日中戦争(支那事変)9 参謀本部第二部支那課

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1イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
満州事変、盧溝橋事件、通州事件、第二次上海事変、南京陥落、徐州作戦、
武漢攻略作戦、重慶空襲、トラウトマン工作、拉孟の玉砕、大陸打通作戦等……。
日中戦争を軍事的に語るスレッド。帝国陸海軍の内情も可。

前スレは「容量オーバー」のため、875でお亡くなりになりました。合掌w。
まだまだ語るべきことは尽きません。引き続きマイペースで進行していきます。
2イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/26(土) 00:47:29 ID:JfwFza7r
初代スレ 「 日  中  戦  争  ( 支 那 事 変 ) 」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1121259666/

2代目スレ「日中戦争(支那事変) 被害担当艦@サドンデス! 」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1132842768/

3代目スレ「日中戦争(支那事変)3 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1139326210/

4代目スレ「日中戦争(支那事変)4 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1147872368/

5代目スレ「日中戦争(支那事変)5 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1156432384/

6代目スレ「日中戦争(支那事変)6 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1161267950/

7代目スレ「日中戦争(支那事変)7 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1166623522/

8代目スレ「日中戦争(支那事変)7 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1173969351/

過去ログ(ue少将閣下作成)
ttp://kamisato2.hp.infoseek.co.jp/china/

     ,r---、.       
   _ソヽ/`、シi.
   _>=ヘ 山/=<, 
.  ((ん'ノノルレム))
   _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_     状況開始!
   ),k'ヲ:::::::::つ   
    (ン::::/:::l::ヽ 
    `~i,ンT,ノ~´.
4イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/26(土) 01:13:57 ID:JfwFza7r
前スレ>>861 の続き。盧溝橋事件と劉少奇の関連ですが、前出の益井康一氏の
『日本はなぜ戦争を始めたのか』には、筆者独自の取材としてこうあります。
ちなみにこの本は雑誌『丸』での昔の連載をまとめたものですね。

盧溝橋事件が起きたのは1937年7月7日ですが、それ以降も「謎の銃声」が
北平近辺で続発します。実はその正体は『爆竹』な訳ですが、こんな感じです。

「まず7月12日午前2時ごろ、北平の永定門の近くで突然、銃砲声が轟いた。
 深夜の夢を破られた人々が、びっくりして戸外に飛び出してみると、路上で
 爆竹を鳴らした跡があった」

テレビなどでよく見るように、支那の爆竹は日本のそれとはケタが違います。
旧正月ですと「爆竹の暴発で頭が吹っ飛び25歳の男性が死亡」などと事故の
ニュースが流されるほどですw。

平時ならともかく、盧溝橋事件の解決(ケジメのつけ方)をめぐって一触即発な
この時期ですと、爆竹が銃声と間違えられて紛らわしい事、この上ありません。
5イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/26(土) 01:41:21 ID:JfwFza7r
これは明らかに爆竹を鳴らすことで「日支間の混乱」を惹起しようという謀略
ですが、そもそも北京では「盧溝橋事件」が起こる遥か以前の1933年12月に、
『爆竹禁止』の条例が出ています。

あまりに火災や負傷者が増え過ぎたためで、前記の「頭が吹っ飛ぶ」までは逝かなく
ても「眼球摘出手術」を受けて失明する人間はザラにいました。翌年1934年2月に
警官が押収した爆竹、花火類は18万7千発におよび、北京のほか支那全土23都市が
同様に「爆竹禁止」に踏み切っています。

ですので「建前上」は本来無いはずの爆竹が、銃声と非常に紛らわしい訳ですw。
>>4 と同じく7月12日の夜、八宝山(盧溝橋のすぐ北側)や日支両軍が対峙
し合う他の場所でも「爆竹騒ぎ」が続発して、お互いが不法射撃だと責め合う
結果となります。

それ以降も毎日「爆竹騒ぎ」が続いたため、7月21日の夜に日本軍の北平特務
機関補佐官・寺平忠輔大尉と支那第29軍参謀・周思靖が相談して、支那の便衣
(民間服)を着て変装した日本軍の憲兵数人を翌晩、市内に張り込ませました。
6イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/26(土) 01:56:01 ID:JfwFza7r
すると案の定、怪しい人影が現れたため捕まえてみると「支那人学生の群れ」でした。
彼らは日本軍の憲兵(便衣姿)を同じ中国人と思ったらしく、居丈高になって

●「われわれは北方局の『劉少奇』の命令でやっているのだ。お前達は同じ中国人で
  ありながら、なぜ邪魔をするのだ?」

と逆ギレしますw。憲兵隊長の赤藤庄次少佐と前出の寺平大尉はこの報告を聞きますが、
ふたりとも中国共産党の組織の中味はほとんど知らず、北方局や劉少奇と言われても
ピンと来ないため深くは追及しなかったと云います。

以上は、益井康一氏が「今井武夫少佐」に直接取材して聞いた話です。ちなみに
北方局とは、北支の抗日を指導する中国共産党の組織で、劉少奇は党の第一書記
で北方局の最高指揮官でしたが、表向きは北京大学で図書館員となって勤務して
いました。なので、日本軍指揮官が「劉少奇」の名前を出されてサパーリ分から
なくても不思議ないかもしれませんw。
7イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/26(土) 02:20:32 ID:JfwFza7r
要するに「劉少奇」は学生や抗日団体の地下工作を指導していた訳です。

盧溝橋事件以後、日支間の「現地解決」を妨害するために学生を動員して
「爆竹騒ぎ」を劉少奇が煽動していたのは、ほぼ間違いなさそうですが、
7月7日の「謎の銃弾」まで劉少奇の仕業かというと、そこまでは断言
できないと思います。

ただ、この「盧溝橋事件」を機に劉少奇の中共党内での地位が格段にアップし、
ライバルの周恩来を飛び越えて、毛沢東に次ぐナンバー2の地位に躍進した
(益井康一談:名実共にナンバー2になったのは、第2次大戦後の1945年
第7会党大会)のも「中共謀略説」を支える根拠の1つでもあります。

さらに言うならば、盧溝橋事件の翌日(1937年7月8日)、まだ真相不明の時点で
中共中央委員会が●「日本軍盧溝橋進攻」の電報を関係各所に発したり、●「中国は
全国の陸海軍を動員して、日本軍を撃退せよ」と呼びかけるなどの『手回しの良さ』
もまた、中共謀略説の有力な裏付けの1つとなっている訳です。
8名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:35:41 ID:LExzqEN6
名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:43:19 ID:???
損害額は高い順ね。

違法コピー率の高い国は、アルメニア(95%)、モルドバ(94%)、アゼルバイジャン(94%)など。
逆に違法コピー率の低い国は、米国(21%)、ニュージーランド(22%)、日本(25%)、デンマーク(25%)など。
違法コピーによる損害額の多い国は、米国(72億8,900万ドル)、中国(54億2,900万ドル)、フランス(26億7,600万ドル)、ロシア(21億9,7000万ドル)



230 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:52:42 ID:???
ちなみに韓国は45%で圏外。損害額は16位。

中国は82%でワースト17位。
2003年に比べると10%低下してる。


231 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:59:47 ID:???
日本は所得水準が高いんだから、違法コピー率は低く見えて当然だろう。
それを考慮に入れれば、日本は3倍程度で見るのが妥当な計算だ。
つまり日本の違法コピー率(違法コピーに対する抵抗の無さ)は厳密には75%以上で、
世界でも極めて悪い部類となる。
9名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:37:51 ID:LExzqEN6
233 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:06:39 ID:???
日本の国民一人当たりのGDPは、中国の32倍。
だから3倍で計算するのは日本に有利すぎ、甘すぎるほどだな。
そこまで有利な条件で計算してすら、中国より遥かに悪い水準となるのだから、
日本人の法に対する意識レベルというのは世界でも最低ランクだ。


234 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:17:36 ID:???
GDP比を合わせて計算すると、日本の違法コピー率は中国の11倍(!)となる。
この事実をどう見るかだな。
日本が世界中からコピー国家と糾弾され続ける理由も自ずから明らかだろう。
10名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:38:42 ID:LExzqEN6
236 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:23:15 ID:???
ソースとかなくたって、ネット回り見れば
日本人の著作権意識の低さはひどいもんだろ
もちろん外国もひどい
そういう時代にこういう話はアナクロな感じがする

JAPm9(^Д^) プギャー
11イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/26(土) 02:41:45 ID:JfwFza7r
まあ、グダグダ述べてきまして何が言いたかったと云いますと、

自分の予想では、劉少奇は盧溝橋事件後の「爆竹騒ぎ」を起こしたついでに、
『謎の銃弾』まで自分の手柄として主張(吹聴)したのではないでしょうかw。

ほんで、中共兵士向けのパンフレット『政治課程読本』に繋がると。まあ、
ひょっとしたら劉少奇自身の意思ではないかもしれませんが。お前がやった
ことにしておけ、などとw。

まあ、何度も言うとおり「真相は闇の中」です。第一次大戦のきっかけとなった
サラエボ事件のように何か劇的なものに考えたい気持ちは分かりますが、実際は
もっと地味だったと思います。

それにしても盧溝橋事件は、このように少し触れただけでも複雑怪奇ですw。
マトモにやったら「北支の治安戦」並みの大テーマ(文量)になるでしょう(藁)。
12イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/26(土) 02:46:47 ID:???
ちとミスったので「過去ログ」をもう一度、張り直させてくらさいw。
13イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/26(土) 02:47:59 ID:???
初代スレ 「 日  中  戦  争  ( 支 那 事 変 ) 」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1121259666/

2代目スレ「日中戦争(支那事変) 被害担当艦@サドンデス! 」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1132842768/

3代目スレ「日中戦争(支那事変)3 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1139326210/

4代目スレ「日中戦争(支那事変)4 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1147872368/

5代目スレ「日中戦争(支那事変)5 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1156432384/

6代目スレ「日中戦争(支那事変)6 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1161267950/

7代目スレ「日中戦争(支那事変)7 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1166623522/

8代目スレ「日中戦争(支那事変)8 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1173969351/

過去ログ(ue少将閣下作成)
ttp://kamisato2.hp.infoseek.co.jp/china/
14イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/26(土) 03:00:51 ID:JfwFza7r
前スレ>>851 >>優秀なドイツ陸戦兵器とドイツ軍事顧問団があれば
>>日本恐るるに足らずと

良いでしょう。『上海航空決戦』をやっていて、イタリアとアメリカは
出てくるのに、ドイツは一体どこに逝った?と思っている人はきっと多い
はずです。

まあ、空軍顧問はイタリアとアメリカで、陸軍顧問はドイツ人と結果的に
「棲み分け」が出来ていた訳なのですが、『上海航空決戦』が終わりましたら
小テーマで『ドイツ軍事顧問団』の話をやりませう。

内容的には、兵器云々の話ではなくて、ドイツ軍事顧問団(とドイツ本国)の
グチャグチャした内実が中心になりますが。ひたすら地味ですw。
15だつお:2007/05/26(土) 10:53:11 ID:kQ7xCv5y
>優秀なドイツ陸戦兵器とドイツ軍事顧問団があれば日本恐るるに足らずと

「なぜ、韓国人にはナチスドイツ軍崇拝者が多いのか」

韓国では李承晩政権以来ずっと、北は同胞であり悪いのは共産主義、
そして日本の植民地支配は全面否定されるべきものと教えられてきた。
反共だけど旧日本軍は大嫌い。だから彼らにとっての第二次世界大戦は、
ナチスドイツこそが最大のヒーロー。チョッパリは惨敗して当然であるが、
東部戦線でドイツ軍が共産主義ソ連を壊滅させる可能性はあったはずだと。
それはちょうど山田昌弘の言う「夢見る使い捨てフリーター労働者」と同じで、
自分の置かれた人生の現実に希望が持てないことの裏返しだ。 だが現実のところ、
ドイツはアメリカ参戦抜きでもモスクワ戦で敗退しておりまたアメリカが送った
レンドリースはイギリスよりもかなり遅れてしかも総額で3分の1にすぎない。

           1941    1942   1943   1944    1945    Total
        (Mar. to Dec.)                (Jan. to Aug.)
Total aid to British
Commonwealth  1,082  4,757   9,376  10,766   4,437    30,073
Aid to Russia    20   1,376   2,436?  4,074   2,764    10,670
Aid to other countries                             2,872
Total lend-lease aid                              43,615
       
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/BigL/BigL-5.html
United States Lend-Lease Aid to the British Commonwealth ($ million)

http://p2.chbox.jp/read.php?host=hobby9.2ch.net&bbs=army&key=1169042432&ls=all
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1169042432/
大日本帝国VSドイツ第三帝国  ラウンド4
16だつお:2007/05/26(土) 14:54:27 ID:kQ7xCv5y
From a primitive barnstorming enterprise the air service from India
to China had burgeoned into a large-scale operation, far beyond the
wildest dreams of the men who assisted at its beginnings. First and
last a grand total of some 650,000 tons of gasoline, munitions, other
commodities, and men traveled the air route over the Hump into
China, rather more than half of the total in the first nine months
of 1945. One must ask in conclusion what this all meant. The tonnage
could have been hauled in approximately 70 Liberty ships, if the
requisite ports had only been available, or in 6,500 American freight
cars, if only a railroad had existed. The Hump airline was born of
an emergency, though in the end its size made it difficult for the
men who operated it to remember that it was still properly an
emergency communication system.
But a fundamental question remains: What good end was served by the
emergency delivery of 650,000 tons of this and that into China?
Certainly little went directly to the aid of the Chinese people and
relatively little to the Chinese armies, though it can be urged that
the regime of Chiang Kai-shek would have collapsed without the
support of General Chennault's command and that Chennault's
men were wholly dependent upon the Hump lift.

http://www.ibiblio.org/hyperwar/AAF/VII/AAF-VII-5.html
AIRLINE TO CHINA
17だつお:2007/05/26(土) 15:00:04 ID:kQ7xCv5y
>But a fundamental question remains: What good end was served by the
>emergency delivery of 650,000 tons of this and that into China?

しかしながら本質的に疑問が残る。いったいこれらあれら650,000 tons
の中国への緊急援助は、いかなる成果を残したのかと?

チンピラゴロツキには何を援助しても、チンピラゴロツキはチンピラゴロツキ。
中国人という中国人は、みんなみんなチンピラゴロツキ。
18だつお:2007/05/26(土) 15:36:46 ID:kQ7xCv5y
19だつお:2007/05/26(土) 22:11:55 ID:rpQN4eOk
《 一九四四年七月にアメリカはその後の中米関係に深刻な影響を及ぼすこと
になった重大な選択をした。それは中国共産党の毛沢東が蒋介石の妨害にも
かかわらず長征を経て、堅固な拠点を築いていた陝西省延安へのアメリカ
軍事視察団(United States Army Observer Group)の派遣であった。それが
遠因になって、五年後に毛率いる中国共産党軍(以下、中共軍と略称)は蒋の
中国国民政府軍(以下、国府軍と略称)を中国大陸から放逐することになった。
 ミッション派遣の頃、アメリカ軍は日本軍を太平洋上や南西アジア戦域で
敗退させ、日本本土に近づきつつあったが、中国戦域では日本軍は点と線と
はいえ中国の主要地域の支配を継続していた。米軍の援蒋ルートの開拓など
必死のテコ入れにもかかわらず、国府軍は奥地の重慶を脱出して、揚子江を
下る見込みが立たなかった。アメリカ空軍基地の破壊のために、華北、華南
をとぎれなく支配する強気の作戦(打通作戦)を日本軍が敢行しているのが、
一九四四年前後の状況であった。とくに桂林など華南での攻防が激化し、
アメリカ軍の拠点がある雲南省昆明、さらには重慶までもが緊張感につつま
れていた。アメリカ援助の近代装備を施されているにもかかわらず、国府軍
は各地で制空権のない日本陸軍に敗退していたからである。
20だつお:2007/05/26(土) 22:14:34 ID:rpQN4eOk
 一方、延安を中心に山西省、河北省、山東省などの華北では、中共軍の
主力八路軍が遊撃戦を通じて日本軍を追いつめる健闘を示していた。とくに
アメリカ軍のスティルウェル将軍や国務省派遣の大使館若手キャリアは、
中共軍と国府軍の軍事上の協力関係、すなわち国共合作を再度行い、共同で
日本軍と戦うべしとの声を高めていた。とくに国府軍に比し、中共軍の規律
やモラールは高いとの情報が、延安を訪ねるアメリカ系ジャーナリストに
よって伝えられていた。だが一方、アメリカ側でも、国共合作は短期的に
日本軍に打撃を与えるが、長期的に見れば、中共軍の大陸支配を促すとの
危機感が根強くあり、アメリカ軍による中共軍支援に猛反対する蒋介石の
主張に耳を傾ける幹部が少なくなかった。
 そうした状況のなか、一九四四年六月にウォーレス副大統領が重慶を訪問
し、蒋を説得して延安へのミッション派遣の許可を得ることになった。つまり
ルーズベルト大統領が、毛沢東の力量をある程度認知し、国府軍に圧力をか
け八路軍との共闘を行わせるという方向へシフトしたのである。
 南北戦争の際、ルイジアナなど南部諸州をディキシーなる反乱地域と北部
側が呼んだのにちなんで、アメリカは重慶から見て反乱地域である延安への
アメリカ軍事視察団にディキシー・ミッションなるコードネームをつけた。》

『延安リポート/アメリカ戦時情報局の対日軍事工作』
山本武利「延安リポートの性格/一. アメリカ軍事視察団の派遣」より
http://www.kanshin.jp/italia/index.php3?mode=diary&id=13688&date=2006-04
21名無し三等兵:2007/05/26(土) 22:16:18 ID:R6xzHCsA
中国人>>>>>>道徳の壁>>>>>JAP>>>>>人類の壁>>>>イナゾウ
22元32(予備役少佐):2007/05/26(土) 23:27:12 ID:???
>>1
新スレ乙
イナゾウ中佐、がんばれー
23イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/26(土) 23:57:49 ID:7duLaVZc
>>前スレ849 >>近衛内閣に佐藤も留任して米内と協調していればどうなったかも

米内が固執していたのは「船津工作」でしたが、どうなっていたでしょうか。船津
工作自体は、『上海航空決戦』(8月14日〜)直前の8月初旬より動き出して
いますが、蒋介石が7月下旬に「動員令」をかけていることを考えると、最初から
望み薄だったとも云えます。

念のため「船津工作」とは当時、作戦部長だったカンジ(石原莞爾)が外務省
東亜局長の石井射太郎とともに、蒋介石に「日本の妥協案」を示して和平を
図った私的外交を指します。

参考までに昭和天皇の「船津工作」に対する感想を挙げておくと以下の通り。
1937年8月6日、軍令部総長(伏見宮博恭王)が支那沿岸および揚子江に
おける海軍用兵について上奏した時のことです。(嶋田繁太郎大将無題備忘録)
24イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/27(日) 00:02:03 ID:???
>>元32(予備役少佐)殿

どうもでございます。いつもいつも恐縮です。何とか地道に続けて
逝きたいと思いまふw。
25イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/27(日) 00:11:09 ID:Td1CdP5Z
【昭和天皇】

「近衛首相の話によれば、『船津』か上海にて内面交渉を行なうようだ。
 うまく行けば宜しいが、もしこの条件で支那が同意しないようなら
 むしろこれを公表して、日本がかくも公明正大な条件を出したにも
 関わらず支那が同意しなかったとすれば、各国の世論も日本に同情
 するだろう。

 出来るだけ交渉を行い、まとまらなければ止むを得ず戦うほかない。
 先日の参謀本部の話によると、長引く場合はソ連を考慮する必要上、
 支那に大兵力を用いることは出来ないとのことだが、やれるだけやる
 しか方法は無い。

 陸軍も困ったものだが、海軍だけでもしっかりやるように」
26名無し三等兵:2007/05/27(日) 00:16:29 ID:/08UaYBa
8 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:35:41 ID:LExzqEN6
名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:43:19 ID:???
損害額は高い順ね。

違法コピー率の高い国は、アルメニア(95%)、モルドバ(94%)、アゼルバイジャン(94%)など。
逆に違法コピー率の低い国は、米国(21%)、ニュージーランド(22%)、日本(25%)、デンマーク(25%)など。
違法コピーによる損害額の多い国は、米国(72億8,900万ドル)、中国(54億2,900万ドル)、フランス(26億7,600万ドル)、ロシア(21億9,7000万ドル)



230 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:52:42 ID:???
ちなみに韓国は45%で圏外。損害額は16位。

中国は82%でワースト17位。
2003年に比べると10%低下してる。


231 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:59:47 ID:???
日本は所得水準が高いんだから、違法コピー率は低く見えて当然だろう。
それを考慮に入れれば、日本は3倍程度で見るのが妥当な計算だ。
つまり日本の違法コピー率(違法コピーに対する抵抗の無さ)は厳密には75%以上で、
世界でも極めて悪い部類となる。
27名無し三等兵:2007/05/27(日) 00:19:30 ID:/08UaYBa
9 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:37:51 ID:LExzqEN6
233 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:06:39 ID:???
日本の国民一人当たりのGDPは、中国の32倍。
だから3倍で計算するのは日本に有利すぎ、甘すぎるほどだな。
そこまで有利な条件で計算してすら、中国より遥かに悪い水準となるのだから、
日本人の法に対する意識レベルというのは世界でも最低ランクだ。


234 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:17:36 ID:???
GDP比を合わせて計算すると、日本の違法コピー率は中国の11倍(!)となる。
この事実をどう見るかだな。
日本が世界中からコピー国家と糾弾され続ける理由も自ずから明らかだろう。


10 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:38:42 ID:LExzqEN6
236 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:23:15 ID:???
ソースとかなくたって、ネット回り見れば
日本人の著作権意識の低さはひどいもんだろ
もちろん外国もひどい
そういう時代にこういう話はアナクロな感じがする

JAPm9(^Д^) プギャー
28名無し三等兵:2007/05/27(日) 00:23:52 ID:/08UaYBa
中国人>>>>>>道徳の壁>>>>>JAP>>>>>人類の壁>>>>イナゾウ
29イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/27(日) 00:27:34 ID:Td1CdP5Z
昭和天皇は近衛首相から「船津工作」の概要を聞いています。昭和天皇の
カンジ嫌いは云うまでもありませんが、石井射太郎→広田弘毅(外相)→
近衛首相→昭和天皇という経由で、カンジの介在は聞かなかったのでしょう。
もし知っていれば「船津工作」に、また違った感想を述べたかもしれません。

昭和天皇のカンジ嫌いは、言うまでもなく満州事変(つづく第一次上海事変、
国際連盟脱退)に因るものですw。2.26事件の対応で多少持ち直しましたが…。

また>>25 を見ても分かるとおり、昭和天皇は「船津工作」にほとんど期待
していません。蒋介石の開戦決意が固いことを見抜いていたようです。要するに
日本は支那に対して交渉する意志はあったが蒋介石が拒絶したという体裁を
整えたかった訳です。外相の広田や近衛首相はこの辺を理解していた様ですが、
工作当事者の石井・カンジは、皮肉も全く大真面目だったようです。

この背景には、蒋介石との信頼関係が作れるとの錯覚があった訳ですが、
あとで述べるように米内光政にも大いに共通するところです。
30名無し三等兵:2007/05/27(日) 00:31:39 ID:???
>>28
延々と荒らされるのも困るから言っとくけど

経済規模で考えるなら日本は損害額も驚くほど少ないんだが?

著作権に対する意識が薄れてるのも確かだが。
31イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/27(日) 00:36:21 ID:Td1CdP5Z
>>25 >>先日の参謀本部の話によると、長引く場合はソ連を考慮する必要上、
>>支那に大兵力を用いることは出来ないとのことだが、やれるだけやるしか
>>方法は無い。陸軍も困ったものだが、海軍だけでもしっかりやるように

言うまでもなく上記の参謀本部の説明とは、カンジ(作戦部長)によるものですw。
こういうので昭和天皇の信頼を無くしていく訳ですが、後のヒデキと対照的で
何だか歴史の皮肉を感じます。とりあえずどこかの火葬戦記にあるような、カンジが
首相になるお話は、現実には絶対あり得ませんw。
32イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/27(日) 00:50:57 ID:???
>>18 >>日中戦争(支那事変)1〜9 参謀本部第二部支那課
>>こうしてリンク張っときゃわかりやすいだろ。

ちょっ、おまw。気持ちは有り難いですが、直リンはまずいんでないかいw。
33イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/27(日) 01:13:50 ID:NoM+uzQZ
さて『上海航空決戦』のインターリュード(間奏)が長引いていますが、テーマを
補完する大事なところなのでもう少し続けて行きます。

上海航空決戦が始まるまで米内光政(海相)は、対支政策の強硬路線にずっと反対
し続けてきたことは前スレで既に述べました。盧溝橋事件が起こってからも、船津
工作に期待をかけていた(作戦準備を遅らせる結果に)ことからも明らかです。

支那警備の第3艦隊司令官時代(1932年)、米内は海軍次官から「対支時局処理方針」
(強硬論)を聞かされると明確に反対の態度を取ります。

●「対支政策に関する(海軍)次官の書きっぷりは、南京政権(蒋介石の国民党政府)をば
 逐次孤立せしめ、これを駆逐せんとするようでもあり、南京政府に対しては峻厳一方に
 やろーというようにも見られ、多分に『陸臭』(陸軍臭)を有する」

ものとして批判しています。
34イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/27(日) 01:41:20 ID:NoM+uzQZ
米内はその後、佐世保鎮守府司令長官(1933年1月)、第二艦隊司令長官
(1934年11月)、横須賀鎮守府司令長官(1935年12月)、連合艦隊司令
長官(1936年11月)などと、出世街道をバク進するなかでも、海軍の対支
強硬路線に対して●「どうしても変更の要あり」と態度を変えることなく、
●「海軍当局の意見とは未だ隔たりがある」状態が続きます。

米内の経歴を見ると「シナ屋」に片足以上を突っ込んでいるようなものですが、
どうしてここまで蒋介石政権を擁護するのか?という疑問が当然湧いてきます。

実は、米内は第一遣外艦隊司令官時代の1929年4月〜5月、南京と漢口で当時、
国民政府主席かつ陸海空軍総司令だった蒋介石と会見しています。

この会見は米内に蒋介石に対する好印象を与えたようで、以後の米内の対支観、
対蒋観に与える影響は大きかった訳です。
35イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/27(日) 01:57:55 ID:NoM+uzQZ
米内は1936年6月(横須賀鎮守府司令長官)、蒋介石との会見を
回想して次のように述べています(※『岩手日報』1936年6月12日付、
米内車中談)。

●「蒋介石はえらい奴だ。昭和4年(1929)に漢口で4ヵ月間共産軍に
 包囲されて糧道および交通路を断たれた事がある。そのとき3ヵ月
 ばかりたって蒋がやって来たが、支那の第一人者だよ。広西で何か
 し出かしているが、蚊に刺された位なものだろう。

 財力もあり兵もあるからだ。北支は支那の勢力範囲位に考えている
 のではないか、支那問題は何とかして蒋介石を引っ張ってくるんだね」

日支間の問題がますます混迷化する1930年代半ばにおいて、米内の考えは
中央政府である国民政権(蒋介石)を「あくまで相手」としていくものでした。
36イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/27(日) 02:04:06 ID:???
まあ結局、初めの方で述べたように、米内の蒋介石に対する『過剰評価』
というか『片思い』は、物の見事に裏切られる事になりますがw(続く)。
37イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/27(日) 02:22:39 ID:???
『涼宮ハルヒの驚愕』の発売延期を今日知りました。発売日をデカデカと
告知したから、前作の時点でもう原稿は出来上がっているものとばかり…w。

どうでもいい話ですが、『らき☆すた』アニメのOPを見て「ネ申の存在」を
信じるようになりました。CDも衝動買い。DVD早く発売されないかしらん(藁)。
38名無し三等兵:2007/05/27(日) 03:01:49 ID:???
イナゾウ・・・
らきすたのOPの作画か楽曲かどちらに衝撃を受けたのかは知らんが
ああいうのにハマルのは20前に済ましておくのがマナー
39名無し三等兵:2007/05/27(日) 03:35:34 ID:p/52ncvw
イナゾウ先生こんばんわ。
ところで「東方〜」ってなんですか?
教えてクンですいません( ・∀・)
40名無し三等兵:2007/05/27(日) 05:46:44 ID:???
外地に出征した日本兵の給料の支給方法についてお尋ねします。

1)給料はどうやって渡されたのでしょうか?

2)小野田寛郎しによれば、1/3が家族への送金、1/3が貯金、1/3が慰安所通い、だそうですが、
軍票と軍事郵便貯金の役割について教えてください。

3)軍票支払いだと兵隊たちはその内地に残した家族も含めて、もろに外地のインフレに巻き込まれてしまいます。
そうならない措置についてお尋ねします。

4)慰安所の料金はインフレがあっても殆ど動かなかったそうですが、軍票決済でなぜそれが可能だったのか、
それは多分慰安所のやりくりが外部のインフレ経済に晒されない内部経済だったからではないかと、
私はおもうのですがいかがでしょうか。

5)また軍票を集めた朝鮮人慰安婦が、現地の実勢レートではなく公称レートで軍事郵便貯金ができたのは、
送金や引出しの厳しい制限のもとに軍人軍属の特例がみとめられたからではないかと推察するのですが、いかがでしょうか?

どなたか教えてくだされば幸いです。
41名無し三等兵:2007/05/27(日) 09:20:26 ID:???
>>867(前スレの)

>ホウヘイ前へ!

んな、落語みたいな話を信用できるか!
42だつお:2007/05/27(日) 12:14:50 ID:yDaHdYso
>しかしながら本質的に疑問が残る。いったいこれらあれら650,000 tons
>の中国への緊急援助は、いかなる成果を残したのかと?

1944年度の大東亜戦争は、中国戦線の大勝と太平洋戦線の大敗が並存する。
それでも大東亜戦争を続行する値打ちがあったか否かであるが、中国と太平洋
ではどちらが国際的にみて重要なのかということを考えてみてはと思う。
「国際的にみて」といっても観点がそれぞれで混乱するがそれも史実の
ホワイトハウスで論じられたことだ。スチルウェルなどは中国戦線を「無価値」
と日誌にそう書いているくらいだが、全員が全員その認識であったとは限らない。
旧日本軍を強いとみるか弱いとみるかも、この辺の事情で混乱しているのだろう。
また工業能力や技術水準についても、皇軍を列強標準以下とみるのならば、
中国は動物以下なのかということにもなるだろう。
43名無し三等兵:2007/05/27(日) 15:37:00 ID:???
産経新聞で23日から、蒋介石日記についての連載記事が載ってる。
44イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/27(日) 21:46:29 ID:???
>>41 >>んな、落語みたいな話を信用できるか!
いや、何かの本で自分も読んだ事があります。記憶が…w。

>>38 >>らきすたのOPの作画か楽曲かどちらに衝撃を受けたのかは知らんが
いやーあの原作からここまで持ってくるとは作った人は凄いなーと。つーか、
地域の関係でアニメはまだ未見ですよw。
45名無し三等兵:2007/05/27(日) 21:50:40 ID:???
報道戦線から見た「日中戦争」―陸軍報道部長馬淵逸雄の足跡 (西岡 香織)
はこのスレ的に駄目っすか
46イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/27(日) 23:07:02 ID:???
>>36 >>米内の蒋介石に対する『過剰評価』というか『片思い』は、物の見事に
>>裏切られる事になりますが

蒋介石の支那空軍への攻撃命令は、1937年8月13日午後2時に「空軍命令第1号」が、
8月14日早朝に「第2号」が出されます。日本海軍の第3艦隊旗艦「出雲」の爆撃には、
支那空軍・第2大隊第11中隊(中隊長・襲款澄)が充てられ、ノースロップ2E型単発
複座軽爆撃機が実施しました。

また支那では8月14日の空軍の戦闘を記念して、この日を「空軍節」としています。
蒋介石の8月15日の日記には、●「倭寇(日本軍)の空軍の技術が拙劣なこと、これ
ならば彼らの心胆を寒からしめる事ができる」と記すほど初日の奇襲に興奮していました。

かつて第3艦隊司令長官として「出雲」に座上指揮していた米内にとっては、非常に
ショッキングな出来事です。「船津工作」の交渉継続に期待していた中での支那空軍の
攻撃は、後にアメリカが受けた「パールハーバー奇襲」に等しい衝撃を与えたのでした。
47ue ◆WomMV0C2P. :2007/05/27(日) 23:37:48 ID:???
遅れましたが、過去ログ倉庫を更新しました。
このスレも後40日程度で2周年といった所ですね。
中佐と諸氏の努力もあってか、「支那事変」で検索すれば、グークルの1〜2ページ目に来るくらいになった模様です。
まとめスレの日々のユニークアクセス数は4〜5人程度ですが(w
アクセス解析の結果をもうちょっとばらすと、サイトのグークル検索ワードトップはズバリ、「イナゾウ中佐」です。
48イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/28(月) 21:27:32 ID:???
ue少将閣下、いつもながらご助力ありがとうございます。何時まで続くか
分からないと言いつつも、もう直ぐ2年とは月日が経つのは早いものですね。

>>まとめスレの日々のユニークアクセス数は4〜5人程度ですが(w
自分もどれぐらいカウンターが回るんだろうか?と気になっておりましたが、
もっと気合入れて頑張りますw。

5代目スレ辺りからお世話になっていたと思いますが、過去ログを作って頂いた
お陰で自分も調べ物するのに重宝しています。過去に自分で書いたことを忘れたり
しておりますので……w。話題によっては昔の自分の方が詳しいということがママ
ありますw。ん? ということは、アクセス4〜5人のうち1人は自分ですか??(核藁)

>>サイトのグークル検索ワードトップはズバリ、「イナゾウ中佐」です。

牛乳吹きましたw。ちょっと色々試してみましたら、「支那課」でも上位に
過去ログが引っかかって来るようでふ。
49イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/28(月) 21:42:35 ID:???
>>40 ちょっと話が専門的過ぎて自分の手に余ります。そこまで問題点を整理できている
のなら貴官の方がずっと詳しいでしょう。自力で頑張ってくらさいw。戦記などを読むと、
終戦間際に今まで貰ってなかった1年分の給料が支給された云々の話はよく聞きますがw。

>>45 >>報道戦線から見た「日中戦争」―陸軍報道部長馬淵逸雄の足跡 (西岡 香織)
>>はこのスレ的に駄目っすか

未読なので何とも言えませんw。ただ芙蓉書房のサイトでカバー写真と目次を見ましたら
なかなか面白そうな内容だと思いました。アマゾンの古書だと1200円前後と安かった
ので、早速取り寄せて読んでみませふ。ちょうど『フェイト/ゼロ』にうっかり手を出し
2巻まで一気読みして呆けていましたのでw。

何か『例大祭』が終わって以来、緊張の糸がプツンと切れて仕事が手に付きませんw。
完全に5月病ですw。
50イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/28(月) 22:12:55 ID:DtdPa+rS
>>46 の続き。支那空軍の「奇襲攻撃」を受けて、当日の8月14日夕方には
日本海軍が反撃の矢を放ちます。台湾の基地から支那の航空基地へ96式陸上
攻撃機を発進させましたが、天候不良もあり活動不十分のまま、多くの損害を
出していました。

当時、軍令部部員だった高松宮宣仁親王(海軍少佐)は日記にこの損害について、
●「中攻6機、その他9機、人員計54名の損失」「遺憾なり」と書いています。

空母部隊も取り上げる必要がありますが、先に「陸攻部隊」をまとめてみましょう。
1937年8月14日〜30日にかけて行なわれた海軍中攻による『渡洋爆撃』は
「世界初の戦略爆撃」とも称されるものです。しかし――、

長崎県の大村・朝鮮半島のすぐ下にある済州島・台湾から、支那の主要都市を爆撃
した訳ですが、主役になったのは先に述べたとおり、38機の96式陸上攻撃機です。
トータルでの攻撃の損害は、喪失14機、大破13機という甚大なものでした。
51イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/28(月) 22:39:18 ID:DtdPa+rS
支那事変勃発直後に「陸海軍航空協定」が結ばれた(北支の敵航空勢力の
撃滅を陸軍が、中支・南支のそれを海軍が担当)ことは既に述べましたが、
これを受けて7月11日に、海軍で「特設航空部隊」(戦時事変に際して
特設される)が編成されました。その中でも陸攻を中心とした

●第一連合航空隊の司令官は、戸塚道太郎少将
●主要部隊は、木更津航空隊(陸攻20機:大村・済州島へ)。鹿屋航空隊
 (陸攻18機・95式艦戦12機:台北へ)

でした。日付順に出撃作戦を追ってみると以下の通り。

8月14日:台湾(台北)から9機が広徳を、別の9機が杭州を爆撃。
8月15日:台湾(台北)から14機が出撃、うち8機が南昌(江西省)を空襲。
      大村(長崎県)から20機が南京を空襲【4機撃墜・6機被弾】
8月16日:台湾(台北)から13機が南京と揚州などを空襲【3機が未帰還】
      済州島から9機が蘇州(江蘇省)を空襲。
52名無し三等兵:2007/05/28(月) 22:44:17 ID:???
しつもーん 
第三艦隊攻撃時に支那空軍が上海のフランス租界地に誤爆って
数千名の死傷者が出たのは本当ですか?
53イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/28(月) 22:57:29 ID:DtdPa+rS
8月19日:台湾(台北)から7機、済州島から14機が南京を空襲。
8月21日:済州島から9機が揚州を空襲、同じく済州島から6機が浦口
      (南京の揚子江対岸)を空襲【1機撃墜・3機未帰還】
      台湾(台北)から3機が考感(湖北省)を爆撃。

8月22日:済州島から6機が南京を爆撃(夜半空襲)。
8月24日:済州島から2機が南京を空襲(23日出撃→24日夜半に空襲)
      済州島から6機が南京を空襲。
8月26日:台湾(台北)から6機が南昌を爆撃(夜半空襲)

8月27日:済州島から8機が南京を爆撃(夜半空襲)。台湾(台北)から6機が
      南京を爆撃(黎明空襲)。
8月30日:済州島から6機が徐州を爆撃。

以上が「渡洋爆撃」の全貌です。損害の余りの大きさに、8月30日の
徐州に対する空襲を最後に打ち切られることになります。
54名無し三等兵:2007/05/28(月) 23:08:06 ID:???
>>49
なかなか面白いです 火野葦平氏の話も出てますし オヌヌメです
55zaqd37c4442.zaq.ne.jp :2007/05/28(月) 23:21:05 ID:???
∧_∧
ピュ.ー ( ^^) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
56イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/28(月) 23:27:35 ID:DtdPa+rS
何故ここまで「陸攻」の損害が増えたかと言えば、対空砲火を除くと
護衛の戦闘機が付けられなかった事に尽きます。念のため8月15日の
「爆撃コース」を検証してみましょう。

まず台湾にいた鹿屋部隊は、台北を朝6時50分に出撃して南昌を爆撃、
夕方16時30分に同じく台北に帰還します。台北―南昌間は710キロ
ですから、往復1420キロの長丁場です。

そして長崎県大村にいた木更津部隊は、朝9時10分に出撃して上海の横を
通って南京を爆撃、夜19時20分に朝鮮半島の下にある済州島に帰還です。
大村―南京間が1100キロ、南京―済州島間が770キロですから、合計
1870キロにもなります。

96式陸攻の航続距離(4000キロ)からすれば全く問題ない距離ですが、
護衛の戦闘機が全く追随できません。95式艦戦で航続距離が850キロ、
当時最新鋭だった96式艦戦でも1200キロです。
57イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/28(月) 23:37:48 ID:DtdPa+rS
前スレで述べました『戦闘機無用論』を思い出してください。爆撃機の
性能向上によって戦闘機による迎撃は不可能になるとする『信仰』です。

この爆撃機に対する過度な期待が、爆撃機単独の長距離爆撃を推し進め、
結果は甚大な物的・人的損害を招くことになります。

96式陸攻とて「全金属機」を理由に、後方からの7.7ミリによる追い撃ち
では撃墜困難だと予想されていました(藁)。

こうした戦闘機無用論の破綻により、長距離爆撃の護衛戦闘機という設定で
ゼロ戦が後に開発される事になりますが、また別の話でしょう――。

まあ、何でこんなに日本軍を叩くようなことを書くのかと云えば、支那空軍も
全く同じような失敗をやっているからです(爆撃偏重)w。
58イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/28(月) 23:56:22 ID:???
>>52 >>第三艦隊攻撃時に支那空軍が上海のフランス租界地に誤爆って
>>数千名の死傷者が出たのは本当ですか?

駐日大使のエドウィン・ライシャワーのお兄さんのロバート・ライシャワー
(東洋学者)もキャセイ・パレス両ホテルの損壊に巻き込まれて死んでますよw。

ちなみにE.ライシャワーは、原爆投下地のリストから京都を外すように
泣いて上司に頼み込んだという逸話がある人ですね。1961年から66年まで
駐日大使でした。
59名無し三等兵:2007/05/28(月) 23:58:34 ID:???
ほぉう! 勉強になりました お答えありがとうございました
60イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/29(火) 22:40:04 ID:k8A621+P
>>52 >>第三艦隊攻撃時に支那空軍が上海のフランス租界地に誤爆って
>>数千名の死傷者が出たのは本当ですか?

テーマにも関係しますし、せっかくなのでもう少し詳しく触れておきましょう。
この誤爆が起きたのは1937年8月14日、今テーマ『上海航空決戦』の
初日でもあります。

犠牲者の数は諸説ありますが、手元にある『一億人の昭和史:日中戦争1』では
租界で外国人など約1千人が死傷したとあります。キャセイ・パレス両ホテルが
誤爆で損壊し、ロバート・ライシャワーが死亡したことは既に述べました。

『一億人の昭和史』にはホテルの現場写真も載っていますが、その直ぐ上には
支那空軍機の攻撃で猛煙を吹き上げるアジア石油のタンクもあります。ちなみに
アジア石油は、シェルとロイヤルダッチの合弁会社で、本社はロンドンにあり
ました。もう見境無しですw。
61イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/29(火) 23:04:27 ID:k8A621+P
さて、この「支那空軍の誤爆」について最も詳しい資料は、松本重治の
『上海時代』が挙げられます。つーか、目撃証言w。

松本重治を知らない人のために補足しておきますと松本は1937年当時、
「同盟通信社」の上海支局長でした。一言で云えば、支那方面に通じた
大物ジャーナリストで、西安事件をスクープして世界に衝撃を与えたと
書けば、一体どれ程のものか容易に想像できるでしょう。

ちなみに1930年の京都における第3回太平洋会議以来、新渡戸稲造の
薫陶も受けていますw。汪兆銘工作にも松本の名前が挙がりますし、後に
『阿片王』と名高い里見甫を手伝って「満州国通信社」も設立しています。
また近衛文麿とも親友であり、年譜を見ると東京帝国大学法学部から、
1年ごとにイェール・ウィスコンシン・ジュネーブと海外留学するなど、
溜息が出るくらい日本人離れした『華麗なる経歴』の持ち主です。
62イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/29(火) 23:13:39 ID:k8A621+P
その松本の『上海時代』に「中国空軍による租界盲爆」という項目が
ありまして以下、長くなりますが要約してみましょう。

「戦争が始まった以上、『同盟(通信社)』支社は、それより報道の方針を
 完全に切り換えざるを得ず、戦況の刻々の打電に全力投球することになった。

 8月14日午後4時少し過ぎ、私が『同盟』支社にいると、中国空軍の編隊が
 上手から黄浦江上空に進んで来て、(第3艦隊)旗艦『出雲』の高射砲や機関銃が
 反撃しているようだと、記者の一人が急いで駈けよって知らせてくれた。

 すぐ窓側に行き、黄浦江の上空を眺めると、マーチン爆撃機の5機編隊で、
『出雲』めがけて進んでいるではないか。私の肉眼では、編隊の高度は大体
 6〜700メートルとみた。

『出雲』その他の高射砲がパーン 、パパーンと鳴り響いている。ふと見ると、
 5機のうち1機の急所に高射砲の弾が命中したらしい」
63イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/29(火) 23:19:30 ID:k8A621+P
「その1機が隊伍を乱すかと見ると、中国空軍の射手らしいものが、真っ逆さまに
 降ってきて黄浦江にじゃぶんw。すると、編隊は『出雲』の方向からやや左旋回
 し始めたと思うと、1つ、2つ、3つと大型の爆弾を落しつつ、租界上空を通って
 飛び去った――。

 爆弾が落ちていくのが手にとるように判ったが、爆弾が惰性のためか、飛行機の
 進む方向に、1つは愛多亜路の上空に達し、『同盟』支社のあるビルの頭をかすめて、
 約300メートルほど先の愛多亜路の十字街の舗装道路上で昨裂した。

 その十字街の一角には、大衆歓楽センターである『大世界』という4、5階のビルが
 あり、十字街上と『大世界』内にいた1000人余りが、爆風と破片とで死亡した。
 あとで聞くと、爆弾は250キロのものであった。

 第2弾は南京路のキャセイ・ホテルの玄関先で昨裂し、数百枚の窓ガラスが破壊された。
 そのため、通行中の中国人約200名、外人8名が死んだ。その外人のうちには、ライ
 シャワー元大使の兄に当るロバート・ライシャワー(有名な日本古代史の学者)も
 含まれていた」
64イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/29(火) 23:35:35 ID:k8A621+P
 第3弾は南京路を隔ててキャセイ・ホテルの向い側のパレス・ホテルの
 屋根を貫いて地階に達し、数十人の死傷者を出した。その第2弾、第3の
 音響も、支社に聞えた――」

以上が、松本の目撃証言ですが「ジャーナリスト」であることも考えると、
信憑性は非常に高いと言えるでしょう。死者の総数は1200人余り――。
いかに密集していたとはいえ、250キロ爆弾1発で1000人も死ぬのか、
甚だ疑問ですけどw。

松本の話を信じるならば、支那空軍機は「出雲」を爆撃しようとしましたが、
1機が対空砲火によって撃墜。残りの機体が退避しつつ爆弾を捨てた直下に
租界があった(誤爆・盲爆)という話になります。まあ、この辺はあとで
詳しく言及します。
65イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/29(火) 23:50:23 ID:k8A621+P
松本重治の『上海時代』の他にもう1つよく取り上げられるのが、『シブミ』
という早川書房が発行した小説です。作者はトレヴェニアンという外国人で、
訳者は菊池光(英文学翻訳者)ですが、その上巻に「上海――193?年」なる
話がありまして、1937年当時の上海の状況を詳しく述べています。

●「8月14日にアメリカ製ノースロップ機に乗った中国軍パイロット(注:
 アメリカ人義勇軍パイロットだったのかもしれない)達が上海を盲爆した。
 高性能爆弾の一弾がパレス・ホテルの屋根を貫いた。べつの一弾がカフェ・
 ホテルの表の路上で爆発した。729名が死に、861名が負傷した。
 
 31分後に別の中国機が女性と子供の避難所になっていた大世界娯楽
 センターを爆撃した。1012名が死に、1007名が負傷した――」

この小説の下敷きになっているのが、当時の「英字新聞資料」であると云われ、
当時の実情をよく表しているのではないかと取り上げられます。
66イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/30(水) 00:16:25 ID:OTN/tzGm
こちらですと死者だけで1700人以上、負傷者で1800人以上、
合計3500人以上の死傷者という数字になります。

>>64 >>250キロ爆弾1発で1000人も死ぬのか、甚だ疑問ですけどw。

「大世界娯楽センター」が >>65 で見られるように避難所になっていて、
そこに神の采配のような『絶妙のタイミング』で爆弾が誤爆してきたと
するならば、やはり1000人以上が一度に死ぬのでしょうかw。

ちなみに湾岸戦争のアメリア・シェルター(多国籍軍の誤爆)を思い出し
ましたが、トマホークとナパーム弾の2回の攻撃でほぼ全員の400人が
死亡でしたっけ?w あともう少しだけ補足します。
67名無し三等兵:2007/05/30(水) 21:56:12 ID:???
戦後も日本軍が遺棄した化学兵器で苦しんでいる人もいるですけどね
68名無し三等兵:2007/05/30(水) 22:05:20 ID:???
だからどうしたというのですか?
69騒霊 プリズムリバー三姉妹 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/30(水) 22:06:46 ID:???
>>67 >>日本が遺棄した化学兵器で酷い目あわされている人もいるのにね

          Σ>☆、    ..      *、             ,.⊃、
           ,.'- ─ `'-、 .      ,.'- ─`'-、 .        ,.'- ─`'-、
          く ,. - ─'- 、!       く ,. - ─'-、!.      . く ,. - ─'-、!  
          i゙ ルノノハノノリ       i゙ ルノイノハ(         i゙ イノノハノ)リ
          ゝ,ゝ.゚ ヮ゚ノリ       ハyイ゚ ヮ゚ノイ      .  Li リ.゚ ヮ゚ノリ  
           ,iヘ) `:´i7        ).7Y)`:´lフ          ,イ_〉`:´i.〉
           (ン/`〒´ij         (ン/`ハ'ヘ!       .  (ン/' ゙̄「i 
           `゙'i'_ィ',ァ┘        `'-i'_ィ,ァ┘         `゙'i'_ィ,ァ'┘

♪リデュース! ぜん〜ぶ使おう。 リユース! くり〜かえ〜し使おう。
 リサイクル! 資源を大切に。  リデュース、リユース、リサイクル!!♪ 

(明日のために、今日始めよう――。第8課・公共広告機構)
70イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/30(水) 22:33:33 ID:SvW9LDSP
>>52 >>第三艦隊攻撃時に支那空軍が上海のフランス租界地に誤爆って
>>数千名の死傷者が出たのは本当ですか?

さて縷々述べてきましたが事の顛末はこんな感じです。支那空軍の「誤爆(盲爆)」は
『確信犯』とも言われて論争になっています。松本重治の回想(>>62)によると、
第3艦隊「出雲」を爆撃しようとした支那空軍5機編隊のうち1機が対空砲火に被弾し、
残りの4機が離脱する際に爆弾を落としたとあります。

とても突っ込めないと遁走した4機が「攻撃したフリ」だけでも残そうとして
爆弾を落としたが、風と慣性に流されて租界に落ちた可能性が1つ。アホです。

あるいは最初から租界に爆弾を落とすつもり(確信犯)で、いくらなんでも直接は
マズイので、第三艦隊「出雲」の爆撃を装った(アリバイ作り)可能性が2つ。
71名無し三等兵:2007/05/30(水) 22:39:40 ID:???
租界に落とすつもりだったとしても、旋回しながらの投下では照準はかなり適当だったということになる。
要するに『当たり所が悪かった』という話なのでは・・・。
72イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/30(水) 22:46:50 ID:SvW9LDSP
そもそも蒋介石は、欧米列強の介入(注目)を集めるために『上海決戦』を
始めていますので動機としては十分に成り立ちます。

>>65 で取り上げた「上海――193?年」にも、冒頭で以下のようにあります。

●「1937年7月7日に、『ノース・チャイナ・デイリイ・ニューズ』が、北京の
 近くの盧溝橋で日本軍と中国軍が銃撃を交わした、と報じた。バンドでは、上海
 クラブにいたイギリスの経営者達が、『東洋人同士の無意味な闘争』における
 この出来事は、迅速に手を打たないと収集不能になる可能性がある、ということで
 意見が一致した。

 彼らは自分達の商館を『迷惑な戦争』から守るために、(国府軍に)北支へ急行
 して上海に直接影響の無い地域で日本軍と交戦してもらいたいと蒋介石総統に
 伝えた。しかし総統は、『共同租界を危険に晒す』ことによって自分の側に有利な
 外国の介入が行われることを期待して、上海で日本軍を迎撃することにした――」
73名無し三等兵:2007/05/30(水) 22:47:27 ID:???
いやはやお粗末な質問にここまで丁寧に答えていただいて恐縮です
ありがとうございました
74イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/30(水) 23:08:47 ID:SvW9LDSP
支那人の『脳の構造』は想像を絶しますので、自分達に有利な外国の介入を
欲するために、当の外国人を大量に殺してでも支那事変に対する注目を集める
ぐらいの事はするでしょう。蒋介石が何よりも怖れたのは『列強の無関心』なのです。

>>71 >>要するに『当たり所が悪かった』という話なのでは・・・。

もちろん『誤爆』の後に、日本軍の仕業だと宣伝するのも忘れてはいませんw。
ただし爆撃されたキャセイ・パレス両ホテルは国際社交場として、またイギリス人
経営なので安全であると噂が流れており、避難民でごったがえしていました。

そこに都合よく偶然に爆弾が落ちるなんて、という不自然さは否めない訳です。しかし
同時に、支那空軍パイロットにそんな技量があるのか?という疑問も湧いてきますw。
少なくとも1000人以上の死傷者が出た爆撃なので、堂々巡りです。
75イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/30(水) 23:25:40 ID:SvW9LDSP
>>73 まあ『上海航空決戦』テーマの一環なので、どういたしましてです。

また支那空軍の誤爆は、開戦初日の8月14日だけではありません。8月16日には
別の爆弾が租界の大通りを襲い、数名の外国人と支那人が死亡しています。

8月23日には、支那空軍機が再び国際租界を爆撃しましたが、この時は
上海で最大の支那人の商業施設であるシンシア、ウィン・オンの両デパートを
直撃して200人以上が死亡、負傷者も200人に達しました。そして、この
負傷者の中には、ニューヨークタイムズの特派員が2人混じっていました。

さらに8月30日、支那空軍機がアメリカの大型定期船「プレジデント・
フーバー号」を攻撃し、5人の水夫と2人の乗客が負傷し、その内の1名が
数日後に死亡しました。
76イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/30(水) 23:41:24 ID:SvW9LDSP
このように支那空軍の爆撃の影響があまりに深刻だったため、ニューヨーク
タイムズの特派員が8月27日付で次のような声明を出しています。

●「中国軍が無責任に空爆を行なって、上海の国際租界とフランス特権区域の
 無力な民間人を殺すのを防ぐための、武力手段あるいは他の抑制措置を取る
 ことに、外国の領事館員および陸海空軍の軍人が合意するならば、何らかの
 国際的措置をとることを決議しなければならない――」

さらに支那は一連の爆撃を「日本軍の仕業」と宣伝をかけています。8月15日の
キャセイ・パレス両ホテルの爆撃について支那政府の宣伝広報局は、●「この爆撃機は
日本軍のものである」とニュースを流しました。

しかし『ワシントンポスト』の上海特派員:マーク・ジンボーグによれば、自分達の
完璧な調査により、この爆撃機が日本軍機ではなく支那軍機であることを突き止め、
「重大な訂正」を発表させたとありますw。
77イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/30(水) 23:50:28 ID:SvW9LDSP
同様に8月23日のシンシア、ウィン・ウォン両デパートの爆撃も、支那宣伝
広報局は、●「日本軍の爆撃機から投下された爆弾である」と発表しています。

こうした宣伝がまかり通る背景には、支那政府による外国メディアの『検閲』が
あったようで、こうした検閲を免れるために特派員は、長躯、香港まで足を伸ばして
特電を発しています。例えば、以下の記事は、支那による検閲に対して以下のように
不満を漏らしています。

●「中国の検閲官は、発信された外電やラジオ通信から前述の事実や意見を削除した。
 そして場合によっては、外電のニュースそのものを変えてしまいさえもした。その
 目的は、現地の外国人たちがあたかも心の中で、この爆弾は恐らく日本軍の飛行機から
 投下されたものかもしれない、と疑っているかのように見せかけるためだったのである。
 だがしかし、これは明らかに真実ではない――」
78イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/31(木) 00:00:22 ID:SvW9LDSP
さらに追い討ちをかけるように、1937年9月6日付の『香港』発信
ニューヨークタイムズ特電は、支那空軍機の爆撃について以下のように
述べています。

●「中国軍は、この爆弾は日本軍の飛行機から投下されたものである、と
 宣言することによって責任を拒否した。しかしながら今や、これらの爆弾は
 両方とも中国がイタリアから購入した『イタリア製』のものであることが
 判明している。

 この判明した事実について、アメリカとイギリスの現地の海軍調査官の意見は
 一致している。そしてイタリア当局もこの爆弾が自国製であることを認めている。
 これは決定的な証拠であるように思える。何故ならばイタリアは、日本がイタリア
 からそのような軍需物資を購入したことは一度もない、と証言しているからだ」

このように直ぐ化けの皮が剥がれる嘘をつく(爆弾がイタリア製で露見)のは、
昨今の北朝鮮の拉致問題(全く別人の遺骨など)にも一見似ているものがありますw。
79イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/31(木) 00:11:43 ID:dIUkpIcl
しかし、げに恐ろしきは支那人のメンタリティです。
どうやって外国メディアを『検閲』していたのか? 外国メディアはそれに
甘んじなければどうしても本国に発信できなかったのか? などなど疑問は
数々湧いてきますが、支那人の考えとしてはこうでしょう。

●現地の外国特派員から見れば一発で露見するようなウソでも、本国に
 そして世界に向けて『真相』を発信させなければいい。

更にもっと言えば、

●現地の特派員がどう思おうとも、こちらに都合のいい『真相』を
 国際社会に向けて発信できさえすればいい。

とこう来るのです。国際社会の注目を集めるために現地の外国人がいくら
死のうと知ったことかと。この(日本人から見れば)逆説こそが、支那人の
真骨頂とも言えます。
80イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/31(木) 00:14:10 ID:???
やはり同じ人間だと考えてはいけませんw。
81イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/31(木) 00:22:08 ID:???
今日はスピード優先で乱筆御免w。
82名無し三等兵:2007/05/31(木) 13:53:50 ID:???
なるほど支那人も日本人もDQNだったわけね。
83名無し三等兵:2007/05/31(木) 20:04:58 ID:???
 スティルウェル問題は、一九四四年、東部中国において、日本軍が「一号作戦」
[大陸打通作戦の一部]にのり出した直後にやま場を迎えることになった。
 日本軍のこの作戦は、一九三八年の武漢占領以降初めての大規模なものであったが、
それというのも、アメリカの潜水艦隊が日本の沿海水域に侵入して、東南アジアの
占領地域への物資の海上輸送ルートを切断したために、遠隔地にある日本の拠点は
物資が欠乏し、連合軍の攻撃に対する抵抗力を失いつつあったので、代替輸送ルート
として、以前はそれほど必要でなかった中国を南北に縦貫する鉄道の確保にのり出し
たものであった。同時に日本はこの作戦で、シェンノートの第一四航空軍が新しく
建設した前進基地を破壊することを計画していた。
 シェンノートはかねてルーズベルトに対して、もし自分に前進基地があり、飛行機
があり―そしてスティルウェルが軍需物資のいいところをみんな持っていってしまわ
なければ、日本本土を爆撃するB29もそこを使うことができる、というのが彼の主張だった。
 これに対してスティルウェルは、そんな基地をつくれば日本軍に破壊されるだけだ、
とまったく逆の立場に立った。そしていつものように、スティルウェルが正しかった。

「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会)
84名無し三等兵:2007/05/31(木) 21:24:24 ID:???
>>69
問題あった?
85イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/31(木) 23:09:48 ID:uCulTtH0
さて余談ですが、日本海軍の「第3艦隊」や揚子江にある上陸船団に襲いかかってきた
支那空軍の機種は、「カーチス・A12シュライク」や「ノースロップ2E」といった
軽爆撃機でした。

これを迎撃したのが、艦隊に搭載していた「95式水上偵察機」であり、果敢に空中戦を
挑んでアメリカ製の戦闘機(カーチス・ホークV)を撃墜した猛者もいました。戦闘機と
水偵、空中戦でのハンデはあった訳ですが、とりあえず危急を凌ぐ役には立ちました。
支那側でさえ「95式水偵」に戦闘機としての評価を与えたくらいですから、日本海軍が
その気になっても不思議ありません。

こうして次期「新鋭水上機」には、本来の偵察任務よりも戦闘機的な性格の機体が
開発される事になります。それが零戦を水上機に改造した「二式水上戦闘機」であり、
のちには「強風」が生まれ、更にまた名機「紫電改」が登場していく訳です。

まあ話が脱線しましたが、支那事変で日本海軍が出した戦訓の1つが、艦隊上空は
「水上偵察機で守れる」という末恐ろしいものでしたw。支那にしか通用しないでしょうw。
86イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/31(木) 23:32:35 ID:uCulTtH0
また話を1937年8月14日に戻します。『上海航空決戦』開戦初日に
支那空軍から奇襲攻撃を受けた「第3艦隊」は翌日の8月15日、空母の
艦載機による反撃を計画しました――。

主力となったのが第3艦隊の指揮下にある「第2航空戦隊」の空母「加賀」です。
8月15日午前5時、上海沿岸に接近した「加賀」の甲板から、94式艦上爆撃機、
96式艦上爆撃機、89式艦上攻撃機が飛び立ちます。

その内訳は、94式艦爆が16機、96式艦爆が8機、89式艦攻が8機の
合計32機でした。いずれも複葉の旧式機がほとんどでしたが、特に旧式化が
激しい89式艦攻は、杭州の支那軍を爆撃する任務を帯びています。

一方の支那軍は、杭州近辺に約50機の「カーチス・ホークV」戦闘機、「カーチス
A12シュライク」などを配備していました。
87イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/31(木) 23:53:56 ID:uCulTtH0
「ホークV」も新鋭機とはとても言えませんが、それでも最大速度は362キロです。
「96式艦爆」こそ310キロですが、「94式艦爆」は280キロ、「89式艦攻」
に至っては213キロと半分近い劣速です。

また上海のお膝元の杭州だけあって、搭乗員も支那空軍のベテランパイロットが集中
していました。杭州上空に達した「89式艦攻」、そして遅れて到着した「94式
艦爆」は、優速の支那戦闘機によって次々と撃墜されていきます。

この短時間の戦闘で「89式艦攻」は8機中じつに7機が撃ち落とされ、「94式艦爆」
も2機を喪失しています。乗員の損失は、戦死・行方不明を含めまして29名にものぼり
ました。日本海軍はこの緒戦の大敗に衝撃を受け、さらに同時に行なわれていた「96式
陸攻」の大損害を合わせまして、運動性に劣る攻撃機がいかに戦闘機の迎撃に脆弱である
かが暴露された訳です。

支那事変の勃発前に陸海軍で支配的だった『戦闘機無用論』はあとかたも無く吹っ飛び、
単なる『幻想』として消え去ってしまったのでした――。
88楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/01(金) 00:00:19 ID:???
>>87 >>『戦闘機無用論』はあとかたも無く吹っ飛び、単なる『幻想』として
>>消え去ってしまったのでした――。

::::::::|\/ i
::::::::|´:::::::::ヽ        
::::::::|:::ノノリ::::〉 /[]   『戦闘機無用論』は幻想郷入りしているわ……w。
::::::::|!゚ ヮ゚ノリ / []] 
::::::::| i.Hi]つ/  [][] 
::::::::| _|j /  [] []
::::::::|し'ノ
89右翼撲滅隊:2007/06/01(金) 01:39:12 ID:???
戦後も日本軍が遺棄した化学兵器で苦しんでいる人もいるですけどね
90名無し三等兵:2007/06/01(金) 03:48:29 ID:???
だからどうしたというのですか?
91名無し三等兵:2007/06/01(金) 14:59:35 ID:Mo8nc4pI
日本軍が厳重安全に保管していた化学兵器も武装解除で支那人が手に入れ、最後は放り出して自国民犠牲とは・・・・
92イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/02(土) 01:10:47 ID:17u8Ts+k
>>87 >>『戦闘機無用論』はあとかたも無く吹っ飛び、

余談になりますが、山本五十六が航空本部技術部長(1930年12月〜1933年10月)の
ときに、以下のようなエピソードが残っています。ちなみに少将の時代ですね。

山本五十六が着任して間も無いころ、戦闘機の開発担当者が技術部長室に呼ばれます。

山本少将は、●「海軍の戦闘機は、どうして遅いのか? 陸軍の飛行機はもっと早いのが
あるのに、海軍の戦闘機となると最大で175ノット(時速320キロ)ぐらいしか出せない
のは、一体どういう訳か?」と、いきなり初歩的な質問をしました。

開発担当者は、陸上の飛行場を基地とする陸軍機と違って、海軍の戦闘機は狭い
航空母艦を基地としなければならないのだから何を当たり前のことを? と一瞬、
面食らったのですが、山本少将は何か深い考えがあってのうえで尋ねているのだろう、
と率直に理由を説明しました。
93イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/02(土) 01:19:47 ID:17u8Ts+k
「海軍機は、航空母艦から発着するために、着艦離艦の速度制限から、
 そういうところに限られているのです。現にアメリカやイギリスの
 艦載機も大同小異であります」

「それは本末転倒ではないか?」と山本少将はすかさず反論しました。

「戦闘機は早くなければいかん。とにかくお前達は、200ノット(時速
 370キロ)以上の海軍の戦闘機を作ってみろ。

 そのためには母艦というものを考えなくてもよい。陸上から発着すると思えば
 良いのだ。200ノットの戦闘機が出来たら、それから「赤城」「加賀」の航空
 母艦を改装させる。これは自分が技術部長の責任においてやらせるのだから、
 お前達は航空母艦を忘れて、戦闘機の設計を進めて民間を指導すれば良いのだ」
94イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/02(土) 01:52:41 ID:17u8Ts+k
「そもそも航空母艦は、戦闘機あっての航空母艦であって、海上航空戦で
 戦闘機がやられてしまった「赤城」「加賀」というものは、何ら自分自身の
 運命を切り開いていく能力は無いのだ。要するに小さい戦闘機が主人公で、
 大きな3万トンの母艦はお供なのだ。そのお供に合わせて主人公が設計される
 ことは、もってのほかだ――」

 艦上戦闘機に対する従来の考え方を180度展開させた、山本少将の思想が
 七試艦戦に最高速度180〜200ノットという要求を課し、さらに低翼単葉
 でもよいという条件を作ったのでした。

 山本五十六は口先だけでなく、何かにつけて航空本部と縄張り争いをしていた
 艦政本部に自ら乗り込んで「戦闘機あっての航空母艦」の思想を説き、新戦闘機
 開発の方向に活を入れていたのですが、のちに『戦闘機無用論』に大きく傾くの
 ですから皮肉としか言いようがありませんw。
95名無し三等兵:2007/06/02(土) 08:39:53 ID:???
日本軍がもっとも重慶に近づいた地点はどこになるの?
96名無し三等兵:2007/06/02(土) 16:02:07 ID:???
単発質問禁止 ウザイ☆
97名無し三等兵:2007/06/02(土) 16:07:15 ID:???
だまれ超チョッパリ
98名無し三等兵:2007/06/02(土) 19:07:50 ID:???
スーパーチョッパリって読むのかな
99名無し三等兵:2007/06/02(土) 23:16:01 ID:???
屁のチョッパリは要らんですよ。
100名無し三等兵:2007/06/03(日) 01:07:30 ID:NQHHtBvU
大日本人が千人いれば日本は勝った
101名無し三等兵:2007/06/03(日) 01:25:29 ID:???
てことは何かい、
アノ作品は支那人が使う蔑称「小日本人」への当て擦りで、
嫌中的愛国心を鼓舞する国威発揚映画だってコトかい?
102名無し三等兵:2007/06/03(日) 01:55:39 ID:???
肝異
103名無し三等兵:2007/06/03(日) 01:56:32 ID:???
誤爆
104名無し三等兵:2007/06/03(日) 02:35:26 ID:???
蕋江(しこう)作戦 昭和20年5月9日 作戦中止
蕋江(湖南省西部)は敵の首都重慶の370Km南東
105名無し三等兵:2007/06/03(日) 05:50:53 ID:???
チョッパリじゃなくてチョリッパ

超立派ってこと
106名無し三等兵:2007/06/03(日) 08:25:37 ID:???
>>104
ありがとう
107名無し三等兵:2007/06/03(日) 09:35:48 ID:???
>>105
寒杉www
108イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/03(日) 21:54:23 ID:???
>>94 >>のちに『戦闘機無用論』に大きく傾くのですから皮肉としか言いようがありませんw。

結論が唐突だったような気がするので補足ですが、別に源田実が独裁者であった訳でもなく、
『戦闘機無用論』が南無阿弥陀仏のように念仏を唱えていれば叶ったものでもありません。

戦闘機パイロットの「爆撃機への機種転換」や定員数の削減など人材育成にも
累は及びましたから、航空分野の実力者である山本五十六やあるいは大西瀧治郎
といった上級者の賛同がなければ実行に移せなかったからです。

もともと軍縮条約で「戦艦の保有」に制限がかかったことが、少しでも爆撃機の数を
増やして『漸減作戦』に役立てたい(そのためには戦闘機は軽視してもよい)という
深層心理からの発想によって生まれたものと云えるでしょう。

ちなみに『戦闘機無用論』(96式陸攻の開発前後)が猛威を振るったころの両者の
在職は、山本五十六が海軍航空本部長、大西瀧治郎が横須賀海軍航空隊副長〜海軍
航空本部教育部長でモロに時期が重なります。
109イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/03(日) 22:21:38 ID:???
>>100-101 >>大日本人が千人いれば日本は勝った:てことは何かい、
>>アノ作品は支那人が使う蔑称「小日本人」への当て擦りで、
>>嫌中的愛国心を鼓舞する国威発揚映画だってコトかい?

