世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その7

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1世界@名無史さん
秀吉軍の北伐は可能だったと客観的に証明されていますが。

引き続きマターリ考察していきましょう。

前スレッド
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1188893412/
軍事板の関連スレッド
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1203686918/
日本史板の関連スレッド
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1150604376/
戦国時代板の関連スレッド
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195992731/
2世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:13:30 0
00 :世界@名無史さん:2008/02/14(木) 22:23:51 0
http://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_invasions_of_Korea_%281592%E2%80%931598%29

朝鮮
兵力 364000 

兵力
一次 43000
二次 100000
日本
一次 235000
二次 140000

死者
朝鮮 300000
明  30000
日本 140000
3世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:14:16 0
主要戦没者(武将・高官・要人)

●戦死大名 日本
1597.9.16 鳴梁の海戦
 来島通総(伊予鹿島1.4万石動員700人)
1592.10.24 陽智にて狩猟中に襲撃受け死亡
 中川秀政(播磨三木14.0万石動員3000人)

●戦死属将・家臣 日本
1592.06.05 唐項浦の海戦
 森 村春(蜂須賀家政家臣、3000石)
1592.06.14 大同江渡河前の戦い
 木村智清(宗義智家臣侍大将)、黒田次郎兵衛(黒田家)
1592.06.? 順安城攻撃
 志佐純高(松浦鎮信家臣志佐純意の嫡子)
1592.07.07 閑山島の海戦
 脇坂左兵衛(脇坂安治家臣)、渡辺七右衛門(脇坂安治家臣)、
 真鍋左馬允(脇坂安治家臣)
1592.07.17 平壌城守備
 日高喜(松浦鎮信家臣甲斐守)、松浦源次郎(松浦家臣)、
1592.09.29 咸鏡道
 西村半右衛門(鍋島家臣)
4世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:14:35 O
世界史板荒らしの彼は病気です、相手にしないでください
↓このスレの最初の方から見てください、よほど暇な人らしいです、平気で嘘つきます、だす資料も恣意的な物ばかりです

江戸時代はすばらしいV…ような気も
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1195703849/

↓上が読み終わったらこっちも最初の方から見てください
近世〜近代ヨーロッパの暮らし
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1193754038/
5世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:15:05 0
862 :戦死(病没ではない)武将:2008/02/26(火) 12:18:35 0
1592.10.上旬 咸鏡道
 江口与左衛門(鍋島家臣)、三浦左右衛門允(鍋島家臣)
1592.12.? 
 竹内吉兵衛(小西家臣、講和使を明軍が処刑)
1592.? 阿波
 光富権助(長曽我部元親家臣戦傷が元で阿波で死亡)
1593.01.08 平壌城の戦い
 小西ルイス?(小西行長の弟?)、小西アントニオ(小西行長の従兄弟?)、
 日比谷アゴスト(小西家臣日比谷了珪の孫)、
 小野木又六(小野木重勝家臣重勝の弟)、太田弾正(五島家臣)、
 太田江十郎(五島家臣)、青方新八(五島家臣)
1593.01.26 碧蹄館の会戦
 十時連久(伝右衛門、立花宗茂家臣)、池辺永晟(龍右衛門、立花宗茂家臣)、
 安東常久(善右衛門、立花宗茂家臣)、 小串成重(忠左衛門、立花宗茂家臣)、
 
 小野成幸(立花宗茂家臣)、 横山景義(小早川秀包家臣)
1593.01.28 吉州城の戦い
 山口与三右衛門(加藤清正家臣)
6世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:15:37 0
863 :戦死(病没ではない)武将:2008/02/26(火) 12:19:04 0
1592-1593○ 咸鏡道撤退までに陣没した鍋島家家臣
 諸岡彦右衛門、永田源左衛門、横尾十五左衛門、
 中島九郎兵衛(病死)、納富六郎、武藤主嘉允、
 馬渡相右衛門、武藤新九郎、乙咸五兵衛、
 高木内蔵助、姉川平右衛門(中務大輔)、水町平右衛門(丹後守)、
 鹿江太郎左衛門、公文六郎兵衛、緒方牛之介、
1593.02.12 幸州山城攻め
 明石与右衛門(宇喜多家臣)、戸崎彦右衛門尉(毛利家家臣)
1593.03.12 京城の西三里の戦い
 中屋善四郎(毛利家家臣青原尾中山城主)、
1593.06.22-29 第二次晋州城攻め
△松井興之(細川忠興家臣、重臣松井康之の嫡男)
 戦傷が元で1593.06.29死亡
1593.?熊川?
 桑名親勝(長曽我部成親家臣1200石)

1597.02.22 蔚山
 柳生久三郎(浅野幸長家臣厳勝の長男宗厳の嫡孫500石)
1597.09.16 鳴梁の海戦
 得居通年(来島通之,伊予風早3000石,来島通総の兄)
 菅正蔭(菅達長の第四子)
1597.12.27 蔚山籠城戦
 冷泉元満(毛利輝元家臣)、阿曽沼元秀(毛利輝元家臣)、
 都野家頼(毛利輝元家臣)、
 原田信種(加藤清正家臣病死説有り)、貴田統治(加藤家臣孫兵衛)
7世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:15:59 0
864 :戦死(病没ではない)武将:2008/02/26(火) 12:20:24 0
 和田頼国(堀内氏善家臣、勘之丞、数十人を率いた水軍の将)

 
未分類の武将or不明

●戦死−病死 未分類 日本
 1592明石右近(宇喜多秀家重臣、明石全登の子?)
 1592梶佐古道尋(長曽我部成親家臣柳瀬五郎兵衛の三男)
△1593加藤重正(加藤清正家臣加藤可重[清左衛門、右馬允]の嫡男)
△1594吉見元頼(毛利輝元重臣、吉見広頼の嫡男)
 1597土持久綱(高橋元種家臣土持久綱の嫡男)
 1597須佐美甚太郎(加藤清正家臣須佐美紀伊守の養子)
 1599? 平田宗正(島津義弘家臣重臣平田豊前守宗祇の子)
 文禄? 木付直清(大友吉統家臣木付統直の嫡男鎮直の孫)
 ? 江上家種(鍋島家臣竜造寺隆信の二男蓮池城主)
 ? 小原信忠(宇喜多家臣)
 ? 牧源之丞(宇喜多家臣江原親次の義父)
 ? 深水頼蔵(加藤清正家臣西生浦?)


8世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:16:25 0
865 :意外と少ない明の戦死武将:2008/02/26(火) 12:22:49 0
●明 page top
●明軍戦死
1592.07.17平壌の戦い
 載朝弁(参将)、史儒(遊撃)、
 張国忠(?)、馬世隆(?)、
1598.01.04第一次蔚山城の戦い
 廬継忠(参将)、楊万金(遊撃)、
1598.04.20 茂朱の戦い(咸陽沙斥駅)
 李寧(副総兵)
1598.10.01 泗川の戦い
 李寧(参将)、廬徳功(遊撃)、
1598.11.18露梁海戦戦死者
 ?子龍(明水軍副将),陶明宰(中軍)

↑こんだけ



9世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:17:06 0
417 :世界@名無史さん:2008/02/14(木) 10:12:15 0
日本などすぐにひとひねりだと豪語した李如松が明軍来援したのは
1593年の正月
そこから各地で日本軍は敗戦を重ねて1593年 3月
漢城付近まで追いつめられる

漢城で連署された報告書には
小西・宗 18700→6692人
加藤   10000→6629人
鍋島   12000→7644人
大友   6000→2052人

まで減っている

弟を殺された小西は明軍を甘く見てた。桁違いだとフロイスに手紙を書いているし
大友は士気壊滅で勝手に脱走→改易
それを見てた最上義光は明日は我が身だ。坊主になっても生きながらえたい。せめて死ぬなら祖国の土の上でと手紙を残す

1598.04.20 茂朱の戦い(咸陽沙斥駅)
 李寧(副総兵)
1598.10.01 泗川の戦い
 李寧(参将)、廬徳功(遊撃)、
1598.11.18露梁海戦戦死者
 ?子龍(明水軍副将),陶明宰(中軍)

↑こんだけ



10世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:17:49 0
822 :世界@名無史さん:2008/02/25(月) 15:28:11 0
豊後国の資料には

朝鮮出兵後の見地だと
42%が空き屋になってて
30%が失人になってたらしい。

酷い村になると
75%の耕地が失人になってたため荒涼とした荒れ地が広がっていたとか。
「国空け散々」といわれる大規模な逃散がでた。

しかも九州はみんなこんな傾向。

前線やってた小西はもっと酷い
戦後は二公一民という増税と「給人1/3」という過酷な過役で
農民の多くが餓死かあるいは逃散した


11世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:21:46 0
708 :世界@名無史さん:2008/02/15(金) 02:54:24 0
旧陸の資料ではこんな感じ
明軍
東路軍 24000 順天城組
中路軍 13500 蔚山城組
西路軍 13600 泗川城組
水軍  13200 露梁海戦組

全部足しても10万いかない

↑これはどう説明するのか
多少兵が摩耗していることを含めても
慶長の役最大の激戦の時の明の兵力はせいぜい
6マンだよ

12世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:22:53 0
237 :名無し三等兵:2008/02/26(火) 19:13:39 ID:???
>>140
「参謀本部  戦史 朝鮮役」は
http://kindai.ndl.go.jp/
で読めるぞ、しかもタダ
13世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:23:16 0
テンプレ完了
14世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:27:07 0
505 :明vs日本 三戦目:2008/02/14(木) 18:17:46 0
1593年8/6日

倭城を造り防衛を固める日本軍と明軍が対陣
正面から戦っては勝てないと悟った加藤と毛利吉成
数千人は慶州を奇襲
vs
明軍
王必?・呉唯ら1000人

日本軍は累々たる死体を残し敗戦
15世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:28:10 0
510 :明vs日本 4〜6戦:2008/02/14(木) 18:28:52 0
明軍18000と日本軍43000の対陣

明将
劉?、呉唯忠、王必?、?尚志
日本将
加藤、黒田、毛利秀元、鍋島、小早川、島津、脇坂、小西

の間で


九月 熊川安民嶺戦役 明の勝利
10月 永善戦役    明の勝利
11月 安康戦役    明の勝利

ちなみに出典はすべて
旧陸軍の朝鮮役研究

16世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:28:38 0
513 :明vs日本 7戦:2008/02/14(木) 19:02:43 0
慶長の役

1597年 9/3 

?山付近の戦い
黒田5000vs 明ちょん連合 兵解生 8000(半分以上がチョン兵と推測) 

明の勝利 黒田軍壊滅

この戦いを機に
日本軍は攻勢から守勢へ

17世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:29:34 0
意外と知られていない
マイナーどころの大規模な戦いもあげてみた
184:2008/02/27(水) 15:30:10 O
【荒らしの特徴】
彼は自演、連投を得意とします、あきらかに頭の悪いレスが複数あったら彼と疑いましょう
彼は自分が間違ったことでも平気で強弁します、誰も言ってない事を勝手に作ります、著しく記憶力がないせいか一度言われた事を理解しません、脳に欠陥があるのでしょうか
とにかく時間の無駄なので相手にしないでください
194:2008/02/27(水) 15:30:54 O
sage忘れた
20世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:59:49 0
まあ朝鮮人が秀吉を糾弾するのは、
実は侵略云々はどうでもよくて、だたの日本人差別だがなw
1000回侵略されて、1000分の1に過ぎない秀吉だけを大声で取り上げて
他の侵略はスルーしてるわけだから。
本人達はアホだからただの民族差別ってことに気がついてないヤツも多いだろうがw
21世界@名無史さん:2008/02/27(水) 16:04:53 O
結局、朝鮮人のオナニーか
島津のことはスルー
22世界@名無史さん:2008/02/27(水) 18:45:22 O
禝山で戦場に踏み止まったのは黒田軍で、撤退したのは明軍。
会戦直後の黒田はさらに進撃して漢城に接近している。
朝鮮人みたいに妄想を垂れ流すな。
23世界@名無史さん:2008/02/27(水) 19:34:31 0
>>3-8
負けまくっているから圧倒的に明の方に高官の戦死者が多いよね。
24世界@名無史さん:2008/02/27(水) 19:39:19 0
908 :世界@名無史さん :2008/02/27(水) 02:48:56 0
軍板からきている人がいるのか。

「朝鮮の役 参謀本部編」は好著だけど、いかんせん初版が1924年なので
研究が古いのよね。同じシリーズの桶狭間の戦い、姉川の戦い、関ヶ原の戦い
は最近の研究ではあまり参考にされないのよ。

 最近の流行は>>822のように検地帳で大名の動員力を調べるというのがあるが、
これの問題は、朝鮮の役で疲弊した毛利、鍋島、池田、宇喜多、福島などの西国大名が
その後、関ヶ原、大阪夏の陣、冬の陣に5千〜2万もの大軍を派遣できたか
という説明が出来ないところ。
おそらく関ヶ原九州の役で黒田如水のように金銭で人を集めたか、あるいは朝鮮の役の
兵員、兵量の補充は九州の豊臣蔵入地(直轄地)よりなされたという説もある。
豊臣家だけでも大阪夏の陣落城後約2万8千枚の金(約28万両)と約2万4千枚の銀(約24万両)
が幕府に没収されたというから、米本位の石高制だった江戸大名と異なり織豊期の大名は
商活動などによる金銀の直接収入も多い、そのへんも考えないといかん罠。

 あと泗川の戦いでは「島津軍記」では「明・朝鮮軍の首級を三万三千七百討ち取り」になってるなw
明軍は官軍だから損害を誇大報告すると後で大変なことになる。仮に明軍が2万としても
その背後に大量の朝鮮義勇兵が加わっていたんだろう。あと、明・朝鮮・日本軍とも逃亡兵に
悩まされており、そんなこんなで約八万もの戦死てことになったんだろうね。

最後に朝鮮の役の研究動向と論文の一覧を貼っておく
「文禄・慶長の役(壬辰倭乱)」
http://www.jkcf.or.jp/history/2/1_1_2roku_j.pdf
論文一覧に歴史群像シリーズもあるwww

参謀本部以外の論証
25世界@名無史さん:2008/02/28(木) 03:54:16 0
>>23
13マンあぼーんしたけどな
兵士は
26世界@名無史さん:2008/02/28(木) 04:07:24 0
なんか日本軍のやられかたをみるとロシア軍に敗れたフランス軍みたいな感じだったのかね
27世界@名無史さん:2008/02/28(木) 04:09:48 0
そんなところだろ
ナポレオンとの違いは日本の方が犠牲者を出していたところと
首都どころか国境外で撃退させられたところくらいだろうな
28世界@名無史さん:2008/02/28(木) 08:05:09 0
この板IDでるようにしてもらったほうがいいんじゃない?
自演が多すぎ。特に明軍オタの。
29世界@名無史さん:2008/02/28(木) 10:12:18 0
なんでもかんでも自演にしたがるひといるよね
30世界@名無史さん:2008/02/28(木) 10:15:49 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
31世界@名無史さん:2008/02/28(木) 11:14:53 0

>>4

これみてくとわかるが
明オタは一時期最盛を極めた白人廚を論破して駆除に成功してる
いや、マジで。
あまりに害虫扱いはあんまりだと思う

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1201705400/l50
!!なんで白人って最強で最高の絶対神なの?!!

32世界@名無史さん:2008/02/28(木) 15:09:59 O
害虫以下。
明の当時の認識が書いてある史料でも読め。
軍事衝突的には日本が圧倒。
資金繰りにヒーヒー言ってるんだが。
33世界@名無史さん:2008/02/28(木) 15:47:45 0
日明戦争でも支那事変でも、
日本のが圧倒してるね。
蒋介石が精鋭つぎ込んで超厳重なトーチカ塹壕要塞で迎え撃っても、
日本はことごとく突破した。
34世界@名無史さん:2008/02/28(木) 17:20:34 0
その通り!日本の偉大さにひれ伏せ!!ビシ
35世界@名無史さん:2008/02/28(木) 17:23:56 0
>>24
数年前、軍板の方のスレで基本図書として紹介されてたこれ
『秀吉の野望と誤算』笠谷和比古・黒田慶一
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1038.html

にも碧蹄館の戦いを例に挙げ、「朝鮮の役 参謀本部編」では
この戦いでの立花宗茂隊の働きをまったく無視してることや、
明の敗北を「火器を使用しなかった」などと矮小化、
実際は碧蹄館の戦いにおいても明軍がしっかり各種火器を使用していることを証明してる。
36世界@名無史さん:2008/02/28(木) 19:37:28 0
>>31
その辺はダイアモンドの銃・病原菌・鉄や文明崩壊
マクニールの世界史を読んでいたら、そもそも釣られたりしないはずだが…。
37世界@名無史さん:2008/02/28(木) 21:15:10 O
世界最強の戦国オールスターズが明朝連合をフルボッコ!
38世界@名無史さん:2008/02/28(木) 21:18:35 O
日本の13万はありえないが朝鮮明の計33万もありえない
39世界@名無史さん:2008/02/28(木) 23:23:04 0
◆立花宗茂の輝かしい戦歴◆
石坂の戦い   ○ 立花高橋軍5千  対 秋月種実5千(統虎、堀江備前を倒す)
岩戸の戦い   ○ 立花道雪 千5百  対 秋月種実3千(威嚇を混ぜた奇襲で撃破)
立花城防衛戦  ○ 立花軍  5百   対 秋月種実8千(薦野増時らに夜襲させ撃破)
立花城防衛戦2 ○ 立花軍 千5百   対 島津忠長5万(粘り勝ち撤退する敵に追撃) 
高鳥居城攻略  ○ 立花毛利軍千7百 対 星野吉実3百(銃撃をうけるが下がらずに指揮)
平山城救援   ○ 立花高橋軍千2百 対 有動兼元3千(有動下総守を自ら討ち取る)
田中城攻略   ○ 小早川立花軍1万 対 和仁3兄弟千(和仁軍は2月持ちこたえた)
小田原城攻略  ○ 豊臣秀吉      対 北条氏直   (東の本多、西の立花)
漢城付近砦攻略○ 立花軍 3千    対 朝鮮軍6千(草刈で誘い出し伏兵で撃破)   
碧蹄館の戦い  ○ 日本軍 4万    対 李如松率いる明軍+朝鮮軍4万?
(前哨戦で自軍のみで明の先陣を破り、本戦では先陣を譲って機を見て参戦)
晋州城攻略   ○ 日本軍 12万   対 キムチョンイル 7千、増援4万
(救援に来た4万の軍の先陣7千、2陣1万7千を毛利秀包と共に4千で撃破し援軍を退けた)
般丹の戦い   ○ 立花軍 8百    対 高策 2万2千(夜襲+火計を用いて撃破)
蔚山城救援   ○ 立花軍  千    対 明軍
(奇襲で5千を撃破した後捕虜を解放してわざと敵に夜襲させ伏兵で1万を撃破)
露梁海戦     ○ 島津立花      対 李舜臣(小西軍の救出に成功、舜臣死亡)
大津城攻略   ○ 毛利立花1万5千 対 京極高次2千(塹壕を築き早合による銃撃)
柳川開城     × 立花軍 4千    対 鍋島・黒田・加藤
(家康との停戦交渉中に鍋島軍襲撃、小野和泉に八の院で迎撃させる。清正の調停で開城)
大阪の役     ○ 徳川家康      対 豊臣秀頼(大野治房軍の秀忠本陣突入を予見)
島原の乱     ○ 松平信綱12万   対 天草四郎3万7千(兵糧攻めを支持、夜襲を察知)


>立花城防衛戦2 ○ 立花軍 千5百   対 島津忠長5万(粘り勝ち撤退する敵に追撃) 

立花宗茂ってすごいね。いままで知らんかったよ
40世界@名無史さん:2008/02/29(金) 00:58:18 0
立花宗茂は実父もスゴイし、義父もスゴイし
ついでに嫁もスゴイよ
41世界@名無史さん:2008/02/29(金) 01:29:02 0
とはいえ犠牲者は日本の方が圧倒的に多く撃退された事実はかわらないのよね
結局、ロシア遠征のフランス軍惨敗と同じ
正確にはそれ以下か。ナポレオンの時はロシアの方が犠牲者出してたからな

42世界@名無史さん:2008/02/29(金) 01:58:17 0
然自關白侵東國,前後七載,喪師數十萬糜餉數百萬,
中朝與朝鮮迄無勝算。至關白死,兵禍始休

簫堯藝文網・明史・卷三百二十二
ttp://www.xysa.net/a200/h350/24mingshi/t-322.htm

>朝鮮における中朝軍の勝算は無くなった。

>>41よりも中国人の方が冷静に歴史を見てるな。
43世界@名無史さん:2008/02/29(金) 02:01:07 0
>>42
明史は清が作ってる。
清は明を貶めることを基本姿勢にしていることを考慮しないといけないよ。

日本だって当時もそうだろうが
江戸時代は豊臣勝ち目無し、不毛、無能の記述の多いこと多いこと
44世界@名無史さん:2008/02/29(金) 02:18:30 0
明史は主観で作られていると誰かが言ってたがそのとおり。
明史それ自体は、著しく清に歪められた記載が多く
明弱い、雑魚みたいな史観
もうそろそろ清史観をやめてルネッサンスしようかなあ
というのが学識者の今の主流。
欧米人の学者も言ってたな。
日明戦争(朝鮮征伐)は当時の最先端の武器を互いに持ち合ってぶつかり合った
当時最高レベルの戦いだとそ。俺も基本的にこのスタンス
45世界@名無史さん:2008/02/29(金) 04:24:37 0
このスレも足かけもう5年になるが、
軍板、日本史板、戦国板から来たのはいいが日本語史料しか読んでないので、
ここで明史、李朝実録、太宗実録、燕山君日記、李舜臣行録を見せられて
パニクるてのは半年か三ヶ月に一度起こる恒例行事になってきたよな。

あと受験シーズンだから言っておくが
明の紫禁城を落とし崇禎帝を自殺させた明滅亡の立役者は清ではなく
大順て国な。
清は、崇禎帝の仇討ちに燃えた明の遺臣達を集めて大順を滅ぼしている。
その後は、南明という難民国家もあったが地方を転々として、
わずか17年後、清に降伏。
歴史的経緯を見れば清は別に明を貶める必要なんか無いのよ。

も一つ言えば
清の学風は明と異なり考証学、実学重視。
46世界@名無史さん:2008/02/29(金) 04:33:02 0
>>41
日本はアメリカにやられ、ドイツも米英にやられた。
支那、フランスはどっちも無様に負けただけ。
47世界@名無史さん:2008/02/29(金) 15:08:10 0
なぜ日本は13万犠牲を出して負けたのか
48世界@名無史さん:2008/02/29(金) 16:54:13 0
>>46
朝鮮の役はアメリカと戦ったわけじゃないだろ?
49世界@名無史さん:2008/02/29(金) 17:40:30 0
武力では上回ってたけど、まあ泥沼化したんでやめたんだな。
ベトナムから撤退したアメリカのように。
50世界@名無史さん:2008/02/29(金) 18:05:03 O
朝鮮の三十万潰して明との直接対決の前に秀吉死んだからな
51世界@名無史さん:2008/02/29(金) 18:44:51 0
>>45
清は大元ウルスの後裔であるチャハル部から天命・正統を受け継いだから、
若干問題あるんじゃね?
52世界@名無史さん:2008/02/29(金) 21:15:24 0
秀吉の朝鮮征伐を明の観点からの考察
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1204276024/l50
53世界@名無史さん:2008/02/29(金) 21:33:54 0
>>50
秀吉が長生きしてても勝てなかっただろうな
明軍もさることながら冬将軍をどうにかしないと
54世界@名無史さん:2008/03/01(土) 01:09:30 0
>>39
菊池寛「碧蹄館の戦」
ttp://www6.atwiki.jp/amizako/pages/16.html
>京城の日本軍では、いよいよ明軍来が確《たしか》になったので、誰を先手の将とするか
詮議|区々《まちまち》である。隆景進み出て云う様、この大役は立花左近将監宗茂こそ
適役である。嘗つて某の父元就四万騎をもって大友修理大夫|義鎮《よししず》の三万騎を
九州|多々良浜《たたらがはま》に七度まで打 破った時に、この宗茂の父|
伯耆守《ほうきのかみ》、僅か二三千騎をもって働き、ついに大友の勝利に導いた事がある。
その武将の子である宗茂及びその一 党、皆覚えあるものと思う、宗茂が三千は余人の
一万に当るであろうと推挙するので、諸将尤もとして宗茂を先陣と定めた。若輩の宗茂は、
歴々満座の中に面目 をほどこして我陣屋へ帰ると、宗徒《むねと》の面々を呼び集めて、
十死一生の働きすべく覚悟を定めた。
>加藤清正、安辺に在り、日本軍京城の大勝を聞いて、先陣は必ず立花ならんと云ったが、
果してそうであった。

宗茂カッコヨス
55世界@名無史さん:2008/03/01(土) 01:22:28 0
>>53
やっぱり最大の敵は自然だったな
南からの侵略者は例外無く冬将軍に敗れる
56世界@名無史さん:2008/03/01(土) 01:29:49 0
露梁海戦っていつから日本の勝利になったんだろ?
日wikiですら負けを認めているのに

妄想が相変わらず酷いな。これだから低学歴は
57世界@名無史さん:2008/03/01(土) 01:33:35 0
露梁海戦は明史によれば
倭軍、溺れるもの数万人。という手痛い敗北だなw
島津は再起不能

明は先走った馬鹿な副将と、李なんとかが死んだだけ
58世界@名無史さん:2008/03/01(土) 02:52:37 0
>>56
軍板的に言うと
日本水軍は明朝水軍の作戦目的を阻止し
自軍の作戦目的を完遂したから
59世界@名無史さん:2008/03/01(土) 03:02:54 0
そうか。それならナポレオンも犠牲たくさんだしたが
将校は生きて帰れたからフランスの勝利ということか
60世界@名無史さん:2008/03/01(土) 03:04:47 0
脳内勝利が多いよね。日本軍
61世界@名無史さん:2008/03/01(土) 05:33:59 0
戦争で敵の兵力や敵に与えた損害は誇張して書かれるのが普通だから、相手側の史料の数字を使う。
これ、兵力や損害の数字を求める際の基本な。
明史には朝鮮征伐の明軍側の損害について、師を失うこと数十万って書いてある。
62世界@名無史さん:2008/03/01(土) 06:03:45 0
大中華ににほんごときが挑めたのが意外
つか、予想通り負けまくってるなw
俺のような南京生まれのエリートと違って本当に日本人は捏造大好きww
俺の小学校の恩師(日本人)も
「私には帰れる朝鮮がない。虐殺レイプをいつの時代でも繰り返し
捏造で凝り固まったアジアに対するがん細胞の日本しかない。
君たちは幸福だ」といってたし
中身からぼろぼろのウェノムwwwwwwww
朝鮮出兵後の朝鮮には3万人の混血児がいたが
これこそレイプ国歌にほんの罪の証
63世界@名無史さん:2008/03/01(土) 06:47:14 0
またチャンコロとチョンが荒らしてるのか。
64世界@名無史さん:2008/03/01(土) 07:15:11 0
>>61
当然と言えば当然だね。自分のとこの人員は把握できるが、普通敵の人員まではわからんしな。
65世界@名無史さん:2008/03/01(土) 09:39:26 0
>>62
日本よりチョンのほうが捏造好きだがな。
シナとの史観の違いは単なる認識の違いだけだが、
チョソによるとシナや日本で教わっている歴史は根本からして「捏造」らしい。
チョン史観では大中華の祖先も世界の全ての古代文明の祖もチョンになってるぞ。
何やらシナの歴史よりチョンの歴史の方が千年古いらしい。
66世界@名無史さん:2008/03/01(土) 11:49:44 0
>>61
例外はあるよ
・当時の動員数からありえない数字がでている
・中国史記に記載されている数字

史学を志している人間ならこれも常識
67世界@名無史さん:2008/03/01(土) 12:01:24 0
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1181899865/
なあ、、史記ってどこまで信憑性あるんだ?
45 :世界@名無史さん:2007/06/17(日) 21:22:53 0
歴史が「学問」としてとらえられるようになったのは、実は19世紀ドイツでの出来事。
ランケあたりからにすぎない。で、学術においてドイツの植民地だった日本でも、歴史が「学問」として
捉えられるようになった。
それまではどこの世界においても、歴史は「物語」だった。

史記が「学問」としての厳密性、資料批判などを経ていないのはある意味当たり前。
だから史記は「物語」「読み物」として扱われてきた。
そもそも2000年前の中国の作品だぞ、「学術論文」と一緒にするな!!(笑)

で、肝心の「信憑性」についてだが、「学問」としての歴史が確立したと言われる現在においてさえ、
いろいろなことをいろいろな立場の人が好き勝手言ってる。
学問だから「信憑性」があるって考えるのは、高校生までで十分。
むしろ学問は「信憑性」を目指すモノであって、既存の学説に信憑性が足りないのは当然の前提。
それを批判してさらに信憑性を高めていく作業が、研究者の仕事。

結論としては、史記には信憑性は一定程度存在する。しかし十分に信憑性があるとはいえない。
そこで他の資料、場合によっては考古資料などを使って、
(史記の)信憑性の空隙を埋める作業をするのが歴史「研究者」の仕事だ。
さぁ、がんばれ!(笑)
68世界@名無史さん:2008/03/01(土) 12:08:21 0
148 :世界@名無史さん:2007/11/23(金) 03:22:27 0
項羽が一人で劉邦の陣営に乱入して
数百人を殺したなんて無茶な話を書いたのもそいつの仕業なのか。
149 :世界@名無史さん:2007/11/23(金) 11:09:56 0
そんな話し合ったっけ?
150 :世界@名無史さん:2007/11/23(金) 19:54:10 0
50万の劉邦軍を3万の部隊で蹴散らした彭城の戦いの事か?そのくらいの事なら中国にはよくある話だ。
151 :世界@名無史さん:2007/11/23(金) 20:20:20 0
長平の戦いで40万人を生き埋めにした話とかは半分事実らしい。

中国ってぽんぽん何十万を壊滅とかいうけど、実際は数万くらいしか
戦死してなくて、すぐ四散して故郷や親戚のところに帰ってたり、別の土地に
住み着いたり、山賊になったり、どっかの軍隊の徴募とか志願したり
そしてまた徴兵されたり、何度も別の陣営の兵士になったもの多いのかもしれない。

大学時代に四面楚歌で楚の歌を歌ったのは漢に投降したりした楚出身
の兵士だとか、教授は言っていた(中国では各地発音とかはかなり違うので、
沛の人間が会稽の方言を教えられても上手く発音できないらしい・・・)


69世界@名無史さん:2008/03/01(土) 19:30:41 0
征伐
70世界@名無史さん:2008/03/01(土) 21:23:39 0
>>31
相手の穴をつく夏目漱石論はさすがと思った。
あの白人廚を追い払うだけの筋道と追った議論の仕方はさすがだと思う
資料主義で確実に相手を論破してくるんだよな。この人は
71世界@名無史さん:2008/03/02(日) 01:13:54 0
夏目は他のメディア媒体がなかった時代において
芸能人やスポーツ選手を全部足した位に影響力があった
彼が死んだ五日後に、日露戦争の英雄でマッカーサーすら尊敬した元勲大山巌が死んだんだが
完全にスルーで夏目の死を惜しんでいたと言う
72世界@名無史さん:2008/03/03(月) 17:46:46 O
軍板が今日も荒らされたが、そろそろ誰も相手にしなくなるかな?
宗教なんだもんなー。
73世界@名無史さん:2008/03/04(火) 20:36:45 0
74世界@名無史さん:2008/03/05(水) 00:11:17 0
そうだな。史記教だもんな
歴史板じゃ史記なんて殆ど無視されているのに
75世界@名無史さん:2008/03/05(水) 00:14:03 0
一人で勝手に史記と勘違いしていただけだがね。
明史から何で史記の話に飛ぶのやら。
76世界@名無史さん:2008/03/05(水) 01:08:31 0
はあ???
77世界@名無史さん:2008/03/12(水) 20:05:22 0
過疎スレ
78世界@名無史さん:2008/03/17(月) 05:50:01 0
>>2
どんだけ兵士がいるんだよ
79世界@名無史さん:2008/03/17(月) 06:34:52 0
>>58
戦術的敗北
戦略的勝利って感じ?
80世界@名無史さん:2008/03/26(水) 11:13:00 O
>>79何にどう敗北したの?
81世界@名無史さん:2008/03/26(水) 15:18:05 0
焼肉屋ヒデヨシ
82世界@名無史さん:2008/03/26(水) 16:28:25 0
>>1

>世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その7
もうすでに何度も指摘はあるだろうけど「朝鮮征伐」ってのは変だろ。
「唐入り」と呼ぶべきなんじゃなかろうか?

