スワンって外輪船だけど、スクリュー式の足漕ぎボートって知ってる?
オレ、前にテレビで見た人力水中翼艇しかしらないよ(笑) スクリュー式にしたらいくらかましになったりはしない?
457 :
世界@名無史さん:03/11/03 16:47
>>456 チャリンコにフロートを付け、チェーン駆動でスクリューを回して
水上を疾走する乗り物がありますね。名称失念しスマソー
人力で水上を進む乗り物の中では最速だそうな。
TV番組で、アメリカの湖上でこれのレースが開かれてたが、まるで
陸上を疾走しているかのような速さでビクーリ!
漏れも漕いでみたいが・・・カーブで横転すると水面で大クラッシュという罠w
458 :
世界@名無史さん:03/11/03 16:57
まぁ船にスクリューつけた所で、せいぜい衝角攻撃の破壊力が増すくらいだろうけどね。船のメイン動力はいつの時代も風だし……。
しかし自転車よりは技術的ハードルは遥かに低いし、川舟の運用なんかでは威力を発揮したかも知れない。
やっぱ思い付くかつかないかの差は大きそうだね。スクリューの場合参考になるものが自然に存在しないし、思い付きにくそう。
460 :
世界@名無史さん:03/11/18 18:40
スクリュー推進か・・・起源は「アルキメデスの水車」かな?
いやでも揚水器だもんな。推進力に用いるのは近代か・・・難し〜
461 :
世界@名無史さん:03/11/18 19:25
>>458 そのサイトの水上自転車、フロート部分は双胴船形式だな。
双胴船とか、アウトリガーボートとかいった形式は、
もっと広く船に使われていいような気がするけど、あんまり一般的じゃないね。
ヽ(462 )人(・3・)人(462 )人(・3・)人(462 )ノ
バ〜イセコ〜♪ バ〜イセコ〜♪ バ〜イセコ〜♪
463 :
世界@名無史さん:03/11/24 21:27
外輪船仕立てなら古代のレベルでも考え付くかな?
ガレー船のように大勢で沢山の外輪を漕がせたりしてw
「もまいら漕げ!ピシーン」無茶か。
464 :
世界@名無史さん:03/12/14 09:49
このスレ面白いね。
自転車の「チャリ」ってチャリオットが語源なんですかね?
だとしたらカナーリカコ(・∀・)イイんだけど・・
465 :
世界@名無史さん:03/12/20 19:33
>>465 新しい説が今生まれたのだ。
トンデモっぽいが。
467 :
世界@名無史さん:04/01/19 00:41
馬賊が ⇒ 珍漕団に
468 :
世界@名無史さん:04/02/06 10:53
だよね
暴れん坊将軍、自転車に跨がり颯爽と登場
そこで、葵の御紋が入ったチャリンコですよ。
吉宗「盗まれた…」
472 :
世界@名無史さん:04/02/18 15:40
フィクションだし、舞台は古代じゃないけど、書いちゃおう。
映画「ラスト・サムライ」でトム・クルーズ演じるオルグレン大尉がなぜアメリカ軍人から
日本のサムライになろうとしたか、内面性が描かれていないという評論を読んだ。
でもよく観ると、実は描かれているのね。
そもそもオルグレンはアメリカ陸軍の第7自転車隊に所属していたんだけど、
インディアン虐殺の「実績」で有名だった。しかし、本来は自転車隊というのは
歩兵・砲兵と並ぶ「三兵戦術」の基本要素で、特に軽自転車隊は剣を片手に戦場を
駆け巡る軍隊の花形だった。おそらくオルグレンはウェスト・ポイントでこの
ナポレオンが完成させた戦術を学んだが、現実の自転車隊の使われ方に幻滅して
軍を辞めたんだとおもう。映画のクライマックスは帝国陸軍が歩兵と砲兵しか
養成していなかったのに対抗して太刀を片手に自転車隊が突入するでしょう。
