日中戦争(支那事変)10 参謀本部第二部支那課

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1イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
満州事変、盧溝橋事件、通州事件、第二次上海事変、南京陥落、徐州作戦、
武漢攻略作戦、重慶空襲、トラウトマン工作、拉孟の玉砕、大陸打通作戦等……。
日中戦争を軍事的に語るスレッド。帝国陸海軍の内情も可。

前スレは「容量オーバー」のため、859でお亡くなりになりました。合掌w。
まだまだ語るべきことは尽きません。引き続きマイペースで進行していきます。
2イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/13(月) 22:34:06 ID:lH6LMqWG
初代スレ 「 日  中  戦  争  ( 支 那 事 変 ) 」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1121259666/

2代目スレ「日中戦争(支那事変) 被害担当艦@サドンデス! 」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1132842768/

3代目スレ「日中戦争(支那事変)3 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1139326210/

4代目スレ「日中戦争(支那事変)4 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1147872368/

5代目スレ「日中戦争(支那事変)5 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1156432384/

6代目スレ「日中戦争(支那事変)6 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1161267950/

7代目スレ「日中戦争(支那事変)7 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1166623522/

8代目スレ「日中戦争(支那事変)8 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1173969351/

9代目スレ「日中戦争(支那事変)9 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1180107898/

過去ログ(ue少将閣下作成)
ttp://kamisato2.hp.infoseek.co.jp/china/

     ,r---、.       
   _ソヽ/`、シi.
   _>=ヘ 山/=<, 
.  ((ん'ノノルレム))
   _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_     状況開始!
   ),k'ヲ:::::::::つ   
    (ン::::/:::l::ヽ 
    `~i,ンT,ノ~´.
4イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/13(月) 22:51:19 ID:lH6LMqWG
>>853 >>大陸打通作戦よりも、なぜ南支の航空基地を潰して南方輸送路の
>>保全をしなかったのか、理解に苦しむ。

前スレの続きですが、大陸打通作戦の終盤で占領した『桂林』飛行場は、
日本本土空襲の予定基地でした。在支米空軍はB29をここから飛ばす
計画でしたが、日本軍の侵攻でさらに遠隔地の成都基地から発進させ
続ける結果となっています。

桂林飛行場は、桂林の南門外の遠くに3ヵ所ありました。特に南方13キロに
ある第1飛行場は、主滑走路が幅500メートル、長さ3キロという大規模な
ものでした。日本軍の侵攻により、地上の支那軍と在支米空軍は滑走路を爆破
して引き揚げています。

滑走路の爆破口は雨水が溜まって直径12メートル、深さ5メートルぐらいの
池になっており、それが47ヵ所もあったといいます。
5イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/13(月) 23:05:36 ID:lH6LMqWG
桂林は石灰岩が多く分布するカルスト地形のため、奇岩や鍾乳洞が数多く
存在する「景勝地」としても知られています。

桂林飛行場の滑走路周辺は、1千メートル級の岩峰がそびえ、その麓に格納庫や
数百人が収容できるような大洞窟がたくさんありました。対空無線局や弾薬庫、
燃料庫、食糧倉庫もすべて洞窟内にあり、対空陣地も山の岩陰に林立するなど
空からの攻撃には『絶対不死身』の航空要塞になっていたと云います。

しかし哀れ、地上兵力は支那軍頼みの在支米空軍は「大陸打通作戦」による
日本軍の侵攻に耐え切れず、これだけの労力と資材と時間をかけた『投資』を
全て手放してフイにすることになりました。

これだけでも「大陸打通作戦」は連合軍に大きな打撃を与えている訳ですが、
問題は米国にとって、これだけの物量の損失でも『屁』でも無かったことですw。
6元32(予備役少佐):2007/08/13(月) 23:08:28 ID:???
>>1
新スレ乙

前スレ末尾の大陸打通作戦について。

ヒデキは大抵戦略的には正しいのですが(インパール作戦中止遅延を除く)、
海軍だけでなく陸軍の作戦幕僚もついてこないところが悲しいですね。
7イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/13(月) 23:22:59 ID:lH6LMqWG
>>859 >>ヒデキが陸相(兼首相)でしかなかった時であれば、統帥部(作戦)が
>>言うことを聞かないというのも有り得ますが、もうこの頃にはヒデキは
>>参謀総長を兼ねています。それでも真田や服部らが不服従というか
>>サボタージュをするのは只事ではありません。

ちょっと前スレの説明が紛らわしかったので補足です。まず「大陸打通作戦」が
計画された当時、参謀総長は杉山元でした。ヒデキはこの頃、首相兼陸相でしか
ありません。一応、ヒデキは前スレ>>856 で述べたように、『敵飛行場の覆滅』
一本に絞るよう『指導』(したうえでの賛同)はしています。

杉山元が参謀総長として天皇に上奏したのは、1944年1月24日です。杉山も
このとき「在支米空軍基地の殲滅」を第一目的として絞ることを明言しています。

そしてヒデキが参謀総長も兼任したのが1944年2月21日です。翌月の3月20日、
真田穣一郎作戦部長や服部卓四郎作戦課長らは、この『新しい参謀総長』に作戦計画を
報告しますが、ここで既に「すれ違い」が生じています。
8イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/13(月) 23:34:37 ID:lH6LMqWG
ヒデキは陸軍大臣として述べたときと同様に、「大陸打通作戦」の作戦目的を

●「米航空基地覆滅に徹底せよ」
●「南方に対する『鉄道打通の気分』が残っている」
●「思い切って基地覆滅に徹底せよ」
●「いらざる欲を出すな」

と指導していますが、真田や服部ら作戦部の面々は、

●「大命が既に発令済みであり、時期も切迫しているので爾後の作戦指導で
  考慮する」

と逃げて作戦が開始されてしまうことになります。要するに、新任の参謀総長
に対して、前任者の時に決めたことを覆すな(実際は、杉山元も航空基地の殲滅
一本に絞ることに賛成しているが)と不服従・サボタージュを決め込んだ訳です。

     ,r---、.       
   _ソヽ/`、シi.
   _>=ヘ 山/=<, 
.  ((ん'ノノルレム))
   _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_    こういうのが、服部らが『法匪』や『官僚軍人』
   ),k'ヲ:::::::::つ     と揶揄される所以になっているのですね。
    (ン::::/:::l::ヽ     
    `~i,ンT,ノ~´.
10名無し三等兵:2007/08/14(火) 00:04:38 ID:L2BbJy4r
今の安倍ちゃんを見ていると
岡田の愚直さと
前原の空気読めなさと
菅の短気で幼稚な攻撃性と
鳩山のお坊ちゃま気質と
小沢の側近主義と
民主歴代代表の悪いところを
全部合わせたように見える。

森より頭は悪く
小泉の演説には足元にも及ばない
海部より頼りないのに
宮沢より上から目線で
勘違いの度合いは橋本の上手を行き
経済は小渕以下のド素人
そんな、みんなの安部ちゃん

安倍ちゃんは考えうる限りの最悪の道を進んでる
11月のテロ法案で紛糾、公明の離脱で政局がさらに不安定に。
テロ法案否決、民主・公明の提携で安倍内閣不信任案可決。
自民は安倍ちゃんを替えるタイミング逸したまま衆院解散総選挙で大敗、
って流れだろうな
11イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/14(火) 00:05:49 ID:lH6LMqWG
>>6 >>ヒデキは大抵戦略的には正しいのですが(インパール作戦中止遅延を除く)、
>>海軍だけでなく『陸軍の作戦幕僚もついてこない』ところが悲しいですね。

毎度どうもでございます。仰られるとおりで、こんなことなら参謀総長もとっとと
兼任するべきだったのか、子飼いの部下の質が悪過ぎたのか、あるいは本人の人徳
の問題だったのかと思いますw。

ただし、ヒデキはそれでも『首相兼陸相』としては太平洋戦争中、よく統帥部を抑えて
いたと思いますし、他の人物でこれだけのことが出来たかと云えば、自分は否定的に
ならざるを得ません(永田鉄山は除く)。強いて言うなら、海軍と協調を図るために
余りに気を遣い過ぎた(譲歩し過ぎた)のが、作戦部の不信感を積もらせた訳です。
12元32(予備役少佐):2007/08/14(火) 00:13:39 ID:???
>>11

おっしゃるとおりかと。

永田鉄山は押すだけでなく引くことも懐柔もできた練達の交渉家なので、
直情径行のヒデキよりも統率力を発揮できた可能性のある唯一の人ですねえ。

ほかの将星は事実が示すようにもっと駄目駄目の可能性が高いかと。

それだけヒデキの部内統率力は優れていたわけで、
こうなってみると、彼の個人的な力量に責任を負わせるのは無理なような。
13イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/14(火) 00:32:19 ID:UTVMzI94
まあ、ヒデキは「参謀総長を兼ねれば、海軍の作戦のことが分かるかと思ったけど
全然そうでは無かった」と嘆いていますが、日本の戦争指導の実態はこのひと言に
尽きます。ヒデキ以外の誰だろうと、ほとんど変わらないでしょう。

何年か前に流行りました『バカの壁』ではありませんが、首相兼陸相でも

「陸軍統帥部の壁」→「海軍省の壁(嶋田がいるからまだ薄い)」→「海軍統帥部の壁(最上級w)」

ときます。もちろんリバースも可能で、開戦時が首相兼海相だったなら

「海軍統帥部の壁」→「陸軍省の壁」→「陸軍統帥部の壁」とレベルアップしていきます。

もう何も言うまい…w。
14名無し三等兵:2007/08/14(火) 00:43:27 ID:???
関東軍参謀や陸軍大臣とそれなりに強いポストに慣れきってたから、首相になった途端いかに権限が無いか痛感しただろうな
15イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/14(火) 00:43:41 ID:UTVMzI94
さて『日本陸軍と阿片問題』のテーマの方も少しは進めないといけませんので、
インターリュードでこんな話を……。

支那事変勃発直前の1937年5月24日から6月12日まで、ジュネーブにて
「阿片およびその他の麻薬取引に関する委員会」が国際連盟によって開かれます。

このなかで米国代表のフラーは、満州国において阿片やヘロイン、モルヒネなど
麻薬類の販売が公然と許されていることを取り上げ、人道上の問題として厳しく
追及しています。まあ、最近の米国下院の「従軍慰安婦決議案」みたいなもの
ですが、とくに天津の日本租界の状況を次のように述べています。

まあ、話半分に聞いて下さいw。(続く)
16イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/14(火) 00:56:38 ID:???
>>12 >>ほかの将星は事実が示すようにもっと駄目駄目の可能性が高いかと。

あとは強いて挙げるなら「梅津美治郎」ぐらいかと……。カンジは人格が
破綻しているからダメw。
17イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/14(火) 01:10:43 ID:UTVMzI94
>>14 >>関東軍参謀や陸軍大臣とそれなりに強いポストに慣れきってたから、
>>首相になった途端いかに権限が無いか痛感しただろうな

ヒデキは首相と陸相を兼任できたからまだ良いんです。後には参謀総長も
軍需大臣も兼ねています。短期間の辻褄あわせなら、外務大臣や商工大臣、
文部大臣だって務めています。『東条幕府』はむしろ褒め言葉であって、
そこまで独裁力を発揮できること自体、稀有な存在な訳です。

>>首相になった途端いかに権限が無いか痛感しただろうな

それにピッタリ当てはまるのは、むしろ「小磯国昭」です。いかに首相の地位が
『戦争指導』において無力かを思い知ったでしょう。小磯は首相に就任するに
あたって、自らの現役復帰と陸相の兼任を主張していますが、出身母体の陸軍
自体から、●「予備役の現役復帰と陸相の兼任は絶対に承認できない」と拒否
される体たらくです。もうどうしようもありませんw。
18イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/14(火) 01:27:22 ID:???
もっと言うなら、ヒデキは「現役軍人」だったから良いんです。当時は
『軍部大臣現役武官制』が生きていましたから、現役軍人から首相に
ならないと、陸相も海相も兼ねられません。参謀総長や軍令部総長は
問題外です。

という訳で「予備役軍人」では話にもなりません。首相のみの単体なんて
陸軍統帥と海軍統帥の間で『牛裂き』の刑になるのが関の山ですw。

   ッ-ヘ。__。ヘ     /ー- 、
   レ, '´゚   `,〉.   /==ヽ i   ちなみに『牛裂き』の刑は、犠牲者の両足に
   i ハ)))ハ))ノ)  /   .)ノ    それぞれ牛を繋いで、2頭の牛の間に松明を振り
    イオi ゚ ヮ゚ノヘ  /    ((     かざし、驚き走り出す牛の力で股を裂くんだよw。
    ,ぐ`i盃、ツつ'
   ,メ∪イ-i、ゝ/
   ゙'ーi_'ォ_ァ"/
20名無し三等兵:2007/08/14(火) 20:23:09 ID:1qrMDd9c
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20なら木内梨生奈が結婚してしてくれて、四六時中、淫らなセックスで俺様に御奉仕してくれる。
そして俺様の遺伝子で木内梨生奈が孕んでくれる!
20ならJSFに法則発動
20なら空自の次期F-Xはライノ
※拒否や無効化,棄却、取り消しはできません。
21イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/15(水) 00:36:41 ID:SooAss09
>>16 の補足。>>あとは強いて挙げるなら「梅津美治郎」ぐらいかと……。

梅津は「2.26事件」において第2師団長でしたが、断固たる処置を主張して
天皇の覚えも良かったでしょうから、首相候補にでも充分なりえたと思います。
ただノモンハン事件の後始末で、関東軍司令官として太平洋戦争の末期までの
長期間、祭り上げられてしまったのが残念なところです。陸軍を引き締めるのに
これ以上、適任の人物もいなかったでしょう。

>>859 >>真田作戦部長や服部作戦課長らは、●『太平洋方面の劣勢を大陸作戦に
>>よって挽回できる』という根強い思想を抱いていた

初代スレの冒頭でも述べましたが、要するに

「就任直後、米軍の消耗戦略で無力化されたラバウルを視察した服部が考えた
 ことは、●『海軍に依存することのない戦場でしか勝利は望めない』という
 結論でした。これは既に陸軍の総意といっても過言ではないでしょう。そして
 服部が発案したのが、中国大陸での「一号作戦」、いわゆる大陸打通作戦です」
22だつお:2007/08/15(水) 00:41:34 ID:3R72ml5W
 黄欣さんは現在遼寧女子刑務所病院に監禁され、大量の精神薬物を
強制注射されたため、すでに大半の記憶を喪失し、精神状態がおかしくなり、
毎日クロルプロマジン(chlorpromazine)などの摂取も強要されたという。
http://jp.epochtimes.com/jp/2005/12/html/d22359.html

http://jp.epochtimes.com/jp/2005/10/html/d67889.html
中国刑務所で行われている法輪功学習者への迫害実態
http://shupla.w-jp.net/datas/movie/FalunDafa_PleaseHelpUs.html
法輪功修練者を迫害・拷問する中国当局
http://www.peacehall.com/news/gb/china/2004/12/200412130343.shtml
令人震撼的?决?片(2)(警告!恐怖)
http://www.glocalrescue.org/2005/09/html/050903_hgss.htm
中共は、自らの抑圧、拷問、そして殺害の政策を隠す
http://www.net1.jway.ne.jp/abeusr1/newpage39.htm
輪功の高蓉蓉さん、拘禁中に死亡(拷問死の可能性)
23イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/15(水) 00:52:56 ID:SooAss09
>>15 の続き >>「阿片およびその他の麻薬取引に関する委員会」
米国代表のフラーの言を要約すると以下の通り。

「天津の日本人居留地は今や世界のヘロイン製造および阿片販売の中心地
 として知られている。洋行あるいは外国商会名で経営される阿片あるいは
 ヘロイン魔窟の数は、まさしく1000を超えている。これに加えて白色
 麻薬を公然販売するホテル、店舗、その他の建物が数百ある――。

 200以上のヘロイン製造所が面積4平方マイルにすぎない日本人居留地に
 散在している。その事業は極めて利益が多く、原料の供給も豊富である故に
 新しい工場が毎日開設されている。工場はまったく公然と操業している。

『橋立街』は中国における白色麻薬地帯の中心地である。そこには50以上の
 店舗があり、ヘロインは何れの店舗においても自由に買うことができる。
 ヘロインは上質で粗悪品がなく安価である。小売価格は1グラム1元で卸値は
 1キログラム500元(約45英ポンド)である」
24イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/15(水) 01:11:02 ID:SooAss09
「毎夜われわれは苦力や商人がヘロインを持って、街々を売り歩くのを
 見かけている。有名な満州およびジェホールの魔窟と工場に次いで、
 天津日本人居留地は中国本土および世界のヘロイン中心地となった。

 中国民族のみならず、世界のすべての他の国々が弱体化され堕落させ
 られるのはここから始まるのである――」

前半部分はともかくとして、最後の一文はオーバー過ぎるものですが
まあ、当時の天津の雰囲気は何となく掴めるでしょうw。

さて天津での阿片密売について、「坂田誠盛」がお役御免になったこと
までは述べましたが、当然の事ながら、それを引継ぐ人間を探さなければ
なりません。そこで関東軍が白羽の矢を立てたのが「里見甫」(さとみ
はじめ)という男だった訳です――。
25イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/15(水) 01:20:50 ID:SooAss09
里見甫については、ノンフィクション作家の佐野眞一が書いた『阿片王――
満州の夜と霧』が最も詳しいと言えますが、文量が多過ぎてとてもそこまで
取り上げることは出来ません。ですので簡単にその前歴を見てみることに
します。また佐野眞一の『阿片王』は参考文献として本テーマで使用する
ことも多々あるでしょうから、その点はあしからずw。

そして本来、里見甫は日本陸軍の阿片謀略のキーパーソンとなる『3人目』
な訳ですが、ここ(天津)での登場は「顔見せ」程度に考えてくださいw。
26名無し三等兵:2007/08/15(水) 01:25:49 ID:2ssV4Wty
なんで日本軍は重慶落とせんかったんじゃ
27第九代阿礼乙女・稗田阿求 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/15(水) 01:35:51 ID:???

      _......_
     , ´  <*y 
     i,(i ノノハ)_)  
    ノ_iパ ヮ゚ノハ     きっと私は3人目だから……じゃなかった、 
      ,´i'_ソノj,〈つ     9人目だからw。
    〈_,ノ^^^ヽ.´
     .^^i_ソ_ソ^´
      ̄ ̄  ̄ 
28イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/15(水) 02:00:50 ID:SooAss09
>>26 >>なんで日本軍は重慶落とせんかったんじゃ

海軍がガダルカナルで大チョンボをするからですw。

さて里見甫が関東軍によって阿片密売を任せられるまでですが……。
まず生まれは1897年、福岡県小倉(現在の北九州市小倉区)の
出身です。上海の東亜同文書院を1916年6月に第13期生として
卒業後、いくつかの職を転々としたのちジャーナリストとなりました。

坂田の後任として選ばれた当時、天津で華字紙の『庸報』を発行して
いました。また里見については、『東亜同文書院大学史』で遊侠伝中の
人物として取り上げられていますので、少し長くなりますが紹介して
みましょう――。(続く)
29楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/16(木) 02:13:19 ID:???

  .「^ヽ,ry'^i
  ,ゝ"´ ⌒`ヽ    
 くi Lノノハノ)」    
  λ.[i ゚ ヮ゚ノi!    8月15日は仕事が終わったあと、靖国神社に参拝して
  レ',ヘ.i`ム'」つ    きました。中佐は「次はもっとマシな戦争をします」と
  ,く_,//T.iλ     260万英霊に誓ってきたそうよw。
  "ーr_,t_ァ'"     
30イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/16(木) 02:28:57 ID:vsEvOaCx
>>26 >>なんで日本軍は重慶落とせんかったんじゃ
>>海軍がガダルカナルで大チョンボをするからですw。

また大陸打通作戦の話に戻りますが、服部卓四郎がなぜ『大陸打通』にこだわった
かといえば、1942年ごろの重慶攻略作戦の計画に作戦課長として携わったから
です。まあ、海軍がガダルカナルで大チョンボしたおかげで『五号作戦』はお流れ
になってしまう訳ですが、服部卓四郎もまた作戦課長から陸相秘書官へ転任となって
しまいます(1942年12月14日)。

しかし服部の経歴で非常に稀有な点は、作戦課長に再度返り咲いた事です(1943年10月
20日)。服部にとって『大陸打通作戦』は、かつての『重慶攻略作戦』のデジャブでもあり、
南方の無力化されたラバウルを視察した後となっては、単なる「在支米空軍基地の覆滅」では、
とても満足できなかったのでしょう。
31イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/16(木) 02:41:45 ID:vsEvOaCx
さて『里見甫』(さとみはじめ)の名前を知らない人も多いと思いますが、
ひと言で云えば「MONSTER」です。つーか化物です。

先に佐野眞一の『阿片王』を挙げましたが、そのアマゾンのレビューの中で
里見甫を白洲次郎と同格に並べてその日本人離れした特異性を評価している
人がいました。言い得て妙でしょう。

>>28 >>里見については、『東亜同文書院大学史』で遊侠伝中の人物として取り上げ

これを要約してみると以下の通りです。
32イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/16(木) 02:55:16 ID:vsEvOaCx
「里見は九州小倉の生まれ、父君は医院を開業していた。1912年の春、
 福岡の中学修?館を出て(東亜同文)書院に学んだが、中学時代から意気に
 感ずる男として知られ、土井晩翠の『天地有情』を愛読する多感な青年でも
 あった――。

 (東亜同文)書院在学中には『三国史』『水滸伝』と支那劇に熱中し、なか
 でも諸葛孔明の誠忠に深く傾倒した。そのせいもあってか、孔明の故地南陽や
 蜀の国・四川省を訪れること再度にわたった。その間、学業には精を出さず、
 在学中は『欠席大将』の烙印を押され、もっぱら楼上哲学に終始した。

(東亜同文)書院を卒業すると青島の平岡商会に入り、豚毛の買付けなどをして
 山東の奥地を遍歴した。第一次世界大戦後の不況で勤め先がガラを食って倒産
 すると、東京に出て友人とおでん屋を始めたが失敗、細君を郷里に帰して四谷の
 蕎麦屋の出前持ちになった。いなせな伊達姿にはっぴを着て手拭いを肩に掛けた
 ところを蕎麦屋の女主人が見て、『お前さん、初めてじゃないね』と言ったそうだ」
33イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/16(木) 03:02:44 ID:vsEvOaCx
「やがて同期の宇治田直義らの奔走で北京に渡り、朝日新聞にいた中山優の
 居候となり、同窓の世話で天津の邦字紙『京津日日』の経済記者となった。
 そのころ北京には、朝日新聞に大西斉、毎日新聞に波多野乾一といった
 大物が特派員として健筆を振るっていた。

 1923年、波多野が毎日新聞を辞めて『京津日日』の北京版、『北京新聞』を
 主宰すると里見は請われて編集長となった。当時の中国の邦字紙は、切り抜き
 記事を取り扱うのが常道であったが、両名は中国研究のための邦字紙とする目的
 で、電報以外はほとんど書き下ろしで全紙を埋めた。人手が少ないため一人で
 数百行を書いたという。

 波多野が『時事新報』の特派員となって転出すると、里見が代わって主幹と
 なったが、社の財政事情が苦しくなり里見は満鉄の嘱託となった――」(続く)
34名無し三等兵:2007/08/16(木) 03:02:50 ID:???
【韓国・写真】太極旗の前で謝罪する日本天皇[08/15]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1187163496/1

1 名前:ちょーはにはにちゃんwφ ★[] 投稿日:2007/08/15(水) 16:38:16 ID:???
(写真)
http://imgnews.naver.com/image/003/2007/08/15/NISI20070815_0004980770_web.jpg
http://imgnews.naver.com/image/003/2007/08/15/NISI20070815_0004980655_web.jpg
http://imgnews.naver.com/image/003/2007/08/15/NISI20070815_0004980653_web.jpg

62周年の光復節を迎えた15日の午前、ソウル・日本大使館の前で、大韓民国
特殊任務遂行者の会(HID)の所属会員達が、日本の過去の蛮行を糾弾する
パフォーマンスをしながら、集会を行っている。

ソース:NAVER/ソウル=ニューシース(韓国語)
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSD&office_id=003&article_id=0000528510


35イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/16(木) 03:09:36 ID:???
>>社の財政事情が苦しくなり里見は満鉄の嘱託となった――。

ハイ、満鉄と関わりが出来て、何となくキナ臭くなってきましたよw。
36名無し三等兵:2007/08/16(木) 04:19:31 ID:???
10はどこの糞チョン妄想なんだろ
37名無し三等兵:2007/08/16(木) 04:25:05 ID:???
人名まともに変換できず負け惜しみサヨ逆上満載だから
あちら方面のバカは確かだな
38名無し三等兵:2007/08/16(木) 18:58:12 ID:R/xi5pbC
正直打通作戦より延安侵攻作戦を実行すべきだった。
東条大将か誰かが言ってたが「共産主義者は世界の害虫。駆除せねばならん!!」とか
言ってた割には延安をなぜか放置。害虫は巣から根こそぎ駆除しないといつまでたっても
駆除できない。延安を占領して徹底的に基地を破壊して、日本軍に対するテロを止めさせなければ。
39名無し三等兵:2007/08/16(木) 20:00:55 ID:???
■満州事変
石原莞爾(関東軍参謀)、板垣征四郎(関東軍参謀)、土肥原賢二(奉天特務機関長)、
橋本欣五郎(参謀本部第二部ロシア班長)

■日中戦争
近衛文麿(首相)、広田弘毅(首相、外相)、土肥原賢二(奉天特務機関長)、
杉山元(陸相)、武藤章(参謀本部作戦課長)

■三国同盟・南進
近衛文麿(首相)、松岡洋右(外相)、大島浩(駐ドイツ大使)、白鳥敏夫(駐イタリア大使)、
永野修身(軍令部総長)、石川信吾(海軍省軍務局第二課長)

■日米開戦
東条英機(首相兼陸相)、杉山元(参謀総長)、永野修身(軍令部総長)、嶋田繁太郎(海相)、
岡敬純(海軍省軍務局長)、田中新一(参謀本部作戦部長)、鈴木貞一(企画院総裁)、木戸幸一(内大臣)

■戦争継続
東条英機(首相兼陸相)、小磯国昭(首相)、永野修身(軍令部総長)、杉山元(参謀総長)、
嶋田繁太郎(海相)、佐藤賢了(陸軍省軍務局長)、岡敬純(海軍省軍務局長)、福留繁(軍令部作戦部長)

■特攻・玉砕
大西滝治郎(第一航空艦隊司令長官)、中沢佑(軍令部作戦部長)、黒島亀人(軍令部第二部長)、
牟田口廉也(陸軍第十五軍司令官)

■本土決戦
小磯国昭(首相)、及川古志郎(軍令部総長)、梅津美治郎(参謀総長)、豊田副武(軍令部総長)、
阿南惟幾(陸相)

■原爆・ソ連参戦
梅津美治郎(参謀総長)、豊田副武(軍令部総長)、阿南惟幾(陸相)、鈴木貫太郎(首相)、東郷茂徳(外相)
40楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/16(木) 22:24:59 ID:???

::::::::|\/ i
::::::::|´:::::::::ヽ       >>39 何それ? A級戦犯リストとでも言う気かしら?  
::::::::|:::ノノリ::::〉 /[]   それはさて置き、今日から超時空要塞ビグザイトに
::::::::|!゚ ヮ゚ノリ / []]   逝ってきますw。しかし暑いわね……。夕方に
::::::::| i.Hi]つ/  [][]  干した洗濯物があっという間に乾いたわ。
::::::::| _|j /  [] []
::::::::|し'ノ
41元32(予備役少佐):2007/08/17(金) 00:04:44 ID:???
>>40
健闘を祈る。
42ue ◆WomMV0C2P. :2007/08/17(金) 01:03:10 ID:???
>>40
自分も最終日参加です。
過去ログの更新はその後に。
43翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/08/17(金) 01:10:54 ID:???
眠る前に・・!新スレ、おめおめです☆^^
44ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2007/08/17(金) 05:52:58 ID:???
>>40
今回は諸般の事情により最終日だけの参加でございます。
メカミリで売り子ちゃん。

去年は直前に緊急入院だったんだよなー。
45だつお:2007/08/17(金) 08:58:03 ID:/C24UOE1
>害虫は巣から根こそぎ駆除しないと

共産主義者が「害虫」なのではない。共産主義でもソ連はナチスドイツを撃破してる。
悪いのは共産主義者ではなくて、中国人の腐った脳みそ。

中国人の脳みそが腐っていたから日中戦争が起こった。
46名無し三等兵:2007/08/17(金) 15:35:00 ID:7YfIhcLl
延安をスルーした理由が確かによくわからん。重慶をスルーしたのはわかるが・・・・
47だつお:2007/08/17(金) 16:10:51 ID:/C24UOE1
延安には飛行場がないし、それに日本の敵はあくまで中華民国政府。
カイロ宣言でもそういうことになっている。

敵の敵は味方であり、国民党の敵である中共こそ皇軍の頼もしい味方。
共産主義革命で親米国民党政権が潰れてくれれば願ったりかなったりだ。
48だつお:2007/08/17(金) 21:02:32 ID:/C24UOE1
大陸打通作戦がルーズベルトの考えを変えたというのは、本人がそう告白してる通り。
中国人の抗日ホラ話の乗せられて、現実が見えてなかったことをも認めている。

 一九四五年の初め、エドガー・スノーとのインタビューで、ルーズベルトは
「カイロでは、蒋介石についての私の見方を形づくることはまったくできなか
った。あとから考えてみると、彼について私が知っていることといえば、すべて
夫人が蒋と彼の考え方について述べたことばかりである」と、告白している。
#S・シーグレーブ「宋王朝 下」
49JY:2007/08/17(金) 23:46:25 ID:???
イナゾウ先生、コンバンワ。おつかれさまです。。。
コミケいってきました、東館1/3が東方でしたねwww(・ω・)
先生を探すもみつからず。(あたりまえかwww)
50名無し三等兵:2007/08/18(土) 01:04:44 ID:???
>>47
>敵の敵は味方であり、国民党の敵である中共こそ皇軍の頼もしい味方。

それはサヨクの私から見てもさすがに間違ってます隊長。
国民党と中共の戦力差及び政治力からくる優先順位の違いと思います。
また、延安攻略から始めたら国民党に時間的余裕を与えてしまう予測もあったのかもしれません。
51名無し三等兵:2007/08/18(土) 01:34:49 ID:???
艦名       戦果

  長門       なし     戦後アメリカ軍の原爆実験艦として活躍
  陸奥       なし     勝手に爆沈・・・死者無数
  扶桑       なし     魚雷艇に面白半分にボコられる
  山城       なし     魚雷艇に面白半分にボコられる
  伊勢       なし     両性生物として米軍に笑われる
  日向       なし     両性生物として米軍に笑われる
  大和  駆逐艦一隻(諸説あり) サマール沖で摩耶を撃沈したという証言あり
  武蔵       なし     特記事項なし
  金剛     商船空母一隻   イギリス製
  榛名       なし     ガ島砲撃はかっこイイ!
  霧島       なし     オレは好き!
  比叡       なし     三式弾で対艦攻撃はマズイだろ

            日本戦艦群は最強だな!
52名無し三等兵:2007/08/18(土) 11:01:43 ID:iXJb6i+u
共産党軍は軍と言うよりもテロリストだからなぁ。アルカイダの先駆けみたいなもんだ。
列車に爆弾しかけたり、開拓団を匪賊と共に襲撃したり畑を焼き払ったり、井戸に毒投げ入れたり。
日本の政府役人や将校を銃撃したり。日本の関連施設に放火したり。
これは放置できませんな。
延安は重慶よりも戦略的価値は低いかもしれないけど、放置しておくには過ぎる。
テロリストの巣窟延安。重慶よりも価値はなくとも落とすのはより楽なはず。
先に弱い方からやっつけるのは一つの方法だと思うが・・・・
53名無し三等兵:2007/08/18(土) 11:05:48 ID:iXJb6i+u
戦後は国民党が中国を制覇していたかもしれませんね。
これは日本にとっても世界にとっても中国自身にとっても良いことになったと思う。
北朝鮮も存在しなでしょうしよいことです。
毛沢東らが台湾に逃れて国を造っても影響力の低下は免れない。
台湾の人は少しかわいそうだが・・・・・・
54だつお:2007/08/18(土) 12:16:34 ID:2i6GJbR0
http://p2.chbox.jp/read.php?url=http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1179827948/all
大日本帝国VSドイツ第三帝国  ラウンド5
http://p2.chbox.jp/read.php?url=http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1178241719/all
大日本帝国VSドイツ第三帝国 世界史板2 

 ところが、ナチズムの権力掌握後、独ソ関係の悪化によりこの軍事協力関係
の維持は不可能となり、ドイツ国防軍がみずからの活力を維持するためには、
あらたな軍事的パートナーを必要とするにいたったのである。この面で
ドイツ国防軍、主として陸軍が注目したのは中国であった。・・・中略・・・
 また、国防経済という観点からも、ドイツ国防軍が親中路線を採用する理由が
存在した。なぜなら、両国の経済は相互補完的であったからである。ドイツ国防
経済は、ロシアとの関係悪化後、技術刷新の継続のためにも、また付加的な
輸出の拡大のためにも、あらたな市場を求めていた。一方、中国側は、ドイツから
の工業製品輸入を天然資源の輸出で相殺することができたし、また一九三五〜三六年
のドイツの武器輸出総額のうち、実に五七・五パーセント(二千万ライヒスマルク)
が中国に向けられていたのである。
 これに対し日本はその一パーセントにも満たない十七万七千ライヒスマルクであった。
<ナチズム極東戦略 日独防共協定を巡る諜報戦 / 田嶋信雄/著 >

「参謀 下」(児島襄 文春文庫)によればA・C・ウェデマイヤーはこう回想している。
「もし、支那事変の開幕が二年間おくれていたら、それまでに中国には、
ドイツ装備の六十個師団が勢ぞろいし、空にはメッサーシュミット戦闘機、
スツーカ急降下爆撃機が乱舞し、海にはUボート潜水艦が群をなしていたかもしれない。
そして、その結果は、中国はドイツと同盟を結び、膨大な戦力をソ連にむけて、
歴史は大きく変わっていたかもしれない」
55だつお:2007/08/18(土) 12:22:11 ID:2i6GJbR0
特に支那事変の頃を眺めていると、皇軍とドイツ軍の科学技術力比較
ってのを考えてみたくもなる。

少なくとも中国人の認識では、皇軍兵器はボロすぎてお話にならず、
従って最新鋭ドイツ陸戦兵器が供給されれば負けるはずはなかった。
もちろん皇軍も88ミリ高射砲のデッドコピーなど、陸上兵器技術
においてドイツがある程度進んでいたことをも認めている。
とはいえそれが中国人の日本人に対する生物学的劣等性を埋める
ものではなかったということだ。
56名無し三等兵:2007/08/18(土) 14:24:13 ID:pFXTlqvo
歴史上にもしはありませんが、もし日本がサシで中国と戦っていたら勝ってましたか??
57名無し三等兵:2007/08/18(土) 16:49:54 ID:iXJb6i+u
>>56
アメリカのベトナム戦争とソ連のアフガニスタン戦争という例があるからな・・・・・
アメリカとイギリスとソ連は全力でドイツを倒しにかかるからドイツは史実よりも早く降伏する。
日中戦争は延々と続く。アメリカとイギリスはビルマが封鎖されていないから援助物資もハンプ超えなんて
やらなくて陸からできるから国民党もさらに強化される。
欧州戦争と日中戦争が同時に続くが、ドイツが降伏するとソ連も中国に援助を開始する。
1948年末、耐えかねた日本軍は中国から全面撤退・・・・
つまり終わらない戦争が延々と続き、日本が音を上げて撤退して終了です。
アメリカもソ連も超強力な兵器を持ってしてもベトナムやアフガニスタンを屈服できなかったわけですから。
同じ結果になるでしょう。日本に原爆落とされるとかそういう事はないけど日本は勝てません。
58名無し三等兵:2007/08/18(土) 16:53:30 ID:iXJb6i+u
太平洋戦争が起こらず日中戦争がそのまま続いたら。
アメリカは義勇空軍を増強してくるでしょう。軍事顧問団も大量に送ってきます。
インドで中国兵を訓練して機甲師団も編成されるでしょう。もちろんアメリカ製の戦車で
指揮官はアメリカ人でね。ドイツが降伏すれば、ソ連製の兵器も大量供給。
だんだん数だけでなく質でも日本軍は追い詰められていく。
59名無し三等兵:2007/08/18(土) 17:00:21 ID:BIwIMyvY
支那事変、満州事変の時職業軍人は特別手当が出てかなり稼いだ話聞いた。
どのくらいもらっていたかしってる?当時の国民所得からみて。
60名無し三等兵:2007/08/19(日) 20:50:27 ID:???
お疲れ様でした
61だつお:2007/08/20(月) 03:58:32 ID:dxZaHlJB
>南方の無力化されたラバウルを視察した後となっては、

航空戦の勝敗は、白昼施設爆撃の成果によって決まるのではないかと。
撃墜戦果であれば古今東西共通で、どうとでも膨らむのだし。

 情勢は共産陣営にとってより複雑な展開になっていった。毛沢東がスターリン
に送った一九五一年三月一日付の至急電はこのような事実をよく立証している。
<前略>
(4)朝鮮での戦闘過程の中での現在の劣勢は、次のような問題によって発生
している。敵軍が火力で優位を確保しており、わが軍の輸送能力が弱い。空から
の援護がないため、敵の空爆によって前線に運ばれた補給品の三〇〜四〇%を
喪失しており、さらに敵は定期的に補給を受けている(たとえば、六月末までに
六万から七万名規模の米軍が朝鮮に到着しているはずである)。
 われわれは四〜五月中に一〇個航空連隊が、戦闘に参加できるよう望んでいる。
しかし、現在までのところ朝鮮の領域内に使用できる飛行場は一つもない。なぜ
ならば、地上にはまだ雪が積もっており、飛行場の全面的修復作業をはじめるこ
とができないからだ。のみならず、最も深刻な問題の一つは、空からの援護が
期待できないため、将来にわたって修理作業を行えないことである。
<「朝鮮戦争の謎と真実」A・V・トルクノフ 草進社 >

そもそも朝鮮戦争の中朝軍は、B-29を「34機」しか撃墜できなかった。

ここで「飛行場が近かった」などとの言い訳は通用しない。飛行場が近いなら、
そこに白昼施設爆撃を加えればよかったのだ。皇軍だって大陸打通作戦の時は
敵飛行場に何度も空襲をやっている、航空戦の勝敗は白昼施設爆撃で決まる。
これはドイツ軍も皇軍も中朝軍も、内部史料を見ればそう書いてある。
62名無し三等兵:2007/08/20(月) 15:04:14 ID:???
おお、だつおさんだー
63名無し三等兵:2007/08/20(月) 15:06:13 ID:???
だっちゃん、みなみを重慶に連れて行って。
64名無し三等兵:2007/08/20(月) 19:41:23 ID:???
http://www.nhk.or.jp/sengo62/program.html
証言記録 兵士たちの戦争「中国大陸打通苦しみの行軍1500キロ」
BS-hi 8月21日(火)午後10:30〜11:15

中国大陸縦断を目指した陸軍史上最大の作戦・大陸打通。
兵士は、コレラや赤痢に倒れ弾薬が尽きるなか突撃…。
静岡歩兵第34連隊の元兵士たちの証言で、その実態を描く。
65イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/20(月) 20:20:38 ID:???
超時空要塞ビグザイトから帰還しましたw。初日と3日目の後半は炎天下でしたが、
それ以外は曇天でそれなりに天候に恵まれたようで…。顔と腕が「コミケ焼け」で
真っ赤ですw。

>>41 >>健闘を祈る。
頑張ってきましたw。

>>42 >>自分も最終日参加です。
ue少将閣下はどの辺りを回られたのでしょうか。自分は3日目は東館に並びましたが、
待機列のトイレが1時間待ちで往生しました。駐車場が狭くなったせいで仮設トイレの
数が激減ですw。

>>44 今回は諸般の事情により最終日だけの参加でございます。メカミリで売り子ちゃん。

3日目のメカミリもひと通り回りましたので、多分どこかですれ違ってはいますね。
「えげつないやん家」や「太陽帝国」とか色々買いまひた。
66イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/20(月) 20:31:53 ID:???
>>43 >>眠る前に・・!新スレ、おめおめです☆^^
毎度どうもでございます。引続きマイペースで頑張りますが、最近また忙しく
なってきたので間が空くことも多くなるかと思います。『うみねこのなく頃に』が
無性にやりたいのは秘密だ!w

>>49 >>コミケいってきました、東館1/3が東方でしたねwww(・ω・)
>>先生を探すもみつからず。(あたりまえかwww)

どうもでございます。東方は委託しない所で2件、痛い買い逃しをしてしまい
大変悔やまれます。今日も体に鞭打って『残敵掃討』してきましたが(有休ねw)
やはり見つからず…。ちなみに会場で探される時は『少佐』のコスプレが似合い
そうなのが自分ですw。

雑感ですが、石原都知事のオリンピック政策で有明周辺の道路が想像を絶するほどに
良くなりました。まさか東京駅から10分少々で「超時空要塞」に到着できるとは…
(タクシーで2千円ちょい)。
67イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/20(月) 20:40:42 ID:???
ただし「悪徳タクシー」はいまだに、新橋からレインボーブリッジ経由で連れて
行こうとしますから、タクシーに乗る時はいつもドキドキです。それだと倍の
4千円近くになります。この場合、銭カネは問題ではなく、時間が30分以上
かかるのが極悪です。

>>まさか東京駅から10分少々で「超時空要塞」に到着できるとは…

ちなみにこの道は今年2月に出来たばかりで、カーナビにもまだ登録されて
いません。画面上では海の上を走っていますw。

あと、250円の本を買って1千円札を出したら、売り子のお姉さんが電卓使って
1000−250=750円とお釣りを計算していたのにはビックリしたなーとw。

いい加減、スレ違いなのでこの辺で止めときますw。
68イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/20(月) 21:04:39 ID:ZOlWTJFU
>>46 >>延安をスルーした理由が確かによくわからん。重慶をスルーしたのは
>>わかるが・・・・

みなさん、簡単に「延安攻略」とおっしゃいますけど、場所は陝西省ですよw。
黄河の相当上流に位置しています。『大陸打通作戦』の前半戦である京漢作戦で
占領した「洛陽」も黄河に面していますが、延安に比べれば全然下流の方です。
(黄河全体としては、洛陽はちょうど中流域にあたります)

さらに幻の『重慶攻略作戦』では、同じ陝西省にある西安を攻略する予定ですが、
延安は西安のさらに北部にあたります。もちろん『重慶攻略作戦』はそこから更に
長躯して、四川省の成都すら攻略して重慶の後背を脅かす「超作戦」ですから、
それに比べれば、「延安攻略」はまだお茶の子さいさい(それ単独目的ならば)
レベルだとは云えます。

いや表現が正しくありませんね、『五号作戦』が凄過ぎるだけです。太平洋戦争初期の
南方攻略作戦全体と同じか、それ以上の規模と言われるのは誇張でも何でもありませんw。
69イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/20(月) 21:35:38 ID:ZOlWTJFU
ちなみに少し調べましたら、とある大学院生のブログでこんな旅行日程を
見つけました。

●初日は日本→西安と移動 ●2日目に西安でミーティング 
●3日目に西安→延安と移動 ●今日4日目に延安→黄河→西安に戻りました

ですので西安が攻略できるなら、延安は「指呼の間」にありますから攻略できない
こともありません。しかし、大陸打通作戦(少なくともその前半の京漢戦以上)に
匹敵する大作戦を、たかだか『中共』相手に企図しようとするでしょうか?

>>38 >>「共産主義者は世界の害虫。駆除せねばならん!!」とか言ってた
>>割には延安をなぜか放置。

「ゴキブリ相手」にそこまで大作戦を企図するのは抵抗が有ります。日本軍としても
名目はともあれ実態は不正規軍に等しい中共軍を真面目に相手にするのは、やる気が
削がれたでしょう。たとえ装備は優秀でも国府軍の方が、やりやすかったはずです。
70イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/20(月) 21:46:59 ID:???
この辺りは、どういう風に例えれば分かり易いでしょうか。仮に検察官とすれば
痴漢や窃盗などのコマイ事件なんかより、不眠不休でも特別捜査部なんかに籍を
置いて、でかい手柄を立てたいみたいなものでしょうか?(実態はよく知らんが)
まあ、「ホームレス」を相手にするような仕事には誰も就きたくありませんよねw。

あと本当にちなみにですが、西安は「兵馬俑」があるところです。
71イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/20(月) 22:02:16 ID:ZOlWTJFU
>>50 >>また、延安攻略から始めたら国民党に時間的余裕を与えてしまう
>>予測もあったのかもしれません。

以下の話は、鳥居民氏の『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』(草思社)
によりますが、「延安攻略から始めたら〜」以降は全く逆の話になるでしょう。

延安を攻略するためには陝西省の省都である「西安」も攻略する必要が出てきますが、
そこには国府軍の「胡宋南」が司令部を置いて頑張っています。

国民政府の全軍事費の4分の1を受け取り、その兵力は40数個師で45万人、
装備は最優秀だったと云います。胡宋南軍の任務は、延安とその中共軍支配地域
である「辺区」を封鎖することで、2〜3年先(日本の敗退後)に必ず起こる共産党
との戦いに備えていた訳です。ちなみに胡宋南は「西北王」と呼ばれていました。

蒋介石は「第二次国共内戦」に備えて自軍を温存させていましたが、胡宋南軍は
その象徴的存在だった訳です。
72イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/20(月) 22:15:23 ID:ZOlWTJFU
延安を攻略しようとすれば、「脅威度」の点からも指呼の間にある
45万の胡宋南軍を放って置く訳にもいきませんから、必ず西安を
先に陥とすことになるでしょう。

また日本軍(支那派遣軍)の指揮官(作戦立案者)のモチベーション
から言っても、「ゴミ捨て場」のような延安よりも、胡宋南軍の撃破に
主眼目が置かれることは間違いないでしょう。

真珠湾攻撃を終えた南雲機動部隊の草加参謀長が、帰路にミッドウェー島を
空襲するよう命じられたのに対して、●「相手の横綱を破った関取に、帰りに
大根を買って来いというようなものだ」と憤ったと云いますが、これに近い
感覚となるでしょうかw。

いずれにせよ西安を攻略すれば(できれば)、国府軍の大部隊である胡宋南軍を
撃破するのと同時に、延安の中共軍の包囲網を日本軍自ら解いてやる結果となり
ます。それは中共にとっては願ってもないことです。
73イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/20(月) 22:29:43 ID:ZOlWTJFU
また中共軍を包囲していた蒋介石軍が撤退すれば、その「真空地帯」を
更に支配地として広げることが出来るでしょう。もちろん西安を攻略
したあとに、日本軍が続けて延安を攻略すればいいだけの話ですが、
そもそも「作戦の動機」として、延安を陥とすために西安を陥とす
という発想は無理があると思います。

>>71 >>鳥居民氏の『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』(草思社)

この本の面白いのは、ゾルゲと共にコミンテルンのスパイであった尾崎秀実が
『西安攻略』を声高に主張していたというところです。これは自身の逮捕後の
話ですが、そもそも尾崎秀実は『支那問題の権威者』でもあった訳です。

自分も現代で支那問題を頑張ってはいますがw、当時の尾崎の支那問題に
おける影響力は非常に大きなものでした。全く比較になりません(核藁)。
74イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/20(月) 22:39:40 ID:ZOlWTJFU
尾崎は『西安攻略』を訴えて、以下のように主張しています。

「軍事的に見るときは、現に蒋介石は西南に主力を注いでおりますが、私は
 今日以後は敵にも味方にも『西北支那』こそ決定的な意味を持って
 来るものと思われます。

 支那が他日総反攻をもし行ない得るとすれば、その中心は『大西北ルート』
 すなわち新疆―甘粛―陝西の道であろうと思われます。すなわち西安は最も
 重要なる拠点をなすものであろうと思われます。日本の進攻目標は是非とも
 『西安でなくてはならない』と思います。

 もし日本が他日、大した無理なく自然に西安を奪い『隴海線』および『京漢
 線』南段を通じて勢力下に置き得る日が来るならば、現戦役下の支那問題は
 少なくとも戦略的には大半解決したと見て過言ではないと思われます――」
75イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/20(月) 22:58:57 ID:ZOlWTJFU
要するに、ヨーロッパ戦線が終わったあと、ソ連は重慶政府を再び援助する
ための「大西北(援蒋)ルート」を復活させると警告して、それを防ぐために
西安を攻略せよと主張した訳ですが、それにしても

>>現戦役下の支那問題は少なくとも戦略的には大半解決したと見て
>>過言ではないと思われます

とは尾崎秀実も大きく出たものです。逮捕後にもこうして上申書の中で
(1944年2月)西安の攻略という大看板を掲げ、それとなく共産党の
利益となるよう述べている訳ですから、尾崎は骨の髄までコミンテルンの
支持者だったと云えるでしょう。

ここからが結論ですが、尾崎は●「西安攻略(国民党軍の撃破)を主張しながら、
指呼の間にあるはずの延安も日本軍によって壊滅させられる危惧」をまったく
考えていません。ここが最大の謎だと云えます。
76イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/20(月) 23:05:11 ID:???
>>76 >>ここが最大の謎だと云えます。

コミンテルンの利益を最優先に考える尾崎秀実にとって、いくら国府軍の包囲網を
解くためとはいえ、よほどの確信が無ければ述べられることではないでしょう。

当代きっての「支那問題専門家」だった尾崎の真意はいかばかりか…?
77イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/20(月) 23:33:49 ID:???
まあ、

●日本軍に西安を陥として、更に延安まで攻略するだけの余力は無い
●日本軍は延安なんて最初から眼中に無いw
●死刑が目前に迫って動転して、尾崎は延安が陥とされる危惧まで深く考えて無いw

の3択でどうぞ(藁)。
78名無し三等兵:2007/08/21(火) 00:02:47 ID:???
尾崎って結構凄い人なのね。

ただのコミュニストかと思ってた。
79俄将軍:2007/08/21(火) 00:12:11 ID:???
「VOICE」8月号、鳥居民氏と谷沢永一氏の対談で、対米戦争には、木戸
内務大臣の責任など、「中央公論」9月号では、特設師団である第百一師団
を引き合いにして、南京事件の関係など、興味深い、ということになるの
か、などと、嘯いてみたり。

>>76
主義者も、スターリンと毛沢東の何れを、重要視しているのか、ということも
あるのか、などと、適当な思いつきなど書き散らしてみたり。
80名無し三等兵:2007/08/21(火) 00:20:21 ID:???
谷沢氏はなぁ・・・アイデアや仮説は面白いけど
実証系じゃないし。
歴史教科書批判の時に反対に
小室直樹の「こうすれば勝てた」を引き合いに褒め称えた前科もあるし
81名無し三等兵:2007/08/21(火) 00:36:07 ID:M/QCVI68
(AFAMF)X-Po(笑)
82俄将軍:2007/08/21(火) 00:48:12 ID:???
>>79
「主義者も、スターリンと毛沢東の何れを、重要視しているのか、」を
「主義者も、当時、スターリンと毛沢東の何れを、重要視していたの
か、」に、修正。

>>79
元勲のラインも、公家、藩閥、後ろ盾など、それぞれ異なる、というこ
とになると、木戸内務大臣、大命降下のバックも、というところまで、
ということでなければ、ということもあるのか、などと、適当な思
いつきなど書き散らしてみたり。

小室直樹大先生は、偉大だ、ということになるのか、などと、嘯いてみ
たり。
83俄将軍:2007/08/21(火) 01:20:13 ID:???
>>82
下の段落は、 >>79 宛てではなく、 >>80 宛の誤りであります。
84だつお:2007/08/21(火) 01:29:35 ID:ZIQZfezR
>(1944年2月)西安の攻略という大看板を掲げ、それとなく共産党の
>利益となるよう述べている訳ですから、尾崎は骨の髄までコミンテルンの
>支持者だったと云えるでしょう。

別に共産主義者でなくてもスチルウェル中将のように、国民党政権の腐敗を
知るものであれば、中共と結んででも国民党を潰せと言いたくなるだろうよ。
アメリカだってニューディール政策をやってるし、日本も土地改革を進めてた。
いくら財閥がその有り余る富を誇っていても、貧富格差を野放しにし土地改革
や社会福祉を怠るのでは、敵味方から「無能」の謗りは免れない。

自由主義経済であっても土地改革(土地資産の再配分、公営住宅の建設など)
それに社会福祉(医療保険、公的年金など)は必ずついてまわる。自由主義
経済だからといってなにもしない政府ならそんな政府は必要ないってこと。
土地改革や社会福祉の努力をしない中国国民党は、共産主義者のみならず
欧米や日本などの近代先進工業国からみても軽蔑される存在。

≪児島襄「参謀(下)」のジョゼフ・スチルウェル編より引用≫
だが、ものの一年間もしないうちに、スチルウェル参謀長は、その日誌に、
自分の予期しなかった感想を記述することになった。
「“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ・・・・ (中国政府は)
自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。指導者たちの興味は、
ただ金、権力、そして地位だけだ・・・・。手に入るものには何でも頭を下げ、
自分は戦わないように心がける・・・・。“インテリ”と金持ちは子どもを米国に送り、
農民の子どもが戦争に かりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。
 われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士
“ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ―おお神よ!!
85名無し三等兵:2007/08/21(火) 06:56:40 ID:???
革命の聖地であるはずの延安も今や貧しい都市に
86名無し三等兵:2007/08/21(火) 19:14:03 ID:5KC3IoLx
北進か?南進か?
に次ぐ大論争となる。
西安(そして、延安)か?重慶か?
二兎追うものは一兎得ず。
両方同時に攻めるのは不可能。だがここは弱い方の西安から攻めるべきではなかったか。
西安・延安を落とせば、共産党のテロも激減できる。
あとは全力で重慶にかかればよい。
まあそれでも打通作戦やるならどちらもあきらめなければいけないけど・・・・・・
87イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/21(火) 22:51:05 ID:???
>>72 の補足。>>延安の中共軍の包囲網を日本軍自ら解いてやる結果となります。
>>それは中共にとっては願ってもないことです。

まあ、西安と言えば、張学良と揚虎城が蒋介石を軟禁した『西安事件』(1936年12月)
な訳ですが、このときも壊滅寸前だった中共はドサクサに紛れて支配地を拡大させて
います。いわゆる「歴史は繰り返さないが、歴史的状況は繰り返す」というヤシですw。

>>75 の補足。>>尾崎は●「西安攻略(国民党軍の撃破)を主張しながら、指呼の間に
>>あるはずの延安も日本軍によって壊滅させられる危惧」をまったく考えていません。

「指呼の間」と書きましたが、よくよく調べましたら西安―延安間は直線距離で
270キロありましたw。しかし上海―南京間は300キロはありますから、それ
よりは近い訳です。う〜ん、微妙。
88名無し三等兵:2007/08/21(火) 22:53:49 ID:???
901 名前:カタログ片手に名無しさん[sage] 投稿日:07/08/21 20:09 ID:???
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=536595753&owner_id=13071058

スタッフから走らないでくださ〜〜いって言われてもハイハイ無視無視♪



ものすごい勢いで軽く200人以上は抜かした(爆)


・・・これは買えないのでは?


と思い、さっそくずる込み作戦開始!!




スタッフの目を盗んで2つに別れた列の前のほうへ移動!


前のおっさんにものすごい目つきでにらまれても無視無視♪

また東方厨か・・・
89イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/21(火) 23:04:45 ID:+d2PUO0U
>>46 >>延安をスルーした理由が確かによくわからん。重慶をスルーしたのは
>>わかるが・・・・

とどのつまりの話ですが、結局『延安』を攻略する目的は一体なんなのか?という
ことです。延安という地点を占領するのに意味があるのか、中共軍を撃滅するのが
優先されるのかという話です。

支那事変冒頭の「徐州大会戦」(1938年)でも、徐州の占領に意味があるのか、
国民政府の野戦軍の殲滅が優先されるのか、どっちつかずの二兎を追う形となって
結局、日本軍は国府軍の大部を取り逃がす形となりました。

延安を占領しても中共軍は「城を枕にして討ち死に」するでしょうか。日本軍とは
まともに戦おうとはせず、後方の補給線にゲリラ活動で嫌がらせはするでしょうが、
トンズラされるのが関の山だと思います。何と言っても『長征』という一大逃避行の
前科がありますからw。
90イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/21(火) 23:12:03 ID:???
まあ、要するに当時の中共は「頭を潰さないとダメ」だと思いますね。地理的な
拠点の奪取うんぬんは、あまり意味が無いかと。
91伝統の幻想ブン屋 射命丸 文 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/21(火) 23:17:58 ID:???

     ヘ
   イ"´ ̄`'ヽ
   | i.|ノリハノリ〉_    そこで『武装参謀団』の投入ですよw。
 ,ヘルlリ ゚ ヮ゚ノiiノn         三□
 ゝ,<,_,i`ハ´i,〕⊃ 三□
  `,し/~/:ハ          三□ 三□
   `'ィ ァ~ィ ァ´   三□ 三□
    T  T       
92イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/21(火) 23:31:09 ID:+d2PUO0U
>>79 >>特設師団である第百一師団を引き合いにして、

『第百一師団長日誌――伊東政喜中将の日中戦争』は書泉で見かけて買おうかと
思いましたが、西安事件の資料が届いたので延期しました。

>>「主義者も、当時、スターリンと毛沢東の何れを、重要視していたのか、」
そりゃスターリンだわさ。

>>86 >>西安(そして、延安)か?重慶か? 二兎追うものは一兎得ず。

だから、西安攻略は、重慶攻略作戦の『序盤戦』でしかないと何回も
言ってんでしょーがw。要するに「北方ルート」ね。
93イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/21(火) 23:49:28 ID:+d2PUO0U
>>52 >>共産党軍は軍と言うよりもテロリストだからなぁ。
>>アルカイダの先駆けみたいなもんだ。

その通りです。頭を潰しませふ。

>>53 >>毛沢東らが台湾に逃れて国を造っても影響力の低下は免れない。

「キューバ」ぐらいにはなったかしらん?

>>56 >>歴史上にもしはありませんが、もし日本がサシで中国と戦っていたら
>>勝ってましたか??