『大日本人』よりは、普通に『300<スリーハンドレッド>』が見たいですね。

300人の武装参謀が、1,000,000人の支那兵と真っ向勝負!

『ディス!イズ!シナカァァァァァァァ!!!!』(これが支那課の力だ!!!w)
110イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/03(日) 22:49:09 ID:yC/b7QPw
>>95 >>日本軍がもっとも重慶に近づいた地点はどこになるの?

>>104 氏が述べているように最近地点は「し江」になりますが、長らく重慶に対して
日本軍の最前線だったのは『宜昌』です。『宜昌作戦』は1940年5月〜6月にかけて
行なわれましたが、宜昌は武漢三鎮から西300キロで四川省の入り口に当たります。

宜昌も長江沿いにあり、1万トン級の船舶が遡行できるギリギリの地点で、いわば
重慶への表玄関です。
111名無し三等兵:2007/06/03(日) 22:54:12 ID:???
>>110
イナゾウ中佐もありがとう。
前に歴史群像でその両作戦のどちらか(おそらく宜昌?)に参加された方の
インタビューが載ってたものでずっと気になってた。
112イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/03(日) 23:04:17 ID:yC/b7QPw
>>95 >>日本軍がもっとも重慶に近づいた地点はどこになるの?

そういう質問をされるからには、『重慶攻略作戦』が念頭にあるのでしょう。
いわゆる「5号作戦」で重慶攻略ルートとして予定されたのは4本あります。

●北方ルート1:西安→宝鶏→天水→広元→順慶→『重慶』
 北方ルート2:芦氏→鎮安→鎮安→漢中→通江→広安→『重慶』

●中央ルート:『宜昌』→恩施→江口→『重慶』
●南方ルート:『し江』→貴陽→遵義→『重慶』

見ての通り、宜昌もし江も進攻ルートに含まれます。『重慶攻略作戦』は
重慶はおろか、その後方の成都すら占領するもので太平洋戦争劈頭の南方作戦
全体と同規模の兵力を必要とする壮大なものでした。史実の大陸打通作戦すら
上回るものです。
113名無し三等兵:2007/06/03(日) 23:11:43 ID:???

      ,.ィ , - 、._     、
.      ,イ/ l/       ̄ ̄`ヽ!__
     ト/ |' {              `ヽ.            ,ヘ
    N│ ヽ. `                 ヽ         /ヽ /  ∨
   N.ヽ.ヽ、            ,        }    l\/  `′
.  ヽヽ.\         ,.ィイハ       |   _|
   ヾニー __ _ -=_彡ソノ u_\ヽ、   |  \     日支事変が長引いた最大の原因は、
.      ゙̄r=<‐モミ、ニr;==ェ;ュ<_ゞ-=7´ヽ   >     SS艇の船団を長江を舟艇機動させて
.       l    ̄リーh ` ー‐‐' l‐''´冫)'./ ∠__     海上機動旅団で宜昌を攻略し、
       ゙iー- イ'__ ヽ、..___ノ   トr‐'    /    輸送船団を組んで大規模な攻略部隊を
       l   `___,.、     u ./│    /_    重慶に送り込まなかったからなんだよ!
.        ヽ.  }z‐r--|     /  ト,        |  ,、
           >、`ー-- '  ./  / |ヽ     l/ ヽ   ,ヘ
      _,./| ヽ`ー--‐ _´.. ‐''´   ./  \、       \/ ヽ/
-‐ '''"  ̄ /  :|   ,ゝ=<      /    | `'''‐- 、.._
     /   !./l;';';';';';';\    ./    │   _
      _,> '´|l. ミ:ゝ、;';';_/,´\  ./|._ , --、 | i´!⌒!l  r:,=i   
.     |     |:.l. /';';';';';|=  ヽ/:.| .|l⌒l lニ._ | ゙ー=':| |. L._」 ))
      l.    |:.:.l./';';';';';';'!    /:.:.| i´|.ー‐' | / |    |. !   l
.     l.   |:.:.:.!';';';';';';';'|  /:.:.:.:!.|"'|.   l'  │-==:|. ! ==l   ,. -‐;
     l   |:.:.:.:l;';';';';';';';| /:.:.:.:.:| i=!ー=;: l   |    l. |   | /   //
       l  |:.:.:.:.:l;';';';';';';'|/:.:.:.:.:.:.!│ l    l、 :|    | } _|,.{::  7 ))
        l  |:.:.:.:.:.:l;';';';';'/:.:.:.:.:.:.:.:| |__,.ヽ、__,. ヽ._」 ー=:::レ'  ::::::|;   7
114名無し三等兵:2007/06/03(日) 23:16:13 ID:???
な、なんだってー(棒読み)

>>112
ガ島絡みで中止の已む無きに至った五号作戦の成算や如何に?
11595:2007/06/03(日) 23:21:31 ID:???
重ね重ねありがとう。
「帝国陸軍の最後」で5号作戦を知って以来、興味が湧いてたんだけど
書いてる本が余り無くて困った。
進攻ルートは昔、三国時代に魏が蜀を攻めた道と同じになったと書いてあったけど
南方ルートまであったんだなぁ。
貴州省からも攻め上がるとは、16個師団も動員するだけはあるね。
「将兵は血をわかせた」のも無理はないな。
実行されなかったのが惜しい程だ。
116名無し三等兵:2007/06/03(日) 23:26:29 ID:???
ようするに支那に専念すればいいものを南方で攻勢かけた大本営が悪いってことで
117イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/03(日) 23:38:17 ID:yC/b7QPw
「上海航空決戦」の続き――。当時、第3艦隊の空母には「加賀」「龍驤」「鳳翔」の
3隻がいました(他の艦艇には、出雲・川内・鬼怒・名取・由良・神威・沖島など)。

「龍驤」「鳳翔」には95式艦上戦闘機が搭載されていましたが、「加賀」には
旧式の90式艦上戦闘機(最高速度293キロ)でしかありませんでした。しかし
搭乗員はいずれもベテランパイロット揃いです。

戦闘機隊は上海周辺の「制空権」をにぎるべく、陸戦隊本部や艦隊上空の哨戒任務に
あたっていましたが、初期の戦闘をいくつか追ってみましょう。

まず「加賀」の攻撃隊が大損害を被った(>>87 参照)翌日の8月16日、「加賀」
飛行分隊長の五十嵐大尉が率いる「90式艦戦」6機が、江湾上空で支那空軍機と
交戦してコルセア1、ダクラス2の合計3機を撃墜します。

さらに翌17日、同じく「加賀」の豊田飛曹長の指揮する「90式艦戦」4機が、
江湾上空で2機を落としました。
118イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/03(日) 23:50:06 ID:yC/b7QPw
「90式艦戦」がどんなものかは、以下のサイトを見ると手っ取り早いでしょう。
ttp://military.sakura.ne.jp/ac/a2n.htm

この旧式機で敵機を叩き落とすのですから、当時の搭乗員の技量の高さが
うかがえます(後で取り上げる「96式艦戦」と比べて見て下さいw)

「加賀」は8月22日に、待望の新鋭機である「96式艦戦」(最高速度432キロ)
を受領します。それまでの複葉機ではなく単葉で、当初の要求性能を100キロ以上
上回る速度で「陸上戦闘機を上回る艦上機」と謳われたものです。

ただし、当時の航空機の加速度的な発達によって、数年後にはゼロ戦に主力機の座を
受け渡さざるを得なくなりますが、こう書くと「90式艦戦」で戦っていた搭乗員の
凄さが分かるでしょうw。
119イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/04(月) 00:05:28 ID:lvymPA5h
ちなみに「96式艦戦」がコレね。先の「90式艦戦」と比べてみて下さいw。
ttp://military.sakura.ne.jp/ac/claude.htm

加賀が受領した「96式艦戦」は僅かに6機でしたが、9月4日には飛行
分隊長・中島大尉が率いる2機がカーチス・ホークVを3機撃墜、9月7日
には五十嵐大尉の指揮する3機が、太湖上空で敵5機を叩き落としています。

「龍驤」の戦闘機隊の初陣は8月22日で、兼子中尉の指揮する「95式
艦戦」(最高速度352キロ)4機が、宝山上空を哨戒中のカーチス・ホークV
18機を発見、6機を落としています。

さらに翌23日には、「龍驤」の鈴木中尉が率いる「95式艦戦」4機が宝山
上空を飛行中に、カーチス・ホークVとP26の戦闘機の混成部隊27機を発見、
激しい空中戦の後に、9機を撃墜しています。
120名無し三等兵:2007/06/04(月) 06:12:33 ID:???
私の支持率の前で 泣かないでください
心そこにありません キョドってなんかいません
千の捏造に
千の捏造によって
あの大きな数値を
吹きまくっています

五月には30%になって 地面にふりそそぐ
六月にはこのまま きらめく一桁になる
失態は光になって あなたを目覚めさせる
大臣は星になって あなたをプギャー

私の政策の前で 泣かないでください
そこに日本人はいません 経団連しかいません
銭の風に
銭の風になって
あの大きな額を
内部留保にしています

千の嘘に
千の嘘になって
あの大きな年金を
宙に浮かしています

あの大きな法螺を
吹きまくっています
121右翼撲滅隊:2007/06/04(月) 06:57:22 ID:tpuCHKGu
世界史板>>>>>>>>>>>軍板
122イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/04(月) 22:38:19 ID:JpciHOkr
>>115 >>「帝国陸軍の最後」で5号作戦を知って以来、興味が湧いてたんだけど
>>書いてる本が余り無くて困った。

体系的に書かれているのは『戦史叢書』ぐらいしかないですね。「昭和17、8年の
支那派遣軍」【55】に1章を割いて大きく取り上げられています。ザクッと触れた
本は他にも幾つかありますが、やはり「ザクッと」の域を出ませんw。

>>114 >>ガ島絡みで中止の已む無きに至った五号作戦の成算や如何に?

一応、『上海航空決戦』が終わった後は、小テーマ『支那とドイツ軍事顧問団』を
やって、その次に大テーマ『日本陸軍と阿片問題』を予定していましたけど、阿片
より『重慶攻略作戦』を前倒しに変更するのもアリです。ただし『北支の治安戦』
並みの大テーマになるかどうかは、自分がどの程度、戦史叢書などを咀嚼して
簡潔にまとめられるかに掛かっています(藁)。

どの道『重慶攻略作戦』はやる積もりで、戦史叢書は随分前に入手済みですし。
123イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/04(月) 22:55:48 ID:JpciHOkr
>>116 >>ようするに支那に専念すればいいものを南方で攻勢かけた大本営が
>>悪いってことで

南方攻略作戦がひと段落した後に「5号作戦」は計画された訳ですが、南方から
引き揚げた陸軍が「対ソ戦」をおっ始めるのを海軍は恐れたわけです。よって
陸軍を何とかして南方に引続き釘付けするために「北豪攻略」や「米豪遮断作戦
(FS:サモア・フィジー攻略作戦)」に血眼をあげたのです。

海軍とすれば、いかに自分が主導権を握って「陸軍を引きずり回すか」です。

まあ、ミッドウェー海戦敗北→FS作戦延期→作戦を支援する機動部隊の代わりに
ガダルカナル島に飛行場を建設→米軍にパッパラパーw→餓島戦況悪化→五号作戦
中止と繋がりますw。
124名無し三等兵:2007/06/04(月) 23:03:13 ID:???
イナゾウ中佐は戦史叢書の支那事変関連は全部持ってるの?
教えてもらった「昭和17、8年の 支那派遣軍」【55】はアマゾンで買えたよ。
ホントありがとう。
125イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/04(月) 23:22:25 ID:JpciHOkr
>>119 の続き。「鳳翔」隊は8月25日、岡本中尉の指揮する「95式艦戦」
3機が上海上空でマーティン重爆2機と交戦、1機を撃墜しています。

当時、第3艦隊の空母は馬鞍群島付近にあり、上海から70〜100浬の距離に
ありました。「加賀」は9月下旬に佐世保に帰港して、戦闘機を「96式艦戦」に
ようやく更新します。10月下旬には南支方面で作戦し、その後は一時上海に移動
するも、1938年末に広東攻略作戦が終わるまで台湾を前進根拠地としていました。

一航戦(龍驤・鳳翔)は、9月20日〜30日まで南支方面の作戦に従事します。
とくに9月21日の広東攻撃には、龍驤飛行隊長の「小園安名少佐」が指揮して、
第一波は15機の「95式艦戦」で、同数の15機の艦爆・艦攻を護衛して進攻。
迎撃にあがった支那空軍のカーチス・ホークV十数機と交戦するも12機を撃墜。
第二波も同規模の編成で攻撃、敵11機を落としています。

加賀がいったん佐世保に引き揚げていることからも分かるとおり、9月下旬には
(開戦から1ヵ月程度で)上海上空の『制空権』を日本側が握っています。第3艦隊が
南支方面に移動するのもその表れですね。上海周辺に陸上航空基地も確保していますし。
126イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/04(月) 23:46:15 ID:JpciHOkr
>>124 >>教えてもらった「昭和17、8年の 支那派遣軍」【55】はアマゾンで買えたよ。

ゲゲッ、買っちゃったの?w 戦史叢書がどんなものかご存知なら良いですが、もしそうで
ないなら中味を見て驚かないように。「資料集」に近い内容ですから。「あのとき誰それが
こう言っていた」とかそんな感じですw。

>>イナゾウ中佐は戦史叢書の支那事変関連は全部持ってるの?

んな訳ないないw。他に自分が持っているのは「北支の治安戦」【1】【2】
だけです。過去スレの『北支の治安戦』テーマ(1スレ丸々使った)でも戦史
叢書は部分的に使っているに過ぎません。もし本格的に引用するならば、5倍
ぐらいに文量が膨れ上がっていたでしょうw。
127名無し三等兵:2007/06/04(月) 23:50:27 ID:???
防衛省の資料室(図書館だっけか)に行ったら閲覧できるんですかね
この夏時間とって行こうと思ってるんですが
128イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/04(月) 23:52:21 ID:???
【訂正】>>125

×9月下旬には上海上空の『制空権』を日本側が握っています。
◎9月上旬には上海上空の『制空権』を日本側が握っています。
129イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/05(火) 00:00:05 ID:JpciHOkr
>>127 >>防衛省の資料室(図書館だっけか)に行ったら閲覧できるんですかね

防衛省は知りませんが、神保町の軍事系古本屋(文華堂・篠村書店)に
逝けば、運よく棚に在庫があって立ち読みできるかもしれませんw。

つーか、県立図書館クラスでも戦史叢書は絶対に置いてあると思います。
試しに愛知県立図書館で蔵書検索したら、101件引っかかりまして
タイトル的にもほとんど網羅しています。

まず在住の県立図書館をググってHPで「蔵書検索」かけてみるのが吉。
130名無し三等兵:2007/06/05(火) 00:03:48 ID:???
了解です ありがとうございました
131名無し三等兵:2007/06/05(火) 00:05:32 ID:???
>>126
戦史叢書は大学の図書館で読んだことあるよw
近いけど行くのがめんどくさいんだ。
132イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/05(火) 00:14:54 ID:079hZdEv
さて、>>125 までのように航空戦を日にちで少し追ってみましたが
もちろんキリがありませんので、この辺で止めておきますw。
以降、一旦まとめに入ります。(日本爆撃など話はまだ続きますが)

また、お互いが主張する「戦果」を見ても当然、誇張されている可能性が
高い(確信犯か、単なる錯誤・思い込みかはともかく)ので、双方が
発表した「自軍の損耗機数」からも見てみたいと思います。

これも疑えば(特に支那側)最限ありませんが、戦果を鵜呑みにする
よりはまだマシですw。
133イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/05(火) 23:14:58 ID:T+PC67eS
支那空軍は「第3艦隊」へ執拗に攻撃を繰り返しましたが、その効果は上がり
ませんでした。最優先目標だった旗艦『出雲』には直撃弾が当たらず、逆に
対空砲火を受けて撃墜される割合が多かった訳です。また海軍陸戦隊本部の
爆撃も、建物の上部が破損した程度です。

その理由は、例えば支那空軍の攻撃機(軽爆撃機)「カーチスA12シュライク」は
小口径機銃(7.62ミリ×5【前方固定×4・後方旋廻×1】)で襲撃効果が薄く、
また肝心の「爆弾搭載量」も100ポンド(45キロ)×4、または30ポンド
(13.6キロ)×10などと、かなり見劣りする数字です。

またパイロットの技量の低さから『急降下爆撃』が取れず、「水平爆撃」あるいは
「緩降下爆撃」頼りだっために艦艇への直撃弾がほとんど無かったことが挙げられ
るでしょう。そして『上海航空決戦』後期には、本来「戦闘機」任務だったカーチス・
ホークVも艦船攻撃に動員された結果、かえって爆撃効果が低下します。戦闘機が
減った分、日本側の「迎撃機」の跳梁跋扈をまねき、支那空軍の損耗が加速化しました。
134名無し三等兵:2007/06/05(火) 23:18:05 ID:???
イナゾウよ。君がそれなりに博識なのは認めるが中国人のことを土人だのなんだの言うのはやめたまえ。

被害者に対しての礼を尽くせ。

君は酷使と同じになってしまうぞ。気をつけたまえ。

これは警告だからな。
135名無し三等兵:2007/06/05(火) 23:24:54 ID:???
>>134

君なに言ってるの?
136名無し三等兵:2007/06/05(火) 23:27:17 ID:???
何をいっとるんだ
137イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/05(火) 23:35:22 ID:T+PC67eS
これに反し「迎撃戦」に限れば、支那空軍はほぼ互角の戦果を上げています。

前述の「カーチス・ホークV」にしても旧式機とはいえ、最高速度(362キロ)・
急降下速度の点で、日本側の同じく旧式機だった90式艦戦(293キロ)、89式
艦攻(213キロ)を遥かに上回っています。また95式艦戦(352キロ)に
対してでさえ、僅かながら優速でした。

また「ホークV」は12.7ミリ機銃×1を搭載していたため、7.7ミリしか
持たない日本軍機に対してアドバンテージがあります。一方、日本側の爆撃機の
新鋭だった「96式陸攻」がワンショット・ライターよろしく、燃料タンクへの
被弾によって容易に引火墜落する脆弱性が――航続距離の不足で護衛機を付けられ
なかったことと合わせて――損害を拡大する要因となりました。

鹿屋・木更津の両航空隊が緒戦の『渡洋爆撃』で、あれよあれよという間に
可動機を半減させたことは既に述べました。
138イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/05(火) 23:55:25 ID:T+PC67eS
>>双方が発表した「自軍の損耗機数」からも見てみたいと思います。

支那事変(上海航空決戦)勃発以降、支那空軍の損耗機数・人員をみると
12月末までに148機・95人に対して、日本機は1937年9月中旬
から南京陥落までの3ヶ月間だけで「96式陸攻」18機を含む128機、
これに8月の損失機32機を合わせると160機に達します。

また日本側の戦死(行方不明)パイロットが9月中旬〜12月中旬だけで
111人(数字が出てないが8月を含めればもっと多い)と、人員の損耗を
比べても日本側の方が多いのです。ややこしいですが、簡潔にまとめると

●日本側:被撃墜160機、戦死・行方不明111人(8月を含めればもっと多い)
●支那側:被撃墜148機、戦死・行方不明95人

という結果になります。
139イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/06(水) 00:07:50 ID:T+PC67eS
ちなみに双方が主張する戦果でいうと、以下のようになります。

日本側が、12月までに撃墜した支那空軍機は合計241機(その他、不確実が17機)。
(戦史叢書『海軍航空戦史』)

支那側が、同期間に撃墜した日本軍機は合計160機(うち空中戦が94機、地上からの
砲撃が66機)<何應欽『何上将抗戦期間軍事報告』>

意外なことに、日本側の申告する「被撃墜機数」と支那側が主張する「日本機の撃墜数」
がピタリ一致することになります。逆に大きな差が出ているのが、日本側が主張する
「支那機の撃墜数」と支那側が申告する「被撃墜数」です。→【241機:148機】

要するに、日本側が撃墜数を過剰に見積もっているか、支那側が過小に自軍の損害を
申告しているかのどちらかですw。まあ、上に挙げた数字が正しい保証もありません
ので、話半分に思っていて下さい。月別など、もう少し詳しい数字一覧は、後日
紹介します。
140イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/06(水) 00:09:04 ID:???
いずれにせよ『上海航空決戦』の緒戦では、支那空軍が日本側の予想を
上回る善戦をしたことは間違いないでしょう。
141名無し三等兵:2007/06/06(水) 01:34:44 ID:???
レイシストを慕う糞ウヨどもかw
142名無し三等兵:2007/06/06(水) 12:09:40 ID:???
ホームグラウンドでの防空戦とは言え
支那空軍は日本航空戦力に匹敵していたという事か。

そんな支那人を土人呼ばわりするならそれと大差ない大和民族もまた土人ということだなw
143だつお:2007/06/06(水) 13:01:32 ID:???
無敵皇軍にどつきまわされたチンピラごろつき
144名無し三等兵:2007/06/06(水) 13:13:22 ID:???
このクソ超チョッパリ共が
145レイシスト撲滅隊:2007/06/06(水) 13:55:56 ID:???
そんな支那人を土人呼ばわりするならそれと大差ない大和民族もまた土人ということだなw
そんな支那人を土人呼ばわりするならそれと大差ない大和民族もまた土人ということだなw
そんな支那人を土人呼ばわりするならそれと大差ない大和民族もまた土人ということだなw
そんな支那人を土人呼ばわりするならそれと大差ない大和民族もまた土人ということだなw
そんな支那人を土人呼ばわりするならそれと大差ない大和民族もまた土人ということだなw
そんな支那人を土人呼ばわりするならそれと大差ない大和民族もまた土人ということだなw

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
146レイシスト撲滅隊:2007/06/06(水) 17:41:31 ID:???
189 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/05/12(木) 01:06:06
基本的に信用してる人
日本古代史 岡田英弘(逆に中国史のほうが怪しい)
日本近代史・戦史 秦郁彦(この人こそ中道にして真の意味のリベラル)

190 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/05/14(土) 00:14:46
中近世無視てコヴァの特徴だね


国士アホスwwwwww
147名無し三等兵:2007/06/06(水) 18:01:38 ID:5uzgzQeQ
より良いと思う研究者をあげよ>>146
148名無し三等兵:2007/06/06(水) 18:12:59 ID:???
秦郁彦は右系のフィルターがかかっているが、研究手法は割りとまともな人だよ。
ただ、南京事件の研究でもわかるように日本軍に有利になるように数値を取り扱っているのは頂けない。
やっぱり研究者は客観性を徹底してほしいからね。
149名無し三等兵:2007/06/06(水) 18:29:37 ID:???
俺も南京での死者は四〜五万人だと思うけど・・・
150名無し三等兵:2007/06/06(水) 18:34:32 ID:???
真に客観的な視点を持った学者は誰か

当然自分が読んでいて受け入れることのできる本を書く人ですね
151レイシスト撲滅隊:2007/06/06(水) 18:37:25 ID:???
馬鹿な学者秦
152名無し三等兵:2007/06/06(水) 20:36:12 ID:???
秦はたかじんの番組で慰安婦の時だけVTRで出演して
南京の時はスルーしたヘタレ

暴栄庁の資料室の連中まで南京の捏造派だから無理もないか・・・

153名無し三等兵:2007/06/06(水) 21:14:26 ID:???
まあ、南京でなにもなったはどうかと思うぞ

軍事詳しい人なら日本が化学兵器を遺棄したことは明白なんだけど
154名無し三等兵:2007/06/06(水) 21:17:33 ID:???
つまらん些事に自らのプライドを依存するのは、ホントにつまらんコトだ。
ロマンもメルヘンもおセンチも必要無い。
戦争の歓喜を楽しむ、マキアベリズムが重要だ。
政治力学の解釈で戦争の要素を除外しない、リアリズムが大切だ。
人類史の愚劣を嘲う、ある種の達観に至っては必須と言うべきだ。

ここは軍板だよ。
諸君、頭を冷やしたまえ。
155名無し三等兵:2007/06/06(水) 21:26:37 ID:???
>>153
連合軍に引き渡した分以外に大陸に遺棄した化学兵器ってあるの?
156名無し三等兵:2007/06/06(水) 21:39:08 ID:C7/OR/nu
北鮮ばりの言葉狩を繰返す変質者は思想信条良心言論の自由を侵害する基地外。
稲造、自由に書け。
以後狂人を対手とせずで往け。
157名無し三等兵:2007/06/06(水) 22:00:09 ID:???
>149
城内での明白な不法殺害数は秦の言うように3万〜4万だろうよ。
だがな、中国側の言う南京事件の被害者数というのは城外も含めたものだし、
世界的にも城内外で線引きなんてしていない。
南京事件を人災として観るなら明白な不法殺害であるか否かの線引きも不要だ。
原爆の被害者から国民義勇隊隊員や兵隊を除いてカウントする事なんてしないだろ?

だから秦の線引きに学術的な合理性は無い上に
南京事件について秦は極一部についてのみしか述べていないわけで、
真っ向勝負をしようとしない秦には姑息さを感じるね。

それと秦本人とは関係無いが南京事件の総被害者数を問うならば
秦の研究の引用は不適切だし、それは意図的な歪曲と看做すべきだよ。
秦について思う点はそこだね。
158名無し三等兵:2007/06/06(水) 22:14:43 ID:???
 一九三八年の二月二日国際連盟理事会で中国代表の顧維鈞という人物が、演説を行い、
その中で、中国代表は、第三国の新聞記事等を引用する形で、南京における旧日本軍兵士に
よる殺害や略奪行為について二万人の虐殺と数千人の暴行と言及。

国際連盟理事会で中国代表の顧維鈞 :二万人の虐殺と数千人の暴行
159イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/06(水) 22:30:15 ID:???
>>141 >>レイシストを慕う糞ウヨどもかw

一体どこの誰に話しかけているか判っているのかね? 私がカーキ色の帝国陸軍軍装と
参謀肩章を吊っていれば良かったかな? 我々は参謀本部第二部支那課だぞ! 一体
何人*したと思っているのかね? 暴力と謀略を呼吸するかのように行なう『支那通』
の集団にかね? レイシスト? 何を今更! 60年ほど言うのが遅いぞ!!

よろしい、結構だ! ならば私を止めてみろ、自称健常者諸君!! しかし残念ながら
私の敵は君らなどではないね。少し黙っていてくれよ、土人の籠担ぎども。私の敵は、
重慶の蒋介石! 延安の毛沢東! いや! そこに嬉しそうにたたずんでいるお前だ!!
160名無し三等兵:2007/06/06(水) 22:36:40 ID:???
アジア歴史資料センター
1938年2月2日、国際連盟理事会第100会期第六会議室
中国国民政府外交官M. Wellington Kooの発言に以下の部分
国際連盟理事会関係一件 第十一巻 分割3の59ページ目
Another authentic of the atrocities 〜 の部分に続いて
"The number of Chinese civillians slaughtered at Nanking by Japanese was estimated at20,000, while thousands of women including young girls, were outraged.”
161イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/06(水) 22:38:31 ID:???
>>147 >>より良いと思う研究者をあげよ>>146

まったく同感。他人の料理にケチを付けるばかりでなく、少しは自分の料理も
出してみてくださいよ。
162イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/06(水) 22:49:13 ID:xQAWtCZv
>>140 >>いずれにせよ『上海航空決戦』の緒戦では、支那空軍が日本側の予想を
>>上回る善戦をしたことは間違いないでしょう。

さて続きです。支那事変初期における「日本の損耗機数および搭乗員の戦死・行方
不明者数」をまとめてみましょう。一部資料が抜けていますが、1937年8月は
32機で、それ以降のものです。

◎1937年9月13日〜10月12日
◆艦戦23 ◆艦爆16 ◆艦攻4 ◆陸攻2 ◆他11 合計56機 ◆戦死・不明42人

◎1937年10月13日〜11月11日
◆艦戦8 ◆艦爆7 ◆艦攻0 ◆陸攻11 ◆他14 合計39機 ◆戦死・不明40人

◎1937年11月12日〜12月11日
◆艦戦10 ◆艦爆4 ◆艦攻7 ◆陸攻6 ◆他6 合計33機 ◆戦死・不明29人
163名無し三等兵:2007/06/06(水) 22:55:58 ID:???
世界史版に有ったレスを貼るね。

>>12 :世界@名無史さん:2007/05/28(月) 00:36:57 0
>>○曖昧さの回避○

>>このページは曖昧さ回避のためのページです。
>>一つの言葉や名前が二つ以上の意味や物に用いられている場合の水先案内のために、
>>異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。

>>1、三国呉・建業だったとき晋によって滅ぼされたときの南京大虐殺
>>2、南朝斉・廃帝宝巻(東昏侯)の南京大虐殺
>>3、南朝梁・宇宙大将軍侯景の乱の南京大虐殺
>>4、南朝陳が隋に滅ぼされたときの南京大虐殺
>>5、南宋が元に滅ぼされたときの南京大虐殺
>>6、明が清に滅ぼされたときの南京大虐殺
>>7、太平天国の乱のときの南京大虐殺
>>8、日中戦争のときの南京大虐殺
>>9、国共内戦のときの南京大虐殺
>>10、大躍進政策のときの南京大虐殺
>>11、文化大革命のときの南京大虐殺
>>12、その他の南京大虐殺

とにかく南京付近を俺に掘らせろ。明らかに青龍刀やAKで
虐殺された白骨が多すぎてマジで面白そうだ。長平ナンか目じゃねえ。
164イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/06(水) 23:01:56 ID:xQAWtCZv
◎1937年12月12日〜1938年1月10日
◆艦戦3 ◆艦爆2 ◆艦攻2 ◆陸攻2 ◆他8 合計17機 ◆戦死・不明6人

◎1938年1月11日〜2月9日
◆艦戦4 ◆艦爆2 ◆艦攻0 ◆陸攻0 ◆他7 合計13機 ◆戦死・不明10人

◎1938年2月10日〜3月11日
◆艦戦7 ◆艦爆1 ◆艦攻0 ◆陸攻0 ◆他7 合計15機 ◆戦死・不明22人

◎1938年3月〜12日〜4月10日
◆艦戦1 ◆艦爆2 ◆艦戦0 ◆陸攻1 ◆他6 合計10機 ◆戦死・不明5人

◎1938年4月11日〜5月10日
◆艦戦9 ◆艦爆8 ◆艦戦4 ◆陸攻4 ◆他2 合計27機 ◆戦死・不明37人

◎1938年5月11日〜6月9日
◆艦戦5 ◆艦爆4 ◆艦攻5 ◆陸攻1 ◆他10 合計25機 ◆戦死・不明7人

◎1938年6月10日〜7月9日
◆艦戦17 ◆艦爆6 ◆艦攻8 ◆陸攻3 ◆他3 合計37機 ◆戦死・不明29人
165イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/06(水) 23:14:22 ID:xQAWtCZv
ちなみに「損耗機数」には、撃墜だけでなく「修復不能機」を含みます。こうして
見ますと、上海から南京攻略戦まで、日本機もそれ相応の損害を被っていた事が
分かります。南京攻略(12月13日)以降は、支那空軍の壊滅もありまして
損害が目に見えて減っています。

1938年に入って4月以降に、日本機の損害が再び激増しているのは「徐州作戦」
のためでしょう。

続いて、支那空軍の損耗機数(原因別)および搭乗員の戦死・不明を見てみると以下の通り。
数字は『我国空軍軍官傷亡人数百分率比較表』の資料です。
166イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/06(水) 23:27:20 ID:xQAWtCZv
1937年8月 ◆撃墜18 ◆爆撃6 ◆事故10 合計34 ◆戦死・不明30人

1937年9月 ◆撃墜26 ◆爆撃4 ◆事故8 合計38 ◆戦死・不明20人

1937年10月 ◆撃墜16 ◆爆撃6 ◆事故7 合計29 ◆戦死・不明28人

1937年11月 ◆撃墜4 ◆爆撃7 ◆事故1 合計12 ◆戦死・不明8人

1937年12月 ◆撃墜20 ◆爆撃5 ◆事故10 合計35 ◆戦死・不明9人

1938年1月 ◆撃墜12 ◆爆撃13 ◆事故11 合計36 ◆戦死・不明6人

1938年2月 ◆撃墜16 ◆爆撃4 ◆事故5 合計25 ◆戦死・不明8人

1938年3月 ◆撃墜13 ◆爆撃14 ◆事故10 合計37 ◆戦死・不明16人
167イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/06(水) 23:39:35 ID:xQAWtCZv
1938年4月 ◆撃墜17 ◆爆撃1 ◆事故13 合計31 ◆戦死・不明13人

1938年5月 ◆撃墜10 ◆爆撃5 ◆事故10 合計25 ◆戦死・不明14人

1938年6月 ◆撃墜3 ◆爆撃0 ◆事故5 合計8 ◆戦死・不明7人

1938年7月 ◆撃墜20 ◆爆撃13 ◆事故11 合計44 ◆戦死・不明19人

1937年10月辺りまではいいですが、それ以降「損耗機数」に比べて「戦死・不明者」
の数が少な過ぎるのが気になります(いくら修復不能機を含めたとしても)。まるでお前等、
無人戦闘機でも飛ばしているのかよ?と突っ込みたくなるぐらいですw。まあ、単純に
過少申告でしょう。

また1937年11月に「損失機が激減」しているのは、この時点で支那事変勃発前に
保有していた旧来機の大半を喪失したためです。
168イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/06(水) 23:57:31 ID:xQAWtCZv
>>140 >>いずれにせよ『上海航空決戦』の緒戦では、支那空軍が日本側の予想を
>>上回る善戦をしたことは間違いないでしょう。

そこでよく言われるのが、支那空軍が「無理な爆撃」に拘泥せず「迎撃戦」に
集中していたら、史実のように開戦1ヵ月で日本側に『制空権』を渡すような
ことは無かったのではないかという批判です。

実際に支那の爆撃隊の指揮官は、あまりの損害の大きさに鑑みて、しばらく爆撃機の
出動を停止することを空軍上層部に求めていたと言います。また1937年末から
支那に派遣されるソ連軍事顧問もまた、敵艦への攻撃がいたずらに損害を増大させた
として、作戦を指示したシェンノートを非難しています。

さらに支那空軍の徐康良もまたシェンノートについて言及し、●「空軍の指揮経験が
足りず、彼を補佐する人材もおらず、作戦指揮が妥当でなかった」点を挙げて、これら
が無用の犠牲を招いたと報告しています。(『黄光鋭致蒋介石報告』1938年2月17日)
169イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/07(木) 00:20:47 ID:???
>>163 >>>>3、南朝梁・『宇宙大将軍』侯景の乱の南京大虐殺

どうでもいいですが、宇宙大将軍だけツボに嵌まりましたw。
170名無し三等兵:2007/06/07(木) 00:32:54 ID:???
南京事件についての秦氏は他の研究とくらべて、
明らかに結論有り気でおかしい。氏らしくない。

ハニートラップに引っかかったのか?
171名無し三等兵:2007/06/07(木) 02:00:12 ID:PEQVikxZ
度重なる反復攻撃にも関わらず、上海の日本側重要拠点は最後まで無傷。
支那空軍の地上攻撃能力は糞。
172名無し三等兵:2007/06/07(木) 02:12:05 ID:???
信じ難い事だが、対日爆撃調査レポートに
米軍による爆撃は無駄だったという結論した有名な報告がある。
米軍でそうなら、日本軍のそれなんて・・・
173名無し三等兵:2007/06/07(木) 02:13:20 ID:???
ああ、支那による空爆か。そりゃ無駄だわ。
174名無し三等兵:2007/06/07(木) 02:27:02 ID:PEQVikxZ
再三狙われた地上の固定目標である上海陸戦隊本部は
三ヶ月間戦闘に晒されて命中した爆弾はゼロ
建物のガラスにヒビが入った程度の損害しか蒙らなかった。
この有様では、艦船を攻撃して戦果をあげるなど絶望的なことだったろう。
175名無し三等兵:2007/06/07(木) 02:27:50 ID:???
荒らしてるのは以前旧字で書いてた馬鹿
キモすぎ
176名無し三等兵:2007/06/07(木) 02:41:33 ID:???
球児は知識はそれなりにあったから今荒らしてるのはもっと知能の低いキチガイだろ
177名無し三等兵:2007/06/07(木) 02:45:59 ID:???
自画自賛乙
178名無し三等兵:2007/06/07(木) 13:46:03 ID:D2kvYr+H
正字正假名の讀めない低腦兒が怪しい
179右翼撲滅隊:2007/06/07(木) 16:07:21 ID:???
346 :右翼撲滅隊:2007/06/07(木) 15:56:13 ID:???
982 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2007/06/06(水) 21:02:58 ID:???
人間になれたはずなのに
なぜ彼らは犬なのだろうか
それが哀しい
983 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2007/06/06(水) 21:06:57 ID:???
>>982
そういうレスがアジテーターっぽい。

339 :名無し三等兵:2007/06/07(木) 13:12:59 ID:???
なんの脈絡もなく酷使叩きを始める池沼よりはマシだけどな

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
180名無し三等兵:2007/06/07(木) 16:22:48 ID:???
レイシストは駆除された虫けらの数なんぞにはこだわらない
181名無し三等兵:2007/06/07(木) 20:29:43 ID:???
>>155
今でも出てくるよ
【人民網】 黒竜江省・斉斉哈爾市で旧日本軍の毒ガス弾2発を発見 [05/19]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1179549138/
182名無し三等兵:2007/06/07(木) 20:53:00 ID:???
>>181
いや、それが日本軍が引き渡さず遺棄した物だという証拠があるのかなと。
又は人民中国や国民党軍・ソ連軍が埋めたものかもしれない。
リンク先でも専門家が鑑定とあるが、その根拠は挙げられていない。
183名無し三等兵:2007/06/07(木) 21:13:28 ID:???
>>182
中国大陸では化学兵器を引き渡した証拠がないからね
184名無し三等兵:2007/06/07(木) 22:31:46 ID:???
>>172
>対日爆撃調査レポートに
>米軍による爆撃は無駄だったという結論した有名な報告がある。

戦略爆撃調査団のレポートのことを指しているのだろうがそれは誤解。
レポートにはより効率の良い爆撃(機雷による封鎖)があったとしているだけで
ムダ、などとは一言も書かれていない。
185名無し三等兵:2007/06/07(木) 22:41:18 ID:???
あれが無駄だったら北爆は無かったろうに
186魔界神 神綺 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/07(木) 23:34:28 ID:???
>>169 >>3、南朝梁・『宇宙大将軍』侯景の乱の南京大虐殺
>>どうでもいいですが、宇宙大将軍だけツボに嵌まりましたw。

                , -、
   _       ,. ---oo ノ   __
 < ̄  ̄\.  ,' ,    ヽ, / ̄   ̄フ
   ⌒`,   ヽ i ルノノハノ)ノノ  _,´⌒
   / ̄`―、.| .l | ゚ ヮ゚ノ!|  ―'――、    中佐がFA宣言するなら
    ⌒'ー、___.| ,く_7不rレつ    __,,,,,>    二階級特進どころか、   
     <´__ Yン/  ハ!´ __`>        『魔界大将軍』にしてあげるわ。
          く/_,.イ_、」           5面は夢子ちゃんがいるから
                          中佐は6面の中ボスねw。
187イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/07(木) 23:43:07 ID:???
>>176 >>球児は知識はそれなりにあったから今荒らしてるのは
>>もっと知能の低いキチガイだろ

まったく同感。一緒にしたら「法務大尉」がいくらなんでも気の毒です。
今となっては『思い出』(つーかトラウマw)になりましたがw、使徒に
認定するだけの知識はもっていました。
188イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/08(金) 00:05:58 ID:iNVP5TIc
>>174 >>再三狙われた地上の固定目標である上海陸戦隊本部は
>>三ヶ月間戦闘に晒されて命中した爆弾はゼロ

「命中爆弾ゼロ」の記述が探せませんでしたが(良かったら資料を教えて欲しい)、
上海陸戦隊の本部建物はメチャクチャ大きいです。

ttp://pds.exblog.jp/pds/1/200701%2F14%2F45%2Ff0063645%5F21315827%2Ejpg

ちょっと探してみたんですが、これで見れますかね? 爆撃機をいくども繰り出して
1発も直撃できなかったとしたら、本当に『悲惨なレベル』としか言いようが
ありませんw。

ちなみに上海陸戦隊の本部は現在、『中国交通銀行』の建物に使われています。
もともとは4階だったのが、5階が増築で付け足された状態です。以下のアドレスで
見れましたら、写真建物の「奥行き」に注目してください。

ttp://pds.exblog.jp/pds/1/200701%2F14%2F45%2Ff0063645%5F21314033%2Ejpg
189イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/08(金) 00:17:29 ID:iNVP5TIc
まあ、支那空軍が早期に壊滅した理由の1つとして、海軍が支那空軍の『暗号』を
ほぼ解読していたことも挙げられます。中攻部隊は連日、上海から南京のみならず
遥か遠くの徐州や南昌、九江、孝感(漢口の北方)などの飛行場も爆撃しましたが、
支那空軍の飛行機が集中する場所と時間に合わせて出撃していたのです。
190イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/08(金) 00:37:04 ID:iNVP5TIc
>>168 >>支那空軍が「無理な爆撃」に拘泥せず「迎撃戦」に集中していたら――。

まあ「IF話」な訳ですが、もちろん史実どおりの方針で正しかったとする
反論もあります。ジュエットによれば、もともと日本軍に比べて空軍力が劣る
以上、戦闘機同士の潰し合いは避けて、より「空軍力」を敵の軍事目標の爆撃に
あてるべきだと主張していました。

これは太平洋戦争末期、日本が米軍に『本土上陸』を受けたと考えてみれば
また異なった見方ができるでしょう。

この場合、日本軍は残された「航空機」でもって米軍の上陸部隊(海上含む)に
全力で爆撃を試みるべきでしょうか? ゼロ戦の爆戦など、米軍の迎撃戦闘機に
あれよあれよと撃墜されて、戦果を上げる前に、日本は瞬く間に残された航空兵力を
喪失してしまうかもしれません。結果は『制空権』が微塵もなくなり、地上部隊は
地獄を見ます。「本土決戦」の破滅を速めるだけとも言えます。
191イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/08(金) 00:58:06 ID:iNVP5TIc
それでは、日本側は本土上空の迎撃だけに徹して、ひたすら米軍の
爆撃機(or 護衛戦闘機)に損耗を強いるのが良策でしょうか?
その方が「制空権」を奪われるのを遅らせることができて、結果
地上の戦いも善戦になるかもしれません。

しかし迎撃に徹するだけの戦闘など、一度飛行場を奇襲攻撃されたら
一巻のお仕舞いです。また全く反撃を試みないなど、国民の士気にも
関わるでしょう。

もう読んでお分かりの通り、これは『上海決戦での日本と支那』を
『本土決戦での米軍と日本』に入れ替えたものです。

支那が爆撃に拘泥したのを、まったく愚かだと切って捨てることも
できないでしょう。少なくとも『本土決戦時の米軍と日本』よりは
『上海決戦時の日本と支那』の方が、遥かに分があります。支那は
「加賀」一隻だけでも中破(当然、内地に引き揚げ)に追い込めば
戦局に与える影響からしても大殊勲です。
192イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/08(金) 00:59:21 ID:???
当然、本土決戦時の日本が、米空母を一隻脱落(戦線離脱)に追い込んでも
糞の役にも立ちませんw。
193イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/09(土) 02:11:29 ID:t60C3f/9
いずれにせよ、蒋介石としては乾坤一擲の『上海決戦』に自らが持つチップの
ほとんどを賭けていた訳です。最高の進展としては、海軍陸戦隊本部を早期に
駆逐し、上陸の意味を失った増援の陸軍部隊を海に叩き落すことだったでしょう。

>>168 >>支那空軍が「無理な爆撃」に拘泥せず「迎撃戦」に集中していたら――。

沖縄戦や硫黄島の戦いに喩えると更に分かり易いかもしれません。イチかバチかの
万歳突撃を行なって戦力を1日で壊滅させてしまうよりも、徹底的な持久戦に持ち
込んで相手に出血を強いた方がより有効でしょう。しかし、結局は「ジリ貧」です。
破滅は明らかです。

それでもなお絶望的な「持久戦」を決意するとしたら、自分を「捨て石」の時間稼ぎ
であると因果を含んでいるか、いつか救援が来ると信じている場合です。支那の場合、
上海決戦から南京攻略戦以降、ひたすら持久戦に持ち込みますが、これは数年もすれば
国際情勢は必ず(自国に有利に)変化するはずだという『究極の他人頼み』によるものでした。
194イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/09(土) 02:26:41 ID:t60C3f/9
何にせよ、支那空軍は開戦から1ヵ月後にはすでに『制空権』を喪失します。
以後は「夜間爆撃」頼みです。1937年11月には、それまで保有していた
旧来機の大半を失いました。『上海航空決戦』は一敗地に塗れるどころか、
首都・南京まで陥落させられる結果に終わりました。

しかし、蒋介石は諦めません。まだ「日本本土爆撃」が残っています――。
195イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/09(土) 02:42:32 ID:t60C3f/9
蒋介石は支那事変の開始直後から『重爆撃機』の確保に努めていました。
1937年8月初旬には、重爆撃機隊の駐屯地をより内陸の武漢に移して
その温存を図っています。

>>193 >>蒋介石としては乾坤一擲の『上海決戦』に自らが持つチップの
>>ほとんどを賭けていた

上記と矛盾するようですが、自国(上海)が戦場である以上、目と鼻の先に
ある日本海軍の第三艦隊や陸戦隊本部、上陸した日本軍への攻撃は「戦術機」で
以ってすると割り切っていたのでしょう。重爆撃機には「その特長」をいかした
もっと重要な任務があると。それこそが日本本土爆撃な訳です。

ヨーロッパを訪問中の孔祥熙に対して、ドイツ・ソ連との間で重爆撃機の購入に
関する交渉を進めるように蒋介石は命じています。
196イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/09(土) 02:45:00 ID:???
またソ連との交渉では、駐ソ大使の蒋廷?に対して何度も交渉の進展を
問い合わせています。いかに蒋介石が「重爆撃機」の購入に熱心であった
かが分かるでしょう。
197名無し三等兵:2007/06/09(土) 09:26:07 ID:???
>これは数年もすれば
>国際情勢は必ず(自国に有利に)変化するはずだという『究極の他人頼み』によるものでした

10年後の内戦のときも同じ発想だったですね、蒋閣下はw
中共軍が上海を攻略すれば米英が介入すると信じていたww
198だつお:2007/06/09(土) 09:35:36 ID:xFAR0yQ0
>レポートにはより効率の良い爆撃(機雷による封鎖)があったとしているだけで
>ムダ、などとは一言も書かれていない。

日本の鉄鋼生産の減退は、海上輸送への依存と、その船舶の破壊のせいと
みなすことができる。鉄鋼産業が船舶攻撃によって致命的に傷つくのではなく、
爆撃によりそれを破壊するとしたなら、製鉄産業に対する少数の戦略爆撃の効果は、
爆撃による主要工場の破壊や鉄道輸送の分断による産業の麻痺が可能だったかも
しれないが、日時が遅れただけだったろう。

 調査団の意見では、都市や産業への直接空襲なしでも、1945年8月までに
日本の戦時生産の全体の水準は、海外輸入の杜絶の結果として、1944年の
ピーク水準を40‐50%下回ったであろう。

http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/ussbs14.html
直接的航空攻撃を受ける以前の日本の戦争経済
199だつお:2007/06/09(土) 09:42:55 ID:xFAR0yQ0
>日本の鉄鋼生産の減退は、海上輸送への依存と、その船舶の破壊のせいと
>みなすことができる。

774 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/10/18(水) 23:41:55 ID:eGkq0bjr
海軍からは「陸海軍共同でパレンバン製油所の運営をやろう」という意見が
出ましたが、これには陸軍が反対します。逆に陸軍からは「海軍からタンカー
(8割を占める)を吐き出させろ」と主張しますが、もちろん海軍が反対します。

陸海軍がお互いの既得権益を守ろうとして一歩も譲りませんから、話がちっとも
まとまりません。1942年5月の段階でこれですw。

南方総軍総司令官の寺内寿一から、総理大臣のヒデキ宛に「陸海軍のタンカー問題
を一刻も早く解決されたい」と意見具申が送られるなど、中央の面子は丸潰れと
なりましたw。結局、海軍が保有タンカーを融通することで、パレンバンの
石油は上手く流れることになります。

以前、別スレで日本の継戦能力を奪ったのは『戦略爆撃』か『潜水艦作戦』かで
揉めていた記憶がありますが、『大本営機密日誌』を読む限り、ひたすら
「船が足りない、船が足りない」と船舶問題しか書かれていませんw。
200ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2007/06/09(土) 09:52:19 ID:???
だから独ソの重爆で編制された中国空軍航空艦隊を我が陸軍航空隊が迎撃して「バトル・オブ・小倉」って(ry
201名無し三等兵:2007/06/10(日) 02:10:13 ID:???
対ゲリラ戦をやると軍隊が腐る。
202名無し三等兵:2007/06/10(日) 17:58:41 ID:???
まあ、便衣兵で参っていたからな
203イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/10(日) 22:06:19 ID:a+vzsIeg
>>197 >>10年後の内戦のときも同じ発想だったですね、蒋閣下はw
>>中共軍が上海を攻略すれば米英が介入すると信じていたww

とどのところ「内戦」ですからね。外国との戦争である「対日戦」とは訳が
違います。太平洋戦争勃発以降、蒋介石はアメリカから莫大な援助を受けた
にも関わらず、それに見合うほど真面目に日本と戦おうとしませんでした。

あくまで本命は「中国共産党」との戦いであり、いかに戦力を温存するか、または
私腹を肥やすのに熱心でした。日本は放って置いても、アメリカが太平洋戦線で
勝手に降伏まで追い込んでくれるでしょう。米国がキレるのも当然です。
トルーマン大統領は、

●「奴らは盗っ人だ。我々が中国に与えた金、38億ドルのうち7億5千万ドルを
 掠め取ったのだ!」と言っています。ウソかホントか、財政部長だった孔祥熙
(1947年にアメリカに逃亡)の在米資産は5億ドルを超えていたともされますw。
204イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/10(日) 22:11:00 ID:???
>>中共軍が上海を攻略すれば米英が介入すると信じていたww

まあ、蒋介石とすれば「対日戦」(WW2)での自身の悪行が祟って、
肝心の「国共内戦」で米国の援助が得られなかったことになりますw。

     ,r---、.       
   _ソヽ/`、シi.
   _>=ヘ 山/=<, 
.  ((ん'ノノルレム))
   _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_    「天知る 地知る 我知る 人知る――」
   ),k'ヲ:::::::::つ    因果応報です。
    (ン::::/:::l::ヽ 
    `~i,ンT,ノ~´.
206イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/10(日) 22:39:52 ID:???
参謀本部の『可南子派』残党としては、今日のカナコミに逝って参りましたw。
まあ予想通りというか、200〜300人は来ていたと思います。関東地方は
雷をともなう大嵐。発起人がネタにされるくらい大雨男らしいですが、可南子
イベントには相応しい天候でしょうw。

これだけ人数がいれば、決起できるかなと思いつつ……。

今からでも遅くないから原隊へ帰れ。
抵抗する者は全部逆賊であるから射殺する。
お前達の父母兄弟は国賊となるので皆泣いておるぞ。

まあ、無理ですねw。ところで新刊はまだでしょうか? また夏コミ直前?
207名無し三等兵:2007/06/10(日) 22:46:32 ID:???

  , -v-、
 ( _ノヾ )  ☆.。.:*・゜
 O ・_ ・ノ)  < わるいひとっ! ボッタクリングのわるいひとっっっ!!!!!!!
 /^ ¥ ^\
 7    ヽ' ̄   ☆.。.:*・゜
 '〜〜〜'
  U U    ☆.。.:*・゜
208イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/10(日) 22:59:26 ID:a+vzsIeg
>>196 の続き。さて支那事変開始後、日本に傾きつつあったドイツは全く頼りに
なりません。この辺りは、次回の小テーマ『支那とドイツ軍事顧問団』で詳しく
触れるでしょう。

残るはソ連ですが、蒋介石による「重爆撃機の購入」はこれまた希望通りには
行きませんでした。支那側が最初に求めた購入機数は、重爆撃機100機を含む
350機という非常に大きなものです。駐ソ大使の蒋廷?に加えて、参謀次長
である楊杰もソ連側との交渉に同席しまたが、楊杰は

●「重爆撃機の購入は蒋介石の命令に基づくものであり、それは『日本内地の空襲』に
 用いるものだ。更にこの(重爆撃機の)購入が実現しなければ、今回の自分たちの
 交渉任務が達成されたことにはならない」

と並々ならぬ熱意をソ連側に見せていました。しかし結果は『ドン引き』されますw。
209イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/10(日) 23:24:54 ID:a+vzsIeg
交渉の合間の「機体見学」も重爆撃機だけは外されました(1937年9月9日〜
10月4日)。結局、戦闘機や軽爆撃機は、ほぼ支那側の希望通りの数の購入が
叶えられたのに対して、重爆撃機(ツポレフ・TBV)は僅かに6機の供給に
止まりました。

とはいうもののソ連が支那側に全く非協力的であった訳ではなく、軍事顧問団の
ほかに約150人の空軍志願兵を支那に派遣し、1938年2月の「台湾爆撃」にも
出動させています。しかし、対日関係をいたずらに悪化させるのを避けるため、
『日本本土爆撃』(当然、ソ連機が使われるw)用の重爆撃機の大量供給には
明確に一線を引いたのでした。

しかし、それでも支那は「日本本土爆撃」を諦めません。新しい機体の購入が
不可能なら、いま手元にある現存機での爆撃へと計画を切り替えます。それが
1938年3月に作成された『空軍対敵国内地襲撃計画』です。
210イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/10(日) 23:53:11 ID:a+vzsIeg
この計画は、同月(3月)中に寧波・諸?(浙江省)を出発地点として、
日本の佐世保と八幡を爆撃するというものです。

使用機は、アメリカ製の「マーティン・139WC」(B-10の輸出用)4機と
前述のソ連製「ツポレフ・TBV」3機の合計7機と予定されました。

ちなみに「マーティン・139WC」は、1937年に9機購入されましたが、
事故と砲撃によって6機が墜落・損傷しています。加えて「TBV」は、せっかく
購入したにも関わらず、これまた日本軍の爆撃によって4機が被害を被りましたw。

結局、応急修理を含めた残存の7機が駆り出された訳です。しかし、困難は引き
続きます。計画作成後、出発地点には航空燃料と弾薬が準備され、周辺には無線
通信設備が設置されます。パイロットなど参加人員は成都に集められて訓練を
受けました。さらに機体には「無線方向機」も取り付けられました。
211イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/11(月) 00:03:45 ID:a+vzsIeg
こうした様々な準備が進められましたが、最大の問題点はそもそも
『航続距離が足りない』ことです。片道特攻ならいざ知らず、とても
往復できない訳です。

ちなみに長崎県の大村から南京までが、直線距離で約1100キロ。
寧波は上海の南方に位置しますから少しは短くなりますが、大して
距離は変わりません。往復で2000キロ余り。ツポレフ・TBVの
航続距離は960キロですから、全くお話になりません。

それでは「マーティン・139WC」はどうかと云えば、航続距離
約2000キロ。これでも足りません。しかも日本までは直線距離で
往復2000キロですから、迂回や敵地上空での回避運動などを考え
ればこれも無理でしょう。

世界初の戦略爆撃である「渡洋爆撃」をこなした96式陸攻の航続距離が
4000キロに達することを考えなければなりません。
212だつお:2007/06/11(月) 00:09:49 ID:uQV4AJXj
>次回の小テーマ『支那とドイツ軍事顧問団』

 ところが、ナチズムの権力掌握後、独ソ関係の悪化によりこの軍事協力関係
の維持は不可能となり、ドイツ国防軍がみずからの活力を維持するためには、
あらたな軍事的パートナーを必要とするにいたったのである。この面で
ドイツ国防軍、主として陸軍が注目したのは中国であった。・・・中略・・・
 また、国防経済という観点からも、ドイツ国防軍が親中路線を採用する理由が
存在した。なぜなら、両国の経済は相互補完的であったからである。ドイツ国防
経済は、ロシアとの関係悪化後、技術刷新の継続のためにも、また付加的な
輸出の拡大のためにも、あらたな市場を求めていた。一方、中国側は、ドイツから
の工業製品輸入を天然資源の輸出で相殺することができたし、また一九三五〜三六年
のドイツの武器輸出総額のうち、実に五七・五パーセント(二千万ライヒスマルク)
が中国に向けられていたのである。
 これに対し日本はその一パーセントにも満たない十七万七千ライヒスマルクであった。

ナチズム極東戦略 日独防共協定を巡る諜報戦 / 田嶋信雄/著
213だつお:2007/06/11(月) 00:17:49 ID:uQV4AJXj
>世界初の戦略爆撃である「渡洋爆撃」をこなした96式陸攻の航続距離が
>4000キロに達することを考えなければなりません。

 ドイツ航空省が1935年に出した「戦略重戦闘機開発仕様書」には、
ドイツ領空へ侵入する敵爆撃機の追跡・破壊のほか、撤退する敵機を追撃
できる能力をも求めていた。バイエルン航空機会社(後のメッサーシュミット社)
はそれを受け、高速を発揮し航続距離の長い双発大型機体の戦闘機開発に着手した。
http://military.sakura.ne.jp/world/w_bf110.htm

もうひとつ面白いのは、この本で最初から最後まで主役を務めるのが
メッサーシュミットBf110という独夜間戦闘機であること。
開発当初は駆逐戦闘機などと呼ばれ、その高速度と重武装、
長い航続距離を誇ったものだったが、時代とともに技術が発達すると
高速度の優位性は失われ、むしろ双発であるがため、単発戦闘機に
くらべ鈍重で、「英本土航空戦」ではハリケーンやスピットファイア
にまったく歯が立たなかった。ところが戦況が悪化して英国の夜間爆撃
が始まると、夜間戦闘機として注目され活躍するようになったのは皮肉
なことである。
メッサーシュミットと言えば、Bf109やジェットのMe262が
日本では有名だが、大戦中ずっと最後までドイツの空を守っていたの
はこのBf110であり、その数、実に6000機以上が生産された
ことを知らないでいるのは悲しいことだと思う。

http://homepage3.nifty.com/~fwix7026/books/ww2/sternen.htm
ドイツ夜間防空戦 野戦エースの回想
著者:渡辺洋二。光人社NF文庫。
214イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/11(月) 00:19:15 ID:???
対応に苦慮した支那側は、航続距離を稼ぐために

●「爆弾槽」を『燃料タンクに改造する』ことにしました。ハァ?w

日本本土爆撃はどうなったの? 本末転倒とはこの事です。
215だつお:2007/06/11(月) 00:33:46 ID:uQV4AJXj
航続性能が重視されるのはドイツ空軍でも全く同じ。この点皇軍戦
闘機は単発であっても航続性能は双発のBF110にも劣らなかった。
陸攻はワンショットライターとはいえ、英東洋艦隊相手であれば
ほぼ無敵だったことは、マレー・インド洋海戦で証明済み。

そもそも皇軍は負けたというが、負けたのは太平洋方面における
日米海戦のみの話。これも大陸打通作戦南北縦貫中国チンピラゴロ
ツキ殺戮街道3000キロで証明済みだ。シコウ作戦の失敗は何だ
とも言われるが、だからといってついこの前まで皇軍にドツキ回さ
れてた中国のチンピラゴロツキが、翌年からは逆転の予定だった
などということは絶対無い。少なくともマーシャルらホワイトハウス
の要人たちを説得しうるようなものではない。

さらに海戦では敗れたというが、本土にはまだ一万機が温存されてて、
少なくとも5000機は自殺攻撃用の装備をすでに備えつけていた。
これなら米軍の戦略計画を撤回若しくは変更させ得たかもしれない。

いやぁ、皇軍はホント強かった。皇軍がこんなに強いとは知らなかった。
そうだろう、なあ、そうだろう、なあ!
216名無し三等兵:2007/06/11(月) 01:27:40 ID:???
ドイツ軍を打ち破ったソ連軍が150万人も来たら
勝ち目無いでしょ
もっと早く日本が降伏しておけば
中国は赤化せずに済んだ

217名無し三等兵:2007/06/11(月) 01:32:20 ID:EsbpiBNj
太平洋はアメリカが相手でやたら物量もあり強かった

支那はやたら弱くて逃げ回った

支那のチンピラゴロツキをどつきまわして戦争ゴッコを楽しんでる間に
硫黄島や沖縄が落ちてのっぴきならぬハメにおちいった

支那にいた無敵皇軍75万と満州の75万から全部とはいわんが20万をサイパンや沖縄戦に
割いてくれればもっと戦えたのに戦争ごっこに夢中で、気がついたら無傷で降伏というわけのわからないことに。。。
218元32(予備役少佐):2007/06/11(月) 01:42:48 ID:???
>>217
日本には陸兵二十万をサイパンや沖縄に運ぶ船もなく、
海上護衛能力もありませんので。
219名無し三等兵:2007/06/11(月) 01:53:01 ID:???
支那のチンピラゴロツキの大将=蒋介石の戦争の考え方としては
アメリカが参戦した以上ほっておいても日本は負けるからその間勢力温存し
きたるべき国共内戦にそなえるというもの

それでは士気が下がるので軍閥あがりのあやしい将軍を前線に出して壊滅させて
罰として将軍から財産をとりあげるほうがオイシイ

かくて支那のチンピラゴロツキは百戦百敗
蒋介石一味は肥太るいっぽう

こういう国民党に支那人は愛想をつかした格好だが

代わった共産党は実は真性の悪魔で、支那人1億人を犬コロのように死なせた
これは無敵皇軍の比ではない。 皇軍が屠ったのはわずか250万
内訳は戦死180万市民70万がせいぜい

チンピラゴロツキにふさわしいチンピラゴロツキが為政者となったということで
 お め で と う
220名無し三等兵:2007/06/11(月) 02:10:22 ID:???
>>218
船舶はあったが燃料がなかったというのが正解
221名無し三等兵:2007/06/11(月) 11:52:16 ID:???
>>217
一方、日本軍は化学兵器を遺棄した
222名無し三等兵:2007/06/11(月) 20:43:34 ID:etVUAV1X
戦争中、大事な兵器を遺棄する者は居ない。
終戦後、武装解除、接収の運命にある兵器をわざわざ遺棄する者も居ない。
いつまでもおんなじ嘘を繰返してるんじゃないぞ、こぴぺ荒らしちゃん。
223イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/11(月) 23:40:44 ID:Uzu5FcDw
>>218 >>日本には陸兵二十万をサイパンや沖縄に運ぶ船もなく、
>>海上護衛能力もありませんので。

そのうち支那大陸から日本本土に兵を運ぶ船も海上護衛能力もなくなりますw。

>>217 >>支那のチンピラゴロツキをどつきまわして戦争ゴッコを楽しんでる間に
>>硫黄島や沖縄が落ちてのっぴきならぬハメにおちいった

本土決戦やっていたら、同じ事をもっと言われるんだろうなーとw。

>>222 >>戦争中、大事な兵器を遺棄する者は居ない。

まあ、化学兵器は勉強不足なのでいつかテーマに取り上げたいところです。
何か参考になる図書がありましたら、皆さん教えてくらさいw。まあ、でも
遺棄されたものには自国(支那)製やソ連から入手した化学兵器もごちゃ混ぜ
になっていると聞いた事がありますけどねw。
224イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/11(月) 23:55:48 ID:Uzu5FcDw
>>214 の続き。>>対応に苦慮した支那側は、航続距離を稼ぐために
>>●「爆弾倉」を『燃料タンクに改造する』ことにしました。

1938年3月に作成された「空軍対敵地国内襲撃計画」は翌4月には
単なる『試験飛行計画』に変更されることになります。これは爆弾倉を
燃料タンクにするために外したことが最大の理由です。また、無理やり
機内に爆弾を搭載したところで焼け石に水でしょうw。

ちなみに元々の「マーチン139WC」(B-10)の爆弾搭載量は
1030キロです。

日本本土爆撃には、マーチン139WCが4機、ソ連のツポレフTB-Vが3機
予定されていたと前述しましたが、航続距離が全く足らない(960キロ)は
当然除外されます。残ったのは改造を受けたマーチン4機のみ。ところが、
その4機も不慣れな整備士により機体に重大な故障を抱えていました――。
225イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/12(火) 00:04:53 ID:FZkQ5VOJ
これから述べる『日本本土爆撃』の成れの果て、支那側でいう『人道遠征』は
もともと真性の爆撃計画としてあったものが、上記の様々なトラブルにより
中止され、単なる試験飛行に切り替えられたというのが真相です。

ちなみに『人道遠征』の意味は、●「中国人の徳を示す』ものなんだとさw。

もちろん支那側の研究者が主張するような、●「抗戦の意義を宣揚して
日本民衆の覚醒を喚起する」宣伝ビラを散布するのが当初の目的ではなく、
単に爆撃機自体に問題があったと考えるのが妥当なわけです。
226イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/12(火) 00:17:39 ID:???
ゲゲッ! 昨日の佐藤琢磨は6位入賞か……。よくF1は見るんですが
こんなに熱い結果だったなら、深夜我慢して待っていれば良かった…w。

