くだらねぇ質問はここに書き込め!@世界史板

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1世界@名無史さん
見当たらないので作りました。
質問はこちらにどうぞ。。。
2世界@名無史さん:2001/03/17(土) 16:31
ブルボン家の末裔は今どうしてるの?
3世界@名無史さん:2001/03/17(土) 16:43
王朝の交代の基準を教えてください。
遠い親戚が継いでも同じ王朝だったり、従兄弟が継いだだけで
王朝名が変わったりと、よくわからないのですが。
4世界@名無史さん:2001/03/17(土) 19:35
>>3 自分の考えですが。
基本的に名乗りでしょ?自分の。
レ・ミゼラブルでオルレアン家のルイ・フィリップはなんかブルボン家のルイ19世と
名乗っても良いところを「謙遜して?」ああ名乗ったと言ってたけど。
前王朝に好意的な後継者ならその名をつぐ(僭称する)だろうし、「倒した」という
意識があるなら名前を変えるのでは?
5世界@名無史さん:2001/03/17(土) 20:02
>2
スペインの国王。
6世界@名無史さん:2001/03/17(土) 23:29
あのう、すごいドキュソな質問なんですけど
東西ドイツ両国か成立して、ベルリンも東西に分断されて
東側は東ドイツ領なのはわかるんですけど西ベルリンはどこの国が
統治していたんですか?
7世界@名無史さん:2001/03/18(日) 00:19
>>6
いやいや、ドキュソな質問などではないぞ。
意識してはおらんのかもしれんが、なかなかに、鋭い疑問を提起し
ておるの。

冷戦時代のベルリンは「ベルリンの壁」に象徴されるように、東西
対立の最前線だったのじゃよ。
そのために、第2次大戦直後に戦勝国、米英仏とソ連の間で取り決
められた事項が、ずっと後の東西ドイツの統一の時まで、化石のよ
うに継続するのじゃ。
現実にあわせて、条約などを変更しようにも、どちら側かが反対す
るので、変更できず、既得権のようなものは徹底的に利用されたで
な。

なんという小説じゃったか、決められた少数の米兵が東ドイツ内を
パトロールするなどという設定の本があったが、実際にもそのよう
な信じられないような取り決めもあって、実際にまもられていたよ
うじゃの。

それで、戦後、ベルリンは戦勝4ヶ国の占領、共同統治となってい
たのじゃが、建前上はこれがドイツ統一まで続くのじゃ。
つまり、条約上、ベルリンは米英仏とソ連の共同占領下にあり、あ
の壁はソ連占領地区とそれ以外の3ヶ国の占領地区の境界であった
のじゃ。

もちろん、実際には市長もいて、市民生活上は普通の都市とかわら
ないものであったが、法的には「3ヶ国の占領下にあった」という
のが正解じゃよ。
86:2001/03/18(日) 01:14
なるほど!ありがとうございます!
東側:ソ連 西側:連合国 でベルリンを統治
してたってことですね。

9世界@名無史さん:2001/03/18(日) 19:13
あげ
10世界@名無史さん:2001/03/18(日) 20:58
〜〜朝とかつく国名は後世の歴史学者が勝手につけたものなの?
11世界@名無史さん:2001/03/19(月) 01:53
>10
確か、英国のハノーバー朝は、第一次大戦の時に、敵国ドイツの
地名が英国の王朝名なのはよくないって理由で、別の名前に改名
したはず。
だから、少なくともこの時代には、同時代にもいっている。
12世界@名無史さん:2001/03/19(月) 02:26
ユーラシア東部では「骨」の交代が基準。

ユーラシア東部では、人間は父から骨・神経、母から血・肉を受け取って胎内で出来上がるという観念(地域によりバリエーションあり)が広範囲に分布しており、ある国の君主には同一系統の「骨」を持つ者だけが就任できる、という観念がある。君主の「骨」の系統が変わったら、王朝の交代、または国家の滅亡。

中国の諸王朝とか、モンゴル高原に興亡した遊牧国家などが代表例。

日本でも、皇室は「骨」の系統は一貫しているから、継体のように「五世の子孫」みたいな例があっても「万世一系」。女帝は皇室の骨を持っているから問題ないし、史上で、女帝の子どもで皇位を次いだ者はみな父も天皇か皇族。