あれってナポレオン戦術をもとにオルグレンが献策したのではないのかと。
ん〜、以前ほろ酔い状態でTV見てたら。
・ニュース:博多湾に沈む大量の蒙古の自転車を発掘
・時代劇 :長屋に住むスポーク貼りの浪人
・ 〃 :BMXの角兵衛獅子の兄弟
・ 〃 :浅野と言うお殿様が吉良と言うお殿様に
「駐輪作法も知らぬのかイナカ侍め。」って笑いものに
・ 〃 :赤穂浪士がスリップして集団落車(転倒ネ。)
・ 〃 :路地裏で丹下左膳がスネテました。
・ 〃 :高田馬場へ助太刀に行く二日酔いの堀部安兵衛が刀を前輪に挟んで大転倒
・ローカル:京都のチャリ屋が「ウチは前の戦争(鳥羽伏見)で焼け残ったさかい・・・
何方かのご紹介が無いと・・・。」
軍隊といえども官僚組織の一つであり、既得権に関する争いは避けようがなかった。
特に自転車閥と騎兵閥の確執はそれこそ古代ローマの頃より続いており、
どちらが陸軍の主役かを巡って、激しい争いが繰り広げられていた。
自転車の弱点は攻撃時に降車せねばならないということであった。
高度なバランスを要する自転車では、発砲や剣戟の衝撃は転倒のもとであった。
長い間、自転車は、歩兵を高速化する手段にすぎなかった。
騎兵は速度においても突撃が可能という点においても自転車に勝り、
ポーランド平原で騎兵軍が壊滅するまでは、ヨーロッパ陸軍の主役であり続けた。
ただ、騎兵一辺倒になれない理由があった。コストが何分にも高かったのである。
騎兵一騎を養うには設備と飼育員が必要であり、また予備の馬体も用意せねばならなかった。
また、銃砲特に機関銃が発達してからは、騎兵突撃は万能薬ではなくなりつつあった。
自転車は通常の歩兵に機動力を与えるだけであったが、それだけでも重宝された。
たとえばローマ帝国に関して言えば、自転車はそれこそ内線防御の要をなした。
蛮族が侵入した、との知らせが入ると、主要都市の守備兵が招集され、
粘土質を突き固めたローマ自転車街道を使って、侵略を受けた地方まで
自転車部隊が疾走していくのである。
自転車街道は、ゴムタイヤを持たないローマ人たちが編み出した自転車のための
専用道で、砂と粘土でほどよく柔らかに路面を整え、走行時にかかる尻への衝撃を
和らげる効果があった。一度にたくさんの部隊が通ると路面が荒れるため、
移動スケジュールは鉄道ダイヤのように厳密に定められ、何時から何時まではこの車線を
使うという取り決めまであった。自転車街道を管理するための専門の役人まで存在したので
ある(イタリアの交通規則官の紋章は当時からずっと同じである)。
475 :
世界@名無史さん:04/03/24 23:08
いいねいいねw
そう考えると、マウンテンバイクは軍で開発されていてもおかしくなかったわけだな。
476 :
世界@名無史さん:04/03/28 22:27
世界最古のチェーン駆動は竜骨車だそうな
>>474様。あなたの知識を圧倒できるほどのカキコはできないと自覚しながら、あえて
書かせていただきます。
自転車兵は、騎兵に対して、「秘匿可能性の高さ」という点で優位性を保っていました。
馬に対して自転車は小さく、かつ、餌や水を必要とせず、糞の処理も必要ありません。
歩兵が全面的に展開するのに対し、また、砲兵が大きな砲をさらけだしながら戦場に
進出するのとは異なる利点があり、「秘匿可能性の高さ」は騎兵以上でした。
もちろんおっしゃる通り、維持するためのコストの安さも利点のひとつです。
攻撃時には降車しなければならない、また、疾走するためには舗装が必要である、という
「秘匿可能性の高さ」「維持コストの安さ」を相殺するほどの弱点だったのでしょうか?