それにしてもBMWザウバーの大クラッシュは、あれだけ機体が原形
残らないまでに大破しても脳震盪と足首捻挫で済むのかね。
227イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/12(火) 00:30:11 ID:???
【訂正】>>224

× 航続距離が全く足らない(960キロ)は当然除外されます。
◎ 航続距離が全く足らないTB-V(960キロ)は当然除外されます。
228名無し三等兵:2007/06/12(火) 01:40:48 ID:???
上海に限らない話になってしまうけど、SB2による日本軍の悩まされ具合も可能ならたのんます。
229名無し三等兵:2007/06/12(火) 21:18:32 ID:???
>>223
ぼくは毒ガスの村で生まれた。
230イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/12(火) 23:03:23 ID:CnLn+sLY
1938年5月20日未明――。日本の九州上空に『晴天白日旗』のマークを付けた
2機の支那空軍機が飛来します。

前日の19日夜半に、浙江省の寧波の空軍基地を飛び立った「マーチン139WC」
(B-10の輸出用)重爆撃機が『日本人民に告げる』などと題する合計5種類の
ビラを散布したのでした。ちなみにこの2機は無事、支那基地へ帰還しています。
時系列を整理してみると、以下の通り。

●5月19日午後3時23分:漢口飛行場(発)―→
●5月19日午後23時30分:寧波飛行場(給油)―→
●5月20日午前2時20分:日本の九州上空(着)―→
●5月20日午前8時40分:玉山(支那)飛行場(着)―→
●5月20日午前9時24分:南昌(支那)飛行場(着)―→
●5月20日午前11時30分:漢口飛行場(着)

この『人道遠征』2機の編隊長は徐煥昇、副隊長は?彦博です。
231イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/12(火) 23:22:11 ID:CnLn+sLY
人道遠征に使用された「マーチン139WC」は、足りない航続距離を
埋め合わせるために、本来の爆弾倉を『燃料タンク』に改造したことは
前述しましたが、それでも積んだ宣伝ビラは20万枚にも達したと云います。

しかし20万枚と云えば、四六版のコピー紙でも1トン(1000枚55キロ
※紙の種類にもよるのであくまで一例)になりますから、大風呂敷を広げすぎ
でしょう。本来の「マーチン139WC」の爆弾搭載量が1030キロでしか
ありませんw。

ビラの1つである『日本労働者諸君に告ぐ』の要旨をまとめると以下の通り。

●「中日両国は同文同種、相互に協力し、アジアと全世界の自由と平和を維持
 すべきである。日本軍閥は中国に対して侵略戦争を開始しているが、これは
 最後に中日両国をともに傷つけるものである。日本国民は軍閥が侵略戦争を
 やめて、日本に帰還するように目覚めさせてもらいたい――」と反戦を訴える
 ものでした。
232イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/12(火) 23:34:13 ID:CnLn+sLY
ちなみに支那空軍機が撒いた『宣伝ビラ』は、熊本県人吉盆地一帯および
宮崎県山間部に集中していることから、支那空軍機が熊本市付近、または
福岡市手前の高度4000メートル上空で投下したものが「偏西風」に
乗って前記地点に飛来したものと考えられます。

まあ要するに「都市部」を狙ったはずが物の見事に外している訳ですw。

新聞報道を見ますと「熊本県人吉市上空に5月20日午前4時15分、
国籍不明機1機が出現して反戦ビラを撒いた」などとあります。もっと
詳しく取り上げますと、

全国紙の『東京朝日新聞』が5月21日朝刊第2面に●「支那?怪飛行機、
九州に現わる。反戦ビラを撒き逃走」という三段抜きの見出し記事の扱いに
止まっていますが、九州の新聞各紙の扱いは当然大きかった訳です。
233イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/12(火) 23:47:01 ID:CnLn+sLY
『福岡日日新聞』が●「支那飛行機、突如、南九州上空に現る」。また
『九州日日新聞』が●「昨朝、熊本県下へ怪飛行機飛来す」とする号外
記事も出ています。

一方、支那での報道といえば、主に武漢の新聞各紙がこの「人道遠征」を
大きく取り上げています。この時期は南京が陥落して、支那の首都機能は
武漢に移されていた頃に当たります。例えば、

●「大阪ではビラを拾う民衆と警官との間に衝突が発生した」『申報』(5月21日付)
などとの虚偽報道も見られました。故意なのか天然なのか、九州と大阪がごちゃ混ぜに
なっていますw。

また戦後でも、ビラの投下地点を「東京・大阪・長崎」と誇大妄想を爆発させている
記述もありますが(『我空軍遠航日本夜投“紙弾”記』(1986年)、これは明確に
誤りですね。
234名無し三等兵:2007/06/12(火) 23:48:36 ID:???
中国に対して侵略戦争を開始しているもなにも
上海で大戦争しかけてきたのは国民党側

あきれてものもいえないが
こうやって嘘をウソで塗り固めるのが支那の真髄と思し召せ

長い長い「十八史略」を永年かけて読んでみて
延々と騙し騙されの陰惨な政治権力闘争の歴史が永劫回帰のように続き
前にもこの話読んだなとすっかり混乱してしまう
わかったことは
支那文化が典型的な騙しの文化だということ

それにしても、どうして軍の支那派や亜細亜派の面々は
「話せばわかる」式の人達ばかりだったのだろうか
そして騙されてカッとなっては戦線拡大
235イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/13(水) 00:05:41 ID:3BI4Lug4
まあ、日本では飛来地の九州はともかく、全国的には『ベタ記事』扱いで
とくに騒がれた形跡はないのが本当のところです。肝心の都市部ではなく
田舎や山間部にビラの多くが落ちていますからw。

また一方、漢口に帰還した『人道遠征』パイロットの6人は、孔祥熙(行政
院長)、何應欽(軍政部長)らの出迎えを受け『空軍英雄』の賞賛を浴びました。
これは国民政府が台湾に落ち延びてからも同じで、編隊長の徐煥昇は昇進し、
最後には1968年に中華航空公司(台湾)の董事長(会長)にもなっています。

まあ、具体的な評価は次回にしますが、注目すべきはこの『人道遠征』が
徐州大会戦の真っ只中で行なわれていることでしょう。とくに漢口を出撃した
1938年5月19日は、日本軍によって徐州が占領された当日なのです。

この一事をもってしても、いかに『人道遠征』が本来の戦局とは全く無関係に、
「別格扱い」で進められていたかが分かるでしょう。ほとんど意地と根性だけで
やっていますw。
236名無し三等兵:2007/06/13(水) 00:24:44 ID:???
そして支那軍は6月12日黄河の堤防を自ら破壊、大洪水を発生させるのですね

支那側は日本側の仕業として宣伝したわけです またもウソ

洪水による死者約32万人、離郷者数約63万人
237イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/13(水) 00:26:34 ID:???
【お詫びと訂正】

× しかし20万枚と云えば、四六版のコピー紙でも『1トン』(1000枚55キロ)
◎ しかし20万枚と云えば、四六版のコピー紙でも『10トン』(1000枚55キロ)

読み直して吹いた…w。絶対に支那の主張する20万枚は大ウソです(藁)w。まあ、
極小サイズのビラ(3分の1、4分の1)だとしても無理のある数字には変わりありません。
238イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/13(水) 00:32:22 ID:???
まあ2機いましたから、20万枚の10分の1、ビラ2万枚でかつ極小サイズなら
何とか計算が合うのですけど。
239名無し三等兵:2007/06/13(水) 21:34:10 ID:???
【中国】 くず鉄ハンター、旧日本軍の砲弾を発掘 [06/13]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1181691714/

化学兵器同様いろいろと遺棄してたようですね
240だつお:2007/06/13(水) 21:45:26 ID:IUd1nUN7
それにしてもドイツはソ連を攻撃して反撃にあいボコボコにされたのに、
日本は中国を攻撃してもなんともなかったんだよなー。
241名無し三等兵:2007/06/13(水) 21:50:05 ID:/DkkVacR
ノモンハンで3万の日本陸軍より
23万のソ連軍により多くの死傷者が出たというから、不思議ではない。

イナゾウ中佐さんの流れを切ってすみません。
242名無し三等兵:2007/06/13(水) 22:36:34 ID:???
『「満州国」見聞記―リットン調査団同行記(講談社学術文庫、ハインリッヒ シュネー)』より
1932年2月29日荒木貞夫陸相との会談

荒木陸相は話をすすめてゆくうちに、やがて日本人と中国人の国民性の相違について指摘した。
それを要約すると次のようになる。

「日本人はあまり恵まれない土地に住む。
日本には不毛の山地が多く、しかも四季を通じ、自身、洪水などの天災に悩まされている。
これに反し、中国人は彼らが必要とするすべてが生育する肥沃な土地を持っている。」

「そこで中国人は日本人ほど苦しみに耐えることのできない弱々しい性格になった。
中国人がことあるごとにその解決をひきのばそうとしているのに反し、日本人はすべてを整然と
処理しようとする。日本人は自力で生き抜こうとしているのに、中国人はなにかにつけて外部からの援助に頼る傾向がある。」
243イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/13(水) 22:43:09 ID:4mbkIsgw
>>237 >>【お詫びと訂正】
>>× しかし20万枚と云えば、四六版のコピー紙でも『1トン』(1000枚55キロ)
>>◎ しかし20万枚と云えば、四六版のコピー紙でも『10トン』(1000枚55キロ)

【更にお詫びと再訂正】
スイマセン。脳に虫が湧いていました。とんでもない勘違いをしておりましたw。

>>しかし20万枚と云えば、四六版のコピー紙でも10トン(1000枚55キロ
>>※紙の種類にもよるのであくまで一例)になりますから

上記の『四六版』とは、縦横788ミリ×1091ミリの『原紙』(断裁する前の)を
指しています。それが1000枚集まると(標準的なコピー用紙なら)重さ55キロに
なるという話です。ですから上の方で「20万枚集まると重量は10トンにもなる」と
書いていますが、全く無意味です。よく本屋に行きますと、単行本を四六版サイズ、文庫
サイズ、A5版サイズ、新書サイズ……などと言いますので完全に勘違いしておりました。

重ね重ねお詫び申し上げますworz.
244イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/13(水) 22:59:29 ID:4mbkIsgw
「四六版」の名前の由来は、原紙を32枚に断裁してきれいに端を
切り落とすと、横4寸×縦6寸の書物ができたため「四六判」と
呼ばれるようになりました。

結局、支那空軍が「人道遠征」で撒いたビラ:20万枚の検証ですが、
自分がB5用紙500枚の重さを実際に量ってみたところ、1.65キロ
ありました。ということは、1000枚で3キロ、1万枚で30キロ、
20万枚では600キロになります。

『人道遠征』は2機で行なわれましたから、1機あたりの搭載量は半分の
300キロ。空中から投下するビラということで、B5の半分サイズと
仮定してみると、さらに150キロにまで負担重量が減ります。人間2人分
になりますので、20万枚は十分に可能だったでしょう。
245イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/13(水) 23:05:48 ID:???
昨日の自分の『ガセ話』は、要するに1枚が「B1サイズ」(728ミリ×1030ミリ)
の「極大宣伝ビラ」を20万枚、2機の航空機に搭載して空中からバラ撒こうとしていた
話と思ってくだされば理解しやすいでしょうw。

   ,r---、
 . _ソヽ/`、シi
  ._>=ヘ 丞/=<,. 
 ((ん'ノノルレム))  ペチッ
 _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_ ミ     i っ   中佐は「天然軍人」だから、
  ),k'ヲ_`:´アつXE無旺〉ノ| っ   発言には気をつけるがいいわ。
  (ン::::/:::l::ヽ.      .(_,ノ
  `~i,ンT,ノ~´ 
247イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/13(水) 23:29:53 ID:4mbkIsgw
さて本来の「マーチン139WC」の爆弾搭載量は、約1030キロ。
日本まで往復できるように爆弾倉を燃料タンクに改造したとは何度も
述べましたが、搭乗員以外に150キロ程度は「宣伝ビラ」として余分に
積める余裕があったということでしょう。

さあ、ここで問題です。1機150キロとして、2機で300キロ分の
爆弾を積んで、本当の意味での『日本本土爆撃』をする選択肢もあった
訳です。30キロ爆弾で10発分になりますね。倍の20発と考えても
いいでしょう(>>244 参照)。

それでも支那は、そんな小規模の爆撃では効果が無い、むしろ日本人の
敵愾心に火をつけてヤブ蛇になるとでも思ったか、人道遠征という名の
「プロパガンダ」の道を選びました。もし日本人が同じ立場だとしたら、
支那と同じような選択肢を取ったか、想像してみると面白いかもしれません。
248名無し三等兵:2007/06/13(水) 23:34:06 ID:elM44j9i
>>240
なんだかんだ言ったってロシアは強者その点チャーハン野郎は弱い。
強かった日本が胴のあるわけがない
249イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/13(水) 23:52:06 ID:4mbkIsgw
とりあえず、日本は太平洋戦争の『風船爆弾』で爆弾の代わりに
プロパガンダ用のビラを一部でも乗せる発想はなかった訳です。

まあ、それにしても「風船爆弾」も9300個作製してアメリカに
たどり着いたのが約1000個(300個という説も)。250キロ
爆弾1つと焼夷弾4つ搭載できたというのですから馬鹿にならない
搭載量でしょう。

一説には、爆弾でもなくプロパガンダ用のビラでもなく『兵士数人を乗せて』
米本土まで飛ばすことも検討されたと云いますから、かなりキテますw。
日本人の真骨頂というところでしょう。支那の「人道遠征」でも日本人なら
迷わず爆弾を積んでいったかもしれません。

ちなみに「風船爆弾」は第二次大戦での「最長到達兵器」そして世界初の
「大陸間兵器」でもあり、兵士を積んでいたなら一足早い「風船おじさん」ですw。
250名無し三等兵:2007/06/14(木) 00:20:20 ID:???
>>241
 23万ってオイ。計算しなおしなさい。
251イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/14(木) 00:20:54 ID:wWeGxjdE
>>240 >>それにしてもドイツはソ連を攻撃して反撃にあいボコボコにされたのに、
>>日本は中国を攻撃してもなんともなかったんだよなー。

まあ、海があるから反撃しようとする気も起こらなかったのでは? 支那にとっての
東シナ海は、日本にとっての太平洋(米西海岸)と同じぐらい隔絶を感じさせるもの
だったのでしょう。

逆説的に言えば、であるからこそ蒋介石は海を容易に越えて日本本土へ攻撃できる
『空軍史上主義者』になったのであり、後方の都市(民間人や産業)を破壊することで
敵国民と軍隊の士気を挫くとする『ドゥーエ理論』に傾倒したわけです。

戦局を全く無視(徐州大会戦の真っ只中)してでも『日本本土爆撃(のなれの果て)』に
こだわったのは、その表れでしょう。
252ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2007/06/14(木) 00:33:28 ID:???
>>249
元々、ふ号兵器は関特演で特殊部隊を送り組むために計画した気球のなれの果てなんだから、
まあ、アメリカ本土に送り込むのに使っても(ry
253右翼撲滅隊:2007/06/14(木) 00:51:22 ID:???
617 :世界@名無史さん:2007/06/10(日) 01:46:08 0
さあ日本近代史板らしくなってまいりましたw
サヨクや日教組のてさきがいるぞ!がんばって殲滅するんだ!w



糞ウヨwwwwwwwwwww
254だつお:2007/06/14(木) 13:38:48 ID:GlEESIi9
>海があるから反撃しようとする気も起こらなかったのでは?

海があったって米軍なら海を越えて攻撃してくるし、それに陸続きであった
としてもそこで中国軍が皇軍を撃退できたためしがただの一度でもあったか。
強いて言えば1945年5月「シコウ作戦敗退」であるが、そもそも赤軍が
ベルリンに勝利国旗を掲げているときにやっとのことで勝てた局地戦と
いうのをどのように評価できるのかと。

これは痛い、あまりにも痛すぎる中国軍。

最強ドイツ軍を粉砕したソ連>>>>>>>>>>>>越えられない壁
>>>>>>>>>>>>>>>97式中戦車チハで粉砕された中国
最強ドイツ軍を粉砕したソ連>>>>>>>>>>>>越えられない壁
>>>>>>>>>>>>>>>97式中戦車チハで粉砕された中国
最強ドイツ軍を粉砕したソ連>>>>>>>>>>>>越えられない壁
>>>>>>>>>>>>>>>97式中戦車チハで粉砕された中国
最強ドイツ軍を粉砕したソ連>>>>>>>>>>>>越えられない壁
>>>>>>>>>>>>>>>97式中戦車チハで粉砕された中国
最強ドイツ軍を粉砕したソ連>>>>>>>>>>>>越えられない壁
>>>>>>>>>>>>>>>97式中戦車チハで粉砕された中国
255名無し三等兵:2007/06/14(木) 19:15:02 ID:???
『昭和特高弾圧史5―庶民に対する弾圧―』(1975・太平出版社刊、
内務省警保局「特高月報」「特高外事月報」の記事抄録本)所収の
「支那飛行機の南九州に於ける反戦宣伝ビラ散布状況」(昭和13年5月)という記事によると、
枚数については

 「支那側放送には十万枚の印刷物を散布したりとのことなるが、
  之を誇大宣伝と見るも前述山嶽地帯への散布事実を総合するに
  相当多数の印刷物を散布したることは疑ひなき処なり」

と警察当局はみていたようです。
具体的には、熊本・宮崎両県警は地元消防組員など多数を動員、山狩りを行い
熊本県球磨郡、葦北郡、宮崎県延岡市、東臼杵郡、西臼杵郡、児湯郡、西諸県郡で
同年5月30日までに5種類合計1520枚のビラが回収されています。

主に山間部に撒いたとはいえ、20万枚散布したにしてはいかにも発見数が少なく、
実際の枚数はまあ中国側主張より一桁減らして見積もるのが妥当かな、という印象です。

>支那空軍機が熊本市付近、または
>福岡市手前の高度4000メートル上空で投下したものが「偏西風」に
>乗って前記地点に飛来したものと考えられます。

経路については佐敷・水俣・牛深・富岡などの各監視哨の報告、
および各地の爆音聴取者、機影現認者の証言から、熊本市や福岡市の上空には
とても達せず、両市よりはるか南の八代―水俣間の海岸線から九州上空に侵入、
人吉や椎葉など散布場所のほぼ上空の山間部を飛翔して延岡に達し、
復路も同一のコースをたどって中国本土に帰還したものと当時の警察は判断しています。
256名無し三等兵:2007/06/14(木) 19:17:30 ID:???
ちなみに「地方民心に与えたる影響」としては

 「支那飛行機来襲は前述の如く早暁にして当該地方民の未だ就寝中のことなりしを以て、
  機影目撃者或いは爆音聴取者等比較的少く、而も単に印刷物の散布に止まり爆弾投下等の
  事実なき為、人身の動揺は認めがたく、寧ろ一様にこの事実を目して敗戦支那の児戯的
  行為なりと一笑に付し居れり。支那側の決死的反戦策動の結果は却って地方民心に
  重大時期に際し一層の精神的緊張と防空施設を充実し他日に備えざるべからずとの感を
  与へ、逆効果を齎したる状況なり。
  尚印刷物の散布は山嶽地帯に多く、極めて少数なりし拾得者も殆んど素朴なる農民なりし
  為その印刷物の内容に対し何等の興味をも有せざりし模様なり」

とほとんど一蹴状態。

興味深いのが当局が王子製紙八代工場に依頼したビラ(「日本商工業者に告ぐ」)の紙質鑑定で

 「砕木パルプ85%、亜硫酸パルプ15%より成る無サイズ新聞用紙にして
  製造後一ヶ年乃至一ヶ年半を経過す。此種新聞用紙は日本にては製造稀なるを
  以て外国製特に加奈陀太平洋沿岸の製紙工場と認む」

との鑑定結果が王子製紙から5月24日に出されています。
この鑑定が正しければ支那事変開始前から日本内地散布用のビラを
カナダの製紙会社に発注して用意していたということになり、かなり早期の時点で
対日ビラ航空散布が考えられていたということになります。

ビラの内容は「戦争の結果広大なる支那市場が破壊され中小工商業者は破滅に陥る、
日本ファシスト軍部による武力侵略には断固として闘争する」旨の抽象的文面なので
支那事変前に用意されたとしても不思議ではありませんが―。
257名無し三等兵:2007/06/14(木) 19:33:42 ID:???
【国際】 「日本人、加害者なのに被害者意識強すぎ」「日本が反省すれば、中国人は許す」 南京大虐殺記念館長★2
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1181808106/

戦後も日本軍が遺棄をした化学兵器で死傷者がで出るからな
258名無し三等兵:2007/06/14(木) 19:46:24 ID:???
それと事実認定は別の話だからな。
259だつお:2007/06/14(木) 20:10:46 ID:6L65bHbH
大陸打通作戦の背景として、米英戦略は欧州優先ということも知っておこう。
戦力配分・損害ともに欧州対アジア太平洋で7対3くらいで、これはカサブ
ランカ会談でそのように定められたとおり。

どうしても皇軍の大陸打通作戦を阻止し中国国民党を救済したいのであれば、
オーバーロード作戦を無限延期にして中国大陸に陸軍主力を結集しなけれ
ばならなかったであろう。中国は世界の国々から見棄てられたチンピラ
ゴロツキの溜まり場であり、従って皇軍が中国人を大量殺戮するのは、
先進国として当たり前の権利であったと断言できよう。
260イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/14(木) 22:56:04 ID:ud+YEtt1
>>252 >>元々、ふ号兵器は関特演で特殊部隊を送り組むために計画した気球のなれの果て

おっと、そうでしたw。でも実行されなくて良かったです。特攻と変わりない
ですからね。どうせ突っ込むなら風船ではなく「義烈空挺隊」と逝きたいものです。

>>255様 >>「支那飛行機の南九州に於ける反戦宣伝ビラ散布状況」

そんな詳しい資料があるとは露知らず。参りました。自分の書き込みはかなりの部分、
想像というか妄想をたくましくして補っておりますw。『昭和特高弾圧史5―庶民に
対する弾圧』――絶対、自分は手に取りそうもないタイトルでふ。

>>この鑑定が正しければ支那事変開始前から日本内地散布用のビラを
>>カナダの製紙会社に発注して用意していたということになり、かなり
>>早期の時点で対日ビラ航空散布が考えられていたということになります。

ここが一番興味深かったというか、大変ためになりました。超サンクス。
261イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/14(木) 23:23:39 ID:ud+YEtt1
>>255 >>かなり早期の時点で『対日ビラ航空散布』が考えられていた

蒋介石も「もっと他にやっとくべきことがあるだろ」みたいな感じです。
ちょっと喩えが違いますが、ホームラン打った後にどう手を振るかを
練習している野球選手のような気もしますw。それよりも地上部隊を
もっとどうにかしろよと。

>>256 >>寧ろ一様にこの事実を目して敗戦支那の児戯的行為なりと
>>一笑に付し居れり。

まあ、そうですねえ。いくら「人道遠征」でも『負け犬の遠吠え』と思われるのが
当然の反応だと思います。負けている時に言っても、誰も聞く耳を持ちません。
蒋介石にしてみれば、徐州戦で日本軍に打撃を与えると同時に……という思いが
あったかもしれませんが、宣伝戦としてはタイミングを外していたのでしょう。
262イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/14(木) 23:29:23 ID:???
>>259 >>従って皇軍が中国人を大量殺戮するのは、先進国として当たり前の権利

将来の地球温暖化防止のためにもう1桁か2桁、支那課が頑張るべきでした。
263イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/14(木) 23:56:38 ID:ud+YEtt1
>>228 >>上海に限らない話になってしまうけど、SB2による日本軍の悩まされ具合も
>>可能ならたのんます。

ここまで読んできて、全くソ連の話が出てこないのを訝しがる人も多いと思います。
「上海航空決戦」以降の話になりますが、ついでに少し触れておきましょう。

南京が陥落して1937年も終わろうとする頃、ソ連空軍のパイロットと支援要員
たちが遠く蘭州経由で支那へ入国してきました。これがソ連義勇飛行隊、いわゆる
SVWです。

この「ソ連義勇飛行隊」の規模は現在でもはっきりしませんが、少なくとも40機の
「ツポレフSB-2」双発爆撃機と、同数の「ポリカルポフI-16」戦闘機が確認
されています。また指揮官はルイチャゴフ少将で、ソ連義勇飛行隊の人員は1000人
程度だったと推測されています。
264イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/15(金) 00:07:53 ID:FZJ9+g3H
特にSB-2は後のノモンハン事件でも活躍しているように、当時としては極めて高い
性能を持っていました。日本軍占領下の南京や天津、台北、漢口の都市や基地爆撃に
数多く飛来しています――。(続く)
265だつお:2007/06/15(金) 01:46:40 ID:tGAfGwRT
朝鮮戦争で中国のチンピラゴロツキ相手にも大苦戦した米軍が、
どうして日本本土で皇軍主力を殲滅できるのか教えてくれよ!

    教 え て く れ よ ぉ ぉ ぉ ぉ ー

朝鮮戦争で中国のチンピラゴロツキ相手にも大苦戦した米軍が、
どうして日本本土で皇軍主力を殲滅できるのか教えてくれよ!

    教 え て く れ よ ぉ ぉ ぉ ぉ ー

朝鮮戦争で中国のチンピラゴロツキ相手にも大苦戦した米軍が、
どうして日本本土で皇軍主力を殲滅できるのか教えてくれよ!

    教 え て く れ よ ぉ ぉ ぉ ぉ ー
266右翼撲滅隊:2007/06/15(金) 11:57:27 ID:???
糞レイシスト稲造
267名無し三等兵:2007/06/15(金) 20:11:28 ID:???
事実を前に謙虚たろうと振舞う者は、愛すべきレイシストである。
隠し事や自己欺瞞をもってしか自尊心を維持できない糞と一緒にしてはイカン。
268イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/16(土) 00:13:22 ID:???
まあ、軍人ですからw。必要とあらば「決心変更」というヤツです。
269イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/16(土) 00:43:05 ID:JupjqMog
>>228 >>SB2による日本軍の悩まされ具合も可能ならたのんます。

まず機体データを挙げておくと以下の通り。

●「ツポレフSB-2」高速爆撃機:最大速度450キロ、最大高度7800メートル、
 航続距離2300キロ、爆弾搭載量600キロ(通常は250キロ爆弾×2)

●「ポリカルポフI-16」戦闘機:最大速度490キロ、最大高度9470メートル、
 航続距離600キロ、武装7.62ミリ×4、爆弾最大200キロ

「ツポレフSB-2」高速爆撃機は、生残性を高めるために、敵戦闘機よりも高速を
発揮することを目指して設計された機体です。この「上海航空決戦」テーマでも散々
取り上げた『戦闘機無用論』を具現化したような思想ですね。

初期の生産型は最大速度325キロに止まりますが、エンジンを換装して改良を加えた
「SB-2ibs」は、450キロという当時としては圧倒的な速度を叩き出します。
270右翼撲滅隊:2007/06/16(土) 01:02:57 ID:???
>>267
お前も糞だよ池沼
271イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/16(土) 01:14:51 ID:JupjqMog
スペイン内乱に最新鋭機として大量投入されて大きな戦果を挙げ、支那にも
約200機が大量供与され、日本軍を苦しめる事になります。極東でのもっとも
大きな見せ場は、ノモンハン事件における日本陸軍航空隊との交戦でしょう。

支那事変での大陸戦線やノモンハン事件での「SB-2」に苦しめられた経験から、
日本陸軍は「99式双軽爆撃機(キ-48)」や「2式戦・鍾馗」を生み出す結果に
繋がるわけです。

ちなみに「99式双軽爆撃機」は最大速度505キロ、航続距離2400キロ、
最大高度10100メートル、爆弾搭載量500キロ、武装7.7ミリ×4を誇り、
支那戦線ではその高速性から、敵戦闘機の追撃を振り切るほどでした。日本陸軍の
最優秀軽爆撃機といえるでしょう。

しかし「ツポレフSB-2」にせよ「99式双軽爆撃機」にせよ、第二次世界大戦や
太平洋戦争が始まるころには、新鋭の戦闘機に対して不十分な速度となり旧式化し、
大きな犠牲を出して一線から退いていく事になります。
272イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/16(土) 01:34:01 ID:JupjqMog
こうして考えると『戦闘機無用論』もあながち眉唾という訳でもなく、
戦場に登場するタイミングと、あとは単なる戦闘機の性能とのイタチ
ごっこという気がします。

>>264 >>日本軍占領下の南京や天津、台北、漢口の都市や基地爆撃に数多く飛来

例えば「SB-2」は1938年2月22日に南昌の飛行場を発進し、台湾の
台北市、台北基地を攻撃しています。『青天白日旗』のマークをつけた支那
空軍機としては、日本領土への唯一の爆撃行とされます。

ちなみにこの時の日本側の損害は、死者10人、市街と基地に僅かな被害と
なっています。スターリンは、ソ連製の重爆撃機を使っての日本本土爆撃は
日本との関係悪化を嫌って一切受け付けなかった訳ですが、支那大陸と目と
鼻の先にある台湾爆撃ぐらいだったらOKとの判断だったのでしょうかw。
273名無し三等兵:2007/06/16(土) 02:14:42 ID:???
>>だつお

小職は貴官の勇戦敢闘を高く評価している。
貴官の奮戦を、近く上聞に達するよう計らうに先立ち、山田司令
から特に感状が授与された。
これからも頑張って呉れ給え。武運長久を祈る。

       感 状
だつお 殿
             関東軍 司令長官
             陸軍大将 山田乙三

貴下孤軍なるも能く勇戦敢闘皇軍の真髄を遺憾なく発揮し驕敵
を論において覆滅するの戦功数知れず
また皇軍の基幹たる関東軍の栄誉を豁然と拓き四海に遍くその武功
を賞揚するの至誠誠に赤心明らかにして皇國男児の面目躍如たり
ここに貴官の忠勇義烈を讃え国軍の亀鑑として全軍に布告する

                        花押
274名無し三等兵:2007/06/16(土) 14:57:31 ID:???
山田司令wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
275名無し三等兵:2007/06/16(土) 15:23:42 ID:???
「アダ マウロ」
画数:ア(2) ダ(5) マ(2) ウ(3) ロ(3)

天画(家柄) 7画 中吉 わが道を行く
地画(個性) 8画 中吉 強靭な精神力が持ち味
人画(才能) 7画 中吉 わが道を行く
外画(対人) 5画 大吉 行動力抜群!ツキの多い性格
総画(総合)15画 大吉 思慮深く謙虚な性格

評価 : 94.9点
276名無し三等兵:2007/06/16(土) 16:44:31 ID:???
 関東軍 司令長官wwwwwwwwwwwwwwwwwww
277名無し三等兵:2007/06/16(土) 18:07:04 ID:???
【中国】内蒙古で旧日本軍のマスタードガス爆弾を発見[06/15]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1181913097/
  

またか
278イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/16(土) 23:01:18 ID:???
ちょっとちょっと、「山田」と連呼するのはこのスレでは禁句ですよw。

         _,,.. --/\、_
     |\,.'"::::::::_::」l山l |::::ン|
     |::::::_rヾ'_7_,ア-'─<ヽ::!
    [>'rァ:7i:::::ハ::::i:::/!:::ハ:::::!7、
    //i:::///::!;ゝ、レ' レ',.ィレ'ヘ<]
   〈| !_://::レi〈 lj   lj 〉iヽ〉、lj   私を「山田」呼ばわりする人間は、全員死刑!!
    `´!´:::!:::|""  ,. -、 "iイ|  __
 ダ |l ノ、レ'|:::i:ゝ、.,_!____j:イァ-ァ'"7っつ
) ン | l|    ゝ、rイiTン:::!:::/  {  |!ン
)  r─┐  ___/`i:::::o:::::::::::`r‐'" ̄
  | 二 |=と} ` ハ::::_o___;;:::k>、!
─┴─┴─'─'─'─‐┬─'─`───┐
  [サイバンチョ].    |          |
              .|          |
280イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/16(土) 23:22:48 ID:F1Nc1Wtz
>>271 >>支那事変での大陸戦線やノモンハン事件での「SB-2」に苦しめられた
>>経験から、日本陸軍は「99式双軽爆撃機(キ-48)」や「2式戦・鍾馗」を
>>生み出す結果に繋がるわけです。

補足しますと「99式双軽爆撃機(キ-48)」は、「SB-2」に触発されて
開発した同じコンセプトの機体、「2式戦・鍾馗」は高速爆撃機用のインター
セプター(迎撃機)になる訳です。

>>272 >>こうして考えると『戦闘機無用論』もあながち眉唾という訳でもなく、
>>戦場に登場するタイミングと、あとは単なる戦闘機の性能とのイタチごっこ

まあ、B-29だって『戦闘機無用論』とは逝かなかった訳で……w。惜しい
ところまでは行ったのでしょうが。
281イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/16(土) 23:41:35 ID:F1Nc1Wtz
>>228 >>SB2による日本軍の悩まされ具合も可能ならたのんます。

「ソ連義勇飛行隊」(SVW)のパイロット達は、3ヵ月ごとに交代するという
ローテーションに従っていました。そのため良くも悪くも、「支那滞在中の
3ヶ月間を無事に過ごせればよい」と作戦不熱心に考える者が多く、支那側と
たびたび軋轢を生じさせていました。まあ、もちろん嫌々な訳ですよw。

同じ義勇飛行隊といえば、シェンノートの「アメリカ義勇航空隊(AVG)」、
いわゆる『フライングタイガース』が有名ですが、ソ連の「SVW」の規模は
フライングタイガースの数倍に相当します。

それにも関わらず、支那側との溝が埋まらなかったのは、ソ連人たちの
表情が暗く、つねに自分達だけで行動するなど、スターリンの独裁化の
影響も大きいでしょう。
282イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/17(日) 00:04:08 ID:F1Nc1Wtz
ソ連特有の秘密主義から、「ソ連義勇飛行隊」の派遣人員数と機体数は
明らかにされていません。しかし、おおよそ「人員1140名・戦闘機
2個大隊・爆撃機2個大隊(合計約400機)」というものと、あるいは
「人員712名・航空機885機」といった数字が挙げられています。

「SB-2」は200機が支那に輸出されていますが、上記の数字に
含まれるでしょう。

やはり、シェンノートの「AVG」の数倍の戦力な訳ですが、きちんとした
「SVW」の戦果と損害の記録は残っていないのです。これも当時の秘密
主義によるものと思われます。

ちなみに断片的な戦いとしては、1938年4月29日の空戦があります。
武漢攻略戦前で、当時は支那空軍・ソ連空軍共同の基地だった漢口上空で
日本軍の爆撃隊を迎撃しました。支ソ連合部隊は日本軍の戦闘機13機、
爆撃機8機(自軍の損害は9機:支ソの内訳不明)を主張していますが…。
283イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/17(日) 00:14:58 ID:49/klocx
しかし「ソ連義勇飛行隊」は、1938年7月に張鼓峰事件、1939年
5月・8月にノモンハン事件が起きて、満州国との国境紛争が激化すると
とても中国支援どころではなくなってきます。トドメとばかりに独ソ戦が
勃発すると支那からの引き揚げが始まりますが、具体的な時期はこれまた
不明となりますw。

しかしソ連が支那に送った「SB-2」は猛威を振るい、1939年10月
には、日本軍が占領している漢口基地に大挙して奇襲攻撃を仕掛けました。
ちょうどノモンハン事件が起きた直後で、日本の目が北方に集中している
隙を突かれた訳です。

その当時、日本海軍の空母艦載機部隊は「第2連合航空隊」として漢口の
空軍基地に駐留していました。漢口飛行場は1500メートル級の滑走路を
持ち、駐機場も広かったため、海軍のみならず陸軍航空隊も使用していました。
284イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/17(日) 00:24:02 ID:49/klocx
1939年9月末には、日本海軍機140〜160機に加えて、陸軍の
偵察機や連絡機の20機が「漢口飛行場」に集結していましたが、支那
空軍の奇襲攻撃をまったく察知できませんでした。

10月3日未明、12機のソ連製「ツポレフSB-2」高速爆撃機を主力
とする爆撃部隊が飛来しますが、日本側の戦闘機は1機も在空せず、また
対空砲火も準備できていません。そのため「SB-2」の支那側パイロットは
落ち着いて爆撃することが出来ました。

第1撃は高度6000メートルの高空から行なわれましたが、反撃がないため
第2撃は高度1400メートルまで降下して爆弾を投下します。

支那側12機からの爆弾は合計10トンにも満たないものでしたが、全弾が
漢口飛行場に落下。日本側の航空機が『密集して』駐機されていたため、被害が
甚大化、大火災が発生しました。
285イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/17(日) 00:51:42 ID:49/klocx
日本側の損害は、全損が少なくとも60機、損傷は100機近くに達し、
漢口飛行場にあった航空機の大部分は飛行不能と判断されました。

さらに人的被害も大きく、死傷者240名、司令官の塚原ニ四三(海軍少将)は
左腕切断の重傷を負います。九死に一生を得た塚原は、療養中の11月15日に
海軍中将に昇進しますが、左手を失ったことにより艦隊勤務は無理と判断されて
以後、基地航空隊の指揮官にとどめられてしまいます。

塚原は、1921年に横須賀航空隊付として航空畑に転じて以降、
●臨時航空術講習部員→●鳳翔副長→●航空本部教育部員→●航空本部総務部員→
●航空廠総務部長→●赤城艦長→●航空本部総務部長→●第2航空戦隊司令官→
●第2連合航空隊司令官

など、航空教育と部隊勤務をずっと繰り返しています。塚原ほど航空に精通した
人材もいなかった訳ですが、片腕を失ったことで(海上での艦隊勤務は無理)、
機動部隊司令長官に任ずる事ができなくなってしまいます。
286イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/17(日) 01:09:56 ID:49/klocx
結局、塚原と同期(海兵36期)ながら、航空にまったく縁の無かった
「南雲忠一」を機動部隊司令長官にせざるを得なくなり、支那の爆撃は
思わぬところで大きな影響を及ぼすことになりました。

片腕を失っても軍務を続けられた(予備役に回らなかった)のは、塚原が
いかに航空分野で必要とされていた人材かが分かるでしょう。もし重傷を
負わなければ、機動部隊を率いていたのは塚原だった可能性も高いです。

太平洋戦争開戦時、塚原は「第11航空艦隊司令長官」。緒戦のフィリピン
奇襲爆撃、マレー沖海戦での英戦艦2隻の撃沈、ラバウル航空隊など最前線で
奮闘したことが救いといえば救いかもしれません。

ちなみに塚原は、井上成美と同じく「最後の海軍大将」(1945年5月15日付)です。
287名無し三等兵:2007/06/17(日) 01:18:25 ID:???
勉励克己した普通人は評価の対象外ですね、塚原
288右翼撲滅隊:2007/06/17(日) 04:57:32 ID:???
534 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2007/06/16(土) 13:55:32 ID:???
>>529
自虐というより、冷笑的というか諦観というか、そんなものな気がする。
それが「信念に燃えている(と自負してる)ひとたち」からは自虐的に見えるのではないかと。






wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
289名無し三等兵:2007/06/17(日) 09:02:09 ID:???
>支那空軍の奇襲攻撃をまったく察知できませんでした


おなじヘボを後でトラック島でもやってますが何故なんですか
大事な大事な虎の子飛行機を・・・
290名無し三等兵:2007/06/17(日) 13:05:26 ID:???
やっぱり日本軍が中国大陸で化学兵器を遺棄したとしか考えられない
291名無し三等兵:2007/06/17(日) 13:12:55 ID:???
違う、遺棄したのは俺だ。
292名無し三等兵:2007/06/17(日) 14:31:22 ID:???
警戒体制を構築しない限り航空機による攻撃は奇襲になってしまうのですよ。
293名無し三等兵:2007/06/17(日) 16:29:53 ID:???
川原に無修正ビデオを遺棄したのは俺だ
294名無し三等兵:2007/06/17(日) 21:39:16 ID:???
日本軍はポツダム宣言に違反して化学兵器を違法に遺棄した
その後、事故より多数の死傷者が出た、化学兵器禁止条約が発動し
日本軍が中国大陸に遺棄した、化学兵器を処理することとなった
みなさんで、処理を見守ろう
295名無し三等兵:2007/06/17(日) 21:57:52 ID:???
馬鹿野郎! 遺棄したのは俺だ!
296名無し三等兵:2007/06/17(日) 22:12:13 ID:???
>>294
で、具体的にポツダム宣言の第何条に違反してるのかね?
297イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/17(日) 23:21:46 ID:???
まあ、支那人なんて生きた『BC兵器』みたいなものですから、気にすること
など微塵もありません。「黄砂注意報」なんて最近当たり前のようにテレビで
流れるようになりましたが、昔では考えられないと感じるのは自分だけですか?
住んでる地方にも拠るでしょうが。

現代支那には日本からパソコン基盤の廃棄物や(金など希少金属の回収目的)、
あるいは型落ちのパチコン台が大量に流れていますが、何時かこれらも日本の
化学兵器の廃棄物みたいな扱いで訴えられるんですかねw。
298イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/17(日) 23:39:17 ID:Na7w/EWS
>>287 >>勉励克己した普通人は評価の対象外ですね、塚原

ちょっと断片的過ぎて文章の意味がよく取れませんが、塚原が人格者とはなかなか
云えないのは確かです。喧嘩っ早くて口が悪く、少将になって航空本部総務部長の
ときでも、2期下の艦政本部の大佐課長に対して「何だ蟹のような顔しやがって。
そんなツラしても恐くも何ともないぞ!」と怒鳴っています。

また酒好きで、酔っ払うと目をつぶって歩く癖があり、しょっちゅう壁や電信柱に
ぶつかって向こう傷をつけていたと云います。まあ、気の荒い「航空屋」の上にたつ
気性ですからね。

しかし、そうそう「人格者」なんて世に転がっている訳ではありません。あなたの
会社や学校を見渡してみれば分かるでしょう。みんな一癖も二癖もあるのが人間です。
名将の代名詞にされる栗林忠道とて『陸大至上主義者』であり、更迭した人間は内地に
送り返せばいいのに、硫黄島にそのまま放置プレイなど問題も挙げられます。
299イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/17(日) 23:53:24 ID:Na7w/EWS
>>289 >>おなじヘボを後でトラック島でもやってますが何故なんですか
>>大事な大事な虎の子飛行機を・・・

漢口飛行場の場合、ちょうど1938年10月3日に木更津航空隊から補充機が
やって来るというので、塚原司令官以下、幹部のほとんどが戦闘指揮所前で
集まっていたところに爆弾が降ってきたという不運もあります。味方機と思って
無警戒のところにドカンですw。

この爆撃で塚原の他に、石川淡・木更津空副長、小川弘・鹿屋空副長なども爆死
しています。ちなみに漢口飛行場は、もとは競馬場を整地して造ったものであり、
奇襲については、坂井三郎が『大空のサムライ』の中で「最悪の厄日の出来事」
という見出し内容で書いています。

戦史叢書『中国方面海軍作戦<2>』では、支那空軍の「SB-2」などの爆弾50数個は
ほとんどが近くの水田に落ちたとあり、飛行機の損害については触れていません。
300イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/18(月) 00:02:59 ID:Na7w/EWS
ところが坂井三郎は、●「何十機と列線にならんでいた戦闘機は、その
ほとんど全部が被爆していて」と書いています。ですので飛行機に全く
損害がなかったとは考えがたいです。

坂井自身もお尻に負傷しましたがw、被害のない戦闘機を見つけて「SB-2」を
追撃しています。ようやく追いついて1機に煙を吐かせましたが、燃料が持たなく
なり帰投したと云います――。

ここまではいいです。味方機がやって来たと思ったら、実は敵機だったというのは
そんなに珍しい例でもないでしょう。しかし、このような太平洋戦争開始前での
ワースト記録ような大惨事のあとでも、漢口基地は2週間も経たない10月14日に
またもや「SB-2」の奇襲爆撃を受けて、海軍機・約40機、陸軍機・約20機が
被害を被っているのですから「なんともはや」という感じですw。
301イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/18(月) 00:22:39 ID:VhJCNMIf
>>289 >>おなじヘボを後でトラック島でもやってますが何故なんですか
>>大事な大事な虎の子飛行機を・・・

陸軍も海軍も、航空機をズラリと密集して並べるクセが最後まで直らなかったのが
1つの理由。

>>292 >>警戒体制を構築しない限り航空機による攻撃は奇襲になってしまうのですよ。

そして結局は、>>292氏のおっしゃる通りです。

前の方の「上海航空決戦」で、支那空軍が日本軍への無理な爆撃に拘泥せずに
迎撃戦に徹すればもっと戦局に貢献できたのに、という(支那側自身の)批判を
取り上げましたが、これも無茶な話なわけです。

迎撃戦に徹すると簡単にいいますが、一度でも飛行場を奇襲されたらそれで
一巻のお仕舞いです。警戒態勢を構築するといっても簡単なことではありません。
302289:2007/06/18(月) 09:06:37 ID:???
289です
>警戒態勢を構築するといっても簡単なことではありません

独ソ戦でレーダーが不備だったロシア側は基地前方に
ばら撒いた対空見張り所(対空聴音機装備したものから双眼鏡のみの物まで
玉石混交)で編隊の接近を知るや否や、すぐさま出動態勢を取ったと
いいますが、この程度なら当時の日本軍でも可能だったはずなんですがね?
当時の支那軍機が300km/hの平均速度で接近するとして
基地から100kmの地点なら20分前、50kmなら10分前に察知できたでしょうに
(もっとも南方の孤島では地上見張り所は無理ですが)
303289:2007/06/18(月) 09:10:18 ID:???
もしかして当時の漢口基地は敵支配区域ギリギリに有ったのでしょうか?
304名無し三等兵:2007/06/18(月) 20:52:36 ID:???
>ばら撒いた対空見張り所(対空聴音機装備したものから双眼鏡のみの物まで 玉石混交)

こういう方法は敵地では取り辛い(更に対ゲリラ戦をしつつ)
ロシアも中国も自国だから哨戒網を組織できた
305名無し三等兵:2007/06/18(月) 20:57:20 ID:???
>>296
九 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19450726.D1J.html

中国における毒ガス兵器の遺棄・隠匿
 1945年8月14日,日本は,ポツダム宣言を受諾した。ポツダム宣言では,日本軍は武装を解除した
後に復帰すべきものとされていたので,各地に駐屯している日本軍に対しては,直ちに戦闘を停止し,
武装を解除し,武器や装備は現状のまま引き渡すべきことが命じられた。
  しかし,終戦前から終戦後にかけて,中国においては,日本軍の部隊に配備されていた毒ガス兵器
につき,上官の命令により,部隊でこれらを川に投棄したり地中に埋めたりして,隠寧することが行われた。
http://www.geocities.jp/dokugas2000/saibannojoukyou.htm
306名無し三等兵:2007/06/18(月) 21:01:15 ID:???
命令という割には命令書が無いようだが。
しかし、吉見義明ね…。
307名無し三等兵:2007/06/18(月) 21:10:07 ID:???
まあ、化学兵器の所持は当時としては合法だったようだが
引き渡した証拠もないし、埋まってたし、しょうがない
308えICBM:2007/06/18(月) 21:36:23 ID:???
降伏から武装解除までかなりのタイムラグがあるから処分自体は十分可能だろう。
どの様な判断で独自処分をしたのか、その動機を知りたいものだ。
309名無し三等兵:2007/06/18(月) 21:58:01 ID:???
50年前に捨てた化学兵器が見つかった。それがどうしたの?って感じだけどな
310名無し三等兵:2007/06/19(火) 00:27:53 ID:???
もともと毒ガスってのは思ったよりも使えなくて結構早い段階で持て余してたしね。
『保管しとくのも面倒だし、捨てちゃうか』
って考えた指揮官がいても不思議ではない。
特に戦線縮小時にはわざわざ持って帰る気にはなれん荷物だったろ。
311イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/19(火) 01:04:09 ID:PCYvbN5c
>>303 >>もしかして当時の漢口基地は敵支配区域ギリギリに有ったのでしょうか?

支那空軍に奇襲爆撃を喰らったのが1939年10月3日。「武漢攻略戦」がほぼ
1年前の1938年8月22日〜11月上旬(漢口の占領が10月26日)。

宜昌作戦が1940年5月〜6月ですから、それまでは武漢(漢口)がもちろん
最前線です。ちなみに宜昌は、武漢から西に約300キロで四川省の入り口に
あたる重要都市です。

もっと補足すれば、支那空軍の爆撃を喰らった(1939年10月3日)直後の
1939年12月から翌1940年の3月にかけて、国府軍の『冬季大攻勢』が
始まります。武漢に対しては、65個師(50万人)を動員して攻撃してきましたが
武漢を奪回するだけの力はありませんでした。それに対して日本軍側の反撃として
行なわれたのが『宜昌作戦』だった訳です。
312イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/19(火) 01:30:30 ID:PCYvbN5c
>>309 >>50年前に捨てた化学兵器が見つかった。それがどうしたの?って感じだけどな

んだんだ。テーマに取り上げるモチベーションが全く沸きません。
阿片問題だったらバリバリする予定ですがw。

>>310 >>もともと毒ガスってのは思ったよりも使えなくて結構早い
>>段階で持て余してたしね。

戦記を読むと、戦闘で『赤弾』(くしゃみ剤)を使っているケースは散見
しています。例えば、支那側の大規模堡塁に少ない兵力で決死の突撃を
かける時に、事前に迫撃砲や歩兵砲で撃ち込む訳です。当然、自分達も直後に
堡塁に乗り込む訳ですから大変ですが……。

あるいは支那の大軍に陣地を包囲されたとき、突撃された際に1回でも赤弾なり
催涙弾を使っておくと、その後は発煙筒を撒いただけでも敵が逃げていった……
というものがあります。
313イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/19(火) 01:40:57 ID:???
>>304 >>こういう方法は敵地では取り辛い(更に対ゲリラ戦をしつつ)
>>ロシアも中国も自国だから哨戒網を組織できた

まあ、そういうことでふ。

『上海航空決戦』テーマは顛末とまとめだけ残っていますので、
あと3日分ぐらいの文量で終わります。
314名無し三等兵:2007/06/19(火) 04:20:04 ID:???
フィリピンの日本軍の話に戻すと、あの強姦等を繰り返したりして、フィリピン人の感情を逆なでした事
もさる事ながら、もう、見事に全ての占領施策が駄目でしたね。
フィリピンの軍政は占領軍である、帝国陸軍のフィリピン派遣軍内に設置された、軍政監部が担当しトップの
軍政監は派遣軍参謀長が任命されています。
軍政監部は、陸軍省及び大本営陸軍部が直接指導する立場にあり、フィリピン全般の政治を担当しましたが、
問題はこれが全く出鱈目でした。
その大元は、太平洋戦争開戦直前に政府と軍部により、あわてて定められた南方占領地行政実施要領です。
掲げている内容は三つあり、
まず
『資源の獲得』(アジア全域で必要な資源を日本の為のみに獲得をする事)
『軍隊の自活』(日本からの補給をあてにせず占領地で自給する事)
『治安の回復』(日本軍に対する抵抗は抑え、これを基本に治安の回復を行うこと)です。 
フィリピンではこれが忠実に実行された結果、キリスト教徒の多いフィリピンで皇民化政策を実施し、
日本語教育を始め、フィリピンの通貨を否定し、軍票(軍の紙幣)を流通させ経済を破壊し、農地政策も
日本で必要なものを無理に作らせ、農業を崩壊させました。

このような現実を無視した無理な政策がどのような結果になったか、猿でもわかりますね。
日々の生活ができなくなったフィリピンの人達は、熾烈な日本軍や日本人に対する抵抗運動を
フィリピン全土で繰り広げます。
もう国中ゲリラで一杯ですね。
315名無し三等兵:2007/06/19(火) 12:35:16 ID:???
 一つの例外をのぞき、ルソン島で第六軍の麾下部隊となった全師団は、
少なくとも以前に一度、作戦に投入されたことがあり、それら師団の大半
は二度、戦闘を経験した。六個師団全将兵の三分の一にも達する隊員が、
三年間も海外に派遣されたままであった。これらの隊員は疲れ、戦いに
うんでいたが、休息したり、気力体力を回復するための時間をあたえられ
ていなかった。補充部隊の到着は遅々としており、またその員数が欠員を
うめるには非常に足りなかったので、第六軍は非戦闘員の死傷により生じた
定員不足は、うめることができなかった。

「ドギュメント神風 下」(デニス・ウォーナー ベギー・ウォーナー 
妹尾作太男 徳間文庫)より

American casualties were also high. Ground combat losses for the
Sixth and Eighth Armies were almost 47,000, some 10,380 killed and
36,550 wounded. Non-battle casualties were even heavier. From 9
January through 30 June 1945, the Sixth Army on Luzon suffered
over 93,400 non-combat casualties, including 260 deaths, most of
them from disease. Only a few campaigns had a higher casualty rate.

http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/USA-C-Luzon/
 Luzon   15 December 1944--4 July 1945
316名無し三等兵:2007/06/19(火) 16:59:32 ID:???
http://cgi.2chan.net/f/futaba.php?res=3045836

無題 Name 名無し 07/06/19(火)15:12 No.3045836 [返信]
国民党は日中戦争を戦い抜くために資金が必要だった
そこでインドで栽培され、イギリスにより持ち込まれ、
今は雲南で大規模に栽培している芥子から出来る阿片を
大陸や外国にばら撒き資金を集めた
一方共産党もシャンシーの山奥でせこせこと小規模ながら
芥子を育て資金を集めマオたんをマンセーすることを共用した
一方日本も国民党が阿片を使って資金を集めるのを見て、
阿片で資金を集める方策をとった
おかげで満州や朝鮮半島、勿論皇軍兵士にも阿片が出回ることになった
一方GHQは大麻を規制した
317名無し三等兵:2007/06/19(火) 21:22:27 ID:???
まあ、日本も戦時国債を発行して戦後インフレで紙切れ同然になったからな
318イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/19(火) 22:26:30 ID:???
ガス戦(化学戦)のことも調べましたので、あとで少し触れましょう。
取りあえず『上海航空決戦』の方を早いところ終わらせてしまいます。
ちなみに次々テーマの『日本陸軍と阿片問題』のお相手はこの方ですw。
319イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/19(火) 22:37:08 ID:???
と思ったけれど、「ドン引き」されそうなのでまた今度……w。
320名無し三等兵:2007/06/19(火) 22:50:57 ID:???
支那の反戦ビラなんかより
 元祖長浜屋ラーメンが休業したことのほうが
       衝撃だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
321イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/19(火) 22:55:14 ID:f/plDOUf
ちょうど「武漢攻略戦」の話が出ましたが、上海決戦のあとも支那空軍は日本に
対して正面からの航空戦を展開しました。しかしその消耗は激しく、1939年
初頭には保有機が100機を下回ります。

輸入したソ連機も次第に旧式化していき、1940年以降に日本海軍の零戦が
支那戦線に投入されると、その性能差は歴然としていました。ちなみに零戦の
デビューは1940年9月13日。味方の被撃墜ゼロ(被弾3)で、支那空軍の
27機全機撃墜という『伝説的』な記録があります。

ただしこれは日本側の記録であり、支那側の発表も含めますと、支那空軍の戦闘機
34機中(I-15:25機、I-16:9機)撃墜13機・撃破11機、零戦隊が
13機中、被弾3機・着陸時に大破1機(主脚の故障)とされます。

いずれにせよ、零戦の登場から1年後の1941年8月までの間、戦闘による零戦の
損失は対空砲火による被撃墜2機のみで、純粋な空戦による撃墜はゼロという一方的な
戦いを演じたのは事実なわけです。
322イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/19(火) 23:15:02 ID:f/plDOUf
また前述したように「ノモンハン事件」などソ満国境の緊張や、何より
第2次大戦の勃発によるヨーロッパの政情不安から、「ソ連義勇飛行隊」
(SVW)の帰国も始まり、ソ連からの航空機供給も1941年初頭を
最後に打ち切られました。

このため支那空軍の作戦は「散発的な奇襲」を除けば、基地の防衛に
限定され、日本の爆撃機が襲来してきた際には、迎撃より退避を優先
させられる始末です。

そして日本軍は海外からの「援蒋ルート」を遮断するために、蘭州や南寧
などを爆撃しています。また四川省の重慶を中心に、支那側の抗戦意志の
破壊と首都機能の喪失を目的として「戦略爆撃」を繰り返しました。

『重慶爆撃』は過去スレでかなり詳しく取り上げましたが、1939年
からの3年間で、爆撃日数は合計141日、投下爆弾量は1万5000発に
達し、重慶の支那人の死者は1万人を超えました。
323イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/19(火) 23:44:45 ID:f/plDOUf
支那側はあれほど「日本本土爆撃」(東京・大阪)に拘っていたにも関わらず、
戦争の結果は、自分たちの首都(重慶)が無差別爆撃を受けていますw。

こうした絶望的な状況でも、「日本本土爆撃」を主張する支那側の論説は
絶えることなく、1938年前後に対日爆撃に関する出版物が多数発刊された
のちも、雑誌を中心に掲載され続けます――。(続く)
324名無し三等兵:2007/06/20(水) 17:15:02 ID:???
>>321
 零戦の高性能はわかるのですが、そもそも支那大陸での零戦参加の空戦はその後どの程度行われたかに興味があります。
 零戦のデビュー戦でさえ、新型戦闘機登場を知った支那側が散々空戦を避けつづけた後にようやく対決のときがきたという感じだったはずで。
325名無し三等兵:2007/06/20(水) 21:26:23 ID:???
しかし、国民党は情報戦がうまって、アメリカが介入
326イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/20(水) 22:38:11 ID:IEP2BRt4
>>324 >>支那大陸での零戦参加の空戦はその後どの程度行われたか

個別の戦闘まではとても追いきれません。多分、戦史叢書の『中国方面海軍作戦
(2)昭和十三年四月以降』あたりに載っているのではないかと想像しますが…w。

>>321(1940年9月13日)のデビュー戦以降、1941年8月31日までの
ほぼ1年間、零戦は支那戦線にとどまり、制空・爆撃隊護衛・地上攻撃に従事して
います。この間の戦果は「撃墜162機・撃破269機」で、零戦の損失は先に
述べたとおり、僅か2機だけとされます。

ちなみに零戦(11型:第1生産ロット)の13機が支那に送られたのは1940年
7月で、デビュー戦の9月13日の出撃まで、くだんの『漢口基地』で連日猛訓練が
続けられていました。
327イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/20(水) 23:10:31 ID:IEP2BRt4
>>323 の続き。>>1938年前後に対日爆撃に関する出版物が多数発刊された

例えば、『千機炸?日本論』や『中国空軍?滅日本論』(華光出版社・1937年)、
『飛将軍万里東征』(生活書店・1938年)、『?様轟炸日本』(非常出版社・
1938年)などがあります。

その後は雑誌を中心に「対日爆撃」が論じられますが、アメリカによる空爆こそが
日本を敗戦に追い込むとする現実的な主張(他人頼みともw)とともに、相変わらず
「支那独自の爆撃」を唱えるものが多かった訳です。その背景には、

●「以轟炸還轟炸」(爆撃には爆撃を)のスローガンに代表される対日報復感情
●自らの重慶爆撃の被害を鑑みて、対日爆撃はさらに大きな戦果が得られるとする予測
●日本本土爆撃によって中国国民の戦意を鼓舞できるといった精神的な意義の強調

などが挙げられます。ただし、どの論者も具体的な対日爆撃方法については何も
触れていませんw。つーか、不可能ですから。
328イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/20(水) 23:41:34 ID:IEP2BRt4
「戦略爆撃空軍」の創設を訴えたり、「特殊弾頭の研究」といった構想を示しても、
「肝心の爆撃機をどうするか?」について言及したものは非常に少なく、せいぜい
国内製造を目指すか、輸入を増やす事について述べるだけです。

もちろん国内製造は不可能ですから、大量の重爆撃機をどこから輸入するのか?、
この点こそが未だ「対日爆撃」に執念を燃やす支那空軍の最大の課題だった訳です。
そしてドイツもソ連も撤退してしまった今、もはや供給国として残されているのは
アメリカしかありません。

1940年夏以降、従来の中立政策から中国援助を強めつつあったアメリカに対して
蒋介石は、宋子文を通じて50機から100機の重爆撃機の供給交渉を開始しています。
その際、蒋介石は「日本爆撃」こそが戦争終結の手段であることを米国に力説しました。
329イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/20(水) 23:56:28 ID:IEP2BRt4
この蒋介石の要求に対するアメリカの反応は、

●コーデル・ハル(国務長官)が日本爆撃に賛成
●ルーズベルト大統領も日本爆撃に積極的
●マーシャル(陸軍参謀総長)が、数少ない重爆撃機を中国に渡すことに難色

という結果となり、最終的にマーシャルの意見が通って、重爆撃機の代わりに
イギリス(第二次大戦中)向けだった「P-40」戦闘機100機が中国に引き
渡されたと云います。まあ、イギリスにすればいい迷惑です。後にイギリスと
支那の関係が、同じような米国の援助を巡ってギクシャクするのは当然でしょう。

そして、この「カーチス・P-40」戦闘機100機をもとに、アメリカ合衆国
義勇空軍(AVG・フライングタイガーズとも)が創設された訳ですが、その
中心人物であるシェンノートもまた、対日爆撃を強く主張した1人でした。
330名無し三等兵:2007/06/21(木) 00:00:32 ID:???

