自営業阻止!
>野戦軍間、職業軍人間の戦闘を「正統的な戦闘」とする立場からすれば、
>ゲリラ戦やテロリズムそして核といった戦いは、あまりに野蛮すぎるのかもしれない。
古い話ですが、コマンドゥの元祖である英軍でも第二次世界大戦が終わると(海兵隊以外
は)片っ端から部隊が解散させられるなど、冷遇されている印象が強いですね。
何の本で読んだか失念しましたが、同じく二次大戦で米軍レンジャーの創設期に「我々は
イギリスのコマンドゥのような奇麗ではないやり方も学んだ」という記述を目にした記憶
があります。
正規戦を担当する陸軍主流からすると、やはり「野蛮」と思われていた期間が長かったと
いう印象です(ただし、主流からすると「コマンドゥだけで戦争に勝てる訳ではないだろ
う」と考えていそうなのも小さくなさそうです)。
>ある心理戦将校の言葉を借りるのならば
>「かつて彼らは交渉のテーブルを作るために爆弾をしかけていた。
>しかし今、彼らは交渉のテーブルを吹き飛ばすために爆弾をしかける」。
これは元記事を知らないのですが、実に示唆的な一文だと思いました。
テロの現状を憂いているのに加えて、面白いのは「かつて」は交渉は求めていたという点
で、テロリズムの形態が変化してきたということなんでしょうね。
>帰順する集団なり国家には、国際社会の正統なプレイヤーに準じた地位を保証し、
>しばしば武装自衛権すら与える半面で、応じないものは容赦なくせん滅する。
テロ集団にも交渉に「応じない」集団もいれば、その一方で「交渉のテーブルを作」って、
なおかつ「国際社会の正統なプレイヤー」と化した集団がいたということですね。
私が思いつく限りだと、IRAやPLOあたりがそうでしょうか。特にIRAはシン・フェイン党
という政治組織を持っていたというのも、交渉しやすい下地があったと言えそうです。
その一方でテロを続ける分派のReal-IRAは「応じない」集団に該当しそうです。
そう考えてみると、政治的妥協の余地があるタイプと無いタイプ、そして交渉のチャンネ
ルのあるタイプと無いタイプでテロ組織を区別・分断していって、前者は「正統なプレイ
ヤー」に、後者は「せん滅」する、と。
ただ、その妥協もテロ集団が攻撃対象とする国家がどこまで譲れるかというのも問題で
しょうね。典型的には独立・領土返還なんてそうでしょうけど、下手をすると政権交代の
原因になるでしょうし、国によってはクーデターにもなりかねない危険もありそうです。
このハードルの高低によっても対テロ政策が変わってくるんでしょうね。
テロリストを「妥協の余地はない、せん滅するしかない」とするのも、抑止や安易な妥協
を避けるために必要とは思いますが、攻撃対象になる国が(月並みですが)経済支援や自
治権の拡大などによってテロリストの支持基盤を、言葉は悪いですが搦め手でもって積
極的に切り離していく政策も、平行して行う必要性がありそうですね(もっとも、だから
といって対テロ作戦を廃するという意味では全くありませんが)。
>やや極端に言えば、この「安寧」というモノを防衛するのが、非在来戦能力なのではないかなあ。
>「それなりに守られている」「相対的な意味において安全である」と市民社会が感じる状態を
>さまざまな手段をもって、それなりの水準で維持することが、テロとの戦いにおける最大の目的なのだろう。
そうですね、同感です。
加えて国民もテロ(特に無差別テロの場合)などに遭うとこの「安寧」を維持する政策を
強く支持する傾向があると思います。
9.11テロにおける米国民が典型的ですが、日本でもオウム真理教による地下鉄サリン事件
の発生後は、警視庁公安部がかなりの微罪でオウム信者を逮捕したことがあっても、それ
を非難する声はほとんど挙がらなかったことが示唆しています。
あとは拉致事件に関する国民の反応も、(義憤だけではなく)無差別テロに対するものに
近いものがあると言えそうですね。
>これが全くないと、テロ攻撃をうえる以前に、
>国家の行動選択が、テロのリスクの全く無い範囲に、限定されしまうからなあ。
>そこから考えてみれば、自衛隊の特殊部隊創設には、海自部隊のインド洋派遣以上の意味が
>あるのかもしれないなあ。
これも実に見事な見方ですね。目から鱗が落ちました。
私は自衛隊の特殊部隊創設は、ポスト冷戦以降増大する不正規戦対策という文脈で主に考
えていたのですが、テロリスク管理によって政策範囲を拡大するという文脈で考えると
違ったものが見えてきそうです。
, -─── 、
/##二二__ヽ、 く マ
/##/ 、 ヽ ヽ か
,'## / /_/」_ハ `、 `、 だ ッ
|ヘ、#_lノ ;≠、'ノ 刈 l l! っ
{ (( ッ'ト-リ ゙ ,、リソハ |' さ チ
ヽヽ o゚ ´ /ソ}'ノ ノノ て
Y ° - ' `゚イイ´ い を
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ハ(___ ノ:::::;++:|l::::::::ハ
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ノ_へ∧/ `、__ \ []/ ∠ /!
(_ \ `、 `丶、 `; 。 └┘'´
`‐‐--\ `、 ノ / ヽ。
, '⌒ヽ._____\ `、─---‐' ─・
/  ̄`ヽ ;
ノ , ‐- ...... _ ノ
/ / ` - ...__ ノ
(_ ノ
テロの目的について、S.トマイチェク「アメリカの対テロ部隊」の著者が、面白い見解を示しています。
以下に、私が並べ替えた順番で示してみます。
テロの目的
政権を奪い取るか、体制を転覆する
内戦、革命、国際紛争を引き起こし、政権交代をさせる。
政府、軍隊、警察、司法への嫌がらせ、弱体化、辱めを行って、権威を低下させる。
政府が国民を守れないことを示す。
法の制定を妨げ、活動の自由を保つ。
政策決定に影響を与える。
取引を強制する。特定の用件について、譲歩を強いる。
政治的要求に注目を集める。
復讐する。
トマイチェクの見解を、私の基準で、より決定的な順番に並べ替えて見ました。
私個人としては、テロ組織自体に、政略としての戦略は無い、と思っています。
彼らは、国家や社会、民族をどうするかという問題に大して、解決法を持ってないことが多い、と思っています。
しかし、Mk-46氏が反論されたような、「戦略目的があるテロ」の存在まで否定するわけではありません。
つか、私の言葉足らずでしたね。「戦争を発動する、あるいは戦争状態を社会に惹起する、惹起した戦争状況を有利に進める戦略目的はあるかもしれない」というずるい見解を追加しておきます(スマソ
ゲバラというゲリラは賢いひとで、「革命が達成される客観状況の醸成など、遠大すぎてほぼ不可能だ。それより、混乱と戦争を巻き起こして、主体的に革命を達成すべきだ」というような主張をしていたと思います。
これを目的にしたテロは、存在しますし、さんざんゲバラ自身が実証したりしてきました。
とはいえ、私には中米の不安定情勢を最大限に利用したようにしか思えませんけど(まあ、だからテロリストであり、ゲリラであり、革命家なのでしょうが)。
つまり、「軍事戦略が、歴史的国家的にある程度系統だった必要性から導き出されているが、テロ、ゲリラ自体は、そういった上位のシステムが存在しているだろうか」ということなんですが。
>>6 >自衛隊の特殊部隊創設の価値。
えと、反論ばかり述べ立てて申し訳ないのだけれど、自衛隊の特殊部隊に「安寧」を守る常時活動が許容される(あるいは将来許容する事態がありえる)のでしょうか?
具体的には、犯行事態が行われていないテロの、準備段階での鎮圧のために、自衛隊が国内(国外でも?)活動することが可能でしょうか?
駄目、とはいいませんけど、ネタ振り程度に、可能なのかな、と。
イラク派遣に特殊部隊が送られる、などと言う香具師がおりますが、本当でしょうか?
確かに空挺団から誘導隊が送られるのでしょうが、いわゆる特殊部隊としての任務が許されるとは思えません。
襲撃に対する自衛戦闘は、派遣された部隊が固有に行うべきだと思われますし、攻撃を十分に阻止する陣地占領なども同様に思われます。
パトロールも(行うのであれば)同様でしょうし、偵察も同様に思われますが…
まあ、そもそも自衛隊の特殊作戦群の能力や、モデル部隊、目指すもの自体を、私は良く知らないのですけど(おいおい
自衛隊の対テロ部隊は主に国内のテロリズムに対応する為に創設された物なので
海外に派遣される事も無いしノウハウもない、ましてや交戦規定もないのに派遣どころではないそうだ
>交戦規定もないのに
そうだねぇ、"交戦規定"はないけど
"部隊行動基準"(ROE)はある。
ちなみに何故"交戦規定"ではないのかというと、
"交戦"という言葉を防衛庁が好まなかったから。
>1 イザヤさん
えー、私を収容する隔離拘禁スレはコチラでありましょうか?
Mk-46、ただいま出頭しました。
自首したというコトは、斟酌されるでありましょうか?
反省してますんで、どうか・・・・。
トホホホホのホ。
ともあれ、過分なお言葉にはなんとも赤面するばかりでして。
わずかながらでもご参考に供すことができたのならば、うれしいのですが。
>「「欧州正統的」な闘争文化」と比較してテロを語る部分
いやもう、今読み返すとあまりの稚拙さに、顔から火がでそうで・・・・。
ただまあソースキボンヌさんや皆さんとの会話で気がついたのだけれども、
「テロリズム」とか「非在来戦」といった言葉は、
ひじょうに多義的な意味合いで使われているようだ。
用語の使用にあたっては、私自身も混乱していた。
そこで「テロリズム」という概念を
軍事技術上の一手段(作戦)としての「テロリズム」と、現代の現象としての「テロリズム」とに
分離させてみたのだけれども、思ったほどウマくはいかなかった・・・・。
>英軍でも第二次世界大戦が終わると(海兵隊以外は)片っ端から部隊が解散させられるなど、
>冷遇されている印象が強いですね。
―「汚くて非紳士的な戦争の道具」は、戦後は、箱につめて「戦時のみ開封」と封印する、
なんて感覚があるのかなあ。
イヤイヤご指摘のとうり「コマンドゥだけで戦争に勝てる訳ではない」という考えが
主流だったからなのだろうなあ。
とはいえ「英国の戦い」の後、コマンドゥ(と空軍)が
西ヨーロッパで、「第二戦線」を象徴的に形成したことはひじょうに重要なコトだと思う。
ドック破壊のような襲撃作戦は、損害のわりにはさしたる戦術的効果をあげなかった。
しかし「第二戦線」の形成は、英ソ関係を維持するうえで重要な意味をもっていた。
そこからいえばコマンドゥは、戦局の帰趨に直接影響を及ぼしたといえるのではないかなあ。
あと地中海戦線。SASやコマンドゥが北アフリカ、ユーゴ、ギリシャ、イタリアなどで
非在来戦を実施し成果をあげた、なんてハナシも聞く。
これまた戦争の帰趨に直接的な影響を及ぼしたのかもしれない。
でも私はこのあたりの知識に乏しい。
イヤイヤ、英のコマンドゥ全般について、全く自信がない!!知らない!!
是非ともイザヤさんから、ご教示をうけたいトコロだなあ。というか教えて頂けませんか?
>その妥協もテロ集団が攻撃対象とする国家がどこまで譲れるかというのも問題で
しょうね
ご懸念はあたっていると思う。
アフガンのときはうまくいった。
あの時は、タリバンそのほか「イスラム民兵」を支援するパキスタンと、
攻撃にさらされるインドが問題だったが、何とかなった。
しかし今度のイスラエルのケースはどうだろう?チイトモ安心できないね。
分断とせん滅で思い出した。
タリバンに対する分断・せん滅は見事な出来だった。
タリバンは、政治的に孤立し、政治的に包囲され、せん滅された。
あと知恵からいえば、米国が政治的な優位性を確保した段階で、
タリバンの命運は尽きていたとみてもよいだろう。
そこに投じられた米の外交努力もすばらしいが、アフガン国内で
諸武装勢力を分断し、自らの側へとりこんだ特殊作戦の効果には驚愕すべきものがあるなあ。
わずか七、八〇名の非在来戦要員が戦争の帰趨を決めたのだから、やはり軍事革命だ。
ここから思うのだけれど、要するに非在来的な作戦とは
軍事的優位性ではなく、政治的優位性を確保するための軍事手段なのではないかなあ。
>>6については、明日か明後日にでも。時間切れですまん。
>>8 ソースキボンヌさん
「監訳」とは小川和久先生、美味しすぎるな・・・・。うらやましいぞ。
それはさておき、レスをするまえに、少々やっておきたい作業がある。
ソースキボンヌさんと私とでは、おそらく「テロリズム」という用語の使い方が違うと思う。
たぶん「戦略」や「ゲリラ」という用語の意味のとり方も違うような気がする。
だからこのままレスすると、ハナシがかみ合わないのではないかなあ・・・・。
(<脱線>ゲバラのハナシなのだけれども、
社会主義思想と革命戦略の問題は、まあレーニン、エンゲルス以来の伝統をもつものでね。
日本資本主義論争をみてもわかるとうり、日本でもひじょうな熱意をもって議論された話題だ。
学生運動の残り火がいまだ消えきっていなかった時代に、学生であった私としては、
ゲバラをオカズに、「上位のシステム」の有無を問われると、ナンだか気が抜けてしまう。
やや誇張して言うと、日本の社会科学では、「戦略」=「革命戦略」の時代がけっこう長かったんだ。
思い返せば、レーニンを通じてクラウゼヴィッツを知る人も多かったと思うよ。
また主体性論争とかやらねばイカンのかなあと思うと・・・・うん、でもやろうか。)
今、ソースキボンヌさんのご意見を、何とか把握しようと努力している。
ソースキボンヌさんのお考えは、本スレにご登場いらい
少しづつ変化し、また発展しているのだと思う。
だがまずさしあたり、20日あたりの時点でのお考えを、
こんなカンジになるのかなあ。(ご無礼どうかお許しを。)
想像を交えながら単純化してみたのだが、どうだろう?
