3 :
世界@名無史さん:03/11/13 00:52
4 :
世界@名無史さん:03/11/13 00:54
いっきに人が消えた・・・・。
なんだったんだアレは。
ラストスパートだったんだろ。
主賓があまりに見事な厨的捨て台詞カマしたからっしょ。
>>1が皆のやる気を一気に奪い去るスレ立てをしたからな
逆説的に言えば
>>1が悪しき流れを断ち切ったわけで、その功績は絶大なものと言えるかもしれん
・・・ンナワケネーカ
祭りも終わりか…
| | |
| | |_____
| | | ̄ ̄ ̄ /|
| | | / /|
| /\ | /|/|/|
| / / |// / /|
| / / |_|/|/|/|/|
| / / |文|/ // / ∧∧
|/ /. _.| ̄|/|/|/ /⌒ヽ)
/|\/ / / |/ / [ 祭 _] ∧∧
/| / / /ヽ 三____|∪ /⌒ヽ)
| | ̄| | |ヽ/l (/~ ∪ [ 祭 _]
| | |/| |__|/ 三三 三___|∪
| |/| |/ 三三 (/~∪
| | |/ 三三 三三
| |/ 三三
| / 三三
|/ 三三
空しい新スレだな。
12 :
世界@名無史さん:03/11/13 19:47
公明マンセー
次は徐公明ネタか
マンセーの対象になるくらいだから管公明のほうじゃないか?
15 :
世界@名無史さん:03/11/13 22:49
すがきみあきマンセー
16 :
世界@名無史さん:03/11/13 23:01
>>12 ____
,: 三ニ三ミミ;、-、 \/  ̄ | --十 i 、.__/__ \ , ____|__l l ー十
xX'' `YY"゙ミ、 ∠=ー  ̄ヽ | __|. | | / ヽ / __| ,二i ̄
彡" ..______. ミ. (___ ノ. | (__i゙'' し ノ /^ヽ_ノ (__ (__
::::: ::;
,=ミ______=三ミ ji,=三ミi
i 、'ーーー|,-・ー |=|,ー・- | ,-v-、
i; ':: ::: ーー" ゙i ,ーー'j / _ノ_ノ:^)
ーi:: ::i: /`^ー゙`、_ ..i / _ノ_ノ_ノ /)
|:::. ゙"i _,,.-==-、;゙゙i / ノ ノノ//
〉::.:.. 丶 " ゙̄ .'.ノ ____ / ______ ノ
/ i, `ー-、.,____,___ノ\____(" `ー" 、 ノ
ー'/ 'i. ヽ、 ,二ニ/ \ ``ー-、 ゙ ノ
/ 'i、 /\ / > ( `ー''"ー'"
\ 'i," (__) / / \ /ノ
三戦板の方がましに思えてきた・・・。
とりあえず虞翻について語ろうぜ、といってみる。
前スレで暴れてたヤシはそれが目的だったんだろ
そんな感じのこと言ってたぞ
孔明の軍才ってどう思う?
演義で描かれてるような天才的戦略家とは思えないんだが・・・
20 :
世界@名無史さん:03/11/13 23:54
>19
ネタ振り?
天才的戦略家じゃないね。優秀な政治家&軍官僚って感じかなぁ。
将領としては、不向きだった様だけど、堅実に指揮してると思う。
ば〜か
>>20 演義だと何か敵の心理とかを全部お見通しな感じでしょ。
でも実際は張コウは討ち取るは以外は
これといった目立った軍功は無いし。
蛮族の平定には活躍したらしいけど、そんなの他の部将
でも十分できる事だし。
「頌嫁女臨淮陳矯,矯本劉氏子,與頌近親,出養於姑,改姓陳氏」
24 :
世界@名無史さん:03/11/14 00:08
なんで、前スレの975には答えなかったんだろうね。
25 :
世界@名無史さん:03/11/14 00:09
よく見ろsageで書き込んでる偽物だ
孔明はそんでも軍人として傑出してるとは言えないんじゃない?
無理に追撃させられた張[合β]に勝ったのと郭淮に勝ったのってそんなにすごいか?
[赤β]昭じゃなくて郭淮に一勝だけって・・・
自慢にならないよ。
孔明は過大評価されすぎ。
頑張ってね。
誰々に勝つ→だから優秀
ってか・・・・?w
本当に幼稚だな。
それこそ三戦板にお似合いの話題だよ。
第三次北伐だけで評価決めすぎ。
北伐だけなら孔明じゃなくてもできるし。
32 :
世界@名無史さん:03/11/14 00:26
ひょっとして一人でずっとやってんの?
34 :
世界@名無史さん:03/11/14 00:31
_) ナ ゝ ナ ゝ / ナ_`` -─;ァ l7 l7 (_
_) ⊂ナヽ °°°° ⊂ナヽ /'^し / 、_ つ (__  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ o o (_
) (
⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒
/ , ,ィ ハ i、 、 ! /''⌒ヽ-─‐- 、 、ー'´ \ .イ , ,ィ ハ i 、 . |
/イ ,ィ/l/ |/ リuヽlヽト、 | ゝ ,、.___, \ > , ! | ,ィ/l/ l/ uハlヽトiヽ. |
イ /r >r;ヘj=:r‐=r;<ヽ│ 「 ./ u \ | ≧ , ,ィ/ハヽ\ | |/゙>r;ヘ '-‐ァr;j<`K
r、H ┴'rj h ‘┴ }'|ト、 |./ ヽ | 1 イ/./ ! lvヾ,.ゞ、 ! .ry ┴ 〉 └'‐ :|rリ
!t||u`ー-‐ベ!` ` ー-‐' ルリ r|´゙>n-、ヽ-rj='^vヽ _レ「゙f.:jヽ ーT'f.:j'7`h |t|. ヾi丶 u レ'
ヾl. fニニニヽ u/‐' :|r| ー "j `ー ′ h゙リ {t|!v ̄" } ` ̄ !リ ヾl u iニニニヽ /|
ト、 ヽ. ノ u,イl. ヾ! v ヾ__ v イ‐' ヾl ヾ_ v ./' ト、 、__丿u ,イ ト、
,.| : \ `ニ´ / ; ト、 ト.、u L_ フ , ' |. ト、u ヾー `> /.|. ,| ::\ / ; / \
結局、この状態は
>>18がファイナルアンサーなんだろ
北伐は相手が郭淮じゃん。
郭淮に勝っても有能って事にはならない。
そんな甘い評価してたら、李カクを裸一貫から長安の主に
までのし上がらせた賈クの軍才は孔明の何倍にもなる
って事になるぞ。
よーく考えような。
突っ込みたくても我慢するのが正解
法正が劉備の最大の参謀であった事は正史からも明らかだろ。
じゃ、漢中攻略と蜀平定は誰の力なの?
漢中平定は全く法正の与り知らぬ所なの?
夏侯淵を討ち取ったのまで他人の手柄というか・・・
他人の説の受け売りはいいけど、きちんと自分の頭で考えような。
揚げ足とりばっかだな。
法正の軍事の才能に関しては今さらくどくど語るつもりは
ないよ。
お互い自分の主張を絶対譲らないだろ。
話を孔明に戻せ。
法正話は終了だ。
40 :
世界@名無史さん:03/11/14 00:49
通報しました
ナ ゝ ナ ゝ / 十_" ー;=‐ |! |!
cト cト /^、_ノ | 、.__ つ (.__  ̄ ̄ ̄ ̄ ・ ・
,. -─- 、._ ,. -─v─- 、._ _
,. ‐'´ `‐、 __, ‐'´ ヽ, ‐''´~ `´ ̄`‐、
/ ヽ、_/)ノ ≦ ヽ‐'´ `‐、
/ / ̄~`'''‐- 、.._ ノ ≦ ≦ ヽ
i. /  ̄l 7 1 イ/l/|ヘ ヽヘ ≦ , ,ヘ 、 i
,!ヘ. / ‐- 、._ u |/ l |/ ! ! | ヾ ヾ ヽ_、l イ/l/|/ヽlヘト、 │
. |〃、!ミ: -─ゝ、 __ .l レ二ヽ、 、__∠´_ |/ | ! | | ヾ ヾヘト、 l
!_ヒ; L(.:)_ `ー'"〈:)_,` / riヽ_(:)_i '_(:)_/ ! ‐;-、 、__,._-─‐ヽ. ,.-'、
/`゙i u ´ ヽ ! !{ ,! ` ( } ' (:)〉 ´(.:)`i |//ニ !
_/:::::::! ,,..ゝ! ゙! ヽ ' .゙! 7  ̄ | トy'/
_,,. -‐ヘ::::::::::::::ヽ、 r'´~`''‐、 / !、 ‐=ニ⊃ /! `ヽ" u ;-‐i´
! \::::::::::::::ヽ `ー─ ' / ヽ ‐- / ヽ ` ̄二) /ヽト、
i、 \:::::::::::::::..、 ~" / ヽ.___,./ //ヽ、 ー
ズレタ・゚・(ノД`)。・゚・
終了します
ここはとても臭いインターネットですね
もうあのキチガイは来ないの?
45 :
世界@名無史さん:03/11/14 02:01
後付の屁理屈さえ上手にこねられないのは、
1)学才がない
2)文才がない
3)何もない
のどれですか?
人の能力というのは、純粋に結果だけで判断できる=数値化できる
実績的な部分の他に、その人に実際あった人でないと理解し得ない
ような部分=よく西郷隆盛なんかで言われる徳者の部分
なんてのもあるし、他にも、当時はその業績について文書化されなかったというような
こまかい部分もあるわけだし、結局の処、トータルとしての印象で
語らざるを得ない訳で、そうなると、語る人間個人個人の
依って立つスタンスでどうとでもなるわけで。
結局、「いり豆をかじりながら天下国家を語るは男子一等の愉しみ」
みたいな事を言った幕末の志士が居たけど、そんなレベルで
話をしているという自覚を持たないと、無粋でどーしょうもないやつって事に
なっていくわけなんでさ。
正直孔明については、本国の中国人が持つある種の憧憬や尊敬の念という
雰囲気こそ大事なんであって、それが演義派生であろうと正史でどう扱われて
いようと、その部分での彼の存在意義には何一つ影響しないんでさ。
46 :
世界@名無史さん:03/11/14 02:07
彼が有能な政治家だったのか立派な軍師だったかという、1800年後の
ヒマ人たちの空論は、結局孔明がいたから魏にとって蜀がやっかいだった
という事実のまえでは堂だっていい話なんでさ。
そんなんにムキになって論難したり論破してやろうと意地張ったりするのは、
孔明がどうとかいう視点以上に、もうそいつの自己満足とか
優越感とかそういうのに根ざしちゃっているから、だから周囲は
そいつの腋臭かがされているような酸っぱい表情になっちゃうんで。
結局孔明が好きでたまらない奴に対して、
「実際あいつ大した奴じゃないし」
みたいな事を言った段階で、言い出した奴の自己満足が始まってるんだし、
だからいくらそのあと事実を積み重ねて論破しようと、
ちっとも共感好感モテないってこってす。
47 :
世界@名無史さん:03/11/14 02:09
>>45 それのスタンスと学問としてのスタンスは違うもんなんだ罠
そしてここは学問板…
48 :
世界@名無史さん:03/11/14 02:11
>47
学才無いのが一匹釣れた訳ですけど。
49 :
世界@名無史さん:03/11/14 02:14
このスレッドを1からここまでもう一回丹念に眺めてみて、
そしてもう一回「ここは学問板だからそのスタンスは違う罠」
っていってご覧なさい。
「そうはいかんざき」ってAAの学問的意義を貴方に問うてあげますから。
50 :
世界@名無史さん:03/11/14 02:25
>>46 孔明持ち上げるために陸遜を過小に評価するような態度にも「共感好感モテないってこってす」
51 :
世界@名無史さん:03/11/14 02:30
>50
その通りです。
単なる飲み屋の巨人ファンとアンチ巨人と阪神ファンの
やじり合いみたいなもんです。
端で飲んでる奴にとってはうるさくてたまりませんが、
いってはイケナイ一言とか暗黙のマナーとか引き際とかが
こういうアソビにもあるわけでして、無粋な飲み助はそこんとこ間違えて
大げんかをして出入り禁止になったりするんでやす。
ツマラン所でわざわざ一段上に立った見方らしき高説をぶって
無粋だ無粋だなんて言い出すヤシも出てくる訳だが
53 :
世界@名無史さん:03/11/14 04:32
>52
文才ないのも釣れたわけでさ。
ツマラン所、ってのは何がどうツマランのかわからんな。
この板がツマランのかこのスレがツマランのか
「いやーんボクチンつまんなーい」なのか。
人の発言見て「一段上に立った見方らしき高説」なんてうがっちゃうのは
当の本人が何を隠そう、心の奥底でいつでも「一段上」に立ちたがってるわけでさ
だからこんな無意味で不必要なヒネクレレスをsageで書いて帰っていくわけさ。
事の本質というのは非常に単純で、
「正史」なる書物群と学術的に取り組んでいる人たちが、
もう人形劇やマンガやゲームでライトに楽しむ無知蒙昧な連中を
くさして愉しもうかっていうね。
みんながそうじゃないっていうのは知ってるしそういう人たちは
俺なんぞの発言さえ微苦笑してやり過ごせている訳なのね。
いちいち反応しちゃうのが、結局「ためにする」無益な争いな訳で、
結局の所、自己満足が目的で他人の気分を落ち込ます様な発言繰り返す
空っぽな奴って事ではないでしょか?
54 :
世界@名無史さん:03/11/14 07:03
正史をちゃんと読んでで、戦史を知ってる人なら、孔明は天才的軍略家なんかじゃ無くて、政治家、軍政家系統の人間だって判断してると思うんだけど。
指揮官としては堅実でしょ。3,4千m級の山岳地帯を6,7万の兵力率いて踏破するのってのは、少なくとも無能な将には出来んと思うんだけど。
演義の様に天才的で無い→じゃ、たいした事ないな、って人がいるようだけど、極端じゃないかな。
しかも、兵力に勝る上に軍律もしっかりした敵を相手に敵地で軍を行動させて、
大過なく戦って撤退もやり遂げている。統率という点から考えれば十分有能な将帥だろう。
2.3日来なかったら消えてた、何があったんだ?
誰が人形劇やマンガやゲームでライトに楽しむ無知蒙昧な連中を連中を
くさそうとしたんだろう・・・?
ここは三戦板じゃなくて、学問板なんだが・・・
>>56 発端は前スレのこのレス
683 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:03/11/05 23:41
陸遜の軍才ってどう思う?
演義で描かれてるような天才的戦略家とは思えないんだが・・・
718 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:03/11/10 21:06
石亭は相手が曹休じゃん。
曹休に勝っても有能って事にはならない。
そんな甘い評価してたら、劉備を裸一貫から蜀の主に
までのし上がらせた孔明の軍才は陸遜の何倍にもなる
って事になるぞ。
よーく考えような。
で、こんなレスが出たりして、諸葛亮の軍事的才幹に話題が移ってグダグダに。
60 :
世界@名無史さん:03/11/14 10:51
>58
まあおちつけ
61 :
世界@名無史さん:03/11/14 11:07
62 :
世界@名無史さん:03/11/14 11:10
>17-18
このあたりの発言に漂う
「世界史板>三戦板」という優越感というか優性感ってなに?
あと、学問板だからっていうのを免罪符にしようとしても無駄だし
学問板だから何だって言うんだろ?
63 :
世界@名無史さん:03/11/14 11:10
>61
無知蒙昧な連中を連中を連中を連中を連中を連中を連中を連中を
学問の話してるスレに、人形劇やマンガやゲームでライトに楽しむ無知蒙昧な連中が来ることはいいが、
その人たちが突然、好きだ嫌いだという意見を言いはじめたらスレ違いも甚だしい。
65 :
世界@名無史さん:03/11/14 11:37
このスレ激藁タ
66 :
世界@名無史さん:03/11/14 11:38
うほほーーい
>>62 どっちが上とかいう問題では無いと思うよ。
学術的な考証をしようとしているところで、いきなり好き嫌いの話されても困るって言うだけ。
そういう話は三戦板の方でやるべきでしょ。
・・・愚痴になるけど、そういう「好き嫌い」だけでしか語らない人たちがスレ乱立しまくったせいで、
三戦板という隔場所が設けられたという過去の経緯を知らないのが増えたよな・・・。
68 :
世界@名無史さん:03/11/14 11:49
書を捨て街にでろ
書を捨て街にでろ
書を捨て街にでろ
>>62 「世界史板>三戦板」ではありません。
傍から見れば、あくまで「世界史板=三戦板」です。
要は差別じゃなく、「棲み分け」な訳です。
自分のしたい話に応じてキチンと棲み分けがされてれば、お互いにとって不幸は少ないってだけの話です。
>>62 そもそも、このスレは三戦板があるにも拘らず延命を許されたスレなんだよ。
だから学問板に沿った内容でなければ存在する理由がない。
君の方こそ2chだからという免罪符でルールを棚上げにしてるんじゃないのか?
71 :
世界@名無史さん:03/11/14 13:08
コピペに失敗したんだ・・・欝
ちなみに61は漏れとは別人だぞ。
>>69 禿同。
棲み分けしてるんであって、差別してるわけじゃない。
してるかどうかが問題じゃなくて、できてるかどうかが問題なんじゃないの?
とりあえず変に煽らない/煽りに反応しないように改めて注意すべきだな。
学問板だから、っていうなら特に。
誰がどうってんじゃなく、自戒を込めて。
74 :
世界@名無史さん:03/11/14 18:46
蜀って結局、
参謀・・法正、ホウ統
将軍・・李厳、魏延
政治・・諸葛亮、費緯、蒋エン
このくらいしか優秀な人いなかったんでしょ?
>>74 所詮は、一州なんだよ。
潜在している人的資源の量が、魏や呉に劣って当然なんだ。
質が確率的に正規分布しているものとするのなら、
優秀という評価をあげられる人間の絶対量は、圧倒的に乏しい。
そんなもんさ。
78 :
世界@名無史さん:03/11/14 21:32
のっけからハイレベルだな・・・このスレ。
>>45-53あたりのレスは、言い方きついがいい事言ってる気がする
別にいちいち演義しか知らない奴の無知から来る誤解の蒙を啓必要ないと思う
そういう話が将来的にお互いにとって「ちょっといい話」になるんだったらいいけど
結局恨み残してるだけだったら性がないし
人の間違い指摘するのって難しいんだよな。相手のプライド傷つけちゃったら
もうだめだし
何も2ちゃんねるでそこまで気を使わなくてもいいんじゃないかねえ、と思いつつ
理性的な>79氏に賛同してみます。
怨霊氏も出てこられたわけだし、官職の話でもしますか。
今、熊本のいい焼酎を飲んでいるので祭酒の話でもどうでしょうか。
祭酒は郭嘉の官職で、五斗米道からきたものであるともいわれていますが、
酒を祭るというのでは意味をなさないし、どういう職務だったのかいまいちわからないんですよねぇ。
簡野道明もさっぱり書いていないし・・
続漢書百官志に「博士祭酒」がいますよ。
後漢始めからずっと。
太常の下にあって、
いわば五経の学者の筆頭(国立大の学長見たいな感じ?)。
祭酒とは、注によれば
「賓客が主人のお供え物をもらう時に年長者が酒を捧げ地を祭る」(超訳、間違ってたら失礼)
とか。長老、年長者→筆頭ってとこでしょうか。
あくまで私の私見ですが、
郭嘉の司空軍祭酒は司空(曹操)の参謀筆頭みたいな位置付けではないでしょうか。
>>79 そもそも間違ってる事をわざと前提にして議論を吹っかけて、相手の反応を面白がってる荒らし君
(おそらく演義も孔明もどーでもいい)が原因なので、スルーできないのも厨だがそれに責任があるってのも見当違い
84 :
世界@名無史さん:03/11/14 23:03
85 :
世界@名無史さん:03/11/14 23:44
釣られて荒らしに反応する輩も、荒らしと同類だと
2chのルールにもちゃんと書いてありますよ。
これからはそれを自覚して書き込んでください。
86 :
世界@名無史さん:03/11/14 23:56
このスレ立て直した方が良くないか?
