くだらねぇ質問はここに書き込め!@世界史板

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1世界@名無史さん
見当たらないので作りました。
質問はこちらにどうぞ。。。
2世界@名無史さん:2001/03/17(土) 16:31
ブルボン家の末裔は今どうしてるの?
3世界@名無史さん:2001/03/17(土) 16:43
王朝の交代の基準を教えてください。
遠い親戚が継いでも同じ王朝だったり、従兄弟が継いだだけで
王朝名が変わったりと、よくわからないのですが。
4世界@名無史さん:2001/03/17(土) 19:35
>>3 自分の考えですが。
基本的に名乗りでしょ?自分の。
レ・ミゼラブルでオルレアン家のルイ・フィリップはなんかブルボン家のルイ19世と
名乗っても良いところを「謙遜して?」ああ名乗ったと言ってたけど。
前王朝に好意的な後継者ならその名をつぐ(僭称する)だろうし、「倒した」という
意識があるなら名前を変えるのでは?
5世界@名無史さん:2001/03/17(土) 20:02
>2
スペインの国王。
6世界@名無史さん:2001/03/17(土) 23:29
あのう、すごいドキュソな質問なんですけど
東西ドイツ両国か成立して、ベルリンも東西に分断されて
東側は東ドイツ領なのはわかるんですけど西ベルリンはどこの国が
統治していたんですか?
7世界@名無史さん:2001/03/18(日) 00:19
>>6
いやいや、ドキュソな質問などではないぞ。
意識してはおらんのかもしれんが、なかなかに、鋭い疑問を提起し
ておるの。

冷戦時代のベルリンは「ベルリンの壁」に象徴されるように、東西
対立の最前線だったのじゃよ。
そのために、第2次大戦直後に戦勝国、米英仏とソ連の間で取り決
められた事項が、ずっと後の東西ドイツの統一の時まで、化石のよ
うに継続するのじゃ。
現実にあわせて、条約などを変更しようにも、どちら側かが反対す
るので、変更できず、既得権のようなものは徹底的に利用されたで
な。

なんという小説じゃったか、決められた少数の米兵が東ドイツ内を
パトロールするなどという設定の本があったが、実際にもそのよう
な信じられないような取り決めもあって、実際にまもられていたよ
うじゃの。

それで、戦後、ベルリンは戦勝4ヶ国の占領、共同統治となってい
たのじゃが、建前上はこれがドイツ統一まで続くのじゃ。
つまり、条約上、ベルリンは米英仏とソ連の共同占領下にあり、あ
の壁はソ連占領地区とそれ以外の3ヶ国の占領地区の境界であった
のじゃ。

もちろん、実際には市長もいて、市民生活上は普通の都市とかわら
ないものであったが、法的には「3ヶ国の占領下にあった」という
のが正解じゃよ。
86:2001/03/18(日) 01:14
なるほど!ありがとうございます!
東側:ソ連 西側:連合国 でベルリンを統治
してたってことですね。

9世界@名無史さん:2001/03/18(日) 19:13
あげ
10世界@名無史さん:2001/03/18(日) 20:58
〜〜朝とかつく国名は後世の歴史学者が勝手につけたものなの?
11世界@名無史さん:2001/03/19(月) 01:53
>10
確か、英国のハノーバー朝は、第一次大戦の時に、敵国ドイツの
地名が英国の王朝名なのはよくないって理由で、別の名前に改名
したはず。
だから、少なくともこの時代には、同時代にもいっている。
12世界@名無史さん:2001/03/19(月) 02:26
ユーラシア東部では「骨」の交代が基準。

ユーラシア東部では、人間は父から骨・神経、母から血・肉を受け取って胎内で出来上がるという観念(地域によりバリエーションあり)が広範囲に分布しており、ある国の君主には同一系統の「骨」を持つ者だけが就任できる、という観念がある。君主の「骨」の系統が変わったら、王朝の交代、または国家の滅亡。

中国の諸王朝とか、モンゴル高原に興亡した遊牧国家などが代表例。

日本でも、皇室は「骨」の系統は一貫しているから、継体のように「五世の子孫」みたいな例があっても「万世一系」。女帝は皇室の骨を持っているから問題ないし、史上で、女帝の子どもで皇位を次いだ者はみな父も天皇か皇族。

日本の場合は「皇胤だけが天皇たりうる」と表現されている。

秋篠宮家の皇女が女帝になったとして、配偶者が非皇族だったら、その子孫以降で「骨」の系統が変わって「王朝交代」ということになる。

13世界@名無史さん:2001/03/19(月) 05:53
>>12
古代日本の「かばね(姓)」も「骨」と書くことがあるし
新羅の「骨品制」とかもあるよね。

「骨肉の争い」ってのは骨=父方の親族と、肉=母方の親族の争いという意味なんだな。

ところで俺は
>父から骨・神経、母から血・肉を受け取って胎内で出来上がるという観念
は中国のものと思ってたんだけどインドにも古くからあるらしい。
14日本@名無史さん:2001/03/19(月) 12:30
ハノーヴァー選定侯家の人が王になったからハノーヴァー朝。
15世界@名無史さん:2001/03/19(月) 20:11
あげ
16【^▽^】ジョーカー:2001/03/19(月) 21:01
>11
ウィンザー朝。
17>14:2001/03/19(月) 21:25
えっと、「選帝侯」ですよね?
18目のつけ所が名無しさん:2001/03/20(火) 19:09
http://ton.2ch.net/test/read.cgi?bbs=volley&key=985077165
ってどうなんでしょうか。気になって夜も眠れません。
19名無しさん@1周年:2001/03/20(火) 22:00
>>2
ブルボン家の子孫の人はおフランスで公爵されているそうです。
20世界@名無史さん:2001/03/21(水) 22:04
『単于』の由来を教えてください。
21世界@名無史さん:2001/03/23(金) 18:19
『黄海の波高くして定遠(鎮遠だったかも)はいまだ沈まず』
「日清戦争時代のギャグ」だそうですが、どのような意味なのでしょうか?
22世界@名無史さん:2001/03/23(金) 22:34
定期あげ
23世界@名無史さん:2001/03/30(金) 21:47
古代インダス文明の住人は黒人だったの?
24世界@名無史さん:2001/03/30(金) 23:19
イギリス王室などエドワードとかエリザベスとか同じ名前の王が
何人もいるけど、王子や王女にあまり変わった名前つけないようにしてるの?
25日本@名無史さん:2001/03/30(金) 23:29
ドイツよりマシ。某家なんてフリードリッヒ・ヴィルヘルムだらけ。
26世界@名無史さん:2001/03/30(金) 23:49
17,18世紀の西欧の貴族にみられる、ちりちりの髪の毛は、
どうやって作っているのですか?あと、かつらはどういう
場合に着用するのですか?
27T・S:2001/03/31(土) 00:09
 種子島に鉄砲をもたらした、王直の履歴について教えてください。

 いつぞやあやめさまにした質問だけど、スレッドがなくなっているので。
28世界@名無史さん:2001/03/31(土) 00:52
マリア・テレジアは妊娠中でも戦争に出ていったって
聞いたことがあるけど、ほんと?
鎧着て実際に戦っていたの?
29あやめ:2001/04/02(月) 20:08
T・Sさん御免なさいm(__)m 王直についてそのうちきっと書きますって
お約束してましたね、ズボラなもんでうっかりしてましたわ。
王直は「汪直」と書かれることもありますが西廠を仕切っていた宦官と紛
らわしいです。本名もトウ(金偏に呈)といい徽州歙縣の出身です。最初は
塩商でしたがうまく行かなかったので、廣東で大船を建造し日本からシャ
ムを跨いで海上貿易に乗り出しました。扱う物資は硫黄や綿糸といった禁
制品であったので危ない橋を渡る代わり利益は莫大でした。
彼の郷里の先輩に許棟という人物がおり寧波の沖の雙嶼という島を根拠地
として、官許貿易から締め出されていたポルトガル人を引き込み大規模な
密貿易を行っていました。王直も嘉靖二十三年から許棟の手下に加わり翌
年には日本に渡り、博多の助才門らを雙嶼に伴い仲間に引き入れました。
嘉靖二十七年に浙江巡撫の朱ガン(糸偏に丸)は雙嶼を攻撃し壊滅させ、次
いで逃亡した許棟を逮捕処刑しました。王直は新たな根拠地を日本の五島
に求め居宅を平戸に営みました。平戸の大名の松浦隆信と予てから密接な
関係を結んでいたのでしょう。彼が五島に拠るに当たっては明の亡命(無
宿者)2千人を招き寄せて手下とし、日本36島の海賊を指揮して華南沿
海を荒らしまわり徽王と号していました。
彼は不安定な取引態様の密貿易の関係者の間にあって紛争の調停者として
絶大な声望と勢力を築き、明の取締官憲も次第に彼を利用するメリットを
考慮するようになりました。浙江海道副使の丁湛は海賊を緝捕すれば貿易
を許可すると誘い、王直もこれに応じ銭塘を犯した海賊の盧七を捕らえて
献じました。更に嘉靖三十年には定海の瀝港の海賊の陳思盻を捕らえて献
じました。こうした行動は彼の敵対者を除き船団や財貨を奪うばかりでな
く、その海上における特権をも取り込み勢力の拡大に有効に働き、官憲に
恩を売りながら沿海の密貿易を黙認してもらっていたわけです。しかし嘉
靖三十二年に提督軍務の王ヨ(立心偏に予)が朝命を受けて参将の兪大猷に
瀝港を襲わせ、王直の密貿易の中核となっていたこの巣窟は折からの颶風
のうちに覆滅しました。
続きは明後日。
30世界@名無史さん:2001/04/03(火) 10:02
突然、誠にお恐れながら、お尋ね致したく存じます。
以前から気になって、ずいぶん調べたのですが、どうしても分かりません。
王位継承権を持ちながらも遠い王族の配偶者は、どのように呼称されるものなのでしょう。
例えばイギリスのエドワード王子、ソフィー・リスジョーンズ様などです。
故ダイアナ妃は「王太子妃」でした。
YAHOOトップに「王子夫人」とあり、どうにも釈然としないのです。
博識なみなさまのあたたかいお返事を望みます。
31キティーハニ:2001/04/03(火) 13:56
ミロのヴィーナスの腕は誰がちょんぎったの?
32世界@名無史さん:2001/04/03(火) 14:40
>31
たぶん、初期のキリスト教徒でしょう。
33世界@名無史さん:2001/04/03(火) 16:23
首を斬らずに腕を切るってとこが変態っぽくてコーフンするな。
34あやめ:2001/04/04(水) 20:23
王直は明側が開市を公認する意思のないのを見て全面的対決の途を択びま
した。彼は嘉靖三十二年に海寇の諸帥を誘い華南沿海に一斉に侵入分掠し
まし、浙の東西から江の南北に及ぶ数千里の広範囲が警戒態勢に入る前例
のない事態となりました。王直自身は昌國衛を破ったのを手始めに定海・海
鹽・乍浦・杭州・南匯・嘉定・呉淞を犯し、彼の与党であるケ文俊・林碧川・沈南
山・蕭頭ら柘林を巣窟とする船団は、松江・上海・金山・青村・嘉定・太倉・常熟
・崑山・蘇州の諸地に寇しました。
王直は明将の湯克寛に白馬廟で敗れ日本に帰り松浦に屯しましたが配下を
指揮するに専らで、この大挙入侵から毎年の例のように浜海の諸地には倭
寇が跳梁するようになりました。中でも陳東・徐海・葉明などが巨魁と目さ
れています。嘉靖三十四年には僅か70人ほどの賊が杭州湾から上陸して
一昼夜に百八十余里を走り、浙江・江蘇・安徽の諸地を荒らしまわり南京に
迫るまでになりました。
明では翌年に権謀術策に長けた胡宗憲が総督軍務に任ぜられ禦倭対策は新
段階を迎えました。彼は抜本の計としては日本の当局者に取締を要請する
一方で、王直を好条件で説得して帰順させることが有効であると考えまし
た。そして部下の蒋洲と陳可願を日本に派遣し先ず王直の養子の王傲を通
じ、王直と会見して入寇に対する宥罪と開市の許可を条件に提示して帰順
を誘い、また直の妻子が宗憲の温情で釈放されたことを述べて望郷の念に
訴えさせました。直は大いに心を動かし宗憲の申出を受けることを決心し
ました。陳可願は王傲を伴って帰国しましたが蒋洲は室町幕府や大内義長
・大友義鎮に海賊の取締方を折衝し、また対馬の宗氏に接触して情報の提
供や禁賊の約束を取り付けています。
嘉靖三十六年に王直は蒋洲と共に大友氏の使僧の善妙をも伴い帰国の途に
就きました。直と善妙の乗船が朝鮮に流されたことと色々な手違いから蒋
洲は誤解を受け、下獄の挙句に処刑されてしまいましたが彼の情報は鄭若
曾の「日本圖纂」などに活かされました。朝鮮を経て舟山の岑港に着いた
王直は明廷に対し自由貿易の許可を要求しました。
続きはまた明日ね。
35世界@名無史さん:2001/04/04(水) 22:31
@世界各地に巨石文明がありますが、
ヨーロッパ各地ののケルト関連と思われる巨石運搬技術はどうやったのでしょうか?
古代エジプトは梃子の原理だったというような事をきいたことがあるのですが、
近くに採石場が無いところでも巨石の遺跡がありますよね。
現代でも技術的に困難だと聞いた事がありますけど
どないしてもってきたのでしょうか?


A沖縄から台湾にかけての海中巨石遺跡は
結局世界史的にみるとどういう位置付けになりますか?
トンデモ説は排除した上でどこの民族や国がつくったのか
検討がつくのでしょうか?
36はて:2001/04/04(水) 23:07
>>30
質問の意味がよく理解できないのですが。

英語を例にとれば、王位継承権のある男子はPrinceと呼ばれます。
この意味でのPrinceは日本語で言えば「親王」に相当します。
ただ王位継承とは無縁の王族でない諸侯がPrinceを名乗る例もある
ので、きちんと対応する訳が難しい単語です。
一方、Princeの配偶者はPrincesseと呼ばれます。
Princesseには、女性で王族の場合と、単なる王族の配偶者の場合
があり、どちらも同じ呼称です。

これらの関係を日本語に訳す場合に、元の表記がどれもPrincesse
であっても「王女」「王子妃」「王子夫人」などと使い分けている
ので、翻訳上の違い、または、外交上、王族として扱うか否かで区
分しているのだと思います。
37??:2001/04/05(木) 04:35

広瀬隆の『赤い楯』という本ですが,
ある程度専門的に西洋近現代史を勉強しておられる方の
この本に関する,感想を伺いたいのですが。

まあ「とんでも本」としての位置づけしかされないのでしょうが,
政治権力よりも,資本の流れを押さえた方が西洋近現代史の流れ
は押さえやすい,という見解なんて面白いと思いますが。
38世界@名無史さん:2001/04/05(木) 10:50
いつの世もどうして男達はまん○にこだわりますか?
名刹や古代人の住居から性器を模した戯画がよく発見されますね。

39あぼーん:あぼーん
あぼーん
40世界@名無史さん:2001/04/05(木) 11:53
>>37
工房時代に読んで、すげーなんてこった!と思った。

大学生になって、同族だからといっていつも仲良く助け合って
生きるなんて絶対にありえないことを思い出した。
人間は親兄弟とも簡単に争うというのに。

まあ、系図を調べた努力は認めよう。
41世界@名無史さん:2001/04/05(木) 20:26
あの〜。辺境伯ってなんですか?普通の伯爵とは違うのですか?
42世界@名無史さん:2001/04/05(木) 21:26
>>41
王>公>候≒辺境伯>伯

辺境伯(Margrave)は、普通の伯(Count or Earl)よりも強い権限を持ち、
侯(Marquess)の元になった称号。
43世界@名無史さん:2001/04/05(木) 21:41
>42
 ありがとうございます。なるほど、辺境に領地を持つ伯爵という
意味ではなかったのですね(汗
 ところで普通より強い権限ってなんでしょうか?伯爵だと既に
かなりの権限を持っていると思いますが、どんな権限が追加される
のでしょうか?
44世界@名無史さん:2001/04/05(木) 22:06
>>43
もともと、帝国の辺境の統治をゆだねられたことから、この名称
になった。
普通の伯は帝国内の都市とその周辺の統治を行う官職に由来する。
辺境伯のほうが皇帝からの相対的な自立度が高く、地位も高いと
されており、独自の軍事力をもつケースも多い。
45T・S:2001/04/06(金) 01:33
 >29
 >34
 ありがとうございます。なかなかネットが見れないので今日やっと気付きました。
 ・・・・・・なんだか思ったより遥かに細かいですけど、塩売業者になる前に王直は南京の
禅林に一時いたといいます。知っておられればその寺の名前も教えてください。
 
46世界@名無史さん:2001/04/06(金) 08:27
>44
 すばやいお返事、重ねてありがとうございます。
そうすると、辺境伯というのは唐の節度使のミニ版みたいなものですか。
47世界@名無史さん:2001/04/06(金) 15:25
>36
ありがとうございます。
「王子夫人」という日本語表記が存在するのかが知りたかったのです。
いえ実は、ジョーンズ嬢は伯爵夫人位を兼ねているとか。
ロイヤルファミリーの一員と事実上認められているのかどうかが
定かでなかったのでプレスが迷ったのでしょうか・・・
4847補足:2001/04/06(金) 15:26
つまり普通に「プリンセス・リス」と書かれていれば済むはずと思ったので。
失礼しました。
49あやめ:2001/04/06(金) 18:14
王直が倭船でやって来たというので浙江沿岸の諸地は大変な緊張に覆われ、
厳重な警備が布かれ直をこの機に捕縛する計画もあり、その情報が彼に漏
れたので「こっちは詔を奉じ和平を求めて来たんだ、使者が出迎えて一席
設けてくれても罰は当たらんはず、見れば盛んに軍容を列ね往来を禁じて
いるが、胡公はわしを欺いたのか」と腹を立ててしまいました。胡宗憲も
いろいろと言い訳し宥めましたが不信感は解けません。「それなら王傲を
こっちに戻してもらった上そっちからは人質を出してくれ」と要求してき
ました。宗憲も直ちにこれに応じ王傲を帰還させ部下の夏正を直の下に往
かせました。宗憲は前もって作ってあった王直の赦免を請う上奏文をそれ
となく王傲の目に触れるようにさせ、傲から直の耳に入るようにしたため
直も疑いを晴らし宗憲に投降しました。宗憲も大いに款待し慰謝し杭州に
出向いて巡案御史の王本固に謁するように指示しました。本固は直の招撫
に反対していた人物なのに宗憲が彼の手になぜ委ねたか、真意が測りかね
ますが最初から直を嵌める意図であったわけではないでしょう。果たして
本固は直の身柄を獄に囚らえ処分を朝廷に仰ぎました。かねてから廷議は
互市の許可と誅戮の断行に分裂していましたが、この間に宗憲は直の釈放
と利用を工作していたところ彼が直から受賄しているとの噂が流れ、朝廷
の方針も処刑に傾き宗憲も保身上あきらめざるを得なくなりました。かく
て一代の海梟も嘉靖三十八年に斬首されて最期を遂げました。一方で王傲
は人質に取った夏正を支解し岑港に立て篭もって復讐を誓い、海上のバト
ルは再び激化の様相を帯びることとなりました。
王直が禅林に修業してたという話は初めて聞きました。彼の青年時代は任
侠の徒に交わってヤバイことばっかりやってたみたいです。但しこの話に
相当する人物は存在します。王直の配下に在った徐海で杭州の虎ホウ(足偏
に包)寺で普常という法名で僧侶だったそうです。伯父の徐維學という王直
の仲間の密貿易者が大隅の領主から借銀しており、その人質として徐海が
大隅に滞在していたことがあり、日本では明山和尚と呼ばれていたと伝え
られています。
5037:2001/04/06(金) 19:46
>>40
高校生時代にあんな本読んでるなんてすごいですね。

恐らく閨閥内での対立は存在するでしょうが,要するに自民党みたいなもので,内部に対立はあってもある点では歩調を必ず一にしてます。そんな感じでしょうか。

書いてあることが大筋本当なら,普通の教科書なんて馬鹿らしくて読めないのですが,きちんとした批判がされちるのも見たことがないんですね。

共通の利益のためにモラルを踏みじった行動を一定の閨閥がとった,高い可能性は示せても,その確実な証拠は示していないわけです。

歴史を動かすのは,最も大きな権力を持った者の意志決定である場合が,
多いのですが,何をいつ誰が決定したのか,外から推測するより他ない
という場合が,多いのですが,歴史の専門家の方々はその辺に
いらいらしたりすることはないんでしょうか。
51世界@名無史さん:2001/04/06(金) 20:23
夜の生活の体位の事で質問します。
現在のように正常位が普通の体位として
認知されたのはいつごろでしょうか?
また世界の国々の中には後背位など
他の体位が標準とされた歴史を持つ国があるのでしょうか?
考え出すと切りがなく夜も碌に眠れません!
教えてください!
52世界@名無史さん:2001/04/06(金) 23:00
>>47
>いえ実は、ジョーンズ嬢は伯爵夫人位を兼ねているとか。
その人のことを知っているわけではないので、確実ではありません
が、Princesseであって、Countesseでもあるのならば、その場合の
Countesseの日本語訳は伯爵夫人ではなく、女伯爵だと思います。
53いその波へい:2001/04/07(土) 16:25
ルイ何世とか
どうしてヨーロッパの王族は同じ名前がたくさんあるのですか?
54世界@名無史さん:2001/04/07(土) 18:27
>>53
まず、ヨーロッパでは名前の種類が日本などに比べると極端に少ない
という事実があります。
ヨーロッパの場合、意味のある単語の組み合わせから名前を合成し
ていた時期もあるのですが、聖書に出てくる人名や、伝統的な名前
とその派生型が使用される場合がほとんどです(小説などに出てく
る虚構の名前が子供に付けられることもありますが)。
さらに、王家の場合は血統を重視することと、その王家の「伝統名」
を持っていることが多く、くりかえしその名が使われることになり
ます。
さらに、権利や正統性の継承を誇示するために、同じ名前を使う例
もあるため、王家では同じ名前の頻度がさらに多くなります。
ちなみに、ルイ(Louis)は「名高い」「戦士」という意味をもつ言
葉に由来する名で、Lewis,Luis,Luigiなどの名が派生しています。
55deuche:2001/04/07(土) 23:58
「ドイツ」という言葉を定義してください。
56世界@名無史さん:2001/04/07(土) 23:58
ようやく盛り上ってきたな
57T・S:2001/04/08(日) 00:36
 >49
 ありがとうございました。
 王直が禅林にいた云々はベースボールマガジン社の『格闘技の歴史』
に拠る話です。それを信じるのなら直は種子島家に「海寇拳」とか言う
拳法を伝えたと言うことです。調べて見るとその武術は会津に伝わり、
「御式内」という武術になり、さらに大東流柔術と結びついて大東流合気
柔術になり、現代の合気道になったと言うことになります。
 当の直も目を丸くするような展開ですが、有名な海賊みたいですから、
単に仮託されただけかも。
58deuche:2001/04/08(日) 01:34
 55の質問、意味がはっきりしないので質問しなおします。

「ドイツ」という言葉の起源
ドイツ語の起源
「ドイツ」と呼べる地域の最大範囲
ドイツの国としての始まりとその変遷

について、知っている方がいらっしゃいましたら
教えてください。
59世界@名無史さん:2001/04/08(日) 08:20
>>58
「ドイツにあるのに神聖ローマ帝国?」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=981207306

ここで国名の起源を語っています。
60いその波へい:2001/04/08(日) 14:30
>>54
ありがとう。なるほど勉強になるなあ。
もうひとつ聞いていい?
王家や貴族に使用される名前を庶民が使うことは禁止されていたの?
リチャードとか今は沢山いるけど。当時はどうだったのかな?
61あやめ:2001/04/08(日) 19:19
>57
王直は種子島には立ち寄っただけですから拳法を伝える暇などなかったで
しょう。「海寇拳」というネーミングも何だかなァって感じです。会津の
大東流って武田惣角って明治時代の武術家が有名ですね。あれは確か武田
の先祖の源義光から伝来したものとか言ってます。
しかし当時の明からの渡来者で日本に格闘技を伝えた人物はいます。陳元
贇で柔術の開祖と称されています。彼の流派は少林寺拳法のようで日本の
戦国時代の格闘技の具足術を加味し、柔術に発展させたのは弟子になった
武士たちではないかと想います。元贇は我が国で多彩な活動をした人です
が下記のサイトに判りやすい略伝が載っています。
http://www.dokokyo.or.jp/kikanshi0005/novel14_2.htm
なお彼を主人公にした小説に陳舜臣作「珊瑚の枕」という新聞連載ものが
ありました、たぶん単行本になってると思います。
62世界@名無史さん:2001/04/08(日) 22:45
>>60
たとえば、リチャードは、ノルマン系の名前ですが、ノルマンによ
るイングランド征服後のアングロサクソンも含めて、ノルマンでは
父祖の名を子に付けるという習慣があり、新規に名を合成すること
もしなかったために、同じ名前が溢れている状態でした。
中世の教会による洗礼の普及で、聖書にちなむ名前が使われるよう
になってから、やっと名前が多様化したとされています。
それまでは、ウィリアム、リチャード、ヘンリーといった名前だら
けだったわけです。
つまり、昔はもっと王と同じ名前の確率が高かったということです。
63いその波へい:2001/04/09(月) 17:50
>>62
なるほど、昔は同じような名前ばっかりだったのですか〜。
たいへん勉強になりました。
ありがとうございました。
64世界@名無史さん:2001/04/09(月) 19:55
>>61
武田惣角の高弟の佐川幸義によると、大東流は惣角が(誰からも継承せずに)単独で創始したらしいです。
源氏に伝えられた秘術であるとか言うのは、「格を上げる」ための創作だったのかも。
65deuche:2001/04/09(月) 23:32
ありがとうございました。
66T・S:2001/04/10(火) 01:26
 >64
 高弟の方達でも人によって違う解釈をしてるので、真実は闇の中です。
 武術家の詐称癖はどこも一緒で、源氏云々と言う伝承は韓国の「合氣道」では一部の
人に歪められてしまい、少し困ったことになってしまってます。
 >61
 陳の柔術始祖説には嘉納治五郎からして否定的で、そも陳が何門の使い手かもよく解
っておらず、最近ではやはり仮託されてるだけではないかと言われています。伝書には
ちゃんと載ってるんですけどね。
 中国じゃあ岳飛を始祖とする門派が私の知ってるだけで三つはあるし、有名人が始祖
となっている場合はまず嘘だと思ったほうが無難だそうです。ロマンのないことに。

 ちなみに「少林寺拳法」と書くと普通は宗道臣の「日本少林寺拳法」のことを指すの
で、中国のそれは「少林拳」と書く方が適当です。名前が似てるだけで、別物ですから。

 昔、学校からもらった年表に「この頃、奄美大島に南蛮人が侵入」とか書いてあり、
それが十世紀の頃だったので「はて?」と思って先生に聞くと「この南蛮人は、多分、
東南アジアの人をさしている」とのこと。
 誰か、どこの人だか、詳細を知ってる人はいませんか?
67非公開@個人情報保護のため:2001/04/10(火) 01:47
プレスター・ジョン
68世界@名無史さん:2001/04/10(火) 01:51
日本の剣術は朝鮮人が教えたもの。
69世界@名無史さん:2001/04/12(木) 00:44
最近また、くだらねえ質問でスレッド建てる奴が増えてきたので。
70世界@名無史さん:2001/04/12(木) 01:57
受験の世界史で「王立社会主義」という言葉を習った記憶があるのだが
(確か東南アジアかどっか、3A地域の現代史で)、どこの国の話だか
さっぱり思い出せない。ご存じの方、いらっしゃいますか?
71世界@名無史さん:2001/04/14(土) 17:08
hage
72世界@名無史さん:2001/04/16(月) 21:01
良かったら教えて下さい。

ラテンアメリカのスペイン領で、ヌエバ・エスパーニャとかペルーとか
ラプラタの各副王領の副王に任命された人達ってどんな血筋の人達
なのでしょうか?
73世界@名無史さん:2001/04/18(水) 20:52
>>72
日本語になっているものからはわからないようです。となればあっちの歴史を
専門にしている人が、この板にいればいいんですが、レスつきませんね。私も
興味あるのですが。
74世界@名無史さん:2001/04/19(木) 00:08
ヒッタイトやエジプトを襲った「海の民」って何者なんでしょうか?
75愚礼:2001/04/19(木) 00:21
>>74さん
フェニキア人???
鉄器の製造に長けていたみたいですが
ヒッタイトも製鉄王国だろうが…。
76世界@名無史さん:2001/04/19(木) 01:45
>>74
「海の民」については情報が錯綜しててよくわからないが、
かつてニフでちらっと聞いたところでは、
もとはアナトリアから発祥した連中で、
インドヨーロッパ語族の中の、系統の異なる複数
(4、5〜7、8?)の部族の総称。
というあたりが最近の有力説のようだ。
フェニキア人(セム語族)が海へ進出したより
かなり早いんじゃない?
77さすらいのぽこちん:2001/04/19(木) 04:42
7874:2001/04/19(木) 12:01
75の方、76の方どうもありがとうございました。友人は「海の民」=半魚人説を熱弁していましたが、無視することにします。
79世界@名無史さん:2001/04/19(木) 13:48
オチをつけるとわ、あなどれない奴
80世界@名無史さん:2001/04/19(木) 18:44
「海の民」と「海の国」って、まぎらわしいけどまったく別なので気を付けましょう。
「海の国」ってのはチグリス・ユーフラテスの下流域〜河口、沿岸部にあった国。
81フランクリン:2001/04/30(月) 04:05
今度、アメリカ独立と合衆国成立の題名で、教育実習をやるのですが、何かアドバイスを下さい。
また、面白いエピソードや裏話など、関連することを教えてください。是非授業の題材として使いたいと思ってます。
よろしくお願いします。
82世界@名無史さん:2001/04/30(月) 06:08
>>「海の民」=半魚人
インスマウス?
83Cavabien:2001/04/30(月) 20:26
金史を読みたいのですが、どこで入手するのが一番良いのでしょうか?
84シェイクスピア関連「マクベス」:2001/05/01(火) 02:11
大好きなんですけど、これ、歴史上のモデルって誰ですか?

スチュアート朝始祖のスコットランド王ジェイムズ6世へのごますり用に、
スコットランド王位簒奪者天誅劇って話はきいたことあるのですが。

・・・シェイクスピアのネタ元、どこかいいリンク先ありませんかねえ
85世界@名無史さん:2001/05/01(火) 02:13
>>81
とりあえずメル・ギブソン主演「パトリオット」など、視聴覚室で
ビデオみせながらやるといいんじゃないですか?

大陸会議から英軍降伏までの戦争映画ですから、退屈はんせんでしょう。
86世界@名無史さん:2001/05/01(火) 02:36
質問ですが病死とか戦死した権力者は数ありますが天災(地震とか落雷
とか)で死亡した権力者ってどれくらいいるんですかねえ、
とりあえず菅原道真の祟りっていう落雷ぐらいしか記憶にないんですけど
87世界@名無史さん:2001/05/01(火) 04:30
軍医板で、ここで論破された厨房が暴れています。(プ
イエィツの詩だとかアイルランドがどうのこうの言って暴れてます(プ
お互い大変ですね。お騒がせして申し訳ありませんでした。
88世界@名無史さん:2001/05/01(火) 05:18
・・・例のトルメキア帝国スレ世界史板にたてたひと?

・・・うーん・・・(奥歯にものが挟まってます)
89世界@名無史さん:2001/05/01(火) 12:52
清の西大后に関してですが、
どうして彼女は、政権を握ってから、中体西用を
廃止してしまったんでしょうか?
あのままの状態では、
欧米や日本に蹂躪されるのも十分理解してたと思うんですが。
90ありゃりゃ:2001/05/01(火) 23:58
訳のわからないまま迷い込んでしまいました。
王>公>候≒辺境伯>伯とのことですが、これって、<神聖ローマ帝国>内の序列?
それぞれの王国内の序列?
この爵位は、誰が決めるのですか。それとも継承されるのですか。
91ありゃりゃ:2001/05/02(水) 00:00
訳のわからないまま迷い込んでしまいました。
王>公>候≒辺境伯>伯とのことですが、これって、<神聖ローマ帝国>内の序列?
それぞれの王国内の序列?
この爵位は、誰が決めるのですか。それとも継承されるのですか。
92ありゃりゃ:2001/05/02(水) 00:00
訳のわからないまま迷い込んでしまいました。
王>公>候≒辺境伯>伯とのことですが、これって、<神聖ローマ帝国>内の序列?
それぞれの王国内の序列?
この爵位は、誰が決めるのですか。それとも継承されるのですか。
93世界@名無史さん:2001/05/02(水) 00:17
 質問します。

 イタリアとフランスはいつ頃から「イタリア」
「フランス」と呼ばれるようになったのでしょうか。
 地域の名前としてではなく、国の名前として呼ばれ始めたのは
いつ頃なのでしょう。
94世界@名無史さん:2001/05/02(水) 01:14
>93
イタリアは、1861年のイタリア王国成立からでいいんじゃない?
95世界@名無史さん:2001/05/02(水) 01:27
いつからここは朝鮮・中国板になったんだ?
同じような内容、同じような議論、同じような罵倒、もう飽きた。

だいたいどれも、一つのスレッドとして成立するようなネタじゃない。
どれも一つのレスで十分すぎる程度の内容。

そもそもスレッド立てたって、他人の意見なんか聞く気さらさらないし、
自分の言いたいことだけ言ってスッキリしたいだけなんだから、
スレッドのタイトルか、せいぜい1の書き込みだけで、
そいつの目的は達成されてる。レスをするだけ無駄というもの。とんだ迷惑だ。

どっか一つのスレッドで同じレス繰り返して我慢してりゃあいいものを、
内容はないクセに目立ちたい気持ちだけは人一倍だから、
同じ内容のスレッドがいくつもいくつもいくつも立てられる。ウンザリだ。

結果として、上にあがってるのは無内容で似たようなスレッドばかり。
良心的なスレッドがどんどん下に下がっていく。悲しい限りだ。
ハングル板か、ニュース議論板でやれよそういうことは。
歴史でもなんでもねえよそんなもん。激しくスレ違いだ。バカコピペ野郎が。
96世界@名無史さん:2001/05/02(水) 01:55
>95殿
まったくもって同感だが、そう思うなら、少しでも、良心的なスレに
良心的なカキコをして(もちろん、単なるコピペではなく、ちゃんと
内容のあることを書いて)上にあげて対抗しよう。
ウヨサヨネタをコピペAAで上げてるやからは、明らかに確信犯のア
ラシ(本当に主張したいことがある者は、その都度ちゃんと文章を書
くはず)なので、スレ違いと非難しても喜ぶだけだ。
97世界@名無史さん:2001/05/02(水) 03:25
いつのまにか、ウヨ、サヨ話ばかりになっている、もう終わり
だね、この板も
98かきつばた:2001/05/02(水) 04:55
>>96 さっそくとりくみます。
>>97 なんの、まだまだぁっっっ!

