909 :
世界@名無史さん:02/05/06 01:13
>>907 >信仰義認説の「義認」
「義人(義き人)」と「〔神に〕認められる」という意味。
キリスト教の場合だと、「外面的な行いがよくとも信仰の質が悪ければ義人と認められない」ってニュアンス。
ユダヤ教の内にも同じ様な考え方はあるとか、あるけどそれはどれくらい主流かとか、いつの時代のどの地域では主流だとか言う歴史的な話はめんどくさい。
「信仰義認」だったら「信仰さえあれば行いはどうでもいいんだ」とか言い出す派閥もすぐできるとか、それは正統か異端かとか、いつの時代のどの地域ではどうだとかいう歴史的な話はやっぱりめんどくさい。
イスラム教でも似たような話題はありそうだが、そこまではちと知らぬ
ちなみに蛇足だが「信仰義認」て用語は使わないが、教派によっては仏教でも似たような教義が論争になることはある<「信仰さえあれば行いはどうでもいいんだ」とか言い出す派閥もすぐできる
それと「信仰義認説」はカルヴァンの予定説などに反して人は行動よりも信
仰により救いを得られるという考え方。オルガンティーノらは浄土真宗を指
して「これこそあのプロテスタントどもと同じ(悪魔的)発想である。」と
指摘していました。
とりあえずはこの程度でよろしいでしょう。
>>908 同じ神だったんですか?各宗教で呼称が違うだけなんですか?
それと、キリスト教ではその神のことをなんて言うのですか。
>>909 「義人(義き人)」と「〔神に〕認められる」という意味。
すいません、義き人ってなんて読むのですか?
912 :
世界@名無史さん:02/05/06 01:20
>>907 >イスラム教ではアラーが神で、ユダヤ教ではヤハウェが神だと思うだけど、キリスト教にはそのような存在はいないの?
>>908にある通り、同じ神と言う事になってる、ただし神の言葉の理解の仕方が違うってことにもなってる。
ちと捕捉すると
アラビア語でアラーが「神」という意味なんだ。だから「アラーの神」という日本語的言い回しはおかしい。
ユダヤ教ではヤハウェを神の名と思っていいんだが、これは秘められるべき名で、普通の信徒はやた呼ばない「主」と呼ぶヘブライ語でエルとかエロイとか。
キリスト教だと例えば英語でロードと神に呼びかけるとこれが「主」。
「父なる神」ってヤツがアラーとかヤハウェにあたるって理解が普通。
>>911 >義き人、は「ヨきヒト」と読んでください
>>910 カルヴァンの予定説って「信仰義認説」に反しているのですか?
宗教改革ってみんな「信仰義認説」を信奉していると思っていたのですが。
宗教改革に出てくる人たちって既存の教会から個人の信仰、
聖書中心というのが流れですよね?違うんですか?
915 :
世界@名無史さん:02/05/06 01:30
>>906 ヴェーダ→紀元前15世紀〜前5世紀にかけて成立
バラモン教→紀元前15世紀頃、インド・アーリア人が成立させたヴェーダを教典とする宗教
ウパニシャッド→バラモン教の聖典ヴェーダの奥義書。紀元前5世紀に成立した14編が基本的な物で、古ウパニシャッドと呼ばれる。
詳しくはわからんが、「古ウパニシャッド」って言葉があるからには、その後いろいろ注解書などが編まれたんだろう。
と、「教科書は言明するのを避けてる感じ」って話ですが。
このくらいは学校の図書室か図書館に行って、歴史事典(歴史用語事典)をひいて調べるようにするとよいですよ。
このスレに書いたことも、みんな手元の歴史事典でみました。
受験勉強で調べるときは、できるだけ初版刊行年の新しい事典をみるように心掛け、ついで、できれば2、3種類の辞書を相互参照してく癖をつけるとよいでしょう。
どうしても分からなかったのでお聞きしたいのですが、
国境に関して、次の空欄を埋めよ
アメリカとカナダ・・・( )゜N、( )゜W
エジプトとリビア・・・( )゜E
という問題が分かりません。よかったら教えて頂けないでしょうか?
よろしくお願いします。
>>914=907
横レスになるので
>>910=山野野衾さんには申し訳ないですが
>宗教改革に出てくる人たちって既存の教会から個人の信仰、
>聖書中心というのが流れですよね?