日本の場合は「皇胤だけが天皇たりうる」と表現されている。

秋篠宮家の皇女が女帝になったとして、配偶者が非皇族だったら、その子孫以降で「骨」の系統が変わって「王朝交代」ということになる。

13世界@名無史さん:2001/03/19(月) 05:53
>>12
古代日本の「かばね(姓)」も「骨」と書くことがあるし
新羅の「骨品制」とかもあるよね。

「骨肉の争い」ってのは骨=父方の親族と、肉=母方の親族の争いという意味なんだな。

ところで俺は
>父から骨・神経、母から血・肉を受け取って胎内で出来上がるという観念
は中国のものと思ってたんだけどインドにも古くからあるらしい。
14日本@名無史さん:2001/03/19(月) 12:30
ハノーヴァー選定侯家の人が王になったからハノーヴァー朝。
15世界@名無史さん:2001/03/19(月) 20:11
あげ
16【^▽^】ジョーカー:2001/03/19(月) 21:01
>11
ウィンザー朝。
17>14:2001/03/19(月) 21:25
えっと、「選帝侯」ですよね?
18目のつけ所が名無しさん:2001/03/20(火) 19:09
http://ton.2ch.net/test/read.cgi?bbs=volley&key=985077165
ってどうなんでしょうか。気になって夜も眠れません。
19名無しさん@1周年:2001/03/20(火) 22:00
>>2
ブルボン家の子孫の人はおフランスで公爵されているそうです。
20世界@名無史さん:2001/03/21(水) 22:04
『単于』の由来を教えてください。
21世界@名無史さん:2001/03/23(金) 18:19
『黄海の波高くして定遠(鎮遠だったかも)はいまだ沈まず』
「日清戦争時代のギャグ」だそうですが、どのような意味なのでしょうか?
22世界@名無史さん:2001/03/23(金) 22:34
定期あげ
23世界@名無史さん:2001/03/30(金) 21:47
古代インダス文明の住人は黒人だったの?
24世界@名無史さん:2001/03/30(金) 23:19
イギリス王室などエドワードとかエリザベスとか同じ名前の王が
何人もいるけど、王子や王女にあまり変わった名前つけないようにしてるの?
25日本@名無史さん:2001/03/30(金) 23:29
ドイツよりマシ。某家なんてフリードリッヒ・ヴィルヘルムだらけ。
26世界@名無史さん:2001/03/30(金) 23:49
17,18世紀の西欧の貴族にみられる、ちりちりの髪の毛は、
どうやって作っているのですか?あと、かつらはどういう
場合に着用するのですか?
27T・S:2001/03/31(土) 00:09
 種子島に鉄砲をもたらした、王直の履歴について教えてください。

