>>41 テオトコスだったと思いました。
歴史学的な話題としては、聖母信仰が「護られた」というより、
「公式化」されたと言った方が妥当ではないかと思われます。
「公式化」されるまでは、少なくとも、数ある原始キリスト教
ヴァリアントのひとつにすぎなかった。
個人的には、聖母信仰は、イエスの本来の教説からは導き出せない
ように思います。
>>40 うーん。後背地にメソポタミアとアラビアがあったので、
「文化的には十分ギリシア化され」は教会については
疑わしいと思います。
「政治的にはローマ支配下」は問題ないと思いますけど。
研究者にもいろいろ説はあるみたいですけど、
シリア語聖書はギリシア語聖書と並行して記された説の方が
シリア語聖書はギリシア語聖書から翻訳された説より説得力
あるように思えます。
ですので、十分ギリシア化と言ってもそれは高度文化の上っ面
の部分ではそう言えるってお話ではないかなと思われます。
一例、
>>33で言及した「タンムズ&アドニス」なんかは
シリア-メソポタミア的文化のギリシア的解釈の方が
後代に伝わってしまった、ってことではないでしょうか?
確かにシリアが十分にギリシア化していた、というのいうのは言い過ぎだったかも。
でも、パルミラのギリシア文化傾倒ぶりや、セレウコス朝の歴史などを考えると、シリアのギリシア化は、
(上っ面だけとも言えるでしょうが)それなりのレベルだったようにも思います
45 :
日本@名無史さん:01/11/22 00:26
>>38 >新約に4つの福音書を載せていること自体、処女降誕の史実性を教会
>が否定しているようなもんだと思う。
>なぜ、みんな変だと思わなかったんだろう?
佐倉哲のサイト見てみ。キリスト教=狂信だってことがばっちりわかるよ。
聖書の原本は無誤無謬だという論理の脆弱性が木端微塵に批判し尽くされてる。
「神が殺せ!と命じる時」は必見。
>佐倉哲のサイト見てみ。キリスト教=狂信だってことがばっちりわかるよ
俺自身も聖書の矛盾探しは結構好き(ネクラ!)だが、佐倉さんという人は
なんだかやり過ぎで、ちとイタサを感じるなあ。
47 :
世界@名無史さん:01/11/22 01:08
キリスト教は、きらいなのだが、東方正教のモザイクやイコンの美しさを見ると、美を生み出した原動力としては、認めねば、という気になる。
全能のはずの神が地上で無力な死を遂げる。
めちゃくちゃで逆説的で(パウロの辻褄合せはめちゃくちゃ)ドラマチックな絵だ。
テオトコスでの聖母の優しげな笑みと、十字架上の苦しむイエスはすごいよ。
キリスト教圏でしか生まれなかった種類の美だ。
48 :
世界@名無史さん:01/11/22 01:19
>>47 キリストは人だよ。ユダヤの王であり、メシアではあるがそのもの神じゃない。
三位一体は証明不可能だ。
>キリストは人だよ
同意するよ。
>全能のはずの神が地上で無力な死を遂げる
ってのは、キリスト教徒の視点から見ての話。
俺は、もちろん、イエスをユダヤ教の失敗した改革者くらいにしか思っていない。
Q資料に遡れる彼の語録には、なかなか心動かされるから、尊敬しているけどね。
50 :
世界@名無史さん:01/11/22 01:44
あれ確か現在のキリスト教正統派の教えは神と子と聖霊の等質いわば
三位一体を認めるものだったんじゃなかったっけ?
51 :
世界@名無史さん :01/11/22 03:27
ローマ帝国の皇帝が、苦戦の最中に空に輝く十字架を仰ぎ、
神助を得て大勝したのが、国教化に繋がったっていうけど、
本当なのかな?
52 :
世界@名無史さん:01/11/22 04:28
おいおい
キリストはそもそも実在の人物かどうかが疑われてるだろ
>52
実在したと考える方が色々とつじつまがあうってことで
落ちついてるんじゃないの?
54 :
世界@名無史さん:01/11/22 07:32
>>48 >キリストは人だよ
用語法がなんだかな。
「イエスは人だよ」では??