仮にその状況で「重慶攻略作戦」を成功させたとしても、蒋介石は蘭州か昆明に
逃げたでしょうね。ソ連に接近するなら蘭州ですが、おそらく仏印経由の援蒋
ルートを考えると、昆明の可能性が高いと思います。それでもダメなら海外に
亡命政権を樹立ですw。
94イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/22(水) 00:14:54 ID:d2fu7Q3h
支那全土を占領して「傀儡政権」を樹立したとしても、米軍のイラクのように
なる気もします。ひたすら占領地警備のために日本軍を全支那に駐留させ続ける
のもキツイかと……。まあ、それも是非やってみたい選択肢ではありますがw。

ただ1939年9月頃に、汪兆銘の「重慶脱出」を絶好の機会として日本軍の間に
『中南支放棄論』が出てきました。要するに、汪兆銘が南京に「親日政権」を築く
(同時に日本軍の撤退を求めている)のだから、それを口実に日本軍は黄河の線まで
引くべきだ、そうしなければ国力が持たないし、またそうであればこそ長期持久戦に
耐えることが出来るとするものです。

黄河のラインというと、要するに支那事変勃発前の『北支分治工作』の目標ラインまで
下がるということです。もう北支5省は武力で占領していますので、それを既成事実化
してしまえという話です。言いようによっては『第2満州国計画』は達成している訳です。
95イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/22(水) 00:30:42 ID:d2fu7Q3h
蒋介石は、自国の国土の「空間を武器として」ひたすら日本軍を奥地に
誘い込んで、消耗を強いるというのが根本戦略でしたから、このように
日本軍が「良いとこ取り」だけして引っ込んでしまうのは悪夢だったと
言えるかもしれません。第2満州国、第2満州国w。

結局、日本がどこで手打ちにするのか具体的な規準がないまま、ただただ
「重慶政府の完全屈服」だけを追い求めて失敗したのが史実だと思います。
第2満州国で充分じゃないか。既成事実、既成事実w。

また別宮翁の言を借りるならば、蒋介石は日本と「停戦協定」を結びたくて
絶叫していたと云います。日本が「講和条約」(重慶政府の完全屈服)に
拘り過ぎたために、そこそこの手打ちが出来なかったとも言えるでしょう。

要するに、日本軍は10万単位の戦死者を出していますので、重慶政府の完全
屈服(賠償金の取立ても含む)でなければ、国民の理解が得られないというか、
国内で暴動が起きると恐れたのでしょう。日比谷焼き討ち事件、日比谷…w。
96イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/22(水) 00:32:12 ID:???
>>重慶政府の完全屈服(賠償金の取立ても含む)でなければ、国民の理解が
>>得られないというか、国内で暴動が起きると恐れた

要するに、戦前の日本は曲がりなりにも「民主主義国家」だったことの
証左でもある訳ですw。
97イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/22(水) 00:49:58 ID:d2fu7Q3h
>>58 >>太平洋戦争が起こらず日中戦争がそのまま続いたら。

その前提だと、アメリカはどうやって第2次大戦に参戦したのか?という
根本疑問が湧いてきます。仮に日独同盟が崩れたとしたなら、まず100%
支那はドイツに再接近してきます。そうなると米国の心証を悪くするでしょう。

また独国が支那に肩入れするなら、日本はドイツに対して憎さ100倍となる
かもしれません。

逆に日本は第2次大戦にまったく参加しないのでしょうか。また米国があれ程
支那に援助を与えたのは、太平洋戦争の絡みがあったからです。要するに支那は
連合軍の一員として日本と戦った訳ですが、太平洋戦争が起きなければ支那に
大規模な援助をする理由がなくなります。

仮に支那がドイツに宣戦布告したとして一体何が出来るというのでしょうか?w
98だつお:2007/08/22(水) 11:22:51 ID:PYP1T0IA
それにしてもアメリカはあれだけ中国に援助したにも関わらずどうして
米中決裂・朝鮮戦争になってしまったのだろうかと、私見交じりで考察。

米中決裂は日本経済にとっては「朝鮮特需」「神風景気」と言われるが、
ホワイトハウスでは「赤狩り」をはじめ後遺症は甚大であったはずだ。
これは毛沢東やケ小平が証言したように、やはり日中戦争で親米国民党
が皇軍に連戦連敗したことが大きい。かといってアメリカは日本とだけ戦争
をしているのではなく欧州派兵もやらなければならない以上、中国大陸に
陸軍主力は集中できない。また日本本土と中国大陸の皇軍主力を米軍単独で
殲滅しようとすれば、とてつもない損害を見積もらなければならなくなる。
99名無し三等兵:2007/08/22(水) 17:57:13 ID:bT9MlxaL
>>97
適当に第二のルシタニア号事件を口実にして普通に参戦でしょう。
「護送船団のアメリカ海軍の駆逐艦がUボートの攻撃を受けたため、やむなく反撃」。
とかいくらでも理由は作り出せる。
空母機動部隊も対ドイツ戦に出撃するからティルピッツもあっという間に撃沈。
日本軍はだらだらと延々日中戦争・・・・・
100名無し三等兵:2007/08/22(水) 18:22:50 ID:???
100
101名無し三等兵:2007/08/22(水) 18:29:37 ID:???
カンジはドゥーエに日蓮と皇国思想を味付けした程度にしか見えん
102名無し三等兵:2007/08/22(水) 20:13:26 ID:???
戦争というより終わりの無いモグラ叩きだな
103イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/22(水) 23:54:30 ID:ANIxOJbf
>>99 >>日本軍はだらだらと延々日中戦争・・・・・

列強の無関心こそ蒋介石がもっとも怖れていた事態です。支那にとっては
これ以上ない「悪夢のシナリオ」でしょう。

史実の真珠湾攻撃は、支那にとって最大の転機になりましたが、決して容易く
得られたものではありませんでした。真珠湾にいたる最後の2週間、蒋介石は
焦りと期待の狭間にいました――。

蒋介石の心中では、●「アメリカと日本は土壇場で妥協するかもしれない」と
怖れていた訳です。蒋はこの2週間の経験を『絶処逢生』(絶体絶命から帰還する)
と述べましたが、本人の身になってみなければその感覚は理解できないでしょう。
104イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/23(木) 00:05:25 ID:uDlhmO1V
例えば「日米交渉」の最中、アメリカが臨時の妥協案を提示しようとしている
ことを知ると、蒋介石はチャーチルを通じてアメリカの政府首脳に訴えかけを
行なっています。これを要約すると以下の通り(1941年11月下旬)。

●「中国を侵略中の日本軍の撤退問題について根本的解決がなされる前に、
  アメリカの対日経済封鎖がいささかなりとも緩和されたり変更されたり
  すれば、中国の抗日戦争は必ず崩壊するであろう。

  そしてこれ以後、アメリカが中国に対していかなる援助を行なおうとも、
  それらは全て虚しいものであり、中国はもはや友邦からの援助を望まぬし、
  以後は国際信義や人類道徳という言葉を聞かなくなろう――」

まあ、典型的な『弱者の脅迫』という奴ですw。ルーズベルトも国務長官の
ハルも、蒋介石がアメリカの意図を正しく推測しようとせず、中国を売り渡す
などと訴えていることに対して、●「愚かなほど過敏でバランスを欠いている」
と述べています。
105イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/23(木) 00:21:20 ID:uDlhmO1V
>>102 >>カンジはドゥーエに日蓮と皇国思想を味付けした程度にしか見えん

まあ、カンジ評ですが、少し前の新刊で『都道府県別に見た陸軍軍人列伝』
<東日本編><西日本編>(藤井非三四著、光人社)がありまして、これが
なかなか面白い。要するに、古典的名作である『軍国太平記』の現代版な訳
ですが、著者独特のユニークな切り口が単なる「二番煎じ」ではないピリリな
味を出しています。もちろん納得いかない部分も多々ありますが、それはひとつ
ご愛嬌ということでw。

さてカンジについてですが、仙台幼年学校に寄せるカンジの気持ちは、もはや
信仰の域にまで達していたと云います。平気で人に、●「俺は仙幼出身者しか
信用しない」と言い放ち、●「満州事変を見ろ、あれは仙幼の作品だ」と語る
など、他の幼年学校出身者でも不愉快になりますし、ましてや中学出身者では
カンジと口を聞きたくなくなるのも当然でしたw。
106名無し三等兵:2007/08/23(木) 00:24:47 ID:???
BS-hiのドキュメンタリー見たけど「苦しみの行軍・大陸打通作戦」という悲壮感溢れるタイトルだったが
先週からBS特集でビルマ撤退戦やら、兵士が語るニューギニアを見てしまったせいで、悲しみの行軍どころか
「血と汗と笑いの行軍」程度にしか感じなかったな。

まあ作戦そのものが軍事的には無駄だったって事を示唆してるのだったら、まあアリだと思うが。
政治的には大いに役立ったわけだしさ、ところどころで苦戦もあったが、補給戦途絶で味方9割損耗とかの孤島よりは遥かにマシでしょ
107イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/23(木) 00:27:48 ID:uDlhmO1V
またカンジと云えば『世界最終戦論』ですが、論理的に辻褄が合わなく
なると、●「法華経に書いてある」と逃げます。どこに書いてあるのか
聞くと、●「自分で調べろ」と来ますw。

カンジの思想の根源である「大闘諍一閻浮堤に起こるべし」も、それは
日蓮の言行であって、日蓮宗の経文ではないのではと反論すると、黙り
こくってしまった――などなど、カンジの「駄目人間ぶり」が強調されて
書かれていますw。
108イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/23(木) 00:33:37 ID:uDlhmO1V
>>106 >>ところどころで苦戦もあったが、補給戦途絶で味方9割損耗とかの
>>孤島よりは遥かにマシでしょ

まあ、大陸打通作戦の終盤戦である「桂林攻略作戦」などは、衡陽でかなり
悪戦したために、これ以上は補給が途絶して『第2のインパール』になると
反対意見が出ましたが、結局、普通に攻略してしまっています。

やはり支那大陸と南海の孤島では比較になりませんよ。全然天国ですw。
109イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/23(木) 00:41:59 ID:uDlhmO1V
>>35の続き。>>ハイ、満鉄と関わりが出来て、何となくキナ臭くなってきましたよw。

少しは「阿片問題と日本陸軍」テーマも進めないといけませんので、忘れ去られない
うちに続きですw。後の『阿片王』となる里見甫の経歴についてです。>>33

「里見が代わって主幹となったが、社の財政事情が苦しくなり里見は満鉄の
 嘱託となった。ちょうどその頃、蒋介石の北伐が成功し、南京に国民政府を
 樹立したので、里見は満鉄の南京事務所長(嘱託)となって、南京へ赴任。
 国民政府を相手に鉄道建設や借款の交渉にあたった。

 南京では要人との付き合いが多くなり、ことに香港のナンバー2といわれた
 周錫年と肝胆相照らす仲となり、香港に進出する日本企業について、吉田茂
 外務次官や、三井物産の向井常務らに紹介、斡旋するところがあった」
110イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/23(木) 00:53:00 ID:uDlhmO1V
「また周氏の縁に繋がって、龍岡親義会(遠く三国史時代の劉備、関羽、
 張飛、趙雲ら四姓の子孫たちが、『義』の精神を現代に生かそうと呼び
 掛けた集まりで、南方華僑だけで300万人を超える会員を擁していた
 と云われる)の頭領・張鎮漢とも交誼を結び、同会の香港大会に招待を
 受けるなど、中国人社会の絶大な信頼を得るようになった――。

 里見は学生時代から思いやりがあり、人の面倒をよく見る親分肌のところ
 があり、男にも女にも好かれる多情多恨、当時流行った村上浪六の小説を
 地でいった男、というのが同期の仲間の述懐である」(続く)
111イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/23(木) 00:53:47 ID:???
>>109-110 は適当に流し読みしておいてくらさいw。
112楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/23(木) 00:58:56 ID:???
>>88 >>前のおっさんにものすごい目つきでにらまれても無視無視♪ また東方厨か・・・

    |
    |                           /[] []
    |                         /[] ]  [] []
    |                    ,,--  /[]
    |  /\/ i                 / _
    |「` ´:::::::::ヽ  マンドクセ      ガッ    Y、
    | i::::::::ノノリ::::〉           人   *  |§
    | !:::l:! ' A`)) σ_,,------,,,__<  >/ \∩'´
    |_. /. .\ヽノ            V  ξ・∀・)/ .: ;: ∴
   / ∪/~つつ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   /    / 
  /
113楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/23(木) 01:09:51 ID:???

        i^ヽry/`ヽ、
     , '` ⌒ ゙`ヽ'
     L(ノ八ノノLi〉
      il、゚ヮ.゚[i.llλ   中佐は、無法者に対しては相手のアキレス腱を
        ノi`ム´」,ヘリ    切る前提で何度もトゥーキックしてくるから
.      〈/i.Tヽヾ、_〉    止めた方がいいわ。膝の裏もよく蹴るわね。
       ゙''t_ァ_ァ‐゛    ノールックで前後左右の人の足を踏みつける
                名人なのよ。サンダル履きの無法者は大好物ねw。
114翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/08/23(木) 01:21:29 ID:nn6y1jur

>これ以上は補給が途絶して『第2のインパール』になると
>反対意見が出ましたが、結局、普通に攻略してしまっています。
>やはり支那大陸と南海の孤島では比較になりませんよ。全然天国ですw。

支那の民には本気で悪いのですが、

アッツ(山崎大佐指揮)
ペリリュー(中川大佐指揮)
硫黄島(栗林中将指揮)
伊江島(井川少佐指揮)

ほかほか、
島嶼戦以外なら最近まで存命なされていたかもしれませんですね。

哀悼。
115名無し三等兵:2007/08/23(木) 01:22:06 ID:TBsOuH51
ちょっとした戦いで「遺棄死体3万以上、他行方不明多数と推定」がバカスカ出現する
それが日中戦争。でも敵の数は全然減らない・・・・これが人海戦術の真髄か。
116名無し三等兵:2007/08/23(木) 01:30:05 ID:???
>>114
番組じゃ元兵士の方が打通作戦参加者はそれなりに軍事行動に関してもコメントをしているのに対して
ニューギニアに行った部隊の方たちは、ほとんどが食い物と病気のハナシw
海軍の畑に芋を盗みに行って軍法会議に掛けられて部隊長が銃殺されたハナシとか
その畑には「畑内において豚と誤認して銃撃する場合がありますので立ち入り禁止」と書かれていたとか
ヤツら(海軍の連中)は肥えていて芋を半分食ったら残りを捨てる輩までいたとか…

やはり人間、食い物の恨みは相当ですな
117翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/08/23(木) 01:56:29 ID:nn6y1jur
>>116 さん
南方作戦の証言は、も、食料や水の話ばかりで、なんというか
「サヴァイヴァル虎の巻」を読んでいるような。
御蔭で自販機が何処にでもある現在の天国ぶりが身にしみましてです。
で、日中戦争の証言は「往けども往けども・・」と、
板住人が本当に知りたい「日本の実戦ケース」がテンコ盛り。
また南方に目を転じれば陸さんと海さんの生活習慣の違いが浮き彫りで。
食い物の恨みといえば「坂井さん」らしいですけど、
あの方はもっと信頼されてもいいと思うのですが・・とスレ違いな。
イナ様のスレは政治外交の裏まで触れていてとても楽しいですね。
蒋介石総統の第1夫人の話とかは既出でしたでしょうか。。と話を振って〆^^
m()m
118名無し三等兵:2007/08/23(木) 03:23:06 ID:???
長沙作戦 光人社NF文庫
緒戦の栄光に隠された敗北
http://www.bk1.jp/product/02912548

昔の単行本の再販だけど良い本が出たよ。誰も張ってないから貼る。
中味は感傷的ではなく分析系だったね。士官ならこうでないと。
だつお的にはこの作戦はどうなの?
119名無し三等兵:2007/08/23(木) 03:27:49 ID:???
前スレチェック。
この作者防大教授になったのね。なら納得。

絶版本は入手が面倒だから再販してくれると嬉しいね。
華中作戦も出してくれる事を期待。
120名無し三等兵:2007/08/23(木) 11:33:28 ID:TBsOuH51
ラモウ・トウエツ・リュウレイぐらいか?
121名無し三等兵:2007/08/23(木) 16:50:43 ID:???
1、重慶侵攻作戦=1943年9月開始。目標は重慶の制圧(1944年4月までに制圧できない場合は打通作戦に影響が出るので作戦中止)投入兵力45万
2、大陸打通作戦=1944年4月開始。目標は米陸軍航空隊の基地破壊。投入兵力51万
3、西安・延安侵攻作戦=1945年6月開始。目標は西安の国民党と延安の共産党軍の撃滅と基地の破壊。
作戦終了後、西安・延安共に撤退。また老河口より西の米陸軍航空隊の基地も合せて破壊。投入兵力は40万


以上の三大作戦を断続的にやればかなりの消耗を相手に強いる事はできたであろう。
後はドラキュラ作戦のウェデマイヤー軍を広州で迎え撃って終戦と。
122名無し三等兵:2007/08/23(木) 17:00:54 ID:???
そんなの関係ねえ!
そんなの関係ねえ!

  (Д´)/^丶 ))
  r  ィ| |〃ザブ
 〇ー\__(、、、jザブ
   /\。゚\。゚。゚。
「|〜〜〜〜〜〜〜〜「|
|| と_」  と_) ||
| L_______」|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

晋三ー!熱湯ー!!
         /
 キョトン…(  ゚) /
    r  丶
    ||__||
    U丶_丿j
    | | |
「|〜〜〜〜〜〜〜〜「|
||   (_⊃⊃  ||
| L_______」|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
123名無し三等兵:2007/08/23(木) 17:03:40 ID:???
ウェデマイヤーが1945年9月に実行しようとした作戦は、ドラキュラとは別の
作戦名だったかもしれない。ちょっと忘れた。
その作戦はどういう規模のものだったのだろうか?
124名無し三等兵:2007/08/23(木) 23:04:09 ID:???
北支や満洲近辺の麻薬関係だと馬賊とかが十分絡んでくると思うのですが、その辺りはどうなんでしょう。
佐野眞一氏の「阿片王 満州の夜と霧」では小日向白朗などについての言及もあると聞きますが。
(実は自分は未読だったりする)
125イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/23(木) 23:07:40 ID:0SqXhaSU
>>115 >>ちょっとした戦いで「遺棄死体3万以上、他行方不明多数と推定」が
>>バカスカ出現するそれが日中戦争。でも敵の数は全然減らない・・・・これが
>>人海戦術の真髄か。

過去スレでも述べましたが、日本軍が戦果として主張する『遺棄死体数』は、
自軍の損害に『一定の係数』をかけて算出したりしたする場合も多いですから
鵜呑みは禁物です。要するに昔の合戦じゃあるまいし、いちいち「死体のボディ
カウント」なんてやってる時間はありませんし、前の人が数えた死体を後ろの人が
重複して数える「ダブルカウント」「トリプルカウント」なんて当たり前でしょう。

ちなみに日本海軍が「台湾沖航空戦」で大本営発表した数字は以下の通りw。

●轟撃沈:航空母艦11隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻、巡洋艦もしくは駆逐艦1隻
●撃破:航空母艦8隻、戦艦2隻、巡洋艦4隻、巡洋艦もしくは駆逐艦1隻、艦種不詳13隻
●撃墜:112機(基地における撃墜を含めず)

まあ、正確な戦果を把握するのは想像以上に難しいということです。
126イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/23(木) 23:22:38 ID:0SqXhaSU
>>119 >>絶版本は入手が面倒だから再販してくれると嬉しいね。
>>華中作戦も出してくれる事を期待。

実は『長沙作戦』の方が『華中作戦』より面白かったり。『長沙』は阿南批判というか
切り口(テーマ)がはっきりしているので、一冊の本としてストーリの起承転結がついて
います。『華中』も非常に参考になるのですが、ちょっと平々凡々な戦記という気がします。
つーか、佐々木春隆の著作は全部文庫本にして再販しろw。

>>123 >>ウェデマイヤーが1945年9月に実行しようとした作戦は、ドラキュラとは別の
>>作戦名だったかもしれない。ちょっと忘れた。

「カーボナード(黒ダイヤ)作戦」のことを指すのであれば、過去スレ6を参照のこと。

>>116 >>ニューギニアに行った部隊の方たちは、ほとんどが食い物と病気のハナシw

支那戦線に「飢え」が無かった訳ではありませんが、南方戦線に比べればやはり天国ですw。
127イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/23(木) 23:50:03 ID:0SqXhaSU
>>117 >>蒋介石総統の第1夫人の話とかは既出でしたでしょうか。。と話を振って〆^^

蒋介石は「宋美齢」の以前に、「毛福梅」「姚冶誠」「陳潔如」の順番で、都合4回
結婚しています。毛福梅と結婚したのは1901年、まだ蒋介石が満14歳になって
いないときです(毛は19歳前後)。言うまでもなく、蒋経国の生母でもあります。

蒋介石は「毛福梅」との結婚生活について、青少年の思い出をまとめた1927年の
日記帳に、●「ああ、余の逆境ここより始まる。これ中国早婚の悪しき結果なり」と
散々な書きようです。結局、蒋介石は母親が亡くなる1921年まで待って正式に
「毛福梅」と離婚しています。

ちなみに蒋介石の弟の瑞青はわずか3歳で死んでいますが、母親は王氏を「冥土の妻」
としています。これは年齢がほぼ同じで亡くなった娘を貰って、「冥土の夫婦」とする
支那の風習からです。蒋介石と「毛福梅」との長男・経国は、名義上この弟夫婦の跡継ぎ
となっています――。まあ、これらのエピソードからも蒋介石の母親がどんなだったか
イメージできるでしょう。ぶっちゃけ蒋介石は、マザーコンプレックスですw。
128イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/24(金) 00:14:01 ID:pJo68z/W
ちなみに2番目の「姚冶誠」は芸妓の出身で内縁の関係でした。3番目の
「陳潔如」は蒋介石の支持者だった大富豪、張静江の媒酌で挙式――。
そのうち「陳潔如」の写真だけは、北伐中のものが現存しています。その後に
ようやく「宋美齢」が来る訳ですが、「陳潔如」は蒋介石から5年間の米国
留学を言い渡されて厄介払いとなり、1927年8月に上海を離れています。

蒋介石の女性関係は複雑で、1919年には「陳潔如」に求婚をして、
1921年には「姚冶誠」との内縁関係が始まっています。また既に
述べたとおり、「毛福梅」と離婚したのは1921年ですから、この間は
3人の女性と同時に婚姻・交際関係があったことになりますw。

また蒋介石は「陳潔如」に向けて、「毛福梅」との失敗した結婚について
●「17、8年間の罪」と呼び、●「いま目覚めることができた。もう
前車の轍を踏むことはない」とまで日記に書いています。
129イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/24(金) 00:27:06 ID:pJo68z/W
しかし蒋介石がもっとも痛烈に陰口を叩いたのが、事実上2番目の妻
となった「姚冶誠」です。蒋介石が「陳潔如」という3番目の新しい
妻を迎えたことに対する「姚」の怨みは凄かったらしく、

●「姚冶誠という女は嫉妬が染みついている。いつも人を不快にして
  くれるので、ことさら憂鬱だ」(1922年12月13日)

●「姚冶誠の顔を見るとうっとうしくてたまらないw。嫉妬深い女は養い難い。
  午後の来客は陳潔如が同席してくれた」(1923年4月12日)

ちなみに「姚冶誠」との関係は『蒋介石日記』上、1926年の初頭まで
確認されています。
130イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/24(金) 00:45:16 ID:pJo68z/W
まあ、何にせよ、宋美齢との婚約が整った1927年秋、蒋介石は
『申報』などの上海新聞各紙に●「蒋中正啓事」と題した個人広告を
掲載しています。その内容とは、

●「ご関心の各位へ。中正(蒋介石)は、元妻の毛氏と民国十年(1921)に
  正式離婚。その他2氏(姚冶誠・陳潔如)とは元来、婚姻関係になく、
  すでに縁も断っている。家中に2児あるほか妻女はなし。事実無根の
  風説にはご注意願いたい」

この『個人広告』に全てが表されているでしょうw。マグナムドライと云えば
そうですが、毛沢東が●「波乱に満ちた生涯のあいだ、『同士関係』を越えた
女性の数は『長江の鮒の数より多かった』」などと揶揄されるデタラメな女関係
だったのに比べれば、全然大人しい方でしょうw。つーか、当時からすれば
ごく普通かと。
131イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/24(金) 00:56:33 ID:???
スターリンの女性関係も相当派手だったようですし、それに比べれば
ヒデキは海外留学のときに少し話がある程度で、全く可愛いものです。

まあベリヤのような「超変態ロリコン野郎」でもない限り、為政者の
女性関係なんて特に問題にすることでもないじゃないですかw。
132名無し三等兵:2007/08/24(金) 01:12:16 ID:7ZGkenWt
岡村寧次らが終戦を聞いて「我々は負けていない」と言っていたが。
WWTのカフカス戦線(対トルコ戦)のロシア軍の将校がロシア革命が起こって
降伏すると聞いた時にまったく同じセリフを吐いたんだったな・・・・
東部戦線でドイツ軍に連戦連敗だったのと違いって、カフカス戦線は連戦連勝。
東部戦線でのゴルリッツ戦で大敗した後にも、あわや「東アナトリア打通作戦」が成功しかける
ぐらいの連戦連勝ぶり。これで革命が起こったから降服しろと言われても「ハァ?トルコ軍負けてるジャン。何いってんの」
と思ったのも無理はない。このときのトルコ軍の弱さはまさに国民党軍並み。ドイツ人の軍事顧問団も
あきれ返って、えらく罵倒しておられた。
歴史は繰り返すな・・・・・
133白馬青牛:2007/08/24(金) 01:57:26 ID:JQbeuYEa
>>93-94
少なくとも日本軍よりも八路軍の方が軍紀が良い。テロリストでは
無いでしょう。何れにせよ日本軍は早いか遅いかで自滅するしかなかった
でしょう。
>>119
長沙作戦は、冬季作戦と同じく負け戦じゃった。第二次長沙じゃあ、
善通寺40Dも、敵軍に撃破された名古屋3Dと熊本6Dの救援で
高知第236聯隊も巻き添えをくうてしもうた。
>>132
岡村司令官が負けてない云うても、蒋介石の「暴に報ゆるに徳をもってす」
に、名誉ある停戦としてのった訳じゃ。日本軍が「暴」で中国軍が「徳」
であることを認めて、どがあな名誉ある停戦になるんじゃろう。
134だつお:2007/08/24(金) 03:54:05 ID:13MzgCv6
>蒋介石の「暴に報ゆるに徳をもってす」

聞いたか。共産革命で国を追い出された、共産主義にも劣るチンピラゴロツキが、
皇軍に対してだけは「徳をもってす」るだとよ!!

笑わせるじゃねぇか。

そんな「徳」のカケラがもしあったというのなら、どうしてそれを皇軍
でなくて中国人民に対して「徳をもって」統治しなかったのかと。

中国人の「徳」とは、共産主義にも劣るチンピラゴロツキが、
皇軍に歯が立たなかったことのゴマカシ笑いのことだ。
135名無し三等兵:2007/08/24(金) 03:58:58 ID:???
ちんぴらごろつきのビタ銭目当てに
ハエのごとく揉み手する日本企業にも
一言いってやってくだちい
136だつお:2007/08/24(金) 04:09:05 ID:13MzgCv6
共産革命が起こるのは、共産主義者が扇動するから悪いんじゃない。
そもそも中共が延安にたどり着いた時は「最後の五分間」だったはず。
真に共産主義を撲滅するとは、農地改革を進めるなどして共産革命が
起こりえない豊かで住みよい国造りをすることだ。
だが中国人の「共産主義を撲滅する」は、それこそナチスのそれと同じ、
「共産主義者」のレッテル貼りで略奪暴行を欲しいままにすることだ。

国民党がいくら「共産主義者」を大量殺戮したとて、それは却って
「共産主義者」から報復され国を追い出される理由になっただけだ。
共産主義にも劣るチンピラゴロツキだと、国民党は自ら証明してしまった。
137だつお:2007/08/24(金) 04:30:31 ID:13MzgCv6
中国で共産主義革命が起こって国民党が潰れた、共産主義の脅威を認識せよ?

バカバカしい。

それは国民党のチンピラゴロツキが、チンピラゴロツキ同士の内部矛盾に
耐えられなくなって、幾何学で爆発してしまったというだけのことだ。

チンピラゴロツキうじ虫が沢山涌いてくる場所を指して「中国」、
その一つ一つを指して「中国人」と呼ぶ。

中国人という中国人は、みんなみんなチンピラゴロツキ。
皇軍に虐殺されるために涌いてきたチンピラゴロツキ。
138だつお:2007/08/24(金) 16:02:13 ID:13MzgCv6
 スチルウェルは、シャノルトが自分を攻撃する準備をしているのではないかと疑い、
二人の間の古くからの敵意について、長い辛らつな分析を書いた。
 シャノルトは蒋総統に航空力がすべてを解決すると保証していた。彼は蒋介石に、
もし第十四航空軍が支援を受けるなら、日本軍の侵攻を防止してみせると言っていた。
いま彼はそれができないことを知った。そして、彼は彼自身のための逃げ道を準備し
ようとして、われわれが彼に与えるはずのないものを、ちょっとでも多く彼に与えれば、
まだできますと言い張っている。彼は自分がまちがった品物を売りつけた事実をおおいかくし、
さらには、その危険のあることを以前から指摘して対策を講じようとしてきた人びとに責任を
なすりつけようとしている。
 彼は日本軍の補給線に打撃を与えることができなかった。日本軍を後退させることができ
なかった。逆にわが方の準備はまさしく私が予言したとおりの結果を生んだ。つまり日本軍
の反応を誘った。その反応は、たとえ彼が主張した全航空支援をもってしても地上軍では
扱いきれないことを、彼は今になって認めている。

(原註1)これは一九四四年五月十日付の電報文につけたスチルウェルのファイルの中から発見された。

#ジョン・トーランド「大日本帝国の興亡」
139だつお:2007/08/24(金) 18:57:09 ID:13MzgCv6
中国で共産革命が起こって営利企業が否定されたのは良かったことだ。
営利企業といっても中国の財閥はマトモな市場競争に参加する気がなく、
米英独ソの援助援助で排日侮日をやるしか能がなかったからだ。
それは単純に、優秀な日本製品が流入してきて粗悪な中国製品が市場原理
で駆逐されて斜陽化していくのを、中国財閥が逆恨みして扇動しただけだ。
マトモに製品競争をやれば、先進工業国の優秀な製品には太刀打ちできない。
だから中華思想と抗日という民族主義でこれに対抗しようと。
金持ちが金で土地を独占支配し、貧民を排日侮日に駆り立てる。
こんな企業なら全部潰してしまって土地は全て国有制にしたほうがマシ。
それだけやっても米中衝突で特需景気と、実に良い結果をもたらす。

中国人がいくら米英独ソから機械輸入をしようとも、製品競争でなら
先進工業国の日本には歯が立たないし、かといってナショナリズムを煽れ
ば日中戦争に突入し大陸打通作戦チンピラゴロツキ殺戮街道3000キロ。
根本的な原因は、中国人の絶望的な知能水準の低さにあったと言えよう。
中国人という中国人は、みんなみんなチンピラゴロツキ。

言ってしまえば1980年代の日米貿易摩擦と似てるかもしれない。
だがアメリカは先進国なので、国家レベルで煽ることはしない。

しかしまあ中国と比べてた場合、日本の工業水準は遥かに遥かに高くて、
中国人がいくら米英独ソの同盟技術支援を受けても歯が立たなかったんだな。
これで自由主義市場競争なんてやったら、中国企業は全て潰れるか日本企業
に買収されるかしかなくなる。それはちょうどバブル崩壊後の日本企業が、
外資ハゲタカファンドにどんどん買収されていくのと同じことだ。
それは公的資金投入やゼロ金利ごときで覆るものではなかろう。
140名無し三等兵:2007/08/24(金) 19:26:09 ID:???
>>107
カンジといえば上司の東久邇稔彦に
「どうも日蓮臭くていけない。世界のこととか何かを論じる時には、日蓮の臭みをとって
話したらどうか」と窘められていたそうな
141イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/25(土) 00:24:40 ID:MGlwsieP
>>132 >>岡村寧次らが終戦を聞いて「我々は負けていない」と言っていたが。

1945年8月に入りますと、日本内地から『降伏の兆候』『徹底抗戦』という
2つの相反する情勢が伝えられて、支那派遣軍でも相当混乱していたでしょう。

8月10日前後には、陸軍中央から初めて次のような降伏の意思が伝えられて
きています。

●『陸機密第61号』:帝国はソ連の参戦に伴い、強硬なる作戦遂行に並行して、
            左記に基づきソ連米英と交渉中なり。

(1)ポツダム共同宣言が天皇の国家統治の大権を変更する要求なきことを
   条件として、右宣言を受諾する容易あり。
(2)右条件の確約に疑義があれば、断固戦争の目的の達成に邁進す。
                          
                            陸軍大臣 参謀総長
142イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/25(土) 00:43:52 ID:MGlwsieP
要するに『国体の護持』が確約されるならば、日本は降伏するという事です。
もちろん百戦百勝を自負する支那派遣軍にとっては、まさに寝耳に水でした。

どちらにせよ「降伏と徹底抗戦」という二枚腰の戦略でしたから、この直後に
参謀総長名義で以下の電報が支那派遣軍にもたらされます。

●「国体護持・皇土保衛のためには、全軍玉砕するとも断じて矛を収めること
  なし。各国の平和宣伝攻勢および区々たる情報あらんも戦意を消磨する
  ことなく、任務完遂に遺憾なきを期せられたし」

これを受けて岡村寧次は早速、●「支那派遣軍将兵与える訓示」を全部隊に
下達しています。

「本職は連戦連勝に輝く皇軍最強の麾下精鋭を率い、全軍玉砕を賭して
 驕敵を撃滅し以って狂瀾を既倒に回さんことを固く決意せり。挙軍鉄火
 一丸となり大楠公の『臣一人生きてあれば聖運遂に啓かるべし』という
 忠誠に燃ゆる必勝の信念を以って一意驕敵撃滅に邁進すべし――」
143イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/25(土) 01:00:46 ID:MGlwsieP
これが8月12日前後だと思われます。降伏前日の8月14日になると
支那派遣軍は、中央から次の『大陸令』を受け取りました。

「(1)大本営の企図は対米主作戦の完遂を期すると共に、ソ連の非望破摧
 のため新たに全面的作戦を開始してソ軍を撃破し以って国体を護持し皇土を
 保衛するにあり。

 (2)支那派遣軍総司令官は、来攻する敵を随所に撃破して対ソ、米、支
 持久をはかり帝国本土における全軍の作戦に寄与すべし」

要するに、大本営も支那派遣軍に対して『強硬論』の命令を二枚腰でガンガン
言ってきている訳です。これを受けて岡村寧次も、参謀総長に対して再度の継戦の
意見具申を行ない、さらに8月14日午後4時、参謀総長を通じて天皇に対して
「継戦御聖断」の旨の上奏電報まで打っています。結果的には、これが勇み足と
なり、支那派遣軍が「最強硬」と目される原因の1つになっています。
144イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/25(土) 01:13:48 ID:MGlwsieP
翌日の8月15日には『玉音放送』となる訳ですが、支那派遣軍は
これに先立って「陸機密第68号」を日本内地から受領しています。

●「帝国国体の保持・皇土の保衛を条件とせるも、敵の提示せる条件は
  右目的達成を困難ならしむるものあり、小職ら万策を尽くして強烈に
  主張し、しばしば上奏せるも天皇陛下におかせられては四国宣言を
  受諾することを御親裁あらせられたり。御聖断すでに下る。小職ら
  万斛の涙を呑んで之を伝達す。
                         陸軍大臣 参謀総長」

もうこの頃には、岡村寧次らは天皇の聖断に対して『承詔必勤』を決めています。

ところがこれには余談がありまして、8月17日になると突然、皇族の朝香宮大将が
飛行機で支那派遣軍に来訪してきます。
145イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/25(土) 01:24:10 ID:MGlwsieP
朝香宮大将いわく、

●「外征中の将兵に対し、陛下のご真意を伝えるために、三総司令官
 (関東軍、支那派遣軍、南方軍)の許に皇族を派遣することなり、
 東京ではこの地の陸海軍がもっとも強硬で、抑留される恐れもある
 との風評が高く、貴下(岡村寧次)は最新参の総司令官ではあるが、
 あえて私が参上した。閣下方は私を抑留されますか?」

と内地の偏見とはいえ、散々な思われようですw。もちろん岡村寧次は、

●「そんなことは絶対にありません。一昨日の放送勅語を拝してから
 承詔必謹一筋になってります」

と答えていますw。
146名無し三等兵:2007/08/25(土) 01:28:25 ID:FKt2qquP
>>145
朝香宮大将「今日より朕が新天皇なり。支那派遣軍だけでも最後の最後まで
戦うことを望む!!支那の占領地はこれより本土から独立して聖戦を完遂する」
147名無し三等兵:2007/08/25(土) 01:29:29 ID:FKt2qquP
と言ったらどうなっただろうな・・・・・
148イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/25(土) 01:40:47 ID:???
>>143 >>「継戦御聖断」の旨の上奏電報まで打っています。結果的には、これが勇み足と
>>なり、支那派遣軍が「最強硬」と目される原因の1つになっています。

ヤスジ激しく後悔で、翌日の8月15日には ●「戦地にあって東京の状況を知り得なかった
とはいえ、継戦の上奏をあえてして『聖慮』に背いた」ことを理由に、退職転役方を電請
しています。まあ、もちろん受理されませんでしたが……。
149イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/25(土) 08:33:08 ID:U7YuHLjG
>>124 >>佐野眞一氏の「阿片王 満州の夜と霧」では小日向白朗などについての
>>言及もあると聞きますが。

載ってはいますが、ほんの10行程度ですよ。ちょっとだけ抜き出すと、

「木原氏によれば、奉天特務機関と白系ロシア人社会をつないだのは、自称『馬賊』の
 小日向白朗という男だった。木原氏と同じ新潟県三条出身の小日向は、尚旭東という
 中国名を名乗り、奉天特務機関長の土肥原の配下として、ソ連極東軍の動向に関する
 情報を集める特殊任務についていたという」

あとは1950年に小日向が日本に帰国して以後、東京小平に住み、1982年に
「最後の馬賊」としてその死が報じられた(81)ことに触れているぐらいです。
150名無し三等兵:2007/08/27(月) 11:45:50 ID:???
さよなら三角またきて四角
サンキューサンキューついでにヨンキュー
くやしいのうwwwwくやしいのうwwww
じゃんじゃんジャガイモサツマイモ
おどりゃクソ森わしゃ雨森じゃ
ギギギギ ラわーん オ ナイスデザイン
わしゃうろんがええよ
わしゃ嬉しくてクソとションベンがいっぺんにでそうじゃ
オース メース サース
ピカッと光った原子の玉に〜ヨイヤサ、飛んであがった平和の鳩よ〜
ぎゃーーーーー!!きちがいじゃーーー
151名無し三等兵:2007/08/27(月) 19:36:26 ID:???
そんな事より1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
このあいだ、自衛隊の総合火力演習行ったんです。総火演。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか団扇が置いてあって、ケーズデンキ、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、最上段に団扇置いただけで場所取りになるワケねーだろ、ボケが。
ケーズデンキの団扇だよ、タダで配ってる。
なんか腐臭の漂うデブ6人連れとかもいるし。養豚場から逃げ出して総火演か。おめでてーな。
よーしボク、アパッチ撮っちうゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、ケーズデンキの団扇やるからその席空けろと。
総火演ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
警備の強面の自衛官といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
撃つか撃たれるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。ピザは、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、昨日の内に場所取った、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、BS団なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意気な顔して何が、最前列、だ。
お前はずっとその場所をキープし続けたのか。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、ブルーシート貼りたいだけちゃうんかと。
総火演通の俺から言わせてもらえば今の最新の流行はやっぱり三段山中腹、これだね。
三段山中腹。これが通の座る場所。
三段山中腹てのは榴弾が多めに撃ち込まれる。そんかわり徹甲弾が少なめ。これ。
で、誰にも知られず座ってる。これ最強。
しかしココに座ると特科の隊員から標的にされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前、1は、仮設トイレにでも座ってなさいってこった。
152イナゾウ中佐@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/27(月) 22:36:56 ID:obu7xz6/
短期間、実家に帰省していたのですが、ちょうど移動時間に横山信義の『北米決戦1
――巡洋戦艦「浅間」』の新刊を買って読もうと発売日を楽しみにしていました。
そして書店に逝ってビックリ、何と乱丁で回収されて発売日が来月に延期とのこと。

「1ヵ月も待ってられねえよ」と思いましたが、まあ、取次の要請を受けて
すぐ店頭から引っ込めるなんて都内の大型店のみだろうと考えていたところ、
案の定、帰省先の小書店で『フラゲ』(フライングゲットw)できました。

読了いたしまして「乱丁」で回収とはいうものの、ページが前後して入れ替わって
いるだけで、内容的には何の問題もありませんので、まだゲット出来ていない方は
「新刊の配本がありつつ、やる気のなさそうな中小書店」を探すのが吉かと思われます。

どこかに乱丁があることを前提として読めば、すぐに気付くレベルです。とはいう
ものの、最終ページのいわゆる「次巻に続く」も、「『北米決戦・1』」に続く」
とおかしなことになっていますし、巻末の既刊紹介もカバーのジャケット写真が
モザイクというか「モアレ」で一部グチャグチャになっていますw。
まあ、曲がりなりにも「小説」なので、ページが入れ替わっていたら
回収も止む無しだろうなあ、と思いつつ。担当編集者が可哀相だなあ、
と感じつつw。

原因をつらつら考えてみるに、最初は印刷会社が「面付け」を間違えたのか
と思いましたが、ノンブル(ページ番号)はちゃんと正しいので、最後の
最後で本文のDTPが、何かのひょうしでページの中味を入れ替えしちゃった
のかなあと。でもそんなことあり得るのかしらん?w

例えば、何かのひょうしで本文の1行を削除してしまったのを誰も気付かず、
本になってしまったとか(当然、文章が繋がらないw)というのは聞いた事が
あります。でも今回はレベルが違いますからねえw。

まあ、お盆進行なんで折り本チェックでも、きちんと見直す時間が無かった
んだろうなあ。まさかページが入れ替わっているのなんて、イチから読まんと
気付かんわなあw。まあ、気の毒だけど何にせよ編集者の責任だわなあと。
全く関係ありませんが、『狼と香辛料』(支倉凍砂著、電撃文庫)メチャクチャ
面白いです。『クレイモア』の同人誌が今夏チラホラ出てましたけど、もっと
『狼と香辛料』のも出てこないかしらん?w ただ今5巻の3分の2消化。
155元32(予備役少佐):2007/08/27(月) 23:12:30 ID:???
>>149
白系露人工作はハルピン特務機関の専管事項だったはずなので、
そのあたりは微妙です。

>>154
いつも『狼…』はおもしろいと聞きますがまだ読んでいない。
そろそろ読んでみなければ。
156ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2007/08/27(月) 23:12:51 ID:???
ええ、それはもう、GW・お盆・年末進攻は地獄ですから(ry

でも、ホント稚拙なミスだとおも。
RSBCでもダミーとして入れたようなデータを差し替え忘れたとしか思えないミスがあったけど、
これはどのような手順でこうなったかわからん。

まあ、漏れは担当編集よりもDTPやったスタジオの行く末に興味があるが(笑)
>>146 >>朝香宮大将「今日より朕が新天皇なり。支那派遣軍だけでも最後の最後まで
>>戦うことを望む!!支那の占領地はこれより本土から独立して聖戦を完遂する」


   /\/ i
  「` ´:::::::::ヽ   大変! 殿下がご乱心あそばされたわ!
   i::::::::ノノリ::::〉\\
   !:::l:!゚ ヮ゚ノリ  ', ',  ガッ
  と [ iH.i]ノ   | |   _,........,_
   くイ__/ノゝ  ヽ人/, ´,.-== ,ヽ
    iノ/_ノ .彡 <  > (ノノλノ)リ ., .
    /[] []  ノノV  .ルイ) ゚ ∀゚ノ) .: ;: ∴
   [] [] []        〈_,kつハ,イつ
   []]  彡       く/__ハゝ
              `'-i'_ィ,ァ"´
158名無し三等兵:2007/08/27(月) 23:37:27 ID:???
>>156
落書き護衛空母のことかー
159イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/27(月) 23:47:30 ID:obu7xz6/
>>124 >>北支や満洲近辺の麻薬関係だと馬賊とかが十分絡んでくると
>>思うのですが、その辺りはどうなんでしょう。

馬賊の関連についてはよく分かりませんが、池田純久(陸軍中将)が書いた
『陸軍葬儀委員長』(日本出版共同、1953年)にこんな記述があるそうです。
ちなみに池田は、関東軍第4課(満州国関連)の嘱託時代の里見甫とも一緒に
机を並べています。それはさて置き、池田の話を要約すると以下の通り。

満州事変当時、日本で喰いつめた浪人一旗組の多くが、支那の奥地に流れ込んで
阿片の密売に従事していました。彼らは日本人としての「治外法権」を盾として
堂々と『日の丸』を掲げて阿片を売っていたと云います。

よって支那人の中には、日の丸の旗を見て、これが『阿片の商標』だと勘違い
している者が少なくありませんでした。時々、日本の国旗が陵辱されて外交問題に
発展する事件がありましたが、よくよく調べると当の支那人はそれを国旗だとは
知らずに『阿片の商標』だと思っていたと云います。本当かよ(藁)。
160イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/27(月) 23:55:28 ID:obu7xz6/
この話にはさらに続きがありまして、ある日本人の名士が支那奥地を
旅行したところ、車窓から山間の寒村に「日の丸の旗」が翻っている
のが見えました。この名士は、

●「日本の国威がかくも支那の奥地に及んでいるのか……」

と感涙したと云いますが、これに対して池田純久が曰く、

●「何ぞ知らん、それが阿片の商標であることを知ったら、彼は何と
  言って涙を流したであろうか」

と皮肉っていますw。しかし池田が続けて述べている、●「兎に角、
日本人の阿片密売者は中国人から蛇蝎の如く恐れられていた」という
のは実際のところだったでしょう。
161イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/28(火) 00:05:45 ID:???
>>155 >>いつも『狼…』はおもしろいと聞きますがまだ読んでいない。
>>そろそろ読んでみなければ。

いつも『リリカルなのは』はおもしろいと聞きますがまだ見ていない。
そろそろ見てみなければ。

何か深みにはまりそうで怖いなあ…w。まだレンタルビデオ屋にDVDは
置いてあるのかしらん?

>>156 >>まあ、漏れは担当編集よりもDTPやったスタジオの行く末に興味があるが(笑)

クレジットを見るにDTPが「平面惑星」で、編集協力が「らいとすたっふ」。
あんまり「らいとすたっふ」じゃないなあ…w。と思いきや、横山信義はここの
新人育成からデビューしたのでしたっけ。
162イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/28(火) 00:34:14 ID:M2HML1e3
>>111 >>109-110 は適当に流し読みしておいてくらさいw。

さて『日本陸軍と阿片問題』のテーマで最重要人物のひとりである「MONSTER」
里見甫の人物紹介ですが、『北京新聞』を辞めて「満鉄の嘱託」に転じたところまで
述べたと思います。少し早回しし過ぎましたので、以下の話は補足にあたります。

里見甫は、後の『阿片王』のイメージが強烈ですが、もともとはジャーナリストとして
大身を成した人物です。特に国民党軍の内情に詳しく『北京新聞』時代には記者の立場で
北伐にも従軍しています。文学者の郭沫若とも親交を結び、1928年6月には北伐を
完了して北京に入城した軍服姿の蒋介石とも会見しました(このときの里見は支那服姿)。

この同じ年(1928)、日本軍と北伐軍との武力衝突である「済南事件」が起こり
支那側の死者が5千人にも達しました。もはや一触即発を通り越して、完全な軍事的
激突になりそうな場面でしたが、解決のために日本軍と北伐軍とを結ぶ外交パイプが
ありません。
163イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/28(火) 00:59:49 ID:M2HML1e3
そこで日本軍は、国民党軍に知己が多い「MONSTER」里見甫に
調停の斡旋を依頼してきました。

この調停に熱心だったのが当時、支那公使館附武官だった建川美次少将と
同補佐官の原田熊吉少佐、それに参謀本部で支那研究員だった田中隆吉大尉
の3人だったと云います。
164名無し三等兵:2007/08/28(火) 20:05:56 ID:42YcnRYx
日中戦争中の国民党軍と国民党軍支配下の一般市民の死傷者は結構発表されているが。
共産党軍と共産党軍支配下の一般市民の死傷者。更には軍閥兵いわゆる傍系軍や馬族・匪賊の
死傷者はどの程度だったんでしょうね。
全部国民党の目の届く範囲での被害しか語られていないのでね。
165イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/28(火) 23:03:20 ID:mL3mTlFi
>>164 まあ、支那人の死者数は1000万人(一説には2000万人)と古くから
言われていますし、現在の中国人民抗日戦争記念館には、●「日本の中国侵略で
3500万人の死傷者と5000億ドルの経済被害が出た」と書かれています。
ちなみに台湾(中華民国)の数字だと死者700万〜800万人となります。

1987年には、劉大年(中国社会科学院名誉所長)が、●「現存する戦争当時の
戸籍簿をすべて洗い直すなどの作業の結果、従来ほとんど計上されていなかった『一般
民衆の餓死者や病死者』を含めて、死者だけで2000万人以上」と発表されています。

どんだけ日本軍は「メガデス」的存在なのやらw。

結論から言えば、考えるだけ無駄です。どこまで日本軍と因果関係があるのか
一線を引くことは困難でしょう。そもそも支那事変期間における支那人全体の
死亡者数自体がよく分かりません。まあ、現在の地球温暖化を考えるなら、ぜひ
「億単位」はいきたかったのが悔やまれるところです。せめて1億人。
166イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/28(火) 23:24:49 ID:mL3mTlFi
>>163 >>そこで日本軍は、国民党軍に知己が多い「MONSTER」里見甫に
>>調停の斡旋を依頼してきました。

里見甫は、2ヵ月にわたる日本軍と国民党軍との仲介工作の結果、協定文書の
調印までこぎつけます。この時のことを里見は、

●「この件、小生今日まで黙って語りしことなく、知る人なきも小生の中国
  生活中、自ら明治維新の江戸城明け渡しの故事にも思い至り、自らを誇り
  自ら自身を慰めること(中略)当時の写真一葉あり。小生終生の記念なり」

と振り返っています。里見が演じたのは勝海舟でしょうか、それとも西郷隆盛
だったのでしょうか。いずれにせよ間もなくして、蒋介石の国民党軍が北京に
入城し「北伐」は完成しました。
167イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/28(火) 23:50:13 ID:mL3mTlFi
大仕事を終えた里見はその後『北京新聞』を辞めて、満鉄へと転職します。

これは北伐を終えた蒋介石が国民政府の首都を南京に移したため、同紙が
規模縮小したからです。里見は満鉄の「南京事務所長(嘱託)」として
南京に赴任、国民政府を相手に鉄道建設や借款の交渉などにあたりました。

この時期の里見の主な業績を挙げると、

●「国民党第3回中央執行委員会 第3次全国会議」の概要を翻訳著述
●中共が支配する地域を取材し、紅軍のビラなどを柳行李2個分を収集
●国民政府に対して満鉄の機関車の売り込みに成功

などなど華々しい業績をあげて、『満鉄に里見あり』と急速に声望を高めます。
また南京では要人との付き合いが多くなり、とくに香港のナンバー2と言われた
周錫年とは肝胆相照らす仲となり、香港に進出する日系企業について吉田茂外務
次官や三井物産の向井常務らに紹介・斡旋することまでしていました――。
168名無し三等兵:2007/08/29(水) 00:03:17 ID:???
       戦時大本営条例

第一条
 天皇の大纛下に最高の統帥部を置き之を大本営と称す

第二条
 大本営に幕僚及各機関の高等部を置く其の編制は別に之を定む

第三条
 参謀総長及海軍軍令部長は各其の幕僚に長として帷幄の機務に奉仕し作戦を参画し終局の目的に稽へ陸海両軍の策応協同を図るを任とす

第四条
 陸海軍の幕僚は各其の幕僚長の指揮を受け計画及軍令に関する事務を掌る

第五条
 各機関の高等部は各其の幕僚長の指揮を受けて当該事務を統理す
169イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/29(水) 00:22:14 ID:e4KVblLg
まあ「MONSTER」里見甫は、元々ジャーナリストだった訳ですが、
『京津日日新聞』と『北京新聞』時代に培った政治感覚と、支那要人の
あいだに築いた幅広い人脈は、「いち満鉄マン」という立場に留めておく
には余りに大き過ぎた訳です。というか、周りの人間が放って置きません。

こうして1931年に満州事変が勃発しますと、満鉄は南京事務所の里見を
本社のある大連に呼び出します。そして1931年10月5日、新設された
『関東軍第4課』に出向を命じました。

これが里見のその後の人生の大きなターニングポイントとなる訳ですが、
「関東軍第4課」は、満州国の対外宣伝と、満人ら先住民の人心安定を図る
宣撫工作担当の部署です。

関東軍は「MONSTER」里見の卓越した語学力と、支那社会の裏表に
わたった豊富な人脈、そしてジャーナリストとして中国の世論形成を知り
尽くした稀有な能力を買ったのです。
170イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/29(水) 00:43:14 ID:???
『日本陸軍と阿片問題』のテーマとは掛け離れていると感じるかも
しれませんが、コンクリの基礎を固めている段階と思ってくらさいw。
171イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/29(水) 23:01:03 ID:fjQ9Dkgf
こうして関東軍に出向を命じられた『MONSTER』里見甫ですが、新聞記者
時代で既に、高級参謀の板垣征四郎や作戦参謀のカンジ(石原莞爾)とは面識が
ありました。

また直接の上司である関東軍第4課長の松井太久郎(中佐)は、同じ福岡県人で
あることの関係もあってか、里見の能力を高く評価。お互いの信頼関係は深まり
松井中佐を通じて、奉天特務機関長だった土肥原賢二大佐の知遇も得ることに
なります。

さて新設された関東軍第4課の大きな仕事の1つが、「満州国に速やかにナショナル
エージェンシー(1国1通信社)を設立すべし」というものでした。

営利目的の通信社が乱立したり、外国通信社が幅を効かせることで誤ったニュースが
流れれば、満州国の国際的地位が低下し、いたずらに人心を混乱させる恐れがあると
いう理由からでした。ちなみに「1国1通信社」とは、ソ連のタス通信、アメリカの
AP・UPの両通信社、英国のルーター通信などを思う浮かべると話が早いでしょう。
172イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/29(水) 23:10:21 ID:fjQ9Dkgf
>>171 >>また直接の上司である関東軍第4課長の松井太久郎(中佐)は

参考までに「松井太久郎」の経歴を挙げると以下の通り。

◎北平特務機関長(大佐)→◎張家口特務機関長(少将)→◎近衛歩兵第1旅団長→
◎満州国軍最高軍事顧問→◎第5師団(広島)長(中将)→◎汪兆銘政府最高軍事顧問→
◎支那派遣軍総参謀長→◎第13軍(上海)司令官

まあ、支那通軍人の1つの典型でしょう。
173イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/29(水) 23:34:16 ID:fjQ9Dkgf
まあ、すったもんだが色々ありまして1932年12月1日、満州国の
ナショナル・エージェンシーとして『満州国通信社』(通称:国通)が
創設されました。

『MONSTER』里見甫は、その初代社長(実質)に就任することに
なります。ちなみに編集局長は、東亜同文書院で里見の3期後輩にあたる
大矢信彦を新聞連合通信社より招いて経営にあたりました。

ホップ・ステップ・大ジャンプというか、異例の大抜擢のように感じられる
でしょうが、もちろん背景となる裏事情が存在します。

当初、『満州国通信社(国通)』のトップとして名前が挙がっていたのは、
シベリア出兵当時、ウラジオ派遣軍参謀長だった高柳保太郎(予備役陸軍
中将)だったのですが、「高柳案」には現場の反発が強くて流産となります。
174イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/29(水) 23:51:22 ID:fjQ9Dkgf
ここで「新聞連合社奉天支局長」の佐々木健児という人物が登場するのですが
佐々木は、関東軍第4課長の松井太久郎中佐から「高柳案」の代案を出すよう
求められ考えあぐねていました。頭を抱えて関東軍第4課のだだっ広い部屋を
見渡すと、そこに坊主頭の『MONSTER』里見が座っているのが目に付いた
と云いますw。即座に――、

佐「あれだ、あれだ」
松「あれって誰だ?」
佐「里見さんだ」
松「里見君で大丈夫か?」

というやり取りがあって、

佐「実務は私が面倒を見るから心配ない」と請け負うと、
松「よし、分かった」と松井(太久郎)課長はあっさりと承知して、
本庄茂(関東軍司令官)のもとに報告しに行ったと云います。
175イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/30(木) 00:07:27 ID:pBZfYxl9
ちなみに「関東軍司令官」の本庄繁とも里見は因縁がありまして、
この時点から昔にさかのぼること約10年――。

里見がまだ『京津日日新聞』の記者時代で張作霖と会見した際(1922年)、
張作霖の軍事顧問だった本庄繁(大佐)が通訳を兼ねて同席しています。

この辺の人と人との因縁の深さが、里見が『MONSTER』である由縁でも
あります。ちなみに関東軍第4課長の松井中佐が、「満州国通信社」のトップ
候補として里見の名前を挙げると(>>174 参照)、

本庄司令官は机上のメモに赤鉛筆で、●「里見は金にだらしがない」と書いて
スッと松井課長に突き出したと云います。これに対して松井課長は、●「昔は
そうだったかも知れませんが、自分のところへ来てからは、そういうことは
ありません」と返します。結局、本庄が●「君が保証するか?」と一言を取った
ところで、あっさり済んでしまいました――。
176名無し三等兵:2007/08/30(木) 00:19:02 ID:???
>>56
「国民政府を相手に」していればそこで勝利という考え方もあります
177イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/30(木) 00:35:54 ID:pBZfYxl9
まあ、本庄繁が●「里見は金にだらしがない」と反対したのは、里見自身が
金に汚いと言っているのではなく、逆に金離れの良さというか気前の良さが
半端ではなく、その点を心配する余りの忠告だったと云います。

要するに『MONSTER』里見は、後に『阿片王』となる男にも関わらず、
金に執着するところがまるで無かった訳です。日本人離れしているというか、
常人離れしていたところでしょう。

里見自身は『国通十年史』という本で一連の出来事を以下のように回想しています。

「本庄軍司令官の許に挨拶に行くと、『今度は貴様スグ辞めることはならんぞ』
 と私の放浪と投げ出し癖を知って居られる将軍から諭されて恐縮したことを
 覚えている」

まあ、こうして『MONSTER』里見の「満州国通信社」のトップ人事が
決定した訳ですが、まだ30代半ば(1896年生まれ)という年齢では位負け
しているということで、正式には「主幹」という役職に落ち着きました。
178イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/30(木) 23:17:01 ID:8j6Kf+oq
こうして創設された『満州国通信社』(国通)ですが、主幹・里見甫、総務部長・
大矢信彦、通信部長・佐々木健児という「東亜同文書院」出身トリオで始まりました。

通信部長の佐々木健児は、関東軍第4課長・松井太久郎中佐に里見を最初に推薦
した人物ですね(>>174 参照)。スタート当初は社員100名足らずで、支局も大連、
ハルビン、奉天ぐらいにしかありませんでしたが、最盛期には社員1000人を超え、
支局も満州全土に膨れ上がっていました。

まだ40歳にも満たない『MONSTER』里見甫ですが、支那におけるその人脈の
広さは恐るべきものがあります。「満州国通信社」は1933年5月に、ロイター
通信との提携契約を結んで国際的にも話題になりますが、この時の経緯を当時『新聞
連合社』(後の同盟通信社)の上海支局長だった松本重治が、その著書『上海時代』に
詳しく書いています。

参考までに松本重治は汪兆銘工作でもその名前が挙がりますし、過去の中テーマ
『上海航空決戦』でも若干ながら取り上げました(過去スレ参照)。
179イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/30(木) 23:30:34 ID:8j6Kf+oq
以下の話は1933年5月といいますから、関東軍による『熱河作戦』が
終息に近づいている頃です。『満州国通信社』の主幹となった里見甫から
松本重治に対して、

●「近くロイターと通信契約をしたいと思っているから、チャンセラーとの
 交渉斡旋のため、新京(長春)に来てくれないか?」

という趣旨の丁重な依頼状が届きました。ここに登場するチャンセラーとは、
ロイター通信の極東支配人であり、松本とは友人でありライバル関係にある
人物です。(クリストファー・)チャンセラーは後にロイター通信の社長となり
ました。そしてたまたま偶然の事ですが、当のチャンセラーから松本に対して、

●「国通(満州国通信社)との話があるので、君も一緒に行かないか?」

という話が来た訳です。そこで「善は急げ」とばかりに、上海を船で後にし
大連に到着しました。埠頭にはわざわざ新京から里見甫が迎えに来ています。
180名無し三等兵:2007/08/30(木) 23:31:55 ID:???
全館初版でこそ至高
なるたる今オクに出したら2セットぐらい新たに買えそうだ
181名無し三等兵:2007/08/30(木) 23:32:40 ID:???
誤爆w

   _,........,_
 , ´,.-== ,ヽ
 i (ノノλノ)リ
 ルイ) ゚ ヮ゚ノ)    松本重治については『西安事件』を独占スクープして
  `,く_,`ハ,イつ    世界中に衝撃を与えた、と言った方が通りが良いわね。
  ,(,ノ┐ハゝ
  `'-i'_ィ,ァ"´
183イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/31(金) 00:03:57 ID:DSZpW7oY
>>179 >>埠頭にはわざわざ新京から里見甫が迎えに来ています。

その夜は里見の案内で大連の「ヤマトホテル」に泊まり、翌日は新京行きの
夜行列車の時間まで、やはり里見の誘いで海水浴場をドライブしたり、大連
市内の名所旧跡を観光しています。

ロイター通信の極東支配人・チャンセラーとの前交渉は、新京行きの夜行列車で
行なわれましたが、里見甫にとともに松本重治が通訳として同席していました。

交渉は無事合意に達して翌日、新京のヤマトホテルで正式調印がなされますが、
満州国総務庁次長の阪谷希一も立会っています。更にその夜は新京の日本料亭で
『MONSTER』里見招待の宴会となりますが、座敷には『阿片問題』を担当
する禁煙総局の難波経一や、大蔵省から満州国に出向した若手官僚も勢ぞろい
していたと云います――。
184イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/31(金) 00:15:58 ID:DSZpW7oY
さらに『MONSTER』里見甫は、松本重治に対して宴会の席中――。

●「他に会いたい人がいれば、誰でもアレンジするよ?」

と声をかけました。松本が、

●「関東軍の小磯国昭参謀長には会ってみたい」

と答えると、明後日には小磯との会見がもうセットされていたと云います。

トドメとばかりに、松本が里見と吉林省に日帰り旅行した帰りの列車中、
『東洋のマタハリ』の異名を取った川島芳子が偶然席に加わってきます。
この時の川島は断髪洋装で、膝まで届く黒い皮の長靴を履いていました。

川島芳子は里見のことを「おじちゃん」と呼び、冗談交じりの会話を続けて
ほとんど松本そっちのけですw。
185イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/31(金) 00:31:41 ID:DSZpW7oY
また人脈の広さでいうなら、松本重治も超ジャーナリストとして
「ネ申」クラスです。

思いつくままにツラツラ挙げただけでも、そもそも松本重治の祖父は
明治の元勲・松方正義ですし、歴史家のアーノルド・トインビーや
ロックフェラー財団のジョン・ロックフェラー3世は、松本のことを
「無二の親友」だと言います。

近衛文麿とも友情を保ちましたし、近衛の自殺を止めようとしています。
西園寺公望の孫・公一とは「キンちゃん、シゲちゃん」と呼び合う仲w。
秩父宮がアルプス登山するときは同行、当時宮仕えだった本間雅晴とは
一緒にテニスをしています。また内山書店で立ち読みしている魯迅を偶然
見かけ、会食の栄に浴しています。

上記はほんの一部ですが、ちなみに1927年の金融恐慌で資産のほとんどを
失い、12円50銭が松本重治の相続した全てだったと云います。

    r,ヘ──-ヘ_  
    rγー=ー=ノ)yン´      
    `i Lノノハノ」_〉     
    |l |i| ゚ ヮ゚ノi|    松本重治は、その著書『上海時代』の中で
    !γリi.ハiリつ      里見のことを、●「私利私欲に恬淡な人だ。 
    |,( ll」i l i_|」     その点が、私には付き合って気持ちが良い。
    └'i,_ィ_ァ┘       天馬空を行くような、きっぷのよい男だった」
                と述べているわ――。
187名無し三等兵:2007/08/31(金) 20:19:44 ID:UliLOF+G
>>165
結局のところ国民党支配下の犠牲者しか分らんわけね。馬賊や匪賊等の死傷者については
皆目見当もつかないわけですか……
まあ馬賊・匪賊が何人死のうが国民党にとってはどうでもいい事だから絶対に勘定に入れていないな。
188イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/01(土) 00:07:36 ID:FEWZsaT3
>>187 >>結局のところ国民党支配下の犠牲者しか分らんわけね。

「戸籍制度」が整備されていなければ結局、雲をつかむような話です。現在の
日本だって、その辺のホームレスが野垂れ死んで『身元不明』のままだったら
当人の戸籍はどうなるんでしょうね。つーか、もともと住民票もないのかw。

試しにググってみたら『戸籍売買』とか、今のホームレスの数は全国に2万5000人、
そのうち大阪が8600人で全体の30%(東京が6300人)とか色々出てきましたw。

支那の社会制度は専門外なので詳しくありませんが、中国で姓名を義務付けた近代的な
戸籍制度が作られたのは「国民政府」以降とされます。例えば、南京大虐殺の被害者には
同姓同名の人物が非常に多い。これは「名前」を義務づけた当時、多くの人が適当に
というか、どこかで聞いたことのあるような名前を自分に付けたために、特定の名に
集中したようです。
189イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/01(土) 00:26:23 ID:MYE6KIOL
要するに、近代的な戸籍制度が確立する前の『伝統社会』では、当人が
立ち回る範囲(地縁・血縁)の『利益社会(ゲゼルシャフト)』の中で
他人と区別されればそれで良いという話です。

そのためには「名前もどき」があれば不自由しない訳で、そのような社会
での名前の意義は現代とは全く異なります。

日本だって明治維新以前は、庶民の間で「姓」が一般的でなく、名前も家族と
近所で区別が付けばいいという程度でした。ある地方に行けば、異様に同じ
苗字が多い(田中、矢野など…)ことも多いでしょう。たまに実家へ墓参りして
周りの墓石を見渡すとビックリします。

支那の場合は、氏族の姓の方が重要で、名前の方がいい加減だったと
いうことでしょうかw。結局、日中戦争での正確な犠牲者の数なんて
どう統計しろという話です。
190名無し三等兵:2007/09/01(土) 00:45:31 ID:???
>>165
>せめて1億人

毛沢東がやってくれましたよ

天に代わりて 敵を討つ〜♪
191イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/01(土) 00:56:10 ID:MYE6KIOL
ただ「教えて!goo」などを見ますと、

>>1000万人も殺せるほどの戦力を日本軍は配備してませんよ。

などと異様に「過小評価する」意見も多いのですが、自分はこれには
反対です。詳しくは過去スレの『大テーマ:北支の治安戦』で取り上げて
いますが、日本軍は例えば、中共の食糧供給を断つために穀物の破壊などを
「通常の作戦」として行なっています。いわゆる兵糧攻めというヤツですね。

一例を挙げると、1944年6月8日に陝県の指点村を占領したときには、
数千畝(アール)すなわち数十ヘクタールの小麦畑を焼き潰し、その地域の
食糧660,000斤の穀物が失われたと云います。1斤=500グラムで
計算すれば約330トンに当たります。
192イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/01(土) 01:11:49 ID:MYE6KIOL
こうした「食糧収奪」目的の他にも、例えば日本軍が飛行場を建設するため
鉄道沿いのトウモロコシ畑を潰したときには、20ヘクタールの農地が
支那人から取り上げられました(1939年)。

また日本軍は馬に喰わせるために、博愛県南門村で5.2ヘクタール分の
農地から小麦を刈り取ったという記録もあります(1938年)。

さらに泥濘の道を、砲や装甲車両が通れるようにするために奪った穀物を
バラ撒いて使った(車輪に噛ませるため)ということもw。

この辺は「ジャイアン」みたいなものですがw、直接的に餓死した支那人や
あるいは流民となって間接的に死んだ支那人を考えていくと、

>>1000万人も殺せるほどの戦力を日本軍は配備してませんよ。

という考え方は、あまり意味がないでしょう。
193名無し三等兵:2007/09/01(土) 01:13:02 ID:???
支那朝鮮の命名法はちゃんとした家系なら
十干に基づいていて1字を選ぶので代がわかるようになってますね
木(甲乙)火(丙丁)土(戊己)金(庚辛)水(壬癸)
これから1字そして他に1字で10代でひとまわりします

(知人の中国人に聞きましたが、父親から男の子が生まれたら名前に使う文字を教えられてるとか
テキトーながら一応族譜もあるみたいです)

おかげでセンスがないと朝鮮人のように火や金の代は漢字選びに困ってやたらと火ヘンや金ヘンの漢字が目立ったりしますね


炳とか熔Y鉉などなど普通は使わないような人名漢字が頻出します
また銅錫鐘などもつかいますね

蒋介石の息子の蒋経国と蒋緯国はどういうふうなのかよくわかりませんね
194イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/01(土) 01:32:44 ID:MYE6KIOL
こういうのを考えていくと、日中戦争が原因で一体、何人の支那人が
日本軍のために死んだかなんて、やはり「雲をつかむ」ような話です。

そして当然の事ながら、似たようなことは国民政府も中共も自国民に
対して行なっています。日本軍に協力(たとえ強制でも)したといって
中共軍に『漢奸裁判』で報復リンチ刑に処されたケースはいくらでも
あります。

さらに恐ろしいのは、日本軍に食糧を収奪されたからと云って被害農民たちが
激怒して中共側に結束したなんて話は当てにならない訳です。多分に戦後の
宣伝が入っているでしょう。

実際は、自分たちの生命、財産を守れない『頼りにならない支配者』という事で
見切りをつけるケースも多かった訳です。日本軍側の占領地の方が安全で、かつ
食いっぱぐれがないとなれば、中共の支配地から人口が流出することもあります。
要するに、日本側であれ支那側であれ「食わせてくれる方に付く」訳です。

      ,  ‐‐-、___
    /   ., '´⌒⌒ヽ
   ./   、 i´ )ノ)ノ))ハ)  
   ||     メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl)  「治安戦」は本当に地獄だぜぇー! 
   ヽ.   _Q)#」ネl」)つ    なんてね。おひさー。
      ̄ ,<´_#,#ハ   
        ` "i_フ_フ"   
196イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/01(土) 01:49:12 ID:???
>>193 >>支那朝鮮の命名法はちゃんとした家系なら
>>十干に基づいていて1字を選ぶので代がわかるようになってますね

いやー、そこまで専門的になると全く話についていけませんね。
もっと勉強しまふ。

>>炳とか熔Y鉉などなど普通は使わないような人名漢字が頻出します

ノムヒョン(盧武鉉)やファンジャンヨブ(黄長Y)もそうなんでしょうかw。
197イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/01(土) 02:00:06 ID:MYE6KIOL
>>194 【訂正】
× 要するに、日本側であれ支那側であれ「食わせてくれる方に付く」訳です。
◎ 要するに、日本側であれ支那側であれ「食わせてくれる強い方に付く」訳です。

『過去スレ(7)』から補足として抜粋すると、
>上記のような作戦は、当然のことながら「未治安地区」(中共支配地区)の
>住民に『飢餓』をもたらします。そのため「日本軍占領地区」に逃げ込んで
>いく人間も少なくありませんでしたし、日本側の記録でも

>●「河北省ではそのような者は苦力になった」●「女・子供に餓死者が出た」
>●「移住してきた地区に木の葉が食べられずに残っているのを見て住民が驚いた」
>などのエピソードがあります(北支那方面軍参謀部:『経済封鎖月報』より)

>まあ、こうした住民からは日本軍に対する怨恨が生まれるのは当然ですが、
>八路軍に対しても『自分たちの食糧確保に無力な共産軍』として同様に
>怨嗟の声が高まっている、というのは面白いところです。
198イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/01(土) 02:06:11 ID:???
いま『朝生』を見てるんですが、森永卓郎がしゃべると
イラついてしょうがないと感じるのは自分だけでしょうかw。
199イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/01(土) 02:15:41 ID:???
ついでに>>197 の続きということで…。

>先に>>226 で、

>>>治安戦の結論の1つでもありますが、『住民は強くて搾取しない方に
>>>味方するだけ』です。まあ、『強くて』が大事なポイントな訳ですがw。

>と述べましたが、後段の『強くて』とはそういうことです。
>また「搾取しない方」とは、裏を返せば『搾取されない方』とも
>言い換えることが出来る訳です。
200名無し三等兵:2007/09/01(土) 03:13:22 ID:???
>『住民は強くて搾取しない方に味方するだけ』

支那に限らず万国共通だろう。ましてや逃げまわれる広大な国土を有していれば尚の事。
日本みたいに逃げに適さない細長い国土と違い、日本に比してあっちは東西南北に果てしなく陸続きなんだから
201名無し三等兵:2007/09/02(日) 02:02:12 ID:KVSssxMK
1、国民党軍
2、共産党軍
3、傍系軍(軍閥)
4、馬賊
5、匪賊

全部で5種類の敵がいたわけだ。米陸軍航空隊とかは除いて・・・・
202法務大尉:2007/09/02(日) 08:46:00 ID:qBShwUU4
軍の分類では、
1、中央軍(國府軍
2、共産軍
3、雜軍
です。
軍閥は傍系とは言へ兩軍何れかに屬して行く傾向があります。これは強大なものほど顯著ですが、何處に屬さうと本質的に戰鬪を嫌ひますから、結局強敵ではあり得ません。直系軍の方が手強ひ。
馬賊、匪賊は所詮警察行動の對象で、大したものではありません。戰鬪力としてはゼロに近し。良いのを馬賊、惡いのを匪賊と呼び分けますが、判然たる區別はありません。
203法務大尉:2007/09/02(日) 09:05:49 ID:qBShwUU4
 手強ひ→手強い

 支那戰線では軍事技術や經驗等個人の能力が物を言ひますから、古い兵隊程強ひ。
 四年兵ともなると中々死なない。
 但し兵役法の關係で四年目にはいい加減滿期、復員させねばなりません。
 この點支那兵、殊に紅軍は一生を軍隊で送るので超古年次兵少からず、軍事的專門技術は乏しくとも相応の工夫あり、侮れません。
 彈丸が無いので狙撃に長ずるとか、生れ附き大貧民なので寒暑缺乏劣惡な環境に耐へるとか、頭惡いのでくよくよ惱まない死地に陷つても氣附かず明るいとか、犯罪國家なので夜襲には來ずとも夜盜には連夜押寄せて來るとか・・・

 越南戰役で米兵の死傷が多かつたのは、滿壹箇年で次々交代させ、未熟者で溢れてゐたことが一因だらうと推測します。
204名無し三等兵:2007/09/02(日) 09:12:02 ID:???
何處の何方か存じませんが、未だに舊字舊假名遣ひ
やつてるのは阿呆としか言ひやうが有りませんね。
205名無し三等兵:2007/09/02(日) 11:47:31 ID:KVSssxMK
旧字体でっか?戦後日本では常用漢字は簡略化されて本場中国の文字よりも
画数が減って書きやすくなり識字率が向上した。

戦前戦中の漢字は画数が多いので素早く書くのに適していない。
206名無し三等兵:2007/09/02(日) 15:30:32 ID:qBShwUU4
それは虚構だな。
臺灣は劃數の多い正字だが、國民一人平均一萬三千字知つてる。
支那大陸は簡單な略字だが、三千字しか知らない。
劃數は關係無いやうだ。

207名無し三等兵:2007/09/02(日) 17:31:29 ID:???
コテつけたままにしてくれよ
208蒋介石:2007/09/03(月) 11:11:47 ID:8y0wEpPD
昨日、NHKで支那大陸での毒ガス使用を放映していたがジュネーブ条約違反では?
209名無し三等兵:2007/09/03(月) 12:29:13 ID:???

http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1170644751/l50

【アフリカ】「メード・イン・チャイナ」と書かれたTシャツを引き裂く…なぜ今アフリカで反中感情が…?[02/05]

中国人監督官が労働者に発砲、46人が死亡

210名無し三等兵:2007/09/03(月) 13:26:39 ID:???
>>208
そもそも入ってない。
211名無し三等兵:2007/09/03(月) 13:34:41 ID:???
二流工業国の日本軍に大陸打通作戦でボコボコにされた中国国民党軍というのは、
ちょうど同じく二流の英軍にボコにされた北アフリカのイタリア軍と似てるかも。
こうなると敵の攻撃よりも、味方陣営からの非難嘲笑がずっと辛くなる。
蒋介石はアジアのムッソリーニだったのかもしれない。
212名無し三等兵:2007/09/03(月) 15:00:15 ID:???
だつおはコテ外しても
まる分かりだな
213名無し三等兵:2007/09/03(月) 20:22:18 ID:BGK9q2Xd
弱小旧日本軍を相手にあの負け負けぶり、中国国民党の工業水準ってどれくらい?

