>>574 その朝鮮軍8000ってどこから湧いたんだ?
578 :
pi:2010/06/13(日) 21:46:50 0
海音寺潮五郎著作「武将列伝‐江戸編-」第2章立花一族102ページにおいて
文禄の役で立花宗茂にしたがって従軍した天野源右衛門覚書において明軍の
ことを「馬の大きさはけしからず候、男もけしからず大きく候」と帰してあり、
また、従軍した武将らが「武辺強き唐人かな」と驚嘆してもいるから明軍は
立花勢から見ても精鋭だったとわかる。
英国人は勝利した戦争では、敵が如何に強大であったかを強調する傾向があるよね
その強い敵に勝った俺最強って寓意で
580 :
世界@名無史さん:2010/06/13(日) 22:54:05 0
>>574 二万が壊走して損害30%なら常識的な線だろ。
ほとんどの大きな戦い勝ってるのにもったいない
あと2年くらい秀吉が生きてたらおもしろかった
秀吉が長生きして朝鮮半島南部の200か300万石くらいゲットしたとしても、日本にとって特かどうか微妙だけど。
朝鮮を領有するのが目的じゃなかったわけだし、サルじじいが長生きしても結局出兵は失敗に終わるだけだろ?
もうすこしで獲れてただろうが、獲ってもメリットが無い
愚民を大量に移民させることになったら大変だ
慶長の役の講和で朝鮮から領土を分捕る条件が明に受け入れられなかったので、
文禄の役で朝鮮の領土を分捕る事を明に認めさせるためにもう一度攻勢をかけたよ。
さらにもう一度攻勢をかけようとしたら秀吉死んで戦役終わったよ。
ん? 慶長の役は半島南部確保に目的が変わっていたから、
太閤殿下がもうしばらく存命ならば、ナロ2号爆発カンシャクオコルじゃなく
韓国人は日本国民としてはやぶさ帰還マンセーと昨夜は驚喜できる
幸せな世界だったかもしれんよ。
朝鮮領有のみが目的だったらマジキチ
大抵の侵略戦争の目的なんてあやふやだけどな。
ガス抜きの戦争がガチの消耗戦になったイラン・イラク戦争。WW1も同じだな。
秀吉の死は日本にとっては僥倖。明は既に手遅れ。
軍事的拠点の確保として朝鮮に関することは書いてあるが
明への領土要求は無いな
秀吉が腹の中でどう考えていたかは別として
この時点で明を滅ぼそうとか、そういう行動はない。
明との講和条件七ケ条
一、明帝の女を日本の皇妃に迎える。
二、勘合貿易の復活
三、日明両国大臣の誓紙交換
四、朝鮮の京畿、忠清、全羅、慶尚、四道の割譲
五、朝鮮の王子、大臣を質とする
六、捕虜の朝鮮両王子を送還する
七、朝鮮の大臣が永久に日本にそむかぬよう誓約する
どの国にせよ、敢えて日本の征服に乗り出すには日本は強国過ぎたのである。
ポルトガル人には日本征服どころか、その考えすら起こらなかった。
スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。
1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送られ、日本軍を前にして
「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」
との厳命が下っているのである(フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にある)。
ただ一度だけ、日本の不正規軍…
…浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体…とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。
1620年代、シャムにおいてだ。
どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。
支那について言えば、朝鮮での戦いのいくつかの小競り合いで支那が勝ったことはある。
だが、戦争それ自体に支那が勝利を収めたわけではない。
そのことは支那自身が明言している。※
(中略)
1644年に滅ぶ明朝の最後に至るまで、この恐るべき侵略者の記憶は生々しく残り、
「日本人と言うだけで、人民は神経をとがらせ、警戒し、息を殺した」と付言されている。
ノエル・ペリン noel perrin( ダートマス大学英米文学教授)が分析した戦国日本の軍事力(著作「鉄砲を捨てた日本人」より)
※「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
(日本との七年に及ぶ戦争によって我が明は膨大な犠牲を強いられた。
我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが、関白豊臣秀吉の死によって戦争は終わった)
完全な失敗だったよなあ
サルジジイが早くくたばってりゃ金も命も無駄にしないで済んだのに
部下も大変だったろうなー
>>580 俺は中国史とか、朝鮮史には詳しく無いのだが
敵国の将や将兵を褒め称えるって万国共通なの?
