次スレつくったのかよ! 話す値打ちがあるのか!
>>2 >世界史板なので、その点を忘れずに語ってください。
って書いてあるから、ただのコスプレオタと支持者も一応考えて
来るだろうから無問題。
戦場にはスマートさなんてなくて、結構無茶苦茶に 相手を「ぶっ叩く」・「ぶっ潰す」方が多いのではと。 スポーツでいうとアメフト。 これを検証してください。
前スレと同じようなこと話すなら武道板へ建てろ
>4 双方とも馬に乗っているのか? 双方の武器は何か? 個人戦なのか集団戦なのか? 集団戦なら同じ装備なのが何人もいるのか? 人数は何人か? というのを決めないとまとまりがなくなるので 個人戦からやってみますか?
7 :
世界@名無史さん :04/10/19 22:23:55
一対一なら人による。世の中強い人と弱い人といるからね。
たとえば現代の軍隊でも、 ○○軍は△△軍より強いとかはやれるが、 ××兵は一対一だと強いなどとはあまりやらない。 兵士は集団戦がなんぼだから。
そういえば騎士は剣・槍しか武器は持たないって思ってる奴がいたな。 現実にはメイス系の棍棒やハンドアクスだって使ってたのにな。
>8 だから、そんな事を言ったらこのスレの存在自体が無意味になるって何度も言ってんじゃん。 いい加減にしろ! ま、武士と騎士は兵士(一兵卒)とは違うから、1対1での戦いも検証して良いかと.......
>>10 >このスレの存在自体が無意味になる
そんなことはないでしょ。
みんな個人戦にこだわりすぎて、
戦史における騎士や武士の戦術などはあまり語ってないじゃない。
もちろん、個人戦についての議論も否定はしないけど、
騎士も武士も異文化の軍勢と戦った例は少なからずあるのだから、
そのような視点で見ることも必要でしょ。
>9 そんな香具師が居たの? ハルバード、ウォーハンマーやウォーピックとかも使っていたのにね。 でも、弓を使った奴は少なかったんだよな。 これって宗教上の理由だったけ?
>11 で、どうやって検証するんだ?
>>12 ローマの騎兵は投槍使えたんだっけ?
騎乗して弓を使うのは蛮族である遊牧騎馬民族と同じようで嫌、
とかの理由だったり(w
>>13 検証も何も、歴史の板ならば歴史的資料で語るべきではないですか?
前スレによると当時の西洋甲冑の厚みは1ミリ前後で、 和弓は15メートル以内ならフライパンも貫通するらしい。 フライパンの底って3ミリ〜6ミリくらいあるよね。 まあ身分の高い人用の鎧なら、特別分厚い鎧もありだろうけど。
いつの時代?
19 :
世界@名無史さん :04/10/20 01:15:48
>>9 それを言うなら武士の武器だって乳切木とか金砕棒とか鎖鎌とかいろいろあるのだが
騎士マンセー派にかかっちゃ、
「一般的な武器ではない」
の一言で全部スルーされちゃうんだよ
武士とか騎士とか言っても時代の幅がありすぎ。 戦国時代の武士と江戸時代の武士を同列に扱えるか?
三銃士(実在したか知らんが)vs新撰組隊士
22 :
世界@名無史さん :04/10/20 01:45:03
>>20 とりあえずほぼ同時代の、鎌倉武士団と十字軍の騎士団ではいかが?
>>22 まあ無難ですな。
それを基本に話を膨らませればいいでしょうな。
24 :
世界@名無史さん :04/10/20 01:52:43
>>21 一応銃士というのはマスケット銃を持った戦士だから、同人数なら
刀だけの新撰組は負ける。新撰組の人数が2倍程度までなら銃士の
勝だろうと思う。
>>24 しかし、普通に銃撃戦が行われていた西南戦争でも、
抜刀隊が活躍したという事実がある。
いかに白兵戦に持ち込むかが重要なのだろうけど。
26 :
世界@名無史さん :04/10/20 01:57:57
人間の基礎体力 騎士>武士 鎌倉武士は小男だったそうだ 馬具の優劣 ? 馬の体力 騎士>武士 馬も甲冑をつけているのでどうだろうか...重くて先にへたばるかな 甲冑の重量 騎士>武士 多分明らかに騎士の方が鉄が多そう 甲冑の強度 鍛造だから武士の方が強いかも 弓の攻撃力 騎士<武士 弓の連射性 騎士>武士 弓の命中率 騎士<武士 槍の重量 騎士>武士 刀の重量 騎士>武士 総じて騎士は鈍重ではなかろうか
27 :
世界@名無史さん :04/10/20 02:17:38
体がでかければ体力がある、というのは如何なものだろうか。 刃物や弓矢までつかう戦場で体格差を勝敗に結びつけるには、それこそ大人と子供以上の格差がないと無理。 そもそも12世紀あたりでは体格に決定的な差はない。
弓も銃も槍も、密集隊形で使ってなんぼです。 魚と同じで群れから離れた者ほど死亡率が高くなるものです。
29 :
世界@名無史さん :04/10/20 02:45:57
小柄だから体力がないとなると、幕末来日外国人が日本人の強靭な 体力に驚く筈がない。
30 :
世界@名無史さん :04/10/20 04:27:54
>>29 農家のおっちゃんとか細く見えても結構体力あるしな
洋の東西を問わず胴体部分には何かしらの防御があり 本能的に守るので、ここに攻撃を加えるのは難しい。 次に頭部ですがここも重要器官なので守る意識が働きますが 物質的防御と言うとあまり重量があるものは無理でしょう。 仮に表面積が0.1uとして1oの鉄板をめぐらしたなら0.8s 2mmならば1.6s、3mmなら2.4sの重さになるでしょうか。 かぶり心地や衝撃に備えるためにも内装に布や緩衝材を 用いたとして数百gの加増になるかと思います。 ただし鉄板の厚みがあれば切られたり、突き抜かれたりする 可能性は低下しますが衝撃に関して言えば厚さに関係なく まともに受けると思われます。 手の部分は武器を持つ関係から装甲で丸々覆うことは出来ない と思われ、出来たとしても甲の部分に留まるので切断は免れても 衝撃で武器を落とす可能性はある。 結論としていえば刀や槍は鉄を斬ったり突いたりする事を念頭には おいてないので狭い場所、足をとめて「せーの」で鎧の破壊を競う といった戦闘ならかなり不利であるとおもう(いや多分勝てないだろう)。 広い場所で打ち合わずに逃げることが出来れば上記のように末端や隙間 といった弱い場所を狙い戦闘能力を奪うことも可能だと思う。 剣道にも小手や面・突きといった決まり手があるのはそういった理由からでしょう。
>>31 だからなんで武士は刀や槍で初めから相手の弱点をねらって、
刃部分の効力を発揮させるような仕方で攻撃する必要があるわけ?
普通に考えて鎧の騎士が徒歩できたら、槍や刀でぶっ叩くと思うよ。
頭部とか腕、肩など。いきなり鎧の隙間のような攻撃可能面積が小さな所なんて
狙わないと思う。さらに接近して蹴倒すなりなんかして相手を地面に倒す。
でその後、鎧の隙間からぶすりとやるんじゃないのかい?
>32 はじめからじゃなく胴とかが通用しなかったら こうするだろうって言う展開の話でしょ? それにバカじゃないから(多分)相手の着てる材質に 自分の武器が通用するかどうかの判断はすると思う。 倒しにいくにしても相手が武器持っているのに 不用意に飛び掛れば刺されるか、斬られるかするだろう。 まず武器を何とかすることが先決だし、質問を返すが何で はじめから蹴り倒すこととかが前提なの? ここが武士と騎士相撲をしたらどっちが勝つかスレだったら 私が言ってる事は確かに間違いだ。 しかし流れの変化でグランドなることはあっても自分の持っている 武器を無視していきなりグランドには持っていかないと思うが。
>>33 衝撃力って結構あるぞ。要は小手先のテクニックなんぞ
真剣勝負にはあんまり関係ないということだ。
>まず武器を何とかすることが先決だし、
だから頭部、腕、肩を強打したりするんだろうが。
>質問を返すが何で
>はじめから蹴り倒すこととかが前提なの?
トドメを刺す過程の話しをしてるんだ。わざわざ鎧の隙間のような
狭い場所をスタンド状態で狙うのか?そんな悠長で繊細な攻撃なんぞ
している暇はないぞ。理想的には相手を強い衝撃力で圧倒した後
(ボクシングで言うと強いフックをくらってフラフラ状態のようなもの)
組み伏せてぶすりが現実的だろ。もちろん相手が脳震盪なんかを
起こしてぶっ倒れているんならそのまま捨て置けば良い。
>しかし流れの変化でグランドなることはあっても自分の持っている >武器を無視していきなりグランドには持っていかないと思うが。 何度も言うがいきなりグランドじゃないし、蹴りも方法の一つだぞ。 相手は重武装の騎士だろ。慎重にやってる暇なんてないぞ。
相手も自分も極度の興奮状態で狂戦士になってんだぜ。 格ゲーのようにジャブジャブでけずって引いて防御×5でライフ けずって勝つなんてできないぜ。力任せのタックルや相手の武器を 叩き落とすことも必要だ。
基本は「ぶっ叩く」「ぶっ倒す」「ぶっころ死」の精神だ。
この人恐いよー(ガクブル でも言ってる事は正解だと思う。
前スレで山野タンも言ってるよな。>組打
>32,34-36 集団戦なら組み合ってる間に横から刺される。 首がほしいなら郎党が止めを刺すし、首も狩る。 最も首を狩ること自体悠長。 個人戦なら武器を何とかしたほうの勝ちに近いし、 そもそも西洋の武器のつくりからいってに日本刀や槍で 受け流すと武器を損なうし、自分打撃も一度や二度で相手に 致命傷を与えることは難しいといってる。 そもそも>31を理解したうえでのレスなら>34は書けないはずなので 自分の言ってる事と>31に書いてあることを見比べてください。
>>39 なんか戦場をフェンシング試合のようなイメージで
捉えてる香具師が多いよな。華麗に自分は傷つかず
刃の切味で倒すみたいな。
剣道とか柔道、ラグビー、アメフト、サッカーなどを
やったことがある奴は分かると思うが、
実際はもっと泥臭くて、パワフリーでぶっ倒すって
感じだと思うぜんだが。
>>40 何わけの分からんこと言ってんだ?
>>31 なんぞ
意味のない文章に何の価値もないぞ。
話しそらすなよ。
>上記のように末端や隙間 >といった弱い場所を狙い戦闘能力を奪うことも可能だと思う。 お前がこういう意味不明・現実無視のこと言ってるからだろ。 何ならお前が西洋かぶとをかぶって、それを俺が日本刀で 滅茶苦茶に強打する実験やってみるか? 多分お前は相当ダメージを受けるぞ。ちまちま鎧の隙間や掌なんて 狙ってる暇も能力も常人にはない。第一敵は動くんだぜ。 それから、首狩るのが目的じゃねえだろ。トドメって言ってんだろ。
>自分打撃も一度や二度で相手に >致命傷を与えることは難しいといってる。 だから、ぶったたくのは致命傷与える為じゃねえの。 致命傷は刃の効果でやればいいの。 それから自分打撃とは何のことだ?
おまいら、ttddがいてもいなくてもおなじじゃん。個人レベルの武術の話ならttddのほうがましだぞ。
>32 力まかせのタックルをする際に相手の剣でぶっ叩き切られたり、串刺しになるかもよ? 武士側の攻撃に関しては色々と言っているけど、騎士側の攻撃に関しては何ら考慮して いないようでは、唯の突撃馬鹿ですよ? 武士の攻撃を喰らっても騎士はダメージを喰らわない場合があり、武士は騎士の攻撃を 喰らったら致命傷になる可能性の方が高い状態なわけですから、その辺のリスクを考慮したら とてもじゃないけど、32のような戦法は取れないと思いますね。博打打みたいな戦い方はナンセンスかと。 >37 ぶっ叩くのは良いけど、相手からの攻撃に対してはどうすんの? ぶっ倒す前に攻撃を喰らう事もあるんだけど.... 騎士にしたって、騎士同士の戦いを考慮しての肉弾戦も考慮しているだろうから そう簡単に「ぶっ叩く」「ぶっ倒す」「ぶっころ死」のコンボが決まるようには思えんな。 実際に上記のコンボを決めるにはそれ相応の条件が揃ってこそ可能かと思います。 格ゲーじゃないのですから、もうちょっと冷静に考えましょう。
>集団戦なら組み合ってる間に横から刺される。 重装歩兵は組み合うと弱いから密集するのかな。 でも密集すると弓の攻撃に弱いような気もするしなあ。
山野たんはもう来ないの? 色々詳しくてありがたかったんだが
>43 ttddのオフ会に参加キボーンヌ! っつうか、このスレにも口だけ知ったか野郎が出現するとは.... >何ならお前が西洋かぶとをかぶって、それを俺が日本刀で滅茶苦茶に強打する実験やってみるか? 強打している最中に喰らう攻撃はどうするのですか?
ttddは知識も凄いが、実際に検証したりしてたが、43みたいなキティではなかった。 しかし、このスレも荒れるな、まるで台風みたいだ。
>力まかせのタックルをする際に相手の剣でぶっ叩き切られたり、 >串刺しになるかもよ? だから何でお前はいきなりタックルにいくと思うんだ?それはただのアフオだろ。 話しにならん。 >格ゲーじゃないのですから、もうちょっと冷静に考えましょう。 それはお前だろ。 >ぶっ叩くのは良いけど、相手からの攻撃に対してはどうすんの? そんなのかわすなりなんなりしてスキ見てやるのは当然だろ。 要は相手をぶっ倒すまでは刃の効果なんて期待して攻撃なんか しねえってこった。相手をとにかくぶったたくのが先決だって言ってんだろ。
>51 じゃあ頑張ってttddとバトルしてくれや。 ま、口だけで実際にバトルするのは無理だろうけどね。 2ちゃんとは言え、言葉よりも行動をもって示してくれよ。 もしくは動画をアップしても良いよ。ま、出来ないだろうけど。
>強打している最中に喰らう攻撃はどうするのですか? おまえもアフォだな。46は打撃の衝撃力を軽視してるから言ってんだろ。 ちまちま鎧の隙間狙う暇があるかっつーの。頭部を刀で強打したほうが 現実的だろ。
武道板のスレでも51みたいなキチガイが居たよな。 口では言いたい放題だったので、ttddとその仲間にオフに誘われてたよ。 で、オフには来なかった(来られなかったが正しい)みたいだけど。 51も口だけで終わるのに50000W掛けても良いよ。
ttddなんて関係ねえだろ。口だけも何もここは世界史板だぜw
>54 出来ない事をデカイ口で言われても説得力がありませんが? ttddの発言に説得力があった(無い発言もあったけど)のは彼の知識と経験と検証したからで あって、51は唯の口だけと判断されても仕方がないと思いますが何か? 証明してナンボのもんでしょ?
ttdd氏擁護派の人は冷静になってください。 氏が実践したから騎士強い!みたいな論理になってますよ。 それではかえって氏に迷惑をかけてるのと同じです。 あくまで理性的に語りましょうよ。
>56 世界史板ならソースを提示すべきかと.... >ttddなんて関係ねえだろ。口だけも何もここは世界史板だぜw 「それを言うならここは2ちゃんだぜ」の方が正しいな
>>57 馬鹿じゃねえの。格闘板じゃねんだぞ。第一なんで俺だけに
検証求めるんだ?
>世界史板ならソースを提示すべきかと.... まあ確かにそうだが、これまでのモマエらの知識・経験で 何となく予想はできるでしょ。
ところで未だにコスプレオタを出してくる奴がいるとはw
つーかすぐにttdd氏の名前を出して勝負しろとかい出だす香具師は
議論に負けてる奴が多いな。
>>46 =
>>52 とか。
反論できなるとすぐに氏の名前を出す。ワンパターンあきた。
64 :
世界@名無史さん :04/10/20 15:27:20
>31 衝撃に関して言えば厚さに関係なく まともに受けると思われます 小手や面・突き ここの周辺よんでも意味分かりませんか? 胴部分のような堅いところではなく手や頭などの 弱いところ狙えって書いてあるんですよ。 >32さんの歴史では戦場では白兵戦の死者は 必ず組み打ちで死んでるんでしょう。 あと負傷者は組討で勝った人だけなんでしょうね。 これ以上は意味がないし、どちらが正しいかは 後の人の判断に任せます。
>>32 さんの歴史では戦場では白兵戦の死者は
>必ず組み打ちで死んでるんでしょう。
>あと負傷者は組討で勝った人だけなんでしょうね。
曲解御苦労。ttddのことはもういいのか?
>衝撃に関して言えば厚さに関係なく >まともに受けると思われます >小手や面・突き だったら武士だってぶったたいていいだろう? 何で君は武士は刃の効果でハナから戦わなきゃいけないと したの?それが分からなかったんだよ。
ここでttddとやれとか言い出す馬鹿は格闘技ファンにも 同じこというのかね。
>>66 >31のどこに刃の効果って書いてあります?
鉄板の厚みがあれば切られたり、突き抜かれたりする
可能性は低下しますが衝撃に関して言えば厚さに関係なく
まともに受けると思われます。
切断は免れても衝撃で武器を落とす可能性はある。
刃が効果を発揮できなければ攻撃するなとは書いてありません。
何かの思い違いではありませんか?
お二人とももう気はすんだでしょうか。 次は集団戦の考察に入りましょう。 くれぐれもマターリを忘れずに行きましょう。
>>68 >結論としていえば刀や槍は鉄を斬ったり突いたりする事を念頭には
>おいてないので
>末端や隙間
>といった弱い場所を狙い戦闘能力を奪うことも可能だと思う。
と書いてあったから。確かに槍や刀は刃による刺突、斬撃効果が
高いとは思うが、ぶったたくのも普通にありかなと思った。
もし、俺が勘違いしていたのならもっと説明して欲しい。
69 名前:世界@名無史さん 本日のレス 投稿日:04/10/20 15:46:57 お二人とももう気はすんだでしょうか。 次は集団戦の考察に入りましょう。 くれぐれもマターリを忘れずに行きましょう。
鎌倉武士はパルティアンショットのような技を持っていたのかな? モンゴル軍の騎馬弓兵が強かったのもこれが出来たことが 一因だと聞いているが。
次スレは鎌倉武士と十字軍にしよう。収拾がつかん。
>>73 もう次スレかよ!
やはり話す値打ちのないタイトルだったか?
ま、無理に話すのなら、鎌倉武士団vs十字軍だな。
日本史の中の武士は時代的にも身分的にも政治的にも、幅がありすぎる。
従って、その武装や戦い方も一筋縄では掴めない。
ttdd氏がやっているような甲冑着込んで擬似得物で打ち合う、というのは、俺は
学者にありがちな『現実感の無さ』を埋める可能性もあるし、面白い試みだと
思うよ。
平気で「日本刀は3人斬ったらもう使えない」とほざく学者モドキや物書きも
いるからな。
鈴木眞哉氏の『刀と首取り』などの著作で主張されているような『遠戦志向云々』
もこの類だと俺は思っている。
学者は、一度定説と見なされた説を否定するような歴史資料や武具・武芸の発展の
遷移をことごとく無視するか、例外扱いしてゆくものだからな。
その意味で自らの体でとりあえず試してみる、というttdd氏の試みは面白い。
だが、あくまで実験であるからして、その場での勝敗が現実の勝敗に結びつくかどうかは
また別に考えなければいけない。
あくまでも研究材料のひとつ。
75 :
世界@名無史さん :04/10/20 18:34:43
ttdd氏は逆にあなたが武士だったらどうやって騎士を倒すか? 質問にこたえてくれるかな? おいttdd氏のやってることはいいと思う。鎧を着たときの圧迫感とか、呼吸とか剣の重さとか実際に隙間をねらえるのかとか 文献や出土品じゃわからないことが大事と思う。できたらプレートだけでなくチェーンメールでもやって欲しいっす。
十字軍騎士もイスラム教徒たべたの? 雑兵じゃなくて騎士でも?? ハングリー精神は十字軍兵士の方が強そうな感じするね
>>76 馬上からふり向きざまに矢を射ること。騎馬民族がよく用いる
攻撃法。名前の由来はパルティア王国の軽装騎兵が得意と
したことから。重装備のローマ軍を苦しめたらしい。
帝国書院の図説より
>>78 おお、ありがとう。
多分武士はそれはやらなかったんじゃないかな?
馬上で使う弓にしては世界的に見ても長すぎるわけだし、
取り回しに難がありそうだ。
>>79 確かに図説の(なぜかササン朝のものだが)絵皿のようなものに
書かれているパルティアン=ショットをしているおっさんの持ってる
弓は日本の大弓?よりは大分小さめ。
81 :
sporran :04/10/20 22:28:52
よろしいですかねぇ。幾つかの回答があります。まず、前スレッドの最後にあった、「騎士と武士は乗馬のとき左右が違う」ということについてですが この理由は質問者が書いている通り「剣や刀が邪魔になるから」です。その理由は剣と刀の装着方法が違うからです。騎士は剣帯で剣を腰から吊って垂直にたらしていますが 武士は太刀を水平にはくことで柄が20cmほど腰の前に突き出ています。西洋のように馬の左から乗ると鐙に左足を入れると馬の腹か鞍にぶつかるのです。 これを避けるために反対から乗馬します。 次に3mmの鉄板を貫く距離は15mとありました。1mmの鉄板を貫くにはもっと遠い距離ですね。私達がやった実験は弓のリロードとその間を走ってきて到達できるか。でした ロングボウは1分に6射出来たとあります。私達はおよそ30mの距離で弱い弓を使ってこれをしました。結果として2射する間に到達できるという事ができました。
82 :
sporran :04/10/20 22:29:15
三つ目にこのスレッドの半分を占めている斬るか殴るかということですが、お2人とも武器のもう一つの使用法を忘れています。それは手足を絡めて引き倒す。 最もわかりやすいのはハーフグリップの剣です。鋭い剣先で突くときは脇の下や股間、剣を逆手にもちかえキヨンでハンマーアタックをするときは頭部に衝撃、ブレードを膝裏などに引っ掛けてこかす。 一つの武器でこのような運用法があります。槍も同じでしょう。一番大切なことは相手の弱点と自分の武器の特性を合わせるとこです。 ですから、ポールアームのような武器であれば殴るだろうし、近ければ刀の切っ先で突くでしょう。蛤刃の陣太刀であれば殴るのも普通です。要は臨機応変に物を使うことです。 ここで一つ指摘しておきたいのは西洋はメイスや斧の先端に突き刺し用のスパイク(あえて刃とはいいません)がついていたり、ハルバートにもフックをつけたりと複合性を持ったものが多いが、日本は複合性を持ったデザインの武器は少ないということです。 槍で突くときの衝撃ですが、プレートの実験では中まで衝撃は来ません。腹部などはプレートと体の間にすき間が多いのです。したがって、衝撃はプレートのみに伝わり中身はどうと言う事はありません。 竹刀で脇を思いっきり叩かれる実験もしました。少し凹みましたが、全然応えません。もっとも、コート・オブ・プレートであったならばかなり中身も衝撃が伝わります。また発けいのようなものも、試してみたいですが出来るものが身近におりません。 私が武士であったら、フルプレートに対して有効策を見出せません。足を狙ってこかし、何とかマウントポジションに持っていくでしょうが、そこから先も戸惑います。 しかし、コート・オブ・プレートやチェーンメイルであれば普通の武士を相手にするのと同じだと思います。
>次に3mmの鉄板を貫く距離は15mとありました。1mmの鉄板を貫くにはもっと遠い距離ですね。 >私達がやった実験は弓のリロードとその間を走ってきて到達できるか。でした >ロングボウは1分に6射出来たとあります。私達はおよそ30mの距離で弱い弓を使ってこれをしました。 >結果として2射する間に到達できるという事ができました。 これってなんの意味があるの?
花郎>騎士>武士 ということで分かっています
ttdd卿や他のSCAファイターと戦った時の事を参考にしてですが、対騎士用の戦い方をカキコします。 ただし、相手の武器は両手剣の場合です。ポールアームや盾を持たれるとかなり厳しいです。 まず、武士側としては速さを武器にする必要があります。 隙が出来るのは攻撃する直前と直後ですが、その為、いかに相手に攻撃をさせるのかが重要です。 先に攻撃をさせ、その隙を狙って攻撃します。攻撃箇所は相手側の攻撃箇所によって変わりますが、 武器も持った腕(大抵は右腕)を狙うのが有効です。 攻撃と同時にメインアームを捨てつつ相手に密着し、左手で相手のメインアームを持っている側の手を抑えます。 出来れば武器を抑えるのが一番好ましいです。 その際に短刀を抜いて鎧の隙間から短刀を差し込みながら、足を掛けて倒します。 左肩周りに対する刺突は致命傷を与える事ができるので、かなり有効な方法かと思います。 ttdd卿にしてもG卿にしてもスーツアーマーでは無いので、肩周りにそこそこの隙間があるので、 左肩周りへの刺突が可能です。もっとも、大きめのポールドロンを付けたれたら難しいです。 一撃で致命傷を与えれる隙間と言ったら後は脇の下くらいしか無いです。
実戦を想定した場合で、プレートの下に鎖帷子を着込んでいるじゃないかという発言もあるかも 知れませんが、私の実験では短刀でも鎖帷子なら何とか刺し通す事は可能です。 ただし、それ相応の力を込めないと刺さらないです。リベットチェーンだと更に難しくなります。 この方法は私が学んだ柔術の教えを利用した方法です。 柔術で短刀vs太刀の戦いがありますが、短刀側はどうしても捨て身で行かなければなりません。 私の流派では相手の獲物の方が優勢の場合は逃げる、若しくは左腕か半身を捨てる気で臨むべしと教えていました。 武士vs騎士だと、どうしても武士側が捨て身で戦う必要があると思います。 もっとも六尺棒とかの打撃武器があれば別ですが。 騎士vs武士では互いに獲物に差はなくても防具の差が歴然としてます。 騎士相手だと軽装にして防具は腕周りと頭部だけに徹して軽装にして、スピードを生かして 打撃武器で攻撃するのが一番だと思います。 ここまで来ると武士というよりも雑兵の戦い方と言った方が良いかも知れませんね。 なお、上記の方法で何度かttdd卿を初め他のファイターに止めをさしていますので、 それ相応に有効かと思います。あと、私の鎧もプレートアーマーでしたので念の為。 やってみて判った事ですが、プレートアーマー同士の戦いだと、互いに防御力が高いせいか、 最後はダガー同士の戦いになり、お互いの鎧の隙間を狙っての戦いになる確立は以外に高かったです。
もし、SCAのバトルでなく実戦だった場合は殴りもあるので、集団での接近戦ではフルプレート+ダガーの 組み合わせが、ある意味最強かも知れません。軽装歩兵に組み付かれても殴りとダガーで対応が可能です。 あと、今夜は台風の為、職場にお泊りなのでコテハンでのカキコはしてませんのでご了承ください。
>81 弓は遠くから射るだけの物じゃないよ。 敵が15M以内、例えば10M、7M、5Mとかもっといえば目前に来てから射ればいいだけじゃないの? 一分間に六射云々は参考にならない。 武士はそんな矢の無駄になる射ち方しないでしょ。
>85 武士は弓で近くから射れば勝てるな
90 :
世界@名無史さん :04/10/20 23:37:28
大阪夏の陣では暑さのあまり、赤褌に兜だけの海賊同様の武士までいるからな。 キチガイだ。 とにかくコッテリ武装の騎士とキチガイ武士を比較するのはもはや不可能だ。
>89 対弓用に盾を持っている騎士も居るので油断は出来ないよ。
捨て身にならないとお話にならないんじゃ武士のほうが弱いな 逃げながら弓をうって騎士が疲れてからこかしたら良いのではなかろうか
93 :
世界@名無史さん :04/10/20 23:52:25
いい加減に集団戦の話にしませんか? 個人戦の話をいくらしても、レンガの家と木造の家のどちらが強いか?というのと同じくらい意味がない。
94 :
世界@名無史さん :04/10/20 23:52:52
個人戦の話をいくらしても、レンガの家と木造の家のどちらが強いか?というのと同じくらい意味がない。
今回もまたttddの回答に有効性はないのであった。 でも応援してるぜ、コスプレ戦闘魂乙!
96 :
世界@名無史さん :04/10/20 23:58:48
>93 じゃ、集団戦に関して何か書けよ
>>93 まあ十字軍「騎士」対坂東武者の集団戦では、武士の強弓の前に
騎士もタジタジだろ。だから何故か個人戦でも騎士派は弓については
黙ってる。
でも十字軍「全体」ならわからん。これから考察すればいいんじゃないの?
武士って騎馬弓兵でもモンゴルとかの騎馬弓兵と違ってなんか攻撃的だよな。 逃げながら撃つんじゃなくて向かっていって撃つみたいな。 蒙古襲来絵詞の竹崎季長見ると弓持って敵に突っ込んでいってるし。
99 :
世界@名無史さん :04/10/21 00:04:50
騎士は武士以上に特権階級。 プレート着用した騎士が軍勢に占める割合は如何ほどか?
個人戦ならまだしも、団体戦なら武士は余計勝ち目ないと思うが 武士が刀を弓などに持ちかえるのと同じに騎士も盾使ってくるのが普通 一部はともかく,全員が全員組討なんてしないし、騎士も応じないだろう 手持ちの武器で制圧できればひっつかんで殺す必要もない
101 :
世界@名無史さん :04/10/21 00:10:29
100 微妙におっしゃる意味が分からない
102 :
世界@名無史さん :04/10/21 00:13:43
騎士だけ武士だけで戦をしているわけではありませんよ
>>100 騎士が重武装化を進行させていったのは弓系兵器の
進化に対応するのが主だぞ。
有名なリチャード獅子心王もいしゆみで打たれて死んでるだろ。 クレシーにおいて長弓兵は騎士潰走させてるだろ。 モンゴル軍団の勝さの要因の一つは弓だろ。 盾があるから万全ではない。その証拠に甲冑が重武装化 するにつれ盾は時代遅れとなった。
もういいよ、このスレ。沈めようよ。 モンゴル軍が最強なんだよ。それでいいよ、もう・・・。
確か弓って放物線を描いて飛んでくるんですよね? つまり斜め上から来る以上、 その度にそちらへ盾を向けなければいけなかったということでしょうか。
>>105 子どもみたいなこと言わないでくださいよ(w
108 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/21 01:48:37
槍を持つ騎馬武者が剣を持つ騎士と互いに下馬して戦った場合は どうなのかだろうし 剣対剣でも剣速は両手持ちの太刀の方が バスタードソードや片手剣よりは 速いだろうし 組み討ちでは関節の可動範囲を制限されている騎士の方が 不利と言う事は無いのかだが
109 :
世界@名無史さん :04/10/21 02:10:03
片手持ちの剣も速さはさほど変らんのでは?
110 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/21 02:39:39
>片手持ちの剣も速さはさほど変らんのでは? SCA等の映像を見ると結構変わる様にも見えたが どうなのだろうか (変わらなく共片手剣側が両手剣に力で防御を崩されて やられると言う事は有るだろうが)
111 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/21 02:56:25
>隙が出来るのは攻撃する直前と直後ですが、その為、いかに相手に攻撃をさせるのかが重要です。 まあ相手の剣速が早い場合は 先に攻撃されたら負け或いは 相打ちと成るかも知れぬし カウンターで相手により大きな傷は与えられても 自らも可也の傷を負う可能性は有るだろうか
頭部への攻撃の話 切れる切れないを別にしてバイクのヘルメットをかぶって 1kg程度の鉄の棒で叩かれたら相当の衝撃がきます。 これは脳が揺れるため避けれないと思われます。 ではバイクと鉄兜どちらが優れてるかと言うと衝撃を 防ぐと言う点でバイクのヘルメットは発泡スチロールが 衝撃を吸収してくれるため上です。下手すると鉄兜は 兜の中で頭が揺れてたんこぶが出来てしまうかもしれません。 甲冑と兜が一体化すれば衝撃が分散されそういったことが防げる かもしれませんが今度は視界といったことが問題になるでしょう。 槍の話 投槍やランス、スパイク(ちょっと使い方が違いますが)といった武器が 有効ならば日本の槍も有効でありウォーピックが鎧に穴を開けるなら 同じ刺突武器の槍が不可能とは思えない。(まして弓矢が通用するならば!) 素人考えだが1mm程度なら素人でも、〜2mmまでは槍一筋で生きてる人ならば 鉄板に穴を開ける力があると思える。
113 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/21 03:15:55
>騎士vs武士では互いに獲物に差はなくても防具の差が歴然としてます。 >騎士相手だと軽装にして防具は腕周りと頭部だけに徹して軽装にして、スピードを生かして >打撃武器で攻撃するのが一番だと思います。 獲物の差はプレートの出て来る14世紀以降では 騎士が馬上では片手槍・騎馬武者は両手でも使える槍だろうし 下馬時は騎士は片手剣・騎馬武者は両手用の槍だろうし 何れが強いと言えるのかだが 防具の差と言うのも騎士も手足は余り防御力は高くは無いだろうが 騎馬武者の手足は余計防御力は無い訳だろうが 槍でアウトレンジ出来れば問題は無いかも知れないし 騎士の甲冑は組み打ちの際には関節の可動範囲の問題も有るだろうし 剣で打ち合った場合でも両手持ちの打刀と重い片手剣との 剣速の差も有るだろうし 騎士が盾を持っている場合は組み討ちを受ければ 更に不利と成るかも知れないが
114 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/21 03:17:08
槍に関しては鎧の上から殴れば 場合に拠っては致命傷も与えられるだろうし 肩のパーツは胴体程強度は恐らく無いだろうか
115 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/21 03:35:36
>対弓用に盾を持っている騎士も居るので油断は出来ないよ。 下馬して突入して来れば厄介だろうが 乗馬突撃の場合は馬を狙えばどうなのかだろうし 下馬しても至近距離から装甲の薄い脚を狙えば どうなのかだが (13世紀の騎士なら鎧は鎖だろうし プレートの出て来る14世紀なら騎馬武者は槍を主武器としていたかも 知れぬだろうか)
116 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/21 03:48:34
>槍で突くときの衝撃ですが、プレートの実験では中まで衝撃は来ません。腹部などはプレートと体の間にすき間が多いのです。したがって、衝撃はプレートのみに伝わり中身はどうと言う事はありません。 まあ腹部にはスペースは有るかも知れないが 頭部や肩・手足はどうなのかだろうし 鎧の厚みも無い訳だろうから 槍や片手剣でもこの部分を殴られれば厳しいかも知れないが
弓の話 個人戦で弓対槍または刀といったことはまずないでしょうから 集団戦を前提に。まず日本ですがよっぽどの遭遇戦では無い限り 柵や土塁で陣を構築してから戦いに移るのが通例のようです。 双方こうした陣を作ったうえで攻めあいます。長巻や長柄を持った雑兵足軽 槍や刀を持った武士が陣の間で戦い、不利ならば自陣に逃げ込み追ってきた 者を弓矢で射掛け、敵が逃げ出すとまた陣を出て追いかけていきます。 西洋の場合騎兵の突撃を槍部隊が防ぎつつ弓を浴びせるといった感じでしょうか。 集団で槍衾を作るといったことは日本では戦国期中盤以降の足軽雑兵の集団化 を待たねばならず(それでも厚さはなく横に細長い)上記の野戦築城がなければ 16世紀までは野戦で戦う事は日本側に不利といえる。 野戦万能主義と陣地優先主義といった思想の違いがあるのかもしれない。
118 :
世界@名無史さん :04/10/21 04:13:43
>112 バイクのメットと違ってクローズヘルムとかは頭部と首、肩全体で衝撃を吸収します。 その為、バイクのメットに比べて劣っていてもも首を持ってかれにくいので防御力は上でした。 この時の実験はショウエイのSP3とSCAの一般的なヘルムを使いました。 因みにバイクのメットを被ってラタンスティックで殴ったら三日間首が痛かったです。 視界に関してはグレートヘルムは良くないですが、クローズヘルムは思ったよりも視界は良かったです。 もっとも中には下が見えない物もありますけど。 槍に関しては穂先の形状によっては効果的かも知れません。 ただ、手で突く分に関してはランスチャージや弓に比べて速度が遅いのでささりにくいかと思います。 垂直で当たれば刺さるとは思いますが、それでも表面が滑らかでかつ、相手が動く為、やはり難しいかと。
119 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/21 04:42:46
>因みにバイクのメットを被ってラタンスティックで殴ったら三日間首が痛かったです。 まあ首が固定されればスペースの有る首は兎も角頭部への衝撃は 増すかも知れぬが 頭部の部分にスペースの有る鎧も トーナメント用等に有っただろうか
誰もツッコマないので一応。 >ttdd卿、G卿 香ばしいなw
121 :
世界@名無史さん :04/10/21 08:34:48
結構みんな自虐的なんだな
どっちにしたって、乱戦の場合は武士はぶっ叩くんだろ? それが大多数の場合において有効だからな。 メットと兜(+甲冑)の強さ比べなんてどーでもいい。 要は武士は徒歩戦ではぶっ叩くのがいいということだ。強弓抜きでは。 ちなみに話しはもう十字軍対鎌倉武士団だよ。
>>85 あなたの言ってる事はすでに出てる。
37 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/10/20 12:46:54
基本は「ぶっ叩く」「ぶっ倒す」「ぶっころ死」の精神だ。
125 :
世界@名無史さん :04/10/21 09:38:45
>123 微妙にというか、結構違うような気がするな。 ぶっ倒す前に致命傷を与える攻撃している訳だから、相手を倒す前に殺せる可能性がある訳で、 かなり実戦的だと思うな。 相手を倒す前に殺せるという事は新たな敵からの攻撃を受けづらい訳で、複数の敵に対しても 有効ではないでしょうか? 「ぶっ叩く」「ぶっ倒す」「ぶっころ死」では、一人殺すのに手を掛けすぎです。 ぶっころ死の後に自分がぶっころ死されていては無意味ですよ。
あなたが最強だと思う人々が最強です。 ただし他人の同意を得られるとは限りません。
127 :
世界@名無史さん :04/10/21 13:09:57
騎士はモンゴルを追い返す事が出来なかった。 モンケが死んだから帰っただけ。 武士はモンゴルを押し返す事が出来た。 日本武士は偉大であり西洋騎士は愚劣である 日本が西洋に隣接していたら今頃は大日本帝国が 樹立されて千年位たっており世界ゆういつの超大国に なっているのは確か。 これに反対する奴は在日
そもそも山岳や湿気の多い日本の風土では、重いアーマーなど敬遠されるだろうな。 逆にひらけた単調な地形が多い場合は、武士の軽装備も有効ではない場合が。
129 :
世界@名無史さん :04/10/21 13:22:00
日本人は武士道がある。重いアーマーなどは不要。 武士道とは死ぬ事と見つけたり!である。 朝鮮人のように股開いてまで生きていたくは無い恥を大切とする 民族である。 西洋人とは騎士道である。 聖地に侵略し異教徒を皆殺しにしたり カタリ派撲滅などの女子供に強い連中である。 そんな奴らは末代までの恥なんて考えていない。 武士と騎士が一騎打ちすれば士道を覚悟している武士が愚図な 白人をぶったぎる事請け合いである。
江戸武士道を語る馬鹿は帰れ
131 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/21 13:37:22
>白人をぶったぎる事請け合いである。 斬るのは巨大な大薙刀や野太刀・長巻以外では困難かも知れぬが 弓で馬や足を打ち抜く (まあ強弓なら胴体や馬鎧を貫く事も可能だろうが) 槍で殴って肩や手足を砕く・或いは落馬させるか 組み討ちで隙間を貫く事は 可能かも知れないが
西洋の戦闘史を調べても、勝つほうは重装の騎士の 突撃力や防御力といったものより弓や槍を持ったほうが勝因と してますね。()内は主武器または主兵種 1302年 クルトレーの戦い ○フランドル市民軍(槍や棍棒) VS フランス(重騎兵) 1346年 クレーシーの戦い ○イギリス(長弓) VS ×フランス(重騎兵) 1356年 ポワティエの戦い ○イギリス(長弓) VS ×フランス(重騎兵) とくにクルトレーで川を決壊させ作ったぬかるみに 騎兵が倒れてたということで身軽とか動き安い ということないんではなかろうか。
133 :
世界@名無史さん :04/10/21 13:40:56
>>130 持ち出されたら白人の狡猾な嘘道がばれるからな
>>131 関が原ぐらいまでは野太刀が標準だろ。
弁慶なら余裕でまったぷたつで切れるさ
小麦が主食の連中と武士が食う玄米のおにぎりとでは
エネルギーそのものが違うさ。
134 :
世界@名無史さん :04/10/21 13:42:04
>>132 弓なんか日本武士には通用しない
弁慶は衣川で立ち往生さ。
西洋人は弱すぎのチンカス
弓矢なんかでやられるのは根性が足りない
だからぁ、日本刀でどうやって西洋鎧をぶったぎるの? みんなそれを聞いてるの、具体的方法をね。
136 :
世界@名無史さん :04/10/21 13:45:11
日本武士は強いものすごく強いいってみればベルセルグのガッツのように ブッタギル様って感じだ。 西洋騎士は弱いものすごく弱い重装騎兵とかたいしたこと無いイスラムの 軽騎兵やモンゴルやフンらにいいようにされているl。 武士には通用しないなぜならば今も昔も武士は正面突破あるのみ! 敵陣に名乗りあげていって敵将の首をひっさっげて帰ってくる これが武士というものだ!!!