      ,.ィ , - 、._     、
.      ,イ/ l/       ̄ ̄`ヽ!__
     ト/ |' {              `ヽ.            ,ヘ
    N│ ヽ. `                 ヽ         /ヽ /  ∨
   N.ヽ.ヽ、            ,        }    l\/  `′
.  ヽヽ.\         ,.ィイハ       |   _|
   ヾニー __ _ -=_彡ソノ u_\ヽ、   |  \     大陸で我が陸軍が攻勢を強めることで
.      ゙̄r=<‐モミ、ニr;==ェ;ュ<_ゞ-=7´ヽ   >     アメリカの欧州向け物資を中国に集中させ、
.       l    ̄リーh ` ー‐‐' l‐''´冫)'./ ∠__     その間を突いてドイツが英本土に侵攻する!
       ゙iー- イ'__ ヽ、..___ノ   トr‐'    /    これこそが真の日独同盟の目的だったんだよ!!!1!
       l   `___,.、     u ./│    /_    イタリアは知らん。
.        ヽ.  }z‐r--|     /  ト,        |  ,、
           >、`ー-- '  ./  / |ヽ     l/ ヽ   ,ヘ
      _,./| ヽ`ー--‐ _´.. ‐''´   ./  \、       \/ ヽ/
-‐ '''"  ̄ /  :|   ,ゝ=<      /    | `'''‐- 、.._
     /   !./l;';';';';';';\    ./    │   _
      _,> '´|l. ミ:ゝ、;';';_/,´\  ./|._ , --、 | i´!⌒!l  r:,=i   
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331イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/21(木) 00:09:18 ID:D96eFTMr
シェンノートの回想によれば、日本軍による「重慶爆撃」の被害を分析した結果、
アジアの都市爆撃には『焼夷弾』が効果的であることが判明したと云います。

シェンノートは1940年代初頭、アーノルド(陸軍航空総司令官)に対して
焼夷弾を用いた日本爆撃を進言しますが、●「軍事目標のみを攻撃することが
アメリカの国是である」とする立場から、アーノルドは申し出を却下しました。

それでもシェンノートは蒋介石の意を受けて、母国に対して重爆撃機の供給を
求め続けています。しかし、もちろん実現する事はありませんでした。
332廣島人:2007/06/21(木) 00:26:17 ID:AYETpfsx
>>311
国府軍の「冬季大攻勢」が、65個師団あったんでしょうか?
支那軍第5戦区は50個師、第一線34個師と広島第39師団の
戦記には出ておりますが、65個師云うのはどの資料ですか。
守る日本軍は、信陽、随県に名古屋第3師団2万5千、安陸、天門に
仙台第13師団の2万5千、黄坡に広島第39師団の1万4千の兵力等が
おりました。冬季反攻は12月12日頃から本格化し、第3、第13師団は
各地で猛攻を受け苦戦となった。広島第231聯隊が救援に多宝湾に
向かった処、仙台第13師団の立花聯隊は甚大な損害を出し、全員が穴倉に
入っていた。これが帝国陸軍であり、皇軍の姿なのか、と思うほど、
あわれで悲惨な光景だった。かろうじて生存していた警備兵が、
「歩哨が首を切られたり、拉致されたり、分哨が全滅した」
「来襲した支那兵が、日本馬の肉を喰っていた。わが大隊は、完全に
全滅した」と、細々と力なく話した。広島第39師団第3、第13師団を
救援し穴を塞いだが、危機一髪でした。
報復戦の「宜昌作戦」で苦戦しながら攻略出来たんは、その通りですが。
333名無し三等兵:2007/06/21(木) 05:18:27 ID:???
     ____
     /      \
   /  _ノ  ヽ、_  \
  / o゚((●)) ((●))゚o \  ウゥイェイ、ダ・ザラッタッタ、ザラッタッタオゥ♪
  |     (__人__)    |  ベイベベイベ、ダ・ザラッタッタ、ザラッタッターウゥ♪
  \____` ⌒´___ /
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       〉 とノ ) ))
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  |     (__人__)    |  ベイベベイベ、ダ・ザラッタッタッタートゥ♪
  \____ ` ⌒____/
     (( ( つ ヽ、   
       〉 とノ ) ))
      (__ノ^(_)


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     /⌒  ⌒\
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   ベイベベイベベイベベイベベイベ
  |     |r┬-|     |  ベイベベイベベイベベイベベイベ
  \____ `ー'´___/   ベイベベイベベイベベイベベイベ
     (( ( つ ヽ、     ベイベベイベベイベベイベベイベ
       〉 とノ ) ))
      (__ノ^(_)
334名無し三等兵:2007/06/21(木) 17:04:23 ID:???
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しかし、この広島のオッサンは笑わせてくれる。
素晴らしいエンターティナーだなw
335名無し三等兵:2007/06/21(木) 18:05:20 ID:SIltTApq
仙臺は第十三師團ぢやないぞ。
第二師團。
336名無し三等兵:2007/06/21(木) 19:02:34 ID:???
古都・洛陽が日本軍の手に落ちるのは1944年になってから。
>>327 >>どの論者も具体的な対日爆撃方法については何も触れていません

   _,........,_
 , ´,.-== ,ヽ
 i (ノノλノ)リ
 ルイ) ゚ ヮ゚ノ)   その重慶の妄想具合、まるで2chのような状態ねw。
  `,く_,`ハ,イつ
  ,(,ノ┐ハゝ
  `'-i'_ィ,ァ"´
338イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/21(木) 22:26:42 ID:???
>>332 >>支那軍第5戦区は50個師、第一線34個師と広島第39師団の
>>戦記には出ておりますが、65個師云うのはどの資料ですか。

つ『太平洋戦争主要戦闘事典』(太平洋戦争研究会、PHP文庫)
339イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/21(木) 23:04:23 ID:4eNn3NnL
>>331 >>それでもシェンノートは蒋介石の意を受けて、母国に対して重爆撃機の
>>供給を求め続けています。しかし、もちろん実現する事はありませんでした。

とはいえ、支那大陸が「日本本土爆撃」の発着基地として使用されたことは
周知の事実です。1942年4月には「ドゥーリットル空襲」があり、空母
ホーネットから発進した「B-25」爆撃機16機が、東京市・川崎市・横浜市・
名古屋市・四日市市・神戸市を爆撃し、50人の死者と家屋262戸の被害が
出ました。ちなみに小学生1名が機銃掃射で死亡し、「悲運銃撃善士」という
戒名を名付けられていますw。

爆撃を終えた「B-25」の大半が支那大陸の浙江省に不時着(1機がウラジオ
ストークに降りて抑留)しました。また1944年6月15日には、四川省の
成都から発進したB-29が北九州の八幡製鉄所を爆撃しています。

ここに支那悲願の『日本本土爆撃』の夢が叶った訳ですが、もちろん支那空軍が
関与したものではありません。全てはアメリカ陸軍(航空軍)によるものですが…。
340名無し三等兵:2007/06/21(木) 23:06:20 ID:???
中佐、中佐 いつも楽しみにしてるんだが
戒名笑っちゃいかんよ
341イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/21(木) 23:09:37 ID:???
wが余計でした。
342イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/21(木) 23:33:19 ID:???
>>339 >>ここに支那悲願の『日本本土爆撃』の夢が叶った訳ですが、もちろん
>>支那空軍が関与したものではありません。全てはアメリカ陸軍(航空軍)に

しかし、本土爆撃に対する日本軍の『報復の矛先』はモロに支那へと向けられます。
「ドゥーリットル空襲」の衝撃を受けて、海軍はミッドウェー海戦へと破滅の道に
向かいましたが、陸軍は1942年5月14日〜9月30日にかけて「浙かん作戦」
(セ号作戦)を発動しました。

二度と米軍機が同じ目的で使用できないように、浙江省と江西省の飛行場を
完全破壊(く洲・玉山・麗水など)した訳ですが、支那は多大な損害を被ります。
支那軍の遺棄死体だけで4万188人、捕虜1万847人(日本軍の戦死者
1620人、戦傷3716人)を出し、周辺施設もありとあらゆる蹂躙を
受けました。

「浙かん」作戦は、60年ぶりという長期の豪雨の中で行なわれましたが、
飛行場を占領した日本軍は近くの河から水路を開いて「水浸し」にしました。
343イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/21(木) 23:49:41 ID:4eNn3NnL
水浸しにしたのみならず、周辺の民家を壊し、周囲に濠(ごう)を掘ったり、
飛行場に通じる橋や幹線道路を破壊したり、周囲の樹木を切り倒したり……。

特に樹木は「く洲」「玉水」飛行場だけで25万本を切り倒し、飛行場に並べる
など発着や修復の妨害を行ないました。また、その破壊作業の労働力として、捕虜や
周辺の支那土人を動員して使役する徹底振りですw。

戦史叢書『昭和17、8年の支那派遣軍』によれば、麗水飛行場の破壊のために、

●「飛行場を中心とする半径1.5キロ周辺地域の飛行場施設、利敵民家、樹木、
 橋梁はほとんど全て破壊した」と述べ、更に

●「廣信、廣豊付近から金華地区に至る間の主要交通網(これらの地には「浙かん」
 鉄道が通っている)は、第一線兵団および軍工兵隊により徹底的に破壊すると共に
 沿線の民船約800隻を押収し、敵側の水陸輸送能力を撃滅させた」としています。
 また、鉄道を破壊して得たレールは、約6万6000本にも及びます――。
344イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/22(金) 00:16:11 ID:5bMiBGO3
>>339 >>また1944年6月15日には、四川省の成都から発進した
>>B-29が北九州の八幡製鉄所を爆撃しています

何も言う必要は無いでしょう。これが支那にもたらしたものは「一号作戦」、
すなわち『大陸打通作戦』です。長沙・桂林・柳州・衡陽の空軍基地を破壊
されましたが、だつお氏的に表現するならば、チンピラゴロツキ殺戮街道
3000キロですw。

蒋介石や支那人が求め続けた「日本本土爆撃」は、米海軍や在支米空軍の手に
よって実現しましたが、皮肉なことに支那自身が日本軍の「報復行為」の矢面に
立たされ、支那軍の弱体化を招く結果となります。

それと相まって、B-29の発進基地が支那大陸から太平洋上の諸島に移ると、
「支那戦線」自体の戦略的価値を大幅に低下させる羽目になります。日本から
見た太平洋戦争でも「支那戦線」の価値は疑われましたが、連合国にとっての
支那戦線のどうでもよさは、比較にならない訳ですw。
345だつお:2007/06/22(金) 00:33:16 ID:???
キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!11!!11!1
346楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/22(金) 00:41:20 ID:???
>>342 >>本土爆撃に対する日本軍の『報復の矛先』はモロに支那へと向けられます。

  .「^ヽ,ry'^i
  ,ゝ"´ ⌒`ヽ
 くi Lノノハノ)」    
  λ.[i ゚ ヮ゚ノi!    思い知ったか、これが日本軍の力よw。
  レ',ヘ.i`ム'」つ旦~   
  ,く_,//T.iλ
  "ーr_,t_ァ'"
347廣島人:2007/06/22(金) 01:46:24 ID:qL3AtgRK
>>335
第十三師団は仙台じゃ無い?ほいじゃあどこなら。宮城・福島・新潟の
壮丁じゃろうが。違うんかいのう。
>>338
その本は読んどりません。太平洋戦史研究会のどなたが執筆した
項ですか?
第5戦区は李宗仁司令官の34個師、第6戦区は孫連中司令官の44個師。
「李宗仁は十三師団(仙台)守備正面から攻撃を仕掛けて来た。
十三師団の前線警備隊は、この攻撃を防ぎ切れずして各個に撃破され、
応城、天門近くまで、敵銃弾に晒されるに至った。」
仙台第13師団を救援の広島第231聯隊は、漢口を発進し、応城、
楊家台、多宝湾等に進撃し安陸北方で敵軍を蹴散らすと、孝感から鉄路
信陽へ進出、名古屋第3師団管内へ侵入した敵軍を信陽北方蹴散らし、
息つく間もなく、広水西方の敵軍を随県正面で撃破。
「襄東地区全域の敵軍を一掃。その企図を挫折せしめて十三師団、
三師団の危急を救った。」
>>344
他板でも度々書いとりますが、大陸打通作戦は、日本軍の圧勝とは云えま
せんよ。
348名無し三等兵:2007/06/22(金) 02:06:03 ID:???
2師団も13師団も仙台ぞ。
349名無し三等兵:2007/06/22(金) 17:57:51 ID:???
チラシの裏にでも書いとけ
どこに一方的な大勝利なんて書いてあるんだ
350だつお:2007/06/22(金) 18:47:04 ID:EoUJE0a3
>大陸打通作戦は、日本軍の圧勝とは云えませんよ。

<昭和20年8月11日支那派遣軍総司令官岡村寧次大将の電報>
・・・数百万の陸軍兵力が決戦を交えずして降伏するが如き恥辱は、
世界戦史にその類を見ず、派遣軍は満8年連戦連勝、未だ一分隊の玉砕
に当たりても、完全に兵器を破壊し之を敵手に委ねざりしに、百万の
精鋭健在のまま敗残の(蒋介石の)重慶軍に無条件降伏するが如きは、
いかなる場合にも絶対に承服し得ざる所なり・・・
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog151.html

 一九四四年末までに、蒋介石はもはや有力な盟友と見られなくなっていた。
日本軍は中国東部での攻勢でさらに八省を手に入れ、さらに一億人の中国人
が日本の支配下に置かれ、米軍飛行基地は放棄のやむなきにいたり、中国の
東海岸は封鎖された。帰還命令を受ける直前の十月四日、スティルウェル
は日記に書きつけた。「陸軍省が私に味方しているのは明らかだが、この
戦域は無価値とみなされ、われわれは何も期待されていない」
日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 / トーマス・アレン/著
ノーマン・ポーマー/著 栗山洋児/訳

軍事評論家・伊藤正徳氏は、その著書『帝国陸軍の最後5』の中で、
「日本陸軍(支那派遣軍)は8年間の中国(支那)遠征中、55回戦い、
51勝1敗3引き分けと言う無類の勝率をあげた」
と指摘しています。この数字を見れば分かりますが、支那派遣軍
将校達の言う通り、日本軍は「勝ちに勝っていた」訳で、なぜ、
我々が降伏する必要があるのか?と思っても当然だった訳です。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/shina_jihen.html
351だつお:2007/06/22(金) 19:19:00 ID:EoUJE0a3
「終戦までのドイツ国防軍全体の損失は1348万8000人を数えた。
このうち1075万8000人が東部戦線で戦死するか捕虜になった」
(レンドリースはイギリスよりもかなり遅れてしかも総額で3分の1)
このようにソ連に奇襲したが返り討ちにされ、ボコボコに粉砕されたのを、
「ドイツは誠実に戦争責任を反省している」って言うのか?
逆に皇軍の『大陸打通作戦』で大敗走を続けた中国の腰抜け阿Qはそれと比べてどうだ。
ベルリンの帝国議事堂にソ連国旗が掲げられた、大祖国戦争の勝利の日までに、
中国抗日戦争とやらは何をどれだけ達成した?

 この疑惑は的中し、やがて蒋総統は、三月十二日発の駐米大使魏道明の急電で
「密約」内容を知ると、次のように日誌に痛憤の文字をつらねる。
「『雅爾達』果己売華(中華民国)乎?・・・・・・果爾、則此次抗倭(日)戦争之理想、
恐成夢幻矣!」
 蒋総統にしてみれば、『支那事変』いらいの日本との戦いは中国主権の回復の
ためであり、とくに租借地などの解消を本旨とする。それなのに、こんどはソ連
が権益を求め、米国がそれを支持している、という。
「如我政府承認租借、則不謹造成中・俄(ソ)両国世代之仇恨、而且成為第三次
世界大戦之基因・・・・・・如美(米)国賛成或提議此案、則羅斯福在歴史上永不能
逃避其責任也」
 ソ連との租借が現実化すれば中ソは仇敵同士になり、第三次世界大戦の起因になり
かねない。ルーズベルト大統領の責任は永久に歴史に残るだろう―との趣意である。
<児島襄「第二次世界大戦 ヒトラーの戦い」>

http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1179827948
大日本帝国VSドイツ第三帝国  ラウンド5
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/editorial/1180144159/
なぜ、韓国人にはナチスドイツ軍崇拝者が多いのか
http://p2.chbox.jp/read.php?host=tmp5.2ch.net&bbs=asia&key=1120186708&ls=all
大陸打通作戦〜大地を駆ける3000`の雄叫び
352名無し三等兵:2007/06/22(金) 19:23:36 ID:???
戦争狂いチャンコロの トコトンは
 戦争トコトン トコトン戦争
 トコトン トコトン トココントン
 コントンのトコトン主義者の トコトンは殺せトコトン
 トコトン殺せ
 トコトン トコトン コントン
 チャン派チャンコロの トコトンは
 コントントコトン トコトンコントン
 トコトン コントン トンコロリ
 張のポンタといっしょに チャンコロコロリ
 ポンコロリ チャンコロリ
 トコトンコロリ トコトンコロリ
 チャンコロリ ポンコロリ
 チャンチャンコロリ チャンコロリ
 トンコロリ コロリ コロリ コロリ
353だつお:2007/06/22(金) 21:01:50 ID:EoUJE0a3
戦後ドイツでは鍵十字のナチス国旗を掲げることはおろか、ナチス擁護の
発言も取り締まりの対象になったとのこと。

これに対して日本は日の丸を堂々と掲げられて、中国人差別も平気でやれる。
中国人をチンピラゴロツキとか蛆虫とかゴキブリとか呼んでも全然平気。
つまり皇軍はドイツ軍とは違い、完全に負けたわけではなかったのだ。
負けは負けでも太平洋の日米戦に限定され、日中戦争は最後まで無敵皇軍。
日の丸はかつて大陸打通作戦中国チンピラゴロツキ殺戮街道3000キロで
皇軍が勇名を馳せたシンボルで、中国人に計り知れない恐怖を思い起こさせる。
354名無し三等兵:2007/06/22(金) 21:31:09 ID:???
以前「脱デフレの歴史分析」を進めた者ですが
読み返して見ると幣制改革についてあまりページは割かれてなかった
この場を借りてお詫びを
355名無し三等兵:2007/06/22(金) 22:32:25 ID:???
田嶋先生は自己主張が極めて強い。

田嶋先生はレイプされたことは無く、今後も決してされない。


この文から成り立つ式は

自己主張が極めて強い=レイプされない



自己主張が極めて弱い=レイプ必ずされる。

つまり自己主張の弱い国はレイプされる!!!!!!!!!!!!!!!
356廣島人:2007/06/22(金) 23:12:47 ID:qL3AtgRK
>>350
上の方は、阿南惟幾氏についてのもんか。
http://www1.quolia.com/jcphata/sub9_menu3_02.htm
四国の善通寺師団の戦闘について書かれたもんじゃが、●中国戦線に、
@宜昌作戦に、冬季攻勢で支那派遣軍が苦戦したこと、宜昌作戦のことも
出とるが、A長沙作戦で、阿南惟幾氏が第11軍司令官じゃった時の
第二次長沙作戦は、最前線の名古屋第3師団と熊本第六師団が、
中国(国府)軍の反撃にあい、ボロ負け敗退で、救援の善通寺第40師団も
防ぎきれず、大損害を受けた戦闘じゃ。
C大陸打通作戦も、制空権もなく、補給に欠き苦戦をよぎなくされた。
下の方は伊藤正徳氏のし江作戦のみ敗北解釈を鵜呑みに書いてあるが、
当時の参戦兵士の見解からも判断せにゃあのう。ほいで、そのサイトは
反中媚日の台湾人のもんじゃないか。しかも、参考文献が黄文雄氏じゃ。
357名無し三等兵:2007/06/23(土) 00:21:27 ID:???
何で戦史叢書読まないの?
358名無し三等兵:2007/06/23(土) 00:23:04 ID:???
白痴青牛
359名無し三等兵:2007/06/23(土) 00:28:43 ID:???
スイーツ(笑) パスタ(笑) ランチ(笑) セレブ(笑) ビビッド(笑) 女性の鬱(笑) 癒し系(笑)
マイナスイオン(笑) Wハッピー婚(笑) ダイエット(笑) エステ(笑) フェミニン(笑)
専用コスメ(笑) ナチュラルスイーツ(笑) 夏色コスメ(笑) 秋色ファンデ(笑)働く女性(笑)
レディースプラン(笑) アメニティライフ(笑) 自分らしさを演出(笑) 隠れ家的お店(笑)
マイブーム(笑) 若い女性に人気(笑) 思い切って残業(笑) デキる女性(笑) 岩盤浴(笑)
がんばった自分へのご褒美(笑) 高級ブランドショップ(笑) セルフプレジャー(笑) お忍び(笑)
等身大の自分(笑) ピル(笑) Wハッピー婚(笑) くつろぎインテリア(笑) 常に上目遣い(笑) 
愛され上手(笑) さぁ自分磨きがんばろう!(笑) ロハス(笑) スローフード(笑) デトックス(笑)
ダメージヘア(笑) 納豆で血液サラサラ(笑) 保湿成分配合(笑) ふわモテカール(笑) 
アロマテラピー(笑) 小悪魔メイク(笑) 自立した大人の女性(笑) そんな彼女の普段の顔(笑)
ハッピースピリチュアルメイクアップアドバイザー(笑) スローライフ(笑) ガーリッシュ(笑)
アダルトなショットバー(笑)  流行にキャッチアップ(笑) キラキラ小物(笑)詰め放題(笑)
モテカワ(笑) ピラティス(笑) ホットヨガ(笑) ハリウッドスターにも大人気(笑)
骨盤体操(笑) くつろぎの温泉宿(笑) ツンデレ系でカレの気を引いちゃえ!(笑) 艶女(笑)
キッチュなサーフガール(笑) 酸素バー(笑) 可愛い顔が台無しだぞ!(笑) かわいい(笑)
鏡に向かって頑張れ私!(笑) Lady nanoty(笑) ヤバイ(笑) キテる(笑) スパ(笑)
ハニートラップ(笑) 女だけで、楽しむ。(笑) 新定番(ニュースタンダード)ヒロイン(笑)
春色フルーツカラー配色レッスン(笑) ヲタージョ(笑) ワーキングビューティー(笑)
ワザあり!下着(笑) 着回しトップス(笑) 真似したい総決算(笑) 女ヂカラ(笑)
ケータイ小説(笑) おやすみ、マンモス。(笑) ガイタメジェンヌ(笑) 美肌のカリスマ(笑)
ハートフルストーリー(笑) ちょいワルマタニティー(笑) ○○男子(笑)
お化粧も仕事も自分らしくないと嫌(笑)
360名無し三等兵:2007/06/23(土) 05:18:31 ID:???
占領下の日本では「日の丸」は禁止されていた

昭和24年、マッカーサーは「国旗」の無制限の使用と掲揚を解禁しました。その年の1月3日付けの天声人語にはこうあります。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7355/words/asahilie.htm
361名無し三等兵:2007/06/23(土) 09:06:56 ID:???
>>356
>当時の参戦兵士

棟田博もそう述べてるよ。
362名無し三等兵:2007/06/23(土) 09:10:20 ID:???
>>356
自分は共産党のサイトなんて出しといてよく言うわ。
しかも、そのサイト参考文献の提示すらしてないし。
363名無し三等兵:2007/06/23(土) 19:41:54 ID:???
>355
つまり米ソにレイプされまくりの大日本帝國は気弱ないじめられっ娘ということか。
364だつお:2007/06/23(土) 22:19:20 ID:ALicDV7n
しかし打通作戦は、敵味方ともに航空隊が参加してたことと日本軍が
攻勢作戦を続行してたことは大筋において否定できないからな。

自分で言うのもなんだが、打通太郎を論破するのはかなり困難と思うぞ。
零戦太郎とかハワイ太郎とか、論破したいならそっちをやったほうがと。
365廣島人:2007/06/23(土) 23:50:17 ID:3mxlZuHY
>>357
戦史叢書の一号作戦は<1>〜<3>まであるが、<3>廣西の会戦の
第三章の「宜昌をめぐる彼我の攻防」に、宜昌防御の最前線で激闘した
広島第39師団のことが出とるが、読んどらんのか?まあ公刊戦史は、
大雑把で郷土資料の方が詳しゅう出とるけど。宜昌防御で広島第39師団
が、もし破られたら、武漢地区まで無人の境である。大陸打通どころじゃ
のうなったよ。その点から宜昌防御の広島第231聯隊の連続感状に
つながったんじゃろう。
まあそれは別として、日下公人が、「日露戦争の時、陸軍公刊戦史では、
(仙台)第二師団が弓張嶺で師団夜襲を一丸となって夜襲を成功させた
ことになっているが、当時の兵士の談話では、実際は一丸となって進軍した
のも、眉唾で暗くて見えないので隠れていた。密接接近のためとか
いろいろ理屈は言うが、本当は弾がなく命令違反でも撃ち反したら、
これがうまくいって、ロシア兵が逃げて頂上を奪取した。」
「しかし時代が下がると話す人もなくなって、『公刊戦史』だけが残る。
建前の話が真実として受け止まれていく。」と、云われるよう、
『戦史叢書』よりも、郷土戦記、中隊記の方が参戦した兵士の実際の戦闘の
真実を語ったもんが多いんは当然じゃ。『戦史叢書』を宗教の経典が如く
批判精神もなく、額面通り受け取ったら可笑しげなことになるよ。
366イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/23(土) 23:57:08 ID:???
>>344 の続き。さて中テーマ『上海航空決戦』のまとめです。今まで見てきたように
支那空軍は、予想される「対日戦」に向けて先制爆撃や『日本本土爆撃』を含む作戦
計画を立てていました。これは盧溝橋事件が起こる遥か以前からです。1938年5月の
九州襲来も、支那が自ら宣伝するような『人道遠征』として計画されたのでは決してなく、
戦前からの「日本本土爆撃」計画の一環としてムリムリに行われたものでした。

そして支那空軍が『上海航空決戦』において、日本軍の上陸を海に追い落とそうと
無理な爆撃に拘泥するあまり(多大な損害を被り)、かえって日本側に「制空権」を
早期に奪われる結果となりました。

そして悲願の「日本本土爆撃」も、あべこべの重慶爆撃のさなか声高に叫ばれたにも
関わらず、最後まで自力で成し遂げることが出来ませんでした。まあ端的に言えば、
支那空軍にはそうした作戦を行なうだけの力量が全く無かった訳です。
367廣島人:2007/06/24(日) 00:08:29 ID:1/pIJphx
>>362
共産党のサイト云うより、他板じゃあ、中婦連の人達のサイトを
挙げたこともあったのう。じゃが、日本軍の全てを美化するネットウヨクの
妄想と違うて、戦闘体験者の談や中隊記で兵士の方々が記されたものが、
中婦連の方々の日本軍の実像の方が一致点が多いよ。
ただし、中婦連の人達は、日本軍を批判しても、中国軍の批判はされんが、
戦闘体験者や戦記は日本軍のみでのうて、中国軍の蛮行も語られた
こととの違いじゃ。中婦連の人達が誇張はあっても、ネットウヨクが如く、
全く嘘を吐いとる訳じゃあない。思想は違うが彼等も前線で戦うた戦士で
あり、同国民を棄てて逃げた軍上層部の連中の言よりましじゃ。
368だつお:2007/06/24(日) 00:30:03 ID:Tn2SvmVG
 「1号作戦」は、中国におけるアメリカの政策の終結をもたらす決定的な引き金と
なった。それは、米軍の計画につきものの、空軍および陸軍の対立を際立たせた。
1944年に空軍作戦が優先された理由は、蒋介石が攻勢には国民党軍の関与を
最小限に したいと望んだからである。中国における米軍の高級将校、スティルウェルは、
国民党の消極的姿勢ゆえに蒋に対しても、また空軍基地の安全を保証するのに必要
な地上軍不足から空軍作戦にも反対した。日本軍の攻勢がスティルウェルの予言
どおりになり始めた時、ワシントンは、蒋介石に国民党政府軍全体の実質的支配を
スティルウェルに与えるよう要求した。しかしこの要求を強制するてだてもないまま、
ワシントンは蒋のスティルウェル罷免要求にあって彼を召還しなければならなかった。
 5月26日の益陽占領を手はじめに、日本軍は6月10日に長沙をおさえ、26日には
衡陽の飛行場を占領したが、町そのものは8月8日まで攻撃に抵抗した。その後は補給
の欠陥で日本軍の行動が遅くなったが、福州は陸戦と陸海空の攻勢の共同作戦を併用
することで、10月までに占領された。そして、衡陽と広東から別々の攻撃で11月
11日に桂林と柳州両方が占領された。その後日本軍は南部への別の交通路を確保す
るために行動を拡大した。これは海での損失とアメリカ軍の西太平洋への侵入で要請
された。同時に日本軍は貴陽に進み、12月初めには独山と都奄占領したが、日本軍
の重慶侵攻が近いという一時的なパニックを起こしたものの、日本軍はこの一つの前線
に深入りしすぎたことを認めて1週間以内に都奄ゥら撤退した。

第二次世界大戦歴史地図 タイムズ・アトラス / ジョン・キーガン/編 滝田毅/[ほか]訳
369だつお:2007/06/24(日) 00:32:25 ID:Tn2SvmVG
>戦闘体験者の談や中隊記で兵士の方々が記されたものが、

 日本側が「先の戦争では申し訳なかった」といった内容のことを述べると、
ケ小平は発言をさえぎるようにして「われわれは日本軍をそんなに悪く思
っていませんよ」と切り出した。あっけにとられた一行を前にしたケ小平
の説明はこうだった。
 「あの戦争が始まる前、われわれは井崗山(せいこうざん)から、
長征の途についた。延安にたどりついたときは気息奄々、靴もちびはて、
人数も2万人に減って、全滅寸前でした。ところが日中戦争が始まり、
われわれを包囲していた蒋介石軍は日本軍によって次第に南部に押され
ていく。袋のネズミだったわれわれはそれで息を付くことになり、
日本軍の後ろに回って、着々と工作をしていった。そして戦争終結時
には数百万の正規軍を擁する軍事勢力にのし上がった」

http://www.yorozubp.com/9806/980606.htm
日中戦争のおかげで全滅を免れた中国共産党−ケ小平語録
370イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/24(日) 00:32:33 ID:e8nEoAr/
しかし、なぜ蒋介石は「空軍」にこれほど偏重したのか?(私物化するほどに)
という疑問は残ります。支那側(現在の中共)によれば、●「蒋介石は、その
消極的な抗日戦を糊塗するために、アメリカに依存した空軍戦略を取ったのだ」
と主張しています。つまり、真面目に日本軍と戦おうとはせず(自分の軍隊を
温存させるべく)、いわばジェスチャーとして空軍力で日本軍を圧倒できると
宣伝したのだと――。まあ、要するに「隠れ蓑」ですね。

一方の台湾側(国民党)では、●「蒋介石が『持久戦略』の一環として航空戦を
活用したのだ」とする視点が主流です。すなわち、支那奥地に抗戦拠点を築く
時間的余裕を得るうえで、緒戦(上海航空戦など)の航空戦が多大な貢献をした
のだと――。

中共と国民党、双方の主張はどれも事実の一端を示してはいますが、同様にケチも
付けることが出来ます。中共の指摘は、蒋介石を最初から非難しようという魂胆が
見え見えですし、国民党の主張はいかにも苦しい。そもそも、「緒戦の航空戦」に
『持久戦略』があったかは甚だ疑問です。
371だつお:2007/06/24(日) 00:35:24 ID:Tn2SvmVG
 ペンタゴンの軍首脳者たちのかんがえは、総体的に、シェンノートの航空作戦
計画、およびそれをささえるための大量補給の努力は、アメリカの兵力、資材の
浪費であって、ほかの作戦を妨害するものであるということに一致していた。
 シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に
制約をあたえていた。それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国
に補給がえをしたためである。
 この見解は、一九四四年七月四日にルーズベルト大統領に提出された、中国の
危機にかんする統合参謀本部の公式報告に記述された。この公式報告は、シェン
ノートの作戦原理に反論していて、第二次大戦中に発行された文書のなかでも、
いちばんおかしな内容の文書であった。
スチルウェル支持の統合参謀本部
 統合参謀本部は、シェンノートの主張を否決しようとたくらみ、ほかの戦域
の経験を引用して、つぎのようにのべている
「わが軍が航空兵力で断然優勢をたもっている戦場において、ドイツ軍および
日本軍と戦った経験から、航空兵力だけでは、訓練もじゅうぶんで断固とした
決意の地上軍の進撃を阻止できないことが、すでに証明されている。
 われわれはイタリアにおいて、強大な航空兵力をもっても、地上軍の進撃を
阻止することができなかったので、シェンノートが、中国にある比較的小さな
航空兵力をもって、日本軍に決定的な打撃をあたえられるとはかんがえられない。
 日本軍船舶にたいする爆撃の効果があればあるほど、日本軍の中国での進撃は、
つよくなるであろう」

http://www.tom-jerry.com/tomandjerry%20museum/taisen3.htm
「日中航空決戦」(ロナルド・ハイファーマン サンケイ出版)
372名無し三等兵:2007/06/24(日) 00:35:34 ID:???
        ___
       / ,,-、、  ゙^ー-、
      ,/ ,,-i i!;;├...,,__  ゙^-、
      i /l=_゙三_ =_  `-、:::::/  陸軍だけでじゅーーぶん
      `/-――-- 、..゙ー- ::|'
       ` ,―、_,.―..、 ゙-- ,::ノ
        L;;/ 、ヽ::::ノ―b, i
   _    | `` ヽ   _/
   |ii.|___|、ノ___|   l .|
   |i_|     i ‐  ` /  ト、
         `--―"  //
         /ヽ   へ /
373イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/24(日) 01:02:24 ID:e8nEoAr/
>>372 >>そもそも、「緒戦の航空戦」に『持久戦略』があったかは甚だ疑問です。

もし蒋介石に最初から『持久戦略』があったとしたら、日本軍(航空隊)との正面からの
消耗戦は避け、地上戦との連携に重点を置くはずでした。またゲリラ的な「奇襲爆撃」も
空軍力が絶対的に劣勢となる1940年前後ではなく、もっと早期から取り入れていた
でしょう。

こうして見てみると、最後には蒋介石の単純な『空軍力への過信』が浮かんできます。
孫文が「発見」(辛亥革命後、軍閥勢力を打破するために航空隊を設立)した航空戦力を、
その後継者を自認する蒋介石が引き継いだ――。さらに『ドゥーエ理論』(戦略爆撃論)と
いった「WW1」後に生まれた思想の影響を受けると、蒋介石の空軍力への過信はより一層
強固になります。

それはゼロに等しい海軍力を補い、急速に軍事力を拡大することが可能な『即効薬』の
はずだった訳です。いわばドーピングに近いものです。
374だつお:2007/06/24(日) 01:10:44 ID:Tn2SvmVG
>最後には蒋介石の単純な『空軍力への過信』が浮かんできます。

 31回の空中戦で、フライングタイガーの志願者は5機ないし20機の
P-40型戦闘機をもって217機の敵機を撃墜し、みずからの損失はわずか
14機だった。それ以後、「中国空軍所属の中国援助アメリカ志願航空隊」
はフライングタイガーのマークを使い始め、そのサメの頭の形をした
戦闘機も世に名を知られるようになり、「フライングタイガー」という
ニックネームも知られるようになった。抗日戦争が終わるまでに、
フライングタイガーは敵機を2600機撃墜し、積載量223万トン相当の船舶、
軍艦44隻、100トン以下の内陸河川の船1万3000隻を撃沈するかあるいは
大破させた。また日本軍将兵6万6700人を撃ち殺した。フライングタイガー
の隊員のほとんどは中国政府から賞を授与された。10余人の飛行士は
アメリカ、イギリス政府から飛行十字勲章を授与された。

http://www.china.org.cn/japanese/170095.htm
対中援助に寄与したアメリカの「フライングタイガー」
375だつお:2007/06/24(日) 01:14:48 ID:Tn2SvmVG
表1 アメリカの対華援助額(1945-1949 年) (単位:100 万ドル)
                 贈与     借款      合計
輸出入銀行(輸銀)借款    82.8     82.8
アンラ援助            474.0      474.0
ポスト・アンラ援助       46.4      46.4
パイプライン・レンドリース         51.7       51.7
余剰物資                   55.0       55.0
海軍造船所売却               4.1        4.1
船舶購入                   16.4       16.4
中国援助法           275.0             275.0
経済援助小計         795.4    210.0      1,005.4
武器貸与            513.7    181.0       694.7
海軍物資援助          17.7              17.7
軍事余剰物資                 20.0       20.0
海軍船艇贈与          141.3              141.3
中国援助法           125.0             125.0
軍事援助小計          797.7    201.0      998.7
合 計               1,593.1    411.0      2,004.1

http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsie/kansai_resume/Oishi%20050129.pdf
「国民党政権の経済政策とアメリカの援助―1945-1949 年を中心に」
376イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/24(日) 01:46:43 ID:e8nEoAr/
>>373 >>それはゼロに等しい海軍力を補い、急速に軍事力を拡大することが
>>可能な『即効薬』のはずだった

強力な爆撃機があり、(陸軍や海軍と比べれば)少数の優秀な搭乗員がいれば――。
そして奇襲攻撃と本土爆撃を行なえば、日本にも十二分に勝つことができるという
訳です。それは今までの借金(軍事的劣勢)をチャラにして、一気に日本にも
脅威を与えられる魔法の薬のはずだったのです。

しかし『航空戦力』はドーピングのような生易しいものではなく、実際には
国力の差がモロに出るものでした。航空機は最先端の技術の集合体であり、
その統一された指揮系統、パイロットなどの人的資源、国内における生産動員
体制など、国力の全てが要求される『総力戦』の中心だった訳です。

日本が太平洋戦争中、陸海軍の垣根という大きなムダがあったにせよ、国力の
全てを傾注して、最優先で「航空機の増産」に血道を上げていたことに触れる
だけで十分でしょう。そして外国の援助に頼るしかない支那は、航空戦という
WW2の「国家総力戦」に参加する資格に欠けていた訳です。
377イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/24(日) 02:37:43 ID:e8nEoAr/
>>377 >>支那は、航空戦というWW2の「国家総力戦」に参加する資格に欠けていた

それならば、個々の戦闘員の「精神的強靭さ」で補うほかはありません。実際に
蒋介石は、訓話のたびに愛国心に基づく『犠牲的精神』の重要性を訴えています。
こうして、愛国心のモデルとなる何人もの『航空英雄』が生み出された訳です。

●「上海航空決戦」のさなか、日本軍の対空砲火によって乗機が撃墜されて
 落下傘で降下。日本軍に包囲されて応戦したのちに自決した『閻海文』
●日本の輸送船に機体ごと体当たり突撃した『沈祟?』
●撃墜王と呼ばれながら愛機とともに戦死した『高志航』『柳粋剛』……。

こうした『空軍英雄』たちは、日本の敗戦に直接的な影響を与えられなかった
支那の屈折した心情を補うかのように、今日にいたるも称賛されて民族意識の
拠り処となっています。その意味では、「上海航空決戦」も「人道遠征」もまた
『抗戦伝説』の1つだと云えるでしょう。(完)
378元32(予備役少佐):2007/06/24(日) 02:44:45 ID:???
>>377
長期連載、乙でした。

今後も楽しみにしております。

   _,........,_
 , ´,.-== ,ヽ
 i (ノノλノ)リ
 ルイ) ゚ ヮ゚ノ)    「これなら勝てる!」と思って手を出したのが、
  `,く_,`ハ,イつ    最も支那に手に負えないものだったのね。
  ,(,ノ┐ハゝ    完成品輸入やせいぜいノックダウン(部品組立て)
  `'-i'_ィ,ァ"´   では、『高尚』な消耗戦に参加できるはずもない…。
           マトモな空軍力が5年や10年で建設できると
           思うなよ、というのがこのテーマの結論かしら?
380元32(予備役少佐):2007/06/24(日) 02:58:53 ID:???
>>379
実際ドゥーエ理論の呪縛というのは1930年代という時期には、
中国に限らず世界各国で想像以上に強いわけで、
それが40年代まで引きつがれて、
第二次世界大戦のありかたを微妙に歪めた気もしますね。
381名無し三等兵:2007/06/24(日) 08:14:50 ID:???
>>367
参考文献の提示が無いのではね…。
妄想と違わない。
382だつお:2007/06/24(日) 08:46:38 ID:Tn2SvmVG
>「1号作戦」は、中国におけるアメリカの政策の終結をもたらす決定的な引き金

 一九四五年の初め、エドガー・スノーとのインタビューで、ルーズベルトは
「カイロでは、蒋介石についての私の見方を形づくることはまったくできなか
った。あとから考えてみると、彼について私が知っていることといえば、すべて
夫人が蒋と彼の考え方について述べたことばかりである」と、告白している。
#S・シーグレーブ「宋王朝」

 一九四三年に出版されて絶大な人気を博したウェンデル・ウィルキー
の『ひとつの世界』は、高い志のもとに団結し、ほとんどキリスト教国の
ような価値観を有し、西洋世界を愛する「民主」大国たる中国、という
神話をつくり上げるのに大いに貢献した。「皆無」という言葉はまったく
妥協の余地のない強いものだが、バーバラ・タックマンはこの言葉を使って
こう書く。「親中国派や教会のグループなどによる強力な宣伝に眼を覆われた
アメリカの一般大衆は、実情の認識が皆無である」。中国の実情が少しずつ
明らかにされていったのはようやく一九四四年十一月、解任されたジョゼフ・
スティルウェル将軍が口を開き始めてからのことだった。これでタックマン
の言葉を借りると「やっと汚れに汚れた中国というきたないシーツを洗濯
する日が来た」のである。
<ポール・ファッセル「誰にも書けなかった戦争の現実」>
383だつお:2007/06/24(日) 08:52:29 ID:Tn2SvmVG
>日本が太平洋戦争中、陸海軍の垣根という大きなムダがあったにせよ、国力の
>全てを傾注して、最優先で「航空機の増産」に血道を上げていたことに触れる
>だけで十分でしょう。そして外国の援助に頼るしかない支那は、

○野坂參三君 私は、総理大臣の施政演説に対して、総理大臣並びに他の関係
閣僚諸君に、三点について、共産党を代表して質問したいと思います。
<中略>
 さらに工業生産にしましても、工業生産の基礎である、たとえば工作機械
を見ても、戰災によらないところの工作機械が、約七十五万台ある。賠償撤
去されるものを差引いても、まだ過剩です。しかも技術者、これは御存じの
ように、りつぱな技術者が、今失業に悩んでおる。動力資源にしましても、
電力しても、石炭にしても、もしわれわれが開拓すれば、十分にある。
さらに原材料にしましても、まだ開発すべき余地がある。ただ、われわれに
必要なのは、鉄鉱石とか、石油とか、繊維資源あるいはパルプ類、こうい
うものは外國に仰がなければならない。ところが、こういうふうな原料は、
アメリカ大陸だけではない。われわれの非常に身近にあるところの極東大陸
にたくさんある。中國、朝鮮あるいは拂印、インドネシア、インド、
この方面に求めるなら、われわれの欲しい原材料はある。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/002/0512/00201280512009a.html
第002回国会 本会議 第9号
昭和二十三年一月二十八日(水曜日)
384だつお:2007/06/24(日) 09:09:50 ID:Tn2SvmVG
>そして外国の援助に頼るしかない支那は、

 情勢は共産陣営にとってより複雑な展開になっていった。毛沢東がスターリン
に送った一九五一年三月一日付の至急電はこのような事実をよく立証している。
<前略>
(4)朝鮮での戦闘過程の中での現在の劣勢は、次のような問題によって発生
している。敵軍が火力で優位を確保しており、わが軍の輸送能力が弱い。空から
の援護がないため、敵の空爆によって前線に運ばれた補給品の三〇〜四〇%を
喪失しており、さらに敵は定期的に補給を受けている(たとえば、六月末までに
六万から七万名規模の米軍が朝鮮に到着しているはずである)。
 われわれは四〜五月中に一〇個航空連隊が、戦闘に参加できるよう望んでいる。
しかし、現在までのところ朝鮮の領域内に使用できる飛行場は一つもない。なぜ
ならば、地上にはまだ雪が積もっており、飛行場の全面的修復作業をはじめるこ
とができないからだ。のみならず、最も深刻な問題の一つは、空からの援護が
期待できないため、将来にわたって修理作業を行えないことである。
「朝鮮戦争の謎と真実」A・V・トルクノフ 草進社

 この問題がまだ解決しないうちに、日本軍がビルマ公路に沿って、短い攻勢に出た。
蒋介石は、日本軍が一直線に昆明にまで攻めよせてくるのではないかと不安にかられ、
ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。
 ルーズベルトは蒋介石に緊急の覚書を送り、ビルマから軍隊を引き揚げるようなこと
があれば、また全指揮権をスティルウェルに渡さないのであれば、アメリカからのすべ
ての援助を停止すると警告した。
 スティルウェルによれば、大統領からのこの覚書は「火のついた爆竹」であった。
スティルウェルは蒋介石と会見し、「このとうがらしの包みをピーナツ野郎に手渡し、
大きく息を吐きながら椅子の背に身体を沈めた。鋲はこのちび野郎のみぞおちに命中し、
やつを突きぬいた」
「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会)P252
385だつお:2007/06/24(日) 11:41:15 ID:Tn2SvmVG
>しかし『航空戦力』はドーピングのような生易しいものではなく、実際には
>国力の差がモロに出るものでした。航空機は最先端の技術の集合体であり、
>その統一された指揮系統、パイロットなどの人的資源、国内における生産動員
>体制など、国力の全てが要求される『総力戦』の中心だった訳です。

 ソ連側資料によれば、11月14日から12月5日までの期間、赤軍航空隊は西部方面戦区で
15903回の出撃を行ったが、これとまったく同じ期間に同じ地区で確認されたドイツ機の上空
通過は3500回であった。もちろん、すべての上空通過が確認されたわけではない。後に押収
されたドイツ軍の参謀資料からすると、ドイツ軍のパイロットたちは11月末に平均して1日
240回発進していたと推察できる(これに対してソ連軍パイロットたちは760回の出撃で応え、
敵の約2倍の航空機を有していた)ドイツ軍の対ソ侵攻後初めて、赤軍航空隊はルフト
バッフェよりも稼働率を上げて活動するようになっていた。ドイツ第4戦車集団の戦闘
行動日誌は上空の様子を何とか説明付けようと試みている。
―「赤い首都はその多数の幹線道路・鉄道とともに前線のすぐ後方にある。敵は『地の利』
に恵まれている。ソ連空軍は格納庫や修理所、モスクワの飛行場を持っているが、ドイツ機
は野戦飛行場の雪原に立ち、悪天候の影響をすべて耐えねばならぬのである」
 11月18日に西部方面軍戦区の右翼に第6戦闘航空軍団の主力が基地を移し、さらに1日
おいてそこに長距離爆撃航空軍の1個師団が投入された。上空ではソ連空軍が明らかに優位
にあったことをドイツ第9野戦軍の戦闘活動日誌も認めている。
―「敵空軍再び我が軍進撃部隊を爆撃し、銃撃しているが、ドイツ戦闘機部隊は今にいたる
も地上部隊の上空援護を保障できないでいる」

http://members.at.infoseek.co.jp/utidayuki/moskow.htm
モスクワ上空の戦い  知られざる首都航空戦1941〜1942年
386名無し三等兵:2007/06/24(日) 11:43:09 ID:???
長期乙でした 次はなんですかね?
387名無し三等兵:2007/06/24(日) 12:44:05 ID:???
388だつお:2007/06/24(日) 12:52:42 ID:UQxYuo0i
イナゾウ氏の指摘通り、そもそも航空戦力は最先端の技術の集合体であり、
何十年にも渡って積み重ねられてきたその国の産業基盤がモノを言う。
それは外国の援助や○○主義○○政策で覆せるほど生易しいものではない。
私有財産否定の共産主義かつ西側の援助なしの時期であってもロシアの場合
は航空戦力において最盛期のナチスドイツとも互角以上に渡り合っている。
逆にいくら反共主義で財閥が栄えようといくら欧米ロシアの支援を受けようと、
中国国民党の場合は産業基盤が育成されず皇軍に連戦連敗だった。

最強ドイツ軍を粉砕したソ連>>>>>>>>>>>>越えられない壁
>>>>>>>>>>>>>>>97式中戦車チハで粉砕された中国
最強ドイツ軍を粉砕したソ連>>>>>>>>>>>>越えられない壁
>>>>>>>>>>>>>>>97式中戦車チハで粉砕された中国
最強ドイツ軍を粉砕したソ連>>>>>>>>>>>>越えられない壁
>>>>>>>>>>>>>>>97式中戦車チハで粉砕された中国
最強ドイツ軍を粉砕したソ連>>>>>>>>>>>>越えられない壁
>>>>>>>>>>>>>>>97式中戦車チハで粉砕された中国
最強ドイツ軍を粉砕したソ連>>>>>>>>>>>>越えられない壁
>>>>>>>>>>>>>>>97式中戦車チハで粉砕された中国
389だつお:2007/06/24(日) 13:55:53 ID:UQxYuo0i
中国国民党は国力も知らず無謀な抗日戦争を仕掛けその結果として自爆した。
皇軍がいかに近代化された先進工業国の軍隊だったかを知らなすぎたのだ。

皇軍から見れば太平洋戦争をやらず日中戦争だけをやればよかった。
抗日戦争を仕掛けてくるのは飛んで火にいる夏の虫、中国人は虫けら。
中国人という生き物は皇軍に虐殺されるために涌いてきた殺戮標的物だった。
390だつお:2007/06/24(日) 18:26:51 ID:Tn2SvmVG
> 蒋総統にしてみれば、『支那事変』いらいの日本との戦いは中国主権の回復の
>ためであり、とくに租借地などの解消を本旨とする。それなのに、こんどはソ連
>が権益を求め、米国がそれを支持している、という。

ルーズベルトだっていつまでも中国人の詐術外交にやられてばかりいる
ほどに無能なわけではなかったんだよなぁー。国際社会の現実は厳しいよ、
日本相手だったら対支21カ条要求のうち14ヶ条を承諾するだけで
よかったはずなのにと。いやもしかしたら中国人の強烈な排日白人崇拝
志向からすればそれも本望だったのかもしれない。それと中国は人口が
多すぎるから、抗日戦争なり共産革命なりで減らさないとどうにもなら
ないという事情も考えてやるくらいの配慮は必要だったかもしれない。
中国人が自ら望んで抗日戦争を仕掛けその結果として共産主義革命、
これはこれで中国人が自己責任で選択した人生とも言えよう。
391名無し三等兵:2007/06/25(月) 00:15:02 ID:???
話題になっているブートキャンプを初めて経験してみた。
基礎編の、ただの準備運動だけであまりに辛く、これでは
とても続けられないと開始30分程で諦めてしまった。
聞けばこの運動は軍隊における新兵強化訓練を元にしているとか。
恐ろしい話だ。戦争が始まれば、今の日本の若者達や子供達が
日本の軍隊でこれほどまでに厳しいシゴキ、拷問にも等しい
訓練に耐えなければならない。
これを思った時、今の時代の日本の右傾化、安易な憲法改正への流れ、
日本を戦争ができる国に変えようとする安倍政権の思惑が
これまで以上にさらに恐ろしいものに思えてきた。
若者達にこのような苦痛を与えるわけにはいかない。
ビリーズブートキャンプはただの減量、エクササイズビデオではない。
戦争の恐ろしさを語り継ぐ教材としてさらに多くの人達に見てもらう
必要があるだろう。
392白馬青牛:2007/06/25(月) 01:31:02 ID:OxTcY3fe
>>369
ケ小平は日本軍と国府軍が共倒れすりゃあええ方の中共の立場で云う
とるんで。
>>381
当時の兵士の見解を否定出来る参考文献たァ何なら?
中隊記の回想に参考文献がないけえ、前線で戦うた兵士の言は嘘か?
馬鹿々しい。
>>389
日華事変で自爆したんは日本軍の方じゃ。昭和20年の中支派遣軍の
例えば第132師団の予備弾薬も一会戦分しかなかった。「一会戦分とは、
一個師団の一週間の行動で、敵と二回戦を戦う弾薬量で、最前線がこの
ありさまだったから、後方の師団ではもっと窮迫していたはずで、
戦争に負けるというのは、つまりそういう手も足もでない状態におちて
しまうことであり、支那派遣軍は負けるべくして負けたわけである。」
「古今世界のいずれの戦場でも、現住民を味方にせぬば、占領警備は
持続できなかった。それはかかって、部隊の軍紀にあり、また誠意ある
宣撫活動による。敵地に作戦する軍隊としては、人心収攬こそ、至上最重の
要件である」じゃが、一部の部隊を除き日本軍の軍紀も弛緩しとったし、
英米露等相手に戦闘せんでも、日華事変だけでも、日本軍は自滅の道しか
なかったろう。
393廣島人:2007/06/25(月) 01:35:43 ID:OxTcY3fe
>>392は、白馬青牛で打ってしもうた。
どっちゃでも同じことじゃが。
394イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/25(月) 02:30:21 ID:???
>>380 >>実際ドゥーエ理論の呪縛というのは1930年代という時期には、
>>中国に限らず世界各国で想像以上に強いわけで、

毎度どうもでございます。日本の場合、山本・大西・源田などが『航空主兵・
戦艦無用論』を主唱したいがために、限られた予算のなかで少しでも多くの
攻撃機(爆撃機)を欲した面もあります。これに従来からの「漸減作戦論」や
自説に都合の良い「ドゥーエ理論」などが絡んでくると、もはや訳ワカメw。
395イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/25(月) 02:54:15 ID:???
>>386 >>長期乙でした 次はなんですかね?

どうもでございます。次は小テーマ『虎えもん――のび犬とドイツ軍事顧問団』
じゃなかった、『支那とドイツ軍事顧問団』ですw。

ちなみに主要参考文献は、「在華ドイツ軍事顧問団と日中戦争」(ゲルハルト・
クレープス)になります。

>>387 >>これってどうなんですかね
それは思いっきり『上海航空決戦』の参考文献ですw。
396名無し三等兵:2007/06/25(月) 03:52:22 ID:???
浙江省ではまともに戦闘してないの?
397だつお:2007/06/25(月) 10:04:11 ID:E/2yarae
>英米露等相手に戦闘せんでも、日華事変だけでも、日本軍は自滅の道

ついこの前まで大陸打通で散々ドツキ回されてたチンピラゴロツキが、
翌年からは逆転の予定ですたとでも言いたいのか?

笑わせるじゃねぇか、ホワイトハウスの戦略家をナメてるのかと。

そんな中国人の抗日ホラ話が、ルーズベルトやマーシャルに通用したと思う?

> 蒋総統にしてみれば、『支那事変』いらいの日本との戦いは中国主権の回復の
>ためであり、とくに租借地などの解消を本旨とする。それなのに、こんどはソ連
>が権益を求め、米国がそれを支持している、という。

ルーズベルトだっていつまでも中国人の詐術外交にやられてばかりいる
ほどに無能なわけではなかったんだよなぁー。国際社会の現実は厳しいよ、
日本相手だったら対支21カ条要求のうち14ヶ条を承諾するだけで
よかったはずなのにと。いやもしかしたら中国人の強烈な排日白人崇拝
志向からすればそれも本望だったのかもしれない。

いずれにせよ中国国民党政権の崩壊は、対日・対米詐術外交の結末で、
謀略によって興した国は謀略によって滅びるのだという当たり前の証明。
398名無し三等兵:2007/06/25(月) 11:27:59 ID:???
>397
>翌年からは逆転の予定ですたとでも言いたいのか?

実際1945年に日本軍は初めて戦術的敗退をした。
日中の戦力バランスは中国に傾きはじめている。
399名無し三等兵:2007/06/25(月) 12:30:27 ID:???
打通さんが正しい。
400名無し三等兵:2007/06/25(月) 14:42:49 ID:???
アホか。
蕋江作戦で支那軍に撃破殲滅された第6方面軍は
チンピラゴロツキよりも劣る下等生物という事でいいんですな?
401だつお:2007/06/25(月) 19:14:24 ID:RyPLicKJ
マーシャルらホワイトハウスの戦争指導部は戦略家揃いだから、中国人が詭弁
と詐術外交を駆使してどうにかなる相手じゃない。アメリカの国益のためなら
何だってやるし手段は選ばないという汚い面もあるにせよ戦略的には正しい。

いかにして少ない犠牲で勝利するか。それにはまず中国を切捨てソ連と協調する。
そして日本に対してはアメとムチで原爆投下や東京裁判を強いる一方で国体は
そのままにし占領政策は間接統治方式でやる。ドイツ・日本の占領政策が一段落
したら今度は共産主義との対決姿勢に切り替える。
402だつお:2007/06/25(月) 19:30:30 ID:RyPLicKJ
>蕋江作戦で支那軍に撃破殲滅された第6方面軍はチンピラゴロツキよりも劣る下等生物

「白団」は、1950年から1968年の年末まで、およそ20年にわたっておこなわ
れたというから、なおおどろきだ。まだGHQの占領下にあったころから画
策されたのだから!
といっても、日本政府が隠れてやっていた謀略ではない。戦時中、支那派遣軍
総司令官であり陸軍きっての中国通であった岡村寧次に、蒋介石が目をつけ
工作したものだった。蒋介石にとっては、旧日本軍のノウハウこそ大陸反抗
にとって必要なものだったからだ。

http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000501Baiduan.htm
『白団(ぱいだん)台湾軍をつくった日本軍将校たち』
403だつお:2007/06/25(月) 19:39:31 ID:RyPLicKJ
中国人はあの大嫌いな日本鬼子の大将を自分たちの軍事顧問に招いた。
そうするとあの大嫌いなナチスドイツと不可侵条約を結んだスターリン
というのを思い起こしてしまう。

不倶戴天の宿敵であっても、国際社会というジャングルを生き抜く
には敵との妥協も余儀なくされる。これは原爆投下や東京裁判をも
受諾した日本でも同じだ。外圧も自らの非力ゆえ受け入れざるを得ない、
アメリカ対日本の関係は日本対中国にも当てはまる。

皇軍は大嫌いでも終戦時の残存戦力は強大なまま、中国軍では歯が立たない。
中国人は悔し涙を流しながら、皇軍指導部を軍事顧問に招聘したのだ。
404名無し三等兵:2007/06/25(月) 20:16:36 ID:???
>>392
あんたが提示した共産党のサイトに参考文献が提示されて無いって言ってんの。
405名無し三等兵:2007/06/25(月) 20:18:58 ID:???
>>392
>当時の兵士の見解を否定出来る参考文献たァ何なら?
>中隊記の回想に参考文献がないけえ、前線で戦うた兵士の言は嘘か?
>馬鹿々しい。

棟田博の「陸軍よもやま物語」読んでみろ。
406名無し三等兵:2007/06/25(月) 20:27:36 ID:???
史実は参考文献から分析するのではなく、
史料から分析するもの。
407名無し三等兵:2007/06/25(月) 20:52:15 ID:???
史料の提示もないがなー。
408名無し三等兵:2007/06/25(月) 21:37:44 ID:???
中国人体型と日本人体型(上)日本人は短足・ガニ股?
2007/06/24(日) 15:30:02更新

中国人の生活・文化・歴史 第11回−深町英夫(中央大学経済学部教授)

中国人と比べて日本人は、背が低く、脚が短く、ずん胴で、つり目で、毛深く、
出っ歯だ――と言われたら、どう思われるだろう。

◆米国人から見れば?
当コラムの第1回目で記した通り、私が2004年から2006年まで客員研究員として
滞在していた、米国カリフォルニア州のスタンフォード大学フーバー研究所には、
貴重な歴史資料が大量に収蔵されている。私はある日、第二次大戦中に作成された
China Primer(『中国入門』)という、米国人に中国事情を紹介する
小冊子に出くわした。

その1頁が“How to spot a Jap”、つまり「日本人の見つけ方」と
題して米兵が中国戦線で、中国人に扮した日本人工作員を見分ける方法を図解している。
実は冒頭で記した「中国人と比べて日本人は云々」というのが、まさにその際の「目安」なのである。

「中国人は平均的米国人とほぼ同じ体格だ」とか、「中国人の目は欧米人と同じ付き方をしている」
とか、少々首をかしげたくなる記述も有るが、同盟相手はなるべく身近な存在に描き、
逆に敵国民を可能な限り異質な存在に描くのは、戦時であれば当然のことか。
409名無し三等兵:2007/06/25(月) 21:40:19 ID:???

◆正座と日本人の足・脚
ただ、ここで興味深いのは、日本人の足・脚が注目されている点だ。即ち、上述の短足・ガニ股に
加えて、「中国人や他のアジア人は普通の足をしているが、日本人は下駄を履くので足の親指と
人差し指が離れている」というのである。そして、「中国人は大股で歩く(stride)が、
日本人はすり足で歩く(shuffle)」とされている。

実はこの様な日本人の足・脚の形には、他ならぬ中国人も注目していたようだ。最近私が読んでいる、
やはり戦争中に中国で発行されたある雑誌に、「倭人鑑別法」なる文章が掲載されている。
その趣旨は上記の「日本人の見つけ方」と全く同じで、中国人を装う日本人工作員を見分けることであった。

それによると、「倭人」は床に正座するので、胴が長く脚が短いという生理発育上の「変態形状」が
形作られ、よく足の甲に銀貨大の肉塊ができている。更に、裸足や下駄を好むため足が平らで大きく、
五本の指は広がっていて「華人」よりも長い。日本女性は正座をして両足が腿に圧迫されているので、
道を歩く際に「八の字形」を成す(内股の意?)。

この「鑑別法」の当否はともかく、当コラムでも以前述べた様に、正座は中国人から見れば一種の
「奇習」であり、それが日本人の足・脚を変形させたと考えられたようだ。
(執筆者:深町英夫)
(サーチナ・中国情報局)http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=0624&f=column_0624_003.shtml
410名無し三等兵:2007/06/25(月) 21:48:34 ID:???
倭猿は体格も劣等ですねキルキルキル
411イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/25(月) 22:14:21 ID:???
>>398 >>実際1945年に日本軍は初めて戦術的敗退をした。
>>日中の戦力バランスは中国に傾きはじめている。
>>400 >>蕋江作戦で支那軍に撃破殲滅された第6方面軍は

「ビルマ戦線の決着」(援蒋ルートの再打通)や「米軍の支那沿岸上陸」(の防備)
も込みで考えないといけません。それらも含めて「日中の戦力バランスは中国に
傾きはじめている」と云うなら事実でしょう。

まあ、先の『上海航空決戦』と同じです。成都からの日本爆撃(B-29)は、
米軍の力を借りて行なわれました。別に支那だけの手柄では全くありませんw。
412イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/25(月) 22:17:40 ID:???
【お詫びと訂正】

×成都からの日本爆撃(B-29)は、『米軍の力を借りて』行なわれました。
◎成都からの日本爆撃(B-29)は、『米軍の力によって』行なわれましたw。
413イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/25(月) 22:40:41 ID:YFWabKW6
さて、小テーマ『支那とドイツ軍事顧問団』です。記憶に新しいところでは
以前のNHK特番「日中戦争――なぜ戦争は拡大したのか?」で、ドイツの
軍事顧問団が大きく取り上げられた事があります。顧問団の中心人物だった
ファルケンハウゼンやドイツ製のヘルメットを被り軍事訓練を受ける支那人
兵士たちの映像を覚えている人も多いでしょう。

この小テーマでは戦闘などあまり派手な事は扱いませんが、「ドイツ軍事顧問団」の
起源やドイツ本国との対立を中心に取り上げていく予定です。まあ、夏コミまでには
余裕で終わると思いますw。

それでは「ドイツ軍事顧問団」の成立までを駆け足で見ていきます。

辛亥革命後の孫文は軍閥との戦いのなか、中国に兵器工場を建設しようと志します。
もちろん支那独力では到底無理な話ですから、外国(欧米列強)の力を借りなくては
なりません。そこで孫文が目をつけたのが、「WW1」の敗北によって極東地域に
おける勢力を完全に失ってしまったドイツだった訳です。
414イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/25(月) 22:58:18 ID:YFWabKW6
孫文がドイツに対し「専門家の協力」を要請したのが、1922年頃と
されます。当時の国民政府には外貨がほとんどありませんでしたので、
兵器工場に必要とされる機械や施設の支払い代金は『現物(バーター)』
と必然的になります。

また支那「国軍の再建」と近代化をはかる目的で、ドイツ軍人への接触も
始められました。

しかしドイツは当時、基本的に『現金支払い』にしか興味が無かったため、
孫文の取引きに応じません。またドイツ軍人についても、ドイツ外務省は
WW1のヴェルサイユ条約を理由に、●「ドイツの軍人を顧問として派遣
することは出来ない」として支那側の要請を断っています。

この背景には、当時の孫文および国民党の支配地域が「南支の広東」を
中心としたごく狭い地域に限られており、ドイツとしてもリスクが大きく、
正式な協力を躊躇せざるを得ませんでした。
415名無し三等兵:2007/06/25(月) 22:59:08 ID:???
>>395
なるへそつまりファルケンハウゼンタンのオデマシデスネ
期待しとります
416だつお:2007/06/25(月) 22:59:34 ID:E/2yarae
>「WW1」の敗北によって極東地域における勢力を完全に失ってしまったドイツ

中国国民党のように弱い国は戦勝国でも潰れるし、ドイツとか日本
とかのように強かった国は敗戦国になっても復興は早いものだよ。
中国国民党の場合は援助止めたら即崩壊だけど、ドイツとか日本
とかの場合は援助無しでもやってける自前の産業基盤があるから。
あと先進国でもイギリスとか援助に頼ってた国も衰退してる。

日本の場合は昭和天皇とか岸信介とか旧軍戦争指導部がGHQ
でその有能さを買われて返り咲きするけど、中国国民党指導部
は無能で使い道がないから内外から見棄てられる。

朝鮮戦争ともなればむしろアメリカのほうが日本の工業基盤を頼りにしてる。
417名無し三等兵:2007/06/25(月) 23:02:07 ID:???
流石にあのまま続けてても武漢三鎮も落ちて沿岸部まで撤退せざるおえんだろ
八路軍もあるしなんしろ民衆の抵抗が激化しそうだ
418名無し三等兵:2007/06/25(月) 23:13:19 ID:???
ファルケンハウゼンはhoiだと国民党にとって神レベルの研究機関だな。
38年にはサヨナラだけど。
419名無し三等兵:2007/06/25(月) 23:15:41 ID:???
2や1の研究機関連続の中であれは神
シェンノートの空ドクは使えるがしかし空軍を作るICが無い
420イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/25(月) 23:19:40 ID:YFWabKW6
まあ要するに、軍閥が跳梁跋扈するなか、一地方政権に過ぎない国民政府に
「そこまで肩入れ出来ない」というのがドイツの本音だったでしょう。

ドイツに失望した孫文は、今度はソ連に協力先を求めます。ソビエト社会主義
共和国連邦が成立したばかり(1922年)だったソ連は、厳しい台所事情だった
にも関わらず、将来の友邦の成立と革命の輸出のために喜んで協力を約束しました。

こうして1923年、孫文は●「ソ連が中国革命の最大の支持者である」と
絶賛します。やがて60名ものソ連軍人が支那を訪れて、軍や経済、そして
国民党の政治組織そのものの再編成に着手しました。

孫文は『連ソ容共』政策を打ち出し、翌1924年には黄埔軍官学校が
成立し、大量の共産党員がその身分を保持したまま、国民政府に加入し、
周恩来(黄埔軍官学校・政治部副主任)などその内の幾人かは要職を
得ました。ちなみに校長は言うまでもなく、若き日の蒋介石です――。
421イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/25(月) 23:24:25 ID:???
>>415 >>なるへそつまりファルケンハウゼンタンのオデマシデスネ 期待しとります

まあ、テーマ全体としては、すげー地味な話になると思いますw。
422名無し三等兵:2007/06/25(月) 23:26:14 ID:???
最近、イナゾウ中佐は支那が大好きだけど
いじめるツンデレなのではないかと邪推して仕方ないw
423イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/25(月) 23:43:24 ID:YFWabKW6
しかし1925年には孫文が死去――。汪兆銘が政治的指導者になる一方で、
黄埔軍官学校長の蒋介石は『軍権』を掌握していきます。

ソ連から国民党政府に派遣されたミハイル・ボロディン(政治顧問)の影響
により、共産党の勢力は日増しに強くなります。もはや「党内党」ですw。
1926年には北伐が開始され、蒋介石が総司令に任命されました。

北伐がひと段落した後の遷都先を、武漢(国民政府<中共>)にするか、
南昌(蒋介石)にするかで党内の対立が決定的に――。結局、1927年
4月に蒋介石が「上海クーデター」を起こして中共勢力を撲滅、上海の
労働者を指導していた周恩来は命からがら処刑を免れることになります。

結局、蒋介石は「ソ連によるスパイ活動と政治的な陰謀が明らかになった」
として、全てのソ連顧問を国外に追放し、中国共産党員に対する徹底的な
粛清に乗り出しました。
424イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/25(月) 23:58:06 ID:YFWabKW6
まあこの後は、南京国民政府を樹立した蒋介石と、中共を受け入れて
武漢に国民党政府を作った汪兆銘との対立――。

また武漢国民政府でも共産党に対する『清党』が行なわれ、1927年
7月中旬には「第一次国共合作」は完全崩壊――。

さらに北伐軍が徐州で敗れたこともあり、蒋介石が1927年8月に下野。
それを機に「武漢国民政府」が「南京国民政府」に合流――。

しかし11月には国民党内部の政変である「広州張黄事変」で蒋介石が
政権に復活。翌1928年には北伐を完了させて支那を統一……。

などなど、死ぬほどややこしい話が続きますが、テーマには直接関係
しませんので軽く流す程度にします。
425イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/26(火) 00:07:57 ID:yjlKyw3N
何にせよ蒋介石は、これ以上ないくらいスターリンを激怒させた訳で、
もはや国軍の近代化などをソ連に頼ることは出来ません。

そうなると国民政府が頼ろうとするのは、やはりドイツで……。
ということで、以上が前振りの話になりますw。
>>422 >>最近、イナゾウ中佐は支那が大好きだけど
>>いじめるツンデレなのではないかと邪推して仕方ないw

      ,  ‐‐-、___
    /   ., '´⌒⌒ヽ 〜♪
   ./   、 i´ )ノ)ノ))ハ)
   ||     メ)ハ)゚ ー.゚ノl)   心配しなくても大丈夫。中佐が真性
   ヽ.   _Q)#」ネl」)つ    キチガイ・レイシストであることは
      ̄ ,<´_#,#ハ     間違いのないことよ。期待は決して
        ` "i_フ_フ"     裏切らないわw。
427名無し三等兵:2007/06/26(火) 00:38:03 ID:???
イナゾウ君はどこに投票するの?
428名無し三等兵:2007/06/26(火) 00:40:30 ID:???
>>427
レイシスト党
429名無し三等兵:2007/06/26(火) 03:44:50 ID:???
イナゾウがこのスレで頑張ってるのはわかるが、変なイデオロギーにさらされてて中国人が絡むと電波を発しだす。
そのため前の方はそれなりに説得力があったが、最近は電波とそれ以外の区別をつけるが難しい。
まあ、こんな事をレスしてもイナゾウは電波を発するのだろうが。
限界点というレスがあったが、電波発生の境界線が正しい。
日本軍の内部だけを語って欲しいものだ。
それなら大いに為になりそうだ。
430名無し三等兵:2007/06/26(火) 10:29:46 ID:c2jgMFbo
いや国民党軍や中共軍の話もおもしろいし
具体的にどこが電波か指摘すればいいじゃん
431名無し三等兵:2007/06/26(火) 10:48:47 ID:???
俺が電波だ!
432だつお:2007/06/26(火) 11:37:31 ID:ctNvmgK4
>何にせよ蒋介石は、これ以上ないくらいスターリンを激怒させた訳で、
>もはや国軍の近代化などをソ連に頼ることは出来ません。

これは中国とソ連の工業基盤の違いというのを全く無視しているようだな。
財閥というほんの一握りの富裕層が栄えた程度ではどうにもならん。
最盛期のナチスドイツと独力で抗戦して互角以上のソ連と、最後の一年
でも皇軍に連戦連敗だった中国とでは、大人と子供ほどの差があったと。
中国国民党は身の程知らずにも詐術外交で日本や欧米ロシアに臨んで、
その結果として自爆したのだと言えよう。