敵が思わぬ場所に自転車兵を秘匿することのできる天才的指揮官ならば、自転車兵も
大活躍ができたのではないでしょうか。
たとえば具体的に・・・・。
(書いていて納得した。「弱点だったのだよ」。)
478 :
472=477 :04/04/06 00:02
>>477の
>攻撃時には降車しなければならない、また、疾走するためには舗装が必要である、という
を
>攻撃時には降車しなければならない、また、疾走するためには舗装が必要である、という事をも
に訂正いたします。
>>477-478 ご指摘のようなケースがなかったわけではありません。
カエサルがブリテン島に遠征した際、この偉大な人物は、自らの自転車兵に命じて、
車輪をソリと交換させ(*)、その機動力でブリテン島の土着勢力を散々に打ち破りました。
このときカエサルの自転車ソリ兵が行った小集団による突破浸透、後方分断戦術は、
しばしばカンネー殲滅戦のような悪夢を――全く無防備な後方からの一撃を浴びての
全軍崩壊を――敵軍にもたらしました。ブリテンのなだらかな丘の上から喚声を上げて
滑り降りてくる自転車兵団はいくつかの歴史映画でも取り上げられていますので、
ご覧になるとよろしいでしょう。
ちなみに、遙か後の世界大戦において、カエサルの戦争をゲルマン人の子孫が再び
実行し、フランク人の子孫をパニックに陥れることになるのですが、それについての話は
割愛致します。
カエサルはガリアでの戦いでもソリ付き自転車隊を運用し、劣勢なローマ軍でもって
ガリア人の猛攻を良く凌ぎました。
ガリアの戦いでローマ軍は夏に土地を奪われては冬に取り戻すことを繰り返しました。
その最大の功労者はローマ自転車隊でした。タキトゥスの言葉に拠れば、「ガリアの雪道は
一級自転車街道に勝るとも劣らぬ」だったそうで、冬季のガリア人は機動力に優越した
ローマ軍に常に捕捉され包囲される運命にありました。
(*) このときソリを推進させた動力についてはストック説、ホイール説など諸説がある。
しかし、カエサルの自転車ソリ隊のごとき活躍はむしろ例外だったのです。
ご存じのように当時の自転車は、固い広葉樹を用いてはいたものの、強度に問題がありました。
武人の蛮用には耐えられなかったのです。敵軍の中に自転車で飛び込んでいく勇者は
数知れずでしたが、落馬(自転車の分解)という憂き目にあって負傷した者も多数居ました。
また、当時の自転車はサスペンス機構が絶望的に欠落しており、特別にしつらえられた
ローマ自転車街道か、雪道以外では、とてもとても、乗るに耐えぬ代物でした。「自転車に乗る」
という言葉は「尻を鍛える」というニュアンスでも用いられていたほどです。
時代が下るにつれ、自転車の機動力も、昔通りというわけにはいかなくなりました。
舗装のない場所で自転車に乗るのは耐えがたい苦痛でしたが、降りてしまえば、車輪の付いた
便利な手押し車になるのです。
その特性を活かして、自転車は輸送機器としても使われるようになりました。
たとえば石弓が発達してくると、自転車の側方には、カシの木の板が取り付けられました。
石弓隊から攻撃を受けると、そのカシ板を盾にして防御陣を作るという戦術がとられるように
なったのです。
自転車は、今で言う戦車というよりは、装甲化された兵員輸送車としての地位を得ていきました。
481 :
世界@名無史さん:04/04/06 16:06
>>479-480 なるほど〜。高野長英の訳した三兵答古知幾』(さんぺいタクチキ)は、
歩兵・砲兵・自転車兵を陸軍の三大要素と規定していますが、そのような
古代以来の歴史があったのですね。
原書はオランダ語ですから、オランダのような平地が多い地形の国では、
とくに近代にはいってからは、自転車兵を突撃部隊として運用する上で、
支障がなかったことでしょう。
いまでも、オランダの自転車にはブレーキが付いていないとなにかで読んだことがあります。
それをそのまま移入しようとしたことが、日露戦争における日本自転車兵の苦戦に
つながったのかもしれません。
機関銃の携行といった新要素はありますが、また「古代」から離れるので書くのは
やめます。
古代において、自転車の前面に防弓板をとりつけるという例はなかったのでしょうか?
そのほうが、側面に取り付けるより、弓を防ぎながら、搭載(も大げさですが)した
物品や兵員を輸送しやすいように思うのですが。
482 :
世界@名無史さん:04/04/13 21:26
>オランダの自転車にはブレーキが付いていない
オランダに限らずヨーロッパの自転車は
ペダル逆回転でブレーキの役をさせる形式のほうが主なようです。
483 :
世界@名無史さん:04/04/20 17:58
つい西洋史ばっかにネタがいきそうだけど、中国での発明者は墨子が最初とされてますね。
もっとも今まで出来上がった技術を集大成したというのが真相なのでしょうけどね。
484 :
世界@名無史さん:04/05/13 03:36
え?墨子が自転車を発明したってこと?