-------------
テロ=犯罪である。
だからテロ対処とはすなわち犯罪対処であり、警察行動によって行われる。
警察行動で対処できない程大規模な犯罪(=テロ)もある。
かかる大規模犯罪テロ(=テロ)には、テロで対処する。
あるいは「あらゆる手段をもって鎮圧」する。
--------------
大規模テロにはテロで応酬する、という部分を別にすれば
(「大規模軍事的犯罪」への対処について、ソースキボンヌさんは
たぶん構想を発展させている最中なのだろう。)
一般に納得しやすい意見だと思う。
軍板でも反論する人はほとんどいないだろう。
私の意見や523さんの意見とも、さしたる違いはない。
しかしこれでは(私の想像する)ソースキボンヌさんの面白さが出てこない。
ではもう少しハナシを複雑にしてみよう。
--------------
テロ対処=犯罪対処である。
しかしテロ=犯罪ではない。
テロは犯罪の一部、あるいは犯罪の一類型にすぎない。
より上位に位置する犯罪の概念から導き出されるべき存在だ。
だから犯罪概念をみれば、テロ概念は自ずと理解できる。
(Mk-46注・
>>558と
>>561をみるに、社会と犯罪の関係については、
今も「お考え中」ということだと思う。
以下の部分は、私がソースさんの立場で想像している部分がある。)
社会には規範が必要である。
規範があってこそ、構成員の利害関係は円滑に調整される。
この規範は、ほんらい構成員の自発的な遵守をもって擁護されることが期待される。
(Mk-46注・上の一文は、ぜったいソースさんは譲れないのではないかな。)
しかし遵守を、法で強制しなければならない規範もある。
この法律で守られた規範に対する逸脱が、犯罪である。
あるいはこの逸脱が発生してしまうことが、犯罪という現象である。
また犯罪を犯した者は、犯罪者である。
犯罪への対処とは、規範の逸脱状況を回復させるものである。
これは、犯罪者の隔離と処罰によって、実施される。
実施において投下される暴力とその投下の手法は、警察行動の本質にてらして厳しく制約される。
致死性武器の使用は、とりわけ厳重に制約される。
犯罪は類型化が可能である。
テロとよばれる犯罪は、
社会の有する諸機能の円滑発揮を、
意図的に阻害することを目的にした犯罪である。
他の諸犯罪に比して、とりわけ社会に対して直接の危険を及ぼす犯罪であるがゆえ、
より厳重な対処が必要となる。
ただし大規模な犯罪に対しては、
あらゆる手段をもって、これを「せん滅」する。
とはいえ法律で守られた規範からの逸脱という面からいえば、
テロもテロ以外の犯罪も、等しく犯罪である。
だからテロ犯罪の特質は、他の犯罪と比較した上で、はじめて発見できるものにすぎない。
---------------
「夜明け前」のお話と「われわれ領域外」にかかわるお話は、
まだソースキボンヌさんがハナシを発展させている最中だと思うので、取り扱わなかった。
ただまあ、国内社会の秩序を国際社会に投影しているのかなあ、というような感触をもった。
もしそうだとすれば、とてもアメリカ的な発想だと思うぞ。
どうも。
つか、隔離されたのは、私だという説もあって(滝汗
えと、Mk-46氏、ご解読感謝いたします。
ゲバラについては滝汗ものでつ。ご批判、お待ちします。
えと、私の言葉足らずだった部分は、長々書いた部分が、治安担当としての哲学というかそういう部分で、
「法律なり、社会合意なりで、市民が受任できる以上の確立で、受任限度以上の被害を受けること」から、社会に貢献する市民を守る、つーことで。
つまり↑の部分が(非常に抽象的ですが)、社会と市民の安寧、と形容される部分だと思うのです。
この市民の安寧は、社会の欠陥などなどで満たされない場合が多いにしろ、基本的にはどんな社会構成員にでも認める、というのが流れのようです。
>秩序の国際投射
まあ、たしかにおっしゃるとおり、国内で合意されているだけの治安哲学を、国外に主張し、行わせるのは、アメリカ的(つか帝国的)ですね。
日本特殊部隊スレの
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1059649634/562部分で、ちらっと言ったのですが、今のところ、直接治安権力を、他者領域に投入しても、うまく行かないと思います。まあ、これはいずれ…
テロと、一般の犯罪との違いとして、私が区別できない部分がここで、
要するに「自分の目的のために、社会合意以外の、受任限度以上の犯罪を許容する文化というか、判断がある」つーことでして…(考え、まとまっておらず、スマヌです)。
戦争全体がそうじゃないかって?まあ、確かに。しかし、戦争を行っている社会には一応、戦争による損失を受任せさしめる圧力なり構造があるのでは、と思っていますが。
軍事戦略に基づいたテロ行動について、その目的性について、以前、Mk-46氏がちらっと触れておられましたが、
(また、北朝鮮のテロ論で時々述べられますが)、たとえば、日本においてテロを行って、パニックを引き起こしたとして、それで北朝鮮が勝てるのか、あるいは有利になるのかとは思えないわけです。
軍事で想定されるテロ的行動(これをテロリストによるテロと区別するため、コマンド攻撃と言っていいでしょうか?適語があればそちらに従いますが)は、
より上位の必要に迫られて行われると思っています。
たとえば、ベトナム戦争のフェニックス計画は、ゲリラ組織構造そのものを破壊するために行われた、テロ的攻撃(コマンド攻撃)だと思っています。
「ベトナム戦争全史」(高いし、難解だし、厚いし…)によれば、米軍の軍事圧力によって、ベトナム共産党の細胞組織が幾度も崩壊の危機にさらされた、としています。
タリバン殲滅にしても、CIAやグリンベレーは、アメリカの目的だけでなく、アメリカの国力そのものを支援として持ち込み、「現場レベルの判断を強く迫った(敵か?味方か?)」と思います。
(グリンベレー自体も、「協力的ではない、地元協力者と強調して潜入活動するよう訓練しているようです。アメリカマンセーで申し訳ないのですが、クランシーの「スペシャルフォースの素顔」が纏まり悪いのですが、実働訓練ルポをやってます)
>>13あたりについての、現代での様相を知る手がかりになるかもしれません(が、上下巻ハードカバーほどの価値はないですが…)
つか、発展中のご指摘。そのとおりでございます。
暴れないように心がけますので、気になったところ、つついてください。
一生懸命考える所存です(単なる電波野郎かも)
>>9 > イラク派遣に特殊部隊が送られる、などと言う香具師がおりますが、本当でしょうか?
『報道特集』などの各種報道を見る限りでは、どうやら北部方面隊、中でも第二師団内の部隊から送られる気配が
強そうです。
理由は、対北朝鮮情勢を見据えて、南の部隊(西部方面普通科連隊など)を動かせないからだそうです。
「特殊部隊」というのはおそらく取材に対して、防衛庁関係者がレンジャー資格者を中心に派遣部隊を編成する
ことも検討しているとか、そんな答をしたからではないでしょうか。もちろん推測ではありますが。
「特殊部隊」の派遣を検討 イラク復興支援で防衛庁
イラク国内の厳しい治安状況を考慮したもので、10月以降とみられる派遣に向けて各地から最精鋭部隊を集結、
武器使用基準を具体的に明記した部隊行動基準を策定し、自爆テロなどを想定した訓練を徹底して実施する考え。
イラク復興支援では陸上自衛隊によるバグダッド周辺での浄水活動などを検討しており、その際の警備に当たるも
ようだ。
ttp://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=main&NWID=2003071401000181
>>12 >自首したというコトは、斟酌されるでありましょうか?
>反省してますんで、どうか・・・・。
いやー、私自身が書いていて日本の特殊部隊から離れつつあると思って、そろそろ頃合いと判断しただけですので
「反省」云々ということではないですよー。
>とはいえ「英国の戦い」の後、コマンドゥ(と空軍)が
>西ヨーロッパで、「第二戦線」を象徴的に形成したことはひじょうに重要なコトだと思う。
>ドック破壊のような襲撃作戦は、損害のわりにはさしたる戦術的効果をあげなかった。
>しかし「第二戦線」の形成は、英ソ関係を維持するうえで重要な意味をもっていた。
>そこからいえばコマンドゥは、戦局の帰趨に直接影響を及ぼしたといえるのではないかなあ。
なるほど、実に鋭いご指摘ですね。
実体としての「第二戦線」は1944年6月まで待つことになりますけど、大規模な反攻ではないにせよ大陸に対して打
撃を与え続ける、象徴的な「第二戦線」の意味は大きいでしょうね。
スターリンは自国が苦戦していただけに「第二戦線を作れ!」うるさかったらしいですし。
あとは、1941年末にノルウェー・ボクセイ島をコマンドゥが襲撃した結果、ヒトラーが激怒、ノルウェーの独軍を増やし
た結果、37万人を配備させてますから、他の戦線への兵力低下に貢献していると言えます。
>イヤイヤ、英のコマンドゥ全般について、全く自信がない!!知らない!!
>是非ともイザヤさんから、ご教示をうけたいトコロだなあ。というか教えて頂けません
>か?
あー、いや、私もそんなに詳しいわけではないので、釈迦に説法になると思いますけど、それでは知っている範囲で
少々。
元々英軍でコマンドゥを編成しようというアイディアが出たのは1940年6月になります。
この時期、英軍は独軍に追われてダンケルクから英本土に逃げてきたばかりです。
ここで英陸軍の状況は、手痛い敗北を受けて物的損害は大きいが、兵員はそれなりにいる。完敗したわけでもない。
そして海があるので敵の陸軍は直接攻めてこられないかわりに、こっちも攻めにくい。
あと、海軍は英軍優勢、空軍は五分もしくはやや圧されている状態。
この状況で英陸軍がとりうる作戦は何か? と考えたのが時の陸軍参謀総長副官ダッドレー・クラーク中佐です。
彼は携帯可能な兵器のみで武装した兵士が野砲などの支援無しに、あらゆる独軍占領地域にゲリラ戦を仕掛ける、
というアイディアを上司経由でチャーチルに提案します。
このアイディアはチャーチルの承認を受けて、コマンドゥの編成が開始されました。
余談ですがが、ほぼ同時期にチャーチルの指示によりパラシュート部隊の編成が進められました。
彼は五千人規模を望んでいたようですが、時はバトル・オブ・ブリテンの真っ最中なので、とてもそんな規模の部隊
を運ぶだけの輸送機などつくれるはずもなく、大隊規模のコマンドゥに降下訓練をうけさせるにとどまっています。
降下訓練後、部隊の名称は第11スペシャル・エア・サービス大隊と改称されました。
この大隊は後のSASとは無関係ですが、名称からするに「空軍の部隊と思わせるために」という説よりも敢えて言え
ば「空挺コマンドゥ」くらいの意味じゃないかと推測してます。
ちなみに同大隊は翌年、第1空挺師団が編成されるときに第1パラシュート大隊と改称された上で組み込まれてい
ます。
話を戻すと、コマンドゥは編成後わずか19日後から作戦を敢行するなど、活発な活動を行っています。コマンドゥに
よる中隊規模の部隊を駆逐艦などに乗せて独軍占領地域のドックなどを襲撃するスタイルの作戦は1942年の末く
らいまで続きます。
ただし、この時期に北アフリカ侵攻作戦が開始されたことにより、コマンドゥの作戦は奇襲から上陸作戦の先兵へと
変わっていきます。
これは本格反攻が始まったことと、奇襲作戦の必要性が低下したことが理由と思われます。
こうしてみると、ダンケルクから逃げ帰った直後に、英国全体が打ちひしがれていたときにBBCラジオなどで「昨日、
我が軍の第○○コマンドゥがドイツ占領下にある××ドックを襲撃し破壊に成功……」みたいなニュースが流れるの
は、国民を勇気づけるためにも大いに有効だったと思います。
あの状況下で採りうる作戦として、コマンドゥによる奇襲しかなかったともいえますが、それを実行に移したのは見事
だといえるでしょう。
ただ、北アフリカなど本格反攻が始まると、コマンドゥの役割が段々と二極化していったように思えます。一つは上
陸作戦の先兵として精鋭軽歩兵へ。もう一つは、より少人数による破壊工作へと。
そう考えてみると、北アフリカでデーヴィッド・スターリングが「艦船を使用した中隊規模の奇襲よりも、パラシュート
降下した少人数による破壊工作の方が効果的(ただし、周知の通り、SASはパラシュート降下は失敗だったので車
両を使用するようになります)」というアイディアが実を結びSASを編成したのは、戦局の推移に伴ったある意味必然
的なものだったともいえそうです。
>>26 SASが功を奏したのは、アフリカだったからでは?とか、今発作的に重いますた。
車両などあれば、長距離行動が可能で(ゲリコマには機動力が必須だし)、人口密度が小さく、兵力密度も小さく、発見の低いとか。
そういや、ビルマにも英軍の特殊部隊は投入されましたね。ウィンゲート旅団以外にも、挺身活動を行っていたような…
あれはやはり、山岳ジャングルのような行動難地に、ジャングルになれている(と思われていた)日本軍への対策だったのでしょうか?
現代のSASの派手な活動といえば、フォークランドでプカラを破壊したあれがありましたが…
SBSのキャムセルは、あんまり評価していないようですけどね。
>>26 イザヤさん
簡潔にして要領を得たご説明のおかげ、でたいへん勉強させていただいた。ありがとう!!
