日本の戦国時代の合戦の虚像と真実5

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1名無し三等兵
大河ドラマ・司馬歴史小説等、さまざまに流布している戦国時代合戦のイメージは、不正確極まりないものとされています。
真実はどうなんでしょうか?
軍事的な知識を多くお持ちの皆さんで論じ合いましょう。
 ・日本だけではなく、同時代の他国の状況との対比
 ・前史としての 律令制→室町中期 との比較
 ・後史としての 江戸時代と黒船来航以降の幕末戦争 との対比
など積極的に話題を提供してください。


※注意
少佐及び某研究者は書き込み禁止、もし書き込んでも徹底スルー
少佐及び某研究者に関わる奴は同類
2名無し三等兵:2007/03/22(木) 03:35:28 ID:???
>>1
日本史板へ池
3名無し三等兵:2007/03/22(木) 03:36:01 ID:???
過去ログ

日本の戦国時代 合戦の虚像と実像
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1128176890/
日本の戦国時代 合戦の虚像と真実2
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1147453486/
日本の戦国時代の合戦の虚像と真実3
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1152990829/
日本の戦国時代!合戦の虚像と真実3!!!!
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1151860317/
日本の戦国時代の合戦の虚像と真実4
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1167608720/

姉妹スレ(戦国時代板)
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150781368/
4:2007/03/22(木) 03:45:10 ID:???
テンプレ張るのが遅くて変なのに割り込まれた
スマンm(_ _)m
5名無し三等兵:2007/03/22(木) 06:50:55 ID:???
>>1>>4
韓国の虚像と真実と比べれば誤差に等しい
目のつけどころが板違い
お前の自演雑談板じゃないんだ
6名無し三等兵:2007/03/22(木) 08:39:15 ID:???
過去を嘲る者は過去に敗れる。
ローマ軍や戦国時代の戦争が軍事板の話題でなくて何だというのか。
7名無し三等兵:2007/03/22(木) 08:43:28 ID:???
>>1

>>2>>5
荒らしはオマエ
戦国時代の合戦が軍事じゃなくて何だと思ってるんだ?
オマエの理論で行くと
過去の戦争>歴史系板
現代の戦争>政治系板
この板の存在意義ってナニヨ?
8名無し三等兵:2007/03/22(木) 10:15:54 ID:???
>>5
ここは古今東西の軍事を扱う板だ。韓国の話だけしたいなら極東板にでも行け
9名無し三等兵:2007/03/22(木) 21:23:40 ID:???
板違い
1 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/01/01(月) 08:45:20 ID:7AA0QutU
大河ドラマ・司馬歴史小説等、さまざまに流布している戦国時代合戦のイメージは、不正確極まりないものとされています。

5 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/01/01(月) 18:10:15 ID:7AA0QutU
スレ復活したのか
とりあえず。今年の大河ドラマで登場して
話題になるであろう
武田騎馬軍団の実態について語りましょうか
11名無し三等兵:2007/03/23(金) 03:01:36 ID:???
とりあえず前スレにあった
江戸初期の酒井家の備の編成
張っておきますね(ミスと思われる弓組は修正しときました)

騎馬組・・・侍22人、奉公人58人(計80人) 乗馬22頭(計22頭)
鉄砲組1・・・侍1人、奉公人5人、足軽36人、人夫11人、口取2人(計55人) 乗馬1頭、駄馬2頭(計3頭)
鉄砲組2・・・侍1人、奉公人4人、足軽36人、人夫11人、口取2人(計54人) 乗馬1頭、駄馬2頭(計3頭)
長柄組・・・侍1人、奉公人2人、足軽30人、人夫3人、口取2人(計38人) 乗馬1頭、駄馬2頭(計3頭)
弓組・・・侍1人、奉公人4人、足軽19人、人夫5人、口取1人(計30人) 乗馬1頭、駄馬1頭(計2頭)
軍監・目付・・・侍3人、奉公人5人、口取1人(計9人) 乗馬2頭、駄馬1頭(計3頭)
(各組の戦果や働きを観察指導する役目)
太鼓・貝・・・侍2人、人夫3人、口取1人(計6人) 駄馬1頭(計1頭)
(各組に号令のための太鼓や貝をならす)
侍大将・・・侍1人、奉公人27人、口取4人(計32人) 乗馬2頭、駄馬4頭(計6頭)
(備の大将・本陣の場合大名自身・その他の場合家老などの重臣が勤める)
荷駄・・・侍1人、奉公人2人、足軽4人、人夫2人、口取8人(計17人) 乗馬1頭、駄馬8頭(計9頭)
(荷駄組は戦況や状況によって大きく人数・駄馬の数が変わる)
旗差・馬印・・・侍2人、奉公人5人、足軽16人、中間5人、人夫4人、口取1人(計33人) 乗馬1頭、駄馬1頭(計2頭) 

備全体の総人数は
侍35人、奉公人112人、足軽141人、中間5人、人夫39人、口取22人(計354人) 乗馬32頭、駄馬22頭(計54頭)
12名無し三等兵:2007/03/23(金) 04:54:47 ID:???
酒井家の備は一つだけじゃないよね?
13某研究者:2007/03/23(金) 07:31:05 ID:xdVB+USf
http://homepage2.nifty.com/kousyuryu-kisya/kachukishakou/ss03.html
>鎧は長時間着用していると自然と隙間があいてくるものだが、身体を揺さぶることでこの隙間を正すことができる。この行為を「鎧つき」という。射向け姿勢と並んで防御の勘所と言えよう。

此れで隙間は完全に
埋まるのかどうかだが

>鞍の前輪・後輪ごと射通す、

鞍と鎧を同時に貫かれる例も
有った訳だろうか
14某研究者:2007/03/23(金) 11:53:39 ID:oLvt9eKN
http://meteoroid.exblog.jp/959078/
>鍵槍
>関ヶ原の合戦で使われた槍の8〜9割がこれであるという。

此れは驚いたし
鍵槍等と言う難しい武器を
使いこなせる兵が多かったのだろうか
(此れと管槍と組み合わせた物も
 有ったのかどうかだが
 長さは6m等の物が大半だったのか
 どうかだが)
15某研究者:2007/03/23(金) 13:03:43 ID:oLvt9eKN
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/museum/meihin/014.html
シールドウォールの様な物が
右側に見えるが
備えに何枚盾或いは竹束は
有ったのかどうかだが
16某研究者:2007/03/23(金) 13:05:41 ID:oLvt9eKN
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/museum/meihin/012.html
上は盾が可也置いて有るが
城の付近には盾が多数描かれて居る絵も
多いだろうか
17某研究者:2007/03/23(金) 13:09:43 ID:oLvt9eKN
http://bunka.nii.ac.jp/ResultImage.do?heritageId=19604&imageNum=1&linkType=huge
可也盾も使われて居る様に見えるが
効果的に使用されて居たのか
どうかだが
18某研究者:2007/03/23(金) 13:13:13 ID:oLvt9eKN
http://bunka.nii.ac.jp/ResultImage.do?heritageId=19604&imageNum=5&linkType=huge
可也乱戦に成って居る様に見えるが
盾が長巻きや大太刀等で割られると言う事も
多かったかも知れぬし
盾を割る為の矢や
盾を崩すための刃の無い槍と言うのも
有っただろうか
19某研究者:2007/03/23(金) 13:35:11 ID:oLvt9eKN
http://www.mfa.org/collections/sub.asp?key=22&subkey=10
半首を装備している騎馬武者と言うのも
結構居た訳だろうし
大鎧を着た徒歩武者も
大鎧がこの時点では下馬先頭に対応して
腰が絞られているから
居たと言う事だろうか
20某研究者:2007/03/23(金) 13:43:40 ID:oLvt9eKN
中央右下の長巻を持つ兵は
徒歩武者なのかだが
徒歩武者でも袖の付いた鎧を装備している者は
居た訳だろうか
21某研究者:2007/03/23(金) 13:53:19 ID:oLvt9eKN
http://figal-sensei.org/hist157/Text/heijiemaki02.html
首が長巻に括り付けられて居る絵も
有るが

http://figal-sensei.org/hist157/Text/heijiemaki04.html
女が踏み潰されて居たり
余りに本当の事が描かれ過ぎて居て
気味が悪いだろうか
22某研究者:2007/03/23(金) 14:00:12 ID:oLvt9eKN
http://figal-sensei.org/hist157/Text/ev3heiji2.html
此れも余りにリアルだろうが
斬首には短刀を使用して居たと言う
事だろうが
戦国時代はどうなのだろうか
(複数人で一人を抑えての斬首等と言うのは
 西欧の絵には無いかも知れぬが)
23名無し三等兵:2007/03/23(金) 16:05:39 ID:???
>>12
例としてあげた一つみたいですね
どうやら本陣備でもないみたいです
24名無し三等兵:2007/03/23(金) 21:16:19 ID:???
549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/03/23(金) 09:51:48 ID:LX0fysZ4
>>544
某研レス数:243/328(レス数/総レス数)
某研発言率:74%

3/4を一人で埋めてるのかよwwwww
25某研究者:2007/03/23(金) 21:39:44 ID:4O0BOPwx
http://pichiska.sakura.ne.jp/jonhadi/upbbs/topics.cgi
>さて、胴について私見を言いますと
>新物は草摺が邪魔だということがあります。
>本歌と違って草摺まで鉄で出来ているので活動の妨げになります。
>革製にするとお値段に響くし、三段か四段にするのもあまりに異製になっちゃいそうだったので揺糸を短くしてもらいました。
>長い揺糸にもともと疑義を感じていましたが、短くしたものを着用してみて長い揺糸の無意味さを再確認できました。
>揺糸を長くするのは鎧櫃の上に飾った時の見栄えの良さ狙いなんじゃないかと思っています。

と有るが
雑兵の貸し具足の揺糸が長いのは
どうなのかだろうし
貸し具足迄飾る際は揺糸を
長くしていたのかどうかだが
長くしても機動性は高まらないと言う
事なのだろうか


http://www.chiba-muse.or.jp/SONAN/kikaku/yoroi/okasip.htm
上の様な貸具足の
揺糸が長いのはどうなのかだろうし
こんな物を飾る為に態々長くして居るのか
どうかだが
26某研究者:2007/03/23(金) 22:20:44 ID:4O0BOPwx
関ヶ原も左近が夜襲を掛けていたら
結果はどう成っていたのかだが
戦況に拠っては毛利等が動いた可能性も
有るのかどうかだが
27名無し三等兵:2007/03/23(金) 22:37:10 ID:???
某研究者=少佐=>>2>>5
確定か・・・

で、前スレの梅干しの話だが
食料にも万能薬にもなっていたようだけど
他にも似たような使われ方したのはどんなのがあるのかな?
28某研究者:2007/03/23(金) 22:43:56 ID:4O0BOPwx
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%B7%A6%E8%BF%91
>しかし、その夜に島津義弘・小西行長らと共に提案した夜襲は、またもや三成に受け入れられずに終わった。
>(夜襲はそもそも進言されていないという説もある。そもそも夜襲を掛けるタイミングとしてはうってつけでありすぎ、逆に見破られる公算も高かった状況である。
>百戦錬磨の猛将が提案するにしては、多少お粗末な感も拭えない。また、夜襲策の出典自体「日本戦史」(旧日本軍参謀本部編)であり、信憑性は低い)

夜襲は提案されて居ないと言う意見も有るし
読まれているから無意味と有るが
毛利の近く等で夜襲を掛けて
毛利参戦を煽ると言う様な事は
出来なかったのかどうかだが
(敵が夜襲を読んで居るにしても
 夜間敵を包囲してから攻撃を掛ければ
 敵を可也混乱させられると言う事は
 無いのかだが
 包囲されぬ様な地形に布陣して居たら
 其の限りでは無いだろうが
 其の様な地形に居れば火計等を受ける可能性も
 有る訳だろうか)
29名無し三等兵:2007/03/23(金) 23:41:48 ID:???
>>27
芋のツルで縄を作って
その縄にミソをしみこませておいて
荷物をその縄で梱包して
現場に着いたらその縄を切って鍋に入れて
みそ汁作って食べた 
とか聞いたことあるけどどうなんだろうね?
30某研究者:2007/03/23(金) 23:49:24 ID:4O0BOPwx
練皮の鎧を食べたと言う事も
恐らく有ったのかどうかだが
31名無し三等兵:2007/03/23(金) 23:58:14 ID:???
>>30
戦の帰りとかだと
必要無くなるし
そういうのもあたかもね
置盾は薪にしたとも言うし
32名無し三等兵:2007/03/24(土) 00:01:04 ID:???
>>29
味噌をしみこませて乾燥させた芋の茎を腰に巻きつけるなどして携行し、煮て食べたという
話はよく聞くが、縄の代わりにしたってのは知らなかった。そんなに強度のあるものだったの
かな?
33名無し三等兵:2007/03/24(土) 00:14:49 ID:???
強度はどうなんでしょうね
軽いものを縛る程度には使えるのかな?
34名無し三等兵:2007/03/24(土) 00:25:04 ID:???
切干大根の三つ編みでも異様な強度を持つから、
編んだりまとめて太くしたりしたら結構な強度が得られるんじゃね?
てか誰か実践してみてくれ。
35名無し三等兵:2007/03/24(土) 01:06:13 ID:???
>>34
あんまり強度もたせすぎたら食うときに困るんじゃね?

それはともかく、荷物を縛るのに使ってたら泥とか埃まみれになりそうな気がする。
36名無し三等兵:2007/03/24(土) 01:12:43 ID:???
『雑兵物語』に「荷縄は味噌で煮た芋の茎をなって作ったもので、刻めば汁の実になるから捨てちゃだめだ」
みたいな意味のことが書いてあるので実際に縄として使ってたんだろう。

しかしこの縄、荷物を馬にくくりつけるのに使ってたものらしいので、味噌だけじゃなくて馬の汗とかもたっぷり
染み込んでそうだなあ……
37名無し三等兵:2007/03/24(土) 01:21:41 ID:???
まあ400〜500年前の当時の衛生概念と
今の衛生概念はだいぶ違ったって事なのかな?
38名無し三等兵:2007/03/24(土) 01:25:09 ID:???
ウチの親の話じゃ1950年代あたりまでは
普通に米に石が入ってたそうだから
感覚は全然違うっぽいな
39名無し三等兵:2007/03/24(土) 02:23:49 ID:???
>>35
しょせん植物なんだから、刃物で切れば簡単に切れるだろ? 適当に切ってほどけばいい。
引っ張りに対する強度と切断に対する強度は違うわけで。
40名無し三等兵:2007/03/24(土) 02:32:47 ID:???
>>39
刃物で切るのはすぐ出来ると思う
>>35が心配してるのは
食べるとき堅くなりすぎて噛むのが大変って事じゃないのか?

みそ汁にして煮込んだら柔らかくなるのかな?
41名無し三等兵:2007/03/24(土) 08:13:18 ID:???
だからネギ入れる時みたいに、細かくきざんで入れればいいんだよ。
42名無し三等兵:2007/03/24(土) 10:08:40 ID:???
wiki「備」作成者だけどこれ以上の詳細が知りたいのなら参考文献「日本軍事史」
を買うか、それの更なる引用元である高木昭作著「日本近世国家史の研究」(絶版)
を図書館から借りてくださいな。
43名無し三等兵:2007/03/24(土) 11:44:59 ID:???
死ねよ
44名無し三等兵:2007/03/24(土) 18:40:40 ID:???
>>42
有り難い。
他にも面白そうな参考文献があるなら是非紹介を。
45某研究者:2007/03/24(土) 21:06:26 ID:DVmmwf4A
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/8740/
上に色々情報は有る様だが
今はサッカー代表戦観戦中なので
後で読みたいと思うが
46名無し三等兵:2007/03/24(土) 22:39:40 ID:???
>>45
有意義なサイトの情報サンクス
っていうか中の人変わりました?(笑)
47某研究者:2007/03/25(日) 01:27:40 ID:EgFFIM/w
相変わらず中村経由で無いと点が取れないが
駒野・加持より
水野・家永の方が攻撃力は上かも知れぬが
(まあ五輪予選が近いので出場時間は
 取れなかったと言うが)
守備力にやや問題が有るかも知れぬが
4バックにでもすれば良いのかどうかだが
48某研究者:2007/03/25(日) 08:06:15 ID:MylYiwGK
http://blogs.yahoo.co.jp/kuramotomami0029/1030821.html
>三成は窮した。狼煙を上げても南宮山・松尾山は動く気配がない。あと一息で家康の本陣に達するかもしれないというのに、島津隊までが動いてくれないのである。
>異例のことではあったが、三成は今度は自分で島津豊久の陣に向かった。しかし豊久は冷たく三成をあしらっている。美濃に集結して以来、三成が島津家に対しての配慮が薄かったことも原因の一つであったと言われる。
>石高に対して動員してきた兵力が少なかったせいであろうか。墨俣に陣する島津隊を置き去りにして大垣城に帰ったこと、夜襲の提案を無視したこと。それらが島津家の心を三成から離れさせていたのである。

兎も角も夜襲を受け入れていれば
島津が動いて家康本陣は壊滅したと言う可能性は
有るのかどうかだが
49名無し三等兵:2007/03/25(日) 08:18:17 ID:???
韓国の虚像と真実をかたるべきだ。
50某研究者:2007/03/25(日) 08:32:12 ID:MylYiwGK
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E3%81%AE%E5%BD%B9
野戦では統制の取れぬ烏合の衆は
やられているだろうし
篭城に徹して敵が弱った所を
包囲殲滅すると言う
方向で良かったのかも知れぬし
弾薬は城の地形を利用すれば
可也節約は可能だっただろうし
弾薬・兵糧共に外部からの搬入も出来た訳だろうか
51某研究者:2007/03/25(日) 08:35:48 ID:MylYiwGK
兵糧攻めでは無く
攻めて来るなら
敵も疲弊するので楽だろうし
城で防戦を行い敵が弱った所で包囲殲滅すると言うのが
セオリーだろうか
52某研究者:2007/03/25(日) 08:38:22 ID:MylYiwGK
>城で防戦を行い敵が弱った所で包囲殲滅すると言うのが
>セオリーだろうか

烏合の衆でもこの程度は可能かも知れぬが
一旦和平と言うのは淀が支配者で有る以上は
避け得なかったのかどうかだが
他の者が支配者なら篭城に徹して
包囲している敵が弱った際に
包囲殲滅すると言う事は無理だったのか
どうかだが
53某研究者:2007/03/25(日) 08:47:48 ID:MylYiwGK
>これらの攻勢に家康本陣は大混乱に陥り後退。後退中、三方ヶ原の戦い以降倒れたことのない家康の馬印を旗奉行は倒した上、家康を見失い(後に旗奉行は詮議され、閉門処分となる)、
>騎馬で逃げる(一説に、平野方面に逃げたと言われている)家康自身も切腹を幾度もなく口走ったという。

城内で兵力を温存しつつ
敵が弱った所を包囲殲滅すれば
家康等簡単に討ち取れたと言う
可能性も有るかも知れぬが


>この間、両者の後詰である筈の大野治長・七手組は秀頼の出馬を待ったが、淀殿の説得に手間取り出馬した頃には本陣に突撃した両隊はすでに撃退されていた。

彼等が早期に出撃していたら
家康は討ち取られて居たのか
どうかだが
54某研究者:2007/03/25(日) 09:11:51 ID:MylYiwGK
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%B9%81
>豊臣氏の敗色が濃厚となる中、信繁は最後の作戦を立てる。それは豊臣方右翼として真田軍、
>左翼として毛利勝永軍を四天王寺・茶臼山付近に陣形し射撃戦と突撃を繰り返し家康の陣形に対し本陣を孤立させ、
>明石全登の軽騎兵団を迂回させ家康本陣を横撃させるというものだった。しかし味方が勝手に射撃を開始してしまった為、作戦を断念せざるを得なくなった。

こんな精密な作戦は雑兵では無理かも知れぬし
篭城して敵が弱った所を
包囲殲滅と言うのが
妥当な所だったかも知れぬし
此れなら雑兵でも出来たかも
知れぬが
55名無し三等兵:2007/03/26(月) 19:09:41 ID:???
屋上庭園での自給自足に必要な面積と土の量
(但し、副食ありの現在の一人当たりの穀物消費量前提なので自給自足には最低水準とする)

水稲耕作なら       50坪  約150平方メートル(但し、屋上で水稲耕作は不可能)
麦、その他の穀物なら 100坪  約300平方メートル
土厚さ30cm、土の比重は1.3で計算して約120トン。

おかずも味噌汁も無く茶碗一杯程度の麦飯を一日2〜3食の生活でも、
●一人当たり300平方メートルの土地
●一人当たり10トントラック12台分の土砂と
●一人の耕地あたり エイブラムス戦車二台分の重量に耐えられる頑強な建築物
56名無し三等兵:2007/03/26(月) 22:23:05 ID:???
>>55
どのスレの誤爆だろう?
57名無し三等兵:2007/03/27(火) 04:08:01 ID:???
穀物戦争スレ・アタリじゃないかな?

まあココでも足軽の食料の話はしていたわけで・・・
58某研究者:2007/03/27(火) 07:47:13 ID:+KpkgSwz
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/8740/militaryhistory/medicine/medicine01.htm
>室町時代後期には南蛮医術が渡来する。日本で最初の銃創治療の記録として、1562年博多において、ポルトガルの外科医師免許を持つルイス・デ・アルメイダの指示を受けた日本人医師によって、弾丸の摘出手術が行われ、僅か15日で全治せしめたという物がある(注2)。

まあ銃創も当たり所に拠っては
可也回復出来た訳だろうか
59某研究者:2007/03/27(火) 07:59:40 ID:+KpkgSwz
>まず応永二三年(1416)の上杉氏憲と足利持氏との戦闘の際に、
>現地の時宗遊行寺(神奈川県藤沢市)の僧侶と近住の人々が、敵味方の区別無しに傷病者の治療と、戦死者の死体の処理と供養を執り行っている。

>また六角義賢と三好長慶との闘争において、少なくとも永禄四〜五年(1561〜62)の間、イエズス会が毎月三名の当番を決めて寄付を募り、慈善活動を行っている。


まあ此れは敵を味方に引き込もうと言う意図も
有った訳だろうか
60某研究者:2007/03/27(火) 08:05:29 ID:+KpkgSwz
> 米六合(約900グラム)
> 塩0.2合(約19グラム)

塩は多過ぎる様にもみえるし
米だけでは蛋白質は
取れるのかだが

>・負傷者を連れて退却する方法
> 主人や味方に怪我人が生じ、連れて退く際に使用する為、長さ一尋(約1.5m)・幅半幅(別項参照)の布を携帯しておく。携帯方法として、具足の上帯もしくは襷にする等がある。

帯は兎も角
襷等付けている兵は
何処迄居るのかだが


>負傷者を運ぶ方法は二通りある。弓鉄砲を射かけられている際には、抱きかかえる様にして、自分の体を盾にする。
>長距離を退く必要が在る際には、困難なので背負っても良い。

まあ近距離から射撃を受ければ
アウトだろうが
身分の高い者を運ぶ場合は
近距離でも抱えて運んだのだろうか
61某研究者:2007/03/27(火) 08:09:43 ID:+KpkgSwz
>・野菜には塩を付ける。塩は諸毒を消す力がある。

塩を大目に携帯しているのは
殺菌の為も有る訳だろうか


>・陣地を築く際は湿地を避ける。湿地では必ず病を生じるのから。

ヘンリー5世の病気がアジャンクールで湿地を利用して
更に悪化したと言う事は無いのかだが
水攻めやクルトレー等でも同様の事は
起きたのかどうかだが
62某研究者:2007/03/27(火) 08:11:33 ID:+KpkgSwz
>・陣地を築く際には、常に水脈を調べる。

水源確保は矢張り
考えて居た訳だろうか

>・火を常時燃やし、毒虫や寒気を払う。

まあ敵に発見される状況では
無いかも知れぬが
ダミーで火を焚くと言う事は
有った訳だろうか


>・煙にむせたら大根汁を飲む。

此れは一体
何の効果が有るのかだが
63某研究者:2007/03/27(火) 08:13:11 ID:+KpkgSwz
>・野営の食事にはニンニク、ネギを用いる。ニンニクは常に腰に常備する。

此れはスタミナ向上及び殺菌効果を
考えての物だろうか

64某研究者:2007/03/27(火) 08:32:07 ID:+KpkgSwz
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/8740/militaryhistory/medicine/medicine03.htm#kinsou
>治療方法:
>(内臓が出かかっている時)

まともな鎧を着て居て
内臓が出る等有るのかだが
鎧の隙間を切り抜かれたり
組み討ちで下からやられた場合だろうか
65某研究者:2007/03/27(火) 08:45:06 ID:+KpkgSwz
>診断:切れた腸の片方しか見えない時はつなぐ事が出来ない。腹痛がして呼吸が激しく、飲食が出来ない者は、傷が大腸ならば一日半、小腸ならば3日で死ぬ。『病原論』

腹を開いて腸を繋ぐと言う事は
この時点では無かった訳だろうか


>もし砕けた骨を取り除かないと、痛みが引かず、血や膿が絶えず、精神を冒されて十分の一しか助からない。

まあ矢張り取り除くだけでは機能が失われる事も
多い訳だろうか
66名無し三等兵:2007/03/29(木) 23:35:35 ID:???
で、梅干しとか縄とか以外には
どんなのがあったのかな?
67某研究者:2007/03/31(土) 17:10:35 ID:KODbUK0y
http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/yoroi/rei/index.htm
兜や頬当てが有る貸し具足も少数有る様だし
脛当てが有る物も有る訳だろうか


>腕も部分の塗りは光沢のある塗料であり、腕を振り回すと動きが大きく見えるように工夫したものと思われる。

塗装での撹乱と言うのも
狙って居た訳だろうか
68某研究者:2007/03/31(土) 17:28:28 ID:KODbUK0y
http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/yumiya/ya/index.htm
>。中央の白い骨製の鏑には股になった大きな矢尻が付いている。水面を滑らし、水鳥を射るためのものと言われている。

此れを対人用に使うのはコストが
高いと言う事かも知れぬが
69某研究者:2007/03/31(土) 18:11:28 ID:KODbUK0y
http://www.yoroi.co.jp/syouhin/l044.html
佩楯上部の綿の白い部分は
草摺の隙間の部分だろうし
この部分の綿は特に厚く成って居ると言う
事かも知れぬが
この部分が鎖の物も確か有っただろうか
(草摺の裏側の佩楯全体が鎖の物も有るが
 無駄に重くは無いのかだが)
70某研究者:2007/03/31(土) 18:17:58 ID:KODbUK0y
http://210.169.219.141/SONAN/kikaku/yoroi/haidate.htm
>膝鎧ともいう。遺物はないが埴輪に表現されているので古墳時代には行われていたらしい。源平時代もあったらしく『平治物語絵巻』に描かれ、かつて足利尊氏像と伝えられた馬上野太刀画像にも描かれているので南北朝時代には小袴式の佩楯があったとされる。

源平時代に佩楯が有ったとは知らなかったが
使用は小数だったのだろうか
71某研究者:2007/03/31(土) 18:36:30 ID:KODbUK0y
http://www.emuseum.jp/cgi/cmap.cgi?I=w051s001g005&T=x02y02&K=2
上には確かに佩楯の有る騎馬武者が描かれて居るが
2つに分かれた形態だろうし
後世の物とは違うが
当時に描かれた物なのかどうかだが
72某研究者 :2007/03/31(土) 18:45:38 ID:???
現在は一瞬のうちに過去となり
誰もがいつかは死に

運命は人智を越えて荒れ狂う
それが当然といわんばかりに

私はそんなこの世の全てを憎む!
熱力学第二法則を憎む!
73某研究者:2007/03/31(土) 19:19:15 ID:KODbUK0y
http://www.mfa.org/collections/sub.asp?key=22&subkey=109
上の平治物語絵巻にも
同種の佩楯が可也描かれて居るが
全員装備している訳でも無い様だが
地位に拠って装備されると言う事でも
無いかも知れぬが
74名無し三等兵:2007/03/31(土) 19:20:36 ID:???
>>72
漫画板・木城スレに帰ろう、な?
75某研究者:2007/03/31(土) 19:32:51 ID:KODbUK0y
http://learn.bowdoin.edu/heijiscroll/viewer.html
平治物語絵巻は上の方が見易いだろうが
腿は兎も角膝の部分の装甲と言うのはこの時点(12世紀)では
無い訳だろうか
76某研究者:2007/03/31(土) 19:53:35 ID:KODbUK0y
徒歩武者でも大鎧や星兜を被っている兵が多いが
此れは奪った物なのだろか
77某研究者:2007/03/31(土) 20:44:58 ID:KODbUK0y
http://atpaint.jp/boukenkyuusha2/potiboard.php?res=685
鎌倉時代の佩楯は上の様に
草摺にでは無く
腿の部分の袴等に直接縫い付けられているのか
どうかだが
脛当ての無い騎馬武者と言うのも
居る訳だろうか
78某研究者:2007/03/31(土) 21:09:47 ID:KODbUK0y
Heiji Monogatari Emaki
(Tale of the Heiji Rebellion)
Night Attack on the Sanjo Palace from the Illustrated Scrolls of the Events of the Heiji Era.

Japanese, Kamakura period,
second half of the 13th century

と有るから
13世紀の絵と言う事かも知れぬが
蒙古襲来時には既に佩楯は
有ったのかどうかだが
79某研究者:2007/03/31(土) 21:49:21 ID:KODbUK0y
http://www.interq.or.jp/pure/miyatate/wforum/wforum2001/2001.3.21.htm
>三浦  「桶側鎧(胴)」とは「横矧胴」の俗称で、鉄板もしくは革板を上下に矧ぎ合わせて作られた胴をいいます。一般にこうしいた胴の形態は当世具足に多くみられ、
>言うまでもなく江戸期のものがほとんどです。天正後年に東国で漸くこうした形態を示す最上胴が発生します。少なくても天文や永禄の頃には発生していないと思います。当時は尾張に限らず胴丸、腹巻が流行した全盛期であります。

天正(1573−1591)以前には
最上胴の様な胴は無く
桶側胴も江戸時代と言う事かも知れぬが
南蛮胴は天正には有った訳だろうか
80某研究者:2007/03/31(土) 21:55:36 ID:KODbUK0y
http://www.interq.or.jp/pure/miyatate/wforum/wforum2001/2001.3.21.htm
>相馬でも、『家の新築は三代の稼ぎ、甲冑の新装は五代分の稼ぎが吹っ飛ぶ』といい、殿様と城代家老くらいしか代替わりに甲冑の新調は出来なかった。
> 野馬追いの甲冑も調べると兜の鉢が鎌倉、胴は室町、籠手脛当は江戸後期、と言うように各時代の改造と寄せ集め。戦国時代の中級以下の武士も同じ様な物で
>仕返し(scrap and build)に、倒した敵の甲冑のパーツを組み合わせたりして適当にやっていたらしい。

と言うのが現実かも知れぬが
西欧ではどうなのだろうか
81名無し三等兵:2007/03/31(土) 23:55:42 ID:???

日本の戦国時代 合戦の虚像と真実
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150781368/

某研台風からの避難所
82某研究者:2007/04/01(日) 06:03:17 ID:SYF8a5mC
>かつて足利尊氏像と伝えられた馬上野太刀画像にも描かれているので南北朝時代には小袴式の佩楯があったとされる。

http://ashikagatakauji.gozaru.jp/
上の絵だろうが
腿の側面にしか装甲が無い様にも見えるが
どうなのだろうか
83某研究者:2007/04/01(日) 06:40:18 ID:SYF8a5mC
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E8%BF%BD%E7%89%A9
カムイ伝では犬追物で犬を撃ち殺していたが
実際は殺して居なかったと言う事だろうが
(私も此れは嘘であり
 現実には犬は殺して居ないと思っていたが
 矢張りだろうか)
目に矢が当たる等の危険も有るだろうが
犬は元々視力は無いだろうし
片方残ればだろうか
84某研究者:2007/04/01(日) 07:00:14 ID:SYF8a5mC
http://homepage2.nifty.com/kousyuryu-kisya/bajyoubugei.htm
>武者右
>右手の手綱も放し、進行方向左手目標物を今にも狙おうとしているかに見える。が、目線は後方に向けられているので、後方に備えた警戒状態ではないかと考えられる。
>顔を伏せ冑を傾け、弱点である内兜(顔部分)を射られないよう防ぎながら弓を番えいつでも引き放てる状態で馬を馳せている。体を伏せることで己の注意の向いていない前方からも極力防御される。
>この武者は完全に手綱を放している上に後ろを見ている訳であるが、少し前を並走している「武者左」は手綱を持って馬を御しているので、馬の習性として自然それに付いてくる後ろの馬もまとめて制御されているようなものである。
>2騎が前・後と警戒方向を分けたうえで武者左が武者右の進行方向への目と先導も兼ねるという、要領よい共同作業のようにも見える。

上は全周に対する防御の構え

>武者左
>したがってこの状態は全方向への対処の早さという点においては非常に効率の良い構えであると考える。

此れは全周に対する攻撃の構えと言う
事だろうか
85名無し三等兵:2007/04/01(日) 08:52:06 ID:???
で今年の大河ドラマどんな感じ?
皆さんの意見を聞かせて
86名無し三等兵:2007/04/01(日) 09:43:26 ID:???
>>85
武田晴信の面が気に入らん
87名無し三等兵:2007/04/01(日) 10:35:34 ID:???
>>85
あまり詳しく見てない。
大河は主人公側を善にしすぎるイメージがあって。

信虎 DQNで甲斐の国に負担を掛ける外征ばっかりする悪い人
晴信 甲斐の国の人の生活を考えるやさしいご主人さま

みたいなイメージで描かれているようでどうも。やっていることは変わらないと思うんだけどな。

信虎追放後の諏訪侵攻なんかは、諏訪側が悪いってことにするのかなー。
88某研究者:2007/04/01(日) 12:49:48 ID:VCxayPwz
http://www.interq.or.jp/pure/miyatate/wforum/wforum2001/2001.5.4.htm
>野崎 山形県教育委員会編『山形県の甲冑』によると宮坂考古館の前田慶次郎の甲冑は同型の物が県内の個人蔵としてもう一両あるとされています。
>二つも作ったのでしょうかね。 
>よく戦国大名の甲冑は同型同大の品が複数あり、伊達政宗公のものも4領あります。着替え用とか影武者用とか言われていますが、本当の所はどうなのでしょうか。

全く同じ物が複数有り
更に違うタイプが複数有る訳だろうか
89某研究者:2007/04/01(日) 12:52:04 ID:VCxayPwz
>信虎追放後の諏訪侵攻なんかは、諏訪側が悪いってことにするのかなー。

戦争を終わらせる為の天下統一等と言う方向に
持って行くか
諏訪側が危険なので叩くと言う様な
方向に成る訳だろうか
90名無し三等兵:2007/04/01(日) 18:43:47 ID:SDyfotTs
90なら木内梨生奈とセックスできる。
90なら去年の天てれの魔法少女姿の木内梨生奈とセックスできる。
90なら競泳水着姿の木内梨生奈とセックスできる。
90ならメイドさんの木内梨生奈とセックスできる。
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90なら透け透けピッチリ胸あきブラウスにタイトミニの女教師ルックの木内梨生奈が生姦&膣内射精させてくれる。
90なら木内梨生奈が結婚してしてくれて、四六時中、淫らなセックスで俺様に御奉仕してくれる。
そして俺様の遺伝子で木内梨生奈が孕んでくれる!
90ならJSFに法則発動
90なら空自の次期F-Xはライノ


※拒否や無効化,棄却、取り消しはできません
91某研究者:2007/04/01(日) 18:53:49 ID:VCxayPwz
http://atpaint.jp/boukenkyuusha2/potiboard.php?res=700
脛当てに臆病板が装備されて居る
騎馬武者も居る様に見えるが
脚伴が黒いだけかも知れぬが
篭手も騎馬武者でも綿だけの物も多いが
徒歩武者の場合は両手に装備している場合も有るし
片手だけの場合も有るが
片手だけ装備している徒歩武者は弓を扱うと言う
事かも知れぬが
92某研究者:2007/04/01(日) 19:02:24 ID:VCxayPwz
この時代の長巻は鍔が無い様に見えるが
南北朝頃には装備されて居る訳だろうか
93某研究者:2007/04/02(月) 12:13:51 ID:YCQ6+i1m
http://www.interq.or.jp/pure/miyatate/wforum/wforum2001/2001.2.1.htm
>。それと、『甲陽軍鑑』にも「明珍の兜」とみられますが信玄、勝頼の時代には「明珍」なんてまだ存在しません。遺物から想像して慶長期くらいがやっとという気がします。

明珍の兜が出て来たのは可也
後と言う事だろうか


> このサイトにご参加の皆さんに認識して欲しいことがあります。それは、当世具足の発生時期です。少なくても勝頼は知らずに天目山を迎えたでしょう。これは事実です。
> 仏胴の定義は「当世具足の胴の形態を示す語の一つで、継ぎ目が分からないように漆で塗りつぶした胴。または一枚の鉄板や練革を打ち出して作られた胴。」(三浦一郎作成「甲冑用語集」より引用)となります。古くても天正後年のものが精一杯でしょう。

まあ矢張り関ヶ原辺りで無いと当世具足は余り
普及して居ない訳だろうか


>伊達政宗の所用と伝えられる仙台博蔵の「仙台胴(五枚)具足」は、明らかに天正十八年以降のものです。

5枚胴と言うのも可也
後期に出て来た訳だろうか
94某研究者:2007/04/02(月) 12:18:08 ID:YCQ6+i1m
> これは天正十八年の段階で最も発展した形式の甲冑だったと思われ、いわば初期的当世具足を代表する遺物に該当する数少ない資料です。また年期が特定できることから、安土桃山期における甲冑の変遷を裏付ける絶好の基準資料としても注目されます。
> 恐らく受け取った政宗は「なんじゃこりゃ!」状態だったでしょう。その反対に秀吉は「見たことねーだろー」と優越感状態だったと想像します。その拝領の真意は、西国の発展ぶりを東国を代表する政宗に見せ付けるためであり、
>つまりは豊臣傘下に服従することを促すためと思われます。

この時点では軽量な当世具足は東国には
無かった訳だろうか


>西国では当世具足がかなり普及していたにも関わらず、東国では未だこのような形態の甲冑が当たり前のように使われていたのです。

東国では古い甲冑が後期でも可也
使われて居た訳だろうか
95某研究者:2007/04/02(月) 12:29:31 ID:YCQ6+i1m
>この甲冑の大きな特徴は、通常佩楯に用いる伊予札で形成されている点です。

伊予札は鎌倉時代から有る様だが
使用されて居るのは雑兵用の鎧だけかも知れぬが
96某研究者:2007/04/02(月) 13:14:19 ID:YCQ6+i1m
>久能山の「金溜塗黒糸威二枚胴具足」は明らかに永禄年間のものではありません。小生が名付けた如く、これは完成された当世具足の形式です。
>推定される製作年代は江戸前期寛永頃と思われます。家康を神格化させるために、幕府がこうした伝承をもとに作り上げたものと考えられます。

例の家康の金の具足は
後世に作られた物だった訳だろうか


>当時はよほどの人でないかぎり甲冑武具を個人では所持できなかったでしょう。つまり、多くは共有品ということになります。

騎馬武者用の物以外は基本的に
共有品と言う事は無いのかだが


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B0%E5%9C%B0
>また、熟達した兵士が使用した場合は弓よりも飛距離があった上、甲冑の上からでも衝撃が伝わったと言うことで、多用されたらしい。

まあ飛ばすのに訓練が必要なのは問題であり
銃に取って替わられたと言う
事かも知れぬが
弓と比べたら(石のコストの問題で)多用されたのか
どうかだが
97某研究者:2007/04/02(月) 14:22:13 ID:YCQ6+i1m
http://www.interq.or.jp/pure/miyatate/wforum/wforum2001/2001.1.26.htm
>以前にも言いましたように信玄、勝頼の時代に当世具足は未だ発生しておりません。つまり、当時の甲冑には合当理や受筒、待受と称する小旗を立てるための装置はありません。故に映画やテレビで見るような光景にはなるよしもありません。
>  百足の指物を差した武者は信玄の御使衆(十二名)と言われています(『甲陽軍鑑』)。白地に黒、黒地朱・金、青地に金で百足が描かれた旗だったそうです。現在、朱地に金の旗が伝わっています。ただし製作年代は不明です。(宮下帯刀補足)

>信玄、勝頼の時代は未だ胴丸、腹巻の時代です。この認識が大前提として考察下さい。この時期には背に立てる「小旗」はありません。あるとしても「背旗」ではなく、袖に結ぶ「袖印」(大山祇神社蔵 袖印旗参照)か、兜の祓立や後勝鐶の結ぶ「兜印」
>(県立山口美術館蔵 大内義輿画像参照)程度のものでしょう。映画やテレビで見る合戦シーンの画像とかなり違ったイメージでしょ。
>信玄、勝頼の時代には大幟や大馬印はなかったものと思われます。故に「孫子の旗」と称するものも、信玄の代のものではないように思われます。
>むしろ、信玄の代は『甲陽軍鑑』にみられるように風、林、火、山の四旗に分かれていたという方が、信憑性があるように思われます。具体的に大幟や大馬印が現れるのは安土桃山期になってからだといわれています。

当世具足登場以前は鎌倉時代の絵に見られる様な
手持ちの旗だけと言う事だろうが
母衣は有ったと言う事かも知れぬが
陣羽織も当世具足登場以後と言う
事なのだろうか
98某研究者:2007/04/02(月) 14:33:04 ID:YCQ6+i1m
>その目的のために作られた「旗指具足」なるものが現れるからです。小生は過去に一度だけ天正期のものを見たことがあります。非常に大柄な胴で、背負い籠のように大きな受筒のような装置があったと想像されますが、これについては未だ発見がなく詳細は不明です。

巨大な旗を装備する為の具足迄
有った訳だろうか
99某研究者:2007/04/02(月) 14:40:59 ID:YCQ6+i1m
>草摺の分割化は甲斐武田家に限ったことではありません。大分県柞原八幡宮、愛媛県大山祇神社、山形県酒井家、東京都西光寺等の蔵品をご確認下さい。これらはいずれも元亀、天正期の遺物であり、足捌きの円滑化を求めたものといわれています。

下馬戦闘は当世具足登場以前にも
考慮されつつ有った訳だろうか
100名無し三等兵:2007/04/03(火) 04:18:56 ID:???
某研究者様へ

速やかに所定のスレまでお戻りください
ttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1161675922/
101名無し三等兵:2007/04/03(火) 08:39:32 ID:???
某研、自分が荒らしでないと主張するのなら
空気を読んである程度他人の書き込みが出るまでは
自分で立てた↑のスレに戻れ
一人で連投するな
他人が書き込みにくい雰囲気を作るな

ま、わかっててやってるんだろうけどな
102名無し三等兵:2007/04/03(火) 09:17:30 ID:???
基地外に何言っても無駄

すみやかに退避することをお薦めする
ココ荒らすものそのうち飽きるだろ
>>100のスレも自分で立てておきながら放置してるみたいだしな

退避先
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150781368/
103名無し三等兵:2007/04/03(火) 10:46:12 ID:???
なにが大人の議論だ
自演がまともな大人のすることかよ


1 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/01/01(月) 08:45:20 ID:7AA0QutU
大河ドラマ・司馬歴史小説等、さまざまに流布している戦国時代合戦のイメージは、不正確極まりないものとされています。

5 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/01/01(月) 18:10:15 ID:7AA0QutU
スレ復活したのか
とりあえず。今年の大河ドラマで登場して
話題になるであろう
武田騎馬軍団の実態について語りましょうか
104某研究者:2007/04/03(火) 12:08:29 ID:ZYkV/HB+
>>103
このような粘着の発生は何が原動力なのであろうか
105某研究者:2007/04/03(火) 12:09:30 ID:ZYkV/HB+
しかしながら
4ヶ月以上も粘着を続けられるのはかなりの
精神力の持ち主と思われるわけであるが
106某研究者:2007/04/03(火) 12:10:53 ID:ZYkV/HB+
このような生命体は
他人が自作自演をすることが許せないようであるが
本人がソレを理由に数ヶ月以上も自作自演を続けていることを
どのように考えているのであろうか?
107某研究者:2007/04/03(火) 12:12:16 ID:ZYkV/HB+
そもそもこの生命体は
上記のような

>本人がソレを理由に数ヶ月以上も自作自演を続けていることを
>どのように考えているのであろうか?