>>51 その話はちょっと違う。
皇帝が夢告で「空に輝く十字架(またはキリストを意味するXPのシンボル)」
で「汝これにて勝て」と告げらた。
そこでシンボルを旗印にしたら勝った、
−−と皇帝自身が側近に語った、という逸話が皇帝側近の記録として残ってる。
多分に意図的リークの可能性はあると思う(ワラ
>>52-53 んーと、実在証明不能だから、実在云々は言及しないようにしよう
が割りと歴史学者には多いかな。
弓削達さんみたいに「伝承では」とか「聖書によれば」とか書いちゃう
人の方がめずらしーと思う。
(もちろん聖書学者は別)
55 :
日本@名無史さん:01/11/22 12:39
具体的な文献名は忘れたが「クリスティヌス」という宗教家について記述が
あるとどこかで見た覚えがあるよ。
56 :
世界@名無史さん :01/11/22 16:36
http://www2s.biglobe.ne.jp/~elisha/armageddon-9.htm >「人として実在した人物」という表現は奇妙なのですが、これ以外に適切な表現は
>ありません。もともとはヒトではなかったからです。2000年前に実際にこの地
>上にこのイエスという人は実在していました。キリスト教に反対する立場からこの
>史的実在性を否定する研究もなされましたが、不成功に終っています。当時の歴史
>家ヨセフスの書いた歴史書の中に、ユダヤ教に反抗して処刑された人物として載っ
>ている中の一人はこのイエスのことだろうと判断されています。
イエスが神であったかどうかは形而上学的な問題であるが、モデルとなる
人物がいたことは想像に難くない。
57 :
世界@名無史さん:01/11/22 17:12
異論を唱える型になりますが。
>>56で紹介された記事「ハルマゲドンの話」は、歴史的話題としては
偏ってますね。
お断りしておくと、私も
>>56の方同様「新約で語られるイエスのモデル
となった人物」は実在したと「想像」しています。
が、それはさておき。
>キリスト教に反対する立場からこの
>史的実在性を否定する研究もなされましたが、不成功に終っています。
まず、この要約は偏っています。
19世紀に西欧でおこった史的イエスの実在論争は、歴史学の話題にとど
まらない大論争だったのですが、
a)教会神学を疑問視する立場から史的イエスを追求した歴史家
b)当時の合理主義の立場から史的イエスを追求した宗教学者
c)サンスクリット文献の研究に刺激されて、史的イエス像の構築を
試みた文献学者
――などが入り乱れた議論でした。つまり「史的実在性を否定する研究」
がなされたわけではありません。従って「不成功に終わった」のは
「史的イエス像の再構成」の方なんです。
次いでヨセフスの著作ですが『ユダヤ古代誌』にせよ『ユダヤ戦記』に
せよ史料批判の問題は多々あります。
ヨセフスは比較的ユダヤ民族主義よりの正統ユダヤ教信徒だった、と
いわれています。
彼の著述ではユダヤ教内改革派についての言及がたいへん薄い。
一例、エッセネ派についてもその性格・思想・実態についてまったくと
言ってよいほど言及されていない。記者であるヨセフスが興味を持って
いなかったのだ、と解釈されています。
そのため、一般にエッセネ派といわれることが多い、クムラン教団につ
いても研究者の間にはエッセネ派ではない、ないしは断定をさける論者
も多い。
ヨセフスの史料はこのような性格のものなので、ヨセフスを根拠にして
史的イエスの実在を言うことは、歴史的な言説としてはやや根拠薄弱に
なります。
結局、ローマやエルサレムの公文書の類にはナザレのイエスに言及した
文献が出ていないので、「史的イエスの実在は(現在のところ)判断不能」
とするのが妥当です。
※この辺の話はログ倉庫にある「■聖書■」でも話されたことがあります。
>>
http://mentai.2ch.net/whis/kako/988/988882562.html ※むこうの「11」とか、後、「95」〜「98」のあたり。
58 :
世界@名無史さん:01/11/22 17:47
なんだか我々とキリストの間の距離が分断されている気がする。
いきなり聖書だけが目の前に現れてきたような。イエスの弟子の
パウロやペテロは「イエスはこんな人だったよ」って記録を残し
てないの?マタイやマルコを介してではなく、キリストから実際
に教えを受けた人は記録を残さなかったのかな?
59 :
世界@名無史さん:01/11/22 17:58
>>58 >マタイやマルコを介してではなく、キリストから実際
>に教えを受けた人は記録を残さなかったのかな?
