戦国武士軍団 VS 古代ローマ軍団 弐之巻

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901786:05/01/20 21:21:44 ID:???
>>898

>>840を読んでくださいね。
902名無し三等兵:05/01/20 21:22:07 ID:???
>896
相手の話を理解どころか相手の説読んで無いじゃん。
すぐ前の>838なのに。そんなのが三人も現れるもんかねえ
903786:05/01/20 21:23:10 ID:???
>>900
弓も鉄砲も槍も足軽の装備ですね。
904○V○:05/01/20 21:23:51 ID:???
>ならば、やるべきことは「欧州のマスケット銃装備部隊は単一兵科部隊が一般的ではない」ということを示さねばなりますまい。

>>838で示しましたが何か?
905名無し三等兵:05/01/20 21:28:05 ID:???
自演がひどいな
906○V○:05/01/20 21:29:29 ID:???
弓鉄砲は投射兵器、槍は近接戦闘兵器
小銃と機関銃の違いとは意味合いが全然違います
907786:05/01/20 21:39:02 ID:???
>>906
兵器の特性云々言うつもりはありません。
お互いの欠点を補い、総合的な戦闘力を向上させる
諸兵科連合の意には沿うかと。
908○V○:05/01/20 21:41:55 ID:???
>>907
それならばテルシオの銃兵中隊も諸兵科連合ですよ
アルケブスとマスケットの混合装備ですから
909○V○:05/01/20 21:46:46 ID:???
ついでながら、厳密には兵器の特性=兵科の特性ではありません
910第三者:05/01/20 21:46:57 ID:???
>>908
テルシオは中隊で諸兵科だというのはわかりました。
小隊だと諸兵科?単一兵科?
>>907
兵器の種類まで含めてなんですか?
911786:05/01/20 22:55:58 ID:???
>>908
それはテルシオを編制するユニット単位です。
それに中隊で1戦術単位ではありません。
それらが多数集まって形成したテルシオが1戦術単位です。

>>910
欠点を補うものが兵科か装備の違いで本質は>>907で変わらないでしょう。
912○V○:05/01/20 23:20:26 ID:???
>それらが多数集まって形成したテルシオが1戦術単位です。

テルシオも諸兵科連合部隊です
貴方の主張している欧州の単一兵科部隊とは何なのですか?
913名無し三等兵:05/01/21 00:45:39 ID:???
戦国武士軍団 VS 古代ローマ軍団

(1年目)
戦国武士軍団の鉄砲の威力に、古代ローマ軍団驚愕し、壊走。
→戦国武士軍団の勝ち。

(2年目)
古代ローマ軍団、車輪のついた巨大な移動式盾を準備。鉄砲を防ぎつつ、
白兵戦に持ち込む。
→引き分け。

(3年目以降)
古代ローマ軍団、捕虜の尋問と、鹵獲した火縄銃の分析から、
火縄銃の製造に成功。さらなる改良と大量生産始まる。
→古代ローマ軍団の最終的な勝利。

・・・こんな感じかな?と想像。
914名無し三等兵:05/01/21 01:05:18 ID:???
二年目は眉唾っぽいな
三年目に至っては逆立ちしても無理だ
915名無し三等兵:05/01/21 01:06:51 ID:???
>>863
ローマ軍が、カルタゴやマケドニアや中世ヨーロッパの軍隊に、
柔軟性で劣ってたとは、とても思えないけどなぁ・・・。

東西を問わず、鉄砲や大砲が出現するまでとても敵わんでしょ、ローマ軍には。
916名無し三等兵:05/01/21 01:11:51 ID:???
>>913
2年目の状態で泥沼にしておいて数十年の間に開発→最終的にはローマが勝ってるということならありえるかも
917名無し三等兵:05/01/21 01:33:51 ID:???
>>915
モンゴル軍を忘れてもらっちゃ困る
918名無し三等兵:05/01/21 06:40:36 ID:???
>>913
その理屈でいくと、