>変なイデオロギーにさらされてて中国人が絡むと電波を発しだす

中国人をチンピラゴロツキとかゴキブリとか生ゴミとかウジ虫とか呼ぶのは、
そうした事実を事実の通り忠実に表現したものであって、差別思想とは違う。
433だつお:2007/06/26(火) 11:50:48 ID:ctNvmgK4
あとナチスドイツの工業能力を日本よりさぞかし優れていたか
のように語る意見もあるが、日本との比較はさておくとして、
二流工業国のロシアとせいぜい互角ではいかがなものかと思う。
あといくら犠牲者が出ようともソ連の五ヵ年計画経済は少なく
とも最盛期のナチスドイツとも互角以上に勝負できたのだから、
ドイツと互角以下だったかもしれない皇軍にさえ歯が立たなかった
中国国民党と比べれば天と地・月とスッポンの差であったと言える。

人口で言えば中国は少なくともソ連の倍以上で、量でなくて質の格差。
434だつお:2007/06/26(火) 12:13:55 ID:ctNvmgK4
>何にせよ蒋介石は、これ以上ないくらいスターリンを激怒させた訳で、
>もはや国軍の近代化などをソ連に頼ることは出来ません。

何にせよ毛沢東も、これ以上ないくらいフルシチョフを激怒させた訳で、
もはや国軍の近代化などをソ連に頼ることは出来ず「自力更生」と。

あの最強ナチスドイツ軍を撃破したソ連と、97式中戦車チハの皇軍に
連戦連敗だった中国とでは、比べるのもおこがましいくらいの差がある。
ソ連代表からまさに「身の程を知れ」と怒鳴りたいところだったろう。

中国人をチンピラゴロツキと呼んで蔑むのは、国際社会の常識だ。
435名無し三等兵:2007/06/26(火) 12:39:59 ID:???
>411
それを言ったら日米開戦初頭の日本軍の快進撃も
戦前に備蓄された米国製品によるものだからアメリカの功績、
日本軍の手柄じゃありませんでおしまいw
436だつお:2007/06/26(火) 12:43:30 ID:ctNvmgK4
>また武漢国民政府でも共産党に対する『清党』が行なわれ、1927年
>7月中旬には「第一次国共合作」は完全崩壊――。

「共産主義者」を大量虐殺すれば共産主義思想がなくなるとのアホな考え。
共産主義の思想は努力が報われない絶望的な格差と貧困から生じるもので、
これを根絶するには社会保障や土地改革を進めなければどうにもならない。

ドイツの場合も「共産主義者」を大量虐殺して共産主義ソ連を壊滅させ
ようと奇襲攻撃をかけたものの返り討ち、逆にドイツの東半分が共産主義に。
437名無し三等兵:2007/06/26(火) 16:50:24 ID:???
>>435
馬鹿なの?
438イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/26(火) 22:19:21 ID:???
>>427 >>イナゾウ君はどこに投票するの?
マジレスしますと自民党です。あんまり大敗するのもマズイと思うのですよw。
安倍の登板は早過ぎたのか、それとも安倍だからこの程度で済んでいるのか、
若い芽は早めに潰そうと考えたのか、教えてくらさい小泉首相w。

>>429 そのコピペ飽きました。もう少しバリエーションが欲しいところ。

>>416 >>中国国民党のように弱い国は戦勝国でも潰れるし、ドイツとか日本
>>とかのように強かった国は敗戦国になっても復興は早いものだよ。
>>中国国民党指導部は無能で使い道がないから内外から見棄てられる。

何回も見たようなコピペを連投していただつお氏がここ1日、2日
見違えるようです。中味が別の人に変わりましたか?
439イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/26(火) 22:24:56 ID:???
>>432 >>中国人をチンピラゴロツキとかゴキブリとか生ゴミとかウジ虫とか呼ぶのは、
>>そうした事実を事実の通り忠実に表現したものであって、差別思想とは違う。

その点は同意です。「差別」ではなく「区別」と云います。

>>435 >>それを言ったら日米開戦初頭の日本軍の快進撃も
>>戦前に備蓄された米国製品によるものだからアメリカの功績、

石油や機械類、鉄屑などを指すのなら分からないでもない。
440イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/26(火) 22:41:05 ID:pTb+bNVV
>>425 の続き。>>そうなると国民政府が頼ろうとするのは、やはりドイツで……。

第一次国共合作が『完全崩壊』してソ連をブッタ斬った形の国民党政府(蒋介石)は、
再びドイツ軍人への接近を試みます。北伐を完成させて、曲がりなりにも支那統一を
果たしたことから当然、ドイツの扱いも以前と変わってきます。まあ、国府政府は
事実上の「中央政府」となりましたからね。中味は依然としてグチャグチャですがw。

結果から言えば、幾人かの「ドイツ軍人」の関心を引くことに成功します。これは単に、

●ヴェルサイユ条約により「失業状態」にあった職業軍人にとって待遇が良い
●今までの自己のキャリアを活かせる

といった理由だけでなく、政治的な立場も影響していました。彼らの一部は
(当然、大物ですが)、ドイツの産業界、とりわけ軍需産業と深い結びつきが
あったためです――。
441イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/26(火) 23:12:30 ID:pTb+bNVV
要するに支那が求めていたのは、単なる『斬った張った』を教えるだけの軍事顧問
ではなく、ドイツ産業界とも「太いパイプ」を持つ人物だった訳です。孫文が最初に
ドイツから軍事顧問を求めた理由が、兵器産業を自国に建設するためだったことを
思い出してください。

そのようなドイツ軍人のうち、もっとも初期に支那を訪れたのが、マックス・
バウアー(Max Bauer)陸軍大佐です。彼は第一次大戦当時、戦略動員局に
務めており、1920年のドイツで起きたカップ一揆にも絡んでいるとされます。

バウアー大佐はその後、ソ連で毒ガスなどの分野で軍事顧問として働いたのち
スペインとアルゼンチンでも同様の仕事に携わっていました。そして1927年、
広東の国民政府指導部からの招きで視察をするために支那を訪れた直後、現地で
クーデターに巻き込まれます。

ここでバウアーは直接、蒋介石のもとに避難したことから縁ができました。ドイツの軍や
産業界との繋がりを求めていた蒋介石は、バウアーを直ちに経済顧問として雇い入れます。
442イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/26(火) 23:32:53 ID:pTb+bNVV
マックス・バウアーは、1928年に兵力225万人もあった支那軍に、
「少数の中核となる精鋭部隊」を創設することを蒋介石に提案しています。
これが後に上海決戦で投入される「国府軍の中央直轄部隊」へと繋がっていく
訳ですが……。まあ、当分先の話です。しかし10年ちょっとですから、
そんなに遠い未来でもありませんが。

バウアーの働きによって支那の軍備は拡大し、経済・軍事両面で、約20名の
専門家・軍事顧問を獲得することが出来ました。まあ、いつだって人脈は非常に
重要な訳です。現代の「転職」だって、相手先に求められるのはその人の人脈が
大きいでしょう。

しかし「国共内戦」が激化するにつれて、次第に純軍事面での顧問がより必要と
されるようになります。バウアーらは教練部隊を作り、軍学校で授業を行なって
情報収集活動などを啓蒙しました。支那人相手ですから、まさに「蒙を啓く」
という表現がピッタリですw。まあ、教わる相手は「WW1」の当事者な訳です。
443イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/26(火) 23:53:04 ID:pTb+bNVV
さらにバウアーらの活動の分野は、鉱工業・農業・警察、そして行政にも
及び、ドイツ産業界の重要人物による支那視察を実現させ、支那における
軍事・産業の改革や、社会政策に関する「報告書」を多数作成しました。

>>441 >>要するに支那が求めていたのは、単なる『斬った張った』を教えるだけの
>>軍事顧問ではなく、ドイツ産業界とも『太いパイプ』を持つ人物だった訳です

まさにバウアーは、上記の条件にうってつけの貴重な人物だった訳ですが、
嗚呼、何と云うことでしょう。国共内戦の前線でバウアーは天然痘にかかり
1929年に死んでしまいました。もったいない、もったない…w。

さてバウアーの後を継いだのが、中佐であったヴィルヘルム・クリーベル
(Wilhelm Kriebel)で、顧問団を指導するようになります。しかし、ヴィル
ヘルムはヒトラーを支持し、1923年のミュンヘン一揆にも参加して裁判を
受け、収監までされた人物です。次第に顧問団の中で孤立していく事になります。
444だつお:2007/06/27(水) 00:20:28 ID:cNvNcNhi
>何回も見たようなコピペを連投していただつお氏が

別の人が騙りで何度も何度もしつこくおれさまの文章をコピペするから。
そいつはそいつでウザいようでも、何とか脳内アボーンでやってほしい。

最初のスタンスは変わっていないが、最近は欧州戦を引き合いに出す。
第二次世界大戦の中国戦線という視点で眺めると、日中戦争は日本の
侵略戦争か否か南京大虐殺は事実か否かよりも、反ファシズム連合軍
勝利のなかで、中国「だけ」が惨めに敗退という面が浮き彫りになる。
そして同時に両戦線で敗れたドイツと片一方のみで敗れた日本、
というふうに占領条件が違う理由もはっきり見えてくる。

・・・とまあ、これも同じような内容の繰り返しなので嫌ならスルーで。
445名無し三等兵:2007/06/27(水) 00:53:36 ID:???
588 名前:funwaka :2006/10/02(月) 21:11:02 ID:???
汪兆銘は蒋介石にスターリンの思惑に沿った抗日戦争を止めさせ、和平に向けた対日交渉を進言していた。
ところが汪兆銘を担ぎ出して親日政権を作らせ、日本と蒋介石との戦いを続行させようと尾崎秀實一流の謀略を仕込んだ。
尚、汪兆銘を重慶から脱出させて親日政権を作る事が、影佐機関の影佐禎昭の仕事であった。
その後に近衛文麿が発表した東亜新秩序は、尾崎の唱えた東亜共同体構想の写しの様なものであったw
この対支強硬論者に変貌した尾崎の謀略で、日支和解の道は消え失せたのである。


http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/outyoumeikamisaka.htm

598 名前:名無し三等兵 :2006/10/03(火) 00:35:42 ID:???
>>588
最近のバカウヨは
影佐も共産主義者扱いなのかw

601 名前:名無し三等兵 :2006/10/03(火) 07:31:49 ID:???
>>598
それどころか汪兆銘はコミンテルンのスパイで和平を邪魔するために
重慶を脱出したとか言い出す救いようがない馬鹿ウヨもいるぞw


馬鹿ウヨ和露地wwwwwwwwwww
446白馬青牛:2007/06/27(水) 01:05:36 ID:vg3p7sxu
>>397
大陸打通作戦で補給ものうて苦戦したんは日本軍で。
?江作戦じゃあ完全に逆転じゃわい。中国人のホラ話じゃのうて、
兵士の実感じゃろう。詐欺外交云うて日本は現在まで続けとるんじゃ
ないかのう。まあ、当時あるいは今も日本の指導者は井の中の蛙に過ぎん。
>>404-405
工事中じゃげなが、善通寺師団の兵士の手記には第二次長沙の苦闘敗退の
ものもあるし、この共産党サイトは善通寺の兵団史や兵士の記録を
根拠にしたと考えてよかろう。もしサイトの内容が事実と違う云うんなら、
四国の兵団史や各中隊記を四国へ行って調べにゃあのう。
「陸軍よもやま話」は読んどらんが、光人社文庫云うたら最近、
「湖南戦記」(知られざる日中戦争のインパール戦)小平喜一著が
面白いど。イナゾウ氏は読んじゃったかいのう?
447名無し三等兵:2007/06/27(水) 09:56:48 ID:???
日本が遺棄した化学兵器を引き渡されたと思っている人が多い件について
448名無し三等兵:2007/06/27(水) 10:02:13 ID:???
だから何度も言ってるだろ。
遺棄したのは日本じゃなくて俺だよ。
449名無し三等兵:2007/06/27(水) 11:46:03 ID:ndHBPV/h
>?江作戦じゃあ完全に逆転じゃわい。中国人のホラ話じゃのうて、
>兵士の実感じゃろう。詐欺外交云うて日本は現在まで続けとるんじゃ

「日中戦争 VOL3」(児島襄 文藝春秋版)P588
 敗戦は、太平洋の各地で、ソ連軍をむかえた満州でも実感されたが、
中国本土の日本軍にとってはその感覚は乏しかった。
 現実には、これまでに述べたように、中国戦線での戦いは、
そのごの太平洋戦争での苦闘のおとらぬ苦戦、難戦の連続であったが、
結局は目的地の攻略、占領地の保守などの成果が、「勝ち戦さ」の
印象を与えていたからである。
「(降伏などという)馬鹿な話があるものか」
「我々は勝っているではないか。負けたことは一度もない」
 とは、漢口に近い九江付近にいた第三師団第六連隊の将兵の反応だが、
この言葉はそのまま在中国日本軍のほとんどの感想であった、といえよう。

「日中戦争 VOL3」(児島襄 文藝春秋版)P592
「中国白書」によれば、米国は一九四四年(昭和十九年)、
中国の戦力と戦意が「全面的に崩壊」しつつある、と判断した。
 この年、日本軍は、前述した如く、北京―漢口打通作戦をおこない、
さらに桂林攻略作戦も実施した。
 日本軍は、いずれも作戦終了後は根拠地に引き上げたものの、
中国軍の対応は消極にすぎ、駐中国大使C・ガウスは、
「中国人は本気で抗日する意思があるのか」と疑い、その「内紛と無神経」
が矯正されない限りは、「共産党の勝利は不可避だ」と、米政府に報告した。
450名無し三等兵:2007/06/27(水) 11:47:38 ID:???
 広い額に黒い髪、がっちりとして引き締まった体格のワシーリ・イワーノヴィッチ・
チュイコフというロシア人が、第二次世界大戦が起こったとき、ソヴィエト陸軍武官
として重慶に勤務していた。彼は、彼が開いたといわれる記者会見で、蒋介石がソ連
から受けている大量の軍事援助について語り、その結果外交上の騒ぎがもち上がった。
そのため一九四二年のはじめにチュイコフはモスクワに召喚され、一九四二年三月、
戦線に参加した。予備軍司令官代理をほんのわずか務め、自動車事故で軽い怪我をした
りしたが、やがてスターリングラード戦線を補強するため司令部とともに派遣された。

ハリソン・ソールズベリー「燃える東部戦線」
451名無し三等兵:2007/06/27(水) 12:09:07 ID:???
>大陸打通作戦で補給ものうて苦戦したんは日本軍で。

 この問題がまだ解決しないうちに、日本軍がビルマ公路に沿って、短い攻勢に出た。
蒋介石は、日本軍が一直線に昆明にまで攻めよせてくるのではないかと不安にかられ、
ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。
 ルーズベルトは蒋介石に緊急の覚書を送り、ビルマから軍隊を引き揚げるようなこと
があれば、また全指揮権をスティルウェルに渡さないのであれば、アメリカからのすべ
ての援助を停止すると警告した。
 スティルウェルによれば、大統領からのこの覚書は「火のついた爆竹」であった。
スティルウェルは蒋介石と会見し、「このとうがらしの包みをピーナツ野郎に手渡し、
大きく息を吐きながら椅子の背に身体を沈めた。鋲はこのちび野郎のみぞおちに命中し、
やつを突きぬいた」

「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会)P252
452だつお:2007/06/27(水) 18:37:45 ID:cNvNcNhi
>?江作戦じゃあ完全に逆転じゃわい。中国人のホラ話じゃのうて、
>兵士の実感じゃろう。詐欺外交云うて日本は現在まで続けとるんじゃ

懸命なホワイトハウスの戦略家なら、中国人のホラ話くらいはお見通しだよ。
ホワイトハウスのどこの誰が、中国を頼りに米中共同作戦で日本攻略なんて
いう妄想を抱いておられたのかと。戦力にならないチンピラゴロツキは
さっさと斬り捨ててソ連との共同作戦で日本攻略だよ。

そりゃ米ソ二正面作戦ともなればそれで国土分断させられたドイツよりも
ずっと強いのでもないかぎりはどうにもならないというだけのことだ。
453名無し三等兵:2007/06/27(水) 20:07:55 ID:???
まあ、日中戦争が日本の侵略戦争にあったこと間違えない
中国の人たち南京・731などで迷惑かけたし、戦後も化学兵器を遺棄して迷惑かけてる
454名無し三等兵:2007/06/27(水) 21:01:14 ID:???
自業自得な上にシナ人に迷惑かけてんのはシナ人自身だな
満州の遺産全部食い潰したし
455イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/27(水) 23:09:48 ID:u5uGMe6n
>>446 >>「湖南戦記」(知られざる日中戦争のインパール戦)小平喜一著が
>>面白いど。イナゾウ氏は読んじゃったかいのう?

買いましたけど触りしか読めていません。つーか早くも埋もれて行方不明にw。
まあ、第40師団(善通寺)の戦記なら陸将補で防大教授だった『長沙作戦』
『華中作戦』など(佐々木春隆著、図書出版社)が詳しくて面白いかと。

自分の読書歴から云うと、古本屋などで入手容易な第40師団の戦記の数は
比較的多く、『中支戦線を征く』(久米滋三著、旺史社)など色々あります。

第40師団に限りませんが、全く別の本でもそれぞれの著者が同じ師団ですと、
一方の著者が「他方の登場人物」として描かれて非常に面白い訳です。上記の
書籍はその1例でもあります。記述はほんの僅かですが、一方の著者が全く異なる
別の本(当然、記述に何の遠慮もない)で本当に褒められているのを発見すると、
なぜかこちらまで嬉しくなります。まあ、マニアックな戦記の楽しみ方ですがw。
456イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/27(水) 23:29:15 ID:???
「化学戦」と「従軍慰安婦問題」もいつかテーマに取り上げないとダメかねw。
全くやる気がしませんけど。つーか、自分は仕事でもアホみたいに字を読まないと
いけないから、最近は移動時間では書籍を読む気がせず、漫画を大人買いして
ボケーとしている始末。ちっとも進歩しませんw。今『クレイモア』読んでますw。

ここまで増税してくると将来が不安になってきたので、もう一度、専門分野を
戦争から経済に戻そうかと(少なくとも重心を)本気で考えています。まあ、
元は経済畑ですので。

先月より住民税が1万円も上がったお!w。以上、グチでしたw。
457イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/27(水) 23:53:15 ID:u5uGMe6n
>>443 >>バウアーの後を継いだのが、中佐であったヴィルヘルム・クリーベル

さてクリーベル中佐は、ヒトラーを支持して「ミュンヘン一揆」にも参加したと
書きました。まことに結構なことで彼の影響力も大きいと思うかもしれませんが、
クリーベルがバウアーの後を継いだのは1929年のことでした。

この頃では、ナチス党はまだ議会第2党(1930年9月の総選挙で1200万票を
得る)にもなっていません。ちなみに第一党に躍り出るのは1932年7月の総選挙を
待つ必要があります。ヒトラーがようやく首相になったのが、1933年1月ですね。

要するに早過ぎた訳で、クリーベル中佐の「ミュンヘン一揆」の参加と収監の経歴は
むしろ軍事顧問団のなかで孤立する原因となりました。そのうえ支那人との間でも
激しく対立し、また国民政府がぜひとも必要としていたドイツ産業界とのパイプも
前任のバウアー大佐ほど、深い繋がりを持っていませんでした。

そのため蒋介石はクリーベル中佐を罷免し、新しい顧問団長を指名する事になります。
458名無し三等兵:2007/06/28(木) 00:02:15 ID:???
まさか まさか…
459イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/28(木) 00:16:22 ID:gcD8UKwi
さてこの頃になると、ドイツ国防軍の支那に対する認識も「様変わり」
して来ます。

ドイツは武器を輸出し、支那は原材料(レアメタルなど)を輸出することで、
それぞれ自国の軍備計画がいっそう推進することを狙ったのです。そういう
訳で、ドイツ国防軍は1930年にゲオルク・ヴェッツェル(Georg Wetzell)
大将を「軍事顧問団長」に推薦しています。中佐から一気に大将ですw。

ドイツ外務省は、国防軍関係から「顧問団長」を出すことに反対していましたが、
国防軍はこれを無視したばかりか、支那に軍事顧問団の連絡事務所まで設立して
います。

ヴェッツェルはWW1当時は参謀本部の要職にあり、ワイマール共和国時代は
国防省の兵務局長です。ちなみに兵務局とはヴェルサイユ条約で禁止された
参謀本部の偽装名称であり、ヴェッツェルは実質的な参謀総長だった訳です。
またヴェッツェル大将は1927年に現役を退いています。
460イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/28(木) 00:45:17 ID:gcD8UKwi
話は変わりますが、ドイツから軍人が顧問として支那を訪れる一方、ドイツが
支那から受け入れる研修目的の将校の数も大幅に増えています。後年の
話になりますが、蒋介石の次男である蒋緯国もまたドイツの士官学校に
入学し(1936年)、卒業後もそのままドイツ軍で軍務を続けて、WW2の
ポーランド電撃戦にも関わっています。

(支那事変が勃発し、さらに日独伊三国同盟の動きが強まると帰国)

新しく顧問団長となったヴェッツェル(大将)もまた、前任のクリーベル(中佐)
と同様に、顧問団の掌握や、支那人の同僚との関係には苦労させられます。ヴェッ
ツェルは武骨なところがあり、支那側の軍関係者の無能や汚職の実態を遠慮なく
批判していたからです。

それでもこの当時、軍事顧問の多くは2年契約で支那に駐在していましたが、
ドイツ顧問団の総人数は、一時的とはいえ80人近くにも達しています。
461少佐:2007/06/28(木) 01:55:17 ID:/jZGPEFI
日中戦争では活躍した日本戦車も活躍しすぎて、そのままの感覚や性能で
太平洋戦争に流れ込み、シャーマン戦車と対決したのはまずかったと思う。
戦争では勝利は至上のものとされるが、それが敗北の原因になることも
ある訳で勝ってもたゆまぬ改善をしていく精神力が必要なのだと思う。
462少佐:2007/06/28(木) 01:59:22 ID:/jZGPEFI
日中戦争における日本戦車の活躍の話を見ると、当時の中国軍の
軽戦車相手なら楽勝で勝てたし、相手にバズーカーも無いので
象がアリを踏み潰すがのごとき戦闘が続いたらしい。
そりゃ傲慢になって、そのままシャーマンに戦いを挑んだのも
無理は無い経緯がある。
戦ってる兵士の感覚からしたら、自分たちは最強だという感覚
も生まれてたのだろうしね。
日中戦争の活躍から太平洋戦争に流れ込んだ零戦も同様だと思う。
463名無し三等兵:2007/06/28(木) 02:59:29 ID:???
>>445
キモウヨきめえきめえw
464名無し三等兵:2007/06/28(木) 10:32:35 ID:???
>>462
戦車じゃあないがむっちーがそんな感じだったな。
465名無し三等兵:2007/06/28(木) 17:01:55 ID:???
>>460
>蒋介石の次男である蒋緯国

著書があるね
つ「抗日戦争八年」

これによると盧溝橋事件の前までに蒋介石は陸海空軍に完璧に戦争の準備を整えさせていたとある
466名無し三等兵:2007/06/28(木) 19:51:47 ID:???
シベリア鉄道高速化について一言
467だつお:2007/06/28(木) 19:55:12 ID:tsltKn9s
>中国の人たち南京・731などで迷惑かけたし、

皇軍の優秀な科学兵器が、おびただしい数の中国人を地獄巡りにしたからな。
先進技術工業国の皇軍と後進国の中国軍では、戦う前から勝負は見えていた。
中国人がいくら欧米ロシアから兵器輸入しても、後進国が先進国の軍隊
に勝てるはずはない。
468名無し三等兵:2007/06/28(木) 19:57:26 ID:???
イナゾウ氏はいちごえびすに過去いた?
向こうの過去スレ漁ってたらイナゾウの名前が出てきたので
469だつお:2007/06/28(木) 20:28:50 ID:tsltKn9s
>しかしながら本質的に疑問が残る。いったいこれらあれら650,000 tons
>の中国への緊急援助は、いかなる成果を残したのかと?

ドイツと日本の占領政策の違いは、アメリカ以外の国に敗れたか否か。
皇軍は中国軍に対し圧倒的優位のままで終戦したことが大きい。
欧米ロシアからの兵器輸入程度では、先進工業国と後進農業国の差は覆らない。
まももな産業一つないくせに、先進工業国の日本に「抗日戦争」など挑む
こと自体が無謀であり、蒋介石は自らの失態と誤算で国民党を潰した。
97式中戦車チハは世界水準の自動車製造技術で、中国人というチンピラ
ゴロツキ害虫3500万を血祭りにした。

中国チンピラゴロツキ害虫の3500万殺戮では、まだ戦力不足だったか?
470だつお:2007/06/28(木) 20:59:24 ID:tsltKn9s
>大陸打通作戦は、日本軍の圧勝とは云えませんよ。

あれが「圧勝」と言えないなら、太平洋戦争は米軍の圧勝とは言えないな。
個々の苦戦を云々するのなら硫黄島や沖縄の米軍だって十分に苦戦してる、
日中戦争が皇軍勝利でないというのなら太平洋戦争だって米軍勝利ではない。
ベルリンの赤軍のように、勝利したというのなら勝利したという誰から
見ても判りやすい勝利のシンボルマークを示せなくてはな。米軍の場合、
海戦においては海上封鎖+戦略爆撃継続でそれは示せるが陸戦は否だ。
それだけやっても勝利は認められないというのはベトナム戦争で証明済み。
皇軍の場合は陸戦で勝ち続けていることは、大陸打通作戦南北縦貫
チンピラゴロツキ殺戮街道3000キロで容易に示せる。

チンピラゴロツキ殺戮街道3000キロを前にして、いかなる言い訳ができるのかと。
それとも中国チンピラゴロツキは、3500万でなく1億は殺戮すべきだった?
471白馬青牛:2007/06/28(木) 23:14:18 ID:UXuBUOcW
>>449
「将校たちは立場上、希望的な観測をさしはさむが、社会的な経験を
つんできている兵は、客観的に情勢判断をするので、兵の判断力の方が
明快であり、核心をついている場合の方が多かった。」
「支那派遣軍は、まだ自分達が大局において惨敗の状態にあることを認めた
がらなかった。軍の幹部達は、戦争がもはやどうしようもない段階に
きていることに気がつかず、眼先の局地的な勝ち負け勘定を計算しては、
自分達が勝っていると強弁した。井の蛙のような見地から、近々一、ニ年の
うちに国府軍や共産軍に敗れ去るはずがないという、馬鹿々しいひとり
よがりに陥っていた。彼らは戦争と云う大きな経済行為を行う力が、
すでに日本軍になくなっていることが、理解できていないようであった。」
森金千秋氏の引用じゃが、そういう事じや。兵卒から上に行くほど世間
知らずの馬鹿が増えるんは、当然じゃが、児島襄氏の将兵たァどの階級の
意見かのう。名古屋師団も冬季や長沙で負けとるが、湘桂作戦じゃあ
衡陽攻略の苦戦にも参加しとらんし、逃げる敵軍を追うだけの戦闘
じゃったけんのう。>>452-470の打通氏の意見も軍上層部の妄想を
述べよるわけじゃし。
472だつお:2007/06/28(木) 23:35:20 ID:tsltKn9s
>戦争がもはやどうしようもない段階にきている

個々の苦戦を取り上げて負けた負けたつーなら、米軍だって負けてるよ。
バルジの戦いだって硫黄島の戦いだって、十分すぎるほど米軍は苦戦してる。
無条件降伏か否かを論じるより前に、皇軍の場合は損害が多いばかりで
勝利を得られない太平洋戦線を縮小して、大陸打通作戦に専念すべきだった。

中国人という中国人を、可能な限り大勢殺戮して、それから米軍が本土に
迫ってきたら無条件降伏でも何でもすればよかった。とにかく兵員の損害
一つ取っても太平洋戦線より中国戦線のほうがずっと少ないのだから、
中国戦線に兵力を結集させることは皇軍兵の生命を救うことにもなる。
その代わりゴミのような中国人は史実よりもっともっと皇軍に虐殺
されていたことであろう。
473白馬青牛:2007/06/28(木) 23:36:54 ID:UXuBUOcW
>>455-456
『湖南戦記』は、イナゾウ氏にとっちゃあ面白うなかったんですか。
まあ横暴な中隊長を殺したけんのう。横暴な中隊長じゃあ、上下や横の
団結ものうて弱い部隊しか作れん。まだ中隊長が無能でも人間性があれば、
戦闘は部下が何とかして呉れますわい。
ほうですのう、久米滋三大尉も善通寺第40師団高知第236聯隊
じゃった。「科学戦」と「従軍慰安婦問題」については、わしも、
郷土の英雄。帝国陸軍師団スレに書いとりますが、イナゾウ氏の意見は
どうですか?
474名無し三等兵:2007/06/29(金) 00:09:17 ID:???
こういうのを『入れ食い状態』っていうんだな、多分。
475名無し三等兵:2007/06/29(金) 13:34:21 ID:???
いろいろ湧いてるけど、基本的にイナゾウのスルー力は信頼できるから
476だつお:2007/06/29(金) 16:38:42 ID:zUmwQADZ
>彼らは戦争と云う大きな経済行為を行う力が、
>すでに日本軍になくなっていることが、理解できていないようであった。

そんなの理解するわけねぇーだろ。中国軍が勝ったつーならシコウ作戦の
ような地図上の一点じゃなくて、もっと巨大なシンボルマークを示せっての。
あのヒトラーだって赤軍がベルリンに入ってくれば負けを認めて自殺してる、
勝利というのならこれくらいのシンボルマークを示さなくては説得力ないよ。

中国人の主張では「満州も中国領」とのことだが、ならばせめてソ連参戦前
に中国自身の力でそのほんの一部でも奪回できたかと言いたい。
477だつお:2007/06/29(金) 17:04:36 ID:zUmwQADZ
命題「中国人はチンピラゴロツキ」の証明。

(反証)
中国軍はいずれの場合も圧倒的大軍を有し、前者はドイツ陸軍の、
後者はアメリカ空軍の支援をふんだんに受けていた。
にも関わらず中国軍は支那事変でも大陸打通作戦でも皇軍に連敗連敗だった。

ここで「中国軍はチンピラゴロツキではない」と仮定する。

だが陸戦火器・航空兵器で中国軍はそれぞれドイツ製アメリカ製を使用しているが、
これらは質量ともに支那派遣軍の装備に劣ると考えられるわけではない。
チンピラゴロツキでもない限りは、兵力や武器で敵に劣らぬ限り敗退はありえない。
しかも敗退は敗退でも中国軍の場合は前代未聞の大陸縦貫総崩れであった。
したがって「中国軍はチンピラゴロツキではない」は明らかに矛盾。

よって命題「中国人はチンピラゴロツキ」が証明された!!
478名無し三等兵:2007/06/29(金) 19:43:05 ID:???
反証ね 背理法でよろしいかと
しかし証明しなくても支那軍は弱体かと
479名無し三等兵:2007/06/29(金) 20:08:21 ID:???
シナジソがチンゴロという証明は
富士山が日本一高いことを証明するより容易い
480イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/29(金) 23:06:13 ID:???
>>456 >>ここまで増税してくると将来が不安になってきたので
たとえ給料が上がっても増税というか、各種社会保険料の値上げで全部吸収
される(つーか、マイナスになる)悪寒がプンプン……w。

>>465 >>これによると盧溝橋事件の前までに蒋介石は陸海空軍に完璧に
>>戦争の準備を整えさせていたとある

そりゃあ先日の「上海航空決戦」を見たら分かるように無理がありますw。また
今テーマの「支那とドイツ軍事顧問団」の最後の方でも如実に表れるでしょう。

>>468 >>イナゾウ氏はいちごえびすに過去いた? 向こうの過去スレ漁ってたら
>>イナゾウの名前が出てきたので

学生の頃は2chの経済板にいました。その頃は、いちごえびすの「すりらんか氏」や
「銅鑼殿」も絨毯爆撃に訪れていまして、お二人に師事していました。
481名無し三等兵:2007/06/29(金) 23:15:11 ID:???
当時の支那海軍支那空軍は無理があるとしても

陸軍はたいそうなものだったのでは?
482イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/29(金) 23:50:43 ID:iIYlB8m8
>>460 の続き。>>ヴェッツェルは武骨なところがあり、支那側の軍関係者の
>>無能や汚職の実態を遠慮なく批判していた

ヴェッツェルは「経済問題」にあまり関心を示さず、おもに「純軍事問題」で
忙しかったと云います。ヴェッツェルがドイツ軍事顧問団の中心であったのは
1930〜1933年ごろです。

この頃には、蒋介石が軍閥の勢力削減を図ろうとして勃発した『中原大戦』という
一大戦役(閻錫山、李宋仁、馮玉祥、白崇禧らによる反蒋クーデター)がありました
し、その直後には「第1次〜第5次」にもわたる『掃共戦』が始まっています。

トドメと言わんばかりに1931年には『満州事変』が起こり、翌年の1932年には
「第一次上海事変」という戦闘のオンパレードですから、ヴェッツェルが「経済問題」に
目を向けるどころではなかった理由もあります。

しかし、戦乱のときこそ日頃の「兵器産業の育成」が痛感されますから、支那側の
評価では、ヴェッツェルに不満があったかもしれません。
483イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/30(土) 00:22:27 ID:rKqBTQSY
特に1932年の「第一次上海事変」は、予想以上に日本軍を苦しめる結果と
なりました。奥行き4メートルの鉄条網を爆破して突入路を確保するために、
唐竹の破壊筒に20キロの爆薬を詰めて戦死した『爆弾三勇士』などは、その
いちエピソードでしょう。

当初の上海の支那軍は、「第19路軍」(軍長・蔡廷?かい、3個師・3万3千人)で
抗日感情が非常に強い広東派の地方軍でした。その後、蒋介石は中央軍である「第5軍」
(軍長・張治中)を増援に送り出し、総兵力は4万人超と膨れ上がります。

戦闘自体は、日本軍に「七了口」に奇襲上陸され、まず「第19路軍」が泡を食って
無断で逃げ出し、それを翌日の午後にようやく知った「第5軍」も後を追って慌てて
総退却します。

蒋介石は「七了口に敵を上陸されたのが致命的だ」と嘆息しましたが、ドイツ顧問団の
教育を受けた支那軍が、日本軍を苦戦させる見違えるような成長を遂げたことは大きな
収穫でした。
484イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/30(土) 00:30:34 ID:???
兵器や施設の面では、いまだ不十分であることが証明されましたが、その後
数年のうちにヨーロッパから装備が輸入され、中央の幾つかの師団が急速に
近代化されていきます。

●そして、ここで大きな『エポックメーキング』(一大転換)が起こります。
 
そうです。ヒトラーが政権を掌握したのです(1933年)。
485白馬青牛:2007/06/30(土) 00:36:41 ID:FXaHi9S5
>>472
大陸打通作戦に専念しても、衡陽以南で補給も出来ん日本軍が、
何が出来るんか。略奪に終始した軍に占領統治が出来る訳あるまい。
現地民を無視した占領統治で成功した例もない。
ナチス的他民族蔑視、現地民殺戮で成功出来る云う妄想も狂うとるとしか
思えん。戦利・戦略のみで解釈するクラウゼビッツ・チルドレンじゃのう。
被害を受けた中国民衆の悲哀を思いやれ。それが武士道じゃないか。
チンピラ・ゴロツキは日本軍の行為でもある。
>>476
大陸打通戦以後、日本円(儲備券)が暴落したことから、経済的にも
もう駄目じゃ。中国人は、利に聡いゆえ、民族の知恵で、日本軍が敗戦
することを感じておったゆえ、日本円(儲備券)より、中国法幣での
支払いを求めて来たぐらいじゃ。ショーハイと気安く呼んで、
「世間のことなど知らないと思われた中国の少年達まで
「今に中国軍が勝つ」と云う態度をとられることは、日本人の
思いあがった愚かさを罵倒されているような気がして、情け無いもので
あった。」まあ、負け戦さの方へ進んだのう。
大陸打通は、宜昌の最前線で広島第231聯隊が防御に失敗したら
漢口や南京も陥され、大陸打通も敗戦になったわい。衡陽の善戦部隊も
含めかろうじて敗北とならんかった訳じゃ。
広島第39師団の転出に「国軍屈指の精強師団を隷下から失うことは
余の甚だ遺憾とする」と、岡村寧次大将の異例の告別の辞が寄せられ、
澄田(広島第39)師団長も、岡村寧次大将は私(澄田)に
「山田(満州軍総司令官)に、澄田が精根こめて教育した僕の隷下中の
最精鋭の藤部隊(広島39D)を貴下にやるといったら、山田が非常に
よろこんでいたよ!」と述べられたそうじゃ。
まあ、それと岡村寧次氏の個人評価は別じゃが。
486名無し三等兵:2007/06/30(土) 00:42:00 ID:???

              /´゙`ヽ、
            /     ヽ
           ,/./   ,....,  ;ii、
           ('/.i   ( (,,)  i::b
           i' i    `゙゙´ :「:::b
.          | |      .丿:::h  
.          'i| i   /´`ヽ,|::::::h
           r' |   `゙'- ノ⌒ヽ    
           /´tl i  〈,´゙`ソ/´'' ヽ
     i:i   丿i;:::ti|  ( `ヽソ/::::::ゝ 'i
.     ,i;i、 /´` `i;t:| i`'''ノ/::::λ::;;} |
      i;;;;;;i |    |ノ::ヽ,,ソノ::::::/´⌒ヾノ
  ,,..;;-|;;;;;;|-|,,,|-----;;::;;::::::;;;;/   'λ
 (..,,,,________,,..)::´/λ  ノミi
  | |__,| |____| |;;;;/ノ//)ノノ
  |,,,,|   | |     |,,,.|
487名無し三等兵:2007/06/30(土) 00:50:52 ID:???
中国民衆に被害を与えてたの国民党軍&匪賊どもだにゃ
堤防決壊ってなにそれ
488名無し三等兵:2007/06/30(土) 00:51:41 ID:???
白馬青牛ってリアルシナ人?
489イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/30(土) 00:55:57 ID:rKqBTQSY
1933年に政権を掌握したヒトラーは、その時点では「東アジア政策」の
明確なビジョンを持っていた訳ではありません。しかし次第に、ドイツ国防軍や
ドイツ外務省と同じ様に、支那が強大化することはソ連に東西両側から圧力を
かけ、同時に経済的メリットを得る良いチャンスだと考えるようになりました。

その一方、蒋介石は「経済問題」に関心を示さない現在のドイツ軍事顧問団長・
ヴェッツェルの更に上に、誰か有力な人物を置くことを考え始めます。それには
WW1の頃、一時的にヴェッツェルの上司であり、かつドイツ国防軍の生みの親
でもある「ハンス・フォン・ゼークト(Hans von Seeckt)」退役大将が理想的
であると思われました――。

ハンス・フォン・ゼークトは言うまでも無く、第一次大戦後の厳しいヴェルサイユ
条約の下で、ドイツ陸軍を再建した云わば「中興の祖」と呼ばれる人物です。
WW1では主に東部戦線に従軍し、第11軍の参謀長やオーストリア軍参謀長、
トルコ軍総参謀長などを歴任しています。
490名無し三等兵:2007/06/30(土) 01:04:21 ID:???
>>488
リアル廣島人
491だつお:2007/06/30(土) 01:13:20 ID:Pfveuroo
>日本円(儲備券)より、中国法幣での支払いを求めて来たぐらいじゃ。

表2 中国元の対米ドル相場 (単位:元)
年   月     政策相場*   市場相場
1945  12       20     1,222
1946  6      2,020     2,665
    12     3,350      6.063
1947  6     12,000     36,826
    12    77,636      149,615
1948  6    1,273,000    2,311,250
    12   366,000,000    405,000,000
1949  4  615,000,000,000  2,441,640,000,000
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsie/kansai_resume/Oishi%20050129.pdf
492イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/30(土) 01:14:21 ID:rKqBTQSY
蒋介石が、フォン・ゼークトを「軍事顧問団長」に理想的な人物だと思った
理由は、以下の通り。

●フォン・ゼークトが経済的に困難な状態にあること
●軍需産業など経済界に顔が利くこと
●フォン・ゼークト自身、以前に中国と商売をしようとしていたこと

フォン・ゼークトは、蒋介石の申し出を一旦は断りますが、1933年に支那を
視察し、その報告書をまとめて多額の謝礼を受け取っています。このとき、フォン・
ゼークトは67歳という高齢でした――。さて、

その報告書の中味はと云えば、●「優秀で信頼できる将校たちによる、その時点で
最高の装備を持ち、よく訓練された精鋭部隊を、数を限って作る」ことを提案する
ものでした。「何を当たり前のことを」と思うかもしれませんが、これが後の上海
決戦で日本軍とマトモにぶち当たる、蒋介石直轄の中央軍へと繋がっていく訳です。
493イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/06/30(土) 01:33:40 ID:rKqBTQSY
蒋介石はドイツ政府に対し、●「フォン・ゼークトが顧問団の仕事を
受けないならば、ドイツに代わってフランス人を雇い入れる」と脅し
ています。まあ、いわば『弱者の恫喝』な訳ですw。

これに慌てたドイツ政府は、フォン・ゼークトに圧力をかけ、

●フォン・ゼークトが「ドイツ軍事顧問団」を直接指揮下に置くこと
●さらに組織の再編や人事をフォン・ゼークトに一任すること

などを条件にして、仕事を引き受けさせました。フォン・ゼークトは更に
ドイツ国防軍と協議して、支那との『バーター取引』の話を推進させます。

支那が大規模な軍備計画を実行すれば、「バーター決済」により支那から大量の
原料を調達できるため、外貨の準備が不足しているドイツにとっては好都合です。
ドイツ政府は、以前とはうって変わって強い関心を示し、まもなくドイツはイギ
リスを抜いて、支那にとってはアメリカに次いで第2位の貿易相手国となります。
494名無し三等兵:2007/06/30(土) 01:51:58 ID:???
外貨準備が不足なんてレベルじゃない。限りなくゼロに近かったのが当時のナチスドイツ。
支那から大豆を輸入していたので、それを決済する為に軍需品・工作機械を売って帳尻合わせていたまで。
495だつお:2007/06/30(土) 02:00:53 ID:Pfveuroo
>被害を受けた中国民衆の悲哀を思いやれ

ならばトルーマンやルメイは、空襲の被害を受けた日本民衆の悲哀
を思いやる気持ちがあったのか?

ナチス的他民族蔑視、現地民殺戮で成功出来る云う妄想で狂った奴らだな!
アメリカの場合は良くて日本の場合はイカンという合理的理由は存在するか?
496だつお:2007/06/30(土) 10:28:09 ID:uZLZJ0OV
上で示した中国法幣のハイパーインフレなどは、経済戦における中国の完敗。
ハイパーインフレを起したら、その時点で経済破綻とみなして間違いない。
まさに汪精衛の口癖「抗日戦に敗れたら国は滅ぶ」の通り。

>延安にたどりついたときは気息奄々、靴もちびはて、
>人数も2万人に減って、全滅寸前でした。

抗日戦時代の中国人あれば誰でも知ってる、中国軍が皇軍に勝利できたためしはない。
そもそも毛沢東ら中共政権なんて元はこんな程度だった。1930年代の初めくらいなら、
「毛沢東」なんて名前でさえも出てなかったくらい。中国人の最終願望は抗日戦争に勝利
して中国をアジアの大国にすること、それが叶わないのであれば中国国民党の存在価値
なんて全くない。そもそもその国の独自工業基盤というものを無視して欧米ロシアの
援助で賄えるなんて考えるのは本末転倒。よく日本経済の底力を知らずアメリカの
援助や朝鮮特需ばかりが強調されるが、これなどは全く中国人の発想だ。
497だつお:2007/06/30(土) 10:30:38 ID:uZLZJ0OV
>よく日本経済の底力を知らずアメリカの援助や朝鮮特需ばかりが強調

○野坂參三君 私は、総理大臣の施政演説に対して、総理大臣並びに他の関係
閣僚諸君に、三点について、共産党を代表して質問したいと思います。
<中略>
 さらに、渉外局一月十二日発表によりますと、民間貿易について、昨年
九月から十二月までの四箇月の間に約九十万ドルの入超。さて、この輸出
を見ますと、問題は、新聞でいろいろ書きたてられた陶磁器あるいは竹細工、
いわゆる國産品的なもの、これは全輸出の中のわずかに一五%、ところが、
生活必需品や化学藥品、これが二六%、さらに重要なことは、日本の再建に
必要な機械とか金属類、これが三九%、そこで、生活必需品とか、あるいは
機械金属類を合計しますと、全輸出の中の六五%、われわれは、こういう
ものを輸出しておる。さて輸入は、何を輸入したかと申しますと、六三%
が羊毛と石炭です。(「食糧はどうだ」と呼ぶ者あり)食糧は、これは別個
の問題であります。別個の勘定です。こう見ますと、この統計だけ見ましても、
われわれに絶対に必要なものが相当出されていま羊毛というものは緊急な
物資ではない、こういうものがどんどんはいわれてくる、こういう状態に
なつております。こういうことをわれわれは考えた場合において、外資の導入、
これは決してわれわれは反対するものではない。しかしながら、ただ無條件
で、これができたから、もう日本の再建は大丈夫だ、こういうふうな幻想を
日本の國民に與えておる。これは非常な誤りだと思います。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/002/0512/00201280512009a.html
第002回国会 本会議 第9号
昭和二十三年一月二十八日(水曜日)
498だつお:2007/06/30(土) 16:44:12 ID:uZLZJ0OV
アヘン戦争の原因は、イギリスのアヘン輸出なんかじゃないよ。

中国人はアヘンでチンピラゴロツキになったんじゃない、元からチンピラゴロツキだった。
チンピラゴロツキだからアヘンを貪るのであって、アヘンを与えるからチンピラゴロツキ
にされたというわけじゃないんだ。アヘンであれば現在の日本でも医療に広く使われてる、
アヘンが悪いんじゃない、悪いのは全て中国人の腐った脳みそだ。
499だつお:2007/06/30(土) 19:41:32 ID:Pfveuroo
それにしてもドイツはソ連とだけ戦ってもあれだけ敗退してるのに、
皇軍は片手間で中国と戦争しても連戦連勝3000キロだったんだよな。

      中  国  人  は  く  ず

世界最大の人口を抱えておきながら、この弱さは一体何なのだろうかと。
500白馬青牛:2007/07/01(日) 00:12:51 ID:vxRaUkc5
>>491-495
日本円(儲備券)と中国法幣の問題を、米中に転化すなや。
トルーマンが日本民衆の悲哀以前に、日本人が武士道を守ったかの方が、
わしらに突きつけられた問題じゃないんか。その点日本軍を、美化
出来まい。他国がやったけえ、日本軍の罪が少のうなる云うわけあるまい。
あんたの独善的他民族排撃思考の方が狂うとるわい。
>>496-499
経済的にも日本が敗北したんは、兵士の実感で、その意味を理解出来んのは
軍上層部の希望的観測に過ぎん。結局軍紀の点でも日本軍は紅軍に
勝てんかった訳じゃ。皇軍が連戦連勝云う根拠はどこにあるんか?
衡陽でも、熊本58Dや大阪68Dは茶釜になったじゃないか。
501名無し三等兵:2007/07/01(日) 00:16:45 ID:???
NGに入れさせていただきました 本当にありがとうございました
502だつお:2007/07/01(日) 00:36:53 ID:Upo66Luw
>他国がやったけえ、日本軍の罪が少のうなる云うわけあるまい。

97式中戦車チハが高性能で、中国人を効率よく大量殺戮した罪がか?
それとも97式中戦車チハという、世界有数の高性能大量破壊兵器を
製造した皇国の基礎工業技術力の高さなのか?

アウシュビッツに車輪付けて大地を駆け巡ったら恐ろしいことになるだろうな。
これはひどい、あまりにひどすぎる。97式中戦車チハは地獄の大車輪だ。
503イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/01(日) 00:42:54 ID:z+qNBCQ7
>>493 の続き。>>これに慌てたドイツ政府は、フォン・ゼークトに圧力をかけ、

フォン・ゼークトは「ドイツ人顧問団」の規模を縮小させ、活動の重点を従来の
軍事理論研究から、実戦教育と演習に移しました。人数を絞ったせいか、ゼークトの
もとで顧問団の統率は行き届くようになり、よく組織された中央直轄軍を国民政府に
提供します。これにより蒋介石個人の地位は、さらに強固なものとなりました――。

>>494 >>外貨準備が不足なんてレベルじゃない。限りなくゼロに近かったのが
>>当時のナチスドイツ。支那から大豆を輸入していたので、それを決済する為に
>>軍需品・工作機械を売って帳尻合わせていたまで。

まあ、同じことは支那だけでなく満州からの「大豆輸入」にも云えました。1934年
当時、ドイツが満州から輸入する商品(主に大豆)は1億5千万円にも達するのに、
逆にドイツからの輸出品は1千万円にしか過ぎません。完全に貿易赤字な訳ですw。
504名無し三等兵:2007/07/01(日) 00:46:43 ID:???
旧仮名と同質のキチガイ臭を感じる
505イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/01(日) 00:57:16 ID:???
よってドイツは、1934年に「大豆輸入禁止」措置を打ち出すのですが、これは
国内の金保有高が減少して対外支払いが不可能になったからです。ドイツは大豆を
「製油原料」ならびに「家畜飼料」として使用していた訳ですが、苦し紛れに輸入
禁止したところで大豆の手当てが付かなければ結局、ドイツ国内の「油脂工業」が
干上がってしまいます。ですから「満州(対日ブロック)」とのバーター取引は、
当時の新聞で真剣に取り沙汰されていました。
506だつお:2007/07/01(日) 01:02:16 ID:Upo66Luw
>逆にドイツからの輸出品は1千万円にしか過ぎません。

満州国は皇軍の傀儡国家だけど、日本と満州国はドイツ製品を殆ど
買ってくれない。これに対し中国国民党は掃共戦・抗日戦のために
ドイツ陸戦兵器をどんどん買ってくれる最高のお得意さんだった。
当時は工業製品と言えば多くが軍事関係で民生品は少ないから、
ソ連のような産業国営でも兵器輸出で十分やっていけた。

  日本経済の戦争への指向は1928年から始められ、満州と中国での
軍事行動の間に強調を増しながら継続された。1940年までに、全生産
は75%以上、重工業はほとんど500%上昇した。日本の総生産高の17%は、
同時期のアメリカのそれが2.6%だったのに対し、軍需産業の拡張と直接
の戦争目的のために充てられていた。この間の産業施設建設は、
(日本の状態の割に)巨大な割合とみなされた。航空機、アルミニウム、
工作機械、自動車、戦車産業はこの期間にほとんど何もない状態から建てられた。

http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/ussbs14.html
直接的航空攻撃を受ける以前の日本の戦争経済

日本の工業化はまさに十五年戦争に突入してから、立ち上げが遅かった。
507名無し三等兵:2007/07/01(日) 01:11:44 ID:ZqCOsQB5
単純に日本の工業化が遅れていただけだろうよ

濱口政権の大失策で前代未聞の大不況になってしまったため
ただでさえ幼稚だった重化学工業の発達が足踏みしていた



十五年戦争とか天皇制などという左翼用語を振り回すバカ
508名無し三等兵:2007/07/01(日) 01:17:02 ID:???
イタリアは当時日本以下だったと考えると末恐ろしいな
509だつお:2007/07/01(日) 01:21:00 ID:Upo66Luw
それにしても旧日本軍弱小列伝ってアホだよな。

支那事変で皇軍兵器は粗悪でチェコ機銃やラインメタル戦車砲に太刀打ち
できなかっただなんて、皇軍は支那事変を○○作戦として準備計画してや
ったわけでもないのに何を言いがかりつけてるのかと。戦争計画もない平時で、
なにゆえ世界最新鋭ドイツ陸戦兵器に対抗できる兵器を開発しろというのか。
それとも管理人は、皇軍はもっと以前から○○作戦の計画をして軍備を整え、
それから中国を攻めに行くべきだったとでも言いたいのかと。

大陸打通作戦を発動するのであれば、97式中戦車チハと四式戦疾風の
量産準備を整えてからというのは理解できるにしても。
510だつお:2007/07/01(日) 01:27:02 ID:Upo66Luw
>単純に日本の工業化が遅れていただけだろうよ

工業化といっても需要がない平時で何を生産しろと?

アメリカだって需要なき大量生産が行き詰まり大恐慌起こしてるよ。

ソ連の五カ年計画だってドイツの四ヵ年計画だって戦争需要が大半だよ。
ドイツはハイパーインフレで経済破綻してその後ヒトラー政権が誕生し、
外貨ゼロから中国やスペインへの武器輸出で稼ぎまくった。
511イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/01(日) 01:34:58 ID:z+qNBCQ7
>>493 >>支那が大規模な軍備計画を実行すれば、「バーター決済」により支那から
>>大量の原料を調達できるため、外貨の準備が不足しているドイツにとっては好都合

こんなドイツですから、フォン・ゼークトが国防軍および産業界との音頭を取って
実現した大規模かつ計画的な『バーター取引』は、独支両国にとって非常に重要な
意味をもつものでした。

ただし、直接の「バーター取引」はドイツ軍事顧問団ではなく『HAPRO:ハプロ』
(Handelsgesellschaft fuer industrielle Produkte)と呼ばれる貿易会社が設立され、
担当する事になります。これにより長期に渡って、ドイツと支那を軍需産業と原料調達
(モリブデン・アンチモン・タングステンの希少金属)の利害関係で結びつけました。

この「HAPRO」と呼ばれる会社はドイツ国防省の援助を受けて、フォン・ゼークトの
腹心で武器取り引きを商売とするハンス・クライン(Hans Klein)により創り上げられ
ます。この背後には、親中路線を取るドイツ国防相ボロムベルクと軍務局長ライヘナウも
絡んでいたと云います。
512だつお:2007/07/01(日) 01:44:58 ID:Upo66Luw
>>212
なんかドイツ側からみると、同盟国でも日本は嫌な国って印象かも。
中国はドイツ工業製品を沢山買ってくれるのに、日本は殆ど買わない。

    購 買 力 な い の か !
513イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/01(日) 01:47:15 ID:???
>>509 >>皇軍は支那事変を○○作戦として準備計画してやったわけでも
>>ないのに何を言いがかりつけてるのかと。

まあ「別宮翁」的に云えば、事前の動員計画の有無という話になるのかとw。
ちなみにフォン・ゼークトの訪中は先に述べたとおり1933年ですが、
この時すでに『対日戦』を前提とした上海周辺の塹壕線の設営を、蒋介石に
具申しています。

第一次上海事変を考えれば当然のことですが、蒋介石は休戦協定に違反して
早速トーチカの建設に乗り出していますから「何をかをいわんや」という
ところでしょうw。
514イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/01(日) 02:08:13 ID:z+qNBCQ7
さて『HAPRO』によって、大量のドイツ兵器が支那へと流れる訳ですが、
小銃や火砲、1号戦車、装甲車の「SdKfz. 221、222」から武器製造ノウハウ、
鉄道、通信技術まで様々です。余談になりますが、1号戦車を鹵獲した日本兵
(1937年)の写真も残っていますw。
ttp://www.geocities.jp/torikai006/shino/german-china-tank.jpg

また軍需産業の目玉としては、1936年末までに湖南省にディーゼルトラック
の製造を目的とする「中国汽車製造公司」をベンツと共同して立ち上げた事です。
ちなみに日産の「セフィーロ」をノックダウン生産していた「東風汽車」の前身
でもあります。この工場建設のエンジニアリングはクルップ社が担当し、土木・
機械設備の設置はシーメンス社が担当しています。

これらの多くはクラインの立案によるものですが、とくに南支には鉄道網が
建設されて取引量が大幅に増加します。クラインは業績を上げて地位を高め、
ドイツ本国の関係省庁との接触について、蒋介石の相談に応じるまでになります。
515だつお:2007/07/01(日) 02:12:19 ID:Upo66Luw
>これに対し日本はその一パーセントにも満たない十七万七千ライヒスマルク

こうなればいっそのこと、ドイツは日本に宣戦布告して中国大陸を巡って
日独陸海軍決戦というふうにはならなかったのかと思えてくるよな!

「参謀 下」(児島襄 文春文庫)によればA・C・ウェデマイヤーはこう回想している。
「もし、支那事変の開幕が二年間おくれていたら、それまでに中国には、
ドイツ装備の六十個師団が勢ぞろいし、空にはメッサーシュミット戦闘機、
スツーカ急降下爆撃機が乱舞し、海にはUボート潜水艦が群をなしていたかもしれない。
そして、その結果は、中国はドイツと同盟を結び、膨大な戦力をソ連にむけて、
歴史は大きく変わっていたかもしれない」

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1178241719/l50
大日本帝国VSドイツ第三帝国 世界史板2
516イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/01(日) 02:42:19 ID:z+qNBCQ7
良いこと尽くめのようですが、ここで雲行きが怪しくなってきます。フォン・
ゼークトについて、「武器の供給に関して彼が不正な利益を得ている」という
疑惑がたびたび囁かれるようになります。要するにリベートを取っていた
のではないかとw。

もともとゼークトは、前軍事顧問団長のヴェッツェルの2倍の報酬を要求して
支那側がこれを認めたため、これに憤慨したヴェッツェルが直ちに辞任した
という経緯があります。

そうこうする内に、フォン・ゼークトが1年ほどで(1934年4月〜1935年
4月)帰国することになり、それまで彼の代行であったアレクサンダー・フォン・
ファルケンハウゼン(Alezander von Falkenhausen)が後任の軍事顧問団長となり
ます。さあ、いよいよ真打登場です。

ファルケンハウゼンは1930年に51歳で、ドイツ国防軍を中将で辞めさせられた
人物で、フォン・ゼークトとはWW1のトルコで一緒の任務に就いていた縁も
あります。ファルケンハウゼンもまた、予定されていた報酬を大幅に増額させる
ことに成功したと云われますw。
517名無し三等兵:2007/07/01(日) 03:17:41 ID:ZqCOsQB5
日本はまず産業インフラを整備する必要があった

1 水力発電所の建設
2 舗装道路 港湾 空港

3 炭鉱振興
4 製鉄の規模拡大
5 造船業振興

続いて
6 トラックの生産
7 電気産業 ラジオ等家電製品の普及
なにせ1940年にはTV放送開始予定
518だつお:2007/07/01(日) 10:00:19 ID:Upo66Luw
>日本はまず産業インフラを整備する必要があった

つか日本の場合、日中戦争を継続して太平洋戦争をやらなければ、
そのまま戦争需要増加で経済成長できたと思うぞ。
日中戦争では中国人という下等生物がうじゃうじゃ涌いてくるから、
それらを片っ端から殺戮していけば皇軍兵士の鍛錬にもなる。
中国人がいくら米英独ソから兵器輸入しても皇軍の敵じゃないし。

ユダヤ・ボルシェビキの豚どもを根絶させるアウシュビッツ工場にも負けない、
素敵な中国チンピラゴロツキ殺戮訓練場の確保が、皇軍にとっては急務。

http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/341.htm
3.4.1 アウシュヴィッツ工業地帯
519イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/01(日) 23:09:39 ID:JuCBbHNG
>>516 の続き。さて、フォン・ゼークトからファルケンハウゼンへと顧問団長が
世代交代する訳ですが、ゼークトのその後にも触れて置きます。

フォン・ゼークトはドイツに帰国してからも支那との取り引きに『ロビイスト』
として関与し、かなりの利益を手にしたと言われています。ヒトラーは現職の
閣僚らを前に、ゼークトに1時間以上も講演させて「中国と協力すべきである」
という彼の主張に同意しました。ゼークトの活動に国防軍も産業界も大きな関心を
示します。

ヒトラーは1935年5月に、公使館から格上げされていた北京の大使館を南京に
移すことにも同意し、さらに翌年の1936年1月には数週間にわたってベルリンを
訪れていた国民政府の代表団をヒトラー自ら迎えています。

さらに1936年4月には前述の「HAPRO」について、ドイツ政府が正式な
バーター取引条約(『ハプロ条約』)に調印しています。これにより1934年の
クライン条約(>>511 参照)がドイツ政府に引き継がれた上、支那は1億マルクにも
達するクレジットを取り付けることに成功しました。
520イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/01(日) 23:24:49 ID:JuCBbHNG
これにより、度々いい加減な取り引きをしていた『HAPRO』と
軍事顧問団との緊張関係も解消される事になった訳です。また、
ハプロ条約にはゼークトの建策も盛り込まれ、例えば

1.ドイツ軍事顧問団のほかに顧問団本部を設け、そこに現役将校を派遣する。
2.6個師団からなる10万人のエリート軍を建設する。それを早急に30万人に
  引き上げる。6個師団に対応して「6個の師管区」を設け、そこに軍事産業の
  コンビナートを作る。

3.中国に対する緊急武器輸出として4隻の高速魚雷艇を供与する。そして50隻
  まで増強する。沿岸警備用に15センチ砲台を建設する。機雷設備を供与する。
4.中国人学生をドイツに派遣し、機械技術者として養成する。

などです。この条約に基づき、蒋介石は国防設計委員会を「国防資源委員会」へと
組織替えし、重工業3ヵ年計画を樹立しています――。
521イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/01(日) 23:40:09 ID:JuCBbHNG
3項に注目してみましょう。魚雷艇や機雷設備・沿岸砲台は、揚子江と
黄哺江の水上封鎖を目論むもので、これも上海攻防戦を想定しています。
ただし、日本海軍の陣容を見てみれば容易に分かるとおり、このような
簡単な設備では、河川砲艦や駆逐艦を相手にするのが精一杯でしょうw。

いくらフォン・ゼークトの『神通力』とはいえ、海軍力には及びません。
ゼークトは支那から帰国して間もない1936年にベルリンで死去して
います。享年70歳でした――。
522だつお:2007/07/01(日) 23:41:28 ID:Upo66Luw
>中国人は、利に聡いゆえ、民族の知恵で、

≪児島襄「参謀(下)」のジョゼフ・スチルウェル編より引用≫
だが、ものの一年間もしないうちに、スチルウェル参謀長は、その日誌に、
自分の予期かった感想を記述することになった。
「“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ・・・・ (中国政府は)
自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。指導者たちの興味は、
ただ金、権力、そして地位だけだ・・・・。手に入るものには何でも頭を下げ、
自分は戦わないように心がける・・・・。“インテリ”と金持ちは子どもを米国に送り、
農民の子どもが戦争に かりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。
 われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士
“ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ―おお神よ!! 」
523イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/01(日) 23:50:13 ID:JuCBbHNG
さて話は、ファルケンハウゼンへと移ります。彼がもっとも支那から信頼され、
かつ多くの友人を作った人物であることは間違いないでしょう。

ファルケンハウゼンは、北清事変(1900年)に青年将校として参加し、
WW1前には陸軍武官として日本にも駐在していました。この辺りの
在日経験もファルケンハウゼンが軍事顧問として抜擢された1つの理由
でしょう。

軍事顧問団長としてのファルケンハウゼンは、日本に占領される恐れの
ある地域での「ゲリラ戦」に備えるように呼び掛けています。1937年
初頭に蒋介石へ提出された報告書のなかで、彼はそれまでの成果に満足
していると述べています。

しかしながら、ファルケンハウゼンはゼークトほどには、ドイツ産業界
との深い繋がりを持っておらず、また支那軍の近代化にもあまり関心を
示さなかったと言います。まあ、産業界とのパイプ云々は、ゼークトと
比べること自体が気の毒かもしれませんがw。
524だつお:2007/07/01(日) 23:58:53 ID:Upo66Luw
>彼らは戦争と云う大きな経済行為を行う力が、
>すでに日本軍になくなっていることが、

◇計算できない物質的財産の破壊
 「日本の侵略戦争が中国に与えた財産上の損失も、莫大で驚くべきものだ」、
戦争中、日本軍はいたるところで、狂気のように公共や個人の財産を略奪し、
文化遺産を破壊し、鉱物・森林資源を採掘、伐採し、偽札を発行し、
軍事・民生施設を焼き払い、爆破し、中華民族の物質的精華は日本侵略者
によってほとんど全部奪い去られた、卞博士はこう指摘した。
 この数年、抗戦時代の損失問題を研究し続けてきた卞博士は、当時、
直接戦禍にみまわれなかったチベット、新疆の両省クラス行政区を除き、
残りの省は全部または部分的に陥落するか、一部が戦場になり、多くの都市、
郷・鎮が日本軍の盲爆にさらされたとみている。
 卞博士は、近年の研究結果で、全戦争期間中、中国が受けた直接の財産
損失は1000億ドル、間接的損失は5000億ドルに達することが明らか
になったと語った。
 「むろん、戦争状態という制約から、抗戦の損害調査は、時間的完全性
からも、空間のカバーという点からも、極めて不完全なものである」、
「日本の侵略戦争が中国に与えた巨大な物質的財産の破壊と壊滅ぶりに
ついて、正確な回答をみつけるのは不可能に近い」、卞博士はこう語った。
 そして日本の侵略戦争がもたらした大きな傷が、中国の近代化プロセスの
重大な障害になったことは、学術界で突っ込んで研究する必要があると強調した。

http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zt/qqq115/t202631.htm
日本の侵略戦争は中国にどれだけの損害を与えたか 新華社解説
525名無し三等兵:2007/07/02(月) 02:19:07 ID:???
以前、ファルケンハウゼンと蒋介石が共に話せるのは日本語だけだったので、2人が直接話すときは日本語を使った、
という話を聞いたことがあるが、本当なのか?
526だつお:2007/07/02(月) 20:00:14 ID:fLMjibPz
>何にせよ蒋介石は、これ以上ないくらいスターリンを激怒させた訳で、
>もはや国軍の近代化などをソ連に頼ることは出来ません。

ソ連が満州国を承認した背景としてノモンハンにおける皇軍の抗戦力の他、
頑なに共産勢力を排除する中国国民党を嫌っていたことも考えられる。

声明書
大日本帝国政府及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦政府ハ1941年4月
13日大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間ニ締結セラレタル
中立条約ノ精神ニ基キ両国間ノ平和及友好ノ関係ヲ保障スル為大日本帝国カ
蒙古人民共和国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨又「ソヴイ
エト」社会主義共和国聯邦カ満洲帝国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコト
ヲ約スル旨厳粛ニ声明ス

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nissotuuritujouyaku.htm
日ソ中立条約
527だつお:2007/07/02(月) 20:07:32 ID:fLMjibPz
貧困対策を蔑ろにして反共主義ばかりを怒号し、抗日戦争で連戦連敗し
あげくの果てには同胞である汪精衛一派でさえ銃殺してしまう。
こんなことでは中国人民にお前らは棄てられたのだから皇軍なり中共なり
に寝返って下さいとアピールしているようなもの。中国国民党の崩壊は、
何から何まで蒋介石ら国民党指導部の自業自得としか言いようがない。

彼らには自分だけ金目のものを奪って我先に国外逃亡することしか頭になかった。
これはスチルウェルやマーシャルのような米軍幹部にはみんなお見通しだった。
528だつお:2007/07/02(月) 20:45:11 ID:fLMjibPz
>兵卒から上に行くほど世間知らずの馬鹿が増えるんは

 話は1949年に遡る。共産党軍に敗北して台湾に逃れた蒋介石総統は、
自分の軍事力がとことんダメだということをよく認識していた。そして、
この軍隊を再建して捲土重来、大陸反攻を実現するためには、国民党軍を
日本軍に改造するしかないと考えた。
 蒋介石は日本軍人だった経歴もあり、日本軍に好意的だったことは確かだが、
それだけでなく「我々は日本軍に一度も勝ったことがない」とまで言っている。
確かに日本が負けた相手は太平洋の米軍と満州のソ連軍だった。
 その蒋介石が連絡をとった相手はかつての支那派遣軍総司令官・岡村寧次だった。
岡村元大将は蒋介石に恩義を感じていたので、すぐ実行責任者として富田直亮・元陸軍
少将を選び、その年のうちに富田以下10数人の旧日本軍将校がひそかに台湾に渡った。
文字通りの密航だったという。
 こうして富田団長の偽名・白鴻亮の一字をとって「白団」(ぱいだん)が誕生し、
約20年の長きに渡って、中華民国軍を指導していくことになるのである。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/5562/column/column047.html
台湾に受け継がれた旧日本軍のDNA
529イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/02(月) 23:27:33 ID:???
>>525 >>以前、ファルケンハウゼンと蒋介石が共に話せるのは日本語だけだったので、
>>2人が直接話すときは日本語を使った、という話を聞いたことがあるが本当なのか?

