トルコのスレイマン国王について

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1名無しさん@1周年
トルコの留学生に聞いた話ですが、このスレイマン国王の対外戦略は
非常に優れているらしく、今でもアメリカの有名な大学で講義の題材
として扱われているらしいのですが、アメリカではこの人について
どのような扱われ方をしてるかご存知の方、いらっしゃいますか。
ご教授ください。
つまらん突込みだけど、スレイマン大帝といわない?
スレイマンは、地中海世界以外では知名度が低いから、
アメリカでも低いと思う。

3:2001/01/08(月) 21:48
ごめんなさい。「立法大臣スレイマン国王」とそのトルコ人留学生が
言っていたので。まあ、一般的な知名度は低いかもしれませんが、
対外戦術においては学ぶべきところがあるということで、アメリカの
お偉いさんがお手本にしてる、というようなことを言ってました。
どのような点についてでしょうかね。俺は全くの無知なので教えて
ください。
4名無しさん:2001/01/09(火) 02:35
トルコは帝国なのだから、スレイマン1世は「王」というより「帝」である。
5世界@名無史さん:2001/01/09(火) 03:00
>>4
カリフ =地上でのマホメットの代理
スルタン=世俗の地域支配者
というところだろう。スルタンはむしろ国王に近い。国の大きさで
便宜的に訳し分けているだけなのに、そこをつっこむと恥ずかしい
ぞ。

>>1
わかりません。役立たずですみません。
6あやめ:2001/01/09(火) 11:04
>3
君主ですから立法大臣ということはないです。
"Kanuni Sultan Suleiman"即ち「立法者」と呼ばれていたのです、広
大複雑な帝国領土支配のための基本法典"Multeka el-ebhar"(諸海聚成)
を編纂させたことからこの称号をえました。
ヨーロッパ人が付けた仇名は"Soliman the Magnificent"即ち「壮麗者」
で、この方が一般的に知られているかもしれません。
7世界@名無史さん:2001/01/09(火) 12:15
スレイマン1世(立法者、壮麗者)。
オスマン帝国第10代スルタン(在位1520−1566)。
エジプト・シリアを征服した父セリム2世のあとを継ぎ、
ロードス島、ハンガリー、イラクなどを次々と征服して
オスマン帝国(すなわち、トルコ共和国の前身)の最盛期を築いた。

というのが一般的な説明。
オスマン帝国史ではスレイマンまでが興隆期、
スレイマン以後が没落期とされるくらいの重要人物です。
ヨーロッパ史の視点からこの人物が重要視されるのは
ちょうどハプスブルク帝国のカール5世(カルロス1世)と同時代であり、
宗教改革と続く宗教戦争に側面から大きな役割を果たしたから。
日本では塩野七生の著作で取り上げられて知っている人が多いかも。
対外政策はそこまで言うほど見るべきものがあるわけでもないと思いますが…
ハプスブルクと戦うためにフランスと結び、
サファヴィー朝と戦うためにシャイバーニー朝と結んだ遠交近攻策かな。
日本語で読める伝記としては
・アンドレ・クロー『スレイマン大帝とその時代』法政大学出版局
・三橋冨治男『オスマン帝国の栄光とスレイマン大帝』清水新書
・同『スレイマン大帝』清水書院(上のもとになった本)
・テレーズ・ビタール『オスマン帝国の栄光』創元社(知の再発見双書)
といったものがあります。

>5
オスマン帝国は英語でオットマン・エンパイア、
トルコ語でもオスマンル・インパラトルルゥと呼ばれているから
まあスルタンのことを皇帝と訳して差し支えないでしょ。