>実体としての「第二戦線」は1944年6月まで待つことになりますけど
おっしゃるとおり、コマンドゥの襲撃もおそらくは英空軍の「ノン・ストップ攻勢」も
まあ後年のフォークランドで言えばパラシュート大隊によるグースグリーン占領のようなもので、
政治的に必要とされるが、軍事的には不要な作戦だったのだろう。
戦術的にはさほどの意味はないけれど、政治的優位性の確保に直接寄与する作戦。
これを「非正統」的なやりかたで行うのが,unconventional warfare、といった合意が
何とはなくあるような気がするなあ。イヤ、失礼、これこそまさに釈迦に説法だ。
ハナシを元に戻そう。
英ソ同盟という本質的に脆弱な関係の維持、なんてハナシは面倒なのでチトほおっておくとして、
ご指摘のとうり「国民を勇気づける」ハナシは、ひじょうに重要なことだと思う。
国民の継戦意欲なしで、国民国家は、戦争を遂行することができない。
また自分のトコの国民や敵のトコの国民が、戦争の負担にたえられるのか、案外よくわからない。
少なくとも当時はよくわかっていなかった。
国民の戦争継続意志を確保するうえでも、コマンドゥの大陸攻撃は、確かに必要だったのだろうね。
イスラエルがよく行う「報復攻撃」」のようなものなのかもしれない。
アレも戦術的な観点から見ると、大体の場合、さしたる効果はない。
Insariyehの悲劇にみるように、失敗すると逆効果になる場合もある。
ただまあ、今にして思えば、あの頃の英国民は、コマンドゥ中隊の一個や二個失ったところで
耐えられたのだろうなあ。
ナンといっても「プリンス・オブ・ウェールズ」の喪失にも耐えたのだから。
しかしまあ、イギリス人は大したものだなあ。
キワモノ、奇策の類として考えられていた戦い方を、見事に体系化し教義化し組織化し、
なおかつ戦略的な局面にマッチした形で使用できたわけだから。
それに比べわが挺身団・・・・悲しいなあ。
>他の戦線への兵力低下に貢献していると言えます
なるほどそうなのだろうね。総統閣下は、どーも英軍のイヤガラセ攻撃に弱いみたいだなあ。
いっそコマンドゥを独本土に派遣して、独国民を狙った
爆弾テロをやらせるのも手かな。
きっと総統閣下のことだから、アチコチの戦域から部隊を引き抜いて・・・・。
イヤイヤ、実際にはイギリスは別な方法で、爆弾テロを実施したのだったね。
ただし期待していたのとは、別な側面で結果がでてきたわけなのだけれども。
>>19 ソースキボンヌさん
まあ「テロ」という言葉は多義的で、しかも操作が容易な言葉だから、
も少しカチっとした定義づけが、必要かもしれないよ。
「犯罪にちかい」「社会的に排除すべき存在」だけでは、チト苦しいような気もする。
ただね、ソースキボンヌさんのやり方もアリかなあ・・・・というような気もするんだ。
たぶんソースキボンヌさんは、「政治」や「戦争」という言葉を使わず、
代わりに「社会」「犯罪」といったキーワードで国際社会における暴力というものを、
語ろうとしているのではないかなあ。
それはそれで、面白い取り組み方だと思うなあ。語る意義があるのではないかな。
↓はソースキボンヌさんの発想に割りとちかい書物だと思う。
Mary Kaldor ”New and Old Wars− Organaized Violence in Grobal Era” Polity Press 1999
彼女は組織暴力と人権侵害の混合形態VSグローバリズムの戦いを
「新しい戦争」の形態としている。
(「戦争」という表現に抵抗をお感じになられるのかもしれないが)たぶん参考になると思う。
(大き目の図書館や大学図書館には入っていると思うが、未確認・・・・すまん)
>>21 ええとね、誤解を恐れずに申し上げれば
(つまり、「あまりツッコマナイで下さいまし」という意味だね)
特殊作戦とか非在来戦と呼ばれるシロモノは、
本質的にいえばゲリラ戦やテロといった戦術的道具の登場に対応して、出現したものではない
のではないかなあ。
おそらくは、民族独立戦争や革命戦争といった新しい権力闘争の形態の出現に応じて、
現れ出でたものだと思うぞ。
もともとは民族紛争や革命戦争を、国民国家の武器として使用する
といった発想だったのではないかな。
ちなみに半ば冗談交じりに申し上げると、
もし非在来戦史というモノがあるのならば、そこにおける最強の「戦略兵器」は
封印列車にのったレーニンだったのではないかなあ。
すまん、時間切れだ。フェニックス計画のハナシあたりはまた明後日にでも。すまない。
いやね、日曜は早朝から、家族サーヴィスに努めにゃイカン訳で・・・・。
>>31 ご苦労様です。お付き合いいただいて、ありがとう。
>書籍ご紹介
実は、似たようなテーマの(もちろん日本語のものを)いくつか読んでいます。
紛争解決の何とやら、みたいな本ですが、やはり少々理想主義的で、「悪行は利得となり得る」と認識している私の紛争論からすると、ちょっと違和感が…
英語だめですけど、何とかしてみます。
>特殊作戦手段
えと、おっしゃるとおり、近代的な戦争認識やら、戦争規制が生まれるはるか以前から、ああいった紛争手段は行われていたと思います。
別テーマ(クラウゼビッツ的西欧戦争論で、世界の歴史的戦争をくくるのは無理がある、という視点の)「戦略の歴史」キーガンによれば、
戦争は文化的に、それぞれ理解可能な形で行われたのではないか、という観測が得られます。
「戦略の歴史」で面白かったのは、ヤノマミ族、ニューギニア高地民、中米の滅びた王国でのいけにえをめぐる戦争を取材して、それを明らかにしようとしたことでしたが。
ま、そのへんは世界史板ネタですが。
面白かったのは、ヤノマミ族の戦争概念と方法で、彼らは(男性が主に戦争をするのですが)、男性的威信を傷つけられたとき、暴力によって報復し、失われた威信を回復しようとするのだそうです。
逆にいうと、威信を傷つけるような挑発的行動が行われたりする、ということで、そこにはわれわれの感じ得ない何か理由があるのかもしれませんが。
で、威信を傷つけたものへの報復として、儀式化された決闘が行われる(乱闘に発展することもある)ことで収まらないとき、紛争はエスカレートします。
出先の村の近くへ、武装した男たちが潜伏し、水汲みや仕事で一人になった、相手先の村人を一方的に襲撃、殺害して引き上げるのだそうです(なんとテロリスティックな戦争でしょう)。
この「襲撃」は相互に行われ、さらにエスカレートすると、村を上げた襲撃に遷移するのだそうです。
そして、相手先の村を攻撃して、完全に無人化させてしまうのだそうです(たいていは、皆殺しになる前に、相手先村は逃亡するのだそうですが)
個人的にですが、弥生時代の環濠集落など、こういった襲撃を想定しているように思われます。
また、アフリカの牧畜民が、耕作民を襲撃する様子に、似たものを感じるのですが。
と、まあ、暴力を村全体に投射する以前に、「暴力の効果を見せ付ける段階」があるというのが、この書き込みで言いたいことでして…
>もともとは民族紛争や革命戦争を、国民国家の武器として使用する
>といった発想だったのではないかな。
まさに、そのとおりだと思うのです。
私たちが考える現代戦というのは、実は結構、文化化されているのではないでしょうか?
たとえば、イラク戦争前の国連での流れなど、文化化を進めて、戦争への敷居を高くし、さらに戦争前に介入する余地や、説明責任(現代的な概念ですが)を可能な限りまっとうさせんがため、に思えます。
あるいは、大統領の演説が攻撃と連動していることなども、そう思えます。
が、これは「われわれ領域」の戦争手続きであって、われわれのように情報化されていなかったり、あるいはテレビや井戸端、ネット(w)などで討論が行えない社会では、適応されないと思うのです。
そういう領域へ、暴力を見せ付ける手段、一つ一つの村や民族を、直接戦争にかかわる意思決定を強制する手段が、コマンド攻撃じゃないか、と思うのです。
(イザヤ氏指摘の、特殊部隊戦果の政治的効果、興味深く参考にいたしました)
コマンド攻撃が、国益行動に基づく戦争手段である、と私は理解することにしているのですが、
では、テロリストは、同じく戦略なり、行動プランなりあって行っているのでしょうか?
今のところ、私にはそうは思えません。
彼らは、彼らの文化的な暴力手段を、とりあえず投射しているように思えるのです。
その結果の見通しもなく。
>>29 >ドイツ本土へのゲリコマ攻撃
そういや、フランスではゲリコマ攻撃が盛んでしたね。
マキが、鉄道を徹底的に狙って(また、連合軍に航空攻撃されたこともあって)、機関車の消耗は見るも無残なほどだったようです。
そういや、鉄道を舞台にしたゲリラたちの映画もありましたね。
まあ、鉄道のように目に見えるインフラは、つねにそれを見て、観察できるものこそが、有力な破壊工作者になれるということかしらん…
一方で、SASなどは、文字通り司令部の要請や、情報や、判断によって挺身活動しますね。
その辺の区別はどうでしょう?
それこそが、コマンド攻撃と、テロ手段戦争との区別の一助にならんかな、とちょっと思ってますけど。
>>27 >SASが功を奏したのは、アフリカだったからでは?とか、今発作的に重いますた。
それもあると思います。少なくともドーバー海峡の向こう側まで少人数で潜入して破壊工
作というのは、全く不可能というわけではないにせよ(一応泳いで渡る人もいますし。た
だし泳ぎ着いてもヘロヘロに疲れてますが)、あまり現実的ではないでしょう。
スターリングが打ち出したコンセプトが活きるとしたら、砂漠かあるいはジャングルのよ
うな、戦線があまり明確ではなく少人数の部隊が敵戦線後方まで浸透しやすい地形でしょ
うね(ジャングルだとLRRPになりそう)。
>そういや、ビルマにも英軍の特殊部隊は投入されましたね。ウィンゲート旅団以外にも、
>挺身活動を行っていたような…
ビルマ戦線ではウィンゲート旅団(チンディット)以外はちょっと分かりませんけど、米
軍のメリル・マローダースやカレン族のレンジャーなどがいますね。
ただ、ウィンゲート旅団に関しては規模が大きすぎたせいか補給が大変だったようです。
日本軍との戦闘において負けることはなかったにせよ、結果として多くの輸送機をウィン
ゲート旅団に割り当てる羽目になったので、「成功とは言い難い」というような意見もあ
るようです。
そう考えてみると、ゲリコマの利点の一つは「小さな投資で大きな効果」というか、投入
兵力が少ない割には、得られる戦果が大きいというのもあると思われます。友軍他部隊に
まで大きな影響を与えるようなコストでは難ありと判断されてしまうのでしょう。SASが
高く評価された理由の一つも、そのあたりにありそうです。
>>28 >簡潔にして要領を得たご説明のおかげ、でたいへん勉強させていただいた。ありがとう!!
いやー、正直なところ、的はずれでとんちんかんな説明でなければと、冷や汗ものだった
りします。
>しかしまあ、イギリス人は大したものだなあ。
>キワモノ、奇策の類として考えられていた戦い方を、見事に体系化し教義化し組織化し、
>なおかつ戦略的な局面にマッチした形で使用できたわけだから。
これは、(ある意味「貧乏」な)イギリス人だから出来たような気がしますね。
アメリカなら絶大な工業力をもって強引に行くでしょうし。現に空母に強引にB-25爆撃機
(ドーリットル空襲、これも「政治的作戦」でしょうね)を載っけて爆撃しにくるくらい
ですから。
そう考えてみると、同じ「海兵隊」でも英米の差を考えてみると面白そうです。
現在でも全ての海兵隊員にコマンドゥ訓練を施す英海兵隊に対して、下手な国の空軍に匹
敵するほどの航空隊を有する米海兵隊――。
第二次大戦において、自国の置かれた状況から「コマンドゥ」による戦術を確立していか
ざるを得なかったイギリスと、絶大な工業力と航空技術の発達を背景に「水陸両用作戦」
を確立していったアメリカという国情の違いが反映しているんでしょうねえ。
そういえば、フォークランド紛争当時、英機動部隊が彼の地に向かう船上で、本国から強
硬な指令がきたらしくて、英海兵隊の将校が「俺たちはアメリカ海兵隊みたいに強力じゃ
ないんだ」みたいなことを口走ったとかなんとか……。
もちろん英海兵隊には英海兵隊の利点がありますけど、それぞれの特徴を考える上で印象
的な一言だと思いました。
>イヤイヤ、実際にはイギリスは別な方法で、爆弾テロを実施したのだったね。
>ただし期待していたのとは、別な側面で結果がでてきたわけなのだけれども。
SOEや、レジスタンス・マキの支援でしょうかね? 考えてみれば彼らの活動もドイツ側
からすれば「テロ」そのものなんでしょうね。
>>32 ソースキボンヌさん
そうだなあ、チョイトと考えてみると面白いのだが、
>クラウゼビッツ的西欧戦争論
というモノは、どういうモノなのだろう?
リデル・ハートに言わせれば、
クラウゼヴィッツこそ香しき「西欧的」な戦争の様式を破壊した張本人
てなコトにもなりそうだなあ。
「西欧」は取っ払って「クラウゼヴィッツ的戦争観」ぐらいでOKかな。
>文化的に、それぞれ理解可能な形で行われたのではないか
イイね。古典的な文化人類学的なアプローチのようなカンジだなあ。
文化人類学的にみれば、戦争の様式も文化の様式に還元され
また文化の様式も一様ではない、といったご趣旨だと思う。
で次にヤノマミ族の戦争には
「暴力を村全体に投射する以前に、「暴力の効果を見せ付ける段階」」があると、ご指摘される。
コレはコレで面白い。実に勉強になるなあ。
ところで「暴力を村全体に投射する以前に、「暴力の効果を見せ付ける段階」なのだが、
ソースキボンヌさんは、
コレを文化的多様性の例外と考え、
人類社会の暴力現象全般にわたってみられる普遍的なもの
として把握しておられるのかな?
で戦争の様式は文化的に多様だが、時間的・空間的に共通する要素もある、
といった具合にハナシをもっていくのかな?
ヤノマミ族の話が出たあと、弥生時代の環濠集落のハナシが出てくる。
>34にみる「文化化」というキーワードもでてくる。
とすると「戦争の様式」の多様性を、社会の発展段階にも還元する、
(ロストウの発展段階論のようなモノが念頭にあるのかな?)