>清の西大后に関してですが、
>どうして彼女は、政権を握ってから、中体西用を
>廃止してしまったんでしょうか?
>あのままの状態では、
>欧米や日本に蹂躪されるのも十分理解してたと思うんですが。

西太后は、義和団事件のあと、康有為らが主張していた政策の実施に全力を挙げてとりくんで行きます。清末の「新制」と呼ばれる一連の措置がそうです。
99世界@名無史さん:2001/05/02(水) 06:22
>>97
そう思わせて板を衰退させるのが荒らしの目的。
100世界@名無史さん:2001/05/02(水) 21:27
>>84
シェイクスピアの「マクベス」のモデルは
スコットランドの17代目の王マクベスがモデルだそうです。
マクベスは従兄弟ダンカンT世を殺して王位に就き
自分もダンカンT世の長男、後のマルカムV世に殺されています。
101日本@名無史さん:2001/05/02(水) 23:49
あのう今、講談社現代新書の『北朝鮮の外交戦略』を読んでるんですけど、
著者の重村智計って、どうですか?
まだ半分くらいしか読んでませんが、ちょっとばかりトンデモ入っている
ような気がします〜。
102かきつばた:2001/05/03(木) 00:06
98のつづき
西太后晩年の措置として、国会として諮政院が、地方議会として諮議局が各省に設置されました。また、各省に資金を拠出させて洋式軍隊「新軍」も設置されました。元来、立憲派の主張していた政策です。
10393:2001/05/03(木) 00:14
>94
フランスはいつ頃から「フランス」と呼ばれるようになったのでしょう。
10484:2001/05/03(木) 00:46
>>100
おお!ありがとうございます。
シェイクスピアは基本的に、>>100さんのおっしゃるような史実ですでに
舞台化されたものを、さらに脚色し作品化してるようです。
エリザベス朝時代末期、ジェームズ1世近侍のパトロンの関係で、
翼賛<国王もの>書きまくったようですね。

>>103
ご、ごめんなさい。
じつはぼくもシェイクスピア関連で、
イギリスはいつから「イギリス」と呼ばれるようになったのですか?
聞こう思ってました。

スコットランド、イングランド、アイルランド・・・・うーん、構成がそもそも
わかりません
105世界@名無史さん:2001/05/03(木) 01:38
イギリス=連合王国=
(イングランド+ウェールズ)+スコットランド+北アイルンド

イギリスって単語自体はポルトガル語じゃなかったっけ?
10693:2001/05/03(木) 01:51
思い付きですが、

English(英国人という意味の方)→えぎりす→英吉利→イギリス

って感じなのではなでしょうか。
107105:2001/05/03(木) 05:14
辞書引きました。
「イギリス」はポルトガル語 Inglez (イングランド)から来てるそうです。
108クレアラシル:2001/05/03(木) 11:32
United Kingdm of Great Britain and Northern Ireland.
(グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国)
って正式には長い名前なんだな。
略称U.K. UK
109108:2001/05/03(木) 11:57
〇Kingdom
×Kingdm
110世界@名無史さん:2001/05/03(木) 13:56
昔はもっと長かったんでない?
オーストラリアや、ニュージーランド、インドとかもあるし。
111世界@名無史さん:2001/05/04(金) 07:47
>>110
それを言っちゃあハプスブルクの当主はもっと長い。
112世界@名無史さん:2001/05/06(日) 00:12
白人の起源ってどこですか?
113世界@名無史さん:2001/05/06(日) 02:02
この板は、いつのまにか変な厨房どもが、入ってきたんですか?
114名無しさん@1周年:2001/05/06(日) 07:04
ローマ法王が約950年ぶりにイスラムに謝罪ってニュースでやってま
したけど950年前になにがあったんですか?
115世界@名無史さん:2001/05/06(日) 07:38
>>114
1096年第一回十字軍
の事じゃないですか?
116世界@名無史さん:2001/05/06(日) 14:41
そろそろ世界史板にもアズマスレが必要だと思うんだが、住民の意見はどうなんだ。
117世界@名無史さん:2001/05/06(日) 14:46
>>117
いらねーな、そんなもん。
118世界@名無史さん:2001/05/06(日) 15:11
>>116
不要に一票。
119世界@名無史さん:2001/05/06(日) 19:00
超弩級の「弩」ってなに?
120世界@名無史さん:2001/05/06(日) 19:20
もとは石弓(いしゆみ)のこと。
むかし中国で考案された兵器。
通常の弓と違う点としては、
発射したあとでも弓を引いた状態を維持できる点、
弓術のような独自の操作技術を必要としない点、
などが挙げられる。

ちなみに「超ド級」の当て字としてつかわれるが、
もとはイギリス戦艦ドレッドノートの頭文字。
コレを超える排水量をもった戦列艦を総称するのが「〜戦艦」。

ああ、誰かフォロー求む!
121世界@名無史さん:2001/05/06(日) 19:28
>>116
全く必然性がありません。
いらないに1票。
122119:2001/05/06(日) 19:30
>>120
ありがと。だいたいわかった
123リリス:2001/05/06(日) 19:40
イギリスの戦艦、ドレッドノートを漢字表記したもの。
ド=弩。
ドレッドノートを超えるほどすごいって意味。
1906年完成。重量1万8000トン、速力22ノット(時速40キロ位?)
30センチ砲10門搭載で、当時としては抜群の性能だったとか。
これを超えようとして軍拡競争して造られた大型戦艦を「超弩級」と称したそうです。
124世界@名無史さん:2001/05/06(日) 19:49
>>119
ほぼ、120の説明に尽きておるの。

ただ、ドレッドノードが近代の戦艦の基準となったのは、排水量、
つまり大きさの問題ではないのじゃよ。
それまでの戦艦が舷側砲を装備していたのに対して、主砲、副砲と
も、船体の中心軸上の旋回砲塔に装備し、広い射撃角度を確保する
ことで、それまでの同一排水量の戦艦を遥かに上回る攻撃力と防御
力を実現したのじゃ。

簡単に言えば、ドレッドノード級の登場で、それまでの戦艦は一挙
に旧式艦となってしまったということでの、この後の軍備拡張、建
艦競争のなかでは、弩級、超弩級、超々弩級などという表現が使わ
れたのじゃ。

大正頃の日本では、いや昭和に入っても、巨大で強力な物の代名詞
としてこの戦艦のクラスの呼称が使われ、ド級を弩級と表記したの
じゃが、単に音を当てただけなのじゃが、やはり強力な兵器という元
の語感をいかす文字を選んだということであろうの。
125世界@名無史さん=120:2001/05/06(日) 20:02
ありがとうございます124どの!

浅学ながら補足させてもらいますと、
帝国海軍が巨艦主義を貫徹するあまり
戦闘機の意義を軽視したことが先の大戦の敗北につながったとの見方があると。
実は真珠湾で戦列艦の時代は終わっていたという・・・

はっ、失礼いたしました!
126世界@名無史さん:2001/05/08(火) 13:32
サノバビッチってどういう意味ですか?
人名?
127世界@名無史さん:2001/05/08(火) 14:36
>>126
son of a bitchと聞いたことがある
128世界@名無史さん:2001/05/08(火) 14:51
>>126
>>127の書いてる通り。

もともとは「お前の母ぁちゃん売女」って、悪口。

もっとも映画なんかで観てると、アメリカ人(だいたい下層のヤツら)が「なんてこったい」みたいな状況で使ってる。
わからんな、あいつらの思考回路(藁
129名無しチェケラッチョ♪:2001/05/08(火) 21:26
>>128
強意でfuckin'とか使うよね。
日本で使うとリベラルが過剰反応するけど(苦笑
130世界@名無史さん:2001/05/09(水) 04:05
アズマが一つの民族である以上正当な理由なく排除することはできないはずだ。
131世界@名無史さん:2001/05/09(水) 04:05
それも一理あるな。
132世界@名無史さん:2001/05/09(水) 04:06
アズマがどんなものか知らないんで、とりあえず立ててみれば。
レスがつかないなら下がるし、つくなら続けるでいいんじゃ。
133世界@名無史さん:2001/05/09(水) 15:14
今行ったら日本史板のアズマスレが削除されてた。
そしてこの板にアズマの犯行予告宣言。
134世界@名無史さん:2001/05/12(土) 17:51
インド史スレッドって無い?
135世界@名無史さん:2001/05/12(土) 19:47
>>134
過去にインド史スレあってもすぐ落ちて消えてるんじゃないかな。
これはやや例外。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=979784020&ls=50
136世界@名無史さん:2001/05/13(日) 03:33
トルコとティムールのモンゴルとが戦った『アンカラの戦い 』について
詳しく知りたいのですが…
できれば、オスマントルコに関係する他の戦いも知りたいです
ここのスレッドで答えていただけるでしょうか?
それともすでにそういったことに関係するスレッドが立ってますか?
よろしくお願いします
137世界@名無史さん:2001/05/13(日) 11:49
>>136
ティムールについて教えてください
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=985707831
トルコのスレイマン国王について
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=978955916

ここにもアンカラの戦いの話題あり。
密集陣て有効なの
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=972097432

過去ログから
永楽帝VSティムール
http://mentai.2ch.net/whis/kako/973/973067024.html
138カニシカ王:2001/05/15(火) 03:07

ノルウェーとデンマークが占領される中、なんでスウェーデンだけはナチスの侵略を免れたの?
139世界@名無史さん:2001/05/15(火) 03:11
三時期(石器、青銅器、鉄器時代)はデンマークのJ.トムセンによって
提唱されたが、彼はこの考え方を古代ローマの哲学的詩人の「世界論」
という哲学的教訓詩から影響を受けた。エピクロスの唯物的哲学に
感化されたこの詩人の名を記せ。

あぁ〜無駄スレッドを増やしてしまった
ごめんなさいm(__)m

140世界@名無史さん:2001/05/15(火) 07:11
「海の民」って何者ですか?
141Cavabien:2001/05/17(木) 01:00
なんか最近世界史板にアニメ・漫画元ネタの書き込みが増えてるような気がするのは
何故じゃろか・・・。
142Cavabien:2001/05/17(木) 01:01
いや、つか「増えてるのは何故じゃろか」。
143世界@名無史さん:2001/05/17(木) 01:14
>>142
軍事板でも懸案のご様子。
144世界@名無史さん:2001/05/17(木) 01:19
>>141
アニオタ・ヒッキー・ウヨサヨは2chの華です。
145世界@名無史さん:2001/05/17(木) 07:04
>>141
他の板でも湧いてるので、削除屋さん達もウンザリしてるみたい。
ここはまだマシな方みたいよ。
146名無しさん:2001/05/17(木) 15:45
数年前のことでしょうか。テレビの特番(「木曜スペシャル」みたいなの)
で、ケネディー暗殺の真相なるものが放送されたことがありました。その番組
には、道路(大統領車が通っていた道)を正面にした場合、手前の木々の間に
銃を持っている人間が狙っている写真が公開されていました。非常にピンぼけ
したような写真でしたが、赤い線で輪郭が描かれていた(番組側によって)の
を覚えています。他にも、運転手が左手で右肩越しに銃を後ろに向けて撃って
いる<ように>みえる写真などが放送されました。
 ところが、この映像と写真、この番組が最初で最後でした。それから一度も
みたことがないです。ネット上でも探したのですが、言及しているHP等をみつ
けることができませんでした。
 どなたかこの件にかんしてご存じの方いらっしゃいませんでしょうか。
数年前のことでしょうか。テレビの特番(「木曜スペシャル」みたいなの)
で、ケネディー暗殺の真相なるものが放送されたことがありました。その番組
には、道路(大統領車が通っていた道)を正面にした場合、手前の木々の間に
銃を持っている人間が狙っている写真が公開されていました。非常にピンぼけ
したような写真でしたが、赤い線で輪郭が描かれていた(番組側によって)の
を覚えています。他にも、運転手が左手で右肩越しに銃を後ろに向けて撃って
いる<ように>みえる写真などが放送されました。
 ところが、この映像と写真、この番組が最初で最後でした。それから一度も
みたことがないです。ネット上でも探したのですが、言及しているHP等をみつ
けることができませんでした。
 どなたかこの件にかんしてご存じの方いらっしゃいませんでしょうか。
147名無しさん146:2001/05/17(木) 15:46
>>146
あぁ(泣 二重ごめんなさい
148世界@名無史さん:2001/05/18(金) 16:29
佐藤大輔@SF板スレ
http://natto.2ch.net/test/read.cgi?bbs=sf&key=989763041&ls=100
で以下のようなテーマが話題になっているのですが

>情報技術の発展と普及は大帝国の維持に
>役立つか否か、って流れになっている。中央と帝国全土が
>時差なく情報を共有できれば、中央は統制がやりやすいのは
>確か。しかし下々同士が連帯することも可能になってしまう。
>さてどうだろってこと。

実際の歴史上の事例で大国家(大帝国)の成立及び維持と情報伝達速度との
関連について何か資料はないでしょうか。
たとえば,歴史上の大国家の場合辺境で起こった事態が首都に伝達されるまでの
タイムラグと国家の分裂の関連などを考えてみるのも面白いと思うのですが,
どうでしょう。
149世界@名無史さん:2001/05/18(金) 16:31
中身は違うかもしれないが、
「地中海」などは。違うかな・・・
150世界@名無史さん:2001/05/18(金) 16:41
WW2で、
ドイツはイギリスとソ連、
イタリアはアフリカと対決したわけですが、
日本がイギリスとアメリカを相手に選んだ理由が分かりません。

どうせ奇襲するなら、太平洋より、
中立協定を破ってソビエトに侵攻したほうが、
中国戦線の関東軍との連携などもできたと思いますが。

それを日本軍にさせなかった、
ソビエト側の軍事的理由などはあったんですか?
151世界@名無史さん:2001/05/18(金) 16:50
>>150
石油
152世界@名無史さん:2001/05/18(金) 17:00
石油・・・?それならなおさら日本軍が欲しがりそうですが?
153世界@名無史さん:2001/05/18(金) 17:01
>>150
151を補足するなら、太平洋で戦ってインドネシアや
マレー半島を取れば石油他の戦争資源が獲得できる。
でもソ連と戦っても凍った大地以外何も獲得できない。
ていうか禁輸で日本経済は停止寸前だったので、悠長に
シベリアで領土拡大なんかやってるヒマなかったのです。
まず石油。そういうことです。

その他にもドイツのモスクワ攻勢(タイフーン作戦)失敗
とか、対ソ戦開始を断念する理由はあったのです。
154151:2001/05/18(金) 17:19
>>152
ちょっとトラブルがありまして・・すまんです>>152さん
つい書き込みボタンを押してしまいました。
基本的には>>153さんの仰るとおりです。
ただし,当時の日本海軍は石油や資源を確保するために南方資源地帯を
占領したのですが,手に入れた資源を日本本土へ運ぶと言うことに
まるで無頓着であり,輸送船団にほとんど護衛をつけませんでした。
結局これが仇となり,ボロ負けの一番の原因となったのです。
詳しくは学研M文庫「海上護衛戦」を読んでみることをお勧めします。
追伸>>153さん,フォロー感謝します。
155@名無史さん@:2001/05/18(金) 17:26
タイフーン作戦が成功していたら、
ドイツと日本のソ連挟み撃ちが始まってたかも知れない訳ですかね。

156151:2001/05/18(金) 17:32
>>155
だから,よっぽど陸軍が無茶しない限り無理。
もしソ連相手に宣戦布告したとして,メリットは存在しない
どちらにしろ石油確保のために米英と会戦しただろうし
中国戦線は放っておく訳にもいかないし,結局史実以上に
兵力と戦争資源を分散しこてんぱんに叩かれておしまい。
いや,シベリア踏破してウラルの工業都市地帯まで攻め込むって
言うのならまだ話は別だと思うけど,そこまで行くとトンデモだし。
157世界@名無史さん:2001/05/18(金) 22:39
>>155
日本がソ連と開戦したとして、利益を受けるのはドイツだね。

アメリカの対ソ援助物資の半分は、津軽・宗谷両海峡を抜けて
ウラジオに陸揚げ、シベリア鉄道で運ばれていた。

これを遮断できればドイツはいくらか楽になるが、連合国陣営は
「遮断役の日本をまず潰す」ことに決めるだろうね。
158食いだおれさん:2001/05/20(日) 14:41
ナラム・シン四方世界の王って何した人なんですか?
159世界@名無史さん:2001/05/20(日) 19:30
東欧の貴族の方々はソ連による「占領」後どうなったのでしょうか?
ルーマニアやブルガリア、特にブルガリアでは元国王が政治に場に立とうといていますが、
もし王制が復活、てことになったら同時に貴族も甦るのかな?と思ったのです。

そもそもそういう人たちは現地の人だったのでしょうか?
国王はドイツとかから輸入したと聞きますが・・・・・・・・・。
160ななし:2001/05/20(日) 20:00
フリードリヒ大王の「疲れた〜」って何処に書いてあるんですか?
161シャールフ:2001/05/20(日) 22:13
>>158
>ナラム・シン

最初にメソポタミアを統一したサルゴン大王の孫
第4代王(Bc2254〜18)
周辺の蛮族を討伐し国をよく治めた(らしい?)
シュメール・アッカド人にとってティグリス・ユーフラテス川
周辺の土地が世界の総て、下の海(ペルシャ湾)から上の海
(地中海)までを支配しなので「強き人、四方世界の王」って
碑文に書かせたんじゃない。
彼の死後帝国は直ぐに瓦解しちゃったみたいだけどね。
162アマノウヅメ:2001/05/20(日) 23:04
>>100
ダンカン王の息子でマルカム王と呼ばれる人はおそらくスコットランド王
マルカム3世だけだと考えられます。
この人は、ノルマン征服の頃の1066年に亡命というか漂着というか
イングランドから船で逃げてきた皇女マーガレットと結婚したので
その後の史料には割りに載ってます。
王妃は、カトリック教会から、聖人に列せられた女性で
二人の間に6男2女が、生まれました。
後を継いだのは、ダヴィド、イングランド王妃になったのはマチルドです。
163158:2001/05/20(日) 23:05
なるほど、ありがとうございます。
164世界@名無史さん:2001/05/20(日) 23:08
パンクスって貴族の階級のことらしいですが
いつ使われていたんですか?
165大学生さん:2001/05/21(月) 02:10
万里の長城を作ったのは大工さん、これで合ってるの?
クレオパトラの鼻の高さってどれくらい?
ナイル川で溺れた人って何人くらい?
サンタマリア号で船酔いした人ってどのくらい?
何故キリストの名前はノーじゃなくイエスなの?
あのヒトラー、人を大量に殺したけど、虫とかは好んで
殺したりしたのかな?
166通りがかり:2001/05/21(月) 07:02
ハングル版の住人ですが、こちらで質問したほうが適切だと思うので
詳しい方教えてください。
チョンで明治以降、世界的に有名な歴史家はいるでしょうか?
また、日本人についてもお願いします。
167:2001/05/22(火) 04:11
誰かー!!教えて下さい!!
マーチンルーサーキングJr.の誕生日と、簡単な家族構成を
教えてください!!リンク先などでも全然おっけーです。
お願いします!!
168:2001/05/22(火) 04:27
誰かー!お願いします!!
色んなとこ調べたのに(ネット)ちっとも見つかりませんでした。
今日の13時までに必要なのです!
助けてくださいー!
169:2001/05/22(火) 04:29
海外サイトでも全然オッケーです。
むしろ英語のほうがありがたいです。
170世界@名無史さん:2001/05/22(火) 05:13
アイゼンハワー(34だい米大統領)のきらいな動物って何?
クイズがとけません。。。
解答おねがいします!
171学生:2001/05/22(火) 05:15
ベツレヘムへと向かった3人の賢者って誰と誰と誰?

教えて。
172世界@名無史さん:2001/05/22(火) 08:41
>>171
ヒントはエヴァに出てくる三つの生体コンピュータ。(藁
173世界@名無史さん:2001/05/22(火) 12:24
>>167

http://www.nps.gov/malu/

どんな調べ方すれば、全く見つからんなんてことが
ありうるんだ・・・
174世界@名無史さん:2001/05/22(火) 12:31
>>172
ここで問題です。
その3機のうち、使徒の浸襲に最後まで耐えたのはどれでしょう?(w
175世界@名無史さん:2001/05/22(火) 12:36
おばけのキャスパーくん。
176:2001/05/23(水) 01:41
173さん。ありがとうございました。
卒論でマーチンルーサーキングの事書こうと思ってて、
今日先生にちょっと調べてきなさいって言われてたんです。
なんとかなりました。
ありがとうございました。
ちなみに、調べたのは、やふーなんですけど、
マーチンルーサーキングで検索したら、気が遠くなるくらいヒットして、
一応、1件1件調べていったら、博物館、カレンダー、アメリカの学校の休日など、
いっぱいあって、自分の探していたサイトになかなかたどりつかなかったので、
ここに来てみました。
ほんとにありがとうございました。
177世界@名無史さん:2001/05/24(木) 20:14
ローマ法皇というのは現在でも存在するのでしょうか?
また、ネロというのは以前のローマ法皇なんですか?
178考える名無しさん:2001/05/24(木) 20:17
ヒマな人がいたらタラス湖畔の戦いについて
解説してくだされ。
179名無しさん:2001/05/24(木) 21:45
>>172
カスパー・メルキオール・バルタザールの由来ってそこからだったのね。
180世界@名無史さん:2001/05/24(木) 21:49
>177
わざとボケてるのか本気なのか……。
一応マジレスしておくと、法王はバチカンに現存してますよ。
現在の法王はヨハネ・パウロ2世。これぐらいは常識です。
ネロというのは、古代ローマ帝国の皇帝が有名。
まあ、私も歴代すべてのローマ法王の名前を知っているわけではない
ので、ひょっとするとそういう名の法王がいたかもしれませんが、
その可能性は低いと思います。キリスト教徒を迫害した皇帝と同名の
法王がいたとは思えませんので。
181>180:2001/05/24(木) 22:24
いません。
182世界@名無史さん:2001/05/25(金) 00:19
>>177
異教徒の名でも、ユリウスとかハドリアヌスとか言う名は
ローマ社会に浸透していたので、キリスト教になっても
広くつけられた名前です。
しかし、ネロとかカリギュラとかカラカラとかは本来、あだなのせいも
あるようですが、法王どころか一般の名前にも使いません。
183世界@名無史さん:2001/05/25(金) 07:43
>>177
まさかローマ皇帝と混じってるんじゃ・・・にしてもなあ。
184世界@名無史さん:2001/05/25(金) 07:50
質問スレは、先にこちらのほうを消化していただけませんか?
こちらのほうはしばらくねむらせれおく、ということで。
「世界史なんでも質問箱☆」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=961970201&ls=50
185世界@名無史さん:2001/05/25(金) 12:26
>>184
と言いつつこのスレをageちゃ意味が無いよ。
それはともかく、みんなも184が指定してるスレを先に使ってくれ。

********一旦休止**********
186世界@名無史さん:2001/05/25(金) 12:27
法皇と法王は同じですか?
微妙な違いはありますか?
187世界@名無史さん:2001/05/25(金) 12:53
蒙古軍は日本刀に恐れをなしたって本当ですか?
188アマノウヅメ:2001/05/25(金) 13:12
>>186
カトリック教会は、正式には教皇と呼びます。
法王は通称ですね。
それから、法皇は、天皇の位を退いた後、仏門に入った人をさします。
189世界@名無史さん:2001/05/25(金) 14:28
ローマ法王とローマ法皇は同じ意味なんですか?
190世界@名無史さん:2001/05/25(金) 14:47
「皇」は日本では、天皇家以外にはあまり使わないことに
なっているから、マスコミでは「王」
191世界@名無史さん:2001/05/25(金) 14:53
第二次世界大戦に参加しなかった
中東・オーストラリア・南米・アフリカ南半分・カナダは、
その頃一体何をやってたんですか?

また、彼ら彼女らには、
戦争に関してどのような情報が送られていたのですか?
192世界@名無史さん:2001/05/25(金) 17:02
ローマ法皇という表記はおかしいんですか?
ローマ法王とかかなくちゃ笑われますか?
193世界@名無史さん:2001/05/25(金) 18:32
教皇って書かなきゃ、少なくとも大学で史学科とか
逝った後には笑われるかも。
19415:2001/05/25(金) 18:44
>>191
中東←イギリス・ドイツの争い・オーストラリア←日本と戦ってた
・南米←内戦紛争多発・アフリカ南半分←宗主国同士が戦ってた
・カナダ←参戦してた。
スイス←入ってきたら戦った。
19515:2001/05/25(金) 18:45
バチカン←ムッソリーニと提携してた。
1961:2001/05/25(金) 20:34
ぐはぁ!ほとんど建て逃げ状態だったからとっくに沈んでると思ったが
まだ機能してるようだ・・・・・

世界史板にとって役に立ったかな?このスレ。
197アマノウヅメ:2001/05/25(金) 21:50
>>192
ローマ法皇という表記は普通使わないので、
なにか信念があって使用するなら別ですが止めといたほうがいいですよ。
誤字と思われて損をします。
198世界@名無史さん:2001/05/25(金) 23:01
ん・・・・・・「教皇」という名称はどうでしょうか?

「セイントセイヤ」というアニメで、原作の漫画では単に「教皇」と呼ばれていた人物に、
アニメでは無理やり(原作者に断りも無く)適当な名前をつけていたのは、
「教皇」という呼び名をバシバシ使うと何か宗教上問題があったのかな?と思ったものですが。
199世界@名無史さん:2001/05/25(金) 23:04
>>191
少なくとも、オーストラリアは全面的に参加してたよ。
他の国も義勇兵をどんどん送ってたし。
200アマノウヅメ:2001/05/26(土) 02:08
>>198
「セイントセイヤ」は、原作とアニメに結構違いがあって、
呼び方に意味があるのかどうかさえ解りません。
しかし、原作者の承諾はあったと思います。
著作権の問題があるから。
人種問題を考慮して「ブラック・セイント」を「暗黒セイント」
に直したと言う話は本当のようです。
ただ教皇と呼んでも今時カトリック教会や信者が苦情言うとは
思えませんが、マスコミの過剰反応は、あったかもしれませんね。
201世界@名無史さん:2001/05/26(土) 02:33
星矢か。懐かしいなー。
原作だとただ「教皇」だったのが
アニメだとアーレス教皇になってたんだっけ?
でもちゃんと教皇って呼んでたと思います。

>>196
立ってるけど
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=961970201
かぶってない?
202アマノウヅメ:2001/05/26(土) 03:27
>>201
星矢のアニメでも最初の教皇は、名前が無かったような気がします。
人格が変化して、教皇交代ってことにしたんじゃ。
ところで、世界史から随分離れたところに来てしまったようですが、
漫画板に、星矢のスレありますか?
203ドレミファ名無シド:2001/05/26(土) 10:53
ローマ教皇というのが一番正しいというか一般的なのですか????

ローマ法皇はないにしても
ローマ法王という表記もナシなんでか?
ローマ教皇のが一般的なんですか?
204アマノウヅメ:2001/05/26(土) 16:12
>>203
ローマ法王    一般的・マスコミ用語
ローマ教皇    学術的・正式名称
  と考えていいのでは。
205ドレミファ名無シド:2001/05/26(土) 18:06
ありがとうございます
206世界@名無史さん:2001/05/27(日) 04:26
ラクシュミバーイーのことを詳しく教えて頂きたい
207Cavabien:2001/05/27(日) 04:57
ラクシュミバーイーについては、以前ソフトバンクから出ていた
「戦場の乙女たち」が一番解りやすくてよかったんですが今は
絶版になってます。
あと、中公文庫から「インド大反乱1857」というのが出ていて
これにも記述があったらしいのですがこれまた絶版です・・・。
別スレでラクシュミについて書きましたが、これは以前上記の書籍
「戦場の乙女たち」を読んだ際のおおよその記憶を元にしたものです。
(だから詳しく書いてないのです。スイマセン。)
208世界@名無史さん:2001/05/27(日) 23:32
クレオパトラのスリーサイズを教えてください。
209海老茶式部:2001/05/27(日) 23:56
>>208
スリーサイズってのはハリウッドのでっちあげで
映画以前には無かったとおもいます。
2101:2001/05/29(火) 21:35
じゃあ、私も利用させてもらうか・・・

誰か中国の正史の一覧を貼ってくれないか?
中国史オンチなのでさっぱり分からん。。。

史書→漢書→後漢書→三国志→??
これしかわからん。。
211おたく、名無しさん?:2001/05/29(火) 23:22
第一次世界大戦のソンムの戦いとアイルランド人の関連に
ついて調べる宿題が出たんだけど…。
資料が見つかりません。誰か助けて!
やっぱ同年に起きたイースター蜂起と関係が?
212世界@名無史さん:2001/05/30(水) 02:32
>>211
うん
213世界@名無史さん:2001/05/30(水) 02:33
>>208
85 61 80
214世界@名無史さん:2001/05/30(水) 04:59
>>210
史記、漢書、後漢書、三国志、晋書、南史、北史、新唐書、新五代史、宋史、遼史、金史、新元史、

あと時代がかぶるのは
宋書、南斉書、梁書、陳書、魏書、北斉書、北周書、隋書、旧唐書、五代史記、元史、

明清時代については
明史稿、明史、清史稿、清史、
215世界@名無史さん:2001/05/30(水) 19:47
『アメリカ植民地時代のタウンシップの仕組みとその特徴についてと、
このような政治共同体が成立した歴史的背景について』

このレポートを書かねばなりません。
ご教授お願いします。
よいHPも見つかりませんでした。
知っていましたら教えてくださるととても助かります。
216世界@名無史さん:2001/05/30(水) 19:54
>>215
そのくらいのレベルのものをホームページで探そうとするのが
間違い。大学の図書館で蔵書検索システムにキーワード叩き込むか、
そういう便利なものがなければ関係しそうな本の参考文献を
ひたすらチェックしていくのが正しいやりかただし、
それ以外にない。
217世界@名無史さん:2001/05/30(水) 20:41
16世紀前後のセルビアの歴史教えて(大まかでいいんで
あとセルビア人の画像ないですか
218世界@名無史さん:2001/05/30(水) 21:21
>>217
オスマン・トルコ領。多少ハプスブルク家との間で
とったりとられたりがあったかな?忘れた。
219世界@名無史さん:2001/05/30(水) 21:46
>>1=210
質問スレはこっちを先に消化しましょうや。
「☆世界史なんでも質問箱☆」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=961970201&ls=50
2201:2001/05/31(木) 00:23
>>219
すまんね。私が立てたときは見当たらなかったもので……
でも、あっちもしばらく待てば終わりそうなので、それまで
同時進行でマターリ逝こうや……って駄目?

>>214
サンクス!よく見たら私、史記を「史書」て書いてる……鬱。。。
221アマノウヅメ:2001/05/31(木) 13:36
>>210.211.215
大学の図書館って何のためにあるんですか?
歴代、大金を注ぎ込んでるんだから
利用してくださいよ。
私の学生時代には検索システムもなかった。
とにかく昔の学生は勉強したもんだ、
と言うと歳がばれるか。
222世界@名無史さん:2001/05/31(木) 14:09
中国の暦と西暦の対応を教えてくれるページって無いっすかねぇ?

琉球の古文書とか家譜がWebで検索できるんだけど
全部中国の暦で記されてるもんで
223アマノウヅメ:2001/05/31(木) 14:15
>>222
『東方年表』って本があるんですが…
今、手に入るかどうか。
手帳サイズだし。

224222:2001/05/31(木) 14:20
>>223
フリーソフトで変換ソフト見つけました
が、ここの環境ではDLLの初期化エラーが(;´Д`)
自宅で試してみます、ありがとうございます
225匿名希望さん:2001/05/31(木) 16:17
「ルネッサンス頃のイギリス人の世界観と現代人の世界観を比較せよ」
という課題が出たのですが、奴らと私達の根本的な考え方の違いって
なんですかね。教えてください!!
226世界@名無史さん:2001/05/31(木) 16:19
なんかネタスレになってきたような・・・
227世界@名無史さん:2001/05/31(木) 19:08
>>221
大学生じゃないんだけど……
228世界@名無史さん:2001/06/01(金) 20:22
モザンビークの黒人がどのような経路で宣教師の従者に
なったかわかりますか?
また、当時日本に来ていた宣教師の有名所は
ザビエル(スペイン)
フロイス(リスボン)
ヴァリアーノ(イタリア)
ですが、彼等の属する国の植民地だったのでしょうか
229アマノウヅメ:2001/06/02(土) 01:13
>>228
植民地出身の可能性は高いのですが、黒人奴隷は
プランテーションが確立するまで、家内奴隷、従者として
可愛がられていたようです。

大体、日本に来ていた初期の宣教師はイエズス会です。
イエズス会の有力者、特に初期の会員にはバスク人の貴族が
多かったようです。

バスク語は、悪魔でも降参すると言われた言語ですが、
印欧語ではないためそう言われただけで、日本語とは互換性
があったのでしょう。

詳しい経路については、専門家にお願いします。
230世界@名無史さん:2001/06/02(土) 03:21
全然歴史に関係ないんすけど、
KOEIのゲーム「蒼き狼と白き牝鹿 元朝秘史」に
出て来る北アフリカの国、「アルモハード帝国」って
何処の国のこと?
聞いたことがありまへんがな。
231世界@名無史さん:2001/06/02(土) 03:47
>230
ムワッヒド朝のことですね。
アラビア語ではal-muwahhid。
スペイン語経由でヨーロッパに入ってアルモハドになったのかな。
232世界@名無史さん:2001/06/02(土) 12:50
おお!!有難うございます!!

2年来の疑問が解けました(笑)。
サンクス。
233世界@名無史さん:2001/06/02(土) 12:55
オーストラリア軍って戦争したことあるの?
234世界@名無史さん:2001/06/02(土) 12:59
>>233
ご冗談を。
235世界@名無史さん:2001/06/02(土) 14:12
>>233

ははは、なかなかユーモアのセンスに長けていらっしゃいますな。
236世界@名無史さん:2001/06/02(土) 14:34
>>233
あーあ、さっそく2つもレスがついちゃって(w
嘗ての敵ですよ、敵!
237世界@名無史さん:2001/06/02(土) 15:39
唐の高祖李淵は青い眼だったって本当?
238世界@名無史さん:2001/06/02(土) 22:50
時事ネタと言うことで、ネパールの歴史を教えてください。
239アマノウヅメ:2001/06/02(土) 23:16
>>237
李淵の眼は黒ってゆうか茶色です。
唐は胡と言われますから、トルコの血もだいぶ混ざっていたようです。

唐代の胡旋の舞に、捲毛碧眼とありますから
巻き毛や青い目は珍しかったでしょう。

イギリス人でも、ドイツ人でも完全な金髪碧眼は、
それほどいませんから。
240日本史選択大学受験:2001/06/03(日) 00:47
 欧州史の王位継承の紛争、例えば100年戦争とか
             (↑あってるかな↓)
 ハプスブルグ家がスペインとかオーストリアを支配したりとか

なぜそんな風になるのかがわかりません。
 外戚関係があると言っても、言葉も習慣も違う国の支配者になるなんて
よくわかりません。教えてください。
241228:2001/06/03(日) 14:15
>>229
ありがと
242おじいちゃん:2001/06/03(日) 16:21
ヒトラーがサイコパス(精神病質者)だったってホントっすか?
243世界@名無史さん:2001/06/03(日) 17:54
イヴァリースのアトカーシャ朝っていうのはどういう性格の
王朝だったんでしょうか。
244世界@名無史さん:2001/06/04(月) 10:46
朝鮮関係のスレでやたらと見かける「ウリナラ」って言葉、どういう意味なの?
245アマノウヅメ:2001/06/04(月) 14:52
>>240
フランス革命以前は領地というのは領主の財産だったわけです。
財産といっても個人資産とは違いますから、色々制限があります。

この領地は男女誰でも血筋の近い順で継ぐとか、
女領主は認めないが、その子が男であれば領主にするとか。、
女系の相続は何が何でも認めないとか(サリカ法がこれです)
いろいろありました。

だから、王族の血を引く人々は王位継承に備えて語学の勉強を
していました。
イギリス国王に迎えられたジョージ1世は、一生英語が話せなかったと
伝えられますが、よほど勉強嫌いだったのでしょう。
ヨーロッパの王族や大貴族に生まれたら子供の頃から5,6か国語
を教えられるのは常識でした。

しかし、このような厳しい教育についてこられない人が、王や王妃に
なることも多かったわけです。

王が王たるにふさわしくないと側近が判断すると実権を奪います。

フランス革命の時のルイ16世は、王妃に責められて有能な側近は
クビにしてしまうし、いよいよヤバくなったときは
王妃の実家の軍隊を差し向けてもらおうとして国家に対する反逆罪に
問われました。もちろん夫婦とも死刑です。

それ以前は御祖母さんの甥でも曾御祖父さんの従兄弟からでも
王位が転げ込むのはざらでした。
246世界@名無史さん:2001/06/05(火) 00:33
プラハ窓外放出事件、について教えてください。
教科書レベルじゃ名前だけで心もとないんで・・・
247世界@名無史さん:2001/06/05(火) 00:40
最近ホイジンガの中世の秋を読んだのですが、
すごくおもしろかったです。
今までの中世のイメージがいい意味で変えられて。
現在中世の秋は学者の間ではどのように
評価されているのでしょうか。
248日本史選択大学受験 :2001/06/05(火) 01:44
 アマノウヅメ様 ご回答ありがとうございました。

 ということは、フランク王国が相続慣習のため3国に分裂したように、
フランス革命以前までその習慣に基づいて、手王族の相続関係で国の
範囲が切ったり張ったりされていたと言う理解でよろしいでしょうか。

 しかし、どの範囲までが王族でどこから封建領主(「地方の王様」
ってあってるかな?)的相続の権利しかない身分となるのでしょうか。

 あと、ゲルマン人、フランク王国とハプスブルグ家との関係は
どうなっているのでしょうか。
249世界@名無史さん:2001/06/05(火) 02:15
>>238
http://news.yahoo.co.jp/headlines/mai/010602/dom/22450000_maidomm070.html
これじゃダメですか?