日本じゃ源平から、戦国時代までそれが当然の世界だったけどさ。
日本語に翻訳した漫画「韓国の歴史」で
日本人でイケメンとして書かれてるのは朝鮮の記録にも
美男子として書かれてる倭寇の阿只抜都って武将ぐらい
後は全てお約束の下駄、出っ歯、フンドシ、下品、釣り目w
>>594 >>580が言ってるのはそういう事じゃないだろ。敵を褒め称えるんじゃなくて、いかに強い敵であったかを
強調して自分の手柄を自慢する話だ。
自分がめっちゃ弱かったなんて言ってるのは戦後の日本ぐらいです
598 :
世界@名無史さん:2010/07/20(火) 17:49:28 0
朝鮮征伐
599 :
世界@名無史さん:2010/08/01(日) 23:31:07 0
>>578 このPIってリアル大陸人だな
ようこそw
日本史板でも朝鮮征伐スレで痛い発言してるし
自国の愛国自慰史観だけじゃなくて
細かい研究まで進んでる日本の考えを学べるのはいい機会だよ
韓国人が悲惨だったエンコリを思い出す
600 :
世界@名無史さん:2010/08/23(月) 16:57:19 0
600get!
601 :
世界@名無史さん:2010/08/25(水) 23:26:09 0
>>578 >「武辺強き唐人かな」
秀吉に明兵など処女の手を握るが如し
と形容されてたのを考えると随分と出世したなって思うw
倭寇に虐められてた海岸警護のヘッポコじゃなくて
北の騎馬民族を抑え込んでた精鋭ってこともあるんだろうけど
明の首都北京の位置が分かってりゃ、
先発隊が強固な倭城築いおいそれと奪還できなくなったうえに
九州には伊達だ徳川だの本隊みたいのが出撃直前
普通に秀吉があと2年生きてりゃ明は滅ぼされて、少なくとも半島、よければ北京あたりまでは
制圧してしまってただろう。
ヌルハチより確実に秀吉のほうが強い。
それにイスパニアの中国侵略の意図を既に理解し、奴隷商売などイスパニア敵視をしてた秀吉にとって
明を取るというのは、当然の世界戦略である。
別に誇大妄想でもなんでもないよ。
同時の日本側の兵士の動員数考えたら全く不可能じゃない計画。
ヌルハチができて秀吉にできない理由がないわな。
戦後史観に毒されすぎじゃね?
603 :
世界@名無史さん:2010/08/26(木) 06:15:30 0
>>602 中国を見下し馬鹿にしてるお前のほうが明らかに毒されてるわ
604 :
世界@名無史さん:2010/08/26(木) 06:31:59 0
ヌルハチどころか呉三桂や李自成にも負けるだろ秀吉なんざ(笑)
明の首都北京の位置が分かってりゃ、って地理を全然把握してないのか
北京まで遠いすよおまけに遼寧は補給が現地で出来るほど豊かな土地じゃないし
山海関だって李自成が北京落としたから呉三桂が放棄したんだしそれまでは難攻不落ですよ
あとヌルハチは山海関せめて思いっきり負けて戦死してるからなお馬鹿さん
明を滅ぼしたのはホンタイジやドルゴンの世代だからね
606 :
世界@名無史さん:2010/08/26(木) 12:19:17 0
たとえ秀吉やら家康やらがノコノコとやって来ても袁崇煥に軽く返り討ちにされ
ヌルハチのように無様に戦死だろうな
生命線でもある海路は鄭芝龍の軍勢に抑えられ、帰国すらできず野垂れ死んじゃうだろうね
>>602 根拠のない日本礼賛は半島人の韓国マンセーと同じだと言うことを知った方が良いと思うよ
兵力と装備から考えても「軽く返り討ち」にはならないだろ
まあ北京は落とせないだろうが
実際に、元寇みたいに返り討ちにはなってないからな。
軽く返り討ちに出来るなら、さっさと投入すれば何十万もの大損害も出さなくて済んだし、秀吉の死で敗北から救われたなんて無様な話も残さなくて済んだのに何でしなかったんだ?
