前スレが落ちちゃったのでたてました。
「西暦紀元前後にカルタゴ人の入植」でかなり動きが出ましたが…。
あと千年、がんばりましょう!
3 :
_c ◆e.MLG4dVrg :03/02/16 23:08
∋oノハヽo∈ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ^▽^) < 新スレおめでとうございま−す♪
= ⊂ ) \_______
= (__/"(__) トテタタタ
4 :
2012年12月23日:03/02/17 00:14
おお、有り難うございます〜(自分も何度も新スレ製作挑戦してましたが、上手く行かなくて;;)
さっそく(少し蒸し返しになりますが)ミシシッピ文明成立シナリオの修正案など如何でしょうか(汗)
紀元前二世紀ごろ、数十〜数百頭の牛馬、製鉄技師、灌漑農耕技術等を持つ大規模なフェニキア人が北米大陸東海岸に漂着した。
彼等はここに、地中海世界でそうしたように植民都市の建設を開始し、ペスト等の新大陸にはなかった伝染病によって弱体化した原住民を征服&吸収しながら北米東海岸において徐々に勢力を拡大して行った。
また彼等は北米植民後も交易民族としての特性を色濃く継承しており、更には高度な造船技術や大型獣畜類を有していた為に、史実のどんなネイテイブアメリカンの部族よりも遥かにダイナミックな交易活動を行う事に成功していった。
この為彼等の活動は、彼等の征服地となった北米東海岸以外のネイティブアメリカン諸部族にも重大な影響を及ぼし始める。
交易の過程で伝えられた新技術の活用によって急速に勢力を拡大し、東海岸のフェニキア人に対抗できるだけの力を獲得する部族が出現し始めたのである。
特にその傾向が顕著だったのがミシシッピ中流域、ちょうどカホキア文化が栄えたあたりだった。
交易の要衝であるこの地には史実でも最大数万人単位のネイティブアメリカンが集住していたのだが、この世界(?)では牛馬の出現によって交易の範囲とスケールが著しく強化されていたため、集まった人間の数が史実を数倍凌駕するようになっていた。
しかし従来の原始的な農法では、肥大し過ぎた都市人口を支えきる事が出来ない。時折起こる旱魃にも対処できない。それ故この問題を解決する為、ミシシッピ中流域では他の地域とは比較できない程急速に、灌漑農法の導入が進んだ。
この世界(?)のミシシッピ文明が史実のカホキアと違って幸運だった点は、人口の増え過ぎや干ばつに対応する技術を、比較的容易に他所から持って来れる点にあった。これによって彼等は都市放棄や人口減少以外の能動的な方法で、危機に対処できるようなれたのである。
5 :
2012年12月23日:03/02/17 00:15
こうして従来からのトウモロコシ栽培に東海岸のフェニキア人から交易によって伝えられた灌漑農法、鉄製農具が応用され、生産力は飛躍的に増大。
この事がさらなる人口集中と富の集積=強力な王権を産み、カホキアには人口数十万の巨大都市やエジプトのそれを底面積において数倍凌駕する巨大な土のピラミッドが造営され、この新たな文明は未曾有の繁栄を謳歌する事となる。
また、ミシシッピ流域は世界屈指の潜在的穀倉地帯であった事、新カホキア(?)がミシシッピ交易網の中枢であった事、牛馬や大型船の存在(鉄による木材加工を応用した独自の船。外洋航行不可。フェニキアは直接船でミシシッピまでは乗り付ける事に成功していない)
等の理由により、ここで考案されたすぐれた技術は猛烈な勢いでミシシッピ流域全域に普及。この地域の経済的・人的膨張は世界のどの古代文明にも例を見ない、急速な物となって行った。
一方東海岸の発展はミシシッピ程急速ではなく、フェニキア漂着から五世紀を数える頃には、人口や経済力の面で両者の力関係は完全に逆転。更に大きな差がついてしまっていた。
四世紀。ミシシッピ流域全土を支配する強大な騎馬の民が現れる。強大な権力を持つ有能な王に率いられた騎馬軍団は嵐のようにミシシッピ流域を押さえると、ここに集積された有り余る富をもって大量の鉄を手にし、更に怒濤のごとく北米大陸東岸になだれ込む。
かくして北米初の統一王朝が成立する事となる。一方、ユーラシアにおけるヒッタイトにも比肩されるこの部族は残虐な性質も持っており、自分達の文化とは異質な東海岸文化を破壊する事となる。
かくして北米大陸にはミシシッピ文明のみが主導的な立場を獲得して残り、フェニキアの文化や宗教は尽く灰塵に帰する事となった。しかし彼等の一部はこの戦乱を逃れて南へ、フロリダやアンティル諸島へと持ち前の航海技術を駆使して脱出。
ここに新たな国家を建設して行く事となる。これがマヤとミシシッピの二大文明圏を繋ぐカリブ海航路の誕生を促す事となるのだが……。
と言った所です。なんか、自分で書いててよくこれだけホラが吹けるなーと思っております(汗)
今度はちょっとメソポタミア風味を付け加えてみました。例のごとく、おかしな所があったら指摘よろしくお願いしますー。
>>4-5 いや、如何にうまい法螺が吹けるか。それを競うのがこのスレでありますよん (^^)
私としては北米西海岸の動きというのがあればなぁと思います。
あそこは元々地形が険しくて乾燥気味の地帯で、騎馬のウェイトがより大きい社会
になる気がするのですよ。起源としては、ミシシッピ文明(仮称)から流れてきて成立
したということでいいんじゃないでしょうか。
史実では過剰な牧畜産業などのせいでああいう荒野になってしまったそうですが、
元々は大草原で騎馬国家というものが成立しやすいんじゃないかなと思います。
また西海岸では鉱産資源もありますし、ここから独自の文明国家創造を想像する
ことも可能な気がします。
しかし統一国家の成立は可能かと問われると少々難しいかもしれません。精々
群雄割拠の世界止まりかも。強力な宗教や画期的な軍事技術があれば別でし
ょうが・・・うーん・・・今のユタ州にボソッと宗教が起こるといいかな(笑)
とてたさんありがとう^^ ちょっと2日ほど出かけてる間に落ちちゃいましたね
^^ 多謝です。
過去の様々な意見、討論。そして現在の2012年12月31日さんの進める、ア
メリカ文明史。とても楽しく、感謝して読んでいます。
今のスレの状況はまさに自分が望んだ通りのものであると思います。本当にありが
とう。そして、この流れのまま、これがしっかりと完結、具体化していけたら、も
のすごい幸せです。どうか、今後もご愛顧のほどよろしくお願いします^^
8 :
2012年12月23日:03/02/17 17:11
統一と言えば、自分は手っ取り早く北米の東半分を統一させちゃいましたが(その方がカリブ海航路を作るのに都合がよかった……)
ヨーロッパスレとか見てるとむしろあの広大な地域を手っ取り早く統一させるのはどーかなーって気もしてます。特に東部の森林地帯を一つの権力で押さえるのはきつそうですね。
ミシシッピに沿って統一国家ができるのならありそうだけど……。まぁ、始皇帝並の怪物が現れた、と言う事にしておきますか。中国と同じで半島も少ないし(w
>>@@@
アメリカ西海岸……。
ミシシッピ文明(仮称)勃興期と仮定した時期はちょうどテオティワカンが栄えてた頃ですので、
モデルとして想定できるのはペルシャ(テオティワカン)と中国(ミシシッピ)に挟まれた中央アジアといった所でしょうか。
とすると、アメリカ中西部騎馬部族は匈奴。ロッキー・メキシコ高原はパミール。コロラド川・リオグランデ川はシルダリア&アムダリア川あたりといった所かなー。うーむ。
金やトルコ石の輸出元として独自の文化が花開く、というシナリオは組み立て易そうですが、問題はこの地域に如何にして灌漑農業を持って来るのか、というシナリオですね。
コロラド川流域を支配していた騎馬民族の所へ東からミシシッピ王朝の勢力が伸びて来て軍事衝突が発生(漢の武帝みたいな王様がいた?)。この戦闘は騎馬民族側が勝利し多数の捕虜が発生。
元々ミシシッピやテオティワカンの文化に強い憧れを抱いていた彼等はこの捕虜に多数含まれていた技術者を厚遇し、コロラド流域でミシシッピをモデルとした新国家建設に協力させる。
この事がこの地域にミシシッピ起源の灌漑農法をもたらし、更にこの衝突を契機として開けた北米横断交易路(陸路の他、コロラドから陸路リオグランデへ。これを下ってメキシコ湾を経てミシシッピに至る水路もあり?)
を用いた金その他の輸出によってコロラド流域は繁栄。グランドキャニオンに壮麗な岩窟神殿が建設される……。
といった感じはどうでしょうか。カリブ海周辺ばかり弄って来たので、まだ上手く練り上がってませんけど(^^;
>>2012年12月23日さん
まず、つっこみから。
「ペスト」は紀元前には存在してません(ついでにコレラももう少し時代が経ってから…天然痘はありましたが)。
それと、史実のカホキア文化は10世紀〜13世紀のものなので、
1世紀頃にはまだトウモロコシ農耕はミシシッピまで伝わっていないかと思います。
(小麦農耕と…ワイルドライス?)
フェニキアについても、「ミシシッピ流域にまで進出していたのでは」という説もあったりします(交易(銀・銅の採取、毛皮)目的ですが)。
だいたいの流れはOKです(自分では考えないクセに、突っ込みばかりですいません)。
>>@@@さん
西部ですか…カリフォルニアは「高度灌漑農耕」ができて繁栄しましたが…
それ以前に農耕が伝わったらどうなるかは興味がありますが。
コロラド川流域のヒマワリ栽培文化が、どう他所とリンクするかが鍵になると思います。
国家統一ですが、フェニキアのもたらした「病気」により一度「激減」し、
農耕・牧畜文化の吸収と人口増加により「部族→民族」の変化が起こってやりやすくなるのでは。
(フェニキア支配による、「技術習熟」の「時間」がいるかなぁ?)
>>桜47さん
いえいえ。
好き勝手やらしてもらってます…「妄想で架空の歴史」スレにも、なんか書こうと思ってた時期もあったんですが、
当分はアメリカとオーストラリアで楽しませてもらいます。
10 :
2012年12月23日:03/02/18 00:35
>>とてたさん
ぐえ! 天然痘はなくて、ペストはあったと逆に解釈してました。
ぺロポネソス戦争でアテネはペストによって打撃を与えられたたと聞いたので、漠然とフェニキア人もペストを持ってたと思ったのですが……。
あと、トウモロコシは紀元前にあったってどっかで聞いたんですが。聞き間違ったかな?
ソースどこだったかなぁ。何か資料があったら教えて下さい〜(^^;
11 :
世界@名無史さん:03/02/18 03:08
12 :
世界@名無史さん:03/02/18 03:54
>>11 あぁ、真菰(まこも)のことですね。
栄養価や汎用性が高いのはいいのですが、植栽するには川や湖沼規模の水辺が要りますし、
そんなに収量も望めないんですよ。大々的な栽培が行われなかったのは日本を見ればよくわ
かる・・・
13 :
世界@名無史さん:03/02/18 18:20
ふと思ったのですが、ユーラシアの文明はみな他の文明との衝突がありますよね?
ミシシッピ文明(カホキア文明?)はユカタン文明と衝突ってことなのでしょうか
?それとも南米に別種に文明ができたりするのでしょうか?
西洋と東洋のように北米と南米がなると楽しいんですが・・・。
>>13 前スレを参照してもらえると判ると思いますが、アメリカがユーラシアに負けた最大の要因は正に文明の衝突が無かったという事だ、として自分はシュミレーションしてます。
だからフェニキア人のアメリカ到達という甚だうさん臭い説を利用し、彼等に牛馬と航海技術を持って来てもらうという相当に無理のある所から話を進めているんです(^^;
実は史実のアメリカではメソアメリカとアンデスの比較的至近の文明の間でも衝突は起ってません。
彼等は人力で可能な範囲ではかなり広く行動しているのですが、牛馬の不在や地形的制約からその行動範囲はユーラシアに比べればかなり小さい。そこでその行動範囲を広げるべくあれやこれやとやってるのです。
上に書いたのの続きは『カリブ海編』。ミシシッピに北米東岸から追っ払われ、南のフロリダやキューバに脱出したフェニキアの末裔達にここで新国家を作ってもらって、ユカタン半島とミシシッピを結ぶ交易路を作ってもらう予定です。
上手く行けば、1492年迄に、『ミシシッピ文明』『北米西部文明』『カリブ海文明』『メソアメリカ文明』『アンデス文明』『ラプラタ文明』の六つが、各々数千万〜億の人口を抱えて繁栄している所までもっていければなーと思ってます。
そんで、これらの文明圏を貫くアメリカ大陸版シルクロードみたいなものがあればいいなーと(w ゴムロードというか、シルバーロードというか、チョコレートロードとか(w
五大湖→ミシシッピ→カリブ海(フロリダ・キューバ経由)→ユカタン→ニカラグア
↓ ↓(メキシコ湾経由) ↓ ↓
北米西部→メキシコ高原→テオティワカンorテノチティトラン 大平洋→南大平洋(?)
↓ ↑ ↓
コロラド川流域→カナダ西海岸(?) アンデス
産物としては、 ↓
五大湖以北=メープルシロップ、毛皮、木材 ラプラタ
ミシシッピ=穀物
北米中西部=馬、牛、毛皮
コロラド=金、トルコ石
メソアメリカ=カカオ、ゴム
アンデス=銀、青銅
ラプラタ=毛皮(陸棲リャマ?)
といったとこか。南北に長いアメリカの地形は不利益ばかり指摘されるが、その分産物には地域食が強いから一旦交易が軌道に乗ればそのスケールはどんどん拡大する気がするなー。
>>2012年12月23日さん
「天然痘」は、ファラオのミイラに感染例らしいのがあるとか…、
ペストがヨーロッパに来たのは中世だと思います(だからこそ、あんなに大流行した)。
トウモロコシの栽培は、たしかに紀元前1000年のオルメカで行われてましたが、
それが紀元前後にミシシッピ流域まで普及していたかどうか…。
あ、僕は「雑学厨」なんでけっこう間違いあると思います(他板で恥をかいてたり…)。
>>11 >>12 うーん、「チナンパ」だったら…と思わないでもないですが、
「採集」による「副食」の地位に長く甘んじそうですね(クワイやレンコンみたいに)。
マコモと言われてようやくどんなのかわかったり。
>>15 おお。こうみると各地に産物が「散在」していて「交易」に適してますね。
あと、チリ北部の硝石も…史実ではその利用(肥料…後には火薬原料!)に気づくことはなかったですが、
たしかグアノ(鳥の糞の固まったモノ)は知ってたハズですし…まぁ、だいぶ「先」の話ですが。
17 :
@@@(12):03/02/19 02:14
北中アメリカの流れ、大分できてきましたね (^^)
さて私が北米西部のことを取り上げたのは、
>>8のような「匈奴」のイメージを持たせ、
北中米史のキーパーソンとして動かしたら面白いかもしれないと思ったからです。
もしあの地域に都市国家(という文明)をもたせるとしたら、そうですね、やはり
コロラド川地域を中心とした文明になると思います。しかしミシシッピ文明(仮称)の
流れというよりは、地理的にも近く、また紀元前二世紀ごろから興ってきたらしい
ティオティワカンをベースとして灌漑農業などを起こさせ、さらに東方から「獣畜」
「車輪」「鉄器」が導入され、後世になるにつれティオティワカンやミシシッピを圧迫する
ことを想像したのです。また人口が増加して拡散するように勢力を伸ばしていく、
あるいは軍事大国化してどちらかに打って出るか・・・ティオティワカンより軍事的に
優位に立てそうですから、リオグランデ川方面から南進させてティオティワカンを
あっさり滅ぼさせるのもいいかもしれません。そしてテキサス・オクラホマ方面で
ミシシッピとの軋轢を起こさせる・・・と。
東側は
>>15に見られる流れでよいと思いますが、思い切ってベネズエラまで
落ち延びさせるのも一興かも(^^;
18 :
世界@名無史さん:03/02/19 02:34
>思い切ってベネズエラまで落ち延びさせるのも一興
「そして新たにオリノコ文化の興隆」・・・とはならないか。
ところで>15でも登場してきた南米のラプラタ川流域も
国家の発生に適した土地・・・でしょうかね?
豊富な水量、ボリビア中央高地やアンデス諸文明との交易、
そこそこ温暖な気候、比較的働き者で大人口のワラニー族(今もパラグアイ人口の9割)、
白人到来以前からブラジルの先住民社会間で共通語として流通していた
「共通トゥピ語」の流通圏内であったことなどがその利点でしょうか。
産物はグアナコ、マニオク、大河ラプラタの水産資源・・・あっそうそう、「マテ茶」も!
2012年12月23日様
前スレから楽しく仮想史を拝見しております。
>>4からのマトメご苦労様でした。これからも頑張ってください。
ただ、
>>14での「シュミレーション」はいかがなものかと・・・w
「2012年12月23日」さんの描く世界など、ここはとっても楽しいであります (^^)
移民をどうするかに終始しているオーストラリア仮想史と較べると、アメリカという
ところが如何に可能性のある「新天地」だったか、いろいろ想像できるのであります。
>>18 コロンビア高地にはけっこう「文化」があったんですけどね…ベネズエラにはあったかしらん。
ラプラタ地帯は、前スレで「インカ系部族の移動」ネタが出てました。
ジャガイモよりトウモロコシの栽培に向いているようですね。
>>@@@さん
リオグランデ川流域が重要になると思います…史実ではあまりパッとしませんが。
コロラド−ミシシッピ流域を繋ぐには、リオグランデ川が一番よさそうですし。
…オーストラリアは、まだ始まったばかりですから。それと、史実では「文明」が発達しませんでしたし。
22 :
世界@名無史さん:03/02/21 15:07
>>4 それにしてもフェニキア人、悲惨すぎる・・・
ポエニ戦争でローマによってカルタゴが滅ぼされる
→亡命して新天地であるアメリカ大陸へ
→アメリカ大陸で大帝国を築く
→ネイティブアメリカンによって滅ぼされる
ある意味ユダヤ人よりも波瀾万丈な民族史ですね。
そして、「いつか約束の地・カルタゴに還り、我々の国を再興する」という
強固な意志を持った少数民族・フェニキア人が、現代まで面々と受け継がれると。
>>11 人間による品種改良が進み栽培可能になるというのはどうですか?<ワイルドライス
もともと米も、原種は収穫量が低かったわけですし。
24 :
世界@名無史さん:03/02/21 18:33
おまいら!なんかネタないの?
>>22 いえいえ、滅ぼされてません。モンゴロイドに「同化」しながらも、海洋民としての伝統も受け継ぎます。
>>@@@さん
穀物が「副食」の地位だった文化は珍しいですよね。
>>24 慌てないのが吉です。
今、ヘンリー八世時代の宮廷料理の番組をみています。
砂糖菓子、蒸留酒・・・面白い・・・
>>26 サトウキビは東南アジア原産、蒸留技術はメソアメリカでは未発達でした。
「蒸留方法」ならフェニキア人が持ち込んだでしょうけど。
28 :
世界@名無史さん:03/02/22 23:56
カカオがかなり重要な農産物になりそうですね。
フェニキア人が牛とミツバチを持ち込んだことによって、
カカオ粉に牛乳と蜂蜜を混ぜて飲む方法(ココア)が発明。
飲みにくかったカカオを飲みやすくしたことで、嗜好作物として
アメリカ大陸全土でカカオを飲む風習が広まる。
こんな感じでどうでしょうか?
>>28 ミツバチは北米には野生のものがいたとか。
「ショコラトル」は、メソアメリカ圏では高級飲料扱いだったようです…。
「食」関連は、「宗教」よりはマシだと思いますが、底なしですよ…。
30 :
世界@名無史さん:03/02/23 00:32
ところですみませんが・・・・食料・交通ネタで。
・北米のバッファローを家畜化・・・できますかね?
・太平洋岸でサケの養殖、
・北極圏〜カナダから冬期の交通手段として「犬ぞり」と「スキー」が伝播、となったら・・・
(「革張り滑走かんじき」なら南限は五大湖沿岸にまで広まっていますた)
31 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/23 00:38
バイソンよりトナカイの方が有望かと。
>>30 アメリカバイソン、前スレでも少し出てましたが…、
「半野生遊牧」なら出来そう…かな。
サケの「養殖」は、まずムリだと思います…近代の技術ですし。
33 :
世界@名無史さん:03/02/23 01:31
>>とてた
いいぞがんばれ!新スレ祝い遅れてゴメソ。
34 :
トラメメ ◆Tula/H2VxM :03/02/23 03:02
遅レスで申し訳ないですが、ユカタンあたりだとブレッド・ナットの木(ラモン)という樹木
が食料源として重用だったようですね。
大体5割〜6割くらいがトウモロコシの割合だったらしいので、そのほかは、
ラモンと根菜であったらしいです。
あと、確かバイソンは家畜化は不可能でしたよね?
ミツバチもいいですけど、カナダ東部にはメープルシロップがあるのでそれでも面白いんじゃ無いですかね。実際、史実のネイティブアメリカンも活用してますし。
ただ、甘いチョコレートとかココアは大陸の北でも南でもバカ高い貴族の食べ物になりそうですが(^^;
やはり新大陸版シルクロードはショコラロードか(w
前回の続き。カリブ海編ッス(汗)
四世紀、それまでアパラチア山脈以西に留まっていたミシシッピ文明圏の大帝国が北米大陸東海岸に姿を現した。重装騎兵の大軍団、という形で。
この戦乱から逃れる為に、フェニキア人は三たび民族移動を開始せざるを得なくなるのであった。
彼等が目指したのは南、まだ西の帝国の力の及ばないフロリダやアンティル諸島等であった。元々彼等は交易目的等でこれらの地域にもある程度植民しており、移動は比較的スムーズに進んだ。
この事件の十数年後、マヤの記録に海から来襲した異質な『チチメカ』の記述が現れる。
それまでメソアメリカに無かった高度な造船技術と鉄製武器を持つこの『チチメカ』は、ユカタン半島北岸を中心にメソアメリカ全域を荒し回り、都市を幾つも破壊して行った。この出来事を切っ掛けとして、カリブ海航路が出現する事となる。
(この事はメソアメリカ地域にも大きな変革を呼ぶのだが、それはまた別の話……)
交易の軸となったのは北からの木材や穀物であり、南からのカカオ、ゴムであった。
そもそも新大陸の南北に長い地形は農耕技術の伝播には不利に働くが、交易面ではむしろ有利である。気候の異なる南北間では生産される物産が大きく異なり、この事が物々交換の重要度を否応なく増すからだ。
特にミシシッピではかなり以前から五大湖以北の森林地帯からメープルシロップが多く輸入されており、カカオが入って来るとその需要は劇的に増大した。それ迄に無い甘いショコラの味覚が、この地方の貴族達の趣向を捕らえたのだ。
また、脆弱な熱帯系の木材しかしらなかったマヤ文明にとって、北の強靱な木材、そしてこれによって作られたフェニキアの外洋船舶やミシシッピ文明圏で発展を見せた様々な木工製品は極めて貴重であるように思えた。
こうして交易が発展して来ると、カリブ海各地に植民都市を築き、交易を仲介していたフェニキア人達の経済力が急速に増大して来る事となった。キューバ島やフロリダ半島南端、ユカタン半島北端等にも海港都市が建設され、この地域の開発は急速に進む事となる。
また、この地域は元々比較的肥沃な土地であった。ここへトウモロコシやサツマイモといった優れた農作物がマヤから導入された事があり、アンティル諸島とフロリダは農業国としても発展を見せ、人口も急増する。
彼等が持っていた灌漑、鉄製農具等とこれら優れた作物が結合した効果も大きかった。
かくして、フェニキア人の末裔達はこの地でかつてのカルタゴに匹敵する繁栄を再び取り戻す事に成功して行く。広大な範囲を船で行き交い、冒険を好む進取の気風に富んだ新たな文明の誕生である。
世界の他の地域の海洋文明と同じく、ここで栄えたのもまた開放感と色彩に溢れる文化だった。彼等は、それまで新大陸には無かった人間中心的な価値観を有し、森羅万象を科学的に観察する目を持っていた。
後世、マヤの天文知識を応用して世界に先駆けて地動説に到達していた、とする説や、彼等の冒険船がラプラタ川流域やアマゾンの深部、果ては大西洋を超えてアフリカ大陸に迄行き着いていたのだとする説迄登場する事となる程である。
こうして発展を続けるカリブ海の諸都市に、八世紀、ハンニバルの再来と目される一人の英雄が出現する。彼は優れた軍事的・政治的才能を駆使してカリブ諸都市をまとめあげると、大軍を率いてユカタン半島へ侵攻。瞬く間にこの地域を制圧してしまう。
更に彼の軍は北上し、繁栄を続けていたテオティワカンを陥落させ、これを破壊してしまう。そして彼はテオティワカン近郊の湖の中島に、マヤ、カリブ、テオティワカンの諸文明の要素を統合した新都市を建設。ここを彼の築いた帝国の都とした。
更に彼は遥か南方にも征服するにたる文明がある事を聞き付け、大平洋とパナマ地峡を突破してアンデス山脈にまで進行する。
この事は、それまで大平洋とアマゾンに囲まれ孤立し、激動する北中米諸文明とは無縁に平和な世界を築いていたアンデス文明諸国にとっては、あまりに強烈な出来事であった。アンデス文明諸国の連合軍は敗退を重ねる。
しかしこの作戦は補給の問題等で挫折し、結局彼等は北へと引き上げて行く事となる。その後、強力なカリスマを持つ英雄の死によって帝国は空中分解し、再びこの地域は分裂状態に戻って行く事となる。
しかしそれまで強固な運命論に支配されていたメソアメリカに人間中心的な文化が流入した事。それまで『島国』だったアンデスが、否応なく大陸全体の大きな歴史の流れに巻き込まれた意味で、この出来事の持つ歴史的な意味は非常に大きい物となる。
ぐお〜長い〜。毎度すいません(汗)
39 :
世界@名無史さん:03/02/23 19:43
ミシシッピと戦う「カストロの先達」をキューバに置くべし。
40 :
ファシスト文学士:03/02/23 20:52
カストロ・・・間違ってスカトロって言ってしまった記憶が・・・
42 :
世界@名無史さん:03/02/23 21:27
ヒューロン湖西岸、ミシシッピ水系に近いメサビ鉄山などいい条件が実在しますね。
>>30さんの犬ぞりとスキー(又はそり運搬)も有効そうです。
犬ぞりよりトナカイぞりの方がパワーがありそうだけどダメ? リアルサンタ。
いや、あの地方だとカリブーと言うべき?
44 :
世界@名無史さん:03/02/24 00:10
双方を使い分けられればベストかも。
乾燥地など道中エサにする植物がない ⇒ 雑食のイヌに牽かせる
草木はあるが狩って与える獲物がない ⇒ 草食のトナカイに牽かせる
とかね。
ミシシッピ文化圏でもカナダにまたがる上流部の大平原+湖沼地帯では出番かもね。
>>33 ありがとうございます。出来る範囲で頑張りますです。
>>トラメメさん
うーん、バイソンの群れを「追い込み型」で「半家畜化」できたら…と思うんですが。
旧大陸のウシほどおとなしくないから、難しいですかね。
>>2012年12月23日さん
おお、「統一」・「アンデス接触」時期を早めましたか。これもなかなか。
で、いつもの無粋な突っ込みですが、4世紀中期だと、ユカタン沿岸地域はそんなに「発展」
してなかったり(ユカタン半島中南部地域の時代…無かったわけではないようですが)。
ティワナコと戦ったことになるのかな…ふむ、史実の文明交代時期にもあたってますね。
>>39 ミシシッピやキューバやハバナは、先住民系の地名だったりします…が、「カストロ」はだめです(笑)。
>>43 極北地域での家畜化…旧大陸でもどうだったんでしょ。
>>とてたさん
ええ。ユカタンの北部沿岸は当初カリブ側の勢力下において、その後鉄器その他で強化されたマヤがジリジリと押し返す……というシナリオ等どうでしょう。
イベリア半島の国土回復運動じゃないけど(w あるいはアナトリアのイスラム化みたいな雰囲気ですかね。
それから、沿岸地域の早急な発展は外洋航海能力に劣るマヤ系民族だとやや速度がおくれる気がしますし。
あと、『開放的な海洋文明』『人間中心的価値観』ってやっちゃいましたが、それって要するに地中海世界の話しですよね〜。亜熱帯のカリブだとどうなんでしょう(^^;
非常にノーテンキで楽天的な民族性が醸造される気がするんですが(w
>>2012年12月23日さん
うーん、マヤって「都市国家」で互いに争ってたから、「押し返す」のはどうでしょう。
そのまま「長期紛争」にもなりそうな(そういや、カルタゴも都市国家連合体の長でしたっけ)。
いや、あまりにも「運命論的」なメソアメリカに「開放的」な文明を持ち込んだのはよかったのでは。
現在のメソアメリカ諸国は「ラテン」ですし(笑)。
史実のアステカやマヤも、何故あそこまで「滅亡」を恐れたのかは、「生活の不安定さ」と一応は説明されているようですが、
謎といえば謎ですね。
>>とてたさん
都市国家と言えば本場(?)はギリシャですけれど、あそこもペルシャという異文明が存在し、これが侵攻して来ると同盟を組んでこれに対抗するような状況が出て来ましたからね。
黄河文明初期の統一王権もやはり異民族との対抗上成立したみたいですしね。
マヤも自分達とはあまりに異質な神をも恐れぬ(wエーリアンのごとき異民族の国がすぐ北東に現れれば、事情は大分変って来たと思います。
それに、しつこいようですが馬がいますしね(w
あ……、そう言えばなんで日本はあーもあっさり統一国家が出来上がったんでしょう? 地形的にも統一国家ができるのは不向きなよーな気がするんですが。
カリブもそうだけど、ミシシッピも交易の大動脈として沿線に都市が凄い発展し
そう。
カナダからはカリブーの毛皮やメープルシロップ、木材等々。少し下るとメサビ
鉄山。
そっからミシシッピに乗って農作物が有り余るコーンベルトを通過……。これに
衣類や陶器、酒等の工業製品を加えたらどーなることやら。
工業製品の生産地がどこになるかはちょっと分からないけど。せいぜい鉄器がメ
沿岸部からは勿論塩。あ、そうそうタバコや唐辛子といった趣向品も大量に流通
しそう。こういうのって、結構暖かい地域で作られるんだっけ?
更に河口からはカカオその他の熱帯産の産物が輸入されて……。
きっとライン川や揚子江も真っ青になるくらい沢山の船が行きかう事になるんや
ろーねー。普通に人口100万位の都市ができそうな予感。
都市ができそうな所ってどのへんかな。とりあえずカホキアに近いセントルイス
とかミシシッピ河口のニューオリンズあたりが想像できるんだけど。
50 :
世界@名無史さん:03/02/24 15:16
どうでもいいけど、天然ゴムって武器に応用でんの?
遊牧民は動物性の材質のせいで強力な弓を作れるーゆうけど、
ゴムを使ったボウガンとかあったらおもしろそーな気がするんやけどね。
>>2012年12月23日さん
なるほど。了解しました。
日本…あくまで個人的な見解ですが(いいかげんとも言う)、
「邪馬台国」の場合は、「卑弥呼への宗教的熱狂」を上手く利用できたからでしょう(だから、卑弥呼が死ぬと「騒乱」が再発している)。
「大和朝廷」の場合は…一定の共通文化の素養があるところでの、「政治騒乱」帰結でしょう。
初期には、大王の権力もさほど突出してなかったみたいですし。
>>49 河口と、流域分岐点は都市化が早く進むでしょうね(実際の都市の位置とさして変わらないかも)。
それと、タバコやトウガラシはミシシッピ流域で充分栽培可能です。
>>50 史実では、ゴム(オルマン)はボール(丸い塊)くらいの利用だったような。
精製技術が進歩しないと難しいかと。
てゆーか、中世って東洋でも西洋でも(日本も含めて)変な武器が沢山考案されては廃れてるんだよね。
そんなもん使えるわけねーだろ! ってのも含めて。
アメリカ大陸に中世という時代があったら、武器のバリエーションも凄く増える事は想像に堅く無いよ。
そこでゴムを使わない手はないと思うけどなー。精製技術ってそんなに難しいの?
54 :
トラメメ ◆Tula/H2VxM :03/02/25 00:24
>>53 当時の技術では普通に輪ゴム作るのでさえ難しいはずです。
55 :
2012年12月23日:03/02/25 00:34
>>54 じゃあ『当時』じゃなくしてしまいましょう(w それに『南北アメリカに旧大陸に匹敵する文明があったら』を名乗るのなら、中国の火薬・紙の発明に対抗できる位の流れがあってしかるべきだと思いますし。
九世紀。アンデス、コロラドと交易が活発になって来たメソアメリカではこれらの地域から流入した金銀が流通するようになって来ていた。
しかし、メソアメリカは金銀等の鉱産資源に乏しい。その為か、何とか科学変化を多用して金や銀を合成できないか? という気運がにわかにテスココの水上都市で盛り上がりを見せた。
こうした気運の発祥は、以前侵攻して来たカリブがこの地域にもたらした『自然科学』というあたらしい考え方とも無縁では無かった。
(余談だがこの研究の過程で酒の蒸溜技術が発明され、テキーラが生まれたりする)
さて、科学者や知識人の悪戦苦闘が続く中、ある変わり者の学者が「ゴムの軟性にはきっと霊的な意味があるに違い無い」等と言い出す。この霊的エネルギーを引っ張りだせば、なんぞ面白い事がおこるやも、と。
そして彼は、長い年月の研究の中で、多くの化学の進歩がそうやって起ったのと同様に、ただの偶然から硫黄をゴムと混合して熱してやる事を思い付く。まぁ、彼本人は「ゴムの強度が多少上がったって……」って態度だったが。
しかしこの強化されたゴムは意外にもヒット商品になり、まずは競技用のゴム毬として一斉を風靡する事となる。特許制度はないので一文にもなりはしなかったが。
さてそんなおり、またぞろユカタン半島で紛争が起る(ユカタン紛争は完全に恒常化している)。そんな中、ある将軍(若い頃テスココでアスリートやってた)がゴムの反動で弓を放てないか? と考え付く。
こうして発明されたのがマヤ弩である。威力は上々、弓よりコンパクトで障害物の多いユカタン向き。常時携帯できて護身用にも便利。隠し持てるので暗殺やゲリラ戦にも使える非常に使い勝手のよい武器とあって、この戦争でマヤ弩は結構なヒット商品となる。
なお、その後この新しいゴムはあれこれ応用商品が開発され、後にミシシッピでは『ゴム履きの馬車に乗る』とは『出世する』と同義語となっていった……。
ちょっとこぼれ話し風。
>>50 萌えるのはわからないでもないですが、多少精製できてもせいぜい「パチンコ」レベルだと思います。
「スリングショット」への道は遠い…。
たしか、東南アジアで小鳥を取るのに「パチンコを使う」事例があったと記憶してますが、
時期的にも米軍の放出品の再利用でしょうし…。
>>トラメメさん
こっちでは、まだまだよろしくお願いします!
>>2012年12月23日さん
それはそれで、おもしろいんですが、キツイ気もします(笑)。
「ゴムタイヤ」(木製のの輪に、ゴム層をつけたモノ)はあり得るでしょうね(強度はまだまだ弱いですが)。
「武器」には「パチンコ」レベルだと思うんですが…「防具」の方が有り得そうな気もします。
ゴムで固めたウィチュカウィピリ(綿の鎧)…ただでさえ「着ぐるみ」に見えるのに、「コスプレ度」が上昇しちゃいますが。
57 :
世界@名無史さん:03/02/25 23:47
>>56 >たしか、東南アジアで小鳥を取るのに「パチンコを使う」事例があったと記憶してますが
フィリピンでは動物の脚の腱を用いたようです。脱線+余談ですみませんですたが。
58 :
2012年12月23日:03/02/26 00:25
そういえば、伸縮性の高いヒモ状の物質を用いてダーツ大の矢を発射するような武器が戦場で流行った例ってないですよね。
スリングショット、ちょっと興味が出て調べてみたのですが、鉛では無く鉄の玉を打ち出せば威力は小型の拳銃に匹敵し、更にダーツを発射すると更に抜群の破壊力になるみたいです。
某スレによると「洒落にならん位凄かった」らしいですし。命中制度の低さが問題らしいですけど。
矢尻に毒でも塗ってやれば、暗殺用の武器としてかなり使えたと見ました。携帯にも便利だし護身用としても使えるみたい。
それなのに何でこの手のパチンコ系武器って一度も歴史の表舞台に出なかったんでしょうね〜。やっぱ、伸縮性のある物質が、近代以前には殆ど無かったからでしょうか?
スレ違いだけど、ちょっと気になったもんで。
>>58 射程が短いので、もっぱら護身用でしょう。
ヨーロッパの僧侶は血を浴びる刃物を嫌ったので、棒や槌などを
武器に使っていたそうです。指弾もそうだったかな?
かといってパチンコは拳銃と違いアクションが大きいし連射も効かない。
また当てるのも拳銃以上に難しいでしょうから暗殺用に使うには余程の
名人でないと。比較的近距離でバリケードの向こう、あるいは闖入者に
対して壁向こうから射つというのが一番想像しやすい状況でしょうか。
このことから見ても、護身用という以上のレベルにはならないでしょう。
にらせひに
61 :
世界@名無史さん:03/02/26 01:27
>>58-59 ヨーロッパのクロスボウやバリスタは、皮や毛(テーマからずれるが板バネも)などの
伸縮性の高いヒモ状の物質を利用して弾丸や太矢を発射する立派な兵器ですよ。
スリングショットと作動原理は一緒。
一方、伸縮性のないスリングを利用した投石帯は
古代から現代に普遍的に存在する低所得者/民衆の武器ですね。
関係ないけど。
62 :
2012年12月23日:03/02/26 01:44
>>61 なるほど。参考になります。そう言えば昔ゴム仕掛けのクロスボウが通販で売られた事があるとかなんとか。
そういうのと同じという事ですね。パチンコの形にこだわらなければ。
しかし天然ゴム。新大陸にあって旧大陸に無い数少ない素材なので、なーんか利用したくなるのが人情ですよね(w
これを利用した奇妙キテレツな武器とか道具とか競技とか(競技は史実にもあるか)。そーいうのがあるとまた面白そうですが。
あと、いつぞやか話の出てた硝石もそうですね〜。なんか、ローテクでもできる面白い使い道とか、わりと簡単に起りそうな(古代・中世レベルでもありそうな)技術革新とか考えだせると面白そうですけどね〜。
>>57 おお、そうなんですか。ありがとうございます。
ゴム…、生産量があまり多くないと思いますから、「贅沢品」に使われることの方が多いと思います。
64 :
世界@名無史さん:03/02/26 23:30
けど、中国のお茶や桑のごとく、カカオやゴムが禁止作物になるように大量生産される可能性もありますわね。
需要があれば値が上がり、値が上がれば大量生産されるのが経済の基本。ま、面白い活用法が見つかれば、ですけど。
ところで硝石はどうなんでせう? あれを肥料に使うにはまた、近代工業の力が必要なんですか?
あとヘリウムもありますよね、アメリカ大陸限定の産物としては。
どーもアメリカ特有の産物は近代になって始めて文明と出会ったのが多いから、中世レベルの文明とであったらどうだろうってのが分かりにくいですよね。
>>64 たしかにそうですね。
えーと、ヘリウムは近代科学が無いと無意味な代物です。
硝石は……そのままで肥料(N肥)になります。
「火薬」への道は遠いと思いますが。
66 :
世界@名無史さん:03/02/26 23:38
じゃ、グアノと硝石を満載した船が、土地の痩せたメソアメリカに出航! ってのはありそーですね(w
67 :
2012年12月23日:03/02/27 01:29
ショコラロード(仮称)ができるとして。
メソアメリカの人口増加
↓↑
硝石・グアノの需要発生→鉱物資源無し→商品作物(ゴム、カカオ)の大増産
↓・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑
↓→ニカラグアに巨大都市?・・・・・・・・↑
↓・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑
大平洋向け大形外洋船の必要→温帯or寒帯系木材の需要→ミシシッピ森林消失・カナダ方面の開発活性化
ってありそー。ついでにミシシッピの土壌流出=文明の弱体化とかも(^^;
あと、カカオと利用価値の低いゴムだけじゃとても足りないので、工業とかも発展しそうですね。
マヤ人の優れた美術感覚を活用して陶器か何か作れないかな?(w
あと、需要ばかりがでかくなるメソアメリカでは商品開発モチベーションが上がりそうなので、ゴムだの火薬だのの発明や技術革新が進む〜って考えても面白そう。
とりあえず『金銀を合成しちゃる!』ってノリから錬金術が流行って、その結果として……みたいな。
テスココなりテオティワカンなりに国や大商人の援助を受けた錬金術士や科学者が何千人と住んでたら面白いかも。
しかしまぁ、アメリカ大陸全土を貫く無茶苦茶スケールの大きな交易になりそうなので、実現するにはかなりハードルありそうですが(^^;
けど、実現したら凄く面白そう。高度な航海技術の開発が大前提だけど、上手く行けばシルクロードを超えられる(w
それに(灌漑農法+)化学肥料あったらメソアメリカで農業の生産効率が上がって商工業人口も増えるだろうし……。
しかし化学肥料のある古代文明か……。変な歴史になりそう(^^;
う、ちと妄想が過ぎたか(元々酷すぎるけど)。けど、こういう経済の成りゆきとか推測するの、凄い難しくて面白そうですね。
元々条件の悪い新大陸が旧大陸を凌駕する可能性があるとしたら、交易路の大発展にかけるしかない気もしますし。
>>66 南米からの、主要輸出産品になるでしょうね。
>>2012年12月23日さん
……とはいえ、その流れもぱっと見「ムリ」は少なかったり(「何時ごろ成立・どれだけ継続するか」が問題になりますが)。
またトラメメさんからの受け売りですが、アステカには「学校」がありましたからね(法律・歴史などですが)。
一応「動物園」(珍しいモノを集めたレベルですが)もあったので、ヨーロッパみたいに「物好きな君主」がいたら「研究」はそんなにムリは無いでしょう。
陶器…アメリカには轆轤(ろくろ)があったかな…(「滑車」と同じ「車輪」からの派生技術ですから)。
あ、硝石は厳密には「化学肥料」じゃないです。リン鉱石なんかと同じ鉱物肥料です。
うろ覚えですが、「肥料」としての使用は19世紀だったハズです(ヨーロッパ)。
中国でも「薬品」・「火薬」用にしか利用していなかったかと。
69 :
2012年12月23日:03/02/28 00:15
そう言えばマヤの衰弱、滅亡の原因は、人口過剰→無茶な焼き畑→環境悪化、で間違って無いですっけ?
もしそうなら、鉄器伝来・人口過剰の早期実現→効率の高い新たな農法開発モチベーションの発生→硝石の発見→アンデスとの大規模交易発生
という流れを八世紀あたりに持って来ても面白いと思うのですがどーでしょう。
木材や硝石と言った文明の維持それ自体に関わる物資が交易によってしか手に入らないとなれば、メソアメリカ文明のあり方をかなり変えられて面白くできるよーな気もするんですが(w
とりあえず、アンデスに侵攻した軍に科学者が同行してて、こいつが硝石を発見するってあたりから始めるとどうでしょう?(w
70 :
世界@名無史さん:03/02/28 02:15
メソアメリカ原産の作物というと綿花(ケブカワタ)がありますけれど、
こちらの要素で何か話を作れませんかね?
71 :
世界@名無史さん:03/02/28 03:00
綿花栽培は(交易が活発なら)北米に全部持って行かれるよーな。タバコや唐辛子もそうだけど、カカオを除くとアメリカでは商品作物の栽培は軒並みミシシッピ流域が他を圧倒してしまう気が。
こう考えてみると、メソアメリカって何も無い土地ですねー。使えそうな商品作物はカカオ、ゴム、リュウゼツラン位で、後者二つは技術革新があった場合のみ有効……。あとはここが先進地域である事を生かした工芸品位ですか。
アンデスから入って来たコカを精製して非常によからぬ物を発明してカリブやミシシッピに転売するとか、ゴムを生かして自転車を発明させてみるとか(w メソアメリカの産業が活性化するとしたらその位かな。
(どーでもいいけど、前輪のバカでかい初期の自転車とかなら古代レベルでも作れる気がする。チェーンもギアもいらんし、ただ車輪を直接漕ぐだけだから。三輪にしたら人力で数百キロの荷物を一日で百キロ彼方まで運べるようになるだろうし。ま、無理か)
金銀も無いし……。あ、けど逆にそっから話し作る事はできるかな? 錬金術もそうだけど、売れるもの=黄金を求めて軍をコロラド方面へ投入する事を試みる王様がいても面白そう。それが切っ掛けでコロラドに高度な岩窟神殿が作られるようになったりして(w
72 :
トラメメ ◆Tula/H2VxM :03/02/28 04:47
>>68 とてたさん
こちらこそよろしくお願いします。
ろくろは無いですね。史実だと「まきあげ」方式で作ってたみたいですね。
>>69 2012年12月23日さん
マヤの衰退は「焼畑で地力を失った」説でも解決できないみたいです。(それでも有力なのは間違いないですが)
段々畑や盛り土農法なんかも盛んだったようなので。
>>70 メキシコワタは今主流の品種なのでかなり良さそうですね。
73 :
2012年12月23日:03/02/28 13:59
今回はこれ迄にも増して無理があります。あと、あえてマヤ衰亡の原因=焼き畑説を信じてみました(^^;
一応カリブ編の続編かな。突っ込み所が多いと思いますのでお手柔らかに(汗)
八世紀のカリブ侵攻劇の後、メソアメリカに成立したのは亡き英雄の部下の一人が興した新王国だった。
彼はメソアメリカの統一を持続させる為に古くから統一国家の続く北のミシシッピに習った政治システムを採用し、新首都の置かれたテスココの水上都市を中心に、王国全土を繋ぐ街道を整備した。
反乱を企てる都市に対してはこの街道に沿って速やかに軍を投入し、主君から受け継いだ高度な集団戦術を用いる軍をもって徹底的にこれを鎮圧した。
また、マヤの姫を母に持つ彼はメソアメリカの多様な民族を統合し意思疎通を容易にする為に以前から流入していたフェニキア系表音文字を徹底して排除させ、マヤ絵文字を元とした新たな表意文字を作らせてこれを王国全土に普及させる政策を断行した。
また、カリブのリベラルな空気も継承する彼は、自らをケツァルコアトルの生まれかわりと自称しつつ生け贄等の因習を禁じ、メソアメリカの思想改革も断行する。
こうしてメソアメリカに始めての統一国家が成立するが、順風満帆に見えたこの王国も、カリブ侵攻以前から問題になっていたある深刻な課題に直面する事となる。人口急増とこれに由来する焼き畑による地力劣化である。
史実のマヤ崩壊の有力説であるそれが、カリブからの鉄製農具等の伝来でかなり早まって現れて来ていたのである。
しかし彼等には救いがあった。それは無茶な焼き畑が危険な行為である事を、彼等が経験的に既に知っていたという事だ。新王国以前のマヤの各都市も、何度か焼き畑の禁止令を出している(成功はしなかったが)。また、もう一つの救いがある偶然からもたらされる。
先だってのアンデス遠征の際、遠征軍に同行した科学者の一人が植物を育てる不思議な鉱物を発見・報告していた事である。メソアメリカの統一王国はアンデス方面に調査体を送り込み、これを確認した。これがチリ硝石の発見である。
74 :
2012年12月23日:03/02/28 14:02
メソアメリカとアンデスとの交流はそれまでもカカオと銀の交換交易の形で既に実現していたが、交易が著しく大規模化するのはこれ以後の事である。
メソアメリカ各地でカカオが大増産され、アンデスとの硝石の交換交易に用いられた。
また、交易に必要な大形外洋船舶の材料となる温帯・寒帯系木材をミシシッピから輸入し、これをカリブから大平洋に運び込むのに都合のよい場所、アンデス遠征の起点にもなったニカラグア湖畔にも新都市が出現。王国はここに商人を集め、造船技術者もカリブから招いた。
アフリカ大陸にまで到達していたとされるカリブの船は、大量の木材を北から、大量の硝石を南から、それぞれ運ぶ事に成功し、いつしかこれらの交易路はメソアメリカ文明それ自体の生命線ともなって行く。
こうして再び発展し始めたメソアメリカ。メキシコ高原にチチメカの侵入を遮断する大要塞等が建設されるのもこの時期である。しかしここでまた、一つ問題が発生する。カカオ園の無秩序な増殖だ。
王国は何度もこれを禁じたが隠し農園を作る都市や地主が後をたたず、これが主食であるトウモロコシ等の生産を圧迫し、またカカオ自体の値崩れもひき起こした。
しかも輸入品目は増大し、銀や青銅、コカやリャマの毛等が南から、綿にタバコに唐辛子、果てはトウモロコシまでもが北から流入するようになってしまう。そしてこれが結局は同国の生命線である硝石輸入に響いてしまい、またぞろ焼き畑が流行り始める。
こうした問題は十世紀、バイキングによる旧大陸からの伝染病の持ち込み=人口激減で一旦は沈静化するが(木材輸入航路がカナダからメソアメリカまで繋がっていたので、伝染病の広まりはやたら速かった)、
人口が回復に転じると再び重大な問題としてメソアメリカ文明の前に立ちふさがる事となる。
75 :
2012年12月23日:03/02/28 14:05
ところで王国は実はかなり初期から、『錬“銀”術』を試していた。船舶用木材や硝石など文明の維持それ自体に関わる物を輸入に頼るメソアメリカの人々にとって、銀を化学的に調合する事は正に夢。
アンデスから入ってきた『銀は月の涙』との説を信じ(そうか! だからアンデスのバカ高い山の上で銀が沢山とれるんだ! と納得したとかしないとか)同時に入って来た熱気球で月を目指し、大量の銀を回収する事を本気で考えた酔狂な貴族もいた程である。
こうした無数の失敗を繰り返しながらも、しかし幾つかの成功例が現れる。中でもリュウゼツランから蒸留酒を造り出す試みや硫黄を用いてゴムの強度を高める試みが大きな成功を納めたことにより、優れた経済感覚を持つ大商人達からの関心も、錬銀術はかった。
かくしてテスココやニカラグアの湖上都市には最盛期、数千とも数万とも知れぬ錬銀術士が工房を列ね、彼等は国や大商人達の資金援助を得て様々な研究課題に取り組む事となる。
またこうした自然科学隆盛の風潮は従来のマヤ数学、天文学にも波及し、多くの分野で多大な成果を出す事となっていった。
また、自然科学隆盛の背景となった好奇心をよしとする風潮や人間中心的価値観は文化芸術にも大きな影響を与え、これが荘厳華麗なメソアメリカ・ルネッサンスの開幕を引き起こす事となる。
テスココの水上都市に、芸術と科学の双方で絶大な実績を残す歴史的な天才が出現したりもする。
ただ、こうした化学の進展は幾つかよからぬ物も造り出した。コカを精製する事によって獲られる麻薬(奇しくもこいつがミシシッピとの交易を均衡させ、メソアメリカを救う事となる)等が一例だが、最も重大なものはそれではなかった。
硝石を用いた火薬……。これが後に新大陸の軍事バランスを一変させ、なおかつ旧大陸との接触時にも重大極まりない役割を果たす事となるのだが……。
>>71 「自転車」は専用スレがあったりしますが、この展開ではどうでしょうね…。
サクベ(石灰石舗装道路)は石畳よりはマシだと思いますが…やっぱり荷車レベルかな。
メソアメリカ(というかメキシコ)、鉱物資源は一通りありますけどね…「枯渇」するのは早いでしょうが。
硫黄もあれば、石油もありますし(近代の話ですが)。
>>2012年12月23日さん
8〜9世紀ですか…流れは萌えますし、イイんですが…。
「マヤの滅亡」はトラメメさんのサイトにある、「交易遷移」なんてのもありますが…まぁよしとして。
「科学技術」の基礎発達ができるには、種々の情報の「蓄積」と「交流」が必要ですが、「交流」はともかく、
「蓄積」ができているかどうか…。
グアノ→硝石の経緯となるんでしょうが、あまり万々使うと(アタカマの埋蔵量は多いとはいえ)、「枯渇」するかも…。
将来、「マルサスの人口論」(18世紀末のチリ硝石「枯渇懸念」が元となったとか)の問題が表面化する可能性もありますね。
77 :
2012年12月23日:03/03/01 02:05
>>とてたさん
>>「マルサスの人口論」の問題が表面化する可能性もありますね。
その前に近代が来てくれる事を期待してます(w ただ、どっちにしても近代史が全然変っちゃうのは間違いないですね〜。
前に話の出てた、「新大陸から銀を奪ったから、西洋は近代文明をおこせたんだ」って話も含めて。
>>「科学技術」の基礎発達ができるには、種々の情報の「蓄積」と「交流」が必要ですが、「交流」はともかく、「蓄積」ができているかどうか…。
実はそのあたりの事は全く無知です(別の面でも無知極まりないですが^^;)
そこで参考迄に、中華文明が紙や火薬や磁石といった化学的な発明を成し遂げえた背景なんぞを教えていただけると助かります(^^;
こっからは余談です。冗談なのであまり間に受けないで下さい(汗) って、自分の場合元々全てが冗談みたいなものか(^^;
>>サクベは石畳よりはマシだと思いますが
自転車はあったらあったで少し面白そう。よしんばダビンチ級天才が現れて自転車が発明されたらどうなんでしょう。
ゴムをタイヤに巻き付けるだけでグリップは効くだろうから後は衝撃だけが問題。そこへ持って来てセメント(?)があるから平べッたい道路が実現可能なわけで、結構使える気が……。
あと、自転車黎明期の前輪の巨大な奴や三輪車タイプの、チェーンやギヤが不要な自転車はどの程度使えるんでしょうか? こけやすいとは聞くけど。
もし数百キロの貨物を一人で一日百キロ以上輸送可能とか、舗装道路を通って万単位の軍勢が百キロ以上一日に行軍できるとかなったら、歴史は凄い変わりますね(^^;
まず間違いなく、メソアメリカに強大な統一国家ができ上がるでしょうし、その国は当然全土に舗装道路を整備して、結果ゴムと同時に石灰岩が重要な交易品になったりして……。
こんな事自転車スレに書くと怒られそうなので(そもそもメソアメリカには車輪自体ねーだろ! とか)、スレ違い承知でこっちにかいときます。お粗末様でした(汗)
>>2012年12月23日さん
うーん、僕もあまり知らなかったりしますが、中国をはじめ旧大陸の場合は「人口の多さ」で乗り切っている面が多いですから。
「紙」は史実同様、マゲイ繊維から造られると思います(草本紙)。
「火薬」は練丹術や錬金術(これはヨーロッパ)が元になってできた…つまり、一定の「欲求」がほぼ普遍的に存在しうるかどうかですね。
一応、紀元前3世紀にできたらしいですが、ちゃんとできたのは宋の頃…千年程かかってます(汗)。
…「利用方法」が確立されるかどうかも、問題ですね(発明されても、焚きつけでの利用のままかな)
「磁石(羅針盤)」
これが一番難しいような。10世紀の唐の末ですが、やっぱり「中華」ほど発展しないと…。
実用化するのも、ヨーロッパのある程度の「機械技術」がベースになってますし。
…当分は、沿岸・天測航法だけになりそうです。
「自転車」…
確かに構造・強度はある程度の木工技術と材料があれば、「可能」ではあります(かなり「重い」ですが)。
が、発想に至るかどうかですね(たとえできても、下り坂・平地での「伝令」程度でしょう)。
元々、乗馬文化をベースにした、都市化・余暇の拡大の複合産物ですし(黎明期の珍奇な自転車は、「趣味」の世界ゆえ)。
ああ、無粋なことばかり書き連ねてしまった…すいませんです。
79 :
世界@名無史さん:03/03/02 12:23
コカイン精製の発明が早まるのは、かなり重要事項ですね。
史実ではアメリカ大陸からヨーロッパに大量の銀が流失しましたけれど、
この場合、コカイン密輸によってヨーロッパから大量の銀がアメリカ大陸に流入
→アメリカ大陸で産業革命、という逆転現象が起こるかもしれません。
(あと、メソアメリカとミシシッピでアメリカ大陸版アヘン戦争勃発も)
>>79 銀の変わりに、ヨーロッパから阿片が来るかもしれませんよ(ケシはユーラシアに広く分布)…。
まぁ、「何時頃」ヨーロッパと「接触」するかで結構情勢が変わると思いますが。
史実どおりの、「接触(コロンブスとカブラル)」なら、そのまま「交易」が始まっても、
インドとかと同じく、早々「植民地」にはなりそうにないです。
…ヨーロッパ産の「有用な交易品」って少ない気もしますが。
81 :
世界@名無史さん:03/03/02 20:45
そう言えば、インドや西アジアはあっさり植民地になったのに、
なんで東アジアではそういう事がなかったんだろ。
清や江戸幕府はかなり優秀な政権だったらしいが、そのせい?
>>81 インドは、ポルトガルがゴアを手に入れて(1510)からもけっこう経ってますよ。
イギリス領ウエストベンガル成立は1765年。
マラータ戦争とかマイソール戦争とかでジワリジワリと蚕食されて、仕上げは19世紀になってからです。
西アジアは、オスマントルコが衰退してからだから、こっちも19世紀からですね(ラストは第一次世界大戦後)。
「強力な政権が続いたかどうか」が問題でしょうね…。
ヨーロッパのキリスト教国の結束…というか、入れ替わり立ち代りやってくるのと、
本国の「経済力」「技術力」が強かったからでしょう(新大陸の富がその原資ですが)。
83 :
世界@名無史さん:03/03/03 01:01
ヨーロッパが新大陸を手に入れたのは
まだヨーロッパが貧弱だった頃だというのが不思議だ。
その頃の貧しい国力でなぜそんなことができたのだろうか?
>>82が書いてるポルトガルがゴアを手に入れた時期だって1510年。
その頃のヨーロッパはまだまだオスマントルコに圧迫されてた時代のはず。
実は当時のヨーロッパは意外に強力だったのか?
>>83 病原菌で新大陸の人口が二〜三割迄激減したのと、新大陸の戦闘技術が新石器時代レベルにとどまっていたからだな。というか、新石器時代レベルの技術で高度な文明をきづいた所に、新大陸諸文明の凄さがあるのだが。
そんな美味しい相手をヨーロッパ人は運良く一番最初に見つける事ができた。もし明のテイワあたりが新大陸を発見してたら歴史は全然かわってたと思うぞ。
病原菌などの要素で無人に近い『白紙』の大陸があり、その大陸は世界最大の穀倉地帯と有り余る資源を持っていた。
という所から近現代史は始まるわけで、もし新大陸が更地でなければ、それだけで歴史はかわってしまう。
ましてやユーラシア諸国と互角に戦える文明が存在すれば……。
そっから先は、どう妄想すればいいのか見当がつかない程難しいです(^^;
産業革命を起こすにはどうすればいいのだろう……。
>>83 当時の欧州の兵は装備の面では優秀だったから、
ピサロやコルテスが行ったような、数百人単位の比較的小人数の戦いでは
オスマントルコみたいな強国にも引けを取らなかった。
そんで、大航海時代だから、当時に物を言ったのは大兵力ではなく
少ない船で世界中至るところへも出没出来る、小人数単位での強さ、だったわけです。
87 :
世界@名無史さん:03/03/03 15:38
>>85 ここいらでひとつ、そろそろ出してもいい頃のようなので・・・
新大陸外から高文化をもたらしたフェニキア人の渡来に
さらにもうひとつ外来文化の流入路を加えるとするならば・・・
「東アジア人の新大陸太平洋岸漂着」
はどうでしょうか。
荒唐無稽過ぎと思われるでしょうがまあ一つ聞いて下さいなw
必ずしも「航海して新大陸に渡来」とは言いません。おそらくは
北太平洋を横断する世界一早い海流、黒潮(特に北太平洋海流)に
流されて着いたのがほとんどではと思います。
北米大陸北西海岸の先住民(特にカナダのブリティッシュコロンビア州〜米国ワシントン州一帯)には
白人との接触以前から新大陸で唯一「鉄器」文化が実在していました。
しかしところが・・・・・・・彼らは「製鉄技術を持っていなかった」のです。
砂鉄を集めることも鉱脈から採掘することも知らない・・・だが鉄器を加工して使用していた・・・
研究者たちの聞き取り調査に彼らが答えるには
「海岸に打ち上げられた漂着物を拾い、漂着者から加工を教わってきた」と。(!)
漂着物の多くは難破船の残骸で、主に船体の釘を集めて原料としたとのこと。
残骸や器物の漂着はまれなことではなく、またさらにまれながら
人間の水死体、時には生存者が漂着した、と伝わっているとのことです。
(バンクーバー島のハイダ族などの伝承にはしばしば登場するそうです)
(似た伝承がハワイ諸島にも伝わっているそうですが)
これらの漂着を通して経験的に「海(=北太平洋)の向こうにも人間の住む陸地があるらしい」
「しかも北米の住民にはない物や技術を有しているらしい」との認識を有していたようです。
さすがに製鉄関係の漂着者はいなかったため、「鉄鉱採掘/砂鉄採取⇒溶解⇒鋳造」の工程は
伝わらなかったようで、主に炉で加熱して変形加工を施したレベルに留まりましたが・・・・が・・・・・
これが、もし・・
実は後年になって北米北西海岸一帯でも鉄鉱石が算出することが分かったのです。
(現在も操業中です)漂着は恒常的に起きていたとするならば、数多い漂着者の中に
冶金技師がいたら(加えて運良く生きて北米に漂着できたなら)
歴史は変わっていたかもしれませんな。
大西洋岸の歴史がにぎやかな一方、太平洋岸がちとお淋しいので参考までに
挙げさせて頂きますた。
この一帯はシアトル・バンクーバーと天然の良港にも恵まれ、海上交易にはもってこいかと。
加えて製鉄に欠かせない大量の水資源と燃料(木材)の豊富さは北米随一。
また忘れてならないのが食料の豊富なことです。
北西海岸の先住民社会は「農耕を行なうことなく定住をし身分制・首長制社会にまで発展」
した稀有な生活様式でしたが、これを可能にし続けてきたのが豊富な海産資源でした。
北米先住民、いや、新大陸先住民のなかでも
最も飛びぬけて沿岸漁業が発達した地域といえます。
コンブや(コンブはおろか世界最大の海藻といわれる)ジャイアントケルプなど海藻の採取・常食、
準主食であるキングサーモン・アラスカマスの高度な仕掛け漁法と保存加工技術の多彩さ、
船団を繰り出してのクジラ・アザラシなどの大規模な海獣猟などなど。
特に船団による大規模な追い込み漁などでは統率の取れた指揮系統が不可欠とされ、
これが首長制社会の発生を促したものといわれています。
北西海岸は漁場と良港に恵また一方、陸地はすぐ背後まで4000メートル級の
カスケード山脈が迫っており、陸上の交易路としては河川伝いの細長い地域に
制約されていました。
(コロンビア川沿いにワシントン州内陸部のコロンビア盆地と陸路交易があったほかは
カリフォルニアなど同じ太平洋沿岸の他の地域との交易もなかったようです)
史実では彼ら北西海岸先住民が遠洋航海を行なった形跡はありません。
海上交通はバンクーバー島と大陸の間の内海部に限られていたようです。
そこで、です。もしも・・・
漂着者には水夫や船大工など、造船技術や遠洋航海術を有した者もいたはずで、
彼らから製鉄と造船と操船の方法を習得したとしたら・・・どうでしょう。
(なにせ船材になる針葉樹の巨木と鉄は現地で調達できます。これは好条件かと)
この沖合いにはカリフォルニアへと南下するカリフォルニア寒流が流れています。
これに伝って中央アメリカへ下ることも可能ではないでしょうか?
