●文房具の歴史●

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パピルスというのはわりと後まで皮紙(羊皮紙、仔牛皮紙)と平行して用いられていたんだ。
たしかにヨーロッパでは4世紀頃から様々な理由(1)で次第に皮紙に代替されて行ったのだが
641年のアラビアのエジプト侵入でパピルス栽培場が荒廃するまで使われていたのは勿論(2)
近年の研究では官庁の文書等にはかなり後までパピルスが使われていたことがわかっている。
 例えばシリアやイスラエルでは9世紀半ばの日付のあるパピルス文書が発見されているし、
ユーフラテ川沿いに生えているパピルス利用のためカリフが836年にエジプトから器具と職人
を導入したという記録が残っているという。またシチリアでは地理学者イブン・ホーカルが
10世紀にこの地に育つパピルスについて、それらの大半は船の索具に用いられているものの、
なお少量は官庁の文書用に用いられている事を記録しているという(3)。
 実はもっともパピルスに執着していたのはビザンチンで、ここでは11世紀にいたるまで
紙ではなく、皮紙(冊子本用)とパピルス(法的記録文書、後に皮紙の巻物に転写する)
との併用が続き、そこのころにやっと導入された紙がパピルスを駆逐していくという形を
取ったらしい(4)。だからどちらかというと西欧は皮紙への切り替えが早かった方だろう。
 なお一番極端な例を挙げると、語彙の面からして10〜14世紀の物と思われるお守り用の
整版(5)のアラビア語印刷物がエジプトで見つかっているのだが、これが紙にだけではなく
羊皮紙に印刷したものが二例、そしてパピルスに印刷したのも一例出てきているという(6)。
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あと中央アジアに関しては、書写材料としては中国文化圏なんじゃないかと思う。
中央アジアの多くの遺跡からの発掘物の示すところによると、これらの諸都市においても
中国本土にやや遅れる形で、木簡(竹簡)→帛書(もちろん前者と平行して使用)→紙、
というパターンを取っているようなので(7)。

(1)ローマの知識人はパピルスの巻子本を上等なものと見なす風潮があったが、冊子本は
検索に便利なだけでなく裏表に書けるため経済的だったこと、あるいはキリスト教徒が
小型の聖書を隠し持つのに便利だった事などのために冊子本の使用が広がるにつれ
パピルスの強度が不足気味なことが問題になったとか、あるいは逆に冊子用にパピルス
では作成不能な大きな紙面の必要性が生じたといった様々な理由によって。

(2)cf.:L.D.レイノルズ/N.G.ウイルソン:古典の継承者たち p.96:国文社
なお、このことによってユーザは比較的安価なパピルスから高価な皮紙に切り替えざるを
得なくなったために、一文字が大きく一枚にあまり字数を書けないアンシャル字体という
大文字から次第に官吏の間で手紙や書類などに使われていた空間経済的な小文字を使う
という流れが出来ていく。ただしこれは8cぐらいになってからだろうと言われている。
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(3)Bloom,John M.: Paper before Print: The History and Impact of Paper in the
Islamic World p.27f..: Yale UP.:2001: 0-300-08955-4

(4)これはいち早く紙を受け入れたイスラムスペインと比較すると極めて保守的だった。
西欧への紙およびその製造技術の導入口となったのも中東や北アフリカ→シチリア経由
よりも、ハチバやトレドを中心とするスペインが主だったらしい。cf. Bloom:p.206ff.

(5)活字ではなく版画のような一枚の版を作って印刷したもの。日本でも江戸時代までは
多くの印刷物が木版による整版で作成されたが、これは錫版による整版印刷物である。

(6)cf.Bloom p.218

(7)銭存訓:中国古代書籍史ーー竹帛に書すーー:法政大学出版局
なお中国文化圏からイスラム文化圏への紙文技術の導入に関してはアラビア人が751年に
タラス川の戦いで捕虜になったシナ人から紙の製法を伝授されたことになっているが、
Bloom(p.45)は、これは文字通りの真実と言うより逸話として受け取るべきだという。