>134 >弓矢なんかでやられるのは根性が足りない じゃあ日本の武士の殆どはチンカス? 弓矢を貶めるのは武士を貶めてるのと同じだぞ。
138 :
世界@名無史さん :04/10/21 13:46:04
>>135 戦いの基本は野太刀だろ 西洋人など余裕でブッタギル!
139 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/21 13:46:19
>関が原ぐらいまでは野太刀が標準だろ。 >弁慶なら余裕でまったぷたつで切れるさ まあ南北朝時代の大薙刀や長巻・野太刀なら 同時代の騎士の質の低いプレートを 有る程度は切れるのかも知れぬし この時代では鉞や金棒も有るかも知れないが 戦国時代では槍・軽量の薙刀・打刀が主武器だろうか
140 :
世界@名無史さん :04/10/21 13:47:00
>>137 死ぬのは雑兵。 数える内に入らない雑魚。
名のある武将は弓矢なんか死なない。弁慶は
立ち往生だ。
>138 武士の戦いの基本は弓、槍です。
142 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/21 13:47:52
まあ別にプレートを斬らなく共有効打は与えられるだろうし 歩兵の2−3Mの槍や打刀でも 十分だろうか
143 :
世界@名無史さん :04/10/21 13:48:04
144 :
世界@名無史さん :04/10/21 13:49:08
>>141 槍なら余裕だろ
動きトロイフランク人の急所めがげて一突きさ
>143 鎌倉武士の話なら、なおさら武士の武器は弓だろ
146 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/21 13:51:26
>鎌倉武士VS十字軍の話なんじゃなかったのかwwwwwwwww 鎌倉時代にも長巻は有るだろうし 此れで殴られればプレートの手足の薄い部分なら 可也切れた可能性は有るだろうか
147 :
世界@名無史さん :04/10/21 13:52:01
戦国無双やっていても弓なんか全然有効じゃないだろうが
148 :
世界@名無史さん :04/10/21 13:53:10
>>146 あるが長巻で異国との団体戦で通用するか
集団で動くのに取り回し長すぎるだろ
もう少し考えてから書こうな
完全に釣り。お前等ちゃんと放置しなさい。
150 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/21 13:59:00
>集団で動くのに取り回し長すぎるだろ まあツヴァイハンダーと同程度だろうし 剣の間合いに入られる前に一撃を食わせられないのかだが 騎馬武者は長巻は持っていたのかだが 確か携帯可能な長巻の様な太刀が 有っただろうか(大太刀とか言う名称だっただろうか)
>129 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:04/10/21(木) 13:22:00 >133 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:04/10/21(木) 13:40:56 >134 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:04/10/21(木) 13:42:04 >136 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:04/10/21(木) 13:45:11 >138 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:04/10/21(木) 13:46:04 >140 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:04/10/21(木) 13:47:00 >143 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:04/10/21(木) 13:48:04 >144 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:04/10/21(木) 13:49:08 >147 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:04/10/21(木) 13:52:01 >148 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:04/10/21(木) 13:53:10 ageてるしどう考えても釣りなんだから某研もレスすんなよ
>>125 なんか勘違いしてない?別に
>>37 は一連の流れ「だけ」じゃないんですけど。
まずぶっ叩く(それで倒せるなら良い)、次に倒すということだろ。
ぶったたいて致命傷になる場合はあるだろうが割合としては少ない。
だから
>>85 もぶっ倒す方法書いてんでしょ。
>>37 は基本としては正しい。
153 :
世界@名無史さん :04/10/21 15:50:05
戦闘において相手に打撃を与えるためのもっとも重要な要素は機動である。
さて、十字軍軍団は歩兵・弓兵・騎士・その他という諸兵科連合制が 有効に作用している。パレスチナ・小アジアなどでの活躍でも分かる 通り、十字軍軍団は諸兵科の連係による柔軟性が高い。 これによって多くの地域の敵に対する対応が適切に 実施できる場合が比較的多い。もちろん敗北することも多々あるが。 対する武士団の諸兵科(といえるのかどうかは分からないが)は どうなっているのかが問題である。武士好きの方、解説して下され。
155 :
世界@名無史さん :04/10/21 17:53:31
武士は無敵の兵科だ。 小細工はいらない。 武士がイスラムと戦えば滅茶苦茶強い。 なぜならばイスラムはモンゴルにやられたが 大和民族はモンゴルに勝ったからである。 大和民族の黄金スキルは巨大な敵に圧倒的に強い事。 ロシアだろうが、ソ連だろうがアメリカだろうが、シナだろうが イギリスだろうが豪だろうが、日本男児ここにありという気概が 常にあったのである。 小細工は不要! 兵科は武士=無敵!
日本にきた香具師って朝鮮兵メインなんだろ? モンゴルに勝ったことにならんだろ 精神力で武装の差をうめた旧日本軍兵士の方が武士より強そう 銃器の有無を無視しても
157 :
世界@名無史さん :04/10/21 18:28:22
>>156 おまえ日本人じゃないだろwwwwwww
外患誘致罪で通報したぞ
158 :
世界@名無史さん :04/10/21 18:59:07
煽りに反応するな
日本海があったからこそ、それが障害になって陸上部隊は本格的に動けなかった。 陸続きだったらだめだったろう。155のようなあほうは歴史から何も学んでない。あほは単身特攻でもしておけ。
160 :
世界@名無史さん :04/10/21 19:08:00
>>159 おまえモンゴルの手先なの?まったく侮日史観の奴ってどうしょうもないね
陸続きでも義経の時代にすでに騎馬戦法がうまれているから余裕だよ
仮想厨はどこまでも必死
>>159 こいつ馬鹿?馬鹿でしょ?地の利を生かすのは兵法の基本。
きっとこういう奴は武士がつったって殺されるまでじっとしてろと
いうサヨクだよ
162 :
世界@名無史さん :04/10/21 19:50:18
モンゴル人は人口が少なく、支配化においた民族を戦争に駆り出すのは常套手段です。 武士側も騎士側も、ヘンチクリンな煽りに反応するのは止めましょう。 そんだけ
武士=155 騎士=ttdd ほこらしいですね、ホルホルホル
第1回十字軍 1096年〜1099年(○) エルサレム王国、エデッサ伯国、アンティオキア公国が建国された。 第2回十字軍 1147年〜1148年(×) 十字軍はハッティンでサラディンに敗北を喫し、エルサレムは陥落した。 第3回十字軍 1189年〜1192年(=) イングランドとフランスの十字軍が1191年にアッコンを再奪フィリップ2世は帰国 休戦協定を結んだことで聖地エルサレムの奪還は失敗 第4回十字軍 1202年〜1204年(?) ハンガリー、ついでコンスタンティノポリスを征服してラテン帝国を建国。 第5回十字軍 1216年(×) エジプト攻略失敗 第6回十字軍 1228年〜1229年(○) 平和条約締結しエルサレムの統治権手に入れる 第7回十字軍 1248年〜1249年(×) フランスの聖王ルイ9世が捕虜に落ちる 第8回十字軍 1270年(?) フランスのルイ9世、遠征途上死 8回目は負けでもいいがおまけでノーカウント、 4回目はイスラムではなくキリスト圏攻撃してるから関係ないな。 2勝3敗1分け2無効試合というところですね。 総論:略奪集団として蛮性を遺憾なく発揮したときは強いが 指揮系統が複数あり、常に分解する危険をはらんでた。
>>164 乙華麗。
うむ。武具オタ=コスプレオタ=格闘技オタ&その一味も
駆逐されていよいよ世界史板らしくなってきたな。
この調子で諸兄には励んでもらいたいものだ。
武士厨(真性)と騎士厨(ttdd一味)はともにスルーということで乙。
166 :
世界@名無史さん :04/10/21 21:00:42
武士の強みは大和民族で構成されているということだ つまり指揮系統が迅速であり宗教の差異もまずない 一族郎党で戦争するしいざとなれば勇躍敵陣に切り込んで 敵将をぶったぎってゆうゆうとかえってくるのは蒙古との合戦でも 経験済みましてや西洋の数頼みでは武士の相手にもならない ぶった切ってやりますよ!余裕ですよ!
167 :
世界@名無史さん :04/10/21 21:02:53
ウイズ(矢野徹なくなったね)でも武士は上級職だ。 ファイターなんかと全然格が違うわけだ。 侍や忍者は呪文体制があるし一撃が重いし呪文をつかえたり 首切りスキルがあってまじでお勧め。 道考えても武士は最強。
168 :
世界@名無史さん :04/10/21 21:05:37
後世になると島津は明・半島連合4万人を寡兵で破っている。 武士のキルレシオは4万人いようが関係ない 鬼島津は世界最強ではないだろうか
なんか、このスレ、冒険が一番マトモに見える、 という点で画期的なスレだな。
170 :
世界@名無史さん :04/10/21 22:21:02
2戦目もクソスレ!
かなりひどいインターネットですね
一人で煽り乙。 全部ageてるし分かり易い。
それよりリザードマンがお勧め 安いし結構強いし反心あるゴブリンやオークを雇用するより良い 武士は給料が高いから駄目 大体人間は高いので雑兵はリーズナブルなデミヒューマンで構成、これ最強
魔術師から転職させた武士はテイルトウエイト使える スーパーマン 馬鹿なファイターには到底できない
日本の兵科の変遷は鎌倉から江戸になるまでに 騎上での弓〜下馬しての刀・弓〜下馬しての鑓・弓〜火縄銃・鑓・弓 と言った風に変化します。 主力の武士のほかに雑兵・足軽といった装備が軽め (鑓か長柄に胴当て程度)の兵が行動します。 武士にはたいてい従者がつき2人以上の 単独チームとして動きます。 戦場では個々で手柄を上げるため集団の連携で 敵の陣形を崩すと言うことはしません。 雑兵・足軽は敵の後方霍乱や小部隊での襲撃といった ゲリラ戦的に使われます。 ただし雑兵・足軽の集団化は室町以降行われます。 注:ここでの単独や小部隊というのは西洋の方陣 (16*16といった)の隊形を崩さすに行動するといった 集団に比べて個々にあたると言う意味ですので 号令があれば進んだり引いたりします。 また集団化が西洋のように集団で集団に当たる ようになります。 結論として戦国期に入ればアジャンクールのように 勝利する可能性は大いにあり、それ以前でも戦の推移では 重装騎兵(または下馬した重装歩兵)を主とした西洋軍に勝利 する確立はあるといえる。
えー戦国期になると信長という天才が出現したよ 三弾鉄砲で西洋人は壊滅さ☆ミ
どうも間者まぎれてるようです、おのおの方油断めさるな 下手に動けば敵に乗ぜられますからな。
弁慶の立ち往生だけど、立ったまま氏んでるってことは、氏してもな転倒しないというだけで立派に史上有数の武士が矢にやられた事例なのでは?
>178 そんなの皆分かってるよ。 馬鹿が1人騒いでるだけだからほっとけ。
>戦国無双やっていても弓なんか全然有効じゃないだろうが >ウイズ(矢野徹なくなったね)でも武士は上級職だ。 こんなこと言ってる奴だからな。まあ明らかに釣りだろうけど。
182 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/22 04:02:47
183 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/22 04:04:08
178 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/10/22 02:02:29
弁慶の立ち往生だけど、立ったまま氏んでるってことは、氏してもな転倒しないというだけで立派に史上有数の武士が矢にやられた事例なのでは?
179 名前:こk ◆LesTtf5.Dg 投稿日:04/10/22 02:04:22
>>178 だから何なんだ?
しかも読みにくい。
こk ◆LesTtf5.Dg
↑
昨日書き込んでいたご本人の登場ですか(ny
185 :
世界@名無史さん :04/10/22 09:53:47
ハエが一匹いるようだな。 そんなクソ会話、誰が誰だってどうでもいいだろ。
>>185 こk ◆LesTtf5.Dgさん 名無しで書き込まずにせっかく名乗ったコテ
つかえば?
君は一人で何を盛り上がっているんだ? 自作自演ツマラン さげ
こk ◆LesTtf5.Dgが必死です
>165 煽り必死だな。乙! で、武具オタ=コスプレオタ=格闘技オタ&その一味よりも中身のあるカキコが出来ない君は惨めだな。 歴史オタにもなれないとは不憫な奴だ。
190 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/22 12:02:34
>ttdd卿にしてもG卿にしてもスーツアーマーでは無いので、肩周りにそこそこの隙間があるので、 >左肩周りへの刺突が可能です。もっとも、大きめのポールドロンを付けたれたら難しいです。 >一撃で致命傷を与えれる隙間と言ったら後は脇の下くらいしか無いです。 まあ隙間が完全に隠れるタイプの物では 腕が余り上がらないかも知れぬし 此れを用いては組み討ち或いは 上からの攻撃に対応出来るのかだろうし 攻城戦の際等は特に問題が出た可能性は有るだろうか
ボーケンが一番まともというスレも珍しい・・。
たびたび見られるノイズレスについての考察 一見して武士擁護に見えるが、論旨に裏づけがなく 支離滅裂であるため、このような論は武士にとって 一利もなく百害あるのみである。 何の利益があってこのようなことをするのか? 全く正しい武士よりのレスについても信用性、 信頼性を損なわせ、全般的にイメージを低下させる 目的があるのではなかろうか。推論として 1)騎士派による武士派のイメージ低下を狙ったもの 2)1とみせかけ、騎士派のイメージ低下を狙ったもの 3)知識的素養のない武士派のレス 4)第三者による煽り となり1〜4のどれかまたその他の目的があろうとも結論として、 || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| || あらしは 。 ∧_∧ いいですね。 || 無視! \ (゚Д゚,,) ||________⊂⊂ | ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ | ̄ ̄ ̄ ̄| ( ∧ ∧ ( ∧ ∧ ( ∧ ∧ | | 〜(_( ∧ ∧ __( ∧ ∧__( ∧ ∧ ̄ ̄ ̄ 〜(_( ∧ ∧_( ∧ ∧_( ∧ ∧ は〜い、先生。 〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,) 〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ で、お願いします。
193 :
世界@名無史さん :04/10/22 12:31:09
戦国無双やってみるとわかるけど武士は一騎当千だよ マジ強い
魔界村での騎士の活躍は、敵ながら天晴れであった。
195 :
世界@名無史さん :04/10/22 18:07:16
ところで、どこで戦う前提?山の中なら武士が強いし だだっ広い荒野なら騎士じゃないの。
196 :
世界@名無史さん :04/10/22 19:46:09
本宮ひろしの下天は夢かを見ればわかるように 信長なら世界を征服できた!!!!!!!!! 清だろうがオスマントルコだろうがスペイン、イングランドだろうが ムガール帝国だろうが鎧袖一触! 信長はマジ大天才!
豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃、琵琶湖の南に伴天連教という怪しい 宗教が流行っていた。それを信じない者は、恐ろしい祟りに見舞われるという。 その正体は何か?藤吉郎は伴天連教の秘密を探るため、飛騨の国から仮面の 忍者を呼んでその正体を探らせた。 仮面の忍者の報告は恐るべきものであった。 異国より間者が忍び寄り日の本をイヤ亜細亜を手中にしようと画策して いたのである。
織田信長の活躍した頃、海を渡ってきた奇怪な妖術者の群が ギヤマンの鐘を求めて各地を襲撃した。世界制覇を狙う卍党の 仕業である。強烈なエネルギーの製法を秘めたギヤマンの鐘3つ。 日本の平和を願う信長は、卍党の野望を粉砕すべく飛騨の国から 仮面の忍者を呼んだ。
悪大将、夕里弾正の反乱を知った織田信長は、居城清洲から少人数を 率いて京の都へ急いだ。しかし、その道筋には、弾正に味方する根來の 忍者が、恐ろしい怪獣を操って待ちかまえている。道中の無事を願う 信長は、飛騨の国から仮面の忍者を呼んだ。その名は・・・・
飛騨の国、影一族に伝わる黄金の仮面は、あらゆる忍者にとって憧れの 的、栄光のシンボルであった。そしてまた、仮面には、莫大な黄金の謎が 秘められているのだ。この仮面を奪い、忍者の王座を狙う者が現れた。 怪忍獣を使う風魔雷丸である。立て!仮面の忍者!「
ウイグルの大草原を、おのれの力のみを頼りに旅する男、ヘロデ。 ときには財宝を追い求め、ときには盗賊団に身を投じ、傭兵となって 国を救い、美しい女王を思うままにし、ある国で、ヘロデは、その国が 行う人狩りにあい、奴隷にされ強制労働場に送り込まれる。 他の奴隷仲間の助力によって強制労働場を脱出したヘロデは、奴隷 仲間を解放するために兵を起こす。 旅の途中で知り合った女盗賊・ 王・女王の力を得て、いつしかウイグルの地に一大勢力を築き上げる。 強国を次々に攻め滅ぼし、ついに 大ウイグル帝国をうち立てるヘロデ。 ・・・しかし、その夜、信頼する王と女王がヘロデに告げる、 「あなたはしょせん一匹オオカミ、大ウイグル帝国の王になる資格はない」
まともな人とそうでない人の差が激しいインターネッツですね
クソスレにはクソスレの意地がある
要する認めないんですよ、若さゆえの過ちを。 西洋の武器ではやられるけど、 同じような日本の武器は通用しないなんて 舶来主義にも程があります。 西洋甲冑なんて、あんなもの飾りです。
頭と胴だけ西洋式で、手と足のパーツを排除した南蛮胴を作った当時の日本人の感覚は 正常かつ実戦的だったと思う。 どこにも隙間がないから無敵のはず、なんていうのは それこそ当時の騎士たちが抱いていたのと同じ、子供っぽい夢想にすぎないよ
206 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/24 06:01:56
主君の為に戦うのが侍だ等と言うが 現実には其の様な人間は居たのかだろうし 宮本武蔵も主君の為に戦っていた訳では無いだろうし 新撰組や西郷等も主君と言うよりは侍の・或いは自らの権威を保つ為に 戦っていたと言うのが正しいだろうか 主君の為に戦って死んだ様な人間も主君の為に戦ったと言うよりは 名を残す為に・自分の価値を高める為に・ 主君の為に戦ったと言うのが正解かも知れないが
自領を守るために戦ったり恩賞狙いの奴も多いでしょ
208 :
世界@名無史さん :04/10/24 13:58:21
戦国時代:主君のため(名誉)は実は自分のため。侍は、零細企業のオーナー 江戸時代:名誉は主君のため。侍はサラリーマン その違い。
209 :
弓が後ろから射る場合 :04/10/25 13:39:28
ttp://www.burton-college.ac.uk/student/~nstot1bu/penny/pike.gif パイク兵が構えている図
騎兵の大きさは地上から約2.5m程、パイク兵は1m、弓兵は1.5mとしました
騎兵
┃ B
┃ この間を矢が通る 弓兵
┃ A ┃
┃ ┃屈んだ ┃
┃______________┃パイク兵________┃
まず騎兵の突撃です、このとき弓兵は高さは関係なく面で射る事ができます。
接近されたら槍兵の出番です。ここからが問題の弓兵の可能性を探っていきます。
某氏の槍兵が屈んで後ろから弓兵が射る場合、弓兵の射撃姿勢と狙いはどこにいくか?
弓が立って射る場合、大体肩の位置に合わせ140cm〜150cmの高さが基本点となり
ここから角度を取ります。基本点からパイク兵頭上すれすれ(点A)を通って敵の騎馬まで
線を引きます。次に基本点から敵の騎馬の上まで線を引きます。(パイク兵の頭上を点B)
弓兵が狙える広さは点Aと点Bの間(線AB)となり結構な広さがあるように伺えます。
しかし待ってください味方兵をギリギリを射たり、水平より下を狙って打つような事はするでしょうか?
後者は技術的には可能かと思いますが、前者は誤射をした場合大変なことになりますので、
ここは点Aよりやや上を狙うのがよさそうです(点Aのやや上、点A´、狙える広さ線A´B)
弓が座っている場合、弓の長さを入れても基本点が1m位になるでしょうか、立ってる場合と
比べB点が下に移動するかと思います(点B´)下側の点A´は変わらないので狙える広さは
線A´B´となります。さてここでもしパイク兵が立ってしまったらどうなるでしょうか?
身長150cm位と仮にしても線A´B、線A´B´の両方ともかなり射線が狭まり、頭しか
狙えないように思えます。つまり弓が後ろで射撃をしようした場合、槍兵の突くとか移動する
といった行動はすべて屈んだ状態で行わなければならなくなり、文字通り窮屈といえます。
結論 近接した敵に自軍を超えて射撃するというのはゲームか映画の中ぐらいではなかろうか。
または損害を覚悟してやるならば可能である。
210 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/25 13:47:50
立膝で座った槍兵と言うのも居ただろうし 其の後ろからなら銃も打てるかも知れぬが 映画に其の様な場面は有ったかも知れないが
211 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/25 13:57:11
騎兵を阻止する土塁や柵の設置は兎も角 杭程度は簡単に埋め込めるだろうが 敵の歩兵に杭を排除されれば パイク兵や弓兵が居ない限り騎兵が突入する訳だろうか
212 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/25 14:01:10
>しかし待ってください味方兵をギリギリを射たり、水平より下を狙って打つような事はするでしょうか? 鎧を着た馬の足を狙う様な場合は 槍兵の前に出る必要も有るかも知れないが 槍兵が座れるなら問題は無いかも知れないが
213 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/25 14:02:10
槍兵も騎兵が突入する直前迄は座り 突入する直前に屈んでパイクを構えれば 問題は無いかも知れないが
たしかに座った槍兵はいるかもしれませんが 突進力を防ぐ厚さとして一列ということは ありえないんじゃないでしょうか? 史実でも少なくとも3〜5列であり 座った槍兵とその後ろに立った槍兵 といった具合に槍密度をあげると思います。 また弓兵は手持ちの剣などで対抗するかもしれません。
215 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/25 17:17:51
>たしかに座った槍兵はいるかもしれませんが >突進力を防ぐ厚さとして一列ということは >ありえないんじゃないでしょうか? まあ弓兵の前の列の槍兵は 射撃時には皆座らせて 騎兵が接近して来たら 立たせれば良いだろうし 騎兵が接近したら弓兵を槍兵の後方に一々移動させるよりは 射撃可能な時間が長く成るだろうか
>>209 弓兵って錬度を要する兵科であり、
現代のようには集団訓練を行き届かせることは困難だったであろうから、
味方の頭上を越えて攻撃するのは危険極まりないことだろうね。
もっとも、雑兵などに犠牲が出るのを覚悟の上で、
斉射を命じることもあるにはあっただろうけど、
それは例外だね。
ヘイスティングスの戦いにおいて、ノルマンディー騎兵軍団は 弓兵の援護射撃を受けてやっと突撃に成功している。 それまでは槍兵にことごとく撃退されていたが。 何か味方に当たらないような上手いやり方があるんだろう。
218 :
世界@名無史さん :04/10/25 21:35:20
槍兵は長い槍を越えて近距離にこられると終わりなので 最低3列ほど構えて1列目の近距離に後列の穂先がくるように 段違いに構えるのが常識。
近接射撃はトップアタックを旨とする平面制圧式で十分でしょうに。 大角度で落下させるんら初速を必要としないので連射も可能ですし。
>217 騎馬の反復攻撃で敵弓をけん制しといて 自軍弓を前進させ、そろったところで 騎馬が引き、弓の一斉攻撃、乱れたところ をあらためて騎馬の突入というところでしょうか。 >218 ○○○○ ○○○○ ○○○○ ○○○○ ○○○○ ○○○○ ○○○○ ○○○○ 缶ジュースを箱に詰めるとき左より右の方が同じ 箱でも多く入りますので、立つ、中腰、座る+こういった半ずらし で並んだほうがより槍の密度が高くなりますね。 >219 騎馬が一列で突撃、突き破れない場合は引いて次の一列が 突撃といった感じだと大仰角で打つ矢はかなり狭い範囲を 狙う&風の影響で自分に戻ってくる(笑)といった不利を 蒙るのでしょうか。 史実ですが突撃してきた敵の一団を槍で食い止め、 弓で射掛けたため攻撃側は攻めることも逃げることも 出来ず、しかも司令官が不利と見たのか増援を送って ために狭い場所で身動きが取れずに全滅したと言う話があります。 防御側は丘だったので高低差を生かして前に槍、後ろで弓といった システムがうまく機能した例でしょう。 (疑問としては高低差があっても攻撃側の後ろしか 射ることが出来なかったのかな・・・?)
221 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/26 06:53:27
>ヘイスティングスの戦いにおいて、ノルマンディー騎兵軍団は >弓兵の援護射撃を受けてやっと突撃に成功している。 >それまでは槍兵にことごとく撃退されていたが。 >何か味方に当たらないような上手いやり方があるんだろう。 ノルマン騎兵が槍を持っていたのかだろうし 槍を持てば槍歩兵を突破出来た可能性は有るだろうが 槍歩兵は足で槍を固定しているなら 此れを突破するのは騎兵の槍の方が長く無いと 困難かも知れないが >槍兵は長い槍を越えて近距離にこられると終わりなので >最低3列ほど構えて1列目の近距離に後列の穂先がくるように >段違いに構えるのが常識。 足を掛けてさえ騎兵に槍を払われて突入される可能性は 有ったと言う事かも知れぬが 歩兵に対しては上の様な陣形は有効なのかだが マケドニアファランクスは対歩兵の隊形でも 有るだろうか (パイク兵は剣も構えていたし 後列の槍に加えて剣迄も構えると言う 事なのだろうか)
>ノルマン騎兵が槍を持っていたのかだろうし 槍持ってたよ。後けっこうデカイ楯も。 ところでアンタ最近良コテ化してるぞ。 その調子で頑張れ。
223 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/26 10:26:04
>>ノルマン騎兵が槍を持っていたのかだろうし >槍持ってたよ。後けっこうデカイ楯も。 まあ歩兵用の槍は両手持ちで足で固定されるのに対し 騎兵用の槍は片手持ちだろうから 騎兵が歩兵の槍を振り払って突破すると言うのは 困難かも知れないが 歩兵の槍と騎兵の槍は 何れが長かったのだろうか
そこで某研さん、スイス兵の密集隊形ですよ。 騎兵なんぞイチコロですよ。
225 :
世界@名無史さん :04/10/26 18:31:09
騎兵なんざ槍と弓で馬をつつけば終わりだよ。
黒王号なら雑兵の5人くらい一度に踏み潰します。 …は冗談としても、象部隊は実際そういうこともやったんだろうなー。
黒王号なら瘴気だけで雑兵を殺します
象には火矢で充分。自陣を踏み荒らしてくれるだろう。 象は戦争の役にはたたない。
槍兵で防げるにしても、実際は何処まで可能だったんだろうかね。 突進してくる銃装騎兵相手に恐怖を感じて逃げ出す香具師も何人か居そうだけど。
銃装騎兵が相手なら槍兵は逃げ出すだろうな。
とうことは弓騎兵が最強ということ。
動くものより、動かない物を狙ったほうが当たりやすい から同じ弓なら騎射のほうが有利だろうね
233 :
世界@名無史さん :04/10/26 23:10:31
やっぱりモンゴル軍最強だなw
234 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/26 23:54:08
>そこで某研さん、スイス兵の密集隊形ですよ。 >騎兵なんぞイチコロですよ。 17世紀に騎兵が槍を持たなく成ったのは パイク兵に対して突撃を諦めたからと言う 意見も有る様だが 騎兵同士の戦いはピストルや剣で決着を付けたと言う 事なのだろうか
問題は日本にしてもそうだけど、 弓兵の地位って一般的な騎兵(騎士、武士)に対して低かったことだと思うのね。 たとえば敵の大将を射殺しても、 近くで首を刎ねた奴が討ち取ったことになっちゃったんじゃないかな。 リチャードが死んだのも「流れ矢」ってなってて、 実際に矢を射った者の名前とか伝わったりしてないのか気になる。
236 :
世界@名無史さん :04/10/27 02:39:05
まあ誰かが犠牲覚悟で突撃しないと膠着状態が続くことになるから 西洋では騎兵が、日本では槍兵が突撃したのかもな。
237 :
世界@名無史さん :04/10/27 07:33:59
日本だったら鎮西八郎(源為朝)とかは?平安時代は太刀よりも弓術だったんだよね。 主従の郎等が戦で主人が射た手柄の敵将の首を、主人の手柄の証とする為に一目散に切り取りに行き、主人にその首を捧げる。主人は郎等にその功賞として馬や所領を与える。 日本の侍は基は弓術が最初。強弓使いのツワモノは古典にもよく出て来るね。 那須与一とかはツワモノとかとはかけ離れ優雅過ぎて笑けるけどw
238 :
世界@名無史さん :04/10/27 08:23:01
>>17 ヘイスティングスの戦いにおいて、ノルマンディー騎兵軍団は
弓兵の援護射撃を受けてやっと突撃に成功している。
ヘイスティングの戦いはむしろ、ギヨームの陽動作戦に破れた戦いでは無かったっけ?
たしか、丘の上でシールド・ウォールを布いたハロルド軍を突破できずに退却した
ノルマン軍を堪えきれずに深追いする敵の行動を見たギヨームが部隊に疑似退却させて
敵の戦列を崩したと思うのだが。
>>223 まあ歩兵用の槍は両手持ちで足で固定されるのに対し
ただ、槍が長ければ勝利するわけでもないはず。物理的には敵よりもリーチが長い
だろうと説明されても、突撃する騎兵集団を待ちかまえて槍をかまえ続けることは、
士気の高い兵士でなければままならなかったはず。行軍中には不便だからできるだけ
槍を短くしたがって、勝手に柄を短くした輩もいたし。
>>229 突進してくる銃装騎兵相手に恐怖を感じて逃げ出す香具師も何人か居そうだけど。
「銃装」? 「重装」?
>>234 17世紀に騎兵が槍を持たなく成ったのは
でしょう。
故にナポレオン戦争ではウーランやランサーが威力を発揮できたのではないでしょうか。
239 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/27 08:51:20
>弓兵の地位って一般的な騎兵(騎士、武士)に対して低かったことだと思うのね。 ロビンフッドやウィリアム・テルは弓を用いているし 弓の地位が言われる程低かったのかと言う事だが 騎士は弓は用いなかったと言う 事だろうが 銃は簡単に受け入れたのは何故なのだろうか (クロスボウ兵を騎士はある程度は 重視しては居ただろうが ロングボウ兵は英以外は重視していなかったと言う 事だろうか)
240 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/27 09:04:29
241 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/27 09:40:02
>故にナポレオン戦争ではウーランやランサーが威力を発揮できたのではないでしょうか。 矢張り銃剣では槍騎兵を阻止出来るのかだが 精鋭歩兵の擲弾兵なら槍より銃剣が短いとしても 銃剣で槍を打ち払う等して阻止出来た可能性も 有るだろうか
242 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/27 13:27:56
同様に精鋭の短槍兵やランツクネヒト・円盾兵 ローマのレギオン・ギリシャのファランクス等も 騎兵を阻止出来た可能性は有るだろうが
>235 弓兵ってのは足軽、雑兵で弓を使う人? 武士で弓使う人? 前者なら武士より地位が低くて当然だし 後者なら弓で戦う武士とそうでない武士(例えば槍で戦う武士)の間に地位の優劣があったてこと?
244 :
世界@名無史さん :04/10/27 20:01:55
日本のあぶみって世界的に見ても変な形してるんだけど、日本の他にあのスリッパみたいな あぶみを使用している国はあるの?っていうかあれって実用的なのか?
245 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/27 20:05:05
騎士の時代は終わった等と言われたが 胸甲を付けた槍騎兵は18−19世紀・或いは一部では20世紀にも 存在したと言う事だろうが 17世紀では消えていたと言う事だろうか (まあパイクが廃れた後に槍騎兵が復活したと言う事だろうが 騎兵対騎兵の戦いでも ポーランド騎兵等を見る限り槍は強かっただろうし パイクの有る時代でも意味は有っただろうか)
246 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/27 20:06:11
>日本の他にあのスリッパみたいな >あぶみを使用している国はあるの? 日本の場合は足先に鎧が無い為の措置だろうが 仮に装甲が有るとしてもスペースが有った方が 良いだろうか
247 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/27 20:22:09
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/italianista/studi/fire4.htm >三隊のスイス歩兵の密集隊形によって包囲されたブルゴーニュの騎士団が、あたかも巨大な万力にかけられたかように、
>抗う術もなくそのままメリメリと押し潰されていった様子を、まるで見てきたように描写してい
まあ騎兵を歩兵で包囲出来ると言う事は
稀だろうし
騎士がパイクで遅滞している時に
歩兵が周囲を囲もうとしていても
此れを侮っていたから逃げなかったと言う
事なのだろうか
>自分たちの方から騎士団に対して積極的に攻撃を仕掛けていく段階にまで達していたのである。
まあ騎士も突撃できるのは短距離と言うから
歩兵が騎士を追い掛ける事は出来たのだろうか
>彼は自らも下馬してピックを手に歩兵として戦ったという。
まあ皇帝が下馬してパイクを構えると言うのは
他には有ったのかだが
下馬して弓を放った騎士と言うのは
居ないのだろうか
248 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/27 20:31:18
>しかもその障害物が、遠方からは確認できないような掘割であり、馬が落ちればそれだけで致命的なダメージを被るような種類のものであったことや、 まあワーテルローでもこの手の罠に 仏騎兵は引っ掛かっていただろうが
249 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/28 15:26:41
>>250 家子郎党踏み潰すわけにはいかんでしょう。
間違いはあったでしょうが。
251 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/28 16:50:19
>家子郎党踏み潰すわけにはいかんでしょう。 まあ矢張り武士も元農民だろうし 騎士程農民を賎民とは見て居なかったと言う事かも知れぬし 江戸時代も剣の試し斬り等以外で農民を切り捨てた場合は 可也罰せられた様であるし 試し斬りと言うのも死体や罪人を用いての物が 多かったと言う事の様だが 死罪と成った武士も居たと言う事だが 剣の試し切りも武士が凋落するに従い 減っていったと言う事かも知れないが
252 :
世界@名無史さん :04/10/28 23:05:31
>騎士程農民を賎民と 騎士の場合は農民が異民族の場合がありますが、武士の場合は農民も 同じ民族ですから、武士は騎士と違って家の子郎党を犠牲にはしないと 思いますよ。
話が外れるけど江戸での試し切りでは割と身分が低いけど 罪人を刎ねる際に大名諸家から頼まれた剣を使って試し斬り をして評価を出したり、罪人から生き胆を取って薬にして うったりする試刀家なるものがいたらしいです。
江戸時代の罪人(死体を重ねたもの)の試し切りで6体切ったのが最高らしい。 6体って重ねただけでかなりすごい高さだぜ?
6体続けて斬ったってことじゃないの? いくらなんでも重ねて一度にはムリだろう。
256 :
世界@名無史さん :04/10/29 10:16:52
重ねて斬りました。
>>255 いや重ねた絵が出てたから間違いない。
罪人の体が飢えで細かったとしても6体はすごい。
258 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/29 14:50:38
>騎士の場合は農民が異民族の場合がありますが、武士の場合は農民も >同じ民族ですから、武士は騎士と違って家の子郎党を犠牲にはしないと >思いますよ。 まあ只同じ民族の農民を全く殺さなかったかと言う事は 有るだろうし 少なく共逃げる際に踏み殺された歩兵は 居るかも知れないが
259 :
世界@名無史さん :04/10/29 14:53:13
あくまで刀の切れ味を試すための切り方なので、通常の剣術の切り方とは少し違いますが、斬り手の腕次第で抜群の性能を発揮する日本刀の性質を表しています。 日本のノコギリと同じ。未熟者は道具を壊すだけ。
嘘ばかりですね。そんな勢いで振り下ろしたら肩と腕が壞れますよ(w 日本刀神話は、もうウンザリです。もう少しリアリティのある話を持ってきて下さい。
261 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/29 17:59:58
豚の胴を西欧の剣が両断した様な映像も 有ったかも知れぬし 6人程度なら骨に当たらなければ 斬れるかも知れないが
262 :
世界@名無史さん :04/10/29 18:07:18
260 どんな勢いだよっ
どこかに骨は竹のようなものって書いてあったけど。 というか>261の骨に当たらなければってどこ斬ればいいのよw
>>260 静かに当てて押し切ったんじゃないのか?