 いつぞやあやめさまにした質問だけど、スレッドがなくなっているので。
28世界@名無史さん:2001/03/31(土) 00:52
マリア・テレジアは妊娠中でも戦争に出ていったって
聞いたことがあるけど、ほんと?
鎧着て実際に戦っていたの?
29あやめ:2001/04/02(月) 20:08
T・Sさん御免なさいm(__)m 王直についてそのうちきっと書きますって
お約束してましたね、ズボラなもんでうっかりしてましたわ。
王直は「汪直」と書かれることもありますが西廠を仕切っていた宦官と紛
らわしいです。本名もトウ(金偏に呈)といい徽州歙縣の出身です。最初は
塩商でしたがうまく行かなかったので、廣東で大船を建造し日本からシャ
ムを跨いで海上貿易に乗り出しました。扱う物資は硫黄や綿糸といった禁
制品であったので危ない橋を渡る代わり利益は莫大でした。
彼の郷里の先輩に許棟という人物がおり寧波の沖の雙嶼という島を根拠地
として、官許貿易から締め出されていたポルトガル人を引き込み大規模な
密貿易を行っていました。王直も嘉靖二十三年から許棟の手下に加わり翌
年には日本に渡り、博多の助才門らを雙嶼に伴い仲間に引き入れました。
嘉靖二十七年に浙江巡撫の朱ガン(糸偏に丸)は雙嶼を攻撃し壊滅させ、次
いで逃亡した許棟を逮捕処刑しました。王直は新たな根拠地を日本の五島
に求め居宅を平戸に営みました。平戸の大名の松浦隆信と予てから密接な
関係を結んでいたのでしょう。彼が五島に拠るに当たっては明の亡命(無
宿者)2千人を招き寄せて手下とし、日本36島の海賊を指揮して華南沿
海を荒らしまわり徽王と号していました。
彼は不安定な取引態様の密貿易の関係者の間にあって紛争の調停者として
絶大な声望と勢力を築き、明の取締官憲も次第に彼を利用するメリットを
考慮するようになりました。浙江海道副使の丁湛は海賊を緝捕すれば貿易
を許可すると誘い、王直もこれに応じ銭塘を犯した海賊の盧七を捕らえて
献じました。更に嘉靖三十年には定海の瀝港の海賊の陳思盻を捕らえて献
じました。こうした行動は彼の敵対者を除き船団や財貨を奪うばかりでな
く、その海上における特権をも取り込み勢力の拡大に有効に働き、官憲に
恩を売りながら沿海の密貿易を黙認してもらっていたわけです。しかし嘉
靖三十二年に提督軍務の王ヨ(立心偏に予)が朝命を受けて参将の兪大猷に
瀝港を襲わせ、王直の密貿易の中核となっていたこの巣窟は折からの颶風
のうちに覆滅しました。
続きは明後日。
30世界@名無史さん:2001/04/03(火) 10:02
突然、誠にお恐れながら、お尋ね致したく存じます。
以前から気になって、ずいぶん調べたのですが、どうしても分かりません。
王位継承権を持ちながらも遠い王族の配偶者は、どのように呼称されるものなのでしょう。
例えばイギリスのエドワード王子、ソフィー・リスジョーンズ様などです。
故ダイアナ妃は「王太子妃」でした。
YAHOOトップに「王子夫人」とあり、どうにも釈然としないのです。
博識なみなさまのあたたかいお返事を望みます。
31キティーハニ:2001/04/03(火) 13:56
ミロのヴィーナスの腕は誰がちょんぎったの?
32世界@名無史さん:2001/04/03(火) 14:40
>31
たぶん、初期のキリスト教徒でしょう。
33世界@名無史さん:2001/04/03(火) 16:23
首を斬らずに腕を切るってとこが変態っぽくてコーフンするな。
34あやめ:2001/04/04(水) 20:23
王直は明側が開市を公認する意思のないのを見て全面的対決の途を択びま
した。彼は嘉靖三十二年に海寇の諸帥を誘い華南沿海に一斉に侵入分掠し
まし、浙の東西から江の南北に及ぶ数千里の広範囲が警戒態勢に入る前例
のない事態となりました。王直自身は昌國衛を破ったのを手始めに定海・海
鹽・乍浦・杭州・南匯・嘉定・呉淞を犯し、彼の与党であるケ文俊・林碧川・沈南
山・蕭頭ら柘林を巣窟とする船団は、松江・上海・金山・青村・嘉定・太倉・常熟
・崑山・蘇州の諸地に寇しました。
王直は明将の湯克寛に白馬廟で敗れ日本に帰り松浦に屯しましたが配下を
指揮するに専らで、この大挙入侵から毎年の例のように浜海の諸地には倭
寇が跳梁するようになりました。中でも陳東・徐海・葉明などが巨魁と目さ
れています。嘉靖三十四年には僅か70人ほどの賊が杭州湾から上陸して
一昼夜に百八十余里を走り、浙江・江蘇・安徽の諸地を荒らしまわり南京に
迫るまでになりました。
明では翌年に権謀術策に長けた胡宗憲が総督軍務に任ぜられ禦倭対策は新
段階を迎えました。彼は抜本の計としては日本の当局者に取締を要請する
一方で、王直を好条件で説得して帰順させることが有効であると考えまし
た。そして部下の蒋洲と陳可願を日本に派遣し先ず王直の養子の王傲を通
じ、王直と会見して入寇に対する宥罪と開市の許可を条件に提示して帰順
を誘い、また直の妻子が宗憲の温情で釈放されたことを述べて望郷の念に
訴えさせました。直は大いに心を動かし宗憲の申出を受けることを決心し
ました。陳可願は王傲を伴って帰国しましたが蒋洲は室町幕府や大内義長
・大友義鎮に海賊の取締方を折衝し、また対馬の宗氏に接触して情報の提
供や禁賊の約束を取り付けています。
嘉靖三十六年に王直は蒋洲と共に大友氏の使僧の善妙をも伴い帰国の途に
就きました。直と善妙の乗船が朝鮮に流されたことと色々な手違いから蒋
洲は誤解を受け、下獄の挙句に処刑されてしまいましたが彼の情報は鄭若
曾の「日本圖纂」などに活かされました。朝鮮を経て舟山の岑港に着いた
王直は明廷に対し自由貿易の許可を要求しました。
続きはまた明日ね。
35世界@名無史さん:2001/04/04(水) 22:31
@世界各地に巨石文明がありますが、
ヨーロッパ各地ののケルト関連と思われる巨石運搬技術はどうやったのでしょうか?
古代エジプトは梃子の原理だったというような事をきいたことがあるのですが、
近くに採石場が無いところでも巨石の遺跡がありますよね。
現代でも技術的に困難だと聞いた事がありますけど
どないしてもってきたのでしょうか?


