作ってみました
世界史って勉強しておいた方が良いんですか?
・何学部受けるの?
・入試科目に「世界史」あるの?
4 :
世界@名無史さん:2001/04/20(金) 02:59
世界史ではなく古文だが、ある高校の先生の話。
「今の時代に古文なんか勉強して何の役に立つのか」と生徒
によく聞かれるそうだ。
彼はこう答えることにしているとのことである。
「先生は古文を勉強したから、今おまえたちに古文を教えて
給料をもらってるぞ。これを時給に換算すると(と具体的な
数字をあげる)。どうだ、勉強すると役に立つだろう」
5 :
世界@名無史さん:2001/04/20(金) 03:10
8 :
世界@名無史さん:2001/04/22(日) 17:44
>>2 興味あるなら選択して(いまは必須かな?)。
深くやればやるほど面白い。
少なくとも私にとってはね。
9 :
世界@名無史さん:2001/04/22(日) 17:50
歴史はすべて 原因→結果の繰り返しだからね、
逆に辿ったほうが面白いかもよ。
僕はその方が頭に入ったけど・・・
>>9 逆に辿るとは? 例えば、1000年→900年→800年みたいなことですか?
11 :
とおりすがり:2001/05/28(月) 08:27
世界史は必要に一票。
だって海外旅行でどこに行こうかって思ったとき選択肢が広くなる。
あと、私は5流私大法科だったけど、日本史で法律が出てくるのって明治以降
って感じがするし。
あと、歴史の裏話も、「世界」史だけあって面白いものが満載。
12 :
世界@名無史さん:2001/05/28(月) 08:39
経済学などの社会科学をやるつもりなら近世の歴史はやっとかないとまずいね。
でも何やるにしても高校の教科書で歴史の流れぐらいは押さえておかないと教養
不足と言われても仕方ないでしょ。
13 :
名無しチェケラッチョ♪:2001/05/28(月) 08:56
人類有史以来5000の道程をひとりじめできるんだから、
こんなおいしい教科は無いと思われ。
古文に有利、入試に有利とかいう即物的・功利的動機で日本史選ぶと
かならず後悔するぞ。
14 :
世界@名無史さん:2001/05/29(火) 21:43
あげてあげる
15 :
世界@名無史さん:2001/05/29(火) 21:48
>>2 世界史は勉強せずに入られないものです。マニアなら
16 :
アマノウヅメ:2001/05/31(木) 20:47
>>2 私が高校生の頃は
普通科は全科目必須だったから
全員理科4科目社会5科目とらされた。
その中で世界史が1番面白かった。
日本史は後で勉強する機会が結構あるし、
地理は常識だし(私の常識どうしてくれる?)
世界史を若い内にきちんと習っておくのをお勧めします。
17 :
ガージー:2001/05/31(木) 22:09
世界史面白いし大学でも役に立つから、
がんばって欲しいけどやっぱりメインでがんばるのは英語でしょう
英語だけで入れる学校も多いし点数配分も多いところがあるからね
僕は、英語が駄目で、国語世界史が大得意だったんですが、
世界史が駄目で、英語国語が得意な友達のほうがいい大学に行きましたよ
18 :
世界@名無史さん:2001/06/02(土) 19:15
世界の文学を勉強したい、図書館員になりたいって時にも
世界史がいるような気がするんですけど、いりませんか。
19 :
世界@名無史さん:2001/06/02(土) 22:51
>>18 図書館員=司書でしょうか?
司書資格取るのに必要な単位の中にそれらしいものはなかったような気が・・・
ちなみに司書資格取るには学生にとってシャレにならんほど金がかかるようです
20 :
アマノウヅメ:2001/06/03(日) 10:27
>>18 司書の資格に世界史が必要かどうかは知りませんので
学校の進学相談室で資料を調べてください。
外国文学を勉強するつもりなら、世界史の知識は不可欠です。
大学に入ってから勉強したって、到底追いつけません。
文学部は国文科(今でも古文・漢文バリバリのとこあり)でも
比較文学や哲学やりますから。
21 :
G:2001/06/03(日) 13:21
世界史大好きな高校生です。大学で英語と世界史がやりたいのですが先輩に相談したら英語は案外いろんな学部でできるけど世界史はできるとこが(英語に比べて)少ないから史学部にいけば?といわれました。大学に関する知識も疎く、電話帳のような進学本を調べるのは大変だしその大学の良いところしかかいてないので大学の実像がつかめませんぜひ良い史学科のある(逆に悪いとこも)をおせーてくらさい。頭はあんま良くないです。あと映画も好きdeath
22 :
世界@名無史さん:2001/06/03(日) 14:56
私も世界史大好き高校生です、もちろん文理選択は文系にいきましたが、
担任に「おまあ 文系で世界史やって 職あるおもたら あかんど」と
かなりおどされました。世界史やって手に職つくんでしょうか。
それとも世界史は教養科目として捉えたほうがいいですか?
23 :
世界@名無史さん:2001/06/03(日) 15:59
>>22 英語を将来の役に立てて、世界史は趣味なんだよね。
だとしたら、そのアドバイスとは逆になるけど、英語をみっちりやって
くれるコースを選ぶほうがいいよ。そしてその大学に史学科があればい
い。自分はそこに入らずに、図書館でウハウハすればいいのさ。
(実は自分もそうだけど)歴史が好きだけど他学科という人はたくさん
いる。自分で研究者になろうとすると話は変わるけれど、ただ歴史を学
ぶのなら、特に授業でてほどきしてもらう必要はない。
大学図書館にはたくさんの英語の歴史の本がある。英語ができる他学部
生のほうが、英語が苦手な史学科学部生より世界史では濃い勉強ができ
るかもよ。
24 :
世界@名無史さん:2001/06/03(日) 17:47
25 :
世界@名無史さん:2001/06/03(日) 20:16
26 :
佛の教え大学:2001/06/03(日) 21:12
>>19 >ちなみに司書資格取るには学生にとってシャレにならんほど金がかかるようです
ほーかね??
おみゃーさんのは、どこのお話かね。
織れが通ってる大学に司書資格課程あるけど、取得せんならん単位がシャレにならんほどあるが、「金がかかる」ってことはないよ。
場所によるんでないかい?
27 :
世界@名無史さん:2001/06/03(日) 23:02
司書とるんなら京大とかいってもムダなのかな。
28 :
世界@名無史さん:2001/06/03(日) 23:53
>>23 なるほどね・・・素直に史学科に入ってしまったおれは
自分の興味に合わない授業ばかりで歴史熱がかなり冷めて
しまったよ。卒業してからは復活したけどね。
29 :
世界@名無史さん:2001/06/04(月) 01:08
30 :
G:2001/06/04(月) 18:34
23>なるほど・・・あたしの通ってるばかーん高校では絶対聞けないお話です。 28>どこがどうおもしろくないのか詳細希望します。あたしのイメージでは高校生の世界史=広く浅い歴史、大学世界史=狭く、ディープで好きなジャンルのみできる歴史ってな感じなんですど実際問題どおーですか?あたしは今ならってる世界史の先生が早稲田卒の外国すきすき歴史マニアでかなり楽しい
31 :
世界@名無史さん:2001/06/04(月) 18:40
32 :
世界@名無史さん:2001/06/04(月) 22:25
おじいさんの元高校の歴史の先生と話をする機会がありました。
その先生は、昔は本に出てくる場所に実際に行くなんて全く考えられなかった。今の人がうらやましいと言っていました。
特に中国史の舞台には行きやすくなりました。若いうちは、時間もあるし、貧乏旅行もやりやすいので行かれると興味が100倍になります。
33 :
28:2001/06/04(月) 23:46
>>30 結局、大学ってその教授の研究分野のお話になることが多い。
教授の研究分野と自分の興味が重なればいいが、単位の都合上、
重なるのは少数。卒業の単位のためには興味のない分野の授業も
とらなくてはならない。
具体例としてはおれの場合、考古学がそうだった。興味など
まったくないが、必修科目だったため、一年間縄文人のトイレの
話を拝聴しなければならなかった。
あと、教授の独りよがりにも注意。近現代ドイツ史の授業を
とったら、1945年のドイツ敗戦から1955年のドイツ分裂が
決定的になるまでのことしかやらなかった。
もちろん全部がそうだっていうわけじゃないよ。自分の興味ある
分野をしっかり教えてくれる授業もあるし、全然興味のない分野だった
けど、ものすごく楽しい授業で引き込まれてしまったというのもある。
史学科に限らず、一般教養の世界史でも同じじゃないかな? 結局は
教授しだい。
34 :
世界@名無史さん:2001/06/05(火) 01:08
あくまで個人的意見だが。
「自分のやりたい勉強がやりたい」という気持ちはすごくわかるけど、
あまり興味のない内容だったとしても、真面目にやった方がいいと思う。
やりたいことだけやってると、どうしても視野が狭くなってしまう。
逆に興味ないことでも、それなりに真面目にやってれば、
有形無形のいろんな形で本業に活きてくる。必ず。
若けえんだからセコいこと言わず、なんでもやってみた方がいいと思う。
35 :
世界@名無史さん:2001/06/05(火) 06:38
私が大学に入ったのは15年ほどまえで、キタローの音楽に乗ってシルクロードが大ブームだったころ。そのブームにかき立てられ、東洋史学科にもたくさんの学生が来た。
大ブームではないけれど、三国志ファンもあるていど来ていた。
これらの題材が、「東洋史学の研究テーマ」としては難しい・ほとんどムリなことがわかって、大学での勉強そのものに関心をなくしてしまった人がいっぱいいたなあ。。。
36 :
世界@名無史さん:2001/06/05(火) 09:58
>>35 ほんとに約15年前に入学?
その頃は消防・厨房の時人形劇三国志見て三国志ヲタ増殖時代では・・・。
邪推はいいとして、よく聞く話ですね。
三国志ヲタは大学院に進学できない、とはよく言ったものだ。
実際私の周りでは、三国志ヲタの留年率高かったし。
三国志ヲタでも『三国志』をちゃんと読みたがるヤツだけ
いい卒論書いて卒業していったなあ・・・。
一部の東洋史研究室では三国志ヲタは「演義好き」と蔑称してるし。
(口が裂けても「三国志好き」とは言わないね。三国志とは『三国志』だし)
ま、高校生は進学のために参考にしてくださいな。
少なくとも大学の授業は楽しむためのものじゃありません。
テーマや教授による興味の有無など言っているようじゃ話になりませんね。
37 :
妄想:2001/06/05(火) 17:41
祭
38 :
アマノウズメ:2001/06/05(火) 19:34
>>30 私は史学科ではないので、お答えするの不適当かもしれませんが。
大学では科目の名前を見ただけではどれがどんな内容なのか
さっぱり解らないものです。
専門科目は1つでも落とすと卒業させてくれないので否応無しですが、
それ以外の科目をどううまく取るかが面白くするポイントです。
私が今でも取ってよかったと思っているのは地学と東洋史ですね。
地学は日本の災害の歴史で、地震、津波、台風、洪水と
史上の有名な災害は殆ど習いました。
当然、関西には忘れた頃に地震がある、ということも知っていたから
右往左往して言い訳している「地震無知連」の面々を
馬鹿野郎呼ばわりできたわけです。
東洋史は、女真族が後金国をおこし、山海関に入るまでという
手に汗を握るようなもので、自分で資料を探してもどうにもならず
そのうち、司馬遼太郎が書いてくれるだろうと期待してたら
ちょこっとだけ書いて、「これが最後の小説」と言われたので
がっくりしました。
ノートはどちらも残っていません。
30さんが、生まれる前のお話です。
39 :
世界@名無史さん:2001/06/05(火) 21:03
てやんでえ
40 :
G:2001/06/05(火) 22:02
結局とりあえず今は史学科を志望することに決めました。世界史の先生に相談したら世界史をやる人にとっては語学は必須で、外国語の文献なんかも読めないようじゃお話にならないし逆に外国文学なり比較文化を学ぶにしても歴史は必ず必要だから、結局外国語系学科にいっても史学科にいってもあまり変わらないよ、それより大事なのは自分の興味のあるジャンルをしっかり教えてくれる先生が大学にいるかを調べてその先生の著書なども読んで、そこに入れればずっとその先生にくっついてればいいよ。といわれました。大学生はちゃらちゃらした人らばっかだと思っていましたが話を聞く限りすごく偉い人らだなとおもいました。
41 :
世界@名無史さん:2001/06/05(火) 22:22
42 :
世界@名無史さん:2001/06/05(火) 23:09
あぼうん
43 :
35:2001/06/05(火) 23:19
40さんのレスの感想
>世界史をやる人にとっては語学は必須で、外国語の文献なんかも
>読めないようじゃお話にならないし
激しく同意。
高校生のうちはとにかく英語をしっかりやってください。
志望が西洋史であれ、東洋史であれ、いずれ自分の研究テーマの対象として、どこかの土地をえらび、その土地の現地語(現代語・古典語とわず)を身につけ、駆使せねばなりませんが、受験生にそのような語学の資質があるかどうか、英語の成績で判定されるという側面がありますから。自分の選んだテーマに関する欧米の研究成果を利用する、という側面も、むろんあります。
>それより大事なのは自分の興味のあるジャンルをしっかり教えて
>くれる先生が大学にいるかを調べてその先生の著書なども読ん
>で、そこに入れればずっとその先生にくっついてればいいよ。と
>いわれました。
これは理想論としてはそうだけど、高校生でそこまで決めるのは難しいかも。大学に入って史学の勉強をやることを通じて、自分のやりたいテーマ(そして師匠と仰ぐ研究者)が具体的に見つかるということもあるし。
自分の師匠が、所属大学以外の所にみつかった場合どうするか。
どの分野でも、その研究テーマに関する「学界」(大学教員を主として院生、学生、その分野に関心がある一般の人が結成する勉強会)」がたいていは組織されているから、学部生のうちから参加して、師匠と仰ぐ人と知り合いになり、研究テーマや勉強方法についてアドバイスを受けましょう。
自分の所属する大学のカリキュラムはきちんとこなし、制度の上で自分の指導教官となる人との関係もしっかりきちんとこなした上で、大学院からその師匠に名実共に弟子イリする、という段取りでよいと思います。
44 :
誤字の訂正:2001/06/05(火) 23:21
組織されているのは、「学界」ではなく「学会」でした
45 :
世界@名無史さん:2001/06/06(水) 00:44
46 :
世界@名無史さん:2001/06/06(水) 19:15
あほ
47 :
世界@名無史さん:2001/06/06(水) 23:03
48 :
世界@名無史さん:2001/06/07(木) 00:08
49 :
世界@名無史さん:2001/06/07(木) 18:29
50 :
田中洸人:2001/06/08(金) 02:24
51 :
世界@名無史さん:2001/06/08(金) 18:46
ちんこ
52 :
世界@名無史さん:2001/06/08(金) 21:35
53 :
世界@名無史さん:2001/06/09(土) 14:52
54 :
世界@名無史さん:2001/06/09(土) 17:56
55 :
世界@名無史さん:2001/06/09(土) 21:42
56 :
世界@名無史さん:2001/06/09(土) 22:40
57 :
世界@名無史さん:2001/06/09(土) 23:52
58 :
世界@名無史さん:2001/06/10(日) 13:45
59 :
世界@名無史さん:2001/06/10(日) 17:56
60 :
世界@名無史さん:2001/06/10(日) 19:27
61 :
世界@名無史さん:2001/06/10(日) 20:43
62 :
世界@名無史さん:2001/06/10(日) 22:05
63 :
世界@名無史さん:2001/06/11(月) 20:40
64 :
世界@名無史さん:2001/06/12(火) 19:31
65 :
世界@名無史さん:2001/06/21(木) 00:00
このスレもったいないね。もっと活用してよさそうだけど。
66 :
世界@名無史さん :2001/06/21(木) 00:34
民族大移動はどうして重要なんですか?
民族大移動自体良く理解していないので、出来れば説明お願いします。
簡単には説明できないことは分かっているのですが・・・・
67 :
66:2001/06/21(木) 00:57
誰か簡単にでもいいんでこたえてくれませんか?
68 :
世界@名無史さん:2001/06/21(木) 01:04
_____
_ -..::::::::::::::::::::::::ヽ、
/:::::::ヽ:::::::::::::::::::::::::::\
/::::::::::/~ ̄ ̄ ̄~ヽ::::::::ヽ
/::::::/ \::| _______
|:::::/ '⌒` '⌒ヽ |/ /
.|::::::| \ / | | 朝鮮朝鮮ってパカにするな!
|,/ヽ |`! < 日本人とどこが違う?
.| | < _ > |/ | クソの先がちょと違う!
\| ー─── |/\ \ 朴は死にましぇーん!!
0\ \⌒/ ./ ̄ |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/| \  ̄ /| 、 |
/ |ヽ、 \ _/| ヽ| ヽ
| \___/| .\
69 :
世界@名無史さん:2001/06/21(木) 01:30
民族大移動って、ゲルマン人がローマ帝国に入ってったやつ?
70 :
世界@名無史さん:2001/06/21(木) 02:22
>>66 ゲルマン人がローマ領内に移動することにより、ローマ帝国が
滅びた。そして古代世界が終わった。
71 :
名無しさん@1周年:2001/06/21(木) 02:25
>>69
ええそうです
簡単にどうして重要なのか教えてもらえますか?
72 :
名無しさん@1周年 :2001/06/21(木) 02:27
>>70 ありがとうございます
どこらへんが重要なんですか?
古代世界が終わったと言うのは、どういう歴史的価値があるんですか?
73 :
↑:2001/06/21(木) 02:32
音楽で言ったらパンクみたいなものさ。
パンクもアングロサクソン等のゲルマン系なのかな?
74 :
名無しさん@1周年:2001/06/21(木) 03:04
75 :
世界@名無史さん:2001/06/21(木) 03:07
>>72 政治・文化の中心がローマから北へ移った(東ローマは除く)
そして、ゲルマン的要素とローマ的要素とキリスト教の交じった
今日のヨーロッパの基礎が産まれる土壌となった。
76 :
世界@名無史さん:2001/06/21(木) 03:09
価値があるのないのとか、重要かどうかなんてのは、それこそ歴史観っつーか
物の見方考え方でどうとでもとれること。
重要さを計る尺度=歴史観ができてないのに何が重要かなんて理解できるはずがない。
そもそも変化を語るのが歴史であって、変化がなければ歴史もないでしょう。
歴史ってもんを短く言うと古代が中世になって中世が近代になりましたってこと。
ゲルマン人の大移動が重要なのは古代が終わって中世が始まったから。
ほら重要でしょう? まだわからない?
>>76 まあまあ、初めて本格的に世界史を学ぶ高校生に向かって
歴史観を要求するのは酷でしょ。
78 :
世界@名無史さん:2001/06/21(木) 03:14
イスラム帝国に包囲されて陸の孤島となったヨーロッパ半島の中に
ギリシア哲学とローマ帝国とキリスト教とユダヤ人とゲルマン人が
ぎゅっとつめこまれて発酵したら中世ヨーロッパができた。
この5つの要素の中で最後に入ってきたのがゲルマン人。
だから「ゲルマン人の大移動=ヨーロッパの誕生」
79 :
アマノウヅメ:2001/06/21(木) 03:15
>>66 ものすごく簡単にですが。
まず、東の方からフン族が攻めてきました。
フン族は匈奴の子孫といわれています。
秦の始皇帝や漢の高祖、武帝をなやませたくらい
強大な武力を持ってたんですが、武帝の時代から
漢に入れなくなったので(略奪生活です)
だんだん西に移動し、その一派がゲルマン民族のすんでるあたりまで
きたわけです。
ゲルマン民族も強いんですがフン族には敵わないので、トコロテン式に
西へ西へと移動し、ついにローマに入り込んだってことです。
石だか銅版だかに彫ったゲルマン大移動の図よいうのがあるでしょう?
あれみりゃわかりますよ。集団夜逃げってかんじ。
80 :
76=78:2001/06/21(木) 03:17
>>77 そお?かなりわかりやすく言ったつもりだが・・・
>>78の続き
ヨーロッパができたんだぜっ! スゲーだろ! ・・・重要だろ・・・
81 :
世界@名無史さん:2001/06/21(木) 03:19
そうそう。ほんとは大移動っていうより「撤退」「夜逃げ」「逃亡」ってのが正しい。
82 :
世界@名無史さん:2001/06/21(木) 03:49
大体、「古代」って表現が紛らわしい気がするんよー
マンモスや恐竜とかと同居してる世界みたいに聞こえてしまう。
83 :
世界@名無史さん:2001/06/21(木) 03:51
そういう妄想も楽しくていいじゃん。漏れなんか好きだなあ(藁
84 :
66:2001/06/21(木) 04:23
みなさんありがとうございます。
じつはめちゃくちゃしろーとでして・・・・
フン族って言うのはいまのなんにあたるわけですか?
ゲルマン族って言うのはいまのヨーロッパ系人種
の子孫と言うことですか?
85 :
世界@名無史さん:2001/06/21(木) 06:29
>>84 フン族は回りのいろんな民族に吸収されて消滅しました。
ずっとのちの時代だけどモンゴル帝国の時代に
征服の波に乗って世界中に広がったモンゴル人が
いまじゃモンゴル高原以外では見当たらないことを想像するといい。
遊牧民の征服者って数が少ないから
簡単に現地に溶け込んでうやむやになりやすい。
あと、ゲルマンはヨーロッパ人全部の祖先というわけでもないよ。
ゲルマン民族の大移動でヨーロッパができたというのは
現在のヨーロッパ諸国の元になった国をつくったという意味
(フランスとドイツが典型)。
ちなみに、ゲルマン喋ってた言葉の子孫は
ドイツ語・英語・オランダ語・デンマーク語など。
86 :
83:2001/06/21(木) 06:51
>>82 「古代」はマンモスや恐竜と同居してた。(巨大建造物の時代)
「中世」は妖精さんや魔法使いと同居してた。(宗教の時代)
「近代」は、人間以外は存在せず、人間同士でひたすら殺しあい。(理性の時代)
87 :
66:2001/06/21(木) 23:13
>>85 >>86 どうもありがとうございます。自分は中世後半から近代にかけては
理解している方だと思うのですが、どうも古代あたりの話には弱いです。
フランスとドイツの住民の先祖にはゲルマン族に当たる場合が多い
と考えていいのでしょうか?
ほかに考えられる○○族というのは何になるのでしょうか?
88 :
世界@名無史さん:2001/06/21(木) 23:54
フランスはガリア人の子孫じゃないの?
っていうか、ガリア人(先住民)とローマ人とゲルマン人の混血。
89 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 00:03
ピストルズとニューヨークドールズの精神の違いは解って欲しい。
90 :
66:2001/06/22(金) 00:14
どういう事か教えてもらえますか?
91 :
73 82 89:2001/06/22(金) 00:55
>>66 男子高校生がパンクロックにハマらんでどうすんねん! (・・なんつって)
92 :
チョー遅突っ込み(藁:2001/06/22(金) 01:01
>>82 >大体、「古代」って表現が紛らわしい気がするんよー
>マンモスや恐竜とかと同居してる世界みたいに聞こえてしまう。
それ「古生代」(藁
93 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 01:05
>92
古生代にマンモスや恐竜はいないぞ。
恐竜は中生代、マンモスは新生代の生物だ。
94 :
アマノウヅメ:2001/06/22(金) 06:24
>>66 タキトゥスの『ゲルマーニア』に、ざっと眼を通してみませんか。
古代ヨーロッパには、色々な民族がいたことがわかります。
中世社会が出来上がるまでに、諸民族が移動し、混血して、
現在の、ヨーロッパ諸国の国民を作っていったわけです。
『ゲルマーニア』は、岩波文庫にはいっています。
現在品切れの可能性はありますが。
専門的に勉強するのではなくて、参考程度なら買う必要はないでしょう。
図書館で探してください。
そんなに難しいものではありません。
95 :
アマノウヅメ:2001/06/22(金) 06:29
>>66 カエサルの『ガリア戦記』もざっと読んでおくといいですよ。
拾い読みでかまいません。
96 :
85:2001/06/22(金) 06:39
>>87 フランス人は自称ローマ化したガリア人(ケルト系)の子孫だけど、
実態はおそらく
>>88の通り混血でしょう。
ただ、フランスの名前がフランク王国に由来しているのは事実で、
国家としてのフランスは間違いなくゲルマン系。
でもフランス語はラテン語系(ゲルマンではない)。
言葉で分ければいまのヨーロッパ人の言葉は大別して
・ゲルマン系(ドイツ、イギリス、オランダ、北欧など)
・ケルト系(アイルランド、ウェールズ、ブルターニュ半島など)
・ラテン系(フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルなど)
・スラブ系(ロシア、ポーランド、チェコ、セルビア、ブルガリアなど)
・バルト系(リトアニア、ラトビア)
・ギリシア系(ギリシア)
などインド・ヨーロッパ語族の話者が多数。
それ以外では
・バスク人(系統不明のバスク語)
・ハンガリー人、フィンランド人、エストニア人(ウラル語族)
・マルタ人(マルタ語はアラビア語の親戚らしい)
・東欧・ロシアのトルコ系諸民族(トルコ語族)
なんてところかな。
数え漏れはまだあるかもしれない。
まあ、最低でもこれだけの種類の言語を用いる
民族集団がヨーロッパに流入してきたのだと思いねぇ。
考えてみればいまも移民としてたくさん流入してるしね。
それと、これは近代ナショナリズムの問題だけど
現代の人間は今ある民族の区分を過去に遡及させて
ひとつの祖先・民族から順々に枝別れして
たくさんの民族ができていったように考えがちだけど、
古代ヨーロッパのような民族の移動は頻繁に起こっているから
民族の成立に際して複雑な混血があって当然。
「〜人は古代○○族の子孫」だなんて
単純には言えません。
97 :
66:2001/06/22(金) 17:43
ううう・・・・アマノウヅメさん、85さん 皆さん涙であります。
ありがとうございます。
話を民族大移動に戻してもらってもいいでしょうか・・・
>現在のヨーロッパ諸国の元になった国をつくったという意味 (85さん)
というのはもう少し具体的に言うとどういう事でしょうか?
子孫ということを簡単に言えないことは良く分かりました。
しつこいようですがよろしくお願いします。
98 :
85:2001/06/22(金) 19:14
>>97 これは大雑把な理解で厳密に言うと間違いなんだろうけど。
それまで西ローマ帝国としてまがりなりにもまとまっていたものが
フランク族のフランク王国がフランスとドイツに、
アングル、サクソン、ジュート族のヘプターキーがイングランドに、
ロンバルド族のロンバルド王国が(北)イタリアに、
西ゴート族の西ゴート王国がスペインとポルトガルに…、
と分断されてそれぞれ繋がる原型を作ったってこと。
99 :
66:2001/06/22(金) 20:50
>>85 なるほどおお、、ありがとうございます。
そういうことかあ。
うーんすばらしい。。恥を忍んで聞いてみて良かったです。
100 :
世界@名無史さん:2001/06/24(日) 00:52
もうすぐテストです。範囲は中国の最初から隋の前まで。
出るとこ教えて。
101 :
世界@名無史さん:2001/06/24(日) 02:08
焚書坑儒という漢字を書き損じないでください
102 :
100:2001/06/24(日) 02:29
>101
アドヴァイスありごとうございます。
漢字は難しいのだらけなんで記号にかけることにします。
103 :
自転車小僧:2001/06/24(日) 03:25
>102
甘いな。
テストは教師の娯楽の一つ。難しい漢字は意味と
セットで覚えとこう。
それから地図もきちんと見といた方がいいな。
キーワード
春秋の七国、秦始皇帝、度量衡、郡県制、陳勝呉広、
武帝、張騫、司馬遷、晋、四六駢儷体、文選、
顔氏家訓、科挙、大運河、突厥、匈奴、鮮卑などなど
順番めちゃくちゃだから自分で調べなさい。
104 :
世界@名無史さん:2001/06/24(日) 03:34
俺は漢字が嫌いで世界史を選択した。武士の名前なんて
かけねえよ
105 :
世界@名無史さん:2001/06/24(日) 04:07
顔氏家訓なんてもの高校世界史で出てたっけ…?
山川の用語集に載ってる?
先史時代から出るなら仰韶文化、竜山文化、彩文土器かな。
戦国の七雄もひととおり覚えるとか。
諸子百家も整理しておいたほうがいいね。
経済史で専売制とか均輸・平準法、
屯田制、占田・課田法、均田制、租庸調制…。
隋は入らないなら科挙とか官僚制は出ないかなぁ。
とにかく、続けて書いてある王朝ごとの事象を
テーマごとに時代を繋げて整理して理解するといい。
106 :
ドクトル・ゲー:2001/06/24(日) 04:30
自転車小僧さんのと105さんのでだいたいOK。っていうか完璧か?
>>105 顔氏家訓は確かに超高校級。では山川の用語集を調べてみますか。
ふ〜む、どれどれ。がんしかくん、がんしかくん……って載ってね〜!
やっぱり顔氏家訓は高校じゃ出てきませんって。
107 :
100:2001/06/24(日) 10:14
なんか見たことあるようなないような単語が・・・
108 :
世界@名無史さん:2001/06/26(火) 04:42
>105,106
すみませんね。
何も見ずに書いたものですから、趣味で読んでた
『顔氏家訓』の名前を出してしまいました。
しかし、私が高校生の時、当時の貴族社会を知る
資料として『顔氏家訓』の一文が引用されていた
と記憶しております。
教科書は山川出版の新世界史でした。
卒業してすぐに改訂版が出ていたので削除された
のかも知れませんね。時の移り変わりは早いね。
109 :
100:2001/06/26(火) 20:25
ついに明日です・・・のーべんです・・・
110 :
世界@名無史さん:2001/06/26(火) 20:30
>>109 俺も高校時代は一夜漬けだったけどそれなりになんとかなったよ。
諦めずにいまからがんばれー。
教科書読み返すだけでもそれなりに語句は覚えられるし。
111 :
ドクトル・ゲー:2001/06/26(火) 20:30
112 :
100:2001/06/27(水) 00:43
ありがとうございます>all
でも今こんなとこにいる時点でダメですね・・・
113 :
世界@名無史さん:2001/06/27(水) 01:03
せっかくアドバイスしてやったのにのーべんとはどういうことだ。
二度と来るな。
114 :
世界@名無史さん:2001/06/27(水) 03:31
115 :
100:2001/06/27(水) 23:13
あの後微妙にやりました。他の教科もやらないといけなくて。
なんとか赤点はなさそうです。
みなさんのレスの中の語句もいくつか出たんですが四六駢儷体の漢字がかけませんでした。
>>113すみませんでした。もうきません・・・
116 :
105:2001/06/27(水) 23:19
>>115 >四六駢儷体の漢字がかけませんでした。
そりゃ俺も書けん…。
あれって唐文化だと思ってたんだけど、
もともとは南北朝なんだっけ?
ま、とにかくテストおつかれさま。
次はちゃんと勉強してよね。
117 :
世界史@一教師:2001/06/27(水) 23:20
作問中です。やっとできたとこ
みなさん勉強してますか。ちなみにテストは来週の月曜日・・。
だいぶはしょってしまった。勉強してた人にはわるいけど。
出ないといって範囲をけずるのはだめだけど、出るといって出さないのは
OKだろうか(苦笑)
118 :
世界@名無史さん:2001/06/27(水) 23:21
世界史に親しむ上で役にたつ本教えてください。
論語とか?
119 :
世界@名無史さん:2001/06/27(水) 23:30
>>118 中国史で古典から入りたいなら十八史略がいいんじゃないかな。
120 :
世界@名無史さん:2001/06/27(水) 23:38
121 :
世界@名無史さん:2001/06/28(木) 20:11
122 :
世界@名無史さん:2001/07/02(月) 20:32
up! up! up!
123 :
世界@名無史さん:2001/07/02(月) 22:37
今年は西暦2001年、ユダヤ歴5761年らしいのですが
1378年とは何歴の場合ですか?教えてください。
まじ困ってます。
124 :
アマノウヅメ:2001/07/02(月) 23:03
イスラム暦じゃないですか。
126 :
世界@名無史さん:2001/07/02(月) 23:06
>>124 いや、今はヒジュラ暦(イスラム暦)では1422年です。
127 :
世界@名無史さん:2001/07/02(月) 23:27
>>123 ええと、ヒジュラの年がイスラム暦元年で、そのヒジュラが西暦でいうと
622年だから……
ヒジュラから1378年後(太陽暦で)は2000年で、今年と1年しか誤差がない
ようですな。
ただーし!
太陰暦であるイスラム暦の1年は、太陽暦の西暦の1年と長さが違います。
イスラム暦の1年は、西暦の1年より短いのです。
だから、今年がイスラム暦1378年ってことはありません。もっと進んでいる
はずです。
そのことを知らない人が、今年はイスラム歴で1378年にあたるはず、と間違
えた計算をして出した年ではないでしょうか?
128 :
123:2001/07/03(火) 00:01
>>124-127
ありがとうございました。
明日政経のテストで出るもので。
ちょっと調べてみたけど。
イランやアフガニスタンで使われているイラン太陽暦というのがあって、
それが太陽暦だけどヒジュラから紀元を起算する暦らしい。
だからイラン暦では今年は1379年らしいのだけど…。
130 :
世界@名無史さん:2001/07/03(火) 01:02
市民革命の意義を800字程度で教えてほしいのですが・・・
131 :
世界@名無史さん:2001/07/03(火) 01:12
132 :
世界@名無史さん:2001/07/14(土) 12:36
レポート手伝って
133 :
なあり:2001/07/14(土) 14:58
自分で書いてみて
誤りや足らない点を
指摘してもらいましょう。
134 :
世界@名無史さん:2001/07/19(木) 23:01
age
135 :
世界@名無史さん:2001/07/24(火) 17:34
高校生の方の質問はこちらでも受け付けまっす。
136 :
世界@名無史さん:2001/07/24(火) 18:17
北条時行って、どうなって死んだのですか
137 :
ぱぁ〜でんねん:2001/07/24(火) 18:21
おでは世界史はそこそこ好きだった。大学行かず諸外国を貧乏しながら生活したが実際その地に触れ人々をコミニュケーションをしない限り実感が湧かななかった。アホで馬鹿(のほほんと過ごしていた)な学生であったことを思い知らされたね。以来世界歴史はすべてが連携してるので閑があれば目を通す事にしている。おでは宗教繋がりで眺めているけどおもしれ〜よ。外国生活しはじめると日本も外国扱いになって客観的に観れ始める。学生のとき苦労しても頭に入らなかった事象がすらすら入ってゆくんだなこれが。もっと早くから覚醒したかったよ。帰国子女の人々が羨ましい祖国とは何かということを早くから考えるチャンスがあるのだから。
138 :
世界@名無史さん:2001/07/24(火) 23:18
おで
139 :
世界@名無史さん:2001/07/25(水) 00:17
聖徳太子は実在しない。
ってー説をぶっこいた学者さんいたけどどうなったの?
真偽の程は?
140 :
世界@名無史さん:2001/07/27(金) 17:52
age
141 :
日本@名無史さん:2001/07/27(金) 18:04
教えて下さい。
第二次世界大戦で敗戦国は占領されたけど
イタリアの場合はどーだったんですか?
イタリアは降伏してから逆に同盟国だったドイツ
を攻めてますが、何故その様な事ができたのですか?
142 :
世界@名無史さん:2001/07/27(金) 19:39
>>141 イタリアは戦勝国です。
バドったあげく、ムッソリーニをつるし上げにして連合国に寝返ったので
戦勝国になりました。
143 :
日本@名無史さん:2001/07/27(金) 20:02
>>142 結果的にはそうなったのはわかるんですが
その経緯を詳しく教えて下さい。
あは、バドったあげくじゃあ判らないよねえ(笑)
145 :
名無しさん:2001/07/29(日) 17:45
age
146 :
世界@名無史さん:2001/08/07(火) 10:59
インドの「クーラシェイカー王」って何朝ですか?
147 :
工房 ◆8WZTcFWg:2001/08/10(金) 19:40
カースト制度がもたらした功績みたいなものってあるんですかねえ?
148 :
世界@名無史さん:2001/08/10(金) 22:22
ローマ帝国がギリシアポリス群とちがって巨大帝国を作れた理由を
1600字程度で教えて下さい
149 :
世界@名無史さん:2001/08/10(金) 22:44
>>142 >バドったあげく、ムッソリーニをつるし上げにして連合国に寝返ったので
>戦勝国になりました。
バドったあげく、というのはバドリオ政権のことですか? たしかに大戦
末期、枢軸国側の劣勢のなか、イタリアではファシスト政権を維持しよう
とするサロ共和国とパルチザンの戦い(内戦)が おこりました。結果的に
は連合国に支持されたバドリオ政権がサロ共和国をたおし、ご存知のように
ムッソリーニは広場にて逆さづりにされ最期をとげました。しかしながら
イタリアは戦後、国民投票の結果国王ヴィットリオ・エマニエル3世を退位
させ、新しく共和国に生まれ変わりました。これが真の意味で戦勝国とは
いえるかどうかわかりませんがフィウメ、トリエステなどいわゆる「未回収
のイタリア」(Italia Irredenta)問題は戦前とかわらず残ったままでし
た。
150 :
世界@名無史さん:2001/08/10(金) 22:56
ポリビオスの「ローマ史」によるとギリシアは政体循環で不安定だったのに対してローマは混合政治だったので安定していたから、ということらしいですね。
151 :
世界@名無史さん:2001/08/10(金) 23:06
>>148 ちょっと1600字でっていうのはきついので次の論点で結論を出してみて
ください。
@ギリシアポリス時代後半はポリス間の争いが絶えず起こっていた。
→ペロポネソス戦争(アテネ対スパルタ)、レウクトラの戦(テバイ対スパルタ)など
A古代のギリシアは北方にマケドニア、東方にペルシアという脅威が存在し拡張する機会を奪われていた。
Bローマでは植民地支配においてローマ市民権と同等のものを植民都市(コロニア)にも与えた。
Cローマは地理的にも大きな脅威はなく、ポエニ戦争でのカルタゴに対する勝利以降、属州支配を
強化し、かつここを中心として領土拡張の機会をうかがえたということ。
152 :
世界@名無史さん:2001/08/10(金) 23:28
>>151 (2)の論点は「脅威を軸に結束できなかったのは何故か」という点を記述する必要が出てくるので、むしろ「市ごとの市民権の閉鎖性」を挙げた方が無難では。
ローマはローマ市民権を広く許すことで拡大できた、というのが教科書での論調だった記憶アリ。
153 :
世界@名無史さん:2001/08/11(土) 00:52
>>152 同意。
>>148 1600字なら
1.アテネ市民とローマ市民の人種
2.(解放)奴隷の扱い
を調べてみ。
154 :
世界@名無史さん:2001/08/12(日) 14:12
日本は以前中国に朝貢してましたが、明・清にもしていたんでしょうか?
又、どれくらいのペースでしていたのでしょうか?
155 :
世界@名無史さん:2001/08/12(日) 14:21
ヒッタイトはなぜ滅びたのですか?詳しい方教えてください。
156 :
世界@名無史さん:2001/08/17(金) 23:43
ヨーロッパの帝政と王政はどう違うのですか?
皇帝は教皇から戴冠を受けた有力貴族で、王はただ単に一番強力な貴族の家主
ということなのでしょうか?
ということは皇帝の概念はキリスト教信仰に基づくものなのでしょうか?
157 :
世界@名無史さん:2001/08/18(土) 01:07
>>154 >明・清にもしていたんでしょうか?
