また、事故翌日に香川県内の女性から「自分も事故に巻き込まれた」との連絡が同局にあり、
けが人は計5人となったという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091202-00000977-yom-ent 石原俊爾社長
石原莞爾中将のお孫さんですね
ただ読みは石原俊爾(いしわら しゅんじ)ではなく(いしはら としちか)らしいです
中央直系軍、中央傍系軍、地方軍の違いがイマイチわからないんだよなぁ
装備の質の違いというわけではないだろうし、指揮系統が違うんだろうか
そもそもこの分類自体、中国でも区別しているのか日本側が便宜的につけたものなのか
金の流れが違うから装備の質は違うし、兵員の質や充足率も違うよ。
指揮系統も違うので国府中央に全面的に従うばかりとは限らない。
しかし地方軍と一口に言っても、その中でもバラツキがあるよね
戦争当時の写真とか見てると、桂軍(広西)やテン軍(雲南)なんかは装備も錬度も優良に見える
もともと力のあった軍閥だということもあるけど
自分たちで軍備を整えられるからこそ軍閥になったってことなのかな
それとも雲南広西は例外で、ほかの地方軍(山西、共産、その他)は…どんな感じ?
\、,,)r゙''"''ー弋辷_,,..ィ ( ヽ,
=、..,,,ニ;ヲ_ ヾ彡r''"^/⌒\ ,,- ‐ー ‐ - ,,,,. ゝ
``ミミ, i'⌒! ミミ=/ ヽ〆`" ミ (
= -三t f゙'ー'l ,三`/ / ',. \ ヽ
,シ彡、 lト l! ,:ミ'' / / ;. ,,,,, ヽ )
/ ^'''7 ├''ヾ! ({ ./ ', ,,.'''" `ヽ 彡
/ l ト、 \丿! i ' , ,,,,, ,r''(゜)ヽ 彡
〃ミ ,r''f! l! ヽ. (:i ミ 〃 ゙゙゙゙'' ′.`"´,/ ヾ.
ノ , ,イ,: l! , ,j! ., ト、. ', ( ,r'(゚ )`'ヽ `'''''" !
/ ィ,/ :' ':. l ヽ. 、 ', 彡 `"´ ノ } ゝ {
/ :: ,ll ゙': ゙i,ヽ ', 〆、ミ ー- ''" ( ,、_ッ^′ i
/ /ll '゙ ! \ '{ ⌒ ,,___,. / .}
/' ヽ. リ \ i、 -‐"ニ' i´ / ノ さあ…恐怖するがいい愚民ども
/ ヽ / ヽi ヽ ,,,,ノ i / まだ3ヶ月目だぞ クククク…
/ r'゙i! .,_, / \,,,ノi \ {./
/. l! イ i!`ヽ ‐ - t ,,ノ {
/ ,:ィ! ト、 >くフ 〕 ` ‐---ー " i、
,r''"´~ヾ=―――=''′`ヽ;'''"´ ` ̄`゙゙`ヽ、 ,r一''"
>>521 右下の表を抜き出してみた
第一戦区 中央軍15個師 地方軍20個師 約18万
第二戦区 地方軍24個師 約 6万
第三戦区 中央軍16個師 地方軍15個師 約23万
第四戦区 地方軍 6個師 約 5万
第五戦区 中央軍11個師 地方軍35個師 約36万
第六戦区 中央軍20個師 地方軍 7個師 約23万
第七戦区 地方軍16個師 約12万
第八戦区 中央軍14個師 地方軍36個師 約25万
第九戦区 中央軍14個師 地方軍15個師 約23万
魯蘇戦区 中央軍 1個師 地方軍 8個師 約 5万
冀察戦区 中央軍 1個師 地方軍 7個師 約 3万
四川戦区 中央軍 4個師 地方軍 8個師 約 7万
貴州雲南 中央軍11個師 地方軍 3個師 約12万
総兵力 中央軍107個師 地方軍199個師 計306個師 約198万
523 :
名無し三等兵:2009/12/07(月) 01:14:10 ID:OU8KKANE
>>501 中国のサイトから見てるってことは中国人?
しかし長沙作戦、戦死1500負傷者5000が死傷者五万とかすごい宣伝だな
というか中国語読めるのうらやましい。
中国も開放型社会になったんだからこれからどんどん新資料も公開されるだろうし。
それはあまりに淡い期待だな。
このあたりの史料状況は、近年ずいぶん改善されてきている。
すでに中国では、制限は依然としてあるもの文書史料に関してかなり
の情報公開が進んでおり、現地の文書間で戦時期の一次資料を閲覧
する事も可能になってきている。
また、台湾側で国共内戦期に接収した中国共産党の内部史料につい
ても公開が進んでいるので、双方の史料をクロスチェックすることによ
り、史料の欠や記述の問題を補うことが可能になってきている。
台湾側では日本のアジア歴史資料センターのようなネットでの史料公
開も近年進んできているが、中国ではまだそこまでの状況には無い。
528 :
。:2009/12/08(火) 13:13:09 ID:Oyf+v2mA
ここ いなぞういないけど、良スレ。いないからか?
イナゾウ氏、最近見ないな
コイツ政権交代で突然消えたんだよな
大本営内国経済統括部発表
国民経済計算、国内総生産ハ、七-九月期、前回速報前期比1.2%増(年率換算4.8%増)
ヨリ転進シ前期比0.3%増(前期比年率1.3%増)トナッタ。
国内景気ハ極メテ好調、マスマス帝国ノ革新政府ニヨリ改革ガ進ミ、遍ク臣民モ富栄ヘルデアロウ。
沖縄の基地問題がグダグダになっているのは、実は前政権の辺野古基地建設利権で
右往左往している連中と、米軍自身の問題であることが明らかになりつつあるな。
これで沖縄の騒動も、鳩山政権の致命傷になるどころか、参院選に向けた大きなジャンピングボード
になる可能性が強くなった。
自民信者の期待はまたも裏切られたか、残念wwwwww
『米軍再編』自ら不履行 キャンプ座間移転中止(東京新聞、12.9)
沖縄県の普天間飛行場移設問題を含め、二〇〇六年五月に日米合意した「米軍再編」。
順調に進んだはずの米本土からキャンプ座間(神奈川県相模原市など)への米陸軍第一軍団
(ワシントン州フォートルイス)の移転は、米側の事情で頓挫する見通しとなった。
米側は米軍再編を「ひとつのパッケージ」として日本に履行を迫るが、米自身は都合よく解釈し、
「パッケージ破り」をしていることになる。
533 :
名無し三等兵:2009/12/16(水) 23:51:39 ID:sYj/9cPx
同盟の危機だって? 米大使館が新聞の普天間報道に呆れ顔
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20091217-00000001-sbunshun-soci 「米大使一変、激怒」(産経)、「米、同盟協議を延期」(読売)、「普天間暗礁 同盟に影」(朝日)
など、米軍普天間飛行場の移設問題では左右両派の新聞が、「同盟が危ない」という同じ論陣を張り続けている。
ところが、これらの報道に、米大使館は呆れ顔という。
「『米大使一変、激怒』と産経は刺激的に書きましたが、そうした事実はまったくありません。
われわれは外交官ですから」(米大使館関係者)
米外交筋によれば、米国では外交官が他国の批判をすることは固く禁じられているので、
こういったことはあり得ないという。
「『米、同盟協議を延期』にしても、そもそも協議のスケジュールもまだ出来ていない。
出来ていないものを延期するなんてことは無理です。
日本の新聞は危機を煽りたいようですが、同盟関係は幅広くかつ深い。
普天間問題は同盟に影響しないし、危機でもありません。
米側に取材すれば、すぐに分かることばかりなのですが……」(同前)
日米関係に詳しい米専門家は、こう笑う。
「日本の新聞の米国報道は普天間に限らず誤報だらけ。だから別に驚いていない」
日本の外務省は何度か事実関係の間違いを会見で新聞側に指摘したという。
「しかし、訂正記事を見たことがありません。結局、間違いが事実として広まってしまう」(外務省関係者)
では、同盟関係の現状を米国はどう考えているのか。米シンクタンク、新米安保研究所の上級顧問で、
著名な国際政治学者のパトリック・クローニン氏は、こう語る。
「政治が大きく変わったときには、つねに悶々(もんもん)とした政策の再検討と不確実な時期が
やってくるものです。だが、こうした時期こそ、世論の幅広い支持を得た同盟を強化する好機になる。
日本にとって幸いなのはオバマ大統領が日本の事情に理解を示し、『米政府のほうから危機の原因を
作ってはならない』『忍耐強くなければならない』と言っていることです」
オバマ大統領が大好きな日本の新聞だが、ここでは大統領の足を引っ張っている。
536 :
名無し三等兵:2009/12/19(土) 15:30:02 ID:puGtG9tK
こええええええよ
まあでも山本一太の反応は正常だな。
特攻兵器の中でもとりわけ賛否両論のある上に
生存の可能性ゼロで出撃した回天を
キューピーでキャラ化する感覚が信じられん
建前、自衛対でのみ販売されているという事であれば、「死して国を守る気概を学べ」
という意味を込めての「回天キユーピー」と善意に解釈した方がいいと思う。
零戦は問題ないだろ。
元国防相が特攻兵器のオモチャを無自覚に持ってることを
山本は呆れたんだろ。
アメリカや旧連合国の政治家や軍人が見たら、どう思うかって
想像できなかったんだろうなあ。あの政界渡り鳥オバサンは。
江田島に回天を飾ってあるのとは意味が違うからな。
江田島にあるのは特殊潜航艇じゃね?
> 696 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/12/22(火) 02:23:39 ID:smZh4RLk0
> ていうか、自民の国会議員はもう安倍さんと麻生さんの二人だけでいいよ
> その方がオレたち国民も支持しやすい
>
> 安倍さんと麻生さんの新自民党と平沼さんが3人で新政権を作ってくれれば
> オレたち日本国民は全力で支援する
>
> ●単身、北に小舟で潜入して拉致被害者を奪還した安倍さん
>
> ●売国ミンスの国籍法改正を命がけで阻止して国民の生命を守った麻生さん
>
> ●人権法案を阻止して国民を守った平沼さん
>
> この3人がチカラを合わせ、売国ミンスが行った許せざる行為
>
> ●日の丸切り刻み
>
> ●閣僚就任会見での日の丸無視
>
> ●1ヶ月ルールを無視して天皇陛下の生命を脅かした
>
> これらを争点にして闘えば、衆参ともに全議席独占は確実だ
> 716 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/12/22(火) 03:26:18 ID:N+m49McqO
>
>>696 >
> 他に高市早苗や、ヒゲ隊長・細田元幹事長も加えてくれ。
> 地味だが、働くぞ。
なかなかいい案だw
回天キユーピー、マジほしいいいいw
544 :
名無し三等兵:2009/12/26(土) 23:40:55 ID:igEGPAMc
>>536 小池をハメに掛かってるって・・・小池は別に「回天キユーピー」が在るって事実を
言っただけだろ。
確かに問題かもしれんが批判されるべきは作った業者であって小池ではない。
>>545 あるって事実を無批判・ノー天気に言ってる様に
不安を覚えたってことだろ。
苦笑しながら言ったのならマトモだけどさ。
明けましておめでとうございます。
イナゾウさん、何とかこちらの世界にも復帰してくださいな
他界したから無理だろ
イナゾウ中佐はKIAではなくMIAだ。
AMAZONで検索すると彼のレビューが読めることに気付いた
>>551 りゅういちはいいからBOWIEをくれ。
イナゾウ散華セリ、合掌
___
| イ |
| ナ |
| ゾ |
| ウ |
,,,. | の | ,'"';,
、''゙゙;、). | 墓 | 、''゙゙;、),、
゙''!リ'' i二二二二!゙''l!リ'''゙
‖ `i二二二!´ ‖
昌 |: ̄ ̄ ̄ ̄:| 昌
| ̄:|_|;;;l"二二゙゙l;;|_| ̄:|
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 ̄|三|三三|三三三三|三三|三| ̄
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長距離射撃
>>505 陸士ではなく、予備学校と考えた方がいいかも。
呉恩和著作『貢桑諾爾布』
「光緒32(1906)年冬天、通過日本陸軍参謀本部次長福島安正中将的関係、派遣
男生伊徳欽、諾門必立格(漢名金永昌、曽任偽蒙疆政府交通部長)、恩和布林、
特木格圖、于恒山等五名先赴天津、由一日人名日高者率領,乗日郵船“太信丸”
至神戸登陸、又乗火車到達東京后入振武学堂肄業(振武学堂即陸軍士官学校的
預備科)」
まぁ、呉恩和自身が留学生の様だから、留学生は振武学堂を「陸士予科」という認識で
あったと。
留学生といえば、蒋百里(蒋方震)という人が陸士を卒業する時に
恩賜の軍刀を授けられたというのをどこかで読んだんだが、本当なんだろうか
中国では軍事理論家として有名な人らしいが
東京地検特捜部長、佐久間達哉の暴走を見て
自分も二・二六事件をふと思い出したよ
佐久間は「皇道派」ならぬ「米道派」だな・・・
●書籍「雪はよごれていた―昭和史の謎 二・二六事件最後の秘録 」
激動の昭和史、最大の謎といわれる二・二六事件の闇に包まれていた全貌を明かす新資料が発見された。
特設軍法会議の主席検察官が自宅へ持ち帰り、終戦後も秘蔵していた膨大な文書、
手びかえであり、陸軍首脳が戒厳令施行を利用して
企んでいた別なる二・二六事件とその陰蔽工作を示すものであった。
青年将校らは処刑され軍首脳の陰謀は闇に包まれたが、
検察官の執念は52年の歳月を超え事件の真相を現代に甦らした。
戦後最大の第1級資料の発掘により昭和史を揺るがす衝撃的な新事実が明らかになった。
事件の全貌を描く鮮烈なノンフィクション。
検察が政治家を取り調べるのは違法
563 :
名無し三等兵:2010/01/24(日) 00:26:41 ID:kaXvQr4s
NHKの秀逸ドキュメントに「海軍反省会」ってのがあるが
日米戦争に伏見宮と昭和天皇が影響力を及ぼしたのは間違いないことだ
天皇は負けた責任取ってないんだぞ、責任とって消えるのが当たり前だ
三国人や欧米に対してではない
日本国民に対してだ
中学生ぐらいだろうか。もし二十歳過ぎていたら人間失格だな。
565 :
名無し三等兵:2010/01/25(月) 23:29:21 ID:hIdX4qIO
「心許確実、品行方正にして資産中流以上。
学力は高等小学校卒業以上で、青年学校本科
または研究科に4年以上在学し、その課程において
修身公民百時間、職業課程を含め二百五十時間、
軍事教練課程三百五十時間以上を修得した者、
または修得見込みの者で、家族を考慮する必要なく、
かつ甲種に合格する見込みの者」が,各市町村兵事課での
近衛兵資格要員選定基準の一例.
566 :
名無し三等兵:2010/01/26(火) 01:03:57 ID:wsNqo9NG
>>516 そもそも中国の歴史的に、30年代初頭まで北伐だったり国民党内部の対立や共産党あったり
戦国時代が終わったばかりだった。
馮玉祥(西北軍)李宗仁(広西軍)閻錫山(山西軍)といったようにみんな何かしらの軍閥て
いろいろいたわけで、みんなあわよくば天下を狙っていた。
山東の軍閥だった韓復キョが徐州作戦で、兵力温存のため蒋介石の命に背き戦わず山東省あけわたして処刑されたり
国民党内でも陳誠の土木系やら胡宗南派やら、いろいろあったわけで
完全に統一されていなかったわけだ。
567 :
名無し三等兵:2010/01/26(火) 14:08:54 ID:OpJLnLx6
362 :名無しさん@十周年:2010/01/24(日) 03:30:02 ID:u69Y5fUq0
荒木儀助
(福田組会長) │
竹下勇造 福田正 小沢佐重喜┯みち 米内光政 竹中藤右衛門
┌──┼──┐ ┌─┼─┐ │ │ ┌────┼───┐
金丸信 竹下登 三郎 竹下亘━雅子 実 和子━━【小沢一郎】 和子━竹中錬一 竹中宏平 寿美
│ ├──┬───┐ (創価学会幹部) │
金丸康信━一子 まる子 公子━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━竹中祐二
│ (竹中不動産常務)
内藤大湖(DAIGO)
金丸信 杉本三吾(西松建設元社長)
┌───┴───┐ │
金丸康信 金丸信吾━━玲子
(テレビ山梨社長) (境川社長)
568 :
名無し三等兵:2010/01/28(木) 11:50:49 ID:A81YBKXL
571 :
名無し三等兵:2010/02/12(金) 10:50:46 ID:Eg645vm/
今の自民は一式陸攻みたいなもんだ。
それなりに搭乗員乗ってるのに積載爆弾は米軍戦闘機と代わらん上に攻撃されりゃぁ一発で炎上墜落する
でもマスコミは大戦果を上げたと連日捏造報道していると。
あまりに的外れで驚いた。
573 :
名無し三等兵:2010/02/14(日) 07:16:44 ID:O/K5Ud3N
んー、またタモガミみたいなのがでるのか…。
軍人の政治批判って最近のトレンド?
陸自幹部発言、陸幕長にも注意=北沢防衛相
北沢俊美防衛相は13日、長野市内で開かれた会合で、対米外交に絡み鳩山由紀夫首相に批判的な発言をしたとして、
陸上自衛隊の現役幹部を文書による注意処分としたことに関し、
「トップの指揮者である首相の言葉をやゆするような発言を幹部自衛官がするのは許し難い。
火箱芳文陸上幕僚長に私から直接注意することになる」と述べた。
北沢氏は「政治や外交は国家の意思だ。実力組織の幹部がそのことをないがしろにしたら、これはもうクーデターそのものにつながる。
極めて危険な思想だ」と指摘した。
キンキン コマーシャルのあいだもほんと、みなさんに放送したいぐらいでね。
誰がやったんですか石川さん?
石川 そりゃわかりますよ。それはCMのときにw
元帥 政治家その人がその出身じゃないことが重要。菅さんみたいにね。
石川 役所でつくっちゃうと飲み込まれると思いますよ。人情だけじゃなくてね。
樋口 役所だと、ほかのみんなも聞いてることになる。そとでやると、公開されてる気になる。
元帥 場所を変えないと。
石川 降格の3条件、ああいうのじゃなくて、一言で言えば、大臣のいうこと聞くか?聞かないか?ということ。
元帥 当然。いかに優れていても、大臣に情報流さないとか、そとで悪口言ってるような奴は辞めさせないといけない。
この前、連隊長が鳩山さんをからかうことを言った。朝雲新聞というのがある、あそこでは鳩山さんは非武装中立だと平気でいってる。あれは問題だ。森本敏が、外務省的な世界観で批判している。あれは酷い。
聞いたら、いろんな人に頼んだけど、まともな人に断れたらしい。
キンキン 軍がそれでいいんですか?話がそれましたが・・・ 美穂ちゃん新聞から。
美穂 (3)外交機密費 外務省から官邸へ上納
この事件発覚後、上納は行われていないそうです。
キンキン 上納はヤクザの言葉ですよ。ミカジメ料。これは政権交代の成果。
元帥 これは財政法上問題じゃないと外務大臣は言ってるわけ。もう取り込まれてる。しかし自民も追求できない。しかし当然財政法違反なんだけど。
石川 毎日会ってれば情が移るというのがあるんでしょう。
二木 50億のうちの20億が官邸に上納されていた、と。しかし平野官房長官は、調査しないといった。
宗男が質問書で出そうとした。私もロシア行きで使ってたと言っていたが、洗い出さなきゃいけないと思っていたが、これを出すと鳩山政権が傷つくと思って止めた。
しかし平野がダメだからと考え直して出したというのが実態。それで出て、外務大臣が答えたんだが、官房長官が拒否したという流れ。
官邸が鳩山さんを支えようとしてないことが、見えてきた。
元帥 これを認めると、いろんな言い訳が出来てしまう。岡田さんの説明は、予算が意味なくなる暴言だ。
二木 平野さん、基地問題でもおかしなことを言っている。
元帥 平野さんは軍事能力の能力は皆無です。
キンキン 最後の項目行きましょう
美穂 (5)連立与党 普天間移転でサイパンへお出かけ 以上です。
キンキン 者民党と国民新党が見に行きました。これはセレモニーに見えた。最終的には県外移設なら、OKの前のジェスチャーに見えたが?