ちょうど他所の家(明)に押しかけようとしたら、途中にあったノグソを踏んづけた
くらいのかんじじゃないか?
83世界@名無史さん:2008/03/26(水) 16:47:14 0
>>82
ちょっと満州にはみ出ただけで主戦場は朝鮮だろ
84世界@名無史さん:2008/03/26(水) 17:17:56 0
>>83

それをいえば日露戦争だって、ロシア領土や日本領土で戦争したわけではない
わな。(まあ、のちに戦場使用料というのは払ったらしいが)。
問題は戦争目的やら何やらを総合して考えるべきで「戦場が何処だったか?」と
いうファクターのみが決定的ではない。(まあ、たくさんある内の一つ程度)

基本的には他所の家(明)に押しかける途中でノグソ(朝鮮)をふんずけて
まごまごしている間に、他所の内から家人が出てきて、ノグソの上で喧嘩しました
って程度の話しでしょ。別にノグソ征伐が主目的では無いでしょ。
85世界@名無史さん:2008/03/26(水) 23:20:48 0
真面目な話、この戦争を研究している欧米の学者からは
「東洋七年戦争」と呼ぶ案も出ている。
なんかカッコイイが、歴史的には「西洋七年戦争」の方が
後なんだよな。
でも「北方七年戦争(1563〜1570)」ていうのもあるからまっいっか。
86世界@名無史さん:2008/03/27(木) 02:43:32 0
>>82
糞踏んだという感覚はあったことは確かだが、
もともと両属のヘタレ属藩のクセに生意気言うなら、チャラにしてやってた元寇の
お仕置きをするぞ、という意味もあった。
87世界@名無史さん:2008/03/27(木) 04:47:47 0
中国の属国の貧しい朝鮮は、日本と中国との戦争の戦場になっただけです。

日本と明が戦い、そして講和し停戦になった。が、
講和の帰り道に奇襲してきた馬鹿が朝鮮。
しかも停戦していたのを破ったのが朝鮮。

その後、朝鮮の英雄(笑)は島津に撃たれて惨めに死亡。
日本の武将は死ぬ事はなく、日本に帰った後も戦へ元気に出てます。

しかも、日本側の死者 → 大名級の武将の死者は0

悲しいかな、貧しい朝鮮半島は日本と中国との戦争の足場にしか
なりませんでした。

おまけに朝鮮側が壬辰倭乱と呼ぶのは、単に朝鮮が年号すら作れなかった
明の属国の証明でしかない。
壬辰とは、李朝が独自の年号が使えず、倭乱とは明の属国なので、
明に対して乱を起こしたという意味、明視点の命名なんだがね。
そもそも李朝は史書編纂の際には、明から検閲許可が必要。

しかし島津義弘は偉大だよね。
圧倒的に劣勢だったのに泗川合戦で明軍を壊滅させて日本全軍の
退路を確保しただけでも奇跡なのに
さらに敵に包囲されていた小西行長を助けるために自軍の犠牲を
省みずに露梁海戦で李舜臣を戦死させて、小西救出を成功させているのだから
英雄とは島津義弘のためにあるような言葉だな。
88世界@名無史さん:2008/03/27(木) 14:08:24 0
>>85
ガンダムと観て喜んでいるような種類の人かい?
89世界@名無史さん:2008/03/28(金) 05:09:48 0
>>88
世界史板で悲しいこというなよ
ガンの「一年戦争」は世界史用語の
「三年戦争」「五年戦争」「七年戦争」「九年戦争」のパロやろ
作監やって原案に立ち会った安彦からして大学で西洋史専攻してるし
90世界@名無史さん:2008/03/31(月) 01:38:50 0
いいすれ
91世界@名無史さん:2008/03/31(月) 03:31:27 0
ガンダム(笑
92世界@名無史さん:2008/04/07(月) 14:48:22 0
93世界@名無史さん:2008/04/07(月) 16:22:05 0
>>87
大名級武将の戦死者0 = 日本の武将は兵卒の後ろにいるだけの卑怯者

李舜臣は常に兵士達の先頭に立って戦ってる。
李提督と並ぶ世界三大提督の一人・ネルソンも狙撃兵の銃弾に斃れてる。
勇敢な将ほど早く死ぬ。卑怯者ほど生き残る。
94世界@名無史さん:2008/04/07(月) 17:43:19 0
>>82
まじめな話朝鮮征伐とは公言できなくなってるのが現状
差別なんだって。「征伐なんて上から見た言葉を使うほど偉いのか!」って学者先生が激怒してるよ
朝鮮側は日本征伐って教えてるのにね

太平洋戦争も教科書から消えたしなぁ
「主戦場は太平洋だが日本はアジアの人々に多大な迷惑をかけたので
アジア戦争というべき。被害者の無念を忘れてはならない!」だって
バカジャネーノ?うちの大学の教授たち
95世界@名無史さん:2008/04/07(月) 18:04:42 0
実質、豊臣に臣従した大名vs明国&明に臣従した臣下(朝鮮国)の戦争なんだから
豊明戦争でいいじゃない。
96世界@名無史さん:2008/04/09(水) 21:02:53 O
>>93
大名は一人戦死したし、負傷した大名も多数いますが、何か?
97世界@名無史さん:2008/04/09(水) 22:42:17 0
黒田長政も溺死しかけたからな
でもほとんどが病死
あんなところいくべきじゃなかった
異郷の地で果てるのは無念だったろう
98世界@名無史さん:2008/04/10(木) 09:31:48 O
>>97
いつどこで溺れたの?
99世界@名無史さん:2008/04/10(木) 10:10:12 0
>>94
だから大東亜戦争が正解。戦線を野放図に拡大させたのは
史実として、政治信条如何に関わらず、認めるべきだな
>>97
 朝鮮自体も当初は明侵攻への通過点だったはずだが、征服
・統治の対象にする積りだったろ?
100世界@名無史さん:2008/04/10(木) 12:10:50 0
日明戦争論とかいっても
明の方は活躍の割に寡兵だったという話だし、肝心の明側が
比較的この戦争について感心が薄いのだよね。今の中国人は実際この戦争について思ったより感心が薄い。
朝鮮側30万というのはやはり無視するには大きすぎる要素だ。
101世界@名無史さん:2008/04/10(木) 12:31:16 0
何と比較して関心が薄いと言ってるのか、
そこら辺の基準も曖昧だな。
102世界@名無史さん:2008/04/10(木) 13:00:15 0
>今の中国人は実際この戦争について思ったより感心が薄い。

そりゃそうだろう。
日本人の日露戦争と同じ。
103世界@名無史さん:2008/04/10(木) 14:37:20 0
そりゃ、中国人にとっては数ある対外戦争の一つでしかなく
関心は薄いだろう。
日本も同じだが。。。。

日明戦争に過剰な反応を示すのは、コリアンだけw
104世界@名無史さん:2008/04/10(木) 14:42:35 0
>>100
 どうこう言っても戦場は朝鮮国内だもの。彼らが過敏に
反応するのは判るな
105世界@名無史さん:2008/04/10(木) 18:57:12 0
同じく主戦場が朝鮮半島だった日清戦争は、結果が結果だけに華麗にスルーされているがなw
106世界@名無史さん:2008/04/10(木) 19:45:34 0
>>100
いや、寡兵ではなかったよ。
107世界@名無史さん:2008/04/10(木) 22:16:32 0
一応英wikiだと明軍四万八千とされているな
当時の明の動員力から考えてもこのあたりが妥当とされているけど
108世界@名無史さん:2008/04/10(木) 22:41:10 0
それも根拠が不明だからな。
109世界@名無史さん:2008/04/10(木) 23:21:47 0
どの資料みても四万八千だな。
俺もよく割らんが一応、参謀本部の研究を前提にしている。
110世界@名無史さん:2008/04/10(木) 23:30:06 0
数字の元となった、「史料」の話をしてるんだがね。
111世界@名無史さん:2008/04/10(木) 23:32:49 0
明史の数字そのままでしか議論できない馬鹿はそもそも史学板に来るべきではないと思う
112世界@名無史さん:2008/04/10(木) 23:35:51 0
明史は信用出来ないのに、当時の検地帳や戸籍を無条件に信用出来るのは不思議な話だな。
最も、参謀本部やら英wikiが本当に「検地帳」や「戸籍」に基づいて作られているのならだけど。
113世界@名無史さん:2008/04/10(木) 23:37:57 0
当時の明軍は皇帝直属の軍が10万にも満たなかったと言う話らしいね。
しかも、江南から海を渡ってくるという噂もあったので、二手に分けて
とりあえず五万って感じかあ。

朝鮮の使者からも色々話を聞いていたが
基本的に倭冦の延長と考えていて、本気になってあたろうとは考えてみてなかったようだ。

娘の結婚式30回分くらいの予算で明は日本軍を撃退してたらしいし
114世界@名無史さん:2008/04/10(木) 23:47:41 0
>>112
戸籍や出納帳はどれだけ明朝が国民を把握していたかという一等資料なので
研究者の評価は高いよ。
当時、日本と明を比べると明より日本の方が人口があったということになる。
ただ明は人頭税もあったので裏人口はあったと思うけどね。
当時の明が明史のとおり20万、30万動員できたということについては学説で相当に疑わしいということになる

陸軍参謀本部の研究は客観的だよ。
支那に勝ったあと編集してたらしいし変な劣等感もなかっただろう
115世界@名無史さん:2008/04/10(木) 23:52:40 0
>>113
最初、明朝は日本軍と朝鮮がつるんでいると疑って本気で援軍送る気もしなかったそうな。
また日本軍の戦力にしついても、朝鮮の報告は誇張として取り扱わなかった。
ちょっと大規模な倭冦というくらいのものかな?って認識。
こんな状態で主力を差し向ける程明は余裕あった国じゃない。
116世界@名無史さん:2008/04/10(木) 23:57:53 0
日本軍を軽激するにしても補給船伸びきった後に本土で迎え撃てばいい話だし
ちょろちょろした援軍で朝鮮領内で撃退できちゃった以上、日本人や朝鮮人より冷めた目で見ている中国人
の視点はある意味当然。中国人も、朝鮮征伐については、「朝鮮援兵」つう表題だし
117世界@名無史さん:2008/04/11(金) 00:55:24 0
>>114
明史
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%8F%B2

明史は24正史の中で最も正確性や公平性に定評がある。
これも研究者の評価は高いよ。

>当時の明が明史のとおり20万、30万動員できたということについては学説で相当に疑わしいということになる
具体的に今現在の研究者で誰がそう言ってるの?
118世界@名無史さん:2008/04/11(金) 00:57:33 0
>>115
余裕が無かったから、万暦の三大征の一つである援朝戦争で大軍を送って国が傾いてるな。
119世界@名無史さん:2008/04/11(金) 01:10:18 0
>>109
旧参謀本部の本なら手元にあるが、
B明・朝鮮軍の軍備 A明軍の章で明の軍制と兵備を詳細に分析した後
>万暦二十年、日本の文禄元年(一五九二)前後の明国軍の総兵数は、
定員の六分の一程度の約五十万人ぐらいであったと思われる。
そのうえ、国土はあまりに広いから、兵員を一カ所に集中すると言うこと
容易ではなく、さらに大陸内部や沿岸部の防備に、兵力の大部分を
必要とする状況であったから、この大陸で朝鮮に出かけていった兵は、
多くても十万を出ることはなかっただろう。
―同書P74

また同書P145のタイトルに「明、十万の大軍を送る」とあり
明の勅書を引用して
―朕(明王)は文武二大臣に命じて遼陽の精兵十万を送って助力するゆえ…
とある。

なにぶん大昔に読んだ本なので、どこか他の場所に四万八千て
書いてあるのかな?
120世界@名無史さん:2008/04/11(金) 01:55:35 0
明史は正史の中で評価が高いだけ
絶対と言われる程基準のあるものでもないね
研究者の評価が高いというのならその辺のソースも提示しなさい
「数字もいっぺんもあやまりもなく正確無比である」とい記述があれば
是非示してから、歴史板にくるといい

参謀本部の四万八千という数字は、はじめて日本が
ドイツ流の実証型の歴史考証に基づいたもので
戸籍、出納表、軍役帳から計算してそれなりに近似値を弾いている
当然、明史のことも研究している

朝鮮出兵に関して様々な研究がなされているがおよそ、
研究者の評価も高く、秀逸的な古典
欧米の学者もそのまま引用している位
文禄の10万というのは当然、誇張とされ
だいたいの研究は文禄四万八千とある

今もなお覆されていない数字なので、覆したければ
自分で研究すれば
ああ、参謀本部より資料と時間と労力かけてね
121世界@名無史さん:2008/04/11(金) 01:58:06 0
明史に10万とあるのくらい俺でも知っているし、参謀本部の研究家もよーく知っている
122世界@名無史さん:2008/04/11(金) 02:04:44 0
つーか。
明史の内容、まあ、中国の史書なんてどれも歴史小説と大して変わらんと
いうか。そんなものだから参謀本部が正しく実証的に研究してあげた訳

支那のお粗末な数字と、日本人の数字どちらかを信用するかと言ったら
日本人なら後者だろ??
それとも陸軍参謀本部は嫌い、捏造ばっかだとでもいうのかな

あーあ、わかった
どおりでしつこいとおもったら在日か

確かに在日も陸軍の資料全く無視しているからなww
123世界@名無史さん:2008/04/11(金) 02:21:16 0
とりあえずyahoo検索

「李如松」「430000」
21件ヒット

「李如松」「100000」
次の条件に一致する情報は見つかりませんでした。

43000派の勝ち!!
124123:2008/04/11(金) 02:22:17 0
430000>43000に訂正
125世界@名無史さん:2008/04/11(金) 07:24:08 O
>>123
だからなんなの?
126世界@名無史さん:2008/04/11(金) 07:56:52 O
>>116
はあ?
結局、明の朝廷は大騒ぎだったわけだが?
127世界@名無史さん:2008/04/11(金) 09:33:25 0

稲作が中国から直接日本に伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が既に弥生前期末には
伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から直接日本に伝来した事の証拠にはならないのである。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
128世界@名無史さん:2008/04/11(金) 11:21:14 0
>>116
いや、突然だったから大騒ぎした訳でそれだけじゃないの?
明の対応にしてみれば四万つー数字がどの程度の深刻さだったか表しているな
北京から遠い。遠方の出来事くらいの認識

清に山関関まで追いつめられてようやく10万だしてきた
あの辺のケツに火がついてたような本気ぷりが朝鮮援兵にはまだまだなかったのという感じ

文禄なんて、李如松の増援要請朝廷の方は宦官が拒否しているしね。
129世界@名無史さん:2008/04/11(金) 14:27:03 O
>>128
別に防衛のための明軍は朝鮮だけに展開しているわけじゃねーし。
日本軍だって動員の半数は戦闘員じゃねーし。
半端な数字を任意に切り取って牽強付会しても意味なし。
130世界@名無史さん:2008/04/11(金) 15:43:42 0
【歴史】朝鮮半島の分断は秀吉の侵略が源流[04/11]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1207894455/

Ω ΩΩ ナ…ナンダッテ-!
131世界@名無史さん:2008/04/12(土) 12:10:00 0
日本だって一正面に投入する軍勢は五万程度だろ?
何で比較するような振りして日明鮮で尺度を変える訳?
132世界@名無史さん:2008/04/12(土) 15:48:32 0
明は全軍で四万
133世界@名無史さん:2008/04/12(土) 16:00:05 0
清と秀吉じゃ地の利が比べ物にならない

日本が満州にあって、関所の向こうがすぐ明の首都ってなら話は別だろうがな。
134世界@名無史さん:2008/04/12(土) 16:11:32 0
そうだな。所詮明からしてみれば
遠くで倭軍がなにかやっているなという印象だろう

135世界@名無史さん:2008/04/12(土) 16:23:15 0
明王朝の本隊は、中国満州国境の山海関に駐屯してたので
朝鮮までは陸路ですぐだぞ。
136世界@名無史さん:2008/04/12(土) 17:14:03 0
だったらなおさら不利だろw
137世界@名無史さん:2008/04/12(土) 17:16:42 0
どっちに地の利があるかって話だな。

秀吉は朝鮮の抵抗を排除しながら朝鮮半島を北上するか、
海をわたって上陸して山海関までたどり着いてから交戦しなくてはならん。

しかも清の時は明は滅亡して山海関から首都まで大混乱
138世界@名無史さん:2008/04/12(土) 18:14:14 0
諸大名はハンニバルを見習え
139世界@名無史さん:2008/04/12(土) 22:55:57 0
>>120
>文禄の10万というのは当然、誇張とされ
だいたいの研究は文禄四万八千とある

いつの間にか「文禄の役」だけの話になってる……

いちおう言っとくが「旧参謀本部編 朝鮮の役」は
明・朝鮮側の史料は主に明史と朝鮮王朝実録だけみたい。
参謀本部だからといって、現地調査や本格的な軍事学考察はしていない。
だいたい監修者の一人が山岡荘八だぞw

>>24のリンク先にもあるように「旧参謀本部編 朝鮮の役」は
『逐日的な戦争の経過』としては参考にはなるが、学問的には古杉
140世界@名無史さん:2008/04/13(日) 02:20:16 0
もう43000でも10万でもどっちでもいいよ
諸説有りで

まあ、俺も明史10万はさすがにありえねえってことで43000だが
141世界@名無史さん:2008/04/13(日) 02:21:46 0
5万の明軍に粉砕された日本軍20万のヘタレっぷり
ぷぎゃーーーーー!!
142世界@名無史さん:2008/04/13(日) 02:22:31 0
>>139
支那人の杜撰な史書より
日本人の統計を信じるだけ

>参謀本部だからといって、現地調査や本格的な軍事学考察はしていない。
とりあえずソースね


143世界@名無史さん:2008/04/13(日) 02:50:27 0
結局これで明は滅んだから秀吉の勝ちだろ
144世界@名無史さん:2008/04/13(日) 02:54:05 0
明が滅んだのは、その後の皇帝の散財、粛清と、反乱に尽きると思う
どれか一つ欠けてればまだ明は相当維持できてたはずだし
朝鮮出兵がどこまで影響してたか不明

145世界@名無史さん:2008/04/13(日) 02:59:38 0
明の皇帝は総じて暗君暴君だが
末期は特にそれが際立ってたからな。
名君とはいわない。せめて劉禅くらい大人しい皇帝が輩出されてれば
明は滅んでなかったと思う。
146世界@名無史さん:2008/04/13(日) 11:28:29 0
>>142
>参謀本部だからといって、現地調査や本格的な軍事学考察はしていない。
とりあえずソースね

ソース
1995年2月15日初刷 徳間文庫「旧参謀本部編纂 日本の戦史 朝鮮の役 」
桑田忠親、山岡荘八監修
初版は1965年徳間書店より刊行

買って読んだのをすっかり忘れていて、こないだ本棚を整理してたら
ヒヨッコと出て来たw

両軍の兵器や兵站について書いてあるのは参謀本部らしいとも言えるが
この戦い、兵器や兵站抜きで語れないところを考えれば当たり前といえば当たり前だし。
「忠荘公鄭撥戦亡碑」「再造藩邦志」「イ昌義使金公碑」「両朝平壌録」とか
珍しい史料も出てるな。
147世界@名無史さん:2008/04/13(日) 21:43:23 0
秀吉による朝鮮征伐の軍事分析PartX
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1203686918/904
904 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2008/04/13(日) 21:29:48 ID:aUmyu9K8
>>903
世界史板で明の動員数が多い少ないと数字を取り上げて不毛な議論をやっているが明と朝鮮の陸軍は不活発だね。
148世界@名無史さん:2008/04/14(月) 06:41:31 0
動員数の根拠が怪しくなってきたんで、不毛だと言い出したのかな?
149世界@名無史さん:2008/04/14(月) 06:56:48 O
不詳を知らねば度し難し。
150世界@名無史さん:2008/04/14(月) 07:08:26 O
詳しく書かれた本ってあります?
朝鮮軍の30万とか信じられない
151世界@名無史さん:2008/04/14(月) 07:37:04 0
不知と言いたかったのかい。
152世界@名無史さん:2008/04/14(月) 08:21:00 O
>>149-150は別人だよ
朝鮮の役何にも知らなくてね
153世界@名無史さん:2008/04/14(月) 09:14:51 O
>>151
不詳だろ?
書いてあることが理解できないのか?
154明水軍はいつ来たの?:2008/04/14(月) 09:32:34 O
>>116
902 名無し三等兵 sage 2008/04/13(日) 21:12:35 ID:???
大勝だとか違う負けだとか言われている鳴梁海戦の後に朝鮮の前線の押し出しは停滞していたの?

http://plaza.rakuten.co.jp/1592to1598/diary/200804110000/
それより注目すべきところは、海戦のあった海域です。
折爾島が居金島だとすれば、古今島のすぐ東方、日本軍最左翼である順天倭城からはかなり西方であり、前述の「乱中雑録」記述とも重ね合わせれば、海岸沿いの明鮮水軍の前線が1597年末から全然前進していないことになります。
155世界@名無史さん:2008/04/14(月) 09:34:17 O
>>151
156世界@名無史さん:2008/04/14(月) 13:35:25 O
>>154
明水軍が実戦に参加したのは1598年になってから。
157世界@名無史さん:2008/04/14(月) 13:44:31 0
船すらもってなかったんで急ピッチで水軍作ったらしいな
それまでは朝鮮兵に訓練させたり、技術おしえたりれしている程度に留まる
158世界@名無史さん:2008/04/14(月) 14:01:58 0
しかし、戦略無し、状況判断なし、
スペックだけで戦争の勝敗が決まると思ってる馬鹿はいつの時代にもいるな。
こういうオタが戦艦大和とか作ったんだろうな。
159世界@名無史さん:2008/04/14(月) 14:04:10 O
>>157
朝鮮水軍より強力な戚継光以来の対倭寇水軍は持ってた。
回航するのが遅かっただけ。
160世界@名無史さん:2008/04/14(月) 14:33:18 0
>>159
それってかなり旧型だったらあんまりつかえんかったらしいぞ
161世界@名無史さん:2008/04/14(月) 15:55:57 0
>>159
朝鮮水軍の明水軍に対する評価は陸軍と違って冴えないものだけどな

曰く、大砲の搭載数が少なく兵員数も少ないから火力が足りない。
船が小さいから日本水軍に簡単に乗り込まれて全滅。
朝鮮水軍よりは白兵戦に強いが日本水軍に圧倒されるレベルという
点では同じだから意味なし。

まあ、遠海での運用となれば明水軍にも利点はあるだろうが
近海での海戦がもっぱらだった慶長の役では活躍の場がなかったらしい

順天倭城を攻めた時に明と朝鮮の軍船が数隻、城の手前で引き潮にひっかかって
座礁したことがあるんだが朝鮮水軍の軍船は城から徒歩で出撃した日本軍に対して
必死に防戦して持ちこたえ満潮が来たところで脱出に成功したが、明軍の軍船は
持ちこたえられずに乗り込まれて全て焼き討ちされ水軍兵士も皆殺しにされるという
出来事があったよ。
162世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:02:56 0
>>161
鳴梁海戦では明海軍に惨敗されてますが
後明軍のジャンクは和船より大きいソ

ジャンクに突っ込まれると簡単に穴が空いて沈没なんてざらだったくら和船は脆く小さく弱かった
まあ、停泊中に奇襲とかそういった場面ならまあまあジャンクと闘えたみたいだがな
163世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:04:49 0
海上では確かに倭軍が勝った言う話は聞かないね
164世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:07:40 0

>後明軍のジャンクは和船より大きい

>ジャンクに突っ込まれると簡単に穴が空いて沈没なんてざらだったくら和船は脆く小さく弱かった

嘘つくなよ。ソース。ジャンクって小さい小型船だろ。安宅船の方が大きいよ。
165世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:22:33 0
>>160
「朝鮮水軍の明水軍に対する評価は陸軍と違って冴えないものだけどな」
のソースキボン。
166世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:26:53 0
>>165
遠海で海戦とか大砲で勝負付けるとか阿呆なことを言う可哀想な子なので無視が吉。
日本、明、朝鮮、みんな海岸沿いで戦うのが関の山の水軍で戦っていた。

秀吉による朝鮮征伐の軍事分析PartX
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1203686918/903
903 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/04/13(日) 21:16:20 ID:???
当時のアジアの海軍は、沿岸水軍同然ですよ
陸と歩調を合わせないとどうにもなりません
この辺りの事情は日本側も同じ
167世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:28:57 0
明マンセーも遠海で海戦云々や大砲で決着付ける、とか言ってたな。
168世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:34:19 0
>>162←こいつも馬鹿?
169世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:37:34 0
>>1668
いや事実
170世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:42:50 0
>>164

日本丸(朝鮮役時の安宅船)
■■■ ←「船長十八間(約32m)、幅六間(約11m)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/

16〜17C頃の軍用ジャンク
■■■■■■
■■■■■■
■■■■■■← (Six-masted junks, about 220 feet long and 83 feet wide). 
       (長さ70m、横30mくらい)

http://en.wikipedia.org/wiki/Junk_%28ship%29


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%AE%85%E8%88%B9
当時の和船に共通する構造上の特徴として、
西洋や中国の船のように骨格としての竜骨を持たない点が挙げられる(準構造船)。
したがって軍用船としては強度的に劣り、朝鮮の役においては竜骨を持つ
中国軍船の体当たりにより舷側を突き破られるという事例が頻出したようである

ちなみにガレオンなんてジャンクより大きいぞww
当時の安宅船なんて小型小型
はなしにならんよ
171世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:46:07 0
>朝鮮の役においては竜骨を持つ中国軍船の体当たりにより
>舷側を突き破られるという事例が頻出したようである。

と、書いてはいるものの
例によって元史料の明示は無いんだな。
172世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:47:32 0
何にも資料を出してこないで明軍水軍弱い。船小さいと平然と嘘つくよりマシかと
173世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:49:53 0
資料と史料の区別は付けたほうが良いよ。
174164:2008/04/14(月) 22:55:14 0
>>170
ん〜。しかし書いてある内容は事実のようだ。疑ってごめん。
一応信じるよ。ありがとう
175世界@名無史さん:2008/04/14(月) 23:05:55 0
日本丸(朝鮮役時の安宅船)
■■■ ←「船長十八間(約32m)、幅六間(約11m)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%AE%85%E8%88%B9

16〜17C頃の軍用ジャンク
■■■■■■
■■■■■■
■■■■■■ ← (Six-masted junks, about 220 feet long and 83 feet wide). 
        (長さ70m、横30mくらい)
http://en.wikipedia.org/wiki/Junk_%28ship%29


Panokseon(朝鮮船)
■■■■
■■■■ ←70 feet in length version to a large 100 to 120 feet in length vessel
        (長さ40m、横20mくらい)


イメージわくように大きさをまとめてみた
176世界@名無史さん:2008/04/14(月) 23:07:10 0
http://en.wikipedia.org/wiki/Panokseon
Panokseon(朝鮮船)

はこちら


亀は出すものではないと思ったので割愛
177世界@名無史さん:2008/04/14(月) 23:08:51 0
なんで和船は脆く小さく弱かったんだろう??
178世界@名無史さん:2008/04/14(月) 23:12:15 0
>>177
戦国時代すらまともに水軍もってなくて、ろくに技術もなかった貧乏国が
突然ジャンク以上の船作れるわけないだろ。

明は鄭和の技術が衰退したとはいえ、大河で使うから造船技術そのものは高いし
日本より経済力があるのだから、大きさが全然違うのは当然。

第一明軍は当時最強だった欧州の艦隊と海上でガチで闘ってそれを破っているわけだかにね
179世界@名無史さん:2008/04/15(火) 00:04:40 0
王朝実録見てたけど面白いもん見つけた

○董提督揭帖:
昨藉威庇, 得破望晉山、泗川諸寨, 繼攻沈安道, 不期各寨餘孽, 盡投歸倂, 而水陸援倭皆至。
雖然四集我兵, 力攻已有成效, 可期結局矣, 不意天不從人, 我兵砲藥, 一簍火發, 躱焰一閃,
而倭卽乘烟突出, 混戰良久, 彼此皆有損傷。 暫退息兵, 以圖再擧。
【泗川之敗, 提督之軍, 過半致死, 資糧、器械, 盡爲賊有, 提督僅以身免, 今乃曰彼此皆有損傷云,
則其虛張誇誕之習, 至此可見。】

明軍の董提督が朝鮮王室に泗川の島津軍を攻撃したことを報告しているが
双方に損失があって兵を引いて再び機会を伺っていると被害を隠しているのに対して
その場で記録している史官は、提督が兵力の過半を失い命辛々に逃げ延びたのを知っているのに
嘘ばかりついていると批判する文句を残している。

ちなみに明軍の将軍たちは一応、朝鮮国王に作戦結果の報告はするけど
朝鮮国王は彼らの作戦に口を出すとか不味い軍隊運用があっても叱咤することは
できなかった。

何しろ、天子の命令で派遣された「天軍」だからね。

180世界@名無史さん:2008/04/15(火) 02:22:03 0
明がいつどこで欧州の海軍と戦ったんだ。脳内か?
181世界@名無史さん:2008/04/15(火) 02:45:17 0
>>180
お前学問板こないでよ
182世界@名無史さん:2008/04/15(火) 03:02:31 0
まあ、鄭成功は支那というより台湾の英雄だからな。だからこそ叩けないが
とはいえ当時、アジアで唯一当時欧州艦隊を敗れた実績をもつのは明だけだというのは一応事実。
日本やオスマンの船じゃ海上ではおそらく一方的に嬲られてただろうし。
183世界@名無史さん:2008/04/15(火) 03:07:04 0
和船じゃ、ガレオン2隻撃沈は絶対不可能
184世界@名無史さん:2008/04/15(火) 03:08:44 0
>>183
和船遅いし、小さいし、しかも大砲なしだと。
ガレオンに触る事なく全部沈められるだろうね

接近してもよし登るのが大変そうw
185世界@名無史さん:2008/04/15(火) 04:44:32 0
当時の船は海域によって活用が変わるから船の大きさはあんまり関係ない
元が大型船で来たけど日本の小船で夜襲され切り込まれたり
ガレオン船は遠洋航海として優れてるわけで
186世界@名無史さん:2008/04/15(火) 04:51:33 0
こういう机上のスペックだけ見るアフォが戦艦大和とか作ったんだろうなと思う
187世界@名無史さん:2008/04/15(火) 05:01:26 0
でもトルコ船は一方的だったがな
欧州船に和船が勝つなんてありえない。
188世界@名無史さん:2008/04/15(火) 05:10:24 0
>>185

元の場合は「夜襲」だろ? うらをかえせば夜できゃ登れないという事
沖合で
小舟程度で西洋船と艦隊決戦なんてされたら話にならない
189世界@名無史さん:2008/04/15(火) 05:11:35 0
和船でガレオン勝つニダww
190世界@名無史さん:2008/04/15(火) 05:17:14 0
>>186
戦艦大和は航空機の集団運用で負けただけであって
艦隊戦でまけたわけではないし。
ガレオンは遠洋航海でもあるけど、それよりも性質的には戦闘用の「戦艦」ともいえる

陸で闘うなら停泊中に襲うなどの手段は有ると思うけど
沖合だったらまるで話にならないと思うよ。接近すら出来るか怪しい
191世界@名無史さん:2008/04/15(火) 05:29:32 0
ローマがイギリスを侵略した時も、イギリスは大型の遠洋船でローマは小回りが利く船で圧倒してる
シャムで活躍した日本人庸兵なんかもスペイン船だか小船で切り込み沈めてる
ガレオン船のような大型船自体は政宗もスペインに使節を送るとき作ってる
192世界@名無史さん:2008/04/15(火) 07:22:10 O
その軍用ジャンクが日本水軍と戦った事例史料の提示希望。
明が朝鮮役で使っていた虎船や彪船ってジャンクなんですか?
適当な嘘吐いて誤魔化すなや。
193世界@名無史さん:2008/04/15(火) 07:26:44 O
ガレオン船なんかイギリスにフルボッコされてるじゃん
194世界@名無史さん:2008/04/15(火) 09:18:52 O
>>192
訂正、沙船や號船。
195世界@名無史さん:2008/04/15(火) 10:06:32 O
戦列艦までいけば火力重視だがガレオン船はまだまだ白兵戦
196世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:05:28 0
>>193

あれは火船突撃という奇襲がきまっただけだけど

ガレオンに倭冦がほとんど手を出せなかったのは事実だからな
197世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:11:49 0
>>192
ジャンクも数隻入ってたようだ
wikiを見る限り、ジャンクの沈没はみえないな(見落としあったらごめん)
当然、全部ジャンクなはずはない。
それは全船日本も安宅でないのと同じ。
旗艦クラスの比較ナだけだよ
198世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:18:33 0
見た感じ、日本の和船では
とても西洋船に勝てると思えない


秀吉が朝鮮から唐入りしたさいに一番不毛な地である朝鮮ルートをとおったのも
海での決戦に自信がなかったから
台湾からマニラに進出するルートの方が合理的なはずだが
沖合でオランダ船とガチなんてとんでもないと考えた
だから朝鮮ルートだった。

つまり逃げの戦略
199世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:18:40 O
朝鮮での戦闘に参加した日本、明、朝鮮の船は水密技術も運動性能も低いので「撞破」とか朝鮮人が気取って記録しても体当たりを敢行すれば双方沈没w

大砲も照準できないし、次発装填に時間が掛かるので決め手にならない。
ネルソンの時代になってさえ大砲で止めを刺すのは難しく、マストに狙撃兵を乗せて直接船員を狙ったり、接舷して海兵隊が敵船を制圧していた。

実際に朝鮮役では、どの陣営もやられたほうの記録では、焼き討ち放火されるか、乗り込まれて制圧されるかで決着がついている。
捕獲が多いのはこのため。
200世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:22:18 O
>>197
だからいつのどこに、どんなジャンク船が投入されたのかソース出せよ。
201世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:23:56 O
基本は手漕ぎレベルの船が戦っていた戦争に何言ってんだ?
202世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:30:56 0
>>200
英wikiの海戦みりゃわかるじゃん
まあ、どうせ英語読めないだけだろうが
英wikiはなんとかかんとか屁理屈つけるんだろうがね
203世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:33:18 0
>>198
だよな。朝鮮なんていかず
台湾→マニラで海洋国家戦術が妥当なのに
それをとれなかったのは西洋船を見てガクブルだったからだよな

実際、明はおろか。朝鮮の中型船にまけているんじゃはなしになんね
204世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:35:20 O
>>202
誰でも編集できるwikiはソースにならねえんだよ。
で、ご自慢の英wikiを読解しても君の脳内信仰以上の根拠に遡れないノーソースなんだろ?
205世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:36:59 O
>>197
嘘を流布するなよ。迷惑な野郎だ。
206世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:39:57 O
>>202
英語でも日本語でも中文でもハングルでも、何語で表現してあっても史料にないってのは妄想だわなあ。
207世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:53:25 0
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Noryang_Point

-ほらここのページ

明のジャンク六隻


あとめんどうだからwikiをだすだけで


言うまでもなく
同じように明のジャンクについては参謀本部の「戦史朝鮮役」にくわしい
資料の出典元は示した。あとは個人で調べてね
資料の出典先からくわしくあるはず

英wikiも参謀本部の丸写しだから
そっちみたほうがはやい
208世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:55:24 0
すごいよな。自分の主張にそぐわなければ
参謀本部の研究すら否定して、支那コロやチョンの歴史小説を資料というだもん
おどろきだよ
209世界@名無史さん:2008/04/15(火) 15:09:23 0
レパント以降、アジアの船が西洋船を破ったのは
明だけじゃないの? もちろん近代以前の話だが
210世界@名無史さん:2008/04/15(火) 15:14:04 0
>ローマがイギリスを侵略した時も、イギリスは大型の遠洋船でローマは小回りが利く船で圧倒してる
当時のイギリス船が大型とはな。もっと調べてから書き込め
>シャムで活躍した日本人庸兵なんかもスペイン船だか小船で切り込み沈めてる
この資料あんまり詳しくかいてないよね。沖合決戦だったのか、単にスペインがチョコチョコ上陸してきたのを
撃退しただけか、なによりスペインの船がガレオンだったのかもよくわからない。

>ガレオン船のような大型船自体は政宗もスペインに使節を送るとき作ってる
時代が違う。確かに江戸初期はまあまあいい船作るようなってきたが
朝鮮出兵は小型(日本にしては弩級大型)の日本丸
211世界@名無史さん:2008/04/15(火) 20:09:46 O
明マンセーか英ウィキマンセーか知らないけど、明水軍がどこで日本水軍と戦ったのかも分かってないんじゃあ・・・
212世界@名無史さん:2008/04/15(火) 20:12:27 0

朝鮮総連を日本の法律で裁くべきではない!




http://society6.2ch.net/test/read.cgi/court/1208202047/l50


朝鮮総連を日本の法律で裁くべきではない!




http://society6.2ch.net/test/read.cgi/court/1208202047/l50

213世界@名無史さん:2008/04/15(火) 20:50:05 O
数字が書いてあるだけじゃん。
史料批判以前の根拠失格。
214世界@名無史さん:2008/04/15(火) 23:53:57 0
でも、参謀本部のみろとはいっている
学問板だからあとは個人で調べる心意気も必要ではないか
皆、暇人ばかりではないよ
215世界@名無史さん:2008/04/16(水) 04:34:34 0
>>209
大艦隊を率いて、フォート・ジーザス海上要塞などインド洋の
ポルトガル要塞を片っ端から攻略していったオマーンが有名。

それから、レパントの海戦以降オスマン・トルコ海軍がダメになったわけでなく
それ以降も東地中海、黒海、紅海を西洋列強と争いながら支配しじ続けている。
ダメになってくるのは19世紀ナヴァリノ海戦以降。

もともと三角帆による風上への切りあがり、羅針盤、火砲もアラブから
ヨーロッパにもたらされた物でイスラムの艦隊自体は弱くはなかった。
ヨーロッパの艦隊が圧倒的に優位になるのは蒸気船が発明されてから。
216世界@名無史さん:2008/04/16(水) 05:00:23 0
オーマンは西洋船使って勝ったんだけどね
正確には
217世界@名無史さん:2008/04/16(水) 05:06:33 0
レパントでの負けがあまりにも一方的だったので
海軍を再編成した後もオスマンは西洋には海戦で勝てないと認識してたよ
西洋としてみれば地中海東にオスマンを封じ込めてしまえばもんだいなしなわけで
レパント以降のイスラムは実質的に終わり

オーマンに関しては奪った西洋船をつかっただけ

そういう意味じゃ鄭成功のみが西洋との海戦で唯一の例外
218世界@名無史さん:2008/04/16(水) 05:31:38 0
薩英戦争で薩摩が英国艦隊沈没させてるやん
219世界@名無史さん:2008/04/16(水) 08:07:39 O
船は結構もろい
旅順艦隊も地上からの砲撃に沈んだし
ましてや木造帆船
嵐や時化でどんだけ沈んだことか
220世界@名無史さん:2008/04/16(水) 09:09:52 0
鄭成功は明軍じゃないし、東インド会社は海軍じゃないだろ。
221世界@名無史さん:2008/04/16(水) 09:11:44 0
フィリピンもスペイン海軍を全滅させたな。w

世界一周を阻止したのはフィリピン軍
222世界@名無史さん:2008/04/16(水) 09:16:28 O
参謀本部本で史料批判されてないからダメダメ。
そっから先の軍用ジャンクが参戦したとかの妄想は宗教にすぎない。
223世界@名無史さん:2008/04/16(水) 12:58:04 0
しっかりしているだろ。
明史信望者と違って明史のおかしいところをきっちり修正している

224世界@名無史さん:2008/04/16(水) 13:24:36 0
>>218
あれって艦隊決戦だっけ?
薩摩の海軍は速攻潰されたな

>>220
パタピアに戦艦数隻含む数十隻の海軍持ってたぞ
多分、明を除けばアジア一。
ちなみにどういった戦況だったかは台湾に友人がいればぜひとも聞いてほしい

台湾の勝利は
オランダ艦隊と海上で戦い戦艦二隻沈没させた上で
長期的な海上封鎖による兵糧攻め
ということで、遠洋航海の技術もさることながら、長期的に制海権をとり続ける
船の性能が必要な訳で、多分和船では無理な芸当だった。

日本軍が台湾にしか出下等
そもそも海上封鎖以前に、海上で勝負ついているだろうけどね
それがわかっていた秀吉は朝鮮に行く事になる
まあ、誇張はあるだろうがww
225世界@名無史さん:2008/04/16(水) 21:45:57 0
朝鮮ルートは北京に近かったから。
朝鮮が道案内することになってたんだから、目標はすぐそこだろ。
226世界@名無史さん:2008/04/18(金) 12:06:45 0
戦力は距離の二乗に反比例する