といったご趣旨なのかな。
そうすれば、「夜明け前」VS「夜明け後」の戦い
といったようなハナシが成立しやすくなってくるかもしれないなあ。
面白い。コレは是非とも、工夫して発展させたいアイデアだと思うぞー。
>私たちが考える現代戦というのは、実は結構、文化化されているのではないでしょうか
もしこの「文化化」を、通俗的な意味での「(西欧)文明化」に読み替えればどうだろう?、
クラウゼヴィッツは、ソースキボンヌさんのご意見に反対するかもしれない。
だがリデル・ハートは賛成するような気がする。
>では、テロリストは、同じく戦略なり、行動プランなりあって行っているのでしょうか?
ココでは面倒なので、国家というものは、
おしなべて「理性的」「合理的」な存在というコトにしておくとしても、
「テロリスト」の意味する範囲によって、その命題の答は変わってくるのではないかな。
もしソースキボンヌさんのお考えにそった(と私が想像する)
カタチで回答を試みるならば、こういった風になるのではないかな。
「テロリストは戦略や行動プランをもたない。
なぜならば、テロリストとは戦略や行動プランをもたない非国家的武装集団であるから。」
あるいは
「テロリストは戦略や行動プランをもたない。
なぜならば、彼らは「夜明け前」の存在であるから」
「テロリスト」の定義をしておかないと、チト答えにくいかなあ。
>コマンドゥ攻撃
われわれ領域内部では以下のような合意が成立している。
「文化化」された「われわれ領域」内部において、
ほんらい「テロ」による攻撃は、禁じられている。
しかし「文化化」されていない「非われわれ領域」に対する「テロ」攻撃は許される。
つまりテロに関する矛盾したダブルスタンダードが、「われわれ領域」に存在するのである。
「われわれ領域」の「非われわれ領域」に対する「文化化」の高さが、この矛盾を許容する。
というようなご趣旨かな。もしそうだとすれば
なるほど「テロ」はかつてのダムダム弾のようなモノなのかもしれない。
文明人に対して使ってはイケナイが、未開人には使ってヨシ。
>>37 >同じ「海兵隊」でも英米の差を考えてみると面白そうです。
同意も同意の大同意だなあ。
米の場合、戦争を工学的に解決しえる問題であるかのような
捕らえ方をするクセがあるようだ。(こりゃ永井陽之助の十八番ネタなのだが。)
明確に敵味方を区別し、敵を圧倒的な物量でせん滅する。
じつに簡単明瞭な戦争だ。
しかしコレはどことはなく、洗練さに欠けた戦争のやり方ではなかろうか?
正直言って、軍事的大勝利で終わった第二次大戦にしても
政治的には、課題を山ほど残した戦争だったと思う。
例えば日本をコテンパンにすることが、米にとって
最適だったのかなあ・・・・日本の退場によって
米の極東戦略は、余計な苦労をかかえてしまったのではないかなあ・・・・。
対イラク戦にしても、対日戦にしても、どこかしら戦後処理が下手クソにみえる。
まあ戦後処理が下手というのは、戦争の目的がどこか間違っていた
というコト、といえばいい過ぎかな。
だが英の場合、戦争を国際政治上の政略として考えるクセが、身についているようだ。
そこで政略に直結する特殊で非在来的な軍事力を、はぐくむコトができたのではないかなあ。
イヤ、無論米のように、圧倒的な火力で敵をせん滅することが出来るだけの
国力が英国にあれば、ハナシは違ってきたのだろうね。
>>38 いやあ、申し訳ない。もってまわった言い方をした私が悪かった。
私が「別の手段」と申し上げたのは、英空軍が
ドイツの人口密集地帯に対して行った爆撃のコトで・・・・。
ゲッペルスはアレを「テロ爆撃」と呼んだが、
確か英でもドイツ空軍の対都市空襲を同様に「テロ爆撃」と呼んでいた。
まあ結局のトコロ、英独ともに、爆撃は戦前に予想されたような効果を、
上げ得なかったのだけれども。
ところでフランスのレジスタンス。
アレはソースキボンヌさんやイザヤさんがご指摘するように
特殊作戦の理想的な成功例だったと思う。
SOEやSASが実施した作戦の究極的な目的は、
ビシー政府と仏領北アフリカ植民地政府の無力化、
すなわちフランス・ナショナリズムを対独戦争に導くコトだったのだが
これは見事に成功した。
フランス共産党まで取り込んだのだから、やはり大したものだ。
(ただまあドゴールのハナシはチト、別にしてのコトなのだが)
しかしまあ、考えてみると、アレも大分残酷なやり方だと思うなあ。
フランス国内にテロの応酬を巻き起こしたのだから・・・・。
ども。家族サービス、どうでした?
こどもさんは、すぐに大きくなっちゃいますよ(それはそれで面白いけど)。
いっしょに幼い遊びを楽しめるうちに、楽しんでおいてあげてくらはい(なぜ漏れごときが言うのやら…ああ、漏れの夏… w)
>>39 >戦争論うんぬん
えと、「軍事は政治的目的の達成のために行使される力うんぬん」でして、
政治的目的が、すなわちその政治体制の付属する文化に拘束されているのでは?つー問いかけが、キーガンの本の発端だったようです。
たとえば、日本の鎖国についても記述があるのですが、要するに「ある政治体制が確立されたとき、その体制以外の軍事力を阻止するために、軍事を規制する」んじゃないか、みたいな。
あるいは、イニチエリ軍団が権力を得ながら、軍事的革新を怠って陳腐化し、敗北していった過程についても記述して「権力を得た軍事社会は、その力の根源に意味付けを行って、革新を拒否する傾向にあるのではないか」とか。
クラウゼヴィッツ自体についても、彼の時代がプロイセン、地域性の強い連隊単位の育成、動員体制と、国家への従属との齟齬というかギャップが、「政治に関与し得ない軍事技術者の立場としての、政治不干渉」ではないか、とか。
ごく荒っぽいうろ覚えに基づくまとめ−つか、私の思考過程で変質しているかもしれません。そのへん、ご斟酌願います。
>暴力投射以前の、見せつけ段階うんぬん。
これは、ごく普遍的に見られると思います。
たとえば、軍事プレゼンスは、大体において政治判断で行われるわけですし(で、それを評価するのは為政グループ政治家と、実物を評価できる軍人でして)
また、そのプレゼンス効果が意図したこととまったく違っていることは多かったと思うわけで。
今の、テロ、対テロ活動が、軍事の夜明け前vs夜明後の戦い、とは思っていないです。
軍事の夜明け後、というのは、軍事に専従する実行集団が、より上位の為政・意思決定集団の要請にしたがって行動する、そういう体制を「軍事という専門領域、専門集団による、戦争時代の夜明け」と言うとよいのじゃないか、と思います。
と、いうのも、それ以前の(氏族レベル政治規模くらい?)だと、専門集団を養ってゆけないと思います。
また、これは説明の長い持論なのですが、食料生産過程自体が文化化されているという観測も持っています。勢力を争う二つの少数社会集団は、食料生産なり
(まあ、アマゾンでは女性を巡る戦いも多く、略奪婚礼も少なくないそうですが)をめぐって戦うのでは、と思うのです。
軍事の夜明け前では、文化的な強い理由付けをされた、少数社会集団が、生存と、生存のための生産との間で、相転移的に一挙に武装化、武力行使するのでは、と観測しているのです。
この戦争は、リスクが非常に高く、社会集団全体にとって危険なことは明らかで、ゆえに「個人の威信にかかわる遺恨」は決闘的に処理され、それ以上の場合は、まず威嚇的暴力で相手を屈服させることを行うのでは、と思うのです。
(前述で記述せず、まことに申し訳なかったのですが、自体がエスカレーションしないときは、以前の段階に戻ることもあるのだそうです。つまり、村人を殺された側が、決闘に乗り込んできて、それで手打ちになったりとか。
もちろん、逆襲撃を行って、互いに消耗していったりもするようですが)
>>41 >文化化
こちらの文化が、より文化的というのは、ちょっとアレですね。
恐らく、両者がそう思っているでしょう。
テロは、おそらくアラブではよくある戦争方法で、よくある(見せ付け的)実力行使なのでしょう。
プレゼンスが西欧近代社会(およびその敷衍地域)での、見せ付け行動であるように。
この、見せ付け効果を、どのように判定し、どのように期待するか、それが文化によって違うのでは、と思うのです。
たとえば日本人は、アメリカ議員が日本製品を叩き壊しても、それほど衝撃を受けません。一方で、国連から通達があると(たとえば子どもや女性の人権、社会参加について)、わりと大げさに報じられまた対応を迫ったりします。
一方で、製品を叩き壊したアメリカ人は、ある程度のパフォーマンス効果を期待しているはずです。
逆に国連機関からすれば、人権は常に理想以下なわけですから、日本にも期待するでしょうが、強い強制意図をもっているかどうか…
テロリストが、戦略や合理性を持たない、と思うのは、まさにこの点です。
たとえば、アメリカ人がいかにパフォっても、それは本質的にはアメリカ人へのパフォなわけです。
「政治を支える政治家として、これだけ怒っているんだぞ」と、支持者と(もっと強く)為政グループに主張しているわけだと思うわけです。
そして為政グループはプライオリティ高いと評価する事案について、日本政府と交渉するわけです。
交渉、と言ったのは、日本の政治システムは日本人によって構築された別文化別システムで、直接介入することは実際困難だし、リスクも高い。
一方、交渉当事者たる日本外務省は政治システムの一部で、外国との交渉を担当し、できるだけ損失少なく、利得多いように心がけつつ、政治的に受け入れられる範囲で妥協し、実力の範囲で突っ張るわけです。
どれだけのリスクを取るかは、為政グループのリスク評価次第なわけです。
そして為政グループは、政治システムを交渉結果にあわせて少々動かし、相互の信頼を損なわず、関係を維持し、究極的には国家生存をはかるわけでしょう?(理想的には)
これが、「西洋文明的国家運営像」だと勝手に理解している(つもりです w)
で、私はテロを(とくに今のイスラム系テロを)、見せ付け的な行動だ、と観測しています。
彼らの主張(?)は、意外と範囲が狭くて、ようするに自分達の気に障ることをするなゴルア!に思えます。
そもそも、西欧的国家運営像から阻害されているように思えます(アラブ系政府の非民主的と言われる部分は、皮相的な西欧的評価だと、私は観測しています)。
政治とは、結局のところ、文化化された闘争そのものです。
「われわれ領域」ではいちおう、指導者を選ぶ方法について、非暴力的な方法が行われている(ことになってます。
一部地方だとヤヴァいことになっているところもあるようですが、それこそが「身勝手で取れる権威の範囲」を示しているように思えますが)
で、彼らの文化圏では、社会機構としてそれが未成熟で、「危険」だったり、
「真の意味での実行支配力=場合によっては専門化していない集団による暴力統治」が行われたりしていると、思っています。
「われわれ領域」では、人権と、責任と権威が身に刷り込まれています。
ですが、「真の意味での実行支配領域」では、そのいずれもが実力=実行支配力そのものなわけです。
ここに、テロと、「西欧文明的な国家を背景にした軍事力=暴力の実行投射」の違いがあるのでは、と思っています。
彼らは、彼らの思う攻撃から身を守るために、彼らの基準で武力行使を行うのではないでしょうか?
そして、アメリカのように強力な敵には、結果として見せ付けて「被害を覚悟しれやゴルア!」と出るのが精一杯ではないでしょうか?
また、彼らは彼らの実力の及ぶ限り、徹底的に実力行使を続けるのではないでしょうか?
それが、「われわれ領域」のやり方かどうかはともかくとして。
>>42 で、「われわれ領域」では、交渉を通じない実力行使、あるいは交渉過程での実力見せ付けは、背信的でしょう。
そして、「われわれ領域」で相互に維持されている安寧を犯しているわけです。
これを、「今そこにある危機」と認識すれば、対テロ戦争は(認識した側の社会にとって)正義なわけだ、と私は考えます。
そこでどんな手段が許容されるかは、認識した側の社会合意次第です。
われわれの世界では、すでにテロリストが「実力を見せつけすぎた」がために、あらゆる手段をとっても制圧が困難、と専門筋は提唱し、
為政グループはそれを認めたわけだと思うのです。
「われわれ領域」に対する、脅威とみなしたから。
相手が未開かどうかにかかわらず、「非許容的な手段を使ったから」
(一応)「われわれ領域」では、どんな少数者にも、一定の権利があり、またそれは相互に犯すべからずという合意があるから。
「彼ら」がイスラム原理的な題目を唱えて政治活動すること自体は、自由(の建前)ですから。
(それに失敗し、無力に気づいたオウムがとった道、あるいはブランチダビディアンやらなんやらの向かった道に、なぜか普遍性を感じてしまいますが)
んで、前に特殊作戦を
「暴力で直接、民族や部族に、政治的判断を迫る方法」
と、書いたのですが、これの実行で強調されているのがハーツ&マインズ
相手の領域と文化を犯さず、改変せず、まずは支援をして、信頼を得よ。
利得を与えれば、信頼と利得を得られる。
戦うかどうかは、こちらの与える情報を信じるくらいの、信頼が得られたそのあとだ。
という思考があるのでは、と思っています。
(もちろん、西欧との接触の結果絶滅していった無数の民族部族があることは、皮肉でつらい現実ですが)
無制限な「暴力抑止を理由にした殲滅」がいきなり投射される例は少ないと信じています(おいおい
>>44 イザヤ氏の指摘を読んで、私も爆撃による国家テロを思い浮かべていました。
「殺人者の心理学」だったかな?殺人にかかわるトラウマを扱った本で、爆撃被災都市について、そのトラウマについて若干触れた部分がありました。
要するに「戦意を挫く効果はなかったようだ」とのことでしたが。
ベトナムでも、段階的空爆で「空爆慣れ」していった、とベトナム戦争全史に指摘がありましたが。
あれは、イギリス人にとって「考えうる」戦争手段なのでしょうかね?