元帥 私もそう見えた。アメリカはなぜグァム移転の残りのヘリを沖縄に残すかというと、佐世保の揚陸韓に乗せる部隊なわけで。
緊急時に、アメリカ人を助けるために、その部隊をマリアナに動かせるわけがない。
僕の説は、それなら長崎に動かせばいい、といっていたわけでね。
キンキン アメリカ軍が残したい一番の意味は・・・
元帥 テレビで、抑止力なんていってるんですよ。グアム移転後に残った部隊が抑止力になるわけがないw
キンキン これだけ中国と連携してても、何がおきるかわからない。
元帥 つまり反政府暴動が起きる可能性はある。そのときに備えてのものだ。
キンキン そのときに、アメリカの同朋を助けたいためだ。
元帥 暴動だけじゃなくて、北朝鮮侵攻や、大地震もあるかもしれない。そのときにアメリカの同朋を助ける必要がある。
キンキン 日本のテレビでは、この基地が日本を守ってるなんて言ってる。
元帥 アメリカの抑止力というのは、空母、艦隊ですよ。第7艦隊の一部ですがね。
ぼろのヘリコプター20機が抑止力になるわけがない。
抑止力だというなら、立退き料を払うのはおかしいんです。理屈にあわないです。
有事法制の議論でも、成田を使いたいとかの話があっても、それはなぜかというと、例えば韓国から救出したアメリカ人の乗り継ぎに使いたいという話だった。
樋口 軍事産業が喜ぶようにしたいということでしょう。
元帥 アメリカは日本の軍需産業を抑えたいんですよ。
二木 国会議員に田岡さんの話をすると、みんな驚いて、そうなの?って言う。普天間からどんな部隊が移設するか?しらないで論議している。民主党でも長島さん以外は分かっていない。
今移転でやっているのは、努力してるというプレゼン、パフォーマンスです。
軍事について基礎的な知識がないまま論議している。これは問題。
元帥 与党三党の委員会、これが問題。防衛省でも検討委員会をつくったが、政府の方針がないと決まらない。でもヘノコへの思いが消えないのでまだ未練がある。
コピペ以外の語る言葉のない人って可哀想だね
577 :
名無し三等兵:2010/02/17(水) 05:50:43 ID:iwGDty3C
2008/8/7 トランスデジタル子会社メディア241制作
「ガンバレ自衛隊!・安全保障アワー」の制作発表会&披露パーティー開催
<ホスト側>
後藤幸英(トランスデジタル社長・元自衛官)
濱口和久(トランスデジタル取締役・元自衛官)
田川孝展(トランスデジタル取締役・元自衛官・日本企業情報代表取締役)
<政治家>
林芳正防衛大臣、小池百合子元防衛大臣、 高市早苗経済産業副大臣、
森山眞弓元法務大臣、秋元司参議院議員、有村治子参議院議員
<ビデオ出演>
石破茂前防衛大臣、佐藤正久参議院議員
<自衛隊>
織田邦男(航空支援集団司令官) 田母神俊雄(航空幕僚長) 杉山蕃(元統幕議長)
<マスコミ>
中島毅一郎(朝雲新聞社長) 水島総(チャンネル桜社長) 大塚智彦(産経新聞)
<他>
大川豊総裁(大川興業代表)
エドワード・ローバー(在日米陸軍基地管理本部の広報部長)
西川りゅうじん(マーケティングコンサルタント)
室舘 勲(キャリアコンサルティング代表)
大高未貴(ジャーナリスト)
葛城奈海(チャンネル桜キャスター)
高沢一基(板橋区議・予備自衛官)
112 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/17(水) 01:28:47 ID:X2xnWiMG0
期待通り全然伸びてなくてワロタww
何で架空増資ではなく民事再生法違反で立件なんだろう
検察庁が人事異動される前に微罪で手を打って議員への延焼を防ぐ手はず?
人事異動で民主党系になったら事件の内容的に近未来通信超えしかねないからなぁ
116 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/17(水) 01:43:06 ID:X2xnWiMG0
>>115 社長が捕まったけどそれ以上の追求は無し
平成電電も近未来通信も政界筋はタブーのままシャンシャンで手打ちだよ
まあ自民独裁時代にそんなとこ突っ込めるわけないしね
トラデジは検察庁の人事異動までに事件が全部片付いちゃうかが鍵だと思う
まだ麻生時代の人事だから今なら社長周辺だけ捕まえて微罪で手打ちして結審乙にできる
それ超えちゃうと多分本気で地引が始まってえらいことになりかねない
119 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/17(水) 02:05:08 ID:X2xnWiMG0
>>117 折口はダメでしょ
もう少し下っ端で手を打たないと、折口に手をつけた時点で清和会直撃しちゃう
というか微罪で手を打つにはあまりに酷すぎて、
民主人事の検察庁が来ないことを祈って何もせずにブルブルするしかないと思う
127 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/17(水) 02:43:22 ID:X2xnWiMG0
案件的に安倍は直撃コースじゃないと思うよ
検察が自民党補正しないという条件でも安倍には行かないと思う
このままうやむやになる可能性が高いけど、
うやむやにならないなら名前が挙がる政治家で一番の大物は石破あたりかと
130 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/17(水) 02:46:31 ID:X2xnWiMG0
ああ、ごめん誤読した。安倍の件はラディアか。
あっちはありえるw
1 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/10/17(日) 19:03
本宮マンガの一件で、この問題が再燃しそうなので、日華事変(日中戦争)に関する歴史的経緯をこの板に書いておきます。
興味のある方は目を通しておいてください。相当長いので、面倒臭い人は読まなくても結構です。
2 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/10/17(日) 19:03
1.盧溝橋事件(1937年7月7日)
嘘をつく最も良い方法は、話の大前提に虚偽の条件を混ぜておくことだ。日華事変(日中戦争)に関する言説も、その例外ではない。
日華事変(日中戦争)は盧溝橋事件をきっかけとしてなし崩しに始まったという説は現在でも根強いが、これは完全な虚偽である。
盧溝橋事件を要約すると「盧溝橋という場所で発砲事件が起こっただけ」というもので、これで戦争が起こったらどうかしていることぐらい中学生にも解る。「風が吹けば桶屋が儲かる」程度の話でしかない、ということだ。
現実問題として、1937年7月9日には日本政府は閣議によって事件の不拡大を決定している。ところが、それからたった2日後に前言を撤回して朝鮮軍・関東軍の一部を華北に派遣することに方針を転換した。
これは、日華事変(日中戦争)のもう一つの主役である中国軍が、4個大隊5千人の軍をこの地域に集結させ始めたからだ。
3 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/10/17(日) 19:05
近代戦は、攻撃側の軍隊が、兵士、兵器、食料、その他の資材を、船舶や車両、鉄道によって攻撃地点に集結させ、これらをもって予め決められた地域に襲撃をかけることによって初めて成立する。
そして、以上のプロセスを実行するためには、事前に攻撃計画書を作成しておくことが必須となる。これは、日華事変(日中戦争)でも変わりはない。
つまり、繰り返しになるが、国境なり停戦ラインなりを挟んで、日本軍と中国軍が小競り合いをしたぐらいで、戦争が起こるわけがない。にもかかわらず、「盧溝橋事件が日華事変(日中戦争)の端緒」という誤解が日本で蔓延した理由は、
(1)戦争計画の存在を知られたくない人間が、虚偽の情報を流していた。
(2)軍事学の知識に乏しい人間が、(1)の流した情報を鵜呑みにした。
の2つに因るところが大きい。それでは、日華事変を引き起こした作戦計画書は、誰がどのような経緯によって作成したのだろうか?
結論から言うと、日華事変を引き起こした作戦計画書は、当時の中国の軍事顧問であったドイツ軍人、アレキサンダー・ファルケンハウゼンと彼の部下によって作成された。計画書の発注者は、当時の中国を支配しつつあった蒋介石である。
4 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/10/17(日) 19:06
蒋介石は当時のドイツ・ワイマール共和国の影の支配者と言われていた、ゼークト将軍の推薦によって、ファルケンハウゼンを軍事顧問として迎え入れていた。ファルケンハウゼンには駐在武官として来日した経歴があったから、それを考慮しての抜擢だったのだろう。
当然のことながら、中国軍はドイツ式の訓練を受け、ドイツとソ連の武器で武装された近代的なもので、その士気も高かった。そして、その総人員は約300万人と膨大なもので、これは当時の日本軍の約10倍の人員だった。
つまり、蒋介石は客観的に見ても中国大陸に居座った日本軍を、戦争に勝利することで海へ追い落とせる可能性があった。
そこで、ファルケンハウゼンに指示を出して、作戦計画書を書かせたのである。当然のことながら、この計画書は盧溝橋事件が発生する以前に完成していたものだった。
このことを前提として頭に入れておかないと、日華事変(日中戦争)の全体像が見えてこない。「盧溝橋事件が日華事変(日中戦争)の始まり」という虚偽は、この事実を隠蔽する目的で流されている、と解釈すべきである。
盧溝橋事件に関して、しばしば牟田口廉也の「大東亜戦争はいわばわしの責任だ。盧溝橋で第一発を撃って戦争を起こしたのはわしだから、わしがこの戦争のかたをつけねばならんと思うておる」という発言が引用されるが、これは典型的な「狂人の戯言」でしかない。
実際に牟田口は常軌を逸した人物で、太平洋戦争中にインパール作戦を実行した愚将として後世まで悪名が残る。
5 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/10/17(日) 19:07
2.ファルケンハウゼンの計画書
ファルケンハウゼンによって作成された計画書は、蒋介石の要望によって、上海の奪取を当面の目標としていた。
そして、この目標を達成するために、日本軍を上海付近に構築した塹壕陣地に誘引し、そこで消耗させてしまおう、という手段が考えられた。
これは、第一次世界大戦の際に、塹壕陣地が有力な防御設備として機能したことを念頭において立案されたものだった。
第一次大戦では、攻撃側は塹壕陣地で多大な被害を出すのが通例だった。
つまり、ファルケンハウゼンの計画が成功すれば、
1:上海近辺に塹壕を構築する。
2:そこに日本軍を誘引する。
3:そこで塹壕戦を展開することによって、日本軍を著しく消耗させる。
4:消耗に耐えきれなくなった日本軍は戦争の継続を断念する。
という形になるはずだった。
しかし、塹壕戦を展開するためには、事前に塹壕を構築しておく必要性がある。そして、中国軍が塹壕を構築し始めれば、誰でも蒋介石が戦争を計画していることぐらい理解できる。
中国軍は日本との協定を破り、上海周辺の中立地帯に塹壕を構築し始めた。これは、明かな日本に対する挑発だった。
日本とすれば、この蒋介石の挑発に対して、何らかの回答を出さなければならない。 日本がとりうる現実的な選択肢としては、
(1)上海から軍事部隊を撤退させる。
(2)蒋介石の挑戦を受ける。
の2つしかない。しかし、別の方法があると妄想した人物が日本軍内部に存在した。石原完爾である。
6 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/10/17(日) 19:08
3.石原完爾の失脚と昭和天皇の決断
上海周辺での中国軍による塹壕の構築と、中国野戦軍集結の情報を聞いて、当時の参謀本部のトップで、かつ満州事件の首謀者であった石原完爾は狼狽した。
塹壕戦によって日本軍が消耗することを恐れたのだ。これに同調したのが、当時の首相だった近衛文麿と、外相だった広田弘毅だった。
特に夢想家だった石原は、蒋介石と秘密裏に交渉さえすれば事態が解決すると主張した。
これが船津工作で、外務省東亜局長、石井射太郎を巻き込んで実施されたが当然のごとく失敗した。蒋介石が日本と戦争すること望んでいたからだ。
これが原因で石原は軍内部での権勢を失った。
そもそも、1937年7月17日に、周恩来と会談して共産党との共闘を確認し、1937年7月20日に中国軍の部分動員を行った蒋介石が、日本の話に耳を傾けると思う方がどうかしているのである。
蒋介石も勝算がなければ軍を動かそうとは思わないし、客観的に考えても中国軍には勝算があった。
だからこそ、石原はパニック状態になったのだし、蒋介石と交渉をしようと思ったのではないか? 石原は一部の熱狂的な信者によって神格化されているが、実際には愚かな人物でしかない。
しかし、塹壕戦が日本軍にもたらす損害を想定できる程度には合理的だった。
7 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/10/17(日) 19:10
今の日本人で、この危険性を認識した上で日華事変(日中戦争)を評論している人間の数は驚くほど少ない。
余談になるが、この当時の日本が体験した最大の塹壕戦は日露戦争によって発生したもので、恐るべきことに日本軍の3割以上が死傷した。
これは軍の指揮官を恐慌状態に陥れるのに十分な数字である。たとえば、旅順攻防戦の指揮官だった乃木希典は、自軍の被害の多さに直面すると一時的とはいえ正気を失ったと言われている。
一方、蒋介石と一戦を交える方策を主張していたのは、驚くべきことに昭和天皇だった。昭和天皇は蒋介石の意図を見抜いた上で、敢えてその挑戦を受けるべきだと判断した。
日華事変(日中戦争)に関する様々な発言の中で、「日本は中国に派兵して、蒋介石を恫喝すれば言うことを聞くだろう、という甘い考えをもっていた」というものが散見されるが、これは救いようのない妄言である。
昭和天皇は蒋介石の派遣した野戦軍と対峙し、戦争が起きればこれを撃滅することで、事態の打開を考えていたのである。野戦軍を上海周辺に集結させたのは、蒋介石が先であって、日本軍はこれに対応したのに過ぎない。
つまり、恫喝をしたのは中国であって日本ではない。そして、昭和天皇は戦争も辞さずと言う態度を一貫して維持していた。「売られたケンカは買ってやる」と思っていたのである。これが恫喝ではなく、決心なのは明らかだ。
8 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/10/17(日) 19:11
つまり、昭和天皇は本気だった。だから、1937年の7月27日に、日本は緊急閣議を経て、内地三個師団の華北への増派を決定した。
その際の声明は、「日本軍は華北で自衛の行動をとる」だった。ここで注意しなければならないのは、日華事変(日中戦争)において日本軍の増派のみをピックアップして、中国側の増派を無視する著述が多く見られることである。
それだけを読むと、まるで日本だけが軍隊を次々と中国大陸に送り込んでいるような印象を与えるが、これも大嘘なので気をつけて欲しい。
先程も述べたように、蒋介石は1937年の7月20日に中国軍の部分動員を決行しているのである。7月27日の増派決定は、この中国軍の動きに対応したものだった。
日本軍の増派しか記述しないのは、「日本が一方的に中国を攻撃した」という誤った印象を読者に植えつけるためのインチキで、広義の意味での嘘に他ならない。
9 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/10/17(日) 22:28
4.秘策アリ
それでは、昭和天皇に塹壕戦を打開する秘策はあったのだろうか? これがなければ日本軍を中国軍と対峙させることは無謀である。
仮に、日本が当時の総数である約30万人の軍隊を上海近辺に送りこんでも、秘策がなければその3割(10万人!)が死傷してしまった上に、塹壕を突破できないという醜態を晒さねばならない。
これも結論から述べてしまうが、昭和天皇には秘策があった。そして、この秘策は当時の皇道派と呼ばれる軍人達からもたらされた。
第一次世界大戦における塹壕戦は攻撃側の損害が多く、それが敵地であれば必敗というのが常識だった。例外的にこれをうち破ったのが、帝政ロシアの天才将軍アレクセイ・プルシーロフだった。
プルシーロフは1916年に自己の編み出した戦術を用いてオーストリア軍を攻撃した。
その結果は、オーストリア軍50万人をたった1週間で壊滅状態(約20万人の捕虜を得た)に追い込むという凄まじいもので、オーストリア=ハンガリー帝国を崩壊させるきっかけとなった。
このプルシーロフの戦術は、後にイギリスを除く各国が模倣したが、これを徹底的に行ったのが実は日本軍だった。日本はプルシーロフ将軍の元に、観戦武官として小畑敏四郎を派遣していたのである。
10 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/10/17(日) 22:29
小畑は「作戦の鬼」のあだ名で知られた陸軍きっての戦術家で、対ソ連戦の切り札的な将軍だったが、皮肉なことにロシア軍学に精通しており、しかも皇道派の主要な人物だった。
小畑はプルシーロフ将軍の戦術を改良したものを、日本陸軍の戦術として採用するのに尽力した。つまり、日本陸軍の歩兵戦闘マニュアルは、塹壕戦を念頭に置いて作られたものだった。
その典型的なものが匍匐前進による攻撃である。これは、真正面から小銃、機関銃、砲弾が飛んでくるのを、地面にはいつくばることによってできるだけ回避しよう、というコンセプト無しでは有り得ない姿勢だ。
普通に戦うのであれば、遮蔽物を利用して地面にしゃがんで攻撃を回避し、中腰で走った方がスピードも速く敵弾に命中する可能性も低い。
つまり、日本陸軍は何もない開けた場所を這いながら、弾をこちらに向かってバンバン撃ってくる、敵の塹壕ににじり寄ることを想定して訓練を行っていたのである。
当然のことながら、昭和天皇は陸軍の基本戦術に対して理解があった。昭和天皇本人も、第一次世界大戦直後のヨーロッパに渡航して、塹壕戦の跡地を実地で見聞した経験がある。
だから、昭和天皇は中国軍の構築した塹壕を攻略するための戦闘方法が、日本軍に存在することを良く理解していた。
つまり、昭和天皇は塹壕を挟んで中国軍と敵対しても、これを撃滅できるだろうと予想するだけの根拠があった。そして、皇道派の軍人が天皇の予想を補強した。
こうして、第一次世界大戦に発生した塹壕戦が、20年という時を経て中国大陸で再発する可能性が高まっていった。
中国軍はドイツ流軍事学、日本軍は改良型のロシア流軍事学を採用したと言う点でも、これは第一次大戦における東部戦線での戦いの再現と言ってもよい状況だったのである。
11 名前: 松代 投稿日: 2004/10/18(月) 23:40
おまけ情報
1937年7月初旬時点における軍事的な情況の補足説明
日本陸軍
1:ソビエトとの戦争を準備しつつあった
1937年5月29日に対ソ戦準備を目的した「重要産業五ヶ年計画要項」を陸軍省において策定し、6月10日(14日説アリ)には陸相の決済を得ている。正式に決定が下ったのは、6月23日。
2:政治的な主導権を握りそこなった
5月30日には杉山陸相(当時)を次期首相にするための根回しをおこなったが、実際に首相となったのは近衛文麿だった(杉山陸相は留任)。
3:対中限定戦争も辞さずという軍事強硬派が勢力を増しつつあった
6月9日には関東軍(現在の中国東北部に確保していた日本の領域防衛を目的として駐留していた陸軍部隊)の東条英機参謀長が、陸軍参謀本部に対して「対ソ作戦準備のため背後の南京政権を一撃すべし」と上申するなど、
弱体な中国軍は一撃すればおとなしくなるという判断の下に、軍幹部には対中限定戦争を声高に唱える者がいた。
日ソ両軍
1:満州国(日本の傀儡国家)とソビエトとの間に、国境紛争が発生していた
1937年6月19日、ソビエトと満州の国境にあるカンチャンズ島(黒竜江の中州)をソビエト軍が占領し、翌20日と30日には満州軍及び日本軍がソビエト軍と交戦し、ソビエトの河川艦艇を撃沈するなど事態は緊迫した。
だが、交渉によってソビエトは撤兵を約束し、7月5日にはソビエト軍の撤退が完了したため、事態は沈静化した。
ソビエト軍
1:軍幹部の大規模な粛清が始まっていた
6月12日にはトハチェフスキーをはじめとする軍の最高幹部を処刑し、最終的には軍指揮官の大半が処刑、あるいは投獄されるという大粛清に発展した。
中国国民党軍
1:対日強硬路線の徹底をはかっていた
中華政府は蘆山で会議を開き、日本軍と直接対峙している第29軍の宋哲元司令官に強硬策を取るよう指令した。
12 名前: 松代 投稿日: 2004/10/18(月) 23:50
おまけ2
動員について
予算や人員、また物理的な制約から、軍隊は平時には全戦力を保有せず、必要に応じて人員などを召集して戦闘態勢を整えるが、陸軍においてはこの行為を「動員」と呼ぶ。
例えば、1930年代後半の日本陸軍において、平時には1個連隊あたり2000名程度の将兵を保有しいるが、戦時の定員は1個連隊あたり3700名以上なので、動員に際しては1個連隊あたり1700名程度を召集しなければならない。
旧日本陸軍では、動員に必要な時間を2〜3週間と設定しており(警急編成や応急動員を除く)、動員令を発することが戦争に直結するものではないが、軍事行動も辞さずという意思表示として、外向的には恫喝の意味を持つとされる。
盧溝橋事件以後の軍事動員や増援派遣など
7月7日:日中軍事衝突事件発生
9日:
日本軍
「臨時閣議で日本本土からの3個師団派遣案が見送りとされる」
10日:
日本軍
「朝鮮半島や満州より兵力の増派を決定する」
中国軍
「航空部隊の出動と、4個師団の集結命令を発令」(鳥山説では4個大隊)
11日:
日本軍
「関東軍2個旅団と朝鮮軍1個師団の派遣命令を発令」「陸軍第12飛行連隊長が、独断で部隊の約半分を派遣する」
12日:
中国軍
「共産党の周恩来も同席した蘆山の国民政府国防会議で、抗日決戦と動員令発令を決定」
15日:
日本軍
「陸軍臨時航空兵団の編成と南満州への集中を発令」
20日:
日本軍
「夜の閣議で、本土から3個師団の派遣を条件つきで決定」
22日:
日本軍
「陸軍が日本本土の3個師団派遣を見合わせる」
27日:
日本軍
「本土3個師団の動員派遣を決定」
17日には中国の蒋介石が、徹底抗戦の意を示す【最後の関頭】を声明し、19日に公表している。
中国側は一貫して兵力を強化しているが、日本側の対応は二転三転しており、中国側が事前に軍事行動を計画していたのに対して、日本側は事前の計画が存在していなかったことを示唆している。
おまけのおまけ
アレキサンダー・ファルケンハウゼンは、1940年5月20日から44年7月18日まで、ベルギー・北フランス駐屯軍司令官として(1940年の一時期はオランダ駐屯軍司令官も兼務)、占領統治の一端を担っている。
だが、ヒトラーの不興を買って解任された上、ヒトラー暗殺計画に関与した事が露見し、1945年に米軍が救出するまで監禁されていた。
敗戦後は戦犯として禁固刑に服したが、反ヒトラー派であったことを理由として、連合軍が刑期途中で釈している。
13 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/10/20(水) 23:26
5.中国軍の動き
ここで、少しだけ時計の針を逆回しにして、中国軍の動きを見てみよう。ファルケンハウゼンの計画に従い戦争準備を進めていた蒋介石は、ついに1937年9月17日に廬山で日本軍への徹底抗戦を呼びかけた。
これが「最後関頭一到」で始まる有名な演説だった。しかし、これは異常な事態である。蒋介石は日本政府に対して、全くと言って良いほど外交努力をした形跡がない。
通常、戦争が開始される前は、当事者間で外交的な解決が模索される。そして、外交交渉が不調に終わり、「もはや戦争しかない」と両国が認識した段階で、一方の国がもう一方の国に宣戦布告する。
ところが、日華事変(日中戦争)では、このプロセスがあやふやなのだ。
蒋介石は自軍に対して叱咤激励の言葉を贈ったが、日本に対して宣戦布告をしていないのである。