現代アメリカ軍 VS 古代ローマ軍団

(1年目)
現代アメリカ軍のハイテク兵器の威力に、古代ローマ軍団驚愕し、壊走。
→現代アメリカ軍の勝ち。

(2年目)
古代ローマ軍団、車輪のついた巨大な移動式盾を準備。ハイテク兵器を防ぎつつ、
白兵戦に持ち込む。
→引き分け。

(3年目以降)
古代ローマ軍団、捕虜の尋問と、鹵獲したハイテク兵器の分析から、
ハイテク兵器の量産に成功。さらなる改良と大量生産始まる。
→古代ローマ軍団の最終的な勝利。

・・・こんな感じかな?
世界最強どころか宇宙最強だな、古代ローマ軍
919名無し三等兵:05/01/21 06:41:39 ID:???
つーか、車輪のついた巨大な移動式盾という時点で噴飯ものだがな
920786:05/01/21 08:24:33 ID:???
>>833
欧州でこの様な小部隊諸兵科連合用法が近代になるまで試みられなかったのは、
統率上の問題にあるでしょう。
つまり王権の絶対性を維持するために貴族やその他の勢力が独立して戦闘できる
部隊を運用する事を嫌ったからでしょう。
921274:05/01/21 09:38:10 ID:???
>>881

>ポリュビオスの「歴史」には共和制ローマ軍の兵士が大型の楯を装備していたと記されているんですが・・・

これは私と貴方の「大型の盾」に対する認識の違いですね。確かに古代ローマ軍は一貫して盾を
標準装備としておりますが、初期においてこれは腕から肘にかけて固定できるサイズのものでした。
この盾は時代を経るに従い大型化し、帝政中期以降はからだをすっぽり覆い隠せる程度の大きさ
まで発展します(このため左手は完全に盾に占有されることになります)。

つまり帝政中期以前のローマ兵の持つ盾は貴方が

>しかも近接戦闘では大型の楯を持っているためリーチの短い片手剣しかありません

と書かれたほど「大型の盾」では無く、スペインの剣盾兵並みの大きさであったと考えられておりま
す。


>それ以前に、投槍は楯や短剣とともにローマ戦列兵の標準装備でしたが、帝政中期まで投槍2本だけで
>楯も短剣も持ってなかったというのは大間違いです

これは貴方の誤読だと思います。私は両手に槍を持つとは書きましたが、盾も短剣も装備していな
いなどとは一言も書いておりません。帝政中期以前のローマ兵は両手に槍を持ち、左腕に固定され
た盾を持ち、そして腰に短剣を吊っていた訳です。もしこの辺の説明が丁寧でなかったということなら
お詫びいたします。
922名無し三等兵:05/01/21 10:08:25 ID:???
>>883

>戦闘中のローマの執政官や軍団長の指揮は極めて限られています

戦闘中の指揮が限られるのはローマに限ったことではありませんが、上で述べた通り
ローマは司令部機能が戦闘部隊から独立しており、かつ固定のスタッフがおり、その
指揮を伝達するシステムが(他国に比べて)発展していたという意味において「マシ」で
あったと記述いたしました。

>中近世の欧州や日本の軍隊に比べて劣っているのは当然ですし

劣っていた可能性があるというのは同意なのですが、具体的にどのような面でこれら
の軍はローマ軍の指揮系統に優越していたとお考えですか?

>中級指揮官が不在である等、重歩兵を擁した敵と戦う際には問題点も少なくありません

ローマの指揮システムは他国に比べれば比較的整備されていたと考えますが。

帝政初期の話で言いますと、レギオン司令官である上級執政武官の下には副司令官で
ある下級執政武官が5名おり、さらにその下には首席百人隊長1名と上級百人隊長十数
名が在籍します(彼等は良く千人隊長と通称されます)。この首席ならびに上級百人隊長
は大隊長に相当し、やはり連隊長に相当する下級執政武官(実際の役職名は軍司令官
ですが)に指揮されます。

レギオンの作戦会議に参加し意見を言うことを認められていたのは上級百人隊長以上で
あり、この点で彼らがS3にも加わっていることは明らかで、単なる管理指揮系統ではなく
作戦指揮系統にも属していたと考えるべきではないでしょうか。

923274:05/01/21 10:10:10 ID:???
上私の書き込みです。失礼しました。
924名無し三等兵:05/01/21 11:04:30 ID:???
>上級百人隊長