自己客観能力を保有してるのであろうか
108某研究者 :2007/04/03(火) 12:14:17 ID:ZYkV/HB+
このようにして自己客観視能力を放棄する
事によって
負の連鎖は続いていくのであろうか
109名無し三等兵:2007/04/03(火) 12:16:05 ID:???
そもそも>>103の言う
>大人の議論
とは具体的に何をさしているのであろうか
110名無し三等兵:2007/04/03(火) 12:18:07 ID:LEc7lBbv
悔しくなってやんのw
111某研究者:2007/04/03(火) 12:18:39 ID:ZYkV/HB+
>>1-102
の中に「大人の議論」なる単語は出てこないわけだが
やはり>>103の頭の中には
人類には理解できない生命体が潜んでいたり
電波を受信する装置が組み込まれているのであろうか
112名無し三等兵:2007/04/03(火) 12:19:49 ID:LEc7lBbv
避難先見ろアホ
113某研究者:2007/04/03(火) 12:20:46 ID:ZYkV/HB+
しかしこの某研究者という名前を使うと
非常に便利な荒らしが出来ると
はじめて使ってみて強烈に実感しているのだが
過去に使った者も同じように思って使っていたのであろうか
114某研究者:2007/04/03(火) 12:21:59 ID:ZYkV/HB+
>>112
このように素早い反応が返ってくるとは
予想外であり
やはり24時間2ch常時に生息している
生命体と考えるべきなのであろうか
115某研究者:2007/04/03(火) 12:23:27 ID:ZYkV/HB+
しかし、常時張り付いていたにしては
今までの書き込みの回数はさほど多くなく
一日あたり10程度と推定される

やはりもっと詳細な研究が必要なのであろうか
116名無し三等兵:2007/04/03(火) 12:24:18 ID:LEc7lBbv
>>114
今度は自己紹介ですか?
117某研究者:2007/04/03(火) 12:24:51 ID:ZYkV/HB+
まあ、そろそろ某研究者ごっこは飽きてきたので
終了させていただくが

なかなか貴重な体験が出来たとおもわれる
118名無し三等兵:2007/04/03(火) 12:27:10 ID:LEc7lBbv
お外に出たらもっと色んな体験が出来るよw
119名無し三等兵:2007/04/03(火) 13:54:37 ID:???
>>104-118
自演乙
120名無し三等兵:2007/04/04(水) 04:07:13 ID:???
粘着,自演してまでこんなスレ堅持する必要があるとも思えんが
121名無し三等兵:2007/04/04(水) 13:50:48 ID:???
122某研究者:2007/04/04(水) 16:04:17 ID:je0Oftub
まあ私が居ると書けぬ様なら
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1161675922/
上に移動する事としたいが
123酷使様:2007/04/04(水) 18:39:26 ID:???
火矢や爆弾は使われたんだろうか
124名無し三等兵:2007/04/05(木) 17:32:19 ID:???
当時の合戦の様子を簡単に知りたいのなら、「クレヨンしんちゃん」でも見ればいいだろ。
125名無し三等兵:2007/04/06(金) 05:48:27 ID:???
火矢は結構一般的に使われていたっぽい

爆弾は焙烙玉(ほうろく)と言われる容器に
火薬や油を詰めて導火線を付けた物などを
敵に投げつける等して、使われていたらしい
126名無し三等兵:2007/04/06(金) 05:51:17 ID:???
>>124
ttp://www.youtube.com/watch?v=nF57rwUTjZU

コレだな?
実写の映画やドラマも含めて考証とリアルさはコレが一番かもね
127名無し三等兵:2007/04/06(金) 10:28:17 ID:???
焙烙玉は爆弾と言うより火炎瓶みたいなもんだ
中の油脂は松脂だったりしてナパーム風味で、導火線という高級なものは使ってないのが普通

投石器と組み合わされてれば、射程も増したんだろうけどね
ヒモつけて振り回して投げるところまで

・・・火振りカマクラって、この系列の伝統芸?
128名無し三等兵:2007/04/06(金) 13:33:56 ID:efIS1mR5
ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=79533
→ yasoshima 04-05 18:01
稚拙な統治で民衆を混沌に落とし込み、日明鮮の三軍を疲弊させることに成功しまし
た。
もう、強いとか弱いというレベルの話ではありません。
朝鮮が豊かで清潔であり、民衆が賢明であれば、秀吉の征服は成功していたでしょ
う。


→ p9cm 04-05 18:07
_| ̄|○
129名無し三等兵:2007/04/06(金) 20:45:56 ID:???
>>127
ふりずんばい で検索してみることをお勧めする
130名無し三等兵:2007/04/07(土) 03:31:08 ID:???
>>129
ふむ・・・構造簡単な投石器みたいなもんですね
地方で呼び名がだいぶ違うようですが
構造的には似てるようですね
131名無し三等兵:2007/04/08(日) 01:06:59 ID:???
誘導します。

以後、下記スレをご利用ください。


古代〜近代(19世紀)迄の戦術・兵器・軍装等 5
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1161675922/
132名無し三等兵:2007/04/08(日) 01:58:24 ID:???
まあ、石投げは当時の一般的な
遊び(お祭りの一種?)みたいな面もあったから
投石部隊の人員(投石器使える人材)
の確保には困らなかったのかもね

そのわりに日本では投石機はあまり使われて無いみたいですよね
なんでなんでしょ?
133名無し三等兵:2007/04/08(日) 14:35:51 ID:???
>>132
スリングみたいな簡単なやつなら百姓の喧嘩レベルの争いでも普通に使われてた。
というか手ぬぐいだけど。
134名無し三等兵:2007/04/08(日) 19:06:01 ID:???
>>132
クロスボウと同じで必要な性能を満たす必要な材料の調達が難しかったこと
大砲と同じで大型化すると輸送が困難であること、そして大陸や西洋のような
平野部に石で作られた城壁などというのは存在しなかったため
大砲や投石器には相性が悪く威力を生かしきれない=必要性が薄かったため

いろんな要因があるが、日本の戦場は地勢的にもわざわざ大掛かりな機械を
作って使用するには効率面で分が悪すぎるって事らしい。
135名無し三等兵:2007/04/08(日) 19:10:55 ID:???
まあ日本の城は頑丈な基礎部分、石垣や土塁こそが本体で
それに拠って戦ってるからいくら砲弾や石弾打ち込んでも効果が薄い
上に乗っかってる木材構造物はいくらでも再建可能・・・
136名無し三等兵:2007/04/09(月) 02:34:51 ID:???
木造部分は燃やしたほうが早い、ってのも
137名無し三等兵:2007/04/10(火) 14:10:34 ID:???
>>134

>>132が言ってる「投石器」は兵士が片手に持って振り回すようなやつの
ことだと思うのだが。
138名無し三等兵:2007/04/10(火) 14:39:18 ID:???
投石器・人一人がつかう手持ちタイプのやつ
(手ぬぐいとかでも代用可)

投石機・大型の機械式で建物の破壊などに使う

ってイメージしてたけど

で、投石器の方は祭りなどで良く記録にも出てくるし
実際に戦闘でも多数使われてたみたいなんだけど
投石機の方はあんまり使われてないよね
139名無し三等兵:2007/04/10(火) 17:13:13 ID:???
>>138
あんまりというか、皆無じゃね?
140名無し三等兵:2007/04/11(水) 10:33:49 ID:???
そうだね
141名無し三等兵:2007/04/12(木) 17:03:24 ID:???
碧山日録によると発石木が使われたそうだけど
142名無し三等兵:2007/04/18(水) 18:43:28 ID:GxW3bMS7
あげ
143名無し三等兵:2007/04/27(金) 04:07:54 ID:???
保守
144名無し三等兵:2007/04/28(土) 08:07:51 ID:cGCfIc4V
>上に乗っかってる木材構造物はいくらでも再建可能・・・
西洋の石積みの城壁も攻撃の手を休めると石を再度積み上げてられ修復されてしまう。
また、多少の投石では城壁はびくともせず、ひたすら長い時間投石を繰り返し少しずつ
でしか城壁は破壊できない。
145名無し三等兵:2007/04/28(土) 08:42:50 ID:???
竹アーマーに竹槍。
低能同士だからいい勝負だったんでしょ。
ほら、サッカーの初心者ばかり集めるとみんなボールに群がるあれ。
日本の合戦なんて、三国志の合戦の丸パクリですが何か?
上杉謙信とか武田信玄とか嘘くさい架空ですね。
あっさり信長が天下統一して終了
146名無し三等兵:2007/04/28(土) 08:46:50 ID:???
ああ、でも日本刀は本物だと思うよ。
だって、弱いしwww
147名無し三等兵:2007/04/28(土) 08:49:51 ID:???
>>145はなにが言いたいんだ? 半島なんか講和後の攻撃と焦土作戦しか出来ねえじゃねえか
148名無し三等兵:2007/04/28(土) 10:16:08 ID:???
ま た 自 演 か
149名無し三等兵:2007/04/28(土) 11:21:11 ID:???
>>147
ゴールデンウィークになって暇になったただの馬鹿だろ。
放っておけばいい。
150名無し三等兵:2007/04/28(土) 19:49:44 ID:???
09年の大河は「天地人」=NHK

NHKは26日、2009年の大河ドラマで「天地人」を放送すると発表した。
原作は、戦国時代を舞台にした火坂雅志さんの同名小説。
番組では、上杉景勝の家臣でありながら、豊臣秀吉がほれ込み
徳川家康が恐れたという「義」の人、直江兼続の生涯を描く。
配役は、今後人選を進める。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070426-00000129-jij-soci

2009年大河ドラマは「天地人」 主役は直江兼続
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1177580029/
【義のために】直江兼続を語るスレ3【愛のために】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164148096/
151名無し三等兵:2007/04/30(月) 08:36:23 ID:???
上杉最強
見たいな
152名無し三等兵:2007/05/02(水) 06:30:00 ID:???
直江かぁ
153名無し三等兵:2007/05/02(水) 20:03:04 ID:???
>>144
それならかえって兵士を突っ込ませた方がいいのでは?
なんであっちじゃ投石機が発達したんだろ。
154名無し三等兵:2007/05/02(水) 20:13:04 ID:IyVlHA9t
223 名前: 赤猫 投稿日: 02/04/18 22:09

 攻城戦では火は攻防両面において多用された
 木造の施設や柵は火に対してはひとたまりもなかったし、あわよくば火災を引き起こす
ことができた
 攻城機械もまた木で作られており、攻城塔や破城槌が燃やされると攻撃そのものが
頓挫してしまった
 石造の城壁でも内部では木製の支柱が構造物を支えていたし、また、熱を加えることに
よって城壁の石材の間のモルタルや内部の骨材を脆くさせることも期待できた
 堆土は含水率が高いと崩壊しやすく、含水率が低いほど強固だが、完全に乾燥させて
しまうと逆に崩れやすくなる
 ユダヤ戦役において、エルサレムを包囲したローマ軍は土壁でできた城壁の下に可燃物
を集積して火をつけ、その後、破城槌によって城壁に穴を開け、その穴に可燃物を
押し込んで火をつける一連の作業を繰り返して城壁の一部を崩壊させた
 エルサレムの守備隊は、あらかじめ準備していた固土のブロックを積んでただちに
城壁を修復してみせたが、ローマ軍は今度は修復された部分を油を浸した獣皮で覆い、
または油を満たした壺を投げつけて火を放った後に破城槌の打撃を加えて城壁を再び
打ち崩した

 もっとも、ヒッタイト最後の首都ニネヴェやユダヤのマサダ要塞のような、天然の
岩盤を城壁としてその上に建設された要塞に対してはこれらの方法はまず通用しなかった
 これら難攻不落の要塞を攻略するため、メディア・新バビロニア連合軍やローマ軍が
とった最後の手段が傾斜路の構築だった
 傾斜路の先端は城壁の上面に達しており、楯を並べた歩兵が隊列を組んだまま要塞内に
突入することができた
 傾斜路は最も確実な手段だったが、膨大な労力と時間を必要とする巨大な土木工事でも
あり、強靱な兵站組織なくしては不可能だった
 マサダ要塞を攻略した際に、ローマ軍が2年の歳月を費やして構築した傾斜路は、
経年変化による劣化は認められるものの、現在でもほぼ完全な形でその姿を残している
155名無し三等兵:2007/05/02(水) 20:47:30 ID:???
>>153
火薬が発達して攻城に大砲が使われるまでは、他に効果のある兵器がなかったからじゃないの?
中世の兵隊は消耗品じゃないし(あまり被害がでかいと諸侯がついてこない)

多少時間がかかっても、被害が少ないにこしたことはない。(無論状況によっては強攻はありえるけど)
156名無し三等兵:2007/05/03(木) 00:21:40 ID:???
ただし中世になると技術が衰退してまともな攻城兵器が作れなくなったという罠。
(傾斜路などは技術が消滅して建設不可能となってしまった。)
157名無し三等兵:2007/05/03(木) 18:01:03 ID:JPdSHecb
>135 まあ日本の城は頑丈な基礎部分、石垣や土塁こそが本体

それは安土桃山や江戸期になってからじゃないの?
戦国期の大半は,山のてっぺんに土を掻き上げて空堀や土塁をつくり、その上に柵作って城又は砦にしたんじゃないか?
急峻な山のてっぺんにわざわざ石垣にするような大石運んでるヒマねーべさ。

>153
修復中でも,防御する兵は別に居るから,兵を突撃させても損害が馬鹿にならないからじゃネ?
逆に修復中の壁に投石器で打ち込まれたら,修復どころじゃなくなるわけで。
158名無し三等兵:2007/05/03(木) 20:36:47 ID:???
だから、頑丈な基礎の土塁が本体なんだろ。
159名無し三等兵:2007/05/04(金) 08:36:06 ID:???
中世ヨーロッパでも領主の城は土塁や丘陵に建てられるケースも多くね?
160名無し三等兵:2007/05/04(金) 08:40:06 ID:???
>急峻な山のてっぺんにわざわざ石垣にするような大石運んでるヒマねーべさ。
巨大な石でもないが石垣も無い事も無いぞ。

http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/kanto/totigi/karasawayama.html
161名無し三等兵:2007/05/04(金) 11:21:29 ID:???
丁酉再乱で李舜臣提督がたった十二隻で秀吉進略軍の三百三十三隻を撃破して敗退させたり海賊大将を討ち取って侵略を挫折させたのが鳴梁大捷です。
これは韓国だけでなく日本史書の藤堂家家記にも書かれていることです。
愚かな日本人は韓国語版や英語版の記事を読んで世界の評価を知るべきですね。
162名無し三等兵:2007/05/04(金) 12:32:17 ID:???
>>153
前スレまでで何度か既出かもしれないが
日本のような山谷の多い島国で大型攻城兵器を分解組み立て輸送
するのはかなり骨が折れる。 大砲も同様。
なので大陸と違って発達しなかったし大砲が入ってきて移行の時代も
あまり活躍の場は少なかった。

>>157
こういっては何だが、本格的な「城」が作られるようになったのは
安土桃山以降でそれ以前の山城なんかは砦の延長線上みたいなものだ…
大陸や西洋の町を囲む城塞都市としての石造りの城壁とは
比較対象とするのにはちょっとねえ。

>>159
西洋の城も本体は投石器受けたら崩れたり倒れたりして
危険なようにしか見えない構造や外観重視の奴もあったりする。
その場合、敵は城下町を囲む市壁で防衛する。
(投石器は町を抜けてまで入って来れないから射程外という築城思想)
163名無し三等兵:2007/05/04(金) 14:37:11 ID:???
軍板ウィキスレを見てきた
まさに虚像と真実だった
164名無し三等兵:2007/05/04(金) 15:14:30 ID:???
>>159
欧州の場合も基本的に平城だよ。石材の重量重過ぎて、平和な時代ならともかく
物騒な時代に峻険な所に手間と時間かけて作ってられんし、縄張りの面積も狭くなるから
レギュダンキュラー型城塞の時代ならともかくコンセントリック型なんて地盤弱い所や山岳じゃ
基礎持ちこたえられないし。大砲出現しばらくまでは地形じゃなくて、城郭そのものの構造物の
防御力勝負>欧州城郭

ただ、本丸が一番金かかって巨大で美麗だってのは日欧同じだけど、
本丸をあくまで最終防衛ラインに置いた日本と違って、欧州だと本丸を最前線に置くというのが
一番顕著な設計上の違いかねw
165名無し三等兵:2007/05/04(金) 21:44:27 ID:???
城の石垣ラッシュは、戦国末から江戸の慶長〜寛永にかけてだな。
それと比例するように、この時期造立の墓塔は少ない。
166名無し三等兵:2007/05/05(土) 06:29:48 ID:???
まあ、既にあった墓からも墓石持ってたりしてたしな。
167名無し三等兵:2007/05/09(水) 11:09:07 ID:???
>>164
欧州の本丸が最前線か?
確かに一部の城は本丸が城壁と一体化して城壁の防御強化をしてたりもするけど
キープはやっぱり最終防衛拠点でしょ?
もちろん、時代や地域、設計思想でカナリ違って来るけど

参考アドレス
ttp://www.sky.sannet.ne.jp/mfumio/normancastle.htm

日本の城の最前線は濠と土塁
欧州の城の最前線は城壁
じゃないかな?どっちの城も一重じゃ無いことが多いし
168蔵本真美:2007/05/11(金) 04:59:02 ID:+HP9jM3Z
江戸城にはかつて19の櫓があったが消失された天守閣の代用とされたのが櫓の中で唯一、三重櫓であった富士見櫓である。 その後も、江戸城は度々火災を被った。本丸は1863年の火災で焼失したまま再建されず、西の丸に機能を移したまま明治維新を迎えのね。
169名無し三等兵:2007/05/11(金) 07:30:44 ID:???
俺は城は石垣を築いたら絶対に天主があるもんだと思ってたけど、
結構、作らないでそのまんまだったりする城もあるんだよな。
そんで後世になって架空の天主を再建しちゃったりして。
防衛上は天主の意義ってあんまり大きくなかったのね。
170名無し三等兵:2007/05/11(金) 08:09:29 ID:???
西洋の城のお堀
・環状堀(リンググラーベン)
平地の水城に造られ、城全体を環のように囲んで巡らされる壕です。

・門前堀(トーアグラーベン)
城門のすぐ前を遮断するための堀です。

・遮断堀(アプシュニツグラーベン)
城囲いの中をさらに分断する堀です。もっとも多いのは、外郭と内庭の間に掘られるもので、外郭まで攻め込まれるか、城内で反乱が起きたときに役立ちます。

171名無し三等兵:2007/05/11(金) 20:06:23 ID:???
>>167
>キープはやっぱり最終防衛拠点でしょ?
学研のヨーロッパの軍事関係の本にあったよ。(戦略戦術兵器事典 ヨーロッパ城砦編)

※引用
領主の居館であり、重厚な防御を施されたキープは、城内最大の戦力を保持していたが、いざ篭城戦になったときは、城の最奥部に位置するがゆえに、
キープに攻め込まれるまで、その威力を発揮するチャンスがなかった。
そこで、敵からもっとも攻撃を受けやすい城門に位置して、最初から積極的に敵兵を攻撃できるよう、
キープの機能を城の前面へと移行させる発想がうまれ、キープ・ゲイトハウスが登場する。

172名無し三等兵:2007/05/11(金) 22:36:51 ID:???
天守というか櫓は銃/弓兵の防御力UP+縦方向スタックで火力密度上げる意味があるだよ
折れで十字砲火によって火力密度を上げて十分なら、必要がない

あとは目標物として敵兵を誘導する意味もあるだね
行き止まりの通路を設置して誘導殲滅
173名無し三等兵:2007/05/12(土) 07:36:22 ID:???
>>172
櫓は、遠方監視のためじゃないのかな。
後、倉の役目も。
174名無し三等兵:2007/05/12(土) 07:57:21 ID:???
>>171
なるほど
初期の頃は最終防衛拠点であったが、使われない事も多いので
後の時代になると、前線に作られるようになったのね

175名無し三等兵:2007/05/12(土) 09:13:37 ID:???
BSジャパンでやっている日本の名城でも見れば?
176名無し三等兵:2007/05/12(土) 10:44:53 ID:???
隅櫓のような外壁部の櫓は火力拠点
面積あたりの火力密度を縦方向に重ねることで上げる
可能なら伝令や後方の指揮官を狙撃するが、高石垣でも同様の効果がある
敵の突撃速度を堀、石垣などで落とし、火力殲滅するのが基本

敵側に重砲支援がある場合は、櫓は攻撃目標になるだけなので意味がない
しかし、日本の場合は多頭立て馬匹牽引技術がなかったので、攻城戦に重砲投入が難しかった
177名無し三等兵:2007/05/12(土) 14:16:26 ID:???
>>176
重砲はむしろ、あの当時は数そのものが少なかった。
大坂冬の陣でさえ大小併せて300門というから、その他は推して知るべし。

といっても安く、軽く、持ち運びに便利な大鉄砲は普及し、それに対抗して
櫓の壁も耐弾構造になっているから、スケールは小さくてもシーソーゲーム
は続いており、名古屋城や福山城などは重砲にも耐えれる構造になっている。
178名無し三等兵:2007/05/12(土) 18:23:05 ID:???
>敵側に重砲支援がある場合は、櫓は攻撃目標になるだけなので意味がない
ちょうど、今売っている歴史群像の彦根城で扱ってる。

織豊系の城郭が、攻撃側の火力強化で相対的に守備力が落ちたので
関が原後の天下不振で徳川家は大鉄砲・大筒対策を盛り込んで築城したって感じだったかな。

179名無し三等兵:2007/05/12(土) 21:32:35 ID:???
天下不振
天下普請だ、ごめん。

180名無し三等兵:2007/05/13(日) 10:46:32 ID:MCCqXz6O
砲がある程度大きくなると、陸路運搬が難しくなる。
海または河川から距離のある城塞は、防御力<砲力となる時代にあっても
ある程度意味を持つことが出来た。
181名無し三等兵:2007/05/14(月) 19:17:05 ID:???
>180
城塞にも砲は据付られるはずだから城塞の優位って事になりませんか?
182名無し三等兵:2007/05/14(月) 21:59:40 ID:???
弾着観測というか損害評定の上手くできるほうが優位<砲撃戦
防御力に関してはどうなんですかねぇ
最終的には地下で連絡した陣地になるわけですが

ウォーバン流築城術に相当するものができる前に日本は平和になりました
塁線の折れ曲がりで横矢がかり、出丸や大規模虎口でラヴェラン相当物までは行きましたけど
183名無し三等兵:2007/05/14(月) 22:03:58 ID:???
「Woburn Abbey 要塞」のあたりでググってみてください
日本だと五稜郭がその流れです
184名無し三等兵:2007/05/16(水) 01:49:23 ID:???
戦国時代ではそのような城塞は登場しなかったって事ですね
進化する前に戦乱が終わったのが原因かな?
185名無し三等兵:2007/05/17(木) 15:56:07 ID:???
そもそもが日本じゃそういう城塞は発展しにくい(地勢的に)ってのも大きな要因
186名無し三等兵:2007/05/18(金) 02:08:40 ID:???
小田原城みたいな城下町と出城を含めた
総構えなんかが
城塞としても原型になるのだろうか?

それともアレは欧州や大陸に見られた
城塞都市なんかに近いもの?
187名無し三等兵:2007/05/18(金) 10:26:39 ID:???
>>185
地形は関係薄くない? 必要性があればどこでも城はつくるでしょう。
大筒が普及して戦術が確立する前に、”徳川の平和”が訪れて、城の縄張りの進歩(大筒に対する防衛技術)が止まっただけじゃないの?
188名無し三等兵:2007/05/19(土) 08:31:04 ID:???
Wikipedia(ウィキペディア)軍事関連スレ2
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1175682728/

こことノート:鳴梁海戦の鳴梁海戦論争だけど朝鮮水軍大勝利の通説は正しいの?
虚像?実像?
189名無し三等兵:2007/05/19(土) 09:27:45 ID:???
他の連中が騎馬戦最強ウハハハハwww
の所を関羽殿が弓で殲滅しましたが何か?
190名無し三等兵:2007/05/19(土) 11:01:23 ID:???
>>187
いや、大陸的な平地に作る思想の平城から城塞に発展していくのとは
違う経緯で日本の城は発展していったからって事。
それに大砲(含む大型攻城兵器)も地勢的に見て運用しづらいから
普及にしくかったのも一要因だし。


あと戊辰戦争とかの前後に徳川時代に作られた城で戦って
十分防衛拠点として機能してるあたりをみるに
技術が止まったという言い方はちょっとどうかと。
191名無し三等兵:2007/05/19(土) 18:45:42 ID:???
>あと戊辰戦争とかの前後に徳川時代に作られた城で戦って
五稜郭?
192名無し三等兵:2007/05/19(土) 18:56:08 ID:???
五稜郭は全く不完全な代物
193名無し三等兵:2007/05/19(土) 18:57:16 ID:???
西南戦争のときの熊本城とか、一応役には立ってるな
194名無し三等兵:2007/05/19(土) 19:54:54 ID:1Vfcayv8
会津若松城も建築物は砲弾でずたずたにはなったが、
防御力は殆ど落ちていなかった。
城が落城したのは、外部との連絡が取れなくなったため。
後詰めのない籠城は無意味だから。
逆に後詰めの間に合った隈本城は、幕末でもそれなりの防御力を発揮できた証拠と言える。
195名無し三等兵:2007/05/19(土) 20:06:57 ID:???
最後の日本式城郭は北海道の松前城です
艦砲射撃の前には無力で、戊辰戦争時には早急に落城というか退去

会津若松城も砲撃戦に無力ということで移転計画ありました
(近隣の山から弾着観測されてしまう)
退避壕作れば解決した気もしますが

名古屋城は当初計画では広大な面積を総構えにする構想でした
総構の外延から本丸が射程に入らないようにする
対豊臣の策源として膨大な数の守備兵を入れることが前提だったからできた構想
196名無し三等兵:2007/05/19(土) 20:17:07 ID:???
戦国期の城でも、現代戦闘でも通用しそうなヤバイところもあります
条件としては
・制高点である(一方的に弾着観測されることがない)
・渡河困難な川に面しているか崖に面していて攻撃方向が限られる
・迂回しようとすると、空堀やでてこずってるうちに十字砲火 あるいは市街戦闘を強要される

現代の連射可能な兵器がなければ
・無駄に広くないので小兵力でも火力密度が上げやすい
・水の手が切れない
ってのも必要かと

実際のところ、戦国期の城は小さい郭を重ねて無駄に広いだけの城が多いわけで
先頭正面絞って火力密度をあげる工夫がなければ、戦国末期には簡単に落とされています
197名無し三等兵:2007/05/19(土) 20:44:31 ID:???
で、その条件を満たす城って何処?
198名無し三等兵:2007/05/19(土) 21:13:18 ID:???
甲斐武田の川沿い舌状台地の城で強固そうなの合ったんだが名前忘れた

近所の城跡も主城はショボイ しかし支城で、1個小隊が篭っただけで迫撃砲支援ないと落とせそうにないところがある
小規模な城のほうが現代の戦闘の考えで理解しやすいかも

火力密度上げたい=大人数が必要=住まわせるところが必要 で肥大化してるわけです
199名無し三等兵:2007/05/19(土) 23:19:28 ID:???
>>198
岩殿城
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%AE%BF%E5%9F%8E

中腹に井戸(湧き水?)もある
武田勝頼が最後に拠ろうとした城
200名無し三等兵:2007/05/20(日) 01:21:48 ID:n5rja3W9
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201名無し三等兵:2007/05/20(日) 19:23:53 ID:???
首里城も沖縄戦で良く持ちこたえたな。
阿呆の長が南部撤退さえしなければ終戦まで籠城できたかも。
202名無し三等兵:2007/05/20(日) 21:25:14 ID:dpnJHWB/
戦国騎馬隊なんだが、何騎(下男含めてだと何人)ぐらいいると「騎馬隊」になるのかな。
近代の騎兵小隊30〜50騎ぐらいは、結集していたのでしょうか?
分からん。
203勘理人 ◆Ilfjq2eTG2 :2007/05/20(日) 21:30:47 ID:???
おいおい、昔から騎馬に鞍は必須だろうが

□ な感じの壁付けなきゃダメですよ
対空機銃なんて、左右と後方以外撃たないんだし
204名無し三等兵:2007/05/21(月) 21:03:20 ID:???
>>202
>>11に出てる資料だと
騎馬組・・・侍22人、奉公人58人(計80人) 乗馬22頭(計22頭)
となってるね
もちろん状況や大名家によってかなり違いはあったと思うけど
最小単位としては参考になるのでは?