この不可解な態度が、日華事変(日中戦争)の発生日を曖昧にしてしまっている。同時に、「日本が中国に対して宣戦布告無しで攻撃を開始した」という大嘘の原因にもなっている。
繰り返しになるが、戦争計画に従って軍隊を上海に集結させたのは中国軍である。日本軍はこれに対応したに過ぎない。
しかも、日本政府内には、石原完爾、近衛文麿を筆頭とする非戦グループと、昭和天皇をバックとする徹底抗戦グループに分かれて主導権争いをしていたために、日本本土から軍隊を派遣する、しないで決定が二転三転してしまっている。
政府上層部が意思統一もできない状態だったのだ。
ところが、「日本が中国を攻撃した」としたい人間は、これを日本政府の恫喝と解釈する。つまり、軍隊を派遣する、派遣しない、と決定をわざと二転三転させることで、中国政府に脅しをかけていたと言いたいのだ。もちろん、これもとんでもない嘘である。
というのも、中国政府に脅しをかけるのであれば「軍隊を派遣する」という声明を一貫して流した方が有利だからだ。中国軍が集結している最中に、「軍隊を派遣しない。引っ込める」と撤退声明を出しても、蒋介石はこれを日本政府の弱腰としか受け取らない。
「俺達が軍隊を集結しているから、日本政府は折れたのだ」と考える。そんなことは小学生にでも分かる道理である。
14 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/10/20(水) 23:27
現実には、日本が内地から軍隊を出す出さないで揉めている間にも、中国軍の集結は着々と進んでいた。蒋介石は対日徹底抗戦の声明に続き、7月20日には部分動員の下令を行っている。
これによって、華北に駐留していた中国軍が上海、南京へと集結を開始した。当然のことながら、これは現地に駐留していた日本軍との摩擦を引き起こした。
このことを理解しておかないと、やはり日華事変(日中戦争)の全体像が掴みにくくなる。
というのも、日華事変(日中戦争)のハイライトは中国大陸の南に位置する上海での攻防戦なのに、日中軍の摩擦が生じたのは中国大陸の北に位置する華北で、
両者の距離には大きな隔たりがある為に、一見すると二つの地点に密接な関わり合いがあるようには思えなくなるのだ。
つまり、「中国大陸の北に駐留していた中国軍が、作戦計画に従って南にある上海まで移動して戦争に参加した」ということが頭の中に入っていないと、別の解釈をせざるを得なくなる。
その解釈とは、言うまでもなく「盧溝橋でいざこざが起こり、華北で日中軍が衝突したために、なし崩しで上海戦が起こってしまった」というものである。
この解釈は時間序列としては間違っていないために、ファルケンハウゼンの作戦計画の存在を知らないと陥りやすい罠になる。
もちろん嘘をついている人間は、そうした誤読を狙ってファルケンハウゼンの作戦計画の存在を隠蔽しているのだ。
日華事変(日中戦争)に関する言説は、こうした「嘘の上塗り」で構築されているケースが圧倒的に多いことを忘れてはならない。
その目的は、何度も語っているように、中国軍がファルケンハウゼンによって作成された作戦計画によって、戦争を起こそうとしていたという歴史的事実を、さも無かったかのように説明することである。
15 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/10/28(木) 12:14
従って、華北地方における日中軍の局地戦闘は、軍の移動、集中に伴うイザコザでしかなく、本格的な戦争状態とは全く別物だと認識する必要がある。
具体的には、
(1)郎防事件、または廊坊事件(1937年7月25日)
(2)広安門事件(1937年7月26日)
(3)北京での戦闘(1937年7月28日)
(4)通州事件(1937年7月29日)
の4つがこれに当たる。
この中で特に注意しなければならないのが、
(3)北京での戦闘(1937年7月28日)
(4)通州事件(1937年7月29日)
の2つである。というのも、親中派の歴史学者は(3)を日華事変(日中戦争)が全面的に拡大した日時だと主張し、(4)を「正義の反乱」だと主張するからである。
北京での戦闘は、中国駐屯第29軍と日本軍萱島聯隊が北京で衝突したもので、確かに日本軍は1937年7月28日に、北京在中の第29軍に開戦通告を行い、同日にこれを攻撃している。
しかし、戦闘そのものは1937年7月30日に終了した小規模なもので、事態の拡大には至っていない。これのどこが全面戦争なのか理解に苦しむ解釈で、妥当であるとはとても思えない。
「先に日本軍が開戦を通告した」と言いたいがための、苦しい言い訳であると見なすべきだろう。
むしろ、この段階では日本軍はまだ戦闘法規に従って、開戦通告→戦闘という手順を踏んでいると思えばよい。
戦闘法規を無視した行動をとったのはむしろ中国軍だった。もっとも、これは蒋介石軍だからと言うわけではなく、清国時代から現代まで延々と続く一連の『三国志化』ともういうべき現象の一つでしかない。
(4)の通州事件は、その典型である。これは、北京から十数キロしか離れていない通州という場所で発生した中国保安隊の反乱で、日本居留区にいた民間人が200人以上も犠牲になっている。
通州には1935年から親日的な冀東防共自治政府が置かれ、ここに日本人居留区が出来、中国人の保安隊が警備に当たっていた。中国側からすると、典型的な傀儡政権である。
16 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/10/28(木) 12:16
中国第29軍を率いる宋哲元は、この通州保安隊の指揮官である張慶餘と通じており、日中軍が北京で衝突した際には、保安隊に行動を起こすようにうながしていた。要するに、「裏切れ」と言っていたわけだ。
そして、実際に1937年7月29日に、張慶餘は行動を開始した。保安隊(約三千名)を率いて、通州にあった日本の特務機関、守備隊、居留民を襲撃したのである。
これは、張慶餘が北京での戦闘結果(日本軍の勝利)を知らず、南京放送のデマを信じてしまった為と言われている。
その結果、特務機関はほぼ全滅、守備隊は全滅に近い形ではあったがどうにか保安隊を撃退した。けれども、民間人は日本人、朝鮮人を合わせて二百数十人前後が殺害された。
この区域の居留民は約四百人だから、6割近い人間が被害にあった勘定になる。しかし、同日の夕方には保安隊は通州を引き払い、30日には日本軍に捕捉されて散り散りになってしまった。
当てにしていた、中国第29軍が既に敗走してたからだ。
ここで気をつけなければならないのは、繰り返しになるが、この段階でもう戦争の『三国志化』が始まっているという点である。つまり、「敵を倒すためには敵と結んだ約束は反故にしても良い」という法規精神を完全に無視した発想である。
これは、前近代的な社会では通じる理屈かも知れないが、法治社会では通用しない考え方である。しかも、このレジスタンスは中国人の溜飲を下げただけで、実際の戦闘には何ら寄与した形跡はない。
むしろ、この事件が日本に報道されると、当然のことながら日本人の大多数が激怒する結果を招いた。
戦争は「相手に負けた」と思わせるのが重要なのだから、相手に「勝つまで止めない」と思わせる卑怯な振る舞いは可能な限り避けるべきである。
しかも、当時の日本は中国への内地軍派兵を決定してはいたものの(1937年7月27日)、大規模な戦闘に応じるかどうか微妙な時期だった。つまり、日本政府内の非戦派には、まだ論争を継続させるだけの力が残っていた。
しかし、通州事件の発生によって、非戦派の立場は確実に悪化した。戦闘法規を無視したレジスタンス活動の愚かさがここにある。この手口は前近代的な人間にとって自然なものであるが、法治社会を自明とする人間には嫌悪感しか起こさせない。
ところが、実はこれが解らない日本人も相当数、しかも官僚の内部までに存在し、後に日華事変(日中戦争)の『三国志化』に貢献していくことになる。
20 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/11/14(日) 16:28
ゼークトは第1次世界大戦で活躍したドイツ陸軍将校で、終戦協定であるベルサイユ条約の署名には軍代表として参加した華々しい経歴の持ち主だった。
その後、彼は参謀総長になり、第1次世界大戦によって誕生したワイマール共和国を、事実上支配する立場にまで上り詰めた。
彼が権力の絶頂期にあった当時に結ばれたのがラッパロ条約である。これはソ連とドイツという、第1次大戦で敗退したヨーロッパ二大強国がタッグを組んだという意味で、イギリスやフランスにとって衝撃的なニュースとなった。
また、この条約には、ドイツ軍とソ連軍が協力するという、恐るべき秘密条項が隠されていた。
というのも、ワイマール共和国はベルサイユ条約によって、大幅に軍備を制限されていた。一方、世界初の共産国家だったソ連は、「共産革命を広められてたまるか」と世界から縁を切られていた。
この2つの国が協力関係を結ぶことは、双方にとって有意義だった。ドイツは最新技術の研究、実験をソ連国内で行うことでベルサイユ条約の束縛から解放され、ソ連はそれらの成果を自国の軍事力に還元することが可能になった。
そして、ラッパロ条約の実現によって、ベルサイユ条約は事実上の効力を失った。
この軍事秘密条項を結んだのが、ドイツのゼークトとソ連のレーニンだった。条約は1922年の4月16日に締結された。この秘密条項の中には対日本に関する軍事的な内容も含まれていた。
これは、ゼークトが反英仏主義者であったことと無関係ではなかった。日本は日英同盟に基づいて第一次世界大戦に参戦した過去がある(日英同盟そのものは、1921年に破棄された)。ドイツ軍内部でも強硬な反英主義者のゼークトが、このことを忘れる訳がない。
その後、ゼークトは1926年に参謀総長の職を退き、代議士などをしていたが、1933年の5月から7月にかけて中華民国の依頼で訪中し、軍事顧問の地位におさまった。この段階で、ゼークトは蒋介石に対して非武装地域での塹壕構築を提案した。
蒋介石はゼークトの案に従って、非武装地域での塹壕線構築に前向きな姿勢を見せた。これが、中国軍の非武装地域侵犯を引き越した。
>>598と入れ替え。
19 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/11/14(日) 16:26
6.ゼークトのそそのかし
一方の日本は、この段階に至っても未だに抗戦か撤退かで、政府の見解がまとまっていなかった。しかし、華北の中国軍が上海周辺に集結している以上、中国在住日本人に何らかの被害が起こりうる可能性が高いことは誰の目にも明かである。
上海周辺に在住する邦人の総数である約6万人を、早急に安全な場所に移動させなければならない。
そこで、日本政府は1937年7月28日に、揚子江沿岸の在留邦人3万人の引き揚げを訓令した。これは、日本政府が「中国軍との大きな戦闘が発生するのであれば、恐らく上海周辺であろう」と想定していたことを意味している。
そして、日本政府が中国軍との戦闘が上海周辺で発生しうると想定できたのは、これも繰り返しになるが、中国軍が非武装地帯に塹壕を構築していたからである。
塹壕は戦闘目的以外で構築する意味がないのだから、「ここで中国が戦争をやりたがっているんだな」というのは小学生にも解る道理である。
中国軍が1932年に成立した停戦協定に基づく非武装地帯を積極的に侵犯しだしたのは、1934年前後からだったと言われている。これは、ドイツ軍人ゼークトが蒋介石に対日戦争をそそのかしたのが原因だった。
21 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/11/15(月) 01:00
中華民国がドイツ軍人を軍事顧問として雇用し始めたのは1928年頃からで、その目的は中国共産党の撲滅だった。従って、ゼークトが最初の軍事顧問というわけではない。
しかし、歴代軍事顧問の中で彼が最大級の「大物」であったことが疑いようのないのも事実である。つまり、ゼークトは引退後もドイツ陸軍の最上層部と密接な関係があり、彼が訪中することで独中関係が一気に活性化した。
その具体的成果がハプロだった。これはドイツ語で『工業製品のための商業会社』を意味する単語の略称で、ドイツ軍の意向によって設立されたと言われている。
その目的は、軍需物資の生産と中国で算出される希少金属をドイツへと輸入することにあった。
ハプロの設立を受けて、ゼークトは1934年の4月から約1年間を、再び中国で過ごすことになった。そこで彼は蒋介石に対して、今度は中国軍の近代化を進言する。
これはハプロが機能していなければ、難しい提案であったことは言うまでもない。
近代軍は近代兵器を必要とする。小銃、大砲はもちろんのこと、車両、船舶なども用意せねばならない。
その為の最善の方法は、言うまでもなく自国での兵器生産である。また、最低でも自国民が兵器のメンテナンスが出来なければならない。
近代化を成し遂げていない当時の中国では、いずれも困難な事案ばかりである。
22 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/11/15(月) 01:01
しかし、ハプロを通じてドイツの技術を輸入できれば話は変わってくる。
ドイツの技術で中国に工場を造り、ドイツの技術を中国人に学ばせれば、ドイツ並みとまではいかないかもしれないが、軍隊を近代化する下準備は整うはずだ。
そうなれば、日本軍を中国から追い払うことができるかもしれない……。
発展途上国を支配している独裁者で、この誘惑に耐えられる人間が果たして存在するだろうか?
しかも、蒋介石は軍人としての経歴が長い人物である。彼が何を夢想したのかを推察することは容易なはずだ。
こうして、1936年の4月にドイツと中国の間でハプロ条約が結ばれた。
この条約によって、中国軍は現役のドイツ将校を迎え入れ、ドイツの武器を入手し、ドイツの会社によって中国本土に様々な工場が建設されることになった。
非武装地帯における塹壕の構築は、これらの政策と平行して推進された。
具体的には1935年の冬季に錫澄陣地を構築し、1936年には紅橋、真茹、閘北停車場、江湾、大場鎮などに陣地を構築し、さらに戦争を睨んで鉄道の改修や道路網の整備まで行っていたのである。
23 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/12/20(月) 04:14
ここで驚くべきは、ゼークトのように一度は大国の支配者になった人物が、平然と「他国との協定を破って塹壕を構築するように」と提言していることである。
しかも、日本とドイツは1936年の11月25日に『日独防共協定』という共産主義勢力=ソ連に対抗すべく協力関係を結んでいるのである。つまり、ドイツは、
1:1922年の4月にソ連共産党と秘密軍事条約を結んだ(ラッパロ条約)
2:1936年の4月に、中国と条約を結んで対日戦争の支援を行った(ハプロ条約)
3:1936年の11月に、日本と条約を結んで共産主義=ソ連と対抗することを約束した(日独防共協定)
http://www.geocities.jp/tai_i/law/1936t8.html と、3つの矛盾した条約を平然と並べていたことになる。
このドイツ政府上層部の無節操ぶりには唖然とするしかない。「自分達が得になることであれば、他国との信頼関係を損ねても全く問題ない」と思われても仕方ないし、実際にそうだろう。
そして、これは中国お得意の条約破りとよく似た行動である。
また、蒋介石がゼークトの提案を受け入れたのは、それ以前に満州事変が発生していたからだった。
この件に関しては詳しく後述するが、石原完爾という頭の狂った陸軍将校が、日蓮宗という仏教系の教えを独自に解釈して導き出した預言に基づいて行った軍事クーデターであり、
「試験の点数さえ良ければ、頭がおかしくても黙認する」という、テストエリートが内包する問題点が全面的に噴出した事件である。
そもそも、中国人知識層は日清戦争(1894年)で、中国が日本に敗れたことに対して、ある種のコンプレックスを抱いていた。
これは、今の日本人知識層がアメリカ人に対してある種のコンプレックスを抱く場合があるのに近しい感情だと思えばよい。
ただし、中国人=漢民族という視点で解釈すると、当時の中国を支配していた清朝は満州人による異民族支配国家だったので、戦争で清朝に勝った日本に対する感情には複雑なものがあった。
要するに、対外戦で敗北することで清朝が弱体化するのは、漢民族の知識人層にとっては望ましいことだったのだ。
そして、弱体化した清朝の滅亡を決定的にしたのが、1911年に中国で発生した辛亥革命である。
これは、孫文を中心とした中国革命同盟会が清朝を倒して中華民国を建国した事件だったが、この時にヨーロッパ諸国で最も積極的に革命軍に武器を売ってくれたのがドイツだった。
ドイツの軍事産業にとって、中華民国は金払いの良いお客さんだったのだ。
鳥山仁ってベッキーの別人格かなんかか?w
まあ書いてることはいちいちごもっともなんだがそれもベッキーのところかこのスレの過去ログ読めば済むことなんでどっかのログをしつこく貼らなくてもいいよw
別宮のサイト見て書いたとしか思えないな。
引用元が同じなんだから、同じ結論になるのも当然では。
鳥山仁の引用元ってどこ?
にしても、ここまで文体とか細かい言い回しまで似るかね?
そんなに似てないと思うぞ。
内容も強調する部分が微妙に違う。
あれ、いつのまにかWikipediaに江北作戦や常徳作戦の記事ができてるね
有り難や〜
612 :
名無し三等兵:2010/02/26(金) 22:19:41 ID:58DYNY8i
>611 更新されてた、ほんとだ
常徳作戦は中国側記事や例のブログ見ると中国側の勝利ってあるけど、、
まあ微妙なんだろうな
wikiには無いけど、第6連隊長の中畑護一大佐も敵機の機銃掃射で戦死してるから
結局この作戦では連隊長が2人戦死、1人が負傷したことになるね…
日本側にとっても常徳は楽な作戦ではなかったと思う
戦争中期によく行われたピストン作戦(敵地に攻めてすぐ引き揚げる)って
実はデメリットも色々あって、効果を疑問視する声も一部ではあったみたい
>>613 占領せずに引きあげちゃったら、
日本軍を撃退
って相手は主張するわな。効果はいざ知らず
>>614 うん。中国軍にしてみれば兵員の損耗はいくらでも補充できるし
「犠牲は払ったが○○は守りきった!or取り返した!」
と宣伝すれば軍や民衆の戦意高揚にもなる
まぁ、その重慶の宣伝にまんまと挑発された軍司令官もいたわけだが…w
★『蒋介石日記掲秘』(上・下)
張秀章編著 北京 団結出版社 192018 2007年1月 6,468円
784p 23cm ISBN9787802142176
ttp://www.toho-shoten.co.jp/cbook/cbook.jsp?cbc=192018 2006年、蒋介石の日記が彼の遺族から、アメリカのフーヴァー研究所に寄贈されるかたちで公開された。
これは激動の中国近現代史の当事者による第一級の史料であり、今後の研究が期待される。
本書は1915年から1949年の35年に及ぶ日記から、重要な事件に関係する約1000条を抜粋し、解説を加える。
だれか感想お願い
「日本陸軍と中国」
戸部良一著
選書メチエ
陸軍「シナ通」を考察したいい本だと思う。
では俺もw
一年ほど前に前スレで紹介している人がいた『中国抗日軍事史』(有志舎)を読んだ
中国側の史料をもとにしてあるので、日本側の記述の正確さが微妙で
「日本軍そんなに死んでないし、毒ガス使いすぎだろ」とツッコミを入れたくなるけど
中国がどの戦いを重視していて、抗日戦争をどう捉えてるのか、というのはよく分かる
あと特務機関(CCや藍衣社)とかソ連航空志願隊についても取りあげているのが興味深かった
内容はともかくこういうのを日本語で読めることに価値があるのかな…
『抗日戦争八年』 蒋緯国 早稲田出版
蒋介石の息子が書いた支那事変
>>620 蒋緯国ってドイツ国防軍に勤務してたこともあるよね
タイトルから察すると戦争全体を分析したもの?
少し気になる本だけど、自身の回想記的なものを期待するとダメ?
戦争の回想というか
日本軍をはめて泥沼の戦争に引きずり込んだ経緯などが詳しく書かれている。
『抗日戦争八年』は読みやすく面白いけど
蒋介石神話作りなどすさまじいプロパガンダ臭にあふれているよw
その辺の香ばしさも楽しむならOK
蒋緯国って日中混血なんだっけ。
>>622-623 サンクス。古書店で探してみます
中国側の本って色々と見極めながら読む力が試されるね(一部和書も?w
>>624 wikiによれば母親が重松金子という日本人のようですが
彼女は留日時代の蒋介石とも関係があったとか
あぼーん
あぼーん
あぼーん
アジ歴で資料検索するのが楽しい
思いがけず興味深い文書を見つけたりしてなかなか飽きない
最近見たのだと、日本側に亡命した中国空軍のSB-2爆撃機(ソ連製)を調査した、
『「エスベー」機調査報告』かな。機体写真や機長の紹介もあって面白かった
日本軍の兵士も徴発(略奪)した民間人の黒い中国服を着用して戦闘した場合があった
主に夜襲の際に有利だという理由で
これは国際法違反で便衣兵にあたるんじゃないか
>>631 そんな無茶苦茶がホントにあったというならソース書いてくれ。
それと平服流用でも徽章類をきちんと装着明示していたなら必ずしも戦時国際法違反にはならんのだが。
その辺がどうなっていたのかもね。
>>633 thx
著者名でググッたら正規任官した将校みたいだし証言の素性はよさそうだね。
しかし1922年生まれでまだ存命なのか…
この本以外の著作がまあ脱力だがw
読んでみないとなんともいえんが、末端の部隊でやらかしちゃった例はありうるんじゃないの?って感じはするが。
正規の命令で指示されることはなかっただろうと思うが。
敵味方の識別ができなくなるわけだから交戦地域近くで武装してうろうろしてりゃ友軍に攻撃される可能性高いし
逃げる時以外意味ねえと思うがなあw
要はスコルツェニーのニセ米軍みたいなものでしょ?
>>632 ビルマでは便衣に着替えて敵中を突破し味方と連絡した例がありますな。陸戦史集かなにかにあった。
便衣兵になってもいいじゃね。
徽章とかつけてないと捕まったときスパイとしてその場で銃殺にされても文句いえないけど。
それは国民党軍も同様。
641 :
名無し三等兵:2010/03/10(水) 22:57:31 ID:N0g2EoJY
>南部粤漢打通作戦で、正規部隊が便衣で挺進したこともある
第40師団の足立大隊の敵中挺身行軍ですな。黒衣の便衣に身を包み、ひたすら挺身。
途中で戦闘になった場合は便衣を脱いで制服で戦闘するように訓辞を受けていたらしい。
642 :
名無し三等兵:2010/03/11(木) 13:40:42 ID:du1uHY2V
挺身隊には中野学校出身者や帰順支那兵を配属し、全員便衣姿で先行挺身した。
第39師団挺身隊
総隊長 松井郁夫大尉(中野学校出身)
中隊長 川西幸雄中尉
第一小隊 小隊長 佐武昇中尉 25人
第二小隊 小隊長 三輪敬一少尉 20人
帰順支那兵40人も配属された。
記録写真には、参加した支那兵王伍長やトンプソン短機関銃を担いだ安村一等兵などがある。
参考資料「一億人の昭和史」毎日新聞社
643 :
名無し三等兵:2010/03/11(木) 13:54:16 ID:du1uHY2V
>>637 チェコ機関銃を担いでるのは、中田達雄上等兵。
「一億人の昭和史」毎日新聞社
>>641 第40師団は甲、乙、丙、丁の4挺進隊を発進させていて、足立大隊はその丁挺身隊だと思われます
佐々木『大陸打通作戦』では乙の香月大隊の経緯が書かれているけど、敵から攻撃を受けても
便衣を着ていると気分まで中国人になったかようで、いつものように動けなかったとかw
でも便衣を脱いだ途端、敵は慌てて後退したらしい
軍服って言うのは大事なんだな
>>643 詳細サンクス。毎日フォトバンクで挺身隊を検索してみたら
やっぱり何枚か出てくるね。検閲とかどうだったんだろう
647 :
名無し三等兵:2010/03/12(金) 10:39:35 ID:4YAOTQE5
648 :
名無し三等兵:2010/03/12(金) 11:27:51 ID:4YAOTQE5
益子挺進隊は現地の発案のようだけれど、
中野学校の出身者が含まれている挺進隊の編成には中央が絡んでいるんだろうか
現場での成功→味を占めた中央が指導、という
特攻みたいなパターンでは?