>あやめさん
>"Kanuni Sultan Suleiman"
その綴りはどこで拾いましたか?
手元の本だとラテン文字転写は"Kanuni Sultan Suleyman"でした。
8あやめ:2001/01/09(火) 18:17
平凡社の「アジア歴史事典」は"-i-"で同社の「世界歴史事典」は"-y-"でした。三
橋さんの御本では"-y-"になってますのでこっちが正しいのかも。原アラビックの表
記で「イ」を"ya"(Sの字みたいなアラビア文字)を使っているかどうかです。
97:2001/01/09(火) 19:13
三橋さんが使ってるって事は、少なくとも現代トルコ語の転写では
間違いなく半母音のYなんでしょう。
とするとたぶんアラビア文字表記もイェー(ヤー)でしょうね。
アラビア語のラテン転写だと違うのかもしれませんけど。
レスありがとうございました。
105:2001/01/09(火) 19:32
>>7
 皇帝と訳してはいけないなどと強烈なことは言いません。国王と訳
してもいいだろうと言いたいのです。

 小アジアの都市を一つ二つかかえていた時代のオスマントルコを帝
国とは言わないでしょう。結局、帝国かどうかはヨーロッパ側の問題
であってトルコ自身の問題ではありません。この時代は王国でこの時
代からは帝国、この国は帝国でこの国は王国などという区別にこだわ
るのは、むしろおかしいと思います。正確を期すならスルタン国、カ
リフ国などに。
11名無しさん:2001/01/09(火) 21:51
トルコ系の言語にあるイとウの中間音をアルファベット表記するときに、yでごまかすらしい。
12名無しさん:2001/01/09(火) 21:52
>>5
オスマントルコはスルタン・カリフ制なので、皇帝でよい。
13世界@名無史さん:2001/01/09(火) 22:43
スレイマンの時代はヨーロッパとオスマン帝国の力関係はどんな
感じだったのでしょうか?

ヨーロッパの政治にも多大な影響を与えてたらしいですよね。
14:2001/01/09(火) 23:07
たくさんレス有難うございます。
皆さん博識なので勉強になります。

トルコ人留学生の言、補足します。
うろ覚えですが、スレイマンが異文化の国を侵攻する際、
その文化をきちんと尊重しつつ、けして壊したり、自国の文化を
矯正したりすることの無い様、しっかりとした規約を設けた
らしいのです。その規約が現在の国際政治学でも学ぶべき
ところがあるとして、アメリカの有名な大学で講義題目として
扱われているらしいです。
まあ、対外政策としてはさして珍しくないのかもしれませんが。
留学経験のある方、詳しく知りませんか?
15世界@名無史さん:2001/01/09(火) 23:21
>>13
というより、大きくなってからのオスマン帝国は
ヨーロッパ史の一部と数えられてるんじゃないですか?
以前、ヨーロッパ共通教科書の概略が発表されたときに、
「トルコを入れて古代ギリシャをやらないのはおかしいぞ!」と
ギリシャ人たちが抗議していた覚えがあります。
167:2001/01/10(水) 01:27
>うろ覚えですが、スレイマンが異文化の国を侵攻する際、
>その文化をきちんと尊重しつつ、けして壊したり、自国の文化を
>矯正したりすることの無い様、しっかりとした規約を設けた
>らしいのです。
それはスレイマンに限らずオスマン帝国の征服に
共通してみられる特徴ですね。
もともとアナトリアの一イスラム教徒領主だったオスマン家は
バルカンのキリスト教徒の土地を征服して拡大したのですが、
その過程で服属した人々を宗教ごとに統制して統治した(ミッレト制)とされています。
歴史的にイスラム教国というのは、概して他宗教に比較的寛大だったわけですが、
キリスト教ヨーロッパとのフロンティアに成立したオスマン帝国はとくに寛容で、
スレイマンの盛時が生まれた理由として説明されます。
とくにスレイマン時代にはスペインを追放されたユダヤ人を受け入れたこともありました。

>5
あ、別に反論したほどのつもりはなかったんだけど。
まったく御説のとおりだと思います。
ちなみにスレイマン頃のオスマン朝君主(いちばん公平な訳語ですね)は
地位はスルタンでありカリフですが、
国内的には「パーディシャー」(大王?)と呼ばれてたはずなんで、
厳密に彼の君主称号がなんであるかははっきり言えないかも。