>>201
長時間持ちこたえられたかもしれないが
流石に終戦までとか無理だろ
(拠点が残ってれば、米軍は全力で潰しにくるだろうし)
205名無し三等兵:2007/05/21(月) 21:28:50 ID:???
問題は換え馬や直轄の荷駄馬の存在でしょうね<騎馬部隊
自分の見てる範囲では資料がないよ

奉公人は騎乗しないけど、荷駄馬を引いてる可能性もあり
206名無し三等兵:2007/05/22(火) 00:06:22 ID:0dHTQCS1
>>204さん
ありがとうございます。
備えにつき、22騎+奉公人58人の80人が「騎馬組」

やはり小隊規模(それにも達しない、しかも歩兵付き)の騎兵と考えるべきですね。
これを「騎馬隊」と言えるのでしょうか。
もちろん、これは馬に乗った主人と主人に従う鉄炮、弓、槍の足軽(=正確には足軽身分)を備の内で
ばらしして同一兵科毎に編成しているので、平安末期からの長い武士の時代から考えると画期的なことなんでしょうが・・・

207名無し三等兵:2007/05/22(火) 01:37:44 ID:???
>>206
えっと、備一つで戦争することはないですから
複数の備を合わせて一手として編成します
そうすると合計の騎馬部隊は結構な人数になりますよ?
>>11の編成を例にすると5千人の軍では備は15個もあることになりますから
騎馬組だって15組 つまり22騎×15組 330騎も居ますよ

あと、歩兵付きと言われていますが
確かに奉公人は歩兵ですし、実際に戦闘に参加することもありますが
基本的には主人の身の回りの世話・荷物持ち・馬の世話がメインです
欧州の騎馬部隊だって兵隊の数の方が馬の数より多いですよ
馬の面倒を見るというのは大変な事です
毎日大量の草と水を必要としますから補給も大変です
(世話をする等の支援の要員は戦闘時は本陣(後方)に居ます
この辺は日本でも一緒だったのではと思います)

確かに近代的な騎馬部隊(欧州などと比べて)とは言えない編成で
封建社会の影響を色濃く残してはいますが
>同一兵科毎に編成しているので、平安末期からの長い武士の時代から考えると画期的なことなんでしょうが・
と、書かれて居るように戦国初期〜末期の間で編成は大きく変化しました
ただ、変化の途中で戦乱の世が終わったので中途半端な感は否めませんが
あなたの考える騎馬隊の定義とは?近代の騎兵連隊のようなものでしょうか?
その基準でいくと確かに騎馬組は騎馬隊ではありませんね
208名無し三等兵:2007/05/22(火) 12:18:30 ID:4Inmacqe
歩騎で1チームなら戦国期となんら変わらんな
209名無し三等兵:2007/05/22(火) 17:06:08 ID:???
>>206
備にも色々ありまして、大型の備になると騎馬隊は50騎で編成されています。
また、若党(戦闘に従事する雑兵)は仮にいても一人、場合によってはいないという例もあります。

後、軍役で動員された人員を取り上げる事は基本的に行われていません。
槍・鉄砲・弓組の各足軽はあくまで大名に直接、扶持を貰っている者達です。
210名無し三等兵:2007/05/23(水) 05:59:44 ID:???
陪臣じゃない直臣の足軽だよね。
これが居てこその戦国末期大名だよな。
211名無し三等兵:2007/05/23(水) 07:11:17 ID:???
>騎馬組だって15組 つまり22騎×15組 330騎も居ますよ
5000人のうち330騎じゃ全体のたったの6.6パーセント
少ねぇじゃねぇか。
212名無し三等兵:2007/05/23(水) 07:55:55 ID:???
>>211
それは騎馬組として独立編成された騎兵の数ね
>>11を見ればわかるとおり
ソレ以外に足軽組の指揮官としての騎馬武者もいるから
騎兵のパーセントはもう一寸増えるよ

あとは地方や大名家で騎兵の比率はだいぶ違う
(武士でも鉄砲重視で歩行武者多い家や騎兵重視だったり等の方針の違いや
財政状況によっても違うから)
西日本は馬が高価な為比率が低いけど
馬産地で馬が入手しやすい東日本では結構高かったりする

前々スレぐらい出てたた
北条家のある部隊の編成では騎兵率14%とかだったと思う
東国はやっぱり騎兵多いみたい

まあ、この辺の数字を意外と多いと見るか案外少ないと見るかは
主観によるからねぇ
213名無し三等兵:2007/05/23(水) 11:26:23 ID:???
諏訪原城は現代でも攻めにくそうだな
迫撃砲使えば別だろうけど
214名無し三等兵:2007/05/23(水) 21:24:27 ID:???
空爆で(W
215名無し三等兵:2007/05/23(水) 23:35:02 ID:???
>ソレ以外に足軽組の指揮官としての騎馬武者もいるから
>騎兵のパーセントはもう一寸増えるよ
指揮官の騎馬武者、騎兵は騎馬部隊の編成に含まれないから。


やっぱ騎馬部隊は6.6パーセントで少ないよね。
216名無し三等兵:2007/05/23(水) 23:37:45 ID:???
>北条家のある部隊の編成では騎兵率14%とかだったと思う
>東国はやっぱり騎兵多いみたい

規模のわからない部隊の騎兵率を引き合いに出しても東国全体の騎兵の多さには
関係ないと思うよ。

多くて14パーセントじゃ単独兵科の騎兵じゃないよね。
217名無し三等兵:2007/05/24(木) 00:58:12 ID:???
北条は着到定が残っている。武田も数は少なめだが残っている。
両家を比べると、北条に騎兵が多い。
218名無し三等兵:2007/05/24(木) 08:21:22 ID:???
>>215
戦闘要員限定で考えるなら、槍・鉄砲・弓足軽が121人、騎馬隊の騎士が22人で割合は15%を超えるよ
219名無し三等兵:2007/05/24(木) 21:03:23 ID:???
天文四年の軍役対比 100貫文前後

武田65人 馬上侍5 長槍30 弓 5 持槍10 鉄砲 5 小旗5
北条70人 馬上侍7 長槍42 弓 7 持槍 0 鉄砲 7 小旗7
上杉70人 馬上侍9 長槍21 弓10 持槍10 鉄砲15 小旗5
220名無し三等兵:2007/05/24(木) 22:13:14 ID:???
100貫文て幕府の軍役じゃ3000石位になるんかのう。
221名無し三等兵:2007/05/24(木) 22:20:49 ID:???
>>219
それまるで違うでしょ。
実際の上杉は北条・武田より馬上が少ない(ソース 上杉家天正三年軍役帳)
歩鉄砲は武田だな。上杉は鉄砲少ない。北条の歩鉄砲と歩弓は侍身分。
222名無し三等兵:2007/05/24(木) 22:32:32 ID:???
>219
あれ?見直したら天文3かwネタ?
何貫文に付き平均何人の軍役負担っていうのは、佐脇氏の研究にある。
223名無し三等兵:2007/05/24(木) 22:34:47 ID:???
>>221
ソースは、学研の戦略戦術兵器日本戦国編。
引用先が書いてないので、もとになった資料がなにかはわからないです。
224名無し三等兵:2007/05/24(木) 23:55:49 ID:???
武田は長槍3間で、持槍2間半。北条は長槍2間半だから、武田持槍と北条長槍は長さが同じ。
北条で西上野の場合、馬上20%槍40%鉄砲10%弓10%で平均してる。
これは天正11年の着到、和田(下之城主)後閑(後閑城主)一宮(貫前神主)氏。馬上の比率は岩付衆より少ない。
225名無し三等兵:2007/05/25(金) 00:47:18 ID:???
結局>>218
資料の戦闘要員で15%が騎兵ってのを
多いと見るか少ないとみるかは主観なんだよね

当時の欧州や中国などの編成ってどんなかんじなのかな?
226名無し三等兵:2007/05/25(金) 10:23:04 ID:???
>>162
>>日本のような山谷の多い島国で大型攻城兵器を分解組み立て輸送するのはかなり骨が折れる。 
言ってる事が理解出来ない。
普通攻城兵器は現地で作る物だろう。
分解して輸送したりなんかしない。
それに山谷が多い土地なんてヨーロッパにも幾らでもある。
説明になってないと感じる。
227名無し三等兵:2007/05/25(金) 11:14:23 ID:???
>>225
古代ではガウガメラの会戦におけるアレクサンドロスの軍は三万の重装歩兵、一万の軽装歩兵と七千の騎兵で騎兵比率は17%。
同じ会戦のペルシア軍は諸説あるが中間的な説では歩兵二十万と騎兵四万となっており、騎兵比率は20%。
共和政中期のローマ軍の一個軍団は重装歩兵三千人、軽装歩兵千二百人と騎兵三百人で一個軍団の騎兵比率は6%。
ハンニバルの軍はスペインを出発した時に九万の歩兵と一万二千の騎兵で騎兵比率は13%。
カンナイの会戦では四万六千の歩兵と八千の騎兵で騎兵比率は17%。
帝政初期〜中期のローマ軍は地域によってバラバラで一般的に東方の方が騎兵は多かった。
大体10〜20%くらいだったようだ。ヨセフスのユダヤ戦争によれば進軍してきたローマ軍は特に補助騎兵が多く20%が騎兵だったらしい。
帝政後期には25%以上に増える。
中世では地域や場所によって変わるが、
1415年のアジャンクールの会戦でのフランス軍は二万〜三万の内30%が騎兵、50%が歩兵、20%が弩兵だったと言われている。
1521年の神聖ローマ帝国、スペイン対フランスのパヴィーアの戦いでは神聖ローマ帝国軍が二万三千の内四千が騎兵で騎兵比率は17%。
フランス軍は二万四千の内六千五百が騎兵で騎兵比率は27%。
ユグノー戦争中の1562年のDreux(読み方が解らん)の会戦ではユグノー側の戦力は歩兵八千に騎兵五千で40%近い。
東ヨーロッパでは、1410年に行われたポーランド・リトアニア対ドイツ騎士団のグルンワルドの会戦ではドイツ騎士団が九千の歩兵と一万五千の騎兵と何と騎兵の方が多い。騎兵比率は60%。
ポーランド軍も騎兵の方が多く二万以上の騎兵と四千の歩兵で騎兵比率は80%以上。
リトアニア軍も一万八千の騎兵で歩兵はかなり少なかったらしい。
結論すればやはり日本の騎兵比率は低い。
228名無し三等兵:2007/05/25(金) 11:21:44 ID:???
ポーランドの様に草原が多いと騎兵が多くなるのは当然なんだな
229名無し三等兵:2007/05/25(金) 11:42:24 ID:???
>>202に対して、
>>204で、「騎馬組みとという編成があって、こんな感じの構成だよ」となって
>>211で、それじゃ騎馬隊って呼ぶには騎兵が少なくない?となって
いまは日本の戦国期は、騎兵の割合が低いという結論がでたのか。

>202の質問に答えるなら、近代的なイメージでの単独兵科としての騎兵はいませんでしたよ
でいいとおもうんだけど。
230名無し三等兵:2007/05/25(金) 19:34:03 ID:???
質問です。

:戦国期には合戦で武士が騎乗し弓を撃つと言うのは廃れたのですか?
:士分の人間が備の弓隊を構成する事はあったのですか?
:薙刀はもう完全に使われなくなったのですか?
:備のシステムは何時頃から使われ始めたのですか?備以前のシステムはどの様な物だったのですか?

宜しくお願いします。
231名無し三等兵:2007/05/25(金) 20:59:59 ID:???
>>230
私論を前提として承知してもらえるなら

>戦国期には合戦で武士が騎乗し弓を撃つと言うのは廃れたのですか?
雑兵物語に最近見なかった騎馬突撃をした侍の中に弓を持った者がいたという事から個人芸レベルで存続していたと思われる。

>士分の人間が備の弓隊を構成する事はあったのですか?
ない。

>薙刀はもう完全に使われなくなったのですか?
複数の合戦図屏風を見る限り、用いられている。

>備のシステムは何時頃から使われ始めたのですか?備以前のシステムはどの様な物だったのですか?
おそらく、足軽を大名領主が直接雇用し、それを寄親寄子制(寄騎同心制)で直臣に付属させる様になってから。
大田道灌や北条早雲、武田信虎辺りからかと
それ以前は騎馬隊=武士団が戦闘力の基本で、それ以外はゲリラ戦に専ら投入されていた。
232名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:08:25 ID:???
>>227
とりあえず
古代のヤツは数字は参考程度でしかないと思うのだが?
キチンとした編成と資料が残ってるわけじゃないでしょ?

あと、いつも気になってるのだが欧州の資料に出てくる
騎兵5千とか数字は純粋に馬に乗った人の数?
支援要員は員数外で数えてないの?騎兵はその性質上
どうしても多数の支援要員と物資を必要とするわけだが
それらの人数はどこに計算されてるの?

たとえば
>東ヨーロッパでは、1410年に行われたポーランド・リトアニア対ドイツ騎士団のグルンワルドの会戦では
>ドイツ騎士団が九千の歩兵と一万五千の騎兵と何と騎兵の方が多い。騎兵比率は60%。
ってあるけど1万5千全部騎乗してるの?となるとその支援要員は3万は必要と思われるけど
その人数はドコにいるの?

>>226
現地で組み立てるという意見にはは同意ですが

そんな、局地的な地形の話をしても
欧州より日本のほうが全体的に険しい地形が多いのは事実ですから
場所によりるのはモチロンですが
重量物の輸送は日本の方が地形的制約と障害をうける可能性が高いのは事実でしょ?
233名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:36:06 ID:???
投石器やらが発達しなかったのは、日本の城の主要素が
石垣とか地形といった、投射兵器で壊しにくいものだったせいじゃない?

反面、ヨーロッパや中国の城の主要素が背の高い城壁だったから
ああいったものが発達したんだと思ってたんだけど。
234名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:06:37 ID:???
>>古代のヤツは数字は参考程度でしかないと思うのだが?
>>キチンとした編成と資料が残ってるわけじゃないでしょ?
現在に残ってる訳ではないが当時書かれた史料は大抵の場合それらを基にしている。
むろん完全に信用出来るわけじゃないけど完全な嘘でもないだろう。
ただしヘロドトスの様に「敵側」は大幅に誇張されてる事が多いからやはり参考以上にはならないかも。
>>騎兵5千とか数字は純粋に馬に乗った人の数?
戦闘に参加した騎兵の数なのでそうなると思う。
>>それらの人数はどこに計算されてるの?
基本的に非戦闘員は数字に含まれてない様。
古代に関してはそもそも軍の補給に関する資料が少なすぎ中世の歴史書はその様な事を書く意味が無いので書かれてないと聞く。
ただアレクサンドロスに関してはこう言う本がある。
http://www.amazon.com/Alexander-Great-Logistics-Macedonian-Army/dp/0520042727
かなり評判が良いらしいけど読んでないので何もいえない。
中世に関しては
http://www.au.af.mil/au/awc/awcgate/army/medieval_logistics.htm
を見つけた。
>>1万5千全部騎乗してるの?
戦闘に参加した騎兵の数なのでそうなると思う。
下馬騎士とははっきりと区別されてたし。
>>となるとその支援要員は3万は必要と思われるけど
馬一頭に二人もいるの?
それとも軍全体の支援要員?
>>その人数はドコにいるの?
知らない。
と言うか歩兵が少ないのはそのせいじゃないか(支援要員に人口が取られた?)?

http://www.amazon.com/Alexander-Great-Logistics-Macedonian-Army/dp/0520042727
http://www.au.af.mil/au/awc/awcgate/army/medieval_logistics.htm
235名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:47:39 ID:???
>>234
日本の場合だと
>>11にある騎兵22人の支援要員は58人ですよね
ナポレオン時代のフランスの騎兵連隊だと
騎兵の数は500程度だけどソレ以外に支援要員の軍属が約1000人ぐらい居る
のが一般的だったらしいので
そのへんどうなのかな?って思ったのですよ

たとえば
>>11の騎馬組も80人の部隊と書くことも出来るし22人の部隊とも出来るから
欧州の当時の部隊の内訳はどうなのかな?って思ったのです

>>227で出た騎兵1万五千・歩兵9千の例も
例えば支援要員込みの人数だと仮定したら
1万5千の騎兵部隊は5千の騎兵と1万の支援要員になりますし
そうなると全体の2万4千のうち騎兵は5千で
比率的にはそう高いものではなくなりますし
支援要員無しで騎兵1万5千であるとするならば
どこかに別に支援要員は必ず必要なわけで
>>11の支援要員込みの編成と比率を比較するのは適当で無いと思ったわけです
(支援要員3万はあくまで推定ですが>>11の例やナポレオン時代の連隊などをみるに1万5千の騎兵の支援にはその程度必要でしょう)
236追記:2007/05/26(土) 02:53:31 ID:???
>馬一頭に二人もいるの?
>それとも軍全体の支援要員?
一応騎兵部隊全体の支援要員のつもりで話してます
>>11の編成がそうですからね
馬は相当に手間のかかる動物でから
大量の草を定期的に与えて大量の水をしっかりあたえて
しっかり面倒見ないとすぐ胃腸を悪くします
ソレだけの物資の輸送の他に馬具の修理の職人なども必要ですし
騎兵の運用は手間のかかるのもですから
もちろんソレ以外の一般部隊にも必要な支援要員も騎兵部隊には必要ですしね
騎兵部隊の支援要員は普通の部隊の数倍は必要でしょう

この支援要員がどの程度必要かは条件などによってマチマチなのでなんとも言えないところなので
資料があるのかな?って思って聞いたわけです
上のレスで書いた数はあくまで他の国や時代の部隊を見ての
私の勝手な推定に過ぎませんので(根拠のあるものではありません)
中世の欧州ではどうだったのかな?と
237名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:58:53 ID:???
>>235
>>236
よく使う海外の古代・中世軍事史のヲタが集う掲示板があるからそこで聞いてみる。
238名無し三等兵:2007/05/26(土) 03:08:14 ID:???
根拠は特に無いが常備化・専門化したナポレオン時代の軍隊とは違い中世の軍隊は騎手自身がある程度馬の面倒を見たんじゃないか。
特にポーランドは
騎士:重装騎兵
その従者:軽騎兵
そのまた従者:歩兵
となってたから軽騎兵の馬は戦闘員でもある従者が世話をしたのかもしれない。
それにポーランド軍の騎兵の大部分は軽騎兵だったし。
239名無し三等兵:2007/05/26(土) 05:45:29 ID:???
当世具足は江戸期になってから登場したってのは与太話?
240名無し三等兵:2007/05/26(土) 07:00:55 ID:???
>>226
攻城兵器には分解組み立てするものと
現地で製作するものと2種類ありますよ…っと。

城壁に取り付いて兵士を送り込む塔型なんかは現地組み立て。
製作に技術やある程度の期間が必要な複雑構造や高度なものは
あらかじめ作ってから運んだ。
製作に必要な設備のある工房でしか作れない部品のみ輸送して
他は現地、という手段もあったけどね。


>>233
より正確には中国の城に対する投石器は城壁を破壊するのではなく
城壁の内側に石弾を届かせるための物。
西洋のも大体同じだが城の形態によっては構造物破壊にも用いられる。
241名無し三等兵:2007/05/26(土) 07:55:13 ID:???
>欧州より日本のほうが全体的に険しい地形が多いのは事実ですから

言ってる事が理解出来ない。
人の住めない又は耕作できない林業主体の土地を含めれば険しい地形が多いのは事実だよ。
もちろん城、館のある場所の殆どは小高い丘陵や低山(標高差もせいぜい203m程度)で
周囲には河川や田畑がある。
それに山谷が多い土地なんてヨーロッパにも幾らでもある。
説明になってないと感じる。

>重量物の輸送は日本の方が地形的制約と障害をうける可能性が高いのは事実でしょ?

言ってる事が理解出来ない。
普通攻城兵器は現地で作る物だろう。
分解して輸送したりなんかしない。
説明になってないと感じる。
242名無し三等兵:2007/05/26(土) 16:16:39 ID:???
単にトレビュシェット等を開発する技術が無かったからじゃないか。
243名無し三等兵:2007/05/26(土) 20:18:13 ID:???
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244名無し三等兵:2007/05/26(土) 21:16:43 ID:???
>>230
>>231
>士分の人間が備の弓隊を構成する事はあったのですか?
これは「ある」んじゃないかな。

信長公記に、信長馬廻りの弓衆(確か福田なんとかって名前)が、馬廻は、信長の家族連れて岐阜から安土に引っ越せという命令に違反して
単身赴任していたため、だれもいない安土の家で出火した、信長が怒って引越し命令を守っていない連中を調べ上げて岐阜の家を焼いて家族を無理やり
安土に移したとかいうエピソードがあったと思う。

名字を持った侍だから、この人は士分じゃないのかな。
弓衆というくらいだから、弓装備した連中が集まって部隊編成していると思うんだけど。


245名無し三等兵:2007/05/26(土) 21:27:15 ID:???
浅野長勝も元は信長の弓衆だな。
246名無し三等兵:2007/05/26(土) 21:49:00 ID:???
足軽でも弓や鉄砲足軽のような技能系はそれなりの待遇ですから、苗字を持っていてもおかしくないかと
247名無し三等兵:2007/05/26(土) 22:47:30 ID:???
>>241への説明
人の住んでいる場所から人の住んでいる場所への移動経路の話
>人の住めない又は耕作できない林業主体の土地を含めれば険しい地形が多いのは事実だよ
って自分でも認めているように、日本では街から街、城から城への
移動経路にそれらの土地がある可能性が高いから
(欧州と違って運河になるような流れの緩やかな大河も平原も少ないしね)
人員の移動と物資の輸送は欧州に比べて大変な事が多いよって言いたかった

で、重量物である投石器は現地で作るものだが
重要部品は工房で作って運ばないといけないし
製作用の道具・人員(その人員の為の物資)も移動しないといけない
街道整備も不十分な戦国期ではそれらの移動は
日本では結構大変だったんじゃないかなって話

もちろん日本で投石機が使われなかったのはソレだけが理由では無いと思うけどね
あくまで一因としてあげてみた

>>226
を見る限り、輸送経路における土地の条件が
同等であるかのように書いてあるように見えたので
日本と欧州では輸送経路における条件とソレに必要な労力は違いますよ
レスしてみました。それでも、あなたが
>説明になってないと感じる
のでしたら、私の日本語力不足です
248名無し三等兵:2007/05/26(土) 23:27:20 ID:???
スイスで投石器が使われたことはあるんかな?
249名無し三等兵:2007/05/26(土) 23:36:07 ID:???
>>241
>それに山谷が多い土地なんてヨーロッパにも幾らでもある。
>>247

地元というか県内に江戸時代以前から使われている
交易の主要ルートだった街道が史跡として残されているのだが、
マジ獣道というか、登山道と同じすごく険しくて道幅も狭い。
こんなものが主要な街道だったなんて…と唖然とする。

もちろんこの街道は戦の時にも移動・輸送に使われたはずだ。
つーかね、人間が移動するだけでかなり大変な道路なんだよな…
街道が、それも全国的にちゃんと整備されたのは江戸時代以降だし


というか日本は山の閉める割合がすげー多いんで、近代以前の街道は
登山道となんら変わらない。 欧州なんて比にならないよ?
250名無し三等兵:2007/05/27(日) 05:04:14 ID:???
>重要部品は工房で作って運ばないといけないし
その重要部品はどんな物?
兵糧その他の物資、資材と比して輸送できない物?
投石器の種類と大小次第では輸送にかかわる労力も変わると。

>製作用の道具・人員(その人員の為の物資)も移動しないといけない
野戦はともかく攻城戦で技術部隊連れて歩くのはごく普通だし。

>つーかね、人間が移動するだけでかなり大変な道路なんだよな…
人が生活するなら材木、瓦、漆喰等の建築資材から味噌、酒、米等の日用品まで
現地で生産できない物は外部からの輸送により成り立っている。
輸送は不可能ではないし必要性次第。
251名無し三等兵:2007/05/27(日) 07:02:25 ID:???
>マジ獣道というか、登山道と同じすごく険しくて道幅も狭い。
現在の登山道でも幕末〜戊辰戦争時には大砲を分解して輸送してるよ。
川を渡ったり峠を越えたり。
太平洋戦争時にも大砲、弾薬等の山林での歩荷輸送はしている。

輸送は出来ない事は無いし
あくまでも必要であるか無いかだと思うけどね。
252名無し三等兵:2007/05/27(日) 12:40:57 ID:???
確かに日本の道路事情は悪い。
でも、例えば大砲が普及したあとも戦国の世が続いていたら道路は発達したんじゃないの?

道路が発達していないから大砲・攻城兵器が普及しないんじゃなくて、
大砲・攻城兵器が普及していないから(必要性がないため)道路が発達していない、だと思う。
253名無し三等兵:2007/05/27(日) 17:20:16 ID:???
>>252
舗装道路による経済の発展と軍の迅速な移動。
大砲・攻城兵器の移動よりずっと重要だ。
単に日本に舗装道路を作るノウハウとあっても作れる中央集権政府が無かっただけじゃないか。
254名無し三等兵:2007/05/27(日) 17:47:39 ID:???
幕末の戦闘でも野砲は船で運び、陸路は山砲だったでしょ。
日本の輸送事情の悪さは主要街道ですら荷車は使えず、人担、駄載のみだった事だ。
江戸時代になってもほぼ重量物は舶載で輸送だね。
荷車を運用できる道路は作ろうと思えば作れただろうが、>>253の言う政権の問題と
河川、海上交通に多くを依存する物流構造が成立していたという事もある。
255名無し三等兵:2007/05/27(日) 18:08:45 ID:???
戦国の合戦で攻城具が必要になる可能性があるのならばかなり後期になるな。
なんせ大した土木も施されていないのでそんな道具作る暇があるならば攻め落とす、
というのが原則だろう。長引くと味方が家に帰っちゃうし。無論梯子程度は現地で作っただろうけれどね。
256名無し三等兵:2007/05/27(日) 18:23:15 ID:???
城を攻め落とせそうにない場合は、略奪して帰る。
これがむしろ目的の場合も多そうだ。
257名無し三等兵:2007/05/28(月) 00:32:30 ID:???
幕末〜戊辰戦争時の大砲の輸送は比較的資料があるので、読むほうがよいかなと
シュラにのせて人力引きが基本です
当時の日本には多頭引き馬匹の技術がありません
結果、人力輸送ができる重量で砲が限定されるわけで

佐賀藩自慢のアームストリング砲、奥羽列藩同盟攻略戦では輸送の都合で全く役に立ってません
船に乗せてるならいいだけど、下ろしてからの陸路輸送の目処がたたん

戦国時代の街道・・・今も残ってる街道跡を歩いてみろよと
基本的にちょっとマシな登山道です 平野部は遊歩道相当かな
258名無し三等兵:2007/05/28(月) 00:38:44 ID:???
日本の河は輸送手段じゃなくて障害だしねー
259名無し三等兵:2007/05/28(月) 07:17:11 ID:???
260名無し三等兵:2007/05/28(月) 09:12:07 ID:???
>河川、海上交通に多くを依存する物流構造が成立していたという事もある。
河川交通でも分水界だけ陸送すれば他は全区間水上交通で陸地も横断、縦断
できなしな。
261名無し三等兵:2007/05/28(月) 13:47:29 ID:uwRy/TQd
戦国期には道路事情が悪く陸上を貨物を輸送する事は困難
また、河川は輸送の障害でしかない。



戦国期には物流など存在しない。
何故それが理解できない?







262名無し三等兵:2007/05/28(月) 15:32:57 ID:???
んな訳あるかい。ちみ、何のためにお足があるのか分からんのかね
263名無し三等兵:2007/05/28(月) 15:54:25 ID:???
物流なしでなんで鉄砲が全国に普及したか教えてくれよ。
鉄にしてもそうだ。
264名無し三等兵:2007/05/28(月) 15:56:41 ID:???
京都の町が何で存続できたり、堺や博多に商人が大勢いた理由も教えろよ。
265名無し三等兵:2007/05/28(月) 20:28:36 ID:???
>>261-264

人力輸送ですが?
陸路の場合人間が背負って運べる量(一人当たり)までしか物流に乗せられないんだよ。
馬や牛を輸送に使う場合も背に載せるのが主流だし、荷車を牽かせるのは
道路事情の悪さから街道が整備される江戸期以降まで困難だったし。
あと牛馬に食わせる糧秣の調達の関係上、コスト的に難しいという側面もあって
牛馬輸送はかなり制限があった。
(いっとくけどその辺に生えてる雑草でも食わせろとかド素人な事は書くなよ?
栄養失調で死ぬからな。 あと牧畜可能な地域が日本は少ない)


逆に言えば、人力輸送で流通が可能な範囲と規模までなら、成り立っていたって事だが。

266名無し三等兵:2007/05/28(月) 20:38:04 ID:???
>>237
>よく使う海外の古代・中世軍事史のヲタが集う掲示板があるからそこで聞いてみる

 どこですか? もしよろしければ御教授いただけませんか?
267名無し三等兵:2007/05/28(月) 20:50:19 ID:???
>>266
http://www.twcenter.net/forums/forumdisplay.php?f=7
厨もいるけど20年間中世史について研究した人間などの本物もいる。
ちなみに質問をしたスレはここ。
http://www.twcenter.net/forums/showthread.php?t=100945
268名無し三等兵:2007/05/28(月) 20:50:48 ID:???
物流なら、人力や馬(馬借)もだけど、主流は水運でしょ。
今は、田んぼの中の用水路になっているような川でも、当時は輸送に使われてたりした。

うちは、城下町の郊外だけど、城下に船で物資を運んで帰りに汗を流すため設けられた、共用風呂があった場所が地元の伝承で残っている。
現状は、コンクリートで周りを固めた小さな川で舟を運用できそうもないけどね。

269名無し三等兵:2007/05/28(月) 20:51:08 ID:???
>>265
牛馬輸送の話でなく
>>261-264
に答えろよ
270名無し三等兵:2007/05/28(月) 20:54:28 ID:???
>>265
中学あたりの日本史時間からやり直してきた方が良いよ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E5%80%9F

馬借(ばしゃく)は馬を利用し、荷物を運搬する輸送業者。主に室町時代から戦国時代にかけて活躍した。

輸送方法は馬の背に荷物を掛け、それを人が追う形をとる。

大津、坂本、淀などの水陸交通の要地や主要街道沿いの町に集団で住み、船で運ばれたものを京都や奈良など、当時消費の激しかった地域に運び込んだ。

その組織力や情報の得やすさなどから、室町時代には、一揆の中心にもなり、正長の土一揆や嘉吉の徳
政一揆などが知られているが、後者では一揆の攻撃対象となった比叡山延暦寺の保護を受けていた近江
の馬借が一揆から離反して、馬借勢力そのものが分裂している。また、延暦寺が鎮圧の先頭に立った天文
法華の乱では、京都につながる関所を封鎖して法華宗勢力が抑える京都を経済封鎖した。

「石山寺縁起絵巻」にその姿が描かれているものが有名。似た職種に車借が知られている。
271名無し三等兵:2007/05/28(月) 20:56:01 ID:???
>その重要部品はどんな物?
>兵糧その他の物資、資材と比して輸送できない物?

輸送ができないというより現地で「原材料」が調達しにくいか、
何処にでもあるわけでもないものだろう。
木材部品一つとっても、木の種類で強度がずいぶんと変わるし、
必要な木材の大きさ(樹齢が達しているか)とかの要素も加えると、常にあるとは限らない。
(例えば建築材とかではカラマツは加工後に反って曲がってしまうので
家などを立てる材料に使ってはならないとされる。 最近は反り防止の技術があるが)

まあ接着剤に松脂が必要なのにこの辺松が全然生えてねえ!なんて類の事は無いだろうが…

あとは、もし材料があったとしても、現地で常に加工ができるのか、
道具・設備は揃うのか、という問題がでてくる。
そろえている間に戦争終わっちまうぞ!なんてのも考えられる話。
272名無し三等兵:2007/05/28(月) 21:00:42 ID:???
>>270
>大津、坂本、淀などの水陸交通の要地や主要街道沿いの町に集団で住み、船で運ばれたものを京都や奈良など、
だから馬借はそういう特定地域にでしか活動できなかったわけだが。
馬借が単体で陸路の長距離輸送は不可能。
273名無し三等兵:2007/05/28(月) 21:10:53 ID:???
>>272
>逆に言えば、人力輸送で流通が可能な範囲と規模までなら、成り立っていたって事だが
と矛盾しますね。
水域交通を認めるわけですね。
陸上輸送が困難だから投石器の製造が困難と言う話でないのですが?

>主要街道沿いの町に集団で住み
主要街道には居たようですが。
274名無し三等兵:2007/05/28(月) 21:20:06 ID:???
>マジ獣道というか、登山道と同じすごく険しくて道幅も狭い。
>こんなものが主要な街道だったなんて…と唖然とする。
登山道と同じ程度で獣道扱いですか。
一般登山道でなく獣道なんぞ地理に明るい猟師か『山岳会』などでしか入れませんし
踏み固められた一般登山道と危険度、歩きやすさも大違いです。
それで山屋気取りとはかっこいいですね。

>戦国時代の街道・・・今も残ってる街道跡を歩いてみろよと
>基本的にちょっとマシな登山道です 平野部は遊歩道相当かな
ヘリの無い頃から植生限界超え、ガレ場、急斜面の続く高山域でも建築資材、食料等運び込んで
山小屋の建設、維持されてきましたけど。
また、現代以前には徒歩でしか入れない場所でも膨大な建築材料持ち込んで
神社その他の建築物建造されてましたけど。(奥日光等)
275名無し三等兵:2007/05/28(月) 21:29:21 ID:???
>>273
別に矛盾はしないが…
あと水域交通の否定なんてしてたっけか。

人力や馬借で投石器部品の運搬が可能なら可能だったろうよ。
もちろん可能な範囲で、そしてそれがコスト的に見合うものならね。
水路輸送でも可能ならそうするだろう。



軍板はオールオアナッシングで考える奴が多すぎて困る…
馬借がいる=全国的に流通・輸送が成立するでもなければ
人力で運ぶしかない=何も運べないでもないだろうが。
あと主要街道は輸送が簡便だから主要街道たりえるんだろ?
それはもちろん地形的に環境に恵まれている・条件が整っていた、からだし。

そりゃ運ぼうとするだけなら手間隙と時間を無制限に使えばなんでも可能だろうよ。
276名無し三等兵:2007/05/28(月) 21:33:44 ID:???
>>一般登山道でなく獣道なんぞ地理に明るい猟師か『山岳会』などでしか入れませんし

お前にとっての獣道は猟師しか立ち入り可能な地域にしか存在しませんかそうですか。
すげーな、うちの畑や近所の人たちはは一般人が入っていけない場所にあるんだ?
277名無し三等兵:2007/05/28(月) 21:33:59 ID:???
あら、水上交通は物流じゃない、という訳か。
278名無し三等兵:2007/05/28(月) 21:34:11 ID:???
>木材部品一つとっても、木の種類で強度がずいぶんと変わるし、
戦前までの里山はおよそ必要な樹種が全てそろうよう硬、軟、針葉樹、広葉樹一通り植えてます。
で、投石器に必要な木は何ですか?
調達しやすい木で製作の前提での設計では駄目なのですか?

>必要な木材の大きさ(樹齢が達しているか)とかの要素も加えると、常にあるとは限らない。
細い樹木が多いのは戦後の植林以後ですし、調達できる木での製作前提では駄目なのですか?

>(例えば建築材とかではカラマツは加工後に反って曲がってしまうので
>家などを立てる材料に使ってはならないとされる。 最近は反り防止の技術があるが)
唐松は高山で自生するものです。
反って曲がるのは板材です。薄い板材で輸送困難なほどの投石器を作るのですか?
279名無し三等兵:2007/05/28(月) 21:39:39 ID:???


で、投石器は?


280名無し三等兵:2007/05/28(月) 21:44:08 ID:???
>>278
>戦前までの里山はおよそ必要な樹種が全てそろうよう硬、軟、針葉樹、広葉樹一通り植えてます。

その一方、中世ごろに伐採のしすぎで木が不足、禿山ばかりになって
土砂崩れなどの弊害を引き起こしてるけどな。
何処の国でも歴史上おなじくらい発展したころにほぼ同じ事を経験してるけど。
森林育成・管理に手を加えるようになったのはそれ以降。
281名無し三等兵:2007/05/28(月) 21:50:29 ID:???
だから要するにその時代の道路整備事情がどのくらいでどこら辺の地域の
流通がどのくらい盛んで、どこら辺の地域はどのような交通事情で、
どこからどこまでの輸送に何を使っていたか、そしてその輸送手段を
用いてまで目的の物を輸送することが果たしてコスト的に見合うかどうか、だろ?

輸送手段として方法にこんなのがある=即いつでもどこでもどこまでも輸送可能
では絶対にないんだし。
でもって輸送した結果、たいして使うわけでもなく戦争が終わってしまうようなものは
そりゃあ多少無理してまで運ぶ必要なんて元からなかったわけだし、
そんなのは現地で作ったとしてもやはり重要性低いのは同じことだ。
282名無し三等兵:2007/05/28(月) 21:56:14 ID:???
クックック、揉めろ揉めろ。
283名無し三等兵:2007/05/28(月) 21:59:00 ID:???
>調達しやすい木で製作の前提での設計では駄目なのですか?

投石器に必要な木材が何かは詳しくないが、一ついえるのは
それは調達可能な金属で製作前提で武器をそろえるのでは駄目なのですか?
と聞いてるのと同じことだぞ。
どんな材料でも必要な強度や剛性粘性を維持できるなら良いが
青銅とかで剣や槍使って鉄の剣や槍と戦いたくはない。
284名無し三等兵:2007/05/28(月) 22:04:43 ID:???
>>278
>唐松は高山で自生するものです。

おまえさん、唐松の部分は例えで出してる部分だろうが。
たんなる揚げ足取りだけのレスになってるぞ。
投石器はどんな材料でも作れるなんて知ってるかどうかしらんが、
自分でもわからん部分に無理して噛み付くならみっともないからやめとけ。
285名無し三等兵:2007/05/29(火) 00:30:49 ID:???
戦国時代だとまだ原生林が多かったり
山から木を切るにせよ、里まで下ろしてくるのが大変だよ

少なくても、信州から東はまともな街道がない
上杉の遠征用道路のあたり調べるとよいのかな
冬季は雪崩の危険もあるし

今残ってるのは、江戸時代になって整備された街道が多いですね
286名無し三等兵:2007/05/29(火) 01:46:20 ID:???
なんでこんな話題で荒れるんだ?
287名無し三等兵:2007/05/29(火) 02:42:44 ID:???
>どんな材料でも必要な強度や剛性粘性を維持できるなら良いが

で、投石器に必要な木は何ですか?

>投石器に必要な木材が何かは詳しくないが、一ついえるのは

でその木材の種類の材質もわからないのに何故作れないと言い切れるのだ?

>山から木を切るにせよ、里まで下ろしてくるのが大変だよ

で、馬防柵などの木材は調達できるのに
投石器製作の為の木材はそれほど調達が大変とは驚きですな。
288名無し三等兵:2007/05/29(火) 03:25:04 ID:???
>>287
ちょっとまて
投石機に必要な木材と馬防柵に必要な木材はまるで違うぞ?

馬防柵なんてある程度の太さと強度があれば多少沿ってようが
材質特性がどうあろうが多少曲がってようが柵は出来るが

投石機用の木材となるとそうはいかないだろ?

木にはそれぞれ材質とか特性とあるんだ。
ある物を作るのに
木ならなんでもいいというワケでは無い
投石機ってのは
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cb/Replica_catapult.jpg
こんなのだぞ?

ところで質問
多分、先日から輸送やら運用は日本では
欧州に比べて大変だった〜から普及しなかったのでは?って意見を
ことごとく否定しているのは貴方であると思うけど
貴方としてはどのような理由で日本では
投石機が普及しなかったと考えているのかな?
289名無し三等兵:2007/05/29(火) 03:43:42 ID:???
>>288
オチツケ

>>287
ここの議論が気に入らないのか何なのか
良くわからないのだが
あなたが他人の言葉尻をとらえて
煽り文句で否定意見ばかり並べるので
正常な議論が成立していない
もうすこし考えた発言をお願いしたい

まず貴方の主張している意見を
全部・具体的にまとめて示して貰えないだろうか
多分その方が整理して議論を進める事が出来ると思う
290名無し三等兵:2007/05/29(火) 20:14:17 ID:???
>>287は基本的な知識も無いくせに議論スレや創作スレ・質問スレに
紛れ込んできて揚げ足取りと荒らしばっかりやってる通称「age蛆虫」の可能性が大。
291名無し三等兵:2007/05/29(火) 20:15:53 ID:???
議論スレと質問スレに常駐してるがその通称初めて聞いたぞ
292名無し三等兵:2007/05/29(火) 20:24:19 ID:???
議論スレと質問スレではsageで紛れてる事の方が多いからね。
でなきゃID出してる事も。
創作関連や自治スレではageとメ欄に入れるのでage厨とか蛆虫とか言われる。
目的が荒らし&構ってちゃんなんでスルー推奨。
293名無し三等兵:2007/05/29(火) 21:23:39 ID:???
そもそも、投石器に最適な木ってのがあるとしてだ、
日本以外ではその木がどこでも手に入るのか?
必要な量・必要な大きさで。

それとも、自国で常に用意しておいて、えっちらおっちら遠征先まで持っていくのか?

最適なものがないなら、あるもので代用するんじゃないの?
投石器がダメなら、坑道掘るでもよし、土盛り上げて進入するもよし。

294名無し三等兵:2007/05/29(火) 21:26:29 ID:???
>>293
日本の構造物はその殆どが木造だから、石を投げるより火矢を放ったほうが
効果があるし、手軽。
295名無し三等兵:2007/05/29(火) 22:38:37 ID:???
栗の木使いたいかと<投石器
生木だと反るから、乾燥工程が必要だ

部材かついて攻めにいきたいけど、道がショボイ
普通に歩兵を突っ込ませて済むならその方がいいわな
攻城兵器もってくだけ兵糧やらの輸送が圧迫される(道が狭くて追い越しできない) 

戦国時の城の本体は土塁というか切岸
人工的な崖と言えばいいのか
296名無し三等兵:2007/05/29(火) 22:57:12 ID:???
結局、投石器やその他の攻城兵器の木材は何なのだろうか。
297名無し三等兵:2007/05/29(火) 23:20:43 ID:???
材木ですよ
298名無し三等兵:2007/05/29(火) 23:26:33 ID:???
つまらん
299名無し三等兵:2007/05/29(火) 23:32:19 ID:???
>>296
この質問がそもそもおかしいぜ
300名無し三等兵:2007/05/29(火) 23:45:23 ID:???
>>296
地域によって違うので、知ってる範囲しか答えられない
北の方では街道未整備もあって基本的に攻城兵器は使われていません
シュラに使ったのは栗の木

群郭式城郭での攻城戦はともかく、迂回浸透の後方遮断が主ですね
元々、道がないから道以外を浸透しやすい
馬出や虎口が発達する前だと、なんだかんだと落とされてるかと(印象)
功名心での突撃で一箇所落とされると、郭が狭いだけに止められない
301名無し三等兵:2007/05/30(水) 06:47:22 ID:???
>>299
何故?
302名無し三等兵:2007/05/30(水) 07:53:43 ID:???
中の人が動揺して逃げ出したりとか・・。
郭ごと寝返り等で。
303名無し三等兵:2007/05/30(水) 08:06:01 ID:???
>>301
栗だの杉だの松だの宮大工じゃないんだから
投石器に使うのは材木。木の種類は問題外だろ。
目的とする材木が手に入らなかったらどうするんだ?
304名無し三等兵:2007/05/30(水) 08:41:29 ID:???
つまり、製材した材木が現地に無ければと言う意味?
305名無し三等兵:2007/05/30(水) 09:28:31 ID:BZf/XyWJ
現地で材木など手に入る分けないからね。
西洋でも自国で大量の材木を用意し
(天然乾燥だと乾燥するのに年月がかかるから)
何年もかけて材木を備蓄し、篭城戦もありうると
野戦の時も大量の材木を輸送し、野戦で勝って始めて攻城戦に取り掛かる。

その時に材木を利用して投石器を作るんだ。
306名無し三等兵:2007/05/30(水) 10:02:00 ID:BZf/XyWJ
厚さ数センチの板材でも天日での感想期間は数ヶ月もかかる。
太い材木なら乾燥期間は年単位でかかる。
307名無し三等兵:2007/05/30(水) 17:32:54 ID:???
投石機使っても土塁や切岸を破壊できるわけではないし、
建築物も急ごしらえのもので火責めのほうが早いとなれば、投石機を準備するよりは、
兵糧が切れる前に城攻めするだろう。本気の時は。
308名無し三等兵:2007/05/30(水) 17:39:41 ID:???
ぶっちゃけた話、城壁を破壊出来るカタパルトなんて存在しない。
あくまで城内に石やらなんやらを投げ込む為の物。
辛うじて損傷出来るのはトレビュシェット位だ。
309名無し三等兵:2007/05/30(水) 19:24:52 ID:???
>>303
そうじゃなくて、投石器に使う材木に適した木の種類は限られるだろってこと。
「材木」っていう種類の木があるわけじゃないんだから。
310名無し三等兵:2007/05/30(水) 19:28:20 ID:???
とりあえずその戦闘の間だけ保てばいいんだから、丈夫で手に入りやすい木なら何でもいいんじゃないの?
生乾きの木を使ったって、乾燥の進行によるゆがみが問題になるような構造物じゃないんだし
311名無し三等兵:2007/05/30(水) 21:12:55 ID:???
実際の所等住宅に使われるようなポピュラー木の多くは比較的手に入りやすく
狂いが少ないわけで投石器の製作に向くと思うのだが。
312名無し三等兵:2007/05/30(水) 21:25:03 ID:???
あっても意味ないんだけどね
313名無し三等兵:2007/05/30(水) 21:35:42 ID:???
投石機が普及しなかった訳は別に木材の問題じゃないでしょうが。
314名無し三等兵:2007/05/30(水) 21:43:50 ID:???
必要なかったから、以上。
315名無し三等兵:2007/05/30(水) 21:49:42 ID:???
うむ
316名無し三等兵:2007/05/30(水) 22:15:48 ID:???
>>310
歪んだらちゃんと飛ばなくなるんじゃないか?