この理解は正しいです。
>宗教改革ってみんな「信仰義認説」を信奉していると思っていたのですが。
この理解は「概ね」正しいです。
受験勉強にどこまで関係するかわかりませんが、宗教改革の諸派の中には変な教派もありますので。
一例だけあげると、フス派の分派の分派くらいのアダム派と言うのは、教義としてヌーディスト運動を掲げました、これは外面的行動としか言いようがないですね。
>カルヴァンの予定説って「信仰義認説」に反しているのですか?
実はこれは微妙ですが、カルヴァン本人や周辺の高弟の思想は「信仰義認」に反していませんでした。
「義認」は予定されていて神のみぞ知る・だから・救われたければひたすら信仰にかけるしか無いというニュアンスで理解してください。
>宗教改革ってみんな「信仰義認説」を信奉していると思っていた
受験勉強で大事なような宗教改革の大立て者はみんな、濃淡の差はあっても「信仰義認説」を掲げたと思ってよいと思います。
ただ、改革派は既存の教会を否認し「万人司祭」の立場を打ち出しましたので、アダム派のように、なかにはいろいろな分派も生まれてはいます。
が、その辺は受験勉強にはあまり関係してこないのではないでしょうか?(最近の受験のことはわかりませんが)
大きな流れとしては「宗教改革ってみんな信仰義認説を信奉している」ととらえてさほど問題はないはずです。
あ、ヤバッ!これ地理ですね・・・
>>911=907
急に不安になったのでちと捕捉
>義き人、は「ヨきヒト」と読んでください
念のためですが「義人」の方は「ギ・ジン」と読んでくださいね。
(知ってたらスマソ)
世界史ってカタカナの単語が多く出てくると思うのでっすが、いつもハイフンを
つけるのかつけないのかで迷ってしまいます。いちいちそこまで記憶するのは
無理だと思うのですが。例えばラージプート族とかの場合でもラージ=プート族かな?
のように迷ってしまいます。効率的に覚えられる方法は無いでしょうか。
基本的にハイフンは人名だけですか?
921 :
世界@名無史さん:02/05/06 05:22
>>920 ハイフンなんて結局、単語の分かち書きをしない日本語の表記大系で
非漢字圏の言葉を当てはめるのを分かりやすくするものに過ぎないでしょ。
だから深く考えるだけ損。
迷うなら繋げて覚えてしまったほうがいいかもね。
例えばプエルト=リコをプエルトリコと書くのは問題ないけど、
プエル=トリコと書いたら×にされるんじゃない?
しかしヨーロッパの人名のハイフンはきちんと覚えたほうがいいだろう。
非ヨーロッパ、例えばアラビアなんかはややこしいので話が別だけど。
>>920お返事どうもです。
単語の分かち書きってなんですか?
ハイフンってどのような物につくのでしょうか
基本的にハイフンは人名だけですか?
それとこのような間違いすればバツですか?
>単語の分かち書きってなんですか?
例えば、日本語(漢字と仮名)なら「徳川家康」と姓と名を離さずに書くところを、
ローマ字(英語etc)なら「Tokugawa Ieyasu」と分けて書くでしょ?
このように文や複合名詞を単語ごとに切る表記法が分かち書き。
ところが逆に、「George Bush」を「ジョージブッシュ」とすると
わからなくはないけど、変だし覚えにくいのでは?
「ジョージ=ブッシュ」あるいは「ジョージ・ブッシュ」としたほうが
自然に感じられるし、覚えやすいでしょう。
>基本的にハイフンは人名だけですか?
(特にヨーロッパ系の)人名は
必ずハイフンを付けて覚えたほうが良いのではないか、ということです。
人名だけに付けよという意味ではありません。
>それとこのような間違いすればバツですか?
どうでしょうねぇ。私は世界史教師でも受験関係者でもないので。
でも例えばイギリスの大憲章をマグ=ナカルタと書かれたら
×でなかったとしても、満点は付けにくいんじゃないかな。
>>921=923
単語の分かち書きの意味がわかりました!なるほど!