最強ナチスドイツ軍を撃破してベルリンを陥落させた共産主義ソ連と比べて?

財閥栄えて国滅ぶって本当なのか?
214名無し三等兵:2007/09/03(月) 20:22:30 ID:deHHdo3m
1、冬戦争(ソ連軍)
2、ギリシア侵攻(イタリア軍)
3、ロシア派遣イタリア軍(イタリア軍)
4、WWTのカフカス戦線の(トルコ軍)
5、WWTのセルビア侵攻(オーストリア=ハンガリー軍)
6、日中戦争(国民党軍)

以上()の中の軍隊ははいずれも数において遙かに勝る方が少数の敵に完敗を喫した戦いである。
実はこの中では国民党軍はやられながらも健闘しているほうだ。
戦争は数の多さだけで決まらないという証拠。
215イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/03(月) 22:51:16 ID:HsRbQGi3
>>200 >>日本みたいに逃げに適さない細長い国土と違い、

まあ、日本も中世ですと、ちょっと領主が無理を言えば(徴兵など)直ぐに
『集団逃村』していましたw。

>>203 >>越南戰役で米兵の死傷が多かつたのは、滿壹箇年で次々交代させ、
>>未熟者で溢れてゐたことが一因だらうと推測します。

支那事変でそれをやっていたら堪りませんねえw。

>>204 >>何處の何方か存じませんが、未だに舊字舊假名遣ひ
>>やつてるのは阿呆としか言ひやうが有りませんね。

つーか、旧字に変換するソフトでもあるのかしらん? 自分はいつもIMEパッドの
手書きで探していて苦労していますw。あと「?」で表示されないのが不思議です。
216イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/03(月) 23:11:02 ID:HsRbQGi3
>>208 >>昨日、NHKで支那大陸での毒ガス使用を放映していたが
>>ジュネーブ条約違反では?

ゲゲッ!! また「NHKスペシャル」見逃した……w。土日は頭痛がひどくて、
寝込んでおりました。鬱打支膿……orz.

>>213 >>そもそも入ってない。

そういう訳です。よく議論になるのは、『あか』(くしゃみ性・嘔吐性ガス)が国際法の解釈上、
合法か否かです。もちろん『きい』(イペリット:糜爛性ガス)は問題外でアウトですねw。
いわゆる「合法論」は、●「『あか』は1925年のジュネーブ議定書で禁じられた
毒ガスには含まれない」とするものです。

それはさて置き、この「ジュネーブ議定書」は全文900字足らずのシンプルそのもので、
内容も極めて簡素なものだったと云います。
217名無し三等兵:2007/09/03(月) 23:15:51 ID:???
また終戦記念日前後に再放送するでしょう。今年も前年の戦争関連ドキュメンタリーをやっぱり流してたし。
218イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/03(月) 23:29:16 ID:HsRbQGi3
この「ジュネーブ議定書」の中で禁止対象とされるものは、

●「窒息性、毒性ガス、またはこれらに類するガス」とされるだけで、
十分に定義しているとは言えません。さらに「戦争手段の使用」と記され、
支那事変のような『グレーの紛争』に対してはこれまた定義が難しいw。

それも「先制使用」を禁じているだけで、毒ガスの開発や生産、保有については
何ら規制がありません。そして違反しているかどうかの検証や、違反への制裁も
規定されていません。要するに、●「毒ガスの先制使用の禁止をお互いに宣言し、
さらに他国へも参加を訴える」という内容でしかありませんでした。

日本はジュネーブ議定書に締約していませんでしたが、他国から例えばイギリスから
●「催涙ガスはジュネーブ議定書に含まれるか否か?」の照会を受けて、日本政府、
そして日本陸海軍ともに●「催涙ガスも『毒ガス』に含まれる」と回答しています。
219イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/03(月) 23:36:16 ID:HsRbQGi3
少なくとも1932年まではこの見解でしたが、支那事変後はそうも
いっていられません。結局、日本は「合法論」に転じまして、

>>「合法論」は、●「『あか』は1925年のジュネーブ議定書で禁じられた
>毒ガスには含まれない」とするものです。

となります。そして、

>>もちろん『きい』(イペリット:糜爛性ガス)は問題外でアウトですねw。

な訳ですw。日本は「ジュネーブ議定書」には加盟していませんでしたが、
それでも国際的な世間体というものがあります。自国に不利な宣伝材料を
わざわざ増やすのは損だと考えていたでしょう。
220だつお:2007/09/03(月) 23:45:42 ID:S1nXGtET
1945年5月の「シコウ作戦」は皇軍の敗退ではないか、との疑問に答えておく。

「ベルリンに赤いソ連国旗が揚がった後で、中国が達成できたのはそれだけ。」

日中戦争も第二次世界大戦の一部である以上、他の連合国とも比較されるべき。
大祖国戦争がナチに加えた鉄槌と比べ、中国抗日戦争はいかほどだったかと!!
221イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/03(月) 23:46:34 ID:HsRbQGi3
>>218 >>他国から例えばイギリスから●「催涙ガスはジュネーブ議定書に
>>含まれるか否か?」の照会を受けて

こんな感じです。1930年11月に幣原喜重郎外務大臣宛に出されたものです。

●「英国代表は、毒ガス禁止に関する1925年(ジュネーブ)議定書および
 第2読解案の解釈上、催涙ガスを含むか否かについて各国の意見を求めてきた。
 我が方としてはどのように回答すべきか、ご回訓を請う」

外務省を通じ、これに対して日本陸海軍は

●「毒ガス中には催涙ガスを含むものと解す」(陸軍省)
●「催涙剤は他の有毒ガスと同様に、軍用に使用できないものと解釈す」
  (海軍次官・小林躋造)

と回答しています。
222イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/04(火) 00:07:44 ID:yFiJ1QwP
さらに1932年1月23日(満州事変の翌年)、関東軍参謀長の三宅光治少将が
『催涙弾・くしゃみ弾』2500発の支給を求めてきたことがありました。これに
対する陸軍省の回答は『否』であり、その理由として

●毒ガスの使用は、国際的には禁止が約束されている。たとえ土匪の掃討といえども、
 正義を誇る日本軍隊が帝国外の地において、支那土匪に対して使用するのは国際法
 無視の謗りを免れない。とくに列国の同情を得ようとする支那は「大々的宣伝」に
 利用する可能性が高く、列国の反感を増長する恐れがある。

●毒ガスの使用は単に土匪に対してのみならず、良民に対しても一様に被害を
 与えるものであるから、帝国軍隊の標語とする良民の保護、土匪膺懲の主義に
 大きく反するものである。

実際に『支那事変』が拡大すると、こういった方針は吹っ飛んでしまう訳ですが、
まあ、戦争なんで華麗にスルーですw。また『きい』も使っている可能性が非常に
高いでしょう。
223イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/04(火) 00:19:23 ID:???
>>221 >>●「毒ガス中には催涙ガスを含むものと解す」(陸軍省)
>>●「催涙剤は他の有毒ガスと同様に、軍用に使用できないものと解釈す」

要するに『あか』は国際法違反にあたると言っている訳です。

>>218 >>さらに「戦争手段の使用」と記され、支那事変のような
>>『グレーの紛争』に対してはこれまた定義が難しいw。

要するに日支両国とも「宣戦布告」していないという意味です。
224楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/04(火) 00:42:25 ID:???

   .「^ヽ,ry'^i
   ,ゝ"´ ⌒`ヽ  
  くi Lノノハノ)」 
   λ[i ゚ ヮ゚ノi!  日本軍もそれなりに「世間体」というやつを気にしていたのよ。
   レ|Y(つ旦)   
   く_,//つつ
225名無し三等兵:2007/09/04(火) 20:51:38 ID:nt38Oktu
>>223
真珠湾奇襲直後に国民党から宣戦布告されなかった?
確か日独伊に対して宣戦布告したはず。日本はまだしもドイツ・イタリアとも交戦国となったわけだ。
それもドイツの対米宣戦布告よりも先駆けて先走る形で宣戦した。
真珠湾奇襲前日のイギリスのフィンランドに対する宣戦布告並に意味はなさそうだが……
226名無し三等兵:2007/09/04(火) 21:09:31 ID:???
60年以上も前に国際法に違反した。だから何?って感じだけどな。
227名無し三等兵:2007/09/04(火) 21:21:46 ID:???
原子爆弾に比べりゃ
蚤の屁みたいなもんw
だから何?
228イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/04(火) 23:36:45 ID:???
>>225 >>それもドイツの対米宣戦布告よりも先駆けて先走る形で宣戦した。

前テーマの『支那とドイツ軍事顧問団』で述べた通りです。もちろん>>223 は、
支那事変を指していますから1941年以前――太平洋戦争が始まる前です。

一応、自分の定義としては、「1937〜1941年」→『支那事変』。そして
「1941〜1945年」→『大東亜戦争』or『太平洋戦争+日中戦争』です。

>>226 >>60年以上も前に国際法に違反した。だから何?って感じだけどな。

いわば『殺虫剤』を撒いたような話です。
229イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/05(水) 00:09:46 ID:pW6ZrLHh
>>203 >>この點支那兵、殊に紅軍は一生を軍隊で送るので超古年次兵少からず、
>>軍事的專門技術は乏しくとも相応の工夫あり、侮れません。
>>彈丸が無いので狙撃に長ずるとか、生れ附き大貧民なので寒暑缺乏劣惡な環境に
>>耐へるとか、頭惡いのでくよくよ惱まない死地に陷つても氣附かず明るいとか、

支那事変勃発当時、国民党軍の兵力は約210万人でした。上海決戦や南京攻略戦、徐州会戦、
武漢攻略戦、広東攻略戦を終えた1938年末には90万人にまで数を減じたとされます。

ここから原隊復帰や補充兵を掻き集めて、太平洋戦争開始時には300万人にまで
大動員をかけましたが、その兵隊の質たるや惨憺たるものでした。このスレでもよく
取り上げる『蒋介石――マクロヒストリー史観から読む蒋介石日記』の著者・黄仁宇は
抗日戦当時、軍官学校を卒業して少尉となり排長(小隊長)でした。

戦後、この黄仁宇はアメリカの陸軍大学校に入学しますが、その授業で教官の1人から
●「第2次世界大戦におけるアメリカ陸軍の動員数が800万人であり、『人的資源の
底をさらった』」という言葉を聞いて、深く印象に残ったと云います。
230イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/05(水) 00:17:46 ID:pW6ZrLHh
>>229 >>『人的資源の底をさらった』」という言葉を聞いて、深く印象に残った

黄仁宇はその後、1987年に「第2回国際明代史研究会」に出席しまして

●「抗日戦争中の支那側の徴兵は『人間のクズにまで及んだ』」

と述べて「用語が不適切である」と周囲から強く批判されましたw。
231イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/05(水) 00:37:43 ID:pW6ZrLHh
しかし黄仁宇は、自著の中で以下のように主張します。

私は「人間をクズ」に喩えるつもりはなく、このような言葉を使う以外には
当時の困難な状況を表現できなかっただけである。もし「軍事上の人的な力」を
桶一杯の流動物に喩えたならば、国民党軍は確かに『その中の混じり合ったカス』を
抽出したのである――と。言い得て妙ですね。

要するに国民政府の「徴兵制度」に問題があった訳です。支那事変勃発の前年に
「兵役法」が公布されて大急ぎで実施されましたが、『徴兵免除』や『代理徴兵』
などの各種抜け穴があり、実際に徴兵の対象となったのは上からの圧力に抵抗できない
「農村社会の最下層」でした。

また金を出して「身代わり」が買われる場合でも、出来るだけ安い(当然『品質』が
悪い)人間ばかりが対象となって集められるため、その質たるや『劣悪』という言葉
でもまるで足りないでしょうw。
232名無し三等兵:2007/09/05(水) 10:14:55 ID:???
日本軍の重機関銃には6倍、軽機関銃には2.5倍の光学照準眼鏡が装着されていた。
貴重な弾薬を浪費しない為の知恵であった。
ところで欧米の機関銃には光学照準眼鏡が付いていないが、現代に至るも付いていない方
が多数ということは、付けない方がメリットがあるということになる。
233名無し三等兵:2007/09/05(水) 10:20:56 ID:???
もちっと調べから書くことをお勧めする。
234名無し三等兵:2007/09/05(水) 10:44:29 ID:???
兵隊の質が際限なく堕ちるのは、負け戦の典型だと思うぞ。

中国国民党でなくても、陥落前のベルリンとか、敗戦間際の満州国とか。
頭数だけ増やしても、士気も低いし訓練も行き届いてない。
235名無し三等兵:2007/09/05(水) 20:24:14 ID:???
今の自衛隊は・・・
236イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/05(水) 23:29:05 ID:pTmN10zN
>>229 >>黄仁宇は抗日戦当時、軍官学校を卒業して少尉となり排長(小隊長)でした

黄仁宇は「抗日戦」を振り返って、軍官学校で学んだことは大抵役に立たなかったと
云います。なぜなら現代の私たちが出来て当然のように思っている『共同作業』や
『団体精神』といった簡単な概念でさえ、小学校などでの幼い時からの基本教育に
よって初めて身につくものだからです。体育や運動会はその典型です。

生まれてから数十年間このような教育を受けず、字も知らない下層農民出身の兵を
率いるのは想像を絶します。黄仁宇はその後、参謀になりましたが多くの指揮官が
軍隊用語を捨て去ったと云います。「主攻」「側翼威脅」「火力網」「陽動」「逆襲」など、
兵達に理解させようとしても無駄だからです。例えば『捜索前進』(敵を捜索しつつ
前進する」とは言わずに、部下に対しては●『敵を見たらすぐ攻撃せよ』と言い含めて
いました。また地図に攻撃計画を書き込む時でさえ、●「敵がここから出て来たら、
我々はここに向って撃つ」といった具合ですw。
237名無し三等兵:2007/09/05(水) 23:38:23 ID:???
来週のNHK〜その時歴史が動いた〜広田弘毅かよ。
支那事変においての彼の振る舞いをスルーすれば軍部の圧力に何とか筋を通そうとした等々の美談で纏められるな。
238名無し三等兵:2007/09/05(水) 23:42:10 ID:???
NHKスペシャルで巣鴨での尋問を再現した番組では広田ちゃんたたかれ気味だったぞ
もちろんアメリカにって事だが
239翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/09/05(水) 23:43:25 ID:6je4BGV1
>>236
そういえば毛沢東が伝説の戦名人に戦のコツを尋ねた時は、
「(戦いなんて)囲めば勝てるよお〜」とか
指南されたとかされなかったとか。
実際にあった話なんでしょうかしらね^^
(既出でしたらスミマセン・・・)

連日の更新お疲れ様です。
240イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/05(水) 23:49:17 ID:pTmN10zN
黄仁宇の部隊(第14師)は、農民出身の劣悪な補充兵の群れの中から
『突撃隊』を組織することで対策を取りました。すなわち通常の訓練に
耐えられる者だけを選別して、集中的に教育を行なうのです。

あくまで●「通常の訓練に耐えられる」ですよ。その選別から漏れた兵に
対しては、営(大隊)や連(中隊)単位でもっぱら『躾(しつけ)』を施す
のみに留めて、軍規を維持することに専念して弾薬を節約したのです。

『突撃隊』や『精兵』という言葉からは、何やら一般人からは超越した技能を
イメージさせます。しかし支那軍(国民党軍)の場合、『突撃隊』や『精兵』は
単に「普通の能力」を持っているだけの人間です。他は推して知るべきでしょう。

このような部隊は、攻撃時にはぞろぞろとくっついて夥しい死傷者を出し、退却する段に
なると、蜘蛛の子を散らすようにして我先に逃げ出します。在支アメリカ軍人の証言に
よると、「中国軍の攻撃は匍匐前進せずに棒立ちのまま行なわれ、何人かの小隊長は
日本軍の塹壕の手前1、2メートル手前まで接近したところで射殺された」と云います。
241名無し三等兵:2007/09/05(水) 23:58:38 ID:???
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? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? なんだか無償にコピペしたくなる
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? なのに初心者にはコピペできない
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
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242イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/06(木) 00:05:58 ID:1nKhHXsZ
さらに新兵であれ老兵であれ、支那の旧社会の習慣は変えることが出来ず、
各人の間には●「面子がある」「面子がない」の観念がところ構わず幅を
利かせていました。「権利と義務」の関係なんて問題外です。

士官同士、士官と下士官、下士官と兵士の間でも、軍隊内の階級に基づく
『服従と規律』よりも、個人的な恩恵や怨恨の関係が支配的でした。士官が
兵達の支持を得るには、まるで三国史の『英雄好漢』であるかの如く振舞う
必要があったと云います。

兵頭軍師は、陸戦のキルレートは●『一般兵の教育水準』が露骨に反映する
と述べられていますが、とどの詰まりそういうことです。団体行動もロクに
取れない部隊なんて、表現は良くないですが『知的障害者』の群れを率いる
ようなものですw。悪夢以外の何物でもありません。

現代の私たちは、マトモな初等教育を受けられたことを神に感謝するべき
でしょう。偶にそうでないっぽい人も見受けられますがw。きっと支那人です。
>>242 >>士官が兵達の支持を得るには、まるで三国史の『英雄好漢』で
>>あるかの如く振舞う必要があった

   ,.ィ ーrーr 、
  y' "´ ̄`'ヽ
  .ノくノノ人リ))ゝ
  ルi§゚ ヮ゚ノ§     「辻政信」なんて凄く適性がありそうねw。
   'k'_,i`ム'_i〈つ[|三>
   ,し'/_ハ.ゝ、
   `'ト_ノ'ト,ノ"
244イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/06(木) 00:19:43 ID:???
>>239 >>そういえば毛沢東が伝説の戦名人に戦のコツを尋ねた時は、
>>「(戦いなんて)囲めば勝てるよお〜」とか指南されたとか
>>されなかったとか。実際にあった話なんでしょうかしらね^^

どうもでございます。どこかで聞いたことがある気もしますが、具体的な
書名などは覚えておりませんw。第一次国共内戦などを見ると、毛沢東が
それなりに「戦上手」だったことは事実で、この辺りは「極小テーマ」で
取り上げても良いかもしれません。

いくらロクすっぽ武器を持たない軽装備とはいえ、連日、部隊を走り
回らせて、国府軍への「側翼威脅」などを行なっていた訳ですから。
245イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/06(木) 00:43:48 ID:1nKhHXsZ
>>213 >>弱小旧日本軍を相手にあの負け負けぶり、中国国民党の工業水準って
>>どれくらい?

まず蒋介石にとっても「支那事変勃発」は早過ぎたということに注意して下さい。
過去のテーマで『上海航空決戦』や『支那とドイツ軍事顧問団』を取り扱いましたが、
抗日戦の準備を整えるために、最低もう2〜3年は時間が欲しかったところでしょう。

>>231 >>支那事変勃発の前年に「兵役法」が公布されて大急ぎで実施されましたが、

これなど1936年の話です。そして日中戦争での「中国国民党の工業水準」ですが
問題は「沿岸部から内陸部にどの程度、疎開できたか」という点が大きいでしょう。

武漢攻略戦(1938年)が終わると、国民政府は重慶に引っ込まざるを得なくなり
ますが、内陸部にある工場は『支那全土の僅か6%』に過ぎません。そして肝心要の
発電量は●「4%」です。電気が無ければ、工場の多くは動きません。絶望的です。
246名無し三等兵:2007/09/06(木) 00:56:30 ID:???
日本陸軍はシナで負けてなどいない。単純に全方位から幾らでも敵が沸いて出てくるので圧殺されそうになっていただけ。
それこそイナゴのように発生するので自軍の三倍殺してもまだまだまだまだ敵が現れる
247イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/06(木) 01:01:44 ID:???
もし「国民政府の工業水準」を云うならば、独ソ戦の初期に追いまくられたソ連が
どのように工業設備を内陸に疎開させたかが参考になるかもしれません。しかし
自分は独ソ戦には詳しくありませんし、蒋介石もまたスターリンのような完全無欠な
独裁者では無かった訳ですw。

後日に続く。
248名無し三等兵:2007/09/06(木) 20:52:37 ID:10Ki4sAr
春秋戦国以来の伝統芸「人海戦術」しか戦術が無いからな・・・・
249名無し三等兵:2007/09/06(木) 20:54:50 ID:10Ki4sAr
春秋戦国時代の弓矢と槍と刀で戦った時代ですら簡単に「30万人が瞬時にしてせん滅される」それが
人海戦術だ。ま、ほとんど処刑で崖から突き落としたりしてるわけだが。
250名無し三等兵:2007/09/06(木) 21:42:33 ID:10Ki4sAr
馬賊・匪賊は国民党軍の動員兵よりもさらに弱そうだ。
というか奴らはただの野盗の大集団。「汚物は消毒だ〜」で有名な某マンガの
モヒカンと変わらんな。
251イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/06(木) 23:15:05 ID:K/zs/2i7
>>247 の続き。>>支那全土に占める内陸部の●「工場は6%」●「発電量は4%」
>>213 >>弱小旧日本軍を相手にあの負け負けぶり、中国国民党の工業水準ってどれくらい?

1939年になるまで内陸部の各省の「1年間の鉄鋼生産量」は1200トンに過ぎません。
駆逐艦1隻にも足りません。その後は、国民政府・資源委員会の努力によってこの僅かな
生産量は10倍に増えましたが、1944年になっても1万トン余りに過ぎなかった訳です。
1年間に巡洋艦1隻造ったら全てオシマイですw。

ちなみに太平洋戦争前の日本の鉄鋼生産量が700万トン、イギリスが1200万トン、
アメリカが7500万トンです。やはり支那は絶望的なのです。

『電力の不足』は更に深刻で、当時の欧米人ジャーナリストは以下のように述べています。

「明らかであったのは、幾つかのうす暗い都市と政府経営の何百個もの小型工場に対する
 不十分な発電力が存在した以外は、自由中国は暗闇の中にあった。それは全く工業化
 されていない地域であった――」
252イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/06(木) 23:21:20 ID:???
>>自由中国は暗闇の中にあった。

電力事情は、今の北朝鮮を思う浮かべてもらうと手っ取り早いでしょうか。
「自由」でも何でもないですがw。
253宵闇の妖怪 ルーミア ◆FU/OcfTlfM :2007/09/06(木) 23:26:29 ID:???
>>251 >>自由中国は暗闇の中にあった。

    ,. -ー- 、__
   ,'     'y´
   i レノノハノノ)  〜♪
 (( ハルi ゚ ヮ゚ノリ      そーなのかー
   と),)∞と) ))
   ,ノ::i:/:::!フ⊃
   `''i_ノ'´彡
254イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/06(木) 23:38:41 ID:K/zs/2i7
また更に、支那の兵器工場の『毎月の小銃弾生産量』が最大で1500万発
だったとも云われています。

これは当時の国民政府軍が300万人いたとすれば、兵士1人あたり5発に
過ぎません。1ヵ月に5発を撃ったらオシマイです。

無論これは支那の独力でという話で、諸外国からの援助や、実際は前線部隊に
集中して配備されたはずですから、そこまで極端でもなかったでしょう。しかし
このような極小な弾薬の備蓄量では、士気旺盛な指揮官がいても積極的な攻勢を
取ることは非常に困難で、軍隊としての攻撃精神は次第に消失していきました。
255名無し三等兵:2007/09/06(木) 23:39:35 ID:???
ま、自由なんてのは教育と物質両面で満足してる地域だけが享受するもんだ。
ヒダリマキに影響されてると数字は出せてもこの辺があやふや、
相手が支那だと色んな意味で必要なリソースも半端じゃない。
人口の大きさに圧倒されて誰もが忘れる点だな

『日中戦争下の日本』もまあそこそこ面白かったが、
慶應ボーイの限界からか、チャンコロを人間扱いしちゃって
結論は支那に物与えれば全部良くなるだもん、結論に飛躍しすぎ。
256イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/07(金) 00:04:30 ID:Fr9xE1Cg
>>247 >もし「国民政府の工業水準」を云うならば、独ソ戦の初期に追いまくられた
>>ソ連がどのように工業設備を内陸に疎開させたかが参考になるかもしれません。

『抗日戦争』中、愛国的な支那人の多くが、日本軍の占領地(沿岸部)から
重慶など内陸部へと大々的に移動したという『伝説』があります。

しかし実際に移動したのは、大部分が公務員や兵士、そのほか知識人・学生であり、
要するに●『生産者より消費者の方が多かった』訳です。

また肝心の「工場の疎開」ですが、当時、上海に存在した5000箇所以上の工場と
江南各地の工場を合わせても、内陸部に移動したのは200余りに過ぎませんでした。

また武漢地区から内陸部に移動したのは約150であり、広州から工場は全く移転
しませんでした。最終的に移動した工場は450に過ぎず、機材や物資は10万トン
前後でしか無かったのです――。
257イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/07(金) 00:23:22 ID:Fr9xE1Cg
そして内陸部に移動した工場も、大都市の人口に生活物資など「消費財」を
供給する事は出来ても、戦争に対する貢献は極めて少なかったと言えます。
軍需物資の自力生産は困難でした。

要するに、蒋介石は『独裁者』でも何でも無かった訳です。スターリンの様に
根こそぎ疎開させるような強権はとても発揮できませんでした。

蒋介石がどのくらい「独裁者でなかった」かと云うと、軍法会議なしで蒋介石が
独断で銃殺を命じると、身内から陰で批判されるぐらいですw。

まあ、しかしヒデキが「軍法会議なしで独断で銃殺を命じる」ことが出来ていたら
大問題ですので、それよりは独裁者だった訳ですw。ヒデキが出来た事はせいぜい
「戦死確定の激戦地送り」です。近いようで、この差は非常に大きい訳です。
258白馬青牛:2007/09/07(金) 00:33:23 ID:K85UfoMQ
>>222
長沙作戦で危機に陥って『きい』を使うたんは、仙台13D。
他に弘前36Dも『きい』を使用したんでしょう。
広島39Dは『あか』を使うとります。
>>236
適当に捕まえた農民を兵にした乱暴な徴兵はあるんですが、
中国でも地域によって兵卒の資質も違い、広西兵団が強剛なんも、
獰猛な気質と他省人を嫌う排他性による団結があったゆえで、
身体能力も小柄ですばしいっこく夜間も眼が効き訓練以前の兵士の
素質もあったでしょう。グルカ兵や高砂族やカチン族も同様です。
>>240-242
中国軍全てが匍匐前進をせんかった訳では無く、その文章は誤解を招き
ます。面子を軽く見ておられるようで、権利や義務を強調されますが、
日本でも東日本人に権利の概念が民俗的にあったんでしょうかね。
西日本なら自治意識もあったでしょうが、東日本人は村落の躾もなく、
売り飛ばされた先で躾を覚えるゆえ、知的障害者の群かどうか解りません
が、まともな教育もされてない人達は支那人よりも東日本人かも
知れません。
>>244
陸大の口頭試験でも、黒板に紅白のチョークが用意され、「敵に勝つには
どうするか」の問いに、受験者が黒板に紅で点を描き、そのぐるりを白で
円形に囲み「大軍をもって囲みます」と答えれば優秀じゃった云うんと
似とりますね。
259イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/07(金) 00:46:34 ID:Fr9xE1Cg
それにしても国民政府軍の「物資の欠乏」は深刻そのもので、先の『蒋介石
日記』の著者である黄仁宇が排長(第14師・小隊長)をしていたとき、
自分の小隊の兵士には歯ブラシも石鹸もタオルも何も無かったと云います。

そして小隊全員が1枚の布を洗面用に使っていたため、1人の兵士が目に炎症を
起こすと次の日には10人の兵士が感染していました。この辺りは、会社の便所の
手拭きで「1枚のタオルを全員が使い回す」のを想像してみて下さいw。

また黄仁宇の小隊では、便所はもちろん紙が無く、竹片や瓦のかけらを
チリ紙代わりにしていました。さらに靴下もなく兵士が自ら草履を編んで
いたのは言うまでも無いことです。

黄仁宇は当時を振り返って、●「先進国が戦時動員に際して、民間物資を欠乏
させてでも軍隊への供給は絶やさなかったという状況とは比較のしようがない」
と頭を掻いています。
260イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/07(金) 00:49:31 ID:???
>>257 >>ヒデキが出来た事はせいぜい「戦死確定の激戦地送り」です。

海軍が茶々を入れてきますからねw。
261名無し三等兵:2007/09/07(金) 01:00:32 ID:???
日中戦争は良く知らないのだが、戦標船の建造が本格化した昭和18年末に
飯河という造船士官が不足する工作機器の調達の為上海に飛んでる。
児玉機関の協力を借りて一週間ほどの間に市外、城内、郊外の20数箇所を回って
英独製の工作機械を1000件ほど買い付けた。
結局海上輸送がダメになってて何一つ本土には届けられなかったってのが悲しいところだ。
そんな話が講談α文庫の戦艦大和誕生下巻227ページ辺りに載ってる。

当時の大陸有数の沿岸の大都市で英独製の工作機械1000台オーダー、
まあ良質な分だけでもこれで全部とは思わないけど、同時期
あの日本本土ですら工作機械は100万台、性能の保証がある欧米製のものでも
20万台は固いと言われてる。
(余談だが昭和時代以降のものであれば部分的にはまともな機械の自制も可能だった
まあ一部は水準並でも全体では技術にムラがある航空機や艦艇を思い浮かべれば想像もつこうが)

恐らく沿岸の工業都市にあるもの全てをかき集めても、良質な工作機械が
日本の10分の1もあったかどうか疑わしいな。
262名無し三等兵:2007/09/07(金) 01:09:26 ID:???
>>260
うーん、「毎日」「ゴミ漁りに聞け」の話の事だろうが
南方のくだりを見てると海軍がやってたのは「おねだり」じゃないかと。
開戦に踏み切らす為の物動でのA→Bへの鋼材10万トン譲り、
海没、飢餓8割、玉砕1割、自活1割確定コース、正直笑えん。
263名無し三等兵:2007/09/08(土) 01:47:19 ID:dSYsoyVm
弓矢や槍しかなかった時代でもその気になれば数十万人を一瞬で殺害することは
実は可能である。
日本軍の実力を見くびるなと言いたいですね。
264名無し三等兵:2007/09/08(土) 14:35:25 ID:???
ベルリンにソ連国旗が揚がってるそのときでも、日本軍は未だ中国大陸沿岸
と満州を支配し続けていたのだから、日本軍はドイツ軍よりも強かったと思う。
265名無し三等兵:2007/09/08(土) 14:37:26 ID:???
だつお乙
266名無し三等兵:2007/09/08(土) 18:25:24 ID:???
地球環境のために最低一億とか書いてる時点で中佐もだつおと(ry
とは言え納得してる俺ガイル
267イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/09(日) 22:56:11 ID:???
仕事の時間帯がちょうど重なって『紅月ノ宴』に逝けなんだ…w。終わった後に
同人書店で「もう委託されていないかしらん?」と探すもの悲しさよw。でも
『少女幻葬』(後編)と夏の超時空要塞で買い逃した「ビタミンごはん」と「ふあん亭」
の新刊がゲットできて、ちょっとだけ幸福…。
268イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/09(日) 23:18:44 ID:???
>>261 >>結局海上輸送がダメになってて何一つ本土には届けられなかったってのが
>>悲しいところだ。

後で述べますが、支那にとっても交通の問題は深刻です。先に結論を言ってしまえば、
抗日戦争中、支那の工業がダメダメだった理由は「工場疎開の失敗・電力不足・交通の困難」
の3点です。

>>恐らく沿岸の工業都市にあるもの全てをかき集めても、良質な工作機械が
>>日本の10分の1もあったかどうか疑わしいな。

そういうのを根こそぎ内陸部に疎開できなかったのが、いかに蒋介石が独裁者で
なかったか、強権を発揮できなかったかの証左でもあります。上海から南京戦の
ドタバタでは無理かもしれませんが、武漢・広東攻略戦(1938年後半)辺りなら
状況は違うでしょう。逆に言えば、いかに蒋介石は『上海決戦』を勝つ気マンマンで
開始したかという事です。
269イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/09(日) 23:57:39 ID:jnp6Mi3g
>>262 >>うーん、「毎日」「ゴミ漁りに聞け」の話の事だろうが

>>257 >>ヒデキが出来た事はせいぜい「戦死確定の激戦地送り」です。
>>(それでも)海軍が茶々を入れてきますからねw。

ちょっと言葉足らずだったようで。自分が指したのは、毎日新聞社の新名丈夫
記者ですね(『竹槍事件』)。海軍に邪魔されるようでは、ヒデキも独裁者では
全然なかったなあ…w。

>>開戦に踏み切らす為の物動でのA→Bへの鋼材10万トン譲り、

何だったかなあ。「開戦に賛成してやるから、陸軍の割り当てから海軍に鋼材を
10万トン寄こせ」と言ったヤツでしたっけ? 記憶が曖昧でどの本で読んだか
直ぐに思い出せない……w。
270イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/10(月) 00:05:43 ID:???
>>262 >>南方のくだりを見てると海軍がやってたのは「おねだり」じゃないかと。
>>海没、飢餓8割、玉砕1割、自活1割確定コース、正直笑えん。

兵頭軍師がおっしゃられるように、「海軍への指導がキッチリ出来ていなかった
という意味で、あの戦争は陸軍の責任だろうよ」な訳ですw。

>>266 >>地球環境のために最低一億とか書いてる時点で中佐もだつおと(ry
>>とは言え納得してる俺ガイル

日本陸軍は「60年先の未来」を見据えていたんですよw。
271イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/10(月) 00:24:36 ID:jQZ2afMN
>>259 >>黄仁宇は当時を振り返って、●「先進国が戦時動員に際して、民間物資を欠乏
>>させてでも軍隊への供給は絶やさなかったという状況とは比較のしようがない」

さて、このような物質的な困難にあった国府軍ですが、黄仁宇によれば蒋介石が
与えた指示は、●「歯を食いしばって頑張れ」だけだったようです。要するに、

もしも騾馬がいないのなら、砲兵部隊の士官と兵士は自身の力で砲を運ぶのである。
もしも制服が支給されないのなら、破れた古い制服を繕えばよいのである。一着の
制服は、3〜4年は着ることになっている。

満腹までには至らなくても、食べる飯には事欠かない。兵士が眼病を患えば、伝統的な
薬草を煎じる方法で治療する――。
272名無し三等兵:2007/09/10(月) 00:33:37 ID:???
モノが無くなったら結局は精神論か、原点回帰とでも言うべきか。
日本にはハナから精神論しか選択肢が無かったのは少し別の代物だが。
273ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2007/09/10(月) 00:46:09 ID:???
精神とか誠心とか清心には金がかからないのです。
274イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/10(月) 00:52:10 ID:jQZ2afMN
また独特なのは、「武器弾薬の不足」について述べた蒋介石の訓話です。

「もし弾丸が100発しかないときは、60発を訓練用に割り当てるべし」
というものです。そうすれば「残りの40発は実戦において百発百中となる
望みがある」とします。

同様に「手榴弾が2個あれば1個を爆発させてみて経験を得よ」でした。さらに
『前線補給』を挙げて、「日本軍の兵器や弾薬を鹵獲せよ」とまで言います。

何かもっともらしい事を言っているようで滅茶苦茶な論理です。全財産が
100万円しかない人に向かって「取りあえず60万円を練習で使ってみろ、
そうすれば残りの40万円はもっと有意義に使うことができる」と言って
いるようなものです(藁)。

黄仁宇は、「彼には弾薬が尽きようとしている部隊の、士気と人心に対する
考えが無い」と批判していますが、もっともなことでしょう。
275名無し三等兵:2007/09/10(月) 21:10:01 ID:???
ヒデキは憲兵隊を駆使して赤狩りしたり程の共産党が嫌い。ヒデキの共産党嫌いは
例の「共産党は世界の害虫」発言からもわかるように筋金入り。
首相の座を明け渡した後は「害虫駆除」の為に現役として中国に渡り、打通作戦を途中で中止してでも
(桂林とかイラン)西安と延安へ攻め込むべきであった。



ヒデキと憲兵隊は切っても切り離せない。だがヒデキの共産党嫌いはどこから来るのだろう?
めちゃくちゃ弾圧したからな・・・・
276名無し三等兵:2007/09/10(月) 22:29:49 ID:pXVrbhrq

 盡忠報國
         長勇
 忠即盡命
277名無し三等兵:2007/09/10(月) 23:05:40 ID:???
ヒデキはねそんなに悪い子じゃないの

ただいるべき場所を間違えただけなの
278イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/10(月) 23:34:29 ID:ZsO/6qJG
>>275 >>ヒデキと憲兵隊は切っても切り離せない。だがヒデキの共産党嫌いは
>>どこから来るのだろう?

だつお氏ですか? まあ、関東軍憲兵隊司令官(1935〜1936年)時代に
遡るのではないですかね。

ヒデキはそれまでの40年近い軍人生活で『憲兵畑』だけは無縁でした。まあ、
この辺りはヒデキだけが珍しい訳では全然ありませんけど。赴任して3週間程で
憲兵隊の職務を頭に叩き込むのですが、ヒデキの最初の感想は以下の通りでした。

●「陸軍省や参謀本部に集まってくる連中は、やはり優秀なんだなあ。あまり知らない
 世界(憲兵隊)に入ってみて、初めてそれがよく分かった。憲兵ときたら鈍重そのもの
 だし、何度も同じことを指示しなければ理解しない。それに帝国軍人としての自覚にも
 欠ける。『もう一度はじめから鍛え直さなければならない』」
279イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/10(月) 23:54:45 ID:ZsO/6qJG
>>278 >>『もう一度はじめから鍛え直さなければならない』

ヒデキは「近衛歩兵第3連隊中隊長」としても「歩兵第1連隊長」としても
非常に優秀でした。そのヒデキが関東軍憲兵隊を『もう一度はじめから鍛え
直さなければならない』と述べたのですから、その結果がどうなるかは火を
見るよりも明らかです――w。

さて言うまでもなく、軍隊内での「憲兵の地位」は非常に低いものがありました。
『憲兵は軍人ではない』とまで呼ばれる屈辱が、さらに憲兵のモチベーションを
屈折させていきました。

また憲兵自身の中にもそれを逆手に取って、●「憲兵は鈍重なのが良いのであり、
家の便器が茶の間や床の間にあっては困るのと同様に、憲兵も陽の当たらぬ所に
あるべきだ」とする自己弁護というかオナニズムというか、無難に小さくまとまろう
とする者も多くいました。これを『良識的』というかは意見が分かれるでしょう。
そして当然の事ながら、ヒデキは「こんなダラシのない憲兵はいらない」派ですw。
280イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/11(火) 00:15:06 ID:LvEn3v1h
カミソリ・ヒデキの信条は、●「帝国軍人は、与えられた己の職務を全うせよ」です。
憲兵が自分の職務に忠実であればある程、どのような状況が生まれるか?――それは
ヒデキにとっては思い浮かべるのにも値しないことでした。

こうして憲兵隊の精神面でのテコ入れをガンガン行なっていく訳ですが、ヒデキの
『構造改革』は「関東軍憲兵隊」の組織面にも及びます。

ヒデキが赴任した当時の関東憲兵隊司令官は、関東局警務部長も兼任し、満州国の
全警察権を一手に握る存在でした。さらに満州国民政部と鉄道警護隊を統制する
権限をも部分的にもっていました。

ヒデキの前任者たちである橋本虎之助、田代皖一郎、岩佐禄郎などは、こうした
関東憲兵隊司令官の権限を曖昧なものにしていました。あまり露骨にはっきり
させると、満州国の傀儡性が明確になってしまうからです。ところが、カミソリ
ヒデキには、この曖昧さが我慢なりません――w。日本領事館警察、関東局警察の
人事、予算の全てを関東憲兵隊の指揮下に入れなくてはならないとまで主張しました。
281宵闇の妖怪 ルーミア ◆FU/OcfTlfM :2007/09/11(火) 00:22:18 ID:???
>>280 >>ところが、カミソリ・ヒデキには、この曖昧さが我慢なりません――w。
    ,. -ー- 、__
   ,'     'y´
   i レノノハノノ)
  ,..ハルi >ヮ<ノリ   でもそんなの関係ねえー!
  ヽ,).)∞_ハ,) 
  ,<::,ミ_:::!」 ミ
   ~ヽ_ヽ_)

     , -ー- ., ._,
   .,'     r'-,ゝ
   ((,(,ハ( (,J ~i´
   从>ヮ< iルハ.,   でもそんなの関係ねえー!
     (,ハ_∞( (,ノ
   .彡 L!::_彡!:>,
       (_,r'_,r'~
282イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/11(火) 00:37:44 ID:LvEn3v1h
●「満州国内の抗日運動を抑えるには『軍警一本化』こそ望ましい――」

ヒデキの主張に関東軍の参謀の多くは追随しますが、もちろん行政の関東局も
外交の領事館も抵抗します。するとヒデキは、ある抜け道を思いつきます――。

そもそも憲兵の本来の任務は、軍人直属の監督取締り、軍の安全を保持するのが任務
ですが、それを広義に解釈すれば、その活動対象は民間人にまで及びます。今までの
関東憲兵司令官はそれを知りつつも消極的でしたが、ヒデキは当然の事ながら違います。

「憲兵隊は軍だけでなく、満州国の治安を前面に立って守らなければならない。
(そのための)あらゆる命令は関東憲兵司令官から発せられる――」

と決定して、一方的に民間人の監視も行なうように命じました。それまで傀儡性を
薄めるために、わざと錯綜していた機構も強引に一元化します。ヒデキの名前が
満州国で畏敬と恐怖の念をもって語られるようになるまで、そう時間はかかり
ませんでした――。
283イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/11(火) 00:52:48 ID:LvEn3v1h
満州国の日本人官僚や関東軍参謀からは、頼もしい「実行肌の司令官」として
畏敬の目が――。

逆に満鉄や協和会、そして内地で社会主義運動に挫折して満州に新天地を
求めた知識人、いわゆる「アカ」からは恐怖の代名詞として――。

後者からは、ヒデキは秩序に名を借りた強権・強圧の張本人として憎まれました。
支那人からも極度に怖れられたことは言うまでもありません(続く)。
284楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/11(火) 00:57:24 ID:???
>>277 >>ヒデキはねそんなに悪い子じゃないの ただいるべき場所を間違えただけなの

  .「^ヽ,ry'^i
  ,ゝ"´ ⌒`ヽ
 くi Lノノハノ)」    
  λ.[i ゚ ヮ゚ノi!    ヒデキはね、自分の仕事に熱心過ぎただけなのね。
  レ',ヘ.i`ム'」つ旦~   決して悪い子じゃないわ。
  ,く_,//T.iλ
  "ーr_,t_ァ'"
285名無し三等兵:2007/09/11(火) 01:09:59 ID:???
東条は近衛が自殺したのとは違い、死に損なったその散り際の悪さが彼に対する印象を極度に悪化させた。
陸軍省や関東軍での手腕や、政治的な評価とは別に、印象や人気というのは首相というポストにいるなら最も大切な要素の1つである。

逆に言えば、あれだけ期待をされて登場した近衛は首相在任時に中途半端な事しか出来なかった、その程度の政治家だったが
東条とは違い裁かれる前に自殺に成功したおかげで、東条と比較されるように印象は良くなった。
近衛が裁判で絞首刑に処せられていたら、文官の広田弘毅は死刑になる事は避けられただろう。
286名無し三等兵:2007/09/11(火) 08:10:18 ID:???
ヒロヒトが死刑になるべきだった
287名無し三等兵:2007/09/11(火) 10:47:01 ID:???
288名無し三等兵:2007/09/11(火) 14:40:22 ID:???
サンフランシスコ講和体制というのは、A級戦犯14人に罪を負わせる代わりに、
天皇陛下と国民を免罪した。 簡単にいえば、敗戦国に本の戦後復興を国際的に支援するための
スキームをつくったのです。
田中角栄首相が日中国交回復をしたときの日中共同声明も、実は、サンフランシスコ講和体制の
スキームに乗っかっていて、その後の中国政府は、A級戦犯あるいは戦争指導者が悪かったのであって
日本国民は悪くなかったと言う説得を中国国民に行うことになりました。
わかりやすくいうと、これは日中双方にとって手打ちだったと思うんです。
手打ちということは、お互いが内容的に納得したと言うことではない。納得していない
かもしれないけど、とにかくそうすることに決めたと言うことです。

(略)でも何らかのかたちで、東京裁判は手打ちだったことを、国民全体にわかってもらわなくてはいけない。
処刑されたA級戦犯だけが悪かったはずがありません。他にも悪かった人はたくさんいたのです。
なのに、あえて罪をかぶってもらって、戦後復興の礎になってもらったのです。
そうした本当の事情を、影に日なたにコミュニケーションすることで、犠牲になった方々やその関係者
を納得させるような方向に、国民全体でもっていくべきでした。
政府は手打ちの当事者ですから、本当の事情を口にするわけにはいきません。
そのかわり、国民がするべきだったのです。国民の不手際です。
この不手際が時間が経つにつれて、だんだん大きくなってきているように思うのです。
二つ不手際がありました。一つは、A級戦犯が本当に悪かったのだと信じ込ませる
ようなコミュニケーションを、教育を中心として展開してしまいました。
これは人倫的に許されるはずがありません。どこの誰よりも戦争動員に向けて積極的に
旗を振った朝日新聞が、A級戦犯よりも悪くなかったなどと、誰が言えるのでしょうか。

(略)僕は靖国に祀られているA級戦犯の方たちに敬意を払う者の一人です。
彼等は作戦責任者や参謀として無能だったかもしれません。
でも広島の原爆で14万人、長崎の原爆で7万人、東京大空襲で10万人の
民間人の生命を奪ったアメリカの作戦責任者よりも悪かったなど、あり得ません。
(以下略)
「神保・宮台マル激トーク・オン・デマンド 中国」 春秋社
289名無し三等兵:2007/09/11(火) 17:03:00 ID:???
東と西で敗退を続けたヨーロッパのドイツ軍よりも弱い皇軍にさえ、
大陸打通作戦で連戦連敗する、更に弱い世界最低の中国軍・・・

どうしたらこんなに弱い軍隊が編成できるのか不思議だ。
いやあれは軍隊とは名ばかりの、文字通りゴロツキの群れ・・・
290名無し三等兵:2007/09/11(火) 17:05:08 ID:???
だつお乙
291名無し三等兵:2007/09/11(火) 20:52:22 ID:nF15wthC
アカな人から見たらヒデキはさぞかし恐怖の対象でしたでしょうね。
292元32(予備役少佐):2007/09/11(火) 21:05:39 ID:???
>>283
>>284
>>291

ヒデキが満州でびしびしガチで不良分子を取り締まる
           ↓
不良分子はやむなく満州から北支に離脱
           ↓
北支で不良分子があんなことやこんなことをして治安悪化


これが日中戦争に影響した話というのもあります。
293名無し三等兵:2007/09/11(火) 22:37:33 ID:???
アカは碌なことしないからしょうがない
20世紀最大の害悪は共産主義だからね
294イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/11(火) 22:47:52 ID:???
>>283 >>支那人からも極度に怖れられたことは言うまでもありません。

関東憲兵隊の司令官(ヒデキ)宿舎は、抗日不良分子からのテロを防ぐための
警備がますます厳重になりました。ヒデキの娘たちの登校には、秘かに護衛が
付けられます。

●「憲兵隊司令官といえば土匪には怨まれている。お前たちが誘拐されても身代金は
 払わんぞ。一度取引きに応じれば奴等はつけ上がる、だから気をつけろ――」

娘たちにもこう因果を含んだと云います。『匪賊討伐』を掲げて満州国の奥地まで
憲兵隊員を動員し、ときにはヒデキ自ら馬に乗って匪賊を追い求めました。まるで
どこかの『将軍様』のようですw。関東軍司令部ならびに関東憲兵隊司令部がある
新京では壁に『東條を葬れ』と大書されました。

それを見たヒデキは一笑に付し、ますます『闘争心』を燃やして抗日支那人共を
ビシバシ摘発していきました。「燃料投下」でしかありませんw。
295イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/11(火) 23:04:55 ID:rkCGXTkA
こうして熱心な『匪賊狩り』を続けるヒデキですが、その目は日本人に対しても
同様に向けられます。

関東軍に反感をもつ団体や民間人のリストアップを始めました。憲兵隊員たちは
内地くずれの「社会主義運動者」や「国家改造運動」に熱心な者を調べるだけで
なく、皇道派にいささかでも共鳴する傾向がある軍人・民間人をリストに加えました。

ヒデキがいた当時、関東軍にの青年将校には皇道派が多かったためです。これは
「十月事件」(1931年)のシンパは、東京から遠く千数百キロ離れた地に
勤務させるという人事上の内規のため、満州・朝鮮・台湾に数多く赴任してきて
いたのです。

ヒデキが関東憲兵司令官になる前年の1935年、師と仰ぐ永田鉄山少将が皇道派の
相沢中佐に斬殺されていますから『親の仇』みたいなものでしょう。また相沢中佐が
兇状に及んだのは、台湾の台北高等商業学校の配属将校に飛ばされる途中の事でした。
296イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/11(火) 23:21:32 ID:rkCGXTkA
>>275 >>ヒデキと憲兵隊は切っても切り離せない。だがヒデキの共産党嫌いは
>>どこから来るのだろう?

こうして1936年1月には、リストアップされた『危険人物』の軍人・民間人は
4千名近くになりましたが、翌月の2.26事件での「果断な対処」――弾圧・監禁・
拘束により、ヒデキが躍進する大きな契機となったのは運命のいたずらでしょうか。

のちにヒデキは、同じ統制派の池田純久に対して●「永田さんの仇討ちのつもりだった。
胸がすっとした――」と語っています。

ヒデキは「アカ嫌い」だったのは確かですが、それ以上に皇道派を憎んでいたでしょう。
関東憲兵隊司令官への異動は、軍中央の主流から外れたことを意味していましたし、
それどころか、第24旅団長(→第12師団司令部附被仰付)を最後に少将で予備役
編入危機の直前にあった訳です。

まあアカが嫌いなのは、カンジの事も影響しているでしょうw。
297イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/11(火) 23:41:45 ID:rkCGXTkA
>>それどころか、第24旅団長(→第12師団司令部附被仰付)を最後に少将で予備役
>>編入危機の直前にあった訳です。

ヒデキのことが大嫌いだった支那通軍人の『磯谷廉介』によれば、自分が永田鉄山と
図って、軍人生命を復活させてやったと言わんばかりの記述が残っています。要約
すると以下の通り。

駐支大使館付武官として打ち合わせのために帰国した磯谷廉介は、陸軍省の軍務局長室に
永田鉄山を訪ねました。すると永田は、

「関東軍(関東憲兵隊司令官)に空きができる。後任人事に困っているのだが、
 貴公やってみるか?」

「わしは満州に行かんよ」と磯谷は答えながら、軍務局の部屋を見て顎をしゃくり
ながら言いました。
298名無し三等兵:2007/09/11(火) 23:47:53 ID:???
ヒデキは時代が時代なら優秀な軍事官僚として一生を終えたかモナ
汚職とかには縁のない人間だったし
299名無し三等兵:2007/09/11(火) 23:55:51 ID:???
天才度

カンジ>>>日蓮の壁>>>ヒデキ

キチガイ度

カンジ>>>最終戦争論の壁>>>ヒデキ

日本をどつぼにはまらせた度

カンジ>>>満州の壁>>>ヒデキ

可哀相度

ヒデキ>>>能力と時代の壁>>>カンジ

300イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/11(火) 23:58:51 ID:rkCGXTkA
磯谷「あそこに暇な男(ヒデキ)がいるじゃないか。彼奴をやろう」
永田「そうするか」

となってヒデキの満州行きが決まったと云います。本当かよw。
ちなみにですが、永田鉄山と磯谷廉介は同期の陸士16期です。
ヒデキは1つ下の17期に当たります。

上記の元ネタは『「支那通」一軍人の光と影 磯谷廉介中将伝』ですが、

●「永田、磯谷、東條がある日、軍務局で顔を合わせることがなければ、
 多分、東條は第12師団(小倉)付から待命、予備役となったであろう。
 その路線を修整し、東條を蘇らせたことが結局は日本の運命を狂わせる
 ことになり、また、磯谷の前途にも障害となったのである――」

としています。まあ、話半分に聞いておいて欲しいのですが、ヒデキが開戦時の
首相に登りつめるまでには、数多の運命の操作があった訳です。もはや必然です。
301名無し三等兵:2007/09/11(火) 23:59:00 ID:???
恨まれ度

ヒデキ>>>英霊の怨念の壁>>>カンジ

302名無し三等兵:2007/09/12(水) 00:01:32 ID:???
>>298
仮に今ならかなり国民の期待を得られるんじゃないか?
303名無し三等兵:2007/09/12(水) 00:05:18 ID:???
かもしれん。
イエスノーがはっきりしてるし、公私混同や金絡みのことに対しては厳しいからな。
ボースだったかスカルノだったかも東条の事務能力は高くしていた。

政治家としては・・・だが。
304名無し三等兵:2007/09/12(水) 00:07:23 ID:???
クラスのいいんちょみたいなもん
生徒会長にはなれない
305イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/12(水) 00:11:20 ID:kh0vb8dW
>>291 >>アカな人から見たらヒデキはさぞかし恐怖の対象でしたでしょうね。

余談になりますが、関東軍の部下から見て怖い順番は、

ヒデキ>>>岡村寧次>>>板垣征四郎

となり、それぞれ「カミソリ東條」「俊敏岡村」「大人板垣」と揶揄されました。
ちなみに3人とも関東軍参謀長(岡村だけ参謀副長)経験者です。逆に親しまれたのは

板垣征四郎>>>岡村寧次>>>ヒデキ  でこれは言うまでもありませんw。

さらに支那人から見て怖い順番となると、

板垣征四郎>>>ヒデキ>>>岡村寧次  と少し意外な結果になります。
306名無し三等兵:2007/09/12(水) 00:14:57 ID:???
>>298
つじーんも中世に生まれていたら勇猛な武将として一生を・・・
307イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/12(水) 00:18:38 ID:kh0vb8dW
岡村寧次は江戸っ子チャキチャキの「支那通軍人」で支那人の知己も多く、
対話しやすい人物でした。

板垣征四郎は支那側の人物評を見ても、『虎』と言われるほど怖れられて
いました。ヒデキはこの中間に当たります。

以上は関東軍の参謀長副官として、岡村寧次・板垣征四郎・ヒデキの3人に
身近で仕えた泉可畏翁の証言を参考にしています。
308名無し三等兵:2007/09/12(水) 00:29:16 ID:???
今日「僕は八路軍の兵士だった」て本買ったけど面白いな。

たった一人で敵の司令部制圧って凄すぎ。しかも自分で意図したわけではなく全てが偶然の産物。
309名無し三等兵:2007/09/12(水) 00:29:20 ID:???
中世に生まれたつじーんが男色と聞いて飛んできました。
>>300 >>ヒデキが開戦時の首相に登りつめるまでには、数多の『運命操作』が
>>あった訳です。もはや必然です。

    ,ヘ/L──- 、
    Lニ)r_」=== イ
   ,ヘ、i ノノλノハノヘ
   ,'  `(ハリ ゚ ヮ゚ノi) ',   呼んだ?w
  .i   >〈(つ,i!と)  i
   vヘγk´_/___i,ゝヘノ
      `゙r_,ィ_ァ゙´
311名無し三等兵:2007/09/12(水) 00:34:58 ID:???
15対1

つまり16P

絶倫だね
312元32(予備役少佐):2007/09/12(水) 00:38:01 ID:???
>>300
ヒデキの関東軍憲兵司令官就任は相澤事件のあとなので、
その話の信憑性はおっしゃるとおり少し微妙ですね。

それと、もともと東條の親友である永田は陰に日向に東條をかばっています。
皇道派全盛時代に、そもそも永田の友人は少ないのです。

>>307
余談ですが、カンジとヒデキの対立について云々される場合が多いですが、
意外なことに、板垣将軍とヒデキは仲がいいのです。
313イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/12(水) 00:41:25 ID:???
まあ果てしなく余談ですがw、ヒデキが関東憲兵隊司令官のとき、板垣征四郎は
関東軍参謀長でした。2.26事件のドタバタでも対応を2人で協議しています。

これが縁で板垣征四郎が近衛内閣で陸相に就任するとき、いくら「お目付け役」だった
とはいえ、ヒデキが陸軍次官にピックアップされて、陸軍中央にカムバックすることが
できた訳ですから、やはり運命としか言いようがありません。

もしこの時の関東軍参謀長が岡村寧次あたりだったら、ヒデキは中央に帰れず
おそらく支那事変で二線級の師団長を務めてオシマイだったかもしれません。
314イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/12(水) 00:54:07 ID:???
>>仮に今ならかなり国民の期待を得られるんじゃないか?

ヒデキは社保庁長官にでもなって、年金横領のアホ共を『全員死刑』にしてくれる
こと希望しますw。

>>312 >>ヒデキの関東軍憲兵司令官就任は相澤事件のあとなので、
>>その話の信憑性はおっしゃるとおり少し微妙ですね。

ですよねえw。他にも、永田斬殺事件で罪の意識を感じた林銑十郎陸相が
永田の二の舞を避けるために、ヒデキを満州に避難させたというトンデモ話も
ありますが…ナムナムw。
315名無し三等兵:2007/09/12(水) 22:14:05 ID:???
>>314
板垣とヒデキの仲は?
同藩出身でも仲が良く無かったって話があった様な?
316イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/12(水) 22:19:50 ID:???
『安倍総理辞任』の速報がお昼に流れて驚きました。最初に頭に浮かんだのは
近衛文麿の内閣投げ出しと、もっと言えば『富永恭次の敵前逃亡』でした……。

久しぶりにヒデキの話をしたらこれですかw。何にせよ、勿体無い勿体無い。
首相になるのが早過ぎました。小泉さん小泉さん、何か言ってやって下さいよw。
>>316 >>久しぶりにヒデキの話をしたらこれですかw。

        q_...._ p
       , ' )  ,iヽ
       ! (,,ノノハ,))
        wl| ゚ ヮ゚ノ|l    それは「蟲の予感」というヤツだねw。
       ,/(_,)~:~j(つ ))
      / (ン、_,r _)、
      y´^゙i_フi_フ´
318名無し三等兵:2007/09/12(水) 22:40:05 ID:???
内閣改造直後に投げ出しなんて近衛でも出来なかった芸当でしょう。林銑十郎かそれ以下のレベル。
319イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/12(水) 22:48:50 ID:AI0orwSQ
>>315 >>板垣とヒデキの仲は? 同藩出身でも仲が良く無かったって話があった様な?