口承だったと推定されています。
特にエルサレム教会は、どちらかと言うとパウロ的普遍主義ではなく
ユダヤ教内改革派でしたので。そのため、教説の文書化に積極的で
なかった、とみなす説が説得力あると思います。
で、ユダヤ戦争(対ローマ戦争)のとき、エルサレム教会はエルサレム
から撤退してるようなのですが、その後のキリスト教の内では存在が
相対的に小さくなってしまったのですね。
>>58 あ、ちなみにパウロはいろいろ文書を残しています。
普遍主義で異邦人への伝道に熱心だったため、と理由付け
られています。
新約に収録された幾つかの手紙はパウロの真筆も含まれている
と判定されています。
ただし、聖書学では歴史言語学を応用した語彙分析や文体研究で
真贋を判定してゆくのですが。伝統的にパウロの手になる、と
されていた手紙の内にも、パウロの秘書にあたる人物が後代編纂
したと判定されているものなどもあり、一様ではありません。
>弓削達さんみたいに「伝承では」とか「聖書によれば」とか書いちゃう
>人の方がめずらしーと思う。
湯気ってのは、日本軍の残虐行為の「捏造神話」だけは、
根拠もなくあげつらうだよね〜〜〜。
62 :
日本@名無史さん:01/11/22 18:29
>>60 パウロの真筆が存在しているということはパウロは実在していたと
いうことですね。そうしたらほぼイエスの実在を裏付けられたのと
同じだと思います。これって間違ってるかな。
63 :
=59=60:01/11/22 18:49
>>62 えーと。歴史的な話題としては、飛躍があると言われると思います。
このスレでも初期に少し話題になっていますけど。
(
>>21の意見などが典型、及びその前後。あ、
>>21≠60ですけど)
やはりパウロ自身が生前のイエスと会っていないと示唆してる点が
ネックにならざるを得ません。(あくまで歴史の話題としては、ですが)
ちなみにパウロの史的実在が分かり易いのは、彼がローマ市民権を
持っていたこと、その為帝国高官と面談していたこと、などの事情が
影響しています。
64 :
世界@名無史さん:01/11/22 19:33
>>63 え!?パウロってイエスと会ってないの…。なんだかなー普通、聖書を
読んだ人は当然パウロが直弟子だったって思うのに。騙された感じがする。
論語でいえば、季路や顔回が「実は、孔子先生を見たこと無いんですよ…」
って言うようなもんだよ・・・聖書ってプロパガンダなのかなあ
65 :
世界@名無史さん:01/11/22 19:50
>>64 >普通、聖書を
>読んだ人は当然パウロが直弟子だったって思う
そりゃ、ねーだろ。
ちゃんと聖書の中に書いてあるぞ、
パウロが船でダマスカスに近づこうとしたときイエスの
声が天からパウロに聞こえたって。
これって十字架の磔刑の後で、パウロは「あなたは誰ですか?」
って聞いてるんだよ(これも書いてある)。
だからパウロは生前のイエスに、会ってないことになる。
66 :
世界@名無史さん:01/11/22 20:14
>>65 ごめん、ペテロと間違えた。変な話だと思った。
67 :
世界@名無史さん:01/11/23 01:26
>>59
>ユダヤ戦争(対ローマ戦争)のとき、エルサレム教会はエルサレム
>から撤退してるようなのですが
初期キリスト教エルサレム教団がペラに移動してユダヤ戦役から逃れた、というのは、根拠無い話らしいよ
68 :
世界@名無史さん:01/11/23 01:34
パウロって本当に、『イエスがどんな人物だったか』については一切語っていないんだよね。
十字架上での死と3日後の復活という出来事だけが記号として扱われている、と言う観じ。
生前のイエスを知っている使徒たちは、そんなパウロの布教活動は苦々しかったろうなあ。
69 :
世界@名無史さん:01/11/23 01:53
パウロを苦々しく思っていた初期キリスト教エルサレム教団が、どこへ消えたのか。これは重要なテーマだと思う。
俺は、ユダヤ教徒として剣を取り、ローマに立ち向かって殺されたろうと思っている。
70 :
世界@名無史さん:01/11/23 01:57
>マタイやマルコを介してではなく、キリストから実際
>に教えを受けた人は記録を残さなかったのかな?
