スマソ、前スレは三ですた…
逝ってきます
3 :
世界@名無史さん:03/06/24 01:37
4 :
世界@名無史さん:03/06/24 17:47
いきなり下がりすぎ
5 :
世界@名無史さん:03/06/24 21:25
落ちそうな予感
6 :
世界@名無史さん:03/06/25 00:47
もっとレスつかないと即死判定されっぞ
じゃ、赤壁の戦いはあったのか、なかったのか。
9 :
世界@名無史さん:03/06/25 02:59
スレ違いですみませんが、最近改めて
中国の大河ドラマの三国志はよく出来てる
と思った。それにひきかえNHKのはひどすぎ
ますな〜日本史版でも評価低いんでしょうけど、、、
あちら側の主観の入った正史版もぜひ作って
欲しいと思いました。。。
11 :
世界@名無史さん:03/06/25 22:15
実は無かった、後から赤壁と名づけられたから
魏の赤壁に関する記述が少ないからって無かった事にするのはあまりに横暴
14 :
世界@名無史さん:03/06/26 00:51
周瑜の父である周異は洛陽県の長と書いてありますが、
そうすると子どもの頃周瑜は洛陽に居たことになるのでしょうか?
あったといえばあったんだろうけど
規模が問題になるんじゃない
小競り合いでもないけど、演義のような戦いでもなかっただろう
詳細は今のところ不明だろう
>>14 可能性があることは決して否定できないと思う。
周忠も後に長安で太尉・録尚書事になってるくらいだから。
可能性が高いとも思えないけどね。
後に本籍の舒に移っていますたが。
17 :
世界@名無史さん:03/06/26 03:44
左思が道を歩くと老婆たちがこぞって唾を吐きかけたってひどいよな。
ウソだろ?
うそじゃない
俺の婆ちゃんは唾をかけたといってた
20 :
世界@名無史さん:03/06/28 01:16
荀キョクっていう人物は一癖も二癖もあるヤツみたいだが
誰か論じてみたいヤツいない?
●●●マスコミの「盗聴、盗撮」は許されるのか?その2●●●
http://natto.2ch.net/mass/kako/988/988402795.html 949 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/05/28(月) 18:46
>>916 直接の実行犯はわからなかった。ただし、その盗聴機関がマスメディア産業の
各方面につながっていることは確認済み。団体名なんか書く必要ないでしょ?
フジ・テレビとか読売新聞社とか電通とか...みんなが知ってるあの会社って
感じ。講談社の週刊誌(現代とかフライデイとか)が政治家の過去を暴露する記
事や写真をよく掲載するでしょ。あの手の記事は、盗聴/盗撮で得た情報で商売
をしている人達がいるという証拠。あういう人達に、オレの個人情報をつかまれ
ているんで非常に心配ですが、現状では、対抗策がない。
23 :
世界@名無史さん:03/06/28 11:33
何かすごい才能の持ち主だけど、やたら敵が多かったり、
変わったヤツだったらしい。
荀イクとはどういう関係だったかな・・・
荀勖は荀爽の曾孫でつ。
祖父は射声校尉・棐、父は肸。
荀ケの叔父が荀爽ですから、荀ケの族孫ってところですか。
母の父が鍾繇で、父が早世すると鍾氏の家で育ったらしいでつ。
長く中書や秘書にあったから恨まれやすかったのかもしれませんね。
25 :
世界@名無史さん:03/06/29 02:58
>>14 "らくようけん"なるものが揚州に無いとは言い切れない
27 :
世界@名無史さん:03/06/29 05:07
いや、普通に考えて、洛陽は洛(水)の陽でしょ?
陽っていうのは、川の場合は南、山の場合は北って事
28 :
世界@名無史さん:03/06/29 05:08
あ、間違えた、川の場合、北で、山の場合は南ね
無かったかどうか問う前に、史書を見ろよ…
続漢書や晋書には揚州洛陽県などは書かれていない。
ちなみに、後漢代は[各隹]陽。
しかし、後漢書や晋書はかなり後の時代になって書かれた史書だしね・・・。
無闇矢鱈と信頼性を貶めるものではないよ。
それぞれの時代の地名が判っていなければ書けないって、あそこまでは。
それに、徴税の関係もあって県名や郡名をかなり正確に残していたはずだと思われ
そもそもなぜ"らくようけん"が揚州にあるかもと
>>26が主張するのか
その意味がわからん・・・
33 :
世界@名無史さん:03/06/30 00:35
漢が洛陽を[各隹]陽と書くのはね。
漢が火徳だから水を避けた為なんだ。
これ誰かの説の受け売りだけど。
だれかの説というか正史にもそう書いてあったと思われ
>>34 漏れもどっかで見た覚えがあるんだけど、どこだろう。
三国志だと、劉焉が[各隹]陽令になったという箇所のみ。もちろん、注なし...
ところで、高祖がまだ沛公のときの記述にも、[各隹]陽とありますね。
司馬遷が校訂しちゃったのかな。詳しい方、教えてきぼん
>漏れもどっかで見た覚えがあるんだけど、どこだろう。
ちくま和訳なら1巻目の185頁
3クスコ!(・∀・)
>24
いつもいつも射声校尉という官名を見るたび笑いがこみ上げてくるのは漏れだけでつか。
いや「せきせいこうい」なんだけど。
>>38 マジ?
それ「せきせい」校尉だったのか。
初めて知った……。
スマソ、逝ってくる。
どちらにしろ、中国語じゃ? しかも古代音
42 :
世界@名無史さん:03/07/02 19:51
私は中国の歴史に興味を持っています。中でも三国志のエピソード
には感動しました。魏、呉、蜀の三つの国同士の争い、有名な戦い、
名軍師…。その一つ一つが昔、実際に起こったことだと考えると、武将や
兵たちの士気が伝わってきます。
大きなことを成し遂げた人や、功績を挙げずに死んでいった人。その人
たち全員が美しく感じます。戦争は好きではないけれど、そんな中で国のため、
君主のために戦い、散っていった人たちは何より輝いていると感じます。
私はそんな人たちは英雄といえると思います。今の時代、うそにうそを
重ねたごまかしばかりです。確かに昔は戦が頻繁に起きていたけれど、本当に
守るべきものは何かを理解しているのか分からない今よりずっといいと思います。
三国時代の兵たちは、誰もが美しい英雄だと私は思い続けます。
43 :
世界@名無史さん:03/07/02 19:54
新手の釣り師か?
>思い続けます。
ってのがなんかね
どっかの新聞に載った、いたいけな女子厨房の投稿、だったかな。
46 :
世界@名無史さん:03/07/02 22:55
>>42 少なくとも史学科には向かないタイプだな。
史学科志望なら「やめとけ」とマジレスしたい。
>>42 うみゅ。いかにも新撰組とか好きそうな感じのヤシだから、同人系だろうねぇ。
中日新聞に掲載された投書
工房だったよ
50 :
世界@名無史さん:03/07/03 05:39
司馬懿の待ちの戦術って見習うべきだよな・・・
趣味でスロット打ってるけど、毎日のように出撃したくなるもんな。
うむー、やはり俺は凡人だ。
52 :
世界@名無史さん:03/07/03 17:37
劉備は実のところどうだったんだ?
世界史上例の少ない農民から皇帝にまで登り詰めた人物であり、
戦術レベルでの敗戦も少なそうだ。
戦略は不得手なようだが、政略はイケてそう。
劉備は農民じゃねー
ムシロを売ってたが庶民でもねー
親父が早死にしただけ
54 :
世界@名無史さん:03/07/03 18:17
>52
劉邦と劉備を混同してないか?
劉邦だとしても農民じゃないし。一応公務員。
56 :
世界@名無史さん:03/07/03 20:41
劉邦だと農家の出
劉備だと蓆売りが生業
生業なのかなぁ。副業じゃないか?
58 :
世界@名無史さん:03/07/03 21:19
>>52 劉邦だとしたら戦術レベルでの敗戦は非常に多いわけだが
劉備は世に出るまでの出生や経歴で確かな資料は残っているのか?
父親や祖父の名前は何と言うのか、何をしていた人なのかとか。
それが分からんのなら農民と変わらん。
ムシロ売りならむしろ商人かも知れんが。
>55
劉邦は生家が農家。さらに末っ子。字の季は末っ子という意味。
公務員する前の生まれてから約40年間はただのゴロツキ。
>>60 グランパ劉雄。范県令。
パパ劉弘。官位不明だが州郡に仕えるとある。
パパは早死にしたので出世しなかった。
備本人は親族の援助で学問した上に遊び歩くことさえ出来た。
>>60 このスレにカキコむ前に正史のちくま訳ぐらいは目を通しておくことをお勧めする。
劉邦には劉交とかって弟がいたんじゃなかったっけ?
>>63 すれ違いだけど、おそらく交は後妻の子か妾の子じゃないかな。
世界史板のレベルじゃないな...
劉備は鄭玄やら盧植に師事してるけど、
親戚の援助だけでそんな人んとこに潜り込めるもんなの?
コネとかあったんかな?
>>66 劉備が鄭玄に学んだって聞いた事がないんだが、出典はどこよ?
>>66 劉備の祖父や父の経歴を考えれば、劉備は士大夫階級であり、
田舎では、という限定をつける限りでは、決して家柄は悪くない豪族だったのだろう。
祖父は孝廉で推挙されているので、ある程度、各所にコネをもつ一族だったはずだ。
当時の世相を考えれば、突然、庶人が抜擢されることなど可能性が低すぎる。
劉備は父が早世したために、父の世代の人脈からは後回しにされたかもしれないし、
そもそも素行が悪かったので、やはり重視されなかったのかもしれない。
もう一つ言えば、早く父を失った子が生活に困窮するのは、劉備レベルどころか、
有力豪族・貴族階級でも起こる。前の時代でも、後の時代でも。
原因は、士大夫は生活のための労働や、日々の糧のために頭を悩ますことを
もの凄く卑しいこととして嫌った、中国士大夫的哲学(思想)のため。
彼らは荘園収入が十分にある者を除いて、自立した兄弟や親族の家に転がり込む。
基本的に食うに困っても、意地でも働かない。
劉備親子のように働いてしまった者は、そういう点を士大夫世界で欠点として
いつまでも突かれかねないわけ。
個人的な考えだが、「ムシロ売り」とは庶人の真似事(生産・商業)をして一家を養った
劉備を揶揄するために言った抽象的な中傷で、実際に、劉備が藁を編んだり、
ムシロを町中で売ったのかどうかは疑問と思っている。
劉備が家長として、使用人にそうさせていたのかもしれないしな。
有限会社 劉家工業
業務 履蓆生産卸販売
70 :
世界@名無史さん:03/07/03 23:44
叔父の援助で生活していたわけだ。
都へ遊学に行かせてもらえるくらいだから、かなり裕福だったんだろうな。
素行が悪かったという事は、近隣の不良少年達のボスだったのだろうか?
それなら義勇兵で活躍したってのもうなづける。
簡雍なんかとやくざをやってたん?
っていうか劉邦の記述がw
73 :
世界@名無史さん:03/07/04 06:33
>67
劉備の師匠が鄭玄だというのは『三国志演義』の記述じゃなかったかな。
>68
>原因は、士大夫は生活のための労働や、日々の糧のために頭を悩ますことを
もの凄く卑しいこととして嫌った、中国士大夫的哲学(思想)のため。
彼らは荘園収入が十分にある者を除いて、自立した兄弟や親族の家に転がり込む。
基本的に食うに困っても、意地でも働かない。
士大夫が働こうとしないというのはよくいわれることだが、
食うに困ったら傭書(本を写して稼ぐ)・野良仕事位はするよ。
現に正史『三国志』に傭書で稼いでいた士大夫の話しがあるし、
諸葛亮は野良仕事をやっていた。少し言い過ぎじゃないか?
75 :
(;´Д`):03/07/04 08:14
姓は劉、名はあんちゃん、字は末の息子。
父親の名は劉の親父、母親の名は劉んちのババァ・・・・・・
77 :
世界@名無史さん:03/07/04 20:15
>>76 名はあんちゃん、ってのはカナーリぁゃιぃ
78 :
世界@名無史さん:03/07/04 20:26
って事は劉備が劉勝の子孫だというのは
まんざら嘘でもないのではないか?
少なくとも曹操→曹参や孫権→孫武よりは信憑性高いな。
79 :
世界@名無史さん:03/07/04 20:29
81 :
世界@名無史さん:03/07/04 20:37
>>81 いや、そんな稚拙なマネはしなくていいから(呆
主語が抜けてるから何に対して言ってるのかわからん。
日本語ぐらいマトモに書いてくれよ。
84 :
世界@名無史さん:03/07/04 21:39
85 :
世界@名無史さん:03/07/04 21:47
文法ですよ文法ところで劉備は士大夫ですよ士大夫
86 :
世界@名無史さん:03/07/04 21:55
>>85 劉備は士大夫階級出身の蓆売りだったですよ士大夫階級出身の蓆売りだった
87 :
世界@名無史さん:03/07/04 22:32
三国志では一番好きな人物は馬超かな?あと、時代は違うけど樂毅と韓信が大好きかな?
どっちの韓信だろう・・・?
おいらも馬超すきだよ。あのアバレっぷりがね。
実は勢い余って冀県で姜維の父殺したりしてないかな?
>>88 スレ違いですが、楚王の韓信よりは韓王の韓信の方が好きですね。
>>88劉邦の猜疑心によって殺された悲劇の大元帥、斉王韓信でつ。
劉邦よりは項羽の方が好きだな?スレ違いですみません。
馬超にもっと智謀が備わっていたらよかったのに。
91 :
世界@名無史さん:03/07/04 23:04
ほんとこいつ韓信嫌いだなw
んじゃオイラは淮陰侯韓信がいい、ってことで。
こうすると、うっかり知らんヤツが見ると「韓信って4人もいたのか」と誤解するという罠。
曹操は韓信の生まれ変わりです
そういう小説があるらしいね>中国
ちなみに、劉邦→劉備 項羽→呂布 虞美人→チョウ蝉 だとか
・・・項羽ってそんなに馬鹿にみられているんかな?
スレ違いもいいかげんにしろ
>>95 いやそれは知らないが曹操=韓信は「三国志平話」
98 :
世界@名無史さん:03/07/04 23:31
曹操=韓信
劉備=彭越
鯨布=孫権だろ。
鯨かよ!
んで劉協=劉邦だっけ?
そして呂后=伏皇后ね。
102 :
世界@名無史さん:03/07/05 00:07
青がくるとどのスレも荒れるな(糞
104 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/05 00:14
三国志の話に戻しましょう。
後漢時代からキャリアを着実に積んでいて、
あんなに功績の大きかった牽招が、なんで右中郎将・雁門太守止まりなんでしょうか?
田豫と違って、出世できなかった理由がイマイチ分からないんですよね。
青がくるとどのスレもうんこくさくなるな
AOH!
108 :
世界@名無史さん:03/07/06 01:19
乱世でのし上がるには、厚顔であり、陰謀家でないとだめだからねえ
↑青
110 :
世界@名無史さん:03/07/07 01:36
蒙求で最初に登場する王戎だが、ホントに優れた人物だったのか?
晋書とか読んだヤツどう思う?
特に優れた感じしないんだけど・・・
111 :
世界@名無史さん:03/07/07 02:56
>王戎
守銭奴だろ。
112 :
世界@名無史さん:03/07/08 01:58
王戎の政治能力ってどんな感じ?
光栄的に100点満点で何点くらいだ?w
113 :
世界@名無史さん:03/07/09 04:01
竹林の七賢は光栄の数値とは関係ない生き方を
しているような気がするな・・・
単純な政治能力なら山濤あたりが一番上?
>>113 光栄の数値がどんなんかしらんが
山濤は政治家として一番成功しているね
山濤は政治家か? そりゃ官に就いたけどさ
116 :
世界@名無史さん:03/07/10 13:34
尚書・侍中・司徒と歴任すれば、イヤでも政治に関わらざるを得ないだろう。
>>116 めっちゃ政治家だね。
これを政治家と言わないのは、
「石原慎太郎は選挙には当選したけど政治家じゃない、作家だ」
とか言うようなもんじゃない?
石原慎太郎と田中康夫は政治家じゃない、作家だ
青島幸男と横山ノックは政治家じゃない、道化だ
122 :
世界@名無史さん:03/07/10 23:28
日本はどうなっとるんじゃ!
123 :
世界@名無史さん:03/07/11 01:03
竹林の七賢は一同に会した事ないらしいね。
↑大学の授業ででもやった?
125 :
世界@名無史さん:03/07/13 18:59
建安七子は一堂に会した事あるの?
ある。死後。
128 :
世界@名無史さん:03/07/14 00:22
王サンと孔融は無理だな
131 :
世界@名無史さん:03/07/14 02:38
曹丕ってオヤジに輪を掛けたろくでも無いヤツだと思うのだが・・・
ヤツの悪いエピソードをどんどんあげようぜ。
一つ目は袁煕の妻を寝取った事だな。
別にそんくらいは大したこと無いような。というかその方面でもっと酷い奴いるし。
曹丕のエピソードの中で一番嫌悪感を覚えたのは、呉から帰国した于禁を出迎えるとき
関羽に許しを請う絵を、曹操の墓前に前もって飾らせておいたという奴だな。
曹植に命懸けの作詩をさせたときといい、人間的に狭量で陰湿な部分を剥き出しにした
逸話の多さが親父との決定的な差か。
しかしまあ弟が自分の奥さんを狙ってるわけだしな。
むかっ腹立てても不思議ではないわな。
命懸けで手に入れた女性なんだし。
おまけに後継者争いをした仲だし。
135 :
世界@名無史さん:03/07/14 11:56
つーか後継者争いについては、
ここまでちゃんと頑張ってるし出来る長男のどこが
気に入らんのじゃ、と曹操にむかっ腹を立てたもんです。
曹丕の一番駄目なところは早死にしたことだと思われ。
対人関係はともかく、政において陰湿さを露わにすることは
無かったからこそ文帝なわけじゃろ。
そうじゃないだろ。曹丕の一番駄目だった所は猜疑心のあまり
一族の力を弱めてしまった事。これが魏滅亡の遠因になってる。
あと、九品官人法の基本理念を腐らせてしまった。
中正官の権限が弱まったのは曹丕の責任じゃないだろ。もっと後になってからだと思われ
しかし中国の歴代王朝の政策は分かりやすいよな。
前時代の欠陥を是正しようとするあまり、逆方向に首を絞めてる。
西晋を滅亡に導いた八王の乱も、魏王朝における曹丕の親族冷遇が遠因と言えなくもない。
まぁ、曹丕は親族を多用しているし、厚遇はしてたと思うけど、
王公を立てる人数が少なかったとは言えるかもね。
逆に晋はホント多過ぎ。呉も多かったね。蜀も国土を考えると…
だから、曹丕がああなったのは曹操のせいだろ?
曹操、曹沖可愛がりすぎ! ありゃ曹丕も性格捻じ曲がるの無理ない。
ああなったって、どうなったことを言ってるの?
ま、鮑の処刑は「政において陰湿さを露わ」にした事例だと思うけどな。
皇帝の父系の親族を冷遇するのは漢からの伝統だよ。
むしろ外戚がイマイチ目立たない方が気になる。
外戚と宦官は、使いようによっては皇帝にとって政治的に無くてはならない存在になるのだが。
官僚貴族全体の力が強く、九品官人法が骨抜きになって官僚の党派形成を抑えられなかった事が大きいのでは?
曹丕の悪いトコ?
皇位継承を国家的見地からではなく、曹家の家事と考えたことだろう。
後事を託したののが前朝からの重望たる老臣でなく、自身の友人だった、
ってのが、明帝後期からの混乱の元かと。
>>142 やっぱ太子を早期に決めた皇帝が少な過ぎるよ。
てか魏には事実上居なくないですか?
皇太子→皇帝
となった人。「死亡寸前で立太子」を除くと。
「皇太子」はいないな。太子も曹丕だけだしね。
147 :
世界@名無史さん:03/07/15 07:17
>>142 その漢からの伝統を曹操が多角的な面で打ち切ろうとしたのに
それを結果的に元にもどしてしまったのが曹丕だと思うんだけど。
曹操は外戚もちゃんと厚遇してるよ。
148 :
世界@名無史さん:03/07/15 10:21
曹ヒは人間が小さい。だから駄目だった。
曹操は背が小さい。だから下の人は大変だった。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
151 :
世界@名無史さん:03/07/15 14:57
age
152 :
世界@名無史さん:03/07/15 14:57
age
sage
sage
>曹操は外戚もちゃんと厚遇
って?