いわゆる米陸軍が採用している、最上級先任曹長のようなもんだろ
作戦会議では、指揮官のアドバイザーとして助言する立場
S−3とかの一般幕僚や特別幕僚とはやや違う
925274:05/01/21 11:21:11 ID:???
>>924

>最上級先任曹長のようなもんだろ

違います。上級百人隊長は他の百人隊長に対する明確な指揮権を持ち、共和制帝政を通じて
士官であり、退役後は騎士階級を保証されておりました。これはマリウスの軍制改革で下士官
から士官になった百人隊長とは違います。

また最上級先任曹長に当たるのはマリウス以前は百人隊長、以降はプリンキパレスがこれに
相当すると思います。
926名無し三等兵:05/01/21 11:47:17 ID:???
>>925
戦場での上級百人隊長が、他の百人隊に対する指揮権を持っていても、使えないと思うんだが
管理上の指揮権(行軍、野営、訓練)と戦闘上の指揮権どちらの話でしょうか?

管理上の話であれば、中隊の先任准尉が営内班長を指揮するみたいな話だし
927名無し三等兵:05/01/21 12:05:20 ID:???
>>913
数十年単位の長期にわたって戦ってたらローマ軍が火縄銃等の製法を知って
自力で製造できるようになるなんてこともあるかもしれんが、2、3年じゃ
いくらなんでも無理だべ。

火縄銃に対するちょっとした対抗策(日本でいうところの竹束の盾程度の
もの)ならすぐに思いつくだろうが、そんなもんで戦況が大きく変わるもの
でもないだろうし。
928274:05/01/21 12:34:39 ID:???
>>926
私の方にも用語の混乱がありましたので、もう一度説明させていただきます。

レギオンは10個の大隊よりなりますが、この大隊毎に1人ずつ最先任の百人隊長である
上級先任百人隊長が存在します。共和制時代はやはり士官であるトリブヌス(騎士階級)
がおり、名目上はこれが大隊長でしたが、戦闘指揮は上級先任百人隊長が行っておりま
した(管理指揮をトリブヌス、戦闘指揮を上級先任百人隊長が行っておりました)。また第
1大隊上級先任百人隊長は首席百人隊長と呼ばれ、この首席百人隊長、上級先任百人
隊長、および第1大隊の他の5名の百人隊長を併せて「上級百人隊長」と呼びました。

帝政期以降はトリブヌスが廃止され、首席百人隊長及び上級先任百人隊長が名実共に
大隊長になります。

>戦場での上級百人隊長が、他の百人隊に対する指揮権を持っていても、使えないと思う

上級百人隊長はマニプルス戦術においては3列目、コホルト戦術においても大隊後方に
位置し、テッセラリウスを介して命令を各百人隊長に伝えておりました。

929274:05/01/21 16:45:30 ID:???
>>921
自己レス&訂正を。

私は>>865で「両手に2本のピレム」と書きましたが、その後資料をあたりましたら「ピレとピルムを
1本ずつ持っていた」が正しかったようです。お詫びして訂正いたします。

また盾の大型化の話ですが、重装化に伴い帝政後期以降盾が大型化したとの資料がある一方
で、末期になるに従って盾が小型化したとの資料もあります。正直私にはどちらが正しいのか良
くわかりません。この点断言調で書いたのは良くなかったですね。この点もお詫び致します。
930○V○:05/01/21 20:47:39 ID:???
首席百人隊長と上級百人隊長を混同しているようですね

戦闘展開した中隊の右側の百人隊を指揮するのが首席百人隊長centurio prior、
左側の百人隊を指揮するのが次席百人隊長centurio posteriorです
首席百人隊長のほうが先任で、中隊の先任指揮官と言えますが、首席百人隊長と次席百人隊長の指揮権は独立しており、
首席百人隊長には中隊の左側に並ぶ百人隊を直接指揮する権限も、次席百人隊長を指揮する権限もありません