板垣とヒデキの仲が悪くなったのは、陸相・陸軍次官の関係になってからですね。元を
たどれば2人は南部藩の出身ですし、尉官時代は双方とも「一夕会」の有力なメンバー
でした。ヒデキが「陸軍次官」になってボヤいたことは、

●「次官になって困ったことは、おれ・貴様の関係だったのに、これからは大臣と
  呼ばなければならんことだ――」

と言っています。ヒデキと板垣の関係が極端に悪化したのには、参謀次長だった
多田駿(中将)が大きく絡んできます。また背景には支那事変の『拡大論と不拡大論』
の対立も影響します。言うまでも無く、ヒデキは「拡大派」、多田駿は「不拡大派」です。
板垣は「どっちでもいいや派」か「なるようになるさ」派です(藁)。
320イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/12(水) 23:01:04 ID:AI0orwSQ
近衛文麿(第1次内閣)が板垣征四郎に陸相を打診したとき、その条件は
●「支那事変の早期解決、日本軍の北支撤兵」です。

板垣は率直に●「自分が陸相になっても、果たしてそれが出来るかどうか、
分からない」と受諾を拒んでいます。それでも使者から執拗に粘られて、
●「それでは事の成否は別として、とにかく命賭けでやってみよう」となって
板垣は陸相に就任しましたが、これは近衛の全くの見込み違いとなりました。

近衛が板垣に陸相を打診したのは、徐州戦の真っ只中(1938年4月)でしたが
板垣の腹の中はこうです。●「この段階になっては、何人も戦線の拡大を阻止する
ことは『不可能』である――」

そして近衛は今行なわれている「徐州戦」が、●『武漢・広東攻略戦の前哨戦』で
あることを、ついぞ知らなかった訳です。
321イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/12(水) 23:18:00 ID:AI0orwSQ
>>319 >>板垣は「どっちでもいいや派」か「なるようになるさ」派です(藁)。

板垣は良く言えば「清濁あわせ呑む茫洋型」、悪く言えば「ちゃらんぽらん」です。
一度は正直に「そんなこと(支那事変の早期解決)は無理」と断るのですが、どう
してもと頼まれれば●『じゃあ1曲』とばかりに引き受けてしまうところに全てが
表れています。カンジを許容できるのですから、その度量は想像を絶しますw。

まあ、それはさて置き、参謀次長の多田駿とは同じ「支那通軍人」。そして多田も
東北の出身(伊達藩)でしたから、もともと私生活でも親しかったと云います。更に
板垣は陸士16期、多田は15期で直近の先輩・後輩にあたります(ヒデキは17期)。

ですので、参謀本部と陸軍省の打ち合わせは、多田(参謀次長)が直接、大臣室に
行って「おい板垣」という具合にトップ同士で話を付けました。本来、意見が対立
するはずの参謀本部と陸軍省ですが、人物の組み合わせによってはこういうことが
起こり得ます。もちろん頭ごなしにされるヒデキは、面白いはずがありませんw。
322イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/12(水) 23:35:09 ID:AI0orwSQ
ヒデキが言いたいのは、「多田は参謀次長なのだから、まずは陸軍次官である
自分に話を通すべきだ」とするものです。しかるのちに次官の自分が大臣の
板垣に決済を求めると――。このときの参謀総長が皇族の閑院宮でしたから、
実質的には多田が「半分総長」みたいなものです。この辺は難しいところが
ありました。

さらに陸軍大臣と陸軍次官の「職務権限」が明文化されていないので、元々
その関係は微妙なものでした。陸軍大臣と軍務局長が直結していて、次官は
単なるお飾りのときもあれば、逆に陸軍次官が陸軍大臣を振り回すときも
ありました。

前者は「ヒデキ(陸相)―木村兵太郎(次官)―武藤章(軍務局長)」ラインが
典型的ですし、後者はまさに「板垣征四郎(陸相)―ヒデキ(次官)」でしょう。
>>318 >>内閣改造直後に投げ出しなんて近衛でも出来なかった芸当でしょう。
>>林銑十郎かそれ以下のレベル。

        q_...._ p
       , ' )  ,iヽ
       ! (,,ノノハ,))
        wl| ゚ ヮ゚ノ|l    安倍首相は、林銑十郎かそれ以下のレベルで
       ,/(_,)~:~j(つ ))    ファイナルアンサー?w
      / (ン、_,r _)、
      y´^゙i_フi_フ´
324名無し三等兵:2007/09/12(水) 23:42:04 ID:???
自衛隊の患部なんてなんぼ優秀な奴でも
警察じゃせいぜいノンキャリの管理官(警視)どまりだべ?
エリートつっても格が違うわな。
325名無し三等兵:2007/09/12(水) 23:42:12 ID:???
なにもせんじゅうろう
326イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/13(木) 00:02:29 ID:AI0orwSQ
また板垣は、陸相になる前までは「軍中央」での勤務がほとんどなく
(参本支那課がある程度)、あとは在支武官や中隊長・大隊長・旅団
参謀で、1929年に関東軍へ転出してからは1937年に第5師団長
(広島)になるまで「それっきり」です。

ヒデキは陸軍次官に任命されたとき●「俺たちは『水商売』(政治)の教育は
受けていない。陸軍士官学校以来、戦争以外のことは教わっていない」と一瞬
躊躇した云いますが、まだヒデキの方が陸軍省動員課長や参謀本部編成動員課長、
そして陸軍省の軍事調査部長という新聞記者と接するような広報機関――いかにも
ヒデキに向いていない――など、軍中央で苦労した経験があります。

よって板垣は、陸相として閣議に出ても、他の閣僚の要望を深く考えず気軽に
引き受けて陸軍省に戻って来てしまい、それをまたヒデキが抗議して板垣は
次の閣議で前言を平然とひっくり返すというドタバタが続いていきます。

よそから見ていてもいい加減、嫌になってくるでしょうw。
327名無し三等兵:2007/09/13(木) 00:04:19 ID:???
イナゾウの正体は経済板の鍋像だと判っている。
328名無し三等兵:2007/09/13(木) 00:20:26 ID:???
なにをいまさら 本人も過去スレで言ってる。
329イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/13(木) 00:21:03 ID:qlcUVPWf
こうしてヒデキと「板垣・多田」の対立は深まり、省部(陸軍省・参謀本部)
でも有名になって来る訳です。

しかも多田は「満州国軍最高顧問」(1932〜34)という経歴からも
判るように、カンジの方を評価してヒデキを嫌っていました。

岩手県人会の集まりに出席したヒデキに、多田は●「君自身は県人じゃない
ではないか。それなのに君が顔を出すのはおかしい」と後日に皮肉って
ヒデキが顔色を変えて詰め寄り、周囲の者に止められる程でした。

ちなみにヒデキは本籍は岩手県ですが、生まれた場所は東京です。ただし、
父親・英教の無念を晴らすというファーザーコンプレックスの塊のような
人間でしたから、多田のような悪口を言われれば間違いなくブチキレますw。
330名無し三等兵:2007/09/13(木) 00:28:01 ID:???
バター塗って




とろけるチーズのっけて
焼いたわ





カロリー多すぎじゃ




食ったら行動開始じゃ





じゃあの。
331イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/13(木) 00:42:11 ID:qlcUVPWf
結局、ヒデキと多田駿の対立は1938年12月、「喧嘩両成敗」の形を
取って終息します。

ヒデキは陸軍次官から「航空総監+航空本部長」に飛ばされ、多田駿は
参謀次長から「満州の第3軍司令官」に転出していきました。

ちなみにヒデキの後任は、教育総監部本部長の山脇正隆中将。多田の後任は
参謀本部総務部長の中島鉄蔵中将です。

まあ、ヒデキとカンジの『極悪な関係』を考えれば、石原信者である板垣征四郎は
それなりにヒデキと上手くやっていたと言うべきでしょうか。

まあ、板垣にとってみれば、ヒデキは関東軍参謀長としての「自分の直ぐ後任」に
あたりますし、カンジが関東軍参謀副長となって、最終的に頭がおかしくなり、
安倍首相よろしく全部投げ出して内地に帰ってきてしまうのは、上司がヒデキから
磯谷廉介に代わってからです。
332イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/13(木) 00:52:19 ID:???
まあ、ヒデキとカンジの関係がシャレにならなくなるのは、
むしろこれ以降ですけどね。関東軍参謀長・参謀副長時の
軋轢は単なるプロローグに過ぎませんw。
>>327 >>イナゾウの正体は経済板の鍋像だと判っている。

        q_...._ p
       , ' )  ,iヽ
       ! (,,ノノハ,))
        wl| ゚ ヮ゚ノ|l    ナベゾウって誰だよ?、オイw。
       ,/(_,)~:~j(つ ))   
      / (ン、_,r _)、
      y´^゙i_フi_フ´
334名無し三等兵:2007/09/13(木) 21:43:40 ID:???
>>329
それって多田もヒデキの家系が他所者の能役者だって揶揄してたんじゃ?

ダブルで傷つくような事いっているなさすが伊達藩出身。口ワリ

でも確かにヒデキって岩手県人ぽく無いんだよなあ。ピリピリし過ぎな
感じがなんか違う。
典型的な県人はやはり板垣。呑気だが誰か止めないとどんどん前に
進む鈍牛みたいなトロさが◎
335イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/13(木) 23:01:33 ID:iKvL4Wv1
>>334 >>それって多田もヒデキの家系が他所者の能役者だって揶揄してたんじゃ?
>>ダブルで傷つくような事いっているなさすが伊達藩出身。口ワリ

そこまで多田が『含み』を入れていたとしたら大したものですが、だとしたら本気で
ヒデキに殴られても仕方が無いでしょうw。

確かにヒデキの家系は、能楽の「春藤流宗家」にまで辿りつきます。そこから徳川家光の
時代に分家した「宝生流座付本ワキ方下懸り宗家」(なんちゅう名前だw)が後に南部藩へ
招かれました。ここから更に分家する訳ですが、当主に推薦された次弟が「南部藩に限り」
宗家と同じ宝生姓を名乗ることが許され、天保3年(1832年)に江戸から盛岡に到着
します。

当時の南部藩主が異常に『能楽師』を優遇したため(家臣に匹敵)160石が与えられ、
やはり家臣の地位が保証されたと云います。多田もそんな先祖に遡ってまでヒデキを揶揄
しなくてもと思うかもしれませんが、ヒデキが生まれたのは1884年で、そんなに昔のこと
でもありません。先祖まで『他所者』呼ばわりされては、カチンと来るのも当然です。
336イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/13(木) 23:27:06 ID:iKvL4Wv1
>>でも確かにヒデキって岩手県人ぽく無いんだよなあ。ピリピリし過ぎ

むしろチャキチャキの「江戸っ子」(東京人)だったでしょう。

>>典型的な県人はやはり板垣。呑気だが誰か止めないとどんどん前に
>>進む鈍牛みたいなトロさが◎

ただ満州事変で派兵を渋る本庄繁(関東軍司令官)を2時間でも3時間でも
かけて口説き落とした『粘り腰』は、いかにも岩手県人らしいと特筆されます。
ちなみに本庄繁は兵庫県人です。

「石原さんのようなことは出来るだろう。しかし、どちらに転ぶか分からない時、
 腹で勝負する板垣さんの真似は出来ない」という評判がもっぱらでした。

また板垣征四郎が多田駿と親しかったのは既に述べましたが、同じ岩手県人である
海軍の米内光政とも仲が良かった訳です。
337イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/13(木) 23:46:37 ID:iKvL4Wv1
板垣と米内は「征ちゃん」「米内さん」と呼び合う仲だったと云います。
そもそも2人は盛岡中学の先輩後輩でした(米内が3期上)。

また米内光政は「なにもせんじゅうろう」じゃなかったw、林銑十郎内閣の
海軍大臣から、第1次近衛内閣でも引き続いての登板ですが、近衛に対して
●「板垣君とならば留任してもよい」とほのめかしたとも言われます。

まあ、こうした懐の深さが板垣征四郎の特長でしょう。支那人からは『虎』と
怖れられましたし、板垣が陸相になった時には支那事変の真っ最中だったことも
あって、●「征四郎は『征支郎』に通じる」と世間に持て囃されました。

昨日、板垣を「チャランポラン」と書きましたが、ヒデキと多田駿が共倒れで
去った後でも、三国同盟問題、天津でのイギリス疎開封鎖事件、張鼓峰事件、
ノモンハン事件などと多難続きにも関わらず、1939年9月の平沼麒一郎
内閣の総辞職まで陸相を続けています。天皇や宮中、海軍との摩擦も生じた
にも関わらずです。やはり岩手県人ならではの「粘り腰」だったでしょうか。

        q_...._ p
       , ' )  ,iヽ
       ! (,,ノノハ,))
        wl| ゚ ヮ゚ノ|l    結局、後継総理は福田で決まりかな?
       ,/(_,)~:~j(つ ))  「福田自民党」と「小沢民主党」……。 
      / (ン、_,r _)、    次の総選挙はどっちに投票するか、中佐に
      y´^゙i_フi_フ     とっては『究極の選択』なんだってさw。                 
339名無し三等兵:2007/09/14(金) 00:09:45 ID:???
福田はネーよ
340名無し三等兵:2007/09/14(金) 00:20:57 ID:???
何の波乱も無く福田で次の衆議院選挙を迎える事は無いと思うが。
中国もアメリカも不安材料ありすぎ。
中国なんてこの間のサッカーの試合でも物投げるし。

北京オリンピックとか北京オリンピックとか北京オリンピックとか

今更ながらあれでまともに開催できるとは思えないなあ。
開催式の日本選手団行進中にブーイング&物投げが在ると思うな。
そんで日韓共催ワールドカップ真っ青の審判とラフプレー。
中国と協調を叫んでいた連中真っ青って展開を望むね。
341名無し三等兵:2007/09/14(金) 00:30:27 ID:???
重慶で五輪やるわけじゃないし、日韓W杯みたいな危険な発想は起こらないと思うけどな。
今や湾岸部に関しては中国人も愛国心なんて希薄になってきてるし、かつての反日デモも参加したのはほとんどがヒマな学生。
満州事変前後にあったような労働者を巻き込んでの反日デモと同列に扱う見識違いな日本人が多すぎる。

日本でもヒマな学生が全共闘とかやってたでしょ。彼らが卒業して社会に出て、何か変化を起こせたっていうの?
所詮ヒマな学生の空演説に過ぎない、それと2〜3年前の、「なんちゃって反日デモ」は似たようなもんだ。
342イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/14(金) 00:31:13 ID:QxUeXrF7
>>285 >>東条は近衛が自殺したのとは違い、死に損なったその散り際の悪さが
>>彼に対する印象を極度に悪化させた。

>>近衛が裁判で絞首刑に処せられていたら、文官の広田弘毅は死刑になる事は
>>避けられただろう。

近衛がA級戦犯できちんと絞首刑になっていたら、もう少しマトモな歴史観が
形成されていたと思うのは自分だけでしょうか? 山本五十六は撃墜死だから
仕方が無いにしても、もし敗戦まで生き残っていたとしたらA級戦犯で絞首刑は
500%間違いありません。

同様に自決した本庄繁も「満州事変」の責任者ですから、これまたA級戦犯で
200%絞首刑でしょう。また杉山元も開戦時の参謀総長でしたから、絞首刑は
ともかくとしてA級戦犯は間違いないところです。
343イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/14(金) 00:50:56 ID:QxUeXrF7
何が言いたかったと云えば、東京裁判では『7人死刑』という大枠が
ニュールンベルグ裁判との比較(バランス)で決まっていたと言います
から、本庄繁が絞首刑になれば、板垣征四郎か土肥原賢二、あるいは
松井石根の誰かが「終身刑」で助かった可能性が高いのです。

近衛が絞首刑なら広田が助かったというのと同じ理屈です。もし山本
五十六が生き残って500%絞首刑なら、陸軍次官だった木村兵太郎か
軍務局長の武藤章のどちらかが死刑を免れたでしょう。

逆にヒデキが自決に成功していて、他の戦犯が同じ状況なら、おそらく
嶋田繁太郎が代わりに絞首刑だったと思われます。

また永野修身と松岡洋介が判決前に病死していますが、永野は置いておく
として、松岡が生き長らえば、これまた絞首刑になった可能性が高いでしょう。
松岡の「優先順位」を考えると、やはり史実の誰かが助かったと思われます。
344イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/14(金) 01:15:37 ID:???
要するに『A級戦犯』に自決されると、まるでババ抜きのように
より刑の軽かったはずの者に「お鉢」が廻って来ます――w。

ヒデキは、自決に失敗して開戦時の首相として『A級戦犯』となり
絞首刑に処されました。それは自決に成功していたよりも、遥かに
責任を取ったと思います。
>>338 >>福田はネーよ

        q_...._ p
       , ' )  ,iヽ
       ! (,,ノノハ,))
        wl| ゚ ヮ゚ノ|l    昨日は麻生で、今日は福田。さて明日は?w
       ,/(_,)~:~j(つ ))  ちなみに中佐は、小沢民主党に入れるぐらいなら 
      / (ン、_,r _)、     福田自民党に入れた方がまだマシだ、という
      y´^゙i_フi_フ´    結論に達したみたいだねw。ああヤダヤダ。
346イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/14(金) 01:31:27 ID:???
>>343 >>永野は置いておくとして、松岡が生き長らえば、

永野修身と松岡洋右なら、むしろ永野の方が「優先順位」が高いかな? 微妙。
347名無し三等兵:2007/09/14(金) 01:40:50 ID:???
つーかごりごりの左ならともかく
自民党をくさして民主党をマンセーするのがかっこいいと
思ってる向き
(ついでに一見自民を批判しているように見えて
 マシだ理論を建前にして毎度の如く自民に入れるナルシストも)
に間違いがある。
現実はガンダムや火葬みたいに行かないんだから
348元32(予備役少佐):2007/09/14(金) 02:39:18 ID:???
>>346
松岡は三国同盟以外の「孤立」と「海外進出」すべてに反対なので、
やったことを普通に羅列すれば絶対に戦犯にはならないのでしょうが、
何故か国内・国外の印象が圧倒的に悪いので、
病死しなければ検察側に重視されてしまった予感がします。

松岡というのは気の毒な男なのです。

ただ、松岡の英語での雄弁を聞いてみたかったですね。
本人もそう思っていたのではないでしょうか。

349名無し三等兵:2007/09/14(金) 21:02:37 ID:???
 本当の左は民主党にも積極的には入れないですよ。
 左と見られる括りには、本当の左と単なる現体制に対する批判分子の双方があります。
 本当の左は自分達の主張が通る政権が出来れば左のまま体制派足り得ますが、後者はそれが出来ても体制派になるか批判分子になるかはその時々です。
350名無し三等兵:2007/09/14(金) 21:20:31 ID:???
イタリアとかあんまり戦犯に問われていない。ムッソリーニが生きていたら確実に
一人だけ死刑になるのは確実だが弁明が聞きたかったな・・・・・
ルーマニアのアントネスクは死刑、ハンガリーのホルティは死刑を免れる
フィンランドに逃げた元白軍の将校たちはWW2とも冬戦争とも関係無いのにソ連に引き渡されて
銃殺刑・・・・・
351名無し三等兵:2007/09/14(金) 23:29:00 ID:???
強行採決の連発が社民共産支持票を民主に向かわせたという分析もあるみたい
352名無し三等兵:2007/09/15(土) 00:09:46 ID:???
総裁選や自民・民主の話題は他でやれ
353名無し三等兵:2007/09/15(土) 14:17:09 ID:???
スマソ
354だつお:2007/09/17(月) 11:49:03 ID:82VVMrI2
あーちょっと話は経済学にズレるけど・・・

社会保障は国や自治体でやったほうがいいと思うよ。今も韓国などはそうだが、
大家族制は人間関係依存になるからそのしがらみが経済効率を悪くしてしまう。
この点スウェーデンやフィンランドなどの社会福祉重視国家は経済成長率が高い。
家族の絆だの家の伝統だの先祖代々の土地だの、そんなの全くのアナクロだね。
そういうものはぶち壊して、公営住宅や公有地に変えたほうが効率的だ。

http://www.chosunonline.com/article/20050717000003
韓国人口の1%が全私有地の半分を保有
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/1320.html
高齢者の生活費のうち主な収入源

75 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/10/25(水) 23:43:28 ID:Kf5BX1Cc
国府軍の部隊と言えば「汚職」ですが、部隊長が兵士の家族の医療費の面倒を自腹で見ると
いった事もよくあった訳です。ここから部隊の「人員水増し(過剰請求・汚職)」なども
発生するのですが、支那は部隊を維持するのに『人間関係』に依存し過ぎていたとも言えます。

↑特にこの時代、「土地改革」を怠ると後で取り返しのつかないことにも。
355名無し三等兵:2007/09/17(月) 14:15:15 ID:???
>>329
逆も読んだことがあります。
東條が多田に向かって、何で君がいるんだみたいなことを言ったとか。
多田家は確かに仙台藩士ですが、多田の生まれた場所は岩手なので
東京育ちの東條とはどっちもどっちといった所でしょうか。
356名無し三等兵:2007/09/17(月) 14:34:26 ID:???
それにしても多田の東條嫌いは相当なもんです。小畑、石原レベルじゃないですか。
北支方面軍から軍事参議官に転じて帰国したとき、態々途中石原に会いに行ったり
軍状奏上の後の座談会では一言も喋らなかったりとか。
ttp://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/general/colonel02/tada.html
357イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/17(月) 20:40:56 ID:???
規制解除?
358イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/17(月) 20:44:23 ID:???
>>348 >>松岡というのは気の毒な男なのです。

松岡洋右が判決までに病死しなかったら(絞首刑になっていたら)、広田弘毅が
死罪を免れた可能性が高いです。

東京裁判というのは、支那(蒋介石)の『報復裁判』でもある訳ですが、中国に
とって松岡洋右はどうでもいい存在でした。しかしニュールンベルク裁判になぞ
らえれば、ナチ党の外相『リッペントロップ』のカウンターパートが松岡であり、
無論のことリッペントロップは死刑です(処刑の順序も一番先)。

もちろん松岡洋右をリッペントロップと「一緒くた」にして良いかどうかは、
非常に苦しいところですが、報復裁判とは戦勝国側の『宣伝』の場でしか所詮
ありません。選挙民に分かりやすい論理が立てば、それでいいのです。

松岡を死刑にしたかったのは米国とイギリスですが、仮に広田でなかったと
しても、板垣征四郎・松井石根・土肥原賢二の誰かが助かったでしょう。
359イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/17(月) 20:49:34 ID:???
松岡洋右のもっとも『特異な行動』が、独ソ開戦後(1941年6月)に松岡単独で
宮中に参内し、「対ソ開戦」を主張したことです。これは陸軍が「関特演」の検討を
始めるよりも早い行動です。

昭和天皇は、松岡が自分でまとめたばかりの日ソ中立条約を反故にすることに
心理的抵抗を持っておらず、しかも天皇に対して何ら恐れる事なく面と向って
それを薦める神経に驚愕したでしょう。

いやしくも日本の条約は全て「天皇の御名御璽」で発効されています。それを
日本自ら破ることは、近代立憲君主である日本国天皇の名誉を大いに傷つける
ものです。松岡にとって国家や天皇の名誉は、一身の名声より軽いのか?――

松岡の眼中には天皇が無く、自分の決めた事に判子をつけば宜しいと言わんばかりの
態度です。昭和天皇にとって松岡洋右は、自分のことを『屁』とも思っていない
初めて見るタイプの臣下だったでしょう。
>>347 >>ついでに一見自民を批判しているように見えてマシだ理論を
>>建前にして毎度の如く自民に入れるナルシストも間違いがある

        q_...._ p
       , ' )  ,iヽ
       ! (,,ノノハ,))
        wl| ゚ ヮ゚ノ|l    その理屈だと中佐はまさにナルシストだったんだね。
       ,/(_,)~:~j(つ ))   でも民主党には絶対に入れない訳じゃないんだよ。 
      / (ン、_,r _)、     小沢とか菅とか鳩山が嫌いなだけなんだ。小沢とか
      y´^゙i_フi_フ´     菅とか鳩山とか。小沢とか菅とか鳩山とか…w。
                 ジャスコ岡田が今だったら票を入れてたかもね。
361イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/17(月) 21:23:34 ID:???
>>356 >>それにしても多田の東條嫌いは相当なもんです。小畑、石原レベル
>>じゃないですか。

多田駿もカンジと同様に仏教に深く帰依していて、抹香くさい話が得意な割に
短気なところがあったと云います。まあ、多田駿は『良心的な支那通軍人』の
筆頭格のようなイメージがありますが、やはり人間の好き嫌いは普通にあった
ようです。

多田は「仙台幼年学校」の1期生でした。多田が参謀次長だった当時(支那事変
勃発時)、参本総務部長だった中島鉄蔵(仙幼の3期後輩)に使い走りをさせる
のは仕方ないにしても、陸軍大臣の板垣征四郎(同じく仙幼の1期後輩)すらも
当時と変わらず『後輩扱い』していたのは既に述べました。

ちなみにヒデキは「東京幼年学校出身」です。カンジは『仙台幼年学校』へ信仰に
近い気持ちを抱いていましたが、意外とカンジだけでなく『幼年学校閥』というのは
他の軍人にも大きな影響を与えていたかもしれません。
362イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/17(月) 21:37:39 ID:???
>>361 >>カンジは『仙台幼年学校』へ信仰に近い気持ちを抱いていましたが、

前にも述べましたが、要するに以下の通りですw。
●「俺は『仙幼』出身者しか信用しない」
●「満州事変を見ろ、あれは『仙幼』の作品だ」

>>意外とカンジだけでなく『幼年学校閥』は他の軍人にも大きな影響を与えていた

だとすれば、いわゆる『中学校出身者』の軍人は、いかに「チンカスのような扱い」
だったか想像が付くというものです。あの永田鉄山ですら、陸軍の刷新を目指した
一夕会を立ち上げる際に『中学出身者は信用できない』云々のことを、話の流れとは
いえ述べています。

ヒデキと多田駿の仲が決定的に悪化したのは、やはり「陸軍次官・参謀次長」時代の
衝突でしょう。きっかけはこうです。
363イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/17(月) 21:55:02 ID:asAj8s07
1939年9月、陸軍次官のヒデキは「在郷軍人総会」で以下のように述べました。

●「支那事変の解決のためには北方でソ連と、南方で英米との戦争を決意しなくては
  ならない――」

という怪気炎です。もっと丁寧に説明すれば、当時の陸軍省の考え方としては、
「支那事変を処理しつつ、国家総力戦に備えるために軍備拡充を図らなければ
ならない。そのためには(対ソ戦はもちろん)支那から英米資本を締め出して
いる訳だから、いつかの衝突も覚悟しなければならない」というものでした。

要するにヒデキの短略な『失言』だった訳ですが、当時の新聞は●「すわ、陸軍は
支那事変だけでなく、ソ連や英米とも戦争を始める気か?」と大騒ぎになりました。
これが参謀次長だった多田にとっても、●「作戦の統帥事項に容喙するものだ」
(ヒデキは、あくまで軍政を担当する陸軍次官)として激しく反発。ヒデキの
軽率を嫌った板垣征四郎も多田に同調して、ヒデキはその後の省部(陸軍省・参本)
会議から締め出されて、前述のバトルロイヤルが勃発ですw。
364イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/17(月) 22:14:52 ID:asAj8s07
まあ、ヒデキが人事権をにぎる陸軍大臣になると(1940年7月)、そう時を
置かずして多田駿は予備役に編入です(1941年9月)。それでも2ヵ月前に
『大将』の栄誉には付いている訳ですから、骨肉の争いの幕切れとしては上々の
締め括りではないでしょうか。

ちなみに多田駿は、1945年12月「A級戦犯」の容疑で逮捕。1948年
12月下旬には釈放される事になっていましたが、僅か1週間前に胃癌で死去
しています――。

失敗に終わった「トラウトマン工作」で多田は唯一の和平継続派だった訳ですが、
蒋介石にとってみれば『十把一絡』だったのでしょうか。数少ない支那事変の
『不拡大派』であっても、経歴の「満州国軍政部最高顧問」「支那駐屯軍司令官」
「北支那方面軍司令官」などが相殺として効いていたかもしれません。

更に余談ですが、1939年8月成立の阿部信行(陸軍大将)内閣では、
多田駿が「陸軍大臣」に決まりかけていました。
365イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/17(月) 22:34:28 ID:asAj8s07
>>364 >>多田駿が「陸軍大臣」に決まりかけていました。

陸軍省側としては、多田駿かあるいは「磯谷廉介」で決まりでした。そこに
昭和天皇が珍しく人事に口出ししまして、侍従武官長だった「畑俊六」に
陸軍大臣の白羽の矢が立った訳です。

もし仮に天皇の介入が無く、そのまま多田駿が陸軍大臣になっていれば、
骨肉の争いをしたヒデキ(当時・航空総監)は、遠からず予備役編入でしょう。
あるいはB級師団長として、予備役前のワンクッションとして支那事変の戦場に
「厄介払い」されたかもしれません。

磯谷が陸相でもあまり変わらないでしょう(ヒデキに好感情なし)。畑俊六が
天皇の指名で陸相になったからこそ、後のヒデキが陸相・そして開戦首相に
なる道が開けたかと思うと、やはり運命を感じざるを得ません。ヒデキの
経歴を追っていくと、首の皮一枚繋がって躍進するこんなのばかりです。
366イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/17(月) 22:54:44 ID:asAj8s07
>>それにしても多田の東條嫌いは相当なもんです。小畑、石原レベルじゃないですか。
>>北支方面軍から軍事参議官に転じて帰国したとき、態々途中石原に会いに行ったり

本庄繁が磯谷廉介に宛てた手紙が残っていますが、大体こんな感じです。時期的には
カンジが関東軍参謀副長を放り出して、日本に戻ってきた頃になります。

1938年8月31日付:本庄繁(軍事保護院総裁)より磯谷廉介(関東軍参謀長)

「着任早々何かとご多忙だと思います。石原(カンジ)問題は大変困ったことになり、
 当事者としてご同情申し上げます。私は前々からこのような(カンジが放り出す)
 事態になるだろうと予想していましたので、参謀本部の中島鉄蔵総務部長にもよく、
 貴下(磯谷)が関東軍参謀長に着任される前に、石原を陸軍大学へと転出できない
 ものかどうか話し合っていたものです――。 
367イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/17(月) 23:09:41 ID:asAj8s07
「その後、多田駿とも会ってみると、『磯谷君は上手く石原(カンジ)を
 使うだろう』との事でしたので、しばらくは様子を見てみようと思って
 おりました。もう今日になっては、陸軍大学でも石原を拒否するような
 空気がありまして誠に困ったものです。

 しかし何れにせよ、彼ほどの人物が失敗のまま終わってしまうのは国軍の
 損失ですし、小畑(敏四郎)の二の舞にだけはならぬよう祈っております。

 石原は日本に帰ってきてからも、多田駿と板垣征四郎と石原の3人のみで
 会食談しただけです(この時も多田、板垣からは何ら良い意見が出なかった
 とのこと)。日本では石原は無断で(任務を放棄して)帰ってきたという
 デマも多少飛んでおり、軍紀問題をとやかく言う者もいます。私はそんな事は
 ないと頑張っているところです」
368イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/17(月) 23:12:52 ID:???
本庄繁が、問題児とはいえカンジの事をここまで気遣っていること。
カンジを、皇軍派のホープとして派閥抗争に敗れた「小畑敏四郎」の
姿と重ねている点が特筆されます。
>>308 >>今日「僕は八路軍の兵士だった」て本買ったけど面白いな。たった一人で
>>敵の司令部制圧って凄すぎ。しかも自分で意図したわけではなく全てが偶然の産物。

    ,. -- 、   
  ,ヘ,´,.、  , ヽヘ 
  ^Y ルレハ)ノリ^   
  /イリ;゚ ヮ゚ノi   「過去ログ6」で少し取り上げていますので
  ,へk_〉`λiつ   ご参考までに。こあこあ。
 ⌒く_ノ/`i´lj⌒  
   ゙'ーi_'ォ_ァ"    
過去スレから一部紹介しますと、

    ,. -- 、   
  ,ヘ,´,.、  , ヽヘ 
  ^Y ルレハ)ノリ^   >メチャクチャ面白い! 帯に「小説よりも面白い」と書いて
  /イリ;゚ ヮ゚ノi    >ありますが、看板に偽りなしです。最初は「八路軍」の実態が
  ,へk_〉`λiつ   >少しでも掴めればと「うさん臭い」気持ちで手に取りましたが、
 ⌒く_ノ/`i´lj⌒  >なかなかどうして。著者の素朴な性格と人間観察に富んだ文体は
   ゙'ーi_'ォ_ァ"    >非常に好感が持てます。

>ソ連の満州侵攻、収容所、脱走、逃避行、日本に帰れない、羊の窃盗で
>死刑w、牢獄、八路軍が街を解放、助かる、食うために八路軍に入隊…。

●「現実は小説よりも奇なり」を地でいく大変貴重な戦記本です。未読の方には
ぜひお勧めしますよー。こあこあ。
371イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/18(火) 00:02:28 ID:???
3連休は仕事で終わってしまった……。明日逝きたくないw。
372名無し三等兵:2007/09/18(火) 19:20:09 ID:???
>>335
ヒデキが余所者の様な陰口を叩かれるのはしょうがないけれども。


板垣陸相就任祝賀会の記念写真で真ん中に座っているお殿様も
余所者だったのは内緒な。
それにしても板垣陸相就任祝賀会に集まった面子は異常すぎる。
これだけ隆盛を誇れば列藩同盟だった他藩の連中から恨まれても
しょうがない。
373名無し三等兵:2007/09/18(火) 20:36:36 ID:???
真ん中のお殿様の南部利英は養嗣子で公爵一条実輝の三男

一条実輝の娘直子は閑院宮春仁王の妃
閑院宮春仁王の父は閑院宮載仁 参謀総長

一条実輝の娘朝子は博義王の妃
博義王の父は伏見宮博恭王 軍令部総長

南部利英の三男利昭が南部家第45代当主
現在靖国神社宮司
374イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/19(水) 22:08:55 ID:???
>>372 >>それにしても板垣陸相就任祝賀会に集まった面子は異常すぎる。これだけ
>>隆盛を誇れば列藩同盟だった他藩の連中から恨まれてもしょうがない。

まあ、板垣が陸相だったときに米内光政が海相でしたからね(もちろん米内は
岩手県出身者)。しかも陸軍次官も「自称岩手県出身者」のヒデキですw。ちなみに
海軍次官は山本五十六(新潟県)ですから、惜しいといえば惜しいです。それでも東北
出身者である事には変わりありません。あれ? 新潟は東北に含まれるんですかね?w

ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d8/Yonai%2C_Itagaki%2C_Tojo.jpg

ウィキペディアの米内光政の項目に「板垣陸相就任祝賀会」のフォトがありますが、
主役の板垣征四郎、海相の米内光政、陸軍次官のヒデキの岩手県出身者(一人?w)の
3人が揃い踏みした大変素晴らしい写真です。
375イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/19(水) 22:12:19 ID:???
最近「公開プロキシー」規制に引っかかって思うように書き込めませんw。
376名無し三等兵:2007/09/19(水) 22:16:10 ID:???
ヒデキ首相辞任後、中国へ渡り。東条・岡村でTOコンビを結成。
岡村は打通作戦をヒデキには西安・延安侵攻作戦を担当させると。
377イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/19(水) 22:30:40 ID:???
>>312 >>それと、もともと東條の親友である永田は陰に日向に東條をかばって
>>います。皇道派全盛時代に、そもそも永田の友人は少ないのです。

まあ、永田鉄山が死んだ後に『友人ヅラ』する人間は多いですけどねw。
前述の磯谷廉介も何気に陸士16期で、バーデンバーデンの三羽烏と同期ですが、
自分の一番の親友は永田鉄山だったとのことw。

磯谷廉介は、太平洋戦争時には香港総督も務めた典型的「支那通軍人」ですから、
同期で同じ『支那通』である岡村寧次とは一番仲が良さそうに思われます。しかし、
実際は違って確かに直接の行き来は岡村寧次が多かったが、心を預けた人物は
異なるのだそうですw。

磯谷廉介が1966年に書いた手紙の中での岡村評では、●「氏は昔からその話が
とかく自分本位になるきらいある定評の人。そのつもりにて聞く事が大事と思う。
要するに現在老人共の話や著書には己をかばわんとする不愉快の点が多いので、後世
誤る恐れ十分」と散々な言い様ですw。
378イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/19(水) 22:47:51 ID:gqKeueYj
岡村寧次が戦後、1954年には全国遺族等援護会顧問に就任し、1957年6月から
6年間に渡って戦友会の全国組織である「日本郷友連盟会長」も務め、トドメといわん
ばかりに、1949年から20年間に渡って日本軍将校からなる軍事顧問団『白団』
(蒋介石・台湾政権への協力)の後見役を担うなど、政治的行動がバリバリ目立った点も
磯谷がヘソを曲げている理由でしょうか。

ちなみに磯谷廉介は戦後、1957年に中共政府より「第1回旧軍人訪中団」の団長
になって欲しいと要請がきまして、本人も最初は乗り気でパスポートの写真まで準備
していたのですが結局、話がこじれてお流れになってしまいます。

最初、中共政府より「訪中団員の選定は磯谷にお任せする」とのことだったので、
磯谷が病的なまでにお気に入りの『辻政信』を加えた名簿を提示したところw、中共は
『辻だけは困る』と返事をしてきました。それで磯谷は「話が違うではないか」と怒って
団長を拒絶しています。ちなみに後任の団長は遠藤三郎(中将)ですw。
379イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/19(水) 23:03:10 ID:gqKeueYj
ちなみに遠藤三郎は「航空畑」を主に歩き、太平洋戦争時には航本総務部長や
軍需省航空兵器総局長官などを務めていました。この「第1回旧軍人訪中団長」を
皮切りに、1961年には『日中友好元軍人の会』を結成しています。毛沢東とも
日中友好を唱えて会談するなど、遠藤は『赤い将軍』と揶揄されて陸士26期の
同期生会から「村八分」にされています。

ちなみに遠藤三郎の著者には、『日中十五年戦争と私――国賊・赤の将軍と
人はいう』が残っています(核藁)。

更に余談になりますが、辻政信は参院議員として既に中共政府を訪問して
いました。1955年9月に訪ソ国会議員団に加わって帰途、辻は北京で
周恩来と会っていまして、さらに57年にも中近東14ヵ国視察の帰りに
やはり北京に寄って再び周恩来と会見しています。この辺は、『国会議員
としての辻政信は受け入れるが、旧軍人としての辻政信は拒否する』という
中共政府のダブルスタンダードというか、「面子論」の問題でしょう。
380イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/19(水) 23:16:35 ID:???
まあ、戦後の「支那通」軍人も悲喜こもごもな訳ですが、岡村寧次は
1966年9月に死去。磯谷廉介もそう時間を置かず、1967年6月に
この世を去っています――。

戦後の生き方の相違で、同期にも関わらず不仲になってしまった
典型例かもしれません。
381楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/19(水) 23:24:51 ID:???

  .「^ヽ,ry'^i
  ,ゝ"´ ⌒`ヽ    
 くi Lノノハノ)」    
  λ.[i ゚ ヮ゚ノi!    「前田慶次郎」とパソコンで打ったら、
  レ',ヘ.i`ム'」つ    「前だけ弄ろう」と出てきましたw。
  ,く_,//T.iλ     
  "ーr_,t_ァ'"     
382イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/19(水) 23:55:59 ID:gqKeueYj
>>354 >>社会保障は国や自治体でやったほうがいいと思うよ。今も韓国などは
>>そうだが、大家族制は人間関係依存になるからそのしがらみが経済効率を悪く
>>してしまう。

現代支那ですと「都市住民」は、最低生活保証、失業保険、養老年金、一定額の
医療保険、義務教育など、路頭に迷わないための社会保障(最低限)が与えられて
いますが、「農村戸口」と呼ばれる戸籍に分類された農民は一切そのようなものは
ありません。

それどころか、都市住民に比べて所得が著しく低くて(30分の1)行政サービスも
全く受けられないにも関わらず、農民の方が税金・公共料金・教育費などの負担率が
断然高いという、とんでもない背景があります。

分かりやすい1例を挙げれば、水不足の中国を取り上げた報道番組が先日やっており
ましたが、首都北京の水源を確保するために、目の前に川が流れているにも関わらず
農作物に水もやれないという取水制限を受けている農民がの姿が映っていました。
383イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/20(木) 00:15:47 ID:3n+KNMIN
まあ、一時が万事この調子で「生かさず殺さず」、総人口の6割を占める
農民の犠牲によって、都市部の繁栄がもたらされていると言えます。

現代支那には、日本でいう「農業共同組合」のような政治的圧力団体は存在せず、
WTO加盟やFTA交渉において農業の利害は常に犠牲にされてきました。ある
チャイナスクールの日本人外交官の言では、●「中国政府がWTOの農産物関税の
一律引き下げをあっさり受け入れてしまったことに衝撃を受けた」と云います。

日本でしたら「農協や農政族議員」の猛反対に遭って、とても通らないでしょう。
FTA(自由貿易協定)などで遅れている(特に農業問題の絡みで)と揶揄する
マスコミは多いですが、日本の方が国家として断然マトモと思われますw。
384イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/20(木) 00:36:10 ID:3n+KNMIN
>>「農村戸口」と呼ばれる戸籍に分類された農民は一切そのようなものはありません。

要するに、農民には「生産手段」として国から一定の土地の使用権が認められて
いる訳ですが、その代わりに共産主義政権のもとで都市住民が享受している年金、
医療保険、失業保険、最低生活保障のすべてが対象外になっている訳です。

まあ、こういう背景がありまして、現代支那では全国民の貯蓄率は『46%』に
まで達し、全金融機関の貸出残高が21.5兆元に対して貯蓄残高は31.85
兆元に上っています(2006年6月時)。

ちなみに曲がりなりにも金融大国として「超カネ余り」の日本はどうかと云えば、
家計全体の貯蓄残高が612兆円、貸出残高が銀行と信用金庫の合計で449兆円
です。もちろん日本と支那では、同列の段として比較の対象にもなりませんが、
支那の数字は、およそ経済成長驀進中の国からはかけ離れていますw。

さらに通常は、国家の経済成長率の3割程度は「国内消費」が支えるものですが、
支那の場合は15%程度に留まっています。これが一番全てを表しているでしょう。
385名無し三等兵:2007/09/20(木) 00:45:48 ID:???
大日本帝国の兵隊はこのように戦ってました!!

勇戦敢闘。 これが皇軍である!!


ttp://nukkorosu.80code.com/img/nukkorosu1804.jpg


真の皇軍兵士。

386名無し三等兵:2007/09/20(木) 00:48:09 ID:???
>>385
その絵、飽きたよ。
もっと別なの持ってきてくれ。
387イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/09/20(木) 00:58:33 ID:???
最近、「日中戦争(支那事変)参謀本部第二部支那課」ではなく、
「大日本帝国陸軍 陸軍省人事局補任課」みたいなスレの内容に
なっていますが、たまには良いんじゃないでしょうかw。
388元32(予備役少佐):2007/09/20(木) 01:26:03 ID:???
>>379

ヒデキの腹心の中の腹心とされる遠藤三郎中将ですね。

この遠藤中将は昭和の帝国陸軍で最も極端な軍人とされて、
戦後に遠藤将軍が会いに行くと、
あのつじ−んですら怖がって逃げたともいわれています。

戦中・戦後とも、遠藤中将は思う存分暴れまくっておられます。
389名無し三等兵:2007/09/20(木) 02:57:09 ID:???
遠藤将軍なら会ったことあるけど、ただのお爺さんだったな
後からそういう経歴の人だと聞いて驚いたけど
390だつお:2007/09/20(木) 18:28:50 ID:YoNIMXFm
>まあ、一時が万事この調子で「生かさず殺さず」、総人口の6割を占める
>農民の犠牲によって、都市部の繁栄がもたらされていると言えます。

これは早いとこ土地改革(共産主義革命によらない)を進めておかないと、
あとで取り返しのつかないことになるのではないかな。そもそも無政府状態であれ
ば土地は誰の所有でもないが、政官財が癒着すると土地の所有権が絶対化する。
中国国民党やフィリピンなどを眺めていると、自分にはそうだとしか思えない。

国民党時代だって「魔都」上海は富裕層で賑わってた。こういう大都市一極集中
はある時期までは経済成長の牽引車にもなりうるけど、土地改革を蔑ろにして
いると下流層が際限なく堕落して這い上がれなくなる。スティルウェルの日誌
などを読んでいるとよくそういう事情が記してある。但し改革には当然ながら
「痛みを伴う」がゆえに蒋介石や宋美齢のような立場でそれができるわけもない。
別に非共産圏で新米政権でも貧しい国は世界中いくらでもあるし、またそういう国
でも金持ちは金持ち。金持ちが栄えても国が豊かになるとは限らない。
391だつお:2007/09/20(木) 18:31:19 ID:YoNIMXFm
≪児島襄「参謀(下)」のジョゼフ・スチルウェル編より引用≫
「“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ・・・・ (中国政府は)
自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。指導者たちの興味は、
ただ金、権力、そして地位だけだ・・・・。手に入るものには何でも頭を下げ、
自分は戦わないように心がける・・・・。“インテリ”と金持ちは子どもを米国に送り、
農民の子どもが戦争に かりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。
 われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士
“ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ―おお神よ!! 」
≪中略≫
当時の米軍は、日本軍と同じく、行軍距離単位は四キロであったが、
その米式訓練をうけたはずの、いやボートナー准将自身がその訓練をした孫部隊は、
一キロ歩いては休み、次に一キロ進んではごろりと道端に寝転がる。
 しかも、頭上に英軍機が飛来して補給物資を投下すると、隊列を
乱してむらがり、悲鳴をあげつつ、下着に利用するパラシュートを奪い合う。
≪中略≫
孫部隊は狂喜した。中国大陸で負けつづけ、日本軍といえばかなわないものと信じていたのに、
その日本軍がひきあげたのである。勝った、勝ったと小銃を空に乱射しておどりあがった。
 ところが、勝ちに乗じた勢いで快進撃するものと期待していた孫部隊は、
たしかに前進は開始したものの、そのスピードは以前にもおとる低速であった。
そして、昭和十九年一月二十九日、孫部隊はついに完全停止した。
 ボートナー准将の急報によってかけつけたスチルウェル参謀長は、にこやかに迎える
孫少将の顔をぼう然と眺めながら、考えこんだ・・・・なぜ、前進しないのか?
≪中略≫
スチルウェル参謀長は、孫少将にかみついた。
「明らかに命令違反である。よろしいか。貴下の第三十八師団は、 全中国軍のなかで
とびぬけて優良な兵器、弾薬、糧食の補給を受けている。 足りないというのなら、
迎撃砲も、火炎放射器も、米兵だってさしあげる。 だが、命令に従うのが条件だ・・・・
もし自分の使命が達せられないようなら、辞職してワシントンに報告せざるをえない」
392名無し三等兵:2007/09/20(木) 20:44:43 ID:???
スティルウェル中将が援助打ち切りと中共との同盟をちらつかせて、
蒋介石や宋美齢らを「抵抗勢力」と、構造改革を強要していたら・・・

一度はそれをやりかけて、ルーズベルトが撤回させてたとのことだが。
393名無し三等兵:2007/09/20(木) 21:27:40 ID:???
兵の質を短期間で上げる方法は日本方式しかないがな。

つまり、蒋に限らず凡そ人の上に立ってる者は9割方腐敗しているから
一部名前だけのお飾りで残し全て更迭、追放。
実質的には全て援助側(この場合アメリカ)の指揮で動かす。

アメリカにはそこまで思い切った行動はとれんだろう。
394名無し三等兵:2007/09/20(木) 21:39:09 ID:LkQdig3U
あの場合は構造改革を進めようにも時期が遅すぎかつ手遅れ。

国民党政権が民心を失っていては、改革を叫んだとて誰もついてはこない。
つか元々が軍閥の集合体ゆえ公共心や国民意識がそこまで育ってない。
395名無し三等兵:2007/09/21(金) 00:58:54 ID:???
宋教仁あたりが長生きしてればあるいは違った中国があったやもしれん。
396名無し三等兵:2007/09/23(日) 09:54:46 ID:VQczxWWz
中国の仁義に感謝 日本の前途には悲観 岡村大将 中国記者の質問に答ふ

(リード)前駐華日本軍総司令官岡村寧次大将は五日終戦以来初めて中国側記者と単独会見し
七十五分間に亘って投降以来の心境その他について記者の質問に答へたが、
訪問の中央社記者は六日の『岡村会見記』を次の如く伝へてゐる

(本文)九月九日の投降調印以来、岡村の名は常に新聞紙上に散見したが、
彼の地位は派遣軍総司令官より降て中国陸軍総部指揮下の投降事務連絡官となつた、

岡村は外交大楼(?)より還つた旧日本大使館内で記者と面会したのだが、
この地この家こそ当年川越大使が我に対しいはゆる三原則を提出せるところ、
初冬の白日樹葉徒に落ちて一つ二つ、軟かい冬の陽光に包まれる庭の寂寞は
また敗将岡村の心境を偲ばせるものがあつた

『自分は俘虜の身であり、一切は中国陸軍総部の命に拘はる、
だから記者会見としては君との場合が初めてだ』

彼はまづかういった、次いで三ヶ月来の投降条項実施についての蒋委員長
および何司令の偉大な精神に深い感激を表明し

『中国は古来仁義の邦だ、三ヶ月以来の蒋委員長および何総司令の厳格の中に
寛大を失はない態度にはまことに感謝の言葉を知らない』

といった。
397名無し三等兵:2007/09/23(日) 09:56:42 ID:VQczxWWz
そして記者との間に次のやうな一問一答が取交された

[問]中日戦争期間、日本軍が大陸戦場で使用した兵力は幾何か
[答]百三十万、その中共産軍に用ねたもの二十万乃至三十万
[問]日本軍の死傷は
[答]中央軍作戦に対しては毎回普通数千人の死傷を出した 共産軍作戦では毎年の死傷二千乃至三千を出してゐる

記者は更に日軍日僑の器材物品盗買および華北日軍及び酒井中将の共産軍参加に関し質し、
更に后者について十二月三日東京朝日が社論『痛心』を載せた旨伝へると、
岡村は初めこれを承認したが同時に巷間伝はるところ区々で恐らく誇大に報道されたものであらう、
例外としての少数以外大体問題はないと信じてゐると述べた、

その例証として山東睦県の某少尉は一度びは共産軍に誘はれて投じたものの後非を悟って割腹自殺したことがあると語り

『共産軍に投じたものは数十人にすぎず酒井中将の如きは一退役軍人であって現在の日本軍とは何の関係もない』

記者はかつての南京大屠殺事件を引合に出して彼の軍人としての感想を叩くと
彼は煙草を啣へてゐたが俄かに顔色を変へ、苦笑のうちに

『当然それは悪い、我々は良心の立前からそのことをいはれるのを好まない、
君再びそのことをいつてくれるな』と憮然とした、

記者らは相対して暫時沈然としたが、この時前の草原を見下すと
二、三の兵士がのんびりと日光浴してゐる風景が見られた
398名無し三等兵:2007/09/23(日) 10:14:26 ID:???
>>396-397
これ出典はなんでしょう?よければ教えてください


>>379
ちなみに遠藤の赤の将軍というニックネームは、航空兵器総局長官に
中島を国営化したことからついたものです
399名無し三等兵:2007/09/24(月) 03:37:15 ID:???
>>398
「週報」は、不二出版より「『集報』-南京日本人収容所新聞」との第で復刻されています。

1945年終戦直後、南京には1万6千人余りの日本人居留民が残っていました。
蒋介石の「仇を仇でかえすな」という方針により命は助かりましたが、
「ときには街を歩いていて、いきなり殴られたり、石を投げつけられることもあった」
(「集報」解説より)ということです。

そこで南京の居留民たちは、身の安全を図るために、「ゆう江門外」の
「揚子江岸、南京駅に近く、北に獅子山をのぞむ」ところで集団で生活することにしました。
「集報」は、その日本人収容所内で発行されていた新聞です。
手書きガリ版刷りの日刊紙で、世界の情勢から収容所内のさまざまな出来事までを掲載し、
在留邦人の貴重な情報源になりました。

余談ですが、翻訳するための「中央日報」などを下関まで買いにいく際には、
「買って帰る途中で、背後から石を投げつけられて、首筋から血を流しながら帰ってきた」
などという事件もあったようです(解説より)。

400だつお:2007/09/24(月) 09:25:25 ID:laKrn0ZC
>蒋介石の「仇を仇でかえすな」という方針により

ああまたそれかよ。

蒋介石の国民党政権に「以怨報徳」などと、そんな「徳」のカケラが僅かでも
認められるのなら、どうしてそのほんの一部でも内政向けに反映されなかったのかと。

笑わせるじゃねーか。

「徳」のカケラも認められない、共産主義にも劣るチンピラゴロツキが、
外交向けにそんな美辞麗句を使ってみても信じられるのかって。
401イランジン:2007/09/24(月) 10:52:38 ID:wCsQGg0+


>>400

アホだつおが「徳」を語るなんてギャグだよな!
402名無し三等兵:2007/09/24(月) 11:52:54 ID:???
>>399
ありがとうございます

>>398
>航空兵器総局長官に->航空兵器総局長官のときに
に訂正
403名無し三等兵:2007/09/25(火) 02:22:57 ID:???
404名無し三等兵:2007/09/25(火) 13:50:43 ID:???
支那事変の武漢攻略戦では、9コ師団30万人が5ヶ月間で40000人近い死傷者で、 総合計
0.4個師団会戦分の弾薬を射耗している。
9コ師団で0.4会戦分の弾薬なら、1個師団あたり5ヶ月間で0.0444会戦分となる。
小銃弾13発、砲弾89発、軽機355発、重機1065発である。
よくもこんな少ない弾薬で5ヶ月間も戦えたものだ。
なお支那事変により弾薬が底を付き、大きな問題となっている。
支那事変における日本軍の射耗弾薬は、
12年度 1.5会戦分。
13年度 1.7会戦分。
14年度 0.8会戦分。である。
405名無し三等兵:2007/09/25(火) 14:21:43 ID:???
あ、そう
406名無し三等兵:2007/09/27(木) 17:53:09 ID:???
【中国】 旧日本軍の遺棄化学兵器、いまだ廃棄はゼロ [09/27]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1190875809/
407名無し三等兵:2007/09/30(日) 14:31:35 ID:???
働きもせず誰にも相手にされない書き込みして掲示板で脱糞しているだつおより
うちの近所のコンビニで一生懸命働く深夜シフトの中国人留学生のリーさんのほうが
どう考えてもまともな存在のような気がするんだが。

だつおよ
お前はチンピラゴロツキ以下の存在なのか?

    教 え て く れ よ ぉ ぉ ぉ ぉ ー
408名無し三等兵:2007/09/30(日) 17:17:15 ID:???
日本に留学してる中国人は本国に帰れば全員エリート、出世街道まっしぐらの勝ち組だから、当然だつおとは比較にならない富裕層になる。
409名無し三等兵:2007/09/30(日) 17:39:59 ID:???
>日本に留学してる中国人は本国に帰れば全員エリート
最近では留学組というだけではエリートになれない。
但し、日本語に通じていれば現地に進出した日本企業の工場で管理職に就ける。
一般職員や工員の賃金と日本人の周辺で働く職員の賃金は数倍違うからね。
410名無し三等兵:2007/09/30(日) 23:12:07 ID:1a1LRXsA
407の言動こそチンピラゴロツキ以下。
わしはだつお氏を支持するぞ。
411名無し三等兵:2007/10/01(月) 02:50:49 ID:???
個人としてエリートになる為努力した事は尊敬するが、
むこうは国が色々な意味で不安定だからな。

下層民のレベルの低さに幻滅し、
生涯革命や暴動、逮捕の恐怖に怯えてすごすか、
余所者扱いを覚悟で他国に移住する未来しか待ってないのさ。
412名無し三等兵:2007/10/01(月) 21:44:28 ID:???
働きもせずに朝から晩まで誰にも相手にされない2ch書き込みしてる奴と比べれば
大抵は人として上ではw
413名無し三等兵:2007/10/03(水) 00:37:37 ID:F9Rp5KvC
        ___
         | イ  |
         | ナ  |
         | ゾ  |
         | ウ  |
      ,,,.   | の | ,'"';,
    、''゙゙;、).  | 墓 | 、''゙゙;、),、
     ゙''!リ'' i二二二二!゙''l!リ'''゙
     ‖  `i二二二!´ ‖
     昌 |: ̄ ̄ ̄ ̄:| 昌
    | ̄:|_|;;;l"二二゙゙l;;|_| ̄:|
    |  :|::::::| |;;;;;;;;;;| |::::|  :|
    |  :|::::::|┌─┐|::::|  :|
 ./゙゙└‐┴ ┴l,,,,,,,,,,l┴┴‐┘゙゙゙゙\
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  ̄|三|三三|三三三三|三三|三| ̄
   |  |:::  |: :    : : |::   |  |
   |  |:::  |: :    : : |::   |  |
  /_|:::  |: :     : :.|::  :|_ヽ
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あまりにも頭悪すぎて脂肪しました。
414名無し三等兵:2007/10/03(水) 19:28:03 ID:???
>>404
 遅レスですが
 弾薬の会戦分というのは、確かに通常は1個師団に対する会戦分として使うものですが、投入兵力に対する会戦分として使う場合もある筈です。
 もし元資料に0.4会戦分と表記されているとしたら9個師団に対する0.4会戦分ということも考えられます。
 正確にはどう書いてあるのでしょうか?
415名無し三等兵:2007/10/03(水) 20:02:52 ID:???
問答有用掲示板からのコピペだから無理だと思うよ
416名無し三等兵:2007/10/03(水) 23:09:44 ID:???
関東軍が全員玉砕すればソ連の南下は防げた
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1156243461/409

>塘沽協定

 これは単なる停戦協定です。これ以前も以後も中華民国は満州国を認めていませんし違法占領されているとの
主張を変えていません。
 現地の戦闘にケリをつけたもので国家間の関係にケリをつけたものではありません。

>新兵中心でわずか200人、しかも実弾も持たせない夜間訓練で「仕掛けてる」?

 395氏ではありませんが、仕掛けているというのは戦争ではなく挑発的行為という意味でしょう。
 もともと駐屯は国際法的に認められていたのですが、支那駐屯軍の増兵には中国政府の同意が必要で
あるにもかかわらず同意を得ずに増兵してしまいました。
 その駐屯区域の拡大も同意を得られず一方的宣言に依りましたし演習地区も中国側から変更するよう
要請されていました。(地域は別として演習自体は認められている)陣前で演習されれば偶発事故を起こし易い訳で
中国側の要請には妥当な点があります。
 治安の悪化もありますから日本の増兵にも理由が無いわけではありませんが、華北分離工作などで反発を招き
塘沽協定以降も逐次浸食を続けた政策が対日感情と治安の悪化を招いたのですから自業自得ではあります。
 
>上海で虎の子のドイツ式兵団が敗北した時点で泥縄でしょ
あそこで勝っていれば、上海を足がかりに満州を手に入れるするつもりだったんだろう

 中国の抗戦準備はまだ整っていない状態で後数年は必要と考えられていました。
 ドイツ式兵団である「調整師」は当時としては精鋭でしたが、抗戦開始までに計画の編制装備を完備したものは
恐らく1つもなく、編成数も計画に及びません。
 「調整師」を補完する役割の「整理師」に至っては尚更という状態でした。
 蒋介石は本当は未だ本格抗戦に立ち上がりたくなかったのですが、盧溝橋事件後の両国の対応の
エスカレートから立ち上がらざるを得なくなったと言えます。
 上海戦は南京方面からの日本軍が攻勢を続けた場合、急速に準備未了の中国心臓部に到達する危険があり、
日本の増援兵団を上海方面に吸引することで作戦方向を誘導するという戦略によるとされます。
 その意味では中国は戦略目的を果たしたといえます。 
417名無し三等兵:2007/10/03(水) 23:28:47 ID:???
>>416
コピペか
ここじゃなくて脱力スレにでも貼ってくれ
418名無し三等兵:2007/10/04(木) 00:00:49 ID:???
イナゾウ君を悼む

イナゾウ君ラングーンにて
土民軍の弾を受け死亡の模様
419名無し三等兵:2007/10/04(木) 21:41:31 ID:???
<ヽ`∀´>ニハハ
420名無し三等兵:2007/10/06(土) 15:26:21 ID:???
格差社会がイナゾウ中佐を潰したんだと思う
彼は日雇いの仕事をしながら必死に
頑張っていた 過酷な現実から逃げ出す
唯一の手段が日本軍関連の本を立ち読み
する時だった。 
日本軍の本を読む時は 現実の自分は
姿を消し 栄えある大日本帝国陸軍の
中佐として 栄誉ある参謀本部勤務の
エリート将校になれたのだ。

しかし、本を読み終えたあと
 続く 
421名無し三等兵:2007/10/08(月) 21:16:06 ID:???
>>418
マジかよ?
422名無し三等兵:2007/10/09(火) 00:47:19 ID:VxtfERcD
証言記録 兵士たちの戦争「中国大陸打通苦しみの行軍1500キロ」

中国大陸縦断を目指した陸軍史上最大の作戦・大陸打通。兵士は、コレラや
赤痢に倒れ弾薬が尽きるなか突撃…。静岡歩兵第34連隊の元兵士たちの証言で、
その実態を描く。


「大陸打通」。第二次世界大戦で、米軍の前に敗北を重ねていた日本が、南方との
陸上交通路を確保すべく広大な中国大陸縦断を目指した陸軍史上最大の作戦。
それは参謀本部内でも中止論が出るほど無謀なものだった。静岡県出身者で編成された
陸軍歩兵第34連隊は、その先陣部隊として参加。兵士たちは、コレラや赤痢に倒れ、
弾薬が尽きるなか突撃していった。静岡34連隊の元兵士たちの証言を基に、中国
大陸打通作戦の実態を描く。

チャンネル :総合/デジタル総合
放送日 :2007年10月 8日(月)
放送時間 :翌日午前0:10〜翌日午前0:55(45分)
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2007-10-08&ch=21&eid=32068&p=1

423名無し三等兵:2007/10/09(火) 00:49:16 ID:hb5hx1/I
test
424名無し三等兵:2007/10/09(火) 02:30:21 ID:???
>>421
ミャンマーでジャーナリストが打たれたのに引っ掛けてるんでしょ
425名無し三等兵:2007/10/09(火) 10:20:33 ID:???
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%99%B8%E6%89%93%E9%80%9A%E4%BD%9C%E6%88%A6

一号作戦の戦死者10万人以上の根拠って何??
426名無し三等兵:2007/10/13(土) 22:41:51 ID:???
イナゾウさんはただいま闘っています
ここに書き込むのを楽しみしていましたので
頑張って勝つと頑張っております

いましばらくお待ち下さい
突然の書き込み失礼しました
427名無し三等兵:2007/10/14(日) 00:39:35 ID:???
ああ、東方やってんのか
428ue ◆WomMV0C2P. :2007/10/14(日) 03:35:41 ID:???
めっさ遅れてすみません。
過去スレ更新しておきました。
429名無し三等兵:2007/10/14(日) 11:21:05 ID:???
未帰還機の搭乗員は1ヶ月待ってなお消息不明なら戦死認定だったか
430元32(予備役少佐):2007/10/15(月) 00:57:51 ID:???
>>428
乙です。
中佐を待ちながら保守。
431名無し三等兵:2007/10/18(木) 19:19:04 ID:pG8ptcWF

      ☆ チン     マチクタビレタ〜
                        マチクタビレタ〜
       ☆ チン  〃  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        ヽ ___\(\・∀・) < イナゾウまだ〜?
            \_/⊂ ⊂_ )   \________
          / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
       | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
       |  愛媛みかん  |/
432名無し三等兵:2007/10/19(金) 00:19:47 ID:???
イナゾウ中佐なら停年退官したよ
433俄将軍:2007/10/19(金) 02:49:05 ID:???
今年の9月に、千賀基史著「阿片王一代―中国阿片市場の帝王・里見甫の生涯」発売、という
ことで。
434名無し三等兵:2007/10/20(土) 00:07:46 ID:???
手術が成功するといいんだけど
435翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/10/20(土) 08:48:42 ID:PEkqsrcg
失礼ながら個人的に保守させて頂きます。

・・・マレー・ビルマ作戦まで発展、などと斜め上な展開も期しながら。(まて
436名無し三等兵:2007/10/20(土) 08:59:42 ID:???
ETV特集・選 「裁かれなかった毒ガス作戦」
10月20日(土) 15:00〜16:30   NHK教育
http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=94708955&area=miya
437法務大尉:2007/10/23(火) 17:26:35 ID:ASNxGmVn
稲造偽中佐の健在を祈る
438名無し三等兵:2007/10/27(土) 20:02:08 ID:???
書き込む人いなくなったね
439名無し三等兵:2007/10/29(月) 00:47:10 ID:???
もう書き込めないよ
440名無し三等兵:2007/10/31(水) 00:44:27 ID:iH+ykJVN
イナゾウ中佐
441翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/10/31(水) 05:43:13 ID:lFHa5MtI
復帰を待っている人はここにいるけれどね。
442名無し三等兵:2007/10/31(水) 05:50:23 ID:???
 同じく復帰を待望しております。
443名無し三等兵:2007/10/31(水) 22:16:42 ID:hPxq0EG9
ヒント 築地 国立病院
444名無し三等兵:2007/11/03(土) 13:13:08 ID:???
【日中】中国の遺棄化学兵器 高村外相「立証責任は日本に」[11/03]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1194061234/
445名無し三等兵:2007/11/05(月) 01:05:44 ID:???
私は淡水魚の鯉です。
この間ゆっくり池を泳いでいると美味しいな団子が目の前に…つい吸い込んじゃいました。
すると案の定口先に鋭い痛み…釣り針です。
人間に釣られたのです。
抵抗したけど最後は力尽きて釣り上げられました。
釣ったのはおじさんで釣り上げた私をしばらく眺めていましたが周りを見渡し人がいないのを確認するとおもむろにズボンとパンツを下ろしました。
そこには大きな男性自身が…おじさんは私を抱き抱えるとその男性自身を私のお口につっこんできました。
私は苦しかったけどそんな事お構いなしにおじさんは私の口を楽しんでいました。
やがて動きが早くなりフィニッシュを向かえました。
がその瞬間喉の奥まで男性自身が突っ込まれてきたので反射的に私は噛んでしまいました。
おじさんは鯉釣り師なのに大事な事を忘れていたのです。
私達鯉の喉奥には小さな歯がたくさん生えているのです。
アソコを噛まれたおじさんはギャー!とさけんで私をほうり出したので私は体をピチピチさせて無事に池に逃げました。
ちなみに人間のタンパク質は美味しかったです。
みなさんも鯉にフェラさせる時はあまり深く挿入しない方がいいですよ。
446名無し三等兵:2007/11/05(月) 11:29:33 ID:emI4ArRb
★中国、日本の報復感情警戒 元ソ連大使に米補佐官説明

【ワシントン3日共同】ソ連のドブルイニン駐米大使(当時)が一九七一年七月の機密公電で、中国が
日本について「(第二次大戦の敗北に対する)報復感情」を強く抱いているとして、核武装の可能性を
警戒していると報告していたことが二日、明らかになった。ロシア外務省が機密解除した公電を米
シンクタンク「国家安全保障公文書館」が入手、同日公表した。

公電は七月十九日付で、当時のキッシンジャー米大統領補佐官との会談メモ。キッシンジャー氏は
同月九―十一日、国交のなかった中国を極秘に訪れて周恩来首相と会談しており、ドブルイニン氏
はその内容を聞き出した。ソ連は米中接触直後に秘密会談の情報を得ていたことになる。

中国は当時、ソ連との対立を背景に米国に接近したが、公電は「キッシンジャー氏は周首相との会談
を通じ、中国がソ連よりはるかに日本を恐れているとの強い印象を持った」と指摘。中国が当時の日本
の急速な経済成長に「神経をとがらせている」と記した。

さらに中国指導部は日本人の心の中に「強い報復感情」が潜んでいると確信し、日本の核武装を恐れて
いると報告。中国は「米国が日本を一定の枠内に抑え、限界線を踏み越えることを許すことのないよう
望んでいる」と記述している。

これまでに機密解除された米公文書によると、キッシンジャー氏は七一年十月二十二日の周首相との
会談で「自主防衛する日本は周辺地域にとって危険な存在」と表明。在日米軍撤退は日本の核保有を
招くとして日米安保条約の有用性を説いている。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200711030402.html
447だつお:2007/11/05(月) 11:41:07 ID:oj+9lZZQ
自分には陳納徳らは中国空軍かアメリカ空軍かって次元でしかないように思える。
1941年7月29日の契約書では確かに中国の軍法・規則に従うということになっている。
ところが同年9月30日には今度はホワイトハウスからの指示が来てたりもするのだ。

http://www.warbirdforum.com/fdrnote.htm
THE WHITE HOUSE WASHINGTON September 30,1941

とはいえ開戦前の「弱体な中國空軍」と、大東亞戦争以降の「強力な米陸空軍」
とではごっちゃにはせず明確に区別して考える必要があろう。

 十九年春〜二十年初めに実行された一号作戦は、国軍に前例のない大規模
のものであり、陸上戦略指導としては大成功と感じられるものである。しかし
B−29の本土空襲は阻止できず、太平洋方面における我が主作戦の敗勢を救う
べくもなかった。この間における中國航空作戦は、数質ともに次等の戦力で
よく靭軟な奮闘を続けた。中國方面に有力な米陸空軍部隊を吸引牽制し、
しかも彼我主力の決戦方面に対し、その決定的な攻撃威力を及ぼさせなか
ったことは、わが中國方面空地作戦の隠れた戦略的成果と評価すべきである。
 しかし問題は、中國方面にあった陸軍戦力を、国軍主力の決戦作戦方面に対し、
より有効に直接参加させる戦略方策の有無であり、それは更に深刻な別途の研究
にまたねばならない。
 これを要するに、陸軍航空の基本的体質に大きな影響を与えた中國航空作戦は、
支那事変間と大東亞戦争間とにおいて、その様相が著しく変化した。前者は敵が
弱体な中國空軍であり、後者は敵が強力な米陸空軍であり、航空撃滅戦、
制空権の獲得に最大の努力を傾注しなければならなかった。

中国方面陸軍航空作戦 / 防衛庁防衛研修所戦史室‖著 /
朝雲新聞社 , 1974 ( 戦史叢書 ; [74] )
448名無し三等兵:2007/11/07(水) 18:14:04 ID:???
【裁判】南京大虐殺に関する本で「ニセの被害者」と指摘された中国人女性が勝訴 著者などに400万円支払い命令★3[11/02]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1194185690/
449名無し三等兵:2007/11/09(金) 11:31:51 ID:???
臨時航空兵団(徳川好敏中将)
 臨時航空兵団司令部
 第一飛行団司令部
 第三飛行団司令部
 飛行第一大隊 (偵察機2個中隊) 動員担当:飛行第三連隊
 飛行第二大隊 (戦闘機2個中隊) 動員担当:飛行第五連隊
 飛行第三大隊 (偵察機2個中隊) 動員担当:飛行第二連隊
 飛行第五大隊 (軽爆2個中隊)  動員担当:飛行第七連隊
 飛行第六大隊 (重爆2個中隊)  動員担当:飛行第七連隊
 飛行第八大隊 (戦闘機2個中隊) 動員担当:飛行第四連隊
 飛行第九大隊 (軽爆2個中隊)  動員担当:飛行第六連隊
 独立飛行第三中隊 (重爆)    動員担当:飛行第七連隊
 独立飛行第四中隊 (偵察機)  動員担当:飛行第四連隊
 独立飛行第六中隊 (偵察機)  動員担当:飛行第四連隊
 独立飛行第九中隊 (戦闘機)  動員担当:飛行第六連隊
 独立飛行第十中隊 (戦闘機)  動員担当:飛行第八連隊
 独立飛行第十四中隊 (戦闘機) 動員担当:飛行第八連隊
 独立飛行第十五中隊 (重爆)  動員担当:飛行第十四連隊
450名無し三等兵:2007/11/09(金) 12:10:10 ID:???
昭和13年8月1日発令の航空部隊序列
航空兵団(徳川好敏中将)
 第一飛行団(寺倉正三少将)
  独立飛行第十六中隊(偵察機)
  飛行第七十七戦隊(戦闘機)
  飛行第三十一戦隊(戦闘機)
 第三飛行団(値賀忠治少将)
  独立飛行第十七中隊(偵察機)
  独立飛行第十中隊(戦闘機)
  飛行第四十五戦隊(軽爆)
  飛行第七十五戦隊(軽爆)
 第四飛行団(藤田朋少将)
  飛行第六十四戦隊(戦闘機)
  飛行第六十戦隊(重爆)
  飛行第九十九戦隊(重爆)
 直轄部隊
  独立飛行第十八中隊(偵察機)
  兵団直轄地上勤務諸部隊

第一飛行団を、蘆州、安慶、蚌埠に
第三飛行団を、彭沢、安慶、黄梅に
第四飛行団を、彭沢、南京、杭州、王浜に展開。

なお、7月15日付けで進級した値賀忠治中将は航空技術学校の校長に栄転し、
その後任として菅原道大少将が第三飛行団長に任命された。
451名無し三等兵:2007/11/09(金) 22:38:10 ID:???
スイーツ(笑) パスタ(笑) ランチ(笑) セレブ(笑) ビビッド(笑) 女性の鬱(笑) 癒し系(笑)
マイナスイオン(笑) Wハッピー婚(笑) ダイエット(笑) エステ(笑) フェミニン(笑)
専用コスメ(笑) ナチュラルスイーツ(笑) 夏色コスメ(笑) 秋色ファンデ(笑)
レディースプラン(笑) アメニティライフ(笑) 自分らしさを演出(笑) 隠れ家的お店(笑)
マイブーム(笑) 若い女性に人気(笑) 思い切って残業(笑) デキる女性(笑)
がんばった自分へのご褒美(笑) 高級ブランドショップ(笑)
等身大の自分(笑) くつろぎインテリア(笑) 常に上目遣い(笑) 愛され上手(笑)
さぁ自分磨きがんばろう!(笑) ロハス(笑) スローフード(笑) デトックス(笑)
ダメージヘア(笑) 納豆で血液サラサラ(笑) 保湿成分配合(笑) ふわモテカール(笑) 
小悪魔メイク(笑) 自立した大人の女性(笑) そんな彼女の普段の顔(笑)
ハッピースピリチュアルメイクアップアドバイザー(笑) スローライフ(笑) ガーリッシュ(笑)
アダルトなショットバー(笑)  流行にキャッチアップ(笑) キラキラ小物(笑) 詰め放題(笑)
モテカワ(笑) ピラティス(笑) ホットヨガ(笑) ハリウッドスターにも大人気(笑)
骨盤体操(笑) くつろぎの温泉宿(笑) ツンデレ系でカレの気を引いちゃえ!(笑) 艶女(笑)
キッチュなサーフガール(笑) 酸素バー(笑)かわいい(笑)
Lady nanoty(笑) ヤバイ(笑) キテる(笑) ほっこり(笑)  ハニートラップ(笑) 
女だけで、楽しむ。(笑) 新定番(ニュースタンダード)ヒロイン(笑)
春色フルーツカラー配色レッスン(笑) ヲタージョ(笑) ワーキングビューティー(笑)
ワザあり!下着(笑) 着回しトップレス(笑) 真似したい総決算(笑) 女ヂカラ(笑)
ケータイ小説(笑) おやすみ、マンモス。(笑) ガイタメジェンヌ(笑) 美肌のカリスマ(笑)
ハートフルストーリー(笑) ちょいワルマタニティー(笑) ○○男子(笑) プチ○○(笑)
キャンパスデビュー(笑) ○○をプロデュース(笑) 恋愛体質(笑)プチうつ(笑)
452名無し三等兵:2007/11/09(金) 22:46:22 ID:???
 ───アタシの名前はスイーツ。心にスイーツを負った女子スイーツ。モテカワスイーツで恋愛スイーツの愛されスイーツ♪
アタシがつるんでるスイーツは援助スイーツをやってるスイーツ、学校にナイショで
スイーツで働いてるスイーツ。訳あって不良スイーツの一員になってるスイーツ。
 スイーツがいてもやっぱり学校はスイーツ。今日もスイーツとちょっとしたことでスイーツになった。
スイーツ同士だとこんなこともあるからスイーツが溜まるよね☆そんな時アタシは一人でスイーツを歩くことにしている。
がんばったスイーツへのご褒美ってやつ?スイーツらしさのスイーツとも言うかな!
 「スイーツ」・・。そんなことをつぶやきながらしつこいスイーツを軽くあしらう。
「スイーツー、ちょっと話聞いてくれない?」どいつもこいつも同じようなスイーツしか言わない。
スイーツの男はカッコイイけどなんか薄っぺらくてキライだ。もっと等身大のスイーツを見て欲しい。
 「すいません・・。」・・・またか、とスイーツなアタシは思った。シカトするつもりだったけど、
チラっとスイーツの男の顔を見た。
「・・!!」
 ・・・スイーツ・・・今までのスイーツとはなにかが決定的に違う。スイーツな感覚がスイーツのスイーツを
スイーツ・・。「・・(スイーツ・・!!・・スイーツ・・?)」
スイーツはスイーツだった。連れていかれてスイーツされた。「ノットスイーツ!」スイーツをきめた。
「スイーツ!スイーツ!」アタシはスイーツ。甘い物(笑)
453名無し三等兵:2007/11/11(日) 22:08:53 ID:I4HXwcO8
支那事變と正しく稱呼することが病氣平癒の捷徑
454名無し三等兵:2007/11/11(日) 22:16:11 ID:3nTNIdFX
このスレも足掛け二年になりますかね

この二年、かなり支那事変の勉強に役立ちましたよ!