日本人にとって、どうやら戦争に略奪はつきものだったらしく、中国で暴れたとしても、私はそれほど違和感はありません(南京で組織的に殺人とレイープに勤しんだ、といわれると激しく違和感を覚えますが。
逆に、中国人にとって虐殺は「考えうる戦争手段」なのかもしれませんが)。
スターリングラードを読むと、ドイツ、ソ連、両領域に大量の避難民が悲惨な生活をしていたことが描写されていて、なんとなく「彼らの戦争観」を理解したしまったりします。
日本人なら、ぜんぶ徴用して、結果として奴隷同然に後方活動をさせたでしょう。
占領下のフランスが、徴用されつつ、しかしそれなりに生活を維持していたこととも対象してしまいます。
日本人が残虐、というより、日本人の戦争に対する感覚がそれなのでは、と思うのです。
一方で、日本人が挺身潜入するときは、「殺すため」を目的にはあまりしないのでは(わかりませんが)。
しかし、イギリス人はどうでしょう?アメリカ人はどうでしょうか?
アラブ人、イエメン人のラディン、エジプト人のザワヒリは、どう評価するでしょう?
>ソースキボンヌさん
えーと、今朝は、個別的に立ち入ってレスをつける余裕がない。
申し訳ない。
チョイト印象に残ったことを申し上げる。細かいコトは、また後日にでも。
おっと、その前に私の立場を書いておくぞ。
私としてはソースキボンヌさんのご意見に完全に同調することはできない。
(まあ人は立場それぞれだからね。)
しかしかなりの面白さを感じている。
できればある程度完成した形に発展することを、楽しみにしている。
ソースキボンヌさんご自身が、お考えを、整理なさるうえで
何かお手伝いが出来たらイイナ、などとも思っている。
またソースキボンヌさんが、おぼろげながら構想しているネタは、
21世紀の軍事を考えるうえで、重要なイシューになりうると、確信している。
さて印象なのだが、やや厳しいコトを申し上げると
記述が全体的に、知的な冒険心にあふれている反面で、何処かこう危うい。
文化人類学の手法を、本来そのままでは分析の対象に
なりにくい分野に使ってはいやしないかな。
さもなくば、政治体制論と文化論が、ゴッチャになっていないかな。
無敵の矛や盾が無いのと同じで、世の中には万能な方法論も存在しない。
方法論の鮮やかな切れ味を見せながらも、
それとなく巧みに、俎上にあげるターゲットを限定していくのも、テクニック。
また自分の依拠しているネタの弱点を把握しておくコトも、テクニック。
ついでに申し上げれば、意見それぞれの矛盾を小さくするために、
キーワードの数を絞るのもテクニック。
もちろんソースキボンヌさんも、確実にお気づきになっているはずなのだが・・・・。
>>43 >米の場合、戦争を工学的に解決しえる問題であるかのような
>捕らえ方をするクセがあるようだ。(こりゃ永井陽之助の十八番ネタなのだが。)
いや、さすがはMk-46さん。いつもながら鋭い上に面白いご意見ありがとうございます。
おっしゃるとおり国際関係の文脈で英米の違いを捉えて、英の非在来的軍事力を考えるときれいにまとまりますね。
英軍はマラヤでもボルネオでも大軍を送り込まずに、米軍がうらやむくらい(ベックウィズの自伝にそんな話が出てまし
たっけ)上手くやってますし。
永井陽之助氏は知らなかったので(恥ずかしながら元々国際関係の知識には乏しいもので)検索してみたら、結構面白
そうな本を著しているんですね。ただ、ほとんど絶版なので入手出来そうもないのが難ですが。
>例えば日本をコテンパンにすることが、米にとって
>最適だったのかなあ・・・・日本の退場によって
>米の極東戦略は、余計な苦労をかかえてしまったのではないかなあ・・・・。
F.D.ルーズベルト生存中は、第二次大戦が「最後の戦争」で、ソ連とも上手くやっていけるし平和な世界が作れるから
枢軸国とは妥協の余地なし、くらいに考えていたという印象です。
蒋介石率いる中華民国が、日本が退場した後がまに据えるつもりだったんでしょうかねぇ。
>対イラク戦にしても、対日戦にしても、どこかしら戦後処理が下手クソにみえる。
>まあ戦後処理が下手というのは、戦争の目的がどこか間違っていた
>というコト、といえばいい過ぎかな。
これは実に興味深いです。出来ましたらMk-46さんお考えの「戦争の目的」と「間違い」について、ご教授願えませんでしょうか?
一応、私としては、対日戦の目的は開戦時はフィリピンの防衛と日本の中国権益の独占に対する反発。終戦時は先述
の通りです。
間違いは中国共産党の台頭と冷戦勃発が不可避だと分かったタイミングが遅かったというところでしょうか。これは正直
言ってあまり自信ありません。
対イラク戦は、9.11テロによるイスラム教過激派がアメリカの安全保障に対する脅威が劇的に上がったために、中東を親
米もしくは無害化するための第二ステップ(第一はアフガン)。
日商岩井総研の吉崎達彦氏が「オセロゲーム」に例えていましたけど、イラクを攻め落として親米国家にすれば、白石が
黒石の列を一気にひっくり返すようにして国際情勢は一変するかもしれないとしていましたが、これにほぼ同意です。
あと、対イラク戦は初期段階ではイラク国内でのクーデター誘発、あるいは早期降伏を狙っていたんじゃないでしょうか。
「衝撃と恐怖」戦術にしても、心理的な「衝撃と恐怖」を与える相手は生きている人間でしょうから、これによりクーデター
で政権が変われば米軍はもとより、イラク国内の損害は最小限に留められますし、イラク政府が存続すれば治安維持も
楽でしょう。
結局地上軍のバクダッド侵攻せざるを得ないのですが、結果的にイラク政府との間で降伏手続きも何もなしに崩壊させて
しまったので、治安維持や残党狩りで苦労しているというのが「間違い」ではないかと。
>>44 >私が「別の手段」と申し上げたのは、英空軍が
>ドイツの人口密集地帯に対して行った爆撃のコトで・・・・。
あ、なるほど、爆撃でしたか。
でも、独空軍による爆撃はともかく、英空軍による独本土爆撃の効果が予想通り上げ得なかったというのは意外ですね。
爆弾の投下量も日本以上で被害も相当だったと聞きますし。
あと、日本においてルメイが着任して以降、戦略爆撃が開始されると、国民の戦意がガクッと落ちたらしいので。
いやでも、日本は木造家屋でドイツは石造りという構造上の違いもあって効果も異なったのかもしれませんね。
>>54 イザヤさん
戦後処理のハナシなのだが・・・・
>F.D.ルーズベルト生存中は、第二次大戦が「最後の戦争」で、ソ連とも上手くやっていける
>し平和な世界が作れるから
>枢軸国とは妥協の余地なし、くらいに考えていたという印象です。
>蒋介石率いる中華民国が、日本が退場した後がまに据えるつもりだったんでしょうかねぇ。
さすがはイザヤさん。ご指摘のとおりだと思う。
お気づきのとおり、第二次大戦にみる米の戦争観は、ひじょうに素朴なものだなあ。
要すれば、敵と味方があざやかに色分けされ、
そこで味方は優遇され、敵は完膚なきまでにコテンパン。
しかも敵を降伏させりゃ、ハナシはコレで終わりのワンショット・ゲーム。
だから戦後もリピーテッド・ゲームとして
継続する国際権力闘争に対する配慮が、今ひとつ。
>蒋介石率いる中華民国が、日本が退場した後がまに据えるつもりだったんでしょうかねぇ
そういうコトだったのだろうね。
(しかしまあ、日本と蒋介石政権、どっちかといえば、後者のほうがファッショに近そうだな)
さもなければ、中国共産党の性格を見誤ったのか。
いずれにせよ米国は対日戦に勝利した反面で、中国を永遠に失ってしまった。
しかも日本不在の北東アジアにおいて、
昨日は朝鮮、今日は馬祖金門、明日はオホーツク海と米国は大忙し。
これは「何ともまあご苦労さん、でもソリャ自業自得よ」、
などとドライに言いのけたのは徳富蘇峰だったかな。
こうは書いてはみたが、もちろん日本が条件降伏するチャンスは
ほとんどなかったと思うよ。
何でもチャーチルは日本の条件降伏を推奨したそうだが、そんなモノ
いまさらアメリカが呑める訳がない。
また権力闘争というものは流動性がひじょうに高いモノだから、
米国に先を見通せといっても、そこには自ずと限界がある。
つまりまあ、イザヤさんは正しい。
対日戦の「戦後処理が下手クソ」とは、そう簡単にはいえないね。
それに国共内戦のハナシを、「戦後処理」に含めるのもどこか詭弁だ。
>イザヤさん
いつもお付き合いいただいて、なんだか申し訳ない。
しかも、当方は、一度に全てのレスに応答していない。
時間切れで、爆撃とイラクのハナシは、何とか今晩中にでも。
>ソースキボンヌさん
上の私の投稿はじつに無礼だった。
いまさら勝手な言い草だが、どうか忘れていただけないだろうか。
無礼を許していただけないだろうか。
申し訳なかった。
伏してお詫び申し上げる。
>>58 ありゃ、レスより先に…
早めのレスできずに申し訳ない。
別に感情的にはなってないので無問題でつ。
ご指摘のこと、重々承知の助でございまつ。
言い訳を許してもらえるなら、つらつら書いてきたことようなことを、文にしてまとめたのは、実は初めてなのです。
それぞれの分野、たとえば古代・未開社会の戦争や、テロ、テロ組織の社会的特性とかについてなら、少々メモ化してあるのですが、それらを統合して方法論化する試みは、これが初めてなのです。
ですから、おっしゃるように、それぞれの根拠が薄弱で、つなげるには無理があるのも、わかってます。
(実は、私という名の無知のつぼに、知識のしずくが溜まるのを、執念深く待っている状態なので)
で、政治論と文化論の困難な融合ですが、
私もさすがに、現実の政治を、文化の面だけで読み解ける(あるいは近い将来を有効に予想できる)とは思ってません。
むしろ、現実の政治、あるいは決断を、明文化されない方面から制するのは何だろう、と思っていたのです。
本当なら、大まかな文化論から、組織文化まで進んで、そこから予想に足る方法論を構築したい、くらいの野望はあります(w
と、いうのも、私はテロリストの組織文化論が、テロリストの取る行動や、集まる人材をある程度説明できるのではと、思っているからです。
オウムを例に取れば、偏執的な力志向の教祖と、それを崇拝する境界性人格的教徒たち、そしてそれら教徒の中から現れる中枢人材から構成されていたーと思っています。
これら構造は、アルカイーダのような複雑な組織を除けば、およそ類型化されるのでは、と思うのです(思うだけで、確かな根拠にかけますが)。
彼ら組織にとって、最重要なのは、教祖の偏執的な欲求を満足させることです。
一方で、教祖は偏執的な欲求を満足させるには、従属する教徒が必要です。
教徒は、ゼロサムで社会と教祖をはかりにかけ、教祖を熱狂的に支持する、境界性人格でないと勤まらないでしょう(少数、教祖からこぼれてくる利益を狙う賢い椰子もいるようです←これも重要な役割を果たしているようですが)
そして、私は、教徒を集めるには、教徒を牽引しうる「サブカルチャー」が必要だと考えています。
あくまで「サブカルチャー」であって「カウンターカルチャー」ではない、と考えています。
教徒が、現世的幸せや、利益、救済を想像できる範囲のデムパ的内容であると、思っています。
私が、文化論にこだわったのは、じつはここからなのです。
私は、テロリストの近い将来の動向を予想する方法論を作りたい、と思っていました。
一方で、テロリストは彼らにしか理解できない理由、欲求にしたがっていると考えています(具体的には過去レスを。申し訳ない9.
そして、上に書いた(薄弱な思いつきで)、それはサブカルチャーに基づいていると考えています。
(最終的、結果的に、世間の常識から大きく外れているでしょうけれど)
私、あるいは外国人のレベルで探知し得るのは、サブカルチャーが精一杯ではないでしょうか?
そして、それに(表面的には)基づいた、犯罪心理学的ツールが利用できるのでは、とも。
犯罪心理学的ツールには、やはり文化論が必要でしょうし。
ああ、ようやく自分自身の意見が、人様に短く提示できるようになったのかもしれない(苦笑
私は、テロを犯罪に近いものと捕らえています。
テロを企画するものの欲求が、犯罪に近いものと考えているから。
それを阻止、あるいは制圧する方法論もまた、治安から生まれてくるでしょう。
テロと不正規戦との、見かけの上での区別は、非常に困難でしょう。
また、国家的目的のために、使走される集団が、テロで貢献することもあるでしょう(カシミールのように)
それでもなお、実行支配領域でのテロは、市民の安寧を守るために、つまり社会そのものを守るために阻止され、社会の許す限り強硬な手段が使われるでしょう。
とか。
つっこみ、お待ちしております。
やべ、ミスってあげてしまいますた。スマソ
>>54 戦後処理が下手であるということは、
戦争によって解決を試みた課題が、本質的に片付いていない、というコトではないかなあ。
今回のイラク戦争に即して言えば、
野戦軍を完全に無力化し、政権を崩壊させてもてもカタがつかないというコトは、
本来もっとも無力化させなければならないモノが、いまだ無力化していない
あるいは無力化してはイケナイものを無力化させてしまった・・・・
というコトではないかなあ。
さてココではより巨視的な視点に立ち戻って、
イラク戦争における米の目的が何であったかを考えてみよう。
>対イラク戦は、9.11テロによるイスラム教過激派がアメリカの安全保障に対する脅威が劇的に上
>がったために、中東を親米もしくは無害化するための第二ステップ(第一はアフガン)。
イザヤさんがすでにご指摘のとおり、
アノ戦争は、「対テロ戦争」の文脈から考えなければならない。
「米に敵対的なイスラム原理主義勢力の排除」がおそらくは戦争の究極的な目的のはずなのだが
この目的に、イラク戦争の戦争は、どのように貢献したのだろうか?
今のところ(そう今のところなのだが)、イラク戦争はいわば「勝利なき軍事的栄光」で、
対テロ戦争の目的に、さほど貢献していない。
逆に連中に獲物の豊富な「狩場」を提供してしまった。
米国はイラク戦争で間違った勝ちかたをしてしまった、
あるいは戦争の終わらせ方を間違えた、というのが私のさしあたり意見だなあ。
さてさて、ではイラク戦において、
どのような戦争の終わらせ方が本来望ましかったのだろうか?