>>313
それには同意
>>314
だね
317名無し三等兵:2007/05/30(水) 22:26:37 ID:???
>>316
まっすぐ飛ばないなら、位置を変えたりして目標位置を修正すればいいだけじゃないか。
野戦で使うわけじゃなくて、基本的に相手は動かない建造物とかなんだから。

投げる石も、規格化されている現代の大砲の弾なんかと違って、大きさや重さがばらばらだろうから
投石器という兵器の命中率自体も高くないだろう。

目標の近くに当たればいいとかそういう感じじゃないの?
精度より手数でいけばいいんじゃないかな。


318名無し三等兵:2007/05/30(水) 22:42:49 ID:???
>>317
「ぼくの思う投石器」あげてみ
おそらく、まともに飛ばないもんだと思うが

日本の攻城戦の場合は「仕寄り」の構築が普通かな
土俵や盾で火力拠点を野戦築城
火力援護の下で堀を埋めながら突撃

構築中に逆襲食ったり、火力負けしてみたり
319317:2007/05/30(水) 23:01:26 ID:???
>>318
>「ぼくの思う投石器」あげてみ
>おそらく、まともに飛ばないもんだと思うが
何を聞いているのか、よくわからん。

使っている材料が万全でなくとも(多少曲がっている、乾燥が足りないとか)、投石器としての機能は対して変わらんのではといったつもりなんだが。
日本で普及しなかったのは、材料がどうのこうのって話ではなくて、他の攻城方法のほうが日本の城相手では効果が高かったってこと。

320316:2007/05/30(水) 23:23:24 ID:???
>>319
部材が曲がったり乾燥足りなくてゆがみが出てると
まっすぐじゃなくて機械としてうまく動作しないんじゃないかな?って事
>>288の写真に出ている投石機で言うと
右や上の支柱の部分なんか歪んだり曲がってもまっすぐ飛ばないだけで
貴方の言うとおりだと思うけど
左や下の駆動する部分とかが曲がってたり乾燥足りないと
スムーズに機械が動かなくて結果として方向はともかく
飛距離が出なかったり最悪飛ばすことすら出来ないんじゃないか?って
前から話題になってた工房で作って運ばなければならない部品ってのは
ココの部分の部品の事だと思う

ちなみに後半部分の
>日本で普及しなかったのは、材料がどうのこうのって話ではなくて、他の攻城方法のほうが日本の城相手では効果が高かったってこと。
これには同意

>>318
あまり煽るなよ
321名無し三等兵:2007/05/30(水) 23:32:57 ID:???
>>320
上の横になってる木材はバネだから
(弓の役目と同じ)
乾燥してないとバネとして機能しないんじゃないか?
322名無し三等兵:2007/05/31(木) 06:41:14 ID:???
生えてる木でも撓んで元にもどるけど。
323名無し三等兵:2007/05/31(木) 09:11:03 ID:???
そりゃ1回ならな
324名無し三等兵:2007/05/31(木) 09:13:04 ID:???
強風に吹かれても何度でも元に戻るけど。
325名無し三等兵:2007/05/31(木) 10:22:19 ID:???
ふつうは火をかけると思うんだけど。
326名無し三等兵:2007/05/31(木) 10:35:00 ID:???
火のついた硫黄を投げ込んだり?
327名無し三等兵:2007/05/31(木) 22:30:59 ID:???
>>324
そりゃ生きてるからな

カタパルトの反動に使うなら
やっぱきちんと処理してないと威力も出ないだろ
328名無し三等兵:2007/05/31(木) 23:05:37 ID:???
>>322
弓の製造工程、ちびっと調べてみるのが良いかと
かなり手間かかってるよ
329名無し三等兵:2007/06/02(土) 08:07:54 ID:???
それは「手間かかってる」ってより「手間かけてる」ってのが正しい。
330名無し三等兵:2007/06/02(土) 09:16:49 ID:???
しかしある程度手間掛けて処理しないと(弓ほどじゃないしても)
生乾きのそこらで切っただけの木材で
カタパルトのバネにはならんだろ
>>288で出てる写真のヤツだって
ちゃんと処理してあるみたいだしな(他の部材と色が違う)
331名無し三等兵:2007/06/02(土) 10:27:49 ID:???
射程距離が落ちようが、耐久性が落ちようが、必要なら使うんじゃないか。
今必要だけど、ベストの材料が無いので造りませんなんて馬鹿だろ。
332名無し三等兵:2007/06/02(土) 11:48:22 ID:???
>>330

>>288の投石器は、木のバネなんて使ってないよ。
あの角度だと良く見えてないが、台車側にロープで捻りバネだ。
基本的に木材自体は強度さえ出れば良い。
333名無し三等兵:2007/06/02(土) 11:50:35 ID:???
てか、投石機ってカウンター・ウェイトを使うんじゃ
334名無し三等兵:2007/06/02(土) 11:57:08 ID:???
>>333
カウンターウェイト方式だと、オナガーやトレビュシェット。
こっちの方がカタパルトより大きなものが造れる。
中国では、回々砲の名で実用化されているね。
335名無し三等兵:2007/06/02(土) 12:13:40 ID:f7YlGT6L
戦国期日本と海外諸国の戦力比較
ttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1161272994/

679 名前:人間七七四年[] 投稿日:2007/06/02(土) 11:37:30 ID:ukMD9Awo
近代以前の武器消耗は少なく、水・食糧などの補給も当時は現地調達が基本。
ナポレオンや普仏戦争の頃も微妙に現地調達。今でも可能なら現地調達。

豊穣な北アフリカで現地調達しながら戦ったからローマ軍は成功した。
朝鮮の場合は元々生産が低く自治能力も貧弱、腐った統治状態に治安悪化で地域社会が連鎖的に自己崩壊していった。
飢えたのは日本軍だけではない、地元の朝鮮軍も援軍の明軍も一緒。
むしろ本国からの輸送に頼れる日本軍の方が遙かに活動的に軍を動かしている。
336名無し三等兵:2007/06/02(土) 13:28:38 ID:???
>>近代以前の武器消耗は少なく、水・食糧などの補給も当時は現地調達が基本。
この時点で読む気を無くした。
337名無し三等兵:2007/06/02(土) 13:42:21 ID:???
「補給戦」にもそのように書いてるが。
338名無し三等兵:2007/06/02(土) 14:15:43 ID:???
古代も中世も腐る程輜重や小荷駄隊の記述が出ている。
古代では行軍中は輜重隊は必ず中心に配置しろ等の記述がガリア戦記等に何度も出てるし中世では輜重隊の移動ルートや編成などの計画書が実際に残ってる。
現地調達も当然されていたしその比率は現在よりずっと高かったが現地調達だけで物資を賄う軍隊なぞ存在しない。
339名無し三等兵:2007/06/02(土) 14:18:25 ID:???
そら、「だけ」ってのは無いだろ。
しかし、現地調達が大部分を占めていて、それ無しでは成り立たなかったのは事実。
340名無し三等兵:2007/06/02(土) 14:38:43 ID:???
>>267でついた返事には
‘The Transport of Sick and Wounded Soldiers in Classical Greece’ by Rachel Hall Sternberg in Phoenix (Vol. 53, No. 3/4 (Autumn, 1999), pp. 191-205).
‘Alexander's Intelligence System’ byDonald Engels in The Classical Quarterly (New Series, Vol. 30, No. 2 (1980), pp. 327-340)
Alexander the Great and the Logistics of the Macedonian Army. by Donald W. Engels
と言う本に古代ギリシャの兵站システムが詳しく解説されているとの事。
>>339
例えば馬に食べさせる糧秣なんかはどっかから輸送させなきゃ無理でしょう。
その辺の草を食べさせるんじゃないんだから。
輸送と言ってもあくまで本国からではなく近くの街や居住地でしょうが。
現地調達=敵地深くでの行動でそれ以外の手段が無い時や物資が乏しい時(カエサルのブリタンニア侵攻等)
近くの居住地等からの輸送=通常の手段
本国からの輸送=現地で得られない物がある時
と言った所じゃないでしょうか。
確かクラウディス帝のブリタンニア侵略の時にはガリアから何百回も艦隊が物資をブリタンニアに輸送した筈。
341名無し三等兵:2007/06/02(土) 15:45:18 ID:???
>>340
実際には飼い葉はほとんどの場合、現地調達で賄ってる。
342名無し三等兵:2007/06/02(土) 17:51:27 ID:QP+lRR/z



輜重、輸送部隊に牛馬を使うのは飼葉の調達上の関係で不可能です。
輜重、輸送部隊に牛馬は存在しなかった。
これ常識


343名無し三等兵:2007/06/02(土) 17:54:44 ID:???
実際に荷馬車使ってるんだけどねぇ。
人間が車引いてるだけと思ってるのかな。
344コピペ:2007/06/02(土) 18:02:50 ID:ReCZXea6
第二次木津川河口海戦って詳細は分かってないんでしょ?
もしかして小規模海戦なのかな?誰か死んだの?
345コピペ:2007/06/02(土) 18:07:22 ID:ReCZXea6
荷駄部隊が運んでいたものの殆どが現地で調達したもの。
まっ基本は隣接地への出撃であって超駆先で長期滞在するような作戦は稀なんだけどな。
346名無し三等兵:2007/06/02(土) 18:27:34 ID:???
本国に置いて置くのはそれこそ飼料調達が難しくなる。
むしろ新鮮な草を求めて輜重部隊の牛馬を積極的に外地へ送り出す。
347名無し三等兵:2007/06/02(土) 18:39:51 ID:???
「現地調達」は毎日徴発隊を出して食料を集めると言うだけでなく定期的に現地の街から荷駄隊を出すと言う事も意味する。
普通に考えて数万人の人間の食料をその場その場で集めるなんてアホな事をする筈がない。
348名無し三等兵:2007/06/02(土) 19:02:21 ID:???
>>347
孔明のことか〜
349名無し三等兵:2007/06/02(土) 19:18:57 ID:???
もしかして現地調達と聞いて、行き当たりばったりで現地住民を武器で脅して強制的に挑発する行為だけを念頭に置いてないよな?
だとしたら相当な阿呆だ。
350名無し三等兵:2007/06/02(土) 19:45:44 ID:???
紙切れ同然の軍票を使うんでしょ?
351名無し三等兵:2007/06/02(土) 20:03:38 ID:???
現地で菜園を作るんだよね。
芽が出るとコオロギに食べられるんだよね。
352名無し三等兵:2007/06/03(日) 01:19:57 ID:???
日本人は草食だから草を食べれば良い。
日本の兵隊は強いんだからなんとかなる。
353名無し三等兵:2007/06/03(日) 03:36:08 ID:MvAS/pBe
>>344
何やってんのお前w
123 名前: 人間七七四年 投稿日: 2007/06/02(土) 17:58:49 ID:lw/da6FZ
第二次木津川河口海戦って詳細は分かってないんでしょ?
もしかして小規模海戦なのかな?誰か死んだの?
354名無し三等兵:2007/06/03(日) 06:50:18 ID:XEG3nslg
戦国時代の合戦は平均、何人位の人数なの?
355名無し三等兵:2007/06/03(日) 07:19:44 ID:???
>>346
そんで、外地にも草が無くて虚しく全滅と。
356名無し三等兵:2007/06/03(日) 07:21:35 ID:???
>>354
んなもん戦によって違う。

武道館の客の平均って何人なの?って質問と同じで、
やってる人、イベントの目的とかで質が全然違うので、平均を取る意味もない。
357名無し三等兵:2007/06/03(日) 10:19:02 ID:???
>芽が出るとコオロギに食べられるんだよね。
元ネタは?
358名無し三等兵:2007/06/04(月) 13:39:30 ID:???
>>340
ありがとう
俺は日本語以外分からない馬鹿なので
丁寧な訳は大変有り難いm(_ _)m感謝

やはり騎兵維持には相当な労力がかかるんだね
359名無し三等兵:2007/06/05(火) 11:06:58 ID:V8brtZVO
信長の鉄甲船て本当に活躍したの?
毛利水軍の被害はなんか裏付けあり?
第一次と違って戦死した奴の名前を聞いたことがないんだが?
李舜臣みたいに日本海軍の宣伝材料なんじゃねーかな?
360名無し三等兵:2007/06/05(火) 11:09:53 ID:???
「活躍」の定義次第だろうな

封鎖という目標を達成したので十分だと思うけど
積極的な攻勢をかけるための船じゃないし
361名無し三等兵:2007/06/05(火) 12:05:35 ID:V8brtZVO
本当に封鎖されたのか?も含めての話。
362名無し三等兵:2007/06/05(火) 12:22:58 ID:???
城への補給を阻止で落城したから目標達成でしょう

必要量を補給させなければよいわけだし
363名無し三等兵:2007/06/05(火) 12:32:32 ID:V8brtZVO
落城じゃないでしょ?
朝廷の仲介で開城。
封鎖は交渉の要因にはなっていただろうけど致命的な封鎖状態だったのかってのが俺の疑問。

それと村上水軍とか参加してなかったんでしょ?
364名無し三等兵:2007/06/05(火) 16:18:50 ID:???
鉄甲船自体捏造じゃ?
365名無し三等兵:2007/06/05(火) 17:06:45 ID:V8brtZVO
第一次にも安宅船が十隻参加、第二次は所謂鉄甲船が六隻参加。
戦力的には大差なかったのでは?戦略や戦術の転換があったのか?
366名無し三等兵:2007/06/05(火) 17:13:14 ID:???
>>364
信長の鉄甲船絡みのあらゆる検証は、あったという大前提での話だから、ある意味否定のしようがない。
「勝てたという事が鉄甲船があった証拠」なんて吐かすやつもいるぐらいだし。
367名無し三等兵:2007/06/05(火) 17:32:24 ID:???
以下、個人的解釈
九鬼率いる水軍は志摩〜伊勢の外洋に面してて、比較的航洋性重視だったのでは?
で、小回り重視の瀬戸内水軍に、接舷戦闘かけられて苦戦 補給阻止できず

同じ武装ではなんともならないので、火力重視の大型船を導入かなと
装甲の有無はわからんが、銃砲の縦方向スタックで火力密度と射程UPして火力殲滅
銃の装備密度は向上してるようだし(資料によってバラつくけど)

大口径砲は小型船主体の瀬戸内水軍に有効だったとは思えん
どっちかというと攻城戦闘に有効のような
368名無し三等兵:2007/06/05(火) 21:10:36 ID:???
本願寺側は別に、戦闘で負けて講和したわけではない。
顕如以下、門徒は無事に退去しているし、その後もお咎めなし。

なのになんで大坂退去という厳しい講和を受けるのかと言えば、毛利との連絡線が切断されてしまったからというのが自然ではないでしょうか。
兵糧攻めでいずれ落城する可能性が出てきたというわけで。

鉄甲船での封鎖は史実ではないのでは?と推測するのは可能ですが、もしそう主張するなら
なぜ本願寺は講和をしたのかという原因を論じないといけないのでは?
369名無し三等兵:2007/06/05(火) 23:05:41 ID:???
今も昔も海上輸送の占める割合は大きいからね。
陸上交通の発達してない昔だとその重要性は現代の比ではなかっただろうしね。
370名無し三等兵:2007/06/06(水) 01:52:40 ID:???
石山の海上封鎖に関しては、織田方が大阪湾と琵琶湖、淀川をほぼ手中にしたのが大きい。
淡路や播磨、紀伊の水軍が徐々に織田方に付き来島(村上)水軍や備前の水軍まで
靡きはじめたので瀬戸内海東側で毛利系の水軍、因島(村上)水軍や、小早川水軍が
長期の活動が出来ない状態になっている。
陸上交通も畿内の織田支配が安定度を増せば増すほど閉鎖が強まる。
織田水軍の船の質も影響しなかった訳ではないが、織田氏の畿内支配が安定し
このままでは兵員も兵糧も都合つかなくなる状況で、織田氏が講和を持ちかけたって事。
織田氏だったもう一向宗と争う時間が惜しいしね。
371名無し三等兵:2007/06/06(水) 08:23:00 ID:Pa15xuRp
封鎖出来たのは回線の結果じゃなく、
淡路の制圧や塩飽などへの調略の成果じゃないの?

本当に第二次木津川口の戦い一回だけで情勢が変わったのか?
372名無し三等兵:2007/06/06(水) 08:30:45 ID:???
織田氏による調略や地域支配の確立が大きいだろうね。
海戦の結果はその進行を早める事には貢献した可能性は高いと思うが。
373名無し三等兵:2007/06/06(水) 09:28:49 ID:UenZSvzJ
俺が知りたいのは織田方の自己申告戦果でなく、
本願寺が封鎖で困っているとか、
毛利が水軍を粉砕されて誰々が討ち死にした、
というような被害を裏付ける記録があるかってこと。
374名無し三等兵:2007/06/06(水) 09:44:22 ID:???
毛利水軍そのものの被害はたいしたことないっしょ
単に強行補給を図って失敗したってだけだし

補給阻止が目的で、織田側が毛利水軍の殲滅を意図したわけではない
毛利側が決戦を回避すれば戦闘そのものがおこらない
375名無し三等兵:2007/06/06(水) 10:04:09 ID:???
オマエさんが
真面目に鉄甲船や水軍の話をしたいことは良くわかった
ただな・・・このスレはログ前半見て貰えればわかるが
色々とヤバイ人に常駐されやすいスレなんだ

出来ればsageで書いてくれ

数年前にNHKが検証番組やってたな
鉄板を貼り付けて船を造る技術が当時あるか?とか
その船が実際に動けるかとかやってたな
結果は大きめの安宅船の側面に鉄板を貼り付けて装甲強化したものならアリ
みたいな結論だったとおもうけど
アノ検証が正しかったのかどうかはわからん
376名無し三等兵:2007/06/06(水) 10:54:07 ID:VM8AolDA
ゾンビ相手には槍の先の白濁液
377名無し三等兵:2007/06/06(水) 11:10:17 ID:???
側面への鉄板を貼り付けは、張り付られる厚さからしてあまり意味は無いのではないだろうか?
対銃装甲には薄い鉄板より樫や楓などの樹木や竹のを使うだろうし
第一次木津川口海戦で織田側が毛利の焙烙や火矢などによるだろう船舶火災の被害を受けた事は記録にあるので
もし鉄貼りをしたのであれば装甲では無く
火薬による延焼に対する甲板や望楼艦橋の防火のためではでは無いだろうか?
上で大口径銃砲の使用に疑問が呈されていたが
もし大口径銃砲を使ったとしたら砂利などの散弾の使用が前提だと思われる
毛利側の水軍が小舟艇で起動力が高いと言っても水上での機動は
大口径銃砲で追えないほどの速度では無い
(大口径と言っても30〜大きくて100匁程度までだろう)
命中率に影響するのは機動より波浪による上下動の方だろう
すると一点を狙う小口径銃より散弾使用の大口径銃砲の方が効果的とも考える事もできる
378375:2007/06/06(水) 11:38:23 ID:???
>>377
うん、俺が見た検証番組でも
鉄板は薄いもので焙烙や火矢等への延焼対策としていたよ
第一次で焙烙や火矢でやられたので
ソレに対する対策として考案されたのではないかと推定してた
厚すぎる装甲版では船が重みに耐えられないので
重量計算とかして何oぐらいだったろうと推定もしてたね
(推定数値は忘れたが、そんなに厚くはなかった、あくまでも延焼対策の装甲だった)
武装も軽量砲+鉄砲が主力だろうと推定してたね
(番組ではカルヴァリン砲3門程度だろうと推定してた)

ただ、やっぱり重くなっちゃって機動力は普通の安宅船よりだいぶ低下するから
これを湾の入り口に待機させて海上要塞(拠点)のようにして使うことで
洋上封鎖をおこない、敵の補給路を断つのが目的だったのだろうと番組では推定してたね

第二次木津川口海戦はその封鎖を突破しようとした毛利との戦いで
結局毛利側は突破できずに諦めた、それで
補給が無くなって本願寺開城と流れを説明していたよ
379名無し三等兵:2007/06/06(水) 11:51:28 ID:???
実際に本願寺が和議を検討し始めたのって第二次木津川口の海戦の一年以上後の話でしょ?
それから和議開城となったのは更に8ヶ月後(第二次から1年10ヶ月後)。
380名無し三等兵:2007/06/06(水) 12:06:22 ID:???
補給が無くなって
一年は備蓄でなんとかしたけど
これ以上は備蓄も心許ないし
封鎖を突破して補給を受けられる目処もないって事じゃ?
(この段階で和議検討開始)
さらに八ヶ月
色々頑張ってきたけど
もう備蓄は完全に底をついたし
封鎖も突破できそうにない
(諦めて和議開城)

こんな感じじゃない?
381名無し三等兵:2007/06/06(水) 12:11:17 ID:???
当時は一年以上も継続した籠城戦なんか無理だろ。
どっかで補給や連絡が可能になっている。
382名無し三等兵:2007/06/06(水) 13:36:21 ID:???
月山富田城も1年耐えた
まあ、若干の補給はありだが
383名無し三等兵:2007/06/06(水) 14:33:26 ID:???
三木城は2年間の籠城戦
384名無し三等兵:2007/06/06(水) 14:58:07 ID:???
>>377
表面に鉄板を張った装甲は、木材のみの装甲より有効。

表面が鉄板のような硬い素材で覆われていた場合、弾丸の形状が変形したり砕けたりする。
形状が変形したり砕けたりした弾丸は貫徹能力が大幅に低下し、
裏の木材層で貫徹能力の低下した弾丸を受け止めることができる。

近代の装甲板でも表面硬化装甲が使われた。
ttp://sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/arm_var/aha.htm
385名無し三等兵:2007/06/06(水) 15:04:33 ID:???
>>377-378
同じ防弾性を実現するためなら、木材より鉄で作ったほうが軽く出来るんだが。
386名無し三等兵:2007/06/06(水) 16:54:59 ID:???
構造防弾なんかしてねえだろ?
387名無し三等兵:2007/06/06(水) 19:05:03 ID:???
>>385
それは製鉄・造船技術の高度の発展が前提。
388名無し三等兵:2007/06/06(水) 20:26:01 ID:???
耐火設備だと思うよ。
江戸幕府なんかは鉄は錆びて直ぐに使い物にならなくなるという理由で銅版張りの安宅丸建造したから。
389名無し三等兵:2007/06/06(水) 20:51:58 ID:???
弾丸変形による貫通防御効果を望むのなら竹束で済む。
ま、延焼には滅法弱いだろうが。
390名無し三等兵:2007/06/06(水) 22:23:09 ID:???
当時の水軍の主要武器(焙烙とか火矢)の火による被害を防ぐには鉄貼りはいいでしょうね。

あと、第二次木津河口海戦の結果(勝ち負け)って、毛利軍の目的が達成できない(本願寺に入城できない)イコール負けってことで
毛利側に大きな被害が出たかどうかは関係ないのでは?(事実が判るという点は大事だけど)

その後、織田方が瀬戸内海の制海権を握ったりはしていない(村上一族の一部が裏切ったりしてバランスは多少変わっているけど)から、
毛利方の損害自体はそれほどでもないってことなのではないでしょうか。
391名無し三等兵:2007/06/06(水) 22:47:55 ID:???
実際に大坂夏の陣で木板に上に鉄板を張った車輪付の大盾が使われてるぞ。
したがって軍船の防御でも木板に上に鉄板を張っていたならそれは防弾もあったと考えるべきだ。
392名無し三等兵:2007/06/06(水) 22:53:01 ID:???
それは火矢を防いでいたんだよw
393名無し三等兵:2007/06/06(水) 23:29:19 ID:???
軍板的認識では、織田の鉄甲船って海防戦艦か河口部要塞なーと

航洋性捨てて、河口での防御拠点というか矢倉説
通過する船舶を圧倒的火力投射密度で制圧する
戦闘の形態というか状況からして、移動する必要はない
網や柵と一体で河口を閉塞して、火力拠点が装甲された船舶風味な筏かなと

移動する必要はないが、当時は増水時に副水路から浸透される可能性が高い
これをどうやって補足撃滅したかは気になるところ
394名無し三等兵:2007/06/07(木) 00:34:33 ID:???
>>392
いや、防弾目的だ。
395名無し三等兵:2007/06/07(木) 00:37:56 ID:???
>>393
伊勢で建造されて難所の熊野灘を越えて大坂まで回航されたんだから航洋性捨ててはいないだろ。
396名無し三等兵:2007/06/07(木) 01:04:22 ID:???
>>394
何でそういいきれるのか根拠を聞きたい・・・
397名無し三等兵:2007/06/07(木) 01:50:45 ID:???
盾は後ろに隠れる兵士を守るための物。
盾そのものを守るために盾がある訳ではない。
兵士を攻撃する兵器は火矢ではなく弾丸だ。
実際の攻城戦で守城側鉄砲による射撃で攻城側が死体の山を築くことがしばしば起こっていた。
大坂の陣で使われた大盾の目的はそういった被害から兵士を守るためのものと考えるのが妥当。

逆に>>392
何でそういいきれるのか根拠を聞きたい・・・
398名無し三等兵:2007/06/07(木) 06:41:26 ID:???
>>388
そっか銅張りの安宅船ってあったのか
と言うことは経験則で鉄がすぐ駄目になるって
知ってたと言うことだから、
江戸期の前に鉄張りの安宅船があったって事だよね
つまり信長の時代にあったって事で
そしてすぐ錆びて駄目になることが分かったから
それ以降は使われていないと

だから鉄甲船の話は第二次木津河口海戦の時しか出てこない

>>391
その大盾は地上で使うわけで
船の表面に張るのとは違って重量制限は無いわけだから
薄い鉄板を張る必要は無い、
鉄砲も防げるぐらいの厚さの物を張ってたんじゃないか?
当時の鉄砲の貫通力ってどの程度なのかな?
399名無し三等兵:2007/06/07(木) 07:08:00 ID:???
人力で動かせる限度の重量のほうが、艦に装備できる重量よりはるかに小さいと思う。
400名無し三等兵:2007/06/07(木) 07:15:36 ID:???
>>399
確かNHKの例の番組では
船に貼り付けた鉄板は数mm(確か3mm前後)ってやってたので
大盾だともう一寸厚く出来るかと思ったのだが
一人で運ぶのは無理でも数人ではこべは良いかと思って
401名無し三等兵:2007/06/07(木) 07:25:14 ID:???
福山城天守は山に近い北面壁を大砲防御の為、鉄板張りにしている
明治維新の際に官軍の砲撃を見事、弾いたとか
402名無し三等兵:2007/06/07(木) 20:16:48 ID:???
>>398
秀吉が作ってたろ
403名無し三等兵:2007/06/07(木) 22:01:53 ID:???
>>397
鉄張りのない盾の方が多い。
404名無し三等兵:2007/06/07(木) 23:24:49 ID:???
板盾は弾丸に対する防御もあるけど、背後で何してるかわからなくさせる意味もあるわけで
見えないものは狙えない

火縄銃で連続制圧射撃するのは大変だよ
火薬というか硝石の調達が大変だし
405名無し三等兵:2007/06/08(金) 03:12:12 ID:???
>>403
鉄砲普及後鉄張りのない木製の盾は時代遅れ化してた。
406名無し三等兵:2007/06/08(金) 21:22:28 ID:???
>>405
鉄砲の普及から大阪の陣まで半世紀以上あるんだが・・・
407名無し三等兵:2007/06/08(金) 21:53:14 ID:???
>>406
だからとっくの昔に時代遅れ化してたんだけど。
408名無し三等兵:2007/06/08(金) 22:30:04 ID:???
実際は鉄を使った盾はコストがかかりすぎたので
竹を束ねた盾(というかバリケード?)が使われたらしい
コレがコストもかからず調達も楽だった為良く使われたらしい
409名無し三等兵:2007/06/08(金) 23:37:05 ID:???
>>407
だからなんで半世紀後なんだよ・・・
410名無し三等兵:2007/06/09(土) 06:29:10 ID:???
そら、鋼を叩いて伸ばしてなんて事をやってた時代だし、数打物の刀くらいの手間は
かかったんじゃないか。大きなものも作れなかっただろうし。
411名無し三等兵:2007/06/09(土) 07:56:05 ID:???
井伊直政が小田原城の戦いで鉄製の手盾を用いたというから、それ以前からある程度は用いられていたかと
大坂の陣で用いられた大型は大筒にも対抗できるものなのでは?
412名無し三等兵:2007/06/09(土) 08:25:09 ID:???
>>410
小さいプレート状にして板に貼れば無問題。
413名無し三等兵:2007/06/09(土) 09:47:46 ID:???
土俵積む方が良いけどな

築城、野戦築城において土俵の記述があまりない
当たり前過ぎて書いてないだけか
414名無し三等兵:2007/06/09(土) 10:01:51 ID:???
掘って盛った方が早いだけ
415名無し三等兵:2007/06/09(土) 11:19:00 ID:???
>>414
現場で、掘って盛るより、後方であらかじめ準備しておいた俵を運んで置くほうが現場での設置時間は早いでしょ。

土俵って特に説明してないだけで使用されていたんじゃないの?
仕寄り作ったって記録に書いてあるだけじゃわからんでしょう。
土盛ったのか、俵積んだのか、木や竹で弾除けを作ったのか。
416名無し三等兵:2007/06/09(土) 11:47:46 ID:???
時間の問題だけでなく、後方で用意して運搬して現場で構築する作業が無駄
現場で掘って盛ってで済む
417名無し三等兵:2007/06/09(土) 12:00:30 ID:???
俵だとしても土入れるのは現地で出来るしな。
わざわざ詰めた状態で運ぶメリット無い。
418名無し三等兵:2007/06/09(土) 22:27:23 ID:???
>>405
楯の木の厚みもいろいろあったよ。
あと最後まで弓は使用されたし、鉄炮も距離を置けば木製楯である程度防げた。

419名無し三等兵:2007/06/09(土) 23:44:22 ID:???
>>412
作るのは可能だけどコストかかって大変そう

>>416
その掘って盛ってってやってる作業を狙い撃ちされたらたまらないから
竹束とか置盾とかの持ち運べるバリケード持って行って
ソレに隠れながら作業したのかな?
420名無し三等兵:2007/06/09(土) 23:59:57 ID:???
鉄板は高価だし、重くて持ち運びが大変
大将用の特殊装備としてなら可能かな?

竹なら現地調達可能だし
不要になったら薪にしても、うち捨ててもOK
ばらして運べば携行性もかなりよし
対弾性も本数増やせばどんどん強力になる
青竹は難燃制の点でもかなり優秀

木盾は木材の調達、加工にちょっと難あり
持ってくのも嵩張るし重いしちょっと大変
戦場での取り回しは竹束よりだいぶ楽だとおもうけど

土俵はとにかく重くて運搬が大変
土嚢を運んでみたら分かると思う
あと、特に障害になるわけじゃなかったら合戦後も放置するだろうから
遺構として残ってるはず(初期の万里の長城は土嚢積みに近い)
421名無し三等兵:2007/06/10(日) 03:42:01 ID:???
それまで主役だった木製の盾が鉄砲普及後に廃れたのは事実。
木製の盾に取って代わり主役となったのが鉄砲防弾に有効な竹束だ。
当時の人は竹束以外にも有効な防弾手段が存在しないか様々な試行錯誤を行った事だろう。
その一つが木に鉄板を張った盾。ただし竹束ほど普及した形跡はない。
竹束に比べてコストがかかるからだろう。
それでも、城郭の櫓や天守、門扉などに鉄板が張られ強化されている。
竹束には、嵩張る、見た目が悪く美観を損ねる、といった問題点が存在する。
城郭では過度に壁が厚くなるのは好ましくない。また城郭には城主の威厳を示す目的もある。
そうした点が嫌われ城郭に竹束防弾が採用されなかったのでは無かろうか。
422名無し三等兵:2007/06/10(日) 04:44:08 ID:???
夜釣りってか朝釣りか
423名無し三等兵:2007/06/10(日) 07:57:29 ID:???
>>421
竹は乾燥すると耐弾性が低下する
424名無し三等兵:2007/06/10(日) 10:00:55 ID:yeo19pvz
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425名無し三等兵:2007/06/10(日) 23:08:36 ID:???
>>421
城の補強に使われてたのは鉄板じゃなくて銅板(一部鉄板もあるが、主流ではない)。それも防弾用じゃなくて防火用。
426名無し三等兵:2007/06/10(日) 23:45:14 ID:???
城門に鉄板貼るのも明らかに防弾処置じゃないだろ。
可能な限り分厚くできるのになんで鉄板なんて貼る必要があるんだよ。
427名無し三等兵:2007/06/11(月) 04:54:44 ID:???
>>426
だから防火だろ?
428名無し三等兵:2007/06/11(月) 15:55:08 ID:???
防弾用には壁材の中に小石入れますよね。
429名無し三等兵:2007/06/11(月) 16:29:43 ID:???
鉄板張りの目的には防弾と防火の両方があるわけだが、何故か防火のみに限定しなければ気がすまない奴がいるな。

430名無し三等兵:2007/06/11(月) 16:30:30 ID:???
福山城天守の北側は鉄板張りなのは大砲による攻撃に対する防弾能力をより強化する事が目的。
防火だけなら他の面や他の櫓と同様に漆喰塗り土塀で十分。
古い民家の土蔵は防火対策として漆喰塗り土塀だが、これで火災から家財を守れる。
関東大震災や東京大空襲の際も土蔵だけは焼け残った例は多い。
431名無し三等兵:2007/06/11(月) 16:33:58 ID:???
>>428
小石を込めるのも防弾強化手段の一つ
鉄板張りも防弾強化手段の一つ
432名無し三等兵:2007/06/11(月) 20:55:53 ID:???
>>427
そうだろ。
433名無し三等兵:2007/06/11(月) 20:56:54 ID:???
>>429
その逆の奴もいるからな。
434名無し三等兵:2007/06/11(月) 21:36:17 ID:???
>>430
一方でかなりの城が空襲で焼失しましたな。
435517:2007/06/11(月) 22:10:14 ID:???
屋根を貫通されると弱いからね。
屋根を焼夷弾で抜かれる事は想定されていない。
内部は可燃物だらけだ。
436名無し三等兵:2007/06/11(月) 22:32:58 ID:???
まあ、建物によるって事じゃね?
防火・防弾両方にある程度あるだろし
どっちを重視して設計した建物かで変わってくるだろうしな
>>426
防弾なら可能な限り厚くできるって言ってるけど
そうやって城門ぶ厚くしちゃうと平時の開け閉め大変だから
適度な厚さにして鉄板で補強ってのもアリだろ
これで平時の使い勝手も良く、いざというときの強度も確保できて防火にもなる
コストはかかりそうだけどね
437名無し三等兵:2007/06/11(月) 23:41:26 ID:???
平時の開け閉めなんて頻繁にやるもんでもないだろw
438名無し三等兵:2007/06/12(火) 00:33:05 ID:???
単純に厚くすればいいってもんでもないと思うけど。
中が腐ったり、水分で割れたりしないかな?