作戦会議への参加資格があった上級百人隊長primi ordinisは、各中隊の首席百人隊長+第1大隊の各次席百人隊長を
示すとされていますが、これには諸説あり、各大隊の最先任の首席百人隊長+第1大隊の各次席百人隊長という説もあります
第1大隊の百人隊長は他の大隊の百人隊長よりも格上だったことは間違いないようですね
ただし、だからと言って他の百人隊を指揮できる権限はありません

他にも再任首席百人隊長primus pilus iterumがいました
彼らは退役後再び現役復帰した元百人隊長で、指揮すべき百人隊を持たず、実質的には軍団長のスタッフです
当然、百人隊を指揮する権限はありません

プリンキパレスprincipalesは百人隊の管理要員です
現代風に言えば中隊本部要員といったところで、この中から次の百人隊長が選出されることはありましたが、
基本的に戦闘には参加せず、当然ながら指揮権もありません
931○V○:05/01/21 21:00:46 ID:???
大隊という単位が登場したのはポエニ戦争以降です
大隊の最先任の百人隊長が大隊を指揮したことを示唆する史料を私は知りません
現代では、大隊は戦術的な編制単位というよりも、軍団を管理する上での便宜的な区分であったとする
説が有力です
ただし、暫定的に分派された集団を大隊と呼称する事例もあります
932○V○:05/01/21 21:24:50 ID:???
そもそも、マニプルス戦術の最大の特徴は、中級指揮官を必要としない程に
厳格にマニュアル化されている点にあります
これは、突発的な状況に対応できないという問題点があり、しばしば敗北の一因となりましたが、
一方で部隊の戦力化には極めて大きな利益をもたらしました
そして、ローマには幾つかの軍団が文字通り全滅しても早期に戦力回復可能な
強力な人的物的資源基盤を備えていました
マニプルス戦術には利点もあれば当然欠点もあります
決して全肯定できる戦術ドクトリンではありません
欠点のためにしばしば悲惨な事態を引き起こすこともありましたが、
ローマにはそれを打ち消すだけの国力があったのです

そもそもマニプルス戦術は、祖父が昔戦場で上げた首級を玄関の飾付に使う家庭に生まれ、父親が敵を殺した時の様子を子守唄に育ち、
バールのような長剣を振り回し、頭髪を石灰で固め、肉体を染料や刺青で彩り、半裸時には全裸のマッチョな部族戦士の集団を
効率的に膾にしていくために確立した戦術ドクトリンです
むしろ、こうした状況では、硬直していても堅固で断固とした戦力発揮のほうが
柔軟性の発揮より重視すべきだったと言えます
古代マケドニアや中近世欧州、戦国日本のような、重歩兵同士の衝突を想定して
練り上げられた戦術ではありません
分が悪いのは当たり前と言えるでしょう
933名無し三等兵:05/01/21 21:47:19 ID:???
>>932
>半裸時には全裸のマッチョな部族戦士の集団
よくわからんが笑い転げた!
膾にするってどういう意味?
広辞苑にも膾に叩く=人を酷い目に遭わせるとしかみつからんかった。
934名無し三等兵:05/01/21 21:50:09 ID:???
あ、野蛮人をズタズタにするってことか。
ユーモアがあって面白い表現だ
935名無し三等兵:05/01/21 22:24:55 ID:???
>>934
人口に膾炙す、の語源を調べてみたまえ。
あとゲルマン人は戦の最中興奮すると、着ている鎧を脱ぎだして戦う癖があったらしい。
936名無し三等兵:05/01/21 22:26:58 ID:???
エドワード3世の率いる中世イギリス軍と、ローマ軍団ではどうだろう?
フランス軍やスコットランド軍と同じように敗北するだろうか
937274:05/01/21 22:33:16 ID:???
>>930

>首席百人隊長と上級百人隊長を混同しているようですね

恐らく貴方と私で訳語が食い違っているのだと思います。貴方はcenturio prior
を「首席百人隊長」と訳しておられるようですが、私はprimus pilusを「上級先
任百人隊長」と呼び、centurio priorを「先任百人隊長」と呼んでおります。そ
して第1大隊のprimus pilusを私は「首席百人隊長」と記述しました。貴方は
primus pilusを何と訳されるのでしょうか?primus pilus iterumを再任首席百人
隊長と呼ぶならば、primus pilusは少なくとも首席百人隊長と呼ばれるべきでは
ないでしょうか(私は前述の通り上級先任百人隊長と呼びますが)。また貴方の
資料にもprimus pilusはcohors(大隊)の最上位と書かれておりますよね?