>あと、対イラク戦は初期段階ではイラク国内でのクーデター誘発、あるいは早期降伏を狙っていたんじゃないでしょうか。
>「衝撃と恐怖」戦術にしても、心理的な「衝撃と恐怖」を与える相手は生きている人間でしょうから、これによりクーデター
>で政権が変われば米軍はもとより、イラク国内の損害は最小限に留められますし、イラク政府が存続すれば治安維持も
楽でしょう。
そのとおり。米はレジーム・チェンジを狙っていたの。
野戦軍の撃滅など二の次だったといっても過言ではないだろう。
ではなぜレジーム・チェンジが必要なのだろうか?
どのようなレジームが必要だったのだろうか?
下の引用をみるに、確実にイザヤさんはお気づきになられているはずだなあ。
治安維持のために、レジーム・チェンジが欲しいというワケではないからなあ。
>対イラク戦は初期段階ではイラク国内でのクーデター誘発、あるいは早期降伏を狙っていたんじゃないでしょうか
>>59 ソースキボンヌさん
>初めて
誰でも何事にも最初はあるし、最初がウマクいけば、次がでてくる。
ガンバレ。
ところで私は1週間ほど出張。
ちと、フネに乗ってくる(たぶん一週間で終わると思う)。
立ち入ったハナシはまた後ほど。申し訳ない。
が少しだけ・・・・アドヴァイス。
ご自身のお考えと知識を、ひとつの意見に体系化するのは難しい。
だから、まずはご意見を方法論ごとに分離し、個別的に意見をまとめていってはどうだろう?
例えば特定のテロリスト群、ないしは組織について、
これを犯罪心理学的な現象に還元する。
あるいは社会学的な現象に還元する。
最初は単純なハナシを考える。しかるのちステップアップ!!
>世間の常識から大きく外れている
何ら恥じるトコロはないなあ。
むしろその方が、問題を考えるうえで都合がいいなあ。
ソースキボンヌさんのお考えになる「世間の常識」とは何だろう?
これが明確になれば、ソースキボンヌさんのご意見の全容が
おのずと浮かび上がるのではないかな?
>私、あるいは外国人のレベルで探知し得るのは、サブカルチャーが精一杯ではないでしょうか?
何故だね?(できれば、ご説明いただけないかな?)
ども。それが、週末以後接続環境が変わるかも…そうなると、こちらの都合でレス等、いちぢるしく遅くなる可能性もあって…
>対日終戦
失敗の本質でも敗北を抱きしめてでもGHQ側の無策は指摘されておりますな。
トップのマッカーサーの自己満足的君主態度から始まって、保守派旧来型の日本専門家(人種的偏見も抱いていた、と指摘されてますが)を排除して、リベラル理想主義を、状況に合わせてやっただけ、と。
>世間の常識から外れている。
申し訳ない。これは、結果そのものじゃなくて、テロ組織の論理が、という意味です。
たとえば、オウムだと、
1育成期 オウム真理教の設立と発展には、麻原個人の欲望があった。この欲望が生来のものであったのかわからないけれど、
自分より弱いハンディキャップ集団で集団生活をしたことによって、育まれたものらしい。具体的には弱視にもかかわらず盲学校に寄宿したこと。
2挫折期 麻原は卒業後の基盤の確立に失敗している。マッサージ店と怪しい宗教をかけもちし、もとよりそれほど知識のないヨガなどに頼るが、
盲学校で得ていたほどの強力な力支配は得られなかったらしい。この時期の経験が、オウム神仙の会を設立する礎になっているらしい。
3成長期 別の宗教で得られた知見や経験をもとに、自分の教団としてオウム神仙の会を設立する。本人に知識がなかったことなどもあって、ヨーガなど幼稚な段階にあった。
後の教団幹部となった人間も、このころから入会している。集団形成の初期に見られるように、さまざまな人間が、さまざまなモチベーションをもって集まり、
それぞれの理由にしたがって、自主的に活動をしている時期だった。
このころはまだ、怪しげな教義は少ない。集団に参加しようとする人間が、想像でき、理解できる範囲の現世利益を謳っているだけだった。
一般の集団なら、やがて集団としての一致した目標を見つけて発達し、それが個々人に還元されるころ、また目標やモチベーションが分裂する時期を迎え、分裂したり躍進したりしながら進んで行く
4分離期 麻原は、集まってくる人材を利用する方法を思いついた、あるいは知っていたらしい。
自己権威の絶対化、世間との分離を図る説法合宿や出家、専門知識の利用など。これはすでにノウハウとして確立されているともいう。
いずれにしろ、麻原は集団内部での絶対的な力を手に入れた。この力は現世的な金銭や快楽を含むものだった。
この過程で、出家者家族などとの軋轢が激しくなり、教団での怒鳴りあいやもみ合いなどもあった。
また、現実世界側の法律家が介入し、事態の解決をはかろうとしていた。
麻原が、この圧力に対して、責任を持って対応した形跡は薄いと見ている。多くの場合、教団内の専門知識家が対応していった。
が、これは麻原の満足を得るものではなかったらしい。
結果として、麻原は解決不能な葛藤そのものでなく、その要素だった坂本弁護士一家を殺害し、隠匿した。
5独自権力期 麻原が次に志向したのは、現実世界の権力だった。ただし、この権力について現実的に把握していたかどうかさだかではない。
理想、あるいは目標としていたのは旧来の新興宗教法人だったともいわれる。
衆議院に25名の候補者を擁立し、奇妙なパフォーマンスを演じるが、全員落選する。以後、オウム内部では陰謀論による説明と、密教に名を借りた反社会傾向が満ちることになる。
麻原は、組織に精神的圧力を加え(ガス、細菌などでの攻撃)、これに対処するとの理由付けでさらに組織に圧力を加え、実支配力を強化していった。
組織の総力を、自分の欲求に従わせるため、またそれを補完する大掛かりな仕掛けとして、妄想、専門知識、
技術、サブカルチャーを混合した奇妙な世界を作り出していった。
これには、組織構成員の自己顕示欲からの提言が際限なく盛り込まれ、攻撃的な気質を補う力をも身につけていった。
6攻撃期 その間にも、オウムと社会との軋轢は収まらなかった。また麻原にも解決する力はなかった。
敗北と見られる裁判の判決直前、松本サリン事件を引き起こし、うまく追求を先延ばしすることができた。警察の初期捜査ミスもあり、当座の追及を逃れ得ていた。
この攻撃の特徴は、坂本弁護士事件によく似ている。不利益な結果を受ける、その前に、結果をもたらしそうな要素に、組織構成員の力で攻撃を行わせている。
すべての利得を手を汚さずに、求める気質がよく現れている。
7テロ期 阪神大震災の混乱で後れたとはいえ、捜査が再び迫っていると感じた麻原は再び攻撃を行った。
地下鉄サリン事件は、今までとは攻撃の構造が違っている。
攻撃手段のみが存在し、攻撃発起の時期や理由について曖昧なまま、不特定多数の目標に攻撃が行われた。
私は、これをもってオウムが真性のテロ集団になったと思っている。
ありゃりゃ。
なんか、身勝手な分析でつね(w)。こんなものに、あまり意味がない、と思っているので…(証明の仕様がないし)
これを他のテロ集団と、ほかのテロ組織を比較せねば…
ブランチ・ダビディアンと、オウムはよく似ていると思っています。アメリカのほうが、摘発がはるかに早く、被害を最小限に抑ええましたけれど。
したがって、ソースキボンヌ分類で7期以前ということになります。
SK分類7期以上になると、このスレの初期にあげた、トマイチェク分類の行動をとりはじめる、と思っています。
>>私、あるいは外国人のレベルで探知し得るのは、サブカルチャーが精一杯ではないでしょうか?
何故だね?(できれば、ご説明いただけないかな?)
日本人が、日本文化として捉えるのは、何でしょう?
人間社会と生活とは密接につながっていて、日々の生活そのものが、そのまま文化となっている面があるとおもいます。
社会規範を外れる理由が、個々人の利得にある、と私は観測しています。
この規範のうち、どれを逸脱することが取るに足らないことで、どれが重大なのかは、経験が判断します。
同じく、どれを重く尊重すべきかも、経験が判断します。
われわれの多くは、オウムに参加する若者の気持ちが「わからないではない」程度に判ります。
先が見えない、尊重されない、力もなければ、発揮もできないみたいな不満なのかな?とか。
しかし、オウムの組織内論理については、直に聞いても、経験や体感として理解できるとは限りません。
林医師の苦悩には共感できても、それ以外の連中には共感できません。
ましてや、外国人の文化のおおよそを共感したとしても、それの枝葉部分の軽重は、認識できても判断できないと思うのです。
たとえば、私は2ch以前に一般の方の掲示板で楽しい時間を過ごしたわけです。そこは、同じ趣味を持った人間同士の創発や意見、情報交換の場で、無礼にはすぐに詫びを、
喜びには共感を示すのが礼儀だったし、知っている限りのことを教えるのがマナーだったわけです(そう、経験したのです)。
はじめて2chにやってきたとき、文化の違いに驚かされましたし、つられて弄ばれて悔しい思いもしました(w)。
まさか、自分でも釣ったり、弄んだりするとは思わなかった(悔恨 でも軍事板以外には行かないので、ほかがどうかは知りませんが)。
ネット社会は、未発達なサブカルチャーなわけです。体験するまで、分かりません。
>>56 >継続する国際権力闘争に対する配慮が、今ひとつ。
なるほど、戦争に勝つことに全力投球で、「戦争が終わっても、まだ権力闘争が続くよ」
ということをあんまり考えてないということですね。
あと、民主主義国家なだけに、戦意高揚のために世論を煽ったら収拾がつかないとか、そ
ういう要因も考えられそうですね。
敵と妥協しようとしたなら「これまでの犠牲が無駄になる」みたいに。――あ、これは日
中・太平洋戦争における旧軍も同じですね。
>(しかしまあ、日本と蒋介石政権、どっちかといえば、後者のほうがファッショに近そうだな)
味方についた側の悪いところは目をつぶっちゃうんでしょうね、やっぱり。
冷戦期の中南米政策とかそんな印象です。反共のために軍事政権の人権弾圧とかあまり見
ないようにとか……。
>こうは書いてはみたが、もちろん日本が条件降伏するチャンスは
>ほとんどなかったと思うよ。
>何でもチャーチルは日本の条件降伏を推奨したそうだが、そんなモノ
>いまさらアメリカが呑める訳がない。
おおっ、さすがチャーチルですね。そんなことを言っていたんですか。
東アジアで日本を退場させるのは得策ではない、と考えたんでしょうかね。
確か、二次大戦開戦直前でもイギリスはドイツからイタリアの切り離し工作とかやってい
たみたいですしね。イギリスにとっての脅威順位としてはドイツがトップでイタリア、日
本、そしてソ連はそれより下位に位置しているんでしょう。
あと余談ですが、私が子供の頃から(といっても戦記を読むようになった頃からですが)
疑問だったのは、「どうしてアメリカはこんなに日本に対して非妥協的なのだろう?」と
いうことでした。占領地からの全面撤退とか植民地の独立などならまだしも、ポツダム宣
言をすんなり呑むのは難しいでしょうし。
「確実に勝てる戦だから妥協の必要はないと考えているのかな?」くらいに考えていまし
た。
>いつもお付き合いいただいて、なんだか申し訳ない。
>しかも、当方は、一度に全てのレスに応答していない。
ああ、いや、前にも書きましたが、こちらこそ勉強になってます。それと実生活を優先さ
れるのは当然のことですから、どうぞお気遣い無く。
お手透きの時に、全部ということではなく興味ある話題がありましたら、レスしていだだ
ければ十分ですので、気にされませんように。
>>54 >米国はイラク戦争で間違った勝ちかたをしてしまった、
>あるいは戦争の終わらせ方を間違えた、というのが私のさしあたり意見だなあ。
なるほど。まとめると「レジームチェンジを狙っていたけれど、それが適わず野戦軍を撃
滅させてしまい、テロリストに絶好の「狩場」を提供してしまった」というのがMk-46さ
んのご意見ですね。
とするとリベリアのケースみたいに大統領を追い出せればベストだったんでしょうね。軍
事的なプレッシャーをかけつつ、相手に要求を呑ませてしまえばいいと。
それが適わなかったために開戦、ただし初期段階で「衝撃と恐怖」戦術を採ったけれど失
敗。そして野戦軍の撃滅、首都陥落へ。
エスカレーションしていますが、なるべく前の段階で片が付けば良かったんでしょうね。
>ではなぜレジーム・チェンジが必要なのだろうか?
それでは、思いつく理由を列挙してみます。
1.フセイン政権が明確に反米姿勢を示していること。
2.大量破壊兵器を使用した前歴があること。
3.核開発の前歴があること。
4.その査察を完全に受けることを拒否していること。
5.イスラム原理主義(小室直樹氏の受け売りでイスラム教にファンダメンタリズムがあ
るとは考えにくいのですが、よく使われるので便宜的に使用します)テロリストと手を結
ぶ危険性があること。
イラクに直接的に関係するものとしてはこのくらいでしょうか。
間接的なところでは――
6.親米イスラム国家でもイスラム原理主義の取締りに及び腰になっている、イスラム教
国(サウジなど)プレッシャーをかけるため。
7.反米イスラム国家(イラン、シリアなど)に対してテロリストを匿って利用すること
への牽制。
といったところが思いつきます。
何れにせよ、これだけ条件が揃うと9.11テロ以降、アフガンが片づいた後では、フセイン
政権を放置しておくことは出来なかったんでしょうね。
>治安維持のために、レジーム・チェンジが欲しいというワケではないからなあ。
えーっと、おっしゃるとおりで、これは私の書き方が良くなかったんですが、外交的手段
が功を奏さなくて最終的に占領下に置くとしても、出来れば軍以外は傷を付けずに残すの
が占領政策に有効だと考えました。
具体的には日本占領を思い描いていました。よく言われることですが、官僚組織をそのま
ま残せたことが日本の占領政策が成功した大きな理由だと(ただし、その政策に問題が皆
無という意味ではありません)。
イラクに関しても同様の占領政策が採れれば、まだすんなり行っていたのではないかと。
というのも、イラク国内で多発するテロにしても、全てがイスラム原理主義者によるもの
かというとそうではなくて「国を滅茶苦茶にした米兵が憎い。手元に武器がある。それ
じゃ一丁やってやるか」程度の動機でテロを起こしてる人間も少なくない印象です。
きちんと警察組織や経済活動が機能していれば、こういう人間が出るのを減らせたのでは
ないかと思いました。
そう考えてみると、外交か開戦初頭の「衝撃と恐怖」作戦の段階で何とかフセイン政権が
倒せればよかったかな、と。それが無理なら湾岸戦争の時のように、バクダッドまで行く
前に降伏交渉が出来ればここまでイラクを滅茶苦茶にせずに済んだかもとも思います。
あ、でも、そうするとこれまた湾岸戦争の時のように、フセイン政権が続きかねない危険
もありますか……。
76 :
名無し三等兵:03/09/13 00:18 ID:ft0XrFmu
なぁーんで今時赤外線なのかな?