石原莞爾

戦場が遠ければ遠い程劇的に不利になる


227世界@名無史さん:2008/04/26(土) 13:55:24 0
日本の戦死者は九割餓死病死と聞いたが、
明もそう?
228世界@名無史さん:2008/05/04(日) 05:11:54 O
>>142
普通旧参謀本部日本戦史朝鮮役と言ったら徳間の古本屋で350円の本じゃなくて、明治時代の方なのなw
229世界@名無史さん:2008/05/04(日) 05:21:56 O
徳間のは捨てていいかもしれん
あれを旧参謀本部日本戦史とか言わない方がいい
ただの恥晒しだし、ハッキリ言ってお里が知れる
徳間の日本戦史というならともかく
古本屋で17000ぐらいで売ってるが、国会図書館のHPで検索したらタダで読める
今でも役に立つ本ではあるけど、新しい本を読まないとダメだな
230世界@名無史さん:2008/05/04(日) 13:41:43 O
>>229
内容的にどんだけ違うの?
231世界@名無史さん:2008/05/05(月) 02:54:06 O
>>230
どんだけ違うかはここで朝鮮役って検索して読んでくれ

ttp://kindai.ndl.go.jp/

明治と思ってたが大正みたいだな
他と勘違いしてたわ
232世界@名無史さん:2008/05/09(金) 21:12:35 0
233世界@名無史さん:2008/05/10(土) 02:00:29 0
ただwikiみりゃわかるとおり現実はどの書物も数字に関しては
陸軍参謀本部戦史そのまま引用なんだよね
数字に疑問がなげかけられたという話も聞かない

それどころか明のしょぼい支配力や人口把握力も考えるともっと少なかった家もとい意見すらあるし

日本軍14万死亡は異論無さそうだけどね
裏を返せば日本の領国把握はすばらしかったといえなくねないが
234世界@名無史さん:2008/05/10(土) 04:23:38 0
14万も死ぬはずねーだろ
当時は兵農分離が進んでて百姓軍や奴隷軍のように都合よく徴兵できない
100万石でも2万〜3万の兵を雇えるのがやっとで、14万の武士を損失と言ったら日本の武士の3分の1近く死んだという事になる
235世界@名無史さん:2008/05/10(土) 08:24:28 0
英wikiは鵜呑みにしてるだけだし、日wikiの記述が変えられたのもつい最近の話だけどな。
236世界@名無史さん:2008/05/10(土) 11:30:38 0
14万はあり得んわな。
そんなに死んだら慶長の役の二年後に関が原なんてできるわけないし、
武将も大勢討ち死にしてなければ整合性がたたん。
237世界@名無史さん:2008/05/10(土) 12:39:02 0
417 :世界@名無史さん:2008/02/14(木) 10:12:15 0
日本などすぐにひとひねりだと豪語した李如松が明軍来援したのは
1593年の正月
そこから各地で日本軍は敗戦を重ねて1593年 3月
漢城付近まで追いつめられる

漢城で連署された報告書には
小西・宗 18700→6692人
加藤   10000→6629人
鍋島   12000→7644人
大友   6000→2052人


文禄で初期の動員20万から半数60%死亡って目付の報告資料があるから
日本軍の犠牲だけは当面不動な気もする
238世界@名無史さん:2008/05/10(土) 12:49:31 0
>>236
いや、やっぱり西軍大名の兵力目減りは隠せないよ。痛々しい程
朝鮮役で軽く何十万動員して、当時あれだけ栄えていた西国大名が
関ヶ原では各々数千動員が線税。

大名はともかく家臣クラスの病死や討ち死も結構多いよ。

そういえばロシア戦役も何十万動員して、帰ってこれたの僅か数千って惨敗だったが
ナポレオン以下、将校に関していえばほとんど生還で、討ち死に関してはまるで皆無だったな
239世界@名無史さん:2008/05/10(土) 12:51:33 0
明智光秀は晩年1万石で6百人動員を主張しているし、耳川の合戦(1578年)
では島津家だけで4万〜5万も兵を出してる。
それぞれの大名の事情によるが、無理をかければ人口の1割近くは動員可能
240世界@名無史さん:2008/05/10(土) 12:59:22 0
裸足、草履の無謀な装備で冬の満州まで到達した上で冬の敗走だからね。
むしろ半分の犠牲で済んだのは少なかった方と見るべきかもしれない。
241世界@名無史さん:2008/05/10(土) 13:17:59 0
明軍ってそんなに強かったのか。驚き。
いや、むしろ日本が弱かったのか?
戦国時代で鍛えに鍛えられたといっても、所詮は辺境の小島で
内乱してただけの田舎戦士って事か・・・。
しかし、日本軍を圧倒した強い明を打ち破った清は更に精強だと言う事になるな。
そしてその清に完勝した明治日本軍は更に上と。
やはり旧日本軍最強。
242世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:10:53 0
>>239
無理をかければって、武士は大名が主君といって勝手に徴兵できる制度じゃなく
あくまでも相互の契約関係で成り立ってる、主が無能なら見限ってもいいのが当時の時代

>>238
西国諸藩はにらみ合いで牽制しあってたからで清正も九州で待機だっただけ
ナポレオンはロシアでの大敗でナポレオンの時代が終わったが、朝鮮との戦いの厭戦気分はあっても豊臣政権は全然ピンピンしてる
243世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:13:06 0
結局、家康を朝鮮に送れなかった時点で、豊臣政権の命運は尽きていた。
結果論だが。
244世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:19:57 0
>>242 意味がわからない!
あくまでも関が原での動員力の参考に行っているんだ。
つまり動員兵力を軽々しく100万石でも2万〜3万と決め付けるな
という意味でいったんだ!
245世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:27:03 0
340 :公共放送名無しさん:2008/05/10(土) 14:15:38.47 ID:HB0Bs+O0
大河ドラマ「森脇健児」

森脇健児:北村一輝
山田雅人:堤真一
森口博子:黒木瞳
中山秀征:佐藤浩市
ヒロミ:宇崎竜童
中居正広:中村勘三郎
木村拓哉:北大路欣也   ・・・
246世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:44:31 0
340 :公共放送名無しさん:2008/05/10(土) 14:15:38.47 ID:HB0Bs+O0
大河ドラマ「森脇健児」

森脇健児:北村一輝
山田雅人:堤真一
森口博子:黒木瞳
中山秀征:佐藤浩市
ヒロミ:宇崎竜童
中居正広:中村勘三郎
木村拓哉:北大路欣也   ・・・
247世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:45:53 0
>>244
100万石で2万〜3万は定説でしょ、当時の兵隊は給料で雇う形式なんだから無料で兵になれなんてできないし

関ヶ原で九州勢が中央に多くを動員できなかったのは九州の情勢の為で
島津は中央に1000人程度しか送ってないが九州では黒田と抗戦してる
248世界@名無史さん:2008/05/10(土) 15:37:02 0
当時の日本には兵を給料で雇う方法は決してポピュラーなものじゃ
ないだろ!
まだまだ当時は租庸調の伝統による労役(庸)としても性格も強かった
故に、城普請に人足を動員するのも合戦に兵士を動員するのも同じよう
に考えられていただろう。
例えば秀吉は征明の為に33万の兵を動員したといわれているが、
(内訳:朝鮮出兵に20万、名護屋城周辺に10万、京・大阪に3万)
それと同時期に大阪城の第3期工事(総構え)を始めているし、
また1594年1月から伏見築城工事も一説には25万もの人足を動員
している。
また、文禄検地では多くの大名領において田畑の測量に多くの人足
を動員しているので、当時日本の人口(1200万±200万)においては
相当多くの動員(たぶん5〜6%)している。

249世界@名無史さん:2008/05/10(土) 15:37:31 0
当時の日本には兵を給料で雇う方法は決してポピュラーなものじゃ
ないだろ!
まだまだ当時は租庸調の伝統による労役(庸)としても性格も強かった
故に、城普請に人足を動員するのも合戦に兵士を動員するのも同じよう
に考えられていただろう。
例えば秀吉は征明の為に33万の兵を動員したといわれているが、
(内訳:朝鮮出兵に20万、名護屋城周辺に10万、京・大阪に3万)
それと同時期に大阪城の第3期工事(総構え)を始めているし、
また1594年1月から伏見築城工事も一説には25万もの人足を動員
している。
また、文禄検地では多くの大名領において田畑の測量に多くの人足
を動員しているので、当時日本の人口(1200万±200万)においては
相当多くの動員(たぶん5〜6%)している。

250世界@名無史さん:2008/05/10(土) 15:37:52 0
当時の日本には兵を給料で雇う方法は決してポピュラーなものじゃ
ないだろ!
まだまだ当時は租庸調の伝統による労役(庸)としても性格も強かった
故に、城普請に人足を動員するのも合戦に兵士を動員するのも同じよう
に考えられていただろう。
例えば秀吉は征明の為に33万の兵を動員したといわれているが、
(内訳:朝鮮出兵に20万、名護屋城周辺に10万、京・大阪に3万)
それと同時期に大阪城の第3期工事(総構え)を始めているし、
また1594年1月から伏見築城工事も一説には25万もの人足を動員
している。
また、文禄検地では多くの大名領において田畑の測量に多くの人足
を動員しているので、当時日本の人口(1200万±200万)においては
相当多くの動員(たぶん5〜6%)している。

251世界@名無史さん:2008/05/10(土) 15:38:18 0
当時の日本には兵を給料で雇う方法は決してポピュラーなものじゃ
ないだろ!
まだまだ当時は租庸調の伝統による労役(庸)としても性格も強かった
故に、城普請に人足を動員するのも合戦に兵士を動員するのも同じよう
に考えられていただろう。
例えば秀吉は征明の為に33万の兵を動員したといわれているが、
(内訳:朝鮮出兵に20万、名護屋城周辺に10万、京・大阪に3万)
それと同時期に大阪城の第3期工事(総構え)を始めているし、
また1594年1月から伏見築城工事も一説には25万もの人足を動員
している。
また、文禄検地では多くの大名領において田畑の測量に多くの人足
を動員しているので、当時日本の人口(1200万±200万)においては
相当多くの動員(たぶん5〜6%)している。

252世界@名無史さん:2008/05/10(土) 18:07:22 0
>>237
その消耗は脱走兵とかも含んでいるでしょう。
14万戦死は全くありえないよ。
まあ、被害が大きいってことに違いはないわけだが。
253世界@名無史さん:2008/05/10(土) 19:08:19 0
降倭って有名だもんな。
降伏、脱走、病死、戦死、飢え死に、凍死、全てひっくるめての数字だろ。
北朝鮮の冬は満州よりも冷えるというし、西国武将には厳しい土地だったんだろうな。
254世界@名無史さん:2008/05/10(土) 22:26:35 0
>>252
日本国内でならともかく敵地で脱走or本隊からはぐれた場合
よほど敵地の治安ーが良くない限り助からないよ

ナポレオンのロシア遠征で
30万の軍隊が数千になってパリ戻った時
もちろんその中で、本隊見限って脱走した兵も沢山居たが
ほとんど生きて帰れなかった。

本隊からはぐれた兵の殆どは、怒り狂った農民やコサックに殺され、あるいはロシア軍の残党狩りで
捕らえられるか殺されるかして、脱走兵はほとんど故郷の土を再び踏む事は無かった。

朝鮮には義兵なんつー
盗賊まがいの集団がゴロゴロしてた以上、ロシアのそれより状況が不味かったかもしれない
本隊からはぐれた兵の生還は絶望的だよ
255世界@名無史さん:2008/05/10(土) 22:36:16 0
>>247
黒田は農民や浮浪者をかき集めて九州の空城落としまくったんだよ
つまり関ヶ原の数千が西国の全力
島津だけは内部分裂とかもあって義宏500以外は本国にいたお陰で唯一対抗できた勢力だったけどな
256世界@名無史さん:2008/05/10(土) 23:29:52 0
>>254
降倭ってのは結構有名でそれなりの数いたはずだが。
それに、もし逃亡兵の多くも死んでいたとしても14万は無理。
出兵した全兵力とほとんど等しいのだから、>>237をそのまま参考にしても、
むしろそれは1死者は14万までは行かなかったという根拠になる。
257世界@名無史さん:2008/05/11(日) 00:21:25 0
文録 20万
慶長 12万だっけ


半数で軽く18万だよな
つーか世界的にも高く信用されている日本の資料を信用しないやつが一人だけ居るな
258世界@名無史さん:2008/05/11(日) 00:31:30 0
文禄は23万動員
慶長は14万動員

文禄で半分死亡
慶長で数万死亡

でも余裕で14万いくな

まあ、ナポレオンよりは頑張った方か?
惨敗には変わらんけど
259世界@名無史さん:2008/05/11(日) 00:41:52 0
ナポレオンと秀吉如きを一緒にするのも失礼と思うね
一時期とはいえヨーロッパ最強(=世界最強)の皇帝だった訳だし
260世界@名無史さん:2008/05/11(日) 00:52:22 0
>>242
豊臣政権は明や朝鮮よりあっさり滅んだろ
明なんか朝鮮出兵あってもなくても大した滅亡の要因になってないし
李朝に至ってはその後300年も存続している
261世界@名無史さん:2008/05/11(日) 01:23:44 0
明滅ぼしたの秀吉じゃなくって李自成だしな
262世界@名無史さん:2008/05/11(日) 02:23:34 0
故論考謂 明之亡實亡於神宗
「明史・神宗本紀」

論者謂明之亡 不亡於崇禎而亡於萬暦
趙翼「廿二史札記・万暦中礦税之害」
263世界@名無史さん:2008/05/11(日) 02:39:42 0
万歴に滅ぶとはよく言うがその後の万歴帝の散財や部下の粛清、反乱、裏切り、無能君主の連発など
諸々の悪い点が一気に噴出したな

万歴程の娘の一人の結婚式の費用は朝鮮出兵の予算の1/30だそうだ
娘一人の結婚式の30回分くらいのレベルだったのかもな

明が滅んだのは、朝鮮出兵より、その後の不始末、エラーだろう
せめて皇帝に一人でも、凡君クラスが排出されていれば滅亡は免れたかもしれない
264世界@名無史さん:2008/05/11(日) 02:51:30 0
豊臣政権は朝鮮出兵が原因で滅んだというのは時期を考えればそれなりに根拠があるが
明の方は大分時期もたっているし、せいぜい遠因程度では?
万暦で決定的に傾いたのは否定しないが、外圧というより散財、放蕩の万暦帝の自滅だし
それにやっぱり功臣袁崇煥を凌遅刑にしたり、部下粛清しまくった崇禎帝もね。
纏まって戦っていれば、傾いた状態でもあの当時なら清を撃退する事は出来ただろう
265世界@名無史さん:2008/05/11(日) 03:09:55 0
日本軍14万も死ねば国が傾くのはむしろ当然だよ
明軍僅か3万じゃさすがに滅ばないよ
もっと被害受けても300念続くチョンみたいな事例もあるから長く続くのがいいこととは思わんがね
266世界@名無史さん:2008/05/11(日) 03:11:53 0
14万脂肪(藁
267世界@名無史さん:2008/05/11(日) 10:31:46 0
豊臣が滅んだのは家康が居て豊臣には跡継ぎが居なかったからで明は関係ないよ
関ヶ原でも兵力じゃ西軍がうわまっわているし、金銀が湯水のようにあり秀頼もあれだけ戦力を整えられた
268世界@名無史さん:2008/05/11(日) 11:50:30 0
そんなこといったら明はもっと関係無いよ
兵力は徳川の方が断然上回ってたじゃん。
269世界@名無史さん:2008/05/11(日) 12:28:33 0
家康に明と戦わせるんじゃなくて、秀吉が直接、朝鮮まで行ったらどうだ?
270世界@名無史さん:2008/05/11(日) 12:40:53 0
>>268
関ヶ原で戦った時西軍の方が数は上、しかも開戦した後押されてたしね
小早川が裏切った為家康が勝った
271世界@名無史さん:2008/05/11(日) 12:44:20 0
後詰めにいた秀忠は無視ですか?
朝鮮出兵の西軍で一番出血を免れた秀秋が関ヶ原を決めたのは無視ですか?
272世界@名無史さん:2008/05/11(日) 12:50:29 0
>>271
関ヶ原に来なかった秀忠を入れるなら当然上杉も含めなきゃいけないでしょw
秀秋が途中で裏切り家康側についたから家康は勝てただけでどっちにつくかは最後まで迷ってたからね
273世界@名無史さん:2008/05/11(日) 12:58:53 0
まよってねーよ
最初から東軍つくき満々だったでしょ。関ヶ原前に大谷の部隊と抗戦してたし、
家康には必死こいて鳥居の件の謝罪の書状送りまくっている
数に劣る西軍がちょっと有利に見えたから少しだけ思いとどまったが
土壇場の裏切りでないことは明らかだよ

上杉や丹羽、立花とか計算しても
それより兵力上な伊達、最上、前田、秀忠の方が遥かに兵力上だよ

西軍はたった一戦で敗れたが
徳川の場合、徳川の本隊(秀忠の事)が無傷だったから
関ヶ原で負けても即座に負けが決まるとは言い難いという分析がある程
もともと東軍の方が西軍より圧倒的有利な状態なんだよ
274世界@名無史さん:2008/05/11(日) 13:08:50 0
>>273
だから関ヶ原で開戦したときの兵力は西軍が上だってのw
秀秋は最後まで日和見したから家康に怒られると思ったんだしなw

秀忠なんて真田に足止めされ主力決戦に間に合わなかった、関ヶ原の主力決戦で敗れていたら天下は石田側がとってたよ
伊達は混乱に乗じて奥州を切り取ろうとしたんで家康側といえないし
275世界@名無史さん:2008/05/11(日) 13:11:47 0
万暦の三大征が明の滅亡を決定付けたな。
276世界@名無史さん:2008/05/11(日) 14:25:37 0
>>265
だから14万も死んでないって。
そんなに死んだら関ヶ原の兵力はどこから来るのかと。
277世界@名無史さん:2008/05/11(日) 15:12:09 0
上のほうにもあるが戦力だけで戦争が決まる訳ではない。

天の利・地の利・人の利 秀吉軍はどれも不利

清は明との国境までが本拠地で、騎馬で迅速に移動可能、満州族はぜんぶ味方。

秀吉軍は厳寒の半島満州を草蛙履きで、戦争しながら北上し、離脱すれば住民に襲われる。
こんな状態で明の国境までたどりついてからそこから戦争すんのか?
278世界@名無史さん:2008/05/11(日) 15:57:53 0
へへ
279世界@名無史さん:2008/05/11(日) 16:04:28 0
明治維新がこの時おきていたら
280世界@名無史さん:2008/05/11(日) 19:40:30 0
当時の日本の人口は1400万くらいいたんだよ!
たかが14万死んだからってまだまだ無理をすれば兵力は出せる!
281世界@名無史さん:2008/05/11(日) 20:07:36 0
>>280
>まだまだ無理をすれば兵力は出せる!
学徒出陣して特攻隊が出撃するんですね、分かります^^
282世界@名無史さん:2008/05/11(日) 20:30:21 0
>>280
機械化も進んでいない時代に、働き盛りの男達ばかり人口の1%も死んだら、
ほとんど壊滅的被害だって。
283世界@名無史さん:2008/05/11(日) 22:26:11 0
立花宗茂にフルボッコにされる明(笑)
284世界@名無史さん:2008/05/11(日) 23:15:51 0
確かに機械化の進んでない時代だけど、江戸時代だって農民人口は8割
程だったんだし、また農繁期とはいえ田植えが終わったら、次は稲刈り
まださほど人はいらない!
285世界@名無史さん:2008/05/12(月) 01:42:16 0
しかし、公式資料である日本の資料を否定して
14万死亡説を否定する人ってどんな宗派なの?
そのわりにはもっと信用ならない明史を肯定しろって五月蝿いし
KY+ダブスタだね
286世界@名無史さん:2008/05/12(月) 01:45:48 0
>>282
だからその壊滅的被害を追って逃げて帰ったのが朝鮮出兵だろ


ソ連なんか、大して機械化も進んでない国だったが
1%どころか10%若い兵士がしんでるじゃん
資料に基づかない推量はすぐ蜂の巣にされるのわかんねーのかな??
287世界@名無史さん:2008/05/12(月) 04:12:03 0
>>280
ナポレオンがロシア遠征後の諸国民戦争で
20万の兵力を集めたのと同じですね。
世界史板的にはすごくわかります。
288世界@名無史さん:2008/05/12(月) 06:50:09 0
李如松は凍った緑鴨河渡ってきたというし
面の復、草履の軍隊では集団自殺しに行くようなもんだ
289世界@名無史さん:2008/05/12(月) 07:02:02 0
三成の秀吉の報告書に具体的な数字を持って
第1軍小西軍60%死亡。第2軍の加藤清正軍は被害が37%、
鍋島軍も36%死亡。3軍の黒田軍は54%死亡、4軍島津軍は60%死亡。5軍も40%死亡、6軍は44%死亡。しんがりの7軍の毛利軍で43%死亡

と報告しているけどな。


加藤の秀吉の宛の書状でも
「我が軍兵、半分が死せり」ってあるけどな。

文禄22万の半分が死んだ訳だろ。全然13万がありえないってほどでもない。
そして13万死亡すりゃ、どんな政権も傾くし、そして実際そのとおりになった
290世界@名無史さん:2008/05/12(月) 09:29:17 0
          ???━〓━???
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291世界@名無史さん:2008/05/12(月) 14:19:21 0
殆ど凍死と病死だろ。後は餓死かな。
日清戦争と同じだ。
秀吉軍の最大の敵は半島の不潔さと冬将軍だったのだろう。
292世界@名無史さん:2008/05/12(月) 15:11:57 O
>>289
嘘吐くんじゃねえよ。
三成は漢城に居た員数を報告しただけで、減員について戦死したとか被害損失などといっていない件。

大名は連絡や輸送に員数を割いて派遣しているのに、何で漢城に居ないと戦死したことになんの?アホ?
293世界@名無史さん:2008/05/12(月) 16:23:43 O
明10000
秀吉20000
朝鮮30000
実質これくらいじゃないの?
日本側のにしても被害甚大としておけば豊臣政権から兵役逃れられるかもしれないわけだし
関ヶ原規模の合戦が頻繁したなら10万とか消えそうだけど
294世界@名無史さん:2008/05/12(月) 16:33:31 0
>>289
随分詳しく数字を書いてるけど、ソースをくれ。
295世界@名無史さん:2008/05/12(月) 19:53:40 O
>>293
働きが悪いと激しく罰せられます。
296世界@名無史さん:2008/05/12(月) 20:23:48 0
>>285
当時の記録の戦死者数なんてどこの資料だって当てにならんよ。

大体国民軍や徴兵制のナポレオン時代やソ連とそのまま比べるなんて頭が悪すぎ。
まず20万派遣して半分死亡、その直ぐ後に13万派遣してそれも半分死亡、
そしてその数年後には20万を超える兵が国内で合戦て、どんだけの集兵能力よ?
297世界@名無史さん:2008/05/12(月) 20:36:20 0
>>289
家康も三成も豊臣政権内の主導権争いで対立したのであって、
その時点で豊臣政権が傾いたわけではない。
むしろ当主が幼児に過ぎず、家康という強力な権力者が出現しながら、
その家康も豊臣を滅ぼすの15年間もかかったのは、
豊臣に忠義の勢力が少なくとも当初は少なからずいたからこそ。
別に朝鮮出兵で豊臣政権が傾いたなんて事にはならない。
298世界@名無史さん:2008/05/12(月) 21:59:35 0
>>294
>289の数字については見た事がある
戦史朝鮮役だな
リンクは示したから後は自分で調べてくれ

なんで数字でなくパーセンテージで示したのかしらんが

ちなみに加藤の半分死んだも戦史にある。
299世界@名無史さん:2008/05/12(月) 22:03:36 0
日本戦史朝鮮役の元史料がはっきりしないというジレンマ。
300世界@名無史さん:2008/05/12(月) 22:13:10 0
秀吉宛の軍目付の報告や、連署などの一級資料ですが??

てか、戦史朝鮮役に普通に資料名あるんら見てみるといいのでは?
301世界@名無史さん:2008/05/12(月) 22:17:46 0
数字に関しては事実だろ。
史料否定なんてついにブサヨと同じレベルまで落ちているな
可哀想に
戦史朝鮮役お前が開いて調べればいい話だろ
302世界@名無史さん:2008/05/12(月) 22:26:59 0
>>296
プロイセンなんて徴兵制も無かった時代に
人口400万の国が、七年戦争時に
総国民の20%くらい総動員してそのうち半分殺しているけどな。
でも平気だったし。

人口なんて意外とあっさり回復するもんじゃね。身もふたもないけど
まして、明よりも人口が多かったとまでいわれるほどの人口1200万も抱えて
当時世界最強の戦国軍事大国だっただろ?
奴隷を世界に大量輸出できる程人あまり上だったんだろ?
13万たかだか1%という感はあるね

まあ、なにより14万死亡は、史料に基づいて意見を言っているから反証するにはそちらは妄想や独りよがりに頼るべきではないだろう
303世界@名無史さん:2008/05/12(月) 22:50:56 0
>>296
ナポレオン統治下のフランスも秀吉統治下の日本も農業が機械化
されていない点ではおなじだろ!
国民皆兵制度を採っているとはいえ、動員できる限度は変わらんはずだろ!
それともナポレオンの方は餓死者がでてもかまわず動員したのに、日本
の諸大名はナポレオンより領民思い出動員しなかったとでも思うのか!
http://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/fukusima/kouzasi.htm
304世界@名無史さん:2008/05/12(月) 23:02:40 0
305世界@名無史さん:2008/05/12(月) 23:14:00 0
農業が機械化って
もっとまともな屁理屈こねようぜ

軍目付の史料や連署付きの報告書などの史料にしっかり反論できるだけのナ
306世界@名無史さん:2008/05/13(火) 02:50:58 0
で、その死者の中で戦死の割合はどのくらいなんだ?
307世界@名無史さん:2008/05/13(火) 06:57:10 0
大量死亡厨はまったくわかってないな

プロセインだのフランスだのロシアは民衆を勝手に兵にできるけど
日本ではそんなことできない、当時の日本軍はあくまでも両者の契約で成り立ってて金や米で雇わなきゃいけない
大名が庶民を無理やり兵隊になどできない
308世界@名無史さん:2008/05/13(火) 06:57:45 O
>>305
史料に書いてないことを書いてあるかのように引用することを捏造といいます。
具体例として、軍目付けがある地点のある時期の点呼員数を報告している史料を示しながら、無批判に別の動員定数から引き算した残数を戦死被害と推定するのではなく、「史料に書いてある」などと嘘を吐くこと。
309世界@名無史さん:2008/05/13(火) 07:27:29 0
>>302-303
国民国家ってものを知らないの?
そもそも当時の資料の数字を鵜呑みにするなんて全くナンセンス。

>>257
半分でって簡単に言うが、普通半分も死者が出た部隊は壊滅と言われるんだよ。
死者の他に負傷者だっているだろうに。
310世界@名無史さん:2008/05/13(火) 09:02:53 O
100 人間七七四年 2008/05/12(月) 15:03:51 ID:I9kazbIj
和将で戦死したのは来島だけだしな。
明将では副将が戦死しているし。

101 人間七七四年 2008/05/13(火) 08:57:37 ID:8VnGr2Fr
>>100
明軍は副総兵が二人も戦死してるのな。参将の戦死も多い。
311世界@名無史さん:2008/05/13(火) 09:06:26 O
>>303
そういう意味じゃ、秀吉は領民思いだな。
朝鮮へ動員したのは西国大名だし、投入されたのは外征能力の半分から三分の一ぐらいじゃないのかな?
312世界@名無史さん:2008/05/13(火) 09:25:59 0
来島って確か、すげーちっこい石高の小名じゃなかったっけ?
武将はそれしか死んでないの?
313世界@名無史さん:2008/05/13(火) 12:58:32 0
明の副将って75歳のよぼよぼのじいさんで、しかも命令違反して突っ込みすぎてあぼんしただけだろ
こんなの事故みたいなもんだよな


まあ、凍死病死が大半だという事実は否定しないがね
ロシア遠征も、ロシアが惨敗した緒戦を除いて
ロシアとフランス軍の直接対決は皆無だっただろ?
コサック(義兵)の追撃に弱っているところを殺されまくったってのは目をつぶるとしても

それでいいんじゃねーの?
将兵は無傷、戦闘は勝ちまくったから、ロシア遠征はフランスの圧勝なんて
評価を下す奴は世界広しともいえほとんどおるまい
日本軍の評価もそれと変わらんよ。まあ、ナポレオンと違って戦闘は勝ち負けあったけどな
もともと明軍は寡兵。弱り切っているとはいえ、直接的な会戦をできるだけ避けたのは戦術として至極当然の判断だろう
314世界@名無史さん:2008/05/13(火) 13:06:30 0
将兵は無傷

訂正

将官クラスは無傷
315世界@名無史さん:2008/05/13(火) 13:11:54 0
>>308

>軍目付けがある地点のある時期の点呼員数を報告している

そんな実体のない数字をわざわざ秀吉に報告するの?
それを主張するなら史料をもって反論すべきとおもう

戦史朝鮮役の史料も、その他文献もさ 
そんな小学生でもわかる陳腐な欠陥あったらさすがに14万死亡なんて結論づけたりしないわな
316世界@名無史さん:2008/05/13(火) 13:31:04 0
加藤も文書で
「我が軍、名護屋出帆以来、風雨霜雪に暴露すること既に一歳
 攻城戦の労多きは数十回、すでに我が軍半数が死せり、戦闘力多大に減少せり」

とべている。「半分死せり」と言っているのに
軍隊を半分に分けだけという屁理屈は至極陳腐な話だ。加藤が嘘でも報告しているのかね。脱走兵や脱落兵の帰還は絶望的というのはもう述べた。
半分に分けた。大して死んでないという説を新たに唱えるのなら。そうおうの史料を出すなり説得力をもった反論をしてもらいたい
317世界@名無史さん:2008/05/13(火) 13:38:44 0
>>309
フリードリッヒ時代のプロイセンに国民国家なんて意識はそんなに強くないと思うよ
戦国日本と同じくらいの神国日本って意識だと思うよ
たいして変わらん。
1200万の人口のうち、わずか2%の動員、1%の死亡じゃん
この手の動員、死亡数ならヨーロッパどころか支那大陸でもめずらしくない罠
七年戦争は400万の人口の国が100万だしてたし、この程度の死亡は世界的には標準じゃねとは思う
国内の戦国時代とは一ケタ規模が違った死にっぷりなのは疑いはないがな
318世界@名無史さん:2008/05/13(火) 13:45:02 0
>>316
一年で20万が半分死亡(藁藁
319世界@名無史さん:2008/05/13(火) 14:42:46 O
>>315
漢城に居た人数の報告史料を、勝手に不在分が被害だと報告している、と捏造して主張しているんだよな、明厨は。
320世界@名無史さん:2008/05/13(火) 14:46:07 O
>>316
その半分になった我軍が主語となる範囲と数値の史料的信頼性は?
321世界@名無史さん:2008/05/13(火) 14:55:59 O
>>313
つまり戦死した明軍高官の一人。
322世界@名無史さん:2008/05/13(火) 18:48:23 0
明軍が寡兵という根拠が元史料不明の参謀本部日本戦史以外に無い。
明史を否定する史料も無い。
323世界@名無史さん:2008/05/13(火) 18:51:13 0
>>320
主語は加藤or漢城の全軍か
いずれにせよ。戦力半減として
目付の数字を裏付ける根拠になるだろうな。

反証は出来るだけ史料で頼むよ

戦死した明軍高官は70越えのじいさんが負傷してぽっくり逝っただけだよな
別に日本に討取られた訳でもないし、突出して突撃したじいさん討取っても省がねエだろうな
324世界@名無史さん:2008/05/13(火) 18:56:52 0
>>322
明軍の動員や考証から実証的にはじき出した数字だろうな

でもさ、明史の数字より詳細に記された日本軍の書状や軍役帳を嘘くさいと言っているその口で
もっとあやしい明史の数字を信用するというのもダブスタだわな。いいかげんその矛盾に気付いて?

後世の研究者はほとんど日本側の史料を基軸としつつ
明史の数字に関しては、スルーな訳だけど
俺は戦史研究者の主張に添っているだけ
325世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:02:08 0
>>324
>でもさ、明史の数字より詳細に記された日本軍の書状や軍役帳を嘘くさいと言っているその口で
>もっとあやしい明史の数字を信用するというのもダブスタだわな。いいかげんその矛盾に気付いて?

そっくりそのまま返すよ。
明史がもっと怪しいと言うなら具体的に該当箇所を述べて、更にそれを立証する
他の「史料」を出してからにしてくれ。
それこそダブスタだよ、いい加減にその矛盾に気付いてくれ。
日本軍の書状に文禄の明軍四万とは書いてないだろ?
326世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:03:17 0
>>316
そんなもの慣用表現みたいなもんだっての。
本当に半分も死んでいたなら、残りの兵だって傷病者の群れ。
戦力減少どころか、もはや逃げ帰ることすら不可能。そういう既述を鵜呑みにするなんてナンセンス。
被害が大きかったのは事実だろうが、14万なんてのはまるでありえない。

>>417
しかし、少なくとも徴兵制はひかれ、国民皆兵体制でその上外国人傭兵もかなり多かった。
そして、その頃のプロイセンの動員率と消耗は、18世紀当時のヨーロッパでも群を抜いたもの。
そんなものと比べること自体がおかしい。
327世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:07:03 0
というか、そもそも日本側だろうが明側だろうが、
当時の資料等に記載された数量について、そのまま信じることは出来ない。
兵力だの被害だの、ありえない数字が平気で記載されているなんて常識だろうに。
328世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:07:03 0
http://kindai.ndl.go.jp/scrpt/jgmWeb?%25DispNdl1%25rvl=0&sz=2&tl=0&l=3&cp=286&cy=0&cx=0&i=42\43007042\00001\0286.jp2

とりあえず
これみれる?

