くだらねぇ質問はここに書き込め!@世界史板

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301世界@名無史さん
>>298
さらに付け加えるならドイツ(正確には神聖ローマ帝国)の場合
皇帝を名乗っていたのはローマ帝国の後継者たる意識があるから。
中世西欧社会ではローマ皇帝は盟主的な権威があった。
302298:2001/06/16(土) 03:14
ありがとうございます。

フランス(地方?)もいくつかの王国に分裂していたと
思うのですが、その内で盟主のような存在の国はなんという
国なんでしょう。
303世界@名無史さん:2001/06/16(土) 06:31
>>302
フランス共和国の元になった「王国」は
基本的にフランス王国しかないですが…。
でも、たしか現フランス共和国領の一部は
ナヴァラ王国やサヴォイア公国(=サルディニア王国)領だったような。

だいたい、神聖ローマ皇帝というものも
ドイツ(という国名はまだないが)の国王が
ローマ皇帝として戴冠しただけだよ。
ドイツという国家の皇帝であったわけではない。
304世界@名無史さん:2001/06/16(土) 11:48
神聖ローマ皇帝→1801/2→ナポレオン→1870/9→ドイツ皇帝
305世界@名無史さん:2001/06/16(土) 15:09
まずフランク王国あり。偉大な王をシャルルマーニュとかカール大帝とか呼ぶ。
王はフランク人の領域を超えて侵略をくりかえし、たくさんの領土を取った。

当時、王国は完全に法人化していなかったので、分割相続が繰り返された。
王国は一代ごとに更新されるので、○○国の王というより、××王の国と考え
るのが正確か。ま、ともあれそのうちの一つが西フランク王国と呼ばれた。

 西フランクでシャルルマーニュの子孫が絶えたとき、無主物となった財産を、
諸侯が話し合ってイルドフランス公ユーグ・カペーに継がせた。カペーにとっ
てもらいものの王国は、もはや王が子供に分け与えていいような領域ではない。
かくて継続性のある王国が成立した。これを、フランス王国と呼ぶ。
306305:2001/06/16(土) 15:37
う。なんか突っ込みどころが多いな。まあいいか。
307世界@名無史さん:2001/06/16(土) 16:10
>イルドフランス公ユーグ・カペー×
パリ伯ユーグ・カペー○
308ジョドー:2001/06/16(土) 20:27
先生!昨日テレビをみてたのですが、「ゴート札」なる偽札がでて
きました。検索してもアニメの紹介ばかりなのですが、あれは
アニメのオリジナルネタなのですか?それとも事実か噂は歴史上
あったのでしょうか?ナポレオンの資金源になったとか。
既出だったらこのジョドー一生の不覚・・・
309世界@名無史さん:2001/06/16(土) 20:57
>308
アニメの設定をまにうけるのは、小学生までにしとこうね。
310世界@名無史さん:2001/06/16(土) 23:01
フランスはひどい国だよね。
革命から第3共和制までの80年間で
1200万の会話人口があったオクシタン語をはじめ
ブルトン語など各地の地方言語を絶滅させた。
バスク語もスペインではまだ生き残ってるが
フランスバスクじゃ絶滅したし。
311名無しさん@1周年:2001/06/16(土) 23:24
フランス革命って自由がなければ、平等でもないし、
博愛の心なんか持ち合わせてないじゃないか。
312302:2001/06/16(土) 23:59
ありがとうございます。

>もはや王が子供に分け与えていいような領域ではない。

↑の件なんですが、なぜ、分割相続をしなかったのですか。
なぜ、それまでの相続慣習の流れをかえたのでしょうか。

それと、いつ頃から西フランクを
フランスと呼ぶようになったのでしょうか。
313ヘルアドルフ:2001/06/18(月) 14:38
9世紀後半から10世紀にかけて、とにかくユーグ=カペーがカペー朝を開いたあた
りからだったと思う。
314花と名無しさん:2001/06/18(月) 21:05
少女マンガ板から来ました。
世界史板の皆様、よろしくご指導くださいませ。

●あるマンガでは現代から迷いこんできた少女が
古代ヒッタイトの皇太子と恋に落ちます。
そこで、まぁ生活というか女性特有の体の変化などが
話題になっていたのですが、実際問題として月経やトイレ等
どう処理していたのか、スレ住人も気になっているところなんです。