伝説の域だけど、マルコはペテロのギリシア語通訳だったという話がある。
そしてほぼ文盲のペテロの代わりに、ペテロの語るイエス伝をまとめたのが、マルコの福音書だと。
>>67 あ、やっぱりそうなのですか。
エウセビオスの『教会史』が出典だって話で。
私は『教会史』は読んでないんですよ。
でも、グノーシスの関係調べてくと、エウセビオスさん、どーも見解
偏ってるし。それは仕方ないにしても、いろいろな認識がアバウトな
感じがして。
情報ソースはいろいろ持ってるみたいだけど、これは伝聞で書いてる
可能性大だな、って憶測してるんです。
でも、エルサレムからの退去説は、一応、以下の理由でありそうかな
と思ってました。
1)その直前にイエスの弟ヤコブの殉教死があった。(出典ヨセフス)
2)退去は、おそらく対ローマに非暴力抵抗主義だった可能性が高い
イエスの思想に即している気がする(個人的推測)
3)文庫クセジュで『原始キリスト教』を書いてるマルセル・シモンは、
『教会史』を読んだ上で、エルサレム退去説を採用してる。(研究者と
してのマルセル・シモンへの個人的信頼)
どれも根拠としては弱いところもあるので「撤退してるようなのですが」
とか書いてたんです(
>>59)。
もしよかったら、「根拠が無いらしい」ってお話の、詳細教えていただけ
ませんでしょうか。
72 :
世界@名無史さん:01/11/23 02:29
>「根拠が無いらしい」ってお話の、詳細教えていただけ
ませんでしょうか。
いま手元に資料がないのいですが、
・エルサレム派がペラに移動したという一次資料が無い
・ペラがその後、まったく特別な地になっていない
・エルサレム派は、パウロ派に比べ、ユダヤ教色が強く、エルサレムの神殿を尊重していた
(ヤコブが熱心に神殿を崇拝する姿は、他派のユダヤ教徒からも認められていた)
⇒エルサレムを守る聖戦にはむしろ参加するモチベーションがあったのではないか(憶測)
・後世の教会史家たちは、ローマに取り入っていたため、教団に反ローマ行動があった場合、それを封じる必要があった
(状況証拠)
・ユダヤ戦役以降、イエスをユダヤ教の範囲内の預言者と捉えるエルサレム派的な勢力が忽然と消えてしまった。
思い出せるところではこのくらいです。
73 :
=59=71:01/11/23 02:38
>>68 >十字架上での死と3日後の復活という出来事だけが記号として扱われ
>ている、と言う観じ。
うーん。このご意見にはちょっと異論があります。
世界史板の話題としてはギリギリの線になると思うので、議論をする
意図はないのですが。
えー、ご存知のように「ダマスカスの出来事」は『使徒行伝』にありま
して。現代人のセンスで読むとかなり神話化されてます。
パウロ自身の手紙の語り口と比較すると「行伝」の記事は、後代に尾鰭
がついたと考えられます。
(古代人のセンスですから少しオーバーに伝えた程度と思いますけど)
一方、「ダマスカスの出来事」で言及されている、サウロ(パウロ)が
クリスチャンを迫害してた、って話はパウロの手紙でも言及されてます。
パウロは自分でも書いてますが熱心なユダヤ教徒で、テント職人だった、
という話と併せると(イエスが大工の息子だったのと同様)律法学者を
目指してたか、事実上律法学者の類とみなされてた人物と思われます。
つまり、「パウロの回心」は、彼が前々から考えていたユダヤ教の矛盾
みたいなものに対する解答をイエスの教説に見出したってことではない
かと思われます。
ですので「記号として扱われている」の解釈については、世界史板で議論
するわけにもいきませんし、1つの解釈として否定するつもりもないです
けど、ちょっと極端な解釈のように思えました。
>生前のイエスを知っている使徒たちは、そんなパウロの布教活動は
>苦々しかったろうなあ。
こちらは、多少はあると思うんですよね。
で、パウロとペテロのやりとりとか、その辺念頭において読むと、本当
に面白いと思います。
74 :
世界@名無史さん:01/11/23 02:47
極端なことばかり書いてスンマソン。
しかし、パウロの手紙に「イエスはこう言われた」「イエスはこう行動された」という説教がほとんど出てこないという極端さもまた事実。
パウロの生前のイエスに対する興味の低さは、やはり顕著だと思うのです。