カリフォルニア半島を過ぎたあたりから、大陸から引き離す方向の北赤道海流と合流しますので
これに乗るとアウトかと。適した上陸地点としてはカリフォルニア湾口あたりかと。
ただし、確か中米の諸文明ってこの辺にはあまり及ばなかったと記憶しているので、
ここからは陸路で内陸のメキシコ高原に入るか、それとも
海岸伝いに船を進めてグアテマラのマヤ文明圏まで航行するのも一案かと。
おっとと、本題は近代化を引き起こすための「火種と種火」を
どこから発生させるか、でしたよね。長文スマソです〜
順序が後に回ってしまいましたが、そのきっかけについて。
漂着の可能性が高いと考えられる民族としては、
日本人、中国人(特に華南出身)ではと考えられます。
@難破に耐える堅牢な船体、
A長距離の漂流に堪える装備、
B長期遠洋航海の技術、
C寒冷な北太平洋の気候に耐えられること、
D黒潮⇒北太平洋海流⇒カリフォルニア海流と乗り継ぐ必要から、
太平洋を頻繁に航行する機会が多いこと、などの点からですが、
ミクロネシア人や東南アジア人が加わる可能性もゼロと言い切れなさそうです。
95 :
世界@名無史さん:03/03/03 17:21
>85
「無人に近い」ってのは征服した白人側が後付けしたウソでは。
手元に資料がないので、具体的な数字は挙げられないけど…
大黒屋光太夫一行もそうでしたが、漂着者の取る行動としては
@「帰還する」か
A「漂着地に住み着くと決める」か
B「あるいはどちらでもない土地を探す」か
になると思われます。
それぞれの選択に歴史のイフが加わるとすれば、こんな感じでしょうか。
@漂着者が追放・迫害されることなく厚遇された場合⇒
物々交換から始まって技術提供に進むか?⇒
冬の寒さと海鮮尽くしさえ慣れれば比較的他地域より平和なので悪くないかもw(中米のような部族間抗争や人身御供もないし)
しかし・・・恵まれすぎて社会が自給自足で完結してしまい、そこから国家の発生に進まないはず・・・なので
製鉄を覚えた彼らは鉄鉱採掘と薪炭採取のため大量伐採を始めた。
折りしも石斧から鉄製の斧と鋸に切り替えたため、飛躍的に伐採速度は上がった。
近隣民族との交易にも鉄器が使われ、周辺民族へも製鉄技術が広まった。
もともと民族間抗争が少なかった土地なので、この時はよもや軍事利用など思いもつかなかったため
気軽に教えていたのかも知れない。こうして地の利に支えられて製鉄は
北西海岸沿いに広がってゆく・・・(続く:ちと一端中断します)
(パターン@の続き再開シマス)
ところで、淡水と海水、暖流と寒流が交わる絶好の漁場であることに加え、
実は豊かな漁場を支えていたのはこれもまた豊かな森林から
河川が運んでくる肥沃な栄養分であった。大量のプランクトンが陸からの栄養で育ち、
これを求めて多種多様な生物が集ってきた・・・それまでは。
豊富な鉄山と巨木に恵まれたバンクーバー島一帯では木造建築や大型船舶の
建造が盛んになっていった。
この地域で史実でも盛んに行なわれてきた儀礼「ポトラッチ」はやがて
近隣トーテム内に留まらずに広域的に民族間で行なわれるようになっていった。
余剰生産物が安定して得られる土地だからこその風習だが、交流範囲の拡大とともに
トーテム単位の氏族連合から言語集団単位の民族連合へ、さらには小規模国家の群立へと
発展しつつあった。
地形の急峻な北西海岸では平坦地が少なく、針葉樹林が海面スレスレまで広がっている。
複雑に入り組んだ地形のため、統一国家には至ることなく都市国家連合を形成していった。
海の生態系の多様さに比べると針葉樹林のほうは植生も単調で、動物・植物ともに
材木以外の幸はさほど多くなく、ハクトウワシやシカやビーバーを除くと信仰の対象になる陸生動物は少なかった。
タブー感の薄さも手伝って針葉樹林の伐採は加速していった。飛躍的に増した漁獲高は人口の急増をもたらし、
増えた人口は少ない平地を求めて移住・拡散を繰り返して新たな港湾都市を建設する・・・当然伐採を伴って。
漂着者たちは新たに建設される都市でも重用された。
すでに彼らも現地の先住民と通婚し、子を設けたものもいたが
出身地の技術は周囲の高い需要から、次代へと継承されていた。
漂着者の出身地は表日本、当時の琉球、さらに華南の広東省・福建省・
江蘇省など東アジア文化圏の者が大多数であった。
一回限りの漂着ならば年月とともに故国の言語や文化は消失しがちだが、
後からしばしば漂着は続いたため、東アジアの新しい技術や知識は絶えず
供給されたため、数世代にわたる正確な継承を可能にしてきた。
漂着者がもたらしたのは造船と製鉄のみに留まらなかった。
木造建築、文字、貨幣、度量衡、車輪、道教や神道の思想面での影響、
(ひょっとしたら中華海鮮料理が発達したりしてw)
旧大陸から作物や家畜を連れてきたわけではないので農耕や牧畜は依然として発達しなかった。
(難破船にわずかに残った備蓄米で栽培を試みた者もいたが寒冷すぎる北西海岸では失敗に終わった)
中でも歴史を大きく変えたのは漢字の採用であった。
北西海岸は南北1000qほどの土地に20近い語族=言語系統と100を超す言語がひしめく多言語密集地帯。
(ちなみに全アフリカ大陸の言語を集めても語族数はたった4種類でしかない!)
数キロ隣の海岸は全く系統の異なる言語、という環境にあっては
異言語間の意思疎通にはフェニキア文字のような表音文字は全く効果を発揮せず、幸い偶然にも
表意文字として既に長い実績を積んできた漢字が視覚的な共通言語の役目を担った。
(念のため注記しておきますと、北西海岸の言語は漢文そのままでは漢字で表記しきれません。
世界の五指に入る複雑な子音体系や旧大陸にない語形変化を伴うので、漢文をそのままではなく
ある程度は現地流に改変する必要があると思われます〜)
こうして共通文字の伝播は北西海岸に新しい共通の文化圏をもたらした。
先述したポトラッチ儀礼とは、主催者の富裕さを客人に示すための宴会でもある。
気前のよさが周囲の信望と権威を得るため、しばしば物量競争に走りがちで、
招待された者は、前回を上回る大盤振る舞いができなければ信望を失う。
時に首長の座を失脚することすらある(ここで戦争や謀略へと走らないところが偉くもあるんだけどね)。
エスカレートを続けるポトラッチ社会の存続を支えてきたのはほかでもない、
海の幸とそれを養う陸地の肥沃な栄養分であった。
異変は静かに、しかし着実に進行していた。
繁栄をもたらしてきた鉄が全ての破滅の元凶になるとはまだ誰も予想できなかった。
・・・・洪水がしきりに起こるようになってきた・・
・・・・雨の後、川も海も濁るようになってきた・・
・・・・水揚げ量が心なしか減ってきた・・
・・・・でもまあ気にすることないか・・
急峻な地形の土壌を支えてきたのは原生林の樹木と林床部のミズゴケ群だった。
単調な植生に加え、生育速度が遅いため、一本伐採すると元の巨木になるまで百年以上要することを
東アジアの温帯出身者たちは知らなかった。次回の散財儀礼に忙しい先住民達は忘れていた。
伐採で土壌が流失し、保水能力を失った山は頻繁に洪水を起こした。
海に土砂の流入が続き、プランクトンから始まる海の食物連鎖が断たれた。
森林を失った山からは栄養分がもはや流入せず、彼らの生命線であった海産物は日ごとに減少した。
しかし長時間持続する高熱を必要とする製鉄には木材がかかせない。
伐採地はさらに高山や遠くの海岸部へと広がり、伐採地を巡る民族間の衝突がついに発生した。
(五大湖のイロコイ五部族連邦と異なり)この経済的危機感から、合議制の多民族連合が発足した。
漁期と漁場を守る相互協定、森林の年間伐採数、そしてポトラッチの物量規制などの遵守が決定された。
議定書は漢字で記され、各民族に施行された。
このとき準加盟民族も含めると加盟域はアラスカ南端からオレゴン州沿岸まで。
まだミシシッピ文明ともコロラド文明とも遭遇する前のことであった。
やがて海産物や木材がまだ多い地域と残り少ない地域との間に交易が始まった。
海辺まで険しい地形のため、運搬はもっぱら海上交通に依存していた。
伐採の人手や大規模漁(底引き網漁・捕鯨・短期集中の漁など)で不足する
臨時労働力に対して、初めて賃金労働が誕生した。
特に秋場は盛んに他地域への「出稼ぎ」が恒常化し、「労働力の報酬に貨幣を得る」という
新しい経済形態が浸透した。
中には首長の富を上回る収入を稼ぐ者も現れ、ポトラッチで証明し続けてきた
「一番の富者=首長の証明」という旧来の身分制がその説得力を失うと、
社会制度は一気に流動化し始めた。
105 :
世直し一揆:03/03/03 21:46
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけの優しさ・もっともらしさ(偽善)に騙され
るな!!)
●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い)
●他人に異常に干渉し、しかも好戦的でファイト満々(キモイ、自己中心、硬直的でデリカシーがない)
●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする
(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはた
いてい、内面的・実質的に負けている)
●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK!)
●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本
の常識は世界の非常識)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる)
●あら探しだけは名人級でウザイ(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗)
●単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険)
●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい)
●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、
世間体命)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度
も言ってキモイ)
●表面上協調・意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は個性・アク強い)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自ら好んでストイックな生活をしストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬
する(不合理な馬鹿)
●執念深く、粘着でしつこい(「一生恨みます」タイプ)
●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。包容力がなく冷酷)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男
前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
カリフォルニア海流は北西海岸沖から始まってメキシコまで流れる寒流である。
このころ成立した海運専門の職業集団は加盟圏外へも交易の道を探していた。
港湾都市人口が増大し、労働力の移動の活発化に伴い、異なる民族間の通婚が増した。
北西海岸社会は言語系統に基く昔からの社会単位に収まらないこれらの新しい集団の手に
主導権を徐々に移行しつつあった。
視覚的コミュニケーションに限られていた漢字に加え、異言語話者同士が話す機会の増加から、
一種のピジン言語が自然発生した。飛びぬけて有力な大言語が存在しなかったため、
その成立には歳月がかかったが、漢字一字に一語をあてる「孤立型言語(中国語や英語のように語形変化をしない言語)」
が登場すると、未知の土地での交易言語としても活用され、
やがてこれを母語とする世代の誕生を迎える。クレオール言語の誕生である。
どの民族にも属しかねるが最も「北西海岸連合」的な集団の誕生である。
カリフォルニア海流は南下する寒流。人口圧もあり、彼らの多くが新しい土地を
探していたころ、港湾都市間でうわさが流れた。
「温暖で平地の広がる土地があるらしい」と。
発見されたのは後のサンフランシスコ湾。 後にカリフォルニアと呼ばれる地である。
北西海岸は峻険な地形ゆえに領土国家へ移行せず、
港湾都市を新たに建設して人口増に対応してきた。
領土国家が「面」の拡張ならば
都市国家は「点」の増設、といった違いでもある。
漁撈民族であったため、富の源は海中にあり、険しすぎた陸地にはさほど執着しなかった
ことも一因だった。(森林乱伐で意識されてはきたものの境界線の意識は未発達だった)
そんな矢先、噂を頼りにまとまった平野が広がる土地に行ってきたという者が現れた。
大きな入り江があり、温暖だという。
クレオール話者世代の多くはバンクーバー島一帯の諸民族を祖先に持つ。
数世代前、祖地の人口増からオレゴン州のコロンビア川河口域に港湾都市を築いて移住した。
中には漂流者の子孫もいた。製鉄技術は先住民の手で造れるようになったものの、
漢字を操れることから諸都市・諸民族間の通訳・外交の職で重用されていた。
史実でもそうであるように、川ではキングサーモンの遡上、海では深海底引き網漁などで繁栄した。
繁栄による人口増により、新たな移住先を探していたため、サンフランシスコ湾に
多くの人口が移住した。気候が温暖なことも幸いして(災いして?)人口はすぐに倍増した。
ここにもクラマス、マイドゥ、ニセナン、コンコウなどの先住民族が住んでいたが、
彼らの多くは狩猟採集民族であったため、海産物をめぐる衝突を起こすことなく住み分けた。
>>2012年12月23日さん
「産業革命」、今のままではちょっとムリみたいですね…。
>>95 特にUSA地域なんですが、漂着者や初期入植者から一気に感染したようです…。
メキシコやペルーだと元々の人口が多かったのもあって、マシだったんですが。
>>87さん
お、新規参入ですか。それも、かなり「考察」しましたね。
北欧とはまた違った北部沿海文明ですね。なかなかそそられます。
が、無粋ながら突っ込みを(「テメエ、何様のつもりじゃ」と思わないでください…)。
たしかに、「殷の青銅文化がオルメカに伝播した」とか、「扶桑国=アメリカ説」なんかもあるんですが、
ちょとムリがあります…。
ある程度の頻度での「漂着」は、東アジアでかなりの「遠洋航海」回数が必要なんですが、
日本では安土桃山時代ぐらいにならないと……中国でも、明の初期…あ、呉の孫権が南海遠征した事例もありましたが、
そんなに「多い」というわけではないですし…。
「文明開始時期」が後代になるなら、ちょと違ってきますし(けど、他の文明からは隔絶して発展はしそうですね)…。
独特の海洋性文化と言語・文字体系はおもしろいんですが…。
あと、「カリフォルニア」は16世紀のスペイン人詩人が創造した架空地名です。
思い返せば「北西海岸連合」は資源枯渇の危機感から結成したものだった。
港湾都市間の交易も同じ事情からだった。
だがサンフランシスコ湾ではかなりの資源が自給できた。木材と鉄を除いては。
しかも南下海流を逆行してカナダまで北上するにはかなり困難であったため、
自然と交易への依存度は減っていった。
独自の経済圏はやがて自律性を持ち、やがて一入植村から、カナダの連邦政府に
比肩するにまで至る。
一時は独立論も浮上したが、木材と鉄は依然カナダからの輸入に頼るため、
北西海岸連合へは引き続き加盟し続けた。
温暖な気候から自由な気風が育ち、さまざまな学問・芸術が発達したのもこのころである。
こうして西海岸沿いに交易船が行きかい、沿岸都市にはいわゆる停泊港として「宿場町」が発達し、
永年の懸案であった北上行路については短距離航行をリレー式に繋ぐ「駅逓廻船」が
迅速な北上を可能にした。(ただしその特殊技能をカサに着た廻船業者のボッタクリ船代は悪名高かったがw)
あ、ちなみに中国式の「ジャンク」は逆風帆走が可能です。
ちと中断しまつ。
むむむ。大西洋岸海洋性文明とでもいうんでしょうか?かなり面白いです。
2012年12月23日さん、87さんのが上手く混ざり合えばなかなかのものに
なるかと^^
とはいえ、「作物」が無いと…海洋資源だけだと、数千人規模がせいぜいのような。
バイキングは交易民族でしたし。
ヒエとかなら栽培できそうだけど、「伝播」は困難…。
113 :
世界@名無史さん:03/03/05 23:29
age
バンクーバー島文明、「除福船団の一部が漂着」ならなんとかなるかも。
採鉱技術にムギ、ヒエの持参……で、漁業資源。
115 :
世界@名無史さん:03/03/09 14:58
116 :
世界@名無史さん:03/03/09 21:22
オモシロage
117 :
世界@名無史さん:03/03/11 12:28
すごい下がっていたのでカキコ。
前スレが倉庫行きで読めなくなっちゃたので過去の議論が
わからないのですが、フェニキア人が移住したとして、
もちろん旧大陸からの伝染病のせいで原住民はばたばた
死ぬでしょうけど、梅毒のせいで衰退する都市文明とか
あってもよいと思いますがどうでしょう。中世ヨーロッパ
では梅毒のせいで中断した戦争とかいくつもありましたし、
ネイティブアメリカンの血液型がほとんどO型なのもその
せいと聞きましたが。
118 :
出会い系ビジネス他所とは違います:03/03/11 12:33
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119 :
世界@名無史さん:03/03/11 21:40
下がってるなぁ...面白いのによ
>>117 僕も詳しいところは知らないんですが、
「梅毒」は旧大陸由来の病気よりも致死的にはならないでしょう。
…たしかに、フェニキア人渡来時には問題になるでしょうが、
史実を見てると、ヒドイ流行は引き起こしそうにないですし。
121 :
出会い系ビジネス他所とは違います:03/03/11 22:14
2012年12月23日さん、続きは?楽しみにしてるんだけどなあ・・。
123 :
世界@名無史さん:03/03/12 21:33
漏れも楽しみにしてるんだけどなぁ・・ ぜひ続きやってくれ!
所で
>>120 軽く水虫なんかどうだ(藁
(^^)
125 :
2012年12月23日:03/03/13 19:13
じゃあ、リクエストに答えまして(汗)
四世紀にフェニキア人をカリブへと追い払ったミシシッピの民は、割拠や異民族による征服王朝の成立などを経験しながらも、その後長く北米大陸東部一帯の文化的、経済的な主導権を握り続け、この地域は繁栄していた。
また、カリブ海航路の成立と前後してメソアメリカからもたらされた生産性の高いサツマイモ等の新作物の導入などもあいまって、九世紀頃には北米東部の人口は一億を超え、量的には世界でも屈指の文明へと成長して行ったのである。
この大陸は、中国大陸と地政学的な幾つかの類似点が見られた。第一にこの大陸が世界最大級の穀倉地帯を抱えており、またこれといった自然障壁の存在しない巨大な陸塊であった事だ。
目立った半島部はフロリダのみであり(ここはカリブ文明圏に組み込まれているが)山岳もさして峻険とはいい難いアパラチア山脈のみで、巨大な統一国家が成立する条件に恵まれていた。
無論この広大な地域で生活する人々が単一民族であるなどありえない事で、事実南部と北部、アパラチア山脈の西と東では言葉の通じない異民族が生活していて、時折この民族の差異に添って国境線が走り複数国家の鼎立状況が生じたが、
これはあくまでも例外的な事象とされ(この大陸の史家や政治学者達に異常な状態と認知され)、この地域は統一されている事が常態であった。
これには、ミシシッピ沿いの交易圏が果たした役割も極めて大きかった。
この地域の交易活動の活発さが(交易路を保護・維持してくれる)統一政権への人々の期待を生み、割拠の時代でもミシシッピ流域は比較的速やかに統一が回復。
なおかつこの地域は農業面=人口でも他の地域を圧倒する要素を有していた為、北米大陸東部には、ミシシッピ流域を核にした統一国家が度々成立したのである。
フェニキア人が北米東岸からカリブへ移動を余儀無くされた四世紀の事件は、こうした状況が始めて起った結果、発生した出来事だったと言える。
126 :
2012年12月23日:03/03/13 19:15
更にこうした事は、文明の維持それ自体に海洋交易を必要としながら船材に適した森林資源を持たないカリブ、メソアメリカ諸国が台頭し、一方でミシシッピ沿いの森林喪失とこれに伴う五大湖以北の木材供給が拡大した八〜九世紀以降、一層強化されて行く事となる。
ミシシッピから五大湖までが単一の国家によって支配されている事が経済的にも望ましい、と考えられられたのだ。
このようにして成立した北米東部の統一国家は強い専制国家であり、皇帝は比類ない絶大な権力を有していた。
帝国は強力な専制君主と巨大な官僚機構によって支配され、ミシシッピ中流域に建設された帝都には、史上空前の巨大宮殿(テーブル型のピラミッド上に、宮殿を建設したもの)や、
ミシシッピと五大湖を繋ぐ大運河、そして北米大陸を東西真っ二つに分かつ大要塞が建設される。
また、貨幣経済の普及もこの大陸特有の事情からすこぶる早く、タバコや綿花といった商品作物の大増産に帝国は何度も禁令を出しては挫折するを繰り返し、
アンデスの銅を元にメソアメリカで鋳造された貨幣がミシシッピで見つかっても、後世古銭としては殆ど価値が認められない程となるのである……。
ミシシッピその後編です。ミシシッピ流域への評価が過大ぎみかな〜とも思うけどどうせしょうか(汗)
>>123 水虫ですか…あんまり「被害」が無さそうな(「イッヒッヒ作戦」(小松左京)みたいには中々…)。
梅毒に追加ですが、感染方法がアレですんで、劇症的なタイプでも(実際、あったようです)、他人に感染する前に保菌者が死んでしまいます。
>>2012年12月23日さん
おお、きましたか!
で、無粋な突っ込みを…。
「中国」のイメージはいいと思いますが、9世紀に「人口一億突破」はちょっと早いような…。
「大陸統一思想」……ミシシッピの舟運での利益が強いと判断すれば、そんなに違和感はない、かな…。
けど、中国との違いは、大陸国家ながら、海洋性国家として成立していることですね。
キューバやメキシコ方面へ「外征」しそう…。
128 :
世界@名無史さん:03/03/13 21:17
びっくりするほどユートピア!びっくりするほどユートピア!
129 :
世界@名無史さん:03/03/13 21:21
>>1 ここみたいな他スレ情報くれ。オモシレーから小説化しる!
130 :
世界@名無史さん:03/03/13 21:27
>>2012年12月23日さん お帰り。待ってたよ!
132 :
2012年12月23日:03/03/13 22:48
>>前スレのHP化、考えてはいますが……
期待してます(w
133 :
123&129:03/03/14 02:10
>>131 サンクスコ!ROMってたらこんな時間になってたぢゃないか(汗 単発も妄想も
面白いが、こことオーストラリアの地域限定が分かりやすくて(・∀・)イイ!な。それと
参考やお勧めの本の情報もあるといいのだが・・・
>前スレのHP化、考えてはいますが……
前スレミテエ〜o(><)o 漏れも激しく期待してるぞ(藁 >1ガンガってくれ!
134 :
桜47=1:03/03/14 05:18
135 :
桜47=1:03/03/14 05:21
あ、そうか。パート2はとてたさんが建ててくれたんでしたっけ^^;
2012年12月23日さん、まってましたよーー。
∩
∧_∧ | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´Д`)// < 先生!こんなのを発見シマスタ!
/ / |
/ /| / \
http://saitama.gasuki.com/tochigi/ __| | .| | \
\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ \_____________
||\ \
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
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.|| ||
>>桜47=1 ←(゚д゚)ハァ?訳分からんぞ...
しかし>桜47、随時HPや他スレ情報きぼーん。
よろしくおながいしまつ。
139 :
世界@名無史さん:03/03/14 22:18
∧∧ ┌──────────
( ´ー`) < シラネーヨ
\ < └───/|──────
\.\______//
\ /
∪∪ ̄∪∪
>>138 桜47さんは前スレの
>>1です。
HP化は、ほんと気長に考えてください…どのフリーソフト使おかいな…と考えてるところですし(汗)。
架空歴史ネタの本…何冊かはオーストラリアスレに僕が書いたような。
141 :
世界@名無史さん:03/03/15 02:18
∧∧
ヽ(=゚ω゚)ノ″ぃょぅ
〜( ×) オレハ桜47ノコトモマッテタゼ
ガンガッテクレ!!
142 :
世界@名無史さん:03/03/16 16:44
現在、「蘇れ!神秘の王朝古代マヤ文明」ってのがやってる。参考にならないかな。
143 :
世界@名無史さん:03/03/16 21:32
>>142 そのテの雑誌がよくあるよね、最近。やっぱり軍事力が強化される方向での文明進化は起り難い環境だったみたいね。
>>143 いえいえ、マヤも都市間戦争しまくりでしたよ。
まぁ、レリーフによると数人〜数十人規模での奇襲攻撃の仕合みたいなのが多かったようですが。
145 :
世界@名無史さん:03/03/16 22:39
>>144 いやいや、戦争の技術水準っていうのかな〜。
中国やヨーロッパみたいに、古代・中世の技術水準で実行可能な全ての知恵を振り絞り、何万って兵隊をドドーンと用意し、街はおろか、国境線をを丸ごと城壁でかこったりなんてことはして無いわけじゃん。
戦争それ自体も儀礼的(スポーツ的)っていうかね。ヒクソスやヒッタイト、モンゴルのような軍事技術の革命者も現れないし、そういう意味で、軍事力が強化される方向で文明進化が起っていたとは思えないわけよ。
146 :
世界@名無史さん:03/03/16 23:27
インカはその点かなり進んでたやね
>>145 騎馬(別にラクダでもいいですが)がいなかったですからね。
ヒト同士のぶつかり合いのみ…。
アステカでは生贄確保が主要目的(別の意味ですごいかと)ですし。
>>146のインカなんかは集団戦法とかがあったとか…。
148 :
世界@名無史さん:03/03/17 00:48
インカってのはそういう意味じゃ凄い文明ですよね〜。
孤立&馬がいないぶん3000年くらいハンデつけてやったら、それでも十分おもしろい歴史になってたかも。
>>148 史実の侵略でも、「間が悪い」ですからねえ(よりにもよって内戦中)。
またトラメメさんの受け売りですが、馬を養殖しようとしたこともあるので、
ピサロが来たのがあと5年遅ければ、一度くらい「撃退」するのは充分可能だったでしょう(疾病だけはどうしようもないですが)。
150 :
世界@名無史さん:03/03/21 23:42
151 :
世界@名無史さん:03/03/21 23:51
おっ、久しぶりに浮上したね。
カリブの海底遺跡といえばバハマ沖の石畳道路遺構「ビミニ・ロード」も
お忘れなくね。
陸上ならキューバやジャマイカにも球戯場や祭壇がありますよ。
>>150 えーと…、超古代文明スレの前スレに出てきたような。
その地域からは、今まで色々「物証」らしきモノも「出土」したとされてますが、
どれも「信憑性」の点でいまいちですし。
それと、「古代」すぎると発展過程・滅亡原因その他もわからないから、
「IFの利かせ方」が困難になりますし…。
もっとメジャーなテオティワカンだって滅びちゃったわけですし…。
154 :
世界@名無史さん:03/03/26 06:26
age
155 :
世界@名無史さん:03/03/27 16:49
話が止まってるのか?この先を進めてくれ。気になってねむれん・・・。
>>155 前スレ、読めるようになってますから、そちらを堪能するのもまたよいかと。
157 :
世界@名無史さん:03/03/27 23:50
>>126 北米東部の統一国家とか、皇帝の名前なんかの固有名詞を
デッチアゲでもいいから付けておいた方が良かないかな。なんかわかりづらい。
各地の神話・伝説から取る、とか・・・
158 :
世界@名無史さん:03/04/01 04:53
ほす
age
160 :
世界@名無史さん:03/04/08 11:29
2012月12月31日さ〜ん・・・。続き書いて〜・・・。
161 :
世界@名無史さん:03/04/10 13:16
このスレは・・・
2012年12月31日さんを待つスレです
162 :
世界@名無史さん:03/04/11 22:03
止まってる、だから、ageる。
ケツアルコアトル信仰…いや、カーゴカルトかしらん。
同じ気持ちではありますが。
164 :
世界@名無史さん:03/04/13 04:37
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
山崎渉が来たんで保全age
168 :
動画直リン:03/04/20 05:46
169 :
世界@名無史さん:03/04/22 14:51
続きはもうないの?
170 :
動画直リン:03/04/22 14:53
172 :
世界@名無史さん:03/04/27 21:27
ageとくよ
173 :
世界@名無史さん:03/05/02 07:29
174 :
世界@名無史さん:03/05/03 03:43
175 :
bloom:03/05/03 04:21
>>175 596 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:03/05/10 12:16 ID:2+k9hqar
フィリピン海プレと太平洋プレのこの辺の震央は最近活発になっているみたいだから、
もしかすると今日の17時頃に震度5弱以上が来そうな予感。
177 :
世界@名無史さん:03/05/11 07:15
ほすほす
178 :
世界@名無史さん:03/05/16 07:37
あげ
179 :
世界@名無史さん:03/05/21 06:02
age
保守あげします…。
あ、「まとめ」、のたのたと進行してます…かなり、僕が私物化してる内容になりそうなんですが(汗)。
……あちこち「飛んで」いるので大変なのです(僕の技術不足なのもありますが)。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
182 :
世界@名無史さん:03/05/29 09:23
保守しないとやばいな
184 :
世界@名無史さん:03/05/29 10:40
>>176 地震予言している...
神ハケーン!!!
185 :
世界@名無史さん:03/05/31 01:09
予言age
186 :
世界@名無史さん:03/06/01 17:12
2012月12月31日さん、どこ行ったのよぅ。待ってるのに・・・
187 :
世界@名無史さん:03/06/02 16:39
188 :
世界@名無史さん:03/06/11 23:35
あの〜ネタとして追加してもいいのかい?
189 :
世界@名無史さん:03/06/12 04:35
どんどん追加してくれー
>>188 いいですよ。
…「つっこみ」はさせてもらいますけど(笑)。
アメリカ先住民が旧大陸に先駆けて近世に到達し、大航海時代を経て
市民革命や産業革命、奴隷解放などの歴史を刻んでいたとしたら大変面白いです。
2012年12月23日氏に是非ともお願いしたいと思いますが、
もし、氏が来なければ私が書きますよ。
いいかな?
192 :
世界@名無史さん:03/06/14 01:08
中世編1「メソアメリカ・ルネッサンス〜月杖軍の遠征」
12世紀末に興ったメソアメリカ・ルネッサンスの潮流は、メソアメリカの都市国家に
人間中心的価値観によるそれまでになかった文化芸術、科学技術の新しい動きをもたらした。
そして、この時代に始めて登場した芸術家や科学者という職層の人々は各都市の大商人、
諸侯や神官などの特権階級による庇護と資金援助を受け、益々隆盛の域に達するのである。
そんな中、富裕な階層が最も珍重したのは南アメリカ特産の農作物や天然資源だった。
主な交易路として、今まで通りパナマ地峡の密林を経てペルー北部に至るルート(ショコラロード)
が使われていたが、10世紀初頭にこの地に勃興した宗教国家「パナマ信徒教国」はその宗教的な理由から
聖戦と称する戦いを繰り返し、13世紀後半には北はニカラグア南部から南はコロンビア北部までの
広大な地域にその版図を拡大し、陸路による北米と南米との相互交易を軍事的圧力によって
遮断する形になっていた。
しかも1282年には、ニカラグア教の創始者テスカトリポカが天上界に昇天したという伝説が残る
ニカラグア教の一大宗教聖地であるボアコまでもがパナマ信徒教国軍によって占領されてしまったのである。
世に言う「ボアコの聖戦」である。
ニカラグア教は7世紀に興った一神教で、当初は為政者による弾圧を受けるが、創始者テスカトリポカの死後、
彼の弟子たちによる伝道が各地で功を奏し、ついに中米地域において最大の信徒を有する宗教になっていた。
この状況に到って1315年、テスココに亡命していたニカラグア教の法王ツォンパトリ5世はテスココやニカラグアの
湖上都市国家をはじめとするニカラグア教信徒の多い地域の諸侯や大商人に聖地ボアコ奪還を目的とする連合軍結成と
資金提供を呼びかけ、パナマ信徒教国軍との全面戦争へと突き進むのである。
メソアメリカの諸侯にとっても、この地域に植民都市を築くことは交易上の要衝を確保する意味で
重要性をもっていたことは言うまでもない事実であった。
この戦争はニカラグア教の象徴である上弦の月と獣頭の杖から「月杖軍の遠征」と後世呼ばれることになる。
中世編2「月杖軍の遠征〜活版印刷装置の発明」
時に1315年、ニカラグア教の法王ツォンパトリ5世の命を受けたメソアメリカ諸侯連合軍(月杖軍)は
約165000の大軍勢をもって、聖地ボアコの城塞都市を包囲、パナマ信徒教国軍は城内に籠もって
徹底抗戦の構えを見せた。
この籠城戦で特に月杖軍を悩ませたのは重砲による城内からの砲撃だった。
これは通称「パナマ砲」と呼ばれる巨大な石弾を発射する火砲で、これに対する月杖軍の火砲といえば
その射程においても破壊力においても劣っているキトリャ野戦砲しか装備していなかった。
ボアコ城塞包囲から2ヶ月後、パナマ本国から恐れていた約80000の援軍が到着、ボアコ郊外のギア丘陵にて
激しい戦闘が開始された。
この戦闘において史上初めて筒型手銃が主力兵器として用いられた、世に言う「ギアの銃撃戦」である。
数では劣っていたパナマ軍であったが、指火式の旧式手銃が大半だった月杖軍に対し、引き金による点火装置を
もち、照星や照門を備え、狙撃精度において勝っていたパナマ軍の火縄式銃は接近戦で圧倒的な優勢を誇り、
月杖軍に壊滅的な打撃を与えるのである。
そして、このギアの銃撃戦による月杖軍の惨敗はメソアメリカ世界における銃火器の飛躍的な改良と量産という
皮肉な結果を後にもたらすことになるのである。
一方、ニカラグア教の法王ツォンパトリ5世はこの戦役自体は惨敗はしたものの、メソアメリカ世界におけるニカラグア教の
確固たる地位と民衆に対しての絶大な尊崇の念を植え付けるのである。
特にそれが顕著に現れるのは1322年にテスココで発明された活版印刷装置「ユアンケ」の登場を抜きに語れないのである。
ニカラグア教の経典「ソマカ」は本来、修道僧などが一字一句書き写していたが、この印刷装置の登場により、
安価に、しかも凄まじい勢いで民衆にも広まり、その権威を不動のものにしたのである。
近世編1「ニカラグア教の隆盛〜宗教改革」
1322年の活版印刷装置発明という画期的な出来事以来、ニカラグア教は政治的にも為政者との
関わりを具現化していくことになる。
中でも司法権の掌握は当時の民衆に対して、新たな試練となるのである。
ニカラグア教は日に7回もの読経礼拝を強いる戒律があったが、メソアメリカ・ルネッサンスという
自由な気風の中でそのような厳しい戒律から逃れようとする人々が後を絶たなかった。
それに対する教団の方策は徹底した密告とそれによる裁判と公開処刑であった。
しかし、そういった時代に逆行する教団の姿勢に対し、教団内部からも批判の声が上がった、
いわゆる「セーアカトルの宗教改革(1393年)」に代表される「ニカラグア自由新派」の派生である。
そして、それはニカラグア教が南米や北米などに新たなる布教地を求めるきっかけを産み出すに到るのである。
ニカラグア教団は巨大な外洋船からなる船団を組織し、宣教師を中心とした乗組員をカリブ海方面と太平洋方面に
派遣するのである。
その布教範囲は現在のチリ南部から北はバンクーバー島やセントローレンス河口に至る地域に及んだ。
そんな中で、1415年に南米のラプラタ方面に向かっていたある布教船団が舵の故障から航行不能に陥り、
ブラジル海流にのり、さらに南極からの西風海流を経て、アフリカ大陸南端の喜望峰に漂着するという事件
が起こるのである。
この事件により、南北アメリカ文明は全く異質な過程を経たユーラシア文明との出会いを余儀なくされていくのである。
丁度それと同じ頃、地球の裏側、中国に興った明帝国は宦官の鄭和率いる大船団をインド洋に派遣していたのであった。
そしてこれは、南北アメリカ文明と中華文明が近い内に接触することを予感させる出来事であった。
>>てる兄さん
では、無粋なつっこみをば…。
宗教・ヨーロッパ型ですね(…精神史の「構築」は大変です)。
まずアメリカの地で、「一神教が発明されるか」が難しいと思います。
カルタゴ漂着の流れでも、多神教しか知りませんし。
テスココの「ネサワルコワトルの主神」にしても、他の神様を否定してはないですから、アマルナ革命ほどの影響力もなかったでしょうし。
地名…先住民には、大陸全体の名称は無かったそうですが、カルタゴ人が名づけますかね(テュロス・ノバ市を建設したとして…テュロシアとか)。
とはいえ、ニカラグア教(多神教型のキリスト教?)の流れはおもしろいですね。
パナマ信徒教……太陽を模した石造球体を崇拝するのでしょうか。
あとそれから…「様々な歴史」はあっていいと思います。
前スレでも、初期には「別人類」や「絶滅しなかった」ネタがありましたし。
とてたさん、こんにちは。
てる兄です(^−^)
一応、私の空想史は「2012年12月23日氏」が最後に記した75のスレを
継承する形で書いておりますが、氏の空想史の中には宗教に関する記述が見えないのです。
これは重大な問題です。
ヨーロッパ文明が近世〜近代という時代を創出できたのも色々な意味でキリスト教の精神文化が
あったからこそです。
そこで私は氏の空想史にキリスト教的な部分を付け加えることにしました。
一神教の成立とは多神教の到達過程だといえます。
すなわち、キリスト教でいえば、ユダヤ教がギリシア的な人間中心主義哲学によって
全から個への精神的な受容変化があったからです。
メソアメリカ文明においても最初は多神教からはじまり、やがてギリシア的文化の開花に伴って
キリスト的な思想者が現れると考られるのです。
ちなみにパナマ信徒教はイスラム教的な一神教という設定です。
これもまた重要な要素で、ヨーロッパは常にイスラムとの対峙によって
歴史に変革を成してきたからです。
これからの展開としては、中華文明との接触によって鋳鉄と石炭の利用を伝播させ、
アフリカとアジアの植民地化や市民革命による共和制国家の成立、そして蒸気機関の発明による
産業革命という流れを想定しています。
>>てる兄さん
なるほど。
それでしたら、各宗教の歴史も読みたいです(笑)。
ただ、砂漠地方で誕生したキリスト=イスラムと、密林地帯のメソアメリカでの一神教への「進化」はまた違うと思うんですが…。
実際、マヤやアステカの神様は多神教で、都市と時代によっても異なりましたから…。
南米のインカも太陽神インティが一番強いとはいえ、各民族固有の神も祭られてましたし。
まぁこのあたりは「大陸統一国家」が誕生じなかったこともあると思うんですが。
あと、北アメリカ東部は、87さんの「扶桑国」(勝手に名づけたり)ネタも絡めてほしいですね。
ううん、ムリばっか言ってるなぁ…自分。
199 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/16 00:08
87さんのレスで思い出したのですが、13世紀に日本人らしき男女
数人がハワイに漂着して来た、なんて話があるそうです。
江戸時代に漁民がカナダに漂着した例がありますが、「補陀落渡海」
に出た人々のうち何人かは到達していたかもしれません。
鎌倉時代前後に敗れた集団が渡海・・・なんてのも面白いかも。
>>山野さん
たしか、カラカウア王が蒐集したハワイの民話の中にあったんでしたっけ。
「日本刀をもたらし、その家系は残っている」とか…。
けど、一行に女性(男性の妹)が含まれているあたりに、
なんかカラカウア王の「意図」(日本との連合)が働いていた気もするんですが…。
201 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/16 00:16
>>200 まあ元からネタみたいな話ですからね。ただなんで13世紀半ばにし
たのかとか、仰る通り当時の時代情勢とかいった点からみても面白い
話ではある。(スレ違いですが)
今考えているネタとしては、源義経がカムチャツカ、
ベーリング海峡沿いにアメリカに到着というのを考えているんだけど…
204 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/16 23:05
>>203 1000人以上の集団でないと厳しいのでは?
205 :
世界@名無史さん:03/06/17 05:51
Nancy Yaw Davis "Zuni Enigma" は、
「北米原住民ズニ族が、過去に日本文化と接触があった」
という仮説を、言語学的・人類学的に論証しようとした本。
ただ、著者は日本語を話せない人だし、
まして各時代ごとの日本語の違いも判ってないので、
メインで主張されている仮説に納得する日本人は少ないと思う。
でも、この本の中で引用されている日本人の北米漂着の記録は面白い。
これによると、1613〜1876年の間に、
北太平洋各地で遭難した日本船は60隻が記録されているらしい。
江戸時代の造船技術は海禁政策のせいで、もっと昔と大差なかったから、
白人政府が公式記録に残すようになった時代以前にも、
日本の船は、アメリカ大陸に漂着し続けていたはずである。
多分彼らの大半は、歴史に影響を与えることもなく、原住民に殺されたのだろう。
>>203 蝦夷・樺太がせいぜいだったと思います。
>>205 実際、「集団漂着」じゃないと難しいでしょうね…。
207 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/17 23:26
>>206 以前国立歴史民族博物館でやっていた北方の先住民族の企画では江戸
時代にはアラスカ〜シベリア(アイヌなども含む)間の交易はあった
ようですが、12世紀じゃどうでしょうかね。
208 :
世界@名無史さん:03/06/18 00:55
てる兄さ〜ん、続きを読ませてえ〜
209 :
世界@名無史さん:03/06/19 00:58
てる兄ぃ〜いいぞぉ!!続きカキコ汁〜るるるるr〜
これは一応2012年12月23日氏の書いた126レス目を継承して書いた続きです。
ミシシッピ中世編1「統一王朝の成立〜座教文化の興隆」
ここで一旦、中世の北米世界に目を移そう。
北米大陸において初の統一王朝を打ち立てたミシシッピ文明は4世紀に北米大陸東部の
ネオ・フェニキア文化圏をも吸収し、9世紀には量的な意味で世界屈指の文明圏となっていた。
後世、この文明圏を語るとき重要なのは「座教」の存在であろう。
この宗教は片立膝の姿勢で座して長時間に亘り瞑想にふけることからその名が付いた。
座教の起源は諸説あるが、その始まりとも言うべき「初期座教」の発生は3世紀半ばに現在のミズーリ州付近で
貧農の出自といわれる「アセオラ」という人物が苦行の末に教えを説いたのが始まりとされている。
この教えは「全ての人は生まれ持った運命によって死後の世界が選ばれる」という従来の宗教観に対し、
「全ての人は生前の行いによって死後に救われる」という従来とは異なる教えであった。
この事が戦乱に明け暮れていた当時の王侯貴族や騎士階級などに快く受け入れられ、
ミシシッピ川周辺に急速に浸透していくのである。
その後、7世紀後半になると土着の自然崇拝の神々をも吸収した多神教的要素を持った
偶像崇拝の形式が定着する、これを「中期座教」という。
この頃になると各地の王侯貴族は競って、数々の壮麗な石窟寺院の造営に着手するようになる。
中でも、メンフィスのミシシッピ河岸の断崖に20キロにわたって築かれたウイグワム石窟寺院群は当時の座教文化の
隆盛を物語る遺跡の最高傑作と言っても過言ではあるまい。
ミシシッピ中世史2「末法思想〜金属の大量精錬技術」
座教は13世紀になると、開祖アセオラの死後1000年紀により、世界が終焉するという「末法思想」がにわかに広まりを見せる。
そして、この時代の銀を中心とした安定的な貨幣経済は寄進による膨大な富の蓄積を座教寺院にもたらすのである。
この機運に乗じた座教の広まりを「後期座教」言い、潤沢な寄進を背景にして、当時世界最大級の木造拝殿や高さ80メートルを
超える木造の塔などが出現するのである、中でもミシシッピ王朝の帝都アラパホには高さ20メートルに達する史上空前の規模を
誇る鋳銅製の巨大な偶像が造られる。
いわゆる1252年に造営された「オブジワホピの大座像」である。
この鋳銅製の偶像を造営するにあたって、時の皇帝チュマシュ2世は遥か西域のユタの地から銅を輸送するとともに、
銅や鉄をはじめ、金や銀などの希少金属を含めた金属資源の発見と大量採掘を各地の諸侯に奨励した。
このことが後に大型の水車や風車を動力源とする金属の大量精錬技術につながるのである。
元々この地では灌漑農耕用の揚水機として水車や風車などが利用されていたが、大量の鉱石を砕いたり、
巨大な溶鉱炉に空気を送り込むのにこれらの動力が必要不可欠であった。
また、転炉によって炭素の含有量を調節して鉄を溶かす鋳鉄の技術もヨーロッパに先んじてこの時代に考案された。
しかし、これらの大量精錬は一度に極めて大量の木炭を必要としたために、広大な森林が短期間の内に消滅するという弊害も
伴ったのである。
>>てる兄さん
「座教」=仏教ですね。いい感じです。
13世紀というと、史実では同時期に北米では乾燥・寒冷化が始まってます。
森林破壊の影響とあいまって、かなりの影響を北米地域に与えそうですね。
、
) |
( ノノ
, --" - 、
スチャ / 〃.,、 ヽ
∧、 l ノ ノハヽ、 i
/⌒ヽ\ i | l'┃ ┃〈リ 我々の要求は、沖縄県に対する皇民政策の廃止だ
|( ● )| i\从|l、 _ヮ/从 明日米軍基地を爆破する。
\_ノ ^i |ハ ∀ \
|_|,-''iつl/ †/ ̄ ̄ ̄ ̄/
[__|_|/〉 .__/ 魔 法 /__
[ニニ〉\/____/
http://darkelf.dip.jp/doubt/okinawa.html 我々はこれ以上の共産主義化をすることはできない。
よって、我々の民主主義奪還を行うために政府に対し次の通り要求する。
1.沖縄県に対する皇民政策の廃止
2.思いやり予算の撤廃
3.軍事基地の撤去交渉を米国と進める。
4.復興予算案の盛り込み
5.沖縄の議席数を現在の4倍以上に増やす。
>>211 それからの流れとしては
-----------------------
農村の窮乏と労働力のさらなる都市流入
資源の地域格差による都市、地域間の勢力格差拡大
↓
都市国家鼎立、群雄割拠時代。軍事技術の発達
-----------------------
となりえますでしょうか。
座教もまた
-----------------------
社会階級の崩壊と変化に伴い、信者はより下層階級、自由階級が中心となる
布教が行われ、民間信仰としての座教教団が多数発生する。
↓
かつての権力者信仰としての座教は、帝都、諸侯、およびそれに対抗する群
雄がそれぞれ保持するようになり、民間信仰教団とは別のものとなっていく
↓
教義自体も道徳哲学的な寛恕なものから、生活規範全てに及ぶセクト的な
ものまでに分かれ、それがここの群雄に大きな影響力を齎すようになる。
一向宗のような強力な勢力として存在することもあるだろうし、また宗教戦争
も一部または全体で発生する。
-----------------------
となっていくでしょう。
しかし、この結末としての大陸再統一国家において、自然崇拝的多神教である
座教が、社会制度全体に及ぶ大きな規範原理としての役割を果たすことは
おそらくなく、最終的には日本のように権力から排斥されていくでしょう。
しかし日本と大きく異なることは、気候の乾燥・寒冷化という問題で、これは
社会階層の二極化、遊牧勢力の台頭、既存都市文化の破壊などを齎す可能
性が高くなり、どちらかというと中国化していくことが考えられます。
、
) |
( ノノ
, --" - 、
スチャ / 〃.,、 ヽ
∧、 l ノ ノハヽ、 i
/⌒ヽ\ i | l'┃ ┃〈リ 我々の要求は、沖縄県に対する皇民政策の処分だ
|( ● )| i\从|l、 _ヮ/从 明日米軍基地を爆破する。
\_ノ ^i |ハ ∀ \
|_|,-''iつl/ †/ ̄ ̄ ̄ ̄/
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[ニニ〉\/____/
http://darkelf.dip.jp/doubt/okinawa.html 我々はこれ以上の共産主義化をすることはできない。
よって、我々の民主主義奪還を行うために政府に対し次の通り要求する。
1.沖縄県に対する皇民政策の処分
2.思いやり予算の撤廃
3.軍事基地の撤去交渉を米国と進める。
4.復興予算案の盛り込み
5.沖縄の議席数を現在の4倍以上に増やす。
217 :
世界@名無史さん:03/06/25 22:50
東アジアから北米というルートについて少し考えてみましたが……。
やはり中国か日本からしかないようです。
春秋戦国時代に戦乱を逃れた中国人が日本に渡って文明を伝えた、
という話がありますが、それが使えそうな気が。
王朝滅亡時に逃れた皇帝の一族が沿海州を伝ってアラスカから北米に、
というルートはどうでしょう。
無理っぽいかな……。
218 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/25 22:55
>>217 やはり徐福ですか。カリフォルニアに誕生した支那風国家、11世紀
に補陀落渡海の船が漂着して仏教伝来→その後も定期的に漂流者を受
容・・・なんてものを妄想。
>218
私が考えたのはもうちょっと後ですね。
秦の頃だと日本に漂着するのがせいぜいで、そこに定住できそうですから。
1.遠洋航海がそれなりに出来る
2.日本、朝鮮半島の文明レベルがそれなりにあり、定住できない。
(定住しようとすると現地民と衝突するから)
でないと、中国から北米に移住させるのは難しいと思いましたので。
>219
南宋の宮廷が元の追撃から逃れる……
方向も違うし秦とは1000年違うか…
>>220 それだと宮廷だけ鎌倉か京都に亡命するんじゃ・・・当時の公家では
漢詩が呉音で発音されていたらしいので、そのまま会話出来たかも。
建文帝はどうでしょうか。鄭和の艦隊が東アフリカまで行ったのは彼
が生きて逃れたという未確認情報によるものであったともいいますし。
ただこれだと時代が下り過ぎますか。
>221
南宋の場合はそのままベトナム北部へと亡命する可能性が高いと思われます。
>220氏の提案は非常に魅力的で、中国の正統王朝が北米で群雄割拠の
一翼を担うというなかなかな展開が出来るので、一度考えはしたんです。
ただ、既に確度の高い亡命先があるので、泣く泣く見送りました。
今考えているのは五胡十六国の当たりで何とかならないかなという事なのですが……。
海を志向している国はあったかと調べています。
小松左京のネタで、「オルメカと殷の青銅器の類似性」から、殷周革命の時のアメリカ渡来というのもあります。
山野さんもあげてる徐福が一番「やりやすい」とは思いますが(87さんのネタは漂着民のみですが)。
そういえば山形県三崎山遺跡から殷様式の銅斧や刀子が出土したとか
いう話がありましたね。オルメカというと黒人渡来説ですが。
>221
じゃあ壇ノ浦から幼年の帝と天叢雲を擁した船団が……
義経の陸路ベーリング越えよりは現実的だとしても方角が正反対だっつーの
>222
ああ、既に考えられてましたか。
五胡十六国ネタ楽しみに待ちます。
渤海国あたりはどうでしょうか?
そこそこの技術を持って蝦夷ルートで亡命しようとした結果、
大黒屋光太夫と同じアリューシャン列島に漂着というのは…
>>山野さん
オルメカ…巨石人頭、モンゴロイドにも見えますから…。
もう少しアフリカから伝来したモノがないと説得力が足らないんですよね…。
(ツリ目の土偶なんてのもありますし)
>>226 渤海…、
ウマそのものが、東シベリア〜アラスカルートを移動するのが困難ですから…。
>>225 「大陸までも落ち延びましょう」と言っていましたがなにせ方角が。
船の大きさも足りませんしね。
>227
勿論私も信じてはいません。
( ゚Д゚)y─┛~~いっそのこと、シベリアに大国家つくるか? あるいは、渤海の版図を北に伸ばすとか。
230 :
世界@名無史さん:03/06/26 00:39
アフリカがらみの謎といえば・・・
アフリカ原産の作物、ヒョウタンについて・・・
コロンブス以前から南米では大西洋側から太平洋側まで
広く栽培されていたことが未だに謎とされています。
原産地の西アフリカ・ギニア湾岸から何者かが携えて渡ってきたのか?
嵐で実だけが大西洋を渡って漂着したのか?
それともたまたまよく似た南米大陸の固有種を栽培していただけのこと?
定説はいまだないようです。
縄文時代の遺跡からも出土していますね。>瓢箪
実はアフリカ原産の雑穀というのは非常に多い。
だから京大の農学部の先生がミレットロードという仮説を立てている。
やっぱり孤立した大陸であることが不利だねぇ・・・
そういえば、タバコもアメリカだけじゃなくアフリカやオーストラリアにもありますからね。
「先住民の利用」がごくごく限られたものだったので、波及はしませんでしたが。
235 :
世界@名無史さん:03/06/28 19:35
もっともっと盛りあげてage
2012年12月23日さんの宗教ネタをサルベージ。
898 名前: 2012年12月23日 投稿日: 03/01/08 01:10
例えば、メソアメリカの『人はトウモロコシを錬って神が作った』なんて考えは、
北米東部に農耕文明がおこれば素直に受け入れられるでしょうね。
赤い土をこねたって話よりは凄くシンプルで説得力があると思う(w
ただ、太陽信仰はさほど強固なものにはならないんじゃないかなぁ。
あと、なにげに生贄の考えも残っていくような気がします。
まぁこれはおば捨てや子供の間引きに『理由』と『救い』を与える為で
(球技の勝者を生贄にする、生贄は名誉だなんてな発想は凄く都合がいい)、
イスラムの一夫多妻のように時代が下り生活水準が上がれば形骸化していくような感じで。
貧しい時代では貧者が幼児や老人を神殿にそっと託し、
豊かな時代ではトウモロコシで作った人形を身替わり(ハニワ?)にしてたりして(w
あと個人的に、気球で死者を空に送る風習がナスカ人にあったとする説、
凄く好きなので、あれも使えないかなァとか妄想しますね〜。
山の奥底にあるマチュピチュみたいな宗教都市。
ある程度豊かな人々の遺体(ミイラ)が運ばれて来て、
決まった葬送の日(気球を飛ばすのによい環境が整う季節)、
パーっと数百〜数千の気球が空に舞い上がり、地上には天に祈る神官や遺族、
そして計画的に建設された、巨大な絵画のような都市が広がり……みたいな。
中国から北米への「移住」ですが……五胡十六国時代は無理なようです。
国の興亡が激しく、亡命が起こりそうな北部は騎馬民族なんかの出で、
海へ逃れるという発想は出なさそうです。
という事で、時代を少し下って考えました。
南北朝から唐という事になるのですが……ここで一つ。
紙の発明は唐代。唐の滅亡時に紙をはじめとするもろもろの技術を持ち出して、
北米へ移住させたらどうであろう、と。
黒潮に乗って北太平洋へ、アリューシャン列島に漂着。
そこからさらに温かい土地を求めて南へ下り、ロッキー山脈の西側へと広がっていく。
また、中国大陸へ戻ることが目的なので、太平洋を舞台とする、
ヨーロッパのそれより数百年早い大航海時代も出来るのではないか、と妄想。
いかがなものでしょう?
>>237 唐代でも、「日本」で済んじゃうような…。
>>87さんへのつっこみとかぶりますが、アリューシャンは農耕民が住むには過酷すぎます。
アラスカ・カナダ太平洋岸の方が「マシ」ではありますが、作付できるのはアワ・ヒエ・ソバ程度でしょう。
239 :
世界@名無史さん:03/07/03 03:52
期待age
宇宙人がUFOに乗ってやってきて文明を齎したというほうがまだ現実的かも(笑)
241 :
世界@名無史さん:03/07/05 06:15
>>240 「何故そこにそんなモノを遺したのか」という根本的な疑問に答えられませんから。
逆にいえば「何でもアリ」になるからこそ、SF・ラノベなんかでよく使われるんですけどね。
243 :
世界@名無史さん:03/07/05 18:59
日本史で使えそうなのは、阿倍頼時、貞任親子とか。
十三湊で大陸と交易してたみたいだから、船はあったでしょ。
そもそもアイヌって、クリルまでは行ってるよね。
アリューシャンまではどうか難しいけど。
行けるかどうかってことだけなら、原始人がベーリング渡ってるわけだし。
むしろ文明発展に致命的だったのは、遺伝子のバリエーションの乏しさだったと考える。
そういう意味では、ニューファンドランドに来たバイキングの数がもっと多く、原住民と
混血してたら、かなり違った文明が出来たかも。
244 :
世界@名無史さん:03/07/05 19:07
>240
フロンを多量に含んだ小惑星か彗星が地球に衝突。
地球の温暖化が急速に進行したっていうのはどう?
あるいは、なんらかの理由で地軸がずれて北極がヨーロッパ側に移動しちゃったとか。
科学的に可能性のあるイベントで地球環境自体を変えてしまえば、
歴史はいくらでも変えられる。
245 :
世界@名無史さん:03/07/05 19:26
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>>243 「遺伝子のバリエーション」…そんなに大きな問題ではないと思いますが(疾病に対する抵抗性は、家畜不足が原因ですし)。
文化・文明はなかなかに多様ですよ。
>>244 えー、「妄想で架空の歴史スレ」へどうぞ。
248 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/07/05 21:42
>>243 『今昔物語集』に十二年合戦の直前に安倍一族が海を渡って新天地を
求めたものの、モンゴルらしき土地で騎馬軍団に遭遇し恐ろしくなっ
て陸奥へ戻ったという話がありました。単に当時の「北方観」を示し
た創作話ともとれますが。
>244
> フロンを多量に含んだ小惑星か彗星
この時点ですでに、科学的というよりは似非科学的になってしまっているわけだが。
250 :
世界@名無史さん:03/07/06 13:13
>>244 つか、温暖化する前に粉塵で太陽光線さえぎられて寒冷化するがな
251 :
世界@名無史さん:03/07/07 01:37
盛り上がってますねぇ〜〜〜 イイヨイイヨ〜
252 :
世界@名無史さん:03/07/07 17:09
>247
偏った知識でこういうテーマは論じない方がいい。
253 :
世界@名無史さん:03/07/07 20:36
2012年さん、てる兄さん、どうしちゃったのよ〜
続きを待っておりまつ〜
254 :
世界@名無史さん:03/07/08 06:45
>250
それでは逆効果だ。
温暖化する方法を考えてくれ。
>>252 たしかに僕は厨なんですが…、
このスレは前提条件である「銃・病原菌・鉄」の、「人類は、その環境での「差」によって現在に至った」に基づいてますから。
256 :
世界@名無史さん:03/07/09 00:21
>252
まあ難しいところで、この手の文明論めいた話は
できるだけ変数を絞り込んで語ったほうがユニークな意見になるということもある。
もちろん、視点が偏りすぎていると独りよがりになっちゃってつまんないんだが。
258 :
世界@名無史さん:03/07/09 06:47
>255,257
なるほどね。
個人的には、人文的なバリエーションだけで米大陸に高度な文明を発展させる
ようなバリエーションを考え出すのはかなり無理なんじゃないかと思ったので、
むしろ自然科学的なバリエーションから出発した方がベターなんじゃないかと
考えたんだが、そういう主旨なら撤回するよ。
259 :
(;´Д`):03/07/09 07:33
>>258 とはいえ、「他方面から見た流れ」があってもいいとも思いますけどね。
前スレにもいくつかありましたし。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
263 :
世界@名無史さん:03/07/16 01:30
お`
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
265 :
世界@名無史さん:03/07/18 11:17
>>264 そんなことはなーんにもだーれも聞いていない。
267 :
世界@名無史さん:03/07/20 21:44
イヒヒヒヒ
268 :
世界@名無史さん:03/07/24 01:32
み、皆さん、お元気ですか?止まってるなぁ・・・
269 :
世界@名無史さん:03/07/27 12:25
見てる?
お元気ですか?元気だといいな。
私は引越しして結構経ちます。頑張ります。
271 :
世界@名無史さん:03/07/30 22:19
もぉ、バカー
test
274 :
世界@名無史さん:03/08/07 02:21
275 :
世界@名無史さん:03/08/07 02:23
test
>>244 フロンは化学合成してつくる人工の分子なので、そのような小惑星の形成には非常に人為的な力がかかっているとしか考えられませんね。
宇宙人が地球にやってくる確率の方がまだありえるかと
「まとめ」諦めてませんです…まだまだ時間がかかると思いますが。
279 :
世界@名無史さん:03/08/15 03:41
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
281 :
世界@名無史さん:03/08/20 16:58
282 :
世界@名無史さん:03/08/26 05:15
283 :
世界@名無史さん:03/09/02 14:13
そろそろフェニキア人が大平洋を探検して中国との貿易ルートを開拓しそうな気がするがどうか?
>>284 2003年12月23日さんが書き込まなくなってから幾星霜。確かにフェニキア人(
性格にはその文化を受け継いだ文明の人々)も、様々な時代を経て、太平洋の大
海原に大航海時代を現出してるのでしょうか。
286 :
世界@名無史さん:03/09/08 02:17
287 :
世界@名無史さん:03/09/08 04:10
やっぱり、ジャレド・ダイアモンドの
『銃・病原菌・鉄』がもとネタのわけ?
それにしても、すごい妄想力だね、小説が書けそう。
私としては、高度宗教がいつ、どこで発生するかっていうのに興味があるね。
高度宗教の潜在的な機能として
「その宗教を信仰する集団内部での階層秩序を、正当化する。」
「異教徒に対する侵略・虐殺行為を正当化する。」の2つがあって、
これがあるかないかで、大違いだと思うんだけど。
新大陸に渡った勢力が南北2つに別れて、
パナマのあたりで衝突を繰り返すっていうのはどうかな?
で、「新大陸のパレスチナ」と化した中米から、
キリストに匹敵する宗教的天才が登場する。
288 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :03/09/08 04:38
289 :
世界@名無史さん:03/09/08 09:22
アステカの宗教はかなり組織化されてたから、高度宗教まであと一歩だったと思うんだよ。
生贄という形で、虐殺の正当化もやってたわけだし・・・
偶像崇拝の域を脱することが出来なかったのは、
やはり文字が普及してなかったせいか。教典が作れない。
高度な宗教より先に共産主義が発明されてしまうというのはどうだろうか?