>>648 汪兆銘の南京政府軍?
あと、最後のページのは投降後の方先覚軍長だな
652 :
名無し三等兵:2010/03/17(水) 23:33:52 ID:GE6XPCSd
>>612、613 常徳で戦死した中国側師団長は6人とあるが実際は3人
653 :
名無し三等兵:2010/03/18(木) 21:48:54 ID:auw5TjjR
>>648 これ日本の戦史に載ってたな
当然汪兆銘の南京政府軍ですな。
南京政府軍は最盛期100万にまで膨らんでたというから凄い
支那の宣伝のように「抗日一色」というわけでは無かった証拠だ
アフガン辺りは銃を扱えて一人前の男みたいな文化があってゲリラ戦の強さに
つながったけど、中国の農民は銃器を持っていなかったのだろうか
農村には地主や土地の有力者が組織した「民団」(自警団)があった
反革命や農民の運動を抑えてその土地の地主の利益を守るのが目的で、
中央軍や軍閥(地方軍)には属さなかった
人民共和国になってからは武装組織としての性格は薄れて
単に地域の行事などの活動をする団体になった。 と中国語サイトから抄訳
訓練無しで武装も小銃・拳銃、刀くらいだと軍隊と戦ったらひとたまりもないだろうし
八路軍の民兵部隊と違って、ゲリラ戦闘は無理なんじゃないかな
656 :
名無し三等兵:2010/03/19(金) 22:38:38 ID:wbZ2Vuxi
>>655 逆に日本軍・南京政府軍側がこれらを組織化して指揮下に入れ
治安維持に活用してたんだよね。
>>656 「清郷工作」だっけ?
南京政府軍自体はもと国府軍だけあって対中共・対ゲリラ戦で活躍したみたいだけど、
地方の保安隊の士気や錬度はピンキリで、日本兵の手記で「すぐ裏切る」と書かれてることもw
658 :
名無し三等兵:2010/03/20(土) 09:50:17 ID:wxqyOKzT
>>648 一番上の写真、担架を持っているのが支那の保安隊。
中ほどの2枚の写真、日本軍と国民政府軍。
659 :
名無し三等兵:2010/03/20(土) 21:45:40 ID:Kdyz1JYk
>>657 一般的には士気は低くてすぐ逃げ散るかんじだな・・・w
しかし戦記によっては八路の大軍に包囲攻撃されても日本兵と共に
逃げずに戦ったという話もあるよ。
660 :
名無し三等兵:2010/03/21(日) 08:35:32 ID:JzSzgD0K
>>660 火野葦平の『麦と兵隊』が読みたいんだが売ってねぇ…
関係ないけど、その動画の「聖戦3年/聖戦4年」のDVD買ったんだが
おまけの国民党軍のドイツ式部隊や機械化部隊の映像が見れて満足したw
あぼーん
ポンチーカン ポンチーカン 鳴きまくれ〜
一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦マザラシメン事ヲ要ス
一、旧来ノ陋習を破リ天地ノ公道ニ基クベシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ
我国未曾有ノ改革ヲ為ントシ 朕躬ヲ以テ衆ニ先シ 天地神明ニ誓ヒ
大ニ斯国是ヲ定メ万民保全ノ道ヲ立ントス 衆亦此旨趣ニ基キ共心努力セヨ
ポンチーカン ポンチーカン ポンチーカン・・・
>>662 その統計ってどのレベルまでの工作機械を範疇に入れてるんだ?
電ドリとか電ドラとか安物ボール盤とかまで入ってんの?
それ自体暗然とさせられるニュースだが、中国製の工作機械で作った中国製品とか心底使いたくないよなあ…
665 :
名無し三等兵:2010/03/23(火) 21:20:52 ID:MYNh2r/E
しかし唐生智は酷いな
首都防衛の指揮官に志願しながらいざ戦闘が始まるや
自身の病気理由に指揮所を自宅に置いたため連絡に不都合生じ
決死をうたい南京城門を閉じて逃亡禁止しておきながら、まだ多くの部隊が戦ってる中逃亡。
南京城の門を閉じたまま逃亡し
指揮官失い指揮系統めちゃくちゃになった中国兵はパニックになった。
逃亡しようと城門に殺到したがパニックになったり、
逃亡者監視の督戦部隊と同士討ちになったり
残った兵士は玉砕するか、捕虜となって大虐殺の犠牲となった。
10万の兵士、ドイツ化精鋭部隊3個師団を無駄にした。
それでいて唐自身はおめおめ故郷に帰り引退、戦後共産党に寝返り長寿をまっとう。
何の写真
第二次上海事変のゼークトラインは何で突破されちゃったんだろ
ちょっと調べるとかなり強固な陣地みたいだけど
670 :
名無し三等兵:2010/03/24(水) 20:40:59 ID:7QiuP1tH
>>661 『報道戦線から見た「日中戦争」 陸軍報道部長 馬渕逸雄の足跡』
著者 西岡香織
芙蓉書房出版
この本に「麦と兵隊」の一部が載ってる。
近くの図書館にあるかも。
>>669 制空権を日本が握ったことがひとつの要因だと思う
トーチカ陣地への爆撃や後方線(道路や鉄橋)の破壊、
砲撃の着弾観測や空からの偵察をやり放題。
渡辺洋二『必中への急降下』(文春文庫)で事変初期の海軍艦爆隊の戦いが読めるよ
あぼーん
第一次大戦の東部戦線のドイツ軍のロシア塹壕突破を
日本の観戦武官が詳細に分析して報告してたので
分隊による浸透戦をいち早く訓練に取り入れていたつう説はどう?
上海戦の写真を見た事があるが、確かに分隊が散開して突撃してた
つまり旅順の総攻撃とは違っていたのだが
過去スレみてもその点についてはレスがないね
名古屋の師団は総突撃したんだろうか…
あぼーん
上海事変の前年に締結された所謂「日独防共協定」は
正しくは「共産「インターナショナル」ニ対スル協定及附属議定書」であり
ドイツ側だと露骨にAntikominternpakt「アンチ・コミンテルン協定」だからな。
あぼーん
680 :
名無し三等兵:2010/04/08(木) 01:33:03 ID:/lwKjLRf
ヴェルサイユ条約の賠償金は大幅に減額された上に、返済期限も数十年猶予されたから一緒にはできないな。
682 :
名無し三等兵:2010/04/09(金) 18:47:09 ID:i0ra/ECy
Wikiの日中戦争のとこで、三つ作戦記事が追加されてるな
最近微妙に更新されてて嬉しい
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100408_pochi_movie/ 警察組織の腐敗をテーマにした映画「ポチの告白」の高橋玄監督にインタビューしてみた
警察の事件発表は日本の特定の新聞社や通信社しか加盟できない「記者クラブ」しか入手できず、
極めて閉鎖的であり、民主党がせっかく公約として「記者クラブ開放」を掲げたにもかかわらず、
いまだに第3者の加盟を認めていませんし、記者会見への参加なども認めていませんが(記者クラブ自体
は建前上、一部のフリーランス記者に対して会見への参加を認めてはいるが、警察が介入して排除する)、
記者クラブ問題についてはどのような問題があると認識していますか?
高橋:
やはり「情報の支配」ということに問題がありますね。北朝鮮の状況がよくやり玉に挙げられていますが、
日本も笑えないだろうと思います。
新聞を信じる人というのは今はあまりいないかもしれませんが、庶民感覚的に「新聞はテレビのバラエティ番組や
ドラマよりはちゃんとしたものをやっているんだろう」とか「NHKの報道というのは民放よりも正しいんだろう」といった
不確実な認識というものがなかなか変わっていないですよね。
戦争世代の人がこの映画を見ると、すごく支持してくれるんです。
「英語を使ってはいけない」というのが一夜にして変わってしまったということを経験している人は、大本営発表的
なものは元から信用していないわけなんですね。
特高警察時代を知っている老齢の女性が見に来ていて、「よく分かります」と言ってくれたりもしました。
>>682 個々の作戦の知名度って殆ど無いけど、従軍記や戦史叢書をみてると
おもしろいエピソードがたくさんあって、調べてて飽きないよ
685 :
名無し三等兵:2010/04/10(土) 18:05:11 ID:dVSXhuXP
まぁ、アフリカじゃ結構普通にあることなんだが、レーベル(まぁ、山賊だな。)の連中が、首都
なんかのど真ん中で、トヨタかなんかの4駆の荷台に乗ってアサルトライフルぶっ放すって状況。
それに治安部隊が発砲して銃撃戦になる。だいたいがガキだ。下手すりゃAKと身長同じくらいのも
居る。大使館への避難は、泊まってたホテルが銃撃されてね。おいらたちは6階に居たんだが、窓ガラス
全部割れて、危なそうだから6ブロックほど離れた大使館へ一時避難って話になった。
で、大使館へ行ってみたら、大使が会議かなんかで不在で、留守番してた館員は危険だから開けられま
せんと・・・旅券は見せたんだが、見たのはガード。館員とはインターホンで話しただけ。
3〜4ブロック後ではバリバリ銃撃音してる状態ね。www
ま、館員による、って事で諦めた。安全保障担任でも居れば話は違ったんだろうけどね。警察か防衛庁
からの出向だしw
普通の外務省職員じゃビビっても仕方がないよ。
553 名前:無党派さん[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:52:41 ID:luiArmaA
吉本隆明が書いてたが、
三島は戦時中には大衆的体験であった神聖天皇を体験せずに浪漫派に逃げ、
戦後になって天皇制否定が大衆的体験になると神聖天皇に逃げた
自分から見ると一回り遅れているように見えるが、
一貫して近代的知識人であった彼は彼なりの必然にしたがって
大衆的体験とは距離を置いていたのだろうと言っている
585 名前:無党派さん[] 投稿日:2010/04/11(日) 03:20:48 ID:6vaVvJBF
>>553 戦中派は必ず作風に出る。
特に徴兵にかからなかった人の罪悪感はスゴい。
市川コン:ビルマの竪琴(2回も撮った)
山田風太郎:忍者全滅
三島由紀夫:自分で死んでみるテスト
ボネガット:ドレスデン空爆
もう中川昭一を硫黄島に送りこめば良いんである。
ショック療法で、アルコール依存症は治った筈。
588 名前:無党派さん[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:27:13 ID:E05RyhdJ
>>585 戦中派じゃないと分からない感覚だろうな
明治大正昭和と連戦連勝で国土の広がり方が半端じゃないからな
北方領土確保台湾を委任統治して日韓併合。それから満州制覇だからな〜
687 :
名無し三等兵:2010/04/13(火) 03:37:49 ID:18bsK4p1
『Voice』の2010-5月号への長島昭久氏(防衛政務官、代議士)の寄稿。
長島氏はもともと研究者として米軍再編について検討し、嘉手納基地に
普天間基地を統合するのがベストな解決策だと考えてきた。
だが米国側が一枚岩だと実感させられたので、「二段階論」に変えている。
すなわち、10年かけて沖縄を自衛隊だけで守れるように強化し、その段階で、
アメリカの海兵隊に撤退を促すのだ。
長島氏は、米軍、特に海兵隊に沖縄から出て行ってもらうために、自衛隊で
先島群島を強力に守りたいと考えている。じつに正常だ。大賛成だ。
鳥山仁なる人物が別宮を肯定しているのは確か。
474 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/11/19(金) 12:17
『軍事のイロハ バカな戦争をさせない88の原則』
http://www.namiki-shobo.co.jp/ 『ゲームジャーナル』に登場するやいなや、その博覧強記でミリタリーオタクやゲームオタクの知識レベルを一気に底上げしてしまった罪作り(?)な人物、別宮暖朗氏の最新作。
本作は世界史の流れから「戦争とは一体どういうものか?」を解説するという内容になっていて、軍事史を全く知らない人間でもこれさえ読めば戦争についての基礎知識が一通り揃います。
完全な初心者向けの作品で、高校生レベルの知識さえあれば「理解できない」ということはないでしょうから、どなたにでもお薦めできる一冊です。
ただし、発行元の並木書房は都内でも入手が困難なマニアックな出版社ですので、並木書房のオフィシャルサイトからの購入をお勧めします。
ドラえもんの「のび太と竜の騎士」で日中戦争で中国兵3千人が行方不明に
なった話を憶えているけどあれは日本との戦いとか逃亡ではなく、本当に
ある話ですかね?
690 :
名無し三等兵:2010/04/16(金) 08:50:58 ID:yMUdfi/R
http://honnosense.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/ust18000-170f.html >川内
>資料を分析すると、みんな信じられないかもしれないが、昨年11月20日に発表された沖縄から
>グアムへの移転における環境評価書の中には、もう、沖縄では訓練ができなくなってきている、
>ということが明記されている。即応能力を維持するのが難しい
>グアムテニアンに新しい基地を作り、部隊の即応能力を維持向上させるためにやる、ということ
>が柱書きに明記してある
>アメリカ側の文書をよく読んでいくと、アメリカはアジア太平洋地域の防衛力を向上させるために
>それらの国々をテニアン・グアムに読んで一緒に訓練したい、それをすることがアジア太平洋防衛
>に寄与するということが書いてある。
>部隊の即応能力を維持向上させるためにやる、ということが柱書きに明記してある
>アメリカにとっては、日本はアジア太平洋地域における一国でしかない。
>グアム・テニアンをハブにすることがきちんと明記されている。
>沖縄に残す部隊は一体どういう性質のものなのですか、アメリカ側は一体どう考えているのですか?
>と防衛省の局長クラスに聞くと教えられませんではなく、わかりません、と防衛省の役人が答えた。
>え、じゃあ、いったいどうなるの?と思ったことがこの問題を考え始めたきっかけなんです。
>そもそも、米側は海兵隊の中心部分をグアム・テニアンに移してアジア太平洋地域の防衛力を
>高めようという戦略をとっていることは間違いない。
>--そもそも、アメリカの国際戦略上、日本の安全保障を低下させるようなことは全くないのですか?--
>全くありません。なぜなら、海兵隊が移動するときは、佐世保から迎えに来ます。そして出発します。
>佐世保沖縄間の時間がかかる。グアムに移転すると、アップラ(港)を作って、そこから一体化して
>出発することになっている。
>この軍事的な評価についても、環境評価書に書いてあって、この戦略は満点である、と評価してある
>のである。
692 :
名無し三等兵:2010/04/16(金) 21:38:51 ID:x5QKHcy0
「一億人の昭和史」毎日新聞社
は写真も豊富だし、支那事変の作戦名、部隊名などが詳細に記載されていて
良い資料だと思う。
>>692 割とマイナーな作戦とか珍しい写真も載ってて良いよね
綺麗な印刷で再販してくれないかなぁ
「朝日新聞の秘蔵写真が語る戦争」ってのも去年出たけど、内容がな…
>546
今更だが、若い頃の岡村寧次は渋いなww
学者みたいだww
>>693 朝日は軍命令で戦争関係の写真みんな処分しちゃってるからな
写真がしょぼいのは仕方がない
秘蔵じゃなくて処分漏れだってw
697 :
名無し三等兵:2010/04/18(日) 12:36:25 ID:Z6UTLKBn
698 :
689:2010/04/18(日) 18:41:12 ID:???
691さん、ありがとう。
昨日、青山さんの講演会を聞きにいったけど
例によって内容はお得意の硫黄島涙噺だったw
いい加減、同じ話を何回も聞いていると飽きて来るんだが
流石は講演会で毎回反復しているだけあって芸としての完成度は上がっていたw
というか去年、初めて青山さんの話を聞きに言ったときからこればかりだから
少なくともこのネタで一年はメシを喰ってきたってことなんだろうけどw
正直どうせやるならもっと外交安全保障の戦略・戦術的な話や
それに関する質疑応答をして欲しいんだが難しいんだろうか?
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成22年(2010年)4月19日(月曜日)貳
通巻2945号
やっぱりそうか、チベット被災地で漢族の軍隊と住民との軋轢死体の扱いがぞんざい、チベット族の怒りが現場で沸騰している
****************************************
ダライラマ法王はチベット(青海省)の地震被災地への慰霊の旅を希望している。中国政府は、これを受け入れる度量はあるまい。
そればかりか外国からの救援チームを一切謝絶した中国は青海省チベット自治県へ軍を中心に一万余の救援と医療チームを派遣した。台湾からも20名の医療チームが現場に入る予定。
温家宝首相はインドネシア訪問を中止して真っ先に現場に入った。
胡錦涛は訪問先ブラジルから飛んで帰って現場に入った。このような「親民路線」(中国的ポピュリズム)は、旧共産党の遣り方とは異なるが、つまりは映像時代のイメージ宣伝という政治戦略の一環でしかない。
映像を見る限り(北京の官製放送だから)、えらく軍隊が現場で感謝され、大活躍している様子が映し出されている。また派遣されたのは良いが高山病に倒れる兵士も取り上げている。なんだか軍隊が大活躍のイメージをもつ。
これで漢族とチベット族の対立も災い転じて福となしたかのように。
実態はまったく違うとヘラルドトリビューンが現場から伝えている(4月19日付け)。
「かれらはプロパガンダが目的で被災地にやってきた。チベットの犠牲者への同情も希薄で、死体の扱いが仏教儀式に反する。かれらが後片付けをしているのは政府関係のビルだか、つぶれた民家の片付けは後回しにされている」と住民の不満を拾っている。
人民解放軍報道班はチベットの僧侶達の救援活動を撮影しないで、自分たちの活動だけをカメラに収めている、とする僧侶の発言も同紙は拾っている。
また四川省地震のときと異なり、民間ボランティアの現地入りを禁止している。
日本のマスコミは地震被災地の「青海省」をあたかも中国の版図で描いているが、青海省から四川省、貴州省、雲南省の山岳地帯は共産党の侵略以前まで、れっきとしたチベットである。
701 :
名無し三等兵:2010/04/21(水) 19:17:15 ID:zRjGskPc
投票で「米軍は日本に必要」ってのの割合が
一番高かった県に移設すればいい
機関銃中隊ではひとつの内務班につき機関銃は一丁のみである
朝から晩までこれをゴシゴシと磨いていると、だんだんとこの
機関銃が神聖なものに見えてくるのである
せっかくのクロムメッキが剥げるわけですね。
706 :
名無し三等兵:2010/05/09(日) 17:21:10 ID:iQBTpP6X
∩_∩ 人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人
/ \ /\ < これからやずやへの思いを伝えたいと思います! >
| (゚)=(゚) | < 敗者復活してみせます このままじゃ 終わるわけないー! >
| ●_● | < がんばれー(お母さん)笑 @矢頭社長の話、考えにとても共感しました!>
/ ヽ < 私がやずやに入社してから出来る事は 楽しく話すことが好き! >
| 〃 ------ ヾ | < 相手の話を聞く事が好き! プラス栄養の知識を活かして >
\__二__ノ < 親身になって、お客様に栄養面でのアドバイスができます! >
ヘノ } < また、サプライズや相手を喜ばせる事が大好きなので >
ト' | | < 斬新なアイデアや意見を楽しみながら生み出すことができます! >
ゝ l | YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY
| ! !
| l |
| ! | 人人人人人人人人人人人人
/i\_,,l '、 < やずやが第一志望です!!>
/ | }二フ YYYYYYYYYYYYYYYYYYY
〈 /| /
| f | /
! | | i
重慶油田ってもし日本に拙作技術があっても
満州から遠くてダメだったと思うんだけどどうかな
大慶油田のこと?
そうそう、間違えてた
戦前に中国で唯一知られていた油田は共産党本拠地延安の
さらに西の奥地にあった
大慶油田はハルピンの近くで満州だよ。
713 :
名無し三等兵:2010/05/18(火) 15:50:08 ID:y4Bdfn0U
イナゾウはいつまでサボっているつもりだ?
いい加減にしろよ
帰ってこなければ神罰が下るぞ
いまさら改めて申し上げることではございませんが、
この日米安保は一重にアメリカさまのご都合で結ばれている「契約」である、ということでございます。
戦後60余年を経たといっても戦争に勝ったアメリカさまからすれば
日本などは現在でも占領地にしかすぎないのでございます。
アメリカさまのご都合次第ではいつでも切って捨てられる運命にあるのでございます。
沖縄からの「核弾頭を含む全核兵器」を撤去したときがそうでした。
1971年7月15日ニクソンの劇的な訪中の発表が行なわれました。
日本にそのことが「通知」されたのはその記者会見が始まる三分前でした。
その時、時の総理大臣佐藤は「苦虫を噛みつぶしたような顔」したとの証言が残されています。
俗にいう「三分前の通告」でございます。
1972年5月15日沖縄の本土なみ返還が果たされました。
米国は1969年末までに沖縄から核兵器を撤去する、とそれ以前の1969年12月15日に
宣言していましたが米国の本心は佐藤総理及び日本政府の要望を受けて、
というものではありませんでした。
後年その時のいきさつを研究した米国の著名な大学研究者(ハーバード大学、マイケル・ハンデル
国際問題研究員)によれば、1971年7月15日ニクソン訪中を発表するに至る
中国との水面下の交渉の中で「沖縄からの核兵器の全撤去」の中国側の要求をアメリカさまが
飲んだ結果、であったということでございます。
日本側の要求が受け入れられたは「片思い」であったのでございます。
かくのごとくすべてはアメリカさまの世界戦略のおぼしめしのままに、が日米安保の「実像」でございます。
いまだに敗戦国扱いでj憲法の9条に縛られているぐらいだからな。
イナゾウさんはたぬきちなうの中の人なの?