>>243
全然知らない国だと思って検索にかけちゃったよ…。

>>248
西ヨーロッパではもともと国王は封建領主の第一人者程度の存在。
だから国王(王族)と地方領主(貴族)は厳密に分けようにも分けようがなかったし、
血が繋がっていれば地方貴族程度の者でも国王になれないことはなかったわけです。

ゲルマン人の一派がフランク族、
フランク族が建てた国家がフランク王国、
フランク王国が分裂してできたのが
(実質的には国王以下封建領主の領国の集合体である)フランス王国と神聖ローマ帝国。
でも、のちにハプスブルク家が皇帝になれたのは
フランク王と繋がっていたからではなくて、
あくまで選挙でドイツ王(戴冠すれば皇帝)に選ばれたから。
まあおそらく間接的に血は繋がっているのでしょうが…。
250世界@名無史さん:2001/06/05(火) 09:44
WW2終戦後、イタリアやドイツに配属されたGHQは、
それぞれ誰が米軍から総司令官になったんですか?
後、それぞれ、具体的にはどのような国家矯正政策が施行されたんですか?
251250:2001/06/05(火) 09:46
ドイツ東部のGHQはソヴィエトでしたが(蛇補足
252世界@名無史さん:2001/06/05(火) 23:22
この板はいつもおもしろいんですがなんでウヨサヨの問題に関しては
シビアなんですか。
253世界@名無史さん:2001/06/06(水) 03:23
無限に不快なループをして、低レベルなわりに偉そうな書き込みが増え
るためです。だと思う、多分。板の雰囲気が険悪になったり、他所様の
混乱振りを見ているととても容認できない、というところかな。>>252

それでもコリアネタをなんとかして続けたい方がいるみたいですが・・・
他のことにも興味を持ってほしいものです。
254日本史選択大学受験 :2001/06/06(水) 04:09
249様 ありがとうございます。
>国王(王族)と地方領主(貴族)は厳密に分けようにも分けようがなかったし、
>血が繋がっていれば地方貴族程度の者でも国王になれないことはなかったわけです。

 なるほど。大分わかってきました。つまり、私の記憶が正しければ、ウエストファリア条約以後
に近代国家が成立した。(フランス革命以後といったほうが正しいのかな?)
しかし、それ以前の中世(あってます?)西欧世界はそれ自体が一つの国家であった。
 という理解で正しいでしょうか。

 ところで、王が相続を主張できる範囲と言うのはどのあたりまでなのでしょう。
例えば、イスラム世界の土地を相続するという主張はできなかったでしょう。
 キリスト教国の範囲であるとか、フランク族の血を引く被相続人が支配していた
領地であるとか、どのあたりまでなんでしょう。
255世界@名無史さん:2001/06/06(水) 10:09
ヨーロッパが全体として、1つの国のようなのは、イスラムと戦う場合を考えてでしょうか?
同様に考えれば、中国が大帝国であったのは、周辺の蛮族のおかげでしょうか?
256世界史@名無しさん:2001/06/06(水) 10:41
ポル・ポト氏およびポル・ポト派(クメール・ルージュ)の実像について
詳しい方、教えてください。
257世界@名無史さん:2001/06/06(水) 19:19
後漢時代の農民反乱のセリフ
「王侯諸将いずくんぞ種あらんや」の意味はなんなんですか?
258249:2001/06/06(水) 20:14
>>249
正直に言うとヨーロッパ史はさほど詳しくないので
的外れなことを書いているかもしれません。
そのときは許してください。

ひとつの国と考えるよりはひとつの文明世界といったほうがいいかな?
西欧キリスト教世界でまとまりをもっていたようですね。
だからといって完全にヨーロッパが完結した世界として
他の文明世界との間が閉じていたと考えてしまうと、
実状とズレが生じる恐れがあると思いますが…。

血縁による継承権が主張された範囲は基本的にカトリック圏。
正教圏では宗教の問題でカトリックの王は望まれませんでしたから。
でもカトリック圏出身の貴族が改宗して正教国に君臨した例もあるわけで、
(ロシアのエカテリナ2世はドイツ出身、
19世紀のギリシア王やブルガリア王は元ドイツ貴族)
西欧カトリック世界と東欧正教世界を
だからといって別々の完結した世界と見なすわけにはいかないでしょう。


>>255
ヨーロッパがイスラムと戦うからといってひとつに成ることはできなかったのは
十字軍や対オスマン帝国の歴史から見れば明白。
異質な文明の存在が一個の文明世界にまとまりを持たせるきっかけにはなるだろうけど、
イスラムについてだけを見ると過剰評価じゃないでしょうか。
北の異教とか、東の遊牧民との関わりもあるのかな?

では中国は何故ひとつの帝国にまとまり続けることができたのか?
うーん。


>>257
確か秦末の陳勝・呉広の乱だったと思うんですけど。
正しくは「王侯将相いずくんぞ種あらんや」で
王・諸侯・将軍・大臣だからといって血筋が庶民と別格だと言えるのか?
って意味だったような…
259249:2001/06/06(水) 20:17
切れたか…。


どなたか中国が大帝国で有り続けられた理由を教えてください。


>>257
確か秦末の陳勝・呉広の乱だったと思うんですけど。
正しくは「王侯将相いずくんぞ種あらんや」で
王・諸侯・将軍・大臣だからといって血筋が庶民と別格だと言えるのか?
って意味だったような…
260日本史選択大学受験:2001/06/07(木) 00:43
>258 ありがとうございました。

 フランク族に始まる主権国家成立までの血縁関係図などが掲載されている
書籍などございませんでしょうか。
261世界@名無史さん:2001/06/07(木) 01:20
262世界@名無史さん:2001/06/07(木) 01:26
>>259
漢文が多言語・多文化の広域社会のコミュニケーションツールの役割を
果たしたってのがあるんじゃないでしょうか。
263世界@名無史さん:2001/06/07(木) 05:18
>>259 俗に、ヨーロッパは山が多く複雑な地形をしているので、ほうっておくと
どんどん政治的に地方が分裂する。
逆に、中国は平坦な土地であるから、わざわざ長城をこしらえておかないと、
自然に政治的にまとまっていく、という説があります。

また中国の場合、他の文明圏から比較的孤立しているため、他の文明圏との戦争で
荒廃することがほとんどなかったことも、大きな原因と思われます。
264世界@名無史さん:2001/06/07(木) 16:43
>俗に、ヨーロッパは山が多く複雑な地形をしているのでほうっておくと
>どんどん政治的に地方が分裂する。

だとすると、関中、漢中、四川、福建などの地方は分裂するはずではないか?
265世界@名無史さん:2001/06/07(木) 17:02
>>264
実際、漢中や四川といった地域は中央の力が弱まった際に
地方軍閥の反乱拠点となったんじゃなかったっけ?
蜀なんかいい例だね。
266田中洸人:2001/06/08(金) 02:23
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422/mat11.htm
夏は冬よりも太陽から遠いことがわかります。
267世界@名無史さん:2001/06/09(土) 01:50
地形説は、ことヨーロッパと中国の比較でいう場合に限れば
「多少の効果を与えた」ぐらいで、主因ではなさそうな気がするね。
268世界@名無史さん:2001/06/09(土) 18:01
ハングル板の書き込みとここのそれ系の書き込みはどっちが正しいんですか。
「世界史板のほうがレベルが高い」だの「あの板は糞」などではなくて。
269世界@名無史さん:2001/06/09(土) 18:40
>268
自分で判断したまえ。君が正しいと思う方が正しい。
270世界@名無史さん:2001/06/09(土) 20:50
>>258 逆に、ヨーロッパは世界でも例外的に王権の弱い文明圏だったので、
統一が遅れ、20世紀にようやくEUというかたちで統一がかなったと
見るのもアリでは?
秦始皇帝とナポレオンはしばしば比べられることがあります。

「自由」を美徳とする民族は、世界的に見ても珍しいと思います。
キリスト教経由で入ったギリシャ思想と、ゲルマン族の契約制度が結託した結果、
「契約に基づくこと以外において我々は自由であり、自由は美徳である」という
意識がヨーロッパ(とくに英・仏)に根付き、同時に教皇が王より早く存在し、
王より文化的に優れていたため、王権が宗教的権威たることができず、
政治的統一が遅れた、と、見ることができるのでは?

中華文明には「自由は美徳である」という発想は原則的になく、始皇帝以来
「天子は世界に一人」という意識が浸透し、早期に官僚国家体制が作られたため
地方勢力や地方貴族に比べても王権(皇帝権)が強く、また儒教や仏教は
王権によって権威づけされその逆ではないように、王権を脅かす思想は存在せず、
「中華文明」は「中華皇帝」に代表される中華思想に服すことで統一性が保たれる
という、一種の神権政治であったので、中華文明人たろうとする人は、天子に
服さなくてはならない、という発想となり、長く王朝が続いたと言えるのでは
ないでしょうか?

271世界@名無史さん:2001/06/10(日) 00:33
>270
中華は他種類の異民族の征服や侵略を受ける中で、
部族の継承正統性が天命という思想に抽象化された。
一方、ヨーロッパ?では部族の継承正統性自体が長く残り、
結果として統一に向かない状態だった。
ということですか?

関係ないですが、ECはローマ帝国への復古だと聞いたんですが、
「てゆうか関係ないだろ、おまえらもとは蛮族だろうが!」
と内心つっこんだのは私だけ?
272司馬○:2001/06/10(日) 00:38
ヘンリ8世が梅毒で死んだってほんとですか?
273世界@名無史さん:2001/06/10(日) 13:53
田園詩人の田園ってどういう意味ですか?
274まんじる:2001/06/10(日) 14:51
マリア=テレジアってかわいいって知ってた???
275アマノウヅメ:2001/06/10(日) 15:53
>>274
マリア・テレジアの若い頃はすごくかわいい。
ビクトリア女王も18歳で即位したときは、妖精のお姫様のよう。
オバンやババンになってからの肖像画しか載せないのは
何か悪意があってのことだろうか?
276世界@名無史さん:2001/06/10(日) 16:05
ものすごい歴史音痴なのでスレタイトルに引かれて訊くんですが。
ヨーロッパの王族って国境を越えた結婚をしますよね。
国の象徴(この認識がすでに間違い?)なのに他国の血を入れる。
島国のドキュソ日本人(私)には理解できません。
でも、婚姻の範囲ってあるんでしょうか?
我が独身の宮様は西欧王族に嫁ぐ可能性はあるんでしょうか?
どこらあたりが限界なのかなーと疑問に思ってたので。
既出だったらゴメンナサイです。
277アン・ブーリンさま:2001/06/10(日) 16:19
>>272 腎虚よ腎虚!
わたくしが呪いをかけたのよ、ホホホいい気味!

と言うのは嘘で、梅毒。
1536年ごろ感染、1547年1月28日、58歳で没。

結構好きな王さま。パワフルでよろしい。
278アマノウヅメ:2001/06/10(日) 16:33
戦前、エチオピアから、縁談があったそうです。
まとまらなかったけど。

清朝最後の皇帝溥儀の弟の溥傑の妃は嵯峨家の人です。

皇族が外国人と結婚してはならないという規定はなかったとおもうけど…
詳しいことは皇室典範見てください。
279世界@名無史さん:2001/06/10(日) 16:41
>277
なりきりスレの人?
280世界@名無史さん:2001/06/10(日) 16:55
>>278
ありがとうございます。
でも、どっちかというと日本の皇族の結婚における制約というより
ヨーロッパの王族が日本人(だけじゃなく人種違い)を
受け入れるのかどうかが疑問だったんです。
個人的にはイギリス王室なんかに逝っちゃえば面白いと思ってます(笑)
(年頃のオトコがいないよ!)
281世界@名無史さん:2001/06/10(日) 18:42
>>280
ウィリアム王子陛下に秋篠宮真子さまあたりでどうでしょうか?
紀宮さまはちぃとお年を召しすぎですし(笑)
282おーでぃん:2001/06/10(日) 22:42
>>280
日本史板の議論に参加したこともありますが、
(皇太孫が生まれなかったら、という前提で)
「万一国内で嫁いだ王女に子供が生まれないと、外国へ行った方の子供を呼び寄せるしかなくなる
・・・・・・・そうなると右翼がうるさいだろうな〜」と言う感じでした。

親族がいっぱいいれば問題無いでしょうが(遠縁の子から嫁いでいくとか)、ただでさえ日本の皇室は血統の保存力が弱い(血を引いている、増やせる人が少ない)
のですから、「危険」はおかせないというところでしょう。
283世界@名無史さん:2001/06/11(月) 00:48
エドワード黒太子の黒ってなんですか?
284食いだおれさん:2001/06/11(月) 00:58
>>283
黒い鎧を着てたんじゃなかったかな?
285世界@名無史さん:2001/06/11(月) 20:56
それだけで黒太子ってよばれちゃうの?
286世界@名無史さん:2001/06/11(月) 21:08
黒い鎧に由来するという説と、彼の鎧は別に黒くなくて黒太子は
勇猛さをあらわしたあだ名、という説がある。
287世界@名無史さん:2001/06/11(月) 21:13
あの、質問があるんですが、OKでしょうか?
288世界@名無史さん:2001/06/11(月) 21:24
ちょっとこのことで悩んでます
えっと19世紀のヨーロッパの社会のことなんですけど
どうして産業革命はイギリスで最初におこるのでしょうか?
以下のキーワードを使って文形式にせよと言われています
@政府の姿勢→貿易と海外進出を後援
A国内市場の形成→自由な市民革命(ピューリタン革命、名誉革命)
B豊かな地下資源→石炭、鉄鋼etc...
C広大な海外市場→製造業を刺激
D農業革命→共有地や荒れ地を囲い込み運動として取り込む

勝手なお願いですいません。どうか、お力添えをお願いいたします。
289世界@名無史さん:2001/06/11(月) 21:42
チンポが真っ黒だったからだよ
290世界@名無史さん:2001/06/11(月) 22:12
>>289
んな無茶な。(ワラ
291 :2001/06/12(火) 01:51
フランス王国とでは、神聖ローマ帝国
フランス王国の方が国内の統一が取れているように思うのですが、
なぜ、神聖ローマ帝国がばらばらで地方分権で、
フランス王国がまとまりを保てたのでしょう。
292世界@名無史さん:2001/06/12(火) 03:47
フランスだって国内はばらばらだったよ。
ただ絶対王政がドイツでは成立しなかっただけ。
293世界@名無史さん:2001/06/12(火) 05:28
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=mona&key=991740433&ls=50

モナー板で初めて世界史ネタを見つけました!
どうしたらいいでしょうか?

294世界@名無史さん:2001/06/12(火) 07:10
             , -―- 、
        , l[》《]|      ヽ
        / i/ i ノノノ ))))〉
.      / i i |(リ ( | | | !
      〈ヘ|_|l| l ゝ~ lフ/|
       / | | |( ヽwliヽ |
      / /! | l ヘ《~ヘii巛巛巛    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     /  /ノノ! ノ|リ〉 \/(#^.^#)   < ドイツ30年戦争について教えて♪
   / ,  ./-‐- 、/V\ハ_ヲUU     \_____
   !/ ./    / / |   ゝ つつ
   ヽ_/   ./    !    jj  \
       /               i
      〈   /        |      |'
       ゝ /    l    |   !/
        `〜‐-L__」〜'^
295蒸気機関:2001/06/12(火) 13:21
288さん
イギリスが、なぜ最初に産業革命を達成できたか?というご質問ですが、
蒸気機関等の発明によって大量生産が可能となり、それによって国内市
場の商取引が活発化され、それによって富の蓄積されたことも加えてお
くといいと思いますよ(富が蓄積されたことはほかにも原因があったの
ですが、これも加えておくのもいいと思います)。
しかし何といってもイギリスが成功したのは、蓄積された富を植民地経
営につぎ込んだことでしょう。
腐乱素(フランス)なんかは、せっかくアンリ4世が、ナントの勅令等
によってプロテスタント寛容政策をとり、国内の商工業を盛んにして富
の蓄積を行ったのに、ルイ14世(大馬鹿王)は、ナントの勅令を廃止
し(→その結果商人などが国外へ大量流失)、さらに蓄積された富を戦
争やベルサイユに豪華な宮殿を建てるなどに使用するなどアンリの苦労
をよそに贅沢三昧!
こんなことばっかりしているから、フランスはいつまでたってもイギリ
スに追い付くことができず、対英戦争にも勝つことができないのでした。


296288:2001/06/12(火) 20:21
>>295さん
本当にありがとうございます!とっても助かりました!本当に感謝します。
私はちょっとこういう事は前から苦手だったので・・・・・
これからまだまだ練習しなければいけませんね。本当に有り難うございました。m(__)m
297世界@名無史さん:2001/06/12(火) 21:34
ビザンツ帝国の一夜皇帝コンスタンティノス・ラスカリスについて教えてください。
コンスタンティノープル陥落後、弟がニカイアで即位(僭称?)してるけど、コンスタンティノスはどうなったの?
298世界@名無史さん:2001/06/16(土) 00:17
フランスの皇帝ってどうやって選ばれてたんですか。
ドイツは選挙で選ばれていたみたいですが。
299名無しさん:2001/06/16(土) 00:26
>>298
フランスは長らく世襲の王制。
皇帝を名乗ったのは成上がりのナポレオンから。


300世界@名無史さん:2001/06/16(土) 00:42
>>298
付け加えるなら、皇帝とは心意気だけは世界の王ですから
「フランス皇帝」と自分で言うのも変なんです。
301世界@名無史さん:2001/06/16(土) 01:09
>>298
さらに付け加えるならドイツ(正確には神聖ローマ帝国)の場合
皇帝を名乗っていたのはローマ帝国の後継者たる意識があるから。
中世西欧社会ではローマ皇帝は盟主的な権威があった。
302298:2001/06/16(土) 03:14
ありがとうございます。

フランス(地方?)もいくつかの王国に分裂していたと
思うのですが、その内で盟主のような存在の国はなんという
国なんでしょう。
303世界@名無史さん:2001/06/16(土) 06:31
>>302
フランス共和国の元になった「王国」は
基本的にフランス王国しかないですが…。
でも、たしか現フランス共和国領の一部は
ナヴァラ王国やサヴォイア公国(=サルディニア王国)領だったような。

だいたい、神聖ローマ皇帝というものも
ドイツ(という国名はまだないが)の国王が
ローマ皇帝として戴冠しただけだよ。
ドイツという国家の皇帝であったわけではない。
304世界@名無史さん:2001/06/16(土) 11:48
神聖ローマ皇帝→1801/2→ナポレオン→1870/9→ドイツ皇帝
305世界@名無史さん:2001/06/16(土) 15:09
まずフランク王国あり。偉大な王をシャルルマーニュとかカール大帝とか呼ぶ。
王はフランク人の領域を超えて侵略をくりかえし、たくさんの領土を取った。

当時、王国は完全に法人化していなかったので、分割相続が繰り返された。
王国は一代ごとに更新されるので、○○国の王というより、××王の国と考え
るのが正確か。ま、ともあれそのうちの一つが西フランク王国と呼ばれた。

 西フランクでシャルルマーニュの子孫が絶えたとき、無主物となった財産を、
諸侯が話し合ってイルドフランス公ユーグ・カペーに継がせた。カペーにとっ
てもらいものの王国は、もはや王が子供に分け与えていいような領域ではない。
かくて継続性のある王国が成立した。これを、フランス王国と呼ぶ。
306305:2001/06/16(土) 15:37
う。なんか突っ込みどころが多いな。まあいいか。
307世界@名無史さん:2001/06/16(土) 16:10
>イルドフランス公ユーグ・カペー×
パリ伯ユーグ・カペー○
308ジョドー:2001/06/16(土) 20:27
先生!昨日テレビをみてたのですが、「ゴート札」なる偽札がでて
きました。検索してもアニメの紹介ばかりなのですが、あれは
アニメのオリジナルネタなのですか?それとも事実か噂は歴史上
あったのでしょうか?ナポレオンの資金源になったとか。
既出だったらこのジョドー一生の不覚・・・
309世界@名無史さん:2001/06/16(土) 20:57
>308
アニメの設定をまにうけるのは、小学生までにしとこうね。
310世界@名無史さん:2001/06/16(土) 23:01
フランスはひどい国だよね。
革命から第3共和制までの80年間で
1200万の会話人口があったオクシタン語をはじめ
ブルトン語など各地の地方言語を絶滅させた。
バスク語もスペインではまだ生き残ってるが
フランスバスクじゃ絶滅したし。
311名無しさん@1周年:2001/06/16(土) 23:24
フランス革命って自由がなければ、平等でもないし、
博愛の心なんか持ち合わせてないじゃないか。
312302:2001/06/16(土) 23:59
ありがとうございます。

>もはや王が子供に分け与えていいような領域ではない。

↑の件なんですが、なぜ、分割相続をしなかったのですか。
なぜ、それまでの相続慣習の流れをかえたのでしょうか。

それと、いつ頃から西フランクを
フランスと呼ぶようになったのでしょうか。
313ヘルアドルフ:2001/06/18(月) 14:38
9世紀後半から10世紀にかけて、とにかくユーグ=カペーがカペー朝を開いたあた
りからだったと思う。
314花と名無しさん:2001/06/18(月) 21:05
少女マンガ板から来ました。
世界史板の皆様、よろしくご指導くださいませ。

●あるマンガでは現代から迷いこんできた少女が
古代ヒッタイトの皇太子と恋に落ちます。
そこで、まぁ生活というか女性特有の体の変化などが
話題になっていたのですが、実際問題として月経やトイレ等
どう処理していたのか、スレ住人も気になっているところなんです。

所詮マンガですので気にせずマターリ脳内変換でもすればいいのですが
意外とお勉強になるものですから、ご存知の方、御願い申しあげます。


315名無しさん@1周年:2001/06/18(月) 22:44
あの…タコな質問で申し訳ないのですが、現在フランスに貴族制は残っているのでしょうか?
…サクラ大戦のキャラにフランス貴族というのがいるんですが、その設定見てから
ずっと気になっているんですが…
サクラ大戦の設定は1920年代です…


>>314 あのマンガ、まだ続いていますか…
あらゆる中学校の女子の間で、3年に一度必ずブームになるという説が
あのマンガに対して囁かれてますが…囁いているのは私ですが(笑)
316とっかたたかお:2001/06/18(月) 23:59
『ラシード・ウッ・ディーン』のどれが苗字で名前なのですか?
真中の『ウッ』は何をさしているのです??
317アマノウヅメ:2001/06/19(火) 05:20
>>303
遅レスですみません。

ナヴァール王国は最後の王アンリ・ダルブレが、フランスの
ヴァロア王朝が滅亡(早死にやら暗殺やらで)した時、1番近い
親族であったため、フランス王アンリ4世として即位したので
フランスに併合されました。

アンリ4世はブルボン王朝の祖です。
318世界@名無史さん:2001/06/19(火) 05:47
>316
「ウッ」の意味は私もわかりませんが。
一般に、イスラム圏のアラブ系の名前は「苗字」というものはなく
たとえば、ハッサンの子のムハンマドならハッサン・ムハンマド、
そのハッサン・ムハンマドの子のイブンならムハンマド・イブン、
そのムハンマド・イブンの子のハシムならイブン・ハシムというよ
うに、しりとり的な名前になると聞いたことがあります。
319318:2001/06/19(火) 05:56
ごめん、逆だったかも。
つまり、ハッサンの子ムハンマドなら、ムハンマド・ハッサンだったか
なあ。
うろ覚えでスマソ。
320アマノウヅメ:2001/06/19(火) 05:58
>>316
『ラシード・ウッディーン』なら、アラビアン・ナイトに
出てきても違和感のない名前ですが・・・
321世界@名無史さん:2001/06/19(火) 06:09
>>316
アラビア語はあまり詳しくないので以下に書く事は誤りがあるかもしれませんが…。

ラシードゥッディーンをラテン文字転写で書くとRashid al-Din。
rashidは「正統な」、dinは「宗教・信仰」。
alはアラビア語の定冠詞で、dの前ではadに変化します。
だから、発音すると「ラシード・アッディーン」になって、
つづめて発音するとさらに ad- が -ud- になるので
「ラシーデゥッディーン」ないし「ラシード・ウッディーン」と
いうカタカナが近い音になります。
たぶん「信仰の正道」というような意味の一個の名前で称号に近いもの。
これには苗字は含まれません。
というより、そもそもアラブ人・ペルシア人には元来苗字はありません。
ちなみに、ラシードのフルネームはもっと長くて
「ラシードゥッディーン・ファズルッラー・ハマダーニー」
だったはず。
322321:2001/06/19(火) 06:14
>>319
ハサンの息子ムハンマドならムハンマド・(イブン・)ハサンですよ。
現イラク大統領はフセインの息子サッダームなので
「サッダーム・フセイン」です。

>>320
ラシードゥッディーンは「集史」の編著者です。
323世界@名無史さん:2001/06/19(火) 07:46
>>314
そのあるマンガってまさか「王家の紋章」?
324世界@名無史さん:2001/06/19(火) 07:50
>>315
今のフランスに貴族制はありません。
慣習的に名称が残っているだけです。

ところで日本でも旧華族の間では相変わらず「伯爵様」とか呼び合ってるのはご存知ですか。
霞友会とか未だ残ってるのかな。
325世界@名無史さん:2001/06/19(火) 10:47
>>312
二転してます。

そもそもゲルマンの王とは、民族の指導者のことです。民族は勝手に分割できま
せんから、ふつうは国を割ることもできません。ところが領土がフランク人の消
化範囲を超えて巨大化し(その頂点がカール)、しかもその拡大は王のおかげ、
となったときに、王が国を自由に処分できるようになってしまいました。

王が自分の支配を単なる実力以外のところで正統化しようとして、それに成功し
たときに、また変わりました。たぶん一番重要なのは、教会の承認で、もう一つ
は(王の弱いところでは)諸侯の承認です。どちらも正統な王になるためにはあ
る手続きが必要だというルールです。そうなると、王は一度手続きをふんで正統
な王になればわりに安泰になれますが、他方では、その手続きなしに国を作った
りなくしたりすることができなくなりました。

以上は私の理解なので全面的には信用しないでくださいな。
326世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:28
質問です
第二次大戦でナチスはなぜ兵器を大量生産することを軽視したのですか
327世界@名無史さん:2001/06/19(火) 15:22
>>326
別に軽視していた訳ではないんですけどね。
詳しくは軍事板で聞いた方が…‥否、あそこでこんな質問したら、
ココ以上に罵声を浴びるだけかな。
328世界@名無史さん:2001/06/19(火) 17:14
     ______
    /_      |
    /. \ ̄ ̄ ̄ ̄|
  /  /  / \ |
  |  /    -  - |
  ||| (6      > |
 | | |     ┏━┓|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | | |     ┃─┃|  < 正直、質問はない
|| | | |  \ ┃  ┃/    \________
| || | |    ̄  ̄|
329世界@名無史さん:2001/06/19(火) 17:33
イギリスの「帝国の論理」とは?
330312:2001/06/20(水) 00:40
>325
ありがとうございます。

フランスとドイツの領土相続習慣はゲルマン人とラテン人の違いが影響していた
と言うこともあるのでしょうか。

ユーグ=カペーってゲルマン人とラテン人のどちらなのでしょうか。
あと、ヨーロッパの、国を相続できるくらいの実力のある家系は
ゲルマン人(フランクの流れを汲む)のほかにラテン人の家系も
あったのでしょうか。
331世界@名無史さん:2001/06/20(水) 00:57
基本的な質問でお恥ずかしいんですが
17世紀ペストの流行が終わったのって何でなんですか?
火事?アジア産ネズミ?いろいろあるの?
332世界@名無史さん:2001/06/20(水) 01:10
あやめさんのページってもうできたの?

既出だったらスマソ。
333315:2001/06/20(水) 01:11
>>324 ありがとうございます!
334アマノウヅメ:2001/06/20(水) 01:37
>>331
火事でとどめをさしたということはあると思います。
消毒法としては1番ですからね。

しかし、火事以前からペストは収束に向かっていました。
どうも死ぬ人が死んでしまうと自然と収まる病気のようです。

ヨーロッパの大ペストというのは、1347〜1348年
の間にヨーロッパの人口が3分の1減ったといわれるほどの
惨状でしたが、全員死んだわけではありません。

医学的には全く打つ手が無かったわけだからペストに強い
体質の人が生き残ったわけでしょう。

その後数十年おきにペストの流行はありましたが、
老人の死者は少なく、殆ど子供か若者だったと記録されています。

ペストに弱い体質の人は淘汰されていったんじゃないでしょうか。
後の時代になるにつれ死者は減っていくし、流行る期間も
短くなります。
335世界@名無史さん:2001/06/20(水) 01:47
ADSLはアナログ回線でやるものですよね?
ということは
ISDNの時のように
「ISDN回線料」といった、別途の回線料みたいなのはとられないですか?
336世界@名無史さん:2001/06/20(水) 01:54
>>334
その頃はすでにピークが終わってたんですね。。
有難うございました。
337奥さまは名無しさん:2001/06/20(水) 03:13
ラスプーチンを殺したのって、
ディミトリ大公とプリンス・ユスポフだったと思うんですが、
この二人はニコライ二世とはどの程度の関係だったんですか?
338花と名無しさん:2001/06/20(水) 08:16
>>323
いえ、>>314は『王家の紋章』を本歌どりした作品です。
篠原千絵『天は赤い河のほとり』です。
鉄を生んだ?古代ヒッタイト族+現代日本人の話です。

ヒッタイト?西オリエント?赤い河?・・・当初どこだ〜?
になりました。
舞台設定はエジプトのラムセス2世より100年ほど早い時期みたいです。
339名無しさん:2001/06/20(水) 22:15
あげ
340世界@名無史さん:2001/06/21(木) 01:50
もう一つの質問スレがすでに900越えてますので、
「俺の質問はくだらなくない」と思っている人でも、
質問はとりあえずこのスレにどうぞ。
単発の質問だけのためにスレを乱立させないようお願いします。
341世界@名無史さん :2001/06/21(木) 02:32
民族大移動はどうして重要なんですか?

ゲルマン民族大移動自体良く理解していないので、出来れば説明お願いします。

簡単には説明できないことは分かっているのですが・・・・
342司馬○:2001/06/21(木) 22:03
教えて下さい!!


友人が、「イブン=シーナーはゾロアスター教徒だ」って
言い張るんですが・・・・ホントですか?
343世界@名無史さん:2001/06/21(木) 22:24
>>342
イスラム教徒のはずです。
シーア派のイスマイル派と関係があったらしいけど…。
344世界@名無史さん:2001/06/21(木) 22:38
>343

ですよねえ・・・

ありがとうです!
345世界@名無史さん:2001/06/21(木) 23:48
346世界@名無史さん:2001/06/22(金) 00:06
>>340
言いたいことは分かるんだけど、ココに書いてもスグ裏に流れ
ちゃうぜ。
347世界@名無史さん:2001/06/22(金) 00:08
厨房な質問でスマソだが、小アジアの英訳って
「Asia Minor」でいいの?
348世界@名無史さん:2001/06/22(金) 00:20
>>347
間違ってないけど、あまり見かけたこと無いな。

ニュアンスが微妙に変わっちゃうけど、"Anatolia"とか
"Turkey in Asia"の方をよく見るような気がする。
349αジョーカーω:2001/06/22(金) 00:52
>337
三角関係です。な〜んて嘘ですが、ドミトリー・パブロヴィッチ大公は、
ニコライの甥だったかな?
ユスーポフ公爵は、当時ロシア一の大金持ち(元はと云えば、
曾祖父の代まではコサックの頭に過ぎなかったが、
政略結婚で、祖父の代に公爵にまで上り詰めた御家柄)で、
その妻は皇族。
二人共、美男子だがゲイ。
350αジョーカーω:2001/06/22(金) 00:55
訂正:曾祖父の代まではコサック貴族に過ぎなかったが、
351αジョーカーω:2001/06/22(金) 00:59
ただ、実際にラスプーチンに止めを刺したのは、
国会副議長で最右翼の政治家プリシュケヴィッチ。
ラスプーチンがシアン化物でもなかなか死なないもの
だから、ドミトリー・パブロヴィッチ大公と
フェリックス・ユスーポフは怖気づいてしまった。
352世界@名無史さん:2001/06/22(金) 01:30
中国がいくつかの国に分かれないで
一つの国なのは、まわりに蛮族が
いたからですか?
353名無しさん@1周年:2001/06/22(金) 01:47
ウエブスターの地理事典だと
Asia Minor or Anatolia になってるね。
354世界@名無史さん:2001/06/22(金) 07:57
ヨーロッパの疫病が新大陸で猛威を振るって人口を激減させたとは聞きますが・・・・・・・・・。
逆に他の大陸の病気が持ち込まれてヨーロッパ人を殺しまくった例はあるのでしょうか?梅毒や黒死病のように。
355ガリレイ:2001/06/22(金) 09:21
>354
梅毒
356アマノウヅメ:2001/06/22(金) 11:04
>>354
エイズ
357世界@名無史さん:2001/06/22(金) 12:16
>>354
「梅毒や黒死病のように」というのは、梅毒のように新大陸から
持ち込まれて、黒死病のように殺しまくったという意味でしょうか?
358世界@名無史さん:2001/06/22(金) 12:21
過去の戦争で主なものって言うのはこれくらいでしょうかね?
1775 アメリカ独立戦争
1840 アヘン戦争
1861 南北戦争
1914 第一次世界大戦
1939 第二次世界大戦
1948 第一次中東戦争
1950 朝鮮戦争
1960 ベトナム戦争
1980 イラン・イラク戦争 アフガニスタン紛争
1991 湾岸戦争

新聞やニュースでとりあげられたりする話題に戦争関係って結構
あるんですが、時代背景がばらばらになってきたので、一度
整理しようとしてるんですが。
359世界@名無史さん:2001/06/22(金) 12:38
>>358
それっていつからの主な戦争?
とってもぬけてる気がしますが。
360世界@名無史さん:2001/06/22(金) 12:53
>>359
とっても抜けてるというか、挙げられてるものの
方が少ない。少なすぎる。

たとえばおもいつく重要な戦争といえば米墨戦争。
タラ戦争。ジェンキンスの耳戦争。うーん。
361世界@名無史さん:2001/06/22(金) 17:22
 【質問】
旧西ドイツの首都はなぜボンになったのですか?
ボンについてはベートーベンの生誕地というくらいしか
知らないので教えてください。
362  :2001/06/23(土) 13:46
361ですがこのまま下がっていきそうなので・・・
http://www.kinet.or.jp/kamiyabe/pictures/age.jpg
363世界@名無史さん:2001/06/23(土) 15:17
大戦中、「イギリス国王に忠誠を誓っている地域」とは植民地以外どこの国ですか
364354:2001/06/23(土) 16:16
>>357
イエッサー。

「ヨーロッパ人の持ち込んだ伝染病で免疫を持たないインディオ、インディアンの人口が激減し、それが彼らの侵略者達への敗北の要因となった」
という意見を聞き、なんかヨーロッパ人への怒りがわいてきたんですよ。
「お前らも同じ目にあって見やがれ!」と。

日本でも天然痘で藤原四兄弟が死んだりとかあったんですってね。
365世界@名無史さん:2001/06/23(土) 16:22
ノース・カロライナ州の西境は何故あんな形をしているのでしょうか?