多分、多くの人はめんどくさくて見てないと思うよね
329世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:13:17 0
で、肝心な史料はなしで相も変わらず屁理屈だけか

戦史朝鮮役すらよもうとしない。
己の妄想のみに依拠して議論する奴になにいってね無駄やなww
330世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:21:27 0
>>237の数字は俺が出した訳じゃないが
どうやら、捏造ではないらしいな。
で、減ったのは他の地域に別働隊がいたといかいう意図的な捏造ではない
減ったのは「減耗数」 として、死者や行方不明者、戦線離脱扱い

出典は
日本戦史・朝鮮役 参謀本部 25ページ

なんだがこれに関してはインターネットでも見れる

そこで

http://kindai.ndl.go.jp/index.html

という電子図書館がある
著作権の切れたこの作品はこちらで無料で閲覧できる

検索して、朝鮮役といれて

そこの本文の 「285/355」
というところをひらいて欲しい
>>237の数字はおそらくここの丸写しであろう
とりあえずここを見てから、もっと冷静になって反発してくれ
331世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:27:23 0
ついでにいうと

「加藤の半数死せり」とか
小西の「明軍は桁違いだ」とか
最上の「兵士達はみな坊主になっても生きながらえたいと思っている」(なお最上自身は名護屋で待機してたが兵は渡航している)
大友の士気壊滅で脱走(のちに改易)
高橋の「京城の川が三途の川にみえる」とか

そういった日本の壊滅ぶり、破綻ぶりの史料も周辺のページにあった
ページ指定はめんどうなのでしないが、興味があったら是非読んでね
332世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:31:11 0
多分ここにいる明廚は戦史朝鮮役以上の事は言ってない

妄想よりは根拠の大元であるこちらを叩かない事にはずっと火は消えんと思うし
333世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:36:08 0
>>326

>本当に半分も死んでいたなら、残りの兵だって傷病者の群れ。
>戦力減少どころか、もはや逃げ帰ることすら不可能

また根拠の無い妄想かよ
ナポレオンは90%死亡で、モスクワからパリの距離を無事帰還しているじゃん

あとプロイセンの歴史を良く勉強してね
たしかにあの国は特殊だと思うがw 別に1%や2%の動員なんて支那でも他の欧州国でもやっているしな
例外がある以上、「1%も死んだら国が絶対維持できない」
お前の妄想相手にするには十分な例外だろう
334世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:54:39 0
1812年大陸軍の頂点を迎えた時、ロシアに侵攻した部隊の半分以上はフランス人以外であり
オーストリアやプロシアを含み20か国に上った。
335世界@名無史さん:2008/05/13(火) 22:05:21 0
前にもいったが、秀吉は征明戦に33万人動員したが、山岡荘八の『豊臣
秀吉』では肥前名護屋への食料等の輸送に動員している人数を合わせると
100万人近くになると書いている。
山岡荘八はもちろん作家ではあるが、明の軍の規模が250万以上とか、
現在は大きく定員割れをおこして50万人ほどとか結構詳細なことがかかれ
ているよ!
336世界@名無史さん:2008/05/14(水) 01:12:46 0
数字に関しては明廚の言うとおりだろうが、実際の戦いは日本軍圧勝、無敗だろう
337世界@名無史さん:2008/05/14(水) 01:12:53 0
>>330
徳間文庫版だとp356すね
338世界@名無史さん:2008/05/14(水) 01:23:43 0
病気と気候の僥倖を、自分達の功績にするな!>>明厨
339世界@名無史さん:2008/05/14(水) 01:30:37 0
「自分達」だってw
別に明の擁護なんかしてねーよ
ただ史学的に、日本軍の惨敗だったって記述しているだけ。

俺は最初から、ナポレオンのロシア遠征を例えに出してたとおりで
ほとんど病死、凍死な点は全く否定してない。前近代の戦争なんてすべからくそうだし
明軍が寡兵だったことを考えれば、なおさらのこと
340世界@名無史さん:2008/05/14(水) 01:38:32 0
>>336

数字を否定しなきゃ
そこらの史料の行間は個人の空想戦記は個人の思想の自由でいいよ
ただし学問板以外でやっててね
341世界@名無史さん:2008/05/14(水) 01:57:22 0
日本軍が半減している数字は間違いないぽいね
正しくは
電子図書館の日本戦史の286/325で少しずれてたけど。操作がいまいちよくわからないな

俺も徳間文庫の買おうかな
紙媒体の方がいいな。本はやっぱり
342世界@名無史さん:2008/05/14(水) 03:17:41 0
参謀本部への資料には
しっかりと減耗率(死者、行方不明者)ってかいあるな
別の戦線に展開してたとか、点呼してないだけとかいうのを減耗とはいわないしな
やっぱり14万一年で殺されたのは史実か

ヘタリア並の弱の軍隊だな
343世界@名無史さん:2008/05/14(水) 04:07:42 0
一年?
全体を通しての損害だろ?
しかも殆どが病死と凍死だろうがよ。
半島は三十万匹くたばってるしな。
344世界@名無史さん:2008/05/14(水) 06:43:57 0
>>339
明軍は寡兵じゃないけどな。
345世界@名無史さん:2008/05/14(水) 06:56:12 O
史料批判していない参謀本部がクソなだけじゃん。
なんで明厨みたいに丸呑みで信仰せにゃならんの?
346世界@名無史さん:2008/05/14(水) 07:19:39 O
参謀本部は何を基準にしたんですか
どの大名が何万だしたとか分かる本とかありますか
347世界@名無史さん:2008/05/14(水) 07:22:12 0
>>346
秀吉の軍令と大陸侵攻
348世界@名無史さん:2008/05/14(水) 11:03:43 0
参謀本部は資料批判しているだろ
明軍10万動員とか、20万死亡とか
数の誇張著しい中華系資料の数字を控えめに見て数字弾いているじゃん


朝鮮役について、莫大な資料と金使って日本の陸軍エリートが研究したわけだが
それ以降、この本より本格的に朝鮮役について研究した本を知らない

明廚つーか参謀本部廚なんだが
これについて批判ないしは、あらたに朝鮮役について本格的に研究して
まったく参謀本部と違う数字を弾いている書籍があったら教えてくれ

お前が根拠としている本だよ。是非出典名を晒してくれ
349世界@名無史さん:2008/05/14(水) 11:31:06 0
 「人々はシナ人は天性惰弱であり、たとえ無数といえるほどいても、鉄砲の音を耳にし、抜き身の刃を見れば、こちらが少数であるにもかかわらず敵を恐れて逃走するにちがいない、と思っていた。
このような考えは、軍兵がいないシナの海岸地帯へ盗みに行った幾ばくかの日本人(倭寇)に基づくものであった。
そこには武器など手にしたことのない農民と土着の住民しかいなかったので、2百人ないし3百人の日本人が無数のシナ人を追い払ったように見えたのであった。
またこの考えは、広東のシナ兵について語ったポルトガル人の証言とも一致するものがあった。これらの兵士たちは、一度も敵に接したことがなく、戦争の経験がなかったので、
戦意に欠け、たまたまある機会に争った際に、きわめて卑怯に振舞ったのであった」と(「フロイス日本史5:第43章)。
350世界@名無史さん:2008/05/14(水) 11:40:09 O
>>348
君の提示したのは史料批判じゃないから。
解説者の権威は妥当性を担保しない。それはただの参謀本部信仰。

そして、議題に於いて参謀本部は史料批判せずに減耗率を算出している点に関してダメダメ。
なぜダメかというと史料批判なしに、
1、諸大名が要求書状の動員定数通り朝鮮に動員した。
2、漢城点呼員数以外を減耗とみなした。
と言う前提でのみ語っているから。
351世界@名無史さん:2008/05/14(水) 11:51:00 0
加藤や小西は先鋒大将だから自軍の兵が多く死ぬのは当たり前
当時の武士が14万も死んだら日本は壊滅してしばらくは戦争などできない
当時は生産職以外の人間が兵になってるわけで新しく兵を募るにしても過剰な人間が居ない
352世界@名無史さん:2008/05/14(水) 12:20:57 0
だからおまえの依拠している書籍を教えてよ
参謀本部のから別視点で研究してまったく別の数字弾いている書籍とかあるはずだろ
もしかして、自分の脳内だけで展開しているんじゃないんだろうね
353世界@名無史さん:2008/05/14(水) 12:35:52 0
>>351
当時は海外に日本町ができて、日本人奴隷がヨーロッパにすら沢山居るくらい人あまり状態だったんだろ
しかも14万といっても総人口の1%

この程度の犠牲は欧州(例えばプロイセンなどは20%動員掛けて10%死亡させているしな)はもちろん、支那にでもよくある話      
354世界@名無史さん:2008/05/14(水) 12:37:33 0
別視点も何も戦国時代の経済力、生産力、体制の基本的データをみればどの程度兵隊が居たかわかるだろw
1000万人以上居たから何%死んでも大丈夫とか漫画の世界の話
355世界@名無史さん:2008/05/14(水) 12:37:48 0
まあ、その前に
参謀本部が信用なら無いと言うなら、別の本紹介してくれよ
教えてくれれば手に取って読むよ
356世界@名無史さん:2008/05/14(水) 12:47:47 0
>>354
だからプロイセンなんて400万の国が50万殺しているんだって
まう、どうどう巡りだな。参謀本部がそんな「あたりまえ」のことを看過してたなら
別の…から修正を試みている書籍の一冊や二冊だせるはずだろうに
はやく紹介してよ。脳内ソースはもううんざりだぉ
357世界@名無史さん:2008/05/14(水) 12:51:53 0
当時の日本は大体石高の2.5%前後を兵隊にできたといわれる
これはあくまでも米の恩賞と引き換えに兵と契約を結ぶので大名が無料で徴兵できるわけではない

プロセインがやった体制は庶民を無理やり誘拐などして徴兵し兵隊にした
そのため士気が低く脱走が相次いだり食糧配給さえ事欠き数だけ動員したお粗末な状況

戦国日本の人口の9割が農民、商人、工人と考えると余った人口は1割程度でその中から兵を雇う
人口の1%も死んだら壊滅的打撃で立ち直れない

戦国時代でも大名が中々決戦をしなかったのもそのため、例え勝っても自軍の損害が大きければ立ち直れなくなる
358世界@名無史さん:2008/05/14(水) 13:03:05 0
プロイセンも普通に農民が主力の兵隊だよ
主要産業も農業。日本とさして変わらんし。大きすぎる割合をカバーできるというほどのもんじゃない
1%死んだら国が成り立たないというのはナンセンス。

そういえば朝鮮は30万死んで、なお清との戦いでは五万動員してたな
あーそういやロシアもナポレオン戦争時に200万以上死んでたわ(当時のロシアは人口一億くらい)

で?

後はやく書籍
まあ、もう俺は授業だから学校終わるまでに
お前の妄想が依拠する研究所の類い、出典名頼むわ
帰りに買ってきてやるよ
359世界@名無史さん:2008/05/14(水) 13:46:14 0
理解力0だなお前日本と変わらないって?w
プロセインは北朝鮮みたいな国だったんだよ、あそこも100万くらい役にもたたない軍隊がいるだろ

そのため生産力ががた落ちして国がボロボロだろ、農民を過剰に徴兵すれば兵隊の数だけは増えても軍隊を支える生産力が落ちる
戦国日本の体制と全然違うんだよ坊や
360世界@名無史さん:2008/05/14(水) 14:42:08 O
秀吉は農民主体の軍制じゃないんじゃね
日本で誘拐なんかしてると下剋上起きそうだし
361世界@名無史さん:2008/05/14(水) 15:25:28 0
明軍は過大評価されすぎ
小早川や立花にフルボッコにされる弱い軍隊なのにwww
362世界@名無史さん:2008/05/14(水) 18:17:19 0
>>350
軍役で要求された人員より多く動員するという話は良く聞くが、少なくて
お咎めなしというのは初耳
363世界@名無史さん:2008/05/14(水) 20:42:03 O
>>355
本当だ、参謀本部が信用できるとかできないとか分析者を信じるだけの宗教だな。
おれらは参謀本部だから信じられないなんでどこでいってんの?日本語大丈夫か?

おれらの出典も参謀本部朝鮮役なんだよ、わかる?
減耗率の想定という見解に対して参謀本部本の史料批判が不足し、かつ妥当性が無いといってるの。
参謀本部だから信用できないなんて誰も言ってない。
だいたい参謀本部本自体で拡大名が部隊を割いて補給をしているって書いてあるよな?
364世界@名無史さん:2008/05/14(水) 21:24:56 0
日本軍の死者の数14万というのは上記までの議論からもほぼ確定だろ
うが、その内訳についても考えてみよう!
よく、フロイスの記述などにより、そのほとんどが餓死・凍死という
ことだが果たしてどうだろうか?
戦闘による死者なら各大名自身の責任ですむが、餓死・凍死ともなれば
最高司令官である秀吉やその命令を伝えるために渡海した石田三成など
の軍艦達の責任となる。
また、慶長の役において秀吉は全羅道(赤国)の民を皆殺しにする命令
をだしている。いくら秀吉が暴君でも無闇に値切りを命令するとは思えない
故に全羅道を初めとして朝鮮人のゲリラ戦でも多くの日本兵が殺されたのだ
ろう。
365世界@名無史さん:2008/05/14(水) 21:27:59 0
日本軍の死者の数14万というのは上記までの議論からもほぼ確定だろ
うが、その内訳についても考えてみよう!
よく、フロイスの記述などにより、そのほとんどが餓死・凍死という
ことだが果たしてどうだろうか?
戦闘による死者なら各大名自身の責任ですむが、餓死・凍死ともなれば
最高司令官である秀吉やその命令を伝えるために渡海した石田三成など
の軍艦達の責任となる。当然諸大名から恨みを買っただろう。
それでも慶長の役を起こせるほで秀吉の権力は大きかったのだろうか
また、慶長の役において秀吉は全羅道(赤国)の民を皆殺し(根切り)
にする命令をだしている。いくら秀吉が暴君でも無闇に根切りを命令す
るとは思えない、故に全羅道を初めとして朝鮮人のゲリラ戦でも多くの
日本兵が殺されたのだろう。
366世界@名無史さん:2008/05/14(水) 21:29:33 0
病死>>>>>凍死>>>餓死>>>>>>戦死>>>>越えられない壁>>>>朝鮮ゲリラの抵抗(笑)
367世界@名無史さん:2008/05/14(水) 21:52:18 0
>>361
正確には明軍が過大評価されているというより、戦国時代の日本が
過大評価されているというべきか!
だからその日本軍を朝鮮半島南部に押し込んだ明軍が過大評価されている。
368世界@名無史さん:2008/05/14(水) 21:52:58 0
>>361
正確には明軍が過大評価されているというより、戦国時代の日本が
過大評価されているというべきか!
だからその日本軍を朝鮮半島南部に押し込んだ明軍が過大評価されている。
369世界@名無史さん:2008/05/14(水) 23:00:16 0
で、自宅から帰ってきたけど
出典のまだなの?
参謀本部14万死亡を否定する根拠は己の妄想のみなんだね
370世界@名無史さん:2008/05/15(木) 01:03:39 0
また字閻魔のくだらない自演か14万もシナねーよあほ
371世界@名無史さん:2008/05/15(木) 01:14:17 0
妄想だけでまだなんかいってるよw
372世界@名無史さん:2008/05/15(木) 02:14:47 0
>>357
プロイセンは国民の継承戦争から七年戦争に掛けて
僅か400万の国なのに50万、60万戦死者を出している
1%も死ねば国は成り立たなくなるというおたくの論が成立するなら直ちに
プロイセンは滅亡するだろう。なにせ1%どころか10%以上なんだから
滅亡したか? いや、の後の西欧史を見れば明らかなとおりで
373世界@名無史さん:2008/05/15(木) 07:14:54 O
プロイセン、後のナポレオンに手も足も出なかったんだけど
停滞したけど滅びなかったのは英国の支援と勢力均衡だな
ま、金に困った揚句税金かけまくってアメリカ独立したけど
374世界@名無史さん:2008/05/15(木) 09:05:26 0
参謀本部にかわって詳細に研究した出典とかないの??
375世界@名無史さん:2008/05/15(木) 09:21:22 0
せいぜい「最大14万死亡」としとくべきだろ。
明廚が言うように、明軍も実際四万動員できたか疑わしい事実があるように、日本も見かけの帳簿があるからといって
本当に23万定員揃っていたわけではない。
376世界@名無史さん:2008/05/15(木) 09:32:34 0
豊臣軍の指揮官が前田利家か黒田如水なら明を征服できた
377世界@名無史さん:2008/05/15(木) 09:56:56 O
>>372
文盲か?
何処にも1%でどの国も成り立たなくなるなんて書いてないぞ、その1%はあくまで戦国日本の事だろ
だいたいプロセインは曲がり角にも近代国家だから大丈夫でも、封建体制の豊臣家でやったら下剋上の荒らし、一揆頻繁
しかしこいつにはいくら説明しても無駄か、聞く耳もたないし
378世界@名無史さん:2008/05/15(木) 10:25:49 O
軍板が一番堅いな、十四万厨が自演してもすぐ暴かれるし。

>>365
フロイスは減員を把握できなかったと記録しているな。嘘吐くな。
全羅道皆殺しなんて命令、出てないが?
おとなしく従えば免死帖を発行して生命を保障しているし、日本軍に加わった朝鮮人も多数居たわけですが。
嘘吐くなよ。
379世界@名無史さん:2008/05/15(木) 10:36:41 0
ぷw 軍板が堅いだってww
380世界@名無史さん:2008/05/15(木) 13:52:47 O
趣味ジャンルの軍板のが、文系学問ジャンルの世界史板や日本史板よりレベルが高い事実。
381世界@名無史さん:2008/05/15(木) 14:58:26 0
資料みながら戦史を具体的に考察していくのは軍板の方が専門でしょ
382世界@名無史さん:2008/05/15(木) 18:07:45 0
俺良く知らないんだけど、根切りとかフロイスの記述とか言ってる人って嘘なの?
本当に嘘だとしたら、なんでそんな嘘つくんだろう。
383世界@名無史さん:2008/05/15(木) 20:30:53 O
>>381
奴ら豊富な資料どころか史料まで読んでら。
384世界@名無史さん:2008/05/15(木) 21:29:11 0
大河内秀元の『朝鮮記』によれば、異国の兵に首塚を作って<和漢後記>、
つまり日本、中国にもその記憶を長く残す、戦場での手柄はもちろん、
非戦闘員まで皆殺しにせよ、というのが秀吉の命令だった。
「老若男女僧俗二限ラズ、賎山カツニ至ル迄、普ク薙切テ首数ヲ日本二渡
スベキ事」。老人も子供も女も、僧侶も身分の低い者も、皆薙切りにせよ、
というのである。
朝鮮側の記録『乱中雑録』では、「年々兵を発し、尽く彼国人(朝鮮人)を
殺し、彼国(朝鮮)をして空地となさん」というのが、秀吉の命ずるところ
だったという。
日本側の認識は、赤国(全羅道)は一揆の国である、ということだった。「一揆」
の国では少年でも女でも、非戦闘員でも、場合によってはゲリラ的な活動の戦力
となりうる。平定しようとすれば必然的に、人間という人間をすべて殺し、
その地を「空地」としなければならない。
そのうえに、秀吉の命令の裏には、叩いても叩いても自分に服従しようとし
ない、異国の民衆の頑強な抵抗に対する、激しい憎悪の念がこもっている。

385世界@名無史さん:2008/05/15(木) 23:36:18 0
14万死ぬだけならあるけど、14万死んですぐ連戦するなんて不可能だろうね。
最低でも10年は国力回復に努めないと。
386世界@名無史さん:2008/05/16(金) 12:31:22 0
死人は関係ないでしょ、あくまでもう一戦やるだけ金が溜まるか、が問題であって。

戦争だけが目的なら、金さえあれば極論根こそぎ動員して放り込めばいいだけの事

その後はどうなるかは知らんが。
387世界@名無史さん:2008/05/16(金) 13:45:35 0
フロイスは減耗率についてどれくらい死んだと述べているの?
388世界@名無史さん:2008/05/16(金) 15:03:17 0
ぶっちゃけ明てたいしたことないよな
389世界@名無史さん:2008/05/16(金) 22:42:19 0
>>388
いや、むしろたいしたことないのは戦国時代日本というべきか?
上記のとおり、朝鮮民衆の非正規戦とたいしたことのない明軍に
より朝鮮半島の沿岸部までおいやられてしまったのだから!
390世界@名無史さん:2008/05/16(金) 23:22:23 0
明軍がたいしたことがないのは、あの壮大な万里の長城をみればわかる
だろ!
たかだかモンゴルの少数民族をあいてに312万人ともいわれる常備軍
をもちながら、なおかつあのような万里の長城を建設しなければ
国土の防衛もおぼつかなかったんだから!
その明軍の朝鮮民衆によって朝鮮全土の占領を沿岸部のみにおいやら
れたんだから日本こそたいしたことはないね!


391世界@名無史さん:2008/05/17(土) 00:08:47 0
何でこんなに必死なんだ?
392世界@名無史さん:2008/05/17(土) 01:32:51 0
平凡社の韓国歴史地図と云う本で、著作者は韓国教員組合か何かの本
には朝鮮の役前の朝鮮の人口は約1000万人いたが、戦争後の朝鮮
の人口は200万〜300万人の人口が減ったて載ってたな、事実か
どうかは別にして韓国ではこの数字で教えてるんだよな。  
393世界@名無史さん:2008/05/17(土) 05:58:00 0
>>390
モンゴルは世界中で負け無しですよw
フルボッコにしたのは日本様w
394世界@名無史さん:2008/05/17(土) 07:49:21 0
>>389
兵站的な話で言えば近世前後ではどんなに軍隊が強くても、
現地に協力組織がいない限り遠征は失敗する
395世界@名無史さん:2008/05/17(土) 08:22:27 0
慶長の役でも進撃の先々で「大人しく味方する奴は殺さないから帰ってこい」ってお触れを出しているんだが?
396世界@名無史さん:2008/05/17(土) 11:24:01 0
どっちでもいいよ
それより日本軍の死亡者はやくかくていさてよ
397世界@名無史さん:2008/05/17(土) 11:35:41 O
>>396
どちらの国の方ですか?
398世界@名無史さん:2008/05/17(土) 12:40:46 0
早く確定させてよ。 か…
399世界@名無史さん:2008/05/18(日) 00:00:46 0
この頃の戦争は死者の数が急激に増えたね、大阪夏の陣では豊臣方の5万5000人
のほとんどが戦死したんじゃないかな、僅か1ヶ月かそこらでの死者数としては
相当の人数じゃないかな?
400世界@名無史さん:2008/05/18(日) 00:46:28 0
日本が築いた城が明や朝鮮によって陥落された事は一度も無い
401世界@名無史さん:2008/05/18(日) 02:48:24 0
最終的には全部陥落だろうが
ウルサンも撤退ってことにはなっているが兵糧攻めで落城寸前
402世界@名無史さん:2008/05/18(日) 04:25:00 O
点呼時の欠員14万の内 まず戦傷を負い後送又は除隊された人数を差し引く
次いで開戦後前線から補給線の確保に回された人数を差し引く
具体的に幾何かは知らないが、ここまですれば現実的な損害の数値が出るだろ
403世界@名無史さん:2008/05/18(日) 05:34:47 0
戦争の死者が急激に増えたのは、戦争が国家の総力戦の形態になったり機関銃が出てきた日露戦争あたりからだろ
あれでも日本側の死者は病死と戦死で10万くらい
404世界@名無史さん:2008/05/18(日) 08:23:26 O
東亜+じゃあるまいし、疑似朝鮮人構ってちゃんでは話は進まんだろうな
レベルも低下する一方になるだろう
405世界@名無史さん:2008/05/18(日) 08:27:53 O
構ってちゃんに反応してる人間のレスもまた勉強不足のゴミレベルなのな
根拠なしで低レベルレスの応酬をして話が進むとは到底思えん
406名無史さん:2008/05/18(日) 11:25:54 0
秀吉も【朝鮮→明国】と行ったから間違っていると思う。

【沖縄→台湾→インドネシア東部→オーストラリア】と行くべきだったろう。
強い国との戦争は避けて弱いところを付くのが征服の基本、ロシアも
それで大帝国になった。
407名無史さん:2008/05/18(日) 11:40:26 0
歴史上、戦争と経済で成功した英雄と言うのは歴史と数学に強かった。
フランスのナポレオン、トルコのケマル・アタチェルク

歴史は得意だが数学が苦手だと経済が破壊される。中国の毛沢東とか北朝鮮
の金日成とか、逆に数学が得意でも歴史が苦手だと最終的には戦争に負ける

秀吉は台所奉行として優秀だったので信長に抜擢された。だが歴史は不得意
だったようだ。大体、朝鮮民衆にに布告文を出すのに日本語で書いている。

でもナポレオンは最終的には没落したので歴史と数学ができれば100%
成功するとはいい難い。だが少なくとも歴史と数学の両方が出来ないと者は

国家の最高指導者にすべきではないだろう。特に組織の未完成な建国当初は
408世界@名無史さん:2008/05/18(日) 12:50:07 0
今の中共はオール理系、コキントウもチョウオンホウもだな
鳩山は東大理工科首席
あとは、思いつく限りだとシンガポールの李シェンロンもそうか。


数学的なマインドが政治家に求められているのは事実だろう。


しかし、自分としてはもう一つ定義を付け加えるなら

運動神経が高いないしは、若い頃運動ができてたやつは実は意外と政治家として成功しやすい
例えば、小ブッシュ、プーチン、李光耀&リーシェンロン、コキントウなどは運動能力が高いという話を聞く
ノムヒョンはちょっと微妙だが、あれでも一応一国の宰相になれたのは、毎日ジョギングを日課として怠らなかったのが大きいと思う
409世界@名無史さん:2008/05/18(日) 12:57:06 0
アホくさ
410世界@名無史さん:2008/05/18(日) 13:02:51 O
案外本人はこんなレスで知的だと認めてもらいたいのかもしれん
しかし2ちゃんはこんな基地外観察スレが多いわ
411世界@名無史さん:2008/05/19(月) 00:12:53 0
この戦争は明に対する影響があまりなかった。
そのため、明の歴史書にはこの戦争に関する記録があまり詳しくない。

でも、日本に対してはたいしたことであるよ。
敗戦後、新たな幕府は関原の戦に通して立てた。
412世界@名無史さん:2008/05/19(月) 00:19:58 O
大坂の陣までは豊臣生きてたよ
413世界@名無史さん:2008/05/19(月) 00:57:12 0
家康の存在がある限り、朝鮮出兵があろうがなかろうが豊臣の運命は変わらない
414世界@名無史さん:2008/05/19(月) 01:52:01 O
秀吉は配下に領土を与えすぎた
加藤福島前田毛利蜂須賀徳川
成り上がりだからしょうがないかもしれないけど
415世界@名無史さん:2008/05/19(月) 06:58:01 O
>>411
つ両朝平攘録
つ萬暦三大征考
416世界@名無史さん:2008/05/19(月) 11:33:12 0
>>411
もう少し歴史と日本語を勉強しようね
417世界@名無史さん:2008/05/19(月) 11:34:12 0
李自成>>>>>>越えられない壁>>>>>>>秀吉(日本猿)www
418世界@名無史さん:2008/05/19(月) 15:02:28 0
そもそも秀吉が野戦で家康に敗れてなかったら
家康をあそこまで持ち上げる必要はなかった
419世界@名無史さん:2008/05/19(月) 15:20:05 O
>>417
朝鮮人は清に三跪九叩頭したのをたやすく忘れてよくこういう書き込みをしますな
日本人と中国人は失笑してますが
420世界@名無史さん:2008/05/22(木) 14:09:59 0
でも李自成も農民から皇帝に上り詰めたんだから
やっぱり秀吉と同じくらいすごいと思うだけど


421世界@名無史さん:2008/05/29(木) 12:59:12 0
明軍は弱すぎだろう
wikiによると2万の大軍で立花宗茂の900に負けてるし
422世界@名無史さん:2008/05/29(木) 22:59:07 0
>>421 お前はwikiの話を信じているのか!?
たぶん、太平記なんかも信じる奴なんだろうな。
(幕府軍120万で千人の守る千早城を攻めるくだりなどを!)
大体、どうやって2万人の軍隊を900人で破れるんだよ!
22倍だぞ! 明軍はすべて女か子供だったのか!
せいぜい2千人程度だろ!
1570年に大友宗麟が隆造寺の居城を6万〜8万の兵力で
包囲した戦いで、敵の本陣がある今山に鍋島信生が800人
で夜襲を駆け、大友親貞を討ち取った戦でも、旧説では
大友軍は総崩れになった様にいわれていたが、新説では
包囲戦はその後も続いており、翌月に竜造寺に有利な形
デ講和が成立した。


423世界@名無史さん:2008/05/29(木) 23:09:12 0
wikiの話を信じているのか?とか言いながら
自分に都合の良い部分は何の裏付けも無いのに信じられるのが不思議。
424世界@名無史さん:2008/05/29(木) 23:26:54 0
自分に都合がいい部分とはどうゆう意味だ!
別に今山の戦いで大友家を千早城攻めで鎌倉
幕府をひいきにしていたりはしないよ!
ただ、荒唐無稽と思える話10倍・20倍の敵を殲滅
しるような戦記については疑って懸かるようにしないと!
当時の大名の法螺話かもしないじゃないか!
上の方でも、明軍が日本の城を一つも落とせなかったこと
自慢しているけど、慶長の役の目的は日本の城(以下倭城)
守ることではなく、朝鮮南部4道を占領統治することだろ!
そのために水陸合わせて18万もの軍勢を展開したのに半島
南岸の倭城の争奪に終始していたんだよ!
立花宗茂がそんなに強いわけないだろ!
425世界@名無史さん:2008/05/30(金) 01:24:28 0
>そのために水陸合わせて18万もの軍勢を展開したのに半島
 南岸の倭城の争奪に終始していたんだよ!

結局明軍が倭城を落とせなかった事は変わらんわけね。
426世界@名無史さん:2008/05/30(金) 01:27:24 0
400 :世界@名無史さん:2008/05/18(日) 00:46:28 0
日本が築いた城が明や朝鮮によって陥落された事は一度も無い


401 :世界@名無史さん:2008/05/18(日) 02:48:24 0
最終的には全部陥落だろうが
ウルサンも撤退ってことにはなっているが兵糧攻めで落城寸前

特亜の人間ってこういう馬鹿しかいないのかしら?
427世界@名無史さん:2008/05/30(金) 10:41:21 0
精錬することを怠り劣化コピー続けていればこんなんになります・・・いっそロシアに渡したほうが地球のためだったかもしれん
428世界@名無史さん:2008/05/30(金) 16:27:27 0
実際の所、立花が900で2万の明軍破ったのって信憑性あるの?
資料とかあったら教えて
429世界@名無史さん:2008/05/30(金) 23:08:24 0
>>425
お前っていくつなの!
前にも言ったが慶長の役とは文禄の役以後
朝鮮半島南岸に城を築いて駐留していた日本
軍が本国からの増援を得て、講和条約で要求
していた朝鮮南部4道を占領統治するために
攻め込んだ戦争と定義できる。
であるなら、沿岸部の城に篭城して明軍を
迎え撃っている時点で明・朝鮮軍に湾岸部
に追いやられている状況はすでに敗走して
いるんだぞ!
430世界@名無史さん:2008/05/31(土) 00:07:22 O
日本軍といっても寄せ集めた大名達だよ
島津はやる気あったかもしれんが他は微妙
大怪我したくないもん
宇喜多は国元と喧嘩してるしな
秀吉の死期を見定めてたんだろ
431世界@名無史さん:2008/05/31(土) 21:39:27 0
秀長か利家が指揮官だったら日本圧勝だっただろうな。
432世界@名無史さん:2008/05/31(土) 21:44:29 0
>>429

>であるなら、沿岸部の城に篭城して明軍を迎え撃っている時点で

冬を前にして温かい南部に移動したからだよ。
日本からの資材の運輸が楽だったし。

お前何も知らないんだな。
433世界@名無史さん:2008/05/31(土) 21:45:17 0
で、結局倭城は落ちなかったんだろ?
434世界@名無史さん:2008/05/31(土) 23:21:05 0
>>432
お前バカか!慶長の役は1597年2月から1598年11月まで1年9ヶ月
 98年の春以降も沿岸部の城で明軍と対峙していたのはどうして
なんだ!
 それに慶長の役はあくまでも南部4道の占領統治が目的だぞ、
冬ごとに沿岸部の倭城に戻っていたら、占領なんかおぼつかない

435世界@名無史さん:2008/05/31(土) 23:24:23 0
>>432
お前バカか!慶長の役は1597年2月から1598年11月まで1年9ヶ月
 98年の春以降も沿岸部の城で明軍と対峙していたのはどうして
なんだ!
 それに慶長の役はあくまでも南部4道の占領統治が目的だぞ、
冬ごとに沿岸部の倭城に戻っていたら、占領なんかおぼつかない

436世界@名無史さん:2008/06/01(日) 00:30:26 0
ファビョんなよwwww
冬に明軍が南下することを知って、戦線を守りやすい南に移動させただけだろww
敗走とは違うんだよwww

て言うか、その「敗走した日本軍」を1年以上も半島から追い出せなかった明軍って何?wwww
437世界@名無史さん:2008/06/01(日) 00:30:55 0
で、結局倭城は落ちなかった事実だけは認めるんだな?
438世界@名無史さん:2008/06/01(日) 00:50:27 O
>>434
戦争目的を達し得なかった=負け=最終的に城は敵の手に陥ちた
みんなわかってんだよ

今話題にしてるのは個々の戦闘の話だろ
439世界@名無史さん:2008/06/01(日) 01:02:47 0
秀吉の死で日本の戦略は終わった
でおk?
440世界@名無史さん:2008/06/01(日) 01:04:14 0
「戦術的には負けていなかったが」をつけろ
441世界@名無史さん:2008/06/01(日) 03:19:19 0
>>436
 お前っていくつなんだよ!このバカ!
 慶長の役は97年2月から98年11月までつづい
 たっていっているだろ!
 97年冬に南下したとして、98年の春以降はどうしたんだ!
 
442世界@名無史さん:2008/06/01(日) 04:00:51 0
>>437お前もバカか!
 慶長の役で日本が投入した兵力は
水陸合わせて18万人、対する明軍はその半分
の8〜10万人ほどだ。
 確かに地元朝鮮の軍民が日本軍以上の人数
明軍のサポートについているだろうが、彼ら
は一律武装しているわけではないので兵力
に含めるのは難しいし、それを含めても2倍
になるかどうかだろう!
その兵力差で倭城が落とすことの難しさはお前
でもわかると思う!
むしろその程度の兵力差しかないのに逆に攻め込め
なかった事実はどうなんだ!
>>438
 個々の戦闘についてはお互い誇張があるので実態
はなかなかつかめない(例:立花宗茂の夜襲)であれば
全体の戦局から個々の戦闘の規模について考察する方が
賢明だとおもわれ!


443世界@名無史さん:2008/06/01(日) 09:38:12 0
441 :世界@名無史さん:2008/06/01(日) 03:19:19 0
>>436
 お前っていくつなんだよ!このバカ!
 慶長の役は97年2月から98年11月までつづい
 たっていっているだろ!
 97年冬に南下したとして、98年の春以降はどうしたんだ!


↑日本が攻めまくっているわけであるが?
 98年の春以降秋になるまで逼塞していたのは朝鮮や明でした。
444世界@名無史さん:2008/06/01(日) 09:43:02 O
「バカ」と言われるたびに「で、倭城は陥ちたの?」と返して1000まで伸ばすスレはこんなところにありました
445世界@名無史さん:2008/06/01(日) 10:53:41 0
戦術的に勝ってようが日本兵は強かったと満足しようが朝鮮出兵は愚行という歴史は動かない
446世界@名無史さん:2008/06/01(日) 12:29:29 0
>>436
むしろ守りにくい北部を寡兵で戦線を維持した明軍の方が凄いような
小西は間違いなく這いそうだろ
447世界@名無史さん:2008/06/01(日) 12:33:42 O
>>445
朝鮮も、それを助けた明も同様に愚か。
448世界@名無史さん:2008/06/01(日) 12:43:19 O
豊臣に心服してないやつらにやらせればそれほど愚行でもないな
449世界@名無史さん:2008/06/01(日) 15:31:06 0
それで戦役最終年も日本が攻めまくっていたことに対する明厨の反論マダァー?
450世界@名無史さん:2008/06/01(日) 16:46:02 0
>>441

>97年冬に南下したとして、98年の春以降はどうしたんだ!

だから、南下した後に明が出張ってきたから戦線が南下したって言ってるだろ?
日本語わかりますか?

>彼ら一律武装しているわけではないので

武装してなかったらどうしてゲリラ戦法ができたんだ?

>含めても2倍になるかどうかだろう!

根拠は?

>その兵力差で倭城が落とすことの難しさは

なんで勢いに乗って攻め落とせなかったの?
て言うか、守りやすいから南下したんですけど?
何か矛盾が?
451世界@名無史さん:2008/06/01(日) 16:47:13 0




で、倭城は結局落ちなかったんだろ?




452世界@名無史さん:2008/06/01(日) 17:54:51 0
>>450
蔚山攻勢の後、明軍も朝鮮軍も北上して秋まで帰ってきていないがな。
453世界@名無史さん:2008/06/01(日) 18:25:51 0
>>452

敵が逃げたら追ってかなきゃダメなの?
454世界@名無史さん:2008/06/01(日) 19:03:52 0
俺、別にどっち派でも無いけど、両方理論が極端過ぎて、破綻してるな。
455世界@名無史さん:2008/06/01(日) 21:19:26 0
1598年緒から秋になるまで明と朝鮮の正規軍主力は首都に居座ったままだよ。
456世界@名無史さん:2008/06/02(月) 12:41:40 0
>>433
「秀吉の軍は半島から撤退したのだから、最終的には全部陥落した事になる」
というのが、一部の人たちの理屈でござんす。
457世界@名無史さん:2008/06/02(月) 12:46:51 0
>>446
北部が守り難いというのは草履で出兵した日本側の話であって、
明や朝鮮にとっては兵站も短く気温も低い北部の方がずっと戦いやすいだろ。
話を理解して無いんだったらレスしなくてもいいよ。
458世界@名無史さん:2008/06/02(月) 22:26:06 0
文禄の役で朝鮮半島の冬を味わったのに、学習もせず
冬支度もせず出撃する事態で学習能力の低さがわかる!
敵の捕虜や死体、または朝鮮の民衆から防寒の対策を学びも
せず冬に強い北国の大名も動員しない時点で敗北(失敗)
は必死だった!
459世界@名無史さん:2008/06/02(月) 22:28:29 0
>>453
 戦争目的が倭城の防衛ならば敵を追う必要はないが、
 南部4道の占領なら追う必要あるじゃん!
460世界@名無史さん:2008/06/02(月) 22:31:40 0
>>453
 倭城の防衛を通じた沿岸部の確保が戦争
目的ならば敵を追う必要はないな!
 ただ、南部4道の占領が目的ならば
敵を追って領土の確保を図らなければだめじゃん!
461世界@名無史さん:2008/06/02(月) 22:32:40 0
>>458

はいはい。
で、結局戦闘では勝ってんでしょ?