先に述べた通りファルケンハウゼンは士官学校を卒業して来日し、駐在武官を務めて
います。また言うまでも無く蒋介石は、高田の砲兵第19連隊に勤務していましたから、
その可能性はありますが……。ドイツのことは専門でないのでよく分かりませんw。
530イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/02(月) 23:47:55 ID:QQWaPjJe
>>519 >>支那は1億マルクにも達するクレジットを取り付けることに成功しました。

この1億マルクは「対中借款協定」な訳ですが、資金手当てが付いたことで支那は
ドイツの誇るクルップ社、ラインメタル社などの小火器・大砲をはじめ輸送機まで
軍に配備しています。

いわゆるハプロ条約が結ばれたのが1936年4月、そして1937年のドイツ
武器輸出総額の37%が中国向けだったと言いますから、いかに大きな額だった
かが分かるでしょう。

ドイツから武器が供給され、ドイツ人顧問に監督され、重火器を装備した近代的な
師団が充実していきます。中国人将校らの教練も進んでいきました。しかし前テーマの
『上海航空決戦』で述べた通り、陸軍以外の『空軍』の建設にあたったのは、主に
イタリアとアメリカでした。もちろんドイツの援助による航空機工場の建設自体は決定
していましたが、この計画は1937年の支那事変勃発まで実行にされませんでした。
531イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/03(火) 00:08:36 ID:YDJ3AMBy
海軍については事実上、放置プレイのままです。>>520-521 で述べた通り、形式的には
ドイツと支那の協力事業がスタートしていましたが、発注された潜水艦や艦艇などが
1937年の開戦までに納入されなかったため、ほとんど意味がありませんでした。

さてドイツ国防軍は、依然として支那に強い関心を寄せていましたが、ブロンベルク
(Werner von Blomberg)大将を頂点とする国防省は、そうした援助は「対日接近政策」と
相容れないものである事をよく承知していました。

1937年の初頭までは、ドイツ国防大臣の中国訪問も検討されていましたが、極東
アジアの緊張が高まるにつれ、支那の「ドイツ人顧問団」の存在が問題となってくる
のは明らかでした。テーマ後半で述べるように1938年以降、東方生存圏の拡大という
世界戦略のため「日本支持」を表明したヒトラーの影響を受け、経済界・産業界の
支那に対する関心は次第に失われていくことになります――。
532イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/03(火) 00:29:03 ID:YDJ3AMBy
>>519 >>支那は1億マルクにも達するクレジットを取り付けることに成功しました。

この1億マルクという金額がどれくらいのものだったのか? ナチス・ドイツが
ブレスラウ付近に「神経ガス工場」を作りましたが、ここに1億マルク以上を
つぎ込んだという記述があります。ちなみに「タブン」の月間生産能力が3千トン
あったと云います。

またポケット戦艦『アドミラル・グラフ・シュペー』の当時の建造費が8200万
マルク、同様に戦艦『ビスマルク』が2億マルク、タイガー戦車が35万マルク……。

まあ、もちろん1億マルクはあくまで「クレジット」ですから、別に現金か
何かで支那にくれてやった訳ではありませんので誤解のなきようw。

   、 - _- 、 ___
  / 〆~~~, '"  `ヽ,  ここまでで全体の約5分の2が経過――。
  l ノ.  、 ! ノ)ノ)λノ))   いよいよ支那事変が勃発するけど、ひたすら
  ||    メ从i - 。-リi  地味な話が続いていくわ。ナムナム…
  ヽ.__.(Oi#lムliづ 
    ~~~~ <#/i#i#iゝ      (◎)
       ''i_ン_ン"      ヽ|〃 .
                 '゛'゛ ゛゛
534名無し三等兵:2007/07/03(火) 00:56:41 ID:???
535名無し三等兵:2007/07/03(火) 16:26:22 ID:sdqQXRAE
 稲造氏には御勇健にて重畳。さて以下は拙者の筆ならねど内容
熟知しあるに附、紹介申上げます。御見解如何。

471 :名無的発言者:2007/03/22(木) 08:16:19
 2005年7月3日、支那のTV局北京電視台の午後4時からの番組
「社会透視」内で、支那事変の発端となった1937(昭和12)年7月
7日の盧溝橋事件は、 北京守備隊支那国民党軍第29軍に潜入して
いた共産党地下党員 『吉星文』『張克侠』『何基?』らが引起
し、 まんまと抗日戦争へと発展させる事に成功したと報道した。
 ちなみに人民解放軍総政治部発行ポケット版『戦士政治課本』
には、「七七事変は劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が
決死的行動を以って党中央の指令を実行したもの」との記述があ
ったとされるが、 この『戦士政治課本』の存在は確認されたも
のの上記の内容は確認されていない。
 また、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、当時共産党副
主席だった劉少奇が「七・七事件の仕掛人は中国共産党で、現地
責任者はこの俺だった」と連合国側の記者団に語ったとされるが、
その証拠やそれに関する報道は未だ発見されていない。
 しかしながら自慢したくてしょうがない気質の支那人の事。
『政治課本』や劉少奇が自信満々に語ったとしてもちっとも不思
議はない。この盧溝橋事件共産党陰謀説をまたも支那自身である
北京電視台が自慢げに語り裏付けた形だ。
 盧溝橋事件は、国際法や慣習に則ってちっとも侵略しようとし
ない日本に対し、痺れを切らした支那共産党による謀略だったと
はっきりした。
 またその後(同年7月29日)に起った人類史上稀に見る日本人
居留民(朝鮮人含む)への未曾有の大虐殺通州事件も、廬溝橋
事件で引っ掛けても尚、支那不拡大方針を表明し、国民党軍と停
戦協定を結んでしまった日本に対し、先の盧溝橋事件謀略をまん
まと成功させた国民党軍に潜入していた共産党地下党員によるも
のだと容易に想像できよう。
536名無し三等兵:2007/07/03(火) 16:47:24 ID:???
その話題は既出
537名無し三等兵:2007/07/03(火) 21:04:59 ID:???
>>480
すり、ドラの御二人に従事してたとなると
あんさん、いわゆるりふれ政策支持ですかいのう?
538白馬青牛:2007/07/03(火) 22:13:01 ID:Bunyxq6i
>>522、中国の上層部も保身で日本の上層部と同レベルじゃ。>>524は、
日本軍の徴発による略奪じゃのう。>>528これも、上に行くほど
世間知らずの馬鹿が増えるんと関係ない回答じゃのう。
政財官界やあんたが引用する御用学者・評論家ら上層部の連中の取り巻きも
そうじゃのう。日下公人氏が養老孟司氏の対談で、
経済学者は「家計簿を全く知らない。学者も、役人も、新聞記者も、
無駄使いをした経験がない。生産面については詳しくても、消費面に
ついては全然知りません。自分で買い物をしませんから、国際市場も
国内市場も絵を書いた餅と同じです。そういう真面目な人が、アメリカの
ジャンク・ボンドを買って損をし、ハゲタカ・ファンドに見事にやられて
しまう。」と、
経済学者が主婦ほど金銭感覚がましでありゃあええが、
世間知らずの理解力のない学者さんが机上の理論でカバチ(文句)
垂れとるだけじゃ。机上の理論で作戦を立てる参謀殿と同じじゃ。
539イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/03(火) 22:44:29 ID:???
>>535 その話題は既出
540イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/03(火) 22:51:29 ID:???
>>537 >>すり、ドラの御二人に従事してたとなるとあんさん、いわゆる
>>りふれ政策支持ですかいのう?

自分は商学徒だったので、とても経済学のレベルまで達していません。まだまだ
「グローバルスタンダード」だとか「ニューエコノミー」だとか「BIS規制」
だとかを信じていた頃の話です(核藁)。
541白馬青牛:2007/07/03(火) 23:10:35 ID:Bunyxq6i
ついでに書いとこうか。イナゾウ氏の>>74の、支那人の『脳の構造』
云うて何ですか?日本人と違うんですかいのう?>>78の、化けの皮が
剥がれる嘘をつくんは日本の上層部もそうでしょう。北朝鮮の拉致問題
でも、遺骨が誰か判明出来ん焼いた遺骨を送って来た北朝鮮もあきれるが、
日本側もDNAが判明出来んのに偽遺骨と断定し対処したんは、北朝鮮と
同レベルじゃないですか。
http://tanakanews.com/070216eastasia.html
▼満州事変的な遺骨問題
日本政府は、北朝鮮から渡された横田めぐみさんのものとされる遺骨を
DNAで鑑定した結果(DNA鑑定不可能なのに)、別人の遺骨であると
発表して、ネイチャー誌の社説で、日本政府の態度を非難し返され、
世界に恥をさらしたんじゃないですか(関連記事の英文もある)。
http;//www.gregoryclark.net/jt/page7/page7.html
に、グレゴリー・クラーク氏も書いておられるが、産経はまともな反論も
出来んゆえ陰湿な反クラーク氏キャンペーンで対抗したんじゃろうて。
まあ、日本の上層部も嘘吐き、捏造、隠蔽で他国を批判できる水準じゃ
ないですし、日本側も化けの皮が剥げとりますのう。
何でイナゾウ氏は、民主主義の現在に日本側の見解だけ取り上げて、
人様を騙す大本営発表みたいなことをやらかすんですか?
他民族を愚弄して得意げになる。その意図は何の目的ですか?
542イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/03(火) 23:11:14 ID:TDJc68pU
>>533 の続き。>>いよいよ支那事変が勃発するけど、ひたすら地味な話が
>>続いていくわ。ナムナム…

さて1937年7月7日、盧溝橋事件から支那事変が勃発しますが、当初ドイツは
ヒトラー自身の指示で「中立の立場」を守っていました。その方針とは、

●日本との協力関係はそのまま維持するが、中国への兵器の輸出は「外貨ないし
 原料の供給」による支払いが可能な限り、なるべく秘かに継続すべきこと
●中国からの『陸軍兵器』の発注は今後なるべく受けないこと

というものでした。「なるべく」という言葉に象徴されるとおり、可能であるなら
『なるべく』中国と日本の両方に良い顔をしたいのが本音だったでしょう。しかし、
当然のことながら、そうは問屋が卸しません。ちなみに「日独防共協定」は前年の
1936年11月25日の調印でした(日独『伊』防共協定は、1937年11月
6日成立)。
543白馬青牛:2007/07/03(火) 23:19:12 ID:Bunyxq6i
>>541んが出んかったか。
http://tanakanews.com/070216eastasia.htm
かいのう。クラーク氏のそれは、
http://www.gregoryclark.net/jt/page7/page7.html
か。
544イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/03(火) 23:35:15 ID:TDJc68pU
支那事変勃発後、数週間も経たないうちに日本はドイツに対して「支那への
軍事物資の供給」と「ドイツ人顧問団の存在」について抗議を申し入れます。

ベルリン駐在の大島浩(ドイツ大使館附武官:陸軍少将)は、ドイツ国防省を
訪れて、●「在支のドイツ人軍事顧問らは少なくとも個々の作戦について積極的に
関与することの無いよう」日本政府の意向を伝えます。

また他方の窓口であるドイツ外務省は、●「もう既にドイツ人顧問団には
日本の希望に沿った指示を与えてある」と明言し、武者小路公共駐独大使は
これに感謝の意を表明しました。ちなみに武者小路公共(きんとも)で、
「公共」は名前ですよ。「公共大使」じゃありませんよw。小説家の武者小路
実篤は弟にあたります。

それはさて置き、日本は「支那で共産主義に対する戦いを遂行しているのあって、
日独防共協定の精神からドイツに理解を求める」と主張しました。
545イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/03(火) 23:50:55 ID:TDJc68pU
しかしドイツはこれに同意せず、むしろ●「日本と国民政府の戦争は、
中国の赤化に一役買う結果になっている」と反論したのでした。

ちょうどこの頃、ファルケンハウゼンは「ドイツ駐支大使」のトラウトマンに
(Oskar Trautmann)対して極秘の報告書を提出しています。このトラウトマンとは、
もちろん南京攻略戦後の和平仲介者として登場する『トラウトマン工作』の人物です。
その内容は以下の通り。

【ファルケンハウゼン―→トラウトマン】

「蒋介石は事態の平和的な解決を希望しているが、中国の国益を犠牲にする
 ことはできないと考えている。現在、中国が1つにまとまっているのは
『反日感情』によるものであり、ここで降伏することは不可能。むしろ武力
 対立を選ぶに違いない――」
546イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/04(水) 00:09:10 ID:vtnJrxui
さらに要点をまとめると以下の通り。

●戦争は中国全土に拡大するだろう
●中国が勝利するチャンスはかなりある
●日本の勝利のためには軍の総力が投入されねばならないが、これは
 ソ連の態度から考えて到底不可能である
●従ってブロンベルク大将(ドイツ国防相)は、日本が必ず勝つと
 考えるべきではない

と結論するものです。「中国が勝利するチャンスはかなりある」とは
言いも言ったりですが、ファルケンハウゼンの上海攻防戦への自信が
込められていたのでしょう。そして「支那とドイツ軍事顧問団」の方へ
何とか自国の関心を向けようと必死です。
547名無し三等兵:2007/07/04(水) 00:14:10 ID:???
>>その間に彼は3回就職しました。でも、3回の仕事をいずれも3日、3日、1日で
>>自分から辞めてしまっているんです

まぁ、1日で辞めたワープーだろうが1年で辞めた新卒だろうが
世間にクソ会社が腐るほどはびこってるってことだな
基準法違反の会社はガンガン取り締まらないとダメだ

中には面接に行って建物見ただけで「こりゃダメだ」wと解るところもあるしな
なんつーか、動物が感じるウサン臭い何かだ
なんか異常に暗いくてオマケに街自体がすでに死んでいて
ゾンビのような社員が歩いてたりする
でもって中小のくせに社長の車がやけに高級
土地が狭いのに無理にデカイ車なので半分道路にハミ出してガソリンが
漏れないか心配なほど30度ぐらい乗り上げて停めてある
この手はたいていワンマンか同族
で、中に通されるとどこまでが土間だか解らないような町工場まるだしの
造りで不自然に応接セットが置いてあったりする
今どきどこで買ったのかというレースの敷物とチューリップのような
でかいガラスの灰皿なんかが特徴
この道30年という感じの事務兼雑用のオバチャンがお茶を持ってきて
これは過去に「社長とヤッたな」といういらぬ想像が頭をよぎる
やがてキオスクのガム1個でも領収書をもらっていそうな貧乏くさい
作業服まがいの社長が自ら面接にやって来るのだが履歴書などロクに見ず
会社の成長路線を得々と強調する
「まぁ、バイト感覚でイヤになったら即辞めればいいか」としばらく勤めて
みるとこれがけっこう居心地が良かったりするのであなどれない
なぜならムダな競争や複雑な人間関係とは無縁だからだ
548名無し三等兵:2007/07/04(水) 00:24:14 ID:2eqmj76j
日本人は原爆で死んでもしょうがないを言った大臣がいるそうだが
イナゾウさんの言う、大韓中国人は死んでもしょうがないの
発言に見た時に同じ、の人士の臭いを強かったのを感じた
!!!  その共通項は「人の痛みを知らざるを心だ!!!!」
と心の全てから思った だからイナゾウさの言う発言は
人類に対抗する要件を十分であるといえよう
549名無し三等兵:2007/07/04(水) 00:27:54 ID:2eqmj76j
女を大臣に推する国家の堕胎は
全てを受け入れるのだともい
だから日本の自衛は全ての国を
受け入れ全てを奪われるのは
淫の極数値を上昇するだろ
550名無し三等兵:2007/07/04(水) 00:34:47 ID:2eqmj76j
論を持ち
この掲示板人を殲したの宣言する!!!!
慈愛をこの掲示板人に施た 監査!! 監査!!
さい!さい!さい! ここを去し 次敵を求人する!!
圧倒軍事巨大王朝大 万歳!! 万歳!! 万歳!! 万歳!!!!!!
551名無し三等兵:2007/07/04(水) 00:39:51 ID:2eqmj76j
驚愕!! 驚愕!! 驚愕!!!
この掲示板人軍事専人が殲されてゅあ!!!!
この事実は日本人国の全滅を意美する!!!!!
阿阿 阿 阿阿阿 阿阿ーーーーーーーーーーー!!!!!!!!
私は日本人掲示卒だが歴史的大勝に目者だ!!
一人の天才にこの掲示板人が反撃不に即撃された事実!!!
552イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/04(水) 00:51:03 ID:vtnJrxui
「上海決戦」の詳細については割愛しますが、ドイツ人顧問が指導した
WW1型の塹壕陣地に対して、日本側が近代的な浸透戦術を身につけて
いたことが特に挙げられます。ドイツ人顧問からすれば、日本は第一次
大戦を経験していなかったのに――と云ったところでしょうか。

また支那側が、海軍陸戦隊もろとも上陸した日本軍を海に追い落とす事を
夢見て(チト言い過ぎw。国際衆視のなか、攻勢に出てきた日本軍を塹壕
陣地でボコボコにする)、打撃兵力ばかりに重点を置いて交通線の維持に
兵力を割かなかったこと。

そのため南京(上海間300キロ)に置かれていた総予備兵力が効果的に
到着できず、かえって日本軍の進撃スピードの方が勝り、最後には退却
してきた味方と増援に出てきた味方が「ゴチャ混ぜ」になって総崩れに
なったことなどが挙げられます。
>>548 >>日本人は原爆で死んでもしょうがないを言った大臣がいるそうだが
>>551 >>一人の天才にこの掲示板人が反撃不に即撃された事実!!!

     ヘ
   イ"´ ̄`'ヽ
   | i.|ノリハノリ〉_    何か色んなのを召喚されたようですが、中佐が
 ,ヘルlリ ゚ ヮ゚ノiiノn   国防大臣になったら、「原爆落とされたお陰で
 ゝ<,_,i`ハ´i,〕ツ   今観光地になって得してるんだからいいじゃん」
  `,し/~/:ハ    ぐらいの不穏当発言はする人ですよw。その程度で
   `'ィ ァ~ィ ァ´   盛り上がっては新聞記者の私としては残念ですねー。
    T  T    ところで、「一人の天才」とは誰のことですか?w
554名無し三等兵:2007/07/04(水) 21:47:51 ID:???
電波シナ人白馬青牛が沸いてる件について
555名無し三等兵:2007/07/04(水) 21:53:12 ID:???
>原爆
あんだけ予算注ぎ込んでんだから、
肝心な局面で使わんなんて決断が出来よう筈も無い。

全く同じ文脈で
旧軍は大和の沖縄特攻を強行し、
米軍は原爆の実戦使用を決断した、と。
勝者と敗者の格差ってのは実にシビアだねえ。
556イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/05(木) 00:03:52 ID:+7klWVex
>>552 の続き。>>「支那とドイツ軍事顧問団」の方へ何とか自国の関心を
>>向けようと必死です

それにしても「上海決戦」当時、ドイツ軍事顧問の活躍ぶりは日本軍に苦戦を
もたらし驚かせました。日本軍に全縦深が突破されたことを知ると、国府軍の
指揮を取っていたドイツ軍事顧問は自ら銃を取り、多数が戦死したと云います。

ファルケンハウゼンが激戦の続く上海に数日間滞在して、自ら戦局を指導した
ことは、駐日ドイツ大使のディルクセン(Herber von Dirksen)も知っていました。

それにも関わらず、ディルクセンは●「ドイツ人軍事顧問の戦争参加は、根も葉も
ない噂である」と述べて、ドイツ通信(DNB)が公式にこれを否定するようドイツ
外務省に要請しています。

日本との板挟みに苦慮したドイツ外務省は国防省と協議して、●「ドイツ人軍事顧問の
支那との雇用契約は『私的』な性格のものである」と見なすことにしました。
557イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/05(木) 00:14:57 ID:+7klWVex
しかし当然の事ながら、今度は支那の方が収まりません。「私的性格の
雇用契約」とは何ごとかと。これはドイツ政府による軍事顧問の切り捨て、
引いては支那そのものの切り捨てへと繋がります。

文字通り「あちら(日本)を立てれば、こちら(支那)が立たず」状態ですw。

そこでドイツ駐支大使のトラウトマンは、重ねて中国側に対して●「顧問の
仕事は従来と変わらないが、期限の切れた雇用計画の幾つかは今後更新され
ない」と苦しい説明しました。

トラウトマンは、ドイツ政府に対しては●「中国への配慮から顧問団を撤退
させることには反対する」その一方で、ファルケンハウゼンと蒋介石には
●「ドイツ人顧問が日本軍との前線で活動することのないよう」求めました。
558イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/05(木) 00:26:35 ID:+7klWVex
トラウトマンもまた、本国と支那現地の「板挟み状態」でまことに苦しい
立場でしたが、●「ドイツ人顧問の(支那)軍司令部への『視察』までは
拒否できないだろう」と諦め顔ですw。

また当のファルケンハウゼン自身は、以下のように回想しています。

「しかし、ドイツ政府からのトラウトマン宛の指示にも関わらず、『民間人』
 として中国の友人を見捨てるようなことは出来ないという点で、我々の意見は
 一致していた。従って私は必要と思われるところには全て軍事顧問を送り込んだが
 それは往々にして前線であった――」

ファルケンハウゼンの回想録はのちに出版されていますが、●「トラウトマン大使は
これに理解を示し、(軍事顧問の活動を)大目に見てくれていた」という続きの部分が
削除されていると云いますw。
559イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/05(木) 00:40:13 ID:+7klWVex
更にファルケンハウゼンは、蒋介石に宛てた書簡のなかで「ドイツ人将校の
関与を認め、彼らの内の5人を顕彰するよう」提案しています。本国の意向
なんぞ糞ったれというか、何とか既成事実化してしまおうと必死な訳です。

また駐日ドイツ大使のディルクセンが、「ドイツ人顧問らは上海の前線で
中国軍に『アドバイス』を与えた」と回想録に記している事は既に述べました。

この時点では、南京のトラウトマン大使と同様に、ディルクセンも「顧問団の
引き上げは独中関係に重大な影響を与えるだろう」と懸念を抱いていました。
そしてドイツ外務省と国防軍内部では、「そうなった場合はソ連軍人がドイツの
代わりに中国の軍事顧問になるだろう」と危惧した訳です。
560名無し三等兵:2007/07/05(木) 00:41:44 ID:???
「日本人は原爆で死んでもしょうがない」

↑これを言ったのは大臣ではなく、本島元長崎市長なんだが。
561イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/05(木) 00:48:58 ID:???
このテーマの結論にも少し触れますが、中国が赤化してしまっては
ソ連が後方(極東)の憂いを除いて勢いづくばかりで、ドイツの
「東方生存圏」拡大が頓挫することになってしまいます。

こうなってくると事態を救う方法はただ1つ――。

日本と中国が戦争を早く止めてくれる事です。そうすればまたドイツは
両方の国に「いい顔」ができます。そういう訳で、ドイツが和平仲介の
労を取れれば(災い転じて福となす――さらに恩も売ることができる)
一石二鳥と、南京のトラウトマン大使が始めた『和平工作』にドイツ
本国の期待も集まるのです。
>>551 >>この掲示板人軍事専人が殲されてゅあ!!!!
>>この事実は『日本人国の全滅』を意美する!!!!!

   ッ-ヘ。__。ヘ    ./ー- 、
   レ, '´゚   `,〉   /==ヽ 
   i ハ)))ハ))ノ)  ム,   |/  
    イオi ゚ ヮ゚ノヘ   /      中佐は、そんな日本の重要人物だったのかねw。
    ,ぐ`i盃、ツつr'ソ   
   ,メ∪イ-i、ゝ      
    ゙'ーi_'ォ_ァ"       
563名無し三等兵:2007/07/05(木) 00:59:02 ID:???
重要珍物
564名無し三等兵:2007/07/05(木) 04:03:42 ID:???
>>551レスは
ちょっと真似できない、なかなか味わい深い(詩的なw)語調だ。
>>548レスを見る限り、2eqmj76jは一応意味の通る日本語を操れるようだから、
これは素じゃなくて芸風なんだよネ。
いやいや、たいしたもんだ。感心したよ。
565名無し三等兵:2007/07/05(木) 09:41:37 ID:naU2C72Y
>>548は脳内にExite翻訳が入ってるような文章だなw
566名無し三等兵:2007/07/05(木) 09:45:36 ID:???
567名無し三等兵:2007/07/05(木) 13:14:01 ID:???
田中ウーwwwww
568だつお:2007/07/05(木) 21:17:41 ID:fx9JdsTp
ま、大多数の中国人からみれば日本の工業力はボロくてお話にならず、
従ってドイツ製アメリカ製の兵器を大量購入すれば皇軍恐るるに足らずと。
中国人は世界に先駆けて空母機動部隊を編成しうる磐石な工業基盤という
ものを全く理解していなかった。空母機動部隊であればアメリカが勝るが、
それは先進工業国同士のほんのわずかの差にすぎない。

それともチンピラゴロツキは3500万人虐殺されても、まだ懲りないのか?
中国人はドイツ軍事顧問とドイツ陸戦兵器で、皇軍と皇軍兵器を圧倒できたか?
アメリカ航空支援とアメリカ兵器で、四式戦と97式中戦車チハに勝利できたか?
中国人は人口が多すぎるから、3500万の殺戮程度では痛くも痒くもないのか?
569だつお:2007/07/05(木) 23:38:57 ID:fx9JdsTp
イナゾウ氏の話を聞いてるとね、皇軍の陸戦能力や兵器工業は欧米ロシア
と比べてお話にならぬほどに稚拙で取るに足らないとの中国人の稚拙な妄想は、
皇軍の連戦連勝で一気に覆されたってところなんだよな。ヒトラーでさえ、
支那事変でドイツ軍事顧問が精魂込めて肩入れした中国国民党軍が撃破され
たことに衝撃を受けて、日本への接近と譲歩を強めていく。それがトラウトマン
日中和平工作に繋がったのではないかと自分は認識している。汪精衛一派が親日
云々ではなくて、皇軍の戦闘能力をさすがの中国人も認めざるを得なかっただけ。
570だつお:2007/07/05(木) 23:56:58 ID:fx9JdsTp
中国人が皇軍兵器の技術的先進性と優れた工業力を理解するためには、
97式中戦車チハが大陸打通3000キロを駆け回って殺戮と暴虐を
ほしいいままにして、中国人がその肉体で思い知るしかなかった。
中国は人口が世界最大かつ米英独ソの支援がふんだんに受けられるから、
皇軍と皇軍兵器にとっては絶好の殺戮標的物であり続けた。
ドイツ陸戦兵器だろうがアメリカ航空隊だろうがそれは結局のところ、
皇軍にとっては中国人という蛆虫を相手に気持ちよく殺戮ゲームを楽
しむための口実にしかならなかった。

何? そんなの殺人鬼だって?

それは皇軍の97式中戦車チハのことを指して言っているのか?
97式中戦車チハが工業製品として世界有数で、恐るべき殺戮マシーン
として大陸打通作戦の3000キロを駆け回ったということなのか?
ホント、アウシュビッツに車輪が付いて大地を駆け回ったようなものだな!
571イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/06(金) 00:44:07 ID:uYu8q/sF
>>561 の続き。>>南京のトラウトマン大使が始めた『和平工作』にドイツ本国の
>>期待も集まるのです。

その一方で東京の「駐日ドイツ大使」ディルクセンは、在支のドイツ人軍事顧問らが
蒋介石に日本と戦争を続ける無意味さを説き、トラウトマンの和平仲介工作を容易に
してくれるのではないか、とさえ期待していたと云います。

そしてファルケンハウゼンは事実、これを行なっていたようです。少なくとも彼は
トラウトマン大使の依頼を受けて、蒋介石を始めとする国民政府の指導部に戦況の
厳しさを説き、●「このまま苦しい戦争を続ければ、支那が赤化する恐れがある」
と警告していました。

そして上海決戦で一敗地にまみれると、国民政府に和平を求める圧力をかけるよう
本国のドイツ政府に働きかけもしましたが、ファルケンハウゼン自身はあまり期待
せず、むしろ戦局は全面戦争に向かいつつあると考えていました――。
572イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/06(金) 01:05:01 ID:uYu8q/sF
この頃の支那は、ブリュッセルの「九ヶ国会議」で欧米列強が日本に圧力をかけて
くれるのではないかと期待し、蒋介石は時間を出来るだけ稼ぐ作戦に出ていました。

ファルケンハウゼンは、●「首都南京を防衛すべきだ」と考える国民政府とは意見を
異にしていましたが、軍事上の合理性うんぬんより「政治的な重要性」で決定される
ことは止むを得ないと同意していました。

1937年12月13日に南京が陥落すると、日本はトラウトマン工作での和平条件を
いっそう厳しくしてきました。「九ヵ国会議」も期待外れに終わり、ようやく蒋介石も
ドイツの仲介工作による戦争終結に期待をかけるようになりましたが、既に遅過ぎました。

当時の戦況を検討したファルケンハウゼンは、●「中国は今後もかなり長期にわたって
日本に抗戦できる」、●「南京の陥落は、軍事上よりも政治的な意味をもつものだ(軍事上は
深刻なダメージではない)」、●「上手く行けば、もう半年は戦いを継続できる」と結論
しましたが、トラウトマン大使はこの見方を楽観的過ぎると批判し、東京のディルクセンも
本国のドイツ外務省も同じ意見でした。
573イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/06(金) 01:21:39 ID:uYu8q/sF
結局、南京のトラウトマンも、東京のディルクセンも、本国のドイツ外務省も、
3者そろって、●「日本の和平条件が何とか受け入れられる今のうちに、戦争
終結に向けて中国を説得するべきだ」とファルケンハウゼンに迫ったのでした。

ファルケンハウゼンは渋々これに応じたものの、もちろん上手くいくはずも
ありません。日本側の過大な要求を、支那は受け入れることが出来ず、回答期限を
ズルズル引き伸ばそうとしているうちに、近衛文麿の●「帝国政府は爾後国民政府を
対手とせず」(1938年1月16日)声明が発表されて、『日中独3国』にとっての
ポイント・オブ・ノーリターン――回帰不能点を突破することになりました。
574名無し三等兵:2007/07/06(金) 21:30:50 ID:???
え〜と、日本のアジア進出は(太平洋戦争時)あきらかに解放の名をかたった建て前でしたね。
それについては以前述べました。
また、シンガポール等を昭南島なんて日本名に変えましたし(他の地域にも日本名に変えたり、用意してました)
多くの虐殺もしましたね。
捕虜も殺したし現地人や捕虜(捕虜使役は戦時国際法上認められてない・戦時国際法を遵守しまくった明治政府
が見たら、裸足で逃げ出しますね)を使い無理な開発(鉄道や鉱山開発等)をして、恨み買いましたしね。
どうにも言い訳の仕様がないくらい。
で、満州事変以来、日本は行き当たりばったり式の政策を取り続けましたが(依然書きました)
中央政府の意向も軍部に通らず、軍部(主に陸軍)の意向も現地軍に通らず、現地軍の意向は
各参謀によって勝手に変わる。
という具合にみんな好き勝手にやってた時代で、まともな政策なんて夢のまた夢みたいなものでしたね。

で、気がついたらアメリカやイギリスと戦ってた。
両国の国情をほとんど調べてないのに〜って感じで
(実際海軍も陸軍も調査機関員が少ない、陸軍なんか十四・五人くらいですよメンバーが、
しかも欧米課ですから、アメリカだけじゃないんです。
海軍は他にも調査機関はもってたけど、調べてるのは主力戦力ばっかりですしね。
対するアメリカは、戦前にも民間人含め人数多いし、開戦後は一万人以上が日本調査機関に振り向けます。
ただしアメリカの方針は対ドイツなので、ドイツ向けの調査・研究機関員の方がもっと多い)
で、案の定というか完敗しました。
だいたいアメリカは軍需品生産を昭和18年(1943年)をピークに翌年から落としてます。
もうこの時点で戦争(対日本・ドイツ)のケリはついたと思ってるんですよね〜。   
575名無し三等兵:2007/07/06(金) 21:53:40 ID:???
>>573
やーもうマジでさ、当時の日本はどうやって戦争状態を手仕舞いする心算だったんだろ?
>国民政府を対手とせず
ってことはさ、その国民政府に屈服を強いる以外に打開の方策が無いってことだよね。
こんな風に実施困難な方向へと自らの選択肢を狭めて悦に入るってのはマズ杉だよな。
当時から問題視されて然るべき、驚くべき大チョンボだよ、コリャ。
576名無し三等兵:2007/07/06(金) 22:25:22 ID:???
>>574
あんただれ?
577名無し三等兵:2007/07/07(土) 00:44:40 ID:???
>>574
どっかで読んだことがある。
コピペか引用だろ。
578名無し三等兵:2007/07/07(土) 13:29:02 ID:???
今日は盧溝橋事件から70年ですよ
日本側が銃を一発打って日中戦争が始まったされる日ですね
今も遺棄化学兵器・慰安婦・強制連行などの処理・補償問題とかありますね
579名無し三等兵:2007/07/07(土) 13:30:21 ID:???
共産党のせこい謀略だろw
580名無し三等兵:2007/07/07(土) 18:33:05 ID:???
白馬青牛が名無しで工作中
581名無し三等兵:2007/07/07(土) 21:00:48 ID:???
>>566

HOIだと簡単に中国潰せるけど、Vicだとなかなかうまくいかんな。
582名無し三等兵:2007/07/07(土) 22:39:33 ID:sxjnMi2I
>>566

これ何ゲームの名を????
583名無し三等兵:2007/07/07(土) 22:41:07 ID:QVoq7Axe
銃を一発打って逃げたのはシナ人だと稲造すら書いてる。
昭南は英領植民地、しかも亜細亜支配の軍事拠点なので叩いても問題なし。
捕虜の使役は国際法の認めるところ。
どこに禁止規定がある。
化学兵器は武装解除で接収された。
慰安婦は捏造、強制連行てただの徴用だろ。
嘘を書いちゃいかんぞ。
584名無し三等兵:2007/07/07(土) 23:27:40 ID:sxjnMi2I
大韓・中国連合軍国の日本殲作実現する
GAMEも楽しもう それ
585名無し三等兵:2007/07/07(土) 23:56:48 ID:???
      /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \   ――――― 人類の歴史は愛と戦争の螺旋状 ―――――
     /λ            \
   / / \            ヽ
  / /     \            |  べ、別にヨシフの気を引きたくて
  / /        `ー 、       |       侵攻した訳じゃ無いからね!
  | .|           ー―-、   |     , -.―――--.、
  |  |               |   |    ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
  |  |        l        \ |    .i;}'       "ミ;;;;:}
 ,^ヽ.|  ,;;_llliiillli_iJ   ,;;iiillIIii_   |/=.    |} ,,..、_、  , _,,,..、  |;;;:|
 |i^.| |  ,彳てフ'   气.てフ'   | i |    |} ,_tュ,〈  ヒ''tュ_  i;;;;|
 ヽ | |  ヽ  ̄'/   【   ̄ ,   |_/    |  ー' | ` -     ト'{
  | ||     ̄    ┃  ̄     |_l   「|.///イ_i _ >、//// }〉}
  `-|      /  ┃       |    `{| _;;iill|||;|||llii;;,>、 .!-'  わ、私だってアンタに会う為に
    | ///// | _,__i ) .///// .|.      |    ='"     |    米英より先にベルリンを
     l      i| ||;|||||||i     |        i゙ 、_  ゙,,,  ,, ' {    攻略した訳じゃないからね!
    ヽ、   |||||:|||||||||ll  (  /       丿\  ̄ ̄  _,,-"ヽ
     |\   ̄ ̄二 ̄ ̄ |//^\-―"~ヽ  \、_;;,..-" _ ,i`ー-
_ ,――|  \       / /   \.  ヽ、★ヽ/ \ /★/  |
 /    |\  ー――一  /    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/     |  \ _/    /    /           \
586白馬青牛:2007/07/08(日) 00:30:59 ID:5tW8pXR3
>>554
電波シナ人は、朱子学的排外主義、攘夷主義、文献(経典)を一字一句
正確に捉える等、「考証学」の影響も強い、
論破されたら「証拠はあるか!」を連呼する中華思想に洗脳された、
世間知らずのネットウヨの方じゃ。
>>580
このスレじゃあ、名無しで書いとらんわい。
587名無し三等兵:2007/07/08(日) 01:23:28 ID:???
お前証拠ないもの通用すると思ってんの?
証拠のないただの考察なんて妄想ですよ。も・う・そ・う。意味わかる?
588名無し三等兵:2007/07/08(日) 05:28:35 ID:???
>>579
それ、陰謀論。
589名無し三等兵:2007/07/08(日) 05:29:26 ID:???
日本兵の強姦の話

ネグロスの高原地帯に陣地を置いた連中には、随分と無茶なことをしたのがいたという。
(中略)悪質な兵隊は憲兵のいないのを幸いに土人の女を片端から強姦していったという。
多い日には五人もやり、実に鬼畜の行為だった。(中略)黙って言う事を聞く女もいるが、
しっかりしたのは座り込んでじっとしているから変だと思ったら、大小便をして腰のあたりに
それを塗りたくっていたという。いかなる鬼畜でもこの戦術には参ったということだ。
590名無し三等兵:2007/07/08(日) 06:03:24 ID:???
591名無し三等兵:2007/07/08(日) 07:18:51 ID:???
>>589
強姦があったことを否定するわけじゃないが

それは国民党軍の略奪に関する記述じゃなかったか?
592名無し三等兵:2007/07/08(日) 09:39:57 ID:???
排外主義?攘夷主義?
それってシナ人の専売特許じゃなかったか?
593名無し三等兵:2007/07/09(月) 21:01:12 ID:???
>>590
このゲーム中国を属国にしても役にたたないんだよな。

かといって全土を占領すると反乱おきまくりで手に負えないし。
594名無し三等兵:2007/07/10(火) 10:34:04 ID:???
【他人にとことん厳しく、自分にとことん甘く、それが安倍の人生哲学】

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
安倍内閣メールマガジン(第6号 2006/11/16)

>海に平気で空き缶を捨てる子供に対しては、法律で禁止されていなくても
>そうした行為は恥ずかしい、やってはいけないのだという道徳や規範意識を
>身につけさせることが必要です。

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

近所の人の証言:
http://vista.jeez.jp/img/vi8391119600.jpg

 「秘書が実家に入るのは見たことがない」 
 「聞いたことがない」
 「初耳、ありえないです」
 「そんなバナナ・・・」

ただ単に政治とカネの問題だったのが、ご両親の態度急変で
「政治家ってのはこういう汚いやり方をするんだなあ」
という失望を生んでいる。

悪い奴がよく眠り、正直者が辛い思いをしてる図を見るのは
社会への失望につながるんだよ。
悪いことした奴がちゃんと罰せられないと、社会のモラルが低下する。
安倍の罪は大きい。
595名無し三等兵:2007/07/10(火) 11:27:03 ID:0YmydYjm

 × 戦史叢書

 〇 大東亞戰爭公刊戰史
596名無し三等兵:2007/07/10(火) 19:44:37 ID:???
イナゾウって編集屋さん?
597白馬青牛:2007/07/11(水) 02:22:04 ID:gfqcnuuh
>>587
われが証拠とするもんは何なら?おどれの妄想論か。
>>592
排外主義と攘夷主義は、反日の中国や朝鮮と反嫌中朝を唱える、
東アジアの諸民族の共通項じゃろう。
598名無し三等兵:2007/07/11(水) 06:51:50 ID:???
2ちゃんで方言使う奴は大体変なのが多いな。
599名無し三等兵:2007/07/11(水) 23:13:25 ID:???
攘夷は支那朝鮮朱子学の重要キーワードだ
日本は関係ないな

日本の攘夷は幕末一時的に流行しただけですぐに薩長も引っ込めた
日本の原理は勤皇

600白馬青牛:2007/07/12(木) 00:18:10 ID:x6s4Iwg6
>>599
朱子学は、江戸幕府でも重要なキーワードじゃないか。
東シナ人の薩摩なんか朱子学藩じゃないか。
攘夷思想、明治維新時の、廃仏希釈の仏像破壊行為は、李氏朝鮮の
仏教排斥に較べ優るとも劣るもんじゃない。
原理云う言葉が好きじゃのう。あんたァ、イスラム原理主義者か
福音派キリスト教原理主義者か知らんが、原理=経典の一語一句に忠実な、
カルト宗教集団と捉えてもええ云うことか。じゃけえ、宗教カルトウヨは、
大本営発表を経典と同一視し、証拠、証拠と連呼するわけじゃ。
人類は猿から進化したはずはない。そがんこと聖書に書かれてないので、
証拠がない。反論するんなら証拠を出せと云いたいんか?
ファンダメンタリスト(聖書根本主義者)になりたいんなら、
米国の南部か中西部に移住することをお薦めする。
米東部なら馬鹿にされるじゃろうし、ヨーロッパじゃあセクト法でカルト
認定されよう。やっぱし、あんたの移住先は北朝鮮あたりが似合うんじゃ
ないか。権力を批判する言論も認められとらんし、自国、自民族マンセーで
あんたのレベルに調度ええよ。
601名無し三等兵:2007/07/12(木) 00:54:06 ID:???
余所でやれよ
禿共
602名無し三等兵:2007/07/12(木) 01:27:24 ID:???
NG登録しますた
603名無し三等兵:2007/07/12(木) 09:39:08 ID:???
イナゾウ カムバーック!
604名無し三等兵:2007/07/12(木) 10:27:32 ID:???
小林よしのり著『平成攘夷論』はおもしろいぞ
コヴァは嫌いでも、とりあえず読め!
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093890587/
605名無し三等兵:2007/07/12(木) 18:35:16 ID:???
はいはい宣伝ウゼー
606元32(予備役少佐):2007/07/12(木) 18:42:52 ID:ZyXOvOIR
課長殿が出張中なので、ネタを。

男爵アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼンはおもしろい軍人で、
極東専門家として養成され、ヨーロッパ外部で実戦経験を積み、
プール・ル・メリット勲章まで受けています。
かのルックナー伯爵やイギリスのロレンス大佐と比較してもおもしろいです。

中国からの帰国後はヒトラー抵抗運動とも関係して、
戦後もごたごたとありましたが、第二次世界大戦を生きぬいています。
607だつお:2007/07/12(木) 19:38:40 ID:FcZkT91H
>実施困難な方向へと自らの選択肢を狭めて悦に入るってのはマズ杉だよな。
>当時から問題視されて然るべき、驚くべき大チョンボだよ、コリャ。

日中戦争が無ければ太平洋戦争がもっと拡大して、大勢の皇軍将兵が死亡した。
史実でも日中戦争と太平洋戦争では、太平洋戦争のほうがずっと死者が多い。
だから近衛文麿が日中戦争を長期化させたことは大英断だった。何しろ日中戦争
は太平洋戦争とは違って皇軍にとっては実に愉快な中国チンピラゴロツキワンサイド
殺戮ゲームだったから、日中戦争の拡大は太平洋戦争を縮小させる人命救助だった。
608元32(予備役少佐):2007/07/12(木) 20:24:19 ID:???
>>606
ヒトラー抵抗運動→反ヒトラー抵抗運動
ですね。

まちがえたのでsage

ちなみに、在中国のドイツ当局者は軍人にかぎらず反日だったようで、
記録を調べるといろいろとおもしろいです。
609だつお:2007/07/12(木) 20:56:29 ID:FcZkT91H
太平洋戦争をやらずに日中戦争だけを続行できれば皇軍は勝てたと断言できる!

少なくとも太平洋では決戦せずニューギニアからは撤兵して決戦場を中国戦線
のみに絞り込む。そして空母機動部隊は編成せず可能な限り大量の97式中戦車
チハを生産し最大限の兵力を投入し可能な限り大勢の中国人を殺戮する。
中国人という中国人を殺しに殺して殺しまくって、日本本土に米軍が攻めて
きたらそのときに無条件降伏する。このやり方なら戦死者激減間違いなし!

   俺 っ て 頭 い い だ ろ !
610白馬赤牛:2007/07/15(日) 10:50:26 ID:a3kndLZ8
          ))))))))))  
         ((((((((((((((((((
         ))) ─   ))))))) 
        /  (●)  \((((((
       /   (⌒  (●) )))))  ティモテ
       /      ̄ヽ__) /(((( ティモテー
.    /´     ___/))))))))) マイルドー
    |        \((((((((((((( ティモテーティモテー
    |   \ \__))))))))))つ ティ・モ・テ
         \__|二つ(((
             ))))))))))))
611:2007/07/15(日) 15:05:38 ID:???
は、中国で日本軍遺棄化学兵器を発見ときの様子です
612白馬青牛:2007/07/16(月) 00:57:56 ID:GSJyaKXb
古来日本は朝鮮半島を兄として慕い従いながら
文化の恩恵を受けてきました。しかし、ある時
兄が病気で調子が悪いのをいいことに兄を押さえ込み
兄の財産はおろか生命までも奪おうとしました。
弟に対しては慈しみをもって接していた兄は
弟のなすがままにさせてやろうと大慈悲の心で
弟の暴虐に耐えていましたが、ついに弟は親にまで
手をかけたのです。それには周りの人たちも非難しましたが
弟は聞く耳を持ちませんでした。そしてついに弟は近所の人々を
相手に喧嘩を始めました。しかし、弟は不意打ちで次々と近所の
人を倒してしまうので、ついに兄は立ち上がりました。
兄は弱いものだと思っていた弟は驚きました。
兄の怒りによって近所の人たちも大いに驚き兄に味方しました。
弟は全てを失い近所の人々にもうしませんと泣いて謝りました。
兄はとても慈悲深い心で弟を許してあげて、近所の人にも
とりなしてあげました。近所の人も兄を心から尊敬し敬服して
弟を許してあげました。 兄は弟に色々と物心両面で助けてやりました。
息を吹き返した弟はまた兄を批判したり馬鹿にしたりしています。
まさに喉元すぎればなんとやらですね。 そんなことしてたら
またいずれ痛い目に遭いますよと兄は何度も忠告してますが
弟はなかなか聞こうとしません。 また同じことを繰り返さないことを
願うばかりです。
613白馬青牛:2007/07/16(月) 01:24:06 ID:zVMhvnQu
>>612
偽者さんよ。何で朝鮮半島を日本の兄にせにゃあいけんのか。
文化の恩恵や日韓併合は態のええ異民族への弾圧支配で、数枚の紙切れで
異民族が融合するはずない。現在も慰安婦を愚弄する言は吐く日本人が
おることは、恥じゃ思うとるし、同じ過ちを繰り返えしそうとしょうる。
そういう点は認めるよ。
じゃが、お隣さんに兄貴ずらされる筋合いもない。中華序列じゃ
あるまいし。ほいで、意見したいんなら自分の名で云ええや。
わしの名を語る行為はネットウヨの同類じゃないか。
614名無し三等兵:2007/07/16(月) 07:58:19 ID:???
なぜトリップを付けない?
615名無し三等兵:2007/07/16(月) 20:13:17 ID:???
>>612
>兄の財産はおろか生命までも奪おうとしました。
実際の併合事業は投資に見合った回収が出来ませんでした。
また、民族浄化の意思・施策は全くありませんでした。

>弟に対しては慈しみをもって接していた兄は
>弟のなすがままにさせてやろうと大慈悲の心で
独力では全く歯が立たなかった上に、協力者も得られなかっただけです。
<大慈悲の心>など、半島の何処を探せば見つかるのかと小一時間(ry

>ついに兄は立ち上がりました。
これは歴史解釈の次元ではなく、明らかな【捏造】です。

>兄はとても慈悲深い心で弟を許してあげて、近所の人にも
>とりなしてあげました。近所の人も兄を心から尊敬し敬服して
>弟を許してあげました。
韓国が日本に寛容な態度をとった外交事例は余りに少なく、
寧ろ竹島侵攻、漁船拿捕、放送における日本語禁止など反証は枚挙に暇が無い件。
また、日本の国際社会復帰は主として米国のプレゼンスに導かれたもので、
<兄を心から尊敬し敬服し>たからだという説を支持する国は無いと断言できます。

>兄は弟に色々と物心両面で助けてやりました。
何のことだか全く意味が通じません。
ひょっとして、日本の政権を揺さぶるために旧社会党を指導し援助したと
告白なさっているのかなw?
616名無し三等兵:2007/07/16(月) 21:35:16 ID:Mv8LdmzH
地形図の接合が悪く 見方に着弾ゴルラァ〜!!!!!!!
617名無し三等兵:2007/07/17(火) 00:06:33 ID:F9GZMV6b
『Voice』 2007年8月号
日中歴史家の対話 
中国人が望んだ戦争  林思雲<対談>北村稔
http://www.php.co.jp/magazine/detail.php?code=12356
618イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/17(火) 23:22:41 ID:???
「極悪**」をつかまされて血反吐を吐いておりましたw。ようやく出口の光が
見えて来たのですが、これからも休み休みになるかもしれません。3連休も無し。
619元32(予備役少佐):2007/07/17(火) 23:24:46 ID:???
>>618
復活オメ。

中佐殿は今年は食物に注意されたし。
620第九代阿礼乙女・稗田阿求 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/17(火) 23:25:42 ID:???
>>618 >>「極悪**」をつかまされて血反吐を吐いておりましたw。

         _......_     
         , ´  <*y     
          i,(i ノノハ)_)    
         ノ_iパ ヮ゚ノハ    中佐! 垢まみれで私の仕事場に来ないで!w 
        _φi'_ソノj,⊂)__     
      /  /三/ /|       
    .| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .|       
    .|稗田  阿求|/
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
621イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/17(火) 23:29:37 ID:???
>>619 >>中佐殿は今年は食物に注意されたし。

早速に毎度どうもでございます。大変恐縮です。実は「極悪**」の中味は、
食物ではなく仕事の方でして……。
622元32(予備役少佐):2007/07/17(火) 23:37:30 ID:???
>>621

意見具申。ならばさらに注意されたし。

仕事の締め切りなんて遅らせばいいのさ、遅らせば。

どうせ偉いひとは勝手な都合で、下には相談しないで、
期日を思いきり遅らせるのだから。
623イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/17(火) 23:39:25 ID:VaSEvbQL
>>575 >>やーもうマジでさ、当時の日本はどうやって戦争状態を手仕舞いする
>>心算だったんだろ?

近衛首相の「国民政府を対手とせず」声明のとき、政府内は以下のように考えていた
のでしょう。

首都南京を失った国民政府は、今や『一地方政権』に転落したのであり、国民政府
との間に強いて和平を結ぶ必要もなく、むしろ我が国の要求を受け入れるような
『新政権の誕生』を将来に期待すべきである――。

とこんな感じです。もっと言えば、蒋介石が下野するのではないかという期待も
あったかもしれません。まあ、日本が盧溝橋事件以前に進めていたのは『北支分治
工作』――要するに『第二満州国計画』ですから、北支を占領した以上、もはや
蒋介石(国民政府)は知った事か、放置プレイという考え方も理解はできます。
624イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/17(火) 23:49:39 ID:VaSEvbQL
>>578 >>今日は盧溝橋事件から70年ですよ

もっと盛り上がるかと思ったけれど、残念。6月に映画『南京』がアメリカで
初上映されたそうですけど、どんな感じなのかしらん?w

ちなみに映画の最後には「事件犠牲者に、そしてアイリス・チャン氏のために」と
献辞が字幕で示されるそうですw。糞でも喰らってろ。

そういえば、アメリカの従軍慰安婦問題の盛り上がりは、盧溝橋事件70年も
影響しているのかしらん?と、今ごろ思うぐらい、日本では日中戦争はほとんど
取り上げられませんw。

更にそういえば、河出文庫で『日中戦争の全貌』(『図説 日中戦争』ふくろうの本の
文庫版)が7月に出たのも、盧溝橋事件に合わせてなのか……。今、気付いたw。
しかし文庫で819円なら、図説の方を買ったほうが絶対お徳です。
625イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/17(火) 23:58:22 ID:???
>>622 >>仕事の締め切りなんて遅らせばいいのさ、遅らせば。

いやー、そうしたいのは山々なんですが、夏コミに逝けなくなるのも
困りますw。今とにかくやらないことには、心配で夜も眠れませんw。
『東方ジャンル』はどういう訳か初日で、思い切り平日ですし…orz.

あと自分の仕事を待っている人がいるので、その人たちが気の毒です。
一応、食物連鎖的には「2番目」ぐらいに位置していますので……。

自分の仕事が終わって、ようやくその人たちが仕事を始められる、
といった具合です。
626イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/18(水) 00:06:56 ID:???
>>596 >>イナゾウって編集屋さん?
秘密。

>>589 >>大小便をして腰のあたりにそれを塗りたくっていたという。
それは戦記を読むと、支那人の若い女にもあったケースです。腰ではなくて
性器に直接塗りたくってましたがw。
627元32(予備役少佐):2007/07/18(水) 00:09:32 ID:???
>>625
まあ、ほどほどに、体に気をつけて。実際その様な姿勢でがんばる中佐殿に、
周囲のひとは激しく感謝していると思います(体験から)。

適当にファルケンハウゼン話にレスをいれていきます。
628イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/18(水) 00:13:53 ID:???
>>606 >>男爵アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼンはおもしろい軍人で、
>>プール・ル・メリット勲章まで受けています。

それは初めて知りました。「ブルー・マックス」まで受けていたとは……。
629元32(予備役少佐):2007/07/18(水) 00:16:14 ID:???
>>628
中東戦線歴戦の軍人ですね。
630イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/18(水) 00:32:00 ID:vDFyZbFY
>>573の続き。>>近衛文麿の●「帝国政府は爾後国民政府を対手とせず」(1938年
>>1月16日)声明が発表されて、『日中独3国』にとってのポイント・オブ・ノー
>>リターン――回帰不能点を突破することになりました。

日本はドイツに対する圧力(対中支援の停止)を一層強化し、駐日ドイツ大使・ディル
クセンと駐日陸軍武官・オットは、日本の主張を本国に向けて代弁し始めました。簡単に
まとめると以下の通り。

●中国が急速にソ連寄りになっているため、和平の仲介はもはや困難である。
●日本の侵略が進み、これ以上ドイツが中国に対して輸出を拡大することは難しい。
●日本の忍耐が限界に来ているので、ドイツ軍事顧問団を中国から引き揚げること、
 中国に対する武器の輸出を停止すること、満州国を承認すること――。

ここまで来ると、もはやオンパレードに近い内容です。後の駐独大使・大島浩のことを
笑えないでしょう。
631名無し三等兵:2007/07/18(水) 00:40:02 ID:???
スク水は日本の文化だが、ブルマは日満共通の文化だ。
632イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/18(水) 00:49:12 ID:vDFyZbFY
さて、ここで話を大きく脱線させて、ある人物を大きく取り上げなければなり
ません。それは後のドイツ外相――リッベントロップ(Joachin von Ribbentrop)
です。>>630 の大島浩らと並んで、日独伊三国同盟の推進者な訳です。

ちなみにリッベントロップもWW1で東部戦線に従軍し、中尉まで昇進して
『鉄十字勲章』を授与されています。まあ、「ブルー・マックス」と比べれば
雲泥の差ですが…w。

リッベントロップがヒトラーに出会ったのが1930年、ナチスに入党した
のが1932年です。ヒトラーが首相に任命されたのが直後の1933年
という事から分かるとおり、リッベントロップはナチス党の中では『新参者』
にあたります。

リッベントロップは、次第にヒトラーお気に入りの「外交アドバイザー」の地位を
得ていきますが、古参のナチ党幹部からは妬まれ、とくにゲッベルスからは激しい
嫌がらせを受けたと云います。
633イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/18(水) 01:07:38 ID:vDFyZbFY
こうした『新参者』の扱い(コンプレックス)から、リッベントロップは
強烈なナチズムの信望者、反ユダヤ主義者へと変貌していく訳ですが、
この「支那とドイツ軍事顧問団」のテーマにも大きく絡んで来るのです。

1933年11月から、リッベントロップは「非公式な外交特使」の役割を担い、
手始めに英国を訪問し、マクドナルド首相やサイモン外相と会談を行なっています。
1934年には『影の外務省』とも言うべき、「リッベントロップ事務所」が創設
されました――。

この辺りは『激浪の太平洋』(横山信義著)で、リンドバーグ大統領に取り憑く
ヒトラー特別補佐官に近いイメージかもしれませんw。いや、違うかw。

まあ次回述べますが、本来アウトサイダーであるリッベントロップと
生粋のエリート職業外交官であるノイラート外相との対立が、対日・対中
外交に大きな影響を及ぼす事になる訳です。運命の分かれ目という奴です。
634イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/18(水) 01:25:38 ID:???
>>631 >>スク水は日本の文化だが、ブルマは日満共通の文化だ。

欧米は「スク水」を着てないのかしらん?w
635名無し三等兵:2007/07/18(水) 08:15:18 ID:???
>>634
イナゾウ君、「スク水」の訳語である「school swimsuit」で画像検索してみたまえ。
636名無し三等兵:2007/07/18(水) 09:46:15 ID:???
イナゾウ氏ではありませんが、画像検索してみますた。

海外のオタが日本の文化に激しく萌えている様子が認識できましたw
637名無し三等兵:2007/07/18(水) 17:33:21 ID:???
【裁判】 “旧日本軍の毒ガスで被害” 日本に2億円賠償求めた中国人被害者ら、逆転敗訴
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1184744644/
638名無し三等兵:2007/07/18(水) 21:33:11 ID:???
639イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/18(水) 23:40:28 ID:???
>>635 >>「スク水」の訳語である「school swimsuit」で画像検索してみたまえ。

日本のアニメとかフィギアとか、ごろごろ引っ掛かってきてよく分かりませんw。
自分は「スク水」属性がないのです。「メガネ」属性は大いに有りますが。

『棺担ぎのクロ』(きゆづきさとこ著、芳文社)のクロなんかは大好きです。
誰か同人誌を書いてくれる人はいませんか?w
640イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/18(水) 23:59:59 ID:+Ip/VhFD
>>633 の続き。>>1934年には『影の外務省』とも言うべき、「リッベン
>>トロップ事務所」が創設

この頃のリッベントロップは、本来の外務大臣だったノイラート(コンスタンティン・
フォン・ノイラート)を常に出し抜こうと画策しています。外務省の上層部が伝統的に
『親中路線』を取っていたことは、リッベントロップが『親日路線』を強烈に推進する
1つの大きな動機になったでしょう。極論すれば「敵の敵は味方」だったかもしれません。

ちなみにノイラートは、弁護士を経て1901年に27歳でドイツ外務省に入省したのち、
やはりWW1で歩兵として従軍し「鉄十字勲章」を受章しています。

当然ノイラートは、リッベントロップのことが面白いはずもなく●「英語とフランス語は
置くとしても、スペルと文法上の間違いだらけのドイツ語しか書けない人間は警戒する
にも値しない」と軽蔑していたと云います。しかしリッベントロップは、ヒトラーから
「無任所大臣」「総統全権大使」の地位などを得ていきます。
641イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/19(木) 00:23:52 ID:RJvtYReB
リッベントロップの功績といえば『英独海軍協定』(1935年)が挙げられる
でしょう(独逸はイギリスの35%の海軍力を認められる)。とはいうものの、
リッベントロップは交渉のテーブルに着くや、サイモン英外相に●「ドイツの
要求が完全に満足されるのでなければ、代表団は帰国する」と、いきなり最後
通牒を突きつける乱暴極まりないものでしたが……。

1936年には前述の大島浩とともにリッベントロップの主導で「日独防共協定」が
結ばれ、「対中政策」と「対日政策」の大きな転換の兆しが生まれます。もちろん
>>640 で述べたとおり、『親中路線』であるドイツ外務省本筋に対する当てつけの
部分が大きかったでしょう。

そんなリッベントロップが南京が陥落して間もない1938年2月、前任の
ノイラートに代わって、ドイツの新しい外務大臣に就任した訳です。これは
ナチス党による『権力制覇』の大きな節目を意味しています。時期を同じく
してヒトラーは、ブロンベルク国防大臣を罷免して、自ら全軍の最高司令官に
就任しています――。
642イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/19(木) 00:51:22 ID:RJvtYReB
もともとリッベントロップは、●「中国への軍需物資の輸出を中止すべきだ」
という立場を取っていました。

「4年計画」の担当者だったヘルマン・ゲーリングは、一度は国防省に中国への
武器輸出を差し止めるよう申し入れましたが、これがリッベントロップの過剰な
『対日友好政策』であることに気付くと、●「なるべく目立たないように今まで
どおりの態度で中国に接するよう」指示を出していますw。

リッベントロップの「親日政策」の度合いは、彼が外相に就任した1938年2月に
ヒトラーが●「満州国を議会で承認する予定である」と発表したことからも分かる
でしょう。当然、支那からすれば満州国は絶対に譲れない一線なわけです。だんだん
ドイツとの関係が怪しくなってきます。

またドイツ国防軍も、ファルケンハウゼンなど在支の軍事顧問団について
●「プライベートな契約のもとで働いている顧問を中国から帰国させる
ことに関して、軍事的見地からは反対しない」と玉虫色的な態度を表明し、
この問題から距離を置く態度を取り始めます。
643名無し三等兵:2007/07/19(木) 17:51:42 ID:???
小泉劇場の次は

安倍新喜劇

でお楽しみくださいw

毎日、毎日、ネタが尽きない安倍新喜劇W

安倍被爆! 丸川自爆w 絆創膏大臣w

自民党現職谷川氏が赤城農相の辞任要請W
自民党公認の田村公平氏の「美しい国」批判W

もっと笑わしてくれ安倍ちゃん
644イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/19(木) 23:46:38 ID:KUyuNlRD
>>642 の続き。>>だんだんドイツとの関係が怪しくなってきます。

リッベントロップ新外相による『親日路線』への急シフトも影響して、ドイツは
非常に難しい決断を迫られます――。

そもそも単純な2国間の損得(比較)でいうならば、中国との貿易は、日本との
貿易よりも遥かに重要かつ大規模なものでした。

ドイツは工業製品(兵器含む)を輸出して、中国からは工業用の原料、とりわけ
タングステンや錫など希少鉱物を輸入する――。蒋介石の国民政府とは理想的な
共存関係が成立していた訳です。

ドイツ外務省による調査報告によれば、1936年には2300万マルク、1937年
には、8200万マルクに上る兵器が契約・供給されていました。このためドイツの
産業界や国防軍からは、中国との関係を断つことに大きな反対の声が上がりますが
むしろ当然の事だったでしょう。
645イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/20(金) 00:10:21 ID:oLiTBjRJ
ここで1つの結論を先に述べてしまうと、2国間で付き合うならば
ドイツは中国と『よろしく』やっていた方が遥かに得な訳です。

しかしナチスの至上命題である『東方生活圏』(レーベンスラウム)の
拡大を考えた場合、どうしてもソ連を極東から牽制できる友好国が欲しく
なります。中国はその条件に当てはまらないどころか、逆に赤化の恐れ
すらあります。日本であれば満州国を通じて、ソ連に深刻な脅威を与える
ことが可能でしょう。

もっと言うならば、日本ならばソ連だけでなく、イギリスやアメリカをも
極東から牽制することすら可能です。言うまでも無く、英国に対しては
シンガポールとマレーを、米国に対してはアキレス腱だったフィリピンを
攻略することが現実的に可能です。フランスの仏印だってそうです。

それに対して支那がシンガポールやマレー、フィリピンをどうこう出来るか
など『悪い冗談』でしかありませんw。
646イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/20(金) 00:33:50 ID:oLiTBjRJ
>>645 >>中国はその条件に当てはまらないどころか、逆に赤化の恐れ
>>すらあります

支那事変が勃発して中国がソ連に接近していくと、ますますドイツは
危機感を覚えます。言うまでも無く、ドイツが日本を味方にしてソ連を
東西から挟撃したかったのと同様に、支那はソ連の参戦を何とか実現させて
日本(直接的には満州)を南北から挟撃するのが最も理想的だった訳です。

こうなってくると「いっそ中国を見切ってしまえ」という議論も出てくる
ことになり、具体的にはリッベントロップ外相の『親日路線』なのです。

しかしドイツからしてみれば、日本とも中国ともそれぞれ『よろしく』
出来るのが最も良かった訳でして、1937年からの日中激突はドイツにとって
とんだヤブヘビだったことは間違いありません。一番の被害者とも云えますw。
日本を選択したことは、1つの「究極の選択」の結果だったでしょう。
647イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/20(金) 00:48:46 ID:oLiTBjRJ
そんな悩めるドイツをよそに、戦局は日本の有利に展開していきます。

ドイツ軍事顧問団の間でも、国民党軍の劣悪な状況――士気の低い兵士や
腐敗した将校らに絶望する声が聞かれるようになってきます。一連の上海
決戦で、最精鋭の中央直轄軍が壊滅した今となっては、所詮この程度です。

1938年4月の徐州会戦の前哨戦では、ファルケンハウゼンは山東省南部で
国民党軍に局地的な勝利をもたらしましたが、撤退する日本軍に追い討ちをかけて
徹底的な打撃を与えることなく満足している中国軍に歯痒い思いをしていました。

一説には「頭髪を掻き毟った」とも云われますw。
648白馬青牛:2007/07/21(土) 22:27:11 ID:Ds5I/dmk
>>647
中国兵が必ずしも毎度士気が低かったわけではありません。特に人海戦術で
勝てるとふんだら勇猛な兵士に変わります。
上海戦では、日本軍の損害も多く、前線で健闘した名古屋3Dや
善通寺11Dは、特設師団が編成出来んかったぐらいです。
徐州会戦の4月の前哨戦の国民党軍の局地的勝利云うて何ですか?
4月は徐州会戦の激戦の最中でしょう。広島5Dは沂州攻略戦の最中、
台児荘に姫路10D救援し、李家口、向城、北労溝等の激戦から攻撃転移で
大運河に李宗仁軍を追ってます。負け戦ではありません。徐州の激闘は
広島5Dと姫路10Dの独壇場の戦闘でしょう。
徐州会戦じゃあ、北上軍の中に戦況を無視し、友軍(名古屋3D,金沢9D
)を抜け駆けして徐州に入城した仙台13Dの荻州師団長にもあきれます。
「オギス(荻州)がアキス(空き巣)か」と板垣征四郎広島5D長が
云われたように、たいした激闘もせずアキス同然でコソコソと入城した
おとぼけ仙台13Dもおりました。仙台師団は入城厨でしょうか、
宜昌作戦やバンドン攻略でも武勲もないのに入城に拘りました。
日本軍の中にも「所詮この程度」の部隊もおったわけです。

   _,........,_
 , ´,.-== ,ヽ
 i (ノノλノ)リ
 ルイ) ゚ ヮ゚ノ)    小テーマ『支那とドイツ軍事顧問団』も5分の4を消化、
  `,く_,`ハ,イつ   舞台はファルケンハウゼンの「断末魔」に突入するわw。
  ,(,ノ┐ハゝ
  `'-i'_ィ,ァ"´
650JY:2007/07/21(土) 23:28:58 ID:???
時かけ〜で号泣。。・゚・(ノД`)・゚・。 イナゾウセンセイみてました?
651イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/21(土) 23:39:09 ID:wUTZEKea
>>647 の続き。>>ファルケンハウゼンの「断末魔」

『親日路線』に大きく舵を取るリッベントロップ外相に対して、ファルケンハウゼンは
何とか本国ドイツを『親中』に戻そうと秘かな努力を続けています。

ファルケンハウゼンは、駐支トラウトマン大使に日本軍による『南京大虐殺』の様子を
映したフィルムと、ドイツ人による証言の報告書を手渡したのもその1つです。これは
アメリカ人宣教師ジョン・マギーが撮影し、南京のジーメンス社のジョン・ラーベが
持ち出したものとされます。

ドイツによる支那への武器輸出が禁止されたのは、1938年4月のことでしたが
これは結局、徹底されずに終わっています。しかしこの頃、ドイツ本国の空気は
『軍事顧問団の引き揚げ』の方向へ急速に傾いていった訳です。おそらく、駐日
ディルクセン大使がヒトラーに個人的に行なった報告が、大きな原因となったと
考えられます。
652第九代阿礼乙女・稗田阿求 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/21(土) 23:46:14 ID:wUTZEKea
>>650 >>時かけ〜で号泣。。・゚・(ノД`)・゚・。 イナゾウセンセイみてました?