156 :
世界@名無史さん:03/07/15 19:51
sageんなヴォケ
臆病者が
sage
sage
sageんなヴォケ
臆病者が
>>155 外戚と呼ぶべきじゃないと思うが、何晏などはどうだろうか。
161 :
世界@名無史さん:03/07/16 13:12
無駄レス多いな・・・
曹熊が曹丕を怖れて自殺したって史実だっけ?
曹彰も毒殺説があったような。
162 :
世界@名無史さん:03/07/16 15:27
于禁に詞と謚するのも何だかなあ・・・
すんません、質問したいんですが、臨海水土志の著者の沈瑩って
呉の丹楊太守の沈瑩と同一人物なんすか?
同じはず
>曹熊が曹丕を怖れて自殺したって史実だっけ?
早死にしたたけで自殺ではないよ
>>161 任城王彰は、璽綬うんぬんの話が事実なら始末されても仕方ないだろうねぇ。
曹操はなんで死に際に彼を呼び寄せたの?
167 :
世界@名無史さん:03/07/16 23:48
張繍が自殺したのって誰に嫌みを言われたからだっけ?
曹丕が壁画を…に書き換えたから。
曹丕のエピソードは非常に面白い。
いたずら好きだったんだな。好感がもてる皇帝である
悪戯も程が過ぎると、陰湿だな。
短い在位の中で無実で死においやったのは、一体何人だかね。
そんなことより、なんで五官中郎将が丞相の副になるわけ?
五官中郎将ではなくて、曹丕が魏王国の副というヲチ
と言ってみるテスツ
>>172 魏王国できる前に副になっているのに?
と言ってみるテスト
無駄な改行
>>173 調べてからアフォレスするべきだったよ、
とマジ謝罪してみる。
176 :
世界@名無史さん:03/07/17 02:36
曹丕は司馬懿なんかを友達にしてたのが一番悪い
177 :
世界@名無史さん:03/07/17 02:45
曹丕なんもやってない
とすると、
曹植の件も、張繍の件も、于禁の件も、鮑の件も、全部司馬懿の責任だな。
と言ってみるテスト
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
と言ってみるテスト
若白眉の香具師をみかけた人いまつか?
183 :
世界@名無史さん:03/07/18 08:03
孟達はホモ受けしそうな顔だったのか?
184 :
世界@名無史さん:03/07/19 02:18
曹洪をぬっ殺そうとした事もあったな。
185 :
世界@名無史さん:03/07/21 03:01
曹丕はろくでなしって事でいいですね?
ダメなものはダメです
187 :
世界@名無史さん:03/07/22 03:15
三国時代にも周室の末裔っていたよね?
顔良は孔融に頭があがんないとかそう言うのはあったのかな?
190 :
世界@名無史さん:03/07/24 10:44
曹操と夏候惇って男色の仲だと思いますか?
192 :
世界@名無史さん:03/07/24 13:53
夏候じゃないぞ。
曹操は男色の噂はないからな〜。
逆に劉備の方が怪しい。
関・張なんかと寝床をともにしてるからな。
193 :
世界@名無史さん:03/07/24 14:16
当時の美女の定義なんかご存知の方いますか?
日本でも平安時代と現代では大分違うとおもいますし。
194 :
世界@名無史さん:03/07/24 19:50
ボンキュッボン
195 :
世界@名無史さん:03/07/24 20:04
質問です。
三国志を愛読しているっていう人が大人にも子供にもかなりいるようですが、
今もっともよく読まれている、一般的なのはどの本なのでしょうか?
「正史」も「演義」も全訳が出ていることは知っています。だが、いきなり
はとっつきにくい。また三国志好きという人すべてがそんな本を読んでいる
とは思えません。かつては吉川英治がよく読まれたようですが、いまでも
そうなのでしょうか?
>>195 一般書籍板で聞けば?
この板の住人でいえば「正史」
三国志の時代に登場する人物を網羅する上で欠かせない、その前後の時代の史書である
「後漢書」「晋書」なんですが、ちくま学芸文庫の「三国志」や岩波文庫の「史記」に
相当するような、入手の容易さと価格の安さを兼ね備えた邦訳は出ていますか?
200 :
世界@名無史さん:03/07/24 23:42
202 :
世界@名無史さん:03/07/25 02:23
趙雲じゃないの?
違う違う
劉備に釜を掘られてでも成り上がりを望もうとするのか、こやつらは。
205 :
世界@名無史さん:03/07/26 02:46
盧植と鄭玄は兄弟弟子、劉備が鄭玄に手紙を書いてもらったってのは
史実かどうか知らないが、一応関係はあるね。
例えば、友達の友達を関係がある仲と呼ぶかな?
>>206 それは人間性によるかも。
人付き合いが上手くすぐに友人になれる人物にとっては
関係ある仲といえるんじゃないかな。
劉備と鄭玄の関係は、後主伝の陳寿評の註に書かれてるよ
諸葛亮が言うには、劉備は鄭玄や陳紀と関係があるみたい
209 :
世界@名無史さん:03/07/26 21:37
鄭玄と劉備につきあいがあったとしたら徐州刺史時代?平原相時代?
どうもこんばんわーー
212 :
世界@名無史さん:03/07/27 00:43
陳紀は呂布が曹操に虜にされた時に下ヒ城にいたらしいけど・・・
故郷の許昌に行かなかったの何でだろ?
213 :
世界@名無史さん:03/07/27 00:45
>>195 俺も201氏がいってるように、漫画だけど「横山三国志」だと思う。
全60巻で6000万部以上売れてると少年漫画板経由のソースで見た。
単純計算で一巻100万部以上売り上げている。
>213
そんなに売れているのか・・・
それでも、読んだこと無いなぁ。
学校とかで買いそうだな。
215 :
世界@名無史さん:03/07/27 02:29
宦官にヒゲが描いてあるくせに生意気な!
216 :
世界@名無史さん:03/07/27 12:03
>>215 それより凄いのが、頬のこけた激ヤセ董卓。
スリム董卓も凄いが、関羽を軽く凌ぐ「美髯公」張飛もなにげにポイント。
218 :
世界@名無史さん:03/07/27 23:42
横山光輝ってまだ生きてるんだっけ?
219 :
世界@名無史さん:03/07/28 00:12
東洋史事典に荀ケは載ってないが、荀悦は載っているな・・・
歴史学ってそんなモン。
220 :
世界@名無史さん:03/07/28 01:30
呉懿って有能だったのかな?
一応、劉焉を補佐して中郎将にまでなってるけど・・・
劉備に降伏しただけで将軍になり、妹が皇后になって
出世した感じだが。
伝が無いのもしょぼいよね。
街亭では魏延と共に総大将候補にも挙げられているし、
注釈では蜀書のあちこちに顔を出すのにね…>呉懿
陳寿が彼の一族に何か含むところでもあったのだろうか。
魏延が費曜と郭淮を破った際の副将が呉懿。
車騎将軍・仮節・督漢中ってとこかな。
223 :
世界@名無史さん:03/07/28 21:02
ああ?
224 :
世界@名無史さん:03/07/29 06:24
呂虔が王祥に持っている者は宰相になれるという刀を譲ったって話
があるね。
呂虔渋い・・・
ちくま文庫の演義と、吉川三国志を読んだので
次は正史を読みたいのですが、
正史を読むならどの訳がお勧めですか?
>>225 正史で裴註付きなら、ちくま文庫しかねーぞ。
中途半端なのなら他にもあるけどな。
227 :
世界@名無史さん:03/07/30 23:08
曹操の譜代で三公まで登れたのは満寵だけ?
なるほど、皆さん回答ありがとうございました。
つかまった例の中学生が愛読書は三国志とか言ってたが、どれ読んでたんだろ。
曹操が悪者に描かれているのが常識などと言われると、全く知らない俺は戸惑っ
てしまう。
どの本でそんなイメージが共有されたんだ、と聞きたかったわけです。
>曹操が悪者に描かれているのが常識
そんなら三国志演義だ。
より古くは三国志演義の成立のルーツとなった講談とかの類だが。
ちなみに横山三国志は演義ベースで描かれた作品。
230 :
世界@名無史さん:03/07/30 23:55
羊コは司馬昭の義弟なんだね・・・
でも、横山三国志はあからさまに吉川英治のパクリだから
横山を通じて吉川三国志が日本に広まったと言っても過言じゃない様な気もするな。
講談→平話→演義→吉川→横山
>>232 一口に演義って言っても色んな版元があって
段階がちゃんとあんだぞ?
董卓と呂布の離間に成功した後、貂蝉が自害するってのは吉川オリジナルでしょ?
横山ではどうだったっけ…。
元の演義ではそのまま呂布の伴侶になっていたような。
>>226 お答えありがとうございます。
ちくま文庫の正史をちらっと見たら良さそうだったので、
それに決めました。
出身地って、我々現代日本人にとっての本籍みたいなものと
考えればいいのでしょうか?
生まれたところは千葉だけど本籍は福岡、みたいな感じで、
実際に生まれた場所と全然違うことってあるんですよね?
出身地と本籍は違いますよ。
勘違いされているようですが、
三国志に出身地が書いてあることはほとんど無く、
大抵は本籍が書いてあります。
例えば、
馬騰は扶風郡の人(本籍:扶風)でしたが、生まれたのは隴西、
といった感じです。
240 :
世界@名無史さん:03/08/01 02:29
>>236 董昭は元袁紹の部下、陳羣は元劉備の部下でしょ?
生粋の譜代じゃない。
三戦逝ってろw
242 :
世界@名無史さん:03/08/01 03:01
>>240 まず、どこからが譜代になるのか定義しないとどうにもならん話題だな
244 :
世界@名無史さん:03/08/01 13:21
最初から曹操に仕え続けたのが生粋の譜代。
荀ケは袁紹に一時招かれてるけど、主君とは考えて
なかったみたいだし、譜代としてもいいだろう。
譜代っていうか、創業の功臣っていった方が適切だな。
創業の功臣っつたら魏公就任以前からって印象じゃないの?
それまでは曹操旗下をいえど漢朝の臣になるんだし、
順位区の気持ちひとつで譜代だったりなかったりってのも、なんかオカシイ。
本人・曹操・周囲がそれぞれがどう見ていたかにかかるんで、なんとも言えないという
ありきたりな結論になりそうな予感。
>>239 ご教授ありがとうございます!
まさにそのことで頭を悩ませていたのです。
馬超の「生まれた場所」を探しているのに、本籍地しか載ってないよー!
と泡くっておりました…
∧_∧ ∧_∧
ピュ.ー ( ・3・) ( ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
= ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ
>>246 うむ。だから話題にするだけ無駄なんだが。
250 :
世界@名無史さん:03/08/02 15:00
創業の功臣って言ったら、エン州刺史時代からと考えるのが妥当だろ。
251 :
世界@名無史さん:03/08/02 18:20
三国志は正史の中では叙述が簡略なので
漢書・後漢書はもちろん史記よりも通読しやすい
ことは無いな
252 :
世界@名無史さん:03/08/02 20:51
だな。検証できる資料もないから
妄想でしか補完できないんだよね。
ということで三戦板へ
>>250
創業の功臣の定義ごときでなにを騒いでんだw
夏厨は三戦(ry
オマエモナー
256 :
世界@名無史さん:03/08/02 22:05
裴註もあるし、後漢書もあるし、資次通鑑もあるし、
勝手に脳内補完する前に読む本はまだあるだろ。
惜しいな。資治通鑑。
判ってんだろうけど。
258 :
世界@名無史さん:03/08/02 23:54
三戦板へ誘導するヤツに限って対した知識はない
そう涙目になってカキコしてないで、素直に誘導されてなさい。
ホントのことを言われたからって怒るなよ
また荒らしか…
262 :
世界@名無史さん:03/08/03 00:12
つまらん、おまえらの話はつまらん!!
263 :
世界@名無史さん:03/08/03 00:15
三戦板へ行けと言ってるヤツってカキコの7割がそれだからな・・・
有意義な議論をする人間は安易な誘導はしない
264 :
世界@名無史さん:03/08/03 00:20
では早々の譜代について、有意義な議論とやらをすれば?
そうやってすぐムキになるからスレが荒れるんだよw
266 :
世界@名無史さん:03/08/03 00:26
荒らしてる本人がなにをw
有意義な議論はどうした?早く始めろよ。
ふだい 【譜代/譜第】
(1)何代もその家系が継がれて来ていること。また、その家系を記したもの。系譜。
(2)代代、同じ主家に仕えていること。また、その臣下の家系。
(3)譜代大名。
この場合は(2)のことだろうけど
その条件にあう人物は多分いないんじゃないかね。
創業の功臣の場合、普通は王朝の開闢に貢献した臣下をいうよな。
227の書き方からすると無官だったのを曹操自身が召し出した人物って意味で
「譜代」という言葉を使ってる気がする
兌州時代の曹操シンパについての話題なんだろうけど
>>246が指摘してる通り、そんなものは確認のしようがない。
>兌州時代の曹操シンパ
なら正史を読めばだいたいはわかるでしょ・・・
また荒れるようなレスが…
要するに、答えの出ないループになってるわけでしょ。
定義付けが為されていないのに考えても、仕方が無いよ。
いや、煽ってるつもりはないんですけど・・・
276 :
世界@名無史さん:03/08/03 01:01
創業=事業を始める のちに発展する事業の基礎を築く 建国の基礎を作る
ま、取り方は人それぞれだが、一地方長官時代から曹操に仕えて三公に
登った人物は少ないって事だ。
荀ケ・荀攸・郭嘉・程c・劉曄・毛カイ・呂虔などの旧臣は一人として
三公に登れずに終わった。
277 :
世界@名無史さん:03/08/03 01:03
その中で三公にまで登った満寵はレアな存在だと言いたかった訳。
別に定義だ何だともめる事になるとは思わなかったよ。
有意義な議論だった
279 :
世界@名無史さん:03/08/03 01:14
>>278 じゃ、次は君が有意義な議論のネタを提供したまえよ。
劉備の譜代が(ry
曹操が丞相だったころ三公は名前だけだったから
有能な人間は三公にしなかったんじゃないのかな
三公は無かったんですが。
曹操が丞相の頃は。
(三公→丞相・御史大夫)
>>276 >荀ケ・荀攸・郭嘉・程c・劉曄・毛カイ・呂虔などの旧臣は
何進や董卓の時代からずっと中央官僚で、
李カク政権から蜀郡太守に任命されたのに、荊州で足止め食ってて赴任できず、
天子を奉戴した曹操に呼ばれて出てきた荀攸や、
一緒に行動してた廬江太守劉勲が孫策に負けてから、
曹操に仕えた劉曄も旧臣なんですか?
どっちも天子奉戴後にやってきた連中で、
兗州牧時代の曹操のためには働いてないんですけどねえ。
>>281 >曹操が丞相だったころ三公は名前だけだったから
>有能な人間は三公にしなかったんじゃないのかな
そもそも、曹操が丞相になった時点で、三公制は廃止されてますよ。
副丞相格の御史大夫郗慮はただのイエスマンですしねえ。
曹操が丞相になる前は司空。
つまり、三公の一人なわけです。
どこの世界に、部下に自分と同格の官位を与える人がいるんでしょうか?
285 :
世界@名無史さん:03/08/03 03:47
>>284 劉曄と曹操の関係は魏志を読んだだけでは分かりにくいね・・・
荀攸も許都入り以後の仕官か・・・
荀ケの紹介とかで仕えたように思ってたよ。
董昭は一応エン州刺史時代に曹操と気脈を通じていたみたいだね。
とすると、曹操がエン州刺史以前に直接召しだしたり、仕官してきた
人物ってのは結構少ないね。
王朗や華キンが三公になれたのは家柄のせいかね?
286 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/03 04:54
>>285 董昭はもともと袁紹配下の魏郡太守で、立場がヤバくなって、
長安から脱出して張楊に保護されていた天子の一行に加えられ、議郎に任命されてます。
この人も天子奉戴以前の曹操のために働いた人ではありませんね。
>とすると、曹操がエン州刺史以前に直接召しだしたり、仕官してきた
>人物ってのは結構少ないね。
@挙兵して間も無く惨敗して、挙兵以来の同志が歴史的業績をあげる前に大勢死んだ。
戦死者の中で名前が残っているのは衛茲だが、それは息子の衛臻が出世してくれたおかげ。
A陳宮・張邈の反乱の時に、兗州で集めた人材がごっそり裏切った。
つまり、古参が早い時期に少なくなってしまったんですね。
>王朗や華キンが三公になれたのは家柄のせいかね?
@王朗は曹操に仕える以前は、朝廷に正式に任命された会稽太守。
華歆は曹操に仕える以前は、皇帝から人事権を示す節を与えられた太傅馬日テイに任命された豫章太守。
二人とも曹操に仕える以前から、正式な朝廷の官位を有するれっきとした高官だった。
A清流派の間で最高級の名声の持ち主だった。
もともと地位と名声が高かったということが決め手になったのだと思われます。
エン州刺史以前の曹操に文官が少ないのは
当然なんじゃないだろうか?
華キンは董卓時代に尚書郎になった名士だよ
完全に話題に乗り遅れたうえに放置される永遠の青であった。
290 :
世界@名無史さん:03/08/03 22:36
川勝義雄『曹操軍団の形成』(1960年代の論文)って何処で読める?
今ここで話題になっている「曹操の譜代」に関する先駆的研究だろうと
思うんだけど。
後、
「兌州時代の曹操シンパについての話題なんだろうけど
>>246が指摘してる通り、そんなものは確認のしようがない。 」
とか言い放った>271、『魏志』巻9諸夏侯曹伝に立伝されている
親族の武将達はスルーでつか?
292 :
世界@名無史さん:03/08/03 22:50
『魏志』を手元の白文でぱらぱらみた限りでは、
エン州刺史以前の曹操の家臣は、夏侯惇・夏侯淵・曹洪・曹仁位か。
そのうち曹仁は「徐泗の間で豪傑と交わりを結んでから遂に太祖に仕えた」
という記述から見るとやや遅れて参加したっぽい。
エン州刺史の時に治中従事として毛[王介]が参加。
その後でジュンイク。陳宮・チョウバクの反乱の時に
テイイク。がそれぞれ加わる。
許昌で献帝を推戴してから、ようやく家臣の数が増えだしたような感じかな。
今部屋が整理中で手元に景宋本の正史『三国志』しか
ないんで『後漢書』『資治通鑑』は見れなかった。すまそ。
あと訳本がないので意味を取り違えてるかもしんない。
それにしても『三国志集解』が手元に有ればなーあれが
あれば、もう少し突っ込んで書けるんだけど。
294 :
世界@名無史さん:03/08/03 22:55
東漢末期の州刺史、州牧に推挙されて任官した人材は
すべて漢朝ではなく彼ら個人に忠誠を誓う軍閥や私兵集団の一員といいたいのか?
東漢って言う香具師久しぶりに見た
ずーっとそいつの従事やら長史やらをやっていたなら、
「譜代」と言ってもいいかもな。
とりあえず三国時代に「譜代」は適切ではないと思う
298 :
孫尚香が好き☆:03/08/04 02:18
高校の世界史の宿題で三国志関連の書籍を読んで感想を400字詰めで5枚書かなきゃいけないんですが、
高校生に分かりやすくて、演義のほうで書いてある本で短くていいやつはありませんか?
もしくは三国志の本のすばらしい感想が載ってるサイト様をご存じないでしょうか?
>298
横着しないで、ちゃんと読め。
んで、孫尚香について真実を知れ。
300 :
世界@名無史さん:03/08/04 02:47
301 :
世界@名無史さん:03/08/04 08:06
爆笑三国志でも読んだらー?
>>290 親族と譜代って扱いは別だろ?
>>298 とりあえず三戦板に行った方がいい。ここ正史スレだし。
あともっと言うなら演義くらい読めないと
日常生活で(主に周りの人間が)困るだろうから
ちゃんと本を読んで感想を書くのをオススメする。
吉川版全巻くらい長くても一週間で読めるだろ。
結局、日本の戦国時代から類推適用すると
親藩…曹一族(夏候一族含む?)