291 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :03/09/10 21:43
>>289 ケツアルコアトル信仰とかその前のジャガー信仰とか…。
ユイツロポチトリ信仰は難しかったかも。
文字の普及率は重要ですよね。
トラメメさんは普及するようになるまで文明が持たなかったと言ってはったような。
ただ、中米・南米ともに多神教型になると思います。
>>290 ティノチティトラン市民は「平等」だったとか…。
インカは絶対王政だったから、そこから革命…ちょとムリがありますな。
292 :
世界@名無史さん :03/09/11 15:03
毎回楽しみに覗かしてもらっております。
あまりにも楽しいので自分もちょこっと・・・。
えー、もしかしたら話の腰を折ってしまうかもしれませんが、
そろそろこちらのIF世界におけるアメリカ5大文明(ミシシッピ、西海岸、カリブ海、メシカ、アンデス)
も爛熟期に入り、
ユーラシア文明とのファーストコンタクトも迫ってきております。
そこで13〜16世紀くらいのユーラシアの概況を見てみるもの悪くないと思います。
とんでもなく独断と偏見ですが、以下にユーラシア文明変遷史をば・・・。
文明の曙より農耕定住文明と遊牧騎馬民が通商し、また合い争うことにによって、
10世紀ごろまでには大きく分けて
・キリスト教文明(主にヨーロッパ)
・イスラーム文明(中東、北アフリカ、北インド、中央アジア)
・インド文明(南インド)
・中華文明(東アジア)
の4つが形作られてきました。
海や陸のルートによる通商、交渉はありましたが、
それぞれ独自の世界、技術を発展させています。
その中でも10〜12世紀の段階では一番若いイスラーム文明が盛況となり、
他を圧します。
しかし13世紀に一大異変が・・・。
地球規模の乾燥化により騎馬遊牧民が一斉に南下をはじめ、
その中でもテムジン率いる青き狼が世界を席巻、
大蒙古帝国(イヘ・モンゴル・ウルス)を建国。
その中にあってイスラム系商人が帝国の隅々にまで網を広げ、
4大文明間の人・もの・技術の流れが促進されます。
しかし、帝国は度重なるお家騒動により早くも14世紀前半には解体。
また、大船の沈没に巻き込まれるようにイスラム文明も衰退へと向かっていきます。
えー、すいません。世界史版の皆様には釈迦に説法のごときものを長々と・・・。
デ、これからが本題の各論になります。
まずは、アメリカ文明と一番接触が早いと思われるキリスト教文明。
@農業・・・主食は大麦、小麦など。地中海ではぶどうやオリーブ栽培も。それに酪農も盛ん
A産業・・・羊の放牧と毛織物業、造船と運輸、金融業が盛ん。
B特産品・・ぶどう酒、毛織物、大小重火器
C軍事・・・毎年どこかで戦争がおこるため、新兵器、新戦法の取得には貪欲。
D宗教・・・キリスト教。排他的かつ攻撃的。
E特徴・・・13世紀ころまでは後進地域であったが、イスラムや他文明から知識を吸収。
会得した知識は必ずマニュアル化するため、早期に広範囲にわたって文明の底上げが行われる。
それにより特に軍事に関しては人類史上驚異的な進化を遂げる。
また経済的にも金融業において簿記会計などきめの細かいシステムが発展し、富の蓄積が進行中。
しかし政治的には皇帝、国王、諸侯、教会などの勢力均衡により分裂が向上しており、
他文明への侵攻はままならず、地中海東岸の十字軍国家郡への支援も滞り、立ち枯れつつある。
しかし、15世紀になるとレコンキスタ(国土回復運動)で勝利を収めつつある、
イベリア半島諸国が得意の海軍を動員し、ゲリラ的に他文明への無差別攻撃を開始する事となります。
次はイスラム教文明です。
@農業・・・主食は大麦、小麦など。域内に乾燥地帯が多く遊牧民を多数抱える。
A産業・・・交易が盛んだったが、陸上貿易は停滞気味。インド洋の海上交易は盛況。
B特産品・・胡椒、じゅうたん、コーヒーなど。
C軍事・・・オスマン帝国以外では重火器による新たな戦術・戦法に乗り遅れている
D宗教・・・イスラム教。厳格な一神教だがキリスト教よりは寛容。
E特徴・・・大蒙古帝国の解体により中央アジアの遊牧民が活発化。
文明の中心地であるシリア、イラン、北インド地域ではその被害をもろにかぶり、
遊牧民による新たな征服王朝が開かれても、足腰が立たぬうちにすぐ
別の遊牧民により攻め滅ぼされる・・というサイクルを繰り返す。
(チムール朝、黒羊朝、白羊朝、デリースルタン5王朝など)
それにより知識の集積がストップし、文明自体も停滞。
しかし、15世紀にイスラム文明としては辺境であったアナトリアにオスマン帝国が出現。
イスラム知識人を迎え入れると同時に新興ヨーロッパ文明も貪欲に吸収。
一大帝国を築きつつある。
インド文明です。
@農業・・・大麦、小麦とかでいいのかな?
A産業・・・綿織物とかかな?
B特産品・・ダイヤモンドなど宝飾品とかかな?
C軍事・・・象部隊とか通常配備していたんでしょうか?
D宗教・・・ヒンズー教でいいのかな?
E特徴・・・ごめんなさい。
この時期の南インドに関しては私はまったく知識をもっておりません。
古代においては、ゼロの概念や多種多様な哲学を創造し、
近代おいては大英帝国を支える一大植民地になったのは知ってますが、
ムガル帝国の侵入以前はまったくどうなっていたのやら・・・
>>296 >@農業・・・大麦、小麦とかでいいのかな?
米を忘れちゃいけません。
印度は世界第二位の米産国です。
印度の食文化は支那と同様に米食地域と麦食地域に分かれております。
最後に中華文明です。
@農業・・・北部は小麦、大豆など。南部は米。
A産業・・・製陶や綿・絹織物が量産化。
B特産品・・絹織物、陶磁器など。
C軍事・・・歩・騎兵による従来の戦術に追加して、神威営による重火器部隊も登場。
D宗教・・・儒教、道教、仏教など。他宗教には寛容。
E特徴・・・明王朝です。いわゆる皇帝独裁が完成した時代です。
この時代、前半は北慮に、後半は南倭
に脅かされますが、十分跳ね返す国力があります。
また、内に目を転じると新安商人やら山西商人などが勃興し、
家内制手工業や金融業が大いに発展、
そして15世紀には日本からジャンジャカ銀が流入し、
資本の蓄積が進み、科学技術が大いに発展します。
イスラムが衰退し、ヨーロッパが勃興したばかりの14,15世紀に
海洋へ植民地を求めたならば世界史は違ったものになったでしょう。
しかしジャレド・ダイヤモンドいわく『政治的統一の悪しき影響』
というものが中国の世界覇権を阻止しました。
ようするに皇帝が馬鹿ばっかり・・・。
長々とすみませんでした。アメリカ文明のスレッドとはわきまえておりますが、
今までの流れですと14〜16世紀にアメリカとユーラシアの文明が接触しそうだということ。
であるならば、どの時点に、どの文明同士が、どのように接触するのか!!
その結果どのような事態が起こるのか!!
15世紀以前にミシシッピ帝国がヨーロッパを攻めたらどうなっちゃうの!!!
毎回覗かしてもらうだけだと歯がゆくなり、釈迦に説法とはしりつつもユーラシア文明の
概況などを書かしていただきました。
それでは長々とスレ汚し申しわけありませんでした。
297様 ご指摘ありがとうございます。
インディアンもちつく、かもしれん
/\⌒ヽペタン
/ /⌒)ノ ペタン
∧_∧ \ (( ∧_∧ おい、おまいらもちつけ!
(; ´Д`))' ))(・∀・ ;)
/ ⌒ノ ( ⌒ヽ⊂⌒ヽ
.(O ノ ) ̄ ̄ ̄()__ )
)_)_) (;;;;;;;;;;;;;;;;;;;)(_(
302 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :03/09/11 21:52
>>292 いえいえ、お気持ちはよくわかりますから。
どこまで「発展」しているか・どんな「接触」があり得るか
は「萌える」ところですし。
>>300 >>301 アメリカ原産の農作物では、「餅」はできないような…。
以前、ニカラグア教団が布教船団を組みラプラタ川河口まで到達、
海流に乗りアフリカの喜望峰へ至るというスレがございましたが、
海流や季節風の動きを見るとカリブ海から大陸に沿って南下しようとすると、
南赤道海流を逆流することになります。
ブラジル=アマゾンを超えるのはちと苦しいのでは・・・。
北・中米から大西洋に船を浮かべればメキシコ湾流、
もしくは偏西風に乗り強制的にイギリス、スペインに到達してしまいます。
私もユーラシア文明とは、アフリカ東岸もしくは喜望峰で静かに接触させたい
のですが、天の神様はそれを許してくれなさそうです(泣)。
4つの文明のなかで新大陸とのファーストコンタクトする可能性が最も高いのは
やっぱり史実通りにヨーロッパだね。
位置から言ってそうならざるをえない。
ヨーロッパ 7
中華 2
イスラム 1
印度 0
くらいの確率でしょう。
やっぱり大西洋と比べると太平洋は広すぎる。
とてたさんを「時空のクロスロード」スレで発見。
ああいう滅亡の危機の後の復興話っていいですねえ。
このスレも中世が終わり、近世に入るころかな?
306 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :03/09/14 11:49
>>303 >>304 元々、アメリカ側は「知っている」わけですからね。
ヴィンランドあたりからの交易再開もありえそうですが。
>>305 あの手の話は好きです。
「近世」はかなり難しいんですよね…。
307 :
世界@名無史さん:03/09/21 07:14
308 :
世界@名無史さん:03/09/25 23:16
309 :
世界@名無史さん:03/09/27 23:17
(ハト
310 :
世界@名無史さん:03/09/27 23:18
311 :
世界@名無史さん:03/09/28 12:54
他スレで見かけたのでアゲまつね:
331 名前:桜47 投稿日:02/03/25 03:37
欧州暦1500年代。
文明の先進国たる、欧州、亜細亜、亜米利加で機を同じくして大航海時代
が始まった。欧州は、スペイン、イギリスが、亜細亜は日本が、亜米利加は
マヤ第11王朝がそれぞれの担い手だった。。
だ、だめだ。。。妄想できない(;;)せっかく別スレで盛り上げられたもしも亜米利加大陸に
旧大陸に匹敵する文明があったらを書こうとしたんだけど・・・。
もうちょっと充電します。。
312 :
300の人:03/09/29 18:41
インデアンもちつかない
インデアン禁煙する
インデアンキムチ食うかも、しれない
インデアンカレー食う あっちのほうのインデアンね
313 :
世界@名無史さん:03/09/30 01:14
桜47サンはここでお見かけしないと思っていたら、ほかスレに居るのね〜
浮気しないでね
>>311,313
前スレ1=桜47です^^;
ちなみに
>>311が引用しているスレも立てました。今はここ1本ですよー。
今は停滞していますが(w
>>310 ぽ。(*^^*)
まだまだ、このスレは育てたい。だけど、文才ないので誰かに発展してほしいなあ。
ごめんなさい…纏めも諦めてはいないんですが……。
316 :
ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :03/10/07 14:39
■民主連立の7つの政権公約■
1.自衛隊は公安に統合し、軍事力を核技術へ移行します。
海外の拉致被害者も、金正日に逮捕状を出して強制上陸します。
(逮捕に失敗したときは、迷わず核兵器を使用します。)
2.治安重視型の国連を再建し、日米安保の一極集中的なリスクを分散します。かつ、自衛隊を統合
した公安が国連とPKO活動に従事します。
3.国債赤字の解消のために、赤字国債を発行限度額にまで達している米国への依存型国家を脱却し、
沖縄政府に非天皇制の共産経済特区を認定し、沖縄の国会議席数を4倍に増やします。
4.思想の自由競走を保護し、計画的な国民性を育てるために民放規制法案を成立し、
有害なメディアの情報を法的に分類化し、放送時の情報危険度の明示を義務化します。
A:国民の生命、および財産に直接的に関する、最低必要な事実だけを伝えるもの
B:多彩な出来事を元に、編集されているもの
C:様々な観点から、解説を織り込むもの
5.闇金・パチンコ等有害資本規制法案を成立し、過剰な広告や刺激から、精神的
道徳を尊重します。
6.自国民の死刑制度を廃止し、新たな犯罪者の創出を予防する手段として、
超法規的処置を審議する社会環境評議委員会を設置します。
7.義務教育における英語に、韓国語と中国語を加えて自由選択とし、海外で活躍する
将来の人材の活動範囲を広げます。
旧自由党党首だった小沢一郎氏は「日米安保にいつまでもしがみついているような自民党のやり方では、いつまでたっても日本は世界に認められない。
我々は本当に、独立国家なんだということを、沖縄と一緒に考えていきたいと思う。」と述べた。
写真:
http://darkelf.dip.jp/img/yuta2.jpg
318 :
世界@名無史さん:03/10/18 23:41
319 :
世界@名無史さん:03/10/22 15:26
320 :
世界@名無史さん:03/10/24 03:19
ホッシュ
321 :
世界@名無史さん:03/10/25 07:29
太平洋を押し渡って、アジア各地に植民国家を樹立。
日本ももちろん、植民地となり、米のプランテーションが行われた。
322 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :03/10/25 18:26
太平洋を渡るのは困難でしょう…。
「西アフリカでトウモロコシプランテーション」は有りえるかも、ですが。
ハワイ経由、あるいは仏領ポリネシアやキリバス経由で、島々に補給基地作って
渡れないもんだろうか?
そこまでして渡りたいか?
325 :
世界@名無史さん:03/10/27 18:02
北周りで、カリフォルニア→バンクーバー島→アラスカ半島→
アリューシャン列島→カムチャッカ半島→千島列島→北海道
というコースがありますが。
やってくる動機としては、アメリカ大陸で食いっぱぐれた、
沿岸漁労民とか。
個人的には、できればそういう方々には海賊ってほしい
小説の続きまだ?
>>325 気候が不安定っぽいが。
渡る理由:中国との交易で大儲け。
329 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :03/10/29 21:59
>>323 >>325 アメリカからアジアはかなり難しいでしょうね。
インカはガラパゴス諸島を知ってたそうですけど…。
330 :
世界@名無史さん:03/10/29 22:17
>>325 つか、近場の中央アメリカ沿岸で漁をすれば済みそうだが。
>>329 アメリカ→アジア航路には最低どれだけの技術が要りますかねぇ。
そこそこ正確な時計と地球儀があれば天測で現在位置を把握できるかな?
あとは壊血病対策?
332 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :03/10/30 23:51
>>331 「技術」よりも「動機」が重要かと(アジアではせいぜいオーストラリア北岸まで)。
上に少しでていた、「太平洋岸のアジア系渡来民」がある程度発展すれば故地へ戻る可能性もありえますが。
333 :
世界@名無史さん:03/10/31 01:20
このスレの1・2を通して思っていたのですが、
地理的な情報が乏しかった時代に
存在すらまだ知らない新大陸を「目指す」などということが実際に起こりえたのでしょうか?
あたかも行く前から新大陸の存在を知っていたかのような航海ってのは・・・ウーム
新旧大陸の接点を求めるあまりつい見落としがちですよね。モレモナー
そもそも「目指す」以前に「新大陸を目指そうと思い付く」こと自体が
果たして起こり得たのだろうかと素朴に疑問でして。
コロンブスの場合は「ジパングの黄金」という明確な目標と前情報(?)を一応持っていたわけで。
アジア←→アメリカ間に、互いの大陸の存在を(状況証拠でもいいから)
予感・予測させるものが存在しないことには、長距離航海してまで「あっち」へ渡ろうという発想すら
発生しないと思うのですよ・・・・どうでしょ?
宗教的な動機があればいいですね。
太陽を追いかけていたら西洋(あるいは新大陸)にたどり着いたとかの。
>>333 地球球体説を証明しようとしてうっかり新大陸に辿り着いてしまった。
336 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :03/11/01 10:29
>>333 カブラルのように、「目指していないのに着いた」があります。
(生還しないといけませんが)
>>334 >>335 「実利」が無いと難しいかと。
337 :
世界@名無史さん:03/11/01 10:32
エリクソンは追放されてやけになってるうちにたどり着いた。
歴史を考えると、
「インドに行こうとして間違えて新大陸に着いてしまう」とかそういうパターンが妥当のような。
339 :
世界@名無史さん:03/11/02 16:24
「南アメリカ⇔アフリカ」のほうが、まだ可能性があるよね・・・
SF的なのを妄想してしまったんだが、どこに書けばいいでしょう?
ここ
…容赦なくつっこまさせてもらいますけど。
ドキドキ
南米と関係なくて恐縮ですが、枯れ木も山の賑わい
スレが沈静期みたいなので投稿してみます。
地球からの移民団が不時着。そこは未開の惑星だった。ワープ装置の故障のため、最も近い開拓星からでも二十万光年はなれた彼らに帰るすべはない。
タキオン通信装置も故障しており、広大な宇宙の片隅で救助は絶望的。ただ、幸いなことに、時空震に巻き込まれたときにも居住区は無事だった。
核融合炉は機能を停止しているが、運良く事故の恐れはない。詰め込んである資材も大部分は無傷。男女一万二千人からなる集団は、本来の目的地とは異なるこの星で、
まず生き残ることから始めなければならなかった。
当初、不時着した際は氷海のみが広がる惑星かと思われたが、エンジンをどうにか動かせるようにして慎重に飛行するうちに、かなり大規模な陸地を持つことが確認された。
酸素があることから予測はされていたが、陸地では植物の存在を確認。荒野を南下し、大砂漠を越えると、緑に囲まれた温暖な地域を発見した。エンジンがいつ完全に壊れるかも分からない。
一団は、大河のほとりに着陸した。
まずは、今後のことが話し合われた。
地球へ帰ること。
そのためにはまず生き残らなければならない。
一行は、男女比率がほぼ同じで大部分が20代の若い人間であることを除けば、目的も違えば人種も雑多な集団である。
そこで全員の意思を統一するためのリーダーが選出された。
彼は的確な判断力と強力なリーダーシップを持つ極めて有能な人物であり、その後はリーダーを中心に合議により集団が運営されていくことになる。
しかし、民主的な制度はこの星において、やがて立ち枯れていくのである。
不時着した地域は、食料にはそこそこ恵まれていたと言える。
木の実や果物のようなものが採取され、勇敢な志願者が選抜されて毒見役となった。
そうして食べられる植物の数はどんどん増えていった。
これらを採取することによって、当面の飢餓は避けられることが判明した。
しかし油断は禁物である。
この星の気候についてはまったく分かっていない。
厳しい乾季があるかもしれぬ。
そう判断したリーダーの命令で大規模な貯水池が作られた。
工期は一ヶ月にも及び、貨物庫から掘削機が持ち出された。
はじめは不満の色を露骨に浮かばせるものも少なくなかった人々だが、すぐにリーダーの判断が正しかったことを知る。
この星の標準暦で実に六ヶ月にも及ぶ乾季の到来である。
この星は実に珍しい植生を持っていた。
植物は乾季の間地中に種として存在する。
長期間に渡り、水はまったく干上がり、烈日は容赦なく地表をなめつくす。
植物が生存できるはずもない。
そこで植物は、乾季が到来する前に自ら枯れて養分を、
硬い殻に包まれた種に詰め込むのである。
この種子はいざ雨季が到来すると、
信じられない速さでもとの高さにまで成長した。
一方、動物はというと、穴倉や台地の割れ目に
冬眠ならぬ「夏眠」をしてやり過ごすのである。
一行は、どうにか備蓄の食糧で切り抜けることができたが、
今後は乾季のあいだ長期間を宇宙船の居住区域で
過ごさなければならなかった。
やがて初めての乾季が通り過ぎると、
回復した自然からの採集生活が再開された。
獣の存在ははやくから一団に知れていた。
そこで狩り立てて食料にすることが行われたが、
多くは保存が効く干し肉に加工された。
そのうち、中型から大型のものを捕らえて家畜に
することが試みられ、成功した。
一団は開拓団ではなく、テラ・フォーミング済みの惑星への
第二派居住者になる予定だった。
従って、栽培可能な穀物は持ち合わせていない。
(あってもこの星の土壌に適応できない可能性もある)
ところが、一行に朗報が訪れる。
探索隊が栽培可能な植物を持って帰ったというのである。
それは膝丈くらいの植物で、水を与えつつ
適当な土地に撒いてやれば、数ヶ月で実をなす。
その実は炭水化物が豊富で、乾燥させ粉にすれば
パンのようなものをつくることもできた。
これにより、生産力は飛躍的に増加した。
掘削機が持ち出され、足りないものはエンジニアグループが
宇宙船の資材を崩して量産し、灌漑設備が整えられた。
農耕が軌道に乗り、食料問題は心配がないように思われた。
しかし、思いもせぬ恐怖が彼らを襲う。
宇宙生物である。
それはこの星でみられる他の獣とは明らかに違う系統樹上の生物であった。
(このことは、過去にこの星に於いて、何者かの遺伝子操作の可能性とも考えられる)
知能は決して低くはないようだが、独自の文化を持つにはいたっていない。
むしろ、獰猛な猛獣であった。怪物といった方がよいかもしれない。
極めて高い戦闘力と残忍性を持ち、動物の臓物を好む彼らは、初めての遭遇の
際に居合わせた不幸な犠牲者たちから、極めて美味な新しい獲物の存在を知った。
それ以後、凄惨な惨殺死体が急増することになる。
元々、安全な惑星へ移住する予定だった一団だから、わずかな熱線銃しか持ち合わせていない。
事態を重く見たリーダーは各専門家による会議を招集すると、元軍人の人物の進言により
緊急に武器の製造を行うことにした。エンジニアが宇宙船に使われた金属から間に合わせの
機材でどうにか精錬して武器に加工する。こうしてハンド・スピアとショート・ボウがほぼ六千人分
用意できた。これはそれなりの工夫が加えられており、かつて古代・中世に作られたものにくらべて
より強い殺傷力を持つ武器である。そこで成人男子六千を百人ずつ六十の部隊(ケントゥリア)に
分けると、軍隊経験者や統率力・肉体に優れた人物を選抜して百人隊長に任命する。部隊はさらに
三分され、同じく優れた人間二名を選んでそれぞれ小隊長として百人隊長を補佐させた。続いて
各兵員に武器を支給し、百丁ある熱線銃は各百人隊長に支給し、残りを予備としてとっておいた。
以後、これは生産活動の最小単位をも兼ねるようになった。
リーダ−は30個ケントゥリアを生存圏の外延部に全周防御的に哨戒させると、
残り30個を予備として第二線に配置した。その二重の防御網の内側で女性達が
生産活動にあたる。女性とは言え、あまり甘い扱いはされなかった。
戦闘任務を除いては、男性と同じ一日12時間労働が義務付けられる。
一方、第二線の各ケントゥリアにも緊急時以外は駐屯地域で農業労働に借り出された。
第一線と第二線は交代でいれかわる。もし生産活動にサボタージュが認められた場合、
重いぺナルティが課せられる。しかし、これも合議の末に決定された全員一致の約束事、
いわば「法律」である。過酷な環境の中全員が生き残るためには仕方のない措置であった。
やがて生産力の上昇に従い、人口増加が起こることになる。
宇宙船の修復は現時点では不可能だと判明した。重要な資材や部品が
どうしても補充できないのである。リーダーは自分たちの世代での帰還は
困難だと判断し、次世代へ望みを託す事にした。そこで漂流者同士での通婚が
奨励され、第二世代が誕生することになった。新しい世代に地球の科学技術と
思想文化を継承させ、地球に帰らんとする意思を受け継がせるには、教育が必要である。
幸い移民船には図書室があり、印刷機も当分の間使えるため、知識の蓄積伝播には困らない。
移民達の中から学識者が選ばれ、学校教育が開始された。成長した子供達は、十六歳になると
一人前とみなされ、ケントゥリアに編入される。一方、五十をこえた第一世代は、現役を引退し、
予備役に編入されることになる。その後は女性に雑じって労働を行うことになるが、
それまで生き残っている者は稀であった。合間にも探検隊による資源や居住可能地域の
探索が行われたが、宇宙生物の襲撃により命を落とすものも少なくなかった。
漂着から六十年。第一世代はほとんど死に絶え、第三世代の時代に入っていた。
多産が奨励され、人口は既に十万を突破している。もはや宇宙船周辺の居住地では
食糧生産が限界に達しつつあった。そこで、宇宙船から遠く離れた地域への移住が検討された。
移住者には様々な困難が待ち構える。既に宇宙船内の居住区域は満杯であるので、
女性や子供・老人などを優先させて住まわせ、周りに焼きレンガと木材の集落を形成するように
なっていた。しかし、乾季のときには過酷な穴倉暮らし、夜毎には宇宙生物の襲来を警戒せねばならぬ。
そこで逆茂木や鉄条網などの障害物を集落の周囲に張り巡らし、要塞化が行われた。
全く新しい移住地では灌漑・貯水池の建設に加え、要塞の構築など膨大な作業を一からはじめなければならない。
しかも、遠くはなれた移住地には援軍を送る余裕もなく、危険は常に身近にある。
しかし、それでもやらなければならない。困難な事業に対処するため、移住者の中から有能なものが選挙されて
新しい居住地のリーダーとなった。こうして初めての移住団が送られ、どうにか成功することになる。
以後、居住地は拡大していき、宇宙船のある居住地を「シティ」と呼び、他の居住地を「居住地」と呼ぶようになった。
第四世代に入り、居住地は二十を越し、人口は三十万を数えつつあった。シティと新しい居住地の間には道路が建設され、
家畜に騎乗した伝令が迅速に各居住地閧往復していた。宇宙船の図書館にある本は次々とコピーされ、なめし皮などを
使って製本がなされた。それを新しい居住地に運び、教育を維持する。掘削機が生産され、各居住地の生産力を高めた。
居住地のリーダーはシティと協力しながら彼らの領域を着実に確保していった。そんな中、驚くべき知らせがシティに届けられた。
探検隊がシティ北方で鉱山を発見したというのである。そこでは、鉄やアルミニウムなどの金属、それと水素ガスと石炭などが
産出されることが分かった。さっそく鉱山居住地がつくられ、漂着者たちは事後金属に困らなくなる。
のみならず、この星への漂着の歴史にとってそれは極めて大きな画期となった。
もとより、彼らはいくらかの科学技術を地球の文明から継承している。
第一世代のなかには技術者や工科大学出身者などの専門家がそれなりにいたし、
図書資料によってある程度の知識を得ることもできた。それらを受け継いだ若い世代は、
早速新しい資源を利用することを研究した。
そして石炭を燃料とした水蒸気エネルギー・モーターが容易に生産され、
地球の産業革命期を思わせるような工業生産が実施されたのである。
また、電気エネルギーによって酸素と鉱山で採掘した水素ガスに科学反応を起こさせ、
水をつくりだす試みが成功した。これにより、乾季の水不足に悩まされることはなくなる。
加えて、蒸気力を利用したレールトレインが実現し、レイルロードが各居住地を結び、
輸送を容易ならしめた。これにより開拓が加速度的に進んでいくことになる。
それはシティと居住地の関係をも変化させていく。
第六世代から第八世代にかけて人口は二百万から六百万にまで成長した。
それに比例して、シティの地位は絶対的なものへと変わっていった。
衣料に麻のような植物が使われるが、紡績工場はシティにのみある。
鉱山の管轄権はシティが独占していた。パン工場及び武器製造工場も同様である。
なにより決定的なのは、水素ボンベの供給をシティが独占していることだ。
周到なことに、居住地に貯水池をつくることも禁止している。その上で掘削機械の
生産流通はシティが把握、灌漑に必要なときのみシティの工兵隊が護衛つきで出向く
ようにする。これにより、居住地はほぼ完全にシティの支配下に置かれた。
シティに刃向かう居住地は消費財の供給を封鎖され、特に水の供給を切断され、
長い乾季の間に死に絶えてしまうだろう。これを武器にシティは各居住地から生産品の
20パーセント(後には40パーセント)という「貢納」を要求する。このころからリーダーは
専制的になり、集会は行われなくなる。シティの特権階級は表向き地球に帰ることを標榜し、
そのために必要な生産物であると主張したが、彼らは実際には居住地から搾取した利益で
酒池肉林の生活を送ったのである。
そのために、搾取した余剰生産物を消費してシティ自体の人口を増加させた。シティの特権階級の他、
一般人六十万の人口を養成したのである。これは、居住地の平均人口が約一万二千、それ以上に増えると
移住団を編成して新たな土地に送り出す慣わしであることから、実に脅威的である。これにより成人男子を
徴発し、60個ケントゥリアごとに軍団を編成し、奇獣兵一個軍団を含む総勢十個軍団もの大兵を擁した。
さらにシティの周囲6キロ四方には鉄筋コンクリートで強化した高さ15メートルものシティウォールが建設された。
シティはこの軍事力を背景に各居住地に圧力を加え、監察官をおいてその動向を監視した。
各居住地も含め、政治体制は百人隊長を務めて引退したものからなる元老院が
優秀な者をリーダーに指名するものに代わっていく。そのうち世襲に近いことが行われるようになる。
彼らが住みつくことにしたこの地は、大河があり、豊かな森林・狭い平原の
混在した地域が大河の南北40キロほどの幅で続く。その奥は深い森林となる。
この河沿いの帯が東西に続くが、凡そ数百キロに渡り、西には開拓しつくした。
その先には広大な平原があるらしい。東にもいくところもまでいったが、
その先は人の住めぬ密林である。惑星自体の大きさは天測などから地球のおよそ十倍で
あると計算された。広大な未知の世界が広がっているのである。
その頃には色々な生活必需品が開発されるようになったが、避妊具だけはどうしても
うまく生産できなかった。そのため人口増加が深刻になる。加えて、調査官の報告によれば
このままの人口増加率だと鉱山の埋蔵量はあと百三十年で枯渇するというのである。
人口の増加に伴う飢饉と資源枯渇を恐れたシティは効率よく剰余生産物を搾取するため、
子殺し親殺しを各居住地に命じる。六十歳以上の人口と第三子以降の出生時の「間引き」を
命じたのである。これが引き金となってついに居住地の反乱が勃発した。
同じころ西方第23居住地南方で、偶然にも鉱脈が発見される。住民たちは早速監察官を殺し、
レールトレインを引いて水素源を確保。各居住地に蜂起を呼びかける。驚いたシティは
五個軍団を派遣した。当初、決起呼応したのはわずかに7つの居住地だけだったが、
第23を盟主に約8000の軍を森林に伏せ、シティの討伐軍を撃破する。勢いを得て西方諸居住地が
次々と反乱に合流し、十万の大軍でシティを陥落させる。以後、第23のリーダー一党がシティに
乗り込んで政権を掌握、鉱山はその後複数見つかり(シティが探索を禁止していたため)、
それらをあわせて20の居住地で分割管理し、さらに全居住地から代表を送る中央委員会の決議で
資源配分が行われることになる。
ここまでです。
長文な上に改行ミスであれなんですが、上の方のかたが続きを考えられるまでの足しということで・・。
このスレのパート1の桜47です。
世界史板のこのスレとはまったく関係ない話ながらとても面白く感じました。前に
創元推理文庫の「創造主の掟」という本の冒頭を思い出しました。(人間と機械の
違いはありますが・・)このスレがまた盛りあがるまで、続きを早くプリーズ(w
間違えた。「造物主(ライフメーカー)の掟」だった。
はじめまして。世界史に興味はあるものの知識が薄いもので、いくつかのスレを
ROMさせてもらってます。が、SFとなればむしろこっちのホームグラウンド。
板違いと怒られそうですけど主としてその方面から突っ込ませて下さい。
>>344 ・二十万光年は大きすぎ。最も近い開拓星どころか銀河系を飛び出しちゃいますよ。
・一万二千人がたった一隻のフネに乗っていたとすれば相当な大きさのはず。
惑星表面に直接離着陸するより、衛星軌道からシャトルで往復するよう設計するのが
普通じゃないでしょうか。そんなフネが無理矢理不時着したとして、再び飛び立てる
とは思えません。
・前項と関連しますが、搭載されていた資材の中に大気圏内移動用の航空機や地上
車両はなかったのですか。いずれ燃料切れで動けなくなるとしても、それまでにかなり
広い地域を調査できたはずです。母船を移動させるのは目的地が決まってからの
方がいいでしょう。
・というか、不時着までに少しでも時間的余裕があったら二度と出られないかもしれない
星を軌道上から観測してデータを集めておくと思うのですが。
>>345 ・その星には幸運にも地球人が食べられる植物や動物が生息していたようですが、
有害な微生物や病原菌はいなかったのでしょうか。また逆に、遭難者たちとともに
持ち込まれた微生物や細菌が現地の生態系にダメージを与えてしまう事はなかった
のでしょうか。
>>347 ・第二派居住者だからといって穀物を持っていかなくてもいいのですか。むしろ第一派は
様々な作物の栽培実験を行い、最適と判断された種類の穀物を第二派が大量に持ち
込む方が合理的に思えます。
>>348-349 ・最初の乾季が過ぎるまで宇宙生物が出現しなかったのはなぜですか。
・この時代の軍事制度がどのような物だったのか不明ですが、元軍人がアドバイスした
なら編成や用語は彼ら自身に馴染み深い物を採用するのが自然に思えるのですが
(例えば百人隊と呼ぶ代わりに中隊と呼ぶとか)。また手持ちの武器だけでなく、石弓
やカタパルトのような大型武器を作らなかったのはなぜですか。
・元女性軍人がいてもおかしくないと思うのですが、女性は戦闘任務につかないどころか
武装もしなかったのですか。
>>353 ・武器や繊維製品はともかく、パンぐらいなら居住地で作れるのではありませんか。
・人口60万に対して常備兵6万というのは大きすぎませんか。
>>354 ・大河はどこから流れてきて、どこへ流れていくのですか。また乾季になると、大河も
完全に枯渇するのですか。
・乾季になれば枯れ、雨季になるとまた生えてくるような植物が、どんなに成長速度が
速いといっても密林を作れるのでしょうか。
半径が地球のおよそ10倍、という事でしょうか。そんな惑星の表面重力が地球人の
住める大きさだとは思えません…というか、木星タイプのガス惑星になっちゃうんじゃ
ないですか。
いろいろ突っ込んじゃいましたが、それだけ興味深かったという事でもあります。
まだ書く気がおありなら続きも読みたいです。
>>357 僕は中学校の図書室にあった『宇宙の漂流者』(トム・ゴドウィン)を思い出しました。
お二方レスありがd。
漏れは歴史好きだけどSFとかは駄目な文系の椰子なんでけっこう答えに窮するのですが、、
(じゃあSF書くなよといわれそうですが、このスレ読んでてイフ史が書きたくて)
>最初の乾季が過ぎるまで宇宙生物が出現しなかったのはなぜですか
運良く彼らの生息区域から離れたところに着陸したんだと思います。
発見されてからはしょっちゅう襲撃されてるようです。
>この時代の軍事制度がどのような物だったのか不明ですが、元軍人がアドバイスした
なら編成や用語は彼ら自身に馴染み深い物を採用するのが自然に思えるのですが
たぶん、リーダーさんが古代ローマフリークのアメリカ人だったんでしょう。
>また手持ちの武器だけでなく、石弓
やカタパルトのような大型武器を作らなかったのはなぜですか。
森林の多く見通しが悪い地域なので、長射程の武器より
短弓と白兵戦用の武器のほうが適すると判断されたようです。
カタパルトに関しては、当初は道路事情も悪く、
攻城戦の発生する機会もなかったところから、あまり発達しなかったようです。
後にはかなり作られています。
>元女性軍人がいてもおかしくないと思うのですが、女性は戦闘任務につかないどころか
武装もしなかったのですか
武装くらいはしてると思います。基本的には戦闘に従事しなかったようです。
>人口60万に対して常備兵6万というのは大きすぎませんか
「シティ」に限らず、彼らの共同体では軍隊がそのまま生産ユニットになっており、
普段は屯田兵のように生産に従事します。常備軍六万というのはそのまま成人男子人口だと考えられます。
>大河はどこから流れてきて、どこへ流れていくのですか。また乾季になると、大河も
完全に枯渇するのですか。乾季になれば枯れ、雨季になるとまた生えてくるような植物が、どんなに成長速度が
速いといっても密林を作れるのでしょうか。
大河の東側はジャングルになっており、西とは植生が違っているようです。
どうも遥か東側には広大な湿地帯があるらしく、水源はそこからで、乾季になっても東側の
上流のあたりは干上がらないようです。距離が離れているので水を引くのは困難なようです。
>半径が地球のおよそ10倍、という事でしょうか。そんな惑星の表面重力が地球人の
住める大きさだとは思えません…というか、木星タイプのガス惑星になっちゃうんじゃ
ないですか。
えっと、重力は地球よりもかなり大きいはずです。
第一世代はなんとかやっていけたようですが、第二世代からは骨格や筋肉が強靭になり、
適応した体型になっているかもしれません。それにしても10倍というのはでかすぎたかも
>前項と関連しますが、搭載されていた資材の中に大気圏内移動用の航空機や地上
車両はなかったのですか
基本的に積んでなかったようです。テラ・フォーミングが徹底的にされた後に
移住するのは今で言えば建売住宅に引っ越すようなもので、必要なものは
大体向こうで手に入るみたいです・・じゃ駄目ですか?
>というか、不時着までに少しでも時間的余裕があったら二度と出られないかもしれない
星を軌道上から観測してデータを集めておくと思うのですが。
危険な事故に遭い、瓦解寸前で辛うじて着陸したから、その余裕がなかったようです。
>・その星には幸運にも地球人が食べられる植物や動物が生息していたようですが、
有害な微生物や病原菌はいなかったのでしょうか。また逆に、遭難者たちとともに
持ち込まれた微生物や細菌が現地の生態系にダメージを与えてしまう事はなかった
のでしょうか。
とりあず、致命的な病原菌などは着陸した地帯にはいなかったようです。
逆に環境を破壊してしまっている可能性はありますが。
そもそも、この星には他にも知的生物が居住していた痕跡があるようです。
こんなもんでしょうかね。
あとはうまく答えられないので、うまくSF的に整合性をつけていただきたいくらいです。。。
ううん、板違いはおくとしても…。
ちょと「古いSF」のような。
>>359-360で上げらている「疑問」の解決にはなってないです。
ラグナロクやズィーよりは住み易そうな環境ですね。
>>361-363 うーむ、一応考えてはあるんですね。しかしまだ疑問はあります。
>大河の東側はジャングルになっており、西とは植生が違っているようです。
・ジャングルというからには相当な降雨量がなければならないように想像する
のですが、乾季にはどうしているのですか。焼畑によるジャングルの開拓は
行われなかったのですか。
・また大河沿いに居住地があれば貯水池を作るのも容易だし、シティ政府が
それを止めるのは難しいのではありませんか。
・西方の平原に進出できなかった理由もよくわかりません。いっそのこと、
東西を険しい峡谷に挟まれた細長い盆地だった事にした方がいいような気が
します。
>えっと、重力は地球よりもかなり大きいはずです。
>第一世代はなんとかやっていけたようですが、
・第一世代では内臓(特に循環器系)にかかる負担もかなり大きくなります。
前発言で言及した『宇宙の漂流者』でも、最初の数年間に多数の死者が出た
原因の一つはそれだったはずです(ちょっと調べたらラグナロクは1.5Gらしい)。
>テラ・フォーミングが徹底的にされた後に
>移住するのは今で言えば建売住宅に引っ越すようなもので、
・遭難者の大半が二十代の男女ばかりだったという点から、移民先の開拓は
まだそこまで進んでいなかったんじゃないかと思われます。建売住宅に引っ越す
のなら、普通家族連れじゃありませんか。
それから前発言のあと、新たに気づいた点なのですが
>>352 ・酸素と水素を反応させるのに電気エネルギーは必要なく、むしろ電気を作る
事が出来ます(燃料電池)。あと文明がここまで進んで、しかも地球から持参
した知識があれば飛行船を作れるでしょう。これでグンと行動範囲が広がります。
>>355 ・ぶっちゃけゴムが作れなかったという事でしょうか。だとすれば問題は避妊具
どころじゃないような気がしますが。また避妊具がなくても、月経周期による
避妊は可能なはずです。
>>364 代わりに突っ込んでしまいました(w
ラグナロクはわかりますが、ズィーって何でしょうか。
閑話休題なSFはいいですねえ。古典SFの香り満載です。つっこみどころも
多いけど、めげずに発展させてくださいね。
案外、この話題がきっかけで、南北アメリカ文明の具体化が出来たりして。
ミシシッピ文明や中米文明、南米文明、カリブ海文明、西海岸文明など、もっと
発展具体化してほしいな・・・。誰か小説みたいにしてくれてもいいんだけどな
あ。(お前がやれよというのは無しの方向で(w )
どなたか本職の方とかいませんか?(w
できるだけ答えますが、
SF的なとこでうまく説明できないところは理系に詳しい人補ってくれませんか、なんてw
>酸素と水素を反応させるのに電気エネルギーは必要なく
そうなんですか。電気分解と逆に覚えてましたね。
>しかも地球から持参した知識があれば飛行船を作れるでしょう
水素ガスを利用した飛行船はまもなく登場します。
事故の危険性は付きまといますが、以後探索は飛躍的に進歩します。
>ぶっちゃけゴムが作れなかったという事でしょうか
そういうことです。したがってゴムタイヤも作れません。
鉄道は敷設できても車は作れないようです。
>月経周期による避妊
やっぱり、けっこう失敗しちゃうみたいですねえ
今でもできちゃった婚とかあるくらいですから。
>また大河沿いに居住地があれば貯水池を作るのも容易だし、シティ政府が
それを止めるのは難しいのではありませんか
各居住地にはシティから監察官とその配下30名ほどが派遣されております。
監察官は生産・運用が厳しく管理された無線機を所持しており、
毎日シティに各居住地の動向を報告できます。これにより、それは困難となっています。
各居住地は互いに連絡することはおろか、無線機の所持すら厳禁されており、
実際に怪電波が付近を流れただけで滅ぼされた居住地もあります。
監察官の身体に危害を加えることは勿論シティへの反逆を意味します。
>西方の平原に進出できなかった理由もよくわかりません
シティによる支配と生産物の浪費が終わりを告げると、まもなく西方への移住がはじまります。
これも次回があれば書こうかと思っていました。
>遭難者の大半が二十代の男女ばかりだったという点から、移民先の開拓は
まだそこまで進んでいなかったんじゃないかと思われます。建売住宅に引っ越す
のなら、普通家族連れじゃありませんか。
う〜ん、たぶん新しい土地を求めて若い世代が宇宙へ飛び立つ時代だったのではw
>>366 惑星ズィーは「ゾイド」の舞台です。
「移民船の漂着」という前フリがありました(アニメではさほど触れられてませんが)。
ちなみに僕は、ラグナロクという単語を『宇宙の漂流者』で初めて知りました。
>>368 …SFはありとあらゆる資料蒐集が命です。
>>369 古典作品では、「若年層の強制選抜移住」なんてのもありますが。
いくら何でも、後付設定の言い訳で修正できるほど、小さなアラではないので、素直に修正しては?
そうすれば逆に、惑星遭難シミュレーションとしての価値が出るかも。
今のままでは、ただの矛盾だらけの妄想。
判断基準が他人の思いこみでは、本人以外が付き合う気が起きない。
最後に。惑星が10倍はいくら何でも無茶苦茶。
半径でなく体積としても、重力は3〜5倍になるが。
「大いなる惑星」では、これよりは小さいが巨大な惑星が出てくる。ただし、金属資源皆無が重力が小さい理由。
「重力の使命」だと、すさまじい自転周期のせいで遠心力が引力をうち消していた。
ただし、居住可能なのは赤道のみで、自転の生み出す大気流のために年中大嵐。
372 :
世界@名無史さん:03/11/23 03:11
>>368 えーと、ゴムがないと作れない物って避妊具とタイヤだけですか?
工業分野への影響はかなり大きいような気がしますが。
今のところスレタイに関連したネタが出てこないのでここでもいいでしょうが、あまり長く続くようなら
他スレに移る事も考えておいてはどうかと。
>>370 「ゾイド」の星とゆーと砂漠が多かったような記憶しかありません。重力は普通に1gだったような。
>>371 「大いなる惑星」の方は未読です。まるぺのエルトルスが確か重力三倍だったと思うけど、あそこの
住民は最初から高重力環境に適応できるよう遺伝子改造されてたからなぁ。
もとより、思い込みの妄想なんで、きになりゃ適当に読み流してください
続きがあるかもどうかもしれないし。
>>374 悪いけど、ここ日記じゃないし。
このスレに書き込んだ以上は、議論のネタとして提供した物と判断します。
で、無いのなら君はただの荒らしと言うことになりますから。
第一、気になる部分を適当に読み流さず、きちんと検証するために
こういうスレが世界史板に存在しているんですよ?
読み流して欲しいなら、独り言板に行って下さい。
ここで、自分の妄想を検証して貰うことは、あなたの妄想(世界知)のレベルアップにつながるはずです。
じゃ、そうしますんで。
所詮はネタにもならない妄想だったということでしょうね。
あっ、後スレ違いの削除依頼自分で出しときますから
お騒がせしました。それじゃ。
>>376 あれだけの妄想を語れるエネルギーがあるのに、妄想を検証するエネルギーがないのは残念ですね。
どんな人でも、自分一人の妄想でちゃんとした整合性のあるものを作るのは不可能です。
作家志向の人は、自分の内面世界を突き放して見直す態度に欠ける人が多いようですが
純粋創作でも、あまり褒められた姿勢ではないですよ。
>>377 削除依頼は辞めといて。
巻き込まれて消されるレスが気の毒。
一応、久々の書き込みだったんだから、嫌ってるわけではないし。
別に作家志望じゃないんですが(w
そもそも、もとより検証突っ込み自体は大歓迎だが、後付・妄想扱いは失礼だろ。
これでもWestさんとかに質問される前に考えていたことを答えたんだ。
2chだからって、アカデミー板なら予断でやめろよ。
今度こそ、邪魔したね。
発言するのは
作家志望じゃなくて、作家「志向」。いきなり完成したストーリーを持ってきたので
ストーリー・設定志向の強い人と考えました。
「妄想」は確かに失礼ですね。このスレ自体が妄想の産物なのですが、
「空想」と言った方がよかったようです。これは謝罪します。
あと後付設定という言葉を「失礼」と取られたようですが、逆ですよ。
検証を受けたときに、代替案として出すなら「このスレに対して」失礼ではありません。
そうなる前に辞められるのが残念です。
先に「妄想」と書いたのは
>>341さんの方じゃ…というのは置いといて、気になったから
読み流せなかったのですが。後づけだろうとそうでなかろうと、検証に耐えられないので
あれば同じ事です。
僕自身も全然違うジャンルでいくつか妄想を書いてますが、自分が詳しくない分野に
言及しなければならない時は少しは(グーグル程度だけど)調べてから書くし、他人から
突っ込まれた点は次の作品を書く時の参考にします。他人に読んでもらいたければ
最低限それくらいはするべきではありませんか。
続きも考えておられたようなので、ここでなくてもどこかで読んでみたいのですが…
>>373 「ズィー」は「金属元素が多い星」と表現されていました。
それでゾイドみたいな金属生命体ができたとか…先住民(寿命がやたら長い)も「後から来た」ようでした。
>>380 「容赦ないつこみ」の中には、けっこうきつめのもあり得ますよ(この段階ではまだ弱めだと思いますが)…。
板違いは確かなんですけど、妄想で架空の歴史スレの方がよかったかもしれませんね。
突っ込まれそうになると「妄想」といって逃げるくせに、
他人に妄想と言われると逆切れする。最低だね。
そもそも>341は何がしたいのか。
小説かなにかを書くに当たって、自分のアイデアを他人にチェックして欲しいのか。
それとも小学生のごとく先生に「○○クン、発想が豊かね〜」と誉めて欲しいだけなのか。
>あとはうまく答えられないので、うまくSF的に整合性をつけていただきたいくらいです。。。
>SF的なとこでうまく説明できないところは理系に詳しい人補ってくれませんか、なんてw
どうやら、自分の作った話をこのスレの住人に格好良くアレンジさせたかったみたいですね・・・。
根本の部分の修正は考えていなかった気が。
まあ、ここに来るなら一人遊びに我々を付き合わせるのでなくて、
一緒に遊べるように考えて欲しかったのですが。
ちょっと落ち着いてみたら漏れも大人気なかったなぁ。
しらけさせちゃってごめん。ついカチンときて引っ込みがつかなくなってね。
いまさらだけどもし続きが気になる人がいれば、理系的に強い人穴があるところ改善してもらえませんか。
他人任せだけど、その間続き書いて、そのまま受け入れさせてもらいます。
なかったら、漏れの投稿だけ正式に削除依頼してもらいますから。
悪かったわ。スマソ
>いまさらだけどもし続きが気になる人がいれば、理系的に強い人穴があるところ改善してもらえませんか。
>他人任せだけど、その間続き書いて、そのまま受け入れさせてもらいます。
スレに書き込んで人を頼めば、もうそれは君の専有物じゃなくなるって事がまだちょっとわかってないかな。
それに、人の作った設定のアラを直して、俺ら何が楽しいの?
はっきりさせて欲しいんだけど、こっちが君の納得のいかない変更を総意として求めた場合、修正する?
NOなら削除していいよ。
あとこの設定で何を検証したいんだ?
異星の特殊な環境下での社会か?(それなら、ポイントになる設定を科学的にまず決めること。あとSF板へ移行)
それとも、テクノロジーの不均衡がもたらす社会構造の変化か?(それなら、異星は必要な点以外地球と全く同環境が望ましい)
念のため確認。
こういうイフスレの「設定」っていうのは、思考実験のための道具で、設定自体を楽しむのが目的じゃない。
求められているのは実験動物でペットじゃないし、こっちもトリマーじゃないから、
解剖されても文句言いっこ無しだけど、それでいいんだね?
高圧的な物言いにカチンと来たんじゃないの。
俺でもムカつくわな。「こんなクズが偉そうに」って。
まま、みなさんマターリと。
ここは新人賞応募原稿の添削スレではないので
あまり怒るのも大人気ないとは思うが、>341よ、
>386のリンク先は読んどいたほうがいいぞ。
作家志望でなくとも人生全般に通じる話だ
(まあこのくらい自分で気づけよ、という話ではあるが)
とはいえ「百万回繰り返しても、聞きたくない奴は絶対に聞かない」ことでもあるけどね。
まぁ本気で削除依頼しないでね。
>341程度の香具師がそんなに怒るほどのものなのかね?ネタもらってるだけの厨の分際で。
モニターの前で青筋立てて湯気をのぼらせている人達の顔が見えるようで、思わず肩をすくめてしまうね。
>後付設定の言い訳
って表現にカチンときて
>>374みたいなこと書いてしまったんですが、
別に検証自体を拒否したいわけじゃ決してないし、まえに一度書いたように、そっち方面に詳しい人が
つっこんでくれるのだからむしろ歓迎ですよ。そこんとこ誤解しないで欲しかった。
当然、ネタとして自由に扱って欲しいから不備は好きに埋めて欲しいと書いたんです。
ああいう言い方して最初に誤解を生んだのは私に非がありますが、
>>380ではっきり書いたのに
今まだそのことで叩かれるのは心外ですし、人の投稿をろくすっぽ読みもしないで決めてかかる
連中に余計な煽りをいれられるのは正直気分が悪いですよ。
削除依頼出してきました。次はもっとマシなとこに投稿しますから。
結局どこに投稿しても荒し扱いで相手にされない悲惨な
>>341のいるスレはここですか?
人の言うこと聞かない奴はホン(゚д゚)シメジ
>396
> ネタとして自由に扱って欲しいから不備は好きに埋めて欲しい
じゃあ不備を指摘されて怒るのが筋違いだな。
久美沙織のこの話を読むとおもしろい。↓
> 自分が書いて気持ちいいものを書くか、人を気持ちよくさせるために書くのか、
> ってことです。エッチと一緒ですね。
> ソープに行くようなエッチをしたい、という人がいるのと同じで、
> 書いて人に読んでもらうことで自分だけが気持ちよくなりたい奴って、いるじゃないですか。
> 要は自分が気持ちよくなりたいだけなんだってのが、あまりにもミエミエなのね。
> 勝手に書いて押入にしまっといてくれるのなら、どう書いてたってかまわないのよ。
> でも、人に読ませようと思ったら、相手がどう感じるかに気を配らないと。
>>399をガ板の流行らして欲しいコピペスレに貼ってきますた。
久美沙織の話は面白いなー。
その1
> 私、とある雑誌のようなもので投稿原稿の感想書く欄を持たせてもらってたのね。
> たいがい、無茶苦茶こきおろすことになるんだけど。…(中略)…
> あくまで作品についての話をしてるのに、
> なぜか人格に対する全面攻撃だと思っちゃう人がいるんだよねぇ。
その2
> まあ、いざダメって言われても、「でも他の人なら別のことを言ってくれるわ」とか
> 思えちゃう人も多いんだけどね。
まあ、所詮は2chだから・・
「酷評でも、評価してくれるだけマシ」…ともいいますが。
「難しい」問題だとは思います。
404 :
世界@名無史さん:03/12/12 03:20
あなたが忘れられなかったけど、一緒に歩いてくれる人ができました・・
405 :
世界@名無史さん:03/12/22 04:09
406 :
世界@名無史さん:03/12/23 21:25
明日はイヴですね♪ 皆さん、どう過ごしますか?
407 :
カホキア市民:03/12/24 00:07
古都カホキアのイルミネーションを見ながら、高層ピラミッドの最上階で欧州
ワインに舌鼓をうっています^^
欧州から伝わったクリスマスという祭りもこの大陸に定着して、今では欧州以
上の盛りあがりとなりました。
408 :
世界@名無史さん:03/12/24 22:09
タワンティン・スーユの自宅で2chをROMっています。
「ユーラシア大陸に南北アメリカに匹敵する文明があったら」
スレがなかなか伸びませんね。やはり無理なのかなあ。
409 :
カホキア市民:03/12/25 14:18
タワンティン・スーユは寒いですか?
中世まで仲の悪かったカリブ海の人達とも、同盟関係になって、はや数百年。
今では南北大陸を包み込む文化圏に発展しました。
北極圏文明、カリブ海文明、中南米文明、南米文明、西海岸文明、東海岸文明
、中西部文明。全てが大アメリカのもとに纏まったのは、1800年代でしたね。
よくまとまれたもんです。
410 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :03/12/25 22:19
…あの、「アメリカ」という地名は大航海時代の航海者、
アメリゴ・ベスプッチに由来してますから……。
アステカ王国は「クルア・メシカ」と称していましたが、「これはメシカ族の領土」の意ですし。
(「タワンティン・スーユ(四州連合)」はインカ帝国…だけど、南半球なので今は夏です)
411 :
フェニキアの末裔:03/12/26 01:14
まあまあ、「ヨーロッパ」もアッシリア語のエレブ (ereb: 「暗い」「日没」)が
語源かとの説もあることですし。
あるいはこの大陸の言語で同音の自称が偶然現れたかも、ということでどうかw
我が家の正月はフェニキアの親類一同が旧大陸の故地カルタゴに帰省するのですが・・・
みなさんは暮れ・正月をどう過ごされます?
向こうの親類からは帰省の度に「カルタゴに帰化おしよ」としきりに勧められて迷っています。
アいけね、お土産のテキーラ買わないと・・・
412 :
カホキア市民:03/12/26 02:44
>>410 わかってはいたんですけど、「アメリカ」という呼称以外に適当な言葉が思い浮か
ばなかったんです^^;
タワンティン・スーユのホウはわかりませんでした。とてたさんもなりきってなに
かかいてください。とてたさんこそ、正確に描写出来るんじゃないですか?
413 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :03/12/27 09:49
ううん、僕としては個人的に「未確定な未来」は「固定」したくないので…。
とはいえ、先住民には地域全体を指す言葉は無かったようなので、カルタゴ人が名づけた言葉が使われそうですね。
ちなみに、「時空道中膝栗毛(小松左京)」では「イアルガル(西の果ての地)」が使われていますが…、
これはローマ人に労働者としてミシシッピ連れてこられたケルト人が使用していました。
414 :
ティカル市民:03/12/27 23:23
>>411 マヤ暦では正月はまだ7ヶ月も先なのさ〜
正月はチチェン・イツァで行われるトラチトリのワールドカップを見に行きます。
アステカから血の気が多いフーリガンが来るという噂なのでちょっと怖いですが。
415 :
カホキア市民:03/12/30 17:39
じゃあ、とりあえず、語り部な人が現れるまでは、「アメリカ」の名称を考えま
しょうか。どういうのがしっくりくるかなあ・・・。
アメリカってのがイメージ強いので使いたいけど、もしもアメリカ大陸が独自に
文明を発展させたなら「アメリカ」にはなりませんよねえ・・・。
416 :
世界@名無史さん:03/12/30 21:52
たすけて
417 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :03/12/31 11:31
>>415 当時の地域語源から、語尾が「ia」なのは確実として…、
フェニキアの都市名(ティルス、ウガリット、シドン、カルタゴ等)から…ですかね。
418 :
フェニキアの末裔:03/12/31 15:48
フェニキア人の渡米が紀元前2世紀でしたよね。
フェニキア語の固有名詞には印欧語起源の接尾辞-iaは用いないんですわ。
さらに、傾向としてフェニキア語地名には、新しい土地には主に
その土地の産物や地形の特徴にちなんで新たに名をつける傾向が主なので、
いわゆる有名人の名を冠した命名法や、
既存地名を用いて「ニューどこどこ」式は見られないようです。
一例で:
カルト・ハダシュト(Qart Hadasht「新しい町」⇒ラテン語で「カルタゴ」に転訛)
イベリア半島は野うさぎ(shapan)⇒ラテン語訛りでヒスパニア(異説ありますが)
最初の上陸地は北米東海岸でしたよね。上の感覚で命名したとすると何と名付けたろう・・・
初めて目にした作物にちなんで、とすればトウモロコシあたりかな?
しかし、「カルタゴ滅亡+再興を誓っての出航」という未曾有の情勢下ですから、
とてたさん案は可能性ありますよね。
エレブ('ereb「西」)あたり、材料にどぞw(
>>411のアッシリア語と同系言語でつ)
419 :
世界@名無史さん:03/12/31 22:12
ゴールデンレター
このスレを見た人はコピペでもいいので
30分以内に7つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白され、17日後に
あなたに幸せが訪れるでしょう
420 :
カホキア市民:04/01/01 05:31
あけましておめでとうございます^^
うーん。すごい。しっかりした説明ですね。エレブかあ・・・。riaとかついちゃ
おかしいですか?エレブリア・・・。安易かなあ。
エレベント、エレベイ、エレボ、素直にエレブ。
うーん・・・・。
421 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/01/02 08:45
>>418 あ、そうか…フェニキアは純粋に「ヨーロッパ」じゃないんでしたっけ。
「新しい西の地」…「カルト・エレブ」、転じて「カルテレブ」はどうでしょう…。
422 :
フェニキアの末裔:04/01/02 12:29
ちなみに、
「カルト」が「町」、「ハダシュト」のほうが「新しい」の語ですので、
「新しい西の地」=エレブ・ハダシュト、
あるいは「西の町」=カルト・エレブ
セム系言語の語順では「名詞+形容詞」の順で修飾するのが多いんですわ。
しかし語呂がいまいちスッキリしませんなコリャw
ヒッタイト⇒ハッティー⇒秦(はた)⇒畑・畠・波田・波多
と、なったのでネイティブアメリカンもこのような訛り(?)方するんじゃないんですかね?
彼らと我々はモンゴロイドですし。笑
西洋の固有名の東洋での表記のされかたなどを参考にしてもいいんじゃないんでしょうか。
≪実例≫
カスティリオーネ ⇒郎世寧(ろうぜいねい)
マテオ=リッチ ⇒利馬蕩(りまとう)
レジス ⇒雷考思(らいこうし)
アントニウス ⇒安敦(あんとん)
こういうのはあくまでもスパイスにするとして、
仮に「エレブ・ハダシュト」とフェニキア人に呼ばれたとすれば
変化して行き着きそうなのは・・・・・・エイバタシ・・・イバタシとかなりそうかな。
多少違うけど同じモンゴロイドなんだし、音感っていうか言葉に対するセンス?
というか、舌や口腔の作りが似ていそうだから
自分の祖父とか祖母に言わせて簡単そうな響きになるんじゃ・・・。笑
つまらん妄想でした。
424 :
世界@名無史さん:04/01/03 00:30
age of hikikomory
425 :
フェニキアの末裔:04/01/03 02:10
新大陸の言語に関しては、旧大陸の常識も想像も及ばないものと思ってください。
むしろ旧世界とは別の惑星と思ったほうがw
言語の多種多様さはユーラシアの比ではないと言っていい位です。
人種と言語系統には関連性がないことをつくづく思い知りますw
(関連性を唱えているのは今ではグリーンバーグ位かなあ・・・)
フェニキア人が紀元前2世紀に北米大陸東海岸に漂着したとすると、
ファーストコンタクトする相手の先住民としては・・・
(おおまかですが)東海岸北部ならアルゴンキン語族系言語の民族、
あるいは東海岸南部ならばスー語族系言語の民族と接触する可能性もあります。
426 :
フェニキアの末裔:04/01/03 02:36
↓北米先住民の言語での「1」から「10」までの数詞一覧表。
http://www.zompist.com/amer.htm アルゴンキン訛りは「Algic」を、
スー訛りは「Siouan」の言語群を参考に
「カルタゴ名を耳にしたらどうなまるか?」と類推に挑んでみましたが・・・ギブアプーでつw
前者だと「エレブ・ハダシュト⇒エイェウ・ハタスト⇒エヤタス」かなあ。
そういえばフェニキア人は後年、文化的にはカホキアなど先住民の文化に
同化してしまうんですよね? フェニキア語も忘れられ廃語と化す可能性が無きにしも・・
ひとつ見方を変え、「大陸を統一した王朝が命名」というのは?
・南米大陸から見た北米大陸として
⇒ケチュア語「チンチャ・パチャ(北の陸地)」
・北米大陸からはマヤかカリブの国が南米を発見するんでしたっけ?
⇒マヤ語で「南の大陸」に相当する語とか。
(細かいことを申すと・・・ナワトル系の単語は使えなさそうです。紀元前2世紀だと
史実では彼らの祖先はまだカナダ北西部に住んでいたと思われますんで)
マヤ・インカに詳しい方〜、この大陸になにか良い名を授けて下さい〜w
427 :
世界@名無史さん:04/01/03 14:15
428 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/01/03 22:45
あらら、逆でしたか(汗)。
とはいえ、言語ネタは考えれば考えるほど大変ですよね、変化や移動も考慮すれば…もう、、、(汗)。
(僕も、オーストラリアで「マレガ」を見つけたときには、心底助かりますた)。
フェニキア色が薄れても、基本単語の変化はおこりにくいことが多いですし、北米は「エヤタス」でいきましょう!
南米…こちらも実際の歴史では自ら名づけることは無かったですし、北米勢力が名づけるような気が。
素直に「チンチャ」もよいような。
429 :
フェニキアの末裔:04/01/03 23:44
>とてたさん
ご苦労お察し申し上げますw
IF史は時代背景を考えるだけでも大変ですね。
呼び名「チンチャ(北)」はあいにくケチュア語なので・・・
南米の呼び名としては北米・中米の言葉から見付かるといいですね。
マヤの言葉なら南米に近いうえ、資料にも恵まれていそうですね。
あ、アンデスの王朝が南米大陸全土を席巻したらば
「パチャ=陸地」のほうで「ここの大陸⇒南米大陸」を指す言葉になれるかな。
南米大陸内でも無数の異文明が群雄割拠したら萌え萌えなのですがw
ナスカ文明が水素を発見していたら、
発達した飛行船技術で旧大陸にたどり着けないものか
431 :
世界@名無史さん:04/01/09 02:20
それ以前に熱気球が発明されておくべきかと。
>264
殺すぞキサマ。
433 :
世界@名無史さん:04/01/09 21:39
↑レス遅杉
434 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/01/09 23:49
>>429 まあ、「苦労」はわかっててやってますから(笑)。
とはいえ、どこかで「目をつぶる」ことをしないと、話が全然進まなくなってしまいます…。
「パチャ」…それもいいですね(もうちょと僕もマヤ系言語を探して見ますけど)。
>>431 熱気球はあったらしいじゃない
王様が気球に乗って鑑賞する&ピラミッドみたいな公共事業で地上絵が作られたとか言う話をどこかで読んだ
436 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/01/10 23:38
>>435 ナスカ文明が「熱気球をつくった」というのは異説扱いですけどね。
地上絵は地上「だけ」で作成可能ですし。
437 :
世界@名無史さん:04/01/11 01:43
よしんば気球があっても海を越える飛行は途方も無い距離だ・・・
かなり後世になるまで待つしかないか・・・
遅レスにて訂正スソマセソですが>426のくだり:
>ナワトル系(中略)彼らの祖先はまだカナダ北西部に〜
もう漏れって馬鹿かと阿呆かと小一時間w
ナワトル系はコロラド川流域でした。北西カナダはナバホ等、別の系統だわトホホ
逝ってきます・・・
そういや北米にも地上絵がありましたね。スケールも精緻さもナスカには及びませんが
ヘタウマ風のマターリ画風もまた親しみが持てて萌えますw
438 :
フェニキアの末裔:04/01/11 01:44
いかんトリップが抜けてもた↑もうイヤ・・・逝き直します
439 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/01/15 22:50
>>437 東部ウッドランド地域のサーペントマウンドとかもですね。
440 :
世界@名無史さん:04/02/02 19:20
441 :
世界@名無史さん:04/02/07 01:05
あぼーん
443 :
世界@名無史さん:04/02/16 11:22
444 :
天国に一番近い島 :04/02/17 16:58
バイキングが来たのはだいたい確定的なんだろ?