ハイフンって自分で決める物ではないですよね?本とかで決まっているんですよね。
ジョージ・ブッシュの場合、一呼吸あるのでそのリズムで覚えますが、
ハイフンがあるかないかといった細かいところが迷ってしまうということです。
マグ=ナカルタのような間違いは絶対にしないと思います。
あるかないかで迷ってしまうんです。
どういった場合につけられやすいのでしょうか。人名以外にもあるのでしょうか。
>どういった場合につけられやすいのでしょうか。人名以外にもあるのでしょうか。
だから、最初に言ったようにローマ字なら分かち書きをする、
複数の単語でできている名詞(人名を含めて)が
ハイフンで繋がれるわけよ。
マグナ=カルタなら元のラテン語では「Magna Carta」と言って、
Magna(大きな=Great)とCarta(文書=Cardあるいは憲章=Charter)という
2つの単語のあわさって出来たことば(名詞)なので
教科書には「マグナ=カルタ」とハイフンを付けて書いてある。
でも別にハイフンを取って「マグナカルタ」って書いたって、
Magna Cartaをカタカナで書いてることにはかわりないから、
ハイフンが無くても×になることはまず絶対ないだろう。
>ジョージ・ブッシュの場合、一呼吸あるのでそのリズムで覚えますが
ところが、その一呼吸がクセ者なわけだ。
最初の例にあげたプエルトリコは
日本語のアクセントに自然な一呼吸で読むと、「プエル・トリコ」でしょ。
でも元のスペイン語ではPuerto Rico(Puerto=港、Rico=豊かな)なので
カタカナで書くとき、ハイフンを入れるなら「プエルト=リコ」にしないと間違いになる。
ややこしいでしょ?(私も19まで間違えて覚えてたもんだ)
なので、ハイフンをきっちり覚えるのが面倒ならば
いっそ覚えないほうがいいのでは?と言ったわけです。
でも人名の場合、ハイフンを付けずにカタカナで書くと
(少なくとも私が考えるに)日本語表記として変なので、
必ずハイフンを付けて覚えるべきだと思うのです。
何度も申し訳ありませんです。ハイフンが使われる場合がわかりました。
そういうことだったのですね。そして一呼吸もくせ者だったんですね。
>なので、ハイフンをきっちり覚えるのが面倒ならば
いっそ覚えないほうがいいのでは?と言ったわけです。
でも人名の場合、ハイフンを付けずにカタカナで書くと
(少なくとも私が考えるに)日本語表記として変なので、
必ずハイフンを付けて覚えるべきだと思うのです。
私は山川の用語集で単語をチェックしているのですが、今調べたところ
「プエルトリコ」として表記されてありました。仰るように地名の場合は
ハイフンを気にしないで良いけど人名の場合はおかしいのですね。
やっとわかりました。すいませんでした。人名も英語の表記を見ればどこで
切れるか覚えられるかもしれません。さっそくやってみます。
フランスブルボン朝やマガダ国マウリヤ朝などにみられる「〜国」と「〜朝」
の違いを教えてください。〜朝は王朝ですよね?王朝が変わるというのは
王家の血筋が絶えるということでしょうか?
それと〜国で国が変わるというのはどういうことですか?
928 :
世界@名無史さん:02/05/06 08:02
カントの理論理性と実践理性の違いがわかりません。
わかりやすくお願いします。
929 :
世界@名無史さん:02/05/06 08:33
哲学板向きでは?
930 :
世界@名無史さん:02/05/06 08:34
>>927 国が無くなる例ってたくさんありませんか?
931 :
MMJ(30) ◆MMJ24xZY :02/05/06 10:35
漏れは受験板にいる工房なんですけど、、、
歴史っていう学問では、何をもって、とある資料が事実であると認めるんですか?
こういう情況があるかどうか、わからないのですが、
二つの資料に、二つの相反する事実が記されていた場合、どう判断するんですか?
(どっちかを正しいものとするのか、それともどっちも正しくないのかetc.
あと、資料の信用性ってどこから生まれてくるんですか?
他の資料との関係の中で、、ということになりますか?
最後に、、史観と、史実ってなんですか?
宜しくおながいします。
932 :
世界@名無史さん:02/05/06 10:44
うちの学校の世界史の先生はカタカナが苦手なんです。
で、読み間違え、書き間違えが度々。
『シュレジェン』と『ホーエンツオレルン家』
これってやっぱり間違えてますよね?
どう考えても『シュレジエン』『ホーエンツォレルン家』だと思うんですが。
それとも、このぐらいの違いって構わなかったりするんでしょうか?
かなりバカっぽい質問ですがお願いします。
933 :
世界@名無史さん:02/05/06 11:10
>>927 >王朝が変わるというのは王家の血筋が絶えるということでしょうか?