外様…他の群雄に仕えていた過去あり(賈ク、陳羣、張コウ等)
のどちらの集合にも含まれない武将という定義で括ればよろしいか?>譜代
304 :
世界@名無史さん:03/08/04 10:15
>>303 奥平信昌は武田信玄が死んだのを機に武田家から徳川家に鞍替えしたのに、
譜代扱いですが、何か?
「他の群雄に仕えていた過去」を問うてる時点で萎えるよ、マジで。
>>302 正史の知識持ってる奴ならむしろ三戦板の方が多いぞ。
あのスレには演義厨も多いが、正史を読み込んだコアなマニアも多い。
常駐している2人のコテハンが三国志(もちろん正史)と後漢書をお互いに引用し合いながら、
議論しているスレすら存在する。
曹孟徳の徐州虐殺について疑問があるのですが、
ちくま文庫版八巻の年表226p、193年の項目
"陶謙を打ち破り虐殺を行なう。"とありますが、
一巻、武帝紀28〜29pの方には興平元年(194年)の記述のところに
"通過した地域では多数の者を虐殺した"とあります。
中華書局本11pでも興平元年春,……以降に"所過多所殘戮"とあります。
他にも出版されているものやネット上の多くの年表では、
徐州虐殺を193年にしていますが、どのような解釈のもとに
この年にしているのでしょうか?
別のBBSでも質問しているのですが、此方の方が人が多そうなので、
マナー違反かとは思いますが、ここにも書きました。
どうか詳しい方、ご教示下さい。
>>306 だからナニ?って感じだね。
この板にそぐわない輩は三戦板でどうぞって事。
向こうでレベルの高い正史スレがあろうと関係ない話だよ。
誘導されたのが涙が出るほど悔しいんだろ
>>307 陶謙伝に「初平四年、太祖は陶謙を征討し(中略)死者は万単位に」ってなってる
194年の記事は前年の回想
>>307 曹操による陶謙征討は193年秋から行われ翌年春に撤兵した第一次と
194年夏に行われ呂布によって中断された第二次がある。
曹操の行った徐州虐殺をどの時点のものと捉えるかで異なると思われ。
曹操の徐州虐殺が父曹嵩が殺害されたことへの報復と見るなら、
徐州虐殺を193年とするヤシは曹嵩が陶謙に殺害されたのはそれ以前と考えてるため。
194年とするヤシは徐州を侵された陶謙が曹嵩を殺害したため、再度の征討
(これが虐殺となる)で虐殺をしたと考えてると思われ。
>194年とするヤシ
ってあるの?俺の持ってる年表の類は大抵193年の事になってるが?
>>312後半の
>194年とするヤシは徐州を侵された陶謙が曹嵩を殺害したため、再度の征討
>(これが虐殺となる)で虐殺をしたと考えてると思われ。
が妥当だと思うなあ。
初平4年(193)から虐殺なら、第1次の時の記事に書かれてしかるべきだ。
それをわざわざ興平元年(194)になって初めて
曹操の父の話と「所過多所残戮」を書いているよ。武帝紀では。
陶謙伝は放置?
>>310=
>>315かな?
「死者は万を数えた」だけでなく、
その後の「そのため、泗水は流れを止めた」も書いた方が、説得力あったはずだよ。
「河が流れを止める」は、虐殺が起きたことを示す常套表現。
ゴメソ。
あと
>徐州を侵された陶謙が曹嵩を殺害した
だと彭城まで攻め込まれた陶謙の兵が泰山で曹嵩を殺すのは難しくない?
318 :
世界@名無史さん:03/08/04 23:55
後漢書応劭伝より
興平元年(194)、前太尉の曹嵩及び子の曹徳が琅邪から太山に入ると、
応劭は兵を遣わしてこれを迎えた。
兵がまだ到着せぬうち、徐州牧の陶謙は素より曹嵩の子の曹操から度々
攻撃を受けた事を恨んでおり、軽騎を遣わして曹嵩・曹徳を追わせ、とも
に郡境で殺した。
応劭は曹操に殺される事を恐れ、郡を棄てて冀州牧の袁紹の下に奔った。
たしか大澤良貴が虐殺を194年のこととして
「真実の三国志」って本書いてたな。
まあ、だからって194年が正しいとは限らないけど。
むしろその逆の(ry
後漢書陶謙伝は、初平四年(193)にしてて、
曹操が[タン]を落せなくて軍を返した途中、
雎陵・夏丘で虐殺をしたことになっる。
初平四年,曹操撃謙,破彭城傅陽.
謙退保[タン],操攻之不能克,乃還.
過拔取慮、雎陵、夏丘,皆屠之.
凡殺男女數十萬人,■犬無餘,泗水為之不流,自是五縣城保,無復行■.
武帝紀だと、興平元年(194)の方に
東海から帰還の途中、[タン]を通過し、襄賁を攻め落とした、
その時に通過した地域で虐殺した(所過多所残戮)ことになってる。
三国志陶謙伝は、本文は、初平四年(193)、
彭城で"大戦"となって、死者数万、為に泗水流れず。だけど、
同段の注、『呉書』の引用では"乃侵攻彭城, 多殺人民"
みんな書いてることばらばらで、どれを信じて良いのやら
個人的に武帝紀を読んだ限りでは
>>314氏のように思っていましたが……
>>320 >後漢書陶謙伝は、初平四年(193)にしてて、
>曹操が[タン]を落せなくて軍を返した途中、
>雎陵・夏丘で虐殺をしたことに
引き返したあたりで年が変わったんじゃない?
雎陵・夏丘の事件の頃はもう興平元年、と。
>>307=
>>320です。
>>308-321のみなさん、
いろいろと有意義なことを教えて下さり、ありがとうございました。
筑摩の正史には細かい校正漏れや、誤記があり、
正誤表のBBSでもたくさん指摘がされていました。
だから、門外漢ではありますが、
巻末の年表を鵜呑みにしないで、自分でもう一度、
原典を読んでみて、この様な疑問が生じたわけです。
>>318氏のご指摘の箇所まで辿っていませんでした。
ありがとうございます。
なんだ松○梅んとこの香具師か
筑摩にはなんの罪もないぞ。
この件に関しては
>>290 1954年の『曹操軍団の構成について』の間違えじゃねえのか?
この論文なら『六朝貴族制社会の研究』に収められてるんだが…
『六朝〜』なら持ってる図書館探すのもそう難しくねえし、
再版されたんで入手も楽だぞ。
326 :
世界@名無史さん:03/08/05 00:25
曹操は罪の無い人民を大虐殺した悪魔です。ヒトラーより最悪です。
この様な残虐な人物が再評価されたり漫画の主人公にされるなど有り得ない話です。
皆さんは何故、彼の功績だけを評価してこの虐殺から目を背けるのですか?
誰が目を背けてるんだ?
とマジレスしてみる
餌が腐ってますよ
330 :
世界@名無史さん:03/08/05 15:57
ホラ!何故そうやって目を逸らすんですか?
331 :
世界@名無史さん:03/08/05 16:21
332 :
世界@名無史さん:03/08/05 19:03
333 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/05 19:29
>>326 乱世は、軍人も民間人もたくさん殺さないと治まらないんですよ。
戦争すれば、戦火に巻き込まれて、民間人もたくさん死にます。
それに敵のために税金や労働力を供出して、徴兵されれて武器を持てば兵士にもなるのですから、
敵の支配地域に済む民間人は、潜在的な敵なわけです。
非情かも知れませんが、味方に付ける自信が無いなら殺してしまっても、
敵を弱めると言う意味で、虐殺もアリなんですよ。
虐殺は人倫的には許されませんが、この板は人倫を問う板ではありませんので。
世界史で人倫を問うていたら、ほとんどの歴史的人物に
「悪人」というレッテルを貼るだけで終わってしまいますよ。
まあ、徐州大虐殺は、弁解の余地がありませんが。
24 名前:世界@名無史さん 本日のレス 投稿日:03/08/05 19:19
>永遠の青
遅レスだがあんたのレスの直後に荒れるスレが多すぎる。
前スレでもいきなり現れて長文レスするあたり雰囲気読めてなさすぎ。
というかな青さんよ、
>>326みたいなネタにマジレスしてどうするのか教えてくれ。
俺も聞きたいな。
今更2chに慣れてないというわけでも無いだろうにね。
>敵を弱めると言う意味で、虐殺もアリなんですよ。
と言っておきながら
>徐州大虐殺は、弁解の余地がありません
とはどういう事だ。
青の奴って他人を小馬鹿にした皮肉なレスが多すぎ
339 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/05 22:25
>>334 世界史板は虐殺=悪という倫理の問題を話し合う板ではないと言うことを書いてみたかった。
>>337 徐州を弱めようと言う冷徹な計算ではなく、
父を殺された怒りによる虐殺だったからです。
340 :
世界@名無史さん:03/08/05 22:30
>世界史板は虐殺=悪という倫理の問題を話し合う板ではないと言うことを書いてみたかった。
相手は「それくらいわかってて」書いてるんだよヴォケが
お前煽り耐性弱すぎ、しかも論破されると逃げる。
>>339 青さん
世界史能力値スレで
次は東欧の人物を扱うって言ってなかったか?
正直
デケデケ | |
ドコドコ < マチクタビレターー!!!? >
☆ ドムドム |_ _ _ _ _ _ _ _ _ _|
☆ ダダダダ! ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨
ドシャーン! ヽ オラオラッ!! ♪
=≡= ∧_∧ ☆
♪ / 〃(・∀・ #) / シャンシャン
♪ 〆 ┌\と\と.ヾ∈≡∋ゞ
|| γ ⌒ヽヽコ ノ ||
|| ΣΣ .|:::|∪〓 || ♪
./|\人 _.ノノ _||_. /|\
>>342 じゃあ、資料の揃う人物を採り上げておくれ
そうだなぁ
モンゴルのモンケとかが興味あるなぁ
スレ違いなので、この話はこれで終わりします
以下、何事も無かったように再開↓
347 :
世界@名無史さん:03/08/05 23:22
>>345 うるさい。
なぜ彼の虐殺だけを責め立て、たくさーんの功績から目を背けるんですか?
349 :
世界@名無史さん:03/08/05 23:27
大量虐殺をやった中国の人物っていうと他に誰がいる?
項羽とかは敵兵の反乱防止の為の穴埋めだからなあ・・・
石虎とか洪武帝も残酷だけど、大量虐殺とかはしてないような。
>>349 毛沢東は、反革命罪での粛清(50万人以上処刑)と文革でだいぶ殺してる。
大躍進+文革で死者2000万ってのは多分歴代No.1だと思うが。
白起
352 :
世界@名無史さん:03/08/06 00:40
「徐州大虐殺」という言い方も相当香ばしいと思うのは漏れだけか?
三国志に比べて成立が遅れた『後漢書』を鵜呑みにするだけじゃなくて、
正史『三国志』をもう一度読むと、どうも「徐州大虐殺」などというほどの
大事件があったかどうか不思議なんだけど。
武帝紀本文の記述は「遂に襄賁を攻め抜き、過ぐる所殘戮する所多し」
というものだろ?この文から「大量虐殺」という結論を導き出すのは無理だよ。
しかも裴注によれば「殘戮」の対象は「其の屬する部(=陶謙の部曲)」。
曹操が陶謙の部曲に対して略奪と攻撃を行った。規模は不詳。
そんな所がこの事件の実情なんじゃないのか。陳寿が魏の悪いことを伏せた
という可能性はあるけど、曹操否定に立つ孫盛でもこの事件について余り語っていない
のは不思議だ。それこそ必死で曹操の悪事をあげつらいそうなものだが。
陶謙伝裴注に引く『呉書』は、「(曹操)は多く人民を殺した」と書くけど、
『呉書』はかなり陶謙贔屓の文献だから、どこまで信用できるかどうか。
353 :
世界@名無史さん:03/08/06 00:41
朱元璋でさえ総計で20万人虐殺したって話だから、
文化大革命の2000万人ってのは物凄い数だな。
今週はNHKで夜11時から大地の子やってますハイ。
>>352 むしろ、この件に関しては正史の方が怪しいと見なければならないのでは?
さらに『呉書』が陶謙贔屓であると断言する根拠は一体どこから?
そもそも正史での陶謙の扱いもかなり貶められて記されてる可能性が高い。
徐州での虐殺を正当化する為、極悪な人物として描かれたという見方も実際にある。
俺が知る限り、赤壁否定説はあっても徐州虐殺を否定する文献には出会った事がない。
陳寿>裴松之>范曄
と?
後漢書朱儁伝にある反董連合の頃の陶謙の動きなんて三国志では全く無視だしね
>>355 すぐにそういう順番をつけたがる習慣はよくないよ。
>>322 >『後漢書』陶謙伝では、初平三年に曹嵩遭害があり、四年に虐殺事件があったとします。
>ところが同書応劭伝では曹嵩遭害を興平元年のこととし、矛盾が生じています。
>『後漢書集解』に引く銭大キンの説によって、陶謙伝が正しいと分かります。
>韋昭『呉書』では曹嵩遭害→詔勅発布→曹操出兵と並べており、
>内容からいってその順序が正しいはずです
とある掲示板に書いてあったぞ。お前宛に
359 :
世界@名無史さん:03/08/06 01:20
曹嵩遭害→詔勅発布ってどういう詔勅だよ?
元太尉を殺した陶謙はけしからんから討伐せよって事?
大体その頃って献帝は長安にいて政権握ってたの李カクだよな。
応劭伝は陶謙は曹嵩を自分が配下を使って殺させたとしているが、
陶謙伝は部下が財宝に目がくらんで曹嵩を殺したとし、
曹嵩が殺された場所も徐州と書いてる。
なら、何で泰山太守だった応劭が逃げ出す必要があったんだ?
>>358 お前呼ばわりはやめれ。
後漢書集解読めばわかるんじゃない?俺は読んだことないから・・・
>お前呼ばわりはやめれ。
お詫びして撤回いたします。
俺は青の発言や長文はまだ許せるんだよね。
2ちゃんに色んな人が来るのは当然のことだし。
ただなこれだけは言っておく・・・
機 種 依 存 文 字 使 い 過 ぎ だ 。
>361
機種依存文字ねぇ・・・
PC98でしか見れないってのならともかく
Macの事言ってるなら、どうでもいいよ。
>354
>むしろ、この件に関しては正史の方が怪しいと見なければならないのでは?
その考え方もどうだろうか?陳寿は晋の悪事は伏せるが魏の悪事は直筆しているという
趙翼の指摘もあるし、一概に疑って掛かるのはどうかと思うが。
>さらに『呉書』が陶謙贔屓であると断言する根拠は一体どこから?
あるサイトからの受け売りだが、正史本文で貶められ、否定的な要素が多く書かれている
陶謙に対し、肯定的要素を列挙する『呉書』は陶謙贔屓だろうと思うのだがなぁ。
それから漏れは断言はしていないよ。「かなり陶謙贔屓」とぼやかして書いた積もりだが。
>徐州での虐殺を正当化する為、極悪な人物として描かれたという見方も実際にある。
確かにその見方はあるけど、じゃあ何故徐州虐殺について詳細に死者の数まで数えている史料が
『後漢書』以前には『曹マン伝』位しかないのか?ということに対する反論が出来ないね。
呉の著作と言うことで信憑性が疑われている『曹マン伝』以外にも、
あれほどの大事件で有れば孫盛なり韋昭なりがもっと言及すべきだと思うのだが、
彼ら曹操に反対する側の記録でも非常にあっさりしたものだ。
『曹マン伝』に描かれている凄惨な描写はあったのかどうか、現時点で裏は取れるような
代物ではないんだよね。
徐州での虐殺は魏にとっては汚点だったし、対立陣営から批判の対象に
なっているわけだが、対立陣営側も余り熱心に取り上げていないマイナー
な事件だから、正当化して隠さなければならない程の話しだったとは思えない。
大体徐州虐殺事件を本格的に取り上げた書籍は陳舜臣の小説・「諸葛孔明」位しか
ないんじゃないのか?あの本以降、虐殺事件が大きくクローズアップされたんだから。
司馬光の『資治通鑑』も、批評としては孫盛を引くだけであっさり切り上げている位だし、
中国歴代の曹操批判にも「徐州虐殺をやった曹操は悪」なんて論旨は見た限り皆無。
問題提起したのは自分ですが、勉強が足りないので、
皆さんの議論についてけません;
地名も年代も諸本、諸伝で微妙に違うし、この件は複雑な問題だったのですね
ちくま巻末の年表についてだけいえば、通鑑を元に作成してるのだから、
通鑑を正しく引いているという意味では、間違ってはいないのですね
ただ、それが史実かと考えはじめると……複雑に……
でも、こうしていろいろ貴重なレスを見て、考えることができたのだから、
鵜呑みでたった三桁の数字を書き写すよりは、マシだったと思います。
>>361 UNICODEも中国語フォントも知らないお馬鹿さん?
中国歴代の曹操批判にも「徐州虐殺をやった曹操は悪」なんて論旨は見た限り皆無。
ワラタ
お前三戦板かえれよw
>徐州虐殺について詳細に死者の数まで数えている史料が
本文に>初三輔遭李カク亂,百姓流移依謙者皆殲
とあるから殺されたのは難民が殆どだったんだろ。戸籍もないわけで
数を数えようにも、だいたいこれぐらいってのが限界だろ。多分
>>366 事情のわからんROMから見ると負け惜しみにしか見えない
369 :
世界@名無史さん:03/08/06 10:46
>>366 上の方で「徐州虐殺をやった曹操は悪」とほざいた香具師がいたんだよ。
ちゃんと読めや。
でも、
>>363はそのセリフを言う相手を間違えてるんじゃないの?
>>354は違う人物だと思うが。
徐州虐殺が大がつくか小がつくかっていう話
中だな。
話してる連中の中に、纏める能力を持つ者が一人もいないようで。
じゃぁ基本的につまらない話題なのでなかったことにして。
陳さんの見解は全面的に創造的に支持します
陳さんの見解は神である!!!
俺も陳建民の料理は食べてみたかった。
夏・・・だな。
このスレは殺伐としてますな。
意見が出ると即、否定的な意見がでる。
青を叩く香具師に限って、なんか厨なみのレスしかしてないんよな
無駄な労力使わんで、もちつけってよ…
↑こういうヤツが一番厨房臭いよな
>>380 何が「と言ってみる」だヴァカ。三戦板に帰れよ。
奥義「三戦板に帰れ」w
>>326はコピペだろ
このスレの2スレ目ぐらいで連投してたのを覚えてる
なんか、もう寒い煽りしか来ないみたいだな。夏なのに。
>>379=
>>381は必死すぎて笑えない。
知識は凄いけど煽り気質タプーリ、という青が現れただけのことはある。
おまえら三戦板に帰れよ(w
ネタ振りキボンヌ
譜代は無しの方向で
387 :
世界@名無史さん:03/08/06 21:10
私は三国志が好きです。でも項羽と劉邦のほうがもっと隙です!!
夏侯尚の死に方が何ともいえず興味があります。
(ご多分に漏れず演義他ではひどい氏に方だが…)
昔の人の「こころのあり方」がよくわかる一例です。
389 :
世界@名無史さん:03/08/06 22:11
曹操は罪の無い人民を大虐殺した悪魔です。ヒトラーより最悪です。
この様な残虐な人物が再評価されたり漫画の主人公にされるなど有り得ない話です。
皆さんは何故、彼の功績だけを評価してこの虐殺から目を背けるのですか?
孫休は無茶苦茶な人工文字を作って、息子達の名をつけたみたいですが、
その人工文字に興味津々です。
しかも作った理由が、
「名前を付ける時は他人と競合しないようにするべき」だとか・・・(笑)
後漢代から勝手に漢字を作るのが流行ったんだよ
>365
それ、機種依存文字って言わない。
393 :
世界@名無史さん:03/08/07 14:53
>孫休は無茶苦茶な人工文字を作って、息子達の名をつけたみたいですが、
その人工文字に興味津々です。
『康熙字典』に全部出てるから見てみ?