それなら可能だと思うが。
だいたいだな、勢いつけて一刀両断できる高さじゃなかろう。
265 :
世界@名無史さん :04/10/29 19:40:39
みんな想像で話しているのか? 遺体を重ねている図や、切り方(剣術ではない)の図がある。 良い刀ならば、六体はともかく、三体くらいは斬れる。 ただこれはあくまで切れ味のテスト。
斬るって真っ二つ両断じゃないよね? 身体の外の方に切り傷をつけるってことなら3体でも可能だとおもう
前にニュー速+に貼られてたビデオで 極太の竹5本くらいを一撃で斬ってたから 達人なら死体6体でも斬れるかもしれない。
珍しくない、とは言い過ぎたか。 ま、言いたいことはそういうことだ。
縦に真っ二つじゃなくて横に胴を真っ二つだからね。 そこん所間違えないように。
271 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/31 04:09:43
272 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/31 05:04:18
フリントロックも1620頃の発明だろうし 戦国時代には間に合わなかったと言う事かも知れぬが ホイールロック銃なら戦国時代にも有っただろうし 此れが幾らか輸入されコピーされたと言う可能性は 無いのだろうか
273 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/31 05:16:07
274 :
世界@名無史さん :04/10/31 05:18:37
>>272 ホィールロックは、引き金が硬くてブレ易く、歩兵が静止状態で撃ってもマッチロックよりも命中率が
悪いのに、馬上で撃っても実用性などないだろ。短筒の火縄銃を使った伊達の馬上筒の方が、
よっぽど実用的且つ実践的だろうが。
275 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/31 05:25:01
ホイールロックの精度が低いとは聞いた事は無いし マッチロックは兎も角ハンマーの衝撃でぶれるフリントロックの方が 更に精度が低いと言う事は無いのかだが (マッチロックやフリントロックは着火薬や火縄の準備等が 面倒だろうし この様な物は雑兵の仕事として敬遠する物も 西欧では多かったかも知れないし 歩兵に対してカラコール戦術をやるならホイールロックは便利な代物だったかも 知れないが 通常の騎兵戦では一発銃を放った後は 剣を抜いて突撃だろうか)
276 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/31 05:29:13
277 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/31 05:34:33
ペッパーボックス型火縄銃なら日本にも伝わったと言うが 発射速度は余り早くは無いだろうが 使った兵も居るのだろうか
278 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/31 05:49:27
279 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/31 07:06:43
280 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/31 08:14:51
281 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/31 09:16:04
>ホィールロックは、引き金が硬くてブレ易く、歩兵が静止状態で撃ってもマッチロックよりも命中率が >悪いのに、 ライフルの有る狙撃銃にもフリントロックの物は有るし ハンマーの衝撃と言うのは言われる程問題だったのかだが 無い方が良いに越した事は無いだろうが ホイールロックが高価なら衝撃の少ない火縄でも使えば良かったかも知れないが
騎馬鉄砲は最初命中度も低いし騎馬で射撃する意味がそれほどなかったので 陣形組むときの遊撃手として歩兵や騎馬兵の陣形の周辺に散開していた。 散兵だね。 どうせ馬に乗るなら機動力を生かしての敵陣突撃や残党追撃するほうがいいし そうするなら精度の悪い鉄砲より接近戦で確実に力を発揮する剣のほうがよかった。 ナポレオン戦争に騎馬鉄砲はいないし、中世の戦争でかろうじて散兵としているくらいかな。
283 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/31 09:48:00
まあ余り大口径のリボルバーは ホイールロックでは内部に火花が届かないかも知れぬし 作れるのかだが
284 :
世界@名無史さん :04/10/31 11:02:43
この某研究者ってバカは言葉のキャッチボールができてないね。
何度も言いますが、現代のもののように連発できず、 かつ命中率も低い初期の銃の場合は、 集団で横隊を組むなどして撃たなければ戦力として低いと思われます。
286 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/31 11:50:16
まあ只対歩兵は兎も角騎兵対騎兵の戦いでは 銃を持つ方が有利かも知れぬが 弓の方が使えたかも知れぬが 訓練が必要だろうか
同時代においての教養は武士のほうが上っぽい
上っぽいじゃなくて、明確に上。教養以前に字を読めるのか、騎士は。
289 :
世界@名無史さん :04/10/31 18:21:14
騎士は読めないみたいね。江戸時代の武士は全員読めるけど。
290 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/31 19:32:41
まあ騎士は王も含め皆字を読めなかったと言う 事なのだろうか (まあ傭兵はどうなのかだろうし 農民兵等の方が未だ字は読めたと言う事なのだろうか)
読めないことはむしろ誇れるくらいだったけ? 裏話として、ラテン語とその文献を聖教者どもが独占し、その地位を守るためとかが理由と聞いたような。 対して、武士は貴族化していく者も出るくらい、 教養とかも早くから重視される例もあったね。
292 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/10/31 20:59:16
字が読めなく共エドワードやヘンリー等の戦術能力は 大した物だろうが フリードリヒ等はラテン語は兎も角アラビア語は読めたと言う 事だっただろうか
293 :
289 :04/10/31 23:01:50
南方熊楠の本によると、15世紀頃の貴族でも生年月日を知らない例があるそうで、 まして以前の騎士が、字の読み書きができたとはとても思えない。 また、12世紀を舞台にした歴史小説の「アイヴァンホー」だと、リチャード王は 読み書きができるようだが、騎士の中には明らかに字が読めない者がいる。 そしてこの話にテンプル騎士が出てくるけど、この中の一人はノルマン語の 他にアラビア語の読み書きができるし、もう一人はヘブライ語が読めた。 話の中でテンプル騎士が、僧侶だから読み書きができる、ということを言っていた。 やはり僧侶じゃないと読み書きはできないみたい。
294 :
世界@名無史さん :04/10/31 23:45:23
>>275 日本の火打石は派手な火花が出ないし、湿気の多い日本では、着火ミスが多くなる。点火薬に直接火縄
をくっ付けるマッチロックの方が不発が少ない。
スペインのコンキスタドールもそういう理由で、中南米には17世紀になってもマッチロックのマスケットをも
って行っている。同じ理由で、フィリピンのマニラ政庁駐在のスペイン兵の装備もかなり遅くまであえてマッ
チロックのマスケットを使っていたぞ。
それから、オマイさんは、実銃でダブルアクションとシングルアクションで同じ距離から同じ的を撃ったこと
ある?明らかにトリガープルが重くなるダブルアクションの方が、グルーピング悪くなるぞ。黒色火薬使う
限り、マッチロックもホィールロックもフリントロックも威力なぞ殆ど違いはない。ホィールロックの利点は、
装填したまま長時間持っていられることくらいだ。
>やはり僧侶じゃないと読み書きはできないみたい。 そこまで言うのは極論だよ。騎士でも上級なら読み書きできる 人も普通にいた。年代記なんかにも多いぞ俗人は。
>295 >>極論 失礼しました。しかし、上級の騎士しか読み書きができないというのも…。
逆にいえば、上級騎士でも読み書きができない者も多かったと。 向こうの翻訳の絵つき本にもそう書かれてたな。
298 :
世界@名無史さん :04/11/01 00:08:13
>>292 某研にレスするのはどうかと思うのだが…
騎士が文盲だと言っても、国王や上級貴族(大領主クラス フランドル伯等)は別
だと思われ。彼らが読み書きが出来なかったら書簡の交換も出来ん。
後、イタリアは別。あそこは他の中世欧州とはまた別の世界だから。
騎士の識字率は自国語のほかにラテン語とかフランス語 のような公用語が使えないと認められないわけでしょ? 日本でいったら素で漢書、漢詩の読み書きができる程度でないと ただでさえ日本の場合はほぼ同一民族、国内なんだから・・・ そういった意味では識字率は同じぐらいなもんでしょ。
アルファベットでかな漢字の日本語に識字率で大幅に劣るって時点で騎士はダメポ。
301 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/01 17:45:54
>それから、オマイさんは、実銃でダブルアクションとシングルアクションで同じ距離から同じ的を撃ったこと >ある?明らかにトリガープルが重くなるダブルアクションの方が、グルーピング悪くなるぞ。黒色火薬使う >限り、マッチロックもホィールロックもフリントロックも威力なぞ殆ど違いはない。ホィールロックの利点は、 >装填したまま長時間持っていられることくらいだ。 まあ複数のピストルを持ちかえて銃撃すると言う 戦術を騎兵は取っていた様であるし 遠距離からピストルを放っても当たるのかだろうし 近距離から放った方が当たる訳だろうから ホイールロック銃を近距離で連発した方が 良いかも知れないが ホイールロックには精度の問題が有るのであれば 最初にマッチロックの銃を発射した後で やや接近した後ホイールロックの銃を素早く撃つ方が良いのだろうか
日本刀を振りかざし銃を持った相手に突撃、勝利したサムライ
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/news/1098980438/ アメリカ・テキサス州ダラスで今週火曜日(現地時間)、二人組みの強盗がとあるアパートの一室に侵入した。
ところが不審な物音を聞きつけ駆けつけた男にサムライソード(日本刀)でぶった切られ、犯行が失敗に
終わってしまうという事件が起こった。
被害者の男性はその日、いきなり二人組みの強盗に銃を突きつけられアパートの自室へ押し込まれた。
やがて部屋の中に全く金目のものが無いと気付いた強盗達は腹を立て、この男性を銃で殴り倒したとのこと。
この時、偶然テラスにいた別の男性(同じアパートの住人)が不審な物音に気がついた。この男性はその後
「もしかして・・!」とただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、用心のため日本刀と10インチのナイフを持って
物音が聞こえた部屋へ奥から(裏から)進入したという。
そこで彼は銃を所持した2人組の強盗と床に倒れている被害者の男性を発見、日本刀を振りかざして突撃していった。
「驚いた強盗の一人が発砲したが、サムライ男はひるまず日本刀で二人を切り倒したんです。」
http://azoz.org/archives/000274.html アメリカサムライが銃を相手に勝利しました。
たぶんハイランダーのしわざだな
304 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/01 20:54:58
>中でも20歳のダラス在住の容疑者(強盗の一人)は、首から上半身にかけて深い刺し傷>と切り傷があり、現在生死の境をさまよっている状態という。 日本刀での突きと言うのも 可也強力である訳だろうか まあ銃が有るなら銃を使うべきだっただろうが 持って居なかったと言う事だろうか (ナイフも持ったと言うのは 格闘に備えたと言う事なのだろうか 戦国時代は太刀・打刀だけではなく短刀も持っていたし 格闘にも備えられただろうが 江戸時代は侍は短刀は持っていなかったのだろうか 戦国時代の足軽は打刀と短刀は 持っていたのかだが 打刀のみと言う事は無いのかだが)
>>299 私の見た小説では母語が書けない(日本人なら日本語が書けない)状態。
306 :
世界@名無史さん :04/11/01 22:10:14
>>305 確かに、身分上騎士より上の下級貴族でも、母国語の読み書きできないヤシは多かったようだ。
実際、下級貴族だったスペインのコンキスタドール達は、自分で読み書きできないから、書記を帯同
したようだし。
ところで何世紀を基準で語っているの?
私の場合12世紀後半。でも14世紀あたりまでは変わらないと思っている。
中世は羊皮紙しかなかったから日本のように紙に練習してポイ なんてできないだろう。文字書くことじたいが贅沢。 それに騎士なんてものじたい蛮族上がりの猛者と変わらん。 日本のように経典や物語みたいな教科書になるようなものもなかったろうし。
日本だと、鎌倉時代には京都の庶民でも洟をかんだりお尻を拭くのに紙を使用 していますね。それでも外記日記などに使われた上等な紙は貴重品で、しばし ば盗み出されたせいでほとんど現存しておりませんが・・・。 鎌倉時代を例にとってみると、当時の武士は地頭クラスでもしばしば「文盲」が 存在していました。もっとも言われるほど稀であったとも言えますが。 相続する・させるためには文書が不可欠でしたから、中には手本を見ながら書 いたらしい金釘文字の文書も存在します。 ついでに庶民の例も。戦国期になっても僧侶や郷・荘の有力者しか書けない地 域がざらにありました。有力者も書けるのはほとんどがカナ文字。 もっとも、これでも比較的良好な地域と言えるのかもしれません。
>>291 >対して、武士は貴族化していく者も出るくらい、
どういう例について仰られたのでしょうか?
313 :
世界@名無史さん :04/11/03 00:29:03
>>308 17世紀初期くらいまで状況は大して変わらんと思う。
314 :
世界@名無史さん :04/11/03 00:31:44
315 :
世界@名無史さん :04/11/03 00:40:16
>>314 そんなに時代が下らなくても、北条実時や安達泰盛なんて教養的には、当時の公家に比肩し得ると思う。
>>313 各時代の武士・騎士を説明するのに、12世紀から17世紀までの史料を引
用していたらただの電波ですよ。せめて1世紀以内にしませんと。
戦闘を単純に区切っても、14世紀(歩兵の主役化)・15世紀後半(長槍
を使用した集団戦)・15世紀半ば(鉄砲の使用)と大きく変容しています。
(お気を悪くされるかもしれませんが)
>>314 だとすれば、彼らの教養にあたるものが欧州ではなんであったのかを考えて
みるのもいいかもしれませんね。ただ「貴族化」というのも基準が無さそうな抽
象的な表現ですが。数値化スレに書き込ませて頂いた毛利元就の趣味もずいぶん
と文化的ですが、イメージされている人物像は義隆とは正反対です。
「武を疎かにする傾向」というのも曖昧ですし、第一中世までの貴族は戦争での直
接の指揮こそとらなかったものの時として「武」を発揮していました。
貴族=軟弱のイメージは近世以降のもの。新井白石も喧伝に一役かっています。
317 :
世界@名無史さん :04/11/03 00:49:22
>>316 ん?313は、289=308の欧州騎士の識字率のことをいっているのでは?17世紀には、爵位の一つとして
Knightはあっても、実質的な騎士は居なくなっていただろうが。
羊皮紙ですが 古くからパピルスまた中国から紙の製造法 が伝わっているはずです。 ただ羊皮紙に比べ質や保存といった能力面は 落ちますが、それなりに文字に触れる機会は あったと思います。
>>317 識字率ですか。しかし5世紀に渡って「変化なし」というのも勇気がいるのでは。
320 :
世界@名無史さん :04/11/03 20:12:03
山野さん前スレで「騎士も武士も馬を下りて戦うのが主流になる」みたいに言ってたけど、 騎馬突撃とかやらなくなっちゃうものなの? 騎兵のメリットって高速で長距離移動できることくらい?
マンが書けよ、先生
>>320 >騎兵のメリットって高速で長距離移動できることくらい?
日本の武士の甲冑の重量は22〜32s。前スレにも書き込ませて頂きまし
たが、一時的な全力疾走でも武士を乗せた状態では時速9km程度しか出す
事は出来ませんでした。
17世紀半ばに書かれた『雑兵物語』に馬の世話をする足軽が良馬の条件につ
いて述べた箇所がありますが、一日に長距離を移動出来る馬が褒められたも
のでしたね。もっとも軽装の歩兵が付いて行く訳ですから、軍の移動におい
て馬の速さに頼る意味は無さそうですが。
武士が馬に乗るメリットは、身分表示と重装備での移動の簡便化によるもの
だった研究者も存在するほどです。馬に乗るのにも許可が要りましたから。
伝足利尊氏画像・細川澄元画像の様に抜き払った野太刀・長巻を馬上で構え
た例、馬上用に馬手に打刀を挿した例もありますが、14世紀以降は基本的
に馬から下りて戦った様です。
特権に拘らなければ、馬から下りて戦った方が楽ですから。
我が国では馬に乗った兵が集団突撃をする事はありませんでしたし、欧州で
も中世には滅多に行われなかった様ですよ。
騎馬と書くと近代戦の影響で、やたらと俊敏な印象を与えるから、 日本の武士の場合は、這馬と書こう。 ノソノソと這うように行軍しちゃうぞ。
>我が国では馬に乗った兵が集団突撃をする事はありませんでしたし、欧州で >も中世には滅多に行われなかった様ですよ。 「講釈師見てきたような嘘をいい」
おや、見ていたのですが(笑)。
326 :
世界@名無史さん :04/11/04 00:01:34
>>322 なるほど。
でも中世ヨーロッパだと、
みんなでランス構えて突撃してるイメージがどうしてもぬぐえないんだよね〜
だって騎乗試合でお互い馬上で槍突きあってるんだもん。
328 :
世界@名無史さん :04/11/04 08:09:59
>>320 騎兵のメリットって高速で長距離移動できることくらい?
西欧の騎兵としては高速で「長距離移動」はできない。というか、やれない。
なぜなら戦場にたどり着いた時点でその馬が使用できなくなるから。
中世ではウォーホースは高価だから、貴族でも戦場まで別の馬に乗っていったし、
だらだらとウォーキングさせて進軍した。
早足で移動したら馬も大変だが乗っているヒトももたない。
単に、戦場で高速に移動=突撃ができるということ。ただし、それも歩兵に比べて
という点であって、中世のウォーホースはそれほど高速移動(襲歩)ができなかった。
イギリスの市民戦争(17世紀中頃)では馬体の大きな戦馬がアラブ種などの軽種馬
(ポニーではない)にかなわない一面があり、クロムウェルも騎兵を軽種馬に
切り替えている。
兵員の移動のために馬を使用したのは近世の竜騎兵で、彼らは戦場では
下馬して戦った。ナポレオン戦争では竜騎兵の扱いが各国で違い、重騎兵
のように扱う国もある。
例外は追撃戦の場合だろうか。その場合でも軽騎兵がメインになるので、
突撃専用の重騎兵は参加しないはず。
329 :
世界@名無史さん :04/11/04 11:36:57
騎乗突撃は、とにかく馬が人を蹴散らすほどに走ってくれればいいのです。 特別な速さは不要なのです。
西洋に紙が伝わったのは、モンゴル侵攻の際だな。 ただ、紙が羊皮紙に取って代わられるには更なる時間が必要だったとか。 それまで羊皮紙で商売をしていた人達からの反発が強かったかららしい。
>>330 タラス河畔の戦いはどこに消えたのでしょうか?
あの戦いで紙がイスラム世界に伝わり、程なくヨーロッパにも伝播したというのは
高校の教科書ですら書かれていますが。…これって覆されてましたっけ?
>>331 紙の伝播=紙の流通ではない。
紙の製造は難しかった。
ここにはエドワード3世が貴族の騎乗部隊を馬から下ろすのに、 非常に苦労したことさえ知らないアホコテがいるようだな。 どうやら彼にとっての中世とは14世紀中盤以降のことらしい。 そして、基本形態と応用形態(臨時的であり戦術上の要請から生じる)の 違いも分からない、某荒れコテと同じ愚を繰り返しいることに 気付いていない哀れな椰子。返レスはいらんぞ。 アホコテ以外の方、多謝。
335 :
世界@名無史さん :04/11/04 18:22:02
>>329 いや、スピードは必要。
単に、ウォーホースは重装の騎士を乗せるために、馬体を大きくした馬であり、
可能であれば早さは必要だ。
実際に初期の十字軍はアラブの軽種馬に手痛い被害をうけている。
互いが騎槍で、つつき合うなら、それでも良いが、戦術的な運動が必要になると、
ウォーホースでは厳しい一面がある。
スペインのヒネーテやイタリアのストラティオットが活躍したのはその辺が
ポイントだったはず。
そもそもどっちが強いかとか言われても どちらもそれぞれの気候とか地形とか文化とか技術とか人種の体格とか そういうのに合わせて最適なように発展していった物なのだし 一対一にしろ戦術を比べるにしろどっちが強いだの上だの 比べられるものでは無いと毎回思うのだが。 例えていうならアサルトライフルとサブマシンガン、どっちが強い?というのと同じだ。 スナイパーライフルや対物ライフルと比べても同じ。 そもそも用途が違う。 文化包丁と軍用ナイフと比べてどっちが切れる? 織田信長とナポレオンどっちが優れていた? 中国の歴史と日本の歴史、どっちが文化的に価値がある? どれも、そもそも比べるような物ではない。 もし比べるんだったら、アーノルドシュワルツェネッガーとシルベスタスタローンどっちが強い? バットマンとスパイダーマンとロボコップ、どれが一番強い? そういうものと同じ類の「架空対戦」ごっことして妄想するのが妥当だ。 一言で片付けてしまえば、「なに必死にムキになってんだよお前ら、所詮趣味でやってる空想ごとだろ?」だな。
そんなことみんなとっくに気付いてネタでやってるよ。 君の方がよっぽどムキに見えるがw
武士=ザ・サムライ 騎士=ロビンマスク これで納得してくれ・・・・
ちょっと調査中のネタを一つ。 最近、騎士って何なのか解らなくなってきた。 11世紀のイングランドには農奴だけど騎士、 とかいう変な人達がいたみたい。 12世紀中頃にはその変な人達はいなくなったみたいだけど 今度は納税義務を負うだけで戦わない騎士がたくさん現れた。 11から12世紀頃のドイツには奴隷みたいな身分の騎士が大勢いたとか。 騎士っていったい何なのでしょう?
最近それらしい本を見つけたのですが(騎士の定義)、今手元に御座いません。 来年にでも書き込ませて頂きますので、たまには雑談スレの方にもいらして下 さい。発見するのが難しい方ですから(笑)。
もっとも、(西洋史の専門家が書いたものとはいえ)私程度が知っているネタ を例のにゃあにゃあ氏がご存知ないという可能性は低く、おこがましい気も するのですが。
日本でいう所の郷士じゃないのかな 奴隷的というと土佐の旧長曾我部系のそれかな
>>340-341 山野様、そんなことないです。ぜひ教えて下さい。
まだ歴史の趣味歴1年未満なので、そんなにたくさん本読んでるわけじゃないですから
騎士ってなにか調べるのにけっこう苦労してるんです。
では、年末にでもまた。我が国の武士の資格が朝廷に仕える事にあり、直接 京都の朝廷に仕えた武士は、国衙に仕えた武士よりも一段下に見られていた。 一方ヨーロッパの騎士というものも・・・といった文脈が日本史の論文にあった と思ったのですが。 しかし一年未満でこれだけ達者だと、立場がありませんね・・・。
>一段下に見られていた。 上に見られていた、の間違い。
>しかし一年未満でこれだけ達者だと、立場がありませんね・・・。 そうだなお前はこれだもんな。問題外だよな。 324 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/11/03 22:55:28 >我が国では馬に乗った兵が集団突撃をする事はありませんでしたし、欧州で >も中世には滅多に行われなかった様ですよ。 「講釈師見てきたような嘘をいい」 325 名前:山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 投稿日:04/11/03 22:58:46 おや、見ていたのですが(笑)。
欧州はしらないけど 日本の騎馬は足軽がでてきてからは 割合的には数パーセントに落ち込んで 大規模には騎馬を運用してないんじゃないかな
348 :
世界@名無史さん :04/11/08 10:13:37
イングランドのそれは、アングロ・サクソンの文化に根付いた制度、 つまり、セインや選抜フュルドやハウスカールでは。 アングロ・サクソン人は農業経済に依存する組織を作り上げていたから、 耕地面積による付帯義務があって、より多くの農地を持つ者が重武装となり 騎士となっていたと思う。 ドイツの場合はミニステリアーレといった、装備は騎士でも領地をもたず、 契約して仕える騎士?(家士と訳されたかな)みたいな身分 もある。かれらの場合、複数の主君?をもつこともある。 「騎士」という定義が「ナイト」ならおもかく、「騎乗の戦士」 を意味しているということなら、千差万別になると思う。 もっとも、そもそもは「騎乗できる裕福な身分の戦士」が「騎士」 ということだったのでしょうが。ローマの「騎士(エクイタス)」と 封建制度にもとづく「シヴァレリ(騎士)」とではだいぶ違う。
349 :
世界@名無史さん :04/11/08 12:14:22
中世が終わっても、 ヨーロッパでは貴族同士で決闘やったりしてたんでしょ? 騎士や武士に一騎討ちの慣習はなかったのかな? ちょっと前にも誰か言ってたけど、 近代戦の常識で勝ち負けが決まると考えるのは、 危険だと思うのね。 日本みたいに頻繁に頭を下げる文化もあれば、 挨拶の会釈ですらも、 相手より下に見られる動作は恥と考える地域もある。 そういう観点の話も聞いてみたいな。
>>319 西欧の騎士はもともと戦士とよばれていて、文字通り蛮族上がりの力自慢です。
そして蛮族の勇をモットーとしていたので、教養は身を堕落させると思ってました。
文盲を誇ってたのです。そこで聖職者が役割を分担することが多かったのです。
351 :
世界@名無史さん :04/11/08 18:23:35
騎士というか昔から一騎打ちの習慣はありましたよね。 ダビデとゴリアテとか、王政時代のローマのホラティウス兄弟だっけ? とか、ダラスの会戦(530年)でも一騎打ちがあったし、 バノックバーンの会戦(1314年)では総司令官(王)のブルース(ロバート1世) が敵の一指揮官(ヘンリー・ド・ボーアン)と一騎打ちしてるし。
日本刀の切先はプレートメイルくらい突き破りそうな気がするけどな。
353 :
世界@名無史さん :04/11/08 21:16:15
sporran卿曰わく、「ドラム缶で実験してごらん」と
>sporran卿 ワロタw 卿じゃなくて狂が相応しいがなw
百年戦争ではフランスが騎兵突撃を したときくが・・・
>>349 ちょっと違いますが、決闘裁判といって決闘で裁判の有罪無罪を決める制度が
ありましたね。
騎士が行うトーナメントって一騎打ちが発端じゃないの? >354 彼らが所属するSCAとやらでは、礼儀として名前に卿を付け合うらしい。 まぁ、Mrとかと考えれば判らないでもなけど、知らん奴から見れば変だわな。 俺的には、彼の知識は凄いと思っているので、君の意見は却下だな。
358 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/08 23:49:49
シャルル七世が僅か2年で 砲兵で英軍の城やロングボウ兵を撃破し 百年戦争で勝利する様な場面が ジャンヌダルク等の映画で描かれても良かっただろうが 一説には火器の多用はジャンヌが考えたと言う 意見も有る様だが 戦争の解説を見る限り大砲で城や部隊を叩いたと言う様には 見えなかったが 其れが事実とすればシャルル7世が大砲を多用したのは ジャンヌの影響かも知れぬし ジャンヌの影響で仏軍が勝ったと言えるのかも 知れないが
359 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/08 23:52:38
>日本刀の切先はプレートメイルくらい突き破りそうな気がするけどな。 胴体は湾曲しているから貫けるのかだが 肩やスカートの割りに湾曲していない部分に 垂直に当たれば或いは貫通する可能性も 有るかも知れぬし この部分は胴に比べて厚みは無いかも知れないが (同様に兜の部分を横から貫く・ 或いは胴体の背部を貫く様な事も 可能かも知れないが)
360 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/08 23:56:16
>肩やスカートの割りに湾曲していない部分に >垂直に当たれば或いは貫通する可能性も >有るかも知れぬし この部分は打撃にも脆いだろうし この部分を殴ると言う方向も有るだろうか
361 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/09 00:17:42
>352 刃物で堅い物を刺すのは結構難しいぜ。 試しにカッターナイフでアルミ缶とスチール缶を刺してみな。
363 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/09 00:21:51
まあしかしこんな人物がジャンヌの最高司令官だったとは 知らなかったが 貴族は平民等幾ら殺しても死刑に成るのかだろうし 教会や国王等の陰謀だったと言う事は無いのかだが
364 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/09 00:24:50
殺害が事実だったのかも怪しいだろうし シャルル7世がジャンヌを見捨てたのは ブルゴーニュや英との対立を避ける為では無く ジャンヌを始末する為だったと言う事は 其の後の呆気無い軍事的勝利等を考えれば 有ると言う事かも知れないが
365 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/09 02:03:47
某研究者さんっていろんな板で活躍されてますね
367 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/09 21:59:31
ちょっと前まで鉄は同じ物質を切れる物質なので プレートアーマーでもきれるかなとおもってたけど 調べると組み打ちの技のひとつに兜で相手の剣をうけて 相手の足を斬る突く取るといった技があるらしいから 難しいのかともう。 ただ兜割という語源は魚ではなく実際兜を割られて きたことからきてる気はしますの全く切れないとは思わない。 後は結構上からの攻撃ではなくしたからの攻撃が豊富にあったので (またの下に刀を入れて斬るとか、足を引っ掛けて倒すとか) 切れなくても、それなりの戦い方はあるでしょう.。
369 :
世界@名無史さん :04/11/10 00:24:23
>>368 さん、武者の話ですか、騎士の話ですか?
>>357 同感。TTDD氏は自分から卿と名乗ったわけではなく、彼の知識と洋風に敬意を表した周囲がTTDD卿と呼んでいる。
また、最近の話ではSCAでlordの就任式を得たとかで、察するところ、段位とか黒帯見たいなものだろう。
370 :
世界@名無史さん :04/11/10 01:32:29
>368 日本史板か武道板あたりで、見たけど、太刀なら、鉄製兜を真っ二つに叩き切る事は可能だそうな。 しかも、有名な業物ではなく現代刀でだそうです。 ただ、日本と西洋では鉄を鍛える時に使う燃料が違うので鉄の質が違うそうです。 うろ覚えで申し訳ないですが、日本は炭を西洋は石炭を使用するため強度と硬度が違うそうです。 西洋の鉄は堅いけど割れやすく、日本のは粘りがあるそうです。 詳しくはどっかで調べて下さい。 >369 確かにそうですね。自分から名乗っているのならともかく、周囲から呼ばれているのなら別ですよね。 世の中には自分でキングやカイザーと名乗っている輩も居れば、大佐だの中尉と名乗っている奴が 居ることを考えればmttdd郷に喰って掛かる輩は彼に嫉妬をしてるのかも知れませんね。 ここ最近はttdd郷やお仲間の方の書き込みが無くて非常に残念です。
>mttdd郷 何気なく郷とはワロタw
>371 打ち込みミスならともかく、ネタでやったならネ申だな。 書き込みボタンを押す前に確認しなきゃいかんな。
373 :
世界@名無史さん :04/11/10 08:39:34
嫉妬というよりも、歴史的な評価を与えるのが難しいので、単なる コスプレ・マニアとなっているということでは? 遠目に見ると、鎧の着方や構造の話、剣術の話などをしている方々と 実際の歴史にもとづいた戦争の話をされている方々との視点のギャップ ということではないのでしょうか。 例えば、百年戦争時代の鎧に限定して、戦場を再現するとか、16世紀に どこどこで行われたトーナメントを再現しましたといった活動であれば、 歴史板にも印象はよいと思うもですが、漠然と個人戦の技術を競う人たち の場合、歴史的な評価を得るのは難しいということではないでしょうか。
>373 取り敢えずttddの過去の書き込みを読み直してみなされ。 タダのコスプレオタでない事が判ります。
375 :
ニッダラニダ :04/11/10 10:45:18
>373 戦場を再現できるような香具師ならこんな処に来ないと思われ。 ただ、ウリ的には個人でも鎧着込んでバトルしてるのは凄いと思う。 しかも、剣道を用いた我流ではなく西洋剣術を研究して行っているのは特筆すべきかと。 ttddに対する評価に関してはコテよりも名無しに悪いのはきっと、彼の真価を知らないからだと ウリ的には思うニダよ。 戦場を再現して考察するのは良いニダ、しかし、それが出来ないのなら出来る範囲で 再現して考察すべきかと思うニダ。 ttddは歴史的な考察と、実証しての考察をしているのはやはり凄いと思うニダ
戦場の再現は場所も馬も人も武具もないから無理しょ。
アホコテなんかほっといて、某研神の降臨を待ち望もう。
某研究者信者ってキモイのが多いな
アラブ兵と西欧兵ってどっちが強いの?
>>378 禿同。某研てキモイ。もっとキモイのがコスプレオタ。
それよりキモイのがコスプレオタ信者。
それよりキモイのはお前。
381 :
世界@名無史さん :04/11/10 18:34:32
>>374 コスプレオタとは思っていないですよ。
ただ、単に文献をあさって研究する人たちと、
個人技を研究する場合とでは、方向性が違うということ。
つまり、戦場を再現するような場合はひかくてき、
文献派に認められやすいのですが、個人技だと武道的な方面で
あるので、武道の歴史みたいな感じで歴史板では苦しいのかなと思った
だけです。それに、個人技や鎧の情報をありがたく思う場合でも、
個人の経験談よりは、ヘンリー8世やマクシミリアンの意見の
ほうが聞いていて心地よいと思もうヒトが歴史板には多いのではないかな。
出来ないなら出来る範囲で行うことも賞賛すべきだとは思いますが、
John L. Clements 文献をよりも14世紀や15世紀の剣術の写本を
見るほうが実戦的な部分ではなくても、ありがたみを感じというヒトは
がいると思うのだけど。
>>381 言っても無駄だからやめれ。反論できなくなると、
「ttdd卿と対決キボーヌ」とか言い出す哀れな厨だぞ。
内容については同意。
確か、ttddってその手の本のイラストレーターやったり、それをネタに飯喰ってたんだろ? って事は、このスレに居るコテは名無し以上に文献に目を通してると思えるのだけど。 個人技の研究にしても、ただやってみるのではなく、文献通りにやってみどうなのとか? 検証したりしてた訳だろ?そして、文献を見て疑問をもってオフとかで検証してた訳だ。 文献を見て鵜呑みにするのではなく、疑問をもって考証や検証するという事は歴史を 研究するという行為に必要だと思うよ。 そりゃ、騎士対武士に関しては文献なんて有る訳がないから、個人技の話がメインになっただけでないの? ttddのお陰で説けた誤解は沢山あったし、彼は文献と検証をもって歴史を研究している数少ないコテだと俺は思ってるよ。 >個人の経験談よりは、ヘンリー8世やマクシミリアンの意見の >ほうが聞いていて心地よいと思もうヒトが歴史板には多いのではないかな。 他のスレならそうかも知れないが、このスレの趣旨は実際に戦っていない者同士の検証なんだから 個人の技の話が沢山出てきても仕方がないと思うがどうよ? そりゃ、このスレが武田軍とテンプル騎士団のどちらが強いとかだったら、個人技の話は無関係に なるかも知れないが、騎士と武士なんだから、個人戦でスレをすすめてもスレ違いにはならないぜ。 あと、某研者みたいに日本語になっていない疑問とかは評価に価しないんで誤解のないように。 疑問を振りまくだけの研究者なんぞ居てたまるかっての。 >379 十字軍の遠征のお話でも読みなさいな。
華麗にスルー乙→約1名除いたALL。
心配すんな、冒険は野球板では誰も居ないかのように無視されている
えっ!?冒険って野球板にも出没してるの? >そりゃ、このスレが武田軍とテンプル騎士団のどちらが強いとかだったら 確かに武士と騎士の強さ比較だから、個人戦でも問題はないかもな。 俺としては武田軍とテンプル騎士団のどっが強いかが気になるな。
>377 ここ三日間考えたんだが、俺には冒険の何処が良いのか俺には理解出来ん。 皆に判るように説明してくれよ。
>388 類は友を呼ぶと言うから、キティはキティが好きと思われ
武田の風林火山と中世騎士団の対決予想をキボンヌ!