そういうことです。
もう少し細かく言うと「王統(王家の血筋)が代わる」という事です。
常に血筋が絶えるとは限りませんので。
934 :
世界@名無史さん:02/05/06 11:12
>>927 >〜国で国が変わるというのはどういうことですか?
>>930の方が書いてられるように>国が無くなる例ってたくさん、あります。
たくさんありすぎるので「国が変わる」ということの実態にも、いろいろなケースがあって一括した説明は、簡単にはしづらいです。
が、メインの質問は「『〜国』と『〜朝』」の違い」ですよね。
まず、王統が代わっても、国家主権が継承されれば国は代わりません。
国家主権って何だと言われると、これまた凄く説明しづらいのですが。とりあえず「国家統治を代表し統括する地位」くらいの意味に思ってください。
征服されて併合された国家のケースだと、普通は前の王統が担っていた主権が継承されずに廃絶されるので、国が変わった(と言うかなくなった)とは言えます。
実際の歴史では、征服者が旧統治者から王権を委ねられる型になってるのに、「国が変わった」とみなされる事例もちょくちょくあります。が、そうしたケースはちょっとおいておきましょう。
征服されても、前の主権が廃絶されず制限されただけ、だと国がなくならない可能性もあります。一旦、保護国や属国の扱いになっても、後に盛り返したような事例は歴史上に幾つもあります。
悪いんですが、「国が変わるというのはどういうことですか?」は、すごく広範な質問なので、答えづらいんですよね。
「国家とは何か」みたいな定義から話をはじめるのが王道でしょうが、そんな面倒な議論は受験勉強にはあまり関係ないのではないかと思います。(こちらもそんな議論はシンドイですし:笑)
少し設問を絞り込んでもらえると、答え易くなるかもしれません。
>917さん
訂正有難う御座いました。
>931
案外子供だまし(と後から思える様な)資料が本物と認定されて後に否定された例
はピルトダウン原人やエトルリア人戦士の像等多いです。
さて何が本物かという事についてですが、件の石器捏造については当初から疑問が
持たれていました。石器の製法がずっと後世のものだった上に地層の断面などを描
いた報告書が纏まっていなかった為です。
しかし報告書が出ないうちにマスコミの報道もあって話が大袈裟になりました。五
年ほど経って報告書が出ないうちに断定してしまった訳です。
あの事件は学会と体質とは別にマスコミの過熱報道にも責任があったのですが、マ
スコミは学会の責任ばかりを追及していましたね。
文書の方ですが、熟練した研究者なら紙の触り心地で中世か近世か位の事は分かり
ます。(決定打ではありませんが。)因みに和紙は西洋の紙よりずっと長持ちして
あちらの研究者は年代を新しく見積もってしまいそうになるそうです。
文章が当時の言い回しや文法に従っているかどうかも重要。「津軽なんとか」や「
武功夜話」などは後から偽書だと判明した類です。
実をいうと「古事記」「日本書紀」にも偽書説がありまして・・・後者は一番古い
写本である熱田本が南北朝時代に書かれたものなのですよ。
その辺りは興味がおありでしたらお調べ下さい。意外にこういった本は多いです。
なお写本を行う場合には大意はそのままにその時代の語彙に直して写す事がありま
す。語彙の引用にはご注意を。(日本史になってしまいましたが)
以上、訂正がありましたらおながいします。長文失礼しました。
936 :
世界@名無史さん:02/05/06 11:26
>>931 むづかしい質問ですね。少し長くなるので分けて書きますよ。
>歴史っていう学問では、何をもって、とある資料が事実であると認めるんですか?
>こういう情況があるかどうか、わからないのですが、
>二つの資料に、二つの相反する事実が記されていた場合、どう判断するんですか?
まず歴史学では、普通「史料」と書きます。
で「何をもって、とある資料が事実であると認めるんですか?」についてですが、
史料は過去の事実ではありません。
文字史料の場合、たいていは「過去の出来事の記録」ですよね。
まず文字史料について。
「二つの史料に、二つの相反する事実が記されていた」これはよくあります。
まず、史料の信頼度というのを検討します。
さらに、信頼性の高い史料同士を比較しても記録に食い違いがあることはよくあります。
今度は、どういう立場にある人が、どんな背景のもとに、どんな意図で、どんな記述をしたかを解釈していきます。このときに文字記録だけでなくいろいろな物証も参照しながら、事実と記録との関係を検討していきます。
大まかですがこういうことです。
ちなみに、昔は違ったと思いますが、今では文字史料以外の物証類も「史料」に含まれます。物証の方にもいろいろな分析の手法が、対象ごとにあります。
>>931 >資料の信用性ってどこから生まれてくるんですか?