あまりに寒いよ・・・
>>86 どちらにしろほとぼりが冷めるまでは同じ事だよ
しかも煽りに反応してる輩は自分も厨だという事を自覚してないみたいだし
沈静化するまで放置するしか手はない
>>77 でも、蜀の幹部に益州出身者なんていないじゃん。
間違えた。
×でも、蜀の幹部に益州出身者なんていないじゃん。
○でも、特に初期の蜀幹部に益州出身者なんて大していないじゃん。
91 :
世界@名無史さん:03/11/15 00:29
>77
自分でも何が言いたいかよくまとまってないけど
人材の質というのは確率的に正規分布はしていないと思うんだよね。
環境が人を育て、人が環境を育てるサイクルでかなり差が出ると思う。
たとえとして適切かどうかわからないけど、明治維新というのは、
松下村塾と精忠組でほとんどの事をやったわけだけど、
萩の松本村にしろ鹿児島の加治屋町にしろ、ほとんどの人材はすごく狭いエリアから
出てるんだよね。
反対に東北からはほとんど人が出ていなかったり。
あの時代では穎川、汝南あたりと三輔が主流。
人材うんぬんというか、
一人有力者が出ればその一族、子孫、友人、部下、弟子が引き立てられるんだからそうなる。
武威出身の賈詡は孤立無援っぽくて大変だったかも。
93 :
世界@名無史さん:03/11/15 00:53
>92
うんまあそうなんだけどさ。
ただ、たとえば西郷は失脚しているわけで、
精忠組も有馬新七とか池田屋で切られちゃって、有力者が絶えた状態から
大久保一蔵が出てくるんでさ。
松下村塾も、松陰が死罪になって桂小五郎が失脚して久坂玄瑞や吉田稔麿なんかも
死んでしまった状態から高杉晋作が出てきたりしてるし、
一概にコネ出世とも言い難いと思うんですよ。
三国志世界は土地勘無いんで維新で説明してるのは心苦しいですけど、
とにかく、人材というのはそんな風に偏って出現するものである気がしてならないです。
というか、人材なんてどこにでもいるということなのでは?
それが世に出てこられるかどうか(引き立てられるか否か)は
また別な要素が絡んでくる、と。
スポーツなんかでも人口の少ないオランダが様々な競技で
強豪だったりとか、単純に「人口比=出てくる人材」とは
言えない面があるわけで。
コネという要素の他に考慮すべきは、
人材を多く輩出するということはその地が
その時代における経済的、文化的な先進地域の場合が多い、ということではないでしょうか。
学問でもスポーツでも、経済的な基盤と技術などの蓄積が無いと出来ないでしょうから。
98 :
世界@名無史さん:03/11/15 01:24
人口の多いトコから優秀な人材が出てる感じだよ。
やっぱ人が多ければそれなりの数の人材が出るって事だろう。
99 :
世界@名無史さん:03/11/15 01:28
確かに人口が多いと今でも優秀性に差が出たfりしますね。
ライバルが多いっていうのもあるし(それは教える側にもいえるけど)
つきあう友を選べるっていうのもありますね。
朱に交われば赤くなるわけですから。
経済力とか?
100getとか?
101 :
世界@名無史さん:03/11/15 19:14
うあああああ!
実況板のスレと間違えて誤爆したw
103 :
世界@名無史さん:03/11/15 23:36
静かだな・・・
104 :
世界@名無史さん:03/11/16 00:47
1よ、出てきて盛り上げろ。
105 :
世界@名無史さん:03/11/16 03:36
話題が無いのでお題
謙之字子光.才學不及父,而傲縱過之.
至酣醉,常呼其父字,輔之亦不以介意,
談者以為狂.輔之正酣飲,謙之闚而弱゚曰:
「彦國年老,不得為爾!將令我尻背東壁.」
輔之歡笑,呼入與共飲.其所為如此.年未三十卒.
この文の「」内の言葉の意味分かる人いるかな?
ちなみに俺は分からないw
穎川郡は諸子百家のふるさとですから、勉学が盛んだったのではないかな?
南陽郡は光武帝譜代の家臣たちの故郷と言うことで、後漢200年間を通じて政治家を輩出しているうえ、
荊州学が盛んだった為人材が多く出たようです。
吉川幸次郎が「後漢書列傳80巻のなかばは、河南省人の伝記であるといってよい」と喝破して居ますが、
やはり穎川郡南陽郡、それから汝南郡は人材の宝庫でしたね。穎汝優劣論が戦わされたぐらいですから。
>>89-90 だから、初期の優秀な人材が鬼籍に入るごとに、
ますます優秀な人材が上にいなくなるという罠
前から欲しいと思ってるのだが、編年体の正史を作ってみないか?
年ごとにあった出来事をおおまかな所からまず拾いあげていって
全体の流れを作っていく感じで。
そうしてみると正史のような紀伝体では掴みにくい流れを感じることが出来ると思うのだが。
また演義との違いも人の活躍以上に時間の違いなどが見えてくると
なかなか面白いと思うのだが。
どうだろうか?
読んだことないけど資治通鑑ってどうなの?編年体
>>110 ストーリー重視ってことですか。
HTMLならリンクを縦横無尽に貼れるから便利かも>編年体
112 :
世界@名無史さん:03/11/17 16:48
>110
資治通鑑はむちゃくちゃボリューム有るんじゃなかったっけ?
通史っていうダイジェスト出るほどに。
>>108 帝紀の部分を読めば、歴史の流れはだいたい把握できると思われ
まあ編年体のものがあった方が便利だが
114 :
気付き@幸せ掴む:03/11/17 18:29
今の世の中、孔明のような人物が必要だな。
人は適性として各々異なった個性や才能があり、得意な教科があれば不得手な教科もある。
人として人格が低いと、授業で与えられた教科書や教師の教えられた手順に従って学んで内容を
理解したとしても、創造的な思考や斬新で改革的な発想をすることは苦手になり、社会に出てか
ら仕事に活かすことは無理で焦りから失敗したり挫折して悪い誘惑に負けて魔が差すものです。
正しい教育とは、知育、体育、徳育のそれぞれがバランスよく施されている必要があります。
人としてより良く幸せに生きるには、人生としての生き方である正しい基準となるべき思想や
思考を身に付けるべきで、正しく有益な人生観を学ぶ心掛けも大切な事柄です。真理を含む
道徳教育からは人格を高め良心に目覚めて心の油断や隙からくる悪い誘惑にも動じなくなる。
この件に関する出典の説明があるHP↓に注目。参考にしよう。危機が近し心して暮らそう。
ttp://www.d7.dion.ne.jp/~tohmatsu/
いくつかのレスサンクスコ。
確かにやりだしたらボリュームの問題はある。
そして、
>>113の言うとおりなのだが、
現在の技術(ネットやhtml等のパソ技術)を考えれば
やってみたら面白いのでは?と思った。
とは言え、これはたくさんの人の協力が必要だし
言い出しといてなんだが、自分は正直言って無能だと思われるので
皆の議論を待ちたい。スレ汚しスマソ。
>>108 別の時代だが個人的にひっそりとやってます。とりあえずエクセル&アクセスで。
帝紀・本紀はそのもの編年体だし、そこに記載がある事柄に関しては、
列伝なども年表(日表、時には午前午後のレベルでやってます)へのはめこみを
やってけますが、大半の出来事はどの辺に入れたら良いやら、結構、大変です。
一月分くらい四角く囲って、この辺、て感じ。
でも中国の歴史史料は、事柄別には詳しいけれど、時間軸に沿った複数の出来事の把握は
弱いかなーと思う点もあるので、面白い考えだと思います。
というか愚痴みたくてスマソ。
時系列が矛盾していたり、どうにも年代を確定できなかったり、
いつの事やらまったく分からなかったりする記事もあるからねぇ。
でもHTMLでリンクってのは面白そう。
119 :
世界@名無史さん:03/11/17 22:48
蜀漢には劉備の子飼い、徐州系、荊州系、益州系、涼州系がいた。
たしか後漢末の人口は益州が最大だったはずだよね。
単に面積が大きいだけでなく、辺境の地にしては漢人ないし漢化した人が多かったということか。
荊州は当時人口増加率が高かったと推測されている。荒れ果てた中原から流入したらしい。
最終的に勢力範囲は益州のみになったが成立直後はそれなりに人材はいたんじゃないかな?
それにしても子飼い、徐州系、涼州系は数が少なくても不思議はないが、益州系が多数派にならないのは何故だろう。
諸葛亮が自身の属する荊州系で固めてしまったからかな?
120 :
世界@名無史さん:03/11/17 23:29
>119
劉備の子飼い(荊州入り以前からの)は正直なトコ、国家運営に貢献出来る人材はいなかったんじゃないかな。
事実、諸葛亮仕官以前の人材で、蜀漢中枢で実務をこなした人材って思い浮かばない。
荊州時代の人材が閲歴の古さで政権運営を担ったのでしょう。
逆に言うと、荊州系の人材が多かったため、荊州喪失〜夷陵の敗戦のダメージは相当なモノだったと。
その穴埋めに諸葛亮は益州系の人材を登用しているけど、あくまで中枢は荊州系の人材が担った。
益州人士が中枢を担うと、土着化が進み過ぎて、蜀漢政府の統制が難しくなるからじゃないかな。
土着化政権=豪族連合のような感じで。そうすると、蜀漢のアイデンティティが消失してしまうし、外来である荊州系人士が権力を失うどころか、迫害に遭う可能性もある。
121 :
世界@名無史さん:03/11/18 00:15
122 :
世界@名無史さん:03/11/18 01:39
>>121 簡体字フォントはインストールされているか?
もしくはエンコードをGB2321に設定しる
>>115 多人数での編集・他記事へのリンクなんかが必要そうだから、
Wikiとか使うといいかもね。
>>120 やはり、荊州失陥から夷陵へと至る一連の流れで
蜀漢政権の命運は決まってしまったんだろうね。
125 :
世界@名無史さん:03/11/18 15:04
>123
専用のCGI開発したらいい。
>>119 >>120 連続して、読んでなるほどとオモタよ。
もう一つ面白いことに気が付いたんだが、
よくよく考えれば、諸葛亮って劉備およびその子飼いと同じなんだよね。
戦火を避けて流れ流れて荊州に腰を落ち着けた人物なんだよな。
ある意味、根無し草と言ってもいい。
>>120が書いたようなことは、政治的バランスの匙加減が難しいところだよね。
実際には、人の登用には、情が絡むから。
諸葛亮は根無し草であるから、その辺、冷静に情を絡めずに
上手いことバランスを取れたのかもしれないな。
劉備の下にいる者の内、荊州以前の者が少ないのは仕方ないッス。
まず刺史、牧は行政を行う属官を現地採用し、
毛並みが良くて能力も優れた者なら中央に送り、それ以外も大抵は土地に付くのであって、
人(劉備)にはついていかない筈(ついていった糜竺や孫乾の方が例外)。
その上、劉備は徐州で反乱して打ち破られ逃亡しているので、
そこでまた属官は死ぬか、散り散りになるか、徐州に残ったか、
殆ど残らなかったでしょう。
そこで荊州で改めて属官を現地採用しなければならなかった。
そこで元々の根無し草同士意気投合して蜀狙いに向かう、と。
あえて根無し草を荊州に残し、
荊州現地採用組の方を蜀へ連れて行ったのは劉備の巧妙さですね。
128 :
世界@名無史さん:03/11/18 20:51
>126
諸葛亮も確かに根無し草なんだけども、劉備らとは違うかも。
劉備は流浪の身であり、劉表ら荊州政権から警戒される立場だったから、自身の人脈を派手に拡大できなかったのに対し、
諸葛亮は荊州出身ではないけども、時の荊州牧・劉表の縁戚にあたり、荊州豪族の習氏、ホウ氏(ホウトウ一族)らとも婚姻関係を結ぶなど、荊州が本籍地みたいな感じだった。
劉備の荊州支配には諸葛亮の持つ「荊州人脈」が不可欠だったんだろうね。
って言うか諸葛亮を幕下に招致出来た事で荊州を支配出来るようになったって感じかな。
追加
諸葛亮を招致した事で、将来の劉備政権の中心的役割を担わせる事を荊州人士に約束したんじゃないかな。
諸葛亮が優秀なのも当然あるけど、彼が20代後半と言う若さで劉備集団の重要人物になったのは荊州人士の代理人的存在だったと。
>130
諸葛亮の妻・黄氏の母親の姉妹が劉表の後妻で、劉jの母。
つまり、劉表の跡継ぎ劉jは諸葛亮の妻・黄氏とは従姉弟同士って事。
132 :
世界@名無史さん:03/11/18 21:21
もともと諸葛氏は琅邪の名族だからね。
人脈は豊富だったろうね。
しかも、琅邪って土地柄神秘的な雰囲気が有ったのかも・・・
>>132 琅邪…神秘…
徐盛に至っては、琅邪の徐氏…
あやしすぎるよ…
琅邪といえば王氏や顔氏か。
始皇帝の石刻とかあるね。徐福が海へ出たのも琅邪から?
何か特殊な土地柄だったのかな?
135 :
世界@名無史さん:03/11/18 21:36
琅邪は蜃気楼が盛んに発生するんだってね。
だからアノ地方から方士が沢山出てる。
戦国時代の「斉の地方に八神あり」の1つだったかな?
それに始皇帝も行ったらしいし、、
まぁ 心霊スポットとして全国区だったのでは?
って陳舜臣さんが言っていた
>>135 一説には張角はそれを見て勘違いしたとかしないとか
琅邪郡は、漢書地理志を見ると祠とか多いような印象。
>>135の言う通りなのかな?
斉の地は大国の遺風あり、住民の気風は闊達で智に長けた者多く、議論を好む。(史記貨殖伝)
経書研究を好み、功名をほこる者が多かった。(漢書地理志)
139 :
世界@名無史さん:03/11/18 22:13
そう言えば干吉も琅邪の出だな
140 :
世界@名無史さん:03/11/18 22:19
孔明は怪しい宗教家
今も昔もコウメイは怪しい
>>131 気になって読み返してみると、桓階絡みの話はすぐ出てくるんだけど、
黄承彦の嫁が蔡氏っていう記述がみつからないんでつが…
出典はどこなんですか?
ところで曹爽の腹心の一人、畢軌の父って、
エン州別駕から魯相になった畢ェ?
故福永光司氏によれば、斉には青巫という原初的な道教(鬼道の道教)が広がっていたのだそうです。
がいしゅつの八神も道教と関係が有るらしいですね。
青巫は祭祀・祈祷・まじない・のりと・おふだ・かみがかり・お告げを行っていたそうな
(福永・五木『混沌からの出発』中央公論新社)。
>そう言えば干吉も琅邪の出だな
干吉は原初的道教に易や老莊を取り入れるなど、教義を洗練させることを行ってますね。
144 :
世界@名無史さん:03/11/19 00:22
145 :
世界@名無史さん:03/11/19 00:47
前スレで暴れてたヤツらは三戦板に帰っちゃったの?
>>142 たしかに疑問に思えない事も無い。
「武帝紀」の建安三年の項に、”東平の畢ェ―”、とあって、
「曹真伝」に付属する曹爽の伝にも、”東平の畢軌―”、と
あるけど、これくらいしか手がかりにならないかも。
父の字が子礼らしいけど、名のェに、「まこと、信実」などの
意味があるし、字と関連しないとは言い切れない気もする。
父が曹操のエン州時代の人物らしいから、世代的には問題
ないように思える。
確証もてなくてもうしわけないけど……。
148 :
世界@名無史さん:03/11/20 00:05
出身が同じってだけなら、同族と考えるのが普通じゃねえか?
>>147 ありがとう。やはり他には無いか。
>>148 いやあ、どこかに何か記述あるのかもと思って聞いてみました。
同族なのはまず間違いないでしょうね。それ以上は不明、ですか。
150 :
世界@名無史さん:03/11/20 00:17
孔明の姉婿であるホウ山民って、魏に仕えてるのな・・・
孔明の情報とか、姉と山民を通じて結構魏に伝わったんだろうね。
151 :
世界@名無史さん:03/11/20 06:51
>151
その他にも、司馬懿が孔明に送った手紙の内容をなんだけど「好男子、黄権君はいつも、あなたを褒めちぎってます」なんてあるから、蜀から魏へ所属を変えた連中からも情報は伝わったろうね。
徐庶はどうかなぁ
たしか諸葛亮から司馬懿への書翰だと思ったけど、荊州時代の
友人である、孟建によろしく、って伝えるようにあった気がする。
ということは、孟建からある程度の諸葛亮の情報は、魏へ流れて
るようにも思える。
154 :
世界@名無史さん:03/11/20 20:05
話題が変わるのだが、劉備の即位後も法正が存命だったら、蜀漢は丞相職は置かなかったのかな?。
それとも即位前に法正はすでに尚書令だったから、彼が丞相?
そうすると諸葛亮はどうなるのかな。
まぁ、劉備がいるうちは上手くやってくだろうけど、後主即位となると、凄惨な権力争いになりそうだなぁ・・。
魯迅が諸葛亮を「知、多けれど妖に近し」と評したというけど本当?
出典を知っている人いたら情報求む。
『中国小説史略』のはず。
ただし、三国演義の中の諸葛亮についての批評です。
実物の諸葛亮を評するなら、魯迅の思考形態からいって、大上段からの断言ではなくて、
もっと理詰めで攻めてくることでしょう。
書き忘れ
つまり、諸葛亮より羅貫中の評といった文だったという記憶が…確か
159 :
世界@名無史さん:03/11/21 06:56
>155
諸葛亮と法正は性向は違ったけれども、公の立場に立って互いに認め合っていた。
って法正伝にあるね。
仲悪いまで行かないけど、性格が合わなかったのは確かなよう。
諸葛亮は公正な人格者っぽいけど、法正は、権力を得ると過去の些細な恨みでも復讐するような俗物タイプ。
劉備も諸葛亮に対しては尊重し、法正は寵愛した、って感じだね。
劉備と相性が良かったのは法正かもね。
>>154 法正が尚書令・護軍将軍の時、諸葛亮は軍師将軍・左将軍府事…。
ここからすると、法正の方が丞相に近いと思う。
更に、諸葛亮に法正の権限が抑えられなかった事を考えると、法正が諸葛亮の立場(独裁)に就いたのでは…。
>>160 その場合は法正への反発が強くて、下手すれば諸葛亮も巻き込んだ
宮中闘争が起こっていたかも。諸葛亮がそれを望むかどうかは別として。
荊州人士は諸葛亮を立てるだろうし。
「季漢輔臣賛」を所有している人いる?
たいした分量じゃないから独立させて出版したりはしなさそうだと思うが。
とりあえず書虫と東方書店では見つからなかったよ。
>164
それは残念だなぁ。蜀将の実像に触れることができると思ったのにTT
166 :
世界@名無史さん:03/11/21 18:54
>160
劉備あっての法正って感じであって、組織人として生きていけるか微妙なような気がする。
法正存命中に劉備即位なら、丞相職は置かなかったのでは?
ってか、東征に没頭するために諸葛亮を丞相・仮節・録尚書事に封じたのかも。
国政の煩わしさから逃れる為にね。
後主即位となると棲み分けが難しいだろうなぁ。
強いて言えば、法正→大将軍・録尚書事・督中外軍事。諸葛亮→侍中・尚書令・益州牧で○○大将軍、って感じかな。
妄想なんだが。
167 :
世界@名無史さん:03/11/21 19:04
法正失ったから諸葛亮がなんでもやらなきゃならなくなって
きつかったように書いてる人もいたけど、実際もし存命していたら
職制が重ならない分野で充分にやって行けたと思われるね。
>>165 163氏の言うように三国志の蜀書楊戯伝に付録してるはず。
訳本が欲しいのなら、ちくまの三国志の蜀書の分を確認してみては?
多分、付いてるんじゃないかと思う。未確認だけど
169 :
世界@名無史さん:03/11/21 19:17
>165、168
ちくまの楊戯伝に付録してるよ。
ってか、楊戯伝ってその為にあるようなもんだし。
170 :
世界@名無史さん:03/11/21 19:19
ちと思ったのだが、>162氏は「華陽国志」と勘違いしてないか、もしかして。
..166
法正→費イ
諸葛亮→董允
という感じですか。
後は、思うに益州の在地勢力(豪族とか)って、蜀漢政権をどう見てたんすかね?
法正も生え抜きの益州人じゃあないから、そっちの利権というか、蜀漢政権への
求心力を、どう維持するかとか。
172 :
世界@名無史さん:03/11/21 19:55
派閥というのは首領が作るんではなく部下が作るものだからな。
諸葛亮のところが明らかな人閥になってたら、その閥から漏れた
人がもう一方の求心力に集うのが世の習い
華陽国志とは何ですか?
174 :
世界@名無史さん:03/11/21 20:02
>171
いや、ちょっと違う感じ。
良い意味での
法正 →姜維
諸葛亮→陳祗 のような感じ。実質的な益州の統治は諸葛亮で、法正は国防のみ。
魏の司馬懿と陳群の関係と言った方が適切かも。
益州の豪族達はちょっと距離を置いてたんじゃないかな。
無茶な政策を取らず(対外戦争とか)、在地豪族の既存権益を保障・してくれれば、まぁ協力をしないでもないよ、みたいな感じじゃないかな。
>166で書いたけど法正は蜀漢と言う組織と言うより、劉備個人に仕える事で才能を発揮した感じだからねぇ・・・。
実質的な統治権は諸葛亮に委ねないと政権に身を置けないでしょうね。
175 :
世界@名無史さん:03/11/21 20:06
>173
益州出身の常キョと言う人が書いた益州の歴史・地理・人物の事を書いた書物。
三国志では出てこないマイナーな人物の事を記してあるよ。
日本語訳は一部しか出て無いみたい。
王朗の子、王粛は「孔子家語」の戯作者として名高いと三国志人物事典
(渡辺精一著)に書いてあるけど本当なんですか?