>15
そうでもないです。
オスマン帝国の半分はアナトリアやエジプトやシリアなんだから。
175:2001/01/10(水) 01:41
>>12
 オスマン=トルコによるカリフ継承は、1517年のエジプト征服後
とされています。が、鈴木薫「オスマン帝国」が言うには、その事
件が語られるようになったのは18世紀末になってからで、16世紀の
事実ではなかろうとのことです。ちなみにスレイマンの即位は1520
年。

 伝説が事実だとしても、カリフ位継承以前からスルタンはすでに
皇帝と呼ばれているので、スルタン=カリフを皇帝、スルタンを国
王とは整理できません。

 繰り返しますが皇帝でいけないとは言いません。それが慣用でし
ょう。しかし国王でいけないということにもなりません。この区別
をあいまいにしておくのがむしろ正確な理解です。早い話が、マム
ルーク朝エジプトを帝国とは言わないでしょう。しかしトルコが帝
国でエジプトが王国と分けて理解したら、まちがいです。分けては
いけないんです。
185:2001/01/10(水) 01:57
補足。カリフの称号は、エジプト侵攻以前から使っているそうです。
ただこれは正統カリフを主張したものではなくて、地上支配者とし
ての装飾のひとつであったろうとのこと。

>>16
ベーシックには、スルタンなんだと思います。しかしおっしゃる通り
いろいろ好きに自称しているようなので、厳密に考えることに意味は
ないのでしょう。
19世界@名無史さん:2001/01/10(水) 20:19
age
207:2001/01/11(木) 13:09
そういえばオスマン朝君主の称号には「ハン」ってのもあったな…。
21流れ者:2001/01/11(木) 14:18
カリフ号は他国のイスラム教徒を保護する権利を主張するためと言われています。
世界史において「帝国」とは多民族巨大国家も意味します。オスマン=トルコが帝国なのはそれが理由。
ちなみに、オスマン=トルコのスルタンは十七世紀に西欧諸国から皇帝と同格と認められました。
「帝国」を維持するためには征服した異民族の支持も必要です。アッシリア帝国がすぐ滅んだのはこのため。
「帝国」の君主は複数の民族の支持を得るためにそれぞれの民族固有の君主号を称することがあります。
特に官僚機構を支えるイラン人の支持を得るために「シャー」はよく用いられます。
22実習生さん:2001/02/06(火) 06:31
エイジ
23世界@名無史さん:2001/03/26(月) 15:32
イェニチェリ
24ハァハァ:2001/03/26(月) 16:21
そんな事どうでもいい!!
たいてーのハーレムでのプレイを知りたいんです。
ハァハァ
選り取りみどりでどんなすごい快楽を得たのでしょうか?
よく万戸は女の首をキュっとシメタ時が
一番ええ具合やとききますけど
処女でなおかつ絶世の1回やり捨てで
してる最中にキューと閉めて最高のしまり具合を
味わって次のとチェンジするのでしょうか?
まるで中国の豚の焼き方で皮いちまいだけ食ってあとは
捨てちゃうあれと同じだね。
極ウマな所だけ食べるのサイコ−!!!
25世界@名無史さん:2001/03/27(火) 02:12
>>24
・・・ハレムを娼婦の館と勘違いしているようですが・・・。
イスラム教は確かに一夫多妻ですが、妻に対して手厚い保護をしなければならないし、
どの妻にもひいきをしてはいけないはずですが。
だいたい江戸のお殿様も大奥っつーものを持ってましたが、そんなにお気楽でしたかねえ。
淡い幻想を抱きながら、逝ってしまいなさい。