まあ、おっしゃるように議論する内容ではないのかもしれませんが(笑)
75 :
世界@名無史さん :01/11/24 01:20
76 :
世界@名無史さん:01/11/24 01:29
>75 非常に脱力いたしました。
若い頃の荒井注みたい。
77 :
世界@名無史さん:01/11/24 02:46
>エルサレムからの退去説
その後、ナザレに引きこもり(何かに書いてあった)、ユダヤ教に吸収
されたというのが、もっとも本当っぽい。
>>44=40
超カメレスで、申し訳ないですが。
>確かにシリアが十分にギリシア化していた、というのいうのは言い過ぎだった
>かも。
>でも、パルミラのギリシア文化傾倒ぶりや、セレウコス朝の歴史などを考えると、
>シリアのギリシア化は、(上っ面だけとも言えるでしょうが)それなりのレベル
>だったようにも思います
そうですね。
「上っ面」という方も言い過ぎだったかもしれません。
言いたかったのは、シリアでは結局グレコ・ローマン的なライフスタイルは定着
しなかったと思われる、ということです。
例えば、ローマ式の「パンとサーカス」の都市生活はビザンツでもみられた
ようですが、シリアではそうしたものはみられないと思います。
これはシリアに限ったことではなく、属領(皇帝領)エジプトでも同じ。
一方、シリア地域はイスラム化した後、ギリシア文献の高度な翻訳のセンターの
ひとつになったようです。これは凄く重要な歴史機能だと思います。
結局、ローマ帝国が政治的に支配下に置いた地域でも、文化的にはマージナル
だった領域は、すごく多い、ということだろうと思います。
79 :
世界@名無史さん:01/11/25 18:28
>例えば、ローマ式の「パンとサーカス」の都市生活はビザンツでもみられた
>ようですが、シリアではそうしたものはみられないと思います
揚げ足取りみたいで申し訳ないのですが、パンとサーカスはローマ文化であって、
ギリシア文化とはまた別でしょう。
>一方、シリア地域はイスラム化した後、ギリシア文献の高度な翻訳のセンターの
>ひとつになったようです
これもひとえにアレクサンドロス以降のオリエント世界のギリシア化の名残だろうと思います。
>>79 えーと、「シリアのギリシア化が『上っ面』」との評価は撤回しましたが、
>>シリア地域はイスラム化した後、ギリシア文献の高度な翻訳のセンターの
>>ひとつになったようです
>これもひとえにアレクサンドロス以降のオリエント世界のギリシア化の名残だろう
ここは重要なポイントですので吟味が必要と思います。
例えば、
>>11や
>>12の論点に評価には重要なポイントになると思われます。
(78≠11で、78≠12です)
私としては、例えば「エジプトは中世にイスラム化した」なら疑問は感じませんし
「数世紀をかけ、アラブ化した」であっても疑問は感じません。
しかし、シリアのギリシア化は疑問です。
既述ですが古代シリア語聖書の存在一つをとってみても、ギリシア化
したとは思えないです。
意外に知られていないが、「イエス・キリスト」と言うと姓はキリスト、名はイエス
と考えるのは間違い。
古代、洋の東西を問わず、姓を持つのは一部の特権階級。
イエスは貧しい大工の息子で、身分は低い。当然姓は無い。
当時の人は、彼のことを「ナザレのイエス」と呼んでいた。
これはイスラエルのナザレ地方に住む、イエスと言う意味である。
キリストとは教団と言う意味に近いらしい。
82 :
世界@名無史さん:01/11/27 23:55
>>81 細かいけど大事なとこのニュアンスがいろいろ違うな。
>当時の人は、彼のことを「ナザレのイエス」と呼んでいた。
>これはイスラエルのナザレ地方に住む、イエスと言う意味である。
これは正しい。
>イエスは貧しい大工の息子で、身分は低い。
これはニュアンスが違う。
イエスは地方の大工の息子で、富裕だったはずはではないが、貧しいとも思えない。
イエスの当時、イスラエルは貧富の差は拡大していたものの、全体としては
好景気だった。その為、各地で職人階層の社会的地位上昇があったからだ。
このスレでも話題になっている、使徒パウロは自分がテント職人であることを
「手に職を持つ」的ニュアンスで誇らしげに記している。
こうした職人層の内から、律法を詳しく学ぶ、後のラビの前身にあたる
人々が出、活動をおこなっていた。