してません。
朝貢というのは、中華帝国の秩序に入り「倭国王」などの冊封を受けて
貢ぎ物を持っていって、お返しに下賜品を貰うというパターンです。
支那は前近代において、朝貢貿易以外の貿易形態を公式には認めなかっ
たのですが、そもそも清代は日本側が鎖国していましたから、日本から
積極的に交易に出て行くことはなかったのです。
また、明との貿易については、足利義満が「日本国王」を名乗って日明
貿易を行ったことから、明から見れば朝貢してきたという形になってい
ます。
日本側は単に交易のための便法と考えていたとされています。ただし、
研究者によっては、足利義満は天皇を廃して自分が最高権力者になろう
としていた、という説を立てる人がいて、そのような主張では、義満は
明の冊封を受けるつもりでいたともされています。
むしろ、明代では朝貢貿易ではない民間の密貿易(自由貿易?)を求め
る動きが「倭寇」として活発化したと考えてよいでしょう。
158 :
世界@名無史さん:2001/08/18(土) 01:36
>>156 ヨーロッパの皇帝は、ローマ帝国の皇帝をイメージしています。
ローマの皇帝はもともと「最高司令官」の意味です。最初の皇帝の
アウグストゥスが王になるのを遠慮して「第一の市民」と名乗った
ために、こんな特徴ができました。
・文明世界の指導者。世界でたった一人。
・優れた将軍である
・各階層の人々ら推戴されて即位する
・だから、血筋は問わない
それに対して王はこんなものです。
・国民(民族)の指導者。世界の国の数だけある。
・血筋が大事。世襲される。
皇帝のほうが不安定にみえます。この違いは、ドイツの「皇帝」と
ヨーロッパ各国の「王」に引き継がれました。ドイツの皇帝権は弱い
としばしば言われます。
ところで、優れた将軍が、国民の推戴を受けて、血筋に関係なく、
皇帝になったのがナポレオンです。王でも貴族でもなかったナポレ
オンも、皇帝の資格はありでした。
159 :
世界@名無史さん:2001/08/18(土) 01:45
>>156 ヨーロッパに限定して言えば、帝政はローマ帝国に由来します。
どんなこじつけでも、一応は、ローマ帝国の後継でなければ「帝国」で
はありえません。
キリスト教との関係でいえば、ローマ帝国は途中からキリスト教を国教
にしていましたから、関連性はありますが、皇帝の称号はシーザーやア
ウグストゥス、あるいは古代ローマの役職名に由来しています。
ちょっぴりあやしいのは、ナポレオンの帝政なのですが、ナポレオンも
皇帝の第一の紋章として鷲を採用していますし、皇帝になるまでの手順
がほとんどシーザーなどのパクリに近いことから、一応はローマ帝国の
後継を自任していたと考えて良いようです。
一方、貴族の称号の古いもののいくつかはローマの地方長官などの役職
に由来しています。
王は、一国の世襲権力を手にした支配者が名乗る称号ということですが、
皇帝は王の中の王という意味合いもあるので、皇帝が王を任命したり、
指名するケースというのもあります。
160 :
158:2001/08/18(土) 01:45
うーむ。細かくつっこみたい所がいろいろできたなあ。
自分でするのもこの際なんなので、後の人補完よろしく
161 :
る:2001/08/18(土) 02:31
僕の中で何かが
なんかあやしい!
と叫んでいる
162 :
世界@名無史さん:2001/08/18(土) 16:34
>>158 >>159 どうもありがとうございました。考え方的には偉大さでは皇帝>王なのかも知れませんが
中世以降実態はそうではなかったような気がします。
しかし帝政ローマの後継者となることに名誉があるということは、やはり民族移動の
混乱の中でローマが滅んだ後でも、数百年も続いた偉大な帝国ということで崇高さを感じる
意識が、ヨーロッパ人の中にはあったということですね。
163 :
世界@名無史さん:01/08/28 00:11 ID:Qf5kkyvE
あのー、結局『海の民』って何なんですか?
民族系統不明、とにかくいろいろぶっ壊しまくった、
ってことだけはよくわかったんですが、
あまりにもハチャメチャで理解不能&興味津々です。
世界史の先生が目からレーザーを出したとか
竜の船に乗ってやって来たとか言ってた気がします。
気になって仕方ない…。
164 :
世界@名無史さん:01/08/28 01:16 ID:wqLP0Yik
>>163 「海の民」はあまりにも正体不明、様々な説が錯綜してます。
(ひどいのになると、アトランティスの生き残りとか)
「民族系統不明、とにかくいろいろぶっ壊しまくった」が、案外
一番正しい理解ではないかと思われます。
だが、実はヒッタイト滅亡も実は海の民のせいではないという説も・・・
わけ分かりませんね。
とりあえず、教科書的な図式だけでいいでしょう。
バルカン・エーゲ海方面から民族系統不明の連中が東地中海一帯に乱入
↓
当時の2大強国 ヒッタイトは滅亡 エジプトは何とか撃退するも勢力後退
(ミケーネ文明も、ドーリア人でなく海の民にやられたらしい)
↓
破壊の後で、アラム・フェニキア・ヘブライの活動する余地が生まれる
オリエント史専攻でもなければ、責任もっていえるのはこの程度です。
後からもっと詳しい方が色々書き込んでくれるかもしれませんが、
あくまでも参考程度にすべきで、「これが真実だ」と信じ込むのは危険です。
165 :
遊べ!:01/08/28 01:23 ID:eyt4UA9Q
166 :
163:01/08/28 01:40 ID:Qf5kkyvE
回答ありがとうございます。
> 「民族系統不明、とにかくいろいろぶっ壊しまくった」が、
> 案外一番正しい理解ではないかと思われます。
そうですか…。
結局今のところサパーリわからないということですね。
教科書に何も書かれてないのも妥当な処置ということでしょうか。
> 当時の2大強国 ヒッタイトは滅亡 エジプトは何とか撃退するも勢力後退
海の民に限ったことではないのですが、
何で民族移動ごときで帝国が一つ滅びてしまうんですか?
地の利や軍事力、人口など、どう考えても勝てない気がするのですが。
167 :
164:01/08/28 22:50 ID:4qR3xbDY
168 :
世界@名無史さん:01/09/23 14:21
うちの高校(私立)の世界史教師、古代から現代までやたらと「人民」という言葉を多用するんですが、
やばくないでしょうか?
169 :
世界@名無史さん:01/09/23 14:35
ちょっと調べてて新しい知識を得ました。
広島の高校で、日の丸君が代問題で自殺した校長、「土下座修学旅行」もやっていたんですね。
業深い考えだとは思いますが、一気に同情心が薄れてしまいました。
170 :
世界@名無史さん:01/09/23 15:54
「土下座修学旅行」とは何? 面白そう。
171 :
世界@名無史さん:01/09/23 16:01
半島の人達に児童全員で大地に頭を擦り付ける
神聖な儀式です。
172 :
世界@名無史さん:01/09/23 17:12
基礎の基礎ですが、よくわからないのが、
『民主主義と共和主義』、『共産主義と社会主義』の相違点。
というか、違いってあるんですか?
ちなみにアメリカは共和主義ですよね、けど民主主義でもあるんです…よね…?あれ?
広辞苑で見てみても、いっそスガスガしいほどワカリマセン。
173 :
世界@名無史さん:01/09/23 17:23
>>171 児童はみな、涙を流しながら半島の方々に頭をコンクリートの地面にこすりつけるのです。
どうしても涙を流せない児童は、同伴のセンセイがたに「手伝って」もらって無理やりにでも涙を流すとか。
174 :
世界@名無史さん:01/09/23 17:24
共和主義より民主主義のほうが左寄りなのでは
社会主義は社会福祉とかとリンクするイメージ
共産主義っていうとプロレタリア臭がプンプン
175 :
世界@名無史さん:01/09/23 17:45
>>174 話にならん。イデオロギー理論ではないよ。
ちゃんと共和制・民主制という用語を使いましょう
非常に大まかに言うと
共和制(共和主義)=国家元首である大統領を国民が選出
民主制(民主主義)=意志決定機関である議会の議員を国民が選出
共産主義と社会主義は基本的には経済理論です
社会主義=生産手段国営・生産物の平等配分
共産主義=生産手段国営・生産物の必要に応じた配分
この程度のことを教えられない世界史教師がいたら
その方はまずクズ教師と判断して間違いないでしょう。
176 :
世界@名無史さん:01/09/23 17:53
>>173 日本人なのにどうして半島流の墓参をするんだろう???
177 :
世界@名無史さん:01/09/23 18:25
サヨ教師の割合は、私立より国公立の方が多いのかな?
学長・学園長に明確な思想がある場合は除いて。
178 :
世界@名無史さん:01/09/23 18:28
>176-177
ハイハイ。新井さんはホントにジサクジエンがうまいねぇ。
とっととテメーの巣に帰りやがれ。この負け犬が。
180 :
世界@名無史さん:01/09/23 19:02
>>179 はずれだよ漏れは176
(・∀・) カコワルイ!!!
182 :
世界@名無史さん:01/09/23 19:35
>>175 共和主義=共和制でいいの?
共和主義を王制の場合と絡めて教えてください。
アメリカは共和主義と民主主義が両立してるってことなのかな。
184 :
世界@名無史さん:01/09/23 21:44
天皇制国家=天皇絶対主義国家というのは左翼教師の洗脳だ。
「現代の日本は天皇制国家」という言葉を即「天皇が国を支配している」とかいう妄想に繋げる。
これぐらいならまだ漢字で"左翼"と認めてやるが。
>181
アズマごときにコテンパンにやられた、日本史板きってのヘタレコヴァ。
日本史板から逃げ出して以来、いろんな板を板違いなウヨサヨレスで
荒らしまわってるらしい。伝説のヘタレ。コヴァの面汚し。
>184
今時そんな奴いるのか。それを言ったらえげれすは絶対王制か(w
187 :
世界@名無史さん :01/09/24 17:27
>>175 フランス第一共和制には大統領いないがどうなる?
大統領制と云わずなぜ共和制と云うんだ?
188 :
世界@名無史さん:01/09/24 21:21
共和制・民主制などを、あんまり厳密に考えない方がいいですよ。
歴史的に色々な変遷を経てきていますから。
民主制(democracy )は、おおざっぱに言うと、「多数者(の同意)による支配」。
歴史的にはアリストテレスによる支配の3分類に最初期の定義づけがあります。
君主制(monarchy):一人者の支配
貴族制(aristocracy)or寡頭制(oligarchy):少数者の支配
民主制:多数者の支配
民主制の中でも、多数者の意志が議会に反映する、とされるものが、
「議会制民主主義」「代表制民主主義」であり、
日本もイギリスもアメリカも、現代の「まともな」国家は、そうした体裁をとっています。
(女王がいようが、天皇がいようが、つまり「(立憲)君主制」であることとは別次元で、
日英両国を議会制民主主義の国として数えることは可能だし、実際にそうなされている。)
共和制(republicanism)は、非常におおざっぱには
古典古代(特にローマ=res publica)の政治を模範とする政体及び政治思想、のことです。
「徳=公共精神」による統治、という考えが根本にありますから、
君主の恣意的な支配(「暴政」=tyranny、「専制」=despotism)を、ほぼ対立概念 としますので、
通常は「共和制−君主制」を対立項として考えることがあります。
つまり、君主制でない統治は共和制だ、ということですね。これはこれで間違っていない。
(フランス共和制、と言ったりするのはこの用法ですね。)
一方、共和制が、民主制=「徳のない多数者の支配」に対立するものとして用いられることがあります。
(トックヴィルという人は「多数者の専制」という言葉で民主制を批判した。)
「民主制」「民主主義」という用語が、
プラスの価値を伴って使われるようになったのは100年かそこれですが、
民主制に反感を持つ人も、君主制や貴族制を称揚しにくい状況・場面があるわけで、
彼らは、「無教育でおろかな大衆の支配」ではなくて
「教育と政治能力のある人々による支配」を望む、という意味で、
「民主制」−「共和制」の二項対立を立てるわけです。
(アメリカの「保守派」が、「共和主義」という語をを好むのは以上の経緯による。
あと、現在の状況ではほとんど関係なくなりましたが、
君主がいても「共和制」である、と言うことは可能でした。
「徳」の支配は、混合政体(君主制・貴族制・民主制の3要素の混合)でこそ保障される、
ということが、かつては主張されていましたが、
このような、「共和制=混合政体」の文脈では、
国王・貴族院・庶民院を備えたイギリスの政体における「共和主義」、
が語られることもあったのです。
189 :
世界@名無史さん:01/09/24 22:33
アッバース朝は野蛮なモンゴル野郎に潰せれるまでは一応
存続してたんですか?
なんか教科書から領土が消えてるんですけど。
190 :
世界@名無史さん:01/09/24 22:35
>>189 よくその地図を見て下さい。
バグダッドの半径100キロくらいのところに点線があるはずです。
セルジュークなど、そのあたりを支配した歴代のイスラム国家の保護国のようなものです。
191 :
名前はまだ無い:01/09/24 23:39
質問です。
カンボジアで20年位前に知識人を大量に殺した事件の名前は何でしたっけ?
192 :
世界@名無史さん:01/09/25 01:04
>>188 完璧な解説ありがとうございます。
よく理解できました。
>>188 いやーほんとに完璧な整理でした。ほれぼれ。
194 :
世界@名無史さん:01/09/25 13:06
フリュクティドールのクーデター
について解説をいただきたいのだが
195 :
世界@名無史さん:01/09/25 14:04
>>157 >日本側は単に交易のための便法と考えていたとされています。ただし、
>研究者によっては、足利義満は天皇を廃して自分が最高権力者になろう
>としていた、という説を立てる人がいて、そのような主張では、義満は
>明の冊封を受けるつもりでいたともされています。
義満が明の冊封を受けようとしていたのは、天皇に代わる権力の拠り所を
求めていたためといわれています
>むしろ、明代では朝貢貿易ではない民間の密貿易(自由貿易?)を求め
>る動きが「倭寇」として活発化したと考えてよいでしょう。
いわゆる「倭寇」は民間人だけではなく、西国のれっきとした武士が使者を
高麗に送り、貿易(形式的には朝貢貿易)を行ったといわれています
学術的な文献でも文庫・新書という入手しやすく、読みやすく、価格も
お手頃なものが多数出版されています
自分の専攻分野以外でも、その気があればいくらでも勉強できる環境は
整えられていますので、若いうちにどしどし勉強して下さい
>>192 >>193 どうも。
でも間違い多いよ。
例えば、
共和制・共和政体=republic
共和主義=republicanism
めんどくさいから、そのままにしとこ、と思ったけど、
ここ高校生用のスレですよね。
入試とかで実害がでるとまずいので、訂正します。
197 :
桜丘高校文化祭にて:01/10/02 01:47
ナンキンで日本軍が中国人を30万人も殺した!
従軍慰安婦の賠償をしない政府はヒドイ嫌いだ!
そんな事ばかりの展示を見ました。
どう思う?
・・・ああ、高校生専用スレッドか。
じゃ、おいちゃんの出る幕じゃないな。
ま、お好きに
200 :
世界@名無史さん:01/10/02 02:09
軍事板でもお断りじゃい
豊橋の私立桜丘高校ね。
あそこはたしか愛知私教連の中核だったからな。
さもありなん。
アルカイーダ、ってどういう意味?
すいません。
急に割り込んで、でもオシエテください。
明日までに調べてこいって・・
先生が、タリバン、ジハードは、わかたんだけど・・
おねがいします。
206 :
世界@名無史さん:01/10/03 17:52
>>206 ありがとう。
なんとか、レポート書けるかな。
またオシエテください。
アルヴィジョワ十字軍について書いた本を探してるんだけど、何かいい本ありますか?ルイ9世の生涯でもいいです。
209 :
世界@名無史さん:01/10/03 23:00
白水社の文庫クセジュでなかったかしら?
アルビジョワ十字軍て?
南仏のアルヴィ拠点のマニ教の異端。ルイ9世がアルヴィジョワ十字軍を派遣して壊滅させた。
211 :
世界@名無史さん:01/10/04 03:54
昔、一橋の入試が、アルビジョワ十字軍で長文論述を課すという凄まじいことをやったらしいが…
高校レベルだとアルビジョワ十字軍なんてどうでもいいことだと思う。
来週から中間だ。
先生は、今回のテロ事件、宗教戦争を連想させる
ようなこと、言ってるんだけど、
ここに絞って、ヤマ、賭けたらあぶないかなぁ?
古代ロ−マ人と現代のイタリア人って同じ民族なんですか?
214 :
世界@名無史さん:01/10/04 16:52
>>211 そうそう、昔代ゼミの武井の世界史でやったよ!
215 :
アマノウヅメ:01/10/04 17:45
>>212 先生の性格にもよりますが一応他の箇所より念入りにやっておいて損はないと思います。
のりやすい先生なら出しそう。歴史は現代を写す鏡だとか言って・・・
216 :
世界@名無史さん:01/10/04 18:44
よく奥州平泉で死ななかった源義経が北海道にわたりジンギスカンになったという
伝説がありますよね?
世界には似たような『実は死んでなかった』というような伝説
って結構あるのですか?
217 :
世界@名無史さん:01/10/04 20:10
キリスト
218 :
世界@名無史さん:01/10/04 20:16
>>216 ロシアの話だけど、イワン雷帝の息子ドミトリーは不慮の事故で死んだにも
関わらず、のちにこのドミトリーの名を語る者が後にロシア皇帝になった。
それも1人だけでなく、2人も。
219 :
世界@名無史さん:01/10/04 20:18
世界@名無史さん !
昨日の話の続きなんだけど、まさにそのアルビジョワ十字軍で長文論述をやろうと思ってるんだけど。
というのは今、大学の推薦入試で「歴史上の人物ないし、出来事を1つ上げレポートにまとめること」という課題が出てて、アルビジョワ十字軍を調べることにした。
理由は、学校の世界史の先生たちとレポート内容を三時間あまり検討して、「米国爆破テロ事件と1番近い事例を挙げて対比的に論述したら。」という結論に至り、その1番近いのがアルビジョワ十字軍だった。
だからそれを調べる事になったんだけど、資料がないんです。具体的に何かいい案ありますか?
あと、もっといい論題があったら教えて下さい。
221 :
世界@名無史さん:01/10/04 22:13
あのう・・・今度の模試の範囲が「20世紀のアメリカにかかわる人物」ってなってるんですが
いったいなにをやればいいんでしょうか・・・もうさっぱりです・・・
222 :
世界@名無史さん:01/10/04 22:38
>>220 >「米国爆破テロ事件と1番近い事例を挙げて対比的に論述したら。」という結論に至り、その1番近いのがアルビジョワ十字軍だった。
よかったら、どこらへんが近いのかちょっと解説してくれろ。
激しく興味をかき立てられた。
223 :
世界@名無史さん:01/10/04 22:47
>>220 『西洋中世史研究入門』(名古屋大学出版会)によれば、アルビジョワ十字軍関係のまとまった研究書は
渡邊昌美『異端者の群れ』(新人物往来社、1969)が唯一だとか(古い・・・)。
あとは文庫クセジュに概説があったような気がするが・・・
本気でやるなら、カタリ派関係にまで手を広げた方がいかもね。
日本史畑の人間なので、アドバイスできるのはせいぜいここまで。
とりあえず、上記の研究入門を文献目録として活用して欲しい。
>>221 歴代大統領を軸に整理しとけば?
>>222 オレも詳しく知らないんで、本を探そうと思ってるんだけど、まあ話し合いの推移は
T、アメリカ(マジョリティー):タリバーン(マイノリティー) = ルイ9世のフランス:アルヴィジョワ派 ・・・ココを一番の論点にしようと思ってた。
U、米のキリストを主とした多宗教国家:イスラーム = カトリック教国:マニ教の異端 ・・・宗教上の違い
V、軍事力の絶大な違い
W、国際関係(各国の報復攻撃または侵略の支持率)
以上の4つの類似点がある。
ほぼすべての大まかな世界史事項を確認したところ、決定的な類似点はないけど、この事件が限りなく近かったので調べる事になった。
>>220 ほんとに助かった、有難う。
とりあえず、『『異端者の群れ』は国会図書館で発見したんで、読んでみようと思う。
でも、あまりに情報が少なかったら出来ないかもしれない。
ちなみに他に米国爆破テロ事件と近い事例として挙がったのが、
ヴェトナム戦争
チェチェン紛争
ペルー大使館爆破事件
中国のチベット侵略
第一回十字軍
ポエニ戦争
スパルタクスの乱
一応結論ではアルヴィジョワ十字軍が一番近かったのですが、何かいい事例はないでしょうかねぇ?
226 :
世界@名無史さん:01/10/04 23:52
そういえばタリバンのイスラムって
穏健なイスラム教国からは批判されてるよねぇ。
「異端派」のイメージをかぶせやすいかもね。
ただ、安易な文明の衝突論に陥らせないように気を付けたり
安直に過去の事例と現在を比較したりするだけに終らせないようにしたりして
書いたほうが大学の先生に受けは良いのではないかな。
そういうのって視点としては面白いけど、俗っぽい理解だから。
>とりあえず、『『異端者の群れ』は国会図書館で発見したんで、読んでみようと思う。
>でも、あまりに情報が少なかったら出来ないかもしれない。
情報不足ならその本の参考文献に当たってみましょう。
できれば英語でも厭わずに当たると良いけど、
推薦入試向けってことは時間がないかなぁ。
227 :
世界@名無史さん:01/10/05 00:00
222>
>>224 ああ、なるほど。確かに似てるな。サンクス。
223氏にならって、俺の知ってるソース書くと、
山川出版「世界歴史大系 フランス史1」の巻末に、比較的近年のものも含めて
参考文献がある。
堀米庸三「正統と異端」中公新書、1964
アルノー・ボルスト「中世異端カタリ派」新泉社、1979
渡邊昌美「異端カタリ派の研究」岩波書店、1989
以上はカタリ派関連。
英語サイトだが
ORB(the Online Reference Book for Medieval Studies)のサイトに
orb.rhodes.edu/
アルビジョワ十字軍の記事がある
orb.rhodes.edu/textbooks/crusade/albig.html
あとはAmazon.co.jpで手に入る英書だが、
The History of the Albigensian Crusade : Peter of Les-Vaux-De-Cernay's Historia Albigensis
W.A.Sibly著
The Albigensian Crusade
Jonathan Sumption 著
(※これは定評があるもののようだ。)
まあ、英語も気合いだから、がんばってくれ。
228 :
世界@名無史さん:01/10/05 00:05
『異端者の群れ』はかなり古いから、参考文献も欧米の古いのしか挙げられてない恐れあり。
やや焦点がずれるが、同じ著者の『異端審問』(講談社現代新書、1996)はかなり新しいので、こっちから入ったほうがいいかもね。
未読なので何とも言えんが。
後は国会図書館で、学術雑誌の論文を検索するとか。
229 :
世界@名無史さん:01/10/05 00:57
>225
米国爆破テロ事件と近い事例としてほかに考えられるのが
ニザリ・イスマイリ教国
イスラムの異端としてほかのイスラム教国やモンゴル帝国
とも敵対した。そのやり方が、全面戦争ではなく暗殺。
「山の長老」として有名。
参考文献として「暗殺者教国」岩村忍 ちくま学芸文庫
230 :
世界@名無史さん:01/10/05 00:59
たしかにニザール派いいかも。
圧倒的なモンゴル軍に潰されてるしね。
みんな「世界@名無史さん 」なんで、誰が誰だかよく分からなくなってしまったんだけど、
223さん、226さん、227さん、228さん!貴重な情報をたくさんありがとう!
これで論文書けそう。レポート5枚で11月初めまでだから、いまから読み始めれば多分間に合う。
また、論文書くときになったら、イロイロとまた迷惑かけるかもしれないけど、その時はヨロシク。
とにかく協力ありがとー。
「ニザリ・イスマイリ教国 」
これを主題にはしないけど、論文の途中で話に入れるのにはよさそうだね。
『暗殺者教国』読んでみるよ。
233 :
世界@名無史さん:01/10/06 01:43
海底火山のことなんだけど、
どうも、名前(火山の)に、日本の歴代天皇の名前がついているようなんだ。
雄略とか、あれってどうしてなんだろ。
沈んでしまえってことかなぁ。
海底火山のことだけど、どっか、詳しいスレ、ないかな〜?
235 :
( ´D`)ノ:01/10/06 08:41
>233
確かアメリカ人の学者がつけたはずだと思ったのれす。
高校のときの地学教諭が、
「オリエンタリズムを狙ったつもりなんだろうが、
露骨すぎてチョットダサい感じもするなぁ。」
って言ってたのれす。
ついでに質問なのれす。
「安史の乱」という一見破滅的な戦乱の後でも、
なぜ唐王朝はその後150年も存続しえたのれしょうか。
通常ならば済し崩し的に農民反乱に拡大して、
早晩、王朝はあぼーん!となるはずれすのに。
教えて!なのれす。
236 :
世界@名無史さん:01/10/06 09:36
>>235 王朝は無力化しても、台頭する地域政権である藩鎮勢力からは
一応支持されていたかられす。てへてへ。
237 :
世界@名無史さん:01/10/06 11:28
>>235 高校教科書では、江南を押さえるのに成功した、とか両税法が良かった、とかいう理由だったような。
238 :
攻防2年目:01/10/07 17:21
質問
西洋と中東の経済格差は何故起こったのですか。
239 :
世界@名無史さん:01/10/07 21:55
>>238 新大陸やアジア市場へ西欧諸国が進出して資本を蓄積したために、
東欧や中東はその食料・原料生産地に転落してしまった…
というのが一般的な説明かなあ。
240 :
223=228:01/10/08 15:34
>>231 (遅レスだが)どういたしまして。頑張ってね。
私もさっさと論文書かなきゃ・・・
241 :
世界@名無史さん:01/10/08 16:04
辛亥革命について初心者でも読みやすい本ありますか?
小説でも。
北部同盟に外相がいるってことは、国家としての機能をもっているの??
それは、西側に認められているの?
じゃあ、あそこら辺には、
『アフガニスタン』、という国と、
『北部同盟』という、国(?)と、
『タリバン』という、非公認の国というか、政権があるってこと?????
それぞれの代表って誰なんだろう?
>>242君
例えが良くないかもしれないけど、簡単に説明すると
A、B、C(その他にも)と言う三つの民族がアフガンにはいて、タリバンは一番
人口の多いA民族って事。昔からアフガンは人口の少ないBやCが支配していたから
それに反発してタリバンが出来たんだよ。
北部同盟はBやCがタリバンに対抗する為に一時的に同盟しているだけで仮にタリバン
が崩壊してもアフガンの中でまた内戦が起るだけ!
244 :
世界@名無史さん:01/10/09 17:16
北部同盟は元をたどると一昔前に内戦でバラバラになった旧統一政権。
同士討ちやってる間に第三勢力のタリバンに漁夫の利を奪われちゃったから
大慌てで団結し直したってことだね。
>>243 >昔からアフガンは人口の少ないBやCが支配していたから
それはちょっとはしょりすぎ…アフガン=パシュトゥーン(”A”)なんだから。
「昔から」というよりは「ここ20年くらい」だね。
>>243 どおも、ありがとございます。
じゃあ、国民はサ、アメリカが「アフガンの人々は、我々の友達」tいってる
避難民、彼らは、自分がどこに、支配されているのかわかってんの?
それとも、えらべるの?
>>244 判りやすく教えてくれてあいがとございます。
パシュトゥーン(”A”)って、なあに?
ウザ買ったら、何おしらべようか?
246 :
世界@名無史さん:01/10/09 21:22
>>IQ75君
>アメリカが「アフガンの人々は、我々の友達」
単なる詭弁だね!要するに「勝てば官軍負ければ賊軍」って事だよ。
>避難民、彼らは、自分がどこに、支配されているのかわかってんの?
そりゃ承知してると思うよ。で、選べる選べないは市民革命起こして
新政府建てればいいだけ。因みに北部同盟はアフガン人に支持されてる
わけではないよ。
>>246 おお〜・・R246、おいらのとおり道。。。
今、サスペンス見てるから、あとで、も一度、くるよねェ。
>>245 243氏の言うアフガニスタン最大民族であるA(仮称)というのが
正しくはパシュトゥーン人、別名アフガン人という民族ってこと。
ちなみにパシュトゥーン人は部族に細分化しているから、
おそらくタリバンに近い部族もいれば敵対する部族もいるだろうと思う。
>>248 じゃあ、国連というか、周りの隣接する諸国、および、西側(こんな表現??)
は、どー見てるの?
とくに、我がニッポンは?
つまり、どこに代表権があって、誰に対して特使を送ればいいのかと。。
>>249 日本政府はソ連のアフガニスタン進攻(79年)以来、
アフガニスタンに存在する全ての政権を
正統な政府として承認していません。
かといってアフガン情勢に無関心だったわけでもなく、
数年前にタリバン・北部同盟・元国王(73年に追放)のそれぞれの代表を東京に招いて
和平交渉を行わせようとしたが、見事に失敗。
国連にアフガニスタン政府として代表権を持っているのは
北部同盟の元になった旧統一政権(ラバニ政権)の残骸。
しかし、アメリカが元国王を引っ張り出してきたように
国際社会には「タリバン後」を北部同盟にそのまま引き渡す意志は薄いと思われる。
そもそも一度収まった内戦を再発させて
タリバンに台頭を許したのはラバニ政権だからね。
251 :
世界@名無史さん:01/10/10 22:16
>>238 ちょっと変わった説明では、
森林資源(燃料)の枯渇が扶養可能人口を制限し、
マンパワーの不足が西欧に追い抜かれる素地を作った。
とゆーのもある。
>>250 詳しく教えてくれてどもありがとございます。
1行1行よく読んで、ゆ〜っくりりかいします。
でェ〜、、、振り出しってェかぁ〜、
「ハマス」って、なんだっけ、いま、どおしてんだろ?????
253 :
世界@名無史さん:01/10/11 22:11
来週から中間テストです。
世界死で良い点数をとる方法を教えて下さい。
このままだとヤバいです。
今日は先生に怒られました。
254 :
世界@名無史さん:01/10/11 22:53
>>253 ノートとかプリント見直せ
なかったら死ね
>>253 ちゃんとした助言が欲しいなら、時代と地域を示した方がいいのでは。
256 :
世界@名無史さん:01/10/11 23:32
教科書の太字語句すべてを簡単にでも説明できるようにしておけば
定期テストくらい余裕だよ。
257 :
中間テスト必勝法:01/10/12 00:07
> 来週から中間テストです。
> 世界死で良い点数をとる方法を教えて下さい。
中間テストか。
よし、必勝法を授けてやる。
1.まず、第一に、テスト範囲になっている国・地域の歴史をテー
マとした欧米語・現地語・邦文の学術研究のリストを作れ。
2.リストを作ったら、リストに収録した論文を片っ端から収録し
て読破せよ。
3.上記の2段階を完璧にこなしたら、次に、テスト範囲になって い
る国・地域の歴史的史料を、可能な限り収集し、順次読破せよ。
*************
以上で、中間テストはおろか、大学入試、修士論文まで、ばっちり
満点だよ!!
まあ、せいぜい頑張ってくれたまえ。
範囲は中国死で後漢から宋までです。
記憶力が乏しいのです。
マジでヤバいです。
ゴロとか何でもイイので助けて下さい。。。
259 :
世界@名無史さん:01/10/12 01:56
>>258 こいつアホな高校生装って、あやめさん呼び出そうとしてないか?
まあ、本当のアホチン高校生だったとして、歴史に興味無い奴があやめさんの
長方形ギシギシの長文見たら歴史が嫌いになるだろうな。(W
>>250 アフガニスタンの主な3つの民族、A、B,C,があって、
多数のAが、パシュトゥ−ン人、(タリバンが指揮、というか支配してる)
じゃあ、北部で同盟している、B,やC,って、どーゆーみんぞくなの?
民間人同志もいがみ合ってるの?
それと・・・
『ハマス』って、今なにしてるの?
解体したの? どーゆー立場とってるのよ。
しつこく聞いてごめんね。誰に聞いていいかわかんないんだ。
ねえっ!!!!!!!
来週このこと必要なんだから、おしえてよっ!
オネガイします。
今、テレビでいってたんで少し整理できたけど、
発表するときに、「ハマス」のことにも触れたいんだ。
263 :
世界@名無史さん:01/10/12 20:30
265 :
世界@名無史さん:01/10/13 01:05
>>258 集英社の「漫画中国の歴史」を読みましょう。
学校のテストどころか受験までお役に立つことを保証します。
>>261 >じゃあ、北部で同盟している、B,やC,って、どーゆーみんぞくなの?
タジク人やウズベク人、ハザーラ人など。
それぞれの民族の特徴くらいは自分で調べてください。
>民間人同志もいがみ合ってるの?
さぁ、そこまでは知らんが…。
民族単位で動いているというよりは、
民族的な色彩の強い小規模な武装勢力が離合集散していた(いる)のでは。
そのなかでパキスタンや国際原理主義勢力の支援を受けて
多数派のパシュトゥーン人を見方につけたタリバンだけが
強大化したと見たほうがいいのかもしれない。
>『ハマス』って、今なにしてるの?
ハマスはパレスチナの、PLOとは別に活動している原理主義系組織のことでしょ。
今何してるかは最近の新聞記事を探したらどうですか?
イスラム史の全王朝名が覚えれません
来週から中間テストなのに・・・(:;)
268 :
世界@名無史さん:01/10/13 02:50
>>267 高校世界史で出てくるのはせいぜいこれくらい。
頑張って覚えよう。
カリフ
正統4カリフ→ウマイヤ朝→アッバース朝(ブワイフ朝→セルジューク朝)→オスマン朝
エジプト
ファーティマ朝→アイユーブ朝→マムルーク朝(→オスマン帝国領)→ムハンマドアリー朝
イベリア半島(・マグリブ)
後ウマイヤ朝→ムラービト朝→ムワッヒド朝→ナスル朝(→スペイン併合)
イラン
サーマーン朝→セルジューク朝→ホラズム・シャー朝→イル・ハーン国
→サファヴィー朝→アフシャール朝→カージャール朝→パフラヴィー朝
中央アジア
カラ・ハーン朝→西遼→チャガタイ・ハーン国→ティムール朝→シャイバーニー朝
アフガニスタン・インド
ガズナ朝→ゴール朝→デリー・スルタン朝→ムガル朝
(デリー・スルタン朝…奴隷王朝→ハルジー朝→トゥグルク朝→サイイド朝→ロディー朝)
漏れは高校時代、ムワッヒドとムラービトの区別が付かなかったんだけど、
世界史教師が「そこは五十音順で覚えとけ」と教えてくれたので
ム「ラ」ービトがム「ワ」ッヒドより先だと覚えられました。
ありがとう先生。
>>244 ありがとうございます。
仰るとおり、過去の新聞なんか引っ張り出してよみふけって
朝になっちゃった。
宗教や民族、意識したことない僕には、活字で、わかったような『気』
がするだけで、やっぱり不思議な気持がぬぐえません。
>>263 こんないいトコロ、教えてくれてありがとございます。
グーぐるって使い方知らなかった。
Yahoo検索よりいいの?
272 :
シャルル7世:01/10/19 15:22
エドワード黒太子の黒太子って一体どういう意味?どっからきてんの?
英語で言ったらなんなの?誰か教えて!
273 :
世界@名無史さん:01/10/19 16:10
>>272 この話題、別スレで2回ぐらい書いたことがあるのですが。
まあだいぶ前のことなので、改めて繰り返しますと、黒太子の「黒」は、
愛用の鎧の色に由来するという説と、別に彼の鎧は黒くはなく、単に黒
は勇猛であることを意味するあだ名という説があります。
小説やコミック(たとえば蒲生総の『ガーター騎士団』)などで描かれ
る時は、視覚的にわかり安いため前者の説を採用していることが多いよ
うです。
英語ではそのものずばり、「ブラックプリンス」です。
274 :
シャルル7世:01/10/19 16:24
>>ありがとさん
275 :
世界@名無史さん:01/10/24 17:02
ドイツ第三帝国の「第三」ってどこから来ているの?
第一とか第二はあるのですか?
・・・第一はローマ帝国、第二はプロイセンのことだったりして。
276 :
世界@名無史さん:01/10/24 17:26
277 :
世界@名無史さん:01/10/24 19:02
ローマ帝国、ドイツ帝国、ね
278 :
世界@名無史さん:01/10/24 19:08
なんでソ連はアフガニスタンに侵攻したんですか?
しなければタリバンが台頭することもなかったかも
しれないのに。
279 :
世界@名無史さん:01/10/24 19:16
>>277 違うっちゅ〜ねん。それじゃ変わって無いっちゅ〜ねん。
280 :
世界@名無史さん:01/10/24 19:20
古代ローマと神聖ローマだっけ?
>>280 う〜ん。 離れたような近付いたような・・
神聖ローマ帝国と
ドイツ帝国(プロイセン)でファイナルアンサー!
帝政ローマ期に黒海北岸にあった
「ボスフォラス王国」について教えて下さい。
284 :
世界@名無史さん:01/10/24 20:38
286 :
世界@名無史さん:01/10/24 22:05
>>278 侵攻した理由はやはり南の領土が欲しかったんでしょう。
ただ、その場合もアフガニスタン自体は消滅する事はなかったと思います。
侵攻して成功すれば、ソ連邦内の国となったはずです。
ソ連邦が崩壊して今のあの辺りの国家名を見れば解ると思いますが、
何々スタンと言う国名が多いですよね!
スタンと言うのは、ペルシャ語で、「国」と言う意味です。
287 :
世界@名無史さん:01/10/24 22:19
孔子の子孫って今でも残ってるんですか?
詳細を知ってる方がいたら教えてください。
288 :
世界@名無史さん:01/10/24 22:21
英国で初めて唱えられた優性学を
否定する為に用いられる考え方を
当時の考え方で教えて下さい。
289 :
世界@名無史さん:01/10/25 00:59
>>287 孔健さんいるじゃん。チャイニーズドラゴンとやらの編集長だっけ。
日本人向けにドキュソ風味たぷーりのビジネス本出してたような。
>>275 「真性」が足りんのね。
290 :
世界@名無史さん:01/10/25 02:23
今、「虹色のトロツキー」を読んでいるのだけれど、時代背景が理解できていない
ので苦労しています。誰か教えてたもれ。
1、スターリンとトロツキーの政策の違いは何か?
2、どういう人をトロツキストというのか?
291 :
世界@名無史さん:01/10/25 03:03
>>290 スターリン:一国社会主義論 トロツキー:世界革命論
くらいの理解で十分。虹色のトロツキーの場合、突っ込んだ話は出てこない。
上記の知識どころか、「スターリンはトロツキーを迫害して追放しました」ぐらいの理解で十分。
きのうシンドラーのリストみたんですけど
なんであんなにされるほどユダヤ人て嫌われてた(今も?)んですか
キリスト殺したから?
>>278 部族や地域の対立を何とかしようと共産主義を取り入れようとした人達が居たのですよ。
しかし成立した共産政権の内部でやはり部族・地域対立が激しくなると共にソ連邦から
距離を取ろうという動きが激しくなりました。そこで侵攻して傀儡政権を建てました。
放っておくとイスラムの連帯で中央アジアが独立を志向するのが怖かったのでソ連邦は
むきになったのでしょうね。しかしその戦費の負担も一因でソ連邦は崩壊し中央アジア
も建前では別の國に成ってしまいましたが。
294 :
世界@名無史さん:01/10/26 11:38
>>287 孔子の直系の子孫はちゃんといます。今の直系が何代目かは忘れたけど。
孔子の故郷の曲阜というところは、人口の4分の1が「孔」さんです。
295 :
世界@名無史さん:01/10/26 11:43
>>287 >>289 >>294 たしか孔健さんは「孔」という姓だけで孔子の子孫を語ってるDQNって中国で聞いた。
本物の直系は台湾に逝ったんじゃないの?
296 :
世界@名無史さん:01/10/26 12:29
>孔健さんは「孔」という姓だけで孔子の子孫を語ってるDQNって中国で聞いた。
ちがうよ。
孔子の子孫は歴代王朝に優遇されてきたので、ふえてふえて
中国にはそれこそ村まるごと孔子の子孫ってのがいくつもある。
総本家クラスの家柄も多くて、台湾ににげたのだけがすべてではない。
孔健氏もほんとに子孫だよ。ただし本家本流ではなく有象無象のひとりなんだけど、
業界人なんで、PRというか宣伝がうまい。それで目立つだけ。
偽称しているわけではない。
297 :
世界@名無史さん:01/10/26 14:58
劉備が漢王室に連なると称してるのと同じようなものだな。
298 :
世界@名無史さん:01/10/26 15:14
俺の知り合いなんか満州族ってだけでヌルハチの子孫だ、参ったか!って自慢してる。
299 :
世界@名無史さん:01/10/26 19:55
源氏平家の子孫というのとおんなじよ。
300 :
世界@名無史さん:01/10/26 19:55
300get
301 :
( ´D`)ノ:01/10/26 20:20
>>236-237 ( ´D`)ノ<即レスありがとうございました。
そして超亀レスごめんなさいなのれす。m(_ _)m
自分でも調べてみたのれすが、お二方の仰られた通り、
「劉晏や楊炎などの財務官僚発案の『塩法』や『両税法』によって、
それまでの『武力国家』から『財政国家』へと転身できたため」と、
「商業の中心であり、重要な穀倉地帯となりつつあった江南地方
が乱に巻き込まれず無傷で済んだため」れした。
いやはや、例え国家としての命運が尽きようとも、お金さえあれば
なんとかなるもんなのれすね。な〜るほど。(藁
302 :
世界@名無史さん:01/10/26 21:27
五胡十六国時代に「漢」の王(皇帝?)を自称した劉淵の
国の治世の中、中国人が氾濫を起こした際、殺されたケツ人が
いたって本当?