>上級百人隊長primi ordinisは、各中隊の首席百人隊長+第1大隊の各次席百人隊
>長を 示すとされていますが、これには諸説あり、各大隊の最先任の首席百人隊
>長+第1大隊の各次席百人隊長という説もあります

私の読んだ資料(マイヤーの例のやつだったと思います)では大隊最先任のprimus
pilusと第1大隊の他の百人隊長がprimi ordinis(上級百人隊長)であり、作戦会
議への参加メンバーはprimi ordinisに限られたと思います。またprimi ordinisが
共和制帝政を通し士官であったということは、恐らく貴方の資料にも書かれている
のではないでしょうか。またcenturio priorは(共和制においては)centurio
posteriorと同じく下士官であり、当然作戦会議への参加資格はありません。

すみません。長いので続きます。
938274:05/01/21 22:35:28 ID:???
>>930

>基本的に戦闘には参加せず、当然ながら指揮権もありません

プリンキパレスがスタッフであるというのには同意です。

>大隊の最先任の百人隊長が大隊を指揮したことを示唆する史料を私は知りません

前述のマイヤーの書籍にこの旨記述があったと思います。後で私も資料を漁り確認
します。

>現代では、大隊は戦術的な編制単位というよりも、軍団を管理する上での便宜的な
>区分であったとする説が有力です

少なくともmanipulus廃止以降の帝政期においてはcohorsは部隊の編成単位であった
ことは間違いなく、この指揮官はprimus pilusであったという説が一般的であると
思います。共和制においてもレギオンには10名のtribunusがいたことからも10個大隊
編成であったことは一般的に言われていることだと思いますが、ここはもう一度資料
を掘り返して調べなおしてみます。

939○V○:05/01/21 22:50:48 ID:???
大隊は編制単位ですが、独立的な戦術単位ではありません
戦闘は基本的に軍団単位で行われ、大隊が独立的に行動するのは皆無ではありませんが非常に稀です
軍団が戦闘している状況では、大隊長が戦闘指揮をとる必要性がほとんどなかったのが
マニプルス戦術の特徴の一つです
940名無し三等兵:05/01/21 22:56:29 ID:???
ローマ軍団の強さは、百人隊長がある程度の指揮権を持っており
マケドニアファランクスなどの密集隊形を相手にする場合、正面から拘束しつつ
時期を見て百人隊長が部隊を側面に機動させ、包囲して勝利するのがパターンだと聞いたけど
戦術単位が軍団ってのは、大味な正面攻撃しかできないし
1個軍団だけでも戦闘できないのでは?

単位部隊が1個だけではかなり困ると思う
941名無し三等兵:05/01/21 23:02:37 ID:???
この調子だとじきに1000いくな
次スレについて方々の意見を伺いたく
自分としては>>745に書いた通り
942○V○:05/01/21 23:10:54 ID:???
百人隊長は指揮官ですが、その領分は基本的にコマンダーよりもリーダーです
彼らには自分の目の前の状況しかわからず、戦場全般の状況を掌握することはできませんし、
高度に戦術的な判断は求められていません
最前線に立って率先垂範して兵を率いることが百人隊長に求められていた最大の資質です

当時の戦闘では、側面を防護する部隊を排除された側が、
側面をそのまま圧迫されて包囲されることがほとんどです
これは、包囲する側が包囲を狙ってわざわざ戦列の一部を分派して迂回機動したというより、
単純に押し合う集団の間で発生した力学的な結果に過ぎません
マグネシアでマケドニア軍の側面が圧迫されたのも同じケースです
そもそも、レギオンは常に包囲を狙うようなテクニカルな戦闘隊形ではありません
戦術というのは基本的にシンプルなもので、大味でも何の問題もありません
943○V○:05/01/21 23:13:09 ID:???
少し訂正しますね