イエスが大工の息子であり、同時に旧約に大変詳しいのも、こうした
社会背景のもとでのことと推測されている。
>キリストとは教団と言う意味に近いらしい。
これは違う、キリストとはヘブル語のマーシアハ(メシア=救世主)の
ギリシア語対応語クリストスの変形。
イエスといえば人間を意味し、キリストと呼べば救世主を意味する。
イエス・キリストと呼ぶと、人間であるイエスが同時に救世主である
ことを意味する。
83 :
世界@名無史さん:01/11/29 16:32
84 :
世界@名無史さん:01/11/29 17:45
まず、使徒の史的実在が否定されているわけではないことは、お断りしておきます。
学問的には、実在を確認する確証も否認する確証も発見されていない、という話です。
実は、史的実在性が確実視されている使徒はパウロだけです。
ついでペトロの史的実在ですが。
この件は「ペトロはローマで殉教した」という教会伝承と関っているのでやっか
いで。バチカンは頑としてローマで殉教したと主張し、紀元64年頃としています。
私が知ってる範囲では、聖書学研究者には確認不能説をとる研究者の方が多いです。
(歴史学者は19世紀の論争以来ノーコメントの人の方が多く、神学者は実在として
います)。私は、確認不能説の方が、説得力があると思っています。
使徒ではありませんが、「イエスの弟と言われるヤコブ」もヨセフスのお陰で、
史的実在性が認められています。(
>>57)
(この「イエスの弟『と言われる』ヤコブ」ってあたりが歴史学者の慎重なところ
です)
興味がおありでしたら、自由国民社『聖書の世界全訂新版』(ISBN4-426-62112-7)
をご紹介します。くれぐれも「全訂新版」を手にとってください。
この本は、私に言わせいただくと、聖書解釈、やや保守的と思うのですが。
この件に関しては、やや保守的くらいの本の方が都合がよいとも言えます。
研究者の間では、やや保守的な論者ですら、例えば「ペテロの手紙が
ペテロの口述を秘書が筆記したとの伝承は認め難い」とか
「ヨハネの手紙は、使徒ゼベタイの子ヨハネが書いたと伝えられるが
認め難い」とか判定しているのがおわかりいただけると思います。
>パウロ以外に実在が証明された人は誰でしょうか。
>またその人とイエスとの繋がりを示す文書などは発見されて
>いるのでしょうか。
この発想は常識的なもので理解できるのですが、
聖書学研究では発想が逆にならざるを得ません。
イエスやその弟子は、普通歴史学で歴史文書と認められる公文書の類には
登場しない(そうした公文書は発見されていない)ので。
そのため、伝承されている書簡や福音書などが語彙分析や文体研究で判定される
段取りになっています。
>>84 >イエスやその弟子は、普通歴史学で歴史文書と認められる公文書の類には
>登場しない(そうした公文書は発見されていない)ので。
レスどうもです。返事遅れて失礼しました。そうなのですか、それは残念です。
ローマ法の授業を取ったことがあるのですが、その時にアフリカは気候の関係上
古文書が残りやすいと聞きました。イスラエルのあたりはどうか知りませんが
もともと書かれたものがなければ発見することもできませんね。
これは護教的立場にある本からですが、タキトゥスの『年代記』にはティベリウス
帝の時に、ピラトゥスによって処刑された「クリストゥス」とよばれる人物に言及が
あるそうです。またスーエートニウスの『カイサル列伝』には「クリーストス
に扇動されて絶えず不安を引き起こすユダヤ人らを、ローマから追放した」とあるそうです。
私は史学の素人なので、なにをもってイエスの実在を実証したと認められるのか
詳しくは知りません。(ご紹介いただいた本は是非とも読んでみたいです)
ただ不思議に感じるのは、人々の語り草になるような死を迎えた伝説的人物が
存在したとして、誰もそのことについて具体的な日記やメモらしきものを残して
いないのだろうかということです。
イエスが人間である以上、聖書の姿だけが本物ではないでしょう。
生きていく上で現実的・政治的な実務処理を行わざるをえなかったはずです。
ところがそうした俗っぽい面がこれっぽっちも伝わってこないのはまた疑問なのです。
86 :
世界@名無史さん:01/12/05 23:35
「†††††キリストって誰に殺されたの 」スレの58は本当なんですか?