なぁーんで日本がX線使ってるか知らないのかな?
77 :
少佐:03/09/13 00:26 ID:prnAKDwc
アメリカ国内にある黒人スラム街でさえ、アメリカの力でもどうにもならない。
ましてやイラクという国外の巨大スラムをどうにかするのは無理だ。
78 :
名無し三等兵:03/09/13 00:28 ID:/E/n4GwT
で
戦車いるの?
79 :
少佐:03/09/13 00:29 ID:prnAKDwc
イスラム圏にはイスラムの教えから生まれた最終兵器喜捨という
武器がある。
これはルンペンに喜んで金を恵まないといけないという教えだ。
つまり働かなくても食える訳で、テロに没頭しててもいいのだ。
80 :
少佐:03/09/13 00:48 ID:prnAKDwc
では対ゲリラ戦のエキスパートである私が対ゲリラ戦術を語ろう。
もともとのゲリラはナポレオン軍がスペインに攻め込んだ時に、
民衆が各自バラバラで包丁だの石だのといった、そこらへんの武器
で兵士に襲いかかってきたのが始まりだ。
これは組織化されて無いうえに、日用品が武器なので手ごわい敵だった。
だが現代のゲリラは軍隊といっていいほど組織化されてるし、装備も
充実している。
フライパンで突然襲いかかるという類ではない。
そうなると対テロ部隊より、通常の軍隊の出番なのである。
>>80 いつ、どこで、対ゲリラ戦を行ったんですか?
脳内とかゲームってのは無しですよ。
実地体験がない人が「エキスパート」とかって語って、恥ずかしくないですか?
軍板マーフィーの法則
コイツだけはこのスレに来て欲しくないと言うコテハンは、そのスレにやってくる。
>80 語源的にはナポレオンの軍隊に対するスペイン民衆の抵抗ということで
正しいとは思いますが。しかし、伝説化されているきらいもありますし
実体を詳しく知りたいところです。
IRAやPLOは国家樹立を目的としている点でアル=カイダと目的が
異なりますね。どちらかというと、統治の拒否という意志を示す手段として
テロがあるのではないかと思いますが。こう見るとインド独立運動の
非暴力不服従も同じように扱えるような気がします。
っと失礼しました。ROMに戻りますね。
>>74 イザヤさん
お待たせして申し訳なかった。どうも長引いてしまって・・・・。
おきづきのとおり5は言いがかりなのだろうね。
(ついでだけれども、私は小室直樹は天才だと思う。)
おそらく大量破壊兵器開発もほとんど言いがかりに近い。
あるいは大量破壊兵器開発の阻止だけなら、
査察団の常駐といった他の手段で
コトをすますことができるだろうなあ。
>6.親米イスラム国家でもイスラム原理主義の取締りに及び腰になっている、イスラム教
>国(サウジなど)プレッシャーをかけるため。
>7.反米イスラム国家(イラン、シリアなど)に対してテロリストを匿って利用すること
への牽制。
これは鋭いなあ。
もしイラクに、「民主主義革命」がおきて
親米的なイスラム政権が登場していたら、どうなっただろう?
しかもそんな政権の誕生を、消極的にせよ、国民が支持していたら?
イラクのナショナリズムが、新政権のもとで再編成されたら?
イスラム原理主義に対するインパクトは、相当のものになったのではないかなあ?
考えてみれば、イラクは、米にとって都合のよいレジームチェンジを行うに
好条件をもっていた。
イラクはもともとバース党支配の下で、イスラム原理主義とかなりの距離があった。
大量消費社会の一歩手前ぐらいまでに、社会の産業化もすすんでいた。
それらの点を考慮すれば、実効的なレジームチェンジを可能と見た
米の判断はせめられないだろう。
米にとって必要だったのは、要するに「革命」を起こすことで
軍事的勝利は、その溶媒にすぎなかったのではないかなあ。
(でもまあ、現実はそうはならなかったわけで
おそらく米政権内に目標設定にかかわる混乱があったのだろう。)
ご指摘のリベリアやハイチ(イヤこれはチト疑問符がつくかな)
にみるようなタイプの勝利がもっとも望ましかったのだろうね。
リベリアと異なり、実際に武力行使が行われたパナマのようなケースでもいいのかもしれない。
いずれにせよ、旧政権を代替可能な政権が、
そしてナショナリズムの求心力になるような政権が、
それなりに準備されていなければならかなったはずだ。
それなりに説得力のある新政権がすみやかに樹立されれば
その国のナショナリズムと米による軍事占領という屈辱的な事実は、なんとか両立できるだろう。
(わが旧軍の軍人たち。あのやや盲目的愛国主義の影響下にあっただった彼らが、
占領軍の統制下にあった警察予備隊・海上警備隊に積極的に参加したことは、
なんとも示唆的ではないかな。)
もちろん元来「衝撃と恐怖」戦略も、
新政権の創出に照準した政治的工作を前提にしていたはずだと思うよ。
あるいは工作なしでも、旧政権のすみやかなる退陣が期待される場合、
予定された効果を発揮するもの、といってもよいのではないかな。
しかしまあ結果はいまのところ不成績。
不成績が、米の不手際のせいなのか?
それとももともとウマくいかない運命にあったのか?
(結局フセインの代替できるナショナリズムの担い手はいなかった?)
これらはまだわからない。
ともあれ結局のところ適切な政治工作を欠いた「衝撃と恐怖」の効果は、、
指揮管制戦というごく限られた軍事的局面においてのみ、
発揮されることとなったわけだなあ。
そしてイラク野戦軍の撃破とイラク全土の占領は、今のところ「対テロ戦争」の勝利に、
さして貢献をしていないようだ。。
むしろイラク国民のナショナリズムをあおり、
ついでイスラム世界の反米感情をあおってしまったようにもみえる。
さらに悲観的に考えれば、今後のイラク・ナショナリズムは、
イスラム原理主義の色彩を帯びていくことも、ありうるだろう。
かくてイラクはイスラム原理主義・イラクのナショナリスト混成旅団の
”targets rich”なプレイ・グラウンドとなる。
そこで消極的であれ地元住民の支持をうけて、占領軍のコンヴォイを攻撃する「テロリスト」たち。
国際世論は、彼らを「テロリスト」として受け止めるコトができるのかなあ。
>>83 >IRAやPLOは国家樹立を目的としている点でアル=カイダと目的が
>異なりますね。どちらかというと、統治の拒否という意志を示す手段として
>テロがあるのではないかと思いますが。こう見るとインド独立運動の
>非暴力不服従も同じように扱えるような気がします。
これは同感ですね。
独立などを勝ち取るために活動をする組織と、主として宗教的な理念を追求するために活動する組織は基本的には別物
だと考えた方がいいと思います。
PLOやハマスの活動はイスラエル軍による弾圧という実存的な危機感が根底にあるので、(テロを容認するという意味では
ありませんが)ある意味自衛権の発動とも考えることができます。
一方、アル=カイダにはこれはありません。彼らはサウジアラビアの有閑層出身であって、自分たちの生活領域が脅かさ
れたからテロに走ったわけではありません。
以下は橋爪大三郎氏の受け売りですが、アル=カイダは、実存的な危機感に基づいて組織されたPLOやハマスよりも、か
つてモラトリアム人間である大学生によって組織された日本の過激派に、性質的には近いものがあるといえそうです。
もちろんパレスチナ住民を含むテロ組織が、イスラム原理主義テロ組織を支持したり連帯する可能性はありますが(これを
米は恐れているんでしょうけど)、今のところ人的資源や資金提供などが強くなされているわけではなさそうです。
そう考えてみると、「イスラム」という枠でイスラム教国のテロ組織を一括りにするべきではない気がしますね。
イスラム教徒の全てが、偶像を破壊し、女性はブルカを被り、勧善懲悪省に監視される生活を望むとは考えにくいでしょうし。
>>84 >お待たせして申し訳なかった。どうも長引いてしまって・・・・。
いやー、あまり気にされないようにお願いします。お暇なときで十分ですので。
>>85 さすがいつもながら鋭い分析ですね、勉強になります。全面的に同意です。
イラク国内で民主革命が起こせなかったのは、米がイラクの反政府組織の育成に失敗したというところですかね。
湾岸戦争が終わったばかりのころはクルドやシーア派、あるいはフセインの娘婿とか色々あったようですけど、結局イラク
国民を引っ張っていけるような実力のある組織に育たなかった、と。
あとは、ご指摘の新政権の創出に照準した政治的工作もあまり上手くいかなかったということになりますか。
これらは裏を返すと、サダム・フセインが政権基盤維持のため如何に実力をもって尽力してきたかの表れなんでしょうね。
>>86 >イラク国民のナショナリズムをあおり、
>ついでイスラム世界の反米感情をあおってしまったようにもみえる。
うーん、鋭いです。これは怖い気がしますね。
そもそも理念的にイスラム原理主義から距離のあったイラク国民やその他のイスラム教徒が、このイラク占領下の
状況故にイスラム原理主義に寄っていってしまっては、米にとっては裏目もいいところになりますね(まるで、アフガ
ン紛争におけるソ連役になってしまいそう……)。
とすると、米による各国へのイラク支援要請や、中東和平(これは頓挫しかねませんが)は、それを防ごうとする一手
と考えられます。
あと米が採れる手としては、イラクの自治を拡大して(統治機構、警察、軍など)、占領というネガティブイメージを薄め
ていくことや、占領軍を米以外の多国籍軍に入れ替えていくことですかね(緊張下にあるとはいえ、米軍はむやみと撃
ちすぎることで反感を買っているという印象もあります)。
ちなみに、先のアフガンであれだけ上手く事を治められたのは、アフガンの反政府勢力(北部同盟)の活用、タリバン政
権への国民の反発、米軍が首都に入らなかったことなどが挙げられると思います。
そう考えてみると、必ずしも同様に上手くいくとは限りませんが、イラク国民の反発を防ぐためにも少しでもアフガンでの
手法を踏襲すべきではないかと素人ながら思ったりしています。
えっと、お久しぶりでつ。
「犯罪の深層」つー本を読んで、えらくサジェスチョンされてしまいました。
ようするに、犯罪は「ある性格傾向を持った主体」が、「状況を主体の存在にとって危機的と理解したとき」に、あるきっかけをもとにして「危機状態の開放のための欲望を、動機という形で結実させ」「目標を意味づけして選び出し、攻撃する」
と捉えています。
とても、面白かった。
同時に、10年近く前に書かれた「紛争地域現代史」なる本も読みました(湾岸以後を受けた本でした)。
まさか911のようなイスラム原理主義による危機的な状況までは予言していないものの、面白い視点がいっぱいありました。
中でも一番面白かったのは、「アラブの決定的な後進性」の指摘で、
「(西欧化であるなしにかかわらず)近代化は不可能」と言い切り、倹約しつつ未来へ富を蓄えることも不可能、近代化しても不平等、不変換で民衆の不満は解決できず、
代替手段は常に懐古的なイスラム原理主義のみで、しかも原理主義は実行統治能力に無能である、と。
そしてアラブは近代化と、解雇との間を永久的に往復し続けるだろう、と。石油がなくなり「アラブが砂漠へ戻る日」まで、と。
上に基づいて、また安直な妄想にふけってしまいました(w
私は、テロリズムと犯罪との間に、ある種の同一性が見られるのではないか、と思っています。
そして、上に指摘したように
「主体の状況判断」→「危機感」→「解放欲」→「攻撃」
の段階を同じように踏むのでは、と思い始めています(組織全体で、どこまでどのように共有しているのかは、よくわかりませんが)
一応、社会とのかかわりを下のように考えて見ました
「テロの中枢」 「テロ組織」 「テロ組織に実行支援をする一般人」 「不支持は不見識と思う層」 「テロ行為とかかわりを持ちたがらない層」 「テロに反対する層」→以下対テロ
←(テロ行為によって、状況が変わると主観的に期待している層) (テロ行為による破壊を忌避する層)→
前にも述べましたが、テロ行為自体の現実性や、実質的な問題解決能力に、私は強い疑問を持っています。
それでもなお、テロりんがテロ行為を行うのは、主観的な状況改変(危機感と、解放への欲求)があるからでは、と思っています。
また、イスラム原理主義を礎にテロが行われる理由も、上記書籍から、安直に妄想してしまいます。
テロリストは、近代化の果実を受け取ることが出来ない層で、近代化を永遠に憎みつづけるのかもしれません。
そして、それが組織によって、集団的に共有されるとき、より強い実効性を持ってテロが行われるのかもしれません。
などなどつらつらと…
>>85 どうでしょう?