>>20
ハンっつーのはモンゴルとかそこら辺の君主の称号ですから、
キプチャクとか元ティムール領とかそこら辺を征服するときの都合で名乗ったのでは?
イル・ハン、キプチャク・ハン領は黒海を囲みアナトリアの大部分を占めてましたから、
かなり重要な称号だったのではないでしょうか。
26世界@名無しさん:2001/03/27(火) 03:40
>>25
カラ=ハン朝の「ハン」の語源は何?
やっぱりこの王朝もモンゴル系のイスラム王朝だったの?
27ハァハァ:2001/03/27(火) 07:38
>>24
>
おかしいよん
千夜一夜物語でカリフが一夜事に処女を抱きながら
話が面白くないとすぐに首をちょんぎっているじゃん
のちにシェヘラザートの3年に渡る夜伽&お話で改心するけどね
創作だけどさあ
そういう物語が出きること時代ハーレムの中身が
王様至上主義を物語っているジャン
第一ハレムから逃げられないようにいろいろ場内に
仕掛け有ったジャン
トルコのトプカピ宮殿に漏れいったしー(マジ)

そんなの建前で実態は王様皇帝第一に決まっているジャン
28ハァハァ:2001/03/27(火) 07:45
おかじーの
カラハン国は9世紀から2百年ぐらい栄えた王朝でしょ
モンゴルの膨張より遥か以前だから
時代が合わないよ
たしかトルコ系だと思うんだけどね。

ハン何がしって チンギス以前にもよく国があるけど
モンゴル系につくんじゃなくて
トルコ系か何かの言葉で何々の土地とか
何々の国とついているのを
モンゴル人が取り入れただけなんじゃないの?
良くしらんけど
29壮麗者:2001/03/27(火) 07:58
朕は諸スルタンの中のスルタン、諸君主のあかし、地上における神の影(カリフ)。
地中海と黒海、ルメルとアナドルとルームとカラハンとエルズルムとディヤクバトルと
クルディスタンとルーリスタンとイランとズルカドリュエとエジプトとダマスクスとハレプと
エルサレムと全アラビアの諸地方とバクダートとバズラとアデンとイエメンの諸国土と
タタールとキプチャク平原の諸地域とブダとそれに属する諸地と、
そして又、われらが剣を持って勝ち得た多くの諸国土の大王(パディシャー)でありスルタンである、
スルタン・セリム・シャー・ハンの子、スルタン・スレイマン・シャーなり。
30:2001/03/27(火) 09:05
日本語でいうわけねーだろ。
31世界@名無史さん:2001/03/27(火) 11:30
>25、26、28
「ハーン」はモンゴルに限らず、ユーラシアの遊牧民は割と広く
使ってたみたいだよ。
ブルガル人も使ってる。
中世のブルガリアも「ブルガル汗国」と表記されることがある。
32壮麗者@29:2001/03/27(火) 22:56
mashawiir marsuuma li-khaTawiinaa nimshiiha fii ghurbit layaliina

yoom tifraHnaa wi yoom tigraHna wiHna walla iHna `aarfiin lee

w- zayy maa geenaa geenaa

アラビア語で書いてお前は読めるのか?

逝ってよし。

8: w- mush biyiddiinaa geena

9: zayy ma rimshak khad layaaliiya

10: w-Hakam w-amar fiiha w-fiihi

11: wi-rayet beetii ib`ad il-ghurba

12: albak dah wa-`uyuunak deiya

13: w-rayet ruuHii f-aHDaan albak

14: baHlam waSHaa w-a`iish `alaa Hobbak
33世界@名無史さん:2001/03/27(火) 23:03
>25、26、28、31
ハーンは402年に柔然の社侖が「可汗」を称したのが始めなのでは。
34世界@名無史さん:2001/03/27(火) 23:05
>>28
>トルコ系か何かの言葉で何々の土地とか
>何々の国とついているのを

「〜〜イスタン」とかんちがいしてねえか?
35世界@名無史さん:2001/03/28(水) 00:04
>壮麗者
道が悪く、大型の大砲運べなかったながイタかったね。
ウィーン攻囲戦。

でも君にはお父さん程の軍事的才能無かったようだが?
どうだったの?
36世界@名無史さん:2001/03/28(水) 02:12
>>27
千夜一夜の暴君を例に出されてもねえ。
ただ、一度結婚したからには女性側には逃げる権利はナッシングですよー。
女に逃げられるとそっちの家からの相続権がかなり問題になりますからねー。
そりゃー予防策も講じたでしょう。
すべてが円満婚姻てわけでもないでしょ。高貴な方なら特に。
大奥も世の中じゃ殿様至上主義といいますわな。