ミシシッピ河?の流れをそっくりそのまま東に移したような変な形です。
366世界@名無史さん:2001/06/23(土) 16:44
>>361
北部プロテスタント圏と南部カトリック圏の中間にあったから。
当時の首相アデナウアーの家が近かったから、という説もある。
本人は否定しているが。

大戦後の西ドイツ首都選考は最初はベルリンとフランクフルトの
マッチレースだったが、ベルリンは統一ドイツの首都にとっておく
ことになり、フランクフルトとの決選投票でボンに。
367世界@名無史さん:2001/06/23(土) 16:47
 >>366
ありがとうございました。(361)
368世界@名無史さん:2001/06/23(土) 16:48
>>356
ノース・カロライナとテネシーの州境はアパラチア
山脈です。単に稜線と隣の川の流れが似ているだけ。
369世界@名無史さん:2001/06/23(土) 19:51
“オレンジ団”について教えて頂きたい。
この人達は何? 宗教的背景、及び成り立ち諸々。

  お願い致しまっす!
370世界@名無史さん:2001/06/24(日) 09:24
デュマの『三銃士』で、
「「三銃士」の三人は違うが、ダルタニアンには実在のモデルがいる」というのを友人から聞いたのですがこれって本当なのでしょうか?

ついでに聞きますが、トレヴィル隊長の率いたような「銃士隊」は実在したのでしょうか?
371世界@名無史さん:2001/06/24(日) 09:27
オペラ「レ・ミゼラブル」をCDで聞いたのですが、
ユーゴーははいつ頃の事件をモデルにしたのでしょうか?
それとラマルク将軍て実在の人物ですか?
372371:2001/06/24(日) 10:38
>>371
訂正
オペラ→ミュ−ジカル
373アマノウヅメ:2001/06/24(日) 18:43
>>370
手元には小ラルースしかないのですが…

Artagnan
(シャルル・ド・バ、ダルタニアン伯爵)
ガスコンの士族。1611―1673
近衛銃士隊隊長(ルイ14世)
   以下略

デュマの三銃士のモデルであると明記されて居ます。
鈴木力衛訳「ダルタニアン物語」の解説に他の三人も
名前は記録から取ったと言うデュマの話がのってましたが。
374世界@名無史さん:2001/06/24(日) 19:28
>トレヴィル隊長の率いたような「銃士隊」は実在したのでしょうか?

うん。
あとこの時代のマスケット銃ってかなり重かったので
銃士はかなりガタイのいい豪傑だったはず。
375337:2001/06/24(日) 19:49
>αジョーカーωさん
ありがとうございます
376アマノウヅメ:2001/06/24(日) 20:47
>>371
ミュージカルは知りませんが、原作は発端がナポレオン没落の直後
クライマックスが1948年の2月革命です。
大体王政復古時代になりますね。
377アマノウヅメ:2001/06/24(日) 23:31
>>371
ミスがあったので訂正します。

発端は王政復古直後の1815年
クライマックスは7月革命のあとの1832年6月の反乱です。
最後は1833年

すみません。ながいこと読んでなかったので、探して確認しました。
378アマノウヅメ:2001/06/24(日) 23:56
>>371
ラマルク将軍は実在の人物です。
名はマキシミリアン 1770−1832

ナポレオン時代から王政復古まで活躍した人ですが
共和主義的心情を持ち続けていました。
1833年6月5日の反乱は彼の葬儀に共和主義者や労働者、各国の亡命者が
多数参加したのをきっかけにおこったものです。
379371:2001/06/25(月) 07:59
>>376-378
アマノウヅメさん、いつもありがとうございます。

ふむ、「哀れな人たち」が報われるにはもう10数年待たないといけなかったのですか・・・・・・・・・。
380世界@名無史さん:2001/06/25(月) 14:50
中国の史書&金石文に出てくる倭人の記述は、どんなのがあるのでしょうか?
紀元前何百年に中国東北部に倭人がいたって聞いたんですけどほんとなのでしょうか?
381世界@名無史さん:2001/06/25(月) 19:58
http://www.hpmix.com/home/komori/A13_3.htm
インドの石像ってなんかHだぁ。
382世界@名無史さん:2001/06/25(月) 20:15
>>352 一般には、いくつもの国に分裂していたのを始皇帝が統一して以来、
統一王朝が正当な時代、分裂王朝は混乱期、と、認識されるようになったのだと
思います。
陰陽五行説による、正閏思想も関係していると思われます。
中国がなぜ分裂しなかったかについては、このスレだったか、もう一つの質問スレ
だったかの過去ログで、意見交換がなされています。
383世界@名無史さん:2001/06/25(月) 20:29
>381
だから、イスラムからはヒンズー系寺院の石像が目の敵にされる(藁

真面目な話、観光客は(イスラム等の、ヒンズー以外の宗教家も)ああ
いう石像にばかり目がいきがちですが、そうでない石像だってたくさん
あります。石像掘った人たちにしてみれば、「俺たちは、生活のいろい
ろな場面を活写したんだ。性生活も生活の一部なので、素直に掘った」
といったところでしょう。
384食いだおれさん:2001/06/25(月) 23:45
>>380
「魏志・倭人伝」のが詳しい記述としては一番古いのかな?
書経だったかに「倭」という「蛮族」が出てくるのが、「倭人」の最初の記述らしいけど
これは380さんが書いた「大陸に住んでいる『倭』」という説もある。
(というか、その方が自然な解釈か?)

大陸の「倭」はおそらく現在の中国海岸部(山東省辺り?)に住んでいた原住民で、
彼らに似た外見・生活様式だった当時の日本人をその同類と見なして「倭」と
呼んだのかも知れない。
385世界@名無史さん:2001/06/26(火) 02:15
>>380
日本史版?で関連レス見たよ。
鮮卑と高句麗の間に倭人がいたとか、いないとかだった。。探してみれ
386世界@名無史さん:2001/06/26(火) 02:41
>>385
ありゃりゃ。それ書いたの漏れだよ。

>>384
2世紀に満洲にいた「倭」っていうのは、
原住民なのか、日本をふくむどっかからの移民集落だったのかは不明です。
あと古い時代の「倭」が出てくるのは書経じゃなくて「論衡」。
これに周の成王の時のこととして倭がでてくる。(呉の太伯はもっと前の人だが)
387386の続き:2001/06/26(火) 02:54
>>384
「書経」に出てくるのは倭じゃなくて「于夷」。これが倭のことだという説がある。
2世紀に満洲にいた「倭」は、
後漢書では「倭人」だが魏略では「(サンズイの)于人」になっていること、
古音で于と倭が同じy音だったらしいことなどが理由。
388世界@名無史さん:2001/06/26(火) 06:50
マウントバッテン卿はエリザベス女王の愛人だった、て本当ですか?
389世界@名無史さん:2001/06/26(火) 13:31
十八史略を読んで、中国の宋の時代に興味を持ち、
特に朱子学と文天祥について詳しく知りたいと思いました。
が、中国史でも宋の時代の書籍ってすごく少なくて、
なかなか良い感じのものが見つけられません。
もし上記でおすすめとかありましたら教えてください。

自分が調べた中では、朱子学については
「朱子学と陽明学」(島田虔次、岩波新書)が良いかなと思いました。
文天祥についてはさっぱりでした。
よろしくお願いします。
390380:2001/06/26(火) 14:22
>>386
前後のレスも読みたいので、書き込みをされたスレッド名を教えていただけないでしょうか?
391世界@名無史さん:2001/06/26(火) 17:00
>>390
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=983933071
このスレの28-79の間を見れ。
(他でもあちこちで書いたような気がするが)
392世界@名無史さん:2001/06/26(火) 19:30
とても基本的な質問なのですが、貴族の名前にある
アキテーヌ公・アンジュー公などの「(地名)公」と
「(苗字)公爵・伯爵など」の
違いがいまいち分からないです。
苗字はただの家の名前で地名は持っている領地の名前だと
自分では思っているのですがどうなのでしょうか?
そしてどちらも世襲制度なのですか?
393世界@名無史さん:2001/06/26(火) 20:28
>>389
モンゴル史の杉山正明は文天祥を貶してるので
南宋滅亡関連でも絶対読まないほうがいいね。

>>392
基本的にその貴族家の伝来の世襲地名が苗字になるんじゃなかったかな?
アンジュー家はアンジュー伯爵を世襲した家、
ハプスブルク家は現スイスのハプスブルクというところの小領主出身、
みたいな感じで。

詳しい人フォローお願い。
394世界@名無史さん:2001/06/26(火) 23:36
>基本的にその貴族家の伝来の世襲地名が苗字になるんじゃなかったかな

ということでいいんでは?
そもそも西欧で名字が成立したのは
カロリング王朝の解体期・10-11世紀に城がボコボコ出来た時のことでしょう。
小領主たちが自分の持ち城の地名を名乗ったというような。

(それ以前の豪族たちは家系名らしきものとして始祖等の名前を用いていたはず。
メロヴィンガー・カロリンガー・オットーネン・ヴェルフェン等。)

庶民の間に名字が普及するのは、宗教改革とか、もっとあとでしょう。
395世界@名無史さん:2001/06/27(水) 00:13
シェークスピアの正体って誰ですか?
396世界@名無史さん:2001/06/27(水) 01:07
公・伯は本来国制上の地位。(フランク王国の地方官→横領というか世襲化)
だから数は限られていて、
カペー朝初期だとアンジュー伯・アキテーヌ公・ノルマンディー公・フランドル伯・ブルターニュ伯
シャンパーニュ伯・ブロワ伯・トゥールーズ伯・ブルゴーニュ伯など。
(ドイツはよく知らないが、オットー朝の公はザクセン・フランケン・シュヴァーベン・バイエルンぐらいじゃなかったか?)
中世後期になるとたしかにマイナーな**伯爵などが増えてくるが、
これは上記の大諸侯の例にならって、より小規模な領主たちに王権が授爵してやった結果。

「三銃士」第二部で、ポルトス(ナンタラ・デュ・ヴァロンという名前らしいが)は
自分の領地を男爵領に格上げしてもらい「デュ・ヴァロン男爵」になろうと画策していました。
397アマノウヅメ:2001/06/27(水) 04:07
>>395
ストラトフォード・オン・エーヴォン生まれのウィリアム・シェイクスピア
です。1564―1616
明らかに実在の人物で洗礼の記録から財産分けを指示した遺言状まで
残っています。生まれた家もお母さんの実家も現存しています。

フランシス・ベーコンが書いたが大法官という身分をはばかって
役者の(俳優もしていたのは事実です)シェイクスピアの名で発表したとか、
天才詩人で29歳で死んだクリストファー・マーローが余り評判悪いので
(ホモ、悪魔崇拝者その他諸々の噂がある)死んだ振りしてシェイクスピアの
名前を借りたとか、その他色んな説がありますが、すべてトンデモと
思ってください。

いまでは、トンでも説はすべて論破されています。
398>395:2001/06/27(水) 11:03
5億匹のサルがテキトーにタイプライター打ったら出来ました。
399386:2001/06/27(水) 14:24
>>384
山東省うんぬんというのは「山海経」の倭のことで前3世紀のこと。
後2世紀に満洲にいた倭とは別の件ですyo
400世界@名無史さん:2001/06/27(水) 18:08
>>398
それをわかる人はいるのか?
401:2001/06/27(水) 18:39
第一次大戦後ドイツが課せられた賠償金1320億金マルクは、
今の日本円にするといくら位なんでしょうか?
知ってる方教えて下さい。
402世界@名無史さん:2001/06/27(水) 19:34
イランの「シャー」とは「ツァーリ」とかと同じですか?
だったら「パーレビ国王」より「パーレビ皇帝」に
なりますよね?
403世界@名無史さん:2001/06/27(水) 19:53
>>402
ドイツのカイザーやロシアのツァーリはローマの「カエサル」由来だから
やはり「皇帝」と訳さないと収まりがつかないのだろうけど。

「シャー」はたしかに「皇帝」にニュアンスとして近い
権力の強い君主を指す称号だけど、
名前の由来においてローマ皇帝とも中華皇帝とも関係ないから、
王とも皇帝ともどちらに訳しても差し支えない。
それより上級の称号で「シャーハンシャー」(シャーたちのシャー)というのもあって、
「皇帝」を王の中の王を指す称号だと考えるなら
こちらのほうが「皇帝」に近いということになるでしょ。
404402:2001/06/27(水) 19:59
>>403
丁寧なレス、ありがとうございました。
405403:2001/06/27(水) 20:40
>>404
そうそう、パフラヴィー朝のシャーを皇帝と訳す例もあるみたいです。
やっぱり「国王」のほうがよく見かける訳だけどね。

以前に皇帝と王の違いについてのスレッドがあったと思うので
そちらを探して参照してみるとなにかあるかも。
406402:2001/06/27(水) 21:21
>>405
ありがとうございます。探してみます。
407世界@名無史さん:2001/06/28(木) 08:12
そういやパーレビの頃、イランをイラン帝国として扱った事もあった。

その当時のある瞬間は世界中で「皇帝」の居る国は
日本・イラン・中央アフリカの3国だった。
408世界@名無史さん:2001/06/28(木) 14:21
ここで見たんだけど
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=993676059&ls=50
アメリカに歴史なんて無いというのはホントに一般的なわけ?
独立から220年余り、植民地時代から数えれば400年ほどはあるよね
409世界@名無史さん:2001/06/28(木) 15:06
まあ、古代史専攻の奴からすればアメリカなんて
昨日今日出来た国としか思えないだろうな。
イギリス史専攻なら謀反人どもがでっちあげた
植民地上がりの国と思うだろうし・・・。
410世界@名無史さん:2001/06/28(木) 16:01
>>408
2chのカキコミなんて、いちいち気にしないほうがいいと思うよ。
411408:2001/06/28(木) 16:07
>>410
了解。
412403:2001/06/28(木) 17:02
>>407
http://www.dreamwater.net/regiment/RoyalArk/Persia/pahlavi2.htm
自称(?)の敬称が「H.I.M.」(His Imperial Majesty)だから
彼らにとってのシャーの英訳名はEmperorだったみたいですね。
でも、Shahanshah of Iranってことは
「シャー」じゃなくて「シャーハンシャー」が正式な称号だったのか。
413世界@名無史さん:2001/06/28(木) 17:23
仕事で、歴史上世界でどのくらいの数の象形文字が存在したかを調べる
必要が生じました。詳しい方お教え下さい。
414世界@名無史さん:2001/06/28(木) 18:01
ポルトガルは大戦時、中立国なのにアメリカよりになったそうですが
それにより効果はあったのでしょうか
415392:2001/06/28(木) 18:31
>>393・394・396
遅レスですが教えてくださりありがとうございました。
416自転車小僧:2001/06/29(金) 00:51
>413
表音文字、表意文字スレッド
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=990644679&ls=50
ここにおいで。
417世界@名無史さん:2001/06/29(金) 02:47
質問。
昔から黒人に対して思ってた疑問なんですが

1.ほくろはあるのか
2.眼の虹彩の色(日本人みたいに赤茶なのか、それとも黒いのか)
3.「青ざめる」とか、「顔が赤くなる」など顔の色にまつわる言い回しはあったのか?

どうなんでしょう?
418世界@名無史さん:2001/06/29(金) 09:27
>>417
ほくろはあるんじゃないのかな。たまに電車とかで見かける
黒人さんにはほくろがある人もいるような気がする。
しげしげとは見てないが。

虹彩は黒いような・・・。のぞきこんで見たことないけど。
言い回しはわかりません。

NOVAあたりに逝くとか、クラブ〜をうろうろして黒人さんと
仲良しになって教えてもらうのが早道かと。
419世界@名無史さん:2001/06/29(金) 12:13
>>414
サラザール政権はもともと枢軸国よりだったんだから
それがアメリカよりになっただけでも
なにがしかの意義はあったのでは。

>>417
たぶん世界史板で聞く質問じゃないねぇ…。
420世界@名無史さん:2001/06/29(金) 13:00
彼は自分で本を書いて残していませんよね?
なのに彼のいくつかの言葉は非常に有名ですよね。
その出典は何処なのでしょう?
ただ周りにいた人が「あぁいってたよ」みたいな感じで
残っているのでしょうか?
421世界@名無史さん:2001/06/29(金) 13:35
>>420
彼って誰よ?
422420:2001/06/29(金) 13:58
あ、すいません、かくのわすれていました。
彼 = ナポレオン です
423世界@名無史さん:2001/06/29(金) 20:50
第一次世界大戦中だか第二次世界大戦中だかのアメリカ軍のポスターで、
アメリカの山高帽をかぶったおっさんが指をこちらに突き出してる
ヤツってありますよね。
あのポスターに書かれてある文章って誰かご存じですか?
(徴兵か志願兵募集的な内容だったと思うんですけど)
あと、その画像がのっているHPのアドレス誰か教えて下さい。
424世界@名無史さん:2001/06/29(金) 21:05
>>423
http://odin.prohosting.com/khulagu/images/
ここ(歴史ビジュアルクイズ)にその画像もあったとはず。
ただしえらく重いんで注意。
文章のほうは確か、
"I want you for U.S. army."だったと思う。
425424:2001/06/29(金) 21:20
>もあったとはず
訂正。あったはず、ね。ラリっちゃってましたわ。(藁
426世界@名無史さん:2001/06/29(金) 22:24
「アンクル・サム」、「ジョン・ブル」といった風刺キャラは他の国にもいたのでしょうか?
427423:2001/06/29(金) 23:15
>424
ありがとうございます。無茶苦茶助かりました。
428世界@名無しさん:2001/06/29(金) 23:24
渤海の歴史を知りたいのですが、
どんな資料を読めば良いのか教えてください。
また、渤海には史書は無かったのでしょうか?
429世界@名無史さん:2001/06/29(金) 23:50
>>428
浜田耕策『渤海国興亡史』吉川弘文館、2000年。
「歴史文化ライブラリー」シリーズの本。
新しいからまずこれに当たるといいんじゃないかな。

史書は…渤海国自体の人間による史書はなかったと思いました。
上の本は図書館で借りて読んだだけなので…。
430世界@名無しさん:2001/06/29(金) 23:58
>>429
ありがとうございました。
探してみます。
431看板職人:2001/06/30(土) 01:31
雑談スレ見てて思ったのですが、
旧帝国海軍の上層部はなぜ陸軍より
俯瞰的な視点を持ちえたのでしょうか?
またこういう現象は他国の軍隊でも
見られる現象でしょうか?
僕の質問自体に大きな謬りがある場合
ご指摘くだされば幸いです。
(「軍事板逝け」っていうのはご勘弁ください)
432軍事板住人:2001/06/30(土) 03:00
いや、その話題はしょっちゅうでてるよ。
結論としては
「海軍は陸軍に比べコスモポリタンな雰囲気がある事は否定できない。
しかしその事とは全く関係なく、帝国海軍はドキュソであった」
というのが最近のトレンドかと。
433世界@名無史さん:2001/06/30(土) 03:04
「艦隊決戦」「輸送船の護衛軽視」
この2点だけでも十分ドキュソの資格ありだな。
434看板職人:2001/06/30(土) 03:08
>>432-433
レス感謝いたします。
ははあ、海軍もドキュソですか・・・
それは戦略的にですか?それとも精神構造が?
435看板職人:2001/06/30(土) 03:17
>「輸送船の護衛軽視」
そう言えば父が「みらん丸」なる商用船で南方へ赴く際
船倉にびっしり弾薬が積んであったそうです。
敵の攻撃を考えたら夜もおちおち寝てられなかったそうです。
的外れな事を言っていたらご容赦ください。
今夜は落ちます。
436世界@名無史さん:2001/06/30(土) 07:54
>>434
陸軍よりマシだったけど、やっぱりドキュン>海軍。
精神構造がってのは何とも言えないが、やった事はダメだね。

細かい事つつくと潜水艦の使い方もなってない。
437なあり:2001/07/01(日) 00:02
”犬儒派 ”という言葉はどこから
出てきたのでしょう?
438世界@名無史さん:2001/07/01(日) 00:06
もともとのギリシア語の原語を直訳すると
「犬の」という形容詞だったと思う。

「犬」みたいな貧相な生活を自発的におくっていたため,
この名がついた。

 それをわざわざ「犬儒」と「儒」の字を付けたのは,日本語訳者の哲学者への敬意の表明じゃないでしょうか。
439世界@名無史さん:2001/07/01(日) 00:59
基本的な質問ですが、
以前『歴史上の人物になりきっておしゃべりしましょう!2』
で、ナポレオンはガリア人では無いと速攻に片付けられましたが、
実際、ナポレオンの人種は何なのでしょうか?
まあ、ガリア人かラテン人のどちらかだと思いますが。
コルシカ島にガリア人がいたっておかしくないですよね?
御教授お願い致します。
440世界@名無史さん:2001/07/01(日) 01:03
どうも日本軍てのは、物資の供給とかそういうことを軽視する癖があるみたいだね。
というか蔑視してる?
441世界@名無史さん:2001/07/01(日) 01:23
>>439
コーカソイド、もしくは白人種。
442世界@名無史さん:2001/07/01(日) 15:26
教皇と国王、大司教と諸侯、どちらが中世では身分が高いのですか?
443世界@名無史さん:2001/07/01(日) 15:40
>>442
国王といえどもキリスト教徒である以上、形の上では教皇の方が上。
「破門」という伝家の宝刀も持ってるしね。
だからこそ、カノッサの屈辱もあった。ただし、国王のような世俗
権力者は武力を持っているので、時には実力行使ってこともある。
実際、カノッサで屈辱を味わったハインリヒ4世は、その後みごと
に逆襲を果たしている。

あと、ビザンティン帝国では、皇帝の力が強く、コンスタンティノ
ープル総主教は、皇帝の意向で簡単に首をすげかえられるよ。
444世界@名無史さん:2001/07/01(日) 15:47
>>443
ありがとう!
445:2001/07/01(日) 15:48
446世界@名無史さん:2001/07/01(日) 18:02
ハーケンクロイツに不可能はない
ってドイツ語でどういう表記になるのか
教えて下さい。
447世界@名無史さん:2001/07/01(日) 21:40
2、3年前にあった、「コルシカ・サルディニア・バレアレスの独立運動の連携」というのは、しょせんは過激派の妄想に過ぎなかったのでしょうか?
448世界@名無史さん:2001/07/01(日) 21:52
>>443
コンスタンティノープル総主教は地上における神の似姿だぞ。
彼が戴冠を拒めば皇帝は即位もできん。
安易に皇帝教皇主義みたいなこと言わんといて。
449世界@名無史さん:2001/07/02(月) 10:58
443>>448
>安易に皇帝教皇主義みたいなこと言わんといて。

皇帝教皇主義だなんて言ってないよ。>>443の前半をちゃんと読んでくれた?
ハインリヒ4世がグレゴリウス7世を追放してクレメンス3世を擁立させたのと
同じような意味で、ビザンティン帝国の力関係では総主教より皇帝の方が(名目
上はともかく)力が上だと言ってるの。

何度も言うけど、コンスタンティノープル総主教は、皇帝の政策や意向によって
首をすげ替えられていたんだよ。
858年、皇帝ミカエル3世とその副帝として実権を握ったバルダスによって総主
教に指名されたフォティオスなんて、その時点では聖職者ですらなかったんだ。
彼はローマの教皇から罷免通告をされても平然としていたが、867年にバシレイ
オス1世がクーデターで帝位につくと、辞任せざるをえなかった。
450世界@名無史さん:2001/07/02(月) 11:52
>>448
ビザンティン・ハーモニーってやつだね。
451世界@名無史さん:2001/07/04(水) 02:04
質問スレなのに84まで落ちてる…。
452世界@名無史さん:2001/07/04(水) 02:14
「大航海時代」に関する質問なら
ここへおいで。↓
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=993992245
453世界@名無史さん:2001/07/05(木) 00:43
すごい素朴な疑問なんですけど、「ローマ人」って民族的には
何人なんでしょうか?
454世界@名無史さん:2001/07/05(木) 00:51
「ローマ」とは単なる一都市、一国家の名称ではない。
普遍的な価値を包有する一個の共同体なのだ。
この共同体の構成員はみなことごとく「ローマ人」だ。
ローマ的価値観の普及につれて、ローマは無限に拡大するのだ。
455世界@名無史さん:2001/07/05(木) 00:53
いえ、最初にローマを形成した民族って何人か、つーことです。
456世界@名無史さん:2001/07/05(木) 01:13
民族っていっていいのかわからないけど、
「ラテン人」じゃないのかな?

とくに、今知られているような民族の概念は
近代の産物なので古代について民族を論ずる際は注意が必要。
457世界@名無史さん:2001/07/05(木) 15:44
ドイツの近代史を簡潔にまとめた論文が読めるサイトってある?
458世界@名無史さん:2001/07/05(木) 15:47
>>457
探しても見つからなかったらまずないね。
歴史学の論文を日本では殆どネット公開してないよ。

見つかったら恐ろしくラッキーだと思ってくださいな。
459世界@名無史さん:2001/07/05(木) 22:17
ルーマニア人てラテン系の民族だったと思うけどっかから移動してきたとかってあるの?ルーマニアって名もローマに繋がってそうだし。
460世界@名無史さん:2001/07/05(木) 22:18
ど 一つ忘れてました。
461世界@名無史さん:2001/07/05(木) 22:34
>>459
ローマ帝国時代にラテン化したあのあたりの先住民ダキア人の子孫、
というのがルーマニア人の起源の一般的理解だと思う。
なぜまわりの他の地域のようにスラブ化・ギリシア化しなかったかは謎。

「ルーマニア」という言葉の由来は
たしかにローマ人の国って意味らしいよ。
長くワラキアとモルドヴァに別れていて、
ひとつの国名に統合されたのはかなり新しいから(たしか19世紀)
そんなロマン主義的な名前になったのだと思われる。
462世界@名無史さん:2001/07/05(木) 23:08
宝石にまつわる話ってないですか?
ホープダイヤモンドとか…。
463459:2001/07/05(木) 23:56
461さんどうもです。ロマン主義的命名とはなるほどです。
464エルメスオレンジ:2001/07/06(金) 01:56
ヴァロア家のフランス王シャルル9世は、王妃との間に息子はいなかったけど娘が
1人いたと記憶しているのですが、彼女はどんな人生を送ったのかなあ。ご存知の
かたがおいでなら、教えてください。
465世界@名無史さん:2001/07/06(金) 02:56
ちょっとこのスレのタイトルには違和感を覚えるなあ。
所詮ここに来る人達は素人同士の知識の交換を楽しんでいる訳で、もう少し謙虚なタイトルの方がいいと思う。
466>>465:2001/07/06(金) 03:11
気にしなさんな。
いまうまくいってるんだから
467世界@名無史さん:2001/07/06(金) 07:55
ルーズベルトの姓を持つ人物で、アメリカ大統領に近い地位の人はいますか?
468ナポレオン:2001/07/06(金) 07:59
>>467
いつ? 今の話? 昔の話?
469世界@名無史さん:2001/07/06(金) 07:59
>>468
現在です。
470世界@名無史さん:2001/07/06(金) 08:53
>>465
スレ立てずにここに書きこんでる分、わきまえてるじゃん。
わざわざそんなこと言って荒らさなくてもいいと思うけど?
471アマノウヅメ:2001/07/06(金) 13:53
>>464
昔調べたことがありますが、母のエリザベート・ハプスブルグと一緒に
母の実家のあるウィーンに行き、6歳か8歳くらいで病死しました。
名前は何かに載ってたけど、思い出せません。
母のエリザベートも38歳で亡くなっています。気の毒な母子ですね。
472世界@名無史さん:2001/07/06(金) 18:07
ビザンティン人って性別によって名字が変わるみたいですけど、何故ですか?
473世界@名無史さん:2001/07/06(金) 18:19
>>472
名詞の男性形と女性形の違いです。

現代でもスラブ系の民族では男女で姓が違う場合があるよ
(たとえば〜オフは男性、〜オヴァは女性)。
474472:2001/07/06(金) 18:24
なるほど!
だからロシア人も姓が男女で変わるんですね。
ありがとうございました。
475世界@名無史さん:2001/07/06(金) 19:14
芥川という人がロシア(当時はソ連)に公演に行ってみたら、向こうの
人は彼の姓から女性が来るとばかり思っていて、男性が来たのでびっく
りしていたそうな。
476世界@名無史さん:2001/07/06(金) 22:53
>>475
自国語の語法で他国語の人名を判断するとは、ロシア人も結構ドキュンだね。
477世界@名無史さん:2001/07/06(金) 23:25
大学期末試験age
478世界@名無史さん:2001/07/06(金) 23:27
2つの質問があります。まず1つは「中国の歴史が皇帝の存在を必要とした理由」
もう1つは「中国の歴史が武官よりも文官を重んじた理由」です。誰か分かる方
教えてください。お願いします。
479世界@名無史さん:2001/07/07(土) 00:34
>>478
どちらも儒教の影響と考えられる。

>「中国の歴史が皇帝の存在を必要とした理由」
徳のある人が国を纏めれば、その国は太平となる(=有徳思想)という思想がある。
その徳のある人とは、天の徳を身につけた皇帝のことである。

>「中国の歴史が武官よりも文官を重んじた理由」
儒教は、肉体労働を蔑視する傾向があるから。
480エルメスオレンジ:2001/07/07(土) 00:39
>>471
そうですか・・・夭折したんですね・・・。長い間、知りたかったことが
わかりましたが少し悲しい気分です。
でも、教えていただいて助かりました。ありがとうございました。
481世界@名無史さん:2001/07/07(土) 01:47
カエサルについて。

ガリア総督時代末期〜内乱勃発にかけて、カエサルを早めに辞めさせて
ガリアへの侵略罪か何かで裁判にかけようっていう、
元老院側の動きがあるよね。小カトーが中心になってるんだけど。
で、「官職に就いてる間は裁判にかけられない」から、カエサルの総督職を
辞めさせようとする。

ここまでは分かるんだけど、この場合の「官職」の基準は?
と言うのは、カエサルは当時既に終身大神官(本によっては大神祇官長)
だから、一生官職にあるとも言えるわけで・・・
だったら結局訴えられないままなのではないかと思ったもので。

それとも、終身職はこの規定からは除外?
確かに元老院議員が訴えられたって言う話も知ってるけど、
この職は個別の選挙で選ばれて公邸与えられてるくらいだから、
普通の政務官職にかなり近いような気もするし・・・

実際どうなんだろう。詳しい人教えてくれ〜。
482世界@名無史さん:2001/07/07(土) 06:44
スキピオ、ピピン、ピット・・・
かれらについている「大」や「小」の意味を教えてくだせい。
483世界@名無史さん:2001/07/07(土) 06:55
>>482
同じ名前で親子関係。
484厨房:2001/07/07(土) 07:42
すいません、アフリカに歴史というものは存在するのでしょうか?
485大貧民:2001/07/07(土) 07:45
失礼な(笑)!
アフリカに歴史(まあ、いろんな意味ありますが)は存在します。

地中海沿岸からの塩の道を舞台に、さまざまなロマンと文化が発達したのです。
そういえば、岩波文庫から、イッブンなんとかいうアラブ人の歴史家の本でてたけど、
読んだ人いるかなあ
486ナポレオン:2001/07/07(土) 07:46
>>484
当たり前だ。
487世界@名無史さん:2001/07/07(土) 08:17
ナチスドイツの事で質問が有るのですが、
国民投票で独裁権の是非を問うたと言うのは本当ですか?
もし良かったらソースもお願いします
488世界@名無史さん:2001/07/07(土) 20:51
往年の名作「80日間世界一周」の映画版を観ました。
横浜に寄港したはずなのにたった一日で無一文の従者が鎌倉の大仏まで行ったり、ちょんまげの人がいたりとかツッコミどころはありますがそれはおいといて。
原作とはラストが違うのですが、こんな感じです。

ロンドンの紳士クラブになんとか到着したフォッグスは賭け金を得る事になった。
さて、そこに突然アウダ(インドで知りあった女性)が登場。
アウダ「フォッグス!」
フォッグス「アウダ、入ってきちゃいけないじゃないか!ここは女人禁制なんだ」
アウダ「それはどういうこと?」
フォッグス「つまり、・・・・・・・・・・・・大英帝国の終わりということさ」(と同時にバックのヴィクトリア女王(?)の肖像画がずり落ちる)
────フェードアウト────

50年代の作品でしたが、この監督はエリザベス二世に対して何か含むところがあったのでしょうか?
489世界@名無史さん:2001/07/07(土) 21:13
>>487
全権委任法は帝国議会でだろう。
放火犯の共産党抜きで。
490あぼーん:あぼーん
あぼーん
491世界@名無史さん:2001/07/07(土) 22:57
ホロコーストってやっぱりウソだよね?
アンネの日記はフランスの文学者が書いたって聞いたよ
492世界@名無史さん:2001/07/08(日) 00:03
>>483
大スキピオと小スキピオは親子じゃなくて
祖父孫の関係ですよ(正確には小スキピオは大スキピオの息子の養子だそうな)。
大ピピンと小ピピンに至っては間に2〜3代挟まっていたはず。
ということで、大と小は同一の家系に同名の有名人が出た場合に区別する方法
と考えたほうがよりよいでしょう。>>482
ちなみにラテン語で言うと大がmajorで小がminorだったと思う。

>>484
たとえば講談社現代新書から『新書アフリカの歴史』という
新書版のくせにやたら分厚い本が出てますよ。
493487:2001/07/08(日) 00:16
それでは国民投票という物は有ったのでしょうか
494アマノウヅメ:2001/07/08(日) 02:20
>>491
ホロコーストはありません。
『アンネの日記』は偽書です。
みんな、ユダヤ人の陰謀です。

地球が丸いなんて真っ赤な嘘です。
お皿のように平たくて真ん中にエデンの園があります。
地球が回っているなんて虚言を吐いて人心を惑わす者は火あぶりにしましょう。
地球が丸かったら皆落ちてしまうじゃありませんか。

違うなんて言う人たちはものの道理がわからないんですよねえ。
495聖王ルイ:2001/07/08(日) 02:30
>>494
真ん中にあるのはエルサレムだと思ってた...
鬱だTO図破いてくる
496世界@名無史さん:2001/07/08(日) 06:44
一つお聞きしたいのですが、
いわゆる『免罪符』の当時の販売価格はどのくらいだったのでしょうか?
それは現代の日本通貨に換算するといくらくらいになるのでしょうか?
497世界@名無史さん:2001/07/08(日) 10:32
百年戦争の時に現れて消えたブルゴーニュ侯国って何ですか?
498世界@名無史さん:2001/07/08(日) 10:53
唐の滅亡は周辺諸国や日本にどのような影響を与えたのでしょうか?
499世界@名無史さん:2001/07/08(日) 10:58
>>494
・・・アマノウヅメさんらしからぬレスですな・・・もしかして騙り??
そうでなくとも「ホロコーストは無かった」とは言えないでしょう・・・
アンネの偽書がどうであれ。
500アマノウヅメ:2001/07/08(日) 11:15
>>497
簡単でよければ
現在のフランスからオランダ、ベルギーあたりにかけて領土をもっていた
公爵領です。4代目の君主シャルル突進公には男子がなく、一人娘のマリアは
ハプスブルク家のマキシミリアンと結婚し一男一女を残して夭折しました。
マリアの子のフィリップ美公が領主となりましたが、こちらも早死にしました。
フィリップの長男がカール5世です。
ブルゴーニュはカール5世の所有していた領土のなかで、1番工業が発達し
裕福な土地といわれていました。
501アマノウヅメ:2001/07/08(日) 11:19
>>499
反語のつもりだったんですが。
この程度の事本気で書く人いるからなあ。
これからはマジスレにします。
502ナポレオン:2001/07/08(日) 11:25
>>499
あんたねえ・・・。
「アマノウヅメさん、さすが大人の余裕だな〜
 俺もこういうユーモアのセンスがなきゃだめだな〜」
と関心してたのに・・・。
503499:2001/07/08(日) 11:26
・・・死。
申し訳ない。
504世界@名無史さん:2001/07/09(月) 10:04
>>497
名前はブルゴーニュ地方からですが、
公国の基盤はフランドル(ベルギ−・オランダ方面)にあったそうですので、
ベネルクス三国史についての本なら詳しく記述があるでしょう。
あと講談社現代新書(だったかな?)でモノグラフが出てるので
関心があれば探してみると良いと思いますよ。

>>501
揚げ足取りみたいで申し訳ないですが、
たぶんそういうときは”マジスレ”じゃなくて”マジレス”だと思います。
505478:2001/07/09(月) 10:45
>>479
遅ればせながら、どうもありがとうございました。
506アマノウヅメ:2001/07/09(月) 12:07
>>504
書き間違いです。
用語が混乱するんですよ。
ごめんなさい。
507 :2001/07/09(月) 14:11
ポストモダニストの歴史(学)批判ってどういうの?
要点を教えて。
508世界史テスト前(汗):2001/07/09(月) 16:24
あのー、本当にくだらないんですが、近世の文化史の科学の範囲なんですが、『博物誌』という書物を記しまして、ニュートンの弟子とも書いておりましたジョルジュ=ルイ=ルムルーク=ニ○○○○ン の○の部分が分からないんですよ(○の数は適当)。どなたか分かる方いらっしゃいますか?よろしければ御願いします。
509世界@名無史さん:2001/07/09(月) 16:37
age
510世界@名無史さん:2001/07/09(月) 16:40
ナポレオン一世は、どこの国の法律で、どのような罪状で流刑(エルバ島、あるいは聖へレナ島へ)となったのでしょうか?

