【日本】の特殊部隊について語ろう5【警察ネタNG】

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510Mk-46 ◆YbZ.j.w7T2
ところでテロリズムを国家(および交戦団体)の道具とみなす伝統的な考え方は、
先に触れたとおり古典的な国際社会観を前提にしている。
そこでは国家とは「理性的」な存在で、
単一の人格に擬することができるほどに、統一的な意思決定プロセスを有し
程度の差はあれ戦争を外交手段の道具と割り切ることができるまでに
「洗練」された「欧州正統的」な闘争文化の伝統を有している。
(非常に興味深いことは、この「理性的」な闘争文化と二度にわたる世界大戦の勃発ならびに
ソ連の登場であろう。これらの出来事は欧州本来の闘争文化に相反する存在である。
ただしソ連の場合、あっさりと国際共産主義の「妖怪」を放擲し、
すみやかに欧州の伝統的闘争文化に適合していったわけであるけれども。)
そうした「正統的」な国家の軍事行動は、それなりに目的合理性をもっており、
交戦者間の外交交渉のなかで
政治的外交的目標が達成されれば、またはなんらかの政治的妥協が成立すれば
テロを含む交戦状態は中止されるか、あるいは中止されると期待されていた。
(むろん「交渉」の結果が、彼我の戦略的優劣状況に大きく依存することは、いうまでもない。
また交渉結果がときに一方の無条件降伏・全面武装解除という形をとるコトにも、あらためての説明は不要であろう。)
つまりテロは、「理性的」な国家によって操作される制御可能な手段的存在であるわけで、
国家間闘争の側面からいえば、「勢力均衡」や残酷な「レアル・ポリティーク」の副産物にすぎなかった、とみることもできる。