所詮マンガですので気にせずマターリ脳内変換でもすればいいのですが
意外とお勉強になるものですから、ご存知の方、御願い申しあげます。


315名無しさん@1周年:2001/06/18(月) 22:44
あの…タコな質問で申し訳ないのですが、現在フランスに貴族制は残っているのでしょうか?
…サクラ大戦のキャラにフランス貴族というのがいるんですが、その設定見てから
ずっと気になっているんですが…
サクラ大戦の設定は1920年代です…


>>314 あのマンガ、まだ続いていますか…
あらゆる中学校の女子の間で、3年に一度必ずブームになるという説が
あのマンガに対して囁かれてますが…囁いているのは私ですが(笑)
316とっかたたかお:2001/06/18(月) 23:59
『ラシード・ウッ・ディーン』のどれが苗字で名前なのですか?
真中の『ウッ』は何をさしているのです??
317アマノウヅメ:2001/06/19(火) 05:20
>>303
遅レスですみません。

ナヴァール王国は最後の王アンリ・ダルブレが、フランスの
ヴァロア王朝が滅亡(早死にやら暗殺やらで)した時、1番近い
親族であったため、フランス王アンリ4世として即位したので
フランスに併合されました。

アンリ4世はブルボン王朝の祖です。
318世界@名無史さん:2001/06/19(火) 05:47
>316
「ウッ」の意味は私もわかりませんが。
一般に、イスラム圏のアラブ系の名前は「苗字」というものはなく
たとえば、ハッサンの子のムハンマドならハッサン・ムハンマド、
そのハッサン・ムハンマドの子のイブンならムハンマド・イブン、
そのムハンマド・イブンの子のハシムならイブン・ハシムというよ
うに、しりとり的な名前になると聞いたことがあります。
319318:2001/06/19(火) 05:56
ごめん、逆だったかも。
つまり、ハッサンの子ムハンマドなら、ムハンマド・ハッサンだったか
なあ。
うろ覚えでスマソ。
320アマノウヅメ:2001/06/19(火) 05:58
>>316
『ラシード・ウッディーン』なら、アラビアン・ナイトに
出てきても違和感のない名前ですが・・・
321世界@名無史さん:2001/06/19(火) 06:09
>>316
アラビア語はあまり詳しくないので以下に書く事は誤りがあるかもしれませんが…。

ラシードゥッディーンをラテン文字転写で書くとRashid al-Din。
rashidは「正統な」、dinは「宗教・信仰」。
alはアラビア語の定冠詞で、dの前ではadに変化します。
だから、発音すると「ラシード・アッディーン」になって、
つづめて発音するとさらに ad- が -ud- になるので
「ラシーデゥッディーン」ないし「ラシード・ウッディーン」と
いうカタカナが近い音になります。
たぶん「信仰の正道」というような意味の一個の名前で称号に近いもの。
これには苗字は含まれません。
というより、そもそもアラブ人・ペルシア人には元来苗字はありません。
ちなみに、ラシードのフルネームはもっと長くて
「ラシードゥッディーン・ファズルッラー・ハマダーニー」
だったはず。
322321:2001/06/19(火) 06:14
>>319
ハサンの息子ムハンマドならムハンマド・(イブン・)ハサンですよ。
現イラク大統領はフセインの息子サッダームなので
「サッダーム・フセイン」です。

>>320
ラシードゥッディーンは「集史」の編著者です。
323世界@名無史さん:2001/06/19(火) 07:46
>>314
そのあるマンガってまさか「王家の紋章」?
324世界@名無史さん:2001/06/19(火) 07:50
>>315
今のフランスに貴族制はありません。
慣習的に名称が残っているだけです。

ところで日本でも旧華族の間では相変わらず「伯爵様」とか呼び合ってるのはご存知ですか。
霞友会とか未だ残ってるのかな。
325世界@名無史さん:2001/06/19(火) 10:47
>>312
二転してます。

そもそもゲルマンの王とは、民族の指導者のことです。民族は勝手に分割できま
せんから、ふつうは国を割ることもできません。ところが領土がフランク人の消
化範囲を超えて巨大化し(その頂点がカール)、しかもその拡大は王のおかげ、
となったときに、王が国を自由に処分できるようになってしまいました。