A沖縄から台湾にかけての海中巨石遺跡は
結局世界史的にみるとどういう位置付けになりますか?
トンデモ説は排除した上でどこの民族や国がつくったのか
検討がつくのでしょうか?
36はて:2001/04/04(水) 23:07
>>30
質問の意味がよく理解できないのですが。

英語を例にとれば、王位継承権のある男子はPrinceと呼ばれます。
この意味でのPrinceは日本語で言えば「親王」に相当します。
ただ王位継承とは無縁の王族でない諸侯がPrinceを名乗る例もある
ので、きちんと対応する訳が難しい単語です。
一方、Princeの配偶者はPrincesseと呼ばれます。
Princesseには、女性で王族の場合と、単なる王族の配偶者の場合
があり、どちらも同じ呼称です。

これらの関係を日本語に訳す場合に、元の表記がどれもPrincesse
であっても「王女」「王子妃」「王子夫人」などと使い分けている
ので、翻訳上の違い、または、外交上、王族として扱うか否かで区
分しているのだと思います。
37??:2001/04/05(木) 04:35

広瀬隆の『赤い楯』という本ですが,
ある程度専門的に西洋近現代史を勉強しておられる方の
この本に関する,感想を伺いたいのですが。

まあ「とんでも本」としての位置づけしかされないのでしょうが,
政治権力よりも,資本の流れを押さえた方が西洋近現代史の流れ
は押さえやすい,という見解なんて面白いと思いますが。
38世界@名無史さん:2001/04/05(木) 10:50
いつの世もどうして男達はまん○にこだわりますか?
名刹や古代人の住居から性器を模した戯画がよく発見されますね。

39あぼーん:あぼーん
あぼーん
40世界@名無史さん:2001/04/05(木) 11:53
>>37
工房時代に読んで、すげーなんてこった!と思った。

大学生になって、同族だからといっていつも仲良く助け合って
生きるなんて絶対にありえないことを思い出した。
人間は親兄弟とも簡単に争うというのに。

まあ、系図を調べた努力は認めよう。
41世界@名無史さん:2001/04/05(木) 20:26
あの〜。辺境伯ってなんですか?普通の伯爵とは違うのですか?
42世界@名無史さん:2001/04/05(木) 21:26
>>41
王>公>候≒辺境伯>伯

辺境伯(Margrave)は、普通の伯(Count or Earl)よりも強い権限を持ち、
侯(Marquess)の元になった称号。
43世界@名無史さん:2001/04/05(木) 21:41
>42
 ありがとうございます。なるほど、辺境に領地を持つ伯爵という
意味ではなかったのですね(汗
 ところで普通より強い権限ってなんでしょうか?伯爵だと既に
かなりの権限を持っていると思いますが、どんな権限が追加される
のでしょうか?
44世界@名無史さん:2001/04/05(木) 22:06
>>43
もともと、帝国の辺境の統治をゆだねられたことから、この名称
になった。
普通の伯は帝国内の都市とその周辺の統治を行う官職に由来する。
辺境伯のほうが皇帝からの相対的な自立度が高く、地位も高いと
されており、独自の軍事力をもつケースも多い。
45T・S:2001/04/06(金) 01:33
 >29
 >34
 ありがとうございます。なかなかネットが見れないので今日やっと気付きました。
 ・・・・・・なんだか思ったより遥かに細かいですけど、塩売業者になる前に王直は南京の
禅林に一時いたといいます。知っておられればその寺の名前も教えてください。
 