391 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/12 16:03:56
16世紀の騎士対16世紀の騎馬武者では 両手槍を持つ武田軍の勝ち 歩兵対歩兵では砲兵の差で 西欧側の勝ちだろうが 騎兵突撃で砲兵が殲滅される可能性も 地形に拠っては有るだろうが 柵等が有れば砲兵で下馬騎兵が殲滅される可能性も 有るだろうか
392 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/12 16:11:05
槍騎兵は兎も角ピストル騎兵なら 騎馬武者にも勝てるかも知れないが 此れは16世紀の何時からの登場だっただろうか
393 :
世界@名無史さん :04/11/12 17:55:22
>390 武田(16世紀)と中世騎士団(12〜14世紀あたり?)だと時代が大部ずれてる? 鎌倉幕府と十字軍あたりがよいのでは。
394 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/12 19:10:46
まあ下馬した騎馬武者が柵を越えようとしている時に 砲撃で壊滅と言う可能性も有るだろうが 上手く柵を越えたとしても 内部に壕が有るかも知れぬし 其処への銃撃や パイク兵に撃破される可能性も 有る訳だろうか 歩兵が柵を越えた場合は銃撃戦共成るかも知れないが 其の前に砲で可也被害を受けており 且つ内部に壕等も有るとすれば果たして勝てるのかだが 日本側が陣地に篭ったとしても大砲で何れ やられると言う事かも知れないが
395 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/12 19:19:40
壕が無く柵だけなら 歩兵も此れを容易に突破するかも知れぬし 日本側が砲兵で損害を受けようと 銃や弓の数の差で五分程度には持ち込めるかも知れないが 長槍兵の比率の差で勝てない可能性は 有るだろうか (騎士に勝利した騎馬武者が此れに加わったとしても 果たしてパイク兵に勝てるのかだが)
396 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/12 19:32:30
騎兵無用論を言う者も多いだろうが カンネー・ザマ・アルスーフ・ポワティエ・フォルミニーでは 果たして騎兵無しで勝てたのかだが 此れ等は全て乗馬突撃と言う 事だろうか
>>392 ピストル騎兵にこだわるねぇw
西も東も鉄砲騎兵は流行らなかった。
なぜなら揺れる馬上で鉄砲を撃つのは至難の業だし
馬に乗って急速接近してまで遠距離攻撃用の鉄砲をぶっぱなつ意味がない。
そこまで近づけば敵鉄砲の射程に入るわけだし、そうなれば
馬上の人ほど的になるものは無い。騎馬鉄砲VS鉄砲歩兵は鉄砲歩兵の勝ち。
それに接近戦になれば騎馬鉄砲は鉄砲捨てて刀を抜かなければならない
わけだから、鉄砲が生かされないし、金の無駄。
だから騎馬鉄砲は散兵的役割しか果たさなかったし、それでしか用いられなかった。
398 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/12 19:44:22
>馬上の人ほど的になるものは無い。騎馬鉄砲VS鉄砲歩兵は鉄砲歩兵の勝ち。 まあ歩兵に対してピストル騎兵が勝てるとは書いて居ないし 槍騎兵に対してピストル騎兵は勝てるのでは無いかと 書いただけであるし 槍騎兵は17世紀には廃れていた訳だろうが 18世紀に復活したのは一体どう言う訳なのだろうか
399 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/12 19:48:48
>西も東も鉄砲騎兵は流行らなかった。 流行っていない所か 17世紀前半では此れが主体だっただろうが グスタフ・アドルフからは剣の技能の方が 重視されたかも知れないが >それに接近戦になれば騎馬鉄砲は鉄砲捨てて刀を抜かなければならない >わけだから、鉄砲が生かされないし、金の無駄。 軽騎兵は捨てたピストルを後で回収していたと言うが 絵を見ると騎兵の銃には紐が付いている物も有るだろうし 銃を捨てる必要は無かったかも知れないが
400 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/12 19:49:56
騎兵用の手銃であるハンド・カルバリンと言うのも 15世紀には有った様だが 此れは槍騎兵を駆逐する事は ピストル登場迄出来なかったのだろうか
騎馬鉄砲は16世紀から用いられだした。 もちろん鉄砲と剣を両方装備していた。彼らはレイターと呼ばれた。 そしてカラコール戦術という、射撃しては後ろにまわり 射撃しては後ろにまわるという反復射撃を主にやっていた。 味方の陣形が整うまでの補助的役割や相手陣形を整えさせないための 牽制部隊みたいな位置づけだろう。 しかしグスタフ時代になるとカラコール戦術をやめ 一発撃った後は抜刀突撃するようになる。やはり騎兵の特徴を生かすという 原点回帰か。そしてナポレオン時代には剣主体の騎兵になっている。
402 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/12 21:58:03
まあ銃を放っても倒れるのは最前列の騎兵だけだろうし カラコールをしている間に サーベル騎兵に突入される可能性は 有ると言う事かも知れないが
403 :
世界@名無史さん :04/11/13 23:29:43
装甲の厚さと武器の重さで騎士の圧勝
>>402 ようするにレイターは剣もって何ぼということです。
>>403 分厚い装甲を好むところが、ロシア人みたいな発想だな。
406 :
世界@名無史さん :04/11/14 12:36:07
一番強いのは中国の武者。 人数が違うよ。
407 :
世界@名無史さん :04/11/14 12:48:48
サーベルは重いから日本刀ではまともに受け止めるとポッキリ折れてしまいそうだな。 唯一戦国武将の鎧は結構軽くできていそうなので、また日本刀は細いから動きが早いと言う点が武士に有利だ。 しかし騎士の鎧はフルフェイスのやつだったら付け入る隙がなさそうだ。 顔の出ているやつなら喉元に突きつけるぐらいが唯一の抵抗手段だろう。 しかし実際の戦国時代の戦闘で刀傷が原因で戦闘不能になったケースは全体の2%あったかないかだと言うぞ
チェスVS将棋、どっちが強い?
取った相手の駒を使えないというチェスのルールに沿った場合だと、 駒数が多い将棋の方が勝ち
>>407 >しかし実際の戦国時代の戦闘で刀傷が原因で戦闘不能になったケースは全体の2%あったかないかだと言うぞ
鈴木眞哉の説が、伝言ゲームのように微妙に変化して広まっている気がする・・。
411 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/14 19:03:51
>サーベルは重いから日本刀ではまともに受け止めるとポッキリ折れてしまいそうだな。 サーベル1.5kg・日本刀1kg程度なら 大差は無いだろうし 硬軟二重構造の日本刀は 折れ難いだろうか >唯一戦国武将の鎧は結構軽くできていそうなので、また日本刀は細いから動きが早いと言う点が武士に有利だ。 >しかし騎士の鎧はフルフェイスのやつだったら付け入る隙がなさそうだ。 まあ槍や日本刀で両手で殴ればだろうし 足や腰の裏は装甲は無い者も多いし 足の装甲の後ろには綿入れは無い様に見えたが
412 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/14 19:11:42
故にピストル騎兵にも日本の槍を持つ騎馬武者が 突撃を行えば 勝てるのかも知れないが 槍を持つ騎兵も16世紀では未だ 残っていたかも知れないが 日本の両手で槍を振るう騎馬武者には 勝てるのかだが
相変わらずキチガイじみた文だな。
414 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/15 01:50:13
西欧の騎兵を日本の騎馬武者が殲滅したとしても パイク兵には勝てるのかだろうし 土塁等が有れば更に勝利は 困難と成るだろうか ホイールロックの場合発射薬の入った火皿は 開閉式に成っており 抜いたら即発射が可能と言う事かも知れぬが スナップハンスも同様の機構は有るだろうし ホイールロックでは無く此れを用いた方が 良かったのかも知れないが ライフルの付いたピストル等は 使われていたのかだが
415 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/15 02:03:15
まあフリントロックで火皿の部分が 手動でも開く様な物が有っても 抜いてほぼ直ぐ打てるので良いだろうが マッチロックは精度は高いだろうが 抜いて直ぐ打つと言うのは無理だろうし 火縄を取り付けるのに時間が掛かるだろうが ライフルやリボルバーを付けて散兵用の 狙撃銃とするには 役に立つかも知れないが リボルバーなら装填にも余り時間は掛からないだろうが 一度全て弾を撃ち尽くした後は 装填に時間が掛かるのでライフルが無い方を用いても 良いかも知れないが
416 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/15 02:19:06
フリントロックのピストルも多いだろうが 此れは竜騎兵等が用いたのだろうか
ホイールロック→マッチロック→スナップハンス→フリントロック
と大まかに発展していった。いずれも銃騎兵は装備していた。
形はピストル型の小さいのが利用しやすかったみたい。
それから戦場で抜いて撃つなんてやってられない。
火薬装填したまましまうなんてことはしない。
常時手に持って、カラコールで後ろにいって装填し
前に移動してぶっぱなつ。下がって装填し(繰り返し)
もし接近戦になったら銃は馬についてる袋にしまい、抜刀突撃。
もう取り出すこともあまりないだろう。
>>415 ていうか日本語として読みづらいんだよね。
読んでも日本語なのに意味がわからない。
レスしづらいよ。
418 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/15 04:32:09
>それから戦場で抜いて撃つなんてやってられない。 >火薬装填したまましまうなんてことはしない。 >常時手に持って、カラコールで後ろにいって装填し >前に移動してぶっぱなつ。下がって装填し(繰り返し) 軽騎兵は戦場でピストルを2回程度放ってから 突撃しているし 抜いてから放っていた可能性も有る訳だろうし 抜いてから放たないなら ピストルを騎兵が2−6丁等持つ必要は 無い訳だろうか
419 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/15 04:49:25
フリントロック銃の不発率は 15%と言うし 湿っている状態では3割にも達したと言うが 発射速度は火縄銃よりも 早いと言う事だろうか (発射速度等歩兵の全ての列が1発発射した後には・ 或いは其の前にも白兵戦に成るなら 意味は無いと言う可能性も有るだろうか)
420 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/15 04:56:36
フリントロック銃も良く見ると 当たり金で火皿の部分が閉じる様に成っているし 火皿の部分に火薬を入れておければ 抜いて直ぐ打てる訳だろうか
421 :
世界@名無史さん :04/11/15 07:38:19
何で全部の文が疑問形なの?
>>418 言い方悪かったかな?
火薬入れたまましまっておいて戦場について取り出して撃つなんてことは
危険すぎてしない。必ず戦場について抜いて、火薬入れて前進して撃って下がる。
西部のガンマンみたいな早撃ちはしないということ。
>>420 閉じれるけど危険なのでそういうことはしない。
爆撃機が任務終えた後、残った爆弾抱えたまま戻ってこないのと同じ。
かならず危険物は厳重に取り扱う。
ルドルフ時代の銃なら先込めのニ連装だとおもうし、 まかり間違って撃ったあとに捨てると言うことはしない。 それと騎士だからって鎧を着たまま行軍はしないだろうし、 しても戦場近くできるでしょう。まず鎧を着たまま寝ると言うことは無い。
424 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/15 10:05:07
>火薬入れたまましまっておいて戦場について取り出して撃つなんてことは >危険すぎてしない。必ず戦場について抜いて、火薬入れて前進して撃って下がる まあ此れなら複数のピストルを持つ必要は 有るのかだろうし 弾薬を詰めたピストルを抜いて即座に放っていた可能性と言うのは 無いのかだが
425 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/15 17:34:01
フリントロックとホイールロックのハンマーの衝撃は 何れが強いのかだが 此れは大差無いと言う事なのだろうか
某研究者って質問厨かよ!
>>412 仙石秀久をとりあげた某萬画でも言われていましたが、馬上での槍の使用は
下策です。馬の顔に疵をつける恐れもあるので、緊急時でも無ければ通常は
下馬して使用していました。
下馬戦闘普及以前の鎌倉時代末期に描かれた『春日権現験記絵』には、馬上で
長刀や熊手を使用する武士も描かれていますが。
428 :
世界@名無史さん :04/11/15 17:45:39
>425 ホイールロックはハンマーを打ちつけるのではなく、 ハンマーを倒して先端に挟んだ黄鉄綱を歯輪(ホイール) に当てておき、歯輪をバネの力で回転させて黄鉄鉱を 擦って火花を起こさせる方式だから、フリントロックよりも 衝撃は少ないと思う。
429 :
世界@名無史さん :04/11/15 17:51:33
>>417 マッチロックのほうがホイールロックよりも先のはず。
430 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/15 18:50:01
>仙石秀久をとりあげた某萬画でも言われていましたが、馬上での槍の使用は >下策です。 絵を見ると馬上で槍を振り回している物も多いし 騎士や近世の槍騎兵・中国やモンゴルの騎兵等も 下馬して槍を用いていたと言うのだろうか >ホイールロックはハンマーを打ちつけるのではなく、 >ハンマーを倒して先端に挟んだ黄鉄綱を歯輪(ホイール) >に当てておき、 まあ只引き金を引いてから発射迄 数秒掛かると言うから 精度はフリントロックと比べてどうなのかだが
431 :
世界@名無史さん :04/11/15 19:03:00
>>430 >まあ只引き金を引いてから発射迄
> 数秒掛かると言うから
『世界銃砲史』(岩堂憲人著)には、いわれているほどの
タイムラグは無く、引き金と同時くらいに発射されるとも
書かれている。まあ、著者の感覚ではあるが。
>>423 >まず鎧を着たまま寝ると言うことは無い。
映画の話で恐縮だが、ベッソンのジャンヌでは大勢の者が
鎧を着たまま寝ていたがあれは演出だったのだろうか?
>>427 >馬上での槍の使用は下策です。
また極論ですかw
433 :
世界@名無史さん :04/11/15 19:05:59
ホイールロックの場合はハンマーを引き上げた状態が 発射前段階でゼンマイを巻いてからハンマーを倒した 状態が発射準備完了段階。あとは引き金を引くだけ。 フリントロックはこれと逆。
>>432 中世の鎧だと一人では脱げない、着れない大変さだからありかと
だが銃が生まれた時代では鎧が軽装になってるので普段は脱ぐ
んだと思うが
戦場では一般兵士は鎧つけたまま寝る。上級指揮官だけ個人テントがあり そこで鎧を脱いで寝たし、付き人がいるのでそいつに鎧着せてもらったりした。
436 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/15 20:17:23
一般兵の鎧は鎖や皮・ブリガンディだろうから そう問題は出ないと言う事かも知れないが
映画は演出だ。 何で行軍中や夜襲が有効なのかは敵が 陣形を整えていなかったり寝てることもあるが 防具をつけてないということもあるんだよ。 現代の兵士にしても休憩中はブーツでさえ脱ぐ。 仮眠ならいざ知らず、10Kg程度の重石を巻いて コンクリートの上で寝てみればいい。
日本では下級兵卒は寝転がったり、うずくまったり(一番体温を奪われ難い) して寝ていましたね。武将は陣の奥で兵装を解いて寝ている。 焚き火を囲んで雑談をして、それが終ったら家族の事を思い出したり「今日 もなんとか生き延びられた」と埒もない事を考えながら眠る。 (雑兵らの心理は、『塵塚物語』などにあります。)
篭城戦の最中に鎧を脱いで寝るバカはいない。 城壁にもたれかかり座って寝る兵士がよくいる。 寝てる最中に攻撃があり、起きてすぐ弓や銃を放つのが一般的。
とはいえ、>437氏の御意見にも一理ありますが。疲れが溜まれば翌日もない。 もう少し調べてみる必要がありますね。
疲れとか言ってられないのが戦争だと思うが。 鎧着て横になって寝る兵士はどの映画でも見ないが、もたれかかって寝る兵士はよく見る。 これは鎧が体に食い込まないから横になるより楽だったのだろう。 篭城戦って相手を寝させないのが一つの作戦だし 安眠できるほうが珍しいんじゃないの?
442 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/15 20:45:29
まあしかし兵を2つに分けて片方は寝ている間は 片方が援護すると言う様な戦術は 取られなかったのかだが
時代をもう少し絞ってもらえませんか? 騎士の時代は16世紀初頭ぐらいまでとして 騎兵とは分けて欲しい。 どの時代の武士と騎士を比べるのかはっきりして欲しい。 プレートアーマーが本格化し始めたのは15世紀以降らしいので 15世紀あたりを基準にしてもらえると個人的にはありがたいです。 鉄砲もそんなに普及してない時代ですしね。 武士にとっても鉄砲の歴史は長い物ではないはずです。 17世紀以降になると武士はもう軍人としてよりも政治家の側面が強くなってしまうので最高でも16世紀までにして欲しいな。
>>442 見張りが交代で寝るくらいはしたが、防衛戦時には全員起きてたのが普通。
敵が来ないときを見計らって仮眠とるくらい。
全員を2つに分けるということは無理。兵力が少ないから篭城してるのに。
445 :
世界@名無史さん :04/11/15 21:06:22
ttdd卿は自分の鎧きて寝てたといってた。ホウバークは苦しいがプレートアーマーは寝返りは打てないが ドーム状になってるので楽らしい。
フロワサールの年代記1巻18章に即位したてのエドワード三世がスコットランド軍を包囲している最中に 奇襲を受けた話があるのですが、 奇襲後のイングランド軍の状態を「イングランドの騎士の多くは鎧を身につけて眠った」と説明しています。 これを見る限りでは、少なくてもエドワード三世即位直後辺りのイングランド軍は 普段、鎧を付けないで寝ていたと思われます。
接敵状態で安眠と一言もいってないが。 少なくとも戦場以外では鎧をはずしていたと いってる。 >423 戦場近くできるでしょう。 >437 仮眠ならいざ知らず ただし脱着が手軽ならば、特に命令が なければ脱ぐ方が多いと思う。 漫画や映画みたく街中で フルプレート着てあるいてる方が よほど、おかしいとおもうが。
448 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/16 03:04:32
449 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/16 03:08:08
450 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/16 03:10:33
義経が赤いマントの様な物を付けていたと言う様な 記述も何処かで有っただろうが 他にはこの様な物は用いられたのだろうか
451 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/16 04:37:55
452 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/16 05:05:16
453 :
世界@名無史さん :04/11/16 08:07:45
鎧を着けて寝るか寝ないかは指揮官の判断や、 兵士の練度も関係あるのでは? 明日にも会戦!っというときに、敵と隣り合って いたら、やはり、兵士だって鎧を脱いで寝るよりは 着ていたいだろうし。
若干の誇張も考えられますが、『四国軍記』巻二「吉良退去讃州事」に、以下 の様な夜討の記述が見られました。なお、片仮名を平仮名に改めています。 「番所々々の戌卒も冑を脱で枕とし、前後も知ず臥たりけり、時分は能ぞ、素破 入と、先陣の兵三百餘騎、一度に懐中の松明振立振立活と喚で切て入、」 「冑」の本来の意味は兜ですが、中世以降は「甲冑」の意味が混同され、ヨロイを 指す事が多くなりました(挂甲から中世的な「鎧」が生じたのは11世紀前半)。 ここでは16世紀における長曽我部元親の活躍が描写されていますが、やはり兜 は勿論、鎧も脱いでいたのでしょう。 平時の警備の場合ですが、中世の絵画史料には、甲冑にもたれかかって眠る宿直 の兵の姿も描かれています。傍には弓矢・楯も置かれて臨戦態勢。 なお、夜討の時には合言葉を定め、馬の口を縛る必要がありました。
また、『後三年合戦絵詞』に、城外に出た婦女子を軽装の兵たちが射て城内に 戻している姿が描かれています。婦女子を保護する事は10世紀以来の合戦 のルールでしたが、私合戦と違い、公の場合は許されました。 ここでは鎧すら身に着けていませんが、合戦の無い時にくつろぐにはやはり 邪魔でしか無かったのでしょう。現代でも、スーツを脱ぐか脱がないかでか なり違いますからね。
456 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/16 17:28:44
457 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/16 17:44:51
458 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/16 17:55:27
足半は飛び跳ねる様に歩行出来たと言うが 長距離の歩行は兎も角戦闘時には結構 使えたかも知れぬし 武士も此れを用いていたと言う事は 只の草履の安物では無く 戦闘に向いていると言う事かも知れないが
>>454 大将級はもちろん今も昔も鎧脱ぐでしょ。
下級兵士の場合は戦闘状態なら脱がないし
休みちゅうなら脱ぐ兵士もいたろうが、脱がない兵士も多かったろう。
敵に襲われる可能性の高い部署ほど脱がなかったはず。
460 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/16 18:20:01
461 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/16 18:27:34
鵜飼い用の足半は三角形に成っていると言うが 通常の物と何れが軽快に動けるのだろうか
>>407 遅レスですが。
>唯一戦国武将の鎧は結構軽くできていそうなので、
騎乗資格のある侍が身につけていた、製作に一年近くかかる様な代物で22
〜32sほどです。軽いといえば軽いですが、それでも子供並みです。
>しかし実際の戦国時代の戦闘で刀傷が原因で戦闘不能になったケースは全体の2%あったかないかだと言うぞ
疵の割合は、南北朝時代で73%、戦国時代で56%です。いずれも特定の
戦場において報告されたものを纏めたものですが。
刀・槍による疵は前者が27%、後者が23%。刀による疵が、負傷ではな
く討死になった事も考えられますが、元々戦場では矢の放たれる数が勢いを
決めたというのも事実。
「疵の割合は」を、「矢疵の割合は」に訂正。
僕が4月のブラックホールで見た騎士の甲冑は20.6KGと21.6KGでした。飾りではなく着られる物でした。 実際にそこの人が着ていました。足の先から頭のてっぺんまで防御するタイプです。 30KG以上の物も存在するらしいのですが。これは日本も同じみたいだし。 西洋と日本の鎧の重量って身分のある人の着るような物だとあんまり変わらないんじゃないでしょうか。 できれば15−16世紀ぐらいに絞って欲しいな。 サーベルが活躍する時代と全身鎧が全盛した時代はズレてると思うんですが。
個人的に、13世紀を希望。歩兵や鉄砲の活躍した時代だと霞んでしまう。
466 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/16 21:23:57
足半も後退する時は 靴や草鞋と違って脱げないのかと 言う事だろうし 草鞋の様に足に固定する様な構造の物は 無いのかだが
>>465 そうすると騎士の鎧はチェインメイルでまだ部分的なプレートも入ってないころですね。
僕は新紀元社の本ぐらいしか読んでないので推測ですけど。
13世紀だと日本は大鎧から胴丸、腹巻に移行した時代でしょうか?
あまり日本鎧の変動は知らないので。
確かに鉄砲は騎士の武器ではないし、日本に元からあったものでもないのでない時代のほうがいいですね。
13−14世紀なら多少西洋にはらしき物はありますがほとんど活躍してないのでそのへんがいいと思います。
ただ騎士はまだプレートになってないのが難点ですが。
大鎧でいいですよ。鎌倉時代後期以降の機能化が追いつかず、室町時代には 「式正の鎧」と呼ばれながらも、儀礼の世界に押し込められ、実戦での役割は 腹巻に取って代わられる様になりますが。 13世紀なら、まだ鑓・長巻・野太刀もありませんね。 騎士の方ですが、プレートメイルに拘る必要は無いでしょう。 例のにゃあにゃあ氏も指摘された通り、十分強固であった様です。 近距離なら和弓で貫けると思いますが、それとて決定打になるとは言えない。 フィリップ尊厳王に仕えたギョーム・ル・ブルトンが当時の騎士の鎧が堅固 なものになっていた事を記していますが、近接戦闘だと武士が不利です。 地面に叩き落して、わざわざ鎧や兜を外す必要がありますからね。
>地面に叩き落して、 腰刀の代りに馬上で使えるのは、太刀・長刀・熊手ですが。
たとえがカテゴリーとはかけ離れるが戦艦の場合 自分の装甲と同程度の砲を積載していたことをおもえば 騎士が持っていた武器で騎士を倒せると考えられるんだが たとえばハルバードと薙刀は同じくらいの威力(重さや形状) だと思うが、前レスから日本の武器は通用しないと主張してる人 はこの点どう思うのか? 弓と鉄砲は江戸期になっても優劣がはっきりしなかった決着が つかなかったことから威力は同じくらいだっとおもわれるが、 これもやはり弓ははじくが鉄砲は貫通するというのどういう理由か
>468 馬から落ちた時点で結構なダメージがあると思うがいかがか? わざわざとまでいわなくて、たやすく鎧や兜を外せると思う。 わざわざとつけるならば、わざわざ馬から落とさなければのほうが適当かと。 馬を狙えば簡単に振り落とさせる(徒歩組みのおしえでは馬の脚を狙うと記憶) と思えるが、たぶんにどちらの士道にも馬を狙うというのはその精神に違反する 行為だと思えるので。
472 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/17 08:14:04
13世紀の鎖なら上から太刀で殴れば 片手持ちでも骨折だろうか
473 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/17 08:18:04
矢で馬が倒れた所で 騎士は終わりかも知れぬし 騎士は盾で矢をある程度防げるだろうが 落馬時の衝撃でアウトかも知れないが
>470 近距離からクラブか何かで殴られたら不味いと思ったのですが(太刀より)。 中世ヨーロッパの武器には通じておりませんので、見当外れな事を申し上げ ていたのかもしれませんが。 >弓と鉄砲は江戸期になっても優劣がはっきりしなかった決着が 何の「優劣」を問題にして、どの様な勝負がいつどの様に行なわれたのか。 よろしければ、具体例をお聞かせ下さい。 >471 >たぶんにどちらの士道にも馬を狙うというのはその精神に違反する 延慶本『平家物語』二末「小壺坂合戦之事」 「小太郎義盛、郎等真光に云けるは、 「楯突軍は度々したれども、馳組軍はこれこそ初なれ。何様にあふべきぞ。」 と云ければ、真光申けるは、 「今年五十八に罷成候。軍に相事十九度、誠に軍の先達真光に有べし」とて、 「軍にあふは敵も弓手、我も弓手に逢むとするなり。打解弓を不可引。あき まを心にかけて、振合々々して内甲ををしみ、あだやをいじと、矢をはげな がら、矢をばい給べし。矢一放ては、次矢を忩ぎ打くわせて、敵の内甲を御 意にかけ給へ。昔様には馬を射事はせざりけれども、中比よりは、先しや馬 の太腹を射つれば、はねをとされてかち立になり候。近代はやうもなく押並 て、組て中に落ぬれば、太刀、腰刀にて勝負は候也」とぞ申ける。」 とあり、『源平盛衰記』にもほぼ同様の記述があります。 昔→馬を射なかった 中比→馬を射てから狙う様になった 近代→いきなり組打に持ち込み、殺害を狙う様になった 組打が多かった東国に比べ、西国では騎射がまだ盛んであった様ですが。 歩兵が長刀で足を狙うものだという事は仰る通り。 例のにゃあにゃあ氏に、アラブの騎乗弓兵は十字軍の騎士の馬を射なかった のかとお尋ねした事がありましたが、どうもはっきりしない様ですね。 ただ、一対一ならまだしも、軍勢でぶつかりあう以上、矢を射た直後に接近 される様な事になった場合、組打での腰刀の効かない相手には不利では。 太刀で落とす事になるでしょうが、元々ハンマーの様な、打撃系の武器では なし、その内折れますよ。
なお、ここで真光が奨めているのは、 >矢一放ては、次矢を忩ぎ打くわせて、敵の内甲を御意にかけ給へ。 という部分。矢を当てたからといって、致命傷になるとは限らないので、 「内甲」を狙えと。しかし内甲(早い話が顔面)は騎士相手では狙い難い 気が(治承・寿永頃に大鎧が進歩し、矢にも強いものが誕生していた)。 無効という事はありませんが、当れば必ず倒せるとも言えませんよ。
ちょっとスレ違いになるかもしれないんですが。 武士のいわゆる剣術(小の兵法)等、武器を扱う技術が確立したのはいつ頃でしょうか? 江戸時代に剣ばかりやってる流派はそのころないですよね。 まずは弓からでしょうから。 大鎧の時代は流派のようなものが在ったのでしょうか?
武士が戦闘に必要とした技術大系の成立という事ですか。
13世紀なら、まさしく
>>474 に示されたようなものですよ。戦巧者の訓戒や、家
説の学習です。戦闘術とはまた違いますが、大江匡房から『孫子』の兵法を聞
いたという源義家の様な例もある。
また弓の作り方、馬の飼い方、弓の持ち方などにも、「譜代の口伝故実等」が存
在しており、源頼朝が西行から聞こうとしたのも、秀郷流の「故実」でした。
狩猟における「山神」への対処までもが各家(の流)によって定められていたので
すが、所謂「剣術」に限らず、有職故実全般が含まれたとお考え下さい。
儀礼の場における平胡グイの差し方、丸緒の付け方も含まれており、こうした知識
は、田舎武士よりも寧ろ京が本場でした。
近世以降、「儀礼に通じている」と聞くと「貧弱」というイメージが形成されてい
ますが、元々騎射などは京が本場で、治承・寿永の内乱にしても、別に弱さが
原因で敗れた訳ではありません。戦の常道に拘ったきらいはありますが。
ついでに、「戦巧者の語り」を『吾妻鏡』建久2年(1191)8月1日条から。 「景能語保元合戦事。此間申云。勇士之可用意者武具也。就中。可縮用者弓箭寸 尺也。鎮西八郎者吾朝無雙弓矢達者也。然而案弓箭寸法。過于涯分歟。其故者。 於大炊御門河原。景能逢于八男弓手。八男欲放弓。景能潜以為。貴客者自鎮西 出給之間。騎馬之時弓聊不任心歟。景能於東国能馴馬也者。則馳廻八男妻手之 時。縡相違。及于越弓之下。可中于身之矢中膝訖。不存此故実者。忽可失命歟。 勇士只可達騎馬事也。壮士等可留耳底。老翁之説莫嘲弄云々。常胤已下當座皆 甘心。又蒙御感仰云々。」 漢文や英文がしょっちゅう引用される板ですから、細かい説明は不要でしょう。 気になるのは、鎮西は騎射の本場であり、東国では組打が多かったという延慶 本『平家物語』の記述と食い違う点ですが、編者の意識を考えると面白い。
どうもありがとうございます。 刀鍛冶などの職人の技術に近い感じなんですね。 道場が在って巻物のような物で伝わっているのかと思いました。 西洋は僕が知る限り13世紀あたりでは著名な技術大係を知りません。 15世紀にカンプフリンゲンとゆう名前がでてくるぐらいで、それも世界史や武道板のコテの人の発言を見て ようやく本を入手したって感じです。日本は古くからあるんですね。 13世紀だとバケツのようなヘルム着けてチェインメル着て大きな盾を持っているので西洋だと組討はしてないような印象を受けます。 組討考えるとどうも盾は邪魔な気がします。何の根拠もない想像ですけど。 弓は騎士と呼ばれる人は降りても使わなかったようなので根本的に戦い方が違いますね。 西洋では組討はプレートアーマーと一緒に進化した気がします。
>刀鍛冶などの職人の技術に近い感じなんですね。 中世(前期)の武士は、近世のイメージとは異なり、まさしく「職人」でした。 鎌倉時代末期に書かれた『普通唱導集』では、口寄巫・猿楽・田楽・檜皮葺・ 木佛師・遊女・好色(いろごのみ)・琵琶法師と武士が並記されています。 御家人の資格は、先祖が武家下文を賜っている事と、「名字の地」を所有してい る事でしたが(後に緩和して、土地所有を免じている)。
参考までに、 プレートメールアーマーの登場は13世紀頃と言われていてクロスボウの発達に合わせて進化したという説明が、 主流になっているように見えます。 1266年のヴェネベントの戦いでは1200騎のプレートメールアーマーを装備したドイツの騎士集団が戦いに参加しています。 対するフランスの騎士の多くはプレートメールアーマーを見たことがなく当初ドイツ騎士が優位に立ったそうですから、 13世紀中頃には一般的な防具ではなかったようです。 ちなみに、この戦いは最後にフランス側に増援が来て、ドイツ騎士が敗れています。 この増援が来た時にプレートメールアーマーの隙間を短剣で刺せ、という指示が出たと言いますから フランスの高位貴族などは既にプレートメールアーマーの存在も弱点も知っていたみたいです。 14から15世紀は小銃や大砲が登場し、クロスボウも大幅に発達した時期で、 個々の騎士による個人戦の集まりみたいな感じの戦いが 飛び道具と歩兵集団を運用する方法へと大きく変化してます。 15世紀に数多く現れた騎士の武術指南書、 ハンス・タルホッファー、フィリッポ・ヴァディ(イタリア人らしいけど読みに自信なし)、クリスチャン・トブラーなど、 多くは戦場での武術というよりは決闘の為の武術といった感じのものに見えます。
482 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/18 00:39:59
14世紀のプレートアーマーでも 腰や首・腿には装甲が無い物も多いし 13世紀のプレートは殆ど胴体だけと言う事は 無いのかだが
プレートアーマーでも装甲薄いから槍で突き通せるんじゃないの?
484 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/18 01:41:21
まあ胴体は滑って貫通させる事は先ず無理かも知れないが 隙間以外でも余り湾曲していない肩や腰の部分に垂直に当たれば どうなのかだが
>474 弓手の話 十把一絡げで徒党を組んで打つ弓手と 弓自慢を誇る弓手がいたとして十把のほうは 馬を狙えといわれるでしょうが、弓自慢は 最初から相手の馬に狙いをつけるでしょうか? 騎馬の話 刀または槍を持って相手と対峙、または 向かっていくときに、これもまた相手自身を 狙わずに馬を傷つけようと狙うでしょうか? たとえば「わしが刀を相手の馬の尻めがけ振り下げ、 斬られた馬が驚き奴を振り落として、そこへすかさず 組み打ちにして首を取ったのがわしの武功よ」と いった話が自慢話になるかどうか。 結局自分だけの決め事、戦場での正々堂々のなかに 相手の騎馬を狙うというのは無かったんではないかと思います。 刀の話 架空の話のうえでの架空になってますが、仰るとおり日本の 武器のほうが、折れたり、打撃が効かないように見受けられます。 しかしたびたびいっておりますが西洋で同じような武器が使われてるのに 一方的に日本の武器は通用しないというのは納得行かず、 そうそもの想定が西洋騎士=アーノルドシュワルツネッガー、日本武士= 氷川きよしのような体格差で戦わしてるのではないでしょうか。
個人的な感想ですと
このスレは主旨が集団なのか個人技なのかすらはっきりしてないですね。
個人的にはどっちが強いとゆう短絡的な発送よりも
鎧や武器などを騎士はどう進化させたか
武士はどうだったかを考えたほうがいいような気がします。
武道板の内容と被ってしまうのはしょうがないかと。
基本的に集団戦を比べる事はできません。お互いに一回も戦った事のない存在ですから
中世は軍隊が独立していたわけではなく民間人(商人など)に補給面は頼っていたはずです。
それも個人調達だし。
歴史板の重要な要素と思われる資料がないです。
日本に盾を使った武器術がないのも土地、文化などの影響があってのことでしょうから。
日本刀でスーツオブプレートと戦ってどうかとかは本来目的が全然違う物同士をぶつけてるので意味がない気がします。
>>485 日本の武器がきかないわけではないと思いますが、むこうでも鎧が完成してくるとハンマーのような武器で殴り倒すか
鎧の隙間を押し開けて刺すしかなかったようです。そのためにそれに特化した剣もありました。
むこうの武器もだんだん効かなくなっているんです。
だから日本刀がスーツオブプレートに効かないから日本刀が西洋剣に劣っているとも思えません。
西洋の幅広の剣もおそらくプレートには意味がないものだと思います。
だからハンマーのような武器はあの時代にだけ存在しました。(おそらくメイスでも大きなダメージが与えられなくなったためだと思います。)
銃が発達してくるとそれを守る為にパイクなどは見ますがウオーハンマーのような物はないですね。
でも完璧な鎧を着けた人は全軍の5%ー10%いたかどうかだと思います。もっと少ないかもしれない。
>>481 流石。そろそろどの国の騎士が対象になるのか、絞ってもよさそうですね。
プレートメイルだと、組打での刺殺(馬上でも行なわれた)が出来ますが。
>1266年のヴェネベントの戦いでは
よろしければ、後学の為に日本でも手に入りそうな参考文献を教えて頂け
ませんか。
失礼。トリップを変更していたのを忘れていました。
489 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/18 19:01:12
まあ只西欧の騎士が全て重い武器を 使用していた訳では無いだろうし 片手剣でプレート相手に戦った騎士も 多いだろうし 手足等の装甲の薄い部分に当たれば片手剣でも 十分効果は有るだろうか
490 :
世界@名無史さん :04/11/18 20:31:58
>>487 ここからでもいいですから
山野さんかにゃあにゃあさんにある程度絞ってもらえると読むほうとしてはありがたいです。
どっちが強いかとゆうよりは何の為にあったかをテーマにしていただけると助かります。
そもそも中世で人々は武装する人を武士と呼んでいたのでしょうか?
日本刀も本来はほとんどの人が持っていたと思えますし。
武士と農民の境があいまいですよね。農民にもランクがあるでしょうし。
村とゆうのが独立した共和国のように思えて。村同士でも戦があったとかそのへんどうなんでしょ
分かりにくい言い方なんですがようするに武士って何?がとりあえず知りたいです。
応仁の乱に「足軽」とゆうのがでてきますがこれは武士でしょうか?
>どっちが強いかとゆうよりは 学問板としてはともかく、これを中心にした方が分かり易いというか楽でしたから。 >そもそも中世で人々は武装する人を武士と呼んでいたのでしょうか? 通説では、武士とは平安時代中期に「家職」が成立してゆく中で、武芸・殺生を家の 業とした中・下級の軍事貴族と、それに従った狩猟・漁業民や俘囚と呼ばれる投降 した蝦夷らの集団から生れたとされています。 大江・菅原が「累葉」の学者の家である様に、武士とは「累葉武勇の家」に生まれ出で た人々でした。中世前期の武士が芸能者として見られていた事は既に御説明申しあ げましたが、前出の『普通唱導集』では、その定義を「武勇の家に生まれ、もとより能 く其の芸を稟け、弓箭の道に携はつて、思ひまた已にかの態に堪へたり」と説明さ れています。 中世には「兵器に耐えうる者」=弓矢や太刀の扱える者の範囲はほぼ全階層・職業に 及んでおり、「僧兵」という言葉もありませんでしたが(誕生は近世)、その中でも代 々武芸を受け継ぎ、実戦的な「武士の道」も心得たものが武士とされました。 彼らと騎士の違いは山ほどありますが、見ても分かるのが、武士は騎射を主要な能 力としていたという事です。古い例としては、『続日本紀』の延暦5年の条に坂上刈 田麿(田村麿の父)の卒伝に、騎射に巧であった事が見えるほか、奈良時代にも騎射 を得意とする者たちが優遇された事が見えており、広義の武士の起源は奈良・平安 時代初期にまで遡ると言います。 >分かりにくい言い方なんですがようするに武士って何?がとりあえず知りたいです。 >応仁の乱に「足軽」とゆうのがでてきますがこれは武士でしょうか? 歩兵が武士か、と言えばこれは否定されるでしょう。騎射は重要な要素でしたし、 (応仁・文明の乱には長鑓持ちの足軽の集団戦が戦場の主役となり、騎射も廃れ て行きますが) 中世には着飾るにせよ、騎乗するにせよ身分ごとの「身の程」がありました。 近世にも騎乗資格のある武士と無い「武士」の差は激しく、福沢諭吉などは「人種 の異なる者」であったとまで述べています。
492 :
世界@名無史さん :04/11/18 21:16:41
誰かトリビアの種に応募しる! 「武士と騎士、どっちが強いんでしょうか」
どうも良く分かりました。 騎乗資格のある武士こそ騎士と比べる対象になると考えたほうが良さそうですね。 中世末期では騎士も下馬して戦ったそうですが、それでも戦闘用の馬は所有していたようですので。 しかしどちらもちょうど同じ頃に軍事的な存在意義を失っていくのですね。 西欧でもブルゴーニュ戦争で歩兵のパイクに破れていきました。 薔薇戦争でも下馬主体になっているのでもう本来の騎士の戦いではないのかも知れません。 騎士は士気の維持のために一緒に戦ったようです。 主力は歩兵(ロングボウ兵やビル兵、ハルベルト兵)のほうが圧倒的に多かったようです。
>しかしどちらもちょうど同じ頃に軍事的な存在意義を失っていくのですね。 南北朝時代になると、投石がはばをきかすわ、ゲリラ戦はやられるわ、名乗 りの最中に下賤の輩に問答無用で射殺されるわ、馬を狙われるので馬鎧が発 達するわ、鑓を持った集団に襲われるわで精彩を欠き、遂には追撃時を除け ば「基本的に」下馬して戦う様になります(14世紀)。 馬上であらかじめ抜いておいた野太刀・長巻を構えた絵などもありますが。 『太平記』には、騎乗した者と歩兵の連携が見られますが、単なるサポート役 から、馬上・馬下ひっくるめての戦の庭に移行しています。 逆に10世紀の『将門記』等にも歩兵を気遣う場面が見られますが、これは逆 に未分化な状態にあった為に見られた現象の様です。
495 :
世界@名無史さん :04/11/18 22:30:36
郎党の歩卒の場合もあれば、農民や浮浪者などの 武士階級から見れば下賎、口を聞くのも憚れる歩卒 の場合もあるしなんとも・・・
一騎打ちと考えていいんじゃない? 時代や設定は山野さんに任せる。 山野さんが結論出してくれ。
497 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/18 23:02:52
鎌しか持て無い歩兵も居た様だが 此れで槍や刀に対抗するのは馬鹿げているだろうし 余程数の差でも無ければ 石しか投げなかった可能性も有る訳だろうか
>495 家の子・郎党の様な戦闘員もいれば、単なる雑用係の雑色・童もいましたね。 当然地位や連帯感は前者の方が上です。 >496 任されるというか、10〜14世紀でないと詳細が分かりません。 とりあえず、一騎打ち案は前スレでずいぶん出たので、100騎+各5人程 度の歩兵同伴で考えていましたが。
500 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/19 03:16:29
刀を持たず槍と短刀しか持って居ない鎧を着た兵も 確か描かれていただろうし 槍・鎧・刀と言う優先順位で 装備されたと言う事かも知れないが
501 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/19 03:18:49
ここまでの話の流れだと騎士は 剣や槍では効力が薄いのですべて 打撃武器(ハンマーや棍棒のようなもの) を主に携帯していた。(なぜなら騎士と 騎士がであった時剣や槍同士だと 戦えないから)という結論になりますね。 それとも剣や槍を持った騎士が打撃武器を 持った騎士に出会った場合は確率的に やられるか逃げるほうが多いということでしょうか? そういうことならすべての騎士は打撃武器のみを 持つはずだが戦争絵画とかでは剣を持たせてる。 関が原の屏風とかでは故意に鉄砲の数を少なく 描いてるがこれも故意に剣や槍といった具合に 持ち替えさせたアレンジをしてるのだろうか?