新明解百科後辞典には戯作とは書いていませんが、どちらが正しいので
しょーか?
三国志演義では南蛮遠征時にサルの脳や大蛇を食する話が出てくるけ
ど、雲南地方には実際にこのような習慣があるのかな?
映画インディ・ジョーンズでも似たような料理が出てきた。
舞台はミャンマー界隈のようだったと思う。
>>176 漢書芸文志に孔子家語が見えるが、顔師古(唐)は「今言う孔子家語とは違う」と注釈。
隋書芸文志に再び現れるが、これは王粛注のもの。
正史では南斉(南朝斉)書が初見だ。
諸子百家の文献にも見えない。呂氏春秋にさえ見えないのは、確かに怪しいね。
で、大漢和辞典によれば、
前後漢を通じて孔子家語について言及した者はいない。
当代の大学者鄭玄でさえノータッチ。
上記したように、残っているのは王粛注のものだけ。
王粛が鄭玄への対抗心から、自説の根拠として捏造した、とある。
内容は、それまでの主要な文献からの寄せ集め、とのこと。
大漢和では「唐以来その偽書なるを知られながらも」とあるけど、
司馬貞などもバンバン引用しているので、内容そのものは有益とされたのでは、と思う。
どっちが正しいかは…漢書に見える孔子家語が発見されればわかることでしょう
179 :
世界@名無史さん:03/11/21 21:21
法正、龐統、李厳、魏延、馬良は軍師タイプ
諸葛亮、蒋琬、費禕、宗預、張裔、
劉巴、董允、ケ芝、李福、呂乂、廖立は政治家タイプ
趙雲、陳到、向寵、張翼、姜維、
王平、呉班、馮習、羅憲、李恢は司令官タイプ
関羽、張飛、馬超、黄忠は一時代前の武将タイプ
呉壱、譙周、許靖、杜瓊、董和、
費詩、孟光、楊戯、来敏、李譔は土着有力者タイプ
180 :
世界@名無史さん:03/11/21 21:23
法正…俺もよく聞くが早死にしたらしいな…
あんま詳しくないんで誰か説明よろ
大漢和辞典が欲しくなってキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!
だけど、総計24万円は高嶺の花ですなTT
182 :
世界@名無史さん:03/11/21 22:00
>180
じゃ、簡単に。
法正、字:孝直。扶風郡ピ県出身。
飢饉に遭って益州入り。
劉璋に重用されず、不遇だったため、張松らと劉備の入蜀を謀る。
ホウ統の戦死後、軍議を預かり、益州平定に力を発揮。
その功績で揚武将軍・蜀郡太守となり、首都圏を統治する。
その時、昔の恨みを晴らしまくったと。
217年、劉備に漢中奪取を進め、劉備と共に出征。
漢中攻略の基本戦略は法正が取り仕切ったと思われる。
劉備が漢中王になると護軍将軍・尚書令に任命されたが、翌年(220年)死去。
法正が死ぬと、劉備は何日も涙を流し、翼侯と追贈した。(劉備・諸葛亮時代の追贈は法正のみ)
劉備との相性も諸葛亮の上を行く。劉備を説得する場合、その役割ははとんど法正が行ってた。
はっきり言って、軍事戦略は蜀漢No.1。
>180
夷陵の敗戦について諸葛亮曰く「法考直が健在なら、東征をせずにすま
せただろう。たとえ東征しても、きっと危険を避け得たであろう。」
この発言からも法正の軍事戦略が優れていたことが推察できる。
兵站補給が得意分野の蕭何に比された諸葛亮
法正をあえて比すと韓信になるの?
陳平よりは韓信だろうな。何か違うけど。
韓信は劉邦から離れ、別働隊の大将として代、趙、燕、斉を切り取った。
法正とイメージ重ならないと思うけどなぁ。
謀主という意味では、張良か陳平だと思う。
陳平は項羽の所にいた時に殷王を下している。
あと、漢ではずっと護軍中尉として従軍してるね。
>>188 なるほど。俺は陳平ってだらしないイメージが強すぎたんで
あえて比べるなら韓信かなぁ。と
陳平がだらしない?俺はどちらかというとダークなイメージが。
法正もダークな野郎だし、やっぱり陳平が一番しっくりくる。
191 :
世界@名無史さん:03/11/22 02:57
法正ってそんな軍事の才能あった?
193 :
世界@名無史さん:03/11/22 04:34
軍事の才能の話するとウザイのくるからこの辺で・・・
荀悦。曹操に召し出されて献帝に講義を行った。著「漢紀」「申鑒シンカン」
上記のように後漢末期から呉滅亡までの人物の著作を挙げてください。
今現在、日本語で出版されていたら是非読んです。
↑ 誤:読んです 正:読んでみたいです
応劭(曹操の父曹嵩が殺された時の泰山太守)
「風俗通」「漢官儀」
>>197 日本語は出てない・・・と思う。
その時代ので和訳されてるのなんて三国志以外にあるかな?
ケ艾「済河論」
曹丕「典論」
ガイシュツだけど王粛の「孔子家語」
張昭「春秋左氏伝解」「論語解」
曹操 孫子魏武注
呉滅亡までなら、司馬彪の「続漢書」入れてもいいよね。
何晏 「論語集解」
nyで流してください。
>>206 図書館籠もってコピーしろ
もしくは買え
つーか、上のうち幾つかはネットで読める
とか、ネタにマジレスしてみる
>nyで流してください。
三国時代の文献は著作権が全部切れとるけん、みんなネット上にうぷされとるがねー。
中央研究院でも、亦凡公益圖書館でも逝って探しゃああんばよううぷしとるぎゃぁ。
・・・と、名古屋弁でレスをしてみるテスト。
>王粛の「孔子家語」
日本語訳は明徳出版から出とるよ。部分訳やと思いましたが。
>曹丕「典論」
文選にはいっとるから、明治書院の文選の訳本をみなされ。
209 :
世界@名無史さん:03/11/23 05:13
呂布の軍事の才能ってどうなん?
騎兵を率いては曹操に引けを取らぬと自信満々だったよね。
ま、戦略家としては論外だろうが・・・
210 :
世界@名無史さん:03/11/23 05:26
陳宮が痛かったな。
荀ケとか賈詡でもいれば違ったろうけどな。
呂布が主君じゃ荀ケや賈クでも無理だろ
212 :
世界@名無史さん:03/11/23 06:00
陳宮で御せたんだからそうでもないだろ。
賈詡あたりとは相性良さそうだが
214 :
世界@名無史さん:03/11/23 08:12
三国鼎立までと後では用兵のシステムが変わったと
言われてるから、一概に比較は出来ないと思われ。
だいたいこの頃に、大将の武勇に頼って勢いに任せた戦い方から、
軍を組織化して計画を立てて兵隊を動かす様になったらしいですよ。
>>214 >だいたいこの頃に、大将の武勇に頼って勢いに任せた戦い方から、
>軍を組織化して計画を立てて兵隊を動かす様になったらしいですよ。
おいおい・・・(w
曹操 接要
諸葛亮 出師表
「nyで流してください」とはどういう意味ですか?
218 :
世界@名無史さん:03/11/23 15:12
219 :
世界@名無史さん:03/11/23 16:15
呂布は董卓の残党に何であんな簡単に敗れたんだろう?
単に兵力差かな?
>>219 董卓の残党=西涼の猛者ども
呂布だけじゃかなりキツイでしょ
221 :
世界@名無史さん:03/11/23 23:19
諸葛緒って誰?
琅邪陽都の人。
征蜀戦の時の雍州刺史。
姜維の策に引っかかる。
鍾会の陰謀で本国に召還されてしまうが、お陰で命拾い。
孫娘は晋武帝の寵姫の一人。
諸葛誕、諸葛瑾らとの関係は不明だと思う。
223 :
世界@名無史さん:03/11/24 01:23
五丈原っていまだに外国人立ち入り禁止区域なんですか?
そんなことないだろ。
ちゃんと日本人にまじって外国人もラーメン食ってるよ。
スープがなくなったところで閉店だな
226 :
世界@名無史さん:03/11/24 13:39
陳群が陳余の子孫ってマジ?
>>226 新唐書宰相世系表だと、確かにそうなってる。
けど、陳余を陳嬰の子供にしていたりしてるので、
その辺はインチキだね、間違いなく。
六朝時代あたりにでっち上げられたんでしょう。
後漢書までは全然出てこないよ、そんな話。
史実としての三国志、実像に近い三国志に触れることができる古典でな
おかつ日本語で出版されているのは―
「正史三国志」、「十八史略」、「後漢書」以外にありますか?
裴註
230 :
世界@名無史さん:03/11/24 18:07
華陽国史とか?
233 :
世界@名無史さん:03/11/27 01:54
十八史略って史実に近いの?
三国時代の部分って・・・
十八史略は(ry
十八史略は小説みたいなモンだろ。
といことは、十八史略の「死せる諸葛生ける仲達を走らす」は創作?
孔明は「天下奇才也。」とは言っていたようだ
>>236 晋書宣帝紀にありますよ。
「死諸葛走生仲達」
孔明の木像云々のくだりはさすがに創作だと思うがw
曹操の詩がまとめてある書籍は出版されていますでしょうか?
対酒当歌
人生幾何
譬如朝露
去日苦多
慨当以慷
幽思難忘
何以解憂
惟有杜康
人間三国志5 詩人の憂鬱なんかどうよ?
私はこれから正史三国志を全巻購入しようと考えている者ですが、
正史三国志1〜8 ちくま学芸文庫 と 正史三国志英傑伝1〜4 は
どのように違うのでしょうか?
私は史実・実像に限りなく近い三国志に接することに興味があります。
このような者が読むにはどちらが向いているのでしょうか?
正史三国志英傑伝は、主要なキャラしか載ってない。
247 :
世界@名無史さん:03/11/28 23:09
sageでやるのは何でだ?
ageて盛り上げろ。
ところで朱応と康泰が正史に載ってないのは何でだ?
248 :
世界@名無史さん:03/11/28 23:31
曹操・曹丕・曹植(三曹)の詩に触れることができる著作は他になるかい?
249 :
世界@名無史さん:03/11/28 23:32
↑誤:他になるかい 正:他にあるかい
>>247 東南アジア人にとっては重要かもしれんが…
>228 亀レスだけど「典略」なんかどう?
252 :
世界@名無史さん:03/11/29 10:07
曹丕、曹植の不仲否定説についてもっと詳しく教えて下さい。
曹丕が曹植以外の一族に対しても冷遇していたという説も嘘なんですか?
良く知らんけど、一族っていうか、後継争いの相手になりうる者に対しては
かなり冷遇してたんじゃね?皇太后の実子なんかは。
それが原因で司馬氏等の台頭を防げなかったって聞いた事あるが。
254 :
世界@名無史さん:03/11/29 23:19
曹丕曹植の仲が良かったか悪かったかなんていう、個人的な間柄を限られた史料から判断できるわけ無い。
この当時の史料の大雑把さからいって、論証不可能な事柄と違うのか?
曹丕が諸侯王を冷遇したのは事実だが、個々人の間柄については史料が余りにも少ないためわからん。
というのが誠実な回答だと思うぞ。
>曹操・曹丕・曹植(三曹)の詩に触れることができる著作は他になるかい?
魏武帝集・陳思王集とかでは駄目なのか?
一通り全部みたいというのであれば、沈徳潜の古詩源で十分だと思う。有名なやつはみんな
入っている。集英社から訳が出ている。
255 :
世界@名無史さん:03/11/29 23:22
ああ、もっと入手しやすいのは岩波文庫の中国名詩選だ。あれはいいぞ。文庫本の割りに
松枝茂夫訳だからしかーりしている。三曹七子も一通り全部入っているし・・
大沢よしたかなんか、一時期これの丸写ししかしなかった位だ。
それにしても、豊臣秀吉が黒田官兵衛を警戒していたように曹操が司馬懿
を警戒していたのは事実なのかな?
曹操存命中は司馬懿が出世しなかったことを考えると―
司馬懿以外に有能な人物がいたこともあろうけど警戒心はあったと考え
てもおかしくないと思う。
258 :
世界@名無史さん:03/11/30 05:53
結局、
>>246のURLの院生は何を根拠に
>曹丕・曹植不仲説は否定されてます。
と仰ったのでしょうか?
>>258 >>246です リンク先のレビューによると書き手は曹植研究院生で、
「学術界では」とあるんで専門家ではそうなのかも
彼がそこで書いてる、伊藤正文「曹植 中国詩人選集」(こっちもレビュー書いてる)
の解説に詳しいようです。
「人物中国の歴史5」の「曹丕と曹植」によると、二人の関係は
後継者争い以前は、仲が良さそうな話もあるが、目立って悪くもなく普通。
争いには、二人よりも周囲の人間や曹操の意志が絡んでいた、といった所のようです。
文帝即位後の不遇については、植が甄氏にマジ惚れだったという前提で
書かれてるんで、話半分に読むしかないですが、経過については詳しいです。
この話は甄氏絡み等、強引な所も多いですが、
曹丕が幼い頃から戦場に出てたとか、曹冲が死んだ時に誄を作ってたり
植に玉を手に入れるのに仲介させた話とか、曹丕の意外な話や
二人の詩作の違い(植マンセーですが)とかが面白いです。ただしオチが変です。
結局のところ
>>254氏の仰るとおりなんですが、二人の人物像が
イメージ先行なんで、従来の解釈には疑問があるのではと思います。
>>256>>257 「晋書」をみるかぎりでは、司馬懿はかなり曹操に警戒されてる。
「狼顧の相」とか、曹丕への警告とか、他には、三頭の馬がでてくる
有名な夢の件もあるんじゃないかと。
262 :
世界@名無史さん:03/11/30 11:54
>261
ただ、晋書自体の資料としての信用度がねぇ・・。
他の史書より評判が悪いし。
曹操の時の司馬懿って出世していないの?
太子付きになって次の代での出世が約束されているし、
曹操の幕僚やってるし。
むしろ順当な出世しているように思えるんだけど、どうなんでしょう?
>>263 年齢を考えれば順当な出世だろうね。
曹操に仕えてすぐの時期には荀ケや郭嘉が重用されていたし、程c、荀攸、劉曄など優れた人材が多かったから幕僚の一員以上のものにはなりにくかったのでは?
「七歩の才」の故事は「世説新語」が出典のやうですが、これは史料として
の信頼性があるものなのかな?
>195
鍾会「四本論」
267 :
世界@名無史さん:03/11/30 16:19
潘濬って呉では活躍したのになぜ蜀では活躍できなかったんだろう
すぐ降伏したのは自分の地位に不満があったのでしょうか。誰か詳細キボンヌ
>>267 まず、すぐどころか三国志潘濬伝注に引く江表伝では、
孫権が荊州を取った後、
他の者が孫権に帰属した後も病と称して孫権に会おうとしなかったとのこと。
また、時代が前後しますが劉備の元では刑州治中従事となり、
不在の劉備に代わって州の政務を任されていたようです。
年齢や官歴を考えると、むしろ重く用いられていたように感じます。
269 :
世界@名無史さん:03/11/30 17:05
あ、一箇所「荊」の字間違えた。失礼。
>195
王粲「登楼賦」
272 :
世界@名無史さん:03/11/30 18:50
姚振宗の三国志芸文志って見たヤツいる?
273 :
世界@名無史さん:03/11/30 21:43
275 :
世界@名無史さん:03/12/01 19:55
見た目
>228
「資治通鑑」、「資治通鑑綱目」
>195
徐幹「中論」、虞翻「周易注」、王弼「周易注」「老子注」、杜預「春秋径伝集解」、
皇輔謐「帝王世紀」
三国志全人名事典 正史三国志英傑伝は買うに値すると思いますか?
>>278 人名辞典の方は、それなりに便利
英傑伝はお奨めできない。英傑伝よりは筑摩をお薦めする
英傑伝は司馬懿の伝があるからね。
そこは価値あるよ。
281 :
世界@名無史さん:03/12/04 04:51
張飛は兵1万に相当するってマジ?
>>281 程立とかには1人で1万人を相手にするとか言われてるね。
まあ、あくまで喩えだろうけどさ。
史記、後漢書、三国志、晋書から派生して二十四史をすべて読破しよう!
蜀漢の三傑(諸葛亮、関羽、張飛)にもそれぞれ欠点もあった。
諸葛亮は細部まで自分で行い他人に任せることをしなかった。
関羽は部下は慈しむも士大夫に対して尊大に振舞う傾向があった。
張飛は士大夫には敬意をもって接するも部下に対しては冷酷であった。
超雲は欠点が見当たらず理想的な将のように語られる。これにより人間
味が埋没したような感あれど、実像やいかに?
欠点も何も大した活躍してないからね・・・・。
その割には趙雲別伝なんてのもあるんだけど。
286 :
世界@名無史さん:03/12/05 00:58
来週の「お厚いのはお好き?」は史記らしいぞ
2003年12月12日 0:35〜1:05
#34 カント『純粋理性批判』
>>286 違うじゃん
288 :
世界@名無史さん:03/12/05 20:02
このスレのsage率は異常!
趙雲は羅漢中と同郷の人間なもんで、
史実以上にヨイショされたっていう話を聞いたことがあるけど
確認はしてない。
290 :
世界@名無史さん:03/12/06 22:40
何でageないの?
別にこの板荒らしもいないし、こっそりsageる
必要も無いだろ。
>>290 ageとくと三戦板から板違いにも気付かない荒らしが来るからだろ。
292 :
世界@名無史さん:03/12/06 23:05
劉備が趙雲について「子龍は満身これ肝なり」と評したのは創作ですかね?
OpenJaneのメール欄"sage"にチェックが入ってるからだ
演義の千里行の内容が知りたいのにゲームのページしか出ない…_| ̄|○
>素直に演義読んだら?
気付かなかった…_| ̄|○
あっさり解決した
297 :
世界@名無史さん:03/12/07 21:29
>>149 晋書に、畢卓字が茂世という人が書かれていて
父親が畢ェらしいけど出身地が新蔡となっている。
「畢」姓の人って、畢万とかの子孫?
299 :
世界@名無史さん:03/12/09 05:43
前スレにあった三国志考証本借りてきたぞ。
読んだら感想書くね。
前スレにあった三国志考証本とはどのようなものですか?
なにしろ前スレを閲覧することができなくて・・・
はぁ?三国志の考証本なんぞ腐るほどあるじゃないか。
前スレの考証本って正史と演義の関係が云々っつーやつ?
304 :
世界@名無史さん:03/12/12 02:08
蒼天に出てた石徳林ってわざわざ登場させるようなヤツか?
>>304 それってわざわざ世界史板で議論するようなことか?
306 :
世界@名無史さん:03/12/13 00:59
話題が無いから陸遜の軍事的才能について再び論じてみるか。
307 :
世界@名無史さん:03/12/13 03:16
陸遜以上の軍才を持ったヤツって呉にはいなかったの?
310 :
世界@名無史さん:03/12/13 16:23
陸遜が劉備に勝ったのは関羽・張飛・趙雲・孔明抜きだからな・・・
馬超も黄忠もいなかったかも。
策兄ィは微妙だ。
呉巨とかに一回負けてなかったっけ?
三国志で一番好きな人だけどなー<策兄
313 :
世界@名無史さん:03/12/13 19:23
陸遜が曹操か司馬懿と直接兵を戦わす局面でもあれば
判断しやすいんだがな・・・
孫策はたしか陳登には勝てなかったような
315 :
世界@名無史さん:03/12/13 22:37
孫策って、王朗やら劉ヨウやら武力30くらいのヤツしか
破ってないじゃん。
316 :
世界@名無史さん:03/12/13 22:48
ココは世界史板だよな?
とりあえず
>>317は三戦のバンヤロースレへ帰りましょう
>>316 魯粛タンは軍事的には企画力は優れてるけど、実行力は乏しかったような。
321 :
世界@名無史さん:03/12/14 02:27
>>315 その通り。孫策は空家に入って自分の家にしただけ。
だから呉はコジキの集まりなんだよね。
323 :
世界@名無史さん:03/12/14 03:31
久しぶりに顔文字キタ〜!
>>307 歩?(ホシツ)はどうだい?