394 :
世界@名無史さん:03/08/08 02:21
確かに諱避けはやっかいな風習だよな・・・
父の名が広とか平だったら避けるの難しいだろ。
395 :
世界@名無史さん:03/08/10 20:32
曹操は罪の無い人民を大虐殺した悪魔です。ヒトラーより最悪です。
この様な残虐な人物が再評価されたり漫画の主人公にされるなど有り得ない話です。
皆さんは何故、彼の功績だけを評価してこの虐殺から目を背けるのですか?
396 :
DVDエクスプレス:03/08/10 20:32
398 :
世界@名無史さん:03/08/12 06:10
陳寿も三国志で父の名を避けてるのかな?
官史だとそれはあり得ないか・・・
401 :
世界@名無史さん:03/08/12 15:53
宮城谷が自分の三国志の中で合肥侯(擁立事件のあった)は堅鐔の子孫だ。
って書いてたらしいんだが、どうなんだ?
ちょっと突飛すぎる気がするんだけど・・・
読んでないもので、理由がよく判らんのだが
合肥侯が劉姓じゃないと、曹操が書いた反対表明の文章とあわないじゃん。
>>402 たぶん、堅鐔が合肥侯に封ぜられて、その後も国を除かれたって記述がないからだろう。
まぁ、おれも読んでないけど。。。
405 :
世界@名無史さん:03/08/12 19:07
>合肥侯は劉氏の一人であろうとしているのですが、宮城谷氏は違うと断言しています
らしいよ。
それじゃ概要にもならんってw
結局、だれも読んでいない罠。
当たり前だのクラッカー
>>401 確かに堅鐔の死後、息子の堅鴻。
堅鴻が死ぬと、その息子の堅浮。
堅浮が死ぬと、その息子の堅雅が跡を継いでいますね。
この間、転封されたという記録も、
堅雅が継いでから、家が絶えたという記録もありません。
また、後漢書を読む限りでは、合肥侯に封じられたという記録があるのは堅鐔だけです。
後漢書に載ってないだけで、
合肥侯の堅氏が断絶していたか、転封され、
その後に皇族の誰かが合肥侯に封じられたのかも知れませんが、
具体的な記述が無い以上は、それも憶測の域を出ません。
霊帝を廃して堅氏を擁立したら易姓革命になるが・・・
韓馥らが劉虞を擁立しようとした事を考えれば、劉氏と考えるのが妥当。
つうか、堅氏が擁立される理由は?
当時の有名人だったか?実力者だったか?
まさか堅タソが合肥侯に封ぜられたってのだけが根拠じゃないよな>宮城谷
有名人なら名前程度は残すだろ
資治通鑑には氏名が載ってないな
曹操が合肥侯擁立を批判して伊尹・霍光や呉楚七国を例に挙げてんだから
当然、合肥侯も劉氏でないと辻褄があわないと思われ。
易姓革命なら例は湯王・武王や陳勝呉広でないとおかしいだろ
結論としては、
宮城谷は漢以降に首突っ込むな、でOK?
秦以降?
まあ、いまだに読んだ人の話の又聞き程度で実際はどんなふうに書いてるのかはわからんが、
概ね
>>418に同意
小説書きだから、検証に穴があるのも仕方ないのかね
>>421 三国志に1ヶ所しか登場しない香具師を取り上げて検証もないだろう。
>>423 一つの事例に纏わる記述は一箇所じゃないよ。
とりあえずその小説の文章読まなきゃなにも判定できないだろ。
宮城谷叩きたいやつがいるのはわかるが、それじゃ同レベルだぞ。
そうそう。もっと叩かれて然るべき香具師は大勢いるよ。
たとえば伴(ry…
略すべきだな
読んだよ、ミヤギタニーの該当部分。
>>410,414の言うとおり、
堅鐔が封侯された&断絶された記録が無い、だけが根拠の様子。
(これ以上の根拠は見つからないだろうけど)
この件で一番重要なのは
>>411,412の言うように
「それじゃ易姓革命じゃん!」ってとこだと思うのだが、そこはスルーしている。
小説としても歯切れが悪いと思うのだけどね。
この時代をよく知らない人だって、
「皇帝に擁立されるってことは皇帝の血縁者なのかな?
それともよっぽど人望のある人物なのかな?」
とか考えるだろうに、そのへんになんら回答を示していないようなんですよ。
どうなんでしょうね。
まあ、これ以上あれこれ言うのは板違いか。
429 :
世界@名無史さん:03/08/14 02:06
何で堅氏なんていきなり皇帝に立てる必要があるんだよ?
そんな妄想するヤツは逝ってよし。
430 :
世界@名無史さん:03/08/14 03:03
∧_∧ハゥッ
∧_(Д`; )←
>>428 ( ・∀・) つ
(っ ≡つて ヽ ちん!
して_)_ノw (_)
432 :
世界@名無史さん:03/08/15 00:25
>>306 いろいろ三戦板のそれらしいスレ見てみたけど、
どれもレベル低くて反論を書くのもアホらしくなるレスばっかだった。
何を今更
434 :
世界@名無史さん:03/08/15 01:21
孫休が長生きしてたら大漢和が後一巻くらい追加されてたかな?
厨がいくから紹介してほしくなかったのに。
このスレで三戦板云々いっている奴はレベル低いからさ
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
439 :
世界@名無史さん:03/08/15 21:21
あげ
440 :
世界@名無史さん:03/08/16 21:58
程c・呂虔・毛カイって没年さえ伝わってないの?
哀れな・・・
至極普通
442 :
世界@名無史さん:03/08/17 01:58
普通じゃないだろ。
とりあえず、もっともレベルが低いのが
>>437だということは確かのようだ
毛カイがタイーホされたのは216年で良かったっけ?
445 :
世界@名無史さん:03/08/18 01:20
____
/:::::::::::::::::::::ヽ、
/:::/ \::::ヽ
|:::/ ノ \ \:::|
|:::| (●) (●)||| |::::|
|:::| )●( |::::|
|:::| / ̄⌒ ̄ヽ U|::::| ・・・・・・・・ゴクリ。
|::| | .l~ ̄~ヽ | ノ::::|
|::\ヽ ̄~ ̄.ノ /::::|
446 :
世界@名無史さん:03/08/21 00:06
____
/:::::::::::::::::::::ヽ、
/:::/ \::::ヽ
|:::/ ノ \ \:::|
|:::| (●) (●)||| |::::|
|:::| )●( |::::|
|:::| / ̄⌒ ̄ヽ U|::::| ・・・・・・・・ゴリ。
|::| | .l~ ̄~ヽ | ノ::::|
|::\ヽ ̄~ ̄.ノ /::::|
448 :
世界@名無史さん:03/08/21 18:45
みんな三戦板に逝っちまったのか・・・?
449 :
世界@名無史さん:03/08/22 05:47
クソAA貼るヤツの気持ちが分からないんだが・・・
話題って言ってももはや語り尽くされて・・・はいないか?
まあ、調べれば無限に疑問は涌くはけだが。
保守しかする気が無いなら、グダグダ書くなよ
451 :
世界@名無史さん:03/08/24 04:43
>>450 黙れ
ところで、諸葛姓で南北朝以後、宰相クラスに登った人物っている?
>451
南北朝以後ってのは南北朝も含むのか?
宰相級とは言わんが、東晋で諸葛誕の二人の孫が太常と侍中になってるな。
>>452 諸葛恢のこと?
最終官位は散騎常侍、侍中、金紫光禄大夫、領選本州大中正、尚書令だってさ。
宰相じゃないの?
兄の諸葛頤は太常。
あと、宰相級じゃあないが晋武帝の諸葛夫人とその父諸葛沖(廷尉)なんてのもいる。
それから劉裕のお仲間の諸葛長民。
俺が知っているのはこれくらい。
454 :
世界@名無史さん:03/08/27 23:28
関羽のエン月刀も張飛の邪矛も呂布の方天画戟さえも
正史には登場しなかったよな?
当然徐晃の大斧も趙雲の青コウの剣も空想の産物な訳だ・・・
邪矛萌え
邪矛>>ちぃ…血だよぅ、益徳ぅ、渇いて…渇いてしょうがねぇよぉ
457 :
世界@名無史さん:03/08/29 20:07
>>454 演義ももしかしたら0.1パーセントぐらいの史実を表しているかも
458 :
世界@名無史さん:03/08/29 20:15
>>454 関羽の青龍刀が史実に無いのは知ってたけど、張飛や呂布や徐晃もか!
実際は、みんなただの矛を使ってたのかな?
戟じゃないの?
弋だろ
>458
棍棒
462 :
世界@名無史さん:03/08/31 07:48
青春偃月刀、蛇矛、方天画戟などは演義が書かれた元末〜明初の武器だよ。
戟は春秋時代からあるけどね。ちなみに、よく肖像画や彫像にある鎧などもほとんど明代のデザイン。
三国時代はゲームや漫画にあるカラフルで派手な甲冑や服装ではなく、もっと地味な雰囲気だった。
>462
青春偃月刀・・・なんか素敵。
464 :
世界@名無史さん:03/08/31 23:40
そんなさわやかな武器イヤだ・・・
465 :
世界@名無史さん:03/08/31 23:52
木綿の黄巾の乱
本気で間違えた。青春ってなんだよ(w
青春ってな〜ん〜だ〜♪ って聞くとドカベンを思い出すな。
関羽は顔良と文醜を殺した上、死なせた。
>468
青春だから許される。
470 :
世界@名無史さん:03/09/03 12:18
>殺した上、死なせた。
??????????
変なコピペ。スルー汁
472 :
世界@名無史さん:03/09/03 20:38
説文解字の編者許慎だが、東洋史事典によると永元12(AD100)年
に説文解字を完成させたとしているけど、後漢書夜郎伝によると、桓帝の
時代まで生きていたらしい。
桓帝の即位が146年だから、説文を完成してから最低46年は生きて
た事になるな・・・
説文ほどの字書を40前に完成させたとは思えないから55年
くらいの生まれとして90年以上生きたのではないだろうか?
微妙に三国志とは時代がずれてるが・・・
【許慎】きょしん 三〇〜一二四 字は貞重、(河南)召陵の人。
472じゃないが、夜郎の条に書かれているのは「汝南の許慎」だね。なるほど。
あっと、汝南の許氏か。許劭関係かね?
476 :
世界@名無史さん:03/09/04 20:48
許慎字叔仲(叔重)。汝南召陵人也。じゃねーか?
477 :
世界@名無史さん:03/09/05 14:51
亀レスだが正史・演義両方で登場する武器って何がある?
典韋の双戟くらいしか思いつかないんだが…。
478 :
世界@名無史さん:03/09/05 18:19
479 :
世界@名無史さん:03/09/05 23:48
>>473 の許慎の生没はどこから持ってきた?
原典は何?
とりあえず説文解字15巻下によれば
許慎は建光元年(AD121年)時点で生きているね。病気らしいけど。
けど生没年どこにあるんだろう・・・?
481 :
世界@名無史さん:03/09/06 10:18
後漢〜三国時代の詳しい地図が載っている本、サイトなどありますか?
過去ログのサイトは消えてしまってました。
郡や県、都市の位置を確実にしながら、正史を読みたいんです。
できれば、地形もわかるものが良いのですが。
本なら譚其驤編「中國歴史地圖集」(地図出版社刊)の「三國西晉時期」の巻が
最高です。
州ごとの詳細な地図が三國については15面が収められていて、全ての縣が現在
地と対照して確認できます。但し地形は水系のみで山脈は示されていません。
横浜中華街の書籍も扱ってるお土産やさんのおばさんの話では、このシリーズ
「三国志の巻だけよく売れてく」とのこと。
483 :
世界@名無史さん:03/09/06 11:30
485 :
世界@名無史さん:03/09/06 22:47
後漢王朝は遠く大秦国からも使者が来たのに、
魏はせいぜい邪馬台国止まりか・・・
ある意味矮小化したね。
486 :
世界@名無史さん:03/09/06 23:57
どれにつかえていいのかわかりません状態
487 :
世界@名無史さん:03/09/06 23:57
>482-483
私、それの第一巻だけ持ってるー
奇特な人間なんだろうか・・
オイラは2巻だけー。
後漢載ってるから三国時代にも大体使えるよ。
>485
曹真が大苑国(だったか?)と
やりとりしてなかったか?
邪馬台国の伝承はその功績に対抗するため
シバイが大げさに伝えたって話だったと思ったが?
たぶん大月氏
491 :
世界@名無史さん:03/09/10 20:09
邪馬台国と司馬懿は全然関係ないと思うが・・・
行ったのは張政でしょ?
張政がどこまで行ったのかには色々な意見があったと思うが。
邪馬台国と司馬懿は関係あるという説もあるのだ。
続きはおばかのスクツ、邪馬台スレ@日本史板で。
>491
雷火?
諸葛亮が北伐を繰り返していたため、
魏はその軍事力の多くを蜀方面に裂かなければならなかった。
諸葛亮を抑えるために司馬懿が派遣されたのは周知の通り。
諸葛亮の没後、姜維が蜀軍の権威を握るまでの間は、
魏における西部方面の脅威も薄れたため、
魏は司馬懿と軍勢を東北部の公孫氏に向けることができた。
司馬懿は簡単に公孫氏を滅ぼし、魏はその勢力を朝鮮半島にまで広げた。
そこまで来れば、邪馬台国との勢力圏とも接触すると・・・。
呉を巡る外交の話もあるとかないとか。
邪馬台国ってドコにあるんですか?
計其道里當在會稽東冶之東
三國志正史的にはこれが答え。
文献上はどうあがいたところで、これ以上のことは分からない。
ま、詳しくは専用スレで、ってとこだな。
499 :
世界@名無史さん:03/09/12 18:57
邪馬台国のあった場所は朝鮮半島だよ。
500 :
世界@名無史さん:03/09/12 21:57
>499
いや、沖の鳥島。
502 :
世界@名無史さん:03/09/13 01:22
匈奴が劉氏を名乗ったのって漢の時代?それとも魏の時代?
どっちだと思われますか?
漢
魏
晋
陰
淫
痘
510 :
世界@名無史さん:03/09/15 09:56
ヴォケ!
曹真って魏でも有数の戦上手な気がするのは俺だけ?
>>511 いや、十分に有能な軍司令官だと思われ。
最早定説
「俺だけ」と思っている時点でちょっと遅れてる
遅れてるという問題じゃない気が
>>482 三国じゃなくて後漢の巻を買わないと意味ないような気がするが?
(´・ω・`)
>>516 時代によって既に廃刊しているそうです。
後漢が欲しかったんだけど
買いに行った時は無かった。
>>518 マジ?じゃあオイラの秦東西漢篇って貴重?
>>519 そうかもしれない。
三国でもいいか、と思ってあまり詳しい事は聞かなかったんだけど。
同じ場所だし変わらんよ。
どうせ、あの地図を読めれば後漢書や晋書も読めるわけだし。
522 :
世界@名無史さん:03/09/21 05:38
>>521 地名が同じでも実際の場所は移動がかなり禿しいんだよ
地形だって変わるしな。
524 :
世界@名無史さん:03/09/22 16:52
中国歴史地図って今いくらすんの?
一冊欲しいんだが・・・
安いのと、装丁がいいのとあるよね。
簡明中国歴史地図集 [譚其驤] 3,210円
中国歴史地図集(全八册) [譚其驤 主編] 24,700円
中国歴史地図集(全八册、特精版) [譚其驤 主編] 32,710円
定価そんなに高かったっけ。
市価はもっと安かったと思うが。
528 :
世界@名無史さん:03/09/25 01:26
許慎の生没は諸説ある様子
ブリタニカ国際大百科 30頃〜124頃
世界人物事典 30〜124
新潮世界文学辞典 60頃〜148頃
世界伝記大事典 58?〜147?
世界名著大事典 58?〜147?
でもどれも出典が分からない・・・
529 :
世界@名無史さん:03/09/27 17:29
妻が曹操の側室になった秦宜禄って并州の人なんだな・・・
呂布にくっついて徐州まできたんだろうね。
その子は秦朗。明帝の親友。
孫も晋書に伝がある。
なにげに面白い一族だ。
>>529 秦朗は斉王芳の輔政するとこだったんですよね、燕王宇と一緒に。
531 :
世界@名無史さん:03/09/27 18:39
演義で変な使われ方をしていたな、秦朗。
関羽が欲しがってた人か。
呂布って実際は強かったんですか?
535 :
世界@名無史さん:03/09/28 09:14
秦朗は明帝にべったりくっついていたが、一人の善人も推挙せず、
魏略では佞幸伝に入れられたらしい。
その子の秦秀は直言の士で賈充に荒と謚しようと建議して
司馬炎に却下されている。
正反対親子だな・・・
536 :
世界@名無史さん:03/09/28 14:36
質問なんですけど、司隷校尉は司隷全郡を統轄、河南尹は河南郡
のみを統轄していたんでしょうか?
>>536 司隷校尉は三河郡(河内、河南、河東)、三輔、弘農の「監察」を行うものです。
一方、河南尹は河南一郡を「統治」するものです。
統轄とひとくくりにすると不思議に感じるかもしれませんが、
役割がもともと違うのでそのへんヨロシク。
538 :
世界@名無史さん:03/09/30 22:03
諸葛亮とホウ統って親戚だったんだね。
539 :
世界@名無史さん:03/10/01 03:25
別部司馬と督義司馬
どっちが偉い?
540 :
世界@名無史さん:03/10/01 13:38
>>537 監察って事は権限は刺史と同じ?
刺史の司隷版が司隷校尉という事?
541 :
世界@名無史さん:03/10/01 13:44
六部よりまともな官制
542 :
世界@名無史さん:03/10/01 20:39
>>538 どういう関係だっけ?
ホウ氏って家柄としてはあんまり良くなかったような・・・
>>540 そうです。
刺史は漢が地方の統治者である太守と諸侯王を監察するものとして、
武帝の時に生まれました。
しかし、三輔等は漢初以来の直轄地であり、
「地方」ではないので刺史の監察範囲に入りませんでした。
一方、司隷校尉は武帝末期、
皇帝さえ巻き込んだ呪詛事件「巫蠱」を取り調べ捕まえる天子の代理人、
いわば秘密警察的なものとして置かれました。
天子の代理人なので権限の及ぶ範囲に制限はなく、あらゆる官を監察し、摘発したようです。
奴隷1200人を兵力として持っていたので「司隷」と言ったようです。
しかし「巫蠱」が終息すると、司隷校尉から兵は取り上げましたが、
権限はそのままに丁度監察者が居なかった三輔等を監察する官と変質したのです。
>542
確か、諸葛亮の妹だか姉だかがホウ家に嫁いだとかじゃなかった?
司馬氏で司馬に就いた物はいねぇが?
>>545 晋書によると司馬懿は軍司馬になったってよ。
だから別部と督義は(ry
548 :
世界@名無史さん:03/10/02 09:30
549 :
世界@名無史さん:03/10/04 00:10
三国史記新羅本紀に出てくる卑弥呼ってあの卑弥呼だよね?
捏造でつ
552 :
世界@名無史さん:03/10/04 10:06
卑弥呼が使者に朝鮮半島通過させられる程
半島に影響力を持っていた事は確かだろう。
俺は卑弥呼=神功皇后だと思うんだがどうかね?
ホウ山民?
分かりやすく諸葛量から法統をみると
姉の旦那の親父の兄弟の子供
っつーことだな
>>539 「司馬」は将軍の軍事担当副官ってとこでしょう。
「別部司馬」は将軍に所属する部隊のうち、将軍と同行しないいわば別働隊の指揮官。
多分「司馬」と同等ではないかと。
で、「督義司馬」なんですが、
こっちは続漢書百官志の将軍の条に書いてないので私はよくはわかりません。
ただ、「司馬」クラスの将軍の属官だったんじゃないかと想像。
間違ってるかもしんないのでだれか正解教えて。
督義司馬って張魯以外にいるの?
558 :
世界@名無史さん:03/10/04 21:36
魏に大月氏王が入朝してるとは思わなかった・・・
大月氏はクシャナ朝と考えていいの?