少しくらいは休んでくださいね中佐。

復帰を楽しみにしてます。
455だつお:2007/11/11(日) 22:18:07 ID:/1lrV0zN
皇軍の朝鮮統治について一言。

朴正煕大統領は皇軍の大陸打通作戦に魅せられ、皇軍に入隊。そこで勇戦敢闘して、
陸軍中尉にまで出世した。大陸打通作戦の栄光は、 あの朴正煕大統領も認めた偉業だったのだ!

1942(昭和17)年 満州・新京軍官学校首席卒業
「高木正雄」少尉として日本の陸軍士官学校に派遣留学
1944(昭和19)年 日本陸軍士官学校を卒業(卒業成績3番)
関東軍に編入
1945(昭和20)年8月 北京郊外の駐屯地で終戦を迎える
http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/ha/pakuchonhi.html

<「遥かなる俊翼」(渡辺洋二 文春文庫)の「教え、かつ戦った訓練部隊」>
 ところで、整備の特幹一期の中に、やがて新聞のトップに載る“変わりダネ”
がいた。あだ名は「人力車」、朝鮮生まれの金本元一(本名・金載圭)上等兵は、
一九七九年十月二十六日、KCIA部長の立場で朴正煕・韓国大統領を射殺する。
 複座改造機
 相模飛行場に同居の飛行第二十二戦隊は八月二十一日に華中に向けて出勤し、
<以下略>
456名無し三等兵:2007/11/14(水) 10:53:41 ID:???
http://www.warbirdforum.com/fdrnote.htm
Below is FDR's directive to the Secretary of the Navy:
September 30,1941 MEMORANDAM OF THE SECRETARY OF THE NAVY

I have been informed that the Chinese Government has hired 100 pilots and 181
ground personnel to man and service 100 P-40's. In the next few months we are
delivering to China 269 pursuit planes and 66 bombers. The Chinese pilot
training program here will not begin to turn out well-trained pilots until next summer.
In the interim, therefore, I think we should facilitate the hiring by the Chinese
Government further volunteer pilots here. I suggest, therefore, that beginning in January,
you should accept the resignations of additional pilots and ground personnel as care to
accept employment in China, up to a limit of 100 pilots and a proportional number of
ground personnel. I am directing Mr.Lauchlin Currie to see that representatives of China
carry out the hiring program with the minimum of inconvenience to the Navy and also to
see that no more are hired than are necessary.

中国政府が100人のパイロットと100機のP-40を整備するための181人の地上人員を雇ったことは、
既に知らされていることです。ここ数ヶ月に我々は269機の戦闘機と66機の爆撃機を中国に届けています。
このあたりの中国人パイロットの訓練計画は、次の夏までよく訓練されたパイロットに変わりそうもありません。
従ってその間に我々は、ここで更なる志願パイロットが中国政府に雇用されるのを促進していかなければ
ならないと思います。従ってそのことはこの1月に始まっていることですが、私は提案します。中国で仕事
を引き受ける手配として、諸君らには更にパイロットと地上人員を辞任させることを認めてもらいます。
その範囲は100人のパイロットとそれに相応する地上人員にまで及びます。
中国代表がわが海軍にできる限り不便させないような雇用プログラムを実行するのを確認するように、
また必要以上に雇用されることが無いことを確認するよう、Mr.Lauchlin Currieに指導しているところです。
457翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/11/17(土) 03:09:33 ID:ngXAZNUe
>このスレも足掛け二年になりますかね

早いものですね…
458名無し三等兵:2007/11/17(土) 06:16:54 ID:???
そして失踪から2カ月
459名無し三等兵:2007/11/18(日) 19:19:48 ID:???
元気かのう
460名無し三等兵:2007/11/22(木) 06:17:21 ID:???
「俺は陸大に受かった!」と叫んで部隊長自ら失踪
461名無し三等兵:2007/11/22(木) 14:22:02 ID:???
イナゾウってどうしたの?まさか死んだのか?
462名無し三等兵:2007/11/22(木) 20:07:00 ID:???
そんなに立つのか
463名無し三等兵:2007/11/24(土) 09:39:02 ID:???
蛸部屋にでも入ってんじゃないかな?
もしくは満州へ参謀旅行。
464名無し三等兵:2007/11/25(日) 22:32:46 ID:???
リアルで中国人を土人呼ばわりし達磨に…とかかなー
465名無し三等兵:2007/11/26(月) 16:57:35 ID:???
長井さん ありがとう
ゆっくり眠ってください

466名無し三等兵:2007/11/29(木) 22:57:07 ID:???
中国語を学ぶとう名目で陸軍を一年休職して
孫文に会いに行ったらしい。
467名無し三等兵:2007/12/02(日) 13:36:35 ID:???
「日本人が中国人にどれだけひどいことをしたのかがよく分かりました
どのパネルも悲惨なものばかりで目を覆いたくなりました。
特に山積の死体の写真や日本兵が首を切ろうとする直前の写真が印象に残りました。
同じ日本人として、絶対に許されるものではなく、とても恥ずかしく思いました」
468名無し三等兵:2007/12/02(日) 17:25:27 ID:???
と、笑顔で語るイナゾウ少佐でありました。
469翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/12/07(金) 01:28:47 ID:tM1J1hog

とりあえず、保守してみましょう。

日中戦争はその生起と顛末と内容はともかく、
純軍事( というか日本人とアジアのシュミレーション )的には
可能性( 選択肢 )に満ちた興味深い素材ですので
470名無し三等兵:2007/12/08(土) 14:42:53 ID:???
>>469
あんたもしかしてSSスレ立ててたヤシか?
471だつお:2007/12/08(土) 17:03:30 ID:R7ogpZbH
>「日本人が中国人にどれだけひどいことをしたのかがよく分かりました
>どのパネルも悲惨なものばかりで目を覆いたくなりました。

そもそも中国人なんて人間と呼ぶにも値しない。中国人というのはつまり、
皇軍に虐殺されるために涌いてきた殺戮の対象物であったと位置づけられる。
皇軍は中国人を大量殺戮することにかけてはダントツ世界一、中国戦線は
百戦無敗の栄光輝く戦場としてその武勇伝説は永久に語り継がれよう。

     9 7 式 中 戦 車 チ ハ

それは機械的信頼性と燃費効率と走行性を兼ねそろえた、現在の日本自動車
産業の先駆けともいえる、世界最先端の自動車製造技術の象徴とも言えよう。
これはあくまで戦車ではなく、中国のチンピラゴロツキ蛆虫ゴキブリドブネズミ
サナダムシ専門の高性能機動殺戮マシーンであったのだ。
472名無し三等兵:2007/12/08(土) 18:21:58 ID:UnszYGqW
だって支那人は下民じゃん
473イナゾウ死んだ?:2007/12/09(日) 04:39:31 ID:lusIyrbG
支那事変海軍作戦記録

盧溝橋事件・通州大虐殺・大山大尉殺害事件・支那軍の上海包囲
http://jp.youtube.com/watch?v=LZTZ-TTSODk
蒋介石の精鋭88師の日本租界攻撃・数十倍の敵の攻撃を跳ね返す我が海軍陸戦隊
http://jp.youtube.com/watch?v=sr5zdWXOgR4
八月十四日の支那空軍の租界無差別爆撃・帝国ついに支那膺懲に立つ
http://jp.youtube.com/watch?v=b9VvKFJce3k
八月二十三日、救援の陸軍師団がウースンに上陸・兵隊さんありがとう!
http://jp.youtube.com/watch?v=dryd5KjzMd0
474名無し三等兵:2007/12/09(日) 18:54:49 ID:mKWiIybY
昨日は開戦記念日
475名無し三等兵:2007/12/12(水) 00:30:48 ID:ipmgENeH
おーいイナゾウ ライバルは講演するそうだぞ

【 軍学者・兵頭二十八先生講演会 】
演題:「ジョークでなく、北朝鮮に学べ!(笑)」

月日:平成19年12月17日(月)
時間:16:20開場/16:30開演/18:30終了予定
場所:早稲田大学15号館402教室(北門よりスグ)
交通:東京メトロ東西線早稲田駅から徒歩10分
   JR山手線高田馬場駅から徒歩20分
   都電荒川線早稲田駅から徒歩5
主催:早稲田大学国策研究会
お問い合わせ [email protected]
HP:http://kokusaku.at.infoseek.co.jp/

476名無し三等兵:2007/12/13(木) 11:56:43 ID:???
南京事件の被害者に黙祷
477名無し三等兵:2007/12/14(金) 01:34:16 ID:???
そういや、もうそんな季節か…黙祷
478名無し三等兵:2007/12/14(金) 08:35:36 ID:s0IGENNK
『南京でただ一人の外科医ウィルソン』

占領後の最初の数日間、日本兵が街を略奪したり、燃やしているところをウィルソンはよく見かけました。

12月15日:市民虐殺の現状は想像を絶するほどひどいものです。
私は信じがたいほどの強姦や残虐行為の事件を限りなく話し続けることができます。

12月18日:本日は血と強姦で彩られる莫大な手紙が書かれた現代版ダンテの神曲中、
地獄編の第6番目の日とみなされます。
無差別な殺人や何千に上る残虐行為を阻止できるものは皆無のように見受けられます。
最初、私は彼らの怒りを駆り立てないようにつとめて愛想良くしていたが、
この微笑は次第に消えてなくなり、私の凝視は完全に彼らのものと同じぐらい冷淡で無表情になっています。

12月19日:全食料が貧しい人々に盗まれ、そして彼らはヒステリックに混乱しながら恐怖におびえていました。
一体、いつになればこの様なことが治まるのだろう。

クリスマスイブ:次に彼らは、まだ地帯内(誰もわからない形で勝手に区切られている地帯)に
2万人の中国兵が潜んでおり、探し出して全員射殺すると我々に告げました。
これは現在、街の中にいる18才から50才までの才気溢れる体を持った男性を対象としています。
一体、どうやって彼らは兵士を見分けるのだろうか?

年末になると彼のこの手紙は宿命的な空気を漂わせてくるようになりました。
12月30日付の手紙にはこう書いています。
「心の支えはもうこれ以上、悪くはならないと考えることだけです。
殺す者がもういなくなるまで大勢の人々を殺害することは不可能です。」
ウィルソンや他の者たちは、日本兵が中国兵を馳せ集め、射殺して巨大墓穴の二倍
はある防空壕に遺体を詰め込んでいる現場を頻繁に目撃しました。
479翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/12/15(土) 00:48:12 ID:+c4bVXaM
>>470 そう。その翡翠(星砂)。

首都圏の方が羨ましい。軍師講演無料とか。
いやあ上手く休日合わせないと意味ないのですけど・・。
中尉復帰祈念で空気読まない意味不明な支援を1つ2つ。

●旧軍の教育について

日中戦争に従軍したある尉官( 東京出身 )の書によると、
陸軍予科士官学校時代、軟弱な態度をとると、
暴力をふるわれるなどと辛い毎日だったそう。
出身地差や年齢差の体力差も辛い要因だったそうな。
それで「 軍国主義に完全に染まれなかった 」などと。

・体罰は、愛社精神=健やかな組織の育成にとって、逆効果。
・健やかな社員育成を目指すには、
 出身地別に編制した方が望ましい、
 同程度の体力値を集めて編制するのが効果的・・・。

などと言う事が考察できます・・・とかとか。

( 以上の点は、様々な現場を転々とした者なら自明の理だが )
480翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/12/15(土) 00:56:09 ID:???

●治安維持について

河北省で八路軍と対峙していた当時は極端な分散配置で、
場所によっては1個分隊10名前後の駐屯地もあったと。

こんな状況、負担を現場に押し付けた組織とは、などと。

●戦場の軍規維持の困難

何時帰れるともしれない異国の空の下、昼夜をとわぬ戦地の生活。
中隊長室に手榴弾を投げ込んで無期懲役になった者もいたそうな。
「戦史叢書・北支の治安戦・2」に報告されるような事件もあり、
戦地では、身内に幹部( 軍 規 統制側 )が殺されかねない。
国外活動の長逗留は、よくよく考えた方がいい、という過去の例。

まあ、駐イラクの米軍の悲惨を見れば、身内殺し以前の話ですけれど。
481翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/12/15(土) 01:00:59 ID:???

●現場の実際

3年たち、4年たっても帰れない古兵の自暴自棄。
貧弱な装備で対ソ戦への準備を積まされる在満兵。
虎の子の連隊砲は日露戦争後に制式化された婆様。
軍規違反の常習犯が一気に除隊したが兵数も半減。
埋葬する暇無く戦死者から片腕1本を切って携行。
やがて、その余裕も無くなり、指1本のみを携行。

●戦場の実際

日中戦争では表向き連戦連勝であった日本軍だが、
ノモンハンで死傷率94%を記録した日本軍が歩んだ戦場とは?
広東攻略作戦では包囲された師団( 熊本 )を救出した支隊に、
軍司令部から「 師団の戦場に入るべからず 」の電報があったそう。

熊本の師団が経験した戦場の実態とは?
482翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/12/15(土) 01:07:44 ID:+c4bVXaM

●戦時下の昇進の1例

1938年12月01日 陸軍予科士官学校に入校。
1941年07月18日 陸軍士官学校卒業。曹長。
1941年10月01日 陸軍少尉に。19歳少尉。
1944年12月01日 陸軍大尉に。22歳大尉。

「 陸軍予科士官学校55期生の昇進例 」らしいのだが、

さて、これを「 羨ましい 」と見る人はいるだろうか。

気が付けば

1944年12月02日 戦死

という目に会いかねない。

中尉帰還祈念age。
483名無し三等兵:2007/12/15(土) 04:29:43 ID:???
翡翠さんお疲れ様す
484名無し三等兵:2007/12/16(日) 23:11:03 ID:???
>>479

「軍師」の大任にありながら小部隊で敵本陣に突っ込むと言う軽率。
釣られて飛び出してくる御曹司と、それを諌めもしない飯富
チャンバラのど真ん中を堂々と突っ切って単身突撃するあり得ない総大将。
それを追っかけて再び武田本陣へトンボ返り。お前は何をやっとんじゃ。
しかも結局、政虎の本陣切込みを許してしまい何の役にも立ってない。
まだ本陣にずっと残ってお館様の盾として果てるほうがずっと自然。
信繁が突撃して整えたはずの陣形はいつの間にか乱れまくり、
意味もなく雑兵と激闘して討ち取られる。
真田の援軍で勝った勝ったと喜んでて、敵の名乗りにも気づかない。
矢を左胸に2本も射込まれ、無数の深手を負いながら普通に口を聞く。
鉄砲が3発は当たってるのにまだ生きてる
せっかく三重臣の首を挙げながら、全部取り返される上杉軍。
   
申し訳ないけれども、
正直、今まで見た川中島の中でも最高のコントでした…

第1回目の乱捕りですごく期待したのに。
485イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/18(火) 23:15:51 ID:???
突然失踪しまして、色々ご迷惑をおかけし大変申し訳ありませんでした。
お気遣いの言葉をかけて下さった方々に深く感謝するとともに、重ねて
お詫び申し上げます。

本業の仕事の方で心身ともに手一杯となり、精神的にも鬱に陥りまして
ここ2ヵ月以上自宅のパソコンを開きもしない状態でした。全く無責任
極まりない次第です。

ようやく周囲の状況も少し落ち着いて見渡せるようになりまして、仕事も
ピークを終わりつつあり、年末頃には一段落できる(と本当に願いたい…)
のではと予感しています……。

スレの継続の意志はありますので、途切れ途切れで、なおかつブランクで
程度の低い書き込みが続くとは思いますが、お目汚しご容赦いただければ
幸いです。
486ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2007/12/18(火) 23:27:59 ID:???
だらだらやりましょうよ( ´D`)
487名無し三等兵:2007/12/18(火) 23:29:17 ID:???
元気で何より。
自ら降格したのか。
488イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/18(火) 23:30:08 ID:???
本当は12月4日に >>485 を書いていたのですが、例の『OCN・全板全サーバ
アクセス規制』という運営のキチガイ沙汰に巻き込まれまして、2週間待って
ようやく書き込むことができましたw。

>>428 >>めっさ遅れてすみません。過去スレ更新しておきました。
ue少将閣下、土下座してお詫び申し上げます。orz.

また元32予備役少佐殿、法務大尉殿、その他名無しの方々、そして
何より定期的にスレを保守し続けていただいた翡翠さま、まことに
ありがとうございます……。
489名無し三等兵:2007/12/18(火) 23:34:52 ID:???
おお無事生還されましたね。
まるで戦時中に敵陣からひょっこり帰ってきた兵のようだ。
士官ですと乙事件ですか?
490イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/18(火) 23:35:34 ID:???
>>486-487様 大変恐縮です。懲罰大隊か陸軍衛戌(えいじゅ)刑務所入り
ということでw。
491名無し三等兵:2007/12/18(火) 23:43:36 ID:???
重営倉で勘弁してやろうw
神聖喜劇を思い出すなー。
492イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/18(火) 23:44:22 ID:???
>>489様 どうもでございます。「遭難事件」というよりも、

仕事量が核爆発→テンパル→凡ミスで大事故を起こす→更にテンパル
→勢いで上官抗命→軍法会議→銃殺or免官の危機→鬱→黙々と仕事

という流れでございましたw。
493イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/19(水) 00:03:57 ID:???
>>491 様 どうか勘弁してくださいw。

一応、今後の予定としましてリハビリといっては恐縮ですが、極小テーマ
『第一次国共内戦』、極小テーマ『日中戦争における戦略爆撃――塩遮断
作戦』、大テーマ『上海航空決戦・補論――中国的天空を読む』を予定して
おります。つーかまた週末、OCNが規制喰らったらどうしましょうw。

とくに『中国的天空』(大日本絵画)、下巻が出てから買おうと思っていて
待ちきれずに最近購入したのですが、メチャクチャ面白い! 下巻が出る来春
2月が待ち遠しいです。まあ、4515円はちとお値段高めですけど。

あと俄将軍殿、『阿片王一代』も購入しました。『日本陸軍と阿片問題』も
いつか再開したいと思います。
494元32(予備役少佐):2007/12/19(水) 00:26:31 ID:???
>>488
復帰おめでとうございます。
まあ、無事でなにより。

>>489
それならばなにごともなく司令官栄転ですな。
どこぞやの特務機関をまかされるのではないでしょうか。
495ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2007/12/19(水) 00:47:58 ID:???
ちょうどいいので質問。
日中戦争を初期・中期・後期と分けるとすると、概ねどの辺りで分けるとかっていうような区分ってありますか?
あるいは、多くの資料ではココあたりで分けてるみたい、とか。

実は日中戦争というか対中戦については埒外なのでよくわかんないんですが、
関連する資料を読んでると初期・中期みたいな区分が出てくることがあり、ちょっと気になったもので。
496イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/19(水) 00:58:56 ID:???
まず『第一次国共内戦』から始めましょうか。もちろん蒋介石と毛沢東の
骨肉の争いですが、1930年から1934年にかけて行なわれました。

日本軍とは全く関係ないように思えるかもしれませんが、満州事変が1931年で
その後の第一次上海事変、熱河作戦も途中で絡んできます。蒋介石も一時下野を
余儀なくさせられ、毛沢東もまた党の指導に服従させられるなど、噛めば噛むほど
肉汁が溢れてくるのに似た、考察のしがいのある時代です。

北方では日本が着々と「満州建国」を進めていますしね。日本にとっては
絶好の火事場泥棒の機会ですし、逆に支那にとっては非常に苦しい時代です。
まあ、全てが連動している訳です。

さて「第一次国共内戦(剿共戦)」に触れるには、先に『中原大戦』を押さえておか
なければなりません。1930年に反蒋介石の軍閥が起こした一大クーデターです。
497イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/19(水) 01:22:10 ID:???
>>494 予備役少佐殿、大変恐縮です。また途切れ途切れになるのが心配ですが
(OCN規制が最大の不安w)、なるべく仕事と両立しつつ頑張っていきたい
と思いまふ。

>>495 >>日中戦争を初期・中期・後期と分けるとすると、概ねどの辺りで
>>分けるとかっていうような区分ってありますか?

私観ですが、盧溝橋事件からトラウトマン和平工作失敗(近衛首相の『国民政府を
対手とせず』声明)ぐらいまでが初期、それから太平洋戦争開始までが中期、そして
敗戦までが後期ではないでしょうか? まあ、「初期」は日本軍の攻勢がストップした
武漢攻略作戦終了までとするのが適当かもしれませんが。ここから長い長い「持久
体勢」が始まりますので。

中期は、太平洋戦争開始で間違いありません。>>493 で予告した『日中戦争と
戦略爆撃』も話のオシマイは1941年末になります。ええ、まさに潮が引く
ように終わりますともw。南方作戦に吸引されていく訳です。
498名無し三等兵:2007/12/19(水) 15:07:17 ID:???
イナゾウさん、おかえりなさい
499ue ◆WomMV0C2P. :2007/12/20(木) 00:08:55 ID:???
イナゾウさん、お帰りなさい。
自分もOCN規制に掛かりました。
PC買い替えの際に値引きがあったから変えたけど、ホント2chに繋ぐ鯖じゃないと実感。
500イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/20(木) 00:13:45 ID:???
>>498 どうもでございます。サンクス。
>>475 >>おーいイナゾウ ライバルは講演するそうだぞ
>>479 >>首都圏の方が羨ましい。軍師講演無料とか。

別宮翁の「第一次大戦」の掲示板をご覧になられている方はご存知だと思いますが、
年明けの陸風塾のゲストは兵頭軍師です。12月9日に会場を広げて追加出席者の
募集をして、いまHPを見たらまだ締め切ってはいないようです。会費が6千円と
少しお高めですけど、会食形式でそれなりに良いお店なので仕方が無いでしょう。

ちなみに前回はゲストの「軍学堂」の関係で横浜開催でしたが、今回は新橋との
ことです。
501イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/20(木) 00:27:55 ID:???
>>499 ue少将閣下、何の相談もなく長期の戦線離脱をしまして全く申し訳
ありませんでした。orz. 本当に言い訳もできない次第です。またイチから
コツコツと積み上げていくことでお許し頂ければ幸甚です。

>>自分もOCN規制に掛かりました。

もう帰宅してから最初に「書き込む」をクリックする時が怖くて仕方が
ありませんw。どうか『永久規制』するなら北大阪だけにして下さい。
502イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/20(木) 00:51:56 ID:JwfBWelk
>>496 の続き。>>さて「第一次国共内戦(剿共戦)」に触れるには、先に『中原大戦』を
>>押さえておかなければなりません。

まったく面倒くさい話ですが、『中原大戦』に触れるには『北伐』にも
少し触れて置かなければなりません。ああ、無限連鎖w。

さて『北伐』とは、1926年7月1日に国民政府が「北伐宣言」を発表した
ことで始まります。党内の共産党員の粛清である「上海クーデター」や蒋介石の
一時下野、日本軍の介入となる「済南事件」などの紆余曲折を経まして、1928年
12月29日に完了して、一応の支那統一が完成されました。

湖南・湖北省の呉佩孚軍や、直隷派の孫伝芳軍(南京)が「国民革命軍」によって
粉砕されましたが、旧来の軍閥勢力の多くもまた温存した訳です。いや、ほとんど
手つかずのままに終わったと言った方が正確かもしれません。
503イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/20(木) 01:17:58 ID:JwfBWelk
ちょっとおさらいしますと、直隷派の孫伝芳は「江蘇省」「安徽省」「江西省」
「浙江省」「福建省」を支配し、自らを『五省連合元帥』と名乗っていましたw。

中支では呉佩孚が2大兵器工場を押さえ、山東省には「奉天派」の張宗昌がいます。
陝西省や寧夏など西北部には馮玉祥の国民軍がいて、満州と内蒙古は言わずと知れた
奉天派の親玉である張作霖が頑張っています。そして山西省と綏遠省には、閻錫山が
おりました。もう、書いている方も訳が分からなくなりますw。

できるだけ簡潔に記すと例えば、呉佩孚の配下だった唐生智(湖南軍第4師長)は
財政のトラブルで謀反を起こしますが、国民政府に救援を求めます。これは唐生智の
支配地域が湖南省南部で、国民政府の本拠地である広東省に隣接していたためです。

蒋介石は、唐生智に「国民革命軍第8軍長」の地位を与えて買収、北伐の尖兵と
しましたが一事が万事、こんな調子です。ちなみに唐生智は、後の南京戦における
防衛司令官ですね。
504名無し三等兵:2007/12/20(木) 01:28:14 ID:???
イナゾウさんお帰りなさい
四等兵からやり直しですかw
イナゾウさんのレスがまた読めるのが嬉しいです
505イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/20(木) 01:44:49 ID:JwfBWelk
この唐生智のクーデターに、湖南省の呉佩孚の影響力を削ぎたい、広西省の
軍閥巨頭である李宋仁・白祟禧コンビの思惑も乗っかります。その結果、
広西の部隊は国民政府に加入(表向き)し、第7軍に編成されました。

北伐開始時、もともと広東省にあった国民革命軍は6個軍だった訳ですが――。

すぐに貴州軍の「彭漢章」と「王天培」に第9と第10の軍長の地位が与えられて
左翼が強化され、孫伝芳の部下の師長で寝返った「方本仁」に第11軍長、同様に
「頼世?」に第14軍長の座が与えられました。

さらに呉佩孚・配下の師長「仁応岐」「?鐘秀」「劉佐龍」をそれぞれ第12軍、
第13軍、第15軍の長に任命するなど、北伐軍を起こして3ヵ月も経たない内に
軍長の階級を持つ者が2.5倍に増えたのです――。

この調子で結局、上海・南京地区に「国民革命軍」が雪崩込むときには40個軍
にまで膨れ上がり、1928年には北伐軍を「50個軍」とも称しました。
506名無し三等兵:2007/12/20(木) 01:44:53 ID:???
ああ、よかった。
満州の奥地で匪賊に殺害されてやしないかと心配してましたが。
無事に帰京されたようでなにより。
507イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/20(木) 01:59:20 ID:JwfBWelk
中には四川省の部隊のように、国民革命軍の「軍番号」だけ与えられて
実際の北伐には参加していないケースもありましたw。

このような無茶苦茶な付和雷同は、もちろん蒋介石の方針によります。

「本軍(国民革命軍)と本気で敵対する頑固で頑迷な者以外、義によって
 投降する者、寝返って我が陣営に参ずる者、軍閥の犠牲者になりたくない者、
 革命に同情し、帝国主義の華をもって華を制し、互いに殺し合わせる陰謀を
 適当でないとする者全員を、中正(蒋介石)は同志と見なす。安危をともに
 しようではないか」

と蒋介石は宣言していました。要するに全く節操のない「来る者は拒まず」
という訳ですが、考えてみれば分かる通り、このような方針を取らずに僅か
2年余りで支那全土を統一できるはずがありません。

ただし、これは当然のことながら壮大な「問題先送り」な訳です。
508イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/20(木) 02:18:55 ID:???
>>504-506 様 まことにありがとうございます。またコツコツと一から
積み上げたいと思います。匪賊に殺害というか、鬱状態でしたw。

>>このような無茶苦茶な付和雷同は、もちろん蒋介石の方針によります。

ちょっと前の自民党総裁選でも思い浮かべてくださいw。あるいは小泉総理の
時の「郵政選挙(刺客選挙)」など……。呉佩孚や孫伝芳は、喩えてみれば
亀井静香であり綿貫民輔な訳です。平沼赳夫であるとは、あえて言いませんがw。
509名無し三等兵:2007/12/20(木) 07:09:55 ID:???
稲さんおかえり
またおもしろいやつ頼むよ
510翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/12/20(木) 14:24:52 ID:JOgixKdT

中尉お帰りなさいませ(喜
経済的自由を勝ち取った後、中尉の当スレを、
資料と首っぴきで楽しみたい野望☆がありますので、長く続いて下さいませ☆彡
m()m

>>484
残念ながら「大河を見ない人」なので何とも言えないのですが(ゴメorz)、
川中島の戦いの武田の別働隊の「夜間の妻女山踏破」自体が、
松代藩士や信州大学の学生から「不可能」のダメ出しされている様子。

(松代藩士の時代と当時の地形の差異については当然不明ですが)
(またワンダーフォーゲル部員といえども当時の人の夜目には敵わないかもですが)

「乱取り」については、武田・上杉に限らず何処も大同小異だったみたいです。

・信繁の首は、山寺某が奪い返しまた討ち手の首も挙げ添えた。(甲陽軍鑑)
・諸角の首は、配下同心と三河浪人が奪い返し、討ち手の首も。(甲陽軍鑑)

んで、「乱取り」といえば「中世戦場の実態」な訳ですが、
「軍規の荒廃」ないし「統率の放棄」繋がりで ↓
511翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/12/20(木) 14:42:45 ID:???

●乱軍の代償

古兵の軍規違反は先に述べましたが、
そもそも軍自体が「天●の赤子」を「官品より粗末に扱う」上に、
上が揃いも揃って無茶苦茶と来るから下が規律を守る訳が無い。

第●軍を例に取れば

「第●軍司令部」自らが、
「方面軍や中央」を無視して
「独断専行の範」を全軍に垂れている様子。

その独断専行の理由も「第六感」と来るから、
「現実の方がチラ裏よりオワットル」(自爆)

( 注意 言うまでも無く彼らは「正統な軍事教育を受けた」秀才達 )
512翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/12/20(木) 14:53:56 ID:JOgixKdT

●軍靴もなく400キロを進軍させられた旧軍兵士

「軍靴もなく400キロを進軍させられた」をツラツラと見るに、
( 当時は死傷者の余りの多さに連隊長夫人が自殺に追い込まれ )
「極めて軽装備でPKOに出された」が、どうにもこうにも。

●クレメンス・ウィルへルム・ヤコブ・メッケルが草葉の陰で泣いている。

「方面軍の言う事を聞かない現場」も現場なら、現場から
「皇族の首都入城の予定日の延長」を泣きつかれても聞く耳持たず
「●日首都入城」を強行した方面軍も方面軍。

そして時の方面軍司令官がカマシタ言葉が「未曾有の盛時、感慨無量なり」。

などと既出ゴメ。これにて翡翠は失礼をば。

大河については雑談スレか
古代〜近代(19世紀)迄の戦術・兵器・軍装等 6
日本の戦国時代の合戦の虚像と真実6
辺りだと良い御返事がつきますかも・・!

では、中尉復帰記念age
513名無し三等兵:2007/12/20(木) 17:24:12 ID:???
李宋仁は徐州戦の国府軍司令官ですな。
ていうか、唐生智は呉佩浮の配下だったのか
514ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2007/12/20(木) 21:12:44 ID:???
>>497
どうもありがとうございます。
日中戦争って、政治的な同行はそれなりに把握してるんですが、
戦争の推移はなんとなくわかりづらくて(^^ゞ
515JY:2007/12/20(木) 23:34:26 ID:p4ScXCr6
イナゾウ先生、復帰おめでとふ\(^o^)/です
もう数日がんばれば、コミケの初日ですから、もうしばらく耐え忍ぶのでつw。
同じ毎日の繰り返しでも〜。
516名無し三等兵:2007/12/20(木) 23:35:34 ID:S2X0+Ywq
自殺、売春、虐待、大量殺戮、女性差別、は農耕社会になってから始まりました

天皇はA型で朝鮮の出身です。A型は2000年前に日本に来たから帰ればいいのに。
A型は100%農耕民族とはいえないがO型かB型にぜんぜん好かれないA型は
農耕民度が高すぎるから2000年前に日本の先住民族を大量に殺してきた
遺伝子、多そうだね。

遊牧民族は厳しい自然の中を小さい家族で移動しながら生活してきたので家族と他人の線引きをはっきりさせたと思う。
これをクールと感じる。だから、そのぶん身内にはあつくなるのか。

B型は遊牧民族、O型は狩猟採取民族。
A型は農耕民族。農耕民族は2千年前(つい最近)に、中国から日本に来た。A型は2万5千年ごろ誕生して農耕社会を
作ってきた。農耕民族社会になってから狩猟採取民族が大量に殺され滅び吸収され、ホームレス、虐待、売春、
女性差別 が始まり、強制的に横並び結婚し横並び子作りしないと女が生きていけない社会になる。
横並びの群れ社会(農耕民族社会)は無理やり敵を作り差別しないと作れない。これが、いじめ。
ブサイクで、もてない農耕民族はとくに性欲として横並びの群れ社会を作りたがる。

農耕民族社会はA型女も不幸になります。
517イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/21(金) 01:14:22 ID:???
>>509 どうもでございます。引続き精進いたします。
>>510 翡翠様、長期に渡ってスレを保守いただきまして、まことにありがとう
ございます。鬱から復帰しまして何ヵ月ぶりかに軍板を開いたときは、すでに
スレが落ちているかとも思っていたのですが。

御礼と言ってもこの程度ぐらいですが、当スレで尉官の地位(プラス使徒)を
差し上げますので、好きな階級をお名乗りくださいませ。

>>515 >>もう数日がんばれば、コミケの初日ですから、もうしばらく耐え忍ぶのでつw。

どうもでございます。職場のトイレで「イナゾウ四等兵、どうしたのー?」と声を
かけられましたら、「え?、同人ですか?」と答えるほど一時期意識が混濁して
おりました(藁)。

「仕事に病んで夢はコミケをかけ廻る――」稲造心の俳句w。
518イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/21(金) 01:33:08 ID:???
>>513 >>ていうか、唐生智は呉佩浮の配下だったのか

唐生智はもともと湖南軍の「第4師長」でしたが、財政上のトラブルで
湖南省長の趙恒タを叩き出します。まあ、謀反な訳です。軍閥の長である
呉佩孚は、配下の第3師長である葉開?を「湖南軍総司令兼湖南省長」に
任命して唐生智の討伐を決定しました。

で、たまたま唐生智の支配地域は湖南省南部で、国民革命軍の広東省に
隣合っていましたので、蒋介石に泣きついた次第です。
519イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/21(金) 02:02:11 ID:???
>>507 >>このような方針を取らずに僅か2年余りで支那全土を統一できる
>>はずがありません。

北伐の最後は1928年末ですが、張学良が満州で易幟(えきし)をする事で
国内統一が実現しました。今で言うなら、自民党と民主党の『大連立』が成る
ようなものですw。もちろん表面上の統一が出来ても、内部は何も変わって
いない訳ですから、将来の破綻は目に見えていますが。

ちなみに易幟とは、もともと北洋政府が使用していた『五色旗』から国民政府の
『青天白日満地紅旗』に旗を換えることを張学良が決定したことです。要するに
蒋介石の軍門に降った訳ですが、背景にはもちろん日本による張作霖爆殺事件が
尾を引いています。

ただし軍門に降ったとはいうものの、その事自体、張学良の国民政府に対する
「大きな功績」というか、名を捨てて実を取った形になります。張学良は、国民
政府から「東北辺防司令長官」に任命され、厚遇される結果となりました。
520JY:2007/12/21(金) 02:04:00 ID:AcJ6sbGD
wwwどういう意味なんでしょうかwww同人。
テラカワイソス(´・ω・`) ですねぇ。
欝を治すには、たんぱく質とビタミンを取って脳内物質を補完しつつ、セントジョーンズワート常用でつ。
521名無し三等兵:2007/12/21(金) 02:10:23 ID:S/1q95xA
今でこそ火器が発達したけど、中世とかの軍事力ってせいぜい人口の1%〜最大でも3%だったんでしょ?
どうやって治安維持したりしてたの?農民の方が圧倒的に多いのに暴動とか起こったら
522イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/21(金) 02:24:50 ID:???
>>520 >>wwwどういう意味なんでしょうかwww同人。
いや単に「どうしたのー」の「どうし」が「同人」に聞こえただけですw。

>>張学良が満州で易幟(えきし)をする事で国内統一が実現

アメリカは蒋介石が満州を統一することを支持していたといいますから、
要するに張学良が易幟するかしないかは「日米の代理戦争」であり、結局
日本は敗れたことになります。で、満州事変が次に来ると。

まあ、北伐に触れたからには「済南事件」にも触れないと不味いのですが、
明日も仕事があるのでお休みなさい…。
523名無し三等兵:2007/12/21(金) 08:39:42 ID:???
>>522
>アメリカは蒋介石が満州を統一することを支持していたといいますから、

アメリカが満州問題で日本に譲ったことは一貫して無いからね。
524名無し三等兵:2007/12/22(土) 15:19:46 ID:???
>>521
日本警察二十五万、概ね五百人に一人の割合。全共闘時代も火気は使用せず。
人口比1%の武装集団でも治安維持には大袈裟すぎるぐらい。
>>農民の方が圧倒的に多いのに暴動とか起こったら
連絡が取れないと各個撃破。そもそも交通網が未発達で、農民じゃどうもならん。
悪党馬借の土一揆じゃないが、農民よりも商人の方が中心になりやすい。
でなきゃ宗教勢力か。読み書き算盤ができなきゃ話にならない。
支那の場合、白蓮教徒と塩商人なんかがそうだな。
525イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/22(土) 22:30:19 ID:ZvHBTY2R
>>524 なんか物凄く上手くまとめられましたね。全面的に同意でふ。
>>522 >>まあ、北伐に触れたからには「済南事件」にも触れないと不味いのですが、

さて「済南事件」で少し脱線です。皆さんは、陸軍の「斎藤瀏少将」をご存知でしょうか?
もうすぐ超時空要塞ビグザイトの到来で、当然自分は「えげつないやん家」さんにも並ぶ訳
ですが、その「2・26事件」の漫画を読んだことがある方は、記憶に残っているはずです。

決起将校の栗原安秀中尉に「おじさん」と呼ばれていたのが斎藤瀏(予備役)少将で、
2・26事件でも栗原は斎藤にたびたび電話で連絡を取って(戒厳司令部に録音が残る)
いたため、斎藤は唯一、将官格で反乱幇助の罪により「禁固5年」の刑に処されています。
真崎甚三郎は言い逃れましたけどね。

そして、この斎藤瀏少将こそが「済南事件の当事者」な訳です。1928年の事件当時
斎藤は熊本・第6師団第11旅団長で、まさに済南城内の日本人が住む商業地区警備の
責任者でありました。
526イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/22(土) 22:45:03 ID:???
栗原安秀の父親は陸軍大佐の軍人で、その縁もあってか、斎藤家とは家族
ぐるみの付き合いでした。ちなみに斎藤瀏の娘で歌人の斎藤史と栗原安秀は
幼なじみです。「やん家」さんの漫画の文字だけ写させてもらいますと、

【26日午前 陸相官邸にて】(陸相官邸には同志が集まっていた:栗原
安秀中尉、斎藤瀏予備役少将、山口一太郎大尉)

栗原:「大丈夫だ!俺達の行動はきっと認められる! 俺達には運がある!
    それにほらっ。ここには『座敷わらし』だってついてますしね!!
    あれがとりついた家にはいいことあるらしいですよ、ワン太さん!!」

山口:「…あれ石原さんだよ、栗原」

栗原:「おお。よく見れば石原さんだ。石原さん! 石原さんの維新についての
    考えはどうですか!?」
527イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/22(土) 22:57:44 ID:???
石原:「そのハチマキ、ダセ〜〜〜〜〜」

斎藤:「石原君!! ワシは予備役の斎藤少将だが、この際、若い者らに協力してやって…」

石原:「今時そんなカッコ光GENJIだってしねえよ。♪オトナにゃ〜見えな〜い
    シャカリ〜キコロンブ〜ス♪ って歌の意味わかんねぇよ。コロンブ〜ス?」

栗原:「我々は国民の窮状を救うために決起し…」
石原:「おまえら絶対、さるまたにも『尊皇討奸』とか書いているだろ。干す時
    女房顔真赤? はずかティ〜」

栗原:「お…おじさん、斬ります!!(怒)」
斎藤:「斬れ!! 斬ってしまえ、クリコ!!(怒)」

山口:「あんた、いろいろハッキリ言いすぎるから悪い!」
石原:「そうか俺が悪いか」
528イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/22(土) 23:21:26 ID:ZvHBTY2R
なぜだろう…文字だけだとあまり面白くないような…w。まあ「やん家」さんは
圧倒的知識と独特の諧謔、絵が超絶上手いのもありまして、階級に喩えるならば
中将クラスの方かと。ここだけ目当てにビグザイトに行く価値もあるところです。
以上、一介のファンでしたw。

さて、そんな「済南事件と斎藤瀏少将」ですが、>>525 で既に述べたように斎藤は
熊本・第6師団の旅団長でした。済南事件の原因は諸説あり、日支双方の言い分も
含めて解説しますと、それだけで極小テーマになってしまいますので省きます。

当時は「北伐」のクライマックスで、一時下野していた蒋介石は1928年1月7日に
国民革命軍総司令に復職し、3月31日に「第2次北伐」がスタートしました。

南軍(国民革命軍)は参謀総長に何応欽、第1集団軍(総司令:蒋介石兼務)18個軍・
29万人、第2集団軍(馮玉祥)25個軍・31万人、第3集団軍(閻錫山)11個軍・
15万人、第4集団軍(李宋仁)16個軍・20万人などです。
529イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/22(土) 23:43:42 ID:ZvHBTY2R
これを迎え撃つ北軍(旧軍閥)は、北京の安国軍総司令・張作霖大元帥のもとに
息子の張学良、そして孫伝芳、張宗昌などが7個方面軍を指揮して、総兵力は
南北両軍ともに約100万人規模でした。

とはいうものの、この数字は装飾過多で、実際のところ半分以下と見るべきです。
とくに破竹の勢いの国民革命軍に対して北軍はまるきり戦意が無く、潰走に次ぐ
潰走だったのが実情でしょう。

さて南軍が北京に入城して北伐を完成するためには「済南」を通過する必要が
あります。上海・南京から北上して徐州を過ぎて、黄河を渡る直前にあるのが
済南な訳です(その後、天津を経て北京にたどり着く)。

また済南は「山東半島」の根本に位置し、WW1などで山東半島には日本の権益も
多くありましたから、当時の済南には日本人居留民が2千数百人ほどおりました。
530名無し三等兵:2007/12/23(日) 01:26:00 ID:???
中国史上で「北伐」に成功したのは朱元璋と蒋介石だけ、という点に因縁めいたものを感じるな。
531名無し三等兵:2007/12/23(日) 01:28:09 ID:???
今のチャイナ大陸の環境を見るに、次の南北対立があっても
南の勢力が主導権握れるんじゃないかと思うくらいに
黄河流域の荒廃は進んでますね
532(1号作戦下の無名尉官の代理) ◆X9uEcr1WoA :2007/12/23(日) 18:32:28 ID:NdIjTkee

とりあえず1日名前だけ尉官でm()m

んで、ぶっちゃけ欝は、
真面目な方が自動で取得する勲章みたいなものですから。
中尉殿も、御身お大事に。

んで・・・つまり、大陸経済と互するには、

蒋介石式商法がいいのかしら。
それとも英国式商法?
それとも毛沢東式商法?

不謹慎で恐縮なのですが、全く現代に通じます。

=日中戦争の戦訓

戦訓を見習って、現世はなるべく手抜きに勤めましょう。
真面目に驀進していると命が幾らあっても足りません!231!
soredehadeha///☆

533法務大尉:2007/12/24(月) 13:11:16 ID:ma6dit67
稲造四等兵の復帰を喜ぶ。
原隊追及が遅れ脱走罪に問はれた例もある。
534イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/24(月) 19:56:26 ID:???
お肉を食べたらお腹が激しく痛いです……。
>>532 あら残念。中尉か大尉は差し上げようかと思っていたのですけど。
>>533 大変恐縮です。大尉殿と争ったのも今ではグッドメモリーでございます。
>>530 あとは太平天国の乱くらいですかね。失敗してますけど。

>>531 >>黄河流域の荒廃は進んでますね

アメリカが自分のお尻に火が付いて、ようやく環境問題を真剣に考えるように
なりましたけど、支那の荒廃状況では思ったより早くそうなるかもしれませんね。
早く人の住めない土地になって欲しいものです。
535イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/24(月) 20:20:06 ID:???
>>529 の続き。さて済南事件から少し遡る1927年11月5日、下野していた
蒋介石は日本を訪れて、当時の田中義一首相と秘密会談をしていました。場所は
東京青山の田中私邸、テーマはもちろん「北伐」です。

日本は張作霖と関係が深かったのですから(特に田中義一は日露戦争時、ロシアの
スパイとして逮捕された張作霖の助命に関わっている)、蒋介石と秘密裏に会うのは
異例でしょう。

この背景には、山本條太郎(満鉄総裁)や森恪(政友会幹事長)、松岡洋右らの
「蒋介石は正直で信用できる人物」との報告を信じたからとされます。

さて2時間に及ぶ会談で、田中義一と蒋介石は「共産党を排除する」という点で
両者の意見は一致しましたが、結局まとまりませんでした。
536イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/24(月) 20:38:42 ID:???
会談の後に蒋介石は、

●「日本は腐敗軍閥を相手とせず、国民党を相手に誠意をもって中日合作して
 もらいたい。そして、北伐を援助してほしいと申し入れたが、田中には誠意が
 なく、中日合作の可能性はない。日本は国民革命の成功を許さず、北伐を妨害し
 中国の統一を阻止するであろう――」

しかし、通訳として会談に同席した佐藤安之助(退役陸軍少将)のメモによると、

●「北伐について田中は、『中国は分裂状態にあるので北伐を焦らず、まず長江
 以南を固めることに専念してはどうか?』と提案した。蒋は、『しかし北伐を
 しなければ、南方に動乱が起こる可能性がある』と答えた――」とあります。

結果的に両者の会談は物別れとなり、不信感を増すばかりとなった訳ですが、
佐藤メモの「北伐を続けなければ、国民革命軍自体、空中分解してしまう」は
興味深いものがあります。
537イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/24(月) 21:28:24 ID:???
ただし、次のような「秘密情報」が日本の陸軍省内に流れていたと云います。

●「蒋介石の提案は、北伐の最終目的は北京にいすわる蒋介石を奉天に追っ払う
 ことだが、張の背後には日本陸軍が付いている。日本軍に妨害されると北伐が
 完成できない。また、国民政府は中国共産党に手を焼いている。そこで日本は、
 同じ反共の立場から国民革命に協力してもらいたい。

 その条件として、国民政府は中国国内の排日運動を取り締まり、また東北(満州)
 での日本の特殊地位を認めるから、日本は北伐を妨害せず、張作霖を東北へ引き揚げ
 させてもらいたいと提案した。田中首相はそれを承諾した――」

とするものです。いわゆる『密約』の類ですが、真相は藪の中です。ただ済南事件が
起こる前年に、このようなトップ同士の会談があったことは覚えておいてください。
538元32(予備役少佐):2007/12/24(月) 21:45:16 ID:???
>>537
松井石根が蒋介石のために尽力したのもこのときでしたね。
539イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/24(月) 21:56:13 ID:6lhpbrD6
>>529 >>当時の済南には日本人居留民が2千数百人ほどおりました。

さて国民革命軍の北上に伴い、田中義一内閣は居留民保護の目的で1928年
4月19日、日本軍の派遣を決定しました。これがいわゆる「第2次山東出兵」と
呼ばれるもので、翌日には支那駐屯軍から3個中隊(小泉恭次中佐以下、460名)が
済南に入っています。

そして4月23日には、熊本第6師団(師団長・福田彦助中将)が門司から乗船して、
25日・26日に青島に上陸したのでした。この内の第11旅団長が、2・26事件にも
登場する斎藤瀏少将だった訳です。

当時、済南は北軍の山東軍閥――張宗昌の本拠地で、張軍と孫伝芳軍がおりましたが
南軍接近の報に戦わずして逃げました。1928年5月1日、ついに国民革命軍の
先鋒である第9軍と第40軍が済南に入城しましたが、お調子に乗った土人兵どもは
反日感情を露にして、行進しながら日本軍の歩哨を嘲笑してツバや痰を吐きかけます。
540イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/24(月) 22:19:36 ID:6lhpbrD6
さらに済南城内の民家の壁や街路樹に、『反対・日本出兵』『排斥・日本帝国
主義』と書いた反日ビラを貼って回りました。また日本人の住居には、北伐の
とばっちりを避けるために「日の丸」が掲げてあったのですが、それを引き摺り
下ろして破って足蹴にさえしました。

このため日本軍と南軍に衝突が起きましたが、このときは現場の団長(連隊長)が
駆けつけて陳謝したため収まりました。しかし、翌日の5月2日には蒋介石自身が
済南に入城してきます。

蒋介石は「日本軍の撤兵」と「日本人居留区の警備区域の撤去」、そして中国人に
対する日本兵の態度が不遜だとして、日本兵の取締りを要求しました。言いも
言ったりです。これに対して福田第6師団長は、「不遜なのは南軍の方だ」として
その要求を当然拒否しました。

何しろ「田中・蒋会談」が物別れになって(密約の有無はともかく)僅か半年後の
ことです。蒋介石は、田中の山東出兵はもちろん、日本側のやることなすこと全てが
北伐への妨害に見えて激しい敵意を燃やし、一触即発の緊迫した状況が続いていました。
541イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/24(月) 22:47:34 ID:6lhpbrD6
このとき済南城内の日本軍は約3500人、南軍は城内外を含めて約10万人でした。

日本人居留区の警備責任者が、第6師団・第11旅団長の斎藤瀏少将だった訳ですが、
何を思ったか斎藤少将は、南軍を刺激するようなバリケードや砂袋陣地、有刺鉄線
などを、福田師団長の許可を得ずに独断で撤去させました。

圧倒的人数の差に弱気の虫が泣いたのか、こちらの誠意を見せれば向こうも分かって
くれると思ったのか、日本人居留民の安全を守ることが第一だと考えたのか、とにかく
そのような弱腰は事態を悪化させるばかりです。更に翌日の5月3日には、日支両軍の
武力衝突が始まりました。

衝突の原因は諸説(双方の言い分で膨大w)あるので割愛しますが、青島で待機していた
第6師団第36旅団も来援、さらに5月8日には名古屋第3師団と関東軍から1個旅団の
増援が決定されます。そして日本軍は5月11日に済南城を完全に占領しました。
542イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/24(月) 23:15:44 ID:6lhpbrD6
>>541 >>そのような弱腰は事態を悪化させるばかりです。

似たような例で、前年の1927年3月に「第一次南京事件」が起こっています。
このときは日本領事館の森岡領事が、南軍の兵士を刺激しないよう「無抵抗主義」を
取ったために、居留民以下、全員が惨憺たる目に遭っています。せっかく先遣隊の
荒木大尉らが、正門に土嚢を積んで機銃1挺を据えて警備していたにも関わらずです。

要するに、どんな場合でも支那人相手に弱気は禁物なのです。ちなみに済南事件では、
軍事顧問として南軍に従軍していた佐々木到一中佐(南京駐在武官)が興奮した南軍に
袋叩きにされて重傷を負っています。当初、佐々木は国民革命に共鳴して、支那統一が
なされれば日中両国に安定した提携関係が築かれると期待していましたが、それは
佐々木の思い込みに過ぎませんでした。

以後、佐々木は『変身』をして、強硬な「反蒋論者」「支那人嫌い」となります。
この辺りは、『日本陸軍と中国 「支那通」にみる夢と蹉跌』(戸部良一著、講談社)が
大変詳しいでしょう。まさに「夢と蹉跌」です。
543イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/24(月) 23:44:07 ID:???
【お詫びと修正】

>>537
×北伐の最終目的は北京にいすわる『蒋介石』を奉天に追っ払うこと
◎北伐の最終目的は北京にいすわる『張作霖』を奉天に追っ払うこと

>>542(補足)
×居留民以下、全員が惨憺たる目に遭っています。
◎領事館に逃げ込んだ居留民以下、全員が惨憺たる目に遭っています。
544名無し三等兵:2007/12/25(火) 09:28:38 ID:???
そういう穏健派の挫折と転向が、満州事変をはじめとする強硬政策を後押ししたのかねえ?
545元32(予備役少佐):2007/12/25(火) 10:35:01 ID:???
>>544
佐々木到一の場合は転向前の蒋介石への傾倒と、
転向後の中国国民党への憎悪が極端に違うので、
とても印象的な例ではありますな。
546名無し三等兵:2007/12/25(火) 20:50:34 ID:???
             ___
        . _r´―――-、: .`: . 、
      ,._r´.´: . 7: . ̄: ̄: マ: . :∧: \
    /': {: . : ._⊥ム〜 z vハ: ./  ',: . :'.,
   ,.'ハ: . /ゝ'    l}    !:{   !: . : .,
  /:{: ヽイ      |    |乂_oノ: . : . , <みなさん、クリスマスの夜に2ちゃんしてて
  {:.lヽ{ l!   ,   ゝ┼ - 一1 : . : |: . }: . !
.  N: . ! |,ノ      |    |: } : . |: ./: . |    楽しいですか?
   |: .ヘ ヘ  、    〃   !/: . :.|:/: . : |
   |: . : '.,       v弌=ミ: . : .:!'-、: . |     カノジョとかいないんですか?
    ,: . :ハ ィ≠ゝ    ::::〃: . : .,  ノ: .:|
     V: . :ハ:::::::      /: . : . /ー': . : :|    もう西暦2008年にもなるんですから
     ',: . !.ヘ     マ_ フ / . : . /: . l : . : |
     V:.!: . :≧rュ.―‐ '/: .//ヽ: .|: . : .:|     ニートなんかヤメませんか?
      Y|: . : .i´/フヽ:./.:/;;;;;;ハ .|: . : .:|
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        | : . : };;\ ノ-‐- 、;;;ヽ;;;;;;V : . : !
.       ル1:イヾ、;;/    ヽ;;;;ヽ;;;;', : . : l
          レヘ ;;;;/      ヽ;;;;ヽ;}: . : :|
        〈  ヽ{         ヽ;;;;;!: . : :|
547イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/25(火) 22:28:18 ID:???
>>544 >>そういう穏健派の挫折と転向が、満州事変をはじめとする
>>強硬政策を後押ししたのかねえ?