陸遜の後任として丞相になったこと、孫権が帝位に就いたときに対魏防衛
を任されたことを考えると陸遜に匹敵するかもしれない。
326 :
世界@名無史さん:03/12/14 22:37
劉備の対呉戦で呉側で死んだ武将いた?
327 :
世界@名無史さん:03/12/15 12:31
328 :
世界@名無史さん:03/12/15 17:25
>>327 答えられないなら黙ってればいいのに・・・
331 :
世界@名無史さん:03/12/17 11:48
徐って結局、最後はどうなっちゃったの?
332 :
世界@名無史さん:03/12/17 12:24
徐って何?
察するに徐庶のことだと思われ・・・
曹叡の代まで存命していたようだ・・・
334 :
世界@名無史さん:03/12/18 03:43
徐質の事に決まってんだろ!
意外に徐栄だったりして
徐晃かも
徐盛だYO!
ジョジョ
339 :
世界@名無史さん:03/12/18 20:45
台湾で徐庶に会ったという伝承を耳にしたことがある・・・
341 :
世界@名無史さん:03/12/19 20:18
世説新語に詳しい人いる?
世説新語の英訳本のタイトルが知りたいんだけど
say set swing go
欧米人は漢文学を小馬鹿にする傾向があるので英訳本そのものが存在
しません。
344 :
世界@名無史さん:03/12/20 00:34
徐庶の不思議な冒険
徐は36の国と共に滅んだ。
346 :
世界@名無史さん:03/12/20 04:47
347 :
世界@名無史さん:03/12/20 08:39
>>343 欧米人は日本のコミックをエロ漫画に至るまでせっせと
翻訳し続けている。今この瞬間も。
欧米っつってもあっちこっちで差があらーな。
349 :
世界@名無史さん:03/12/20 22:03
エロ漫画は漢文学の真髄age
>>343 煽りにマジレスするのもアホらしいが、漢文学の多くは英訳どころか各国語で翻訳されてるぞ。
ナポレオンが「孫子」の仏語訳の愛読者だったのも結構有名な話なんだが。
そういえばヒットラーも「孫子の兵法書」を賞賛したみたいだしな。
352 :
世界@名無史さん:03/12/21 02:55
世説新語の訳なんて売れそうにない本はださんだろ。
354 :
世界@名無史さん:03/12/21 03:15
一時期アメ公の間で「五輪の書」がベストセラーになんなかったか?
356 :
世界@名無史さん:03/12/21 18:36
知るかヴォケ。自分で調べろ。
フランスの東洋学研究は非常に長い歴史を持っています。
世説のようなメジャーな文献はフツーに読まれていると思われ。
老子の訳が売れているので、猫に「タオ(道)」という名前を付けた女性もいると言う。
358 :
世界@名無史さん:03/12/22 04:16
世説のどこがメジャーなんだよ?
歴史の教科書に載ってるのが最低限のメジャーだろ。
東洋人ならまだしも西洋人が世説をフツーに読んでる
とは考えづらい。
後漢書でさえ近年やっと日本語訳が出たくらいだぞ。
>>358 アフリカの奥地の学校でさえ世説の勉強してるよ
つーか書名の英語訳があるか?って質問に
なんでこんなに持って回ったような話してんだ?
日本人は漢字のニュアンスがわかるから漢文学にほぼ原文に近い状態
で接することができるけど、非漢字文化圏の香具師には難しいよな。
これを考えたとき日本に生まれてよかったと思う。
362 :
世界@名無史さん:03/12/24 00:52
西洋人だって西洋の古文献読むのは日本人より楽だろう。
それでも漢字文化圏の人が西洋の古文を勉強するより、
非漢字文化圏の人が漢文を勉強する方が大変だろ。
ぼくわこのすれっどに常駐するやうになってからまいにち漢和辞典をひく
やうになりました。もっとはやくこのすれっどにであっていたらもっとはやい
じきから漢和辞典をひくしゅうかんがついたとおもいます。
365 :
世界@名無史さん:03/12/25 23:08
厨房が立てたスレだけに伸びもレベルもいまいちだな・・・
をや、前スレで暴れてた野師が復活かな?
367 :
世界@名無史さん:03/12/26 00:51
やっぱり真性だな
369 :
世界@名無史さん:03/12/26 07:59
そんな事書くより盛り上げてみろって。
ま、無理だろうが・・・
荀悦の「申鑒シンカン」は、曹操親子の専横を憂い、漢の故事を述べながら
献帝の治世の鑑としようとした内容である。
漏れはこれを読んでみたいんだが入手方法あるかね?
372 :
世界@名無史さん:03/12/27 01:54
三国志の考証本いいね。
本場の研究家が書いてるだけあってマイナーな本が
色々出てくる。
373 :
世界@名無史さん:03/12/28 05:21
呉って魏から一時的にも寸土も奪ってなくない?
374 :
世界@名無史さん:03/12/28 05:50
376 :
世界@名無史さん:03/12/28 14:41
>>374 いや、孫権が王となってからよ。
>>375 皖城の戦いって210年代だよな?
呉の建国以降、魏からは寸土も奪えてなくね?
瞬間最大風速的に遼東・・・
380 :
世界@名無史さん:03/12/29 01:53
孫権の遼東対策ってどうすんのが一番良かったの?
>>380 張昭の言うとおりにするのが一番良かったの。
いちばん初めのスレをざっと読んだけど……すごいなぁ…
「荊州を関羽ではなく趙雲に」ってネタがあるんだけど、いまから三年
くらい前の時代はこんな見解もけっこうあったんだな。
いまなら住人総出で叩かれるかもしれないんだろうけど、春秋・戦国ネタ
なんかもあって楽しくもあるね……コテハンがやたら多いけど
383 :
世界@名無史さん:03/12/29 15:38
孫権の遼東派兵は遅すぎたんだよな。
陸遜を海路遼東に回して司馬懿と対決させるのが
一番の良策だろw
>383
えぇっと、wだからほっとくか。
385 :
世界@名無史さん:03/12/30 01:07
三国志集解の集解の部分だけ読みやすく抜き出した本って無いの?
386 :
世界@名無史さん:03/12/30 15:09
呉が遼東と朝鮮半島を勢力下においたらどうなったかな?
それが無理でも魏の隙をついて徐州方面に出兵していれば
成功したかもしれん。
呂蒙曰く「徐州を占領しても維持するには大兵力が必要」だそうだけど
どうなんだろう?
>>386 恒久的に勢力下に置くのは無理ぽ。
おまけに公孫淵じゃ信用できんし・・・そりゃ皆が止めるわけだよ。
>>387 平地が多くて攻めやすくて守りにくいところだからね、徐州
>386
項羽の失敗を見れ。
391 :
世界@名無史さん:03/12/31 01:52
宋なんかは徐州治めてたじゃん。
>391
鬼のように苦労していたじゃん。
コウキン族って周コウキンのファンクラブだったらしいね。
394 :
世界@名無史さん:03/12/31 15:27
つーか、南から北を征する場合、どこから攻めるのが一番上策なのか
って事だ。
陽動で敵を分散させたうえで
荊州から一気に洛陽を陥とす
蒋?(ショウエン)が長生きして荊州方面からの侵攻が実現したら・・・
397 :
世界@名無史さん:03/12/31 23:04
荊州から洛陽攻め落としても洛陽自体守りにくいと思うけどな・・・
本拠を落とせば相手が体勢を整えるまで結構時間がつくれる
399 :
世界@名無史さん:04/01/01 14:07
>>398 もしもの時の為にギョウが副都としてあんじゃないの?
400 :
世界@名無史さん:04/01/02 12:25
洛陽に攻め込む前に関中方面から退路絶たれて終わりだな。
そもそも、蒋エンの作戦は呉との連携作戦で漢水沿いに進攻し、洛陽方面には行かないと思うが。
401 :
世界@名無史さん:04/01/02 17:39
洛陽をとらなくても、襄陽・南陽があれば、その後が楽になると思う。
402 :
世界@名無史さん:04/01/02 21:37
>401
呉が襄陽辺りを維持するのは可能だろうな。真面目に北進を考えてるならね。
蜀が襄陽周辺を維持するのは無理でしょ。本国との連絡線が漢水のみじゃ。一時的に獲得出来ても、すぐに取り返されちゃうんじゃないの?
蜀が荊北を維持するには、江陵周辺の確保が必要だと思う。
「南から北伐する場合の進軍ルート」の話であって
呉とか蜀とかの括りはなかった筈だけど
実は魏に勝つための話はしてないんだよな
404 :
世界@名無史さん:04/01/02 21:47
>403
まぁそうなんだけど、現実的にはその時の状況によって効果的な進軍ルートは変わってくるから、具体的な史実を元に話を進めた方が分かりやすいんじゃないかな。
漏れは南北朝をイメージしてた
406 :
世界@名無史さん:04/01/03 03:05
呉は普通に徐州に出兵するのが一番安全だろ。
誰だかもそう進言してただろ?
>>406 安全に関しては、長江流域の確保に勝る物はありません
これは魯粛、周瑜、呂蒙の三者一致した意見ですよ
409 :
世界@名無史さん:04/01/03 13:19
>>407 だから北方に兵を進める場合だよ。
>>408 項羽なんて参考になるか?
あんな失敗ばっかしてんのに。
411 :
世界@名無史さん:04/01/03 22:59
延々と呉の話題が続いてアレだな・・・
ここらで新しい話題振ってくれ。
>>409 いや、項羽の失敗は関中攻略前後の話だろ。
それ以前は失敗らしい失敗は無かったと思うが。
項羽の場合は一気に攻めきったから
徐州の守備なんて事は考えなくて良かったね。
んで、項羽の場合は反乱があちこちであったが
呉が北上する場合にそのようなことは望めるのかい?
具体的に項羽の何を見ろといってるのだろう。
状況違いすぎないか?
極端な中央集権体制を敷き、各地に中央から派遣された官僚を総督として置いていた秦と
はじめから呉という敵と対峙して防備をそなえ、方面軍の自主経営もやってた魏では
攻めやすさ(辺土の切り取りやすさ)が違いすぎると思うのだが。
416 :
世界@名無史さん:04/01/04 14:52
呉は海沿いに上陸すればそれなりにどこなりとも攻められると
思うんだが・・・
ま、好機としては公孫淵の乱当たりが一番だったろうな。
>>416 揚陸作戦の難解さを理解して言っているのなら
貴殿の説を詳しく聞かせていただきましょうw
呉の私掠船作戦(;´Д`)ハァハァ
>>416 上陸後の補給線の維持も考えないとダメだよ。
補給なんて船使えばどーとでもなるだろw
上陸すると見せかけて
対応してきた魏を
疲れさすのはありかもね。
春秋の呉がやってたっけ?
ただの嫌がらせなだけで効果はなさそうだな。
結局のところ、攻める好機は官途の戦いじゃないのか?
固めきられたらムリポ。まぁ、それだけに孫策の死は大きかったと。
石亭の戦いで素人的な疑問なのだけど…
曹休を誘い出した周魴は鄱陽太守で、いちおうそこまで誘おうとしているように
みえる(正史の諸々の記述を見ていく限りでは)。
なのに、呉軍が曹休を叩いたのは、はるかに北方のそれも江北の石亭。
鄱陽までとはいかずとも、せめて長江以南に誘い出して攻撃した方がより大きな
戦果を揚げられた気がするのだけど……何故?
石亭と聞くと泡の国を思い出す、穢れてしまった俺
427 :
世界@名無史さん:04/01/05 21:59
すげえ連続sageレスだな・・・
普通にageろよ。
429 :
世界@名無史さん:04/01/06 00:04
>>428 それはオタ板だけの常識だろ。
他の板見ろよ。
>>429 sage推奨の理由も判ってない香具師がまたageてるな
431 :
世界@名無史さん:04/01/06 00:38
ageても誰も迷惑してませんが?
>>431 お前みたいな荒らしの目につきにくくするためなのさ
433 :
世界@名無史さん:04/01/06 01:08
>>432 キタ〜!
根拠もなく荒らし扱い・・・
sageてたら過疎化するだけだろうが。
ネタふりもできないヤツばっかだし。
で?
435 :
世界@名無史さん:04/01/06 01:28
お主には何も言うことはない。
まぁ、書き込み総量の少ない板は上げとか下げとか関係ないよな。
>433はブラウザで2chをみていると見た
sageでも一日数〜十レスついてるし、話題も途切れてないしな…。
マジレスすると、むやみにageるとサーバに余分な負荷がかかるからsage推奨なんだが。
2chでは常識だと思ってたけど違うのか?
正史は,後世の史家が都合よく書き換えているからフィクション性が高い
それに対して演義は地域地域に残った逸話をよく取材しているので
きわめて良質なノンフィクション作品として評価されている。
みたいな荒らしを避けるためにsage。
>>438 ageもsageも、負荷という点では、書きこんでる時点でほとんど変わらない。
ちなみに、sageはサーバに負荷をかけるからsageるな、これは2chの常識だ!
…という論も実在する。
>423
嫌がらせを続けられて
相手をするのに飽きた頃に
楚はガスッとやられたのよ。
442 :
世界@名無史さん:04/01/06 12:46
結局普通にageで書き込むヤツはいなくなったって事か?
443 :
世界@名無史さん:04/01/06 13:17
曹仁age
444 :
世界@名無史さん:04/01/08 02:33
孫権の「大貴の表」ってどんな風貌だったのですか。
445 :
世界@名無史さん:04/01/08 20:25
姜維って無能だよな。
なんであんな役立たずを孔明は買ってたの?
馬食にしてもそうだけど、孔明って人見る目はあんまり無いっぽいね。
相対評価なんだろ、結局。
447 :
世界@名無史さん:04/01/08 21:48
>>446 ageとsageのことか脅威と馬食のことか?
>>445 他にこれと言った人材がいなかったんだろうな。
449 :
世界@名無史さん:04/01/09 20:30
結局蜀の滅亡の原因はなんだと思います?
私が思うに主な原因は、人材の少なさ、乏しい土地、孫権との対立、
極めつけは諸葛亮が劉備の後を継がなかったことかな。
450 :
世界@名無史さん:04/01/09 20:41
>>449 所詮、無理に独立しただけ。
劉備一代で築きあげたものを、劉備自身が公私混同の無謀な復讐戦で敗れ、諸葛亮が自分の寿命を犠牲にして余命を長らえさせただけ。
曹操が天下を統一していれば・・・、『三国志』という名作はできなかっただろうけどね(w
>>449 派閥力学の問題とかも。
劉備が死んだ以上、魏に対する蜀漢の存在意義は激低下した。
諸葛亮が劉備の遺産を守り受け継ぎたいと思うのは勝手だけど、
劉備との関係がたいしたものでもない人間−巴蜀の土豪とか−には
彼らの利権が極端に侵されない以上、戦争は、はた迷惑ですらあるしね。
それを「対魏」で束ねるには、巴蜀に密着した権益を持たない人間で固めた方が
諸葛亮にはやりやすそうだもん。
彼らは魏との戦争が続く限り、蜀漢政権での利権には預かれるし、
やりがいのある仕事・地位にもありつけ、大儀のために働いているという
精神的満足感も得られたりで、ベリーグッド。
諸葛亮としては、その中で自分の意志(=劉備の国を残す)を継いでくれる人間を
探して重用して育てればよかったのだけど、諸葛亮派の独裁体制を堅持しないと
蜀漢は空中分解しかねない。そんだけ蜀漢の存在意義って脆弱だったのよ。
馬稷を抜擢したのは諸葛亮の自派の基盤への不安もあったと思う。
姜維は諸葛亮の目的が第一に国防・国体維持だったことを理解してなかったのだろう。
まあ、推測だけど。
>>451 姜維については、良く言えば純粋。
悪く言えば政治的センスが皆無だったのが問題だったという事だろうな。
454 :
世界@名無史さん:04/01/10 15:13
王隠の蜀記って陳寿の蜀志よりも詳しかったんじゃね?
455 :
世界@名無史さん:04/01/10 17:14
で、劉禅って本当に言われてる程に暗愚か?
俺は結構な名君の部類だと思うんだが・・・
456 :
世界@名無史さん:04/01/10 17:24
三国志読んでると、
「中書郎」とか、いろんな官職が出てきますが、
あまり考えずによんでます。でも、きちんとわかりたいのですが、良いURLはありますか。
昔、妹が、起動戦士ガンダムを見ていましたが、
あるとき、大尉と少佐とでは ”大尉のが偉い”と勘違いしていることに気がつきました。
同じことが、三国志やその他の中国の歴史を読んでいるとき、起きているのだと思います。
457 :
世界@名無史さん:04/01/10 18:26
>>456 まさかドレンがシャアの上官だと思ってたんじゃねーだろうな?
普通そこでどっちが上か気づくぞ。
滅亡の原因云々の話で劉備とか諸葛亮とか出されるとちょっと引く
>>456 「官職表」とかで検索かけると結構でてきますよ
459 :
世界@名無史さん:04/01/11 07:14
徳川慶喜は名君なのに
劉禅は暗愚なんですな。
どちらとも無血開城させたのに。
30年ぐらい大きな内乱もなく治めてたんでしょ?
ロ-マ帝国のネロとかカリギュラに比べれば善政を敷いていたと思います。
孫権の子供のほうが酷いんでしたっけ?
460 :
世界@名無史さん:04/01/11 09:43
>>449-458を読んでふと思い出したのだが、
十数年前、ゼミでおれと指導教授との会話。
孫権の孫の孫皓が暴君で有名だが、二十年以上帝位についていた。
暴君が国を滅ぼしたという簡単な図式ですまされないはず。
誰も研究していないようなので卒論のテーマにしてみたら。
と指導を受けたが厨だったのでスルーしてしまった。
だれか研究した人いるかな。
461 :
世界@名無史さん:04/01/11 11:50
晋の司馬衷は劉禅なんかより遥かにダメ。
>>459 例えばこういう仮説
徳川慶喜は家を基本単位とする中世型政権の長で、
劉禅は一文明世界の代表者という古代型政権の長なんですよ。
徳川政権の次は、国民国家が基本単位の近代型政権で、
蜀漢は、古代から中世への過渡期である魏・晋に併合されたとします。
すると慶喜は「国のために家を犠牲に捧げた人物」となり、
劉禅は「一世界を代表しながら乗っ取られてしまった奴」となるわけです。
もっとも
劉禅は名君とは言えないけど、地方政権をソフトランディングさせたことは評価されてますし、
徳川慶喜は戊辰戦争前後のダメっぷりは酷評されてるので、
まあ、いいんじゃないでしょうか?
463 :
世界@名無史さん:04/01/11 18:15
劉禅はエピソードというか、個性を伝える話がほとんどない。
これはよほど平凡な人間だったって事だろう。
晋の客になってからも情けない話しか伝わってないしな。
どう考えても明君ではない。
晋の恵帝みたいに池沼じゃなかっただけましって感じだ。
司馬衷が知障レベルだったかどうかはともかく、
(賈皇后が答案を代筆したつーのは出来過ぎ臭く…)
晋は遅かれ早かれ、同じような最期を遂げていたような気もするんだな。
後漢以来の異民族問題は全く片付いていないし(これは魏にも関わってくるし)、
皇帝や朝廷の指導力不足は魏の盛期と比べても衰えているし。
司馬衷馬鹿話は晋の滅亡(というか魏・晋による漢人文明圏の再建の失敗)における
1エピソードと見たい。
466 :
世界@名無史さん:04/01/12 18:30
三品の武官で前後左右将軍はどれが一番偉いんだ?
安(東西南北)将軍とはどっちが偉い?
>>466 前後左右将軍の序列は字の通りだったんじゃないかな?
東西南北は東・南・西・北の序列で、それぞれ征・鎮・安・平の順に格上だったと思ったけど。
468 :
世界@名無史さん:04/01/12 19:45
東西南北にも序列あったのか・・・
前後左右と安・平とではどっちが偉いの?
>>468 スマソ、そこまで詳しくは知らない。
ただ、東西南北は地方の軍権の掌握が職務で刺史の上位にあったし、前後左右は言わば中央軍の指揮官って事だから、東西南北の方が兵権としては上位なんじゃないかな?
誰か詳しい香具師解説&補完キボンヌ。
470 :
世界@名無史さん:04/01/12 21:42
張遼って二品の征東将軍に任じられてるのに
文帝の時代には前将軍になってるよな?
前将軍は三品のはずなのに・・・
張遼が降格されるとは思えないし、これはどう解釈
すればいいんだ?
>>470 あくまで推論になるが、、、
この頃呉は魏の藩臣となったんで、対呉目的の「征東将軍」は不都合なので前将軍に転進させたのかと
のちに呉が反乱するとまた設置された(そのときは曹休が征東大将軍として派遣されたが)
似たような事例に、呉と同盟関係にあった蜀には征東将軍は設置されていないし
472 :
世界@名無史さん:04/01/12 23:39
つーか、征東から前将軍って降格じゃないの?