303 :
世界@名無史さん:01/10/27 00:10
皆さんこれだけは忘れないでください。ここは高校生用質問スレです。
292のようなドキュンの為のスレであるのです。そこのとこ忘れないで。
304 :
世界@名無史さん:01/10/28 09:03
>>278 アフガニスタンは、とても遅れた王制の国でした。
ダウドという王族が1973年に共和革命をおこして近代化政策をすすめました。
外交政策は中立のままで、両陣営から援助をもらうという基本線は継承しました。
援助をたくさんくれたソ連になびきましたが、体制は資本主義、というかそれ以
前か?。首都カブールにわずかな軽工業が生まれましたが、微々たるものです。
いまだ鉄道がない国でした。大学から、学生と知識人が生まれました。彼らの
知的流行はマルクス主義で、自国に革命が必要だと言いはじめました。
1978年に学生と軍人による革命が起こり、マルクス主義者が政権をにぎりました。
彼らはただちに革命に着手しました。最大の眼目は、農地改革です。大地主の土
地を小農民に分配することです。これがものすごい反発を受けました。アフガニ
スタンは、政府の統治が国民に及んでいない国だったので、「政府が口をはさむ」
ことへの反対で皆が結集したのです。むろんその指導者は、地元の有力者、つま
り改革で被害を受ける人たちです。
革命政府はソ連とのきずなを強化しました。ソ連の革命に対する態度は、意外か
もしれませんが、「無理だからペース落とせ」でした。しかし革命青年は聞き入
れません。地方に反乱が広がり、支配地域が縮小していくのに、さらに急進化し
ました。このままでは反乱側が首都をおとすとみたソ連は、1979年にアフガニス
タンに電撃的に侵攻しました。同時に現政府へのクーデターを起こし、ソ連派の
もっと穏健な男を立てました。
しかし、いまや革命政府はあからさまにソ連のかいらいです。軍事介入は革命政
府への反発をさらに強く、広くしたにすぎませんでした。ここから長い戦争の時
代がはじまりました。
305 :
世界@名無史さん:01/10/28 09:26
タカ派・地政学は、世界地図をみて国内事情をみません。当時の解釈を
紹介しましょう。
ソ連はいつでも南下政策をとって、勢力拡大のチャンスをうかがっています。
中東は、石油に依存するヨーロッパや日本の息の根をとめるにもってこいの
場所です。ここでソ連は、イエメンを勢力下に入れて、紅海を制圧しました。
ついでイランで革命をおこし、親米政府を打倒しました。
アフガニスタンを侵略したのは、ペルシャ湾に近づくためです。ここからい
つでもイランを戦車部隊で通ってペルシャ湾を制圧することができます。そう
した電撃的侵攻が可能なのは、ほかならぬアフガニスタンへの侵攻作戦で明ら
かになりました。ソ連の世界征服のための布石は、こうして一歩一歩着実にす
すんでいます。しかし軟弱なカーターは人権外交などと寝言を以下略。
306 :
ちむ教の信者:01/11/04 16:54
武装中立同盟ができたら、
なぜイギリスが孤立したのですか?
307 :
世界@名無史さん:01/11/04 17:58
アメリカ独立派を支援してイギリスを孤立させるために武装中立同盟が作られたのでは?
308 :
ちむ教の信者:01/11/05 20:03
ふむ、英蘭戦争は一方的だったのかい?
309 :
世界@名無史さん:01/11/05 20:44
渤海国の全容がわかるのはいつになるんでしょうか?
310 :
世界@名無史さん:01/11/05 23:42
>>309 早くとも遼朝キタイ帝国(遼・契丹国のことね)の全容が解明されて、
大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国・中華人民共和国の
歴史イデオロギー対立がなくなってから。
無理だね
312 :
世界@名無史さん:01/11/22 05:05
日本が真珠湾攻撃を仕掛けた理由って何だったんですか?
何故あのタイミングでアメリカに手を出すのかわからない…。
あそこでアメリカ煽っちゃったから連合国がパワーアップしちゃって、
一気に戦況が悪くなったように思えるのですが…。
313 :
世界@名無史さん:01/11/22 13:11
>>312 A(アメリカ)B(イギリス)C(チュウゴク)D(オランダ)包囲網の経済制裁に
耐えに耐えかねた神州大和民族が止むを得ずッ!攻撃した。
314 :
世界@名無史さん:01/11/22 14:39
要するに
アメリカ「黄色人種のくせに、国際社会で出しゃばるな。中国の利権は
われわれアメリカがいただく。日本は中国から手を引け!」
日本「なんだとお?」
アメリカ「お? やる気か? 石油、売ってやらないぞ。俺の子分のイ
ギリスやオランダにも、日本には石油売らせないからな。戦略物資の石
油がないと困るだろ? 俺たちの言うこときけや」
日本「ふざけるな! この野郎! そんなら、実力でとってやる」
とまあ、挑発に乗ってしまったんですな。
それこそまさにアメリカの思うつぼ。
315 :
世界@名無史さん:01/11/22 19:12
>>314 いい要約じゃないか?
ただし一つ訂正させてくれ。
>俺の子分のイギリスやオランダにも、
ってのは、当時では無理だよ。せめて「俺のダチのイギリスやその子分のオランダ・・」
ぐらいじゃないかな。
あのころはまだ、アメリカが世界を牛耳るほどの覇権国家になるとまでは考えられていな
かったと思うね。
316 :
アスワンハイダム:01/11/22 20:17
どうして産業革命は18世紀のイギリスで起きたのでしょうか?他のフランスや神聖ローマ帝国
などでは無理だったのでしょうか?
317 :
世界@名無史さん:01/11/22 20:47
>>316 イギリスは昔から、食糧生産量が人口に対して過小だったんです。
気候や地勢の関係です、小麦があまり作れなかった。
それで、羊の畜産と貿易に頼る国策をとってたんですね。
家内制手工業が発展すると、いわゆるエンクロージャーが生じ
余剰労働力が都市に流入、潜在的な労働市場を形成しました、
ここに工場制産業がタイミングよくハマりました。
同時代でイギリスとフランスを比べると、後者は農業国でした
農業国としてしっかりしていたが故に工場労働者の労働市場形成は
遅れた、もしくは小規模だった。
神聖ローマ帝国なんて後進国は問題外です(笑)。
統一国家にすらなっていないのですから、工場生産に対応できる
規模の労働市場は形成されていませんでした。
レスありがとうございます。
アメリカって中国の権益につけこもうとしてたんだ…。知らなかった。
ってことは、時代はちょっとズレるけど
ジョン=ヘイの門戸開放通牒は単に市場に割り込みたかっただけ??
あの人って、中国分割に参加しないで
「もっとオープンに行こうぜ!」とか言ってる
フェアでいい人だと思ってたんですが。違うのか。
319 :
( ´D`)ノ:01/11/23 00:16
>>318 そのとおりなのれす。自分とこが南北戦争の
せいで中国進出競争に出遅れたもんだから、
どうにかこうにか割り込もうとしたのれす。(藁
320 :
世界@名無史さん:01/11/23 00:23
>318
オープンにすることと市場に割り込むこと、それ自体は別に矛盾してないと思うが。
321 :
世界@名無史さん:01/11/23 00:31
バルトロメウ・ディアスとインドの語源インディアスは
関係ないんですか
322 :
世界@名無史さん:01/11/23 00:46
>>321 ない。
インドの語源はサンスクリット語で大河(インダス河)を意味する「スィンド」。
これが中東に伝わって「ヒンドゥ」、
ヨーロッパに伝わって「インド」「インディア」になり、
とくにスペイン語では「インディアス」になっただけのことです。
語尾がポルトガル語の姓「ディアス」に似たのは偶然でしょう。
323 :
ちむ教の信者:01/11/23 13:16
第一回選挙法改正は始めての選挙法を
改正したと、いう意味ですか?
また、これは保守派の上院が反対したと、
いうのはなぜですか?
人民憲章は実地されたのですか?
穀物法は産業資本家と労働者に嫌われていた
そうですが、それはなぜですか?
サン=シモン、フーリエの社会秩序は
マルクス・エンゲルスに空想的社会主義と
呼ばれたのはなぜですか?
>>318 諸先輩方(ほんとかい(藁))の説明に、大きな誤りはないと思う。
ただ、覚えていてほしいのは、「正義」とか、このやり方は「人道的に間違っていた」
という概念で歴史を評価・判断してほしくない、ということが一つ。
もう一つは、あらゆる歴史的事象には、常に最低2面の見方があり、事実ではなく解釈で
評価されると言うこと。
今の某政党の理論に従えば、当時の世界の情勢の中で正しい認識に従った国家はない。
平和を守った権力国家などない。常に生きるために硬軟使い分けて(つまり交渉・外交・
戦争といういろいろな方法で)戦っていたと言うこと。
日本は正しい側に立ってやむを得ずWW2を戦ったのではない。やむを得ない歴史の中で
最善と思える選択をしただけだ。その判断の仕方が拙劣で、最終的に誤っていたのは...
運が悪かったと思うしかないんじゃなかろか? (藁 (鬱
325 :
ちむ教の信者:01/11/23 15:50
英の信仰を順に書いてください。
326 :
ちむ教の信者:01/11/23 15:50
答えて。
327 :
世界@名無史さん:01/11/23 16:24
>>323 ・自由主義のブルジョアに参政権を渡すとなれば
保守派貴族は当然抵抗する。
・保護貿易主義からできた穀物法だから
自由主義の産業資本家は当然反対する。
328 :
世界@名無史さん:01/11/23 16:24
英の信仰ってなんだよ
日本語使え
329 :
世界@名無史さん:01/11/23 16:28
327の保守派貴族とは
従来の貴族・貴族化したジェントリからなる。
330 :
ちむ教の信者:01/11/23 17:36
答えて。
331 :
世界@名無史さん:01/11/23 18:12
そそ、もうちょっときちんと質問してね
何をどこまで答えればよいか分かり易く
>ちむ教の信者さん
332 :
ちむ教の信者:01/11/23 18:14
英の信仰とは、英のキリスト教の
推移のことである。(牛
333 :
世界@名無史さん :01/11/23 18:38
アイルランドからの影響がはさまってたかってことかな。わしも知らんス。
ちむは日本語に不自由らしい。
さすが信者だ。
336 :
世界@名無史さん:01/11/23 20:39
>>332 イギリスの信仰? 宗教という意味かい? 質問ははっきりな。
ドルイド教→キリスト教だろ? 詳しく? 贅沢だな、おまえ。(藁
カトリック→プロテスタント→カトリック→プロテスタント→イギリス国教
以上。ただし、庶民とか反骨心あふれた反体制派の宗教は知らん。国家としての宗教ってことだ。
そのくらい簡単に調べられるだろ? 横着するな。
だいたい「ちむ教」ったあ、なんだぁ?
337 :
世界@名無史さん:01/11/23 20:58
>>318 >「もっとオープンに行こうぜ!」とか言ってる
>フェアでいい人だと思ってたんですが。違うのか。
えーとね。よほど脳天気な人がいったのでない限り、「フェアでいい人」なんて思っちゃいけません。
みんな平等にしよう、という人は、必ず後から来た人です。心当たりありません?
逆のことがあったときは、一番得をしている人が負担を平等にしようとするとき。(藁
国際的に何か提案するとしたら、自国や自分が損になるような提案はしません。
アメリカのモンロー主義だって、まだそんな力もない合衆国が、西欧の干渉からのがれて
自分たちが南北両アメリカに権益と支配力を確保したいからやったこと。
たいていの場合、理想で政策は決まりません。
世界史の担任がねぇ・・・
339 :
マケドニアには負けどにあ:01/11/24 00:20
アレクサンダー大王の壁画みたいな絵で、彼の胸のところに顔が描かれた物をぶら下げて
いるんですけどこれってお守りでしたっけ?
動物裁判について分かる方がいらしたら教えてください。
341 :
世界@名無史さん:01/11/24 01:12
ああ。なんか講談社新書で、大昔入門書でてたねえ。
「なんのこっちゃ?」
と僕も当時、思ったけど・・・
342 :
ちむ教の信者:01/11/24 07:28
ナポレオンはどのように、
エルバ島を脱出したのですか?
343 :
世界@名無史さん:01/11/24 12:39
344 :
ちむ教の信者:01/11/24 13:23
イギリスの国教って、
カトリックのことなの?
上座部仏教の漢字の意味を教えてください お願いします
346 :
世界@名無史さん:01/11/24 13:31
344どの
英国国教って、カトリックから別れたんだよ。
一種のプロテスタントかなあ?
16世紀にヘンリー何世だかが再婚したくて(マア色々他にも
政治的理由はあるらしいが)ローマに絶縁状を送り付けて
カトリックから分裂したんだよ。
そのご英国ではカトリックは肩身が狭く、ずいぶん迫害されてきた。
ある者は新大陸に逃げた。
現在でもそれを引きずって、アイルランドではカトリック
との争いが絶えない。 (テロとかあるでしょ?)
347 :
世界@名無史さん:01/11/24 13:39
>>344 イギリス国教会は、普通、新教の一派とされます。
これは、イングランドが旧教派のイスパニアと対立
したり、新教国のリーダーシップを採ったりした
歴史経緯から言われることです。
が、新教が、教会組織に対して否定的
(聖書と個人の結びつきを重視)するのに対し、
イギリス国教会の首長は国王(または女王)とされます。
儀礼の面でも、旧教のような華麗な典礼が目立ちます。
このような独特のキリスト教宗派が英国国教会です。
政治的には、国内新教派勢力を統合しつつ、旧教派の中間層も
糾合し、かつ、ヴァチカンからの介入を排除しようとした
結果生まれた教派と言えるでしょう。
348 :
世界@名無史さん:01/11/24 15:32
>>345 「上座部仏教」は仏滅後百年頃から成立した、とされる小乗の仏教教派です。
前3世紀後半頃、アショカ王治下にスリランカに建てられた寺が拠点
だったと言われます。
この寺では教典の編纂や、教学の整備が進められました。
「上座部」の「上座」とは、教典編纂や、教学整備を行った
知的エリート集団を指す、とみまして概ねよいはずです。
小乗はもともとエリート主義的ではありますので。
小乗=上座部ではありませんが。
その後の歴史的経緯をみると、発生期の上座部がその後の小乗仏教の
メイン・トレンドのルーツになった、とは言えるでしょう。
さきほどは大変勉強になりました もう一つお願いします 何故グプタ朝はマウリヤ朝を復興させようとしたのですか?おねがいします
350 :
ちむ氏の使途:01/11/24 16:25
ほう、ここですか。
351 :
縞栗鼠(シマリス)の親方:01/11/24 19:18
352 :
ちむ氏の使途:01/11/24 20:10
七月革命とか、四月革命ってなんで革命っていうのですか?
それに、なにが起こったのですか?
四月革命って何だよ、ププ
354 :
世界@名無史さん:01/11/24 20:20
>>352 >なんで革命っていうのですか?
実力(暴力)の行使によって、超法規的に政権が移動し政体が改編
されたから「革命」といいます。
なにがおこったかは、図書館に行って、まずは歴史事典の
類を読んでみましょう。
それでわからないことはここで質問してみましょう。
皇帝と王はどう違うのですか?皇帝は神聖ローマ帝国とロシアと、歴代中国だけ
だったと思いますが。(天皇は隋の皇帝と同等の称らしいですが)
あと、ペリーが日本にきたときに将軍に対して皇帝陛下と挨拶したというのは
アメリカの勘違いでしょうか?
356 :
世界@名無史さん:01/11/25 02:42
>>355 >皇帝と王はどう違うのですか?皇帝は神聖ローマ帝国とロシアと、歴代中国だけ
>だったと思いますが。
ナポレオンも皇帝を名乗ったよ。
それから神聖ローマ帝国以前に、古代ローマにも中世のビザンツ(東ローマ帝国)
にも皇帝はいた。(神聖ローマ皇帝やロシア皇帝は、ローマ皇帝の真似っ子だ)
ところで、ローマ帝国のEmperorと中国の皇帝ではそれぞれ意味が違う。
Emperorと皇帝に共通する性質と言ったら、「多民族統治国家(帝国)の
専制的統治者」といった、極、大まかなものでしかない。
ここまで大まかに捉えると、例えば、古代バビロニアやペルシアの支配者も
「諸王の王」を名乗っている。またモンゴルのチンギス・ハンも「ハンの内
のハン」も名乗っている。
>ペリーが日本にきたときに将軍に対して皇帝陛下と挨拶したというのは
>アメリカの勘違いでしょうか?
ペリー来航のときのことは私は詳しく知らない。
が、明治政府は対外的に天皇をEmpeorとして紹介してるね。
あながち勘違いとは言えないのではないかな?
357 :
世界@名無史さん:01/11/25 03:02
>356 ありがとうございます。
有力旗本は家臣を持っていて、それは将軍から見たら陪臣なわけですが、中世ヨーロッパ
では国王から一般領民まで何階層もあったのでしょうか。(王−騎士−領民 だけでなく)
また、原初の形態は、騎士−領民であったと考えてよいのでしょうか。
358 :
世界@名無史さん:01/11/25 03:11
大まかに言うと皇帝は世俗における神の代理人。
中国の皇帝は「天子」だし、
神聖ローマ皇帝はローマで戴冠した(神の代理人である教皇から)。
ナポレオン1世の息子もローマ王を名乗ってるでしょ。
王は地主のでかいやつ。王公侯伯子男という序列のトップ。
スペイン王国、モナコ公国、リヒテンシュタイン侯国とか。
>>357 >中世ヨーロッパでは国王から一般領民まで何階層もあったのでしょうか。
うーん、君が想定してるイメージがおぼろげにしか推測できないんだけど。
中世西欧の歴史を考えると、大分ニュアンスが違ってくると思うな。
中世西欧は、よく、初期・盛期・末期に分けられ、末期が近世に繋がるんだけど
その繋がり方も西欧の地域ごとに一様ではない。
ただ、傾向としては、領域ごとに中央集権化が進展したのが中世西欧史とは言える。
つまり、王−地方領主−領民という階層は、中世盛期〜末期頃から近世にかけて
強固なものとして形成された。
初期中世では、王も諸公の内のOne of Themでしかなかったと言ってよい。
(ちなみに、中世西欧の騎士身分は、必ずしも領主ではない)
それから、中世西欧で決定的なのは修道院や教会の存在、これらを抜きにしては
中世西欧史の歴史像はすごく偏る。
>原初の形態は、騎士−領民であったと考えてよいのでしょうか。
えーと、西欧の貴族階級って言うのは、ほとんどが侵入してきた蛮族
がルーツだったわけ。ありていに言えば武装難民集団。
彼らは彼らの間で従属関係などの社会関係を持っていた。
で、領民だけど、こっちは大多数が、ローマ帝国の先住民。
蛮族集団は、定住化していき、古代ローマの都市などを実力で制圧して
いったんだけど。
先住者との関係は教会が仲立ちしたり、仲立ちに失敗したり、これも
地域ごとに一様ではない。
この辺が西欧史の面白いとこなんだよね。
360 :
ちむ教の信者:01/11/25 06:18
なぜ、普仏戦争で、フランスは敗北したのですか?
それに、電報っていつできたのですか?
それと、ヴィルヘルム1世ではなく、治世を
したのが、ビスマルクなのですか?
それと、ベルサイユ宮殿で皇帝のやつの意味は?
また、共産主義と社会主義の違いは?
ひょっとしてこの人は少し歴史に詳しい小学生?
362 :
世界@名無史さん:01/11/25 08:33
>>360 こーゆー、質問スレでは教えてくんは嫌われるよ。
質問は整理すること。
何をどこまで知りたいか。限定させること。
一応、自分も調べてわからない点について聞くこと。
一度にたくさんの質問をしないこと。
無関係な質問を続けないこと。
363 :
オレも意外に親切な男だな:01/11/25 14:55
>なぜ、普仏戦争で、フランスは敗北したのですか?
弱かったから。
>それに、電報っていつできたのですか?
電気が実用化されてから。
>それと、ヴィルヘルム1世ではなく、治世をしたのが、ビスマルクなのですか?
我が国では天皇がいちいち命令を出すかね? 官僚の親分がビ氏だ。
>それと、ベルサイユ宮殿で皇帝のやつの意味は?
日本語としておかしくないか?
>また、共産主義と社会主義の違いは?
字が違うだろうが!
まともな返事が欲しかったら、
>>362氏の言葉をよーーーーく噛みしめて、出来れば実践してくれ。
出来ないのならROMに徹しろ。
>字が違うだろうが!
ワラタ
365 :
ちむ氏の使途:01/11/25 16:21
よく、ブルジョワとか専門用語が
あるけど、それはすべての国に通用しないですよね?
例;ヨーマン←イギリスの農民
中学生は質問したら駄目ですか?
367 :
世界@名無史さん:01/11/25 17:13
まあ、いろんな人がいるからめげずに尋ねて見れば?
大学生とかは、受験勉強の後、入学して多少逆上や勘違いしてる部分もあるけど、
ある程度、社交性のある一般人も、そろそろ帰ってくる時間だから・・・
368 :
世界@名無史さん:01/11/25 19:54
>>365 歴史用語についてですね。
A-1:特定の国・文化圏にしか通用しない言葉
例)ジェントリー(ヨーマンはこの類ですね)
A-2:いくつかの国々・広域文化圏で通用する言葉
例)農奴制
A-3:同じような社会なら世界中どの国でも通用する言葉
例)商業資本家(ブルジョワジーはこの類です)
――などがあります。
あと、
A-4:国(文化圏)ごとに意味が微妙に変わって来てしまう困った言葉
例)封建制、
――もあります。
あと、
B-1:特定の時代にしか通用しない言葉
例)農奴制
B-2:いくつかの関連した時代で通用する言葉
例)王朝
B-3:時代を越えて常に通用する言葉
例)生産関係
――などがあります。
あと、
B-4:時代ごとに意味が微妙に変わって来てしまう困った言葉
例)帝国主義、
――もあります。
369 :
世界@名無史さん:01/11/25 20:05
>>349=唯一神サマ
>何故グプタ朝はマウリヤ朝を復興させようとしたのですか?
南アジア史は詳しくないので、いささか心もとありません。
私も他の方からの解答を楽しみにしていたのですが、
一応歴史事典の類にあたった範囲でお応えします。
が、私が調べた範囲では、「マウリヤ朝を復興させようとした」に
ぴったり当てはまる事例はみあたりませんでした。
どんな出来事を指して「マウリヤ朝を復興させようとした」と
みなされるのか、明示されるとまた解答が寄せられるやもしれません。
一応、クシャナ朝や、サータヴァーハナ朝はイラン方面から侵入した
外部勢力だったから、というのが、月並みですが無難なお返事でしょうか。
#そんなことなら知ってます、というアレでしたら悪しからず。
もしくは、おそらくは対ヒンドゥー教製作として、仏教を賞揚した関連も
考えられるかもしれません。
370 :
世界@名無史さん:01/11/25 22:05
371 :
ちむ教の信者:01/11/25 23:00
共産主義と社会主義の違いはなんですか?
372 :
世界@名無史さん:01/11/25 23:55
なぜビザンツ帝国はあんな小さな領土であったのに強大なオスマン帝国の
攻撃に何十年も耐えたんですか?
373 :
世界@名無史さん:01/11/26 00:03
>なぜビザンツ帝国はあんな小さな領土であったのに強大なオスマン帝国の
>攻撃に何十年も耐えたんですか?
城壁のおかげでしょう。
でも、それ以外にも、
@1204年までは、ビザンツの支配領域と小アジアのトルコ人の支配領域の
広さはたいして変わらなかった
Aコンスタンチノープルを落とす以前のオスマン・トルコは、のちのスレイ
マン時代などと比べるとそれほど広大でもなかった。
(コンスタンチノープル陥落以降のメフメト2世の征服ぶりに負う所が大)
って、ことで、意外と、ビザンツとトルコ・ムスリム勢力の力の差って、なか
ったような気がする。
374 :
世界@名無史さん:01/11/26 00:12
>>372 ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルにある(あったのほうが
いいかな)テオドシウス二世の城壁を中心とした城壁がすぐれていたから
とビザンツ帝国伝統のたくみな外交政策(高い教育水準の賜物)、
この二つがうまく機能していたからでは?ということが考えられるます。
375 :
世界@名無史さん:01/11/26 03:13
まずアンカラの戦いが大きいな。
15世紀の前半のオスマン朝はアンカラで失ったバヤズィド時代の領土の回復に追われて
コンスタンチノープル征服どころではなかった。
ビザンツのほうはオスマン朝に臣従までして生き残りをはかっている。
オスマン朝への降服を拒んだギリシア系の町の征服に、
ビザンツ軍が臣従の証として参加させられたことすらあった。
それから、東西教会の統合を切り札にカトリックにすりよって、
「コンスタンチノープルを攻めればキリスト教大連合が敵に回る」という圧力をかけた。
実際にはメフメト2世が囲んでみても、ロクに援軍は来ずあえなく陥落するんだけどね…。
わたしの学校の世界史はもう第2次世界大戦のところに
入ってる(三学期は進路やら色々あるから)。
先生が3回も授業潰して「黒い太陽731」という細菌部隊が
人体実験をする映画を見た。
先生は「気持ち悪くなったら出てもいいから」
とか言ってたけど、女子1人が吐いて数人が泣いた。
そしてその中の1人が人体実験の映像が脳裏に焼き付いて
夜もうなされるとかで、親から苦情が来たらしい。
男子は女子がいるからしらないけど誰もオタオタしなかったけどね。
あんなもの見せるのもどうかと思うけど、少なくとも女子の数人は
戦争の悲しさを理解できたからいいかな(笑)
なんかその先生日本軍が人間ピラミッドで旅順の要塞を攻めたとか
ロシア革命でソ連は人類のユートピアを築こうとしたとか
太平洋戦争では日本軍は日本刀と猟銃でマシンガンを持つアメリカと戦ったとか
日本国憲法は日本人が理想に燃えて作って、アメリカの押し付けじゃないとか
左翼っぽいんですが・・・・
377 :
世界@名無史さん:01/11/26 10:05
>>376 えーと、個人的なお願いですが。
ここは質問スレですので。
もし、質問であるなら質問としての形式を整理して
いただきたいです。
もし、「どれか既出の質問への解答」もしくは
「既出の質問への解答についての意見、ないし感想」であるなら
「どれについて」の「意見、または感想」であるか
明記していただけるとありがたく思います。
378 :
kokuritu市民:01/11/26 10:06
>左翼っぽいんですが・・・・
「っぽい」どころか「左翼狂逝く」そのものです!
そんな野蛮な教育が行われている北海道は危険です。
「マスコミ批判」の北海道新聞を読みましょう。
その先生のこと母に話したら、
「ヤバイんじゃないサヨだよ北教組?」
って言ってました
それじゃあ興味本位で・・・・・
東ローマ帝国はなぜ1000年も続いたんですか?
偶然ですか?
大航海時代スペインやポルトガルは年に何隻くらいの
船団を何回送り出してたんですか?映画の「コロンブス」
だと王女のパーティー何回分の費用とか言ってますが?
神聖ローマ帝国内のプロシアは隣国のど真ん中に領土
があったり陸続きではないところにも領土がありますが
隣国はそこらへんはどうなってるんですか?
第二次世界大戦でドイツは国境からどやってスターリングラード
まで行ったんですか?
380 :
世界@名無史さん:01/11/26 11:15
>378
北海道新聞そのものが左翼の塊。
マスコミ板に北海道新聞を批判するスレがありますのでそちらへどうぞ。
読売新聞を読みなさい。
381 :
世界@名無史さん:01/11/26 13:28
お薦め。
ウヨクもチュウヨク(? 本気にするなよ)も平等にこき下ろす正義の味方「朝日新聞」。
問題はここは自分のミスは絶対認めないことだナ。一名、「和製プラウダ」
382 :
世界@名無史さん:01/11/26 14:20
>東ローマ帝国はなぜ1000年も続いたんですか?
>偶然ですか?
なぜ自分で該当スレがないか調べないのですか?
偶然ですか?
383 :
世界@名無史さん:01/11/26 14:41
>>382 まあまあ。初心者には入りにくいスレもあることだろうし。
>>379 基本的に(少なくとも私は)仕事と思って返事をしている訳ではない。面白い話題に対して
自分なりの解釈でレスをしている。
いい? 誤解されると困るが、質問に誠意ある回答をする義務はないんだよ。
ある程度ネタ振りのつもりで、面白そうな素朴な疑問を一度に一つずつ出してくれると
気持ちよくレスができると思う。
384 :
世界@名無史さん:01/11/26 14:44
>>379 王国と諸侯領は扱いが違います。諸侯の領土は、現代の、国の領土と個人の私有地
の中間にあるものとみてください。
王・貴族は個人としてどの国でどんな形で諸侯領を入手しようと原則的には自由です。
複数の領土を持とうと、領土を分割しようといっこうかまいません。現代の個人の
土地と同じです。そこで、神聖ローマ帝国東部のブランデンブルクに本拠を持つ侯は、
西部に飛び地、帝国の外にプロイセン、という形で土地を集めました。
王国のほうは、王の私有地ではありません。王と貴族と教会の相互の承認の上でなり
たちます。貴族たちの合意を得ないと、分割も廃止もできません。王国を争うときに
は、一つの王冠をめぐって争い、勝ったものが王国すべてを支配すると決まっていま
す。一人の王が二つの王国を統治するときには、併合ではなく連合王国になります。
固定した枠として王国があり、その中に王・貴族の個人の領土がいりくんでいる。
これは西欧のどの国も同じです。百年戦争以前のフランスや、このドイツのように、
枠としての王国が弱いと、中の個人領がめだってくるのです。
385 :
ちむを知ってる?:01/11/26 20:33
あの〜、なんで奴隷制が続くと、
経済が発展しないのですか?
386 :
世界@名無史さん:01/11/26 20:48
中世の大学において、完全な大学といえるのは上級3学部を備えた大学だと書いてありましたが、
本によっては上級4学部を備えたものが大学といえると書いてあったのですが、実際どうなのですか?
当方、山川の教科書を使っているのですが、教科書には『上級3学部』についての記述があるのですが、山川の用語集には『上級4学部』と記述されていたのですが・・・。
よろしくお願いします。
387 :
世界@名無史さん:01/11/26 20:47
>>385 いい質問だ! でもよくわかりません...(おい!)
奴隷制のせいで、経済が発展しなかった例はたとえば何?
ここで言う奴隷制とは、近代で行われた「黒人奴隷制度」なの?
というのは、奴隷という言葉には解釈によって幅があるから。自由を奪われた、という
ただそれだけでは、歴史的に悲惨ともいえないし。
古代から中世にかけて、農耕・家事は基本的に奴隷、あるいは恒久的な召使いによって
行われた。日本でもほぼ同じだった。これと経済との因果関係は考えようがないと思う。
機械のない時代、働き手なしで経済は成り立たず、働き手とは常に主人にほぼ恒久的に
使われているものだったから。
問題提起としては面白いけれど、うーん?
388 :
世界@名無史さん:01/11/26 21:09
>>385 えーとですね。
まず、経済の発展も、長期・中期・短期で考えなくてはなりません。
奴隷制の社会は、長期的には経済が発展しないと、する論は多いですが、
中期・短期に発展しないかどうかは、なかなか難しい問題でしょう。
なんで、奴隷制社会の経済は長期的に発展しないかというと、
メチャクチャ乱暴に言って、「有能な奴隷」を「再生産(経済用語)」
する人的・貨幣価値的コストがべらぼうなものだからです。
安価に「再生産」される奴隷は、単純作業にしか向きません。
さらに、奴隷労働を監督するシステムの維持も経済効率がよくない。
要するに奴隷制は長期的にみれば経済効率が悪いんです。
特に単純労働が機械力へ代替可能になった現代では、奴隷労働
の効率の悪さは顕著になります。
389 :
世界@名無史さん:01/11/26 21:25
>>388 反論と言うより問題提起。
古代では、常識的に奴隷制度が使われていましたね。奴隷制度によって社会・経済が
成り立っていましたね。機械力に代替されないのが当たり前の状態の中で、これが
短期・中期・長期的にも不経済な理由がないと思いますが。
だって、ほかに方法がなかったのですから。
この場合、現代の視点から見た「自由」とか「民主主義」の概念はなしですよ。
機械力が代替できるようになった産業革命以後、奴隷制度は不経済になるのはあまりにも
当たり前じゃないですか?
古代、直接民主制の手本とされたアテネのペリクレス時代、社会の基盤を支えたのは奴隷
たちですよ。長期的に効率が悪いと言っても、何百年もそのシステムは有効だったのです
からそれはどうかなあ。
>>385 >奴隷制が続くと、経済が発展しない
次に、どういう歴史社会での奴隷制が考えられているか、も考えないと
いけません。
>>387の方もその辺を説明されていますが。
例えば、「古代ローマ帝国の奴隷制農場経営」「中世西欧の農奴制荘園」
「アメリカ南部での奴隷制プランテーション」
中世西欧の農奴は、ちょっと違うんですけど、古代ローマの奴隷もアメリ
カ南部農園の奴隷も、所有者の所有物として扱われました。
(一応古代ローマには解放奴隷って制度も広くあったんですけど、置いて
おきます)
「奴隷制とは、所有物として人身売買されることが公認された奴隷が、
労働力その他に使役されることが認められた社会体制」と要約できるで
しょう。
そうすると、「経済の停滞や破綻」も、短期・中期・長期、の経済
過程すべてにおいて、いろいろな奴隷制以外の社会制度との兼ね合
いを持ちます。
古代ローマ帝国の場合だと、例えば、遠隔地の大規模農場での食糧
生産に集中的な奴隷労働が用いられ、その結果、都市近郊の農耕地
での農業が成り立たなくなり(大規模生産の方が生産効率がよく、
安価な食糧を供給できます)、自営農が各地で零落する、といった
経緯がみられます。
で、古代ローマ社会の食糧供給は、奴隷制農園でまかなえる食糧
供給の限界まで行って破綻した感はあります(←この件はいろいろ
異論もあるところでしょうが)。
末期には、ちょっとした天候不順による不作でも、都市部で社会
不安が醸成されるようになってる。
このように、個別の歴史社会のメカニズムの内で「なぜ?」と
考えてゆかないと、実は「奴隷制が続くと、経済が発展しない」
とも簡単には言いきれません。
>>389 >長期的に効率が悪いと言っても、何百年もそのシステムは有効だった
いや。ここで「長期的」と言ってるのはもちろん、世紀オーダーの
スパンです。
古代ギリシアの奴隷制は、古代ローマの奴隷制より「長期的」には
効率が悪かったと言えます。そういう時間間隔です。
例えば、ローマ市民権付与という社会制度とのコンボだけをみても
ギリシアの社会制度は自閉的で拡大再生産の面ではローマには負けて
います。
ギリシアにも解放奴隷の制度はありましたが、かなり例外措置だった
ようですね(←この件はやや自信無し)。
392 :
世界@名無史さん:01/11/26 21:48
奴隷=悪
とか
奴隷=許されざる、あってはならないもの
という考え方は、今の教育の基本なのでしょうね。そう言う意味で、この言葉を持ち
出すと肯定的な意見など出しては成らない空気になりかねませんね。
この問題を持ち出した
>>385君が何をもって「奴隷制度」と呼んでいるか、またどうなる
事をもって「経済が発展しない」といっているのかわからないとうまく考えられません。
そこでたとえば江戸時代を考えましょう。
この時代の為政者の大原則は、ショックを受けるかも知れませんが、
「経済・技術を発展させないこと」
なのです。現状維持が政治の基本だったのです。少なくとも、そうこころざしています。
多分、学校でこのような教え方はしません。
となると、江戸時代の奴隷制度にちかい各種制度、「徒弟奉公」とか「主君に使える滅私奉公」
なども、現状維持のためのシステムですから、発展しようがないのです。
古代の、各世界帝国も、特にある程度征服をすませると次になすべき事は「現状維持」です。
つまり、発展しない世界を築くために奴隷制度を活用したのだとしたら、発展しないのは
結果ではなくて目的です。
そのための奴隷制度だとすると、ある意味でこの問題は考えることさえもがナンセンスに
なりそうな気がします。
>>391 >ギリシアにも解放奴隷の制度はありましたが
その点はその通り。ローマの解放奴隷は、時代が下るに従ってローマの市民権までとれるように
なりましたが、ギリシャでは両親ともが市民権を持った自由民以外、ほぼまちがいなく市民権は
とれなかったそうです。
いずれにしても、奴隷制度として華やか(?)なのはローマの剣闘士奴隷などでしょうが、単純に
奴隷と考えた場合、もっと大きな帝国での奴隷を考えるべきではないでしょうか?
たとえば、エジプトとかペルシア、また中国やロシアの農奴を。
あらら、隣で同じような話題のスレが。 (藁
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/996749958/l50
394 :
世界@名無史さん:01/11/26 22:02
>>393 農奴と奴隷は違うんだろ?
高校生用質問スレでは、まずその辺きちんと整理してやったら?
いや漏れも、わかり易くおせーてほしーッス(藁)。
395 :
世界@名無史さん:01/11/26 22:10
>農奴と奴隷
>>390その他(藁)氏の考え方で分類すると、奴隷とは
「所有物として人身売買されることが公認され、労働力その他に使役される人間」
と考えてもいいんだろね。
その、農業バージョンが農奴。だから、農奴⊂奴隷という考えではいかが?
だから、ちがうかどうかは話の内容によるな。
396 :
世界@名無史さん:01/11/26 23:24
でも、意外に思うかもしれないけど、「哲学」とか「科学」が生まれたのは、奴隷制度
のおかげなのだよ。
つまり、奴隷のおかげで自分は働かなくてもいい有閑階級だった古代ギリシャのポリス
市民たちが、ヒマつぶしのためにあれこれ思索にふけって、そのおかげで哲学や科学が
生まれたってわけ。
397 :
世界@名無史さん:01/11/26 23:35
あらら、
>>396さん。
ここで奴隷肯定論になると教育上問題が... (藁
398 :
世界@名無史さん:01/11/26 23:37
>>395 いや、中世西欧や東欧の農奴は基本的には
土地に従属させられてたのであって、人身売買の対象になったわけでは
ない。そこが古代奴隷や近代奴隷と違う。
ヴァイキングがやって来て飼って、イスラム諸国へ白人奴隷として
売ってたりよくしてたらしいんだけど。
そりゃ掠奪貿易の一種で、農奴の常態とは違う。
だから、「奴隷⊃農奴」ではなくって、
「ドレイ一般⊃(農奴+人身売買される奴隷)」
もうすでに高校生の話題を逸してる気が。
奴隷制の話、面白いから新スレ立てたら如何?
400 :
世界@名無史さん:01/11/27 00:57
___
(_- O-,_)
|ニニ|
ー`Д´ー
/( )ヽ
 ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄/ ヽ| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄|
 ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄|~~ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~| ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | | | |
● _,, 〇 ,,_
∧((∧ ヽ三三ミノ
( `д´) i~''ー、 ,,,__ (´ハ` )8
=-( yつ=―――--i |  ̄~ー⊂ヽ三ノ .)§-=
ヽ___」ヽ | . | (( ノ
⌒ し' 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 しし'
) ノ | 〜‐ 〜‐ | (
ノ λ -〜 | | 〜- 人
/ ヽ J 。゜. ‐〜 J -〜 λ ヽ
从 ( ∧ ∧ 。゚ ) ヽ
〈 乂 <`∀´> 〜‐ ノ
) 〜‐ ι、 っ |ヽ、 〜- < ∠
ノ ヽ、_ニ/ -〜 人
↑
シロネコ
401 :
世界@名無史さん:01/11/27 13:33
>>399 そうですねぇ。私としてはスレをたてるほどの執着はないんですけど。
>>385=ちむを知ってる? さん
「ちむ」ですか? 知りません。
それはさておき。
質問した人は、質問の意図と話題が離れていったら、やんわりと、
本当に聞きたいことの方向に再質問してもよいと思うんですよ。
ただ、再質問のときにあまり剛直な聞き方をすると、気を悪くする
人も出るかもしれませんから気をつけてほしいんですけど。
やっぱり、最初の質問で、何を・どの程度詳しく知りたいか、とか
どんな面について知りたいか、とか、何で知りたいか、とかを
書いておくとよいと思います。
402 :
世界@名無史さん:01/11/27 16:31
スチュアート朝の一人者の名前にスチュアートが
ないのはなぜですか?
404 :
世界@名無史さん:01/11/27 18:24
>>403 ご先祖様(家門のご開祖)がスチュワートさんだから。
スチュワート家で、最初にイングランド王になったのは
ジェームズ1世(1603-1625)ですけど、調べてみたら
この人は、スコットランドのジェームズ5世(1513-1542)の
お孫さんだそうです。
で、スコットランドでは、ロバート2世(1371-1390)という人
がスチュワート王朝を開いたそうです。
調べた本では、ロバート2世は、「スチュワート家のウォルター
の息子」とあって、そこからは溯れませんでした。
ですので、お応えとしては−−、
多分、ご開祖がスチュワートさんだったから、となります。
405 :
世界@名無史さん:01/11/27 19:52
うろ覚えで申し訳ない。スチュワート家は、代々どこだっかの王家の執事(steward)を
勤めていたんではなかったっけ? その職名(?)を家名にして、一家を作ったような
記憶がある。
語尾の「d」が「t」になった点については、発音上のことだからそのくらいの変化は
よくあることだったような気がする。
だれかこれでひらめいた人、いる? 間違ってる?