王が自分の支配を単なる実力以外のところで正統化しようとして、それに成功し
たときに、また変わりました。たぶん一番重要なのは、教会の承認で、もう一つ
は(王の弱いところでは)諸侯の承認です。どちらも正統な王になるためにはあ
る手続きが必要だというルールです。そうなると、王は一度手続きをふんで正統
な王になればわりに安泰になれますが、他方では、その手続きなしに国を作った
りなくしたりすることができなくなりました。

以上は私の理解なので全面的には信用しないでくださいな。
326世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:28
質問です
第二次大戦でナチスはなぜ兵器を大量生産することを軽視したのですか
327世界@名無史さん:2001/06/19(火) 15:22
>>326
別に軽視していた訳ではないんですけどね。
詳しくは軍事板で聞いた方が…‥否、あそこでこんな質問したら、
ココ以上に罵声を浴びるだけかな。
328世界@名無史さん:2001/06/19(火) 17:14
     ______
    /_      |
    /. \ ̄ ̄ ̄ ̄|
  /  /  / \ |
  |  /    -  - |
  ||| (6      > |
 | | |     ┏━┓|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | | |     ┃─┃|  < 正直、質問はない
|| | | |  \ ┃  ┃/    \________
| || | |    ̄  ̄|
329世界@名無史さん:2001/06/19(火) 17:33
イギリスの「帝国の論理」とは?
330312:2001/06/20(水) 00:40
>325
ありがとうございます。

フランスとドイツの領土相続習慣はゲルマン人とラテン人の違いが影響していた
と言うこともあるのでしょうか。

ユーグ=カペーってゲルマン人とラテン人のどちらなのでしょうか。
あと、ヨーロッパの、国を相続できるくらいの実力のある家系は
ゲルマン人(フランクの流れを汲む)のほかにラテン人の家系も
あったのでしょうか。
331世界@名無史さん:2001/06/20(水) 00:57
基本的な質問でお恥ずかしいんですが
17世紀ペストの流行が終わったのって何でなんですか?
火事?アジア産ネズミ?いろいろあるの?
332世界@名無史さん:2001/06/20(水) 01:10
あやめさんのページってもうできたの?

既出だったらスマソ。
333315:2001/06/20(水) 01:11
>>324 ありがとうございます!
334アマノウヅメ:2001/06/20(水) 01:37
>>331
火事でとどめをさしたということはあると思います。
消毒法としては1番ですからね。

しかし、火事以前からペストは収束に向かっていました。
どうも死ぬ人が死んでしまうと自然と収まる病気のようです。

ヨーロッパの大ペストというのは、1347〜1348年
の間にヨーロッパの人口が3分の1減ったといわれるほどの
惨状でしたが、全員死んだわけではありません。

医学的には全く打つ手が無かったわけだからペストに強い
体質の人が生き残ったわけでしょう。

その後数十年おきにペストの流行はありましたが、
老人の死者は少なく、殆ど子供か若者だったと記録されています。

ペストに弱い体質の人は淘汰されていったんじゃないでしょうか。
後の時代になるにつれ死者は減っていくし、流行る期間も
短くなります。
335世界@名無史さん:2001/06/20(水) 01:47
ADSLはアナログ回線でやるものですよね?
ということは
ISDNの時のように
「ISDN回線料」といった、別途の回線料みたいなのはとられないですか?
336世界@名無史さん:2001/06/20(水) 01:54
>>334
その頃はすでにピークが終わってたんですね。。
有難うございました。
337奥さまは名無しさん:2001/06/20(水) 03:13
ラスプーチンを殺したのって、
ディミトリ大公とプリンス・ユスポフだったと思うんですが、
この二人はニコライ二世とはどの程度の関係だったんですか?
338花と名無しさん:2001/06/20(水) 08:16
>>323
いえ、>>314は『王家の紋章』を本歌どりした作品です。
篠原千絵『天は赤い河のほとり』です。
鉄を生んだ?古代ヒッタイト族+現代日本人の話です。

ヒッタイト?西オリエント?赤い河?・・・当初どこだ〜?
になりました。
舞台設定はエジプトのラムセス2世より100年ほど早い時期みたいです。
339名無しさん:2001/06/20(水) 22:15
あげ
340世界@名無史さん:2001/06/21(木) 01:50
もう一つの質問スレがすでに900越えてますので、
「俺の質問はくだらなくない」と思っている人でも、
質問はとりあえずこのスレにどうぞ。
単発の質問だけのためにスレを乱立させないようお願いします。
341世界@名無史さん :2001/06/21(木) 02:32
民族大移動はどうして重要なんですか?