出世なの?
よーわからんが・・・
>>470 たぶん、降格? かな
どうも、曹丕の即位後は四征のほうが偉くなったらしい
魏の四征将軍は都督も兼任していて、いわば方面軍司令官みたいなもので
この当時の魏は方面軍司令官は親族のものに限定しようとしたらしく
夏侯尚が都督つきの征南将軍になっている。
親族でも何でもない張遼が親族にしか任命しない征東将軍にいるのはまずいから
面子を損なわないような降格をしたみたい
なだめるためかは判らんが、曹丕は張遼を前将軍に任命する際に帛千匹と穀一万石をあげている
それと、471氏のいっている理由だと思う
正しいかどうかわからんけど、参考程度に
>>474 このスレは世界史板だっけ
つい、三戦板ので書き込んでしまった・・・
475 :
世界@名無史さん:04/01/14 19:56
>>475 >この説を唱えたのは、四川省政府のシンクタンクである同省社会科学院の文学研究所長で、中国「三国志演義」学会常務副会長の沈伯俊氏。
気にするな弟者
曹操と夏侯淵は親戚である。
夏侯覇の従妹は張飛の妻である。
よって、曹操と張飛は親戚である。
友達の友達は友達理論かw
まあ、どこまでが親戚なのか、どういうのが親戚なのかはともかく、
「何をいまさら」
な話だが。
こんなのが研究所長かよ。
うらやますい( ´Д⊂ )
479 :
世界@名無史さん:04/01/14 21:16
よく考えたら〜品ってのは魏になってから陳群が考えた
ヤツだったな。
後漢時代の征東将軍なんてのは単なる臨時の官だったのかも。
480 :
世界@名無史さん:04/01/14 21:22
それだと、孫家も曹操の親戚だよな。
曹仁だったかの娘が、孫キョウに嫁いでたよな。
ってか、あの張飛が夏侯の女の強奪したやつって
魚豢(魏略の編纂者)がただの噂話を載せただけって気がするぞ
あまり信憑性を感じないだが、、、
>>470-473 曹操末年まで、四方>四征
曹丕初年頃より、四征>四方みたいだから、ほぼ同格の転任と見ていいんでない?
後漢の時代は四征将軍はいわゆる雑号将軍で四方将軍の方が上
魏の時代になったときに四方将軍の上に四征将軍を置いた
このタイミングでの征東将軍から前将軍ってのは降格というよりも位の改めた結果の
処置と考えた方がしっくりくる
ただ、四征将軍は雑号将軍ってのは私の記憶だけなんで、
誰か後漢書の百官表あたりでチェックしてくれ〜
後漢書には百官表はないのです。
で、続漢書百官志では大将軍、驃騎、車騎、衛が別格で、
その後に前後左右、その後にその他雑号将軍という扱いのようです。
大〜衛将軍>前後左右>雑号
486 :
世界@名無史さん:04/01/15 23:53
賈逵って陸遜と比べてどうなん?
遜色無い能力持ってたと思うが・・・
剛胆で気丈な性格というのは感じるが、能力的にはピンとこない
なぜ陸遜と比べようと思ったのかな
石亭の戦でからんだことがあるからじゃないの。
確かに石亭の戦では陸遜の作戦を見抜いていたが、それだけを持って遜色ないと断定する
のはどうか・・・
490 :
世界@名無史さん:04/01/16 20:10
曹操が将軍の鑑だみたいな事言ってたじゃん。
「もし天下の二千石が悉く賈逵のようだったら、俺は何も憂いはないな」
ってヤツのこと?太守としての手腕を褒められてるね。
後では曹丕に刺史としても褒められてるし。
地方の長官として絶賛されているけど、将軍としてではないよ。
もちろん、将軍としても立派だったけど。
492 :
世界@名無史さん:04/01/17 00:25
賈逵が呉や蜀にいたら陸遜や諸葛亮並に活躍したろうけど、魏じゃ人材が多くて目立たなかったんじゃないの?
493 :
世界@名無史さん:04/01/17 08:02
三国志の入門用としては、誰の小説がお勧めですか?
ご指導よろしくお願いします。
このスレの話題ではないような気がしますが。
個人的な意見であれば、
日本で最も親しまれてきたであろう三国志
・吉川英治
歴史小説としての時代性は薄いが、独自の人物描写が魅せる
・北方謙三
時代背景も含めて様々な要素を盛り込んでいる
・陳舜臣
というところですかね。
三国志・戦国板の方がいくつか作家別のスレが立っているので参考になるかと思います。
伴野朗の呉・三国志は評判が悪いようなので、避けておいた方が賢明かもしれません。
495 :
世界@名無史さん:04/01/17 08:53
>>494 ありがとうございます。
書き込んだ後ちょっと読んで「しまった。激しくスレ違い。」
と思ってました、、、
早速、三国志・戦国板探してきます。
496 :
世界@名無史さん:04/01/17 11:07
正史スレで演義を勧めるのはどうかと・・・
ケリが付いた話を蒸し返すのは(・A ・)イクナイ!
ちゃんと誘導もして質問者もそれで納得してるのに、
>496は何が気に入らないんだ?
>>496は正史原理主義者
と言いつつ500ゲッツ
正史と言えば伴野朗だろ?
502 :
世界@名無史さん:04/01/22 06:55
NHK教育TV
NHK人間講座「三国志の英傑たち」 2月〜3月・月曜日 22時25分〜50分
講師 北方謙三
蜀はなんで史官を置かなかったの?
袁術や公孫淵は史官を置いたのだろうか置かなかったのだろうか?
504 :
世界@名無史さん:04/01/25 19:08
sage過ぎ
505 :
世界@名無史さん:04/01/27 22:36
夷陵の役の時に張飛が生きてたらどうなってたかねぇ。
生きてたら、劉備に変わって(ってか馮習に)総司令官?
それとも、やぱり劉備が総指揮で大敗&討ち死にかな。
張飛VS陸孫のガチな対決って凄いと思うんだけど。
506 :
世界@名無史さん:04/01/27 23:47
1: 1番のヤリチンって誰よ? (50) 2: 三国志 初心者皆でまったり語るスレ (68)
3: 武田騎馬軍団vs森下千里♪♪♪ (34) 4: 徐晃さんの生活 (50)
5: 陳琳 オブ ジョイトイ (64) 6: 俺、マジで孔明だけど何か聞きたいことある?2 (95)
7: 浅井長政はなぜ裏切ったのか? (158) 8: 史上最強の戦国武将!☆真田幸村☆を語るレス (492)
9: 三戦板 自治スレッドVIII (606) 10: 【無双3の】諸葛亮と俺の関係【設定で】 (186)
11: ●蒼天航路第‐三十九幕● (470) 12: 【勇将】最上義光【猛将】 (669)
13: 無双厨いい加減にしろよ (181) 14: 歴史系サイトの裏事情〜巻の伍〜 (19)
15: 猫リセット (118) 16: 戦国コードブレイカー (525)
17: MX=魏 ny=呉 さくらたん=蜀(w (145) 18: 【王政】自治新党その32【復古】 (271)
19: 【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その12 (83) 20: 【阿波】蜂須賀家【25万石】 (63)
久しぶりの三戦板TOP20
相変わらずだよな、あそこw
>>503 ワタクシ、ハイ笑止 が、考えますに…、
張世平 や 蘇双 (2人とも 陳寿の本伝に登場してる)
に借金を返すために、経費を捻出できなかったのレス……。
509 :
世界@名無史さん:04/01/28 20:21
>>505 正史では大した猛将でもない張飛の真価の分かる
戦いになっただろうな。
怒りマックスの張飛の攻撃で陸遜マジックを敗れたら
歴史は変わっていた。
>>505 万人の敵、益徳さんは一軍を任されると、たいてい負けてますんでね。
まあ劉備の本営付きの地位を与えられるんじゃないですかね。
>>510 負けだらけは、むしろ関羽
張飛は徐州では愚かだったが、以後は優れた戦果を残しているよ
512 :
世界@名無史さん:04/01/29 01:28
張飛が生きていれば孔明の北伐も面白くなったかもな。
福沢諭吉の「痩我慢の説」に基づいて蜀漢が徹底抗戦せずに降伏したことを誰か論じてくれ。
514 :
世界@名無史さん:04/01/29 21:12
>>510-511 お前ら、戦歴をちゃんと出した上で負け戦が多いとか少ないと抜かせや。
当てずっぽうで適当な事を抜かすなアフォども。
関羽
曹操 下ヒの戦い ×(降伏)
顔良 白馬の戦い ○(顔良を討つ)
曹操 長阪の戦い ○(敗走した劉備と合流)
李通 江陵の戦い ×(突破され曹仁を救出される)
楽進 場所は青泥(先主伝参照) ×(楽進伝に関羽を撃破とある。内容不明)
甘寧 場所は関羽瀬 ×(渡河に失敗)
曹操 樊城の戦い ×(樊城を包囲し、援軍の于禁を破るも徐晃に撃破される
さらに、根拠地の荊州を呂蒙に奪取された上、捕縛、後に斬首)
張飛
呂布 下ヒの戦い ×(呂布伝と先主伝では内容が異なるが、結果、下ヒを奪われる)
曹操 長阪の戦い ○(曹操軍の足止めに成功)
厳顔 巴郡の戦い ○(太守の厳顔を撃破、生け捕る。
追記、入蜀の際、通るところ全てで勝利。成都包囲にも参加)
張コウ 巴西の戦い ○(巴西に侵入した張コウを撃破)
曹洪 武都の戦い ?(呉蘭、雷銅が敗れたため交戦せず退却)
>>514よ、これで満足か
当てずっぽうに適当に批判すんなよアフォが
516 :
世界@名無史さん:04/01/29 23:32
鮮卑に段文鴦ってヤツがいるな。
これってあの文鴦から取ったんだろ。
こんな風に名前を真似されるヤツって他にもいた?
単なる音訳じゃねーの?
518 :
世界@名無史さん:04/01/30 01:00
あの頃の鮮卑は漢字も使ってたように思うが・・・
てか単なる当て字とは思えん。
実際猛将だったっぽいし。
519 :
世界@名無史さん:04/01/30 21:45
>>515 関羽が総大将の戦ってほとんどないじゃん。
その勝ち負け判定変じゃねえか?
実際のところ関羽って劉備に一地方を任されてるけど、いずれも守りきれてないな。
下ヒしかり、荊州しかり。
豪傑ではあっても将才は並みよりちょっと上程度?
>>519 私は、
>>514のいちゃもん
「お前ら、戦歴をちゃんと出した上で負け戦が多いとか少ないと抜かせや。
当てずっぽうで適当な事を抜かすなアフォども。」
に答えただけで、関羽の能力や戦の内容を云々する気はないのです
張飛は、徐州を除けば優れた戦果を残していることと
どちらかといえば、負けまくりなのは関羽の方だと言うことを証明しただけです
総大将かどうか、戦の内容はどうかなど、貴方にも考えがあるでしょうけど
そこの所を理解していただきたい
関羽って負けが多い割にはネームバリューは高いような気がするんだけど
どうしてだろう?
演義抜きにしても他人の評価(特に曹操の評価)は結構高いような気がするのだが。
そんな人間が負けばかりって言うのが不思議。
呂布も結構負けてるからな。
トップとしての能力はそれほどでもなくても有能な将軍の指揮下では際立った武勇を発揮していたのかもね。
524 :
世界@名無史さん:04/01/31 19:43
呂布が強かったのは精強な騎馬隊を率いていたから
呂布自身は大した才能無いだろうに
525 :
世界@名無史さん:04/01/31 20:24
>>511 あれ?于禁との戦闘は?長阪の戦いだと関羽は参加してないし。
残念ながら当てずっぽうって言われても仕方ない気がするね。
>>525 それだけじゃ反論にならんどころか、トゲがあるだけ不利
>>515なみに列挙しろ 横で見てる俺らが判定してやる
>>525 しっかり読んでほしい
長阪で敗走した劉備と合流したのは関羽でしょう?
違うと仰るのなら、劉備と合流した別の人物と明確な根拠を示していただきたい
後、于禁のことなら樊城の戦いとしてしっかり記載していますが
もしくは樊城の戦いを小分けにして記載すべきだったでしょうか?
樊城の戦い
曹仁 ×(樊城を陥落できなかった)
呂常 ×(襄陽を陥落できなかった)
于禁 ○(多数の捕虜を得、于禁を捕縛)
徐晃 ×(交戦して撃破される)
呂蒙 ×(南郡等を奪取される)
これで宜しいですか?
私は、どちらかと言えば関羽に手心を加えたのですが…どうやら裏目に出たようです…
合流しただけで勝利になるの?
張飛の長阪の戦いだって、足止めしただけで勝利ってのもなんかねぇ・・・
しかも長阪の戦いは小分けにしてる様な気が・・・どう考えても負け戦なのに。
>>522 一応関羽は「乱戦の中に単騎突入して大将首獲って戻ってくる」とかいう
有り得ないことやってたりするからなぁ。
負けが多くても有名にはなるだろうなぁ。
530 :
世界@名無史さん:04/01/31 21:34
っていうか、蜀の場合、あまりにも記載が少ないので
史料を提示するのに限りがある
この少ない史料の中から勝敗を%で表すのは無理だ
何故なら史料が足りないから
>>528 あのね
私は、関羽に手心を加えたと言ってるでしょう
だから軍事的成功である劉備との合流を、あえて○として記し
樊城の戦いを小分けにせず、一つとして記したの
また張飛の場合、徐州の後の優れた戦果の一つとして長阪での足止めを記載したわけ
あと、本題は
「張飛は、徐州を除けば優れた戦果を残していることと、どちらかといえば、負けまくりなのは関羽の方」
です
頼むから、本題以外のことで絡まないでほしい
関羽の評価、解釈は色々ありすぎるので議論としては疲れるんだよ
私は、
「張飛は、徐州を除けば優れた戦果を残していることと、
どちらかといえば、負けまくりなのは関羽の方である」
と言うことを証明しただけだと
>>521でも言ってるでしょう
このレス以後は名無しに戻ります
本題がどうこう言われてもねぇ。
おかしい事はおかしいんだからちゃんと指摘しないと。
白馬の戦いも、ほんの前哨戦での勝利だし。
関羽が総大将で勝利した戦と言えば史書で言えば
于禁との戦闘ぐらいのモンじゃないかと。
>>532 ふぅ、で、貴方は、
「張飛は、徐州を除けば優れた戦果を残していることと、
どちらかといえば、負けまくりなのは関羽の方である」
この事に異論があるわけ?
貴方の言うように、白馬や長阪での関羽の軍事的成功を評価しないとしても
私の主張する「どちらかといえば、負けまくりなのは関羽の方である」
と言う主張になんら影響はないのですよ
○の評価が減るわけですから
また樊城の戦いを小分けにすると、むしろ×の評価が増えるわけですから
こちらも、貴方の主張を受け入れても良いのですよ
もう一度言いますよ
私は貴方の解釈や主張を否定する気はありません
「張飛は、徐州を除けば優れた戦果を残していることと、
どちらかといえば、負けまくりなのは関羽の方である」
が、証明できればそれで良いんです。わかって頂けましたか?
>>533 >「張飛は、徐州を除けば優れた戦果を残していることと、
>どちらかといえば、負けまくりなのは関羽の方である」
↑にバカみたいに拘って暴走してるけど、
むしろコチラはそれこそどうでもいい事なんで・・・。
証明するも何も、おかしい事はおかしいと。
>>534 貴方は本気で言っているのですか?
私は貴方の主張を受け入れても良いと言ってるのですよ?
どうも貴方は日本語が理解できないようですね
残念ながら、私は日本語以外は言語に自信がないのですよ
申し訳ありませんが、これ以上、貴方の相手は出来そうもありません
どうか議論は別の方とお楽しみ下さい
もっとも、私の書いたことが理解できていればの話ですけど…
では、ご機嫌よう
主張を受け入れるとかどうとか、話をおかしくしてるのは一体どちら?
ここで取引してもしょうがない。おかしいからおかしいと指摘しただけなんだけど。
理解されてないのはあなたの方ですな。
511も粘着にそう一生懸命になるなよ、と思うが
536とかの人は何がどうおかしいと言ってるのか俺にはわからん。
一局面の戦果を列挙してるから?
>白馬の戦いも、ほんの前哨戦での勝利だし。
>関羽が総大将で勝利した戦と言えば史書で言えば
>于禁との戦闘ぐらいのモンじゃないかと。
于禁との戦闘も荊州を巡る一連の戦闘の前哨戦だよね。
一体、どういう観点から前哨戦だと決め付けてんだか。
539 :
世界@名無史さん:04/02/01 00:08
>>537 曹仁が守る樊城を関羽の包囲から解く為に
于禁率いる増援部隊を三万近く送り込んだのに
前哨戦という扱いは有り得ないよ。
関羽が于禁(もしくは曹操の一部将が率いる一個軍)撃破を目的としていたか、
曹操統治下に侵攻して適当に荒らして帰るのが目的なら前哨戦じゃない。
それとも前哨戦という言葉の厳密な定義がご希望か?
白馬の戦いを前哨戦と言っているから合わせただけだが?
541 :
世界@名無史さん:04/02/01 00:28
そもそも関羽は樊城を落とす事が目的だったのに
于禁撃破がどうとか、あまりにも話が突飛すぎて話にならない。
前哨戦の意味に厳密も曖昧もないよ。話をはぐらかし過ぎ。
白馬の戦いは対峙して初の戦闘だったし、双方とも大した損害はなかった。
しかしながら于禁の増援部隊は七軍を動かした大規模の増援部隊で
曹操は于禁なら関羽を撃退できると見込んで本格的に派遣した軍隊。
しかも関羽が勝利したのは大雨のおかげというまったくの幸運であった。
さらに言えば関羽はすでに曹仁と交戦状態にあり、前哨戦という時期はとうに越えている。
樊城をめぐる戦いでの増援部隊の于禁がどうすれば前哨戦を飾れるのか?
まことに不可解な解釈であるw
>>535 勝利宣言かっこいいな!
持論が通ってると思ってる?w
543 :
世界@名無史さん:04/02/01 01:12
>>542 いっそ、お前が反論したらどうだ。不毛な煽りを入れるんでなくてな。
関羽は負けまくってなんかいない。張飛は徐州以後も戦績は大したこたぁない。
てな具合なことを根拠とともに証明してやれ
煽るよか好感は持てるよ。
>>543 そもそも関羽が負けまくってるってどの事言ってるかわからん。
もしかして、長坂の事いってんの?
兵力差考えろよ。
ショウサイ伝に曹操は関羽の進撃にびびってたろ。
程いくも、関・張は兵一万に匹敵するとかいってたろ。
まぁ、でも戦上手ともいえんな。普通じゃねえか。
張飛はチョウコウに勝ってるだろ。それじゃ不満か?
生意気いってすまんかった。
三戦板へ帰ります。
ごめんなさい。
547 :
世界@名無史さん:04/02/01 01:33
>>511の内容に特に問題ないとはおもうが、
>>537の奴が于禁との戦闘は前哨戦なんて
アホな事いいだしたから一気にスレがおかしくなったな
法正って結構過大評価されてるよなぁ
才人とは思うが、それほど実績が多いわけでもないのに。。。
一発屋の感が否めない
>549
その一発が限りなくでかい一発だったし。
と擁護発言をしてみる。
551 :
世界@名無史さん:04/02/01 05:27
>>549 一発がどの一発の事を言ってるのかわからんけど、
劉備の入蜀を劉ショウに勧める、
蜀平定後の統治、
蜀科の制定、
夏侯淵撃破、
とかガンバッテルじゃん。
あと、劉備が生きてる間に諡号を貰ったのは法正だけ。
関羽と張飛でさえ追諡されたのは劉禅の時代。
552 :
世界@名無史さん:04/02/01 11:24
張松は謚も何もなしか・・・
哀れな。
553 :
世界@名無史さん:04/02/01 12:10
>511を擁護してるのは自作自演か?
言葉が丁寧なら好感がもてるなどとほざいてるバカもいるし。
>535なんかは言葉が丁寧にかいてあるだけで
その実、相手を煽る幼稚な内容しか書かれていない。
>535が>511の本性だろ。
554 :
世界@名無史さん:04/02/01 12:23
ようやく消化ペースが速くなったと思ったら、
煽り合いか・・・
あれだけ自分の主張を曲解されて頓珍漢なレスつけられりゃ、普通の人でも少し底意地
悪くなるだろうよ。許してやれ。
関羽は曹操陣営に過大評価されてたフシがあるな。
その態度で孫権陣営に対して尊大に出るからああいう最後になるんだろう。
556 :
世界@名無史さん:04/02/01 15:04
>>515 楽進が、関羽・蘇非を敗走させたことと、青泥は別の時期のような気がします。
青泥のときは、たぶん諸葛亮の下にいたと思いますし、その後関羽に任せて、
蜀に侵攻している所から、それほど軍事的緊張があったとは思えないのです。
(関羽に残った兵って3ぶんの1?)