>>557 中央研究院でも引っかからないしねぇ。
『通典』にも載ってない。
任命者の劉焉自身が監軍使者なんて中途半端な身分だからかな
蜀で謚号を贈られた武将について質問。
蒋エンの謚号は、ただの「恭」と「恭侯」のどっちでしょ?(ちくま文庫は前者で記述)
また、帰順の功で謚号を賜ったはずの夏侯覇については記述が見当たらないのだけど、
彼の謚号を知ってる人がいたら教えて下さい。(できればソースも併記希望)
諡号は「恭」で、生前に「亭侯」に封ぜられていたから「恭侯」と称される、だと思うけど。
>>561 いきなり”武将”なんて、何気に三戦廚くさい問い……
諡号の意味をかじれば、すぐわかる疑問だと思うのだが?
ここは東洋史学科または中国文学科以外の学生お断りですか?
スレのテンプレにそう書いてあるなら格別、まるで関係のない学部所属では
謚号の意味解釈を正式に学ぶ機会なんぞありませんぜ…
正式に学ばなければわからんほどのこと?
三戦厨に脊・髄・反・射
567 :
世界@名無史さん:03/10/06 01:55
>>558 本来の大月氏はクシャナ朝ではない。大月氏は滅亡してクシャナ朝にかわった。
しかし、クシャナ朝のことも中国では大月氏と呼んだか、
クシャナ朝が大月氏と名乗ったか、どちらか(おそらく後者)
そういうわけで魏に入朝したのは実はクシャナ朝というのが定説。
>>561 なんか世界史板の小姑にいじめられて可哀相なので
世界史板出身のちに三戦板に転向した漏れが教えてやろう。
562のいうとおりだ。
>>564 俺は東洋史学科でも中国文学科でも無い。つーか理系なのよ、これが。
あまりROMったことが無いんだろうなと思うけど、ご質問は三戦レベルっす。
563は何も分かってないから説明できない
ここはあくまで世界史板なので、
基本的な中国史は理解している事が前提だからね。
確かに後漢までの中国史知らないと三国志正史は全然理解できないっす。
三国志や人物だけに興味があるなら三戦板の方が人多いし、回答も早いよ。
571 :
世界@名無史さん:03/10/07 00:41
>>563 「武将」以外に何て言えばいいんですか?
ふつーに人物でもいいと思うんだけどな
自分の非を認めないところがさらに厨くさいw
うーん。三戦厨いっている人間ってずっといるけどその人厨だと思うんだわね。
うーん。三戦厨も嫌三戦厨も反嫌三戦厨もいると思うんだわね。
無知な三戦厨がおとなしい態度できいてんだから、親切に教えてやるのが
世界史板の度量のでかさだろ。厨だ厨だと騒いでる野師は世界史板の恥部。
厨だ厨だと騒いでる野師を、恥部だ恥部だと騒いでる野師も
世 界 史 板 の 恥 部
なんか幼稚なオウム返ししか出来ないヤシがいるな。
なんか幼稚とかオウム返しとしか煽りしか言えないヤシがいるな。
オウム返しとしか煽りしか
20以上もレス消費するほどの事かと。
とか何とかいいながらまた1レス消費。
585 :
世界@名無史さん:03/10/07 19:17
三戦厨という言葉に脊椎反射するゴミクズハッケソ
三戦厨という言葉に脊椎反射するゴミクズに脊椎反射するブタ野郎ハッケソ
三戦厨という言葉に脊椎反射するゴミクズに脊椎反射するブタ野郎を煽る糞虫ハッケソ
どこまで続くかな?わくわく。
アク禁スレに申請してきました。
ゴミだらけ
593 :
世界@名無史さん:03/10/10 21:00
,,.;;;;;;:_,., ..,.;;;;;γi;;:,,
ノノノ ;:从
((シノ 从从
ノノ) 草g i、(((i、
ノノノノ 从从
( i从 〓〓ノ 〓〓从从从
i、从 -=・=- -=・=- 从从
从 ;;;;;;; | ;;;;;;; |从从
ノ从从 /从从
(人从:|. ヽ . ∨ / |从从人
(人人人 ! ー===-' ! ./从从
ヽ  ̄ ノ i
/ |. l ノ |\
/ \_____/ \
/ _ \
// ̄ ̄(_) |
|ししl_l ( | |
|(_⊂、__) | |
\____/ |
この呪いのAAを見たあなたは、必ず禿げます。
この呪いを解くにはこのAAを必ずどこかのスレに貼らないといけません。このAAを見た瞬間に呪いにかかります
age
595 :
世界@名無史さん:03/10/10 23:20
俺がアク禁食らってる間に完璧クソスレと化してるな・・・
公孫氏の朝鮮半島への影響力についてでも語ろうぜ。
それなら、毋丘倹について語ろうぜ
597 :
世界@名無史さん:03/10/11 00:22
毋丘倹っていっぺん公孫淵に負けてなかった?
598 :
世界@名無史さん:03/10/11 01:18
毋丘倹って、高句麗を壊滅させていっぺん滅亡に追い込んでるよな
魏が満洲・朝鮮に影響力をもつようになったきっかけ。
ちなみにこの時、毋丘倹は司馬懿の子分だった。
599 :
世界@名無史さん:03/10/11 01:30
毋丘倹て、司馬氏専横に逆らって死んだんじゃなかったっけ?
没シュート。てぃり、てぃり、でぃ〜ん!
毋丘倹
603 :
世界@名無史さん:03/10/11 20:11
毋丘倹の司馬師を非難する上奏って、かなり司馬師の悪行を
赤裸々に書いてるよな。
あんなのよく陳寿は正史に載せたよな・・・
しかし、その上奏の中で司馬師の代わりに司馬昭を用いる
ように言ってるのは間抜けだが・・・
司馬昭の方がどうにも極悪だろ。
「ぶ・きゅうけん」「かん・きゅうけん」読み方に二つの説がある。
諸橋大漢和だと「かん・きゅうけん」の方が正しい。
でも歴史学者のかいた本とかでは「ぶ・きゅうけん」とルビがある方が多い。
「ぶ」と読むのは「母」(ぼ)の類字、「かん」と読むのは「貫」のカンムリとみている。
訂正
×「ぶ・きゅうけん」「かん・きゅうけん」
○「ぶきゅう・けん」「かんきゅう・けん」
「かん」で確定ではなかったか
晋書音義だと「ぶきゅうけん」なんだよね。
608 :
世界@名無史さん:03/10/12 19:45
母丘倹ではダメなんか?
公孫度も「こうそん・ど」と「こうそん・たく」と二つあったよーな。
呉音と漢音?
夏侯惇は?
袁術は?
曹植も「そう・ち」と「そう・しょく」とあるけど、だいぶ前に漢詩の先生に聞いたら「しょく」の方は「職」に通じていて字の「子建」に対応するから「しょく」の方が適切ではないか?
・・・との事。
なんだか日本語で説明されてもなー、とは思ったが言わないでおいたw
尉仇台も「いきゅうだい」と「うつきゅうだい」と二つ。
毋丘倹の場合は、そもそも毋の字がまったくちがう二つの文字のうちどっちだ?
って話だから読み方がどうのという話とはちょっとちがう。ってことだろ?
>>615 ま、空気はともかくさ。
>>615 言うとおり。
『晋書』の「校勘記」に、
「”毋”の音は”貫”であり、”無”ではない」
ってある。
毋丘音無 正文改作「毌丘」、「毌丘」乃複姓。毌音貫、不読無。
ユニコード27596文字鏡016722
諸葛孔明みたいに、
字と名を並列して呼ぶのは間違ってるそうですが、
その所以は?どこに書いてあるんでしょうか?
田中芳樹の本
>>620 並列されてないじゃん。
それに名と字を並べて書くのは間違いじゃないけど、呼ぶのは間違いだぞ。
623 :
世界@名無史さん:03/10/15 13:32
晋書の注で一番有名なのって誰?
劉備玄徳みたいに、
字と名を並列して呼ぶのは間違ってるそうですが、
その所以は?どこに何ていう本に書いてあるんでしょうか?
それが知られるようになったのは、わりと最近のことだと思うのですが。
え?情報ソースは田中氏のみなんですか?
確かほかにもあったと思ったが
まあ実際、名と字を一緒に呼ぶのはアレなわけだからな。
それを執拗に主張してウザがられたのが田中芳樹ってことだ
>>624 全然最近の話じゃないし。
最近のことだと思った理由は何?
田中の功績の訳がない。
田中芳樹以前に高島俊男が「三国志人物縦横談(三国志きらめく群像)」で主張しています(但し根拠不明)。
田中芳樹の名前を見るだけで吐き気がする。
田中芳樹
『礼記』
635 :
世界@名無史さん:03/10/16 14:25
曹操って曹操と曹徳の二人兄弟?
>>633 ぅぉぇっぷ
〃⌒ ヽフ
/ rノ.
Ο Ο_);:゚。o;:,.
田中芳樹
>>637 /◎)、_______∠l /:::: ヽ ´.;∴.;..``:;": :´; `"∴;":
ヾ | 「....;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|/:::::: ヽ .; "∵: .;": ::″: ; .;".;
⌒ー/| \___;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|::::::: ○ ○ | .;".;":: :.;".; ` ;..``:.;`;
/´⌒ヽ_____\ ̄ ̄|::::::::: | ; "∵;": ::″.;":: :.;".;":
ノ ! ヲ=℃/ ̄ |:::::::::: | ̄ ̄| | ・ ,´ ;: ;` ::.;".;"
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|:::::  ̄ ̄) ̄ \:::::::::::::: |____| / / ̄ ̄/ ___ \
|::::  ̄ ̄) ヽ:::::::::::::::: / ヽ / / _/
639 :
世界@名無史さん:03/10/17 21:23
曹騰って宦官なのに帝号を追尊されてるね。
もしかして他にはそんなヤツいない?
だったらすげえや。
曹操の祖父だからな
641 :
世界@名無史さん:03/10/19 18:46
東 平 靈 王 徽 , 奉 叔 公 朗 陵 哀 侯 玉 後 .
魏書の記述だけど、曹操の子の曹徽が叔公朗陵哀侯玉の
後を継いだと書かれている。
この玉は曹操の弟かな?
642 :
世界@名無史さん:03/10/21 20:36
田中芳樹
最近になって、何故に>2で>1が謝っているのか理解できたよう。
644 :
世界@名無史さん:03/10/22 22:50
揚
645 :
世界@名無史さん:03/10/23 00:35
哀侯などと謚を奉られてる事から父親と一緒に殺されたのかもね・・・
献帝奉戴まで生きてれば何らかの官職与えられてただろうし。
安民のお父さんて誰?
647 :
世界@名無史さん:03/10/24 20:15
曹操の弟だろうな・・・
曹操は155年生まれだから
安民が死んだ197年には42才。
元服した子を持つ弟がいてもおかしくない。
揚
曹操のオヤジが殺された時、一緒に殺された弟いたよな。
そいつが安民のオヤジかもな。
曹操の父、曹嵩と一緒に殺されたのは曹徳、だそうだ。
で、曹操の息子の均が叔父彬、徽が叔父玉の後を継いだ事になってる。
この徳、彬、玉が曹操の弟という事になるのかな?
(彬、玉のどちらかは徳と同一人物かもしれないけど)
そして安民はこのどれかの息子かな?
なんでこんなに弟の記事が少ないんだろう?居たのは確かなのに。
>650
二弟ともに、跡継ぎが曹操の息子ってことは、二弟ともに早世だったんじゃないですかね。
となると名前が出てる中で安民の父の可能性が高いのは徳だね。
しかし、曹操の弟やその息子達で活躍した人物はおらんですねぇ。
一番有名なのが安民じゃぁ・・(笑)。
654 :
世界@名無史さん:03/10/26 23:09
陳宮ってなんか魅力あるなぁ。曹操の成長を見届けた人って感じで。
655 :
世界@名無史さん:03/10/26 23:16
陳宮はそこそこ能力のある人物だったのかな?
ただ、呂布と組んだあたりからおかしくなっているような気がする。
656 :
世界@名無史さん:03/10/27 06:45
曹操は罪の無い徐州の民を大虐殺した悪魔です。
ヒトラーや東条英機より最悪です。
この様な残虐な人物が再評価されたり
漫画の主人公にされるなど有り得ない話です。
あなた達は何故、彼の功績だけを評価して
この虐殺から目を背けるのですか?
曹操の父、母、弟、妻(丁氏)の記録ってやけに少なくない?
>>656 どこかで見たことがあるコピペだな
自称「人権派」のかたですか?(嘲笑)
766 無名武将@お腹せっぷく 03/10/27 06:45
曹操は罪の無い徐州の民を大虐殺した悪魔です。
ヒトラーや東条英機より最悪です。
この様な残虐な人物が再評価されたり
漫画の主人公にされるなど有り得ない話です。
ウヨ厨は何故、彼の功績だけを評価して
この虐殺から目を背けるのですか?
ヒトラーと東条を並べるようじゃ、歴史知らんよなぁ(笑)。
>>657 やはり皆、何をした、というほどのことをしていないからでは。
662 :
世界@名無史さん:03/10/27 22:03
>>657 だって、曹操の祖父って、……ということで、描きづらかったのでは。
陳琳が、祖父・曹騰や父・曹嵩を罵った記憶もあったのかも。
663 :
世界@名無史さん:03/10/27 22:07
宦官の養子が曹操の父
>>657 丁氏は子がないし記述が少しでもあるだけマシでは?
そういえば曹嵩も曹操も正妻は丁氏なんだよな。
丁儀と曹操の娘の縁談が曹丕のちょっかいで破談になったって話もあるし、、、
曹操の妻丁氏って、三国志本文ではほとんど存在消されてるよね。
まあ廃されたということで仕方ないのかもしれないけど。
667 :
世界@名無史さん:03/11/01 00:36
曹操の子の曹宇は232年に燕王になってるな。
公孫淵が燕王を称すると、燕王が二人いた事になる。
子の曹奐が皇帝になると何て呼ばれたんだっけ?
確かその頃まだ生きてたはず。
字彭祖ってのは800才以上生きたという仙人の名だな。
大将軍にもなってるし、意外に傑物だったのか?
燕王宇は皇帝並みの避諱とか、特別な待遇はあったみたいだけど燕王のままみたいだね。
死亡の記事が見つからないんだけど、没年不詳?
とりあえず魏晋禅譲まで生きてたみたいだ。
>>667 燕といっても、曹宇の封じられた燕は黄河南岸に存在する
燕(延津と烏巣の中間あたり)の事だよね?
春秋期における南燕のはずだし、まぁ、燕王が二人いる、といえば
いえるけど……
670 :
世界@名無史さん:03/11/01 13:42
>>669 何故そういえるの?
どっかに記述があった?
ところで、曹宇は曹叡とともに育ったらしいが、もしかすると
曹叡より年下だったかも知れない。
とすると、やはり敬意を持って叔父扱いしなきゃいかんのだろうか?
礼儀に厳しい国だけに。
公孫淵の燕王は自称だよね?
燕王がかぶってても不思議じゃないと思うけど。
>>670 説明不足ですまなかった。
封地は単なる推測。
ただ、曹氏の皇族が封じられた地がエン州に多いってことや、
燕の前の封地だった単父もエン州に存在するし、なんとなくで。
そういえば、燕は任城や陳留などとも近いね。
>>672 燕王宇の子にして皇帝となった常道郷公(元帝)の封地は、
安次県にあるそうです。
で、安次県は少なくとも後漢では広陽郡(燕国)内にあります。
父の領地から分家した常道郷公が幽州の燕にある以上、
父燕王宇の領地も幽州の燕にあったんじゃないかと思います。
南燕と北燕
age
676 :
世界@名無史さん:03/11/02 00:19
話が逸れて申し訳ないのですが、諸葛亮の第一次北伐の際、街亭で敗れている訳ですが、なぜあんな北方に先鋒軍を送ったんでしょうか?
演義の様に、重要な補給線だった訳ではもちろん無いでしょうし。
また、仮に街亭で勝利していたとしたら、諸葛亮はその後、どのような戦略を考えていたと思いますか?
街亭の戦略的位置付けを考察した書物とかが少ないのでその辺りが分からないんですよね。
自分としては、天水・南安・安定の三郡の連絡線の中継点で、特に街亭が落とされると安定への連絡が難しくなり、安定を奪回される可能性があったからなのかな?
と妄想しております。兵力の少ない蜀漢軍が寝返ってくれた諸郡を見捨てると、その後の寝返りが期待できなくなりますから。
街亭勝利後の諸葛亮の戦略構想については、寝返ったロウ西諸郡の確保・維持を基本に守勢に回ったんじゃないか、と考えますが。
長文、申し訳ありません。
677 :
世界@名無史さん:03/11/02 01:41
孔明は涼州をまず蜀の物にする算段だったんだろ。
普通の戦略家ならそこから始めると思うが?
疑問点なんかあるのか?
天水から渭水沿いに東行すれば街亭に至る。
当然長安に入った魏の明帝に命じられた張コウの軍と
遭遇するのはちょうどその辺りになるだろ。
679 :
世界@名無史さん:03/11/02 10:35
>678
街亭の位置については、渭水からかなり北方に位置するとされているので、悩むのですよ。
天水から渭水沿いに東行した場所であれば、おっしゃる通りで、悩みません。
>>676 自分の拙い説明で納得いくかは疑問ではあるが…
まず、諸葛亮が街亭へ派兵した理由としては、長安から進撃してくる
張コウの軍勢の西進を阻止、という事で間違いはない。
当時の情勢をみると、諸葛亮は安定、天水、南安の三郡に次いで
隴西郡の制圧を試みていて、西方の制圧を確固とするまでは時間を
稼ぎたかったというのが真相に近いんではないかな?
そのためにわざわざ趙雲を別隊として派遣し、曹真への陽動として
いたのだと思う。
というのも、郭淮が南安郡北西部の上ケイに篭もって抵抗を続けていて、
さらに隴西郡でも郡太守の游楚や涼州刺史の徐バクが抵抗していて、
制圧にはいましばらく時間がかかるため、西進してくる張コウの援軍の
来援は非常に都合が悪かったのだと思うよ。
諸葛亮自身は、南安郡の中央にある西県を拠点として、策源地として
いたようだね。
んで、なんで街亭がその迎撃点として採択されたかというと、なんでも
当時の街亭の南方は隴山の大森林が展開していて、大軍の通行にも
ひどく不便だとかで、ここを扼せば大軍の通行を阻止できる重要地点
だったようだ。
あと、街亭はちょうど天水と安定の郡境に位置していて、渭水の流域と
いうよりは離れた地点にあって、天水から東行しても、陳倉を過ぎた地で
北方に向かう流れに沿って北上しないといけないね。
長文でうざいうえ、まとまりわるくてすまないね。
すまんです。
>>680の
>郭淮が南安郡北西部の上ケイに篭もって
のとこ、北東部の誤りですた。ごめん。
>680=681氏、丁寧な解説、ありがとうございます。
なるほど、時間稼ぎですか。街亭を境として、関中を東西に分断しよう、ってコトですね。
つまり、現状ではあれ以上東進する予定は当面無かったと言うコトですね。
街亭が地形的に険阻な場所で、当面は魏の中央軍の阻止が目的と言うコトで馬謖でも充分に担えたと思ったんでしょうかね。
防衛なら、経験不足の馬謖でも出来るだろうと。
683 :
世界@名無史さん:03/11/05 23:41
陸遜の軍才ってどう思う?
演義で描かれてるような天才的戦略家とは思えないんだが・・・
演義はよく知らんが呉ではトップクラスだろ
685 :
世界@名無史さん:03/11/07 03:42
曹宇って張魯の娘娶ってるね。
曹奐からすると張魯は外祖父か?
>683
演義と比べたら誰だって見劣りすんだろ、いい意味でも悪い意味でも。
>683
演義での描かれ方が天才的戦略家というほどの物とも思えないのだけど、
具体的にはどういう部分が演義より見劣りすると思うの?
688 :
世界@名無史さん:03/11/07 14:45
演義だと何か敵の心理とかを全部お見通しな感じでしょ。
でも実際は劉備の戦術ミスにつけ込んで勝った以外は
これといった目立った軍功は無いし。
蛮族の平定には活躍したらしいけど、そんなの他の部将
でも十分できる事だし。
>>688 山越は呉にとって大問題だったんだが。
あと、曹休にも勝ってるだろ。
>>688 劉備の心理も曹丕の心理もお見通しだったろ。
関羽の心情もお見通しだったな。
・・・・・・演義以上じゃねぇか!