ゲルマン民族大移動自体良く理解していないので、出来れば説明お願いします。

簡単には説明できないことは分かっているのですが・・・・
342司馬○:2001/06/21(木) 22:03
教えて下さい!!


友人が、「イブン=シーナーはゾロアスター教徒だ」って
言い張るんですが・・・・ホントですか?
343世界@名無史さん:2001/06/21(木) 22:24
>>342
イスラム教徒のはずです。
シーア派のイスマイル派と関係があったらしいけど…。
344世界@名無史さん:2001/06/21(木) 22:38
>343

ですよねえ・・・

ありがとうです!
345世界@名無史さん:2001/06/21(木) 23:48
346世界@名無史さん:2001/06/22(金) 00:06
>>340
言いたいことは分かるんだけど、ココに書いてもスグ裏に流れ
ちゃうぜ。
347世界@名無史さん:2001/06/22(金) 00:08
厨房な質問でスマソだが、小アジアの英訳って
「Asia Minor」でいいの?
348世界@名無史さん:2001/06/22(金) 00:20
>>347
間違ってないけど、あまり見かけたこと無いな。

ニュアンスが微妙に変わっちゃうけど、"Anatolia"とか
"Turkey in Asia"の方をよく見るような気がする。
349αジョーカーω:2001/06/22(金) 00:52
>337
三角関係です。な〜んて嘘ですが、ドミトリー・パブロヴィッチ大公は、
ニコライの甥だったかな?
ユスーポフ公爵は、当時ロシア一の大金持ち(元はと云えば、
曾祖父の代まではコサックの頭に過ぎなかったが、
政略結婚で、祖父の代に公爵にまで上り詰めた御家柄)で、
その妻は皇族。
二人共、美男子だがゲイ。
350αジョーカーω:2001/06/22(金) 00:55
訂正:曾祖父の代まではコサック貴族に過ぎなかったが、
351αジョーカーω:2001/06/22(金) 00:59
ただ、実際にラスプーチンに止めを刺したのは、
国会副議長で最右翼の政治家プリシュケヴィッチ。
ラスプーチンがシアン化物でもなかなか死なないもの
だから、ドミトリー・パブロヴィッチ大公と
フェリックス・ユスーポフは怖気づいてしまった。
352世界@名無史さん:2001/06/22(金) 01:30
中国がいくつかの国に分かれないで
一つの国なのは、まわりに蛮族が
いたからですか?
353名無しさん@1周年:2001/06/22(金) 01:47
ウエブスターの地理事典だと
Asia Minor or Anatolia になってるね。
354世界@名無史さん:2001/06/22(金) 07:57
ヨーロッパの疫病が新大陸で猛威を振るって人口を激減させたとは聞きますが・・・・・・・・・。
逆に他の大陸の病気が持ち込まれてヨーロッパ人を殺しまくった例はあるのでしょうか?梅毒や黒死病のように。
355ガリレイ:2001/06/22(金) 09:21
>354
梅毒
356アマノウヅメ:2001/06/22(金) 11:04
>>354
エイズ
357世界@名無史さん:2001/06/22(金) 12:16
>>354
「梅毒や黒死病のように」というのは、梅毒のように新大陸から
持ち込まれて、黒死病のように殺しまくったという意味でしょうか?
358世界@名無史さん:2001/06/22(金) 12:21
過去の戦争で主なものって言うのはこれくらいでしょうかね?
1775 アメリカ独立戦争
1840 アヘン戦争
1861 南北戦争
1914 第一次世界大戦
1939 第二次世界大戦
1948 第一次中東戦争
1950 朝鮮戦争
1960 ベトナム戦争
1980 イラン・イラク戦争 アフガニスタン紛争
1991 湾岸戦争

新聞やニュースでとりあげられたりする話題に戦争関係って結構
あるんですが、時代背景がばらばらになってきたので、一度
整理しようとしてるんですが。
359世界@名無史さん:2001/06/22(金) 12:38
>>358
それっていつからの主な戦争?
とってもぬけてる気がしますが。
360世界@名無史さん:2001/06/22(金) 12:53
>>359
とっても抜けてるというか、挙げられてるものの
方が少ない。少なすぎる。