彼が長生きしていたら、いつかはフランス、あるいはコルシカ島限定でも故国に帰れたかな?と考えたものでして。
511508:2001/07/09(月) 17:03
誰かマジで教えてくれ・・
512世界@名無史さん:2001/07/09(月) 18:11
513世界@名無史さん:2001/07/09(月) 18:49
ジョルジュ・ルイ・ルクレール・ビュフォン
George Louis Leclerc Comte de Buffon
514>>508:2001/07/09(月) 19:27
俺が言うこっちゃないが
>>512-513さんにお礼ぐらい書き込みなさい。
515497:2001/07/09(月) 19:56
>>467 >>504
遅レスですいませんが、ありがとうございました。
516世界@名無史さん:2001/07/09(月) 20:07
ナポレオンの子孫はその後どうなったんでしょうか?
甥のナポレオン3世以後ね
517508〜ジョルジュルイルクレールビュフォン:2001/07/09(月) 20:17
遅いレスすみません。>>512-513様本当に本当にありがとうございました。これで世界史は安泰です!!!本当に感謝しています!!ありがとうございました!!!
518ゴドフロワ・ド・煮汁:2001/07/09(月) 21:06
 フランス中世最大の詩人であり作曲家である
 ギョーム・ド・マショーのチンポは臭かったのだろうか?
519世界@名無史さん:2001/07/10(火) 07:41
「デンマーク血盟」って本当に存在するのでしょうか?
520世界@名無史さん:2001/07/10(火) 22:06
高校・大学の期末試験上げ。
新スレ立てないで、質問はこっちにお願いね
521世界@名無史さん:2001/07/11(水) 19:03
さっき新スレ立てたらこっちに行ってね、っていわれたので早速来ました。
で、内容ですが、
@近世イギリスの都市および田園(農村)社会の姿と、両者の関係に ついて論述
せよ。
A近世から近代にかけての社会構造の変化を時代背景とともに述べよ。
Bヴィクトリア時代の中産階級の価値観・規範の成り立ちと、それが 社会全般に
及ぼした影響について具体的に述べよ。
C近代イギリスにおける環境保護活動の誕生と展開を、その特質と時代 背景の変
化に留意しつつ述べよ。
D近世ー近代における都市文化・田園文化のあり方を時代による変化も ふまえて
述べよ。

テストで↑の中から2つ選んで1つにつき1000字ぐらい書かなきゃ
いけないんですが、さっぱりわからないので誰か教えて下さい!!
どれでも自分の得意なやつで良いです!!
一応授業には毎回出席していたのですがほんと意味不明で・・・。
522世界@名無史さん:2001/07/11(水) 22:46
アヘン戦争など18・19世紀のヨーロッパ対東アジアの戦争では、
戦争期間が2、3年とかいうのがありますけど、これって本国から兵員を送る時間も含まれていますよね?
523世界@名無史さん:2001/07/13(金) 02:05
イタリア語でドイツ人のことを「tedesco(テデスコ)」といいますが、語源は何でしょうか?
524523:2001/07/13(金) 02:20
↑板違いかもしれない。スマソ
525世界史厨房:2001/07/13(金) 03:24
既出でしたら申し訳ありません。

第一次大戦後ベルサイユ条約で決まった、
ドイツに対する賠償金はどれほどのものであったのでしょうか。
インフレがすごかったとか、物価が1兆倍になったとか、天文学的数字の額とかと言われてるんですが、
具体的にはどれくらいの額だったのでしょうか?
そして今の日本円でどれくらいの額に相当するのでしょうか?
ご教授お願いします。
526世界@名無史さん:2001/07/13(金) 03:56
>>525
当時の物価はわかりませんが、当時のドイツの国家予算の
17年分とか。
527世界@名無史さん:2001/07/13(金) 06:20
地理板逝けって言われそうですが
「南北アメリカ文明スレ」の関連でここでお聞きします。
「マニオク」ってどんな作物ですか?
歴史的な位置付けを含めて教えてくださるとうれしいです。
よろしくお願いします。
528世界@名無史さん:2001/07/14(土) 00:01
世界史板の住人から見て速報板のナショナリズムというか右翼思想を
どう思いますか?
529世界@名無史さん:2001/07/14(土) 02:08
>>528
一般海外生活板、北米海外生活板の人たちに聞くのも良いと思われ。
530世界@名無史さん:2001/07/14(土) 03:57
なぜ遺跡は埋まっているのですか?
ポンペイのように火山灰で埋もれた、というのはわかります。
ところが火山灰が降ってこなさそうな場所でも、遺跡や遺物はたいてい地下に埋まっています。
どなたかご教授を・・・
531世界@名無史さん:2001/07/14(土) 04:37
>>530
1.洪水・河川の氾濫
2.新都市を造成するために土を盛る
3.流砂・風による砂の移動

こんなもんか
532世界@名無史さん:2001/07/14(土) 21:42
ヨーロッパ諸国では、歴史の授業はどのような内容で行われているんですか?
日本のように、自国の歴史と世界史に分けられているのですか?
はたまたヨーロッパ史のようなものがあるとか?
イギリス・フランス等だけでなく、スイスやポーランドとかについても知りたいです。
533世界@名無史さん:2001/07/14(土) 22:32
>>528
あれがいぱーんの素直な国民感情なんじゃないの?
534世界@名無史さん:2001/07/15(日) 01:08
>>533
声がでかい馬鹿が目立つのはある意味当然。
535世界@名無史さん:2001/07/15(日) 01:10
>>534
激しく同意。
536世界@名無史さん:2001/07/15(日) 01:17
>>532
イタリアでは電話を発明したのはイタリア(系アメリカ)人だと教えています。
歴史の授業なんてそんなもんでしょ。
537世界@名無史さん:2001/07/15(日) 01:30
結局、太平洋戦争に関して、日本とアメリカどっちが
悪いというか責任がるのでしょうか?

それがわからなくて、パールハーバー板が
つかれます。是非、結論を。
538世界@名無史さん:2001/07/15(日) 15:19
両方悪くない。国家としての責務を果たしただけ。
539世界@名無史さん:2001/07/15(日) 20:05
ハザール汗国はなんで汗が付いているのですか?
540世界@名無史さん:2001/07/15(日) 23:43
>>539
遊牧騎馬民族の権力者の称号であるハン=ハーン=カンの漢字表記。
中国は表音文字がなかったからね…当て字。
例:チンギス汗
541世界@名無史さん:2001/07/16(月) 03:29
540に補足すれば、
ハザールは突厥の流れを汲むトルコ系遊牧民が建てた国だから、
それで君主はカガン/ハーン=汗と名乗ってたらしい。

同じように初期のブルガリアも汗国だね。
542小倉:2001/07/16(月) 03:45
くだらない質問でごめんなさい、

針と糸が無かった時代は、いったいどうやって服を作ったり
刺繍を施したりしてたんですか?
針って鉄製だし、槍や剣を作るより技術が必要そう。
それでも貴族の人たちの衣装はビザンチン時代とかでも
かなり凝ったつくりですよね。不思議・・・
543世界@名無史さん:2001/07/16(月) 03:51
針糸なんざ先史時代からあります。御心配なく
544世界@名無史さん:2001/07/16(月) 09:18
中国の当て字にいい文字を当てる訳ないと思うのですが、
汗ってやっぱり悪い意味を持っているのですか?
545初心:2001/07/16(月) 09:34
ホッブズのレヴァイアサンの扉絵を参考にして、
マキャヴェリの君主論に相応しい扉絵を描いて、
そしてその絵を説明する。というレポートがでたんですが、
全く解りません。なにかいい資料となるものを教えてください。
お願いします。
546世界@名無史さん:2001/07/16(月) 09:34
美術系?
547世界@名無史さん:2001/07/16(月) 09:35
>>545
ライオンとキツネのキメラが、にやついてるとこでも描けばOKじゃない?
548世界@名無史さん:2001/07/16(月) 09:35
>>545
スゲェ題材のレポートだな、出した教授リスペクト(ワラ
549世界@名無史さん:2001/07/16(月) 09:50
後学のため、学校名と講座名と先生の名前教えて>>545
550名無し:2001/07/16(月) 11:12
学校のレポートで分からない問題があります。

ハドソン川を少し下ったところにリバティー島があり、
ここに(自由の女神)像が立っています。(これは分かる)
この像は1988年アメリカ合衆国の独立100年を記念して、
(???)から贈られたものです。

???が分かりません。どうかお願いします。
551世界@名無史さん:2001/07/16(月) 11:15
>550
フランスです。
552名無し:2001/07/16(月) 11:17
ありがとうございます!!!!!
くだらない質問でスイマセン
553名無し:2001/07/16(月) 11:25
申し訳無いんですが
アメリカの首都、大統領官邸、大統領名
も教えてください。
554TOTO:2001/07/16(月) 11:51
アメリカの首都はキャピタル オブ コロンビア
大統領官邸は ピンクハウス
大統領名は サン オブ ファーザーです。
555553:2001/07/16(月) 11:55
>>554
学校でも家庭でも相手にされない僕にリアクションして
くれるなんて、あなたは天使のような人です。
556アマノウヅメ:2001/07/16(月) 12:46
>>555
(お、ゾロメ)
こういうリアクションがお望みでしたか。
それならいつでもどうぞ。
冗談こきたおす人の集まりですから。
557世界@名無史さん:2001/07/16(月) 13:21
>>556
553=555ではないと思いますよ。
ネタ質問の繰り返しに呆れた第三者が書き込んだのでしょう。
558世界@名無史さん:2001/07/16(月) 14:20
>>540
成吉思汗という表記はチンギス・ハン自身も使用していたという
話を聞いたことがあるのですが、この表記は漢民族がつけたものなのか
それとも蒙古側が対漢字文化圏用に考えたものなのでしょうか?
559アマノウヅメ:2001/07/16(月) 15:38
>>557
またネタですかあ。
ここは3分の2はネタですね。
560異邦人さん:2001/07/16(月) 16:34
そそ。
だから煽りに乗せられて、カリカリしないほうが良いですよ。
561539:2001/07/16(月) 17:00
>>540
どうもです。非常に納得しました。
562539:2001/07/16(月) 17:05
>>541
あ、時差ありますね、別の人だとしたらありがとう。
チンギス汗が最初じゃなくて、遊牧騎馬民族の権力者の称号だったんですね。
563541:2001/07/16(月) 19:51
>>562
あ、漏れは540氏と別人です。
紛らわしくて申し訳ない。
チンギス・ハンの「ハン」は
柔然が最初に採用したとされるカガン号の
この時代のなまりです。
「カン」と書いたほうがよりよいらしいけど。

>>558
純粋な当て字で貶める意はないんじゃないかな。
成吉思汗という当て字はたしか元史でも使われてる当て字だから、
少なくとも本人の子孫が先祖に使ってたわけで悪い意味はないでしょう。
564名無し:2001/07/17(火) 00:27
>>553なんすけど、まじでわからないんで書き込んだんですが、あああ。
565世界@名無史さん:2001/07/17(火) 00:36
>>564
知識が無いことはともかくとして、その程度の事を自分で調べる
方法すら思いつかないというのは、充分恥じて良いと思う。
566世界@名無史さん:2001/07/17(火) 02:50
ウルナンム法典とハンムラビ法典の違いを教えてください。
567非決定性名無しさん:2001/07/17(火) 04:36
東ヨーロッパの話って少ないですね。
568非決定性名無しさん:2001/07/17(火) 05:03
アナ−ルで興奮してしまった厨房期。
569世界@名無史さん:2001/07/17(火) 07:46
ネタ続出
570名無し:2001/07/17(火) 12:58
恥じよう!あーはずかシー
571アマノウヅメ:2001/07/17(火) 14:11
そろそろ宿題やレポートで行き詰まった連中がくるころだから
ネタは自粛しませんか?
572540:2001/07/17(火) 23:26
>>558
541氏が仰ってるとおりでしょう。
成や吉などの非常にオメデタイ字が使われていますしね。

これは私の推測ですが、成吉思汗の字は、チンギスハン幕下の漢人(金の遺臣など。漢民族とは限らない)
の知識人に良い文字を選んでもらったのではないでしょうか。

>>541
的確な補足どうもです。
舌足らずなカキコだったから助かりました。
573世界@名無史さん:2001/07/18(水) 05:54
乾隆帝の「乾隆」の出自や意味をご存知の方おられましたら教えていただけますか?
574アマノウヅメ:2001/07/18(水) 12:16
>>573
ほら来た!
しかし、ネタじゃないでしょうね?
どうも2ちゃん始めてから疑り深くなって・・・
575世界@名無史さん:2001/07/18(水) 14:25
>>574
573は「乾隆」年号の出典がなんぞの古典だったら教えてくれないか、
と聞いてるんじゃないかな?
まあ、たしかにネタと思われないように
まず漢和辞典調べた方が良いと思いますよ。>573
576世界@名無史さん:2001/07/18(水) 16:19
ドイツの、ハイデンベルクの城について教えてください!
どこの王朝の持ち物だったの?誰が住んでいた?
577世界@名無史さん:2001/07/19(木) 02:00
フランス革命以前の王制フランス国旗ってどんなデザインだったので
しょうか?(やはり白地に青色の百合模様?)
578573:2001/07/19(木) 07:12
>>574
いや…ネタでは…。紛らわしくてすみません。

>>575
はい、おっしゃる通りで。家にある漢和辞典(『新版漢語林』大修館書店)では既に調べてあるんですが、年号である事しか触れておりませんでしたので…。
579世界史初心者:2001/07/19(木) 07:30
スイスについて教えて下さい。
なんだか謎の国なんですけれど、
歴史もよくわからないし、
一体どうやって成り立ってるんですか?
銀行? 時計? それとも?
580世界@名無史さん:2001/07/19(木) 07:40
観光と聞くが
581世界@名無史さん:2001/07/19(木) 08:15
名高い永世中立国だが、たいした産業がなかった頃は
他国に傭兵しに行ったとか(マンガで読んだ)。
バチカンのスイス・ガードって皆スイスの人なの?
あの衣装はちょっと着てみたい気も。
582579:2001/07/19(木) 09:28
どうもどうも。
>>580
確かに観光地というイメージは強いですね。
でもなんだかあの平和イメージってのが不気味なんですが・・・
その謎が気になるのです。

>>581
昔は兵を売ってたようですが、それはいまはナシで、
バチカンだけがなごりとして残ってるらしいです。

スイスの国民とは、どこからやってきたのでしょう。
他国から来たひとは、どうやったら国民になれるんですか?
583アマノウヅメ:2001/07/19(木) 11:51
>>582
スイスが国家として成り立っているのも永世中立国としてやっていけるのも
銀行のおかげです。
世界中の政治家や企業が大金を預けているので手が出せないのです。
というか、共通の金庫として安全に保存しようってことですね。
スイスの銀行はどんな汚いカネでも受け入れます。
独裁者でもマフィアでも。
そうやって平和を保っているところが不気味に映るんじゃないでしょうか。
584アマノウヅメ:2001/07/19(木) 12:11
>>581
スイスガードはスイスのカトリック教地域の信仰の厚い家庭から
選ばれます。

1517年のドイツによるローマ占領(皇帝はカトリックでも兵士はルター派多数)
のとき、他の傭兵は逃亡したり略奪に加わったのにたいし、
スイス傭兵だけが教皇、枢機卿らを守り、抜け道を通ってサン・タンジェロ城に
落ち延びさせ、自分たちは全員戦死したのが由来です。

スイスガードの制服はミケランジェロのデザインです。
585世界@名無史さん:2001/07/19(木) 12:17
>>582
スイスは多民族・多言語国家だよ。
地域ごとにしゃべってる言葉が違って、
公用語がフランス語・ドイツ語・イタリア語・ロマンシュ語の4つ。
13世紀に3つの「カントン」が民主制の自治体を作って、
連邦を組んで領主から独立したのに発祥する。
カントンは次第に増えていって、いまは26ある。

刊行中の山川の「世界の歴史」シリーズで
『スイス・ベネルクス史』があるから、
興味があったら読んでみて。
586世界@名無史さん:2001/07/19(木) 16:25
質問です
正閏論について詳しく教えてください
587世界@名無史さん:2001/07/19(木) 16:28
スイスは元々ハプスブルク家の物だったですか??
ウィリアム・テルが反乱したのは彼らの代官だったとか・・・
どーなんでしょう??
588587:2001/07/19(木) 16:29
追伸
ウィリアム・テル自体はネタですよね??
589586:2001/07/19(木) 16:29
上は586です。失礼しました。
590世界@名無史さん:2001/07/20(金) 03:36
>>586
いつの時代の?

>>587
現在のスイス領が全てハプスブルク家の領土だったわけではありません。
ただ、後のスイス連邦の核となる原初三邦(ウーリ、シュウィーツ、ウン
ターワルデン)は同家の領土でした。
シラーの戯曲で有名なウィリアム・テルが実在したかどうかは、私も判ん
ないです。モデルとなる人物は居たかもしれませんが、林檎云々の辺りは、
後世の脚色じゃないでしょうか。
591590:2001/07/20(金) 04:44
【訂正】
ウーリは神聖ローマ帝国の直轄地でした。ハプスブルク家の
所領だったのは、シュウィーツだけだったかもしれないです。
スマソ。
592世界@名無史さん:2001/07/20(金) 06:30
すみません、質問です。
ナポレオンの軍隊って、なぜ強かったんですか。
戦法に、特徴的な違いなどがあったのでしょうか。

既出でしたらすみません。
593世界@名無史さん:2001/07/20(金) 15:36
フランス革命時のフランス軍は、それまでの
傭兵の集まりではなく、国家に忠誠を誓った
国民軍であったため、士気も高く、強かった。
そしてこれが、近代国民国家の軍隊の始まり
となった。
・・・って程度のことなら、高校で習った気
がするが。
 
594世界@名無史さん:2001/07/20(金) 15:53
少数の貴重品であった傭兵を抱えたヨーロッパの
君主間のは戦争はやや儀礼的なものであった。
つまり、徹底的に闘って勝敗を決するのではなく、
慣例で勝敗を決めていた。なぜなら傭兵は貴重品で、
その貴重品を戦争で消耗させたくないからね。

そう言う戦争のルールを一変させたのがフランス革命後の
国民軍だった訳です。もはや兵士は貴重品ではなくなった。
簡単に補充できますからね。
ですから、ドンドン兵士を消耗する残虐な戦争も可能になった。
そう言う軍隊を他国に先駆けてもって入れが強い。

といったかんじで私は理解しています。
595世界@名無史さん:2001/07/20(金) 15:57
ひどい誤字ですみません。594
で、参考文献として渡部昇一の「ドイツ参謀本部」中公新書
を挙げておきます。
(これタネ本が別にあるんだよね)
596世界@名無史さん:2001/07/20(金) 18:21
歩兵、騎兵、砲兵という3種の兵科を相互の支援に用いて有効に運用する
戦術を編み出したってことも大きいね。>ナポレオン
特に砲兵は重要。
ワーテルローでは雨のために得意の砲兵戦術が使えなかったのが敗因の一
つだった。
597世界@名無史さん:2001/07/20(金) 18:42
砲兵については野砲の軽量化をはじめとする
技術革新がナポレオン時代に先立って行われていたようです。

で、国民軍の兵力の資料が手に入ったので引用しておきます。
(ジェフリー・パーカー)

フランス革命直前の国王軍 約15万

フランス革命後の1794年(ロベスピエールのころですね。)
で、公称で120万、推定字数73万程度なようです。

兵力の爆発的増大があるわけですね。これは社会構造の
変化を前提としているので、当時のヨーロッパとしては
空前の規模で他を圧倒していたようです。
598@名無しさん:2001/07/20(金) 23:10
イタリアオペラをつくっていたイタリアは
当時ハプスブルグ家の領土だったのですか?
ゲーテのあこがれたイタリアもドイツの
一部で日本人が沖縄へ行きたいと思う
ようなものではないですか?
599世界@名無史さん:2001/07/20(金) 23:23
>>598
むしろトーホグ人が「東京逝きてー」と悶えるようなもんでしょう
600世界@名無史さん:2001/07/20(金) 23:26
> イタリアオペラをつくっていたイタリアは
> 当時ハプスブルグ家の領土だったのですか?
「当時」とはいつの時代のことだ?

> ゲーテのあこがれたイタリアもドイツの一部
ゲーテの時代、「ドイツ」という意識がそもそも無かったんじゃ?
「ハプスブルクの領土=ドイツ」というのはちょっと違うだろ。

古代ローマ→ルネッサンスの遺産がある憧れの地として
ゲーテはイタリアに行ったんじゃ?
601東北人:2001/07/20(金) 23:57
>>598
現在の国民国家的発想で歴史の領土関係を考えるのは無意味。

>>599
別に東京なんか逝きたくないよ。
ゴキブリとドブネズミが多いしな(ワラ
昔と比べると東京の魅力は薄れてるよ。
地方でもある程度の都市に住んでれば不自由は感じないしね。
602558:2001/07/21(土) 10:17
質問がアイマイですいませんでした。
北イタリアというのは、
日本人が考えるよりも、
ドイツ、オーストリアと関係が深いのでは?
という点を知りたかったので。
603アマノウヅメ:2001/07/21(土) 11:11
北イタリアはむしろフランスと関係が深いはずです。
フェラーラ公やマントヴァ侯は16世紀になるとフランスの宮廷に出入りしてますね。
南のナポリならアラゴン家だからハプスブルク家と親戚ですが。
604世界@名無史さん:2001/07/21(土) 11:39
599のポイントはゲーテの時代のドイツは自分たちを
文化的後進地帯の人間だと理解していたと言う事で
すか。

それだと東北人に失礼です。

ただ、ドイツが後進地帯であったと言う事には賛成。
605世界@名無史さん:2001/07/21(土) 12:08
いまでも夏のヴァカンスシーズンになるとドイツ人たちがイタリアへ基地外のように押し寄せてきます。
文化的なあこがれはもちろん、ドイツでは得られない、さんさんと降り注ぐ明るい陽光を求めているのです。
二千年前の昔から、ドイツ人にとってアルプスの向こうは「明るく暖かい楽園」だったのでしょうね
606558:2001/07/21(土) 12:38
北イタリアだけイタリアから
分離独立の動きがありますね。
607:2001/07/21(土) 12:56
ピエモンテ地方ってよく出てくるような気がするけど
歴史上重要な係争地だったりするんですか?
608看板職人:2001/07/21(土) 22:21
旧ソ連の国歌はなかなかメロディアスでいい曲でしたが、
あれは例のスターリン批判後、歌詞が無しになってた曲
と同じ曲ですか?又、今のロシアの国歌はどうなってますか?
609世界@名無史さん:2001/07/22(日) 01:26
>>607
ピエモンテ州―――もとのサヴォイア公国→サルディーニァ王国
1861年イタリアを統一
610世界@名無史さん:2001/07/22(日) 07:53
ブロンビエールの密約でサルディニアがナポレオンに割譲したサヴォイア、ニースですけど、
フランスにとってその地はどのような戦略的意味があったのでしょうか?
またイタリア国内でも「未回収のイタリア」のように問題にはならなかったのでしょうか?
611世界@名無史さん:2001/07/22(日) 10:32
イギリスとそれ以外の国(ヨーロッパ諸国)との産業革命の違いを述べて下さい。
612世界@名無史さん:2001/07/22(日) 15:28
>>608
今のロシア国家は旧ソ連と同じだよん♪
ぷーちんが変えたね。
613世界@名無史さん:2001/07/22(日) 16:34
>>611

もし、宿題ならそれでかまわないけど、先生の傾向とか
授業のレベルと傾向を書いてください。

宿題なら単位の取れる、先生が喜ぶ答案がいいわけで
すから。

宿題ではないのなら、また別の回答があるけど。
614世界@名無史さん:2001/07/22(日) 18:37
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=army&key=995475623

軍事板で中世戦術論が熱く語られてます、参加のほどを
615看板職人:2001/07/22(日) 18:44
>>612
レスありがとうございます。
616なぜ誰もつっこまない:2001/07/22(日) 19:02
>今のロシア国家は旧ソ連と同じだよん♪
>ぷーちんが変えたね。

国家(誤 →国歌(正
直さないでもなんとなく意味が通じてしまいそうなところがすごい。
612さんとぷーちんのコラボレーションネタだな。
617看板職人:2001/07/22(日) 23:41
>>616
いや、俺も608の書き込みしたとき同じ誤変換
やりそうになったのですぐに察しがつきました。
618ななし:2001/07/23(月) 00:07
しつこい北イタリア。
私はイタリアもドイツも行ったことが
ないんですが、イタリアと他の国の
道は難路なのでしょうか?
私のしっているのは、
ハンニバルのアルプス越え。
ジャッカルの日という映画でドゴールを
狙う殺し屋がイタリアからフランスの国境を越えるシーン。
WW2でシシリーに上陸したアメリカ軍はその後ドイツに
うまくはいれたのだろうか?
619アマノウヅメ:2001/07/23(月) 01:05
>>618
鉄道通っているし難所ばかりではないでしょう。

昔モン・ブランに昇ったとき(ケーブルカーで)ここから、スキーで
イタリアに亡命できますと説明がありました。

そりゃ下では大勢スキーしてましたけどね。
みんな上級者ばかりでしょうが。
まあ、日本とは基準が違うんだろうとは思いますが。
620611:2001/07/23(月) 10:05
>>613
レスありがとうございます。

経済史の期末テストで、出る可能性のある、大きな問題の一つです。
授業のレベル・・・50(平均)ぐらいだと思います。
傾向・・・良くわかりません。
621ななし:2001/07/23(月) 23:11
北イタリアのレスいろいろ
ありがとうございました。
ミラノ公国の領主の名がヴィスコンティーと
知り驚きました。ルートヴィヒ2世の映画の
監督の名前ですね。
622世界@名無史さん:2001/07/23(月) 23:25
>>621
映画監督のルキノ・ヴィスコンティは、
ミラノ公国のヴィスコンティ家の末裔です。
623看板職人:2001/07/24(火) 00:47
またまた質問で失礼します。
ロンドン塔の衛兵はなんで「牛喰い」ですか?
624ナポレオン:2001/07/24(火) 01:07
>>623 看板職人様
でっかい肉切り包丁みたいな長槍をもってるから、
じゃなかったかと思いますが。うろ覚えです
625看板職人:2001/07/24(火) 01:09
>>624 ナポレオン様
即レス感謝いたします。
626セポイの反乱:2001/07/24(火) 03:45
どうして「新アッシリア帝国」は無いの?
「バビロニア」「新バビロニア」「アッシリア」はアルのに・・・(プンプン)
627アマノウヅメ:2001/07/24(火) 12:23
>>623
給料以外に牛肉の現物支給があったと何かで読みましたが。
628ひ‎ろゆき@管‎直人:2001/07/24(火) 12:35
日本は 謝罪と補償 でしか変われない 民主党です( ̄ー ̄)ニヤリッ
629看板職人:2001/07/24(火) 12:39
>>627 アマノウズメ様
へえ、じゃ文字通り「牛喰らう者」だったんですね。
しかし昨夜から喰うことばっかりだな俺。
630看板職人:2001/07/24(火) 17:23
またまた食い物関係でホント恐縮です。
蕎麦のことをフランス語でsarrasin(サラザン)と言いますが。
サラセン帝国と当然何か関係はあるんですよね?
さらに蕎麦屋の屋号によく使われる「更科」と音が良く似てますが
これは単なる偶然ですか?
631世界@名無史さん:2001/07/24(火) 17:32
三国時代の正閏論について教えてください
632世界@名無史さん:2001/07/24(火) 20:08
この板の博識な方々に質問。ローマ崩壊後のヨーロッパは諸国色々
ありましたが、今の仏蘭西と独逸のあたりは確かフランク王国でし
たよね?その後分裂したのは知ってるのですが、どのように東フラ
ンクが神聖ローマに繋がりプロイセンそして独逸へと繋がったのか
よくわかりません。神聖ローマが形骸化していたのと色々な諸侯分裂
だったのはわかるのですが。長くて済みません。
633世界@名無史さん:2001/07/25(水) 00:27
>>630
あれ?と思って"sarrisin"をフランス語の辞書で引いてみました。
「サラセンの」っていう意味の形容詞が原義みたいですよ。
だから「更科」と綴りが似てるのは偶然でしょう。
たしか、長野のほうの地名では?
ちなみに「サラセン」の語源はよくわからないようです。
634世界@名無史さん:2001/07/25(水) 00:33
>>632
高校世界史レベルの理解ですが、まとめてみましょう。

10世紀の初めにカロリング家の東フランク王家が絶えて
ザクセン朝が継承しました。
以降は東フランク王と呼ばずドイツ王と言うようです。
オットー1世がローマ皇帝に戴冠して以降
ドイツ王が皇帝になるようになったので、
以後この国を神聖ローマ帝国と呼ぶようになります。

この国はだんだん皇帝の力が諸侯に及ばなくなって
諸侯の領邦の集まりになりました。
皇帝もオーストリア公のハプスブルク家が世襲するようになります。
そのうち、北部のブランデンブルク候が
現ポーランド北部のプロイセン公を兼任するようになって、
さらにいろいろあって「プロイセン王」を名乗るようになりました。
プロイセンは次第に勢力を伸ばして、
神聖ローマ皇帝のハプスブルク家と肩を並べるくらいになります。

19世紀に入ると神聖ローマ帝国はナポレオンの進攻によって
完全に解体されてたくさんの独立領邦に分けられました。
分裂状況からドイツ統一、国民国家形成の運動が起こって、
統一の主導権をオーストリアとプロイセンが争った結果プロイセンが勝ち、
プロイセン中心・オーストリア抜きによる
ドイツ帝国ができました。
635看板職人:2001/07/25(水) 00:35
>>633
そうですよね。やっぱり単なる偶然ですよね。
それにしても綴りが似てますよね?
636633:2001/07/25(水) 00:42
>>635
漏れがトンデモさんだったら
「サラセンと更科は同一語源だ!」って断言するところですけど(w

まあ、偶然でしょう。
「サラセンの」は英語では"Saracen"、ドイツ語では"Sarazene"ですし。
637632(太郎):2001/07/25(水) 01:39
>>634
大変親切なレスどうもありがとうございました。大体理解する事が出来たの
ですが、一つ宜しいでしょうか?ナポレオンによる侵攻の結果神聖ローマは
倒れて、その後に国民国家形成のためのプロイセンとオーストリアのイニシ
アティブ争いが生じますよね。この場合のオーストリアとは神聖ローマを世襲
していたオーストリア公ハプスブルグが、帝国の滅亡の後に自身の所領に戻り
それがオーストリア・ハンガリーアウグストライヒでよろしいのでしょうか?
そして体制は変わっても独逸とオーストリアは分断状態なのでしょうか。まぁ
EUの時代だからもうあまり意味は無くなってきているとは、思うのですが。
またわからない事がありましたらご教授お願いします。それにしてもこの板の
レベル高いですよね。皆さんは歴史が趣味のアマチュアなのでしょうか。少し
は専門家も混ざっているような気が。
638世界@名無史さん:2001/07/25(水) 01:55
>>631
http://www.daito.ac.jp/kouhou/shinbun/200101/200101-4c.html

↑でも足りなければ、「三国志」の迷宮(文春新書)あたりを
読んでみたら。
639634:2001/07/25(水) 02:00
>>637
>オーストリアとは神聖ローマを世襲していたオーストリア公ハプスブルグが、
>帝国の滅亡の後に自身の所領に戻り
もともと自身の所領=オーストリアを中心とする地域にいて、
帝国全体への影響力はほとんどなかった…みたいです。

>それがオーストリア・ハンガリーアウグストライヒでよろしいのでしょうか?
18世紀にはハプスブルク家はオーストリア公のほかにハンガリー王・ボヘミア王などを兼ねて
神聖ローマ帝国の版図外にまで及ぶ他民族地域を支配してました。
ハプスブルク家はローマ帝冠を放棄したと同時に
オーストリア皇帝を名乗るようになります。
オーストリア皇帝としてのハプスブルク家は依然として
旧神聖ローマ帝国=ドイツ地域では最強の領邦だったけど、
ドイツ系以外の民族が領内にあまりにも多く居住していたので
ドイツ統一の動きから排除されてしまい、
その結果できあがったのが他民族国家としてのアウグスライヒ体制です。
それが解体した結果、オーストリアは現在の版図になります。

ドイツとオーストリアが合併しない理由は…
すいません、私の理解不足で納得のいく説明はできません。
ドイツに詳しい方、補足願います。
640世界@名無史さん:2001/07/25(水) 02:02
>>637
>少しは専門家も混ざっているような気が。
少しどころか多分にいると思われ。岡田英弘スレとかで
やたら学会の話が盛り上がってるあたりからしてぁゃιぃ。
641かきつばた:2001/07/25(水) 02:09
>>637>>640
少なくとも、史学科の学部生・院生の卒業生や現役は
二けた以上のレベルで参加していると思われ。
642640:2001/07/25(水) 02:10
>>639
ヒトラーがオーストリアを併合して、結果あんなことになっちゃった
ので、戦後戦勝国各国で「ドイツとオーストリアの合邦を永久に禁」
じたからじゃありませんでしたっけ? うろおぼえでスマソ。
643632(太郎):2001/07/25(水) 02:14
>>639
またまたありがとうございます。と、言うことはアントワネットの故国は神聖ローマ
オーストリア公ハプスブルグになりますね。なにか今までごちゃごちゃしててあの
時点でオーストリア帝国だったと思ってたんですよ。(苦笑)素人考えですが独逸と
オーストリアが合併しない理由はやはりナチス時代の併合が尾を引いているような。
戦後の東西冷戦とかの関係でお互いに必要としあわなくなったのでしょうか。それに
現在だと行き来も楽だから国民国家的な考えは少しすたれているのも一因でしょうか。
644学部生:2001/07/25(水) 02:15
>>641
学部生はアマチュアか否か?
...本人の心構えかなあ。
645632(太郎):2001/07/25(水) 02:16
そのような専門家の皆さんのお話を気軽に聞けるのは日本でも
2ちゃんの世界史スレだけ!ですね。
646世界史の名無し:2001/07/25(水) 10:39
神聖ローマ帝国やハプスブルグ家のような
権力がうまれたのは、イスラムとの対抗する
大将として需要があり、イスラムが弱ると
帝国も弱まるという関係はないでしょうか?
647ガージー:2001/07/25(水) 16:52
>>611
イギリスは、自然発生的に、
産業革命が起こったのに対して、他の国はその国の官僚なり国王なりが
主導して起こしたという違いがあります
648611:2001/07/25(水) 23:52
>>647
回答ありがとうございます。
おかげで明日の試験の時、書けそうです。
649さち子:2001/07/26(木) 07:50
日本の昔の人は背が低く
日本史上、もっとも平均身長が低いとされた江戸期においては
男子平均身長で155cmなのですが。

昔の欧米の人の身長はどれくらいだったのでしょうか?
やはり、現代よりも低かったのですか?
650世界@名無史さん:2001/07/26(木) 08:09
>>649
出典忘れましたが、今より随分低かったそうです。
大航海時代の頃のオランダ人は今の日本人の平均より低かったんじゃなかったかな。
651名無しさん:2001/07/26(木) 09:21
王権神授説について
教えてください。
652世界@名無史さん:2001/07/26(木) 09:33
>昔の欧米の人の身長はどれくらいだったのでしょうか?
>やはり、現代よりも低かったのですか?