ハンに関しては、かなり前からあったのは確かですけど、
オスマンの君主が名乗らねばならなかったとすると、
自然と出所はモンゴル帝国に行き着くのでは?
37過去ログに:2001/03/28(水) 04:26
>25、26、28、31
ハーンは402年に柔然の社侖が「可汗」を称したのが始めなのでは。
と書いているけど

カラ=ハン国は9世紀からあるんですけど
遠く離れたブルガリアでもモンゴルが起源でカカンがついたのでしょうか?
38世界@名無史さん:2001/04/10(火) 05:37
オスマン・トルコのスレとしてage。
39世界@名無史さん:2001/04/10(火) 07:24
ブルガリアを建国したブルガル人はもともと黒海北岸にいたトルコ系遊牧民です。
おおもとで突厥帝国に連なるから君主はハンを名乗っていた。
ブルガル人はあっという間に現地のスラブ族に同化してしまったから、
結果としていまのブルガリア民族は南スラブに属しますが。

オスマン帝国の君主オスマン家は伝説によるとトルコ系オグズ族のカユ部族の出自。
その縁でハンを称したとも考えられますが、
まあ直接的にはモンゴルのイルハン朝あたりの影響でしょう。
4038氏ではないけど:2001/06/11(月) 01:52
ビートたけしのCMで、メフテル使用記念あげ。
ひさしぶりにテレビであの曲を聴いたぜ。
「阿修羅の如く」の再放送依頼かな。
41世界@名無史さん:2001/06/11(月) 12:05
そのCM見たーい…。
何のCM?

>「阿修羅の如く」の再放送依頼かな。
NHKのクラッシック音楽の番組でトルコ行進曲を扱ったときにも聞いた。
ちょっとしかかからなかったけど…。
4240:2001/06/11(月) 15:24
>>41
↓これです。
http://www.chugai-pharm.co.jp/health/hctcm01/guronsan/grs_b.htm

「再放送以来」が「再放送依頼」になってる。嗚呼、鬱だ。
4341:2001/06/14(木) 23:15
>>40
やっとCM見ました。
メフテルの単調だけど奮い立たせる曲がいい雰囲気出してるね。
44世界@名無史さん:2001/07/22(日) 09:40
age
45バヤジッド:2001/07/22(日) 11:46
現代トルコ語では、カーン、ハーンではなく、ハカン(Hakan)と
発音する。それにこのスレのタイトルは、スレイマン・国王となっているが、
彼は、トルコ族以外の民族の上、イスラム・ユダヤ・キリストの3つの
啓典の民の上に君臨するスルタンにしてカリフであるから、
「国王」というのは正確ではない。皇帝の方がいいでしょう。漢字で書くなら。
46世界@名無史さん:2001/07/22(日) 12:21
>>45
国王とすべきか皇帝とすべきかについては、このスレの前の方で延々と
議論されてるんだけどねえ。
47世界@名無史さん :2001/07/22(日) 12:36
シッディン・デデン。
エステルゴン城も良い。ケメンチェの独演がまた良し。
48世界@名無史さん:2001/07/22(日) 14:05
陸軍行進曲がイイッ!
4941:2001/07/22(日) 19:59
>>45
スレイマン1世の名乗りのなかに
スルタン、シャーと並んでハンが入っていたのは事実。
現代トルコ語にもハンって単語は残ってるよ。
これは一般的な遊牧民の君主のハーンに類する称号のこと。
ハーカーンは別の単語で、突厥の「可汗」などを指すときに特に使う言葉。

>>47
>ケメンチェの独演がまた良し。
それはメフテル(軍楽)じゃないと思うけど…。
キングレコードの「オスマンの響き」ってCDを聞いたのかな?

漏れは「若きオスマン」(ゲンチ・オスマン)が好き。
50世界@名無史さん:01/09/17 03:14
コンスタンティノープルage
51世界@名無史さん