>>459

米軍がイラクで苦戦してる理由は何?
462世界@名無史さん:2008/06/02(月) 22:33:01 0




で、倭城は結局落ちなかったんだろ?





463世界@名無史さん:2008/06/02(月) 23:20:33 0
この朝鮮人は戦争というものをどう理解しているんだろうか?
464世界@名無史さん:2008/06/03(火) 08:32:12 0
もともと朝鮮征伐にノリノリだったのは加藤や福島くらいじゃん。
自分達の城を護れていれば良いって感じで、わざわざ敵を追いかけて殲滅させる意志も気力も無かったんじゃないの?
465世界@名無史さん:2008/06/05(木) 00:04:17 0
三成の馬鹿がいなかったら
466世界@名無史さん:2008/06/05(木) 09:33:09 0
15万の兵站維持するのは激しく難しい。素人にはオススメ出来ない
467世界@名無史さん:2008/06/05(木) 13:19:13 0
碧蹄館の明軍の兵力てどのくらい?



468世界@名無史さん:2008/06/06(金) 12:18:57 0
>>467
日本のほうは2万ぐらいだが、明のほうは3000にすぎなかった。
結局明軍は日本軍の包囲を潰した。

実はこの戦の明軍はほとんど李氏家族(李成梁、李如松など親子)の手先だね。
戦闘力はかなり強かったね。

明軍は騎兵の優勢のため、野戦でいつも簡単に日本軍を潰した。
しかし、初期明軍の兵力は4万にすぎなかったので、李如松は漢城攻撃計画を諦めた。
後期の慶長の役のとき、加藤清正の1万3千ぐらい部隊は麻貴の2千人部隊にたやすく潰された。

楊応龍の反乱は慶長の役と同時で、明がこの反乱を鎮めた兵力は10万ね、
慶長の役の兵力は遥かに多かったな。
つまり、明にとってはこの戦いがたいしたことじゃなかった。
469世界@名無史さん:2008/06/06(金) 12:22:04 0
島津義弘はたいしたものではなかった。
ただ運がよかった。
470世界@名無史さん:2008/06/06(金) 12:59:24 0
いくら兵が強くても日本は明に勝てない。おわり。
471世界@名無史さん:2008/06/06(金) 14:12:52 O
碧蹄館の明軍が三千て、どの資料から引いてきた数字?

なんで敗戦後の李如松は日本軍怖いって言って引き籠もって正面きって戦わなくなっちゃったの?
万暦帝に泣き事を言ってた明将は誰だったかしら?
472世界@名無史さん:2008/06/06(金) 14:33:05 0
花の慶次が出征していたら1人で2万の明兵に勝利したのは間違いない。
473世界@名無史さん:2008/06/07(土) 14:29:59 0
>>468
嘘くせえwww
史料だせよタコ
474世界@名無史さん:2008/06/07(土) 17:05:11 O
>>473
どうせ十四万厨の脳内碧蹄館の話だろ?ほっとけよ。
475世界@名無史さん:2008/06/07(土) 17:24:25 0
↓だってさ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1204066393/468
468 :世界@名無史さん:2008/06/06(金) 12:18:57 0
>>467
日本のほうは2万ぐらいだが、明のほうは3000にすぎなかった。
結局明軍は日本軍の包囲を潰した。

実はこの戦の明軍はほとんど李氏家族(李成梁、李如松など親子)の手先だね。
戦闘力はかなり強かったね。

明軍は騎兵の優勢のため、野戦でいつも簡単に日本軍を潰した。
しかし、初期明軍の兵力は4万にすぎなかったので、李如松は漢城攻撃計画を諦めた。
後期の慶長の役のとき、加藤清正の1万3千ぐらい部隊は麻貴の2千人部隊にたやすく潰された。

楊応龍の反乱は慶長の役と同時で、明がこの反乱を鎮めた兵力は10万ね、
慶長の役の兵力は遥かに多かったな。
つまり、明にとってはこの戦いがたいしたことじゃなかった。
476世界@名無史さん:2008/06/07(土) 17:55:57 0
>>475
477世界@名無史さん:2008/06/07(土) 19:07:35 0
>>475

いや、だからソース出せよ。
478世界@名無史さん:2008/06/07(土) 20:22:39 0
479世界@名無史さん:2008/06/08(日) 00:00:42 O
世界中的に語れ
480世界@名無史さん:2008/06/08(日) 13:38:13 0
ゲームと小説のおかげで、日本戦国時代は英雄の時代と書かれていた。
しかし、戦国時代の真相は農民喧嘩のレベルに過ぎなかった。
戦国の名将(たとえば、織田信長、上杉謙信、武田信玄なんか)は世界中的にしてみれば、
二流、三流の将軍しかなかったね。
481世界@名無史さん:2008/06/08(日) 13:40:01 0
大勝利と言われていた南原の戦というと、
明のほうはただ3000ぐらいが、日本のほうは5万だ。
482世界@名無史さん:2008/06/08(日) 13:56:39 0
今日の一句

資料も出せずに喚く馬鹿


                  春雪
483世界@名無史さん:2008/06/08(日) 14:42:49 0
>>480
>戦国時代の真相は農民喧嘩のレベルに過ぎなかった。
戦国の名将(たとえば、織田信長、上杉謙信、武田信玄なんか)は世界中的にしてみれば、
二流、三流の将軍しかなかったね。

その理由を詳しく述べよ
484世界@名無史さん:2008/06/08(日) 19:01:23 0
結構前のスレから、根拠も無く明を持ち上げて日本を貶めてる奴が一匹だけ混じってるんだよな。
しかもかなり執念深く連続書き込みを続けている。
ゲロ以下の臭いがプンプンするぜえ
485世界@名無史さん:2008/06/17(火) 08:51:49 0
立花最強伝説
486世界@名無史さん:2008/06/17(火) 10:10:03 0
ナポレオンのロシア遠征みたいなものだろうな。

古代広域政治圏の回復は、日本では豊臣秀吉が完成し、古代の辺域だった部分、
日本圏と支那圏とのボーダーにあった任那とか百済とか新羅とかの領域に
手を伸ばして失敗。

ヨーロッパの古代広域政治圏ありていにいえばローマ帝国の回復は、
ウェストファリア条約で一旦あきらめ状態になったところで、ナポレオンが
かなりの部分をやってのけた。でも、及んでないところも多々あって、
日本でいうと、織田信長の時代くらいか。
黒海北岸というと、ローマ時代に、影響は及ぼしても確たる支配はできない
辺地だな、ローマと北ユーラシア遊牧民圏との境界域だったところを取りに
行って失敗している、ということか。
487世界@名無史さん:2008/06/17(火) 10:36:23 0
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
488世界@名無史さん:2008/06/17(火) 18:31:33 0
この時に連れ去られた陶工たちにより、日本の陶芸文化が隆盛したそうだけど、
その辺はこのスレではどういう扱いになるのでしょうか?
489世界@名無史さん:2008/06/18(水) 22:23:55 0
>>488
需要があったから陶芸が盛んになったわけで。
結果的に影響は受けたが、朝鮮陶芸は本質的な部分では関係ない。
490世界@名無史さん:2008/06/20(金) 13:04:23 0
>>489
いや、もしかしたら陶工たち(半島では職人の扱いが悪い)が秀吉軍に協力したばかりに
半島に居られなくなって日本に渡って来てたら面白いかなと。
ただ、裏付ける資料が・・・

半島に帰りたがらなかったというのは知ってるんですけどね。
491世界@名無史さん:2008/06/21(土) 01:14:57 0
>>488
世界史的に語るとな?

朝鮮の役により日本に来た李参平により肥前有田に白磁鉱が
発見され、日本で初めて磁器が焼かれる。
明の海禁令と清の侵攻による混乱で中国の磁器の輸出が止まると
代わって日本の有田焼が伊万里焼としてオランダ東インド会社により
欧州へ輸出され、この収益によりオランダは大国への道を歩むのである

と書いておけば一橋あたりの記述問題は大丈夫なんじゃね?
492世界@名無史さん:2008/06/21(土) 20:42:45 0
493世界@名無史さん:2008/06/23(月) 22:58:27 0
494世界@名無史さん:2008/06/24(火) 17:50:31 0
秀吉か秀長が直接指揮とってたら明までいけただろ
秀長の早死にが悔まれる
495世界@名無史さん:2008/06/24(火) 18:23:47 0
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1150604376/978
978 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 14:15:27
はいはい
3分の1も兵力失ったけどね。現代戦では25%兵力失ったら壊滅と言うんだが
明国境までとか言ってるがそれは明軍介入前じゃないか
たかだか朝鮮半島カッポしただけで世界的に見ればそんなたいしたことないしょ
明にとってはオスマンを破って西アジアを席巻したティムールの方が百倍脅威だったろうな
496世界@名無史さん:2008/06/24(火) 19:00:10 0
はいはい
497世界@名無史さん:2008/06/24(火) 20:58:46 0
日本史板の朝鮮征伐スレッド
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1214026579/l50
498世界@名無史さん:2008/06/24(火) 23:14:58 0
世界史版でも主張したことだが、日本の戦争目的は文禄の役(大明
征服)慶長の役(朝鮮南部の制圧)だったはずだ!
そのために文禄の役では16万〜20万人、慶長の役では14万〜18万人
の兵力を投入している。
戦争期間は文禄の役は約1年間、慶長の役は1年半程戦ったが、結局
外国に寸土もてにいれることができなかった!
やれ、朝鮮半島は寒くて凍死者が続出したとか、あるいは朝鮮半島
が貧しくて現地調達がうまくいかず餓死者がでたとか、また沿岸部
に建設した倭城は1つも落城していない、とか強がってみても、上記
目的を持って半島に侵略しながら、成果を挙げられなかったのは、
秀吉の戦争指導の不味さもあるが、日本軍が大してつよくなかった
ということだろう!
>>494
 秀吉も秀長も本来物量で敵を圧倒するタイプの将だから、明国内で
優勢な敵を相手に勝利できるとはとても思えない!
499世界@名無史さん:2008/06/24(火) 23:35:31 O
明に近い北部で明が強く
九州に近い南部で豊臣優勢なんて当たり前だよ
500世界@名無史さん:2008/06/24(火) 23:37:10 0
>成果を挙げられなかったのは、秀吉の戦争指導の不味さもあるが、日本軍が大してつよくなかった
 ということだろう!

準備してたのに、慶長の役では漢城まで攻め込まれた明軍と朝鮮軍はもっと弱いんだね。
501世界@名無史さん:2008/06/25(水) 16:36:52 0
ttp://d.hatena.ne.jp/mujin/20061220/p2
武将という言い方を否定されたのが悔しくてしょうがないようです
502世界@名無史さん:2008/06/25(水) 19:38:54 O
明厨論理ではベトナム戦争は北ベトナム軍に米軍が大敗したから、アメリカが撤退したことになるのかな?
503世界@名無史さん:2008/06/25(水) 21:45:24 0
明・朝鮮連合軍弱過ぎw
どうしてそんなに弱かったの?
504世界@名無史さん:2008/06/26(木) 22:49:49 0
朝鮮ヒトモドキという類人猿しかいなかったから。
505世界@名無史さん:2008/06/26(木) 23:12:19 0
このスレ的には山野野衾の評価はどうなの?
506世界@名無史さん:2008/06/29(日) 12:04:57 O
>>505
どうなのって、どこの誰のどんな意見に対して?
507世界@名無史さん:2008/06/29(日) 13:14:02 0
日本史上初の対外侵略者、日本史上の最高汚物である秀吉をいまだにマンセイ!大好き♪と言っている大坂人は民度が低い土人そのものですね。
508世界@名無史さん:2008/06/30(月) 05:17:10 0
明攻略に成功したならば最高クラスの「英雄」だったろうな。
509世界@名無史さん:2008/06/30(月) 14:04:01 0
当時の日本から朝鮮攻略は出来ても明攻略は不可能
イギリスがロシア攻略するようなもん
510世界@名無史さん:2008/06/30(月) 18:32:54 0
っていうか征服して利益出るのか?末期な中国なんて北斗の拳状態なわけでとったところで美味しくないと思うのだがw
511世界@名無史さん:2008/07/03(木) 12:59:32 0
>>508
まあでも成功しなくてよかったとも思える
秀吉は天皇を北京に移す計画だったんでしょ
日本の首都が中国側になっていたかも知れないし
512世界@名無史さん:2008/07/03(木) 23:20:06 0
中国贔屓な発言する奴ってやっぱ三国志ヲタが多いのかなぁ
513世界@名無史さん:2008/07/04(金) 22:13:57 0
一行リレーで乙女ゲーのシナリオを作ろう! 4本目
http://game14.2ch.net/test/read.cgi/ggirl/1191645774/
より
そりゃそうだろ。三国志は日本の戦国時代に関する文献が基になってるんだから。日本での人気の方が高くて当然なんだよ。
戦後の中国人ともなるとほとんどその価値を解かる者がいないみたいだね。
特に類似した記述が多いのが太閤記で、あれだけの巨人を一人の人物として描く事はよほど難しかったらしく秀吉の様々な要素が曹操・劉備・孔明に分配されている。
呉の孫堅・孫策は秀吉ではなく織田信長・信忠父子が基ではないかと言われるがもしそうならかなり誤った描写も多い。
まあこれは例によってお得意の劣化コピーって奴だろう。
関羽なんか稀に韓国でも神のように崇めてる奴がいるそうだがモデルが誰なのか知ったらどうなっちゃうんだろうね。
きっと火病で卒倒してそのまま絶命しちゃうんじゃないかな。

514世界@名無史さん:2008/07/04(金) 22:21:12 0
>>513
それコピペ
515世界@名無史さん:2008/07/06(日) 04:57:37 0
秀吉軍は冬が来る前に暖かい南方に退却していた。
北朝鮮の冬は満州よりも冷えるから。
これじゃあ、いつまでたっても北進はできないよ。
結局は、明や朝鮮の軍事力というよりも、朝鮮半島の寒さに負けたというところだろうね。
516世界@名無史さん:2008/07/06(日) 12:58:16 0
朝鮮の寒さは計算外だったろうな。まあそれも秀吉の過失ともいえるけど。
でも文禄の役でそれは把握したから、慶長の役ではまず確実に南部を制圧する必要が
あると考えたんだろうな。南部を足がかりにすれば北部制圧。明入りも可能だろうからな
517世界@名無史さん:2008/07/06(日) 17:42:29 0
というか韓半島南部→山東→北京じゃね?
518世界@名無史さん:2008/07/07(月) 13:54:47 0
朝鮮から山東まで渡るのってそれなりに距離あるし
大軍で行けるかなぁ
519世界@名無史さん:2008/07/07(月) 14:57:37 O
意外にも最近はハン板スレが濃い。
強制IDだからかな?
520世界@名無史さん:2008/07/08(火) 01:31:16 0
結局のところ

>>237の秀吉遠征軍14万人死亡説は
>>330の指摘通り由緒正しいものであり

反論するものは何らまともな史料あるいは研究論文を提示していないことでFAだな。


それにしてもマトモに反論できずに火病おこすとは、まるでチョンみたいだ。
流石、元は同じ国だけのことはあるなw
521世界@名無史さん:2008/07/08(火) 04:08:05 0
なぜ小西軍の戦死者数率を全軍に当てはめて考えているのか謎だ
522世界@名無史さん:2008/07/08(火) 06:54:46 0
>>237に対して>>330は「俺が出した訳じゃないが」何て言ってるけど、まぁ本人だろうな。
由緒正しいと主張する根拠で相変わらず参謀本部編纂 日本戦史を持ち出す辺り>>520も同じ人か。
523世界@名無史さん:2008/07/08(火) 09:53:11 0
その由緒正しき日本戦史に、朝鮮に出陣した兵の総数が15万8700とある
で、文禄の役末期の晋州城の戦いの頃の在朝鮮兵力が12万1600とあるから
37000ぐらい死亡したってことか。
島津義弘が慶長の役の泗川の戦いで討ち取った数と同じぐらいだな
524世界@名無史さん:2008/07/08(火) 16:48:27 0
明を乗っ取ることはできても征服するのは無理だろう。
秀吉は日本のノリで、自分の強さに次々と降伏してくると思ってたはず。

その点ヌルハチはうまくやったね。火気では劣勢だったのにモンゴル顔負けの機動力。
525世界@名無史さん:2008/07/08(火) 19:22:07 0
だからなんで地の利ということをすっとばすのか不思議で仕方が無い。
526世界@名無史さん:2008/07/08(火) 19:31:06 0
機動力と火力とでは、やはり機動力の方が重要なのだろう
とくに広大な大陸で戦う上では
527世界@名無史さん:2008/07/08(火) 19:35:49 0
それがそうとも言い切れない。
要は火力を含めた兵力の集中の問題。
528世界@名無史さん:2008/07/08(火) 19:54:21 0
その兵力の集中を助けるのが、機動性。
529世界@名無史さん:2008/07/08(火) 20:10:30 0
それは戦場での機動力?それとも戦略的な機動性?
どちらにしても当時の技術水準では騎兵の身軽さと
火力の集中は相矛盾するけど。
山海関以北ではそれで良かったが、入関後はそうは行かなかった。
530世界@名無史さん:2008/07/08(火) 20:21:47 0
>>529
ジューンガルは機動力と火力を両立させてたようだが
まぁ、特異な例だろうけど

兵力の集中の要諦は分進合撃
その分進合撃を支えるのは機動力だが、
その機動力を支えるのは、内燃機関のない時代においてはズバリ馬と船なのではないかと
531世界@名無史さん:2008/07/08(火) 21:35:06 0
>>529
騎兵が銃を持った歩兵に適わないのは確かだけど、
騎兵も銃を携行するようにもなったから、矛盾はしないかと。
ただ、発砲する際は下馬しないといけないけど。
スレタイから外れるけど、工業化になると鉄道や汽船が兵力の集中を
更に助けるようになった。
532世界@名無史さん:2008/07/08(火) 21:50:41 0
>>531
その竜騎兵が中国で何時登場したか?ってのと
発揮できる威力・射程・射撃速度等が異なっているという点がある。
また、小銃火力だけなら騎兵でも有る程度何とか出来るけど
砲を含めた火力となると歩兵・駄馬による牽引・水運が必要になる。
ここら辺は貴方が仰る通り工業化前と後で様変わりしている。
533世界@名無史さん:2008/07/08(火) 22:15:47 0
>>530
伊達政宗なんかも両立させてたよ。
騎馬鉄砲隊を編成してさ(こいつは凄いよ。馬から降りて撃つんじゃなくて、馬を走らせつつ撃つんだから)。
534世界@名無史さん:2008/07/08(火) 23:27:31 0
>>522
じゃあ最近の有力な学説はどうなのさ?
535世界@名無史さん:2008/07/10(木) 00:19:31 0
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
536世界@名無史さん:2008/07/10(木) 06:01:13 O
明軍は大軍を擁して総攻撃をしたのに蔚山を落せず、少数でやってきた日本の援軍に野戦で大敗している。
なにやってんの、明?
537世界@名無史さん:2008/07/10(木) 13:31:03 0
あの状況で未完成だった蔚山城を落とせなかった明は底が知れたね
538世界@名無史さん:2008/07/11(金) 13:42:04 O
あれだけ好条件だった蔚山で大負けした明鮮軍、どこなら勝てるんだよ。
539世界@名無史さん:2008/07/11(金) 14:25:13 0
ウリナラ空間ならw
540世界@名無史さん:2008/07/11(金) 15:56:19 0
あの調子で倭城を建設していけば南部制圧は時間の問題だったな
541世界@名無史さん:2008/07/11(金) 21:41:39 0
半島から食料の供給と兵員の供給を受けられれば、
随分楽だったんだろうけどな
542世界@名無史さん:2008/07/12(土) 15:02:00 0
倭城の周辺は日本に帰順した朝鮮農民が日本の風俗に従って生活してたみたいだな
そこから取れる年貢は微々たるものだったろうけど
543世界@名無史さん:2008/07/13(日) 00:54:01 0
朝鮮の国土が貧弱すぎたのが悪い。
日本の戦と同じノリで進撃しちゃったから、兵糧が足りずにジリ貧に。
544世界@名無史さん:2008/07/13(日) 01:51:37 0
地獄の戦国時代を知恵と人柄で制覇したという日本人受けのいい
人物だけどそんな事できるの?
545世界@名無史さん:2008/07/13(日) 13:39:04 0
そんな事ってどんなこと?
546世界@名無史さん:2008/07/13(日) 18:35:27 0
つーか、真面目に調べるとかなり腹黒だよ。>秀吉
547世界@名無史さん:2008/07/13(日) 18:37:43 0
そりゃ成り上がりものだし
548世界@名無史さん:2008/07/13(日) 19:08:21 0
色黒でもあった
549世界@名無史さん:2008/07/13(日) 19:49:10 0
>>546
腹黒でもあるが一方で信用もあった
単なる腹黒だけなら乞食から信長に抜擢されたり天下人にはなれん
550世界@名無史さん:2008/07/13(日) 21:48:33 0
地侍の下の下だったんじゃないかとも言われてるそうな、最近は
何を根拠に言ってるのかは知らないけど
551世界@名無史さん:2008/07/13(日) 22:41:40 0
普通に百姓だろ、しかも途中から家出てあちこち渡って放浪した
弟とか母親もいるし出身が変わるなんておかしいし
552世界@名無史さん:2008/07/16(水) 01:48:39 0
>>551
状況からすると被差別身分の可能性が強い
553世界@名無史さん:2008/07/19(土) 16:08:15 0
ハッキリ言って素性は分からん人物らしいね
554世界@名無史さん:2008/07/19(土) 18:11:48 0
よっぽど上位でないかぎり、武士はみんな農業もやってた
そういうよくいる武士の出だったんでしょ
555世界@名無史さん:2008/07/19(土) 18:54:38 0
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
556世界@名無史さん:2008/07/19(土) 19:24:23 0
>>554
織田家の家臣団なんてほとんど下賎だろ
前田利家とか
557世界@名無史さん:2008/07/19(土) 21:01:12 0
>>556
前田は上級武士でしょうが
558世界@名無史さん:2008/07/20(日) 03:53:26 0
戦国時代は身分制自体が崩壊してっから
差別被差別、上級も低級もありゃせんけどな
559世界@名無史さん:2008/07/21(月) 11:24:05 0
【萬物相】朝鮮陶工の「望郷の詩」
>壬辰倭乱は日本の歴史で「陶磁器戦争」とも呼ばれている。
当時、日本の上流階級では茶の湯(茶道)がブームだった。
豊臣秀吉の命令で出陣した各地の大名たちは、
日本の陶磁器とは比べものにならないほど素晴らしい朝鮮白磁に目を付け、
先を争うように朝鮮の陶工を連れ帰った。
そうして朝鮮から近い日本の各地に、朝鮮白磁を焼く窯が作られた。
http://news.livedoor.com/article/detail/3737908/

"陶磁器戦争"でググると
・当時日本は磁器を生産できない土器を使用する水準だったが 日本人たちが「陶磁器戦争」 と称するくらい多くの韓国の陶工を日本へ連れて
・日本人たちが陶磁器戦争だと呼ぶ韓日戦争を引き起こす契約となったのであり
・日本歴史では壬辰の乱と丁酉災乱を陶磁器戦争だと呼ぶ.
・当時日本は磁器を作ることが出来ず陶器を使っていたが、日本人がこの戦争を陶磁器戦争 と呼んでいることからも分かるように、

こんなのばっかり出てくるんだが
韓国では16世紀の朝鮮出兵を「日本では陶磁器戦争と呼んでいる」ことになっているらしい

560世界@名無史さん:2008/07/25(金) 01:38:42 0
戦の合間に陶工を大量に拉致できるくらい楽勝だったって事だろ。
561世界@名無史さん:2008/07/25(金) 23:16:41 O
ほかに連れ帰るモノはなかったのかね
562世界@名無史さん:2008/07/25(金) 23:52:25 0
当時の戦争では一般人を捕まえて奴隷商人に売り飛ばすのが当たり前だったので、
連れ帰ったのはべつに陶工だけじゃなかったんだが、
その多くは国際的奴隷貿易ルートに乗ってアジア各地に売られていった。
563世界@名無史さん:2008/07/26(土) 15:35:40 0
こんな惨めな歴史しかないせいで、朝鮮人の性格が歪んでるのか。
564世界@名無史さん:2008/07/26(土) 19:21:32 0
あの土地に残ったのは奴隷として売られた側ではなく、同胞を奴隷として売った側ですよ。
565世界@名無史さん:2008/07/26(土) 19:23:20 O
中南米はもっと惨めなのに陽気だけどな
566世界@名無史さん:2008/07/27(日) 04:12:55 0
2ちゃんの連中は朝鮮を極端に卑下するが、腐っても北東アジアの一員だぜ。
文明の水準としては低くないよ。
567世界@名無史さん:2008/07/27(日) 19:04:47 0
隣に支那も日本も無ければ惨めだとは思わんけどねw
568世界@名無史さん:2008/07/28(月) 10:13:41 0
>567、楽浪郡が存続してりゃまだマシだったかもなw
569世界@名無史さん:2008/07/29(火) 18:38:51 O
なぜヒデは這ってでも家康とともに朝鮮に渡らなかったのか?
570世界@名無史さん:2008/07/30(水) 16:39:23 0
南朝鮮位で諦めれば占領も上手くいった気がしないでもない ってか米栽培出来ないとこ占領しても意味無いだろ
571世界@名無史さん:2008/07/30(水) 23:28:27 0
「対馬は、遠い昔から韓国に朝貢を行ってきた韓国の領土だった。
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を起こした日本が対馬を武力で占領した
が、決死の抵抗を行った(対馬の)義兵がこれを撃退し、義兵の戦蹟
碑は対馬の至るところにある。1870年代に対馬を不法占拠した日本
は、不法に所有した領土をポツダム宣言によって返還することになっ
たのだから、韓国に返すべきだ」 

 1949年1月7日、大韓民国の初代大統領・李承晩(イ・スンマン)が
初の年頭記者会見で語った発言だ。


朝鮮日報
「対馬は韓国領」説に歴史的根拠あり(上)
http://www.chosunonline.com/article/20080727000010
572世界@名無史さん:2008/07/30(水) 23:29:29 0
>>571
マルチうざい
573世界@名無史さん:2008/07/31(木) 01:21:11 0
:人間七七四年:2008/05/25(日) 17:57:19 ID:T1dk2yM7
天下統一をした後の政策が・・・ねぇ。

名分が立たず、しかも惨めに失敗した対外遠征。
実の息子かわいさに養子を殺し、しかもその妻妾子供(普通は幼い女の子位は助けるもんだ)皆殺し。
淀城 聚楽第 名護屋城・・・趣味としか思えない大土木工事。
上記の政策を支えるのに必要な重税・・・。
・・・暴君だもんな。

横山光輝の「豊臣秀吉」だったっけ? 天下統一したところで
「老年の彼は、それまでとは比べ物にならない位愚かになった事も追記しておく」って
終わりで締めたの。
574世界@名無史さん:2008/07/31(木) 03:23:27 0
横山はほれ、学会関連ですから、、、
575世界@名無史さん:2008/08/14(木) 16:53:07 0
日本軍が撤退した後のほうが山賊が荒らしまわって悲惨だったって話は聞いたことあるんですが。
576世界@名無史さん:2008/08/15(金) 02:08:25 0
>>575
いや、山賊よりむしろ
「お兄ちゃんと呼べ」と強要された丁卯胡乱や
「ご主人様と呼べ」と強要された丙子胡乱の方が
李氏朝鮮にとってかいkan……もとい、悲惨だったのでは
577世界@名無史さん:2008/08/15(金) 06:53:14 0
>>576
そんな戦争のこと知らなかったから、ウィキぺディアで今読んできた。
悲惨だな、と思った。

それと、この戦争に参加している朝鮮軍には秀吉の朝鮮出兵のときに
現地に置き去りにされたり逃亡したまま現地に帰農したような日本人も
(この場合、日本人って言って良いのかどうかわからんが、つまり同胞の人)
たくさんいたんじゃないのかな。戦乱から3〜40年しか経っていない。

どうして笑いものに出来るのかわからない。想像力が無いとしか良いようが無い。
ほとんどこの板に来ることはないし、たまたまググッてたらこのスレが引っかかって
眺めてたから書き込んだけど、どうなんですかね?そういう点について語られたことは無いのかな。
578世界@名無史さん:2008/08/15(金) 17:15:33 0
>>577

> それと、この戦争に参加している朝鮮軍には秀吉の朝鮮出兵のときに
> 現地に置き去りにされたり逃亡したまま現地に帰農したような日本人も
> (この場合、日本人って言って良いのかどうかわからんが、つまり同胞の人)
> たくさんいたんじゃないのかな。戦乱から3〜40年しか経っていない。
> どうして笑いものに出来るのかわからない。想像力が無いとしか良いようが無い。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%A1%E3%83%AB
これが当時の朝鮮での外国人の扱い。
釜山の対馬の出先機関以外で日本人が無事にやってける状態じゃなかったはず。
579世界@名無史さん:2008/08/15(金) 22:23:43 0
>>578
2chで初めて朝鮮紀行を知って衝撃を受けたものだが、
この話も実に興味深いし、衝撃的でもあるな

正直、朝鮮について知れば知るほど嫌な気持ちになる
580世界@名無史さん:2008/08/25(月) 11:01:32 O
弱いくせに挑発して戦争か?
581世界@名無史さん:2008/09/02(火) 19:08:17 0

秀吉による朝鮮征伐に関する考察
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/war/1220349972/l50
582世界@名無史さん:2008/09/06(土) 02:56:07 0
>>520
当時の誇張されたor現実無視の記録を妄信するか
その後の経過を重視して常識の範囲内で数字を推定するかの差じゃねーの?

上の方のスレで14万死亡は当時の人口の1%って騒いでるのがいたけど
朝鮮に攻めた主体は九州中国四国の大名達だから域内人口は500万〜600万程度じゃねーの?
近代軍制の確立されてない時代に人口500万の地域で働き手が14万も死んでたら無茶苦茶になる。
(しかもその後すぐに関ヶ原&隣国とドンパチ)

泗川の戦いについてもそのまま信じちゃうわけ?
583世界@名無史さん:2008/09/06(土) 19:27:15 0
関が原の主体は九州中国四国以外の大名なんだが!
584世界@名無史さん:2008/09/07(日) 01:09:30 0
馬鹿なの?
585世界@名無史さん:2008/09/07(日) 15:46:07 O
損失は七年を通じて二、三万程度じゃないの?
動員の過半を構成する人足なんかは逃散したり現地雇用で入れ変わが激しいだろうし。
586世界@名無史さん:2008/09/07(日) 21:50:40 0
>>583
関ヶ原参加連中のメンツ見てみろ家康子飼い以外はほぼ西国が主力
北陸、東北、北関東は日和見か上杉とドンパチ、関東勢は真田にフルボッコ
お家騒動で、兵隊送れない所もあったし、関ヶ原中にも領国は隣国と戦争しまくってる
同じ時期に天守有りの築城も開拓も結構してるし余力は相当あっただろ。
実際に戦目付の書いてるように朝鮮出生兵が5割〜7割も消耗してたら
それどころじゃない。

そもそも文禄慶長なんて豊家子飼い以外は誰も本気じゃやってない。
幾ら精鋭部隊でも地方分権のあの頃に対外戦争なんて無謀
弱卒と飢えた棄民が武器の李氏朝鮮、中央集権+北方防衛の中華最強軍を朝鮮に派遣した明
最精鋭だが地方分権で各自やる気の無い秀吉混成軍。統制グダグダでよく頑張ったと思う。
587世界@名無史さん:2008/09/07(日) 22:30:50 O
ところでおれのトゲペ○スを見てくれ こいつをどう思う

すごく 亀甲船です
588世界@名無史さん:2008/09/07(日) 22:37:07 0
>>578
朝鮮には日本から帰化した(日本の苗字を持った)人たちの子孫が住んでいるらしいけど
あれは何?
589世界@名無史さん:2008/09/08(月) 10:54:49 0
>588、マヌケだろw
590世界@名無史さん:2008/09/09(火) 01:31:13 0
>>540 その前に手前の領土で反乱がおきるぞ!
591世界@名無史さん:2008/09/13(土) 02:11:46 0
【書籍】 「韓日の過去」悩んで書いた本を出版した韓国の高校3年生〜「いつまで韓国に謝れというのか」★2[09/12]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1221236445/
592世界@名無史さん:2008/09/17(水) 04:18:09 0
なるすれ
593世界@名無史さん:2008/10/06(月) 21:44:25 0
age
594世界@名無史さん:2008/10/06(月) 22:30:13 0
>>84
ものすごい亀レスだが、日露戦争は「日本とロシアの間でおきた戦争」だからいいんだよ
「唐入り」なら「唐」に「入ら」なきゃならないだろ
まだ倭寇のほうが「唐入り」している
595世界@名無史さん:2008/10/09(木) 23:32:26 0
家康は海を渡らずに九州にとどまっていたという説もあるよね。
秀吉子飼いの武将の疲弊を考えると、徳川に天下が移った原因はここに隠されているかもしれないね。
596世界@名無史さん:2008/10/14(火) 11:37:41 0
>>595
普通に渡ってないでしょ

弱体化もあっただろうけど
それより秀吉に死による内部対立が最大の原因
秀吉子飼いの連中が
加藤、福島、黒田VS石田、小西、宇喜多
こんな感じで別れちゃったし
劣勢の側の徳川が付いたので関ヶ原が起っちゃった
597世界@名無史さん:2008/10/14(火) 11:50:52 0
あと、影響力抜群の前田利家が死んでさ
利家は私闘を禁じてたから
その彼が死んでもう我慢のタガが外れて戦争は秒読み状態になった
加藤福島は平気で三成の命狙うし、三成は公然と仲間を集め始めるし

家康が利家より先に死んでたら関ヶ原は起きなかったかも知れん
598世界@名無史さん:2008/10/14(火) 18:02:26 O
成り上がりだから基盤がないんだよな
599世界@名無史さん:2008/10/14(火) 20:11:44 O
>>594
朝鮮も唐の一部だろ?
暦は万暦だ。
600世界@名無史さん:2008/10/16(木) 00:45:21 0
文禄・慶長の役が海外で誤解されまくってる件
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1224042272/
601世界@名無史さん:2008/10/31(金) 19:59:44 0
602世界@名無史さん:2008/10/31(金) 22:36:33 O
>>594

小西雪長の部隊が北京の近くまで攻めのぼってただろ、
603世界@名無史さん:2008/10/31(金) 22:38:52 0
>>602
え、そうだっけ?
教科書とか見てもせいぜい満州にちょっと突出してるぐらいにしか見えないけど
604世界@名無史さん:2008/11/01(土) 12:35:43 0
朝鮮は唐の前庭だろ。
荒らしたから怒って主人の明が出てきた。
605世界@名無史さん:2008/11/02(日) 12:55:47 0
朝鮮征伐どころか
満洲事変から第二次世界大戦でもかなりの捏造
欧米の都合のいいように教えられる

アウシュビッツで120万人の虐殺など在り得ない
・120万も収容出来るキャパなんぞとても無い
・そこで働いていた人の大半が知らない
・死体を跡形も無くガソリンで焼き尽くしたと言うが、
 そもそもそんな莫大な量のガソリンなんて無い

606世界@名無史さん:2008/11/02(日) 12:56:42 0
たとえば豊臣日本軍が朝鮮全土から撤退したとき、
鬱陵島と済州島だけ確保することは可能だっただろうか?
607世界@名無史さん:2008/11/20(木) 20:24:33 0
608世界@名無史さん:2008/11/21(金) 11:23:48 O
429 名無し三等兵 2008/11/20(木) 22:02:14 ID:eovAKj1l
戦争を仕切っていたのは明だしな。


↑これに証拠を付けてウィキに反映できないかな?
 裏付けのある主張なの?
609世界@名無史さん:2008/11/25(火) 20:07:03 O
>>608
具体的なレスが返ってこないな。ご苦労さま。
610:2008/12/02(火) 10:43:37 0
そういえば秀吉って、すべて戦果を取られてるよな。

日本ではせっかく天下統一したのに家康にとられ、
明の軍隊を弱らせたのに満州族が中国をとったしな。
611世界@名無史さん:2008/12/02(火) 11:26:33 0
家康とヌルハチは勝ち組
612:2008/12/02(火) 16:42:10 0
さて、七百年前のことを惜しむなんてことが許されるならば、
元寇の時にモンゴルに報復して中国で「解放軍」として迎えられるのが理想だったな。

そうすれば近代日本の大陸進出策なんていらなかつたのに。
613:2008/12/02(火) 16:45:35 0
まあ、文化の違いなどから、安定しないだろうとおもうけどさ。
614:2008/12/02(火) 16:52:37 0
そのまえに鎌倉武士ではモンゴルには勝てないかな。
日本は船の技術が弱かったから海を渡るだけで一苦労だろ。
615世界@名無史さん:2008/12/05(金) 10:57:08 0
上陸できても、
元の皇帝自らがモンゴル騎兵を率いてきたら、
まず鎌倉武士は書いてないね。
616世界@名無史さん:2008/12/08(月) 20:03:19 O
>>615
なんで?
617世界@名無史さん:2008/12/09(火) 18:34:37 0
>>615
中国大陸に上陸できても、
元の皇帝自らがモンゴル騎兵を率いてきたら、
まず鎌倉武士は勝てないね。 の間違えだろう?
618世界@名無史さん:2008/12/09(火) 19:38:18 0
実際に大陸に乗り込んでいったのは武士という範疇の人達じゃなくて倭寇だけどなw
海賊らしくヒットアンドアウェイが基本だと思われるが、元朝衰退の一因になったのは確かなようだ。
619世界@名無史さん:2008/12/10(水) 00:39:33 0
倭寇ってそんな時代からいたんだっけ?
620:2008/12/10(水) 03:49:20 0
徳川家康って、豊臣家を滅ぼした功績を、明国から称えられたりしたの?