なんか、遺骨からの推計によると
当時、「雲をつくような大男」とされていたウィリアム征服王は175cmぐらい。
「わりと小柄な女性」だった妃のマティルダは125cmぐらいだったらしい。
653アマノウヅメ:2001/07/26(木) 11:21
>>650
オランダ人の身長が伸びたのは17世紀頃から盛んに乳製品を摂取したからだ
と言う話です。
当時の家具の寸法を計ると現代のオランダ人にはちいさくて使えないそうです。
654看板職人:2001/07/26(木) 14:33
クロマニヨン人はかなり大柄で壮健だったという記事を
呼んだ憶えがあります。身長も180センチクラスが結構いたとか
655アマノウヅメ:2001/07/26(木) 14:54
栄養が大きく影響していることは事実です。
バイキングの生き残り(調査当時は全滅)を調査すると
男140センチ台、女130センチ台にしかならなかったそうです。
草の根かじって生きていたとか・・・
656チビ黄猿:2001/07/26(木) 15:06
じゃあ、俺らだっていつかは・・・
657世界@名無史さん:2001/07/26(木) 17:38
>>638
ありがとうございました!!
658世界@名無史さん:2001/07/26(木) 20:24
>>651
>王権神授説

いわゆる絶対王制のイデオロギーの一つだな。
ジェームズ1世が代表的思想家。
内容としては、
1.王権は直接神に由来する。
2.したがって国王は神に対してのみaccountable である。
(議会などに対しては accountableでない。)
3.したがって臣民には王権への服従が要求される。臣民の抵抗権は認めない。(せいぜい受動的不服従のみ。)

抵抗権の問題・教会統治の問題が、王権神授説成立の直接的背景だったが、
ロックのフィルマー批判によって、国王〜議会の国制問題に文脈が移し替えられた、ということでいいのかな?
659世界@名無史さん:2001/07/26(木) 23:05
>>654
それはありえないでしょう。
原始人の平均寿命なんて十数歳ですし、
原始時代は栄養状態もわるかったですから。
660世界@名無史さん:2001/07/26(木) 23:09
>>659
原始人、原始時代じゃわからん。
具体的に。
661世界@名無史さん:2001/07/26(木) 23:12
クロマニヨン人を辞典で調べると
1.8mって書いてある・・・
662世界@名無史さん:2001/07/26(木) 23:22
板ちがいだけど、現在の定説では
人類の先祖はクロマニヨン人で
中国やジャワやオーストラリアの原人などは
いまの人類とは無関係で途中で滅亡したんですよね?

でも同じクロマニヨン人から進化したのに身長や
人種の差が出たの何故?
昔はパイキンクでも140cmというんだから、
昔は人種間に差がなかったんですか?
でもなら何故クロマニヨン人からそんなに縮んだんですか?
663名無しさん:2001/07/26(木) 23:49
王権神授説レスありがとうございまいた。
カトリックのルイ14世も、同じと考えて
よいでしょうか?つまりもうこのころは、
ローマ法王の実質的管理力はないと?
664世界@名無史さん:2001/07/27(金) 00:34
クロマニヨン人は絶滅して、
アフリカ出の別の新人に取って代られたってのが
定説じゃなかったっけ?
665世界@名無史さん:2001/07/27(金) 00:44
クロマニヨン人と、
クルマのエンジン。
666アホ:2001/07/27(金) 01:36
メディチ家ってどうやって富豪になったの?
667世界@名無史さん:2001/07/27(金) 01:40
>>666
両替商(=銀行業)。
668世界@名無史さん:2001/07/27(金) 02:04
あのー質問が2、3あります。
・ジェノバ共和国はいつから共和国になったのでしょうか。
高校生の参考書、世界史地図、年表しか持ってないのですが、
神聖ローマ帝国内の一都市ジェノバがある頃から「ジェノバ共和国」と
表記されているのでいつからどのようにしてなのか気になりました。
・世界史用語集にベネチア共和国は7世紀末独立とありますが、
これはランゴバルドからの独立でしょうか。それとも東ローマ?
・ランゴバルドがフランクによって滅ぼされたあと教皇領の南に
ベネベント公国というのがありますが、これはランゴバルドの生き残りでしょうか。
年表によるとフランク王国787年にベネベント公国を降す、とありますが、
ノルマン人が来るまでイタリアのここら辺はフランクの領土なのでしょうか。
どなたかよろしくおねがいします。
669サクッと:2001/07/27(金) 02:11
奴隷王朝の名前の由来は何?
奴隷を使ってたから?
それともどこかの奴隷のような存在の王朝だったの?
670世界@名無史さん:2001/07/27(金) 02:18
>>669
王様(スルタン)がイスラムにおける奴隷階級(マムルーク)出身だった
からどぅわ〜〜!!
671世界@名無史さん:2001/07/27(金) 03:01
>>670
正解。
アイバク、イルトゥトゥミシュ、バルバンという
3人のマムルーク(奴隷軍人)出身者が祖の家系が
相次いで王位についたから奴隷王朝といいます。

紛らわしいんでインド・マムルーク朝と呼ぶべきという説もあるみたい。
それもエジプトと紛らわしいけどさ。
672世界@名無史さん:2001/07/27(金) 03:26
イスラム圏の宮廷奴隷の力って凄かったんだよ。
オスマントルコなんか後期は奴隷が皇帝のクビを挿げ替えてたし。
中国の宦官も明の皇帝が「家奴の命を受く」と言ってるくらいで、
宮廷奴隷だよ。
彼らは皇帝の直属の家来なので官僚や貴族より信頼された。
それで奴隷の将軍、奴隷の首相なんてものが出てくる。
そしていつの間にか皇帝その人より権力を持ってしまった。
673671:2001/07/27(金) 03:42
イスラム世界のマムルーク(アラビア語で『所有される者』)は
購入されたときは奴隷ですが、
軍人として実戦に投入されるときは
法的に解放されて元奴隷となります。
だから「奴隷軍人」も正確に言うと「解放奴隷軍人」です。
オスマン帝国のカプ・クル(トルコ語で『御門の奴僕』)に至っては
購入された奴隷ではないし、
しかもムスリム自由人であってもスルタンに隷属する軍人階層に入れば
「カプ・クル」と呼ばれるようになるので、
そもそも法的に奴隷と言えるのか怪しい
(イスラム法ではムスリムは奴隷になれない)。
スルタンを改廃した17世紀以降のイェニチェリに
自由人である退役イェニチェリの子弟や
トルコ人ムスリムが入ってきていたといわれているから、
少なくともそのころには「奴隷」とは言えないのでは。

そういう連中をヨーロッパ的な奴隷の観念で見て比較して
権力の強い弱いを論じるのがそもそも筋違いだと思われ。
674さち子:2001/07/27(金) 07:02
皆さん、昔の欧米人の身長について、
レスありがとうござました。
なるほど、欧米人も昔は背が低めだったのですね。
とはいえ、戦国時代に日本に来た西洋人は
日本人よりは背は高かったのでしょうね。
当時の日本人の平均身長が今より15cmほど低かったのですから、
欧米人もその程度の割合に低かったのかしら?
それでは
675無名武将@お腹せっぷく :2001/07/27(金) 07:38
よく歴史って、こいつがいなくても誰かがやった、と言われるじゃないですか。
それに当てはまらない、こいつじゃなきゃ誰もやらんかった、という行為はありますか?
676世界@名無史さん:2001/07/27(金) 07:58
675さんの書き込みのような
質問は675さんが書き込まなくても
誰かしたでしょうね。
677世界@名無史さん:2001/07/27(金) 09:45
大学受験に役立つ世界史のページでおすすめありませんか?
678世界@名無史さん:2001/07/27(金) 12:23
>>669-673
以前は、こういうスレも在ったんだが、単発質問スレや
糞スレの乱立で倉庫へ押し流されちゃったのよ。
http://mentai.2ch.net/whis/kako/979/979784020.html
679671:2001/07/27(金) 16:40
>>678
懐かしいスレだなー。
数えたらレスの3割弱が漏れの書き込みでした。
680YP:2001/07/27(金) 21:21
>>675
御質問の主旨とちょっと違うと思いますが、シュバァルの“理想宮”なんて、まさに
『こいつじゃなきゃ誰もやらんかった』に当てはまるんじゃないかな?
43才の郵便配達人がつまづいた石に魅了されて、33年の歳月を費やして独学で作り
上げた“理想宮”。 はっきり云って狂ってる。馬鹿万歳。
このクレイジーな建造物を一度観に行きたい。
681658:2001/07/27(金) 23:01
>>663

>カトリックのルイ14世も、同じと考えて
よいでしょうか?

そうですね。
王権神授の説は、
「王権は(神法・自然法などはともかく)、現実の他の政治的諸権力の制約を受けない。」
という王権の行使に関する主張、
(但し、これはあくまで理論上の主張。現実には絶対王制の王権には様々な制約が存在した。)
を弁証するために持ち出された、王権の淵源に関する主張の一つです。

要するに、「王権は神に由来する」という観念は、多かれ少なかれ、当時の常識であったのに対し、
(現代の「民主主義」といっしょ。)
それを国王権力の範囲に関する、ある主張と結びつけ、わざわざ言語化したのがジェームズ1世だった、ということです。

>つまりもうこのころは、ローマ法王の実質的管理力はないと?

これも、そのとうりですね。
実はジェームズ1世は、王権神授説を理論化するにあたって、
フランスのガリカニズムの
「司教の権力は、直接神に由来する。(教皇を経由してではなくて。)」
という主張の(結論ではなくて)型を採用しています。
したがって、大状況としては、対教皇権の問題は解決済みだったのではないでしょうか。
(ジェームズにとってはむしろスコットランドの長老派対策の法が関心事だった。)
682名無しさん:2001/07/28(土) 21:58
王権神授説に関しいろいろ
ありがとうございました。
英国国教、長老派、high church,low church
清教徒と、用語がむずかしいですが、自分で
すこし、勉強してから、また教えていただこうと
思います。
683二日酔い子:2001/07/28(土) 22:21
クイーンエリザベス1世は父ちゃんの事どんな風に考えてたんだろう。不倫はするし自分の母ちゃん(アン・ブーリン)処刑しちゃうし・・・知ってる人いたら教えて!!
684世界@名無史さん:2001/07/28(土) 23:32
農奴ってのは奴隷なんですか?
また中国の佃戸とどう違うんですか?
685世界@名無史さん:2001/07/28(土) 23:40
四人組追放に大きな役割を果たした華国鋒は、
なぜそのあとすぐ権力の座から下ろされたのですか?
ケ小平に比べて権力基盤が弱かったのはわかりますが、
それにしても……という気がするのですが。
686_:2001/07/28(土) 23:41
どっかのサイトで満州民族はモンゴル系とか書いてありましたが、
違いますよね?ツングース系でしたっけ?
687無名武将@お腹せっぷく :2001/07/29(日) 08:36
ムスタファ・ケマル
ケマル・アタチュルク
ケマル・パシャ

どれが本名?
688世界@名無史さん:2001/07/29(日) 09:45
>>687
「アタテュルク」は確か「トルコの父」か何かの意味の尊称。
「パシャ」は、たぶん、オスマン朝の「大臣」ぐらいの意味の役職名だ
と思う。
「なんとかパシャ」という人はオスマン史にやたらと出てくるよ。
689電波君:2001/07/29(日) 10:14
オスマントルコとオスマンサンコンはどういう関係なんですか?
690ガージー:2001/07/29(日) 10:31
>>685
軍部に支持基盤がなかったため、
支持基盤があったケを復活させざるを得なかった
軍の支持がないと、政権は維持できません
>>687
オスマン時代は、名前だけで苗字はなかったんです
苗字を作ったのもケマル、だから、産まれたときは
ケマルはムスタファと言う普通の名前でも、
小学校に同じ名前の先生がいたので紛らわしいので
その先生が、あだ名として、ケマルというのをつけました
(ケマルは満点という意味学校の成績がよかったため)
そのご、将軍になり、その称号である、パシャをもらい
そして、祖国防衛戦争後、西洋化の一環として、苗字をつける
ことになり、そのとき議会に貰ったのがアタチュルクという苗字
アタは、お父さんを意味し、チュルクはトルコを意味します
691世界@名無史さん:2001/07/29(日) 13:06
生まれたときに貰った名前がムスタファ、
社会に出て呼ばれるようになった名前がムスタファ・ケマル、
将軍になって称号が付いてガーズィ・ムスタファ・ケマル・パシャ、
大統領になって苗字をつけてムスタファ・ケマル・アタテュルク。
要するにまとめると、
ムスタファ=本名→ファーストネーム(西欧の洗礼名みたいなもの)
ケマル=ニックネーム→セカンドネーム(でも呼ばれるときはこちらを使う)
アタテュルク=創姓法で定められた苗字
パシャ=将軍の称号
ガーズィ=同上
ですね。

>>689
オスマンというのは第三代正統カリフ「ウスマーン」の名前のことなので
イスラム教徒にはわりとありふれた人名のひとつ。
692自転車小僧:2001/07/29(日) 13:39
>686
満洲族は南ツングースです。
693名無しさん:2001/07/29(日) 23:25
ナポレオンの部下のネー元帥は銃殺刑に処せられたことになっていますが、
実は処刑を逃れてアメリカに渡り、学校の歴史教師になったという噂が
アメリカでは根強いそうです。
日本では、この噂はどの程度伝えられていますか?
694世界@名無史さん:2001/07/29(日) 23:47
>>693
あ、その話ならオイラも聞いたことがありんす。

ついでに質問で〜す。
岡田英弘御大の「チンギスハーン(朝日文庫)」の中にチラリと
話が出てくる、「モンゴル軍の先鋒を果たした元イギリス貴族」
って、具体的には誰のことを指してんのすか?
あまりににもその経歴がカッコイイもんで、どうしても知りたく
なったッス。
695:2001/07/29(日) 23:57
イスラム教とイスラム文化に関するスレッドってありますか?
一応過去ログをざっとみたんですけど、見当たりません。
もしご存知の方は誘導してください。お願いします。
696YP:2001/07/30(月) 00:25
最近朝食でクェーカーのシリアルを好んで食べてるんですが、
考えてみれば、ほとんどこの宗教団体の事を知りません。
で、クェーカー(ふるい派)の歴史や宗教理念がザっと知りたいです。
この平和主義、戦争絶対反対団体は新大陸のペンシルヴァニア、ジョージア植民地政策は
どのような形で進められたのでしょうか?
現地人や他の宗教理念の団体との摩擦をどうやって乗り越えたんですか?
教えてください。
697世界@名無史さん:2001/07/30(月) 00:36
摩擦については、ユタ州をのっとっちゃって半宗教王国化、みたいな感じじゃなかったっけな。
698世界@名無史さん:2001/07/30(月) 02:36
>>694
それは英語からの翻訳で日本で出版されてる本に
G.ローナイ『モンゴル軍のイギリス人使節』というのがあって、
そこに詳しく述べられてます。
ずいぶん前の出版されたてのころに読んだけど、
たしか件のイギリス人は
○シモン・ド・モンフォールの反乱に組して祖国を追われる
→中東に逃げて十字軍に紛れ込む
→征西してきたモンゴル軍に捕まる
→バトゥの遠征にラテン語を扱う使節として参加
→ハンガリーでモンゴル軍が退いたときにヨーロッパ人に捕まる
→処刑
ってな人生だったと記憶。
処刑される前に調書が取られて、
それで事歴がわかるんだって話だったと思います。
699世界@名無史さん:2001/07/30(月) 02:38
>>695
最近の世界史板だと
「なぜイスラム軍はローマを陥さなかったの?」
(イスラムの大征服時代になぜローマに進攻しなかったかについて)
「なぜイスラムはカトリックに負けてしまったの?」
(先進的だったイスラム世界が西欧カトリック世界より劣勢になった理由について)
「イスラム教徒は諸悪の根源!」
などがありましたよ。
まだ落ちきってないはずだから探してみてください。
http://mentai.2ch.net/whis/subback.html

イスラム教そのものについてなら
民俗・神話学板とか心と宗教板のほうが
詳しいスレッドがあるんじゃないですかね?
700名無しさん:2001/07/30(月) 02:48
>697
そりはモルモン教のことではないのん?
701おサル:2001/07/30(月) 03:31
>>683 二日酔い子さん

>クイーンエリザベス1世は父ちゃんの事どんな風に考えてたんだろう。
>不倫はするし自分の母ちゃん(アン・ブーリン)処刑しちゃうし・・・
>知ってる人いたら教えて!!

エリザベスの父に寄せる愛情は、異母姉のメアリーよりは単純だった
と思います。
メアリーは1532年、ヘンリーが愛妾のアン・ブーリンと再婚する
前後から父親に遠ざけられていました。そして翌年9月7日、アンが
エリザベスを出産してから迫害は悪化し、ハットフィールド館に
エリザベスに侍女として仕えることを強制され、父親とも会えないばかりか、
アンによって危うく毒殺されるところでした。
(石井美和子(?)著・「薔薇の王冠」より)
アンが男児を産まないことに不満だったヘンリーは、その事実を聞いて激怒、
アンを反逆者として処刑してしまいます。
しかしエリザベスは母親の死亡時には、わずか二歳・・・記憶などあるはずもなく、
その後第三の王妃であるジエーン・シーモアの産んだ異母弟エドワード6世
とともに、平等に可愛がられて育ちます。
一方メアリーは、母のキャサリンが健在だった頃、父親に溺愛された記憶と
その後の虐待の記憶のギャップに耐えきれず、カトリック信仰にのめり込んでいきます。
(HP・welcome・tuder/ヤフー英国版)
そして即位後、エリザベスを処刑しようと試みるもトーマス・ハワードら
アン・ブーリンの親戚の反対にあった挫折・・・・
その時メアリーは
「もし、ここにお父様がいたら・・」
と、嘆いたそうです(J・E・ニール著「エリザベス女王」みすず書房より)
一方エリザベスにとって父親は可愛がってくれる存在に他ならず、母の死も
反逆者としてやむをえぬ、と納得していたようです。
ただ、母の死を哀れみ、アンの紋章であるハヤブサの指輪を身につけた他、
ハワード家を取り立てました。
即位の折り、ロンドン市民から「ヘンリー8世再来のようだ」と声をかけられ、
微笑んでいます。また、スペイン王フェリペ2世からのプロポーズを断る時、
「兄の妃を離縁した父の名を辱めることなく、あなたと結婚できません」と
キッパリ答えています。フェリペは、メアリーの夫でした。
(史料・上記同)
702694:2001/07/30(月) 03:38
>>698
ありがとや〜んす。早速読んでみるッスよ。
703世界@名無史さん:2001/07/30(月) 08:59
1945年に日本で起こったポツダム宣言受諾を、「終戦」と表現する人間は多々いますが、
では彼らは日清戦争の下関条約も「講和」、北京議定書も「和解」、
ナチスとフランスのベルサイユも・・・・・・・というのでしょうか?
704:2001/07/30(月) 09:54
>>699
ありがとうございます。ようく探したらありました。
一応ageときました。(成功したかどうかは分からないけど…)
民俗・神話学板とか心と宗教板も探してみます。
705世界@名無史さん:2001/07/30(月) 12:24
>>703
その「彼ら」に聞いてみて下さい。
706世界@名無史さん:2001/07/30(月) 14:01
>>703
ポツダム宣言を受諾した時点では「停戦」です。で、そのあと9/2の
ミズーリ上での文書調印で「降伏」し、1952年4月28日の平和条約で
「講和」しました。
停戦は、とにかく交戦を停止すること(戦争自体が終結したわけでは
ないし、時間を限ることもある)、降伏は、敵国との交戦を停止し、
敵国に服従すること(戦争状態は継続)、講和は、自国と敵国の間の
戦争状態を終結し平和を回復することです。それぞれ厳密に使い分け
られるべき言葉なのです。
ポツダム宣言の受諾を持って「終戦」と称するのはおかしい、と主張
する書籍もありますね。これがそうです。

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3b64e8fba4c4f01023de?aid=&bibid=01952867&volno=0000

個人的には終戦でなく敗戦と表現すべきだとは思いますが。
707世界@名無史さん:2001/07/30(月) 14:36
えっと、日華ナントカ条約を破棄したことに関して、
「これで日本は"台湾"に占領されても法的におかしいところはない」
と言った人もいますが、これはどういうことでしょう。
日本帝国が国府に宣戦布告を行った状態に戻った、ということですか?
708YP:2001/07/31(火) 00:29
再度 ‘クェーカーの歴史’についてもう少し知りたいんですけど・・
検索してもピンと来ないんですよ、過去スレでもありましたら教えて下さい!
スレ立てる程の話題でも無いし・・・・

>>697
ユタ州の件はモルモン教みたいですね。
709世界@名無史さん:2001/07/31(火) 04:01
age
710名無しさん:2001/07/31(火) 18:48
「青髭」の本名の「ジル・ド・レエ」と「ジル・ド・ラヴァル」は
どう違うのでしょう?
「ジル・ド・レエ・ド・ラヴァル」なんていう言い方はしないのでしょうか?
711世界@名無史さん:2001/07/31(火) 23:48
ギリシャ神話のトロイア戦争のモデルになったような戦争(ギリシャ本土のポリスと
トロイとの間の戦争)は実際にあったのでしょうか?
あったとしたら、紀元前何世紀頃のことでしょうか?
712世界@名無史さん:2001/08/01(水) 00:29
>>711
あったらしいというのが最近では定説になりつつあるのかな。昔読んだ
イリアスの注釈書にそういう記述があったと思いますが、今手元にない
ので、くわしいことはわかりません。
713世界@名無史さん:2001/08/01(水) 00:36
あげ
714世界@名無史さん:2001/08/01(水) 05:27
日本はなぜ宦官を取り入れなかったのですか。
715アマノウヅメ:2001/08/01(水) 06:12
>>714
世界史上の謎と言われてますが要するに必要なかったんでしょう。

他民族との戦争に勝った時、敵の子孫を根絶やしにするため
男の子を断種したのが、宦官の起源のようです。
日本には他民族というほどの存在はないし、去勢の技術ないし。
大体日本人はあまり残酷ではありません。

後宮も男子禁制ではなく、官吏は女性です。
後宮の女性の身分が高かったので宦官に監視させる事は思いつかなかったでしょう。
トルコの後宮の女性は皆奴隷です。
スレーマン大帝が皇后をおくまで皇帝の母といえども身分は奴隷でした。

江戸時代にはほぼ男子禁制ですがヨーロッパとつきあってから
宦官をあらたに取り入れる気にはならないと思います。
それまでそんなもの無しでやってきたんだし。
716世界@名無史さん:2001/08/01(水) 15:43
>>714
婚姻制度の違いじゃないか?
中国は厳密な父系制。
したがってよそのチンチンが入ってくると非常に困る。
一方日本(特に天皇家)は双系制。
誰のチンチンかは、あまり問題ではない。
(妊娠した女性が「あれが父親だ」と指名すると、それで問題は解決、
 という怖い時代が、農村ではあったそうです。)
717アマノウヅメ:2001/08/01(水) 17:42
>>714
母系制が混じっているからというのは説得力ありますね。

夜這い婚は戦前までありました。
夜這いする権利は同じ村の独身の若者にしかない。
いざという時責任を取らせるためです。よそ者は逃げる恐れがあるので。

同じ娘に何人かの男がかち合って妊娠したら父親の指名権は女にあります。
要するに1番稼ぎの良さそうな男を指名すればいい。
血液型もDNA鑑定も何にもありませんからね。

ゾッとするでしょ。
718厨房:2001/08/01(水) 17:55
カノッサの屈辱って何?
719アマノウヅメ:2001/08/01(水) 18:10
>>718
まず、教科書読んで、百科事典ひいてからきてくださいね。
720世界@名無史さん:2001/08/01(水) 18:19
>>719
御願いです。
この程度の煽りで簡単に反応しないで下さい。(涙
721名無しさん:2001/08/01(水) 19:06
>>718
>>719
>>720
テレビ番組スレへ
722世界@名無史さん:2001/08/01(水) 21:33
>>718
正しくは「狩野さんの靴職人」と言います。
723名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/02(木) 01:11
イギリス(ヨーロッパ)では、どれぐらい土地を持っていれば
地主階級(bienhavant)と呼ばれるのでしょうか?
724世界@名無史さん:2001/08/02(木) 07:10
>>715
>トルコの後宮の女性は皆奴隷です。
>スレーマン大帝が皇后をおくまで皇帝の母といえども身分は奴隷でした。
そんなことないですよ。
それ以前の時代のスルタンにも正式の夫人はいました。
スレイマン1世の実母もハフサ・ハトゥンという名で知られているから、
自由身分出自の正夫人だったのでしょう
(ハトゥンは貴人の妻の称号で、突厥の可汗夫人「可敦」に由来する語)。
「子供を産んだ奴隷身分の女を皇后に取りたてた」最初が
スレイマンだったんじゃなかったかいな?
調べてないんで本当かわかりませんが。
725アマノウヅメ:2001/08/02(木) 13:02
>>724
トルコでは昔、妃が捕虜になって裸で敵のパーティの給仕をさせられてから
正夫人は置かなかったそうですが。
いくら屈辱的な目に合わされても、あれは奴隷だと割り切れば恥にならないと。

もっとも奴隷と言っても生まれつきの身分は高いですよ。
捕虜とか、献上品(?)とか海賊がハーレムに高く売りつけるために
攫ってきた貴族の娘とかで、皆王族や貴族の出身です。
726724:2001/08/03(金) 06:06
>>725
どこで得た知識かは知りませんが…。
おそらく西欧的な偏見、オリエンタリズムに満ちた見解でしょう。
オスマン朝の後宮に多く奴隷身分の女がいたことは事実ですが、
スレイマン1世以前の初期の君主たちはちゃんと正規の婚姻をしていまし、
しばしば正式の夫人との間に生まれた子供がスルタン位を継承しています。

第2代君主オルハンの最初に結婚した夫人はギリシア系の小領主の娘で、
略奪してきたとかそういうわけではなく、正規に結婚しています。
彼女ニルフェル・ハトゥンが夫の留守中の都市の宰領を行っていたことは
イブン・バットゥータの旅行記にも出てきますし、
第3代となるムラトは彼女との間の息子だと言われています。
また、他の夫人には、ビザンツ皇帝ヨハネス・カンタクゼノスの娘が知られています。
と、言うと「オスマン朝の最初期だからそれまでだけだったんだろう」
と思われるでしょうから以降も付け加えますが、
第4代バヤズィトの母はたしかに出自のよくわからない女性(ギリシア人奴隷らしい)ですが、
父ムラトの正夫人にはブルガリア王イヴァン・アレクサンダルの娘がいます。
バヤズィトの正夫人にはゲルミヤン君候国、アイドゥン君候国など
アナトリアのトルコ系小国の候の娘がいたことが知られています。
彼女らは生来のムスリムですから正夫人以外の資格で後宮に入ることはありえません
(イスラム法ではムスリムを奴隷にすることはできませんから、
トルコ系の娘は自由人であったと考えて良いでしょう)。
次のメフメト1世は母の素性はよくわからないですが、
ドゥルカディル君候の娘を妻とし、彼女との間に第6代ムラト2世をもうけています。
ムラトの息子第7代「征服者」メフメト2世の母は奴隷出自。
次の第8代バヤズィト2世とその子の第9代セリム1世の母は出自が調べられませんでした。
ムラト2世のころからスルタン権絶対化・オスマン朝の帝国化が固まって
周辺の王国の娘を后に迎えるということはなくなってきますが、
それでも幾人かトルコ系のムスリム女性を妻に迎えていたことが知られているようです。
セリム1世の正夫人にはクリミアのハンの娘アイシェ・ハトゥンと
トルコ系有力者アブドュルムーインの娘ハフサ・ハトゥンがおり、
後者との間の息子がスレイマン1世です。
スレイマンが慣例を破って皇后を置いたというのは、
おそらく奴隷身分の寵姫ヒュッレム(ウクライナ系あるいはイタリア系)が
正后として(「ハトゥン」ではなく)「スルタナ」の称号を得たことでしょう。
以後、スルタンの妻は奴隷出自でありながら子供を産んだために
皇后(「スルタナ」)の身分を得た女性に独占されるようになるようです。
オスマン帝国の後宮が女奴隷と宦官だけの世界、陰謀の巣窟になるのは
むしろこの時代以降。

最後に日本語でオスマン朝の君主を夫人の名を付して列挙したページをあげておきます。
http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/people/islam/osman.html
727世界@名無史さん:2001/08/03(金) 11:45
戦後のドイツマルク債の事を教えて下さい。
728アマノウヅメ:2001/08/03(金) 12:12
>>726
ご教示ありがとうございます。

たしか、塩野七生で読んだと思います。
729世界@名無史さん:2001/08/05(日) 11:28
放置・・・
730世界@名無史さん:2001/08/05(日) 13:59
>>728さん
シオノナナミ… その名前は世界史板ではタブーだって。
誰かにつっこまれるよ。「ナナミ先生で歴史を語るな!」って(笑)
731世界@名無史さん:2001/08/05(日) 19:34
リヴォニア騎士団って何ですか?
732世界@名無史さん:2001/08/05(日) 21:27
>>731
英語だと the Livonian Order of the Knights of the Sword
12世紀に成立した、ドイツ騎士団の別派たる騎士修道会。
今のリヴォニア(=今のバルト三国のあたり)のカソリック化(=侵略)を使命とした。
1560年のエルメス(Ermes)の戦いでイヴァン雷帝のモスクワ大公国に敗れ、
クールラント(Courland)公国として世俗化、ポーランド〜リトワニアの封土となる。
リヴォニア騎士団の消滅は、北方における十字軍時代の終焉と、
ロシア・スウェーデン・ポーランド・プロイセンが角逐を繰り広げる北方戦争の時代の到来を
象徴する事件と言えよう。
・・・・という感じでとりあえずいいかな?
733ガージー:2001/08/07(火) 13:17
あげとかないとね
734世界@名無史さん:2001/08/07(火) 13:22
レンテンマルクって何ですか?お金?
735世界@名無史さん :2001/08/07(火) 17:04
黒太子って誰のこと?
黒かったの?
736世界@名無史さん:2001/08/07(火) 17:23
エドワード黒太子(Black Prince)

彼は「黒」を自分のシンボルカラーにしていて、
自分の鎧(よろい)から武器から、全部黒ずくめだったことから、
そう呼ばれるようになったそうです。
別に色黒だったり、黒人の血を引いていたりしたわけじゃありません(笑)
737アマノウヅメ:2001/08/07(火) 18:15
>>730
重ね重ねご忠告ありがとうございます。
738世界@名無史さん:2001/08/07(火) 20:29
孫文が日本留学中に日本人女性との間に子供をもうけたって
本当でしょうか?
739世界@名無史さん:2001/08/07(火) 20:31
我求匈奴的情報
1.氏族全部
2.系図
3.風俗
740   :2001/08/07(火) 20:46
ロマ(ジプシー)って何人なの?
匈奴とかフン族系の血をひいてるの?
741T・S:2001/08/07(火) 23:40
 インドの方からきたとか、ドラビィタ人とか昔聞いたけど・・・・・・ドラビィタってなんだ?
自分で言い出してさっぱり・・・・・・。

 ジプシーも色々混じっていて、ロマニー語を使わない、ロマニーとは直接関係しない連中も
結構いるそうです。ちなみにロマは人間って意味で、その複数系がロマニーって、ここでは誰
でも知ってるか。
742世界@名無史さん:2001/08/08(水) 07:30
>>734
お金の単位。
1レンテンマルク=1兆マルクだったかな?