406 :
世界@名無史さん:01/11/27 21:09
東インド会社ってあちこちにあるみたいなんですけど、いったいどういった存在なのでしょうか?
植民地の総督府だろ。(違
408 :
世界@名無史さん:01/11/27 21:42
>>406 いろいろな国が東インド経営のために国営会社を作ったから。
409 :
ドン・ペドロ:01/11/27 22:21
聖女のイメージが強いからコメントしにくいですね
彼女をイギリスのメンバーに入れ忘れた罪滅ぼしに
自分も何か書こうかと思いましたが
彼女の業績を並べ立てても仕方無いし
かといって仕事以外の逸話って余り聞かないし
どなたか彼女のために何か書いて頂けませんか
411 :
世界@名無史さん:01/11/27 22:44
>>403-404 ヨーロッパの「○○朝」の○○は普通その家のファミリーネームでは?
で、スチュアート家の由来は確か
>>405の言う通り、
先祖がスコットランド王だかのスチュワードだったからだと思う。
412 :
世界@名無史さん:01/11/27 23:04
なんで東インドだけ会社がいろんな国からたてられているんでしょうか?
植民地は他にも沢山あるはずなのに
「普通」ってのがどの範囲かは知らんが、メロヴィング、カロリングあたりは家名では
ないな。プランタジネットは後世の呼び名であって寧ろアンジューのが通りが良かったし、
カペーに到っては初代王のユーグのあだ名で、ユーグ・カペー自体はロベール家とか
名乗ってたんじゃないかな?
なお、資料なし。つっこみ歓迎。
414 :
世界@名無史さん:01/11/27 23:09
>>412 要するに、東インド会社は対アジア貿易の会社だから。
この場合の東インドというのはインド亜大陸に限らず
アフリカ回りで航海できるアジア方面を漠然と指す。
同じようにアメリカ方面(西インド)担当には「西インド会社」があったはず。
>>413 失礼、範囲としては15世紀あたりから以降を思い浮かべてました。
王朝名ってもともとの領地名からついてることも多いかな。
それは貴族は領地名が家名のようになっていたからだと理解してるけど。
416 :
世界@名無史さん:01/11/28 08:02
>>415 >領地名が家名
というより、ナントカ家のひとがカントカの領地をもらってカントカ家を名乗るようなもんじゃない?
日本で言うと、「足利家」「武田家」「新田家」
417 :
世界@名無史さん:01/11/28 13:41
>>413,415,416
貴族の親族制度で言うと、
1)10,11世紀ぐらいまで。
著名な人物を家祖とする双系制。
家名は家祖にちなんで名乗られる。
(メロヴィンガ・カロリンガ・オットーネン・ヴェルフェン・ロベルシャンなど。)
この時期、貴族家系の盛衰は(フランク)王朝においていかなる官職を占めているかに規定されていた。
2)11,12世紀以降。
根本所領にちなんだ家系名乗り。父系制の成立。
封建制の成立により、家門の盛衰は、いかほどの土地を永代に保有するか、に規定されるようになる。
大ざっぱには、こんな感じではないでしょうか?
418 :
世界@名無史さん:01/11/28 14:56
>>417 あ、初期中世のゲルマン系は双系制ですか。
質問があります。
概説書などでは、よく、ゲルマン系の強い家父長系ということが
言われます。またゲルマンに対してスコットランドなどのケルト系
には母系がみられた、とも言われます。
結果ゲルマン=父系のイメージがあると思うのですが。
このイメージは故なき誤解なのでしょうか?
それとも、やはり傾向としてはゲルマンは父系が強かったが、民族
移動などの混乱期であったがゆえに、双系も採られた、他、などの
事情が考えられるのでしょうか?
「高校生用質問」の範疇からはいささか逸脱すると思います。
たいへん勝手なお願いですが、もしよろしれければ、
「母系社会と父系社会って・・・・・・・・・ 」のスレ
(URLは下記)にてお教えいただけると嬉しく思います。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1002240826/
419 :
ちむーる帝国:01/11/28 18:24
共産主義=社会主義なのですか?
420 :
世界@名無史さん:01/11/28 19:02
>>419 違います。
まず、「共産主義」にあたる考え(社会思想)ですけど。
これは古代からあったそうです。
プラトンの国家論なども共産主義の類だと言われています。
一方、社会主義は、比較的新しい考えです。
社会主義は18世紀くらいの西欧ではじまり、当初はいくつかのトレンド
がありました。
そして、19世紀末〜20世紀に、理論武装した「科学的社会主義」が唱え
られました。
今、ふつう断り無しに社会主義、共産主義というと、この「科学的」な
ヤツを指します。
で、この理論では「共産主義体制」とは社会の構成員が能力に応じて
労働し、必要に応じて財(労働で生産された物・サービスなど)を分配
される社会、とされました。
「共産主義体制」は「科学的社会主義」の最終目標で、その初期段階
が「社会主義体制」と呼ばれます。
「社会主義体制」では、「構成員が能力に応じて労働し、労働に応じ
た財の分配を受ける」と、理屈の上ではされました。
しかし、実際の社会主義国家では理屈通りにはいきませんでした。
共産主義を奉じる国家でも、理屈通りにはいっていないようです。
ところで、ここに書いたことは『広辞苑』だけで確認して書きました。
別に歴史辞書の類もみていません。
まず、自分で調べて、わからないことを質問するようにしましょうね。
421 :
世界@名無史さん:01/11/28 19:13
ふうん。いわゆる「悪平等」、つまり基本的人権を持つ人間は能力の種類は違っても社会に対して
同じ貢献をし、同じレベルの報酬を得ることによって、すべてが平等に幸福になる、という考えが
「共産主義」だと解釈していましたが、若干違うのですね。
高い能力を持つものは高い報酬を得ること、であるなら、すべて同じスタートラインにたった資本主義
となんら違いがないような気がします。おそらくそれをねらって私有財産をすべてなくすという方針で
まず社会をぶっ壊してみた、という解釈でよろしいのでしょうか?
そのあと、やっぱり権力の頂点に立った人はすべからく腐敗して、お隣の北の某国のようになったという
事でしょうか。
とはいえ、よかったね〜、「ちむ」小僧。答えてもらえて。
422 :
世界@名無史さん:01/11/28 20:15
>>421 >高い能力を持つものは高い報酬を得ること、であるなら、すべて同じ
>スタートラインにたった資本主義となんら違いがないような気がしま
>す。おそらくそれをねらって私有財産をすべてなくすという方針で
>まず社会をぶっ壊してみた、という解釈でよろしいのでしょうか?
えーと。まず、18〜19世紀には、大ブルジョワによる土地・生産財の
私有はべらぼうでした。自由放任の段階の市場主義(市場経済)ですね。
次いで、株式会社の社会システムと、産業化社会が一部の人間集団へ
の資本の集中を生みました。
つまり18〜19世紀の段階の市場主義では「スタートラインは同じ」では
なかったんです。
歴史的な話題としては、社会主義国家が「旧社会をぶっ壊してみた」狙
いには、こうした一部への資本の集中を壊すという狙い「も」ありました。
その後、いわゆる自由主義国家(実は、社会主義と自由主義を対立させる
のは政治的イデオロギーでして、理屈の上では社会主義と対象されるの
は市場主義であるべきなんです)でも、不況対策などの理由でケインズ
主義の政策が採られています。
第二次大戦後、いわゆる西側諸国で19世紀的な意味で自由主義の社会・
経済政策を完遂した国家は実は実は一つもありません。
いずれも濃淡の度合の差はあれ、社会民主主義的なそれを採用しています。
もちろん、基本的人権や私有財産に対する考え方は、東西で違いが目立ち
ましたが。
税制や相続法それから大企業への国家の干渉、社会の監視などなどと、
19世紀的な意味での大ブルジョワに対する自由放任は西側諸国でもみら
れなくなってます。
こうして、市場主義社会で「スタートライン」がほぼ一緒に整えられた
のは、これは20世紀の歴史過程だったんです。
ソ連や北朝鮮などの経済政策がうまく行かなかったのは、もちろん諸説
あるんですけど。個人的には、行き過ぎた計画経済の歪みが一番大きな
要因かなと思います。
423 :
世界@名無史さん:01/11/28 20:21
そもそも「計画経済」を全面に出した瞬間から、経済の発展というか、競争原理に基づく
進歩はありえなくなっていたのではないか、と思います。結果論ですけどね。
ところがどういう訳か、無茶な計画経済をやろうとした人の方が歴史に名を残している
ようなんですが、どうでしょう。
「徳川吉宗」なんて、経済政策に関しては無能を通り越して社会を破壊する政策をとって
いたのか、てな感じなんですが。 --あ、ここは世界史だった。 (藁
424 :
世界@名無史さん:01/11/29 07:20
>>423 >そもそも「計画経済」を全面に出した瞬間から、経済の発展というか、競争原理
>に基づく進歩はありえなくなっていたのではないか、と思います。
そうですね。
それと、ソ連型の計画経済の歪みには、工業地区とか農業生産地区といった大規模で
不自然(人為的な)な設定もあったと思うんです。
本来は、こうした地区は、社会的な物的・人的・情報面の流動路に沿って、モザイク
状に分布している状態が健全なんだと思うんですね。
大都市化が進むとある程度、区域が形成されていきますけど、それでも細かくみると
自然なモザイク状態の残滓がみられる。
このように産業化社会の進展にともなって、徐々に工業地区とか農業地区とかが形成
されていくならともかく。後進国の悲しさ、人為的に区分して一挙に近代化を推し進
めようとしたために生まれた歪みが大きかったように思うんですね。
例えば、旧ソ連末期には、農業生産地帯では余剰穀物が余っているのに、別の地域に
行き渡らないで輸送中に腐るみたいな、報道もありました。もちろん政治状況もあっ
たと思いますけど、基本的には不自然な区画設定も背景にあったと思います。
425 :
世界@名無史さん:01/11/29 14:57
フランス革命の理念は自由・平等・博愛だが、実は自由と平等は矛盾する。
自由に金儲けができる制度の国なら、各人の才覚と運によって貧富、不平等が生じる。
貧富の差のない平等な国にしようとすれば、自由は制限せざるをえない。
ま、社会主義は、その矛盾を解決しようとした壮大な実験だったんやね。
結局、自由は得られず、実験は失敗したけど。
426 :
世界@名無史さん:01/11/29 15:17
某氏の著書によると実は
「自由・平等・共闘」なんだよね。
自由と平等が両立しうるのは、王制に対して
ブルジョアがプロレタリアと共闘できてこそ。
427 :
世界@名無史さん:01/11/29 15:52
アメリカは、独立革命の前後に
平等のところへ機会均等を、自由と言いつつ、
自己責任による選択の自由を、掲げた型ですけど。
既に、貧富の差は拡大し、かつ階層化もみられ
機会均等も怪しいですよね。(アメリカでも、って話)
428 :
ちむーる帝国:01/11/29 19:59
産業革命を簡単に説明せよ。
また、市民革命を簡単に説明せよ。
429 :
世界@名無史さん:01/11/29 20:14
>>428 まず、自分でどこまで調べたか説明せよ。
430 :
ちむーる帝国:01/11/29 20:32
あげ
431 :
世界@名無史さん:01/11/29 20:32
周の姓姫の意味を教えください。
432 :
世界@名無史さん:01/11/29 21:53
>>428 偉そうなガキだな
ギャグのひとつでも言ってみろよ
面白かったら教えてやる
消防確定>ちむ
434 :
世界@名無史さん:01/11/29 22:41
世界史のテストがあるんですがプロイセンのビスマルクの外交政策が
複雑でイマイチつかめません。どのようにして覚えたらいいでしょうか?
435 :
世界@名無史さん:01/11/29 22:53
敗戦後、日本人の姿を見たアメリカの大統領が、
あまりにも醜くてびっくりして、
日本人の容姿を変えようと白人と交配させようという政策を立てていたと聞いたのですが、
それって本当なんですか?
本当だったらなんだかヒドイナア・・・
436 :
世界@名無史さん:01/11/29 22:56
>>434 いや。ここでそれ聞かれると、教科書に載ってないような
細かい話がワサワサ出てきて余計わかわかんなくなる恐れが
あるなぁ(困)。
誰か、いい智恵あるかい?
>>423 吉宗をまったくの無能とすることはできない。相場の逆をいくことは、政府の経済
政策として正しい。財政赤字体質がしみついたときに倹約を励行するのも当然だろ
う。もし反対に相場追随、放漫財政をとったら、それこそ破壊的になる。吉宗の政
策は市場を否定するものではない。むしろ市場秩序を作る過程として読み直しては
いかがか。
それと、市場の外にある経済活動を解体して市場の中にくみいれることがいいとは
限らない。市場に吸収能力がなければ、貧困の底なし沼を作る。たとえば家族は徐
々に市場にとってかわられてきたが、この現代でも、家族は落ち目だから解体せよ
と言うのは暴論だろう。同じことで、農業再建も江戸時代の経済では意味がある。
農家の生活が安定した上で、さらに生活を向上させるために農民が流出するとい
う形でなければならない。諸藩の政策には、農民を絞った上で流出を阻止するよう
なものがあって、それが江戸時代の飢饉の一因になるのだが(社会主義国の飢饉も
このタイプ)。
438 :
世界@名無史さん:01/11/29 23:28
>>435 よく知らないけどガセじゃないのかなぁ?
どこで聞いたの?その話。
439 :
世界@名無史さん:01/11/29 23:34
>434
今まで一番単純で分かり易い説明は、青木の実況中継だった。
ヒトラーは第二次世界大戦という国家総力戦をしている最中にもかかわらずユダヤ人を虐殺しつづけましたが、戦争に集中することさえも投げ出してまで虐殺しつづけたのはなぜですか?僕には変に余裕があるように感じられてしまいます。
441 :
世界@名無史さん:01/11/30 04:55
>>434 暗記しようとせず理解すること。
中公文庫「世界の歴史」該当巻を読め。
すんなり頭に入るぞ。
442 :
世界@名無史さん:01/11/30 07:13
>>440 まずナチは戦争中を通じてユダヤ人を虐殺し続けたわけではないんです。
別に余裕があったわけでもありません。
ユダヤ人に酷い虐待は続けていたようです。例えば、十分な食糧を
あたえずに強制労働させ、死ぬに任せる、などは恒常的にあったよう
です。
ですから、「虐殺し続けたわけではない」というのも不正確な説明で
すが。
ホロコーストと呼ばれる大量殺人は戦争後半〜末期にせっぱ詰まって
からおこなわれたこととみなされています。
ナチは当初、ユダヤ人たちの所有財産を強制没収して、強制国外追放
しようとしました。国家ぐるみの追い剥ぎです。
ところが、英米をはじめとする諸国は、ほとんどがこの追放ユダヤ人
の受入れを拒否しました。今でいったら難民受入れ拒否問題のような
ものです。
そこでナチは東方占領地にユダヤ人を移送しそこで強制労働させ、土
地を開墾させようという計画を建てました。
ところが、東方で負けが込んでくると、膨大な収容ユダヤ人が負担に
なってきました。食糧供給の負担、管理兵員の負担、いざとなったと
きの暴動の懸念などが言われています。
で、いわば苦し紛れに大量虐殺が行われた、といわれています。
ナチが当初おこなっていた虐殺は、ガス室を使った精神病者の殺害
です。
ナチ的な人種政策で、社会の役にたたないとされた精神病者を秘密裏
に殺害していたそうなのですが、これがヴァチカンに嗅ぎ付けられ、
国際世論の非難を受けそうになり、殺害処理を止めた、と言われて
います。
戦争末期に苦し紛れにユダヤ人を殺すときに、いわば宙に浮いていた
このガス室施設が転用されたのだ、と言う研究者もいます。
443 :
世界@名無史さん:01/11/30 10:36
セルビア人とクロアチア人はどこで別れたんでしょうか?
445 :
ちむーる帝国:01/11/30 16:43
産業革命を簡単に説明せよ。
また、市民革命を簡単に説明せよ。
って、入試ででたらどうこたえればよい?
446 :
世界@名無史さん:01/11/30 16:50
>>445 ちむーる帝国だったら、どんなふうに応えようとする?
で、どこら辺に自信がない?
それとも全然どう応えたらよいか考えがまとまらないから
聞いてるのかい?
447 :
世界@名無史さん:01/11/30 17:10
>>443 >セルビア人とクロアチア人はどこで別れたんでしょうか?
「どこで別れたんでしょうか?」は、同じ南スラブ系である両者の
民族性が分化したのはいつ頃からか? の意味と捉えました。
決定的になったのは、10世紀にクロアチア王国が成立して、国境が
カトリックになってから、ではないでしょうか?
ただ、それ以前から南スラブ族は、バルカン北西部ではフランク王国
の従属下にあり、バルカン南部では、東ローマ(ビザンツ)の従属下に
あったそうです。
ですから、クロアチア王国成立以前から民族性の分化は進んでいたか
もしれません。
が、決定的になったのきっかけは、王国成立と改宗とみてもよいの
ではないでしょうか。
なお、この書込みの内容は事典類の記述を参照しての類推です。
バルカン史に詳しい方の書込みがあったら、そちらを信頼される
よう、お願いします。
448 :
世界@名無史さん:01/11/30 17:13
産業革命:とびひ
市民革命:てっきたい
以上(藁
449 :
世界@名無史さん:01/11/30 20:23
>>ちむ小僧
たのむから人にものを聞く時は、ウソでもいいから多少の礼儀を考えて文章を練って。
君の聞き方は、成金の甘やかされたクソ餓鬼の言い方とかわらん。
450 :
世界@名無史さん:01/11/30 20:32
>>449 高校生用質問スレなので、いろんなのが来るかと。
>>ちむ
ちむもな、このスレで質問したかったら、
優しく小言いわれてる内に、他の質問カキコ参考にして、
質問の仕方も工夫してこうな。
>>445 問題が悪い気がするなー(でも受験てこんなもんかね?)
とりあえず事典類をあたることから始めよう。
入学後、レポート書かされるときもこういう癖つけとくといい
452 :
世界@名無史さん:01/11/30 20:56
>>445 産業革命ひとつの要約でも、小一時間かかるぜ。
で、どこから? 時間あるの? 15世紀の終わり頃からまずいってみるか?
453 :
世界@名無史さん:01/11/30 22:16
>>435 なんか前にテレビで見た気がする…
たしかルーズヴェルトとかの話だっとよーな?
454 :
世界@名無史さん:01/11/30 22:43
>>453 本気にするなよ。日本人が醜いというのは、自虐が好きな一部「知識人」の好きそうなネタだが、
そんなことを言えば、アメリカには白・黒・黄・赤(ネイティヴね)とりまぜておっそろしい
種類の人種がいるんだから。
だいたい、白人だけがアメリカ人だと思っているアメリカ人は、当時だっていやしない。
同じレベルと考えるか劣等階級と考えるかのちがいはあっても、有色人種が存在することを
無視などできる訳がない。
455 :
世界@名無史さん:01/11/30 22:55
>>435 そしたら、
もしかしたら今の日本にはハーフやらクォーターだらけってことか。
いいな。
456 :
名無しは無慈悲な夜の女王:01/11/30 22:58
>>455 「白人」といっても、北から南までいろいろだよ。
多分君の想像しているであろう「金髪・青い目」の「ガイジン」は、非常にまれだな。
ここにも白人マンセーがいるのかぁ。ヤレヤレ。
>>456 白人は嫌いだよ。
日本とか東洋とのハーフの顔が好きなだけで。
458 :
世界@名無史さん:01/11/30 23:06
そうか。スマン。
シェークスピアを読むとわかるが、混血児とか私生児は、当時のイギリスでは不義の
子であると共に生命力のある人間として考えられていたのだそうだ。
混血それ自身は、否定するつもりはない。
459 :
世界@名無史さん:01/12/01 00:46
>>447 >決定的になったのは、10世紀にクロアチア王国が成立して、国境が
>カトリックになってから、ではないでしょうか?
セルビアとクロアチアとはもともと部族(?)が違ったらしい。
それはともかく、スラヴ族の民族移動の結果、
いまの場所に落ち着いて彼らは混住(そしてほぼ間違いなく混血)し、
セルボ=クロアート語という同じ言葉を話すようになったと考えられる。
しかし、ご指摘の通りクロアチア王国なんかが成立することによって
彼らには今度は宗教(カトリックと正教)によるアイデンティティの違いが生まれたわけだ。
で、近代になってから、この地域に住むセルボ=クロアート語話者のうち、
正教徒(主に旧セルビア王国領に住む)はセルビア人いうアイデンティティ、
カトリック教徒(主に旧クロアチア王国領)はクロアチア人というアイデンティティを、
それぞれ獲得していったものらしい。
つまり、セルビア人とクロアチア人の現在に繋がる分化はキリスト教の伝道期だが、
両民族に厳密な分化がなされたのは近代以降(19世紀〜)である。
旧中世ボスニア王国領であるボスニアには
多数派としてセルボ=クロアート語を話すイスラム教徒(いわゆる「ムスリム人」)、
少数派としてセルボ=クロアート語を話す正教徒とカトリック教徒がいる。
このうち、正教徒とカトリック教徒はユーゴスラヴィア時代にすんなり
「セルビア人」「クロアチア人」になり得たが、
ムスリム人たちは宗教の違いのためにセルビア人ともクロアチア人とも規定できず、
近年「ボスナク人」という新しい民族名を自称することとなった。
この例からするに、セルビア人とクロアチア人という民族は
単純に中世のセルビア王国・クロアチア王国からの一貫した民族とは言い切れないだろう。
460 :
世界@名無史さん:01/12/01 02:28
百科全書の表紙、「理性の女神の追い剥ぎ」は
一体何を意味しているのでしょうか?
明日の期末テストで出題されます!!
何方か教えて下さい!
461 :
世界@名無史さん:01/12/01 02:35
age
462 :
世界@名無史さん:01/12/01 08:50
>>445=ちむーる帝国
>産業革命を簡単に説明せよ。
>また、市民革命を簡単に説明せよ。
>って、入試ででたらどうこたえればよい?
>問題が悪い気がするなー(でも受験てこんなもんかね?)(
>>451)
確かにね、「また」って接続詞がいやらしいよな。
とりあえず
「産業革命を簡単に説明せよ」
「市民革命を簡単に説明せよ」
が別々の設問だったら自分なりの短めの答えをまとめられるか?
まず、そっから聞きたいな。
>>445=ちむーる帝国
>>368のレスをみてな。
「産業革命」も「市民革命」も
B-2:いくつかの関連した時代で通用する言葉
「産業革命」はA-3:同じような社会なら世界中どの国でも通用する言葉
「市民革命」はA-2:いくつかの国々・広域文化圏で通用する言葉
※「市民革命」もA-3だって言う意見もあるかもしれないけど、まぁその辺はいいや。
で問題の「また」だけどな。これは、
a「産業革命」と「市民革命」がどんな共通の時代背景から生まれたか、
を書くか
b「産業革命」と「市民革命」が互いにどんなふうに関連しあっていたか、
を書くかどっちかにするといいんだろうな。
aから入ってbに進むって筋で、両方をうまく短文にまとめられれば、それに超したことはないだろうが。
どうせ文字数制限もあるだろうから、難しいかもしれないな。
理想を言えば、aから入ってbに進んで、c「『産業革命』と『市民革命』の結果歴史がどんなふうに進んだか」――この場合、西欧社会がどんなふうに変わったかを結びにできるとベストなんだろうな。
>>459 質問があります。
弘文堂の『文化人類学事典』によると、
「セルビア語はキリル文字で表記されるのに対し、クロアチア語はラテン文字で表記される」とあります。
この表記文字の差違はいつ頃から生じたのでしょうか?
>>464 セルボ=クロアート語を書き表す文字が
キリル文字とラテン文字に別れたのはもちろん中世からだろうが、
現在みられるキリル文字によるセルビア語正書法、
ラテン文字によるクロアチア語正書法が定まったのは19世紀以降のこと
当初はセルボ=クロアート語を共通の言語とみて
セルビア・クロアチア両民族共通の文章言語が目指されたこともあったため、
文語においても文字以外にはほとんど違いはなかった両言語は、
しかしユーゴスラヴィア分裂後には徐々に語彙等の微妙な違い(方言差?)を広げているという。
ちなみにボスナク人ことセルボ=クロアート語を話すムスリムは
最近ラテン文字を使った独自の正書法・文語(「ボスナク語」)を発明したそうです。
産業革命は、最初に英国で、起こり
着眼点をまず、技術革命の方に移す。
技術革命でいうと、まず動力は、水力→石炭・蒸気力になった。
次に、生活革命の点で、説明する。エンクロージャーで、都市に職を
求めに農民は低賃金・悪労働環境で働くを得るをざなかった。
そこで、産業資本家はが台頭し、今日でも、
社会問題・労働問題を残している。
467 :
世界@名無史さん:01/12/01 12:32
>>466 >>466は「産業革命」の簡単な説明だな。
大筋はいいと思うぞ。
細かいとこに気をつけるともっとよくなる。
ところで、きみは、
>>306=ちむ教の信者かな?
似たようなハンドル名が多いとやりとり混乱するんだよな。
だから、もし仲間でカキコしてるんだったら、ハンドル名
分かり易く分けるように相談してくれな。
それから、はじめに一言、カキコミの主旨を説明しろな。
漏れはなっまり堅苦しいこと言いたくねぇから、
とりあえず
「産業革命」の簡単な説明を書いてみました。どうですか?
くらいでいいからさ。
でないと、せっかくカキコしても無視されることもあるぞ。
>>466 さて細かいとこをみてくか。まず、
>産業革命は、最初に英国で、起こり
>着眼点をまず、技術革命の方に移す。
>技術革命でいうと、まず動力は、水力→石炭・蒸気力になった。
複文はできる限り単文に分けて、主語-述語の関係をはっきりさせる。
例えば、
≫産業革命はまず18世紀後半の英国で最初に起こった。
≫産業の動力が、水力から石炭を用いた蒸気力に技術革新された。
>次に、生活革命の点で、説明する。エンクロージャーで、都市に職を
>求めに農民は低賃金・悪労働環境で働くを得るをざなかった。
ここは減点ポイントだな。
エンクロージャー→余剰労働力の都市流入
技術革新→機械工場制産業の成立
は大きな産業革命の内でも別のトレンドなんだよ。
>>317参照な。
きみの作文だと因果関係が曖昧になってるんで減点ポイントになる。
例えばこんなふうに書くといい
≫社会生活への影響をみると、エンクロージャーで土地を失って
≫いた農民たちが、産業革命で成立した工場に労働力を提供した。
≫しかし、彼らは低賃金で劣悪な労働環境で働かざるを得なかった。
≫産業革命の結果、大資本家が台頭。社会問題・労働問題も生まれた。
「産業資本家はが台頭し、今日でも、社会問題・労働問題を残している」は
悪くないんだが、「そこで」がまずい。
「そこで」でつないぐと、まるで19世紀の労働問題がそのまま今日
まで続いてるみたいだろ。
まぁ、そう言って言えないこともないが、試験の解答だったら
そこまで話を広げない方が無難だろうな。
「産業革命」は19世紀西欧のできごとなんだから、その範囲で
話をまとめても減点ポイントにはなんねぇだろ。
逆にヘタに話を広げて、万一ボロだすと、減点対象になる。
ニッテイ反対とか負のイメージを与えられる単語ですけど、
歴史用語としての帝国、帝国主義はそもそもどういうイメージなんでしょうか?
大英帝国やフランスがアジアアフリカを植民地として自国資本過程下に組み込んだこと
を批判する単語としての高校の授業で習いますけど、そしてそれはそうなんだと思いま
すけど、私は大英帝国やドイツ帝国がそう名のったのは、ローマ帝国の後継を自任して
のことだったろうと思うのですが。当事者は当時どういう意味を与えていたんでしょうか。
全部書き直してみようか。
漏れなら試験には次のように書くな。
産業革命はまず18世紀後半の英国で最初に起こり19世紀にかけて
西欧諸国に広がっていった。
産業の動力が、水力から石炭を用いた蒸気力に技術革新され、機械
動力を用いた工場制の産業が確立した。
社会生活への影響をみると、イギリスでは、エンクロージャーで
土地を失って いた農民たちが、産業革命で成立した工場に労働力を提供。
当時の工場労働者達は低賃金で劣悪な労働環境で働かざるを得なかった。
西欧諸国ではこのような新たな労働問題が、産業革命と共に生まれた。
大資本家と労働者の対立も生じ社会問題となった。
>>466は「最初は英国ではじまり」から入ったのはよかったんだよ。
だけど、そのあとエンクロージャーの話が続いてるんで、
まるで「イギリスの産業革命」の説明みたいになってる。
質問が「産業革命」の簡単な説明、だったらこれも減点ポイント。
話をイギリスの話から、西欧諸国の話に持ってってまとめなきゃいけない。
471 :
世界@名無史さん:01/12/01 13:24
>>469 また難しい話題を(笑)。いや、いいと思うぞ。
高校生だったらそれくらい知的好奇心を持った方がいい。
(でもきみは高校生か?「ニッテイ反対」とはまた古風な言い回しを:笑)
とりあえず話の前提を整理・確認しようか。
「帝国」だけど、これは
>>368の
A-4:国(文化圏)ごとに意味が微妙に変わって来てしまう困った言葉
B-2:いくつかの関連した時代で通用する言葉
専門家の細かい話だと、中国の皇帝とローマの皇帝とは意味が違う
とかやかましい。
でも、そんな細かい話から入るとしまつにおえないから、
大まかには、「帝国とは、専制的多民族統治の国家体制」として大体は
通じる。この大まかな「帝国」は、なんと
A-3:同じような社会なら世界中どの国でも通用する言葉
B-3:時代を越えて常に通用する言葉
になる(笑)
で、「帝国主義」なんだけど、歴史用語としてのコイツはなんと
A-3:同じような社会なら世界中どの国でも通用する言葉
B-1:特定の時代にしか通用しない言葉
なんだ。
まず「帝国主義時代」という時代区分があって、その時代の帝国主義国家の
植民地支配政策などを「帝国主義」と呼ぶ。この辺を授業で教わったんだと思う。
「ローマ帝国の帝国主義」とか「多国籍企業による帝国主義」とかって
言われることがあるけど、これは歴史用語としての「帝国主義」の拡大用法
にすぎないんだよ。
多分、当事者は当時「帝国主義」なんて言葉は使わなかった(笑)。
※使ったヤツもいたかもしれないけど、別に深い意味はなかった(笑)。
大英帝国やドイツ帝国が「帝国」を名乗ったのは、これは
>>469が言う通り、
A-3:同じような社会なら世界中どの国でも通用する言葉
B-3:時代を越えて常に通用する言葉
のつもりで名乗ったのであってもともと言葉の意味が歴史学用語の「帝国主義」
とは違うんだ。
だから、当事者が当時「帝国」にどういう意味を与えてたかは「帝国主義」云々
とはまた別の話。
ちょっとわかりづらかったかな?
>>469 >私は大英帝国やドイツ帝国がそう名のったのは、ローマ帝国の後継
>を自任して のことだったろうと思うのですが。
>当事者は当時どういう意味を与えていたんでしょうか。
まず、パクス・ロマーナ(ローマの平和)が理想化されたイメージが
あったと思うな。
それから、キリスト教化された末期ローマ帝国と古典古代の偉大な
帝政ローマのイメージがゴッチャになってたと思う。
結局「ローマ帝国の後継を自任」しててもロマンチックなイメージ
だった。
中世の話だが、神聖ローマ帝国なんて東ローマへのコンプレックス
と対抗心で名乗ったとしか思えねーから、これはヨーロッパ人の
サガだね、多分(苦笑)。
帝国は自称しなかったけど、アメリカ人もパクス・ロマーナのイメージ
好きだよな。
ハリウッド映画とかみてるとそう思う。
で、ローマ帝国と、大英帝国ドイツ帝国を比べると、後者の方が人種
差別主義が徹底してたな。ローマにだって差別はあったけどまだ
おおらかだった。
異邦人にもローマ市民権ポンポンやるし。蛮族でも軍の司令官にした
りな(笑)。
その辺が実態の相違点だと思うな。
※あ、ただ大英帝国の人種差別は、大航海時代のイスパニア王国の
※それよりは若干ましだった。人間は少しずつしか進歩しない、
※って話かな。
473 :
世界@名無史さん :01/12/01 16:34
>>368=471さん
その歴史用語の区分法、とてもいいですね。
学生時分、概念理解にずいぶん悩まされました・・・。
真珠湾海戦で、大日帝国は爆撃をしましたが、
何機の航空機が米兵に
打ち落とされたのですか?
>>474 そう言う質問は軍事板の方が良いと思う(w
>>474 ああ、その時はちゃんと大日本帝國と書ける様にしておく事。
市民革命について、説明せよ。
説明:市民の革命(以上5文字)
失礼な質問には失礼な回答しか来ないYO!
>>471-472さん。
ちょっと難しいですが、おもしろいお話です。ありがとうございます。
ええと質問1。こういう考え方を知るには、たとえばどういう本を読めばいいのでしょうか。
あまり難しくなく、できればおもしろい物がいいのですが贅沢ですか?
質問2。
>>472で出てきた「サガ」というのは、物語とか叙事詩の「サーが」の方ではないですよね?
念のため。
すいません、「まだ厨房」もまちがい。来年高校(予定)
ここに日本史の質問をしてもいいですか?
483 :
世界@名無史さん:01/12/02 14:36
「ベンガル分割令でヒンドゥー・イスラム両教徒の対立を深めようとした」
というのが教科書などで見られるんですがこの原理がよくつかめません。
分離するってことは逆にお互いが勝手に暮らすようになるから
対立はむしろちいさくなるのでは?
よくわかりません、世界史とはちょっとずれるんですが。
484 :
世界@名無史さん:01/12/02 14:45
>>482 好ましくないと思うな。
日本史板で質問スレをたててしまった方が早くないか?
485 :
世界@名無史さん:01/12/02 14:55
右翼とか左翼とか、意味ってなんなんですか?
487 :
世界@名無史さん:01/12/02 15:05
中東情勢が良く分かる書籍を教えてください。
自分は学研文庫の中東戦争全史を持っているんですがこの本はどうでしょうか?
488 :
=471=472:01/12/02 16:28
>>480 おもしろかったなら、よかった。ちょっとむずかしかったのはごめんな。
>>485の人が言ってるように、山川の世界史リブレットはいいと思うな。
100ページ弱なのに、1冊800円前後は高いと思うかもしれないが。
その分密度が濃いと思って、読んで損はない。(もちろん図書館で読んでもいい)
世界史リブレットは全部で56冊だったと思う。
近いテーマの本を2、3冊買って来て、順番に読んでくといいと思う。
もし、むずかしいと思うところがあったら、歴史事典の類を併読しながら読む。
そうだ1冊勧められる本があった。
樺山紘一,『世界史の知88』(ハンドブックシリーズ),新書館
ISBN4-403-25006-8 C0022
この本は、88のテーマをたて、世界史の流れを大づかみにおっかけた本。
リブレットを読むときに併読して前後の流れも視野の方隅におきながら読むと、一層おもしろく読めると思うぞ。
何冊かリブレットを読んで、気に入った本があったら、その本の著者が書いた別の本にアタックしてみるといい。
自分が好きになれて、信頼できる著者と出会うとラッキーだよ。
ヘタに難しい本読むよりその方がよほどいい。
それと、リブレットは参考文献一覧がガッチリしてる。
ガッチリしすぎてて、専門家でない人間にはシンドすぎる本も多いが。
リブレットの参考文献に載ってる新書や文庫本は、一度は手にとって見るといい。
目次や前書き、後書きの類をあたって、いい感じだったら買っちゃえ。
世界史に限らず、まず、歴史は背景の流れをおおづかみにつかんで。
それから自分をひきつけるところを掘り下げてく読み方がいいと思う。
そのためにはリブレットは最適チョイスのひとつだな(
>>485氏に感謝)。
後、好きになれて信頼できる著者を探すこと。
そういう著者の本は2冊、3冊を読み進んでいくといい。
追記:「サガ」とかいたのは「性〔さが〕」のこと。混乱させたらすまん。
489 :
世界@名無史さん:01/12/02 16:36
>>487 学研文庫の本は読んだことが無いので内容は判断できないです。
特に中東紛争に特化した本ではありませんが、次の2冊は2冊ともお勧めできます。
山内昌之、編、日経文庫『ベーシック 世界の民族・宗教地図』
ISBN4-532-10654-0 C1231
日本経済新聞社、編、日経文庫『ベーシック 世界の紛争地図 新版』
ISBN4-532-10689-3 C1231
中東情勢のような複雑なできごとは、多面的にみる必要がありますので。
こうした資料本を併読すると理解が深まると思います。
490 :
ミハイル=ちむ信:01/12/02 17:00
ロシアは後進国なのに、
なぜ、あんない寒いのに東進できたのですか?
491 :
世界@名無史さん:01/12/02 17:05
>>490 もともと中世から内陸アジアを交流はあったから馴染んでたし。
内陸アジアの諸国はロシアよりも近代化に乗り遅れてたからだよ。
492 :
世界@名無史さん:01/12/02 17:07
>>483 その疑問はそもそもイスラム教徒とヒンズー教徒が
常日頃から対立しあってたという前提があるでしょ。
インドは1000年のイスラム・ヒンズー混住の伝統があった。
接してるのが日常なら宗教が違うからといって常日頃対立しあうこともなくなって、
ひとりの聖者の祭日を両方の信徒が一緒に祝うとかいったことすらあったらしい。
だから両教徒をくっつけとくと「同じインド人同士」だってんで
団結してイギリスに刃向かいかねないわけだ。
んで、イギリスはベンガル分割のように、
ふたつの宗教を厳格に分割して統治する政策を取った。
いちど分けられると、どうなるか。
例えばある混住地がヒンズー教徒の州に分配されたらとしよう。
イスラム教徒の側からすると、
もともと混住してて自分たちイスラム教徒も住んでた土地が
一方的に奪われてしまって許せない。
ヒンズー教徒の側からすると、
一度手に入れた土地は譲れるわけがない。
分割統治は、そんな具合に元々混ざって暮らしていて
宗教間に不公平感がないために
彼らが共通の敵に対して団結する可能性を
ぶち壊す効果があったということです。
下手くそな説明で申し訳ない。
493 :
世界@名無史さん:01/12/02 17:19
>>483 パレスティナ、ユーゴ紛争見れば解るんじゃないか?
もともと一緒に住んでいた2つの宗教を、コッチはヒンドゥー
アッチはイスラムっていきなり分けちゃったら、如何なる?
ヒンドゥー地区に住んでるイスラムと、イスラム地区にに住んでる
ヒンドゥーは肩身の狭い思いをすし、えてして多数は少数派を迫害
する様になり、憎しみが生まれる。
>>486 議会で右側に席を占めた人達と左側に席を占めた人達です。
495 :
世界@名無史さん:01/12/02 18:50
>>483 >>492,
>>493で言われてる通りです。
ちょっとだけ切り口を換えた説明を書いてみます。
インドでも地方によって違うのですが、2次大戦後の独立時以前は
概ね都市部にはイスラム教徒が農村部にヒンドゥー教徒が多かった
と言われています。
これが分割されると、例えばイスラム圏に指定されたところでは、
ヒンドゥー教徒の農民は都市に商売に行くとき不利になったりします。
ヒンドゥー圏に指定されたところでは都市が周囲から孤立したりも
するでしょう。
もともと対立があっても混在していたところを、人為的に分割すると
軋轢が増すことになります。
>>442 ありがとうございました。難しかったですがだいたいわかりました。
497 :
世界@名無史さん:01/12/02 20:29
>>490 あと、そりだね。冬になると河川が凍結するから、そこをそりで
移動した。当時、世界最速の乗り物。移動手段があったのも大き
い。ただし、氷点下数十度の中を時速数十キロで走るときつかっ
たと思う。
498 :
世界@名無史さん:01/12/03 01:03
コンスタンティノープルと小田原上はどっちがカタイですか
499 :
世界@名無史さん:01/12/03 02:16
>>498 一瞬、悩んだ。
コンスタンティノープルと小田原城はどっちが〔守りが〕固いですか?
の意味だな?そう決めた。
コンスタンティノープルに一票。
一票、ってのはな。こういう質問は、歴史の話題としてはあまり意味がない
からなんだよ。
どっちも戦闘ヘリ部隊で襲撃したら脆いだろうし。
どっちも歩兵軍団には固いしな。
その割りにコンスタンティノープルはヴァイキングに攻め込まれた
ことがあるが(藁)。
当時の戦術、戦力に対してどうだったか、が歴史の話題で、この当時の
っていうのは地域の文化も含まれる。
そういう条件を抜きにしての比較は歴史的にはあまり意味が無い。
500 :
世界@名無史さん:01/12/03 02:20
>>499 常備軍兵力の規模、有事の動員可能兵力、動員の効率etc
も重要だyo。
501 :
世界@名無史さん:01/12/03 03:00
第2次世界大戦においてドイツはスイスを占領しませんでしたがこれは何故ですか?