甘寧の所では、魯粛と引き分けたともいえるかなと。
557 :
世界@名無史さん:04/02/01 16:27
555=511
頓珍漢な事を言ってるのはどう考えても
>>511だろ
そんな頓珍漢なヤシを擁護するのは本人のみ
だんだんデムパ発してきてまつね>557
だんだんジサクジエンが激しくなってきまししたね>511
漏れは511とは別人なんだが。
ついでに558も漏れじゃないしな。
557のデムパっぷりは本物だな。
つーか、両方ともウザいっちゅーの
もう511関係の話題はお腹いっぱい
まぁ、個人的にはこう、サンドバッグにするのもちょっと好きかなと思う邪悪な俺。
そういうのは三戦板に逝ってやれや。
漏れ様は自演j麺だから511にいってやる。
現時点では511の主張した
張飛>関羽
という意見に対しては、誰も全面否定はしていない。
ただ、
>>515の勝ち負けに関する評価に関してのみ、もうちょっと考えた方が良いんじゃないの?
って言ってるだけ。理解できたか?
そういう意見に対して
>>535の対応は無かんべぇ!?
周りの意見を参照して、より完璧な戦歴表を作成して
やっぱり漏れの主張してる張飛>関羽という意見は正しかったっていう
方向に持っていくのがスジだろう?
> 張飛>関羽
>
> という意見に対しては、誰も全面否定はしていない。
それもどうだかな。
関羽と張飛の直面した事態は同一ではないから一概にそうとは言えないのでは?
あ、能力じゃなくて戦績ならその通りか
張飛はなかなかの将軍なんだよな。
過小評価されるのは演義の馬鹿なイメージと最期の印象が悪いせいか。
今日の教育テレビで人間講座・三国志の英傑たち
喪前等頼むから三戦板帰ってくれ
>>569 賢しらぶってるのかは知らないが、それしか言えないあんたも同類。
二言目には三戦三戦とのたまうのもけっこうだけど、ずいぶんと滑稽だな。
三戦板で「蜀では四方将軍>四征将軍のままだった」という話が出てて
ああ、これどっかで読んだなあと思ったんですが、このスレでしたっけ?
かなり突っ込んだ議論をどこかで読んだ覚えがあるのですが…
自分で聞いといて自分で見つけちゃいました。スレ汚しすいません。
IDあぼ〜ん出来ない板はこれだから…
どうした?
577 :
世界@名無史さん:04/02/04 18:18
荒れてますな〜。
戦績とか軍事的才能になるとどうしてこんなに
粘着するヤツが出て来るんだろう?
三戦板も三国志板にしとけば厨房板じゃなく、
専門板になったはずなのにな。
ひろゆきは道を誤った。
>>577 前半は納得できるが、後半は理解できねぇ。
579 :
世界@名無史さん:04/02/04 18:43
三国志が戦国と同居せにゃならん理由ないし・・・
それ以前に、専門板にするにはゲームスレを分離せなならんて
素直に肥板にすればいいのに
>584
自分まで含めてしまったのか
586 :
世界@名無史さん:04/02/05 13:29
桓温が魚復の石の八陣を見て、「此常山蛇勢也」と言ったらしいが
これってどういう意味だろ?
孫子兵法九地篇
588 :
世界@名無史さん:04/02/05 19:40
590 :
世界@名無史さん:04/02/05 20:45
んなのは
>>586に聞いてくれ
頭を打てば尾が襲って尾を撃てば頭が襲って胴を打てば頭と尾が襲うようだといってるんだろ
592 :
世界@名無史さん:04/02/05 21:17
常山蛇勢で検索したら、ゲームの攻略っぽいのが引っかかった。
常山って趙雲とかの出身地のアソコの事か?
自作自演の釣か
594 :
世界@名無史さん:04/02/05 21:31
>何の被害妄想だ?
意味不明。
見に覚えでもあるのか?
596 :
世界@名無史さん:04/02/05 22:01
自作自演とか釣とか厨房語の好きなヤツは・・・
597 :
世界@名無史さん:04/02/05 22:04
呂布本事という書物があるらしい・・・
どんな本だ?
自作自演とか釣とか厨房とか厨房語が好きなヤツは・・・
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )ヒソ
599 :
世界@名無史さん:04/02/05 22:24
最近、粘着が多いな・・・
601 :
世界@名無史さん:04/02/05 22:35
>>600 お前はジョイで分解してやりたいくらい粘着だがな・・・
ageてる喪前はジョイでも分解できない粘着だな。
603 :
世界@名無史さん:04/02/05 22:54
つまらん返し・・・
粘着どうしがスレ消費して鯖に負担をかけてるな
クソスレあげんなヴォケが!
606 :
世界@名無史さん:04/02/05 23:11
サーバーなんて関係ないだろ。
三戦いきゃクソスレ腐る程立ってるし、sageとか
そういうレベルじゃない。
開き直り(ノД`)アイター
608 :
世界@名無史さん:04/02/05 23:26
てか、sageの方がサーバに負担かかる説もあるらしいぞ。
こんなスレ一つでサーバーに負担?w
爆裂スクリプトで連アタされてるならいざ知らず・・・・
611 :
世界@名無史さん:04/02/05 23:34
だいたい粘着ってなんだよ?
お前らそんなにアッサリしてるのが好きか?
ネバネバに糸ひいてるぐらいがいいんだよ。
ここはとても臭いインターネットですね
613 :
世界@名無史さん:04/02/05 23:38
何だかよく分からなくなってきたな。
何のスレだかも・・・
みんな、わたしのためにけんかをするのはやめて!
厨房の巣は常時sage推奨
616 :
世界@名無史さん:04/02/05 23:46
617 :
世界@名無史さん:04/02/05 23:46
>>615
厨房の巣だからこそ上げろや
618 :
世界@名無史さん:04/02/05 23:47
妙に伸びてると思って来てみたらこれかよ… (つД`)
620 :
世界@名無史さん:04/02/05 23:57
このスレももう駄目だな
ホイホイage
ね、age将軍。sage様を討てるのは貴方だけ。
sage様と取り巻きのsage厨から、このスレを…わたしを助けて…
八陣図ってなんなんだろう
625 :
世界@名無史さん:04/02/06 00:23
無差別age、sageは死ね
正史厨は自分の意見が通らないと荒しだすんですね。
627 :
世界@名無史さん:04/02/06 01:36
>>621 つか荒らしてるの一人だろ
飽きたら帰るんじゃねえの
629 :
世界@名無史さん:04/02/06 03:30
>>627 演義厨って言うより正史厨同士だと思うが。
流れとか読んでみ。
正史や演義にさえふれてない、ただの厨かと
正史読みたて厨が豊富って言ったところか。
まぁ、厨共は放置して次の話題に移らない?
※ 自分の意見が通らないから荒らす&勝利宣言は止めましょう。
いちいち厨扱いする意義なんてないと思うんだが……
普通に有意義な話がしたい住民もいるんだし、この荒れようじゃな……
なんかすぐ気に入らないと”正史厨”とかのたまう香具師いないか?
大人気ないし恥ずかしいよ。
>>571のような質問を受け入れる懐の深さがあってこそじゃないかな。
あげ
>>633 その逆も多い。
なんかすぐ気にいらないと”三戦板かえれ”とかのたまう香具師も
>>635 それが気に入らないから荒らしてるのか。
>>636 しらんよw
そもそも荒れてるのは、戦績云々が出てきて勝利宣言がどうのって
感じだからだろ
638 :
世界@名無史さん:04/02/06 21:33
常時age
あぼーん
>>635 まあ三国志の話題はただでさえ荒れ易いからねえ
神経過敏になってるのかもな
でも普通に痛いレス連発してる香具師も多いぞ
そういうのが大挙して押しかけてきたらこのスレがどういうことになるか分かるだろう・・・
641 :
世界@名無史さん:04/02/07 21:26
陳群が陳余の子孫ってのは眉唾って話が前あったけど、
系図のねつ造ってのは南北朝時代には当たり前だったのかね?
この漢書蕭望之伝注の顔師古注が多くを物語っていると思う。
ちなみに槍玉に挙がってるのは南斉・梁の蘭陵蕭氏の事だけど、
それに限らず適当な事ばっかだ、と憤慨している模様。
師古曰「近代譜諜妄相託附、乃云望之蕭何之後、追次昭穆、流俗學者共祖述焉。・・・」
643 :
世界@名無史さん:04/02/07 23:05
祖先に著名人がいると家格が上がるのかな?
644 :
世界@名無史さん:04/02/08 01:27
下がりすぎage
645 :
世界@名無史さん:04/02/08 23:26
岑昏が肉食われたってマジ?
646 :
世界@名無史さん:04/02/09 03:08
新唐書に崔均の字が州平って出てるがこれホントか?
崔均って後漢書では董卓打倒の為に袁紹らと挙兵したと
記されてるが・・・
孔明の友人がそんな人物だったとは信じがたい。
てか、孔明と大分年が離れてるね。
呉の同時代史料が続々と発掘されつつあるそうですが
翻訳とか出ているんでしょうか?
648 :
世界@名無史さん:04/02/09 04:49
戸籍とかの木簡じゃないの?
ここは陳寿による『三国志』正史スレであって三国時代の正しい歴史スレではないので
考古学史料や正史以外の文献に基づく話は別のスレでやるべきでは?
まあな史実と事実は違うからな
でもまあいいじゃないか、別スレ立てる程の事でもないだろ
>>646 諸葛亮伝に崔州平は崔均の弟だとしてあるし、
違ってるのは字州平の部分だけなので
新唐書の間違いだと思う。メモっとこ。
注釈もついてないようだし、新発見すか?
>>651 諸葛亮伝に→諸葛亮伝の注釈に、に訂正します
>>650 次スレから三国志の時代スレにしてみるというのはどうだろう?
>>643 「三国志」を語るためにも、他史料の比較なんかはありだと思うが。
656 :
世界@名無史さん:04/02/09 22:58
>>651 崔均の字が記されず、崔州平の名が記されていないのが
何とも不自然だよな。
裴松之の間違いである可能性もあると思うよ。
崔均は西河太守になってるんだよな・・・
崔州平のその後についてって何か記述あったっけ?
考古学研究の結果、正史より演義の方が正しい部分とかあったら受けるな。
演義が正しいのではなくて、演義が参考にした稗史が正しいならありうる
>>658 捜神記とか漢晋春秋が正しいって? ありえねぇ・・・
どうだろうねぇ
>>646 少々遅レスですが。
新唐書の宰相世系表の事なら、
それの方が怪しいと思います。
崔寔と崔烈(後漢書では従兄弟)の関係を新唐書は間違っているようですし。
662 :
世界@名無史さん:04/02/10 03:12
世系表は怪しい所多いけど、実際の家系図を基に書いてるから
案外こっちが正しい所もあると思うよ。
正史は必ずしも系図を見て書いてる訳ではないからね。
663 :
世界@名無史さん:04/02/10 17:36
なあ、祖茂の字大栄って演義以外に見えないと思うんだが、
こういうのって信じるべきなのか?
野史から取ったのかねえ?
664 :
世界@名無史さん:04/02/10 22:34
崔氏ってタク郡が本籍だな・・・
州平も同郡の劉備に仕えても良かっただろうに。
>>658 超能力や霊体の存在が科学的に証明されれば…。
>>657 でも、分かんないなら敢えて書かないように気もするんだよね。
祖茂はそれほど重要人物ってわけじゃないし。
??
669 :
世界@名無史さん:04/02/12 01:00
何でsageるかな?
見つけづらい・・・
またage荒らしか。
671 :
世界@名無史さん:04/02/12 02:14
>>670 お前が荒らしだろ?
ネタ振りもできないからってsageか?
ま、くだらない事書くしかできないなら
書き込むなと・・・
この珍獣は定期的に来るのか
自分が見つけづらいってだけでageるなっつーの
2ちゃんブラウザでも使えやと
673 :
世界@名無史さん:04/02/12 03:35
>>672 てか、お前っていつも噛み付くばっかりで
三国志の話全然してないよな?
┌─────────┐
│ 基地外警報!!! |
│ 基地外警報!! |
└―――──――――┘
ヽ(´ー`)ノ
( へ)
く
カク━━━━||Φ|(|゚|∀|゚|)|Φ||━━━━リ!!!!
>>673 お前みたいなのがいるからsageてんだよ
678 :
世界@名無史さん:04/02/13 23:44
賈クって孫子と呉子の兵法の注釈書いてんだね。
>>680 馬鹿ハケーン! もっとインターネットのこと勉強品よ!
>>679 何が気に入らなかったのか解りませんが、すみません、インターネットのこともっと勉強
しまつ・・・
とりあえずなんかネタ振りを・・・
于禁って5将軍の一人に数えられてるけど、どう考えても納得出来ない
戦闘で際立ったものが有る訳でも無く、能力的にも疑問が残る
樊城での判断ミスは致命的だと思うぞ。厳格過ぎる規律も上に立つ人間としては問題だと思うし。
こんな香具師が張遼や張コウなどといった名将と同列に扱われてもいいのだろうか?
皆勤賞ですな
>>682 あの五人が一纏めなのは、
曹操麾下の別軍の将、一部隊の長として立伝されたためと思う
でないと楽進が張コウらと立伝されたのが説明つかない
于禁も含め張遼らは、部隊長や別軍の将として曹操の手足となり多くの戦に参加し多くの戦果を挙げている
その上で張コウや徐晃は大軍を指揮しての戦果があり、逆に于禁は大軍を指揮して醜態をさらした
この差が、張遼らと比べるとき違和感を生み出すのでは
>>684 つまり名将として評価されてる訳ではないと言う事か
>>685 いや見る人によっては于禁は充分名将だし
名将としてかどうかは、「名将」を如何に定義するかで大いに変わる
ただ曹操麾下を代表する五人の部将として
張遼、楽進、于禁、張コウ、徐晃が立伝されたのは間違いないと思う
逆にいうと、最後以外に汚点はあったか?
厳格すぎる規律についてはまた別問題だろうし。
>>687に同意。
>>682 >厳格過ぎる規律も上に立つ人間としては問題
”厳格”の程度に差はあるかもしれないが、曹操・諸葛亮を半ば否定するにも
等しいんじゃない?
曹操の創成期をみれば、正直いって于禁を含めた五人が併伝されるのが
むしろ普通。
于禁の事績を丹念に見ていけば、自分としては陳寿の人選は妥当と思う。
于禁ではなく李典じゃあ不満かねえ?
>689
李典はセットで使わないと味がでない。
「厳格過ぎる規律」については、それによる弊害が無い限りはマイナス要素とはみなせないと思う。
(兵卒が規律に耐えられなくて逃亡するとか)
692 :
世界@名無史さん:04/02/18 20:06
宋代に趙伯符という人物がいるな。
やっぱ、孫策から取ったのか?
>>688 >”厳格”の程度に差はあるかもしれないが
程度の差が有ると思うねえ、というか厳格の意味合いが違うかと
曹操には厳格な中にも度量の広さが有るのに対し
于禁のは寧ろ狭量から来てるものに思える
部下の信望を集める事をせずに規律で縛って引っ張っていくみたいな
懲罰を恐れてみんなきちんと働くが、いざという時は誰も付いてこないって状況になるんじゃないかと。
部下が将軍のためならって思ってる状態じゃないと出来ない事ってたくさん有るだろうし
うーん今までまあそれなりに評価してたんだけど、今、柘植さんの書いた本読んでてねえ…ちょっと考えが変わった。
>>687 >逆にいうと、最後以外に汚点はあったか?
その最後の汚点で、于禁の欠点が露骨に出たと思う。
以下柘植さんの樊城での于禁の行動に対する見解
于禁は戦うだけの将であったようだ。総合力の優れる将なら、秋の長雨を有る程度まで承知していたはずであろう。
いったん本格的に降り始めたらなかなか止まず、しばしば大河が決潰するのを計算に入れておかねばならない。
また戦場か作戦行動範囲に河川があった場合、騎兵を派遣して朝夕の水位を把握しておくべきだ。
危険水位に入ったら、いかに有利な布陣をしていようが、低い地帯にあったらそこを速やかに放棄する。
周辺で一番標高のある地点へ全軍を移し、食料と水を確保して洪水に備えるわけである。
河川の水位よりわずか十メートルか二十メートルほど高くても、水害というものは直接の被害を避けられるのだ。
だが于禁にはその知識が欠如していた。幕僚にも一人として進言するものがいなかったようである。
この後張コウの例を出していて、彼が大雨が降った時に即座に兵を引いた事を、極めて冷静に適切な判断を下したと評価してる。
于禁・・・名将なのかもしれないが、他の併記されてる武将と比べると一ランク下の感が否めない。
張こうのせいで夏侯淵が討ち死にした。
まぁ、誰しもミスは犯すもんだよ。
張コウは巴郡に侵攻して張飛にあっさり撃破された。
これがあったから劉備も漢中への逆侵攻という策を
採用する気になったのだろう。
しかし、張コウの場合は司馬懿の判断ミスという説も・・・。
張コウ自身は追い討ちに反対だったわけだし。
>>697 誰へのレスだ?
それ北伐の時の話だろ
話題になってないが・・・
まあ孔明も司馬懿よりも寧ろ張コウを警戒してたっていうしね
>>695 >張こうのせいで夏侯淵が討ち死にした
んなわけない、無為無策に突っ込んだ夏侯淵の自業自得
>>696 勝つか負けるかはその時の状況によって左右されるだろ
それは誰が指揮しててもいえる事で・・・
ただそれを見極めて適切な処置を施せるのが、名将たる所以だろうな
>>695 たしか、張こう救援のために援軍でたら黄忠に殺られたんじゃあ
なかった?
701 :
世界@名無史さん:04/02/21 11:18
巴では、張飛に負けて10人位になって退却しなければならなかった。
漢中では、劉備が総攻撃をしてきたので、東側を守りきれず、南側に
向かっていた夏侯淵は、半分の兵を援軍に出したところ、黄忠と遭遇
して戦死した。
702 :
世界@名無史さん:04/02/22 10:54
孫権って許昌に赴いて自ら曹丕に謁したと
魏書に書いてあるがホントだろうか?
USOに決まっとるじゃろう!
>>701 ダメな上司を持つと部下が苦労するっていう、いい例だな
夏侯淵ってよくここまで生き残ってこれたと思う
正史三国志魏書W ケ艾伝に「(後漢の初め、蜀を攻め滅ぼした)呉漢のよう
な男に出会ったならば、とっくに破滅していただろう。」という記述があるけ
ど、呉漢とは何者ですかい?
706 :
世界@名無史さん:04/02/23 19:20
光武帝の部下だろ。
公孫述を滅ぼした・・・
光武帝はかっこいい。劉邦とはえらい違いw
「(後漢の初め、蜀を攻め滅ぼした)呉漢のような男に出会ったならば、とっ
くに破滅していただろう。」という記述は、呉漢が残虐冷酷な人物であったと
いう意味なの?
冷酷かどうかはともかく、呉漢は公孫述を斬っていますから。
「俺様が呉漢みたいな処置してたら、お前らみんな死んでたよー。
俺様は優しいだろ?」
みたいなことをケ艾は言ったんですな。
>>709 なるほどねー。その時代に精通できるようになる書籍は何かありますかい?
>>710 精通というなら後漢書。それか資治通鑑とか。
さっきの少し修正。
呉漢は公孫述死後に降伏した成都を略奪破壊してて、
光武帝も怒ってるんですね。
「呉漢みたいに成都を略奪とかしなくて、俺って優しいだろ!
略奪してたらお前らも死んでたよな。」
って感じでしょうか。
712 :
世界@名無史さん:04/02/26 21:41
ケ艾って司馬昭に信頼されてなかったの?
僕たちの好きな三国志2 って本買ってきた。
この本によると〜
関羽は劉備の同盟者だったって書いてあるんだけど、
この手の話はガイシュツですか?
>>701 >劉備が総攻撃をしてきたので、東側を守りきれず
そりゃねえ・・・無理でしょ
劉備は夏侯淵よりも寧ろ張コウを警戒していた
で夏侯淵無視して張コウの軍の方に攻撃を集中した。
夏侯淵の救援は明らかに読まれてただろうね
バカ正直に救援に向かってあっさりシボンヌ
端から相手にされてない悪寒・・・
巴では張コウって確か漢中の住民の拉致作業をやらされてたんだよね?