>>739
昔、匈奴スレがあったはず。
たぶんとっくに倉庫に入ってるでしょうから探してください。
風俗については『史記』を読まれては。

>>740
ロマは北インド系で、ヒンディー語と同系統の言葉を話しているはずです。
匈奴だのフンだのは方向が違うので関係ないと思われます。

>>741
ドラヴィダ諸語は南インドの言葉で、
ヒンディー語のようなインド・ヨーロッパ語族とは
別系統に属しますです。
743世界@名無史さん:2001/08/08(水) 13:03
7世紀頃、小アジアで広まり、弾圧を受けたパウロ派とはどのような宗派だったのでしょうか?
744世界@名無史さん:2001/08/08(水) 13:16
>>736
ありがと。
この人って変わった人だったのかな?
745731:2001/08/08(水) 13:20
>>732
レスありがとうございます。しかし、不吉な数字だ・・・・・・。
746世界@名無史さん:2001/08/08(水) 13:32
ジプシーというのは差別的表現でエジプトからきた人々という意味に
否定的なニュアンスをくわえたものです。
彼ら自身はロマとかシンティとかよんでいますが、いろいろ部族があるので一概にこの呼び方がただしいとは言いにくいところがあります。
かれらの先祖は彼ら自身の伝承によれば
戦いからのがれマハラジャに率いられてインドから放浪してきたのだというのですが
カーストの外にいきていたものと考えられています。
彼らは北インド出身でシンド地方のシンドとシンティとは言語的に意味が一致していると言われています。
747ジョゼフィーヌの謎:2001/08/08(水) 17:43
ナポレオンの奥さんのジョゼフィーヌは
まんこがチーズ臭だったのはよく知られている
お話ですが、どの程度の臭さだったんでしょうか?
チーズにもいろいろあります。カッテージチーズ
のようなさっぱりした臭いのないものから
ウォッシュタイプの鼻が曲がる、文字通り腐ったチーズ臭まで。
748世界@名無史さん:2001/08/08(水) 20:00
>>743
「7世紀頃、小アジアで広まり、弾圧を受けたパウロ派」て、
マニ教やグノーシス主義とのからみで出てくる"小パウロ派"のこと?
749世界@名無史さん:2001/08/09(木) 00:36
弁辰と弁韓はなにが違うの?
あるいは、弁辰の名の由来って何?
750名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 01:27
魏志韓伝だと馬韓辰韓弁辰で三韓。
751世界@名無史さん:2001/08/09(木) 02:28
ドイツ騎士団とかの東北ヨーロッパに行った騎士団ってどっかに臣従したり管轄下に入ったりしてたんですか?また、それらの領地はどれぐらいドイツ化してたんですか?
752世界@名無史さん:2001/08/09(木) 19:05
2次大戦における、トルコ共和国3軍の基本ドクトリンとは、親独反ソ、
ただし中立堅持だったと、単純に理解していいのでしょうか? とくに空軍は
一番早く敵に遭遇する存在ですから、ソ連と国境を接している国としては、
緊張がたかかったかとおもいます。2次大戦のトルコ軍についてのご教唆、
または文献、サイト(日本語・英語もとむ)のご紹介をいただけると幸いです。
753あぼーん:あぼーん
あぼーん
754世界@名無史さん:2001/08/09(木) 23:03
ツラニズムと大トルコ主義には何がどう違うのですか?
大トルコ主義は、中央アジアのチュルク系言語の民族や
アルタイ系言語の民族を一つの民族であるとし、ときには
日本人すらトルコ系になってしまうという政治的意図が強い
思想であると認識しています。
755世界@名無史さん:2001/08/09(木) 23:05
だって政治的思想でしょ?
756世界@名無史さん:2001/08/09(木) 23:46
>>755
あのさ、詳細を答えられないなら、書き込むなよ。
お前はつっこみや揚げ足とりが趣味なのか?
757世界@名無史さん:2001/08/09(木) 23:58
>>752
>2次大戦における、トルコ共和国3軍の基本ドクトリンとは、親独反ソ、
>ただし中立堅持だったと、単純に理解していいのでしょうか?
軍はどうかはよくわからないですが、
政府の話なら、親独とは言いきれません。
バルカン半島でのドイツの勢力拡大は
トルコの安全保障上の驚異でしたから、
開戦するころには英仏側に接近して
イギリスと共同宣言を出したりしてます。
1940年からは戒厳令が引かれて
兵力増強・国民動員の戦時体制が引かれていますから、
「巻き込まれないよう必死」だったのでしょう。
文献については新井政美『トルコ近現代史』
http://www.msz.co.jp/newtitles/newbooks/3388.html
の参考文献から辿ると良いと思います。
でも、軍については言及してなさそうですね…。
758世界@名無史さん:2001/08/10(金) 00:14
>>754
平凡社『イスラム事典』では
トゥラン主義とは「トルコ・ナショナリズムの一潮流」で、
「トゥラン」は「マジャール、フィン、モンゴル、トゥングース等、
広義のウラル・アルタイ系諸言語を話す人々」をも統合の対象として
「含めようとする場合」もある、幅広く振幅のある民族概念だとしています。
これに対してパン・トルコ主義は「トゥラン 主義の一種である」とされ、
「ロシア治下のトルコ系住民の間に生まれた」思想で
元来「ツァーリズム支配を脱する目的」であるが
ロシア帝国に限らずオスマン帝国・中国のトルコ系ムスリムまでも
統合の対象として考える概念であるとされています。
この叙述が妥当なのかはわかりませんが…。

ちなみに、平凡社版イスラム事典はこちら。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~islam2/search.shtml
759749:2001/08/10(金) 01:26
>>750
後漢書でも、

韓有三種:一曰馬韓、二曰辰韓、三曰弁辰。

晋書では

韓種有三:一曰馬韓、二曰辰韓、三曰弁韓。

弁韓と弁辰、何が違うの?
あるいは、弁韓でよさそうなのに、なぜ、弁辰なの?
760名無しさん :2001/08/10(金) 17:54
陳興道はどうやって元を撃退したのですか?
天変地異とかはなかったと思うのですが?
それとも責めた軍隊が二軍だったとか?
761αジョーカーω:2001/08/10(金) 18:06
トルコ軍にウィーンを占領して欲しかった。
ベルリンはスラヴのザーメンの雨、
ウィーンにはテュルクのザーメンの雨。
762日本@名無史さん :2001/08/10(金) 19:36
いや〜ん、お下品過ぎますぅ!!>αジョーカーωさん
763名無し:2001/08/11(土) 09:55
レンテンマルクにしたからって立ち直れるものなのですか?
764世界@名無史さん:2001/08/11(土) 10:37
今のフランス人はほとんどがゲルマン系と聞いたんですが
本当ですか?
765世界@名無史さん:2001/08/11(土) 12:27
>>764
英仏などの地域は、もともとの住民はケルトなどのガリア人であって、
これにゲルマン民族が移動してきたのが基本。

英国であればゲルマン系のアングロ・サクソンやノルマンが支配者、征
服者として侵入してきたので、貴族・上流階級と平民・下層階級の間の
体格や外見にかなり明確な差異がある。

フランスの場合は、ゲルマン系のフランクなどが征服支配したのだが、
階級・民族間の混交が島国のイギリスより早いので、違いがはっきりし
ないだけで、本来的な多数派はガリア(ゴール)であってゲルマンでは
ないということ。

家系伝説などで、自分が支配層、貴族層の出身であることを強調すれば
ほとんどのフランス人がゲルマン系になるということはあるだろうが、
事実とは異なるだろう。
766世界の名無し:2001/08/11(土) 14:08
アレクサンドル=デュマの「鉄仮面」は実話からヒントを得たらしいんですが、
その実話はルイ14世の父はルイ13世ではなく別にいて、しかもそれはルイ14世
自身が捕らえていた囚人だったと言うらしいんです。でもそれは本当なんですか?
確かにルイ13世と14世は全然似ていないけれど、囚人とは非常に似ていたらしいですが。
誰か教えてください。
767世界@名無史さん:2001/08/11(土) 15:24
>>766
鉄仮面についてのスレがありますよ。
あなたの疑問の解決に役立つかはわかりませんが。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=992588859&ls=50
768世界@名無史さん:2001/08/11(土) 21:52
とてつもない厨房質問ですみませんが・・・・・
フランス語で「ド」って言うとその後に続く地名を
領有してる貴族の称号と思うんですが・・・・
それでゴールはガリアのフランス語形ですよね?
つーことはド・ゴールというのはすげー名前になりませんか?
滅茶苦茶アホな事言ってたら、どなたか詳しい方、罵倒してください(w
769ナナシ・デ・ヴァレラ:2001/08/11(土) 22:39
>>768
「白人の名前について 」スレより抜粋
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=995725135
154 名前:私見ね 投稿日:2001/07/31(火) 01:37
>>147
要は「デ・なんたら」は、
同じ名前の人を出身地で呼びわける機能が当初の目的だったわけだから、
貴族に限らず聖職者、職人、巡礼、商人など外部世界とかかわりを持つ
=同じ名前の奴と混同される心配のある状態の人々が名乗ったものと思われ。

ただ、一つの村の中でも同じ問題が発生することがある。
この場合は「丘の上のトマソ」とか「鍛冶屋のジョン」のように区別される。
つまり、村(共同体)の名前をしょって立つ人というのは、
「村(共同体)外部でも活動」し、「なんらかの形でその村(共同体)を
代表」している人々であったのではなかろうか。
770世界@名無史さん:2001/08/13(月) 11:47
右翼と左翼は具体的にはどう違うのですか?
771世界@名無史さん:2001/08/13(月) 11:53
>>770
極めて簡潔に書けば、伝統的立場にのっとるかそれを超克しようとするかの違い。
大半の人は能動的な判断はせず、これが中道と呼ばれる。
772世界@名無史さん:2001/08/13(月) 11:57
>>771
なるほどなぁ・・・、今ロシアでスターリン党立ち上げてる
オッサンなんかは一口に右とも左とも判断しかねますな。
773アマノウヅメ:2001/08/13(月) 12:01
ロシアでは共産主義者を右翼と呼ぶそうですが・・・
774看板職人:2001/08/13(月) 12:22
>>773 アマノウヅメ様
ではスターリニストなんてのは極右呼ばわりでいいんでしょうか?
その場合帝政復古を唱えてる連中(そんなのがいるかどうか知りませんが)
の扱いはどうなのでしょう?ただのレトロか・・・
775アマノウヅメ:2001/08/13(月) 12:44
>>774 看板職人様
エリツィン時代に資本主義者を左翼、共産主義者を右翼と呼ぶと
なんかの本で読んだだけで詳しい事は知りませんが、スターリニストは
極右のはずです。
その理屈だと帝政主義者は極左か…現実性はあるのでレトロではないと
思います。

詳しい人おられませんか?
776770:2001/08/14(火) 05:38
皆様どうもありがとうございます。
777世界@名無史さん:2001/08/14(火) 17:15
トリノ聖涯布って鑑定結果どうだったの?
778世界@名無史さん:2001/08/14(火) 22:32
「○○万年前にクロマニヨン人が現れた」
同様に、ネアンデルタール人も「現れた」し原人も「現れた」というふうに
記述されてるじゃないですか。いつも、現れたって何だよ、わいて出たのか?
って思ってしまいます。別系統の進化だってことは、原人がいた頃、旧人や新人
の祖先も同時にいた、ということなんですか?
○○原人、と呼ばれないような生き物だったわけですか?それともやはり原人
の中の一群が進化して旧人になり、旧人の中の一群が新人に?違いますよね。
特にネアンデルタールが全盛の頃、クロマニヨンの祖先はどんな姿でどこで
どうやって生きてたんですか?わいたとしか思えなくて…気になる〜!
779 :2001/08/14(火) 22:40
△▼△▼アメリカはなぜ原爆を投下したのか▼→(全文)http://www.billtotten.com/japanese/ow1/00122.html
 一般の米国人に、なぜ米国が広島と長崎に原爆を落としたのかを尋ねれば、たいていの人はこう答えるであろう。「日本上陸により、多くの犠牲者を出すことを避けるためであった」と。数年前、ABC放送の「ナイトライン」でも、キャスターのテッド・コッペルが、「日本への原爆投下は人類の悲劇であった。...しかし原爆を落とさなければもっと大きな悲劇を生んでいたであろう」と語った。しかし、これを鵜呑みにしてはならない。「当時、原爆投下以外にも日本への本土上陸を阻止する方・・・
●戦争終結を求めていた日本
 米国が日本に上陸していれば百万人のアメリカ兵の命が犠牲になっていたと、トルーマン大統領はよく述べていた。しかし、軍の計画記録にその数字的根拠はない。スタンフォードの歴史家バートン・バーンスタインによれば、統合参謀本部の諮問グループ、統合戦争計画委員会は当時、九州、次いで本土戦となった場合のアメリカ兵死亡者の数を約4万人と見込んでいた。さらに6月半ばには、ソ連が宣戦布告しない場合でも、九州への上陸だけで戦争を終結できるであろうと同・・・
●ソ連の参戦
 ドイツ降伏後の日本は孤立していたため、そこへソ連陸軍が攻撃を加えれば日本が粉砕されることは明らかであった。イギリスのチャーチル首相も1944年9月にはすでに、ソ連参戦をにおわす声明だけで、日本を降伏に追い込むことができると述べていた。米国諜報部の調査でも、1945年4月半ばには、「ソ連の参戦でほとんどの日本人は即座に敗北を悟るであろう」としている。1945年7月・・・
●原爆の標的
 日本の敗北を確実視する証拠が増える中、原爆の準備は1945年の春を通じて行われた。しかし5月、6月、7月と日本の戦況が悪化するにつれ、原爆の役割が変わっていったのも確かである。当初、米国の指導者たちは、原爆は軍事目標に限って使用されるべきだと主張していた。5月29日の時点においても、マーシャル将軍はこう述べている。「原爆は海軍基地のような軍事目標に対して使うべきであり、それで何の効果も上がらなけれ・・・
●原爆とソ連
 なぜ原爆の使用を米国の指導者が選んだのか、ということについて、歴史家の意見は分かれる。しかし、米国がソ連よりも西側の力を優位にしたかったことが強く影響した、という点で識者の意見は一致する。米国は、ソ連が日本を攻撃する前に第二次世界大戦を終結させることを強く望んでいた。トルーマンとその顧問は、ソ連陸軍が満州と中国北部の日本人と交戦することになると考えていた。これは戦後その地域がソ連の支配下に入ることを意味する。そのため、英米の・・・
●爆弾はうまくいった
 スターリンとの交渉を延期するというトルーマンの夏の戦略は効を奏した。原爆の初実験は1945年7月16日に成功を収め、翌7月17日、トルーマンはソ連の首相と体面した。スティムソン陸軍長官は原爆の実験結果の報告を受けた後、この首脳対談について次のように書き記している。「チャーチルは昨日の三者会談で、トルーマンが明らかに何らかの理由で強気であり、ロシアに対して強行に立ち向かっていることに・・・
●原子の膠着状態
 勝利の後モスクワを訪れたアイゼンハワー将軍は、「原爆が使用される前であったなら、ソ連と平和を保つことができたであろうが、今はわからない」と述べている。1945年9月のロンドン外相会議で、原爆を手にしたバーンズは事実、ブルガリアやルーマニアなどの東欧諸国よりもロシアを統制しようと試みた。その場にいたジョン・フォスター・ダレスは、この時の緊張が冷戦の始まりであっ・・・
780アマノウヅメ:2001/08/14(火) 23:31
781アマノウヅメ:2001/08/14(火) 23:45
上のは「食人習慣」スレなんですが、どうもクロマニヨン人と
ネアンデルタール人は共食いしてたらしいんですよ。
同じ人間と言えるかどうか知りませんが。

何年か前の「ナショナル・ジオグラフィック」でクロマニヨン人の
遺跡の特集がありました。壁画もありましたね。
その画では食べ物として狩の対象となる動物は矢印がついてるんですが
ネアンデルタール人と推定される画の横にも矢印がついてました。

なんか、壮絶な戦いですね。
782世界@名無史さん:2001/08/15(水) 00:06
>>781さん
かぶってる時期があるのは分かるのですが、「現れ」る時期が
クロマニヨン人のほうが随分と遅いですよね。その前は一体何を
していたんだろうって…。原人がイパーイのころは、旧人や新人の
祖先は、もっと猿っぽかったり、よくわからない謎の姿形をしてて、
それぞれ出会わないように、こっそりと生きてたんでしょうか?
783看板職人:2001/08/15(水) 00:14
>>775 アマノウヅメ様
レスいただいてたんですね。ありがとうございました。
784アマノウヅメ:2001/08/15(水) 00:25
>>783
お忙しいでしょうね。
お暇があれば雑談スレでお話しましょう。
785世界@名無史さん:2001/08/15(水) 01:22
ここ20年ぐらいの歴代アメリカ副大統領の名前
わかる方いますか?
出来ればリストなどありましたら有り難いです。
無知な漏れに御力を。
786世界@名無史さん:2001/08/15(水) 01:31
「現る」になっているのは、つまり化石があるということで、
古生物学では一般に化石がみつかればそれがいたことがわかる、
ということしか言えないのでそんな書き方になるんだろうと
思います。
歴史の方もそうで、史料があるからいつの時代に何々があると
いうことがいえるわけですが。……
クロマニヨン人(を含む現生人類)とネアンデルタール人の関
係は、先祖→子孫の関係といわれたこともありますが、近年は
共通祖先から別れた別種だと考えられています。1997年に、
ネアンデルタール人の化石から採取したミトコンドリアDNAの
分析により、両者は数十万年前に分岐した別系統だとされて、
今ではその説が有力のようです。詳しくは地理・人類学板で
聞けば説明してもらえるかと。
787質問です!:2001/08/15(水) 10:32
国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)がなんでナチスになるの?
788世界@名無史さん:2001/08/15(水) 10:35
クソ日本人はみんな市ね
789世界@名無史さん:2001/08/15(水) 10:39
>>787
何のドイツ語略か見ればすぐに判るよ!
といいたいところですが、ちゃんとレス

NはNational(ナチオナル) その後にS
そんだけ
790世界@名無史さん:2001/08/15(水) 10:56
厨房な質問でスマソ。

ファシズム時代のイタリアにおいて、マフィアが弱体化したのはなぜですか?
791世界@名無史さん:2001/08/15(水) 11:11
ムッソリーニがマフィアを毛嫌いしてたから
792ruka:2001/08/15(水) 11:54
基礎的な質問でごめんなさい。でも、気になってしまって。
アウシュビッツって存在したのですか?なんか古い雑誌で無いという方の文を読んでいて気になったのです。
793世界@名無史さん:2001/08/15(水) 11:57
>>792
存在していました。問題なのはホロコーストの規模についてです。
794ruka:2001/08/15(水) 12:33
規模??
他の民族の方とユダヤの民の収容比率はどうなんですか?
795アマノウヅメ:2001/08/15(水) 12:35
796アマノウヅメ:2001/08/15(水) 12:38
>>792
過去ログです。
ほかにもあったはずだけど今のところみつかりません。
探してください。
797ruka:2001/08/15(水) 12:46
ありがとうです。
798世界@名無史さん:2001/08/15(水) 12:46
>>790さんへのちょっと長いマジレス。

マフィアというのは、シチリアにおける「在地権力」なわけです。
つまり、国家権力が十分浸透・機能していない地域において、
その地方の顔役が、実質的な権力を行使していた。
それが「マフィア」です。アメリカの「コーザ・ノストラ」とは別の
組織です。単なる犯罪結社にとどまらない。
その権力行使が民法的な面になると、「ドンの仲裁」という裁定になり、
刑法的な面で現れると「リンチ」という形を取る。

そういう自国内における二重権力状態(というか、実質的に
ローマ政府の力はシチリアにはほとんど及んでいなかった)を
無理やりに解消しようとしたのが、ムッソリーニ。
そのやり口としてマフィア弾圧というかたちを取ったわけです。
で、追いつめられた彼らはアメリカに渡ったと思われていますが、
意外にもあまり移住はしていなかったらしい。
アル・カポネは20年代の人間で、30年代以降のムッソリーニ
以前の話です。

ただそれも、戦争の混乱のなか、とくにアメリカのイタリア侵攻に
協力したマフィアは、戦後、その権力を回復しました。アメリカのおかげです(笑)
(もっとも、アメリカにも「反共政策」という大義名分がありましたが)
いまでもシチリアは半分マフィアの勢力下にあります。
マフィア撲滅特命検事が爆殺された事件はあまりにも有名です。
799世界@名無史さん:2001/08/15(水) 13:25
>>792 結論から言えば、アウシュビッツは存在していましたし、
その名に示される悲惨な事実もありました。

収容されていたのは、ユダヤ人のみならず、ロマ(ジプシー)、
精神障害者、共産主義者などもいました。
しかし、そのほとんどがユダヤ人でした。ロマなどはそもそも
人口自体が少なく、当時東ヨーロッパに多く居住していたユダヤ人が
ターゲットにされたのです。
ラトヴィアでは、戦前12万人いたと言われるユダヤ人が、
戦後は5000人にまで減っていました。
(95パーセント以上が殺されたのです!)
ポーランドのユダヤ人人口も、戦前の20パーセントまで落ち込みました。
オランダで隠れていたアンネ・フランクの話はご存じでしょう。
アインシュタインのいとこもほとんどが殺害されました。

修正主義者といわれる人たちが、「チクロンB」では人は殺せない。
だからアウシュビッツでは虐殺はなかった。
といっています。
では、(ベルゲン・ベルゼンで死んだとされる)アンネ・フランクは
一体どこに行ったのでしょうか? アインシュタインのいとこも、
どこにいるのでしょうか?
彼ら(修正主義者たち)は、
(ユダヤ人は)共産ソ連に連行されて、スターリンに殺された「のかもしれない」
と言っていました。
ところが、ソ連が崩壊し、さまざまな秘密文書が公開された後ですら、
スターリンがホロコーストを行ったという文書は発見されていません。

ホロコーストは隠しようのない事実だけに、「シンドラーのリスト」や
「夜と霧」など、さまざまな資料・証人がいます。
なんでもいいですから、一読されることをお勧めします。
800世界@名無史さん:2001/08/15(水) 16:43
>>751
ドイツ騎士団が臣従したのはポーランド・リトアニア連合王国に対して。
騎士団領がドイツ化したといってもポーランド人と混住していて、
ポーランド国内はポーランドのカジミェシュ大王法の下にあったのに対して
騎士団領ではドイツ法が適用されていた。言語も両方が使われていたが、
穀物仲買人など商人はポーランド大貴族の経済的利害関係から、ドイツ系の
習慣に従っていた。
制度上完全にドイツ化するのは世俗のプロイセン公国となってからしばらくしてのこと。
801790:2001/08/15(水) 19:19
>>798
どうもありがとうございました!
802世界@名無史さん:2001/08/15(水) 22:11
中国と朝貢国の関係で、「皇」や「勅」の字は
皇帝だけが使えて朝貢国の王は使えなかったんですよね?
じゃあ朝貢国は自国の都を「京」と呼んでも構わなかったのでしょうか?
どこかで「京」の字は使えないと聞いたような記憶があるのですが。
803世界@名無史さん:2001/08/15(水) 22:14
アウシュビッツに関しては
所長のルドルフ・ヘスが自伝を書いているよ。
804世界@名無史さん:2001/08/16(木) 00:25
あれは、告白調書です
805世界@名無史さん:2001/08/16(木) 01:11
>>804
ま、文書はね。内容は自伝だと思ってるんで。
806世界@名無史さん:2001/08/16(木) 01:21
1を罵倒する文章を書いてみたんだ。
時代考証が合ってるか教えて。

我々は1が何故このようなスレッドを立てたのかという
疑問を解決するため、1故郷である400000前の日本へ向かった。
「日本にこんな時代があったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した上司に失礼だと咎められた。

原人が住むような小さな家、ボロボロの毛皮を着る村人たち、
そして彼らは背広にネクタイを締めた我々を驚愕の眼で見詰めている。
火の使用だの、打製石器だの、ナウマンゾウだので浮かれていた
我々は改めて第2氷期の現状を噛み締めていた。

薄暗い洞穴に居たのは老いた母親一人
我々を見るなり全てを悟ったのか、涙ながらに
「息子が申し訳ありません」と我々に何度も土下座して詫びた。

我々はこの時初めて1を許そうと思った。
誰が悪い訳ではない、400000前の大寒波が全て悪かったのだ。
我々は1の母親から貰った打製石器を手に、
打ちひしがれながら21世紀へと帰路についた。
807世界@名無史さん:2001/08/16(木) 01:24
別の意味でいいネ。
40万年前の打製石器マンセー!
808◆S0H3jW9o:2001/08/16(木) 02:49
時代考証とか言う以前に、このままじゃデムパな人が意味
不明な書込をしてるとしか思われないよ。もっとアイデア
を練った方が良くはない?
809世界@名無史さん:2001/08/16(木) 03:50
>>806はコピペにて放置するのが吉。
810ハッピーエンドはいらない:2001/08/16(木) 22:24
遊牧民とかテレビで見ると
すごいのんびりしたかんじなのに
漢民族から中国をのっとるなんてどうなってるんですか?
なにか謎があるんですか?
811世界@名無史さん:2001/08/16(木) 22:27
>>810
のんびり生活してるように見えても、自然環境は過酷なのよ。
より、いい土地があれば、そっちで暮らしたいと思うのが人情でしょ。
812世界@名無史さん:2001/08/16(木) 23:45

    / ̄ ̄ ̄ ̄\
  /     ●  ●、  ゾヌーリ
  |Y  Y        \
  | |   |        ▼ |           アヒャ?
  | \/      _人.|          ∧_∧ クルーリ
  |       ___ノ           (゚ ∀ ゚)彡
  \    ./                /    U
   | | |                 |  |  |
   (__)_)               (_(__)


    / ̄ ̄ ̄ ̄\
  /     =  =、  ……。
  |Y  Y        \     アーヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
  | |   |ノヽ       ▼ |      アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
  | \/ ⌒    _人.|         ∧_∧
  |       ___ノ         (゚ ∀ ゚)
  \    ./                U   U
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   (__)_)                (___(__)


    / ̄ ̄ ̄ ̄\
  /     ●   ●     しつこいぞぬっ
  |Y  Y         \
  | |   |ノヽ       ▼ | パクッ
  | \/ ⌒ ____人_|
  |      |∨∨∨∨∨ アヒャッ
  \     \∧∧   )
   | | |\  ̄ ̄\\\
   (__)_)   ̄ ̄ ̄ し し/
813世界@名無史さん:2001/08/16(木) 23:46



    / ̄ ̄ ̄ ̄\
  /     ●  ●、
  |Y  Y        \
  | |   |        ▼ | ゴクン
  | \/      _人.|
  |       ___ノ 彡
  \    ./     アヒャ…
   | | |
   (__)_)


    / ̄ ̄ ̄ ̄\
  /     ●  ●、
  |Y  Y        \
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  | \/      _人.|
  |       ___ノ
  \    ./
   | | |
   (__)_)
814世界@名無史さん:2001/08/16(木) 23:46



    / ̄ ̄ ̄ ̄\
 Σ/     ●  ○、   ゾヌッ!?
  |Y  Y        \
  | |   |        ▼ |
  | \/      _人.|
  |       _______ノ
  \    ./
   | | |
   (__)_)


    / ̄ ̄ ̄ ̄\       あーーーーーーーーーーーーーー
  /     ○  ○、      ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
  |Y  Y        \     ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
  | |   |        ▽ |     ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
  | \/      _人.|     ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
  |            V       ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
  |       ____ノ     ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
  \    ./           ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
   | | |            ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
   (__)_)           ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
815世界@名無史さん:2001/08/17(金) 00:10
西暦紀元を表す「A.D.」について基督教色を避けて
「C.E.(Common Era)」と呼ぶことがありますが,
「B.C.」に対応する非基督教的な呼称はあるのでしょうか?
816:2001/08/17(金) 07:47
「SD」すぺりおる・どみなんと
てのはどう?
817世界@名無史さん:2001/08/19(日) 19:56
質問です。NHKの高校講座「歴史で見る世界」ってどうっすか?
世界史好きが祟って、高校出てから15年も経つってのに良く見てるんですが、
「俺が高校生の時こんな内容やってくれたら涎たらすぞ」ってくらい、
高校レベルとは思えないいい内容の時が結構あると思いますが、いかがでしょ?
#大成建設の「都市のCG」が良く流れてたのはちょっと
818世界@名無史さん:2001/08/19(日) 20:29
「PE」Pre Era
てのはどうよ。
819アマノウヅメ:2001/08/19(日) 22:40
>>817
私もいいと思いますが時間帯が困ります。
午後7時〜11時くらいに放送してもらいたい。
大体あの時間では高校生は見られないでしょう。
820世界@名無史さん:2001/08/19(日) 23:00
大学受験ではどの問題衆がいいの?
821まじレス:2001/08/19(日) 23:45
西日本進学校でのシェアが大きい渓流社
世界史B問題集の基礎編と応用編。非常に網羅的なんで
九州あたりじゃ採用してる学校もあるんでは・・。(ただし一般で売ってないので
学校で余り物の献本があればゲットしてくれ。)
Z会の「力をつける世界史」(ところどころ二次対策が入ってる)
Z会のセンター世界史演習(昨年度は予想問題が的中していたのでかなりいいと思う)
山川出版もサブノートは定評があるとおもうけど、解説が乏しいので
問題集はイマイチかなあ?
「センター試験への道」(山川)
もしあの分量ががまんできたらやって見たらいいかも。
しかし解説がかなり間違っているので注意が必要ですね。
822世界@名無史さん:2001/08/20(月) 18:36
紀元前から始まった奴隷制!
いつどこで始まり、その始まった直接の原因は
なんなのでしょう??
823まーくん:2001/08/21(火) 03:21
今日映画「エリザベス」を見て疑問に思いました。
エリザベスの戴冠式で「アイルランド、イングランド
およびフランスの女王」と宣言されていたのですが、
この「フランス」とはどういう意味なのでしょうか。
824世界@名無史さん:2001/08/21(火) 03:40
>>823
100年戦争の頃からのアレで、
イングランド王はフランスの王位をず〜っと主張していたそうですよ。
形式的には、19世紀、ジョージ3世の頃まで。
825名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/21(火) 12:32
Gracey, Gracie, Graza, Grazia, Grazina
この中で男の名前はどれ?
また縮めたらどうなるかも教えてちょ
826名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/21(火) 12:38
↑すまん、別のとこにぴったりのスレ見つけた。
827ななし:2001/08/21(火) 19:59
イギリスにローマ軍がつけた地名が
ブリタニカ、とかカレドニアとかありますが、
ドイツあたりはなんといったのですか?
出来ましたら、他の場所もいくつか教えてください。
828世界@名無史さん:2001/08/21(火) 20:44
>>827
ドイツ→ゲルマニア
フランス→ガリア
オーストリア→ダキア
スペイン→イスパニア
地方名はこんなもん(他にもいろいろある)。

ロンドン→ロンディニウム
パリ→ルテツィア
ウィーン→ウィンドボナ
都市名はこんなもん(同様に他にいろいろある)。
829世界@名無史さん:2001/08/21(火) 21:04
ダキアはルーマニアじゃないの?
830828:2001/08/21(火) 21:46
>>829
うん。たぶんそだね。ハズカシ。憶測でものを書くもんじゃないなぁ・・・。
831世界@名無史さん:2001/08/22(水) 00:06
ドイツにはクサンテンというドイツ地名唯一“X”で始まる
ローマ時代に造られた街が今もあります。
闘技場の遺跡もあります。
832まーくん:2001/08/22(水) 00:46
>>824
なるぼどー。ありがとうございました!
833ファイサル:2001/08/22(水) 01:53
イスラムの歴史に関する基本的な文献で良いものありませんか。
834@名無しさん:2001/08/22(水) 09:34
ラテン語の地名レスありがとうございました。
私がこの種の地名を知ったのは、同じ歴史でも
地球というか、動植物の歴史のカンブリア紀とか
ジュラ紀とかが、イギリスの化石の採れた地名だと
気がついたときです。
835世界@名無史さん:2001/08/22(水) 11:52
>>833
日本人の書いた歴史なら
講談社現代新書の『新書 イスラームの世界史』全3冊が
分量も手ごろで読みやすいと思う。
836世界@名無史さん:2001/08/22(水) 16:44
>>821
まじレスありがとございます。
Z会のヤツ探してみます。
837世界@名無史さん :2001/08/22(水) 17:22
バスク人の人々は、キリスト教が伝わる前はどんな神々を信じてたんですか?
板違いかとも思いましたが、宗教板にはこういう質問スレがないので、お願いします
838世界@名無史さん:2001/08/22(水) 23:49
朝鮮関係の質問ですみませんが、
韓国学会では70年代まで「日本書紀」を偽書としていたと
本で読んだのですが、偽書とした根拠や主張などについて
教えて頂けないでしょうか?
839:2001/08/23(木) 01:40
昨日ばおっとDiscoveryChannelを見ていたものでございます。
たまたま「秦の始皇帝」をやっていました。
その中で、ジョフクが出てまいりました。番組の中では断定調に
 ジョフクは九州にたどりついて
 日本文化の基礎を固め
 富士山近辺に住み着いた
とか解説していました.これって定説ではないと思っていたのですが
多少なりとも信憑性ある話なんでしょうか?

昔どっかにスレあったなあ
840あやめ:2001/08/23(木) 13:18
「史記」の記載では徐福の到着地は必ずしも明確には特定されていません。
しかし後代になって日本の情報が蓄積されるようになり、渡日説が出現する
ようになったものでしょう。
五代末宋初の僧侶の義楚の著した「釋氏六帖」には徐福は童男童女各五百人
を率いて、日本に渡航してそこに止まった、今でもそこの人物は長安と同じ
だと書いてあり、また初めて富士山のことを紹介し蓬莱山であると説いてい
ます。ところで徐福が渡海した時点では始皇帝による焚書坑儒は実行されて
おらず、徐福は支那本国では亡失してしまった古書を日本に大量に持参して
いった、その国では貴重な書籍が現在も保存されているという伝説も発生し
ました。
841あやめ:2001/08/23(木) 13:36
>838
偽書とした根拠は分りませんけど気持ちは想像できます。
「日本書紀」には百済の古書を引用して、日本を「貴国」などと呼んだり
半島の国家が日本に服属していたような記述が承認できないのでしょう。
また「書紀」が引用する百済史料に成立上の問題があるのも事実なので、
そうしたところから「書紀」そのものまで怪しいと言い出したのではない
でしょうか。推測ですけどね。
842世界@名無史さん:2001/08/23(木) 13:44
右にも左にも偏っていない朝鮮史の歴史書知りませんか?
特に近現代に偏りの少ないもの希望!!
843世界@名無史さん:2001/08/23(木) 18:28
歴史上、残虐で有名な騎馬っていたんでしょうか?
倒れた兵士の頭を自分の意思で踏み潰していくようなやつ
844世界@名無史さん:2001/08/23(木) 19:09
安能務て何者ですか?
昨年亡くなられたようですが
ジャーナリスト?大学教授?
検索しても女のHPばっかり
845あぶ:2001/08/23(木) 21:46
中国史を見ると、元以降は外国王朝が多いですね。
元は王宮内でモンゴル語を話していたそうですが、現在のモンゴル人の話して
いるモンゴル語とどの程度同じなのですか?