445 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/02/20 23:08
>>444 はい。
ニューファンドランドに定住遺跡があります。
446 :
世界@名無史さん:04/02/20 23:28
BBCドキュメンタリーでペルーのカラム遺跡は紀元前2600年っていってたな
「カラム」じゃなくて「カラル(Caral)」
448 :
世界@名無史さん:04/02/25 13:12
449 :
世界@名無史さん:04/02/29 21:53
でだオマイら、モンゴルからクスコまで当時の衣服で歩いていくoff
とかしないの?
>>450 「グレートジャーニー」なら二番煎じかと。
452 :
世界@名無史さん:04/03/08 02:01
453 :
世界@名無史さん:04/03/14 06:04
どうもです。漏れもかつてモンゴル帝国がヨーロッパ
を征服していたらのスレでカリフォルニア汗国
とか適当カキコしてますたから、
若干興味あるのでカキコすますが
前記にアメリカのオリジナル文明と接触するのは
4大文明のうちヨーロッパが先だろ・・・
てのがありますが、ヨーロッパとの接触は
時期に注意しないとてことです。
ヨーロッパに先手を打たれると
アメリカでは中国に似たような統一帝国の存在が
あるようなので、
もしも先手を打たれるとなんのかんの史実のアジア諸国
や中華帝国と似たような運命になりかねないのでは?
そりゃ銀の収奪やら史実ほど凄まじい収奪は起きない
てことはイスパニアやポルトガルの欧州での位置も変わる
というか欧州史も大幅書き換えになるので予断は許さんが
旧大陸の文明との接触交流を遅らせれば、中国的な袋小路
にはいり停滞する可能性もあると思うんです。
そして・・・結局・アジア諸国が図体大きくてもヨーロッパに蚕食されて
いったような運命を辿りかねない。
先手を打つのは当然フェニキアであろうが、彼らがユーラシア
に戻るというか、交易のため古巣に帰る時期ですが、これは本格的には
アメリカでの情勢安定を見てからでしょう
帰った場合、接触はヨーロッパであっても
最初の交易相手になるのはイスラム商人だろうと思われる。
最初にヨーロッパに彼等が見るべき物産は少ないわけですし
やはりイスラム商人のネットワークでインドや中国の物産を取り扱う
わけですね。
イスラムは北アフリカから小アジアなど地中海を席巻してるし
東南アジアまで航路は及んでる。
イスラム商人の側からも交易相手としてアメリカにわたる事もあるだろうし
フェニキア人も海洋交易民族ですから、イスラム商人の交易網に
そのうち自力で食い込みインド東南アジアへの航路を開拓していく。
イスラム商人に食い込んでヨーロッパで取引するのは香辛料で
しょう。イスラム商人に販路を独占されていたヨーロッパにイスラム商人
の競争相手としてアメリカ渡来のフェニキア商人が食い込んでいく。
がさしものフェニキア人もインドや一部の東南アジアは何とかなっても中国は
遠い相手であった。
風の便りに中国は物産豊かな地であると聞くが、流石に大西洋を渡って
インド洋から中国に至るのは遠すぎた。インドを中継としたりしても
イスラム商人や、史実のヨーロッパと比べても本国から距離がありすぎた。
しかも競争相手のイスラム商人の妨害やヨーロッパの海賊行為は
フェニキアの直接な中国進出を頓挫させていた。
アメリカでは中国の書や陶器が品薄の為、希少価値を持ち上層階級に
珍重された。既にイスラム文化やヨーロッパの文物は多く出回っていたが
エキゾチックな異文明は彼等の心を魅了した。
つまり直接中国に交易にいければ莫大な利益を得られるわけだ。
ここに新しい航路開拓が求められた。
地球は球体であるという説は天文学に優れたアメリカでは確認されていたが
だれも実践したものはいない。
東部の活況と風の便りに、その話を聞きつけた人々が西部沿岸から
一攫千金を夢見た航路開拓に乗り出す。
多くの失敗と挫折を繰り返すものの、見返りとなる膨大な利益、西部沿岸に
住む人々に伝説の故郷として伝わる中国や日本への帰還の夢も冒険家達の
ロマンをかきたてた。
多くの挫折は大型の遠洋航海船の開発、航海技術に磨きをかけていた。
ただ幸いは大西洋のようにヨーロッパ、イスラム、そしてフェニキアの入り乱れた
大航海時代の激しい競争が乏しかった事だ。
まさに大航海時代・・ヨーロッパの一部が突出する史実の歪な大航海時代
ではない大航海時代。
そこは魑魅魍魎、海賊が跋扈する戦乱の海でもあった。
ヨーロッパが海を越えた進出を遂げるにはあまりにも条件は悪すぎた。
イスラムとフェニキアに個人的に食い込む商人はでたものの、国家として
挑戦する余裕はまだなかった。
またワザワザ遠くに乗り出すよりも二者を競い合わせたり海賊行為での
利ざやの方が安全で確実な利益を得られられたのだ。
イスラムは史実ほどの急速な後退はなかった。アメリカという新たな通商相手
の登場があったからだ。競争相手のフェニキア人はヨーロッパより遠距離で、
しかも航路の一部を共有している点もあって妥協と競争を繰り返していた。
フェニキアの活躍はイスラム商人の商業活動を圧迫する面があり
これ以上新たなライバルであるヨーロッパの本格介入など認められない
という意識、従来の3大陸という概念以外からのエイリアンの存在が
彼等の意識の変化を齎すことになる。
彼等の抱えるギリシャローマの文物や知識はフェニキア人にとって縁
あるものであり、その見聞に就学に多くのアメリカ人も訪れた。
彼等は大使の交換、商業上の取り決めを交わしていくことになった。
そしてフェニキア人は距離が前記二者に比べ遠くそれだけに武装や
アフリカ沿岸に強引な殖民都市の建設を図ったりした。
しかしイスラム商人の妨害やヨーロッパの一部もアフリカに足を踏み入れており、
両者の競争と諍いは激しく足を引っ張り合っていた。
大航海時代が「大西洋の三竦み」と後世の歴史家の評を受ける膠着を迎えていた頃
太平洋では多くの冒険家の血と努力を吸い込み日本への漂着に成功していた。
その頃日本では明出身の海賊がイスラム商人を経由して欧州産の武器である鉄砲を
伝来させてから天下統一の機運が高まりつつあった。
そんな激動の日本に訪れたアメリカ人の一団。
当時明は海禁政策を取っていた。彼等が通商を求めるには彼等の政策を変更させねば
ならなかった。
その為彼等は拠点として日本に最初は交渉の仲介を、そしてて交易の拠点を求めようと
図ったのだ。
国家の後押しを期待できないながら一部のヨーロッパ人は通商としてあるいは
布教の為一部がアフリカ、そしてインドと亀の歩みの如く細々としたルートを辿っていた。
ヨーロッパ人の訪れを予感させつつあった。
日本の統一という命題が出来なくては明との力ずくでの交渉も期待できない。アメリカ人は将来
重大な脅威となりうる相手を支援するという冒険にでた。
期待のもてる相手として○○○○(好きな戦国武将の名書いてください、藁)があった。
日本としては珍しく開明的な視野のある人物であり、これを支援した。
幾度かの混乱の末日本で統一の機運が出来つつあった時期、ヨーロッパ人が
訪れた。
戦国に利益と布教そしてアメリカの出鼻を挫くべく闇に蠢くヨーロッパの暗躍
統一を支援しようとするアメリカの真意(彼等は明の開国は難しいとみて日本と明との戦争
を起こして食い込もうと画策していたのだ)
果たして日本は統一できるのか、不気味に沈黙を守る明の重い重圧、遥か外洋から
押し渡るヨーロッパやアメリカの列強諸国の策略は・・・・虎視眈々と介入を目論むイスラム
の影・・・果たして日本の見る明日はーっ!
(;´Д`)<駄目っスか?ヤパーリ!
続きカキコしたいが、怖いので反応を見よう。
一応モンゴル帝国の頃に訪れるてのも考えたんですが・・アメリカの文明の進捗を見て
やはり史実の大航海時代前夜くらいでよいかと思いました。15世紀くらいですか?
なお大航海時代、イスラムとアメリカの交易という点から第三勢力として介入させて
みました。
これから東アジアがアメリカとの接触で思わぬ激変に見舞われてく事で
アメリカ、ヨーロッパ、そしてイスラムに続く形で東アジア勢力がコミット
していく・・なんとかアフリカからの大航海時代参入も考えたが今のとこ
奴隷ならぬ苦力としての下請け肉体労働以外考えられませんぽ。
たぶん突っ込むところ満載でしょうし・・・ヨーロッパ、アメリカ
イスラム、東アジア入り乱れた大航海時代、インドやアフリカの動向
も気になるし豪州文明の動向も7者入り乱れた大航海時代というのも
壮絶ですが・・・・・。
偉大な御歴々を無視するわけにいかんので反応待ちますぽ。
460 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/03/20 13:18
おお、久しぶりに「続き」が。
流れはいいと思います。
史実的にも15世紀ごろが「相互接触」の時期にするのが妥当だと思いますし。
(エヤタス(北米)・パチャ(南米)双方に「大統一国家」ではなく、「文化圏国家」並立、として)
イスラム勢を相手とした主要交易も当時の国力差を考えれば当然でしょう。
ただ、スペイン・ポルトガルが大西洋貿易の主導権を握るかもしれませんが…ベネチアのように。
(北欧−ヴィンランドの交易が、一番早く成立する気もします)
史実のように北米での奴隷需要が存在しないので、アフリカ大陸大西洋岸には、
アメリカ・欧州諸国の幾つかの「拠点」以外は黒人王国が存続することになると思います。
それと、エヤタス側の対ユーラシア貿易優位はかなり長く続くのでは(タバコ、コカ、トウガラシ、トウモロコシ、硝石等)。
海流・季節風をみると、北米−欧州、南米−アフリカ、南米−ポリネシア−アジア、北米−ハワイ−アジア
の順に「行きやすい」です。
対アジア接触は16世紀のことになるとは思いますが…「支援」はどうでしょうね?
交易主体になるかと(欧州のようにキリスト教布教の名目がないため)。
あと、「オーストラリア文明」は出さない方がいいと思いますよ(IFの介入は少なめで)。
さらに収拾がつかなくなること請け合いです(笑)。
461 :
世界@名無史さん:04/03/20 13:27
新大陸(アフリカ)発見後、植民地化。それで?。
どうもです。とてたさん。
黒人王国はそのまま育ててみたいヨーな・・でもむりそうですね藁
まあ日本は自力で統一するでしょうし交渉相手としてアメリカという
要素があるだけで史実とはだいぶ変わってくる。
それよりこの場合アメリカと中国の関係がどうなるかてことです。
中国の物産への情熱が太平洋横断に成功させたて解釈ですからね。
僕も大西洋貿易はヨーロッパ諸国とアメリカという関係も
ある考えたんですが、当時の物産の流れはやはりインド洋とアメリカ
の間のイスラムとアメリカが主力でヨーロッパとの関係は脇役
どまりだはないかと。
今後の時代の趨勢で変化はあろうと思いますが。
ヨーロッパでのスペイン・ポルトガルの対場も
アメリカ植民地化できない以上史実より国力後退は
避けられないが、これが寧ろ両国に幸いして長い期間
ヨーロッパ情勢に介在したろうというのが僕の解釈ですから
欧州史もかなりぬりかえないといけなくなりそうな(藁。
今のトコ中国とアメリカがどう動くかがメインかなー
欧州での貿易を担うのはポルトガル、ネーデルランド、ちょっと
遅れてイングランドや北欧でしょうか。
問題はイスラム商人。モロッコくらい出ないとアメリカとの交易
は生かせないか。対岸にスペインがいる以上大幅な交易はちと難しい。
イスラム―欧州という二つの中継ぎで交易すると半端じゃなく物資の値が
騰がる。やはりアフリカへの拠点作成は必須条件ですね。
ちなみに予断ですがこの場合、日本とかではポルトガル人が南蛮人であるが
アメリカ人は東夷人と呼ばれるんでしょうね多分。
464 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/03/22 19:20
>>462-463 うん、そんな流れでいいと思います(個人の「好み」を出した方が考えやすいかと)。
フェニキア的なままでいくと、拠点都市をつくってそこが独立して…といくかもしれませんが、
それだとさらにIFがややこしくなりますが。
>>462 >黒人王国はそのまま育ててみたいヨーな・・でもむりそうですね藁
そーでもない。特に有力なのはチャド湖周辺にあったカネム・ボルヌ帝国。
イスラムに服し、サハラ交易によって重火器や強力な騎兵隊を有していた。
9〜19世紀と実に千年もの間続き、盛期は11〜13世紀と16〜17世紀。
ソンガイ帝国は、衰退期とはいえモロッコにあっさり敗れたから厳しそうだ、
サアード朝モロッコにセウタを再奪取させ、ついでに南進させた方がよさげ。
アゾーレスやカナリア諸島まで奪わせるとエライことになりそうだ。
エチオピアにおいて、ポルトガルがソロモン王朝アビニシアを支援してオスマン
朝の援護を受けたイスラム教国アダル国と戦ったがごとく、ギニア湾東部まで
到達したカネム・ボルヌ帝国やアフリカ西海岸を制覇したサアード朝モロッコ
に圧迫されたコンゴ王国や史実より1世紀ほど早く興きたダホメー王国は
キリスト教を受け入れるとともに、西欧との連携を目指す…。
466 :
世界@名無史さん:04/03/23 02:58
流れが動き出しましたね。
いったんおさらいも兼ねて、
ここで今までの南北アメリカ史を略年表にしてみました。
(紀元は西暦)
紀元前146年 第3次ポエニ戦争終結、ローマ、カルタゴを滅ぼす。
隷属を拒んだ一行が船団を組み、大西洋を渡る。
南北アメリカ文明史のすべてはここから始まった・・・
467 :
世界@名無史さん:04/03/23 03:05
紀元前2世紀後半:北米大陸東海岸にフェニキア人上陸。
フェニキア語で「新しい西の地=エレブ・ハダシュト」と命名し入植。
東海岸の先住民を鉄器・疫病・騎馬で圧倒し、版図を広げる。
468 :
世界@名無史さん:04/03/23 03:18
少し飛んで・・・
紀元後3世紀までに:(この頃までにミシシッピ流域にフェニキアの文化を取り入れた
文明が成立していた様子)
3世紀中頃 :ミシシッピ文明にて開祖アセオラが座教を興した(と伝えられる)
そして激動の4世紀:ミシシッピ流域に騎馬民族による史上初の統一王朝興る。
のち東海岸のネオ・フェニキア文化圏を併呑。
フェニキア人はフロリダへ、さらに海路カリブ海へ脱出。
脱出の数年後、マヤの古記録に「海からチチメカ現る」の記述登場
後世のカリブ海航路の発端となり、マヤ〜カリブ〜カホキアを結ぶ交易路開かれる。
469 :
世界@名無史さん:04/03/23 03:26
また少し時代が飛んで・・・
7世紀 :ニカラグアで「ニカラグア教」創始。
7世紀後半:ミシシッピ流域で「中期座教」定着。
8世紀 :フェニキアに「ハンニバルの再来」と称される英雄出現。
海軍を駆ってカリブと中米にまたがる版図を征服する。
史上初めて南米のアンデス文明へ侵攻するが撤退。
英雄の没後、政権は分裂に向かう。(このころジャガイモが北米に伝来か)
470 :
世界@名無史さん:04/03/23 03:33
8世紀〜9世紀 カリブ・メソアメリカ諸国が台頭。(「諸国」とあるのでフェニキア分裂後か)
ミシシッピ川流域で樹木伐採加速、森林が急速に減少。
代わって五大湖以北の木材供給が拡大。
9世紀 中米で加硫ゴム発明、武器「マヤ弩」考案される。
北米東部の人口、1億人突破
471 :
世界@名無史さん:04/03/23 03:47
10世紀初頭 パナマ地峡に「パナマ信教徒国」勃興
10世紀末〜 北米東海岸にバイキング到達。(986〜1000頃か?)
旧大陸の疫病が北米で流行し、北米人口増加の減速期が訪れる
472 :
世界@名無史さん:04/03/23 03:56
12世紀 中米を中心にメソアメリカ・ルネッサンス興隆
13世紀後半 パナマ信教徒国、北はニカラグア南部から南はコロンビア北部まで版図を拡大
1252年 ミシシッピ王朝、時の皇帝チュマシュ二世により座教の鋳銅製神像
「オブジワホピの大座像」完成。
1282年 コロンビア北部で「ボアコの聖戦」。火器が使用される
473 :
世界@名無史さん:04/03/23 04:09
1315年 ニカラグア教「月杖軍の遠征」。パナマ信教徒軍を討つ。
「ギアの銃撃戦」で史上初めて実戦に小銃を使用
1322年 中米・テスココで活版印刷装置「ユアンケ」発明される
1393年 セーアカトルの宗教改革。
これ以降、遠国への布教団派遣が盛んになる
1415年 ニカラグア教の布教船団が遭難、アフリカ大陸南端の喜望峰に漂着。
・・・・とここまでが大航海時代前夜ですね。
さあこのあとどうなるのでしょうか。
自分としては南北アメリカ大陸内の治乱興亡もさらに見たいところですが・・・
474 :
スレ1の1:04/03/24 14:11
すげえ・・・。久しぶりに見に来たらちゃんと繋がってる・・・。
楽しみだなあ^^
アメリカでの攻防というか・・この段階でちょと
問題が出てしまいました。(というか先に気づけよってか?)
あえて大航海時代説明には入れなかったですが
フェニキアの信仰は当時のヨーロッパと激しく対立してしまう点が。
フェニキアの信仰バールだとかはヨーロッパでは悪魔扱いされて
しかもこてこてのカトリック教国イスパニアの動向・・
あえて交易の観点からポルトガルとネーデルランド、カソリック
と一線を画した立場からイングランドと北欧を交易相手に
いれましたが
アメリカのほうが物産的に見ても交易有利なら・・やはり
ヨーロッパとの海戦は不可避ですね。
どのあたりで戦争に持ってくか・・ですね?
その時点如何ではレパントの海戦とかのオスマン=トルコとの
関係、ハプスブルグ(イスパニア+神聖ローマ帝国)と競う
フランスの登場、ネーデルランドの独立戦争にダイナミックに
影響を・・・(焦り)
どうしようかな・・まあ
当時のイスパニアはカソリックというイデオロギーで接着された寄せ集め
に近い面もあるし、ネーデルランドがベルゼブブの僕(フェニキアの事)
との交易するのを良しとしないで弾圧・・そして反発
ネーデルランドは新たな有力な交易相手との交易禁止は死活問題だから
反発してしまう。
信仰以前に経済的理由も出てくればネーデルランド独立への動きは早まる。
そしてレパントの海戦は起こったとし多分オスマン側の敗戦は起きたとして
オスマンが地中海の制海権を奪回するにはイスパニア等の海軍力を分散させて
牽制する必要があるし
フェニキア+フランス+ネーデルランド(新教徒)+オスマン帝国の連携に
よるハプスブルグの欧州覇権阻止に近い構図
逆にイングランドの北米へのコミットメントそしてヨーロッパとの接触が
アメリカ内の治乱興亡に与える影響もあり
まかりまちがえば30年戦争どころかWW1なみにインパクトある大戦争が
一度おきてアメリカ、ヨーロッパ、イスラム3者間でウエクトリクファ条約に
匹敵する国際関係、国際法の萌芽を見せないといけなくなりますね。
宗教上の問題、経済的理由、史上初の本格的な文明の衝突・・戦争は
30年どころか100年くらいに及ぶかも?
私的にいえばこの大戦争に黒人王国が傭兵部隊を派遣して活躍して
初期的な近代世界システムに主体的にコミットして欲しいですが。
第二の問題
中国の物産をどうやってアメリカ大陸内に運ぶか?
絹織物とかならいいですが、陶器の場合は海路有利だし
(ユーラシア大陸の海の道セラミックロードを考えたら)
陸路を効率的に運ぶには鉄道に近い交通網の整備が必要
であり、ここからアメリカ内における蒸気機関そして鉄道へ
至る技術革新への要求が高まるのかな?
478 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/03/25 23:06
たしかに、北米・中米諸国はどこも「異教」だらけですからね。
>>466-473の流れにある、座教にしろニカラグア教にしろ、
ユカタン地域やメキシコ地域の伝統宗教にしろ、多神教には違いないでしょう。
それに、北米のフェニキアの末裔(航海・通商のかなりを占めるかと)にとっては
欧州キリスト教勢力は先祖の仇敵ですからね。
例外はヴィンランドで、キリスト教国でしょう(ミシシッピ王朝とは険悪な仲かと)。
イスラム勢力とはそれなりに友好関係は築けそうですが…。
北米東部−中国の交易ルートですが、ニカラグア経由が一番効率的でしょう。
>>477 蒸気機関ってのは、元来は動力とかの問題じゃなくて、鉱山の排水が発達の動機に
なってた。鉱山から出る水を使って排水するという一挙両得を狙ったもの。
となると、鉱業および冶金術と、それの動機となる化学の発達が前段階として来る。
アメリカ文明の冶金術については問題ないだろうけど、化学を発達させるために染色
やガラス、窯業や果ては火薬の技術は欠かせないだろうな。
480 :
世界@名無史さん:04/03/26 13:46
>>479 そう考えると、技術の発達はかなり難易度が高くなりますね。
(アメリカでは不可能、という意味ではないですが)
染色は、ナスカの色付き綿花で代用できそうですし…。
お久しぶりです、てる兄です。
レス195番のつづきです。
「メソアメリカと中国の出会い−大航海時代の幕開け(1)」
西暦1415年、カリブ海からブラジル沿岸沿いに南米のラプラタ河口方面に航海していた
ククルカン司祭の率いるニカラグア教パレンケ第3布教団の船は舵の故障により操舵不能状態に陥り、
南極からの西風海流に流され2ヶ月余りの漂流の末、アフリカ大陸最南端の喜望峰付近に達していた、
そこで見知らぬ異形の船団と遭遇する、明帝国の宦官鄭和の率いる乗員2万7千人からなる大船団の
一部で乗員2千人からなる「欧州航路探索分遣隊」であった。
鄭和は永楽帝の命により第四次南海大遠征でマラッカ、インド、中東、東アフリカを経て最終目的である
欧州航路探索の任に赴いていた。
漂流中のニカラグア教団の船は鄭和の船団に救援を求め接触するが、乗船していた通訳のナワトル語、
ケチュア語、ヤノマミ語などの全て言語が通じない。
一方、鄭和の船団もアラビア語、コプト語、アムハラ語、マダガスカル語などで対応しようとするも全く
解らず仕舞いであった。
その時、一人のニカラグア教の修道士が名乗りを上げた、アウラネまたの名を「楊士奇」という中国人であった。
彼は1402年に明の建文帝の遣わした訪日使節に伴い京都の足利義満に謁見、国書を渡した帰途、
紀伊半島沖の熊野灘で暴風雨に巻き込まれ遭難、北太平洋還流からアラスカ海流に乗り、
遠くベーリング海のアリューシャン列島東端ウナラスカ島に漂着、そこで温厚なアレウト族に救われるも、
凶暴なイヌイット族の奴隷商人に村人共々拉致され、カナダ西岸のバンクーバー島に移送された後、
奴隷市場から命からがら逃走、布教のためにこの地を訪れていたニカラグア教のククルカン司祭に保護され、
彼の元で修道士となった数奇な運命の持ち主であった。
アウラネの通訳により、布教船は鄭和の船団に曳航されてアフリカ本土、現在のケープタウンに入港、
そこで舵の故障を直すことができた。
そして鄭和の申し出によりククルカン司祭らは謝恩のため明へ朝貢に向かうのである。
ちなみにこの時、ククルカン司祭とともに明に帰着したアウラネ(楊士奇)は歴史上はじめて地球を東回りで一周した人物である。
483 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/04/04 10:57
>>482 お久しぶりです。
ちょと地名に関してつっこみを…。
難しいところで、実際の地名じゃないと何処かがわかりにくいんですよね。
ニカラグア
ニキラノ族の首長ニカラオ(16世紀初期の人)がその語源です。
カリブ
カリブ(勇敢なる意)族が語源…ただそのまま使われるかしら。
ブラジル
ポルトガル語で「赤い木」(ブラジルスオウ)の意。
ラプラタ河
スペイン語で「銀」の意。
このあたりは、「翻訳」できそうですが…。
パレンケ
スペイン語で「木の柵」の意……都市名は解読されているはずなんですけどね。
バンクーバー
イギリス人探検家由来…「流れ」では東洋人系の「扶桑国」がありそうですが。
>>481 現実のイギリスでは、木材資源の枯渇による石炭採掘が原因だったし、本当は利率が
低い石炭掘りのほうが「コスト対効果」という、技術革新の動機として至極もっともなもの
になるんだが、中南米の石炭資源は微少だし…。
ユカタン周辺の熱帯雨林ぐらいなら何とか消えても不自然はないけど、あの広大なアマゾン
の森林が無くなるのはちょっと想像しがたいしね。
うーん、となると「産業革命」は難しそうですねぇ。
486 :
世界@名無史さん:04/04/10 21:24
中世までの大体の枠組は出来ましたよね。となると近世へのステップをいかに
無理なく作るか。産業革命か、それに準じたものは必要ですよね。
うーん。文明が近世へとステップアップするには、蒸気機関でなくてはまずい
でしょうか?他で代替できないですか?
>>486 考え中です。
産業革命と言っても、石炭・鉄・蒸気という既成概念に捉われず、
いろんな可能性を考える必要がありそうです。
私は今のこの世界の産業革命は「イギリス型」という一つの形態だと思います。
もしイギリス型産業革命が近代のスタンダードモデルにならなかったとしたら
我々のこの世界の自然環境や現代につづく科学技術の歩みも、もっと違ったものになっていたかも知れませんね。
個人的には、現在の流れでは欧州に匹敵するように科学・技術が発達するのには懐疑的なところがあります。
史実でも優れていた天文学や一部冶金・化学技術はともかく、その他はどうでしょう?
489 :
世界@名無史さん:04/04/20 10:53
あのあたりで自然破壊に手を染めたら、疫病がすごいことになりそうだ。
薬学・発酵学あたりからの進化はあり得るかも知れない。
491 :
世界@名無史さん:04/04/20 23:23
なんで、東京には日本刀関係の和鉄ヲタが結集してるの?
492 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/04/24 00:44
>>490 化学主導の産業革命…はちょと無理があると思いますが、石油化学方面は早くから発達する…くらいはありそうかも。
>>493 かちゅ〜しゃのdataでよければ提供できますよ。
495 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/04/29 00:50
>>493 あれ、カラル遺跡の紹介に行きましたよ。
>>493 494です。1000まであるけどどうしますか?
m(__)m 読みたいです!可能ならおながいします。
久々カキコですぽ。
何とかアメリカ内の情勢かいてみたいんだが、
その点については詳しくないもので。
そして482にアメリカ文明と中国文明の接触について
てる兄さんのカキコあったんですね・・・・・
てことーは456-458の漏れのカキコいらねーって事?
(T0T)
まあ・・そんな事は兎も角
ヨーロッパの動向。ヨーロッパで最もアメリカに敏感に
反応したのはローマであった。
時の枢機卿が新しい大地カルタヘナは悪魔の所産だとする
叙述を発表した。
聖書には新大陸もそこに現住する民についても記述がされていない
そして邪教の民フェニキアが生き残っている点があり
座教にしろニカラグア教にしろ、
ユカタン地域やメキシコ地域の伝統宗教にしろ、多神教が跋扈し
フェニキアの末裔は堂々とバールを祭っていたりしていた。
到底座視できる問題ではなかった。
こうして新大陸カルタヘナの解放を叫ぶ十字軍が求められだした。
とはいえ既に欧州は新大陸との交易で財政は逼迫しており
まだ新大陸への攻め入る力はなかった。
(注意カルタヘナとはあくまで欧州側からの
「新しい西の地=エレブ・ハダシュト」
いわゆるアメリカの呼び方で意味は新しいカルタゴの意)
北米ーヴィンランドの交易ルート
いわゆるヴァイキングとフェニキアの交易は意外な地域の
発達を促した。アイスランドそしてブリテンであった。
ブリテンではヨーロッパに面したイングランドに対し
遅れがちでありケルトの気風が残っていたスコットランドや
アイルランドに交易の中継拠点としての恩恵を齎していた。
ブリテンの内部状況はフランスやフェニキアと結ぶスコットランド
スペインとの関係を重視するイングランドによる対立が続いた。
503 :
世界@名無史さん:04/05/05 20:16
こうやって様々な視点から多角的に書き込みがあるのっていいですよねえ^^
501,502さん>なにか名前つけてください^^;同じてる兄さんかと思ってい
ました^^;;
>>503さん。どうもです。
454-459、462-463、475-477、501-502でDQNな
カキコを連発したものです。
名前は未来のアメリカ衰亡史を書けで昔私が使った名前を
引っ張り出しました。(藁
では502の続きをば。
ローマ教皇が発した新大陸カルタヘナの邪教を払う十字軍への呼びかけは
フェニキア、イスラム商人双方との片貿易に苦しんできた欧州の商人や
諸侯に「貪欲な欲望」を後押しする大義名分を与えることとなった。
オスマン帝国との睨み合いもあって欧州は遠いカルタヘナ(アメリカ)
への進軍などは思いも寄らなかった上、
新たな問題・宗教改革の為カルタヘナとの戦争はまだ遠い先の事であった。
とはいえ欧州の港湾でのフェニキアへの略奪や虐殺は時折起こり、尚且つそれは
陰惨なものとなった。
こうして一時的にしろフェニキア人はアフリカの沿岸諸都市へシフトする。
これがアフリカの黒人王国との交流を生んで、新しい文明の萌芽を促す事となる。
(例の170さん
>>465のカキコ参考にさせてもらいます)
アフリカ大陸南部に根付いたニカラグア教は徐々にアフリカに信徒を増やしていた。
これは後にアフリカに宗教戦争という悲劇を生んでしまうが、
反面アフリカに従来の部族意識や慣習を越えた国家観、社会制度の発達を促し
近代化に即応していく素地ともなる。
漏れが476で
>まかりまちがえば30年戦争どころかWW1なみにインパクトある大戦争が
といってましたが・・・・このままいけば17世紀あたりには、
その可能性高まり・とんでもない大事になりそうな気が。
アメリカ、イスラム(オスマン帝国など)、西欧に加えて
アフリカと北欧が関わりそうでつ。ローマ教皇様もやる気満々だし
どうしよう・・・・_| ̄|○
さすがにアメリカ内の治乱興亡には全く関与してないだけに我が手に
余りまくりですんで皆様のカキコ待ちます。
507 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/05/06 22:17
あらカトーさんでしたか。
僕も様々な流れがあっていいと思いますよ。
旧大陸との貿易ですが、たしかにアフリカ(象牙・金)へシフトしそうですね。
欧州には魅力的な産物が無いですし。
(もうちょっと後なら繊維製品なんかがありそうですが)
…中間まとめも必要かも。
>>507 >繊維製品
いや、イングランドやフランドルの毛織物は非常に優れたものだし、15世紀には
踏み板式の糸車の発明によって大量生産が可能になっている。
欧州が毛織物を主要輸出品にするのは少しも不自然ではないと思われ。
確か新大陸に持ち込まれたのは「牛馬」であって羊じゃないよね?
で、欧州の主要輸出品を毛織物とすると、
>>505 それでは、欧州からの毛織物輸入ストップによって、フェニキア側に繊維製品
の不足問題が出てきそうやね。
で、フェニキア人によってサイザル麻が持ち込まれたり、アフリカ人の中で
利に聡い者によって羊毛の生産が積極的に行われ、アフリカ独自の産業と
して繊維産業が発展する…。
確かハウサ諸国で綿織物の生産が行われ初めるのもこの時代だっけ…?
どうもです。とてたさん。
さて複雑怪奇になってきた欧州情勢をちと振り返りませう。
大別して
@北欧(この頃だとヴィンランドというよりスウェーデンでしょう)
はフェニキアとの交易ルート
Aローマ教皇−スペインハプスブルグ+神聖ローマ帝国のカソリックパワー
Bフランス+スコットランド・アイルランド
Cアンチカソリックの新教徒+ネーデルランド
があります。
ここにきて微妙なのがDイングランドであります。
史実なら国教会として自立してBとせめぎあいながらCを支援しA
を破っていく(一部誤差ありますがご勘弁を)構図なのですが
この場合@という別要素が絡んできます。
Aでは史実のようにローマ教皇が暗躍してハプスブルグの足を引っ張る事は
なくなり結束が増します。
Bはカソリックですが、利害の関係からローマ教皇とは一線を画します。
へたをすると、さすがに英国のように国教会として分裂する事は無いにしろ
恐るべき事ですがブノワ(並立教皇)の系譜を引っ張り出してカソリック
を分裂させる可能性があります。
@及びオスマントルコとの接近もあります。
Dイングランドは背後のスコットランドやアイルランドがフランスと組んで
@−フェニキアに近い立場を取る以上、パワーバランスからAと接近して
逝かざるを得ません。
DイングランドとCネーデルランドの連合は本来なら起きなくなるはずですが、
欧州半島への橋頭堡を得る好機として水面下では交渉を絶やしてはいません。
そして例の170さんの仰るとおり
@−Bのラインと敵対しAと組んでブリテン島統一を計る
イングランド毛織物のフェニキアへの輸出は困難になります。
まあ機を見るに敏なイングランドですからCネーデルランド
に輸出して間接貿易を試みますが、割高になります。
当然のことながらアフリカシフトによる繊維産業が起きるわけです。
欧州は火薬庫みたいになりますから、イングランドによる産業革命を
起こしたりする余裕が起きるかどうかです。
史実のように先進イングランドが後進スコットランドを併合したり
ネーデルランドと一体化ができなくなる事もあり、
国を守る為とはいえカソリック色が強まるのは避けられません。
逆にスコットランドやアイルランドのカソリックが変色していく
わけです。
イングランドとしてはイスパニアによってスコットランドの牽制を
頼む代わりイスパニアの要請に応じて海賊をフランス沿岸で暴れさせ
たり@−フェニキアからの略奪をする事もあります。
漏れ的には、欧州での産業革命の芽は失せたと解釈します。
そしていまひとつカソリックの保守回帰とパワーアップが
ルネッサンスの成果を台無しにする事です。新大陸カルタヘナへの
過剰反応と、新教の勃興、カソリックの大分裂が文化的な活動を
抑制するまでに宗教的な揺り戻しを起こすわけです。
またイングランドがフランスという穀倉におおっぴらに略奪できる訳で
繊維産業を輸出産業として育成する動きが若干なりとスポイルされ
てしまいます。
その代わりにクローズアップされてくるのがアフリカです。
ニカラグア教等アメリカの宗教や文物が入り込み、フェニキア
では繊維産業の育成をアフリカで試みる可能性もでてきます。
活況を見てイスラム商人やユダヤ人も来るでしょう。
史実では「ユダヤ人が世界中に離散しなかったら近代資本主義は
生まれなかった」とまで言われます。
欧州で必要以上に抑圧されたルネッサンスの息吹は伏流水の如く
他の地域に流れ出します。まずオスマン帝国ですが当然北アフリカ
に逃げ出すものもいます。
新教や熱心なカソリックの布教もありえます。
宗教戦争そして経済的な功利性、様々な異質な文物の流入による
文明の衝突が起きます。アフリカ中心部は未開のままでも沿岸部
には発展への息吹が起きてきます。
ただ残念なことにアフリカでは欧州やアジアほどには勤勉の美徳は
無かった。当然繊維産業の面でも優秀な人手は大きく不足していた。
ここに史実の欧州で起きた産業革命への希求が意外な地域で芽生える
事となったのである。
今日はここまでにします。
余り極端に前に進められませんので。
512は今の所の私的な今後の予測です実際どう動くのかは
まだ解りません。
しかしアフリカで産業革命・・・微妙ですね。その成果は
即アメリカに還流するといいなー(アメリカ発の産業革命
&近代化が難しく、欧州も大きな発展がスポイルされますんで
緊急避難的なアフリカ発の産業革命提案ですがどうでせう?)
この場合近代化がアメリカとアフリカに起こるわけで
オスマン帝国の興亡に多大な影響がでますね・・・こっちも
どう動くか解らなくなりそうな気がします。
514 :
世界@名無史さん:04/05/07 03:04
すげー面白い・・・。
アメリカの歴史が、とうとう欧州アフリカをも動かしたか。アジアも前にちょっと
関わったっぽいし。かなり完成度高くなってきましたね。
ああ、パート1保存しておくんだった。だれか、これを纏めて、地図入りサイトつ
くってくれないかなあ・・・。
んで、誰か作家の人がこれを商業ベースに載せて・・・。
ブームにならないかなあ^^
<北欧州背景>
フェニキアと本格的に交易が活発化した頃の北欧では
ノルマン人によって建国されたデンマーク王国(8世紀に国家を形成)
スウェーデン王国(10世紀頃に王国形成)・ノルウェー王国(9世紀に王国形成)
の北欧三国は、
14世紀末にデンマーク女王マルグレーテ(位1387〜1412)のもとでカルマル同盟(1397)を結び、
同君連合の王国(デンマーク連合王国、1397〜1523)を形成していた。
しかし1523年スウェーデンが独立し大国化していく事になった。
スウェーデンはフェニキアとの交易を受け入れ更に交易拠点であった
スコットランドと親しくなっていく。
<ブリテン島背景>
スコットランドの人々は、イングランド人の祖先であるアングロ人、サクソン人などが5-6世紀に
北欧から海を渡ってやってくる前からグレートブリテン島に住んでいたケルト人を、
中心的な祖先としている。つまりスコットランド人は、イングランド人により
島の北の方に追いやられた先住民族だともいえる。
このとき南に追いやられたブリトン人はドーバー海峡を渡り、アイルランドに逃げた。
西に追いやられた人々は、ウェールズ人となった。
ケルト人たちの国々は、1034年に統合されスコットランド王国となったが、
歴代国王の中には、「先進的」と思われていたイングランドの言語、風習、宗教などを
積極的にとり入れる人が多かった。こうしたイングランド化は、やがてフェニキアや
スウェーデンとの関係強化で変わってくる。
フェニキアと北欧二強のデンマーク連合王国、スウェーデン王国の交易に
おいて
デンマーク=イングランド(イングランドはかつてクヌートによって
デンマークに征服されていた歴史があった)
スウェーデン=スコットランドのルートがあったが
アイルランドを抱き込んでイングランドの牽制に成功したスコットランド
が優位にたち、スウェーデンの成長にも大きく貢献した。
・・・・なんか欧州関連のカキコしすぎましたね( ̄▽ ̄;
どうせ暫くカキコできなくなるんで書きだめってことで
(−人ー)ご容赦ください。
さてそろそろ「欧州からアメリカに輸入されるキリスト教」
の動向も考えないといけないし、
豪州の事もでてくるし
インドがどうなるかも考えないといけません。
アジアの動向どうなることやら。
さてそして難問アフリカです(ww
アフリカではニカラグア教とキリスト教イスラム教などと
文明の恩恵が良くも悪くも否応無く覇権主義的な黒人帝国の
出現をさせるかも?覇権と強国を目指す戦いは
カネム・ボルヌ帝国、サアード朝モロッコ、コンゴ王国、
ダホメー王国等などには欧州からの難民や、アメリカ諸国
から軍事技術や軍事顧問積極的に受け入れられ、
鄭和の艦隊から孫子の兵法などが黒人王国に齎され
兵法として受け入れられ、明からの人材導入に大枚を出す
指導者も出てきて、明の海禁がザルになるわけで、
この場合アフリカからの奴隷の人身売買ならぬ東アジア諸国から
アフリカへの人身売買が起こってきたりします。
アフリカの黒人貴族の間には東アジアの風俗をした中国人を
召使とするのがステータスとなってきます。
この流行に乗って日本からも若干アフリカに売られていく者
が出てきます。
これに暗躍する華僑を苦々しく思う日本の有力武将がやがて日本の
海外進出への動機となるわけで、自分達の領民を保護し人を売り買いする
連中を取り締まる為海軍力の確保、更には華僑が奴隷交易の拠点とする
東南アジアに対して積極的防衛(それが転化して自分の交易拠点化)
アメリカ諸国はアフリカ諸国と関係も深まり、入り組んだ同盟関係
に入ります。それはアフリカの戦が南北アメリカ大陸のパワーバランス
を動かしてしまう危険な絆でもあった。
欧州でもアメリカと密接に絡んだ関係は何時崩れても解らない。
そしてアフリカに華僑そして日本人の存在が出てくる事になった。
「歴史の余談」
後の話となるが「サアード朝モロッコとダホメー王国の戦争と社会」
と言う本に当時のアフリカの風俗を見ることができるので紹介しよう。
モロッコの王侯はバロック様式やロココ様式を取り入れた建築
を好みユダヤ人に宮廷の官位を与え財産の管理を任せ、西欧の風に染まる。
しかるにこれを堕落として謗る保守的な者も日本の農夫上がりの召使や
江南の華僑あがりの執事を使い、当たり前のようにバッハ等の音楽を聞きながら
孔子や孟子を読んでカルタゴ人の持ち込んだコーヒーを嗜んでいる。
若い血気盛んな青年将校の中には日本の公家がする“お歯黒”を何の勘違いか
好んでするものが多い。彼等はお歯黒隊と呼ばれて恐れられ、オスマン帝国の
イェニチェリと並び称されている。
血塗られたモロッコのお歯黒の恐怖は欧州でも名高い。
・・・・・・・(中略)・・・・・・・
ダホメー王国の動員に応じた近隣の部族兵は自分の部族で昔ながらの祈祷師に
祈りをささげて、王国に参集すると教会で司祭の祭礼を受ける。
・・・・・(中略)・・・・・・・ダホメー王国の王は日本の武将武田信玄
なる武将の鎧兜を模写したものを好んで纏い彼等の前に現れた。
日本の武者姿の黒人王の脇にいる側近はポルトガルやイスパニアの衣装を身に
まとい、フランス宮廷の貴族の恰好をした召使が戦争準備に余念が無い。
最近ダホメーでもお歯黒隊ができたそうだ。日本から流れてきた浪人上がりの
傭兵と共にお歯黒をした黒人青年が日本刀を振り回し戦陣を駆けるわけだ。
・・・・(中略)・・・・・若い黒人女性が戦陣にいるのが奇妙ではあった。
彼女らは大陸の娼婦の恰好(チャイナドレスの事)をして兵士達の看護や
春をひさぐのである・・・・・
ダホメーの王が「風林火山」の掛け声で檄を飛ばしている、
白兵戦でこそ槍や日本刀やサーベルが活躍するが鉄砲や騎馬隊、大砲そして
戦術と欧州や日本をも凌ぐのではないかと思えるほど強力で巧みである。
521 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/05/08 10:09
>>170さん
あ、欧州の毛織物はもう興隆してましたか。
アメリカ側ではワタの生産(北米・中米・南米ともに)が盛んなので、欧州側に流れそうですね。
史実でもマヤ地域での綿織物は他地域に輸出されていましたし、ナスカの色付き綿はインカでも重用されました。
>>カトーさん
おお、史実での西アフリカ諸国の興隆がとんでもなく加速されるのですか…。
欧州は一部を除いて「世界の片田舎」になりかねないですね。
522 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/05/08 11:35
>>514 HP……じ、次スレまでにはなんとか…。
…地図はちょと難しいですが。
と、それだけではなんですので。
15世紀のエレフス・チンチャ諸国の状況をば。
ちなみに「国境」は同時期の欧州やアジア同様に「明確」なわけではないです。
メスシピ朝
北米東部を占める。大統一時代からは3つ目の王朝。
小麦・トウモロコシ・綿花を多く生産し、北部の朝貢地域から木材・鉱物資源を得、
大河流域都市での軽工業が勃興している。
各地を貴族(各地の部族が大元)に治めさせてはいるが、緩やかな封建制。
異民族には歴史的に寛容であり、都にはマヤ系の学者やトルテカ系技術者、フェニキア系商人、西部からの奉公奴隷等が多く見受けられる。
国教は座教。
扶桑国
カナダ〜オレゴン州沿岸。
漂着アジア人と先住漁撈民の国。
ソバ・ヒエを作付するが、サケ漁が国家の基盤となっている。
航海術に長けてはいるが、まだ「帰還」には至っていない(海流・季節風の影響のため)。
大統一時代にメスシピ朝と若干の接触はあったが、基本的に他地域と積極的な交流はない。
ヴィンランド
ニューファンドランドとその周辺地域。
かつてエレフス各地を荒らし回ったが、大統一時代に征服される(王朝崩壊時に独立回復)。
バレイショ栽培は近年軌道にのった。タラ漁と北欧・フェニキアとの交易が盛ん。
バイキングの子孫であり、キリスト教を信仰。
ペコス諸都市
ロッキー山脈中のプエブロ系のオアシス都市(ヒマワリ・トウモロコシの栽培と牛の牧畜・宝石産出)。
一部はメスシピ朝に朝貢している。
523 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/05/08 11:35
チチメカ
リオグランデ川流域〜メキシコ北部。
尚武の民・ナワ系遊牧民の国。
牧畜と交易(…襲撃)を主な産業とする。
トルテカ
メキシコ中南部。
テスココ湖沿岸諸都市を中核とした都市国家連合。
建設・冶金技術に優れ、金銀宝石細工は随一。
マヤ
メキシコ南部〜ユカタン半島〜ホンジュラス。
地域都市による都市国家連合。
天文術を基盤に各種学問が盛ん(…都市間球技もよく知られる)。
高度な綿織物は他地域でも珍重される。
プトゥン系による海上交易も行われている。
フェニキア
アンチル諸島。
クーバ、ハイティ、アカマク、ハイマカ等の大島諸都市を中心にカリブ海の島々を勢力化におく。
(大陸沿岸部にも幾つかのフェニキア系都市国家がある)
他地域(旧大陸含む)との交易が主な産業。
524 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/05/08 11:36
ニカラグア
ニカラグア〜南米北岸。
マヤから派生したニカラグア教の政教一致国家。
気候的な側面から、植民都市を多く持つ。
(そもそもの植民理由は、「ケツアルコアトル神の行方を捜す」)
綿花栽培や南米・アフリカとの交易が盛ん。
タワンティン・スーユ
大統一時代に、チムー王国はメスシピ朝に征服された。
しかし、その支配は長く続かず、現在ではクスコ地方からアンタ全域を征服したインカ帝国の元にある。
金銀宝石や綿花、硝石をニカラグアを通じてエレフスに輸出しているが、それほど積極的に交易はしていない。
一応アフリカは
アメリカ―ヨーロッパ
アメリカ―イスラム世界
アメリカ―インド・東南アジア
の結節点として重要な交易拠点となりますんで
交易の利、異国の文物の流入もありますし、
ヨーロッパの宗教的問題からユダヤや知識人が
多くアフリカに逃れてくるのが大きいので・・・
繁栄しててもイスラム教であるオスマン帝国と違い
アフリカは黒人王国なれどキリスト教の流入もあったし
宗教に寛容であり、優れた人材は求められたとの予測から
ですね爆発的な変化を考えました。
ただ
>>520はちょっと後の時代の話(17世紀くらいでしょうか)
のつもりですが・・・・
当時のヨーロッパはちょうどカソリック教会支配の矛盾が
噴き出し、それが新教の登場やルネッサンス、新大陸発見という
面で有利に働いた。イスラムを押しのけ独自の交易ルートを持ち
諸国家並立で戦争技術が伸びてもいた。
史実であれば全て有利に働いたんですが・・・
この場合新大陸が独自の文明圏を持ち、フェニキアが(本来であれば
ヨーロッパの食い込むはずだった)交易ルートの隙を先に埋め
まして有望な新大陸は宗教上に問題があった。
当時は教会の矛盾が噴き出してきた時期であり、この場合それが不利に
働いてしまう。アメリカ敵視の檄を飛ばし欧州をまとめつつ教会の復権
を図るわけです。
アフリカの場合キリスト教単調の欧州と違い異宗教戦争もあり交易の利
もあり史実なら欧州に見られた戦争技術の向上をアフリカで起こす。
繊維産業にしても(どうしても欧州イングランドより)粗悪な品と見られ
勤勉の美徳の有無、人手の戦争への徴用などから産業革命による生産の
効率化追求を図るしか巻き返しの余地がなくなる。
欧州の保守回帰で追われた人材は交易でネーデルランドやイタリア諸都市
の商人も多数出入りしキリスト教各派の宣教師も入り込み
ユダヤ人も逃れてきていたアフリカ諸王国に住み着いており、技術革新の為の
頭脳を齎してくれます。
そこから導き出したアフリカ勃興ですが・・ヨーロッパの巻き返しは
まだ可能です、どう動いていくかは未知です。
まあ確かに「世界の片田舎」になる可能性が高いですが。
528 :
世界@名無史さん:04/05/08 21:37
アメリカ、欧州、イスラム、アフリカ、アジアのデッドレース。
史実より欧州が足止めされ、アフリカが底上げされ
未知の要素アメリカ文明ありーの
イスラムも史実のようになるか未定だわ
そろそろアジアも参加してくるだろうし、
豪州もどんな発展を見せるのか?
どっちにしろ、先の読めない状況になってきたな。
>>519 アジアでも、アフリカとの交易を求める需要が増すでしょうね。
象牙、犀角、金、ダイヤモンドなどによって巨大な収入をあげる華僑。
(当然のことながら、明の海禁政策はザルになり、ついには政策自体を撤回することに・・・)
東アジア諸国からアフリカへの人身売買同様に、
アフリカから東アジア諸国への人身売買も起こる。
中国の高級官僚、朝鮮の両班の間では、屈強な黒人を
護衛にすることがステータスになる。
一方、日本の戦国大名では黒人の傭兵部隊を雇う大名が登場。
やがて、アジアの一地域で黒人国家が誕生したりして。
530 :
世界@名無史さん:04/05/09 04:41
台湾が有力なのでは。あそこは史実でも文明化が遅れてた地域だし。
明や日本にも近い。
>>532さん、ありがとうございました。
改めて前スレ見ると凄えーっ!!
2012年12月23日さんの再臨希望ー!!
さて困ったのがアフリカ文明どうすっかと言う事。
西アフリカ諸国勃興考えたまではいいですが
カネム・ボルヌ帝国、サアード朝モロッコ、コンゴ王国、
ダホメー王国
そしてグレートジンバブエのモノモタパ王国くらいですか?
今のトコ出てるのが。
どなたか職人さんいたら今後のアフリカ文明の勃興に考察して欲しいトコです。
およそ一人じゃ手に余る(藁
>>529 実はマダガスカルに華僑や日本人が住み着いてモザンビークやタンザニア
沿岸にもチャイナタウンや日本人町の祖形ができていく、そしてインドの印僑や
東南アジア系の住民も召使とかで入り込みアジア風の混じったエスニックな文化
が生まれたなどと言うDQNな展開を思ってました。
天皇家とエチオピアのハインセラシエ王朝の結婚とかもイメージしてたんですが・・
台湾に黒人国家・・面白いです。
どちらにせよ来週から暫し不在なので、後はお任せして、
この後の展開を楽しみにしてます。それでは。
>>532さん
見れませんでした・・・。もういっかいお願い。せめて1日あってほしい・・・
史実ではボリビアのポトシ銀山から起こったヨーロッパの価格革命。
この世界では、南アフリカの金山&ダイヤモンド鉱脈から
アメリカとアジアに価格革命が起こる。
すみません・・予定が1日伸びてしまい時間ができました(汗)
よって私的アフリカ勢力図を乗せときます。
m(−−)m長文ウザイだろうけど勘弁ね。
あとつっこみと補足は職人さんヨロしくおながいします。
【西アフリカ地域】
マリ帝国に変わったソンガイ帝国はアスキア王朝が栄え、首都トンブクツを定め
軍制改革、領土拡大、度量衡統一と、金と塩の生産拡大により繁栄。
トンブクツ以外にもガオ、ワラタ、ジェンネを学芸の中心に定め、マグレブ地域から
芸術家や学者を呼んで文化を発展させていた。
しかし王朝の乱れにより衰退、サヘル地域の富を狙ったモロッコにあっさり敗れ
主に欧州イベリア半島をレコンキスタにより追われたイスラム教徒が流れ込んだ。
マグレブ(北アフリカ地中海沿岸)の経済衰退が、彼らに富と権力と安住の地を
求めた危険な遠征に駆り立てたのである。
この時期、フェニキアの植民都市が築かれつつあり(アメリカ)とヨーロッパやアジア
との交易の中継拠点として重要性を増していたサハラ南縁の植民地化に邁進し、
アフリカ西海岸を制覇した
フェニキアとの交易で国力を強めたサアード朝モロッコの交易拠点として
アゾレス諸島やカナリア諸島を奪取している超大国
国教はイスラム教であり
商業資本としてマリンケ商人(ジュラ)がサハラ砂漠を横断して北アフリカの塩や
繊維製品とサハラ砂漠南縁の金貨やコーラナッツを運ぶ交易を担っている。
マリンケ商人(ジュラ)マリ、ソンガイといった歴代帝国をも支えていた。
【ギニア地域】
この地域にはヨルバ人の中心都市イフェという精神的紐帯であり
フェニキア人の交易開始の頃にはイフェの影響圏にオヨ帝国が登場していた。
南北貿易に関与し、北からの岩塩、銅、繊維、革、馬を、南からのコーラ、藍染料
の交換貿易に従事している。
ポルトガル人と関係しベニン(オヨの欧州名)からポルトガルに大使を送った他
ポルトガルを介し欧州の物品と知識、生活様式を積極的に取り入れ、カソリックの
布教も容認されていた。
13世紀のオヨ内戦で西に逃れた一派がアラダ(現ベナン共和国)に移って成立
したダホメー王国はオヨと勢力を二分している強国である。
オヨ王国との戦には負けたダホメー王国であるがオヨ同様にサアード朝モロッコ
の圧迫を受けておりキリスト教を受け入れ西欧から文化や知識、技術の導入に
余念が無い。
【中央アフリカ地域】
この地域にはチャド湖周辺にあったカネム・ボルヌ帝国が覇を唱えている。
イスラムに服し、サハラ交易によって重火器や強力な騎兵隊を有しており、
アフリカ大陸大西洋沿岸各地にフェニキアが商館や都市を築き交易を始めるにつれ
オスマン帝国とモロッコの勢力拡大が強まる。それに対しオスマン帝国に
使者を送りスーダン地域の支配権を認めさせると、次にはギニア湾東部まで到達
した。
【中央アフリカ地域その2】
ハウサ諸国はハウサ・バクワイという七都市国家であり(ビラム、ドーラ、カノ、カツィーナ
ラノ、ザリア(ザザウ))が、その周辺にバンザ・バクワイという諸都市があった。
北アフリカと中央アフリカをつなぐ要衝として商業で栄えていた。
例えばハウサ人職人の造った山羊皮革製品はモロッコ革としてヨーロッパに
人気を博している。
安全の為に東に隣接するボルヌ帝国に朝貢している。
【ロアンゴ海岸】
ロアンゴ海岸いわゆる
(南大西洋沿岸(現ガボン)からパルメイリンハス岬(現アンゴラ)までの沿岸)には、
コンゴ王国がオヨやダホメー王国と同じくキリスト教を受け入れるとともに、
カネム・ボルヌ帝国の圧迫に対し西欧との連携を目指していた。
貿易の利を巡ってコンゴ王国の従属国であったンドンゴが反旗を翻し
カネム・ボルヌ帝国とフェニキアの介入を呼び一時衰えるが、コンゴは戦力を挽回した。
しかしンドンゴ王国の一派はコンゴの朝貢国であったマタンバを占拠して抵抗し続け
ボルヌ帝国に従属する事でマタンバ王国として命脈を保っている。
【南部アフリカ】
11世紀から「モノモタパ王国」という巨大な国がジンバブエを中心にした南部アフリカ
を支配し現在の南ローデシアモザンビークを中心として金銅を基礎とした王国を
築いていた。
そのモノモタパ王国の人たちがグレート・ジンバブエをつくり、その権力の強大さを
示している。
フェニキア来航前よりアジア、とくにインドや東南アジアとインド洋をはさんだ交易
がさかんに行われていた。
経済交流と地域の文化経済水準の向上に伴う地殻変動と、南部アフリカに勢力を
拡大しだした。
ジンバブエ教を奉じた縁戚のロズウィ王国が独立してモノモタパを追い払う事で
衰えるもののモノモタパは北に追われつつも並立する。
ジンバブエ教を掲げるロズウィ王国に対しモノモタパは積極的に日本人町や華僑
を呼び込み経済と国力の活性化を図ると共に
儒教や日本仏教(一向宗と日蓮宗)が呼び込まれジンバブエ教の浸透に対処している。
【カタンガ地域】
ルアラバ川(コンゴ川)上流域熱帯雨林の南に隣接するサバンナとルアラバ川(コンゴ川)
上流のウベンバ低地にはルバ王国が栄え、農業の他金属製品や象牙をもって
西海岸のフェニキアと東海岸の華僑やアラブスワヒリ商人と交易をして
国力を高めている。
信仰的にはジンバブエ教を主体とするが、交易上の立地的な問題からコンゴ王国
とも親しくキリスト教を容認しており、国内での宗教紛争には苦慮している。
ルバ王国の西方、カサイ川上流周辺ではルンダ人がルバの影響を受けつつも
新興国家を起こしている。
経済的基盤はルバと同じく東西貿易であり但し信仰的にはキリスト教で統一され
ている分ルバ王国よりは統制力が強い。
【大湖地域】
大湖地域(ビクトリア湖、アルバート湖、タンガニーカ湖、トゥルカナ湖周辺)には
ブニョロ王国が、この地域の盟主として君臨しているが、フェニキア来航以来の
アフリカ勃興の波にあって、
アラブ商人やスワヒリ商人、フェニキア、マヤや華僑、印僑そして日本人が
流入、宗教的にもカソリック・プロテスタントの両キリスト教〜イスラム教まで
が流入している。
16世紀にオムカマ(ブニョロの王の事)の支配からブガンダ王国が独立
ビト朝ブニョロ王家と関係があったとされる家柄であり中央集権と官僚制により
強力な軍事国家となる。
ブニョロはブニョロ領の西南にある衛星国アンコーレと隣接するトロの独立
要求に対し広義の自治権を与え後に二重帝国と呼ばれる形態をとる事となる。
【アビシニア】
ソロモン王朝を標榜するエチオピアはイスラム教エジプトと競う関係でエジプト・コプト教会
アレクサンドリア総主教と関係を深めキリスト教を受け入れエチオピア正教を信仰している。
西欧の文物を積極的に導入するなど国家統一や近代化、中央集権制を積極化した。
【東スーダン】
フンジは青ナイル。白ナイル合流地域周辺を巡って争い覇を唱えた。イスラム教を奉じ
当初は各地の在地領主の緩やかな連合であったが、16世紀半ばバディ2世アブ・ダクンが
王直轄常備軍を設立するなど各地の貴族との闘争を展開、絶対王政の基礎を築いた。
バディ4世アブ・シュルクは「朕は国家なり」の言葉で知られるほどの栄華を誇った。
【南部アフリカその2】
ニカラグア教徒の一団アフリカ大陸南端の喜望峰に漂着し布教拡大中。
(あとはてる兄さんのカキコ内容ですので私はあえ遠慮して設定しません)
この当時の主な政治勢力として
サアード朝モロッコ(イスラム教)
カネム・ボルヌ帝国(イスラム教)
オヨ王国・ダホメー王国(キリスト教)
コンゴ王国(イスラム教)
モノモタパ王国(東洋系宗教)
マタンバ王国(キリスト教)
ロズウィ王国(ニカラグア教)
ルバ王国(ニカラグア教×キリスト教)
ルンダ王国(キリスト教)
ブニョロ王国(イスラム教×ニカラグア教×キリスト教他)
ブガンダ王国ブニョロ領トロ王国(ニカラグア教)
エチオピア(キリスト教)
フンジ王国(イスラム教)
そして南アフリカニカラグア教団がでてきます。
勢力対立相関図は上記の通りです。
アメリカ諸国とアフリカ諸国そして
後に出てくるアジア諸国は複雑な利害・同盟関係で結ばれてます。
物財や人・金の流れを考えるだけで凄いことになりました。
この世界での大動脈は明らかに
アメリカ=アフリカ=インド・東南アジア=東アジア(明や日本)
そして東アジア(明や日本)=オセアニア(豪州など)=アメリカ
で中央アジアとヨーロッパ半島は世界の狭間になりそうな気配。
エヤタス(北米)の超大国メスシピ朝
パチャ(南米) の超大国パナマ信教徒国
アフリカ の超大国サアード朝モロッコと
カネム・ボルヌ帝国
イスラム の超大国オスマントルコ帝国と
ムガール帝国
東アジア の超大国大明帝国
ヨーロッパ の超大国ハプスブルグ帝国
世界帝国に近い有力国だけでざっとこれだけあります。
地域大国まで勘定してたらどうしようもない位です。
・・・・どういうことになるのか予断を許さないんですが・・
私明日からいませんので、今度こそ本当にお任せします。
544 :
世界@名無史さん:04/05/10 22:18
す・・・すげえ・・・。
545 :
世界@名無史さん:04/05/11 15:15
はじめまして。
かねてから興味深くこのスレッドを拝見させていただいていました。
本当におもしろいです。
名無しの横入りですみませんが、新世界と接触後の旧世界の動きを
少し考えてみたので、よかったら使ってください。
邪魔だったら無視していいです。
546 :
世界@名無史さん:04/05/11 15:30
1415年、ククルカン司祭の布教団と鄭和艦隊が南部アフリカで遭遇
1420年には最初のニカラグア教布教団が南アフリカへ派遣される。
これに対する西欧世界の最初の反応、
1431〜1449 バーゼル公会議。ウィクリフ、フス派への対応とともに
新世界問題が協議され、教皇庁は公式に
「新世界は悪魔の所産」という声明を発す
15世紀の後半、北欧・アイルランド・スコットランドなどは
対フェニキア貿易を優先し、教皇庁と対立しはじめます。
イングランドはスコットランドとの対抗上北方諸国と対立して
大陸と結び、カトリック色を強める。
一方フランスはスコットランドと友好関係にあり、
台頭するハプスブルクへの警戒もあって、
1477年にブルゴーニュ公国を併合すると、策謀家のルイ十一世は
アヴィニョン教皇を再擁立。カトリックは再び分裂します。
イングランドは教皇のお墨付きを得てフランス沿岸略奪に専念。
自然国内の羊毛産業は衰えはじめ、それに伴ってネーデルラント地方の
経済的重要性も低下。
教皇庁は史実よりもはるかに強くハプスブルク家と連携し、
聖界と俗界の支配を分担しつつ、ヨーロッパのカトリック的
世界秩序再建を目指し、激しい反動政策を展開。
15世紀末にはイタリア・ルネッサンスは圧殺され、
大量の人文主義者らが北欧・オスマン帝国・北アフリカへ亡命。
547 :
世界@名無史さん:04/05/11 15:34
16世紀前半にはルターやカルヴァンの宗教改革が始まり、
北欧、スコットランド、アイルランド、北ドイツが新教に改宗。
主にドイツを舞台にして、史実の三十年戦争のような
大規模宗教戦争が始まります。
ハプスブルク家のカール五世はスペインとオーストリアを一括支配しますが、
史実と異なり途中退位はしません。
両国とも統一されたままフェリペ二世に引き継がれます。
スペインとオーストリアは事実上一体となり、イングランドと緊密な同盟を結んで
教皇庁と強固なトリオを組みつつ正統カトリックを護持。
フランスはアヴィニョン教皇を奉じるため両側から迫る
ハプスブルクと睨み合いの関係にあり、時折ライン流域で戦火が燃える。
ドイツは国内の諸侯に双方の陣営が代理戦争させる形で、凄まじい混乱の裡にあります。
北欧、というか北方ヨーロッパ圏はバルト海の向こうにいて、
直接戦火をこうむることはあまりなく、比較的安定した状態です。
548 :
世界@名無史さん:04/05/11 15:44
ヨーロッパではいわば三十年戦争規模で、もっとはるかに広範囲で
長期にわたる南北大戦が続いているわけで、時とともに南側諸国が弱体化し、
ヨーロッパ文化圏そのものが衰亡に向かい始めています。
地中海の向こうのオスマンやサアード朝モロッコは、弱体化した
ヨーロッパに無関心で、むしろ南に目を向けています。
こうして外世界から忘れ去られていく中、ヨーロッパは不毛な内戦を
百年以上延々続けます。
ちなみに大戦の中で、経済力の低下したネーデルラントはフランスに征服され、
その後ヨーロッパのほぼ中心に位置することから南北陣営の間で
取ったり取られたり、悲惨な時代が続きます。
16世紀半ば、オスマン帝国が東欧を席捲し、スレイマン大帝の軍が
ウィーンに迫ったものの、これはカトリック陣営の連合十字軍と
ウィーン近郊で対峙した後、冬の到来により撤退しました。
史実と異なり、カトリックがより強固なため、十字軍も結成されたのです。
ちなみにイングランドは国内の産業が戦乱続きと略奪貿易の盛行により衰退し、
王権が弱体化して中世封建時代に退行しつつあります。
16世紀末、アヴィニョン教皇を担ぎ出して、政情不安定なフランスで
ついにユグノーとアヴィニョン教皇派と正統教皇派の
三つ巴の大内乱が勃発します。
教皇庁・ハプスブルク家、イングランド、北方諸国など
それぞれがそれぞれの思惑で内乱に介入するため歯止めが利かず、
ヨーロッパ南北大戦はこの時期を境にむしろフランスに移行していきます。
17世紀はじめには、ハプスブルク家のフェルディナンド二世が
名目的ながらフランス王を自称しました。
549 :
世界@名無史さん:04/05/11 15:54
こんな状況のなか、史実と全く違うおもしろい道を歩んだのはロシアです。
十六世紀後半に君臨したイワン雷帝が恐怖政治によって中央集権を進め、
その子のフョードルが現世の政治に無関心な傀儡だったのは
新世界がどうであろうと、史実どおり変更を加える必要はないでしょう。
ところがその後、リューリク朝断絶によって帝位を簒奪した
僭帝ボリス・ゴドゥノフ。
史実では僭称者「偽ドミトリー」の出現によってゴドゥノフ政権は崩壊するのですが、
あれはポーランドやスウェーデンの背後からの援助によって成功したものです。
この歴史では、スウェーデンに東に目を向ける余裕はなく、
ポーランドは基本的にカトリックながら元々弱体な王権ゆえ、
国内の諸侯が状況次第で旧教についたり新教についたりして、
馴れ合いみたいな感じに西欧に比べてあまり殺伐としていない
マターリした(w 内戦を続けています。
偽ドミトリーなんて、影も形も現れず、ゴドゥノフ政権は安泰。
かくてリューリク朝にかわり、ロマノフ朝ではなくゴドゥノフ朝が成立したのです。
この世界にピョートル大帝はいません。激しい内戦によって文化が衰退し、
経済的にも見るべきもののない西欧はロシアの注意を引かず、
むしろロシア帝国は南に目を向けます。
イスラム世界です。
元々ボリス・ゴドゥノフの先祖はタタール人であり、イスラムに近しい血統でした。
ゴドゥノフ朝ロシアは、正教を捨ててイスラムに改宗、
新たな活路を南方に求めます。したがってシベリアは史実よりも長く
歴史の外側にとどまります。
550 :
世界@名無史さん:04/05/11 16:01
ただしロシアが採用したのは、イスラムでもシーア派の方でした。
オスマン帝国と黒海、また黒海への道をふさぐクリム・ハン国をめぐって
対立があり、その事情によってロシアはむしろ
サファヴィー朝ペルシアと手を組み、共同してイスラム世界の東半を担う
道を選んだのです。
ただ、ロシアがイスラムに改宗したといっても、
やはりそれに釈然としない人々もおり、
彼らはロシア北部のノブゴロド地方に独立政権を樹立しました。
一部のより厳格な(史実におけるニコンの宗教改革に相当する)一派は、
シベリアの密林中に消えていきました。
しかし彼らは単なる「北の森の隠者」に過ぎず、歴史に影響は与えません。
ノブゴロドとモスクワの間で何度か戦いが起こりましたが、
最終的に両者はより現実的な、平和共存の道を選びました。
ノブゴロドは北欧圏と結合し、北方ヨーロッパの最東端として、
ロシア・ペルシアと北欧を仲介する自由貿易自治都市国家となります。
こうして十七世紀半ば、
フェニキア・北米・北欧・ロシア・ペルシアという内陸経済圏が誕生したのです。
551 :
世界@名無史さん:04/05/11 16:02
時間ないんで、もし読みたいという方が
いらっしゃったら続きは明日書きます。
552 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/05/12 00:48
>>527 …善処します。
が、マターリとお待ちください…。
過去ログもちゃんと上げるつもりではあります。
>>カトーさん
おお、これはすごいですね。ご苦労さまです。
アフリカの流れはそれでいい…と思います(…もっとも、僕はあまり知らないんですけどね)。
追加するとして、マダガスカルのメリナ朝があります。
とはいえ、高地地域が版図なので海岸地域にはフェニキアやニカラグア他のアフリカ諸国の港市が形成されそうですが。
あと、南米の大国はタワンティン・スーユで、中米の大国がニカラグアになるかと。
アメリカ諸国の中ではニカラグア・フェニキア・ヴィンランドぐらいしか対外進出をしそうにないですね。
そして、「地理上の空白地」は南米東部(ブラジル地域)に限定されそうですね(ラプラタ流域にはインカが進出しそうですが)。
欧州勢がやってこれるかどうかは疑問ですが。
>>545 こちらもなかなか大作です。
「ロシアのイスラム化」…かなりのインパクトですな(シベリアはロシア化しなさそうですが)。
内戦続きのヨーロッパ…対北米輸出品も従来の毛織物やガラス玉から脱却はできなそうですね。
>>549 >したがってシベリアは史実よりも長く歴史の外側にとどまります。
日本の勢力圏が史実の樺太(明治までロシアと混住状態)・千島から更に北
へ(アラスカ含む?)広がりそうな・・・それとも清朝が出張るかな?