691 :
世界@名無史さん:03/11/08 00:29
曹休を討ち取った訳でなし・・・
魏の領土を寸土も奪った訳でなし・・・
孔明の方が張コウは討ち取るは、一時的にせよ
涼州諸郡を勢力下に置いたり軍事成果は上げてるような?
軍事最高顧問なら遼東遠征にしてももうちょい的確な戦略が
建てられたんじゃないかな?
ま、陸遜は荊州方面の軍司令官だからおかど違いかも知れないが・・・
>孔明の方が張コウは討ち取るは、一時的にせよ
>涼州諸郡を勢力下に置いたり軍事成果は上げてるような?
一時的じゃ意味ねーよ。
693 :
世界@名無史さん:03/11/08 01:32
呉と蜀、どちらが北伐に有利だった?
695 :
世界@名無史さん:03/11/08 08:39
>688
石亭の役は魏軍10万、呉軍6万の大会戦で、魏軍は1万以上の戦死者を出してる。
死者1割なら、その数倍は被害に遭っている訳で、魏軍大敗と言って過言ではないよ。
しかも、曹休は曹操にも認められた有能な将領だから、陸遜の実力は大したもの。
>693
蜀の北伐は補給路の関係で攻めづらく、呉は蜀よりは進攻しやすいが、逆に魏側も兵力を展開しやすいので、どっちが有利かは微妙。
まぁ、蜀、呉ともに守りやすいってのが売りだから、仕方ないのかもしれんが。
遼東遠征も的確な助言をしていると思うが。
劉禅は孔明のいうこと何でも聞いてくれたけど、孫権は誰の助言も聞かないしな・・・(顧雍と
諸葛謹除く)
曹休も結局、敗戦のショックで病死してるし
697 :
世界@名無史さん:03/11/08 12:45
周瑜と比べるとどうも地味だよな・・・
積極策をあんまり打たない軍人で面白みがない。
魏に勝ったのだったら、徐盛や諸葛恪でも勝ってるんじゃない?
息子の陸抗の方が軍人としての資質はあったような・・・
個人的には政治家の方が向いてると思うよ。
求賢令の「嫂と密通したり賄賂を取ったりした者でも才能が有れば用いる」って部分を
「曹操は法律を軽視している」って言ってる香具師がいたんだがどう思うね?
699 :
世界@名無史さん:03/11/08 14:49
嫂と密通したりってのは陳平のような人材が欲しいって事だろ。
「盗嫂受金」とは699のとおり陳平を謗った言葉。
陳平が漢に来たばかりの頃、
周勃、灌嬰などは彼の密通と、
彼が金を沢山くれた将を良い所に配置し、少なかった将を悪い場所に配置したことを言っている。
で、密通は道義的に問題でも当時法的に問題だったのか、ということになる。
法的に罰せられる事でなければそもそも「法律軽視」とは関係無い。
「受金」も、よく読むと多くの将が金を贈っていたことになる。
これも必ずしも金品授受が犯罪行為だったわけではない事を示しており、
(周勃らはこれを暴露しているが、もし金品授受が犯罪なら多くの将達も同罪で、
漢軍にとって大事件の筈)
こちらも道義的、人格的な欠陥を指摘したものだと言える。
要するに、「盗嫂受金」は「才能があれば『道義的に』欠陥があってもいいから」という意味であり、
法律うんぬんとは関係無い。
それをもって曹操が法律を軽視しているというのは誤読ということになるのではないだろうか。
原文だと「今天下得無有被褐懷玉而釣于渭濱者乎?又得無盜嫂受金而未遇無知者乎?」の後半だな。
要は太公望や陳平のように身分が卑しかったり悪評の有る人物でも遠慮無く推薦しろ。って意味で
法とは全然別の問題だと思われ。
たしか官吏を取り締まる専門の官職があったよな。校事とかっていう
703 :
世界@名無史さん:03/11/09 03:16
陸遜は孫権が足を引っ張りすぎた為に晩年の活躍が光らなかったのが
地味な印象を与えるんじゃないだろうか?
呉でもトップクラスの大豪族になってたから、孫権が疎ましく思ったのも仕方ないのか。
呂布と並んで伝が立てられている「ゾウコウ」(←字が出ない)が印象に残ってるなー。
凄まじいカニバリズム描写もあるし。
>>697 >魏に勝ったのだったら、徐盛や諸葛恪でも勝ってるんじゃない?
徐盛は曹丕を退却させただけ。
諸葛恪の勝利は丁奉の活躍によるところが大きいし、何より陸遜には無い大敗がある。
むしろ、陸遜同様、戦術を用いて魏を破った朱桓は、戦術家として高く評価されてるよ。
>政治家の方が向いてる
実際丞相だったのだから、向いてるという言い方はどうかと思うが。
確かに政治面の方が貢献度は大きいと思う。
諸葛亮と違って、守勢に徹することができたのは運がいいというかなんというか。
707 :
世界@名無史さん:03/11/10 00:13
陸遜はそんでも軍人として傑出してるとは言えないんじゃない?
劉備の油断に乗じて勝ったのと曹休に勝ったのってそんなにすごいか?
曹操じゃなくて曹休に一勝だけって・・・
自慢にならないよ。
油断に乗じるのがどんなに難しいか判ってて言ってるのやら
709 :
世界@名無史さん:03/11/10 02:42
相手が油断してたら難しくないだろ。
710 :
世界@名無史さん:03/11/10 03:12
陸遜は過大評価されすぎ。
711 :
世界@名無史さん:03/11/10 07:45
曹休って演義の影響で無能っぽいイメージがあるけど、曹操に評価されて、漢中攻防戦の時、実質的な指揮官として、呉蘭・雷同を討ち取って、張飛・馬超を敗走させてる。
劉備の時だって、劉備が油断してたと言うより、作戦ミスなんだが、それに乗じるタイミングは非凡だと思うよ。
>>712 参軍で参加してるよ。
で、曹洪は曹休に全権を任せてる。
>>709 相手が油断してる状態なのかどうか正しく認識できるのは非凡といってよいだろう。
715 :
世界@名無史さん:03/11/10 18:14
夷陵の戦だけで評価決めすぎ。
専守防衛だけなら陸遜じゃなくてもできるし。
716 :
世界@名無史さん:03/11/10 18:32
>715
石亭も勝ってるな。
その他、荊州奪取も関与してる。
234年の攻勢でも、呉軍で数少ない勝利をあげてるが。
充分有能だと思うが。
有能な将領は奇跡的な勝ち方をしなきゃならん様な状況に陥らないから、派手な戦果を揚げないよ。
陸遜に限らないだろうけど。
夷陵だけなんて誰も言ってないはずだが。
718 :
世界@名無史さん:03/11/10 21:06
石亭は相手が曹休じゃん。
曹休に勝っても有能って事にはならない。
そんな甘い評価してたら、劉備を裸一貫から蜀の主に
までのし上がらせた孔明の軍才は陸遜の何倍にもなる
って事になるぞ。
よーく考えような。
720 :
世界@名無史さん:03/11/10 21:19
何で?
劉備の荊州攻略や蜀平定、漢中平定には孔明の献策が
大きな役割を果たしていたはずだが?
自身で兵を率いて南方を平定して信服させ、魏と
戦っては互角以上、名将の張コウまで討ち取ってますが?
こんな孔明でさえ凡将とする人間が多いのに、何故陸遜が
名将とされる事に疑問持たないの?
ま、有能な将軍ではあったと思うが過大評価されすぎだと
思うね。
721 :
世界@名無史さん:03/11/10 21:37
飽きた
722 :
世界@名無史さん:03/11/10 21:38
>>720 演義の影響受けすぎ。
挙がってる事例のうち、孔明の功績に帰する事が出来るのは南方平定くらいのもんだろう。
何やら痛い演義厨がいますね
ネタじゃない?
釣りでも楽しんでんのか、真性のアフォか。
専守防衛って、呉が何回魏と戦ったのか解ってて言ってんのかね。
軍事面では劉備にまったく信頼されてなくて、死後ようやっと軍権を掌握出来るようになった
孔明に関して、なんか勘違いしてるようだし。
726 :
世界@名無史さん:03/11/10 22:00
孔明が劉備の最大の参謀であった事は正史からも明らかだろ。
じゃ、荊州攻略と蜀平定は誰の力なの?
漢中平定と防衛は全く孔明の与り知らぬ所なの?
張コウを討ち取ったのまで他人の手柄というか・・・
他人の説の受け売りはいいけど、きちんと自分の頭で考えような。
727 :
世界@名無史さん:03/11/10 22:04
誰がなんと言おうと
孔 明 は 凄 い 人 で す 。
728 :
世界@名無史さん:03/11/10 22:07
>>726 >じゃ、荊州攻略と蜀平定は誰の力なの?
主 に 龐 統 と 法 正 の 力 で す 。
729 :
世界@名無史さん:03/11/10 22:12
>>728 ホウ統が荊州攻略に関与できる度合いが孔明より上とは思えないが?
法正は内通したんだから功績あるだろうけど、諸葛亮伝にも張飛・
趙雲とともに蜀の郡県を平定したと書かれているじゃん。
何で不当に孔明の功績を無かったことにしたいの?
730 :
世界@名無史さん:03/11/10 22:23
>>729 不当に無かったことにしてる訳ではなく、劉備存命中は本当に軍事的功績は少なかったんだよ。
そもそも、孔明の本分は政治であって軍事じゃない。
731 :
世界@名無史さん:03/11/10 22:34
自ら軍を率いた事は少なかったにしろ、
軍師将軍なんてのに任命されてるのに軍事的功績が
ほとんど無かったなんて言い過ぎじゃねーか?
記述がないから功績がないという訳じゃない。
普通に正史読めば孔明が劉備の戦略に果たした役割は
過小評価すべきじゃないと分かると思うが。
イタイ
ageてるのはネタだからだろ。
孔明の力量は、あれほど無理な北伐を重ねていたにも関わらず
国内の政治経済をビクともさせなかったことから見ても判るように
本領は「政治」。
>記述がないから功績がないという訳じゃない
それ言ったら全ての歴史は妄想で語れる罠。
第一、陳寿ほどの孔明マニアが彼の功績を書き漏らすはずもない。
734 :
世界@名無史さん:03/11/10 22:44
>>731 孔明の役割を過小評価してる訳じゃない。
あくまで軍事面に限ってはさほどの功績が無かったし、劉備から特に信任を受けてた訳でもないと言ってるだけだ。
自ら軍を率いた事は少なかったにしろ、
輔呉将軍なんてのに任命されてるのに軍事的功績が
ほとんど無かったなんて言い過ぎじゃねーか?
記述がないから功績がないという訳じゃない。
普通に正史読めば子布が孫権の戦略に果たした役割は
過小評価すべきじゃないと分かると思うが。
いや、まぁ、「戦略」面なら諸葛亮も張昭も、ね。
737 :
世界@名無史さん:03/11/10 23:00
>>733 何で孔明に軍才があるって書いただけでネタなの?
孔明なればこそ無謀とも思える北伐をあそこまで持続
できたんだろ。
むしろ国内の政治は各地方官や成都の官僚に任せていた感じだが?
功績にしても蜀平定にちゃんと従軍して功績立ててるじゃん。
軍師将軍という職名からしても軍事能力を期待されてたのは明白。
>>734 魚が水を得た如くと言われながら、大して信任されてないというのは
どういう事なんだ?
発想が全くわからん。
どうせ誰かの受け売りだろ?
>軍師将軍なんてのに任命されてるのに軍事的功績が
ほとんど無かったなんて言い過ぎじゃねーか?
中国は文民統制が原則ですので、文官でも将軍位につけるわけですが・・
例えば伊籍は昭文将軍ですが、
彼に何か軍事的功績はあったのでしょうか?
後、刺史で将軍を兼ねるケースが多い事(晉代になると更に一般化し、刺史で将軍を兼務しない
者を特に「白板」と呼ぶなどしていた・・宮崎市定『九品官人法の研究』)も多いのですが、これも
あなたの意見からすればおかしいことになりますが、それでもいいのですか?
うーん、この人本気だったのか…。
鎮軍大将軍の陳羣はすごい軍事的功績を(ry
>>737 >何で孔明に軍才があるって書いただけでネタなの?
孔明に優れた軍才があると言い張って譲らない人ってのは
それこそ光栄ゲームパラダイス(笑)があった頃、いやそれ以上前から存在してたからね。
何百年前もの中国にだってそういう論があった。
ネタ扱いもしたくなる。
>功績にしても蜀平定にちゃんと従軍して功績立ててるじゃん。
蜀を統治していた劉璋が包囲されているときに、劉璋と分断された蜀の諸郡を他の武将と分担して接収した(原文:分定郡縣)
のどこが功績なのかよくわかりません。また、漢中会戦では従軍すらしていません(諸葛亮伝記載無し)。
>魚が水を得た如くと
どうも、宋版・中華書局本以外のわけのわからんテキストをお持ちのようですね。
どこにもそんな事は書いてありませんが?猶魚の水有るがごときなりとはありますがねw
743 :
世界@名無史さん:03/11/10 23:20
単なる「将軍」じゃなくて「軍師」と冠されている所をよく考えろ。
軍師が軍事と関係なく任命されると思ってるヤツはいないよな?
張昭だ陳群だで揚げ足取ろうとするのは痛すぎる。
孔明は軍事に自信がなければ北伐なんてやろうとは絶対思わないと
思うぞ。
無論、劉備も孔明に軍事の才能がある事を知っていたはず。
孔明を過小評価してるのは近年の論調に流されてるだけじゃないのか?
744 :
世界@名無史さん:03/11/10 23:21
>>737 >魚が水を得た如くと言われながら、大して信任されてないというのは
>どういう事なんだ?
劉備が孔明を歓迎したのは、彼の軍事上の能力を評価してではなく、彼のブレーンとしての能力を評価しての事だったんだよ。
戦術指揮官としての孔明を必要としたのではなく、政治・戦略上のブレーンとして彼を必要とした訳。
だから劉備は戦術指揮官としての孔明には信任を置いてなかったという事だ。
曹操の荀ケに対する信任と似ているのではないかな?
>>737 …ちょっと待て、念のためだ…。
「応変の将略はその長ずる所にあらざるか」って知ってるよな。
知らないとは言わさないぞ。
絶対思わないと思うぞ。
知っていたはず。
>軍事に自信がなければ北伐なんてやろうとは絶対思わない
自信があると能力もあるのか。
>孔明は軍事に自信がなければ北伐なんてやろうとは絶対思わないと
>思うぞ。
ブァッカモーン! 「出師の表」を読んだことがないのか?
自分には才能がない、勝てるかどうかもわからない、
しかしそれでも戦わねばならぬ、私は赴かなければならぬのですと
心中の思いをつらねたあの天下の名文を読んでよくそんな言葉が出るなーっ。
749 :
世界@名無史さん:03/11/10 23:32
揚げ足とりばっかだな。
孔明の軍事の才能に関しては今さらくどくど語るつもりは
ないよ。
お互い自分の主張を絶対譲らないだろ。
話を陸遜に戻せ。
孔明話は終了だ。
劉備は孔明に用兵の才能がある、とは思ってないだろ。
思ってれば荊州を関羽に任せず、孔明に任せたはずだし、入蜀にもホウ統より孔明を優先し
たはず。
なにより夷陵に不参加なのが孔明をアテにしてなかった最大の証拠だ。
まぁ、劉備はあんまり人を見る目がないので、劉備が認めてない=軍才が無いとはならな
いけどな。
>まぁ、劉備はあんまり人を見る目がないので
彼に見出された孔明は何なんだ?
752 :
世界@名無史さん:03/11/10 23:35
何で孔明ヲタって痛いデムパくんが多いのかね?(藁
>>749 どうでもいいけど、まずは正史を読んでからこのスレに参加して下さい。
話にならんので。
754 :
世界@名無史さん:03/11/10 23:36
>>751 劉備が自力で孔明を見出した訳じゃありません(w
反論に対して
>揚げ足とりばっかだな。
としか言えないヤツと歴史上の人物の評価をめぐって議論することほど無駄なことはない。
>お互い自分の主張を絶対譲らないだろ。
お前もわかってるじゃないか。
>>754 ま、それを言ったら曹操も同じだ。
でも人を見る目っていう点では
劉備よりは孔明のほうが確実に劣っていたとは感じるんだよねー。
孔明が蜀の実権を握ってから、益州で優秀な人材の出現がパッタリ止んだのは
偶然ではないのではないかと思う。
曹休に勝つのは大したことじゃない
退却中に張コウ殺すのは凄い
よって孔明>陸遜確定
>>749 陸遜伝を熟読してるなら、話を陸遜に移してもいいけど、今のままじゃ話にならないね。
蜀書って短くて読みやすいぶん、厨房の根拠のない批判やマンセーの対象になりやすいよな
760 :
世界@名無史さん:03/11/10 23:42
>>755 このスレの流れを読んで揚げ足取りのカキコが無かったとでも
いうのか?
wとか(ryとか厨臭すぎる。
所詮、孔明の軍才は大したこと無いっていう近年の論調に
付和雷同してるだけの人間だろ。
こういう話題にしか食いついてこない所が大した知識もない証拠。
>>756 そうだねぇ・・・
劉備は荊州を留守にする時点でミスが多かったけど、あとは及第点かな。
潘濬を上手く使えなかったのは痛恨事だけどね。
>>760 わかった、わかった。
とりあえず、正史から諸葛亮の軍才を証明するような記述を抜き出してくれい。
>孔明の軍才は大したこと無いっていう近年の論調
「近年」w
と揚げ足を取ってみるテスト
その大した事ない曹休に負けた蜀軍って・・・
>>760 揚げ足取りのレスは一切返していませんが何か?
漏れのレスのどの部分が揚げ足取りなのか詳細キボン。
>>760 ・「応変の将略はその長ずる所にあらざるか」という言葉を知っているか
・出師の表を読んだことがあるのか
早く答えてくれ。
この二つを知らないんじゃ、このスレで孔明語る資格は冗談抜きで無いぞ。
767 :
世界@名無史さん:03/11/10 23:56
>>758 話題が出てから熟読してるようじゃダメだろ。
大体石亭の功績も周魴の活躍による部分が大だし、
曹休自身が司馬懿や曹真・郭淮なんかと比べて
そう手強いとは思えないんだよね。
陸遜の魏の住民虐殺に関しての批判もあったと思うが?
>曹休自身が司馬懿や曹真・郭淮なんかと比べて
>そう手強いとは思えないんだよね。
思い込みキター!!
769 :
世界@名無史さん:03/11/11 00:01
>>768 あんまり厨臭いとスルーするよ?
曹休伝も昔読んだけど、そんな有能な軍人か?
諸夏侯曹伝は何か皆名将っぽく書かれてて逆にウソ臭い。
ウソとはいわんが幾分差し引いて見た方がいいんじゃないか?
ま、もっぺん目を通しては見るが・・・
曹真←名将っぽく書かれてて逆にウソ臭い
スルーしてね♪
>>769 主観のみで語るのも充分厨臭いと思うが…
と揚げ足取ってみるテスト
772 :
世界@名無史さん:03/11/11 00:06
当時の軍司令官は軍閥の中の兵士の派閥の長みたいなもんだから
文官と武官とはまったく別の人種とみた方がいいんじゃないかな。
才能・才覚のあるなしの問題じゃなく、文官は武将とはまた別世界。
差し引いて見た方がいいと言いながら
なんで孔明の場合は書いてないことまで「功績があった」って都合よく解釈するの
???
775 :
世界@名無史さん:03/11/11 00:08
>>770 そういうのが揚げ足取りっていうんだよ。
ホント粘着だな。
年いくつだ?
20越えてたらちょっとやばいぞ?
>>771 テストも厨臭い・・・
主観でいいじゃん、2chなんだし。
曹休が司馬懿や郭淮に匹敵すると思われる記述が
あれば書いてくれ。
あったらまた反論する。
>>769 だからどの辺りが揚げ足取りか教えてくれないか?
正直かなり不快なんだが。
曹真が消えた
ここ荒れてるなあ
粘着でいいじゃん、2chなんだし。
780 :
世界@名無史さん:03/11/11 00:14
>>773 魏の皇族や晋の皇族に遠慮して書いてる部分もあるんじゃないか
って事だよ。
実際に立てた功績を基に再評価してみないとな。
陳寿が孔明の軍才を過小評価してるって議論もあったと思うが?