当時の城門は格式とか威厳を示す意味もあるから、部分的に鉄板や鋲打ってあるのは、そういう美観の面もあるのではないかな?
無論、一枚板よりは、いくつかの板を組み合わせたほうが安価に出来るので鋲とか釘使うってこともあるだろうけど。


439名無し三等兵:2007/06/12(火) 01:10:24 ID:???
大抵の門は一枚板じゃないからな。
440名無し三等兵:2007/06/12(火) 01:35:30 ID:???
防御効果が第一なんだから単純に厚くする「だけでも」いいと思うぞ。
装飾や保持対策は二の次だろ。
441名無し三等兵:2007/06/12(火) 01:50:19 ID:???
板の継ぎ目が問題になりそうだね。
火攻めはし易くなるし。
442名無し三等兵:2007/06/12(火) 02:42:53 ID:???
つか、基本的に城は門前にキルゾーン形成するように設計してるんだから
城門が丈夫すぎて他に回られても困るだろw
443名無し三等兵:2007/06/12(火) 11:49:51 ID:???
現物見てくれば。
444名無し三等兵:2007/06/12(火) 18:04:23 ID:???
城門が緩すぎて突破されたら意味無いだろw
445名無し三等兵:2007/06/12(火) 18:18:28 ID:???
内枡形で火力殲滅っつうのもあることはありますね
基本的には接近路を限定して行動を制限したところに櫓などから火力投射
それも横矢が効くようにすると効き目UP
446名無し三等兵:2007/06/12(火) 18:39:20 ID:???
大体、城は門以外からは非常に入り辛く作るもんだw
どこの国でも。
447名無し三等兵:2007/06/12(火) 22:38:39 ID:???
他の歴史板での愚痴を漏らすスレ
http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172045056/
448名無し三等兵:2007/06/15(金) 00:40:00 ID:???
>>446
必ず門から入ってくるなら>>445みたいに門を入ってすぐの構造を利用して殲滅しやすいからな。
想定外の場所から入られるのは非常に困る。
449名無し三等兵:2007/06/15(金) 13:15:51 ID:???
福山城の北側に張られていた鉄板は厚さ3ミリ程度だったそうだが、
当時の大砲に対してはそんなもんでも効果あったのかな?
450名無し三等兵:2007/06/15(金) 14:38:22 ID:???
そんなに大きな大砲ないからねえ。
451名無し三等兵:2007/06/15(金) 15:35:53 ID:???
もし貫通されても土壁の崩壊が防げればよろしいのかと。
452名無し三等兵:2007/06/15(金) 16:07:16 ID:???
土壁+鉄板の複合装甲だから
453名無し三等兵:2007/06/15(金) 18:58:35 ID:???
そんな時は上部構造物狙いの焼き弾

焼き弾は竃で弾を焼いてから大砲で発射する事で
近年の戦車の劣化ウラン弾の様に焼夷効果をもたらす。
                        ↑
                      この辺釣り
454名無し三等兵:2007/06/15(金) 22:34:36 ID:???
福山城の鉄板は張られた年代や目的が文献がないために定説がないそうだが、実際のところは
いつ頃張られたんだろうか。まあ江戸中期にわざわざそういうことをするとも思えないから築城時か
幕末動乱期のどっちかってことになるんだろうけど。
455454:2007/06/15(金) 22:52:47 ID:???
ちなみに幕末動乱期の改修ってのは、慶応年間に長州の侵攻に備えて弱点である北側の
防備強化を行ったってやつのこと。
456名無し三等兵:2007/06/15(金) 22:56:16 ID:???
>>454
一応、大砲を用いた攻城戦に強い関心を持っていた徳川家が特に命じて築城された城だから
築城時でいいんじゃない
457名無し三等兵:2007/06/15(金) 23:05:27 ID:???
名古屋城は総構の外から中核部が射程外になるように構想されてたな
完成前に動乱終結で総構の堀構築は放棄されたけど

射程があっても弾着観測できなきゃ当たらないんだし、そこまで神経質になる必要はなかったとも思うけど
458名無し三等兵:2007/06/15(金) 23:12:03 ID:???
遠距離だと当たった場合、屋根抜かれるでしょう?
屋根が一番弱い気がするんだけど。
459名無し三等兵:2007/06/15(金) 23:41:16 ID:???
>>457
いや、三の丸ラインで十分射程外。但し、カルバリン砲クラスだとやばいから天守は特殊防弾構造
大阪城も豊臣天守が本丸の北東端にあって備前島からの大砲射撃にやられたのに対抗して、
徳川のは本丸の中央に移動している。
>>458
あの当時、そういう上方を狙うのは短射程の臼砲でないと無理
460名無し三等兵:2007/06/16(土) 01:40:53 ID:???
いや天守や櫓じゃなくてさ、御殿とか蔵とかを想定して言ったんだ。
焼玉使われると火災の心配があるんじゃないかと。
461名無し三等兵:2007/06/16(土) 08:01:17 ID:???
>>460
蔵は土蔵造り。御殿はいざとなったらぶち壊す。
462名無し三等兵:2007/06/16(土) 12:42:24 ID:???
しかし蔵と言えども内部の柱、梁、屋根などの構造材は木製。
そして蔵の中に蓄えられる兵糧その他も可燃物多し。

焼玉により内部より出火したら貴重な戦略物資も焼失、蔵本体も絶えられない。

>御殿はいざとなったらぶち壊す。
建築物が焼失したら野戦陣地と変わりない。
雨ざらしで長期間寝起きすれば防衛側は心身共にダメージを。
463名無し三等兵:2007/06/16(土) 14:46:15 ID:???
壁はそう簡単には抜かれない。問題は屋根だ。
屋根は防火性はあるけれど、弾が抜けるんじゃなかろうかと。
464名無し三等兵:2007/06/16(土) 17:15:46 ID:???
弾着観測なしにションベン弾を当てるのは難しい

っつうことで、無駄弾が増える
炸裂弾というか榴弾じゃないしね
465名無し三等兵:2007/06/16(土) 20:32:22 ID:???
弾着観測されたらやばい訳だ。
観測班を高台など別の場所に配置するとか。

無線の無い時代にそんな事ができるかどうかは知らんけど。
466名無し三等兵:2007/06/16(土) 22:24:06 ID:???
心配せんでも日本で焼玉使われなかったからw
467名無し三等兵:2007/06/16(土) 23:51:59 ID:???
>>462
櫓に比べて蔵は背が低いので弾着観測が難しい。
こういうのは狙って撃つもので、周りに高所がない名古屋城では不可能
御殿については壊すのは本当にいざというとき、確実に弾が落ちるまではそのままでしょう
468名無し三等兵:2007/06/16(土) 23:59:14 ID:???
徳川が作ったので、高石垣と堀のみで、櫓のない城あったよね

堀で突撃速度落として高石垣の上から火力投射
見通せるから後方への狙撃も可能

戦国の城の本体は土塁にせよ石垣にせよ空堀にせよ「切り岸」というか高低差なわけで
最後になって水堀がでてきて、高低差に頼る必要が薄れたという理解してるけどな
469名無し三等兵:2007/06/17(日) 11:52:26 ID:???
>>466
幕末には頻繁に使われてるようだけどな。戦国時代は知らん。
470名無し三等兵:2007/06/17(日) 12:01:49 ID:???
津本陽は和歌山出身ということもあり、雑賀衆や根来衆が主役の小説をいくつも書いてるが、三百匁の大鉄砲で
焼玉を発射する場面がしばしば出てくるな。何か史料を基にした描写なのか、後世の戦法を参考にした創作なのか。
471名無し三等兵:2007/06/17(日) 13:17:14 ID:???
焼玉って装填即発射にならんのか?
花火の早撃ちにそういうやつあるよね
472名無し三等兵:2007/06/17(日) 17:52:43 ID:???
>>471
筒の底に火薬を入れておいて、筒口から焼玉を転がし入れるとその熱で火薬に
着火して発射、という感じらしい。
473名無し三等兵:2007/06/17(日) 22:48:53 ID:???
真っ赤に焼けた砲丸を砲口から入れるなんて、大変な作業ですよね。
耐熱服も無い時代に。
474名無し三等兵:2007/06/17(日) 23:37:27 ID:???
大迎角でないと成立しないな<焼玉の前装
曲射砲なので狙って当てるのは難しいし、近接しないと届かない

弾着観測の砲撃で落ちた例は戊辰戦争時の会津若松城かと
戦国期に、間接照準という概念があったかが疑問
弓や鉄砲は弾幕っつうか突撃破砕射撃っぽいことやってますけど
475名無し三等兵:2007/06/18(月) 00:56:42 ID:ws3pZvBf
臼砲の類が使われたのは聞いた事がない。
476名無し三等兵:2007/06/18(月) 06:18:16 ID:???
>大迎角でないと成立しないな<焼玉の前装
むしろ、仰角が高くなるほど難しくなると思えるが?
そもそも、当時は普通の大砲ですら狙って当てるものでは無い。
477上杉:2007/06/18(月) 08:27:37 ID:xd6Ua4Vb
真綾って本当に可愛いよな
478名無し三等兵:2007/06/18(月) 08:57:27 ID:???
焼玉は不発だったら冷めるまで待つのか?
479名無し三等兵:2007/06/18(月) 09:14:40 ID:???
重力に頼る以外でどうやって装填するん?<焼玉
発射薬の黒色火薬はそんなに安定じゃないと思うが

仏郎機で・・・これも無理だと思うが
480名無し三等兵:2007/06/18(月) 11:38:07 ID:???
弾は球形だから砲身が傾いてれば勝手に転がってってくれるだろうけど、
水平に近い程度のごく浅い傾きだと上手くいかないかもな。
大仰角だと入れた瞬間発射みたいな感じでおっかない気がする。

以上全部勝手な想像。しかし焼玉を装填する係の人って大変だっただろうなあ。
熱いし危険だし。
481名無し三等兵:2007/06/18(月) 18:10:16 ID:haPzi80Q
とりあえず、騎馬組(こういう言葉はないがこう総称しておく)は20〜30騎程度、
備えの一部である 
ということでいいね。
482名無し三等兵:2007/06/18(月) 18:15:27 ID:???
まあ、線路の無い僻地で砲兵程度なら使ってやっても良いかな。
その程度の超脇役扱いwwww
483名無し三等兵:2007/06/18(月) 18:15:29 ID:9+7JtqIZ
大番組は番士五十人に
484名無し三等兵:2007/06/18(月) 18:16:42 ID:???
いいあるよ。
485名無し三等兵:2007/06/18(月) 20:20:12 ID:???
小説ベースの話で恐縮なのだが、ホーンブロワーシリーズなんかだと
焼玉をこめる際には、装薬の上に可燃性の栓みたいなものを被せ、
焼き玉をこめるとその熱で栓が燃え、ちょっと遅れてその火が装薬に達し点火、
という発射の描写になっていた。発砲タイミングは正確を期しがたいみたい。
486名無し三等兵:2007/06/18(月) 20:26:17 ID:???
>>485
ホーンブロワーの焼玉発射のシーン、1860年度版の砲兵隊のマニュアルからそのまま書き写したそうで、
かなり正確らしいですね。
487486:2007/06/18(月) 20:30:52 ID:???
>>486
おお、そうなんだ。俺がいま見たのは『スペイン要塞を撃滅せよ』ね。
ドラマ版でも正確に再現されていれば参考に成るんだろうけどどうなのかなあ。
488名無し三等兵:2007/06/18(月) 20:56:19 ID:???
棹で前装するん?<焼玉
装填後、退避する前に発射されそうで怖いなぁ

重力落下なら現代の迫撃砲みたいなもんだし問題ないかと
489名無し三等兵:2007/06/18(月) 21:26:11 ID:vdgpzU2b
>>481,>>484
またか
490名無し三等兵:2007/06/18(月) 21:49:12 ID:???
火薬と弾の間に濡れ雑巾をかますとどこかで聞いた気がする
491名無し三等兵:2007/06/19(火) 07:26:48 ID:???
とりあえず会津若松城天守は砲弾くらいまくってボロボロにはなったものの、
倒壊や炎上はしなかったな。
492名無し三等兵:2007/06/19(火) 09:50:05 ID:???
着発信管じゃなかったからね。
濡れ雑巾で覆い井戸にまで運んで捨ててたのじゃなかったかな。
間に合わなくて亡くなった人もでたけれど。
493名無し三等兵:2007/06/19(火) 18:52:44 ID:???
>>492
アームストロング砲では着発信管が使われた。
494名無し三等兵:2007/06/19(火) 20:43:17 ID:???
焼玉の話だろ?てか、焼玉って炸裂弾か?
495名無し三等兵:2007/06/19(火) 22:30:32 ID:???
焼玉はその名の通り、”焼いた鉄球”でしょ。

炸裂弾は、震天雷とかが近いのでは?
496名無し三等兵:2007/06/19(火) 23:22:27 ID:???
会津戦争当時の炸裂弾

旧式の滑腔砲の炸裂弾は導火線式の信管使用。
アームストロング砲の砲弾は現在の砲弾に近い着発信管使用。
497159:2007/06/19(火) 23:39:15 ID:???
ただ会津までアームストロング持っていったかなあと。
498名無し三等兵:2007/06/20(水) 00:28:03 ID:???
>>497
持って行った。
小田山に運び上げて城に撃ちまくった。アームストロング砲
499名無し三等兵:2007/06/20(水) 00:29:03 ID:???
なんか変だなーと思って検索してみると「アームストロング砲の砲弾が着発信管
ではなかったって」いうサイトがゴロゴロ出てきたw でもこれは間違いだから。

戊辰の戦いではアームストロング砲以外の滑空砲が沢山使われていて(むしろ
多数が滑空砲)導火線式信管を付けた砲弾がこれらの滑空砲で使われていた。
どうもその滑空砲で使われた砲弾の処理の話が混同されて「アームストロング砲
で着発信管が使われなかった」という変な風説が流布してるようだけど。
500名無し三等兵:2007/06/20(水) 01:01:15 ID:???
なるほど
501名無し三等兵:2007/06/20(水) 21:35:36 ID:???
どうでもいいが、戦国時代の話から逸らすなよ。
自演か?
502名無し三等兵:2007/06/21(木) 01:17:41 ID:???
自治厨か?
503名無し三等兵:2007/06/21(木) 10:49:57 ID:???
厳密にいうと、江戸時代や室町もあかんのかな?
戊辰や西南の役の話は、日本式の城郭がどれほどの耐久性・防弾性があったかという話なんだからいいような気がするけど。
504名無し三等兵:2007/06/21(木) 11:53:41 ID:???
戊辰や西南で役に立った城って熊本くらいじゃね?
それも銃には耐えただけ

和式の城は砲を持ち込まれるとなんともならん
次世代であるイタリア式城郭も、砲の射程と威力が増してからは速攻で落とされる例が多い
505名無し三等兵:2007/06/21(木) 12:35:25 ID:???
>>504
熊本城は砲撃も受けてるよ。

江戸時代に入って築城された城が、どういう風に戦闘で有効だったかという議論に使える材料が明治直前のものしかない。
あとは、島原の原城くらいか。
無論、江戸時代初期にあった兵器との性能差を考えて話さなきゃならないけど。
506名無し三等兵:2007/06/21(木) 16:55:53 ID:???
>>504
そりゃ旧来の城ぐらい簡単に壊せる性能を求めて砲の類が進歩したんだから
当然といえば当然のこと。
507名無し三等兵:2007/06/21(木) 21:15:49 ID:???
会津若松城は築城時の16C末から17C初めの火器の攻撃を想定して築かれた城。
当然戊辰戦争時の進歩した火器の攻撃など全く想定していなかった。
にも拘らずあれだけの抗堪性を示したのは凄いと思う。
508名無し三等兵:2007/06/21(木) 21:56:50 ID:???
一応、高地から弾着観測をされちゃうから城を移したほうがいいんじゃね?
っつう提案はされていた模様<会津若松

次前の策として高地への支城構築は幕府の制限で無理っつうことで
・・・一応やったんだっけ?
509名無し三等兵:2007/06/21(木) 22:28:08 ID:???
一応、戊辰戦争に関しては専用のスレがあるので、そっちで語ってくれると嬉しい

____________________戊辰戦争
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1135335436/

自治云々ではなく、戊辰スレが少し寂しいのでw
住民はかぶってるかな?
510名無し三等兵:2007/06/21(木) 22:33:15 ID:???
大坂冬の陣では大砲が決め手となった
何しろ、一斉砲撃したその日の内に講和の申し込みなのだから、相当なショックだった様で
511名無し三等兵:2007/06/22(金) 07:13:07 ID:???
>>510
砲撃が講和の原因なのではなくて、
きっかけなのでは?

もともと講和派がいたわけだし。
512名無し三等兵:2007/06/22(金) 08:16:19 ID:???
>>511
下地はあったでしょう。
しかし、砲撃は間違いなく決定打になったと思います。

これまで絶対、安心と思われた本丸に砲弾が降り注いだショックは相当のものでしょう。
513名無し三等兵:2007/06/22(金) 11:52:14 ID:???
逆に、徳川方が講和に応じたのは何故でしょう?
別に、包囲して兵糧攻め、砲撃を続けていれば、大坂城だって落ちるだろう。

堀は埋めたけど、結局野戦になって、徳川方の被害も大きく、家康自身危険な目にあっている。
味方の裏切りという偽情報で混乱したりしているし、両者の戦力をみれば野戦はリスクが高い作戦だった印象があるんだけど。
514名無し三等兵:2007/06/22(金) 18:45:07 ID:???
>>513
攻囲戦は長期に渡ると士気も低下するし、お金もかかります。
それに何より問題は健康問題で、下手に風邪でも流行ったら戦どころではありません。
実際に、長期対陣で病没した武将は多く、当の家康自身が何よりもそれを警戒したでしょう。

また、家康自身の性格としてこういう戦術的の長攻を嫌う面があり、
できることならさっさと短期間の戦闘でけりをつけたいと考える人です。
よって休戦期を除けば早期に決着の付けれる野戦を家康は好むのです。
515ちんぽ槍:2007/06/22(金) 21:22:57 ID:???
>それに何より問題は健康問題で、
篭城側は城内がウンコで埋め尽くされそうだな。
516名無し三等兵:2007/06/22(金) 21:36:52 ID:???
海外では投石器でウンコや人馬の死骸を投げ合ったという話もあるな。
517名無し三等兵:2007/06/22(金) 22:19:15 ID:???
大坂側はウンコを地下に埋めて徳川側の坑道作戦に対抗したとか。
518名無し三等兵:2007/06/23(土) 01:33:10 ID:???
煮えたぎった糞尿を城壁の上から寄せ手にかけたりとか、鏃に糞尿を塗りつけて敵を撃ったりとか、
糞尿は戦場で大活躍してたね。
519名無し三等兵:2007/06/23(土) 03:00:32 ID:???
>>512
武将は、本丸に弾が届いてもまぐれ玉が当たったとしか思っていなかったらしい。
実際そのとおりだったし。
ところが、淀君がパニック起こして・・・
520名無し三等兵:2007/06/23(土) 08:04:25 ID:???
>>519
いや、本丸が北に寄って川一本で隔たれていた大坂城は大型砲なら悠々、射程圏内
浪人武将達も大砲の進歩はあまりよく把握していなかったようですな
521名無し三等兵:2007/06/23(土) 08:19:43 ID:???
国産の大筒や石火矢はカルバリン砲などと比べてどうだったんでしょう。
522名無し三等兵:2007/06/23(土) 09:03:58 ID:???
>>521
大筒は鉄製の鍛造(つまりでっかい火縄銃の銃身)なので、安くできるがあまり大口径のものは製造できない
石火矢はフランキの事で青銅製の鋳造で後装砲、大口径なのだが薬室と砲身が分離するので
ガスの噴出や暴発、射程が思ったほど伸びないという欠点がある

この二つが当時の日本における大砲の基準で、大坂の陣における大坂方や諸藩の大砲もこの二種であり、
それに比べると蘭・英から持ち込まれたカルバリンやカノンはまったくの新兵器ということ
ちなみにスペイン・ポルトガルはこれらの大砲を日本人(というよりアジア人)に教えなかったのは、植民地化
を阻害する要因になると判断したのだろう
523名無し三等兵:2007/06/23(土) 15:59:42 ID:???
>ちなみにスペイン・ポルトガルはこれらの大砲を日本人(というよりアジア人)に教えなかったのは、植民地化
>を阻害する要因になると判断したのだろう

造船技術にしても同じだな。
秀吉がガレオン船の技術を欲しがってたが、南蛮は渡さなかった。
それに対して紅毛のウィリアム・アダムスは家康に仕えて日本でガレオン船を建造した。
524名無し三等兵:2007/06/23(土) 20:02:59 ID:???
>>523

   ∩___∩
   | ノ      ヽ
  /  ●   ● |
  |  //// ( _●_)  ミ
 彡、    ヽ(⌒ヽ/   プッ スペインもサン・ファン・バウティスタ号の建造に関わってるっつーのw
/ __    \  ヽ
(___)   / `ー‐'
525名無し三等兵:2007/06/23(土) 20:26:40 ID:???
>>524
それ、ウィリアム・アダムスが西洋船を建造した後だからね
スペイン人も出し惜しみをしていられなくなったんじゃない?
526名無し三等兵:2007/06/23(土) 20:38:02 ID:???
スペイン・ポルトガルは日本の中央政権をフィリピンなどアジア植民地に対する脅威と見做していた。
日本の中央政権である豊臣秀吉がガレオンを売ってくれと依頼したときは応じなかった
次に豊臣に変わって中央政権の座に就いた徳川幕府にも造船技術を教えたことはない。

サン・ファン・バウティスタ号の場合は伊達政宗の船。中央政権の船ではない。
伊達は一地方大名であると共に、スペイン・ポルトガルにとっての脅威対象である徳川を牽制
しうるかもしれない存在だったから。
527名無し三等兵:2007/06/23(土) 22:04:09 ID:???
>>526
いやいや、サン・ファン・バウティスタ号は半幕半仙とでも言うべき船だよ
建造には幕府の船奉行向井将監も関わっているし、幕府の船大工も借り受けているからね
乗員のうちには向井将監の家人がいたこと、具足、屏風などの将軍の音物を携えて行ったってことから考えても、
純然たる伊達政宗の船とは言えない
528名無し三等兵:2007/06/23(土) 23:15:23 ID:???
>>527
そんなことは知ってる。
ここで重要なのは、サン・ファン・バウティスタ号建造する以前に
徳川は西洋船の建造技術及び建造経験を既に持っていたという事。
この状況でサン・ファン・バウティスタ号建造にスペインが協力したとしても
今更技術を徳川に教えた事にはならないんだよ。
529名無し三等兵:2007/06/24(日) 18:51:39 ID:???
うーん、サン・ブエナベンツーラ号とサン・ファン・バウティスタ号とではd数がかなり違うからなぁ
両者を同じ西洋船ってことで同列に並べて語るのは無理があると思う
やはり、幕府もスペインを通じて新しい技術を得た、と考えるのが妥当かな
530名無し三等兵:2007/06/24(日) 22:50:38 ID:???
サン・ファン・バウティスタ号にアダムスが作った船には無い新しい技術なんてあるのか?

既に太平洋横断に成功していた訳だし。
531名無し三等兵:2007/06/24(日) 23:06:11 ID:???
ttp://www.pacificresorts.com/cruise/rashimban/daikoukai/200704/
ここを読む限りではオランダのほうが造船技術が優れていたようだが。
532名無し三等兵:2007/06/25(月) 18:05:14 ID:???
>>530
排水量80tと500tじゃ自ずと異なるんじゃね?
533名無し三等兵:2007/06/25(月) 18:14:18 ID:???
ところでアダムスが幕府のために船を作ったのって本国の意向とか関係あるのか?
アダムスやヤン・ヨーステンはたまたま漂着しただけの私人だろ?
幕府に船を作れと言われれば断れる立場にもないし(もっとも、アダムスは自信が
ないとして、最初は固辞しているが)。
534532:2007/06/25(月) 18:18:40 ID:???
ごめん、サン・ブエナベンツーラ号は80tじゃなくて120tだった。
80tは最初に作った船の方だった。
535名無し三等兵:2007/06/25(月) 18:32:37 ID:???
>>531
アダムスはロンドンで船大工の徒弟になり造船を学んだが、途中で辞めて
航海士になった。それから日本に漂着して船を造るまで15年以上もブランクが
あるし、必ずしも彼が当時最先端の技術を持っていたとも言い切れないのでは?
もちろん遅れた技術しか持ってなかったとも言い切れないが。
536名無し三等兵:2007/06/25(月) 20:15:58 ID:???
>>533
後発組だから、歓心買うのに特に制限は設けていないでしょうな
新教の国だから商売第一だし
537名無し三等兵:2007/06/25(月) 22:47:06 ID:???
>>532
>>534
何か新しい技術があるなら具体的に教えてくれ。
こっちがに知りたいよw
538名無し三等兵:2007/06/25(月) 22:47:48 ID:???
>>533
彼らはオランダ東インド会社の人間。(単なる民間会社の社員ではない。)
本国の意向を根本的に無視するとは思えない。
もっとも船を作る行為その物が本国の意向かどうかは判らない。
しかし彼らが単なる私人ではなく基本的に本国の国益い沿って行動していたことは事実。
英蘭との国交樹立を推進したり、
敵対する南蛮カトリック勢力のネガティブキャンペーンを色々やったりもしていた。
これは本国やプロテスタント側の意向をそのまま反映している。
そんな彼らだからこそスペイン人ポルトガル人は「リーフデ号の奴らは海賊だから殺すべし!」と家康に進言したりしていたぐらい。
539名無し三等兵:2007/06/25(月) 22:50:02 ID:???
>>535

ピーター・ヤンツをお忘れなく。

>洋式船の建造は主にリーフデ号の生き残りの一人、ピーター・ヤンツ(オランダ人)
>が腕前を発揮して完成させた。ヤンツは造船の心得があり、アダムズ自身も造船の
>作業をしていたことも幸いしたのだろう。造船作業には家康お抱えの船奉行向井将
>監ら十数名の日本人も参加した。こうして日本最初の80トンの洋式船は完成した。
ttp://www.oogosho400.jp/JP/study/05_09.htm
540名無し三等兵:2007/06/25(月) 22:51:55 ID:???
>>538
>彼らはオランダ東インド会社の人間
ええ?そうだっけ?
541名無し三等兵:2007/06/25(月) 22:54:52 ID:???
542名無し三等兵:2007/06/25(月) 22:59:30 ID:???
サン・ブエナベンツーラ号は結局イスパニア人に貸し出されてノヴァエスパーニャ(メキシコ)まで
航海するんだよな。
543名無し三等兵:2007/06/25(月) 23:05:26 ID:???
>>537
ガレオンの大型化はマニラを根拠地にしてたスペイン人のお家芸。本国商人の政治的圧力により
年間の航海数が制限されていたため、一隻を大型化せざるを得なかった。サン・フアン・バウティスタ号も
この「マニラ・ガレオン」と呼ばれる船の仲間になる。もっとも、マニラ・ガレオンとしては500tでも小型の方だけど。
544名無し三等兵:2007/06/25(月) 23:16:11 ID:???
>>542
そうだよ。
あくまで 徳川幕府→スペイン であってその逆ではないとこが重要だけど。

>>543
で、具体的な技術とは?
545名無し三等兵:2007/06/25(月) 23:31:43 ID:???
まあ、徳川がサン・ファン・バウティスタ号と同じくらいの西洋船をそれまでにつくってたら、
スペインの影響はなかったと考えてもいいかもしれないが、作ってない以上はな。
546名無し三等兵:2007/06/25(月) 23:46:19 ID:???
航洋力の有無が重要だと思うが
航洋力なら太平洋横断可能な船をすでに作っていたと。
547名無し三等兵:2007/06/25(月) 23:53:41 ID:???
>>538
でもアダムスは家康の命で幕府とイスパニアの通商関係樹立のためにマニラ総督を説得してりしてるよね。
それってオランダの国益に沿うものか?まあ、単なる雇われ航海士のイギリス人であるアダムスがオランダに
そこまで忠義立てする必要はないと思うが。
548名無し三等兵:2007/06/25(月) 23:59:00 ID:???
>>542
というかそもそもサン・ブエナベンツーラ号の建造目的自体、日本に漂着したデ・ビーベロ元マニラ総督らを
メキシコに送り届けることだったんだよね。
549名無し三等兵:2007/06/26(火) 00:08:10 ID:???
サン・ブエナベンツーラ号を作った頃の徳川幕府はかなり熱心に親イスパニア政策を打ち出していた
わけで、その幕府の政策に忠実に従っていたアダムスをオランダの外交政策の体現者みたいに考える
のはいささか無理があると思うがどうだろうか。
550名無し三等兵:2007/06/26(火) 00:21:22 ID:???
そりゃウィリアム・アダムスも家康の意向には逆らえないだろ。
551名無し三等兵:2007/06/26(火) 00:22:16 ID:???
日本にガレオンの技術を渡した場合、植民地維持の脅威と感じたためにスペイ
ン・ポルトガルのカトリック勢力は日本にガレオンの技術を渡さなかった。
という意見に反対の奴は

豊臣秀吉がガレオンを売ってくれとスペイン・ポルトガルのカトリック勢力に
依頼したときは応じなかった理由を説明してくれ。
552名無し三等兵:2007/06/26(火) 10:35:31 ID:???
>>551
売らなかった理由を一つに絞ることが出来るような客観的な事実はあるの?

・売ったら、自分達の使う代わりの船が確保できない。
・希望価格を下回った
・日本側が直接貿易するようになると、自国の権益が損なわれると判断した。
・日本に駐在している人間には、売る権限がなかった。
・条件吊り上げようとして、とりあえず断った。
・秀吉にだけだと、諸大名との勢力バランスが変わる。

いろいろ考えられると思うが?(上のは、適当に思いつくまま書いただけだけど)
553名無し三等兵:2007/06/26(火) 13:20:50 ID:???
そもそも「スペイン・ポルトガルのカトリック勢力」なんて一枚岩の勢力があったかどうか…
554名無し三等兵:2007/06/26(火) 19:32:36 ID:???
>>553
あの頃(1580〜1640年)はポルトガルはスペインに併合されていた。
555名無し三等兵:2007/06/27(水) 01:20:49 ID:???
同君連合だけどね。

てゆうか当時のヨーロッパの情勢おべんきょうしてから出直せよ。
>>553

あと>>547もな
556名無し三等兵:2007/06/27(水) 01:36:49 ID:???
>>552
本当に「適当に思いつくまま書いただけ」って感じだな。
精々、妥当性があるのは3番目くらい。
557名無し三等兵:2007/06/27(水) 20:25:59 ID:???
>>556
>日本にガレオンの技術を渡した場合、植民地維持の脅威と感じたために
>スペイン・ポルトガルのカトリック勢力は日本にガレオンの技術を渡さなかった。
で、これのソースは?
558名無し三等兵:2007/06/27(水) 22:08:30 ID:???
つーか、論点がズレてる

>>526の>(スペインは)“徳川幕府にも造船技術を教えたことはない”。、が論点であって、

>>530のいう>“太平洋横断”や>>551の意見が論点じゃないじゃん

サン・ファン・バウティスタ号と同じくらいの大きさの西洋船を幕府がそれまでにつくっていない以上、
少なくとも、
幕府は500tクラスの西洋船を建造する技術と経験を得た、
スペインは幕府に500tクラスの西洋船を建造する技術を提供した、
と考えてもいいと思うぞ
サン・ブエナベンツーラ号とサン・ファン・バウティスタ号とでは、排水量が違うんだしさ

>>526のように、>(スペインは)“徳川幕府にも造船技術を教えたことはない”。、
と言い切るのは、やっぱ疑問符がつくと思うぞ

まあ、“造船技術”という語が“太平洋横断”(航洋力)のみを指すのなら、
分からん話ではないような気がせんでもないが、
フツーは、“造船技術”=“太平洋横断”(航洋力)のみ、とは考えられんわな
559名無し三等兵:2007/06/27(水) 23:04:34 ID:???
>>557
>ソース
俺の考えだが。それでは不満か?

まあ、考えの根拠を述べよう。
実際に豊臣秀吉は1591年頃からマニラ総督府に服属を求めて脅しをかけていたわけだから。
それに対してマニラに駐留するスペイン人兵士は僅か数百人のみしか存在しなかった。
もし日本が数万人規模の軍隊で遠征してきたなら到底適わない。
ところが現実にこの頃の日本には外洋航海可能な造船技術が乏しく
数万人規模の軍隊を派遣するのは不可能だった。
この状況でスペインが外洋航海可能な造船技術を提供したくないのは当然の事だろ。

ところが年月が経つにつれアダムスによる西洋船の建造や朱印船の国産化で日本も
外洋航海可能な造船技術を身につけて来た。
こうなると最早スペインが技術を出し惜しみしても意味が無い。
それならばサン・ファン・バウティスタ号建造に多少なりとも協力して幕府の機嫌を取っておいたほうが得だし、
彼らが奥州王と呼んでいた伊達とのパイプを繋いでおけば、もしも徳川幕府がスペイン植民地への野心を持った時には徳川への牽制を期待できると判断しても不思議ではない。
560名無し三等兵:2007/06/27(水) 23:05:22 ID:???
>>558
いや論点がズレてるのはそっちであって
ここで問題になっている造船能力とは航海能力の有無だよ。
スペインが渡したくなかったのは主として大海を越えて大兵力を輸送する航海能力なんだから。
このあたりは文脈で理解すべき。
因みに当時大型のスペイン艦に対し大きさで劣るオランダ艦が水上戦闘で勝利を重ねていた。
このことからしても船の大型化はそれほどの重要事項ではない。
561名無し三等兵:2007/06/27(水) 23:19:29 ID:???
原田孫七郎は豊臣秀吉にルソン攻略を建言してたしな。
562名無し三等兵:2007/06/27(水) 23:22:28 ID:???
>>560
だったらさ、>>526は航海能力とハッキリと書くべきじゃね?
誤解を招いても仕方ないと思うぞ、>>526の文では
それとも、>>526は他人の能力をあてにして文章を書いたのかな?、だ
としたらそうとうの間抜けだと思うんだが、>>560はどう思う?

それに、>大型化はそれほどの重要事項ではない。

俺はスペインの造船技術の影響の有無が論点だと思うから、そんなこと言われてもなぁ
563名無し三等兵:2007/06/28(木) 19:12:30 ID:???
三国志の合戦の虚像と真実
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1182325433/
564名無し三等兵:2007/07/01(日) 21:19:23 ID:???
>>526>>528って同じ人かな?
もしそうだとしたら何となく笑える。
565名無し三等兵:2007/07/01(日) 21:41:26 ID:???
スペインが造船技術を教えたがらなかったというのはもっともな話だと思うが、アダムスの例をもって、
オランダが積極的に(もしくは何の抵抗も無く)教えたというのは眉唾物じゃなかろうか。
漂着者という特殊な立場にあったアダムスらが幕府の要請を断れずに協力したってだけの話だと思う。
566名無し三等兵:2007/07/01(日) 21:50:53 ID:???
徳川幕府が誕生して家康が死ぬまでの間の日西関係はその前後と比べるとかなり良好なんだな。
ttp://mex-jpn-amigo.org/mex/weblog/index.php?user_id=0&cat_id=18
567今忙しい ◆y9synVxvE2 :2007/07/02(月) 17:14:41 ID:???
今、重大な用事が出来て忙しい
お馬鹿な煽り厨・釣り厨の相手してる暇はない。
そのうち気が向いたら相手してやるかもしれないし
永久に気が向かないかもしれないw

因みに俺の書いたのは
>>523 >>526 >>528 >>530-531 >>537-538 >>539
568今忙しい ◆y9synVxvE2 :2007/07/02(月) 17:15:27 ID:???
569名無し三等兵:2007/07/02(月) 19:54:26 ID:???
落ちるなら勝手に落ちればいいのに、最後にひとこと煽らないと気が済まないんだな
自己顕示欲が強いんだろうな
570名無し三等兵:2007/07/02(月) 20:31:56 ID:???
まあ、夏が来たって事で。
571名無し三等兵:2007/07/03(火) 20:35:21 ID:???
>>566
アミーゴ会


 なんか笑っちゃうな。

(注 もちろんサイトの資料は力作ですごくよくまとめてあります)
572名無し三等兵:2007/07/05(木) 18:59:23 ID:3kjHDQRL
あげ
573名無し三等兵:2007/07/07(土) 13:04:03 ID:???
ガレオンの技術じゃなくてジャンクで十分。
574名無し三等兵:2007/07/08(日) 22:32:16 ID:???
>>573
つうか
シナ海は殆どジャンク船
インド洋は殆どダウ船
スペインもポルトガルも現地の船を借り受けて
運送から戦闘までこなしてただろ
(だから台湾は追い落とされた)
マニラ〜リスボン直行便とかにはガレオン船必要だったろうけど
575名無し三等兵:2007/07/10(火) 20:55:30 ID:???
なあ、足軽でもないし、部隊指揮官になるほどでもない平侍共って合戦の時には何やってたの?
個々で敵陣に突入したのかね。
576名無し三等兵:2007/07/10(火) 22:11:48 ID:???
>>575
突撃
577名無し三等兵:2007/07/10(火) 23:39:06 ID:???
戦国後期ならば上級武士の寄騎でその下知に従う。
運が良ければ大名の馬廻になったりする。
578名無し三等兵:2007/07/11(水) 01:26:58 ID:???
欧州で言うと、パイク兵や銃兵の脇に居るダンビラ兵や矛槍兵みたいなもん?
579名無し三等兵:2007/07/11(水) 01:28:48 ID:???
欧州とは軍制そのものが違うから、ヘタに当てはめるとかえってわけがわからなくなると思うの
580名無し三等兵:2007/07/11(水) 10:48:19 ID:???
>>575
鉄砲普及前だと、長槍隊が殴りあっている横や後ろに待機していて、隙をみて攻撃して相手の隊列を突き崩す役目とか。
長槍隊は、壁としては強いけど臨機応変に攻撃するってのは苦手みたいなので、そういう役割分担みたいですね。
それで相手が崩れたら、追撃して、相手と組討ちして首取ったりするのも、彼らが主役。

鉄砲が普及すると侍にも鉄砲所持させたりしているから、多少は役目もかわるかもしれない。
581名無し三等兵:2007/07/11(水) 10:48:29 ID:???
何人かの侍が纏められて一隊を形成して、
隊を侍大将が指揮する。
582名無し三等兵:2007/07/14(土) 08:30:25 ID:???
>>575
>>11の編成に出てくる騎馬組(馬廻り)に編成される

馬に乗れないけど(馬持てるほど禄が無い)士分の場合
歩行組があったりしてソコに編成される場合もある
歩行組の役割は精鋭歩兵みたいな扱い
(足軽よりは練度も士気も基本的に高いので)
武器は編成に応じて鉄砲だったり槍だったり弓だったり
訓練の必要な弓組を任される事が多かった
(練度さえ高ければ弓は鉄砲より有効な場合も多々あった)

時代と共に身分制度がハッキリしてくると(江戸時代になると)
足軽と武士の差が明確になってきて歩行組はあまり見られなくなった
583名無し三等兵:2007/07/14(土) 10:49:43 ID:???
太田南畝
584名無し三等兵:2007/07/14(土) 11:19:41 ID:???
>>582
徒士って奴?
585名無し三等兵:2007/07/14(土) 21:05:10 ID:???
582
>足軽と武士の差が明確になってきて歩行組はあまり見られなくなった

そんなわけないだろ、幕府や大藩の100石以下(○俵×人扶持とか)クラスは騎乗しない侍じゃないか?
(そもそも馬を養うだけの資産がないが)
数でいったら、よっぽどこっちのクラスのほうが多い。




586名無し三等兵:2007/07/14(土) 21:39:27 ID:???
>>585
それって足軽扱いじゃないの?身分的には士分だけど
>>582
の書き方も悪いけど
臨時徴用の足軽が無くなった江戸時代では
足軽がソコソコの身分として扱われた為(一応ギリギリ士分扱い)
歩行組と足軽組の差が無くなったんじゃない?

戦国期では歩行組>禄の低い侍・足軽組>徴用兵・傭兵(身分的には侍扱いでない)
って感じだったのが江戸期では徴用系は居ないし差がなくなったとか
あとは寄力制とかの制度もしっかりしてきたのも大きいんじゃ?