たぬきちなうって何?
お前だよ、お前
719 :
名無し三等兵:2010/05/20(木) 21:02:29 ID:mQJmSF0/
第二次世界大戦直後の日本は、まさに灰燼の中にあった。その混乱と疲弊から立ち直り、経済大国への道を歩む上で、
アメリカからの資金援助である「ガリオア・エロア資金」(注)の果たした役割は計り知れないものがあった。
1946年から51年にかけて、約6年間にわたり日本が受けたガリオア・エロア援助の総額は、約18億ドルであり、そのうちの13億ドルは無償援助(贈与)であった。
現在の価値に換算すれば、約12兆円(無償は9.5兆円)となる膨大な 援助であった。この援助がなければ日本の復興は考えられなかったのである。
日本が現在、1年間に1兆5000億円のODAで世界の約160カ国を支援していることと比較すると、
アメリカが日本1国に対し援助した今の価値で12兆円(1年では2兆円)がいかに多額な援助であったかが理解できよう。
日本はこのような援助を受けながら成長を遂げて、援助される立場を卒業し、そして援助する側になり、アメリカを凌ぐ世界一の援助国になったことは、
世界的にみても極めてユニークなケースなのである。
そして早くも1954年には、コロンボ・プランに加盟し、援助する側の一員として南アジアや東南アジアの国々への支援を開始することになったのである。
ペリーが来航した時、日本の敗戦は規定路線。
焼け野原から日本人の努力だけで復興とは愚の骨頂。
軍事力で日本は負けたが、歴史文化においては我が国はまさっている。
決して一度の負けで捨てる必要のない要素を捨てるべからず。
720 :
名無し三等兵:2010/05/21(金) 09:12:12 ID:YaJb5OHm
安愚楽の話、昨日少し聞いたんだが、奇妙な一致がある。
渡部恒三が信濃町の名前を出した時と、密かに信濃町と民主が会って何かを
相談した時と、殆ど一致する。
民主党の若手と言うか、次期閣僚候補にしてみれば、信濃町が加われば当然
自分達の椅子が減る。
そこで何とか自前で過半数を確保しようとしている・・・
何かを伏せたい信濃町、それを取引のネタにする民主・・・そして右往左往する
民主の次期閣僚候補・・・
鳩山の昨日の発言は、あれは戦前斉藤実内閣で「焦土外交」とやって大批判を食った
内田康哉に勝るとも劣らないね・・・
内田はまだ外相であるし、満州の権益に関わっての演説だから斟酌すべきではあるが
鳩山の場合率先して喧嘩を売りますよとやったんだから・・・
六カ国協議の存在を否定したと受け取られても仕方ないよ。
彼は過去色々な人が積み重ねてきた努力を壊すのが好きなんだね。
昨日(5/19)、丸の内の丸善の1階売場を覗いたら、榊原英資の新刊の『ドル漂流』が平積みされていた。
手に取って立ち読みをしているうちに、中身の半分近くまで読み進み、結局、レジカウンターに持って
行くことになった。新しいデータが入ったグラフや表が多く載り、経済の本として読みやすく仕上がっている。
最近、榊原英資の姿をテレビで見る機会がなく、高齢で健康でも害したのだろうかと心配していたが、
文章の筆運びを見ると元気そうな様子が窺える。テレビで水野和夫と榊原英資の解説を聞くと、
経済の話を聞いた気分になる。ネットの記事では田中宇。本の内容は、全体的なサーベイと
レポートとしてはまずまずの論述が続いたが、一点、消費税のところで愕然とする主張が書かれていた。
日本の財政赤字について、消費税の増税を怠ったから、これほど巨額の赤字が膨らんだのだと言い、
直ちに欧州並みに15−20%の水準に税率を上げなくてはいけないと言うのである。
財政赤字の原因を消費税増税の据え置きで説明する議論は、私には初めてで、しかも榊原英資の口から
飛び出すのは意外だが、政府やマスコミや経団連からすれば、この榊原英資の「説明」は大衆を説得する
情報として大いに使える。参院選にかけて、マスコミは消費税増税のキャンペーンを再び仕掛けるだろうが
、榊原英資がその世論工作の先兵になってテレビに出演しまくる可能性がある。
723 :
722:2010/05/22(土) 19:05:14 ID:???
724 :
722:2010/05/22(土) 20:34:42 ID:???
「博士の独り言」より転載
表題は、「日本のメディアではあまり報道されなかったが」、
と前置きし、中国共産党が本年7月1日から施行する「国防動員法」
(2月26日に全人代・常務員会で可決)に対して論考を加えた産経紙面掲載の
「オピニオン」記事(4月27日朝刊・6面)である。
同法律について、表題紙面では、「14章から成る同法は、有事の際に
「全国民が祖国を防衛し侵略に抵抗する」ため、
金融機関、陸・海・空の交通輸送手段、港湾施設、報道やインターネット、
郵便、建設、水利、民生用核関連施設、医療、食糧、貿易など各部門を管制下におき、
これら物的・人的資源を徴用できる内容だ」と紹介している。
紙面では、同法律が「中国の国内法」、との標準的な視点から論説し、
同国内で、「同法が発令されたとき、日本を含め外資や合弁企業はどうなるのか懸念する声がある」、
として、「中国メディアは、国防動員委員会総合弁公室の主任、白自興少将の記者会見での回答を伝えている」、
とその談話を紹介している。
云く、「白少将は「民間企業は、戦略物資の準備と徴用に対する義務と責任がある」と指摘した上で、
「外資、合弁企業も国防動員の生産を担うことができる」と述べた。
中国系以外の企業の生産ラインや資産が同法の対象とならないとは言い切れないようだ」と。
いわば、同国が「有事」と判断した場合の、在中の合弁下にある外資資産や工場ラインなどはどうあつかわれるのか、
との懸念であり、然るべき危惧と謂えよう。
「白少将」の談話が事実とすれば、これらが総動員の管理下に置かれるであろうことは推察に難くない。
言い換えれば、同国の有事の際には、これら外資の資産を管理下に置き、
調達のソースとすることを合法化し得る新たな「法律」、と認識して差し支えないのではないか。
同法律が全人代で可決された当時の様子を伝える記事(AFPBB)には、
「チベットなどでの騒乱にも適用」、として、こう記されている。
云く、「中国軍関係者によると、同法は戦争時のほか、
近年、チベット自治区や新疆ウイグル自治区で起きた騒乱や、
自然災害時などにも適用される見通しだ」と。
いわば、中国共産党政府が「有事」「災害」と判断した、あらゆるケースに適用されることになる。
たとえば、軍事弾圧のために、チベットやウィグルでの“騒乱”新華社が造り出した場合においても、である。
20100428008
AFPBB(Web) 2月26日付記事
-------
いわば、“夢見多き”「中国への進出」を果たした企業は、
その国籍を問わず、同国が「有事」と判断した時は、
人民解放軍の軍事行動への幇助(ほうじょ)を、同法律下のもとで義務付けられる。
その可能性が窺える法律、と認識して差し支えないだろう。
人民解放軍の「お手伝い」がしたい。そのような企業があれば、遠慮は要らない。
同国の土になれば良い。
有事は「中国」国内にとどまらず
先ず、有事といえば決して「国内」に限定せず、「国内外」に位置付ける。
これが国政的な通念である。その視座から指摘させていただきたい。
表題には、「国防動員法は明確に「軍民(軍と民間)結合」「全国民参加」
「長期準備」と位置づけている」と紹介し、同法律が「国民総動員」法であることを指摘している。
さて、「全国民参加」を謳(うた)う中には、たとえば、日本の場合、
在日中国籍者、および関連資産もごく当然に含まれるのではないか。
日本にどれほどの中国籍者が存在しており、どれほど増えつ続けていることだろうか。
「有事」には、駐日の中国大使館や総領事館などを連絡拠点として、
総動員がかかる可能性は否定できない。
たとえば、上海万博後に指摘される、人民解放軍による台湾、日本の領海、
領土への軍事侵攻が、もしも現実のものとなった場合は、チベット、
ウィグルでの“騒乱”とよく似た図式で、台湾、日本の国民や財産が、
その「国防動員法」による抑圧対象となりかねない。
いわば、「祖国」の方針により、身近な在日中国籍者が、その実、
人民解放軍の日本派遣「兵員」へと転じる可能性もまた否定できないだろう。
人、また人を送り込む。同国伝統の人口侵略のその先には、
こうした「領土掌握」の発想に裏支えされているであろうことは、
むしろ、チベット、ウィグルの現実を観れば明白である。他所の国の出来事、
他所の国の法律、と安閑としている間に、その間隙を衝くかのように沸いて出る異国の民に国は奪われ、
「他所の国」になってしまう。
この懸念さえ窺える「新法律」であることを意識しておく必要がある。
また、7月1日施行が、上海万博後を想定したかの時期に符合している点が不気味である。
728 :
722:2010/06/04(金) 22:57:53 ID:???
729 :
名無し三等兵:2010/06/09(水) 14:49:26 ID:nIwyXkhs
なんだろう、デジャブが…
204 名前:大阪[] 投稿日:2010/06/09(水) 13:59:27 ID:AMVEU5XJ
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1993886,00.html タイム誌アジア版2010年6月14日号より抄訳
「アフガン軍惨憺たる有様、笑っている場合か」
今年の初めのこと、カンダハルでタンクローリーが走行中横転した。流れ出る
ガソリンがアッラーのお恵だと、住民たちがバケツや、ビニール袋まで動員
してドロボーをした。次にアフガン兵たちもそれに加わりガソリンドロボー
をした。それを見ていたアフガン軍の隊長サンガ腹を立ててライフルで威嚇
発砲をしたら、ガソリンに火がついてしまい、巨大炎とトルネード型黒煙が
ぐんぐんあがった。混乱した現場ではテンヤワンヤの騒ぎだった。米兵は
日頃のフラストレーションが抑えきれず、怒り心頭に発してアフガン人に
殴る蹴るのバイオレンスをした。
730 :
名無し三等兵:2010/06/09(水) 14:50:10 ID:nIwyXkhs
205 名前:大阪[] 投稿日:2010/06/09(水) 14:17:58 ID:AMVEU5XJ
これがアフガニスタンの本当の状況である。カンダハル州でのタリバン
掃討作戦の成否は、アフガン兵がどういう働きができるかにかかって
いる。しかし、ダメな物はダメだ、アフガン兵の9割はライフルの説
明書が読めないし、車の運転もできない。軍には様々な派閥があり、
内部抗争が絶えない。上官が部下の給料をチョロマカスこともある。
そして、米軍に支給してもらった軍服やブーツや毛布や銃器など諸々
を市場で売ったりもする。タリバンがお客様になることもある。無許可
離隊をした不届きな野郎に再び入隊を依頼することもある。軍人の
四分の一は、ハッシシやヘロイン中毒者である。4月時点のアフガン兵
は119400名であった。2011年の10月に米兵の撤兵が始まる時には
171600名に増員する計画である。だから、新兵の教育もどうしても手抜
きになってしまう。急ごしらえで使い捨て兵士になるだろう。ペンタゴ
ンはお金をどんどん出すと言うが、ダメなものはダメだ。
731 :
名無し三等兵:2010/06/09(水) 14:51:06 ID:nIwyXkhs
206 名前:大阪[] 投稿日:2010/06/09(水) 14:33:03 ID:AMVEU5XJ
金で縛る事も行われている。タリバン兵になるより、アフガン兵になる
方が儲かる。新入りでも165ドルの月給を米軍が払う。まさに砂上の楼閣
状態である。アフガン兵を食わすには、アフガニスタンの国家歳入の
六倍ものお金がかかる。ネイトウの国々がそのお金を払う。南部の
パシュトゥン人の地域から軍に入隊する人は少ない。タリバンが怖い
からだ。この不法地帯からの入隊者がすくないことで、軍は更に
弱くなってしまう。パシュトゥン人の多くは、アフガン軍の事を、
外国の侵略者だと考えている。中には金目当ての例外もあるが、報復
を恐れて親、兄弟にさえアフガン軍にいることを秘密にしている。
タリバンは、交通妨害物を道において、車から出てきた人を撃ち殺す
習慣がある。
732 :
名無し三等兵:2010/06/11(金) 02:46:01 ID:+Crk1Y/t
むかし、日中戦争で大日本帝国の海軍の石炭を買うために、
大日本帝国の公務員の給料を3割くらいカットしたんだ。
それで、何時の間にか、石炭が盗まれていた中国の海軍と戦って、
大日本帝国は勝利を収め大国の仲間入りをしたという歴史がある。
今の日本では、こういうのを知らない人が多いよね。
こういう勝ちの歴史を教えられる人が教師になれればいいのに。
私は教師になる気は皆無だが。
日中戦争で日本んが勝てた一番大きな要因は、中国人の犯罪者気質によるものだから、
中国人VS日本人でよかろう。
どう考えても、李鴻章と比べたら、当時の大日本帝国の提督達は一段劣るし、艦隊の強さでも中国の方に歩があった。
流石に、記録上ではあるはずの石炭横流しされていました。
艦隊を一回決戦させるぶんの石炭しかありませんじゃ李鴻章でもどうしようもない。
そういえば、艦隊の整備費用も抜かれていましたよね。
それでも日本より強大な艦隊を整備できる中国は当時でも大国です。
nm
日本が戦争した相手は清。その当時、中国なんて国は有りません。
735 :
名無し三等兵:2010/06/13(日) 12:09:57 ID:r0YkSgc9
清国は満洲族の国家。
漢族の捏造国家「中国」とは全く別物だしな。
736 :
名無し三等兵:2010/06/16(水) 01:56:20 ID:kldTYOZQ
日中戦争をシュミレーションできるRPGみたいなPCゲームって無い?
「抗日オンライン」とかそんな感じのゲームを教えてもらえると嬉しいんだけど・・
>>736 hoi2
hoi3
大抵日本側が勝つが。
RPGみたいという要件からは見事に外れているな。
RPGなんてないもん
いいじゃないかシュミレーションなんだから
満州にRPGがあれば
皇軍もソヴィエト装甲部隊相手に潰走することはなかっただろう
742 :
名無し三等兵:2010/06/21(月) 02:39:01 ID:asujvnky
ロールプレイングゲーム????
安倍晋三元首相と神戸製鋼の闇ーー中国遺棄化学兵器処理利権に関する「告発文書」、第2弾が出る
本紙は5月31日、安倍晋三元首相の新疑惑と題した、一時は1兆円ともいわれた「中国遺棄化学兵器処理」
利権の中核部分を東証1部、鉄鋼大手「神戸製鋼所」(本社・兵庫県神戸市)に恣意的に与えたとする告発文書
が東京・兜町界隈などに出回っている事実を報じた。
そのA4版4枚の文書には5月20日の日付が記されていたが、本紙はその後、第2弾と題した文書を入手した(A4版3枚。6月5日付)。
第1弾は、神戸製鋼側が安倍晋三元首相(当時は内閣官房副長官)にアプローチする上で、いかなる人脈を使ったか
記されており、そのなかには松谷高志副社長、政界フィクサー・荒井三之進氏、その他、当時、内閣官房に出向していた
警察庁キャリア官僚K氏などの名前が挙げられていた。
また、当時のライバル企業への懐柔工作について記されていたことも前回お伝えした。
これに対し、第2弾は、神戸製鋼の裏ガネ作りの方法、担当者名なども記されており、第1弾の比ではない衝撃的な内容に
なっている。
だが、事が事だけに、本紙はこの間、裏づけ取材を行った。
その過程で、松谷副社長が神戸製鋼のコンプライアンス(法令遵守)委員会(03年設置)のトップを務めていることをこれ幸いに、
情実人事を行っているとの批判の声が内部から聞こえて来た。
例えば昨年2月、神戸製鋼の両トップだったM氏、E氏が共に辞任した。
同社労組出身の地方議員に企業献金をしていたことがそもそもの原因とされる。
だが、法律が改正になるまで企業献金は合法だったし、組織的な犯行でもなかったとされる。
それにも拘わらず、「自分(松谷副社長)にとっては煙たい存在だったことから、本来、労働部長で済む話を、
最も重い処分を下しE氏を追いやった。
一方のM氏は、そもそも松谷氏を副社長に取り立てた人物とされる。
が、彼にすれば、“もう十分に利用させてもらった”ということでは」との見方も。
安倍ちゃんと右翼の仲間たちは地元そっちのけで山梨の輿石落とそうと必死らしい。
小沢側近の輿石が落ちて代わりに山口の岸落選・原田大二郎当選なら菅大勝利じゃんw
「無能な味方は敵より怖い」を地で行く安倍ちゃん、恐ろしいですw
選挙が近づくと、こういうおかしな人のコピペが貼られるようになるね
746 :
名無し三等兵:2010/06/26(土) 05:00:12 ID:HKHiASJf
Wikiで何気に第一次長沙作戦とかいろいろ追加されてるな
日本語版と中国語、Englishとの違い(勝敗、日本軍死傷者)はうけるw
>746
日本語版だと日本の勝利だけど、中国語、英語版だと中国の圧勝みたいな記述もあったな
http://blog.zaq.ne.jp/airshipworld/img/img_box/img20090105003518824.jpg 終戦直後の大坂城
例のLIFE誌アーカイブの画像で見つけたのですが
終戦直後1945年9月、大坂城本丸の空撮画像がありました(・∀・)
前に天守閣の北側に爆弾が落ちて天守台石垣がずれたという事を
本で読んで知ってはいましたが
その状況が良〜くわかる写真でございます
天守のすぐ北側に大きな爆弾の穴が開いてまして
天守台石垣の南西付近にも着弾したのか一部崩れている様です。
そのほか簡単に確認出来るのも合わせて
本丸に5、6発の爆弾が落ちている様です
画面右上には陸軍第四師団司令部庁舎の建物
(昭和35年から大阪市立博物館として使われましたが
平成13年に博物館移転と共に閉鎖状態に・・・)
右端には和歌山城の二の丸御殿の一部を移築した
通称 "紀州御殿" が見えております
(この紀州御殿も昭和二十二年(1947年)GHQの占領中に惜しくも焼失・・・)
お城の周りに大阪砲兵工廠(大阪陸軍造兵廠)の工場が
あったことを考えれば、良く残ったと言うべきか・・・
749 :
名無し三等兵:2010/07/14(水) 01:59:56 ID:B86M6osD
朝鮮半島で極秘に組成された大韓空軍は
日本帝国軍機を多数射殺したので山本五六十も
葉巻と呼ぶ轟炸機ごと爆破死した。
これは中国と朝鮮の合作による攻撃により
日本は1945年に貝
750 :
名無し三等兵:2010/07/14(水) 02:01:56 ID:cfOKCBZp
埼玉から当選した大野元裕が昨日、ラジオに出た。
TBSラジオのDig。中東の専門家だ。
彼によると、中国は石油の備蓄が12日分しかないという。
それで大規模な戦争を仕掛けるのはリスクが高い。
中国対策のためにも、日本は中東諸国と仲良くすべきと言っていた。
751 :
名無し三等兵:2010/07/15(木) 01:14:56 ID:TA/bOmzY
薛岳って日本語記事あってもいいと思うんだが
>>750 大野元裕、選択肢の少ない中から票を入れただけのことはあるなw
753 :
名無し三等兵:2010/07/21(水) 03:58:23 ID:CG+NMyve
ウチの曾祖父ちゃんは長崎で戦艦武蔵を造っていました。
その弟はその戦艦に乗って、レイテ沖海戦に参戦しました。
以来、ウチでは殆どの電化製品は三菱です。
新橋の喫茶店。
半藤一利さんの『いま戦争と平和を語る』読了。
日本は昭和8年に国際連盟を脱退するが、政府が俊巡しているとき、
日本中132の新聞社が「早く脱退すべし」と共同声明を出している。
軍の機密費で買収された歴史は形を変えていまに続いている。
755 :
名無し三等兵:2010/07/25(日) 08:48:13 ID:gLK8im48
多磨墓地に行ったら、そこには東郷平八郎、山本五十六など、多くの軍人達が祀られていた。
軍人の名簿があったので、ぱらぱらとめくってみた。
阿南陸相の辞世の句がでていた。
「日本を敗北に追いやったのは軍人の責任だ。切腹して謝罪するほか無い。
これで神州日本が滅亡しないことを信じて先にしなせてもらう」とあった。
これには納得した。責任感もあり、軍部が間違っていたことを認めているのだ。
だが、腹立たしい辞世もあった。
名前は忘れたがその軍人は言う。
「日本は原爆に負けたのでもない。まだ勝てた。
ただ腰抜けの重臣が天皇陛下をそそのかして無条件降伏をうけいれたのがいけない。
最後まで日本を焼土として戦えば、日本は米国に勝てたのだ。今は無念の切腹をする」
このタイプの軍人こそ、当時の典型なのだ。
彼らは竹槍でB29爆撃機や原子爆弾に勝つつもりだった。
同じタイプの軍人達はサイパンで破れ、マニラで破れ、沖縄で破れながらも、負けているとは認めなかった
『おお馬鹿者』だ。
だが、そういう『おお馬鹿者』に支配されていたのが、戦前・戦中の日本だった。
彼らは『おお馬鹿者』だけでなく、むしろ『狂気の人々』に近いといっていい。
こういう人々に支配されていた当時の日本の様相を見ると、米国が原爆を投じて、
終戦をはやめようとしたという言い分にも一理出てくる。
そう、こんな「おお馬鹿者」に支配されていた日本は、原爆でも落とされていなかったら、
それこそ竹槍1本で機関銃、戦車、爆撃機、原子爆弾に対抗していただろう。
それこそ日本民族の滅亡につながったに違いない。
こういう軍人たちの無知は、無責任であり彼らこそ『日本人の敵』だと見なさないといけない。
だが日本のほとんどの人々が、この戦争を支持していたのも事実だ。
いったに、日本人の心理に何が起こったのだろう。
>>754 国際連盟脱退と日中戦争推進は、朝日新聞内部にいた共産主義者の
敗戦革命の意図と合致してるし、軍部の単純馬鹿がだまされ、
利口だとおもってれう馬鹿サヨクがそれに加わってたわけだから、
なかなか対処が難しいのは当然。
今の、支那ポチ、忠犬アサ公の暴走でさえ対処が難しくて
民主党政権を作られちゃったのとおなじ。
近衛内閣と今の民主党はほぼ同質の構造の元でできた政権。
757 :
殺日本鬼:2010/07/25(日) 15:58:06 ID:eUAjMSyE
小日本どもが!!