孔明話は粘着がうるさいのでこの辺にしたいが・・・
>>775 >主観でいいじゃん、2chなんだし。
これで
>あったらまた反論する。
こんなこと言われても、誰も相手にしないって。
客観的な論拠もなしで反論しても、そりゃー困るわ。
これは揚げ足取りじゃないぞ。
議論や論証が論理的に成り立つための最低ラインだぞ。
マジレスしたら粘着扱いかよ…やってらんねえな。
784 :
世界@名無史さん:03/11/11 00:19
>>783 別に俺はそんな順位づけしてないがな。
そんじゃ、そのメンツでお前なりに順位づけしてみろ。
話はそれからだ。
>晋の皇族に遠慮して書いてる部分もある
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` ) シバイハ?
>>780 >陳寿が孔明の軍才を過小評価してるって議論もあったと思うが?
キター! お前、ほんっっと〜〜の本当に正史読んでないだろう。
陳寿が三国志正史を上表したあとで
わざわざ自ら著して孔明マンセー文書を晋皇室に献上したことも知らないんじゃないか?
とにかく、いいから答えろって。「応変の将略はその長ずるところにあらざるか」って何?
787 :
世界@名無史さん:03/11/11 00:24
>>786 お前もしつこいな・・・
陳寿以外に孔明の軍才が大した事無いって言ってる同時代
もしくは晋代の人間は他にどういった人間がいるの?
陳寿は孔明の保護者か?
陳寿が一番孔明の事よく知ってるのか?
諸葛亮集が現存していないのは残念だね。
現存していれば、個々がそれぞれ持っている見解もかなり違っているはず…
現存しないのは残念だよ。
>>787 ノォォォォーッ!
コイツマジで本当に知らネェーーッ!!!
>陳寿以外に孔明の軍才が大した事無いって言ってる同時代
>もしくは晋代の人間は他にどういった人間がいるの?
>陳寿は孔明の保護者か?
>陳寿が一番孔明の事よく知ってるのか?
う、ウォォーッ!お前、孔明語る資格ナッシーーング!!!
しばえんがしょかつりょうまにあだったとか
これだけ電波を発してまだスレが機能しているのは世界史板の治安が良い証拠だな
792 :
世界@名無史さん:03/11/11 00:32
>>789 お前バカだろ?
こういった話題の時だけここぞとばかりに
しゃしゃりでやがって・・・
誰の本読んだらそんな自身満々になれるんだ?
教えてくれや。
あと、その文体で20越えてたらリアルでやばいぞ。
まあ正史を読まずに適当な答えではぐらかしてるのは明白なわけだが
まあ>789がジョジョヲタだと言うのも明白なわけだが
>>792 お前バカだろ?
こういった話題の時だけここぞとばかりに
しゃしゃりでやがって・・・
誰の本読んだらそんな自身満々になれるんだ?
教えてくれや。
あと、その文体で20越えてたらリアルでやばいぞ。
>誰の本読んだらそんな自身満々になれるんだ?
陳寿の本だと思うんだが・・・?
逆に792は一体何を読んだのか知りたい。
796 :
世界@名無史さん:03/11/11 00:38
>>789=794
お前は三戦板で孔明について熱く語ってろ。
ま、俺は孔明について専門書を読んだ訳でもないから
孔明に関する知識はお前が上かも知れない。
だけど、お前は明らかに厨房。
それが分からなければ真性だ。
大体、孔明について今さらぐちゃぐちゃ語る事自体が厨臭かった・・・
もう孔明についてはレスしないよ。
語りたい人がいれば語ってくれ。
ははは。自分に批判的なレスを一人の仕業にまとめたい気持ちはわかるよ。
諸葛亮が言ったとされる発言の中では、
董和伝に出てくるのが好きだな…その人らしさが出てるって言うか…
うまく表現できないけど…
てか、今のテーマの外れてるね。 スマン。
蜀って司徒と丞相が両立してるよね?
しかも司空も太尉も御史大夫も居なくない?(居るならスマン。教えて)
どうゆう官制なんだろう。
>>798 逆に李厳弾劾の部分ででてくるヤシはちょっと執拗で怖い感じがするな。
ごめん、俺789だけど794はマジで知りません(w
>ま、俺は孔明について専門書を読んだ訳でもないから
…このスレに何しに来たの?
正史は一万歩ぐらい譲って読んでなくても、
出師の表を読んでないのはやばすぎないか。
横山光輝の漫画にだって載ってるのに。
>>801 「李平は卑しい根性で…」て読むとはちょっとね…
同意です。
807 :
世界@名無史さん:03/11/11 00:51
(w ゲラ ヒソヒソ テスト
こういうのは三戦板でやれよ・・・
しかし、孔明の話題になると厨が大量に発生するのが
よく分かるな。
>>807 正史を読んだわけでもないし、横山光輝や吉川英治でもないし、光栄でもないし、
いったいどこで三国志に触れたのか知りたい。人形劇?
>>800 ちくまの巻末官職表だと太尉はいたことになってる、
ソースはおそらく甘皇后伝の最後の「臣請太尉告宗廟」って部分じゃないかな?
811 :
世界@名無史さん:03/11/11 01:03
>>809 つまらん煽りだな・・・
一応正史は原文で読めるが?
どうせ、孔明の話題に脊髄反射で現れたニワカだろ?
ま、他の話題でもその元気を忘れるなよ。
>>810 ほんとだ。ありがとう。でも誰か不明だよね。
記録に残らなかっただけで居たのかな・・・。
でも、丞相と司徒が両立してた時点で不思議。
董卓が三公をそのままで相国になったのを思い出す。
813 :
世界@名無史さん:03/11/11 01:06
許靖が司徒だったんじゃないの?
>>811 >一応正史は原文で読めるが?
「応変の〜」知らないのに?
>>811 >一応正史は原文で読めるが?
訳して下さい
已 質 表 舞 矢 繍 死 失 早 觀 呂
後 ` 合 陰 所 降 ` 天 圖 劉 布
不 以 ° ` 中 ` 從 下 之 備 襲
復 至 公 繍 ` 既 子 之 ° 有 劉
敗 於 謂 將 長 而 繍 心 └ 雄 備
矣 此 諸 騎 子 悔 領 ` 公 才 `
° ° 將 來 昂 之 其 不 曰 而 取
└ 吾 曰 鈔 ・ ` 衆 可 ┐ 甚 下
遂 知 ┐ ` 弟 復 ° ° 方 得
還 所 吾 公 子 反 二 └ 今 衆 °
許 以 降 撃 安 ° 年 張 收 心 備
° 敗 張 破 民 公 春 濟 英 ` 來
° 繍 之 遇 與 正 自 雄 終 奔
諸 等 ° 害 戰 月 關 時 不 °
卿 ` 繍 ° ` ` 中 也 為 程
觀 失 奔 公 軍 公 走 ` 人
之 不 穰 乃 敗 到 南 殺 下 説
` 便 ` 引 ` 宛 陽 一 ` 公
自 取 與 兵 為 ° ° 人 不 曰
今 其 劉 還 流 張 濟 而 如 ┐
もともと丞相と司徒ってまったく別の役職だろ。
それがいつの間にか三公筆頭の名称とその別名になっただけで
手許の本だと魏も末期は相国と司徒が並立してるようだし
ずれたな…失敗失敗
>>811 >一応正史は原文で読めるが?
いくらなんでも釣りだろう
もうだめだこのスレぁ。
>>816 漢の官制の歴史では全く別では無いと思うので、不思議なんですよ。
丞相が改称したのが(大)司徒なので。
両方あると事務分掌とかどうなるんだろう、とか思うのです。
どっちかは名誉職みたいなモンかな。
例えばガンオタが語り合ってる場所で
「ジークジオン」って何?って聞いて答えられない奴に
「俺はファーストガンダムをリアルタイムで見た」
って言われたような衝撃
822 :
世界@名無史さん:03/11/11 01:13
>>818 おいおい、自分が読めないからってひがむなよ。
みっともない。
>>815 解読不能だ。
ずれすぎ。
>>822 「応変の将略はその長ずる所にあらざるか」
>一応正史は原文で読めるが?
824 :
世界@名無史さん:03/11/11 01:17
>>819 二日もすれば孔明の話題しかできないヤツは枯死するから安心しろ。
>>820 だろうね。蜀の場合は許靖の太傅→司徒が名誉職だろうけど、
魏末から晋のころはもう三公九卿全体が名誉職でどっちがどっちってこともないんだろう。
>822
もしかして物凄くバカにされてることにすら気づいてないんじゃ…
已 質 表 舞 矢 繍 死 失 早 觀 呂
後 ` 合 陰 所 降 ` 天 圖 劉 布
不 以 ° ` 中 ` 從 下 之 備 襲
復 至 公 繍 ` 既 子 之 ° 有 劉
敗 於 謂 將 長 而 繍 心 └ 雄 備
矣 此 諸 騎 子 悔 領 ` 公 才 `
° ° 將 來 昂 之 其 不 曰 而 取
└ 吾 曰 鈔 ・ ` 衆 可 ┐ 甚 下
遂 知 ┐ ` 弟 復 ° ° 方 得
還 所 吾 公 子 反 二 └ 今 衆 °
許 以 降 撃 安 ° 年 張 收 心 備
° 敗 張 破 民 公 春 濟 英 ` 來
° 繍 之 遇 與 正 自 雄 終 奔
諸 等 ° 害 戰 月 關 時 不 °
卿 ` 繍 ° ` ` 中 也 為 程
觀 失 奔 公 軍 公 走 ` 人 c
之 不 穰 乃 敗 到 南 殺 下 説
` 便 ` 引 ` 宛 陽 一 ` 公
自 取 與 兵 為 ° ° 人 不 曰
今 其 劉 還 流 張 濟 而 如 ┐
これでどうだ?
普通に横書きでいいじゃん
出師の表くらい読んでくれ…丞相が草葉の陰で泣いている。
832 :
世界@名無史さん:03/11/11 01:25
>>826 バカに馬鹿にされても全く悔しくないんだよ。
分かるかい?
>>827 ...気持ちはよく分かるけど、ここで原文を読めるかテストするのは無意味だよ。
原文で読めることは、すばらしいことだし俺も読めるようになりたいけど…
むしろ、何の歴史書を読むにしろ、読んで得た知識から自分のためになるものを
探すほうが、より有効なんじゃないかな?
>>832 >一応正史は原文で読めるが?
「応変の将略はその長ずる所にあらざるか」
>>832 いや、だって、>一応正史は原文で読めるが? で諸葛亮の評も知らないわけだし…
読めることと理解できる事は違うから。
読めねんじゃん。
838 :
世界@名無史さん:03/11/11 01:34
>>832 陳寿の評なら百も承知だけど、他に何かあんの?
839 :
世界@名無史さん:03/11/11 01:35
飽きた
サンドバッグ終了
843 :
世界@名無史さん:03/11/11 01:41
どうでもいいが、何でsageてるヤツばっかなの?
やっぱ厨レスしてんの自覚してるからか?
>316 世界@名無史さん New! 03/11/11 01:42
>何でこの板はsageてるヤツが多いの?
マルチ
845 :
世界@名無史さん:03/11/11 02:00
846 :
世界@名無史さん:03/11/11 02:30
孟獲って華陽国志によると御史中丞になってるね。
まさか、成都で官僚として働いてたのか?
>>787 遅レスだが、ハッキリ言って、陳寿が一番孔明の事をよく知っている。
ちくまの正史蜀書の巻末を読んでみてくれ。訳者の解説があるから。
848 :
世界@名無史さん:03/11/11 07:04
>800
そうですね、許靖が司徒でしたっけ?
ただ、大尉に関しては誰かが就任していたようです。
「甘皇后伝」に記載されている諸葛亮の上奏文中に「大尉に頼み〜」とあります。
ただ、ちくまの正史ですんで「太常」の誤りかもしれません。
蜀漢は同時期に鎮北将軍が2名いたり、征西(南)将軍も2名だったり、右大将軍がいたりと、かなり変わってますね。
創業者・劉備のいい加減な性格が、お国柄に出ているのでは?(笑)
>>848 甘皇后伝は中華書局版でも「太尉」で、特に校勘も入ってないみたいです。
太常の可能性はあるかもしれないけど。
蜀は、劉備即位後に益州刺史(牧)が見つからないのに益州の属官は居る、
など官制的には不思議いっぱいです。
司徒と丞相についても、
三公制なら司空が足りませんし、丞相制なら御史大夫が足りません。
(同時期の漢ではちゃんといたのに)
在位者の記録が無いだけかもしれませんが不思議です。
夕べは三時までやってたの?
よく皆付き合ってたな(w
真性様だったか…
とりあえずさ、自分の意見主張する前に
「なぜ世間ではこの論が主流なのか」くらいは考えた方がいいぞ。
もう読んでないだろうけど。
>>851 くだらない煽りしかできないお前も同類だよ。
三戦板にでも逝けば?
853 :
世界@名無史さん:03/11/11 16:01
三戦フォビア
ちゃんと考えてから書けって言ってるのが煽りなのか?
自分にとって不愉快なレスはすべて煽りだと。まぁよくあることだ罠。
857 :
世界@名無史さん:03/11/11 18:47
>846
南中の有能な人材を抜擢した様だから、孟獲も成都で働いたかもね。
同じく、南中出身の孟エンも北伐に参加してるしね。
「真性様」って煽りじゃないの?
自分にとって不都合なレスはすべて(ry
859 :
世界@名無史さん:03/11/11 19:25
ああ、昨日の祭りに参加したかった・・・・・
このスレで祭りだなんて久しぶりだもんなw
860 :
世界@名無史さん:03/11/11 22:01
>>858 >自分にとって不都合なレスはすべて(ry
オマエモナー
>「真性様」って煽りじゃないの?
煽りじゃないよ。
863 :
世界@名無史さん:03/11/12 00:30
>>862 三戦板向きなのはあんたの方だよ
行けばあんたと同じく主観で語ってくれるお仲間が一杯いるよ
三戦板は学のないヲタたちが平和にまたーり楽しんでいまつ。
殺伐としたお荷物は世界史板の先生がたで処理してください。
867 :
世界@名無史さん:03/11/12 06:59
三国志のような作品を読んでも、その知識を知恵に変えられない奴が
知識をしたり顔で振り回してる。
人との接し方とか説得の仕方とかそういう哲学を
三国志から学べなかったんだろうな。
868 :
世界@名無史さん:03/11/12 10:34
三国志の中の人も大変だな。
今日は三戦板逝って、ネタの1つも書いてワロタwを貰ってこようっと。
>>867 >>869 激しく大いに同意できない。
演義は演義ですばらしい作品だと思うが、演義を主軸にした認識で語ることは、
このスレ的には果てしなくスレ違い。
頼むから、「正史」スレだというのを理解してくれ。
ここは学問板なんだから、必要最低限の知識を有していることが求められるのはあたりまえ。
もし知識量が不足しているのなら、他者の書きこみから少しでも吸収しようという姿勢を持たなくてはいけないと思う。
三国時代を学問としてでなく物語として楽しむことは否定しないが、
その場合は素直に三戦板に行ってくれ。頼むから。
871 :
世界@名無史さん:03/11/12 11:34
あんたが孔明アレルギーなだけだろ。
正史読んでも、尚、孔明を評価する人がいたらおかしいのか。
それを勝手に演義からだと決めつけてるから話がこじれるんだろ。
872 :
世界@名無史さん:03/11/12 11:56
>>870 誰も演義だなんて言ってないと思うが…
作品って言い方が誤解を招いたかもしれんけど。
つーか、
>>867は知識量があっても、それについて考えたり
人の意見を聞かない姿勢があほくさいって言いたいんだろ。
>>871 >三国志のような作品を読んでも、その知識を知恵に変えられない奴が
~~~~~~
この部分で演義準拠だと判断した。
論じるための立脚点が激しく食い違うから、演義準拠なら三戦に行ってほしいと思ってるだけ。
三戦板にも正史スレ(
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1060745146/)はあるわけだし、
わざわざ学問板に来てまで演義準拠の話をするのは理解できない。
ちなみに、僕は昨夜の孔明騒動には全く参加してないし、正史の記述から諸葛亮を評価する人がいてもいいと思う。
でも、昨夜の奴は明らかに正史準拠じゃなく演義準拠だろ。
反論するにしても、まともな論拠を提示しないし。
>>872 お、書いてる間にフォローが・・・。
>つーか、
>>867は知識量があっても、それについて考えたり
>人の意見を聞かない姿勢があほくさいって言いたいんだろ。
言いたいことはわかる。
でも、>873でも書いたけど、思い込みではない正当な論拠を提示しないかぎり、
そんな意見は聞き入れられないだろ。
>873
オッケー、じゃあこう言い直そう。
歴史を学ぶ人なのに、その歴史という人類の知識から知恵を得る事が出来ないんだな?
と。
論語読みの論語知らず。
この>873の些末主義こそが、二言目に「それ演義だから」とかいって
その後良好な会話が成立しなくなる雰囲気作るような気がするよ。
ものには言い方があるって思うけどね。
ものの言い方間違って殺された縦横家の話だって一杯出てくるだろうさ?
中国史には。
876 :
世界@名無史さん:03/11/12 12:23
>>875 前置きはいいから本題に入れ。
諸葛亮のどこが不当な評価を受けていて
諸葛亮のどこが優れていたのか。
>>875 ああゴメン。言葉が足りなすぎたな。
つーか改めて読みなおしたら、
>>870は自分でも何が言いたいのかわからんわ。スマソ。
ということで言いなおす。
>三国志のような作品を読んでも、その知識を知恵に変えられない奴が
>知識をしたり顔で振り回してる。
と言ってるのは、ある意味当たってるとは思うよ。
でも、
>人との接し方とか説得の仕方とかそういう哲学を
>三国志から学べなかったんだろうな。
というのには同意できないし、「知識を知恵に変えられない」というのも何かおかしいと思う。
そういったものは歴史から学ぶものじゃなくて、親から受けた躾とか、実生活の中で身につけていくものだろ。
だから、激しく同意できないと書いたわけさね。
で、演義準拠の人は三戦板に行ってほしいと書いたのは、
これまでの経験から、演義準拠の人にどれだけ論拠を提示してあげても、
思い込みが強すぎて全く理解しようとしない傾向が強いから。
確かに「演義だから」の一言で切り捨てるのは正史厨の悪い癖だし、そこは是正していくべきだと思うけど、
本音を言うと「最初から理解する気の無い奴に何言っても無駄」っていうのがあるんだと思う(少なくとも僕はそう)。
で、
>>873の「立脚点云々〜」という話になるわけだ。
こんな真昼間から長文スマソ。
>>873 ああ、てっきり昨日必死だった人かと。すまんね。
ただ、昨日の孔明支持の奴は、演義準拠ではなく、
単に考証が甘いだけだと思うよ。
諸葛亮伝の記述だけで判断して、他との比較がない。
本人は正史から考えたつもりだろうから、
それを演義だつったって、そりゃ納得しないよ。
あと
>>867みたいのは論じゃなくてただの愚痴なのでスルーすべし。(俺は内心同感だけど)
くだらない突っ込み合いのスパイラルから抜け出せなくなるよ。
879 :
世界@名無史さん:03/11/12 12:55
>875-876
俺も孔明の事なんかどうでもいいし、正史と演義の違いについて
考えたりする人の書く文章は好きだ。
だけど、この手のスレッドで演義ファンが騒ぐのを「無知」とあざける姿勢が
文面から読みとれる内容で火に油を注いでいるのは、正直いつだって正史ファンの側だ。
なおかつ、演義が好きでキャラクターにある種の憧憬を持っているであろうと
容易に想像できる相手に対して、言葉を選ばずにくさしたり「史実では・・・」
みたいな発言で悦に浸るのは、一件正しい行いに見えるようで、
実はその発言者の個人的な愉悦のためだけの行為だっていう事だとおもわないか?