「間宮海峡」がこちらでいうベーリング海峡になるとか。(妄言失礼)
続きです。といっても今日もあまり時間ないので、多分途中で切れると思いますが。
ロシアがイスラム化して北方経済圏が形成される。
ノヴゴロドからモスクワへ新世界と北欧の産物が運ばれ、そこからひとつの流れは
ウクライナのキエフから黒海、さらにイスタンブールへ。
もうひとつの流れはヴォルガ川ルートに沿ってアストラハンへ下り、
そこからカスピ海を通ってペルシア方面へ向かう交易路と、
カフカスを抜けてイラク北部・アゼルバイジャンへ向かうルートに分岐。
要するにヴァイキングの時代と同じような状況になる。
こちらはフェニキア人のように経済圏全体を媒介する勢力はおらず、リレー式の交易になるが、
ロシア―イラク間の内陸貿易ではアルメニア商人の活躍が目立つ。
結果ペルシア湾においてアフリカ周りの交易ルート、インド洋経済圏と北方経済圏が合流し、
バスラ、ホルムズ、シーラーズ、シーラーフ、バンダルアッバース、
さらにインドのグジャラート地方の諸都市が活況を呈し、
フェニキア人や華僑、印僑、日本人などが集まって盛んに交易を行う。
こういう流れになると、オスマン帝国が史実ほど経済的に重要でなくなるかもしれませんね。
ヨーロッパが経済的に弱体化するので、イスタンブールの
アジアとヨーロッパの掛け橋としての地政学的重要性が減少する。
むしろ北方圏と南方圏(アフリカ)の結節点としての重要性が高まるでしょう。
アレクサンドリアあたりも大いに繁栄しそうですが、
あるいはイングランド海賊が地中海の西側を封鎖してフェニキア人の進入を妨害し、
地中海西部が単なる湖と化す可能性もあり。
今日はここまでで時間切れです。
>>553 どうでしょうねえ?
日本にせよ清にせよあえて北方に進出する必然性はなさそうだし、
ロシアにしても西欧が衰退することで毛皮の需要が減るので、
東からも西からもシベリアに進む勢力はなさそうですが・・・・・・
あと日本西部の人々がどんどん海外に出て行くことで
国内が安定せず、日本列島の統一が百年程度おくれるかな?
>545
シベリア奥地までは行かないでしょうが、沿岸伝いに海産物と毛皮目当て
に史実よりも活動範囲を広げる可能性はありそうです。
(以前吹田の歴史民族博物館でやっていた北方交易展の目録を買っておけ
ばよかった)
また書けました。
日本人の北方進出に関しては、
考えてみると北米西岸の扶桑国との関係が注目されると思います。
扶桑国がいつ頃から成立し、いつ頃から旧世界とつながりを持ち始めたのか・・・・・・
もうひとつ、日本人の南方進出に関しても、
新世界の影響が間接的にでも及んだ時点で
史実と異なる展開が始まるのだから、
新世界の影響が極東地域に及ぶのはいつ頃なのか・・・・・・
1415年に鄭和艦隊とニカラグア教布教団が接触してククルカン司祭が明に赴くわけですから、
その後の明の動向が問題ですね。でも明は結局海禁してしまうわけですよね・・・・・・
明の海禁政策にも関わらず、沿岸民は華僑となってどんどん海外に流出する・・・・・・
このあたりは互いに連動しているはずなので、
東アジアについて考えるなら、そろそろ細かい年代を設定してみた方がよさそうです。
それともうひとつ気になるのは航海技術です。
ダウ船、ジャンク、西欧のガレオン船? 新世界はどういう船を使うのでしょう?
帆船だとすれば、帆布の材料になるのは何か。
いずれにせよメスシピの繊維軽工業と五大湖北方の林業(船体用)が栄えそうですね。
全般的には、おそらく中国地域では内陸志向の明朝政権と
長江以南を中心とする海外志向の沿岸民が次第に分離していくのではないかと思います。
日本近辺では、琉球王国が非常に繁栄していそうな・・・・・・
>>555の続きですが、
ヴィンランド―北欧―ロシア―ペルシアのルートが
ペルシア湾で南方ルートと合流し、世界経済は海洋主体になるので、
長期的に見れば内陸アジアの交易が衰退し、それに伴ってオアシス諸都市、
ひいては遊牧諸国家も次第に衰退へ向かうかもしれません。
それはさておき、ロシアではモスクワ・クレムリン正面の
聖ヴァシーリー聖堂がモスクに改装され、赤や緑の色とりどりの
玉葱型屋根をしたモスクが国内各所に(w
歴代イマームやファーティマのイコンも出来るのかな?
正統イスラム信仰から逸脱したロシア的イスラムとして(w
史実でシベリア進出に活躍したコサックの力は交易と南方進出に向けられ、
カザフ・ステップにもイスラム信仰とキプチャク・ハーンの後継者としての
権威を背景に比較的早くに進出が進むかも?
カフカスの諸王国も、イスラムを奉じるロシアには
史実よりは少し容易に従うかな?
江戸期の漂流民の中にはアメリカ大陸まで流れて行ったものもいましたから、
日本人の漂着は正式な交流以前からあっていいでしょうね。
熊野の補陀落渡海はどうでしょう。実際に行われたのが確認出来るのは平安
期に三回、室町期に十回だけでしたが、三十日分と食料と油を積んだ船に僧
侶が乗り込んで大海原に乗り出したという。(仏教伝来か?)
太平洋をまっすぐ渡って来て浦賀沖に姿を現すのか、それともアラスカ方面
から近づいて来て千島辺りでぶつかるのか・・・。
家康にとってのウィリアム・アダムス役が扶桑人になるかもしれない。それ
以前に鉄砲伝来はどうなるんだという気もしますが。
(地図の見方は換えてみると面白いもので、北の交易圏を繋げてみると案外
簡単に新・旧両世界の交流が行われていたようです。直接的なものではなく
数珠繋ぎの状態でしたが、この世界ではどうか。島伝いに日扶交易が行われ
るかも・・・?)
・・・でも黒潮を使っても一月で到達は厳しいか?
561 :
世界@名無史さん:04/05/13 14:28
一人一人の文章がどんどんと相手の構想を拡げていきますね・・・。
ゾクゾクしてきます。まさに世界が形を整えだした感じです。
我想う故に我有り。ですね。
未だに発祥の分からない「扶桑国」について少々考えてみました。当然のこと
ながら、無茶だと思われるようでしたら(そりゃそうだ)無視なさって下さい。
文治三年(1187)二月、奥州の鎮守府将軍藤原秀衡のもとへ逃れて無聊を
かこっていた源義経のもとへ、秀衡より大部の説話集が送られて来た。
題名は『今昔物語集』。今なお当時のものが織金(オレゴン)都立博物館に所蔵さ
れており、昭和30年に日扶の合同研究が行われた結果、日本最古の鈴鹿本の
書写されるもとになった原本と見られている。
平重衡による東大寺焼き討ちの際に混乱の中持ち出されたものが、いかなる経
路を辿ったものか、遥か奥州まで持ち出されて転がり込んで来たのであった。
やがてこの中のある説話が、義経の目に留まった。
巻第三十一の十一話。そこには朝敵とされた安倍頼時が新天地を求めて五十人
乗りの大船を利用して胡人の地(現在の沿海州?)に赴いたが、馬に乗った恐
ろしげな面々を見て空しく帰還したということが記されていた。
『今の自分も兄に追われ、そして逃れた先でもまた窮地に陥らんとしている。』
義経はそう考え、頼時と己を重ね合わせるようになったという(@)。
だが、頼時はわざわざ胡人のいる地まで行って失敗して帰り、そして討たれて
しまったではないか。自分は同じ轍を踏みたくは無い・・・。
そうして北・西・南の全てが塞がった時、東の未知の土地への挑戦心が生み出
されたのだという。このまま陸奥に居ても、いつまた危険に晒されるか分から
ない。それならば、扶桑国にでも瑠璃光浄土にでも行ってみせよう。
結局は「同じ死であるのなら、後世にも知られるような死に方」をというこの
時代の価値観が義経を動かし、周囲の者も「安久留・津軽・外浜・エゾが島」
までも供をすると誓いを立てるに到ったという(A)。
当時日本海を越えて交易を行っていた出羽十三湊の造船技術を提供してもらえ
るよう、義経が秀衡に頼み込んだのは同年夏四月のことであった(B)。
@・・・『源家物語』巻第六
A・・・「安久留」以下、『源平盛衰記』や真字本『曾我物語』にも登場する
東の果ての地名。落ち延びるに当って西の果ての地名を挙げ、ほぼ同様
の宣言を行う場面が『平家物語』にも何度か登場する。
B・・・『鎌倉遺文』107号
秀衡は同年十月二十九日に亡くなるが、その後も計画は進行し、翌年の夏五月一日
には約二千人が乗り組んだ二十隻の艦隊が陸奥を後にした。
勿論その内訳は兵ばかりではなく、僧侶・陰陽師・大工・仏師・白拍子・琵琶法師
まで含めた多彩な集団であり、鍋釜や鋤鍬、五穀や芋も搭載していた。
このように書くと準備万端の甲斐あって何事も無く始まったようであるが、実際に
は相当なストレスをともなったらしい。
日本国内における混乱については省くが、長い航海中には多くの不安と不満と不足
がつきまとい、水を飲みすぎるとして多くの馬が殺害された(C)。
ようやく陸地(現在の七浦市と推定されている)に到着した頃には、牛・馬・鶏以
下が各十頭足らずしか残っていなかったといい、到着後まもなく武士の愛馬への報
恩(供養)のための板碑(板状の石碑)が立てられた(D)。
現在扶桑国の天然記念物となっているミサキウマは、全てこの十頭足らずの馬の子
孫であるという。
C・・・『東海記』による。
D・・・大湊市大朝区葭原町14−1に現存。
・・・とまあ、なるべく87氏の内容と矛盾しないようにした訳ですが、我
ながら無茶な内容です。ただ少数の漂流民が着いても史実同様歴史に大きな
変化は与えられず、また新しすぎても効果が薄いと思ったので。
いっそのこと徐福にお出まし願おうとも思ったのですが、やはりそっちの方
がましでしたかね。
さすが山野さん!
扶桑国は義経一行の影響で成立ということになりますか。
中国のほうからは影響はなかったのでしょうか?
あとアイヌ人はどうでしょう。扶桑国との交易が鎌倉ないし
室町時代から開始されたとすると、蝦夷島からクリル、アリューシャン列島方面の
諸民族の文化が興隆していく可能性がありそうですが、
このあたりに国家は成立しないでしょうか。
でも、扶桑にしろヴィンランドにしろ、あまり活発な関係が早くから旧世界との間にあると
1415年事件のインパクトが消えてしまいますね。
特にヴィンランドの場合は何しろ相手がヨーロッパですから、
中世後期に気候が寒冷化したためおそらく交易ルートは南よりで
交易期間も夏季だけに限られると思いますが、
それを含めてもごくローカルなものと考えたほうがいいと思います。
あともうひとつ、上記内容と直接関係はないのですが、
南米のラプラタ地域についてです。
タワンティン・スーユがアンデスを越えて勢力を拡大するというのも一つの可能性ですが、
ラプラタ流域のパンパ草原で馬や牛を牧畜する、史実におけるガウチョのような民族が
独自に戦闘的な国家を形成するというシナリオは無理でしょうか。
そもそも今までの流れだと、新世界における馬産地は
基本的に北米のグレート・プレーンズ地方に限られるようですが、
南米にもそれないの馬産地がないと南北のバランスが取れなさそうです。
関連して鐙(あぶみ)の発明についても気になるところです。
旧世界では中世初期に鐙が発明されたことで騎手が馬上で足を踏ん張って武器を操れるようになり、
騎馬軍団の威力が飛躍的に上昇しました。
旧世界でもどこかの時点で鐙が発明されているはずだと思いますが。
それにしても
>日本国内における混乱については省くが、長い航海中には多くの不安と不満と不足
>がつきまとい、水を飲みすぎるとして多くの馬が殺害された(C)。
そもそもの最初のカルタゴからの脱出のときも、これは大変な苦労だったんでしょうね。
あれは、思うのですが、ウェルギリウスの『アエネイス』とよく似た事件だったと思うのですが、
後世この大移住を歌った叙事詩などは書かれなかったのでしょうか。
例のフェニキアの「英雄」も、戦陣や宮廷で詩人に
「大脱出」の叙事詩を歌わせたりしたのでしょうか。
>>566 >中国のほうからは影響はなかったのでしょうか?
それこそ鎌倉辺りの海上から宋・元人を含めた漂流者がやって来て、上に出て
いた足利義満の頃には更に増加していると思いますよ。
ただ海流の関係からして、直接交易は難しそうですね。それこそ南下を続けて
いった結果(何も軍事侵攻とは限りません)、フェニキア人の協力を得て大西
洋からマゼラン海峡を通って行く破目になるかもしれません。
フェニキア側がパナマを押えてくれていればもっと簡単そうですが。
・・・という訳で、当分直接的な接触は無さそうです。ご心配なく。
アイヌ国家樹立も面白そうですが政治的な統合がいかに行われるかが気になり
ますね。扶桑の介入もあって、蝦夷地が南北に分断されるのでしょうか。
それとも樺太・千島の国家のみを認めるという交換(条件)条約締結か。
>ラプラタ流域のパンパ草原で馬や牛を牧畜する、史実におけるガウチョのような民族が
頼まれなくても例によってフェニキア人が開拓した交易路が出来ていて、馬も飼われる
ようになっていると思いますよ。
「ハンニバルの再来」がマストドンに乗ってくれれば面白いのですが、もう絶滅した後で
したからね。残念です。
>関連して鐙(あぶみ)の発明についても気になるところです。
我が国では甲冑も合わせた重量が重過ぎて100キロ前後にもなり、300キロ程度の
馬体では支えきれなかった武士もいたようです。
しかしもし北米で軽装備の「騎兵」が発達するとすれば、周辺諸国にとってはそれこそ
モンゴル並みの脅威になりうるでしょう。蹄鉄と去勢を欠くのが気になりますが。
>そもそもの最初のカルタゴからの脱出のときも、これは大変な苦労だったんでしょうね。
馬の世話は、飼葉も含めて大変なものですから。神功皇后も「三韓征伐」の際にホンダワ
ラという海草を食わせて急場をしのがれたと『肥前國風土記』にあります。
叙事詩の中でもかなり興味を引く一節になっているのでは。
570 :
世界@名無史さん:04/05/14 16:22
>>568-569 いろいろ勉強になります。おもしろいですねー。
今気づいたことですが、
>フェニキア側がパナマを押えてくれていればもっと簡単そうですが。
ニカラグア教団とパナマ信教徒との間に行われた
ボアコの聖戦および月杖軍の遠征は、コロンビア北部のボアコが舞台・目的地ですよね。
で、月杖軍の出発地が中米ですから、必然的に途中相手の本拠地パナマを突破しなければなりません。
ひょっとして海上から直接コロンビアへ向かったのでしょうか。
そうだとすると、その後もカリブ海を直接縦断して南北大陸を結ぶルートが
大いに活用されうるわけで、パナマ地峡の重要性が減少する可能性があります。
これを考えあわせ、その後のパナマ信教徒の歴史が気になるところです。
フェニキア人がパナマを押さえるかどうかも、これにかかわりますね。
「ハンニバルの再来」なる人物にもそろそろ本名がほしいですね(w
カルタゴ風に「ハミルカール」とか「ハスドルバール」とかどうでしょう。
「クーバ(キューバ)の大王ハスドルバール」とか(w
でも、これを新世界風に訛らせるとどうなるかはよくわかりません。
>蹄鉄と去勢を欠くのが気になりますが。
それは新世界で独自に開発するのは無理でしょうか?
どちらもないと、かなり不便ですよね。
↑名前を入れ忘れていました。私です。
話がそれてすみませんが、「ロシアのイスラム化」シナリオについて
非常に重要な問題(wを忘れていたので、歴史挿話的に追加します。
西暦1631年一月、モスクワ、クレムリン・テレム宮殿一階大広間にて
並み居る諸侯を前に次のような会話が交わされた。
「――そのかみ、我らの祖たる大公ウラジーミルは預言者イーサーの教えを受け入れるに先立ち、
各地に使節を派して各々宗教の長短をあい尋ねさせたのであった。
そのときウラジーミルはユダヤ人には故国無き民の教えは受け入れられぬと拒み、
ドイツ人の教えに対しては貧弱な教会を嘲笑し、そして正真なるイスラームについても、
『預言者ムハンマドは飲酒を禁じたもうたが、我らルーシの民は酒なくして一日も過ごすことならぬ』
と語りたもうたのであった。実に、イスラームは我らに酒を、
一滴たりとも口にするのを禁じるというのであるか」
ルーシの地のスルタンにしてツァーリ、ベールィ・ハーン(白い汗)たる
フョードル・ボリソノヴィチ・ゴドゥノフの諮問に対し、
カーディー、ミルザ・レザー・バハードゥーイーは重々しく答えた。
「クルアーンの解釈によれば、なるほど葡萄樹の娘たるワイン酒は堅きハラーム(禁忌)なれど、
葡萄ならぬウォトカ酒を口にすることはハラール(許容)でありますぞ」
これを聞いて、満堂の諸侯はほっと胸を撫で下ろした・・・・・・らしい。
・・・・・・こうして、ただロシアの国にあってのみは、ムスリムといえども
堂々と酒を口にすることができる慣習となった。
当然これはイスラム各国に轟々たる非難を巻き起こしたが、
ロシア人らはすべてそれらを完全に黙殺し、
今もなお黙殺しつづけている・・・・・・のであった。
【パート2】
<語り部>
2012年12月13日さん
てる兄さん
カトーさん
545さん
山野野衾さん
@@@さん
87さん
<書き込み多し>
とてたさん
桜47=1さん
217さん
例の170さん
トラメメさん
50さん
123&129(133,138)さん
220さん
292さん
カホキア市民さん
フェニキアの末裔さん
ティカル市民さん
矢吹さん
527さん
<一言>
ファシスト文学士さん、税金泥棒さん、天国に一番近い島さん
<別物>
341さん、WESTさん
>>573 笑える。ウォッカのないロシアはロシアじゃありませんからね(w)。
ついでにアイヌ国家樹立について、妄想を少々・・・。
1669年(寛文9年)、かねてより貿易面での不均衡や領域の横領に不満
を持っていた静内の酋長シャクシャインの呼びかけにより、国後・石狩を除
く全蝦夷のアイヌが一斉に蜂起した。世にシャクシャインの乱と呼ばれる。
これに驚いた松前側は、アイヌ軍2000人に対して1000人を動員。
新式の火打式銃も利用して戦いを有利に進めたものの、相手側の領域に
攻め 入るには到らず、一進一退の状況となった。
アリューシャン列島を通った交易ルートからこれを聞いた「扶桑国王」西川
新九朗義勝(義経後裔)は伊勢三郎忠頼に兵5000人を授けてアイヌ救援
を命令。蝦夷地近海での、日本船・集落への襲撃が相次いだ上、静内にあっ
た松前側の砦は陥落し、総大将松前泰広を捕虜にしてしまう。
「寛文扶寇」と呼ばれたこの変事に驚愕した幕府は、津軽・南部・伊達・会津松
平の諸氏に合計10000人の兵の出兵が命じたが、慣れない気候と土地勘の
無い地域で各軍とも悪戯に被害を増やし、
「蝦夷は腹をたちつてと 日本は恥をかきくけこ」
と江戸っ子にひやかされる始末であった。
だが、襲撃が多発している割には死者数はさほど多くは無かった。元々扶桑側
はアイヌ勢力撃滅後に新大陸まで日本が進出して来るのではという不安にから
れて援軍を派遣したのであり、松前まで陥落させて本格的に干戈を交える必要
性を感じていなかったのである。
こうした「対日ワンクッション外交」は19世紀まで存続されるが・・・なにはと
もあれ、1671年(寛文11年。扶桑暦では文治486年)に和議が締結され、
渡島・後志・胆振・石狩が日本の、天塩・北見・根室・釧路・十勝・日高がシャ
クシャイン率いる連合勢力の傘下に入ることで決着がついた。
シャクシャインはその10年後に亡くなるが、その息子は「アイヌ王」を称し、
日本・扶桑間の交易を掌握。造銭やジャガイモ栽培を始めとした独自文化形成
のための構造改革に乗り出し、その子孫は千島・南樺太はおろか、ウィルタ・
ニヴフらの土地であった北樺太にまで侵入し、1800年頃にはほぼ現在のア
イヌ王国の領域が完成した。
・・・と最終的になるとしたら、どんなもんでしょう。この間の時代はわざと
すっとばしてみましたが。
フェニキアの英雄の名前についてですが、とてたさんのOKが頂けるようで
したら「ハスドルバール」で行きましょう。
蹄鉄その他は、やはり欧州からの伝来という事になるのでしょうか?独自開
発される可能性もおおいにありますが、時期を何時にするかが難しい。
連投ですみません。江戸時代に漂流してアメリカに漂着した記録を調べてみ
たのですが・・・身の毛がよだちましたね。
なんと漂流していた期間が14ヶ月と17ヶ月でした。
食料その他の物品を積んでいたとはいえ、絶望に覆われていた筈です。
これがヨットだと最短15日、この間の手漕ぎ舟だと10ヶ月で到達出来た
そうですが・・・中世の帆船だとどんなものでしょうね。3ヶ月でいいか?
578 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/05/15 22:14
…来てない間にすごく進んでたり。
(理由がHP作成じゃないのが、なんなんですが)
ともかく、つっこみどころその他をば。
>扶桑国関連
やはり、義経が妥当になりますかね(徐福じゃ早すぎますし)。
竜胆助教授や宗像教授の反応が気になったり(笑)。
大量移民じゃないので扶桑国の発展もそれなりになるでしょうし…。
ただ、日扶間で交易が盛んになるのはかなり時代が降ってからになると思います。
山野さんもあげているとおり、相互にかなり行き難いので(16世紀以降でも一ヶ月はかかりそう)。
(太平洋で一番行き易いのは、メキシコ−フィリピン間で、こちらもガレオン船レベルじゃないと…)
南下も、せいぜいカリフォルニアあたりまででは。
>シベリア関連
イスラム・ロシアもそんなに西方進出はしないでしょうし、かなりの範囲が清朝の冊封を受けるでしょう。
東シベリアへは、日本からの交易船がやってくる程度では。
>造船技術
前スレでも問題にあがったことがありますが、未決事項だったり…。
フェニキア系の場合はガレー船から始まって、ガレアス船やダウ船、ジャンクぐらいにはなっていそうですが。
(…僕には「大航海時代」程度の知識しかないです)
マヤ系は構造カヌー、インカでは帆掛けイカダあたりだとは思います。
579 :
世界@名無史さん:04/05/15 22:14
>南アメリカ
タワンティン・スーユの版図はアンデス地域に限定されています。
史実のインカよりは広いですが、大西洋までには達していないかと。
また、馬が伝わったのが「大統一」以降なので、「大産地」にはまだ発達していないと思います。
大西洋沿岸の各地にフェニキアやニカラグアの拠点港市が設けられていることでしょう。
>海峡地域について
この地域は熱帯雨林が海岸部にまで達しており、良港が得られにくい地形になっています。
(カリブ海側はホンデュラス〜アマゾン以南、太平洋側はコスタリカ〜コロンビア)
ニカラグア湖周辺に国家建設の余地はありますが、せいぜいコスタリカ高原までで、
それ以南はジャングル続きなので沿岸拠点を船舶が移動し、内陸部は放置状況でしょう。
そして、ニカラグア湖〜サンファン川は帆船がカリブ海から遡行可能でしたので、
両洋貿易はこのルートが長期間重要なものとなるでしょう。
(テワンテペク地峡も人口稠密地域に隣接しているのでかなり重要ですが)
580 :
世界@名無史さん:04/05/15 22:18
えと、「ハスドルバール」はいいですよ。
それから、アジアの歴史では「明清交代」は史実どおりになると思います。
日本は…「鎖国」は成り立ちにくそうですね(キリスト教徒がやってこれそうにない…)。
「開国ニッポン」(清水義範)にあるように、開国と徳川幕藩体制は両立できますし。
一番気になっている事が一つ。「種子島」にはどこの誰が漂着して何を伝える
んでしょうか。この世界の火器の普及とヨーロッパの胡椒はどうなるのやら。
どうもです。
カトーです。
ちょっと今長文カキコ出来んので簡略に。
欧州への胡椒は、
フェニキア〜アイランド、スコットランド
西アフリカの欧州系住民のルート、ユダヤのネットワーク
インド洋〜ペルシャ〜ロシア北欧のルート
あたりでしょうか?
あと大西洋からの経路が
モロッコやイングランド海賊で塞がれたら
東欧の重要性が増すと思われます。
ポーランドの動向が
要注意でしょうか?
585 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/05/19 00:05
あ。
>>579-580も僕です…。
>>581 イベリアかイングランドで「発明」される…かな?
ひょっとしたら、中国で発明されて、欧州製の輸出はかなり遅れるのかも。
>>564 イスラム・ロシア経由でしょう。
ポーランドはイスラム化しないでしょうけど…ジハード(という名の侵略)の対象になるかしら。
586 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/19 00:18
>イベリアかイングランドで「発明」される…かな?
単純な構造の、鋳銅製のものであれば15世紀後半には日本に伝来していた
様ですが、これじゃあまり役には立ちそうにありませんね。
しょぼい火器だけでも「戦国時代」は終結するでしょうが、下手をすると扶
桑国が導入する方が早いかも。それともフィリピンを征服したアステカが史
実におけるスペインの役割を演じて秀吉が追放令を出すとか。
(そうなると結局「鎖国」という事に。こちらの世界では扶桑国の存在もあ
り、史実のそれよりも開放的になりそうですが。寧ろ遅れて来た欧州勢とは
巧く行くかもしれない。なんぼなんでも18世紀には来るでしょう。)
・・・という訳で、戦国期以降の「日本史」を書いてみたい欲求に駆られて
来たのですが、よろしいでしょうか。他地域の歴史も多少いじくりそうです
ので、出来た時点で駄目出しされるのも覚悟の上です。
ダメだしなんてとんでもない!どうか宜しくお願いします。かなり面白そう。
こんなに変化する歴史。なんと素晴らしい。
え〜と、旧世界の火器は中国で発明されてモンゴル帝国のもとで東西に伝播していますが、
新世界にも火器があるんですよね(ボアコの聖戦)。
あと、火器の歴史となるとオスマンVSペルシアのチャルディラーンの戦い(1514)が重要・・・・・・
ということは西方も考えないと・・・・・・
すみません、邪魔になるかもしれませんが、西のほうのことを
この前よりもより細かく考えたので一応書いてみます。
でもスレの流れ次第ではどうとでも・・・・・・あと一部ほかの方の設定部分に関わってしまう可能性あり。
明朝とフェニキアの最初の接触についてほんのちょっと書きますが、
その後の東アジアは山野さんにお任せします。
独走気味になりそうですが、まあ書くだけ・・・・・・
1415 ククルカン司祭と鄭和艦隊の接触
ククルカンの率いていたのは「船団」ですから、嵐で一部が消滅したとしても、
補修後にその大部分を新世界に帰し、ククルカンら少数の中心的人物だけが
明に向かったと考えるのが自然でしょう。
従って「東方に新しい陸地がある」という情報は同年中に中米に達したと思われますが、
詳細が伝わって本格的な動きが始まるのはククルカンの帰国後・・・・・・四年後ぐらいか?
(当然ククルカンは帰路も南部アフリカまで行って、大西洋を横断して帰ったのであろう)
となると、
1420年にニカラグア教布教団はじめてアフリカに派遣
というのは少し繰り下げ、1423年としましょう。
ククルカンから教団幹部が情報を細かく知り、プランを立て、準備をするのにかかる時間です。
1423年 アフリカ南部にニカラグア教布教団派遣
新世界において、東方に関する充実した情報をニカラグア国外でもっとも早く入手できるのは、
ほぼ間違いなくフェニキアでしょう。
かれらには「大脱出」の遠い記憶も残っていたことだろうから、尚更。
そこで彼らは、「大脱出」前の故郷を求めてフェニキア諸島東方に航海。
そこで、
ニカラグア教と同年の1421年、モロッコのタンジールにフェニキアの船団出現
ということになります。
海流から考えるともう少し北になるでしょうか?
このことからも、船体構造と帆走技術、羅針盤の有無が気になります。
まあそれはとにかく・・・・・・
タンジールから分遣隊が南北に派遣され、南はコンゴ、北はブルターニュまで探査。
初期にはやはり相対的に豊かなヨーロッパがフェニキアの主要取引相手になるでしょうか。
特にボルドーは新世界向けワイン輸出の基地となり、後背のアキテーヌ地方が繁栄。
ベルトラン・デュ・ゲクラン元帥の活躍でここを掌握したフランスは
イギリスに対して経済的優位に立ち、ワインの競争相手である
ブルゴーニュの経済力が若干低下(?ここは保留)したこともあり、
史実よりやや早期に国内統一、百年戦争終結です。
イギリスはその分早くにばら戦争が始まり、北部のヨーク公家が
対ヴィンランド貿易で栄える北方のスコットランドと接近。
フランスにおけるブルゴーニュ公家のような存在となり、ロンドンとは一線を画します。
話を戻すと、1424年にはフェニキア分遣隊がはじめてイタリアのジェノヴァ港に姿をあらわし、
ルネッサンス・イタリア人の目を見張らせます。
人文主義者らの見聞記ものこっています。
ところが当初新たな人種と世界の出現に困惑した教皇庁は調査を進めるうちに、
このフェニキア人たちがバアルを崇める「ベルゼブブの僕」に他ならないことを知り、
バーゼル公会議で審議の結果、彼らを悪魔の民と宣言。
これを受けて急進的なキリスト教徒たちがフランス西岸をはじめ、
各地でフェニキア人たちを襲撃する事件が発生します。
今日はここまでかな。
592 :
世界@名無史さん:04/05/19 15:54
と、いいつつ続きをまた。
教皇庁が反フェニキア感情を煽り立てたおかげで、南フランスからイベリア北部にかけて
「隠れカタリ派」が再登場。無論教皇庁からすれば彼らは異端ですが、
同じくフェニキアを敵視するものとして、お互い無関係に反フェニキア運動を展開。
そんなこんなでヨーロッパは危険過ぎるというので、次第にフェニキアは
貿易を対アフリカ中心にシフトしていき、南ヨーロッパの経済力は衰退していきます。
それに伴ってフランスも次第に経済的優位を失い、結局15世紀後半には元通り。
しかしながら経済優位は失われたにしても国際情勢はいろいろややっこしいわけで、
1477年には対立教皇の誕生です。
東西ハプスブルク−教皇庁−イングランド連合vsフランス−アヴィニョン教皇連合vsカタリ派
vs
フェニキア−ヴィンランド−アイルランド−スコットランド−ヨーク公−北欧三国−北ドイツ諸侯vsハンザ同盟
という感じの複雑怪奇な情勢になります。
それで次の世紀に入り、1517年のルター以降どいつ宗教改革が始まると更に情勢は
ややっこしくなっていくのですが・・・・・・それはまあ置くとして、
南ヨーロッパ。
年とともに次第に南部ヨーロッパが保守化する中で、北イタリア諸都市だけは
可能な限りルネッサンスの風を保ちつづけようと足掻いていました。
結局1492年、フィレンツェの実力者ロレンツォ・デ・メディチの死とともに
ルネッサンスは崩壊し、フィレンツェでは狂信的な修道士サヴォナローラの独裁が始まる。
ついで1494〜1495にはナポリ王国継承問題に端を発してフランス王シャルル八世のイタリア侵入。
アヴィニョン教皇を奉じる彼らは南下中に通過したアレクサンドル六世教皇のローマを劫掠し、
乱暴狼藉の限りを尽くしたため、直ちにハプスブルク皇帝マクシミリアンはアルプスを超えて
北伊に侵入し、ロンバルディアを舞台にフランス軍と苛烈な戦いを始めます。
これは1530年、ドイツにおける新教諸侯と旧教諸侯の決定的対立より始まった
「ヨーロッパ南北大戦」の前哨戦ともいわれます。
(ヨーロッパ南北大戦・・・・・・ドイツ戦争→フランス戦争→ライン戦争18世紀初頭まで)
>>588 (ふむ、ではお言葉に甘えて。)
源義経らが東方へ旅立った後、日本史と「新大陸」史の大きな変化は無く、
少なくとも我が国の人間が東方にある大陸や文明に思いを馳せるような事
は全く無いまま、鎌倉から室町までの時代は過ぎて行った。
そうした状況が変化したのは、義経らの東征から350年以上も経った天
文12年(1543)の事であった(前年に伝来したという説もある)。
種子島に五峯(王直の別号)の乗ったジャンクが漂着し、彼と共に船に乗
っていた3人のニカラグア人商人が、領主種子島時堯に面会した。
彼らの手に握られていた火器(火器という概念自体は既に日本人にもあっ
た)の性能はそれまで知られていた明国製の銃器とは一線を画しており、
ただちに二丁が高値で買い取られ、量産が始まった。
後に「種子島」の名で知られる鉄砲の伝来した瞬間である。
当時ニカラグア教の宣教師らは、東方のみならず太平洋を越えた諸地域に
までその行動範囲を拡大しており、未知の土地での交易と略奪を求める自
称探検家や半商半賊の輩が南太平洋を跋扈していた。
鉄砲が我が国に伝来した1543年という年にはルソン島に植民地が築か
れており、最初に「日本人」の目に触れたのも、そうした有象無象の輩の
内の一人であったらしい。
それから僅か6年後の天文18年には日本本土にまでニカラグア教が伝来
し、「南蛮人」と呼ばれた彼らの信仰は優れた技術と独特の文化と共にお
おいに持て囃され、織田信長・羽柴秀吉といった時の権力者の好みにもか
なっていた事もあり、以後半世紀近くに渡って鹿児島から蝦夷に至る日本
各地への広まりを見せた。
状況が暗転したのは、天正15年(1587)の事であった。
当時九州征伐のために箱崎八幡宮に滞在していた羽柴秀吉は、本地垂迹説を
奉ずる我が国にそぐわないものとして、「邪宗僧追放令」を発布。
ニカラグア教の宣教師らに退去命令を出した。
これは当初は「追放令」という名の通り宣教師の追放を中心においた緩やか
なものであったが、時が経つにつれ次第に弾圧色を強めて行く事となる。
ちょうどこの頃ニカラグアから帰国した「天正少年使節」の運命もここから
四者四様の道を辿って行く事となるのだが・・・それはさておき、宗教勢力に
対する信長・秀吉らの行動は、宗教そのものよりも「自分に従うか否か」と
いう点にあった。信長とて別に巷間言われているような「旧時代の破壊」を
求めて比叡山焼き討ちなどを行っていた訳ではない。
だがそうした視点から見た時、九州を中心にその勢力を拡大していたニカラ
グア教は、政教一致という本国の性質と相俟って、極めて危険な存在となっ
てしまっていた。
しかも文禄の役の最中であった文禄2年(1593)、当時ルソンのみならず
秀吉が朝貢させようと考えていた高山国(台湾)に5年前に入植を開始してい
たニカラグア軍が琉球を脅かしているという報告が秀吉の耳に入る。
これが当時「高麗・唐・天竺」までも切り従えようとしていた男の心証を、決
定的に害することとなった。
慶長2年(1597)、秀吉は筑前・豊前・豊後の直轄地の兵を動員し、第二
次「朝鮮征伐」と共に「南蛮征伐」を行わせる。
結論のみを言えば、これは簡単にけりがついた。寧ろそれ以後の補給や疫病の
覆い土地での衛生環境の整備、治安の維持に金と神経を費やしている。
秀吉は勢いに乗ってルソン征伐も実行に移そうとしたが、こちらは大海原を渡
るために大量の軍船を用意していた慶長3年(1598)に秀吉が亡くなって
しまい、結局計画倒れに終った。
天下分け目と称される関ヶ原の合戦が起きたのは、それから僅か二年後の慶長
5年(1600)のこと。この時徳川家康は羽柴家直轄地であった高山の領有
をもくろんだが、現地側が島津と組んで強硬な構えをとったので「寒くなった
から戦を止める」という訳の分からない理由で手を引き、羽柴秀頼が摂津・河
内・和泉に加えて高山を領有することを認めている。
当時はまさか、元和元年(1615)、大坂冬の陣の後、追い詰めていた秀頼
があっさりと大坂城を引いて高山まで行き、同地に引き篭もるとは思いもよら
なかったのであろう。
翌年に家康という巨大なカリスマが亡くなった事もあり、徳川家としても摂津
・河内・和泉三国を取り上げた時点で引き、羽柴家の存続を認めざるを得なか
った。西国をまだ完全に掌中に収めていない段階で高山まで兵を出した場合島
津家を刺激し、下手をすると日本の南端から大乱が起りかねない。
わざわざ外堀・内堀を埋めて準備万端整えたところで肩透かしをくわされた訳
で、当時からおおいに馬鹿にされていたこと、言うまでもない。
徳川秀忠は元和9年(1623)に「生まれながらの将軍」家光に将軍位を
譲って大御所となり、その9年後に亡くなるが、なかなか勢力の衰えないニ
カラグア教対策は、已然として悩みのタネであった。
だがニカラグア教がいくら蔓延したところで、支配体制に取り込めるようで
あれば何の問題もない。要は背後にニカラグアという一国家が存在すること
が問題だったのであり、これに対する方策は二つあった。
国を閉ざした上でニカラグア教徒を殲滅するか。逆にこちらから打って出るか。
家光は後者を選択し、寛永10年(1633)にルソンを占領させた。
これによって南太平洋から東南アジア方面に進出しようとしていたニカラグア
側の方針はとどめをさされた形となり、これ以降はアフリカ方面への進出・植
民都市建設に精を出すことになる。
一方徳川家もノウハウを持たない植民都市経営にはさほど感心を持たなかった。
李氏朝鮮の他にシャムやマタラムといった南海の国々との善隣外交を繰り広げ
ることに専念し、シャム通信使やマタラム通信使が来日した。
後に明国からの亡命を助け、援軍を派遣したような一連の家光の行動は後世に
「開国政策」と呼ばれるようになる。もっともこれは本人の与り知らぬことで、
偶然と必然の作用した結果という面が大きい。
徳川家綱の治世下にあった寛文年間、「寛文扶寇」が起る。(
>>574)
この時始めて「日本人」は遥か東方に「南蛮」以外の国のあることを、しか
もその国の一つの統領を務めているのが(徳川家の様な怪しげなものよりも
余程信頼出来る)正真正銘「源氏」の末裔であることを知った。
ここに「扶桑国」との新たな国交が開始される。だが肝心の扶桑国の勢力・
交流範囲が新大陸では西海岸一帯に留まっていたため、他の神大陸諸国と
の交易・国交樹立に直結することは無かった。
もっとも言い換えればニカラグア国との関係を不安がる必要も無い訳で、だ
からこそ幕府側もすんなり交流に応じたのだと言えた。
これにより、已然として軍事面での進出は抑えていたものの、こと平和的
外交という点からすれば北はアイヌ(国家は未成立)・扶桑国、南はマタ
ラム王国にまたがる日本の折衝範囲は非常に広大なものとなった。
ここに長年の戦争と衰退を見せていたヨーロッパの人間が姿を現したのは、
正徳5年(1715)のこと。豊後臼杵に漂着した「リーフデ号」に乗っ
てはるばる「アメリゴ海峡」(史実でいうマゼラン海峡)を通過して来た
オランダ人の名はヤン・ヨーステン、イギリス人の名はウィリアム・アダ
ムスといった。
・・・とまあかなり調子に乗ってヨーロッパ人との接触まで書いてしまいま
したが、正直どうかな。特に
>>575で書いたような「アイヌ国家樹立」が実
際になるものかどうか(生産などの面)いささか懐疑的になって来ました。
自分で書いておいてなんですが、日本の保護国扱い→蝦夷藩になるかも。
とうとう、アジアの方も歴史も動き始めましたね。
あと、史実だと17世紀にオーストラリアにオランダやイギリスが進出して
いますが、この世界では南米、東アジア、イスラム・アフリカの各勢力が
進出して三つ巴の争いをしていくんでしょうか。
600 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/05/19 21:46
>>545さん
ご自由にどうぞ、…取り纏めに僕が苦労するだけですから(笑)。
微妙な「誤差」はいたしかたないものですし。
ヨーロッパの流れは僕にはもうつっこみどころがないですが、
イベリア半島は、北欧・英国とともに欧州大戦の余波は逃れそうですが…どんなもんでしょう。
>>山野さん
豊家高山国に徳川家のルソン征伐とは…。
蝦夷ですが、松前氏の関与が史実並み・田沼体制の存続、であれば「独立」しうる…と思います。
松前氏は積極統治には程遠かったですし、田沼意次も開国体制では南方経営の方に手をとられて「入植」はしないでしょうし。
(ちょと甘いかしら)
>>599 「草刈場」には小さいですけどね>オーストラリア
…僕の「マレガ」と絡めるのなら、とりあえずは15世紀ごろには「統一」済み(…予定)ですが、
東南アジア諸国並みですからねえ。
>>600 ソースを提示出来ないのが残念ですが、宣教師を送り込ませるのに対抗する
為にフィリピンに出兵しようという案が実際に家光の時代にあったようです。
彼の治世の前半期にはまだ西国は完全に掌握しきれていなかったので、明正
天皇即位後かなり経った頃だろうと思いますが。
台湾については末次平蔵の朱印船がオランダに拿捕された時に明け渡しを求
めていましたね(オランダ側が応じていれば面白かった?)。
>蝦夷ですが、松前氏の関与が史実並み・田沼体制の存続、であれば「独立」しうる…と思います。
そうなると、千島を含む東蝦夷地(国境が画定したら宗谷〜襟裳間ぐらい?)
は安泰ですか。樺太はどちらが領有しそうですかね。アイヌ側は下手に欲を
出さずに内政に専念した方がいいのか、それとも・・・。
(まともに作物が育つかどうか心配です。日本からジャガイモが伝来すれば
助かるかな?)
>山野氏
質問というかなんと言うか(的を外してる自信はある)
1.ニカラグア教は禁教令を出さなければならないほど危険なものだったのか
2.朝鮮征伐と南蛮征伐を平行して実行する余力が日本にあったのか
(実際にニカラグアと戦争ってことにならなければ楽にできるかもしれないが)
3.高山が島津と組んで抵抗した場合、島津は討伐の対象にならないのか
4.扶桑国は蝦夷に迅速に(史実での講和〜シャクシャイン謀殺より早く)5000もの援軍を送る術を有すのか
基本的に他の文明圏と隔絶した地域でどれだけの文化的進展があるのか
5.大戦真っ只中でヨーステン・アダムスが日本に来ることができる余地はあるのか
どうもです545さんカトーと申します。
僕の拙い駄文を完成度高くしてもらい感謝します。
欧州はただ一つお願い除き僕にもつっこみはないです。
僕もフランス戦争は、考えてたんですが、その後イングランド継承戦争を考えてました。イングランドの王位が絶えてハプスブルグがイングランド王位の簒奪を狙ってイングランド内の反対派とスコットランドとの三巴の戦争を考えてました。
そういうのはどうでしょう?と言う事です。
それと、とてたさん言葉足らずでごめんなさい。僕がポーランドと言ったのはロシア〜ペルシャと欧州の経済・宗教的分断線なので、地政学から無視できんのではという事です。
でとりあえずアフリカではニカラグア教を発端にして、覇権と存続を巡りアフリカを二分する大戦が起きると思っていただければ。
色分けは前にカキコした勢力分布から。
これで欧州が巻き返せるかまでは未定です。
まだ数日はカキコ出来んのでつっこみねがいます。
>>603 いやなかなか手厳しい。
>1.ニカラグア教は禁教令を出さなければならないほど危険なものだったのか
政教一致国家が遥か東方に存在しながら、次第に勢力を増して行くのを快く思
う筈も無かった、という事です。国内の宗派であれば責任者の流刑などで片が
つきますが、全く別の宗教体系が存在し、しかもその中心が他国にあるのを受
け入れられる筈もない。王法仏法を車の両輪とし、関白として「日本国」の政
を握ろうとしていた人物にはタンコブどころじゃないでしょう。
「コントロール出来ないものはつぶす」というのは国内統一を進める上ではこ
れ以外のものを対象としていても同じであったかと。
>2.朝鮮征伐と南蛮征伐を平行して実行する余力が日本にあったのか
南蛮〜といっても規模は江戸初期に長崎奉行が2000人程で実行しようと
したようなものだとお考え頂ければ。入植直後に進駐して来た面々を追い払
うぐらい、さほどの難事でも無かったでしょう。
寧ろ本文中にある通り、維持・管理する方が面倒臭そうです。
>3.高山が島津と組んで抵抗した場合、島津は討伐の対象にならないのか
これは逆に「関ヶ原合戦後に島津が抵抗したのに誘われ、便乗した」とお考え
下さい。関ヶ原で敗れた宇喜田秀家が琉球王になろうとして失敗した話と絡め
ようとも考えたのですが、この板琉球ファンも多いので遠慮しました。
大坂の陣後の処理ですが、これは別に島津が表立って叛意を示した訳ではない。
ただ(史実でも秀頼が鹿児島へ逃れたという風説が生れたように)幕府側とし
ても家康の余命も短い状態で危険を重ねるより、辺土を放置して地固めを進め
る事を優先したのでは無いかと。見方を変えれば脅威が遠のいた訳ですし。
>4.扶桑国は蝦夷に迅速に(史実での講和〜シャクシャイン謀殺より早く)5000もの援軍を送る術を有すのか
その辺は確かに苦しい。史実より長引いて2〜3年続いた結果としましたが、
それだと幕府側の干渉の方が早いか。無しにした方がいいかもしれません。
(でもアイヌ国家樹立というのも魅力的でしてね・・・。)
>5.大戦真っ只中でヨーステン・アダムスが日本に来ることができる余地はあるのか
>>592に「(ヨーロッパ南北大戦・・・・・・ドイツ戦争→フランス戦争→ライン戦争18世紀初頭まで)」
とあった事から、この頃には長い大戦の時代も終結し、英蘭両国も復興に向かって歩み
出し、遅まきながら東西へ向けて航海に乗り出して行ったのではないかと考えました。
(1715年なら、数年遡っても初頭とは言わないでしょうし。)
しかしカトー氏の予定されている「イングランド継承戦争」が比較的遅い時期に起きた
のであればもうボロボロですね。国外の産物を求めている余裕はあるのか?
日本人のアンジロウが戦国時代に東南アジアまで逃げてザビエルと会っていたように、
海賊まがいの連中が海外雄飛を行っているかもしれませんが。
>>606-607 大方納得いきました。ありがとうございます。
ということで、アイヌ国家建設するならシャクシャイン蜂起前に扶桑国にアプローチかけてもらった方が
上手くいくんじゃないかという気が(なんとなく)します。
一度アイヌが扶桑国に属した後しばらくして独立、という形でならなんとかなるかも。
>>608 その辺のシナリオは、やはり主催者(?)でアイヌにお詳しいとてたさんに
お願いしますか(勝手に)。
扶桑側が日本よりも先に進出して、というのはもっと難しそうなので。
どうにかして自治権だけでも勝ち取れないものか・・・。(考え中)
ちと時間があったのでカキコ。
山野さん。いっその事アイヌに清朝を絡めては?
日本が明を助けるのに対して清はアイヌに協力する形にする。
ちと無茶ですか?
となると扶桑・アイヌ・日本・高山・清・明の複雑な国際関係になりますが。
ちなみに明は清に華北を追われるものの、江南に逃れる。
国際交易に深くコミットした華僑ね強い基盤として強力な商業資本が育ちつつあったので清に対抗し得るって事で。
こうなると南明は伝統的な中華帝国を逸脱して皇帝が君臨すれど統治しない形式的存在になって商業資本の強く市民的な階層がでてくる可能性も。
やはり無茶ですか?
>>611 成る程・・・しかし清朝とはまた強敵ですね。下手したら本州までやられそう。
では苦夷の樺太アイヌと元が戦った事があった事から連想して、
1、シャクシャイン、事前に陰謀を察知して松前側を襲撃。戦いそのものには敗
れたものの、主だった面々と樺太に逃亡する。
(この辺り、分かる人には分かる某宗像教授伝奇考と絡めてある)
2、これ以前に鄭成功の救援要請に対し、日本が援軍派遣に応じていた(16
46年)事から日清間の関係が悪化していた事もあり、清は樺太まで出兵し、
シャクシャインを担ぎ上げて宗谷海峡を南下。仰天した松前側は幕府に援軍を
要請。東北諸藩が「寛文清寇」に対して出兵を命じられ、道南で激突。
3、危うく泥沼になりかけるが、不毛過ぎると悟った両国間に和議が成立し、
日本は樺太・シベリア方面への進出の夢を断たれる。代って清がロシアの進
出の遅れたシベリアに進出する事になり、一方和人支配の心配の無くなった
樺太には蝦夷地より「亡命アイヌ人」が渡来する事が続き、次第に勢力を強
め、ウィルタやニヴフも含めた諸民族を統合して行く。→樺太国家成立へ
4、江南では新生した明が長江以南で存続しており、日本やヨーロッパによ
る植民地化を免れた東南アジア諸国との交易が盛ん。
どなたか異議・代案など御座いませんか?しかしこの世界、現時点ではとて
も「洋服」が世界基準になりそうにありませんね。行動的な衣服を求めても、
かなり民族色が豊かで見ていて面白いものになりそうです。
>ちなみに明は清に華北を追われるものの、江南に逃れる。
>国際交易に深くコミットした華僑ね強い基盤として強力な商業資本が育ちつつあったので清に対抗し得るって事で。
>こうなると南明は伝統的な中華帝国を逸脱して皇帝が君臨すれど統治しない形式的存在になって商業資本の強く市民的な階層がでてくる可能性も。
>4、江南では新生した明が長江以南で存続しており、日本やヨーロッパによ
>る植民地化を免れた東南アジア諸国との交易が盛ん。
それ、まさに私が考えていた状況です!
要するにインド洋交易圏にフェニキア・ニカラグアという全く新たなプレイヤーが出現し、
モンゴル帝国の大統一から史実ではペスト大流行による一時的崩壊を経て
西欧世界覇権へつながっていくはずの既存の世界システムが大幅に再編されたわけで……
ヨーロッパは出てこないし、アフリカは台頭するし……
東アジア地域にも間接的には早くから一定の影響が及びそうです。
でも実際にこの可能性をどう調理するかは、山野さんにお任せします。
とりあえず私はヨーロッパとアフリカとインド洋周辺の歴史まで考えてはあります。
さて、欧州歴史改変の続きをば……
>>600 >>>545さん
>ご自由にどうぞ、…取り纏めに僕が苦労するだけですから(笑)。
何だか申し訳ないような気もしますが、それではお言葉に甘えて遠慮なく(w
>イベリア半島は、北欧・英国とともに欧州大戦の余波は逃れそうですが…どんなもんでしょう。
>僕もフランス戦争は、考えてたんですが、その後イングランド継承戦争を考えてました。イングランドの王位が絶えてハプスブルグがイングランド王位の簒奪を狙ってイングランド内の反対派とスコットランドとの三巴の戦争を考えてました
えーと、わたしの考えた「ヨーロッパ南北大戦」というのは、
特定の戦役が断続的に起こっているというよりも、全ヨーロッパで
始終小規模な叩き合いが続いているという状況なんですね。日本の南北朝時代みたいなもんです。
だから
>(ヨーロッパ南北大戦・・・・・・ドイツ戦争→フランス戦争→ライン戦争18世紀初頭まで)
といっても、それは特に戦乱が激しいというか、大規模的な「南北大戦」の焦点になる地域ということです。
ごく漠然としたものです。
一応流れとしては
1495〜北伊でフランスvsハプスブルク→1517.ルター登場→1524〜1525.ドイツ農民戦争→1529トルコ軍のウィーン襲来と対土十字軍結成→
1530.トルコの脅威が去って一段落ついたところでドイツの新教諸侯が「連盟」を結成して旧教諸侯と決定的対立(ドイツ戦争の始まり)→
諸国がドイツ諸侯に代理戦争をさせてドイツが滅茶苦茶に疲弊→フランスにユグノー浸透→1572.サンバルテルミーの大虐殺(フランス戦争始まり)→
ナヴァール王アンリがパリとフランスの三分の一位制圧→アルザス・ロレーヌを巡ってドイツ=ハプスブルクと抗争・・・って感じです。
その過程でイングランド継承戦争が入ってもまったく問題ないと思いますよ。
でもって、このような経過を経た結果、ヨーロッパが立ち直るかというと、
そうは思いません。
アフリカとはいわないが、実質史実における現代のイスラム世界並みか
それ以下に落ちるんじゃないかと。
実際、無理にヨーロッパに巻き返させる必要もないと思うんですよ。なるべくなら
とことん史実と違うほうが面白いし。
それで仮にヨーロッパが二流地域のままとすると、史実における近代列強のように
特定の地域が単独で圧倒的な強力さをもって世界支配へ邁進という状況にはならないので、
……さてどうなることか?
だからアダムズやヨーステンは現れてこないと思います。少なくとも
国家規模で海外へ雄飛するという発想は、少なくとも南部ヨーロッパにはないだろうし、
そんな余力もないでしょうから。
ただ、国家の定めたがりがりカトリックの枠を嫌って勝手に海外へ出る連中、
あるいは奴隷にされたり傭兵になったりする西欧人たちは相当数いるものと思われます。
そういう人々なら、日本に現れることも大いにあり得るでしょう。
あと私の考えているのは史実におけるカリブの海賊ヘンリー・モーガン。
どうせだからチューダー朝の圧制を嫌って国外脱出し、フェニキア船団へ
略奪三昧働いた挙句気を変えてフェニキアに帰順。
フェニキア大艦隊を率いて七つの海を縦横無尽に横行する……というのはどうでしょう。
あと、西欧文化はおそろしく沈滞低下すると思われます。
それこそ、史実のイスラム世界みたいに、
ジャマールディーン・アフガーニー見たいな人物が出てきて「カトリック復興!」
を説いたりするかも知れませんが。
もちろんシェイクスピアもバッハもゲーテもヴェートーヴェンも現れず、
変わりにオスマン帝国とアフリカ諸国が栄え、ルネッサンス末期に脱出してきた
人文主義者やユダヤ人たちの影響を受け、ヨーロッパ風文化と現地の文化の混交した
独特の高度な文化が栄えるのではないでしょうか。
ふと思いついた……コーヒー。
エチオピアの特産品? トルテかのカカオ、中国の茶と競合して
近代世界市場を席捲……? インドの砂糖黍も出てきますね。
砂糖黍栽培をフェニキア諸島に導入できないでしょうか。
>>614 >ナヴァール王アンリがパリとフランスの三分の一位制圧
間違い。三分の二位です。大体南部・西部・北部。
>>584-585 ポーランド
う〜ん、あまり考えなかったなあ……
1410.リトアニアと連合してタンネンベルクの戦いでドイツ騎士団撃破
1572.ヤギェウォ朝断絶。選挙王政へ
というのが史実の流れですが、とにかく王権が弱い。あと重要なのは小麦の大産地。
戦略的な価値はありますね……
西欧諸国は内輪もめに忙しい上文化が衰退し、他地域との交流がほとんど途絶えて
十字軍時代並みに視野が狭くなっているというのが私の考えなので、
あえてポーランドに突っ込んでくることは(一過性の略奪遠征を除いて)なさそうです。
ロシアのほうはとりあえず、当時ポーランド・リトアニア連合が黒海まで領土を広げていたので
おそらくドニエプル河畔の要地、キエフは取るものと思われます。
それ以上の征服についてはなんとも……まともにジハードを敢行する可能性もありそうだし、
黒海沿岸領をオスマン帝国との緩衝地帯として残す可能性もあり……ってところでしょうか。
ただ、基本的にイスラムロシアはクリム汗国・カフカスへの南進と
キルギス・ステップへの東進をより優先するものと思われます。
穀倉地帯であることから朝貢国にするかもしれません。
しかし何といっても、ポーランドの国内がバラバラですからねえ……
アフリカの動向について書きます。
ただ、内陸部よりも、アフリカの動向がインド洋交易圏にどう影響を与え、
それがインド以東にどう波及していったかが問題なので、必要なところだけですね。
カトーさんの領分を侵してすみません。カトーさんの考えの方をを優先してくださいね。
1415.ククルカン司祭のニカラグア教布教船団、南アフリカに漂着
1423.アフリカ南部にはじめてニカラグア教布教団派遣(同年フェニキアの船団モロッコに出現)
1443.ニカラグア教調査団によって南部アフリカで大規模な金山発見される
1446.ゴールドラッシュに煽られて殺到した鉱夫たちの一人が、ダイヤモンド鉱山発見
(ところでダイヤモンドって加工技術・需要がるでしょうか…・・・無かったらこれはカット)
ところで、当時東南アフリカのザンベジ流域に勢力をほこっていたモノモタパ帝国は
フェニキア人やニカラグア人、マヤ人などの商人との交易によって既に火器を入手し、
近隣諸部族を打ち従え、更には東岸のソファラ、
モザンビークなどの港市を占領して直轄化していました。
とはいえ彼らには新世界の商人たちに支払うべきモノが少なく、
やむなく戦争捕虜などの代価に火器を購入していたのです。
豊富な金鉱山の発見を伝え聞いたモノモタパの皇帝は
直ちに帝国全軍を召集して怒涛のごとく南下。沿岸のフェニキア・
ニカラグア人入植都市を次々に破壊し、補給路を断って瞬く間に幾つかの金山を占領します。
ところが半年後、フェニキア・ニカラグア・トルテカの連合軍が喜望峰付近に上陸。
形成は逆転します。
そこでモノモタパ皇帝は金山から算出される豊富な金を利用し、スワヒリ諸都市を通じて
大量のアラブ・インド人傭兵を雇用。後には若干のマムルークも加わります。
この結果「第一次南ア戦争」と呼ばれる五年間の戦争が始まり、
結局1453年にニカラグアとモノモタパの国境を正式に確定し、
お互いに幾つかの金山を保有するという条約が結ばれて決着。
その後、モノモタパ帝国はこの時雇い入れた大量の傭兵軍団と金の富を利用して
西に北にと見る見る勢力を拡大していくのですが、それはまた別の話……
さて、この時初めてモザンビーク海峡以南の地域が旧世界の歴史に本格的に加わります。
大量の金がインド洋ルートに流れた結果、価格革命が発生。
金を求めて多くの人々がアフリカ南端に殺到。
グジャラートやマラバールのインド人たちの進出は特に激しく、
印僑の先駆けとして傭兵・商人・海賊・アフリカ諸国のお抱え外国人など他分野で活躍します。
またインド洋交易の活性化はアフリカ東岸北部の諸都市をも潤し、
その結果スーダンのフンジュ・スルタン国、大湖地方のブニョロ王国などが興起。
(この辺はカトーさんが以前書かれていた内容を参考にしました)
15世紀後半に入ると、フェニキア商人が旧世界貿易を
ヨーロッパから西アフリカへシフトチェンジしたことによってアフリカの発展が更に加速されます。
アフリカについてはここまでにして、後はカトーさんにお任せします。
ところで「アフリカ」は「アフリカ」でいいですよね?