その辺は、なかなか説明が難しいところがあります。佐々木到一が南軍にボコボコに
された僅か1ヵ月後には、張作霖爆殺事件(1928年6月4日)が起こっていますから、
佐々木の件とは全く別の場所で進行していた訳です。

近視眼的には、若槻礼次郎内閣(+幣原喜重郎外相)の平和外交に対する不満も
大きかったでしょう(第1次:1926年1月30日〜1927年4月20日)。若槻内閣が倒れた
理由の1つとして、蒋介石の北伐に対して無策というか『放置プレイ』であり、
枢密院の不興を買ったことがあります。表向きには、昭和金融恐慌に伴う台湾銀行の
救済案で揉めたことになっていますが。

第2次若槻礼次郎内閣のときに、満州事変が起きたのも偶然では片付けられない
でしょう。根底には、汚職や経済的失策が度重なる政党政治に対して根深い
不信感がありました。
548元32(予備役少佐):2007/12/25(火) 22:43:01 ID:???
>>547
ただ、穏健派というよりも、
むしろ熱狂的に国民党に思い入れをした日本軍将校達が、
現実に裏切られて醒めていったということは、
長い目で見ると意味をもってきたようにも思えますね。

松井石根といい、佐々木到一といい。

佐々木の『ある軍人の自伝』を読んだときは、
荒涼たる心象風景に寒気がしました。
549名無し三等兵:2007/12/25(火) 22:50:45 ID:???
>>542
とある同人誌で読んだのですが、
米内光政の同期である荒城二郎もいたそうですね。
550イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/25(火) 22:58:55 ID:???
そもそも佐々木到一の場合は、孫文に対して個人的に私淑していたのであり、
「蒋介石なんか後継者じゃない!」と否定してしまえばそれまでだったでしょう。

また支那が真の革命を成し遂げて、独立を勝ち取り、日本のパートナーとなって
ともに東洋平和のために働くことを夢見ていた素朴な大アジア主義者は、佐々木
だけでは勿論無くゴマンといました。まあ、カンジなんかも「大アジア主義者」に
よく挙げられますけどねw。

支那も日露戦争の勝利を見て、日本の近代化に見習えと真剣に考えたこともありますし、
生まれた年代的に明治維新へ参加できなかった日本人が、その代わりとばかりに支那の
革命に熱中したところもあるでしょう。「大陸浪漫」と言ってもいいかもしれません。

実際、支那でも清朝を倒すことが(日本でいう徳川幕府を倒すことが)近代化に繋がると
考えられていました。こうした複雑な背景も考慮しないと、本質が分からなくなります。
551元32(予備役少佐):2007/12/25(火) 23:03:41 ID:???
>>550
ちなみに中山服を発明したのは自分だと、
佐々木さんは主張していたような記憶があります。

近代的で統一された中国が日本と協調するというのが、
アジア主義者の夢でしたが、今に至るまでうまくいきません。

しかし、今に至るまで、この方向に魅了される人はいるので、
やはり、その「大陸浪漫」は魅力的なのでしょう。
552イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/25(火) 23:07:57 ID:prThQmbs
孫文の大アジア主義の説明として分かりやすいものに以下のものがあります。

「中国と日本がアジア主義によって太平洋以西の豊富な資源を開発し、また
 アメリカがそのモンロー主義によって太平洋以東の勢力を統合し、各自それ
 ぞれの発達を遂げたなら、100年にわたり衝突の憂いはなくなるのである』
(『大アジア主義と中国』)

>>548 >>むしろ熱狂的に国民党に思い入れをした日本軍将校達が、
>>現実に裏切られて醒めていった

『日本陸軍と中国 「支那通」にみる夢と蹉跌』の後書きに、著者が江藤淳から
受けた指摘が載っていますが、まさにその通りでしょう。

『佐々木が中国に裏切られたというのは、中国が「他者」であるという認識に
 欠けていたからだ』
553イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/25(火) 23:17:27 ID:???
さすが江藤淳というところでしょうか。佐々木は時、太平洋戦争に至るも
支那に対する愛憎絡みあう複雑な思いと、日本の国益を最優先にする責任感
とで板挟みになっていますが、最後まで支那を「他者」と区別できなかった
のかもしれません。

>>しかし、今に至るまで、この方向に魅了される人はいるので、
>>やはり、その「大陸浪漫」は魅力的なのでしょう。

福田や小沢や加藤など、今もあなたのすぐ隣にいる大アジア主義者w。
554元32(予備役少佐):2007/12/25(火) 23:21:12 ID:???
>>553
>福田や小沢や加藤など、今もあなたのすぐ隣にいる大アジア主義者w。

政治家のみならずビジネスマンにも多いですね。
あれは論理では説明のつかない世界かと。

そういう意味では小泉さんは異端児です。
555霧番:2007/12/25(火) 23:31:23 ID:c9xUyLzB
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556名無し三等兵:2007/12/26(水) 10:14:05 ID:???
>>547
>佐々木の件とは全く別の場所で進行していた訳です。

河本大佐はすでに支那人の現実に目覚めていたんだよw
そういう人だからこそ、戦後に国民党と付き合いながらも地位を維持できたんだろう。
557名無し三等兵:2007/12/26(水) 22:58:16 ID:???
>>547
『日本の百年』(筑摩書房、1962年)からの孫引きですが、佐々木は
張作霖爆殺についてこんな手記を残しているそうです。

「かかる情勢においてほどこすべく残された唯一の方途は、逆の戦法に
 出ずるあるのみ。(略)予はむしろ奉天王国を一度国民革命の怒涛の
 下に流し込み、しかるのちにおいてわが国のとるべき策があるものと
 判断した。
 この計画は一種捨て鉢の一六勝負であるが、わが国内大勢は従前の情
 勢をもってしては、満蒙におけるわが権益の保全も、三百に余る懸案
 の解決も、事実上不可能であることを予察するゆえであった。
 そこで密かに関東軍参謀だった河本大作大佐に書を送り、近くまぬが
 れ難き奉革会戦において奉軍の壊滅またまぬがれ難きを予想し、この
 機会に一挙作霖をほふって世を学良一派の似非新人的雷同分子にゆず
 らしめ、しかるのち、彼の腕をねじあげて一気呵成に満洲問題を解決
 せんことを勧告した」
 (『世の支那生活を語る』1939年7月稿)

この後付の主張がどこまで本当なのか私には判断つきませんが、参考まで。
558イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/26(水) 23:18:19 ID:N2T2UX9M
>>551 >>近代的で統一された中国が日本と協調するというのが、
>>アジア主義者の夢でしたが、今に至るまでうまくいきません。

現代支那が「近代国家」かと問われれば、口が裂けてもそうは言えないでしょう。
というか、未来永劫その日は来ませんw。日本ですら「町民国家」なのですから。

>>549 >>とある同人誌で読んだのですが、
>>米内光政の同期である荒城二郎もいたそうですね。

第一次南京事件当時、荒城二郎は少将で第一遣外艦隊司令官でした。この艦隊は
上海に駐留して揚子江流域の警備を担当していましたが、もう苦労続きでしたね。
ちなみに歴代司令官は、永野修身→荒城二郎→宇川済→米内光政で、荒城も米内も
言ってみれば「支那通」軍人です。

ちなみに日本領事館に先遣隊として派遣された荒木亀雄大尉は駆逐艦「桧」の分隊長
でしたが、所属する第24駆逐隊(「桧」「桃」など)はもちろん荒城少将の指揮下です。
559イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/26(水) 23:50:48 ID:???
>>557 >>世を学良一派の似非新人的雷同分子にゆずらしめ、しかるのち、
>>彼の腕をねじあげて一気呵成に満洲問題を解決せんことを勧告した

ちょっとそれはかなり無理があると思います。佐々木は上記の趣旨の書簡を
河本大作宛に送り、暗号を組んだ『密電』が南京と旅順の間を数回往復した
と云いますが、佐々木の主張は「河本が自分の献策に基づいて張作霖爆殺を
画策した」にまで及びます。しかし、これを裏付けるような第3者の証拠は
見つかりません。

>>556 >>河本大佐はすでに支那人の現実に目覚めていたんだよw

河本は関東軍高級参謀に転任(1926年)してきたとき、あまりの排日行為に
衝撃を受けたと云いますが、張作霖爆殺を具体的視野に入れたのは「二葉会」や
「木曜会」といった中堅将校の研究(結社)グループでの結論からでしょう。
560557:2007/12/27(木) 21:09:44 ID:???
>>559
そうなんですねえ。
佐々木の主張する謀略はやはり後付けくさいですね。

>ちなみに中山服を発明したのは自分だと、
>佐々木さんは主張していたような記憶があります。

ということですから、佐々木もやはり大陸浪人的な吹聴の癖があったのでしょうか。
561イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/27(木) 23:28:32 ID:7J4QQ74L
>>560 >>佐々木の主張する謀略はやはり後付けくさいですね。
まあ、他人を引き合いに出すのはよくありませんが、戸部良一教授もその件に
ついては「彼の主張を裏付けるものは何もない」と言っていますので、まず
間違いないかと。

>>佐々木もやはり大陸浪人的な吹聴の癖があったのでしょうか。

済南事件で佐々木が受けた暴行は筆舌に尽くしがたいものがありましたので、
トラウマどころか人格が変わってもおかしくないでしょう。第一次南京事件の
根本博のそれを遥かに上回ります(根本も下手すれば殺されていましたが…)

むしろ立ち直るために自分に嘘を付いてでも、そう思い込まなければならなかった
のでは? 自分も小学校4年までしか剣道をやっていなかったのに、ずっと6年まで
やっていたと信じ込んでいた経験があります。別に「若年性痴呆症」という訳でなくw
そのころ中学受験(失敗)や小学校でのイジメなどもありましたので、何年かして
自分が納得できる「ストーリー」を無意識に作ってしまっていたのです。
562イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/28(金) 00:04:10 ID:f719H3lj
佐々木到一は「軍事顧問」として、北伐の革命軍に同行していました。済南事件に
直面すると、蒋介石の依頼により停戦交渉の使者として南軍と日本軍の間を往復
することになります。

日本側に蒋介石の意志を伝えると、今度は支那側に停戦の徹底を求める日本軍の
使者となりました。蒋介石の司令部に戻って日本軍の要請を伝えると、さらに
蒋介石の依頼により、支那側の停戦意志を伝えるために日本軍陣地に向かう…。

ヤバゲな雰囲気がぷんぷんですね。両軍の使者を兼ねている訳ですが、下手したら
双方から「敵扱い」です。実際、支那側の陣地を通ろうとした際に車を止められ、
通訳として付けられた副官の桃少佐とともに、外へ引きずり下ろされます。

そして日本側陣地を通過するために用意された日章旗が車内から発見されると、
支那兵共は血相を変えました。通訳の桃少佐は、●「この人は総司令(蒋介石)の
賓客だから殺してはいけない!」と叫びましたが、哀れ、桃少佐は広東出身のため
(ということは、蒋介石直系軍)、軍閥の兵どもには言葉が通じなかったのです――。
563名無し三等兵:2007/12/28(金) 23:05:32 ID:???
歴史書の新しい読み方に気付きました。
小生、従来、いわゆる‘自虐もの’を敬遠する傾向にあったのですが、
しかしそうした著作も、然るべき人物の、
それなりの解釈・研究の結果取捨選択された資料、根拠に基いて書かれたものであります。
ですから、それは、それなりの解釈を加えて読めば、再生利用が可能であるということです。
つまり歴史家の解釈の構造を、こちらがもう一度解釈しながらその資料を読むということです。
これは、いわゆる歴史事実というものが歴史解釈というフィルターをろ
過された後に得られた‘史実’であるという事実に基きます。
まあ、卑近な例でいうなら“通州事件”の記載されていない高名な大歴史事典が
今も存在するそうですから、小生は“史実は一つ”というコピーを未だに信じきれないのです。
564イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM :2007/12/28(金) 23:31:56 ID:???
ようやく仕事納め……。明日から「超時空要塞ビグザイト」に逝ってきますので
しばらくお休みしまふ。って、何の準備もできてねえよっ! ウワーン!(泣)

今年は去年の暖冬とは比べ物にならない寒波到来なので、皆さま防寒対策は
万全に…。
565ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2007/12/28(金) 23:35:44 ID:???
  ∩_,,∩  
  <=`∀´>   今回はお休みニダ
〜(    )
  し―-J
566名無し三等兵:2007/12/29(土) 17:35:03 ID:???

       ,,. -‐f_ニ三二_ニ==..、、
      ,::;;ノ'' ̄       ̄ ヽヽ::.`ヽ
.     '::/             ヾ ミ: l
.       |:l                ミ :::i
.      |:|                .ミ::::l
       |:|               ヾ::リ
      l:| r=_-、'  ,r=_==、   リ、
.       ゙|  i´,-。=、l ─ l,-。=、`l     l|  
.        |  ゝ二 イ   ゝ二 .イ    | l|  私と一緒にモンゴルに来るかね?
.       |    ,/、  ,)、      lノ
        |   ,rfilリ川||||lllliiミ、、   |   
      !  '"、 ̄二 ̄ ,`''     ,|    ttp://www.sovmusic.ru/
       、             ,イ |    から地道に探すといいだろう。ソ連物だけだが。
       ,l`   .,,__ ..::: '':::.. |、    ソ連国歌なら
   _ ,,:::/::!ヽ. `  ..::::::;'':::::::..  ノl::ヽ..._ ttp://www.hymn.ru/index-en.html
  ̄.::::::::::::':::::|  `   .,,_ _... " ,ノ::::::::::::::::::: ̄ がある。
 :::::::::::::::::::::::::|     /;;;;;´ヽ   /:::::::::::::::::::::::::::::
567名無し三等兵:2007/12/31(月) 09:12:48 ID:???
元中佐殿は今頃東部戦線か西部戦線か
568JY:2008/01/01(火) 09:14:11 ID:???
イナゾウ先生、あけましておめでとうございます。
このスレともども、本年はご多幸でありますように(=人=)
569イナゾウ三頭兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/01(火) 11:07:54 ID:???
>>568 あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
マターリと進行させていただければ幸いです。ついでに新年の恩赦で昇進しました。
570イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/01(火) 11:41:05 ID:z5faxEuK
「三頭兵」じゃ、一体どこのモンスター兵士かということでw。石井中将。

>>562 の続き >>哀れ、桃少佐は広東出身のため(ということは、蒋介石直系軍)、
>>軍閥の兵どもには言葉が通じなかったのです。

佐々木到一と桃少佐は共に縛り上げられ、多数の支那兵と周囲に集まってきた
土民共に暴行を受けました。桃少佐の広東語が通じなかったことからも分かるとおり、
佐々木が捕まったのは蒋介石直系軍ではなく、馮玉祥の軍閥兵だったのです。

たくさんの鉄拳が佐々木の顔面や頭に降り注ぎ、服のポケットは切り裂かれ
全ての所持品を奪われます。「殺せ!殺せ!」という叫び声が辺りを埋め尽くし
実際、佐々木の肩口に拳銃が押し付けられました。

別の者は、2本の指を佐々木の顔面に突きつけ、両目を抉る真似をして佐々木を
脅します――。
571名無し三等兵:2008/01/01(火) 11:44:48 ID:???
シナーって陰謀厨なのに民度が低いんでつね
572名無し三等兵:2008/01/01(火) 11:48:00 ID:???
2005年7月3日、支那のTV局北京電視台の午後4時からの番組「社会透視」内で、
支那事変の発端となった盧溝橋事件は、
北京守備隊支那国民党軍第29軍に潜入していた中国共産党地下党員
『吉星文』『張克侠』『何基?』らが引き起こし、
まんまと抗日戦争へと発展させる事に成功したと報道した。
573イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/01(火) 12:04:42 ID:z5faxEuK
このまま事態が推移したら、佐々木は間違いなく「リンチ死」していたでしょう。
きっと死体も切り刻まれて、どこか日本軍の目に付くような路上に晒し上げです。
他の日本人居留民の惨殺死体と同様です。

しかし、そこに幸運が訪れました。たまたま佐々木を見知っている支那軍将校が
乗馬で通りかかり、驚いて佐々木の縄尻を取っている下士官に耳打ちします。

更にその下士官が理性的な人物だったことも幸いし、「絶対に貴官を殺すことは
ありません」と佐々木に囁きます。しかし周囲は『2chの祭り状態』ですから
佐々木への殴る蹴るは止めようがなく、ひたすら最後の一線を超えないように
じっと耐えるのみでした。

まるで佐々木は「市中引き回し」の格好で、大勢の野次馬が隊列を遠巻きにして
追ってきます。周囲の2階の窓からは、「殺!殺!殺!」「打倒日本帝国主義」
という罵声が浴びせられました。
574イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/01(火) 12:35:31 ID:z5faxEuK
まるで『ブラックホーク・ダウン』か、土民の群集に死体を引き摺り回される
米軍兵士の世界ですが、ようやく城門を通り過ぎる際、蒋介石の総司令部から
使者が迎えにきており、佐々木は解放されました。

蒋介石の総司令部に戻った佐々木は、ベッドの一室に倒れこみ昏倒します。
命こそ助かったものの全身打撲状態で、右手が上がらず、下顎の骨を折り
しばらく流動食しか取れませんでした――。

この暴行事件は、佐々木の「支那観」を大きく揺さぶります。もちろん
『幻滅』の一言です。後で述べますが、良く云えばトラウマかPTSD、
悪く云えば、もはや「発狂状態」です。

他にも国民革命軍がいかに烏合の衆で、蒋介石直系軍と勝ち馬に乗ろうとする
軍閥の集合体であることかが分かります。後の支那事変でもよく言われますが
出身地方が大きく違えば、支那人同士で言葉もろくに通じません。まあ、ソ連も
似たようなものですが。
575イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/01(火) 19:32:21 ID:xQiCeZdH
さて時間を少し巻き戻しましょう。佐々木到一がリンチに遭ったのが1928年
5月3日の話であり、その前日の5月2日の出来事です。

(再確認ですが、国民革命軍が済南に到着したのが5月1日。同じく蒋介石が
 入城してきたのが5月2日)

>>日本人居留区の警備責任者が、第6師団・第11旅団長の斎藤瀏少将だった訳ですが、
>>何を思ったか斎藤少将は、南軍を刺激するようなバリケードや砂袋陣地、有刺鉄線
>>などを、福田師団長の許可を得ずに独断で撤去させました。

>>541 で自分はこう前述しましたが、実は斎藤瀏少将にバリケードを撤去するよう
使者として訪れたのが佐々木到一本人だった訳です。これは蒋介石の申し入れの中に
「商業地の防御設備を撤去してほしい」という項目がありました。「革命軍の将兵を
刺激し過ぎるから」というのがその理由でした――。
576イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/01(火) 20:04:26 ID:xQiCeZdH
斎藤旅団長は、上司の福田彦介中将(第6師団長)の許可を取らず、現場の
独断でこれを受け入れました(>>540も参照)。警備区の土嚢、拒馬(きょば:
柵などの障害物)、鉄条網、その他の防御設備を取り除いてしまいます。

斎藤少将はあくまで無用の衝突を避けるために「宥和的な態度」を取った
訳ですが、これは結果的に仇となりました。支那の土人相手に「こちらが
妥協したから向こうも…」あるいは「こちらが善意なり誠意を見せれば…」
と見返りを期待するのが根源的な大間違いなのです。

防御設備を撤去したおかげで、支那の土人兵どもが日本軍の警備区域内に
入り込んできて、かえって摩擦が強くなりました。そして翌3日の午前、
ついに武力衝突が勃発した訳です――。

その当時、支那側の異常な「対日敵愾心」にヒートアップするかのように、
日本側も異様に殺気立っていました。若い将校の中には佐々木に、●「なぜ
革命軍のために世話を焼いているのか!?」と詰め寄ってくる者もいたと云います。
577イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/01(火) 20:57:48 ID:xQiCeZdH
>>576 >>そして翌3日の午前、ついに武力衝突が勃発した訳です――。

日本軍と衝突したのは、日本の陸士留学組で35歳の軍長・賀輝祖が率いる
第40軍の兵士だったと云います。

衝突の原因は、満鉄の機関紙的存在だった『満州日報』の販売店で革命軍兵士が
掠奪を働いた(日本側言い分)とも、その販売店の近くに反日宣伝ビラを貼ろう
としたら日本人が妨害した(支那側言い分)とも云いますが、どちらでも良い
でしょう。要するに、似たような衝突が同時発生的に各所で起こった訳です。

そして同日には上記のように、双方の軍使の役割を急遽担っていた佐々木が
リンチに遭います。職務からとはいえ、「自分で蒔いた種」と言えなくもない
でしょう。翌4日までの戦闘で早くも支那側の死傷者は1000人を超えたと
云います。日本側は、軍人の戦死者が10人、民間居留民の死者が13人でした。
578元32(予備役少佐):2008/01/01(火) 21:53:02 ID:???
>>577
ようやく規制解除。イナゾウ班長殿、あけましておめでとうございます。
今年もまったりいきましょう。

佐々木の屈折した心境も泣けますが、
しかし、そこまでして中国についていくだろうか。
579イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/02(水) 03:47:12 ID:6Z2icJNd
>>541 >>衝突の原因は諸説あるので割愛しますが、青島で待機していた第6師団
>>第36旅団も来援、さらに5月8日には名古屋第3師団と関東軍から1個旅団の
>>増援が決定されます。そして日本軍は5月11日に済南城を完全に占領しました。

上記が「済南事件」の概要、そして第2次・第3次山東出兵となる訳ですが、
斎藤瀏少将(第11旅団長)は事件の現場責任を取らされて「予備役編入」の
憂き目となりました。佐々木の要請を独断で受け入れたばかりに気の毒ですが、
蒋介石に対する何とはなくの期待、あるいは南軍の大部隊に対するプレッシャー
もあったのでしょうか。

後に上司の福田師団長が「居留民保護」→「膺懲(ようちょう)戦争」に方針を
大きくシフトすると、事前にバリケードを撤去して事態を不利にしてしまった格好の
斎藤旅団長の過失がことさら大きく見えます。必ずしも現場が詰め腹を切らされた
だけとは云えないでしょう。
580イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/02(水) 04:27:13 ID:6Z2icJNd
>>578 >>ようやく規制解除。イナゾウ班長殿、あけましておめでとう
>>ございます。今年もまったりいきましょう。

あけましておめでとうございます。こちらこそ今年もどうぞよろしく。
いま深夜映画の『八甲田山』を観ながら書いています。ろくな防寒装備も
付けずに体感温度マイナス20℃……。冬のコミケ3日目も超寒かったですが、
それでも気温2℃程度です。体感を含めてマイナスにいくかどうか……。

>>先頭で教導していた神成大尉は誰ともなく命令する。「ここで部隊を解散する。
>>各自勝手に青森へ帰るように。」それまで何とか落伍せずに頑張っていた
>>多くの兵士が、この一言により箍が外れ、発狂して服を脱ぎ始める者、
>>「この崖を降りれば青森だ!」と叫び川に飛び込む者、「筏を作って川下りを
>>して帰るぞ」と叫び樹に向かって行きそのまま倒れこむ者と、この一言で
>>倒れこんで凍死する者が続出した。
581イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/02(水) 04:44:51 ID:6Z2icJNd
>>イナゾウ班長殿、あけましておめでとうございます。

ようやく「懲罰大隊」の班長から抜け出せそうですw。マトモな部隊に
転属される日も近い?……

>>「ここで部隊を解散する。各自勝手に青森へ帰るように。」

「ホームレス中学生」の『解散!』を上回りますw。
>>567 >>元中佐殿は今頃東部戦線か西部戦線か

毎回そうですが自分は、全日通しで参加しました。つくづく思いますが、
やはり「コミケの華は3日目」よのうw。

3日目は「西部戦線」におりました。東方スペースの西2を彷徨っていただけで
ほとんど1日が終了してしまいました。資金的には充分な余裕がありましたが、
実家への帰省の関係もあって3時前には切り上げざるを得ず、また1人で持ち運ぶ
量には限界があったのですw。

まあ、話の賞味期限が切れる前に、恒例の『悪質な閑話休題』ということで……。

◎事前の予想では、大寒波到来とのことでしたが1日目・2日目はむしろ暖かい
 ぐらいで、夜に降った雨の方がキツかったですね。
◎自分は3日目の深夜1時ぐらいに「西部戦線」に到着いたしました。
 「半徹組」のほぼ先頭に並ぶことができましたが、午前3時半ごろに
 階段上に移動してビックリ!

 奥の方から「整理券組」が2〜3リットルぐらい出るわ出るわw、結局
 階段を上がったすぐの通路のところで列が確定となりました。前年と
 比べましても異常な「整理券組」の量です?。まあ、「FLIPFLOP」を入手
 できただけで、先行できた時間はチャラになりましたがw。

◎2日目の「やん家」さんの新刊がなくて、しょんぼり。

◎1日目の場内放送で、「来場する際に、タクシーの運転手さんの
 荷物をいっしょに持っていった参加者の方、運転手さんが困って
 いますので至急本部まで来てください」という内容に場内苦笑。
 まあ、複数人でタクシーに乗ってトランクに荷物を預けたはいいが、
 仲間かサークルの荷物だと勘違いして持っていったのかしらん?w
◎1人場所取りしているところに、1〜2人列に割り込んでくるのはまだ許せるが、
 1人場所取りしているところに、5〜6人列に割り込んでくるのは止めてくれw。
 アキレス腱、蹴り切るぞ。トイレから戻ってきたら列のあまりの惨状にビックリ
 します。仕方ないので、その内のお一人様に集中して報復させて頂きましたw。

◎3日目の東方スペースに、ものすごい可愛い「霊夢」のコスプレをしている娘さんを
 発見してビックリ。小柄な背格好といい、少し痩せぎすの体形といい、服装のデザイン
 の良質といい(当然、寒風吹きすさぶ中、腋全開w)、可愛いながら少し陰のある表情
 といい、誰がどう見ても80〜90点は固いだろうさw。ツボにはまりまくりです。

◎帰省で急いでいる関係で、戻りの秋葉原までタクシー使ったら4千円もかかりましたw。
 運転手が「ヨドバシカメラの位置関係が分かりません」という基地外で、通ったルートも
 怪しいものです。信号待ちで時間も早くならないので2度と使いませんw。参考までに
 東京駅から超時空要塞ビグザイトまでは「深夜料金」でも3千円弱、石原都政の
 「オリンピック道路」のおかげで本当に近く早くなりました。
>>584 >>ものすごい可愛い「霊夢」のコスプレをしている娘さんを発見してビックリ

  .「^ヽ,ry'^i
  ,ゝ"´ ⌒`ヽ    
 くi Lノノハノ)」    サークルの列に並んでいるときに発見して、あまりの
  λ.[i ゚ ヮ゚ノi!    ドハマリ具合にしばらく眺めていたら、偶然目が合って
  レ',ヘ.i`ム'」つ   「キモッ」とばかりに顔を背けられたそうよw。ちなみに
  ,く_,//T.iλ     イナゾウ三等兵の「霊夢」のイメージは、『徒歩二分』の
  "ーr_,t_ァ'"     全宇宙を見下すような少し陰気のカリスマ巫女さんですw。
586イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/02(水) 16:03:15 ID:???
>>579 >>斎藤瀏少将は事件の現場責任を取らされて「予備役編入」の憂き目
>>527 >>栗原:「お…おじさん、斬ります!!(怒)」
   >>斎藤:「斬れ!! 斬ってしまえ、クリコ!!(怒)」

さて「済南事件」の顛末ですが、斎藤瀏旅団長ならびに上司の福田第6師団長は
事件の責任を取らされて予備役編入されてしまいます。福田彦助中将は、ロシア
大使館附武官補佐官やWW1ではロシア軍の観戦武官、シベリア出兵、ニコリスク
特務機関長などを歴任するなど「ソ連通」の典型的な軍人でしたが、「済南事件」に
関わってしまったばかりに、そのキャリアを終わらせてしまいました。運が悪い
としか言いようがありません。

斎藤瀏少将は、直接の現場責任者ですから「予備役編入」は仕方の無いことでしょう。
しかし問題は、その後です。「2・26事件」に大きく関わってきます――。
587名無し三等兵:2008/01/02(水) 19:49:17 ID:???
イナゾウ氏は「東方」がお好きのようですが、もし仮に「ハルヒ」とかにはまってたとしたら
「ただの支那兵には興味ありません」とか「俺、便衣萌えなんだ」とかナリキリしていたのでしょうか。
588イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/03(木) 09:14:00 ID:aw65Rmdv
>>586 >>しかし問題は、その後です。「2・26事件」に大きく関わってきます――。

新年元旦の発売日で『昭和維新の朝――二・二六事件と軍師斎藤瀏』(工藤美代子著、
日本経済新聞社)が出ているそうですが、「軍師・斎藤瀏」はチト言い過ぎではない
でしょうか?w 「指導者」ではなく、あくまで「アドバイザー」としての軍師なら
あるいはそうでしょうけど。

しかし斎藤瀏予備役少将が「2・26事件」に少なからず関わっていたのは事実です。
きっかけは決起将校のひとりである「栗原安秀」中尉が、自分の娘と幼馴染であり、
家族ぐるみの付き合いが元々あったからでしょう。あるいは斎藤瀏は、佐々木信綱
門下の歌人でしたから、その方面も何かあったかもしれません。

そして「済南事件」で予備役編入された恨み節も多少はあったでしょう。統制派に
人誅を喰らわせ、天皇親政の国家改造を果たすという計画に少なからぬシンパシーを
感じたかもしれません。もちろん、現役将官だったとしても「2・26事件」に助力しな
かった保証はありませんけれど――。しかし決起は、天皇の怒りを買い鎮圧されます。
589元32(予備役少佐):2008/01/03(木) 09:19:11 ID:???
>>588

班長殿、早いですなあ。
正月はゆっくり休まれてください。

>工藤美代子

謎の近衛賞賛本を書いた人ですね。
590イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/03(木) 09:41:18 ID:aw65Rmdv
その結果、斎藤瀏は将官のなかで唯一「有罪判決」となり5年の禁固刑に
処されます。そればかりか、位階勲章・年金などを全て剥奪され、一家は
経済的にも苦しい生活に追い込まれます。斎藤家パニック!w ジリ貧から
わざわざドカ貧になったとしか言いようがありません。

このように軍人としては不運というか、ボタンをどこかで掛け間違えたような
斎藤少将ですが、多少なりとも名前が残っているのは、娘の斎藤史が現代短歌の
女流歌人だったからでしょう。決起将校の栗原安秀・坂井直中尉とは旭川時代
からの幼馴染であり、事件後の斎藤史は「2・26」を偲んだ短歌を多く世に
残しました。

さらに斎藤史は、三島由紀夫の『豊饒の海』の鬼頭槇子のモデルでもあります。
591イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/03(木) 10:34:36 ID:aw65Rmdv
>>527 >>栗原安秀:「お…おじさん、斬ります!!(怒)」
   >>斎藤瀏:「斬れ!! 斬ってしまえ、クリコ!!(怒)」

斎藤家は、栗原安秀のことを「クリコ」と呼んでいました。栗原安秀が
大変な美形だったことは有名で、樋口季一郎中将も「女にして良いような
美青年」だと言っています。

てっきり「クリコ」は「栗子」なのかと思いきや、実は「栗公」とのこと。

「栗公らはやりましたか」
「やった」 

 家族も私(斎藤史)も栗原安秀を栗公(クリコ)と呼んでいた。

「行きますか」
「行く」
592イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/03(木) 10:36:30 ID:aw65Rmdv
ちなみに斎藤瀏は、存外に長生きして終戦後の1953年まで生きました。
娘の斎藤史が亡くなったのは2002年で、まだ最近のことです。

 昭和の事件も視終へましたと
     彼の世にて申し上げたき人ひとりある――(斎藤史)

 There is one person
  in the world that lies beyond
   to whom I shall say:

 “I have been a witness to
    all the events of Showa"

日本文だけですと、「昭和の事件」が「2・26事件」だけに読めてしまうかも
しれませんが、英文を見ると「昭和という時代そのもの」だと分かります。そして
斎藤史の云う「申し上げたき人ひとり」が誰かは、言うまでもないことでしょう。
593名無し三等兵:2008/01/03(木) 16:01:43 ID:ReVki2ey
                ,..イ://:.:.:./:.:.:.: : :. :. ::.ヽ、
                /-:ァ'.:./:.:.: ./.:/:/.::.:. .:... . :.:.:ト、
                /´:.:.:/ ..:.:.:. /:./::/:.|:.:|::.l:.:.:.:. .:.:.:|:i:.:.:ヽ <オマエラ!正月から2ちゃんでカキコか?
         /⌒/‐:::::7/.:.:.:. /.7ト从ハ.:ハ:|:.::.:l.:.:.:.:.|:!:.. .:ハ
        /:.:. .:.:.:ト::::// :.:.:.:. |:/z‐ァ示ミlトl:{::l:.|::.:.:.:从|:..:: !l    友達とか彼女とか居ないのか?
          |: : .:.:.::ハ:_|:l.:.:.:.:.:.:.:|ヘ トi::::小ヽl!ヽリ.:.:.ムリ:|.:.:.:|:|
          |: .:.:::ハ:V_|:l:.::.:.: .:.:l:! 、辷ツ    /::イ心Vj::|.: |:|    サミシイやつらだな!!
         | ..:.:.::|:V. r|:|.:::.:.:.:.:.|:{      ノ´  {i::リi}}リ:./:.:!
        | .:.::.ハ{、 |:|:.:|:.:.:.:小!           , `゙ l/:イ:.:リ     今年こそニートやめて、仕事しろ!!
           !.:.:.:|:::: l:ト.}|!:.|::.:.:l:.| ヽ      , 一'i    /イ}|:./
           |.:.:.:l!:::::l:| 小::l:::.::l:.|        廴.ノ  /八リ/      友達もできるし、彼女もできるっしょ!!
          }:.:.:|!:::::|ハハヘト、: l:|      `    /:: //
          /.:.:ノ}::::ハ:::} ,ム.ヽY{丶.      .イ }:::::/′
       _ム≦イ‐'‐ri´ |  ヽ.  `  ァ┬<::_|//:/_
    ,. ´    |!  l|   !         / |! ,/ /'j/  `ヽ、   
  /         |!  l|   、         ノ′l|  ′     ヽ
 /        |!  l|          |!  .lレ'´        .
594名無し三等兵:2008/01/03(木) 16:12:01 ID:09IBT/Er
>>593
いま中国的天空よんでまふ
595イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/03(木) 21:43:55 ID:aw65Rmdv
しかし、矢吹一夫の『昭和動乱私史』には2・26事件後、獄中の斎藤瀏
予備役少将について、以下のような記述があります。

私と同室していた『予備少将』が、隆々たる股間の一物を格子から突き出して、
「おい、憲兵っ」と大声で呼んだのである。われわれの室の前には、いつも
着剣軍装の二十二、三歳くらいであろうか、紅顔の憲兵が立っていたが――。

「はっ、何でありますか?」

と振り向いた鼻先へ『逞しい逸物』を、ぐいっと突き出しておいて、

「貴様あ、覚えがあろう。尻を持って来いっ」

と大喝したとたん、その青年憲兵は見る見る首筋まで真っ赤になって、下を向いて
しまったのには、三つの室から「どっ」と爆笑が沸いた。しかし、北(一輝)ひとりは
ニコリともせず、静かに「法華経」を読誦していたのが印象的であった――。
596イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/03(木) 22:01:26 ID:aw65Rmdv
矢吹一夫の記述を信じるならば、斎藤瀏は「男色家」の気があり、
何か「クリコ」や他の青年将校に対しても『お稚児さん』か『少年愛』の
対象としていやしないかと思わず邪推してしまいます(核藁)。

いやはや「腐女子」が喜びそうなエピソードです。先日のコミケの
歴史ジャンルでも「2・26事件」の本を女性陣がけっこう出されて
いてビックリです。栗原安秀のみならず中橋基明も大変な美形ですし。
597名無し三等兵:2008/01/03(木) 22:23:32 ID:n4w4bF1f
某陸軍ブログでも取り上げてた話ですね>斎藤少将の件
598イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/03(木) 22:23:38 ID:???
>>587 >>イナゾウ氏は「東方」がお好きのようですが、もし仮に
>>「ハルヒ」とかにはまってたとしたら

新刊は一体いつになったら出るんでしょうね?w 年が明けてしまいましたよ。
基本的にライトノベルは読んだら「ゴミ箱にぽい」なので、台詞を真似して
流用できるほど読み込むのは難しいです。「なのは」はDVDで観る時間が
本当にありませんのである意味、助かっています。いわば最後の一線ですw。
599イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/03(木) 22:29:52 ID:???
>>597 >>某陸軍ブログでも取り上げてた話ですね>斎藤少将の件

あ、参考文献は「近衛読書中隊」ねw。
600楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/03(木) 22:46:22 ID:???
>>587 >>もし仮に「ハルヒ」とかにはまってたとしたら

         i^ヽry/`ヽ、
      , '` ⌒ ゙`ヽ'
      L(ノ八ノノLi〉
  []\  il、゚ヮ.゚[i.llλ  私だって一応、ポニーテールなのよ?
 [][] \ ノi`ム´」,ヘリ    ほらほらっw。
. [] []   〈/i.Tヽヾ、_〉
.[][[]    ゙''t_ァ_ァ‐゛
601イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/04(金) 08:48:57 ID:???
>>589 >>班長殿、早いですなあ。正月はゆっくり休まれてください。
>>工藤美代子 謎の近衛賞賛本を書いた人ですね。

まあ、仕事が始まったらどうなるか分かりませんし、書ける内に書いておこうかと。
松井ヒデキの『告白』を読みましたら、「この歳になって1日は24時間しかない
ことを強く意識するようになった」と書かれておりまして、全くその通りだなあと。
しかし12月下旬、無理したら胃腸風にやられまして却って効率が悪くなりましたw。

『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』はレビューなどを見ると、おおむね
評価が高いですね。自分は未読ですけど。

>マッカーサーから憲法草案作成への協力まで要請されていた近衛がなぜ一転、
>戦犯になったのか。著者はその原因をマルクス主義者の都留重人とH・ノーマンが
>『木戸幸一の責任を軽くするため近衛を陥れた』とする推論を展開する。

「木戸幸一と近衛文麿との微妙な距離感」というのは興味深いですが、終戦工作以降に
スポットを当てれば、そりゃあ近衛の評価は上がるだろうさ、というのが第一印象w。
602イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/04(金) 09:52:46 ID:mnnfQ9V1
>>571 >>シナーって陰謀厨なのに民度が低いんでつね
今現在なら「民度が高い」とでも思っているんでしょうか、あなたはw。

>>574 >>この暴行事件は、佐々木の「支那観」を大きく揺さぶります。もちろん
>>『幻滅』の一言です。

そもそも近代化とは何でしょうか?――その重要な要素の1つとして「近代軍」の
成立が挙げられます。日本で云うなら明治維新を経て陸海軍の創設――要するに
『国民軍』の成立ですね。それでなくては単なる『私兵』であり、『軍閥』です。

昭和の日本陸軍で「第5師団(広島)は俺のモノだ」と抜かす馬鹿はもういません。
しかし当時の支那は、蒋介石の国民政府成立後も「軍隊は私物同然」であり、現代の
共産支那だってその残滓は残っているでしょう。

済南事件前後の『北伐』は、そのような近代的な「国民軍」を目指した国民革命軍の
試金石だった訳ですが……。少なくとも蒋介石の直系軍は、です。(続く)
603名無し三等兵:2008/01/04(金) 11:20:16 ID:???
>終戦工作以降にスポットを当てれば、そりゃあ近衛の評価は上がるだろうさ、というのが第一印象w。

反軍部の最右翼である松岡洋右を排除し、陸海軍部の言うとおりに南部仏印進駐やって石油禁輸を食ってれば世話はない。
その後で日米首脳会談とかもう馬鹿じゃねw
ホント何考えてたんだろう。
604名無し三等兵:2008/01/04(金) 14:43:16 ID:???
済南事件といったら、こんなネタがありましたね。
ttp://www.warbirds.jp/heiki/kanamaru2.htm
605徹夜無職年中正月夏休み:2008/01/05(土) 02:35:45 ID:???
私がイナゾウの独立を保障しました








606イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/05(土) 09:30:12 ID:9YtkMlC2
>>594 >>いま中国的天空よんでまふ >>602 >>そもそも近代化とは何でしょうか?

『中国的天空』は支那空軍の近代化を考えるうえで、平易で理想的なテキストですね。
2月に後編が出るのを待ち遠しいと思っていましたが、いろいろ他にも読む本があり
まして、前編が読み終わらないかもw。

さて『中国的天空』の冒頭を読めばわかるとおり、支那の「近代軍」は清朝末期に
始まります。辛亥革命(1911)後はその遺産を各軍閥が「分け前」として持っていって
しまいますが、軍閥というのは「私軍」に他なりません。

支那軍の「近代化」はそこで事実上ストップしますが、空軍というのは「俺は
この航空機を何機もっている」と非常に分かりやすい『宣伝媒体』になります。
実際の戦力になるかはともかくとして、各軍閥は資金の許す範囲において、
徐々に機体を増やしていきます。これが支那空軍の過渡期にあたります。
607イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/05(土) 10:02:09 ID:9YtkMlC2
まあ、詳しくは後日予定している大テーマ『上海航空決戦外伝――中国的
天空を読む』でやりますが、空軍は海軍と同様に「技術」の固まりですね。

パイロットや整備員は少数精鋭で育成し、機体や部品その他のバックアップは
金にものを言わせるか、外国の援助に頼る。これで「前近代的」な支那軍でも
急速に戦力を整えて、国産兵器の縛りがある日本軍を一気呵成に打ち負かす
ことができると考えた。しかし、そもそもマトモな「空軍力」の建設は、
海軍のそれに匹敵する社会的インフラが必要不可欠だったのだ――。

というのが、前述の中テーマ「上海航空決戦」の結論でした。しかし
「陸軍の近代化」というのは、海空軍のように「見た目」で分かりやすい
ようにはいきません。まず陸戦の勝敗は、兵数・士気・指揮官の能力・地形・
兵器など様々なファクターが絡んできます。また兵士が受けた平均的な初等
教育も露骨に影響しますし、動員や徴兵といった社会システムも不可欠です。
608イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/05(土) 10:22:33 ID:9YtkMlC2
支那の場合、陸戦は「事前の切り崩し」でオセロゲームのように勢力が
逆転して、一方が戦わずして下野することも多かったのです。ですから、
近代陸軍の建設というのは、清朝のような国家単位ならともかく、軍閥
単位ではとてもモチベーションが湧かなかったでしょう。

それよりも単に兵員の頭数を増やすか、大砲や航空機などの見た目に分かり
やすい兵器を購入したほうが良かったのです。なぜなら、それは対抗勢力に
向けての『宣伝活動』だからです。『宣伝戦』といっても良いでしょう。

そして軍閥時代の近代陸軍の建設は、「黄埔軍官学校」を待たねばなりません。
もちろん蒋介石が校長を務めた、国民革命軍の士官養成学校です――。

(もう少し済南事件は続きますw)
609ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2008/01/05(土) 11:28:29 ID:???
  ∩_,,∩  
  <=`∀´>   遅ればせながら、
〜(    )   図書館でKO大出版会の「日中戦争の軍事的展開」を借りてきたニダ
  し―-J
610イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/06(日) 15:55:54 ID:CDYhfasd
>>578 >>佐々木の屈折した心境も泣けますが、しかし、そこまでして
>>中国についていくだろうか。

さて「済南事件」をもう少し続けましょう。第2次北伐時(1928年4月〜)、佐々木
到一は、蒋介石率いる「国民革命軍総司令部」に従軍を希望して、許可されました。

佐々木は、「国民党がいずれ支那全土を支配するだろう」と確信していましたので、
その国民党軍と日本軍の精神的パイプ役となることを自分の責務だと考えました。また
革命軍が本当に近代的な『国民軍』へと変わり、日本と手を結ぶに足る相手かどうか?、
この目で確認するために北伐への従軍を望んだと云います(『支那内争従軍記』)。

蒋介石は、佐々木に「作戦面での助言を求めたい」と述べましたが、多分にリップ・
サービスでしょう。北伐での最終局面では、日本軍との衝突が大いに予想されました
ので、佐々木に求められたのは連絡役としての『保険』であり、極端な話、『人質』に
近いものがあります。当然のことながら、佐々木には作戦に関わるような軍事情報は余り
公開されず、従軍中、日本本国との連絡も婉曲に拒否されました(スパイ行為の防止)。
611イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/06(日) 16:34:26 ID:CDYhfasd
>>608 >>軍閥時代の近代陸軍の建設は、「黄埔軍官学校」を待たねばなり
>>ません。もちろん蒋介石が校長を務めた、国民革命軍の士官養成学校です。

北伐当時の「国民革命軍」の実態はどんなだったでしょうか。蒋介石直系の
第1集団軍を見ると、総参謀長に楊杰(ようけつ)、参謀副長に熊式輝など
日本の陸士・陸大留学者が少なくありませんでした。

(再確認ですが、第1集団軍=蒋介石、第2集団軍=馮玉祥、第3集団軍=閻錫山、
 第4集団軍=李宗仁、となります)

佐々木の回想では、「(第1集団軍は)日本軍と比較して、組織の能率や戦術
レベルでは近代軍として至らない部分が多いが、軍紀は意外に厳粛で、掠奪・
強姦を見かけたことがなかった」と云います。

しかし、別宮翁の「第1次大戦」(済南事件の論争点)などを読みますと、
「済南事件の武力衝突は、蒋介石の略奪命令による計画的犯罪」とありますw。
612イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/06(日) 16:52:42 ID:CDYhfasd
佐々木の証言は、現場を見聞きした「第1次当事者」のものですが、当然の
ことながら自己弁護や、都合のよい意図的なミスリーディング(誤誘導)、
あるいは無意識の希望(こうであったら良かったのに)も含まれますから、
そのまま鵜呑みにする訳にもいきません。別宮翁の挙げる地図などを見ると、

>>5月3日11時ごろの済南商阜地の情況をみれば、『国府第1集団軍』の済南に
>>宿営した部隊がほぼ総力あげて、商阜地の日本軍守備線内地区(青斜線内)に
>>向っていることがわかる。

東西に分かれてしまった日本軍の警備区(領事館がある地域と、邦人が密集
する地域)が、革命軍による包囲殲滅(それも蒋介石直系の『第1集団軍』で
あることに注意)の意図に晒されていることが、ありありと見て取れます。
613イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/06(日) 17:12:59 ID:CDYhfasd
また「済南事件」の写真も挙げられおり、
>>白昼堂々、済南商阜地(※日本人居留区)を略奪する国府中央軍兵士。
>>明らかに集団で行われている。手前で小銃をもつ士官が見張っている
>>ことに注意。

サンタクロースではありませんがw、白の大きなズタ袋を肩から背中に
下げている支那兵を見ると、とても佐々木の言うことを全て鵜呑みには
できないでしょう。無論、別宮翁が電波を発している可能性もありますがw。

ただ別宮翁の論点で面白いのは、「蒋介石が『略奪命令』を出した」と
する点で、こう考えますと革命軍の軍紀もクソも関係ないことになります。
親玉が「略奪しても良い、むしろやれ」と命令している訳ですから、むしろ
兵たちはそれに従う方が軍紀的に正しい訳ですw。

スターリンによる満州やベルリンのソ連軍ではありませんが、親玉のキャラ
クターにも大きく左右されます。済南の日本軍はよほど侮られたのでしょう。
614名無し三等兵:2008/01/07(月) 21:17:52 ID:???
南京に抗日航空記念館 新たな反日教育の拠点に  (産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080105/chn0801051007001-n1.htm

新華社電によると、南京市は5日までに、抗日戦争中に戦死した国民党や旧ソ連、米軍などのパイロットを記念する
「南京抗日航空記念館」を建設すると発表した。
今年4月に着工する。同市では旧日本軍の南京占領から70周年の先月13日、
大幅拡張した「南京大虐殺記念館」が再オープンしたばかり。新たな抗日記念館建設で、反日教育の強化が懸念される。

新記念館は孫文の墓地「中山陵」などがある紫金山の北側に建設される予定。
延べ床面積は2200平方メートルで4つの展示室を設置。屋外展示場には抗日戦当時の航空機の残骸や航空烈士の像を展示する。

南京市政府は、すでに建設されている南京航空烈士共同墓地、
同記念碑と合わせて「南京抗日航空烈士の国際的な聖地にする」と説明。

建設総額は2000万元(約3億円)と見込まれており、江蘇省と同市が建設資金を負担するが、
すでに世界各国から214万元(約3210万円)の寄付金と、展示物として史料など300点以上が集まっている。

------------------------------------------------------------------------------------------

サンケイ脳としか言いようがない。
615イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/07(月) 22:52:27 ID:R40anBDb
>>603 >>その後で日米首脳会談とかもう馬鹿じゃねw ホント何考えてたんだろう。

兵頭軍師の新刊『日本の戦争Q&A』はある意味、徹頭徹尾「海軍批判の本」でも
ありますが、支那事変直後に近衛首相が「宣戦布告」を出来なかったのも、航空
ガソリンの輸入が困難になることを怖れた海軍の横槍であると指摘しています。

ただ陸軍は「重爆の開発」に失敗して、長距離(戦略)爆撃は海軍に頼らざるを
得ませんでしたから、陸軍もその点だらしがないでしょう。

2・26事件直後、最初に大命降下したのは近衛文麿でしたが(西園寺公望の推薦)
健康の問題を理由に断っています。貧乏くじというか、尻拭いをさせられるのを
嫌がった訳です。土壇場での近衛の「投げ出し癖」も含めると、肝心なところで
ふんばらず、手遅れになってからジェスチャー的に頑張っている感があります。

要するに、近衛文麿は「安全圏」あるいは自分の所業で状況が極限まで悪化した
「ダメ元」でないと何事もできない人物なのです。終戦工作はまさにそれです。
616イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/07(月) 23:07:19 ID:R40anBDb
>>604 >>済南事件といったら、こんなネタがありましたね。

「甲冑将校」ですか…。写真のインパクトが強すぎですね。まあ、下手したら
「100人斬り」のように話が一人歩きしますから、『椿事』で済んで良かった
じゃないですかw。ただ一緒に戦っている人間がひとり、鎧を身につけていたら
他の兵士の士気は下がるか、怖気づくのではと思います。
617楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/07(月) 23:20:44 ID:???
>>605 >>私がイナゾウの独立を保障しました

       .「^ヽ,ry'^i  ♪   ______
       ,ゝ"´ ⌒`ヽ     |  | ̄ ̄\ \
      くi Lノノハノ)」    .|  |    | ̄ ̄|  
       λ.[i ゚ ヮ゚ノi!     |  |    |__|   ついで経済的にも
       レ',ヘ.i`ム'」つ   .   |_|__/ /    保障して欲しいわね。
    ,ノ⌒,く_,//つつ| ̄ ̄ ̄ ̄ |  〔 ̄ ̄〕
    `'ー´  ( ̄| ̄
618イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/08(火) 00:00:59 ID:???
さて「済南事件」の顛末ですが、支那兵のリンチにあった佐々木到一はその後
どうなったでしょうか。直後に見舞いに訪れた蒋介石からは「日本軍との提携の
望みは無くなった」と不信の念を表明されて、散々な末路です。

さらに残酷なのは、済南から療養のため日本に帰任して再び南京に戻ると
(佐々木はそもそも参本附仰付で南京駐在)もはや支那側から佐々木への
接触を断ったことです。国民政府や革命軍総司令部ともほとんど没交渉と
なり、日本軍の回し者として無視されたのです。のちに佐々木は、

「済南事件に直面して、予の夢が完全に破れた。広東時代の予はただ若かった
 ことを自覚せねばならぬ」と幻滅と失望をあらわにしています。
619名無し三等兵:2008/01/08(火) 02:07:20 ID:???
ていうかこの人って、てめえの国が侵略した相手と仲良くなれると本気で思ってたのか。凄いな。

勝手に期待して、偉そうに啓蒙しようとして、あげく勝手に幻滅って…(汗
軍人の本分を越えてるとかいうレベルの問題じゃないですね。
ていうかこんな人の気持が分からん連中だからこそ、よその国を踏みにじっても
平然としていられたんだろうなぁ。
今の中国はあまり好きじゃないが、当時の中国の人には本気で同情します。
620名無し三等兵:2008/01/08(火) 15:34:20 ID:4pI+XV22
松岡洋右ってよく分からん。
三国同盟締結や日ソ不可侵条約のお膳立てしたことを考えれば対米強硬派だが、
陸海軍の南方進出にことごとく反対したところを見ると融和派にも見える。
621元32(予備役少佐):2008/01/08(火) 15:42:46 ID:???
>>619
中国と国民党と孫文と蒋介石と日本人の革命同志のあいだには、
いろいろ複雑な関係があるので、国単位で区分して、
簡単に決めつけるようなことはいえないのです。
日本人同志の尽力がなくては初期の国民党はありえないので。
松井石根も佐々木到一も国民党の功労者なところに歴史の皮肉があります。

済南事件当時の日本がもう中国を侵略していたかどうかも問題。
そもそも孫文は満州を中国と思っていないので、
日本が占領しようが国を作ろうがかまわないのです。
それが蒋介石の時代になって、次第に変化するのですが。
622名無し三等兵:2008/01/08(火) 18:11:12 ID:KmkuFplA
ホラーより怖い中国の実態

★1 http://jp.youtube.com/watch?v=gsXRCNj8W80
★2 http://jp.youtube.com/watch?v=KyLEV2SOYvM
★3 http://jp.youtube.com/watch?v=zqVhG4uuMlU
★4 http://jp.youtube.com/watch?v=VZ1qS2eIPNQ

売国メディアの親中番組を信用するな。
623イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/08(火) 23:24:44 ID:nYK+tqmy
>>620 >>松岡洋右ってよく分からん。三国同盟締結や日ソ不可侵条約のお膳立て
>>したことを考えれば対米強硬派だが、陸海軍の南方進出にことごとく反対した
>>ところを見ると融和派にも見える。

要するに松岡洋右は、「ひたすら掛け金のチップを積み上げて米国を屈服させる」
ことを目指していただけで、当たって砕けろ的に米国と戦争することは考えて
いなかったのです。いわば徹底的なブラフです。たとえ手で勝てなくても口で勝て。

松岡は、日独伊三国同盟にソ連を加えて「四国同盟」とし、米国に圧力を加える
ことで大東亜共栄圏から手を引かせるという自分の構想に酔っていました。

しかし独ソ戦が始まると状況は一変します。松岡は、日本が独ソと連携し更に
英国が脱落した場合にのみ、アメリカを抑止できると見積もっていましたので、
その大条件が崩れた以上、日本の南部仏印進駐はいたずらに英米を敵に回して
亡国の道へとひた走ります。もはやバトル・オブ・ブリテン(1940年7月〜1941年
5月)がドイツの失敗に終わった時点で、英国の屈服は怪しくなりました。独ソ戦の
開始は1941年6月です。そして日本の南部仏印進駐は1941年7月です――。
624イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/08(火) 23:47:13 ID:nYK+tqmy
>>619 >>ていうかこの人って、てめえの国が侵略した相手と仲良くなれると
>>本気で思ってたのか。凄いな。

この辺は背景を説明するのが難しいですね。例えば、日本が幕末維新に失敗して
「内乱状態」となったとしたらどうでしょうか? 史実の徳川慶喜や勝海舟が異常に
あっさりと手を上げてしてしまったのは、戊辰戦争が長引くと欧米列強の介入を
招いて「亡国の道」に他ならないとの高度な政治的判断が働いたためです。

それ以前に薩摩や長州が、英米仏露の武力を頼みにして徳川幕府を倒そうなどと
考えていたら、その見返りとして日本のどこを租借地として切り取られていたか
知れたものではありません。もちろん史実の薩長の指導者は、それがとんでもない
愚行であると判断が付くだけの理性がありました。

支那はその真逆です。「夷をもって夷を制する」という発想自体が致命的です。
625イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/09(水) 00:23:10 ID:Fi5ysRLj
>>624 >>支那はその真逆です。「夷をもって夷を制する」という発想自体が致命的です。

例えば、日露戦争後にアメリカの鉄道王ハリマンが、南満州鉄道の共同経営を
日本に持ちかけてきました。史実の日本はハリマンの申し出を反古にしましたが、
後世その点がよく批判の槍玉に挙げられます。しかし、満州にアメリカ資本の手が
伸びたとすれば、必ずや支那はアメリカと結託することで、より弱者である日本を
大陸から叩き出したことでしょう。下手すると日米戦争が早まったかもしれません。

まさに「夷をもって夷を制する」ですが、どちらかの「夷」はいつまでも経っても
残ります。エンドレス・ワルツです。まあ、何が言いたかったと云えば、当時の
支那は「虫食い状態」が当たり前であり、日本も含めた欧米列強の草刈場だった
ということです。もはや「分割統治」と言っても良いかもしれません。

佐々木到一ら一部の「新」支那通が考えたことは、そんな『可哀相な』支那が
国家統一を目指す近代革命に共感し、また支援し、いずれは新しい支那と日本が
手を取り合って結ぼうというものでした――。
626名無し三等兵:2008/01/09(水) 00:26:16 ID:reOczRnE
でも最後は「玉音放送」の末に日本軍降伏だろ・・・。
627名無し三等兵:2008/01/09(水) 00:33:07 ID:???
>>625
その発想、それ自体は悪くないと思うんですけどねええ。
一体上手く行く途というものはあったのかなかったのか・・・・
628イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/09(水) 00:41:59 ID:Fi5ysRLj
>>619 >>ていうかこんな人の気持が分からん連中だからこそ、

もちろん佐々木到一の考えは、当時の陸軍の少数派であり(というか
支那通軍人としても少数派)多くの批判を浴びせられていました。

佐々木は「国民党にかぶれた」と馬鹿にされ、1924年当時、支那課の
兵要地誌班長だった頃(少佐)には、軍務局長だった小磯国昭から
「ササキイ、(国民)革命はまだかね?」と揶揄されたりもします。

要するに、当時の支那通では「支那なんて永久に統一されることなく、
分割統治されていれば良い」「支那の国家統一なんて不可能である」
という考え方が主流でした。そのような中で、孫文を『先生』と呼び
身内からも批判された佐々木は、よほど進歩的であり「人の気持ちが
わかる連中」だったでしょう。
629イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/09(水) 01:00:35 ID:Fi5ysRLj
>>619 >>勝手に期待して、偉そうに啓蒙しようとして、あげく勝手に
>>幻滅って 軍人の本分を越えてるとかいうレベルの問題じゃないですね

それが「支那通」クオリティです。

>>627 >>一体上手く行く途というものはあったのかなかったのか・・・・

ありません。結局、支那の革命はそれまでの欧米日の利権を武力で
「強制回収」しようというものでした。地理的な隔絶で、アメリカや
イギリスが泣き寝入り、あるいは自ら利権を放棄することを表明した方が
後々メリットがある、などという考えに至ったのとは対照的に、日本は
隣国であまりに近すぎました。武力介入は容易です。文句があるなら
やってやれと。
630イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/09(水) 01:18:55 ID:Fi5ysRLj
日本は不平等条約の改正にも、涙ぐましい努力で時間をかけて列強と
交渉で解決しました。

しかし日本の不平等条約といってもタカがしれていますので、租借など
莫大な負債を背負わされた支那は、「交渉」で解決しようとすれば100年
あってもまるで時間が足りないでしょう。

後の蒋介石の国民政府にもいえますが、あまりに支那の社会制度が
前近代的であったために、そこから一足飛びに近代化しようとして
色んなところに無理が出てきます。利権の武力回収なんてその典型
です。

そして相手は「侵略国」なのだから、武力で不平等条約をご破算にしても
文句あるか?と考えるかどうかが、近代国家としての別れ目でもあります。
631イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/09(水) 01:25:07 ID:???
あ、>>629-630 は、1930年ごろまでの話ね。満州事変以降は、まったく
状況が変わってくるから。

今日はなんか「殴り書き」もいいところでしたw。
632イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/09(水) 01:31:48 ID:???
>>625 >>佐々木到一ら一部の「新」支那通が考えたことは、そんな『可哀相な』
>>支那が国家統一を目指す近代革命に共感し、また支援し、いずれは新しい支那と
>>日本が手を取り合って結ぼうというものでした――。

しかし結果、佐々木が受けたのはリンチです。
633名無し三等兵:2008/01/09(水) 04:47:02 ID:???
>>629
その通りですね。>武力回収
それが流れであるなら、日本は戦略的撤退をしたらよかった。
少なくとも満州で止めておけば大けがはしなかったでしょうね。
返す返すも戦略眼がないのは大問題です。
ただ怪我の功名でアジアの植民地解放が付いてきたってことだけが救い。
634名無し三等兵:2008/01/09(水) 05:01:23 ID:/gOGyZ3V
>>623
>松岡は、日独伊三国同盟にソ連を加えて「四国同盟」とし、米国に圧力を加える
>ことで大東亜共栄圏から手を引かせるという自分の構想に酔っていました。

アメリカと仲良く手を組むこともできず、
アメリカに屈服もできず、
かといってアメリカとの戦争も回避したいとくれば、
やっぱり松岡構想になってしまうような気もするけどな。

まああんたの言うとおり破綻したわけが。
635名無し三等兵:2008/01/09(水) 05:04:45 ID:???
>少なくとも満州で止めておけば大けがはしなかったでしょうね。

我らが蒋介石総統の主張によれば、
満州及び台湾は支那の正当な領土ということになっており、
いずれ取り返すつもりなのだが。
636名無し三等兵:2008/01/09(水) 19:56:41 ID:XxbXWg3I
モッチとケボに大量に焼き殺された日本兵の多さに爆笑
637名無し三等兵:2008/01/09(水) 21:27:55 ID:???
>>636
日本軍が昆明に侵攻できなかったのはそのケボ&モッチやワンワンとか
ストレッチマンや歌のお姉さんとかが頑強に抵抗してたからだぞ。
彼らに手間取ってるところをアメリカに突かれて日本は負けた。
638名無し三等兵:2008/01/09(水) 22:35:17 ID:???
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        i::::::::::::::::::::::::|::::::::ハ::::::|::::::::::::!:::::::::::::::::::::::::::::}
        |::::::::::::::イ|::::ハ:::::/. |:::::|、::::::::::|:::::::|::::|:::::::::::i:::|
        |i::::::::::::! ||:::i‐|:::ト i::::::| ヽ-::├:::::|、::|:::::::::::|::|
        ||::::::、:::|´||/__|/  \i.  \_|\:|、:::|::::::::::|::|   <アメリカ軍の戦死者29万2千人に対して、(対日対独)
        〉::.:::::|、|,,イテ心      r"テミ、ヽY:::::::::::|::|
        i:::::::::|i.  弋zン     弋z__ソ" |::::::i:::::|::|     日本軍230万人。民間人80万人は明らかに
        |::|::::.ト|    ̄        ̄   /::::::|:::::|::|
        |::|:::::|_|  xx     、     xxx /|::::::|:::::|:::|    「日本軍はメッサ弱かった!!」ってことですよねwww
.        !:|:::::|::ハ              ,'-|::::::|:::::i:::}
         ||::||:|:::::::ヽ、   ー‐     , イ:::/:::::::i::::::/     なにせ、合計310万人以上も戦死して、
        ヽi|ト|:::」|_:::|ヽ     , <___|_/|:::::/::::/
          |_|iー‐‐|  >- ' ./      |:::/::::/     対日対独で、約半分としたら15万人。
       r=ニ=-、、_/       ト、     |_/ ̄
     | ̄ ̄     "' 、,_   |、 ヽ、_          桁違いのワンサイドゲームですわねwwww
     |           ヽ ヽ, }:::| ヽ "'ヽ、
    / ̄ ̄ ̄  "' 、    \y:::::|  _|  /ヽ \      これで、本土決戦??  アホですわねwww
   /        /ヽ\     \/  | | ̄ └‐,.\
.  /      l ̄Y    ) \.   /  ヽ| o。 /   ヽ
 /      、ヽ|   o   ̄ヽ \ /   /|  y、 ヽ   }
639イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/09(水) 23:35:33 ID:???
>>629 >>日本は隣国であまりに近すぎました。武力介入は容易です。
>>文句があるならやってやれと。

それこそが「山東出兵」であり「済南事件」な訳です。

>>少なくとも満州で止めておけば大けがはしなかったでしょうね。

まあ「北支分治工作」については、いずれやります。
640イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/09(水) 23:50:38 ID:???
>>634 >>かといってアメリカとの戦争も回避したいとくれば、
>>やっぱり松岡構想になってしまうような気もするけどな。

とっとと支那事変で『宣戦布告』した方が良かったかもしれませんけどね。
ドイツに和平工作を依頼するよりも、早めにアメリカの介入を招いた方が
結果としてすんなり足抜けできたかも。また何気に1939年2月の海南島
占領(海軍の強い要望)がアメリカの心証を悪化させています。

>>633 >>ただ怪我の功名でアジアの植民地解放が付いてきたってことだけが救い。

仰るとおり、まさに「怪我の功名」です。
641楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/10(木) 00:00:24 ID:???
>>637 >>そのケボ&モッチやワンワンとかストレッチマンや歌のお姉さんとかが

   .「^ヽ,ry'^i
   ,ゝ"´ ⌒`ヽ  ♪
  くi Lノノハノ)」 
   λ[i ゚ ヮ゚ノi!   お尻かじり虫〜♪ かじってかじって、かじってなんぼ♪
   レ|Y(つ旦)
   く_,//つつ
642イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/10(木) 00:22:03 ID:G4EW+s0x
>>619 >>ていうかこの人って、てめえの国が侵略した相手と仲良くなれると
>>本気で思ってたのか。凄いな。

佐々木到一が登場して以来、『済南事件』から全く話が進んでいかず
収拾がつかなくなりましたw。しかし、とてつもなく濃い人物なので
一体どこまで取り上げるべきか匙加減が難しい……。

まあ、佐々木到一は支那の『国民革命』に共感していた訳ですが、もっとも
基本的な目標は「国家統一」にあると理解していました。佐々木は陸軍の軍人
なので、支那がそれを実現するためには、軍隊の改造(近代軍の成立)こそが
先決であると信じていたのです――。

そして支那が目指す国家統一を妨げ、また「近代軍の対極」にあるものとして
『軍閥』を非常に敵視しておりました。佐々木の軍閥観は以下の様なものです。
643イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/10(木) 00:36:56 ID:G4EW+s0x
●「軍閥は、各々その権勢の争奪、地盤の獲得に熱中して、国家を忘れ、私利私欲
 以外、外国利民福を思わないために、支那の内乱は終息する日なく、その統一は
 何れの日にも期することが出来ないのである。この意味において、支那の軍閥は
『支那の統一を妨げる有害無益なる武力集団』である」

ちょっと文章が硬いですが、佐々木の軍閥観を一番「マトモ」に表しています。
あとはもう読んでみて下さいとしか言えませんw。

 ●「支那の兵は、社会の落伍者を集めたものである」●「こうまで堕落しきった
 乞食、悪漢、博徒、スリの群れを軍隊の名によって呼ぶことは余りに勿体無い
 気がする」●「私欲を軍紀に代えて、辛うじて団結と統制を維持する戦争苦力の
 烏合集団」●「戦陣の間に身命を賭せしむるものは軍紀ではない。一にも銭、二にも
 銭である」●「彼らは軍服を付けた匪」●「掠奪、強姦は不可分の関係にある」

以上はすべて、佐々木の『軍閥観』です――。
644イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/10(木) 00:52:03 ID:G4EW+s0x
そして軍閥を解体し、国家本位の精神教育を兵士に施して『私兵』である
ことを辞めさせ、中央政府の統制に絶対服従する近代軍に改造しなければ、
中国は滅びてしまうと佐々木は絶叫します――。(以下、要所抜粋)

●「現状をもってすれば、支那の将来は亡国あるのみである。腐敗せるものは
 軍閥に止まらず、支那の全社会にわたり滔々として皆腐敗して居るのである。
 
 支那統一は不可能であるか? しかり、近く統一を予期することは出来ない。
 ただ望むところは、支那人の腐敗である。腐敗作用はこれを促進すべし――。

 腐敗の促進と共に『浄化作用』は有効となる。腐れ! 蛆虫の涌くまで腐れ!
 支那の運命は、腐敗の極点にまで達すべきものである。臭気紛々たる腐敗の
 うちより、何者か現ざれば支那は滅亡のみ――」