歴史を学ぶのは三千年を読み解く術を学ぶための行為であって、
得た知識をいじくり回すためでも、その知識で自己満足を満たすためでも
あって欲しくないね。
あと、知識と知恵は別物だよ。
知っている・わかっている、ていうのが知識。そのことを実行できるのが知恵。
曹休のあたりでおかしくなったんだよ。もともとは
>879
レスアンカー付け間違えた。
876-878
だ。
>878
すまんねただの愚痴で。でもそういう愚痴こぼしたくなるんさ。
演義が三国志の人気を引っ張ったからこそこんにちがあるわけで、
「史実では・・・」みたいな発言は往々にして野暮になるっていうのも
正史派の人にはわかって欲しいんだわな。
883 :
世界@名無史さん:03/11/12 13:10
>882
対立する事でしか、自己の存在意義を確認できないタイプ?
それとも、無意識に自分のスタンスを優位に持っていく事でしか
他者と社会的関係を持てないタイプかな?
何が「なぜなら」なのかわからないんだけど、自分にとって不快な内容だからって
誘導した気になっていても、相手が共感しない限り、あるいは納得しない限り、
行為は続くんだよ。
>>879 公証甘いだけなんかな?
特定個人の伝だけ読んで語るというのは、正史初心者の陥りやすいワナではあるけどね。
>>881 おお、言い感じに歩み寄れそうだ。
愚痴をこぼしたくなる気持ちはよくわかる。
>>877でも書いたけど、正史準拠が演義準拠を見下しているという側面は間違いなくあると思し、
それは是正すべきことだと思う。
でも、それも時と場によって使い分ける必要があると思うんだよね。
三戦板の方で演義や無双の話で盛り上がってるところに、「正史では云々〜」って
見下した態度で語る奴が多いのは正史派としても悲しいことだと思う。
でも、明らかに正史の話をしてるときに、「演義では云々〜」という思い込みバリバリの話で
割り込まれると萎えるっていうのもわかってほしい。
本当はお互いに歩みよっていくべきなんだけど、これまでの積み重ねやその他の要因が多すぎて、
お互いに感情的な対立になっちゃってるんだよね。
だからこそ、三戦板と世界史板できっちり棲み分けていくことが必要なんじゃないかと思うんだ。
あと、一つだけ無意味な突っ込みを・・・。
>歴史を学ぶのは三千年を読み解く術を学ぶための行為であって、
>得た知識をいじくり回すためでも、その知識で自己満足を満たすためでも
>あって欲しくないね。
残念ながら、史学というのは「得た知識をいじくり回し」「自己満足を満たす」ための学問なんだよ、残念ながら・・・。
中にはそうでない人もいるけど、史学者の大半はそうなんだ、これが。(−−;
>>884 >公証甘いだけなんかな?
うん。他の伝も読んでるとは思うけど、比較が足りないだけだと思う。
〜将軍に任命されてるのに〜、って言ってる所から、
時代背景や後漢までの中国史のベースも足りないみたい。
いろんな所で起きてる衝突って、正史派、演義派うんぬんの分類じゃないと思うよ。
正史も小説と同じ感覚で読む情緒タイプの人と、
演義読むのも、その成立背景を考える論理的なタイプ、かな。
この当てた単語が適格か別にして、三国志文化にはいろいろタイプの違う人が
集まるから揉めるよね。
>>873 >正史の記述から諸葛亮を評価する人がいてもいいと思う。
確か三戦板のどこかのスレで孔明の軍事的才能を評価してる人はいたよ。
そこのスレではそれに反論してる方が論破されてた。
887 :
世界@名無史さん:03/11/12 15:44
正史のスレで演義の話を延々されたら誰だって怒るだろ。
演義の話したいなら演義のスレに逝けって事だよ。
話の通じないヤシがいると疲れるな。
>何が「なぜなら」なのかわからないんだけど
何が「わからない」のかわからないんだけど
>自分にとって不快な内容だからって
おれは別に不快じゃないよ。明らかにスレ違いの話題が連続してるから
同板内の演義スレッドを紹介しただけ。
>誘導した気になっていても、相手が共感しない限り、あるいは納得しない限り、
>行為は続くんだよ。
↑
行為ってなに?なんかするの?怖いな。。。
問題を正史派VS演義派にすり替えているヤシがいるな
ったく、誰だよソイツは?
そもそも、「演義では云々〜」って言ってたのは香具師だから
↓
683 世界@名無史さん 03/11/05 23:41
陸遜の軍才ってどう思う?
演義で描かれてるような天才的戦略家とは思えないんだが・・・
688 世界@名無史さん 03/11/07 14:45
演義だと何か敵の心理とかを全部お見通しな感じでしょ。
でも実際は劉備の戦術ミスにつけ込んで勝った以外は
これといった目立った軍功は無いし。
蛮族の平定には活躍したらしいけど、そんなの他の部将
でも十分できる事だし。
893 :
世界@名無史さん:03/11/12 19:48
>>891 お前、まだ粘着してんのか?
お前らがゴタゴタぬかすからレス多すぎでアク禁食らっただろ!
今後は無駄レスせずに行くよ。
大体、俺に噛み付いてきたヤツでまともな考証できてるヤツが
どんだけいたんだ?
後、孔明は自らを楽毅に比していた事からも軍事の才を多少なり
とも自負していたのは明白。
それを軍事は全く素人みたいな論調は全くもって説得力なし。
陸遜の件で演義を引いたのは実際の軍事の才はどうだったのかを
論じてみたかったからだ。
別に演義の話をしたかった訳じゃないぞ。
釣りだろう。
>陸遜の件で演義を引いたのは実際の軍事の才
>はどうだったのかを論じてみたかったからだ。
「実際どうだったか」を論じるために「演義を引いた」?
・・・・ひさしぶりに露骨な釣りをみた・・・・・
896 :
世界@名無史さん:03/11/12 20:41
演義では〜に描写されているが・・・って前置きだが?
別に演義での事を論じてないだろ。
つか、これが釣りか?
つまんね・・・
煽ってる時点で釣り
>>893 そういったことは、演義を引き合いに出すのではなく
正史における陸遜の軍才に疑問符がつく事例を、みんなに示し
さらに比較材料を提出した上で、疑問を口にすべきことと思われる
言うなれば、貴方は議題の提示に失敗したのですよ
演義を元に陸遜の軍才に疑問を呈してみても
大抵の人には、まともに相手にされないのは仕方がないでしょう
何事かを論ずる際には、まず以て論点を明らかにし、自説を論証すべきでしょう
以後、お気をつけ下さい太公望殿w
正史のスレッドで演義がどうの言ってるのがまず理解不能
本物だったら楽しいのにな〜
901 :
世界@名無史さん:03/11/12 20:53
演義のスレッドで正史がどうの言ってr
>>688 >蛮族の平定には活躍したらしいけど、そんなの他の部将
>でも十分できる事だし
>>720 >自身で兵を率いて南方を平定して信服させ
この評価の差
903 :
世界@名無史さん:03/11/12 21:19
研究者が演義と正史の違いについて考証本出したりしてんだろ。
何で演義を口にしたらいかんのかね?
>>902 だから、孔明でもできる異民族討伐なら大した評価にはならないだろ
って事だよ。
それに孔明は単に討伐平定しただけじゃないしね。
それにしてもお前のやってる事って人の揚げ足取りばっかり・・・
もううんざりだよ。
自分の意見述べないなら出てこないでくれ。
904 :
世界@名無史さん:03/11/12 21:26
演義無かったら正史も忘却の彼方だったろう事は容易に想像できるけどね
吉川英治がいなかったら演義も忘却の彼方だったろう事は容易に想像できるけどね
>>今後は無駄レスせずに行くよ
光栄のゲームが無かったら吉川英治も忘却の彼方だったろう事は容易に想像できるけどね
この間の人、また来たの?
とりあえず、どうして魏の東部方面軍を壊滅させたことより、退却中に追撃してきた将を討ち
取ったコトの方が評価が高いのか説明して欲しいな。
909 :
世界@名無史さん:03/11/12 22:06
コーエー(・∀・)マンセー
かよ結論は(笑)
正史以外の流れを見るんだったら、演義より平話のほうがいいんじゃないの?
ここで演義演義騒いでる人は、もちろん平話読んだことあるんだよね?
平話は光栄が邦訳出版してるし、ネットでも確か読めたよな。
912 :
世界@名無史さん:03/11/12 22:20
>>908 陸遜が魏の名だたる武将の一人でも討ち取ってれば
随分評価上がるよ。
手段は何でもいい。
孔明は涼州の諸郡を実際占領してるし、魏から寸土も
奪えなかった陸遜に比べれば十分成果残してると思うが・・・
913 :
世界@名無史さん:03/11/12 22:30
諸葛亮は軍師じゃなくて政治家だって言ってる小説家が居たよなだれだっけ?
てるみー。
>陸遜が魏の名だたる武将の一人でも討ち取ってれば
>随分評価上がるよ。
そんなコトはどうでもいい。
退却中に追撃してきた将を討ち取ることのほうが、どうして一軍団を壊滅させることよりも
用兵が優れていることの証明になるのか、だ。
諸葛亮>一時的に数郡を占領するが、維持できずに放棄。
陸遜 >荊州南部の領有に大きな働き。加えて蜀の報復戦を退け、荊州領有を確定。
魏にとって、張コウを失うのはベテランの良将を失っただけのコトに過ぎない。
都督諸軍事の軍勢が撃破されたのとは、意味合いが全然違う。
張コウが名将、曹休が雑魚と思ってるのも君の妄想だな。
官位や地位を比較すれば解るだろう。
>>913 てか、陳寿の諸葛亮の評価が、そのものずばり、それであるわけだが
917 :
世界@名無史さん:03/11/12 22:49
>916
イヤ日本の小説家でそういうエッセイか何か書いてる人がいたと思うんだけど・・・・
>退却中に追撃してきた将を討ち取ることのほうが、どうして一軍団を壊滅させることよりも
>魏にとって、張コウを失うのはベテランの良将を失っただけのコトに過ぎない。
>都督諸軍事の軍勢が撃破されたのとは、意味合いが全然違う。
↑これはどうかと思う。そもそも比較の対象が最初からおかしい。
俺は諸葛亮マンセー釣り師の肩を持つつもりはないが、
釣り師に踊らされて筋を見失うのはいかがなものか。
陸遜って演義だと有能に書かれていますが
正史ではどうなんですか?
陶謙のように演義と正史で評価が異なる人物が気になるので・・。
有能です。以上。
921 :
世界@名無史さん:03/11/12 23:00
>>918 勝手に変なあだ名つけんな。
俺が釣り師なら、お前はダボハゼか?
俺は別に孔明を極度に美化してるつもりは無い。
ただ軍事素人扱いしてるヤツに反論してるだけ。
そんな事も分からずに2ch語で喜々として煽ってくる
厨房にはもううんざりだよ。
陸遜については曹休伝と陸遜伝読んでくるからちょっと待ってろ。
>>921 反論するならその反論に説得力を持たせる材料をもってこい。
それが無いから演義厨と思われたり釣り師呼ばわりされたりするんだよ。
祭二日目ですか?
>>919 破格の扱い。評では社稷の臣と呼ばれてる。
大体、臣下の身で一人で一巻割かれてるのは諸葛亮と陸遜だけ。
925 :
世界@名無史さん:03/11/12 23:07
>>922 じゃ、これからお前の事、煽り大好きダボハゼと呼ぶが怒るなよ?
無駄なレスさせやがって。
>>921 今から読むのか? つうか、陸遜伝読まないで、陸遜の用兵に疑問符着けてたの・・・
>俺は別に孔明を極度に美化してるつもりは無い。
>ただ軍事素人扱いしてるヤツに反論してるだけ。
|
| Hit!!
ぱくっ|
/V\
/◎;;;,;,,,,ヽ
_ ム::::(,,゚Д゚)::| <そんなもので釣られねーぞ、ばーか
ヽツ.(ノ:::::::::.:::::.:..|)
ヾソ:::::::::::::::::.:ノ
` ー U'"U'
>>918 それもそうだな。
釣られてるのか、真性を相手にしているのかイマイチ自信が無い・・・
別に諸葛亮を軍事の素人扱いした覚えはないけどな。他のヤシはどうか知らんが。
文章ひとつに、必ず一箇所はツッコミ所が用意されてるな
諸葛亮って、赤壁後に軍師中郎将になるまで無位無官だったんかね?
もうやめようぜ
>>929 釣り師の被害妄想だよな。
誰も軍事の素人だなんて言ってないってw
みんな、そろそろ誰かさんの相手してやるのは終わりにしないか?
どうせなに言っても聞きゃしないんだし、もうスルーでいいだろ。( ´Д`)
そんな事より、そろそろ新スレ用意しようよ。
俺はホストじゃ立てれないんで誰かお願い。
そうだな。消費が早いし。
立てていい?
いい加減、スルーしろやオマイら
>>935 やっぱそうだよな。左将軍の属官とかにもしなかったのは何故だろう?
このスレの潰し方って似たようなのどっかで見た覚えが・・・
スマン。俺のホストもスレ立て出来なかった。
誰かお願い。
944 :
世界@名無史さん:03/11/12 23:32
>>926 陸遜伝は当然読んでたよ。
今、一通り読み直したが特に目新しい所は無かった。
陸遜が関羽から荊州を奪ったのは、呉としては憤懣やるかたない
事情があったとは言え、完全な背信行為だからな。
褒められたもんじゃない。
それと、裴松之は二度に渡って陸遜の行為を非難しているな。
裴松之が蜀びいきだったってのがあるのかも知れないが。
石亭の戦いは大勝利のように言われてるが、特に魏に深刻な損害を
与えた訳じゃない。それに周魴の功績が占める割合が大だろう。
236年の退却が見事だってのも、見事な退却なら他の武将にも
よく見られる話だよな。孔明にも・・・
夷陵の勝利については見事だが、劉備軍のメンツにも大した人材が
いなかった・・・もちろん老獪な劉備を破った事は評価するよ。
だが、全体的に戦績がちょっと少な目だ。
格別優れた名将という感じはしない。
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| Hit!!
ぱくっ|
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/◎;;;,;,,,,ヽ
_ ム::::(,,゚Д゚)::| <そんなもので釣られねーぞ、ばーか
ヽツ.(ノ:::::::::.:::::.:..|)
ヾソ:::::::::::::::::.:ノ
` ー U'"U'
ダメだ・・・やっぱりスルーしよう・・・
次スレだが、ぷ○らには難しいなぁ。誰か頼む。
947 :
世界@名無史さん:03/11/12 23:46
散々頼みもしないのに揚げ足取っておいて
自分の意見はほとんど述べやしないで、
スルーもクソもないだろう。
孔明の話題が出るまではほとんど書き込みもしてないくせに
常連ヅラで新スレ立てろとか言ってるヤツは痛すぎる。
はいはい・・・。
1000到達する前に次スレ立てようよ・・・
950 :
世界@名無史さん:03/11/12 23:53
>>948 つーか、お前のご高説を是非伺ってみたいよ。
陸遜と孔明の軍才についてな。
人の揚げ足取るだけなら誰だってできるよ。
951 :
世界@名無史さん:03/11/12 23:55
粘着ウゼー
むーん、俺もアホーBBだから新スレ立てれない。。。。
誰かお願い。。。。。
しばらく建てなくていいんじゃないの。誰かさんが飽きるまで。
954 :
世界@名無史さん:03/11/12 23:57
次スレ、最初から煽り厨が暴れ回るの?
だったら2・3日立てない方がいいよ。
内容に意味が無さ過ぎる。
どうせ新スレ立てても荒れるのは必至。
956 :
世界@名無史さん:03/11/12 23:59
>>953 飽きるのが早いのはお前みたいな煽り厨だろ?
揚げ足取られちゃった♪
958 :
世界@名無史さん:03/11/13 00:02
>>957 いいから自分の意見を述べてみろ!
あんまりレスするとまたアクセス規制されるから
この辺にしとくか・・・
粘着宣言イヤーン
960 :
世界@名無史さん:03/11/13 00:04
>>958 次スレ立ててくれ。
そしたら意見書くから。
立てないでいたら当の煽り厨が立ててしまったてことがあったな、某板で。
陸遜と孔明の軍才とやらを専門で語るスレを立てれば万事解決
というか、あれだけ話を混ぜっ返した870共はどこに行っちまったんだ
まぁ一言
>陸遜が関羽から荊州を奪ったのは、呉としては憤懣やるかたない
>事情があったとは言え、完全な背信行為だからな。
>褒められたもんじゃない。
「歴史」を何だと思ってるんでしょうか。
見事に誰も新スレ立る気がないんだな・・。
ま、いいや。世界史板に必要ないスレだし。
967 :
世界@名無史さん:03/11/13 00:21
>>965 歴史と物語の区別がついてないだけだと思われ
立てられないだけだよ!
ヽ(`Д´)ノ ウワァァン
俺も立てれない(´・ω・`)
970 :
世界@名無史さん:03/11/13 00:26
>>965 まがりなりにも同盟関係にあった勢力の隙を突いて
城を奪うってのは道義的に見てもまずいだろ。
道義については正史や注でもよく論じられてるが、
このスレで道義を語ったら歴史と物語との区別が
つかない事になるのか?
ERROR:キー情報が不正です!
なんだよこれ!
974 :
世界@名無史さん:03/11/13 00:30
>>970 史学とは過去の事実関係の再確認の作業です。
道義や道徳の入り込む余地はありませんので悪しからず。
>>970 荊州奪取は呉が総力を結集しておこなった行為であり
陸遜一人の道義的責任を問うのは公平な評価といえない。
劉備も益州を半ば強引に奪っているだろ
お前の発言を借りれば諸葛亮も郡県の平定に尽力しているが
それに関しての道義的責任はどう思う。反論どうぞ
976 :
世界@名無史さん:03/11/13 00:33
>>974 別に正史に書かれてる事に、こりゃひどいとか感想を
述べたって構わないだろ。
ココはいつから事実関係の再確認専用のスレになったんだ?
正史を読んで色々と語るスレだろうが!
それにお前、ココの常連じゃないよな?
>>970 その話はもうここら辺りで切り上げようよ。
事実と仮説とを照らし合わせるだけでも大変なのに、
個人の感情が意見に介入するときりがないよ。
>>973 >>1から「粘着孔明ヲタはスルーで。 」なんて書いたら余計に粘着されるぞ。
世界史板はスレが半年近くもつんだからちゃんと考えてからスレ立てろよ、ヴァカが。
979 :
世界@名無史さん:03/11/13 00:36
>>976 感想を持つなと誰が言った?
感想を元に人物評を下すのは勝手だが、それはお前さんの「主観」に過ぎないってだけだよ。
ちなみに漏れが>「ココの常連じゃないよな?」ってのもお前さんの主観による決め付けだな(藁
980 :
世界@名無史さん:03/11/13 00:37
おいおい、粘着してんのはどう見てもアンチ孔明の方だろ・・・
半年近くも粘着されるのか
982 :
世界@名無史さん:03/11/13 00:38
他人の事はよく見える、自分の事は見えにくい(藁
>>980
983 :
世界@名無史さん:03/11/13 00:40
つーか、俺が誰に粘着したんだよ?
煽りに大して常にちゃんと答えてきた
だけじゃないか!
ホントにバカなのか?
「アンチ孔明ヲタ」はいるけど、「アンチ孔明」はいないだろ。(藁
意見がスルーされてますが。。。
>>974 必ずしもそうではない。
史学には、過去の事実確認や整理だけでなく「評価」のプロセスがある。
「評価」の段階で、道義やら道徳やらが入り込む場合がある。
まあ、史学=考証学と考える説もあるし、それはそれで意義はあるけどね。
まあでも、この釣り師のおかげで
久しぶりにこのスレが賑わったから良かったよ。
閑古鳥が鳴いてたもんね。
992 :
世界@名無史さん:03/11/13 00:45
アンチ孔明ってのは言い方がまずかったな。
孔明の軍才にいちゃもんつけてるヤツの事な。
それに俺は孔明オタでも何でもないぞ。
ただ孔明の軍才が劉備に信頼されてなかったとか
言ってるヤツに反論してるだけ。
その辺わからずに孔明オタとか粘着とか言ってるヤツ
はバカ確定、故にもうスルーするよ。
どうせ新スレ立てても話す事ないんだろ?
大体ここ200レスくらい俺の発言に対する
揚げ足取りや煽りばっかだし・・・
まともな正史議論できるヤツはほとんどいなかったしね。
↑ワロタ
ポカーン。
見事な捨てゼリフだなw
なんだ、意見を言うと対応できないんじゃん
三國志演義
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。