こんなところで井戸端会議してなんになる!!
家に引きこもってないで出て働けww
いまも中国はおまえらを尻目にせっせとGDP伸ばしてるぜww
それにくらべておまえらゆとりどもは...日本は終わりだなww
せっせと働いてもGDPは上がらんよ。問題はそういうところにない。
しかし中国は大変だな。国民全ての生活を先進国レベルにしようとしたら
GDP今の10倍弱は要るんじゃないか?
759 :
名無し三等兵:2010/08/06(金) 17:13:24 ID:0P0BM2yu
760 :
名無し三等兵:2010/08/12(木) 21:32:15 ID:xi5oUPpt
シナ事変をやらせたがったのは、中国共産党とスターリンです。
スターリンはシナを使ってでも日本の力を削ぎたかった。
中国共産党の毛沢東は、当時、蒋介石に追い詰められていたので、
蒋介石の国民政府軍の力を削ぎたかった。
戦後、社会党の佐々木更三が毛沢東に、「 戦争をして申し訳ありませんでした 」
と言ったら、毛沢東は「 国民政府を潰せたのは日本軍のおかげです 」 と感謝しました。
これは冗談ではなく、本当のことです。 皆、この事実を知るべきです。
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日本の降伏が遅れたおかげで中国が共産化しました
天皇陛下は共産主義者の手先です
とでも言いたいのだろうかW
うちのじいちゃん南方じゃないけど
やっぱり輸送中に爆撃されて死んだって聞いてる
そこの部隊は検閲がゆるかったらしくて
よく「軍隊が性に合わない」「めしがまずい」
「団体生活がやだ」みたいな手紙を送ってきたそうだ
そんなじいちゃんがまだ団体生活を強いられて
漂ってたらやだな 気の毒だな
きっと堕落した今の日本でも
日常生活のほうが楽しいって言うんじゃないかな
763 :
名無し三等兵:2010/09/08(水) 03:11:56 ID:CaS9kjj+
東条英機らはミッドウェー海戦で、日本の敗戦が決まったというのに
日本が降伏すれば罰せられるのは自分たちだからと
「一億総玉砕」とキャンペーンを打ち、日本国民を更に戦争に狩りだした。
原爆が落とされる前に降伏すべきだったというのに自分たちの保身のため降伏しなかった。
原爆で犠牲になった人々も、「玉砕」のため戦争に狩りだされた多くの人々も
東条らA級戦犯が生き残るための生贄とされた。
それでも当然戦局を打開することはできず日本敗戦。
「敵兵に捕まる生き恥を晒すなら、日本軍人は自ら死を選ぶべきである」と教育した当の
東条英機は自決すらせず、生き恥を晒したまま処刑された。
>>763 一億玉砕が言われるようになったのはサイパン失陥後で、東条内閣は
総辞職してるぞ。
支那をして反省せしむるの方途なきや
766 :
名無し募集中。。。:2010/09/08(水) 18:54:24 ID:xbQDlUoJ
767 :
名無し三等兵:2010/09/09(木) 05:04:37 ID:nbY+Y8h2
>>763 東条はミッドウェーの損害を知らないんじゃないのか。
海軍が東条に正しい残存戦力を伝えていたとは思えない。
>>763 事実誤認もはなはだしい
かなり民度の低い国民のレスか?
771 :
名無し三等兵:2010/09/22(水) 12:05:44 ID:uII+pelU
272 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 09:31:44 ID:???
「天皇は戦争に反対だったけど立憲君主制の建前上強く言えなかった。
だけど荒廃ぶりに心を痛めて聖断を下した」ってなぁ。
開戦直後のノリノリっぷりとか、近衛ちゃんの
「さっさと講和しないと赤色革命が起こって国体が潰れるぞメーン?」に対して
「もう1回決戦してアメリカを叩いてから」とかお前はどこの陸海軍だっていうレベルの
殺る気満々な事を言ったりしてたのは黒歴史なのか…。
273 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 09:47:15 ID:???
初めから聖断を下せよって話だな。
そりゃ結果論だな。
お前等だって、自分の国が勝ちそうなのに途中で講和しようなんて思わないだろ?
まぁでも天皇による独裁、ってのには賛成かな。
多分東亜戦争以前に満州事変とかそんくらいから起こらなかっただろうし。
スターリンロシアで満州事変みたいなのが起きたら首謀者は一族全員銃殺
聖断は鈴木貫太郎あってのものだろう。
777
人民総ヤクザ支那原人どもを地球上から一匹残らず殲滅せよ人民総ヤクザ支那原人どもを地球上から一匹残らず抹殺せよ
人民総ヤクザ支那原人どもは自ら妄信した共産党の戦車により轢断死骸と化せ
人民総ヤクザ支那原人どもは自ら招いた環境破壊により知障・身障・奇形児を量産せよ
人民総ヤクザ支那原人どもは自ら招いた砂漠化により灼熱の砂の中で生き埋めになれ
人民総ヤクザ支那原人どもは食糧輸入を停止し計画育成によって強制堕胎した胎児を食み、自給自足を励行せよ
人民総ヤクザ支那原人どもは第二次文革を実施し、13億匹の人民畜を直ちに粛清せよ
人民総ヤクザ支那原人どもはあらゆる文明機器を放棄し、人文道徳のみを学習せよ
人民総ヤクザ支那原人どもは自ら築いた脆弱な建造物崩壊により、血塊・肉片と化せ
人民総ヤクザ支那原人どもは自ら築いた脆弱なダム決壊により、存分に毒水を飲め
人民総ヤクザ支那原人どもは劣化コピー・知的所有権侵害を禁ずるために脳みそを摘出しlenovoを埋め込め
人民総ヤクザ支那原人どもは食糧問題を侵略・収奪ではなく、段ボールフレーク、メラミンパウダー、地溝油の摂取により解決せよ
人民総ヤクザ支那原人どもは舌を抜き、手首を切断することにより国際社会に恥じぬ常識人に昇華せよ
人民総ヤクザ支那原人どもは軽挙妄動を封殺するために四肢を切断せよ
人民総ヤクザ支那原人どもは死臭・腐敗臭に勝る体臭を巻き散らさぬよう硫酸で毒皮を溶解せよ
人民総ヤクザ支那原人どもは直ちに自己批判と総括を行え
人民総ヤクザ支那原人どもを地球上から一匹残らず殲滅せよ人民総ヤクザ支那原人どもを地球上から一匹残らず抹殺せよ
人民総ヤクザ支那原人どもを地球上から一匹残らず殲滅せよ人民総ヤクザ支那原人どもを地球上から一匹残らず抹殺せよ
人民総ヤクザ支那原人どもを地球上から一匹残らず殲滅せよ人民総ヤクザ支那原人どもを地球上から一匹残らず抹殺せよ
人民総ヤクザ支那原人どもを地球上から一匹残らず殲滅せよ人民総ヤクザ支那原人どもを地球上から一匹残らず抹殺せよ
人民総ヤクザ支那原人どもを地球上から一匹残らず殲滅せよ人民総ヤクザ支那原人どもを地球上から一匹残らず抹殺せよ
東シナ海を魑魅魍魎シナ畜の水葬墓場にせよ
72 名前:無党派さん@避難所 [sage] :2010/10/07(木) 17:13:09
こりゃすごいね
学んだこと。2000−05年に東京都の財産所得は300%以上増え、
全国シェアは65.8%(2000年は21.9%)。44都道府県では減少
(内閣府『平成17年県民経済計算』)。東京への富の一極集中が
ここまでひどいとは知らなかった。
http://twitter.com/yuasamakoto 551 名前:無党派さん[sage] 投稿日:2010/10/10(日) 22:59:41 ID:W/Zyijp2
学んだこと。1970年、完全失業者数59万人。失業保険受給者49万1千人。受給率83.2%。
2007年の完全失業者数は257万人。受給者は57万人。受給率22.2%。
背景に2000年の雇用保険法改正による給付期間の短縮や非正規雇用拡大など。
(本田良一『ルポ生活保護』中公新書)
http://twitter.com/yuasamakoto/status/25700355480 やはり、自公政権下の雇用保険法改悪が悪影響を及ぼしている。
2006年の小泉政権における雇用保険法改悪もある。
ただし、民主党政権になってから、雇用保険加入要件が緩和された。
まあ、焼け石に水だが。
日独伊三国軍事同盟が締結された時ドイツさんは中国への支援を止めてくれたの?
止めたんじゃないの。
もっとも外国に輸出する余裕がなくなったとも言える。
外貨は重要だが、自軍も装備足りてないし。
783 :
名無し募集中。。。:2010/10/24(日) 18:39:03 ID:aVOJtHky
>>780 その前に日本の猛抗議で中止・顧問団撤収してるよ
入れ替わりにソ連から軍事顧問が支那へ乗り込んできたわけだが・・・
784 :
名無し三等兵:2010/10/26(火) 19:50:42 ID:LMYoCUQA
連帯を求めて孤立を恐れず
鬼子とはもともと聊斎志異の画皮で記されている道士の魔物に対して使う蔑称であった。
当初中国は中国を侵略する西洋人に対して「鬼子」と蔑称していた。
東洋人にない西洋人の顔立ちが魔物に見えたからである。
日清戦争以降「鬼子」はもっぱら日本人を指す言葉となった。
現在では日本人を軽蔑する言葉として使われることが多い。
「鬼子」といえばよく日本人を指すが、より明確にするために「日本鬼子」を使う。
また「洋鬼子」、「洋鬼」あるいは「西洋鬼子」といえば西洋人を指す。
ただ、「鬼」の字は中国語圏では最上級の侮蔑語であるが、
日本では強い力を意味するなど必ずしも否定的な意味でないため、
肝心の日本人にはいまいち侮蔑の意が伝わりにくいのが実情である。
尖閣諸島中国漁船衝突事件を契機に、
中国国内で反日気運が高まる中で「日本鬼子」の言葉の使用頻度が増えていることに対し、
日本国内で「日本鬼子」を「ひのもと おにこ」と読むことで一人の女性キャラと解釈し、
さらに萌えキャラクター化するという動きが活発化している。
【荒しは】萌キャラ『日本鬼子』制作 7【スルー】
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1288342322/
>>781 確かに戦況悪化でそれどころではないですね
>>783 猛抗議があったとは知りませんでした、てっきり黙認していたのかと・・・
ありがとうございました
788 :
名無し三等兵:2010/10/31(日) 16:26:00 ID:utGAxqq2
789 :
名無し三等兵:2010/11/01(月) 23:29:32 ID:2UDvBPCR
尖閣:日本の議員も「漁船の衝突動画は捏造」と発言…中国報道
サーチナ 11月5日(金)10時8分配信
環球時報社が運営するニュースサイトの環球網は、「日本の議員と専門家が、“中国の漁船が悪意で衝突した”ビデオは、(日本)政府の捏造(ねつぞう)だと言っている」と題する記事を配信した。
1日に、国会議員約30人を対象に、海上保安庁が録画した動画の一部を開示したことを受けて報じた。
「動画を見た日本の国会議員の多くは『中国の漁船は悪意をもって巡視船に衝突した』」、「はなはだしきにいたっては、(日本側が)中国人船長を不法にも逮捕したことは、正当な行為とまで称した」と紹介。
その上で、「悪意をもって衝突したとの言い方は、一面的だ」と述べた議員もいたと論じた。
環球網はビデオを見た田中康夫衆議院議員(新党日本)がブログで「捏造との印象を得た」と書いたと報じた。
ただし、田中議員は「う〜む、この程度だったのかが、偽らざる印象」と論じたが、「捏造との印象」とは記していない。
ビデオは、中国側漁船が悪意で衝突したことを決定的な証拠とは言えず、「批判を恐れず申し上げれば、主観の問題ではないか」などと感想をつづった。
田中議員は「反政府デモが禁じられている鬱憤を、反日デモの形で発散しているかわいそうな存在が中国国民。それと同じ土俵で日本も激高したところで、問題は解決しません」
として、日本は成熟した国家として理念と哲学と覚悟を持ち、「笑顔で握手しながら机の下では“急所”を握る」など、国益を追求する外交を展開すべきと主張したが、環球網は同部分は紹介しなかった。
環球網は、日本では一部専門家も、「ビデオは中国の漁船が日本の巡視船に自船をぶつけた証拠にはならない」と主張したと伝えた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101105-00000011-scn-cn さあ面白くなってまいりました
官僚の暴走が支持されるって危ないよなぁ。いつか来た道だぞ。
【尖閣】「よくやった。犯人探しはするな」 ビデオ流出で、海保に歓迎の電話やメールが相次ぐ
1 :そーきそばφ ★ :2010/11/05(金) 22:45:36 ID:???0
インターネットへの映像流出問題に絡み、東京・霞が関の海上保安庁には5日夜までに、
電話やメールで「国民のほとんどが見たいと思っていた」と歓迎する声が多く寄せられる一方、
情報管理の甘さを批判する意見もあった。
同庁政策評価広報室によると、電話の件数は114件。
「よくやってくれた。犯人捜しはしないで」などと流出に賛意を表す内容が83件。
「中国船への対応が甘かった」などと批判する内容が14件あったほか、
「なぜビデオを公開できないのか」との質問もあった。
メールの件数は計71件で、大半が流出を喜ぶ内容だった。
海保によると、いずれも約8割は男性からで、
担当者は「声の感じからは、若い世代が多かったと思う」と話している。 (共同)
ソース スポニチ 海保に電話、メール続々…「歓迎」と「批判」の声
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20101105132.html
官僚の暴走ってほど上級ではないような気もする。
確かに軍や官僚の暴走も怖い、しかし政府や国の命令ややってることが間違っていると
分かっていても従い続けるのも同じくらい怖い。
日本はどうか分からないが、アメリカの一般刑法には場合によっては不服従を許す条項がある。
判断は難しいけどね。
例えば、この場合政府の行為が国民の知る権利を侵害した犯罪行為であると認められれば、
裁判で流出させた人間が勝利する可能性もあるのではないかと思わないでもない。
796 :
名無し募集中。。。:2010/11/06(土) 22:58:43 ID:mq0HRGLx
機密動画の流出で日本の危機管理体制の信頼性が揺らぐとかほざいてるが、
犯人=支那人船長を弱腰の政治的判断で釈放させ証拠ビデオを隠すという
国益に反する自らの行動・危機管理能力欠如については何もおもわんのか?
売国民主の犬どもは
拾ったまとめ
>流出元は海保ではなく、検察とのこと
>なおかつ、組織的に動いた可能性が高い
>公安に就職した友人によると、官庁を横断して民主党政権に対抗するグループ(獅子の会と隠語で呼ばれている?)が存在し、先日の公安資料流出や今回の映像流出を指揮しているとのこと
>各官庁の次官なども参加している様子でskg38は特定不可能らしい
まさしく時代は5・15、2・26
>尖閣ビデオ事件の今後の展開
>
http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819695E2E7E2E7948DE2E4E3E3E0E2E3E29191E2E2E2E2 >
>同庁政策評価広報室によると、電話の件数は114件。「よくやってくれた。犯人捜しはしないで」などと流出に賛意を表す内容が83件。
>
>今後の展開はこれで。
>
>
http://www3.ocn.ne.jp/~y.hirama/yh_ronbun_sengoshi_2.26.htm >
>陸海軍および司法省は、昭和8年8月11日に3省の首脳会議を開き、厳罰の方針で臨むことで意見の一致を見た。
>しかし、法廷において被告や弁護人が述べた政治の矛盾や、国家改造論の要旨が連日新聞に報道され、
>国民各層に共感を呼び(中略)新聞は(中略)法廷での被告の陳述をセンセーショナルに報道した。
>公判が進むに従って新聞は涙々の報道となり、世論は次第に熟狂的な同情へと変わった。
>しかし、このような流れの中、海軍が出した判決は死刑3名を含む厳しい求刑であった。
>すると、国民のほとんどが重すぎると求刑に怒り、論告求刑と同時にいっせいに判決批判の嵐が巻き起こった。
>8月19日には減刑嘆願の勲意を示すため9名のアルコール漬の小指が弁護団から提出された。
>9月14日には19歳の女性は国家のために事件を起こした被告が死刑とはと、
>電車に飛び込み自殺して減刑を訴えた。新聞は連日(中略)熱狂的な減刑運動の盛り上がりを伝えた。
>8月19日には6万通であった減刑嘆願書が、海軍側被告の判決前日には、血書1、〇22通を含み114万8、○○○通にも達した。
>
>とまあ、五・一五事件の判決の後、右傾化していくわけですが、
>
>昭和日本をファシズムの道へと導いたことであった。
>しかし、前述のとおり事件の遠因は政争による短期政権や政治家の汚職と、
>官僚の癒着などにともなう政治不信であり、近因は事件発生後に発行部数競争に走る新聞報道の姿勢にあった。
>
>同じ遠因はいまもありそうですね。
右傾化云々なら満州事変前から既になってると思う。
軍隊の下克上の雰囲気という点でも。
みそとクソが似た様に見える眼なら今回の動画流出も
いつかきたみち的に感じられちゃうんだろう。
スレタイを読め。よそでやれ
イナゾウ氏がいなくなってから過疎りましたね
次スレはどうしましょ?
延々スレ違いの政治コピペとレスが続くだけならいらないでしょ
中佐も過去ログも消えてしまったし、もし立てるならテンプレは多少改良したほうがいいかも
おつ
質問ですが日中戦争関連でお勧めの本はありますか?
でイナゾウはいつまで遊んでいるつもりなんだ?
はやく復帰しろよ
>>810 どういう本をご所望なのかわからないので自分の趣味の範囲でw
既読だったらすみません
・『日中戦争の全貌』森山康平(河出文庫)
初めての人向けの本ですが、戦史叢書を柔らかくまとめたような内容なので
いまだに参照することがあります。軍事作戦が中心で政治・外交面は少なめ
類似本の『太平洋戦争主要戦闘辞典』(PHP文庫)は作戦地図が多くて良いです
・『長沙作戦』・『華中戦記』・『B29基地を占領せよ』・『大陸打通作戦』
佐々木春隆(光人社NF文庫)の四部作
用語などの予備知識が多少必要ですが従軍記の中では資料的価値も有り。
ただ、登場人物が多くて地名もややこしいので何度か読み返しました
(面白かったからというのも理由ですが)
・『蒋介石(マクロヒストリー史観から読む蒋介石日記)』黄仁宇(東方書店)
蒋介石日記からみた抗日戦争・中国社会・連合軍の内情
著者は元国民党軍将校で、日米中の史料に自身の体験も交えながら
客観的に述べられていています。イナゾウ氏もよく引用してましたw
>>810 『歴戦1万5000キロ 大陸縦断一号作戦従軍記』、藤崎武男、中公文庫
昭和30年頃に書かれた本を90年代に著者本人がリライトした本なので
ディテールの記憶がすごく細かく、生々しい
大陸打通作戦に参加した部隊の実態を知りたい人におすすめ
打通作戦は戦争後半で参加人数も多いから
従軍記や関連書籍が多くてありがたいねぇ
それにしても児島襄の『日中戦争』が絶版なのは勿体無い…
古本屋を巡るといい本がありそうだな
>>815 児島氏の本は絶版が多いね。
>>813の一番上の本って「図説 日中戦争」(ふくろうの本)を文庫化したものだよね?
>>813の『太平洋戦争主要戦闘辞典』(PHP文庫)は
多分このスレで勧められているのを見て買ったね。
818 :
名無し募集中。。。:2010/11/21(日) 21:50:27 ID:7BhhNfGo
満州事変や支那事変初期作戦(北支・徐州・武漢など)の戦記が殆どない
のが残念・・・
古いのと当時の古参兵が戦死したためだろうか?
>>816 そうです。部分的に加筆されているようで
お手頃価格になったぶん写真などは少なくなっています
でも写真集は毎日の『一億人の昭和史』が最強
主要戦闘辞典の方は書店では既に見かけなくなってますね…
Google書籍検索で部分的に読めますがw
>>818 同感
戦友会の出してる連隊史とかにはあるんだろうけど
普通は手に入らないからなぁ
支那事変期の需要(というか関心?)が低くて
戦史を発掘する人もほとんどど居ないんだろうな
>>819 文庫版は図が減っていると聞いたことがありますね。
徐州会戦のウィキをいじってみた
百団大戦について知るのに何か良い本ないかな
戦記でも研究でもいいんだけど…
824 :
名無し三等兵:2010/11/29(月) 21:09:11 ID:K/ZP+7+1
週刊エコノミスト [2010年11月23日号]
◇書評
・著者インタビュー 松元 崇『高橋是清暗殺後の日本』
ttp://mainichi.jp/enta/book/economist/news/20101112org00m020017000c.html 無知な軍部の「経済敗戦」が日本を「持たざる国」にした
■(前略)
是清暗殺後、どうして戦争になったのか。私は、この財政金融の経済合理性を理解しない軍部が、
指導者になったからだと考えます。当時の経済財政関係者は、ほぼ、英米との協調を訴えていまし
たが、みな軍部に蹴散らされていく。
―― 軍部主導の経済政策の失敗例として挙げたのが、中国・華北に「円ブロック」を形成しようと
した「円元パー(等価)政策」です。
■法幣(元)など複数通貨が流通していた当時の華北で、経済実勢とそぐわない、強引な固定レート
を設定したのです。結果、日本から大量の正貨(外貨)が流出し、経済に大きな損失をもたらす一方、
国民党の蒋介石政権の財政を助けました。
軍部が自分で自国をジリ貧に追い込み「持たざる国」にしたのです。ところが、軍部は、それを
「英米のブロック経済のせいで日本が苦境に追い詰められた」と言い立て、国民を戦争に誘導して
いったのです。
―― 円元パー政策を放棄し、英米協調を図ろうとした池田成彬蔵相に、中小商工業は猛反発し、
軍部支持を強めます。
■「円ブロック」への輸出で潤っていたからです。この政策は輸出に補助金をつけているようなもの
だったから、通貨・金融政策として破綻しているにもかかわらず、やめられない状況に陥りました。
本来は、指導者が経済合理性を説明して世論をリードするべきだったのですが。
―― 誰も軍部に逆らえない。
■軍部の力を強めたのが、2・26事件のような暗殺・テロです。暴力で言論が抑えられ、民主主義が
失われていく。是清暗殺後も、世論や政党政治家には「軍はやりすぎ」という感覚がありましたが、
盧溝橋事件(1937年)で軍事優先の世の中になり、戦争に突入していったのです。
825 :
名無し三等兵:2010/11/30(火) 04:02:09 ID:3fxgNGSn
国共内戦は日中戦争以上に日本での著作が少ないね。
ところで中国が非民主的な政治体制だから
歴史研究も政治の影響を受けて
戦争研究の障害になることってあるのかな?