46世界@名無史さん:2001/04/06(金) 08:27
>44
 すばやいお返事、重ねてありがとうございます。
そうすると、辺境伯というのは唐の節度使のミニ版みたいなものですか。
47世界@名無史さん:2001/04/06(金) 15:25
>36
ありがとうございます。
「王子夫人」という日本語表記が存在するのかが知りたかったのです。
いえ実は、ジョーンズ嬢は伯爵夫人位を兼ねているとか。
ロイヤルファミリーの一員と事実上認められているのかどうかが
定かでなかったのでプレスが迷ったのでしょうか・・・
4847補足:2001/04/06(金) 15:26
つまり普通に「プリンセス・リス」と書かれていれば済むはずと思ったので。
失礼しました。
49あやめ:2001/04/06(金) 18:14
王直が倭船でやって来たというので浙江沿岸の諸地は大変な緊張に覆われ、
厳重な警備が布かれ直をこの機に捕縛する計画もあり、その情報が彼に漏
れたので「こっちは詔を奉じ和平を求めて来たんだ、使者が出迎えて一席
設けてくれても罰は当たらんはず、見れば盛んに軍容を列ね往来を禁じて
いるが、胡公はわしを欺いたのか」と腹を立ててしまいました。胡宗憲も
いろいろと言い訳し宥めましたが不信感は解けません。「それなら王傲を
こっちに戻してもらった上そっちからは人質を出してくれ」と要求してき
ました。宗憲も直ちにこれに応じ王傲を帰還させ部下の夏正を直の下に往
かせました。宗憲は前もって作ってあった王直の赦免を請う上奏文をそれ
となく王傲の目に触れるようにさせ、傲から直の耳に入るようにしたため
直も疑いを晴らし宗憲に投降しました。宗憲も大いに款待し慰謝し杭州に
出向いて巡案御史の王本固に謁するように指示しました。本固は直の招撫
に反対していた人物なのに宗憲が彼の手になぜ委ねたか、真意が測りかね
ますが最初から直を嵌める意図であったわけではないでしょう。果たして
本固は直の身柄を獄に囚らえ処分を朝廷に仰ぎました。かねてから廷議は
互市の許可と誅戮の断行に分裂していましたが、この間に宗憲は直の釈放
と利用を工作していたところ彼が直から受賄しているとの噂が流れ、朝廷
の方針も処刑に傾き宗憲も保身上あきらめざるを得なくなりました。かく
て一代の海梟も嘉靖三十八年に斬首されて最期を遂げました。一方で王傲
は人質に取った夏正を支解し岑港に立て篭もって復讐を誓い、海上のバト
ルは再び激化の様相を帯びることとなりました。
王直が禅林に修業してたという話は初めて聞きました。彼の青年時代は任
侠の徒に交わってヤバイことばっかりやってたみたいです。但しこの話に
相当する人物は存在します。王直の配下に在った徐海で杭州の虎ホウ(足偏
に包)寺で普常という法名で僧侶だったそうです。伯父の徐維學という王直
の仲間の密貿易者が大隅の領主から借銀しており、その人質として徐海が
大隅に滞在していたことがあり、日本では明山和尚と呼ばれていたと伝え
られています。
5037:2001/04/06(金) 19:46
>>40
高校生時代にあんな本読んでるなんてすごいですね。

恐らく閨閥内での対立は存在するでしょうが,要するに自民党みたいなもので,内部に対立はあってもある点では歩調を必ず一にしてます。そんな感じでしょうか。

書いてあることが大筋本当なら,普通の教科書なんて馬鹿らしくて読めないのですが,きちんとした批判がされちるのも見たことがないんですね。

共通の利益のためにモラルを踏みじった行動を一定の閨閥がとった,高い可能性は示せても,その確実な証拠は示していないわけです。

歴史を動かすのは,最も大きな権力を持った者の意志決定である場合が,
多いのですが,何をいつ誰が決定したのか,外から推測するより他ない
という場合が,多いのですが,歴史の専門家の方々はその辺に
いらいらしたりすることはないんでしょうか。
51世界@名無史さん:2001/04/06(金) 20:23
夜の生活の体位の事で質問します。
現在のように正常位が普通の体位として
認知されたのはいつごろでしょうか?
また世界の国々の中には後背位など
他の体位が標準とされた歴史を持つ国があるのでしょうか?
考え出すと切りがなく夜も碌に眠れません!
教えてください!
52世界@名無史さん:2001/04/06(金) 23:00
>>47
>いえ実は、ジョーンズ嬢は伯爵夫人位を兼ねているとか。
その人のことを知っているわけではないので、確実ではありません
が、Princesseであって、Countesseでもあるのならば、その場合の
Countesseの日本語訳は伯爵夫人ではなく、女伯爵だと思います。
53いその波へい:2001/04/07(土) 16:25
ルイ何世とか
どうしてヨーロッパの王族は同じ名前がたくさんあるのですか?
54世界@名無史さん:2001/04/07(土) 18:27
>>53
まず、ヨーロッパでは名前の種類が日本などに比べると極端に少ない
という事実があります。
ヨーロッパの場合、意味のある単語の組み合わせから名前を合成し
ていた時期もあるのですが、聖書に出てくる人名や、伝統的な名前
とその派生型が使用される場合がほとんどです(小説などに出てく
る虚構の名前が子供に付けられることもありますが)。
さらに、王家の場合は血統を重視することと、その王家の「伝統名」
を持っていることが多く、くりかえしその名が使われることになり
ます。
さらに、権利や正統性の継承を誇示するために、同じ名前を使う例
もあるため、王家では同じ名前の頻度がさらに多くなります。
ちなみに、ルイ(Louis)は「名高い」「戦士」という意味をもつ言
葉に由来する名で、Lewis,Luis,Luigiなどの名が派生しています。
55deuche:2001/04/07(土) 23:58
「ドイツ」という言葉を定義してください。
56世界@名無史さん:2001/04/07(土) 23:58
ようやく盛り上ってきたな
57T・S:2001/04/08(日) 00:36
 >49
 ありがとうございました。
 王直が禅林にいた云々はベースボールマガジン社の『格闘技の歴史』
に拠る話です。それを信じるのなら直は種子島家に「海寇拳」とか言う
拳法を伝えたと言うことです。調べて見るとその武術は会津に伝わり、
「御式内」という武術になり、さらに大東流柔術と結びついて大東流合気
柔術になり、現代の合気道になったと言うことになります。
 当の直も目を丸くするような展開ですが、有名な海賊みたいですから、
単に仮託されただけかも。
58deuche:2001/04/08(日) 01:34
 55の質問、意味がはっきりしないので質問しなおします。