そんな所を攻められたらひとたまりも無いかと・・・
しかし、50日余の対陣の後、狭い山道に居る所を撃破される・・・
さすがにこれは弁護しようがないかなあ・・・何故にこの期に及んで山道なんぞにいたのか・・・
でも夏侯淵亡き後、漢中を守りきったという事で・・・ダメ?
715 :
世界@名無史さん:04/02/28 12:59
張コウと、張良の子孫の張超が、同県出身なんだけど
関係があるのかな。
716 :
世界@名無史さん:04/02/28 13:11
717 :
世界@名無史さん:04/02/28 21:34
>714
守りきってないし。
718 :
世界@名無史さん:04/02/28 21:37
719 :
世界@名無史さん:04/02/28 23:55
>夏侯淵の救援は明らかに読まれてただろうね
これだと、法正の「攻撃すべきです」の言葉が生きてくるね。
720 :
世界@名無史さん:04/02/29 07:55
>>713 あんな子供だましのムックに騙されるな。
夏侯淵は縁故人事。
>>714 >でも夏侯淵亡き後、漢中を守りきったという事で・・・ダメ?
思いっきり漢中陥落してるじゃねーかw
曹操が来るまで凌いだってことか・・・。
張コウの報告を受けて曹操はみずから漢中に出向き指揮を取った。
劣勢に陥った劉備は持久戦に持ち込み、戦争は膠着状態に陥った。
なかなか勝負が付かない状況に、曹操は「捨てるには惜しいが、そこまでして取る価値は無い(鶏肋)」と言って漢中を放棄した。
鶏助って思いっきり曹操の負け惜しみだよなw
あそこで漢中を確保したことこそが、蜀政権がその後半世紀近く続いた理由だろう。
漢中は成都への橋頭堡なんだから成都を落とす気がない限りお荷物なんだと思うが・・・
もともとチョウロがのさばれるほどの辺境だったのだし。
逆に蜀にとっては生命線ってことだね
漢中を取られたら後が無く必死な蜀と
そんな辺境の土地取るよりの疲弊した国内の回復の方が大事な魏
まああんまり旨味は無いよな魏にとって…窮鼠猫を噛むってことわざもあるし
三国統一する気がなかったのかね?>漢中を鶏肋
>729
漢中への補給が大変そうだ。魏にとっては。
孔明の北伐の逆で。
なんつーか、まさに負け惜しみだな
蜀なんて片田舎取っても腹の足しにもならないよ・・・いやマジで
それより崩壊した中原の建て直しが先だろ。その方が得るものは多いはず。
・・・負け惜しみっぽいな、確かに
うーん
漢中はいけるとしても、成都は無理じゃねえか?
3000メートル級の山々越えた先に在るんだぞ
建業攻めるよか大変そう
>>731 曹爽の侵攻はまさにそのとおりになったわけだがな。
悪天候という理由もあったが。
735 :
世界@名無史さん:04/03/03 19:36
>734
悪天候は親父の時だろ。
曹真じゃねーの?
バカか?
漢中が重要じゃなきゃ曹操自ら出てこねーよ。
当初の目的は住民の拉致だったんでしょ?
それがあんな事になったんで、しかたなく曹操が出てきた。
もともとあんまりやる気無かったんじゃないの?
漢中いらなかったら、張魯なんか攻めねーよ。
漢中重要でなかったのなら、曹操自ら出てこねーよ。
>739
はいはい
必死なのは分かるがいい加減根拠を示しましょうね
他の人が漢中進行を理由つきでレスしてるのに対して、君だけが頭悪そうな書き込みを延々と…。
理由なんか必要ねーだろ。
必要でない場所に兵を送るか?
しかも、曹操自ら。
>>741 君が言うようにそんなに重要ならなんで最初から全力で攻めなかったの?
もともと漢中進行は激減した中原の人口を少しでも補うために、戦火を逃れて漢中に流れてきてた流民の確保のため。
しかし蜀軍に妨害され、あろうことか司令官まで殺されてしまう…。
ここで引いたら蜀を益々勢いづかせる事になる。
曹操が自ら漢中に出向いたのは、それを防ぐためじゃないかな?
漢中を重要視してたんなら、そんなに簡単に兵をひいたりしないでしょ…。
醜い争いが延々と続いております
もともと漢中進行は激減した中原の人口を少しでも補うために、戦火を逃れて漢中に流れてきてた流民の確保のため。
取り敢えず、このソースキボン。
初めて耳にしたが?
>>745 ソースっていわれても手元に資料無いよ・・・。
誰か詳しい説明頼むw
確か曹操が漢中から引き上げる際に住民を根こそぎ長安・許昌・洛陽・ギョウ?辺りに強制移住させてる。
前の方に出てた張コウの住民拉致とかもその一貫だろうし…。
その後の漢中はボロボロだしね
なんていうか一応漢中進行の目的は遂げたかと思われ
>746
引き上げるしかないが、ついでに住人も連れていってしまえ!
と言う方針の転換があっただけかも。
>>張コウの住民拉致
とりあえず武帝紀・張コウ伝・張飛伝・夏侯淵伝・徐晃伝をざっと見てみたけど、
いわゆる生口確保が目的ってのはどうかなあ?
張コウは巴西・巴東を制圧して、その住民を漢中に移送した。これは確かに張コウ伝にあるけど。
曹操は漢中を制圧すると、夏侯淵を主将に、徐晃・張コウに巴郡の平定を命じている。
曹操の監督下でやったのか、夏侯淵に任せたのかは、ちょっとわからん。
徐晃より張コウの名がよく見える辺り、張コウの動きの方が表立ってたんだろう。
そんで、上の巴西・巴東だが、これらを制圧した後、張コウは宕渠に向かい、張飛に敗れている。
この巴西・巴東から宕渠に向かう線を、川を考慮しつつ延長すると巴郡に行き着く。
だから、これは漢中制圧後の、最初の方針に従ったものだろう。
で、巴西・巴東・宕渠・巴のラインだが、これを抑えると、益州と荊州が分断される。
夏侯淵軍団を漢中に置いたことについて、その最重要目的対劉備以外に見あたらないので、
(テイ族・羌族相手なら、漢中に入り込むより、長安の方が動きやすそう)
曹操が劉備(益州政権)を軽視していないというのを証明できないだろうか?
>>748 なるほど荊州との分断か
それなら納得いくね
益州はともかく荊州に居座られるのは魏にとってホント嫌だったろうからね。
>>748 張魯伝とかはどう?
彼も多分住民と一緒に移住させられてたような・・・
ざっと検索してみました。
張既伝で張既が「漢中の民を長安・三輔に移住させること」を進言している。
これは張魯降伏後のこととして書かれてる。
で、和洽伝で漢中放棄時に「民を徙す」とある。
という辺りが見つかったけど、両者の間には3年近くの歳月があるしなあ。
それに前者は漢中制圧を受けての次の施策案だし、
後者は漢中陥落に際しての、次善の手段だと思われる。
やっぱり生口確保を積極的な目的として動いたとは思われないなあ。
後、中原にまで連れて行ったという記述は見つからなかった。探し方が悪いのかもしれないけど。
張魯はギョウで死んでる。だからギョウに連れてかれたと思われるけど、
これは組織的な移住と言うより、教祖様を隔離したんじゃないだろうか。
すぐ死んじゃった辺り、本当に寿命か?とか疑ってみたり。
追加
資治通鑑の方にあった。
ただ八万人余りを確保するための戦争ってのも、どうかなあと思ってしまう。
多分、漢中の全人口じゃないでしょ?
753 :
世界@名無史さん:04/03/07 09:49
道教は、以後も反乱を起こしている。
支配階級にとっては厄介な宗教なので
彼らを漢中に置いとくのは危険と判断したんだろう。
754 :
世界@名無史さん:04/03/07 22:06
反論はまだですか?
三戦板で語れよ
面白そうなネタは出てるのに粘着と嵐で悉く消化不良になってるスレはここですか?
このスレは、
なんか都合悪くなると「厨」とか「粘着」とか言って誤魔化して終わりのパターンが多いな。
>>748 どうもサンクスです。随分と調べてくれたようで…面目ないです。
やっぱ明確に書いてある所は無かったですか…。
自分もちょろっとどっかでに書いてあるのを見たくらいで、大分誤解が有ったみたいですね。
妄想入ってましたスマソ
>>754 反論って言われても…
ソース出せ言われたから、誰かお願いって投げたわけで…。
どっかで見た事あるってだけで、もともとそんなに確固とした根拠が有った訳じゃないのさ。
>>758 俺に言ってるのか?
>>756は俺じゃないぞ
>>749,750は俺だな
だいたい漢中自体攻め落としたんじゃなくて張魯が降伏してたんだな
いくら資料が無いとはいえ…俺のバカバカヽ(`Д´)ノ
新しいネタふれ。
三戦板じゃないんだし、論理的にいこうや。
761 :
世界@名無史さん:04/03/11 22:47
司馬炎って髪が地に届くっていう記述があるけど、
この時代にロングヘアーだったヤツっていたのかねえ?
ま、伸ばせば届くってだけで普段は冠の中にしまい込んで
たのかも知れないが・・・
三国時代は男でも司馬炎みたいに超長髪にできたなんてうらやましいね。
763 :
世界@名無史さん:04/03/11 22:50
>>761 なんつか、その、アレだな。
メンドクくせえし、次の奴が答えてくれ。
>>761 ちょんまげほどくとどうなるかを考えて、んで、後は応用してみてくれい
765 :
世界@名無史さん:04/03/12 00:30
ちょんまげほどいても髪が地面につくヤツなんているか?
766 :
世界@名無史さん:04/03/12 02:13
身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の初め也。
767 :
世界@名無史さん:04/03/12 02:46
>>766 言わんとすることはわかるが、果たして他の人物も髪きらなかったので
あろうか??
周ホウ
769 :
世界@名無史さん:04/03/12 15:28
曹操や、劉備、諸葛亮、顔良、文醜、孫策、冷ホウ(何故か変換できない)
ら三国志に登場する大多数の人も髪切らなかったのか?
って事を言いたいのだが。
切らねぇよヴァカ。
何で髪切る必要あんだよ。
論理的な話の展開で盛り上がってるスレはここですか?
>>771 あたぼうよ。好悪感情丸出しで展開する三戦版とは違うのさ!
三戦厨房世界史板に跋扈し、
正史スレッドを糞スレにせん。
774 :
世界@名無史さん:04/03/15 18:17
テレビなどで四川地方の山々を見ると、良くこんなとこで戦争したなーって思う。
>>774 TVだとそーゆ所しか映さないしな。
たとえば、東京都いえば都会なイメージだが、少しいったら田んぼとか畑ばっかだよ
昨日の人間大学でちょうど四川が映ったけど、都会でした。
四川省の人口は8000万を超え、9000万を越えるとも言われてます
しかも、これは重慶特区を除いてのことで
重慶特区は人口3000万を越えます
三国時代の巴蜀(漢中を除く)と呼ばれた土地に約1億2000万の人が住んでいることになります
意味不明
重慶って、いまや中共最大の都市だったっけ?
780 :
世界@名無史さん:04/03/17 01:45
1億2000万は侮れない数字だが、
旧魏、旧呉の人口は何十億?
>>780 何十億って人類の何割なんだその数字は?
十億ちょいだろ
何をもって最大とするか微妙だが、重慶は大きい都市だよ。
近代化してる。
>781
中国式に零を増やしてみた。
人口の比率は今も昔も
あまり変わらないみたいですなぁ。
で、孟達なんだけどさー
彼の評価ってどうよ?
>>784 孟達が劉封に宛てた手紙は彼の知性と教養を感じさせます。
このような面があったからこそ文帝は彼を優遇したのです。
しかしながら、誠実さに欠ける面もあったのでしょうね。
この人物の不幸は忠義の二文字に溺れるほど愚かでもなく、己の才覚
のみで身を立てるほど有能でもなかった点でしょうな。
>>775 そうなんだよねw
四川全域があんなのなわけないのに。
>>784 当時の孟達の風評はなかなか高かったといわれる。
魏へ投降した際には、「燕の楽毅が趙へ亡命した故事」になぞらえられる
ほど、魏の朝廷でも高い評判を得ていたといわれてる。
まぁ、劉曄や司馬懿は孟達の性情を看破していたようで、末路もそのとおりに
なったわけだけど。
>>784 どうよって・・・
三戦板とは違うのさ!とか言うからには自分がまずそれらしいレス書けよ。
まず自分の評価だして、みんなの意見を求めるのが常識だろ。
それがどうよ?とは・・・住人を舐めてるとしか思えない。
もっとちゃんとしようよ。
>>788 何でそんなにヒステリックになってんだ?
イヤなら放置すれよ。何歳だ?
上の2人はしっかり意見述べてるのに、正直・・なぁ?
ここは臭いインターネッツですね
791 :
世界@名無史さん:04/03/19 21:00
あげておくよ
このスレもうだめぽ
ダメというから駄目になる。
794 :
世界@名無史さん:04/03/21 17:53
司馬懿が自分の子に亮と名付けてるのは興味深いな。
フフフ・・・・
797 :
世界@名無史さん:04/03/22 01:05
>>796 八王の一人だが?
賈皇后に殺されており、才能はあまりなかったようだ・・・
諸葛亮と同じだな・・
つまり、ここで意味することは!?
しかし、本気で正史論じたいなら、
中国語の原本を自力で訳せるだけの語学能力無いとだめなんだろうな。
ちくまの正史だって、「流矢=流れ矢」のような誤訳があるわけだし、
どこでどう間違っているのか分かったものではない。
さすがにアマチュアの身分で、古代中国語の勉強をする気力も無いから、
最近は学士向けに書かれた、「正史」解釈に関する教科書を読んでます。
>>796 一瞬ダンクーガのパイロットかとオモタよ
正史関連の優良サイトって皆さんの意見ではどうよ?
井波律子は偉いねぇ〜
>>799 そこは誤訳とは言い切れないのでは?手元の学習用漢和(漢辞海・新字源)ですら、
1.飛んでくる矢
2.流れ矢
の二つの意味が書かれているよ。
で、原文とちくま訳を対比してみると、
・流矢雨集/流矢始交
→ 「流矢」が雨のごとく集中し/「流矢」が飛び交いはじめ
・為流矢所中/中流矢
→ 「流れ矢」にあたる
ということで1.と2.の意味を一応区別して訳していることが分かる。
>>802 放置すれよ。
ようやく白文読めるようになって悦に入りたいんだよ。
>>802 なるほど。
どっちの意味もあったのか。
ただ、「演義」ではホウ統の戦死のシーンは「流れ矢」ではなく、「流矢」だし、
「演義」とはいえ、話の大本のネタは正史から来ていることを考えると、
(別に白馬に乗って「流れ矢」に当たった、でも良かったわけだし)
ホウ統の戦死は「流れ矢」ではなく「流矢」のほうが
しっくりくると個人的には思ってるけど。
ところで、
>>・流矢雨集/流矢始交
→ 「流矢」が雨のごとく集中し/「流矢」が飛び交いはじめ
って、正史のどこにあるの?
蜀志では関羽の負傷も「流れ矢」で訳されてるし、
ちょっと見当たらなかったんだが。
注
>>803みたいのが涌いてくるから、せっかくの世界史板のスレが
荒れるんだろうな。 不毛なやつ……。
次の三国志の話題
↓
>>811「ムシャクシャしてやった。相手は誰でも良かった。」
( _,, -''" ', __.__ ____
ハ ( l ',____,、 (:::} l l l ,} / \
ハ ( .', ト───‐' l::l ̄ ̄l l │
ハ ( .', | l::|二二l | ハ こ .|
( /ィ h , '´ ̄ ̄ ̄`ヽ | ハ や │
⌒⌒⌒ヽ(⌒ヽ/ ', l.l ,' r──―‐tl. | ハ つ │
 ̄ ', fllJ. { r' ー-、ノ ,r‐l | ! め │
ヾ ル'ノ |ll ,-l l ´~~ ‐ l~`ト,. l |
〉vw'レハノ l.lll ヽl l ', ,_ ! ,'ノ ヽ ____/
l_,,, =====、_ !'lll .ハ. l r'"__゙,,`l| )ノ
_,,ノ※※※※※`ー,,, / lヽノ ´'ー'´ハ
-‐'"´ ヽ※※※※※_,, -''"`''ー-、 _,へ,_', ヽ,,二,,/ .l
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `''ー-、 l ト、へ
やっぱ三国厨は腐ってんな
817 :
世界@名無史さん:04/03/24 20:42
次スレは三戦板でたててくれ。
819 :
世界@名無史さん:04/03/26 23:09
もはやクソスレ。
そして一々あげんな。
821 :
世界@名無史さん:04/03/27 22:34
煽るから腐るのだ。
823 :
世界@名無史さん:04/03/28 12:30
この腐れっぷりは全て前スレの煽り厨が原因だな。
孫盛の腐れ儒者がうざいです。。。
あの考察はいいかげんにしる。
要するにディープなネタがないんだよな。
だから暇潰しに煽り合戦が始まる。
2000年近くも語ってきて
さらなるディープな新ネタあるかな?
于禁は女だったという説
リl // / _,,.\`く' `´<ヽ、 \ ヽ \ ーヽ.,.イ ', '´`ヽ r '' ヾ_,!l !l .!
!l l l / l 、/"`ヾヽ\ ,' ‐''ヾー-、.\ ヽヾーi、l _l =! (゚;) (゚;) l= ! _/ !
l V./ゝ !=! (゚;) ` (゚;) l=/_7ー、=,ヽ`!.ir、.', ' ,_,. i 、_ ,、`./'r、i !
ヽll 'ヽ!! , -- l -- 、 `/r,ヽ ヽ! !ヽ'_,.! __ i_ ) / !
ヽヘ、!l,! , - 、 __,. -.、 ,i.l) ノ !. ヽ.ヘ. !' ヽ ノ、')´ .!
_ゝlヘ !'´ .i /、リ) ,' `ヽ、 ヽ _ ノ / ./ i
`>'=ノ , `ヽヽ l,.ィ_、_\_ i ,.. - 、,-、.`_iー--‐.´レ' /,.へ、 _ ',
〃 /,ヽ、r'こl` ー-‐ ',l´'Yヽヽ `ヾ´ l/ '´ /´ ! / ,// l ヽ!
l / !. ( ` ー=-´‐ ) ! '、 ! / _l_. ! / // ./_,,L i
七_ 七_ l l 二 ナ ゝ i ヽ |! |!
(乂 ) (乂 ) ノ /し cト  ̄ ̄ ̄ ヽ ・ ・
829 :
世界@名無史さん:04/04/01 20:02
かわいいAAだな。
誰?
于禁の軍にホウ徳さえいなければ
週刊 ビジュアル 三国志 創刊
初心者ですまんのだが、趙雲の字の読みって「しりょう」と「しりゅう」どっちが正しいん?
どちらでもよろしいかと
まあどっちにしろ日本語読みしてる時点で
本来の中国語読みとは違うしな
そこまでこだわる必要はないでしょ
まあどっちにしろ現代中国語読みしてる時点で
本来の古代中国語読みとは違うしな
そこまでこだわる必要はないでしょ
>>839 分かってるから時代を特定せず「本来の中国語読み」と書いたんだが…
コピペで煽られるとは思わなかった。なんか気に障ったか?
言い方が悪かったなら謝る。
分かるように伝えりゃいいっしょということが言いたかったんだが。
それくらいでいちいち謝んなよ。
気の小せぇ野郎だな。
843 :
世界@名無史さん:04/04/08 01:08
史記に将軍の家柄は三代続くと必ず敗れると書いてあるが、
三代揃って名称を出した家ってあるか?
李広はどう?
って思ったが、理由はともかく
完全に負けているなぁ。
ちょっと質問いいかな
曹操に誰か(名前知らない)が面会に来たときにガタイのいい奴を変わりに椅子に座らせ、自分は従者として脇に控えてた。
面会の後、曹操(偽)の感想を聞かせると、「確かに立派な人物だが、脇に控えてた従者、あれこそ英雄だ」みたいな事言われた。
なんかこんなエピソード有ったと思ったけど、知ってる方この辺の話詳しく教えてもらえませんか?
面会に来たのは誰で、いつ頃の話なの?
匈奴
>>845 『世説新語』容止篇。面会したのは匈奴の使者。代役となったのは崔琰。
その伝には「聲姿高暢、眉目疏朗、鬚長四尺、甚有威重」とあります。
曹操は結局その使者を殺させてしまうのね。
この話の時期なんだけど、匈奴の使者のコメントには「魏王雅望非常、然牀頭捉刀人、
此乃英雄也。」とあって、曹操が魏王であった時の事だと分かります。また、崔琰は
曹操が魏王になった際の、楊訓の上奏文に対するコメントが不遜であるとして投獄され
死を賜るので、建安二十一年(216)の魏王即位直後ではないかと思われます。
848 :
世界@名無史さん:04/04/08 23:25
匈奴の使者殺したら、単于に恨み買うだろうに。
ま、匈奴は相当弱体化してたけどね。
この時の単于って誰だろう?