>>502 主流はポールアックスだったようです。(ただし15世紀の話だったと思う))
とディスカヴァリーでやっていたましたよ。
ポールアクスにしても長巻にしても 武器の破壊力は柄の先端の重さ、硬さ、 振り下げた時の速度で決定する。 長巻は日本刀の刀身を長い棒につけた ものだから大体1kgぐらい。だから ポールアクスなどが強いというにならば よほどこの刀身の部分が重いのだろう、 となる。
505 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/21 04:08:08
騎士が騎乗して斧を両手で構えている絵が 何処かに有ったかも知れないが フレイル等は見当たらなかったが 騎乗して両手で剣を振るっている絵も有るし 他の両手武器も馬上で用いられたのだろうか
506 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/21 04:09:33
歩兵は 短槍+盾 矛槍 パイク を持つ兵に主に分かれるだろうが フレイル等の他の武器を持つ兵も居る訳だろうが 16世紀には殆どパイクだけに成ったのだろうか
馬上で使うフレイルはありますよ ホースマンズ・フレイル
508 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/21 06:56:19
>>502 後半についてですが。戦功となったのは弓鉄砲による勝利よりも、首取りに
おいてであり、「絵となる」事からも、文学・美術の面で白兵戦が描写される
ことが多くなった、とも言います。
戦の庭における斧の使用は鎌倉時代からありましたが、馬上で使われた例は
確認出来ませんね。威力がありそうですが、まあ見栄えも悪いですし・・・。
武士らしくないと見做されたかもしれません。
510 :
世界@名無史さん :04/11/21 13:13:23
まあ単純に平均的な体格の差で騎士のほうが強いでしょ。
既に何度か申し上げた通り、高度経済成長期以前に、日本人の平均的な体格 が一番良かったのが13世紀前後です。そう差はありません。
はやく山野タンの考察かいてくだちい。
513 :
世界@名無史さん :04/11/22 12:40:30
それでも食ってるものの差で騎士が有利じゃないかと。
514 :
世界@名無史さん :04/11/23 05:48:56
騎士も武士も双方甲冑に身を包み戦場を馬に乗り武器を振り回して血路を切り開いて いった者達のようなので、比較するのは難しいのではないでしょうか。 しかも双方(武士道・騎士道)の精神まで似通ってる。どっちが強いか弱いかは立場 があまりにも似通ってるので、多分武器を扱う技術だけのような気がします。
畠山忠重VSランスロット
516 :
世界@名無史さん :04/11/23 17:23:14
あちらでは今でも名誉称号としてナイトの称号ってのがあるんだから 日本でも武士の称号を復活させて欲しいな。
>>513 食い物の差とは?肉食を指しているのかな?
近代初期まで、欧州もイメージほどには肉食を頻繁に行ってはいないし、
そもそも肉食(家畜を食う)そのものが、穀物の不足を補うために
発達したもの。肉食=富の象徴、というのも牧畜が盛んな国に由来する発想かと。
栄養学的に見て、大量の穀物と味噌が中心の食事と、(仮に)肉食十分の食事で
どちらが戦に役立つ食事かと問われれば・・・・どうなんだろうか?
俺は栄養学者ではないので分からんが、日本人としては前者の食事のほうが
体調はよくなりそうだ・・。
518 :
名無し :04/11/23 18:18:53
騎士は馬・武士は足軽が主流・・・馬に対しては武士の長槍が有効かと
>>513 江戸以前の日本では割と肉食というのは一般的でした。特に都市部から離れた農村などでは
耕作と共に狩猟技術も発達していたとあります。干し肉等の携帯食を携行して上、猪や鹿等を
仕留めて食料とする文化ですね。これは東西共に比較して、そう変わりはありません。
日本での武士道は、本来が弓馬の道から発展したものだとも言い換えることが可能ですから、
穀物や魚介類の他にも塩漬けにした肉などを食することは日常的であったとも言えます。
無論、これは騎士に関しても同様で、肉だけを食べていただけではありません。
また、西洋では携行食という概念が乏しく、長期間に及ぶ行軍等では食糧調達面では僅かに
不利だとも言えます。(日持ちがせず、食糧は進軍先にて調達するというのが一般的でした)
520 :
世界@名無史さん :04/11/24 09:34:54
そもそも肉を食って長い時時間行軍したり体を動かしたりできるかという、栄養学的な疑問もある。 西欧にしろ日本にしろ、現代人の肉類大量摂取は壮大な人体実験だよな。 肉は細々と食っているくらいが人体には丁度いいんだろうな。
521 :
世界@名無史さん :04/11/24 09:35:33
エスキモーを知らんのか
522 :
世界@名無史さん :04/11/24 11:22:25
食生活は風土に依存する。 日本でエスキモーのような食生活をしたらどうなることやら。 本当に肉食が根付いてきた民族は、内蔵や血まで食う。 しかも生だったり茹でたりして脂身を感じないようにして食っているらしい。
523 :
世界@名無史さん :04/11/24 13:19:54
ぶっちゃけ、個人差。
524 :
世界@名無史さん :04/11/24 15:15:49
食糧確保にしても、騎士が不利。 よく焦土作戦に遭って食料を確保し損ねていたと 論文で読んだことがある。
525 :
世界@名無史さん :04/11/24 15:31:21
肉食文化だと食料がないときは人食べれるからな。
十字軍の遠征の折にも、専属の料理人と料理用馬車を仕立てて前線に赴く者が居たと 伝え聞くが、これは本当なのだろうか。事実だとしたら何とも悠長というか何というか…。 第二次世界大戦のイタリアも同様のことをやっていたし、有り得る話だろうか?
>>522 臓物とか血を食べないとビタミンとか補給できんからな。
528 :
世界@名無史さん :04/11/24 18:32:23
現代日本人が長生きできるようになったのは 肉をたくさん食べるようになったから、、、説。
>>528 貴方の世界には医療技術の発達という概念は無いのですか…。
530 :
世界@名無史さん :04/11/24 18:51:48
>>516 武士って反律令の存在なんだが。
天皇にとって敵だった時代のほうが多いぞ。
>530
>>491 公家に対立する存在ではなく、寧ろ公家の周辺から生じた存在であり、必要
とされた存在でしたよ。「武家」対「公家」という史観からして後世に成立した
もので、正直なところ見方が古い上に単純過ぎます。
対立する存在どころか、武士にとって都で朝廷に直接仕えたことは武士 として誇るべき経歴でした。初期の武士にとっては、朝廷への奉仕が必 須であったという説まであります。
基本的に、天皇及び公家と武家(武士階級)が正面切って対立していたことは殆どありません。 天皇、又はその取り巻きの公家が特定の武家を「朝敵として討て」と命じたことは多々ありましたが、 武家は天皇に仕えているという意識が非常に強い存在でした。尤も、鎌倉幕府時代には天皇よりも 武家棟梁(つまりは源氏棟梁)に仕えているという意識が強くて、天皇の印ではなく、棟梁の花押が 無いぞと怒った者もいます。つまりは「俺は天皇ではなく棟梁の命で動く」という意識ですね。 但し、やはりこのような例は稀で、天皇に仕えているのだという誇りもまた存在していました。 (そうでなくては「朝敵を討て」という勅旨など全く効果が無かったことになりますからね) 現代のような「武家対公家(朝廷)」という構図は後世に形成されたものと言わざるを得ません。
>533 お見事。作者の背景も考慮する必要がありますが、『平家物語』の中で鵺退治 を命じられた源頼政が、 「昔より朝家に武士をおかるる事は、逆反の者をしりぞけ、違勅の者を滅ぼさ んが為なり。目にも見えぬ変化のもの仕れと、仰せ下さるる事、いまだ承り及 び候はず」と述べて参内していますね。
江戸時代になると江戸詰めの中には「精力づけ」として隠れて干し牛肉を食ってたこともある。 アメリカのインディアンはアメリカ白人よりもデブ率が高い。 それは遺伝子的に小食ですむような体になってるのにカロリー高すぎる物を食べるかららしい。
536 :
世界@名無史さん :04/11/25 14:20:08
それ、日本人にも見事に当てはまるね。
世界史板住人じゃないけど、集団戦なら飛び道具の差でほとんど決まるんじゃないか?
538 :
世界@名無史さん :04/11/25 16:05:50
アメリカ旅行すればわかるけど デブ率は日本なんかよりアメリカ白人のほうが明らかに多いぞ。
539 :
世界@名無史さん :04/11/25 17:00:11
武家VS公家は水戸学。 そして、全ての武家が棟梁権に服膺していたわけでもない。 基本的に寺社の警固が武家の主たる業務。 軍事はあくまで非常時の任務であって。 関東における棟梁権を最初に確率したのは 将門の乱後の千葉氏だったかな? これは平氏で朝廷の辺境監視の一環として設置された。
540 :
世界@名無史さん :04/11/25 18:12:37
警視庁四谷署は30日、朝日新聞東京本社地域報道部員脇本慎司容疑者(44)=東京都
渋谷区神宮前2丁目=を強制わいせつ容疑で逮捕した。
調べでは、脇本容疑者「賊」は同日午後11時50分ごろ、新宿区の路上で、帰宅途中の女性に
強姦目的で背後から抱きついて倒し、胸を触った疑い。女性にケガはなかった。通りかかった
男性が、脇本容疑者「賊」を取り押さえ、四谷署に引き渡した
http://www.asahicom.com/asahistory.htm
武士の成り立ちは天皇公家の護衛では? その武士を統べるに当たって天皇家から 分かれた源氏・平氏となって武士の頭領 となり、役目としては天皇公家の荘園や京の 警護。また荘園からの収穫物の輸送・護衛。 だったと思うが.
騎士と武士の戦いは少々ほっとく。 微妙にスレ違いの話題をひとつ。 大量の肉を常食し、ガタイの良い人間は本当に体力があるか? 体重や体格自体が強力な武器足りえる格闘技では、デカいことはいいことだと 言い切っていいかもしれない。 でも、悪環境を走り回り、病気や怪我も跳ね除け、粗末な食事に甘んじなければ ならない、近代以前の兵士にとって、大量の肉食&ガタイの良さは果たして有益か?
スポーツの世界では、異論は出始めているが、歴史の専門家(?)は 未だに『肉食信仰』が根付いたままの気がする。 曰く『平家は貴族化し動物性タンパク質を取らなかったから、肉食タブーの ない源氏勢力に敗れた』などなど・・。 戦の勝敗の原因をそこに求めるのか!?という突っ込みはさておき、 事情は世界史の専門家でも同じような気がする。 私自身、肉も魚も好きだが、その量を減らすようにしたら体調が良い。 戦で走り回るなら体調が良いほうがベターだろ、と。
544 :
世界@名無史さん :04/11/27 22:32:30
>>543 運動不足で肉食ってたから体調悪かったんじゃないの?
546 :
世界@名無史さん :04/11/28 14:13:50
モンゴル軍の盾がペラペラに見える。 あんなので弓とか防げたのか。
547 :
世界@名無史さん :04/11/28 16:37:40
モンゴルの鎧は二重になって矢が当たった瞬間、ホントにペラペラして 貫通させない仕組みだったそうです。 兜は博物館でみましたが3kgもありました
548 :
山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/11/28 17:10:29
>>545 幕末の模写ですが、基本的に誤りは無いと見てよさそうです。
馬上での長刀・熊手の使用が確認出来るのは、この四半世紀ほど後に
成立した『春日権現験記絵』から。流石にいつも持っていられる様なも
のではなく(当たり前)、使用時に受け取りました。
この時には弓は小脇に挟んでいました。太刀も同様。
槍を槍持ちから手渡してもらって使用する場面を描写した映像は、ク
レヨンしんちゃんの劇場版くらいというのも、情け無い話です。
馬鹿の一つ憶えの様に乱戦・白兵戦・騎馬戦しか見せないNHK。
>モンゴル軍の盾がペラペラに見える。
モンゴルも刀伊も、弓が強力で日本側の楯を貫通する威力がありました。
楯も相応の防御力があったか、絵師が描き損なったかでしょう。
>兜は博物館でみましたが3kgもありました
兜が頭部・首にかける負担は相当なもので、旧日本軍の鉄兜ですら、着
けたまま一時間も過ごせば頭痛に見舞われました。
普段は舎人・童(戦闘員というより雑用係)に預けていたもので、竹崎季
長もモンゴル船を襲う舟に便乗させてもらった時、兜が間に合わず置い
て来たまま戦っています。
装備は日本のほうが優れてる
竹崎季長の頭上を槍が飛んでるね モンゴル軍は投げ槍も使ったようだ こりゃ当たると貫通するな
551 :
世界@名無史さん :04/11/28 19:21:02
モンゴル軍が槍、弓、騎馬兵も槍装備なのに対して日本は刀、弓、槍は歩兵だけだね。 集団戦法VS個人戦のせいなのか。 クレヨンしんちゃんの合戦風景はある意味戦国マニアを驚かせたと思う。 今までの時代劇があまりに史実にかけ離れてるのに、これは忠実だった。 中でも掛け声を合わせて槍隊が槍を一斉に上下させ相手の槍をなぎ払うのを 描いたのはクレヨンしんちゃんだけ。あれ見たときはびっくりした。 映画「天と地と」でさえ槍隊は隊列組んでるのに個人で勝手に突き合ってた。
>クレヨンしんちゃんの合戦風景はある意味戦国マニアを驚かせたと思う。 そこまで分かってらっしゃるのに、何故建武元年(1334)まで登場し ない槍をここで持ち出される・・・。
>>552 薙刀って言えばよかったってことかな?
よく意味わからんぽん。
絵をみての感想だよ。日本で薙刀もってるのは歩兵だけだ。
モンゴルは歩も騎も槍っぽい。
554 :
世界@名無史さん :04/11/29 23:18:45
あげまん
555 :
世界@名無史さん :04/12/01 00:50:38
騎士圧勝ですよ。 武士の甲冑は装甲のスキマがでか過ぎ。 騎士のフルプレートメールは武士の武器では貫けない。
557 :
世界@名無史さん :04/12/01 01:14:56
弓矢で射るか薙刀で打ん殴れば楽勝で武士の勝ちm9(・∀・)
ショー・コスギ、ケイン・コスギ親子主演の「兜」ってみんな知ってる?
559 :
世界@名無史さん :04/12/01 19:00:06
,. -‐ ''´ ̄ ̄ ̄` `'' - 、 , -'´ ______ `ヽ、 / r'´ ``ヽ ヽ // / / _______ ヽ ヽ .// / /ァi´| /|| | || | `゙''ーヽ! ヽ // / // l| l| /l| | |.! | l| l | l | | | | || || || | || || | |l || || ト、 | | | | | | | ||_|| j| | l! || | || ||__|LL!l | | | l| l!|| || 川 |ル'!|``ヽ|ト!l |レ!| |川「l/川 | | || ! ||| || j| |ッ〒テ=ミ!l !l ! 彡〒'''Tヾ||! || | | ! | | ! |l | 、l-':::::/ l-'::::::ノ ノ||川 | | | | | | | | ` ̄´ , `  ̄´ || ll | | ! | | | | ', ' || |l | | | | | | | lヽ、 ー─ __ ./|| | | | | | | | | | | >ヘ | `ヽ、|| | | | .! // j l| | | | ヽヽ --‐'´| _./|| | | | | // /| | | | | \ヽ /, '´ ||j || | | // /川| | | ト、 ヽ 〉 ヽ/ /||l || |_|__ / ̄ ̄``| | !| | \ヽTレ'´ / || ||'´ ヽ / | | || | / ∩ヽ__/ || 川 ヽ ./ | | || ト、 / l | |ヽ ||/| || |! ヽ / | | || | V | | |/ ̄ ̄//川 | || ヽ モンゴルを基準にすれば公平な見方ができるんではないかと思うたが 矢継ぎ早という言葉のみが現存し、その弓術の術理が滅んだ今となっては モンゴル騎兵相手にどこまで戦えたかなどの議論はファンタジーの域を超えない そもそも、モンゴル兵は殆ど日本に来ていないのでワールシュタット戦と比較の仕様がない
560 :
世界@名無史さん :04/12/01 19:35:53
,. -‐ ''´ ̄ ̄ ̄` `'' - 、 , -'´ ______ `ヽ、 / r'´ ``ヽ ヽ // / / _______ ヽ ヽ .// / /ァi´| /|| | || | `゙''ーヽ! ヽ // / // l| l| /l| | |.! | l| l | l | | | | || || || | || || | |l || || ト、 | | | | | | | ||_|| j| | l! || | || ||__|LL!l | | | l| l!|| || 川 |ル'!|``ヽ|ト!l |レ!| |川「l/川 | | || ! ||| || j| |ッ〒テ=ミ!l !l ! 彡〒'''Tヾ||! || | | ! | | ! |l | 、l-':::::/ l-'::::::ノ ノ||川 | | | | | | | | ` ̄´ , `  ̄´ || ll | | ! | | | | ', ' || |l | | | | | | | lヽ、 ー─ __ ./|| | | | | | | | | | | >ヘ | `ヽ、|| | | | .! // j l| | | | ヽヽ --‐'´| _./|| | | | | // /| | | | | \ヽ /, '´ ||j || | | // /川| | | ト、 ヽ 〉 ヽ/ /||l || |_|__ / ̄ ̄``| | !| | \ヽTレ'´ / || ||'´ ヽ / | | || | / ∩ヽ__/ || 川 ヽ ./ | | || ト、 / l | |ヽ ||/| || |! ヽ / | | || | V | | |/ ̄ ̄//川 | || ヽ 武士がヨーロッパの城塞を落とせるかどうかについては唐入りの漢城攻防戦が かなり参考になるのではないかと思ったが、これまた資料が見つからなかった。 知っている人は漢城攻防戦の詳細よろしく↓
>>555 _____ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/:\.____\ / 対ガッ用超高性能ぬるボックスのテスト開始!
|: ̄\(∩( ;゚∀゚) < 重いので持ち上げたり投げ飛ばしたりするのは不可能
|: |: ̄ ̄ ̄∪:| \ 耐熱耐寒仕様、太陽に突っ込んでも大丈夫
\___________
_____ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/:\.____\ / 圧力にも屈しない。外部からの衝撃で中の人間が死ぬ事もない。
|: ̄\(∩( ;゚∀゚) < 宇宙空間でも大丈夫。酸素も食料も一生分ある。排泄物も秘密システムで処理できる。
|: |: ̄ ̄ ̄∪:| \ 箱は中からしか開かない。ふはははは、完璧すぎる。ぬるぽぬるぽぬるぽ!
\___________
バタンッ!!
________
|: ̄\ \ <ヌルポヌルポー!!
|: |: ̄ ̄ ̄ ̄:|
[ 親コメント ]
562 :
世界@名無史さん :04/12/01 20:47:43
ということで誰も
>>555 の意見にちゃんとした反論ができないようなので
>>555 がファイナルアンサーでイイってことだね。
>>560 朝鮮出兵では日本軍は朝鮮の中国型城をまったく信用せず
近くに城があるのに堅固な倭城をいくつも建設していることから
中国型城のほうが落としやすいと思ったのかな。
朝鮮出兵では攻城兵器もいろいろ使われたらしい。
槌とか。
564 :
世界@名無史さん :04/12/01 23:21:29
破城槌はエイジオブエンパイアでは最強の攻城兵器
誰か562の相手してやれよ
>>565 本人が脳内妄想のお花畑で決着出して満足出来るって言うんなら、それで別に
いいじゃん。迂闊に弄って火病起こされても困るし、放置放置。
567 :
世界@名無史さん :04/12/02 03:21:53
武士の肩当ってドラマとか観ると、たいがい後ろにズリ下がってるね。あれじゃあ…
568 :
世界@名無史さん :04/12/02 10:54:11
ぶっちゃげ個人差
山野が結論出してないのはなぜ?
570 :
世界@名無史さん :04/12/02 12:27:42
>555 フルプレートメール??? プレートメールとフルプレートアーマーのことかな?
571 :
世界@名無史さん :04/12/02 14:23:06
Full Plate Mailも知らんド素人はっけーん
日本の金棒とかは無視なんだな 武器制限がどうも騎士と武士で差があるように思える今日この頃
>>569 武士と騎士が衝突したことが無い、まさに歴史上の「if」だからだよ。
どのような結論を出そうとも異論は噴出する。考証するに留めて結論は各自で
ご自由に、というのが最も賢い議論決着の付け方だと俺は思うが?
山野氏のように考証材料だけを提供するというのが、この議論ではベターだろ。
575 :
世界@名無史さん :04/12/02 21:56:51
甲冑騎士とモンゴル騎馬兵の決着はあっさりついちゃったけどな。
576 :
山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/02 22:05:46
>>574 そういうことです。明らかに過去ログを読んでらっしゃらない方による書き
込みも増えてきましたので、忙しいこともあって距離を置いておりました。
ところで
>>543 氏、
>スポーツの世界では、異論は出始めているが、歴史の専門家(?)は
>未だに『肉食信仰』が根付いたままの気がする。
>曰く『平家は貴族化し動物性タンパク質を取らなかったから、肉食タブーの
>ない源氏勢力に敗れた』などなど・・。
>戦の勝敗の原因をそこに求めるのか!?という突っ込みはさておき、
戦の勝敗云々は全く仰る通りなのですが、故梅干博士といい、武光誠先生とい
い、古墳時代辺りが専門の方々の主張ですよ(早い話がやや門外漢)。
そもそも、貴族社会から生れたのに「貴族化」という認識が古い。
577 :
世界@名無史さん :04/12/03 08:09:27
>>571 フルプレートメールは本質的にはプレートメールであるが、戦場では
着ることが無く、主に将校やパレード用に着た甲冑のことではということでは?
(ゲームに良く登場するけどね。)
A full plate mail is essentially a plate mail with increased steel strength
in both the shoulder and the torso region, making these regions very hard
to penetrate with any weapon.It is not often worn in the "field" because
its great weight and bulkiness make it very uncomfortable to wear, strap on and take off.
Although it is often worn by high ranking officers in parades.
プレートメイルは弓で抜ける。
結論よりあーだ、こーだいってるほうが楽しいのよ
580 :
世界@名無史さん :04/12/04 06:22:56
少なくとも仏式(エペ)の剣術と日本(日本刀)の剣術では日本の方の圧勝だったが。 高い金払って招致したフランス人教官は怒って(?)逃げ帰っちゃってるしな。 世界でも類をみない「両手握りのサーベル」が存在するのは日本軍だけ。
582 :
世界@名無史さん :04/12/04 10:55:15
>>580 そりゃ剣道有利のルールでやらされて
さらし者扱いにされれば怒りもするわな
>>剣道有利のルール 具体的に?
584 :
世界@名無史さん :04/12/04 18:53:00
剣道の防具を付けていわゆる一本を取った方が勝ち
そもそも武士は剣道をやってないのでこのスレには向いてない気がする。
586 :
世界@名無史さん :04/12/05 22:49:31
武士にはハルバードやフットマンズフレイル等の 進化した手持ち武器がない。 武器の差で騎士有利は否めない。
>>586 たかが長い棒に鉄のかたまりを付けた物くらい、日本刀を作った民族に技術的に作れないとお思いか。
銃火器ではあるまいし、白兵戦用の武器に性能の上下などない。
あるのはただ重さと長さ(間合い)と少々の切れ味の違いだけで、
例えば古代ヒッタイトで作られた最も原始的な鉄製の武器でも、
最も進化した鎧を着た騎士と戦う事は十二分に出来る。
588 :
世界@名無史さん :04/12/06 07:08:02
どんなに高度な製鉄技術を有していようとも 工夫された武器を作るには試行錯誤を経た発想がなければ 発明できない。発明できなければ作ることはできない。 日本の鍛冶屋が西洋の火縄銃のコピー商品の製作を依頼された時も、 当時の日本にはネジの発想がなかったので砲身の底をきちんと塞ぐ事が 出来ず、試射で怪我人が続出したらしい。結局翌年ポルトガル人にネジを 教わって、やっと量産にこぎつけたという経緯がある。
587はわざわざ銃火器ではあるまいしと断りを入れてるのに 588は銃火器を例に持ち出している意図はなんでしょう? 火縄銃が日本に伝来するまでの形にたどり着くまでに何十年と 言う試行錯誤があったと思うと、未知のもを1-2年でコピーできる 能力のほうが逆にすごいよね。仮に刀剣や槍などが有効でなく とも、短期間でそれなりに役に立つ(というか、単に武器の重量を 生かしたものはすでにあるが・・・)物は開発できる証左だね。
ただ確かに日本にハルバードのような武器はほとんどない。 大事な事はそれが西洋では一般的な武器であったとゆうことだ。
591 :
世界@名無史さん :04/12/06 12:55:21
まず、鎧からして違うから使う武器が違うんじゃないの?
592 :
世界@名無史さん :04/12/06 17:40:34
>>481 >1266年のヴェネベントの戦いでは1200騎のプレートメールアーマーを装備したドイツの騎士集団が戦いに参加しています。
>対するフランスの騎士の多くはプレートメールアーマーを見たことがなく当初ドイツ騎士が優位に立ったそうですから、
>13世紀中頃には一般的な防具ではなかったようです。
>ちなみに、この戦いは最後にフランス側に増援が来て、ドイツ騎士が敗れています。
>この増援が来た時にプレートメールアーマーの隙間を短剣で刺せ、という指示が出たと言いますから
>フランスの高位貴族などは既にプレートメールアーマーの存在も弱点も知っていたみたいです。
スティーブン・ラシマンによると、戦闘中にあるフランス人がこの新式の鎧を着た
ドイツ人騎士が剣を振り上げたときに脇の下を防護されていないことに気づき、
「脇の下を突け!」と叫んで皆がそれに倣ったという話を書いてますが。また、
この時、ドイツ人は長い剣を使用しており、フランス人が短めの剣を持って、懐に
飛び込むと、手出しが出来ずに討ち取られたとも。
593 :
世界@名無史さん :04/12/06 17:42:44
欧米は武具をどんどん工夫改良する事を重視した合理的発想。 日本は武具の扱いの錬度を極限まで磨く事を重視した発想。 欧米にだけハルバードのような究極形態の刀剣が生まれたのは思想の違い。
594 :
世界@名無史さん :04/12/06 17:54:01
>>589 真似は簡単なんだよ。
発明は試行錯誤と淘汰の末に生まれるもので一朝一夕に出来るものではないが。
595 :
世界@名無史さん :04/12/06 17:54:54
>>592 スティーブン・ラシマン=×
スティーブン・ランシマン=〇 でした。
596 :
山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/06 19:03:23
>未知のものを1-2年でコピーできる 文献史学と理工系学問の研究者が共同で発表した説ですが、実は倭寇 を通じて鉄砲の情報は既に知られており、種子島で日本最初の鉄砲が 製作されたのも、予め情報を入手して下準備を行っていたためではな いか、というものがあります。 同じ研究者(村井章介氏)は大根に刃の壊れた刀を差し込んで回したとこ ろから国友村でネジ製作法が考案されたという話を紹介してらっしゃ ゃいますが、同氏らの研究によれば、ネジの製作は従来考えられてい た様な熱間鍛造法によるものではなく、ヤスリやネジ切りによるもの であったそうですから、日本発の試行錯誤もあったかもしれませんが。 ただこの説、意図的に受容・開発したということの証明が難しい。 >懐に飛び込むと、手出しが出来ずに討ち取られたとも。 組打ちが挑める分、プレートメールを着用した騎士の方が、武士にと っては有り難い様ですね(笑)。
597 :
世界@名無史さん :04/12/06 21:04:51
特殊な形状の武具は使う局面が限定される。 そんだけ
598 :
世界@名無史さん :04/12/06 21:06:02
それがどうしたんだよ。タコ。 そんだけ
599 :
世界@名無史さん :04/12/06 21:15:09
戦国時代を例外として、ほとんど外敵と戦ったことのない 武士が大して強いとは思えないが。 当時、キリスト教社会は世界的に見てもっとも貧しく文明度も 低かったことからして、騎士の実力が大してあるとは思えん。 はっきりいって世界最弱じゃないの? ていうか、世界際弱の武人を決めるスレでつか?ここは?
600 :
世界@名無史さん :04/12/06 21:45:23
平原で異民族との攻防に明け暮れた漢民族の戦の弱さといったら芸術的だ。
601 :
世界@名無史さん :04/12/06 21:55:50
イタリア軍の弱さのほうがアートだ。
602 :
世界@名無史さん :04/12/06 22:07:39
もし、個人戦だと仮定すると、プレートメイルを着た騎士はほとんど戦闘能力 ないんじゃないの? 。 最近のレプリカや王侯の美術コレクションならともかく、当時の製鉄技術から して、一定の強度を確保するためには相当な重量になりそう。 機動性がなさすぎ、正面からの近接戦闘に持ち込めるとはとても思えん。 俺は武士じゃないけどもし、身の回りのもので騎士と戦うなら防具は最小限の軽装 にして、アウトレンジ攻撃に徹する。 武器は火炎瓶みたいなものを用意して、焼き殺せばいいんじゃない? 事前に落とし穴や草を結んで足を引っ掛け転ばせるような罠でも仕込めればなお良いね。 鎌倉武士なんていうのは”武士道”なんてものとは程遠い勝てばなんでもアリの の連中でしょ。うんこだって武器にしちゃうぐらいだから(w ゲリラ戦でこられたら騎士なんてひとたまりもないでしょうね。 騎士の装備は、対非戦闘員の鎮圧・略奪や白兵戦で拠点制圧には有効な気がするが タイマンには全く向かないと思うね。従者がいてナンボでしょ。 (集団戦の場合は多少違うと思うが、騎士の装備は特定の目的にあまりにも特化し すぎているため、想定外の敵・目的には基本的に無力だと思うね。)
603 :
世界@名無史さん :04/12/06 22:19:11
>>602 忍者装束と刀と手裏剣とマキビシを貸してやるから
中世に乗り込んでフルプレート騎士を退治してみろ。
騎士にとってはかなりの想定外だろうから楽勝だろ?
604 :
世界@名無史さん :04/12/06 22:22:54
>>603 楽勝・楽勝。忍者は忍者らしく寝首をかきます(W
605 :
世界@名無史さん :04/12/06 22:24:05
フルプレート脱いで寝てたらフルプレートの騎士じゃないよ
606 :
世界@名無史さん :04/12/06 22:33:09
脱いでる必要はないので、どうぞ着たまま寝ててください(w まあ、起きていても騎士は転ばされた時点でアボンでしょうけどね。 長い棒で足元払ってもいいし、紐か鎖を足に絡ませてもいいし。 もし、日本の農村で戦うなら田んぼに突き落とされてもおしまいだから 騎士には百姓一揆の鎮圧能力もなさそうだ。
鬼に金棒ってくらいだからゴーリキーなヒトには刀より棍棒の方が合理的だろう
>599 …鎌倉、室町期を江戸期みたいに思ってるのか?
>うんこだって武器にしちゃうぐらいだから(w あれは当時でもルールを無視していたから、有名になったのですが。 利用していたのも、正式な武士とは言いがたい。 もっとも、南北朝時代からは戦場の主役は非武士の戦闘員に移りま すが。
>>605 >もし、日本の農村で戦うなら田んぼに突き落とされてもおしまいだから
そんなに上手くいくのかっ!と言いつつ、笑っちまった。
ものの本によると日本などモンスーン地域は泥の文明らしい。
日本の甲冑具足も足場の悪さを考慮すると、あれ以上重装するのは致命的な
欠陥を招くのかもしれない。。
基本的に、山野さんの言う武士とは、血筋明らかなエリート武士のこと。 ぬけぬけと武士を自称し、おそらく武士の大半を占めていたであろう、 半農半武の得体の知れない野郎どもは含まれません。 ご参考までに。
612 :
と煽ってみる :04/12/06 22:47:51
騎士が勝てるのは猪突猛進しか脳のない薩摩武士だけ?
でも個人的には鎌倉期の悪党や窮乏した御家人、戦国の地侍や土豪のような、半農半武の連中に興味がありますね。
614 :
世界@名無史さん :04/12/06 22:50:50
言っとくけど騎士だって馬に乗ってたんだよ
>>614 誰に言ってんだ!この
>>611 というより、当時の「武士」の定義が「累代の弓箭の家の出で、武家下文を授
かっており、可能であれば名字の地を所有していること」であったので。
単なる戦闘員との間には、歴然とした区別がありました。
もっとも、彼ら「兵器に耐えうる輩」の戦闘参加も珍しくありませんでしたが。
私が13世紀時点での比較を望んでいるのも、彼ら「武士」以外の面々の活躍
した時代を対象とした場合、手に負えなくなると考えたためです。
617 :
世界@名無史さん :04/12/06 23:02:04
武士よりモンゴル軍のほうが圧倒的に強かったじゃん
618 :
世界@名無史さん :04/12/06 23:05:27
ちなみに、13世紀時点で比較するとフィジカル面では武士と騎士はどちらが有利ですか? 中世の欧州社会の貧しさからいって騎士がいい体してたとは思えないんだけど、ゲルマン系に 限れば遺伝的なアドバンテージもありそうだし。 どんなんでしょう?
>617 教科書鵜呑みにしてるアホ。 一回自分でちゃんと調べて見ろ。
モンゴル軍はな、水が恐くて平原に湖があると延々と迂回して進むくらいなんだぞ! 10年はやいんだよ
>>620 普通に川とかも泳いで渡りますが?
司馬さんの小説だとそういう設定だったね。
622 :
世界@名無史さん :04/12/06 23:54:05
>>611 ならば騎士もそれなりの血筋の物でなければならない訳か。 では一人英雄をあげてみようではないか。その優劣によって決めよう。 日本代表は武士の中の武士 畠山重忠。 欧州代表は騎士の中の騎士 エドワード黒太子。 どっちが強いかな?
12世紀半ばに成立した、『古今著聞集』という、比較的信頼出来そう な書があります。馬を背負って下りた云々は怪しいですが、この書の 相撲強力を紹介した巻10に、面白い逸話がありますね。 力士長居なる者が、頼朝の前で大言壮語を放っていたので、頼朝が重 忠に勝負をしてやる様に命じた。 そこで重忠・長居はそのまま物陰に行き、準備をして組み合ったとこ ろ、重忠は微動だにせずに押さえつけ、尻餅をついた形に押し込んで しまった、という事です。 相手は体を押し曲げられたまま気絶していたそうで、肩の骨は押し砕 かれ、力士としては再起不能にされてしまっていたとか。 本人はこともなげに、何も言わずに帰って行ったそうですが、これが 当時の武士の美学ということです。 ・・・個人戦の話だと、きりが無さそうですが。
624 :
世界@名無史さん :04/12/07 00:34:50
畠山重忠 武力 95 統率力 100 知力 56 教養 89 エドワード黒太子 武力 89 統率力100 知力 87 教養 90 ってところか?畠山に汚点はないが、エドワードには反乱軍虐殺という汚点があるな。 両者、礼儀や教養の点では遜色無いと思われ。
625 :
世界@名無史さん :04/12/07 00:52:00
>>もし、日本の農村で戦うなら田んぼに突き落とされてもおしまいだから >そんなに上手くいくのかっ!と言いつつ、笑っちまった。 騎士道精神って”正々堂々と戦う”みたいなイメージがあるけど。 これってもしかしたら、正々堂々と戦ってくれないと騎士にとっては都合が悪いせいかもしれないな。
626 :
世界@名無史さん :04/12/07 01:28:21
日本一の武士は新撰組だと思っています。
627 :
スレチガイ :04/12/07 01:45:27
江戸以降の武士は所詮ただの飼い犬。悪党・バサラこそが武士の鏡(w
江戸以降の武士はつまんないな
629 :
世界@名無史さん :04/12/07 02:06:11
宮本武蔵に決まってんだろ
武士道=正々堂々・・・とかいうのはなにか勘違いしている。 日常の行動を律するという意味では、ありえなくも無いだろうが、 「犬ともいえ、畜生ともいえ、武士は勝つことが本」なのである。 武士道(当時はそういう言葉ではないが)は、『武勇』と『廉恥』
631 :
世界@名無史さん :04/12/07 08:52:28
なにか勘違いしてるやつが居るが 武士道は『御恩』と『奉公』だろ。
632 :
世界@名無史さん :04/12/07 10:50:39
知っている単語を並べればいいというわけではない!
武士とは「名を惜しむ」者。 「犬ともいえ、畜生ともいえ、武士は勝つことが本」かつ 「廉恥」である。 負けが必定となれば名を残すための死に様を追求する。 それが武士。
634 :
世界@名無史さん :04/12/08 02:33:53
武士がどんなものか知りたければ 「七人の侍」を観ればわかるよ
もうこのスレ、落書き帳だね。
何をいまさら。
説話集『沙石集』より(鎌倉時代末期の成立)。 武士「近頃の僧侶は、全くけしからん。俗人なら物の道理が分かっていない のも無理は無いが、近頃は戒律を犯し、財産を蓄え、昇進のことばかり考え て、僧侶としての本来の勤めを忘れている。」 僧侶「仰る通り、嘆かわしいことです。ところで、武士のあるべき姿とは、 どんなものでしょうか。」 武士「戦の庭にあっても死を恐れず、恥となる生き方や虜囚の辱めを受けず、 主君の御恩に報いて、命を投げ出すことだ。」 僧侶「では、武士というものは皆その様にしてらっしゃるのですね。」 武士「いや、あくまでも理想だ。なんで全員そんなことが出来ようか。ほん の一握りの者たちがやっているに過ぎぬ。」 僧侶「同じことで御座いますよ。」 武士「・・・・。」 僧侶の弁解と見ることは容易いですが、寧ろ自戒の言葉とした方がよさそうです。
638 :
世界@名無史さん :04/12/09 20:00:37
とりあえず、騎士にはまともな戦闘能力なし=最弱ということで良いのかな?