>>85=83
>不思議に感じるのは、人々の語り草になるような死を迎えた伝説的人物が
>存在したとして、誰もそのことについて具体的な日記やメモらしきものを残して
>いないのだろうかということです。
はい。その感じ方は常識的なもので理解できます。
いくつもの事情が複合した結果と考えられています。
列挙してみます。
a「イエスの公生涯は凄く短い」
ブッダやムハンマドゾロアスターやマニが数十年活動してるのに対してほんの数年です。
普通3年と考えられている。
幼年時代についての、歴史的物語としては信頼のできない伝説は幾つか知られていますが。
しかし、どのように旧約を学んだか、などの青年期(?)についてはまったく知られていない。
b「イエスの弟子はエリートではなかった」
ブッダの弟子やマニの弟子は知的エリートが多かったのに対し、イエスの弟子は
ご存知のように漁夫や収税人で中流の下から下層といった出自の人物が多かったです。
このため、イエスの活動期に弟子による記録はなされなかった。
c「イエス自身が下層民の間に分け入った」
これは、もう
>>84さんにはご説明する必要ないと思います。
イエスが主な対象にした下層民には日記をつけるような習慣も、余裕もほとんどなかった、
と想像しても無理はないと思います。
d「そもそも聖なる言葉は筆録されない(ことが多い)」
これはキリスト教に限らず、古代世界ではよくみられることです。
例えば、ソクラテスの言葉は弟子のプラトンが筆録しました。
ブッダも言葉を文字に残すことに重きをおきませんでした。
この件はいろいろな考え方があるところですが。
対話の型で伝えられることが重要、と考えられていた面はあると思います。
では、なぜ新約が文書化されたのか?というと、これはいろいろな理由があっての
ことと考えられます。が、そのお話は聖書成立史のお話になるので、ここでは割愛
します。
e「巡回霊能師の活躍」
これは聖書外伝承や同時代史料の研究からの説明になるのですが。
新約に言及されているシモンのような、預言者候補者というか、預言者もどきと
言うか、は、イエス生存期の前後に多数シリア・パレスティナ地域で活動して
いたと思われます。
例えばパウロが書簡の内で非難した、教師などもこうした出自の人物とみる向きも
あります。
宣教の内容はさておきますと、活動時のイエスと弟子たちは、公文書を残すような
広域の状況を把握可能な社会上層に属する層からは、これら巡回霊能師のワン・オブ
・ゼムとみられていたふしがあります。
f「対ローマ戦争、民俗離散の影響」
イエスの磔刑は、紀元30年前後と推測されています。
古代イスラエスが対ローマ戦争に突入したのが、紀元66年。
民俗離散は、紀元70年以降。
この戦乱とそれに伴う混乱で失われた記録というのは多いはずと思われます。
また、言い方は悪くなりますが、この間に、パレスティナのユダヤ教徒の方には、
イエスについての記録を残すような余裕はほとんどないはずです。
実際、民俗離散後、タルムードの編纂などが、やはり必要に応じて着手されています。
こうした事情が重なって、生前のイエスについての1次史料記録が発見される
可能性は、限りなくゼロに近いと言われます。
よほどの幸運が重ならなければ、期待はできない、と考えられています。
88 :
=87=84:01/12/06 11:41
>>85=83
>タキトゥスの『年代記』にはティベリウス
>帝の時に、ピラトゥスによって処刑された「クリストゥス」とよばれる人物に言及が
>あるそうです。またスーエートニウスの『カイサル列伝』には「クリーストス
>に扇動されて絶えず不安を引き起こすユダヤ人らを、ローマから追放した」とあるそうです。
>私は史学の素人なので、なにをもってイエスの実在を実証したと認められるのか
>詳しくは知りません。
ごく大まかなお話で勘弁してほしいのですが。
基本的には
>>87に記したような事情で1次史料が残っていないことが災いしています。
タキトゥスの場合は、1次情報ではなく、かつ、タキトゥスがどこからその情報を仕入れたかの経緯が定かならぬところが問題視されます。
スーエートニウスの『カイサル列伝』というのは、私は日本語でも読んだことはないのですが。
>「クリーストスに扇動されて絶えず不安を引き起こすユダヤ人らを、ローマから追放した」
これはローマの初期キリスト教信者のことを指しますので。
仮にイエスが伝説上の人物だとしても成り立ちます(私はイエスは史上の人物だと考えていますが、「仮に」のお話です)
また「クリーストスに扇動されて」の下りからは、記者(スーエートニウス)が当時のローマのキリスト教会の実態を定かに知らぬまま、いわば風聞を書き記していると解釈されます。
この場合、記述だけからでは「当時ローマには記者が残した風聞があったようだ」との判断しかくだせません。
また、ちょっと性格がことなるのですが。
>使徒ではありませんが、「イエスの弟と言われるヤコブ」もヨセフスのお陰で、
>史的実在性が認められています。(
>>57)
>>84では、説明がややこしくなるので言及しませんでしたが。
実はヨセフスの写本にも。イエスについての記述はあります。
ヨセフスの場合、シリア・パレスティナ地域で活動していたユダヤ人歴史家ですので。
タキトゥスのような問題はあまり重視しなくてよいのですが。
が、困ったことに「イエスと呼ばれるメシアが」云々と書かれています。
これはユダヤ教民族主義派の極保守派であったヨセフス本人の記述とは思われません。
他の箇所での記述とあからさまに態度がことなるからです。
写本写記にともなう後代の挿入と考えられています。
これに対して、ヤコブについての記述は、ヤコブ達が神殿への崇敬に
熱心であったことなどが記されており、解釈されているヨセフスの思想と
矛盾が認められない。
このため、ヤコブの実在はかろうじて認められている。
といったような事情です。
89 :
世界@名無史さん:01/12/06 11:49
>>86 >「†††††キリストって誰に殺されたの 」スレの58は本当なんですか?