「ドイツ」という言葉の起源
ドイツ語の起源
「ドイツ」と呼べる地域の最大範囲
ドイツの国としての始まりとその変遷

について、知っている方がいらっしゃいましたら
教えてください。
59世界@名無史さん:2001/04/08(日) 08:20
>>58
「ドイツにあるのに神聖ローマ帝国?」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=981207306

ここで国名の起源を語っています。
60いその波へい:2001/04/08(日) 14:30
>>54
ありがとう。なるほど勉強になるなあ。
もうひとつ聞いていい?
王家や貴族に使用される名前を庶民が使うことは禁止されていたの?
リチャードとか今は沢山いるけど。当時はどうだったのかな?
61あやめ:2001/04/08(日) 19:19
>57
王直は種子島には立ち寄っただけですから拳法を伝える暇などなかったで
しょう。「海寇拳」というネーミングも何だかなァって感じです。会津の
大東流って武田惣角って明治時代の武術家が有名ですね。あれは確か武田
の先祖の源義光から伝来したものとか言ってます。
しかし当時の明からの渡来者で日本に格闘技を伝えた人物はいます。陳元
贇で柔術の開祖と称されています。彼の流派は少林寺拳法のようで日本の
戦国時代の格闘技の具足術を加味し、柔術に発展させたのは弟子になった
武士たちではないかと想います。元贇は我が国で多彩な活動をした人です
が下記のサイトに判りやすい略伝が載っています。
http://www.dokokyo.or.jp/kikanshi0005/novel14_2.htm
なお彼を主人公にした小説に陳舜臣作「珊瑚の枕」という新聞連載ものが
ありました、たぶん単行本になってると思います。
62世界@名無史さん:2001/04/08(日) 22:45
>>60
たとえば、リチャードは、ノルマン系の名前ですが、ノルマンによ
るイングランド征服後のアングロサクソンも含めて、ノルマンでは
父祖の名を子に付けるという習慣があり、新規に名を合成すること
もしなかったために、同じ名前が溢れている状態でした。
中世の教会による洗礼の普及で、聖書にちなむ名前が使われるよう
になってから、やっと名前が多様化したとされています。
それまでは、ウィリアム、リチャード、ヘンリーといった名前だら
けだったわけです。
つまり、昔はもっと王と同じ名前の確率が高かったということです。
63いその波へい:2001/04/09(月) 17:50
>>62
なるほど、昔は同じような名前ばっかりだったのですか〜。
たいへん勉強になりました。
ありがとうございました。
64世界@名無史さん:2001/04/09(月) 19:55
>>61
武田惣角の高弟の佐川幸義によると、大東流は惣角が(誰からも継承せずに)単独で創始したらしいです。
源氏に伝えられた秘術であるとか言うのは、「格を上げる」ための創作だったのかも。
65deuche:2001/04/09(月) 23:32
ありがとうございました。
66T・S:2001/04/10(火) 01:26
 >64
 高弟の方達でも人によって違う解釈をしてるので、真実は闇の中です。
 武術家の詐称癖はどこも一緒で、源氏云々と言う伝承は韓国の「合氣道」では一部の
人に歪められてしまい、少し困ったことになってしまってます。
 >61
 陳の柔術始祖説には嘉納治五郎からして否定的で、そも陳が何門の使い手かもよく解
っておらず、最近ではやはり仮託されてるだけではないかと言われています。伝書には
ちゃんと載ってるんですけどね。
 中国じゃあ岳飛を始祖とする門派が私の知ってるだけで三つはあるし、有名人が始祖
となっている場合はまず嘘だと思ったほうが無難だそうです。ロマンのないことに。