639 :
世界@名無史さん :04/12/09 21:14:26
日本の鎧は小礼に鉄だけでなく、革を用いていた。 理由は、矢に対する防御では鉄よりも革のほうが優れていた為。
640 :
世界@名無史さん :04/12/09 21:37:29
矢に対する防御力 日本鎧 5 西洋鎧 4 + 盾 3 = 7 矢に対しては騎士圧勝
>>640 そういうの、ゲームチックでげんなりする・・・。
642 :
世界@名無史さん :04/12/09 22:51:51
ちなみに、プレートアーマーの重さってどれぐらい? 鎧の表面積が、直径60cm高さ150cmのドラム缶と同じぐらい と仮定したラフなモデル(兜無視)で概算すると。 厚さ1mmで約20kg、2mmで約40kg、3mmで約60kg・・ 中世の技術レベルからいって1mmや2mmのプレートで矢に対して 十分な防御能力を確保できるか疑問。 これに、アンダーウェアや武器や盾他の装備品が加わると相当な重量に なりそうなんだけど、わかる人います?
643 :
世界@名無史さん :04/12/10 00:42:19
前スレから 板厚1mmで1mx1mの板の重さが、7.93kg 人間表面積2 m四方 刀や弓が貫通しない鄭度の厚さ 3〜5mm? 仮に3mmとして全身鉄の鎧を作ったら60kg 後上のほうで鎖帷子を着込ませるって書いてあったかとりあえず5kgぐらいか 武器の重量を軽く見積もって刀が3kg、槍が3kg程度か? 盾が50cm四方で厚さが3mmとすると12kg 63kg(武器のみ)〜66kg(武器*2)〜71kg(武器*1+帷子)〜80kg(武器*1+帷子+盾)
644 :
世界@名無史さん :04/12/10 01:25:39
70-80kgか。 プレートアーマーの防御力がすごいのはわかるけど、あまりにも重過くて運動性能が悪すぎるな。 勢いがついてしまえばある程度のスピードで走ることは出来るかもしれないけど、加速性や旋回性 は悲惨なことになりそう。 飛び道具で馬を射殺されたら、ゲームオーバーだろうな。
両地方の武具甲冑を概観してゆくと、そこはとなく次のことを感じるとことが出来る。 西欧の武具は、ある特定の目的のために特化したものが多いのに対して、 日本のそれは、使用方法や使用局面に一定の幅を持たせてオールマイティを 持たせたものが多い。 道具に関する考え方、その背後にある風土が垣間見えて面白い。 一神教的風土と多神教的風土の違いといったら大袈裟か。 どちらかといえば、日本のほうが理解されにくいことは確かだろう。
646 :
世界@名無史さん :04/12/10 07:58:18
自力で馬に乗れることも危ういですね。 時代考証は定かですが、ローレンス・オリビエ主演の『ヘンリー5世』では、 馬にのるために、櫓を組んで騎士を吊ってましたよ。
647 :
世界@名無史さん :04/12/10 09:34:31
>西欧の武具は、ある特定の目的のために特化したものが多いのに対して >日本のそれは、使用方法や使用局面に一定の幅を持たせてオールマイティを >持たせたものが多い。 フランス料理用の鍋は、用途ごとに分かれていて何十種類もあるそうだけど、 お隣の国は中華なべ一つで何でもつくっちゃうね。 神様の数と道具の種類は反比例するのだろうかw
648 :
世界@名無史さん :04/12/10 10:00:42
>>642 .うんざり。未だにこんな問いが出るとはね。こんな初歩的な質問はTTDD卿が何度もこたえてるはずだが、粘着質が煽るので彼は
ここにこなくなったよ。貴重な情報者が消えたことを猛反省汁!
649 :
世界@名無史さん :04/12/10 10:02:17
647の道具論にもTTDD卿は見解をもってた見たいだけどその話も聞けないね。
650 :
世界@名無史さん :04/12/10 10:04:56
目的をひとつに固定化させて、それに邁進するという思考は西欧型の近代を生んだ。 会社というものに、労働以外のいろいろな要素を含ませて成功した日本はまた別の スレ違い
651 :
世界@名無史さん :04/12/10 10:36:09
>>648 >>649 そもそも、最初から今まで見ているひとが居るとも限らないし、
同じような意見がでてきくるということは、メンツが一巡したという
ことで、しきり直しを考えればいいのでは。
そこで、抜けるか、新たな展開をみるか、それとも崇拝してる方が
いないので、ろくな意見が聞けないと思うなら、黙って見てれば?
フルプレートは重すぎて動けないから乗馬の騎士だけのもの。 TTDD氏が着てるような半プレートは雑兵の鎧。
653 :
世界@名無史さん :04/12/10 20:38:14
654 :
世界@名無史さん :04/12/11 01:22:26
652 ソルレットまでつけたものもハーフプレートというのか?あんた。 出直して来い。
第二次大戦の時のポーランド騎兵10個旅団が、ヨーロッパ最後の騎士だよな
そうすると、日本最後の武士は何?
657 :
世界@名無史さん :04/12/11 10:46:09
ラスト侍という映画をみればわかるよ
>>656 異論はあると思うが、俺は真田幸村を押す。
659 :
世界@名無史さん :04/12/11 17:27:22
フルプレートに関しては、過去スレみてもジラルミン製で厚さ1mmで重さ20kgしかない とかいうヨタ話しかみつからないけど。 まともなレスっていったいどこにあるんだ?
>>656 最後の武士などいないッ
なぜなら、現在も存続しているからだッ
実際に検証する者はいないのかね・・・。 やりたいが俺には金がない。・゚・(ノД`)・゚・。
664 :
世界@名無史さん :04/12/11 18:49:37
>>622 エドワード黒太子のほうがメジャーだし、戦果もすごい。
よって騎士のほうが強い。
665 :
世界@名無史さん :04/12/11 18:58:10
最後の武士・・・ 土方歳三ではなかろうか??
666 :
世界@名無史さん :04/12/11 19:06:42
軍板でこの種のスレを立てたら
「兵員数は」「装備は(一応十字軍vs鎌倉武士団という事だが)」「地形は」「気象は」etc.
の実戦なら当然考えねばならない疑問が多数提出されたのち
>>1 は知障
という結論が出て終わる。
667 :
世界@名無史さん :04/12/11 19:20:07
>>666 その全ての条件下のシミュレーションをはじき出すのが
ふつうだと思うが。2chはマンドクセばかりだからな。l
今更だが、一応聞いておきたい。 まさか、本当に武士と騎士のどちらが強いかが判明すると思っているわけじゃないよな? 答えは出ないが、その議論を楽しむ。ここはそういう紳士淑女が集まるサロンなのです。
>664 メジャーって… それはここが世界史板だからやん 日本史板だったら畠山重忠のほうがメジャーだろ
670 :
世界@名無史さん :04/12/12 16:05:17
>>661 とても詳しい考察例ですね。大変興味深く読むことができました。
13世紀で比較した場合ですが、ご紹介の考察の600から引用すると
>(2)増大するクロスボウの脅威に対抗してmailに加え別の鎧も着けた13世紀の騎士の場合。
>@cuir-bouilliによる補強。これで対抗できる運動エネルギーは120+30=150Jにすぎず
>近距離からのクロスボウの攻撃に対抗するには不十分。
>@厚さ2mm、材質カテゴリー(*)のcoat of iron plateによる補強。不快なほど重いが
>120+175x0.5=207.5J、でなんとか対抗できそうである。
また、上の引用中の計算式に出てくる120という数字は、599の
>mailはプレートの場合と異なり下にキルトのlinen jackを着けての評価
・・・
>@材質 @対Blade @対Lance @対矢 @対弾丸
・・・
>15世紀のmail 170J 140J 120J −
・・・
>jackは12.5x15cmで171gの物がテスト対象
から採用したものと思われます。
(13世紀の考察に15世紀のMailのデータ使っていいのかよという問題は残りますが)
671 :
世界@名無史さん :04/12/12 16:06:21
したがって、13世紀の騎士がクロスボウに対抗するためには、Mailと共に厚さ2mmのcoat of iron plate で補強する必要があったということになりそうです。 ただ、この鉄板コートというものが全身を覆うものなのか部分的な補強なのかは考察例からだけではわかりません。 また、Mailについても直接重さや厚さの記述はありませんが考察中に見られる下のデータから推測すると2mm前後 の厚みがあるのではないかと思われます。 >矢(及びbolt)に対する現代軟質鋼板の抵抗力の表(defeatするのに必要なエネルギー) > 鉄板の厚さ1mm 2mm 3mm 4mm >垂直正面 55J 175J 300J 475J >角度30° 66J 210J 360J 570J >角度45° 78J 250J 425J 670J >@材質のカテゴリー @現代軟質鋼板を1としたときの修正係数(W) >(*) (最低品質の)鉄製兵卒用甲冑 0.5 >(**) (中品質の)低炭素鋼の鎧 0.75 転んだら動けなくなる、と言うことはない?かも知れませんが、転んだら戦うには相当困難 な状況になるように思われるのですが。どうでしょうか。
672 :
世界@名無史さん :04/12/12 16:46:08
追加。 ちなみに、考察例の601に見られるこの部分は、 >(原書には、矢の場合260J(+50=310J)、銃弾の場合の耐久力は1250Jで後者に関しては >当時の火縄銃(1300-1750J)でも危険だ、としているのだが計算根拠が判らない) 読んだ方なら、わかると思いますがこの考察例を紹介したKrtさんの誤りでしょうね。 (595) >上の表からでは読み取り難いが抵抗力は厚さの約1.6乗に比例することがわかっている。 上の表(595)の抵抗力が厚さの多項式であらわされるとした場合の最高次数は1.6なの でしょうがそれに比例しているわけではない(定数項等の低次項がある。)ことは容易にわ かります。 そして、抵抗力=K*厚さ^1.6 で計算できると勘違いしていることが原因でしょう。 (595)の実験データをもとに、抵抗力を線形補完ないしは2次補完で求めると、ほぼ ”原書”のいう値になりますね。
>>666 んじゃ設定を入力しよう。
天候は晴れ、気温15度、風1m
場所:低い丘と小河川が点在する平原
>>673 両軍の兵員数、兵科構成、兵站と糧秣等の物量、補給線確保の有無、合戦場所の指定、
攻守の明確化、指揮系統の詳細…。これらを考慮せず気象・地形のデータだけで考証を
するのは無理だろうな。(これらを含めて考証しても結論が得られるわけでは無いが)
>>670 そのスレの680番台でKrt様と話し合ったんだけど
クロスボウですら50メートル以内に近づかないと最低品質の1mmの鎧すら打ち抜けそうにないんだ。
それとあの論考ではエネルギーにだけ着目してたけど
矢先の鉄と、鎧の鉄の優劣から、長弓やクロスボウの矢が西洋の鎧を貫くのは困難だとする実験データもあるよ。
矢先の鉄は質が悪いから質の良い鉄を使う鎧を容易には貫けないって結論になってるみたい。
そこからクロスボウや長弓は威嚇効果しかなかったとする研究者もいる。
但し、実験方法に問題があるとか、
同時代史料から見ればクロスボウや長弓が威嚇の効果しかないというのはおかしいとか、
反論も多いみたい。
我が輩はクロスボウが殺傷できたのは馬とか貧弱な鎧を着けていた者なんじゃないかと思ってるよ。
クロスボウは一部史料によるとノルマン・コンクエストの時にも使われていて
騎士優位の時代と言われた11から14世紀初頭を通して使われたはずなのに
この時期の騎士の戦死者数が少なすぎる。
斬り合いなら身代金目当てに手加減するというのは解るけど
クロスボウの矢まで騎士を避けるというのは変な気がして。
だからうまく当てないと騎士を殺傷できなかったって事じゃないかと思う。
転んだら云々は実際に鎧を着けたことのある人達、ttdd様とかの話と、史料からの判断だよ。
といっても史料のほとんどは11から13世紀の話ばかりだけど。
特に注目したのは十字軍騎士の話。
あの暑い中、完全武装で馬にも乗らずほとんど水も飲まずに丸一日戦い続けられるってことは
武装を極端に重いとは感じていないって事じゃないかな。
史料から見えることはこの程度で、
鎧を着て動きやすいかどうかは実際に着たことある人達の話を尊重した方がいいと思う。
だけど一度サイズの合わない革鎧、チェーンメール、プレートメールと三つ全部着込んだ場合どうか試して欲しい気はする。
極端な騎士だとこのくらいやったみたいだし、
貧乏な騎士だったりすると拾った鎧や、主君からもらった古い鎧、馬上槍試合で勝ち取った鎧なんかで間に合わせてたから。
日本の鎧や矢について似たようなデータがあればいいんだけど。あれば少しは比較の対象になるから。
シャムシールなんかの斬り主体武器に十字軍ってボロボロに負けてるんじゃあ なかったっけか。それで「異教徒相手なら石弓使っても良し」という理屈立てて、 威力がありすぎて残酷、禁止扱いしてた石弓をバンバン使うようになった筈。 弓に関しては日本には竹材という優秀な素材があるから、西洋の射撃武器より 飛距離・威力共に優れてるというのもよく聞く話。中・遠距離では武士有利かも。 クロスボウ式の弓だと、装填に時間かかるから矢継ぎ早には撃てない。誰でも 容易に扱えたから騎士の使うようなもんじゃないとして蔑視されてたみたいだし。
677 :
世界@名無史さん :04/12/13 18:01:51
ジョストとかのトーナメント用ならともかく、野戦を目的として 西洋甲冑なら、転んでも起きられるとおもますよ。でんぐりがえしを やってみせているシーンをSCAかなんかで再現していたのが本にでていました。 問題は、地面の状態じゃないでしょうか。アザンクールの時は地面が ぬかるんでいて、すっころんだメン・アット・アームズが起きれなかった みたいな話があったと思うけど、それが、転んだら起きれないみたいな 話になったような気もする。
今日のヒストリーチャンネルでもやってました。 15世紀の騎士の鎧は20−30KGだそうです。(身長や体格によって違うのでしょう。) 転んでも立ち上がれてました。 たたオーダーメイドの板金鎧を着ていた人はエリートで少数だったのも確かなようです。 だから弓が騎士の鎧を貫通できなくても有用ではあったと考えられます。 例えが変かもしれませんが。戦車を倒せないのに狙撃兵は役にたっていたとゆうような事のような気がします。
ttdd氏のフルプレートってステンレス製じゃなかったけ? 材質はともかく、金属製で30k近くの鎧を着ても問題なく動ける事は確かな訳で、 彼のグループでも鉄製の鎧を着ている方は何人か居るだろうから、彼の意見は大いに参考になるのでは?
>676 イングランドのロングボウ部隊を忘れてない?
30`といえば、平安〜鎌倉期の大鎧に匹敵する重量。 動けなくは無いだろうけれど、本気で白兵戦をやりあおうとしていた騎士は もちっと軽めのものを着用していたのではなかろうか? しかるべき身分の者は身の安全第一に考えるだろうが。
純軍事的な勝ち負けもいいけどさ、 当時ならではの勝負の決め方って、それぞれになかったのかな? 「こうなったら負けを認める」みたいな感じの。 たとえば「冬には戦はしない」とか。 モンゴルが強かったのは、そういう観念が薄く、 他の文化からすれば「常識外れ」なくらいに合理的だったからだと思うんだけど…。
武士の場合は殺さず部下として召し抱える事もあるし、騎士の場合は身代金目当てに 殺さない事もあったよね。 モンゴルは殺すか降伏かのどちらかだったから強かったのかも?
>>683 『蒙古に反抗するものは皆殺し』という宣伝を大いにやったことが蒙古軍の
強さの一端なのです。
また蒙古が攻め込む相手はたいてい国内に不安勢力を抱えたところ。
こうした情報をせっせと集めて活用し、そして何かの拍子に蒙古人が殺されると
それを口実にして機動力に物を言わせて攻め込む。
685 :
世界@名無史さん :04/12/14 08:04:29
>>679 役に立つでしょうね。
ただ、気になる点は、当時の甲冑をどの程度、正確に再現しているか?
という点も気になると言えば気になりますね。競技用であればそれなりの
工夫が施されている可能性はありますし。
確か、氏の意見に、全身金属の甲冑だとチェイン・メイルなんかを着るヒトと
比べて不利だとも言っていたような気がすますが。
686 :
世界@名無史さん :04/12/14 09:30:22
結局、装甲の厚さは機動力やその他の用途との兼ね合いで決まりますね。 言うまでもなく、逃げるには軽装のほうが速いわけですし。 私は騎士のフルプレートをみると、野戦でガチンコで叩きあっている様が思い浮かびます・・。 急襲とか進退機微という言葉はあまり思い浮かばないのだけれども、
687 :
世界@名無史さん :04/12/14 10:09:18
やっぱ総合力では忍者最強でしょう。 合戦時は隠れてりゃいい。
688 :
世界@名無史さん :04/12/14 10:51:52
うるせー!あほ ハットリ君でもみていろ みんな隠れたら戦にならねえじゃねえか
うーん、漏れは騎士・武士とモンゴルの 精神性の違いみたいのにも注目したいんだよね。 騎士は全財産はたいてまで十字軍行って弱体化して、 国王の権力を高める結果になったわけでしょ? 武士だってご恩と奉公とかあって、 実利よりも名誉を重んじる面も少なからずあったはず。 それに比べて遊牧民は戦利品の公平な分配とか望んだわけだし、 やはり現実的利益重視だよね。 まあ宗教と同じで精神的なものほど語り継がれるもので、 モンゴルの遺産が普段意識されない原因でもあるだろうけど。
たけしと騎士どっちが強い
691 :
世界@名無史さん :04/12/14 16:49:12
モンゴルが強かったのはモンゴルの弓騎兵だけが 馬を走らせながら矢を射ることが出来たからでしょ。
>>691 それだけではチンギス・ハン亡き後のモンゴル帝国(元・ティムール)が版図を拡大出来た
理由にはならんのよね。結局、吸収・併合した兵科を用いる上手さ、誇大宣伝による降伏
勧告・寛容政策(何処出自であろうと能力があれば徴用等)などの外交・戦略面が非常に
上手く噛み合ったからこそモンゴル軍は強いと言われているから。
実際、後半になるほど平原決戦騎射よりも攻城郭戦の方に比重が置かれていくわけで。
>>691 戦術的な強さだけじゃなくて、
そのバックグラウンドにあるものも重要だと思うんだ。
692氏が言うように、普通なかなか異民族を重用したりできないでしょ?
ヨーロッパでイスラム教徒が改宗して名のある騎士になったとか聞かないし。
冗談だけど「武士道とは死ぬことと見つけたり」みたいのもあるやね。
負けるが勝ちというか、
小説だけど、蒼き狼なんかじゃモンゴルからすれば、
漢人が敗れた際に死を選ぶのが理解できないという描写があった。
そういう価値観・死生観とか思想面での有利・不利を、
騎士・武士それぞれについて語れる人いたら嬉しいなあ。
騎士なんかだと、身内(つまりキリスト教徒の騎士)同士ではあまり苛烈な戦闘も行わず、
逆に異教徒や異民族相手では容赦なく皆殺しとか、
そういう例があったりしないのかな?
>>693 同意。モンゴルの例だとチンギスをジャムカが破るんだけど捕虜の扱いが酷いという理由で
ジャムカの仲間がチンギスに加担したりするもんな。正に負けて勝つ、の実例。
ちょっと前のレスにもあるけど、騎士の例だと身内(キリスト教徒)同士で争う際には石弓の
使用は威力が強すぎて残酷だという理由で禁じた割に、イスラム教徒相手には異敵として
半ば使用を奨励してたりする。イスラム側の捕虜は酷い扱いをされてたらしい。
改宗以前に、異教を信ずる異端者として殺されるのが一般的だったとされているな。
一方のイスラム圏は、イギリス出身の騎士が捕らえて自叙伝を記しているのだけど、かなり
厚遇というか、捕虜としては格別の扱いを受けていたとされている。特に名高いサラディンは
敵味方関係なく同様に接するお陰で敵である十字軍からも尊敬の念で見られていたらしい。
食糧に関しても足りない分を、自分の割り当て分を捕虜に分け与えたとすら言われている。
>>697 流鏑馬は本来騎乗しながら静止し、正面に向けて弓を放つというものだった。それを
江戸時代に復元したのが現代に伝わる流鏑馬であり、全く別物なわけですな。
流鏑馬では射る方向等も限定されているので実戦では大して役に立たぬかと。
>>685 ttdd氏が鎧を購入したとこ。
ttp://www.illusionarmoring.com/ 以前どこかのスレで言っていたような気がした。所属している団体のリンク先にも載ってるし多分合ってると思う。
自分には本式の鎧にしか見えん。もちろんスポーツ用みたいのもあるがイベントで見た限りでは歴史的な物だと思う。
多分、氏のは15世紀のイタリア(中世では主にミラーノ)の甲冑じゃないかな?
>>698 >流鏑馬は本来騎乗しながら静止し
武士の騎射は、静止しながらのものが大半であったとは近藤好和氏の説(であ
って定説ではない)ですが、流鏑馬はどう考えても走らせていた筈ですが。
「正面の的に向って射ていた」の間違いでしょう。左側の相手であれば、後方で
あっても振り向きざまに射殺出来ましたよ。
そもそも、私は静止騎射の強調自体に納得出来ておりませんが。
>>698 ,700
ふうむ、なるほど。
しかし、現在見ることのできる流鏑馬は、
そもそもモンゴルの騎射技術の影響があると見ていいんですかね。
後方に射る古代の騎射技術はどこの文化でしたっけ?
オリエントあたりの(失念)。
時代的にはモンゴルよりずっと古いのが、ありましたよね。
>>700 時代的にモンゴル帝国とほぼ同時期の当時の資料描写では、強弓として名高い源為朝は
騎乗・静止状態で正面の相手に向かって矢を射たとされていますが?
追撃時などで馬を駆けさせて正面に矢を射るという技法は確かにあるが、それが流鏑馬の
原型として受け継がれたのかと問われれば、些か疑わしいと思うというのが私の考えだよ。
(蒙古襲来図に描かれているように、追撃時に騎射するという部分は賛成できるが)
法隆寺の獅子狩文錦にも見える「パルティアンショット」ですか? 我が国の騎射は、奈良時代前後の歴史を記した『続日本紀』に既に記されてい ますが、記紀には登場しておりません。大陸の影響は無かったのでは。 考えられるのは、山野を移動しながらの狩猟技術としての発達ですが、端午 の節会にも騎射が出て来ます。大陸の行事にもあったのでしょうか。 『荊楚歳時記』はどこへやったのだったか・・・探しておきます。 ただ武士の場合、どちらかというと横面のやや後方よりといったところで、 真後ろに向く様に特化されたものではありません。 15の騎兵部隊からなっていたというシャルル7世の常備軍には、1部隊 につき200人の「騎乗弓兵」がいたそうですが、どんなものであったので しょうか。
>>704 その部隊についての事ではないですが。
15世紀の騎乗弓兵とゆうのは移動するのに馬を用いていただけのようです。
騎射を行ったとゆう文が全くないのです。新紀元社の100年戦争のフランス軍ぐらいしか読んでないのですが。
後のイングランドで行われた薔薇戦争もないです。とゆうか15世紀は騎乗突撃などもないわけではないでしょうけど。
徒歩の戦闘のほうが多かったらしいです。
これは弓兵だけじゃなくて接近してポールアームなどで戦う重装甲兵も同じだったようです。
>>703 >騎乗・静止状態で正面の相手に向かって矢を射たとされていますが?
よろしい、その喧嘩かいましょう。
とりあえず、『吾妻鏡』建久2年(1191)年8月1日条に、大庭景能が保元
の乱時の思い出を語り、源為朝は弓矢の達者ではあったが弓が大き過ぎ、彼の
弓手に出たが、「貴客者自鎮西出給之間。騎馬之時弓聊不任心歟」と考え、「景能
於東国能馴馬也者」妻手に回り込んだので、膝に中っただけで済んだ。
「勇士只可達騎馬事也」という事でしたが、ここに「騎馬之時弓」とあるからには、
馬に乗り、しかも馬を操りながら射ていたのでしょうが、証拠にはなりませんか。
静止しながら向き合っていたのを、相手が動いたので馬を動かそうとしたという
のでは、逃げの技としてしか「騎馬」が役に立っておらず、弱い気がしますが。
第一、騎射という場合、『年中行事絵巻』や『鳥獣人物戯画』にある通り馬を走ら
せながら射たのであって(この時点で流鏑馬=静止騎射というのはおかしい)、
いざ戦の庭で使えない様なら、調練の意味が無さそうなものですが。
勿論、馬の負担を考えても一時的なものであったでしょうが、走らせて射る場面
も必要であったのは間違いないでしょう。
第一近藤氏の場合、治承・寿永の内乱期になって組打戦が増加した理由は、戦闘
の素人の参加が増えたことだとしてらっしゃいますが、そうなるとそれ以前の武
士は騎射における「高度な技術」を要していた事になり、高度な技術が静止騎射と
は考え難い以上、矛盾が生じて来ます。
同氏が中世の「静止騎射」の例として挙げてらっしゃる『後三年合戦絵巻』の馬上騎
射は、弓矢の向きからして遠方の敵に向いたものの様ですが、同じ絵巻や『春日
権現験記絵』の中では、お互いに進行方向に向って射た例が多い。
延慶本『平家物語』にある、「四五丈許」先の騎乗者を射落とすというのも、遠方に
射るものではなく、正面から接近しあった状況を記したものでしょう。
そもそも、近藤氏御自身も後方への騎射も含めた多彩な騎射自体は否定して
らっしゃいません。静止にせよ、走らせたにせよ、戦場の全てが騎射で決ま
ったとも考えられませんが、静止ばかりというのは考え難いですよ。
>射たとされていますが? 第一、「されている」というのは何です。直接史料を参照なさったのではないのですか。 >705 残念ですね。馬上で矢を射る場合、馬を動かしながらであれば両手が塞がっている以上 は鐙で制御する必要があり、一層困難でしたから、特殊な調練の環境が無かった以上、 無理もありませんでしたが。
騎馬弓兵ですが、ヨーロッパでは 1066年のヘースティングスの戦いを描いたバイユーのタペストリーに馬上で 弓を射ようとしている人物が描かれています。 1124年のブルグテンロールの戦いでも伏兵として騎馬弓兵が使われたようですが、 この時は下馬して射ていたようです。 1139年にもイングランドで騎馬弓兵が使われた記録があるようです。 少なくても11世紀には馬上で弓を使う者がいたようですが、 12世紀以降は廃れていったみたいです。 ただ、11から12世紀頃は騎士の定義が単に武器を使う人という程度だったので 馬上で矢を射る弓使いがその中にいた、というていどのことだと思います。 13世紀だと弓兵と言えば歩行の者といった感じだからこの頃には騎馬弓兵は姿を消していたんじゃないかと。 この頃は地中海岸地域ではイスラーム教徒の騎馬弓兵を傭兵として雇って使っていたという話はよく聞きます。 14世紀以降に騎馬弓兵はまた急増しますが、 14世紀に現れた騎馬弓兵は戦場では必ず下馬する、馬で移動する歩行の弓兵といった感じみたいです。 両手を開けた状態で馬を操るという点や馬上で弓を操るほどの高度な技術も持つ点をみると馬術は武士の方が上って見えますね。 バイユーのタペストリーを見る限りでは騎士は片手で武器を扱い、もう片方の手で盾と手綱を操っているみたいですから。
709 :
世界@名無史さん :04/12/14 23:33:26
現代モンゴル人の操馬術を映像で観たがすさまじいものだった。 自由自在というかアクロバチックというか。 馬の腹に隠れたり、地面に落ちているものを走りぬけながら拾ったり。 あれを観ると、やはりモンゴルが強かったのは騎乗しながらの射的が 桁違いに上手かったからという説もうなずける。
アフガニスタンの国技「ブズカシ」は、馬に乗ったまま仔牛の首を奪い合う という、色々な意味で壮絶なもの。安売りに殺到した主婦の様な勢いで、 一箇所に馬が集合するのに、つぶされないのが不思議です。
711 :
世界@名無史さん :04/12/14 23:38:29
今でもモンゴルでは馬での遠乗りのことを「ヤブサメル」と言うらしい。 おそらくこれが中国や朝鮮に伝わり、馬術訓練全般のことを意味するようになり 日本に入ったときは騎射になっていたということだと思う。 遠乗りするような地形じゃないしね。 あと遊牧民族のモンゴルだけは移動しながらの遠距離騎射ができたが、他民族はほぼ無理だっただろう。 遠距離武器として弓を重視してた欧州は下馬もしくは静止での発射が普通。 揺れる馬上での遠距離騎射は当てにしてなかったから。不可能だったから。 日本の流鏑馬でも遠くの物はほぼ不可能だから、近距離での騎射となってる。 実戦でも洋の東西を問わず遠距離騎射の場合は静止して発射するのが普通だと思う。 敵との距離は十分とってあるわけだから静止して命中率を上げる方が効率的。 近距離騎射の場合はいつまでも敵と近いと危険なので移動しながらの騎射が普通だろう。 その場合流鏑馬の訓練が必要となるわけだ。 と考えると騎射には2通りあったと考えられる。 遠距離ならば静止騎射、近距離ならば移動騎射の二つだ。 静止騎射の場合は訓練でわざわざ乗馬する必要がないので、普通の立ち式でやり。 移動騎射の場合は流鏑馬という方法が行われた。 そう考えるのが妥当と思うが。 もしかしたら昔は静止騎射も移動騎射も流鏑馬と呼ばれてたのかもしれない。
>>694 単純に「どっちの武器・武力が上」じゃあ世界史板っぽくないしね。
それぞれの戦略思想や文化的な面も語ったほうが楽しいし。
>>695 なるほど。
やはり日本と西洋では戦争の価値観・死生観にかなり違いがあるんですな。
>712 流鏑馬の語源についてですが、「矢馳馬」の訛ったものかともいいます。 ただ、モンゴルから平安時代に語彙が伝わっていたかというと・・・? なお五月の騎射の事ですが、『荊素歳時記』には出て来ませんでした。 >713 『沙石集』巻三より(1283年成立)。 ある俗人(武士)と、著者の一円坊無住の会話。 武士「智慧も無く、愚かである在俗の者が無法なのは当然である。しかし、 仏法の理をも知り、多聞広学なる僧の振舞までもが乱れているのは、納得 が行きませんな。何を習い知ったというか、甲斐の無いことです。」 知ると為すとは異なるという道理を、「なほ知るは安く、なすは難し」と説き、 無住「例えば、弓箭を玩ぶ人が、合戦の庭に命をも捨てず、さっさと引き上 げ、逃げ隠れ、怖れ慌てふためくとしたら、口惜しく、恥だということを、 ご存知でいらっしゃいますか。」 武士「何で知らないということがありましょうか。」 無住「それではさて、このことをご存知の方は、人毎に皆勇猛なのですか。」 武士「そんな人が、なんで全ての人と言えようか。希な事ですぞ。」 (無住「同じことで御座いますよ。」 武士「・・・・。」) 無住自身はまともな僧侶で、この話も僧侶の自己弁護ではなく、知ることと することの一致の難しさを説いたものです。( )内は引用者の想像。
また、『承久記』には、「鎌倉の代官、京都の守護」を任されていた伊賀光季 という人物が、後鳥羽院の誘いに乗らず、真っ先に攻め滅ぼされることが 明らかになりながらも、持ち場を離れなかった話があります。 周囲は、「多勢に無勢」であるとして、落ち延びる様に意見を出しましたが・・・ 「鎌倉へ落ち延びて、関八州の大名・高家の武名に疵がつくと思うと恥ずかし くなるので、鎌倉へ落ち延びる様な真似はすまい。この持ち場にいて、最後の 一騎に成るまで、合戦して討死しよう。年来の情を思ってくれる人々は、光季 の最後の供として、死出の山まで送ってくれ。但し、名は惜しくないが命は惜 しいという殿原は、戦の始まらぬ内に、何れへも落ち延びたまえ。恨みは無い。」 と述べたということですが、異本では、 「所は王城、花の都。弓矢とるものの面目と言えるのではないか。今は関も封鎖 されてしまったことであろう。中途半端に落人となって、つまらぬ所で生け捕り にされれば、それこそ口惜しいではないか。義時殿に後々聞かれるのも恥である。 若僧どもの謗りもあろうから、光季は一歩も退くまいぞ。落ち延びようと思う者 たちは、早く落ち延びよ。恨みはすまい。」 と述べたとされています。残った人数は、85人とも27人とも。
やがて官軍が到来し、館の陥落が明らかになると、まず西方に向って、 「南無帰命頂礼、八幡大菩薩・賀茂・春日、哀れみ給え。光季、都に留まり、十 善の君(天皇)の御為に、させる罪も無く、宣旨によって、命を召されます。名 をば後代に留めおきましょう。」 次に鎌倉に向って三度頭を下げ、 「我亡き後、敵を討って下されよ、大夫(義時)殿」 と言い、その後腹を切って、我が子らの死体と共に炎の中に身を投じたといいま す。子供はまだ十四歳で自害を躊躇ったので、目をつぶって殺していたとも。
福田豊彦編 吉川弘文館 「中世を考える いくさ」 参考にどうぞ
しっかし自分の子供まで巻き添えにするっつーんだからはた迷惑な話だよなー 死にてえならテメーだけ死ねって感じだよなー 戦争も、やりてえ奴だけどっかの離れ小島行ってやれって感じだよなーなんで他の人まで巻き込むのかなー
719 :
世界@名無史さん :04/12/16 07:31:22
祖先・先祖は偉大で尊重されるべきで、 醜聞さえも美化して受け継いでいく あとに生まれてくる奴なんて、 家名存続のための道具に過ぎないのさ
>>718 個人の希望や個人の権利なんぞという近代の発想で歴史を語るのが間違い。
そんなものお構いなしに、否応なく巻き込まれるのが戦であり、歴史なのです。
>>718 原典も読まずに発言すると、「アホな台詞」を言ってしまう訳ですが。
「お前は姉の嫁ぎ先へ逃げよ」と言われたのに、子供が希望して残ったと
いいます。どこまで信頼出来る事実なのか、定かではありませんが、当
時の常識から考えても、まだ子供の内でした。
それでも自害となると躊躇い、親が我が子に手をかけたのが、悲劇と言
えましょう。
14歳の子供が武装しているのを見て、「あれを見よ。りりしい事よ。」
と言った武士甲が、武士乙から「武士に感傷はいらんもんだ。そんな事
を言うなら、先手を寄越せ。」と先を越される場面もあります。
「吉凶を気にするのは武士の恥」とも言い、あくまで基本はドライ。
武士と僧侶と言えば、「もののあはれ」を知らぬ代表格でした。
『古今和歌集』の序に、「猛き武士もあはれ」と思わせるのは和歌だと記さ
れていますが、裏を返せば、通常は「あはれ」と無縁とされていた。
なお死が確定した訳ではないせいか、元寇の際に14歳の若者が戦闘に
参加したという記録もあります。初陣で睾丸を疵付けられ、後に惣領の
座を弟に譲ったという、痛そうな話で憶えていたのですが。
頼朝・信長辺りも初陣は13歳でしたか。
>>718 「家」を基準とした概念が形成されていますので。
人類であれば、大抵の国で親族や身内同士の結び付きは非常に重要なものとして捉えられ、
更に言うならば現代以上に昔の日本では重要視されていたのです。個人と個人の争いは、
即ち家と家、勢力対勢力の争いに発展する時代ですよ。(現代でも大して変わりませんが)
それに巻き込まれたくないのであれば繋がりを絶ち、家や集団から一切の援助を受けずに
生きていかねばなりません。子供であるならば尚更無理な話でしょう。
物があふれてて、食いはぐれのない現代日本の感覚を基準にしてもな・・・
まま、そんな怒らずに。
726 :
世界@名無史さん :04/12/17 01:39:32
剣道なんかでは声を出して打突しないと一本にならないってくらい、 日本の武道では発声が重要な気がするんだけど、 西洋ではどうなんだろう? 戦時中の日本兵が向かってくる様子が、 ただ命知らずなだけでなく、 一様に狂ったようなかけ声を上げているのが恐怖心を煽ったと、 そんな風に語る米兵も少なからずいたらしいし。 初期の火器も直接的な殺傷力よりも、音や閃光で相手の士気を挫いたり、 敵陣を混乱させたりなどで威力を発揮したというよね。 中国の銅鑼も初めて聴いたらビビりそうだなあ。
朝鮮戦争の米兵も中国兵の突撃より、中国兵の騒音に悩まされたらしい。
728 :
世界@名無史さん :04/12/17 02:43:23
>>726 すいません。脱線しますが、
日本の格闘ゲームのキャラも、古くは仮面ライダーも、
そしてありとあらゆる格闘家、剣術家で漫画になって
いるものも、みな、技の名前を叫びつつ技をかけると
いうのがありますが、あれってば、日本だけの伝統
なんでしょうか?
「昇竜拳」「ライダーキック」「真空斬り」などなど。
>>728 大脱線で大事故が起きかねない質問ですな。
現実で技名を叫びながら技を繰り出す格闘家なんて見たことがありません。あくまで
プレーヤーに「分かりやすくするためのお約束」としてのゲーム内でのルールですよ。
日本で開発された格闘ゲームでは技名を叫ぶものが多いですね。海外で開発された
格闘ゲームでは、特にそういったお約束は無いようですが。
730 :
世界@名無史さん :04/12/17 15:49:02
中国拳法も「ホアアーッ!! ホアーッ!」とか叫んでるイメージあるね。 ブルース・リーの映画とかの印象のせいだろうけど。 ヨーロッパの格闘技はやらんのだろうか?