町奉行所の同心とかも身分的には足軽でしょ?
587名無し三等兵:2007/07/14(土) 22:14:16 ID:???
そもそも「足軽」が「身分」なのか「職名」なのかがはっきりしないといけないな。
もともと足軽は、職名で、江戸時代に「身分」として確立したということだろう。
最も、江戸時代は各藩が独立国家である以上、足軽の意味もちがったが
588名無し三等兵:2007/07/14(土) 23:33:13 ID:???
職名と身分はある程度合致してるからしゃぁない
589名無し三等兵:2007/07/15(日) 19:35:38 ID:???
徒歩の侍も普通の事
足軽ではない
590名無し三等兵:2007/07/15(日) 20:29:40 ID:???
身分とは?職名とは?
身分とは階級の事でいいのけ?
職名とは役職の事?職業名の事?
591名無し三等兵:2007/07/15(日) 22:10:17 ID:???
家来付き歩兵、だろ。
592名無し三等兵:2007/07/15(日) 22:11:08 ID:???
江戸時代の御家人は足軽でいいのかな?
593名無し三等兵:2007/07/15(日) 22:13:38 ID:???
>>592
御家人は足軽よりかなり上の身分。
徒歩の侍≒御家人
594名無し三等兵:2007/07/15(日) 22:17:08 ID:???
足軽→奴、かね。
595名無し三等兵:2007/07/15(日) 22:19:03 ID:???
幕府御家人は足軽のような一代奉公(実態は世襲)ではない。
判りやすい例だと奉行所与力になる層だ。
596名無し三等兵:2007/07/15(日) 22:56:06 ID:???
>>594
足軽=同心
奴は中間・小者といった武家奉公人

戦国初期なんかは足軽も武家奉公人程度の身分だったけど
時代が下るにつれ身分が上がった

更に言うと長柄足軽は弓や鉄砲足軽よりも格下で、長柄之者
という感じで中間と足軽の中間身分とされた
597名無し三等兵:2007/07/16(月) 00:40:58 ID:???
>>596
やっぱ鉄砲や弓は技量がいるんで重視されたのが、江戸時代の身分制度時にも受け継がれたって事かな。
598名無し三等兵:2007/07/16(月) 01:33:51 ID:???
弓・鉄砲・槍のランク付け。
習熟度が必要とされる順番でもある。

>>591
家来と言っても、平侍の家来なんてのは単なる荷物持ちの下人が一人くらいだろ。
599名無し三等兵:2007/07/16(月) 02:59:50 ID:???
一人扶持の侍は下人もいないんじゃないか。
600名無し三等兵:2007/07/16(月) 08:04:14 ID:???
戦時では領主から奉公人の貸人や乗馬の貸馬があったそうで
601名無し三等兵:2007/07/16(月) 13:46:46 ID:???
>>596
手明鑓とか一領具足とかか
602名無し三等兵:2007/07/16(月) 20:11:42 ID:???
>>601
手明鑓は半分リストラ組、一領具足は騎馬農兵だから大分異なる
603名無し三等兵:2007/07/16(月) 21:01:20 ID:???
今月の歴史群像に雑兵の記事あり。
ちょうど、今ここで話に出ているようなクラス(雇い兵・足軽)に関する話みたい。雑兵物語あたりのネタです。
(明日通院の待ち時間に読む予定なんで詳細は読んでないが。)

今号はポスター付きで、紐で縛られているので立ち読みは出来ないよ。w
604名無し三等兵:2007/07/16(月) 22:46:19 ID:???
それはお前が行った本屋だけだろ。
付録なんてゴムで止めてあるまま置いてるのが大半だから。
605名無し三等兵:2007/07/22(日) 15:21:44 ID:???
その附録だけ盗む奴も多いんだよね。
ウチの市内の大手の本屋も附録付きの雑誌は、紐で縛るかビニールでラッピングしてあるよ。
606名無し三等兵:2007/07/23(月) 17:23:14 ID:???
「ニセ学位」の実態調査 文科省が全国の大学に照会 [ 07月23日 08時38分 ]
共同通信
http://www.excite.co.jp/News/society/20070723083847/Kyodo_OT_CO2007072301000073.html
 研究や教育活動の実体が確認できず、実在さえはっきりしない海外の大学で取得した“学位”が、
日本国内で大学教員の採用の際などに悪用されている実態を把握するため、文部科学省は23日ま
でに、国公私立大を対象にした全国調査に乗り出した。こうした海外の大学は「ディグリーミル
(学位工場)」などと呼ばれ、米国では取得した博士号などの学位を就職に悪用するケースが問題
化している。

ニューポート大学大学院終了の八巻教授ピンチだなww

インクルージョン・八巻正治氏について語ろう!
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/welfare/1166656471/
607名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 03:09:23 ID:???
保守
608名無し三等兵:2007/07/31(火) 02:04:07 ID:???
>>603
を読んだ人いるかな?
どんな内容だったか報告してくれると嬉しい
609名無し三等兵:2007/07/31(火) 07:41:45 ID:???
610名無し三等兵:2007/08/01(水) 22:55:53 ID:???
>>609
ありがとう
内容薄いしあんまり良く無さそうね

買うのはやめとこう
611名無し三等兵:2007/08/02(木) 19:09:51 ID:???
長柄隊ってどれ位密集してたんですか?
パイクと言う武器の性質上ある程度密集しなきゃ有効に使えない気がするんですが。
612名無し三等兵:2007/08/02(木) 19:40:51 ID:???
戦国が終わった後に、アジアの紛争地域に傭兵売りつける商売とかしてたら面白かったのにな。
613名無し三等兵:2007/08/02(木) 20:02:12 ID:???
>>611
長柄は左右はそれなりに寄っていた様だが、大抵は一列横隊。
そういう訳で鉄砲数が増えると射的の的状態なので、数も減り、
任務も攻撃から防御へと転換した。

>>612
朱印船貿易時代にばりばり傭兵が英・蘭の植民地紛争に
送り出されていたぞ。
そんでもって、調子に乗った英・蘭が幕府公認の傭兵軍の
投入を求めたが、これを幕府は軍隊派遣の内政干渉と捉え、
併せて殖民地戦争のとばっちりを受けない様に、傭兵の
輸出を含めた鎖国政策へと進むようになった。
614名無し三等兵:2007/08/02(木) 20:24:25 ID:???
だからそこがなあって、そうすりゃアジア各地にいろんな悪名残した大傭兵団として歴史に名を刻めた・・・
615名無し三等兵:2007/08/02(木) 20:58:41 ID:???
>>長柄は左右はそれなりに寄っていた様だが、大抵は一列横隊。
もし相手が4〜8列になって攻撃されればあっさり突破されそうなんですが…
616名無し三等兵:2007/08/02(木) 21:13:19 ID:???
誰だったけかな、「槍の長さが揃っている所に突撃しろ」って言ってたのは。
長柄なんてのは怖い連中じゃなく、好きずきな得物持って不揃いな連中の所は強者揃いだから仕掛けるなと言ってた。
617名無し三等兵:2007/08/02(木) 21:13:58 ID:???
>>615
ぱっと見は一列横隊に見えますが
その一列が幾重にも重なって層を作るのです
欧州のように密度の高いものではありませんが

あと縦深のある隊形は戦列組むのに時間がかかるし
(欧州のあの密集隊列は種類にもよるけど、隊列組むのに数時間かかったりしてます)
険しい地形の移動には向いてません
(険しい地形をいどうすると隊形が崩れて混乱の原因になる)

なので、日本では一列横隊が主流で、それを幾重にも重ねて層にするというが主流になりました

メリットは
1・横一列の簡単な隊列なので陣形組むのが簡単
(時間もかからないし、指揮系統も単純で済む)
2・陣形の維持も簡単なので機動力があがる
3・前列と後列の入れ替えが簡単
(密集隊形では入れ替えやろうとすると大混乱になるから出来ない)

欠点は
4〜8列などの密集隊列に比べて・突破力・防御力に劣るってことです
618名無し三等兵:2007/08/02(木) 21:39:51 ID:???
>>617
>ぱっと見は一列横隊に見えますが
>その一列が幾重にも重なって層を作るのです
よくわからない表現なんだが、互い違いに並んでいるのなら複数の列だよね?

○  ○  ○  ○
 ○  ○  ○  ○

例えば上のような並び方なら2列横隊って表現になるんじゃないか?

>>616
>誰だったけかな、「槍の長さが揃っている所に突撃しろ」って言ってたのは。
内容が薄い今月の歴史群像に載ってたw 藤堂高虎だそうです。
ただ、通説は長柄の槍衾を避けよといわれることへの反証として紹介されている。

通説の考えは平和な時代によく訓練されたり、理念が先行した軍学に基づく江戸時代の長柄に対する考え方で
戦国時代はそこまで錬度が高くなかったから高虎の主張も当てはまるのではないかと筆者は推測されていますね。
619名無し三等兵:2007/08/02(木) 21:48:38 ID:???
>>618
2列と呼んでも良いのかもしれないが
基本的に列と列の間が結構空いてるのですよ
(欧州の隊列のようにぎっしり詰まってない)
一列あって数M〜数十M空いて次の一列って感じで
もちろん状況によってはもっと接近することもあるのですが
(欧州の密集陣のように前後左右が等間隔で列を作らない<あくまで基本的にね)
絵巻物なんか見て貰えるとわかりやすいと思うのですが

あと一列ごとが1部隊の扱いです、互いに連携することはありますが
620名無し三等兵:2007/08/02(木) 22:22:23 ID:???
>>619
近世になると1備に付き、鉄砲組2組、弓組1組、槍組1組、旗組1組、甲士1隊に隊長という感じ

で、尾張藩の軍制では
鉄砲組は1組20人、5人を分隊として分隊基準で散開している。
分隊における足軽の間隔は1・2歩、分隊間は前後して2・3歩。2組は横に並列で並ぶ。
弓組は一組で鉄砲組と同様の正面を担当するので足軽の間隔は4・5歩。
槍組は各卒間は2・3歩。

ま、寛政年間の資料だから、多少は理念化されていくと思うが参考に。
621名無し三等兵:2007/08/02(木) 22:35:48 ID:???
>>615
機動力が低下して、そこを侍隊に側面から衝かれたら仕舞いです。
622名無し三等兵:2007/08/03(金) 01:33:57 ID:???
味方の侍衆が翼側に展開して援護しとけよ
623名無し三等兵:2007/08/03(金) 03:11:43 ID:???
>>620
参考資料ありがとう

やっぱり日本の場合前後は多少スペース取るんだね(しかも散開もするのか)
欧州のような完全密集隊形は日本の地形に合わないって事なのかな、やっぱ
624名無し三等兵:2007/08/03(金) 04:02:27 ID:???
密集陣は基本的に傭兵の隊形です。
傭兵は言われているほど、士気が乏しという事はありませんが、
それでも身一つであるが故に、状況が不利になれば直ぐに逃亡
する恐れがあり、それを防止するのが密集陣である理由の一つです。

日本の場合、戦士階級である侍の数が多く、足軽も練度を要する
弓・鉄砲は常時雇用されている上、大名に直接雇用しているので
出世のチャンスも多く、それ故に高い練度と士気を必要とする
散開隊形を採れるのです。
625名無し三等兵:2007/08/03(金) 06:31:45 ID:???
つまり、日本の地形によって散開せざるを得ないと言う訳ですね。
626名無し三等兵:2007/08/03(金) 08:08:27 ID:???
>>625
大本の理由はそれで良いかと
627名無し三等兵:2007/08/03(金) 09:14:52 ID:???
一つ疑問があります。
ギリシャも日本に負けず劣らず複雑な地形をしてますが、密集陣が生まれました。
なぜギリシャでは普及して日本では普及しなかったんでしょう?
628名無し三等兵:2007/08/03(金) 13:13:30 ID:???
>>624
戦士階級である騎士が馬を降りて歩兵とともに密集陣形を築いた件
肝心の殴り合いする槍衆に触れてないじゃん。
629名無し三等兵:2007/08/03(金) 15:08:12 ID:???
>>627
それは兵士の問題。
かたやバートタイムである、市民兵。
かたや常時、鍛練を怠らない戦士階級である侍では土台が違いすぎる。
>>628
槍足軽隊と侍隊では任務は異なる。
前者は前線を構築し、後者は突撃でそれを突破するという具合に、役割分担がされている。
630名無し三等兵:2007/08/03(金) 16:14:26 ID:???
その侍隊を構築するのは馬を降りた士分の者?それとも徒士衆?
631名無し三等兵:2007/08/03(金) 16:26:43 ID:???
騎士
632名無し三等兵:2007/08/03(金) 16:34:16 ID:???
はいはいサムライマンセー。
流石はサウラビを起源とする戦士だ。
633名無し三等兵:2007/08/03(金) 16:34:32 ID:???
>>624は日本の傭兵の話じゃ…
634名無し三等兵:2007/08/03(金) 16:54:48 ID:???
日本以外の傭兵について
635名無し三等兵:2007/08/03(金) 19:59:03 ID:???
>>631
補足すると、前者。
因みに江戸時代では騎馬武者は騎士と書いている(徒士との対比語)
636名無し三等兵:2007/08/03(金) 20:05:42 ID:???
戦国期の徒士と言うのは編成上どうなってたんでしょうか。
637名無し三等兵:2007/08/03(金) 21:29:15 ID:???
>>636
戦国期については資料が少ない上に、各大名ごとに異なるので断言はできないが。
次の3つに分類できると思われる。
・大名を護衛する為の徒組
・備の騎馬隊に含まれる場合(徒士身分のままか、貸馬・貸人で騎乗身分に準じるかは
 大名によって異なる)
・騎士の若党としての徒士
638名無し三等兵:2007/08/03(金) 22:17:40 ID:???
>>629
ギリシャの市民兵をパートタイムってのはおかしいだろ?
普段平和な生活を送っているのに、突然戦争に借り出されるとかじゃないんだから。

市民という存在自体が政治に参加できる特権階級だからエリート意識もあるし士気も高い。
あんな密集した隊列で周囲に合わせて運動しなきゃならないんだし。

好きな男に嫌われちゃうから卑怯なまねはできないの ってこともあるけど。w

639名無し三等兵:2007/08/03(金) 22:30:37 ID:???
>>638
通常の市民生活を行うのが主で、戦闘教練はあくまで従
という意味でパートタイムと書いた
四六時中、武芸に勤しんでいた武士とはその位の差があるかと
640名無し三等兵:2007/08/03(金) 22:38:19 ID:???
武士が四六時中武芸に勤しんでたってのも誤解があるな。
641名無し三等兵:2007/08/03(金) 23:13:52 ID:???
>>640
一応、家業ですから
642名無し三等兵:2007/08/03(金) 23:17:46 ID:???
多くは半農半士だよ。
武士と言っても時代と地域を限定してもらわにゃ。
643名無し三等兵:2007/08/03(金) 23:30:08 ID:???
>>642
そこまでくると「そもそも武士とは何ぞや?」になるぞ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB
なある
「戦士を本分とするとされた宗家の主人を頂点とした家族共同体の成員」
で良いと思うが
644名無し三等兵:2007/08/03(金) 23:30:32 ID:???
>>627
平地に田んぼの有る無しが大きいんじゃないの。
山や丘陵地帯の場合でもギリシャは牧草地やオリーブ畑が結構多かったりするけど
日本は草木の密度が高いし。
645名無し三等兵:2007/08/03(金) 23:41:06 ID:???
>>643
問題は>>639の言う武士の生活が何時、常態になったか?だ。
646名無し三等兵:2007/08/03(金) 23:42:36 ID:???
>>644
田んぼに水を張っている間は戦のときでも踏み込むのは避ける傾向にあるよ。
647名無し三等兵:2007/08/04(土) 00:43:32 ID:???
稲の切り株に蹴躓いて戦死したので怨霊と化したお侍がいるのです。
稲の切り株が憎たらしいのでその辺の農民を祟りまくったのです。
648名無し三等兵:2007/08/04(土) 07:31:52 ID:???
>>645
さぁ、侍の範囲も時代によってころころ変わるし、人によって立場も異なるから
それだけで一冊の本になるでしょうな。
戦本業なのが侍と規定するしかないと思う。
649名無し三等兵:2007/08/04(土) 07:36:32 ID:???
なのでギリシア軍より訓練が云々も疑問符が付く。
650名無し三等兵:2007/08/04(土) 07:55:11 ID:???
>>649
初期の悪党や地侍を除けば、大体は武芸に励んでいたと言える。
逆手に取るようだが「四六時中武芸に勤しんでる」と自他共に認識する様になったら、
それが侍と言うことなんじゃないの?
身分制度が固定化されるまでこういうのはいい加減だし
651名無し三等兵:2007/08/04(土) 08:44:07 ID:???
侍のうち専業的な軍人、ということでここでは話を進めていけばいいのでは。
652名無し三等兵:2007/08/04(土) 20:35:37 ID:???
>>619
備の長柄隊の間隔と言うのは大体これでしょうか?
http://eq2.matrix.jp/snup2/src/up0025.jpg
653名無し三等兵:2007/08/05(日) 02:31:51 ID:8e3YEYcO
上洛
654名無し三等兵:2007/08/05(日) 04:57:14 ID:???
>>652
これなんちゅうゲーム?
655名無し三等兵:2007/08/05(日) 09:56:14 ID:???
>>652
近世は一組だから一列横隊一つ
中世は資料が少ないから解らん
近世と中世では資料に百倍の開きがある
656名無し三等兵:2007/08/05(日) 10:27:36 ID:???
たとえば、日本の田舎で100*100の1000名の四角つくって
歩かせようとしたらわかるんじゃない?

無理だってことが・・
657名無し三等兵:2007/08/05(日) 10:29:19 ID:???
>>656
100*100は1万でしたなw
658名無し三等兵:2007/08/05(日) 14:56:25 ID:???
>>656
そんな物どこもやってない。
659名無し三等兵:2007/08/05(日) 22:42:30 ID:???
100×15の四隅に5×6がつく→1500+30×4=1620
この改良型テルシオ陣形で日本の田舎歩き回る困難さを考えよう。
660名無し三等兵:2007/08/05(日) 22:48:36 ID:???
つーかテルシオは欧州でさえ機動と展開に苦労することが多々
661名無し三等兵:2007/08/06(月) 05:08:06 ID:???
ギリシャの密集隊形について出てたけど
ローマとの戦争の時は
密集隊形で上手く機動出来ずにローマ軍に負けてなかったっけ?

あと、山がちという面ではギリシャと日本の地形は似たようなものだけど
降水量が段違いだから
草木の密度と高さが全然違うし
それと小さな河川の多さで日本の方がさらに密集隊形では機動しにくいと思う
662名無し三等兵:2007/08/06(月) 15:27:44 ID:???
日本の平地が戦術行動にとって猫の額だなんて俗説信じてるヤツがまだ居るんだな。
663名無し三等兵:2007/08/06(月) 15:41:23 ID:???
密集陣形による戦術行動が障害物が多すぎてうまくできない。

664名無し三等兵:2007/08/06(月) 16:35:50 ID:???
長柄隊ですら散開し戦ったのか…
面白くないな。
密集隊形を組んでゆっくりと前進する重装歩兵こそが男のロマンなのに。
665名無し三等兵:2007/08/06(月) 16:57:03 ID:???
>>664
素人目にはそうだろうな
個人的には「備って、戦闘団方式かよっ!?」という驚きとかっこよさがあると考える
666名無し三等兵:2007/08/06(月) 18:30:29 ID:???
>>664
面白くないと申したか
667名無し三等兵:2007/08/06(月) 19:00:28 ID:???
>>664
ぬふぅ
668名無し三等兵:2007/08/06(月) 20:06:32 ID:???
>>664
なんで重装歩兵が男のロマンなんだ?
ギリシャ、ローマに毒されすぎだな
669名無し三等兵:2007/08/06(月) 20:08:09 ID:???
>>652
Total War?
670名無し三等兵:2007/08/06(月) 20:10:19 ID:???
>>661
戦の多くは秋から春に掛けて起こり、冬は下生えが枯れている。
それ以前に、山地そのもので戦をすることは少ない。
671名無し三等兵:2007/08/06(月) 20:14:13 ID:???
>>668
重武装の男達が肩と肩を寄せ合ってウッス連呼しながらド付き合うんだぜ?
これが男のロマンじゃなくてなんなんだ!
672名無し三等兵:2007/08/06(月) 20:27:42 ID:???
>>671
つまりガチムチでウホッ!ってことか…
そういや衆道は崇高な行為だったけか、ギリシャ、ローマでは
まあ、戦争と同性愛にはなにか関係があるのかもしれないな
673名無し三等兵:2007/08/06(月) 20:29:58 ID:???
>>672
そら、最前線にまで慰安婦帯同するのは難しいし、あとは手近な男で我慢するしかなかろう。
674名無し三等兵:2007/08/06(月) 21:10:52 ID:???
>>そういや衆道は崇高な行為だったけか、ギリシャ、ローマでは
ギリシャは兎も角、ローマ軍ではホモは発覚次第処刑されていた。
上官から同性愛関係を迫られその上官を刺殺した兵が無罪放免になったと言う話すらある。
675名無し三等兵:2007/08/06(月) 21:14:23 ID:???
テーバイの神聖軍団を普遍視するのは間違いではないか。
676名無し三等兵:2007/08/07(火) 00:44:42 ID:???
>>673
手近かどうかというよりも、信頼第一のコミュニティがミソジニー化しているということではないかと
677名無し三等兵:2007/08/08(水) 15:18:24 ID:???
輜重にはしっかり娼婦も引き連れていけよ。
678名無し三等兵:2007/08/08(水) 15:56:59 ID:???
いつの間にか連れて行った娼婦の数が
数十倍以上になぜかなってて
募集して連れてったハスなのに
強制連行になって
お金も支払っていたのに
奴隷のように働かされた
ってなるんですね
679名無し三等兵:2007/08/08(水) 18:46:26 ID:???
ヨーロッパ中世末期の傭兵団には輜重組織があった。
そいつらは志願してきた商人やそうでない男、娼婦やそうでない女、その他なんやかんやで構成されていた。
一応は輜重士官が居て、組織的な統制を受けていた。
傭兵達は自由(土地とそれに伴う身分にに縛られていない)な戦士であることを誇りとしており、陣地構築など土木工事は一切行わなかった。
故に、傭兵団には工兵隊が存在していた。
彼らは傭兵達にとって侮蔑の対象であり、工兵を構成した人間の質自体も戦士達にくらべて随分と劣る性質の者達だった。
工兵隊は常に編制されるとは限らず、編制されてもその数は実に少なかった。
そのため、土木工事は輜重部隊の仕事でもあった。その仕事は女達も例外でなはない。
輜重隊は最前線の陣地構築にも駆り出され、相応の危険を被ることとなった。
そのような危険は、輜重隊を構成する連中が易々と承伏するところでなく、
彼らはしばしばストライキを起こし、反乱さえも起こした。
680名無し三等兵:2007/08/08(水) 22:33:32 ID:???
>>678
そりゃあ、行った先で奴隷狩りなんぞするから数が増えるのは当然。
681299:2007/08/09(木) 19:29:59 ID:UdWiNqY+
>>675
激しく同意。

ただし、テーバイの覇権を決定づけた、レウクトラの会戦において、
エパミノンダスが採用した斜線陣&一翼への戦力集中という戦法は、
カンナエの戦いにおけるハンニバルの両翼からの包囲戦術とならんで、
普遍的なものと見なしてもいいんじゃないだろうか。
682名無し三等兵:2007/08/10(金) 22:07:15 ID:???
でも、古代ギリシャでは、男の同性愛は道徳的には全然問題ないだろ。
スパルタとかアテネでも同性愛の話はあるし、どっちかというと、そういうことがあるのが健全って感じが・・・。
(もてる奴は、外見も弁舌も知恵も力もあるって評価になる)

そこは日本の衆道と似ているのかも。
683名無し三等兵:2007/08/10(金) 22:30:24 ID:???
>>スパルタとかアテネでも同性愛の話はあるし、どっちかというと、そういうことがあるのが健全って感じが・・・。
スパルタじゃ法で禁じられたしアテネでもガチホモは嘲りの対象だぞ。
684名無し三等兵:2007/08/10(金) 23:13:30 ID:???
>>683
>スパルタじゃ法で禁じられたしアテネでもガチホモは嘲りの対象だぞ。

うーん、Wikipediaの少年愛の項目を見てそう思ったんだけど。市民の義務とか書いてあるが。
違うの?
丸のまま鵜呑みにしたわけでもなくて、今までに読んだ本でも同じようなことが書いてあった記憶があるし。
誰か有名な哲学者も、君にふさわしい男は俺しかいないとかいって若者を口説いていたような。
685名無し三等兵:2007/08/11(土) 00:59:48 ID:???
クセノポン:ラケダイモン人の国政 2・13
「少年と性交渉する事は親が子と性交渉をするのと同じ様に禁じられる」
クセノポン:饗宴 8・70
「もし男が肉欲の為に他の男に触れた場合その男は美と貴い物への全ての権利を放棄する事になる」
プルタルコス:リュクルゴス伝 17・4
「その様な一人が少年に迫り少年が泣き出した為罰金を処された例がある」
クラウディウス・アエリアヌス:歴史 三巻 12章
「スパルタ人の愛は破廉恥さとは無関係だ。もしその様な疑惑が生まれればその二人はスパルタに恥をもたらしたとされ追放されるか処刑された」
ティルスのマキシムス:演説集 20・e
「ラコニアの少年を崇めるスパルタ人の男は美しい像を見る様に崇めた。肉体的な関係は慢心によって持たされた物であり禁止されていた」
686名無し三等兵:2007/08/11(土) 09:54:30 ID:???
>>685
精神的な同性愛はよくて、肉体関係までいったら駄目ってことかな?
687名無し三等兵:2007/08/11(土) 11:43:47 ID:???
「同性愛」「異性愛」と言う概念自体現代とは大きく異なっているので「精神的な同性愛」とか言った概念で見ようとする事自体が間違いかもしれない。

いわゆる戦友愛と同性愛の境界線は一体なんなんだろう。
688名無し三等兵:2007/08/11(土) 14:05:27 ID:???
同性愛ってのはケツを掘り合うことじゃなくて、心と心の繋がりなんだよ。
689名無し三等兵:2007/08/11(土) 21:06:10 ID:8z+o/7eW
ここは何板だよ
690名無し三等兵:2007/08/11(土) 21:26:30 ID:???
>>689
「日本の戦国時代の合戦の虚像と真実」を語るスレだ!
スレタイ見ろ!
691名無し三等兵:2007/08/11(土) 21:56:17 ID:???
異性愛、同性愛問わず、性欲の問題は重要だからな、軍事においても
同性愛については、男社会で閉鎖的、っていう軍隊の性質も関係してるのかもな
692名無し三等兵:2007/08/12(日) 00:09:26 ID:???
693名無し三等兵:2007/08/16(木) 22:46:33 ID:???
とりあえず
保守しとくね
694名無し三等兵:2007/08/21(火) 21:10:03 ID:Pw4XIIMq
あげ
695名無し三等兵:2007/09/03(月) 14:25:27 ID:Tt67729p
あげ
696名無し三等兵:2007/09/03(月) 19:25:36 ID:???
投石兵は弓兵より多かったんですか?
697名無し三等兵:2007/09/03(月) 21:15:31 ID:???
>>696
勿論
全軍が投石兵になり得るわけですから
698名無し三等兵:2007/09/03(月) 21:57:32 ID:???
>>697
例えば弓足軽と投石足軽?の比率と言うのは大体解ってる物なんですか?
699名無し三等兵:2007/09/05(水) 19:14:34 ID:???
>>698
投石は石を拾えばその場でできるので
理論上弓兵も投石に参加すれば投石の比率が
当然高くなるだろってだけの話。

投石はわざわざ投石専門部隊を編成しなくても出来るのが利点。
言うなれば大将から足軽まで全員が投石兵を兼任可能。
700名無し三等兵:2007/09/05(水) 19:29:23 ID:???
素人が闇雲に石投げてたわけでもないみたいだけどね。
飛礫として加工した石をスリングで投げる兵もいた。
701名無し三等兵:2007/09/05(水) 22:54:59 ID:???
軍監っていたじゃん、ちゃんと戦ってるかどうか検分したり
してた連中。彼らは敵から襲われることはなかったのかな??
702名無し三等兵:2007/09/05(水) 23:40:22 ID:???
>>699
専門の、スリングを使う投石兵の割合はどうでしょうか。
703名無し三等兵:2007/09/06(木) 09:25:07 ID:???
>>701
そりゃ襲われるでしょ、ちゃんと武装した歴戦の武士だし、現代の衛生兵みたいに一応立場を守るような国際法もない。
ただ、あまり単独行動とか前線には出ずに、後方や本陣にいることが多いのでは。

使い番は、単独行動したり、目立つこともあり狙われやすいって話は聞いたことがある。
704名無し三等兵:2007/09/06(木) 21:07:21 ID:???
>>701
直接斬り結んだとかいう話ではありませんが、
三増峠の戦いにおいて、
戦死した浅利信種に代わり、
その軍監であった曾根昌忠が浅利の兵を指揮したことがあるとか
また軍監ではありませんが、
関ヶ原の戦いにおいて、小早川の陣にいた東軍の人質が戦闘に巻き込まれ戦死したという話もあります

>>702
スリングを使う投石兵が軍全体に占める割合を割り出すことは無理なのではないかと
そもそも軍役状にスリングや石の記載はないわけですから
個人的に愛用している得物が軍役状に記載されていないのと同じようなもの、と考えて頂ければ
705名無し三等兵:2007/09/06(木) 21:41:54 ID:???
訂正
昌忠ではなく、昌世でした
706名無し三等兵:2007/09/08(土) 20:06:36 ID:???
鉄砲抜きで同数のローマ軍団と会戦したら勝てる?
映画グラディエイターの戦闘シーン見たらローマめちゃめちゃ強そうだけど。
707名無し三等兵:2007/09/08(土) 20:09:26 ID:???
>>706
地形、状況、士気、兵数、装備、指揮官は?
どう言う状況で戦う事になるんだ?
どの時代のローマ軍だ?

つーかさ、グラディエーターがソースだ?
取り合えず死んどけ。
708名無し三等兵:2007/09/08(土) 20:16:49 ID:???
>>706
その手の話題は過去スレで散々不毛な議論が繰り広げられた経緯が有りますのでご遠慮下さい。
どうしても気になるなら過去ログを読むことをお勧めします。
自分で結論を出しているようですしね。
709名無し三等兵:2007/09/08(土) 21:06:03 ID:???
>>706
愚問
勝てるに決まってる
710名無し三等兵:2007/09/08(土) 22:16:35 ID:???
>>709
断言する根拠は?
711名無し三等兵:2007/09/09(日) 01:23:43 ID:???
>>703-4
丁寧にありがと。
712名無し三等兵:2007/09/09(日) 04:24:07 ID:???
田んぼで戦うからだよ
713名無し三等兵:2007/09/09(日) 18:24:01 ID:rzM3lktJ
>>712

w
714名無し三等兵:2007/09/09(日) 18:31:23 ID:???
日本必勝
715名無し三等兵:2007/09/09(日) 18:38:30 ID:???
ローマ人なんてギタギタのボコボコですよ
716名無し三等兵:2007/09/09(日) 19:18:53 ID:???
>>714-715
だな

>>710
武器、防具、馬具を比べて見たまえ
弓の射程能力は段違いだし、
鑓の長さも比較にならん
青銅製の鎧というのもナンセンス
また、鐙がないというのは致命的
これでどうやってローマは勝てるね?
なお、彼らの剣が日本刀の切れ味、鋭さに遠く及ばんことは言うまでもない
717名無し三等兵:2007/09/09(日) 19:24:05 ID:???
日本刀はピストルみたいなものなのでそこはあまりポイントじゃないと思うの
718名無し三等兵:2007/09/09(日) 19:29:36 ID:???
戦国武士軍団VS古代ローマ軍団
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1101727488/l50

戦国武士軍団 VS 古代ローマ軍団 弐之巻
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1102864602/l50

戦国武士軍団 VS 古代ローマ軍団 その3
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1106374790/l50

日本の戦国時代の合戦の真相について論ず
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1090124419/l50

結論が出ず、堂々巡りを繰り返してしまうので
各自で判断するのが一番です。
719名無し三等兵:2007/09/09(日) 19:37:54 ID:???
>>716
 日本刀と西洋剣で斬り合ったら西洋剣が勝つぞ。
 鉈と包丁みたいなもんだ
720名無し三等兵:2007/09/09(日) 20:41:04 ID:???
>>弓の射程能力は段違いだし、
東方の合成弓とそんなに違いはあるの?
>>鑓の長さも比較にならん
長槍で勝てるならなんでマケドニアとセレウコス朝はあっさり負けたの?
>>青銅製の鎧というのもナンセンス
ロリカ・ハマタもロリカ・セグメンタタも鉄製だけど?
どこで青銅製だと聞いたの?
ギリシャの胸甲と勘違いしてない?
>>また、鐙がないというのは致命的
4本の角つきの鞍があるから鐙が無くても安定して戦えるよ。
ヌミディア騎兵は鐙どころか鞍も無いのに自由自在に馬を操ったよ。
>>なお、彼らの剣が日本刀の切れ味、鋭さに遠く及ばんことは言うまでもない
日本刀なんて足軽雑兵のなまくら物以外に戦闘に使われる事なんて殆どないじゃない。
721名無し三等兵:2007/09/09(日) 21:02:41 ID:???
>>716
なんか勝手に脳内で、互いの軍隊が完全編成で食料・武器弾薬も充足している状態で、きちんと陣形つくって正面からぶつかりあう みたいな設定を付け加えてないか?

そういう設定自体意味がないから(スポーツじゃない)
>>706 の問いに対して>>707 は反論しているんだと思うんだが。

個々の要素で比較することは出来るかもしれないけど(例えばどちらの弓が射程が長いかとか、発射速度はどれくらいとか)
状況したいで戦果は変わる。


722名無し三等兵:2007/09/09(日) 21:21:11 ID:???
単一兵科集中密集陣形一部隊と、複数兵科混合散開隊形多部隊の戦闘は比較事例が無いので考察不能
少なくとも会戦はありえない
723名無し三等兵:2007/09/10(月) 00:22:52 ID:???
明は単一兵科でなかったのん?
724名無し三等兵:2007/09/10(月) 01:15:08 ID:???
単一兵科?
725名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:23:39 ID:???
>>722
三十年戦争中のグスタフ・アドルフ軍とティリー軍の間で行われた
いくつかの会戦なんかは結構その条件に近くね?
726名無し三等兵:2007/09/10(月) 11:23:58 ID:???
ローマ時代の馬と戦国時代の馬ってどっちが大きいの?
あと戦国時代の鎧って素人が見たら隙間だらけに見えるし
あまり堅そうに見えないけど防御力高いの?
727名無し三等兵:2007/09/10(月) 18:22:25 ID:???
>>719
日本刀の中の、西洋剣で言う細身・片手用軽量の剣で
西洋の両手剣を受ければ折れるが
西洋剣のなかの、日本刀でいう小太刀程度の小刀で
日本刀の両手で握ってぶっ叩く大太刀を受ければ折れるぞ。


西洋剣がとにかく大型で両手剣ばかりしかないとか思い込んではいないよな?
あと日本刀で一番メジャーな打刀は西洋の同程度のサイズの剣より
重量があるんだぞ。 意外だが。

>>720
>日本刀なんて足軽雑兵のなまくら物以外に戦闘に使われる事なんて殆どないじゃない。
西洋の剣もほぼ同じ位置づけだがな、その辺は。
728名無し三等兵:2007/09/10(月) 18:24:17 ID:???
>>726
鎧というのは金属鎧ってだけでその他の鎧よりかなりの防御力を持つ。
まあ日本の鎧は金属+その他の複合鎧な物も多いが。
729名無し三等兵:2007/09/10(月) 18:33:41 ID:???
>>726
少なくとも、日本の在来種はかなり小型。
体高150センチ程度のもの。

恐らくローマ時代の乗馬種もさほど大きくはないと思う。
ヨーロッパの馬が大型化したのは、アラブ種が導入された、
中世以降だろう。以後、品種改良が進み、サラブレッドが誕生。
現代、我々が見る馬くらいに大型の乗馬用の馬が一般化された。
もちろん、さらに使役専用に使われる重種馬も併行して、
品種改良で生みだされたんだろうと思う。
730名無し三等兵:2007/09/10(月) 19:14:54 ID:???
>>729
まあ小型って言っても当時の人間が軍用に使うに足る
性能というか能力は東西どちらも備えてはいたけどな。
荷役用の種はまだ別として、現代の大型乗用馬は、軍用や荷役用に向かない品種だし。
(競争用サラブレッドは馬としては大きめの癖に凄い貧弱な部類)
731名無し三等兵:2007/09/10(月) 19:26:34 ID:???
>>西洋の剣もほぼ同じ位置づけだがな、その辺は。
ローマ兵の話だ。
最も後期になると槍がメインウェポンになったみたいだが。
732名無し三等兵:2007/09/10(月) 19:34:10 ID:???
日本刀は朝鮮役で積極的に使用されているみたいだけどな。
733名無し三等兵:2007/09/10(月) 19:43:13 ID:???
>>725
密集陣形を組んでいる時点で別物だし、機動打撃戦力を独立させるか組み込むかでも大違いですから
734名無し三等兵:2007/09/10(月) 19:45:00 ID:???
日本刀の一つである大太刀は両手でないと触れない
いわゆる両手剣に分類される代物なのだが、
やがて刃の部分に縄を巻いてそこも握って振り易くする
工夫がなされ、それが後に長巻や薙刀に発展していった。

で、太刀が主流武器だった当時、一定の上級武士でないと使うのを許されない武器だったんだな。
(まあその頃は足軽に位置する階級はまだ非戦闘員、轡取りとかだったし)
日本刀が足軽ぐらいしか使わないというのは、時代にもよるとはいえ少し語弊があるかもな。
735名無し三等兵:2007/09/10(月) 20:42:33 ID:0lwqobE0
>>734
>やがて刃の部分に縄を巻いてそこも握って振り易くする
>工夫がなされ、それが後に長巻や薙刀に発展していった

へえ、知らなかったです。
長巻や薙刀は、矛からの進化かと思っておりました。
736名無し三等兵:2007/09/10(月) 20:47:41 ID:???
薙刀は矛からの進化でも間違いないよ。
長巻は出現が後になる。
737名無し三等兵:2007/09/10(月) 20:50:06 ID:???
薙刀は平安後期〜鎌倉期に郎党や下人でも持っている。
鎌倉初期〜中期に描かれた絵巻にその姿が描かれている。
738名無し三等兵:2007/09/10(月) 20:52:18 ID:0lwqobE0
>>733
>(テルシオが)密集陣形を組んでいる時点で別物だし、
>(スペイン戦術が)機動打撃戦力を独立させるか
>(日本戦国時代の戦術では)組み込むかでも
>大違いですから

最近は、
戦国時代も後期になると、領主の力が強化されたために、
動員単位内の戦闘員を、兵科ごとに分けた。
備えの中では、長柄組、鉄炮組、弓組、徒武者集団、騎馬武者集団を編成した
という説が唱えられているようです。



739名無し三等兵:2007/09/10(月) 20:52:35 ID:???
>>732
>日本刀は朝鮮役で積極的に使用されているみたいだけどな。
なんか理由があるの?
日本刀作ったこと無い朝鮮で現地で徴用できるわけでもないし(槍なら小刀と木・竹あればとりあえず作れるけど)
あえてリーチが短い刀が好まれる理由がよく判らない。

加藤清正が配下にだした命令だと、とりあえず鉄砲、なにかなくても鉄砲、いいから鉄砲を持参しろって感じですね。
これは、加藤家が身代が急成長した家のため、家中の人間も寄せ集めで組織として未熟なため、細かい指揮運用することは諦めて
とにかく鉄砲の火力に頼るという方針だったと解説してた人がいた。
740名無し三等兵:2007/09/10(月) 20:54:43 ID:???
>>738
備は一つが500〜1000程度なんですよ
だから数千単位以上の戦闘になると複数の備が運用させる事になるのです
741名無し三等兵:2007/09/10(月) 21:04:36 ID:???
古代ローマのコホルトが複数兵科になった様な物か。
742名無し三等兵:2007/09/10(月) 21:29:29 ID:???
>>739
槍の穂先をぽんと斬れるからだろ。
743名無し三等兵:2007/09/10(月) 21:31:09 ID:???
>>732>>739
文禄の役で明軍の介入の前に、首取り競争になっていた事もあるのじゃないか?