同じ中立国のベルギー・デンマーク(だったっけ)は占領してるのに。
502 :
世界@名無史さん:01/12/03 07:54
>>501 意味がないから。
フランスを攻めるのにベルギーは重要な通過点になるが、スイスはならない。
東京から高崎を攻めるのに関東平野を驀進する事はあっても秩父山地を回って攻め込む様な事はしないでしょう?
変な例えだけどさ。
503 :
世界@名無史さん:01/12/03 08:01
それじゃ、いってきまーす!
504 :
世界@名無史さん:01/12/03 08:04
>>503 はい、行ってらっしゃい。
気をつけてね。
505 :
世界@名無史さん:01/12/03 11:29
503です。
ただいまー。
テストぼろくそだったっぽいよー。
でも
世界史は完璧
だった
はずなのに
「広州」を「公州」って書いちゃったー。
公行のせいだーーーーーーーー。
乾隆帝のアホーーーーーーーー!!
その他
「北虜南倭」→「北虚南倭」
俺のアホ・・・
506 :
世界@名無史さん:01/12/03 11:57
>>505 そうか。書き違いとかのミスは悔しいよな。
次はがんばれ。
507 :
世界@名無史さん:01/12/03 12:05
505ですは。
つぎっちゃ、センターですは。
その次、日大。
あーしんど・・・
508 :
世界@名無史さん:01/12/03 12:44
先生が女性の天皇が駄目なのは、女性だと民間から男子を
迎えて結婚することになり天皇の神として立場が揺らぐから
、男性だけにしたと言ってましたが本当ですか?
三十年戦争でグスタフ・アドルフっていますが
スェーデンってアドルフ家なんですか?アドルフってセカンドネーム
ですか?
510 :
世界@名無史さん:01/12/03 13:00
>>509 カール12世ってのもいるけど
あれはどうなのよ?
511 :
縞栗鼠(シマリス)の親方:01/12/03 13:15
512 :
世界@名無史さん:01/12/03 13:23
なんだかくだらない質問ですが。
教科書とかに載ってる人名って
ファーストネームで呼んだり、
ファミリーネームで呼んだりいろいろありますが、
あれはどうやって呼び方を決めてるんでしょうか?
やっぱり最も一般的(?)な呼び名を・・・?
でもなんかはっきりした基準はあるんですかね。
確かに謎ですね。
「大スキピオと小スキピオ」なんていわれても、スキピオ家の人間はそれこそゴマンといますし。
「カエサル」といわれても、後のローマ皇帝の名前にも「カエサル」ってついてますし・・・
スターリンなんかも、本名じゃないですね。
「ヨシフ・ビサリオノヴィッチ・ジュガシビリ」って書いてもいいのか・・・?
まあ、エル・グレコやチェ・ゲバラも悲惨ですが。
どなたか、よろしくご鞭撻願います。
514 :
世界@名無史さん:01/12/03 15:11
>>508 日本史ネタだけど、答えておくか。
日本の古代には女帝が何人もいた。
だが、古代の一番最後、平安時代になってパタッとたてられなくなった。
(後、江戸時代にも女帝はたてられた)
先生にお聞きしないとわからないが。
多分、先生は女帝がたてられなくなった理由を後の時代から説明する「中つぎ天子説」をかんたんにして説明されたんじゃないかな(?)。
(想像だけど、学校の先生はいろんなこと話さなきゃいけないだろうから、簡略化されたのではないかと思う)
「中つぎ天子説」は昔からある有力説のひとつで間違いとは言えない。
「『中つぎ天子説』だけでは女帝がたてられなくなった理由は説明しきれない」、という別意見もあるけど。その辺は日本史板で聞いてみてくれ。
くれぐれも先生には「2chでこんなこと言ってました」とか言わないように(笑)。
515 :
世界@名無史さん:01/12/03 17:32
>>513 >「大スキピオと小スキピオ」なんていわれても、スキピオ家の人間はそれこそゴマンといますし。
本で読んだだけのアレですが、大カトー/小カトーなどは、当時や、少し後の時代からそのように呼ばれてて、古文書にもそう書かれているので踏襲されてるだけって話で。
あだ名ですね。
大スキピオ/小スキピオも同様なんだろうと推測します。
516 :
世界@名無史さん:01/12/03 19:59
グスタフ・アドルフの時代のスウェーデン王家は「ヴァーサ家」ですな。
爺さんのグスタフ・ヴァーサがノルウェーから独立を果たして開いた王朝で、
「ヴァーサ」は家名で良いはずです。
グスタフ・アドルフはグスタフ・ヴァーサに次ぐ二人目のグスタフなんで、
グスタフ2世と呼ぶこともあります。
で、なぜかスウェーデン王はセカンドネームを付けて呼ぶことが多くて、
カール10世もカール・グスタフと言うことがあり。
カール12世の妹でウルリカ・エレオノーラなんていう女王もいます。
世界史的には、君主はファーストネーム、その他はファミリーネームで呼ぶ
というのが一般的な習慣ですね。
即位前「ナポレオン・ボナパルト」、即位後「ナポレオン1世」とかが典型。
「ジャン・ベルナドット」と「カール14世・ヨーハン」とかも。
でも、慣習はいろいろあるんで、そう覚えるしかない、という場合も多い。
真面目なお話をされているところ申し訳ありませんが、
アホな質問をしてもよろしいでしょうか・・・?
英語では紀元前を「BC」紀元後を「AD」と言うが、
BCはBefore Christ(キリストより前)の略
ADはラテン語Anno Domini(我らが主の時代)の略。
では、何故BCは英語の略なのにADはラテン語の略なのか?
…と、今日世界史の先生に聞かれて困ってしまったのです。
(ちなみに世界史の先生も知らないと言っていました)
両方は英語に出来ない理由が何かあるのでしょうか。どなたか御教授お願いします。
あ、グスタフ・ヴァーサの時代はカルマル同盟で、ノルウェーはデンマークの支配下だったな。
ぼけてたようだ。
ちなみに、グスタフ・ヴァーサは一旦独立を諦めてスキーでノルウェーに逃亡しようとするが、
それを独立運動の賛同者が追いかけて呼び止めたという故事があって、これにちなんで、
世界的なクロスカントリー大会の「ヴァーサ・ロペット」が開催されている。
>>513 スターリンって本名じゃないんですか〜
ヨシフ・シュガ・・・ってどこからスターリンって名前が出てくるんです?(汗
>>516 ありがとうございます。
確かに君主ってほとんどファーストネームですねぇ。
うーん・・・やっぱりそれぞれの慣習にのっとって教科書なり資料なりに載せるわけですか。
これだ、っていう基準があったら面白いのに。
520 :
世界@名無史さん:01/12/03 21:29
>>517 A.D.というのは6世紀にローマの修道士がキリスト紀元を発明してから使われるようになりました。ですから当然ラテン語でした。
それ以前は、例えば「アウグスティヌスの治世何年め」とか言ってましたし。
その後、ヨーロッパではずっと創世紀元が用いられていました。
創世紀元の研究は盛んで、何通りかあったんですけど。
例えば、12世紀の学者の研究では、イエス生誕の年は、アダムより5500年後のこととされていました。
で、ヨーロッパ人達は、大航海時代に中国に行っても、三皇五帝の内のギョウの時代にノアの方舟の大洪水が起きた、とかいろいろそういうことを、真面目に研究していました。
でもエジプト学や中国研究が少しずつ発展して来て、段々、創世紀元だと不都合が多いことが認識されるようになってきます。
B.C.はふつう、17世紀にイエズス会士、神学者、文献学者、歴史学者として知られたペタヴィウスが発明し、18世紀に広く用いられるようになった、とされています。
ペタヴィウスはオルレアン生まれのフランス人なんですけど、なんで英語のBeforChristを提案したかは、私も知りません。
521 :
世界@名無史さん:01/12/03 21:46
スターリン、レーニンはペンネーム。
革命運動のとき本名を伏せて活動していて、革命後もペンネームで通した。
わからんのは、カール・マルテルとかユーグ・カペーとかの必ずあだ名をつけて
呼ばれるやつらだよな。ありふれた名前なんで区別しなきゃならんのはわかるが。
522 :
世界@名無史さん:01/12/03 21:56
なぜナポレオンは処刑されずにセントヘレナ島への流刑で済んだんでしょうか?
523 :
世界@名無史さん:01/12/03 21:59
>>517 ちなみにドイツ語だと
v. Chr ;vor Christo[Christus]
v. Chr G ;vor Christi Geburt
とか言います。<紀元前
っつーことで、紀元前という言葉をよく使うようになったときは、英語が世界共通語に
なっていた、というあたりではないかと。
524 :
世界@名無史さん:01/12/03 23:00
コンスタンティノープルはコンスタントに勢力を保ってたからコンスタンティ
ノープルっていうんですか?
それとも逆ですか?
>>524 ネタか?
コンスタンティヌスが建設したからに決まってんだろが。
あ、コンスタンティヌスはconstantと関連した名前らしいけどな。
527 :
世界@名無史さん:01/12/03 23:55
ちなみに、「コンスタンティノープル」ってのは英語であって
ラテン語やギリシャ語では「コンスタンティノポリス」
文字通り、コンスタンティヌスのポリス(都市)ってこと。
>>520,523
わざわざありがとうございます。よく判りました。
今日先生に報告してみたいと思います。
>>528 あ、先生に報告するんだったら、もう少し補足した方が……、
手後れかな?一応−−
>B.C.はふつう、17世紀にイエズス会士、神学者、文献学者、歴史学者として知られたペタヴィウスが発明し、18世紀に広く用いられるようになった、とされています。
ベタヴィウス以前にも「キリスト生誕何年前」の表記を使った歴史家は何人もいるようです。
が、ベタヴィウスがはじめてきっちりした年表に組織的にBCを使ったので、彼の発明と言われます。
ところが、ベタヴィウスも、彼だけでなくその後しばらくは、BC年号と創世紀元の併記が、学問的でした。
創世紀元が使われなくなるのは、18世紀も後半になってからのこと、と聞きます。
530 :
世界@名無史さん:01/12/04 18:18
石のビーナスでヌいたことある人、居る?
531 :
世界@名無史さん:01/12/04 18:27
532 :
世界@名無史さん:01/12/04 19:18
10世紀の史実について、次のうち誤りを含むものはどれか。
@ 中国では、趙匡胤が宋の初代皇帝となり、都を開封に定めた。
A ベルベル人はイスラム教への改宗が急速に進み、ムラービト朝が成立した。
B ローマ教皇との結びつきを強めたオットー1世は、ウラル系のマジャール人を撃退した。
C インドでは、イラン人の軍事政権ブワイフ朝がバグダードに入城した。
533 :
世界@名無史さん:01/12/04 19:23
>>531 まあ、身分が高かったから、という解釈をする人もいるだろうが、ちょっとちがう。
あそこでナポレオンを処刑したとすると、戦争に負けた国家の元首を戦犯として処刑する
という意味に取られる。
戦争に負けたから断罪される、なんてルールは、WW2の戦後処理の中ででっち上げられ
た(といってもいい)ルールだから、この時代にそんなルールはない。
全面降伏ならともかく、フランスはへたり込んでいたが条件付きの降伏しかしていない。
連合軍も息も絶え絶えの状態。ここで敗者をむちゃくちゃに刺激するとヤバイ、という
計算もあったんだろうね。
イギリスとしては、ナポレオンを手元に持っているというのは外交上でいうとエースを
一枚よけいに持っているようなものだし。
「いざとなったら、ナポレオンを解放してけしかけるぞ」
って言ったかどうかは知らないが、他の連合国はそれを意識せざるを得なかった。
殺しては、何の得にもならない。
534 :
世界@名無史さん:01/12/04 19:47
>>532 ムラービト朝は11世紀でしたっけ・・・?
マジャール人は、アジア系ウラル語族ですしね・・・
>>534 あら、そっちにあったんですか。
まだそっちはチェックしてませんでした(w
537 :
世界@名無史さん:01/12/04 20:02
質問なんですが冷戦時アメリカはベルリンに物資を空輸をしていたわけですが
ベルリンに行く場合は当然東ドイツの領空を飛行しますよね?
それをソ連や東ドイツは黙ってみていたんでしょうか?
538 :
世界@名無史さん:01/12/04 20:17
>>537 昔、ヨーロッパの航空地図を買ったことがあります。1990年頃のものかな。
西ドイツの国境からベルリンに向かって、でかい注意書き付きで航路が3本ありました。
幅は、50qぐらいだったかな。軍事バッファゾーンだったか、CDZの記号付きの侵入禁止
ゾーンも明記され、英語で
「この領域にはいると無警告で撃墜されることがある」
とか何とかの警告文がついていました。
ドイツ在中だった義理の兄貴によると、平穏な時はルールを守りさえすれば問題は
なかったとのことです。
第二次大戦のときの枢軸国って日独伊以外にもありましたよね?
戦後どうなったんですか?占領されたりしたんですか?
>>539 枢軸国には、占領地の傀儡政権も含まれるのでしょうか?
タイなんかはどうなんでしょう?
う〜ん・・・
541 :
世界@名無史さん:01/12/04 21:43
>>538 あれ?
>>537の質問は、「航空路があったのか」ではなくて「航空路も封鎖しなかったのか」
ではないの?
制空権は一応西側が取っていたようだから、戦闘機がにらみを利かせながら強行したと思
います。ただし、未確認。調べてみます。
冷戦というのは日本人のようにデジタルで考える国民には理解しにくい状態で、一触即発
のアブない状態でも結構なぁなぁが通用しました。ただし、これまた日本人には理解しに
くい「取引」とか「契約」とかいう概念をふまえてです。
日本が外交下手なのは、このへんの欧米方式の考え方で育っていないから、といわれてい
ますので、できるだけ若いうちに多種多様の考え方を知るべきでしょうね。
「話せばわかる」「胸襟を開けば人類皆兄弟」というのは、ある意味でとてつもない誤解の
ある言葉です。相手方の考えを理解しないで「話せばわかる」と言っても、無駄です。
542 :
世界@名無史さん:01/12/04 21:55
537です。
航空路を遮断すれば東側にとってはベルリンを干上がらせるチャンスだと思うんですが。
それに領空侵犯とはねつければいいと思います。
543 :
世界@名無史さん:01/12/04 22:20
>>542 えーと、
>>538氏の言っている(らしい)航空地図は私も持っています。
これは、東西関係なくおよそ飛行機を運用しているすべての国が(条約名忘れた)決めた
ルールですので、客観的にはっきりわかる航路上での「領空侵犯」呼ばわりは、認められ
ません。
基本ルールを破った場合それこそ報復に相手が何をしてくるかわかりませんので、核による
睨み合いと同じでお互い最低限のルールは守ります。
だって、共産圏の国も西側の航路や空港を使うでしょ? その時の報復が怖いから。
どっちにしても、空路だけで何百万の人の物資を運ぶのは大変だったろうねぇ。
ベルリンでの対立は、東西の全面戦争に発展しかねないため、軽々しい行動は許されなかった。
スターリンは、西側をはるかに圧倒する兵力を東側に集めての上で封鎖を強行。
これには、西側もうかつに動けない、また西ベルリンへの核攻撃もありえないと踏んでいたようです。
アメリカにしてみれば、ベルリンがむざむざとソ連の物になるのは、なんとしても避けねばならなかった。
おそらく、これを許すことは、ソ連の西進を許すことになると思ったんでしょう。
そこで、輸送機撃墜の危険を冒し空輸に踏み切った。
ここでのスターリンの誤算は、西側の空輸力を過小評価したこと、
そしてこの暴挙と空輸により、かえって西ベルリンの結束を高めてしまったことでしょう。
そうしてスターリンは、ピーク時には、24時間になんと1398機が61.8秒ごとに発着し、
12940.9トンの貨物を運んだという空輸能力に驚き恐れ、
そのうえNATOまで成立したことにより、封鎖解除を余儀なくされたというところでしょう。
545 :
世界@名無史さん:01/12/04 23:40
みなさんありがとうございます。ソ連が攻撃しなかった理由は全面戦争に発展するのを
避けたからで良いんでしょうか?
ソ連はまた、同盟国が西側の豊かさにつられて裏切ってしまうことを恐れたのだと思います。
ヘタをすると、不穏な動きを見せていた東欧の社会主義国が寝返り、ソ連が孤立していたかも・・・
548 :
世界@名無史さん:01/12/05 08:06
>>545 その解釈で言いと思うね。
「冷戦」というのは、変な言い方だがぎりぎりの所まで脅しあうが戦争まで至らない、
という実に曖昧なものだったから。
多分、お互い本当に戦って完全勝利を得る保証がなかったからだろう。
(レーガンはある意味でそのルールを破った。だから彼が冷戦に勝ったと言う解釈は正しい。)
549 :
世界@名無史さん:01/12/05 14:27
レーガン?
レールガンのことですか?
550 :
世界@名無史さん:01/12/05 14:40
・・・・ネタだと信じたい
(;´Д`) ・・・・
ええと、レーガンとは、ロナルド・レーガンのこと。
http://www.ne.jp/asahi/frog/hh/news7.html レーガンが破ったルールとは、
『相手を刺激する軍拡を行っては行けない。軍拡がエスカレートして、カタストロフィに至る』
と言うもので、レーガンはこれを破った。
その結果、軍拡競争に駆り立てられたソ連は、経済的に崩壊してしまった。
レーガンの考え自体が正しかったのかどうかはともかく、結果として彼は冷戦に勝ったアメリカ大統領といえる。
ただし、個人的にはこんなことわざで締めくくるべきだと思っている。
「終わりよければすべてよし」と「勝てば官軍」 (藁
レーガンといえば、スターウォーズ構想ですね。(映画観てたのかな・・・?)
「強いアメリカ」「悪の帝国ソ連」
・・・さすが独善的大国アメリカ。
このスローガンで、つい「強いロシア」と「大悪魔アメリカ」を連想してしまいます(;´Д`)
レーガンのレールガン
555 :
世界@名無史さん:01/12/05 21:19
イエルサレム王国ってのが1099年にたてられ以後200年弱続いた、って書いてありますけど
12C中期、一度サラディンにイエルサレムとられてませんか?
それなのに200年続いたってのは何故ですか。
イェルサレム王国:1099〜1291
1187年にアイユーブ朝のサラーフ=アッディーンの攻撃により、イェルサレム市を失う。
最後の拠点アッコンの陥落は1291年、マムルーク朝による。
557 :
世界@名無史さん:01/12/06 00:32
どうもです。
アッコソね。
558 :
世界@名無史さん:01/12/06 00:51
何故ペストの流行が農奴の解放に繋がったんですか?
559 :
世界@名無史さん:01/12/06 01:56
ペストにより農民の数が減る→農民がいなくなれば領主も困る(収入がなくなる)
→農民の地位向上→ペストの脅威が去る→再び農民の地位を下げる
→農民怒る→農奴解放
だったと思います。
単線的因果関係論と生産関係論の違いがよくわかりません。
というかイミが分かりません。
こんな厨房にどうぞ教えてやってください(はぁと
561 :
世界@名無史さん:01/12/06 17:21
レコンキスタが起こる前はスペインはイスラム教の国家でしたが、その影響を受けた当時
の遺跡や現在まで続く風習などはあるんでしょうか?
>>561 グラナダのアルハンブラ宮殿やコルドバのメスキータが代表的なイスラム建築物でしょうか。
ただ、メスキータのほうはカルロス1世のエピソードもあるように、キリスト的に改修されたようですが。
ぐぅ・・・ 高校世界史の浅知恵ではこれだけしか分かりません(;´Д`)
どなたかフォローお願いします。
564 :
受験生 かおり:01/12/06 18:41
フランスではルイ14世の時代絶対王政に突入するんですが何故イギリスはそれができなかったのですか?イギリス国会が力を持ってたからと言う理由のほかに何かあるんでしょうか?
カルバン派は何故宗教改革の後、ルター派よりも広く知れわったったのですか?
カルバンの教義からの視点でお願いします。彼の教義はその時代に合っていたと言う事ですか??
565 :
無知ですいません。:01/12/06 19:08
『寄進』てどういう意味ですか?
566 :
世界@名無史さん:01/12/06 19:44
>>565 それくらいは、まず国語辞書をひいてみましょう。
国語辞書を引いた上で、不審があって、
中世西欧の意味はこれと同じと思っていいのですか?
とかなら質問してみてください。
567 :
世界@名無史さん:01/12/06 19:47
>>565 「悪魔の辞書」式に言えば、金を巻き上げられることの婉曲表現。
まともな意味としては、「神社・寺院などに,金銭・物品を寄付すること。」
しかしこのくらいは、まず辞書・辞典にあたってみるべきだろう?
多分宗教がらみの歴史なんだろうがね。
>>564 ちょっと待っていてくれ。今、考え中。 (藁
568 :
世界@名無史さん:01/12/06 22:37
歴史を楽しく覚えられる漫画とか小説ってありますか?
あたしは天は赤い河のほとりとかが好きなんですが。
569 :
世界@名無史さん:01/12/06 23:09
>>568 学研の学習漫画は?
高校レベルの知識はだいたい積め込んであったと記憶。
570 :
世界@名無史さん:01/12/07 00:47
>564
>イギリス国会が力を持ってたからと言う理由のほかに
「ほかに」とあるがこれが一番大きい理由でしょう。
絶対主義というのは、理念上王権が他の制度・観念によって制約を受けない、ということでしょう。
イギリスの場合、王権を制約するのはもちろん議会であり、
主権あるいは至上権は、「議会における国王」にある、という中世以来連綿と続く法諺にその理念が示されています。
(「テューダー絶対王制」の場合も、王権は議会をうまく利用しつつ統治。よって上記の建前は維持されていた)
イギリスでもう一つ、王権を制約するものがあったとすれば、「法の支配」と言うような観念があげられるのでは?
(14世紀の裁判官J・フォーテスキューは、英仏の統治の相違はこの観念の有無にある、と既に述べている)
大革命までついに統一的な法圏が成立しなかったフランスに対し、
イングランドでは中世以来まがりなりにもコモンローによる統一法圏が存在したことが
(その結果、層の厚い法曹家の集団が存在したことが)多分関係しているのでしょう。
571 :
世界@名無史さん:01/12/07 01:39
タイの日貨排斥運動ってなんですか?
定期テストで出されてなんとなく書いたらあたってました。
教科書とかには載ってないんです。
今思うと、自分でも何故書けたのかさっぱりわかりません。
有名なんでしょうか?
何故書けたのか気になって眠れません。
572 :
世界@名無史さん:01/12/07 01:59
五州事件ってなんですか?
>>571 タイでの日貨排斥運動は、配慮に欠ける日本資本や日本人の行動があったとはいえ、
実害に対する抗議というよりはナショナリズムによる反日運動であったといわれています。
キックボクシングのタイでの興業という、日本人の無神経な行動を理由に、
社会的な抑圧を受けて不満を持っていた労働者・学生が、学者や知識人に煽られ、
さらに軍部や政治家の工作もあって、反日へと動いたようです。
日本資本の態度に問題があったことや投資の流入がバランスを逸していたことは確かですが、
タイ国内での深刻な社会不安を紛らわすため、、矛先を日本に向けたものと思われます。
574 :
世界@名無史さん:01/12/07 13:16
1970年、「ヴァチカンの幽囚」の時の教皇と
ラテラン条約締結時の教皇それぞれ分かるかたいますか?
知ってたほうが良さそうな気がするので・・。
575 :
世界@名無史さん:01/12/07 13:30
>>574 1970年に教皇だったのは、パウルス6世です。
在位1963〜1978。
「ヴァチカンの幽囚」とはどういう出来事か知らないので、
教えてもらえると嬉しいです。
もしかしたら、暗殺未遂事件の関連かな?
ラテラノ条約を締結したのは、ピウス11世。在位1922〜1939。
>>564 カルバン派について
いろいろな理由があると思いますが、ひとつには、
(目的ではなく、結果としての)営利蓄財を認めたことにあると思います。
かの高名なマックス=ヴェーバーは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」によれば、
カルヴァンの教義が資本主義につながったと言っとります。
予定説が説く「職業を神より与えられた天職として、禁欲的に勤労すべし」という職業倫理が発達したことで、
自然と市民は財産をなすようになり、それを元手に商売をはじめるものが現れ、資本主義がおこったとされています。
結局、魂が救済されてそのうえ金儲けも出来てうれしい、というところですかね(w
こうして、カルヴァン派が市民の間で圧倒的な支持を得るとともに、市民階級が力をつけ始めたのでしょう。
577 :
世界@名無史さん:01/12/07 18:37
>>564 フランスの絶対王政への道というのは、民衆への圧政による権力の確立ではなく、国家の
運営に権利を主張する大貴族たちを骨抜きにすることによって行われました。これに失敗
したのがプロシアでありイタリアですが、これはまた別な話。
これに関する最大の功労者は、(いろいろいますが)「三銃士」で名高いリシュリュー枢機卿
ですね。ルイ13世の宰相です。彼の目的が自己権力の確立にあったのか国家としての
フランスの統一にあったのかは別として、行ったことは軟弱な国王を中心として大貴族を
排除し、抜擢した小貴族を中心とした官僚制度を作りあげ、ここに国家の最高権力を集中
させたことですね。
ルイ14世は(本人の天分もあるけれど)この基礎をうまく利用して絶対王政を確立しま
した。この王の治世の末期での一般庶民の暮らしは、うち続く戦乱の中でフランス革命の
時のものとは比較にならないほど悲惨だったと言われています。
イギリスは逆でした。王に対して大小の貴族たちが自分たちの権利を認めさせることを目的
として「マグナ・カルタ」を王に強要し、それを制度化するために法律を整備しました。
たまたま王の権威が失墜した時期をねらったうまい政治的クーデターでしょうか。
法律というのは、それが存在することによって得をするものがいなければ発達しません。
そんな訳で、イギリスの法律好きは、権利を確立したい貴族たちの要求によってできました。
運の悪いジョン王は、「欠地王」というあだ名までもらってイギリス国王の中でリチャード
2世と共に「人気のない王様キング(藁)」の座を争っています。
イギリスが国会を作ったのも、少なくとも最初は庶民の権利を大事にするためではありません。
無能な王のもとでも国家をきちんと運営していくためのマニュアルにそったものです。
結果として、議会制民主主義の発達を促したという点で言えば、これもまた「正しい」行為だ
とみなされますが、歴史の中で数限りない試行錯誤の一つが結果としてうまくいったもの、と
考える人もいます。
578 :
世界@名無史さん:01/12/07 18:44
↑あらら
>リチャード2世 → リチャード3世
ま、この人の人気のない訳はシェークスピアのせいと言っていいんですがね。
最後のセリフ、反乱軍にうち負かされて「馬を、馬をくれたら王国をやるぞ!」と言ったとか。
579 :
世界@名無史さん:01/12/07 21:33
アメリカ大陸に到達したバイキングはなぜ根付けなかったのですか?
580 :
世界@名無史さん:01/12/07 21:34
ニッテレのアナウンサーが
「ブルボン朝は十代余りしか続かなかったが・・・・・・・」
といってたんですが、ブルボン朝は十代も続いたんですか?
教科書にはアンリ2世から始まった、としか記述されてませんでした。
581 :
世界@名無史さん:01/12/07 21:45
フランスのブルボン朝ゆうたら、
アンリ4世
ルイ13世
ルイ14世
ルイ15世
ルイ16世
プラス
ルイ18世
シャルル10世
こんだけやろ。
582 :
トゥクルティアパルエッシャルラ:01/12/08 01:20
>>580 ブルボン朝はどすなー
「ルイ17世」を入れても8代しか、おへんどしたなー。ルイの14世はんと15世はんの間に2世代も挟んどいやすさかいなー。(15世はんは14世はんの「おひ孫はん」どしたやろか。)
つまり「十代余りしか」ちゅうてもルイ16世はんまで見ても5代203年、平均在位40年どすから、ヴァロア朝の13代261年(平均在位20年)と比べて半分以下の君主数で倍の治世を誇っといやしたちゅうことどすな。
ちなみに初代は、ノストラダムスのお話に登場するアンリ2世はんと違ごて、581はんが言わはったようにアンリ4世はんどしたなー。
583 :
世界@名無史さん:01/12/08 08:52
>>579 アメリカでは、インディアンとの抗争に破れて撤退、
その後、グリーンランドでも、中世の気候変動による寒冷化により撤退したようです。
585 :
世界@名無史さん:01/12/08 18:30
>>584 えーと、グリーンランドは撤退したんじゃなくて滅んじゃったんです。
何世紀か交流がないね、って言って、新教徒の牧師が伝道に行ったら
植民地は滅んでた。
で、その牧師さんはエスキモー系の人たちに伝道をしました。
※エスキモー系=高校生向けのスレなので、特に書いておきます。
「エスキモー」は「生肉を食う者」の意味で、元々カナダ先住民(カナダ・インディアン)
が用いていた呼称です。北東カナダのイヌイット族が「エスキモー」の呼称を嫌います。
彼らの意志は尊重されるべきなのですが。
ところがイヌイット族だけがエスキモー系民族のすべてではないんです。
ほかにも、ユピック、とかアリュートとか、マッケンジーとかがいます。
ですから、彼らのすべてをイヌイットと総称するのは間違いになります。
困ったことに彼らは、自分たちの民族を総称する言葉を持っていませんでした。
ですから、総称する場合には「エスキモー系」を使わなくてはなりません。
(イヌイット族のことだけを話すときはイヌイットの語を使えばいいです)
>>585 フォロー深謝。
2行目「×撤退」→「○全滅」です。
1行目の勢いで、テターイテターイって書いちゃった・・・
すみません。
587 :
sugamo:01/12/08 22:05
なぜナチスはユダヤ人を徹底的にころしたんですか?ユダヤ人って金融業で金持ちだから?
588 :
世界@名無史さん:01/12/08 22:10
589 :
sugamo:01/12/08 22:17
>>588 いや、なぜナチはユダヤ人という一人種に固執していたのか、ということです。
590 :
世界@名無史さん:01/12/08 23:06
質問!フランスの王妃で、不倫してた方で、不倫相手との子供生んじゃった方、
何人ほどいますか?
591 :
荒巻豊信者:01/12/08 23:11
グーツヘルシャフトの意味や後の影響について詳しく教えていただきたい。調べましたが、後の東欧の発展の阻害くらいしか引き出せず・・
>>589 まず、ユダヤ人は人種集団ではありません。
これあなたの疑問に応える上で大事なポイントになります。
「なぜナチがユダヤ人」を迫害したか、というと、第一次大戦後ドイツ
の大衆が広く抱いていた社会不満をぶつける相手として都合がよかった
からです。
部分的には金融業者など富裕なユダヤ系ドイツ人がたくさんいたことも
原因にはなっています。けれど、それだけでは説明しきれません。
まず、ナチのユダヤ人迫害が大っぴらになる以前に、19世紀末から東欧〜
ロシアでイーディッシュとも言われる東方系ユダヤ人の迫害・虐殺が頻発
していました。(ポグロムと言います)
東方系ユダヤ人達は迫害を逃れてロシアやポーランドからドイツへも移入
していました。難民のような感じだったはずです。
一方、西欧各国では18世紀ころからユダヤ系の人たちの同化は進んでい
ました。一説に、第一次〜第二次大戦間のユダヤ系ドイツ人の割合は、
人口全体の1%以下と言います。が、彼らの70%は都市部に集中していた。
ここに東方系ユダヤ人が流入してきたのですが。
まず、彼らは西欧で同化しつつあった西方ユダヤ人とは違って、服装や
習慣に独自の物を保ち、それを護っていました。
要するにガイジンとして目立ったのです。
さて、第一次大戦後、敗戦国ドイツは領土を失い、多大な賠償金もかけ
られ不況に喘いでいました。
それだけではなく、当時の政府は、第一次大戦末期、前線で軍隊がロシア
軍と対峙している間に起きた革命で成立した政府です。この政府が降伏
したことで第一次大戦は終息したのですが。この革命-降伏を裏切りと
考える国民は、元出征兵を中心に少なくなかった。
同時に彼らは、ロシアにも怨念を抱いていました。
で、こうした不満が、ロシアに対する怨念がソ連に対する敵意にもなり、
同時に東方出身の東方ユダヤ人への敵意にもなりました。
冷静に考えると、かつて敵対したロシアで迫害されて逃れてきた東方ユダ
ヤ人に敵意を向けるとは筋の通らない話なのですが。
坊主にくけりゃ袈裟までって感じで。
社会的不満はときとしてこうした筋の通らない型をとります。
で、ナチはこうした筋の通らない東方ユダヤ人への敵意を煽り、利用し、
西欧で同化しつつあったユダヤ系ドイツ人までに、国民の憎悪向ける
ことに成功しました。
このときにナチが広めたでっち上げが「ユダヤ人種」という間違った
考えです。
ナチの当初の狙いは、
>>442にある、資産の強制没収の上の国外追放
――国家ぐるみの追い剥ぎだったと思われます。
その意味では「富裕なユダヤ系ドイツ人がたくさんいた」ことがきっか
けではあります。
けれど、なぜ「ナチがそんな政策を実現することができたか」というと、
まず、いろんな不満が広まっていたこと、その不満をナチがずる賢く利用
して筋の通らない理不尽な偏見を広めることに成功したから、と言えます。
ちなみに、この書込みでは言及する余裕がありませんでしたが、
ナチが政権をとれた背景には、国民を煽ってユダヤ人に対する迫害をうまく煽動したために国民の信望を集めた、という側面もあります。
ヒトラーの極端な「ユダヤ人」への反感さえなければ、あのような行過ぎた事態には至らなかったと考えるのですが、
彼がそこまでユダヤ人を憎む理由が分かりません。
彼は、政治的意図のために反ユダヤとなったのではなく、反ユダヤのためにあのような政治を行ったのだと思いますが、
「我が闘争」を読む限り、彼は当初ユダヤ人に対して同情的ですらあり、反ユダヤ主義を不可解なものと捉えています。
それなのになぜ、反ユダヤ主義に染まり、人並み以上の敵意を抱くようになったのでしょうか?
いったい、何が若い彼を極論に走らせたのか、ウィーンで何が起こったのか・・・
彼のみぞ知る、ということなのでしょうか・・・?
595 :
=592=588:01/12/09 00:11
でも、誰かが個人的にユダヤ人をどれだけ憎もうと、
広範な社会背景がなければ、あそこまでの悲惨なできごとは
起きないように思います。
これは卵が先か鶏が先かの類なので、もし議論をしたら堂々巡りにしか
ならないと思うのですが。
>>587、
>>589の質問は「ナチはなぜ?」だったので
>>593のように
応えましたが……。
そうですねぇ、もし、仮に「ヒトラーはなぜ、ユダヤ人を迫害した
のでしょうか?」との質問だったら、「個人的な嫌悪感を持って
いたけど政治的には云々」と応えたと思います。
質問がもし「ヒトラーはなぜユダヤ人を憎んでいたのでしょうか?」
でしたら、そうですねぇ、やはり一次大戦の敗戦とか、その辺に重点を
おいたお返事をしたかもしれません(こっちはちょっと不明瞭ですけど)。
596 :
鴨志田重油:01/12/09 00:36
>>592 この劣等なウンコブタめ!
もっとマシなこといえ(ギャハ
ユダヤ人の迫害はなにもヒットラーだけの思いつきで
やったわけじゃねえんだよ!
古来からユダヤ人はキリストを磔にした非道な民族というのが
西洋では常識なんだよ!
中世のペストの大流行や飢饉のときには
ユダヤ人が井戸に毒をいれたといわれ虐殺されたんだよ。
昔からキリスト教の強い西洋では
ユダヤ人は、伝統的にスケープゴートにされていた。
キリストの呪いにより死より酷い扱いを受ける運命にあるのだと
考えられていたのだ。
ユダヤ人迫害を喜んだのは、
なにもドイツ人だけじゃなかっただろう。
まあ、不謹慎だから歴史にはでねえんだろうけどな。
ユダヤ人は第一次世界大戦後銀行などに多くいたので金持ちが多かったのです。
ヒトラーは官吏の息子から父の死後、画家を目指した貧乏学生。
落ちぶれている自分の前を通るのが金持ちのユダヤ人、…逆恨み。
その後、皮肉にも後に政治活動中に負傷したヒトラーを手当てしたのもユダヤ人ですが…
なぜユダヤ人が金融関係に多くいたのかを説明するのが596の文に関係あります。
土地を持たない民族が生き延びる方法、それが金貸しなどです。
599 :
鴨志田重油:01/12/09 00:41
あと中世十字軍の時代に
イスラム圏と西洋での
奴隷貿易を扱ったのもユダヤ人。
伝統的に金に汚い、人でなしの民族ってのは
西洋の常識。
ユダのわずかなコインのためキリストを売った
って話しからもな。
あの有名なヴェニスの商人もそのあたりからきていたような?
601 :
鴨志田重油:01/12/09 00:44
>600
そのとうり
602 :
世界@名無史さん:01/12/09 00:45
すいません、なぜ関東軍が張作霖を爆殺したのかがよくわからないんですが、
張作霖は日本の支援を受けていたけど蒋介石に敗れて奉天に逃げてきた…
というとこでいきなり暗殺されているような感じなので関東軍の動機がいまいち
わかりません。教えていただけませんか。
603 :
世界@名無史さん:01/12/09 00:50
イエス・キリストもユダも同じユダヤ人である。
>>598 当時のキリスト教徒の間では利子を取ることは禁止されていた。
>>599 第一回十字軍の時最初の攻撃にあったのは西洋諸都市にあったゲットー
であった。
604 :
世界@名無史さん:01/12/09 00:51
>>599 >あと中世十字軍の時代に
>イスラム圏と西洋での
>奴隷貿易を扱ったのもユダヤ人。
ユダヤ人だけでなくノルマン人(ヴァイキング)
なども関与していましたよ。
高校生スレでまで偏った意見を書かないように。
ユダヤ人批判をしても構わないけど、バランスは
とってください。
>>603
キリスト教徒ユダヤ教は違う。
関係はあるが別なものと見たほうがいい。
怒りと愛は違う。
ユダヤ人と聞いて気になってくるのがパレスチナ問題。
聖書の内容はどこまで信じられます?
私はバビロン捕囚など以外はほとんど信じられませんが。
608 :
世界@名無史さん:01/12/09 01:22
OKです。
そのうち絞り込んでまた聞いてみます。
途切れてしまったようなので繋ぎ直しときます。
>>602 日本の味方が殺されれば関東軍が直接出て行くための口実ができた事になります。
そのあたりの事が関係してきているんじゃないでしょうか?
611 :
世界@名無史さん:01/12/09 02:02
>>610 なるほどそれは気付きませんでした。ありがとう。
612 :
荒巻豊信者:01/12/09 11:13
グーツヘルシャフトの意味や後の影響について詳しく教えていただきたい
613 :
世界@名無史さん:01/12/09 11:40
百年戦争の過程を軽くフローチャート式に示して頂けますか?
エドワード三世、ヴァロア家王位継承権主張
↓
百年戦争勃発
↓
エドワード黒太子の活躍(クレシーの戦い)
↓
イギリス勝勢
↓
ジャンヌ=ダルク登場
↓
フランスまき返し
↓
シャルル8世、財政建て直し(ジャック=クールの活躍)
↓
カレーを除く大陸領土からイギリス撤退
大学受験レベルでこれは覚えておいたらいい、みたいな事項は他にありますか?
戦いの名前とか重要地点とか・・。
614 :
世界@名無史さん:01/12/09 11:57
>>613さん、 でいいのかな?
できればベルトラン・デュ・ゲクラン元帥の活躍する
「双頭の鷲」(新潮文庫)by 佐藤賢一
をご一読ください。この本をまるまる信じるかどうかは別としても、
ちょっとフローチャートを変える必要があるようです。
イギリス勝勢
↓
ジャンヌ=ダルク登場
の間に、エドワード黒太子をフランスから駆逐してフランスが覇を唱えた時代もあった
ようです。ジャンヌ・ダルクとは、ナポレオンが見いだすまでは歴史の中で眠っていた
らしいということも。
615 :
世界@名無史さん:01/12/09 12:21
>>596 鴨志田重油 さん?
今さらなのですが、ちょっと一言。
>古来からユダヤ人はキリストを磔にした非道な民族というのが西洋では常識なんだよ!