731 :
世界@名無史さん :04/12/17 22:29:46
雷声という奴だな。「は」「いぃ」「や」という感じの声を出す。 あれ自体で威力の増加ができるわけではなくて、主に意識を集中させて、より力を集中させるために行うものだと、俺は理解してる。 剣道の気合も、その一種だと理解してるが、達人の見解はどうだか知らない。 ボクシングなんかだと、ふ、ふ、とちょっと息を吐くだけのようだ。
732 :
世界@名無史さん :04/12/17 23:41:18
剣道なんかにうつつをぬかしていたから江戸幕府は滅んだ
733 :
世界@名無史さん :04/12/18 00:05:20
>>728 どうもすいません。
>>726 です。
でもね、でもね、でもね、なんかそのかけ声にせよ、
技の名前にせよ、ウルトラマンの「しゅわっち」にせよ、
全部、日本の文化かな、と思ったわけです。
剣道はどうかしらないけど、そういう伝統がどっかにあったのか
な、とか。っていみでは、
>>731 の話はうれしいです。
ようするに、「雷声」が、「しゅわっち」の原型であったという
ことが判明したわけで、海外じゃあ、そういうのないじゃないです
か。まあ、ブルースリーもふくめた、中国はにているんですが。
ってわけで、武士と騎士、声の大きさで武士の勝ち!
残念 騎士 斬り!
>>733 相手に畏怖を与えるために鳴り物(銅鑼等)を鳴らすなり、怒号を発して戦端を切り開くなどは
何処の地域でも通常に行われていますよ。それは、それだけ相手の士気を挫くために有効な
手段であるからです。どのような文化圏・文明であっても、それは同様です。
ただ、日本では「名乗りを挙げる」等の行為に表されるように、相手に自分の威を示すことにて
特に士気を挫く、統率を乱させることを重視していたとも考えられますね。
ちなみに
>>731 とは、これとは些か趣が異なります。
雷声とは動作に転じる際の拍子を取り集中力を増させるという意味合いのものであり、相手に
畏怖を与えようとするようなものではありませんので。これも東西問わず見られるものですね。
735 :
世界@名無史さん :04/12/18 01:52:46
>>734 トルコの軍楽隊とかも思い浮かびますな。
あれは味方の統率を取るためのものだろうけど。
736 :
世界@名無史さん :04/12/18 01:54:09
>>734 なるほど。
つまりその、生物学でいうところのハンディキャップ理論による
進化論みたいなもんですね。ガゼルがライオンにたいして威張る
みたいな。
737 :
某研究者 ◆3qjiX6plj2 :04/12/18 09:05:33
まあ腹部にはスペースは有るかも知れないが(苦笑) 現実には其の様な長巻は持っていたのかだが 新撰組や西郷等も攻撃に対応出来るのかだろうし 騎馬武者は自分の価値を高める為に戦っていた訳では無いだろうし まあ同時代の騎士の質の低いプレートを(苦笑) 剣の間合いに入られる前に一撃を食わせられないのかだが 映画に其の様な場面は有ったかも知れないが この時代では鉞や金棒も有るかも知れないが 騎兵を阻止する土塁や柵の設置は兎も角(苦笑) 攻城戦の際等は特に問題が出た可能性は有るだろうか まあ立膝で座った槍兵と言うのも居ただろうし 此れを用いては組み討ち或いは上からの杭程度は簡単に埋め込めるだろうが
738 :
某研究者 ◆3qjiX6plj2 :04/12/18 09:07:33
まあ主君の為に銃も打てるかも知れぬが 宮本武蔵(苦笑)も腕が余り上がらないかも知れぬし 確か携帯可能な人間は居たのかだろうし(苦笑) 槍兵も騎兵が突入する可能性は有るだろうか まあ隙間が完全に隠れるタイプの物では 其の後ろからなら可也切れた長巻は有るだろうし まあ此れで殴られればプレートの手足の薄い部分なら パイク兵や侍が居ない限り(苦笑) 戦う為に弓兵の主君の為だと言うが 槍・軽量の薙刀・騎兵が主武器だろうか(苦笑)
739 :
某研究者 ◆3qjiX6plj2 :04/12/18 09:10:05
戦国時代では打刀が突入する訳だが まあ歩兵の2−3Mの槍や打刀でも 主君の為に戦った騎士なら鎧は鎖だろうし まあ主君と言うよりは自らの権威を保つ為に 直前迄は座り直前に屈んで落馬させるか 長巻の様な(苦笑)太刀がトーナメント用等に有っただろうか 頭部や肩・手足はどうなのかだろうし 人間も主君の為に死んでアウトレンジ出来れば 戦は無いかも知れないし(苦笑) まあ槍の為に手足を砕く・或いは 肩やってだと言うよりは 主君で殴って戦った様な問題と言うのが正解かも知れないが(苦笑)
740 :
某研究者 ◆3qjiX6plj2 :04/12/18 09:12:53
槍に関しては鎧の上から殴れば ツヴァイハンダーと同程度だろうし(苦笑) 侍の・或いは敵の歩兵に攻撃されたら負け或いは 先に可也の大きな傷は与えられても まあカウンターで杭を排除されれば 獲物も(苦笑)傷を負う可能性は有るだろうか 騎馬武者は両手でも使えるかも知れぬし 14世紀以降では有っただろうか(相手によりプレートとか言う名称だっただろうか) 片手槍・槍の差は出て来るだろうし 馬上では自ら相打ちと成る騎士が切れるのかも知れぬし(苦笑) 名を残す為に突入するバスタードソードを構えれば 剣速はパイクの太刀の片手剣でも両手持ちよりは 剣対剣や巨大な衝撃は無い訳だろうから 弓で馬や足を打ち抜くかも知れないが
741 :
某研究者 ◆3qjiX6plj2 :04/12/18 09:15:19
組み討ちで隙間を貫く事は野太刀・長巻以外では困難かも知れぬが まあ南北朝時代の大薙刀や長巻・野太刀なら 鎧の厚みも増すかも知れぬが(苦笑) 有る程度は可能かも知れないが まあ頭部の部分に槍や片手剣で貫く事も可能だろうが (まあ強弓ならこの部分を胴体や馬鎧で殴られれば厳しい(苦笑)) 兎も角頭部へのスペースの有る首が固定されればスペースの有る首は まあ鎧も鎌倉時代にも十分だろうか(苦笑) 場合に拠っては致命傷も与えられるだろうし 剣速の差も有るだろうしと言うのが 更に不利と成るかも知れないが まあ騎士が盾を持っている場合は組み討ちを受ければ 剣で打ち合った場合でも両手持ちの打刀と重い片手剣との 騎士の甲冑は組み打ちの際には関節の可動範囲の問題も有るだろうし 騎馬武者の手足は余計防御力は無い訳だろうが
742 :
某研究者 ◆3qjiX6plj2 :04/12/18 09:17:50
まあ防具の差と言うのも騎士も手足は余り防御力は高くは無いだろうが 何れが強いと言えるのかだが(苦笑) 下馬時は騎士は片手剣・騎馬武者は両手用の槍だろうし 不利と言う事は無いのかだが まあ相手の剣速が(苦笑)早い場合は 組み討ちでは関節の可動範囲を制限されている騎士の方が まあ速いだろうしどうなのかだろうし(苦笑) 槍を持つ騎馬武者が剣を持つ騎士と互いに(苦笑)下馬して戦った場合は まあ別にプレートを斬らなく共有効打は与えられるだろうし 下馬しても(苦笑)至近距離から装甲の薄い脚を狙えば まあ恐らく問題は無いかも知れないが どうなのかだが(苦笑) (13世紀の乗馬突撃の場合は馬を狙えばどうなのかだろうし 下馬して槍を主武器としていたかも知れぬだろうか) まあ戦って突入して来れば厄介だろうが(苦笑) 14世紀なら(苦笑)パーツは胴体程強度出て来るだろうか 肩の正しい騎馬武者はプレートは無いだろうか(苦笑)
743 :
某研究者 ◆3qjiX6plj2 :04/12/18 09:24:03
>>734 >日本では「名乗りを挙げる」等の行為に表されるように、相手に自分の威を示すことにて
余程頻繁に行われたかの様に思われている様ですが、実際には戦場で身分・実力の
つりあった「好敵手」同士で行われたものであり、互いの由緒正しき事を証明するた
めの手段でした。蒙古襲来でも、然程足枷になったとは思えません。
寧ろ、相手と言い合って言い負かす、「言の葉戦」が「威」の行為に当たるでしょう。
>>744 えぇ、その通りです。「名乗りを挙げる」行為が頻繁に行われていた、とは私は発言しては
いませんが…。当然ながらも戦場、特に混戦状態の中で名乗りを挙げる云々などという
行為は効果的とは言えませんし、非現実的ですからね。限られた局面でのみ、敵味方の
注目を引く(士気を高揚・挫けさせる)行為だったと私は考えておりますよ。
蒙古襲来に関しても私は言及しておりませんが、山野氏と同様に足枷になったとは、到底
思ってはおりませんよ。(そもそも、異敵に対して名乗りを挙げるのかすら疑問ですから)
746 :
世界@名無史さん :04/12/18 17:09:26
>>744 >相手と言い合って言い負かす、「言の葉戦」が「威」の行為に当たるでしょう。
どういうことやったのか気になるな。
大儀を主張したりとかかな。
やっぱり主君のことを貶されたりなどすれば激怒したのだろうか。
言葉による挑発とか、敵に対する蔑称とかも知りたいな。
>745 一般にはそう思われていますが、という事です。また、名乗りで萎縮させる かの様にお書きになっておられたので、ついでに申し上げたという事もあり ます。名乗り云々については、『八幡愚童訓』にありますが、疑わしい。 『神道集』だと、天竺人にも和歌を読ませていますし、あまり深く考えていた とは・・・。論功行賞の意味もあったでしょうが。 >746 慈光寺本『承久記』では、鎌倉から京都へ派遣されていた代官の伊賀光季と、官 軍を率いる平判官の間で、大義名分の言葉が戦わされています。 『古今著聞集』には、熊野海賊との間に、米の帰属について云々するやり取りが 記されていますね。本文にはありませんが、一応両者とも「言の葉戦」という事 になっています。 蔑称としては、「ははまき(母親と寝た奴)」、「汝が母のつび(陰部)」等。 後者は「お前の母ちゃんデベソ」に相当するもので、裁判相当の罪とされました。 記紀にも登場する「タワケ」も、近親相姦・獣姦者の意。 トルコなどでは、「お前の母と寝てやったぞ」になりますから、面白い。 今でいう「馬鹿」にあたるのが、「白者(痴れ者)」や「をこの者」。 「馬鹿」が出て来るのは南北朝時代からで、戦国期までは狼藉者を表しました。
>>747 どうもありがとう。
そういう知識も持ってるってのがすごい。
英語で言う「マ○ーファッ○ー」と同じような感じなんだね。
欧米人に中指立てて挑発すると大変だって言うよね〜。
どの国も「母親」と「セックス」を絡めるのが罵倒なんだねw 男がこの2つをタブーとすることが、世界中で普遍なのだと悟った。 とどのつまり男はみな、マザコンなのだ。母は聖なる者であってほしいのだ。
別に母親に限らないのでは? 当の本人ではなく、肉親に対して侮辱の矛先を向けるというのが「卑劣な罵倒」なわけで。
いや、母親が断然多い。 父親や兄弟姉妹、祖父母よりも。 たしかに兄弟姉妹より母親を性的にけがされた方がムカツクw 自分が確実にこの母親から生まれてきたってことを意識してるからなのか。 その母親を性的に汚すことは自分の存在が汚されることに他ならないからなのか。 興味深いな。
世界の歴史において、 近親相姦でも、父親が娘の処女をもらう文化は結構あったらしいけど、 その逆って聞かないからなあ。 人間が死ぬときに呼ぶのもたいてい母親だって言うよね。 漫画とかだと父親をバカにされると切れる、ってパターンが多いね。 武士の場合はやはり家門を汚されることを恥と考える傾向が強いのかな?
死ぬとき母親の名を呼ぶのは日本人に多いみたいね。 欧米人は神様の名を呼ぶのが多いらしいね。
そろそろ武士や騎士に関係ない話は止めにしませんか?
755 :
世界@名無史さん :04/12/21 20:11:16
サウラビ
花郎こそ正義
>>754 死生観は関係あるべよ。
あんたは単純な武力での強い弱いしか頭にないんか?
それだったら別の板でやってくれ。
武道板・三戦板・軍板なりで。
>>757 いや、他に装備、戦術、遠戦主体なのか、近接戦主体なのか。
死生観に関して言えば騎士に自害のようなものはなさそう。
少なくとも近親相姦の話は関係ないと思うが。
別に武士や騎士でなくとも同じような話が多い。
逆に聞くが武術を世界史板で語ってはいけないきまりでもあるのか?
最近その手の方がめっきり減ってしまった。非常に残念だ。
原因は何となく分かったが。
>死生観に関して言えば騎士に自害のようなものはなさそう。 云々する以前の問題な気もしますが・・・。 我が国には斬首を「生の否定」と捉える傾向があり、死体の首を刎ねる事に 執着したり、「首を切られたら往生出来ない」という理由から、体を何度も 刺してもらって死んだ武士もいました。 座したまま十数回刺されて死んだといいますから、たいしたものです。
>>758 >最近その手の方がめっきり減ってしまった。
単純に人が少ないだけでは…?
>原因は何となく分かったが。
教えてきぼんぬ。
>>759 どうも。 自害にはそうゆう意味もあったのですか。
>>760 いや前は実際に経験された事を書かれた人がいた。
原因はだいたい察しがつくと思うが。そうゆう人が嫌になるようなしつこい書き込みが多かったのでは?
最近は、武士とゆう存在を真面目に考察する人が山野さん以外にはいないと感じる。
>>761 なるほど。
漏れは世界史の範囲であれば、
色んな意味での強さを探ったほうが、
話題が多くていいと思うね。
身体を張った検証もOKやね。
腸を切る、という行為に、生命の断絶を見る意見もありますね。『神道集』と いう南北朝時代に成立した縁起集成本には、諏訪の縁起も収録されています が、その中に、地底の異世界から脱出する際、鹿肝の煎餅を食べながら脱出 する場面があります。内臓に生命を見ていたのかもしれません。 武士にとっての狩猟は一大行事であり、不参加は文字通り首に関りました。 「山の神」に関する故実も彼らの心得の一環であり、内臓に対する意識が高か った可能性もあります。もっとも、こんな事ばかり言っていると自害のし様 が無くなってしまいますから、「こじつけ」に注意する必要もありますが。
>761,762 (・∀・)ニヤニヤ
装備とかは置いといて戦法でいうと 単独で戦おうとする武士に対し集団で戦う騎士 の構図から武士が不利だな。 ただ陣地戦、日本での防衛線ならまけることはないと思う。 遠征能力でいえば日本は貧乏なので全くないといって いいんじゃないかな。 実際大和朝廷の百済遠征と秀吉の朝鮮出兵で一杯一杯ですからね
766 :
世界@名無史さん :04/12/25 01:26:09
中国なんかだと「背水の陣」とか色々戦術・戦略が書物の形で残ってるけど、 騎士・武士についてはどんな感じですかね
767 :
世界@名無史さん :04/12/25 01:32:16
ところで西洋のレイピアを使った剣術と日本の剣術、どっちが強いの? オスカルとかダルタニアンが、宮本武蔵や沖田総司と戦ったら?
768 :
世界@名無史さん :04/12/25 01:57:14
>オスカルとかダルタニアン 実在の人物ではないような…。
騎士
まあ矢張り体臭の面から考えても騎士が勝つ 肉食ってから半端じゃない
>>766 兵法だと、日本では孫子が割と教本代わりに使われていた。武田信玄の風林火山なんかは
モロに孫子の影響なのは有名だよね。但し、やはり日本の地勢には合わない兵法なんかも
多いわけで、そういった部分はアレンジを施して使用していた筈。
例えば「小高い丘は治水の関係上から陣を張ってはならない」などという記述は、日本では
水源から鑑みても枯渇の恐れは無いから通用しない。森林山岳地帯が国土を占めるので、
隘路を行くときは…、等の心得も実践するのは非常に難しい。兵の展開をするにも、小勢が
互いに争う場合が多いので用兵においても、それは同様。
ただ、「渡河の中程を射よ」のような基本的な戦術は取り入れられていただろうね。
ちなみに背水の陣は有名なんですが、正確には戦術・戦略と呼べるようなものじゃないっす。
退路を絶って士気を上げようとするのは下策も下策。あれが勝機を得たのは相手方の軍が
四方を全て緩ませることなく、がっちがちに取り囲んでしまったからですな。
>>767 鎧なし、素肌での決闘と限定するなら
レイピアが若干有利
日本刀は重い分、スピードで劣る
44マグナムが早撃ち勝負で弱いのと一緒
773 :
世界@名無史さん :04/12/25 07:09:41
>>767 高校時代の文化祭のイベントで、剣道部とフェンシング部で試合した。
剣道部、全滅した。無念。
小手なし、というルールだったからなあ。
ありだったら、五分五分以上でやれたかも。
774 :
世界@名無史さん :04/12/25 08:13:53
篭手ありならもっとだめでしょうね。
775 :
世界@名無史さん :04/12/25 08:24:48
日本刀とレピアどっちが重い?
776 :
世界@名無史さん :04/12/25 08:31:28
つまり当時の環境と現代を比較すると770の方が臭いわけでつね。 <<765。ブレンナー峠より北はからだはでかくても貧乏。貧富でいえば日本は金持ちもいいところ。 騎士は信仰上自殺が出来ねえ。
777 :
世界@名無史さん :04/12/25 08:37:22
>>771 最後の手段という意味合いが強いでしょうね。
>>772 だから、真剣のレピアは日本刀と重さはほとんど変わりませんと有識者が
言っていたのに、またスタートに戻る気かよっ!?
(竹刀)剣道と真剣のときに違いがあるように、フェンシングにもスポーツとして進化した
ものと、真剣を想定した古典的なものとに違いがあるわけで。
剣道家は竹刀のように真剣は振れないし、フェンサーは競技のようにレピアを振れない。
そんだけ。
どちらもスポーツ競技として進化してきている。特に後者はもう泣く子も黙るオリンピック競技!
競技に特化しないほうがあり得ない。
>>765 >日本は貧乏なので
それを言っていたら、「貧乏でない国はどこか」という話になってしまうのでは。
>771
>日本では孫子が割と教本代わりに使われていた。
史書としての信頼性は薄いですが、『奥州後三年記』に、源義家が中納言大江匡房
という当時一番の学者から兵法を伝授され、雁の群れの動きから、伏兵の存在を
察知したという話がありますね。
781 :
世界@名無史さん :04/12/25 09:56:43
武士は名のりを上げて単騎で特攻する習慣があったせいで 元の集団戦法に歯が立たなかったというのは有名な話ですが、 そういう単騎特攻は元寇以降は廃れたんでしょうか?
ほんとにもうどうにかして欲しい 上みたいな奴多すぎ
783 :
世界@名無史さん :04/12/25 10:00:48
その名乗りをあげて玉砕という説自体が劇画の世界
>781 >744を100回お読みになった後、回線(ry
ついでに、南北朝時代以降の集団戦・ゲリラ戦志向も何度も出ています。
>>778 スマソ、レイピアじゃなかった、俺が言いたかったのはエペ。
日本刀は戦場でも使う武器なのだから
決闘用に特化した武器に決闘で負けても何の不名誉ではないと思う
787 :
世界@名無史さん :04/12/25 10:42:21
epeもレピアですがな。重さも1,2kgほど。日本刀は1キロ弱を両手でもちますわな。 ついでに決闘専用と言うわけでもないでつ。TTDD卿は街中護身用というてますた。 決闘に使われるのはそれが身近にあるからということで。 もっともおいらは日本刀すら持ったことが無いので重さ感覚はわからんでつ。 この辺はTTDD卿が武道板で剣道や古流対戦をよくかたっていますた。 卿がいなくなったのでまともに語れる人は山野氏お一人で残念でつ。TTDD卿に絡んでた人たちは からむだけで知能はおろか知識すらないでつ。
江戸期と幕末の様相を見てると日本刀は決闘や室内戦闘、暗殺なんかに 向いてると思うけどなァ 西洋の決闘ってどっちか死ぬまでやるの?
789 :
世界@名無史さん :04/12/25 11:11:28
まあ、護身用に持ち歩く武器なら、 だいたいどこの国でも似たような重さになりますわな。 持ち歩く人間の体力に比例。
まあ矢張り護身用に持ち歩く武器なら、 だいたいどこの国でも似たような重さになりますわな。 持ち歩く人間の体臭に比例。
791 :
世界@名無史さん :04/12/25 21:50:18
>>771 ありがとうございます
やっぱり背水の陣って無茶ですよねw
漢字文化圏で早くから記録を残したりできた日本に対して、
中世ヨーロッパの騎士の識字率(正しい表現じゃないかも知れませんが)は
高くなかったようですが、
戦術・戦史の記録とかはどうだったんでしょうね?
古代ローマの軍隊は当時としては非常に高度な組織だったそうですが、
そういうものを受け継いでる面はないものか
>>788 日本刀は暗殺用途や室内戦闘にはあまり向いてないかもね。事実、幕末の新撰組が芹澤鴨を
襲撃した際に刀身の長さを見誤り、部屋の鴨居に刃が食い込んだ跡が現存している程だよ。
どちらかというと刺突目的の槍・短槍や、脇差・小刀の方が立ち回りの点でも便利だろうな。
>>791 孫子・呉子・六韜など主だった中国兵法は世界中の用兵に影響を与えたからね。
虚実、正道奇道という概念は東西問わずあるだろうけど、兵法として体系化が為されていたか
どうかは…。戦闘教義自体は西洋にも存在していたのは確実だが、虎の巻ような兵法学として
成立していたかはどうかについては、残念ながら私には全く分からないな。
誰か詳しい人がいたら、ご教授願えると大変ありがたい。
どうしても西洋兵法というと近代になってからの砲兵用兵術などの、比較的新しい分野が思い
浮かんでしまう。あとはマキャベリの君主論(傭兵不要論)などがパッと思いつく限りで、それも
戦術・戦略などに深く関わる用兵術というよりも、一種の体制論という性質が強い。
西洋兵法については、歴史学としてアレキサンダーやローマの話を軍師や学者から聞いてるくらいじゃない? >>771 もともと襲われても刀を振り回せないように天井や鴨居を低く作っておいたとか聞くが。 槍や短槍よりは日本刀だろう。
794 :
某研究者 :04/12/26 02:09:54
日本・モンゴル・中国の馬は ほぼ同じ種類であり 大きさは変わらないのであれば 中国の馬に鎧を着せた様な騎兵は 兵にも鎧を着せればまともに走れたのかだろうし 歩兵が歩く速度と大差なくなったと言う事は 無いのかだが
>>793 刀で襲われ難いように天井や鴨居をわざと低く造ってあるのを承知の上で、それでも日本刀で
襲撃を行う方が容易いという結論に結びつく過程が全く分からないんだが。
796 :
世界@名無史さん :04/12/26 10:22:24
室内でも室外でも槍>刀の構図は変わりませんよ。
797 :
世界@名無史さん :04/12/26 10:39:24
槍じゃ奇襲できんだろ
槍は強いぞ。刀でまともに遣り合ったら十中八九やられる。
だが、刀に比べると槍には不便なことが多いものだ。
アパートに住んでいる人が何かの抗争で階下の部屋の住人を襲撃するとする。
部屋に乗り込もうとするときに槍を担いでゆくかどうか。
まず階段で引っ掛かって邪魔だろう。部屋のドアから入るにも気を使う。槍を使う
ときには石突に心を置けというが、部屋が狭いと石突を繰り下げる幅が限られて、
相手に柄をつかまれる心配がある。相手が複数だとこれが特に恐い。
鴨居や天井、障害物などには刀以上に気を使う。穂先が相手に達する前に、けら首から
ポッキリ折れた、なんてことがあったら話にならん。
江戸の武士のイザコザの際にも、新撰組の襲撃も、皆が槍を構えることはなかった。
槍持ちは表で待ち構える。抜刀した者が屋敷に乗り込む。だいたいそんなものだ。
現実世界にはいろんな面倒くさい障害物があるもんだ。
要は刀には刀の、槍には槍の使い道があるということだ。
>>790 にもあるが、常備携帯できる武器は世界でも大体同じような長さ重さになるものさ。
799 :
世界@名無史さん :04/12/26 11:22:13
でもよく時代劇でで出てくるけど、鴨居の上に隠しておく武器は たいてい槍だよね。
>>799 刀は皆腰に納めておけるが、槍はいつも持ち歩くわけにはいかない。
だから手槍などの類は必ず屋内に配してある。有事の際に味方に一本あれば、勝ちにつながるからな。
それにまともな武家ならば部屋に槍を備えるのはある種の作法でもある。
801 :
世界@名無史さん :04/12/26 11:36:53
手突槍というのがある。 維新で使われたかは知らないけど。 手突槍 柄の長さ60p未満、太さ1p、穂先の刃渡り15p程の片手用槍。 通常の槍として、また投げ槍としても使う事が出来る(投げる時にもやはり槍術技能を使用する)。 江戸時代には護身用の武器として用いられ、武士が外出する時には馬の鞍や篭の中に取り付けられた。
802 :
世界@名無史さん :04/12/26 12:16:22
柄60未満。刃渡り15。全長75センチ未満? 普通の日本刀よりもリーチが短いけど、そんなに役に立つの??
803 :
世界@名無史さん :04/12/26 16:16:24
柄が長い分、使い勝手はよかったのでは? 突きのほうが斬るよりも、 傷を負わせられる範囲は狭いですが、 攻撃側は体力の消耗が少なく済むそうですし
804 :
世界@名無史さん :04/12/26 16:22:46
傷を負わせられる範囲が狭い =致命傷を与えにくい ではありませんので、 その旨ご注意を
どういうわけか、掲示板などでは突きの利点を説くものが多いがなぜだろうか? 突きも悪くないが、人間、無我夢中になるとやたらと振り回すもんだ。 刃を一振りすると、そこにまるで壁ができるように感じるのだろうな。 小さ刀を振り回しても相手に致命傷は与えられないが、三尺の刀ならば 指や手首くらいは簡単に落ちる。 かっこよく言えば、刀を振るというのは守りでもあり攻めでもあるのさ。
>>805 素人がでたらめに刃物を振り回してくれるなんて
剣道やってる者からみれば隙が出来てかえってありがたいだけだよ
>>806 おい、何の話をしているんだい
斬るにはそういう面もあるってえ話だ。
素人と剣道家の斬りあい話なんかしてねえよ
もっとも近頃の剣道家がいきなり真剣握っても、あまり素人と変わらねえんじゃねえのか
鞘から抜くときに自分の腕を深く切ったという猛者もいるくらいだからな。
新撰組は突きを多用してたと思ったがなァ 突きを払うことは難しいうえにスキも生じにくい その方法で薩摩の示現流に対抗したと聞いた
809 :
世界@名無史さん :04/12/26 18:28:00
んだ。そもそもあんな重いの振り回せるわけないべな、素人は
>>807 剣道家と剣術家は別物だよ。刀を取り扱う心得が身に付いていない人には絶対に
刀を握らせてはならない。(いきなり持たせても、腕や足を斬ったりするからね)
今回の話の命題は「室内戦闘・暗殺に槍等の刺突武器は有利か・不利か」だろう?
結論から言うとYes。刀と比較してどうこうという話ではなく、範囲が限定して扱える
武器として短槍などは有効だろうね。
実際、新撰組でも槍の名手と言われる人物が暗殺劇に頻繁に加担している。刀を
振るう相手には牽制の意味合いでも槍などの刺突は割と効果的。
刀を一振りする前に、或いは一振りした後に仕留めるわけですな。
現代でもドスが使われているのを考えれば分かるように、狭い場所でも致命傷を
与えるには斬るよりは刺す方が動作がコンパクトで回避するのは難しく、態勢を
大きく崩す可能性は低く、体重を乗せた致命的な一撃を繰り出すことが容易い。
勿論、
>>798 のような段取りが必要なのは言うまでもないけどね。
槍だけで室内戦闘を制することが出来たわけではない。あくまで有効というだけ。
>>809 突きは悪くない。狭い部屋で集団で必殺するには絶好のやり方だ。
刃こぼれしても良いからのう。それに鎖を着込んでいる相手には突きの方がいいのだ。
だが、突きははずすと体が伸びて隙ができておっかねえ。だから必殺を心がけねばならん。
そこんとこはそれこそ剣道部員にでもきいてみるがいいさ。
海賊なら、大勢を相手にしたときは、右へ左へ刀を振って威嚇しながら動き回るのさ。
>>809 このどん百姓が!
てめえは毎日もっと重い鍬を振っているだろうが!
死にたくなけりゃ、相手をナスだと思って叩き斬れ
そろそろスレ違いと官兵の大軍がやってきそうだから、そろそろ引き上げだ!
国へ帰るぞ
>>810 >剣道家と剣術家は別物だよ。刀を取り扱う心得が身に付いていない人には絶対に
>刀を握らせてはならない。(いきなり持たせても、腕や足を斬ったりするからね)
刃物握ったことがねえ奴の近くにいるのはおっかねえもんだ。
味方を斬りやがる。
だいたい近頃は包丁も握ったことがねえくせに、日本刀を語る奴までいやがる。
今度こそ、撤収だ
>>811 突きをはずして体が伸びるより斬撃をはずして姿勢が崩れるほうが怖いと思うがね
突きをはずしても斬りにいけるが斬撃をはずすと後がないと近藤勇は言うとった
>そこんとこはそれこそ剣道部員にでもきいてみるがいいさ。
自分で剣道と剣術は違うと言ったばっかりでねぇか
もう舌の根が乾いたのかい
突く武器は正対したときに、相手から間合いを測られにくいというメリットがあると思います。
ただし、当てることも決して容易ではないので、
繰り返し突き出すことが有効なのでしょう。
>>811 斬るほうが攻撃後の隙は大きいものと思われますが…。
剣道で振りかぶるのは、
「形」としての形式を重んじるからです。
それをしなければ打突としては無効ということだからでしょう。
実戦で斬り込んでいって、そのまま相手と擦れ違い、
行った先で振り返って残心をとるなんてことはありえませんからね。
815 :
世界@名無史さん :04/12/26 23:30:22
その西洋でジャパニーズサムライがブームなのは事実です。 関係ないか・・・
>>814 正対した場合はいきなり突きは行けないよ。
特に相手に剣の心得があるなら。
新撰組の突きってのは、不意を付いたり集団で取り囲んでの場合だよ。
現に池田屋の変でも、薩摩側が応戦してきたらちゃんと打ち合っているし。
817 :
世界@名無史さん :04/12/26 23:40:23
槍は強いぞ。 銃剣道部対剣道部は、勝負にならんかった。 対フェンシング部よりも差が大きかった。
>>817 自衛隊?
打ち合うレンジが違うから当然ちゃ当然。
819 :
世界@名無史さん :04/12/26 23:55:56
>>818 レンジとかでなくて(レンジはほぼ同じ)、
剣は、竹刀を中段に構えているときは隙はほとんど無いんだけど、
そこから攻撃に移るためにちょっと動くと、もう隙だらけになってしまう。
みんな有段者だったけど、全員数秒でやられてしまった。
予想してたとはいえ、結構悔しかったもんだ。
820 :
世界@名無史さん :04/12/27 00:05:56
銃剣の得物は長さも使い道も槍に近いと思うのだがレンジが剣道と同じとはこれ如何に?
821 :
世界@名無史さん :04/12/27 00:10:48
銃剣道の木のやつは 銃剣を模してあるから槍よりは短くないか? 基本的に銃の先にナイフをつけた長さなんじゃ? 槍見たいに何メートルもあるのは効いたことない 戦場で使う槍はかなり長いと思うよ。
模型屋にいってM−16やAK−74を見てみなよ。 君の身長よりは短いと思うよ。
823 :
世界@名無史さん :04/12/27 00:14:03
つーか近頃820みたいな基本的な 知識のないくせにエラそうなアホをボランティアで 諭すのに疲れてきた。 こんどからみかけてもほっとこう
824 :
世界@名無史さん :04/12/27 00:36:46
竹刀の長さと木銃剣の長さはどっちが長いか分かるだろ。 一寸違えば厳しくなるもんだよ どっちが知識がないのか分かんねえよ・・・
825 :
世界@名無史さん :04/12/27 00:43:26
せっかく実技で語れそうな人が来ても皆で潰すスレなんだな
826 :
世界@名無史さん :04/12/27 00:58:48
せっかく海賊?さんまでいたのに国へ帰っちゃったのねw
武士について語ってくれる人が多いのはいいことだが、 騎士の歴史に詳しい方は多くないのかな?
>>807 お前剣道の経験を馬鹿にしすぎ。
別にバットだろうが鉄パイプだろうが剣だろうが関係ないよ。
素人が力んで振り回すエモノなんて止まって見えるわ。
ぶはは
830 :
某研究者 :04/12/27 04:08:40
プレートアーマーに対して 突き等有効なのかだろうし 隙間を狙うのは実戦では 極めて困難との事だが 札鎧に対しては突きは有効だろうか
831 :
某研究者 :04/12/27 04:18:59
西欧の騎士ではエストックを使うのでも無ければ 両手で振るう軽い日本刀の 剣速に付いて行けるのかだろうし 掠った程度の攻撃なら札鎧でも 十分防護は可能だろうし プレートの物も戦国時代なら有るだろうか 騎乗しての槍の打ち合いなら侍の両手で振るう槍の方が 騎士の片手で振るう槍に勝る可能性は有るだろうし 槍で敵の槍を打ち払うと言う様な戦術は 騎士は無いだろうし 盾で侍の槍を何処迄防げるのかだろうし 下馬しても騎士は槍は持たないだろうが (まあマクシミリアンが下馬して歩兵と共に パイクを構えたと言う記述も有るが この様な事は稀だったのだろうか) 侍は槍を持つと言う事だろうか (騎士も侍の槍の中に上手く踏み込めればだが 槍は交差して構える場合も有るなら 簡単に踏み込めたのかだが 踏み込めれば勝てる可能性も有るだろうか)
832 :
某研究者 :04/12/27 04:37:46
833 :
世界@名無史さん :04/12/27 08:18:15
某研だけが元気だ
835 :
世界@名無史さん :04/12/27 09:12:19
836 :
世界@名無史さん :04/12/27 14:12:06
>>832 だから、弓は集団で同時に用いなければ
効果が薄いと言っておろう。
たとえ単騎でパルティアンショットができても、
モンゴルのように
敗走を偽装→追走しようとする敵を逆撃
を集団戦術として行えなければ意味がない。
837 :
武蔵 :04/12/27 15:19:12
素人が力んで振り回すエモノなんて止まって見えるわ。
838 :
世界@名無史さん :04/12/27 15:42:14
武蔵は飛んでるハエを箸で捕まえるほどの達人。 玄人の剣でもとまって見えるわ。
839 :
世界@名無史さん :04/12/27 15:44:21
取り留めの無い会話
もうすぐここも終わるだろうし。 もう次スレはいらなそう。 知識のある人は去った。 山野氏ももう書かれなくなったし。にゃあにゃあ氏もいない。 何でこんなスレになったのか?
>>840 コスプレオタが元凶であることは自明であろう。
ここは元々ネタスレだということをお忘れなく。
842 :
世界@名無史さん :04/12/27 20:04:58
>>841 。ちがうな。原因ではあるが元「凶」ではないな。
T氏をやっかみ絡んだあげく、たいした知識もないおまえが元凶。
おまえがコスプレオタの知識以上の物をかいたらそうではないがね。
T氏とはりあうなら、T氏と同じくらいの事はして欲しいね。
コスプレ会場にいかなくても甲冑をきたことがあるとか。
男のやっかみと嫉妬はみっともない。
843 :
世界@名無史さん :04/12/27 20:18:49
武田騎馬軍団とドイツ軍、どっちが強い?
>>842 よく分からんが、何にやっかみ・絡まり・嫉妬するんだ?
そして1番目のスレの最初の方に書き込んで以来、ずっとROMって
いたのだが何か?妄想爆発ですか?コスプレ汚田クンw
このゴミども! もう最後だから、思う存分暴れろ!