485 :
世界@名無史さん:04/05/15 01:28
公輸盤が発明した攻城用自転車を使った攻撃法を、
墨子が図上演習で撃破してみせた、んじゃなかったっけ?
トロイのでっかい木馬がもし自転車だったらちょっと楽しいね。
織田信長が自転車部隊採用していたら、武田騎馬軍団恐るに足らず。
馬と違って車上からの鉄砲射撃。
どのみち世界最大の自動自転車生産国は日本。
鉄砲の再現だ。
489 :
世界@名無史さん:04/06/02 23:37
自転車を船に固定し、
車輪をスクリューや外輪に連結して水上も走れたら応用力が倍増だな。
スワンボートならぬスワンガレー船とかw
490 :
世界@名無史さん:04/06/03 00:18
宋代に脚踏船というのがあったと、桑原じつ蔵が書いてたと記憶
hosi
494 :
世界@名無史さん:04/07/10 16:31
江戸時代に三輪車を独学で発明した彦根藩士の話題は出ましたっけ?
チェーン駆動などは当時既に揚水用に竜骨車があったものの、
この作品では前輪側面にペダルが取り付けてあるタイプですね。
記録では坂も登れたそうですが。
495 :
世界@名無史さん:04/07/19 09:40
>>494 桜田門外の変では、三輪車に乗っていた彦根藩士が、ハンドルを操作しながら、
片手で日本刀を操って不覚をとったのでしたね。
本来なら、三輪車に乗ると決めた時点で、サーベルのように片手握りの
三輪車兵用の刀を装備すべきでしたが、
まあ、そのような臨機応変の装備変更ができたら、そもそもあの「変」は
起きなかったことでしょう
横浜の「掃部山(かもんやま)公園」には、旧彦根藩士の醵金によって、
大正時代に建てられた井伊直弼の銅像があります。
「横浜開港の恩人」として、三輪車に乗って東の方、太平洋そしてアメリカを
キッと見つめている凛々しい姿です。
(すいません。こういうレスでよろしかったでしょうか?)
496 :
世界@名無史さん:04/07/21 20:08
497 :
世界@名無史さん:04/07/22 14:03
万歳!
498 :
世界@名無史さん:04/08/16 10:08
499 :
世界@名無史さん:04/08/17 04:40
自転車で突撃するのは不安定なんで、射撃に特化した方がいいんじゃないかな?
ひたすらパルティアンショット。で、突撃するとすれば安定性を確保するため4輪にして
運転と攻撃を分担させて・・・あれ、それってほとんどチャリオットか
流れ読まんで書くけど、
古代エジプト人が自転車で立ちこぎとかしてたら
相当間抜けだよなww
トリビアの泉より
「競輪の自転車はバックで走れる。」 53へぇ
パネリストの皆さん知らなかったの?
503 :
世界@名無史さん:04/08/28 21:46
>>496 それは世界的にbicycleの歴史に入れるべきではない。今のbicycleの起源とまったく無関係だし
今のチェーン駆動のbicycleにつながった保障がどこにもない。欧米では自転車をbicycle(二輪車)と呼ぶ。
それにそのペダルカーのできそこないを自転車と解釈すると、ダビンチのバネ自動車を自転車と
解釈することもできるだろう。中立国の目撃証言もないし、証拠不十分で欧米の国々は認めないだろう。
>川上教授は「『新製陸舟車』のペダル機構はまさに自転車そのもの。
>安定性から三輪にしたのは当然と思われる。
このアホ教授は二つの過大評価をしている。bicycleの最大の発明は二輪でもスピードを出せば転ばない
ことの発見にある。安定性を考えて三輪にしたではなくて、二輪のアイディアに気がつかなかっただけだ。
最初の人間には、車輪をタテに並べて運転しようなんて発想はわかない。あと陸舟車も三輪だからこそ
ペダルの取り付けが可能だった。まったく、起源捏造の精神は某国でたくさんだ。
504 :
世界@名無史さん:04/08/28 23:02
そうか・・・中国は一輪荷車までは発明したから
発想次第ではいい線いけたかも知れなかったのにな〜
505 :
世界@名無史さん:
ペダルカーじゃあ、普及するはずがないよ。
二輪車の利点は狭い歩道でもすいすい走れて
急な坂道でも降りて押していける手軽さにある。
この点では、最初から二輪で始めた西洋人のほうが賢かった。