 ちなみに「少林寺拳法」と書くと普通は宗道臣の「日本少林寺拳法」のことを指すの
で、中国のそれは「少林拳」と書く方が適当です。名前が似てるだけで、別物ですから。

 昔、学校からもらった年表に「この頃、奄美大島に南蛮人が侵入」とか書いてあり、
それが十世紀の頃だったので「はて?」と思って先生に聞くと「この南蛮人は、多分、
東南アジアの人をさしている」とのこと。
 誰か、どこの人だか、詳細を知ってる人はいませんか?
67非公開@個人情報保護のため:2001/04/10(火) 01:47
プレスター・ジョン
68世界@名無史さん:2001/04/10(火) 01:51
日本の剣術は朝鮮人が教えたもの。
69世界@名無史さん:2001/04/12(木) 00:44
最近また、くだらねえ質問でスレッド建てる奴が増えてきたので。
70世界@名無史さん:2001/04/12(木) 01:57
受験の世界史で「王立社会主義」という言葉を習った記憶があるのだが
(確か東南アジアかどっか、3A地域の現代史で)、どこの国の話だか
さっぱり思い出せない。ご存じの方、いらっしゃいますか?
71世界@名無史さん:2001/04/14(土) 17:08
hage
72世界@名無史さん:2001/04/16(月) 21:01
良かったら教えて下さい。

ラテンアメリカのスペイン領で、ヌエバ・エスパーニャとかペルーとか
ラプラタの各副王領の副王に任命された人達ってどんな血筋の人達
なのでしょうか?
73世界@名無史さん:2001/04/18(水) 20:52
>>72
日本語になっているものからはわからないようです。となればあっちの歴史を
専門にしている人が、この板にいればいいんですが、レスつきませんね。私も
興味あるのですが。
74世界@名無史さん:2001/04/19(木) 00:08
ヒッタイトやエジプトを襲った「海の民」って何者なんでしょうか?
75愚礼:2001/04/19(木) 00:21
>>74さん
フェニキア人???
鉄器の製造に長けていたみたいですが
ヒッタイトも製鉄王国だろうが…。
76世界@名無史さん:2001/04/19(木) 01:45
>>74
「海の民」については情報が錯綜しててよくわからないが、
かつてニフでちらっと聞いたところでは、
もとはアナトリアから発祥した連中で、
インドヨーロッパ語族の中の、系統の異なる複数
(4、5〜7、8?)の部族の総称。
というあたりが最近の有力説のようだ。
フェニキア人(セム語族)が海へ進出したより
かなり早いんじゃない?
77さすらいのぽこちん:2001/04/19(木) 04:42
7874:2001/04/19(木) 12:01
75の方、76の方どうもありがとうございました。友人は「海の民」=半魚人説を熱弁していましたが、無視することにします。
79世界@名無史さん:2001/04/19(木) 13:48
オチをつけるとわ、あなどれない奴
80世界@名無史さん:2001/04/19(木) 18:44
「海の民」と「海の国」って、まぎらわしいけどまったく別なので気を付けましょう。
「海の国」ってのはチグリス・ユーフラテスの下流域〜河口、沿岸部にあった国。
81フランクリン:2001/04/30(月) 04:05
今度、アメリカ独立と合衆国成立の題名で、教育実習をやるのですが、何かアドバイスを下さい。
また、面白いエピソードや裏話など、関連することを教えてください。是非授業の題材として使いたいと思ってます。
よろしくお願いします。
82世界@名無史さん:2001/04/30(月) 06:08
>>「海の民」=半魚人
インスマウス?
83Cavabien:2001/04/30(月) 20:26
金史を読みたいのですが、どこで入手するのが一番良いのでしょうか?
84シェイクスピア関連「マクベス」:2001/05/01(火) 02:11
大好きなんですけど、これ、歴史上のモデルって誰ですか?

スチュアート朝始祖のスコットランド王ジェイムズ6世へのごますり用に、
スコットランド王位簒奪者天誅劇って話はきいたことあるのですが。

・・・シェイクスピアのネタ元、どこかいいリンク先ありませんかねえ
85世界@名無史さん:2001/05/01(火) 02:13
>>81
とりあえずメル・ギブソン主演「パトリオット」など、視聴覚室で
ビデオみせながらやるといいんじゃないですか?

大陸会議から英軍降伏までの戦争映画ですから、退屈はんせんでしょう。
86世界@名無史さん:2001/05/01(火) 02:36
質問ですが病死とか戦死した権力者は数ありますが天災(地震とか落雷
とか)で死亡した権力者ってどれくらいいるんですかねえ、
とりあえず菅原道真の祟りっていう落雷ぐらいしか記憶にないんですけど
87世界@名無史さん:2001/05/01(火) 04:30
軍医板で、ここで論破された厨房が暴れています。(プ
イエィツの詩だとかアイルランドがどうのこうの言って暴れてます(プ
お互い大変ですね。お騒がせして申し訳ありませんでした。
88世界@名無史さん:2001/05/01(火) 05:18
・・・例のトルメキア帝国スレ世界史板にたてたひと?