清のもとの国名は後金ですが、何語を話していた民族なのでしょうか?
中国支配の中でいつ頃まで自民族の言葉を使っていたのでしょうか?
あまり中国史は得意でないものですから、どなたか教えてください。
846世界@名無史さん:2001/08/24(金) 11:19
昔から疑問なんですが、王国のイギリスをどうして「大英帝国」って訳したんですか?
ビクトリア女王が、インド皇帝になったのと関係はあるんでしょうか?
847世界@名無史さん:2001/08/24(金) 11:30
>>846
グレート・ブリテンのグレートから来たのかなぁ?
でもそれだと英連邦の版図の巨大さとは関係なくなるよね
誰か詳しい人・・・
848世界@名無史さん:2001/08/24(金) 11:41
>>844
封神演義を翻訳した人

つか、たぶんそれで名前知ったんだよね
849世界@名無史さん:2001/08/24(金) 19:03
世界史で有名な双子を教えてください。
850沙羅 ◆tE.WP6n. :2001/08/24(金) 19:29
>>849
有名ってことだけで良いのなら、ローマ発祥伝説のロムルスと
レムルス。

 実在したのかとか突っ込まないで下さいよ。(笑)
851世界@名無史さん:2001/08/24(金) 19:35
日本人だけど、

おすぎとピーコ。
852世界@名無史さん:2001/08/24(金) 20:06
>>851
ワラタ。

>>849
ギリシャ神話のカストルとポリュデウケス。神話だけど。
853世界@名無史さん:2001/08/24(金) 20:27
>>849
レーガン時代の対外収支と財政収支
854世界@名無史さん:2001/08/24(金) 20:30
>>853

こら!それは双子の鼻血だろ
855世界@名無史さん:2001/08/24(金) 21:36
>>849
マルクス・アウレリウスの実子コンモドゥスは双子だった。
856世界@名無史さん:2001/08/24(金) 22:24
中国でピラミッドが多数発見されたとかいうニュースの真相は?
857世界@名無史さん:01/08/26 20:32 ID:chcrPqnU
ヒトラーが菜食主義者だったってのは本当ですか?
858世界@名無史さん:01/08/26 21:52 ID:qJOTiRsA
>>857
記録を信じるなら、ヒトラーは菜食主義者だったようです。ついでに酒も煙草
もやらなかったとか。
859素朴な疑問:01/08/26 22:28 ID:yuvFb.22
モンゴル以上の世界帝国はできなかったのでしょうか?
860世界@名無史さん:01/08/26 22:37 ID:iPZfBr0Q
>>859
チンギスハーンとその後継者の寿命が後25年あれば、かなりの帝国ができていたでしょう
861ネコが好き:01/08/27 00:44 ID:MgEiQFlo
ボルネオにあった白人王国(White Raja)ブルック一族について教えて
862世界@名無史さん:01/08/27 04:16 ID:thUSN3Do
キリル文字を詳しく教えてください。
863梵阿弥:01/08/27 09:35 ID:n.6b48Yc
>>862
メトディオスとキュリロス兄弟の大モラビア王国の布教にあたってスラブ語を書く為に
弟のキュリロスが作ったのがグラゴル文字。この文字は18世紀頃までダルマティアで
ひっそりと使われた。
兄弟の死後弟子のクレメンスのブルガリア布教活動の中でグラゴル文字の原理にギリシア
文字を中心に置き換えて出来上がった。個人が作ったというより自然にできていった
のではないかと考えられている。
864あやめ:01/08/27 12:39 ID:KJivflmM
>>861 あやめもネコが好き
ジェームス・ブルックは1803A.D.生れの英国人、最初は東インド会社に
勤務していましたが、第1次英緬戦争に従軍して重傷を負って辞職し、
支那に2度渡航しマレー方面の事情に通暁するようになりました。多額の
遺産を相続した彼は140トンのヨットを購入し、船員20人を乗せ東洋へ
向かい1838A.D.にシンガポールに滞在するに至りました。
時あたかもサラワクのダイアク族(けっこう最近まで首狩とかやってたと
聞いたことがあります)がブルネイのスルタンに対して反乱を起こし、討
伐を任されてたスルタンの叔父のラジャ-ムダ-ハシムはてこずっていて、
シンガポール知事の推薦でムダはブルックに協力を要請したところ、彼は
短期間に鎮定に成功しました。ムダはその功に報いるためスルタンに彼を
サラワクのラジャに任ずるよう進言し、最初は渋っていたスルタンも遂に
1841A.D.にこれを承認しました。ここにマレーシア連邦成立まで続いた
ブルック朝の世襲ホワイトラジャ国が誕生したわけです。
ブルックは税制の改善など内政に励むと共に、英国海軍大佐ケッペルの
応援を得て近海の海賊の駆逐に努めました。特に1843,46,49A.D.と数次
に亘り遠征軍を送って、ルパール・スクラン・サリバス3川流域のイバン
人(海ダイアク)が「海賊行為」に従事しているとして討伐し、更に宗主
であるブルネイのスルタンが海賊を支援しているとして、英艦隊を率い
ブルネイを占領して、ラブアン島を英国に割譲するように強請し英政府
からその施政を委任されました。
1853A.D.にはブルックはブルネイのスルタンから、イバン人居住地域の
統治を承認され、63には英本国からサラワク王国の独立を承認されました。
その後もブルックは事を構えてはブルネイの領土を蚕食し、90にはリム
バン川地方を併合し、ラブアン島の対岸の租借権も獲得するなど、勢力の
拡大に努めましたが、1868A.D.に病没し王位は甥のチャールス-ジョンソン
が継ぎました。
865世界@名無史さん:01/08/27 13:58 ID:L.iPvYd6
キリル文字の利点は
スラヴ諸語にある子音を一音素一文字に対応して表記できること。
スラヴ語はラテン文字に比べて母音・子音の数が多いので
ラテン文字で表記しようとすると
どうしても綴りが複雑で長くなってしまう。
それでもチェコ語・ポーランド語・クロアチア語などはラテン文字だけど。

>>864
その話、面白いですね。
1868年以降はどうなったんですか?
866あやめ:01/08/27 16:43 ID:KJivflmM
ジェームスからサラワク王国を継承したチャールズ-ジョンソンは経済的振興に意を用い、
1856A.D.に設立されたボルネオ会社を使って自社所有船舶による輸出入を行い、同社傘
下に銀行を設立して政府への借款供与や一般への融資業務を行いました。アンチモニー・
金・石炭など鉱業の開発を推進し、木材の伐採も事業化しました。統治政策としては65に
各種族に議員資格を認めて立法議会を開設し、各種族や各地区の利害を議会に反映させる
機関としました。
対外的には前代に続き拡大政策を進め、82にはバラム川沿岸をブルネイから割譲を受け
ました。 サバを支配していた北ボルネオ特許会社がブルネイ東部を併合したのに対抗し、
85ブルネイ西部トゥルーサン地方をを併合しました。北ボルネオ特許会社はブルック王
国がブルネイの残りの領土を蚕食することを恐れ、英本国政府にブルネイを保護領にする
ように要請しました。英国政府は88にブルック王国と条約を結び、サラワクを英国が外交
権を保持する保護領としました。
1917A.D.ジョンソン王が死去し長男のチャールズ-ヴァイナーが第3代国王になりました。
ヴァイナーは内陸部の種族間の抗争を止めさせ内政を安定させるべく努め、産業経済面でも
安定的な発展に意を用いました。41A.D.には憲法を発布し住民に大幅な立法権を与えるなど
政治的にも前進が見られました。
同年12月に太平洋戦争が勃発し石油資源の確保を求める日本軍の主要占領目標となり、南
方軍直轄部隊歩兵第124連隊川口支隊の約2500名がミリに上陸し全土の支配を受けました。
戦後46A.D.ヴァイナー王は退位を表明しサラワクは英国の直轄植民地となりました。
1961A.D.英領マレー諸地のうち戦後に成立したマラヤ連邦のアブドル-ラーマン首相が「マ
レイシア連邦」の結成を呼びかけました。翌年の連邦構成についての非公式会合を経て一旦
は連邦加盟が確定しかけたのですが、その翌年には東マレーシアの主要国ブルネイが財政
事項に関する件の不合意から参加を取りやめ、フィリピンとインドネシアの反発もあり手間
どった末、63に西マレーシア諸国・サバ・サラワクを含む東マレーシアが合体し現在のマレー
シアが成立したのでした。
前回マレーシア連邦成立までブルック王国が存続したような書きかたをしましたが、
正確には今回のような経過です。ごめんなさい。
867世界@名無史さん:01/08/27 17:53 ID:oFtR0rYM
経済史、経営史の視点で見た三国志の時代に関する本ってありませんか?
868あやめ:01/08/27 18:16 ID:KJivflmM
ジェームズ-ブルックの生涯って勇気と義侠の白人が非文明国に正義と
平和を齎したって冒険ダン吉(念のため申し添えますがリアルタイムで
知ってるわけじゃありませんからネ)みたいなエキゾかつヒロイックな
話で、英米人の好んで語るところって感じ。日本でも明治の田中萃一郎
なんか「東邦近世史」でブルックのことを「(サラワクの住民が)文明の
恩沢に浴する能はざるを憐れみ、慨然として之を救済するの志を立つ」
なんて書いてるんですもんね。
まあサラワクに限らずだけど東南アジアでは統治が至ってルーズなので、
いつのまにか入り込んできた植民者が事実上の支配権力を地方に樹立し、
付近一帯の漠然とした名目的支配者が追認するといったパターンがあり
がちです。
サラワクでも18-19世紀にポンチャナクで支那人の採金労働者社会を
中心として成立した「蘭芳大総制」国なんてものもありました。古いと
こでは明初の旧港(パレンバン)など殆ど華僑が支配してた感じだし、阮氏
廣南國における河仙(ハチェン)の華僑で都督に任ぜられていたマク(莫の
右に大里)氏も事実上の独立政権みたいな様相を呈していたみたいです。
タイ国なんて山田長政だフォールコンだタクシンだって、歴史の重要な節目
に出てくる重要人物は外国人が多いんだもんね。王様と「私」もいたわね。

冒険ダン吉といえば60代以上の男性にとって昔懐かしい山中峰太郎の著
「敵中横断三百里」(これまたリアルタイムで知ってるわけじゃないので、
誤解なきよう)に、ある少年が父に連れられて行った南洋(これまたレトロ
な言葉)の島で、機知と勇気で酋長として君臨するとゆう話が載っていて、
山中はこの話はフィクションではなく、自分の友人の兄の実話であると強調
してました。ホントカナ?
869ネコが好き:01/08/27 23:31 ID:MgEiQFlo
あやめさん、どうもありがとう。ブルック家のこととてもよくわかりました。
あまり注目されない地域、歴史のように思いますが、「オシエテ君」でもいい、
スレッドとしてこのあたりを取り上げていきたいと思います。

冒険ダン吉! レトロですねえ。「わたしのラバさん酋長の娘〜」思い出すわ。
昭和初期の不況時代、馬賊になるんだとか、文天祥になるんだとか
夢があったんですねー。(ホントは知らんけど)

失礼しましたっ。
870世界@名無史さん:01/08/28 04:02 ID:cmrzxWTA
枢機卿ってどういう地位なのでしょうか?
イタリア、フランスにいるのはなんとなくわかるけど。
現在もいるんですよね。世襲制の名誉ある地位なの?
それとも何か仕事があるのでしょうか。
871世界@名無史さん:01/08/28 12:08 ID:CSbOKGsM
赤い帽子の坊さんだよね?
ローマ教皇は枢機卿の中から選ばれるんではなかったか?
872世界@名無史さん:01/08/28 18:56 ID:v9GRMQjs
>>870
http://dictionary.goo.ne.jp/cgi-bin/dict_search.cgi?MT=%BF%F5%B5%A1%B6%AA&sw=2
↑だそうです。
カトリック聖職者は結婚できないんだから
世襲ではないでしょう。
873世界@名無史さん:01/08/28 19:41 ID:Hxu3vnPs
ありのままのイエス・キリストのこと書いて
外国では発禁処分になった山本七平の本
知らないかい?
874:01/08/28 22:33 ID:jqYUTX0g
りしゅりゆー、まざらんってどうして枢機卿だったの?
枢機卿がたまたま大臣になったの?
枢機卿でもある必然性があったの?
だいたいなんでイタリア人が枢機卿になったのだろ。
あれはフランス人に「帰化」してたのだろうか。
そもそも「帰化」「国民」って概念あったのだろうか。
考えてみれば不思議だ。
ガリカニズムって誰か言っていたけど、そのへんと関係あるのかしらん。
875:01/08/28 22:35 ID:jqYUTX0g
>>873
その本の事は知らないけど
イエス・キリストを冒涜的に描いた本なんて山のようにありますよ。
「外国」ってどこだろ
876世界@名無史さん:01/08/28 22:55 ID:PAfbEyGY
>>875
お馴染みのアメリカ合衆国です。
877875:01/08/29 03:20 ID:wRf0k1XI
>871
>872
お答えくださってありがとうございます。
お手数かけちゃってすみません。
枢機卿って教科書にはよく出てきたけれど
具体的にどういう仕事していたのか判らなくなっちゃって。
もうちっといろいろ調べてみたくなりました。(⌒∇⌒)ノ
878グラント:01/08/29 10:59 ID:5IoVigVk
スコットランドについて書かれている。本があれば
教えて頂けますか?
文献とか難しいものではなく、参考書・みたいなものがあれば
宜しくお願いします。
879提供:名無しさん:01/08/30 17:12 ID:DiQcLTZU
カリブ海政策
ってマッキンリーのとき?
T・ルーズベルトのとき?
880世界@名無史さん:01/08/30 18:44 ID:9JMHrQPk
>>879
はてな、もう回答がついていたんじゃないかな。
米西戦争はマッキンリーの時代だけど、パナマをはじめとする強引な中米
政策を推進したのはT.ルーズベルト。
普通、カリブ海政策というと、T.ルーズベルトの代と考えられているよ
うだね。
881YP:01/08/30 20:23 ID:xHx7Aa9E
日本のOSに入ってるキリール文字で海外にメールしたら文字化けしますよね?
(ボクはマシンはマックです)

どうすれば化けずに送れるのでしょうか?
対処法を御教授ください。
882提供:名無しさん:01/08/30 20:25 ID:LbIC/G5c
>880
なるほど分かりました。
883世界@名無史さん:01/08/30 20:26 ID:TI2S/Z1Y
>>881
思いっきし板違い。

ここまで外してると、逆に清々しいね。(稿
884世界@名無史さん:01/08/30 20:38 ID:9JMHrQPk
>>881
MacOS9であれば、標準で Cyrillic Language Kit という、キリル文字
の入力・表示環境も付いています。

MacOS9より古いバージョンの場合など、詳細なガイトは、以下のサイト
をどうぞ。

ttp://www.slavweb.com/jp/Ruccify/mac.html#rus

>>883
あれれ?ここはどこ?(稿ってなに?(藁
885世界@名無史さん:01/08/30 20:55 ID:GWpvjEwg
一瞬PC初心者板向けの内容が言語板に書かれてるのかと思ったよ。
ここは世界史板じゃん。

PC初心者板って消えたんだったっけ?
886YP:01/08/30 21:02 ID:b1.51w0U
>>884
レス、サンクスです。
OSは9です。 という事はそのままメールしてOKという事ですか?
メールソフトはOut look のver5 ですが、半角に変換すると化けたから心配になってしまって・・・

>>883
ゴメンなさい。 sage で書くから許してね。
887世界@名無史さん:01/08/30 21:30 ID:9JMHrQPk
>>886
半分冗談で回答したんだけど、乗りかかった舟ということで、説明しましょ。

要するに、日本語(jis,sjis)などに含まれているキリル文字は、ダメです。
日本語環境でしか使えない2バイトコードですから。

ランゲージキットの中から、キリル文字を選んでインストールしてから、
メールの内容を1バイトコードのキリル文字で作成して送信すれば、OK
と言いたいところですが、キリル文字のコードは4種類くらいあるので、相
手のパソコンがどのコードを使っているかがわからないと厳しいかもしれ
ませんね。

Mac同士であれば、割と簡単かも知れませんが、相手がWindowsだった
り、UNIXだったりすると、化ける可能性があります。

相手が特定されるなら、まず、試してみてはどうでしょう。
888YP:01/08/30 21:53 ID:csuUfP.g
>>887
うひゃ! これを感謝と云わずして、何を感謝と云えばいいかわかりません。
丁寧なレスありがとうございました。

板違いな書き込みで失礼しました。>ALL
889:01/08/30 23:09 ID:nTWp419s
欧米のフォントというか入力はどうしたら一番簡単にできるでしょう?
ウムライトとかアクサンテーギュとかを入力したいのです。
JISにそのようなフォントあるけど、あれじゃだめなんだよねえ
890世界@名無史さん:01/08/30 23:23 ID:gV7GjIwA
>>887
ううむ、あれだけ板違いな質問に回答してやるとは……。
"ど〜でもいいけど"さん、あんたは偉い。世界史板の鑑や。
891世界@名無史さん:01/08/30 23:48 ID:30rZpz6o
>>889
Windowsなら
コントロールパネル>キーボード>言語で
フランス語入力・ドイツ語入力を設定すれば
簡単にできますが…。
892:01/08/31 00:16 ID:hTga/Pbs
おお、何年もの悩みが一挙に解決された!

>>891
ありがとうございます
UNIX屋なのでWindowsは嫌悪しながら使ってるのでした
FD+Mifesの世界に戻りたい
893Final:01/08/31 00:22 ID:eKWrOT6Q
>FD+Mifesの世界に戻りたい
いつの時代の人ですか?
894:01/08/31 00:31 ID:hTga/Pbs

Finalはマクロ機能がちょっと・・
Vzがよかったですねえ

板違いかな
895世界@名無史さん:01/08/31 01:01 ID:jT5ydkTc
中世で騎士の給料とかはどうしていたんですか?
896世界@名無史さん:01/09/02 10:19 ID:3OIZ4SbU
>>895
原理原則から言うと、騎士は封建領主ですから、給与というか恩賞
は土地ということになります。
また、戦闘に参加した場合は略奪した財産が収入となります。
ですから、十字軍に参加した騎士たちは、略奪や現地での封建国家
樹立に熱心だったわけですね。

ただし、14世紀頃からあとは、騎士も貨幣で報酬を受けていたよ
うです。以下は、100年戦争の時の工ドワード3世の軍隊につい
ての記述です。

武装した騎士の封建軍隊は,この時代にはもはや流行遅れであった。
各兵士は王の国庫から給料を受け取った。
騎士は1日2シリング,馬をもった弓兵は6ペンス,馬に乗らない
弓兵は3ペンス,農民歩兵は2ペンスであった。指揮官は,伯爵が
1日6シリング,普通の諸侯には4シリングが支払われた。

>>894
わたしは、どちらかというと Red++ が好みでしたが。
897世界@名無史さん:01/09/02 11:02 ID:bl9VGGmQ
898Cavabien:01/09/02 11:04 ID:qr26jwow
>897サン
 石田三成だと思います。
899世界@名無史さん:01/09/02 11:10 ID:bl9VGGmQ
>>898
サンクス!
900クライスト:01/09/03 02:24 ID:IxcAKMhw
第二次世界大戦のソ連軍のドイツ侵入によるドイツ人の死者は
どれ位だったんですか?世界史版のスレ読んだり独ソ戦の本を
読んでるとソ連が侵入した地域のドイツ人は一人も生き残って
いないような印象をうけるんですけど。
そして現在旧東ドイツの地域にいる人はソ連軍の暴行でスラブ系
の血がかなりはいってるんですか?
901名無し:01/09/03 02:40 ID:NuWV.m1g
>>900
それがなんやねん
それしって、どうするんや
902クライスト:01/09/03 02:59 ID:IxcAKMhw
>>901
いろいろ読んでて疑問に思っただけです。
903世界@名無史さん:01/09/03 09:06 ID:BxvOhAxk
友人が「うるせー!」というかわりに「ウルヘル大司教!」というのですが
なんなんですか。ほんとにいるんですか。
904世界@名無史さん:01/09/03 12:00 ID:mtsrBT7Y
正確にはウルヘル司教。
フランス大統領と共同でアンドラの元首をつとめている。
ウルヘル
スペイン北東部、カタルーニャ地方レリダ県にある同名郡の町。
人口約7000。ピレネー山麓の全長144kmに及ぶ運河で灌漑される肥沃な台地
(標高691m)にある。8世紀に伯領となり、1162年にはアラゴン連合王国に
組したが、15世紀にハイメ伯が国王の座を狙って反乱を起こし、失敗した
(1433年、ハイメ伯は獄死)。その結果伯領は廃止され、現在に至っている。
また、西ゴート王国時代に司教座がおかれ、ウルヘル司教は819年以降、
現在もアンドラの主権を有している。

ウルヘル司教とスペイン政府との関係は微妙である。
スペイン政府は常に司教をスペイン代表としてみなそうとしてきたが、
司教は一貫してアンドラの共同君主としての機能は個人的特権であって、
その限りではスペイン政府の指揮下になく、むしろ歴史的に共同領有権の
擁護者であったローマ法皇庁の精神的権威の下にあるとしてきた。

つまり人名ではないということです。参考に。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/andorra/data.html
905世界@名無史さん:01/09/03 17:20 ID:oPoSnoHo
質問スレのPART3はいつごろ立てますか。
950レスくらいですか?
906世界@名無史さん:01/09/03 17:29 ID:onTtuh6.
>>904
ありがとうございます。いまいちのみこめないけど、いるにはいるんてすね。
907a:01/09/03 23:04 ID:wFJMUTYg
すみません、本当にくだらない質問なのですが、
中学校の歴史の教科書って何処に逝けば手に入る
のでしょうか?
普通の大きめの本屋さんで扱っているのでしょうか?
例えば紀伊国屋とか・・・?
どなたか知っておられる方よろしくお願いします。
908895:01/09/03 23:19 ID:dHtyUmqk
>896
遅くなってすいません。ありがとうございます。
ご恩と奉公ってやつですね。
909世界@名無史さん:01/09/03 23:32 ID:ruROmB06
>>907
大きい書店ということではなくて、教科書取扱店になっている書店に置い
てあります。

地域の教科書取扱店だと、その地域の採用教科書しかないようです。
例えば、横浜ならば伊勢崎町の有隣堂本店などが揃っていますね。
あとは、出版社から直接という方法もあるようです。

今話題の某社歴史教科書なら、普通の書店でも手に入りますが(W
910世界@名無史さん:01/09/04 01:41 ID:PkVgWPxQ
>>世界史板住人
それがなんやねん
それしって、どうするんや
911マック:01/09/04 23:37 ID:lgm9CHs6
オスマントルコの最盛期の人口、戦力など教えて下さい。
912世界@名無史さん:01/09/04 23:56 ID:1C9yda6w
プラッシーの戦いって英仏が戦ったことになってるけど
実際は両東インド会社軍なんだよね?
詳しいことおわかりの方教えてください。
913世界@名無史さん:01/09/05 00:52 ID:n6cDQERM
>>912

というか、英東インド会社軍VSインド土侯軍ですね。

1757年当時は、ベンガルの覇権を巡って英・仏及び
ベンガルの太守(Nawab)シュラージャ・ダウラ(Surajah Dowla)が争っていたわけだが、
シャンデルナゴル(Chandernagore)砦を落とされて立場の弱い仏軍がベンガル太守と手を組んだわけです。

プラッシーの戦いでは、英軍3200(うち2000はセポイ)が優秀な火力にものを言わせて
ベンガル土侯軍50000(うち仏軍は数百名)をうち破るのですが、
戦後クライヴ(Robert Clive)はシュラージャ・ダウラの武将ミール・ジャフィール(Mir Jaffir)
を裏切らせて、ベンガル太守の傀儡化に成功します。

ついでに、この時ミール・ジャフィールから受け取った資金をばらまいて
クライヴは本国議会の議員になったそうですから、
さまざまな意味でベンガル土侯軍の方がクライヴの視野に入っていたのではないかと。
914世界@名無史さん:01/09/05 02:09 ID:ckFFgcrE
>>912
おお、ありがとうございます。
両軍の兵力差がすさまじいですね。
それにしても軍隊を持った私企業がよその国土で戦争
ってのは日本人にはなかなか想像しにくい情景です。
これは東インド会社スレの範囲か・・・
915914:01/09/05 02:09 ID:ckFFgcrE
>>913でした失礼
916世界@名無史さん:01/09/05 02:58 ID:cIgxyN/6
bbb
917世界@名無史さん:01/09/05 18:54 ID:ptuExVCo
セーヴル条約では、トルコのエーゲ海沿いのイズミル近辺がトルコ外の領土になっているんですけど、
ギリシャの領土になる予定だったんでしょうか?
また、どういう経緯でその国がえることになったんでしょうか?
918世界@名無史さん:01/09/05 19:16 ID:IHlg6O.o
>>911
前近代オスマン帝国の人口は1500万〜2000万人くらい。
最盛期ということで16世紀の例では、
常備軍(カプ・クル)のうち歩兵(イェニチェリ)が1万数千人、
六連隊騎兵が6千人、砲兵・工兵やイェニチェリ新兵まで入れて合計3万人。
直轄州から徴兵される封土騎兵(シパーヒー)軍が
バルカン・アナトリア・シリアであわせて10万人。
間接支配州のエジプトにはマムルーク、
属国のクリミア・ハン国にはタタール騎兵、
それにアナトリアには遊牧・部族生活を守るトルコ系遊牧民がいるから
彼らを数万人単位の補助騎兵として動員可能。
このうち遠征を行なうときは最大で10万人くらいで軍を編成したらしい。
919世界@名無史さん:01/09/05 19:21 ID:IHlg6O.o
>>917
その通り、ギリシア占領地域です。
イズミルあたりはアナトリアの中でも
ギリシア人(=ギリシア正教徒)人口が特に多かったので、
ギリシアの拡大ナショナリズム(メガリ・イデア)によって
いわば「未回収のギリシア」と見なされていました。
トルコ側の反ギリシア攻勢により
ギリシア人は実質的に追放されてしまいましたが…。
これについてはトルコ共和国スレも参照してください。
920917:01/09/05 21:18 ID:ptuExVCo
>>919
丁寧な解説ありがとうございました。
そういえば、ペルシア戦争の発端もそのあたりのギリシア系住民の反乱でしたね。
古来からギリシア本土と縁が強かったと・・・・・・。
921世界@名無史さん:01/09/05 22:15 ID:Zu5VlEk.
古代ローマや古代ギリシャには野生のライオンがいたって
ほんとでしょうか??
922907:01/09/05 23:14 ID:G7xDEd9I
>>909
ありがとうございます。
今度探しに逝って来ます!
( ´∀`)
923アマノウヅメ:01/09/05 23:44 ID:V.hYCYbc
>921
ギリシャ神話にはライオンは良く出てきます。野生です。
ローマのライオンは闘技場用の輸入品でしょう。
924 何足道 :01/09/06 00:02 ID:U9F.PNxc
 宋代の所謂“変法運動”について書籍を紹介して下さい。
 新法党・旧法党、それぞれあると大助かりです。

 自分の手許にあるのは、
 新釈漢文大系『十八史略』明治書院
(王安石には辛く、司馬光を褒めてますな。多分。
 &
 宮崎市定『世界の歴史6宋と元』中公文庫
(王安石をそれなりに再評価しようとしている?かも。

 ちなみに自分は金庸《天龍八部》を読んで、
“宣仁太后が四に哲宗趙煦が九年目にして実権を得、
 翰林学士笵祖禹を押し切り、
 蘇軾を定州へ貶し、蘇轍を汝州へ貶し、新法を斷行・・・
 それを知った北朝遼主耶律洪基が兵を起こす・・・”
 そんな場面があったんですけどね。
 それで当時の状況をちょっと詳しく知りたいと想ったのです。
925世界@名無史さん:01/09/06 00:24 ID:jYD.1QeE
面接に使う願書の「世界史のどんな内容に興味があるか?」の所に
「大航海時代」とか書いてしまったんですけど
「例えば?」と聞かれたらどう説明したらいいのか分かりません。
何か良い例はありますか?(漠然とした質問でスイマセン
926無名武将@お腹せっぷく:01/09/06 00:37 ID:8mJZ5o2s
何か「大航海時代」と名の付く本でも読んで目安を付けたら?
927世界@名無史さん:01/09/06 00:40 ID:wRXYz2RY
>>925

試問官:「大航海時代? 例えば?」
ユー :「・・・わかりません。」
試問官:「じゃあ、なんでこんなこと書いたんだ?」
ユー :「大後悔している次第です・・・・」

と言えば、オヤジには受けると思うよ。
928名無しにして頂戴:01/09/06 00:47 ID:0GF88rHY
>>927藁た。。。(俺ってオヤジだ・・・ゲンナリ
929 ◆MJjykzAc :01/09/06 04:21 ID:Z71xo0Gk
>>921
平凡社の世界大百科事典でチェックしてみたところ、「かつてはバルカン
半島,アラビア半島からインド中部までと,アフリカの大部分に分布した
が,人間との競合で分布をしだいに狭め,前100年ころにはギリシアで滅
び,1858年にアフリカのケープ,65年ナタール,91年アルジェリア,
1920年ころモロッコやイラク,30年ころにはイランから姿を消し,…‥
((c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.)」と
あるので、アマノウヅメさんが仰るように、古代ギリシャには居たけど、
古代ローマには居なかったというところでしょうか。

しかし、20世紀の始め頃まで中東にも野生のライオンが居たんですねぇ。
930世界@名無史さん:01/09/06 06:50 ID:wNhWIsc.
>>927
ハハハハハハ・・・ハァ。
931梵阿弥:01/09/06 16:37 ID:goLWIiwc
>>929
ひょっとしてシンガポルは獅子市ですか?。
932世界@名無史さん:01/09/06 18:03 ID:QmOhe4Mg
>>924
宋代の變法自強運動は余り研究されていないんじゃないかな?
宋代以後の評価が完全に芳しくないからね。
933世界@名無史さん:01/09/06 18:57 ID:lxJ0BeOo
緑竜会という秘密結社について知っていることがあれば教えて下さい。
934あやめ:01/09/06 19:41 ID:VZT9OCXM
>>924
何足道さんオヒサー、「中国板」暫く御無沙汰しちゃったけど「武侠
小説」のスレッドとか全滅しちゃったのかしら?
さて哲宗の元祐・紹聖の交の史料として一番詳細と期待される「資治通
鑑長編」は、ちょうどこの時期の部分が亡佚してしまってるのは残念
です。いろいろ問題ある部分だからかしらね。これを補うものとしては
楊仲良撰の「皇宋通鑑紀事本末」というのがあるらしいんだけど、うち
には蔵してないです。畢ゲン(三水に元)の「續資治通鑑」あたりを参照
して、当たりを付けて「宋史」や「遼史」を見てくしかないです。
もっと手軽な本…思いつかないです。神宗朝の党争や改革政策関連なら
研究書とかありそうな気がするけど、それ以後の新旧両党の確執とかは
どうなのかな?
935あやめ:01/09/06 19:47 ID:VZT9OCXM
>>931
「獅子洲」じゃなかったしら、スリランカも「獅子洲」だったような。
薬子の乱で失脚した高岳親王(真如)がライオンに食べられたのは、シン
ガポールだという説もあるらしいです。
936世界@名無史さん:01/09/06 20:23
ID消えたね
937 何足道 :01/09/07 01:26
>934
あやめさん、こちらこそ御無沙汰しておりました。

>楊仲良撰の《皇宋通鑑紀事本末》
>畢ゲン(三水に元)の《續資治通鑑》
>《宋史》《遼史》
紹介して頂き、ありがとうございました。
付属図書館を当たってみることにします。
哲宗期に於ける、党争や改革政策関連は、
神宗期ホドの注目度がないんでしょうな。

武侠小説スレは、
その生命の火を絶やしておりませんが・・・
黄島主は学会の準備?、
李莫愁師姐は玉門関を越え、
胡桂南師哥は越南西貢へ出差、
西麗風師妹は卒論の準備、
と、固定ハンの常連が不在でして、
盛り上りに些か缺ける所があります。
一番暇なのは自分?と想わぬでもない昨今。

  <感秋>  楊万里
 旧不悲秋只愛秋 風中吹笛月中楼
 如今秋色渾如旧 欲不悲秋不自由

932さんもありがとうございました。ではでは
938オシエテくん:01/09/07 05:43
(1)ウチの裏山にレバノン杉植えたいんだけど、レバノン杉について教えて。
(2)壷商法に興味があります。でレミギウスの壷をオシエテ。
(3)最後のローマ人シャグリウスについて知りたい。

オシエテくんで心痛いのですが、どうぞよろしくご教示ください。
939梵阿弥:01/09/07 13:31
>>935
スリランカの「スリ」は「輝く」という意味で、ランカは島だったような。
王の始祖が身毒から渡って、獅子を平らげたから執獅子国という伝説はありますね。
940世界@名無史さん:01/09/07 14:11
過去ログってどうやって見るの?
941世界@名無史さん:01/09/07 20:14
942世界@名無史さん:01/09/07 22:35
佐渡共和国ていつ出来るの?
943世界@名無史さん:01/09/07 22:37
ドイツはホロコーストについて国家として謝罪したんですか?
関連するlinkがあったら教えてください。
944世界@名無史さん:01/09/07 23:26
確か、世界史板に「1の母です」レスがものすごく付きまくってるスレッドが
あったと思うのですが、もしここにありましたら教えてください。
945世界@名無史さん:01/09/07 23:45
>>944

決してアゲたりしてはいけませんよ(藁

ttp://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=997978959
946おやじぎゃぐスマソ:01/09/07 23:48
>>942
さ〜どうでしょうね。
947新スレつくったよ:01/09/07 23:53
そろそろ1000レスに近づいたから、こっちに移住してね。
 http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=999874075&ls=50

タグ1:>>1-100 >>101-200 >>201-300 >>301-400 >>401-500
タグ2:>>501-600 >>601-700 >>701-800 >>801-900 >>901-1000

***********
>>944
それは、これ。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=997978959&ls
948世界@名無史さん:01/09/07 23:55
>>943
ドイツはナチの人道に対する犯罪、ユダヤ人虐殺等について国家として
謝罪を繰り返していますよ。

西尾幹二などが指摘しているのは、ひとつには、ナチの犯罪行為はその
実行者の責任であるとして、ドイツ民族の責任という形では認めていない
ということ、一般の戦争犯罪については謝罪をしていないということです。

ただ、これも捕虜の強制労働に対する補償などで、風向きが変わりつつ
あるようですが。

リンクについては、サーチサイトなどを使って自分で探してください。
949世界@名無史さん:01/09/07 23:57
##### 新スレ開設につき、閉鎖します。 #####

ttp://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=999874075
950944:01/09/08 00:07
>945 947
どうもありがとうございました!
激ワラタ
951シンディ・ジーンズ:01/09/15 12:35
>>931,935
シンガ「獅子」、プラ「街」、だったと思います。
タイの「シンハ・ビール」にも「獅子」が描かれてます。
ヒンズー教にでてくる「ナラシンハ」も獅子頭です。
952あやめ:01/09/15 19:40
西村朝日太郎著「スジャラ-マラユ(マライ編年史)研究」(東亜研究所刊)に訳載された
「スジャラ-マラユ」第三編年史によると、ベンタンの女王の婿のサン-ニラ-ウタマは
ベンバンに向かう途中でタマサに上陸したところ、非常に足が速く力が強く全体は赤く
頭は黒く胸は白い獣を見かけましたが、誰もそれがいかなる物かわからなかったところ
デマン-レバル-ダウン(ケラン-キウ王ラジャ-チュランの王子)がこれこそ古記録にある
シンガであると言いました。ウタマはここに殖民市を建設しようと思い立ち女王に頼み
多くの人員や象や馬などを送ってもらい、この町はシンガポールと呼ばれることになり
ましたとさ。
935でシンガポールが獅子洲と呼ばれていたと書きましたが、今回あちこち探してみて
見つからず、どうも記憶違いみたいです、ゴメンなさい。支那の載籍にシンガポールの
ことが出てくるのは、「島夷誌略」に「龍牙門」という地名が出てきますが都市名では
なくシンガポール海峡を指すものだそうです。シンガポール対岸のジョホールの周辺は
「羅越」または「羅衛」と呼ばれていたようで、真如親王が不慮の死を遂げたのはこの
地とされています。
シンガポールは西暦12世紀ころから歴史に現れてきた土地のようです。
953匿名希望さん
もっのすごいくだらねぇ質問をします。
エジプトはアフリカにはいるんですか?それとも中東ですか?
皆さんが今話している内容ととてつもなくズレますが、どうしても気になったもので。
ちなみにさきほどインターネットで調べてみたら何故かアフリカ、中東どっちの方にも
書いてあったので、どっちが本当??って感じです。
誰か本当のことを教えてください!!