ローマ人もイスラム教徒も「アフリカ」(イフリーキヤ)って呼んでいたし。
さて、東アジアについても図々しく書かせていただきます(w
これも最終的には山野さんにお任せしますね。
1415年に南部アフリカで鄭和分遣艦隊と遭遇したククルカン司祭らは
(翌年?鄭和西洋下りについての本が手元に無いのでよくわからない)
明の永楽帝に謁見し、宣教師アウラネの通訳で遭難の事情を述べ、
鄭和らの助けに対し謝恩、ニカラグア教の教理を説明し(ただし誰の興味も引かなかった)
銀、若干のカカオなどを献上します(『明史鄭和伝』)。
しかし彼らの存在は多くの国々からの朝貢使節の中に紛れ、
彼らの故郷が全く知られていなかった広大な新世界であるということは
とうとう正確に理解されずじまいでした。(アウラネ=楊士奇は北京到着後間もなく病死)
その後明朝と新世界との関係はいったん途絶えます。
しかし15世紀末、とうとう「価格革命」の波が東アジアまでも押し寄せてきました。
海禁政策にもかかわらず大量の金がどこからか流入し、経済の混乱を憂えた明朝は
海禁をいっそう厳しく施行。
しかし江南・華南の貧しい沿岸民は富を求めてどんどん海外に出て行き、
日本人と中国人からなる倭寇は好況を利して盛んに中国沿岸を荒らしまわる。
日本列島では徐々に東西の経済バランスが崩れていきます。
(これ以上日本史に手を出す勇気は無いので、山野さんにお任せ)
明朝の必死の弾圧にもかかわらず倭寇の活動はどんどん大規模化し、
16世紀後半には倭寇の八幡船はセイロン島からインド西岸地域にまで姿を現します。
インド洋では従来の在地商人とムスリムのカーリミー商人に加えて
フェニキア人やインド商人が登場し、ニカラグア教布教団もちらほら。
ヨーロッパ人やアフリカ人、東南アジア系の奴隷やマムルークの売買も盛んです。
後の世の歴史家はこの時期のインド洋を「すべての国のアウトサイダーの楽園」と評しました。
(山野さんが既に書かれた日本史や東アジアの事情に触れてすみません。
うまく扶桑国につながる話と整合できればいいのですが……)
1569年、対倭寇戦で活躍した名将、戚継光はその職務上倭寇と海外の事情を研究した結果
もはやこれ以上の海禁政策は無意味であるばかりか有害ですらあるという結論に達し、
その建議を受けて朝廷の実力者、張居正は海禁撤廃を断行します。
最大の目的はモンゴル高原の遊牧民へ備えるため、多額の軍事費の財源を確保することにありました。
(倭寇の跳梁に妨げられてまともな朝貢貿易システムはほとんど機能しなくなっていた)
しかし段階的に実施されるはずだった海禁緩和・撤廃策は一度発動されると勝手に暴走し、
沿岸の長官たちは外国商人と結託して巨利を貪る。
張居正はこれを何とか押しとどめようとしたものの、主君万暦帝の無能・宦官の跳梁跋扈とも相まって
明朝支配力の低下はとどめがたく、ついに張居正は心労のあまり倒れてしまいます。
以後、16世紀の後半と17世紀の前半を通じて加速度的に長江以南沿岸地方は
明朝支配から離脱していき、内陸部には軍閥が割拠。大明帝国の崩壊の開始です。
海禁を解除して海外貿易の利益はもっぱら沿岸港市の地方長官と内陸の軍閥に流れ、
明の宮廷財政はいっこう潤いませんでした。
かくて1631年李自成の乱が勃発し、ついで1644年、山海関を突破した満州族の清軍は北京に入城。
中国支配を宣言します。
明朝の残党(いわゆる南明)は長江以南に逃れ、今まで敵対関係にあった沿岸支配者たちと同盟。
中国南部を保持して長江の線で清朝とにらみ合います。
清は中国侵入の際いち早く下った呉三桂ら有力者を長江流域において対明戦役を命じましたが、
彼ら(いわゆる三藩)は逆に明朝に通じ、明と清との間で巧みな外交を展開。
半ば独立国家となって准水流域に割拠。
東アジアも後は丸投げして、と……
(すみません、山野さん。このストーリーは全部無視でもいいですよ。考えるのが面白いだけなので)
あとインド。
ムガール帝国が北インドを平定した後、南進して東西海岸の諸都市に支配を拡大すると
インド洋交易圏と直接につながってくるわけで……
しかしあのイスラム原理主義皇帝のアウラングゼーブがいなければ
ジャハーンギール、シャー・ジャハーンの時代並みに北インドのみ支配にとどまり、
南部はヒンズー系諸王国割拠が続いたんではないか、という気もするんですね……
アウラングゼーブ帝が現れるのが歴史の必然だったといえるのか、
またこの世界の歴史に彼が現れてムガール帝国がインド洋交易権に接続された場合
南アジアの歴史にどういう影響が生じるか……そこまで、今のところ考え中です。
あと、旧世界と接触したことで
新世界のほうにもいろいろ影響が出てくるんでしょうね。
>>616 成る程、しかし徹底的とは罪深い真似をなさる(笑)。
そうなると日欧の接触は更に持ち越される訳で・・・19世紀には出て来るん
でしょうね?(と小一時間問い詰めたい)
では東アジアがロシアの干渉も西欧の干渉も受けず、受けるとすれば新大陸勢
やアフリカ勢自体という事でファイナルアンサー?
>>620 >「日本列島では徐々に東西の経済バランスが崩れていきます。」
というのは具体的にはどういう様相なのでしょうか。なかなか想像出来ませんで。
ただ史実よりも木綿栽培が早くなるかもしれません。綿業が発展し、国内で本格
的な木綿栽培が行われるようになるのは17世紀には入ってからですが、こうな
ると木綿栽培→繰綿への加工→紡績→織布といった工程が揃う事となり、地域分
業が進むようになりました。これが江戸期の経済をそれ以前のものと分離する大
きな変化に繋がったといいます。
こうした地域分業は紅花や箪笥でも見られた事で、世の中の安定を待つ必要もあ
ったでしょうが、経済の拡大・発展が多少早まるかもしれません。
(もっともそうした細かい変化が今後どうなるかまで予想しきれるかというと不
安ですので、そこは大法螺で誤魔化すしかなさそうです。)
因みに日本の朱印船は豊富な銀資本(東西で金銀ラッシュ)を背景に1620年
代にはインドシナ半島の商権をほぼ一手に握っています。
この世界だとこれが持続しそうですが、この状態になると倭寇の勢力は逆に衰退
するんじゃ無いでしょうか。「倭寇」の跳梁はやはり一炊の夢・・・。
もっとも17世紀も後半になると我が国の石見や佐渡の金銀山が以前ほどの産出
量をもたらさなくなるので、歴史通り海上交易は17世紀一杯沈静化しそうです。
アマルガム法が入って来ない分産出が長く続くかもしれませんが、どっちにせよ
ポトシ銀山で大量の銀が産出されるようになって銀の価値が下落したらただじゃ
済みそうにありません。
それまで東の金づかい、西の銀づかいでやって来た我が国の経済は混乱し、ここ
で田沼意次の改革(南鐐二朱銀発行)が活躍して東西の通貨を統一し、失脚を免
れ・・・るといいんですけどね。
>ただ史実よりも木綿栽培が早くなるかもしれません。
種の伝来時期が早まり、それに加えて伝来する地域も広範囲に広がるのでは
ないかという事。史実だと1591年には奈良でも栽培されていた「らしい」
というぐらいの事しか言えませんから。
どうもです。
545さん、今長文カキコ出来んので簡略に言うと英仏の戦争をあえて述べたのは漏れなりの欧州への巻き返しのチャンスのつもりです。
詳しくは来週カキコします。
あとアフリカはいいですよ。
ニカラグア教と欧州南北大戦を発端としたアフリカ全土を巻き込む宗教戦争・アフリカ百年戦争を考えてます。
これも突発的ではなくアフリカ勃興を考えるうえで不可欠だし必然と思ってます。
こちらも詳しくは来週カキコという事で容赦下さい。
まあ漏れの私論なのでツッコミところ満載となるでしょうが。
627 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/05/22 12:13
いやはや、ものすごい勢いですね…え、僕って主催者だったのですか。
僕程度ではもうつっこみどころも少ないのですが、とりあえず…。
>ルソン・高山・琉球
この流れでは島津の琉球攻めも行われそうにないですね。
高山豊家は参勤交代もしそうにないですし。
とはいえ幕府のルソン支配も、ルソン島北部だけに留まりそうです。
別件でフィリピン史を調べていたんですが、スールー王国が1915年まで存続していたのは知りませんでした。
>アイヌ
樺太アイヌ国ですか。
清朝と扶桑の支援があれば、蝦夷地へのレコンキスタはそんなに難しくはないような。
(日本側の統治体制の難が問題なので)
国境は最終的に石狩−苫小牧線になるかと。
えー、僕が書くのはちょと難しいのですが(…いつになるかが自分でもアレです)。
628 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/05/22 12:14
>中国
南明と清朝の並立ですか…南明は南宋朝以上の経済成長をしそうですね。
清朝の版図(といっても、朝貢関係)はエニセイ川−バルハシ湖以東で、イスラム・ロシアと接触…。
ただ、外興安嶺(スタノボイ山脈)以北やオホーツク海以東への影響力はアイヌや扶桑国の方が大きくなるかと。
>アフリカ
今更ですが、文化・技術面はともかく欧州からの移住は疾病問題(マラリアとか眠り病とか)で、
他地域からの入植は困難のような(特に西部)。
>ヨーロッパ
「迫害されたので移住」は、この流れでも充分起こりうるでしょうね。
メスシピ朝やアフリカ諸国も異教信仰や人口流入は比較的寛大でしょうし。
ただ、国家規模の支援はあまり望めないので、史実の日本や中国みたいな契約移民みたいな形がいち早く普通になるかも。
…チョクトー族農園主の下で、綿花・トウモロコシ栽培に勤しむ白人労働者とか。
>その他
服飾品とか嗜好品関係(…技術関係もそうですが)は、かなりの大変動ですよね。
半裸(褌)にせいぜいマントが中米圏のスタンダートですし。
カカウ(カカオ)飲料はアフリカや欧州でも広く親しまれそう。
あ、ダイヤモンドの研磨技術は古代インドからありましたので、無問題かと。
(カット技術は高いものではなかったと思いますが)
629 :
世界@名無史さん:04/05/22 14:21
南北アメリカの先住民達が文字を持ってて自分達の歴史を書き残していたら。
どれ程の《娯楽》を我々に提供していただろーか。旧大陸とは異なった人間ドラマを
映画、小説、アニメ化して。
まあ、文字を持たなかったから文化の蓄積も出来ずスペイン人に土人として全て滅ぼされて
しまった。惜しいな〜。
>この流れでは島津の琉球攻めも行われそうにないですね。
既に「琉球藩」化が行われているように思います。今後歴史の表舞台に出る
機会はほとんど無いんじゃないかと。
>高山豊家は参勤交代もしそうにないですし。
江戸などに屋敷は置いていますし、参勤も時に応じて行っています。
ただこの世界では対外的緊張が高まっているので、参勤交代は初めから無い
か早期に撤廃されるでしょう。大名を金欠病にしている場合じゃない。
>とはいえ幕府のルソン支配も、ルソン島北部だけに留まりそうです。
香料などの産物を目当てに各地に「日本人町」が出来、そこにお上の支配が
及ぶという形で次第に範囲も広がる・・・という事はありませんかね。
少なくとも他国の領域になるまでルソン島だけに留まっているという事は無
いと思うのですが。ところでこのスレ、オーストラリアスレと連動している
のですか?それならそちらが出張ってきそうですが。
>清朝と扶桑の支援があれば、蝦夷地へのレコンキスタはそんなに難しくはないような。
扶桑国が単なる交易ではなく「オホーツク海」以東に勢力を及ぼそうとした場合、食料
面で日本に援助を求めた方がいいと判断するのでは無いかと。
そうなると「清ア対日扶」という構図になる訳で、幕府も黙ってはいないでしょうから
アイヌ国家が日扶間にデン、と構えるのは難しいのではないでしょうか。
(この調子だと、カムチャッカ半島一帯が史実でいうアラスカのような役割を果たしそ
うですね。食料不足を解決しようとする扶桑はロシア、日本は日本。)
考えなしに進めたせいで、まとめが混乱して申し訳ない。
今更なんだが、琉球はその扱いでいいのか?
>>631 ではどうしましょう。琉球にお詳しい方でしたら、お話をお聞かせ頂きたいのですが。
(でも某火葬戦記小説みたいに台湾を併合して「大日本帝国」の一翼に、といった
展開は無理なんじゃありませんか。よくて「諸侯」に入る程度でしょう。)
いや、全然詳しくない。ていうか全く知らない。
単に中継貿易で栄える琉球が明の海禁の影響の少なそうなこの世界で
史実通りの衰退をしてくれるのか疑問に思っただけ。
衰退の原因が別にあるなら631は完全無視を推奨。
545さん。
そういえばいつの間に東アジア担当―山野さん
欧州担当―545さんそして
アフリカ担当―漏れ
の流れになってるような。
それは兎も角
とてたさん。
アフリカの疫病は問題ですよね。
あえてスルーしてたんですが、やはりつっこまれましたね。
とりあえず来週までお待ちください。
ちと時間があったのでまたカキコ。
すみませんです。
さてアフリカの疫病問題なんですが、むしろそれが好都合なとこがあります。
アフリカの場合まかり間違えばアフリカ勢が力をつける前に、はしっこい欧州出身が国を乗っ取り史実の植民地に近い状況に陥る危険があります。
大体疫病あっても欧州はアフリカを植民地に分割していくんですから。
で欧州亡命者は当初フェニキアが切り開いた沿岸の植民都市に定着し、その才を黒人王国に貸すわけですが、当然人数も少なく、疫病があるんで指導者は彼等の知識や技能を地元の若者へ教育する努力をしていく。
で欧州系が二世代もして風土に慣れた頃にはアフリカ諸国の地力も相当向上してるだろうという希望的観測なんですがどうでしょう?とてたさん。
一歩間違うとモンゴル帝国の大統一を突き崩したペスト大流行のように、この世界の大流通を台無しにしかねないんで早いうちに医療技術が発達でもしてもらわんといけないかも。
とりあえず二世代くらいの時間で段々と免疫やら対応を各地域が学習したって事にしましょうか?
>>630 山野野衾さん
豪州スレとは特に連動していないと思います。しかし、参考になる場合もあるか
もしれないので、資料としてはいいかと。
台湾の黒人国家って案はどうなったかも興味津々です。
思うところあって、名前変更。水明ですよろしくです。
漏れも529―531で述べられてたアジア黒人国家は興味深々だったんですが、台湾を山野さんの豊家高山国に取られましたので、(藁
海南島に黒人国家はどうか?と山野さんに伺いたいです。
ちなみに私は当初カキコしたように豪州との連動肯定派です。
なにせ豪州文明だけだと世界史に、これほどのインパクトが出ると思えんし史実と大差ない歴史になりそうなので、変更ついでに絡めても面白いかと。
ただ皆さんの意見がどうか伺いたいですが。
それと余談ですがポーランドの立場は史実の現代での中国とインドの間にあるチベットや中露間のモンゴルのようになるんですかね?
638 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/05/23 22:08
>>630 とりあえず、マレガとの関連は「無し」の方向で。
…関連があっても、史実の東南アジア程度の社会・技術レベルなんですけどね。
(ラクダ隊を組織した仏教国家…かな)
その他の部分はわかりましたです。
>>635 アフリカで、「人種・文化融合」ですか…なるほど。
衛生・医療技術は…欧州もアメリカもアフリカもさして大差無いレベルでしたし、「向上」はかなり苦しいかと。
ただ、南米産のキナ(キニーネの原料)やコチニール(殺菌剤として使用)の需要は高くなりそうですね。
>>636 台湾には高山豊家が先に成立してしまったので、ムリになりますた>台湾黒人国家
とはいえ、白人スルタン(サラワクのブルック家)みたいに黒人王がアジアに出る可能性はありますが。
639 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/05/23 22:11
>>637 …どっちにせよ、せめて15世紀あたりまで仕上げとかないといけないですね。
あぅ。
>>637 申し訳ない。台湾忘れておりました・・・後はもう海南島でも香港でも
お願いします(w)。
台湾黒人国家は無いですかあ。残念。
いっそのこと、インドネシアとか、パプアニューギニアとか、それこそ豪州に
黒人を持っていくとか・・・。難しいか。
海南島あたりがいいのかなあ・・・。
642 :
世界@名無史さん:04/05/24 01:22
ところで宗教分野でちと気が付いたのですが・・・
キリスト教とニカラグア教の接触のあたりから
「ニカラグア教=起源はフェニキア人のバール信仰」と記されていますが、
ニカラグア教の由来については今まで特に書かれていなかったですよね。
>>193でてる兄さんが書いたのが初出ですが・・・まあいいかなw
開祖「テスカトリポカ」、法王「ツォンパトリ」、「セーアカトル」宗教改革、と
固有名詞を見るとメソアメリカの土着信仰との習合なのかな?
宗教改革が生んだ「ニカラグア新派」に対する「旧教」のその後についてもちと気になって。
新派が海外布教へ雄飛するする一方で、南北アメリカでは新旧宗派戦争が続いちゃいまいか・・・といらぬ心配までw
また、ニカラグア教と衝突した「パナマ信教」のほうはその後登場しませんがどうなったのでしょう。
勢力拡大の聖戦を繰り返したところを見ると、やはり膨張&戦闘志向の宗教なのでしょうか。
どのような信仰形態だったかも記述が見当たらず・・・
ボアコの聖戦で敗れた後、衰微してしまったのでしょうか?
以上、流れの枝葉的な箇所ですので読み流して構わず進んでくだされ・・・
<歴史の余談>
『ヨーロッパ南北大戦記』ブルクハルト著 加藤光彦訳
日本国書刊行会
上の書物より抜粋いたしました。
・・・ヨーロッパの長きに渡る戦乱の時代は、他地域の興隆と
比較して、惨憺たるイメージが先にたって見られている。
しかし当時の欧州にとってそれは不幸であったか?
といえばそうとはいえない。
・・(中略)・・・・・フランス戦争においては
ユグノーとアヴィニョン教皇派と正統教皇派の
三つ巴の大内乱であった。
しかし、結論から言えばこの戦いの意義は
フランスがカソリック―ハプスブルグの欧州統合に埋没
するか、
自立した国家としての可能性を追及するかの選択であった。
前者が勝てばフランスは“遅れた農業地帯”としての道を
後者が勝てば“世界を相手とした交易国”としての道を
歩む事になる重大な選択を賭けた戦争であった。
・・・(中略)・・
イングランド継承戦争の場合も時期は若干違えど、その
歴史的意義はフランス戦争と大差はなかった。
ハプスブルグが勝てばイングランドは英仏百年戦争でフランス領を
失って以来歩んできた島国として海洋を目指す路線に止めを刺され
欧州半島に深くのめり込んで“半島化”することになり
ヨーク公を支援するスコットランドが勝てば、イングランドが
スコットランドの属国となる形でブリテン島統一が実現した
はずであった。
あと独立派が存在していたが彼等が戦のキャスティングボードを
握っていたのは事実であるから、戦の帰趨しだいでは
独立イングランドが何らかの形で大西洋に名乗りを上げた可能性は
否定できまい。
・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・
―訳者あとがきより抜粋―
欧州の没落期と位置づけられた、この時代の欧州に
世界の大きなうねりに呼応しようとしたという観点から
英仏の戦争を捉える試みで書かれた著書であった。
無論英仏の運命は歴史の記すとおりである故、多くは
語るまい。
ついでにアフリカ動乱(30年〜100年スパンの予定ですが)の意義
@この世界のハートランドになっているのは、現時点までのところ
アフリカなので世界のパワーが集まり角逐する場となる。
Aアフリカの地域世界としてのアイデンティティ、“アフリカ”と
しての自覚が明確にできていない
(そのまま欧州に植民地化されたのが今のアフリカの混迷の底
に有ると思います )
ニカラグア教という宗教を軸にアフリカ全土を何らかの形で
巻き込んだ戦争は、アフリカというアイデンティティを自覚
させる狙い。
Bここではドイツ30年戦争とウエクトリクファ条約に
代表されるようにヨーロッパスタンダードで一般化
した国際法、主権国家間の取り決め法も、欧州が
マイナーなローカルパワーの為、世界に普及させられない。
そこでアフリカ動乱の戦後収拾に国際法への萌芽、国際秩序
のルール策定のきっかけの役割を担ってもらおうとしました。
Cフェニキアの交易を一時衰えさせたかったのもあります。
アフリカに来ていたユダヤが様々な理由でアメリカやアジアに
出て行き華僑なども往来が活発になる時期ともダブらせたい。
前にも述べましたが近代資本主義のルール、制度はフェニキア
だけでは役不足だし、どうせならフェニキア、マヤ、華僑、印僑
ユダヤ、日本等、複数の国際交易民族の合作としての近代資本主義
を生み出させるきっかけにしたい。
(仮に近代資本主義と言いましたが世界経済を運営するルールと
でもご理解ください)
Dニカラグア教が大きな役回りを担う戦争として
アフリカ―アジアの宗教紛争が起きるのをきっかけに
アメリカ諸国にアジアやアフリカ、インド洋の諸国が
商館や大使、諜報員派遣を活発にさせたい。
大きな理由はニカラグアという総本山国家の動向
への情報収集ですね。
そうでもしないとアメリカ諸国は出不精のようですので
国際社会にコミットさせずらい(WW
Eアフリカに人手不足を齎し技術革新、産業革命への起爆
というか導火線にしたい。
とまあ、そんなDQNな理由でのアフリカ戦争なんですが、
時期的にはヨーロッパ南北戦争と若干連動させたいです。
フランス戦争にモロッコやオスマン帝国がフランス側の
支援要請を受けて“欧州が纏まるのは好ましくない”
との理由からハプスブルグを牽制、
ハプスブルグはオヨ、ダホメー、コンゴなどの
キリスト教黒人諸国に牽制を求め同盟関係を組む。
この背後の脅威に対しモロッコやオスマン帝国そして
カネム・ボルヌ帝国は南アフリカニカラグアとの
遠交近攻で牽制を図る。
両者の間に有る諸国はモロッコやカネム・ボルヌの
覇権主義とニカラグアの宗教的脅威に対して
団結して争う。
ちなみにモノポタパやマダガスカルを介して
アジアのニカラグア教問題と連動したら面白いかも。
アフリカへの亡命ユダヤ人が亡命先の黒人王国の要請
を受けてニカラグアという総本山国家のある新大陸の
情勢偵察とニカラグアと敵対する国との同盟を模索し
牽制を図ろうとする政治的意図から図らずも
『新大陸探訪禄』という
“イブン・バットゥータの世界大旅行”の新大陸版
という名著が生まれる・・・
などという、これまたDQNなネタを考えてますた・・
(つД`)・・ダメポですかね・・我ながら欝だ。
ちなみに漏れはヨーロッパ南北戦争は最終的に史実の清朝
の如き閉鎖的なカソリック教義の統一帝国化する
とイメージしてますんで英仏がその統一帝国化の趨勢から
抜け出せるか否かの選択がイングランド継承戦争・フランス戦争
の意義とイメージしました。
ちなみに漏れも545さんと同じく欧州没落志向ですから
英仏は負けて統合欧州の沈滞に飲み込まれるという考えでしたが、
あえて
>>643-644での結論は避けました。
他の方の意見しだいでイングランド活躍させれる余地くらい
でてくるかもしれないので。
佐藤某先生の仮想戦記小説でも欧州は没落していましたが、「それでもイン
グランドは特別」でしたからね。新大陸を征服した日本と20世紀の半ばに
「大西洋戦争」を戦っていましたが。
漏れの場合、日英の関係を逆に考えてもいいのでは
と思ってます。
経済発展をしていく日本がブリテン島に到着して
ヴィンランド―スコットランド―スウェーデン
のラインに対して日本―イングランド―ロシアのラインで
対抗を図る。
この頃にはエヤタス・パチャの相互関係も緊密化していて
(産業革命後の文明近代くらいでせうか)
扶桑とヴィンランドの間の関係が某かの理由で悪化していて
扶桑・日本が日本―イングランド―ロシアのラインで
ヴィンランドの包囲を図る。
そしてイングランドとロシアを繋ぐポーランドを巡って
ハドリアヌス戦争が起こる・・なんてどうかなーっ
日本から欧州は遠すぎますが近代に入ればアフリカとアジア
の往来も活発化して日本が欧州にちょっかい出してもいいのでは
とか考えたんですが・・現時点では
様子見の企画と言うことで。
652 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/25 19:09
>扶桑とヴィンランドの間の関係が某かの理由で悪化していて
バイキング対武士ですか・・・それはそれで燃えますね。日扶英露四国同盟
の勝利で終るような気もしますが、他国の反応も気になります。
とりあえず扶桑国の領土はオレゴン州・ワシントン州・カナダ西部・アラス
カ・カムチャッカ半島といったところでしょうが、ヴィンランドと衝突する
頃にはどんな版図になっているのやら。
>ハドリアヌス戦争
なんの事か理解するのに3秒かかりました。成る程。
>>山野さん
あれはイギリスと日本の立場を入れ替えただけでしょう(今度こそ四巻出るんだろうな!?)。
その点については豊田某氏の「モンゴルの残光」や青木某氏の「龍騎兵」とも共通してますな。
新大陸だけの話だったのが、あれよあれよと全世界に波及してきましたね。あいかわらず
知識が薄いので突っ込めませんが、楽しみにしています。
山野さん戦争名は解っていただけましたか(W
一応扶桑―日本―イングランド―ロシア
それに対して
ヴィンランド―スコットランド―スウェーデン
にオスマン帝国と南明が加わる構図なんすが
なんせどう考えても“この世界”での19世紀初頭くらいの
お話にせんと無理ですんで、企画案のつもりです。
扶桑VSヴィンランド
日本VS南明
イングランドVSスコットランド
ロシアVSオスマン帝国
ちなみに私は「日英の関係を逆に」といいましたが
イングランド=日本の歴史を逆にするつもりはないのです。(汗
あくまで海外雄飛経験とか国力で逆の(それに近い)構図になるだろ
という意味であって
もはやイングランドは史実の日本の歴史を当てはめるには
周辺の国家関係やら違いすぎますんで。
だから日本の黒船がイングランド沿岸に襲来し
欧州帝国の属国の立場からの独立なんてのも面白いかと。
おと、と言うことは
ヨーロッパ南北大戦―アフリカ動乱―アジア教ニカラグア紛争
が事実上のWW1
ハドリアヌス戦争(我が企画が通るとしてですが・・藁)
がWW2(もしくはWW3)になるんですかね。
世界戦争をなくすのは無理ですし逆に何度か経験せんと
成熟した国際社会や近代文明の進歩は難しいと思うんで。
それに各地域の進歩がここまで進んでくる以上
これからは紛争やら戦争は避けられんでしょうね。
日明間によるインド洋海戦やらマダガスカル―南ア戦争なんてのも
インド洋沿岸を巡る日明とムガール―ロシア・ペルシャとの
インド戦争とか・・・
すみませんん・・訂正です。
>>654の
>一応扶桑―日本―イングランド―ロシア
>それに対して
>ヴィンランド―スコットランド―スウェーデン
>にオスマン帝国と南明が加わる構図なんすが
はオスマンは除外を・・
それで
扶桑VSヴィンランド
日本VS南明
イングランドVSスコットランド
ロシアVSスウェーデン
の国家間の対立が
ポーランドの地を巡って戦争として吹き出す。
m(T0T)m長文ごめんなさいです。
>南明
日本の御陰で存続出来た癖に、なんちゅう事を。こうなると日本と清が組んで
(+樺太)明に侵攻となりますかね。
三藩の場所と役割がいまいちつかみきれませんが(もうつぶれてるか?)。
658 :
世界@名無史さん:04/05/26 00:25
そろそろ産業革命の問題もでてくるかな。
それにアメリカ諸国の状況や今後の動向も興味深い。
>>657 呉三桂の周が他の二藩を吸収して大勢力になってます
>>659 お、何かよさげ。よろしければ詳細も設定して頂けませんか。
661 :
世界@名無史さん:04/05/26 00:56
中国が南明・周・清
による三国志となるのですか?
でもこの状況だと複雑な国際関係があって
中華帝国が再現したり再統一される事は
なさそうですね。
こうなってくると、北アメリカ(五大湖周辺とか、カホキア)の絡みも気になって
きますね。扶桑国や中南米とはどうなるんだろうか・・・。
>>660 書いた後で思ったんだけど、呉三桂って基本的に保身できればいいやって人だと思うので
康煕帝からの圧力に比するくらいの危機が起こらないと行動を起こさなさそう。
ていうか、そもそも南明を討伐しないことには三藩が生まれない。
内陸部の桂王は呉三桂に討たせますか。
なおかつ桂王引渡しをリビアが拒否すれば、それを口実にリビアに侵攻して領土化とかできるかも。
雲南+リビアならそれなりの勢力。
これに脅威を感じた清朝が呉軍の解体を画策し、
それを事前に察知した呉が逆に南明(唐王?)と手を結んで独立とかどうでしょう?
…リビアと雲南を同時に治めるのは無理でしょうか?
ちなみに話を逆流させる気がしますが
琉球ですが、まんまだと史実のように島津に押さえられるか
日本国内の一諸侯化してしまうでしょう。
ですが
この世界では(山野さんの領分侵しますが、すみまそん)
そうはならない気がします。
そして・・最大の問題、朝鮮出兵が起こりえたのかといふ最大に疑問に
ぶちあたるんでつ。
そもそも朝鮮出兵の意義自体いまだ疑問符が多い話で、秀吉の痴呆
から戦国の余韻を引きずった膨張の帰結まで要因があります。
・・まあそんな事いってしまえば、徳川幕府が成立しなくなってしまうので
それは由として・・・
この世界では容易に外様大名の取り潰し政策ができなくなりそうです。
というのも外様大名の旗頭になりうる豊臣家が高山に健在である以上
強引な政策は徳川の命取りとなります。あまりごり押しすると
結束されてしまうからです。
交易で西国諸侯が潤っていく可能性もでてきます。幕府の威光が
史実より半減し東国に限定されてくる可能性が大きいのでつ。
少なくとも家康亡き後はそうなりそうです。
漏れの日本による南明応援も、成長しだした西国諸侯の力を
削ぐために家光が煽り、危険な西国諸侯の目を海外に向ける
ようにせざるをえなかった。
と状況を仮定してみたのです。
熱く書け!架空の歴史の初代に漏れがカキコしたように
そして今回は扶桑という恰好の相手が出てきますんで、
なおも容易に遠洋航海技術導入の可能性が出てきます。
んで・『また対外戦争とその過程で軍備、特に外洋海軍力の著しい増強が開始され、
陸軍兵力の火力・機動力の増強、それに合わせた組織の改編とが急ピッチ
で進んだ。
この軍備の急速な増強の最大の副産物は、大型船建造のノウハウが
民間に流出し、流通経済の高速化巨大化を招く。
そして軍拡の為の巨大な軍需産業が整備され、その周辺産業の著しい
発展をも促し、高度な手工業といった国内産業の基礎となった。
この未曾有の軍需景気と副産物は、その後の日本を更なる海外交易
と海外への膨張を決定つけたといってよい。』
てことになり・・・
豊臣恩顧や有力外様を動員する遠征軍となるんでしょうが・・・・
当然ながら秀吉の際の失敗を経験して今回は海路を
寧波あたりに海軍で上陸させて明軍残党との協力作戦
になる。まあ総大将に紀州の徳川頼信あたりになりますか・・
つまりここで、高山でおおっぴらに対外貿易を行なえ
また明と言う大魚を目にした島津が、ちんけに琉球に固執する
必要性は低くなるんです。
さて先の大明救援では旧時代的な領土は殆ど得られないし、
出兵を負担した諸侯への恩賞は自ずから異なる内容が求められます。
対外国貿易の利益や蓄積を分与する他はない。
また当然参陣した諸侯は、外国との交渉や衝突、貿易や海外の文物へ
接する事が否応なく求められていたし、新しい時代への変化の風を感じる
機会ともなる。
高山では徳川日本のように農本のみでやってけんから、貿易通商機構の整備に
よる政策もとるだろうし、
日本でも参陣諸侯が戦争の恩賞として貿易の分け前を得たり生かすためには必然的
に港湾を整備して内航船や外航船の往来を促したり、都市と都市の流通
ネットワークを整え商人資本と結びつかねばならない。
農村部における生産活動にも換金を目的としたモノが現れたり、それを
材料とする加工業も盛んになり、都市と農村の交流も活発化する。
金銀は豊臣家に掌握されている以上、対外貿易や全国市場に相手する為
の殖産興業、産業育成が諸侯の分国でも奨励されていく。
徳川が港湾を統制すると言う意見もあるでしょうが、諸侯に
海外遠征させ補給路を自前持ちにさせるには、諸侯に自前の港湾を
有る程度認めるしかなく、
当然、土地に農民を縛り付けておく事は不可能になり、封建的土地所有
関係は崩壊し、年貢に頼る旧式な封建領主は没落していく傾向が顕著と
なる。
農村に割拠する旧い大名は狭く小さな存在にならざるを得ない。
西国雄藩が史実より遥かに強大化し、徳川の権威が低くなるわけで、
この誤算を招いたのは、家光以下の幕閣が「秀吉の朝鮮出兵」のイメージ
で海外遠征を捉え、高山国豊臣宗家と西国豊臣恩顧諸侯のネットワークを
明への遠征で消耗させ、あわよくば分断しようとの意図からきた
幕府の明国救援からきていた。
南明救援は成功裏に終われば二重の意味で徳川幕府の
弱体は避けられません。
高山国豊臣宗家と西国豊臣恩顧諸侯のネットワークが強固になり
西国雄藩は戦功と徳川一門譜代が経験しなかった実戦や明軍との
人脈・・そして戦功の代わりとしての有る程度の海外交易の容認
に・・さもないと元寇で恩賞を用意できず足元を崩した鎌倉の二の舞
になりまつ。
次第に手に負えないようになった西国勢力を外に向けるべく
幕府が取ったのが開国政策でありまつ。
次第に堺、博多、京都、長崎の商人たちが
盛んに東南アジア諸国に貿易船を送るようになり、
高山の豊臣政権は東アジア諸国に平和通交の新書を送り、朱印船によ
る交易を展開していく。
最初のうちは北は高砂(台湾)からマカオ、インドシナ半島の安南(ベトナム)
東京(トンキン:ベトナム北部)、コーチシナ、カンボジャ、シャムなどの他ルソン
ボルネオなど数十箇所に分散していたが、それらは次第に整理され
コーチシナ、カンボジャ、シャム、高砂(台湾)からマカオなどに集中していく。
というのも最初は単調な往復商いであったのが、日本人の拠点となる恒常的
なベースキャンプができ、そこに現地駐在員である手代が常駐するように
なったからだ。
船が帰国すると駐在員は奥地に商品の買い付けに行ったり販促ルートの
拡大に向かう。
あらかじめ生産者に手付金を渡し「先物買い」の約束をしたり、技術指導をし
収穫量を上げる努力をしている。
その結果、多いところで三千人、少なくとも二、三百人の日本人町が東
東南アジア各地に出現していた。
こういう日本商人の活動は、軍艦と大砲で脅かし、砦を築いて植民地化
を図る武力本位のやり方ではなく、じつに平和的に、合理的な経済活動を
行う事で東アジア市場を制圧していく。
既に高山では砂糖や鹿革を独占的に長崎に売り、手にした
金と銅をイングランド人に売り、イングランド人はインドでそれを売るという
連係プレーで、東アジア海とインド洋が一体化していくようになっていた。
実に日本が東アジア世界に進出し、日本と南洋世界、中国大陸
を結ぶ交易網を造るの自然の流れであった。
ピークに達していた朱印貿易船の活躍
南洋日本人町の発展
中国人鄭芝龍・鄭成功父子の親日本感情
シャム。ソンタヤ国王の友好的態度
高いレベルの造船技術、その他の加工技術力
燃え立つ南方進出の国民的エネルギー
それらの自然に成長する力、溢れ出るエネルギーは日本の海外雄飛が
不可避の流れである事を証明していた。
日本が支援する国姓爺合戦。
この戦争は明を支援するのが目的だが、福建地方沿岸だけでも
日本商圏に取り込む事ができる。
中国南部は北部と違い流通経済が発達していたのも魅力的であった。
鄭芝龍・鄭成功父子の本国福建廈門(アモイ)には「仁・義・礼・智・信」と
名づけた五件の問屋があり、浙江杭州には「木・火・土・金・水」と名づけた
五件の問屋があった。
既にとおく南方の島々と明そして日本をつなぐ三角貿易を独力でつくり
大陸内の絹織物と生糸の産地を全て掌握、ほとんどの唐船をも支配していた。
そして彼は非常な日本贔屓でもあった。
彼等との同盟・連携関係は
東アジア海と中国大陸、日本を結ぶ大デルタゾーンを形成する事となる。
貿易事業は飛躍的に拡大していく。
元和年間から寛永年間にかけて、日本の貿易構造は「材料を輸入し
加工品を輸出する」という形に変化しつつあったからだ。
当時の輸出入品目を見ると、東南アジアから衣服の原料となる
糸や織物、獣皮、魚皮のほか香木、薬草などの天然産原料か半製品を
輸入し、
銀と銅銭などの貨幣商品の他、銅、鉄、硫黄などの鉱産物、樟脳、麦粉
などの食料品、そして雑貨や工芸品などど加工品を輸出していたのである。
商品の種類は変わっても、貿易構造は現代と同じ「原料輸入・製品輸出」
型になりつつあった。
こうなると膨大な需要が見込める。
これが日本の近代への萌芽であり、日本から産業革命が起きる要因とも
なった。
まだまだ日本での全国統一市場の確立や各地域の殖産興業、産業振興を
進め、又農本経営的な開拓、新田開発、開墾事業を振興する余地もあり
内需拡大を要した時期にあって徳川の農本政策は利にかなっていたが
、そのメリットが大きいのは徳川の東国だけであり、
早くから流通貨幣経済があった西国の場合は海外流通網と結びついて
強力な商業資本を育てていく可能性はあったとみます。
西国雄藩、豊臣ネットワークそして上方商人(商業資本)が
紀州徳川家と結びついて家光末期の治世に一大脅威となった可能性すら
あります。
さらに容易ならぬ問題がでてきます。
陸奥太守伊達政宗です。政宗が亡くとも伊達はじめ東北諸侯も
勝手に扶桑と結びつく可能性が出てきます。
なんせ扶桑は義経縁りの奥州にどういった感情を持つか・・
想像にかたくありません。
幕府の威光は東国には行き届いていたでしょうが・・・
寛文清寇があります。この出兵も当然東北諸侯の自腹で
行なわれます。そして彼らに余り不満を持たせると前者(西国勢力)
との動向が気がかりです。
清の脅威と扶桑との関係を前に東北諸侯がどう動くかです。
まあ徳川幕府が健在としても諸侯が相当強くなるわけで・・
幕府が東北諸侯に統制を強めようとして逆に彼等と樺太アイヌを
同盟させ蝦夷地の大半を奪われるという失態を招く。
扶桑は元々心情的に奥羽贔屓の反関東に近い面もあろうし
(なんせ義経ですWW)
東に扶桑―樺太アイヌ―奥羽諸侯の枢軸
西に西国雄藩―豊臣ネットワーク―上方商人(商業資本)+
南明―東南アジア
まかりまちがえば日本は徳川幕府瓦解に際し東西に分裂独立
しかねんかも
てわけで山野さん、漏れ的には扶桑―日本VS清―アイヌ
の構図のまんまで蝦夷地の大半をアイヌ国家に帰属させ
尚且つアイヌ国家を扶桑―日本―清の交易の中継として
繁栄させれる案だと思うんですが・・。
ついでに琉球も豊臣高山国と薩摩島津のパワーバランス
でかろうじて準独立を保ち交易で細々生きながらえる図式
もいれてみますた。
どういうわけか(私的趣味で日本発産業革命の可能性てのも)
こそーり入れてみました。(藁
どうでせう?一応665-675は案ですんで採否はまかせまつ。
正直山野さん、とてたさんのツッコミが怖ひ・・・。
そして最近来られない545さんの動向とか
皆さんのカキコされる動向も気になりますが・・・
>>666 >というのも外様大名の旗頭になりうる豊臣家が高山に健在である以上
>強引な政策は徳川の命取りとなります。あまりごり押しすると
>結束されてしまうからです。
もっとバラバラだったと思いますが・・・大坂攻めの際にも、その後の大名
取り潰しの際にもどこも抵抗・結束しませんでしたし。
当事者以外は我が身が可愛いし、当事者だってつぶすより移った方がいい。
・・・といちいち突っ込んでせっかくの長レスをつぶすのもなんですので、今後はカトー氏
にお任せして、このスレからは基本的に撤退させて頂きます。
その方が上手く行くように思えますし。
いや漏れこそでしゃばりすぎたんで・・・
しばしカキコ控えようと思ってんです。
気分を害されたようならごめんなさい。
(−人ー)長文カキコでも無視してもらっていいですよ。
勝手なカキコですんで。
一応私目もとりあえず撤退します。
長文ウザイとお思いの皆さんも多かろうし
漏れもちとでしゃばりすぎたと自覚してますし・・A(;^^)
(今のトコそれに近いですが)このスレを独占するわけにいかんですし
再び名無しに戻りませう。
それはそうとこの世界では伊達政宗はどこに支倉を派遣しますか?
複数の流れがあってもそんなに問題は無いですよ、つっこみ上等でなおかつ甘いスレですから。
とはいえ、僕程度ではもうつっこめる所も少ないですし、進行に着いて行くのでやっとのところもありますが、
止まっちゃうのも困るのですが…。
>中米・南米関係
ニカラグアもそうですが、南米もちょと調整が必要ですね。
「タワンティン・スーユの北伐」もあると思うんですが…。
>北米関連
エヤタス中央部はメスシピ朝が押さえてますから、扶桑国とヴィンランドの接触は北極海諸島では。
>アジア関連
幕府もルソンを握ってますから、西国諸侯と遜色ない程度に発展できると思います。
支倉常長にしろ少年使節にしろ、ニカラグアでしょう…史実よりは行程が短くなりますが。
>679
>再び名無しに戻りませう。
正直残念なのですが。
>680
扶桑国はまだ早いでしょうし・・・中米でしょうか。それともこの時偶然扶桑
国に到達?(その後半世紀は縁が無さそうですが)
>>681 では選択はとてたさんにお任せしましょうか。勿論、とてたさんとカトーさん
がよろしければの話ですが。日本史関係はこちらで年表を用意させて頂くつも
りだったのですが、17世紀以降を欠くとあまり意味がなさそうですし。
(ある程度の道筋を立てて頂ければ、年表ぐらいはこちらで)
日本国内の情勢についてですが、一部の西国雄藩が交易で潤う事を除けばそう
不安定な事にもならないのではないでしょうか。配属された面々の思惑もバラ
バラでしょう。
東北の諸藩も北方三国(清・アイヌ・扶桑)を相手に交易を行うでしょうが、
いつまでも戦国気分で不穏当な事はしないのではないかと。なんといっても
考えの中心は日本国内にある訳で、迂闊な真似をして日本を追われては元も
子もありません。
ところで
>>671にはイングランドが出て参りますが、何時頃の事でしょうか。
(家光政権を中心に、もう少し勉強して参ります。これじゃ本筋を離れた雑
談も満足に出来やしない。)
684 :
世界@名無史さん:04/05/27 13:48
正直漏れの名だけが
長文カキコで独占
になりそうだったのでやはり他の方の流れ
を優先させた方がいいかと。
一人では偏りがちですし。
てわけでしばし名無しとして見させてもらいます。
685 :
世界@名無史さん:04/05/27 14:01
失礼しました。
671はイングランドじゃなく
インド洋の国際交易ネットワークです。
イングランドは書き間違いです。
ごめんなさい。
そうそう・・つっこみへの返答を忘れてました。
つっこみありがとうございました。
>もっとバラバラだったと思いますが・・・大坂攻めの際にも、その後の大名
>取り潰しの際にもどこも抵抗・結束しませんでしたし。
確かにそうです。が・・ここでは肝心の大問題を皆さんお忘れかもと
思ったのです。そう朝廷問題です。
史実だと遠慮なしに朝廷統制を初め押さえつけられた朝廷ですが
この場合だと高山豊臣家が健在です。
そしてこの豊臣という姓(かばね)それ自体が強力な武器となるのです。
徳川と言う将軍公儀に対し再び関白公儀を起こせる、徳川打倒名文にもなる
無言の恫喝で朝廷が幕府の圧迫を若干なりと退けられる可能性が有るのです。
西国諸侯が実際に結束するなど普通には無いでしょう。し幕府も警戒
しても懸念はしないでしょう。
が朝廷が史実よりフリーハンドに近いのは問題ありです。
朝廷と西国諸侯の結びつきは実際家康が一番警戒していた問題ですし
朝廷という存在がありもしない西国の結束を懸念させうる場合は大です。
そうそう・・つっこみへの返答を忘れてました。
つっこみありがとうございました。
>もっとバラバラだったと思いますが・・・大坂攻めの際にも、その後の大名
>取り潰しの際にもどこも抵抗・結束しませんでしたし。
確かにそうです。が・・ここでは肝心の大問題を皆さんお忘れかもと
思ったのです。そう朝廷問題です。
史実だと遠慮なしに朝廷統制を初め押さえつけられた朝廷ですが
この場合だと高山豊臣家が健在です。
そしてこの豊臣という姓(かばね)それ自体が強力な武器となるのです。
徳川と言う将軍公儀に対し再び関白公儀を起こせる、徳川打倒名文にもなる
無言の恫喝で朝廷が幕府の圧迫を若干なりと退けられる可能性が有るのです。
西国諸侯が実際に結束するなど普通には無いでしょう。し幕府も警戒
しても懸念はしないでしょう。
が朝廷が史実よりフリーハンドに近いのは問題ありです。
朝廷と西国諸侯の結びつきは実際家康が一番警戒していた問題ですし
朝廷という存在がありもしない西国の結束を懸念させうる場合は大です。
688 :
世界@名無史さん:04/05/27 21:54
そうそう・・つっこみへの返答を忘れてました。
つっこみありがとうございました。
>もっとバラバラだったと思いますが・・・大坂攻めの際にも、その後の大名
>取り潰しの際にもどこも抵抗・結束しませんでしたし。
確かにそうです。が・・ここでは肝心の大問題を皆さんお忘れかもと
思ったのです。そう朝廷問題です。
史実だと遠慮なしに朝廷統制を初め押さえつけられた朝廷ですが
この場合だと高山豊臣家が健在です。
そしてこの豊臣という姓(かばね)それ自体が強力な武器となるのです。
徳川と言う将軍公儀に対し再び関白公儀を起こせる、徳川打倒名文にもなる
無言の恫喝で朝廷が幕府の圧迫を若干なりと退けられる可能性が有るのです。
西国諸侯が実際に結束するなど普通には無いでしょう。し幕府も警戒
しても懸念はしないでしょう。
が朝廷が史実よりフリーハンドに近いのは問題ありです。
朝廷と西国諸侯の結びつきは実際家康が一番警戒していた問題ですし
朝廷という存在がありもしない西国の結束を懸念させうる場合は大です.
二重カキコすまそです(つД`)
>東北の諸藩も北方三国(清・アイヌ・扶桑)を相手に交易を行うでしょうが、
>いつまでも戦国気分で不穏当な事はしないのではないかと
>一部の西国雄藩が交易で潤う事を除けばそう
>不安定な事にもならないのではないでしょうか。配属された面々の思惑もバラ
>バラでしょう。
これもその通りです。がここで大問題、根本的に幕藩体制が流通貨幣経済
に何処まで適応しきれるのか?であります。
かの名著?「開国ニッポン」と比較しても凄まじいグローバリズム、世界の
大流通網が発達し南明の成立で、南明と関わった日本も否応なくそれに
深入りしていきます。
山野さんのカキコによると幕府が経済的に適応を図るのは田沼を待たねば
ならないようです。
主に西国と高山、琉球、南明に及ぶ経済動脈で動き出す西国は幕府の
統制をすんなり受け入れるのか
(というか幕府の施策に従ってたら出遅れる場合も有るでしょう)
西国としては幕府からよりフリーハンドに外洋に向かいたい筈で
すし、第二に士農工商と言う問題です。商業資本が発達し
外交経済顧問に豊臣流の有力商人をコミットさせた方が都合が
良い場合もでてまいりますが・・西国がいち早く適応しても幕府が
ついていけるのか?
671-673の流れからしても西国は適応しやすいが幕府は自らの
根幹に関わってまいります。
幕府がどこまで西国流を黙視し、あるいは西国が幕府の旧態依然
に堪えられるのか?
史実とは比較にならない内外の高度成長に晒されながら
西国は商人団や南明人脈やら、対して幕府は商を卑み農を尊ぶ路線
ですから、寧ろ軋轢が起こるほうが自然と思ったのですが。
幕府ウザイと思う朝廷の思惑もどう動くでしょうね?
朝廷ですか・・・ただ織豊政権に限った場合、「武家に守護してもらいながら
続く」のを最良としていた様なんですよね。徳川政権に対する見方はまた調べ
てみる必要がありますが、この手の発想は『愚管抄』以来のもので(直結・同
一視は出来ないにせよ)、歴史は古い。
明正天皇即位も成立するでしょうし、朝廷側からも対幕府という発想が出て来
るのはもっと後の時代ではないでしょうか。寧ろ対「夷人」という意識から、
そのものズバリ「征夷大将軍」に頼るかもしれません。
ただ史実の東福門院入内に先駆けて行われたような無茶は流石に出来ないでし
ょうが、果たして吉と出るか凶と出るか。明正天皇=男帝というのも面白いか
もしれません。
高山「国」は一応「日本」に属するでしょうが、国家内国家というか地方政権
としての性格が強まるでしょうね(奥州藤原氏や頼朝時代の鎌倉政権風)。
田沼時代については、分かり易い例で示させて頂きました。彼の通貨対策も、
金に対する銀の安値に対抗するために出て来たもので、やはり時代に合わせ
たものです。勿論ポトシなどの銀山の開発・銀の流通がアフリカを中心に早
目に広まれば、変化も早まるでしょう。
実際にそうなった場合、「田沼」的人物の出現・需要は史実より早まるでし
ょうが、流石にオリジナルで埋める訳にもいかないので、史実の誰かに代っ
てもらう事になりますかね。
そしてもひとつ徳川を揺るがす不安定要因をカキコはしたのですが・・・
そう徳川一門自体です(御三家ですね)
特に徳川頼宣そしてへたすると徳川忠長こいつらが秀忠―家光路線を
どう考えてたのか言うまでもないです。
頼宣は明救援の総大将です。こいつらがどう動くのか史実と若干変更
になって不思議じゃないでしょ
そして・・・東北ですが、この場合西国との経済格差という不安定
要因があります。なまじ幕府の元で全国市場ができ中途半端に西国の
経済成長の余風を受け、しかも幕府の眼があります。
内政にはかなり暗い影が落ちた事でありましょう。
南明救援に寛文清寇という二度の対外戦争、西国の経済成長に対し
対応に苦慮しだす幕府。
>幕府もルソンを握ってますから西国諸侯と遜色ない程度に発展できる
とはいえ幕府官僚がどういった経済運営するのか?
絶対商人に上納金かして口はださせず統制するしか能がない状況で
国鉄を連想させてしまうんです私としては、
今の日本政府は悪い意味で幕府の孫弟子みたいに見えます。
下手をすると交易は出島みたいにしてルソンに農民を入れて
開墾とかしかねないです。
東北諸藩は西に比べ遅れがちですが、扶桑やアイヌや清という
諸国の交易が出てきて蝦夷地が交易に巻き込まれていき、
諸藩は清との戦争には借り出され貿易の旨みの大きい蝦夷地は
幕府直轄になるとか(西に対して幕府の経済を強めようと交易に)
乗り出そうとかすれば・・割に合わない筈・・こういった際飢饉
でも起こればどう動くか。
くれぐれも言っておきますが史実と違い、幕府が強いとは
いえませんので、蝦夷地を幕府直轄にするのを阻止すべく
動いてもいいかなーと・それで名目上アイヌ領にしてしまい幕府の
手の届かぬようにして(日本のままですと体裁的には幕府の支配権になるので)
東北諸藩が独自に交易に参加するとか
してもよいかと思ったのです。
>>元カトー氏
何となく幕府を過小評価し過ぎてる気がするのは気のせいだろうか。
あと(以下本題)sageが大文字で下がってない。
どうもです。山野さん一応名無しモードのカトーです。(ww
当時、禁中並公家諸法度が発布されますし
しかも紫衣問題だの徳川の姫の朝廷との婚姻
・・・問題かかえてたと思ったのです。
高山国と幕府は奥州藤原氏と頼朝のような関係を思わせました。
徳川内部が不安定なのもあります。幕府が安定(外見そうですが)
してみてても史実でも家康―家光は結構薄氷踏んでて、
不安定要因ありまくりーなのです。
この場合、豊臣と関係深い秀康やら忠輝まで(当然忠輝改易問題も)
含むと凄いことに。
で肥後加藤や安芸福島の改易ができない(ありゃどう見ても難癖ですし)
高山豊臣と組むわけです。こいつらが西国と高山豊臣の取り持ちとなり
動く可能性も考えました。
政宗もまだいますし・・。
夷人に対し幕府に頼るですが豊臣―西国ラインに台頭する商業資本からの
金銭上納は石高一万石で締められた朝廷にどう写るのかですよね。
まだ攘夷思想が出にくい時勢でありますし。
そして征夷大将軍に対しては関白そして鎮守府将軍(東北ですが)という
伝統的権威で牽制できるわけで・・。
なんか不安定要素アリまくりですんで逆に漏れとしては
安定した幕府のつもりでカキコしたのです。
戦乱は誰も望まないただ幕府が東国以外に口出しできない
発足当時の東海東山両道政権鎌倉幕府並みの地方政権に落ち込む
可能性を書いたつもりです。
で朝廷ですが武家に守ってもらいはそうですが二三の有力勢力
を天秤するてのも朝廷のお家芸ではあると思います。全てに保険かける
わけですね、そうして権威を高め自分の必要性を(調停役)アピール
してきた。
この場合そう動ける余地が(史実だと徳川一極でしたが)あるのです。
東北決奥羽越決起に際し同調した忠輝家に(忠輝と五郎八姫の子か孫)
鎮守府将軍を任じたり
建武親政懐良親王の例に習い九州に征西府を置き西国の統括を任せ
高山豊臣家か島津に九州探題を任じて西国に幕府以外の公儀を
(先述したように幕府じゃ対応できない西国の動きに対応する
必要性ありますんで)設けるとか、
まかり間違えば高山豊臣家の次男を招致して関白にしたり・・
おとアメリカの話題じゃないですね・・。
それでは。
ついでに
>>692 すみません“さげ”はお恥ずかしいです(汗
で幕府を過小評価・・確かにそうです。
が幕府が磐石で無かったのも事実だと思います。
その不安定性を押し広げたかったんですが
ちと誇張しすぎたのもありますね。
でも商業経済に適応できないてのは有る程度的を得て
ると思うのですが。
西国の経済成長と経済格差、商の台頭は史実でも幕府
を苦しめましたが、この場合そうとうその状況が加速され
るのはあります。
次に高山に旧主豊臣が健在であれば、そもそも大阪城攻め
の意義に関わるのから、肥後加藤、安芸福島の存続も
検討してようだろうし
・・まあ漏れのは前に書いたように企案ですので
採否は(つまりどう動くのかは)、別の考えでよいかと
も思うんです。
なんでわざわざ高山豊家などというトンデモ設定を出したのかといいますと、
将来育った上で(「日本」に属しながらも)どういう色を出してくれるのか
という事が気になった訳ですね。そんな訳で、成立後すぐに大きな変化をも
たらすものとは想定していませんでした。
動かせる兵もたかが知れているでしょうし、縁切り同然だった福島・加藤あ
たりは助けられないでしょうし助けもしないでしょう。
それより福島・加藤が手を組んだ方が望みがありそうですが、実際には全く
リアクションが無かった。今の人間は10年、20年単位で考えられますが、
当時の人間にとっては10年一昔ですからね。記憶=結合力にはならないと
思う訳です。
私はその上で徳川政権自体と「高山国」自体の発展(人口微少+未開)がど
う変化して道を辿って行くかを考えていた訳ですが、どうもカトーさんは日
本分裂ネタの方をどうしてもお望みの様で(笑。いや冗談ですが)。
旧態依然のまま周囲に取り残されて行きますか・・・しかしそれだと某架空
戦記のように「開国」後すぐまた「鎖国」時代に引き篭もるのが賢明であっ
たという事になりそうなので(私は「鎖国」自体は嫌いじゃありませんが)、
17世紀中にまた「窓」を閉じそうですね。
勿論、閉じるといっても対扶桑のような最低限の口は開けておくのでしょうが。
ううん、しかし産業革命まで行くとカトーさんの方がお詳しいようですからね。
私が冷や水を浴びてでしゃばるより、素直にお任せした方がいいかも。
(+他の書き手さん募集)
698 :
世界@名無史さん:04/05/28 00:18
やはり幕府がいかに経済に適応するかで決まるのでは?
カトー氏は日本分裂と言うより
幕末〜明示維新に近い動きが速まって起こるのでは?
といいたいようだし。とすると山野氏とすれば
同じく幕末の慶喜や小栗の構想したような
徳川幕府による新国家構想を早い時代に
出るようにすれば解決するのじゃないかい。
699 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/28 00:23
>>698 ご意見、ありがとうございます。しかし折り合いのつけ方に悩んでしまうの
ですよ。とりあえず「江戸時代」の政治史の勉強(上っ面だけでも)をやり
直します。
700 :
世界@名無史さん:04/05/28 00:27
徳川が早いうち強力な統一国家というより
まぁカトー氏の方が
時代の流れを早くし過ぎただけだし
やはり山野氏の幕藩体制とりあえず存続でいいでしょ。
話を意味も無くぶった切るけど、扶桑とメキシコの貿易ってある?あるとしたらいつ頃から?