>昔からキリスト教の強い西洋ではユダヤ人は、伝統的にスケープゴートにされていた。
>キリストの呪いにより死より酷い扱いを受ける運命にあるのだと考えられていたのだ。
わたしは中近東あたりから西欧付近まで併せて30年ほど住んでいましたがそんな常識は
聞いたことがありません。
イエスという大工の息子が、当時の腐敗した社会に憤慨しある種の正義感に駆られて、
「正しい宗教に帰れ」と叫んだ宗教的な宣教活動がキリスト教のはじめです。
そのときも処刑された時も彼もその周りの人々すべてもユダヤ人でありユダヤ教です。
うるさい若者をなんだかんだ言いがかりをつけて殺してしまった、と言うのが真相であり
巻き込まれたローマの代官にとってはいい迷惑でした。
彼の死後、何十年も経てその教えを元に原始キリスト教ができました。
理由の一つに、その教えが唯一の神のみを信ぜよ、と言う点では共通していても、基本的に
「神は愛である」「汝の敵を許せ」「右の頬をたたかれたら左の頬を出せ」「よきサマリア人」
などの当時としてかなり人道的な教えが元になっていたからと言われています。
キリストが処刑されたことを恨んで呪いをかけた、という文献が一つでもあったら教えてください。
わたしの知識が間違っていたら謝罪しますが、ちょっとあなたのお話には真実が感じられません。
下から5行目、訂正
>理由の一つに、理由の一つに、その教えが唯一の神のみを信ぜよ、と言う点では共通していても、
↓
キリスト教が勢力を拡大できた理由の一つに、その教えがユダヤ教と同じに唯一の神のみを信ぜよ、
と言う点では共通していても(これは世界の宗教上ではかなりユニークな考え方でしたが)、
618 :
世界@名無史さん:01/12/09 13:20
ローマ教皇ってのはなんでイキナリでてきて強力な権力をもつようになったんですか?
619 :
世界@名無史さん:01/12/09 13:56
>>618 いきなりってあんた、いつのことを言ってるんだ?
620 :
世界@名無史さん:01/12/09 14:07
>>618 いや。別にいきなりできたわけでも、いきなり権力を持ったわけでも
ありません。
ローマ教会は、古代ローマ帝国の末期にかなりの権威を持っていました。
それから権力は中世初期に獲得しました。
まず、古代ローマの末期にキリスト教が国教になったときに5大主教座
と呼ばれる教会がありました。ローマ、コンスタンティノープル、アン
ティオキア、エルサレム、アレクサンドリアの5つです。
この中でローマは首位権というのを一応認められていた。
これは、イエスに地上の教会の首位権を委ねられたペテロがローマで
殉教したという教会伝承に基づいた権威です。
その後、コンステンティノープルの東ローマ皇帝が、キリスト教ローマ
帝国の地上の神の代理人として振る舞うようになると、ローマとコンス
タンティノープルの間で教義論争などが続きます。
古代の教義論争は政治論争とも連動するのでいろいろ面倒でした。
一方、蛮族の侵入があって、西ローマはボロボロになります。
都市ローマも教皇庁も一時は低迷して東ローマに頼りきった教皇なども
いました。
その後、西ローマ諸国が東ローマの影響から徐々に独立していきます。
ローマ教皇庁は例えば、カール大帝を戴冠させたりして、旧西ローマの
自立にかなりの影響力を及ぼしました。
それで教皇庁の権力も高まっていきます。
大まかにはこういう筋です。
この書込みで触れられなかったのは、
a「旧西ローマでの教皇権と皇帝権の対立・政争」、
b「ローマ教皇庁と西欧諸候との叙任権闘争」、
c「各地の聖職者への指示系統の確立、各地の教会領の統括」、
d「各地の修道院の統合」、
e「司教区の整備」などの歴史です。
それぞれが密接に絡まりながら進みましたので、簡単には説明しきれ
ません。
が、有力説は、教皇庁の権力は11世紀の叙任権闘争で絶頂を迎えた、
とするものです。
621 :
世界@名無史さん:01/12/09 17:55
>>619 たぶん618はローマ教皇という言葉と、教皇は権力を持っているということを
同時に習ったんじゃないかな。だから突然出てきたのに、ナンでこんなに権力
持ってるのって不思議だったんじゃない。自分も高校の教科書でスペインの
無敵艦隊が出来てきて、その数行後にはイギリス艦隊に破れたって書いて
あったのを見た時、何が無敵なんだろうって不思議に思ったことがある。
612の人が言ってるのって俺も教科書で見たけど解らなかった。先生は現代にも少なからず影響ありっつってたけどこれだけ大人いても誰も答えないから相当むずいことだったのね
623 :
奈々氏ちぇけらってぃお:01/12/09 18:32
>>622 お前になんかグーツヘルシャフト教える義務はないんじゃぼけ!日本史選択にして教科書で首つれやグォラ!
荒らすなごるぁ
栄光あったイギリスが黄色人種の日本國と日英同盟を結んだのはブーア戦争の時のロスケ対策?
あとウェストミンスター憲章後あたりからイギリス連邦内の各国が現代の各国に至った過程がどうしてもわかりません。お願いします
625 :
世界@名無史さん:01/12/09 18:44
高校生のみなさんどのくらい教科書進みました?
自分は今年の四月から始まって今はオスマン帝国の動揺という章(つまり第1次大戦前)
まで進みました。教科書は山川出版です。
626 :
世界@名無史さん:01/12/09 18:54
>>626 いや一応高校生のスレだと思ったんで・・・・・・・・・。スレちがいならすいません。
このスレは、高校生相手に偉ぶりたい人用説教スレに変更されました。
629 :
世界@名無史さん:01/12/09 19:52
630 :
世界@名無史さん:01/12/09 19:54
631 :
世界@名無史さん:01/12/09 20:25
>>615 書き込みの穏当さから615氏の肩を持ちたいところだが、残念ながら596氏の主張が
より歴史的な事実に近い。
神学的に正しいか否かはともかく、ユダヤ人がキリスト殺しに責任ありという見解は、
キリスト教圏では、ユダヤ人迫害の都度主張されてきたもので、大衆レベルでは根
強い偏見として暗黙の了解となっている。
聖書にはユダヤ人がキリストの死を望み、ピラトにキリストの処刑を迫ったときに、
キリストの血に対して永劫の責めを負ったと記されているものと考えられている。
また、学術的に見れば、宗教以外にユダヤ人を区分する基準はなく、人種としてみる
ことは出来ないにもかかわらず、キリスト教に転向したユダヤ人!に対する差別や嫌
悪感というのは近現代においても消えなかった経緯がある。
ナチス・ドイツによるホロコーストによって、戦前の各国の反ユダヤ主義に抵抗しなかっ
た非ユダヤ系知識人の反省から、一般的に教養ある人は反ユダヤ的な考え方を表に
することはなくなった。
だが、深層意識的にはキリストの死に責めを負うユダヤ人という概念は流れつづけて
いると考えたほうが正しいだろう。
詳細を知りたければ、高校生にはやや大冊だが
「ユダヤ人の歴史(上・下)」ポール・ジョンソン、徳間書店 ISBN 4-19-861068-1,9-X
あたりをお奨めする。
632 :
世界@名無史さん:01/12/09 20:28
世界史のことで悩める高校生の皆さーん。次の質問お願いしまーす。
>>625 一年で世界史終えるんですか?
自分は、2年かけて世界史B履修です・・・
>>612 グーツヘルシャフトですか・・・
東欧は西欧の穀倉、と言う視点から見ることは可能でしょうか?
西欧で農奴制が崩壊し、解体されてゆく一方で、東ドイツでは東方移民を利用した農奴的体制が形成され、
相対的に地位が下がった、と解釈してよろしいでしょうか?
この質問、見事に流れから取り残されてましたね・・・
>>624もage
日英同盟は、やはりブーア戦争の影響だと思います。
イギリスは、大軍を中国に派遣しようとしたものの、ブーア戦争にてこずったためにその余裕がなくなり、
朝鮮への南下をうかがうロシア対策として、朝鮮を巡ってロシアと利害が対立していた日本を利用しました。
非常に軍事的な内容からしても、明らかだと思います。
あと、英仏の植民地に関しては、二度の大戦で本国の影響が弱まったことや、
植民地の少ないアメリカが、英仏の植民地との経済的な関係を強めるため、英仏の排除に動いたことが関係しているかと思います。
アフリカでは、かなりCIAが暗躍したようで、独立運動家を支援し、都合が悪くなると殺す、という汚いマネをしていたようです。
>>633 ハイ1年で終わらせます。1年ときに政経と倫理を終わらせて2年次に世界史B
2年次の後半から3年次の前半にかけて日本史Bを終わらせるようになっています。
636 :
世界@名無史さん:01/12/09 21:01
>>631 >残念ながら596氏の主張がより歴史的な事実に近い。
この判断はうなづけますし、
>>631に書かれたことも妥当と思います。
が、
>>604にあるように
>>596=599の要約はバランスを書いたもので、
歴史の一面だけを取り上げたものになってる、との指摘は必要と思います。
一例。
>伝統的に金に汚い、人でなしの民族ってのは
>西洋の常識。(
>>599)
歴史の話で大事なのはなぜ、そういう偏見が常識になったかという点です。
初期中世では、キリスト教徒がキリスト教徒に金融業を営み利子をとる
ことは、宗教的理由からタブーになっていた。
これが崩れ、キリスト教徒の金融資本が形成されるのも十字軍の頃からですが。
それ以前は西欧キリスト教社会自体が、ユダヤ教徒金融業者を必要としていた
面がある。
キリスト教徒が金融業を始めるようになってから、「金に汚いユダヤ人」の偏見が
増幅された面もみられる。(イエスを殺したユダヤ人への迷信的敵意はそれ以前から
ありましたが)
例えばこうした面にも言及しないユダヤ民族批判は一面的です。
一年のときに政経と倫理とってたから、世界史の現代史は駆け足で通り過ぎ・・・
>>636 仕方なく金融業に携わり、そして嫌われると・・・
見事にはめられているようですね。
ユダヤ人への抑圧が、彼らの奮起を促し、そしてまた嫌われる・・・
えーと。
>仕方なく金融業に携わり、
−−とも言い切れないところが、歴史のややこしいところで。
ユダヤ人もキリスト教徒同様、自分達の間での金融業(利子を取る)
ことをタブーとしていました。
これは古代ローマ帝国の頃にはもう確認されていることで、彼らが
その頃から、他教徒だけを相手に金融業をしていたのもまた事実です。
だから西欧諸国も彼らを利用した、と。
ちなみに、イスラム教徒も現在でも利子はとらないそうです。
その代わりに、金を貸した手数料を取るという理屈(笑)で金融業を
やってるそうです。
>>636 596氏の書き込みには嫌悪感を覚えますし、そもそも日本人が反ユダヤになる理由など
全くないのですから、日本人の手になる反ユダヤのトンデモ本にはあきれます。
ただ、バランスを欠いていてもキリスト教圏の大衆レベルでの反ユダヤ意識の内容は、
この便所の落書き並の悪罵とほぼ同等であると認識しておく必要はあるでしょう。
確かに高校生向けと考えると、ちょっと(というかだいぶ)問題があるかも知れませんね。
間違えていただきたくないのですが、ユダヤ人に対する偏見が存在したし、おそらく今日
も存在するという指摘をしているのであって、それが正当なものであるなどと考えている
わけではありません。
ユダヤ人に対する偏見の起源とその推移については、金貸業を独占したためといった
単純化はできません。ん
失礼!途中で送信してしまいました。
>>636 ご自身でフォローされているようですが、ユダヤ人の側からは異教徒であるキリスト教徒からは
懲罰的に利息を取ってよいという論理的前提があったわけで、金融業単独で見れば嫌悪感をも
たれる理由にはなったでしょうね。
ただ、それ以前に農村では物理的に排斥され、土地の所有や耕作を繰り返し禁止され財産を没
収されるという経験から、農民としては存立できず、都市に居住して金融や手工業に従事したこ
と、都市の中で窮乏し、犯罪にも手を染めていたことなどを指摘する必要があるでしょう。
何よりも、根源的な差別の理由は宗教と戒律の違いであって、同じ食事が出来ない、安息日が
異なるという非妥協的なユダヤ教のあり方が、一方ではユダヤ人が離散しながら数千年を生き
のびる理由ともなり、排斥され差別される理由ともなったということです。
641 :
世界@名無史さん:01/12/10 20:17
トンデモ本を片手にユダヤ論を展開する人が出てくる前に、話題を変えませんか?
個人的に、
>>639-640のようなお話は正しいし正しい歴史解釈は大事だと思うのですが。
ユダヤ人問題については、このスレで突き詰めるには奥が深すぎるように思いますので。
642 :
世界@名無史さん:01/12/10 21:43
東三省が設置される前は東北地域はどういう扱いだったんでしょうか?
643 :
世界@名無史さん:01/12/11 19:25
無能sage
644 :
世界@名無史さん:01/12/11 19:35
↑だれが?
645 :
世界@名無史さん:01/12/11 20:29
>>642 北京遷都後も「陪都」とされ、
戸・礼・兵・刑・工の盛京五部が設置されていました。
盛京(奉天)将軍、吉林将軍、黒竜江将軍が八旗の指揮、
東北への人口流入をふせぐ関所の管理を行っていました。
人口流入についていうと清朝は「封禁」といって人口流入禁止政策をとっていましたが、
現実には1700年ごろには開原、18世紀半ばには吉林、
19世紀半ばには松花江下流域にまで入植が進んでおり、
20世紀始めには「丈放」という全面的な土地払い下げが行われました。
清朝はアヘン戦争以後、行政機構の再編をはじめますが
東北では、以上のような人口増加を受けて東三省が設置されるにいたります。
>645 ありがとうございます
イメージ的に長城以北は中国でなかったと考えていいんでしょうか?
特に清以前はそう感じます。
647 :
世界@名無史さん:01/12/12 05:53
>>646 それでいいですよ。しかし長城以北も中国だったと考えてもいいです。
「漢人が住む地を支配する国=中国」なのか、「漢人が住む地=中国」なのかで、
正解が変わってきます。
中国という言葉は、清を倒した中華民国によってできた新しい言葉です。革命後の
「中国」は、清の領土をそのまま、漢人がいないところも継承すると主張しました。
政治的には理解できますが、この理屈を歴史にさかのぼらせると、チンギスハンは
漢人ではないが中国人だ、ということになります。嘘くさい。
国境は動くし住民も動く、というのをおさえるのが一つ。固有の領土や国民という
イデオロギーを各時代に即しておさえるのがもう一つ。そして二つの間のずれを見
つけて、喜んでください。
648 :
世界@名無史さん:01/12/12 06:08
補足すれば、そういうズレのごまかしは、近現代史の一大事件です。
ロシア革命後に、ソ連という新しい言葉による国ができたのも、この
中国と同じ理屈です。漢人→中国人、ロシア人→ソ連人と対応します。
明治維新後の日本は、異民族の存在を歴史から消して、似たような
ことをしました。日本人→日本人。でも後者の日本には琉球とアイヌ
が含まれてしまい、前者の日本とは実体にずれがあります。
その他その他。
>中国という言葉は、清を倒した中華民国によってできた新しい言葉です。
補足させてください。
「中国」という言葉が最初に使われたのは詩経です。
しかし、そこには今でいう中国という意味はありません。
ある論者は「中国」のもつ文化的な意味を強調しています。
さらに文化とは儒教的価値観だとする意見もあり、
したがって儒教的価値観を重んじる人は民族的出自に関わらず、
「中国人」であるということできます。
満州人スレッドにもあるように、
満州人が自分たちを「中国人」だと自認していたこともあります。
しかし、滅満興漢を唱えた革命派は中国人を人種的な概念と規定しました。
中華民国成立後は満州人を含め、中華民国の構成員=中国人となりますが
やはり、漢族→中国人というベクトルが働きます。
650 :
世界@名無史さん:01/12/12 07:45
文化的な「中国」(たとえば、日本、ベトナム出身の中国官僚もいました)
人種的・民族的な「中国」(アメリカや日本国籍の中国人も存在する)
国籍上の「中国」(満州人もチベット人も皆中国人)
ってそれぞれズレがあります。
最後の例は国家の範囲と民族(国民)の範囲が一致すべきだ、
というイデオロギーに基づいており、やはり近代の産物です。
清以前の満州はいずれの意味でも中国ではありません。
(朝貢体制には組み込まれてはいますが、それほど意識されてなかったと思います)
清朝に入ると、満州人は文化的には中国人であると自認します。
しかし、長城以北は封禁されており、
長城以南とは人口構成も自然環境も行政機構も区別されています。
清末にはいると革命派は滅満をとなえ、満州人を民族的「中国人」から排除しようとします。
立憲派は満州人が漢族に同化されたことを理由に民族としても中国人であることを主張します。
東北は
>>645のように行政機構も人口構成も中国化していきます。
中華民国が成立すると満州人は中国を構成する国民とみなされるようになります。
東北も一応は中華民国の領土とされます。
651 :
世界@名無史さん:01/12/12 10:07
モンサンミシェルって何王朝のときの建造物なんですか?
652 :
世界@名無史さん:01/12/12 10:52
伝承ではモンサンミッシェルの地に最初に堂が建てられたのは
8世紀初頭と伝えられています。
修道院が初めて建てられたのは、10世紀後半、時のノルマンディー公
リチャード1世の命による、とのこと。
ただしこのとき建造された修道院は比較的小規模なものです。
11世紀にロマネスク様式の修道院建造に着工された、とのこと。
その後数次に渡る改築・造築を経ています。
18世紀のフランス大革命後に一時閉鎖された際には、ほぼ現在と
同規模の建造物になっていたようです。
高校生の諸君、質問をどうぞ。
・まず自分でどこまで調べたのかは書いてください。
・できれば、何についてどの程度詳しく知りたいかも書くと、モア・ベター☆
654 :
世界@名無史さん:01/12/13 20:18
鄭成功の父親の名前と何をやって有名なのか教えてください。
世界史辞書を調べてもなにも載っていないので・・・(汗
655 :
世界@名無史さん:01/12/13 20:20
成功は鄭芝竜と田川氏の娘の間に生まれたよ。
656 :
世界@名無史さん:01/12/13 20:24
鄭芝竜って何かやったんですか?
657 :
( ´D`)ノ:01/12/13 20:33
>>654 ていしりゅう【鄭芝竜】
明末の遺臣。字は飛黄。通称、一官・老一官。福建の人。
日本に来航し、肥前平戸に居住。田川氏の娘と結婚。
成功・七左衛門の2子がある。台湾を根拠地として
密貿易に従事、1628年明に招かれ都督まで進んだが、
46年清に降り、族誅された。「国性爺合戦」に脚色。
(1604〜1661)
ということなのれす。当時のかなり有力な貿易商なのれす。
アンボイナ事件で東アジアの海の覇権を握ったオランダも、
鄭一族相手には、その顔色を窺うしかなかったそうれす。
後には鄭成功によって台湾の根拠地、ゼーランディア城を
落とされているのれす。<オランダ
658 :
世界@名無史さん:01/12/13 20:33
鄭芝龍は「てい」なのに、「鄭玄」はなんで「じょう」?
659 :
世界@名無史さん:01/12/13 20:35
>じょう
提言と区別するための読み癖です。
>>657 情報ありがとうございます。
いい参考書ほしいなぁぁぁぁ(鬱
661 :
世界@名無史さん:01/12/13 20:42
662 :
世界@名無史さん:01/12/13 20:45
>>660 インフォシークについてる大辞林(国語辞典)で検索してみそ。
これけっこうつかえるぞ。引くのも簡単だしね。
663 :
ちむ教の信者:01/12/13 20:51
なぜ、ドイツは第二次産業革命を最初に
なしとげたのですか?
664 :
( ´D`)ノ:01/12/13 20:55
>>661 そのとおりなのれす。(藁
なんでわかたの?
665 :
世界@名無史さん:01/12/13 21:08
広辞苑は重すぎ!引く気にならんのが惜しい。
666 :
世界@名無史さん:01/12/13 21:32
おれ、4版以降は電子辞書にしてるよ。<広辞苑
高校生スレということで、あんまりためにならないアドバイス。
ひとまず、リビングルームには国語辞書と地図(世界、日本)を置いといて、
テレビに出てきた知らない言葉、地名を片っ端から調べるくせをつけとくと、
小論文とか面接のときにネタに困らなくなるよ。(言い過ぎ
667 :
( ´D`)ノ:01/12/13 21:52
>>666 >おれ、4版以降は電子辞書にしてるよ。<広辞苑
ののたんも電子辞書なのれす。第五版なのれす。
辞書ってもんは、電子化した途端こんなに使い勝手
のいいもんになるとは思ってなかったのれす。
知らない言葉に出合ったときや、言い回しや慣用句
の用法に自信がないときなんか、ササッと調べられて
便利。もう紙の辞書なんて使ってられないのれす。(藁
>テレビに出てきた知らない言葉、地名
>を片っ端から調べるくせをつけとくと、
昔やってたのれす。物知りさんになれるのれす。
668 :
ナポレオン:01/12/13 22:32
ののたんに禿銅。
669 :
( ´D`)ノ:01/12/13 22:41
>>668 あ、ナポレオンさんお久しぶりなのれす!
お元気れした?
高校以来の疑問なんだけど:
コペルニクスの世界観、すなわち地動説、地球球体説は、それ以前の
天動説など、圧倒的勢力のキリスト教的世界観から脱却し、発想を
変え得たものとして絶賛されています。
それを称して「コペルニクス的発想の転換」などと言って誉めそやさ
れます。
しかし、年代を見るとコロンブスが、地球は丸いと思って、ヨーロッパ
から西回りでアジア、とくに黄金の国ジパングに行こうと、出航したの
が、コペルニクスが地動説、地球球体説を発表するよりも先なのです。
しかも、コロンブスは出航よりもずっと前にこの自説をスペインの王
(確か女王)に上申していて、何年もかかってやっと資金援助を手に
入れているようなのです。
とすれば、コペルニクスよりもコロンブスのほうが先に地球球体説を
確信していたことになります。地球球体説を最初に表明したのは、
コロンブスであって、コペルニクスはコロンブスの業績を見て地動説
などを言い始めたのかもしれないのではないでしょうか??
少なくとも、「コペルニクス的発想の転換」などと言って誉めるのは
あたらないのではないでしょうか??
教えてください。
671 :
世界@名無史さん:01/12/13 23:31
コロンブスはトスカネリの地球球体説を参考にしたんだよ。
あと、俗説ですが、コロンブスは若いころカナリア諸島だかに滞在してたことがあって、
このころ、漂流して海の向こうの大陸に行って帰ってきた人の噂を耳にしていたらしい。
672 :
世界@名無史さん:01/12/13 23:36
なぜ実権がないイギリスのビクトリア女王がすばらしい統治をしたと評価されているんですか?
673 :
世界@名無史さん:01/12/13 23:43
「君臨すれども統治せず」という立憲君主制のあり方を体現したから。(笑)
>トスカネリの地球球体説を参考にした
そうらしいですね。聞いたことあります。
どっちにしても、コペルニクスは第一発見者ではない・・
早死にして、ガリレオのように権威と戦うという仕事も
していないし・・ 業績だけを自分のものにして、運の
いい人物と言うことなのでしょうか??
675 :
世界@名無史さん:01/12/14 00:05
コペルニクスの説の主題はあくまでも地動説ですから、この点では画期的なのは
間違いないと思うのですが?
ガリレイと言えば「それでも地球は回る」とか言ったとされてますが、実は、
地動説はさっさと撤廃してたりする。
676 :
世界@名無史さん:01/12/14 00:10
ヘーゲルの弁証法って具体的にはどういうやつですか?
677 :
世界@名無史さん:01/12/14 00:12
>>674 それでも地球は回っているというセリフはどうやら言っていないそうです。
立ちくらみがして(目が)回る回るいったとか。
球体説なら古代ギリシアからあってそれでも不動と思われていた
地球を動くといったのがコペルニクス的転換。
679 :
世界@名無史さん:01/12/14 00:17
F・ローズヴェルトのニューディール政策は必ずしも成功したとはいえない、って先生が言っていたんですが
政策当時、ニューディール政策及びローズヴェルトの評価は高かったんですが?
678>
動くと言ったら「コペルニクス的転換」ですか・・
なるほど、・・ そんな簡単な・・というのが感想ですが
その辺が「コロンブスの卵」ですかな・・
しゃくぜんとしませんが・・
681 :
世界@名無史さん:01/12/14 00:24
いや、まあ、球体説は当時から認められていて、地動説がすごいと
なって評価されたのは事実だよ。
679>ニューディール政策は必ずしも成功したとはいえない
らしいよ。もっと国が公共投資をやる必要があったが、不充分に終わっていた。
第2次大戦で、戦費として巨大な公共投資がなされ、経済が復活したんだと・・
以上は歴史で聞いた話。実際、どうなのかな
682>
丸いものは、じっとしていると言うほうが不自然な感じで
どう考えても動きそうですよ・・
ぼくもコペルニクスの頃 物理をやってればね〜
実は、高校の頃は歴史よりも物理少年だったんですよね〜 ぼく。
まじにケインズを理解して不況からの脱出に成功したのは、ヒトラー
であってルーズベルトは不十分だった。
無論、そのうちドイツはやりすぎになり、戦争がいい景気刺激策にな
ってアメリカは繁栄したんだけどね。
ヒトラーに黙ってついていったのは彼が失業者を減らせてみせたのが
大きいらしい。
>684
マジレスすると、何でもないことでも、当時はそれを確かめる方法も
確かめることに意味があるかもわからないところで見つけ出した先人
は化け物なんだよ。
681>
ほんとうだ! すごい、すごい! ここは、いろんな知識が入りますね〜
それに、この頃の学説は、言った者勝ちですね〜 今だと証拠がいりますよね
もっと。 歴史も面白いですね こうしてみると
688 :
世界@名無史さん:01/12/14 00:42
でもコペルニクスが地動説を唱えた最初の人物ではないのにそんな注目
されるのだろうか?
地球の運動を前提に、天体の見かけの動きを説明するしようとする
宇宙論。古くは古代ギリシャのフィロラウ(紀元前5世紀ころ)に
始まり、アリスタルコス(紀元前310〜230)などが、これを支持し
た。しかし、アリストテレス(紀元前384〜322)やプトレマイオス
(紀元85〜165)などが、地球は宇宙の中で不動の中心の地位を占め、
太陽や月、惑星などの諸天体が地球のまわりを回っているとする天動
説を主張して、以後西洋ではキリスト教の教義として長くこれが信じ
られた。しかし、天動説では惑星運動のずれを正確に説明することが
できず、ルネサンス期の1543年になってニコラス・コペルニクスが
『天体の回転について』という書物の中でふたたび地動説を説き、そ
の後徐じょに地動説が認められるようになった。
690 :
世界@名無史さん:01/12/14 00:54
「コペルニクス的転回」の出典はカントの著書『純粋理性批判』だね。
>686
ごめん、681によると、コペルニクスは化け物ではないらしい。
コロンブスの新大陸発見が1492年だからそれから50年くらいして
1543年になってからのコペルニクスの地動説。
平でもない地面なら、じっとしているというのも・・ と言う輩は
どこかから1人くらい出てきそうな気がしません?
それに、地動説自体すでにあった(>686)。
690>「コペルニクス的転回」の出典はカントの著書『純粋理性批判』
はぁ。
何がおっしゃりたいのでしょう・・
で天動説では惑星の細かい運動説明するのに無理があるから、
コペルニクスが出て、更に軌道は楕円だとケプラーが出て、
それを力学的にニュートンが説明し、それでも近日点でずれ
があることをうまくアインシュタインが相対性理論で説明し
てみせる。
そういう長い積み重ねがあるのよ。
で、細かく天動説が積み重ねられ惑星の見かけの運動を説明していたの
をそんなことしなくてもいいよと鮮やかに壊してみせたのがコペルニク
ス。
自分の哲学の革命性を強調するのに、カントが使ったくらい
エポックなことだった。
誰が最初に「コペルニクスがすごい」と言ったかというとそれはカント
だろう、と言うお話かと。
これはこれで歴史の話ですよね。
長い積み重ねの中でもコペルニクスのやったことはその後の科学革命、
物理的世界観の誕生につながる世界史上の一大事だった。
これってわかるかな?
696 :
世界@名無史さん:01/12/14 01:08
だから、いなかったから画期的なんだってんだろうが。理解しろ。
いそうだと思ったら、自分で探してこい。
しかも、中世の人間にとって地動説は存在しないも同然。その状況でタブーに挑戦し、
観測結果から独自に地動説を導いたのは偉い。
現在では科学は研究され尽くされているので、もっと昔に生まれたかった、っつーのは
いつの世でも言われていたこと。それでも新発見はどんどん行われてきた。
ごねるくらいなら、自分で新しい発見でもしろ。
ケプラーの業績は認めます。彼の3つの法則は、物理少年にとっても良く考えた
と、唸らせるものがあります。でもコペルニクスは、地動説が優れているとする
証拠を示した形跡がないのです・・物理の世界では。
その後の進路を示し、ケプラーを生んだという業績でしょうか?
それでも>688 のように
でもコペルニクスが地動説を唱えた最初の人物ではないのにそんな注目
されるのだろうか?
とも思います・・
>しかも、中世の人間にとって地動説は存在しないも同然。その状況で
>タブーに挑戦し、観測結果から独自に地動説を導いたのは偉い。
696の文章が答えだよ。
699 :
世界@名無史さん:01/12/14 01:19
そりゃあれだろ酸素の発見者がアブクを見た練丹術師じゃなくて
ちゃんと論文にまとめて実証的に論証を行ったラボワジェになる
のと同じ理屈。
696>
ごめん、イライラさせちゃったかな?
もう落ちるわ オレ
結構面白かった。 また教えてほしいこともあるんだけど
別の機会にするんでね。 よろしくね
701 :
世界@名無史さん:01/12/14 01:26
>701
これは、高校以来の疑問だったので、ここに書いたのですが、
板が不適当だったのかもしれません。 御邪魔しました。
もとより悪気はなかったので、ご容赦のほど、よろしくお願い
いたします。
とてつもなく大きなイライラを感じます(w
確かに、現代との隔たりの感覚はつかみにくいですね。
当時にしてみれば大発見、偉業だったのでしょう。しかし、後世になると馬鹿にされる宿命・・・
われわれも、すぐそこに核融合で光っている天体があるにもかかわらず、
いまだにそれを実現できていないわけですし・・・
しかしそれも、出来てみれば、「何で今まで出来なかったんだろう」と思うんでしょうね。
703>
すみません。歴史には変なことがよくあって、ぼくにとってはこれが
一番の疑問だったと言うことです。
他には、コロンブスが見つけた大陸なのに、2度目に行ったアメリゴ
ベッスプッチの名前にちなんで、アメリカ大陸とはどういうことか、とか
このあたりのことも、調べたけれど、やはりアメリカ大陸とした学者の、
歴史観には疑問があるし、こういうことは、日本を見つけたのは
ポルトガル人で、14@@年というくらい、違和感があったんです、
ぼくには。
決して馬鹿にしてはいないのですが、こういう板では十分理解して
頂けていないことは承知でないと書けないんでしょうね。
ぼくは無視して
676 にも答えてあげてください。
>>704
コロンブスはアメリカ大陸ではなく、サンサルバドル上陸。
この時、彼はインドだと誤認していたため、西インド諸島と名づけられた。
で、のちにアメリゴがインドではない事を証明。新大陸という事になった。
だったような?
>704
ツヴァイクのみすずから出ているマゼラン・アメリゴという小説読め。
評価されるというのは並大抵でないことがわかって勉強になる。
まじに今の君の人生の疑問はその本で解決するよ。
あげます
709 :
世界@名無史さん:01/12/14 11:18
>>688 >>697 古代ギリシャで地動説が唱えられたっちゅーても
現在とは完全に断絶してるからね。歴史の評価、というか
インパクトってのは背後の大きな流れと関係してる。
パンスラブ主義とか、
パンゲルマン主義の意味がわかりません。
教えてください。
>>676 いいかげんな説明ですが、
矛盾を、「正」(肯定的立場)と「反」(否定的立場)からとらえ、両者を共に否定しながらも生かして、
「合」という、より高次の結論を得る。すると今度は、その「合」に対して再び「正」と「反」があらわれ・・・・
という作業の繰り返しです。
具体的には、客観的・抽象的な「法律」と、主観的・具体的な「道徳」を総合して、
客観的かつ具体的な「人倫」の段階となる、というようなことです。
>>710 pan-というのは、「全〜」「総〜」という意味の接頭辞です。
つまり、パン=スラブ主義とは、「スラブ民族みんなで団結しよう!」ということです。
ロシアがバルカンへの南下政策をとったときに、トルコやオーストリアに対抗する巨大勢力を作り、
その盟主となろうとしたのが始まりです。
そして、これに危機感を抱いたドイツが唱えたのが「パン=ゲルマン主義」です。
>>712 訂正。ロシアが盟主となろうとして「始まった」のではなく、「盛んになった」としたほうが適切ですね。
ごめんなさい。
なぜ、ハワイは併合に合意したのですか?
植民地のほうがよかったのでは?
チクティッカ・ファストポーって?
今のギリシャ人の姓名も古代の哲学者と同じような名前なのかな?
717 :
世界@名無史さん:01/12/14 21:58
神聖ローマ皇帝のカール5世はスペイン国王としてはカルロス一世だけど、
これって改名したわけじゃなくてカールをスペイン語読みしたってわけでしょうか?
あと中世に栄えた王家で今でもギリギリ断絶してない家系ってある?
ブルボン朝は今のスペイン王室で生き残ってるけどハプスブルグの血
も入ってるんだっけ?
718 :
世界@名無史さん:01/12/14 23:32
>>716 キリスト教が入ってるから結構違うよ。
ギリシア語そのものもずいぶん変化しています。
>>717 スペイン語読みです。
断絶してないってのは定義が難しそうだけど
探せばいくらでもあるんじゃない?
例えば、ハプスブルク家も絶えたわけではないけど、
でもそのハプスブルクも厳密には男系ではないし。
719 :
世界@名無史さん:01/12/14 23:52
ルイ14世はハプスブルクとブルボンのハーフ。
720 :
世界@名無史さん:01/12/15 03:31
なぜ、ドイツは、第二次産業革命を
史上初に成し遂げることができたのですか?
歴史の、流れ的に、イギリスかアメリカで
最初に起こると、思うのですが。
721 :
世界@名無史さん:01/12/15 08:49
>>717 カルロス=カール=チャールズなんてのは、およそ世界史を学ぶならまず常識と
しなければならないね。
[英]Charles(チャールズ)
[独]Carl、Karl(カール)
[仏]Charles(シャルル)
[伊]Carlo(カルロ)
[西]Carlos(カルロス)
[葡]Carlos(カルロス)
[丁]Carl、Karl(カール)
[瑞]Carl、Karl(カール)
[諾]Carl、Karl(カール)
[露]Karl(カルル)
[洪]Károly(カーロイ)
[羅]Carolus(カロルス)
[希]Karolos(カロロス)
[他]Carol(カロル:ルーマニア)、Karel(カレル:チェコ)
参考までに、ここからの引用。
http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/etcdata/namespell.html この方が苦労して作ったHPですので、単純にコピペするのは心苦しいと思っています。
722 :
世界@名無史さん:01/12/15 12:10
ハプスブルクも英語とかだとヘイプスバークとかになるのですか?
みなさんありがとうございました。
地域によってスペルも変わるとは知りませんでした。
あとステュアート朝と今のオランダ王室との関係を知りたいです。
ついでに民族系統の表ってありますか?これについては不明な部分とか
あやふやな所が多いのも承知なのですが・・。とりあえず一説でいいです。
今高2で一年も習ってないんで知らないこと多いので色々よろしくおねがいします。
724 :
世界@名無史さん:01/12/15 14:27
725 :
ちむ教の信者:01/12/15 16:51
なぜ、ドイツはアメリカやイギリスを
さしぬいて、第二次産業革命を
成し遂げられたのですか?
だって、ドイツ帝国は1871に
できて、まだ国内統一で、
資本や優秀な人事を育成する
研究所とかも
なかったんでしょ。
726 :
世界@名無史さん:01/12/15 18:15
>>725 なんでなんでしょうね?
私も知りたいです。
どなたかみえるのを待ちましょう。
どれくらい関係する、わからないですけど、
アメリカは第一次大戦前は農業国だったとはよく言われますよね。
後、ドイツは鉱業が盛んだったとはよく聞きます。
つまり、先行して産業革命に入ったイギリスへ資源を輸出する地域と
して鉱業が進んだはずなんですけど。
その過程でどうしてドイツの産業態勢が飛躍的に整備されたか?
ですね。私もどなたかに教えてほしいです。
>>725 化学工業などの重工業だから、人材育成なんてことやるまでもないだろ。
だいたい、政治が混乱しているからといって、産業まで混乱しない。
資源はあるし、技術については無ければ導入すればいいだけの話。
今でもドイツが西欧一の工業国であることを考えれば分かるだろ?
インド綿花の軽工業偏重のイギリスとは訳が違う。
しかし、なぜか一見不利な国が大発展しますね。
ドイツの第二次産業革命しかり、ナチス・ドイツ支配下での大発展しかり、また、戦後の日本もそうですね。
毒ガスやUボート、飛行船やミサイルといったものを見ても、ドイツの力に驚きます。
ヘタに植民地をモノカルチュア経済して、それにこだわってなかったのが良かったんですかね?
話は飛びますが、旧ソ連でも、原発や人工衛星はアメリカに先駆けてましたね。
単純な国力と結びつけるのは軽率なのでしょうか・・・・
729 :
一日蓮教徒:01/12/15 18:36
なぜ、英米戦争で、
アメリカとイギリスが互角に戦えたのですか?
戦力的に、イギリス海軍のほうが強いのは?
教えてください。
730 :
世界@名無史さん:01/12/15 18:58
>>729 米英戦争に際しては、アメリカがフランスを味方につけることに成功
したのが大きいです。フランクリンが特使になりました。
フランスはアメリカに武器軍勢を供与しましたし、欧州でも緊張は高
まりました。
フランスを皮切りに、スペイン、オランダ、なども米側を支援。
ロシア、プロイセン、スウェーデン、デンマーク、ポルトガルは中立
同盟を結んだので、英米戦争に関しては、英国は欧州で孤立しました。
イギリスは国内問題と主張したそうなんですが。
アメリカの外交策で国際問題って型にすることに成功したわけですね。
(よく聞くような話ですね)
731 :
世界@名無史さん:01/12/15 19:08
>>730 それってアメリカ独立戦争でしょ?729は1812年戦争のことを聞いているのでは?
732 :
世界@名無史さん:01/12/15 19:30
733 :
世界@名無史さん:01/12/15 21:42
>>723 名誉革命でイングランド王位に就いたオラニエ公ウィレム3世は子供がなかったため、
オラニエ公位はナッサウの別家系であり、ウィレム3世の従兄弟筋でもあるディーツ侯家に
引き継がれます。 この直系の子孫が現在のネーデルラント王家。
ここ3代、ウィルヘルミナ、ユリアナ、ベアトリクスと女王が続いている、世界史的にも
珍しい王家です。 残念ながら皇太子は男子。
734 :
世界@名無史さん:01/12/15 22:42
植民地が無い方が経済は発展する。
原材料自体の価値はアラブの石油レベルに寡占し貴重でない限り、
大したものではない。要は物を作ってどれだけ付加価値つけられるか
の競争になると、ブロック化して、資源を押さえるなどはナンセンス。
結局、国民がどれだけ働けるか、勤労に価値観を持っているか。
735 :
世界@名無史さん:01/12/15 23:40
リビアのガタフィ大佐はなぜ今回のテロでアメリカを支持したのでしょうか?
736 :
世界@名無史さん:01/12/16 00:01
エチレンと酸素を反応うさせて
何故アセトアルデヒドゥ
が生成するか?