たとえばおもいつく重要な戦争といえば米墨戦争。
タラ戦争。ジェンキンスの耳戦争。うーん。
361世界@名無史さん:2001/06/22(金) 17:22
 【質問】
旧西ドイツの首都はなぜボンになったのですか?
ボンについてはベートーベンの生誕地というくらいしか
知らないので教えてください。
362  :2001/06/23(土) 13:46
361ですがこのまま下がっていきそうなので・・・
http://www.kinet.or.jp/kamiyabe/pictures/age.jpg
363世界@名無史さん:2001/06/23(土) 15:17
大戦中、「イギリス国王に忠誠を誓っている地域」とは植民地以外どこの国ですか
364354:2001/06/23(土) 16:16
>>357
イエッサー。

「ヨーロッパ人の持ち込んだ伝染病で免疫を持たないインディオ、インディアンの人口が激減し、それが彼らの侵略者達への敗北の要因となった」
という意見を聞き、なんかヨーロッパ人への怒りがわいてきたんですよ。
「お前らも同じ目にあって見やがれ!」と。

日本でも天然痘で藤原四兄弟が死んだりとかあったんですってね。
365世界@名無史さん:2001/06/23(土) 16:22
ノース・カロライナ州の西境は何故あんな形をしているのでしょうか?

ミシシッピ河?の流れをそっくりそのまま東に移したような変な形です。
366世界@名無史さん:2001/06/23(土) 16:44
>>361
北部プロテスタント圏と南部カトリック圏の中間にあったから。
当時の首相アデナウアーの家が近かったから、という説もある。
本人は否定しているが。

大戦後の西ドイツ首都選考は最初はベルリンとフランクフルトの
マッチレースだったが、ベルリンは統一ドイツの首都にとっておく
ことになり、フランクフルトとの決選投票でボンに。
367世界@名無史さん:2001/06/23(土) 16:47
 >>366
ありがとうございました。(361)
368世界@名無史さん:2001/06/23(土) 16:48
>>356
ノース・カロライナとテネシーの州境はアパラチア
山脈です。単に稜線と隣の川の流れが似ているだけ。
369世界@名無史さん:2001/06/23(土) 19:51
“オレンジ団”について教えて頂きたい。
この人達は何? 宗教的背景、及び成り立ち諸々。

  お願い致しまっす!
370世界@名無史さん:2001/06/24(日) 09:24
デュマの『三銃士』で、
「「三銃士」の三人は違うが、ダルタニアンには実在のモデルがいる」というのを友人から聞いたのですがこれって本当なのでしょうか?

ついでに聞きますが、トレヴィル隊長の率いたような「銃士隊」は実在したのでしょうか?
371世界@名無史さん:2001/06/24(日) 09:27
オペラ「レ・ミゼラブル」をCDで聞いたのですが、
ユーゴーははいつ頃の事件をモデルにしたのでしょうか?
それとラマルク将軍て実在の人物ですか?
372371:2001/06/24(日) 10:38
>>371
訂正
オペラ→ミュ−ジカル
373アマノウヅメ:2001/06/24(日) 18:43
>>370
手元には小ラルースしかないのですが…

Artagnan
(シャルル・ド・バ、ダルタニアン伯爵)
ガスコンの士族。1611―1673
近衛銃士隊隊長(ルイ14世)
   以下略

デュマの三銃士のモデルであると明記されて居ます。
鈴木力衛訳「ダルタニアン物語」の解説に他の三人も
名前は記録から取ったと言うデュマの話がのってましたが。
374世界@名無史さん:2001/06/24(日) 19:28
>トレヴィル隊長の率いたような「銃士隊」は実在したのでしょうか?