「当時の戦闘では、側面を防護する部隊を排除された側が、
側面をそのまま圧迫されて包囲されることがほとんどです」
ではなく
「当時の戦闘で包囲が成立したケースは、側面を防護する部隊を排除された側が、
側面をそのまま圧迫されて包囲されることがほとんどです」
です
944名無し三等兵:05/01/21 23:17:05 ID:???
>>942
しかし、マケドニアファランクスは横方向への戦場機動がほぼ不可能なのに対し
マニプレスならば、比較的簡単に延翼できるはず。
1,2列目が敵を拘束している時に、3列目の予備戦力が、敵の側面警戒部隊を駆逐して
包囲機動を行えば圧倒的に優位に立てるでしょう。

カンネ会戦なんかもそうだけど、延翼されて味方の翼側が敗北することが
包囲殲滅に直結するわけで
945○V○:05/01/21 23:23:49 ID:???
>マニプレスならば、比較的簡単に延翼できるはず。

第2、第3戦列が横方向に延伸して包囲を行ったという事例を私は知りません
どういった戦闘ですか?

>1,2列目が敵を拘束している時に、3列目の予備戦力が、敵の側面警戒部隊を駆逐して
>包囲機動を行えば圧倒的に優位に立てるでしょう。

これも私は知りません
どの戦闘ですか?

>カンネ会戦なんかもそうだけど、延翼されて味方の翼側が敗北することが
>包囲殲滅に直結するわけで

カンネーで翼に配置されたカルタゴ歩兵は横方向に延翼していません
ローマ軍中央を誘引することによって、自然に包囲の態勢になっただけです
戦闘前の戦闘展開の段階で包囲の態勢はほぼ完成していたと言えます
スキピオやハンニバルの優れていた点は、戦闘展開の段階でこうした作戦指導を
適切に行うことができた点にあります
946○V○:05/01/21 23:41:39 ID:???
少なくとも、最初から包囲を狙って側面攻撃を慣用としていた軍隊は、
ペロポネソス戦争時のスパルタ軍と七年戦争時のプロシア軍くらいです
包囲は戦術行動の中でも要件の難しいものの一つです
圧倒的な戦力比があればともかく、両軍の戦力が拮抗している状況では
そう簡単に包囲は成立しません
947名無し三等兵:05/01/22 02:23:35 ID:???
>>919
>つーか、車輪のついた巨大な移動式盾という時点で噴飯ものだがな

そうだね。ローマ人だったらもっと洗練されて、効果的なものを
考え出すだろう。1年もかからないかも知れない。


948名無し三等兵:05/01/22 02:31:10 ID:???
>>829
例えば、徳川時代末期の武士が、「甲州流軍学」をどれだけ「本で勉強」しても、
戦国期の武田家のいくさを再現できるわけがない。
これは分かるよね?とても簡単だよね?

あなたの言う、マキャベリのフィレンツェ市民軍もこれと同じ。
ローマ軍の「さるまね」のフィレンツェ市民軍が、銃火に壊乱したとしても、
そんなものはローマ軍の評価には何の関係もない。
これも、分かるよね?大丈夫だよね?
949名無し三等兵:05/01/22 02:43:57 ID:???
>>927
かつてインカ人は、馬に乗ったスペイン人の侵略者を見て、
「化け物がやってきた」
と驚愕し、壊乱し、敗北した。

さて、古代ローマ人が、銃火に曝されたらどうか?
初めての遭遇ではおそらく、銃火の前に、死傷し、壊乱するだろう。

しかし古代ローマ人ならば、その兵器を見て
「何らかの激しい燃え方をする物質の力により、金属の玉を高速で打ち出す兵器」
であると、容易に想像できよう。そして彼らは、その兵器を鹵獲したり、
対抗策を考えたり、仕組みを分析したり、複製したり、そういうことを考え、
実行にうつすと考えられる。

種子島の鍛冶屋に、ローマの科学者や工房の工人たちが、それほど劣っていたとは
考え難い。もし1丁でも火縄銃を鹵獲できれば、1〜2年で複製できるのではないか?
950名無し三等兵
>>「何らかの激しい燃え方をする物質の力により、金属の玉を高速で打ち出す兵器」
であると、容易に想像できよう。