・・・うーん・・・(奥歯にものが挟まってます)
89世界@名無史さん:2001/05/01(火) 12:52
清の西大后に関してですが、
どうして彼女は、政権を握ってから、中体西用を
廃止してしまったんでしょうか?
あのままの状態では、
欧米や日本に蹂躪されるのも十分理解してたと思うんですが。
90ありゃりゃ:2001/05/01(火) 23:58
訳のわからないまま迷い込んでしまいました。
王>公>候≒辺境伯>伯とのことですが、これって、<神聖ローマ帝国>内の序列?
それぞれの王国内の序列?
この爵位は、誰が決めるのですか。それとも継承されるのですか。
91ありゃりゃ:2001/05/02(水) 00:00
訳のわからないまま迷い込んでしまいました。
王>公>候≒辺境伯>伯とのことですが、これって、<神聖ローマ帝国>内の序列?
それぞれの王国内の序列?
この爵位は、誰が決めるのですか。それとも継承されるのですか。
92ありゃりゃ:2001/05/02(水) 00:00
訳のわからないまま迷い込んでしまいました。
王>公>候≒辺境伯>伯とのことですが、これって、<神聖ローマ帝国>内の序列?
それぞれの王国内の序列?
この爵位は、誰が決めるのですか。それとも継承されるのですか。
93世界@名無史さん:2001/05/02(水) 00:17
 質問します。

 イタリアとフランスはいつ頃から「イタリア」
「フランス」と呼ばれるようになったのでしょうか。
 地域の名前としてではなく、国の名前として呼ばれ始めたのは
いつ頃なのでしょう。
94世界@名無史さん:2001/05/02(水) 01:14
>93
イタリアは、1861年のイタリア王国成立からでいいんじゃない?
95世界@名無史さん:2001/05/02(水) 01:27
いつからここは朝鮮・中国板になったんだ?
同じような内容、同じような議論、同じような罵倒、もう飽きた。

だいたいどれも、一つのスレッドとして成立するようなネタじゃない。
どれも一つのレスで十分すぎる程度の内容。

そもそもスレッド立てたって、他人の意見なんか聞く気さらさらないし、
自分の言いたいことだけ言ってスッキリしたいだけなんだから、
スレッドのタイトルか、せいぜい1の書き込みだけで、
そいつの目的は達成されてる。レスをするだけ無駄というもの。とんだ迷惑だ。

どっか一つのスレッドで同じレス繰り返して我慢してりゃあいいものを、
内容はないクセに目立ちたい気持ちだけは人一倍だから、
同じ内容のスレッドがいくつもいくつもいくつも立てられる。ウンザリだ。

結果として、上にあがってるのは無内容で似たようなスレッドばかり。
良心的なスレッドがどんどん下に下がっていく。悲しい限りだ。
ハングル板か、ニュース議論板でやれよそういうことは。
歴史でもなんでもねえよそんなもん。激しくスレ違いだ。バカコピペ野郎が。
96世界@名無史さん:2001/05/02(水) 01:55
>95殿
まったくもって同感だが、そう思うなら、少しでも、良心的なスレに
良心的なカキコをして(もちろん、単なるコピペではなく、ちゃんと
内容のあることを書いて)上にあげて対抗しよう。
ウヨサヨネタをコピペAAで上げてるやからは、明らかに確信犯のア
ラシ(本当に主張したいことがある者は、その都度ちゃんと文章を書
くはず)なので、スレ違いと非難しても喜ぶだけだ。
97世界@名無史さん:2001/05/02(水) 03:25
いつのまにか、ウヨ、サヨ話ばかりになっている、もう終わり
だね、この板も
98かきつばた:2001/05/02(水) 04:55
>>96 さっそくとりくみます。
>>97 なんの、まだまだぁっっっ!

>清の西大后に関してですが、
>どうして彼女は、政権を握ってから、中体西用を
>廃止してしまったんでしょうか?
>あのままの状態では、
>欧米や日本に蹂躪されるのも十分理解してたと思うんですが。

西太后は、義和団事件のあと、康有為らが主張していた政策の実施に全力を挙げてとりくんで行きます。清末の「新制」と呼ばれる一連の措置がそうです。
99世界@名無史さん:2001/05/02(水) 06:22
>>97
そう思わせて板を衰退させるのが荒らしの目的。
100世界@名無史さん:2001/05/02(水) 21:27
>>84
シェイクスピアの「マクベス」のモデルは
スコットランドの17代目の王マクベスがモデルだそうです。
マクベスは従兄弟ダンカンT世を殺して王位に就き
自分もダンカンT世の長男、後のマルカムV世に殺されています。