だいたい信憑性あるのか?
>>846,847
ありがとう
そっか匈奴の使者だったんだね
この話もし本当に有った事なら、この人って凄い人だったんじゃって思ったんだけど、まさか殺されていたなんて…。
なんかこの時期の曹操って誰彼構わず殺しまくってるような気がするんだけど…。
あえて事実だと考えてみると、帰途中に風土病とか気候の違いで
体調崩して死んだとかいう扱いにしたとか。
…それで通るような話かどうかは非常に疑問だが。
実際は、曹操は非情な支配者というイメージ付けのための逸話だろうと思うんだが。
>>849 建安二十一年夏五月→曹操魏王位に就く
同年秋七月→匈奴の南単于呼廚泉来朝、そのまま魏に留め置く
右賢王去卑に匈奴を取仕切らせる
…この間の事情が、使者が殺される話にすりかわったのかも。
三國時代の武器が剣、刀、矛、戈だけだったって本当?
>>854 どこで聞いたか知らんけど、”だけ”というのはないだろうさ。
剣よりは刀、戈よりは矛と戟が主流であったのは事実。
あと、この時代は、槍が戦闘用の兵器として普及していないはず。
他にも攻城戦では、攻守それぞれ、多種多用途の兵器が多く使われてる。
曹操が匈奴の使者を殺す話は、唐の劉知幾によれば
「典型的な歴史書の誇大表現」だそうだ(『史通』)。
最も劉知幾は根拠を挙げて居ないので彼の意図が何処に有るのか今ひとつはっきりしないが、
強いていうなら世説新語そのものが曹操の死から200年程度立った後に書かれた本で、
余り質の高い史料ではなく、陳寿の三国志などの良質な史料には全く載って居ない
(注を含めて載って居ない)ということだろうな。
857 :
世界@名無史さん:04/04/13 01:02
sageばっかでスレが盛り上がるか
858 :
世界@名無史さん:04/04/16 20:31
あ ど い 横 そ こ こ 六 こ 長 短 偉 よ 故
っ う や 山 う と と 〇 の 所 所 大 り 人
た か 千 は い で は 巻 長 が も さ 横 と
の 年 百 う は 凡 も 大 そ 多 が 山 な
風 に 年 意 な 人 執 な れ か わ 光 っ
雲 一 に 味 い に 筆 物 に っ か 輝 て
児 人 一 で で す 語 勝 た っ の み
で 出 人 は き る を っ が た て
る る た
か
不謹慎だが、餞の言葉として言わずにはおられない。
「ついに火計成功ですか?ご自分に」
心からご冥福をお祈り致します。
手のひらに「火」だったからなぁ・・・
ハイハイ横光の偉大さは解ったから三戦板に帰ろうな
862 :
世界@名無史さん:04/04/17 17:54
三代続いて名将ってのは三国でもいないか・・・
じゃ、猛将の子がめっきり文官だったり、
文官の子が猛将になったりした例はどう?
>>猛将の子がめっきり文官
益徳さま一家じゃないか
>>文官の子が猛将に
鍾会くんですね。猛将とは違うか…
張飛>張紹とか?
うわ、リロードくらいしろ俺
横光って正史にも出てくるよな
陸遜、陸抗、機雲兄弟とか
朱治、朱然、施積とかいるじゃんよ。
868 :
世界@名無史さん:04/04/18 23:41
陸機・陸雲兄弟は最後殺されているからな・・・ しかも文人だし。
将軍の家は三代続くと必ず敗れるというのが史記の言葉だから、
これを覆す例が欲しい。
ところで朱治は名将なのか?
869 :
世界@名無史さん:04/04/19 00:05
朱然は朱治の養子だっけか?
>>869 養子。血縁的には朱治の姉の子、つまり甥。
871 :
世界@名無史さん:04/04/19 01:34
陸抗の後がまとされた左将軍孫冀って演義しか出てこないの?
誰か知ってたら教えてくれ。
872 :
世界@名無史さん:04/04/21 00:08
陳寿の三国志って官撰?私撰?
>>872 正史+2
私撰
史記、三国志、後漢書、南斉書、北史、南史、新五代史(五代史記)、新元史
官撰
晋書、(後)魏書、(北)周書、宋書、梁書、陳書、隋書、旧唐書、新唐書、旧五代史
宋史、遼史、金史、元史、明史、
私撰で始まったが後、正式に下命される
漢書、北斉書
国撰
清史稿(決定稿に非ず)
間違ってたらすまぬ
劉備の、漢中王即位に反対した人士が、
諸葛亮らによって粛清されたっていうのは本当なんでしょうか?
875 :
世界@名無史さん:04/04/23 01:39
イリョウの戦いでの初戦の蜀の快進撃は演技設定なの?
あと呉の武将で実際に戦死した奴はいるの?
>>875 そういうレベルの低い質問は三戦板でしてください。
>>876 三戦板ですら罵倒されるレベルだと思われ・・・
日本史板レベルかな?
ていうか今日日原文ならネットでタダで読めるし(ご丁寧に句読点付き)、
三国志なら訳本が出てるだろうし、
それ以前に、山ほど三国志本が出てるだろうに。
879 :
世界@名無史さん:04/04/24 22:40
陸抗って演義では更迭されてるけど、史実だとかえって大司馬
に昇任して在任中に死んでるね。
後がまは誰かは分からなかった・・・
孫皓をより暴君にするための粉飾だな。
880 :
世界@名無史さん:04/04/26 19:19
190年頃、暦学の多くの専門家の一人である蔡ゆう(巛に邑)(Ts'ai Yung)
(15)が活躍した。しかし、彼の著作は失われている。
彼は、政治的理由で死刑の判決を受けたが、その死の判決は、
髪を引き抜くという刑に減刑された。彼の宴会好きの性格のため、
彼は酔竜(Drunken Dragon)という名で呼ばれた。
こんな事書いてるサイト見つけたが、ホントなのか?
881 :
世界@名無史さん:04/04/28 11:04
あ ど い 横 そ こ こ 六 こ 長 短 偉 よ 故
っ う や 山 う と と 〇 の 所 所 大 り 人
た か 千 は い で は 巻 長 が も さ 横 と
の 年 百 う は 凡 も 大 そ 多 が 山 な
風 に 年 意 な 人 執 な れ か わ 光 っ
雲 一 に 味 い に 筆 物 に っ か 輝 て
児 人 一 で で す 語 勝 た っ の み
で 出 人 は き る を っ が た て
る る た
か
あ ど い 横 そ こ こ 六 こ 長 短 偉 よ 故
っ う や 山 う と と 〇 の 所 所 大 り 人
た か 千 は い で は 巻 長 が も さ 横 と
の 年 百 う は 凡 も 大 そ 多 が 山 な
風 に 年 意 な 人 執 な れ か わ 光 っ
雲 一 に 味 い に 筆 物 に っ か 輝 て
児 人 一 で で す 語 勝 た っ の み
で 出 人 は き る を っ が た て
る る た
か
>>882 お前のせいで変なのが再臨したじゃねーか
あ ど い 横 そ こ こ 六 こ 長 短 偉 よ 故
っ う や 山 う と と 〇 の 所 所 大 り 人
た か 千 は い で は 巻 長 が も さ 横 と
の 年 百 う は 凡 も 大 そ 多 が 山 な
風 に 年 意 な 人 執 な れ か わ 光 っ
雲 一 に 味 い に 筆 物 に っ か 輝 て
児 人 一 で で す 語 勝 た っ の み
で 出 人 は き る を っ が た て
る る た
か
886 :
世界@名無史さん:04/05/01 03:38
大漢和の文鴦の項は間違ってるな。
文欽の子の文鴦と王浚の部下の文鴦を同一人物にしてる。
後者の文鴦はおそらく鮮卑の段文鴦。
文欽の名が出たので教えてもらいたいことがあります。
毋丘倹、文欽の反乱の後に、文欽が郭淮にあてた書簡のなかで
郭淮が約束を破り、乱に呼応しなかったことを責め、
次は蜀と連携し兵を挙げるよう勧めています。
また呉に帰順した時の上奏文では、毋丘倹、郭淮と共に司馬師討伐の
義兵を挙げたとあります。
これらを裏付けるような記述はあるのでしょうか?
888 :
世界@名無史さん:04/05/04 16:06
郭淮は司馬懿に妻(王リョウの妹)の命を助けてもらったから
頭上がらないと思うが・・・
毋丘倹・文欽の上奏は司馬師を廃して司馬昭を立てろとか
言ってるし、ネタとしか思えない。
あ ど い 横 そ こ こ 六 こ 長 短 偉 よ 故
っ う や 山 う と と 〇 の 所 所 大 り 人
た か 千 は い で は 巻 長 が も さ 横 と
の 年 百 う は 凡 も 大 そ 多 が 山 な
風 に 年 意 な 人 執 な れ か わ 光 っ
雲 一 に 味 い に 筆 物 に っ か 輝 て
児 人 一 で で す 語 勝 た っ の み
で 出 人 は き る を っ が た て
る る た
か
>880
>190年頃、暦学の多くの専門家の一人である蔡ゆう(巛に邑)(Ts'ai Yung)
(15)が活躍した。しかし、彼の著作は失われている。
蔡ゆう(巛に邑)は暦学の徒だったかどうか疑問。後漢書蔡ゆう列伝には暦学の記述は無さそう。
>彼は、政治的理由で死刑の判決を受けたが、その死の判決は、
髪を引き抜くという刑に減刑された。
あっけなく処刑されている。
>彼の宴会好きの性格のため、
彼は酔竜(Drunken Dragon)という名で呼ばれた。
後漢書に見えず。
西洋人の妄想じゃないかと思うが
>>888 ありがとう
妻の助命の件は、自分は逆にひっかかたんですよね
郭淮のごり押しに司馬懿が泣き寝入りのように感じたので。
司馬師をたたいてその他司馬一族もちあげまくりの上奏は
たしかに不自然ですね。
あ ど い 横 そ こ こ 六 こ 長 短 偉 よ 故
っ う や 山 う と と 〇 の 所 所 大 り 人
た か 千 は い で は 巻 長 が も さ 横 と
の 年 百 う は 凡 も 大 そ 多 が 山 な
風 に 年 意 な 人 執 な れ か わ 光 っ
雲 一 に 味 い に 筆 物 に っ か 輝 て
児 人 一 で で す 語 勝 た っ の み
で 出 人 は き る を っ が た て
る る た
か
894 :
世界@名無史さん:04/05/10 14:59
あ ど い 横 そ こ こ 六 こ 長 短 偉 よ 故
っ う や 山 う と と 〇 の 所 所 大 り 人
た か 千 は い で は 巻 長 が も さ 横 と
の 年 百 う は 凡 も 大 そ 多 が 山 な
風 に 年 意 な 人 執 な れ か わ 光 っ
雲 一 に 味 い に 筆 物 に っ か 輝 て
児 人 一 で で す 語 勝 た っ の み
で 出 人 は き る を っ が た て
る る た
か
確かに偉人ではあったが、何より文字のズレ具合が気に入らない
897 :
世界@名無史さん:04/05/16 11:12
>894
個人のサイトに直接リンクを張るなよ。
後、そこのサイトすごく馬鹿そう。三国志辞書水滸伝辞書封神演義辞書と
言い出す辺りが非常に厨房臭い。
世界史板って超過疎板だから大丈夫だろ
>>897 直リンが嫌だと言ってるのになんでageてるの?
900 :
世界@名無史さん:04/05/16 14:31
>>120 劉焉父子自身も荊州の人じゃなかったっけ?
三国志辞書便利なんだけど
しんぱいだねと変換したら辞書のせいで審配だねと変換されるのがちょっと・・
あたくしゃ凌統使い
903 :
世界@名無史さん:04/05/16 20:58
このスレもやっと900か・・・
次スレはまともにいきたいね。
過去スレ見れないんだけど鯖移転でもしたの?
>904
鯖のトラブルで過去ログが大分消えたらしい。
>>905 さんくすです。
ぁぁ・・もう見れないのか・・
みみずんとかで検索したら?
バカが次スレ立てちゃったよ。早すぎ。
>粘着演義ヲタは放置で。
の一言だけで、前スレへのリンクすら無し・・・
確かにちょっと早いですね。
>>1の文章も酷いですし。
使いますか?それとも放置しますか悩みどころですね
>>909 ここを使い終わってもスレが残ってたら使ってもいいんじゃないでしょうか?
まぁ正史=正しい歴史と勘違いしてるスレのような気もしますので放置でもよいかと思いますが。
皆の者にこの堀の埋め立てを命ずる!
一分で煽りキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!
望み通り荒らしてスレ埋めヨロシク
駄目だ訳分からん。↑のスレは放置でいいんじゃねぇの
「WeWeサイダー OurOurサイダー UsUs サイダー シュワシ
ュワ♪」と踊りながら歌う三ツ矢サイダーのCMあるけど、このCMのラスト
に出てくるラクダのような生き物が「ハッ!」とほざくのが侮蔑的な響きがし
てクソムカツク。これを見るたびにテレビを叩き壊したくなるよ。
そう、盲夏候のあだなを嫌って鏡を叩き壊した夏候惇のようにね。
どこの誤爆だ?
三国志戦国板の誤爆だろw
920 :
世界@名無史さん:04/05/20 11:20
>>894 GJ!
激しく(・∀・)イイ!
使ってみた感じ、数ある三国志辞書の中ででもベストかと。
三国志人名辞典はたくさんあるが三国志地名辞典とかないのかなぁ
荊州とかいちいち変換するのがしんどいのだが・・ヨ州なんか出てこないしね。
>>921 漏れも
>>894 の辞書使ってみたのだが、人名だけでなく地名もサポートしてるっぽい
荊州 豫州 青州 洛陽 薊 許昌 ←すべて一発変換でつ
お!今試したら司隷も一発変換!!!
すげい・・・
>>894 はナカナカ幽州、もとい優秀かと
IME2000と2003しかサポートしてないのが難点だがq
>>922 DLしてみたが全て文字化けで何も見えないよ。
洛陽一発変換如きで騒ぐなよ…
洛陽くらいならATOK17+辞書で説明まで読める
まあ他の都市については入ってないようだが。
927 :
世界@名無史さん:04/05/21 15:29
文字化けしたっていいぢゃないか にんげんだもの
929 :
世界@名無史さん:04/05/29 20:37
三国時代に最も東西南北遠くに行った人って誰だろ?
北は蔡文姫(後漢だが・・・)
東は張政
南は朱応・康泰
ってトコかな?
劉備元徳とその取り巻きだよ。
931 :
世界@名無史さん:04/05/29 21:40
誰だよ
影武者か?
りゅうび・もとのり
934 :
世界@名無史さん:04/05/31 20:30
935 :
世界@名無史さん:04/06/02 21:28
900越えて牛輔戦術か?
936 :
世界@名無史さん:04/06/04 18:22
典略って魏略とどう違うの?
937 :
世界@名無史さん:04/06/04 19:27
三戦板アクセスできないんで来てみますた!
(・∀・)カエレ!!
魚豢撰
曹操が敗戦という理由で配下を斬ったっていうのは、
確か無かったと思うんだけど、だれかいたかな?
943 :
世界@名無史さん:04/06/05 18:50
蔡瑁は劉表の義弟だし殺さないだろ。
つか、正史でも死んでないし。
劉jも生きて青州刺史になってるし。
944 :
世界@名無史さん:04/06/05 18:58
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劉基 曰く、
諸葛亮、てめえ、おれの功績パクるんじゃねえ
劉基@
浙江人、青田の豪族。字は伯温。若い頃元朝の官吏となる。
元朝の至順年間の科挙に合格した天才。天文学者でも有る。
民兵を組織し方国珍を討とうとするも受け入れられず以後隠棲した。
紅巾軍に対し嫌悪の念を抱いていたが、朱元璋の度重なる招請に渋々応じ応天府へ行く。
朱元璋の幕僚となり、以降は我子房と呼び重用される。
軍師としても活躍し、陳友諒との「湖口の戦い」での火攻めも
彼の献策。ちなみにこの戦いは以後、三国志演義での赤壁の戦いの
描写・また羽団扇を持つ諸葛孔明のモデルに成ったと言われる。
科挙、徴兵制などの制度を整えたりと丞相になるチャンスがあったが、
淮人派と対立し隠居させられ胡惟庸に毒殺された。
945 :
世界@名無史さん:04/06/05 18:58
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徐達 曰く、
荀ケ、てめえ、おれのエピソード
パクるんじゃねえ
朱元璋の功臣第一位の徐達は腫れ物をわずらった際、
洪武帝は腫れ物にとって最大の毒となる蒸した鳥を見舞いに送る。
徐達はその意を悟り、涙を流しながら見舞いの品を食べた
三国志演義に出てくる曹操から空箱を送られた荀ケ
のエピソードとそっくり。
946 :
世界@名無史さん:04/06/05 19:00
結局、三国志は、朱元璋の明史のパクリということでよろしいですか
朱元璋の明史
948 :
世界@名無史さん:04/06/05 21:50
「勝敗は兵家の常」って演義でよく出てくるよな。
しかし、前漢の時代はものすごく軍人が死刑にされてる。
待ち合わせの時期に遅れたとか、進軍すべき時にしなかったとか、
え?そんな事で死刑なの?って理由で殺されてる。
金のあるヤツは金で罪を購ったらしいけど、そのせいで軍人は
あまり出世できなかったらしい。
後漢の時代も軍律は結構峻烈。
三国からかなあ、軍律が比較的緩めになったのは。
中国は請負制って話を見たな。
戦争を請け負って責任を果たせなければ厳罰は致し方なし。
軍人に厳しいのは、軍閥の発生を抑える為ってのもあるのかも。
三国志の時代は軍閥の力を借りて
戦争しているから軍律を緩めるしかないんじゃないか?
でないと反乱が起きる。
>>945 空器のエピソードは後漢書にがいしゅつですが何か
ねえ、何で三国志正史と史記以外の歴史書に特化したスレッドが日本史・世界史板に
はないの?
例えば「徳川実紀」スレッドとか「元朝秘史」スレッドとかあってもいいんじゃない?
953 :
世界@名無史さん:04/06/09 11:42
>>953 まぁ、盛り下がりまくってた三国志スレだけに、
イキのいいDQNが来てくれるって事は盛り上げるのに丁度良いじゃないか。
955 :
世界@名無史さん:04/06/11 15:37
それにしてもさー、後継スレッドとして三スレッド鼎立したわけだがここはさ
しずめ滅び行く後漢か・・・
ここが完全に埋まったとき後漢滅亡ってことだw
とりあえずこのスレ使いきろう
よく思う事なんだけど
三国時代の頃って戦の時、指揮者はどの位置にいるんだろう
漫画みたいに大将が先陣きって駈けて行くなんて事は考えられない事だと思うが、
やっぱり軍の中心部か後方にいて指令を下してたんだろうか
混戦になればそうも行かないけど
実際は大将同士が一騎打ちするなんて事もほとんどなかったようだしね
よく思う事なんだけど
日本の戦国時代の頃って戦の時、指揮者はどの位置にいるんだろう
漫画みたいに大将が先陣きって駈けて行くなんて事は考えられない事だと思うが、
やっぱり軍の中心部か後方にいて指令を下してたんだろうか
混戦になればそうも行かないけど
猛将として名高い本多忠勝なんかは先陣きって駈けて行くなんてことあったの??
959 :
世界@名無史さん:04/06/13 00:31
ホウ統とかは、流れ矢に当たって死んでるから、前線に近いところに居たんかも
蜀と印度との交易の話は出てくるのかな?
961 :
世界@名無史さん:04/06/13 13:11
本多・井伊なんかは結構前線で指揮してたんじゃねえの?
三国志でも甘寧なんかは切り込み隊長的な存在だったのでは?
よく思う事なんだけど
幕末の頃って戦の時、指揮者はどの位置にいるんだろう
やっぱり軍の中心部か後方にいて指令を下してたんだろうか
禁門の変では西郷隆盛は被弾負傷したというし
つまらん!
おまいらの話はつまらん!
洋の東西は違うけどローマ帝国の将軍は常に前線にいたために次々に戦死してたって話は聞くな
カコウエンにソウソウが前線に出る癖を治せって言ってたところを見ると
司令官はそれ程前に出ないものだって想像はつくと思うけど
項羽って常に前線にいたの?
>>965 グスタフ・アドルフやカール12世とか…結局指揮官自身の思想嗜好次第と思われ。
早くここのスレッド(後漢)は滅亡させよーぜw
うひゃひゃ、蜀漢は滅亡したし呉も滅亡同然じゃw
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