737 :
世界@名無史さん:01/12/16 01:14
>>723 733氏の補足。
オラニェ家とステュアート家の関わりは、
沈黙公ウィレム1世の孫、ウィレム2世と、英国王チャールズ1世の娘メアリーの結婚に始まる。
時のオラニェ家当主フレドリク・ヘンドリクは武闘派の兄マウリッツと違って、
文化政策・婚姻戦略によって欧州及び共和国内におけるオラニェ家の家格上昇を目論んだのでした。
(伝統的な親英政策の継続という含みももちろんあるが。)
それまでのオラニェ家の結婚相手は、フランスやラインラントの中貴族が相場だったが、
この縁組みにより、オラニェ家はヨーロッパ貴族世界における「王家」の一員としてステップアップ。
(ついでにフレドリク・ヘンドリクは娘の一人をブランデンブルグ選帝侯家にも嫁がせている。)
で、ウィレム2世とメアリーの間に生まれた息子ウィレム3世(後の英国王ウィリアム3世)は
英国王チャールズ1世の孫、ということになりますが、
長じて、英国王ジェームズ2世の娘メアリー(これもチャールズ1世の孫:後の英女王メアリー2世)と結婚し、
両家の結びつきを強めました。
まあ、これがダメ押しということです。
>>735 政策決定の実態が明らかになるには、最低でも十年はかかるんじゃないかな。
国が閉鎖的だとさらに。
>>724 そのページはゆっくり読ませてもらいます。ありがとうございました。
言語系統を文型から見るのは初めてなのでとても興味深いです。
>>733 >>737 回答ありがとうございました。ステュアート朝と今のオランダ王室に
は直接的なつながりは無いということでしょうか。オランダ史については
高校でほとんど習わないんでこういった情報はありがたいです。
741 :
世界@名無史さん:01/12/16 13:17
ビザンツ帝国と東ローマ帝国の関係について教えてください。
743 :
世界@名無史さん:01/12/16 13:55
>>741 そうです同じです(
>>742)。
「ビザンツ帝国」は後代の歴史学者が便宜上名づけた呼称です。
一応、末期ローマ帝国と違って、ギリシア語が公用語になった、
皇帝が地上の教会の首長とみなされるようになった、
統治形態が変化した、などなどの理由はあります。
東地中海の歴史区分の一種と捉えても(大まかですが)間違いではないでしょう。
「ビザンツ=東ローマ帝国」も後代の歴史学者の呼称となる場合があります。
西ローマ断絶後、ビザンツ=東ローマの当事者達は、「ローマ帝国」を
自称していました。
唯一正統のローマ帝国の継承者が自分たちだととの政治的自意識の表明
ではあったのでしょう。
西ローマ断絶後のビザンツを、あえて東ローマと呼ぶ場合、古代ローマ
帝国との連続性が含意・強調される型になります。
744 :
世界@名無史さん:01/12/16 16:01
やや強引ですが、ロシアもビザンツと婚姻関係を結んで、
ビザンツなきあとの第三のローマ帝国を自称していましたね。
東方正教を広め、双頭の鷲を掲げ・・・
ところで、キリスト教以前に信仰されていたローマ多神教は、その後どうなったのでしょうか。
あれこそがローマの精神だと思われるのですが、どうなんでしょう。
746 :
世界@名無史さん:01/12/16 18:37
>キリスト教以前に信仰されていたローマ多神教は、その後どうなったのでしょうか。
キリスト教国教化(公認とは別)に際して、皇帝令で異教祭儀禁止令が出され、
帝国領内のあらゆる異教神域・司祭所が閉鎖されました。
ローマ系だけではなく、ギリシアでもシリアでもエジプトでも。
ちなみにこのときに古代オリンピックも中断されました(神に捧げる競技だった
から)。
異教信仰自体、後、徐々に衰退した、と言われます。
が、一方で、異教信仰を捨てられないローマ貴族達は田園の別荘に隠遁したと言われ
ますし。異教信仰も土俗の内に残存した、とも言われます。
747 :
世界@名無史さん:01/12/16 18:43
五州事件てなんですか?教えてください。
748 :
世界@名無史さん:01/12/16 19:34
イスラム系の銀行から融資してもらえるとしたら、それはもちろん無利子なんですか?
749 :
世界@名無史さん:01/12/16 19:40
>>748 無利息です。
その代わり、お金を貸しつけたことに対する手数料を払うことになります。
750 :
世界@名無史さん:01/12/16 20:11
>>749 手数料はどれくらいの額なんでしょうか?例えば一億円借りるとすると日本の銀行で借りるのと
イスラム系の銀行で借りるのではどちらがコストが低くなるでしょうか?
>750
日本が世界一低い。街金とか除けば。
と突っ込んでみる。
752 :
世界@名無史さん:01/12/16 23:52
韓国にプロテスタントが多いのはいつからなんでしょうか?
753 :
世界@名無史さん:01/12/17 00:11
>>752 最初の宣教師が来たのは1885年で韓国人に浸透したのは20世紀初頭です。
最初は村の教会として出発しましたが、
学校や病院経営に力を入れたことから段々と近代化を代表するものとみなされ、
1907年以降は、近代化と国権回復のためにエリートが
精神的なより所として貧しい民衆がそれぞれ入信し、信徒が急増します。
754 :
世界@名無史さん:01/12/17 00:13
どなたかロバート・オーウェンと工場法(1833)について
教えてください!
ちなみにカトリックは16世紀末に伝来し、18世紀末までにかなり普及しますが
実学(儒教の一種で西洋からも有用なものを学ぶべきとする)にも
影響をあたえますが、1801年時の権力争いに敗れ、大弾圧を受けます。
世界を変えた、もしくは世界に貢献した人物で誰かおすすめの人はいますか?
できればあるていど濃い内容なども知りたいです。
757 :
世界@名無史さん:01/12/17 05:56
エジソンやアインシュタインじゃダメなのかい?
>>756 意味がわからん。
「世界を変える」とは?
「世界に貢献する」とは?
どの分野かだけでもはっきりさせてくれ。
759 :
世界@名無史さん:01/12/17 08:27
>>756 アインシュタイン・ロマンでもよめば?
おもろいぞ
>>754 ロバート=オーウェン(1711〜1858)は、徒弟奉公から身を起こして紡績工場
の支配人となり、ついでスコットランドのニュー=ラナーク紡績工場で経営者
となり、この工場で利潤の追求よりは労働者の生活改善・幼少年の教育・福祉
の向上に努めた。 さらに私財を投じてアメリカのインディアナ州に「ニュー=
ハーモニー」村を建設して共産主義的な協同社会の建設を試みたが(1825〜29)
失敗し、全財産を失って帰国した。
帰国後は全国労働組合大連合の結成(1834)に努力したが、政府の弾圧と内
部分裂によって数ヶ月で崩壊すると、チャーティスト運動などからも離れ、貧
窮のうちに没した。この間、社会環境の改善による人間性の改善を提唱し、工
場法の制定にも尽力した。
工場法は、年少労働者の労働条件を規制した法律で、1802年の幼年徒弟の労
働時間を12時間に制限した法律が最初の工場法といわれている。1819年の工場
法は、オーウェンの尽力で制定され、9歳以下の雇用禁止・9〜16歳の12時間
労働が規定された。この工場法で9歳以下の雇用が禁止されたということは、
それまで9歳以下の多くの子供が雇用されていたことを示している。
そして、1833年の工場法で、9〜13歳の9時間労働・18歳以下の12時間労働や
工場監督官制(工場法が守られているかどうかを監督する制度)が規定された
。さらに、1847年には婦人・児童の10時間労働が定められ、労働者の労働条件
は次第に改善されていった。
761 :
A.トインビーの「歴史の研究 」:01/12/17 09:15
もう20年前に読んだ書物で記憶が曖昧なのですが、
A.トインビーの「歴史の研究 」の中で、確か、エジプト(だったと思う)にイギ
リスの開発業者が入り、そこから彼らの子弟のための学校が生まれ、病院が生まれ、
その結果、欧米の技術を含め文化・文明が単に移植されるのではなく、連鎖的な繋が
りをもって他文明に移行していく様子をわかりやすく書いた記述があったと思います。
これって歴史の研究のどこに書かれたものでしたっけ?
また、上の記述は正確にはどういうものでしたっけ?
ちょっと引用したいのですが、外国にいるものでかつて読んだ書物が手に入らずもし
ご存じの方がいらっしゃれば教えていたらければ幸いです。
762 :
世界@名無史さん :01/12/17 11:26
ジョージ・オーウェルと1984年について教えて下さい。
763 :
世界@名無史さん:01/12/17 14:26
イスラムは複雑なので、
簡単に初めから、解説してもらいませんか?
764 :
ちむ氏の使途:01/12/17 15:23
ほう〜、引火定刻は俺なら、戦車一台で
滅ぼせた。
765 :
世界@名無史さん:01/12/17 16:25
>>763 >イスラムは複雑なので、
>簡単に初めから、解説してもらいませんか?
それをはじめると、まずやりとりが長くなるでしょう。
細かいところで異論なども出るかもしれません、
結果として、このスレの本来の使い方が阻害される可能性、
比較的あります。
例えば
イスラムについて、知りたいことをあなたが流れ順に細かく分けて
適当なタイミングで質問をしてみる。
または、
「イスラーム史総合スレ」でお願いしてみる、
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1007890822/ などが考えられるとよいと思いますが。
どうでしょうか。
>>763 なにげに、解説して「もらう」だし・・・(w
イスラムは、オスマンがまとめ上げて後はたいしたこともしないまま滅んでくれてるので、
割合に楽だと思いますが・・・
768 :
世界@名無史さん:01/12/17 18:14
↑このurl踏むとIPさらすことになるよ!
絶対踏んじゃダメ!!
今、2ちゃんの他の板で猛威篩ってるトラップだ。
気を付けて!!!
769 :
世界@名無史さん:01/12/17 18:33
>>768 何にもならなかったのだが、Javascript をOFFにしてたから大丈夫かな?
770 :
世界@名無史さん:01/12/17 18:34
>>763 踏んじゃったんだけど、どうなるの?
0しか表示されなかったけど。
771 :
>>730=732:01/12/17 18:43
>>729 :一日蓮教徒 :01/12/15 18:36
>なぜ、英米戦争で、
>アメリカとイギリスが互角に戦えたのですか?
>戦力的に、イギリス海軍のほうが強いのは?
>教えてください。
えーと、ザッとあたってみたんですけど。これと言って確信を持てる捉え方
はわかっていません。
大まかで無難な線なんで申し訳ないんですけど。
やっぱり、イギリスにとっては対仏戦争の方が重要だった。
アメリカにしてみると、フランスからルイジアナを購入したのが1803年なんですけど。
イギリスや欧州大陸との貿易が途絶しても国内開発で経済成長に取り組める時期だった
ので戦争にも耐えられた、と、この辺は言えるんだと思います。
※もっと詳しい方のご意見聞けたら、そちらを信頼してください。
772 :
世界@名無史さん:01/12/17 18:44
上のトラップ(766)、もしかするともう無害化されてるかも。
詳しくは批判要望板の当該スレを見て。
773 :
世界@名無史さん:01/12/17 20:02
>>762 >ジョージ・オーウェルと1984年について教えて下さい。
基本的には、一般書籍板で質問した方がよいと思います。
もしかしたらモスクワ裁判との関連を聞きたいのかもしれませんが、
それも一般書籍版での話題でしょう。
モスクワ裁判について、ならば世界史板らしい解答も寄せられるかもしれません。
>1907年以降は、近代化と国権回復のために
では戦前の日本併合下でもキリスト教徒は大勢いたんですね。東学党がつくられたり
したのに現在こんなに勢力があるのは不思議に見えます。日本でも近代化というか
カッコよく見られたりはしますが、天皇制や神社や仏教儒教があって主流にはならな
いものと思われますが、韓国でも儒教など文化的は抵抗はなかったんでしょうか。
775 :
世界@名無史さん:01/12/17 23:50
あったと思います。
儒教でも衛正斥邪派とよばれる派閥は西洋(その他外国)のものを排除することによって
従来の王朝を維持しようとしていました。
彼らにとって国とは王朝そのものであり、近代化によって体制を変えることは
亡国と同じ意味だったからです。
一方、儒教でも実学の流れを汲む開化派の中にはプロテスタントに入信して
近代化・強国化をめざすものが多かったようです。
韓国併合後、ロシア・中国などに移動して反日運動を行う人々がいましたが
彼らは儒教とくに衛正斥邪派の頑迷さが亡国を招いたとして批判していたようです。
776 :
世界@名無史さん:01/12/18 00:34
先生は金帝国は英語で「Golden Empire」というそうですが
金という国名はその金からとったんですか?
777 :
世界@名無史さん:01/12/18 00:36
日本語を勉強してから質問してください。
国号については、別板で有名コテハンさんが解説してらっしゃいましたね。
ずばり今回のセンターで皆さんが何となく出そうだと思う事物をおせぇて下さい
根拠はいりませぬ。
780 :
世界@名無史さん:01/12/18 23:42
もう7年前のことだから、最近の傾向なんてわからんなー。
この板、予備校講師の人などもいるのかな?
781 :
世界@名無史さん:01/12/18 23:46
こっちも、
>>780ご同様で、山勘だけどさー。
19世紀のアフガンとか来たりしないの?
英・露・印の絡みとか。
旧アフガン紛争って言うとストレートすぎるじゃん。
今から考えると世界史ってそんなに記憶力必要じゃないよね
後、1次大戦後の旧オスマン領分割から、2次大戦を経ての中東諸国
とか、来ないのかな??
784 :
世界@名無史さん:01/12/18 23:57
センターの問題って夏くらいには出来上がってるんじゃかったっけ?
そんなに時事的な問題は出ないと思うよ。
785 :
世界@名無史さん:01/12/19 00:00
昨年出た範囲が翌年しまた出る事もあるの?
五年分も問題集とか受験のときにやったなあ…
意外とおんなじような問題が多かったような気がする。
787 :
名前:世界@名無史さん :01/12/19 02:00
なるほど。あんましやってることは昔から変わらないんですね
そういえば10月くらいの河合か代ゼミの模試で最近のアフガン関連の問題が出てましたよ
夏って事は微妙に出るかも知れぬ
東大模試でも、中東関係が出てたよ。
これからますます重要になってくることは確かだろうね。
789 :
世界@名無史さん:01/12/19 18:06
満州事件は日本国の陰謀なのですか?
「日本」の侵略ではありますが、関東軍に責任を押し付けていたり。
政府の不拡大政策に関東軍が背いて独走した形です。
内閣は事後に承認していますが。
791 :
世界@名無史さん:01/12/19 19:19
>>789 つーか、基本的な用語をしっかりと覚えような。
○○事件というのは、爆破とか暗殺とか、せいぜい突発的な小競り合い程度の行為に対して付
けられる名称で、○○事変というのは正規の手続きを踏まないというだけの実質的な戦争、大規
模軍事衝突に付けられた名称なんだな。
満州事変は、実際には満州の張学良等の軍閥と関東軍の戦争で、1931年〜1933年5月まで。
でもって、この間に満州国建国と日本の国際連盟脱退があり、その後の日中戦争につながる。
それ以前に、日本軍と張学良の衝突の遠因となった1928年6月4日の張作霖暗殺事件があって
こちらは、当時「満州某重大事件」と呼ばれた。
事件については陰謀という言い方があてはまる(満州事変で言えば、開戦のきっかけになった
「柳条湖事件」、別名「南満州鉄道爆破事件」は関東軍の陰謀だったとされている)けど、戦争、
つまり、事変となると陰謀ということはないな。
実質的な戦争なんだから、少数の暗躍や独断専行でなんとかなるような規模のものではない。
つまり、不拡大方針といいながら、日本政府がずるずると後から関東軍の戦闘を承認して戦争
を拡大してしまったということ。
国会で予算を承認し、国家として戦費を支弁しなければ事変と呼ばれるような規模の戦争は継
続できないんだな。
792 :
高3受験生:01/12/19 21:22
世界史は学習が大変です。でも、好きでやってるから頑張れますね。
で、実は受験と関係なく、しかも激しく板違いなんでしょうが質問です。
予備校の世界史の講師が東西教会の対立を説明する際に
「ローマ・カトリックは初代教皇とされるペテロが遺した
『天国の鍵』を所有していることを権威としてる」
みたいなことを言ってました。大分前の話ですが、突然思い出したんです。
『天国の鍵』って何だ?こんなお話聞いたことがありますか?マジですか、これは?
ヴァチカンの地下に秘蔵されているとも言っていたような気がします。
激しくロマンをかき立てられたのですが、世界史板のものしりさんで
これについて何かエピソードを知っている方がいらっしゃったら教えてください。お願いします。
793 :
世界@名無史さん:01/12/19 23:38
>>792 それは本当ですよ。
イタリアやローマのトラベルガイドなんかときどきコラムでエピソードが載ってます。
講談社の週間地球旅行だったかな?世界遺産だったかな?
鍵を持ったヨハネパウロ2世の写真が載ってたような定かでない記憶もある。
TVのクイズ番組とかゴルフのコンペで、優勝者に商品の自動車の鍵って言って
凄く大きな(両抱えくらいの)鍵のレプリカがわたされることあるでしょ。
ちょうどあんな感じの大きな鍵です。
鍵自体が本当は、いつから継承されてるかは私も知りません。
教会伝承で使徒ペテロからバチカンに継承されたと言われる地上の教会の首位権を象徴するアイテムだそうです。
なぜ、中国は有名無実なのに、
眠れる獅子とやばれてたのですか?
まずでかいから。
あと西洋人の中国に対する憧れは当初相当なもんだった。
茶・陶器・絹などの品を昔から作り広大な領土を問題少なく統治している
国として随分と買われていた。19世紀には軍事力で西欧と差が開いたが
中国が西欧的なものを吸収したらすぐさま西欧は抜かれるのではないか、
という危惧は西欧側にはあった。これの危惧「眠れる獅子」。
>>794 まずタイプ練習しようね。
このくらいのことなら、教科書に書いてない?
797 :
世界@名無史さん:01/12/20 17:38
>>794 中国は有名無実?
というのはね、意味としては 有名無実=名ばかりで実質が伴わない・こと(さま)
なんだけど、こう言う時に使う言葉としておかしくないかと思って。
いずれにしても、名ばかりで実体が伴わないというのは結果としてわかったこと。
日本の経済が張り子の虎だなんて、1980年頃の世界ではだれも思わなかった。
どんな世の中の評判も、「Combat-proven」つまり修羅場にあってもその価値を失わな
くてはじめて正しいといえる、という教訓でしょうか。
798 :
世界@名無史さん:01/12/20 17:56
「中国は有名無実である」って
「中国は中国という名はついているが国家としての実体を伴わない」
(いくら清末でもそんなこたぁないよな)
としか読み取れなかったんだけど…。
俺がおかしいのかな?
799 :
かきつばた:01/12/20 18:13
>『天国の鍵』って何だ?こんなお話聞いたことがありますか?マジですか、これは?
>ヴァチカンの地下に秘蔵されているとも言っていたような気がします。
>激しくロマンをかき立てられたのですが、世界史板のものしりさんでこれについて何
> かエピソードを知っている方がいらっしゃったら教えてください。お願いします。
長野県の善光寺が保有する「お血脈の印」と類似した機能を有するアイテムですね。
臨終を迎えた人のおでこにこの印を捺すと、その人は死後ただちに極楽往生が出来ます。
ヴァチカンが『天国の鍵』をどのように運用したか(あるいはしていないか)については
詳しい方にお任せするとして、「お血脈の印」の方は、江戸時代の中期頃に乱用され、そ
のため地獄に送られる亡者の数が極端に減少しました。
その結果、地獄はリストラの危機に直面、閻魔王はその打開策として、血の池地獄に沈め
て罪を償わせていた石川五右衛門を呼び出し、「お血脈の印」を盗み出すよう命じました。
石川は善光寺の警備をかいくぐって、やすやすと「お血脈の印」が治められている宝蔵に到
達しましたが、地獄での苦難の日々を思い返し、このまま地獄に戻って印を閻魔王に届け
るよりは、と自分で自分の額に印を捺し、そのまま極楽浄土へ飛び去ってしまいました。
*******************
以上「歴史板」には、いささか不向きなエピソードですが、このような物語が実在すること
は事実です。
800 :
世界@名無史さん:01/12/20 19:44
で、でもね、『天国の鍵』と『お血脈の印』との間にどんな共通点があるのか
>>799の文章では全くわからないんですけど?
何の関係があると思ってここにカキコされたのか、理解できない私は老害?
「お血脈の印」は、いうなれば「極楽浄土への門を開く鍵」という
ことなんです。
『天国の鍵』も、そーゆー類のアイテムじゃいんですか?
(もし違ってたら799は全くのスレ違い。スマソ)
802 :
世界@名無史さん:01/12/21 01:04
あれだけの繁栄を極めたローマ帝国は
結局なんで滅んでしまったのでしょうか?
1500字程度で教えてください。
803 :
世界@名無史さん:01/12/21 01:06
それから
終始1都市で終わったアテネ(ギリシャポリス群)と違って、
なぜローマは1都市からあそこまで版図を広げることが
できたのでしょうか?
こちらは1200字程度で教えてください。
804 :
世界@名無史さん:01/12/21 01:08
なんだ、宿題か?(藁 <1500字でまとめろ
805 :
世界@名無史さん:01/12/21 01:09
まず自分でまとめてみろ。
批評してやるから。
806 :
世界@名無史さん:01/12/21 01:36
>>802 >1500字程度で教えてください。
こらこら・・・
807 :
世界@名無史さん:01/12/21 01:39
>>802 それは設問がムチャ(笑)。
1500字でまんべんなく応えられる人は多分どこにもいないよ。
なんか余条件があるんじゃないの?
◎◎に重点を置いて説明せよ、みたいなもの。
>>803 >>805さんが言われることに賛成だけど、
ヒントだけあげちゃおう。
a「ローマ市民権」
b「拡大の経緯」
この辺に注目するといいんじゃないかな。
808 :
ちむ教の信者:01/12/21 08:09
>>794 鳴くよ、鴬、平安京、本物ですか?
質問です、古典主義から、ロマン主義に移る際に
なにかあったのですか?
そもそも、古典主義って、なんですか?
ロマン主義は、たしか、個人の感情や
想像力を重視、歴史・文化を尊ぶ。ですよね。
809 :
世界@名無史さん:01/12/21 10:51
>>808 困ったな、今高校でどんな風に教えてるかわかんないからな。
>ロマン主義は、たしか、個人の感情や想像力を重視、歴史・文化を尊ぶ。
そんな教え方してるのか?
それとの対比で言うと、古典主義は伝統的な美学や様式を重んじるんだけどね。
古典主義が重んじる「伝統的な美学や様式」と
ロマン主義が重んじる「歴史や文化」の違いを簡単に説明するのは
大変だな。
>ちむ教の信者
古典主義について何をどこまで知りたいのか、もう少し絞り込めんかね?
後、「古典主義から、ロマン主義に移る際」って話だが、
学校では、写実主義の話はでてこなかったかね?
もしかしたら、美術、特に絵画の話が中心だったかね?
古典主義といいロマン主義といい、美術、詩文、音楽でそれぞれ現れ方は
違うんで、疑問を感じたとき、学校で何を中心にした話題を教わったか
教えてくれるだけでもいいぞ。
810 :
世界@名無史さん:01/12/21 16:04
ネット上で、世界史の良モンもがある場所教えて。
>>802-803 なんか妙にいやな質問の仕方ですね(w
まず、ギリシアには、ポリス意識はあっても民族意識がなかった。
初期のスパルタに至っては、ヒッキーを決め込んでましたし。
分かれて喧嘩してて、ペルシアが来たときだけは個々撃破されそうになって団結、でもその後はまたばらばら。
だから、ローマの半島統一のときにタレントゥムが苦しんでいようが、誰も助けない。
ローマの利点は数限りなくありますので、
>>807さんを参考に・・・
最初から多民族国家であり、寛容に多民族を積極的に受け入れた事が大きいと思いますね。
後は、適切に政体が発展したこと(王政→共和政→帝政)や、支配地の分割統治など。
滅亡の理由も数限りなく(w
異民族の侵入、キリスト教の発展、市民の生活が贅沢になっていったこと、風俗・精神の乱れ、市民兵制廃止、
愚帝の失政、大土地所有制の発展、農民の没落、元老院の無力化などなど。
質問者は下手に出ないかんとはいわんが、
ちとマナーがなってない人が多いね。
813 :
世界@名無史さん:01/12/21 17:15
>>812 えーと、ここのといころ、マナーは大分ましになってきたと思いますです。
高校生向けスレなので、あまりにひどければ、言ってやればよいと思います。
マナーよりも、何をどのくらい詳しく知りたいか、質問を搾るよう心掛けてもらえると助かる(笑)。
でも、まー、これはこれでむつかしいのかもしれません。
普通のスレでもとらえどころのない質問ありますし
814 :
世界@名無史さん:01/12/21 19:45
>>811=カイザーさん
えーっと、
>ギリシアには、ポリス意識はあっても民族意識がなかった。
細かいところに突っ込むようで、恐縮なのですが。
「ギリシアでは、ポリス意識の方が民族意識よりも優先された」とでも言った方がよいかと。
古代オリンピック競技は、ヘレネー(ギリシア民族)の祭典と意識され、マケドニアがあれに参加を認められるかどうかとか、スパルタが参加を拒否されたとかは、当時の一大政治問題でしたので。
スパルタは、貴族というか市民というかが日中体を鍛えて軍事教練をして、その他の
生活に関わる仕事はすべて奴隷(と女子供)がしたそうです。これで文化が発達した
のでしょうか。
一応スパルタ文明というか、独自の文化はあるようなのですが、まともな市民が軍事
だけやっていて、どうしてそんなことができたのでしょうか。
受験にまず出ないことで悩んでいます。(w
816 :
世界@名無史さん:01/12/21 23:13
>>815 古代アテネも奴隷制の上に立脚していて、市民は政治や議論に余暇を使うことが理想とされました。
戦時には市民が従軍したんですけど。
それでも独自の古代文化が発展しました。
スパルタも独自の軍事文化というか、独特の政体と生活スタイルのもとで独特の文化が発展したんです。
「まともな市民が軍事だけやっていて、どうしてそんなことができたのでしょうか」の答えは奴隷制の上に立脚していたから、です。
この答え方では疑問は解決されないかもしれないですね。
困ったな。
例えば、日本の平安時代は、都の貴族は政治も一応するけど生産活動はほとんどしなかったですよね。
でも和歌とか物語とかの国風文化は凄く発展しました。
それと違わないんだけどな。
817 :
世界@名無史さん:01/12/21 23:59
>>802-803 まだ書けないの?
待ちくたびれたYO!
>>812-813 俺的には、質問する側の最低限のマナーは、問題解決のために
自分自身でどういうことを行なったかを示すことだと思っとるよ。
818 :
世界@名無史さん:01/12/22 03:02
>>815 >一応スパルタ文明というか、独自の文化はあるようなのですが、まともな市民が軍事
>だけやっていて、どうしてそんなことができたのでしょうか。
まず、中辞典以上の国語辞典で「文化」と「文明」をひいてみな。
できたら広辞苑は避けた方がいいが、まぁ広辞苑でもいい。
それぞれ3つか4つくらいの意味が載ってるはずだ。
特に文化は最低4通りの意味が載ってるはず。
そうしたら、君が「スパルタの文化」って聞いたときに違和感を感じたのは
どの意味に近いかを考える。
次に、辞書に載ってるどの意味を「スパルタの文化」に当てはめたらしっくり
くるかも考える。
考えてもわかんなかったり、迷うことがあったらまた質問においで。
819 :
書いてみた。:01/12/22 03:48
>>802 ぴったり1500文字だ。ありがたくコピペって、学校に提出しろ。
いいか、ぴったり1500字だからな。勝手に内容いじるなよ。
んーやっぱなんつーか、アレだよねー、デカくなりすぎだよね。うん。やっぱデカいよ、自動車も飛行機もない時代に、
だって地中海沿岸全部だよ?歩いて回れねえって。まあ基本は船なんだけどね。でも日にちかかるよなあ。大変なこと
だよ、うん。マジで伊能忠敬とかいたら地図かけねえって。いやかくかも。あの人なら。海岸線フェチだし。まーんな
こたーどーでもいいんだけどさー。日本史だしね。とりあえず戦争バンバンやってって、ガンガン勝ってって、ズンズ
ン領土拡げてったのはいいんだけどさー、裏を返せば、ブクブク太ってったってーことでもあるんだよねー。全国各地
から色んなモンかっさらってきて、そりゃあ都のローマは繁栄してたかもしれないけどさー、地方を見渡してみれば、
けっこうお寒いモノがあった訳さね。えーと今何字?400もいってねえ?……そうか、そりゃけっこう大変だなあ。
ひらがな多くすっか。いやいやおおくしなきゃな。んでえーと、なんだっけ、ああそうだローマローマ。なんで滅んだ
かって?そりゃあ一つの国が滅びるんだから、一つ二つの理由じゃすまねえよなあ。まあ1500字以上あればそれな
りには書けるかもしれないけど、なにせもう半分近く使っちゃったしね。もっと字数あればなー。いや残念々々。まー
アレだよ、デカくなりすぎってことよ。軍人皇帝ってあるじゃん?アレなんかいい例だけどさー、地方の成り上がりみ
てーのがガンガン都さ上がってきて「オラア皇帝さなるだ!」だってさ。挙げ句に暗殺されちゃって。見てられないね。
そんな田舎っぺのお山の大将みてーのが10人も20人も出てきてコロコロ皇帝変わるんだからさあ、もうこの国も長く
ねえよなって感じ。ブクブク太りすぎて自分の体維持できなくなってるところに、とどめがアレよ、野蛮人よ。ゲルマン
の野郎が寒いところでガタガタ飢えしのいでりゃよかったものを、イエローモンキーどもにケツ蹴っ飛ばされて、偉大な
ローマ帝国さまの領土にズカズカ入ってくるもんだからあつかましいったらありゃしない。蛮族ってのはこれだから困る
ネ。負けると女どもにパイオツ出せてフリフリ〜って誤魔化そうとするんだから、まあオッパイは好きだけどね俺も。今
で言やあ野外露出プレイっすよ、調教モノっすよ。まあ負けたからしょうがないんだけどね。連中、民度(笑い)は低い
けどなにせ野蛮人でドキュソなもんだから、ケンカだきゃあ強ええんだなこれが。タッパあるしね。髪の毛燃えてるしね。
たぶんチンコもすげーでけーんだと思うけどさあ、マンコがでけえのはカンベンして欲しいね全く。あと臭いのもね。連
中、クサそうだしね。ただでさえローマ、ブクブク太っちゃって身動きとれねえし、もうアレよ、自分のケツも拭けない
相撲取り状態よ。そこに脳ミソ空っぽだけどやけにマッチョな野蛮人がバガスカ入ってきたもんだからもうダメ。まあそ
れなりに国を立て直そうとした人もいるし、グレて不良になっちゃって今さらミトラ教がいいよーんとか言ってた人もい
るけど、けっきょくダメでしたあ、ってーことよ。あーそうそう、キリスト教ね。この頃流行ってたんだわ。属州ってや
っぱ絞りキツいしさあ。いじめられっ子ほど宗教に頼るの原則ね。ニーチェ先生が言ってたんだけど。いじめに負けない
強い子は、神様いらねえんだってさ。あーごめんごめん、ローマだったな。でもまあ、だいたいわかったろ? 拡がりす
ぎたんだよ。んでまー、一種のドーナツ化現象よ。見た目リッパだけと中身はスッカラカンて感じよ。そこに脳ミソまで
筋肉でできてるアメフト部みてーのが入ってきて、それであぼーんよ。そんな感じ。わかった?だいたいオッケー?
820 :
世界@名無史さん:01/12/22 07:55
ドイツ人は、なぜ発明を沢山出来たのですか?
頭、いいのかな?
>>819 すばらしい!
これ以上の答えは無いね!
質問者はありがたくちょうだいするように。
>>820 頭が良いのです。
ゲルマン民族は世界に冠たる支配民族で当方に生存圏を獲得しなくてはならないのです。
×当方
○東方
824 :
世界@名無史さん:01/12/22 09:23
>>820 隣国のフランスが「うちは文明国」ってえばってたんで
後進国で、貧乏国で、寒いドイツはコンプレックス
でチクショーてしゃかりきになっただけです。
それで東の方まで強盗まがいに押し出しました。
両モンを出して。
>>814 遅レスですが、フォロー深謝です。
>>819 烈しくワラタ。
すばらしい史観ですね。
>>825 「三十年戦争の意義についての述べよ。」は良問だと思います。
827 :
世界@名無史さん:01/12/22 18:36
リチャード三世とジョン王は、英国で一番嫌われた王様だそうですね。リチャードの方は
よくわからないのですが、ジョン王は無謀・無定見の兄王の跡を継いで、やむなく母方の
領地であるアキテーヌ地方を手放すことで国内のリストラを行った、と思っているんですが
どうでしょうか。
リストラって言うのは「作り直し」ですよね?
また、マグナ・カルタによって大貴族の権利を認めさせられたことからも、弱体の王権の
確立に苦労した運の悪い人というイメージがあるのですが。
嫌われるようなことは、領地を手放したこと以外に何かあるのでしょうか。
828 :
世界@名無史さん:01/12/22 18:49
獅子心王リチャードの尻拭いをさせられた、かわいそうなジョン。
829 :
世界@名無史さん:01/12/22 20:03
意味教えて下さい
「バイトある日、熊。」
830 :
世界@名無史さん:01/12/23 00:24
長江流域の文明についてはどの程度分かっているんでしょうか。
四大文明が五つになるほどの発達はみせなかったのかな。
>>804 やっぱばれてるし・・・
めんどーなんで、とりあえず図書館で「ローマ帝国衰亡史」
(名前はちがうかも?)ってボロボロの古い本にそれらしいことが書いてあったので、
最初の部分の方ににかいてあったことを適当に写して提出しました。
写したのがばれなきゃOK!
>>803はどうしようかな・・・(鬱
>>831 「○○字で」って書いてある時点で、みんな気づいてると思いますが。もしくは、ネタだと思ったか。
・・・結局、ギボンを写して終わりですか(汗
833 :
名無し@軍事板:01/12/23 09:40
金融資本の企業資本・・・銀行資本と産業資本が
結合した独占資本
↑この、文章が難解なので、誰か、説明してもらえませんか?
それと、左翼とか右翼の意味がわからにのですが、
教えてください。
また、インターナショナルって、なんですか?
834 :
世界@名無史さん:01/12/23 10:14
>>833 1864年にロンドンで結成された「国際労働者協会」が第一インタナショナルと呼ばれます。
当時イギリスに亡命していたマルクスが加わっていました。
この第一インターは、1871年にフランスで起きたパリ・コミューンの崩壊をきっかけに分裂したと言われます。
私は細かい経緯はわからないですが、国ごとの利害が協会員の対立を招いたようです。
1889年に結成された「社会主義インターナショナル」は、当時のヨーロッパ諸国の社会党や社会民主党の連合組織でした。
これは「第二インターナショナル」と呼ばれます。
第一次大戦の勃発で崩壊、やはり各国の利害の対立が原因。
1917年、ロシア革命後にソ連共産党おを中心に組織されたのが第三インターナショナル。
各国の共産党は、この第三インターナショナルの支部と位置づけられていました。
「共産主義インターナショナル」または「コミンテルン」とも呼ばれました。
単に「インターナショナル」と略されるのは、「この第三インターナショナル」を指すことが多いです。
他に、第四インターと呼ばれる分派組織もありました。
が、第二次大戦後の中ソ対立の前後には有名無実になっていました。
右翼/左翼というのは、フランス革命後議会で、保守派が議長席から
みて右側に、改革派が左側に陣取ったことが語源です。
第一〜第三インターナショナルの変遷を見てもわかるように、
歴史と共に中味が変わってしまっても、より保守的な方が右、より改革
志向の方が左、と言われます。
政治用語ですので、そのときどきの意味が何かは、それぞれの集団の
主張や行動、状況や背景を併せて考えないと惑わされる言葉です。
例えば、民族主義の内にも右派も左派もいます。
社会主義者の内にも左派も右派もいます。
835 :
世界@名無史さん:01/12/23 10:25
>>833 >「資本」というのは生産活動に必要と言われる「土地・資本・労働」の一要素です。
しかし、
土地を持っていても単なる荒れ地では資産価値は低い。
収益性のある田畑に整備されると、資産価値があがります。
ですので、利潤をあげるために活用される、過去の労働の生産物が「資本」と呼ばれることもあります。
お金も、生産活動に自由に使えたり投資に用いることのできる資金が「資本金」と呼ばれます。
>銀行資本と産業資本が結合した独占資本
これは、「銀行と産業がそれぞれの持つ資本を結合して、多くの資産や多額の資本金を活用することで独占企業となったもの」くらいの意味です。
836 :
世界@名無史さん:01/12/23 10:39
>>830 >長江流域の文明についてはどの程度分かっているんでしょうか。
>四大文明が五つになるほどの発達はみせなかったのかな。
長考流域でも城壁を持つ都市遺跡が発見されたので、
文明のかなり厳しい定義でも、長江文明は成り立つ状況に
なっているはずです。
この辺は、中国考古学のかなり先端的な話題ですので、今は
まだ研究中だと思います。
一般社会人向けの概説書や高校の教科書に内容が反映される
のはまだ先でしょう。
考古学の本を読むと、中国考古局では、古代中国の文明に
ついて多元論を唱える立場が主流だそうです。
私も専門的な細かな部分までわかってるわけではありません
が、「中国に伝統だった中原の文明が周囲に広がった」の
考え方は捨て今の中国の各地で芽生えた古代文明がお互いに
影響を与え合って中国文明が生まれた」とみる立場のことです。
この多元的の立場では古代長江文明の研究が進んでも
「四大文明が五つになる」ことはないことになります。
中国出身の研究者の人でも、上の考え方に反対していて長江文明を
黄河流域の古代文明とまったく別個のもの、と考えようとしている
人もいます。
837 :
世界@名無史さん:01/12/23 12:35
セルジューク・トルコっていつの間に、どこに滅ぼされたんですか?
838 :
世界@名無史さん:01/12/23 14:37
>>837 遊牧政権の常で分封を繰り返すうちに自然瓦解しました。
中央の大セルジューク朝は12世紀末、
アナトリアのルーム=セルジューク朝は14世紀初頭に
それぞれ最後のスルタンが後継者なく没して消滅。
頼むからモンゴル帝国出してくれ>センター試験作る人
840 :
世界@名無史さん:01/12/24 00:33
すんません。高校生の人に質問です。
世界史A・世界史Bってどう違うの?
841 :
世界@名無史さん:01/12/24 00:39
線文字Aと線文字Bくらいの違いと思われ。
842 :
世界@名無史さん:01/12/24 00:51
世界史A=ドキュソ用
世界史B=受験者用
843 :
世界@名無史さん:01/12/24 01:03
840>842
サンクス。あ〜そうゆうことか。
今日、本屋で調べたんだけど、Bの方の参考書はたくさん売ってるのに
Aの方は全然なかったんだよな。なるほど、なるほど。
質問です。
ナロードキニって、なんですか?
それと、なぜ、社会主義運動は
世界で起こったのですか?
>>845後半
基本的に、思想はそれを可能にする条件が少しでもあれば生えてくるものと考
える。一つの野原におびただしい種類の草が生えるようなものだ。
社会主義の土壌の一つは、資本主義によって生まれた労使関係と、労働運動だ。
初期資本主義の非人間的労使関係に対する反発があった。反発は、労働者だけ
でなく、中産階級・知識人にも広がりを持った。この反発から、そうでない社
会の構想、つまり社会主義思想が生まれた。
もう一つ。近代文明かつ反体制という組み合わせが、植民地支配を受けた地の
住民に望ましく思えた。植民地本国の体制の誤り・弱点をつかなければ、独立
運動は成功しない。だから資本主義が広まっていない地域にも、独立派の思想
として社会主義が広まった。
以上ふたつをおさえていればよい。
847 :
世界@名無史さん:01/12/24 11:39
>>845=信者くん
「人民主義(運動)」とか訳されることもあるナロードニキ運動だが、
ナロードはもともと、農民とか農奴とかいった意味。
革命前のロシア帝国に特徴的だった農奴を開放しよう、ってスローガンの運動だった。
「農奴を開放」っていうのは「農奴制を改革する」くらいの意味。
うまくいかずに帝政要人の暗殺などテロに走る者も出したのが特徴と言われる。
>それと、なぜ、社会主義運動は世界で起こったのですか?
これ、質問文がよくないな。
「なぜ、世界中に広がったのですか?」が質問の本意かな?
>>419-425、とくに
>>422参照。
それでわからないことはまた質問してくれ。
>>419-425で言われてるのは、主にヨーロッパ(西欧〜東欧)のことだから、「世界中で」って話でもないから。
848 :
世界@名無史さん:01/12/24 16:14
>>842 うちのクラスでは明らかにBの教科書を使ってるけど
科目名は「世界史A」だよ。内容もBっぽいし。
Bだけど、参考程度にAの教科書も持ってます。
かなり密度が違いますね。
850 :
世界@名無史さん:01/12/24 17:23
ルターを破門にした教皇って誰ですか?
851 :
世界@名無史さん:01/12/24 18:13
>>850 それくらいは、図書館で本を調べてごらん。
世界史の通史とか、宗教改革、ルターが題名に含まれてる新書本とか。
852 :
世界@名無史さん:01/12/24 18:45
853 :
世界@名無史さん:01/12/24 18:48
現ヨルダン(元イラク)王家のハーシム(ファーシム)家って
ムハンマドの子孫ですよね。そういう凄い家が第一次大戦で
フサインがイギリスと手を結ぶまでずーっとメッカ近くで
細々と暮らしてたというのが違和感あるんですが・・・・
その間なにか重要な出来事ありましたっけ?
854 :
世界@名無史さん:01/12/24 19:32
日本でも天皇家の子孫とか、源氏の子孫とか、平氏の子孫はあちこちで
細々と暮らしてると思われ。
熊沢さんとかな。(おい
ムハンマドの子孫って、どれくらいいるんでしょうね?
一夫多妻制だから、相当な数になるのかも・・・?