うん。
あとこの時代のマスケット銃ってかなり重かったので
銃士はかなりガタイのいい豪傑だったはず。
375337:2001/06/24(日) 19:49
>αジョーカーωさん
ありがとうございます
376アマノウヅメ:2001/06/24(日) 20:47
>>371
ミュージカルは知りませんが、原作は発端がナポレオン没落の直後
クライマックスが1948年の2月革命です。
大体王政復古時代になりますね。
377アマノウヅメ:2001/06/24(日) 23:31
>>371
ミスがあったので訂正します。

発端は王政復古直後の1815年
クライマックスは7月革命のあとの1832年6月の反乱です。
最後は1833年

すみません。ながいこと読んでなかったので、探して確認しました。
378アマノウヅメ:2001/06/24(日) 23:56
>>371
ラマルク将軍は実在の人物です。
名はマキシミリアン 1770−1832

ナポレオン時代から王政復古まで活躍した人ですが
共和主義的心情を持ち続けていました。
1833年6月5日の反乱は彼の葬儀に共和主義者や労働者、各国の亡命者が
多数参加したのをきっかけにおこったものです。
379371:2001/06/25(月) 07:59
>>376-378
アマノウヅメさん、いつもありがとうございます。

ふむ、「哀れな人たち」が報われるにはもう10数年待たないといけなかったのですか・・・・・・・・・。
380世界@名無史さん:2001/06/25(月) 14:50
中国の史書&金石文に出てくる倭人の記述は、どんなのがあるのでしょうか?
紀元前何百年に中国東北部に倭人がいたって聞いたんですけどほんとなのでしょうか?
381世界@名無史さん:2001/06/25(月) 19:58
http://www.hpmix.com/home/komori/A13_3.htm
インドの石像ってなんかHだぁ。
382世界@名無史さん:2001/06/25(月) 20:15
>>352 一般には、いくつもの国に分裂していたのを始皇帝が統一して以来、
統一王朝が正当な時代、分裂王朝は混乱期、と、認識されるようになったのだと
思います。
陰陽五行説による、正閏思想も関係していると思われます。
中国がなぜ分裂しなかったかについては、このスレだったか、もう一つの質問スレ
だったかの過去ログで、意見交換がなされています。
383世界@名無史さん:2001/06/25(月) 20:29
>381
だから、イスラムからはヒンズー系寺院の石像が目の敵にされる(藁

真面目な話、観光客は(イスラム等の、ヒンズー以外の宗教家も)ああ
いう石像にばかり目がいきがちですが、そうでない石像だってたくさん
あります。石像掘った人たちにしてみれば、「俺たちは、生活のいろい
ろな場面を活写したんだ。性生活も生活の一部なので、素直に掘った」
といったところでしょう。
384食いだおれさん:2001/06/25(月) 23:45
>>380
「魏志・倭人伝」のが詳しい記述としては一番古いのかな?
書経だったかに「倭」という「蛮族」が出てくるのが、「倭人」の最初の記述らしいけど
これは380さんが書いた「大陸に住んでいる『倭』」という説もある。
(というか、その方が自然な解釈か?)

大陸の「倭」はおそらく現在の中国海岸部(山東省辺り?)に住んでいた原住民で、
彼らに似た外見・生活様式だった当時の日本人をその同類と見なして「倭」と
呼んだのかも知れない。
385世界@名無史さん:2001/06/26(火) 02:15
>>380
日本史版?で関連レス見たよ。
鮮卑と高句麗の間に倭人がいたとか、いないとかだった。。探してみれ
386世界@名無史さん:2001/06/26(火) 02:41
>>385
ありゃりゃ。それ書いたの漏れだよ。

>>384
2世紀に満洲にいた「倭」っていうのは、
原住民なのか、日本をふくむどっかからの移民集落だったのかは不明です。
あと古い時代の「倭」が出てくるのは書経じゃなくて「論衡」。
これに周の成王の時のこととして倭がでてくる。(呉の太伯はもっと前の人だが)
387386の続き:2001/06/26(火) 02:54
>>384
「書経」に出てくるのは倭じゃなくて「于夷」。これが倭のことだという説がある。
2世紀に満洲にいた「倭」は、
後漢書では「倭人」だが魏略では「(サンズイの)于人」になっていること、
古音で于と倭が同じy音だったらしいことなどが理由。
388世界@名無史さん:2001/06/26(火) 06:50
マウントバッテン卿はエリザベス女王の愛人だった、て本当ですか?
389世界@名無史さん:2001/06/26(火) 13:31
十八史略を読んで、中国の宋の時代に興味を持ち、
特に朱子学と文天祥について詳しく知りたいと思いました。
が、中国史でも宋の時代の書籍ってすごく少なくて、
なかなか良い感じのものが見つけられません。
もし上記でおすすめとかありましたら教えてください。