827 :
名無し募集中。。。:2010/12/04(土) 00:59:34 ID:iJi/o1B6
ありまくりだろ
支那の歴史はすべて勝者に都合良く捏造される
直前の王朝(戦前なら日本軍が相当)は極悪人に仕立て上げられる
>>826 うちの大学にも「中国だと自由な研究ができないから」って理由で朝鮮戦争関係が専攻分野の人が政治学専攻の博士課程にいたなぁ。
学部時代のお師匠さんが博論の主査やってた。
日本でも、日本だと菊タブーがあるから日本史から中国史に移った奴はいる。
◇ ミ ◇
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このAAを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
どの国でもタブーはあるもんだ
素朴な疑問ですけどたいていの会戦では日本軍よりも国民党軍の方が兵力では上回っているのに
国民党軍が退却することが多いのでしょうか?
戦後の国共内戦のときも共産党軍との会戦では芳しくなかったようですが・・・。
>>834 後背地に退却するのだが、結構戦闘に勝った日本軍も撤退する(占領地維持が大変なので)。
戦闘で日本軍が勝てるのは、
知人がリアル・タイムで士官学校で前線帰りの将校さんたちから聞いた話では、
勇気などの問題ではなく装備、火力の差と言うことだった。
836 :
名無し募集中。。。:2010/12/19(日) 12:14:49 ID:sZK6gROp
あとは戦術の差もあるでしょ
特に支那軍の前線指揮官の未熟さとか
中央軍兵士は概して勇敢だが、その他大多数の一般部隊は戦意が低いし
包囲されそうになれば真っ先に逃げ出す。
日本軍の戦術の優位性って毒ガスを使うのが上手かったからあったんだよな。
んな訳ないだろ
宜昌作戦じゃイペリット撒いてるな。
840 :
名無し三等兵:2010/12/19(日) 15:01:56 ID:WLQSdj6/
匍匐前進だって正規の教育を受けた兵士とそこらの農村で徴集して
そのまま前線に送り込んだ兵士では全く異なるし、無駄玉の打ち方も違う。
指揮官の教育程度が異なれば状況ごとの戦術方針をどれだけ適切に構想出来るかという問題もある。
そうなれば真っ当な会戦じゃ日本軍が勝てないほうがおかしい。
戦線が膠着して以降は、日本側も予備役の老兵や新徴や現地招集の兵士主力になっちゃうけどな
将校も、正規の士官学校出は少なくて幹候とかの促成将校の比率が上がってる
編成自体も、独混て頭につく不正規編成部隊が大量に
結局、民国軍の士気練度が絶望的に低かったのと、重機材の不足じゃね
さすがのアメリカも、重砲までヒマラヤ越えで供与できんわ
>>836 日本の陸軍士官学校では、少なくとも日本軍のほうが優秀とか勇敢とは思うな、
国民党軍は強いと教えていた。
ただ、白団で台湾にいった連中の話に、かつて戦った中国の名だたる高級指揮官が、
戦略、戦術を理解していないこと驚いたという話もある。
黄埔軍官学校だっけ。育成の時間が足りなさ過ぎたな
844 :
名無し募集中。。。:2010/12/19(日) 22:19:03 ID:sZK6gROp
>>840 日本軍ほど徹底して匍匐前進を訓練した軍隊はいないからね。
予備・後備兵にしても正規の軍事訓練を以前は受けた者だし。
それに対して支那兵は戦前の中央軍が中支で徴兵した他はもっぱら
募兵という名の詐欺か拉致だったわけで、これじゃ戦意の問題以前だ。
それと支那軍の弱さは国民性にもあるでしょ。
徹底的な個人利己主義だから団体行動も難があり、命を賭して戦おうと
等とはしない。
匍匐については支那帰りの下士官とかでも「国内で受けた訓練であれが一番役に立った」っていう人がいたぐらいだからな。
中国軍については出身地を離れると士気がガタ落ちしたり、そもそも山二つ超えると言葉が通じない、みたいな話も多かったらしい
商用で大陸に渡ったうちの親戚もその手のことを言ってたらしいよ。
846 :
名無し三等兵:2010/12/21(火) 12:06:42 ID:o2Wr7Frz
> 日本はまた太平洋戦争のような
> 不条理な戦争を始めてしまうと言う可能性を捨てきれない
左翼は、こういうアホな理論で改憲の妨害をする
なぜ太平洋戦争が起こったかを知らないのだろうな
簡単に言えば、石油の輸入を止められたからなんだが
つまり、日米同盟を結んでいる限り、石油の輸入を止められる恐れはない
よって日本が戦争する理由はない
石油禁輸を食らったのは陸軍の仏印進駐が原因なんだが。
>>846 >>847 なぜ、ここで石油禁輸の話をする?
まったくまったく関係ないだろ。スレ違いで荒らしまくるなよ。
仏印進駐なら問題ないな。
援蒋ルート遮断の一環だから。
>>849 そうやって居座るのか。牟田口閣下かつじーんみたいな性格だな。
>>850 お前は何を言ってるんだ?
石油禁輸の話でもないのに。
>>838 841 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/11(土) 01:40:43 ID:PKjxYaY5
例えば、『あか弾』(くしゃみ性・嘔吐性ガス)ですが、武漢攻略作戦では
375回使用されたと云います。
中支那派遣軍司令部による「武漢攻略戦における化学戦実施報告」を引っ張って
くると、以下の通り。
●特殊煙の効果ならびに成果利用の状況
防護装備ならびに防護教育、劣等なる支那軍に対しては、特殊煙は極めて
有効にして、その少量の使用するも敵を戦闘不能ならしめ、その射撃に対し
予期以上の効果を収めたること少なからず。
特に精神的効果は顕著なるにありて、我の発煙を認めて直ちに陣地を
放棄せる例あり。作戦初期においては使用ならびに成果の直接利用は
十分とは認め難きものありしも、教育指導の体験を重んずるに伴い
漸次良好となれり。
844 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/11(土) 01:52:25 ID:PKjxYaY5
実施総回数は375回を下らず。その約8割は成功し、約2割は成果
十分ならざるものとす――。
まあ、要するに武漢攻略作戦における日本軍の攻撃パターンは、『あか弾』を
支那陣地向けて撃ち込み、土人兵がガスを吸い込んで中毒症状を起こしている
ときに、すかさず銃剣で突撃し全滅させるというものでした。
つーか、今日のNHKはまた直近の深夜とかに再放送しないですかね?w
化学戦に対する防護が貧弱で、反撃能力も無い相手だと毒ガスは効果抜群だな。
854 :
名無し募集中。。。:2010/12/21(火) 21:21:59 ID:5klGcg+9
エチオピア戦争でのイタリア軍なんかはもっと劇的にガスを使用したよな
>>854 ドイツ軍装備で固めて近代的防御陣地を築いていた国民党軍とエチオピアの土人軍を一緒にされては困る。
エチオピアの皆さんのほうが強そうなイメージが、根拠はない
>>851 石油関連の制裁は段階的にあったけど、全面禁輸は仏印進駐が原因だから仕方あるまいて。
その仏印進駐の目的は海岸封鎖による援蒋ルートの遮断なわけだ。
859 :
名無し募集中。。。:2010/12/22(水) 22:39:17 ID:szTeq0SI
兵の勇敢さではエチオピア兵>>>>>>>>支那兵 でしょ
近代軍としては逆だけど
エチオピア軍のことはよく知らないが
中国兵の勇敢さを示すエピソードは割と見かけるよ
まぁ人数が多いし平均すれば相対的に他国よりは劣るだろうけど
圧倒的な火力を持ちながら負けた奴なんて今川義元ぐらいだろw
863 :
名無し三等兵:2010/12/29(水) 08:48:49 ID:wCdsRQPB
戦争中、国民党軍は「大後方」に引っ込んで戦闘に消極的(戦後の国共内戦に備えて戦力を温存)だったのに対して
共産党軍のほうが戦意が高くて戦闘に積極的だったというのは本当ですか?
>>824 なんという米英金権資本家の走狗、間違いなく興亜の聖業を理解してない輩(^^;)
865 :
名無し募集中。。。:2010/12/29(水) 10:56:02 ID:0suXGuQl
>>863 大嘘。中共の宣伝、実際はその逆だよ。
国府軍は戦闘の矢面で日本軍の攻撃に晒され続けて消耗(打通作戦が良い例)、
その間八路軍は後方で宣伝・民衆鎮撫と解放区拡大に血道を上げていた。
日本軍との戦闘による損害は、国府>>>>>>>>>>>>八路 だよ
北支だと八路軍が主な相手だった。
867 :
名無し募集中。。。:2010/12/30(木) 13:13:33 ID:ndzDJ4oK
そりゅ北支はほぼ完全に日本軍支配下で、正規軍同士の戦闘が起こる状況に
ないから、八路匪賊のゲリラ戦主体なのは当然だろ。
匪賊ってのは日本側がそう言ってるだけのこと。
単に大部隊での戦闘が無いだけで北支は不安定なもんだよ。
日本軍が優勢とはいうものの数多くの拠点に分散配備されていたからな。
後期は分所や哨所が全滅することも一度や二度ではないし、交代の為のの部隊移動の際も安心できなかった。
869 :
名無し三等兵:2011/01/01(土) 01:27:04 ID:DS9sq6YL
あれは昭和13年だったかなあ。
新宿の帝都座で『チョコレートと兵隊』を観ていたら、
出演者の高峰秀子自身が舞台挨拶に来てねえ。
その時の愛くるしさがいまだに記憶に残ってる。
その後、わたしは出征して、
独立工兵隊第36連隊のウェワク残留隊というところで終戦を迎えたんだが、
戦死者たちの多くは、奥さんや恋人ではなく、高峰秀子のプロマイドを胸元に身につけていたよ。
高峰秀子の思い出と共に死んでいけたことはある意味幸せだったと思う。
老河口作戦で乗馬突撃は行われた?
それとも単なる俗説?
>>871 小規模なのはあったろうけど、大規模なのは俗説じゃないかなぁ
873 :
名無し三等兵:2011/01/13(木) 02:00:42 ID:e3kSoX8w
日米戦争のはアメリカ側に犯罪性があると言う議論もアメリカである
終戦後連合国側は日中戦争の戦争責任を問う為
市ヶ谷に責任者を集め事情聴取を行ったが
中国側の挑発が原因の疑いが強く裁判で同盟国が敗れる結果を恐れ
日中戦争に付いては人道に対する罪に限定して裁判をおこなった
ドイツとの戦争については戦後すぐ情報開示を行っている
それはドイツの犯罪性が明らかだったからである
しかし日本の場合はむしろ逆の可能性があるのだ
だから日本との戦争については
100年情報開示を行わないとアメリカが言っている
874 :
名無し三等兵:2011/01/13(木) 19:27:45 ID:zTTxjQYF
【台湾】馬英九総統「日本には謝罪責任がある」…従軍慰安婦問題で日本は自国の「恥部」を隠すべきではない [12/27]
台湾の馬英九総統は26日、台北市文化局や台湾婦女救援基金会が主催した、台湾の
元従軍慰安婦らの対日訴訟に関する特別展に出席し、「日本政府は歴史の過ちに対して
謝罪する責任を持つ」と発言。注目を集めている。環球網が台湾の報道を受けて伝えた。
主催者となる台湾の元従軍慰安婦らが対日訴訟を求めた2000年から、同基金会の活動
は今年で10周年を迎える。展示会では、元従軍慰安婦らによる日本への賠償要求や、
従軍慰安婦問題の教科書記載などを求める運動などが紹介された。
馬総統はこれまでも元慰安婦の名誉回復活動に積極的に参与しており、同基金会が制作
した台湾人元慰安婦に関する記録映画の撮影や、元慰安婦への補償活動などに関わった。
また、2008年には、元従軍慰安婦8人と会談し、同問題への関心の高さを示している。
馬総統は、特別展開会のあいさつで「日本は歴史で犯した過ちと向き合うべき」と述べ、
日本は自国の「恥部」を隠すべきでなく、また、謝罪責任を逃れるべきではないとの見解を
示した。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1293436105/
>>871-872 飛行場攻撃について戦史叢書によると、3月27日朝、騎兵第26連隊は
老河口飛行場東の高地帯(馬屈山)に「(尖兵中隊が)下馬して戦闘を開始」とあり
正午までに馬屈山を占領して午後から飛行場への攻撃を開始
18時に飛行場を占領した連隊は、騎兵第4旅団司令部に占領を報告
その後司令部から「連隊は一部を以て馬屈山を確保せしめ主力は
即時手馬位置に集結して爾後の戦闘を準備すべし」との命令を受領、とある
つまり飛行場急襲は徒歩戦闘だったということで良いのかな?
876 :
名無し三等兵:2011/01/22(土) 09:56:44 ID:J31Ke2or
>>865 それは欧米の援助を受けた国民党軍の方から積極的に日本軍に攻勢を仕掛けたのではなく
日本軍が攻めてきたから受けて立たざるを得なくなったということ?
877 :
名無し募集中。。。:2011/01/27(木) 21:29:05 ID:UcTlu9b7
>>876 違うよ、戦闘での相手として国府軍が主だと言ったまで。
支那事変のきっかけは、大陸での日本の権益を武力で取り戻そうとした
国民党政府の度重なる軍事挑発が原因。
それに輪を掛けたのが、国府軍の矛先を逸らし勢力拡大を目論む共産党に
よる反日侮日工作。
>>877 きっかけは国府からだが、その後に事態が収拾出来なかったのは
第二次上海事変直後、軍中央と政府そして国際社会の制止を無視して南京に進撃した日本軍の責任だよ。
近衛声明、武漢攻略、傀儡政権樹立と、日本側が機会に乗じて侵略したのは事実だ。
それと北支じゃあ日本軍は八路軍相手に苦戦してる。
879 :
名無し三等兵:2011/01/28(金) 10:20:00 ID:WL3t6kZi
>>878 まあアメリカがイラク戦争でバグダットを陥落させたのと同程度の悪行だろうな。
>>878 南京へ進撃したのは、第二次上海事変で突破して、
そのまま追撃しただけじゃないですか?
そこでトラウトマン工作で講和していれば、何の問題もなかったと思う。
881 :
名無し三等兵:2011/01/28(金) 20:18:26 ID:rQjIXy9M
お前ら、まず吉村昭の『蚤と爆弾』に対して反論してみろ
第二次上海事変であれだけやっといて、自分から仕掛けていないとか日本の侵略戦争だとか
無理がありすぎるだろ国府軍。本格的に戦争を仕掛けてしまった以上当然ああなる。
883 :
名無し募集中。。。:2011/01/28(金) 21:44:57 ID:S54uZJYX
>>882 完全同意。
最新装備で固めた中央軍の圧倒的兵力で勝利疑いなしと判断して日本を
挑発し戦争始めたものの、蓋を開けたら惨めな敗北の支那軍
首都前でくい止めるべき抵抗もせず敗走し、「侵略された」「大虐殺された」
と被害者面ばかり
厚顔無恥とは支那人のことだな
>>880 まずその追撃自体を中央は制止していたし、国際社会も止めるように言っている。
それとトラウトマンが匙を投げるような講和条件を突きつけたのは日本側。
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08h12.html#15455b 自衛を目的とするなら,中国軍が全面撤退を始めた11月10日以降,侵攻を停止すべきでした.
すでに既得権益と居留民保護の目的は達成されていましたからね.
にもかかわらず,侵攻を続けたのは,過剰防衛といわれても仕方が無いです.
たとえば,10月6日の国際連盟総会で採択された二三国諮問委員会の報告では
「中国に対する日本の軍事行動は,紛争の起因となった事件とは比較にならぬほど大規模である」
と述べています.
また,日本の軍事行動は自衛ではなく,日本が加盟している九ヵ国条約,不戦条約の違反であると認定しています.
(要約『新版 日中戦争』p88 中央公論新社[中公新書]2000年)
>>879 村々や道道で略奪暴行、焼き討ちをしないだけ米軍のが遥かにマシと言える。
少なくとも手前の軍隊の面倒は自分でみてるからなぁ。
>>885 圧倒的な火力で邪魔なもの全部吹き飛ばしてるじゃないか、米軍は。
>>886 日本軍も同じことはやっとるよ。
単にその火力が比較して少ないだけだ。
人力と小火器で念入りに村落を破壊している。
日本軍はちゃんと市民と捕虜と便衣兵を分離しようとしている。
アメリカ軍とは違うのだ。
してないってw
戦闘後には、「あれは私の息子で兵隊じゃない!」という市民の家族の申し出を受け付けたり、兵隊特有の身体的特徴を考慮してより分けているよ。
同様のことはアメリカ軍もやっとる。
が、日本軍の場合判定がより荒いというか…。
平頂山事件だっけ?集落にゲリラ逃げ込んだとかで
集落を全滅させた事件、まあ支那事変前だけどね
>>891 は? 日本軍は作戦続行中だから、あれが限界。
ハーグ陸戦法規だってそういうときは手順を省略してよいといっている。
むしろ、「指揮官がいないと降服無効」を悪用して日本兵を虐殺したのがアメリカ軍。
425 :白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2011/01/17(月) 01:38:32 ID:KCSlpKr3
>>404 ゲリラ側が向かうて来るんなら、飛んで来る火の粉じゃけぇ応戦せにゃあ
いけんが、掃討は非戦闘員を巻き込むけぇ虐殺よのう。
そもそも、軍上層部が現地民を慰撫せず愚かな武断政策を採ったんが問題
じゃ。それなんに前線で掃討する兵士はたまったもんじゃない。
http://homepage2.nifty.com/ijn-2600/yamashita.htm ここの下の方に、広島五師団兵が愚かな軍命令で華僑虐殺(掃討)へ
かりだされたが、「昼間拘束した華僑が 夜の間に逃げるにまかせていた
例もあるようだし、夜間のゴム林の中で、逃げるように促し、空に向けて
ニ、三発 銃を発射した例もあると謂われる。」
「命令に絶対服従の軍隊でせめてもの無言の不服従の兵士がいたことを
戦後の軍事法廷で 被害者側の證言として記録されている事が 加害者側
の同胞として 些かなりとも救われた思いがする。」と、こりゃあ事実じゃ
けんのう。
逆に左翼共は、日本最強広島五師団を犯罪集団扱いし、広島師団将兵が
軍命令に逆らい、現地民や華僑のスパイを見逃したり安全な場所に
匿うたことに一切触れん。
残念ながら広島師団の将兵にも、皇国思想に洗脳された真面目な兵士は、
郷土広島の弱者を見逃す精神を忘れて、ほんまに虐殺した者らもおった。
確かに華僑ゲリラはテロ行為もしたが、掃討は女子供まで巻き込むけぇ
のう。掃討を報復と考える思想中毒の真面目な兵を別として、
掃討は武士道に反すると考えとられた将兵も多い。
ハーグ陸戦協定には村人ごと掃討して良いとか書いてるわけじゃないんだが…。
村ごとハンバーガーにするのがアメリカンスタイルだよw
物を掻払って女を暴行した後村に火を付けるのが日本流だなw
大体、いわゆる「作戦」の途中ではない行軍や「討伐」の時に常時やってるからな日本軍は。
>>898 それは北支の治安戦だろ。
相手が共産党の便衣兵なんだからしゃーない。
>>899 しゃーない、なんてことにはならないよ。
証拠も無いのに村ごと焼き討ち破壊なんてな。
もっともそんな治安戦ばかりしていたから民衆を慰撫出来ずどんどん不利に
なっていったわけだが。
901 :
名無し募集中。。。:2011/01/29(土) 22:23:29 ID:9yRi4bzn
陸戦規定無視で便衣になり民衆に紛れて逃亡しようとする支那兵の
やり方に問題がある
これじゃ見分けが付かなくなり本物の民間人が殺されるのも無理ないだろ
支那のやり方は汚いわ
便衣になって逃亡にソースを求めたいところだが、それは置いといて
何故日本軍が民衆の支持を得られなかったのか考えなって。
>>900 そもそも、抗日テロが多発してるから日本軍が出てくる羽目になるわけで。
これは支那事変以前からずっとそう。
>>902 中国人が排外テロしなければ、仲良くやれたんじゃないすかねw
紅軍が漁夫の利を得る結果に
日本軍の戦争犯罪が長きに渡って指弾される結果となった
満州事変だって、日本の権益を国民党や軍閥がきちんと守ってくれるなら起らなかったはずで。
907 :
名無し募集中。。。:2011/01/30(日) 18:47:18 ID:sasMvSiq
>>904 満州事変自体が、日本の権益を実力回収しようとした東北軍閥による排日
政策・武力威嚇に対する"権益防衛"として起きたものなんだが?