日-扶-墨 間の関係が微妙に気になるんだけど。
702 :
世界@名無史さん:04/05/28 01:44
それにこれからハワイ王国やら豪州がどう絡んでいくのかも興味深い。
703 :
世界@名無史さん:04/05/29 04:31
age
>>698 >>700 僕もその流れでいいと思います。
幕府も商品経済に充分適応可能でしょうし。
ただ、南方重視的になると思うので、「松前氏の領域が石狩以西になる」の線で…。
>>702 ポリネシアにはタワンティン・スーユが先に行きそうかと。
ハワイに先に着くのはニカラグアでしょうが。
どうもです旧カトーです。
なんか流れが止まってしまいました。責任の半分は漏れでしゅね。
((((( ゚Д゚)))))ガクガクブルブル
なんてことはさておき
>>698 あなたのおっしゃるとおりどす。私も開国イコール早まる
幕末明治というコースをあの時代に当て編めてやったわけです。
逆に混乱を招いてしまいましたが・・・。
日本に関して私は政治や幕府朝廷には口出ししないで
経済流通、産業だけに若干、改訂版をお出ししたいのですがどうでせう。
前述の665-675は廃棄願います。
結論はお任せします・・です。
日本の政治は山野のコースでということで・。
やはりアフリカあたりに専念しとけばよかったです。(泣・・
>>705 大丈夫ですよ^^
長い間、スレが止まったことも過去には何度もありましたし、盛り上
がっている時期もあれば、止まる時期もあります。そんな時は、スレ
を遡って読んだりして楽しんでいますし、また盛り上がりますよ^^
>>706 ありがとうございます。
そして皆様ちょと改訂版ださせてもらいますので再びカトーの名を使います
がご容赦の程を。
【大明救援】
日本が支援する国姓爺合戦。
この戦争は明を支援するのが目的だが、福建地方沿岸だけでも
日本商圏に取り込む事ができる。
中国南部は北部と違い流通経済が発達していたのも魅力的であった。
鄭芝龍・鄭成功父子の本国福建廈門(アモイ)には「仁・義・礼・智・信」と
名づけた五件の問屋があり、浙江杭州には「木・火・土・金・水」と名づけた
五件の問屋があった。
既にとおく南方の島々と明そして日本をつなぐ三角貿易を独力でつくり
大陸内の絹織物と生糸の産地を全て掌握、ほとんどの唐船をも支配していた。
そして彼は非常な日本贔屓でもあった。
彼等との同盟・連携関係は
東アジア海と中国大陸、日本を結ぶ大デルタゾーンを形成する事となる。
貿易事業は飛躍的に拡大していくことになる。
が最大の問題は家光以下の幕閣が南明救援を「秀吉の朝鮮出兵」のイメージ
で捉えていたことだ。
今回は秀吉の際の失敗を経験して今回は海路を取ることにならないと
いけない。
その前提となったのは遠洋航海技術導入の可能性であった。
鄭芝龍・鄭成功父子が日本の救援を迎えるには遠洋航海技術を日本に
供与する必要があった。
それが日本側からの兵力動員の代償であったと言えなくもなかった。
鄭成功の仲立ちで日本とフェニキアが本格的な初交渉をすることとなり
やがて・・・・・・
対外戦争とその過程で軍備、特に外洋海軍力の著しい増強が開始され、
陸軍兵力の火力・機動力の増強、それに合わせた組織の改編とが急ピッチ
で進んだ。
この軍備の急速な増強の最大の副産物は、大型船建造のノウハウが
民間に流出し、流通経済の高速化巨大化を招く。
そして軍拡の為の巨大な軍需産業が整備され、その周辺産業の著しい
発展をも促し、高度な手工業といった国内産業の基礎となった。
この未曾有の軍需景気と副産物は、その後の日本を更なる海外交易
と海外への膨張を決定つけたといってよい。
寧波あたりに海軍での上陸させて明軍残党との協力作戦になる。
この戦争によって寧波には在明公館が置かれ交易の窓口とされた。
さて先の大明救援では旧時代的な領土は殆ど得られないし、
出兵を負担した諸侯への恩賞は自ずから異なる内容が求められてくる。
対外国貿易の利益や蓄積を分与する他はない。
幕府としては海外遠征させ補給路を自前持ちにさせるには、
諸侯に自前の港湾を有る程度認めるしかなく、
また当然参陣した諸侯は、外国との交渉や衝突、貿易や海外の文物へ
接する事が否応なく求められていたし、新しい時代への変化の風を感じる
機会ともなる。
豊臣高山国では徳川日本のように農本国策ではなく、貿易通商機構
の整備に国の進路を見い出していたし、
日本でも参陣諸侯が戦争の恩賞として貿易の分け前を得たり生かすため
には必然的に港湾を整備して内航船や外航船の往来を促したり、
都市と都市の流通ネットワークを整え商人資本と結びつかねばならない。
農村部における生産活動にも換金を目的としたモノが現れたり、それを
材料とする加工業も盛んになり、都市と農村の交流も活発化する。
金銀は幕府に掌握されている以上、対外貿易や全国市場に相手する為
の殖産興業、産業育成が諸侯の分国でも認められていく。
当然、土地に農民を縛り付けておく事は不可能になり、封建的土地所有
関係は崩壊し、年貢に頼る旧式な封建領主は没落していく傾向が顕著と
なる。
農村に割拠する旧い大名は狭く小さな存在にならざるを得ない。
【海外雄飛】
すでに戦国末期から次第に堺、博多、京都、長崎の商人たちが
盛んに東南アジア諸国に貿易船を送るようになり、
日本は徳川幕府から東アジア諸国に平和通交の新書を送り、朱印船によ
る交易を展開していく。
最初のうちは北は高砂(台湾)からマカオ、インドシナ半島の安南(ベトナム)
東京(トンキン:ベトナム北部)、コーチシナ、カンボジャ、シャムなどの他ルソン
ボルネオなど数十箇所に分散していたが、それらは次第に整理され
コーチシナ、カンボジャ、シャム、高砂(台湾)からマカオなどに集中していく。
というのも最初は単調な往復商いであったのが、日本人の拠点となる恒常的
なベースキャンプができ、そこに現地駐在員である手代が常駐するように
なったからだ。
船が帰国すると駐在員は奥地に商品の買い付けに行ったり販促ルートの
拡大に向かう。
あらかじめ生産者に手付金を渡し「先物買い」の約束をしたり、技術指導をし
収穫量を上げる努力をしている。
その結果、多いところで三千人、少なくとも二、三百人の日本人町が東
東南アジア各地に出現していた。
こういう日本商人の活動は、軍艦と大砲で脅かし、砦を築いて植民地化
を図る武力本位のやり方ではなく、じつに平和的に、合理的な経済活動を
行う事で東アジア市場を制圧していく。
既に高山では砂糖や鹿革を独占的に長崎に売り、手にした
金と銅をフェニキア人に売り、フェニキア人はインドでそれを売るという
連係プレーで、東アジア海とインド洋が一体化していくようになっていた。
実に日本が東アジア世界に進出し、日本と南洋世界、中国大陸
を結ぶ交易網を造るの自然の流れであった。
ピークに達していた朱印貿易船の活躍
南洋日本人町の発展
中国人鄭芝龍・鄭成功父子の親日本感情
シャム。ソンタヤ国王の友好的態度
高いレベルの造船技術、その他の加工技術力
燃え立つ南方進出の国民的エネルギー
それらの自然に成長する力、溢れ出るエネルギーは日本の海外雄飛が
不可避の流れである事を証明していた。
元和年間から寛永年間にかけて、日本の貿易構造は「材料を輸入し
加工品を輸出する」という形に変化しつつあったからだ。
当時の輸出入品目を見ると、東南アジアから衣服の原料となる
糸や織物、獣皮、魚皮のほか香木、薬草などの天然産原料か半製品を
輸入し、銀と銅銭などの貨幣商品の他、銅、鉄、硫黄などの鉱産物、
樟脳、麦粉などの食料品、そして雑貨や工芸品などど加工品を輸出して
いたのである。
商品の種類は変わっても、貿易構造は現代と同じ「原料輸入・製品輸出」
型になりつつあった。
こうなると膨大な需要が見込める。
これが日本の近代への萌芽であり、日本から産業革命が起きる要因とも
なった。
【産業革命前夜】
まだまだ日本での全国統一市場の確立や各地域の殖産興業、産業振興を
進め、又農本経営的な開拓、新田開発、開墾事業を振興する余地もあり
内需拡大を要した時期にあって徳川の農本政策は利にかなっていたが
諸藩では農政等には長けていたが、商業流通経済にはまだまだ不得手で
あって、都市部に起こってきた商業資本家に様々な意味での顧問を任せ
る事例も出てくる。
やがて米が主流だった農業生産において輸入された薩摩芋やじゃが芋
等が割合を増し、商業の発達で商品作物栽培もひろまった。
身分間交流や資本主義的高度農業が盛んになってきていたので、
こうした多様化が促されたのだ。
農民の地位と教育水準が比較的高かったことももちろん関係していた。
日本の産業革命は、綿製品の機械による大量生産の道が開けたことで
軌道に乗ったといえる。
輸出された綿製品は、当時としては最大の国際商品であった。
しかし、欧州の綿製品は戦乱と混迷から輸出が不安定となり、アフリカに
おける綿製品産業育成が図られたが、図らずも当時はアフリカ戦争初頭に
あたり一時的に輸出が途絶していた。
ここに日本の綿製品が受け入れられる土壌があった。
木綿は、戦国時代の日本が中国や朝鮮から軍服として木綿を輸入した
のが日本人と木綿の出会いであった。
木綿が使用される前は麻が使用されていた。
しかし麻は、繊維が固く、一年に二反しか織れない。
片や木綿は二日に一反も生産できた。それも産業革命以前の水準でである。
後の話となるが日本をはじめとする国々が産業革命を成し遂げると、
当初は大量生産された綿製品、そして後には工業製品や綿製品の受け皿
として、資源・食料の供給先であった地域が重要視されはじめる。
産業革命の成果は当初海禁が国是とされていたが、無駄な政策で
あった。
戦争で人力が減り、産業建て直しの妙策が求められていたアフリカ諸国
にその成果が非常な高値で取引された。
当時はアフリカと日本製の綿製品とは競争相手でなかったこともあった。
農民たちは、米以上に高値で取引される利幅の大きい商品作物の
生産に移行せし始めていた。
実際、商品作物への移行に大地主や領主に強制されたという側面も
あっただろう。
小作農化は、海外移民の存在のため大きくは進展しなかった。
やがて労働者として都市の工場制手工業に転職が盛んになり、
都市の人口増加に拍車をかけた。
【産業革命】
古くから繁栄していたアジアの国々はいいかえると、
資本を出来るだけ節約して労働力を投入するのが基本方針で、
当然それには手間がかかるが、安価な労働力はいくらでもあった。
当然日本でもその事情は同じであった。
しかし巨大な人口の捌け口にして資源の宝庫たる扶桑やアイヌがあり
東南アジアや東アフリカ沿岸まで延びる日本祖界の存在があった。
日本の農民に生活水準の向上のチャンス・将来設計の多様性が
のこされ続けたことが、結果的に労働を節約して資本を多く投入する方式
の農法を生み出す基になったのだった。
この変化で大規模土地所有者は小作制度を維持できなくなった事となった。
もはや急速に成長する日本経済にとって、旧態依然たる小作制度や貧しく
大勢の購買能力の低い農民は邪魔になっていたのだ。
結果自作農は数を増し、経済力と政治的発言力を向上させていった。
既に時代の趨勢がそちらを向いていたのだが幕府の発布した財産法が
大きくその後押しをした。
時の将軍綱吉の放漫経営は幕府の台所を悪化させ、新たな財源として
家産法が設けられた。財政難に喘いでいた諸藩もこの法令にならった。
大規模土地所有者は、そのままでは数代で税金に持って行かれて家産は
消滅してしまう。
その事情は大商人にも同様であった。
これこそは旧態とした武家の封建的施策からの勃興する商業資本への
最後の攻撃であったと位置づけられる。
大地主は小作農に土地を売却し財産を保全するか、より効率的な
農園経営に向かい
個人の所有する広大な農園や庭園が各地に生まれ巨額の資本がストック
されていく。
特権的商人は、そのまま大きな財産を有するのは危険になったため、
相続による高率の課税を回避するために広い範囲に財産を拡散させた。
ちょうどこの頃、海外からの知恵が株式会社という制度を齎した。
独自の財産に会社組織創立時の資金供給源を求めるよりも税制上有利な、
多くの人から資金を集める株式会社が盛んに創立されるようになった。
この投資や金融に先述した余剰の巨額の資金が流入するようになった。
犬公方綱吉の生類哀令と並ぶ悪法とされた家産法度は、逆に社会組織の
隅々にまで所得の再分配を促し、ひいては国民全般の所得の向上と
生活向上の機会を提供した。
農民が奴隷的境遇から脱し、地主や商人が投資や経営手腕を磨き商業家
としての道を歩む、これが中産階級の形成となり本格的な産業革命の
前段階を準備していったと言えよう。
【海南島】
当時は燃料はじめ建築や製鉄製紙等あらゆる分野で木材資源が
利用されていた。
流通に利用されていた大都市間を繋ぐ河川を通して大量に木材は流通した。
しかし日本の急峻な山の木材伐採は高コストにならざるを得ないし、
土壌流出による自然災害を引き起こした。
そこで木材に代わる動力源として、製鉄業のコークスとして注目されたの
が石炭だった。
既に江戸初期には石炭の使用は奥羽で始まっていたが、
炭坑も金や銀の採掘技術の応用からはじまったが、水に悩まされるのは
同じであった。
そして鉱山での出水を押さえるのは不可能だったのも事実だった。
そこから来る必然だったが蒸気機関という未知の新技術であった。
蒸気機関は瞬く間にあらゆる工業分野にひろまり、
工場制手工業を完全な工場制機械工業に転換した。
また、日本全国に運河や道路が建設された。
もはや江戸への街道に橋をかけない、関所を設けるなどは時代に
そぐわなくなった。
それが是正されたのが綱吉との軋轢で苦労人でもあった家宣で
あった。
全国規模で幕府主導の財政投融資の活発化と時期を合わせ、
馬車による高速での運用の可能な道路が整備されていった。
人力に頼っていたのが、出力が大きく効率的な馬を活用した
馬車による移動に変わったのである。
南明更には清との関係から馬と馬車の技術・知識の導入が
徐々になされてきたことも手伝っていた。
そして大問題として日本の勃興に伴い鉄の不足は顕在化してきた
事であった。
鉄の生産は日本旧来のタタラ式製鉄法を使っていたが、
これでは鉄製品の大量生産は覚束ない。
がこれを助けたのが高等教育機関の発達と民度・生活水準の
向上であった。
この中で産み出された新技法は製鉄量を爆発的に増加させて、
日本の鉄需要を賄った。
しかしこうした努力にも関わらず、日本での鉄不足は深刻であり
海外に依存する事となり、そのひとつが後に南明との海南島の
領有問題である。
先の大明救援に際し高山の豊臣家への帰属の並んで問題となった
のが海南島であった。
日本としては海洋交易の拠点としてこの地を求め、南明としても華僑
の交易上の利害からこれを拒んだ。
高山に関しては豊臣家を日本(徳川幕府)と別個の政体とした事で
決着したが、
結局の所、海南島の所属に関しては先送りされる事になる。
当時、戦乱も手伝って明から華僑として海外に雄飛するものが多く、
無人に近くなっていた海南島に送られたのが黒人達であった。
明帝国の高級官僚や李氏朝鮮の両班が屈強な黒人傭兵に護衛させるの
が流行ったが、こういった黒人傭兵に海南島の防備を任せたのだ。
日本にも戦国武将が黒人傭兵団を活用して以来一定の武将達が黒人で
構成されていた。
時は家綱の治世、日本が寛文清寇に直面し明に対し強気に出られない
のを見越してのことであった。
日本側は秘密裏に黒人武将を時折海南島に送っていたが、
やがて黒人武将団を派遣して暫くして、突如海南島が独立を宣言し
様々な紆余曲折の末に海南島を日明双方に中立の黒人国家として
独立させることで決着がついた。
この海南島問題こそは日明が(その商業資本が)ライバル関係になった
事を如実に示していた。
【天下三分】
この時期、日本は清と接近することになる。清帝国の武器供与を請け
負うことで日本国内は軍需景気に潤うこととなった。
この時期に、ある重要な国策が登場してくる。
即ち『大陸を統一するなかれ』
清は重要な交易相手であり、南明も競合関係はありましたが交易相手
でもあった。
適度に競わせる限りにおいて日本の産業も大いに潤うし、南明の商業資本
の脅威を軽減する事ができた。
つまり日清蜜月は南明を打倒するものではなく、あくまで一時的な方便で
あったのだ。
一説には保身的で冒険心の薄い呉三桂が突如、三藩を合わせて周として
割拠した背景にも日本の後押しがあったといいます。
南明の内陸部を撃破した功績で清帝国前線に、皮肉にも「夷を持って夷
を制す」の如き、三藩として配されて以降、三藩には満足な武装も認められず
常に満州人の軍監の眼がありました。
彼等にあたえられた役割は清が日本の海軍をしのいでいる間、南明が
北伐を行なえないようにする緩衝地帯でありました。
裏切りさえしなければよく、そのあたりは清が徹底して南明と三藩の関係
を分断する工作に余念が無かった。
日本としても三藩の離反は工作していたが、それは南明に属すのではなく
あくまで独立した相手として清に向かう同盟国としてであった。
『大陸を統一するなかれ』この施策を始めて公文書で示したのは
新井白石であった。彼がこの天下三分の計の仕掛け人とは言わないが
白石の文面は、幕府の、いや日本の施策として外交の基本のひとつと
された。
が逆に言えば日本と別の進路を歩む高山も(そして琉球王国も)
新たな選択肢を提示されたことでもあった。
北東アジア情勢は大清帝国、周、南明、アイヌ、日本、高山国、琉球王国
朝鮮そして東南アジア諸国や扶桑による多国間関係の時代に入ったと
いえる。
この地域が旧態たる華夷秩序からこのような複数国家群による競争
牽制関係に入り、様々な知識・技術を貪欲に吸収し変革を受け入れる
土壌にあった事が、
人類史上初の畜力・自然力によらない人工的な動力源を手にした
日本の経験した産業革命を広めていくのに役立ったのだ。
【中華文明の終焉】
後述となるが日本の陰に陽に展開する『大陸を統一するなかれ』
の策略であるが、これが大陸を不幸にしたか?といえば疑問を述べざるを
えない。
大陸というか中華世界には
社会動乱→王朝成立→王朝安定→王朝腐敗→社会動乱・軍閥割拠
の繰り返しであったが
王朝成立においても功臣狩りや粛清
王朝安定には人口増加とともに社会の腐敗を経験する。
ここで昇官発財、つまり知識層が官に従事し徴税を請け負い財を産む
のが才ある者の普通のコースであり、又もっとも利潤を生む産業でもあった。
王朝腐敗から飢饉や高税が流民を生み、彼等が周辺地域に流れ出したり
賊徒となり軍閥が割拠、戦乱から人口減が起こる。
やがて王朝が統一を果たし安定と共に、流民の逃げた地域すら加え
同じ繰り返しを広げてきたのだ。
が日本でこの言葉が出てきた当時、海外交易の活発化があり、そして
徳化(いわゆる漢化)しえないほど強大な夷が次々登場し
(元朝でも起こっていたが)別種の高度な文明との本格的接触があり
南宋と比べても「官より商」つまり優れた人材が産業を起こし商業を助け
また地大博物と一君万民の土地柄から必要とされなかった創意工夫による
産業や製品開発の必要性が「官より工」そして「官より学」という風潮を
生んだ。
中華の悪循環とは異なる人口を抑制したままの経済文化の成長が起き
てきた。
更に中華では基本的に軍(武)は文(官)より軽視され科挙で選抜される
文(官)とは違い、ならず者が就労していく軍(武)という一般的な風潮があった。
これを破ったのは、恒常的な多国間競争から軍(武)に人材が求められた事
に帰するが、
これを助けたのが皮肉にも日本であった。
日本では儒教から武士道といった独自の道徳概念、美学を磨いていたが
茶道、などの日本文化ともども日本の武士文化が少しずつ入り込み
静かな流行となったのだ。水墨画のようなモノロームな美の世界は大陸の
知識人に当初は珍奇な外文化のひとつとして
やがて誰の差し金か軍事教練に使われるようになり南明や周の軍人の
あり方に大きな影響を与えた。
いまひとつこれは黒人仲間が難しい漢字を覚えられず、日本のかな文字
を使ったことが、難解な漢字を使えない文盲の庶民にかな文字を普及させ
独自の文字文化を開花させた点が特筆される。
大衆が“カナ”といわれる独特な庶民文字を使い(それゆえ地域ごとに
違うカナとなる)、知識人といった一定の階層になると一種の教養として
共有の表記文字として漢字を学ぶというスタイルが登場してきた。
これは識字率の向上に役立った反面、従来の漢民族の概念に甚大な
影響を与えた。
既に南明は王朝として非常なまでに弱体であったが、こういった国を
円滑に収めるのに、もはや天子というカリスマに頼れないのは明白であった。
周は事情は事なるがへたに天子を自称すれば南明と清に挟撃される
恐れがあった。
清にいたっては明が健在な限り異民族でありモンゴルとの合同でカーン
の権威を受けることを優先していた。
南明が中華を北明までの歴代王朝(元は除く)への尊称に限り
自らを中原王朝と称して以降、南明、周そして清を中原諸国という。
中原諸国をさらに省略して中国ともいったりするが。
王朝が弱い南明で聚議庁が設けられ各地域の代表や豪商(商業資本)
代表と議論して意見を入れるという画期的な手法がとられた。
当初は不定期に設けられていたが、これが定期的な常設となり、
皇帝に対しその行為を規制する法(皇帝とは天の子で天帝の代理ということで
天法とされた)が発布されたのも、この聚議庁であった。
皇帝や官がかように魅力的でなくなり軍が国の英雄視されたことは
軍が戦時には時折、非常時権限として政府(王朝)の支持を受けず独自
の権限で行動できた点とあわせ、後々まで戦争要因として禍となっていく
事にもなったが。
・・と、こんなもんです。
これなら幕藩体制と並行してるかと。
ただ南明の状況がちと進みすぎですか?
産業革命、やはりアフリカ単独発では難しいので
日本に導火線の役目をお願いし波及させる形にしてみたんですが。
どうでしょう?
後は東アジアとアフリカ(あとはアメリカ?)で並行ないし相互影響
で進んでいくのでしょうか?
んで進みすぎなので、再び16世紀以降の各地域の状況
改めて振り返りってことですか。
一応これは一案件なのでどう動くかはお任せします。
それでは。
やっぱり時の流れが速い気がするけど、流れとしては結構いい感じだと思う。何となく。
そして呉三桂はどう動いてもやっぱりビミョーですね。
ていうかどうせ名無しでもすぐバレるんだし、コテハン続けたら?
726 :
世界@名無史さん:04/05/31 02:39
どちらにせよ、これから史実だと16世紀以降は
ヨーロッパだけが勃興し他は緩やかに沈滞していった
のだからアフリカ、アジア、アメリカが同時勃興してる
この状況での展開を考えるのは
面白そうだけど難しいだろうね。
一応ヨーロッパとアフリカは戦争のようだが、アメリカの状況がまだ見えてこないし。
727 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/06/02 22:21
>>カトーさん
18世紀まで行きましたか。
やはりイギリスが日本となりますか…。
馬車はたしかに史実でも導入が検討されましたけど、石畳の道路はムリかと…。
あ、マヤのサクベ(石灰舗装道路)なら石畳よりも現実的かしら。
どうもです。とてたさん。
そうですか、まあ馬車は全国街道はむりそうですね。
一部限定でしょうか。
それと日本=イギリスにする気は毛頭なかったのです。
どちらかというと似た時期か同時期にアフリカ、アジアそして
できたらエヤタス(北米)で同時発生的に
産業革命的な近代への革新が起きたらと思ったまでで・・・
どちらかというと南明やコンゴ、ダホメー、そしてフェニキア
やマヤでの産業革命という路線もいいかともったのですが・・
残念ながら知識が足らないもので(つД`)
イギリスと置き換えやすい?日本に安易に頼りました。
ただ案ですので。
動機としては人口が戦乱で減ったアフリカや
欧州アフリカの戦乱で海外交易が一時的に衰えたフェニキア
の方が産業革命といった革新への動機は大きいし
日本は保守的なトコが多いのできっかけだけつけたら
後は他国に追い抜かれるか・・極端な革新には走りそうも無い
イメージつよいんで到底大英帝国なんぞ無理でしょ。
なにより幕藩体制では挙国一致で動き難いし
続き書きたいんですが今のトコ主に転職版&株式版がメイン
になってますんで・・・・・_| ̄|○
というわけでどなたか職人さんガンガッテください。
729 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/06/05 09:59
>>728 「同時多発的産業革命」もいいですね。
ああ、カトーさんはリクルーター(古い表現)なのですか…。
頑張ってください。
731 :
545@久しぶり:04/06/16 14:52
どうもお久しぶりです。
なんか急に海外出張が入ってマレガ(w)に行ってきたりで、忙しく・・・
久しぶりに見てみたら随分進んでますねえ。
実に興味深い展開がいろいろ・・・
次は新世界の動きなども気になるところですが、少し考えてみてから
折を見てまたいろいろ、オスマン帝国とかインドとか、
空いている地域を書いてみましょう。
しかし何しろ忙しくて・・・次はなるべく一週間以内を狙って来ます。
今日はちょっと時間が足りない。
>>731 お久しぶりです。
マレガですか…向こうは寒かったでしょうか。
続きはいいつでもお好きなときにどうぞ。
(…僕もいつになったらできるんだろう)
久々でつ・・。ちょそ欧州の17世紀?
フェルディナンドU世をフランス王に冠した頃からハプスブルグ家は国号を
「ヨーロッパ諸国民とローマ教会によるキリスト教守護者たる神聖なるローマの帝国」と改め
ていく。
後の教科書にはローマ第二帝国(単に第二帝国と言う場合もあり)として
呼ばれる大国家であった。
サアード朝モロッコとオスマントルコの反ハプスブルグ活動に対しては
オヨ、ダホメー、コンゴのキリスト教黒人王国の助けに多くを寄っていた。
彼等がポルトガルに多くの艦船を出入りさせるようになるが・・彼等の主目的は
人身売買、つまり奴隷狩りであった。
リスボンからサンヴィンセ岬を経てフアロまでの港湾が奴隷海岸と長く呼ばれたのは
ここから来る。
対象となったのは主にフランスのユグノーであり、イベリア半島で独立に蠢動するバスク等の
不穏分子であった。
こうして多くの白人がギニア湾に連行され南アフリカの金、ダイヤモンド採掘の為の労働力
として送り出された。
それでもハプスブルグ朝がキリスト教黒人王国との関係を永く保ったのは
他でもないモロッコのジブラルタル海峡掌握の野望への牽制からであった。
すでに時流から取り残されていた欧州半島・ハプスブルグ帝国と
富国強兵と近代化に邁進するモロッコなどアフリカ諸国の国力の差は大きく開いていた。
モロッコにとって目の上のたんこぶであったイングランド海賊の跳梁であったがイングランド
自体が海に向かう興味を失う流れの中で下火になっており、
又ハプスブルグ帝国自身が海に向かう事を禁する統制を強めていった。
更にアイルランドを介した華僑から皇帝に当てた
「奴隷交易に関する忠実なる臣下からの一考察」が帝国を動かした。
欧州ローマ教会の排他性は一層強まっていた。
アヴィニョン教皇の一派を北アフリカに追った以降はその傾向が一層強まった。
アヴィニョン教皇がオスマン帝国の宗教的寛容に助けられたのは幸いであった。
アヴィニョン教皇が借家として居を構えたのは皮肉にもチュニス(かつてカルタゴがあった辺り)であった。
フェニキアを容認し異端に寛容な姿勢を打ち出したのは劣勢ゆえの「敵の敵は味方である」
からきているのかもしれない。
多くの人材がこの時北アフリカ(アルジェリアやチュニジア)に流れており、異国のカソリックは
フェニキアを邪教としては生活ができない面があった。
そして当然ながら彼等は欧州への復帰が大目的であった。
この空文となっていたアヴィニョン教皇のローマ(アヴィニョン)奪回は性格を変え後に欧州の
植民地化に一役買うこととなった。
ハプスブルグ帝国がオヨ、ダホメー、コンゴに交易制限の布告を出したのは
アイルランドと華僑の提出した「奴隷交易に関する忠実なる臣下からの一考察」
から来るといわれる。
この施策の失態は東アジアそしてアフリカに起こった産業革命の波を自ら閉ざし欧州の衰退を
決定的にしたことにあった。
技術革新の成果がベルゼブブの魔術として疎まれ、昔ながらの技術と迷信深い教えに拘る
欧州は時流に取り残されていく。
だがハプスブルグ帝国の弱体化が顕著となったのは、ある戦争がきっかけであった。
ハプスブルグ帝国の軛で呻吟してきたイングランドが独立要求に向かいだしていた頃、
日本や朝鮮、高山、琉球から余剰労働力が扶桑に向かい流入し、
長年沈黙していた扶桑が拡大政策に転じ、その東方植民に拍車をかけていた。
対して北欧、スコットランド、アイルランドやリトアニア、ノブゴロドは無論、
長年不安定な緩衝地帯としてあったポーランドから大勢の労働力が流れ込んでいた
ヴィンランドも西部開拓に向かい始めていた。
双方の拡大路線が衝突し始めていくことになる。
ヴィンランドとスコットランド・アイルランドそしてスウェーデン等北欧圏の諸国と
衝突し始めていた扶桑は日本、高山、琉球などの諸国との関係を深めた。
長くアフリカに専念していた日本は漸く欧州に目を向け始めていた。
機に敏な南明華僑は先にアイルランドにまで到着していた関係からヴィンランド―北欧に
南明が結びついていく。
扶桑―日本が橋頭堡として求めたのはイングランドであった。
当初は帝国からのイングランド独立戦争の応援であった。
これに陰ながら支援をしていたのがモロッコである。モロッコはジブラルタル海峡の制海権を
狙っていたのだ。
当初はドーバー海峡の対岸にハプスブルグを追い返すのが目的であった。
がイングランド独立戦争の結果、帝国は既に張子の虎である現実を露呈した。
欧州くみしやすしとみたモロッコはオスマン帝国等を語らって宣戦布告、 その結果
アゾレス、カナリア、マデイラ諸島を併呑していたサアード朝モロッコがイベリアのジブラルタル
〜アルヘシラス等の領有権、そしてバレアレス諸島を奪い
モロッコと共同歩調を取ったオスマンートルコは南フランスの利権そして
コルシカ、サルディーニャ、シチリアの領有権を奪い、ナポリ(南イタリー)の利権を奪う。
ポルトガル港湾はオヨ、ダホメー、コンゴのキリスト教黒人王国による治外法権の租界となる。
さてその欧州分割と時期を同じくしてポーランドを巡るハドリアヌス戦争が起きる。
ヴィンランド ― スコットランド ― スウェーデン ― 南明
扶桑 ― イングランド ― ロシア ― 日本
と言う構図であった。
この戦争は事実上、経済的に北欧―ロシアの経済的動脈を分断する為、二年の戦争のあと
での妥協となる。
日本からの援助で国の再建に乗り出したイングランドはスウェーデンが北フランスの利権を
獲得したのに対し
『スウェーデンは片足をアンジュー(北フランス)に、片足をスコットランドにおいてイングランドを
跨いでいると警戒心をあらわにしていく。』
ちょっと待った。
>>733 >彼等がポルトガルに多くの艦船を出入りさせるようになるが・・彼等の主目的は
>人身売買、つまり奴隷狩りであった。
海外進出したポルトガルは慢性的な人口不足に悩んでいて、各地に築いた要塞に
十分な人員を送り込めなかったことはポルトガルの没落の主要因の一つであり、
奴隷も、元々国内の労働力不足を補うために使われ、スペイン植民地に売り飛ば
したのを除けば殆ど国内で家事労働や果樹・野菜農園の仕事に使役されていた
ぐらいなんで、そんなことになるとポルトガルという国があっさり消滅しかねないが…
いいのん? いや、するのか!?
スウェーデンはヨーロッパでは例外的に先進的に栄えてきた超大国であった。
その版図はフィンランド、エストニア、リヴォニア(今のラトビア)、北ドイツの西ポンメルン
そしてロシア北西部ネヴァ川周辺のイングリア地方を掌握していた。
既にバルト海はスウェーデンの湖であった。
更に時代を経るにしたがってカレリア、コラを獲得し領域はオネガ湖にまで及んでいた。
イングランドにとって死活問題となったのはスウェーデンが
イングランドの対岸ネーデルランドにまで食指を伸ばしてきたことにあった。
今は若干荒廃の風が激しいとは言えかつて低地地方はブルゴーニュ公国の
統治した土地として、ヨーロッパの金融経済の中心だったこともある地である。
ネーデルランドに根強い新教徒を庇護すると言う名文で大軍を派遣
すでに北ドイツの新教諸侯もスウェーデンに参勤する状況にあり
「もし低地諸国までスウェーデン王の掌中となれば、彼はドーバーと北海の
イオニアス(風の神)とネプチューン(海の神)の座を手にするであろう」
そういった警戒の声がイングランドに高まる。しかし基本的に
「弓と矢の軍隊」で頼みの海軍は長年の内紛とハプスブルグの干渉で磨耗し
海賊達はとうの昔に他国に流れていっていた。
ポルトガルの人間じゃなくその地を湾として
イスパニアとかフランスの危険分子を輸出する仲買の
つもりなんですが・
つまりイスパニアとフランスのユグノーやバスクなんぞを
ポルトガルの動力として活用するが、中でも札付きの
奴とかをアフリカの連中に売るって気なんですが・・・。
まあポルトガルとかにまわされるはずの人員を、より高値で
売れるアフリカに横流し・・・
おと
>>741は
>>739への返答です。
確かに、そんなことしたら欧州は相当スカスカになってしまうので無茶な気も
せんでもないですが、相当間引きしないと時代遅れになり出した欧州で
それほどの人口は養えんし
黒人だけだと南アフリカの技術革新が不安なので、こてこてのニカラグア宗教国家
だし、白人が奴隷というか下級労働力として入り、彼等の工夫とフェニキアや日本、華僑
の知識が結びついて新技術を誘発していく素地にしたらどうかと。
単に黒人支配層と白人奴隷というのも有りかなと言う思いつきですが・・。
でともかくとして
アフリカ、アジア、エヤタス・パチャ(北米・南米)でも宗教、経済等・・・による諸国間の
闘争が本格化、戦争は技術の進歩を促しを技術の進歩は戦争を誘発するのであった。
ううう・・個人的には黒人地主に使われる白人奴隷という
のも、後に南アフリカで白人差別の撤廃に向けた運動起きる
てのもユニークで面白いと(ただそんだけです)思った
んですが、
無茶は承知なので削除でもOKでつ。
やっぱりきましたか>白人奴隷
北米情勢ですが、扶桑とヴィンランドの間にはメスシピ朝がありますから
「直接対峙」はしにくいような(北極海経由はもうちょと時代が降らないと…)。
はううぅぅ・・・
やはり(当然ながら)無茶でしたか、では一部訂正して。
欧州17世紀?
フェルディナンドU世をフランス王にハプスブルグ家のフランス併合
の野望に対しモロッコとオスマン帝国がアヴィニョン教皇らの求め
の応じて干渉。
ここに(
>>740)があり強大化するスウェーデンが北ドイツの新教勢力
からネーデルランドに食指を伸ばしたがっていた経緯から三国による
フランス戦争の最後を締めくくる大包囲戦が始まる。
三正面作戦という危機に陥った欧州は
決死の外交戦を展開し
モロッコに対してはオヨ。ダホメー、コンゴの諸国を語らって
背後から攪乱戦を行いモロッコの注意をそらし
オスマンに対してはロシア(ロシアもスウェーデンの強大を望まなかった)
を介してペルシャの軍事行動を誘発させオスマンの撤退を誘い
最終的にはスウェーデンと北ドイツの自治を容認する旨で合意して
コペンハーゲン条約を締結。
ただしこの条約には当時跡継ぎのいなかったイングランドの王位に関しては
ハプスブルグ家のモノとする条項があり、イングランド継承戦争の導火線
となる。
すみません。TUKASAは別に使ってるハンドルですた。カトーです。
アフリカではモロッコが南アフリカのニカラグア教を使いコンゴ等を
攪乱するが・これはニカラグア教の脅威に瀕していたアフリカ諸国
を大規模に巻き込んだ大戦争に発展。
アフリカの宮廷ユダヤ人がニカラグア教の本場エヤタス・パチャ(北米・南米)
に情報収集や外交に出向いたり、
ニカラグア教の脅威に晒されていた、日本や南明との外交折衝がこの時期に
起きる。
北方経済の主導権を巡りスウェーデンとロシアの対立も顕在化
アフリカ動乱の30年戦争の時代に入った。
これで欧州アフリカの航路は大打撃を受けフェニキアは大幅に衰退
この世界的な地殻変動に乗じたイングランド戦とフランスの掃討戦
で欧州は一応ハプスブルグの権威が確立する。
しかしそれは史実の室町幕府のように在地権力が割拠した不安定なもの
であった。
アフリカの戦乱の時期はアジアでも明清日の騒乱の渦中にあり
北方ではスウェーデンとロシアが抗争、航路の減退がフェニキアの衰退
を呼びエヤタス・パシャとのルートも不安定になり危機の時代であったが
ただ欧州だけはハプスブルグの権威が隆盛しポーランド使節のウィーン
での謁見を迎えるなど絶頂期に達していた。
30年に渡る戦争で倦み疲れたアフリカ諸国で講和の機運が高まる
なか漸くフェニキアが復権を賭けて仲介の乗り出し。
だが壮絶な長期戦の収拾は至難を極め、利害が錯綜する中
東方は南インドや高山やシャム、南明まで使節が頻繁に行き交い
記録では日本でも奉行級の人物が幕府の代名として派遣された事跡
がある。
エヤタス・パシャにもユダヤ人が行き交い、この戦争が本質的に
ニカラグア教対策の戦争であった事実を窺わせる。
条約の成立までには3年の長き歳月がかかり、更に合意に1年を要した
ものの、このコンゴ条約は、後の国際法の基本となる内容であり
主権国家間の取り決めが形を整えたのであった。
この条約に関心を示さなかったのは欧州とイングランドであった。
海外の長き戦乱と航路の断絶が外への関心を失わせ、漸く手にした
安定に満足した欧州は海禁策をもって海外の火種を防ごうとした、
そして世界と時流から大きく取り残されていくのであった。
>>732 むしろちょうど過ごしやすい感じでした。
まあ行ったのがシドニーじゃなくて北のブリスベーンだったんですけどね。
ちょっと書こうと思いましたが、下手に手を出すよりオスマンやインド・内陸アジアは
あえて空けておいて好きなように使ってもらおうと思います。
いま私が何か書くと流れを邪魔しそうですから、基本的にはしばらく見物にまわりましょうか(w)
カトーさんの、続きがどうなっていくのか楽しみです。
あ、ただロシアについてですが、十七世紀半ばまでに少し東へ勢力を伸ばして
アラル海あたりまで版図を拡大させるのはどうかと思います。
大勢にあまり影響はなさそうですが、ひょっとしたら乾隆帝の頃に中央アジアで清とぶつかるかもしれない。
もっとも中国は北部だけを支配する清がどういう歴史を歩むかはなんともいえませんが・・・・・・
いずれにせよ史実よりかなり北方民族的な面が強く出ている政権になりそうですね。
それから、土日の間に1415年と1650年頃の世界地図を書いてみました。
情報のないところは適当に想像で補って・・・
新世界についてですが、パナマ信教徒の動きはどうしましょうか。
地峡部を彼らが押さえているのか、それともニカラグアに征服されて
内部の不安要因にでもなっているか・・・
タワンティン・スーユが北進してくればコロンビアやギアナ高地一帯で
三者三つ巴の争いが起こるかもしれない。
それからメスシピ朝はアパラチア山脈以東やロッキー山脈以西を支配しているのでしょうか。
自作地図だと1415年にはグレート・プレーンズ北部からアパラチアまでを版図とし
1650年には拡大して東岸を直接支配していることにしましたが。
それと、フェニキアが沿岸拠点を作っていそうな地域ですが、新世界では
・エレフス東岸数カ所
・フロリダ半島
・ユカタン半島沿岸数カ所
・マカライボ湖付近
・オリノコ河口
・アマゾン河口
・ブラジルが大きく東に張り出したあたりの北側と南側
・ブラジル沿岸数カ所
・リオ・グランデ湖付近
・ラ・プラタ河口
ってとこでしょうか。海流を考えるとフェニキア諸島から直接地中海付近まで直航し
アフリカ沿岸をギニア湾まで下っていくのと
ラプラタ河口付近から南アフリカまで行ってギニアまで逆に北上、ないしインド洋に出る
二ルートが活用されそうですね。
北ルートの要所としてカナリア諸島、南ルートの要所として喜望峰付近に
植民都市か貿易拠点ができそうな按配です。
751 :
zushi-kaisei-gw.zushi-kaisei.ac.jp:04/06/22 17:55
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
>>カトーさん
いえ、僕はダメだと言ってないですが…。
近代アフリカの黎明期ですね。
アメリカ側でもそうなんですが、欧州型の「明確な境界線」を有する国家観は成り立ちにくそうですね…。
>>545さん
中南米情勢、プロットはあるので近日中にあげてみます…。
メスシピ朝の支配範囲は、概ねロッキー以西です。
東岸部はヴィンランドの拠点も多々あるとは思いますが。
フェニキアの植民都市はそんなかんじでいいと思います。
ただ、南米東岸(トゥピ地域…と先住民名から命名)にはニカラグアも進出していると思います。
どちらも拠点都市型国家、というのがミソかと。
過去ログ斜め読みでかきこ
古代フェニキア人からの伝染病って、どんなんが考えられますか?
>>755 インフルエンザに天然痘、はしかあたりですかね。
結核は元からあったようです(カホキア衰退の原因の一つ)。
いまさらですが、南米の名称をケチュア語由来の「パチャ」から
「ラキホル」にします。
マヤ語のラキン(東)とノホル(南)から…。
ついでに太平洋は「オチキン(西)海」。
それと、てる兄さんには申し訳ないんですが、
ニカラグア教と座教関連は史実絡みで大幅変更をさせてもらいますです…。
名誉革命みたいな議会政治の開始や
フランス革命みたいな王家打倒→共和国成立は、いつごろ成立しますか?
766 :
世界@名無史さん:04/08/21 19:44
南明で立憲君主制に近い制度ができるみたいです。
共和革命とかは・・・今のトコ不明ですね。
南北アメリカでは、史実でも「合議制」的なところが多かったので、
「議会制度」は比較的早めに成立しそうですね(カルタゴも独裁君主ではなかったかと)。
宗教絡みなら、アフリカで「王制打倒」は起こりそう…。
止まっちゃってるねえ
769 :
世界@名無史さん:04/09/03 20:45
ぽまいら
漏れが再び復活宣言して
再開しちゃってよかですか?
by旧カトー
是非お願いしますm(_ _)m
では復活宣言したよーww
でさっそくはじめまつ。
日本で大問題が持ち上がっていた。人口増加である。
南明でも同様の近代的経済発展による人口増大が起きていた。
この頃前近代的で儒教の束縛の強い李氏朝鮮では
立遅れつつある状況への危機感が強まるものの
旧態依然の体制は変わらずにいた。
ここに攘夷運動と民族独自の文明復興を目指すナショナリズム
が台頭・・ついに革命が起きる。
が元来党派争いの激しいお国柄ゆへ複数の王候補が乱立
が、内戦は外国勢力の介入を強め、やがて複数の指導者による
合議制と入れ札による代王制度(いわゆる大統領)
が暫定的に儲けられる。
朝鮮民国の誕生、共和主義の出現であった。
今日はここまでww
そもそもユーラシア、アフリカという最大の大陸から
隔たっていたから強力な文明が生まれなかったわけだが。
だからこのスレ名はおかしい。
南北アメリカ大陸のほうが巨大だったらとかなら
説明のしようがあるけど。
>773
過去ログを読めばわかると思うけど、カルタゴ人の一部が移住したという設定。
ちと過去を振り返って見るぽ。
カネム・ボルヌ帝国とサアード朝モロッコという覇権を窺う大国
の威力に対し
ダホメー王国、オヨ王国、コンゴ王国
そしてモノモタパ王国は、とかく同盟を強めていたが
距離の問題が多かった。
双方の間に位置する地域には
ブニョロ王国とトロ地域そしてブガンダ王国の紛争
ルバ王国やルンダ王国の利害が錯綜していた。
ブニョロ王国とルバ王国にいたっては
南アフリカニカラグア教団とロズウィ王国の
ニカラグア教の北伐の脅威もあり
何時戦禍が起こっても不思議ではなかった。
華僑や倭人がモノモタパ王国やマダガスカルに拠点を置いて
南アフリカのニカラグアを挑発した事は後のアフリカ動乱
の終息後も両者の敵対関係を収めることは無かった。
さてこうした欧州の閉塞とアフリカの勃興への陣痛
否応なく戦渦に巻き込まれるフェニキアの興亡という
ドラマの影である歴史的事件が進行していた。
ユダヤ商人のエヤタス(北米)渡来である。
メスシピ朝に渡来したユダヤ人は欧州からオスマン帝国
へ流れたアシュケナジーユダヤの流れ
と別にサアード朝モロッコやメスシピ朝に流れた
スファラディーユダヤの流れに大きく分けられる。
この頃からメスシピ朝に商業資本経済に対する
ユダヤ系の影響が強まっていくこととなる。
いつの間にかサイトできてたんだ
A(;^^)・・・・
いや、とてたさん。
躊躇うのは当然でせうね。
朝鮮での共和革命ってのは・・というか
>>772 には漏れも訂正加えようと思います。
全体的な流れからしてちと無理ある面もあると思うので。
んで
>>772訂正
日本で大問題が持ち上がっていた。人口増加である。
南明そして清朝でも同様の近代的経済発展による人口増大が起きていた。
この頃前近代的で儒教の束縛の強い李氏朝鮮では
立遅れつつある状況への危機感が強まるものの
旧態依然の体制は変わらずにいた。
急成長とげる二つの大国、日本と清その双方と接する朝鮮の立場は
対外的に微妙なものがあった。
二度にわたる日清戦争が双方の決定打を欠いた痛みわけに終り
朝鮮半島はきな臭い火薬庫の性格を強めるばかりであった。
とはいえ日本にとっても半島は大陸から日本の脇腹にたてられた短剣
であり清にとっても自らの本拠満州の隣に位置する為
双方とも相手に譲るわけにはいかなかった。
そして日清の仲裁にたてうる大国南明の思惑も双方の信用を受けられる
ものではなかった。
こうした中、元来党派争いの激しいお国柄、いくつもの党派
に分かれて競い合い日清明の勢力を好んで呼び込もうとする
者まで出る始末
業を煮やした一部が過激な民族主義と攘夷運動が起きる。
再度の介入をおこなう余裕は日清両国にはなく
そうした中李氏朝鮮に弾圧された攘夷の志士の一部が日本に
亡命、ここで豊臣高山国の使節との偶然の邂逅をみてから
事態は急転直下する。
高山国の仲裁による「朝鮮の真の独立」実現という試みであった。
秀吉の子孫の国のを助けを呼ぶなど論外と当初は躊躇うものの
やがて高山を介して南明の兵器の買い付け借款を実現し
有力な党派との連合の末李氏朝鮮を清に追い払うことに成功する。
李氏朝鮮王家の救援要請にかかわらず清は動けなかった。
日本と南明双方との本格的な戦争を再会する余裕は清にはまだ無かった。
暫定的に有力な両班党派の合議政体を取った朝鮮
(この合議制は南明に習ったもの)では
高山国が仲裁の労をとり清朝に使節を派遣
その弁は
『朝鮮は古来より中華の国に礼節を尽くし・・・天子に朝貢
その冊封を受け宗主と仰いできた。
・・・しかるに我が国が宗主とすべき中華は今は無く、
中華皇帝の権威が恢復するに及んでから、改めて天子に
朝貢し冊封の栄誉に服したい。』
ようは中華帝国(大陸の真の覇者)の現れてこそ、その宗属に
入るというわけで、中華帝国の後裔と自称しがたい清朝には
痛い内容でありしかも歴史的大儀からみても当然の返答であった。
無論いまの南明は中華を名乗るに値しないし、日本も論外・・
国益より儀礼が重要視される当時の東アジア外交にとって
この言葉は重くのしかかった。
実力行使しようにも三竦みの関係はその武力介入への重いリスク
となった。
結局日清南明三国の暗黙の妥協により
半島は空白の緩衝地帯としていずれの国も不即不離の関係を
保つこととなった。
さてその後も合議政体は国家大会議(国会)として存続し
国会での入れ札による代王制度(いわゆる大統領)が登場した。
この代王は真の中華が恢復してその冊封を受けるまで国王は
選べない為の代案であり、世襲ではなく任期制解任も可能という
民主的なものであった。
この朝鮮共和革命の性質は決して民主的なものではなく
一つの姓が別の姓に変わる易姓革命ではなく
複数の姓=両班(貴族)が共に和し支えあう革命という
意味で共和革命と命名されたものにすぎなかった。
ところでメスシピ朝で宮廷ユダヤ人となったりし
貴族や僧侶の資産管理を担ったりしたユダヤは
民間での商業経済において勢力を拡大する。
ところが
>>455-456の理由から
高値を呼ぶ日本や明の文物の主な流入経路は
当時日本等から扶桑に渉る経路であった。
華僑や日本商人が主体となる経路であり
主な旨みは全て彼等に牛耳られユダヤ商人に入る隙は無かった。
メスシピ朝において扶桑の握る交易利権の奪取を叫ぶユダヤ人
の長年の工作は両国に新たな戦雲を巻き起こそうとしていた。
エヤタス(北米)パチャ(南米)以外の国と結んでの大戦争
という事態がここに起きようとしていた。
扶桑は当然ながら日本等に救援を要請軍備近代化に余念が無く
一方メスシピ朝はユダヤ商人やフェニキアを介し
北アフリカや欧州の武器を頼んだ。
アフリカ動乱と時期を同じくしてエヤタスパチャにも
大動乱の機運が高まろうとしていた。
ここで戦乱の世紀のおさらいww
@エヤタス(北米)
扶桑国 日本や明の文物を新大陸に卸す交易ルートによって
新大陸で他地域と本格的な交流を始めていたが
それがためメスシピ朝と敵対、やがてヴィンランド
とも険悪な関係に
メスシピ朝 ユダヤの画策もあり東アジアとの交易を巡り扶桑と
対立激化、が日本や明などが扶桑支援では纏まり
近代化と武力支援を惜しまぬ為、国力は最大だが
精強さでは劣勢であり
ユダヤやフェニキアを介し積極的にアフリカ等と
関わり国力増強近代化に向かいだす。
ヴィンランド ヴァイキングの末裔として北欧と関係が深く
ユダヤ人も多く受け入れている為 メスシピ朝
と敵対しているが対扶桑気運は高く、そこでは
メスシピ朝と共闘する面も高い。
但し足並みはそろっていない。
A東アジア
日本 急速に海外進出を図りつつあり交易で南明と敵対しつつ
対清政策では足並みをそろえる微妙な関係。
南明 日本と交易拡大で激しい鍔迫り合いを演じるが北の大国
清朝との武力衝突に関しては共闘関係にある。
朝鮮&高山&周 日清明の三国関係のバランスで独立を維持して
いる為三国の関係悪化を煽る面もある。
日本の「大陸不統一政策」では全面協力するが
同盟国として信に足る実力は無い。
清朝 北の大国であり中華世界の統一をいまだ狙っているが
絶望的。産業近代化などで日本の資本を受け入れているが
南明攻撃では日本軍は清朝と敵対する関係でもある。
これら全ては扶桑支援ではある程度一致する。但し清朝は新大陸に
あまり興味は無い。
Bヨーロッパ
ハプスブルグ 神聖ローマ帝国・イベリア半島を押さえ欧州統一
の最右翼ローマ教皇バチカンと一体化している。
フランスに介入している。
フランス ハプスブルグ+バチカンの介入に対しユグノー
そしてアヴィニョン教皇派、フランス王党派と
「隠れカタリ派」の抗争をする戦乱の真っ只中
イングランド ヴィンランド+アイルランド+スコットランド
+スウェーデンの北欧北米と敵対しハプスブルグ
に服属する王党派とスコットランドと組むヨーク公
が内戦
他592・614にあるような複雑怪奇な戦乱の巷
そして北方経済圏の主導権を巡り
ロシア・ペルシャのイスラムラインとスウェーデン・デンマーク
ノブゴドロのキリスト教ラインが敵対
ポーランドを巡る戦雲が高まっている。
がスウェーデンとデンマーク・ノブゴドロの足並みも一致していない。
Cアフリカについては
オヨ・ダホメー・コンゴ諸王国 キリスト教黒人国としてハプスブルグ
と共闘サアード朝モロッコやカネム・ボルヌ帝国
と激突
サアード朝モロッコ カネム・ボルヌ帝国
ハプスブルグの欧州統一を快く思わず介入するもオヨ・ダホメー・コンゴとの
挟み撃ちになり南アフリカニカラグア教団と組んで
>>775の戦乱を煽る。
扶桑を支援する日本や南明との関係からメスシピ朝に接近梃入れしている。
モノポタパ王国 マダガスカル
日本や南明の勢力と対ニカラグア教で共闘を強めオヨ・ダホメー等とも組んで
いる。
但しニカラグア教の脅威という点で組んでいる日本と南明は
欧州・北方経済の利権を巡り
欧州では
イングランドのヨーク公および王党派(日本)
スコットランド(南明)
北方ではロシア−ペルシャとノブゴドロの両方に日本
(敵対する関係だが日本は両建て戦略をとっている)
スウェーデンに南明が加担して敵対競争している。
タワンティン・スーユ
ニカラグアを巡り日本や南明などは扶桑からタワンティンに
介入ニカラグア征伐を煽る。
トルテカ マヤにもオヨ・ダホメーなど黒人キリスト教国の使節が
彼等側のユダヤ人が関係を深めニカラグア強硬論を煽っている。
彼等の暗黙の支持を受け勢力を立て直しつつあったパナマ信教徒が
再びニカラグアと衝突、南米にも戦火は及びつつある。
ニカラグアは周囲全てに襲撃を繰り返すチチメカと組み
戦乱を起こすことで対ニカラグア包囲網を打開しようと図る一方
南アフリカを介しモロッコやカネム・ボルヌ帝国とも結ぶ。
但しメスシピ朝とは関係は無くどちらかというと双方とも冷たい無視の立場
(−−)/
はい、ここで質問。
前に一度、漏れ的に戦後は書いてみたが冷静に考えて
この勝敗が今後の世界史に凄い影響を与えます。
そこで・・・
どのような勝敗が好ましいか・・どんな戦争がよいか
聞いてみて、改めていこうかとも考えます。
何処が勝って、どんな戦後関係になるかカキコしてみて
ほしいぽ。
誰もカキコないようなので独断で話を進めていくぽ。
でもその前に
豪州の独自文明マレガを絡ませるかという問題が・・・
どうするか数日考えさせてください。
現在は17世紀ですね…流石に近世、流れが大変。
朝鮮の共和化はわかりました(発展如何では将来「間島問題」で対清戦争を起こしそうですが)。
アジア欧州アフリカはそれでいいと思いますが、肝心の南北アメリカですが…、
ちょと専門書を読んでいるのですが、前にも少し書いたとおり、幾つか変更したいところがありまして。
↑に基づいて、中世アメリカ史を再構成してみます…近世と古代と史実の矛盾をなるたけ無い範囲で。
とりあえず、決定点をば。
ニカラグア教−語源であるニカラオ族がナワ系で、この流れでは現在のニカラグアにまで達することは無さそうです。
「ケツアルコアトル教」か「ククルカン教」の方がよいかと。
(「宗教国家」化はなんとかやってみますが、周辺国家との軋轢は少なくなりそう…。パナマ信教国もなんとかやってみます)
トルテカ−この名称も、チチメカ族の使った名称のため「オトミカ」の方がよいようです。
タワンティン・スーユも<四州連合>の意ですので…「インティ・パチャスーユ」にでも改名してしまおうかと。
大戦はカトーさんの好きにしてみてください。
マレガは…向こうで。
【東アジアの国力戦力】
日本
最も近代的に整備されつつあり国力の充実という点では世界的にも
屈指と思われるが
国家としての統一意志が不明瞭で封建主義の残滓を引きずるという弱点
朝廷と幕府という微妙な二重政府の存在が対外的な成長で弱点になりつつ
ある。
例えば国内では幕府の下の大名は統制が取れているが海外では
その足並みは一致していない。特に幕府と外様雄藩は海外では敵対的な
国交を結んでたりする。
地方大名単位の軍備は小回りと臨機応変さに長けているが
統一された軍制が不十分なのでその点で他国に出し抜かれている。
日本を評して
「戦闘に負けることの無い国だが戦争に勝つことの無い国だ」
正に至言であろう。
南明
中央集権には優れているが文官優位の統制が色濃く残り
戦争遂行に敏速さを欠く。ただ国土に大なるをもって
侮りがたい底力を持っているように見える。
南明を評し
「南明は象であろう。図体がでかく馬力は恐ろしいが牙は
大きすぎて争いには使えない」
清
陸軍重視の重火器武装近代化に余念が無いが軍需産業などで
敵である南明や日本に多くを頼っている実情は改善のみこみは
当分なさそうである。
南明や日本とはやらせのなあなあになりつつあり直接の脅威
を受けているのは目下の所朝鮮だけであろう。
朝鮮
国土を接し旧李氏王家の亡命先でもあり仮想敵である清の大陸軍
の脅威の前に以前のように大陸の王朝に朝貢し国土は荒れるにまかせ
属国として余命をつなぐ状況にいるわけにいかず
日本や南明から顧問団を受け入れたり留学生を派遣したりして
富国強兵に余念が無い。
局地戦では単独で清朝を破る事例が出てくるほどに強国化しつつあり
侮れない相手になりつつある。
既に儒教の束縛に縛られている余地すらなく克儒抗清を国是に
儒教から国教をニカラグア教分派の韓国教会に切り替えた事が
日本や南明との対立を招きつつある。
【メスシピ朝の分裂】
エヤタス(北米)の三国志に微妙な変化を起こしたのは
時のメスシピ朝皇帝の後継争いに端を発していた。
時の皇帝が自分の病を理由に退位の内意を示した。
その頃皇太子選定に問題があり重大な紛争を抱えていたのである。
皇帝の実子はまだ幼少ゆえ皇帝の弟を立太子させるという一派と
あくまで実子を押す一派の対立である。
これを参考にさせていただく↓
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/ さて皇帝の生母と皇帝の妻(実子の母)とは出身部族が異なり
皇太后は皇帝退位の後は下の弟を皇帝として
皇后は実子を皇帝として
担ぎ出そうとしていた。
ちなみに皇太后はヴィンランドに近い部族の出で今まで国母たる
彼女の意向がメスシピ朝と扶桑の対立を煽る要因ともなり
これにユダヤ系が結びついていた。
対して皇后は逆にヴィンランドやユダヤを快く思わない中西部
の出でこれに華僑・日本商人も盛んに賄賂を送り関心を高めてきていた。
端無くも
当時の帝国で集権を強めていこうとする官僚派と地方の自主裁量を強めて
いこうとする長官派も対立も激化
部族、商人団、官僚、閨閥が全く2分して対立
そして皇帝の死はとうとう内戦を齎したのであった。
当初強引に皇太子とした皇后実子派は優勢に立っていたが
イロコイに追いやられた皇太后一派はヴィンランドに派兵を
要請巻き返しに転じる。
対して皇后は扶桑の兵力を呼び込みこれに対抗。
メスシピ朝で直接見えることの無かった扶桑とヴィンランドの二強
が衝突する。
>>654-656 にいうユーラシアのハドリアヌス戦争によくも悪しくも連動した
メスシピ内戦は
旧世界の騒乱を他人事として眺めてきた島国だった
エレフスパチャ(北米・南米)を本格的に世界史の中に引き込む
効果を果たした。
799 :
世界@名無史さん:04/09/13 16:34:52
内陸アジアとかはどうなっているんでしょう?
清の支配下ですか?
権力の空白領域っぽい感じがするけど・・・
800 :
世界@名無史さん:04/09/13 16:43:05
歴史にif考えてどうすんの、ヒマつぶし?
少し間を空けてきたものの、オトミカ史はまだ練れてなかったり。
>>799 シベリアは清の領域ですが、積極的支配では無さそうですね。
西シベリアあたりにはイスラム・ロシアの影響圏かと。
トルキスタンは…ヒバやボハラのハン国がそのまま残っているのでは。
>>800 知的遊戯だと思いますが、そうともいいます。
>>カトーさん
「戦争経済」ですか…たしかに架空世界史は凄いですよね。
朝鮮がニカラグア教に改宗…メスシピ朝の内紛…波及効果がどんどん増加すのですな。
802 :
世界@名無史さん:04/09/17 12:08:11
>とてたさん
>>771 シャレインドラ朝じゃなくてシャイレーンドラ朝ですが…
ほかはいい感じかと。
803 :
世界@名無史さん:04/09/17 14:05:49
洩れもホーエンツォレルンをホーエンツォルレン、ドストエフスキーを
ドエトフスキーと思い込んでた時期がある。
>>802 …あらら。
次回更新時に訂正しておきます。
>>803 僕はマダガスカルをマダスカルと言っていた時期がありますた。
805 :
カトー:04/09/18 20:15:29
南洋の大陸マレガと最初に接触したのが何者かは問題ではなかった。
兎も角も
明の永楽帝による鄭和の大遠征で本格的な明朝への朝貢があって以降
否応なしに東アジア情勢に巻き込まれることとなったのである。
頻繁に接触を図ってきたのは
高山国や琉球王国であり南明や日本もそれなりに接触を深めていた。
マレガには当時統一王朝が成立こそしていたが広大な国土を
本当に纏めているとは言い切れなかった。
それはマレガが外的脅威に対して鈍感でも成り立ちうる
地理的条件に恵まれていたからでもあった。
国家としては海に対し無関心に近いのは日本や朝鮮に似ていたともいえる。
時を同じくして日本や朝鮮の外的関心の向上と勃興が始まったときに
マレガでも外的環境への関心の向上と富国強兵への道のりは
他の東南アジア諸国とは道をたがえていた。
それはニカラグア教という宗教的脅威と
大陸の中央部を乾燥した砂漠地帯に占められ国土の連絡に海路を
使う事が不可欠だった点
それに当時は欧州からの渡来が始まっていた点にあったろう。
欧州が宗教的低迷から本格的に脱したとは言いがたがったものの
イングランドやスコットランド、イスパニア、ポルトガルなどが
勃興著しいアフリカや富強なメスシピパチャ(南北アメリカ)
そして物産に恵まれたアジアに足を延ばし、ようやく外への関心を
取り戻しつつあった。
遅れを取り戻そうと足掻く欧州と似た時代背景にあったマレガには
欧州よりも宗教的制約も少なく、アフリカの動乱覚めやらぬ当時
多くの欧州やアフリカの知識人の新たな受け入れ先として
インド沿岸と合わせてクローズアップされつつあった。
蒸気機関の発明は既に日本でなされていたが本格的利用には
日本は出遅れていた。
史上初めて蒸気機関を使った鉄船を開発し利用しだしたのは
何処あろうマレガであった。
幕府に異を含む薩摩藩や高山国の本格的な梃入れがあったものの
マレガが蒸気船開発置いて先頭に立った意味は大きかった。
マレガ近代の夜明けであった。
808 :
あっちスレファン:04/09/19 14:34:23
くぅ、いいなあ。マレガ万歳。
809 :
545:04/09/21 13:10:25
お久しぶりで〜〜〜す。
いや、大したことではないのですが、
以前出したノヴゴロド国について。
史実だといわゆるノヴゴロドは内陸部にあるので、港はないんですね。
だからこのスレッドでいうノヴゴロド市は「新ノヴゴロド」。
史実でいうペテルブルクあたりに新しく建設されたもの、という事にしておいてください。
草々
810 :
あっちスレファン:04/09/24 23:38:39
いっそ、某小説で出た設定の「ケノービ海」を現出させてみるとかw
そうすれば港出来るかもしれませんよー。
でも、これだとちょっと無理が有りすぎるかあ。
…僕の続きはまだ苦吟中だったり。
>>805-807 17世紀後半…でしょうか。
蒸気船をマレガで発明…流れ的にも大丈夫ですね。
>>808 あちらは、南北アメリカは史実通りということに。
>>809 お久しぶりです。
と、いうことはフィンランドは「不可分の領土」になってそうですね。
>>799>>801 アラル海南方の「三ハン国」の動向は史実と大差なさそうだが、
モンゴル高原・チベットは……
リンダン・ハンは清のホンタイジに史実通り服従かな……
清が中国全土を掌握していないとなると、
チベットのダライ・ラマ五世を抱きこめるか……
ジュンガルのガルダンを征討できるか……
ダライ・ラマ五世と摂政サンギェ・ギャンツォが
ガルダンや康熙帝や南明や三藩との間で蝙蝠外交を展開しそうな予感……
>>812 史実のチベット情勢も、清の膨張あってこそなんですね。
とはいえ、どこの国もチベットを屈服させることはできなさそう…。
814 :
世界@名無史さん:04/10/02 22:32:37
age
815 :
世界@名無史さん:04/10/12 01:12:37
age
816 :
世界@名無史さん:04/10/25 17:58:30
age
817 :
世界@名無史さん:04/10/26 22:11:23
インディアンの平均身長ってどのくらいなんですか?