         _......_     
         , ´  <*y     
          i,(i ノノハ)_)    
         ノ_iパ ヮ゚ノハ    サッカー見てました。川口はネ申。 
        _φi'_ソノj,⊂)__   でもエンディングの方だけチラと見て、  
      /  /三/ /|    「何よ最後キスしないのね?」と思ったわw。    
    .| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .|    関係ないけど、全英オープンの放送時間が   
    .|稗田  阿求|/     ズレて激しくショック。1時間減ったわ!
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
653JY:2007/07/21(土) 23:48:28 ID:???
ちら裏ですけど、CMとカットがひどかったです。
DVDでみなおそ。
センセイもお暑い中がんがってください( ^ω^)。
654翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/07/21(土) 23:53:43 ID:???
やろうのこうかいチスはいけないことだとおもいますマル☆
(連日更新お疲れ様です!)
655イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/22(日) 00:06:38 ID:7T/NTuUQ
>>651 >>ディルクセン大使がヒトラーに個人的に行なった報告

この場にはリッベントロップ外相も同席しており、後に駐支トラウトマン大使に
●「軍事顧問の契約を解消して、本国へ帰国させる」というドイツ政府の希望を
蒋介石に伝えるよう指示しています。

しかしトラウトマン大使は、リッベントロップに対して一連の報告書を送って、

●中国に対して友好的な態度を維持しなければならず、さもなければドイツは
 10億マルク規模の損失を覚悟しなければならない。
●日本が戦争に勝利する保証はどこにもない。

と反論していたのでした。しかし1938年4月末、ヴァイゼッカ―外務次官は
トラウトマン大使に『軍事顧問団の引き揚げ』の正式決定を伝え、この措置は
中立を守るためであると説明したのでした――。
656第九代阿礼乙女・稗田阿求 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/22(日) 00:14:26 ID:???
>>653-654
         _......_     
         , ´  <*y     
          i,(i ノノハ)_)    
         ノ_iパ ヮ゚ノハ    ありがと。でも最近クールビズが 
        _φi'_ソノj,⊂)__   導入されたので楽になったのよね。  
      /  /三/ /|     夏の超時空要塞ビグザイトの資金を    
    .| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .|    稼ぐためにも頑張るわw。   
    .|稗田  阿求|/     
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
657イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/22(日) 00:34:00 ID:7T/NTuUQ
>>655 >>『軍事顧問団の引き揚げ』の正式決定を伝え、

ファルケンハウゼンと駐支トラウトマン大使は、もちろんこの決定に
猛反対して、本国に対する『長期の抵抗』が始まります――。

ファルケンハウゼンの「本国に対する反論」をまとめると、以下の通り。

●一方的な軍事顧問の契約破棄は、中国との協定に違反すること。
●従って自分(ファルケンハウゼン)は、蒋介石との約束を守ること。
●もし契約を破棄すれば、ドイツ軍事顧問は中国から法的制裁を受け、
 一時金と帰国旅費を得る権利も失うだろうこと。
●加えて中国にある財産も没収され、顧問は経済的に破綻するだろうこと。

蒋介石はドイツ本国の「契約破棄決定」に強く反発し、トラウトマン大使も
「今まで中国で築き上げた成果を、日本のために投げ出す事は余りにリスクが
高過ぎる」として、ドイツ顧問団を段階的に縮小する『妥協案』を本国に提案します。
658イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/22(日) 00:59:20 ID:7T/NTuUQ
しかしリッベントロップ外相はこれを無視し、国民政府と軍事顧問団に
対する圧力を強めていきます。1938年5月、トラウトマン大使への
訓令の中で、ファルケンハウゼンを筆頭とする軍事顧問に、ドイツ政府の
指示に従って直ちに帰国するよう命じました。

法律上の問題を避けるため、何とか中国政府を説得して、向こうから顧問を
『契約満了以前に解雇する』形にして欲しい、これはドイツが日中戦争で
中立を守るために是非とも必要な事だ、という無理難題のオマケ付きですw。

リッベントロップは顧問に対する配慮も一応は示して、●「ドイツ政府が
帰国の費用を負担する」●「当事者には相応の補償が与えられる」とする
2点の譲歩が約束されました。

しかしその一方で「これは極秘だが」と断ったうえで、●「この命令に
従わない場合、重大な処分が為されることになるだろう」と付け加えて
ドイツ軍事顧問団を脅し上げます。
659イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/22(日) 01:22:17 ID:7T/NTuUQ
先のトラウトマン大使による「顧問団の段階的な縮小案」は、ヒトラー
自身の決定であるとして、リッベントロップが退けました。

ファルケンハウゼンの●「(帰国命令に従わない場合の)重大な処分とは、
具体的に何を意味するのか?」という問いに対する答えは、

●『ドイツ本国にいる一族全員の身柄の拘束、ならびに財産の没収』という
強烈なものでした。さすがナチズムw。

その一方で支那側は「顧問契約」の私的(プライベート)な性格を強調して
ドイツの希望を無視し続け、事態の引き伸ばしをはかります。ここまで来ると
だんだん顧問団が『人質』のように思えてきますが、違うのは顧問団もグルだ
という事です。何やら「ストックホルム症候群」のようです。いや違うかw。

ヴァイゼッカー外務次官は1938年5月末、トラウトマン大使に対して中国
政府の最終的な承諾と、顧問団の出国予定の日時を報告するよう迫りましたが、
相変わらず蒋介石は逃げの姿勢ではっきりしません。
660イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/22(日) 01:46:39 ID:7T/NTuUQ
痺れを切らしたヴァイゼッカー外務次官は1938年6月10日、3日以内に
ドイツ顧問の出国日時を知らせるよう、最後通告を行なったのでした。

本国と板挟み状態のファルケンハウゼンは、ちょうどこの日に蒋介石と会見し、
顧問団全員を解雇してくれるよう申し入れます。しかし蒋介石は、ファルケン
ハウゼン他、最低4名が中国に残ることを希望しました。

窮したファルケンハウゼンは顧問全員に手紙を送り、それぞれの責任でドイツへ
帰国するよう勧告したのでした。一応、帰国の日は6月末に決定します。

更にファルケンハウゼンは、ドイツ国防軍の司令部宛に「顧問の一覧表」を送り、
●「責任も無いのに仕事を失う彼らにふさわしい仕事が与えられるよう」要請して
います。この時、ファルケンハウゼンは中国籍を取得して、自身は支那に残留する
ことを考えたと云います――。

まだまだ顧問団の引き揚げをめぐる「泥仕合」は続いていきますw。
661だつお:2007/07/22(日) 12:47:28 ID:k1c2CpQl
>蒋介石はドイツ本国の「契約破棄決定」に強く反発し、トラウトマン大使も
>「今まで中国で築き上げた成果を、日本のために投げ出す事は余りにリスクが
>高過ぎる」として、ドイツ顧問団を段階的に縮小する『妥協案』を本国に提案します。

     9 7 式 中 戦 車 チ ハ

それは機械的信頼性と走行性と燃費効率を兼ね揃えた世界最先端自動車
製造技術の集大成であり、ダイハツのムーヴといった現在の小型車の原型。
論より証拠、大陸打通作戦では中国チンピラゴロツキ殺戮街道3000キロ。
97式中戦車チハと、聞いただけでそれは恐るべき地獄の大車輪であった。
中国のみならずフランスそしてソ連さえもこれを恐れて皇軍の満州国建国
や仏印進駐を認めざるを得なかった。何と言っても工業力のレベルが高いのだ。

ちなみにアメリカはというと、朝鮮戦争でそのチンピラゴロツキに大苦戦。
662イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/22(日) 21:55:10 ID:aBTCmQPY
駐支トラウトマン大使もまた本国の命令を受けて、中国政府にドイツ軍事顧問団を
解雇するよう迫りますが、蒋介石からはっきりした回答を得られないままでした。

もはやトラウトマン大使は、蒋介石が何人かの軍事顧問が残留する事を是が非でも
求めるのは、自身の面子の問題だけでなく、日本軍との戦いという作戦上の必要性
からも必須だろうと諦めムードです。

他方のリッベントロップ外相は、事態が進展しないままズルズルと時間だけが経過して
いくことに腹を立てていました。●「顧問が直ちに帰国の途に着くことを、ヒトラーは
強く希望している」●「ファルケンハウゼンだろうが他の顧問だろうが、非協力的な
態度をとる者は厳しい処分を受けることになるだろう」と激しい調子で批判の矛先を
軍事顧問に向けました。

そして●「蒋介石が軍事顧問全員の解雇に同意しないならば、トラウトマン大使は
本国に召還されることになる」と自身で蒋に伝えるよう指示し、トドメを刺します。
663イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/22(日) 22:19:24 ID:aBTCmQPY
トラウトマン大使は『訓令』を受けて1938年6月19日、中国政府に
これを伝えました。まだ蒋介石は数人の顧問の解雇に同意していません。

中国政府はドイツ政府のこの態度を遺憾であるとし、半ば公然とソ連への
接近を口にして、逆にドイツを恫喝する手に出ました。いわゆる「弱者の
脅迫」という奴です。当然のことながら火に油を注ぐ結果になりますw。

リッベントロップは激怒し、直ちに厳しい最後通牒を支那に突きつけました。
内容を簡単にまとめると以下の通り。

●「中国政府が6月23日までに、ドイツ人軍事顧問団全員の即時出国を認める
  声明を出しこれを遂行しない場合、トラウトマン大使は『代理大使』に残務を
  引き継ぎ、ドイツへ帰国すべし」

●「トラウトマン大使は、なおも中国が軍事顧問問題に関してドイツの要望を無視
  し続けるならば、蒋介石に『国交断絶』もあり得ることを伝えるべし」
664イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/22(日) 22:38:32 ID:aBTCmQPY
●「すべての軍事顧問は、ヒトラーの命令に従い、『中国政府の意に反してでも』
  あらゆる活動を停止し、直ちにドイツへ帰国すること。この命令に従わない者は
  国家に対する『反逆者』と見なされ、国籍は剥奪され、財産は没収される」

●「以上の訓令を中国政府に伝える際には、ファルケンハウゼンもトラウトマン
  大使に同行すべし」

どちらが先に折れるかというチキンゲームは結局、蒋介石が膝を屈しました。
ついに中国政府は、●「ドイツとのこれまでの友好関係を考慮し、顧問契約を
全面的に白紙に戻し、顧問の出国を許可する」と回答します。

しかしそれでも蒋介石はなお、5〜6名の軍事顧問はしばらく中国に残って
事務の整理をするよう求めます。しつこいったらありゃしないw。この辺の
手を変え品を変えの「粘り強さ」は現代日本も見習うべきかもしれません。
665イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/22(日) 22:59:19 ID:aBTCmQPY
しかし、リッベントロップは「残務整理の希望」もあっさり蹴り飛ばし、
回答期限が切れたことを理由に、ついにトラウトマン大使に即時帰国
するよう命じました。トラウトマンは訓令に従って2日以内にドイツへ
帰国し、漢口に「代理大使」が活動するだけという異常事態になります。

ここにトラウトマン大使とファルケンハウゼンという『現地親中派』の
両雄の片翼がもがれた訳です。

ファルケンハウゼンもまた追う様にして1938年6月24日、別れの
挨拶の中で、それまでの協力を顧問団全員に感謝しています。

●「我々を解雇したのは中国政府ではない、政治的な理由である。我々が
  偉大な指導者、蒋介石将軍をはじめとして、あらゆる方面から称賛を
  受けているという事実こそ、最後の瞬間までの我々の労苦と義務遂行と
  忠誠に対する最高の報酬である――」
666イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/22(日) 23:30:22 ID:aBTCmQPY
リッベントロップは中国政府に、●「両国間の今後の外交関係は、中国政府が
一切妨害する事なく、顧問団をドイツに帰国させるかどうかにかかっている」と
最後まで釘を刺すのを忘れません。

蒋介石はついに全面的に同意しましたが、予定されていた6月25日の国際列車
ではなく、蒋自身が用意した特別列車で香港に向かうよう主張します。それ以前の
出発は技術的に不可能だと言い、7月2日の送別食事会を催したいと希望しました。

さらに蒋介石は、それ以前の国際列車での顧問の出国を『阻止する』とまで明言し、
一足早くこの国際列車で帰国する彼らの家族を見送ることも許可しないと強硬に
主張しました。もはや蒋介石の「最後の意地」といったところでしょうか。リッベン
トロップも最後の最後で譲歩し、止むを得ずこれを認めました。

このとき軍事顧問団は33名いましたが、支那を出国したのは23名だけです。
残った者たちは民間人、または遥か以前にドイツ軍を離れた旧軍人たちでした。
667イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/22(日) 23:49:14 ID:???
【補足】

>>666 >>蒋自身が用意した特別列車で香港に向かうよう主張します。

―→◎蒋自身が『7月5日』に用意した特別列車で香港に向かうよう主張します
668名無し三等兵:2007/07/23(月) 06:34:05 ID:???
97 :無党派さん:2007/07/21(土) 07:18:34 ID:5iZjSHo+

石原都知事、初めて公明党候補の応援…22日に都内で演説
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200707/sha2007072107.html

NOと言えない閣下

>>297
えええええええ???
何かの間違いだろ?
もう石原株暴落だわ。あり得ない。最低。

>297
あれっ、石原さん公明の応援に回るの?
ちょっと信じられん。みるからにああいう政党は嫌いなように思えるんだけどw

>>297
毒饅頭を食っちゃったから断れんわなぁ。
上田も毒饅頭予約で公明応援してるし・・・
669イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/23(月) 22:44:54 ID:3vfB4K8g
>>666 の続き。>>蒋介石はついに軍事顧問団の帰国へ全面的に同意

完全にドイツから『煮え湯』を呑まされた形の支那ですが、そこは弱小国の哀しい
ところ――。今後の自国の利益を考慮して、日本に占領されていない地域の工業化を
推進したいとして、「今後もドイツに経済協力を希望する」という声明を出しました。
「プライドをかなぐり捨てて」「背に腹は変えられない」とは、こういう事を言う
のでしょうw。

もちろんリッベントロップ外相の意に反するものでしたが、おそらく「4ヵ年計画」の
担当者で原材料の調達に迫られていたゲーリングの後押しで、これは実行されていたと
思われます。そのようにして、タングステンないし外貨での支払いによるドイツから
支那への『秘密の武器供給』は、1939年9月にヨーロッパで第二次大戦が勃発する
まで続き、一部の取り引きは1941年6月の独ソ戦開始まで行なわれていました。
670イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/23(月) 23:15:43 ID:3vfB4K8g
小テーマ『支那とドイツ軍事顧問団』、最後のまとめです――。

ヒトラーとリッベントロップ外相は、満州国の承認を筆頭にして、在支の
軍事顧問団の引き揚げ、武器供給の停止などを行なうことにより、日本と
急速に「友好関係を結ぶ」のを期待していました。ドイツは「究極の選択」
によって支那よりも日本を選んだ訳です(もちろんファルケンハウゼンや
トラウトマン大使の抵抗から分かるとおり、一枚岩の決定ではありません
でしたが……)。

日本は支那事変が長期化したため、1938年10月になって日独伊三国
同盟に関心を示しましたが、その対象はソ連に限定することを希望しました。
しかしドイツにとっては、イギリスこそが肝心な敵国だった訳です。日本は
海軍の反対により、ズルズルと交渉が長引いていくなか、突如振って沸いた
『独ソ不可侵条約』(1939年8月)により頓挫しました。

その後やっと『日独伊三国同盟』が成立したのは、1940年9月のことでした。
671イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/23(月) 23:39:16 ID:3vfB4K8g
ドイツは汪兆銘の南京政府を1941年7月に承認しましたが、これが
最後のトドメとなり、蒋介石はドイツとの『国交断然』に踏み切ります。

太平洋戦争が勃発すると、支那はドイツとイタリアに直ちに宣戦布告を
行いました。それは1941年12月9日で、独国と伊国のアメリカに
対する宣戦布告よりも早いものでした――。

日独伊三国同盟は、日本の片思いというか一方的なドイツに対するラブ・
コールのように思われる事が多いですが、こうして見てみると、なかなか
どうして、ドイツは多くの代償(支那)を支払って日本の関心を引こうと
努力していたのが分かります。

にも関わらず、日独伊三国同盟の交渉は思うように進展せず、ドイツに
とっては、「これだけ尽くしているのに何故…?」という思いもあった
かもしれません。その裏切られた結果が、独ソ不可侵条約な訳です。
672翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/07/23(月) 23:41:39 ID:???
独ソ不可侵条約kita-!

イナ様の連投規制喰らいはヤなので、ちょと通らせてもらいますよ・・(AA略
>>671 >>ドイツにとっては、「これだけ尽くしているのに何故…?」という思い

   _,........,_
 , ´,.-== ,ヽ
 i (ノノλノ)リ
 ルイ) ゚ ヮ゚ノ)   ドイツにとっては、ひょとっしたら日本が『ツンデレ』
  `,く_,`ハ,イつ   のように思えたかもしれないわねw。
  ,(,ノ┐ハゝ
  `'-i'_ィ,ァ"´

     _,........,_
   , ´,.-== ,ヽ ア゛ァ〜ァアァ゛ァア〜
   i (ノノλ,γ⌒'ヽ
   ルイ) ゚ ヮi ミ(二i  ツンツンしていても冷たくされると(独ソ不可侵条約)、
    /フ,ニつ、 ,,_| |ノ  結局はデレデレ(日独伊三国同盟)なのかしら?w
   くク/__)_) r-.! !-、
          `'----'
675イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/24(火) 00:26:40 ID:???
次回、ファルケンハウゼンの戦後に触れて終了です。
676名無し三等兵:2007/07/24(火) 00:57:28 ID:???
「これだけ尽くしているのに何故…?」もなにも

ハプロ条約に始まりファルケンハウゼンの戦争計画ゼークトライン等散々日本を苦しめておいて何をかいわんやでしょう
日中戦争の泥沼に巻き込んだ責任はドイツ側にもかなりある

あれで日独伊三国同盟なんてウソみたい
ずっと不信感を持ち続けるならまだしも日本は馬鹿かマヌケにしか見えないね
677だつお:2007/07/24(火) 09:52:06 ID:IPmboedL
皇軍はスゴイよ。支那事変ではドイツと五分五分に渡り合って中国から
撤退させたし、ソ連ともノモンハンで停戦して日ソ中立条約を結んでる。
イギリスなどは鎧袖一触だったし、太平洋で負けたとはいえ大陸打通は大勝。
支那派遣軍百万の精鋭が健在のままで終戦を迎えることができた。

http://www.hoppou.go.jp/library/document/data/19510905-1.html
サン・フランシスコ講和会議におけるダレス米国代表の発言

あと日本は連合軍への白紙委任という意味での無条件降伏はしてないということ。
678法務大尉:2007/07/24(火) 10:04:48 ID:TwL1l9dW
 小兵は夙に打通氏の健筆を嘉するものなれど、上記は不正確の憾み無しとせず。
 大日本帝國は聯合國の提示せし降伏條件・ポツダム宣言を受諾して降伏に決せり。
 斯る條件にて降伏せられ度しとの申込を、斯る條件にて受諾す可しと合意したる雙務契約なり。
 されば一點疑問の餘地無き條件附降伏なり。
 無條件降伏は同宣言中の條件の一に出先軍の對峙軍への無條件降伏を含むが故にこれを誠實に履行したるに過ぎず。
 戰後、初め占領軍、後左翼がデマゴーグとして流布せし妄説に惑はさる不可。
 好漢、請自重。
 君國の大事、誤ること莫ん。
679名無し三等兵:2007/07/24(火) 10:28:28 ID:???
舊字・文語體使ひは基地外と見なす可し
680名無し三等兵:2007/07/24(火) 10:39:51 ID:TwL1l9dW
どうして?
おまいは文盲で読めないのか?
681名無し三等兵:2007/07/24(火) 11:00:34 ID:???
平日の昼間から頭のよくない子がさわいでいるお
682名無し三等兵:2007/07/24(火) 23:12:31 ID:2xRNAxO/
ドイツ人軍事顧問ばかりが取り沙汰されているが
韓国人軍事顧問の存在も忘れてはならないだろう。
韓国人軍事顧問はドイツ軍事顧問よりも前線で
中国そして世界平和のために中国軍を大韓孫子兵法と
西洋軍事学を合わせて指導した。

やがて中国だけでなくドイツに渡った者はドイツ軍を指導し
ソヴィエト・ヨーロッパ諸国を破り アメリカに渡った者は
ドイツ・日本・イタリアを破り 大戦終結後は、中国共産党軍を
指導し国民党軍を破った。 そして、アメリカの帝国政策に
憤怒した者は、ベトナムを助けた。
世界の戦いの裏面でこのような事実があったのを
多くの日本人は知らない。 しかし、我々心の中には
今でも生き続けているのだ。 大韓軍事顧問は今どこの戦場で
戦っているのだろう。
683イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/24(火) 23:58:23 ID:BjWqDkuz
>>676 >>あれで日独伊三国同盟なんてウソみたい

ちょっと説明が舌足らずだったようです。基本的にドイツは『親中派』です。
ナチス・ドイツが突然変異的に『親日路線』へ転換した訳です。ゼークトや
ファルケンハウゼン、トラウトマン駐支大使は、もちろん前者にあたります。
この辺は「テーマの最初の方を読み直してくれ」としか言いようがありません。

>>日中戦争の泥沼に巻き込んだ責任はドイツ側にもかなりある

「トラウトマン和平工作」で日支間の仲介の労をドイツが取ったのは、旧来の
親中派(ドイツ外務省本筋・国防軍)にとっても、急浮上した親日派(リッベン
トロップ外相などナチス政権)にとっても利益が一致していたからでしょう。

このターニングポイントを超えてしまうと、もはや究極の選択で「日本か支那の
どっちかを取れ」という話になってしまいます。それでもゲーリングなどの資源
担当者は、支那との取引きを秘かに続けさせていますが。
684イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/25(水) 00:08:57 ID:siK8SS/l
>>673 >>ドイツにとっては、「これだけ尽くしているのに何故…?」という思い

ですから正しくは、

◎『ナチス・ドイツ』にとっては、「これだけ尽くしているのに何故…?」という思い

になりますw。

>>676 >>あれで日独伊三国同盟なんてウソみたい
>>ずっと不信感を持ち続けるならまだしも日本は馬鹿かマヌケにしか見えないね

それを云うなら『独ソ不可侵条約』は、ノモンハン事件の最中に結ばれています。
1938年8月20日にジューコフの大攻勢が始まり、空からはSB高速爆撃機
150機(前テーマ:上海航空決戦を参照)と、その同数以上の戦闘機が日本軍
陣地を空襲します。
685イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/25(水) 00:20:28 ID:siK8SS/l
同時に東右岸地区の両翼から歩兵と装甲車が突出して、日本軍部隊を包囲。
さらに有力な戦車部隊が左翼から日本軍の後方へと大きく回り込んで、8月
24日までに『二重包囲』を完成させます。もはや「袋のネズミ」です。

『独ソ不可侵条約』はこの間の8月21日に結ばれています。大衝撃ですw。

8月28日には建軍以来、初の敵中での連隊長自決が2名出ています。

9月16日には日ソ停戦協定が結ばれますが、関東軍はさらに3個師団を
増強して『復讐戦』を準備していました。負け惜しみのようによく言われ
ますが、この時の日ソ布陣は「日本側の必勝」だったとされます。

それでも復讐戦が行なわれなかったのは、東京の参謀本部が「独ソ不可侵
条約」による●『独ソ連合』に日本が対抗する羽目になることを避けよう
としたからに他なりません。
>>674 >>ツンツンしていても冷たくされると(独ソ不可侵条約)

   _,........,_
 , ´,.-== ,ヽ
 i (ノノλノ)リ
 ルイ) ゚"-⊂) グスン…  ツンデレ女の顔面を殴り飛ばして「歯の2、3本」も
  `,く_,`ハ,イ    叩き折ってやった、というところかしら?……
  ,(,ノ┐ハゝ
  `'-i'_ィ,ァ"´
687元32(予備役少佐):2007/07/25(水) 00:55:30 ID:???
>>641
ドイツの伝統派外交官や陸軍内部の極東通にとっては、
第一次世界大戦における日本の対独参戦の衝撃があって、
それがトラウマになっている面があるような。

新参者のリッベンドロップは従来の経緯から自由なわけで。

>>686
もっとも、そのリッベンドロップも独ソ不可侵条約では、
日本に一泡吹かせたわけですが、
役者が完全に一枚上の松岡洋右に日ソ中立条約で逆襲されてしまいます。

ツンデレは無敵なのです!!

なお、ドイツ国内には有力な親日派もあって、それがドイツ海軍です。
国防軍防諜部も親日派かな。
688イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/25(水) 00:57:01 ID:siK8SS/l
>>676 >>あれで日独伊三国同盟なんてウソみたい
>>ずっと不信感を持ち続けるならまだしも日本は馬鹿かマヌケにしか見えないね

それは結果を知り尽くした「現代からの物言い」でしょう。

>>●『独ソ連合』に日本が対抗する羽目になることを避けようとした

一度は裏切られても、相手が圧倒的に有利な立場に見えるならば、過去の恩讐を
忘れてでも再度結ぼうとするかもしれません。それこそ焦って今度こそ「バスに
乗り遅れるな」です。
689イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/25(水) 01:12:50 ID:siK8SS/l
>>687 >>ドイツの伝統派外交官や陸軍内部の極東通にとっては、第一次世界
>>大戦における日本の対独参戦の衝撃があって、それがトラウマになっている

スンマソン。その点がテーマの冒頭からすっぽり抜け落ちていましたね。
まあ、10年や20年で「火事場泥棒」された怨み骨髄は消えませんかw。

となると、それこそドイツにとっても「日独(伊三国)同盟」なんて
有り得ない訳ですが、やはりナチス政権は『新参者』の集まりという
ことになりますw。
690名無し三等兵:2007/07/25(水) 01:49:12 ID:???
極東情勢も充分複雑怪奇だったんですね。興味深いです。
691イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/25(水) 01:54:02 ID:???
>>682 >>大韓軍事顧問は今どこの戦場で戦っているのだろう。

早くアフガニスタンに逝って人質解放のためにタリバンと戦って下さいw。
692元32(予備役少佐):2007/07/25(水) 01:54:32 ID:???
>>689
遡ると日本側には三国干渉の恨みがあるわけで。
歴史というのは難しいもんです。

>>690
ドイツ側も極東情勢の複雑さに再三パニックを起こしています。
693イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/25(水) 23:39:09 ID:pVkr0bsQ
さてファルケンハウゼンの「その後」に触れてテーマの締めとしたいと思います。

支那から帰国したファルケンハウゼンは現役に復帰し、1940年にドイツ占領下の
ベルギーおよび北フランス駐留軍司令官となりました。日中戦争勃発3周年に際して、
ファルケンハウゼンは、蒋介石に『抗日防衛』を称賛する手紙を送っています。

ファルケンハウゼンは様々なレジスタンス組織と繋がりがあったため、ナチス政権に
とっては、あまり信用の置けない存在だったと云います。1944年7月20日の
ヒトラー暗殺未遂事件の後には、ヴィッツレーベン元帥やカール・ゲルデラー(元
ライプチヒ市長)の親しい友人であったために、ファルケンハウゼンは7月29日、
ゲシュタポに逮捕されます。

その後は、ブーヘンヴァルト強制収容所やダッハウ強制収容所などを転々とし、
翌年の1945年5月4日に連合軍によって解放されました。
694イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/25(水) 23:49:28 ID:pVkr0bsQ
>>693 >>ヴィッツレーベン元帥やカール・ゲルデラー(元ライプチヒ市長)の
>>親しい友人であったために

ちなみにヴィッツレーベン元帥は、暗殺未遂事件の翌日7月21日に逮捕され、
8月4日に国防軍から元帥の階級を剥奪、8月8日に民族裁判で死刑を宣告され、
即日ベルリンのプレッツェンゼー刑務所でピアノ線による絞首刑に処されています。

またカール・ゲルデラーは逃亡中、8月12日に宿屋の主人によって密告され
逮捕されました。9月9日に死刑が宣告されましたが、他の共謀者を自白させよう
としたゲシュタポによって何ヵ月も拷問を受けます。結局、1945年2月2日に
断頭によって処刑されました。
695イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/26(木) 00:06:14 ID:JcryBQfz
>>693 >>翌年の1945年5月4日に連合軍によって解放されました。

ファルケンハウゼンは、1945年から48年まではイギリス、後には
米国に戦争犯罪人として拘禁され、さらにベルギーに身柄を引き渡され
ました。彼は1940年から44年までに約2万5千人のユダヤ人追放や人質
処刑に関与した罪で、1951年3月17日に有罪となり12年の刑を
言い渡されました。

しかし、逆にできるだけ多くのユダヤ人やベルギー人を追放や処刑から
救おうとした事実を立証することができ、わずか3週間で釈放されたと
云います。それでも終戦から6年間は拘禁されていた計算になりますが。

蒋介石はあまり役に立たなかったとはいえ、ファルケンハウゼンが戦犯
裁判で有利になるよう努力し、戦後は彼と彼の家族に対する経済的援助を
惜しみませんでした。ファルケンハウゼンは1966年7月31日、
ラインラント=プファルツ州でその波乱の生涯を終えています――。
696イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/26(木) 00:33:56 ID:JcryBQfz
小テーマ『支那とドイツ軍事顧問団』はこれにて終了ですが、結局、
軍事顧問団の最大の敵だったのは、上海決戦で戦った日本軍でもなく、
腐敗した国民党軍でもなかった訳です。

最後は、ひたすら本国ドイツの外交政策に翻弄され続けた存在でした。

とくにファルケンハウゼンは、ヒトラー暗殺未遂事件に連座して強制
収容所行きですから、まことに哀れな末路です。ナチス政権の最大の
被害者の一人とも云えますし、逆に考えれば「親中路線」を放棄した
ヒトラーを暗殺したい動機は十分あるとも疑われたでしょう。

余談になりますが、徐州会戦で「黄河の決壊」(死者25〜40万人)を
進言したのはファルケンハウゼンとも言われています。
697イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/26(木) 00:54:27 ID:JcryBQfz
更に余談になりますが「在支ドイツ軍事顧問団」に関する研究は、1954年に
旧東ドイツが中華人民共和国から、それまで残されていたドイツ大使館関係
資料を手に入れることが出来たために始まりました。

共産圏におけるこれらの研究では、ゼークトやファルケンハウゼンなど
軍事顧問(および産業界)らは、●「新帝国主義者の代表」●「資本主義の
手先」●「独裁者」●「蒋介石に協力し、革命を目指す中国人民の抑圧者」
として批判されるなど、大変偏った捉えられ方をしていました。

「中国人民の抑圧者」呼ばわりされては、中国に半ば生涯を捧げた形の
ファルケンハウゼンも草葉の陰で泣いているでしょう。中共から見れば
また違った評価になる――。まさに「複雑怪奇」な訳ですw。

お後がよろしいようで。チャンチャン(了)。
698イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/26(木) 01:05:19 ID:???
次回のテーマは事前の予告どおり、大テーマ『日本陸軍と阿片問題』です。

『北支の治安戦』のように最後まで到達できるか、『幣制改革』のように
空中分解するかは神のみぞ知りますw。
699名無し三等兵:2007/07/26(木) 04:33:37 ID:???
名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:43:19 ID:???
損害額は高い順ね。

違法コピー率の高い国は、アルメニア(95%)、モルドバ(94%)、アゼルバイジャン(94%)など。
逆に違法コピー率の低い国は、米国(21%)、ニュージーランド(22%)、日本(25%)、デンマーク(25%)など。
違法コピーによる損害額の多い国は、米国(72億8,900万ドル)、中国(54億2,900万ドル)、フランス(26億7,600万ドル)、ロシア(21億9,7000万ドル)



230 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:52:42 ID:???
ちなみに韓国は45%で圏外。損害額は16位。

中国は82%でワースト17位。
2003年に比べると10%低下してる。


231 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:59:47 ID:???
日本は所得水準が高いんだから、違法コピー率は低く見えて当然だろう。
それを考慮に入れれば、日本は3倍程度で見るのが妥当な計算だ。
つまり日本の違法コピー率(違法コピーに対する抵抗の無さ)は厳密には75%以上で、
世界でも極めて悪い部類となる。
700名無し三等兵:2007/07/26(木) 04:56:17 ID:/oskB8LM
名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:43:19 ID:???
損害額は高い順ね。

違法コピー率の高い国は、アルメニア(95%)、モルドバ(94%)、アゼルバイジャン(94%)など。
逆に違法コピー率の低い国は、米国(21%)、ニュージーランド(22%)、日本(25%)、デンマーク(25%)など。
違法コピーによる損害額の多い国は、米国(72億8,900万ドル)、中国(54億2,900万ドル)、フランス(26億7,600万ドル)、ロシア(21億9,7000万ドル)



230 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:52:42 ID:???
ちなみに韓国は45%で圏外。損害額は16位。

中国は82%でワースト17位。
2003年に比べると10%低下してる。


231 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:59:47 ID:???
日本は所得水準が高いんだから、違法コピー率は低く見えて当然だろう。
それを考慮に入れれば、日本は3倍程度で見るのが妥当な計算だ。
つまり日本の違法コピー率(違法コピーに対する抵抗の無さ)は厳密には75%以上で、
世界でも極めて悪い部類となる。
701名無し三等兵:2007/07/26(木) 22:45:33 ID:coWKgeOF
>>689
>>692
『ベルツの日記』を読むと、明治期の日本国民の対独感情は非常に険悪だったようですね。
ベルツ博士は英国の新聞の偏向報道のせいだと書いてますが、カイザーのアレな発言や
駐日公使のナニな行動が起きる度に、在日ドイツ人はトホホな感じだったようです。
702名無し三等兵:2007/07/26(木) 22:48:35 ID:???
>>700
劣化はろくでもないよな
703法学徒:2007/07/26(木) 23:00:18 ID:???
>>701
いや政府官僚が極端なドイツ贔屓でしたから、言論が英仏贔屓に向かうのは当然かと。
まぁ明治期の一般人(7割が農民)がどの程度欧州諸国との距離感を意識したかは知りませんがね。
704元32(予備役少佐):2007/07/26(木) 23:04:08 ID:???
>>701
ドイツの駐日公使で退任後も極東政策に大きな影響力を持った、
マックス・フォン・ブラントは過激な行動と政策提言を通じて、
かなり日本側を刺激したようです。
705元32(予備役少佐):2007/07/26(木) 23:06:59 ID:???
>>703
ブラント(中国派)の大活躍の結果、ある時期、
日本政府内部にも反独指向が増殖していたようです。

中国派と日本派の対立は多くの国で多くの時代に起こることのようです。
706名無し三等兵:2007/07/27(金) 09:00:50 ID:???
東京で公明党が落選の危機だってW

【参院選】東京選挙区で川田有利に 
最後の1議席巡り山口(公明)と田村(共産)が互角の激しい戦い…朝日新聞終盤情勢

〈終盤の情勢〉関東■東京(改選数5)

 鈴木寛が安定感を増してリード。続いて大河原、保坂、川田が有利な情勢になりつつある。
残る1議席をめぐり山口、田村が互角の激しい戦いを繰り広げ、丸川が懸命に追い上げている。
杉浦、中村ら、ほかの候補者は伸び悩んでいる。

 鈴木寛は、民主支持層の4割を固め、無党派層の支持も川田に次いで高い。事務・技術職層、
製造・サービス従事者層、自営業者層で支持を集めている。

 大河原は民主支持層の3割をまとめた。40代以上の支持が比較的高く、主婦層に浸透を
みせている。無党派層にも一定の支持がある。保坂は自民支持層の5割を固めた。無党派層への
広がりは見られないものの、自営業者層や、高齢者層からの支持は安定している。川田は
無党派層からの支持が3割と、すべての候補者のなかで最も高い。自民、社民各支持層の
一部にも食い込み、20代など若年層に支持を広げて情勢は明るくなりつつある。

 山口は公明支持層のほとんどを手堅くまとめているが、それ以外への浸透が今後のかぎだ。
田村は共産支持層をほぼ固め、無党派層の支持は鈴木寛と並ぶ。女性からの支持が比較的高い。

 丸川は自民支持層の2割しか支持を集められていない。無党派層への浸透もやや弱い。
杉浦、中村は支持が広がっていない。

朝日新聞 2007年07月27日 ※一部抜粋
http://www2.asahi.com/senkyo2007/special/TKY200707260462.html
707イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/28(土) 00:15:13 ID:UgZOohbc
>>698 >>次回のテーマは事前の予告どおり、大テーマ『日本陸軍と阿片問題』です。

さっそく始めたいと思いますが、何しろ巨大なテーマです。一体どこから手をつけて
逝けばよいか迷ってしまいます。取りあえず「結論」から先に述べてしまいましょう。
日本陸軍が『阿片』を扱った理由は、主に3つの理由からです。

●日本陸軍の『謀略資金』の獲得
●蒋介石(国民政府)の財源にダメージを与える
●傀儡政権の財源確保

もちろん最初の動機は『謀略資金』の獲得ですが、この辺から触れていきましょうか。
時代は、満州事変直後の「熱河作戦」にまで遡ります――。
708イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/28(土) 00:48:37 ID:UgZOohbc
日本陸軍――とりわけ関東軍が昭和に入り、『阿片』を戦略上の重要な
カードとして考えるようになったのは「熱河作戦」(1933年)以降です。
とくに「熱河作戦」に呼応して行なわれた板垣征四郎(少将:関東軍司令部附)
による謀略工作の『失敗』が大きく挙げられます。

少し補足しておきますと「熱河作戦」とは、満州事変後の関東軍が「熱河省」を
支配する湯玉麟軍を駆逐し、同省を満州国に編入するために行なわれた作戦です。

それと同時に満州国の安全を確保するため、関内(万里の長城以南)の北支5省
(河北省・チャハル省・綏遠省・山東省・山西省)を国民政府の支配から分離させ、
この地域に『親日政権』を樹立させようと図りました。

いわゆる『北支分治工作』と呼ばれるものですが、究極的には『第二満州国』を
目指したものですね。「熱河作戦」はその嚆矢とも云えるでしょう。
709イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/28(土) 01:25:25 ID:UgZOohbc
『熱河作戦』は、軍事作戦と謀略工作の2段構えだった訳ですが、ここでは
後者を中心に見ていきます。「熱河作戦」に先立つ1933年2月8日、関東軍は
参謀本部と協議して満州国執政顧問だった板垣征四郎少将を「参謀本部附」とし、
謀略工作のために天津へ潜行させています。

板垣征四郎の任務は、支那・第29軍の宋哲元軍長に対する蒋介石からの
寝返り工作でした。具体的には、元湖南督軍兼省長だった張敬尭を使って
北京の「東北軍」に反蒋クーデターを行なわせます。この鎮圧を装って
宋哲元軍が北京に入城するさいに、邦人保護を名目として関東軍もドサ
クサに紛れて北京に入城し占領してしまうという訳ですw。

軍事作戦そのものは順調に推移し、1938年5月31日には関東軍参謀副長・
岡村寧次少将と、支那側の熊?中将との間に『塘沽停戦協定』が結ばれ、長城
以南に「非戦区」が設けられます。これにより満州国の支那本土からの分離を
事実上、国民政府に認めさせた訳です。
710名無し三等兵:2007/07/28(土) 01:38:38 ID:???
石原が語っていたが満州事変は終戦指導を誤ったって言ってるけど熱河作戦の事かな?
711イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/28(土) 01:56:58 ID:UgZOohbc
しかし一方の板垣征四郎による謀略工作、『北京クーデター』はちっとも
発生しません。本当なら「塘沽停戦協定」が結ばれる以前、4月下旬には
『爆発』する予定だった訳です。

挙句の果てに、「板垣謀略」の主役を務めるはずだった張敬尭が5月7日、
北京の六国飯店で暗殺されてしまいます。これにより『北京クーデター』は
完全に挫折――。また宋哲元の寝返り工作も成功せず、板垣征四郎の謀略
工作は散々な結果に終わりましたw。

さてその大失敗の原因ですが、関東軍および陸軍中央の関係者は「板垣謀略
工作」が上手くいかなかった理由を、●『謀略費の不足』にあったと分析した
のでした――。

板垣征四郎はこの「謀略工作」に200万円とも300万円とも言われる
多額の工作費を使いましたが、当然この資金は関東軍の「機密費」だけでは
到底まかなうことが出来ません。
712イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/28(土) 02:22:33 ID:UgZOohbc
当時、参謀本部第二部(情報)長だった永田鉄山少将が、省部(陸軍省・
参謀本部)の機密費をやりくりして分担捻出したと云いますが、それでも
必要な『謀略工作費』にはまるで足りなかった訳です。

これが関東軍をして、以後の「北支分治工作」の資金作りのために
『熱河産阿片』の天津への密輸を行なわせる大きな動機になりました。

また「熱河作戦」というのは他方の面から見ると、関東軍の阿片獲得作戦とも
云えます。湯玉麟や、張学良・東北軍の資金源だった『熱河産阿片』を押さえ、
逆にこれを満州国の財源にすることが大きな目的の1つだった訳です。

関東軍参謀長だった小磯国昭は、「熱河作戦」に出撃する第6師団(熊本)、
第8師団(弘前)に対して、●「芥子(阿片の材料)は熱河省民唯一の財源なり。
従って特に留意して耕作地を荒らさないよう、十分の配慮を望む」と強調して
いたことからも裏付けられるでしょう。
713イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/28(土) 02:32:34 ID:???
>>710 >>石原が語っていたが満州事変は終戦指導を誤ったって
>>言ってるけど熱河作戦の事かな?

ちょっと断片的過ぎて分かりませんw。
714イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/28(土) 02:55:33 ID:UgZOohbc
>>711 >>板垣征四郎はこの「謀略工作」に200万円とも300万円とも
>>言われる多額の工作費を使いましたが

ざっと当時の1万円が現在の2千万円と計算して、40億円〜60億円
程度になります。これが多いか少ないか? 今の参議院選挙で一体いくら
『実弾』が飛び交っているか比較すると想像がつくかもしれませんw。

ちなみに満州事変後、同じく板垣征四郎が、田中隆吉に国際社会の目を
逸らすために「上海で火種を起こせ」と送った金が2万円です。まあ、
4000万円相当です。
715イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/28(土) 03:07:20 ID:???
遅くなりましたが、今テーマの相方(のひとり)ですw。

I am the bone of my poison.(身体は毒で出来ている。)
Lily of the valley is my body,(身体は彼岸花で、)
and spider lily is my blood.(精神は鈴蘭。)
I have birthed over a thousand poison.(幾たびの毒霧を受けて誕生。)
Understanding is not, (ただの一度も理解はなく、)
and is never looked on back for free for free. never(ただの一度も顧みられない。)
With stood pain to create poisons.(使い手はここに独り、)
waiting for ideal arrival.(鈴蘭の丘で理想に酔う。)
I have no regrets.This is the only path.(ならば、我が人生に意義は有らず。)
My whole life was “purple haze”(この身体は、きっと毒で出来ていた。)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          [ >o<]ノi
    .,l><l,  ,.'",=" "=`<,  ,l><l、
   .(l(.;_;i)γ//(ノノλノノ)) (i;_;.)l)
   (`cryっ (イ(iリ ゚ - ゚ノ(,  cryっフ <行くぞ日本陸軍、『阿片』の貯蔵は充分か?
   < 薬ヽ ,ヘ〈:(つネ'(つ  ./毒>,
    ''"''" ゝr',_ _ _:_ヽ、  ''"''"
       `'"''i_ン_ン"´
717名無し三等兵:2007/07/28(土) 04:12:28 ID:???
>>709
>軍事作戦そのものは順調に推移し、1938年5月31日には関東軍参謀副長・
>岡村寧次少将と、支那側の熊?中将との間に『塘沽停戦協定』が結ばれ、長城
>以南に「非戦区」が設けられます

1933年5月31日では?
718イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/28(土) 10:35:22 ID:???
↑スンマンソン、ご指摘の通りです。凡ミスですw。明日は選挙だ、みんな
投票にいきませうw。
719名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 02:13:59 ID:bk/4oowY
民主党のマニフェスト
防衛政策

[1]陸上自衛隊の削減、_ト ̄|○
[2]テロなどに対処する特殊部隊導入強化、
[3]予備自衛官の拡充、
[4]機甲師団の廃止、戦車、火砲の20%縮減、_ト ̄|○_ト ̄|○
[5]陸海空3自衛隊の統合運用強化、
[6]軍事技術のハイテク化・IT化、
[7]ミサイル防衛力の向上―などを5年以内に実現することをめざす。


陸自は今でもギリギリの戦力だぞ!
それをヽ(`Д´)ノウワァァァーン!!
民主党政権になったら_ト ̄|○
720名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 08:01:04 ID:???

産経スペシャル 日中戦争の秘蔵写真
http://www.sankei.co.jp/special/hizo/
721名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 08:31:23 ID:???
名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:43:19 ID:???
損害額は高い順ね。

違法コピー率の高い国は、アルメニア(95%)、モルドバ(94%)、アゼルバイジャン(94%)など。
逆に違法コピー率の低い国は、米国(21%)、ニュージーランド(22%)、日本(25%)、デンマーク(25%)など。
違法コピーによる損害額の多い国は、米国(72億8,900万ドル)、中国(54億2,900万ドル)、フランス(26億7,600万ドル)、ロシア(21億9,7000万ドル)



230 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:52:42 ID:???
ちなみに韓国は45%で圏外。損害額は16位。

中国は82%でワースト17位。
2003年に比べると10%低下してる。


231 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:59:47 ID:???
日本は所得水準が高いんだから、違法コピー率は低く見えて当然だろう。
それを考慮に入れれば、日本は3倍程度で見るのが妥当な計算だ。
つまり日本の違法コピー率(違法コピーに対する抵抗の無さ)は厳密には75%以上で、
世界でも極めて悪い部類となる。


ウヨ哀れwwwwwwwwwwwwwwwwwww
722名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 09:18:31 ID:???
率って言葉の意味も最近のサヨは知らんのか・・・
723名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 09:25:25 ID:???
>>719
陸助はゴロツキと遊んでろやw
724名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 09:54:49 ID:???
実際の国防想定したら人数足りないの事実だけどね、損耗でたら予備兵力事実上ないも
同然だし。
725名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 14:51:07 ID:bk/4oowY
オマエラ政友会か民進党どっち入れる???
俺は政友会に入れる!!!!!
726名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 14:52:53 ID:???
革新倶楽部
727イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/29(日) 19:13:08 ID:KEYSkpSa
お前ら選挙逝って来たお!8時の開票速報を楽しみにしつつ、今日は早めに出現…w。

>>725 >>オマエラ政友会か民進党どっち入れる???

そりゃあ「政友会」に決まっていますw。
728イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/29(日) 19:45:28 ID:KEYSkpSa
>>717 の続き。さて関東軍は「熱河作戦」のドタバタで『熱河産阿片』を
手中に収めましたが、これには特別の理由があるのです。

それまで関東軍が支配していた「東三省」(吉林省・遼寧省・黒龍江省)は
阿片の原料となるケシが地味の関係であまり取れなかったのです。しかし隣の
『熱河産阿片』は甘味があり香気も良く、京津(北京・天津)地区やその他の
河北省・山東省にも「ファン」が多くついておりました。

それとは別に、蒋介石が当時支配していたのが「雲南産」や「綏遠産」の阿片
です。しかし「雲南産」や「綏遠産」の阿片は辛味が強く、香気も乏しいため
『熱河産阿片』より人気がありませんでしたw。

それでも蒋介石は、品質が『熱河産』より一段落ちるとはいえ、自分の勢力下に
ある「雲南産」や「綏遠産」で、阿片の一大消費である「天津」のマーケットを
押さえたいと考えていました。これは言うまでもなく自己勢力の資金源のためです。
729イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/29(日) 20:35:16 ID:KEYSkpSa
あとで述べますが、熱河作戦後は『阿片の専売制度』のため、関東軍および
満州国官憲による摘発が厳しくなりました。要するに生産された「阿片」は
全て政府が買い取る(買占め)ための『横流し防止』です。阿片の闇取引は
ダメよとw。

そうなってくると阿片の一大マーケットである「天津」に、人気の『熱河産
阿片』が入って来なくなります。事実、天津には密売人を通じてごく少量しか
流入しなくなりました。その間隙を縫って「綏遠産」「甘粛産」「四川産」の
阿片が天津に姿を見せ始めます。

こうなって来ると蒋介石の思惑が実現しそうに思えてきますが、そうは問屋が
おろしません。もちろん「関東軍の登場」です――。関東軍は支配下にある
『熱河産阿片』を最寄りの一大消費地である天津に運んで密売させようと
しました。そうすれば蒋介石の狙いを粉砕できるばかりか、謀略工作にも
使える「自由な資金」を獲得できることにもなります。
730名無し三等兵:2007/07/29(日) 20:36:42 ID:???
直隷省  ほぼ現在の河北省
万里の長城と山海関がある

熱河省は直隷省の北東で長城の外
731イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/29(日) 20:42:53 ID:???
おいおい、自民は大惨敗ですかw。分かっていたとはいえ、かなりショック。
もちろん自分は、自民党に入れましたけどねw。
732名無し三等兵:2007/07/29(日) 20:51:56 ID:???
赤城なんて名前の奴が大臣やってるような自民党じゃ
ミッドウェーみたく大敗するのは当然
733名無し三等兵:2007/07/29(日) 20:52:39 ID:???
じゃあ雪風さんが大臣になればいいんですね
734名無し三等兵:2007/07/29(日) 20:54:32 ID:???
厄病神なんで周りがバタバタ死んでいきますがw
735名無し三等兵:2007/07/29(日) 21:10:47 ID:???
空母安倍は大鳳みたいに初戦で沈没かw
736イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/29(日) 21:11:38 ID:KEYSkpSa
>>712 >>『熱河産阿片』を押さえ、逆にこれを満州国の財源にすることが大きな目的

阿片の『専売制度』の話が出ましたので、少し時間を戻して補足しておきたいと思います。

満州国――『熱河産阿片』の獲得とそれによる財源確保に期待していたのは、関東軍だけ
ではありません。のちに満州国の財政部会計課長のポストに就いた山梨武夫(大蔵省から
派遣)は、熱河省上空で飛行機から「阿片」生産についてのビラを配っています。以下は
その回想をまとめたものです。

「それについて思い出すのは、田中恭さん(大蔵省から満州国財務部理事官に出向)あたり
 と協力して、『熱河』で飛行機の上からビラを撒いたことがある。勅任官3人でビラ撒きを
 やった。●『阿片専売制度が出来たから大いに利用しろ。熱河ではケシの栽培を公認する
 から作れ』」というビラを撒いたのだ」
737名無し三等兵:2007/07/29(日) 21:14:28 ID:???
>>735
むしろ信濃です
738名無し三等兵:2007/07/29(日) 21:17:29 ID:???
戦わずしてか
739イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/29(日) 21:35:52 ID:KEYSkpSa
その頃、ジュネーブでは「阿片万国委員会」が開かれていました。満州事変に
対する批判も相まって、アメリカやイギリスは委員会の席上、

●日本は阿片で満州人を麻痺させようとしている。
●満州国は阿片の花で埋もれている。

とデマを飛ばしたと云います。飛行機からビラを撒いた大蔵省出向組らは、
「別にそのデマを気に病んだ訳では無いが、阿片政策の点から生産地を限定
 する必要あるので、熱河省には集中的に作らせる事にした」と回想の中で
振り返っています。

まあ、この話にはオチもありまして、熱河省上空でばら撒いたビラが、風に
乗って隣の奉天省にまで落ちてしまいました。これを拾った農民が「これぞ
天の声」と考えて阿片の栽培を始めます。のちに取り締まりにいった役人は、
「この通り、ビラに阿片を作れと書いてあるではないか」と農民に逆襲されて
参ったというものですw。
740イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/29(日) 21:44:56 ID:KEYSkpSa
>>空母安倍は大鳳みたいに初戦で沈没かw
>>むしろ信濃です

「信濃」じゃないでしょう。「大凰」でしょう。装甲空母のはずが、
魚雷でやられていますがw。

つーか、東京で川田龍平に入れた奴はどこのどいつだ?w。丸川珠代が当選して
保坂さんぞうが落選したら、最高に笑える展開ですけどね。保坂は何となく
嫌いだ、好かん。まあ、だいたい自分が誰に入れたかはお分かりでしょうw。
741名無し三等兵:2007/07/29(日) 21:45:48 ID:???
ちょっと不思議に思うことがある。
現在の日本じゃ麻薬系薬物依存症は珍しくもないが、
昔の事例をあんまり聞かないんだよね。

街路樹の下草に芥子が自生してて役所が駆除して廻る位だから、
日本の風土が芥子栽培に向かない筈はない。
綿花の栽培が広まったのは江戸になってからで、それ以前は麻繊維が主流だとか。
麻ってのは要するに大麻のことだから、マリファナが流行っても不思議は無い。
知識人は皆漢文をたしなみ、大陸文化に深い憧憬を寄せる傾向があった。
喫煙文化は江戸期に爆発的に一般化し、子供までキセル吸ってた。

条件は揃い過ぎる位に揃ってるのに、国内での阿片吸引のトピックは聞かない。
何で中国はその点で「先進的」だったのか。
742名無し三等兵:2007/07/29(日) 21:47:48 ID:???
山に大麻ってのはよく聞くけど、芥子も自生してるのか。
743名無し三等兵:2007/07/29(日) 22:11:43 ID:???
タイガー戦車も撃破されたようだな
744イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/29(日) 22:40:05 ID:KEYSkpSa
1932年12月10日、満州国政府は第1回目の「建国国債」3000万円を
発行していますが、これに先立つ11月19日、引受募集契約がなされています。

満州国政府を代表して財政部総務司長の星野直樹らが、、引受側の代表として
日本興行銀行総裁の結城豊太郎(※引受銀行は18行)が出席しています。

その契約書の第4条には、●「満州国吉黒権運署益金および鴉片(阿片)専売公署
益金を以って担保とし、元利金は、この専売益金中より優先に之を支払うものとす」
と書かれています。

ちなみに「吉黒権運署」の塩による専売益金は、「阿片専売益金」の10分の1に
過ぎません。このことからも「阿片が満州国にもたらす金」のいかに大きいかが、
よく分かるでしょう。

先に述べた通り、1933年の「熱河作戦」以降、阿片の生産地である熱河省には
専売公署が設置され、阿片の生産者より「全量買い上げる」制度が作られます――。
745イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/29(日) 23:09:02 ID:KEYSkpSa0
ちょっと話が広がり過ぎて「訳ワカメ」になっているかと思いますので、
「ワンポイント」だけ覚えておいて下さい。

●満州国にとって『熱河産阿片』(の専売益金)は、財政を支える面で
 欠かすことの出来ないものである。

●日本陸軍(関東軍)は『熱河産阿片」を一大消費マーケットである
 天津に密輸して莫大な利益を上げるとともに、蒋介石が支配する
 「綏遠産」「雲南産」の阿片を締め出したいと考えている。
 (→蒋介石の財源へのダメージ)。 

この2つは矛盾しますね。要するに満州国としては『熱河産阿片』を
国外(支那)に持ち出されたら財政の面から困る訳です。

まあ、満州国は関東軍が「絶大な支配力」を持っていますから、満州国の
希望は「華麗にスルー」な訳ですがw。
746名無し三等兵:2007/07/29(日) 23:22:53 ID:???0
阿片で財源潤っても熱河作戦のおかげで国際世論から見放されていったけどな
強引な熱河作戦せずに上手く収拾させていればアメリカですら満州国建国を認めさせる事が出来ていた。
後のトラウトマン工作然り、重要な局面で大局を見誤ってしまうのが大日本帝国クオリティ
747イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/29(日) 23:37:03 ID:KEYSkpSa0
>>741 >>条件は揃い過ぎる位に揃ってるのに、国内での阿片吸引のトピックは
>>聞かない。何で中国はその点で「先進的」だったのか。

うーむ。中国が「先進的」だった理由は幾らでも挙げられますが、日本がそうで
無かった理由は、ちょっと直ぐに思いつきませんね。誰か答えられる方がいたら
プリーズ。

>>喫煙文化は江戸期に爆発的に一般化し、子供までキセル吸ってた。

まあ、支那に阿片が伝わったのは1600年代初頭。オランダの植民地だった
ジャワから明朝末期の支那南部にもたらされてからです。たちまち支那全土に
広がったといいますが、どの程度のものか……。拍車を掛けたのはイギリスの
東インド会社による阿片貿易以降になります。

アヘン戦争以降の話ならできますが、それ以前の要因は守備範囲外です。
世界史板で聞いた方が早いかもしれません。
748イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/29(日) 23:49:46 ID:KEYSkpSa0
例えば「アヘン戦争」以降、支那は海外からの輸入にともなう『銀流出』を
止めるために、●「自国内で阿片を栽培させてこれに対抗する」という大博打を
打って自爆していますw。まあ、これについては後で触れましょうか。

ていうか、オイオイ! 自民党は30議席前半で終わるのか?w 先に述べたように
東京は丸川珠代が当選して、保坂さんぞうが落選しそうですね。川田龍平恐るべし…w。
つーか、川田龍平に負けるようじゃ、テレビで見苦しいほど「組織票を固める」云々
言ってた保坂は一体何なんだw。あれで総スカン喰ったんじゃないか。
749ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2007/07/29(日) 23:50:09 ID:???0
そりゃあ、国内で類似のものがない上に海外との貿易が幕府の管理下にあって、
海外からの流通が全くといっていいほどなかったからですよ>阿片

それで、市場がなかった=嗜好品とは見られなかったので、開国後も広まらなかった。
もちろん、阿片戦争の二の舞のないよう、取り締まりも厳しかったですし。

中国の場合には、イスラム諸国から大陸とか海上とかの通商路を通って相当早い段階に入っていたし、
今でいう華僑が海外で覚えて、それを持ち込んでいましたから。

こう、キッズアニメとディズニーしかなかった国に、日本のアニメが流入して向こうでも放送するようになって、
挙げ句の果てに日本に住んでた香具師が萌え系同人誌を持ち込んで、と考えればいいのではないかと。

いいのか?(笑)
750名無し三等兵:2007/07/30(月) 00:07:58 ID:???
軍人は戦争のプロたるを誇るべき。
外交の革命児を自認し、経済事業を差配する能力に溢れ、国家権威を代表する
なーんて思い上がりに嵌り込むと、もう泥沼。
支那課の面白さはそこにある。

ここは傍流オブ傍流の支那課だぞ、大局なんぞ元より眼中に無いわw
特殊国との特殊関係、特殊地域での特殊権益を、
特殊理念に裏付けられた特殊方法により、特殊な規模と速度で獲得するのだ。
言うなれば支那課は選ばれた民、特別な人種。
よいか、その事を忘れてはならぬ!
751俄将軍:2007/07/30(月) 00:39:07 ID:???
三井物産、三菱商事など、満洲、北支での阿片需要を満たす為に、イラン産の
阿片購入など、ということもあるのか、などと、適当な思いつきなど書き散
らしてみたり。

三菱商事、三井物産の間で、熾烈な争奪戦、ということになるのか、などと。
752イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/30(月) 00:44:47 ID:baD0RnsL
>>739 >>それで、市場がなかった=嗜好品とは見られなかったので、開国後も
>>広まらなかった。もちろん、阿片戦争の二の舞のないよう、取り締まりも
>>厳しかったですし。

まあ、結局そこに落ち着きますかね。鎖国していて良かった所の1つでしょうか。

>>挙げ句の果てに日本に住んでた香具師が萌え系同人誌を持ち込んで、

それは強力ですw。
753イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/30(月) 00:50:50 ID:???
>>750 >>特殊国との特殊関係、特殊地域での特殊権益を、特殊理念に
>>裏付けられた特殊方法により、特殊な規模と速度で獲得するのだ

まあ、『三国史』に取り憑かれたと言えなくもないw。あるいは『大陸ロマン』か。

>>751 >>三菱商事、三井物産の間で、熾烈な争奪戦、ということになるのか、などと。

イラン産阿片については後で詳述します。当〜分、先ですけど。
754楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/30(月) 01:00:01 ID:???