まあ朝鮮からは称えられたようだけどさ。今でも秀吉嫌いな朝鮮人は徳川がすきだろ。
621世界@名無史さん:2008/12/19(金) 07:13:33 O
>>620
さっさと国交を再開しないと三度目の出兵をすんぞゴラァ、と朝鮮を脅しましたが、何か?
622世界@名無史さん:2008/12/28(日) 16:12:10 0
いっちゃなんだが、たかが倭国の王が誰になろうと、大明国には関係ない話で、
明に対して有害でなければ豊臣氏がそのまま続いたってかまわなかったのでは?
623世界@名無史さん:2009/01/02(金) 10:34:51 O
官僚は仕事を増やさない
624世界@名無史さん:2009/01/02(金) 14:35:59 0
秀吉はお市の方でオナニーしまくってただろうな。
でも結局最後まで抱くことができなかった。
その意味で言えばお市の方とやりまくった浅井長政や柴田勝家は勝ち組だな。
625世界@名無史さん:2009/01/04(日) 10:03:56 O
明側から評価した研究はないの?
626世界@名無史さん:2009/01/04(日) 13:18:48 0
明史は違うか
627世界@名無史さん:2009/01/04(日) 13:40:07 O
明の歴史でもあまり解説を聞かないな
628世界@名無史さん:2009/01/05(月) 02:26:42 0
明史以外だと『徐文定公集』、『両朝平攘録 日本部』、『武備志』などに記述有り
629世界@名無史さん:2009/01/06(火) 11:51:28 0
どんな記述?
630世界@名無史さん:2009/01/28(水) 20:49:14 0
?
631世界@名無史さん:2009/01/29(木) 12:28:25 0
明史には記載があるよ。秀吉の朝鮮出征は明史では「万暦三征」として紹介されている。
それぞれ項目があって寧夏、貴州、朝鮮の出兵が記載されてる。
その当時は芸術大好きバカ典型の万暦帝の時代で、いやいや、三方面への出兵を許可している。
それよりも満州遠征の記述のほうが大きい。実際はヌルハチに負けてるのにね。
632世界@名無史さん:2009/02/03(火) 20:58:56 0
   石窟庵 釈迦如来像
             
 七一年の秋、韓国へ高麗、李朝の陶磁の古窯調べに行った。そのおり、足を延ばして新羅の遺跡の仏国寺を訪ね、背後にある吐含山の石窟庵へと行った。
 一人の若い僧侶が石窟建造の由来を説明したあと、『中央の釈迦如来像のミケンには、現在ガラス玉が入っているが、元は水晶の玉が入っていた。だが水晶の玉は、終戦直後、日本人が盗んで行った・・』と、つけ加えた。
 「チョ ムスン ソリュヤ(そりゃ何の歌でい=何たることをぬかすか=といった意)」私は、そこが外国であることも忘れ、下等な俗語で僧侶に食ってかかった。
 いま、日韓両国が善隣友好に努力しつつある時、それに水をさす歪曲された言葉には、我慢ならなかったからである。
 新羅の旧都慶州には一九一三年(大正四年)から移り住み、石窟庵には大坂金太郎校長(後の慶州博物館長)に伴われて幾度か行ったが、当時から如来像のミケンに玉は入っていなかった。
 庵寺の僧侶は、戦後東京中央大学の史学科を出たという人で、受講中に聞いた話だと言ったが、私の抗議にはその場で了解してくれた。
 この種の歪曲された「日本人の悪業?」の話は、戦後雨後の筍のように流布され出した。事実を究明することなく、物の本にもかなり書かれている。最近読んだ新刊で、高麗、李朝の陶磁の写真集に、壬申倭乱の時、
 日本勢が撤退に際し陶工のほとんどを拉致して行ったとしてある。
 私は一九二八年から朝鮮総督府鉄選局に席をおき、朝鮮事情紹介の執筆編集にたずわった。「高麗、李朝の窯跡歩き」と題する案内記を出すこととなり、その道の権威であった浅川伯教さんをわずらわして古窯探査をやった。
 そのおり伯教さんは、李朝の窯などが亡びたのは、陶工の国外流出によるものだと説明された。壬辰丁酉の豊臣勢の朝鮮侵攻は不幸な出来事だったが、彼の地の道案内には現地の人達を起用した。
 一五九五年(文禄五年)島津義弘が巨済島引き揚げに際し、部隊に協力した数名の朝鮮人が、彼らからの申し出により、薩摩に来て帰化した。その中に金海と呼ぶ陶工がいて茶碗を焼き、献上した。
 義弘は大いに喜び彼を士班に取り立て、名字帯刀を許して禄一五石を与えたという『古文書・薩摩陶器起原』。
633世界@名無史さん:2009/02/03(火) 20:59:21 0
 萩に来た李敬一門、上野に窯を開いた尊階(釜山鎮城主の次子)、有田に来た李泰平など、みな金海同様の優遇を受けている。その噂を伝え聞いた朝鮮の陶工が、競うように日本へ流出したため、李朝の窯場が空になったと考えるのが自然だろう。
 日本車に協力した者には、当然極刑が待っていただろうし、また陶工のおかれていた階級が「賎民」と呼ばれる最下層だったことも流出の原因にちがいない。
 一九三年日韓併合後朝鮮に移り住んだ日本人一人一人が高麗王朝以来疲弊した文化を複帰し新展することを考え、実践してきたはずである−もちろん朝鮮の人たちとともに−。
 現在でも韓国の多くの友人たちは、私が訪韓の度に日本人の書いた本を示し、いつになったらこんな意味ない著書が終息するのだろう……と。
(飯山達雄)
634世界@名無史さん:2009/02/03(火) 20:59:37 0
635世界@名無史さん:2009/02/03(火) 21:15:39 0
ちょっと初心者質問。

文禄の役で、朝鮮の八道に日本軍一〜八番隊を
各方面軍として展開する「八道国割」戦略があったけど、
九番隊はどういう位置付けになってたの?
本営として巨済島にずっと待機で、半島上陸はしなかった?
636世界@名無史さん:2009/02/05(木) 12:44:38 O
>>635
釜山周辺の確保。
637世界@名無史さん:2009/02/05(木) 19:22:13 0
>>631
本当に万暦は徹底した馬鹿殿だったよね。
部下が駆けずり回って三方に出兵中に、自分は美術品や美人を漁り三昧。
李自成の大反乱の原因となった大飢饉の時も、出兵中で食料が無いと民衆への支援を断りながら、その周辺の皇族ともども美術品をあさり続けた。
そのあおりを食った崇帝はほんと可哀想だと思う。
638世界@名無史さん:2009/02/05(木) 19:41:00 0
そのアホの万暦帝の時代に作られた
万暦赤絵が目の玉飛び出るような高値で取引されてるんだから皮肉なもんだ
639世界@名無史さん:2009/02/05(木) 20:38:09 0
>>636
サンクスです。
大将の豊臣秀勝が巨済島で病没したというから
動向が気になってたんだが、やはり上陸はしてたんだね。
640世界@名無史さん:2009/02/05(木) 21:00:55 0
>>632
昨年の旧正月の映画で、
「ワンス・アポンア・タイム」というのがある。
この前の大戦中の朝鮮での喜劇。
石窟庵の石仏の額にあった大宝石「東洋の光」を
巡る朝鮮総督と朝鮮人泥棒の喜劇。

フィクションがファクトになる、韓国だから、
その教養のない若い僧侶は、この映画の話を
しただけだろう。

文禄慶長の役(イムジンウエラン)にしても、
チャングムにしても、99%フィクションを
史実と誤認するのが韓国人。
641世界@名無史さん:2009/02/05(木) 21:02:08 0
>>639
細川忠興が第一次晋州城攻めに参加しているよ。
晋州城は落とせなかったけど、その前の野戦では朝鮮軍を撃破して昌原を落としている。
642639:2009/02/05(木) 23:11:51 0
>>641
成る程、細川忠興が率いて奮戦したんだね。
信長の孫の織田秀信もこの九番隊所属だとか(実質的初陣?)
結構意外な人物が参陣していて興味深いな。
643世界@名無史さん:2009/02/06(金) 09:01:13 O
>>642
秀信は当初編成の九番に入らない番外で後から渡海していたかと。
644639:2009/02/06(金) 18:47:54 0
>>643
そうだったのか…。
では最後の初心者質問。
そういう日本軍各将の細かい動向って
どんな史料や資料で調べられますかね?
645世界@名無史さん:2009/02/06(金) 20:29:00 0
>>644
それは未だ研究中かと。
旧参本の日本戦史朝鮮役が入門としては良いでしょうか・・・
646世界@名無史さん:2009/02/06(金) 20:39:51 0
>>644
横からだが。
個人的には徳富蘇峰の『近世日本国民史』第7巻から第9巻。

該書は織田政権から明治前半までの全100巻の超大作だが、提示した第7巻から
第9巻は豊臣秀吉治世中朝鮮役を取り扱っている。

朝鮮側、支那側、日本側の一次資料を駆使し、併記し、単なる史書というより
は、一大資料集と言っていい。
647639:2009/02/06(金) 21:23:04 0
>>645-646
ありがとうございます。未だ研究中か…(その割に皆さん詳しいw)
しかし、『近世日本国民史』は地元の図書館に所蔵を確認。
『日本戦史 朝鮮役』と合わせて読んでみます。
648世界@名無史さん:2009/02/07(土) 00:58:36 0
スレ違いですまないが、徳富蘇峰の戦後における評価はひどいなあ。
649世界@名無史さん:2009/02/07(土) 03:20:22 0
>>637
でも一度でもいいから万暦帝みたいな人生おくってみたい
650世界@名無史さん:2009/02/07(土) 09:06:21 0
>>648
2chに蘇峰のスレが無いという事が、其状況を端的に表わしていると思う。

先ず、多くの人が此前年末の東條の開戦経緯のドラマで知ったというの
が多いのじゃないかと。
しかも、西田の怪演でどう受け止められていたか。或意味無念。
651世界@名無史さん:2009/02/07(土) 11:46:48 O
蘇峰のは確かに読みやすいけど、アジア主義臭がするからな。
鵜呑み厳禁で検証と批判は必要。
652世界@名無史さん:2009/02/09(月) 01:47:10 0
>>650
蘇峰を粗放に扱うこと自体が、日本の歴史学の限界を…ゲフンゲフン
653世界@名無史さん:2009/02/10(火) 13:37:42 0
【審議中】
       ∧,,∧  ∧,,∧
    ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
   ( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )
   | U (  ´・) (・`  ) と ノ
    u-u (l    ) (   ノu-u
        `u-u'. `u-u'

654世界@名無史さん:2009/02/10(火) 14:07:18 0
通りがかりなんだけど、
通読すると、
中国人か朝鮮人か知らないけど自作自演の工作文は目を覆うばかりだね。
英版wikiの記述もひどい。

でたらめ、ウソ、誇張、牽強付会な引用。
昨年春頃のレスには呆れる。
655世界@名無史さん:2009/02/10(火) 19:30:07 0
アメリカではウィキペの記事なんざ全く信用されてないから、それ程危惧する心配も無いかと。
とは言えど、捏造記事書いた当人がそれをソースとして日本で…ってのはありそう。
656世界@名無史さん:2009/02/10(火) 22:52:25 0
>>642
秀信は秀勝病死後に入れ替わりで渡海。
この時13歳だから、実質的な初陣だろうね。

ちなみに、秀吉の朱印状に見られる戦後構想には、

一、高麗(朝鮮国)の儀は岐阜宰相(織田秀信)か、
 しからざれば備前宰相(宇喜多秀家)相置かるべく候。

という、秀信を朝鮮国王(?)に封ずる可能性を示す一文もある。
657世界@名無史さん:2009/02/11(水) 09:22:31 0
>>656可能性?はぁ?
658世界@名無史さん:2009/02/11(水) 10:53:27 0
>>657
ん? 何か変か?
あくまで秀吉の脳内構想には過ぎないけど、
天正20年5月に秀吉が秀次に宛てた
関白宛秀吉朱印状にそう書いてあるんだが。
659世界@名無史さん:2009/02/11(水) 19:08:19 0
>>658
でさ、天正20年5月に於ける岐阜宰相って誰だと思っているの?
660世界@名無史さん:2009/02/11(水) 21:01:51 0
>>658その岐阜宰相は豊臣秀勝だっちゅーの。
661658:2009/02/11(水) 21:28:10 0
>>659-660
そういう意味だったか…。これはお恥ずかしい。
662世界@名無史さん:2009/02/12(木) 21:45:41 0
備前宰相も、朝鮮国王なんかに封じられるよりは
八丈島へ流された実際の人生の方が平穏で良かったんじゃなかろうか
663世界@名無史さん:2009/02/16(月) 21:39:48 0
宇喜多家を朝鮮に移封って無謀もいいとこだな。
地元の備前でさえ戦役後すぐ内紛起こして紛糾してるのに、
そんな連中に異民族統治なんてさせたらどんな大混乱に発展する事か。
664世界@名無史さん:2009/02/17(火) 20:49:36 0
194 名無しさん (2009/02/03(火) 03:34:43 ID:0bpDc6Gk)
文禄の役ではあまりに弱い敵軍に調子に乗りすぎて日本軍は補給も待たずに内陸に進軍しすぎて
凍死者が続出したのは事実。

慶長の役まで入れて全体を通して見ると日本軍の圧倒的優位は変わらなかった。


最初=日本軍優位
中盤=寒すぎて日本軍涙目
後半=沿岸地域は和城だらけ、いよいよ本隊渡航も間近
秀吉死去=聞いてねーよ!帰るか…

慶長の役は撤退戦ですら
ほぼ一方的に明軍や朝鮮軍にダメージを与えるという
ありえないほどの戦果だからな…
195 名無しさん (2009/02/03(火) 14:39:53 ID:xgk.KeGk)
そして正式に講和をたてて撤退する日本軍を後ろから襲って返り討ちにあった朝鮮水軍
196 名無しさん (2009/02/04(水) 19:48:48 ID:Y8DO7saU)
ふむ。

日本軍(敢えてそう呼ぶ)は強いが国として完全に一つにまとまってるわけじゃなく、
そこが弱点だったってことだな。
197 名無しさん (2009/02/04(水) 20:25:12 ID:OTXf/vlY)
>>193
敵国に攻め入るわけだから、攻め込む側の死者の数は攻勢の優劣に比例しない。
朝鮮半島全土の人間が敵になるわけで、どこを進もうが戦闘はひっきりなしに続く。
注目されるべきはむしろ、あの時代において13万の軍勢でその全土を実に迅速かつ徹底的に制圧してしまったという点。
198 名無しさん (2009/02/04(水) 22:23:13 ID:1boV4xK.)
しかも海を越えてだもんな
ほんと凄いよ。長い戦国時代にあった日本はそこら中が即戦力だらけだったんだろうな
665世界@名無史さん:2009/02/17(火) 20:53:02 0
216 名無しさん (2009/02/10(火) 02:06:24 ID:TMco9EXo)
信長も明攻略考えたと思うよ。
明というか、周辺国全て、東南アジア
も視野に入れていたかも。
その後の大東亜共栄圏ではないが、
似たようなことを考えたかもね。
ポルトガル宣教師によって、当時の
国際状況は当然知っていただろうから、
あの、信長だもん、やりかねない!!!
217 名無しさん (2009/02/10(火) 05:09:39 ID:ecqqmM4w)
>>214
ルソン(フィリピン)を狙ってたというのはよく聞くね
南蛮のほうを先に狙いそう。
明・朝鮮は秀吉あたりに攻めさせて、自分は南進して南蛮とやるとかしそう。
218 名無しさん (2009/02/12(木) 12:08:29 ID:kex5Ilqc)
>>217
摂津の商人がタイとベトナムに取り入るきっかけを作るよう
信長の命を受けた池田なんちゃらから指示されてるので
信長としては明を挟み撃ちにするか、タイやらを抑えてフィリピン入りしたかったか
666世界@名無史さん:2009/02/17(火) 20:54:04 0
219 名無しさん (2009/02/13(金) 04:00:40 ID:tXMlZXtY)
南進するならやっぱ南蛮とやりあわにゃいかんから
ルソン攻めだろうね
220 名無しさん (2009/02/13(金) 15:46:10 ID:nIVys3yA)
陸戦では日本は強かった。スペインも日本を恐れていた。
実際、秀吉がルソンに朝貢を促した時、スペインのあわてぶりに驚く。

ルソン提督がスペイン王フェリペ2世に宛てた手紙
「コーチシナ、ここは1000人で征服できます。
カンボジア王国、ここは我ら(スペイン)の生活の面倒をみてくれています。
シャム、ここは1500人で征服できます。
いずれも偉大なスペインの旗を立てるのは容易ですが・・・・・
日本が攻めて来れば、ルソンは壊滅します。」

パステルス「日本スペイン交渉史」
667世界@名無史さん:2009/02/27(金) 19:24:45 O
今度は日本史スレに鮮脳された馬鹿がやってきました。
どうぞお楽しみください。
668世界@名無史さん:2009/02/28(土) 11:42:37 0
何日経ってからレスしてんだよw
669世界@名無史さん:2009/02/28(土) 14:50:49 0
>>654
たとえばどんなの?
670世界@名無史さん:2009/03/20(金) 11:09:56 0
あげ
671世界@名無史さん:2009/03/20(金) 20:08:24 0
歴史群像 No.94 2009年4月号
■ 第2特集
天下静謐を阻まれた新政権の選択
【家康、豊家排除の決断】
http://rekigun.net/magazine/index.html

この記事によると、朝鮮出兵によって尾張など日本の農村は労働力不足に陥り、
京・大坂・堺などから非生産者が強制連行されて農村で働かされたが役には立たず、
全国の田畑は荒廃しつつあったそうだ。文献をいくつか紹介している。
かつて、日中戦争・大東亜戦争によって若年労働者が戦地に駆り出され、深刻な
労働力不足に陥ったため、兵役義務のなかった多数の朝鮮人労働者が日本に
移植された歴史があったが、それと似た事態だったのだろう。
となると、満州族のような遊牧民ではない日本が、あの時代に明を征服することには
無理があったのではないか?兵は単身赴任だったのだし、もし一時的な征服に成功
したとしても、その後、日本国内はどうなったのか?
672世界@名無史さん:2009/03/20(金) 20:09:33 0
【韓国】‘倭乱時の倭軍集団脱営’立証資料を日本で発見[03/11]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1236743431/
673世界@名無史さん:2009/03/21(土) 16:30:01 0
674世界@名無史さん:2009/03/21(土) 17:28:44 0
>>671
こまかい突っ込みだが、満州族は遊牧民族じゃなくて狩猟民族だけどな。
675世界@名無史さん:2009/03/21(土) 20:55:56 P
>>674
そういや興亡の世界史で、満洲族を遊牧民と記述していたような・・・・
一応大清帝国の奴だったんだがな
676世界@名無史さん:2009/03/22(日) 01:40:02 0
677世界@名無史さん:2009/03/24(火) 15:00:31 0
そんなことよりイチローの朝鮮征伐のほうが凄いよ。
678世界@名無史さん:2009/04/09(木) 11:06:37 0
?
679世界@名無史さん:2009/04/21(火) 19:57:59 O
彷徨える明厨は日本史板で店開きの模様。
680世界@名無史さん:2009/04/28(火) 18:46:30 O
かもねぇ
681世界@名無史さん:2009/04/29(水) 14:41:44 0
日本史板のスレタイ教えて


682世界@名無史さん:2009/04/29(水) 18:52:01 O
>>681
秀吉の朝鮮征伐
683世界@名無史さん:2009/05/01(金) 09:38:07 O
>>679
今度は戦国時代板に移動した模様w
684世界@名無史さん:2009/05/04(月) 13:31:30 O
なんで朝鮮だけ変な歴史認識になっちゃったの?
685世界@名無史さん:2009/05/04(月) 18:35:08 0
植民地の歴史だから。
686世界@名無史さん:2009/05/04(月) 19:15:34 0
>684、ウオッカ飲んで寝て忘れろ
687世界@名無史さん:2009/05/04(月) 23:40:08 0
(日明戦争に於ける)朝鮮掃討戦と表記すべきだよな。
半島に侵攻したのは言わば「手段」であって目的では無いわけだし。
688世界@名無史さん:2009/05/05(火) 00:52:24 0
目的には全く手が届かなかった。
689世界@名無史さん:2009/05/05(火) 05:58:40 O
>>688
目的に世界平和の探求を設定しているくせに実現できずに失敗を繰り返している日本は、秀吉と同じく真の敗戦国ってことですか?
690世界@名無史さん:2009/05/05(火) 07:31:59 0
結局目的果たせなかったからね
691世界@名無史さん:2009/05/05(火) 09:28:45 0
>>689
意味不明
692世界@名無史さん:2009/05/05(火) 12:40:12 O
普通に日明戦争でいいじゃん。
勝とうが負けようが敵の主力は名実共に明だし。
日露戦争だって別にロシアが主戦場だったわけじゃないし。
693:2009/05/05(火) 14:59:26 0
日明戦争、日清戦争、朝鮮戦争

朝鮮は何度も戦場になってるのな。
694世界@名無史さん:2009/05/05(火) 16:03:27 O
>>693
日露戦争もだよ。どこで開戦したのか知ってるよな?
695世界@名無史さん:2009/05/05(火) 16:26:06 0
たかだか4回かそこらで「何度も」と言われたら、イタリアだのフランスだのの立場がないよ?
696世界@名無史さん:2009/05/05(火) 19:02:07 0
>>695
ん、ウリナラ史観では、朝鮮半島では古代以来、正史に記録されただけでも二千年間でおよそ千回も
大陸側、海側から外敵による侵略を体験し、かつ、それを撃退したてきた強盛大国ということになってるから、
ぶっちぎりで世界一だろ。w
697世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:12:38 0
高句麗は凄かった
チョンの国家かどうかは知らんが
698世界@名無史さん:2009/05/06(水) 07:14:46 0
■朝鮮人が認められない歴史的事実一覧

・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)であること
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、王家の一つ昔氏が倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても倭人説があること
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在)
・常に某かの国の属国として歩んできた歴史
・姓が漢族のものであること
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている)
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ)
・オンモン(朝鮮文字)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、しかもカナより600年遅れて作られたものであること
・韓国併合の合法性と妥当性
・近代以前の竹島に関する不認識
・併合下における近代化の功績
・土地を奪ったという嘘(そもそも土地を持たない極貧小作農が大半。不申告や所有権が証明されないため総督府が接収した土地は
 全耕地の3%にすぎない)
・名前を奪ったという嘘(http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/73/Japanese_Name_Change_Bulletin_of_Taikyu_Court_.jpg
・言葉を奪ったという嘘(日本統治時代には公教育として朝鮮語・オンモン教育を実施)
・強制連行という嘘(出稼ぎのために密航したのが実態。当時は渡航制限があった。しかも戦後にやって来たケースもある)
・性奴隷という嘘(売春婦。親により前借金の形として売られたのが実態)
・固有語の語彙が乏しく、また日本のように字訓という制度的保証がない状態ですでに語彙のおよそ7割が漢語であること(学術的語彙は9割が漢語)

699世界@名無史さん:2009/05/10(日) 02:07:40 0
半島が日明戦争の舞台になってしまったから
そこに住んでいた朝鮮人が気の毒ではある
700世界@名無史さん:2009/05/10(日) 07:31:14 0
確かに平穏(?)なままで居たかった民衆にとっては、とばっちりだったかも…
最も李朝鮮当局に不満持ってた連中はこれ幸いだと言わんばかりに暴れたらしいけど。
701世界@名無史さん:2009/05/13(水) 10:40:35 0
日本軍だけじゃなくて援軍の明軍も略奪したらしいからな
702世界@名無史さん:2009/05/13(水) 18:43:55 0
らしいじゃなくて、している。
平安道なんか日本軍が侵入していないのに明軍の略奪で
人口が激減している。
703世界@名無史さん:2009/05/14(木) 01:31:06 0
>>701
黄海つかっての海上補給も不可能じゃなかったろうが、
まあ朝鮮のためにそこまで手間と税金使うのもバカバカしいし、
救援軍の補給は現地政府負担が普通だろうし。

が、朝鮮政府は、統治能力・兵站能力とも皆無だったからなあ。
現地調達と略奪に走るのも当然の成り行きか。
704世界@名無史さん:2009/05/14(木) 10:10:19 0
>>702
朝鮮を弁護すれば、それは結局日本のせい
705世界@名無史さん:2009/05/14(木) 20:31:27 0
>>701
レイープもしてるよん

>>703
海上補給は行われてるよん
706世界@名無史さん:2009/05/14(木) 21:17:21 O
>>701
つか明軍の乱暴ぶり見て「これじゃチョッパリのがマシニダ」と言ったほど
707世界@名無史さん:2009/05/14(木) 22:35:14 0
日清戦争でも似たようななことあったて聞いたことある
友軍のはずの清軍が略奪はじめたって
708世界@名無史さん:2009/05/15(金) 01:18:33 0
韓国ドラマ「不滅の李舜臣」見たが、日本の描写がまぁ笑えて笑えて。

大阪城の大広間が、10畳くらいしかない。
そこに直垂や侍烏帽子、直衣、陣羽織・・・
服装もバラバラなお大名が息をつめるように座る。

千利休は点てた茶を、秀吉の前に置かれた「卓袱台」に乗せて勧める。

利休の切腹の理由は、「朝鮮出兵に反対したから」。

朝鮮出兵の前進基地「名護屋城」の位置は、現在の名古屋市。

秀吉は出兵の前祝に、朝鮮人の捕虜に李朝の王や王妃、大臣に女官のコスプレをさせ、
火縄銃で撃ち殺して哄笑する。

足軽部隊は「キヲージュケー!」(気をつけ?)の号令の元、秀吉の前に整列。

もう笑えて笑えて・・・
709世界@名無史さん:2009/05/15(金) 01:48:01 0
国を挙げて歴史をねつ造している国家の時代劇にリアルを求めることがおかしい。
710世界@名無史さん:2009/05/15(金) 02:41:42 0
>>708
謎のファンタジー甲冑に、外百済まで出てくるという大王四神記に比べれば
まだずいぶんとマシなんじゃないかと・・・w
711世界@名無史さん:2009/05/15(金) 06:30:31 0
日本の大河も似たようなモンじゃないの?
功名とか酷かった気がする
712世界@名無史さん:2009/05/15(金) 07:42:59 0
それは「ドラマの範疇内に収まる」美化だろ。
いちいち相対化しようとすんな。
713世界@名無史さん:2009/05/15(金) 22:08:10 0
>>712
ファビョってんじゃねえよ。
714 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2009/05/15(金) 22:10:40 0
   ∧_,,∧
 ⊂<#`д´>    
  /    ノ∪         
  し―-J |l| |        
          バシーン!!     
      ) ( ´∀`)(
     ⌒)。  ・(
       ⌒Y⌒
715708:2009/05/15(金) 22:16:50 0
しかも大阪城の秀吉が座る壇、背後に描かれているのは狩野派の大和絵ではなく、
葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖波浦」!
時代が2百年以上も違う・・・

自国を描いた「チャングム」でさえ、王宮の台所にガスコンロがあったり、
16世紀はじめの話だというのに、18世紀に描かれた李朝絵画「木登りする猫」が、
チェ参宮の部屋にかけられていたりするから・・・


自国の歴史でさえアレなんだから、他国の歴史風俗を知ろうとするほうがムリというものか。

挙句、原作となった韓国小説「孤将」を読んでみたら、16世紀終わりの朝鮮なのに
玉蜀黍、馬鈴薯、甘藷があったりして。さすがに唐辛子は無かったが。
716世界@名無史さん:2009/05/15(金) 22:39:33 O
自国の教科書がファンタジー小説の国に史実考証なんて期待すんなよw
717世界@名無史さん:2009/05/16(土) 00:25:09 0
安土桃山時代の日本に
パイナップルがあったりドリアンがあったりする某ステキ漫画も
ちょうど朝鮮征伐をやってるな、今
718世界@名無史さん:2009/05/16(土) 08:25:40 0
kwsk
719世界@名無史さん:2009/05/16(土) 14:48:00 0
この戦いって結局
日本は戦闘に勝って戦争に負けた感じはする
日中戦争みたいに
720世界@名無史さん:2009/05/16(土) 21:52:27 0
勝った負けたというより引き分けじゃない?
秀吉が死んで戦う意味がなくなって撤退しただけだし。
721世界@名無史さん:2009/05/16(土) 22:05:31 0
ただ、あとで一番得をしたのは日本だとも言える。

焼き物職人や儒学者、活字などを入手でき、大いに文化が発展した。
豊臣一族が弱体化し、徳川幕府成立の布石となった。

朝鮮は日本にメチャクチャにされたのは言うまでも無いが、友軍であるはずの明軍による略奪も酷かった。
それでも「明が助けてくれた!」との思いから、大陸の明清交代期に、外交面で失敗した。
日本が去ったあと、政府は復興のために農村の復旧・・・じゃなくて農民に多大な税を課し、農民は一層疲弊した。

明国は派兵のために相当出費し、財政が悪化した。
そして半島に兵が回ったため、対女真族防衛が手薄になった。
これが女真族の躍進をまねいた。




豊臣は負けたが日本の勝ち、とも言える。
722世界@名無史さん:2009/05/16(土) 23:10:57 0
引き分けというより痛み分けだと思う

>>718
モーニング連載「へうげもの」
723世界@名無史さん:2009/05/16(土) 23:20:54 0
まぁ、痛い思いをしたものの日本はほどなく回復し、他方、明はそれが致命傷で
お亡くなりになったようなものだけどね。

で、朝鮮は400年経ってなお謝罪と賠償を言い続けると・・・w
724世界@名無史さん:2009/05/16(土) 23:24:05 0
政権ひとつ転覆してるのに「ほどなく回復」ってのもどんなものかな
725世界@名無史さん:2009/05/16(土) 23:47:52 0
確かに
明より先に滅んだしな>豊臣家
726世界@名無史さん:2009/05/16(土) 23:54:35 0
明もグダグダだけど
なんだかんだで朝鮮征伐のあと半世紀近く続いてるんだよな
727世界@名無史さん:2009/05/17(日) 00:06:36 0
かっての主人明人を虐殺した朝鮮人

明から清に主人を替えた後の朝鮮人はじつにおとなしく、清の軍隊召集に馳せ参じ、 2回の羅禅(ロシア)遠征と明の征伐に従軍した。
父として明を敬っていたはずなのに、新しい父を迎えた途端、明に対して残酷無情な態度を取った。
3回にわたる明征伐では、 朝鮮軍は満州人を驚嘆させるほど明人を虐殺した。
満州八旗軍はかなり軍紀正しい軍隊であったが、盟友のモンゴル八旗軍の朝鮮蹂躙には、かなり悩まされていた。
しかし、朝鮮軍が満州人の軍門に下り清軍に召集されると、今度は朝鮮軍が旧宗主国の明征伐を通して漢人への凄まじい虐殺と略奪を行ったのだ。
清の将軍である龍骨大が率いた、明征伐についての朝鮮兵行状の記録には次のようなものがある。
「韓兵ことに虐殺を極めたり。漢民号呼して曰く、天朝、朝鮮において何の仇があろうか。その恩に背いて、ここに至るかと…」(恒屋益服著「朝鮮開化史」博文館、明治34年)。
明は300年近く朝鮮を保護し、李氏朝鮮は宗主国である明から国号を下賜された。しかし、いざ明が弱勢になると、朝鮮はすぐさま清に乗り換えて逆に明を逆襲し、明人を虐殺した。
日韓合邦後、満州でもっとも暴れたのは朝鮮人である。万宝山事件は、朝鮮人と中国人の水をめぐる争いから起こり、朝鮮半島における中国人虐殺にまで発展した。
満州では、 朝鮮人は「二鬼子」として中国人から恐れられ嫌われていた。
728世界@名無史さん:2009/05/17(日) 00:57:14 0
「古谷洋一」とかいう名前の変態チョンが北九州小倉あたりの呉服屋(小売り屋)の家に居たらしい
田舎者の常として東京に憧れて青学(青山学院)なる最底辺の学校へ通わせて貰っていたけど
当時から変質者として悪名高かったそうだ(なにしろバドミントン部で皆から嫌われていたとか)。
その後、京都の呉服問屋にお情けで入社させてもらったくせに、恩を仇で返すような真似を繰り返し、
今でもあちこちに迷惑をかけて回っているという風評が聞かれるとか。
この性格異常者に関係している人、一度でも関わりをもった人は要注意だろう 
なにしろ無知無教養を絵に描いたようなド低能かつ愚鈍な阿呆で、無論恋愛とも文学とも無縁な山出しだ
ホモフォビアのオカマだという話もあるが、こんな気持ち悪い変態を相手にする人間は絶対に存在しないと断言できる
カネを払ってSMプレイをしようとしても風俗店から断られたという話もある。
こいつを見かけたら、すぐに叩き殺してしまうべきだ!
日本を没落させた元兇たる在日代表とも言えるクズだからね
(九州にはこの種の流入半島チョンが多いらしい)
729世界@名無史さん:2009/05/17(日) 01:00:48 0
>>724
”政権ひとつ転覆”って、封建制だった日本においては頭がすげ変わったところで
日本全体の国力に大した違いはないだろうさ。単に豊臣家だけの問題。

関ヶ原の動員数を見れば、戦費自弁で疲弊したはずの西国大名も数年を経ずに
回復している、もしくは言われるほどの影響はなかった、あるいは半島でしっかり
元を取ってきたと言えるのではないかな。
730世界@名無史さん:2009/05/17(日) 01:51:31 O
唐入りがあってもなくても秀吉死んだら家康が政権奪っただろ。
家康の力を削れなかった時点で豊臣の天下なんて砂上の楼閣。
唐入りで日本の国力が落ちたから〜なんてのは詭弁だ。
731世界@名無史さん:2009/05/17(日) 19:54:31 0
こっちから一方的に攻め込んで行って、目的も達せず逃げ帰って来たのを
引き分けって表現するのもどうかと思うぞ。
732世界@名無史さん:2009/05/17(日) 21:01:01 0
明をボコッてる時点で日本の勝ちだろ
733世界@名無史さん:2009/05/17(日) 22:16:26 0
>>729
それを言い出したら明から清への移行も頭がすげ代わっただけのこと
朝鮮出兵において誰が勝者だったかといえば、
ヌルハチと徳川家康だ
734世界@名無史さん:2009/05/18(月) 02:03:41 0
しかし大陸は、明清交代期の戦乱で相当な死者が出ているからな。
開封の街は李自成の反乱軍に取り囲まれて100万もの餓死者を出しているし、
四川省では反乱軍で殺人鬼の張献忠によって数百万もの民が殺されている。

あげく満州族に、チャンコロスタイルを強制されて・・・

日本ではせいぜい関が原と大坂の陣の死者くらい。

735世界@名無史さん:2009/05/18(月) 02:07:21 0
>>734
その死者とかも大げさになってる予感
736世界@名無史さん:2009/05/18(月) 02:09:10 0
でもさ、決して大げさでなく三百万人ほどの日本人が戦争で死んだんだよな。わずか六十年ほどまえのことだ。

なんというか信じられん気分。なんという歴史だ。
737世界@名無史さん:2009/05/18(月) 08:48:05 0
ここで出てるか知らないが、秀吉軍はかなり苦戦している。

慶尚道を抑えようとした毛利輝元は義兵に阻まれてるし
安国寺えけいも阻まれてる。つまり南部を面で支配できてなかった。
そのために陸揚げした兵糧が北部に回せなかった。
沿岸に点として無数の倭城を建てはしたが。