744名無し三等兵:2007/09/10(月) 21:31:48 ID:???
>>742
そんな簡単に出来るなら長柄槍は普及せん。
745名無し三等兵:2007/09/10(月) 21:39:54 ID:???
>>741
違う。
と言うより西洋軍事史を完全に排除して、再構成する必要がある。
戦国日本には基本的に素人を動員して戦闘法を教えるという概念が無い。
746名無し三等兵:2007/09/10(月) 21:48:33 ID:???
>>戦国日本には基本的に素人を動員して戦闘法を教えるという概念が無い。
マリウスによってコホルス制になった後のローマ軍は基本的に志願兵のみで構成されてましたが…
素人の市民を動員して軍を構成してたのはマリウス以前の話です。
それに日本も例えば後北条家が小田原征伐の時に戦える年齢の者を根こそぎ動員してる筈ですよ(どの程度訓練を与えたかh非常に怪しいと思いますが)。
747名無し三等兵:2007/09/10(月) 22:03:21 ID:???
スレ違いかもしれませんが、戦国時代の日本の市場や港のネットで見られる絵を探してるんですが、誰か知らないでしょうか?
748名無し三等兵:2007/09/10(月) 22:04:08 ID:???
>>746
マリウスのローマ軍も訓練は国家が行っていましたが、戦国日本では訓練等はあくまで
個人の才覚によって行われていました。
関ヶ原以降平和になると実戦の機会が少なくなったために猪狩りなどで部隊訓練を
行っていましたが、個人はあくまで自身の才覚によってです。

また戦国日本の民衆動員は村独自の戦力の提供を領主が「依頼」する様な形で行われて
おり、彼らは素人ではありませんでした。

日本の備は基本として近世封建制を軸としており、西洋の古代や近世と同列に語ろうとすると
非常に混乱しますので、完全に断絶させるべきです。
749名無し三等兵:2007/09/10(月) 22:25:05 ID:???
>>748
そもそも常識が違うんだしね
ここいらで、ローマとかマウリッツとかの、西洋の古代や近世の話題はスレ違いにした方がいいな
750名無し三等兵:2007/09/10(月) 22:29:48 ID:???
江戸時代には、日本の大名の軍制も欧州近世に近づいたと考えるべきではありませんか。

一つ目は、地方知行から蔵米知行に移行していったのも、騎士・領主の職業軍人化に近いものがあると思います。

二つ目は、前田家の軍制の例で、金沢藩の足軽は、鉄炮組一番〜十番、長柄組一番〜十番といった具合に組編制にされていたことです。
これらの足軽は、藩より米を知行され、家も(注・前田家中では足軽は長屋居住ではなかった)組ごとにまとまり並んで藩から与えられていました。
事実上の職業軍人からなる常備軍と言えます。

751名無し三等兵:2007/09/10(月) 22:30:14 ID:???
前は古代〜19世紀の戦術を語るスレがあったんだが、落ちちゃったんだよな
立て直す?需要はあまりなさそうだけど
752名無し三等兵:2007/09/10(月) 22:31:22 ID:???
>>750
江戸時代の足軽は基本的に下級の役人だろ。
753名無し三等兵:2007/09/10(月) 22:43:41 ID:???
>>750
部隊編成が全然違うのよ。
西洋はそれらの部隊を兵科毎に一纏めにするけど、
日本じゃ家老に騎馬隊、旗隊、鉄砲隊etcを附属させて
一備とし、それを複数編成していたんですよ。

確かにそれ以前と比べれば、近いと言えば近いですが
だからといってイコールとはいえません。
特に自分から突撃していくなどと言う兵隊は西洋では
中世の騎士が滅んで以降は近代国民軍まで待たなければ
なりません。

この辺が封建制が残存したまま近世・そして近代まで至った
日本の珍妙な所なのです。
754名無し三等兵:2007/09/10(月) 22:48:07 ID:???
>>749
マウリッツといえば、江戸時代に描かれた長篠の合戦の屏風に三段撃ちの
描写があるのはオランダ人から聞いたマウリッツの多段撃ちを描いちゃったん
じゃないかと思うんだが。
755名無し三等兵:2007/09/10(月) 22:59:15 ID:???
>>753
西洋も時代によるけど兵科わけでなく
騎士と従者ごとで小単位組んでたりするぞ。



というかこのスレで話される日本の戦国期の戦争形態って
(西洋についてもだけど)戦国期自体幅が広くていまいち基準が
明確でなさ気味。
756名無し三等兵:2007/09/10(月) 23:01:29 ID:???
>>748
戦国時代も中期〜後期になれば足軽は常時雇用もしくはそれに近くなり定期的な訓練を行う事になったんじゃないんですか?
757名無し三等兵:2007/09/10(月) 23:01:52 ID:???
>>755
それは騎馬隊と同じ
騎馬隊の騎馬武者には各騎毎に奉公人が付く
758名無し三等兵:2007/09/10(月) 23:05:01 ID:???
奉公人が戦闘中に何をやっていたかは大体雑兵物語の通りだと考えて良いんですか?
759名無し三等兵:2007/09/10(月) 23:06:06 ID:???
>>756
常時雇用はあっても、鍛錬は自己責任
>>758
良いんじゃない
760名無し三等兵:2007/09/10(月) 23:52:42 ID:???
長篠合戦屏風を見直してごらん。
三段撃ちの描写なんてないって。
761名無し三等兵:2007/09/11(火) 00:55:38 ID:???
個人の技量はどうにでもなるだろうけど、部隊としての行動は訓練が必要でしょ
どうすんだ?
762名無し三等兵:2007/09/11(火) 08:03:13 ID:???
>>761
仲間内で「今度やっとかね」「応、かまへん」
こんな感じ
763名無し三等兵:2007/09/11(火) 19:07:47 ID:???
>>762
因みにこれは組単位以下。
備単位になると前述した様に戦乱時は実戦で、その後は猪狩などで
各組の進退を体感させている。
764名無し三等兵:2007/09/11(火) 21:33:29 ID:???
>>762
>>763
その程度でよく使い物になったな。
765名無し三等兵:2007/09/11(火) 22:06:29 ID:???
>>764
そりゃ、しっかりやらなきゃ解雇ですし
しっかりやって功を上げれば、出世が可能と言う点で
傭兵団よりは遥かにやる気が出ますわな

とにかく手前から前に出る兵卒というのはそれだけで
バケモノじみているし、一部隊が少人数なので下級
指揮官も指示しやすい

下士官兵、下級指揮官が優秀なのは戦国期からの
日本の伝統なのですわ
766名無し三等兵:2007/09/11(火) 22:20:21 ID:???
そうか?結構いい加減だったんだと思うが。
負けた側の雑兵がちゃかり勝者側についている(戦闘後になぜか人数が多くなっている)ってエピソードを何かで読んだ気が。
767名無し三等兵:2007/09/11(火) 22:25:12 ID:???
>>負けた側の雑兵がちゃかり勝者側についている(戦闘後になぜか人数が多くなっている)ってエピソードを何かで読んだ気が。
雑兵物語を読む限りじゃとてもそうは思えん。
合言葉も印も持ってない奴がのこのこ敵部隊に入ろうとしても斬られるだけだろう。
768名無し三等兵:2007/09/15(土) 22:29:04 ID:vteWnOmp
なるほど。上を読んで、何となくわかってきました。

備(現代なら大隊〜連隊)の内では、動員単位の主従を崩して、同一兵科の組にする。
組には、奉行が派遣される。

そうなると、何人(何騎)集まれば、「騎馬隊」なのか定義しないと
「武田騎馬軍団」の存在・非存在も判定できないことになりますね。
まあ、備えの中だけの兵科分け(臨時)なら、「騎馬隊」は存在していないとするべきだと思いました
769名無し三等兵:2007/09/15(土) 23:04:24 ID:???
>>768
いや、備の足軽組はあくまで大名に仕える立場で、騎馬隊士や組頭に属する
平侍の郎党はあくまで彼らの下にいます(江戸時代になると下級奉公人は大名
が一括雇用する形になるのであやふやになりますすが・・・)

騎馬隊は騎馬隊士とその従卒を一ユニットとして編制されています。騎馬隊の
ユニット騎数は20〜50騎が大体と言った感じですね
770名無し三等兵:2007/09/15(土) 23:47:19 ID:???
ここでは「西欧の軍隊」が一括りにされてるようだが、国や時代によってかなり違うぞ。
例えば、百年戦争初期においてはフランス軍は騎士とその従者で構成された小部隊の寄せ集めのような編成をしている。
一方、イングランド軍側は諸侯が指揮する派遣団で構成されているが会戦時には派遣団から射手と装甲兵(騎士を含む)を抽出して集中的に運用している。
じゃないと、タブリン戦術が成り立たないからね。


771名無し三等兵:2007/09/16(日) 00:13:50 ID:???
足軽から足軽大将に昇格?する事は有り得たんでしょうか。
772名無し三等兵:2007/09/16(日) 00:18:58 ID:???
にしても封建制の軍隊って東西を問わずにややこしい物だな。
773名無し三等兵:2007/09/16(日) 00:37:21 ID:???
>>771
秀吉は、足軽相当から関白相当まで…
774名無し三等兵:2007/09/16(日) 01:17:49 ID:???
中村とか一帯に秀吉の一族に関する記録とか全然残ってないってのが・・。
屋敷跡とか親戚とかなんか口碑があっても良いとおもうのだが・・。
775名無し三等兵:2007/09/16(日) 07:23:22 ID:???
>>772
「連合軍」だからなぁ
776名無し三等兵:2007/09/16(日) 07:31:50 ID:???
>>771
足軽大将は一般的な石高の騎乗武士なので、足軽が功を挙げ
侍になり、それから2・3段階踏めばなれるかと
777名無し三等兵:2007/09/16(日) 10:13:56 ID:LMU2heBG
>>769
備の中に「20〜50騎+直属下人」なら、「騎馬隊」がありました
というわけにはいきませんね。

少なくとも、会戦で総大将が「騎馬隊を投入する」といった感じで指令ができないと
「騎馬隊存在説」は成り立たないですね。

三十年戦争のブライテンフェルト会戦では、
皇帝軍(旧教軍)には、総司令官ティリーの下に騎兵司令官のパッヘンハイムがおりましたしね。
ここまで行かないと「騎兵軍団」存在とはいわないのではないでしょうか。
778名無し三等兵:2007/09/16(日) 10:51:19 ID:???
なんで途中で騎馬部隊の話から騎馬軍団の話になってるんだ?
自分で勝手に条件付けして、それに当てはまらないから存在しないって言ってるだけだな。
779名無し三等兵:2007/09/16(日) 11:11:24 ID:???
 日本では騎馬隊だけで編成される部隊が構成される程、軍隊が発展する前に
江戸時代に突入しちゃったからな。伝令・使者用に大名クラスなら幌武者部隊を
抱えてたけど、純戦闘部隊としての騎馬隊ってなると数は少ないんじゃなかろうか。
780名無し三等兵:2007/09/16(日) 11:34:03 ID:O19Ku/Cx
秀吉が出身地を語らないのは、あまりに低い身分だと諸大名に示しが付かないから

だから末期は藤原氏の末裔とかいってる

ハッキリ出身地をいうよりぼやかしたほうがいい
781名無し三等兵:2007/09/16(日) 11:53:44 ID:???
>>772
各地の諸侯の私兵の集合体ですからねえ。
統一された軍制の存在しようはずもなく……
782名無し三等兵:2007/09/16(日) 12:19:45 ID:???
 天皇だか公家の隠し子だとうそぶいてたからなあ、コンプレックスあったんだろうね。
783名無し三等兵:2007/09/16(日) 12:27:38 ID:???
>>778
だから、西洋軍事史とは分けろといったでしょうが
>>781
だから、騎馬隊は無意味と考えたがる輩がいるのは困ったものです
784名無し三等兵:2007/09/16(日) 12:28:59 ID:???
>>783
それは>>777に言ってくれ
785名無し三等兵:2007/09/16(日) 12:55:40 ID:uoBU8vR5
>>744
日本の槍とあちらではつくりが違った希ガス。
ようは、ポンと斬っちゃう日本刀のある日本での長柄の発展と、
ポンと斬れない刀がメインの国の違い?
786名無し三等兵:2007/09/16(日) 12:58:09 ID:???
>>784
ゴメン、間違えた
787名無し三等兵:2007/09/16(日) 13:14:43 ID:???
>>ようは、ポンと斬っちゃう日本刀のある日本での長柄の発展と、
ポンと斬れない刀がメインの国の違い?

つまり向こうの剣は使い物にならないと?
788名無し三等兵:2007/09/16(日) 14:09:48 ID:O19Ku/Cx
キミは小学生だからよく知らないのだろうが

西洋の剣は重さで切るんだよ
なまじ研ぎすぎると刃こぼれしやすい
日本みたいに軽鎧の国とは違うぞ
789名無し三等兵:2007/09/16(日) 14:11:29 ID:???
それは野太刀も同じ。
戦場では余り研がないという点なら打刀も共通。
790名無し三等兵:2007/09/16(日) 14:41:25 ID:???
>>780
仮説の紹介に過ぎないからそこは留意しておいて欲しい。
秀吉の出自は足軽の子よりも低いかもしれない。
後に針売りの伝説が出来た事から連雀商人の子であったのではないかとの仮説もある。
この頃の身分の低い者の婚姻関係ははっきりしないのであくまで仮説に過ぎないが。
791名無し三等兵:2007/09/16(日) 15:00:29 ID:???
>>785
明の槍は倭寇の日本刀にぽんと切られてるからね。
792名無し三等兵:2007/09/16(日) 15:52:02 ID:???
女装して戦う武将がいたって本当?
793名無し三等兵:2007/09/16(日) 16:01:55 ID:???
>>788
西洋の剣は重さで切る云々は出来の悪いファンタジーから広まった妄想。
西洋だろうと何処だろうと剣は刃で斬る物。
794名無し三等兵:2007/09/16(日) 16:11:22 ID:???
>>788
>>793
両方とも間違い。
剣は日本刀も含めて重さ「と」切れ味で斬る物だよ。
重量の無い剣なんて剃刀と同じだし切れ味の無い剣はただの棒と同じ。
重さも刃の切れ味と同じ位重要なんだよ。
ついでにいうと例えば打刀とクレイモアの重量の違いは1・5〜2倍程度で極端に重い訳じゃない。
795名無し三等兵:2007/09/16(日) 16:28:31 ID:???
結論:人類の体格がそんな変わって無い以上、東西問わず同じ目的に使われる
物の形や質量は同じになる。
796名無し三等兵:2007/09/16(日) 16:39:05 ID:???
>>792
「尼子十勇士」に、井筒女之介ってのがいたな

真田十勇士同様、本当に居たのかも疑わしいけど
797名無し三等兵:2007/09/16(日) 17:02:52 ID:???
>>795
結論2:刃も、重量のある金属棒も、どちらも人間には致命的な脅威。
切れ味の鋭い刃を持ち、重量もほど良く重い剣は、どの文明でもたどりつくファイナルアンサー。
798名無し三等兵:2007/09/16(日) 18:03:24 ID:???
 一瞬女の恰好した奴がいればビビるだろうけど、同じ手は何度も通じないしなあ。
また当時は女・子供は殺さないって不文律があった。だから女の恰好して逃げ出したなん
て記述は多い。無論、勢いにまかせた婦女への暴行・殺害もいっぱいあったろうけど、
組織として命じた例は多くない。それを乱発して根切りで殺しまくったのは信長位だろうか。
799名無し三等兵:2007/09/16(日) 21:02:27 ID:???
秀吉は、尾張中村に対して年貢免除の命令だしたことがあったような。立ち寄ったりもしていたと思う。
(北条攻めのときだったかな)

だから、名門出身の武士たちに対しては生まれに対して引け目があったかもしれないが、
特別少年時代に差別されていたとか故郷に対して悪い感情を持っていたことはないと思うが。

尾張地方に秀吉の幼少時代の伝承があまりないのは、徳川氏が領主だったからじゃないかと思うが。
それか秀吉と関係があるような人間は長浜時代の秀吉や、尾張領主となった秀次や福島正則にでも仕えて国替えで尾張を離れたとか。
800名無し三等兵:2007/09/16(日) 22:53:41 ID:???
放浪時代に三河の河合某に虐められたんで
後年徳川に探索させたりとか・・

坊主時代に虐めた中村の百姓の首刎ねようとしたら
本人はとうに死んで孫の代だったとか・・。





ところで中村の永代年貢免除て徳川時代はどうなったんだろう。
801名無し三等兵:2007/09/20(木) 17:27:13 ID:???
>>790
秀吉は六角氏に血が繋がってるという説を見たことがある。
802名無し三等兵:2007/09/21(金) 12:36:58 ID:???
 六角を情け容赦無く潰したのは信長であり秀吉でしょう。
803名無し三等兵:2007/09/21(金) 14:11:10 ID:???
いあ、あれだけ反抗続けた後にも、結構六角氏系のヤツを召し抱えてやってるらすぃ。
804名無し三等兵:2007/09/21(金) 20:04:21 ID:???
 新興勢力は敗者の指導者は倒しても下の連中は雇うんだよ。豊臣臣下には近江系が多い、
これが後の関ヶ原の遠因になったという説もあるほど。
805名無し三等兵:2007/09/21(金) 22:01:52 ID:???
そもそも、基本的に途中で降伏するやつは所領安堵、最期まで抵抗したやつは降伏しても処刑って感じだと思うんだが。
信長とか秀吉の対応は。
戦国大名として普通の対応と言えるのかもしれない

>>801
>>803
六角と秀吉あたりの関係って佐々木哲が言ってるやつ?
なんかすげーうさんくさいってイメージなんだが。




806名無し三等兵:2007/09/22(土) 08:57:08 ID:???
近江の家来が多い
秀吉の血筋が不明

秀吉が近江と関係があることにすれば
実際はどうあれ、近江系の家来も従いやすいってことでは?
807名無し三等兵:2007/09/22(土) 19:30:28 ID:???
秀吉の血筋やけど・・・。


弟の秀長にしても姉の日秀にしても姉の旦那にしても
それなりの教養があるような気がするんだがの。

百姓でも庄屋とか地主ドンのような・・。



足軽風情よりはよっぽどマシな暮らししていたのでわ・・。
808名無し三等兵:2007/09/23(日) 08:37:59 ID:???
その教養は、秀吉が出世してから身につけたのではないか。
809名無し三等兵:2007/09/23(日) 08:56:17 ID:???
>>809
>その教養は、秀吉が出世してから身につけたのではないか。
まあそうなんだろうね、読み書きはともかく(これくらいなら寺で行儀見習いしつつ教えて貰える気がする)
乗馬とかは侍になってから覚えたんでしょうね。
810名無し三等兵:2007/09/23(日) 13:26:55 ID:???
>>809
当時は寺に行けるだけでそこそこの階層だしな。
秀吉の履歴で信用できそうなのは台所奉行あたりからだが、それでも
完全な文盲ではつらいはず。
親父が足軽頭という伝承も考え合わせるとそこそこの地侍クラス出身だろうな。
浅野が娘をくれるぐらいの。
811名無し三等兵:2007/09/23(日) 18:41:18 ID:???
地侍クラス出身なら、出自のことをそんなに悪く言われねーよ
地侍クラスって言ったら、前田よりちょっと下くらいだろうが
812名無し三等兵:2007/09/23(日) 22:20:34 ID:???
浅野が弓衆つーけどこれも弓足軽の頭だよな。
813名無し三等兵:2007/09/23(日) 22:23:27 ID:???
>811


悪く言うとるのは徳川とその取り巻きの御用学者だろうが・・。

前田のちょい下つーより蜂須賀とか前野あたりとほぼ同格ちがうか?
こいいつらも泥棒扱いだしな・・。
814名無し三等兵:2007/09/23(日) 22:32:31 ID:???
>>813
なんでも御用学者と幕府のせいにしないこと
そうしたのは庶民、庶民の「大名や天下人もかつては俺達と同じかそれ以下だった」
という願望がそういう伝説を作った
815名無し三等兵:2007/09/23(日) 22:34:38 ID:93slliZ8
後北条氏の岩付衆の編制(天正5年、1577)
1560名中、馬上は 500騎、割合は32%

伊達政宗  大坂冬の陣(慶長19年、1614)
1,8000名中、馬上は 660騎、割合は3.7%

欧州の騎兵は、グスタフ・アドルフがサーベル騎兵隊を編制(1600年頃)してから、
ナポレオニックまで(施条銃の一般化まで)(1850年頃まで)の間に
全盛期を迎えたのに。
欧州と日本の騎兵発達の違いは何なんでしょうか?
816名無し三等兵:2007/09/23(日) 22:45:06 ID:???
馬の差及び大量の馬を飼育調教する経済余力の差
817名無し三等兵:2007/09/23(日) 23:58:23 ID:???
>>815
武家奉公人、人夫が入ってないぞ>岩附衆
818名無し三等兵:2007/09/24(月) 01:28:13 ID:???
 馬を飼育する草原も少ないよな、そんな土地があれば日本人は畑にしちゃう。
牛の方が重用された影響もあるかも。
819名無し三等兵:2007/09/24(月) 08:06:31 ID:???
江戸時代の日本の識字率は世界的にみたら異常に高いでしょ。
戦国時代もその傾向があったってことじゃないの?
秀吉や秀長が読み書きできたってことは。

地侍ってことはないと思うけど。
地侍出身なら信長に出仕するとき、小者(草履取り)からはじめないでしょう、多分。
820名無し三等兵:2007/09/24(月) 13:47:50 ID:???
戦乱が終わったからじゃない?
821名無し三等兵:2007/09/24(月) 14:47:50 ID:???
 識字率が高くなったのは江戸時代からだろう。
822名無し三等兵:2007/09/24(月) 17:34:31 ID:???
>819

地侍なら経費と軍役は自費支弁できなきゃならん。
普通は自前の田畑と奉公人があるからの。
仕官出来て功績が出来たならたら新恩加給があるが・・。
初めの種銭は自分で用意せねならん。

秀吉の場合は浪人で、それがないから扶持くれるトコロでないとダメ。
もし実績も無いのに知行くれてやるとなると信長の知行分がそれだけ減るワケで・・。





823名無し三等兵:2007/09/24(月) 19:22:38 ID:???
朝日姫なんて字書けなかったんじゃなかったけ?NHKの山之内一豊でもそんな形で
描かれてる気がする。秀吉の家は男には教育できるけど、女には教育できない位の
階層だったんじゃないだろうか。秀吉には水飲み百姓から天下人になったサクセス
ストーリーと実は貴種だったという貴種流離譚が付きまとうね。
824名無し三等兵:2007/09/24(月) 20:11:26 ID:???
>>818
平地は水の問題で田んぼにしづらかったとかいう時代じゃないの?
825名無し三等兵:2007/09/24(月) 21:22:10 ID:???
>>824
別に田んぼ以外にも野菜とか麦とか作れるだろう。
826名無し三等兵:2007/09/24(月) 21:58:39 ID:???
>>817
戦闘員は網羅している
827名無し三等兵:2007/09/24(月) 22:09:26 ID:???
 岩槻衆のは城の周辺に住む、正規兵の部分しか入ってないんじゃないのか、
実戦になれば周囲から足軽やら小荷駄やらで数倍に膨らむと思うんだとが。
828名無し三等兵:2007/09/24(月) 22:48:52 ID:???
>>826
伊達は陪臣、奉公人、人夫総てひっくるめてあの数なんで
829名無し三等兵:2007/09/24(月) 23:04:47 ID:???
>>819
大名直属って点だけで並のコネでなれるものじゃないが。
身元保証の無い者が大名クラスの身辺に近づけること自体がまず無い。
ソースが太閤記だから草履取り云々は結構怪しいが、何にしろ身元不明の
素浪人が准近習に近い立場でいきなり取り立てられるということは無いから
親父か親類関係のツテが必要だし、そういうものがあるなら間違ってもただの百姓
ということは無い。
830名無し三等兵:2007/09/24(月) 23:13:17 ID:???
>>827
足軽は槍600人
>>828
伊達のデータは知らないが、岩付衆の規模は小さい。
831名無し三等兵:2007/09/24(月) 23:47:25 ID:???
>>829
>親父か親類関係のツテが必要だし、そういうものがあるなら間違ってもただの百姓
>ということは無い。

知り合い(変な名前、がんまくだっけ)の紹介って話もありますね。
義理の親父が同朋衆で、つてがあったとかもありえるかも。(秀吉と仲悪かったとしても、仕官時は死んでたと思うので障害にはならないと思う)

832名無し三等兵:2007/09/25(火) 07:58:01 ID:???
>>830
規模が小さい云々より、書いて無かったでしょうが
岩槻衆の陪臣、奉公人、人夫。
833名無し三等兵:2007/09/25(火) 08:19:11 ID:XIeAv6FG
父親が元武田家家臣と伝わる藤堂高虎も読み書きが出来なかったらしい。
高虎自身も知的好奇心旺盛だったため文盲の家臣には耳で聞く学問を奨励したとか。
834名無し三等兵:2007/09/25(火) 20:38:10 ID:???
>>832
陪臣とは何ぞや
835名無し三等兵:2007/09/25(火) 20:55:05 ID:???
>>834
大名と主従関係を結んでいる侍が直臣
その直臣と主従関係結んでいる侍が陪臣
836名無し三等兵:2007/09/25(火) 21:35:09 ID:???
>>829
うがった見方をしすぎ
近習になれる出自なら、わざわざ妻の実家の木下姓を借用したりするかよ
837名無し三等兵:2007/09/25(火) 21:46:56 ID:???
水呑み百姓ほど低い身分ではないが胸を脹れるほど高い身分でもないって所で落ち着くんじゃないの。
838名無し三等兵:2007/09/25(火) 23:37:17 ID:???
>>835
岩槻衆の着到書出で、陪臣(例えば宮城氏のそれ)も含まれていると見るのは普通だろ。
839名無し三等兵:2007/09/26(水) 03:49:48 ID:???
 要は尾張中村の農民だって事だな。
840名無し三等兵:2007/09/26(水) 07:05:58 ID:???
>>837
>>839
山川の「詳説日本史B」には、「地侍出身の秀吉」って書いてある。
841名無し三等兵:2007/09/26(水) 07:17:53 ID:???
>>838
近世の同様の資料を較べると、基本的にあれは直臣向けの
動員回覧と言うべきもので、そこには陪臣の数は書かないものだが
842名無し三等兵:2007/09/26(水) 13:53:27 ID:???
まあ、身分を超えた婚姻というのが有り得ない時代ということを考えれば
秀吉が浅野杉原とほぼ同格ぐらいの出身なのは間違いない。
843名無し三等兵:2007/09/26(水) 16:36:33 ID:+M5Hqo2f
>>842
>まあ、身分を超えた婚姻というのが有り得ない時代
一概にそうも言えないよ。いつの世にも特例とか形を作っての抜けはあるもの。
たとえば、この場合は適当ではないが、身分の卑しいものを一時武家奉公に出し養女としてから嫁がせるとかね。
844名無し三等兵:2007/09/26(水) 18:45:58 ID:CCh9ljJ9
つーかさ松下ん家来になった時はどれ位の身分だったんだろう。
845名無し三等兵:2007/09/26(水) 21:49:52 ID:???
>まあ、身分を超えた婚姻というのが有り得ない時代ということを考えれば
むしろ逆で、身分を超える超法規的処置として婚姻や養子、あと出家とかが使われたんだと思うんだけど。
秀吉でいったら藤原氏の猶子として関白就任とか。

846名無し三等兵:2007/09/26(水) 22:19:48 ID:???
>>841
近世って何の資料だ?
>あれは直臣向け
そんな事実は無いが
847名無し三等兵:2007/09/26(水) 23:02:32 ID:???
>>846
寛政j時の尾張藩陣立を参照、ここには旗等の諸道具数やそれに必要とされる直臣数(侍・中間)を記載している。
因みに直臣数とした根拠として歩行武者の数の少なさを挙げる。陪臣を含むにしては少なすぎる。
848名無し三等兵:2007/09/26(水) 23:10:24 ID:???
>>843
>>845
そういう特例は婿に出自のデメリットを補えるほどの資産なり地位なり
大きなメリットがあった場合。
20代前半の頃の秀吉にそんなものは無い。
仮に多少才覚が見込まれていたとしても織田家の躍進自体がなければ
知行増加も期待できない。
美濃攻略の見込みもなく、織田家自体の将来も不透明な時期に
「秀吉個人」の将来性に賭けていいような要素は皆無。
結果的に天下人になったことが後世の目を曇らせてるが、この時期なら
普通に素の出自のみを評価した婚姻しか有り得ないな。
いくら戦国といえども江戸期の人間や現代人が思うほど身分秩序から
自由だったわけではない。
849名無し三等兵:2007/09/26(水) 23:21:39 ID:???
>>848
じゃあなんで秀吉以外の一族までが木下姓を用いているの?
もともと木下姓の家だというのなら、それで終わっちゃう話ではあるが。
850名無し三等兵:2007/09/26(水) 23:27:58 ID:???
>>849
ねねさんの実家はもともと木下姓だが。
851名無し三等兵:2007/09/26(水) 23:42:37 ID:???
>>848
いい加減にしろや
チラ裏にでも書いてろ
852名無し三等兵:2007/09/26(水) 23:44:48 ID:???
そもそも天下人としては地侍でも充分恥ずかしい出自なわけだが。
伊達、島津は鎌倉まで遡る名門守護、北条は政所筆頭伊勢氏だし、
長宗我部、徳川ですら応仁以前からの城持国人だからな。
853名無し三等兵:2007/09/26(水) 23:48:53 ID:???
>>852
地侍だって言うんなら、確たる証拠を持って来い
話はそれからだ、な?
妄想もたいがいにしとけ
854名無し三等兵:2007/09/26(水) 23:48:53 ID:???
徳川の出自も相当怪しいじゃん
855名無し三等兵:2007/09/26(水) 23:50:36 ID:???
>>853
貧民だって言うんなら、確たる証拠を持って来い
話はそれからだ、な?
妄想もたいがいにしとけ
856名無し三等兵:2007/09/26(水) 23:52:24 ID:???
けっきょく「よくわかんない」ってことでいいじゃねえか
857名無し三等兵:2007/09/26(水) 23:52:44 ID:???
結論は結局美濃時代以前の秀吉関係史料は残ってないから
永久に確定不可能だな。
858名無し三等兵:2007/09/26(水) 23:53:01 ID:???
>>855
バカか、お前?
お前から言い出したんだろうが
859名無し三等兵:2007/09/27(木) 07:18:47 ID:???
>>850
>ねねさんの実家はもともと木下姓だが。
だから、秀吉が婿養子だとしたら木下の名字に変わるのは話としてわかる。
なんで秀長が木下を使ってるの?

兄貴が家を出たら、弟が継ぐだろ普通に考えると。

兄弟で別の名字でも一緒に活動しているってのは実例があるし。
(中川重政と津田盛月とか、佐久間盛政と柴田勝政とか)
860名無し三等兵:2007/09/27(木) 12:10:31 ID:???
>>848
さて根本的な話ですが、私は身分越えの婚姻について話したのみでその運用が>>845さんのような場合もあったでしょう。
どちらが先かは鶏と卵の話なので置いておくとして、
このような手法を使う場合、決して藤吉郎側のみのメリットを拡大すべきではありません。
そもそも論ですが、雇用する側も下賎な者を召し上げる際、奴婢ならともかくそれなりの事をさせるのであれば、
体面が必要だったのです。
よって、形を整える必要があっっと云う事です。

また、ご存知の話でしょうが、家系図と云われる物の偽造は昔から実に多いものです。
また、その売買も一般人の苗字が許された明治期においても公然と行われております。
現在の霊園を見れば一目瞭然ですが、そもそも家紋が入った墓石があれだけ多数を占めること自体が、
実におかしな事なのです。

400年以上前の最高権力者に上り詰めた藤吉郎が、どれほどの捏造をしたかは容易に想像できます。
骨董で云うところの「筋」のおかしな話は、全て眉唾だという事です。
861名無し三等兵:2007/09/27(木) 14:13:05 ID:???
結局は太閤記をどこまで史実として信用するかだな。
さすがに今は墨俣一夜城を史実と言う人間はいなくなったが、仕官の部分
現在で言うと何もないホームレスが大手上場会社社長の所に行ったら、
いきなり身辺世話係に抜擢されました、といううまい話を信用できるかどうか。
現実にこういう話があったら、さすがにセキュリティ感覚無さ過ぎだろ、と思うが。
862名無し三等兵:2007/09/27(木) 17:01:56 ID:???
工作員なら敢えて泳がせるという考え
863名無し三等兵:2007/09/27(木) 22:02:28 ID:???
>>847
江戸後期の寛政と較べてどうするよ。
都市生活者でもある江戸時代の困窮した武士じゃ、家臣や馬を養えず削る事は普通にあるし。
岩付衆のケースは歩鉄砲と歩弓が少ないが、馬上の負担に比重を置いている。
864名無し三等兵:2007/09/27(木) 22:41:45 ID:???
やっぱ農村で質素な生活を送り、尚武の気質を維持しなきゃ駄目なんだよ
薩摩のようにさ
865名無し三等兵:2007/09/27(木) 22:55:38 ID:???
>>863
この手の発給文書で直臣と陪臣を混在して記した例はない。
例えば、着到状でも記載されるのはあくまでその武士が直接扶持する者達で、
その更に陪臣は別に表記されるか、省かれるかのどちらか

後、江戸時代の武士に関して言えば、尾張藩の騎士は百五十石高で騎乗身分
としており、従卒三人に人夫三人と規定されている
そういう動員計画なのだから、実際は関係ない
866名無し三等兵:2007/09/27(木) 23:12:48 ID:???
>>865
それだと岩付の動員数は万単位になるぞw
江戸時代と比較したところで(ry
岩付のそれは天正5年(1577)、結城攻めを前提とした岩付城軍事力の把握。
直臣の小旗衆120人なんて可笑しすぎだろw
これらは各被官(馬上)に課せられた軍役の総数。
実際のところ150石で馬を飼うのは難しいだろうな。
867名無し三等兵:2007/09/27(木) 23:26:02 ID:???
>>866
別に、1587年の井田因幡守に宛てた着到定書では
旗10本、弓20本、鉄砲20挺、槍40本、持槍10本、馬上26騎に自身1騎
と、比率的に何の問題も無い
868名無し三等兵:2007/09/27(木) 23:32:59 ID:???
>>866
後、150石で難しい根拠は如何に
関ヶ原合戦時に井伊家では知行50石でも騎乗していた(但し貸馬の可能性はアリ)
江戸中期の前橋酒井家もそうしていたし
869名無し三等兵:2007/09/27(木) 23:44:53 ID:???
>>866
天正5年における岩付のそれは一般的な着到定書ではないのよ。
動員力をまとめて書かれてあるってことだ。
井田氏の着到では、甲冑・馬鎧・槍の長さ・旗についてなど規定が細かいだろ。
井田氏では弓・鉄砲の負担が大きいが、それでも武田・上杉よりは馬上重視でもある。この時期でもね。
岩付衆の場合ではこれとか。

天正9=1581年、岩槻衆へ対しての着到

道祖土図書     馬1、槍1、指物1
金子中務      馬1、槍1
金子越前      馬1、槍1、指物1
内山弥右衛門   馬1、槍1、指物1、大小旗持1
鈴木雅楽      馬1、槍1
藤波与五右衛門  馬1、槍1

>>868
都市生活者が馬を飼うには金が掛かる。
物価の高い江戸では中級旗本でも厳しかったろうな。
870名無し三等兵:2007/09/28(金) 00:16:37 ID:???
天正3年(1575)、上杉家軍役帳
馬上566、槍3604、手明650、鉄砲316(弓5)、大小旗368
=計5509人

天正5年(1577)、岩付諸奉行但今度之陣一廻之定
馬上500、槍600、弓40、鉄砲50、歩者250、小旗120、歩走20
=計1580(余)人
871名無し三等兵:2007/09/28(金) 07:35:03 ID:???
>>869
岩付諸奉行但今度之陣一廻之定にも1587年の井田因幡守に宛てた着到定書程
ではないにしろ、軍装への注意や諸奉行が行うべき業務が記載されています。
私はこれらの事から各奉行への動員時に実施されるチェック事項として配布され
たものと考えています。
後、1581年、岩槻衆へ対しての着到は小身ですからこんなものでしょう(旗持の除
けば江戸時代の一般的な騎乗武士の石高と大して変わらない軍役)

>都市生活者が馬を飼うには金が掛かる。
>物価の高い江戸では中級旗本でも厳しかったろうな。
実際ではなくあくまで動員計画ですから、騎乗資格のある者は持ってることを前提に
策定されています。

北条家が馬の比率が高いのは検討するべきですが、あの岩槻衆の書簡で直臣と
陪臣を一緒くたにしているとは思えません。
872名無し三等兵:2007/09/28(金) 08:01:35 ID:???
>>871
結局のところ、君の想像に過ぎないだろうに。
873名無し三等兵:2007/09/28(金) 10:47:18 ID:???
>>872
直臣と陪臣を同じように計上するという記録は見られない。
総数何名ならともかく、あのような職種別では先ず無い。
874名無し三等兵:2007/09/28(金) 11:24:10 ID:olhbE9t5
>>866
ん?難しかろうが何だろうが、50石で騎馬1の軍役はあったが?
藩によってもだいぶ違うだろうが。
あくまでもこれは九州の話。
875名無し三等兵:2007/09/28(金) 16:56:04 ID:???
昔は一般的な農民が馬を飼うのも極普通だったんだよ。
古い農家が保存されてるような所に行ってみれば判るけど
農家一軒一軒に必ず馬屋が備わってるんだ。
だから150石もの武士が馬を保有するのはむしろ当然といえる。
そもそも、一石って人間一人が一年間食っていける米の量で、
その150倍も収入があれば相当大身の武士ってことになる。
876名無し三等兵:2007/09/28(金) 17:09:12 ID:3sL9fqZ7
>>875
まぁ貧しい藩では、知行の返納がかなりあったようだがね。
877名無し三等兵:2007/09/28(金) 17:41:15 ID:???
戦国時代のスレの筈なのに江戸期の話がちょくちょく出てきて混乱するな。
878名無し三等兵:2007/09/28(金) 18:25:26 ID:???
>>.875
>その150倍も収入があれば
知行高=手取りじゃないぞ。 その土地の米の取れ高を表しているから税率かけなきゃならない。四公六民なら60石分が収入だね。

あと、農耕馬と騎乗用の馬の飼育コストや、馬自体の値段も大分違うんじゃないかな。
戦国時代だと、それなりの身代の武士でも普段は雑穀(雑炊)食っているけど、馬には大豆とか高価な餌を与えているみたいだし。

100石もあれば、馬を飼育可能(無論身分上もてなかったり例外はあると思うが)というのには同意します。

879名無し三等兵:2007/09/28(金) 19:39:28 ID:???
100石で馬飼育って今で言う一点豪華主義だぞ
絶対に無理とはいわんけど
そんなのが世の中にあふれかえってたとはおもわん
880名無し三等兵:2007/09/28(金) 20:34:08 ID:???
意外と馬はそこら辺に生えてるイネ科やマメ科の植物を食ってれば生きていける。
昔の農家は馬を田んぼの畦に連れて行って草を食わせて養ってた。
畦の雑草刈りにもなるから一石二鳥で実に合理的。

豊かな武士は愛馬に穀物や豆類を与えて馬に贅沢をさせていた。
881名無し三等兵:2007/09/28(金) 20:47:42 ID:???
元をただせば鉄砲普及後に騎馬兵力が中途半端に残ってるのは何故かという
話だろ?西洋型の騎兵隊と別の形で。
結局は多分こういうことだろう。

鉄砲火力が充分でないので白兵戦に突入する可能性が高確率で残る

甲冑が無価値化しない

重装歩兵が無価値化しない

重装歩兵に軽装歩兵と共同できるだけの機動力を付与する
馬の価値が維持された
882名無し三等兵:2007/09/28(金) 21:39:41 ID:???
馬に乗る人 = えらい