>>817 アメリカの場合、現在のネイティブの人はさして他のアメリカ人と変わりないような。
マヤでは小人が「珍重」されていたようです…。
819 :
世界@名無史さん:04/11/08 05:30:20
もっと進んでくれえ
820 :
カトー:04/11/08 17:40:17
>>819 (;−−)いやまことに申し訳ない次第で・・
もうチョイしたら進みますんでちょとお待ちを(汗
とかいって期待してる人も少なそうではあるが・・
久しぶりです。
私は待っておりますよw
どんどん書いてください。続きを熱く期待中。
822 :
カトー:04/11/09 21:39:23
でぱ久々にちょと進んでみる。
【マレガの勃興と日本の変貌】
マレガが蒸気機関を用いた船を本格建造したのは先にも述べたが
マレガでは穏健な王とその側近に押さえ込まれていた
血気にはやる急進的な皇太子が即位、各地に割拠する土豪を強圧的に
おさえこみ、活発化した商人勢力と組んで集権体制確立を図っていた。
その新体制への布石として
その国使が数隻の巨大軍船に乗って東アジア諸国に本格的な国交お
求めることとなった。
ただし新王の性格からしてそれは非常に威圧的な砲艦外交に近い
ものがあった。
東南アジア諸国は事勿れの穏便対応に終始したが南明は大国の威信
特に旧中華帝国の威信もあってこれに完全と敵対、
逆に呉三桂および三藩を基とする周は厚遇するという相反する対応を見せ
大清帝国には地理的問題もあったしマレガも興味は薄く門前払いを食わされ無視された。
最大の問題となるのが豊臣高山国および徳川幕府治める日本であった。
日本は政治こそ封建的な武家政治を踏襲していたが世界的な商業資本の中心地のひとつに
そだちつつありマレガとしては日本だけは是が非でも国交を結ぶ考えであった。
高山国と琉球王国では結局通商を結ぶことで合意せざるをえず(国力的にも強引な施策はとれなかった)
日本ではマレガ使節団の処遇をめぐって平和に惰眠をむさぼっていた幕府は
混乱対応に紛糾した。
時に紀州と尾張の将軍家世継ぎ争いをめぐるつばぜり合いの真っ只中でもあり
一歩間違うと幕府を分裂させかねなかった。
>>819 僕の部分もそのうちに…。
>>823 マレガと徳川幕府との「公式接触」はルソンで行われるのでは。
向こうもちゃんと中世まで持っていかなきゃ(汗)。
(・∀・) やはーり呂宋の指摘はきましたね、とてたさん。
でもねルソンと徳川幕府の関係に一台変化が起こってるんですよ。
【忠の国 古南建国史】
最初に呂宋に渡ったのは豊臣高山の屯田兵であった。
が大名級の武人 長曽我部盛親の親征と土着化以降
徳川日本では山内の圧迫に苦しむ一領具足といった旧長曽我部系の
家臣を徳川幕府と(家康と盛親の父元親は反秀吉の盟友であった。)
の密約から呼び込むことに成功、一大勢力となりつつあった。
この変化に対して国内建設を優先せざるを得ない豊臣家では人材
がおらず
かといって幕府にも積極的遠征には消極的な声が高く
後に重要な地政学的拠点となる呂宋は問題の種でしかなかった。
詳細は省くが未発に終わった大阪の陣で燻った男
徳川忠輝。彼は野心家の岳父伊達政宗の御輿として担ぎ上げられる
可能性もいつでもあったし、豊臣秀頼と親友関係があったそうでもあり
家康にも家康のあとを継ぐ秀忠にも厄介の種であった。
どういう経緯でか、この危険すぎる麒麟児を呂宋へと解き放つ提案をしたのが
本多正純だったとも天海僧正だともいう。
豊臣家の刺激を誘いかねないこの呂宋遠征以降徳川の世に不満を持つ
浪人衆を誘い込んで更に海外交易の拠点として軍事経済大国として
割拠させたのは大久保長安なる側近の手腕だとも言う。
長曽我部を降して徳川忠輝が大割拠した脅威を前に幕府は
足利の関東公方の例に倣い新たな人物を呂宋総督として送った。
これが秀忠の次男で家光のライバル徳川忠長であった。
露骨な懲罰人事とも言われたが、とにもかくにも
呂宋に新市公方(忠長系)と古座公方(忠輝系)による抗争に落とし込んだ
成果はあった。
ここで新たな働きを見せるものがあった。薩摩藩と高山国であった。
彼らは交易ルートが抗争で途絶することを恐れ仲裁を取り始めた。
が・・はかばかしくない問題のなか忠輝忠長が相次いで死去したことを
契機に徳川一門でリーダーシップに優れた忠長の嫡子長七郎(元服後忠頼)が
西京都を定め新たに南朝の系譜を継ぐものを国王として即位させ
国号を古南と定めた。
明徳三年南北朝合一によって吉野にいた南朝の人々は各地に散ったが
そのひとり後醍醐天皇の玄孫光良親王が長州に落ち延び
その後大内そして毛利の庇護を受けていた
いわゆる大室氏である。
この一族が呂宋に渡る経緯は関が原で西軍に属した毛利輝元が
大阪の陣を前に豊臣に一族のものを豊臣家に派遣したりと
豊臣との関係を絶やさなかったことに始まり
幕府の圧迫と藩の窮乏を高山との交易関係で守っていた。
この一説にはこのころには輝元自身の指示で高山に送られたともされ
るが、
この南朝問題で出身母体である長州にお咎めがなかったのは謎であり
あるいは関が原で毛利を過酷に処分しすぎた家康の反省から
毛利と高山の密やかな関係に目こぼしが合ったともされる。
なによりも徳川は南朝の忠臣新田の末裔と自称しており
古南を糾弾するにしても南北朝騒乱の再来を引き起こしかねず
大室氏は日本国王ではなく古南国王とするという玉虫色の
裁可が下されあやふやな決着に終わった。
その後の古南は大御所徳川忠頼(市井ではより親しみやすく大御所松平長七郎公と呼んだ)
の健在のうちはまだしも、その死去とともに
国の成り立ちから日本への激しい対抗意識が公然化し始める。
古南は建国時に元号を明治と改めご一新を断行強力な集権国家の道を歩みだし
幕府による封建制を保つ日本よりも国の体質としては大きくリードしていた
自分の躍進する国力への自信もあった。
マレガの遠征当時、古南は新日本島(ニューギニア)を領有するなど
マレガと隣接し必ずしもマレガの勃興を快く思わないものの
この時期はマレガが先んじた蒸気機関の活用を導入すべく雪解け時期にあり
そして運の悪いことに日本で秀忠系の将軍家が絶えてしまい尾張と紀州が
争っていたことにあった。
尾張紀州より将軍家の正当性という意味では古南の忠長系の方が正統に近い
とする意識もあり
マレガを煽って日本の幕府を危機に落とし込み、仲裁の労という名目で
幕府の将軍継嗣問題に介入していこうとする野望があった。
いや無茶な気もしますというか無謀すぎますよね、とてたさん_| ̄|○
っそして山野さんの高山国についてとやかくいえないぐらいのDQNネタです
_| ̄|○
まあはしょっていうとマレガが一大産業国家として勃興するのに対し
ルソンが古南という名の変則明治日本としていち早く起こり
徳川幕府に圧力を加えていくのです。
日本は海外に拡大した代わり日本国家が一枚岩でなくなり
琉球王国、高山国、アイヌそして古南が日本と並存した状況になり
中国も大清帝国、南明帝国、周が並存し(当然チベットも独立国WW)
東南アジア諸国も独立性を保ち新興国家に育ちつつあるという状況です。
なんか史実の西欧諸国のような有様に近いですが
は・・はううう・・とてたさんやみなさまの
ヌ・・ヌゥワンジャゴルラアァァァぁーという怒声が聞こえますぽ_| ̄|○
ちょっと意見聞いてみたい。
ついでにいうと琉球王国、高山国、アイヌ、古南や日本、扶桑
そして大清帝国、南明帝国、周、チベット、東南アジア諸国から
マレガの支配層や人材が欧州王侯の如き国際的姻戚関係も結んだりしてます。
ちょうどロシアとドイツとイギリスとフランスの国王が兄弟従兄弟だったりする
西欧の戦争、外交に近いでしょうか。
さてはて…長七郎君とは。
個人的にはそんなに悪くはないのですが、突っ込みどころをば。
>>825-831 「古南」や「新日本」という名称はどこからでしょうか(とはいえ、適当な名前は無いのですが)
ニカラグア教の影響の他に、南部ではムスリム(スルタン)もいたりしますが…。
姻戚関係重視の東南アジアは魅力的…ではありますが、インド辺りも関わってくると思いますよ…。
833 :
桜47→水明 ◇pD6BZg.55E :04/11/16 06:07:30
カトーさんおひさしぶりです。なんとも楽しい展開ではないですか^^
アジアがまるで違うものになってきましたね。欧州、アフリカ、アメリカ
の関係も面白く、ここは545さんの中央アジアの方も見てみたい・・・。
ところで、どなたか、アメリカそのもの、北米と中米、南米などの歴史の方
を詳しく書いてみたい人はいませんか?
何度か私も挑戦しようとしたのですが・・・。カトーさんのようにはとても
出来ません・・・。
どうもです。とてたさん古南なる名称は北朝の日本より古い南朝の国
とでも言う意味でしょうか。旧南とかも考えたんですが、
以前「妄想で架空の歴史を熱く書いてくれ」スレでこのような名称を見た
覚えもあり呼び方としてはまあまあよいんではないかと。
ちょうど中華で倭と読んでいたのを自ら日本に改め(だったですよね汗
という感覚で見てもらえれば。
ルソンは日本列島で古南は日本国と考えてもらえれば・・・
んで新日本とは古南がマレガとの海戦に勝利して領有権を獲得した際に
つけた名称です。
マレガの変貌は古南との海戦に負けての危機意識が直接のきっかけという
裏ネタなんです。
姻戚関係にインドが関わるのは望むところ・インド洋の戦争に無理やり
東アジアを絡める口実もできます。
お相手はアフリカ列強あたりか・・
水明さんどうもです。漏れもアメリカには詳しくないし
あんまり書くと矛盾でまくりなのでアイデアほしいところです。
最後に長七郎とは松平長七郎江戸日記からパクったんですが・・
我ながら適切な人事だったと思うのですが(そうか?)
(・∀・)他に適切な人物がいるのなら提示欲しいぽ。
【南洋の昇竜 古南】
新国家に古の文字を使うのは珍しいが、ここで新南を号すると
北朝と徳川宗家を要する日本に対し後発の分家のようなニュアンスで
とられるのは明白であり、古南とする名はここにきていた。
【アフリカ戦争の余燼】
亜近代世界戦争を勃発させたアフリカ動乱以降アフリカ列強の
海外渡航意欲は増大しつつあった。初期的ながら産業革命の成果を受け
ニカラグア教を軸にした布教と対ニカラグア教包囲網を求める対抗勢力
が競って進出しだした。
随伴するユダヤ商人は徐々にフェニキアとの競合相手となった。
ここでまだユダヤ−アフリカ系の手垢がついていない
アジア大東洋へのフェニキアの熱い視線が送られだす。
ニカラグア韓国教会−海南島黒人王国−アフリカのラインで
結ばれた回廊がユダヤ商人の進出ルートとして目されていた。
対してフェニキアでは
扶桑に援助してメスシピ朝を降しヴィンランドとユダヤを抑えこむ
戦略に成功、扶桑とフェニキアが明日のエヤタス(北米)の覇者となることが
明白となっており
扶桑−日本のルートで東洋進出を積極化しようとしていた。
欧州ではスウェーデンがイスラム教ロシアに圧勝、ノブゴドロを従属させ
北方の覇者たるを豪語していた。
ヴィンランドとつながりの深いこの国をめぐりフェニキアは
イングランドの自立支援をも行っていたが
同時期にいまだ幕府安泰の惰眠をむさぼる日本にも触手を伸ばしつつあった。
フェニキアはマレガ(およびその背後にある古南)の外圧を前に日本は
大混乱に陥り南朝に関わることゆえ京都の朝廷まで巻き込んだ幕末前夜を迎えていた。
フェニキア人は九州に多く在陣していたが新進気鋭の志士達を影ながら支援し
動乱の世界への目を開かせる。
マレガは自らの出資で日本に蒸気鉄道の路線式説を提案、これに大老井伊が
独断で応諾、井伊の所領彦根に鉄道の拠点を置き最大の利権を得ることも
明らかとなった。未だ尾張紀伊の御三家による正式な将軍任命も中座のまま
であり、ここに幕府の末期的状況をはしなくも露呈することになった。
しつもーん
今、西暦何年頃なんですか?
てぃいきにより誤差ありまくりーなので明確には_| ̄|○
ただ17世紀とおもつていただければ
なおとてたサン並びにご提案・・漏れは同時多発的産業革命を
起こしたまではいいですが・今後の文明の進歩具合なのですが
漏れ的には史実(つまり現実の漏れらの世界ですね)より
科学文明が進歩した世界になると思うのですが(まだ未定ですがね)
どうでせうか?
そして水明さん。これはやはり20世紀いや21世紀まで続けるんですか?
さすがに今後の状況予測しにくくなってきた。
839 :
ユダ ◆o3FO2oJm9Q :04/11/18 18:49:07
民族別IQの平均値
アシュケナージ系ユダヤ115〜117
日本人105〜107
白人95〜100
黒人80〜90
このスレの皆様へアシュケナージ系ユダヤのIQは日本人より遥かに高いです。
ユダヤ人は世界一優秀な民族です。
最大値でもアシュケナージ系ユダヤ人>>>日本人です。
アシュケナージ系ユダヤ人の研究者の頭脳に比べたら日本人の頭脳はエテ公並です。
米軍の調査ではアシュケナージ系ユダヤのIQは日本人より遥かに高いです。
現実を見ましょう。アシュケナージ系ユダヤに日本人の頭脳は敵いません。
アシュケナージ系ユダヤの平均IQは117では世界ダントツで一位です。
ユダヤ人は人類の科学、芸術、文学の発展に大きく貢献しておりアメリカのノーベル賞受賞者の
40%近くがユダヤ人です。近年のアメリカの大繁栄にはユダヤ系アメリカ人の影響が大きい証拠です。
アメリカのノーベル賞受賞者の40%がユダヤ系といわれています。
反ユダヤの烙印だけは絶対に避けること。そしてユダヤ人に日本国籍を取ってくれるように働きかける事。
>>833 ……考えてはいます。
何時になるかはわからないんですが…。
ざっとした感じでは、14世紀以降の流れは
・エヤタス−複数の王朝交代・扶桑の隆盛があるものの、チチメカやヴィンランドとの抗争に終始
・オトミカ、マヤ諸都市−緩やかな交易発展
・ニカラグア−一時はインカと覇を競い、海外進出にも盛んだったものの、
オチキン(フィリピン)諸島で日本との抗争に破れた後は南米東岸・南アフリカの経営に専念
・インティスーユ−ラキホル(パチャの北中米地域での呼称)北東岸以外の南米を統一。南オチキン海にも探検船を派遣
こんなところを考えています。
>>834 「古南」と「新日本」の名称については了解しました。
(ただ、マレガは海外進出するかしら)
実は、松平忠輝は「マレガ」の前に考えたことがあったり。
>>836 「開国ニッポン」ネタですね>鉄道敷設
>>838 「現代」よりも発展したIF史としては「モンゴルの残光」がありますが、
(20世紀で恒星船・タイムマシンの実用化)
「同時多発的産業革命」の場合、史実ほどに「植民地からの収奪」が相互に無いため、
史実ほどの発展スピードがあるかどうかが問題になるかと。
とてたさん。
マレガが海外進出するんではなく、古南が侵略するわけで
流れとしてはマレガの統一王朝は明とかというより地方領主が
割拠する室町幕府に似た政体であると考えとりまして、
それで応戦した地方領主が破れ、国内改革の機運そして
ちょうどマレガ版維新が起こるわけで・・
そして若干独裁色の強い絶対王政が登場、独裁の不満をそらすように
海外に進出するわけで、
先の戦争後は持ちつ持たれつの関係が古南とでき維新にも深く関与
していたため、最初のターゲットに選べない(また負けたら元も子もない)
古南よりは統一した国家意志に欠け経済的に魅力の深い日本と海外渡航に
国家的戦略のない南明を狙う(無論戦争じゃなく経済的な理由が大きいが)
で「同時多発的産業革命」なのですが確かに富の集積が弱い可能性は大だが
世界戦争とか激しい競争とか発達を促す要因もあるので
ある分野では史実より上、ある分野では下、ある分野では同レベル程度
の関係かと、
せめて人工衛星くらいは19世紀に登場させたいとか考えていたりww
842 :
ねこくち:04/11/21 13:04:31
はじめまして、「戦争経済(
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/)」管理者のねこくちと申します。
カトーさんの紹介でこのスレッドの存在を知り、ようやくROM完了、初カキコと相成った次第です。
やはり、南北アメリカ大陸・アフリカについては、歴史改変が2000年の
長期に及ぶ上に固有名詞のレパートリーが少ないから、フェニキア・
ニカラグアの具体像は構築できていませんね。
それに、地図がないから国家群の興亡を視覚的に捉えられないのが
かなり足枷で。
(最初に、このスレッドの時間犯罪に懸けるパトスに水を差すような
発言をすることをお詫び致します)
17世紀前半から末まで続く中原諸国の戦争に日本がコミット
して死の商人になるのは全然無問題として、大陸の戦争特需
と東南アジア-インド洋地域との貿易だけで短期間で日本が
世界初の自然力に頼らない動力源=蒸気機関を自力開発する・・・
というのは、ちょっと早すぎな気がします。
(16世紀の戦国時代から、サアード朝モロッコやダホメー王国では
日本刀が使われていたという記述もありますから、日本の工業製品
輸出の実績がある程度あったとしても)
1543年のニカラグアによる鉄砲伝来までネジの作り方も知らなかった
と推測されるわけですし、冶金技術はもとよりボイルの法則や
質量不変の法則のような自然科学(17世紀当時は自然哲学と呼んだそ
うですが)の素養もなしにまともな蒸気機関をつくれたかどうか。
アメリカ・ルネサンスの理論物理・化学的な情報の温恵を、扶桑国経由
で日本は受けていると考えていいのでしょうか?
いきなりの長文でスイマセンです
843 :
ねこくち:04/11/21 13:11:46
あと、細かいところで申し訳ないですが、
「東南アジアから衣服の原料となる
糸や織物、獣皮、魚皮のほか香木、薬草などの天然産原料か半製品を
輸入し、銀と銅銭などの貨幣商品の他、銅、鉄、硫黄などの鉱産物、
樟脳、麦粉などの食料品、そして雑貨や工芸品などど加工品を輸出」
(
>>712)
糸や織物の半製品を輸入、とありますが、当時の製糸・織物大国の
インドの製品が環インド洋の社会では氾濫しているわけで、これこそ
正に当時の一大国際商品でした。日本からの金銀銅の輸出はアリ
だけど、鉄の輸出はアリかなぁ?原料鉄を輸入して、製品に加工後に
輸出する方が自然かな。あと、小麦輸出は中原を押さえる清が圧倒的に
有利だと思うので、こうしてはどうでしょう。
「日本製の火器購入のための弁済用外貨を得るために、時の清皇帝
順治帝は、日本の国策会社、産業振興銀行の融資を仰ぎ、蒸気動力
による最新鋭の国策製粉・輸出会社の設立を許可した。
これが、日清製粉のはじまりである」(日清製粉社史便覧072頁より)
あ、あと、
>>836 の彦根藩の井伊ってのは、5代目あたりの元禄時代
くらいの井伊家当主を指しているんですよね?カトーさん。
長文及び連貼りスマソ
まっまさか、ねこくちさんからアドバイスいただけるとは・・
どうもです。
考えてもなかった鋭い突っ込みでしたね・・
私めが、細かいとこまともに考証していない事(俗に適当という)
まるばれでしたね・・ww
日本が世界初の産業革命というのはおおげさかもしれません。
でも確かにその辺を考える上では扶桑経由での近代思想流入は
あるかも・・というとヴィンランド経由か・・
でも実は戦国時代に黒人武将活躍とあるので
そしてここでは欧州の近代の息吹は結構アフリカに移植されてるので
(加えて言うとここではキリスト教はニカラグア教と比較してたいした脅威とは
認識されていない)
欧州アフリカ経由で結構白人知識層が戦国期に流入とか考えておりまして
秀吉側近に白人の知識人がいたりとか・・
でも、そう考えると関が原とかも再考証しなければならず・・うやむやに
なっておりまして・・
そして彦根の井伊に鉄道は開国ニッポンのネタをひっぱりまして・・
実は綱吉時代の酒井忠清も考えたんですが・・時代的に無茶ありすぎ
なので(あたりまえだ)
7代将軍つまり吉宗登場前夜くらいを相当してます。
ここでは少年期に死んだはずの7代将軍が結構長寿だったという
設定をとっておりまして
その将軍補佐に当時の井伊を大老に据えていたという仮定です。
ちゅうことは尾張の宗春も吉宗と対等の立場、なかなか面白いかと。
欧州が停滞衰亡の際にある
世界同時多発的産業革命
日本がその起爆剤(でも他に適当なのはいないww
の3つの仮定をうまくリンクさせるのは難しい・・
んでアメリカの細かい固有名詞が少ない・・そうですねー
誰か有志がいてくれれば助かるんですがww
話は戻りますが産業革命なのですが江戸期の日本は史実でも結構潜在的に
欧州に負けていない近代思想の発芽余地はあると思いますし、
ここでは古南(ルソン)や豊臣高山国、扶桑そしてアイヌや南明という近代への
競合相手もおり、そう極端な鎖国的状況もないので
いけるんではないかと思うんですが・・・
でここではアイヌ(ちゅうことは太陽帝国のネタかいww)や扶桑のおかげで
東北諸藩も西南諸藩とはまた異質な近代化を並行して歩んでるので
まして尾張の宗春(か吉通)と紀伊の吉宗が対等の立場で敵対?し
そこにマレガや古南の介入ありの幕末に突入ですからねー
先の見通しが立たない。
アフリカをどうするかもアメリカの新たな動向も未知数だし・・
世界史がここまで変わっては全てに固有名詞や事件を想定するのは
一人の手に余りますので、お好きな方は事件や名前想定してカキコ
してほしいどぅえす。m(−−)m
847 :
ねこくち:04/11/22 22:49:02
>>825 【忠の国 古南建国史】
1597年の南蛮征伐以後、ルソンにも高山から若干の屯田兵が進出していたが、
(信親を大友攻めで失ったためか)やはり史実通り反豊臣の長曽我部が
ルソンを制圧、やがて徳川忠頼が古南を建てた・・・とありますが、
わずか100年程度でニューギニアを植民地化し、マレガに脅威を与えるほど
の国家に成長するのはちと難しいかと。
浪人衆を誘い込んで入植させても、ヨメの手配が難しいでしょうねぇ。
現地人女性と混血化しても、1700年の時点の
古南総人口はせいぜい100万程度か?
史実アメリカ独立戦争のときの独立13州の人口はわずか200万強だったと
いいますよ。
どうやって古南を急成長させるのかは、かなりの難問です。僕もちょっと
いい案がないか考えてます。
848 :
ねこくち:04/11/22 22:52:51
あと世界同時多発的産業革命の件ですが、
むしろ、産業革命が遅れてもいいんじゃないかって気もします。
植民地になるべき土地があまりないために植民地市場を組み込んだ
重商主義帝国は発生しようもなく、史実イギリスのように
突出した利益を得て資本を蓄積できる国家もなく、産業革命は遅れ
やすいのではないかと。(
>>840でとてたさんが言ってるように)
史実”早期産業革命”期のイギリスで見られたような、”工業の領域
において量の追求に向かう転換”と”一人当たり所得の向上”と
”自然科学の進歩”という前提条件を揃えておけば、蒸気機関の発明
のような”動力革命”が起き次第、速やかに産業革命は
起こり得ると思います。蒸気機関の発明が必ずしも工業化につながる
わけではないと思います。
むしろ初期の工業化が生産性を向上させ、人口増加を上回る一人当たり
所得の向上をもたらし、ひいては動力革命による生産力の
爆発的な上昇を需要するワケです。
産業革命を遅らせ長期にわたって帆船時代に閉じ込めて、ナポレオニック
な大戦争をさせるのも面白いと思いますよ。
国民国家の軍隊の勇敢さを備えた数百万の陸軍と、幾百の戦列艦・幾千の
私掠船で以って敵国の海上輸送路を狙う海軍。
まぁ、私が帆船小説ファンだから、そうしたいだけですけど。
史実の英仏西よりも人口・GNPで遥かに巨大かつ多様な国家群の戦列艦が
大洋を渡って激突するってシチュエーションにかなり萌えますです。
成人男性人口が減少するほどの激しい世界戦争のなか、労働力不足から
否応無く産業革命が進行する・・・というのもアリかもしれんです。
849 :
世界@名無史さん:04/11/22 23:04:05
ROMでしたが、
>成人男性人口が減少するほどの激しい世界戦争のなか、労働力不足から
>否応無く産業革命が進行する・・・というのもアリかもしれんです。
これですと、その前に女性の労働力としての動員/権利付与、はたまた軍事的動員まで早まりませんか?
850 :
ねこくち:04/11/22 23:38:39
>>849 さんへ
女性の動員もある程度あると思います。
しかし、第一次世界大戦後のように女性に権利が付与されるかというと、
時期尚早な感じがします。
まず、当時の家事労働は厳しく、例えば炊飯には3、4時間もかかったと
いいますので、家庭を離れるのは難しいです。
当時の交通機関の水準では、数キロ離れた工場に出勤するのも難しかった
でしょう。また、男性本位のプロフェッショナリズムが幅を利かす職場も多
いでしょう。
ただし自宅そばの農業労働者としてなら、男性の抜けた穴を十分に補える
でしょうね。しかしそれだけでは、戦後に褒美として権利が付与されるには至らない
と思います。
軍事的動員となると、第二次世界大戦の時代ならともかく、この時代には
マスコット的・象徴的意味での例外を除いて女性の動員はないと判断します。
伝統的な性差認識が改まるまで交戦国国民の意識が高まるには、乳幼児死亡率
の低下と、社会経済構造転換により農業社会を脱し、付加価値の高い=教育
水準の高い人的資源が必要とされる、等の条件が必要だと思います。
つまり、工業化してからなら女性の動員はありえますが、それ以前には
ないと考えます。
「新教」の発達ってないのかな?
プロテスタント/浄土宗or禅宗あたりがないと、近代的文明の萌芽はなそうな気もしますが。
アメリカではニカラグア教がその役割を果たすとして、全世界に広まるとは思いにくいですし。
一応、妄想。
15cに始まった新大陸との交流はイスラム教聖職者への富の集中→腐敗を生み、それに
対抗する形で従来の教団組織に対抗する形の宗教改革運動が発生。
その運動はかなりの速度で支持者を広げるが、旧イスラム教との権力闘争にやぶれて中心
地域を東に移動。ペルシア東部〜インド北部〜東南アジアを中心とする勢力となる。
この新教がもたらした精神が、この地域を近代文明の揺籃の地とする……
とか。
ねこくちさん。古南の発達が早すぎないかということについてですが
古南については発達を早めたつもりはないのです。
ただ日本や高山国とは国の体質やベクトル(方向性)が異質なので
重商帝国主義は、ことこの国に関しては生命線に近いと考えてます。
つまり現時点でですが古南は国の成り立ちから来る構造的欠陥を抱えているんです。
そして
>>851さん(;^^)プロテスタントに関しては登場はしてます。
ただイングランドがカソリックでスコットランドアイルランドが新教という
変則はありますが・・
ただアイデアは面白いのでとてたさんの認可があれば即採用します。
他にもアイデアはほしいです。どんどんください。
あまり無茶のないのであればですが・・。
ちょっと古南についての考察
日本は戦国時代から織豊政権による統一を実現したが
統一後にしなければならない
国内未開拓市場の開墾開発
内需拡大
交通網の整備
度量衡や法度、税制の整備
軍需経済から平時経済への産業転換
国内安定のための思想統制(悪い例はキリシタン弾圧だが
これも必要悪の面もある)
が十分に遂行されたとは言いがたかった。
(現実問題、今のアメリカですら冷戦後に実行できていないが)
そして中途半端のまま、戦国の余韻を抱え対外進出を企画
それとて北進論と南進論どちらかは中途半端のまま失敗
江戸幕府の成立でようやく方向修正が実現できた。
が上記の政策を実現できたが、
逆に史実の場合、国内優先と貿易窓口一元化と交易相手の国々の
萎縮が悪い形で重なり鎖国的状況になった。
が、ここでは多国間交易が十分に継続しており史実ほどには
鎖国はありえないがやはり国内に優先事項が山積みで
内向的なのは避けがたい。
「プロテスタント」が近代化に何も影響を及ぼさない世界なもので、それに代わるも
のが欲しいなと。
もう一つ選択肢としては、新教の存在しない近代化というルートも可能性もあるので
すが、技術とは遊離した科学/哲学の発達だけが進むとか、現実世界とはあまりに
違う形の世界になりそうなので。
……それはそれで面白そうではあるのですが。
そして高山国の場合
当初こそそして立地的にも交易重視の政策は採るものの
未開拓の国内市場の開墾、
内需拡大
産業育成
いずれも江戸幕府の施策と大差ない政策は豊臣家も
不可欠であり極端に外向的政策には向かえない。
そして時代背景も徳川幕府が国内安定を追及するあまり大名削減
や弾圧などを強行し豊臣恩顧で無嗣廃絶になったりした家で
家臣や領民が徳川の世を嫌って高山に移住したりする例も
ありえ、
日本からの大規模移民を期待できた。
高山国は山岳民族など土着民も抱え未開拓の土地を多く抱えた
台湾の開発、日本化を推し進めるひつようがあったし
風土、立地条件などで日本化が比較的容易でもあった。
それでも安定には100年や200年は必要であった。
が、反面高山国は日本とは異なる高山国としてのアイデンティティ
を確立する事も同時に探らねばならなかった。
豊臣家の場合、成立からして日本の朝廷権威や官位には弱いので
なおさら日本との関係は微妙であった。
こうした二律背反の国造りを図り、模索する高山は、この時期
皮肉にも対外的には江戸幕府の日本と大差ない日本のカーボンコピー
に見えたし、それ以上の役目はなかった。
おと851さん、プロテスタントが近代化に何も影響を及ぼさない
まあそうですね・・
でも、そんなことないとも思うんですが・・
ここでのスウェーデン帝国やデンマークノルウェー連合王国そして
アイルランドやスコットランドはプロテスタントに立脚しており
ここは「世界の田舎」欧州とは一線を画した
プロテスタントによる近代化追及の余地はあるんじゃないかとも・・
ただ相当に地域限定ですが・・
んで
>>855の続きでっす。
古南の場合、比較的早くから商人らが日本人町を営み土着し
現地の住民とも独特な関係を持ちつつやっていた。
ここにまとまった大勢力として登場した長曽我部の場合
高山や日本と伍して割拠しようと急げば
これら現地日本商人団という利権を犯すことになり
これらの反発があった上に
ルソンには他にニカラグア教団という一定規模の武装宗教勢力が
別に根を張っており、比較的足並みは弱い。
そこに徳川幕府からの討伐があったとしたら弱い。
が長曽我部とてジャングルなどでゲリラ戦などを行ったりすれば
完全殲滅は難しいし、
幕府軍はこの不安定な状況を放棄して帰国するわけには行かない。
(ちょうどフセイン政権を潰したあとのイラクでのアメリカを見ての
とおり)
ある程度の段階で、それも長曽我部党首が健在のうちにでも
懐柔し妥協してルソンの治安安定に役立たせた方がよい。
で幕府軍がそのままルソン徳川政権として土着したとして
士は三河以来の徳川家臣をトップに日本で不遇を囲った浪人や
武士
農は長曽我部の一領具足あがりの郷士
商は関西の土着海外商人
各身分ごとにまとまった勢力で、渡来時期、出身地が異なり、しかも
商は商、士は士、農は農でひとつの共同社会でやっていたわけで
それぞれが自分の領分を必要以上に犯されると抵抗するだけのパワー
があった。
日本や高山と違う第一の点は
農民、商人、武士それぞれが国家内国家というべきまとまり
でそれが妥協しているだけのもの。
第二にルソンは日本と風土が違いすぎ日本のままの農法が
行き詰まるのは目に見えていた。独自の農法や産物を開発しなければ
ならないが、それには時間がかかる。
第三に時期的に日本や高山が一定の安定を見せ、大規模な日本移民は
期待できない。
第四に土着民ですらルソンを統一国として認識しておらず
原始的な部族社会でしかない。
しかもニカラグア教団という厄介な抵抗異民族勢力を抱え
これを押さえ込まねばならない。
時代的に明清騒乱が収まり華僑商業資本勢力が南明でパワーを
蓄えルソンに続々やってくる兆候も見える。
徳川が古座と新市に分かれて騒乱するのは自殺行為として
南朝の天皇を擁立してまとまったのは
武士国家、農民国家、商人国家三者が納得できるトップ
は最終的に天皇家の縁でしかない。
しかも天皇の神聖性は日本人にしか理解できない。
ルソンでは南朝天皇といえど異民族王朝でしかない。
ルソン(古南)は農を国の基にした国造りは難しい
徳川幕府方式の重農政策は失敗するしかない。
逆にルソンでこそ秀吉の豊臣政権のような軍事独裁集権
と重商主義を採り、利益と金の力で国内を纏め
対外的に侵略も是とした帝国主義をとる以外、
生き残れない。
各身分の妥協による絶対王政それがルソンの状況であり
古南の南朝天皇は日本の天皇と違いフランスのルイ12世や
イスパニアのフェリペ2世のような立場になる。
ただ日本の場合トップがお飾りで側近が合議して決めるのが
普通なので
この場合
古南絶対王(南朝天皇)のもとルソン徳川家当主を代表にした
内閣で政策を決めていくことになる。
それはともかく、とてたさん!!
マレガの産業とか人口構成とかまるで解りません。どう判断しましょう?
ねこくちさん。ちょっと文章が長文のうえ、解りにくいですが
ということで古南は国の矛盾と政権の威信を対外的な武力誇示で示す以外ない
時期があったわけで、
で成果を求めやすいマレガ方面に向かったと・・考えてます。
んでマレガとの接触、技術文化に触れたりするなかで古南の国内安定が
ある程度見通したち・・という流れなんですが・・
まあマレガの全部相手にしたというよりニューギニア方面に
力を持つ地方領主との局地戦に勝利しただけ
ただそれがマレガ内の国内バランスを崩しマレガの国内事情から
古南が勝ったという形になっただけ。
日露戦争での日本みたいなものか・・
問題はどうやってこんだけ欠陥を持つ古南を安定させるかだが・・
863 :
ねこくち:04/11/23 23:29:17
確かに、ポルトガルのように、人口100万前後の国が世界規模の商業帝国
を形成した例もありますから、東南アジア多島海を舞台にリージョナルな
古南商業圏を建設できる可能性はありますね。
纏めると、日本・高山・古南の順に地道な国内開発による内需拡大を重視
して、対外貿易はその逆、となるわけですね。
モルッカ諸島うやスル諸島を古南が押さえれば、ニクズク・胡椒等の香辛
料貿易を独占して、莫大な利益を上げられた可能性はありますね。
864 :
ねこくち:04/11/23 23:46:39
台湾(高山)に関しては、1600年代初頭の原住民人口推計は約10万で、
漢民族も若干入植していたから、稲作はある程度始まっていたかも
しれません。
豊臣の入植者は原住民の村落を襲って、武器をとる可能性の
ある成人男性をナデギリしまくって、そのまま恩賞として村落ごと耕作地
と女を与えてしまえば、意外と早く自給可能になるかもしれないです。
古南については・・・ちょっと妄想。
華南種の稲を古南に持ち込んで、現地の高温多雨気候のもとで栽培すること
で二毛作が可能になったが、慢性的な食料不足を解決するために、戦国の
復興特需に沸く日本に夏の北風貿易風に乗って木材を輸出、食糧を買い付け、
合間に海賊に転身してジャンク船を襲ったりして、冬の南風貿易風でマニラ
に帰る、という交易スタイルが成功したことが、後の古南の対外進出の
性格を決定することになった・・・。
865 :
水明 ◇pD6BZg.55E:04/11/24 14:26:39
ねこくちさん、851さん、新規参入いらっしゃいませ^^嬉しいです。
ねこくちさんの「戦争経済」ずっと前に徹夜して読み込んだことあります。その
管理人さんからの書き込みとは!大変嬉しい限りです。
「戦争経済」「太陽帝国」「鋼鉄の嵐」などの仮想史の有名スレの方に見てもら
えるとは。感激。
といっても、自分は最初の提案と合いの手くらいしか出来ないのですけどね^^;
歴代の語り部さんたちと天下のご意見番、とてたさんのおかげなのです。
かとーさん:
数年前、このスレを立てたときには「アメリカにもしっかりした文明社会があった
ら、今、自分がいる状況はどう変わったんだろう?」という考えからでした。
今、カトーさんからの問いかけを見て考えましたが、2004年に限らず、この歴
史が地球という遊星を脱した後でも、地球という社会が影響を及ぼしているうち(
つまり、地球統一政府でもいいので、その政府が影響を及ぼしているうち)ならば
、そのまま続けてもいいのでは?と思います。
現時点で遊星間文明はSFの分野ですので、世界史板としては、月面か火星に政府
が出来、自主がなったくらいまでがぎりぎりではと思っています。(それでもだい
ぶSFですが^^;)
ただ、ふとした自分の発想から数年の長きに渡って続いているこのスレが無くなる
のは寂しいので、出来るだけ楽しみたいなあと思ったりもw
日本、高山、古南と来ました。布哇あたりには日本人国家は出来ないんでしたっけ?
それと海南島の黒人国家の活躍も期待しています。
866 :
水明 ◇pD6BZg.55E:04/11/24 14:28:17
うう。なんて失礼な間違いを・・・。
訂正です。
>「戦争経済」「太陽帝国」「鋼鉄の嵐」などの仮想史の有名スレの方に見てもら
えるとは。感激。
>「戦争経済」「太陽帝国」「鋼鉄の嵐」などの仮想史の有名サイトの方に見てもら
えるとは。感激。
スレなんて失礼な表現にしてしまい、大変申し訳ないです。。
867 :
世界@名無史さん:04/11/24 14:33:51
マンコ・カッポック帝による一大政権が成立し、後の世に
「パックス・マンコ」と呼ばれる。
このスレの3も、そろそろ必要になってきましたね。
で、いきなり話は変わるが、
当分東アジア情勢に偏ってましたのでそろそろ他地域も見てみませう。
皆様ご存知のとおりこの世界では大動脈は
新大陸=アフリカ=アジアそして新大陸という海洋ルートがメインと
なってます。
が、その伏流としてエヤタス(北米)のヴィンランド(バイクング国家)
からアイルランド、スコットランド、デンマーク、スウェーデンという
北海北欧文明圏が形成ここが中東からインドにつながるラインもあり
ちょうど欧州はエアポケットのように文明、経済の流れから取り残され
てます。
が欧州ほどではないが大動脈から若干離れた立場に置かれた超大国
が2つあります。
大清帝国そしてオスマン帝国です。
大清帝国の場合は日本や南明と接し交渉もあり
また何よりの救いは中華帝国の継承者の座を放棄しています。
新興の活力もあり今後、どうなるか予断は許しません。
が、オスマン帝国の場合、帝国の首都コンスタンティノープル
はこの世界では地政学的に重要度がかなり低いのです。
まして先の北方経済圏=中東=インドのルートではペルシャが
旨みを握りオスマン帝国は下手をすると蚊帳の外。
そしてアレクサンドリアやカイロの重要度はかなり高まります。
ここで、まあありえるのは(そうか?)
コンスタンティノープルの主流と思われる情緒派
つまりオスマン帝国は東ローマ(ビザンツ)帝国)の継承として
欧州の覇に向かうという思想集団と
現実派、つまり現実に即しペルシャロシアのシーア派との現実的和解
による経済航路への参入と
アフリカを定刻の新たなターゲットとし欧州は放棄するというもの。
まあこの両者の立場の違いがでてくる、
そして下手をすればエジプト独立の狼煙も仮定されてきます。
870 :
ねこくち:04/11/25 00:32:55
>>865 過分なお言葉、ありがとうございます。
>>869 史実のオスマン帝国はアルジェリアのあたりまで属領にしてますね。この
世界では中央アフリカのカネム・ボルヌ帝国がチャド〜スーダン
(エジプト隣接)〜ギニア東岸(
>>537)まで支配する大国なわけですから、
わざわざカネム・ボルヌ帝国に矛先を向けるのは危険かと。戦争に勝利しても
得られるのはサハラ砂漠でしょうし。
欧州に向かう場合:
@戦乱で弱体化した神聖ローマ帝国とハンガリー王国に矛先を向け、
陸路、地中海の二大海軍国のひとつのヴェネチアを攻撃、地中海全域の
制海権を確固たるものとする。
アフリカに向かう場合
A紅海沿いにエチオピアのキリスト教国家に矛先を向けて、
紅海を完全な内海にしてしまう
これなら、オスマン帝国は陸軍国の利点を生かして海上の覇権を安全に
維持できそうです。ついでに地中海の海上貿易も独占できるし。
弱体化の極みにあるだろう神聖ローマは完全にオスマン帝国属領に
して、17世紀にはけっこう強国だったポーランド王国は、神聖ローマの後に
ロシアと挟撃。戦後の分配ではポーランドをロシアに豪勢に奢ってやれば、
オスマントルコとロシアの関係も良好化で万事落着、ということで。
871 :
世界@名無史さん:04/11/25 00:48:51
おお、かなりの新展開が…。
とりあえず目に付いたところを五月雨式に…。
>古南について
あまり「近代国家」に捉われるのも(たしかに「発展」する為には必須ですが)…。
貿易用集約拠点→交易都市でよいのでは(フェニキアやニカラグアもこのタイプかと)。
地方でもバランガイ制(首長村落)が変容しながら残る気もします。
それと豊家高山国にもいえますが、マラリア等の影響から、近代並みには開発は進まないとお思いますよ。
>新教について
うーん、僕自身は必ずしもプロテスタント的思想は必須だとは思えなかったりしますが。
イスラム教も新義一派は出来難そうですし。
そもそも、中南米での思想・哲学体系は現代とはかなりかけ離れていますし(…そのうち触れてみます)。
>マレガについて
えーと、そうですね……ごめんなさい、僕がもちょっと中世を練り上げてから判断して下さい。
い、いつになるかしら…。
>ねこくちさん
流石にHPを立ち上げてはる人はつっこみの切り口が凄いですね。
僕も何回か読ませてもらってます。
>水明さん
ご意見番ですか…うーむ(笑)。
あ、他惑星段階にまで行くのは大変過ぎると思いますよ。
ハワイを含め太平洋諸島へはインカが強くなるかと。
>カトーさん
マレガとアメリカ中世が固まるまで、欧州・中東を進めてくれてほしいです…。
すいません。
どうもです、とてたさんA;^^)マレガに関してはお待ちます。
そしてねこくちさん。ポーランドに関してはどうしようかってとこです。
前にも一度ポーランド問題はだしたのですが、545さんともうやむなまま
なんです。
でもその前に古南についてのとてささんのつっこみについて
私見をば・・
東南アジア海域の航行ルートにおいてルソンは重要な拠点であった。
貿易用集約拠点→交易都市という立場がルソンにあったが
そのような拠点は交易の拡大頻繁さに伴い増えてくる事になります。
しかも内容はフェニキア、ニカラグア、そして華僑や黒人イスラム教徒
そして日本とカラフルであった。
そのため衝突も頻繁になるのか確実
そしてなにより困った問題として海賊の巣窟になり交易に支障をもたらす可能性
は大きい(というか確実にそうなるでしょうww
でこの交易ルートの問題で困るのは母国に近く交易で潤ってもいる日本や明です。
日本や明はどこかの国のように麻薬売って取り締まったら戦争したり海賊を国の生業
にするほど行儀も悪くないwwというか国の面子を気にする方です。
日本や明には本国から遠からずの位置にあるルソンが不穏な巣窟になるを
座視はできない場面が出てくるはずです。
で残念ながら明には清との騒乱を前に海軍をルソンに派遣する余裕も
意欲も当分ないのです。
幕府の場合も問題はあれど、まあ一応国内問題を収め豊臣高山とおりあえば
派兵には難は少ないわけです。
一応私はルソンには二つの選択肢を用意してました。
北明遺臣によるルソン華人による蓬莱市同盟
(バルト海のハンザ同盟の東洋版のような都市国家の同盟ですね)
そして日本の進出による分国 古南です。
蓬莱市同盟の場合、時期的に古南より出遅れる事は避けられず
できたとしても自治都市の集合体
つまり点と点を結ぶ線なので
古南が農耕島国民族の執念深い島国形成という面の追及に向かい
だすと衝突もあろうけれど
古南の方がルソン治安の回復という命題に役立つ事もあり
それに決定しました。
で日本からの幕府軍なのですが、派遣されるルソンは本国から遠からずの位置ですが
近からずの位置にもあります。
治安維持という名文の為、軍事の総司令部としての性格は無論のこと
交易ルートという観点と本国からの距離からして本国代理として外交を
独自に決済できる権限も
現地商人の保護や徴税といった経済財政の性格も必要です。
でもとてたさんの言うとおりルソンに秩序をもたらすと言うか本格的な
治安維持は到底至難の業です。
最終的に解決法といえば逃げるか
さもなくば自分たちがルソンという国家になるというのが早道なわけです。
つまりルソン派遣軍は行ったが最後収拾のつかないルソンに根を張り足場を
築き続けるしかないのです。
でも小幕府というべき機能も必要です。
徳川幕府下の日本におけるルソンは平安時代の大宰府と同じようなものであります。
政治的には懲罰的な要素しかないが
外交、軍事、経済で政府と対等の権限と機能が不可欠というものです。
で候補のうち
有力外様大名(これは最初から無理)
譜代の有力大名(これも老中から大老級の人選が必要です)
最後が徳川一門でした。
一応忠輝はとてたさんのお考えあるようならそっちを優先させてください。
私も細かく遂行していたら古南は忠輝系と忠長系を争わせる余地も余裕もないです。
そして幕府軍の総帥として考え出されたのは本多正純です。
他に安芸福島家、肥後加藤家なんかも加えていいかもww
これに幕府や有力諸侯家臣内に巣くっていたご禁制のニカラグア教信徒
の武士もまとめてだしてもいいかもしれませんです。
で先ほども述べたように第二幕府のような存在になる宿命のルソン総督
なのですが、
やはり最適なのは徳川一門
本多正純のレールの後を引き継ぐのが不遇の徳川忠長ってとこです。
呂宋徳川家は 大阪城代、長崎奉行、京都所司代、徳川御三家を兼任した
ような機能ですから兄家光に対するライバル心もプラスに作用するやも
しれません。
まあ、ともかくもルソン総督は現地に行くと土着するしかないわけです。
ルソンでは大概が都市国家の集合体のようなもので
まとまった軍事力を常備しそれら都市国家の上に押しかぶさる格好になる
のです。
とりあえず日本人町(そしておそらくフェニキア)を自分側に抱き込んで
現地の村落の統制を模索しつつ、長曽我部系勢力(一領具足など)
を郷士として遇し屯田兵として機能させていく。
日本内のニカラグア武士をニカラグア教徒勢力と食い込ませる等の血道な
作業が必要ですが・・・
でも古南は大まかにルソンをくくっているだけでルソンには古南国と
重複して蓬莱市国同盟やニカラグア教国も織り込まれて存在しているという
イメージです。
ルソンの古南がニューギニアに外征した訳はルソンでの支配権が
古南が第一等の勢力とはいえ
古南という面の中で蓬莱やニカラグア教という異色の点と線があるわけで
これらの勢力に古南の威勢を必要以上に示す時期が必ず必要な訳です。
新日本島には古南、蓬莱、ニカラグア教とによる混成移民を送り
新日本からフィードバックで国内の3色の勢力の融和同化を図るという
政策もあります。
ゆえに古南王は日本系には南朝天皇、華人系には中華の継承たる天子
ニカラグア教にはニカラグア教の法王という三重の王冠を持つわけです。
なお解らんじゃないかゴルラァーという場合はごめんなさいm(T T)m
と謝っておきます。
でねこくちさん。
>>617にもあるようにシーア派イスラム教を奉じるゴドゥノフ朝ロシアは
基本的にイスラムロシアはクリム汗国・カフカスへの南進と
キルギス・ステップへの東進をより優先するものとしており
ポーランド分割に積極的な興味を示すか?
と言う点と
欧州とは隣接しているものの欧州と別世界のように
ばらばらな地方領主間闘争と脆弱な王権のポーランドは
あまり積極的な外国勢力の干渉は受けなかったと思いますので
この間に統一への模索がなかったか?という問いがあります。
日本でも応仁の乱から100年余りで国内統一への希求が
ドイツですら30年戦争の後100年もせずプロシャによる統一への希求
であるので100年の外国の干渉が少ない時期があれば
ロシアの強引な膨張も少なく
外交的にはスウェーデン、ノブゴロドらの北欧との関係を重視すれば
強力な勢力の胚胎はありえるんでは?と思うのです。
ポーランドは欧州のドタバタ騒乱を横目に見ているだけに
カソリックへの考えもどうでるかわかりません。
正教に改宗しないまでも
欧州に行き場をなくしたアヴィニョン教皇をワルシャワに
お迎えしポーランド国教会としてローマからの独立を宣言
というのも考えてまして・・
スウェーデンやノブゴロドとの同盟関係を強めた
リトアニアも合流させ一体化した統一ポーランド王国というものも
あっていいのではなんて・・
先に述べたようにアフリカ動乱に引きずられた格好での
スウェーデンVSロシアの北方経済圏ルートの主導権戦争では
スウェーデンが勝利しその友軍としてポーランドを仮定してます。
でも
>>870の案はいいですね。
神聖ローマ帝国を併合したオスマン帝国
北ドイツの新教諸侯は改めてスウェーデンへ従属
それ以外はオスマン帝国と
国内統一を果たし対外的な関心を持ったポーランドで
分割と言うのもどうですかね?
ドイツ中欧をスウェーデン、オスマン、ポーランドで分割
するんです。
ポーランドにイワン雷帝の生まれ変わりのような覇者が出現
(東欧の織田信長のようともいうWW)
四分五裂のポーランドの集権化とリトアニア併合を行う。
そして先進的な北欧の文化を積極的に導入し帝政ロシアならぬ
帝政ポーランドを宣する。
無論王権は東ローマの帝国の衣鉢を告ぐ格好です。
東ローマ皇帝の血筋を継いでいたリューリック王朝の傍系の
血筋と通婚したりする。
まあビザンツの継承と言う意味でオスマン帝国はロシアとではなく
ポーランドと複雑な関係を持つことにはなりますが・・
うざいよ、カトーの妄想、うざいよ
884 :
カトー:04/11/26 08:27:34
>>883 うざいと思われるほどでしゃばったカキコが多いのは
素直に認めます。
このスレの続きをという声が聞こえたので気をつけて
sage進行で、このコテハンはこのスレ以外使わず(つまり他では名無しです)
でやってたんですが・・A;^^)
いつか、そのご指摘があれば止めようと思っておりました。
まあ確かにでしゃばりすぎ(というか他の意見がなさ杉?
なのは確かです。(結構気にはしてました)
883ご指摘ありがとうございました。
ちょっと微妙な状態ですが、最後の書き込みとして
名無しの閲覧者に戻ります。
今回だけageさせてもらいます。
カトーさん、辞めないでくれぇ・・・・。
うざくないと思うんだけどなあ。歴代の語り部さんの中でもその筆致は素晴らしい
と思っています。匿名の一言主などの意見など聞かずに、そのまま突っ走ってくだ
さい。きっとカトーさんにコラボしてくれる人がいて、セッション出来るはずです
。スレ発起人である私が言うんです。大丈夫。頑張って。
少しでも新しい風をと思って、あえてageにしていましたが、しばし、sageで発言
していこうかなあ。。。
水明さん。うーんどうなんでしょねー
どっちに以前諸般の事情で一時止めた際に
コテハンの名を変えたらよかったんですが
マンドクセー同じ名でいいやて気持ちで、続けてたんですが
我ながら同じコテハンがひとつのスレ独占状態で
長文しつづけるのは、自分で見てもウザイと思える
時あるんだから・・・
その指摘が現実にあれば、やはりそうかなー
という気持ちなんです。
でも漏れがカキコ止めても誰もカキコせん場合として
一応このスレは別のコテハンで終わらせる努力をし(責任もあるしねww
スレ3で最初からイメージしなおすという腹案もあるんですが・・
或る程度の内容が伴っていれば、コテハンとか占有率とか長さとか、
関係無いんだけれど、カトーのは、妄想をながながと語って自己陶酔。
キモい。
888 :
世界@名無史さん:04/11/26 20:36:54
887
イフ歴史なんぞかたるじてんで
陶酔か妄想がある程度入って当然だろが
それにカトーの場合
本人が陶酔したくてやってるんじゃなく
みんなが続きだけ求め合いの手も批判すらも書いてなかったのも悪いだろと思う。
批判するなら他の水明やとてたの方があおった罪が重い。
889 :
世界@名無史さん:04/11/26 20:43:48
で883や887は
ちゃんと水明とかにも批判するのか?
カトーはおまえらの幼稚な釣りに素直に従って出ていったんだからなW
>>888 それは、求めたヤツに言ってくれ。
批判や合いの手どころか、ツッコミの余地のないキモ長文が続くのに辟易してきたことを
言ったまでだ。
俺の感想を、俺自身が、俺のことばにしたまで。
少なくとも僕はカトーさんたちの妄想?を楽しんでましたよ。
(まぁ、地図があればもっとわかりやすかっただろうなとは思うけど)
そういうあなたはもっと面白い物を書けるのですか。
できないならあなたの方が出てって下さい。
892 :
世界@名無史さん:04/11/27 03:30:33
その通り。
映画でも自分は撮影できないのに批判する奴がいるが、それは違うだろと思う。
小説もこれは面白くない、あれは面白くないなどと、アホかと。
だったらお前はもっと面白い小説が書けるのかと。
批判する相手より高度なことが出来ない癖に批判はするな。
とにかくカトーさんよりも面白いレスが出来ないと批判は許されないよ。
これは正論。
そうでなければ出て行け。
894 :
世界@名無史さん:04/11/27 07:18:56
>>890批判や合いの手どころか、つっこみの余地もない?ww
とてささんやらねこくちさんやらはちゃんと批判や合いの手を返してたぞww
「ツッコミの余地のないキモ長文が続くのに辟易」プッ世界史には、これよりつまならく
そんな書物は五万とあるぞ。それも往相と自覚してないリアルキモの連中もね。
辟易といかいう感想をいった段階で
お前に世界史を語る資格のないことを露見してるだけなのだが。
895 :
その4:04/11/27 20:36:59
それでですね水明さん。
結局のところ続けるニーズはあるんですか?
まあカトーはこのスレだけの単独コテで実のとこ世界史版だけで
3つもコテハン使い分けてんで、どれもボロカスに言われても
他人事のようにしか見えんのがほんとのところで・・(おいおい)
とはいえキモいだの妄想だのばかりカキコされてまで
続ける意欲もないんです。
17世紀で行き詰ってたし・・・
896 :
ねこくち:04/11/27 23:02:15
>>882で触れられている
ポーランドの中央ヨーロッパにおける覇権。いいんじゃないかと思います。
東のロシア、南のオスマンというイスラム国家に囲まれたら、改革を促す圧力にも
なるから、ポーランドが強国になるのもアリだと思います。
それに、ご存知のように史実英仏の100年戦争後のイギリスの大陸外交は勢力均衡が最大の
眼目で、実際にフェリペ2世やナポレオンやヒトラーの野望全てを打ち砕く
のに成功しましたが、この世界ではイギリスの発展の遅れによりヨーロッパ半島部の
パワーバランスは崩れやすくなっています。
よって、ポーランドによる中央ヨーロッパ統一帝国(ミッテルオイロパ帝国?←ドイツ語風だが)
が建設されるのもあながち無理ではない。と思います。
897 :
ねこくち:04/11/27 23:07:39
あと、旧カトーさんの創作意欲減退に関しては、無理して書かなくてもいいかと。
拙作ながら私のホームページの「世界布武」世界を引き合いに出させていただきますと、
世界布武コーナーは4年間もだらだらと続いていますが、新たな着想や創作意欲が
涌くまでは無理して書き足そうと思ってません。
その方が長続きしますし。
旧カトーさんも、適当に充電期間を置いてこのスレッドに戻る、というのも一つの手かと
思います。
基本的に世界史と時間犯罪が好きな「幸いなる少数」の(間違いなく上位の)
一員たる旧カトーさんなら、いずれ行き詰まりを打破する新たな着想を得て
戻ってくるでしょうしね。
898 :
ねこくち:04/11/27 23:25:01
899 :
世界@名無史さん:04/11/28 00:45:17
時々、読ませていただいていました。
大変急な展開で驚いています。
歴史のIFを考える事は、現実の歴史がなぜそうなったのか理解する上でも、
同じ失敗を繰り返さないという点でも、役に立つと思います。
それに、何より楽しいですしね。
カトーさんには、もし支障がないようでしたら続けてほしいと思っています。
実際カトーさんでなければ、これだけまとめ役をこなせては来れなかったのではないでしょうか?
自分の意見を前に出した時点でこれでは、たまったもんじゃないと思います。
地図があればもっと判りやすいだろうなとは思っていましたが・・・。
まぁ、自分も含めて作らなかったんだから仕方ありませんが・・・。
もし、ここまで文明をシュミレートしたゲームがあれば面白いと思いますよ。
外交戦略が国内戦略で取り得る選択肢にも深く影響してくるという点で。
がんばってください。
900 :
世界@名無史さん:04/11/28 00:46:54
あと、追記ですがsageです。
901 :
ねこくち:04/11/28 01:11:33
>>899 たとえ近世以後だけが舞台だとしても、そんな戦略級(いや、国家戦略級と言おうか)
シミュレーションゲームがあれば絶対買いなんですけどね。
civilization+下天2+提決 ・・・みたいな。
>>895 続けるニーズはあると思います。このスレが出来てから数年、この世界史板に存在を許され続け
、否定的書き込みがかなり久しぶりであること自体が、ここを楽しみにして読み続けてくれてい
る方々の好意の表れではないかと思います。
私自身がもっと歴代の語り部さん達のように書き込みできれば良いのですが、筆力がなく、なか
なか歴代の語り部さん達のようにはかけません。それならばと、映像関係で言えば、語り部さん
をディレクターさんと仮定すれば、私はプロデューサーでありたいと思っていました。語り部さ
ん達のイマジネーションを発揮できる舞台があれば、それを維持し、なおかつ発展できればと。
実際にそれは出来ていたと思っています。
今、17世紀で行き詰っていたといいますが、未だ近現代であり、各地域はかなりの密接に相互
に関係していますが、それでも現代の世界戦のような、もっと入り組んだ形までいっていないと
思います。このスレが出来た当時、アメリカ大陸だけで語られるかと思っていたこの世界が、な
んと地球全体に波及し、なおかつそのリアルさを増している。
私としては、まさに時が静かに満ちつつあったと思っていたのです。
ねこくちさんがおっしゃってくださっているように、カトーさんご自身が創作に煮詰まっている
ならば、それは今これを幸いとし、充電期間に当てれば良いとも考えます。
今までにもさまざまな語り部さん達もそうやって、創作を爆発させた後で充電に入り、戻った方
もいれば、今なお充電中の方もいます。しかし、設定はそれぞれに受け継がれ、より厚みと独創
性を形成してきたと思っています。カトーさんの設定はきっと受け継がれ、また新しい風によっ
て、その厚みを増すでしょう。それをカトーさんが読みながら、そのセッションを楽しみ、創作
意欲を刺激されたなら、また書き込んでくれればと思います。
今まで設定的な文体での書き込みだったものが、どこかの地域を使った小説的な文体で書く語り
部さんが出るかもしれない。同じように設定的な文体で更なる世界を見せてくれる語り部さんが
来るかもしれない。そうやって紡がれてきたこの世界。決して煮詰まってなどいないと私は思っ
ています。この世界を創造する知的興奮を共有してくれる方々がここにはいる。だからこそ、発
展してきた。妄想大変結構です。それこそ、独創的な創造性の表れと言える。その類まれな才能
を惜しむ気持ちはあれこそ、きもいなど思ったこともないです。
これが私の思い。どうでしょうか?
ねこくちさんがおっしゃってくださっているように、カトーさんご自身が創作に煮詰まっている
ならば、それは今これを幸いとし、充電期間に当てれば良いとも考えます。
今までにもさまざまな語り部さん達もそうやって、創作を爆発させた後で充電に入り、戻った方
もいれば、今なお充電中の方もいます。しかし、設定はそれぞれに受け継がれ、より厚みと独創
性を形成してきたと思っています。カトーさんの設定はきっと受け継がれ、また新しい風によっ
て、その厚みを増すでしょう。それをカトーさんが読みながら、そのセッションを楽しみ、創作
意欲を刺激されたなら、また書き込んでくれればと思います。
今まで設定的な文体での書き込みだったものが、どこかの地域を使った小説的な文体で書く語り
部さんが出るかもしれない。同じように設定的な文体で更なる世界を見せてくれる語り部さんが
来るかもしれない。そうやって紡がれてきたこの世界。決して煮詰まってなどいないと私は思っ
ています。この世界を創造する知的興奮を共有してくれる方々がここにはいる。だからこそ、発
展してきた。妄想大変結構です。それこそ、独創的な創造性の表れと言える。その類まれな才能
を惜しむ気持ちはあれこそ、きもいなど思ったこともないです。
これが私の思い。どうでしょうか?
う。2重になってしまった。。。ごめんなさい。
うーん!!どうもです。
私が行き詰っていたのは・・・
まあそんなことはともかく暫定的にこのコテで
今までのおさらいをしておきましょう。
このスレもそろそろ埋まりそうなので。
907 :
世界@名無史さん:04/11/28 23:01:28
ランドル・ギャレットの<ダーシー卿シリーズ>であった様な、大国ポーランド。
まずはその前に
私めが豪州にマレガを入れたわけなんですが・・
決して何も考えてないわけじゃなく
漏れ的に、ここでの豪州のイメージはフェニキアが
沿岸に都市を立てそれに続いて華僑や日本人町も
ちらほらできてくるが・・・終始国家の体裁など取れない基本的に
内陸部は未開のまま放置
文明の手の入らない野生の地
史実での暗黒大陸アフリカが豪州に移行したようなイメージでした。
はっきりいってそこまでなら、こっちの方がリアリティー高いと
思ってたのですが・・
東アジア情勢から行って豪州はそのうち日本さもなくば南明
の勢力化に入るのは自明でした。
で南明つまり華人の勢力化の豪州は論の外ですし
日本の領土としての豪州?ありえないです。
というか華人にも日本にも豪州という地の文明としての潜在的活用力
をフルに発揮できる力は無いと判断しました。
正直日本や南明にくれたやるにはもったいない可能性を秘めた地でした。
漏れの場合リアルに考証しても信長が死なないIF歴史でも
日本の国家としての南限はルソンがせいぜいであったのではないか?
と思ってるくらいなので幕藩体制の安定を見た日本のなかに
豪州を経営しきるスタンスは無いと思いました。
といっても・・・・フェニキアはもっとありえん。
てわけでやむをえずとてたさんのもうひとつのスレにある
豪州独自文明マレガを導入したわけなのです。