>他の資料との関係の中で、、ということになりますか?
大まかにはそういうことです。
まず、文字史料と言っても、文献資料だけでなく、碑文など(金石文と呼びます)も含まれます。
さらに、物証も史料に含めます。物証と言うのは、遺跡とか、遺物とか、遺骨とか。
また、今では地層に含まれた花粉や灰など様々なものが物証として扱われます。
こうした諸々の史料相互の関係の内で信頼性が検討されます。
が、文字史料の場合は、史料の性格も重視されます。帳簿なのか、布告文なのか、手紙なのか、個人的な日記なのか。
さらに日記でも個人的な秘密の日記なのか、要職にある人の日記で後世、子孫とか、場合によっては見知らぬ人にも読まれることが意識されていたのか、などなどについての解釈が信頼度の評価を左右します。
次に、史料の性格を評価したうえで、記録者個人の記録姿勢の信頼性、が問題にされることになります。
例えば、三蔵法師の『大唐西域記』はマルコポーロの『東方見聞録』より信頼性が高い、というような評価がされます。
(上記はよく言われることですが、事例にすぎませんので、ここではこうした説がある程度に読んでください)
さらに、史料の信頼性の考え方は、研究者が何を主題に研究するかで変わってきます。
普通、政治史を研究する人は、宗教文書の類は福次的にしか参照しません。内には無視する人もいます。
しかし、宗教史を研究する人は、宗教文書も、誰がどんな意図で記したか、などなどの解釈を加えた上で史料として用います。
最後に「史観」の類が問題になります。がこれは分けて書きます。
>>931 >最後に、、史観と、史実ってなんですか?
まず、「史観」ですが、大まかに言って「歴史とは何か、どう研究されるべきか」という考え方のことです。
例えば、「自虐史観」とか「自慰史観」と言うのは、歴史の捉え方の流儀が違う相手の「歴史についての考え方」を揶揄するための言葉ですよね。
「史実」というのは「歴史的事実」の略と思ってください。
「歴史研究の結果過去の出来事の真相(≒過去の事実)らしいと再構成された判断」と言った意味です。
よく、「歴史学は過去の事実を扱う学問」って勘違いしてる人がいるのですが。
これは不正確な理解で。
長々書いてきたように、歴史学が直接扱うのは「史料」です。
「過去の事実(=史実)」は、研究の結果、推論によって再構成される結論なわけです。
で、
>>937との絡みをちょっと書きます。
「史観」と言うのは実は割りと旧い言葉なんです。
昔は「歴史学は、どう研究されるべきか」専門家の間ですごく議論された時代がありました。
今では、歴史の個々の分野が専門的に分化してしまっているので、「歴史学は、どう研究されるべきか」なんて議論は、大雑把にはできなくなっています。
>>937に書いたように、「研究者が何を主題に研究するか」によって「どう研究されるべきか」なんて、いろいろ違いがあるのが当たり前な状態になって来てます。
もし歴史学のサブ・ジャンルを総括して「歴史学は、どう研究されるべきか」議論するなら、すごく面倒で長大な議論が必要になってます。
が、歴史学はその学問の性質からして、「史観」に準じる研究者の予見によって、史料の解釈が左右されざるを得ません。
例えば、昔は「金石文なんかよりも政治的文書の方が信頼性が高い」と言う考え方が主流だった時期がありました。
現在では、碑文の研究(と言っても1つ2つの碑文ではありません、同一地域の無数の碑文を相互比較するのですが)の結果、政治的文書の背景にあった偏見を補正する、と言った研究もあります。
繰り返しになりますが、こうした研究の在り方についての考えは、歴史学のサブジャンルごとに、何を研究主題にするかによって、細かく違ってきています。
それで「史観」なんて大雑把な言葉は実は専門家ほど使わない傾向になっています。
940 :
MMJ(30) ◆MMJ24xZY :02/05/06 13:46
>>935-938 丁寧なレスを付けていただいて、ありがとうございました。
今、サッと目を通しただけで、これからじっくり詠みますが、
↓このことが聞けて本当に良かったです。
>>もし歴史学のサブ・ジャンルを総括して「歴史学は、どう研究されるべきか」議論するなら、すごく面倒で長大な議論が必要になってます。