また晋州城第一回攻防戦では小早川隆景らが総攻撃しても落とせなかったし
幸州山城攻防戦ではとうとう落とせず、防戦へと転換していくことになる。

日本が戦闘で圧勝なんてことはないぞ。

738世界@名無史さん:2009/05/18(月) 10:50:12 0
細かい戦闘では苦戦もあったけど
主要な戦闘は日本の圧勝
739世界@名無史さん:2009/05/18(月) 12:58:38 0
>>733
大陸やら半島は、その”頭のすげ替え”と共に、非戦闘員を
巻き込んで数百万〜数千万の膨大な死者が出るけどな。w
この図式はほんの60年前の国共内戦や朝鮮動乱でさえも
変わっとらん。

>>738
例によって、数少い勝利を列記してウリナラは決して負けてないと
強弁すると。 。・゚・(ノ∀`)・゚・。 ナケルw

740739:2009/05/18(月) 13:02:57 0
あ、アンカーミスった。(汗

× >>738
○ >>737
741世界@名無史さん:2009/05/18(月) 14:51:00 0
>>738
主要な戦闘とは、幸州城戦や、稷山戦は含まれないのか?
これらの戦闘で秀吉軍が圧勝してたら朝鮮征服できてたよ。

幸州城戦に勝ってれば、講和をすることもなかったし
稷山戦で苦戦したからそれ以降、稷山以南に押されてしまった。

本当に圧勝できてたというならなぜ朝鮮征服できなかったんだ?
742世界@名無史さん:2009/05/18(月) 15:36:18 0
稷山の戦いは日本の勝ちだろ
743世界@名無史さん:2009/05/18(月) 16:18:20 0
>>730
つーか別に国力の限界が来て撤退したわけでもないし。
秀吉死後も秀吉の追善に全国何十箇所も寺の普請や造営で散在しまくってるし、
全国の大名巻き込んだ大戦二回もやれたし、戦争の決着がついたから終わっただけで
財政破綻したから終わったわけでもなかった。

あれだけ戦費使ってもう財政が底をついてたかと思われてたのに、
戦後は大阪城の蔵だけで五十万両の金銀を家康は押収できてた。
体制内の実力者が変わっただけで、統一後の日本は明が滅んでからも
二世紀以上続いてるんだよな。明の日本への救援要請に応じるかどうか考えるぐらいだったし。

なんつーか経済戦略に長けてた秀吉の遺したものは凄いな。
744世界@名無史さん:2009/05/18(月) 21:53:02 0
第二次大戦の特に対米戦の比喩で理解しようとする奴多いよね。
海外出兵といっても対外状況も国力も全然違うのに。
745世界@名無史さん:2009/05/18(月) 21:57:46 0
まあ中国を征服しようとして、なんだかんだあって失敗したというのは同様だからね。
746世界@名無史さん:2009/05/18(月) 22:05:22 0
>>745
コジツケだと苦しいね。

当時朝鮮は楽に支配下に治まってたし、
北方のロシアも駆逐して、
北京も望みどおり日本の支配下。全然状況が違う。
747世界@名無史さん:2009/05/18(月) 22:09:52 O
「なんだかんだ」を考慮してやるのが優しさってもんだ
748世界@名無史さん:2009/05/18(月) 23:56:41 0
「紀效新書」1595年 戚継光
「これは日本のサムライが明に攻めて来た時に初めてわかったことである。
彼らは舞うように跳び回り、前方への突進は光が閃くようで我ら明の兵は
恐れおののくのみだった。 日本人はよく躍動し、一息で一丈(約3m)も
飛び込んできて、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間隔があっても攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎて、(サムライと)遭遇すれば皆両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、両手で振れる強力で重い刀を自在に用いているためである」

「揮刀如神」 明末期 
「日本のサムライの剣術はまるで神の如しだ。 我々の兵士(明兵)はサムライを見れば皆身が
すくみ逃げ腰になる。 剣術に優れたサムライだが剣術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、その他あらゆる兵科と比べても不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、 子供の頃から武術を鍛えられ始め、
壮年にいたれば手に負えなくなる」

「単刀法選」 程宗猷 1621年
「日本剣術は神秘的だ。左右への跳躍が凄まじく誰にも予測できない。
そのため長技(槍)を使っても毎回刀に負けてしまう」

「広東新語・語器」 屈大均(1630〜95)
 「日本人が全力で動く時風のように漂って動く。 常に寡兵で陣に入って来て、
大勢の兵士でも抵抗できない。 その刀の使い方は、長い方で構え守り、短い方で止めを刺す。
しゃがんでいるかの如く低く移動し、決して退かない。 相手が何人いようと対応する、島の中の絶技である」

「大君の都」 Rutherford Alcock 1863年
「彼ら(サムライ)は、相当に熟達した刀の使い手である。小さい方の刀を使うときは、
二度突く必要は無い。たったの一突きで相手に致命傷を与える。大きいほうの刀を使うと、
ただの一振りで相手の四肢を切り捨ててしまう」
749世界@名無史さん:2009/05/19(火) 18:36:05 0
>>742
それ以降稷山以南での戦いを強いられてるが?
仮に勝ちだとしても辛勝だろ。圧勝などとはとても言えないはずだ。


なんか秀吉軍が圧勝だったなどという書き込みをみると
旧日本軍の慢心を見てるようで胸糞悪くなる。
750世界@名無史さん:2009/05/19(火) 19:31:18 O
>>749
明軍が恐れて南下してこなかったら戦いは強いられてないぞ?
むしろ会戦前から西南部へ展開する計画だったし、
事前に展開開始していた。
それと築城部隊は早めに引き返しているしね。
強いられるどころか、好んで南部で任意に部隊が作戦していたわけだ。
751世界@名無史さん:2009/05/19(火) 23:10:51 0
>>750
ちょっと苦しいなw
752世界@名無史さん:2009/05/19(火) 23:35:47 0
>>749
基礎的な知識が欠落してるだろ。w

慶長の役の作戦目的は朝鮮南部の割譲だから、そもそも稷山以北(漢城)に
進出する意図は日本側に無いよ。
753世界@名無史さん:2009/05/20(水) 01:21:24 0
どうも稷山の戦いの結果やその後の経緯(日本側が勝利して京畿道に入ったが自発的に後退)を
完全に取り違えてる香具師がいるようなので、ちょっと確認してみたら、例によってカンコク国定教科書では
こうなってるみたいね。w

>再び倭軍は侵入してきた。これ対して朝鮮軍と明軍は倭軍が北上するのを稷稜山で防ぎ、南方へ撃退した。

                       『新版韓国の歴史 − 国定韓国高等学校歴史教科書』 明石書店 2000年
754世界@名無史さん:2009/05/20(水) 01:29:28 0
然自關白侵東國,前後七載,喪師數十萬糜餉數百萬,
中朝與朝鮮迄無勝算。至關白死,兵禍始休

簫堯藝文網・明史・卷三百二十二
ttp://www.xysa.net/a200/h350/24mingshi/t-322.htm

>朝鮮において中朝軍の勝算は無くなってしまった。
関白が死んだおかげで、戦火が止んだ。

末期は、どっちも手詰まりで、クダグダになっちまったてこった。
秀吉が長生きしてたら、日本側にいる臨海君か順和君を即位させて
38度線を境に南北に分断国家が(ry
755世界@名無史さん:2009/05/20(水) 01:48:17 0
>>754
手詰まりでグダグダというのは確かなんだけど、もう少し長引いてれば、文禄と逆に
明軍が攻勢限界で、貧しい朝鮮はその補給を支えきれなくなっていただろうと思う。
で、日本軍が居座っていれば、南部4道とはいかずとも、なにがしかを割譲することで
明と手打ちになったんじゃ無かろうか。

当時なら傀儡政権というのはないだろうけど、任那日本府復活ぐらいはあったろーな、と。w
756世界@名無史さん:2009/05/20(水) 02:12:44 0
日本との休戦後の1597〜1600年まで貴洲で楊応龍の乱が起きるし
1597年には韃靼が遼東に入寇してきて文禄の役の李如松が戦死してるもんな
明いっぱいっぱい
757世界@名無史さん:2009/05/20(水) 02:33:37 0
日本軍は「明を征服するので道を借りる」名目で朝鮮へ上陸したのだろ?

もし朝鮮ではなくて、山東半島あたりに直接上陸していたらどうなった?
758世界@名無史さん:2009/05/20(水) 02:36:55 0
渡航技術がシンドイんじゃ?

当時の日本の船はショボイしね
759世界@名無史さん:2009/05/20(水) 08:55:56 0
ショボイ云々の話の前に大砲もろくにない時代に
補給や援軍が難しい遠隔地を選ぶことはありえないと思うが
後方撹乱ならありえるが
そんなことするんなら、後金とも連携してはずだが
760世界@名無史さん:2009/05/20(水) 09:08:53 0
>>752
北部進出の意図はあったよ。押されてたからやむをえず南部で戦ってただけ。

普通、領地を割譲させるためには当該領地以外の地にまで占領地域を拡大しとかないと交渉できない。
つまり、5つの領地を正式に割譲させるためには、10の領地を占領しとくとか、首都を落としそうとかいう
状況に追い込まないと、負けてる側としては応じる旨みがない。これ戦争の常識。

だから朝鮮南部を割譲させるのが目的ならば、朝鮮北部を制圧するか、
朝鮮王族皆殺しにするか、中国領土まで攻め寄せる状況までいかないとだめ。

なのに秀吉軍は割譲目的地である南部を主戦場にしてる。こんなことで割譲できるわけないだろ。
つまり秀吉軍は「やむをえず」南部を主戦場としてた。

そもそも明に入るのが目的なのに、南部割譲に後退してる時点で押されてる証拠だろ。
もしかしてここには秀吉軍が押してたなんて思ってるやつがいるのか・・・
761世界@名無史さん:2009/05/20(水) 09:27:52 O
>>760
秀吉の法螺を真に受けて明・インド征服を狙っていたなんて言っている奴は、
WW2で日本は八紘一宇をスローガンにして世界征服を狙っていたと言っているレベルだなw
762世界@名無史さん:2009/05/20(水) 10:19:27 0
石原莞爾なら征服できた
763世界@名無史さん:2009/05/20(水) 11:57:21 0
史料を無視してオレサマの戦争の常識を語ってるアホがいると聞いてやってきました。(・∀・)
764世界@名無史さん:2009/05/20(水) 12:09:25 O
バカウヨの事ですねわかります
765世界@名無史さん:2009/05/20(水) 13:24:46 0
>>749の事か
766世界@名無史さん:2009/05/20(水) 13:56:19 0
秀吉軍の圧勝は言いすぎだろうが(明本土進出くらいじゃないと)辛勝でもないだろ
まず辛勝を主張したいなら、日本軍に明軍が有効な打撃を与えられてたという資料を出せ。
767世界@名無史さん:2009/05/20(水) 14:26:47 0
幸州城の戦いで総大将の宇喜多が負傷するくらいの激戦だった事ぐらいかな?
稷山の戦いは苦戦したけど明軍の大軍を撃退したしやっぱり日本の勝ちだろうな
768世界@名無史さん:2009/05/20(水) 17:25:29 0
総大将の戦死(してないが)は戦の勝利には直接関係なくね?
トラファルガー海戦でネルソンは戦死したけど海戦自体は間違いなくイギリス勝利だし
769世界@名無史さん:2009/05/20(水) 17:40:06 0
トラファルガーでは、負けたフランス側の指揮官が当然ながら
多数戦死してる訳だが。

島津先鋒に出撃点まで押し戻された上に、日本側に皆無だった
上級指揮官の戦死が多数でているにも関わらずウリナラ大勝利!と
言い張るのはカンコクくらいのモンだな。w
770世界@名無史さん:2009/05/20(水) 17:40:36 0
幸州城の戦いで秀吉軍は負けてる。
771世界@名無史さん:2009/05/20(水) 17:53:02 0
>>768
でも吉川や三成も負傷してるし
勝利とは言えないだろ
ただ朝鮮軍の大勝利かといわれるとソレも違うと思う
772世界@名無史さん:2009/05/20(水) 17:58:43 0
晋州城の戦いでも1度目は負け。2度目でやっと落としている。

清正も北東部でいくつもの城を落としたが、守る兵士がいないので
奪い返されたりしてる。



そういえば蔚山城防衛戦が圧勝だったなどというやつはいるのだろうか。
773世界@名無史さん:2009/05/20(水) 18:02:16 0
蔚山は初戦は苦戦したけど
結果は圧勝じゃね?
774世界@名無史さん:2009/05/20(水) 18:06:10 0
八万対三千で守り抜いたんだから圧勝といえなくもないかも試練。
775世界@名無史さん:2009/05/20(水) 18:07:46 0
あ、八万じゃなくて七万か。
776世界@名無史さん:2009/05/20(水) 18:18:02 0
大陸側は秀吉をちゃんと関白と表記してるんだな。
これに対し、他国の指導者を
なんとかして貶めて公式記録に残そうとした朝鮮の卑屈さが際立つな。
777世界@名無史さん:2009/05/20(水) 18:51:41 O
>>772
二万ぐらいの死体を置き捨てて明と朝鮮軍が潰走し、それがばれて司令官が更迭された蔚山戦が大勝利でなくてなんなんだ?
778世界@名無史さん:2009/05/20(水) 19:52:03 O
はぁ、ここもネトウヨに占拠されたか。世界史板も落ちたもんだ。
779世界@名無史さん:2009/05/20(水) 20:23:23 0
手前の妄想通りにスレが進まなければ「ネトウヨの仕業」w
780世界@名無史さん:2009/05/20(水) 20:26:12 0
ネトウヨと呼ぶには雑兵すぎる
781世界@名無史さん:2009/05/20(水) 22:08:08 0
自分と違う意見=ネトウヨ
自分の意見=世界の常識!


        ――――――朝日新聞社刊行『特定アジア語辞典』
782世界@名無史さん:2009/05/21(木) 00:48:53 0
>>777
人肉食ったり、遺書を書くほど追いつめられて圧勝とはいえんだろ
ギリギリ援軍が間に合って辛勝という言葉がふさわしいと思うが

だいたいこの頃は守勢だしなぁ
783世界@名無史さん:2009/05/21(木) 03:24:20 0
全部が全部の戦線で優勢だったわけではないだろ
そんな戦場聞いた事もない

後、朝鮮出兵で人肉食ったと言う話は良く聞くが出典が見つからない・・・
784世界@名無史さん:2009/05/21(木) 03:52:02 0
明史・萬暦 二十五年
>遂撤兵還王京, 士卒物故者二萬.
上聞之, 震怒. 乃罷鎬聽勘,以天津巡撫萬世コ代. 事詳鎬傳.

二万人が戦死し皇帝が激怒して司令官を罷免して審問にかけた

こういう戦いでも、あえて「辛勝」というのが日本的奥ゆかしさです。
785世界@名無史さん:2009/05/21(木) 06:23:03 0
つうか朝鮮をコケにしたら右翼呼ばわりされるのは何故?
みぎひだりは関係無いじゃんw
786世界@名無史さん:2009/05/21(木) 09:26:41 O
>>782
ミッドウェイ海戦はアメリカの辛勝と言いたいんですね。わかります。
787世界@名無史さん:2009/05/21(木) 09:30:27 O
>>776
全部じゃないけど倭酋ちゃんと呼ばれてw
788世界@名無史さん:2009/05/21(木) 10:07:22 0
>>772
第一次晋州城の戦いも野戦だと圧勝してるんだけど
789世界@名無史さん:2009/05/21(木) 10:43:32 O
>>785
つウリのこと 悪く言う奴 皆酷使

つウリのこと 悪く言う奴 皆ニート

つウリのこと 悪く言う奴 皆ゆとり


お好きレッテルをどうぞw
790世界@名無史さん:2009/05/21(木) 11:00:41 0
やっぱ日教組教育でインテル入ってる優等生たちには「日本が優勢」的な論調があると
やう゛ぁいまた軍部が暴発とかいう回路が内蔵されてるんだろ
791世界@名無史さん:2009/05/21(木) 11:06:03 0
ネトウヨ曰く、優勢じゃなくて「圧勝」なんだろww
792世界@名無史さん:2009/05/21(木) 13:16:53 O
>>791
過程や断片はともかく、ウルサンは総合的な結果を見れば泗川や碧蹄館に並ぶ圧勝だろ?
明朝鮮の主力は半年以上も漢城以北に引き籠もり、秀吉が死んで日本軍が帰り支度していると聞くまで動けなかったんだし。
793世界@名無史さん:2009/05/21(木) 13:17:15 0
自己卑下、反省ゴッコなんてもう皆飽きてきたんだろうな
794世界@名無史さん:2009/05/21(木) 13:44:44 0
キムチに関わるな。こっちが病気になるw
795世界@名無史さん:2009/05/21(木) 14:26:12 0
秀吉軍は圧勝してたのに朝鮮すら占領できずに帰国しましたとさww
796世界@名無史さん:2009/05/21(木) 14:29:20 O
東欧フルボッコにしときながら引き返したモンゴルと一緒
797世界@名無史さん:2009/05/21(木) 15:09:20 0
いやwwさすがにそこまではwww
798■■■■■:2009/05/21(木) 15:27:59 0
おう、座っちゃあかんか? 反省や申し訳ない気持ちはない。自分への後悔だけ 
100人でも1000人でも同じ 父親を殺していれば・・・ 世の中のやつは全部敵や 
不条理さを世の中に分からせたかった ダンプで大阪・戎橋に突っ込む/
拳銃で女子高を襲撃する/空港でスチュワーデスらを無差別に刺す 謝罪する気持ちもない 
30秒あれば1人ぐらい殺せる。かかってこい 幼稚園ならもっと殺せた 
死ぬことは全くびびっていない 

http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/takmar2.html
宅間守資料2 事件後の宅間暴言集

いやぁ、ホント宅間守っていいこと言ってるよ。どうせ何をやっても死刑になる凶悪犯なら、
殺せるだけ殺してそれから死刑になったほうがスッキリするんじゃないかと。
皇軍だってどうせ全てが凶悪な侵略戦争として極刑になるのなら、もっともっと殺せるだけ
の中国人を殺して、自分が死刑になるのはそれからでも遅くはなかったはずだ
799世界@名無史さん:2009/05/21(木) 16:15:39 0
明軍だらしないよ
800世界@名無史さん:2009/05/21(木) 17:01:53 0
琳虎って言う将軍は
十分の一以下の宗茂にボコボコにやられてるしなw

蔚山や泗川なんて、もうカワイソウで言えない
言ったら明厨が発狂しそうでw
801世界@名無史さん:2009/05/21(木) 19:59:33 O
>>800
ソースきぼんぬ。その立花の話は、ガセじゃね?
802世界@名無史さん:2009/05/21(木) 20:37:00 0
で人肉のソースって何よ
803nomu:2009/05/21(木) 23:02:01 0
>>800
前にも書いたけど、お前って楠正成が千人の兵で鎌倉幕府120万の兵
に攻められながらも落城しなかった様な話でも信じるやからだね!
日本は文禄16万人、慶長14万人も朝鮮半島に投入しているのに、明国
は文禄5万人、慶長10万人しか投入していない!
立花宗茂だけでそんなに強かったら朝鮮半島をとっくに占領している!
804世界@名無史さん:2009/05/22(金) 00:20:25 0
素朴な疑問だが、日本軍が朝鮮半島に目をくれず、
大陸の山東半島あたりに上陸していればどうなった?

たちまち北京陥落か?
805世界@名無史さん:2009/05/22(金) 00:26:46 0
>>803
まあまあ、支那兵は弱いことに定評がありますから
なんせ南京でむざむざ30万殺されたって自分から言ってますから
806世界@名無史さん:2009/05/22(金) 02:30:51 0
>>804
ネトウヨ曰く、圧勝だからねw
北京陥落させちゃうんだろうねw
807■■■■■:2009/05/22(金) 02:59:39 0
おう、座っちゃあかんか? 反省や申し訳ない気持ちはない。自分への後悔だけ 
100人でも1000人でも同じ 父親を殺していれば・・・ 世の中のやつは全部敵や 
不条理さを世の中に分からせたかった ダンプで大阪・戎橋に突っ込む/
拳銃で女子高を襲撃する/空港でスチュワーデスらを無差別に刺す 謝罪する気持ちもない 
30秒あれば1人ぐらい殺せる。かかってこい 幼稚園ならもっと殺せた 
死ぬことは全くびびっていない 

http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/takmar2.html
宅間守資料2 事件後の宅間暴言集

いやぁ、ホント宅間守っていいこと言ってるよ。どうせ何をやっても死刑になる凶悪犯なら、
殺せるだけ殺してそれから死刑になったほうがスッキリするんじゃないかと。
皇軍だってどうせ全てが凶悪な侵略戦争として極刑になるのなら、もっともっと殺せるだけ
の中国人を殺して、自分が死刑になるのはそれからでも遅くはなかったはずだ
808世界@名無史さん:2009/05/22(金) 03:52:52 0
>>806
おっさんおっさん
日本軍圧勝言ってるの明の将軍でんがな

正確には「日本強すぎwwwwwwワロタwwww」だが
809世界@名無史さん:2009/05/22(金) 04:08:47 0
>>786
>ミッドウェイ海戦はアメリカの辛勝と言いたいんですね。わかります。

おまえ詳しいな。
ミッドウェー海戦はアメリカ軍が圧倒的優位の体制を築きながらミスを連発したため
ミッドウェー島の航空隊は壊滅するし、空母ヨークタウンが沈没し、不味い攻撃で
戦没パイロット数は日本側を上回ったりした。
そのため戦後、スプルーアンス司令官自身が海戦の勝因について問われた時、
「我々は幸運だった」と回顧録やインタビューで繰り返し述べているし、
アメリカ側では、この海戦を”incredible victory”(信じられない勝利)と呼んで、
その題名で本まで出てる。

良かったな、勉強になって
810世界@名無史さん:2009/05/22(金) 06:50:35 O
結論、ウルサンの戦いで日本側は籠城戦で辛勝、野戦で圧勝、総合的には大勝。
長篠の合戦の織田、徳川軍みたいなもんだね。
811nomu:2009/05/22(金) 07:13:10 0
>>808
お前ナー すでにほかのスレでも言われているが、『明史』
を編纂させたのは清の康紀帝だぞ!
当然、そこには当然清建国の正統性が主張されている!
812世界@名無史さん:2009/05/22(金) 07:43:03 O
じゃあ信憑性のあるソース出してよ。
813世界@名無史さん:2009/05/22(金) 08:49:26 0
いうほど日本の兵器が相手よりも強かったとは思わないんだよね。
814世界@名無史さん:2009/05/22(金) 10:12:30 0
明軍の大砲は攻城戦で威力を発揮しそうなもんだな。
815世界@名無史さん:2009/05/22(金) 10:37:57 0
>>801
ソースは多分名将言行録
816世界@名無史さん:2009/05/22(金) 12:55:32 O
>>811
グラのスレにもいたが、同じ話ばっかで虚しくない?
あと動員数の嘘話ずーーーーとしてるが白痴なの?
817世界@名無史さん:2009/05/22(金) 12:58:32 0
チョンがしつこいだけ
818世界@名無史さん:2009/05/22(金) 13:36:56 0
>>803
ファビョるなよw
819世界@名無史さん:2009/05/22(金) 17:39:29 O
遠征できただけでも凄いと思う。
820世界@名無史さん:2009/05/22(金) 23:34:06 0
>>803
兵力の誇張なんてシナのお家芸じゃん
なんで日本のだけ責めるかね?
821世界@名無史さん:2009/05/22(金) 23:37:47 0
>楠正成が千人の兵で鎌倉幕府120万の兵 に攻められながらも落城しなかった

120万人も動員したから落城しなかったんじゃね?
堂考えても兵站が足りん
大混乱と飢餓で攻城戦どころではなかったのだろう



120万も本当にいたらの話だが
822世界@名無史さん:2009/05/22(金) 23:50:13 0
圧勝だったのに、なんで厭戦感情高まってたの?
823世界@名無史さん:2009/05/23(土) 00:02:57 0
>>801
なんでガセなのよ?
824世界@名無史さん:2009/05/23(土) 00:53:02 0
>>822
だって征服したとこで旨みが殆ど無いんだもんw
825世界@名無史さん:2009/05/23(土) 00:55:48 0
それは確実にあるだろうなぁ
秀吉だって征服したかったのは朝鮮なんぞではなく明だし
枯れ木と荒地と焦土作戦跡しかない朝鮮なんて支配しても・・・
826■■■■■:2009/05/23(土) 01:06:52 0
おう、座っちゃあかんか? 反省や申し訳ない気持ちはない。自分への後悔だけ 
100人でも1000人でも同じ 父親を殺していれば・・・ 世の中のやつは全部敵や 
不条理さを世の中に分からせたかった ダンプで大阪・戎橋に突っ込む/
拳銃で女子高を襲撃する/空港でスチュワーデスらを無差別に刺す 謝罪する気持ちもない 
30秒あれば1人ぐらい殺せる。かかってこい 幼稚園ならもっと殺せた 
死ぬことは全くびびっていない 

http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/takmar2.html
宅間守資料2 事件後の宅間暴言集

いやぁ、ホント宅間守っていいこと言ってるよ。どうせ何をやっても死刑になる凶悪犯なら、
殺せるだけ殺してそれから死刑になったほうがスッキリするんじゃないかと。
皇軍だってどうせ全てが凶悪な侵略戦争として極刑になるのなら、もっともっと殺せるだけ
の中国人を殺して、自分が死刑になるのはそれからでも遅くはなかったはずだ
827nomu:2009/05/23(土) 08:04:48 0
>>816
じゃあお前は明が朝鮮に動員した兵力(百万人以上)についての
ソースをだせ!
 また、島津が3万〜8万の明・朝鮮兵を討ち取ったという確実なソース
もだせ!
828世界@名無史さん:2009/05/23(土) 09:42:07 0
>>824-825
そのソースは?
829世界@名無史さん:2009/05/23(土) 10:12:38 0
>>827
つ明史
830世界@名無史さん:2009/05/23(土) 11:16:47 O
オーリバーソース♪
831nomu:2009/05/23(土) 15:09:10 0
>>829
たぶんお前は明史日本伝の以下の文章についていっているんだろう!
「然自關白侵東國,前後七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與朝鮮迄無勝算。
至關白死,」
この文章をよく読むと「明と朝鮮両国の現状について説明しているんだぞ!
つまり「喪師數十萬」についても、「糜餉數百萬」についても明・朝鮮両国
の合計だよ!
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%90%AC%E6%9B%86%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%B0%E7%88%AD
832世界@名無史さん:2009/05/23(土) 15:37:26 0
>>811
真の正当性と記述に具体的関係なんかあんの?
清が編纂していると言っても、当時やその後の記録から編纂しているわけだが?
833世界@名無史さん:2009/05/23(土) 15:41:33 0
>>823
だって立花は出撃してねーもの。
明・朝鮮側記録とも一致しない。

立花ネタは名将言行録か、力一杯ガセっぽいね。
834世界@名無史さん:2009/05/23(土) 15:46:56 0
>>832訂正 真→清
835世界@名無史さん:2009/05/23(土) 15:54:52 O
Wikiをソースw
836世界@名無史さん:2009/05/23(土) 16:51:41 0
>>833
kwsk
本当にガセなの?
837世界@名無史さん:2009/05/23(土) 18:26:05 0
wikiが出てきただけで脊髄反射する人工無能が最近増えてるが
確認されてる文章を示す為に引っ張ってくるのはなんら問題は無いだろ・・・ソースと文章が違うというなら話は別だが

ただ、数十万の戦死者が連合軍総計なのか明のみなのかこの文章からじゃ分からんだろう
838世界@名無史さん:2009/05/23(土) 20:56:34 0
>>836
明軍の状況は四月に日本軍が漢城を撤退して南部へ行った時、李如松は宋応昌の命令で形ばかりの追跡をしたが聞慶で引き返してしまった。
部下の劉テイを星州、呉惟忠を善山と鳳渓、祖承訓を居昌、王必迪を慶州まで前進させた。
朝鮮の都元帥 金命元が大邱で劉テイに晋州城への援軍を頼みに行ったが断られている。
政治的にも碧蹄館の大敗が指導層の厭戦ムードを生み、和平交渉を有利にするために晋州での抵抗を止めるように朝鮮政府に申し入れしている。

当の朝鮮軍も第二次晋州城戦では日本軍の初動で権慄などの朝鮮官軍が西に敗走して援護出来ず、慶州義兵の郭再佑も援軍を送らずに城が孤立している。

状況から見てそんな戦いあったのかな?
839世界@名無史さん:2009/05/23(土) 21:56:02 0
そうなんだ、知らなかった
割と有名な戦いだと思ってたんだけど
840世界@名無史さん:2009/05/23(土) 22:35:23 0
四万といったら李如松が最初に連れてきた軍勢と同規模じゃん。
数人の中の1人の部下にそんなに任せた動員が可能なのか?
しかも、碧蹄館の戦いで大破されてから僅か四ヶ月後だし。
841■■■■■:2009/05/23(土) 23:43:11 0
おう、座っちゃあかんか? 反省や申し訳ない気持ちはない。自分への後悔だけ 
100人でも1000人でも同じ 父親を殺していれば・・・ 世の中のやつは全部敵や 
不条理さを世の中に分からせたかった ダンプで大阪・戎橋に突っ込む/
拳銃で女子高を襲撃する/空港でスチュワーデスらを無差別に刺す 謝罪する気持ちもない 
30秒あれば1人ぐらい殺せる。かかってこい 幼稚園ならもっと殺せた 
死ぬことは全くびびっていない 

http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/takmar2.html
宅間守資料2 事件後の宅間暴言集

いやぁ、ホント宅間守っていいこと言ってるよ。どうせ何をやっても死刑になる凶悪犯なら、
殺せるだけ殺してそれから死刑になったほうがスッキリするんじゃないかと。
皇軍だってどうせ全てが凶悪な侵略戦争として極刑になるのなら、もっともっと殺せるだけ
の中国人を殺して、自分が死刑になるのはそれからでも遅くはなかったはずだ
842世界@名無史さん:2009/05/24(日) 09:48:56 0
>>840
結局この戦いって捏造なの?
843世界@名無史さん:2009/05/24(日) 11:14:05 0
1587年秀吉が九州征伐の陣中から妻に宛てた手紙
「高麗の王に早船で『日本の内裏に出仕せよ、さもなくば来年成敗するぞ』と
申し遣わした。私の命あるうちに、唐国まで手に入れる所存だ」

1592年日本軍は釜山に上陸し、わずか二十日あまりで漢城を占領した。
844世界@名無史さん:2009/05/24(日) 11:15:05 0
1588年にキリシタン禁止令を発布した豊臣秀吉が、フィリピン総督フランシスコ・テーリョに
送った書状。
「往年、バテレンが日本国に来て、異国の宗教を説き、我が国の下賤男女をひきつけ、国風を乱し、
国政を害したので、予(秀吉)は堅くそれを禁じた。しかるに貴国より来た僧侶たちは帰国せず、
各地に赴き、賤しい人々に異国の法を説いてやまぬので、予はそれを聞いて忍ぶことができず、
誅戮せしめたのである。聞くところによれば貴国は布教をもって謀略的に外国を征服しようと
欲しているということだが、もし我が国から教師や俗人が貴国に入り、神道を説いて人民を惑乱する
ことがあれば、国主たる卿は歓びはしまい。これを思え。けだし卿らは、そのような手段をもって
その地の旧主を退けて新たな君主となったように、予に背き、我が国を支配せんと企てたのであろう。」
845世界@名無史さん:2009/05/24(日) 11:15:50 0
豊臣秀吉の存在が、徳川政権の徳川社会を生み出す要因をなし、その外交姿勢の
骨格は秀吉によって形作られたのである。一つは徹底したキリスト教拒否の態度
である。もう一つは、中華世界の否定である。この二つの外交条件は、徳川幕府
によって継承されたが、家康の発案ではなく、秀吉の時代に開始されていたもの
であった。以降、徳川政権は北京政府とは正式な外交を結ばなかった。中国は
もはや信従するに値しない世界で、「中華の華は日本なり」の意識が率然として
沸き起こった。幕府の外交官林羅山が明宛ての書簡に、明の年号を用いずして、
意図的に外交関係を謝絶したことは前にも見ておいた。

国民の歴史 西尾幹二著
846世界@名無史さん:2009/05/24(日) 11:16:39 0
文禄2年1594年の、マニラ総督宛ての秀吉の書状が残っている。スペイン国王
に開城するように申し渡している手紙である。

(前略)予は既に日本全国及び朝鮮国を手に入れ、数多の武将がマニラを攻略に行く
許可を求めている。これを知って原田(喜右衛門)と(長谷川)法眼は予に、『彼我の
地の間には諸船の往来があり、それによって(マニラが)敵であるとは思えない』と
言った。この道理によって予は(マニラへ)軍勢を派遣することを思い留まったのである。
(中略)もし彼ら(シナ人)がその言葉を守らぬならば、彼らと戦うために予自ら出陣
するであろう。こうしてシナに到ればルソンはすぐ近く予の指下にある。予は我ら(日本と
フィリピン)が永久に友好を保つことを希望する。これを(カスティリャ王に)書き送られよ。
遠隔の地を理由にカスティリャ国王が予の言葉を軽んずることがないようにせよ。

「パステルス・松田毅一訳『日本・スペイン交渉史』」
847世界@名無史さん:2009/05/24(日) 11:17:26 0
スペインは南ヨーロッパの全域をすでに手中に収め、中南米大陸を征服し、
1571年レパントの海戦でオスマン・トルコを破ってからはイスラム世界
さえも打倒した。東回りでアジアに進出したポルトガルをも併呑した関係で、
マニラを基地としたアジア経営にも怖いものなしという自由自在の絶頂期に
あった。加えて、フェリペ二世は残酷な異端審問で名を馳せた、宗教的非寛容
のカリスマである。よもや地上で自分にも歯向かうものなどいまいと信じていた
彼に、地球の裏側で一人対等の立場を要求し、威嚇に一歩もたじろがない男が
いることを知り、どう思ったであろう。

国民の歴史 西尾幹二著
848世界@名無史さん:2009/05/24(日) 11:31:13 0
ポルトガル人やスペイン人が、日本と中国の武力征服を企てていた事実は
明らかである。ただ中国の方が征服しやすく、日本は手強いとみていた。
宣教師は熱心に中国征服の容易なる所以を本国政府に説いたが、たとえば
スペイン国王フェリペ二世は慎重策を命じた。

国民の歴史 西尾幹二著
849世界@名無史さん:2009/05/24(日) 11:32:05 0
秀吉が心を許していたポルトガル人は通訳のロドリゲスだった。死期が迫りつつも、
まだ昏睡状態に陥っていない秀吉は、1598年9月6日、彼に謁見を許した。秀吉
はそば近く彼を招き、毎年のように遠路を厭わず会いにきてくれた労をねぎらい、絹
の小袖と米2百石と頑丈な船を贈った。翌7日、もう一度ロドリゲスを招き、
ポルトガル船の商談を早急にまとめるように頼み、別れの挨拶をした。

この最後の会見中、ロドリゲスは秀吉の臨終が迫っていることを感じ、神による
魂の救いについて語りかけたところ、秀吉は丁寧に、しかも毅然として話題を変えた。
ロドリゲスは城を立ち去るとき、自分は七年にわたって秀吉と友誼を交わしていたにも
拘らず、個人的にキリスト教の話をする機会が一度もなかったことに気ずいてがっかりした。
              マイケル・クーパー・松本たま訳「通辞ロドリゲス」

国民の歴史 西尾幹二著
850世界@名無史さん:2009/05/24(日) 11:53:31 0
>>842
中野等「立花宗茂」とか学術寄りの本だとスルーされているみたい。
851nomu:2009/05/24(日) 13:53:19 0
西尾幹二なんか『諸君』での歴史学者、秦郁彦との対談でも秦から
専門外の歴史学を離れ、専門分野に戻るようたしなめられている!
http://bokukoui.exblog.jp/10504682/
852世界@名無史さん:2009/05/24(日) 18:05:15 0
秦てそんなにえらいの?
中道ってかんじだけど
853世界@名無史さん:2009/05/24(日) 23:54:36 0
>>845
あれ、秀吉って日本国王に柵封されてなかったっけ?
徳川も日本国王にされてなかったっけ?
854世界@名無史さん:2009/05/24(日) 23:55:32 0
>>846
火薬の原料を南蛮商人に頼ってて敵に回すことなんてできたの?
855世界@名無史さん:2009/05/25(月) 00:24:14 0
秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか。すでに答えは出揃っている。朝鮮を
経由して中国を抑え、北京に天皇をおいて、自らは寧波にいて天皇より
高い地位で東アジア全域を見下ろす帝国を築くという、壮大な構想の目的
を実現するために出兵したのである。ほかにいかなる理由も考えられない。
なによりもまずこれが、日本人の「近代意識」の最初にして最大の自己実現で
あった。

国民の歴史 西尾幹二著
856世界@名無史さん:2009/05/25(月) 00:29:03 0
西尾にもだんだんと愛想が尽きてきた。
857世界@名無史さん:2009/05/25(月) 02:35:37 0
>>842
立花宗茂の参加が疑問視されているだけで
「蔚山城の戦い」があって伏兵を受けて明朝軍が大損害を受けたことは
明史や朝鮮実録にも記載されている。

>>854
黒色火薬の材料は硝石、硫黄、木炭。このうち硝石は16世紀に日本は輸入していたが
世紀末の朝鮮の役、関ヶ原の戦い頃には古土法と呼ばれる製造法が確立して
かなり自給できていたというのでは、というのが近世考古学による最近の説。
ちなみ、原材料の1つの硫黄は当時は世界的に日本が大生産地で薩摩などから
西洋に盛んに輸出されていた。
むしろ、火薬は西洋が日本から輸入していたとも言える。

>>853
金印を送って柵封しようとしたら
「なに、その上から目線?」て、秀吉が怒って慶長の乱開始
徳川幕府と明は交渉中に明滅亡。その後の清と江戸幕府には国交自体ない。
858世界@名無史さん:2009/05/25(月) 03:37:52 0
>>857
>「なに、その上から目線?」て、秀吉が怒って慶長の乱開始


柵封については秀吉は文句いってない。
それよりも朝鮮の領有について日本にその権利があることを合意していたものと
考えていたのに、朝鮮の使節、明の使節ともにそれを認めてないことが両者の言
から明らかになったから激怒した。
慶長の役の直接の原因は、朝鮮領の処遇の相違から。
859世界@名無史さん:2009/05/25(月) 07:01:44 O
>>857
斑虎を撃退した武勇伝は文禄の役の晋州城を落としたときの話じゃなかったの?
慶長の役の蔚山の戦いならどっちもアリバイがあるみたいだが、具体的にどの話?