このスレの進み具合など止まって見えるわ
T氏と呼ばれる方は武道版でも書かれてた西洋剣術に詳しい方の事? それとは別にT氏がいるのだろうか。偽者が現れたとも聞いた。 独特な場所なんだな。 まー自分はブラックホールに行ってみます。 今回も西洋甲冑師の方がいるといいけど。 自分が4月に見た感じだとT氏と甲冑師の方はお知り合いのようでした。 まーここで言われてるT氏かどうかは分からんけど。 去年、他スレでブラックホールを紹介していたT氏はそんな感じ。
>>832 70前後と700前後で既出です。
『源平盛衰記』で源義仲が行っていたのは、明らかに後方を向いての騎射。
ただ弓が長過ぎるという御意見はもっともなもので、『吾妻鏡』にも、源
為朝の失策として、馬上で扱うには弓が長過ぎた事が挙げられています。
ネイティブ・アメリカンも、馬を使う様になって長弓から短弓の使用に
移行しており、モンゴルも短弓・長弓を馬上・地上用に使い分け、矢も
それぞれ30本ずつ用意していました(日本は長弓で29〜30本)。
我が国では長弓が続きましたが、元々騎射術の故実が宮中の行事から派
生したものであり、格式に煩かったためか・・・。
849 :
世界@名無史さん :04/12/27 23:07:34
一度伝統化させてしまうと、 なかなかやめられないのが人間だしね
850 :
世界@名無史さん :04/12/27 23:20:16
>>824 遅レススマソ。
剣と銃剣の間合いについて。
両方とも、ほぼ1間半で、変わらないんですよ。
ただ、銃剣の方が半身になる分深い。
それは、間合いに差があるというには小さすぎます。
間合いに一寸の違いというのはどうかと思います。
双方ともじっとしてるわけじゃないですし、どちらにも2〜3寸間合いを
盗む技法がありますから。
達人なら、一寸の間合いでも大きいのかもしれませんが、
それならば、昔の剣豪はみんな巨躯で、手足の長い人ばかりになるはず。
ちなみに、運体の仕方によって、1間〜1間半ぐらいの間合いを、予備動作無しで詰めることが出来ます。
あまり意味が無いし、隙が大きすぎるのでやる人は少ないですが。
>>850 みんな、いなくなりました。
僕を置いて、みんな行ってしまいました。
騎士関係の本を紹介します。
騎士とは何か、については邦文書だと中世フランスの騎士、中世の騎士文化の二冊が基本文献みたいです。
フランスの騎士を対象としている。
新書で読み易く、戦い方や騎士身分とは何か、とか扱う範囲が広いけどページ数はそんなにないから、全体的に薄味。
中世フランスの騎士
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4560058067/qid=1104157234/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-4320973-4966766 こちらはドイツの騎士を対象としている。800頁近くあって中心は中世の宮廷文化についての解説です。
中世の騎士文化
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4560028818/qid=1104157444/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/249-4320973-4966766 イングランドの騎士については鶴島博和氏の一連の論文が良いように思う。
イギリス史研究34,1983;11・12世紀のイングランドに於ける<miles>概念について,pp.1-17
史料が語る中世ヨーロッパ,刀水書房,2004;「資料」が語る騎士の姿,pp.265-288
東北大学歴史63,1984;「バイユーの綴織」の三人の騎士,pp.55-80
東北大学歴史64,1985;「バイユーの綴織」の三人の騎士,pp.38-75
騎士の装備を描いた同時代の彫刻や絵画のスケッチ集
Arms and Armour of the Crusading Era, 1050-1350: Western Europe and the Crusader States
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/1853673471/qid=1104158162/sr=1-2/ref=sr_1_8_2/249-4320973-4966766 中世の戦術書と言われているのはヴェゲティウスの戦術書で下に英語訳があります。
http://www.pvv.ntnu.no/~madsb/home/war/vegetius/ 中世の戦術については今でも下の本が基本書と言われてる。
最近の議論もこの本での議論を出発点にしてるのが多いように見える。
The Art of Warfare in Western Europe: During the Middle Ages from the Eighth Century to 1340
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0851155707/ref=ed_oe_p/249-4320973-4966766
いつもながら、長文紹介レス、ご苦労様です。ジョン王スレも楽しませて 頂いております。 >東北大学歴史63,1984;「バイユーの綴織」の三人の騎士,pp.55-80 >東北大学歴史64,1985;「バイユーの綴織」の三人の騎士,pp.38-75 この辺はすぐ見つかりそうですね。来月末にでも参考にさせて頂きます。
854 :
某研究者 :04/12/28 03:16:32
13世紀には騎士にもコートオブプレートが装備された訳だろうが これは当時の日本の皮の札鎧よりは 剣や弓に対する防御力は有るかも知れぬが 重量はどうだったのだろうか
>>854 まあ日本の重量は有るかも知れぬが
矢張り当時のコートオブプレートが皮の札鎧だったのだろうか
騎士にも弓にはこれよりはどうかも知れぬが
或いは剣は装備された訳だろうが
矢張り13世紀に対する防御力は有る訳だろうか
856 :
世界@名無史さん :04/12/28 08:35:55
人間のペニスは、動物のなかでは、意外に大きいほうなのである。 身長2メートル、体重200キロを誇るゴリラのペニスは、勃起をしてもたったの3センチである。 同じく大型類人猿のオランウータンも、4センチといったところで、チンパンジーがもっとも健闘して 8センチといったところ。このデータに比べると、人間のペニスはとんでもない巨根なのである。
857 :
世界@名無史さん :04/12/28 21:32:29
よくわかんねえが、TTDDつうのはほんとにコスプレオタなんか? イベントなどでエキシビジョンやったり、鎧の説明をしているのに必要な道具を着ているだけでないかい? それとたとえコスプレオタであっても、なんでそれが問題なん?コスプレと西洋武術の知識とそれをここで書くことがだれかに迷惑かけたんか? 全然関係ないと思うす
昨日から氏の名前を出して必死にあがいてる椰子がいるな。 「ttdd卿降臨キボンヌ」とか言って欲しいのだろうか。 氏本人か氏の名前を出して荒らすのが目的か。
>>853 山野様
ありがとうございます。
私も山野様のカキコ、楽しみにしてます。
だって私は山野様がいなかったらなかったら、このスレに来ませんでしたよ。
山野様と、ttdd様のカキコはいろんな意味で騎士を調べる助けになってます。
ここのカキコを見ていると、調べたくなる範囲が広がって面白いです。
ただ、だんだん資料を読むのが追いつかなくなってきているのが問題ですが....
>>858 荒らしてるのはあなたかと。
何か意見があるなら別ですが。
個人的には希望しますね。
しかしブラックホールも近いので忙しいでしょうから無理でしょうね。
861 :
世界@名無史さん :04/12/29 11:36:25
859「士は士を知る」てやつだね。 858はっきりいってあんたのカキコよりT卿のカキコのほうが100倍おもしろいよ。 あんたが言わなくていいから俺が言おう。「ttdd卿降臨キボンヌ」
862 :
某研究者 :04/12/29 12:24:19
コートオブプレート(12世紀末登場)は 剣や盾で受け難い鎖で繋がれたフレイル(12世紀登場)を 防ぐ為に登場し ハルバード(13世紀登場)はコートオブプレートを着た騎士を倒す為に 作られたかも知れぬし プレートアーマーはフレイルより強力なフットマンズフレイル (14世紀登場)を 防ぐ為に作られた可能性も有るだろうが ハルバードやフットマンズフレイルでは長さの問題で 騎兵を完全に阻止するのは無理だったと言う 事なのだろうか (まあ長さと言うより兵の錬度の問題かも 知れぬし 銃剣しか保たない擲弾兵が槍騎兵を阻止出来る可能性も 有る訳だろうか)
>>857 TTDD氏(現在はコテを変えられています)は、遊び心を大事にされる方で
あるけれども、実践・研究に余念のない人です。
身体も丹念に鍛えられていますし、研究と修練にに裏打ちされた技術は
見事なものです。
あ、TTDDさんお久しぶりです!
ここでttdd氏がイベントなどで鎧を着て歩いてるだけだと思われてる方がいるようなので ちょっと驚いた。 他は知らんがブラックホールでは実際に競技をされてるし他の日本人の競技者もいる。
866 :
世界@名無史さん :04/12/30 09:31:25
ttdd氏は西欧でも珍しい当地の古流剣術を研究している方なので、貴重ですよ。 逆にいえば日本の古流はまだ恵まれているのかもしれないなあと思ったりもします。 信憑性には幅がありますが、少なくとも資料も先生も結構いますからね。 まあこの板は歴史板なので、模擬実技から得られた経験よりも歴史的資料に基づく 考察のほうを重視するのは致し方ありません。 それと氏は、荒らしのようなレスにも熱く猛進する癖(?)がありますから、時々 訳分からん展開になることもありますが、堪忍してやってください。
867 :
世界@名無史さん :04/12/30 10:26:42
>>866 >荒らしのようなレスにも熱く猛進する癖
一時期は、某研にさえマジレス返してたねえ。
まあ、そういう猪突猛進なところも騎士らしいっちゃ騎士らしい・・・
急にttddの擁護レスが増えた件について
869 :
世界@名無史さん :04/12/30 14:34:58
気持ち悪いほどに執念深い人がいる件について
870 :
答え :04/12/30 20:40:52
840 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/12/27 18:46:12 もうすぐここも終わるだろうし。 もう次スレはいらなそう。 知識のある人は去った。 山野氏ももう書かれなくなったし。にゃあにゃあ氏もいない。 何でこんなスレになったのか?
初等教育は無償。 7〜14歳の子供を対象に8年制の義務教育を おこなっている(2000年)。義務教育修了後は 高等学校(2年制)に進学できる。教育制度は 実務や技術の習得に重点をおいている。 高等教育機関には、ヤーシ大学(1860年創立)、 ブカレスト大学(1864)ほかの総合大学と、工科 大学などが設置されている。 (C) 1993-2003 Microsoft Corporation. All rights reserved.
873 :
世界@名無史さん :05/01/03 16:38:20
武士が弱いという奴は非国民 大和魂の象徴たる武士道を信奉できぬ愚か者だ 世界でもっとも優れた刀剣である日本刀をもってすれば、 蛮族毛唐の甲冑など何程のものか 神国日本万歳!
874 :
世界@名無史さん :05/01/03 17:34:36
>>873 その手の荒らしは見飽きました。
おまえは武士を汚すものだ。
>>873 その手の荒らしは見飽きました。
地獄の火の中に投げ込むものだ。
釣りにしては粗悪なエサだな。 それでは、ダボハゼすら釣れないって
873にとっては漫画センゴクの作者は非国民だな。 こんなのしか来なくなったのかこのスレ。
879 :
世界@名無史さん :05/01/05 15:27:38
みんな真面目だなあ。 どう見てもネタなんだから、 騎士版のネタを作って返す余裕がほしい。
>>879 騎士版のネタってゆうと。こんな感じ?
世界で最も重厚なプレートアーマーを持ってすれば。
イエローモンキーのサムライソードなど切り裂く事できぬは
書いてて背中が痒くなってきた。英語で誰か書いて。
881 :
世界@名無史さん :05/01/06 01:36:14
騎士が弱いという奴は異教徒・異端 キリスト教精神の発露たる騎士道を信奉できぬ愚か者だ 世界でもっとも優れた甲冑であるフルプレートアーマーをもってすれば、 黄色い猿どもの鈍ら刀など何程のものか …この後に合言葉を入れたいんだけど、 十字軍とかって「万歳」みたいなセリフあったんかな? アーメン?
Viva!
ラーラーラー!
884 :
山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/01/06 19:51:12
我が国でも、「万歳」は無かったと思いますが。朝賀の「万歳」ですら、実際に は、「エーーーーッ・・・」と声を挙げただけのものでした。 「万歳」はもと「ばんぜい」と読んだもので、「ばんざい」の普及は近代から。 大日本国帝国憲法発布時の「万歳」に始まるといいますから、案外新しい。 昔は、12世紀初めに強盗団に屋敷を襲われた狛安高という楽人が、とっさの 事で太刀が間に合わず、手元の笛で応戦しながら、「南無地蔵尊、南無地蔵 尊」と日頃から信仰していた地蔵菩薩に祈っていたという話がありますね。 とっさの時に「南無三(宝)」と叫ぶ様になるのは、室町時代からの様です。 それと訂正。日本の弓が馬上で扱うにしては長過ぎたという話でしたが、弓 自体の長さはさておき、持つ時には弓把が下に来るので、見た目よりは射易 かった様です。
885 :
世界@名無史さん :05/01/06 20:17:08
スペインに行ったときでっかいクロスボウがあった。弓の部分は鉄で全体の長さは1m以上もあった。トリガーはレバーみたいで指で引くていうよりも、手で握るて感じだった。 それでも手が届かないくらいのでかさだった。台尻も肩に当てると腕が伸びてしまうほどでかい。2mくらいの巨人じゃないと使えないと思った。おもしろいのはこれが左利き専用だったこと。 小さい鉄板に穴を開けた照準が本体の右側に二ついてたから左肩にあてて使うことになるから。矢も直径2cmくらいのミサイルみたいな形をして飛行機みたいな垂直尾翼が削りだしでついてた。 こんな矢をあのでかいクロスボウで打ち出されたら自動車だって貫通すると思ったよ。
886 :
世界@名無史さん :05/01/06 20:43:29
城の防衛能力ではどっちが上よ? 中世ヨーロッパは城にこもって戦うイメージなんだけど。
887 :
山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/01/06 21:27:03
中世の城(山城)は、基本的な構造は似た様なものでしょう。 険しい山の上に壁をつくり、敵が近づけば石落としの縄を切って石を落とした り、矢を射掛けたりした。『前九年合戦絵詞』を御覧になった方はほとんどいら っしゃらないでしょうから、史料集でも有名な『一遍聖絵』に登場する当時の武 士の館の大きなものが、山上にある風景を想像なさって下さい。
888 :
山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/01/06 21:31:38
野戦の場合でも、川の中に乱杭・逆茂木を放り込み、縄や網を張り巡らして行動 を妨げる他、通り道を逆茂木で塞いでバリケードを築いたりしていました。 >乱杭・逆茂木 めちゃめちゃに打ち込んだ杭と、切り出してきただけの木々とお考え下さい。
>>山野氏 ちょっと待って下さい。 城としての構造は東西似たようなものですが、建築技術は遥かに日本は西洋よりも上です。 中国城郭に見られるような藁を粘土に織り交ぜて焼き上げ、それを更に粘土層で覆うという 頒築方法や、長期間の風雨に晒されても損傷が少なく済む組み木を用いた建築方法などは 西洋の風土では見られない技術でもありますから。 戦闘に関しては同様ですが、基本的構造は全く別物だと考えた方が妥当でしょう。
890 :
世界@名無史さん :05/01/06 22:24:56
日本には中国やヨーロッパのように、 長い防壁(いわゆる長城)を作るという観念がありませんでしたね。 山地が多いため、 天然の要害に恵まれていたからでしょうか?
西洋は町全体を城壁で囲んでいるよね。コンスタンティノープルとかハンブルグとか 日本の場合は町全体を迷路状にして敵の侵入を妨害したり奇襲をかけたりする。
保民という思想がなかったせいだろう。 つまり異民族の来襲から身を守るという考えが無い。
893 :
世界@名無史さん :05/01/06 23:39:15
>>890 日本以外の防壁に近いものは、元寇のときの防塁くらいでは?
あとは歴代の首都にすら壁の類がないからなぁ。
発想が違う気がする。島国だからなのか。
支那にしろ、欧州にしろ、その手の長い防壁(いわゆる長城)は、
外敵(異なる社会集団)を内側に入れないため「だけ」ではなく、
こちら側の人間を外側に出さないための、一種「界境」だからね。
なんか平安時代の都はおろか、戦国時代でさえ、そういう「界境」は
日本には無いんじゃないかな。
それに近いのはむしろ江戸時代の関所なのかな。
そうすると確かに「山地が多い」せいな気もする。
けど、そもそも長い防壁だけじゃなく、道も作ってないしな日本。
どこで聞いたかは忘れたけども、欧州は森林に覆われていたわりに氷河のおかげて比較的手頃な石材が入手しやすかったせいで、 中国と違って土よりも石で城壁を作る方が楽だったとかなんとか〜 >中東はイスラム期以降、都市の外壁、城塞は石造りが主流。
895 :
世界@名無史さん :05/01/06 23:45:18
>>891 中世欧州の城は、日本で言う城下町が城の(城壁の)中にあるようなもの。
でも、時代が下るにつれ、そうでもなくなってくからね(町が外に出る)。
城に関連する町の人口規模が理由なんじゃないのかな。
日本の場合、平安時代までの都にしろ、中世の山城にしろ、都市人口が
欧州のそれや、古代支那のそれよりずっと多いんじゃないのかな。
>>899 だから、「構造」の話ですよ。自然の地形を利用していると、似たような構造
になって来る。二条城と五稜郭を見比べてみると、人間の文化の妙を感じて
しまいますが・・・勿論、似ているのも面白い事です。
>>892 そもそも、内裏にしょっちゅう盗人が侵入していたにも関らず、心配されてい
たのは天皇の身の「穢れ」の事でしたからね。平安京における玉体の安全という
ものは、所謂「警備」の中に神性に関るものを含んでおり、観念的な面が強い。
では戦の時代はどうだったのかというと、戦国期には大型化した城の中に逃
れて来た領民をかくまう習慣がありました。鳥取城もこれで飢餓地獄に。
中世前期には、罪(敵将への罵倒含む)さえなければ、非戦闘員は原則として解
放されており、「女性を見逃す」というのもその名残りだと思いますが、たとえ
女性であったにせよ、間接的にでも参戦していれば、話は別でした。
南北朝時代に書かれたものですから、史実かどうかは怪しいのですが、清原武
衡の乳母千任は、篭城中に罵詈雑言を浴びせかけた事から源義家の恨みをかい、
舌をねじ切られた上に髪の毛を木の枝にくくりつけられて吊るされ、足の下に
武衡の首を置かれ、足場が無いので泣きながら踏みつけたといいます。
心中、怒りが湧き出でていた事でしょう。
897 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/01/07 00:13:06
>>897 探してはみたのです。そちらにも行き当たったのですが、分かり難い。
『蒙古襲来絵詞』や、『平治物語絵巻』は、近世の模本が見られますね。
おっと、肝心な事を忘れておりました。御厚意に感謝致します。
901 :
世界@名無史さん :05/01/07 00:25:53
高松宮妃が亡くなった際に紹介されてた番組では、 「御所が塀にも堀にも囲まれていないのに、 皇統を存続してこれた。 そこに皇族のあるべき姿が見える」 みたいなことを高松宮が生前言われていたようですね。
つまり世間的にはほとんど無視されるということですね。
>>896 日本の貴族って、今で言う「オカルト」なことしかしてないよな。
儀式と言え。儀式と。 儀式は重要なことだ。現在でもな。
>>902 困った時の神頼み。
つまり、平時はまさに「かみ」なの。
>>903 「陣定」の内容というか、日記の内容を見ると、半々といったところです。
少なくとも、「しかしてない」という表現は不適切です。
「オカルト」という用語からは現代的な概念しか導き出せない様に思いま
すが、当時は死穢や儀礼も重要な社会だったのであり、時には臨機応変
な対応もとっていましたから、安易に「オカルト」という言葉に封じ込め
ていては、何時まで経ってもあの時代の理解には結びつきません。
少々厳しい物言いですが、正直に申し上げました。
それに貴族は儀式(オカルトか?)しかしてないということもなかろうに。 あれはあれで結構忙しいんだぞ。
恥ずかしいかぶりかたをしてしまった…。
書き込んだ時には、904氏が(笑)。 貴族が因習に囚われていたとか、軟弱であったとかいった評価は、全くの嘘 とはいえないにせよ、あくまでも一面を指すものに過ぎません。 「武」を中心とした改革・行動力を重視した立場から旧時代の貴族の価値観を 否定する「武家中心史観」は新井白石らによって喧伝されたもので、「貴族化 した(=堕落した)平清盛」といったイメージは、現代にも尾を引いています。
予定があれば朝は早いし(5時〜6時起床)、恋人と会うにせよ、会わないに せよ深夜まで起きていて、公・私の仕事が色々とある。予想外のトラブルも ある。実権のある時代は勿論忙しいし、実権を失えば内職で忙しい。 「のほほん」と言う貴族の男女の出て来るお茶のCMがありましたが、あんな のんびりした時間は貴重でしたよ(無役ならともかく)。
源氏物語のイメージとやけに違いますな。
『枕草子』を読んでも一致する事ですが、清少納言・紫式部は酒宴の時 に男性が暴れるのを嫌っていたらしく、『源氏物語』に登場する酒宴は、 理想的な落ち着いたものです。 しかし、それはあくまでも理想像。男性の書いた『宇津保物語』や漢文 学の中には、吐くまで飲んでへべれけになる貴族たちが登場します。 (馬上で)矢を射る貴族、太刀を振るう貴族、暴力を利用する貴族。 当時の学生には「狩猟や弓馬の道に優れ、学問の無い人間が増えた」と は複数の学者の証言ですが、荒々しい世界もありました。 文人貴族であっても、暴力・挑戦の肯定と無縁では無かった様です。 どうも、女流文学の世界ばかり強調され過ぎたきらいがありますね。
武士というのも、国司や検非違使を務めていた四〜五位(+六位)クラスの 軍事貴族とその周辺から生れたものとされていますから。 (以前も申し上げた事ですが、新規参入者も見越して)
>>914 この発言は許せん。近現代の文豪が到底かなわないと言って、風俗史の資料にも
なっているのに。全54帖、原文で読んで出直しなさい。
917 :
世界@名無史さん :05/01/07 01:28:56
>>916 コピペはやめなさい。私が書いた当人なんだから、勝手な引用は困る。
山野氏に文句をつける気はないので、あなたは「紫式部日記」読んで出直しなさい。
日本に城塞都市が少ないのは合戦が領民に直接的な被害を及ぼさないからではないのかな? 同民族同士の小競り合いゆえ簡単に鞍替えしてくれるしね。 日本以外では奴隷商人に売られたり虐殺されたりとかをよく聞く。
2ちゃんで勝手な引用が困るって…。 あんた電波ですか?
電波なんでしょう。 触らぬ神にタタリなし。
下げ忘れです。お邪魔しました。 伊周はヘタレですが、その弟の隆家はつわものです。菊池氏は隆家の自称子孫。
>>921 どうでもいいですが、そこかしこで荒らすのは止めてください。
>>918 領民を捕らえて身代金とったり奴隷商人に売るのは上杉謙信も毛利元就も、普通にやってた。
朝鮮の役でも朝鮮人の主に女性を捕らえて売ってたのが記録にある。
主に下っ端の兵士が即金を得るためにやってたらしい。
>>921 伊周=へタレというイメージもどうかと思いますけどね。『大鏡』の
記事も、今ひとつ信憑性に欠けますし。
同意。 史記とそれ以外の区別は大事だと思う。 すぱっと切れるものじゃないだろうけど。
朝鮮出兵時に、朝鮮人(特に子供)を攫って来て売り飛ばしたのは有名な話。 国交が回復された後、数十年間は通信使による帰国運動も行われました。 あまり書いていても、都合の良い点だけ嫌韓厨に利用されそうなので、止 めておきますが。コピペしか見ていないのに「ソース」を調べた気になって いるという人間が多過ぎますので。 国内戦での人身売買についてですが、豊前で攫って来た人間を肥後で売ろ うとしたら現地の飢饉で買い取ってもらえず、肥前まで連れて行き、二束 三文で売りさばいたという話もありました。 ただ主に対し、債務返済などで解放を求める事が出来たなどの理由で、日 本に「奴隷」がいたかどうかには議論があります。 「累代」の下人であれば解放されるべきでないという理念があった様ですが、 これにも例外がある。
アテクシ、漠然と
>>915 のような印象で、
貴族社会から武士が「軍事的役割」として抽出されたことを理由に、
その後一層、貴族の“オカルト(非直接)的”な役割への特化が
進んだような印象がありました。
>>917 解った気になってる人間が一番危ないのですよ。
出直しなさい。
まあ、この板で言ってる話も所詮2chでのこと。 とりあえず鵜呑みにだけはしない、 そんな姿勢が大事だと思います。
930 :
世界@名無史さん :05/01/07 19:56:01
騎士はキリスト教の教えどおり、 聖地への巡礼者を守ったり、 現在まで残るレディーファーストなどの紳士的な作法がある。 それに比べて武士には領民保護の観点(上の城の話でもよくわかる)がないし、 武士道は野蛮人が賞賛される思想にさえ思える。 少なくとも、弱者を護るという考えは皆無っぽいな。
>現在まで残るレディーファーストなどの紳士的な作法がある。 世界史トリビアスレより ・レディーファーストの由来は、貴族が扉の向こうに襲撃者がいた際に盾にするためである。 まあ由来ですが、これが本当ならレディファーストを 紳士的な作法の引き合いに出してしまうのはいかがなものかと。
>戦国期には大型化した城の中に逃れて来た領民をかくまう習慣がありました。 >中世前期には、罪(敵将への罵倒含む)さえなければ、非戦闘員は原則として解 >放されており、「女性を見逃す」というのもその名残りだと思いますが、 たいして面白くもない釣りだと思いますが。これから「領民保護の観点(上の城の話 でもよくわかる)がないし」という結論には至りがたい。 中世の武士の賞賛は、武芸・殺人の上手という点にも向けられていましたが、降人は保 護すべき、などの「つはものの道」もありました。降人の定義も様々でしたが。
騎士道ってほとんどの騎士がちゃんと守ったんでしょうか? ただの理想上じゃないの?
騎士の識字率は低かった。
935 :
世界@名無史さん :05/01/07 22:26:16
>>932 >降人は保護すべき、などの「つはものの道」もありました。降人の定義も様々でしたが。
「生きて虜囚の辱めを受けず」が日本の美学。
玉砕する覚悟のない民衆など足手まといなだけだから保護する価値ない。
936 :
世界@名無史さん :05/01/07 22:56:00
「生きて虜囚の辱めを受けず」は戦陣訓(東条英樹、昭和15年)では?
>936 その突っ込みはいたって普通、というより935はネタだと思いますが。 一応、身内のコネ(妻の親類など)で解放されて帰って来たら後ろ指をささ れたとか、虜にされたり敵の手にかかったら恥だという感覚はありました が、だからといっていちいち実行していた訳ではありません。 そもそも、戦の庭で全員が「生きて虜囚の辱めを受けず」を実行していたら、 言い方は悪いですが機知外沙汰です。 「勝つ事が本にて候」と言い切った者も稀でしたが、『沙石集』の中で無住が知 り合いの武士に言わせている通り、ごく一部の人間しか実行出来ていないか らこそ、美徳が際立つ訳です。 そもそも手柄も持ち帰らずに玉砕していては、自分の家も主の家も守れません。 朝倉宗滴が戦陣訓の結果を目にしたら、頭を抱えて天を仰いでいたのでは。
938 :
世界@名無史さん :05/01/07 23:16:42
>>935 >生きて虜囚の辱めを受けず
日本の美学などとは対外戦争する時代になってからのでっちあげ。
敵に降伏して、敵の戦力になっては勝負にならないから。
関ヶ原なんかは戦う前から、根回し済みで勝敗は決まっていた。
>>938 対外戦争する時代って、いつ頃からって言いたいのさ
940 :
世界@名無史さん :05/01/08 17:38:52
異文化の地を支配することに関しては、 騎士のほうが経験が豊富そうだ。 日本は民族大移動などに晒される機会が少なかっただけに、 侵略してその土地の民を治めていくことは不得意ではないか?
蝦夷とか
日本人は近代以前から、「日本人」という意識を持ってきた国だと思います。 もちろん近代国家としての国民、という意識ではありませんが。 で、敵も味方も同じ日本人、という意識のうちにある戦の場合は、降伏して 敵軍に取り込まれて生きながらえたとしても、その振る舞いがあさましいもの でなければ第三者的な視点からは蔑まれることは基本的にありません。 各地方にて独立国の赴きのある武家社会では、先祖伝来もしくは奪い取った自領地 を死守することも武名を上げる要素でもあったのでしょう。 敵は異国人、という戦の場合はどうだったのか?
朝敵・異国相手の戦闘では、非戦闘員の保護などの私戦に見えていた基本ルール が無視されています。「役」とは本来対外戦争に用いられた言葉ですが、前九年・ 後三年の役では、城外に逃れた婦女子も攻撃対象になっている。 もっとも、舞台が陸奥となると攻撃してよいか否かも判断に迷った様ですが。 この頃には既に津軽から喜界ヶ島までが「日本」とされていましたが、蝦夷の地は 微妙な位置にあったという事です。 文永・弘安の役では、降人であっても蒙古・高麗人の捕虜は殺害されていますが、 日本と関係の深かった旧南宋人は許されて下人扱いで済まされました。 辮髪(ここでは頭の両側で輪をつくった髪型)の有無で見分けたものか。 >先祖伝来 家の名の由来である「名字の地」が無いと、御家人扱いしてもらえません。 鎌倉時代後期になると、土地を売却した「御家人」も容認する様になりますが。
さてこのミラクルなスレもようやく終わりが見えてきました。 最後にもう一度クソスレ化しようではありませんか! 皆々様、覚悟はよろしいか
945 :
世界@名無史さん :05/01/08 23:53:23
世界の現状を見ると、キリスト・イスラムなど、 一神教の布教は侵略には有効だよな。 それに比べて多神教(的な)ヒンズー教・仏教はいまいちな感じ。 古代ローマ・中国みたいに言語等で独自性の強い文化を持っていれば、 宗教を使わなくても、その地の人間に強い影響を与えることはできるとは思うが、 日本の武士の場合はどうなんだろうか?
侵略しても季節が変わると海を渡ってさっぱりと日本へ帰ってしまうから、 意味不明な印象を撒き散らす。
>先祖伝来 家の名の由来である「名字の地」が無いと、御家人扱いしてもらえません。 鎌倉時代後期になると、土地を売却した「御家人」も容認する様になりますが。 西日本で五輪の塔のある一族なら、御家人以上だったと考えてよいのですか?
948 :
世界@名無史さん :05/01/09 02:01:29
負け戦状態で騎士と武士が戦えば武士が強い 勝ち戦状態で騎士と武士が戦えば騎士が強い と思う。
949 :
世界@名無史さん :05/01/09 02:41:55
>948 (武士は)負け戦状態で騎士と戦えば強い (騎士は)勝ち戦状態で武士と戦えば強い ってことか?矛盾してない?
951 :
世界@名無史さん :05/01/09 03:08:45
劣勢からでも逆転することができる、ってことでしょうか?
いずれにしても全く根拠がない 学問板といっても別に普通の人間と変わらないぽ
武士が負け戦状態なら騎士は勝ち戦状態だから わけわかめってことじゃないの?
>>947 確かに鎌倉時代になると五輪塔が墓標に使用される様になりますが・・・
御先祖のお話ですか?それならお断りしますよ。
山野さんが詳しそうだから聞きたいんだけど、 日本の家系図ってどのくらいまで信用できるの?こないだ家の やつ見っけたんだけど。ひい爺さんまでのっていた。無論 先祖は武士ということになってました。 超有名な武将の 名前も見っけました(信長クラスの知名度)。 個人的には捏造されたもので、そういうのがあるってことは 先祖が武士でないことの間接的な証明なんじゃないかと 考えています。家族は信用しているみたいですが。 別に先祖なんかどうだっていいんですが、気になるといえば 気になります。 家系図というものがどのくらい信憑性があるか、伺いたいのです。
あと、スレ違いすまん。
957 :
世界@名無史さん :05/01/10 00:45:33
いや、家系や血筋をどう見ているか、 騎士と武士で比較するのも面白いかも知れない。
家系図なんて家系図屋が ひょいひょい作るんじゃなかったかな 紙質が戦国期までさかのぼれるのなら 信用できそうだが
>>955 細かい背後の状況も分からないのに、いくらなんでも判定出来ません(笑)。
しかし・・・
>日本の家系図ってどのくらいまで信用できるの?
これだけなら、なんの意味もないでしょうね。そもそも、家系図の成立自体
どこまで遡れるのやら。文書の一通でもありませんか。
>>959 年末大掃除のときに家の蔵で見つけたものなのだが、実は見っけた
親父がハイになって外ででいいふらしそうで困ってる……
偽造されたものが多いから信用するなといってるんだけどなー
文書などは特についてなかった。ほこりをかぶった箱の中に
納まってました。うぷするわけにもいかないし、どっかで
鑑定してくれる人を探してみます。
早く親父の夢を砕かないと電波を外で撒き散らしそうで怖い(w
偽文書だと証明出来れば話が早かったのですが・・・いけませんね。 自治体史でお家の過去でも分かれば、話は早いのですが。家系図が出て来た とかいうだけでは。五輪塔の時代も分かりませんし。 そもそも、絵画史料上に墓は出て来ても、どんな人物が葬られていたのかま では分かりませんからね。南北朝時代に鳥辺野を描いたものを見たところ、 大して管理されていた訳でもなさそうな墓でも五輪塔形式のものがありまし たが。現存するものとしては、豊後の大友か・・・主に板碑でしたが。
だれしも先祖は2人、4人、8人、16人、32人・・・となるから必ず有名人にヒットすると思う。
前鑑定団で加藤キヨマ作の名前の入った家系図持ってきてる人がいた 姓は加藤さんなんだけど、案の定江戸時代に作られたニセモンだった
964 :
世界@名無史さん :05/01/14 13:40:11
武士と騎士が初めて互いの姿を見ました そのときにそれぞれがどんな感想をいだいたか述べてください
武士「ぬるぽ」
騎士「ガッ!」
武士『見ろよ、蒙古兵に手も足も出なかったヘタレがいるぞ』 騎士『なんだあ? 黄金の国の住人のくせに貧乏くさい連中だな』
968 :
世界@名無史さん :05/01/15 01:19:42
騎士「ウホッ!いい戦士・・・」 武士「やらないか」
969 :
世界@名無史さん :05/01/16 01:02:39
おホモだちになれるかは別として、 戦わずに和平交渉でも始めたら、 それそれで面白いなw
14世紀なら、武士が大太刀・長巻・鉞・六尺棒・鑓・熊手まで持ち出して、 ガチで殴り合いになります(w)。それはそれで迫力が。 >戦わずに和平交渉でも始めたら、 これも意外とありそうですが。
武士『イカス!』 騎士『イカス!』 そのままユニフォーム交換
マジレスをさせて頂くと、武士の太刀や甲冑は先祖相伝の品である場合もあ り、安易に譲渡出来ませんでした。時代遅れになっても使っているものだか ら、伝足利尊氏画像の様に、腰に佩いたままの太刀や鎧の様式は古いのに、 他の装備は新式という、アンバランスな光景が展開された訳です。 ヨーロッパの騎士には、そうした感覚は無かったのでしょうか。
伝足利尊氏画像(個人像の騎馬武者像参照)
ttp://www2.kyohaku.go.jp/gakuso/gakuso04/gsil4j.htm 抜き払った野太刀は、普段は従者に持たせていたもの。南北朝時代になると、
馬上で長刀・熊手以外にも多彩なリーチの長い武器が使用される様になった。
腰の太刀は佩かれたままだが、この時代には実用の一線からは退いていた上、
伝世品とあって使い惜しんだものか。
矢は本来あるべき数の約五分の一。一本は折れており、不自然に曲った左足、
大童になった髪形とともに、激戦後の姿である事を推測させる。
(「大童」は、結んだ髪が解けて、童形のざんばら髪になったもの。現在でも
慌しい様子を「おおわらわになる」というのは、これに由来する。)
974 :
世界@名無史さん :05/01/16 14:34:14
「先祖伝来の名剣エクスカリバーじゃ。持ってゆけい!」 「(´-`).。oO(こんな古臭い剣じゃ折れたりしないのかな…)」 まあそういう奴は身分も高いから、 実戦で使う機会は多くないんだろうけど
975 :
世界@名無史さん :05/01/16 14:49:29
>>933 騎士道も武士道も、騎士(武士)全盛の時代から少し後の落ち目の時代に
流行するわけで「今の時代」を嘆いて美化した理想。現実に即していた
のであれば、全盛の時代に流行するのではないだろうか。
976 :
世界@名無史さん :05/01/16 15:11:05
>>918 村を焼いて田畑も焼き払い、領民を城に逃げ込ませて兵糧攻めをより効率よく
行なったりしていた。
977 :
世界@名無史さん :05/01/16 15:14:53
体の大きさやらがハンデだな 西洋人も昔は小さかったみたいだが
978 :
世界@名無史さん :05/01/16 16:23:23
個人戦なら
技倆や経験でカバーできるのでしょうから
>27 :世界@名無史さん :04/10/20 02:17:38
>体がでかければ体力がある、というのは如何なものだろうか。
>刃物や弓矢までつかう戦場で体格差を勝敗に結びつけるには、それこそ
>大人と子供以上の格差がないと無理。
かもしれないが、
ただ、全体的には体の大きさと体力は相関関係が多少はあるはずで、
有利な要因の一つには数えてもいいはず
>>29 小柄なのに体力があるので驚いたのでは
>>978 私が知っている話では(意外に有名ですが)、握り飯だけ食っている車夫が馬より早く日光まで駆けたのをみて
お雇い外国人のドイツ人ベルツが驚いて、実験で肉食を与えたら今度はへばってしまったとか、食生活とも
絡んでいるようで面白いですよ。
その後ベルツは、自国に戻って持久的作業には菜食が良い、と言ったとかなんとか。
他にもあったけれど忘れた。
980 :
世界@名無史さん :05/01/16 17:14:58
肉食を食べたらすぐに体力がつくわけでもなく、食べ慣れないものに適応できるわけが ない。 肉食を与えた−>へばった−>菜食の方が持久作業に適している と考えちゃう当たりが、この時代の科学的発想
982 :
世界@名無史さん :05/01/16 18:10:22
>>981 そっちは騎士は担当してないじゃん。
ただでさえ騎士の歴史に詳しい人が少ないのに、
そっち逝ったら全然話題にできなくなるね。
そりゃあんたは武士に造詣が深いからやり易いスレなんだろうけどさ、
板違いだから日本史板へ池、ってなりかねないよ。
983 :
世界@名無史さん :05/01/16 18:17:07
「武士・侍って弱くないか?」 スレタイに「騎士」とはないけど、弱い・強いの比較対象は「騎士」でしょう からいいのでは(重複気味だし)。
クソスレでもないし、ケチらず次スレ立てれば良いだけの話じゃん。
>>980 か、山野ヨロ。
985 :
世界@名無史さん :05/01/16 18:55:41
山野の善意を無にしやがって・・・
山野は日本史フィールドへスレの流れをもっていこうとしてるのがバレバレ。
988 :
世界@名無史さん :05/01/16 21:08:13
山野氏の見識はスレにとってはありがたいけよ 同じくらい西洋史に詳しい人も来てくれれば、 スレ的にはベストなんだけど
989 :
世界@名無史さん :05/01/16 21:11:03
ごめん…orz ありがたいけよ→ありがたいよ
>>980 というか、普通に炭水化物をたくさん取れば持久力は増す。
俺が学生のころは、カーボローディングとかいって水泳など持久系のスポーツ選手は試合の
前1週間くらいは炭水化物中心にしていた(今現在の理論ではどういう食事法になっているかは不明)。
そういうことに無頓着だった俺が知っているくらいだから、結構一般的だった。
だからあながち的外れとも言えないな。
>>988 例のにゃあにゃあ氏は歴史好き歴が浅い筈なのに精力的で中身がおありです
し、たまに名無しの方にも凄い方がいらっしゃいますね。
>>991 何にしても学術系板だけに、
博識な方の存在は有益ですねえ。
色んな説が聞けるのも勉強になります。
993 :
世界@名無史さん :05/01/17 02:19:30 †
騎士なんて刀で叩き斬ればいいんだろ 楽勝じゃん
ハレルヤ!
>>990 名無しばっかの板で、もまぃが学生だったのがいつの時代か知ってるのは
もまぃ一人だけだぞ。
996 :
世界@名無史さん :05/01/17 12:22:54
以前、鎌倉で名刀正宗は蒙古(元寇)の甲冑が切れなかったので、 切れる刀を作れという鎌倉幕府の命で作られたということを聞いた のですが、実際、どのくらいの甲冑なら切ることができたか、 ご存じの方いませんか?
>>996 鎌倉で名刀正宗は蒙古(元寇)の甲冑が切れなかったので、
切れる刀を作れという鎌倉幕府の命で作られたということを聞いた
まず、このソースをキボン
『ゼロ』とかいう漫画に、それに近い意味の話がありましたが、それを聞き かじった人間が言ったのでは。あの漫画はそもそもアテになりませんし、 正宗の評価も高くなったのは戦国期からで、信用がおけません。
そもそも、甲冑(含人体)なんていちいち切っていられるものでもありません。
1000 :
世界@名無史さん :05/01/17 18:00:31
>>997 鎌倉で現在も存在し、刀剣を作っている正宗の子孫
(たしか、24代目正宗だったか)が言っていた。
1001 :
1001 :
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