そう、つまり、疑問に思っていたところはそういうところだったんです。
研究手法によって、史実が異なる。あるいは、史観が史実を生むような言われがなされている今日の歴史議論に食傷気味でしたから。。。
確かに、研究手法が“推論”あるいは”解釈”という主観から免れることができないのであれば、旧来の研究手法によって紡がれた史実を疑う価値もあるわけで。
とりあえずはそうなのですが、本来専門的な議論がなされるべきところに、門外漢がはびこっている今の歴史議論がイヤでイヤで。。
“解釈”がメインである以上、文学なんかと同じく、結論が一意に定まらないところは仕方がないと思うのですが、
ロクに歴史の研究手法を勉強してなさそうな人(左右ともに英語の先生とか、哲学とか、、)が歴史を語るもんですからね。。
ありがとうございました。乱文、長文失礼します。
941 :
MMJ(30) ◆MMJ24xZY :02/05/06 14:02
>>940 >>>研究手法によって、史実が異なる。あるいは、史観が史実を生む
ような言われがなされている今日の歴史議論に食傷気味でしたから。。。
↑無かったことにして下さい。。。
943 :
世界@名無史さん:02/05/06 18:43
西フランク王国かろフランス王国にはいつどのようになったのですか?
>>943 世界史の教科書ではカペー朝の成立で区切ります。
>>943 フランス公(フランク公)だったユーグ・カペーが西フランクの王位に
就いたことで、「フランス公の西フランク王国」という意味で
「フランス王国」という呼称を用いるようになった。
当時、パリ周辺はフランクの中心部ということで、単に「フランス(フランク)」
と呼ばれていたらしい。
なお、カペー朝の途中まではフランク王の称号であったREX FRANCORUM
を名乗っており、カロリング朝→カペー朝は連続した国家という認識だった
と思われる。
946 :
世界@名無史さん:02/05/06 20:46
古代ローマの「エクイテス」は、「徴税請負人」と「騎士階級」、どちらの訳の方が合っていますか?
角川 世界史辞典
「古代ローマの騎士あるいは騎士身分を示す言葉」
数研出版 世界史辞典
「騎士(階)級と訳す」
山川 世界史小辞典
「騎兵または騎士と訳す」
語呂を教えてくれるスレはございますか?
949 :
世界@名無史さん:02/06/18 16:48
衆愚政治について教えてください。
951 :
世界@名無史さん:02/06/19 20:34
>>950 「衆愚政治」はもともとは、古代ギリシアの都市国家、
ことにアテネの直接民主制が後期に堕落した状態、を指します。
具体的には、多数決による政策決定の長期的戦略見通しの腰の定まらなさ、
国策決定に際して、圧力団体的になった派閥間の駆け引き、
将軍のような技能職までくじ引きで決めるような行き過ぎ、
などが意味されます。
いつ頃「衆愚政治」が言われるようになったのか、同時代からなのか少し後からなのか、
近代歴史学で言われるようになったのかは、私は知りません。
転じて、現代の大衆化した社会での民主主義を批判したり揶揄したりするときにも使われます。
が、この用法では、政治システムの違いを無視して、雰囲気的に用いられる
事の方が多いので、眉につばをつけて聞いた方がよいと思います。
塩野さんて、この前、ビートたけしさんと対談していた人でしょうか。
たぶん、違う苗字だったとおもうので自信ないですが。ルネサンスの研究家のようでした。
ちょっときつそうな方で(すみません)ビートさんも話ずらかったようでしたが。
954 :
世界@名無史さん:02/06/24 21:57
>>952 もう落ちちゃってるよぅ…
ところで質問、ローマの帝政の後に西ローマと東ローマに分かれましたよね?
その時にそれぞれ使っていた言語を教えて下さい。
>>954 >ローマの帝政の後に西ローマと東ローマに分かれましたよね?
>その時にそれぞれ使っていた言語を教えて下さい。
はじめはどちらも公用語はラテン語だった。
ただし、文芸や学術の分野ではギリシア語が幅をきかせていた。
西ローマが滅亡してしばらくしてから、東では公用語もギリシア語になったそうだ。
>>957 ありがとうございます。
てか、向こうにも同じ事質問しちゃった、勘弁してください。