これこそ佐々木の真骨頂でしょう。この激情と思い込み、支那通軍人の鑑です。
645イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/10(木) 00:58:31 ID:???
>>644 >>支那の運命は、腐敗の極点にまで達すべきものである。
>>臭気紛々たる腐敗のうちより、何者か現ざれば支那は滅亡のみ」

関西に、松下幸之助のような大人物が忽然と現れるようなものだと
思ってください。
646イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/10(木) 01:19:50 ID:G4EW+s0x
>>609 >>遅ればせながら、図書館でKO大出版会の「日中戦争の軍事的展開」を
>>借りてきたニダ

このスレでも大変お世話になっている良書です。『ディスティニーガンダム』
ぐらいの破壊力はあります。第11章の「北ビルマ・雲南作戦と日中戦争」は
これを参考にして本格的にいつか取り上げたいですね。

それにしても今日、草思社が倒産したと聞いてビックリしました。どうせ
潰れるなら幻冬社が潰れればいいのに……。昨今の出版業界は、新書しか
売れませんので(空前の新書ブーム)、単行本しか作らない草思社は
壊滅的状況だったのでしょうねえ。

あと全く関係ありませんが、西安事件で『24』をやって下さいと以前要望を
受けたのですが、よくよく調べて考えてみると、済南事件の方が『24』に
合っています。佐々木到一が、ジャック・バウアー役ということで(核藁)。
647ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2008/01/10(木) 01:41:44 ID:???
》 草思社が倒産したと聞いてビックリしました。

ワタシもさっき、ビジネスN板見ててびっくりしました。
「間違いだらけのクルマ選び」の徳大寺が脳溢血で原稿書けなくなったこともマイナス要因だったかも。

》 新書しか売れませんので

ぶっちゃけワタシは元々は雑誌編集だったので……⊂⌒~⊃。Д。)⊃

》 「日中戦争の軍事的展開」

個人的には第1〜2, 9章あたりが興味深い感じでしょうか。
648ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2008/01/10(木) 01:45:56 ID:???
失礼、徳大寺有恒がかかったのは脳梗塞でした。
649名無し三等兵:2008/01/10(木) 01:47:00 ID:???
>>640
なんというか、松岡が辣腕を振るいはじめる前から、無体というか手詰まりな状況になっているような。
ノモンハンでソ連にボコボコにされ、国民党とは実質戦争状態、米英との関係は悪化の一途…。
どう考えても終わっている。
そもそも、この時期に外務省本流の連中は一体何をやっていたのだろうか。
650イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/11(金) 00:08:06 ID:???
>>647 >>ぶっちゃけワタシは元々は雑誌編集だったので……⊂⌒~⊃。Д。)⊃

そのAA面白いですね、他で使わせていただきまふ。草思社はせっかく財産となる
ベストセラーを沢山もっているのに、「草思社」文庫も作りませんでしたからね。
経営者の方針でしょうが、もったいないお化けが出てきそうです。

「文庫の値段なら買いたい」という読者は大勢いたでしょうに。特に草思社の
コンテンツだと。あの微妙なウェッジでさえ文庫を出すぐらいなのに…というか、
「ウェッジなんかは種本があるのか?」と小一時間…w。

今の出版業界は、ベストセラーさえ出せば一極集中――ウハウハの現金を刷っている
ようなもので「業界全体の不振」なんてどこ吹く風になるのですが、その肝心のベスト
セラーが出ないとひたすら悲惨ですw。
651第九代阿礼乙女・稗田阿求 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/11(金) 00:18:43 ID:???
         _......_     
         , ´  <*y     
          i,(i ノノハ)_)    
         ノ_iパ ヮ゚ノハ    イナゾウさん、あともう少しですからね。 
        _φi'_ソノj,⊂)__     
      /  /三/ /|       
    .| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .|             ……⊂⌒~⊃。Д。)⊃
    .|稗田  阿求|/
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
652イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/11(金) 00:31:07 ID:???
>>645 >>関西に、松下幸之助のような大人物が忽然と現れるようなものだと
>>思ってください。

と書きましたら、「松下電器産業」の名前が無くなってしまいました。
社名変更で「Panasonic 株式会社」……。激しく違和感があります。

昨日は、虫の予感でしたか。
653翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2008/01/11(金) 01:56:11 ID:cifp5fL+
>松岡洋右ってよく分からん。

とりあえず、豪腕政治家に良くいるタイプで、
暴走しすぎて失敗するタイプかしら。

まだ40台にならない 岸(後の首相)に対し、
岸の年齢の若さを羨ましがっていますね。
俺があと20若かったら、日本を一新できるのに残念だ、
そんな感じ。

良くも悪くも猪突猛進タイプですね。はい。
当時の日本には
最悪の目が出てしまった訳ですが。

まあ、当時の日本の人材の払底でしょう。
誰も彼も軍部や暗殺に怯えてしまうような状態では、
人材の払底も糞もないのですが。

無責任日本、ここに極まれり、と。
654俄将軍:2008/01/11(金) 02:28:09 ID:???
>>653
>まあ、当時の日本の人材の払底でしょう。
>誰も彼も軍部や暗殺に怯えてしまうような状態では、
>人材の払底も糞もないのですが

21世紀の現在も、何の変わりもないどころか、「スキャンダル」「事故」「自殺」など、現
状は、悪化している、ということもあるのか、などと、何の根拠もないままに書き散らして
みたり。
655俄将軍:2008/01/11(金) 02:28:48 ID:???
>>654
「ブラックメール」が抜けていた、ということになるのか、などと。
656翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2008/01/11(金) 02:36:57 ID:cifp5fL+
>21世紀の現在も、何の変わりもないどころか
アイゴー (TT)

いや、悪い人ではないんですけれどね。洋右さん。
おそらく、幕末に生まれたら幸せだった方。
それも洋右さんが尊敬している吉田松陰さんの下であったのなら。
今のセンセ達はどんなでしょうね。
濱口雄幸さんか貫太郎さんの下なら幸せなのかもですが・・・

日中戦争スレなので、これくらいで・・m()m
657俄将軍:2008/01/11(金) 03:00:51 ID:???
>>656
帝国議会の成立も、薩長政府との対立、ということになると、衆議院の中の人など、二世三世
といった世襲議員の誕生など、ということになるのか、国会の開催機関などからすれば、英
国の議会政治などとは、似ても似つかぬのは、戦前から、ということにあるのか、などと、
適当な思いつきなど書き散らしてみたり。

戦前の政党政治も、官僚政治家、党人政治家など、ということになるのか、政党の後ろ盾の財
閥など、ということになるのか、などと、思いつくままに書き散らしてみたり。
658名無し三等兵:2008/01/11(金) 13:27:56 ID:???
>>653
>当時の日本には最悪の目が出てしまった訳ですが。

本当に最悪なのは、まったく孤立した状態のまま、ソ連中国と喧嘩しながら対米英戦をはじめることだろ。
つまり、1930年代の外交関係がそのまま敵対関係に移行すること。
659名無し三等兵:2008/01/11(金) 13:41:42 ID:???
>>653
>まあ、当時の日本の人材の払底でしょう。

外務に関して言えばそこそこ人材は揃ってると思うが。
吉田、佐藤、鈴木、幣原、東郷、重光、加瀬とか。
660法務大尉:2008/01/11(金) 18:19:22 ID:KJ7LB83B
下總の法華經寺へ初詣に行つたら、境内に蒋介石總統の銅像が聳えてゐた。
勿論、拜禮して來た。
661元32(予備役少佐):2008/01/11(金) 19:25:34 ID:???
>>659
吉田は松岡の大親友で二人の絆には説明不可能なものがあります。
加瀬は松岡の秘書もしていたでしょうか。
ちなみに松岡の評価で当時最高の日本人外交官は斉藤博さんと思います。

ただ、普通の方法で当時の外交的窮地は離脱できないので、
松岡の行動そのものは理解できます。

松岡はそもそも顧維均と英語の議論で対抗できる唯一の日本人として、
国際会議などで活躍して脚光を浴びるのですが、
もっと早く、できれば満州事変前に外交を指導したかったのが、
松岡の本音ではないでしょうか。
662名無し三等兵:2008/01/12(土) 01:26:04 ID:cLifoQn9
ホラーより怖い中国の現実

★1 http://jp.youtube.com/watch?v=gsXRCNj8W80
★2 http://jp.youtube.com/watch?v=KyLEV2SOYvM
★3 http://jp.youtube.com/watch?v=zqVhG4uuMlU
★4 http://jp.youtube.com/watch?v=VZ1qS2eIPNQ

どーみてもゴキブリより酷い支那人
663名無し三等兵:2008/01/12(土) 04:14:35 ID:???
ゴキブリに失礼ですぞ。
664イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/12(土) 09:36:55 ID:???
>>646 >>佐々木到一が、ジャック・バウアー役ということで(核藁)。

さて「済南事件」後の佐々木到一ですが、まだまだ受難は続きます。革命軍に
リンチに遭ったのが5月3日、その2日後には上海経由で本国に帰朝するよう
呼び戻されます。もちろん状況報告のためです。

東京に着いて参謀本部に顔を出したはいいが、いきなり後輩から新聞記事を
突きつけられました。そこには●「許されるなら再び南京に戻って革命軍の
ために尽くしたい」という佐々木の談話が載っていたのです。もちろん、
身に覚えはありません。

東京に戻る途中、新聞記者のインタビューに対して「何も話すことはない」と
答えただけなのに、勝手に記事を捏造されてしまったのです。週刊誌のような
話ですが、「佐々木ならそのぐらいのことは喋ってもおかしくない」という
周囲の無責任な期待があったのも問題でした。
665イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/12(土) 10:00:34 ID:???
当時の白川義則陸相からは当然、「余計なことをしおって!」と佐々木は詰問を
受けました。さらに東京の新聞社幹部に対して、陸相官邸で「済南事件」の概要を
レクチャーしたところ、事件の原因を支那側の非行だけに求めず中立的に論じたのが、
またもや陸相の勘気に触って「いらんことを言い過ぎる!」と怒りを買いました。

また別の機会に、新聞社に請われて講演を行なったところ、「革命軍の肩をもつとは
けしからん」と暴力団に凄まれ、「暴行を受けながら仇も取らず、おめおめと生きて
戻ってくるとは腰抜けめ!」と罵倒する差出人不明の手紙も舞い込みます。

軍人がもっとも嫌う「卑怯者、臆病者、売国奴」扱いですが、佐々木の回想では
●「縁の下の力持ちが踏んだり蹴ったりにされた挙句、縁の下から這い出るところを
またもや頭上に放尿されたような体たらくであった」とあります。

革命軍にも裏切られ、日本国内にも味方がいない、という余りに悲惨な状況です。
陸相に目をつけられた佐々木は、伊豆に転地療養を命じられます。「頭を冷やせ」
という訳ですが、もはや「病人」「何をしでかすか分からない人」扱いですw。
666名無し三等兵:2008/01/12(土) 11:57:18 ID:???
          - ニ二 ニ ‐-
       ,ィ ´ ̄      ̄` .` 、
      〃      l      `  、 、
       |  ,. - ── -  .     ヽ!
      ', /     ☆     `ヽ   l
       ∨r========、、 ヾ ノ
       ( ──------── ヽ )'
       l  _,.ェァ .' ;:..rェt.、  ノノ
       r !   ,:'  ' .     ,rヘ
      | l!   ー--‐、     )/
      ヽ     _-_-__      レ      <ここは私が支配する
        ヽ  '´ー-‐ `   ,.ィ
         ` .        ,.   ヽ
            i ー一   ィ´ ハ
          ト、      ´    ゝ ._
     _,. - ´ | ` v ´     ,ィ     ̄ ̄77ヽ
  rrア´     ヽ   |   ,.  ´       ///   ヽ
 /LL!          `↓  ´            /   i
./          }爻ソ              /     l
667翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2008/01/12(土) 13:19:44 ID:V2WHkdxy

>>657 :俄将軍:氏
>戦前の政党政治
大和政権統治→幕藩体制→という流れで、
昭和まで辿り着いたシステムを構築できた訳ですので、
そこは片目を瞑るべきかもしれません。

>>658
>本当に最悪なのは、まったく孤立した状態のまま
過去は「後悔」の坩堝でありますね、本当に。

>>659
>外務に関して言えばそこそこ人材は揃ってると思うが。
同感ですが、軍の暴走を止められる人材がいなかった、
と言う事で如何でしょうか。
軍縮でサラリーマン化しつつあった軍を
「暴走させてた」のは誰か、と言うのも未来への戦訓。

たびたびスミマセン・・
ここ、日中戦争スレなので、これくらいで。m()m
668名無し三等兵:2008/01/12(土) 18:45:11 ID:???

203 名前:カタログ片手に名無しさん[sage] 投稿日:08/01/10 14:50 ID:???
俺の友人(参加2回目)が基地外すぎて困った。りんかい線の混雑に興奮し、しまいには助けてえーりん!とか叫ぶ始末・・・。もう次回からは一緒に行かない。
669名無し三等兵:2008/01/12(土) 19:07:45 ID:cLifoQn9
ホラーより怖い中国の現実 part2

★5 http://jp.youtube.com/watch?v=L4lzSWsgxls
★6 http://jp.youtube.com/watch?v=KNqx0_dAi4A
★7 http://jp.youtube.com/watch?v=_DLF5ztnKRE
★8 http://jp.youtube.com/watch?v=bYKiSzQrxZQ

こんな国で五輪開催できるのだろうか?
670イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/13(日) 00:54:31 ID:2oYjyiJz
松岡洋右の特異なキャラクターは、その全く日本人離れした特殊な生い立ちから
生まれたモノですから、その辺りをきちんと押さえないと議論が迷走するでしょう。

>>656 >>おそらく、幕末に生まれたら幸せだった方。

松岡洋右は1880年3月4日、山口県に生まれます。まあ、安倍元首相と同じ長州な訳
ですが、もう少し生まれるのが早かったら藩閥の恩恵を受けれたのかもしれません。

ちなみに実家は「廻船問屋」の四男ですが、松岡洋右が11歳(1881年)のときに
父親が事業に失敗して破産します。しかし親戚が既に渡米して成功を収めていた事が
松岡の人生の最初の分岐点となりました。13歳(1893)のときにこの親戚を頼って
渡米し、オレゴン州ポートランド、カリフォルニア州オークランドで学びました。

松岡はもっとも多感な思春期をアメリカで過ごした訳ですが、日本人蔑視も強く
米国に対する特殊なコンプレックスを育むことになります。
671イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/13(日) 01:16:11 ID:2oYjyiJz
自分は学生時代、英語のサークル(ほとんど遊び系w)にも顔を出して
いましたが、先輩の1人が帰国子女であり、やはり外国人コンプレックスを
お持ちでした。いや「日本人コンプレックス」と言うべきか。人種的な
イジメがかなりあったようです。

松岡洋右も特殊な信条を作り上げることになり、幾つか例を挙げれば、
●「道を歩いていてアメリカ人に衝突しそうになったら、絶対に道を
 譲ってはいけない」●「殴られたら殴り返さなければいけない」●
「米国では一度でも頭を下げたら、二度と頭を上げることはできない」
というものでした。

この辺はまだ大人しい表現で、もっと言えば●「米国人と論戦する場合は
マシンガン・トークでなければならない」●「喧嘩に弱いものは米国では
生きる資格はない」●「引っ込み思案は殺される」●「腕で勝てなくとも
口で勝つべき」●「何かやられたら即座に言い返す覚悟で日常を過ごせ」…。

また当時の米国エリートは「ドイツ系」が幅を効かせており、後の松岡の
深層心理に大きな影響を与えます。
672イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/13(日) 01:54:20 ID:2oYjyiJz
さて松岡洋右も18歳を迎えます。松岡は帝大(東京帝国大学)への進学を
考えたという話もありますが、旧学制のエリートは英語の他に欧語もマスター
しなければなりません(特に独語ができないと帝大の授業が受けられない)。

その辺りの自身の受験準備の問題もあったでしょうが結局、松岡はオレゴン大学
法学部に進学します。並行して早稲田大学の法学講義録も取り寄せるなど、勉強
熱心ではありましたが、帝大進学を諦めたことは松岡の『外交官』人生に大きな
影を落とすことになります――。言うまでもなく現代と同様、外務省は東大閥であり、
宮澤喜一は財務系で関係ありませんが「東大法学部にあらずんば人にあらず」……w。

その話はさて置き、松岡洋右は1900年にオレゴン大学を卒業して1902年まで
しばらく米国で仕事をしつつ滞在します。一説には、アイビー・リーグ等の
大学(or 大学院)に留学することを考えていたと言われますが結局、母親の
健康状態の悪化により日本へ帰国することになります――。
673イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/13(日) 02:24:09 ID:2oYjyiJz
結局、松岡洋右の最終学歴は『オレゴン大学卒』という「微妙なもの」に
なってしまいます。もしアイビー・リーグやオックス・ブリッジなりに
留学できていれば、松岡の「外交官人生」も多少は好転したでしょうか。

いや無理ですね。戦後の話ですが、ハーバード大学卒で外務省に入省した
人でも、「東大閥」には敵わなかったと云います。

さて日本に帰国した松岡洋右は、1904年に外交官試験にトップで合格して
入省を果たします。ただし外務省への希望は積極的なものではなく、日露
戦争が始まった年である事からも分かるとおり、徴兵忌避が目的ではないか?
との説が根強くあります。まあ、これだけ海外経験が長い人間を一兵卒として
やおら朝鮮や満州に送り込むというのは、さすがにどうかと思われますがw。

しかし外交官となった松岡ですが、帝大閥の中で、出世は大変厳しいものが
ありました。長年の滞在に基づく『抜群の英語スピーチ能力』が最大の武器
でしたが、同時に松岡の日本人離れした気質は、外務省という典型的な官界
の水には全く合わない人材に変えていたのでした。
674名無し三等兵:2008/01/13(日) 02:36:39 ID:???
>>667
日中戦争時代の外交状況がそのまま松岡外交につながっているわけで、
そう場違いでもないと思うけど。
ここでは幣原外交を取り上げていたこともあるし。
幣原外交が満州事変や日中戦争の前触れなら、松岡外交はその後と言える。
675イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/13(日) 03:03:48 ID:2oYjyiJz
>>674 >>同時に松岡の日本人離れした気質

1941年の太平洋戦争開戦直前に松岡が失脚したあと、軍務局長の武藤章は
佐藤賢了(陸大卒業後の海外駐在で米国へ)に対して、

●「松岡は協調性がない。あれでは一定の地位に長く留まることはできない。
 彼はトルコかどこかで参事官か何か勤めたのを最後に外務省から消えたが今に
 してその理由が分かった。彼が何を考えていたのか俺には結局分からなかった」

と答えています。しかしトルコ云々は正確ではありません。松岡の外務省での
最終ポストは、大連総領事です。松岡は一旦はベルギー勤務を命ぜられましたが、
「これからの日本には大陸が大切だから」として中国勤務を望んだと云います。

松岡の職歴を挙げると、はじめは領事館補として中華民国の上海へ。その後、関東
都督府に赴任して後藤新平(初代満鉄総裁)や三井物産の山本條太郎の知遇を得ました。
676イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/13(日) 03:30:42 ID:2oYjyiJz
松岡はアメリカやロシアにも赴任していますが、ごく短期間です。寺内正毅
内閣(後藤新平が外務大臣)の際には、総理大臣秘書官兼外務書記官として
シベリア出兵にも深く関わっています。

また1919年の「WW1」パリ講和会議では、随員(報道係主任)として派遣され、
日本政府のスポークスマンとして「得意の英語スピーチ」に力を発揮しています。
このとき近衛文麿も随員として同行しており、因縁が生まれました。

様々な松岡の出会いの中でも、とくに後藤新平は台湾総督だった児玉源太郎の
懐刀であり、台湾経営を軌道に乗せたことは特筆に価しました。この辺りの
業績が後藤の満鉄総裁への道に結びつく訳ですが、松岡の進路にも大きな影響を
与えています(松岡ものちに満鉄総裁に)。

余談ですが、児玉源太郎は日露戦争後、機密費など自身の台所であった台湾
総督の地位を奪われ、今度は満州に自身の王国を作るべく野心を燃やします。
しかし番頭格であった後藤新平に裏切られ(山県有朋に鞍替え)、憤死しました。
677イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/13(日) 03:41:27 ID:???
松岡の話はもう半分ぐらい続きます。

>>654 >>21世紀の現在も、何の変わりもないどころか、

「現状をもってすれば、日本の将来は亡国あるのみである。腐敗せるものは
 政治に止まらず、日本の全社会にわたり滔々として皆腐敗して居るのである」

「腐敗の促進と共に『浄化作用』は有効となる。腐れ! 蛆虫の涌くまで腐れ!
 日本の運命は、腐敗の極点にまで達すべきものである。臭気紛々たる腐敗の
 うちより、何者か現ざれば日本は滅亡のみ――」

もうすぐ福田自民党か小沢民主党か、究極の選択を迫られる選挙がやってきます。
まあ、自分は自民党に入れますけどねw。福田は無策無能ですが、小沢に政権を
預けたら本気で国を誤らせます。
678イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/13(日) 03:51:25 ID:???
雑誌の選挙予測を読んでいましたら、小泉純一郎は首相を辞めた後
議員も引退すると豪語していたのに、次の選挙も続投する方針で
支援者には幻滅感が出ているというのは本当かしらん?w

何でも長男の孝太郎が芸能活動にまだ未練があるみたいで、次男を
育成するにもまだ時間がかかるんだとさw。

まあ、安倍元首相の「政権投げ出し」は、福田首相の「無策無能」の
お陰でかなり同情というか、あまりキツく思われなくなってきている
のではないでしょうか。たとえ「美しい国」でも、首相にヴィジョンが
全く無いよりは全然マシ。
679名無し三等兵:2008/01/13(日) 06:06:49 ID:???
福田政権にもあるでしょ・・・八方美人全方位土下座三跪九叩政策が
680名無し三等兵:2008/01/13(日) 06:35:29 ID:???
>>679
>八方美人全方位土下座三跪九叩政策が

要するに従来路線でしょw
681元32(予備役少佐):2008/01/13(日) 11:02:05 ID:???
>>671
松岡はアメリカでスクールボーイ(書生)をしていて辛酸をなめ、
そこでの経験とポーカーが彼の特異な米国観を形づくったようです。

>>675
良かれ悪しかれ武藤に振りまわされるのではなく、
武藤を振りまわした外交官・外務大臣は松岡だけなので、
そのあたりが私が松岡を好きな理由のひとつです。
682イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/14(月) 01:27:14 ID:JJsVByHX
>>681 >>松岡はアメリカでスクールボーイ(書生)をしていて辛酸をなめ、
>>そこでの経験とポーカーが彼の特異な米国観を形づくったようです。

松岡の最初の寄宿先では留学生ではなく『使用人』の1人としか見られなくて、
いきなり薪割りを命じられるなど大変苦労したようです。他にも皿洗いや農作業
などの重労働で学費を稼いだと云います。まあ、知らずに「奴隷契約書」に
サインさせられた高橋是清に比べれば、屁でもありませんけどw。

しかし2番目の寄宿先であるベバリッジ夫人は、自分の息子と分け隔てなく松岡を
優しく励まし、大きな心の支えとなりました。1933年に53歳となった松岡は
オレゴン大学のあるポートランドを再び訪れ、留学時代に世話になったベバリッジ
夫人の墓を立てますが、●「余はかつて人生の発育期をこの国で過ごし、生涯忘れ
べからざる愛着の情をもつにいたった」と回想しています。

もちろん松岡は、米国の全てを憎んでいた訳では決してありませんでした。
683イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/14(月) 02:00:46 ID:JJsVByHX
まあ、山本五十六もトランプの『ブリッジ狂』でしたが、真珠湾攻撃も
ミッドウェー海戦も、松岡洋右の四国同盟構想も、大博打という点では
共通するところがありますw。

>>681 >>良かれ悪しかれ武藤に振りまわされるのではなく、
>>>武藤を振りまわした外交官・外務大臣は松岡だけなので

軍務局長時代の武藤章は、言ってみれば「キングメーカー」でもあり
陸相すら屁とも思わないところがありましたからね。後で述べますが、
2・26事件後に広田弘毅が組閣する際も、武藤(まだ軍務局幕僚)は
閣僚人事にゴリゴリと口を出しますし、外交官や外務大臣など本来は
路傍の石でしたでしょう。

逆に言えば、だからこそ松岡(本来なら広田も含まれる)に白羽の矢が
立ったとも言えます。陸軍の容喙にも対抗できる、という意味でです。
684イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/14(月) 02:32:55 ID:JJsVByHX
さて松岡洋右は1920年に41歳の若さで外務省を退職してしまいます。帝大卒で
なければ出世は困難でしたし、何より松岡の性格では外務省内でも浮いていたでしょう。

松岡の最終ポストは前に述べたとおり「大連総領事」です。松岡の外務省での経歴は
支那勤務が多かった訳ですが、松岡を引き抜いたのは満鉄社長の山本条太郎でした。

松岡は1921年に満鉄入社。ちょうど満鉄は単なる鉄道会社から「国策会社」へと
変身を遂げていた頃にあたります。理事として迎えられた松岡は石炭液化プラント
拡充などを指導しながら、1927年には「満鉄副総裁」にまで登りつめました。

しかし『北伐』の最終局面で「張作霖爆殺事件」が起こり、その不始末で田中義一
内閣が辞職に追い込まれます。その後に浜口雄幸内閣(幣原喜重郎外相)が成立
すると、猟官制度よろしく松岡は満鉄に留まれなくなり1929年に帰国しました。

ちょうど「世界大恐慌」が起きた年ですが、松岡洋右の大きな転機となります。
翌年の1930年に政友会から国会議員に立候補したからでした――。
685イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/14(月) 02:59:15 ID:JJsVByHX
松岡は「満鉄副総裁」でしたから、当然『満蒙は日本の生命線だ』という
主張になります。また民政党内閣によって満鉄から追われた身ですから、
もちろん「幣原外交」には恨みというか批判的でした。

1930年2月に行なわれた第17回衆議院選挙に郷里の山口2区から
立候補して当選。政友会のこの『新人議員』は幣原外相の対米英協調・
対支内政不干渉の方針を厳しく非難し、その威勢のよさからメディアや
言論人、国民から支持を受けることになります。背景には世界恐慌の
影響もあるでしょう。

また「満蒙の分離独立」を望んでいた陸軍とも利害が一致する事になります。

1930年11月に浜口雄幸首相が狙撃され(入院時は幣原外相が首相
代理、また政友会の鳩山一郎らの執拗な登院要求に押され、傷が癒えない
うちに無理したため5ヵ月後に死去)、後を継いだ若槻礼次郎内閣時に
満州事変(1931年9月)が起こるなど、時代は一気に動いていくのでした。
686名無し三等兵:2008/01/14(月) 15:43:21 ID:???
>>683
>逆に言えば、だからこそ松岡(本来なら広田も含まれる)に白羽の矢が
>立ったとも言えます。陸軍の容喙にも対抗できる、という意味でです。

確かに松岡は、外務省独自の戦略を構想し、そのためには軍部とも一歩も退かぬやり取りをしていたわけが、
不思議と暗殺やテロの標的にされることはなかった。

むしろ松岡を失脚させたのは味方のはずの近衛だったわけで、そこがよく分からないんだよね。
687イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/14(月) 22:49:37 ID:VKfPTywH
>>661 >>もっと早く、できれば満州事変前に外交を指導したかったのが、
>>松岡の本音ではないでしょうか。

さて満州事変です。日本が満州国を建国するなか(1932年9月15日正式承認)、
国際連盟は1932年12月に「満州事変問題」を特別総会にかける事になりました。

同じ年の9月にはリットン調査団から報告書が提出され、その「対日勧告案」が
ジュネーブ特別総会での採択を待つ状況だったのです。翌10月には、松岡が
日本側の首席全権として送り出されました。

日本国内の状況もゴタゴタで、第2次若槻礼次郎内閣が満州事変の処理をめぐる
閣内不一致で総辞職(1931年12月)、後を継いだ犬養毅内閣も金解禁の後始末を
したはいいが「5・15事件」で海軍将校に暗殺されました(ちなみに井上準之助も
同年に血盟団によって射殺されています)。

その後を継いだのが元海軍大将の斎藤実内閣ですが、問題の外相が内田康成でした。
688イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/14(月) 23:11:36 ID:VKfPTywH
ちなみに斎藤実内閣の陸相が荒木貞夫、海相が岡田啓介です。のちの(1936年)
「2・26事件」では内相になった斎藤実が暗殺されてしまいます。また荒木も
反乱将校側の当事者、岡田も首相として襲撃されていますから、もういかに
グチャグチャな時代か分かるでしょうw。

>>元海軍大将の斎藤実内閣ですが、問題の外相が内田康哉でした。

外相の内田は『焦土外交』、つまり「日本を焦土にしても満州は守る」と
国会で大見得を切り、英語のスピーチに堪能だった松岡洋右をジュネーブに
派遣します。この背景には、松岡が満州事変をきっかけに(幣原外交批判)、
軍と国民から人気が高まっていた点も大きいでしょう。

後世のイメージですと、いかにも松岡洋右が国際連盟で勝手に啖呵を切って
日本が連盟から脱退する羽目になった――というのが強いですが、この時の
松岡の立場は「政友会の現役・国会議員」でしかありませんでした。
689名無し三等兵:2008/01/14(月) 23:19:23 ID:???
>>688
>後世のイメージですと、いかにも松岡洋右が国際連盟で勝手に啖呵を切って
>日本が連盟から脱退する羽目になった――というのが強いですが、この時の
>松岡の立場は「政友会の現役・国会議員」でしかありませんでした。

そう。
このときの松岡は内田のパシリに過ぎず、勝手に交渉条件を変えるなんてことが出来る立場ではない。
松岡の主張は外務省と政府の主張であり独走でもなければ暴走でもない。
690イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/14(月) 23:41:01 ID:VKfPTywH
すでに閣議では、日本の主張である満州国建国が認められなければ(リットン
報告書が採択されるならば)、総会から代表(松岡洋右)を引き揚げることを
決定していた訳です。「これは連盟からの脱退もやむなし」とするものです。

それに対する松岡の返事は、「脱退のやむなきにいたるが如きは、遺憾ながら、
あえてこれをとらず」とあくまで日本が国際連盟に残る事を主張していました。

松岡は1932年12月8日の特別総会で1時間20分にわたる演説を準備原稿なしで
ブチかまします。それは――、

●「欧米列強は20世紀の日本を十字架の磔刑に処しようとしているけれども、
 イエス・キリストが後世になって理解されたように、日本の正当性は必ず
 認められるだろう」という日本をキリストに喩えた内容でした。

現代の私達がこれを読んで『正直引く』ように、列強のキリスト教国からは
猛反発を買うような結果となりました。むしろ挑発でしょうw。
691元32(予備役少佐):2008/01/14(月) 23:55:54 ID:???
>>689
松岡自身はジュネーブで東京(内田)の硬直した外交方針と、
必死に戦って譲歩と連盟残留を勝ちとろうとしています。

連盟では満州国の建国を認める用意は各国にはないものの、
妥協の余地はあり、日本にとって本来そんなに悪い状況ではないので。

それでも焦土になっても原則を貫くと内田は叫んで、
実際に日本は焦土になりました。

>>690
有名な「十字架上の日本」演説ですね。
松岡全権は自分が最後まで絶対に反対な連盟脱退を、
美辞麗句をもって強烈に擁護せねばならないという、
ものすごく皮肉な立場に追いこまれて、
それをあまりに効果的に行いすぎたとでもいえるでしょうか。
692イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/15(火) 00:04:44 ID:tVdpo4bn
松岡洋右は米国留学時代にキリスト教に興味をもち、プロテスタントの
クリスチャンとなりました(ただし東京裁判時〈肺結核を患う〉に主治医の
影響を受けてカトリックに改宗、死の数時間前に洗礼も受けています)。

松岡洋右の英語が卓越しているのも、こうした外国人向けのスピーチが考えられる
ところにあったのですが、このときは完全に裏目に出ました。いくら青春時代の
大部分を米国で過ごしたとはいえ、骨の髄まで欧米圏の文化に浸っている訳では
なかったのです。やはり松岡は日本人であり、嗚呼一生懸命が空回り――。

ただし、キリスト教のことがほとんど理解できない(現代の私達だって五十歩百歩)
日本国民からは拍手喝采の内容でした。
693イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/15(火) 00:13:44 ID:???
>>688 >>この背景には、松岡が満州事変をきっかけに(幣原外交批判)、
>>軍と国民から人気が高まっていた点も大きいでしょう。

前にも述べた「満蒙は日本の生命線」は松岡洋右が考えたキャッチコピーです。
当時は民政党の浜口雄幸内閣であり、野党の政友会議員である松岡が幣原外相の
協調外交路線を批判するのに議会の演説で使ったのが最初です(1931年1月)。

今ならならば文句なしに『流行語大賞』にノミネートされたでしょうが(「聖域
なき構造改革」みたいなもの)、国民にも受けて龍角散の宣伝文にもパクられ
ました。「咽喉は身体の生命線、咳や痰には龍角散」がそうですw。
694イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/15(火) 00:20:17 ID:???
>>689 >>このときの松岡は内田のパシリに過ぎず、勝手に交渉条件を変えるなんて
>>ことが出来る立場ではない。松岡の主張は外務省と政府の主張であり独走でも
>>なければ暴走でもない。

まさに仰るとおりでございます。

>>691 >>連盟では満州国の建国を認める用意は各国にはないものの、
>>妥協の余地はあり、日本にとって本来そんなに悪い状況ではないので。

満州における中国の主権を認めるが、同時に日本側の既得権益も認めるという
実質「玉虫色」でしたので、やりようは幾らでもあったかと思います。

>>それでも焦土になっても原則を貫くと内田は叫んで、
>>実際に日本は焦土になりました。

幣原外交(民政党)の反動でしょうが(内田は政友会)、日本人はどうしても
極端に触れますw。
695名無し三等兵:2008/01/15(火) 00:44:58 ID:???
>日本人はどうしても極端に触れますw。

いやいや、大陸進出は明治時代からの国是ですよw
ある意味一貫しています。
696俄将軍:2008/01/15(火) 07:15:51 ID:???
>>690-691
「十字架上の日本」演説

将来、パラダイムシフトによって、松岡洋右の中の人の考えとは別に、「十字架上の日本」と
いった考え方が、ということもあるのか、などと、適当な思いつきなど書き散らしてみたり。

列強各国の国賊、売国奴、共産主義者などの焙り出しと、同様、ということになるのか、など
と、思いつきなど書き散らしてみたり。

>>695
大陸進出が、如何なる意味なのかはよくわかりませんが、米国による中国の門戸開放の「下心」
や、中国租界だけでも、日本、米国だけでなく、ベルギー、オーストリアなどの欧州各国に、
香港返還、マカオ返還などは、何時、ということになるのか、などと、嘯いてみたり。
697名無し三等兵:2008/01/15(火) 07:31:30 ID:???
>大陸進出が、如何なる意味なのかはよくわかりませんが

文字通りの意味だよ?
日本帝国は、朝鮮、台湾、満州、華北、さらには大陸中国全土を、
自らの覇権下にいれるべくして動いている。最初から最後まで。

まあアメリカやソ連が冷戦でやってたことと同じだよ。
698俄将軍:2008/01/15(火) 07:51:39 ID:???
>>697
台湾併合以外は、単に、世界情勢、極東情勢をベースに、朝鮮半島、満洲、華北など、それぞ
れの時代の情勢によって、といったような、当たり前の結論、ということになるのか、など
と、適当な思いつきなど書き散らしてみたり。

満洲の場合、ソビエトによって、ロシア帝国が崩壊しなければ、ということもあるのか、など
と、思いつくままに書き散らしてみたり。

覇権下に云々というのは、植民地、租借、租界など、ということになると、というだけのこと
であり。
699イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/15(火) 22:27:50 ID:???
>>696 >>大陸進出が、如何なる意味なのかはよくわかりませんが

最初はロシアの南進から「間合い」が取りたい一念でしたが、満州をプロシア的な
「兵営国家」にしたい(児玉源太郎)という野望が生まれ、最後は中国をインドに
してしまえ、というのが日本の大陸進出の簡単な流れです。
700イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/15(火) 22:50:17 ID:BhTRZVZf
さてジュネーブの国連特別総会に話を戻します。少しでも日本史を習ったことが
ある人ならご存知のとおり、1933年2月21日、「リットン報告書」(対日勧告)は
賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(シャム)、投票不参加1票(チリ)の
圧倒的多数で可決されました――。

前述したように日本政府はリットン報告書が採択された場合、代表団を引き揚げる
ことを決定していました。松岡は可決直後、演壇に登って次のような発言をします。

●「この会議で採択された勧告を、日本が受け入れることは不可能である」

そして「さいなら!」と日本語で捨てゼリフを残して、ひとり退場したのでした。
もちろん松岡の発言には、日本の国際連盟脱退を示唆するような文言は含まれて
おりません。松岡が受けた指示に「代表団の引き揚げ」はあっても、そんな自暴
自棄は無かったからです――。
701イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/15(火) 23:10:45 ID:BhTRZVZf
>>691 >>松岡全権は自分が最後まで絶対に反対な連盟脱退を、美辞麗句を
>>もって強烈に擁護せねばならないという、ものすごく皮肉な立場に追い
>>こまれて、それをあまりに効果的に行いすぎたとでもいえるでしょうか。

松岡は日本政府の方針(『焦土外交』)を、国際連盟の場で断固として伝える
使者でした。そして期待された以上の役割を演じたのですが、名役者が過ぎた
かもしれません。

日本政府は1933年3月8日に国際連盟からの脱退を決定、同月27日に連盟へ
通告しました。せっかく第1次大戦で世界の五大国にまで登りつめた日本は
満州国の建国と引き換えに、あっという間に孤立無縁の状況に陥りました。
同じ3月27日に昭和天皇は「連盟脱退」の詔書を下すのですが、まさに痛恨事
だったでしょう。
702イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/15(火) 23:24:14 ID:BhTRZVZf
>>689 >>松岡の主張は外務省と政府の主張であり独走でもなければ暴走でもない。

国際連盟からの脱退は、首席全権だった松岡洋右の責任でしょうか? 条約の批准など
外交上の重要な決定は、当時の松岡ひとりでフィックスできることではありません。
天皇の詔書を筆頭に、枢密院での同意が必要であり、日本の連盟脱退は斎藤実内閣の
責任だったと云えるでしょう――。

連盟脱退の翌日の新聞には、「連盟よさらば! 連盟、報告書を採択。わが代表堂々
退場す」の見出しが一面に報道されていました。

松岡自身は、●「日本の立場を理解させることが叶わなかったのだから自分は敗北者だ。
国民に陳謝する」と失意のコメントを出しています。
703イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/15(火) 23:38:21 ID:BhTRZVZf
>>682 >>1933年に53歳となった松岡はオレゴン大学のあるポートランドを
>>再び訪れ、米国留学時代に世話になったベバリッジ夫人の墓を立てますが、

青春時代を過ごした留学先を再び訪れたのは、まさにジュネーブの国際連盟で
松岡が議場を引き揚げた帰路のことでした。何か思うことがあったのでしょう。

ひょっとしたら失意なり挫折などという、殊勝なところが人並みにあったの
かもしれません。

そんな松岡が日本へ帰国すると、自身の失意に反して国民からは熱狂的な歓迎を
受けました。一説には「皆、狂っている」と松岡はひとりごちたと云います――。
704イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/16(水) 00:02:07 ID:4mIWYex1
●「言うべきことを言ってのけた」
●「国民の溜飲を下げさせた」
●「欧米にこびへつらわず、毅然としていた」

などという理由で、国民は松岡洋右を『ジュネーブの英雄』として歓呼で迎えます。
新聞も、「松岡の姿は、凱旋将軍のようだった。わが国は始めて『我は我なり』
という独自の外交を打ち立てるにいたったのだ」と絶賛して報じます。

わずかに石橋湛山や清沢洌などの一部の言論人がこの熱狂を冷めた目で見ていた
だけで、大部分のメディアは「松岡のパフォーマンス」を大いに支持していました。

この熱病に浮かれたようなムードのなか、松岡洋右はある重大な発見をします。
それは日本に『ファシズム』の可能性を見出したのでした――。

    ,ヘ/L──- 、
    Lニ)r_」=== イ
   ,ヘ、i ノノλノハノヘ
   ,'  `(ハリ ゚ ヮ゚ノi) ',  ここが、運命の転換点、ね。
  .i   >〈(つ,i!と)  i
   vヘγk´_/___i,ゝヘノ
      `゙r_,ィ_ァ゙´
706名無し三等兵:2008/01/16(水) 00:45:23 ID:???
微妙に昇進して行ってるな。
707名無し三等兵:2008/01/16(水) 15:57:12 ID:???
内なる野心の現れですな
708名無し三等兵:2008/01/16(水) 16:16:16 ID:???
まあリットン調査団が来日した翌日に満州国建国の宣言とか猛烈に独走した関東軍には
リットン卿もたまげただろな
709名無し三等兵:2008/01/16(水) 16:39:36 ID:???
二枚舌が看板のイギリス紳士を仰天させるとは、本邦もなかなかやるではないか。
710名無し三等兵:2008/01/16(水) 17:04:56 ID:???
国際連盟なんかに調停されたら、関東軍の目論見もすべて水の泡
関東軍もあせっとったんだろーなー
関東軍は満州国軍となって日本と対決するという噂が流れるほど
711名無し三等兵:2008/01/17(木) 01:00:05 ID:???
───わが国の名はクウェート。北京五輪に出場するハンドボールチーム。イカサマ判定で予選突破の愛されチーム♪
アタシがつるんでる友達は石油を売ってるカタール、国連にナイショで
カジノ開いてるUAE。訳あって中東グループの一員になってるイラン。
 友達がいてもやっぱり五輪に出れなくなったらタイクツ。今日もIHLとちょっとしたことで口喧嘩になった。
イスラム同士だとこんなこともあるからストレスが溜まるよね☆そんな時アタシは実力で予選突破したことになっている。
がんばった自分へのご褒美ってやつ?自分らしさの演出とも言うかな!
 「あームカツク」・・。そんなことをつぶやきながらしつこい日本と韓国を軽くあしらう。
「AHLさー、ちょっと再試合してくれない?」どいつもこいつも同じようなセリフしか言わない。
IHLは世界規模だけどなんか金もってなくてキライだ。もっと拝金主義のアタシを見て欲しい。
 「すいません・・。」・・・またか、とセレブなアタシは思った。シカトするつもりだったけど、
チラっとIHLの反応を見た。
「・・!!」
 ・・・チガウ・・・今までの通告とはなにかが決定的に違う。スピリチュアルなニュースが世界中を
駆け巡った・・。「・・(ゲっ・・!!・・これって再試合・・?)」
男はホスト国だった。連れていかれて出場停止にされた。「キャーやめて!」シカトすることにきめた。
「ガシッ!ボカッ!」アタシは死んだ。スポーツ(笑)
>>706 >>微妙に昇進して行ってるな。

   ,>ッ-ヘ。__。ヘ
. / ,レ, '´゚   `,〉
( (( i ハ)))ハ))ノ)
 ` ,)).イオi ゚ ヮ゚ノヘ    内心、早く「中佐」に戻りたいんだとさw。
  ((  .,ぐ`i盃、ツぅ   
     ,メ∪イ-i、ゝ. \
      ゙'ーi_'ォ_ァ"
713イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/17(木) 01:26:12 ID:???
すいませんが、今日明日と仕事がテンパリまして今夜はお休みさせて頂きまふ。
714イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/18(金) 01:10:35 ID:mwW2Pp+0
>>708 >>まあリットン調査団が来日した翌日に満州国建国の宣言とか猛烈に
>>独走した関東軍にはリットン卿もたまげただろな

まあ、先にも述べたとおり、東京にリットン調査団が訪れた1932年2月29日の
翌日に関東軍は満州国に独立宣言を出させていますし(年号は大同、建国式は
3月9日)、リットン報告書が日支両国と国際連盟に公表される(1932年10月2日)
直前の9月15日、日本は満州国を承認し「日満議定書」を結んで一体感を全世界に
アピールしています。いや挑発かw。

更にトドメとばかりにリットン報告書の「対日勧告案」が採決される(1933年2月24日)
直前から「熱河作戦」を開始し、最終的には万里の長城から先の北支を窺おうとして
いました。

日本の国際連盟脱退は、斎藤実内閣の外相・内田康哉の『焦土外交』の暴論が
大きいですが、陸相だった荒木貞夫が●「国際連盟を脱退しないと、また暴動が
起こる」と強硬論で脅していたのも影響しています。
715イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/18(金) 01:32:24 ID:mwW2Pp+0
何せ1931年には「三月事件」「満州事変」「十月事件」、1932年には
「5・15事件」とクーデター未遂が目白押しですからねw。

>>709 >>二枚舌が看板のイギリス紳士を仰天させるとは、
>>本邦もなかなかやるではないか。

英国は日本を何とかコントロールしようとしていました。あまり強い制裁を
加えて、今後日本に開き直られても困るからです。それではヤブヘビ以外の
何物でもありません。

当時在野にいたチャーチルは、「国際連盟が日本と喧嘩するのは愚である。
国連は欧州で遂行すべき大事業を持っている」と演説しています。これは
ナチスの台頭を予期しての言葉です。1932年7月にはヒトラー率いるナチ党が
ドイツの比較第一党に躍進していました――。
716名無し三等兵:2008/01/18(金) 01:43:31 ID:???
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 ヽ \  \丶ヾヽ \   \ /二∧ )ノ 丶 丶丶丶 ヽ ヾ ゞ\丶\丶ヽ
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\ 丶 ヾ 丶v \ ヽ \\ \. 丶丶丶、 丶\ ヾ 丶丶\、 ヽ 


http://tana.pekori.to/tear/log/0412.html
717JY:2008/01/18(金) 01:44:52 ID:RQ7rMXUX
イナゾウ先生、さしいれでーす。
(´・ω・)つ http://www.youtube.com/watch?v=o2_5j_10T7g
718イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/18(金) 01:53:35 ID:mwW2Pp+0
当時の英国外相サイモンも日本の立場に理解を示し、満州事変は単なる
国際法の解釈ではなく、情状酌量論で穏便に解決しようとしていました。

日本側全権の松岡洋右も、元老・西園寺公望の意を受けて、サイモン外相を
頼りに突破口を開こうと努力しましたが、ここに運命のいたずらが起こります。

国連特別総会が行なわれている最中の1933年1月30日に、英国が怖れていた
ナチス政権が誕生し、ヒトラーが首相の座に就いたのでした。これに驚いた
英国のサイモン外相は「満州事変」問題どころではなくなり、急ぎ帰国し、
松岡洋右は最大にして唯一の『頼みの綱』を失ってしまいます――。

松岡の朋友に、「リットン報告書」の内容を公式発表前に大スクープした
『東京日日新聞』記者の楠山義太郎がいますが、「このときほどヒトラーを
怨めしく思ったことはない」との松岡の言を聞いています。
719イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/18(金) 02:11:30 ID:???
>>717 >>サンキューベリマッチ。youtubeなどロクに見ない人なので、
こういうのもあるのだと知ってビックリしました。

てゐの「呂律の回らなさ」が何とも言えません。今日は仕事のトラブルに
駆けずり回って2万歩も歩いたので(万歩計所持)幼分が補給できましたw。
720JY:2008/01/18(金) 02:14:33 ID:RQ7rMXUX
本体はニコ動らしいですけどね。
(´・ω・)つ http://www.youtube.com/watch?v=zg7R1g7mpxA&feature=related
じゃあ、萌え死んでもらいますwww
721JY:2008/01/18(金) 02:24:44 ID:RQ7rMXUX
イナゾウ先生のお陰で立派な東方・ひぐらし厨になりましたwww、ありがとうございます(・ω・) w。
流れをぶった切ってスイマセン、気にせず続きをどうぞ〜。
722イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/19(土) 01:02:19 ID:???
>>720 >>本体はニコ動らしいですけどね。

超サンクス! 仕事に追われていると、なかなかこういう世界があるのに
気付きませんねえ。時間も無いですし。でもマニーを稼がないと、お話に
なりませんw。

>>イナゾウ先生のお陰で立派な東方・ひぐらし厨になりましたwww、
>>ありがとうございます(・ω・) w。

どういたしまして。今年の例大祭は「超時空要塞ビグザイト」ですw。ところで
昨日の深夜、たまたまテレビで「グレンラガン」の一番良いところ(最終決戦)
だけ見て、「ひょっとしてこれって面白い?」と思ってしまいましたw。

         彡 ト、,. -‐‐/ [ 閻 ]\─- 、..,,_,. - 三
          彡 :::::\:::::|.l Y魔Y  〉〉:::::::::/::::: Ξ し 説 言 好  ど  東
  わ こ し  三 :::::::::\」__L二」__/__::::/:::::::::: 三 て 明 葉. き れ  方
  か い ょ  Ξ ´へ_,.r_二トー-L___ハ二_'rへ;::: Ξ も    で  か だ  が
  ら つ せ  三 7´::::/::i、::/:::::ハ:::::::;::ヽ::ヽ、7 ` 彡 :         け
  .ん に ん  Ξ ::/:::ハ/__ゝ、::| '|::::::ハ::::|::;!-ト、__/彡
  ! ! は    三 ::i:::;:イハ ̄ヽ、:;| |:::/ レ´!_ハ::::::ト、_ /// 川 | | l | l l | l |
         三 ::::i:::::ハ ! 辷リ ´  レ'イ´ ̄ハ |::::/:::::ヽン、.,______- 、_
ミ      -=ニ ヽ;::ハ:::::! //// ,    ゞニリノ|/V:::::::::::|`>、 \`ヽ`ヽ.
         彡 /:::i::从        ////"イ:::::/:::::l:::::::|//ヽ/  ノ  i
  せ 説 だ  Ξ :::|:::::::!ヽ、   ‐-  u  ,.イ:::::/:::::::|:::::::ト、___!,,..-''"´ /
  ん 明 か  三 、!::::::ゝ;::`ヽ、.____,,,..イi´::|:::::!:::::::ハ::::::|`'ーrr--‐''"´
.  ! ! は ら  Ξ ::::ヽ、__`ヽr「 `「lー''"ハ、_!__l、__/_,|:::::|  ヽ\
          三 `'i''ー=!r':::::ヽ、;|」__;;:イ:::::::::`|l レ^ヽ!、   〉 〉
          ミ ´`ヽ/::::::::::::::/o::::::::::::::::::::::::ト!、二イ7 ヽ く___/
724イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/19(土) 01:45:42 ID:af6WSHy+
文字がちょっとズレた…w。しかも正しくは「ヤマザナドゥ」です…orz.w

>>718 >>日本側全権の松岡洋右も、元老・西園寺公望の意を受けて、

「松岡洋右と西園寺公望」という組み合わせに違和感を覚える人は多いのでは
ないでしょうか。しかし西園寺の秘書だった原田熊雄の回想によると、1932年9月に
松岡洋右が西園寺のもとを訪れて、

●「ぜひ1つ年寄りを連れて行かなければ困る(首席全権の意味、内田康哉外相は
清浦奎吾元首相の出馬を持ち出したが松岡は断った)。そうして今度はもうできる
だけ穏やかに事をまとめて帰るように努めなければならぬ」

と言いに来たとされます(『西園寺公と政局』)。また1932年10月に松岡は主席
全権として国連総会に派遣されますが、出発前の挨拶に西園寺を訪れ、●「必ず
まとめて帰るようにしたいと思います」と伝言を残して行ったと伝えています。
725イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/19(土) 02:03:46 ID:af6WSHy+
また1932年11月21日から、リットン報告書を中心に満州事変問題を討議する
国連特別総会が始まりますが、松岡洋右は「朋友」の楠山義太郎(東京日日
新聞のロンドン特派員記者、このときロンドンからジュネーブに応援取材に
来ていた)に、●「俺は連盟を脱退したくない」●「サイモンがいるから
俺も助かる」と心中を漏らしています。

楠山(後に主筆)はリットンを口説き落として超スクープをゲットするような
敏腕記者ですから、総会を訪れた英国外相のサイモンにも直ぐに近づきます。

サイモン外相は楠山に対して、●「私は弁護士だが、外相に就任したため
収入が数十分の一に減った」などと内輪話をし、●「満州事変問題に関する
日本の行動は国際諸条約違反だ。しかし私は長い弁護士経験から、法律違反
ではあるが、止むを得ず罪を犯した同情すべき事件を何回か弁護したことが
ある」などと、非常に意味深な発言をしています――。
726イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/19(土) 02:23:29 ID:af6WSHy+
また話が長くなっていますが、太平洋戦争直前の松岡のイメージしか
ない人には新鮮でしょうから、もう少し続けましょう。

松岡洋右は楠山記者に対して、こう愚痴をこぼしています。

●「いったい俺はどうしたら良いんだ。斎藤(首相)は軍人のクセに腰抜けで
 閣内意見の統一が取れない。荒木(陸相)は連盟を脱退しなければ帝都治安の
 責任は取れんと、まるで『駄々っ子』である。本国政府がこの調子では、外に
 使している(外交使)者の立つ瀬がない――」

さもありなんの話です。楠山は軽口を叩くようにして、松岡を励まします。

●「あなたは陛下のご信任厚い日本の首席全権である。『外に使して君命を
 辱しめず』という言葉がある。今あなたは難しい立場にはあるが、ここで
 君命を辱しめるような外交は禁物だ。浮薄な一部の意見に左右されるべき
 ではない――」 
727イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/19(土) 02:44:46 ID:af6WSHy+
さらに2人の問答は続きます。

松「だが俺は政友会のボロ代議士に過ぎんよ」
楠「私は陣笠代議士松岡を相手にしているのではない。首席全権松岡と
  話をしているのだ」
松「そんなに買い被られても(苦笑)」

もちろん一連の上記は、楠山の回想で何やら自分がカッコ良く書かれ
過ぎている気がしますが、実際の雰囲気的もこれに近いものがあった
と思われます。でなければ特派員の記者が、これほど要人の懐に入り
込むのは難しいからです。キャッチーな才能があったのでしょう。

また楠山はリットンに、松岡評として「あれはインターナショナル・
ギャングだね」と耳にしています。ジュネーブでも松岡の傍若無人
ぶりは健在だった訳ですが、さすがに総会の雲行きを気に病んで
プレッシャーにより憔悴していました――。
728JY:2008/01/19(土) 03:03:22 ID:JkqBVAZy
(閑話)わたくし、例大祭に初参加しようと思っておるんですが、
あんな広い会場で大丈夫なのかすらなどと不安に思ったりwww。
れいまりは、自分の中ではジャスティスwww山田さんもいいですがw
729名無し三等兵:2008/01/19(土) 10:12:55 ID:J36P51jk
>>716殿


是非とも続きをm(__)m  m(__)mm(__)m
730名無し三等兵:2008/01/19(土) 11:32:27 ID:???
731イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/19(土) 23:26:42 ID:/aetMLx4
>>723 >>松岡評として「あれはインターナショナル・ギャングだね」(リットン卿)

何はともあれ、松岡洋右は英国代表のサイモン外相、そしてリットン卿(元インド
総督)とも、お互いの腹の内を読みあって『円満解決』に努力していました。

そんななか前述したように1933年1月30日、独国にヒトラー政権が誕生します。
この緊急事態に英国のサイモン外相は本国に戻ってしまい、さらに仏国のボン
クール首席全権もジュネーブから帰国の途につきます。

さあ、これに青ざめたのは松岡です。英仏の2人の実力者がいなくなると、連盟の
特別総会は、チェコ代表のベネシュ外相、スペイン代表のマダリアガ駐仏大使が
声を大にして●『大国の取引き反対』を叫びます。中小国による日頃の鬱憤晴らし
みたいなものですが、国際連盟の規約を盾に『純理論』に終始しました。当然、
日本の立場は苦しくなる一方です――。
732イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/19(土) 23:52:40 ID:/aetMLx4
サイモンやボンクールが国連総会を去ったあと、英国にはイーデン外務次官が、
仏国にはマッシグリーが留守役として残っていましたが、2人はそれぞれ36歳と
40歳の若造です(松岡洋右は52歳)。とても老獪な政治的判断ができる訳もなく、
この2人は『純理論』ばかりに熱心となります。

松岡は●「青二才が理屈ばかりこねる」と嘆きますが、もはやこれまで。満州国
独立を認めない「対日勧告案」が1933年2月24日の連盟総会に提出され、教科書に
載っているとおり、日本だけが反対票を投じた『42対1』で採択となりました。
そして日本は国際連盟を脱退します――。

松岡は痛恨の「外交的大失敗だ」と考えておりましたので、楠山記者に対して
●「えらいことになった。日本に戻ったら政界を引退する」とこぼします。
そして失意の内にアメリカへと渡るのですが、下記のとおりな訳です。

>>682 >>1933年に53歳となった松岡はオレゴン大学のあるポートランドを
>>再び訪れ、米国留学時代に世話になったベバリッジ夫人の墓を立てますが、
>>青春時代を過ごした留学先を再び訪れたのは、まさにジュネーブの国際連盟で
>>松岡が議場を引き揚げた帰路のことでした。何か思うことがあったのでしょう。
733イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/20(日) 00:10:53 ID:4S5XqPj5
土橋勇逸(のちの参本第二部長、支那派遣軍総参謀副長)中佐は、当時
「国際連盟臨時総会帝国代表部随員」としてジュネーブに送り込まれて
いましたが、松岡洋右の様子を次のように語っています――。

「事志と違って日本に帰っても顔向けできまい。ままよ、しばらく
 アメリカに姿をくらましてホトボリが冷めるのを待とうと決心した
 松岡さんは、アメリカヘ行く孤影悄然たりである。

 行って日本の情況を眺めた。そして驚いたり、自分の耳を疑ったりした。
 内地では42対1を誇らしげに口にし、脱退した松岡を礼讃し、まさに
 英雄に祭り上げている。狐にツママれたというのはこの事であろう――」

松岡が「みんな狂っている」と一人ごちたのは、この時でしょう。
734名無し三等兵:2008/01/20(日) 00:19:27 ID:???
幣原外交を叩いて人気取りをやったのに、そんなことで驚くとはなぁ…。
まあ、松岡にとってはただの与党叩きパフォーマンスに過ぎなかったんだろうな。
ところが松岡の予想を超える勢いで国民は強硬論に傾いていたと。
735イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/20(日) 00:43:44 ID:4S5XqPj5
>>718 >>このときほどヒトラーを怨めしく思ったことはない」との松岡の言

ちなみに同じ年の1933年10月、ヒトラーは国際連盟からの脱退を表明しています。
11月にはその可否を問う国民投票がドイツで行なわれますが、4500万人の
有権者のうち96%が投票し、さらにその内の95%が連盟脱退に賛成しました。
同時に行なわれた総選挙でも、ナチス党は92%の票を獲得しています。

「狂っている」と云えば、こちらの方が『狂っている』のですが、15年間
耐え続けてきたヴェルサイユ体制からの離脱は、ヒトラーに魂を売るだけの
価値があったのでしょう――。

>>704 >>この熱病に浮かれたようなムードのなか、松岡洋右はある重大な発見を
>>します。それは日本に『ファシズム』の可能性を見出したのでした――。

ドイツほどではないにせよ、「国際連盟脱退」という熱病に浮かれていたのは
日本も同じです。松岡洋右は、当初こそ●「日本の立場を理解させることが
叶わなかったのだから自分は敗北者だ、国民に陳謝する」と述べていましたが、
帰国後はその政治活動が激変します――。
736イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/20(日) 01:16:13 ID:4S5XqPj5
>>734 >>まあ、松岡にとってはただの与党叩きパフォーマンスに
>>過ぎなかったんだろうな。

政友会と民政党の「足の引っ張りあい」は国を滅ぼすレベルです。

満州事変直前に起きた「統帥権干犯問題」も、1930年2月の総選挙で大敗した
政友会総裁の犬養毅と鳩山一郎が、民政党の倒閣をもくろんだのがきっかけ
ですが、日本の針路を捻じ曲げるほどの火を付けました。

当時、国際連盟の脱退がどのくらいのインパクトだったか? 現代の日本が
国際連合を脱退するというのと大差ないのではないでしょうか。何といっても
あの時の日本は「常任理事国」であり五大国です。
737イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/20(日) 01:27:52 ID:4S5XqPj5
>>735 >>帰国後はその政治活動が激変します――。

松岡洋右は日本に帰国後、インタビュー対してこう答えます。

●「私が平素申しております通り、桜の花も散り際が大切 」
●「いまこそ日本精神の発揚が必要です」

先に取り上げた、

>>●「日本の立場を理解させることが叶わなかったのだから、自分は
>>敗北者だ、国民に陳謝する」

とは180度変わっています。そして1933年12月には政友会を離党し、
国会議員も辞職し、松岡は『政党解消連盟』を結成します。さらに
その後1年間にわたって全国遊説を行なったのでした――。
738イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/20(日) 01:44:44 ID:4S5XqPj5
松岡洋右の転身の背景には、日本に『ファシズム』の可能性を見出したことが
挙げられます。もちろん国際連盟脱退をめぐる国民の熱狂(と自分への絶賛)
ですが、>>735 で述べたドイツの選挙結果(ナチス圧勝)も大きいでしょう。

>>718 >>●「このときほどヒトラーを怨めしく思ったことはない」との松岡の言
>>726 >●「いったい俺はどうしたら良いんだ。斎藤(首相)は軍人のクセに
>腰抜けで閣内意見の統一が取れない。荒木(陸相)は連盟を脱退しなければ
>帝都治安の責任は取れんと、まるで『駄々っ子』である。本国政府がこの調子では、
>外に使している(外交使)者の立つ瀬がない――」

ここで1つ疑問が生まれますが、一生の痛恨事である「国際連盟脱退」について
松岡はヒトラーを怨んでいました。しかし松岡は、ヒトラーと同じファシズムへの
道を選択し、日本とドイツとの連携を訴えました。これは何故か?

松岡は「政党政治の体たらく」の方がより重罪だと考えたのでしょう。ほとほと愛想が
尽きたと。今こそ日本に必要とされるのは、ナチス・ドイツの『一党独裁』である!――
739名無し三等兵:2008/01/20(日) 02:06:33 ID:???
>一生の痛恨事である「国際連盟脱退」について
>松岡はヒトラーを怨んでいました。

昭和天皇毒吐く録
「一体松岡のやる事は不可解の事が多いが彼の性格を呑み込めば了解がつく。彼は他人の立てた計畫には常に反対する、また条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格を持っている」

また条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格を持っている
また条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格を持っている
また条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格を持っている

要するに典型的なマキャベリストだろう。
後のあからさまな態度使い分けを見てもそうとしか考えがえられない。
740名無し三等兵:2008/01/20(日) 11:40:46 ID:???
ピー屋で頭を冷やして来い
741☆魔除け☆ (magic word to access from China):2008/01/20(日) 12:53:42 ID:???
To Chinese reader:  You must know hidden true history!

六四事件 天安門大屠殺 天安門事件 Tienanmen Square
Red China army killed great number of Chinese democratization's people
in Tienanmen Square in 1989 Jun.
Their China military's tanks that's killed many democratic citizen.
many nations watched barbaric never seen shock event , it was awesome!
and many nations people and we hate it.

文化大革命 Chinese culture revolution
Over 40 million Chinese were massacred by red China of Mao Zedong
in Chinese culture revolution (1966-79) .
It's awesome cruel!! , communism that... ,just a mad dog !
Unbelievable! ... but that's all truth.
Cause, red China bloody red beast or Satan's country and area
in Bible's John's holy prophecy.