何で家康を送らなかったんだろう?
将軍の地位を与え手に入れた土地は全て自由にすればいいと言えば乗っただろうに
三路の大敗後、どう脳内変換したら明が勝利する姿が思い浮かぶのかね?
大敗を喫し万策尽きた結果が
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万
中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」でしょうに。
さらに、明軍が総力を結集して挑んだ日本軍の主力は九州勢。中国・四国勢など
は本土で休息をとっていた。運よく秀吉が死んだおかげで、これらを投入する前に
戦役は終ったわけだけどね。明を征服できるかは不明だけど、少なくとも返り討ち
になるような状況ではなかった。
それと呉三桂や李自成、袁崇煥なんてこの時代生まれてもいないしwww
>>602のヌルハチには明征服が出来た秀吉はヌルハチより強い
と言うレスに対して呉三桂や李自成や袁崇煥の名前が出てるのに
この時代にはまだ生まれてないとか的外れも良いとこ
草生やす前によくスレを読もうね
煽る前に日本語でおk
615 :
世界@名無史さん:2010/08/31(火) 21:27:35 0
「本気出してれば明征服できたはず」とか
まるでニートが「本気出せば就職なんて簡単」と言ってるのと同類だろww
616 :
世界@名無史さん:2010/08/31(火) 22:04:03 0
どう考えても日本に明征服なんて無理でしょ。
誇大妄想もいいとこ。
>>616 不可能とまでは言い切れない。何せ、当時の明の皇帝は、中国歴代で
1・2を競う愚帝、万歴帝だからな。やり方次第では何とかなったと思う。
問題は、日本にそこまでの国際感覚がなかったこと。ある意味、今と
通じるものがある。
618 :
世界@名無史さん:2010/08/31(火) 22:15:36 0
万暦帝は確かに暗君も暗君だが
まだ明の基盤は崇禎時代に比べたら
しっかりしてたとは思う。
大規模な反乱は起きてないし。
本気を出せば朝鮮半島南部の割譲はいけたよ。
というか秀吉の目標はそれだよ。
いやいや自分で明に攻め込むから道貸せって言ってんじゃん
変な捏造すんなよw
それとも明攻めるのは口実でほんとは朝鮮だけで良かったのかw
韓国人のウリナラマンセーありきの珍説の割り込みを除いて、
淡々と冷静になってみれば、
昔から、「第1次唐入り」の日本対明の戦力は、ほぼ互角というところじゃないのかね。
前線が、朝鮮半島中部を行ったり来たりしつつ膠着するというのは、
巨視的にはほぼ互角であることを示す。
後の朝鮮戦争が、前線は大きく南北に行ったり来たりしたが、
巨視的にはほぼ米・ソ(中)で互角だったとみられることと同じ。
IFを足してみても、万暦帝はあれだけの奢侈を尽くしながら、
とりあえず対日戦争を戦うことは出来たわけで、
16世紀末の段階では、まだ明の国力はかなりあった。
(万暦帝前期の貯金もある)
他方、豊臣政権も相当な奢侈を繰り返しているわけで、
それでも対中戦争をあれだけ戦えたわけで、相当な余力があった。
つまり、IFを足してもやっぱり互角といったところじゃないだろうか。
朝鮮戦争の米ソの力関係を考える上で、
李承晩やら金聖柱などの話を割り込ませると、話がむしろ混乱する。
16世紀末の唐入りつまり「日本と明との戦争」においても同じだ。
俺が知らないことは捏造。
で「本気出してれば明征服できたはず」なんてレスどこにあるの?
文禄の役と慶長の役の区別もつかん奴がこのスレにいるのよ
文禄の役は明征服を目的に始められたけど、戦線が膠着すると勝ったと思ってた秀吉は(明は降伏しました!って偽報告も受けてた)半島南部の割譲とか明の皇女を人質によこせと要求した。
慶長の役はそれを認めさせるための戦争。同じ朝鮮出兵でも違う戦争。
たぶん既出。