世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その7

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468世界@名無史さん
>>467
日本のほうは2万ぐらいだが、明のほうは3000にすぎなかった。
結局明軍は日本軍の包囲を潰した。

実はこの戦の明軍はほとんど李氏家族(李成梁、李如松など親子)の手先だね。
戦闘力はかなり強かったね。

明軍は騎兵の優勢のため、野戦でいつも簡単に日本軍を潰した。
しかし、初期明軍の兵力は4万にすぎなかったので、李如松は漢城攻撃計画を諦めた。
後期の慶長の役のとき、加藤清正の1万3千ぐらい部隊は麻貴の2千人部隊にたやすく潰された。

楊応龍の反乱は慶長の役と同時で、明がこの反乱を鎮めた兵力は10万ね、
慶長の役の兵力は遥かに多かったな。
つまり、明にとってはこの戦いがたいしたことじゃなかった。