自分が調べた中では、朱子学については
「朱子学と陽明学」(島田虔次、岩波新書)が良いかなと思いました。
文天祥についてはさっぱりでした。
よろしくお願いします。
390380:2001/06/26(火) 14:22
>>386
前後のレスも読みたいので、書き込みをされたスレッド名を教えていただけないでしょうか?
391世界@名無史さん:2001/06/26(火) 17:00
>>390
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=983933071
このスレの28-79の間を見れ。
(他でもあちこちで書いたような気がするが)
392世界@名無史さん:2001/06/26(火) 19:30
とても基本的な質問なのですが、貴族の名前にある
アキテーヌ公・アンジュー公などの「(地名)公」と
「(苗字)公爵・伯爵など」の
違いがいまいち分からないです。
苗字はただの家の名前で地名は持っている領地の名前だと
自分では思っているのですがどうなのでしょうか?
そしてどちらも世襲制度なのですか?
393世界@名無史さん:2001/06/26(火) 20:28
>>389
モンゴル史の杉山正明は文天祥を貶してるので
南宋滅亡関連でも絶対読まないほうがいいね。

>>392
基本的にその貴族家の伝来の世襲地名が苗字になるんじゃなかったかな?
アンジュー家はアンジュー伯爵を世襲した家、
ハプスブルク家は現スイスのハプスブルクというところの小領主出身、
みたいな感じで。

詳しい人フォローお願い。
394世界@名無史さん:2001/06/26(火) 23:36
>基本的にその貴族家の伝来の世襲地名が苗字になるんじゃなかったかな

ということでいいんでは?
そもそも西欧で名字が成立したのは
カロリング王朝の解体期・10-11世紀に城がボコボコ出来た時のことでしょう。
小領主たちが自分の持ち城の地名を名乗ったというような。

(それ以前の豪族たちは家系名らしきものとして始祖等の名前を用いていたはず。
メロヴィンガー・カロリンガー・オットーネン・ヴェルフェン等。)

庶民の間に名字が普及するのは、宗教改革とか、もっとあとでしょう。
395世界@名無史さん:2001/06/27(水) 00:13
シェークスピアの正体って誰ですか?
396世界@名無史さん:2001/06/27(水) 01:07
公・伯は本来国制上の地位。(フランク王国の地方官→横領というか世襲化)
だから数は限られていて、
カペー朝初期だとアンジュー伯・アキテーヌ公・ノルマンディー公・フランドル伯・ブルターニュ伯
シャンパーニュ伯・ブロワ伯・トゥールーズ伯・ブルゴーニュ伯など。
(ドイツはよく知らないが、オットー朝の公はザクセン・フランケン・シュヴァーベン・バイエルンぐらいじゃなかったか?)
中世後期になるとたしかにマイナーな**伯爵などが増えてくるが、
これは上記の大諸侯の例にならって、より小規模な領主たちに王権が授爵してやった結果。

「三銃士」第二部で、ポルトス(ナンタラ・デュ・ヴァロンという名前らしいが)は
自分の領地を男爵領に格上げしてもらい「デュ・ヴァロン男爵」になろうと画策していました。
397アマノウヅメ:2001/06/27(水) 04:07
>>395
ストラトフォード・オン・エーヴォン生まれのウィリアム・シェイクスピア
です。1564―1616
明らかに実在の人物で洗礼の記録から財産分けを指示した遺言状まで
残っています。生まれた家もお母さんの実家も現存しています。

フランシス・ベーコンが書いたが大法官という身分をはばかって
役者の(俳優もしていたのは事実です)シェイクスピアの名で発表したとか、
天才詩人で29歳で死んだクリストファー・マーローが余り評判悪いので
(ホモ、悪魔崇拝者その他諸々の噂がある)死んだ振りしてシェイクスピアの
名前を借りたとか、その他色んな説がありますが、すべてトンデモと
思ってください。

いまでは、トンでも説はすべて論破されています。
398>395:2001/06/27(水) 11:03
5億匹のサルがテキトーにタイプライター打ったら出来ました。
399386:2001/06/27(水) 14:24
>>384
山東省うんぬんというのは「山海経」の倭のことで前3世紀のこと。
後2世紀に満洲にいた倭とは別の件ですyo
400世界@名無史さん:2001/06/27(水) 18:08
>>398
それをわかる人はいるのか?