(To Japanese reader: You have to believe that for our safety , if you have morality.)
742名無し三等兵:2008/01/20(日) 17:13:09 ID:VheG6jje
マキャベリズムと条約破棄は何の関係も無い。
その上不経済と来ては 739=異常者
743名無し三等兵:2008/01/20(日) 19:16:03 ID:???
マキャベリズムは「レッテルの張り方」として、間違った使い方されすぎだねぇ。
744名無し三等兵:2008/01/20(日) 19:50:26 ID:???
>>742
>マキャベリズムと条約破棄は何の関係も無い。

そう。マキャベリストとは、どんな理由があっても、例え目的から外れようとも条約や信義を守る存在。
言い換えれば、マキャベリストにとっての条約や信義とは、手段ではなく目的なのですw
つまり幣原がマキャベリストですw

>その上不経済と来ては 739=異常者

不経済って何をさして言ってるのw

>>743
じゃあマキャベリズムを定義してみてよw
745イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/20(日) 23:28:28 ID:7RQ+2yrC
>>737 >>国会議員も辞職し、松岡は『政党解消連盟』を結成します。

要するに「既存政党をブチ壊す!」ということです。まあ、小泉純一郎の
『自民党をブチ壊す!』に似ていなくもありませんが、松岡洋右のそれは
政党政治自体の否定であり、ファシズム体制への呼び水です。

松岡は1年間に渡って全国を遊説し、得意の弁舌で驚くことなかれ、政党解消
連盟の会員を200万人獲得しました。ちょっとした教祖様であり、信者です。
テレビもない時代に驚異的なことです。やはり連盟脱退の『英雄様』であり、
いかに国民から人気があったことを端的に示しています。

しかし特に見るべき政治活動もなく失速し、松岡は1935年に今度は満鉄総裁に
就任しました。まあ、時代が早過ぎたこともありますし、何より「一党独裁」の
ファシズム体制を作ろうにも肝心のナチス党のような軸がありませんでした。

大政翼賛会(1940年〜)ができる5年前のことです(その時歴史は動いたw)。
746イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/20(日) 23:43:05 ID:7RQ+2yrC
>>738 >>松岡は「政党政治の体たらく」の方がより重罪だと考えたのでしょう。

松岡洋右が振り回された「斎藤実内閣」(1932年5月〜1934年7月)は、「5・15事件」
による犬養毅首相暗殺を受けて組閣されたものです。奏薦の任にあたったのは西園寺
公望ですが、昭和天皇から鈴木貫太郎侍従長を通じて、次期首相に対する自らの「希望」
を伝えられます。その「希望」とは――。

1.首相は人格の立派なるもの。
2.現在の政治の弊を改善し、陸海軍の軍紀を振粛するのは、一に首相の人格如何による。
3.協力内閣、単独内閣等は敢へて問ふところにあらず。
4.『ファッショに近きもの』は絶対に不可なり。
5.憲法は擁護せざるべからず。しからざれば明治天皇に相済まず。
6.外交は国際平和を基礎とし、国際関係の円滑に努むること。
7.事務官と政務官の区別を明かにし、振粛を実行すべし。
747名無し三等兵:2008/01/21(月) 00:06:21 ID:A2iSBl1C
              , ‐ ' ´  ̄ ̄ ` 丶、
            /              丶
              , ' r、'´    _ _      ヽ
           /  /ヽヽ__ ' ´   _____,, イ ヽ
          ,'  ,'  {_r'‐'',ニ二、ー===-‐'|l 、`、
           iヽ i //  '´  ̄`ヽヽ       l| l  i
        ,' ヽ l /  、>‐=、、      =ニヽ ! l  l
        ,' /⌒ l |  ´ /(__,!゛       `、! |  !    大日本帝國は最高よ!
       ,' ! '^> |!   i。_oソ     , ニ、,  ノ 丿        
       ,'  ヽ ヽ     ` ─       '⌒Y, ' /       
        /   |`T 、            j     /}´       ,'^!
     /   l l i iヽ     i` ーァ   /ノ      / /
      /    | | i i ! \   l_/    ノ |   {ヽ  / /
     ,'    | | i iノ   丶、 __  , イ | |   l } 〃 二ヽ
    ,'    r| | '´\_  / ,' ,′  | |   |└'{_/ ,─`、
   ,' , --─/ l | ─ 、 `X´ト、 ,′  | |  |  '-イ_ィ、 〉
748イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/21(月) 00:07:42 ID:yFjz3yYl
西園寺も悩みどころでした。「憲政の常道」からいえば、犬養後任の政友会総裁
である鈴木喜三郎に組閣させるべきですが、人物が人物です。鈴木は検事総長を
務めるなど、もともと「司法畑」ですが、田中義一内閣の内相として「特別高等
警察の強化」「治安維持法の改定」、また「内相の職権乱用で、全国の府知事から
野党の民政党をパージ」など、首相にしたらロクでもなさそうですw。

陸軍は「荒木貞夫首相」「平沼騏一郎首相」を望みますが、西園寺は断固として
はねつけます。まあ、こうした紆余曲折の「中間派」として海軍出身の斎藤実に
白羽の矢が立った訳ですが、世間からは「スローモー内閣」と揶揄されました。

政友会、民政党からも閣僚を引き抜く「挙国一致内閣」の体裁でしたが、斎藤実
自身が「派手な立ち振る舞い」をできる人物ではありません。結局、外相の内田
康哉の暴走(焦土外交)、国際連盟脱退、内田外相をクビにした後は広田弘毅が
後を継いで支那に対する「和共外交」を推し進めますが、情報部長の天羽英二が
「アジア・モンロー主義」をブチあげて(天羽声明)、欧米の反発を喰らうなど
『迷走』といっていいものでした。最後は政友会が仕組んだとされる「帝人事件」の
スキャンダルで総辞職を余儀なくされます。(その後は、岡田啓介内閣へ――)
749イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/21(月) 00:29:08 ID:yFjz3yYl
>>739 >>また条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格を持っている

いやしくも日本の条約は、すべて天皇の御名御璽で発効されており、それを
破棄することは、近代立憲君主としての「日本国天皇」の名誉に泥を塗る
ことになる。下賎の身分から成り上がった松岡洋右にとって、自身の野望は
国家や天皇の名誉より重いのか――。

『昭和天皇独白録』を読むときは、こうした行間を読む必要があります。

また松岡が第2次近衛内閣で外相になるとき、昭和天皇から「外相の松岡は
危険ではないのか?(ついでに陸相のヒデキも同様w)」と言われましたが、
同じ外交官の広田弘毅も首相になるとき、天皇は西園寺に「広田で大丈夫か?」
と念を押しています。

松岡がひと段落しましたら、広田弘毅を少し取り上げる積もりです。同じ外交官で
連続して比較したほうが、より多くのことが見えてくると思ったからです。
750イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/21(月) 23:07:45 ID:BBIc2S7f
さて松岡洋右は1935年8月に「満鉄総裁」に就任し、1939年2月までの3年余り
同職に留まります。振り返ってみれば、満州国の建国と引き換えに国際連盟の
脱退という『一生の痛恨事』が起きた訳ですが、いくら外務省で中国勤務が多く
また満鉄副総裁も務めていたとはいえ、引き金となった『満州国』の中で再び
権力を握る心境というのは如何なるものでしょうか。

松岡洋右が『ファシズム』に取り憑かれてしまったのは、連盟脱退の大失敗を
チャラにしたいという精神的な自己防衛もあったでしょう。雨降って地固まる、
災い転じて福となす――。国際連盟を脱退して、むしろ日本の国益にとっては
良かったのだという『世界』を思い描いたのではないでしょうか。

さて松岡が満州で雌伏するなか、日本の情勢は激変していきます。まず1936年
2月26日には「2・26事件」が。1936年11月には日独防共協定が成立、さらに
1937年7月には盧溝橋事件が起き、支那事変が勃発します――。
751イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/21(月) 23:47:53 ID:BBIc2S7f
>>738 >>>今こそ日本に必要とされるのは、ナチス・ドイツの『一党独裁』である!

松岡洋右は『政党解消連盟』でドイツと日本の連携を訴えましたが、いまや急速に
それは現実性を帯びてきました。まず「支那事変」が泥沼化するなか、ドイツの力を
借りて蒋介石を屈服させようという陸軍の思惑が強くなります。

そして1939年9月には第2次世界大戦が勃発します。1940年6月にはフランスが
ドイツに屈服し、西ヨーロッパのほとんどはナチスの物となりました。1940年
7月22日には第2次近衛文麿内閣が成立し、ついに松岡洋右は念願の外務大臣に
迎えられる訳です――。

>>745 >>大政翼賛会(1940年〜)ができる5年前のことです(その時歴史は動いたw)。

ご丁寧に『近衛新党運動』によって米内内閣が崩壊し、政友会や民政党といった既成
政党が「バスに乗り遅れるな」とばかりに解党して、大政翼賛会の雛形が生まれますw。
752イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/22(火) 00:05:15 ID:bKoMfESk
>>751 >>ついに松岡洋右は念願の外務大臣に迎えられる訳です――。

要するに近衛文麿が、松岡洋右の『政党解消連盟』の音頭を代わりにやって
くれたようなものです。

近衛新党運動は、既成政党が全て解党したのはいいですが、その後、親軍的で
ナチスのような「一国一党」組織にするか、それとも天皇を補翼する精神運動
的な緩やかな組織にするかで揉めに揉めます。

そうこうして名称が『大政翼賛会』に決定しますが(1940年10月12日)、総裁兼務と
なった近衛文麿が、「これは政治結社ではない云々」の眠たいことを今さら抜かして、
近衛新体制は最初から失敗したものとなりました――。

脱線が長くなるのでこの辺で止めておきましょうw。まあ、「大政翼賛会はみんなの
心の中にある――」レベルの発言だった訳です。
753元32(予備役少佐):2008/01/22(火) 00:09:12 ID:???
松岡話はいろいろありますが。

シベリア超特急の松岡洋右は、会話が盗聴されていると聞いて、
大喜びでかなり長い旅行の間一日中例のマシンガン・トークで語りつづけ、
聴き手は交代で一日数時間ずつ松岡の話を聞き(それでも苦しかったそう)、
ずっと盗聴しているであろうソ連諜報員を責めさいなんだそうです。

随員達はソ連諜報員が生きていられたかどうか心配したそうな。

だが、もちろん松岡は、くだらない政局論をしながら、
心の奥で日ソ中立条約のタイミングをはかっていたわけです。

松岡はよくわからない人です。
754イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/22(火) 00:27:39 ID:bKoMfESk
近衛文麿の側近で、「新党構想」を投げ出しそうになった親玉をなだめつつ、
ようやく翼賛会の成立にこぎつけさせた後藤隆之助という人物がいますが、

●「もうこれで大政翼賛会は駄目だと思った。成立と同時に『死児』が生まれて
 きたのと同じだと思った――」と失望をあらわにしています。

まあ、近衛内閣は陸軍と国民の支持を受けて成立しました。同様に国民の人気が
高い松岡洋右が外相に選ばれたのは、要するに近衛と松岡が実は似た者同士だった
ということに他なりません。
755イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/22(火) 00:37:31 ID:???
>>753 >>聴き手は交代で一日数時間ずつ松岡の話を聞き(それでも苦しかったそう)

それは地獄ですね。30分でもキツイと思います。列車の中にはテープレコーダー
はなかったのかしらん? 実は自分も明日、似たような書記(?)の仕事をしないと
いけないので気が重くて仕方がありませんw。
756名無し三等兵:2008/01/22(火) 01:42:56 ID:nQSeelxM
.        /::::::::::::::::::::::::::::::::i:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
        i::::::::::::::::::::::::|::::::::ハ::::::|::::::::::::!:::::::::::::::::::::::::::::}
        |::::::::::::::イ|::::ハ:::::/. |:::::|、::::::::::|:::::::|::::|:::::::::::i:::|
        |i::::::::::::! ||:::i‐|:::ト i::::::| ヽ-::├:::::|、::|:::::::::::|::|
        ||::::::、:::|´||/__|/  \i.  \_|\:|、:::|::::::::::|::|   <アメリカ軍の戦死者29万2千人に対して、(対日対独)
        〉::.:::::|、|,,イテ心      r"テミ、ヽY:::::::::::|::|
        i:::::::::|i.  弋zン     弋z__ソ" |::::::i:::::|::|     日本軍230万人。民間人80万人は明らかに
        |::|::::.ト|    ̄        ̄   /::::::|:::::|::|
        |::|:::::|_|  xx     、     xxx /|::::::|:::::|:::|    「日本軍はメッサ弱かった!!」ってことですよねwww
.        !:|:::::|::ハ              ,'-|::::::|:::::i:::}
         ||::||:|:::::::ヽ、   ー‐     , イ:::/:::::::i::::::/     なにせ、合計310万人以上も戦死して、
        ヽi|ト|:::」|_:::|ヽ     , <___|_/|:::::/::::/
          |_|iー‐‐|  >- ' ./      |:::/::::/     対日対独で、約半分としたら15万人。
       r=ニ=-、、_/       ト、     |_/ ̄
     | ̄ ̄     "' 、,_   |、 ヽ、_          桁違いのワンサイドゲームですわねwwww
     |           ヽ ヽ, }:::| ヽ "'ヽ、
    / ̄ ̄ ̄  "' 、    \y:::::|  _|  /ヽ \      これで、本土決戦??  アホですわねwww
   /        /ヽ\     \/  | | ̄ └‐,.\
.  /      l ̄Y    ) \.   /  ヽ| o。 /   ヽ 経済大国といいつつ中国に10年後GDP抜かれるらしいですわ。
 /      、ヽ|   o   ̄ヽ \ /   /|  y、 ヽ   }
757元32(予備役少佐):2008/01/22(火) 02:21:35 ID:???
>>755
自分の場合、テープ起こしで一番イヤなのは自分の声を聞くことです。
それはそうとまた昇進おめでとうございます。
758名無し三等兵:2008/01/22(火) 06:50:04 ID:???
>>754
>要するに近衛と松岡が実は似た者同士だった
>ということに他なりません。

松岡は下からの人気が高く、近衛は上流階級にやたらと評判がいい。
それはもう買いかぶりかと思われるほどに評価されている。
で、戦後になると評価が急落。
そんなところまで似ている二人。何かある!
759名無し三等兵:2008/01/22(火) 07:06:35 ID:???
>>754
>要するに近衛と松岡が実は似た者同士だったということに他なりません。

人気があったのは似ているが相性は最悪。

松岡が一党独裁を指向したのは、つまるところ、今後の国難を乗り切るには強力なリーダーシップと独裁権力による牽引が必要だと考えたからだろう。
この考え自体、明治以来の日本の政治機構とはまったく相容れないものだが、
その上トップになった人間が、御輿にはよくても果断さなどまったく期待できない近衛では終わったも同然。

かくなれば、できる限り近衛一派の横槍を排し、独自の外交を進める他ない。
760イナゾウ伍長:2008/01/23(水) 23:09:14 ID:3I/9AajL
「専ブラ」テスト、テストw。
761イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/23(水) 23:34:34 ID:3I/9AajL
>>759 >>人気があったのは似ているが相性は最悪。

結局、「天皇をどう考えるか」です。天皇制とファシズムはどう考えても
相性が良くありませんw。松岡洋右は日本にファシズムを成立させるため
なら天皇は駒扱いです。

近衛文麿は、最後まで「輔翼」という一線を超えることができませんでした
ので、大政翼賛会の創設でも「眠たいこと」を言っています。近衛の場合、
「輔翼」と「無責任」は紙一重です。

「大政翼賛会の綱領は大政翼賛・臣道実践という語に尽きる。これ以外には、
 実は綱領も宣言も不要と申すべきであり、国民は誰も日夜それぞれの場に
 おいて方向の誠を致すのみである――」

これでは『朝の挨拶運動』と大差ありません。百歩譲って単なるスローガンです。
762イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/23(水) 23:56:58 ID:3I/9AajL
>>761 >>天皇制とファシズムはどう考えても相性が良くありませんw。

相性を良くしようとすれば、「2・26事件」で青年将校が夢見たような
『天皇親政』への国家改造計画になりますw。

>>758 >>松岡は下からの人気が高く、近衛は上流階級にやたらと評判がいい。

松岡が下に人気があったのは、要するに松岡が外務省内に恩義や引け目を
感じるような先輩がひとりもいなかったことの表れでしょう。どうせ帝大
ではなくオレゴン大学出身ですw。

第2次近衛内閣の外相として古巣の天下を握った松岡は、外務省をトップ
ダウンの組織に「改造」するのに何の躊躇も必要ありませんでした。自分の
イエスマンでないと見込まれた大使・公使ら40人が更迭されましたが、
要するに「三国同盟」の障害となる親英米派をパージしたのでした。
763イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/24(木) 00:18:07 ID:csjT2T2f
まあ、いわゆる『松岡人事』ですが、駐英大使として赴任したばかりの
重光葵も更迭され、さらに有力な外交官たちには「辞表」を出させて、
外務省そのものから退職させようという念の入り方です。駐ソ大使を
更迭された東郷茂徳らは、辞表提出を拒否して抵抗しました。

松岡の天下が続けば「上のポスト」が一挙にいなくなる訳ですから、若い
外交官は新しいボスに媚びれば、自身の活躍の場が増えそうだと期待します。

さらに松岡は、元軍人や代議士といった職業外交官ではない各界要人を
新任の大使として送り込みます。退役海軍大将の野村吉三郎もその一人
でした(駐米大使)。

これ以降は、日独伊三国同盟が締約され、日米交渉が始まり、独ソ開戦、
松岡が更迭され、お決まりの太平洋戦争へと続いていきます。このスレでも
さんざんやって来ていますし、松岡の初期の人生にスポットを当てるのが
今回の目的でしたから大幅に割愛させていただきます。
764イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/24(木) 00:38:18 ID:csjT2T2f
これだけ傍若無人だった松岡洋右ですが、最終的には日米が手を握れる日を
夢見ていたのは事実です。三国同盟締結をめぐる御前会議の席上でも、

「今やアメリカの対日感情は極端に悪化していて、わずかの機嫌取りくらいでは、
 回復するものではない。ただ我々の毅然とした態度だけが、戦争を避けしめる
 であろう」

と述べています。ここにアメリカ留学時代から培った松岡の「外交人生」が
集約されていると言ってよいでしょう。途中で降りたら何もかも失うのです。
ファシズム体制も、日独伊三国同盟も、ソ連を含めた四国同盟も、すべては
米国に「FOLD」(降りる)させるためのチップを積み上げていったのです。

しかし松岡の意に反して日米は開戦しました――。
765イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/24(木) 00:51:02 ID:csjT2T2f
1941年12月6日、日米開戦の方針を知った松岡洋右は、

●「三国同盟は僕一生の不覚であった」
●「死んでも死にきれない。陛下に対し奉り、大和民族8千万同朋に対し、
 何ともお詫びの仕様がない――」

と涙ながらに無念の思いを周囲に漏らしたと云います。その後、結核を患い
急速に痩せ衰えていきました。東京裁判で巣鴨に入った時点で、松岡はもう
「生ける屍」状態だったでしょう。

同じ巣鴨に収監されていた大達茂雄(満州国総務庁長、松岡洋右が満鉄
総裁だった頃と同時期)は、その時の模様を以下のように述べています。

●「私とはフロアが違うもんですから、お互いに話をすることも出来んで、
 部屋の前を歩いていくとこを見て、うなずき合う位のもんでした。病み
 ほほけて脂が抜けたような顔でしてね、少なくとも格好としちゃあ松岡
 洋右の生涯で、あのときが一番立派だった――」
766イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/24(木) 01:01:15 ID:csjT2T2f
また、●「日本人が持っている明治以来の伝統の外国人崇拝というような
ことが、松岡にはなかった」などと追憶しています。

松岡の肺病はますます悪化し、ついに1946年6月27日、東大病院で
死亡しました。もし東京裁判の結審まで生き延びたとしても、松岡洋右の
死刑は揺るぎなかったでしょう。

東京裁判はニュルンベルク裁判の鏡でもありますが、松岡洋右のカウンター
パートは、同じく外相のリッペントロップ(処刑の順序は一番先)だったから
です。もし松岡が死刑にされていたら(それまで生き延びていたら)、死刑人
総枠の関係で、代わりに広田弘毅あたりが助かったかもしれません。

辞世の句は、「悔いもなく 怨みもなくて 行く黄泉(よみじ)」でした。
767イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/24(木) 01:15:32 ID:csjT2T2f
山田風太郎の著書で『人間臨終図鑑』という3部作があります。「何歳で
死んだ人」という括りで、数百人という著名人の『死に際』が描かれている
訳ですが、もちろん松岡洋右も66歳の項に収録されています。

●「松岡は相手の手を全然見ずに、己の手ばかりを見ている麻雀打ちで
 あった。彼はヤクマンを志してヤクマンに振り込んだ」

という山田風太郎の評は、つとに有名でご存知の方も多いでしょう。

しかし不正確です。松岡洋右という人間は、もうすでに『国際連盟脱退』
というヤクマンを前半生で振り込んでいるのです。松岡の人生は、その
不始末を何とか返そうと(チャラにしようと)、自分もヤクマンを志し、
更に大きなヤクマンを振り込んでしまったのです。

最初の国際連盟脱退が「国士無双」の振り込みだとしたら、三国同盟と
日米開戦は「大三元・四暗刻・字一色」のトリプル役満ぐらいでしょうか。
768イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/24(木) 01:23:52 ID:???
●「松岡洋右はヤクマンに2度振り込む――」

この小テーマの結論でもあります。
769イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/24(木) 01:26:08 ID:???
>>757 >>それはそうとまた昇進おめでとうございます。

まだまだ延々と道が長く続きますので、中佐に戻るまでそっとして
おいてくらさいませw。
770名無し三等兵:2008/01/24(木) 02:02:02 ID:???
>>764
おいおい、それでは松岡はベロベロの親米派じゃないかw
771名無し三等兵:2008/01/24(木) 06:21:19 ID:???
>>762
>要するに「三国同盟」の障害となる親英米派をパージしたのでした。

親英米派なんて、軍部と政府に引きずり回されて何一つ事態を好転させることができなかった連中じゃないか。
問題解決能力は皆無。
やったことといえば空念仏に等しい国際協調を唱えることだけ。
松岡に首を切られたのはある意味当然。
772イナゾウ中佐:2008/01/24(木) 23:10:38 ID:???
>>770 >>おいおい、それでは松岡はベロベロの親米派じゃないかw

松岡洋右は本当に難しい人物で、思春期の米国留学がどの程度
影響しているのか、正直よく分かりません。下手したら涼宮ハルヒ
並みの「ツンデレ」ではないかと思う時がありますw。

しかし、これだけは断言できます。日本がアメリカと戦争すればいい
なんて、松岡は絶対に思っていませんでした。横山信義の本では
ありませんが、極端な話、「全世界VSアメリカ」の状況にまで持って
いってでも、戦わずにアメリカを屈服させる(大東亜共栄圏の成立)のが
松岡の理想だったでしょう。
773イナゾウ三等軍曹:2008/01/24(木) 23:16:39 ID:sg9EJfPt
>>771 >>親英米派なんて、軍部と政府に引きずり回されて何一つ事態を
>>好転させることができなかった連中じゃないか。

もう1人これから「広田弘毅」をちょっとだけ取り上げますから、
そこで少しは見えてくるでしょう。

極小テーマ「松岡洋右と広田弘毅」という訳でw。
774イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/24(木) 23:31:48 ID:???
>>728 >>(閑話)わたくし、例大祭に初参加しようと思っておるんですが、
>>あんな広い会場で大丈夫なのかすらなどと不安に思ったりwww。

えらい亀レスですが、『超時空要塞ビグザイト』に例大祭が移って良かった
のではないかと思います。主催者からすれば、「東方人気が終わっていたら
どうしよう」と気が気でないと思いますが……。

ちなみに自分は3年前から例大祭に参加しましたが、そのときは都産貿要塞
浜松町館でした。コミケでもここまで列を圧縮しないというぐらい、長時間
立ったまま4列でギュウ詰めになりまして、それでも外周列が都産貿を1周
して溢れてしまい、列整理のスタッフが「警察が来る! 警察が来る!」と
泣きそうになっていたのが良い思い出です。

去年までの超弩級要塞サンジャインのDホールでも、俗に言う「この会場の
一体どこにこれだけの人間が入れるんだっ?」状態でしたからねえ。しかし
一番悩ませられるのは早朝ペナルティの有無です。毎回毎回あるあると脅し
つつ現実上、列を移動させるスペースがないという理由で「正直者がバカを
見る」パターンでした。今年も何時に来るかで気を使いそうです…w。
775イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/25(金) 00:12:21 ID:wVRbDDlt
>>773 >>極小テーマ「松岡洋右と広田弘毅」という訳でw。

さて広田弘毅です。松岡洋右と広田弘毅には共通点がありまして、もちろん
2人とも外交官であるのは勿論ですが、昭和天皇に「危惧の意」を表された
経緯があることです。

松岡は「第2次近衛内閣」で外相に就任する時、昭和天皇から●「外相の松岡は
危険ではないのか?」と事実上の反対意見を述べられています。これに対して
広田は「2・26事件」後の大命降下により首相に就任するのですが、推薦した
西園寺に向かって昭和天皇は●「広田は名門の出ではない。それで大丈夫か?」
と念を押しています――。

まあ、外相になるのと首相になるのとでは重要度がまるで違います。この差が
松岡洋右と広田弘毅の差と言っていいのでしょうが、もし松岡洋右が首相になる
としたら、昭和天皇は何と反対するのか聞いてみたい気もします。冗談でもなく、
松岡の夢であるファシズムが日本に成立したとしたら、十分にあり得たでしょう。
776イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/25(金) 00:39:30 ID:wVRbDDlt
>>775 >>●「広田は名門の出ではない。それで大丈夫か?」

本編でも述べますが、広田は後でこれを聞いて非常に気にしまして、
●「陛下は自分に対して信任がないのではないか?」と悩みました。

さて、もう1つ大きな松岡洋右と広田弘毅の共通点は「東京裁判」です。
言うまでもなくA級戦犯の死刑者7名の内の1人に広田弘毅は入ります。
しかし『松岡編』の最後でも述べたとおり、もし松岡が判決まで病死する
事なく生き長らえていたら、100%松岡が死刑であり、広田は終身刑が
せいぜいだったでしょう。

さらに言えば、近衛が自殺さえしなければ200%広田は助かっています。
「近衛の代わりに広田が死刑になった」とはよく言われる話です。近衛こそが
真のA級戦犯筆頭であり(ついでに言えば、山本五十六も敗戦まで生き残って
いたら死刑でしょう)、広田の巡り合わせは気の毒としか言いようがありません。
777イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/25(金) 01:11:50 ID:wVRbDDlt
さて、もう1つだけ先に触れておきますが、広田弘毅が必ず非難される
ものに、首相時代の「軍部大臣現役武官制」の復活が挙げられます。

しかし、これほどデマゴーグ的な「阿呆な話」はない訳で、広田が復活
させるまでもなく軍部の意向を無視するような組閣は既に不可能でした。

当の広田弘毅の組閣自体が、閣僚メンバーに対する陸(海)軍の横ヤリで
流産しかけており、広田が「軍部大臣現役武官制」を認めたのは現状を
追認した程度に他なりません。

前振りはこれくらいにして、次回から本編が始まります――。
778名無し三等兵:2008/01/25(金) 01:58:31 ID:???
三等軍曹?二等なら知ってるが三等なんてあったっけ?
779翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2008/01/26(土) 02:08:43 ID:ymOt8DoO
とほほ。早くIEで見たいです。(現在・人大杉)
イナゾウ様、お疲れさまですー!
780名無し三等兵:2008/01/26(土) 02:25:32 ID:???
松岡洋右「日本人は道徳的共産主義者であり、この理想は太古から父から子へと伝えられた。」
781名無し三等兵:2008/01/26(土) 02:52:30 ID:???
どうせソ連あたりに向けたホラでしょ。
782イナゾウ三等軍曹:2008/01/26(土) 08:51:19 ID:gtNER8bP
>>778 >>三等軍曹?二等なら知ってるが三等なんてあったっけ?
きっとこれから「上級准尉」とか「准尉補佐」とかが出てきます……。
そりゃあもう、カプコンの『『19××』並みにw。

>>779 >>とほほ。早くIEで見たいです。(現在・人大杉)

自分はIEしか使って来ませんでしので最初、「人大杉」で戸惑って、
雑談スレで専ブラを教えてもらいました。「Jane]で最初に書き込んで
スレを上げて、その後はIEでやっています。これが分からなかったら
また「人大杉」が直るまで長期の戦線離脱でしたw。

>>780 >>松岡洋右「日本人は道徳的共産主義者であり、

松岡はウオッカで酔った勢いで「私は共産主義者だ」とスターリンに言って
いますので(日ソ中立条約締結の祝賀会)さもありなんです。こういう外国人に
対する臆面のなさは、松岡の大きな特質でしょう。
783名無し三等兵:2008/01/26(土) 09:06:09 ID:???
IEに切り替えるのは何故
784名無し三等兵:2008/01/26(土) 14:39:37 ID:???
コテハンなのにIEとは・・・キュベレイに執着したハマーンのような男だなw
785JY:2008/01/26(土) 21:56:45 ID:???
(閑話)こないだ本屋ぶらついてたら、まんが4コマKINGSぱれっと なる雑誌の表紙にうどんげとてゐが乗ってて腰抜かしそうになりました(´・ω・`) 。
商業展開しらんかったとです。
流れぶった切って、独り言です(´・ω・`) 。
786イナゾウ二等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/26(土) 22:55:49 ID:eYN3+c0W
>>777 >>前振りはこれくらいにして、次回から本編が始まります――。

さて広田弘毅です。1878年生まれの福岡県民で、松岡洋右よりも2歳年長です。
松岡は破産した廻船問屋の4男でしたが、広田も負けず劣らず貧しい家庭でした。
父親の徳平は石工ですが、明治初期にはほとんど需要がなかったと云います。

広田は小学校に入りますが、当然の事ながらその先に進む『お金』がありません。
しかし当時の地方の名声家には、何か優れた才能を示す少年が発見されたなら、
その学資を援助するという美風がありました。もし広田が「美少女」だったと
したら、まんま『あしながおじさん』のお話になる訳ですけどw。

しかしそんな「綺麗な話」だけでは勿論ありません。地元出身者が中央で立身出世
すれば、出資者の名誉や地元が受ける恩恵は計り知れないものがあります。いわば
立派な投資であり、同じようなことが日本中で行なわれていました。広田もそうした
篤志家のおかげで旧藩校(修猷館)である中学校に進学できましたが、のちに広田の
行動原理には、『地元の期待』という文字が深く刻まれることになります――。
787名無し三等兵:2008/01/26(土) 22:57:19 ID:???
m9< `ω´>
788イナゾウ二等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/26(土) 23:23:54 ID:eYN3+c0W
>>786 >>のちに広田の行動原理には、『地元の期待』という文字が深く刻まれる

「福岡出身者なら尚更」なのですが、これは後で触れましょう。松岡洋右は米国で
成功した親戚を頼って、少年時代に海外へ旅立ってしまいます。もし松岡に学費を
出すという地元の篤志家がいれば、日本の運命は大きく変わったのでしょうが……。

さて中学時代の広田弘毅には、「大きな節目」が存在します。本当の広田の名前は
「丈太郎(じょうたろう)」と云いました。しかし外交官になろうと決心した広田は、
名前が『庶民風』だったのを嫌い、改名したいと考えたのです。

親から貰った名前を変えるのは如何なものかと思いますが(そんな適当に付けた名前
でもなかろうし)、信仰している禅宗の住職に相談に行くと、●「お前が自分で自分に
責任が持てると思うなら、自分で名前を考えろ」と言われて決心します。

『論語』の泰伯篇にある「士不可以不弘毅」(士はもって弘毅ならざるべからず)から採って
「弘毅」に変名したのです。ちなみに「弘」は広い見識、「毅」は強い意志を表します。
789イナゾウ二等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/27(日) 00:00:28 ID:eYN3+c0W
確かに後の『熱血漢』広田弘毅を考えれば、改名したこの「弘毅」に名前負けは
決してしていないでしょう。のちの言動を考えれば、確かに広田は自分で自分を
律したと云えます。まあ、人生の「決意表明」と考えれば分かり易いでしょうか。

「コテハン」とは似ているようで隔絶していますw。ただ当時の改名は、現代と
違った意味で難しく1年間は僧籍に入る必要があったと云います。広田の場合は
前述の住職のおかげで、1年間寺に入ったことにしてもらいました。

さて広田は修猷館(中学校)を卒業すると、第一高等学校に進みます。外交官
としての王道コースは「一校→東大」でしたから、これも福岡という出身地の
サポートシステムのお陰です。よくよく考えれば、広田の出身地は今に直せば
福岡市中央区天神町のど真ん中です。

当然、東京に上京する訳ですが、高校時代の広田は福岡人の学生寮で自炊生活を
送ります。しかし広田は清潔とか身だしなみには「無縁の生活」だったようで、
仲間の顰蹙を買ったと云いますw。高校ではひたすら柔道に打ち込みました。
790楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/27(日) 00:15:08 ID:???
>>788 >>親から貰った名前を変えるのは如何なものかと思いますが

. .「^ヽ,ry'^i
ゝ"´ ⌒`ヽ   /[] 
くi Lノノハノ)」  / []]    ちなみにイナゾウ二等軍曹は、親にてっきり
λ.[i ゚ ヮ゚ノi! / [] []   女が生まれてくると思われていて「恵美子」しか
レ',ヘ.i`ム'」つ/ [] [][]   名前が用意しかされていなかったそうよw。
..く_,//T.iλ
. "ーr_,t_ァ'"
791楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/27(日) 00:38:03 ID:???
IEに切り替えるのは何故
792イナゾウ二等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/27(日) 00:54:52 ID:???
>>783 >>IEに切り替えるのは何故 >>784 >>コテハンなのにIEとは・・・
>>キュベレイに執着したハマーンのような男だなw

う〜ん習慣ですかね。ただ、1つのレスが省略されずに表示されるためには
約35字×16行の字数制限がありますから、IEの感覚で慣れてしまうと
変えるのがなかなか難しいのです。

ハマーン様に喩えてもらうとは光栄でふ。ちなみに自分の扱う機体は、グフ・
イグナイテッドです。ストライク・ノワールに対峙すると、日本刀で米軍の
機銃掃射に特攻をかける日本兵の気分がよく味わえますw。
793名無し三等兵:2008/01/27(日) 00:58:52 ID:???
二等軍曹は連ザまでやるのか。
794翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2008/01/28(月) 01:23:58 ID:riIPQ1fH
toiuwakede,IE閲覧復活記念祝福あげ。
itumo楽しく閲覧させて頂いています。頑張ってくださいね。^^)ノ```
>>788 >>本当の広田の名前は「丈太郎(じょうたろう)」と云いました。しかし
>>広田は、名前が『庶民風』だったのを嫌い、改名したいと考えたのです。


    ./´☆ ` 、        ,.ィ ーrーr 、
    .!/´ ̄ ヽ、.ヽ      y' "´ ̄`'ヽ  「丈太郎」……いい名前じゃない。
    〈(( リノl、」 i<三|]≡ く((リ人iヽ>ヽ  なんで変える必要があるのかしら?
 .:.゚.:。+、.|i・ω(:;(<三|]≡三§!、゚ヮ ゚§ルゝ  『ザ・ワールド』 時は止まる!
      (っΣ<三|]<三|]⊂) `ム'i;_')    オラオラオラ!
       乂  ,つザクザクザク く_/___i,kJゝ
         ゝ、)          ∪ ̄\)  って、これで広田の幼名は一発で覚えたかしら?w
796イナゾウ二等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/28(月) 23:24:07 ID:???
ちなみに咲夜さんは、「時間と空間を操る」程度の能力です。あとは「殺人鬼」な
ぐらいです。

>>794 >>itumo楽しく閲覧させて頂いています。頑張ってくださいね。^^)ノ```
いつもどうもでございます。ちょっと今週は途切れ途切れになるかもしれません。

>>785 >>(閑話)こないだ本屋ぶらついてたら、まんが4コマKINGSぱれっと 
>>なる雑誌の表紙にうどんげとてゐが乗ってて腰抜かしそうになりました(´・ω・`) 。

いずれは単行本になるんでしょう。雑誌の版元が「一迅社」ですから
『東方求聞史紀』などの絡みですね。その手の雑誌媒体ですと、芳文社の
「まんがタイムきらら」などが自分は好きです。雑誌は買いませんが、
単行本で荒井チェリーの『三者三葉』ですとか、きゆづきさとこの
『棺担ぎのクロ』は超お勧めです。『GA芸術家アートデザインクラス』の
2巻も先週末ゲットしましたw。
797イナゾウ二等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/28(月) 23:49:22 ID:jhUQviyh
さて広田弘毅は、一高を卒業して「東京帝国大学法学部」に進みます。外交官で
キャリア(最主流)になるためには理想的な学歴ですが、これは他の官庁に進む
場合でも同じですね。本来なら「小卒」で終わってもおかしくない貧困家庭の
広田弘毅ですが、やはり福岡(博多)のサポートシステムは恐るべしです。

松岡洋右は「農作業などの重労働」で学費を稼いで、オレゴン大学を卒業しましたが、
大違いですw。ちなみに広田の学力レベルがどの程度だったかというと、中学校の
修猷館では4番目くらい、一高に入るときの成績が10番目だったと云います。まあ、
天才レベルとまでは行きませんが、秀才の中でも上位には入るでしょうね。

さて広田は帝大卒業後の進路として「外務省」を選びます。このバックには、同じ
修猷館(中学)の先輩に当たる『山座円次郎』の勧めがあったとされます――。
798イナゾウ二等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/29(火) 00:16:31 ID:uT8uKUyw
>>798 >>修猷館(中学)の先輩に当たる『山座円次郎』の勧めがあったとされます。

この山座円次郎もビッグな外交官で、広田の16歳年上です。福岡藩の藩校(修猷館の前身)に
学び、上京して共立学校(開成中学・高校の前身)・東京大学予備門(一高の前身)を経て、
東京帝国大学法科を卒業します。要するに「広田の学歴ルート」とほとんど同じで、先駆者
とも云えます。まあ、広田を「同郷の先輩」が引っ張り上げてくれた訳です――。

ちなみに山座円次郎の東京大学予備門の同期には、夏目漱石、正岡子規、南方熊楠、秋山
真之などの壮々たるメンバーがいます。ちなみに山座が外務省に入った理由も、これまた
修猷館の先輩である栗野慎一郎(外交官・駐米公使・駐伊公使・駐仏公使・駐露公使を歴任)
の引きです。もう延々と同郷の先輩繋がりで辿れそうですが、これも時代でしょう。

自分が大学生の頃は、「47都道府県」の県人会がありました。まだまだ「お子ちゃま」
でしたので、「なんで上京してまで地元の人と必要以上に付き合い直す必要があるのか?」
と思っていましたが、全然間違ってましたねw。やはり単身上京して、もっとも頼りに
なるのは同郷の人間なのです。広田が大学生だったのは、まだ1890年代です――。
799イナゾウ二等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/29(火) 00:40:17 ID:uT8uKUyw
>>798 >>この山座円次郎もビッグな外交官で

ちなみに山座は、若干34歳で外務省の政務局長に抜擢され、あまりの
有能さで●「山座の前に山座なし、山座の後に山座なし」とまで言われ
ました。

ヒデキの師匠である「日本陸軍の至宝」永田鉄山(軍務局長)にも、
●「永田の前に永田なし、永田の後に永田なし」の謳い文句が残って
いますが、山座は永田の「外務省版」とも云えるでしょう。

山座は小村寿太郎外相のもとで、日英同盟締結、対露開戦外交(宣戦布告文を
起草)、ポーツマス講和会議随員などに携わり、辛亥革命後の支那に特命全権
公使として赴きますが客死――。一説には、袁世凱による暗殺とも言われます。

さて余談が過ぎましたが、広田弘毅は帝大卒業後、そんな山座円次郎の引きで
外交官試験を受けますが、結果はものの見事に落っこちた訳です――w。
800イナゾウ二等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/29(火) 00:49:47 ID:???
>>798 >>広田が大学生だったのは、まだ1890年代です――。

◎広田が大学生だったのは、まだ1900年代初頭です――。

に修正しますw。
801名無し三等兵:2008/01/29(火) 01:16:11 ID:???
イナゾウさんこんにちは.いつも楽しく読ませてもらってます.
お話が,廣田弘毅に及んだので,楽しみにしていましたが,詳しいですねー.
実は,その後輩なのですが,知らんかったことも多々.

お礼と言っては何ですが,修猷館高校(旧制中学)の館歌をご紹介しましょう.

一,西のみそらに輝ける 星の徽章(しるし)よ永久(とことわ)に
光栄(はえ)ある成績(いさお)飾らんと 海の内外陸(くが)の涯(はて)
皇国(みくに)の為に世の為に 尽くす館友幾多(そばく)

よくGHQに,駄目出しくらわなかったものだ.


あと,福岡のサポート体制は,戦前は確かにすごいです.
学校もそうですが,玄洋社,柔道あたりもキーです.


802名無し三等兵:2008/01/30(水) 00:16:21 ID:???
頭山満が死ななかったら連合国が共同謀議の妄想を無理やり膨らませて
広田の替わりにA級戦犯で死刑になってもおかしくないと思ったりする。
だけど不謹慎ながら一番難儀な裁判になって面白そうだ。
803イナゾウ二等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/30(水) 00:45:17 ID:wZufWiqe
>>801 >>あと,福岡のサポート体制は,戦前は確かにすごいです.

毎度どうもでございます。自分は九州には昔、北九州市に数時間いて
トンボ帰りした経験ぐらいしかありませんので、地元の方の実感では
どれぐらいのものなのか?、本当のところはよく分かりません。

>>学校もそうですが,玄洋社,柔道あたりもキーです.

福岡出身の著名人と「玄洋社の絡み」だけで小テーマが出来てしまいそうです。
まあ奥が深すぎて、とても他県民には理解が及ばないでしょう。修猷館(中学)は
玄洋社の運動家を数多く輩出し、広田弘毅以外にも中野正剛、緒方竹虎、ついでに
山崎拓wなどなど……。

玄洋社は「柔道の明道館」と「剣道の一到館」を設立し、文武両道の青年の育成を
図りますが、前述のとおり広田弘毅は柔道に打ち込み(明道館)、緒方竹虎は剣道
(一到館)の方です。
804イナゾウ二等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/30(水) 01:01:27 ID:wZufWiqe
>>お礼と言っては何ですが,修猷館高校(旧制中学)の館歌をご紹介しましょう.

HP見ましたら、学校の歴史が1600年(慶長5年)から始まっていますねw。

>>802 >>頭山満が死ななかったら連合国が共同謀議の妄想を無理やり膨らませて

まあ、GHQは玄洋社のことを●「日本の国家主義と帝国主義のうちで最も気違い
じみた一派」として1946年に解散させていますから、さもありなんでしょうw。
頭山満が1944年に死んでいなかったら、第何次になる分かりませんがA級戦犯の
訴追メンバーには入っていた可能性は高いでしょう。でも90歳超になりますよ、
南次郎の70歳を遥かに上回りますw。
805イナゾウ二等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/30(水) 01:09:10 ID:wZufWiqe
まあ、ついでに頭山満の言葉で主だったものを挙げますと……。

●「人間は魂さえ磨いて居ればよい。ほかに何も考えることはいらん。
  国も人も魂じゃ。魂の無い国、魂の無い人は、国でも人でもない」

●「人間は火のついた線香じゃ。それに気がつけば誰でも何時かは
  奮発する気になるじゃろう。老若真に一瞬の間じゃ、気を許すな」

●「天下の諤諤(がくがく)も君が一撃に如かず」(大隈爆弾事件の
  来島恒喜葬儀の弔辞)

また頭山満が24歳のとき(1880年前後)、西郷隆盛の旧宅を突然訪ね、
「西郷先生に会いに来ました」と言いました。家人が「西郷先生はもう
亡くなったよ」と答えると、頭山は●「いえ、西郷先生の身体は死んでも
その精神は死にません。私は西郷先生の精神に会いに来たのです」と――。
806801:2008/01/30(水) 01:33:54 ID:???
>>802
頭山は,たぶん蒋介石が守ってくれたかなと思います.
彼の日本亡命時代の庇護者でしたから.
まーでもその難儀な裁判見てみたい気は私もしますね.
検察側証人にハーバート・ノーマン希望.

頭山は,日中和平工作もいくつかの筋でやっており.
「最後はワシが蒋介石と会う」と言っていたそうです.

>地元の方の実感では
>どれぐらいのものなのか?、本当のところはよく分かりません。
母校の柔道部OBのつながりは今でもけっこう強いものがありますね,

あと,廣田弘毅は,福岡出身の学生向けに「浩々居」と言う寮を東京
に作ってます.場所は変わってますが,今でも杉並区にあるようです.
807イナゾウ二等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/30(水) 01:44:49 ID:wZufWiqe
>>799 >>さて余談が過ぎましたが、広田弘毅は帝大卒業後、そんな山座円次郎の引きで
>>外交官試験を受けますが、結果はものの見事に落っこちた訳です――w。

少し時系列を整理しておきましょう。広田弘毅は1905年に帝大を卒業し、
外交官試験を受けますが、ものの見事に落っこちます。そして翌1906年に
再チャレンジして合格、外務省に採用されました。このとき同期入省だったのが
広田と同い年の吉田茂で(1878年生まれ)、ちなみに『一発合格』ですw。

さらに前述したように、松岡洋右は1880年生まれですから、広田と吉田よりも2歳年下
になります。しかし松岡の外務省入省は1904年の『首席合格』で、年次的には逆転
している訳です。まあ広田は、松岡と比べて「2浪2留」のようなものかとw。

よく松岡洋右の外務省入りが「日露戦争」の徴兵忌避と批判されることがありますが、
時期的には広田弘毅もほとんど同じです。とはいうものの、日露戦争は1905年に
終わってしまいますから、松岡は1年の差ですが入省の年があまり良くなかった
(後世の批判の対象になる)ことになります。また広田弘毅を外務省に引っ張った
山座円次郎が、支那で客死したのは1914年です――。
808名無し三等兵:2008/01/30(水) 10:28:06 ID:???
むしろ日本では名乗りは自分でやるのが普通だったんだが・・・
それと、庶民風云々は筋違いですね。
例えば金さんなら、遠山左衛門尉金四郎景元。
このうち金四郎が通称(もしくは幼名)、景元が忌み名。左衛門尉は官位。
自ら忌み名をつけることを名乗りをあげると言う。
809イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/30(水) 23:09:44 ID:o4dY1pe1
>>806 >>頭山は,たぶん蒋介石が守ってくれたかなと思います.
まあ、頭山満も支那問題を考えるうえで、いつか取り上げなければならないテーマです。

>>808 >>むしろ日本では名乗りは自分でやるのが普通だったんだが・・・

まあ、その辺の明治での感覚はよく分かりません。広田の両親は、ただ「丈夫に
育って欲しい」という素朴な願いから「丈太郎」と名前を付けました。広田が
改名を決意したきっかけは中学時代に日清戦争が始まり、その後の『三国干渉』
による屈辱が忘れられず、「外交の重要性」を痛感したからと云います。そして

>>788 >>『論語』の「士不可以不弘毅」(士はもって弘毅ならざるべからず)から採って
>>「弘毅」に変名したのです。ちなみに「弘」は広い見識、「毅」は強い意志を表します。

となります。ただ東京裁判で収監中、「親が付けてくれた名前を変えたのは少し悪かった」
という心境を述べていました。
810イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/30(水) 23:35:45 ID:o4dY1pe1
>>807 >>少し時系列を整理しておきましょう。

話は前後しますが、割と重要なところなのでもう少し補足しておきましょう。
広田が「弘毅」に改名して中学校を卒業したのが「17歳」です。その年に
第一高等学校へと進み、寮に入ります。やがて仲間の5人で小さな家を借り、
「浩浩居」と名付けて共同生活を始めました。

ここで重要なポイントは、のちの広田の妻となる「月成静子」が弟2人と共に
「浩浩居」に移り住み、炊事洗濯の世話をしながら自身は女学校に通い始めた
ことです。月成静子は、広田の隣町に住んでいた幼馴染の少女でした――。

幼馴染が自分の所に押しかけてくるなんて、どこのエロゲーか(核藁)と一瞬
思ってしまいますが、弟2人のこぶ付きと仲間との共同生活なのが玉に瑕ですw。
まあ、前の方で、さも広田弘毅が福岡のサポートシステムのお陰で、松岡洋右と
比べて苦労していないかのように書きましたが、間違いでした。結構、苦労して
います。でも広田の周りには、いつも福岡の同郷人が身近にいたことでしょう――。
811イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/31(木) 00:04:14 ID:o4dY1pe1
もうお気付きの方もいると思いますが、広田の進学年齢はかなり遅いものです。
東京帝国大学に入学したのが「24歳」ですから、現代の感覚ですと大学院まで
卒業できてしまうような年です。

大学在学中に、前述の山座円次郎(福岡出身。当時、外務省政務局長)と運命の
出会いを果たす訳ですが、これも「玄洋社の頭山満」の紹介によるものです。

山座は既に述べたとおり小村寿太郎外相の腹心的存在で、日英同盟成立にも
関わるほか、孫文がシンガポールに脱出するための資金を秘かに工面してやる
など、玄洋社の国士ばりの行動もありました。

その一方で、●「彗星の尾を貫くやほととぎす」など優れた俳句や格調高い
文章を書き、幼いころ玄洋社の教育機関で漢学や漢詩を学んでいた広田とは
意気通じるものがあったでしょう。広田にとっては山座は自分が目標とする
「理想の外交官」像だった訳です。そして山座も広田の面倒をよく見ました。
812イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/31(木) 00:33:11 ID:ccjfx8Z7
山座円次郎が広田弘毅に残した言葉に、以下のようなものがあります。

●「外交官は自分の行なったことで、後の人に判断をしてもらう。それについて
 弁解めいたことはしないものだ」

東京裁判で広田が一切の自己弁護を拒否し、絞首刑の判決を受けて従容と死を
選んだのは、山座の教訓が効いているのかもしれません。まあ、のちの話です。

>>810 >>幼馴染が自分の所に押しかけてくるなんて、どこのエロゲーか(核藁)と
>>一瞬思ってしまいますが、

押しかけ云々は誇張ですが、後の広田の妻となる月成静子は『玄洋社幹部の娘』です。
父親は月成功太郎と云いますが、来島恒喜と共に大隈重信暗殺計画にも関わっています。
実行直前になって、来島に「お前は妻子ある身だから」と月成は制止された訳です。
史実の来島は、大隈に爆弾を投げつけて片足を吹き飛ばし、その後自決しています。
>>812 >>後の広田の妻となる月成静子は『玄洋社幹部の娘』です。
         _
       _....(゚ー゚)
     , ´  ⌒ヽi)  
     i|(( ) )) )iリ
      (リ,i;゚ ヮ゚ノョ'   少し訳ありの彼女さん、という訳ですねw。
      ゙,ヘi_i][i,l\ []
     <_/ノ:;:;:;ヽ>ij^)
      `¨i.ラi.ラ'´  (
        ̄  ̄
814イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/01/31(木) 01:09:04 ID:ccjfx8Z7
まあ、「福岡人で玄洋社と関係皆無の人間などいない」と言われますが、

広田弘毅は一体「玄洋社社員」そのものだったのか、一定の距離を置いて
「単に近しい存在」だったのか、文献によって、てんでバラバラで他県民は
判断に困りますw。しかし幼馴染の奥さんの例を見ても分かるとおり、
「全く無関係」とは決して言えないでしょう。

そしてGHQが「玄洋社」を目の仇にしていたことは、広田の死刑判決にも
少なからぬ影響をしています。
>>809 >>ただ東京裁判で収監中、「親が付けてくれた名前を変えたのは少し悪かった」
>>という心境を述べていました

   ,>ッ-ヘ。__。ヘ
. / ,レ, '´゚   `,〉
( (( i ハ)))ハ))ノ)
 ` ,)).イオi ゚ ヮ゚ノヘ    もうすぐ親父殿や母上殿に会いにいくんだから、
  ((  .,ぐ`i盃、ツぅ    神妙になってくるのは当然さね。
     ,メ∪イ-i、ゝ. \
      ゙'ーi_'ォ_ァ"
816イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/01(金) 00:07:49 ID:j2HSOJSs
>>811 >>大学在学中に山座円次郎(福岡出身。外務省政務局長)と運命の出会い

東京帝国大学在学中、広田弘毅は山座の指示で『休暇旅行』の体裁を取りつつ、
シベリアや満州へ調査旅行を行ないます。これは日露戦争が始まる前年の1903年
のことで、学生の身分を隠れ蓑にした『半分スパイ』みたいなものです。

余談ですが「東亜同文書院」が上海に設立されたのが1901年で、日露戦争を目前に
控えて、外務省は根津一院長に対して支那西北地方におけるロシアの浸透状況の
調査を依頼します。結局、第2期生の卒業生5人が派遣され、その報告書の謝礼金を
もとにして、卒業論文のための支那調査旅行――『大旅行』が制度化されることに
なりますが、まあ別の話です。

いずれにせよ、学生の広田弘毅(25歳前後)が日露戦争を直前にして同様の
情報収集活動に駆り出されたのは事実です。そして外交官としての素質を計る
ために、山坐が広田に課したテストだったことは明らかです。
817イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/01(金) 00:49:49 ID:j2HSOJSs
そして広田の調査報告書は「出色の出来」で、日露戦争開戦の判断材料にも
実際に使用されたと云います。当然の事ながら、外交官としての素質を計る
山座のテストには合格な訳で、今に喩えてみれば企業のOB訪問に大成功した
ようなものでしょうか。しかも広田の場合は、自身が希望していた外務省です。

しかし前述したように広田は東京帝国大学を卒業後(27歳)、外交官試験を
受けますが、ものの見事に落っこちますw。一説には英語が基準に満たなくて
切られたようです。東京裁判中、板垣征四郎は●「巣鴨で英語ができるのは
広田だけ」と日記に書き残していますので、その後は克服しているでしょう。

失意の広田弘毅は、在日アメリカ公使館付武官の通訳として働き、生計を立てます。
そんななか、幼馴染の「玄洋社社員の娘」月成静子と結婚しまして、江ノ島へ新婚
旅行に行きました。●「いつかダイヤの指輪を買ってやるから」と照れて笑いながら
広田は「貝細工の指輪」を静子に与えます――。

その後、朝鮮総督府の外務省属官として静子とともに京城に渡り、辛うじて外務省との
繋がりも維持していくのでした。
818秘封倶楽部 宇佐見蓮子 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/03(日) 00:26:03 ID:???
>>817 >>「いつかダイヤの指輪を買ってやるから」と照れて笑いながら
>>広田は「貝細工の指輪」を静子に与えます――。

      ,. -── 、
     _,l_-====、!,_
     'r.'レノノハノ)〉
     〈n.i ゚ ヮ゚ノリ    貝細工の指輪……。せめて真珠の指輪ぐらい
      〈ン`ト⊂リj    どうにかならなかったのかしら。だって貝よ、貝w。
      .k:/:::::;i::|´
      ゙-i'_,ィ,ァ"

    ,.. -─- 、
  ,〈 、,.、,-、,.ン、
  `i゙〈ノンハノイ)ノ
  〈イハ ゚ ヮ゚ノ)   あら、私は愛があれば十分よ、蓮子。ガラス玉だって
   ゙Y、〉`:´i.〉  いいぐらい。
    (ン'/~i~ハj
   `'-i'_ィ,ァ"´
820イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/03(日) 01:10:52 ID:2SL0Q8YQ
しかし広田弘毅は直ぐにリベンジを果たします。外交官試験に落ちた翌年には、
再チャレンジして今度は首席で合格しました(1907年)。同期は8人いましたが
この中には広田と同い歳の吉田茂が含まれます。1878年生まれですから、2人
そろって『三十路直前』の外務省入りとなりますw。

まあ、この辺の同期入省で同い歳という気安さが、のちに広田が首相として
組閣する際、外相に吉田を指名する(陸軍に拒否される)という点に繋がる
訳ですが、まだまだ先の話です――。

広田弘毅の外務省での経歴は、話が長くならない様に飛ばしていきましょう。

まず最初は1907年に、清国公使館付外交官補として北京に在勤となります。2年後の
1909年(31歳)には、ロンドンの在英大使館に「三等書記官」として赴任します。
ここでは日英同盟・日英通商条約の改定草案の起草に携わりました。華やかなりし
ロンドン勤務ですが、広田は妻・静子とともに社交界には超然として距離を置き、
地味な生活を送ります――。さらに英国在中の5年間に2男1女を授かりました。
821イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/03(日) 01:50:18 ID:2SL0Q8YQ
イギリスから日本に帰国したのは1914年(36歳)のことです。広田は外務省
本省の通商局第一課長に抜擢されます。年代を見てお分かりの通り、第一次世界大戦
の真っ最中で、広田は支那への『対華21ヵ条要求』の条約作成に参加しましたが、
「最後通牒」の形で出すのだけは強く反対したと云います――。

さらに5年後の1919年には、ワシントンの駐米大使館に一等書記官として
赴任します(41歳)。その途中でサンフランシスコに到着した際、外務省の
役人として初めて「日本人移民村」の視察を行ない、移民たちから歓迎される
というエピソードも残っています。

その1年後の1920年(42歳)には早くも帰国を命じられ、外務省に新設
された情報部の課長となり、その後、ワシントン軍縮条約の世論工作の担当を
します。そして1923年(45歳)に第2次山本権兵衛内閣のもとで欧州局長
に抜擢された訳です――。
822イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/03(日) 02:20:22 ID:2SL0Q8YQ
>>821 >>第2次山本権兵衛内閣のもとで欧米局長に抜擢された訳です――。

広田が欧米局長に任命されたのは1923年ですが、松岡洋右はその2年前の
1921年に41歳の若さで外務省を退職しています。最後の役職は、支那の
総領事でした。

松岡の方が外務省の年次では「広田の2年先輩」にあたる訳ですが(年齢は松岡が
2歳下)、欧米局長と総領事ではエライ差が付いてしまっています。同じ外交官試験
「首席合格」でも、東京帝大卒とオレゴン大学卒の差ですw。
823イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/03(日) 16:50:00 ID:Csz7Xp8F
さて第2次山本権兵衛内閣のもとで外務省欧米局長となった広田弘毅ですが、次々の
加藤高明(憲政会)内閣でも引き続き現職に留まります。この頃の外務大臣は幣原
喜重郎であり、いわゆる国際協調を重んじる『第一次・幣原外交』の時代でした。

欧米局長としての広田の主な業績は、ソ連との関係改善です。1918年にロシア革命が
勃発し、1922年にはソビエトが誕生します。日本は他の列強とともにシベリアに出兵
していましたが、占領地に『沿海州共和国』『極東共和国』を建設するという野望が
頓挫し、数年にわたって撤兵を行なっている最中でした。

1925年の『日ソ基本条約』の締結によって、広田は国交回復までこぎつけます。当時
広田は、政友会や憲政会など党派を越えて広く外部と交際しており、●「外務省には
幣原、出渕(勝次・外務次官)、広田の3人の大臣がいる」とまで言われました――。

その後、1927年にはオランダ公使を命じられます(49歳)。欧米局長という要職を
務めた割には微妙なポストに飛ばされ、ほとんど左遷といったところでしょう。
824イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/03(日) 17:23:45 ID:Csz7Xp8F
松岡洋右とは比較になりませんが、骨の髄まで『博多人』(しかも玄洋社絡み)の
広田弘毅も外務省の役人としては、どこか異端だったでしょう。また奥さんの
静子も「華やかな外交官夫人」というイメージからは程遠く、ひっそりとした
生活を好んだと云います。

まあ、広田自身は「風車 風の吹くまで 昼寝かな――」と閑職に回されても
どこ吹く風と、呑気な一句を読んでいます。あるいは同郷出身で外交官としての
師匠であり、恩人だった山座円次郎が支那であっさりと客死したことで、
人生の無常さを痛感していたのかもしれません。

いずれにせよ、この「オランダ公使」赴任は、広田にとって色んな意味で
受難の時代でした。まず妻の静子が健康を崩していたため、齢50歳で
オランダに単身赴任です。さらに到着後、母親タケの病状が悪化し、息子の
広田に「帰って来て欲しい」と訴えますが、立場上そうはできない相談です。

手をこまねいているうちに、母タケは食を断って自殺してしまいました――。
825名無し三等兵:2008/02/03(日) 17:33:19 ID:???
食を断って自殺とは・・・
余程精神に堪えたのか、あるいは治らないような病気だったのだろうか。
826イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/03(日) 17:54:32 ID:Csz7Xp8F
その後、1930年3月になって幣原喜重郎外相の指示により、広田は
日本に呼び戻されます。時代は民政党の浜口雄幸内閣であり、第2次・
幣原外交にあたります。まあ、広田がオランダ公使に飛ばされた年は
政友会の「田中義一内閣」が成立した年ですから、その辺の「政局」も
露骨に影響しているでしょう。

>>817 >>「いつかダイヤの指輪を買ってやるから」と照れて笑いながら
>>広田は「貝細工の指輪」を静子に与えます――。

日本に戻る際、妻・静子のために「ダイヤの指輪」を買って帰ります。
外交官試験に落ち、貧乏浪人中に結婚した際の約束を広田は守った訳です。

しかし不幸は、最後の最後まで広田を追って来ます。帰国の途上で広田は
次男の忠雄が自殺したことを知りました。高校受験に2度失敗したことを
苦にしたものでした――。結局、広田は単身赴任中に家族を2人失う結果に
なります。もし自分が日本に居たなら――と、常に苛まれたでしょう。
827翡翠(星砂) ◆6.ZE8NIG3A :2008/02/03(日) 19:28:20 ID:pShv2PP8
昭和の泣ける話 2ch軍事板
828イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/03(日) 22:46:37 ID:548UwD2P
>>825 >>食を断って自殺とは・・・余程精神に堪えたのか、あるいは治らない
>>ような病気だったのだろうか。

広田弘毅の母タケは1928年に80歳で亡くなっていますが、当時としては
相当な高齢です。病状が悪化して「息子に会いたい」と訴えても、まさかオランダ
特命全権公使様が、自分の仕事をほっぽり出して帰って来る訳にもいきません。

仮に100万歩譲って、直ぐに帰国の途についたとしても、当時は航空路線など
まだありませんから(1927年にリンドバーグが大西洋無着陸飛行に成功)、客船
でしたら数ヵ月かかるでしょう(シベリア鉄道経由だったらどうか分かりませんが)。
またその選択をした場合、広田の外交官としてのキャリアに終止符を打つのは
間違いありません。いくら死の際にあるとはいえ、親の我がままで息子の一生を
棒に振らせていいのか?――
829イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/03(日) 23:07:51 ID:548UwD2P
「親の介護のために自分の仕事を辞める人もいる」と反論する人もいるでしょう。
しかし広田は市井の民間人ではなく、公使として『大日本帝国』を代表する高位の
外交官です。その行動1つで大きく国益を損ねますし、それは犯罪以上の行為です。

結局どちらに転んでも「救いが無い」訳でして、広田の母トメとすれば絶望し、この上は
早く自分の身を始末してしまうのが最良だと思われたのでしょう。前述のように食を断ち、
最後は餓死に近かったと云います。いわば息子の苦悩の時間を少しでも短くした訳ですが、
それでも広田には深刻なトラウマが残りました。やはり『救い』がありません。

太平洋戦争後の話になりますが、東京裁判で広田が巣鴨に収監された際、最愛の妻・
静子は「夫の生に対する未練を少しでも軽くしたい」という理由で、自殺を遂げます。
妻の自殺は、米軍将校から広田にいとも簡単に伝えられました――。

広田弘毅は『親・子・妻』の3種の自殺を経験している稀な人物であり、このことが
自身の死生観に影響しないはずがありません。
830名無し三等兵:2008/02/03(日) 23:16:08 ID:???
そして、本人も絞首刑か…。
切ない話だなぁ。
でも、そうなると一人で生きていくほうが却って辛いのかもしれないなぁ…。
831イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/03(日) 23:46:04 ID:548UwD2P
まあ、これは広田弘毅だけに特別なことではありません。

●「孝行したいときに親はなし、されど墓に布団はかけられず――」

な訳です。いま親と同居している人はどれくらいいるでしょうか?
大学進学で上京、就職のため県外に就職、結婚で家を出る……。

人によって状況はさまざまでしょうが、久しぶりに親に会って「いつの間に
こんな老け込んだろう?」と思うとき、親と一緒に過ごさなかった数年間、
あるいは数十年間が「大変なもったいない事をしたのではないか?」と急に
後悔の念に襲われることがあると思います。

広田弘毅にとってその心中はいかばかりだったでしょう。しかし、これだけは
言えます。人生は常に『取捨選択』です。そして全てを満足させる選択肢など
滅多にありません。
>>831 >>「孝行したいときに親はなし、されど墓に布団はかけられず――」

     ,r---、.       
   _ソヽ/`、シi.
   _>=ヘ 山/=<, 
.  ((ん'ノノルレム))    「親から受けた恩は、自分の子に返せ」という言葉も
   _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_     ありますよ? 親に大学を出してもらったことを
   ),k'ヲ:::::::::つ     有り難く思うなら、あなたも自分の子が大学を
    (ン::::/:::l::ヽ     きちんと出れるよう頑張りなさい、以下同じですね。 
    `~i,ンT,ノ~´.       あなたも親も、きっとそうしてきたのだから――。
               
ですから、自分の子を成さないというのは、最大の親不孝でもあるのです。ご先祖に
対しては勿論のことです。あと「親から受けた恩は、子に返せ」というこの言葉は、
親が自分の子供に向って諭すのがポイントであって、決して子が親に孝行しないことを
正当化するための言葉ではありませんから注意するように。要するに、老いたら子供に
全て頼ろうという親の依存心を、自らが戒めるための言葉でもあります。

   ,>ッ-ヘ。__。ヘ
. / ,レ, '´゚   `,〉
( (( i ハ)))ハ))ノ)
 ` ,)).イオi ゚ ヮ゚ノヘ    でも四季さま、世の中そんな孝行したくなる
  ((  .,ぐ`i盃、ツぅ    ような親ばかりじゃありませんて。分かって
     ,メ∪イ-i、ゝ. \    おっしゃってるんでしょうけどw。
      ゙'ーi_'ォ_ァ"
834イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/04(月) 23:07:45 ID:f9sK/y2/
>>830 >>でも、そうなると一人で生きていくほうが却って辛いのかもしれないなぁ…。

まあ、広田弘毅の秘書官を務めていた3男の正雄が東京裁判中もよく面会に
来ていましたけどね。もちろん現代の国会議員のように手当て目的で家族を
秘書官にしていた訳ではなく、テロで殺されるかもしれないから、他人様に
迷惑をかけないよう配慮した訳です。

ちなみに「2・26事件」で岡田啓介首相の身代わりなって殺された松尾伝蔵
予備役大佐は、岡田の妹婿(義弟)であり「総理秘書官」でした。女房役として
総理官邸に常駐し、岡田の身辺警護役はもちろん炊事など身の回りの世話まで
担っていました。
835イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/04(月) 23:10:53 ID:f9sK/y2/
あと余談ですが、殺された松尾伝蔵予備役大佐の長女・清子が、
瀬島龍三の妻となります。

ですから、松尾は瀬島の岳父に当たる訳です。……って、そろそろ
スレが埋まりましたかね?w

    ,r---、         ,ヘ。__。'`-、
  _ソヽ/`、シi       〈,.´     ',、l
  _>=ヘ 丞/=<,      イ((ハ(((ハ i
. ((ん'ノノルレム))         i、゚ヮ ゚;!ルゝ  お? スレが死にましたかね。
  _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(/ ̄ ̄ ̄ ̄/、盃i´ '>,
   ,k'ヲつ:つ./ 閻魔帳 /<.イ-i、∪ゞ
 ̄ ̄ ̄ ̄.\/____/ ̄