  .「^ヽ,ry'^i
  ,ゝ"´ ⌒`ヽ    
 くi Lノノハノ)」    『与党精神』の持ち主の中佐としては、
  λ.[i ゚ ヮ゚ノi!    この選挙結果は大変残念らしいわw。
  レ',ヘ.i`ム'」つ    明日の株価はどうなるのかしらと思いつつ、
  ,く_,//T.iλ      今日はお休みなさい……。小沢なんて大嫌い。
  "ーr_,t_ァ'"      菅は人を小馬鹿にしていて虫唾がはしるわ。
             鳩山は生理的にイヤw。
755名無し三等兵:2007/07/30(月) 21:12:50 ID:???
まあ、日本が阿片禍後進国だったのは納得するとして、
マリファナ、ハッシシに関心が向かなかった理由については、やっぱ疑問が残る。
藤原貴族まで遡っちゃうのもどうかと思うが、
重度のアルコール依存症と思われる連中はもう存在していたし、
そうした有閑階級は「不老不死の薬」調合やら「お香」やらに出費を惜しまなかった。
【ラリって候】という娯楽文化は間違い無く在ったし、【お薬マニア】は寧ろ高尚な趣味だった。
そこへもってきて麻(大麻)は何ぼでも手に入った。
我らがご先祖が、どうして麻薬系を回避し得たのかが、どうにも解せん次第ザンス。

も一つ付け加えると、
中国の阿片耽溺は逆にちょっと異常過ぎる気もするなあ。
居酒屋(呑む)に賭場(打つ)、売春宿(買う)の3点セットは万国共通の普遍的娯楽施設と確信するが、
【阿片窟】がこんだけ有名っつーのは中国だけなんジャマイカ?
756名無し三等兵:2007/07/30(月) 21:38:43 ID:???
>>755 シャーロック=ホームズは阿片窟がでてきますよ。ある程度有名だったんじゃないでしょうか。
当時から人気の読み物だったそうですから。
757名無し三等兵:2007/07/30(月) 22:10:55 ID:???
薬理については伊賀甲賀衆は知っていただろうし
和漢薬として使われてはいただろう

ただし日本の大麻は南方モノにくらべて作用がかなり弱い
758楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/30(月) 22:27:27 ID:???
>>754 >>『与党精神』の持ち主の中佐としては、この選挙結果は大変残念らしいわw。

  .「^ヽ,ry'^i
  ,ゝ"´ ⌒`ヽ     こんな偉そうなことを言っていた中佐だけど、この後、トイレに
 くi Lノノハノ)」    「トイレクイックル」を詰まらせて大変だったらしいわw。流しても
  λ.[i ゚ ヮ゚ノi!    流しても水が溢れてきて半泣き状態w。クラシアンでも呼ぶべきか、
  レ',ヘ.i`ム'」つ    このままだと小は風呂で済ませられても、大はどうしようかと
  ,く_,//T.iλ     パニックに。新潟中越沖地震の被災者の気持ちが少し分かった
  "ーr_,t_ァ'"      気がします。目出度く朝の5時に無事開通w。
             
759イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/30(月) 22:48:09 ID:Rqu5WzBO
>>748の補足。>>「自国内で阿片を栽培させて対抗する」という大博打を打って自爆

言うまでもなく「アヘン戦争」は、武力によって阿片の流入を堰き止めようとして
惨敗したものです。これにより却って事態を悪化させた支那は、「コペルニクス的
発想w」をもって、自国内でケシの栽培を奨励することで英国からの阿片に対抗する
策を取りました。まあ、年間4700万両の銀がイギリスに流出していきましたから、
それが抑えられる分だけでもマシという考え方でしょうw。

道光帝は涙を呑んでこの手を打ったと云いますが、その結果として支那は無制限の
阿片の栽培と氾濫を傍観する羽目となりました。皮肉としか言いようがありませんが、
イギリスからの阿片輸入は、きちんと年々減少していったようですw。

どのぐらい支那に「阿片中毒者」がいたかと云えば、4億5千万の総人口中1350万人
(約3%)という数字が1つあります。まあ、阿片が蔓延した原因には、辛亥革命以降の
「軍閥の跳梁跋扈」も大きな要因に挙げられるでしょう。貴重な収入源になるばかりか、
配下の戦闘員の向精神薬にもなります。
760名無し三等兵:2007/07/30(月) 22:52:55 ID:???
武部勤氏 中国・瀋陽市の栄誉市民に
http://denshobato.com/cgi-bin/news/2007/0707/070730/07073012.ht


別に自民党が愛国的とは思わんね
761名無し三等兵:2007/07/30(月) 22:54:29 ID:???
懐かしい名前のオッサンだなw
あいつも小泉と一緒に引いた時期が良かったな なんやかんやあったけど
762イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/30(月) 23:04:37 ID:Rqu5WzBO
あと「幣制改革」のテーマでも少し触れましたが、阿片は通貨の代わりの
役割を果たしていました。要するに「マトモな政府」(通貨)が存在しない
という意味ですがw。

>>755 >>中国の阿片耽溺は逆にちょっと異常過ぎる気もするなあ。

貧民の娯楽という訳でもなく、地位の高い人間も例外ではないですから
国民性、いや文化とでも云うのでしょうかw。阿片を吸引する「煙槍」の
高級品には、宝石や貴金属の装飾が施されているものもあります。何やら
「携帯電話」に宝石を散りばめる現代支那と同じような感覚ですw。

>>我らがご先祖が、どうして麻薬系を回避し得たのかが、どうにも解せん次第ザンス。

まあ、言われてみるとその通りで不思議です。
763味噌大福 ◆rA.hP9PeWw :2007/07/30(月) 23:06:02 ID:???
当時の支那人の阿片吸煙普及と
今の支那人のタバコ癖の悪さとは必ず関連があるでしょうww
764イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/30(月) 23:36:59 ID:Rqu5WzBO
>>748 >>「自国内で阿片を栽培させて対抗する」という大博打を打って自爆

この中心となった阿片の産地が『綏遠産』や『チャハル産』だった訳ですが、
回りまわって蒋介石の支配するところとなります――。

さて、話を元に戻しましょう。関東軍は『熱河産阿片』を一大消費マーケットである
天津で密売することにより「謀略資金」を獲得しようとしました。一番最初に述べた
板垣征四郎少将の「北京クーデター失敗」に見られるように、正規の省部(陸軍省・
参謀本部)の機密費などでは、とても『北支分治工作』(第二満州国計画)の資金を
賄えない訳です。

だったら支那で阿片でも売って『現地調達』すればいいじゃん!という感じですねw。

ただし話が非常に複雑になりますが、満州国の財政を支える「阿片専売制度」とは利益が
真っ向から反します。まさか関東軍も、天津で「日本陸軍でござーい」と大っぴらに
阿片を売る訳にはいきませんから、誰か手足となる代理商人を設ける必要があります。
765イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/31(火) 00:01:06 ID:Rqu5WzBO
さて、満州国で「阿片の専売制度」が実施されて以降、阿片密売人は大変厳しい
状況にありました。

直接の生産者や「専売公署」から横流しされる阿片を高値で買い取り、闇ルートで
売りさばく訳ですが、マトモにやったら満州国警察や関東憲兵隊から摘発を受ける
対象となり、非常にリスキーな商売へと変わってしまったのです。

その一方で、天津の青幇といった秘密結社は、懇意の日本側の特務機関に対して
●「品質の良い(人気の高い)熱河産阿片を何とか天津に入るようにして欲しい」
と要望を出していましたので、ここで両者の思惑が一致することになります――。

このように関東軍が『熱河産阿片』を天津に密輸しようとした際、その輸送と
密売を『委託』した重要人物として、「坂田誠盛(まさもり)」を取り上げない
訳にはいきません。
766イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/31(火) 00:19:39 ID:EllrjHKF
少々長くなりますが、「坂田誠盛(まさもり)」の経歴を説明すると以下の通り。

1900年和歌山県田辺市生まれ。17歳の時に支那へと渡り、北京で苦学しながら
中国語を習得します。24歳の春に北京民国大学政治学科に入学し、「交通政策」を
専行します。この専行分野が、後の坂田の将来に大きく影響してくる訳です。

1928年に同大学を卒業後は、満鉄の子会社である南満州電気会社に入社。その
2年後の1930年に『参謀本部第二部支那課』の嘱託となり、満蒙国境付近の
兵要地誌の調査に従事しています。ハイ、ここで支那課との関わりが出来ましたね。

満州事変勃発後は、関東軍司令部第一課(作戦)の嘱託に転属。ここで高級参謀だった
●板垣征四郎大佐、●奉天特務機関長・土肥原賢二大佐、●第二課長(情報)・喜多誠一大佐、
●参謀・田中新一中佐、●参謀・岩畔豪雄大尉らの知遇を得ました。
767イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/31(火) 00:30:30 ID:EllrjHKF
1933年2月、坂田誠盛は、関東軍から『熱河作戦』の兵站輸送を命じられると、
運輸・土木を中心とする『坂田組』を創設して、これを請負いました。

そして期待された兵站輸送の成果を上げたことを評価され、塘沽停戦協定成立後は
関東軍から熱河省内の運輸・道路建設などの業務を独占する利権を獲得しました。

と同時に、熱河省から追い出された湯玉麟が所有していた『ヘロイン製造工場』をも
入手した訳です。さあ、段々キナ臭くなってきましたよw。ちなみにヘロインは
阿片に含まれるモルヒネから精製する麻薬です。
768名無し三等兵:2007/07/31(火) 21:15:12 ID:???
「宗教は阿片」・・・・・・これは常識。

「マルクス主義は、(阿片を精製した)ヘロイン」・・・・・・これは真理。
769イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/31(火) 23:30:19 ID:/cA8Qh3Q
>>767 >>熱河省から追い出された湯玉麟が所有していた『ヘロイン製造工場』を入手

以後、坂田誠盛は「関東軍のお墨付き」のもとで熱河省の省都である承徳で製造した
ヘロインを、大連や天津方面に密売していくことになります。こうして資金を稼いだ
坂田は、熱河省の承徳から万里の長城の古北口を経て、支那本土の非戦区域である
(塘沽停戦協定を参照)通州、そして北京、天津を結ぶ道路を整備しました。

もちろん坂田のヘロイン工場の利益の一部が、関東軍の機密費(工作費)の一部に
流れていたことは言うまでもありません。

そして道路を整備した坂田は、1934年夏に自身の『坂田組』の本社を承徳から
北京に移し、米国製の大型トラックを数台買い入れて、承徳から北京・天津間を
1日1往復するトラック便の輸送を始めたのでした。ヤクザ系のトラック会社
みたいなものですw。
770イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/07/31(火) 23:58:57 ID:/cA8Qh3Q
要するに『坂田組』はヘロイン工場の「上がり」を元手にして、次々と事業を
多角化していった訳です。ゼネコン、道路建設、トラック輸送など…。坂田が
北京民国大学で専行した「交通政策」が役に立ったかどうかは知りませんがw。

ここで注目すべきは、坂田は1900年生まれですから、このとき若干34歳
だった訳です。ちなみに「ホリエモン」が衆議院選挙に立候補したのも、大体
34歳ぐらいの頃ですね(藁)。1972年生まれです。

さてこの頃、天津にいた板垣征四郎少将は、満州国・軍政部最高顧問となって
新京に転任していきました。

ここで更に、テーマ冒頭に述べた「北京クーデター工作」で板垣の手足となり、
直接の実行部隊として働いた人物として『茂川秀和大尉』を取り上げなければ
なりません。

茂川大尉の経歴を簡単に説明すると以下の通り。
771イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/01(水) 00:29:23 ID:GMXmErML
茂川大尉は、中尉のとき「東京外国語学校」(現在の外大)の中国語科に入学、
卒業後はさらに北京大学に留学したという『支那通軍人』のホープでした。

当然のことながら支那語も堪能で、茂川大尉は『熱河作戦』と同時進行で
行なわれた板垣征四郎の「北京クーデター工作」に従事する一方、青幇や
紅幇、紅卍会といった特殊社会との関係を深めていった訳です。

板垣が満州に去った後、茂川大尉は天津の日本租界にある淡路街に公館
(茂川機関)を開き、情報謀略工作を始めました。

その任務とは、大陸浪人やマルキストの転向者などを機関員として走らせ、
中国共産党の情報収集や、土匪や雑軍を煽動しての暴動、また青幇や紅幇・
紅卍会などマフィアの懐柔、反蒋・親日化工作といった多種多様なものです。

>>765 で青幇が天津にも『熱河産』の上質阿片が入ってくるよう何とか融通して
欲しいと日本側特務機関に頼んだと書きましたが、その相手は茂川大尉のことです。
772イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/01(水) 00:52:35 ID:GMXmErML
茂川機関は、工作費として関東軍から活動資金を支給されていましたが、
もちろん不足がちです。『熱河産阿片』を天津に流して利益を得るのは、
茂川大尉からしても「渡りに船」といったところでしょう。

さて話が迂遠になりましたが、結局『熱河産阿片』を天津に密輸する
実行部隊となったのが坂田誠盛の「坂田組」だった訳です。

この辺りは諸説ありまして、茂川大尉が坂田に阿片の密輸を依頼したとも、
法幣のニセ札工作でも有名な「岡田芳政中佐」が命じたとも言われて
います――。(続く)
773イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/01(水) 22:51:52 ID:ZPth6v61
>>772 の続き。>>茂川大尉が坂田に阿片の密輸を依頼したとも、
>>岡田芳政中佐が命じたとも、

岡田芳政大佐(終戦時)はいわゆる「松機関長」だった訳ですが、坂田誠盛との
関係を以下のように述べています。

「そこで私は天津における阿片マーケット争奪戦が北支問題ばかりでなく、日中問題に
 とっても重大な問題であると判断し、当時、熱河省(満州国)の承徳から古北口(満州、
 中国の国境)―北京間に自動車運輸会社を経営している『坂田誠盛』を訪ねて、その
 意見を聞くことにした。

 坂田は北京大学で交通学を専攻した中国通の満鉄マンで、…彼と私は昭和2年(1927年)
 私が北京の守備隊に勤務し、彼が北京大学の留学生であった時に知り合い、爾来肝胆
 相照らす仲であったから、北支における阿片問題について微妙な裏話まで聞くことができた」

坂田は、後に岡田芳政大佐の命令で法幣のニセ札を現地でバラ撒く実行責任者ともなっています。
774イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/01(水) 23:10:58 ID:ZPth6v61
さて関東軍がどのように坂田誠盛に「阿片を便宜したか」ですが、これまた
諸説あります。

坂田は、茂川大尉なり岡田中佐なりの依頼を受けると、阿片の買付けに
奔走しますが、なかなか思うように行かなかったと云います。

困った坂田は、奉天の土肥原少将(奉天特務機関長)を訪ね、北支分治工作の
一環として●「天津方面に密輸する『熱河産阿片』を承徳の専売公署より直接
買付けが出来るようにして欲しい」●「また承徳から古北口(長城)までの
熱河省内の輸送について、関東軍憲兵隊・満州国官憲の摘発を避けられるよう
保護して欲しい」などを依頼したとされます。

この話が本当だとすると、岡田中佐も茂川大尉も、坂田に阿片密輸を命じる
だけで実質的に「放置プレイ」だった事になりますw。まあ、関東軍は結局
「上納金」「ピンハネ」が主目的な訳ですから、肝心な所が抜けていたとしても
ありえない話ではありませんがw。
775イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/01(水) 23:31:34 ID:ZPth6v61
>>774 >>困った坂田は、奉天の土肥原少将(奉天特務機関長)を訪ね、

まあ、茂川大尉は天津にいますから、満州国での「阿片買付け」に影響力を
発揮できなくてもおかしくはありませんが。

しかし坂田の依頼を受けた土肥原少将は、強力に動いてくれたと云います。

土肥原少将は、関東軍司令部第4課(満州国関係)を通じて、満州国政府に
『熱河産阿片』を坂田が求める数量分だけ売り渡し、さらに承徳の憲兵隊に
対して「坂田組」の阿片輸送を保護するように指示を出しました。

坂田誠盛は、これにより万里の長城(支那本土)の古北口まで阿片を運べば、
ここで茂川大尉が「青幇」を通じて手配した阿片商人に引渡すことができ、
彼らが天津まで持ち帰って売りさばくという密輸ルートが完成した訳です。
776イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/02(木) 00:08:34 ID:wIProZQ0
>>774 >>この話が本当だとすると、岡田中佐も茂川大尉も、坂田に阿片密輸を
>>命じるだけで実質的に「放置プレイ」だった事になりますw。

まあ、もう少し後の方で話しますが、この段階では関東軍もまだ『阿片密輸』に
本腰では無かった訳です。いわゆる『序の口』という奴ですねw。もっと云えば、
上記は「民間ベース」に過ぎないと言ってもよいでしょう。

また遥か先の余談になりますが、日本の敗戦時、茂川大尉は大佐にまで
進級していました。役職は北京の特務機関長です。当然のことながら(?)
接収しにきた国民政府軍に「戦犯容疑者」として逮捕されてしまう訳です。

ところが「青幇」の有力者たちが、蒋介石に茂川大佐の『助命嘆願』に
奔走してくれたお陰で、茂川は釈放され日本への帰国を許されました。

まあ、『阿片』を通じた茂川大佐と『青幇』の関係の深さを物語る
エピソードと云えますが、これも本テーマ『日本陸軍と阿片問題』の
ほんの「序の口」の話に過ぎません――。

 | ___ 
 |⌒⌒ヽ
 |ノ)ノ))ハ)   
 | ゚ ヮ゚ノ)   ジー…。
 ⊂」ネl」)
 |#,#ハ
 |フ_フ"
778名無し三等兵:2007/08/02(木) 01:09:35 ID:???
BANG!! BANG!!
779イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/02(木) 23:11:17 ID:???
ゲゲッ! いつの間に幽香姉さん、どうされたんですか……w。

 | ___ 
 |⌒⌒ヽ
 |ノ)ノ))ハ)   
 | ゚ ヮ゚ノ)   ジー…。
 ⊂」ネl」)
 |#,#ハ
 |フ_フ"
781イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/03(金) 00:06:26 ID:Iwiy3zAo
……。まあ、>>776 の続きですw。

>>この段階では関東軍もまだ『阿片密輸』に本腰では無かった

今まで関東軍ばかり述べてきましたが、ここで「支那駐屯軍」にもスポットライトを
当てなければなりません。茂川大尉は天津で公館を構えていましたが、そもそも天津は
「支那駐屯軍司令部」(天津市日本租界海光寺)の所在地ですね。

今までの話は「序の口」と書きましたが、そもそも日本陸軍の『阿片謀略』は「北支分治
工作」とは切っても切れない訳です。何度も言うように、平たく言えば「第二満州国計画」
です。という訳で、北支分治工作が強まるにつれ、その資金を獲得するために阿片謀略も
進展していくことになります。その一方の主役が「支那駐屯軍」な訳です。

日本陸軍が「北支分治工作」を推し進めた理由は、資源目的であったり市場目的であったり
と経済的な側面が大きかったりします。その意味で、阿片謀略は『経済謀略』とも言えます
し、満州事変が上手くいったので、その余勢を駆って「手柄目的」というのもあるでしょう。
782イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/03(金) 00:25:57 ID:Iwiy3zAo
さて『熱河作戦』の結果、「塘沽停戦協定」(1933年)が生まれたならば、
その次に来るのは「梅津・何応欽協定」(1935年6月10日)です。

支那駐屯軍司令部のお膝元である天津で『親日的華字紙』の発行人が暗殺された
事件をきっかけに、日本軍は、河北省からの支那軍と南京政府の撤退を要求して
遂にこれを呑ませたというドタバタ劇です。

協定の名前には、支那駐屯軍司令官の梅津美治郎中将を冠していますが、
その実行役の中心として参謀長だった『酒井隆大佐』が動いていた事は、
少し戦史に詳しい人ならご存知でしょう。

『酒井大佐』の苛烈な要求ぶりは、交渉相手の何応欽上将のプライドをいたく
傷つけ、太平洋戦争の終戦後に酒井が戦犯として処刑される原因となります。

そして本テーマの『阿片謀略』にも酒井隆大佐の関わるところ大な訳です。
783名無し三等兵:2007/08/03(金) 18:45:15 ID:???
産経にもまともな人が・・・
読売の黒田みたいに干されそうで心配だ

安倍首相はなぜ空気が読めないのか
http://yamamotot.iza.ne.jp/blog/entry/250730/

岸井の社保庁クーデター説を瞬殺する江田けんじ
http://www.youtube.com/watch?v=gB4XPPs3VU8&NR=1


光熱水費は月800円ですよ。月800円で辞任を要求するんですか。
                 ↓
安倍首相は1日午前、赤城徳彦農相(48)(衆院茨城1区)を首相官邸に呼び、
赤城氏の政治団体の不適切な会計処理の問題などを理由に、辞任するよう求めた。


記者会見にて安倍ちゃん

「私どもの主張する政策が支持されているという手応えを受け取りました」

選挙で惨敗しているのに支持されているというのはなぜ? という質問には。
「選挙演説での聴衆の反応からです」

選挙演説に集まっているのは、基本的に支持者では? という質問には
「……」
こんなのが総理だからな・・・orz
784イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/04(土) 02:57:01 ID:LHE+1PUy
>>782 >>そして本テーマの『阿片謀略』にも酒井隆大佐の関わるところ大な訳です。

酒井隆大佐の狙いは、「北支分治工作」に必要な巨額の謀略費を『熱河産阿片』で
賄うというものでした。酒井は、満州事変後の1932年8月から2年間、「参謀本部
第二部支那課長」を務めていましたが、ちょうど『熱河作戦』の時期に一致します。

このとき『熱河作戦』と同時に行なわれた板垣少将による「北京クーデター工作」の
資金調達に、酒井の直接の上司だった「永田鉄山第二部長」が省部を駆けずり回った
苦労を熟知している訳です。しかも、工作の結果は不首尾に終わっています。

1934年8月「支那駐屯軍参謀長」となり天津市日本租界海光寺の司令部に
着任した酒井大佐は、同じ天津にある「茂川公館」の機関長である茂川少佐から、
「北支分治工作」の情勢について詳細な報告を受けます。

そして酒井大佐は、●関東軍の奉天特務機関長である土肥原賢二少将、●満州国の
軍政部最高顧問となった板垣征四郎少将(1934年12月より関東軍参謀副長)と
トライアングルで「北支分治工作」について謀議を重ねたのでした――。
785名無し三等兵:2007/08/04(土) 20:52:44 ID:???
まだお亡くなりにならないの。

ちょっと長いよ
786イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/04(土) 23:42:44 ID:???
酒井隆大佐、土肥原賢二少将、板垣征四郎少将の3人が出した結論は、以下の通り。

●支那は数年以内に、蒋介石の国民政府が『紅軍』(中共)を掃討して国内統一を
 果たすだろう。

●蒋介石による支那統一は「日満両国」にとって軍事的脅威となり、当然の事ながら
「北支分治工作」は至難となる。

●何としても支那統一の完成を遅らせなければならない。同時に「北支分治工作」の
 早急な実現が求められる。

●このためには蒋介石の財源にダメージを与えて、軍事力の増強を封じることが
 必要である。
787イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/05(日) 00:05:26 ID:???
具体的には、蒋介石の大きな資金源となっている「甘粛省・四川省・綏遠省」産の
阿片を、北支の巨大マーケットである天津から締め出すことである。そのためには
関東軍支配下の品質の良い『熱河産阿片』を大量に天津へ流入させる事で、品質に
おいて劣る「蒋介石の阿片」を駆逐することができる。

そうすれば蒋介石の財源に打撃を与えると同時に、日本軍(関東軍)は北支分治工作に
必要な資金を得ることが可能な『一石二鳥』の謀略となる――。

これは取りも直さず、茂川少佐と坂田誠盛の間で実行されていた「民間ベース」の
熱河産阿片の天津への密輸を、関東軍が大々的に手がけることを意味します。

ただしそうなると、満州国政府は主要財源となっている『熱河産阿片』を大量に
関東軍に持って逝かれて財政上の支障を来たす事になります。そのため満州国の
財政処長である星野直樹は、その不足分を品質の良い『イラン産阿片』の輸入で
もって補填する措置を取ったことは前述の通りです。
788イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/05(日) 00:33:14 ID:xWSrZ9k7
具体的に熱河省内の『阿片輸送』は、土肥原少将から依頼を受けた関東憲兵隊
司令官の岩佐禄郎中将が、部下の憲兵隊に摘発押収する事など無いよう命じる
とともに、土匪の襲撃などからの保護も行ないました。

また1935年10月からは、岩佐中将の後任となったヒデキ(東條英機少将)が
これを引き継ぎ、同様の『阿片輸送』の保護を続けます。これがヒデキが阿片謀略に
関わる最初のきっかけとなる訳です。

関東憲兵隊司令官として『熱河産阿片』の天津密輸に協力したヒデキは、後に関東軍
参謀長に昇進します。そして盧溝橋事件(1937年)が勃発すると、直後に自らの手で
チャハル・綏遠に向けた派遣兵団を編成――。

ヒデキは関東軍参謀長を兼務のまま、異例の「チャハル派遣兵団司令官」として内蒙古に
侵攻して、蒋介石の重要な資金源であるこの地域を奪取しています。さらに支那最大の
『阿片生産地』へと発展させ、日本陸軍の阿片謀略にも大きな役割を果たしていますが、
もう少し後で触れましょう。
789中華小娘 紅美鈴 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/05(日) 00:46:12 ID:???
>>786 >>●何としても支那統一の完成を遅らせなければならない。

      , --─- 、
    ( ,..-ー☆ -'、
 -= i LレLハノリ」 ヘ
     i l §゚ ヮ゚ノi!"´ ̄`'ヽ    もうやりたい放題・好き放題ですねw。
  -=⊂k',_,i`\´つ.|ノリハノリ〉      一体、日本陸軍は人の国を何だと
     レ(,/`"i:|"/つ)゚д゚ノii ギョヘブッ   思っていたのでしょう?
  -=  └i_7-'',<,⊃〔i◎〕
          ,し/~/:ハ
         `'ィ ァ~ィ ァ´
          T  T
790イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/05(日) 00:51:03 ID:???
>>789 >>一体、日本陸軍は人の国を何だと思っていたのでしょう?

つ草刈場。
791イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/05(日) 01:22:00 ID:xWSrZ9k7
>>788 >>ヒデキは関東軍参謀長を兼務のまま、異例の「チャハル派遣兵団司令官」

話が先に飛びましたので、元の順番に戻しましょう。国民政府の河北省からの
立ち退きを求めた「梅津・何応欽協定」(1935年6月10日)まで述べましたが、
その次に来るのは『土肥原・秦徳純協定』(1935年6月27日)です。

同じ月に結ばれたこの協定は、国民政府の『チャハル省』からの一部立ち退きを
要求したものです。言うまでも無く、>>788 で述べたヒデキのチャハル省侵攻への
『布石』とも云えるでしょう。

具体的には、支那の『反日行為』を理由に、●「チャハル省主席の宋哲元を
解任せよ」●「チャハル省内の支那軍(第29軍)を、塘沽停戦協定ラインの
延長線上の西南方に後退させよ」●「排日機関を解散させよ」というものです。

関東軍は奉天特務機関長の土肥原少将を、国民政府はチャハル省主席代理の
秦徳純を交渉担当者として、北京で話し合われました。
792イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/05(日) 01:40:53 ID:xWSrZ9k7
結局、交渉は国民政府が屈服して、宋哲元はチャハル省主席から解任されます。
また『非戦区』がチャハル省の一部まで西に拡大して事実上、関東軍の勢力下に
置かれました。解任された宋哲元指揮下の「第29軍」はチャハル省を追われて
北京地区に移動し、次第に『盧溝橋事件』の舞台が整っていく結果となります。

まあ、虫が葉を徐々に食うように「北支分治工作」は進んでいく訳ですが、更に
もう1つ大きな出来事があります。

それは『冀東防共自治政府』の成立であり、殷汝耕についても触れなければ
なりません。当然のことながら殷汝耕もまた、日本の『阿片謀略』に関わって
いる訳です――。
793中華小娘 紅美鈴 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/05(日) 21:40:54 ID:???
>>792 >>それは『冀東防共自治政府』の成立であり、殷汝耕についても
>>触れなければなりません。

   , --─- 、
  ( ,..-ー☆ -'、
  i LレLハノリ」
  i l §゚ ヮ゚ノi!   親日派の巨頭でもあり、漢奸の人物ですね。あまり目立ち
  | k',_,i`\´i,〉  ませんが、1943年には汪兆銘政権にも参加しています。
  レ(,/`"i:|"|j   当然のことながら、敗戦後は国民政府によって南京で銃殺です。
   └i_,ィ_ァ'   
794イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/05(日) 22:19:16 ID:gk4QDoc3
まあ、殷汝耕(いんじょこう)は日本に留学して早稲田大学も卒業していますからね。
ちなみに『冀東防共自治政府』の「冀東」は河北省の東部という意味です。

まだ「冀東防共自治政府」ができる前の話ですが、殷汝耕は『塘沽停戦協定』による
河北省内の『非戦区』の行政督察専員をしていました。

「行政督察区」とは、支那の省と県の中間の行政区分であり、要するに殷汝耕は
そこの行政長官だった訳です。

前述の「坂田誠盛」は、万里の長城以南の阿片の輸送にあたって、殷汝耕にも
協力を求めています。坂田の要請を受けた殷汝耕は、部下の保安隊に命じて
『坂田組』の阿片トラック輸送の安全を図るよう保護させるとともに、長城の
古北口や北京の支那官憲をも買収して、同様の手を打つなどの便宜を図りました。

ところが、ここで思わぬ邪魔が入ります。殷汝耕の隣の区の督察専員(行政長官)
である陶尚銘が、日本軍への傀儡行為を国民政府に通告すると非難してきたのです。
795イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/05(日) 22:56:26 ID:gk4QDoc3
陶尚銘は、殷汝耕に対して●「そのような(阿片密売)漢奸行為を止めなければ
国民政府中央に通告して、君の解任処分を求める」と厳しく非難してきました。

これに驚いた殷汝耕は、坂田誠盛に陶への対策について泣きつきます。坂田としても
陶尚銘によって自分や殷汝耕の『阿片密売』が国民政府に暴露されれば、殷は督察
専員の地位を解任されるだけでなく、関東軍や支那駐屯軍の目指す「北支分治工作」
にも大きな支障を来たすことが目に見えています。

そこで坂田誠盛は、直談判すべく陶尚銘のもとを訪ね、

●「殷汝耕の行為を政府に告発して、その地位より解任させれば、日本軍は
 激怒してあなたに対して報復することは明らかだ。間違いなく生命を奪う
 だろう。既に日本軍はあなたを敵対者だとの認識を持っており、気の短い
 日本軍関係者の中には、直ぐにもあなたを消してしまおうと言っている
 者もいる――。
796イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/05(日) 23:16:02 ID:gk4QDoc3
 このまま行政督察専員の職に留まることは非常に危険な状況にある。
 ここはひとつ、最も賢明な進退を考慮されるべきだ――。

 健康上の理由で退任されるのが良い方法だと思う。ついてはこの坂田
 誠盛が、あなたが北京の自宅に戻られて安楽な生活を送られるよう、
 まとまった金を出しましょう」

と脅迫と懐柔(アメと鞭)で陶尚銘に迫ります。これについての返答を
数日中にするよう求められた陶は、以下のように考えました。

●このまま行政長官の地位に留まって、日本軍に楯突けば殺される。
●かといって日本軍に協力すれば、自分も『漢奸』となる。
●仮に殷汝耕を告発して解任させても、日本軍は殷に代わる傀儡人物を
 その後釜に据えるよう働きかけるだろう。
●日本軍が推薦する人物を、国民政府も北京政務整理委員会(何応欽)も
 力関係からして拒むことが出来ないと思われる。 
797名無し三等兵:2007/08/05(日) 23:18:58 ID:???
おいイナゾウ今日は飛ばしてんな
798イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/05(日) 23:35:59 ID:gk4QDoc3
以上の理由により、陶尚銘は●「ここは坂田の申し入れを受け入れて、
北京で静穏な生活を送りたい」と膝を屈した訳です。

結局、陶尚銘は、坂田が提示した金額を受け取ることを条件に『熱河産
阿片』の天津密輸に関する坂田・殷汝耕の行為を一切他言しないことを
誓って、自身の辞表を北京政務整理委員会と支那駐屯軍に提出しました。

1935年7月27日、陶の辞表は正式に受理されてその同日、殷汝耕が
陶の管轄していた行政督察専員を兼任することに決まりました。これにより
殷汝耕は『非戦区』全域の行政長官の地位を得ることになります。

殷汝耕への引継ぎが終わった8月3日、陶尚銘は唐山より北京の自宅に
帰った訳ですが、事態はこのまま平穏に終わりません。もう一波乱起こる
ことになります――。
799中華小娘 紅美鈴 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/05(日) 23:44:28 ID:???

      , --─- 、
     ( ,..-ーー☆'
    i LレLメノリ」
    (.つノ§゚ -ノゝ    もう「どんだけー」って感じですねw。
    ノ`ヽ.〉i`\´)」iつ
   ゝ,, ,,ノノ_人,>、
..    ". ~ヽ_)  ゙ヽ_)
800イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/05(日) 23:54:07 ID:???
まあ、金を受け取って屈服するなら、最初からイチャモンを付けるなと
思いますけどねw。キジも鳴かずば、何とやらです。

安易な愛国心というかヒロイズムを発揮して結局、日本軍の傀儡である殷汝耕が
『非戦区』全域の行政長官に収まるのであれば、陶尚銘は何もしない方が自身に
とっても自国にとっても、全然良かったことになります。

このツケは非常に高くつく事になります。
801JY:2007/08/06(月) 02:31:40 ID:???
文は悪くないですよwww蹴られてるけどwww

     ヘ;;;:::...
   イ"´ ̄`;;;:::...
   | i.|ノリハノ;;;:::...    _;;;:::...
 ,ヘルlリ ゚ ヮ゚;;;:::...   ヾ;;;:::...  スウゥ… 訴えてやる……。
 ゝ,<,_,i`ハ´;;;:::...   ";;;:::...
  `,し/~/:;;;:::...
   `'ィ ァ~ィ ;;;:::...
    T  ;;;:::...
803イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/07(火) 00:28:53 ID:w/F3Lx7f
>>800 の続き。>>このツケは非常に高くつく事になります。

陶尚銘が北京の自宅に戻った翌日の1935年8月4日、事件が起こります――。

唐山守備隊長の温井親光少佐が、非戦区保安総隊長の劉佐周らと一緒に駅から降りた
ところを数名のテロリストに乱射されたのです。劉は即死しましたが、温井少佐は
無事でした。ちなみに「唐山」は河北省東部の街ですね。もちろん非戦区内です。

かねてより陶尚銘が日本軍に楯突くことに腹を立てていた酒井隆参謀長は、北京の
憲兵隊に命じ、乱射事件の背後関係者という容疑で8月6日、陶を逮捕させました。
陶が唐山一帯の行政長官だった理由(こじつけ)が大きいでしょう。

陶尚銘を逮捕させると、酒井参謀長は天津の支那駐屯軍司令部から北京を訪れ、
「北京政務整理委員会」の委員長代理である王克敏に面会、乱射事件の犯人逮捕と
事件の解決を速やかに為すよう厳しく要求しています。
804イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/07(火) 00:52:36 ID:w/F3Lx7f
上記の日本憲兵隊による陶尚銘逮捕は、国民政府に大きな衝撃を与えました。

孔祥熙(行政院副院長兼財政部長:蒋介石の義兄)や、唐有壬(外交部次長)は、
南京の須磨弥吉郎総領事に陶の即時釈放を求め、また国民政府の外交部からも
有吉明大使に抗議文が送られましたが、酒井参謀長はどこ吹く風――。

結局、陶尚銘を11日間に渡って取り調べた後の8月17日、ようやく
釈放しました。

確たる証拠も無い理由で、憲兵隊に陶尚銘を強引に逮捕させた理由は、日本軍
による『熱河産阿片』の密輸と、殷汝耕がそれに協力している事実を陶尚銘が
やはり暴露するのではないかと酒井隆参謀長が危ぶんだためでしょう。

坂田誠盛を通じて懐柔し、カネも掴ませ、阿片密輸を口外しないとの約束を
陶から取り付けているとはいえ、今後については安心できなかったのです。
このため「乱射事件」を口実に、陶尚銘を再度、脅し上げたかった訳ですね。
805イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/07(火) 01:13:01 ID:w/F3Lx7f
酒井参謀長のホンネを云えば、陶尚銘を『始末』したかったでしょうが、
さすがにそれは諦めたようです。

その代わりに日本軍の恐ろしさを陶に心底思い知らせると同時に、●「もし
日本軍の阿片密輸を暴露すれば、坂田からカネを貰った事実を公表するぞ!」
と脅し上げることが目的だったのでしょう。

もし日本軍からカネを貰った事実が明らかになれば、陶尚銘は『漢奸』の
レッテルを貼られ、当時の支那では社会的生命を断たれるに等しい非難を
受けますから、脅迫としては充分な効果だったでしょう。言わんこっちゃ
ないとは、まさにこの事です。

また当然の事ながら、この「乱射事件」の黒幕は酒井参謀長だという説もあります。
陶尚銘が殷汝耕に行政長官の引き継ぎを終えて、北京の自宅に戻った翌日に「乱射
事件」が起き、しかも日本人の温井少佐が無傷で、つい先日まで陶の部下だった
保安総隊長の劉が即死――。しかも陶が2日後に逮捕では話が出来すぎていますw。
806中華小娘 紅美鈴 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/07(火) 01:22:14 ID:???

       |
       |
    , --─- 、
   ( ,..-ー☆ -'、
   i LレLハノリ」
   i l §´ -`ノi! ……………日本軍に逮捕されました……。
   | i irフニつヽヽ       酒井参謀長、恐ろしい子……w。
   .レ!>/_入⌒)`)─────────────────
    /
  ./
807イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/07(火) 01:46:30 ID:w/F3Lx7f
まあ、『暴力』と『謀略』を呼吸するかのように行なうのが「支那通軍人」
な訳ですが、上記は「北支分治工作」のほんの「一風景」ですね。

こういうのを見ていくと、敗戦後に酒井隆中将が戦犯として支那に処刑された
のが、必ずしも『梅津・何応欽協定』で何応欽を侮辱して激怒させた事だけが
理由ではないのがよく分かるでしょう。要するに「積年の怨み」だった訳です。

蒋介石は日本の降伏直後から、近衛文麿、本庄繁、土肥原賢二、板垣征四郎、
松井石根、広田弘毅、影佐禎昭、磯谷廉介、和知鷹二、『酒井隆』、喜多誠一
などの「戦犯リスト」を米国に示して、引渡しを求めていますが、北支分治
工作に関わった『支那通軍人』がわんさかおります。

板垣や土肥原はもう説明するまでも無いですが、磯谷廉介は支那の『幣制改革』に
対して、現銀の輸送の「実力阻止」など強硬論を吐いた人物です。
808イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/07(火) 01:57:25 ID:w/F3Lx7f
すでに『阿片』の話なのか、『北支分治工作』の話なのか、分からなく
なっていると思いますが、この2つは切っても切れない関係だと考えて
ください。要するに「手段」と「目的」な訳です。

本来なら日本軍の「北支分治工作」に対する「奇策(鬼策)」として
支那側の『幣制改革』を間に挟まなければならないところですが、
さすがにこれはテーマと直接関係ありませんし、切りが無いので
割愛しますw。
809名無し三等兵:2007/08/07(火) 02:03:38 ID:???
幣制改革はどっかに参考になったサイトがあったな
810イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/07(火) 22:40:08 ID:acta+tNI
さて「幣制改革」は置いておくとして、1935年11月24日には殷汝耕を
委員長とした『冀東防共自治委員会』が誕生します。

これは奉天特務機関長・土肥原賢二少将が、非戦区に傀儡政権を樹立すべく天津に入り、
支那駐屯軍参謀長である酒井隆大佐と謀議したものです。これは支那側の『鬼手』である
「幣制改革」に対抗すべく、北支の一部を切り離しにかかったものです。事実、殷汝耕には
国民政府からの『分離独立』を宣言させています――。

この辺のくだりは説明が大変難しいですが、要するに「カネ(通貨)を握った方が強い」と
考えてください。北支の経済圏が国民政府(蒋介石)の発行する『法幣』に飲み込まれれば
日本軍が苦心して進めた『北支分治工作』はオジャンです。しかも国民政府のバックには
英米が漁夫の利を狙うかの様に付いています。

さてこの頃には、支那駐屯軍司令官は梅津美治郎(中将:第2師団長へ転任)から、
『良識的』支那通軍人とされる多田駿少将に代わっています。
811だつお:2007/08/07(火) 23:01:04 ID:bnjcDWMz
独断と私見でルーズベルト評。

http://plaza.rakuten.co.jp/shibu2003/2010

上は国士系のサイトで、米共和党のルーズベルト批判も載せているが、
第二次世界大戦における各国の軍事的役割を考えればルーズベルトの決断
はかなり合理的だったと言えるのではないだろうか。そもそもソ連との
協調を拒否するのであれば主敵ナチスドイツ打倒はおぼつかない。
あくまでソ連との協調を拒否するのであれば、アメリカは不戦しかなくなり、
第一次世界大戦までに築いてきた大国アメリカとしての国際的地位を失う。
日本だって第一次世界大戦で日英同盟のために欧州派兵か否かが検討されてる。

弊害はあったにせよ、やはりルーズベルト政権はアメリカを世界的大国にした。
パックスアメリカーナ、アメリカングローバルスタンダードの布教に成功した。
共産勢力の台頭は、大祖国戦争における共産主義ソ連の勝利と大陸打通作戦に
おける反共国民党の大敗によるものであり、ルーズベルトの責任とは言えない。
強いて言えばアメリカは戦勝国であってもその役割は限定されるというだけのこと。

最強ドイツ軍を殲滅したソ連赤軍>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>超えられない壁>>>>>>>>>>>
>>>>97式中戦車チハにドツキ回されたエセ反共チンピラゴロツキ

・・・とまあ、歴史とはこう教えられるのが本質的に正しいと思うがどうか。
812イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/07(火) 23:01:09 ID:acta+tNI
多田駿少将は、関東軍の強引なやり方に極めて批判的で、土肥原賢二少将とは
たびたび衝突しています。他部署から自分の管轄で勝手に事を進められたら、
誰だって怒るでしょう。まあ、参謀長(酒井隆大佐)はえらく協力的ですがw。

しかし悔しいながら、支那駐屯軍と『天下の関東軍』とでは、所詮「格」が
違います。両軍の力関係から、関東軍の手出しは既成事実として黙認せざるを
得ませんでした。

それでも多田司令官は「冀東防共自治政府」に対する内面指導は、支那駐屯軍が
行なうことを土肥原少将に認めさせました。ところがどっこい、関東軍はこれを
ほとんど無視して殷汝耕に直接指示を出し、殷汝耕もまたどちらに尻尾を振れば
良いかはちゃんと分かっておりまして、支那駐屯軍の指示よりも関東軍の指示を
重んじて従う訳ですw。

「冀東防共自治政府」は長城以南の支那本土にありながら、事実上、関東軍の
傀儡政権だった訳です――。こうなって来ると関東軍の飛び地みたいな感覚ですw。
813だつお:2007/08/07(火) 23:29:54 ID:bnjcDWMz
やがてスティルウエルは、蒋介石や美齢が自分に何を求めているのかを思い知る。
(引用者註 文脈から1942年の)七月一日の日記
「会議。蒋夫人、シェンノート、私が出席。夫人は言った。
『シェンノート君、飛行機はどれだけ必要ですか?』
『三〇〇機と月間補充二〇パーセントです』とシェンノート。
『よろしい。それではワシントンに連絡し、子文から圧力をかけさせましょう。
スティルウエル将軍からもワシントンにその旨伝えて下さい。飛行機を手に入れ
るのはあなたの仕事です』と蒋夫人。
 私は中国人となり、中国の欲することは何であれすべて合衆国にすすめて
出させる代理人になるべきだというのだ。
『そうすれば、あなたが大将におなりになるよう骨を折りましょう』何という連中だ!?」
 スティルウエルの司令部付きの外交官だったジョン・サービスは、美齢に初めて会った
ときのエピソードを語ってくれた。
「美齢は私に、『あら、サービスなんて素敵な名前だこと。あなたが中国に大きく貢献
(サービス)してくれるとよいのですが』と言ったのです。それで私は『自分の仕事は
中国への貢献ではなく、祖国アメリカへの貢献だぞ』と自分に言い聞かせたものでした。

「宋姉妹 中国を支配した華麗なる一族 NHK取材班」(角川書店)
>>812 >>支那駐屯軍と『天下の関東軍』とでは、所詮「格」が違います。

   ッ-ヘ。__.「^ヽ,ry'^i/ー- 、
   レ, '´゚  ,ゝ"´ ⌒`ヽ=ヽ i
   i ハ))).くi Lノノハノ)」  |/
    イオi ゚ ヮλ.[i ゚ ヮ゚ノi! .+    こうしたアンバランスを少しでも解消する
    ,ぐ`i盃レ',ヘ.i`ム'」つ     ために、支那駐屯軍の大幅な増強が後に行なわ
   ,メ∪イ-,く_,//T.iλ      れるんだけど、それが支那側の大反発を招いて、
    ゙'ーi_'ォ_ァ"ーr_,t_ァ'"      盧溝橋事件の遠因となる――。とかく世の中、
                   ままならないもんさね。
815イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/08(水) 00:07:24 ID:gmw9fPJ1
>>810 >>殷汝耕には国民政府からの『分離独立』を宣言させています――。

当然、蒋介石は殷汝耕の「非戦区行政督察専員」の職を罷免し『漢奸』として
逮捕することを決定します。しかし、もはや関東軍の庇護の下にある殷汝耕を
捕えるのは不可能でした――。要するに一戦交える覚悟が必要になってきます。

殷汝耕が「冀東防共自治政府」を樹立して以来、関東軍による『熱河産阿片』は
拍車をかけて天津に密輸されるようになります。土肥原少将や酒井大佐の目論見
どおり、天津の阿片市場では「四川産」「甘粛産」「綏遠産」「チャハル産」と
いった蒋介石の財源を担っていた阿片は急速に駆逐されていきました。

それと同時に、関東軍には「巨額の謀略資金」が流入する事になります。

また阿片以上に、蒋介石をキレさせたのは冀東政府による『特殊貿易』です。
殷汝耕は、日本と満州国からの輸入品に対しては国民政府の4分の1という
『低率関税』を実施した訳です。(いわゆる「冀東特殊貿易」)
816イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/08(水) 00:26:27 ID:gmw9fPJ1
この『特殊貿易』により、日満両国から支那への輸出品の多くが大連で
積み替えられ、冀東政府地区に流入し、さらにその大半が北支・中支に
出回ることになります。

これにより国民政府の「海関税収入」は激減、また安価な日本製品が氾濫
したせいで中小の民族資本は大打撃を受けます。その真逆で、冀東政府の
関税収入はうなぎ昇りでしたから、殷汝耕が関東軍にその利益の一部を
ばら撒いたことは言うまでもありません。

蒋介石が日本との戦争を覚悟したのは、こうした『経済戦争』の結果による
ものです。まあ、ヤクザ同士の「シノギの削り合い」の果てのガチンコと
云えなくも無いでしょうw。
817イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/08(水) 00:37:01 ID:???
こうして「激動の1935年」が終わる訳ですが、次に来るのが
「転機の1936年」です。
818イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/08(水) 23:33:03 ID:E5PvoNZt
>>817 の続き。>>次に来るのが「転機の1936年」です。

1936年に何があったかと言えば、もちろん『2.26事件』です。この晴天の霹靂
の後に起こったのは『粛軍』という人事のガラガラポンです。もともと支那課の軍人は
傍流の存在でありw、当時支那で勤務していたとすれば、ほとんど事件に関与しようが
ない訳ですが、それでも無風とはいきませんでした。これには陸軍次官となった梅津
美治郎の影がチラつきます――。

事件直後の1936年3月の人事異動により、まず関東軍司令官だった南次郎大将が
参本附となり、後任に軍事参議官だった植田謙吉大将が就任。

関東軍参謀長だった西尾寿造三中将は「参謀本部次長」に栄転となり、後任には参謀
副長だった板垣征四郎少将がそのまま昇格します。ちなみに板垣は4月28日に中将
に進級しました。
819名無し三等兵:2007/08/08(水) 23:39:22 ID:???
2・26に出てた竹中直人は今とほとんど顔が変わらない
820イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/08(水) 23:59:22 ID:E5PvoNZt
関東軍のキーパーソンだった板垣征四郎がさらに影響力を増した反面、
「北支分治工作」ならびに「阿片謀略」の推進者のひとりだった奉天
特務機関長・土肥原賢二少将は1936年3月7日、中将に進級して
東京の留守第1師団長に飛ばされます。その結果、満州を去ることに
なりました(ちなみにその後は第14師団長〈宇都宮〉)。これは痛いw。

後任の奉天特務機関長には、第5師団(広島)参謀長だった三浦敏事少将が着任。
さらに天津の支那駐屯軍参謀長だった酒井隆大佐も、その強引なやり方が上司の
多田駿司令官に疎まれたか、既に前年の1935年12月に参本附となっていま
した。その後の酒井は、歩兵第23連隊長(6D・熊本)です。さらに痛いw。

ちなみに酒井の後任は、満州国軍事顧問だった永見俊徳大佐が着任しています。

こうして初期の『阿片謀略』のトライアングルだった板垣征四郎・土肥原賢二・
酒井隆の3人の内、2人が支那を去ることになり脱落。大きな転機を迎える
ことになりました――。
821イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/09(木) 00:25:35 ID:pgWzG3tQ
そして陸軍の人事異動と同時期の1936年春、関東軍は『熱河産阿片』の
天津における密売管理を新たに『里見甫(さとみはじめ)』に委託しています。

というのも、それまで『熱河産阿片』の輸送と天津での密売を管理していた
前述の「坂田誠盛」が手を引いたからです。しかし、だからといって坂田が
今までの阿片密売を悔い改めた訳では全然ありません。

坂田は、河北省北西部にある「張家口」に月産1500キロの『ヘロイン』の
大規模工場をつくり、他の坂田組の資産および、自身が熱河作戦での功績で獲得
した熱河省内の交通運輸利権を「満鉄」に売却して北京を去る事になったのです。

張家口に移った坂田によって製造された大量のヘロインは、北京・天津・済南・
青島・上海へと密売されて(中心地は天津の日本租界橋立街)、これにより坂田は
巨万の利益を得ることになりました――。

まあ、いわゆる『発展的解消』というヤツですよ(核藁)。
822楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/09(木) 00:51:43 ID:???

::::::::|\/ i
::::::::|´:::::::::ヽ        
::::::::|:::ノノリ::::〉 /[]   ここまでで、ようやくプロローグが終了
::::::::|!゚ ヮ゚ノリ / []]   というところね。『Fate/stay night』に
::::::::| i.Hi]つ/  [][]  喩えるなら、ちょうどオープニング曲が
::::::::| _|j /  [] []   始まったカンジだわw。
::::::::|し'ノ
823名無し三等兵:2007/08/09(木) 13:13:17 ID:???
英国の大陸政策は、プロイセンやフランス等のパートナーを作り諸国の対立を煽り欧州に統一勢力を作らせない事。
日本の対中政策もこれに似たようなものだと思うんだけどな。
日本の悲劇は中国大陸にパートナーとなる相手が居らず直接関与しなければならなかった事ではないか。
満州国は日本の対中政策のパートナーを自ら作り出したと考えられないだろうか。
824名無し三等兵:2007/08/09(木) 19:41:03 ID:???
>>823
対抗勢力の結集を阻むのは理に適ってる

・・・・・・が、満州建国をその文脈で意義付けるのは苦し杉。
日本側が支那の国家主権を尊重した形跡はあまりに乏しく、
「いいカモ」として魅力を感じていたのは事実だろうが、
「パートナー」なる概念は120歩譲っても抱いてなかった希ガス。

大体、本当にパートナーとして利用するなら「切り捨てる」選択肢だって有り得る筈だが、
実際は満州国承認をめぐって国際連盟脱退の袋小路に嵌り込んだ。
このあたりは(松岡演説の映像を含め)悲劇を通り越して喜劇と言うべき。
当時の国際外交の相場でも、極東で番を張る日本のプレゼンスは決して低くはないだろう。
だが、「多国間協議は厭」「瀬戸際外交ヨロピク」では将来性ゼロだ。
売りつける技術も資源も無しに「困ったチャン」路線を貫ける筈も無い。

マキアベリズムだって万能じゃない。
英国が大陸を眺める際の冷徹なパースペクティブとは、そもそも次元が違うと思われ。
825名無し三等兵:2007/08/09(木) 20:45:00 ID:Ks00X6mS
正直、大陸打通作戦なんかやらなくて延安侵攻作戦をやるべきだったと思う。そうすれば
東条英機か誰かが言ってた「世界の害虫共産主義は駆除しないといけない」を実行に移す絶好の機会
だったのに。共産党の中国統一が無ければもう少し日本にとってもよい国になっただろうし
中国人から見てもいい結果になったはずだ。脅威であることに変わりは無いが、あんな人権無視の
困った国にはなってなかっただろう。
台湾に逃れたのが共産党なら即効で断交すればいいだけの話しだし。
826名無し三等兵:2007/08/09(木) 20:46:57 ID:???
(^o^)ノ < もっと銀本位立てろクズどもー
827南京大殺:2007/08/09(木) 20:51:38 ID:/DEZYLaK
東郷平八郎と乃木どっちが強い?
828だつお:2007/08/09(木) 21:25:36 ID:BzMoEMFR
 1945年6月30日、蒋介石の一族、行政院院長宋子文はモスクワに到着し、
中ソ両国政府間の秘密交渉を開始した。交渉の背後にはアメリカの影が付きまと
っていた。交渉が始まる前に、アメリカ政府は中ソ双方に対し、「(アメリカ
政府は)ヤルタ協定を結んだ一員として、ソ連と中国との間で最後の協定が結ば
れる前に相談を受けたい。アメリカの立場は、ヤルタ協定は足しことも引くこと
もなく正確に遵守されるべきだというものである」と通告した。
<「一九四五年 満州進軍 日ソ戦と毛沢東の戦略」(徐 焔著・朱建栄訳)>

 陸軍長官のヘンリー・L・ステムソンは、マーシャルの意見に同意したばかりか、
さらに一歩前進していた。もしスチルウェルを召還するならば、彼と交代して中国
に派遣される者と蒋介石との関係を阻害する、重大な過失をおかすことになる、
という意見を、ルーズベルトに提出した。
 陸軍省内のおおくの人間の意見を総合して、スチムソンは、蒋介石とシェンノ
ートに対抗して、スチルウェルを支持しなかったのは、ルーズベルトの失敗である、
となげいた。スチムソンは、シェンノートを、“最低の貢献で最大の援助をアメリカ
からひきだすために、蒋介石の手さきとして使われた男”と見ていた。

http://www.tom-jerry.com/tomandjerry%20museum/taisen3.htm
「日中航空決戦」(ロナルド・ハイファーマン)より
829だつお:2007/08/09(木) 21:29:55 ID:BzMoEMFR
1937年7月31日、蒋介石は汪兆銘の「最後の関頭」演説を発表する。
狙いは、全国民に、両者の一致提携を印象づけることにあった。その「最後の関頭」
という演説は次のようであった。松本重治「上海時代」から引用する。
《すでに最後の関頭に至れば、絶大の決心と勇気をもって犠牲をなすべきである。
・・・・・・吾人が自己を供するのみにあらず、全国同胞を一斉に犠牲に供する
ことを意味する。(略)中国人の一人をも、一塊の土をも、灰燼に帰せしめて、
敵の手に渡さぬ決意である。(略)大小都市の論なく、これを灰燼に帰せ
しめねばならぬ。(略)一物も得させてはならない》
830俄将軍:2007/08/09(木) 23:38:28 ID:???
>>825
中国大陸が、赤化していなかったならば、GHQに、日本は、フィリピン化さ
れていた、ということになるようでは、などと、嘯いてみたり。
831イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/09(木) 23:42:08 ID:sHKh0qEm
>>823 >>日本の悲劇は中国大陸にパートナーとなる相手が居らず
>>直接関与しなければならなかった事ではないか。

そのための「北支分治工作」です。ただ日本の支那に対する目は、資源目的であり
市場目的であり、果ては英国に対するインドのような願望があったと思います。
パートナーというよりは植民地でしょうw。要するに「草刈場」です。

ただWW1で既に植民地は『死語』に成りかけていましたから(その結果、委任統治
領の概念が生まれる)、後発組の日本はいろいろ苦労する訳です。

>>824 >>「パートナー」なる概念は120歩譲っても抱いてなかった希ガス。

まあ、たかだか『軍閥』相手にパートナーも糞も無いでしょう。イギリスから見た
日露戦争前の日本ぐらいは利用価値が欲しいものですw。
832イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/10(金) 00:03:05 ID:k/5qwv2A
まあ、この辺りは1920年代の「支那課」の活動を振り返るのが吉です。例えば
『支那派遣軍総司令官 岡村寧次大将』(河出書房新社)などは、在支武官時代の
岡村の日記を摘出しており、最適な資料の1つと云えます。

満州での「パートナー」としては、張作霖で1回失敗していますから、反動も
大きかったと思います。その結果としての、満州事変や北支分治工作な訳です。

>>825 >>正直、大陸打通作戦なんかやらなくて延安侵攻作戦をやるべきだったと思う。

まあ、大陸打通作戦の前半戦(京漢作戦)で洛陽までは陥落させています。次回テーマ
候補の「重慶攻略作戦」では西安も攻略予定ですから、もう少し寄り道すれば延安だって
落とせるでしょうw。

このスレで何度も言っているように、日本の最大の戦争犯罪は「大陸に中共政権を
生み出したこと」ですw。
833イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/10(金) 00:18:39 ID:k/5qwv2A
>>829 >>1937年7月31日、蒋介石は汪兆銘の「最後の関頭」演説を発表する。

参考までに、蒋介石のもう1つの「最後の関頭」演説を紹介すると以下の通り。
1935年11月16日、国民党第5回全国代表大会の政治報告からです――。

「和平未だ完全絶望に至らざれば、決して和平を放棄せず。犠牲未だ最後の関頭に
 至らざれば、また軽々しく犠牲を言わず。吾人未だ最後の関頭には立ちおらず」

まあ、「北支分治工作」の真っ最中の時期ですが、支那側からみた「北支分治工作」を
テーマとして取り上げても面白いかもしれません。少なくとも『蒋介石 マクロヒストリー
史観から読む蒋介石日記』(東方書店、黄仁宇著)を読んだときは「結構いけるかも」
と思いました。今以上に輪をかけて、無茶苦茶マイナーな話になりますがw。
834中華小娘 紅美鈴 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/10(金) 00:24:37 ID:???
>>833 >>支那側からみた「北支分治工作」をテーマとして取り上げても
>>面白いかもしれません。

   , --─- 、
  (       '、
  i ゛'‐-ー‐' "i
  i      i!     あまりの悲惨さに、もう涙なしでは読めない
  |      .|,〉    内容ですよ…w。
  レノλルリレ,j
   └i_,ィ_ァ'
835イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/10(金) 00:32:53 ID:???
【修整】>>832

△満州での「パートナー」としては、張作霖で1回失敗していますから、
◎満州での「パートナー」としては、張作霖と息子の学良で1回失敗していますから
836イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/10(金) 00:49:50 ID:???
ちょっと今夜は、フジテレビで『モノノ怪』がやるので殴り書きでしたw。
837名無し三等兵:2007/08/10(金) 03:14:37 ID:???
ドラマ24みたいにリアルタイムな作りで西安事件を再現してくれたら面白いのが出来そう
838名無し三等兵:2007/08/10(金) 21:56:10 ID:???
今日NHKで見てた出すけど、結構毒ガス使ってたですね
839名無し三等兵:2007/08/10(金) 22:16:55 ID:???
切羽詰った状況とはいえ、あんなに堂々とイペリット使ってたのかよ
840イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/11(土) 01:27:07 ID:PKjxYaY5
>>837 >>ドラマ24みたいにリアルタイムな作りで西安事件を再現してくれたら
>>面白いのが出来そう

最近このスレにも『行き詰まり』を感じていましたので、そのネタ頂きます。
「重慶攻略作戦」ぐらいしか次テーマの候補が思い当たらなかったので。

西安事件をやるかどうかは分かりませんが、24(トゥエンティフォー)仕立て
というのは切り口として面白いかも。ちょっと資料を探してみます。

>>838 >>今日NHKで見てた出すけど、結構毒ガス使ってたですね
>>839 >>切羽詰った状況とはいえ、あんなに堂々とイペリット使ってたのかよ

帰って来たのが今頃なので、思い切り見過ごしました…orz. それは支那での話
ですかね? まあ、緒戦の「武漢攻略作戦」などでもよく使っていましたけど。
化学戦もテーマで取り上げられるように勉強します……。
841イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/11(土) 01:40:43 ID:PKjxYaY5
例えば、『あか弾』(くしゃみ性・嘔吐性ガス)ですが、武漢攻略作戦では
375回使用されたと云います。

中支那派遣軍司令部による「武漢攻略戦における化学戦実施報告」を引っ張って
くると、以下の通り。

●特殊煙の効果ならびに成果利用の状況

 防護装備ならびに防護教育、劣等なる支那軍に対しては、特殊煙は極めて
 有効にして、その少量の使用するも敵を戦闘不能ならしめ、その射撃に対し
 予期以上の効果を収めたること少なからず。

 特に精神的効果は顕著なるにありて、我の発煙を認めて直ちに陣地を
 放棄せる例あり。作戦初期においては使用ならびに成果の直接利用は
 十分とは認め難きものありしも、教育指導の体験を重んずるに伴い
 漸次良好となれり。
842JY:2007/08/11(土) 01:47:36 ID:???
センセイはやはり17日は朝から時空要塞に・・・なのでしょうか・・・
843名無し三等兵:2007/08/11(土) 01:50:43 ID:???
適当に見ていただけだが、「き」を打通作戦行った際に衝陽でも使ってたな。
その時に大本営からの「き」使用の中止命令の電報を英軍が傍受していた。
「あか」n使用はまあ常識になってたみたい。

ただ東京裁判では米国政府の思惑により、日本軍のそれは無かった事にしてアメリカの研究機関が全てを頂いた
844イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/11(土) 01:52:25 ID:PKjxYaY5
 実施総回数は375回を下らず。その約8割は成功し、約2割は成果
 十分ならざるものとす――。

まあ、要するに武漢攻略作戦における日本軍の攻撃パターンは、『あか弾』を
支那陣地向けて撃ち込み、土人兵がガスを吸い込んで中毒症状を起こしている
ときに、すかさず銃剣で突撃し全滅させるというものでした。

つーか、今日のNHKはまた直近の深夜とかに再放送しないですかね?w
845名無し三等兵:2007/08/11(土) 01:55:45 ID:???
ハイビジョン特集はBS1で再放送を必ずやってる
846イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/11(土) 02:10:01 ID:PKjxYaY5
>>843 >>「あか」n使用はまあ常識になってたみたい。

その点は同意です。『きい弾』の使用例も探せば少数見つかりますが、
難戦だった「衡陽攻略戦」なら、さもありなんでしょうw。
847イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/11(土) 02:16:57 ID:???
>>842 >>センセイはやはり17日は朝から時空要塞に・・・なのでしょうか・・・

ノンノン。16日の深夜から超時空要塞に・・・の間違いですw。

今きりきり舞いして仕事を終わらせていますが(明日もw)、何か前日に
突発事故が起こるのではないかと心配でしょうがありません。山場はもう
越えましたが……。

>>845 >>ハイビジョン特集はBS1で再放送を必ずやってる

サンクス。でも自分のは、11年前に買った20インチのソニーの
『テレビデオ』が現役で頑張っておりましてBSは見れないのですw。
848イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/11(土) 02:37:27 ID:???
>>822 >>ここまでで、ようやくプロローグが終了というところね。『Fate/stay
>>night』に喩えるなら、ちょうどオープニング曲が始まったカンジだわw。

  .「^ヽ,ry'^i    夢に見ていた あの日の影に 届かない叫び 
  ,ゝ"´ ⌒`ヽ    明日の自分は なんて描いても 消えない願いに濡れる   
 くi Lノノハノ)」     こぼれ落ちる欠片を 掴むその手で
  λ.[i ゚ ヮ゚ノi!    揺れる心抱えて 飛び込んでけ 夜へ… 
  レ',ヘ.i`ム'」つ    誰かを当てにしても 求めるものじゃないのだから  
  ,く_,//T.iλ     本当の自分はここにいるって 目を閉じないで  
  "ーr_,t_ァ'"    
            誰かの為に生きて この瞬間だけが全てでいいでしょう
            見せかけの自分はそっと捨てて ただ在りのままで…♪  
849イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/11(土) 02:59:48 ID:PKjxYaY5
>>821 >>まあ、いわゆる『発展的解消』というヤツですよ(核藁)。

さてプロローグからの続きですw。坂田誠盛が「阿片の世界」から消えていった
(ヘロインの製造だけに事業を絞った)ところまで述べましたが、その理由として
坂田自身が利権で『腐っていった』ことが挙げられます。

上海租界にある「ルイ王朝風の大豪邸」を根城にして贅沢三昧の坂田の暮らしぶりは
周りの軍人たちの反感を買い、次第に誰も近づかなくなったと云います――。さらに
一説には、終戦時に坂田は50億円もの現金を持っていたともされます。

上海憲兵隊特高課長だった林秀澄は坂田について、

●「軍部に取り付いた寄生虫。ああいう輩にたかられていたから日本軍は
  ろくなことをしなかった」と散々な評価です。
850名無し三等兵:2007/08/11(土) 03:05:46 ID:???

       , ー-、        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      ノ==、_ヽ       |  徹夜禁止!
   /´ ,     `\    乂____________
.  イ ///_`\ , ヽ     /
   ! | ヒフ  ヒフ |メi 、ゝ    /   ̄  -- ____  \ | /  --  ̄
    リ.""ィ^i、"".|メ|)´    /  ──────‐‐‐‐  。 ← イナゾウ中佐
   〈^ヽ‐|_,レ'^)'´リ    /__ ──‐‐‐  ̄ ̄ ̄      ‐‐ -- ____
   / \ \ ∠´姫}    /                / / |  \        ̄
   「「 `>、  `)_,ノ   /.       ┌=┐  /   / , |   \
    7ー'i n\ノ 〈.   /.       , '´=' `ヽ.   /  |    \
   く┬|/r\|┬'  /        ノ     ,ix}   /     |      \
     /  }:}   )  /.         _'ヘ 'ノノ(リノ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄     __/姫}i  `く       人
   ,. ,. -‐===‐-   `つ/ >イ ゙ = 、ノ}     <  >            ン
 〃〃〃〃        / / ノ`ー 、_ゞ       Y            ,イ
_____ _      __,/ /  /´   ;|   .─┼─┐─┼─  /_ ィ´
::::::::::::::〈  二ニ[lニl]ニニニ) ノニニニ{  、,   }ニニl   │  │─┼─ /|   |
851イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/11(土) 03:17:51 ID:PKjxYaY5
しかし前にも述べた通り、坂田は1900年生まれ――。人間的に『腐った』
とされて阿片密売から外れた時には、まだ若干35〜6歳でしかありません。

終戦時に50億円もの現金を持っていた時でも45歳でしか無いのです。
いかに早熟過ぎたことが分かるでしょう。ホリエモンと何かイメージが
被るのは自分だけでしょうかw。
>>851 >>人間的に『腐った』とされて阿片密売から外れた時、まだ若干35〜6歳

      ,  ‐‐-、___
    /   ., '´⌒⌒ヽ
   ./   、 i´ )ノ)ノ))ハ)    
   ||     メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl)  まあ、いい年して『腐る』どころか、
   ヽ.   _Q)#」ネl」)つ   「実も花もつけられない人間」が今の時代
      ̄ ,<´_#,#ハ     多いんだから、そんな油虫のように
        ` "i_フ_フ"     言うことないんじゃない?w
853名無し三等兵:2007/08/11(土) 10:52:38 ID:???
大陸打通作戦よりも、なぜ南支の航空基地を潰して南方輸送路の保全をしなかったのか、理解に苦しむ。
米潜水艦に加え、南支から飛び立つ米陸軍航空隊による輸送船団被害はバカにならなかったのに。
854名無し三等兵:2007/08/11(土) 14:06:24 ID:???
BShi 8月10日(金) 後8:00〜9:50

(再放送)BShi 8月13日(月)後1:00〜2:50
(地上波)NHK教育 ETV特集 9月2日(日)後10:00〜11:30
http://blog.care-mirai.net/?cid=18410
855イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/12(日) 23:35:59 ID:1k65wuDT
>>854 激サンクス。教育テレビでやるのを気長に待っています。
856イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/12(日) 23:53:49 ID:1k65wuDT
>>853 >>大陸打通作戦よりも、なぜ南支の航空基地を潰して南方輸送路の
>>保全をしなかったのか、理解に苦しむ。

へ?『大陸打通作戦』(一号作戦)の主目的は在支米空軍基地の覆滅ですけど?

ヒデキ(首相兼陸相)が作戦計画案に同意するとき、●「敵航空基地の覆滅」
●「大陸打通」●「重慶軍の撃破」などが並列されているのに対して、

『作戦目的を単純明瞭にし、航空基地の覆滅一本に徹底するよう』指導したうえで
同意しています。

また杉山参謀総長もこれを受けて、作戦計画を天皇に上奏する際「敵飛行場群を覆滅し
本土および東支那海の安全を期すのが第1の目的で、副目的として大陸を打通し、海上
交通が遮断されても南方との輸送確保を期している」と説明しています。

そして実際、衡陽飛行場、桂林飛行場、遂川飛行場などを占領しています。
857イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/13(月) 00:10:25 ID:RBt/K6pU
た〜だ〜し。作戦部長だった真田穣一郎(少将)や同じく作戦課長だった
服部卓四郎(大佐)は、在支米空軍の飛行場覆滅よりも『大陸打通』に対して
非常に強い拘りを持ち続け、さらに主役である支那派遣軍も世紀の一大作戦に
積極的だったため、一筋縄ではいかない訳です。

ヒデキは「大陸打通作戦」開始後にも、支那派遣軍の作戦計画について
真田穣一郎作戦部長に次のような不満を述べています。

「今度の作戦を聞いていると、依然として従来の対支作戦なり。西南支那に
 おける『F』(敵)の『♯』(飛行場)の覆滅の計画がない――」

さらにヒデキは支那派遣軍への「お目付け役」として、秦彦三郎参謀次長を
1944年6月初旬に派遣しています。ヒデキはこの頃には参謀総長も兼任
していましたが(1944年2月)、秦はヒデキの意向として次のように畑俊六
支那派遣軍司令官に伝えています。
858イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/13(月) 00:18:46 ID:RBt/K6pU
「第11軍の作戦計画を見ると、敵兵力殲滅に重点がある様である。今や重慶軍の
 中身は全く米英軍であるから、敵飛行場の覆滅をもって主なる作戦目的とし、
 必要であれば衡陽〜広州間の粤漢鉄道打通は『これを中止しても可』である。

 遂川、南陽、の如き敵飛行場の覆滅を実施するよう研究されたし」
859イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
要するに大陸打通作戦は、●「敵飛行場の覆滅」と●「南方との陸上連絡路の確保」
という2つの目的がどっちつかずになってしまった訳です。

ヒデキが陸相(兼首相)でしかなかった時であれば、統帥部(作戦)が言うことを
聞かないというのも有り得ますが、もうこの頃にはヒデキは参謀総長を兼ねています。
それでも真田や服部らが不服従というかサボタージュをするのは只事ではありません。

はっきり言ってしまえば、ヒデキは「敵飛行場を覆滅して本土空襲(および海上輸送路)
を阻止する」だけに割り切っていたのに対して、

真田作戦部長や服部作戦課長らは、●『太平洋方面の劣勢を大陸作戦によって挽回できる』
という根強い思想を抱いていたことによります。ぶっちゃけヒデキは現実的(消極的)
だったとも云えますし、真田たちは「過剰な望み」を打通作戦に期待していたと云える
でしょう。