えーと。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/995467141/ のレス番号85ですね。
本当なんですか?
と言われても困るのですが。
お返事としては、ふつうはこういうことは言われていません。
ほとんどすべての専門研究者は全然違うことを言っています。
とは言えます。
個人的にはトンデモ説と考えます。
悪いんですけど、リンク先の記述など、どこがどうトンデモ説と検証する気には
なれません。
そんなヒマがあったら、私は聖書を読んでいたいので。
悪しからず。
90 :
世界@名無史さん:01/12/07 15:19
91 :
世界@名無史さん:
>>90 >近代的な聖書学や歴史学は聖書の写本間の書き換わり(悪くいえば改竄)
>をどういうふうに捉えていますか。
いろいろです。
「無機的に受け止めるだけ」というのはニュアンス的にしか理解できないでいますが。
おそらくそのようなことの方が少ないと思います。
まず、単なる誤記であるのか、写字生の思想が反映されているかの判断ですが。
基本的にはテクストの全体と構成から思想性の有無が解釈されます。
同時に、写本地域での信仰・釈義の傾向、写本の系譜関係などが、解釈材料として
複合されます。
従って、どの地域でどの時代になされた写本かによって考え方も変わって来ます。
さらに、聖書学でもどのような主題で研究するかによっても違って来ます。
例えば、現伝聖書テクストの完成(安定)の仮定を再構成する聖書成立史の研究では、
大枠としては、編集史的視座と呼ばれる考え方で、写本の系譜関係を整理してゆく
考え方が有力だと思います(専門家の間でも異論は出るかもしれませんが)。
細かい説明ははぶきますが、編集史的視座でも、テクストの全体や構成から細部の
改変――それが誤記にすぎないかどうかも含めて、の意味が判断される、と言えます。
ご質問の意図を充分理解できていないと思うので、見当違い名お返事になるかもしれませんが。
特に原始キリスト教と呼ばれる時期の聖書成立史の研究では、
「写本間の書き換わりの捉え方」には聖書学研究者の間にも幾つかの立場があります。
まず、概ね共通する把握としては、現行テクストの安定は、古カトリシズムとも
呼ばれる末期ローマ帝国正統教義の確立を準備した(一部並行した)過程とみなされます。
次いで異なる立場を、分かり易く乱暴かつ図式的に整理すると。
a「古カトリシズムの確立を積極的に評価する傾向の意見」と、
b「古カトリシズムの確立が、原始キリスト教が持っていた様々な可能性が抑圧されたり
切り捨てられたりした過程」、とみなす意見とに分けられます。
上はあくまで大雑把で図式的な説明で。
実際は、多くの研究者は、聖書が表現する思想のある側面に関してはa傾向の考えを、
別の側面にb傾向の考えを表明する人の方が多いです。
聖書学者にとって、聖書が表現する思想とは、第一にテクストから読み取れるもの
のことですので、テクスト改変をどういうふうに捉えているか、については
上記の範疇でいろいろです、とお応えするしかありません。
もし、質問意図を外したお応えにしかなっていなかったら、お手数ですが
再質問をお願いしたく思います。