私は、旧来的な地政学的理由もかなり大きかったのでは、と妄想してます。
民主党が失ったイラン以来の湾岸地歩ですし、経済的に復興する能力もあります。
まあ、わたしは中東問題というと何でもパレスチナ/イスラエルに結びつけるのが嫌いなだけですが。
アメリカ軍はもともと、外征軍ですから、ああいったゲリラ状況になるとつらいのは事実だと思いますけど
(一方で、あのゲリラ攻撃が続けばどうなるか、考えるイラク国民はいないんでしょうかね?たとえアメリカ支持が不見識と思われても、サダム支持に比べて、イラクの未来にどうなのか、と…)
93 :
名無し三等兵:03/09/30 15:33 ID:64aCBYUZ
日本でも特殊部隊の編成、対人狙撃銃、個人用防護装備や個人用暗視装置、
さらには生物偵察車の導入を進めていることは評価できる。
戦車や火砲などを削減してでも、もっと充実させるべきだ。
前半は事実だけどね。>94
↑間違えた>93
対ゲリコマに戦車は不可欠なのだろうか?
装甲車でも効果はさほどかわらんのではないのか?
>>97 対ゲリコマではなく歩兵戦闘に必要なのだ。
装甲車では戦車より多く損害がでる。
>>97 戦車の要不要については、現実の対ゲリコマというか、暴徒鎮圧+テロ組織掃討にも戦車をガンガン投入しているイスラエルが好例ではないでしょうか。
やはり、戦車の火力と装甲防御力は相手が何であれ、攻める側としては安心できるのでしょう。
もっともイスラエルのような軍事作戦の進め方が適切かどうかは疑問が残りますが。
イスラエルに関しては戦車以外にもアチザリットのような戦車改造重APCも投入されているので、歩兵としては相手が暴徒程度でもより厚い装甲に守られていた方が安心出来ることがよく分かります。
もちろん、日本がイスラエルと同じことをやる必要があるとは言いませんが、地形的・政治的・社会的等々の制約がないのなら、「不可欠」とまでは言わないまでも、対ゲリコマでも戦車投入の余地を残して置いてもいいのではないかと思います。
>>98-99 前に、ジェニン封鎖、アラファト監禁事件がありましたが、そのときの戦車運用は、ちょっと気になりましたね。
まあ、建国当時から市街戦をやっていた軍隊なので、無問題なのかもしれませんが。
つか、もはやRPGのような火器さえ、持ち込めないだけかも。
国家の非公然活動と国際法(w・マイケル・リーママン&ジェームス・E・ベーカー 中央大学出版 原著は92年)
つーのを読みますた。
面白かった。
軍事以外にも、国家は非公然活動をすることがあり、全面的ではないにしろ、それが許容されることがあることを、事例と法考察にもとづいて、政策提言している本ですた。
国連、国際法の場で、軍事力行使を強く制限してゆく傾向があり、LICへの対処措置を海外で行うことも、非難の対象になる(南アについて考察)とみなされつつある、としています。
一方で、より広範な「対抗措置」が行われるようになり、非軍事的な制裁が選ばれるようになっている〜とか。
もちろん、これらは湾岸戦争を受けた92年時点での見解であって、訳出直後の911テロ以後の激動については描かれていませんが(LICやテロが当時は集団安全保障発動には足りない状況である、とし、
テロ対処には当時国家の警察力を求め、それが発動されないときには軍事力による復仇より、より広範な対抗手段を選ぶ方が、許容される流れであるだろう、と考察しております)以後はテロリストへの対処は、
秘密裏の犯人引渡しに近い形で行われるだろう、とか。
短く書くことができないくらい盛りだくさんの政策提言研究本で、サジェスチョンされまくってしまってます。
つか、Mk−46氏に見捨てられちゃったのかなあ…
さみすい…
ageてみるね。
>>100 ソースキボンヌさん
イヤイヤそういうワケではないぞ。
ネットで遊ぶ時間がうまくとれないだけで・・・・。
ところでたぶんソースキボンヌさんは、このうえなく価値ある
回り道をなさっているのだと思う。
(もしソースさんが学生さんで、将来は安保ネタで喰いたいとご希望ならば
ひょっとするとアドヴァイスができるのかもしれない。)
立ち止まって、いろいろ思索を深めることは重要なことだから
余計な雑音は邪魔かもしれない。
まあご参考までということで
「アラブの決定的な後進性」
私の世代だとコレは「アジア的停滞」の焼き直しにみえるなあ。
>キーガン
面白いのだが、私的な感想から述べると、やや「時代遅れ」という印象をうける。
いまさら文化人類学的な方法で近代を相対化をするというのも
なんだか食傷気味だなあ。私としてはね。
たぶん今の文化人類学は言語構造のほうにシフトしているはずだが
・・・・まあ現代的意義がわかりにくい。
その辺は、読者層のニーズを読んでいる分、ファン・クレフェルトに
軍配があがるかな。意義がわかりやすい。
もちろん今でも高い評価をえているが、
20年前の70年代にでていれば、世界を震撼させたかもしれないなあ。
>>91 まだ生きているかなあ、猪木政道御大。
御大の本を読んでみると面白いかもしれないぞ。
>>87 イザヤさん
思うに、20世紀においては、民族自決とテロリズムの相性はかなり良かった。
国民国家システムの定着は、必然的に民族自決に対して寛容にならざるを
えなかったのだろうなあ。(まあ住民自決と民族自決の問題はおいておくけれどね)
まあ民族自決は、テロリズムの免罪譜だったなあ。
社会主義革命とテロリズムの相性も悪くはなかったが
色々あって、これは途中で失速。
一部過激派の行動・軍事冒険主義とレッテルを貼られた上、ソ連崩壊でオジャン。
で最後に宗教とテロリズム。
西側先進諸国では完全に「ヘイト・クライム」扱い。
しかし西側だけが世界ではない。難しいなあ。
>>102 度も。相手をしてくれて、ウレスイです。
いや、もうとうの昔に卒業してしまったんで、ただの書籍趣味でつけど。
古典、といえば(?)ウォーラーステインを紹介されたんで、そっちにさまよってました。
読むだけでも大変でつ。
>「アラブの後進性」
それほど同意したわけじゃないんですけどね。
ただ、商社系から移ってきた国際通の人々は、厳しい目を向けていますね。先の氏もそういう人だったと思います。
>キーガン
日本の訳出も10年以上前ですしね。
続く本を探していたんです。
ファン・クレフェルト、探してみます。
グレートゲーム、つー中央アジアでの18C〜19Cのロシア、イギリス情報戦を読んでいるのですが、何と言うのか
中東から中央アジアにかけての戦争のあり方つーものが、略奪的襲撃に近いもので、テロへのシフトも、それほど違和感無いのかも、などと思ったりして。
民族つーか、部族というのか、そういう単位で戦争というか、騒擾というのか、しているわけで(まあそういうわけで合従連衡がいろいろあるのですが)
その集合した力が、相手に対して不十分でも、そうそう簡単に地域を捨てて撤退もできず、それでも抵抗→テロ的攻撃、みたいなイメージを持ったりして。
社会主義革命でのテロも、実力的には圧政に劣りながら、社会にとどまるという方向性からやむを得ないのではと思います。
逆に、西側では社会や制度の変革の道筋が制度的にあるわけで、ヘイトクライム扱いもやむを得ず、と(そんなこと言われたら、ミリシアの人々は怒るでしょうが)。
西側だけが世界でなく、しかし西側の圧倒的な力が世界を覆ってますね。
そういう中で、西側の想定する、西側市民であれない人々が、その抵抗手段としてテロを行うのは、彼らとしては正当かもしれません。
しかし、そういったことは西側となった国々では、本来は戦争で行っていたわけで、
テロのような個人的モチベーション(これはあくまで私見ですが)で、国家自体、あるいはインターステイト・システムを代表するものとして、
市民を弱い標的として攻撃されてはたまらない(西側市民として)。
その結果、西側になった国々がかつて行っていたような、武力復仇手段にでることは、西側としては正当に思えますけど。
テロを行う側の、抵抗や、武力復仇の意思は、知識としては理解しますが、しかしそれがインターステイト・システムを彼らの求めのように変革するとは、思えません。
不憫ですけど(この視点は、富める国のものの傲慢ですが)
106 :
名無し三等兵:03/11/16 16:57 ID:xswdOfOP
ううっ、シャレにならないくらい多忙です……。
>>100 イスラエルはタル少将以降、オールタンクドクトリンで勝利を得てきてますからね。
それに偏りすぎて損害を受けたときもありますが、機械化歩兵との組み合わせを工夫してよく機能するようにしてますし。
市街戦においても、人的被害を最小化するためには戦車やらAPCやらをガンガン投入するのが正解と考えたんでしょうね。
とはいえ、昔読んだ本でイスラエル機甲部隊指揮官が「市街戦は歩兵の分野、我々は支援が主」と言ってましたっけ。
>>103 ああ、なるほど。
おっしゃるとおり、歴史的な文脈で捉えると、新しいものが見えてきますね。
Mk-46さんは史的観点で捉えるセンスに実に長けている印象です。
> で最後に宗教とテロリズム。
> 西側先進諸国では完全に「ヘイト・クライム」扱い。
> しかし西側だけが世界ではない。難しいなあ。
うーん、おっしゃることもよく分かるのですが、やはり国際社会の一員足り得るには宗教的論理やテロを剥きだしにしたままだと
難しいことも確かだと思うので、放置するわけにも行かないでしょうし……。
以前、Mk-46さんがおっしゃってた戦争とテロの違いあたりが印象的なんですけど、欧州では軍事を外交の道具として洗練させ
ていった歴史があるわけですが、テロにはそれが無いわけでして、テロをもって外交の道具足り得るのは不可能なんでしょうね。
ああ、失敗。
>>106は私です。
で、その続きをば。
宗教的論理やテロをもって外交の舞台に持ち込めば、やはりつまはじきにされざるを得ないような気もします。
イラン・イスラム革命におけるアメリカ大使館占拠事件あたりは典型的なんでしょうけど、これまで世界が築き上げてきた外交ルー
ルを踏みにじってしまうと、とても「ああ、この国とはまともにつきあえないなぁ」となりかねないんでしょうね。
そういえば、ゴルバチョフが登場したばかりのころに、サッチャーが会談してのコメントが「彼とならビジネスが出来る」と言っていた
と思いますが、あれなんかは「こういう指導者なら、まともなやりとりが出来る」という意味合いもありそうな気がします。
かといって、全ての発展途上国が先進国のような近代化をしたいとは限らないですし、宗教の先鋭的な派閥がそれを堕落と捉える
と旧アフガンのような国になりかねないでしょうし……。
そういう国の中でも先進国と共同歩調をとって近代化を図ろうとする勢力も一方ではあるわけで……うーん、イマイチまとまりません。
本当に難しいですね。
良スレだなぁ。燃料投下するか。
>>30の
Mary Kaldor ”New and Old Wars− Organaized Violence in Grobal Era” Polity Press 1999
は、
新戦争論―グローバル時代の組織的暴力
ISBN:4000233785 298p 19cm(B6) 岩波書店 (2003-01-28出版)
・カルドー,メアリー【著】・山本 武彦・渡部 正樹【訳】
[B6 判] NDC分類:319.8 販売価:\3,400(税別)
として翻訳が出ています。素晴らしい内容なので、是非一読を。
トリップ、変えますた(つか、統合しますた)
>>108 サンクス!
しかしまあ、最近のテロ犯行声明、ラディンの「神罰ゆえに無名!」主義からいちぢるしくシフトしましたな。
ついに病死?
つか、米軍が撤退するのは、選挙後さらにしばらくしてでしょう(共和党が負けても)。
民主党なら、へたれな対処もアリだから怖いんですけど…
だからといって、新政権が見捨てられると思うんでしょうか、テロリンたちは。
彼らの目的がイラクを原理化することだとしても、そういうイラクがグローバル経済から切り離されて生き残れるとは思えないけど…
ソースキボン無知野郎氏はイスラム系テロリストに対して一方的な偏見、視点(持たざるをえないと言えなくもないが)
を最初から設定しておられる、またテロリストをなんかサークル活動と同一視してるような軽さが気になる。
たとえばイスラエルは建国前後にアラブどころかイギリスにまでテロ活動を行った末に
独立を果たした。アラブ側はともかく世界の多くの国はその事実を無視するか黙認しているのか
そのテロ活動でイスラエルを非難したと聞いたことはない。
イスラエルの建国初期のテロに対してソースキボン氏はどのような視点を持っているのか。
もちろんイスラム原理主義のテロも許せはしないがイスラエルのやったことは肯定できるのでしょうか。
ソースキボン氏以外の識者の意見も聞きたい。
111 :
名無し三等兵:03/11/30 12:55 ID:l2bESPKN
113 :
名無し三等兵:03/12/01 21:24 ID:p22AOMLv
テロにも、ゲリラにも、コマンドにも、NBC攻撃にも
非対称戦を含むあらゆる事態に対して戦車をそろえておけば
有効です。戦車万歳!
>>113 そんな貴方にT-72神への帰依をお勧めします。
オブイェークト!
真面目な話、純軍事力(正規軍)だけでゲリ・コマ(テロリズムでもパルチザンでも良いが)
相手に究極的な勝利をおさめられた例はあるのかな?
大陸における討匪戦の難しさを御老人から耳にしたことがあったし、
ベトナムやアフガンにおける米ソ、イスラエルとパレスチナ、
古くはナポレオンまで、どうも分が悪い気がする。
ヨーロッパにおける近代国民国家成立以降、
正規軍が、正規軍を相手に戦うものとして作られすぎていないだろうか?
115 :
名無し三等兵:03/12/01 23:11 ID:8z1w+pII
で、戦車はいらねーんだろ?
>>115 コレがあると、すげー便利。そんで 味方の死傷者も減りまつ。
>>110 二重基準が問題なのは確か。
(無差別テロという手段を正当化しうるものではないが。)
アルビン・トフラーの「パワーシフト」には、
中南米の対ゲリコマ指揮官の述懐が挙げられているが、
テロを育んでいる社会構造・諸問題をそのままに、
自分達だけに低烈度戦の汚れ仕事を押し付け続ける政治の無能に対して
深刻な疑念と失望を述べていた。
軍ヲタは軍人(軍隊)に過剰な事を押し付けすぎていないか?
そう反省する今日この頃。