856 :
世界@名無史さん:01/12/24 23:18
>>855 直接の血縁なくても、親戚関係というのも含めてるからね。向こうの人は。
ムハンマドの嫁さんの親戚とか。
だから、もう、それは、無数。
857 :
世界@名無史さん:01/12/24 23:22
よくトルコ系は元々中央アジアにいたとか、ゲルマン人は
ドイツの西の方から移動したとか言いますが、すべての人類は
アフリカから移動したのですよね。
つまり、一度定着してまた移動したのだと思うのですが、
それだと元々いた土地というのはひどく曖昧なものだと
思うのですが?
858 :
世界@名無史さん:01/12/24 23:43
ソヴィエト連邦内におけるロシアその他の共和国の存在はどのようなものだったのですか?
ゴルバチョフのペレストロイカの時にロシアではエリツィンが権力を持っていた、
と教科書に書いてあった気がするのですが。
正直、ソヴィエトとロシアを同一視していたので。
859 :
世界@名無史さん:01/12/24 23:50
>>854 ヨルダン王家の先祖は第四代カリフ・アリーとムハンマドの娘ファーティマの子孫です
(といっても、シーア派ではなくスンナ派)。
この家系はアッバース朝の衰えた10世紀ごろに歴史に現われ
ファーティマ朝・アイユーブ朝・マムルーク朝・オスマン朝の保護下で
ヒジャーズ地方を統治していました。
つまり歴代のエジプト支配者の保護下にあったわけです。
>>855 ムハンマドの子孫、というか具体的には
ムハンマドの娘ファーティマの息子の男系子孫は
メッカのハーシム家の他にもイスラム世界の各地に相当数いて、
シャリーフとかサイイドとか呼ばれています。
昔のイスラム王朝にはシャリーフの系譜の真正さを
確認する官職もあったそうです。
>>857 農耕や都市を中心にした国家と違って、トルコ系やゲルマンなどの遊牧民族
にとっては自分の住んでるところというのは縄張り以上の意味はないかと
思われ。あまり明確な境はないだろう。安全な場所、豊かな地域をもとめて
移動するのは当然かと。だから、遊牧民族にとって元いた土地は
あまり意味や執着はないと思われ。そこを気にするのは歴史家だ。
あと、アフリカが人類の起源っていうのはアウストラロピテクスの時代でしょ
・・・。北京原人やら明石原人やらの時代にはもう地球上に人間の先祖は
居た。国家や民族のルーツを探るのは3、4000年で十分と思うが。
>>854 >熊沢さんとかな。(おい
激しくワラタ
862 :
世界@名無史さん:01/12/25 09:36
質問です。
乾地農法とか略奪農法の違いや意味がわかりません。
また、民族と語族の違いがわかりません。
日本民族=日本語族では?
>862
民族学的に言って、イギリスはドイツの出店です。これは「民族」が一緒ということ。
なのに違う言葉を話している。だから語族が違う・・・というのは違います。
ゲルマン語とイギリス語は由来が「インド=ヨーロッパ語」につながります。
つまり、この二つの言語を話す人々は「語族」が一緒なのです。
864 :
世界@名無史さん:01/12/25 10:15
>>862 日本民族は日本語族ではありません(日本民族≠日本語族)。
というか「日本語族」という概念はありません。
それを言うなら、「日本民族の母語は日本語だ」になります。
普通言われるのは、日本語はウラル・アルタイ語族の一派ということです。
つまり「日本民族の母語である日本語はウラル・アルタイ語系の言語の一派」だ、ということが普通言われます。
語族というのは、言語学上の概念で、文法を主に、語彙を従にして考えられる概念で。
言語の系譜関係を整理するために構築される階層概念です。
特に、既に話者のいない古代言語にまで系譜を溯ろうとする場合、言語や語族は仮定存在になることが言語学でも注意されます。
特に仮定存在として古代言語を再構築する手続きが「再建」する、と言われます。
少し面倒な話をしましたが、この前提をお話しないと続くお話ができません。
「語族」というのは、言語学上の概念なのですが、
歴史学や民族学で言語学の成果が応用されるときに、ときとして困ったことがおきます。
「◎◎語族の言語を使っていた民族」を略して「◎◎語族」と記されることがあり、混乱を招くことがあります。
実は「言語学上の◎◎語族」と「歴史上の◎◎語系の言語を使っていた(又は使っている)民族」はなかなか一致しません。
現代日本人のように一民族・一言語である民族の方がワールド・ワイドにも歴史的にも例外的存在だからです。
ほとんどすべての民族はマルチ・リンガルです。
ですから「言語学上の◎◎語系言語が用いられた時代・領域」と「歴史上の◎◎語系の言語を母語として使っていた(又は使っている)民族が居住した領域・時代」は厳密には一致しません。
といった前提を踏まえて、日本民族は、「ウラル・アルタイ系の言語の一つを使う民族」と普通は言われます。
乾地農法はなんとなく想像できる気がしますが、
略奪農法って何でしょうね??(
>>862)
私もどなたか詳しい人にお聞きしたいと思います。
866 :
世界@名無史さん:01/12/25 10:41
>862
土地に肥料とか与えずに搾れるだけ搾って土地がやせたら、
その土地から、また別の土地に移動するというやつです。
867 :
世界@名無史さん:01/12/25 10:45
>>862 混乱させるかもしれませんが、
>>863の方の説明には補足した方がよいように思いました。
>民族学的に言って、イギリスはドイツの出店です。(
>>863)
これは多分、
>>863の方が大まかに噛み砕いて説明されたのだと思います。
正確には、「イギリスとドイツは、ルーツを同じくする民族集団から分かれた」となります。
どちらかがどちらかの出店という関係ではありません。
>これは「民族」が一緒ということ。
「民族」も「語族」と同様に階層関係を持つ概念です。
ですから
>>863の方の言われるように、
イギリス人(British)もドイツ人(German)もゲルマン系の民族という階層では同じ民族系統に属すると言えます。
が、民族を区別する基準を細かくすると、Britishはアングロ・サクソンで、Germanyはほとんどがサクソンです。
それから、国民(ある国家の国籍を有する人)と民族も別概念だ、ということも覚えておくとよいでしょう。
868 :
世界@名無史さん:01/12/25 13:31
太平洋戦争はなぜおこったのですか?
アメリカに行くとよく質問されるらしいです。
今度、アメリカ留学するので
皆さんの意見を参考にさせてください
>>868 ローズヴェルトが、ドイツ・イタリアともども日本の大東亜共栄圏構想を叩き潰したい、
と思いつつもきっかけがなかったところへ、暗号解読により真珠湾が攻撃されると知り、
日本側の宣戦布告文書の遅れを利用して、あえて防御策をとらずに真珠湾艦隊を見殺しにし、
国内世論を湧き上がらせたため。
・・・これじゃあ、アメリカで言ったら殺されるな。
やつらも所詮、自国の利益のためならなんでもする汚い連中だからな。
あれだけ空襲で無抵抗の市民を焼き殺しておいて、何の反省もない国だし。
870 :
世界@名無史さん:01/12/25 13:49
>868
チンピラはチンピラらしく中国、韓国にピッキング強盗に入るくらいで満足してればよかったのに、
「あんまチョーシこいてんじゃねぇぞ、このタコ!」と、叱ってきたアメリカに、
相手の強さも考えず逆切れして攻撃しちゃったらさあ大変。
ボコボコのたこ殴りにされたけど、許してもらって舎弟にしてもらえたので、
今じゃいっぱしの先進国きどりでブイブイいわせるまでになれました。
ころんでもタダじゃ起きない。これぞチンピラの極意。
871 :
世界@名無史さん:01/12/25 13:52
>868
アメリカ映画のゴッドファーザー2では、アメリカが
日本への石油を止めたから日本がアメリカを攻撃して
きた、と説明されてました。これだったら向こうの人
もまずは受け入れられるのでは。
872 :
世界@名無史さん:01/12/25 14:00
>870
>許してもらって舎弟にしてもらえたので
許してもらってない。まだ保護観察中(笑
873 :
世界@名無史さん:01/12/25 14:46
>>868 ヤクザ(日本組)がチンピラ(中国組)から金を巻き上げていました。(満州)
そこで出てきたのは、最近は頭を使って稼ぐ事を憶えた、
インテリヤクザです(アメリカファミリー)
昔はこの人もブイブイ言わせて、彼方此方から金を巻き上げていましたが、
最近はお上が五月蝿いので、方法を変えていました。
で、このころ「日本組」(日本)と「中国組」(中国)が抗争を始めました。
最初は「アメファミリー」(アメリカ)は両方に堅入れは止めようとか思ってたのですが、(中立法)
最近力をつけている、この「日本組」が面白くありません。
「日本組」は、チャカ(鉄くず)や麻薬(石油)を「インテリ」からの密輸していました。
「アメファミリー」は面白くありませんが、まあ儲かるならいいかと思い。続けていました。
だけど、この「中国組」のショバを「日本組」に取られると、面白くないので、
「アメファミリー」は戦闘員(航空隊)を何人か送り込み、大量の武器を密輸しました。
ついでに「チャカ」(鉄くず)の密輸も停止しました。
こうなってくると、面白くないのは、「日本組」です、
「中国組」と抗争しているのに、戦っている中に「アメファミリー」の戦闘員が混じっています。
武器も大量に渡り抗争が大変になってきました。
それならと、「アメファミリー」の密輸ルートの遮断と、(北部仏印進中)
この時期で不毛だなと思い。両者は「手打ち」を考えてました。(日米了解案)
ですが、「アメファミリー」も強硬で「アメファミリー」に出向している「日本組」金を巻き上げました。(対日資産凍結)
原が立ったので「日本組」は他の組「ビッシー政権のフランス」からショバを一つ分けてもらいました。(南部仏印進中)
これにキレタのは、「アメファミリー」です。
「麻薬」(石油)の密輸を止めました。
サア困りました。これでは組織が立ち行きません。
これはヤバイと感じた「日本組」は本格的に「手打ち」会談を設けました。
ですが、中々上手くいきません。
日本側は折れ、他所の組のショバから立ち去るか、(インドシナ)(甲案)
「中国組」から撤退するから、麻薬の禁輸を再開してくれと願いました。(乙案)
「アメファミリー」も強硬でして、この両方の提案を断わり、
両方からの撤兵、中国組に持っていた権益を他の組と併せて放棄。
何よりも困ったのは、先の手打ち会談で認められていた「中国組」一部(満州国)が、
今回は触れられていません。
その上、麻薬(石油)の密輸の再開も明記されていません。
(明記されていたのは、貿易や両者の資金凍結の解除など)
これは困りました、こんなもの呑んだら、組内の武闘派に殺されてしまいますし、
組が立ち行きません。それで非戦派も主戦派に転じ、
「アメファミリー」の挑発に乗り、抗争を吹っ掛けました。。
「アメファミリー」も内心喜び、「日本組」と抗争しましたとさ。
おしまい
途中で文章入れたりしたから、誤字脱字のオンパレードだ。
醜くてスマソ。
875 :
世界@名無史さん:01/12/25 15:06
>873
たいへんわかりやすく、素晴らしい解説だと思います。
おつかれさまでした!
甲案と乙案が逆になってるので、間違えて憶えないでね
877 :
ちむ教の信者:01/12/25 21:46
今日は、質問があります。
初期農村の範囲で、紀元前5000年ごろ、
彩文土器の製作や銅・青銅器の使用って、
あるのですが、
なぜ、彼等は、銅や、銅と鈴の化合物(混合物?)を
生成できたのですか?
そんな、炭鉱(鉱山?)なんて、どうやって見つけたのですか?
また、これで物を作るときに、溶解度に達するために、
どのようにそのような温度まで、あげたのですか?
銅の溶解温度は、1000℃ぐらいでしたよね。
普通の火じゃ無理だと思うのですか?
878 :
慶応(法)志望者:01/12/25 21:50
論述対策で過去問やってるんですけど、
道教についてキーワードを用いながら200字で述べよ
・神仙思想・仏教・全真教・唐朝王室・官僚層
って問題で、最初の3つはわかるんですが、「唐朝王室」と「官僚層」の
使い方がいまいち謎です・・・。
やっぱ「唐朝王室」ってのは、「道教の開祖を老子とした」って使うんですかね?
「官僚層」のほうは全然わかりません・・・。山川の教科書と用語集にも
決定的なことは載ってないし、教えてください!!
879 :
世界@名無史さん:01/12/25 22:25
>>877 手元にくわしい資料がないので手短に。
銅とスズ(「鈴」ではなくて「錫」だろ?)の合金は青銅・・・と習うのだろうか?
ともかく、融点についてはたしかに銅なら約1080℃、だったよね。この温度に上げるの
は、不純物が少ない炭素、つまりしっかり作った木炭程度の燃料に充分な空気を吹き込む
ことで可能だ。珪素分の多い充分に焼いた土器なら、その熱に耐える。
最初に銅をどのようにして見つけたのか、どのように精製したのかについては、こうだ、
という説明はおそらくできない。何十万年の時の流れの中で、露出した銅鉱石の上で火
を炊いたりと言った試行錯誤の末に、その技術がゆっくりと確立したのだと考えられて
いる。
銅は、赤い金属であり、粘っこい。粘っこいという意味は機械加工がわからない人には
申し訳ないけれど説明しにくいな。粘っこくて柔らかい。まあ比較的だが。
説けた銅に亜鉛(融点420℃だったっけ?)を25〜28%加えてしっかりかき回して冷やす
と黄銅ができる。5円玉と思えば間違いない。これだけで強度は6割から8割上がり、
丈夫になる。
銅にスズを4〜8%加えると、一般に言う青銅になり、強度は2〜2.8倍になる。10円玉
の色が青銅だ。「青」というのは緑青の色をさす。銅そのものでは、道具にも武器にも
使いようがない。柔すぎる。
だれがこれを発見したかはわからない。でも、偶然と試行錯誤の積み重ねで、それこそ
気の遠くなるような時間をかけてこの技術(あるいは技能)は確立したとされている。
充分時間をかけ、好奇心と必要に迫られればどんな技術も生み出せる、ってことかな。
880 :
世界@名無史さん:01/12/25 22:35
>>877 >>879さんに補足させてもらいます。
世界史板のよそのスレで読んだだけで、まだ、書籍などでは確認とって
ない話ですが。
説得力あるので、私は、今のところ受け容れています。
天然の銅鉱脈には不純物が混ざってることの方が普通で、銅鉱と錫鋼が
一緒に採掘されてしまうことも混ざって採掘されることも少なくない
そうです。
>>879さんの言われる「偶然」にはこうした天然の状況にもたらされた
ものもある、と考えると技術の開発自体よりも驚くべきは古代人の観察力
ということになるかと思います。
881 :
世界@名無史さん:01/12/25 23:08
>>878 >神仙思想・仏教・全真教・唐朝王室・官僚層
そら、「五経正義」をうまく使って説明してみせろって挑発(?)
なんじゃないかね。
五経の内には易経も入ってるし。
質問です。
オリエントで、古バビロニア王国は、
前8世紀まで、メソポタミアを支配してたのですが、
いつのまに、ヒッタイトに占領されたのですか?
また、いつのまに、ヒッタイトはカッシート人に
バビロニアを奪取されたのですか?
また、そのとき、ミタンニ王国は共存してたのですか?
883 :
世界@名無史さん:01/12/27 02:32
>>882 ヒッタイトがバビロニアに進攻したのは紀元前1595年頃と言われています。
バビロン第一王朝は滅亡したのですが、このときはヒッタイトはアナトリアに引き上げています。
その後、メソポタミアでは、カッシートとアッシリアとミタンニが分立しました。
東方からエラムが攻めて来て、ハムラビ法典の石碑が持ち去られたりしますが。
イシン第二王朝がバビロニアを征しエラムを排除します。
一方ヒッタイトは、バビロン第一王朝を滅ぼして以降、シリア南下政策を主にしていました。
が、その過程(と思うんですけど)でミタンニを征服しています。
今回いろいろ調べ直してみたらヒッタイトがミタンニを属国化した、と言われていますね。
それにしても、海の民というのは、これほどあちこちで大規模な侵略を行いながらも、
なぜほとんど手がかりがないんでしょうか?
海の上の漂流民であるにしても、どこから来てどこへいったのか・・・
>>883 教科書には、バビロン第一王朝は、
前8世紀に最盛期、ハンムラビの時代に迎えたと
かいてるのですが、なんでですか?
>>885 それは困りましたね。
念のため2種類の歴史事典で確認してみましたが。
どちらにもハムラビ王の治世は前18世紀とあります。
ちなみに新バビロニアがアッシリアを滅ぼしたのが前625年、
アケメネス朝ペルシアに滅ぼされたのが前593年とあります。
とりあえず、学校の図書室か公共の図書館で歴史事典の類を
みて、確認してみてください。
バビロニア、古バビロニア、新バビロニア、ハムラビ王(ハンムラピ王)
の項目をみてみるとよいでしょう。
>884
彼ら自身が文字史料をほとんど(全く?)残してないからではないでしょうか。
>>877>>879>>890 見たことはないのですが銅鉱石の一つである孔雀石は派手な緑色で
人目をひきやすいそうです。
>>877氏の言われるように1000度の温度を得るのは
それほど難しくないので、銅そのものはわりと自然に入手できたのでは?
不純物が多いと融点もどんどん下がりますし。
むしろ錫や亜鉛を添加すると機械的特性が改善されることを
どのように気付いたかが興味のあるところですね。
>>877 紀元前5000年はまだ青銅ではないような気もする。
>>879 >>銅にスズを4〜8%加えると、一般に言う青銅になり、強度は2〜2.8倍になる。10円玉
今状態図見てみたんですが、4〜8%ではまだあまりブリネル、引っ張りとも伸びないようです。
硬さは12wt%程度を越してから急激に増えるみたい。伸びは急減します。鋳造用ですね。
(もっともこれは純 Cu-Sn系ですのでPb等他の元素が添加されてると違うのだろうか?)
「周礼考工記」という書物があるらしいんですが(年代不詳、誰か教えて)、
それによると鼎の類は銅:錫比6:1(14wt%Sn)、ほこの類が4:1(20wt%Sn)、
やじりの類が5:2(28.6wt%Sn)となっているそうで、なかなか合理的です。
黄銅のほうは、亜鉛が40wt%程度でβ固溶体(常温ではβ’固溶体)が現れるので
成分範囲の調整がより微妙かもしれない。というか、黄銅はいつくらいから
使われていたんでしょうかね?
889 :
877です:01/12/27 18:14
>>877 Again。
ええと、結局の所あまりよい資料が見あたらなかったのであきらめつつあります。
というのは、JISの規格などで金属材料の組成・引っ張り強さ・ビッカース硬さなどが
規定されているので、資料として使えると思ったのですが、基本的にこいつらは工業材料
としての最低基準なんですね。JIS H0500,H3100,H3110,H3130を見な、といえばおお
むね説明になると思うけれどちょっとピントはずれかなぁ。高校生にここまで見ろとは
言えないしねぇ。(w
機械の技術屋である私としては、
http://www.coguchi.com/ の【技術データ検索】のところ
を見れば、工業材料としての銅についてはわかるよ、といいたいのだけれど、興味ない人
には面白くないだろうしね。まして世界史には関係なさそう。
>>888氏の説明は、工学ではなく物理的な方向なのでちょっと畏れ多いのだけれど(藁)、
工業製品として一般に使われている青銅はせいぜい8%スズぐらいまで。スズは高いから
だと思う。(w
今のJISの考え方だと、Cu-Zn合金を黄銅と呼んで、それ以外のはっきりしない銅合金は
すべて「青銅」としています。アルミニウム青銅なんてものもある。ただしこれは古代には
絶対あり得ないんですがね。
強度的な数字は、測定方法や材質的な違いなどいろいろありますので参考値と考えて
ください。
>>887 >工業製品として一般に使われている青銅はせいぜい8%スズぐらいまで。スズは高いから
それと、展延性が急激に下がるからでしょうね。耐食性も悪そうだし。
10%以上のはもう鋳造用としてしか使い道なさそうですね。
逆に、古代においては最もたやすく入手可能な鋳造材料だったんでしょう。
#JIS非鉄、職場にあったような・・・
それはともかく、名称って難しいですね。
「青銅時代」という文脈での「青銅」はどうもかなりの量の錫がはいっていたようです。
ルネッサンス期の「銅像」ってのはどの程度の成分なんだろうか?
891 :
879です・・・が正しかった(恥):01/12/27 22:00
>青銅時代
全く違う話になって恐縮ですが、この色について。
赤銅色、という言葉がありますが、これこそが青銅の色です。なんで「青」とついたか
については、やはり緑青つまり酸化銅の色でしょう。「天平の甍」も、「青」がイメー
ジのようです。
青銅時代としたとき、西洋と日本では色の概念が違うようですね。あちらでは青銅は
赤茶色です。十円玉の色。覚えておいて損はない(かな?)。
「青銅の男」というSF小説がありました。アメリカものの翻訳ですが、当然あちら
では赤銅色の日焼けした筋肉のイメージです。ところが、その翻訳版の挿絵を見て驚
いた。
バロン吉本氏描く主人公は、なんと肌の色が青一色。
大笑いしたのですが、多分出版社ではマジメだったんでしょうね。
892 :
879です・・・ちなみに、:01/12/27 22:05
>>891 bronzeだものねえ
でも不思議だ。「青銅」という日本語自体、いつ頃できたのでしょうかね。
教えて偉い人。
894 :
世界@名無史さん:01/12/27 23:34
>>891 >>893 う〜ん。
青い色の金属というのは、そりゃたしかに現実的ではないですよね。
ただ、ブロンズ色が青銅の色というのはどうなんでしょうか。
というのは、NHKのそれぞれ別の番組だったと思うのですが、古代の青銅器、
日本の銅鐸と殷代の鼎を、オリジナルの素材の組成にあわせて復元するとい
うのがあったのですが、どちらも完成品は黄金色でした。
青銅といいながら真鍮に近い色で、遺物としての出土時は酸化銅、えーと塩基
性炭酸銅ってのが緑青でしたっけ?あと酸化第一銅がブロンズ色かな?なんか
の色になっていても、鋳造直後は金色だったのだという説明だったと思います。
だから、青銅がブロンズ色というのは正しいのでしょうが、日本や古代支那の青
銅器は新品の時は金色であったようです。
ところで、青銅という日本語はもともと遺物・出土品について使われたのではな
いでしょうか。
鏡にせよ銅鐸や鼎にせよ、緑青が吹いている例が多いですし、みどり色を「青」
と表現するのは日本語の特性ですから本来は緑銅ということなのでは。
895 :
世界@名無史さん:01/12/27 23:39
>>891 前に中国文明展に行った時に、復元青銅器があったのですがそのとき
黄金に光輝いていた記憶があるのですが。
色の表現も人それぞれだから。。
10円玉の色、といわれたとき、僕の頭の中には「黄」のイメージが沸き起こりました
ちょっと赤みがかった黄色、かな
bronze ということばは「日に焼ける」意味もありますね
それも「くすんだ黄色」という感じのイメージです
金属の色は純度によって相当変わります
ごく微量の添加物で色や質感が劇的にかわったりする。
銅鐸等が製造当時はきらきら金色だった・・という話はよく聞きますが
私的には 「本当かいな?」という疑念を拭い去ることができません。
>>894 > ところで、青銅という日本語はもともと遺物・出土品について使われたのではな
> いでしょうか。
同じように、bronze という言葉自体いつ成立したのか考えてみると面白いかも。
実際製造していて記録も豊富な中国等ではどのような表現なのでしょうかね?
モノの色と、それを表現する「言葉」と。
表現すべき「言葉」が実はモノ自体に依拠しちゃってたりするので面倒くさい。
# うーん、記号論のにほひが・・
897 :
879です・・・しつこいかな:01/12/28 00:44
>>894 ええと、「青銅」というのは繰り返しますが酸化皮膜である「緑青(ろくしょう)」の色
から付いた名です、と、金属関連の入門書に書いてあります。だから本当でしょう。(w
青銅は
>>893氏のかかれたように英語でbronzeと呼ばれた金属の和名です。
だから、意味から言って青銅はブロンズ色なのです。
そして、青銅は現在でもあなたの多分目の前で使用されているれっきとした合金の名前です。
家庭用100ボルトのコンセントの中をのぞいてみて下さい。プラグの方じゃなくて。
中にある黄色っぽい金属は、リン青銅です。
なぜ金色に見えたかと言いますとね、たとえば十円玉をレモン汁だの硝酸だので洗ってみて
ください。かなり金色に近くなりますよ。
もともと銅はかなり光沢をだせる金属です。スズが添加されてより黄色っぽくなった青銅は、
磨きたてで表面が酸化する前なら、金色に見えることもあります。保存状態がよくて運良く
表面に何らかの方法でコーティングがなされれば、金色っぽい輝きを維持することもできま
す。
>>894さん、
>>895さんの見たのもそういう青銅だったと思います。
黄銅(機械屋は真鍮(しんちゅう)と呼ばないのでして...)は、色的にはもっと安っぽ
く見えます。好きずきですけれどね。
ただ残念ながら、本物の金と並べますとその輝きが見劣りします。残念。
なんだか話題がずれているようですが、大丈夫でしょうか? (w
私としてはおもしろいのですが、そろそろまともな方(?)へ戻しましょうか。
899 :
世界@名無史さん:01/12/28 05:04
古代史を見ると青銅文明が鉄器文明よりも
ほとんどの場合、先なのですかなぜなんでしょうか?
鉄のほうが銅よりも多くとれるはずだとおもうのですが・・・
また、なぜ鉄器文明の方が青銅文明より強い勢力になれるの
でしょうか?
900 :
世界@名無史さん:01/12/28 08:04
1> 銅合金の方が融点が低いから
前出のように、炭や、極端な話燃焼効率のいい木でも、溶かすことができた。
鉄はさらに500℃以上上げなければ溶けない。
炭とかなりの量の酸素を効率よく供給しなければこの温度に達しない。
2> 銅合金はそのままで製品化できたから
溶けたものを固めた場合、銅合金は表面の酸化被膜ができる程度ですむ。
鉄は炭素・酸素分を加熱途中で取り除かなければ、金属としては使い物にならない。
これにはかなりの技術的な蓄積を必要とした。
さらに、炭素の含有量を少なくとも0.5%単位でコントロールしないと思った性能の
鉄あるいは鋼が得られないことは、これまた非常に高度な技術を要する。
大変なんだYO。鉄を精錬するのって...
901 :
世界@名無史さん:01/12/28 08:07
あ、質問の2。
>なぜ鉄器文明の方が青銅文明より強い勢力になれるのでしょうか?
そりゃあ、鉄(てつ・アイアン)→鋼(はがね・スティール)を実用化できれば、そっちの方が
硬くて丈夫だから、だな。
902 :
ちむ教の信者:01/12/28 08:13
沢山のレスありがとうございました。
なるほどね。偶然と試行錯誤でできたのですね。
わかりやすかったです。
少々出遅れの感もあるが一言。
銅は自然銅として金属状態で産出するので、これに興味を抱く者が現れれば、石で打つことで
自由に加工できるのに粘り強いという優れた性質は容易に気づかれ、利用も進んだはずである。
また火打ち石に熱を加えたり焼き鈍しをして性質を変える技術は新石器時代から存在したため、
この技術は抵抗無く銅鍛造にも利用されただろう。こうしてまだ銅を溶融する技術の無かった
紀元前8500年頃から西アジアでは700-800度に熱した自然銅を鍛造して銅加工品が作られ始めた。
やがて木炭を利用して銅を溶融することが可能になるにつれ、銅の利用技術は一層高度になり、
BC6000頃からは銅の精錬も始まる。これがどうやって始まったかは謎だが、一つの仮説として、
木炭を利用して岩石の中の自然銅を炉で溶かしたとき、周りにある酸化銅を還元しまったために
期待した量よりも遙かに多くの銅が得られ、この因果関係(銅鉱石を木炭で焼けば銅が取れる)
に思い当たった賢い人間がいた、というものがあり、かなり有力視されている。
次に合金銅の誕生だが、これは偶然と経験の積み重ねによると思われる。最初の契機は炉中に
何かある種の物質を入れるとそれが融剤となって比較的低温でも溶融が起こることが気づかれ、
そのうちある特別な鉱物を適量入れると単に融点が下がるばかりではなく、できあがった銅が
著しく強くなるという現象が発見されたのだと思われる。銅にとって最初のパートナーは砒素
であり、このわずか2%ほどの砒素の混入が銅の刃物の強度をそれとわかるほど増したため、
古代人は長い間に様々な種類の鉱物を混ぜてみたに違いない。そしてこの「特別な鉱物」の内
最も大きな力を発揮したものこそが我々が「錫石」と呼ぶものだったとすれば青銅の誕生は
説明できるし、この技術は容易に失われず次代へと伝承され得たと思われる。というのは、
この古代において事実上利用可能な唯一の錫資源だった「錫石」は赤葡萄色〜黄褐色をした
葡萄状の石ないし粗い砂状の極めて印象的な鉱物で同定が容易だったし、還元力のある木炭
のある炉内なら、精錬した錫でなく錫石(SnO2)の状態でも一応青銅を造り得たからである。
そして紀元前4000年頃から始まり、紀元前3000年から1200年にかけて大いに発達した、
この錫をパートナーとした合金銅の精錬、加工、及び鋳造の技術は、人類史に「青銅時代」
と呼ばれる輝かしい一時期を築いたのである。ちなみにこの時期の青銅の錫含有量は、
試行錯誤の後、ほぼ10wt%程度に落ち着いていったそうである。
さて最後に黄銅についてなのだが、実は古代人にとってこの亜鉛と銅との合金の製造は、
我々が考えるより遙かに大きな技術的困難を伴うものだった。というのは、現在の主力資源
である閃亜鉛鉱は当時の技術では(というより18-9世紀ぐらいになるまで)利用不能で、
亜鉛資源としては、もっぱらカラミンと呼ばれる白色亜鉛鉱物が利用されたのだが、
これとて1000〜1300度前後まで熱しないと亜鉛を抽出出来なかった。この温度の確保自体、
相当な技術が必要だし、のみならず実はこの温度、亜鉛の沸点(917度)を遙かに超えており、
取り出される亜鉛はガス状である。従って当時の黄銅の製造法は酸化亜鉛鉱物と銅の粒を
木炭のある炉の中で熱し、発生した(一酸化)炭素で還元されて出てきた金属亜鉛のガスを
銅の中に吸収させるというやり方が一般的だった。これは当時としてはかなりのハイテク
であって青銅製造より難しかった為、紀元前300年頃になって初めてインドと地中海世界
において技術的に一般化し始めた。なおこの黄銅はちょっと見、金に似ていることから、
当時は貴金属に準ずる扱いを受けていた。特にアビシニアにおいては銀と同等以上の値が
付いたため、ローマ等にとっては良い輸出品だったそうである。
あと「周礼」だが、建前としては周公が致した周の官制を記述した書ということになって
いるが、これは疑わしく、成立年代も秦の焚書にあったあと漢代に復活したということに
なっているがこれにも前漢時代の偽作部分がかなり混入しているという疑惑を免れない。
「考工記」はその中の職人について述べたものなのだが、ニーダムの「中国の科学と文明」
でもしばしば参照されているように、当時の科学技術の内容が窺われる興味深い書である。
まあ、詳しいことは東洋史に強い方に聞けば答えてくれるでしょう。
905 :
世界@名無史さん:01/12/28 10:31
・・・このひとたちったら。
すごいね。
Krtさんまで招いちゃいました。お疲れさまです。
907 :
879ですけど・・・:01/12/28 13:30
>>905 ごめんね。会社の新入社員用の入門マニュアルを整理していたところだったので。(w
>>907 非鉄関連はAGNEもJISも全部ダンボールに詰めて
ガムテープで封印されていた。
「JIS非鉄材料選択のポイント」とかあったのだけど、表紙しか見つからなかった。
流れを先取りして探した「鉄の歴史」も
全巻行方不明なり。こいつは大きい.
909 :
ベリサリウスに1ペニー:01/12/28 20:42
次は「鉄の時代」なんですか?
誰か高校生、エンプラかフラーレンをふってくれない?
鉄は苦手だ。 (w
すいません、業界ネタで。
910 :
世界@名無史さん:01/12/29 01:17
>891
> 赤銅色、という言葉がありますが、これこそが青銅の色です
う〜ん。微妙に違うと思います。赤銅色は10円硬貨風の赤茶色ではあ
りません。黒に近い紫色です。
辞書なり色彩辞典なりで確認してみてください。
英語等からの翻訳と漢字圏での銅合金の歴史的分類の名称について
の対応ですが、まず、銅器の素材分類として、青銅、黄銅、白銅、赤銅
等があります。
黄銅は亜鉛との銅合金で、通称は真鍮。英名はbrassですね。
白銅は現代では銅とニッケルの合金で、後述する洋銀のことですが、
歴史的な銅器の素材としては錫の比率が高い(30%程度)銅合金を指す
ようです。こちらの場合の英名はwhite bronzeです。
青銅は15%程度までの錫との銅合金、英名はbronzeですね。
そして、問題の赤銅は少量の金と銅の合金で、英名は不明です。どな
たかご存知でしたらお教えください。
以上の呼称はかならずしも洋の東西で対応しているわけではないです
から、近代以降に工業的に青銅=bronzeと規定したからと言って、歴史
的に両者が等値であるとは言えないでしょうね。
例示されていましたが、雑多な銅合金をすべて青銅と呼んでいるようで
すし、これが歴史的な青銅に対応するかは疑問です。
銅、ニッケル、亜鉛の合金で洋銀、洋白(nickel silver)と呼ばれる合金も
ありますね。これや錫10%程度の青銅で、特に砲金(gun metal)と呼ばれ
る合金については、翻訳による命名でしょうから、対応がとれているもの
と考えられます。
911 :
世界@名無史さん:01/12/29 01:33
すみません、世界史はどうやって勉強すればいいんでしょうか?
どうすれば質問が浮かんでくるのでしょうか?
912 :
世界@名無史さん:01/12/29 01:37
>>911 同じ主題を扱ってる歴史書を2〜3冊併読してみましょう。
1冊は教科書で構いません。
また、歴史書は小説ではないので、とりあえず通読しなくてもよいです。
(いずれ通読した方がよいですけど)
2〜3冊を注意深く併読すると、どうしてもどっちに書いてあることが正しいんだろう?
とか、表面上は矛盾するようなことが書かれていることに気づき、気になってくることがでてくるはずと思います。
こうした自分なりの疑問を大事にしてください。
いろいろ考えていくうちに質問も整理されてくると思います。
913 :
879ですけど・・・:01/12/29 13:34
>>910 >白銅は現代では銅とニッケルの合金で、後述する洋銀のことですが
んん?
ええと、会社のサーバーが止まるので家に帰ってから.... ナンノコッチャ
914 :
世界@名無史さん:01/12/29 16:38
このスレって・・・
このスレは高校生をダシにマニアックなネタを披露するスレとなりまちた。
916 :
世界@名無史さん:01/12/29 18:21
誰か別スレッドあげたら?
自分ではやんない奴
砲金は、「gun metal」じゃなくて「gun bronze」。
いまもベアリング(軸受)などで使っている。
いや、このネタもいいかげんマニアックですね。
>>915 ごめん。やめる。
さて、世界史の時間です。質問は? (w
918 :
世界@名無史さん:01/12/29 18:44
高校生と名乗ってる
>>902=ちむ教の信者くんとか
>なるほどね。偶然と試行錯誤でできたのですね。
>わかりやすかったです。
と言っているので、構わない気もするのですが。
そろそろ頃合いかもしれませんね。
確かに別スレがたつととてもおもしろいお話読めそうですし。
じゃぁ、と切れをつなぐ意味でこれまで未解答再録シリーズでも。
>>884=カイザーさん
>それにしても、海の民というのは、これほどあちこちで大規模な侵略を行いながらも、
>なぜほとんど手がかりがないんでしょうか?
>海の上の漂流民であるにしても、どこから来てどこへいったのか・・・
>>887 >彼ら自身が文字史料をほとんど(全く?)残してないからではないでしょうか。
920 :
再録シリーズ:01/12/29 18:49
>>858 :世界@名無史さん :01/12/24 23:43
>ソヴィエト連邦内におけるロシアその他の共和国の存在はどのようなものだったのですか?
>ゴルバチョフのペレストロイカの時にロシアではエリツィンが権力を持っていた、
>と教科書に書いてあった気がするのですが。
>正直、ソヴィエトとロシアを同一視していたので。
921 :
再録シリーズ:01/12/29 18:54
>>810 :世界@名無史さん :01/12/21 16:04
>ネット上で、世界史の良モンもがある場所教えて。
※これはどうも、受験勉強の課題になる設問集のよいのがあるサイトを教えて、って意味らしいです(?)。
922 :
再録シリーズ:01/12/29 18:57
>>761 >761 :A.トインビーの「歴史の研究 」 :01/12/17 09:15
>もう20年前に読んだ書物で記憶が曖昧なのですが、
>A.トインビーの「歴史の研究 」の中で、確か、エジプト(だったと思う)にイギ
>リスの開発業者が入り、そこから彼らの子弟のための学校が生まれ、病院が生まれ、
>その結果、欧米の技術を含め文化・文明が単に移植されるのではなく、連鎖的な繋が
>りをもって他文明に移行していく様子をわかりやすく書いた記述があったと思います。
>これって歴史の研究のどこに書かれたものでしたっけ?
>また、上の記述は正確にはどういうものでしたっけ?
>ちょっと引用したいのですが、外国にいるものでかつて読んだ書物が手に入らずもし
>ご存じの方がいらっしゃれば教えていたらければ幸いです。
923 :
再録シリーズ:01/12/29 18:59
>>747 :世界@名無史さん :01/12/16 18:43
>五州事件てなんですか?教えてください。
>>915 JISでしょうか?
僕はむしろガンメタルで覚えています。
プラカラーにもあるよね?
えーと、このスレも新しいのがたったと事ですから、下の方でマニアックに
やっても迷惑にはならないでしょうか? いずれにしても、ここでは場が悪
いようですね。 (w
砲金=ガンメタルに関して。
実は私もこれだと思っていたのです。ところが設計上で資料を作っていた
時、ふと調べてみたら「ガン・ブロンズ」が正しいらしい事が分かりました。
申し訳ないがその資料が今なくて、確認できません。WEBで検索してみ
ると、ガンメタルの方しか引っかかってくれないので気になります。私の記
憶違いだったら申し訳ない。でも、結構驚いたのでよく記憶に残っているの
ですがね。正月休みが終わるまで分からないままなのか、ちょっと悔しい。
砲金は今は、鋳物でしか使いませんね。軸受けメタルだけ。
ちなみに、銅の五色のバージンカラーとして、「銅のおはなし」(日本規格協会・
出版)より。
白銅(Cu-Ni合金):「キュプロニッケル」と呼ばれ、Niを10〜30%含有した
ものが多い。特にFe0.4〜1.8%、Mn0.2〜1.0%添加したものは、比較的高温
に耐えて耐海水性にも優れている。復水器・熱交換機のパイプやそのはめ
込み板に使われる。白色だがかすかに赤みを帯びている。
洋白(Cu-Ni-Zn合金):ニッケルシルバーと呼ばれCu-Ni合金のNiの一部
をZnに置き換えたもの。自然合金から始まったもので、明治から昭和の初め
まで「洋銀」とか「German」と呼ばれたこともある。装飾品・食器・楽器などに
使われる。
丹銅(Cu-Zn合金):赤がかった黄銅。red brass。
黄銅(Cu-Zn合金):brass。黄色。別名、真鍮、yellow brass、yellow metal。
青銅(Cu-Sn合金):bronze。銅の色である赤から黄、白まで含有率によって
様々な色がある。
歴史の板で、こんな会話しているのは顰蹙モノですね。 (w
金属の話とか、高校生用のこのスレ向けではないけれど、
話自体は興味深いので新スレ立てられてはいかがですか?
「素材の歴史...金属、ガラス、プラスティック、繊維」
みたいな。
スレッドつくれなかった・・誰か作って
関連記事、コピペしていいんだよね?
#さまざまな用語の意味の変遷にも興味あるところですな。
#黒鉛ってなんで黒鉛なの?とか。 ← 昔研究室でバカにされた
931 :
世界@名無史さん:02/01/09 02:40
金属の話になったら高校生がレスつけなくなったんじゃない?
932 :
世界@名無史さん:02/01/09 02:57
北京は中国のわりと辺境にあると思いますが、北方民族を撃退するために都をおいたというのは、
さしずめ多賀城に都したという感じでしょうか。日本じゃ考えられないなあ。
933 :
世界@名無史さん:02/01/09 03:02
中国の歴代の皇帝は、日本の王が天皇と称していることになぜ文句をつけなか
ったんでしょうか?軍隊で攻められてもおかしくないと思っちゃうんですが
934 :
世界@名無史さん:02/01/09 03:11
国内でならいいんだよ
河汗も同じ