>>all
冊封な。
秀吉は冊封自体は受け入れてない。明と朝鮮の態度が秀吉の降伏基準を満たしているかどうかが分かれ目。
朝鮮王子を差し出すとかね。で、満たさなかったので再出兵ね。

暦を替えるなんて話にはなってないしねだ。
860世界@名無史さん:2009/05/25(月) 07:04:55 0
豊臣秀吉はこの挑戦に失敗して自滅への道を歩み、秀吉を倒した江戸幕府は軌道修正に
腐心することになるが、挑戦にあざやかに成功して中華を併呑したのが、女真族の後金
(後の清)であった。このようなアジアの巨大なうねりに重なるかたちで、ヨーロッパ
勢力のアジア進出、地球規模の関連性の形成も生起した。だから、アジアからの眼、
ヨーロッパからの眼の両方で見ない限り、この次期のアジアの動きのもつ世界史的意味
をとらえつくすことはできない。

村井章介「海から見た戦国日本」
861世界@名無史さん:2009/05/25(月) 07:10:46 0
秀吉の朝鮮出兵が、期せずしてヌルハチを助ける結果になったというのは、
案外知られていない事実である。ヌルハチは1619年にサルフの戦いで
明軍を破り、8年後に彼の軍隊が朝鮮に侵入する。ヌルハチが国号を清と
定めて、朝鮮をその属国とするのはさらにその9年後の崇徳1年(1636年)
のことである。
これがなぜ重要かというと、20世紀になって1911年の辛亥革命によって、
清朝が滅亡する明らかな原因の一つは、日清戦争の敗北であったし、また清に
代わった孫文と蒋介石の中華民国が1949年に大陸から追いやられるのは、
やはり日本との戦争での疲弊が大きな理由だったことを想起せざるを得ないから
である。つまり何らかの意味での日本の介入が、3つの中国の政権を連続して
崩壊させていることになり、未来のことは分からないとしても、こういう現象は
少なくとも秀吉以前にはなかったことである。(中略)
 いずれにせよこうした問題は、歴史上日本は中国の影響を長く受けてきたが、
その逆はなかったと思っている人がいるので、指摘しておく価値があると思う。

入江隆則「秀吉はなぜ朝鮮に出兵したか」『地球日本史@』
862世界@名無史さん:2009/05/25(月) 07:18:22 O
略奪が公認されていたって?
どんな公的許可だったのかソースきぼんぬ。

属国だから当然とかの脳内ソースは勘弁な。
863世界@名無史さん:2009/05/25(月) 10:24:52 0
>>857
晋州と蔚山混同してる


西尾のコピペ貼る奴うざいな
864世界@名無史さん:2009/05/25(月) 14:24:55 0
ひょっとして、対馬が余計な嘘付かなきゃ
秀吉が切れて戦争に突入する事も無かったかも試練・・・

朝鮮が朝貢位で済んだかも
865世界@名無史さん:2009/05/25(月) 22:33:09 0
無理じゃない?
征服する気満々だったようナ
866世界@名無史さん:2009/05/26(火) 07:22:46 O
>>865
それがそうでもない。
867世界@名無史さん:2009/05/26(火) 10:48:54 0
文祿之役最後一戰的第二次晉州城之戰,立花軍也參戰其中,並且前往驅逐打算救援晉州城的明軍,
時明軍由劉綎所率約數萬駐屯在晉州城北方的星州,並派配下武將琳虎率明軍1萬和朝鮮軍3萬前往救援,
立花宗茂則和弟弟高橋統揶ネ及毛利秀包共率4千在離晉州城北方70公里處駐陣,並且偽退誘敵使明軍遭到包圍的打擊,
其中釣雲和弟弟森下內匠率森下家30餘人以立花家的長刀斬入隊奮勇突入敵陣中,
此時釣雲見到內匠被箭射到大腿,告誡著說:
『如果是淺傷就繼續戰鬥,深傷的話就奮戰致死吧!』內匠在回答遵從後不久又道:
『兄上,請退回到殿下身邊防守吧!』然而釣雲卻回答: 『問答無用!』
而繼續奮戰至敵軍重兵之處,主君宗茂見狀便下令全軍跟隨釣雲突擊,
最終將明軍打的潰散敗退,雖然弟弟內匠因奮戰身亡,但是此戰釣雲激進的行為激勵了立花軍,
如此奮勇的釣雲在往後的慶長之役也立下許多赫赫戰功,是家中為人稱道的豪將。
868867 :2009/05/26(火) 10:52:46 0
>>801
中国のwikiから拾ってきたけど
ソースになる?
869世界@名無史さん:2009/05/26(火) 13:51:40 0
>>851
俺はこの記事を読んだが、秦のどうしようもない傲慢さ、自分の歴史観が唯一
絶対のものであるという素朴な思い込みに打ちのめされた。
俺は西尾幹二の国民の歴史で歴史に目覚めた人間だが、戦後史観の寿命は
もうそう長くはないと感じる。あと30年経てば、戦後60年間はそんなどうしようもない
時代だったと酷評されることになるだろう。
歴史に耐えるのは秦郁彦ではなく西尾幹二。
100年経っても西尾幹二は忘れられるどころか益々評価が高まっていることだろう。
870世界@名無史さん:2009/05/26(火) 14:09:13 O
どっちもどっち
871世界@名無史さん:2009/05/26(火) 15:16:12 O
>>867
日本語版Wikipediaからの中国語版の翻訳記事を逆輸入で提示してなんか意味あるの?
ああ、意味のないことを書く人物であると評価されたいんだな。
872世界@名無史さん:2009/05/26(火) 15:47:56 0
Wiki貼られても・・・な
出典どこか教えてくれないと
873世界@名無史さん:2009/05/26(火) 20:00:54 0
wikiかよwwwで終わらせない辺り、スレ住民のIQ高いな。ちゃんとwikiの問題点を理解してる・・・・
って当たり前なんだけどなぁ・・・・なんで理解してない奴居るんだろ
874世界@名無史さん:2009/05/26(火) 21:13:52 0
>>864
朝鮮も日本も、どっちも自分が偉いという姿勢で朝貢外交していたつもりなんだから、
間に入った対馬は両方の顔を立てて両方に嘘付いたんでしょ?

自分が偉いと思い込んでいた朝鮮が、へりくだるはずがないと思うがなぁ。
875世界@名無史さん:2009/05/26(火) 21:56:31 0
>>870
昔は同じようなものだと思っていたが、今は秦の方が客観的だと思う。
西尾の歴史を見る目には、どんどん色の濃い自己中的歴史観のフィルターがかかってきてる。
876867 :2009/05/26(火) 22:11:15 0
ゴメン出典はここだと思う

筑後史談会/編,《筑後人物便覧》,福岡県文化会館、筑後史談会 昭和10年刊の複製,1935年:311頁

877nomu:2009/05/26(火) 22:40:30 0
>>869
お前は「諸君」のあの記事を読んで西尾の歴史観を支持できるのか!?
ブログ主は西尾の歴史観を下記のように主張している。
"”西尾 『お話を伺っていると、秦さんはどうも旧敵国、戦勝国の側
に経って、まるで東京裁判のウェッブ裁判長のような目で日本を裁い
ている。やはり日本の戦後に特有の敗北史観にとらわれているという
印象を禁じえない。日本はあなたの国なのに、ナチスの「片割れ」と
まで言う。・・・』
結局、このような根拠にしかなりそうにありません。しかし、同じ
論法で行けば、アメリカ人はアメリカの語りになり、中国なり韓国
なりロシアなり、みんなこの調子でやっていった日には、お互いの
正統性をどうやって主張するのでしょう。ついでに、「日本」の内部
で沖縄のような地域の語りが出てきたらどうなるのでしょう。""

878nomu:2009/05/26(火) 22:43:58 0
>>869
""有り体に言えば、自分は日本人だから正しいというのでは、循環論法
にしかなりません。
しかしその循環論法が、この西尾氏的「歴史」を「正しい」と認める
人々の間でどのようにして正統性を獲得していられるのか、その過程
を、西尾氏の本対談に関するブログから読み取ることができます。
「4月号の『WiLL』と『諸君!』(二)」 / 「同(三)」がそうです。
この二つの記事で、西尾氏は自分に対し寄せられた賛意の投書を4通も
紹介しています。有り体に言って、自分に対する賞賛のメッセージを
自分のブログの張り出すというのは、自画自賛でみっともよいものと
は思われませんが(それこそ「武士道」的な価値観に照らして)、
それはひとまず措いておくとしても、これら西尾氏を讃える声は、
秦氏が日本への愛が足りないなどと批難し、史実の検証についても
「それが事実であるのか否かの判断の基準は歴史の流れの中である
視点、思想で検証、評価」されるなどと主張しています。""
879世界@名無史さん:2009/05/26(火) 23:08:46 0
まさか、真実はひとつとかいいだすのでは・・・このひとはw
880世界@名無史さん:2009/05/27(水) 00:02:16 0
政治においては真実は各人にあるが
歴史学においては真実は一つだ。
客観的事実を探る学問だ。
881世界@名無史さん:2009/05/27(水) 00:46:04 0
名探偵コナンかとオモタ
882世界@名無史さん:2009/05/27(水) 12:07:02 0
>>875
そうですか。自分は今ほど西尾の言説が重要となっているときはないと考えますが。
戦後史観を支えた体制は今まさに崩壊しようとしています。
崩壊した後でしかほとんどの人はその思い込みに気づかないものです。
10年後20年後にあなたや秦の意見は変わっていないのか自分で確かめてください。
時代が変われば意見も変わるなどと言うことはないでしょうか。
西尾幹二の意見はぶれません。時代になど流される意見ではありません。

>>877
> "”西尾 『お話を伺っていると、秦さんはどうも旧敵国、戦勝国の側
> に経って、まるで東京裁判のウェッブ裁判長のような目で日本を裁い
> ている。やはり日本の戦後に特有の敗北史観にとらわれているという
> 印象を禁じえない。日本はあなたの国なのに、ナチスの「片割れ」と
> まで言う。・・・』

まったくその通りでしょ。まさか日本の戦後史観は戦勝国によって
押し付けられたものではないなどといい始めるのではないでしょうね。
883世界@名無史さん:2009/05/27(水) 14:16:55 0
>>873
出典とかしっかりしてたら、まあまあ便利だし
884世界@名無史さん:2009/05/27(水) 15:03:45 0
Wikipediaは賽の河原みたいなもんだからなぁ・・・

時間と労力を費やした激烈な編集合戦のあげく、
まぁなんとか双方合意できる内容になったか、と
思ったのもつかの間、また新たなDQNが出てきて
一からやり直し。(苦
885世界@名無史さん:2009/05/27(水) 15:28:33 0
こんな古い本がオークションにありました。

http://auction.item.rakuten.co.jp/10688778/a/10000001/
886世界@名無史さん:2009/05/27(水) 21:54:24 0
朝鮮近代革命運動史か、、、

「革命」とはいったい何だろうか。
自分はあまり良い印象をこの言葉に持たないな。
単に外国の言葉を日本語に翻訳したものだからか、日本人だからかも知れないが。

887nomu:2009/05/27(水) 22:59:16 0
>>882
 江藤淳が主張したWGIPのことだろ!
 旧大日本帝国の主権者である昭和天皇
 が処刑もされず、退位もせずそのまま
 天皇であり続けた点だけでもその主張は
 疑わしい!
 もっとも昭和天皇自身が保身のために
 GHQの政策に協力していたのなら別だけど!
888世界@名無史さん:2009/05/27(水) 23:41:10 0
いいかげん共産くずれの亡霊どもは若者に日本をまかして死んでね
889世界@名無史さん:2009/05/28(木) 00:22:52 O
昭和天皇の戦争責任追及してる人ってまだいたんだ・・・。
890世界@名無史さん:2009/05/28(木) 00:51:04 0
>>882 
政治的状況によって重要性を増すとかいうような触れ込みの思想はそもそもが根無し草だ。
だけど西尾幹二といっしょになって流されている人間には、西尾の意見が偏向を深めてゆく
様子は分からないと思うよ。
そもそも西尾は自分が歴史の専門家でないと言っている。専門家でないのに歴史の本まで出す
というのは、歴史の知識に寄与するためではなく、政治的主張をしたいからにすぎない。
つまり「何とか史観」を売る店が一軒増えたというだけの事で、そんなものは目新しくもなく
必要でもないだろう。歴史観は各人が一から育てるものであって、店で買うものじゃない。
891世界@名無史さん:2009/05/28(木) 04:31:52 0
西尾は天皇観が厳格すぎる。
こういう人が天皇を廃位させたり幽閉しちゃうんだよな。
自分の理論でいう天皇と違うとか言って。
892世界@名無史さん:2009/05/28(木) 11:13:21 0
>>891
まったく正反対だ。
ほとんどの保守派は皇室をどこか奥に閉じ込めて寝た子を起こさなければ
いいと思っているだけ。そんなことをしているうちに皇室はまさに崩壊寸前の
危機に瀕してしまった。崩壊寸前の危機などと思っているのは本当に日本と
皇室のことを思っている西尾幹二のような一握りの人間と、皇室乗っ取りと
皇室破壊を狙っている連中だけ。後の9割以上の人間は平和ボケでもう何が
起こっているのかすら理解していない。
秋篠宮殿下から悠仁親王への皇位継承の道筋をつけなければ、天皇制度は
近い将来崩壊しかねない。
西尾の皇太子ご夫妻批判は皇族の支持も得ている。
893世界@名無史さん:2009/05/28(木) 12:12:35 0
もはや皇室典範によれば悠仁親王に皇位が継承されるのは確かなのに、
このうえなぜ皇太子夫妻を批判しなければならない?
出すぎたマネをするべきではない。

さらに西尾は皇太子夫妻は離婚すべきだと言ってる。
ふざけるな。おまえが口を出すことではない。
894世界@名無史さん:2009/05/28(木) 16:12:59 0
>このうえなぜ皇太子夫妻を批判しなければならない?

愛子様に同情的な報道をするマスゴミのほうが世論撹乱をおこそうとしているように
認識しています。
895世界@名無史さん:2009/05/28(木) 16:49:09 0
>>893
皇太子殿下は西尾論文をお読みになり、自分がいかに雅子妃の後ろにいる勢力に
操られていたのかを再認識され、これからは強くあたっていこうと
考えておられる、と皇族と定期的にお会いしている人物から西尾幹二が聞いたという。
言い返せばこれまでいいように操られていた。その勢力は外務省草加を含め
広大な範囲に及んでいる。だが、噂によれば天皇陛下もすでにご決断を下されたのでは
ないかということだが。
896世界@名無史さん:2009/05/28(木) 19:15:26 O
西尾もコピペもスレ違いも氏ねよ。
897世界@名無史さん:2009/05/28(木) 22:16:43 0
同意
いい加減うざい
898世界@名無史さん:2009/05/29(金) 00:32:52 0
もはや本題のネタも尽きた。
899世界@名無史さん:2009/05/29(金) 08:02:36 0
続きはゴー宣板でどうぞ
900世界@名無史さん:2009/05/29(金) 18:08:52 0
>>850
どんな内容?
901世界@名無史さん:2009/05/29(金) 21:06:27 0
西尾幹二で爆釣
902世界@名無史さん:2009/05/30(土) 00:23:52 O
流石バカウヨとバカサヨの溜まり場世界史板w
903世界@名無史さん:2009/05/30(土) 10:43:11 0
>>900
だから信頼できる情報じゃなかったり他と整合しないからスルーされている内容なんだろ?
904世界@名無史さん:2009/05/30(土) 12:35:42 0
西尾幹二という単語に拒否感を持つ人のことがわからない。

いろいろ問題ある人か知れないけれども、「国民の歴史」という著作は、
個人的には面白かった。
905nomu:2009/05/30(土) 12:37:19 0
ネット右翼に質問なんだけど?
お前らって物事を客観的に見ることできるの!
歴史って客観的に観なければいけない学問だろ!
西尾幹二なんててめえの主観に基づいて歴史解釈
しているだけで、井澤元彦と大差ないじゃん!
906nomu:2009/05/30(土) 12:41:46 0
>>904
歴史はまず学問であるはずだろ!
面白ければいいんならお前は
『三国通俗演技』を書いた羅カンチュウ
のほうが『三国志』の陳寿より歴史家として
優れているというんか!
『演技』の方が『三国志』歴史書として正しい
のかよ!?
907世界@名無史さん:2009/05/30(土) 12:45:41 O
>>905-906



お 前 が い う な


908世界@名無史さん:2009/05/30(土) 13:33:25 0
同意
ネット右翼とレッテル付けしている奴が物事を客観的に見ることできるのか?
909nomu:2009/05/30(土) 13:34:58 0
>>907
お前の意味わからね!
具体的に!
910世界@名無史さん:2009/05/30(土) 13:43:40 O
>>909
やたらレッテル貼りしたり、具体的なソースの提示も無しに
脳内妄想を根拠にわめき立てるだけのお前が「客観的に見ろ」
だなんて言う資格はない
911世界@名無史さん:2009/05/30(土) 13:47:54 0
自分は客観的にみてるつもりなんだよw
考えたことがないんだろうな
ただ自分の妄想を肯定するために学問という言葉を使ってるんだ
こういうのが疑似科学をつくってはムーとか書いてんだよ
912世界@名無史さん:2009/05/30(土) 18:13:54 0
西尾もムーも似たようなもんだよ。
都合のいいように事実を切り貼りして
商品に仕上げる手管はな。
913世界@名無史さん:2009/05/30(土) 18:44:19 0
西尾の自称歴史とは宗教だからスルーが正解。
914世界@名無史さん:2009/05/30(土) 19:55:33 0
>>911
歴史を大局的に見るときに捨象される要素があるのは当然だろう
教養本に対して、そこまで学術的な詳細さを求める方がアホ
そんなに不満があるなら、いちいち反証となる史料や遺稿を挙げて
その大局的な見方そのものを否定なければいけないが
批判者にそこまでの体系的な反論を見たことはないな
一方的な決めつけはやめたほうがいい

そもそも西尾が専門外の教養本なんてものを書いているのは
歴史に対する印象を変えようと考えているからだろう。
閾下効果といって、人間多くふれているものにより影響をうけるので
学校の教科書が人のもつ歴史観にもっとも影響を与えている。
戦後以来の偏った教科書へのカウンターとして、西尾はこういった
草の根活動をしているってところだろ。
915世界@名無史さん:2009/05/30(土) 21:12:36 0
別に史学科出身の大学教員や歴史研究者でなければ、歴史を語ったらいかんとか、
歴史の本を書いたらいかんとか言うつもりは毛頭ないが、西尾とかは思想が偏ってる。

ここで叩いてるネラーのネトウヨと五十歩百歩だろ。
916世界@名無史さん:2009/05/30(土) 21:25:11 0
だから、軸のぶれているおまえが偏っているって言ってモナーってことだろ
軸も示してもないのに印象だけでいわれても困る
917世界@名無史さん:2009/05/30(土) 22:36:11 0
とりあえずお前等全員まとめて鏡見ろやと。
918世界@名無史さん:2009/05/30(土) 23:05:22 0
いい加減スレチガイ
違う所でやれ
919世界@名無史さん:2009/05/31(日) 06:00:59 0
真剣に話を聞いてもらいたい、という意思があるんだったら
右翼なんて言葉は避けるよなそもそも。
東亜+辺りの(わざわざあそこで)煽りレス付けまくる輩と根っこは一緒w
920世界@名無史さん:2009/05/31(日) 11:46:11 0
歴オタのネラーが西尾を叩くのは近親憎悪みたいなもんだろ。
921世界@名無史さん:2009/05/31(日) 12:33:12 O
>>919
ここは東亜のピラニアさん達みたいな暇人はいないしな
922世界@名無史さん:2009/05/31(日) 15:26:51 0
>日本はあなたの国なのに

確かに西尾も痛いな。日本がナチスと違う事はもちろんだが、
別にそれは日本人だから云々って事じゃなく、ちゃんと史実で示せばいいだけで。

このスレでも圧勝と表現しないのが、日本的奥ゆかしさとか武士道とか意味不明なこと言ったり、
旧軍の慢心を見てるようだとかアホなレスあるしな。仮にも歴史板なんなのに。
単に事実を事実を捉えて、それを可能な限り客観的に、学究的な視点で追求していけばいいだけで。
結果として史実として日本軍の圧勝と見なせるならば、圧勝だろうし
そうでないならそうだろう。それが学術的態度。
研究者でも奥深い所での偏見なんかはあるかもしれんが、「日本人だから」みたいなもんが
バリバリだと、ただのバカウヨレベルで終わってしまう。
923世界@名無史さん:2009/05/31(日) 15:38:41 0
圧勝ってのが学術的な用語とは思えんがw
924世界@名無史さん:2009/05/31(日) 15:54:29 0
>>923
単に戦争結果に対する言葉の表現じゃん。
客観的に判断して「圧勝」に値するなら「圧勝」として問題ないな。
925世界@名無史さん:2009/05/31(日) 16:15:41 0
923は奥ゆかしいんだよ
信玄公のいくさは五分をもって最上となすを実践してるのさ

そういう馬鹿のたぐいさ
926世界@名無史さん:2009/05/31(日) 16:48:23 0
じゃあ「太平洋戦争はアメリカが日本に圧勝」って教科書に載ってても問題ないよな

927世界@名無史さん:2009/05/31(日) 16:59:56 0
おうよ、マリアナ沖海戦はアメリカ軍が日本軍に「圧勝」で全く問題ないね!
悔しくなんか・・・ないもん!!
928世界@名無史さん:2009/05/31(日) 17:20:40 0
普通、自国視点でかくよなw

惨敗だろ

アメリカ圧勝っておまえはアメリカ人かよ
まあ、戦後、おれたちは戦勝国民だといってたキチガイがいたがw
929世界@名無史さん:2009/05/31(日) 17:21:23 0
まちがった

おれたちは戦勝国民ニだ、か
930世界@名無史さん:2009/05/31(日) 17:36:46 0
>>928
誰も日本の教科書とは言ってないよ。
いずれにせよ「圧勝」とか「惨敗」とかはスポーツ新聞が読者を煽る単語であって、
歴史教科書用の単語じゃない、って事だ。
931世界@名無史さん:2009/05/31(日) 17:54:52 0
どういう論理展開で”いずれにせよ”なんだよ

別に圧勝でもいいだろ
932世界@名無史さん:2009/05/31(日) 17:59:26 0
圧勝だなんて、いかにも戦術的勝利に目が眩んでハイになってる感じの語感だな
933世界@名無史さん:2009/05/31(日) 18:15:00 0
また印象論か
934世界@名無史さん:2009/05/31(日) 19:13:20 0
そもそも圧勝ってことば自体が主観的な印象を意味するに過ぎないだろw

のみならず圧勝って言葉の響きに酔っぱらってしまい、肝心の戦争の目的を達したかどうか
(下手すると戦争の目的がなんだったかすら)忘れてしまうってオマケつきだ

あるいはオマケの方が本命で、戦略レベルの敗北という結果を、幾許かの戦術的勝利を強調
することで、忘れてしまいたいっていう心理なのかもしれんけどね。
935世界@名無史さん:2009/05/31(日) 19:24:29 0
歴史用語として使うなというなら
「惨敗」や「大敗」とかも一切ダメになるし、
彼我の結果を示すだけで十分だろうな。

>主観的な印象
だから「奥ゆかしいから」とか「旧軍の慢心を思い起こさすから」
とか控えめに書くとか、勝利じゃなことにしようとするのも
バリバリ主観じゃねえかw
個人で「勝利に驕らないようにしよう」「謙虚に」とか気をつけるのは勝手だが、
学術上の歴史叙述まで、そんなしょうない価値判断に歪めたらアホだな。
936世界@名無史さん:2009/05/31(日) 19:39:46 0
勝利と敗北と勝敗つかずだけで必要にして十分。
あとは数字で彼我の損害を定量的に示す。
学問として正確性を期す上で、圧勝や惨敗などという語は不要なだけ。
控えめとか謙虚とかとは別次元の議論。
937世界@名無史さん:2009/05/31(日) 20:09:40 0
そうや、やたらと対日本で”大捷”という言葉を使いたがる
どっかの国があったっけ。w
938世界@名無史さん:2009/05/31(日) 20:21:48 0
数字www
都合のいい数値ばっかりもってきて
そんなに勝ってないと思うのがおまえのいう理性的な態度っぽいな
なんの解決にもなってねえww
むしろ、数字だから絶対だという馬鹿がでそうでこわいよ
939世界@名無史さん:2009/05/31(日) 20:22:25 0
それと同レベルのメンタリティってこったな
940世界@名無史さん:2009/05/31(日) 20:55:53 0
例えば、鳴梁海戦でウリナラは12隻でチョッパリ船123隻を撃沈破したニダ、とか、
露梁海戦でチョッパリ船500隻の内逃げ延びたのはたった50隻だけだったニダ、と
具体的な数字を挙げて書いてある英語版Wikipediaは学問的ということだな。
941世界@名無史さん:2009/05/31(日) 21:03:03 0
942世界@名無史さん:2009/05/31(日) 21:09:29 O
海戦で朝鮮側の船が少ないのは日本側は基本的に輸送艦隊で非戦闘艦が多いのと
船のでかさが違うみたいだな。
脇坂家臣かなにかの報告書で朝鮮の船がでかいから戦えないみたいな話あるし。
943世界@名無史さん:2009/05/31(日) 21:17:45 0
>>942
乱中日記なんか読むと朝鮮側は自軍戦力としては大型船(板屋船)しか数にいれてないな。
逆に日本の船は小舟を含めた上にさらに水増しなんで、必然的に大勝利になったりする。

閑山島海戦では、脇坂軍に安宅はなくて安治の乗船がやっと関船で、あとは小舟ばっかりだから。
944世界@名無史さん:2009/05/31(日) 21:51:53 0
>>938 >>940
異なる立場からそれぞれの数字を挙げれば、相互に検証を行うことが出来る。
周囲の状況、前後関係からしておかしいという数字は却下され、
それを提示した側の論拠は信憑性が低下する。つまり虚偽の数字を挙げることは
自殺点を入れるも同様の行為と言える。このように数字を挙げることは事実を
探求する上で役に立つ。

これに対して「圧勝」とか「惨敗」とかいう形容は、自己満足または自虐の感情を
刺激するだけで、事実を認識する基礎とするには曖昧で殆ど役に立たない言語だ。
定量的に物事を表せないという点では、幼児が「すっごいの」とか言うのと同じ
ようなものだろう。
945世界@名無史さん:2009/05/31(日) 22:08:50 O
前の彼女はエッチのときスゴイスゴイといってくれてたが…orz

具体的に良いところを指摘できなかったからとは…
946世界@名無史さん:2009/06/01(月) 00:12:51 0
数値化しなかったのが思いやりなんじゃね。w



    ∧_∧
  ∩丶`∀´>∩
   〉     _ノ
  ノ ,_ ゝノ  9センチ
  レ´〈_フ

※AAはイメージであり実在の>>945とは無関係です
947世界@名無史さん:2009/06/01(月) 00:34:22 O
というかこんなスレに書き込む奴で、彼女持ちかつエッチ経験ありの奴がいたことにびっくり
948 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2009/06/01(月) 00:58:17 0

   /二__,--、r'"___、 ヾト、.ヽ
レ'"~,-,、 !  ! ' '" ̄ .ノ\ヾ:、
K/ー'~^~_/  ヽミ:ー‐‐'"  ヽ i
!〉ー―'"( o ⊂! ' ヽ  ∪ Y」_  
i ∪  ,.:::二二ニ:::.、.      l 、... 
!    :r'エ┴┴'ーダ ∪   ! !l
.i、  .  ヾ=、__./      ト=.  
ヽ 、∪   ― .ノ     .,!    
949世界@名無史さん:2009/06/01(月) 07:40:12 0
?
950世界@名無史さん:2009/06/01(月) 07:45:05 0
950
951世界@名無史さん:2009/06/01(月) 07:48:36 0
952世界@名無史さん:2009/06/03(水) 18:20:44 O
次スレ早すぎ
953世界@名無史さん:2009/06/04(木) 08:39:48 0
?
954世界@名無史さん:2009/06/04(木) 16:30:22 0
埋め
955世界@名無史さん:2009/06/05(金) 14:47:29 0
>>900
一次資料のみで
>>39にある武勇伝や軍記物の戦歴や逸話とかはほとんど乗ってない
956世界@名無史さん:2009/06/05(金) 15:03:08 0
俺が読んだ印象だと
軍記物での英雄的なイメージを避けて、
ありのまま姿を書いてる感じがしたな。
957世界@名無史さん:2009/06/06(土) 02:07:41 0
埋めるか
958世界@名無史さん:2009/06/06(土) 21:12:28 0
959世界@名無史さん:2009/06/07(日) 11:18:41 0
ume
960世界@名無史さん:2009/06/07(日) 16:42:11 0
960
961世界@名無史さん:2009/06/08(月) 07:49:01 0
962世界@名無史さん:2009/06/08(月) 16:11:10 0
・福田首相は中国講演で歴史認識について村山談話をかみくだいて語った。
・だがそれは、日本人に向かって言ったのでも、日本人が聞いていたわけでもない。
・こういう大事なことは、日本に向かってこそ語りかけるべきだ。
963世界@名無史さん:2009/06/08(月) 16:55:21 0
今更だけど次スレ立てるの早すぎたな
964世界@名無史さん:2009/06/08(月) 21:56:42 0
「秀吉の死因は脚気」 姫路の医師が新説発表へ 
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0001964899.shtml
豊臣秀吉は脚気(かっけ)で亡くなったとする新説を、姫路市御立東の脳神経外科医で作家の若林利光さんがまとめ、近く日本病跡学会で発表する。
965世界@名無史さん:2009/06/09(火) 13:05:33 0
スレチガイだけど森鴎外は医者としては無能
966世界@名無史さん:2009/06/09(火) 18:04:16 0
967世界@名無史さん:2009/06/11(木) 19:55:53 0
age
968世界@名無史さん:2009/06/12(金) 08:07:50 0
?
969世界@名無史さん:2009/06/16(火) 00:53:35 0
そうでもないだろ。
状況を考えれば、森鴎外の判断は常識的。
当時、脚気は日本にしか発生しない特殊な病気だった=日本の風土病=細菌
と考えるのは普通。
要するに、日常的に精製した白米などという非常識なぜいたく品を食ってた
層が多数存在した日本が異常。
朝鮮、中国の主食は粟稗。  
970世界@名無史さん:2009/06/16(火) 14:48:47 0
島津の秀吉討伐計画
〈1〉「朝鮮出兵時に」明へ提案

 島津氏と中国・明が協力して豊臣秀吉を討つ計画があった――。

 にわかには信じ難い話だが、明末の政治家徐光啓の献策などを収めた『徐文定公集』は、
薩摩側の許儀後なる人物から、次のような提案があったと記している。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/rekishikou/003/re_003_040305.htm
971世界@名無史さん:2009/06/17(水) 00:24:42 0
>>969
初期まではな
麦飯を食う海軍からは脚気患者が殆ど出ず
周り全部から「脚気対策に麦飯を」と叩かれつつも
単なる意地で否認し続け
ビタミンB1が発見され、脚気予防の効果が判明してもやっぱり否認し続け
死ぬまで細菌説を固辞し続けたようなのは無能としか言いようが無い。

いや・・・25万の脚気患者と3万の死者を意地のせいで出したのは無能というよりはキチガイだな
972世界@名無史さん:2009/06/17(水) 02:06:37 0
>>969
いや、東南アジアでは広く知られた病気だったよ>脚気
その証拠に、英語で脚気はberiberiという(シンハラ語(スリランカ語)起源)。
イギリス人が、セイロン統治のときに発見した病気であることを示す。
もし日本の風土病だったら、geishaよろしくkakke, kakkeyなどになったはずだ。
おそらく中国南方にもあったんだろう。
そもそも本来は稲作圏とさえ言いがたい(照葉樹林文化を共有していない)
朝鮮は全くの論外。
973世界@名無史さん:2009/06/17(水) 20:32:27 0
974世界@名無史さん:2009/06/21(日) 12:32:07 0
975世界@名無史さん:2009/06/22(月) 08:04:44 0
976世界@名無史さん:2009/06/22(月) 09:30:27 0
>>970
実際に明と同盟できたかは分からないけど、島津氏には実際に秀吉に叛する気があったかも
しれないね。島津の家臣が肥後の城を奪った梅北の乱も一家臣の暴走では説明しきれないし、
文禄の役で島津氏の着陣が遅れたのは、他の大名が朝鮮へ出発したのを見計らって九州を制圧
する計画だったという説明も成り立ちそう。

梅北が乗っ取った佐敷城だけでなく八代城の奪取にも成功してれば、あとは肥後国人の残党を
糾合して九州を北上し、名護屋城の秀吉を討つ・・・みたいなシナリオが島津氏にあったかも。
977世界@名無史さん:2009/06/22(月) 22:54:43 0
978世界@名無史さん:2009/06/23(火) 18:17:40 0
979世界@名無史さん:2009/06/24(水) 13:39:01 0
980世界@名無史さん:2009/06/24(水) 17:50:17 0
980
981世界@名無史さん:2009/06/24(水) 19:44:29 0
981
982世界@名無史さん:2009/06/24(水) 19:46:01 0
982
983世界@名無史さん:2009/06/24(水) 19:47:04 0
983
984世界@名無史さん:2009/06/24(水) 19:48:33 0
984
985世界@名無史さん:2009/06/24(水) 19:49:22 0
985
986世界@名無史さん:2009/06/24(水) 20:31:47 0
986
987世界@名無史さん:2009/06/24(水) 20:34:51 0
987
988世界@名無史さん:2009/06/24(水) 20:37:07 0
988
989世界@名無史さん:2009/06/24(水) 20:42:18 0
小梅
990世界@名無史さん:2009/06/24(水) 20:44:09 0
990
991世界@名無史さん:2009/06/24(水) 20:46:07 0
991
992世界@名無史さん:2009/06/24(水) 20:48:39 0
992
993世界@名無史さん:2009/06/24(水) 20:50:16 0
993
994世界@名無史さん:2009/06/24(水) 21:35:49 0
994
995世界@名無史さん:2009/06/24(水) 21:37:20 0
995
996世界@名無史さん:2009/06/24(水) 21:42:52 0
996
997世界@名無史さん:2009/06/24(水) 21:43:45 0
997
998世界@名無史さん:2009/06/24(水) 21:44:20 0
999世界@名無史さん:2009/06/24(水) 21:44:40 0
1000
1000世界@名無史さん:2009/06/24(水) 21:45:02 0
1000get!
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