いいかげん自虐史観の洗脳から醒めたらどうだ
>>907 自作自演で爆破事件起こして、それを口実に侵略したのに自衛も糞もないもんだ。
リットン報告書の結論を受け入れていない点でもな。
先ごろ中公文庫から復刊された高宮太平の『軍国太平記』でも読んでみろ。
日本軍の侵略だと喚いている人間は
それ以上に非道なイギリスなどの植民地支配にはさぞ憤激しているはずだろうよ。
そうかもしれないな。
で、それと日本軍に何の関係が有るんだ。
自分が世界を知らず、日本だけを論う非常識な人間だという自覚はあるわけだ。
それを開き直るほどの厚顔無恥ということも自覚した方が良いな。
基本文献くらいは読んだほうが良いぞ。
んでそちらさんはイギリスなどの植民地支配をどう思ってるんですかね?
>>908 平和なところにいきなりて鉄道爆破事件がおきたら、事態収拾して何事もなく終わってただろう。
テロ連発で日中関係が一触即発だったから、満州事変までいったのよ。
>>913 事態収拾というのはまずちゃんと首謀者を処分することだが、それすら出来てないのにか?
そして事件前既に侵攻を準備していたのに?
関東軍がやる気になってるのにそのまま終わるわけがない。
その辺り『軍国太平記』を読むと面白いよ。
そもそも平和だったら関東軍のでる幕なんかないわけよ。
治安が良いとは言えんかったが天皇陛下の命令無しに外国に軍隊を進める程じゃあなかったよ。
>>909>>911 皆がやっていれば、自分が悪事をなしても免罪される。そういう論理なのか。
生憎とそういうのは国際社会で通らないぞ。
満州の日本権益排斥だって、中国のナショナリズム高揚にともなう排外主義に悩まされていたのは
他の帝国主義列強だって同じだ。日本はそこで中国を力で押し込めて市場を独占しようとした。
他の列強は、妥協を探った。他の列強と協調して中国に圧力をかける方向に進めばよかったのに
強欲に走ったゆえの自業自得だよ。
918 :
名無し募集中。。。:2011/01/31(月) 22:38:52 ID:y854QsTH
強欲に走ったのは支那の方だろ
歴史的経緯のある不平等条約の改正や権益回収には、自らの国力を
上げていくことであくまでも地道に交渉によりあたるのが筋だろう
かつての日本もそうしてきた。
それを軍隊による威嚇・発砲や邦人へのテロという武力行使で強引にやろう
とした野蛮な支那の行為こそ侵略的だ。
"侵略"を批判する権利など無いわ
>>917 歴史を全く知らない人間だったのか。
国際社会では善悪など問題ではなく、合意を得られるかどうかだけ。
自国権益に固執して道義に悖る行為を行うなど常識の世界。
日本は開国後に安政五カ国条約のような片務的条約を朝鮮と締結している。
それを国際社会で非難された、などという話は寡聞にして聞かない。
植民地分割やWW1後の民族自決が欧州に限定された史実を知らないわけだ。
>>919 で、その合意をまったく得られなかったことが問題なのだが。
>皆がやっていれば、自分が悪事をなしても免罪される。そういう論理なのか。
>生憎とそういうのは国際社会で通らないぞ。
ここは善悪を問題にしたんじゃなくて、他国がやっている悪事であれば国際社会に
承認されうるか?否って事を言いたかったんだが。
大体、ある行為が許容されうるかどうかは時代によって変わる。
19世紀まで皆がやってたからといって、20世紀も半ばに入りかけた時代に
自国の行動に国際的合意が得られるかどうか考えるべきだった。
>>920 >>917の文章からは全くそんな論理は読み取れないが。
反論に窮したからといって手前勝手に自分のレスを改竄するなよ。
>>921 別に反論に窮しているとなど思っていないが……
というより、
>>919で議論の相手自らが国際的合意の重要性を指摘していて、
それで日本の行為は国際的に許容されうる範囲を明らかに超える問題性のある
“侵略”だよねってなって、話は終わりなんだけど。
>>919 満州事変で日本政府と軍中央は不拡大を国際社会に約束したが、何か言う度にその約束は関東軍に破られた。
事変後、国際社会は日本がリットン調査団の勧告を受け入れることを期待したのに日本は拒否した。
次に上海事変でも列強諸国は上海から先に進撃しないように言ったが日本は無視した。
924 :
名無し三等兵:2011/02/01(火) 23:18:19 ID:F8DefgsX
>>924 吉村昭とか、半分小説だろw
塩野七生みたいなもんだ。
927 :
名無し三等兵:2011/02/16(水) 21:40:55 ID:lVugjTuI
929 :
名無し三等兵:2011/05/13(金) 08:15:48.91 ID:/aPC7JE9
>>923 確かに「国際社会」は口先では抗議したが、日本に対する制裁なんかは全然なかったわけだが。
日本が満州事変で国際連盟を脱退したあとも、国際連盟は日本に対して経済制裁なんて決議してない。
日本への制裁がきつくなるのは、支那事変が泥沼化して、仏印に進駐しようかどうかって頃。
しかもそれは国際連盟を通してではなく、列強同士が個別に制裁を行った。
つまり、列強同士で合意さえ取れればなにやってもいいってのが当時の国際社会。
もし、国際社会が日本にルールを守らせたいなら、ルールを守らせるための実行力を行使すればよかったのに、まったくしなかった。
ルールを破ってもペナルティがないなら、誰もルールを守らなくなる。
ルールを守らせる努力をまったくしなかったのが当時の国際社会。
何の言い訳にもならんな。
931 :
名無し三等兵:2011/05/14(土) 19:18:49.83 ID:+Lsfirf8
>>930 国際連盟なんて、当時から超大国だったアメリカとロシアが参加してない時点で「国際社会の意思」でも何でもないしw
実際、日本が国連脱退したあたりから、ますます連盟の影響力がなくなる一方。
第二次世界大戦後にはついに廃止。
国際連合に取って代わられてしまいましたとさ。
国際連盟が無力だったのは事実だが、それが日本の行為に対する正当化になるわけないだろw
国際連盟は満州国を認めなかったし、米国もソ連も国家として承認していない。
更に日本はリットン調査団報告に基づく日本にかなり有利な調停案も蹴っている。
933 :
名無し三等兵:2011/05/15(日) 11:14:59.55 ID:VoHC/IXD
>>932]
>国際連盟が無力だったのは事実だが、それが日本の行為に対する正当化になるわけないだろw
何によって不当認定されたかと言えば、国際連盟。
で、連盟の不当認定が有効なのは、連盟の加盟国に対してのみ。
そして、日本は連盟のルールに従えないので脱退した。
連盟から抜けてしまえば、連盟のルールに従う必要はなく、不当行為ではなくなる。
少なくとも日本の行為は、連盟に加盟もしてないのに、オブザーバーとして口出ししていたアメリカよりは誠実だろうw
アメリカはだな、連盟に加入しちゃうと連盟のルールに縛られることになるので、それを嫌がって参加しなかった。
連盟のルールに縛られずに連盟に参加した利益を得るために、アメリカはオブザーバーという例外的地位で参加した。卑怯だよね。
アメリカの発言権なんて認めていいの?
>国際連盟は満州国を認めなかったし、米国もソ連も国家として承認していない。
枢軸国は独立を認めてくれたし、ソ連も中立条約で事実上独立を認めた。
アメリカとは交渉中に太平洋戦争が起こったが、ハルノートとは別にアメリカが用意していた暫定協定案では、満州を認めはしないものの、満州撤兵を求める内容は消えていた。
その外交で、ちゃんと手順を踏んで満州認定は進んでるじゃないかw
決定には従わない、妥協案も蹴る
更に除名されたわけでもないのに自分で勝手に出て行ったんだから自業自得だ。
国際連盟関係無く、まず行為に国際道義上からの疑問があるし、その後の対応は立場をまずくした。
そもそも違法だから張作霖爆殺事件の時点で四苦八苦してたんだろうが。
>アメリカの発言権なんて認めていいの?
アメリカが世界に向けて声明を出す、あるいは二国間で通告することに何の問題も無いだろ?
オブザーバーの立場でも同じことだ。
そもそも国際連盟だけで国際社会が成り立っているわけじゃない。
現実として米ソは無視出来ん。
そりゃ枢軸国は認めるだろうよ。
ソ連も隣合ってるから利益の点では妥協する、その点はアメリカも同じだが
あくまでも国家としては承認していないので容易に覆しうる。
実際後にそうなったしなw
日本は「国民政府を対手とせず」の近衛声明を出して戦争に収集が付かなくなり
更に傀儡政権である汪兆銘南京政府を樹立してこれを承認したことにより、重慶政府との再交渉も不可能になった。
ここから太平洋戦争に繋がっていくことになるが、元を辿っていくと満州事変ひいては対華21ヶ条要求に行き着く。
936 :
名無し三等兵:2011/05/15(日) 12:17:23.19 ID:VoHC/IXD
>>934 >決定には従わない、妥協案も蹴る
>更に除名されたわけでもないのに自分で勝手に出て行ったんだから自業自得だ。
自業自得も何も、国際連盟脱退したからって、日本は即座に孤立して経済制裁食らいまくったわけでもないし。
>国際連盟関係無く、まず行為に国際道義上からの疑問があるし、その後の対応は立場をまずくした。
連盟を使っても日本を非難できない、ということは理解できたようでよかったw
でもさあ、「その後の立場を悪くした」といっても、満州事変からアメリカによる石油全面禁輸まで10年だぞ。
ノモンハンや支那事変も、連盟の力があったからってどうなるとも思えない。
>アメリカが世界に向けて声明を出す、あるいは二国間で通告することに何の問題も無いだろ?
アメリカは連盟の会議に首を突っ込んできてるんだよ。
>そもそも国際連盟だけで国際社会が成り立っているわけじゃない。
それはその通りで、だから日本は連盟を抜けてもそんなに孤立しなかった。
アメリカが連盟に参加もしないで連盟に口出しまくってたのと同様、「連盟の秩序に従わなくても大丈夫」という前例の一つになったわけだ。
>そりゃ枢軸国は認めるだろうよ。
>ソ連も隣合ってるから利益の点では妥協する、その点はアメリカも同じだが
独伊は日本の味方、フランスはドイツの一部だし、ソ連は事実上満州を認定。
これで英米に認めさせれば、満州国は晴れて世界に認められますなw
満州国を認めさせるための外交努力って結構ちゃんとやってるんだよ。
>>936 そりゃ連合と違って連盟には力が無かったもの。
だからアメリカに集まった。
かといってそれで日本の行為が正当化されるわけじゃない。
>連盟を使っても日本を非難できない、ということは理解できたようでよかったw
いや、連盟の点でも、それ以外からでも非難出来ると言ってるんだがw
軍部と政府が張作霖爆殺事件の顛末を天皇と他国に説明できなかったのは何故かね?
満州事変でも盧溝橋事件でも上海事変でも不拡大と言っておきながら
その度に現地軍が暴走したもんだから日本は信用されなくなった。
その結果が米英へ他国を走らせることに繋がっている。
連盟を抜けて一時的、表面的には影響が無いように見えても
後でちゃんとその分のデメリットは日本に降りかかってきている。
>これで英米に認めさせれば、満州国は晴れて世界に認められますなw
んで認めさせることは出来なかったですねw
ソ連も認定とは違うと思うけどね、すぐ隣で関東軍が実効支配してるんだから
領事館程度は置かせてやらんと通交上面倒だ(政府との交渉権は無い)。
承認とは、あくまで大使館の設置によるもの。
今だって国家として承認していない、あるいは国交が無い国の間で利益代表部が有るだろ?
成功不成功の前に、認めさせるための外交努力をちゃんとやるのは当たり前の話ですよ。
kaki
>>937 >軍部と政府が張作霖爆殺事件の顛末を天皇と他国に説明できなかったのは何故かね?
>満州事変でも盧溝橋事件でも上海事変でも不拡大と言っておきながら
>その度に現地軍が暴走したもんだから日本は信用されなくなった。
満州事変で首謀者達に勲章やったのは天皇じゃなかったっけ?
盧溝橋事件は拡大しないで終結。牟田口の暴走なんか関係なし。
支那事変は、ドイツの支援で軍事に自信を持った蒋介石が吹っかけてきたものだから回避不可能。
>その結果が米英へ他国を走らせることに繋がっている。
ソ連はドイツに攻撃されたことで米英に着いただけ。
フランスはドイツに踏み潰されて死亡。
ドイツとイタリアは日本の味方。
中国は元々敵。
さて、米英にはしった列強ってどこよ。
>後でちゃんとその分のデメリットは日本に降りかかってきている。
後付けの結果論ですな。
>領事館程度は置かせてやらんと通交上面倒だ(政府との交渉権は無い)。
まあそうやって段階的に列強に認めさせていくのが外交ってもんでしょ。
日本だって不平等条約撤廃までに何年かかったと思ってるんだ。
>独伊は日本の味方、フランスはドイツの一部だし、ソ連は事実上満州を認定。
>これで英米に認めさせれば、満州国は晴れて世界に認められますなw
三国同盟、ヴィシー政権の時点で時すでに遅し
満州国が認められるどころではなく、戦争となっている
英米に認められることは有り得ない
英米は中華民国の味方なんだから
なぜ日本は英米を味方につけられなかったのだ?
ドイツとイタリアが満州国を承認したのは陸軍主導の三国同盟の副産物
これを外交努力とは言わんだろ
三国同盟に外務がかかわってないと頭おかしい主張。
あれは外務主導です。
>>941 松岡外相涙目w
高校で日本史やってないのかよw
944 :
名無し三等兵:2011/05/23(月) 01:04:16.81 ID:T0VjeA0S
軍部は修羅の如くどことも組まずに世界に戦争を吹っかけようとしていた。
なにしろ日満ブロックで経済的に独立とかいう妄言をいいだした石原莞爾が人気者になれる組織だから。
>>944 軍人は上司以外にはぴくりとも頭下げたくないんだよw
他国の都合で好き勝手されて尻拭いするのもな
それでいてなぜか独伊と同盟を結んでしまう不思議さではあるんだがw
上海事変で南京まで進撃なんて止めときゃ良かったものを
結局中国からの撤兵論が日米交渉の暗礁になるのだから最悪の結果だわ。
逃げる敵がいて追撃しない方がいいなんて非常識にもほどがあるわ
逃せば、体勢立てなおして逆襲されるんだぜ
子供の後知恵とか検討の価値もないな
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08h12.html#15455b >自衛を目的とするなら,中国軍が全面撤退を始めた11月10日以降,侵攻を停止すべきでした.
>すでに既得権益と居留民保護の目的は達成されていましたからね.
>にもかかわらず,侵攻を続けたのは,過剰防衛といわれても仕方が無いです.
>たとえば,10月6日の国際連盟総会で採択された二三国諮問委員会の報告では
>「中国に対する日本の軍事行動は,紛争の起因となった事件とは比較にならぬほど大規模である」
>と述べています.
>また,日本の軍事行動は自衛ではなく,日本が加盟している九ヵ国条約,不戦条約の違反であると認定しています.
>(要約『新版 日中戦争』p88 中央公論新社[中公新書]2000年)
当時から指摘されているがね。
二国間の局地紛争じゃなくなるということが認識出来ていないのではな。
949 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 23:40:42.36 ID:LjWqrsxG
>>948 >自衛を目的とするなら,中国軍が全面撤退を始めた11月10日以降,侵攻を停止すべきでした.
>すでに既得権益と居留民保護の目的は達成されていましたからね.
>にもかかわらず,侵攻を続けたのは,過剰防衛といわれても仕方が無いです.
ていうか、「過剰防衛」程度の非難ですんでるなら、満州事変のときより正当性があるじゃんw
いいのかそれで。
>紛争の起因となった事件
これ蒋介石が上海に向けて軍を移動させて、中立地帯に塹壕築き始めた事件のこといってんの?
立場的には攻撃を受けた側だからな。
だけど首都占領して全面戦争に突入させるのは話が別ってことだろ。
しかもその後、相手政府と交渉しないと宣言するのは、これから好き放題しますよって言うのと同じだ。
951 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 01:12:49.06 ID:qHbeEGRK
>>950 >だけど首都占領して全面戦争に突入させるのは話が別ってことだろ。
満州事変のときと同じで、非難はしてても、やっぱり国際社会による制裁はなかったじゃん。
アメリカによるまともな対日制裁が出たのはなんと1940年。
2年以上もほったらかし。
>しかもその後、相手政府と交渉しないと宣言するのは、これから好き放題しますよって言うのと同じだ。
一度戦いを始めたら、交渉条件が開戦前より厳しくなって当然っしょ。
過去のあらゆる紛争戦争がそうだ。
大東亜戦争もね。
>>951 >満州事変のときと同じで、非難はしてても、やっぱり国際社会による制裁はなかったじゃん。
>アメリカによるまともな対日制裁が出たのはなんと1940年。
制裁はされなかったからといって、その行動が是認されているわけではない。
それがアメリカによる日米通商航海条約の破棄だわな。
そこを理解せずに仏印にまで出て行くから虎の尾を踏むことになる。
>一度戦いを始めたら、交渉条件が開戦前より厳しくなって当然っしょ。
それは実力のある国のやること。
相手が呑めないような条件を出して自分から交渉を潰し
しかも武力で屈服させることも出来ない状況に陥ったのは間抜けの極みだよ。
日本の国力では中国全土を占領して言うことを聞かせるのは不可能だと
始めから分かっているのにだ。
更に再度重慶政府と交渉しようという動きがあったが
傀儡の汪兆銘政権を承認していたからそれもポシャった。
かといって汪兆銘の要求通り撤兵することも不可だから、南京政府は何時まで経っても支持を得られない。
ルーズベルトが隔離スレを攻撃するの?
955 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 13:54:58.69 ID:qHbeEGRK
>>952 >それがアメリカによる日米通商航海条約の破棄だわな。
戦況を見ながら段階を踏んで強化していこう程度のもので、
急に日本をどうこうって流れにはなってなかったというわけ。
>そこを理解せずに仏印にまで出て行くから虎の尾を踏むことになる。
ドイツのラインラント進駐やオーストリア併合とか同じで、
連合国が制裁するのか是認するのか分からない中途半端な態度に終始したからだよ。
ポーランド攻撃で英仏が宣戦布告してきたとき、ヒトラーは裏切られたと感じたというじゃない。
戦後の連合国側でも、この頃の自分たちの半端な態度がナチスの惨禍を拡大したと自己批判してるのが割りとある。
>相手が呑めないような条件を出して自分から交渉を潰し
>しかも武力で屈服させることも出来ない状況に陥ったのは間抜けの極みだよ。
あの講和条件でオーケー出したのは近衛だけじゃなく、慎重派とされている軍部もだ。
つまり、あの頃の日本人は全員間抜けといいたいわけだ。俺はそうは思わないけどな。
>更に再度重慶政府と交渉しようという動きがあったが
>傀儡の汪兆銘政権を承認していたからそれもポシャった。
アメリカが傀儡のカルザイ政権作ったからタリバンとの交渉がうまくいかない、といってるようなもんですな。
まあ当たってる気がするw
>かといって汪兆銘の要求通り撤兵することも不可だから、南京政府は何時まで経っても支持を得られない。
汪兆銘政権は日本軍の力で辛うじて持ってる政権だから、しょうがない。
アメリカにとっての南ベトナムやカルザイ政権と似たような存在。
956 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 14:00:34.54 ID:qHbeEGRK
>>953 本気で制裁発動するなら、対日石油禁輸のときみたいにすぐに発動するだろうよ。
この頃のアメリカはまだ迷ってたし、制裁の準備もしてなかったんだな。
957 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 14:03:11.60 ID:qHbeEGRK
それにしても、満州事変からここまで、制裁の準備すらろくにしてなかったとか笑える。
なーにが「国際社会は満州を認めない」だか。口先だけもいいとこ。
959 :
名無し三等兵:2011/05/29(日) 18:01:30.32 ID:d/zuAXaM
仮にアメリカイギリスが経済封鎖解いて、ついでにマンシュウを認めてやるから中国から撤退しろっていったら
陸軍は撤退したかしら
960 :
名無し三等兵:2011/05/29(日) 19:57:15.57 ID:VWtBtrG2
>>959 暫定協定案なら成立の見込みはあるんじゃないか。
蒋介石とチャーチルの反対でこけたけど。
961 :
名無し三等兵:2011/05/31(火) 12:40:20.95 ID:hCTj+tPG
極東では清朝の衰退で、満州人の本拠地満洲をめぐって国際争奪戦が起きた。
日本もその過程で一時満洲を支配した。
まず満洲は万里の長城の外にあるように、支那人の国ではない。
遊牧系の満州人の国だ。その満州人が強大化して、長城を越えて明を滅ぼし全支那を
支配した。外国王朝だ。これは徳川幕府の始まるころだ。そして250年栄えた。
しかし次第に衰退が始まった。列強が侵出し、領土や利権を奪った。
1900年の義和団事件では、混乱に便乗して、ロシア帝国が全満洲を占領した。
入植していた支那人を殺した。さらにロシアは南下し朝鮮を支配しようとした。
朝鮮王はロシア大使館に幽閉された。
そこで日本が危機を感じ日露戦争を戦った。その結果南満州鉄道を獲得した。
しかし米国が満洲を狙っていた。
そしてハリマンの南満州鉄道への出資を拒否した日本を圧迫し始めた。
この日本敵視がその後、日米戦争、戦後、そして1949年まで続いたのである。
これは満洲が共産化され、米国が支那の全拠点から追い出された年である。
日本人にとり、戦前の日米対立の原因が満洲支配であったことは重大である。
しっかり頭に叩き込んでおくことだ。これで近代史の二大謎の一つが解ける。
もうひとつはスターリンの独ソ戦対応の支那事変工作だ。東西挟撃を防いだのだ。
「がんばれ産経新聞」より転載
<戦争に負けて>
「8月15日に台北の街中で鳴った爆竹、それまで我々と一緒にやってきたと言っても、
彼らにとって日本が負けたということは嬉しい事だったんだ。
この時に僕は異様な感じを受けたね。
それまで異民族に支配されるという屈辱を我々は知らなかったんだな。」
>イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
こいつって、まだしゃあしゃあと、大嘘や捏造ネタで暴れてたのか。
こいつがネットにばらまいてる嘘書き込みで、どれだけの人が迷惑してることか
kwsk