馬を維持

じゃないか?
883名無し三等兵:2007/09/28(金) 22:55:23 ID:???
畦の雑草なんか、三日も持たずに喰い尽くすぞ。
そんな簡単に馬が飼えれば誰も苦労はせん。一年中、飼い葉を確保せねばならなんのだから。
884名無し三等兵:2007/09/28(金) 23:45:44 ID:???
畦の雑草の再生力の凄さを知らんようだな。
仮に三日も持たずに喰い尽くすような生き物を
農民が飼い葉を与え続けて飼育するなんて絶対無理。
馬は農民が農耕用に所有できるものなんだよ。
そんなコストがかかるなら農耕用にならないって。
885名無し三等兵:2007/09/29(土) 00:36:05 ID:Amg1BtIU
>>881
もうちょい勉強っていうか、、、

あのね、まず当時の日本は、少なくとも世界有数の鉄砲大国。
しかもその個々の性能に於いてもトップクラス。
でも殆どの甲冑に於いて鉄砲には無力。
騎馬兵は、ポーランド騎兵隊の末路を見るまでもなく、火力には無力。
甲冑の無力さは結果も現代で出てる。詳しくは調べれ。ネットにも転がってるから。

なんで騎兵が残ったか?
馬に乗ったらすぐにわかるよ・・・

>>883
それは正解。
ただし、知行地を忘れてもらっちゃこまるw
1石が取れる広さは?
そうそう喰いきれんよw
もちろん、知行地は田圃のみならず。
判るよね?
886名無し三等兵:2007/09/29(土) 00:58:48 ID:???
>>873
戦国か、せめて江戸初頭の記録で較べろって事だ。
天正19年(1591)、筑後三池の高橋氏(10万石)で
馬上150騎、徒歩の足軽2000人、兵糧・弾薬の輸送用人夫650人
>>874
それ江戸初頭なんだろ。だったら珍しくもなんとも無い。
一領具足的なものを想像すればね。
>>875
村に農耕馬が居たのは当たり前の事。ただ西日本では農耕牛が多い。
馬屋があるのはある程度(そこそこ)の家ではあるな。
『武蔵国郡村誌』を読めば、秩父・多摩など山村で馬は多いだろう。

近世武士の困窮振りを知らないのか?
一石じゃ足りねーってw男扶持(一日5合)、女扶持(一日3合)で計算してみ。
18世紀後期の旗本(1000石以上)で、飼葉代が金7両を始めとして年金11両掛かってる例がある。
さらに馬の世話をする中間も雇うわけだから。
仮に3両1人扶持として、金5両だな。これを仮に知行取へ変換すればおよそ12〜13石取りってとこ。
知行150石といっても、手元に入るのは60石くらいだな。幕府の規定に頼れば。
887名無し三等兵:2007/09/29(土) 01:33:17 ID:???
>>886
>馬屋があるのはある程度(そこそこ)の家ではあるな。

いや、そうでもない。
http://www.pref.nara.jp/bunkak/minpaku/minka/index.html
ここに江戸時代の民家が9軒移築されてるけど
このうち上段の町屋2件以外、つまり全ての農家には馬屋が備わってる。
特に旧八重川家はだいぶ小さいけど、ちゃんと馬屋が備わってる。


>18世紀後期の旗本(1000石以上)で、飼葉代が金7両を始めとして年金11両掛かってる例がある。

だから、そういうのは身分が高い武士が愛馬に贅沢させてるからだよ。
それに旗本だと江戸の大都会の中で飼育してるわけだから、雑草が生える場所が限られてるから、
特別に飼葉を与え続けなければならないという事情もある。
農村ならもっと安く飼おうと思えば、もっと安く飼える。

中世的な制度だと武士は農村に住んでたわけだから、馬を用意する事は比較的容易だったと思うよ。
まあ近世になって武士が城下に住むようになると事情が少し違ってきたかもしれないけど。
888名無し三等兵:2007/09/29(土) 01:44:10 ID:Amg1BtIU
>>886
>>887
874だが、国によって大きく違うよ。
うちは、明確に口伝されている。
ちゃんと安土桃山時代前から江戸後期までの編成変更も伝わっている。
ちなみに地位は大番組頭から家老役相当だから結構明確よ。

昔は馬上槍、弓優先の編成。
これは手明槍を込まない編成だから解るけど、
その後、鉄砲優先。
最後は野砲込みの編成。


貧しかった東北雄藩と何だかんだ言っても豊かな西国藩とはかなり事情違うはずよ?
889名無し三等兵:2007/09/29(土) 01:47:56 ID:Amg1BtIU
>>886
ごめん。
貴方の言う根拠は、四公六民だろうが、
それは、我が藩でも同じ。
正しい思うよ。
890名無し三等兵:2007/09/29(土) 01:50:22 ID:???
知行で‥っても地侍と戦国後期以降のリーマン武士とでは違うよ。
地侍は半農だったり農地経営してたりで知行に関わらず自分で裁量できる土地持ってること多いけど、
兵農分離以降は原則土地経営無しだから。自邸で飼うと>886みたいになる

※知行=税を取る権利、統治する権利で農地所有経営とかとは別。

田は少ないけど放牧盛んな馬の産地とかもあるから、戦国期は石高と馬比率とは
あんまり関係しない、国・土地柄の影響が大きいと考えるのが吉かと
891名無し三等兵:2007/09/29(土) 01:54:12 ID:Amg1BtIU
>>890
うちは、幕末まで知行地維持の藩だったみたいだから、
実質上の領主だったみたい。
結構、誤魔化せたみたいだよw
892名無し三等兵:2007/09/29(土) 01:56:57 ID:???
>>887
そりゃ、戦国武士は下級の侍でも馬は飼えたさ。
有名な土佐の一領具足は小柄な土佐馬(粗食でも頑丈)に跨って戦場へ馳せ参じた小身の武士の事だし。
で、近世の話題を振ってきたのは君だろうにw
武士は馬だけ飼うだけじゃだめなの。世話する奉公人も必要って書いたが。
その場合は軍役の一部にも該当する。
江戸時代のそれは戦国期のそれより儀礼的な軍役規定でもあり、
馬口取、草履取や甲冑、沓箱、挟箱、雨具持・・・と。
>>888
幕府の軍役規定も変化、縮小化はしてるな。
地方大名の軍役が幕府のそれより重いものになってる事は、そうだな。
893名無し三等兵:2007/09/29(土) 03:16:29 ID:???
 一領具足は槍と鎧函背負った歩兵集団なんだけどな、半農半兵的な戦国時代
では馬の調達も兵農分離して都市生活してる江戸時代の武士よりコスト掛んなかった
と思うが、遠距離や長期出兵になったら厳しい事になったんじゃないだろうか。
 
894名無し三等兵:2007/09/29(土) 07:50:36 ID:???
遠距離や長期出兵でも、飼葉は自前なの?
物理的に無理なんじゃ?
895名無し三等兵:2007/09/29(土) 08:48:27 ID:???
江戸時代と戦国時代の馬を同じように考えるからおかしくなるんじゃないの?
今でいえば東京で車持つのは贅沢(駐車場代とか高いし)な面もあるけど、
田舎だと一人一台とか乗用車と軽トラを使い分けたりするけど、それは贅沢じゃなくて必要があるから。

馬しだいで武功を挙げられるって考えたら、多少無理しても飼うだろう。
武器や鎧だって同じ、黒船がきたとき急に必要になって質入していたので大騒ぎってエピソードがあったと思うが、
同じ家の戦国期の先祖はそれをちゃんといつでも使用できる状態で管理していたわけでしょう。

>>894
決められた集結地に行くまでは自前で、それから先は大名が支給するのが建前だったような。

896名無し三等兵:2007/09/29(土) 11:59:34 ID:Ht7usV8x
歴史とは勝者によって華々しく書かれる美化されたものである。
897名無し三等兵:2007/09/29(土) 12:00:51 ID:???
>>896
アホか。
898名無し三等兵:2007/09/29(土) 12:46:11 ID:+mq4sUwZ
>>895
そうそう。今で言えば小型装甲車両を自前で用意するようなもの。
ただ、勝手に馬飼う、馬乗るは駄目だけどねw
899名無し三等兵:2007/09/29(土) 14:59:55 ID:???
>>885
いや、だから白兵戦においてのみ有効な甲冑が残ってること自体が火力の不足
を示すわけだが。
17世紀の西欧で重装歩兵が消滅したのは白兵戦に入る可能性をほぼ排除できるレベルまで
火力が充実したからなのだが。
しかし、現に日本では重装歩兵は大阪の陣に至っても消滅しなかったし、幕末の仏式近代歩兵導入まで
そのまま編成に残り続けてるわけだ。
それは結局、遠戦だけでほぼ決着を付けられるレベルにまで火力が達しなかったからとしか解釈のしようが無いが?
900名無し三等兵:2007/09/29(土) 15:32:47 ID:???
甲冑は置いといて、17世紀に白兵戦が無くなったとか本気で言ってるのか。
901名無し三等兵:2007/09/29(土) 15:52:52 ID:???
>>900
発生機会と戦闘全体における重要性は大幅に下がる。
だから甲冑のコスト対効果が著しく落ちる。
902名無し三等兵:2007/09/29(土) 16:04:47 ID:???
だから、「白兵戦に入る可能性をほぼ排除できるレベルまで火力が充実した」の真偽についてよ。
甲冑云々じゃなくてね。
史料に沿って論じてくれ。
903名無し三等兵:2007/09/29(土) 16:05:15 ID:???
>>901
白兵戦は17cどころか19cでも盛んに行われていますよ。
17〜19cのヨーロッパで会戦の勝敗を決定付けるのは銃剣突撃と騎兵の突撃です。
17c以降、白兵戦の重要性が低下したということは決してありません。
904名無し三等兵:2007/09/29(土) 16:17:58 ID:???
甲冑も胸甲騎兵とかが使ってたんじゃ…?
905名無し三等兵:2007/09/29(土) 16:57:52 ID:???
甲冑の衰退は戦闘形式の変化とは無関係
906名無し三等兵:2007/09/29(土) 17:47:20 ID:???
 銃の発達で甲冑の費用対効果が落ちたのが大きいが、大砲の進化で城塞攻略が
容易になり、戦闘が城塞戦から野戦軍撃破に移行したのも大きい。野戦決戦だと
機動力を活かして有利な戦場を選定した方が優位に立つから重い割に効果薄い鎧
いらねになるのは自然の流れだろ。
907名無し三等兵:2007/09/29(土) 17:52:00 ID:???
城塞も進化して対砲撃仕様になってるけどね。
攻囲戦から野戦軍撃破重視に移行できたのはナポレオン戦争期のフランス軍から。
908名無し三等兵:2007/09/29(土) 18:30:27 ID:???
 30年戦争には始まってるんじゃね?
909名無し三等兵:2007/09/29(土) 19:15:01 ID:???
要塞は大抵の場合、要路に配置されているので落とすか包囲しなければ危険
包囲して、尚且つ野戦で敵を圧倒できる兵力を集めるのが革命前は難しかった。
相手に要塞に篭られると困るからあの手この手で引きずり出そうとする。
910名無し三等兵:2007/09/29(土) 19:17:41 ID:???
鎧が廃れたのは
銃の発達により徴兵軍(国民軍)>常備軍になって
簡単に徴兵できる兵隊に高価な鎧を配備する意味が無くなったからでは?
911名無し三等兵:2007/09/29(土) 19:40:05 ID:???
 人的損害が大きくなればそんな事言ってられないだろう。人民から怨嗟の声が
出るだろうし、仲間がバタバタ死んでく中では兵が逃走しかねない。近代になって
ボディーアーマーが復活したのは材料技術の進歩で銃弾や砲弾片に耐えられる様に
なったからで、逆に言えば近代まで人間が行動できて銃弾に耐えられる材質がなかった
って言える。それまでは塹壕掘って地形を利用する戦術が発達するのは当然の流れ
だったような気がする。
912名無し三等兵:2007/09/29(土) 19:42:09 ID:???
>911
WWTのフランス軍状態だな。
第一線で反乱続発。

913名無し三等兵:2007/09/29(土) 19:43:11 ID:???
フランス軍は鎮圧に成功し、ドイツ軍は崩壊した。
914名無し三等兵:2007/09/30(日) 09:27:23 ID:???
>>887
その八重川家だが、村役人クラスの屋敷かといえば疑問かもしれないが、そこそこの家に見えるけど。
で、牛小屋だそうだぞ。
ttp://www.nara-np.co.jp/graph/gra041017_house.html(奈良新聞)

江戸前期の上方で300石の武士の例、馬の飼料に10両だとさ(馬口取り2名)
江戸時代も下ると奉公人の給金も跳ね上がるし、馬を飼うのはさらに難しくなったろう事は容易に想像できるな。
>>893
土佐では3町以上の分限は騎乗(長宗我部氏掟書)
915名無し三等兵:2007/09/30(日) 11:01:10 ID:???
 現在の日本の稲作農家の平均土地所有が3h位だから同じレベルの土地所有者は
騎乗できた訳だな、だが当時は当然機械化なんてありえないし農薬も化学肥料も無い
以上人力馬力ですべて賄わけばいけない時代、恐らく多数の農民はもっと狭い土地にしがみ
ついて生活してただろう。そういう事考えれば長宗我部氏の主力、一領具足は槍と鎧函背負った
歩兵集団と観ていいと思うがどうだろう。
916名無し三等兵:2007/09/30(日) 13:35:12 ID:???
田に出ずるにも、槍の柄に草鞋・兵糧を括りつけ、田の畔に立置き、
すはといえば鎌・鍬を投捨て走り行き、鎧一領にて差替の領もなく、
馬一匹にて乗替もなく、自身走り廻りければ、一領具足と名付けたり。
(土佐物語)
917名無し三等兵:2007/09/30(日) 16:35:10 ID:???
>>914
リンク先に“この建物は県内の住宅史を知るうえで標準的間取りを示し”って書いてる通り
一般的な農家だよ。
因みに大和民俗公園にある古民家9軒の中では最も小さくて、居室は二室あるだけ。

「まや」(牛小屋)ってあるけど、「まや」は「うまや(馬屋)」が訛ったもので
元々は馬を飼うところだった。
918名無し三等兵:2007/09/30(日) 17:17:56 ID:???
>>903
騎兵や銃剣での白兵突撃が発令されるのは銃砲戦列同士の撃ち合いで
敵戦列を制圧した後。戦果拡大局面に入ってから。
突撃が発令できるような状況になった段階で既に勝ってる。
勝敗を決定づけてるとは言えない。
919名無し三等兵:2007/09/30(日) 17:23:48 ID:???
歩兵が前進しないことには戦は終わらない。
歩兵戦列が制圧される前に騎兵が突撃して、勝敗を決めた戦いもある。
撃ち合いだけで勝敗が決まるわけではない。
920名無し三等兵:2007/09/30(日) 18:14:48 ID:???
>>917
だから「そこそこ」と書いたよ。
方言は知らないけど、近畿地方は農耕牛の本場でもある。
大和国は良牛の産地(国牛全図)
奈良県の都祁という場所は行ったことないが、山間の土地か?
岩付城からだいぶ話がそれたなw
921名無し三等兵:2007/09/30(日) 18:59:05 ID:???
未制圧戦列への騎兵突撃というとネイの騎兵突撃か
922名無し三等兵:2007/09/30(日) 19:04:13 ID:???
ミュラも
923名無し三等兵:2007/09/30(日) 20:25:15 ID:???
>>920
>>886
>村に農耕馬が居たのは当たり前の事。ただ西日本では農耕牛が多い。
>馬屋があるのはある程度(そこそこ)の家ではあるな。

>>914
>その八重川家だが、村役人クラスの屋敷かといえば疑問かもしれないが、そこそこの家に見えるけど。

を読む限り
「そこそこの家」は「一般的な農家より裕福な農家」というニュアンスで使ってるじゃないか!


それと、甲信も含めた東日本のほうが馬産が盛んだったのは事実だけど、九州の御崎馬の例が
あるように、西日本でも各地に牧が設けられて馬産は行われていて、馬は珍しいものではなかったよ。
実際に近畿周辺で馬借一揆が起こってるでしょ。
924名無し三等兵:2007/09/30(日) 20:45:22 ID:???
 馬借一揆って言っても牛飼いも参加してるぞ。牛の方が重いもん運べるからな、
馬借一揆は現代で言えば運送業者の一揆だからな。
925名無し三等兵:2007/09/30(日) 21:48:01 ID:???
北の馬産地として著名な岩手では、江戸後期では普通の農家で1軒あたり2頭位の農耕馬飼ってたけど、
農耕に馬使うようになったのが江戸前期からで、この時期に飼育頭数も大幅に増えたとなってる。
それ以前は戦闘用と貨物用で、一般農村ではほとんど飼われていないって

全国的にも江戸と戦国ではだいぶ違うかもよ?
926名無し三等兵:2007/09/30(日) 22:09:59 ID:???
建築様式も大きな違いがあるの?
927名無し三等兵:2007/09/30(日) 22:33:32 ID:???
岩手農村の『馬を母屋内で飼う』南部曲り屋は、江戸半ばに成立した、
それ以前の田の字型住宅形式に馬屋が増加してL型になった、だって
928名無し三等兵:2007/10/01(月) 00:09:13 ID:???
>>923
だから村役人と・・・
近世の馬飼育は地域によって差があるわけだし、厩肥としての必要性から山村の方が多く飼われてた。
『武蔵国郡村誌』でも馬の頭数に地域差がある。
奈良県の古民家を一つ取り上げて、「一般的に馬が飼われていた」とは受け取れないし
それと近畿においては、馬より牛が重宝された事も事実。西国の中でも特にね。
西国でも南九州は馬が勝るが、都井岬の馬は近世高鍋藩秋月氏が元禄年間に開いたもので
木曽馬など他の現在まで残る稀少な在来馬というのは、「辺境地だったから残された」という理由も大きい。

良質な馬は陸奥が一番、それから出羽・常陸・下野・信濃などだな。
九州も評価が高いが、畿内は頗る低いよ。
陸奥でも北が良いのだが、近世の南部は馬だけじゃなく牛も有名だな。

馬借・車借とは諸国からの物資を輸送したものだが、牛・馬の扱い方は酷かったらしい(新猿楽記)
929名無し三等兵:2007/10/01(月) 01:11:50 ID:???
■コラム
馬は家族の一員
「馬一匹半身上」は、農家にとって一頭の馬は、家の身上(し
んしょう=財産)の半分にあたるほど価値があるという意味で
す。馬は農耕や運搬になくてはならず、また敷草・糞尿の厩肥
は堆肥になりました。馬の厩肥は牛に比べて高い発酵熱が出
るため、寒冷地の堆肥作りには欠かすことができなかったよう
です。農家では馬を大切にしており、母屋で一緒に飼育したり
しました。
ttp://www.tanbo-kubota.co.jp/tool/tool04.html
930名無し三等兵:2007/10/01(月) 01:15:43 ID:???
女性のパートナーとして活躍

 長崎県対馬で飼育される体高125-135cmの対州馬は、元寇の役
(1274年)のとき、宗一族の武将たちを乗せて活躍したと伝えられる馬で
す。

 対馬は耕地率(耕地÷全面積×100)が3%程度の小さな島で、島民生
活は半農・半漁(農業と漁業の兼業をしていること)で、男性は海へ、女
性は畑へと仕事を分担していました。対州馬は女性の畑仕事を手助け
する存在でしたが、近年では道路の整備や交通機関の普及などによっ
て対州馬の需要が激減したため、保存していくかどうかの見通しは今も
立っていません。
http://zookan.lin.go.jp/kototen/uma/u324_5.htm
931名無し三等兵:2007/10/01(月) 01:18:30 ID:???
農業の担い手として、馬は古来から欠かせない存在であった
ttp://zookan.lin.go.jp/kototen/uma/u324_1.htm
932名無し三等兵:2007/10/01(月) 01:26:03 ID:???
農村で馬は珍しくも何とも無かったよ。
ttp://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~hamano/eap/japanese/4.htm
 では、尾張はどうか。『寛文村々覚書』(1672)によると圧倒的に東日本
的な馬文化圏に属していたことがわかる。その分布状の特色は、第1にすべて
の村で飼育されていたことがあげられ(1村平均20匹)、このことから農耕
用に広く使用されていたことがわかる。特に新田村:熱田新田(51匹)、東
福田新田(43匹)などで必要とされた。その一方で、運搬用に相当数利用さ
れていた。東海道沿いの鳴海村(110匹)、佐屋街道沿いの岩塚村(45匹
)などの宿場はもとより、その周辺の村々は助郷村として馬を飼育していた。
また、多くの村で「年貢米 馬付」とあるように、年貢運搬用に使われていた。
その他、特異なところで、城下近在の御器所村(83匹)は、城下への馬の供給
地であったと思われるし、尾張四観音のある荒子村(75匹)は、「右観音へ毎
歳五月十八日、近ン郷より馬ヲ出シ申シ候」とあるように、馬の集散地であっ
た。
933名無し三等兵:2007/10/01(月) 01:30:17 ID:???
>>929
木曽馬はまさにそうで、母屋にある内馬屋で家族とともに暮らし
大切に可愛がられ、死亡した時は葬式まで出したという。
木曽馬自体の歴史はさほど古くないというが、軍馬というより農耕馬的要素が強い。
>>930
戦後頃の島民は120cm前後の対馬馬を好んだというが、今は馬体も大型化してるのかな?
農民が小柄な馬を好んだのは、飼料代が掛からないからではある。
>>932
リンク先は後日見るとして、戸数と馬の頭数を比較できればそれが判り易い。
他に馬・牛には小作制度もあったが。
934名無し三等兵:2007/10/01(月) 01:40:19 ID:???
935名無し三等兵:2007/10/01(月) 04:05:27 ID:???
 昔の馬は自動車であり肥料生産機であり脱穀機であり耕運機であり毛や革・骨は生活製品材に
なるんだから、そりゃ生活に欠かせないよな。でも生活用の馬と軍用の馬って一緒なのかなあ、
馬は音や臭いに敏感な生き物。鉄砲の音とか怒声に対応する為の訓練とか必要ではなかったん
だろうか。
936名無し三等兵:2007/10/01(月) 08:16:28 ID:GlDYMd3f
牛よりは鈍感
937名無し三等兵:2007/10/01(月) 09:31:07 ID:???
日本の馬は猛獣。
938名無し三等兵:2007/10/01(月) 11:02:40 ID:ct0Gezp8
銃砲の音には鐘太鼓で普段より慣らす。
慣れてくれば実際に射撃音を聞かす。

日本の馬は、蹄鉄を使わなかった事も忘れなく。
馬草鞋があったが、蹄を強くする為に石畳で飼う等の工夫をしていたと聞いている。
939名無し三等兵:2007/10/01(月) 22:46:45 ID:???
>>884
馬の餌に雑草でいいって意見は結構聞くんだけれど
畜産をちょっとは学んだ身から言わせて貰うと、
飼うとか最低限の維持はなんとかなるにしても相当馬を痩せさせる事になるし
軍用馬でそれをやるには一日辺りの消費からすれば飼料が足り無すぎ。

生かし続けるという意味での飼うなら確かにできなくはないよ、一応ね。
あと馬の用途によって必要な飼料の量は違うし。
940名無し三等兵:2007/10/02(火) 03:37:42 ID:???
>畜産をちょっとは学んだ身から言わせて貰うと、

具体的に何処で学んだんだよ。
雑草が駄目なら野生で生きてる馬は何食ってるんだ?
941名無し三等兵:2007/10/02(火) 06:42:18 ID:???
>>940
高校の畜産科ですが何か?


全くダメというわけじゃないよ。
必要な栄養が足りないから、とりあえず生き続ける事は出来るけど
(やらせる仕事の種類にもよるが)体力の十分な馬にはならないってこと。
あと野生の馬の場合、自分で広範囲を移動しながら餌を探し回れるし
一定地域に多数の個体が密集する事も少ない(なんかの原因が無い限り)
ので、野生状態では一頭辺りに必要な草の面積も確保できる。

まあ、実際の昔の馬飼ってる農家さんは山なんかに馬を連れてって
そこで草食わせたりしてたんだけどね。(地元県内での例)
田んぼのあぜ道なんかよりは遥かに草の生えてる面積の広い場所で。
942名無し三等兵:2007/10/02(火) 06:54:50 ID:???
ちょっとすると下痢しちゃうしね。
943名無し三等兵:2007/10/02(火) 07:08:27 ID:???
>>939
はげどうですね

それに昔は地面に生えているものの所有権には厳しかったから、
よそ者が勝手に空き地に生えている草を馬に食べさせていいってわけでもなかっただろうしね
944名無し三等兵:2007/10/02(火) 07:11:20 ID:???
つーか東西問わずに戦記物を読めば馬草の確保の為に苦労したなんて話は幾らでも出てくる訳だが。
945名無し三等兵:2007/10/02(火) 07:20:29 ID:???
飼い馬の食い物と飲み水を争って起きた戦争もあるし。
946名無し三等兵:2007/10/02(火) 08:14:24 ID:???
 現在の国家が石油で戦争してんのと同じだよ。たかが草と言っても遊牧民とか
には命に関わる。朝青竜に謝ってこい。
947名無し三等兵:2007/10/02(火) 18:39:29 ID:???
よく日本刀で胴体を鎧ごと真っ二つにしたり、
槍で人間の頭を幾つも貫くってのがフィクションの世界であるが、
あんなことは現実に可能なのか?
前者は骨で刃が止まりそうなもんだし、
後者は頭蓋骨を貫き切れないんじゃないかって思うんだが
948名無し三等兵:2007/10/02(火) 18:44:29 ID:???
人骨の強度は強化プラスチックくらい?
949名無し三等兵:2007/10/02(火) 18:53:12 ID:???
>>947
必要な運動エネルギーが得られれば可能だが、まあ無理だろうな。
とはいえ、色んな条件がそろった上で例外的に発生する可能性だけはなくもない。


例えば人間単体の筋力で、槍で止まってる相手の胴体を貫通というのも
少し無理があるが、お互い向き合って走ってきてその勢いでぶつかったら
槍の先は鎧と胴体を貫通して背中側に突き抜けるかもしれない。
そういう程度には。
950名無し三等兵:2007/10/02(火) 19:01:28 ID:???
胴体切るくらいならどうにかなるんじゃね?
食うに困るようなひょろひょろ足軽とそいつが着てる粗末な鎧なら
(最終的には刀によるところが大きいとはいえ)エネルギー的にはどうにかなるイメージがある
951名無し三等兵:2007/10/02(火) 20:48:50 ID:???
馬にかけるコストは身分や財力に応じて異なるんだよ。
旗本が高いコスト払って飼育してるからって
同じコストで農民が飼育してるわ訳じゃない。
農民が払えるのは馬が労役で上げる収益より低くなければ馬は飼っていけない
大名クラスの持ち馬だと、旗本よりもっと高いコストかけてるはずだ。

>>944
狭い範囲に大量の馬が密集する戦場と、馬が農村で散らばって飼われている状況とは異なるけどな。

>>941
俺が年寄りに聞いた話では、昔は農村で馬は一般的で、馬は各家で大切に育てられて
餌は馬を田んぼの畦に連れて行って草を食わせてたって聞いた。
その仕事は大抵子供の役目だったそうだ。

山だけど俺の近辺の山は木が生い茂っていて馬が食えそうな草地は殆ど無い。
952名無し三等兵:2007/10/02(火) 20:51:08 ID:???
農村も牧場ってわけじゃあないけどな。
畦のレンゲは植えたりしてる場合もある。
953名無し三等兵:2007/10/02(火) 21:36:25 ID:???
>>951
まあうちは県内全体、山のほうが多いからね。
山に畑もってる所は畑にいく時に馬も連れて行って、
その辺の木に繋いでおき、動ける範囲の草を食わせて
仕事が終わると馬を連れて帰る。 という感じだった。
(農耕馬は仕事に参加することもあるのはいわずもがなとして)

畦の面積が十分なくらいあるんだったら可能といえば可能。
広範囲を食わせて歩くんだったらそれも十分ありなんじゃないかな?



そういやスレ違いのどうでもいい話になるが、馬に草を食わせてて自分は
ちょっと休憩、と昼寝してたら何時の間にか夕方で、馬がいなくなってる。
怒られる、と探し回ったがどこにもいない…仕方なくトボトボ帰ったら
馬が先に帰ってきてて、「おめえ馬っこほっだらかしてどこほっつき歩いてた」
と言われたという類の話が伝わっている。
954名無し三等兵:2007/10/02(火) 22:30:33 ID:???
そういやさ、日本には猛獣部隊ってなかったの?
955名無し三等兵:2007/10/02(火) 22:32:34 ID:???
>>954
いくさに使えるような動物が馬と、せいぜい牛ぐらいしかいないじゃない。
956名無し三等兵:2007/10/02(火) 22:35:43 ID:???
>>954
そんな物世界中どこを見渡しても成功した試しが無い。
精々が戦象くらい。
957名無し三等兵:2007/10/02(火) 22:48:19 ID:???
>>949
カブトを切るという一種の芸はある。
明治初めとかにも有名な剣客の榊原鍵吉とかが実際にやってみせていたはず。
無論、使い手の腕前もいるし、刀も吟味してよいものを使っているだろうけど。
他の人も書いているけど、戦場だと相手も動くからカウンターみたいにうまく力が加わったら鎧を着た胴体も切れるかも。

>>951
>俺が年寄りに聞いた話では、昔は農村で馬は一般的で、馬は各家で大切に育てられて
>餌は馬を田んぼの畦に連れて行って草を食わせてたって聞いた。
昔は畦にも大豆とか、田んぼの肥料用の植物(レンゲとか)を植えて生産に利用していたから
普通に畦の雑草で馬が飼えたと考えるのはどうかと。
それなりに手を加えた上で、畦の植物を利用していたと思います。
958名無し三等兵:2007/10/02(火) 22:50:22 ID:???
つか、数頭の馬ならともかく、ある程度の数の軍勢の馬を喰わせるのに、その辺の草じゃ足りないでしょ。
959名無し三等兵:2007/10/02(火) 23:10:07 ID:???
モンゴル軍が遠征するときは馬のエサどうしてたのかな。
960名無し三等兵:2007/10/02(火) 23:19:13 ID:???
 据物斬りって言う、罪人の死体で試し切りした場合、1度に2・3人胴ごと切った
なんて言って売ってたみたいだけど実際できるもんかね。個人的には一人でも無理だと
思うんだけどね。
961名無し三等兵:2007/10/03(水) 02:15:46 ID:???
 モンゴル軍は千人一単位で構成されるが、戦略単位としては先鋒・中軍・後方に
別れる。モンゴル軍は先鋒が敵野戦軍の撃破や哨戒撃破を行い、中軍が略奪や拠点占拠
を行い、後方が家族なんかも伴いながら遊牧しながら前線に必要な物資や補充要員を提供
した。
962名無し三等兵:2007/10/03(水) 02:23:31 ID:???
「遊牧しながら」だから生えてる草で馬のエサを賄ってたんだろうけど
草原地帯だとそれで賄えるとして、中国なんかの農耕地帯に大軍で侵攻したと
きでも生えてる草で賄えたのかな?
963名無し三等兵:2007/10/03(水) 03:18:51 ID:???
 無理、だから現地人の裏切りを蒙古側は大歓迎した。草原地帯から離れれば
離れる程、モンゴル人は指揮官クラスだけになり軍の主力は現地人になっていく。
 まあ、そうでもしなければ200万程度の人口で当時の半分の人口を支配できな
いだろう。補給基地を設けて馬草や大麦なんかを設営しながら移動すれば騎馬隊の
運用はやろうと思えばできたんだろうけど騎馬隊より歩兵や水軍が優位の地形も多いしね。
964名無し三等兵:2007/10/04(木) 01:16:35 ID:???
金攻略のころの華北への遠征だったらモンゴル人騎馬主体じゃね。
965名無し三等兵:2007/10/04(木) 01:57:52 ID:???
まあ、鎌倉武士>>>>>>>越えられない壁>>>>>>>モンゴル軍なんだがな。
鎌倉武士は6倍以上のモンゴル軍を完膚なきまでに叩き潰してる。
966名無し三等兵:2007/10/04(木) 03:58:07 ID:???
 西夏や金を滅ぼした頃は蒙古軍主体だね。でも漢人世侯とか登用して多国籍化
が始まってる。南宋とかでも主軸は明らかに漢人主体だし、元寇なんて蒙古人いたか
どうかってレベルでしょう。モンゴルが大きな影響を与えたのはどっちかといえば
中東とかロシアのような草原地帯。一時はエジプトまで行ったんだからたいしたもんだ。
967名無し三等兵:2007/10/04(木) 06:43:57 ID:???
シリアまでだろ。
968名無し三等兵:2007/10/04(木) 08:31:08 ID:???
 シリアだね。
969名無し三等兵:2007/10/04(木) 09:34:30 ID:???
>>947
ビルマ戦線での話だが、ある日本軍兵士が国民党軍の兵士と白兵戦になったとき、
無我夢中でスコップを振り回したら相手の頭蓋骨にサックリ刺さった事があるらしい。
やった本人はじめ仲間らもビックリしたとか。
970名無し三等兵:2007/10/04(木) 09:53:23 ID:???
>>969
スコップはドイツ軍の白兵戦装備として重宝されているんだぞ
971名無し三等兵:2007/10/04(木) 09:57:41 ID:???
>>966
モンゴル軍の中のモンゴル兵は常に少数。
何の言い訳にもならない。
ちなみに元寇の元軍は「馬に乗って」上陸して来たと評されており騎兵主体(即ち当時世界最強のモンゴル軍)だったのは明らか。
972名無し三等兵:2007/10/04(木) 10:52:23 ID:???
 ロシア人なんか砥いでるもんな。あれは恐い。
>>971 何かがんばれ。良くわかんないけど強く生きろ。
973名無し三等兵:2007/10/04(木) 10:59:29 ID:???
>>971
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1189275357/l50
隔離スレから出てくるんじゃない。
974名無し三等兵:2007/10/04(木) 16:43:49 ID:???
ソロソロ次スレの季節ですね

テンプレ案

大河ドラマ・司馬歴史小説等、さまざまに流布している戦国時代合戦のイメージは、不正確極まりないものとされています。
真実はどうなんでしょうか?
軍事的な知識を多くお持ちの皆さんで論じ合いましょう。
 ・日本だけではなく、同時代の他国の状況との対比
 ・前史としての 律令制→室町中期 との比較
 ・後史としての 江戸時代と黒船来航以降の幕末戦争 との対比
など積極的に話題を提供してください。

次スレは980を踏んだ人が立ててください

※注意
荒らしは徹底スルー
荒らしに関わる奴は同類
975テンプレ案:2007/10/04(木) 16:45:00 ID:???
過去ログ

日本の戦国時代 合戦の虚像と実像
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1128176890/
日本の戦国時代 合戦の虚像と真実2
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1147453486/
日本の戦国時代の合戦の虚像と真実3
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日本の戦国時代!合戦の虚像と真実3!!!!
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日本の戦国時代の合戦の虚像と真実4
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日本の戦国時代の合戦の虚像と真実5
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姉妹スレ(戦国時代板)
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150781368/
976名無し三等兵:2007/10/04(木) 16:46:07 ID:???
上記ので良ければ
980を踏んだ方が次スレ立ててくださいね
977名無し三等兵:2007/10/04(木) 20:08:55 ID:???
>>971
なんでこう、数回勝った実績=日本武士最強みたいな厨が沸くのかね、夏休みでもないのに。

当時世界最多の鉄砲を持ち、長年の戦乱で鍛えられた豊臣政権の軍が勝てなかった朝鮮の義兵が真の世界最強ですね、判ります。
978名無し三等兵:2007/10/04(木) 21:10:39 ID:???
義兵が勝った?
979名無し三等兵:2007/10/04(木) 21:17:29 ID:???
>>978
>豊臣政権の軍が勝てなかった
脊髄反射せずに、ちゃんと読め。
980名無し三等兵:2007/10/04(木) 21:27:16 ID:???
義兵に勝てなかったのは義兵自身の力によるもの、というように読み取れるが。
981名無し三等兵:2007/10/04(木) 22:04:41 ID:???
誰か上のテンプレで次スレ宜しく
立てられなかった・・・・
982名無し三等兵:2007/10/04(木) 22:34:07 ID:XSQXUYm/
日本の戦国時代の合戦の虚像と真実6
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1191504774/l50
983名無し三等兵:2007/10/04(木) 22:39:23 ID:???
琉球土人
984名無し三等兵:2007/10/05(金) 00:13:54 ID:???
>>982
乙であります
985名無し三等兵:2007/10/05(金) 01:15:31 ID:???
逃げ回ってりゃ負けないわな
それで最強(pu


ファビウス最強てか
986名無し三等兵:2007/10/05(金) 07:19:55 ID:???
>>932
亀になったが、読んだ。
現名古屋市域で93戸平均で20匹、江戸後期には激減。
『国牛全図』はネタ用に秘蔵してたのに・・・そこに書かれてあるとはw
987名無し三等兵:2007/10/05(金) 08:47:46 ID:vZRS9eSm
>>なんでこう、数回勝った実績=日本武士最強みたいな厨が沸くのかね、夏休みでもないのに。
モンゴル軍を二回完膚なきまでに叩き潰した=日本がモンゴルより強い=日本は世界最強
で何の問題がある?
>>当時世界最多の鉄砲を持ち、長年の戦乱で鍛えられた豊臣政権の軍が勝てなかった朝鮮の義兵が真の世界最強ですね、
自国民を襲って食料を調達してた盗賊がどうかしたか?
一体いつ「義兵」とやらが戦闘で日本軍を破った?
988名無し三等兵:2007/10/05(金) 08:49:09 ID:???
>>985
ファビウス最強だろ。
最後に戦場でハンニバルを打ち破ったのはスキピオだが、
イタリア半島の長靴の先っぽにハンニバルを追い詰めたのは、
ファビウスの戦略だった。
繰り返しになるが、これをもってすれば、ファビウス最強。
989名無し三等兵:2007/10/05(金) 09:07:21 ID:???
軍板で「逃げ回っただけで最強なのか?」なんて意見が出るとは・・・
最終的に勝ってれば逃げ回ろうと略奪しようと構わないのです。そして、勝てばその軍隊は強いのです。
スポーツじゃないので正々堂々戦って負けても、誰も誉めたりしません。
990名無し三等兵:2007/10/05(金) 12:04:15 ID:???
それなら冬将軍最強だろwww
991名無し三等兵:2007/10/05(金) 12:11:19 ID:???
気候や地の利を生かすのは戦争の基本。
992名無し三等兵:2007/10/05(金) 18:22:21 ID:???
楠正成指揮下 鎌倉武士を殲滅した河内のガ太郎どもが最強だなwww
993名無し三等兵:2007/10/05(金) 18:23:39 ID:???
煮えたぎった糞小便を浴びせ 討ち死にした武者から褌まで剥ぎ取る
河内のガ太郎が世界最強www
994名無し三等兵
>>992
殲滅してないし。

最期は落城したとはいえ、圧倒的な大軍相手に持久戦を戦ったあとで戦力を保持したまま退却した。
そこが評価される(負けなかったことがすごい)んであって、勝ったわけじゃない。