>>548 海牛類の家畜化は困難かと。
そもそも「家畜化」しようと思いつかないこともありますが、
飼育下での交尾も困難でしょうし、多産でもないですし。
とはいえラノベSF「星の、バベル」(新城カズマ)では言及されていたりしますが。
>>550 基本的にカンガルーの毛皮を被って焚き火にあたって震えていた…
というのがアボリジニの冬のすごし方でした。
タスマニア先住民の場合は洞穴にこもりきりだったそうです。
552 :
世界@名無史さん:2006/09/09(土) 00:40:37 0
>>551 洞窟にこもりきりでどうやって食べていたのだろうか?
秋のうちに一冬分を貯えておくんでしょう。
あとは我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢・・・
554 :
世界@名無史さん:2006/09/09(土) 09:30:12 0
>>553 いくら冬とはいえ食べ物がもたないのでは?
そんな加工技術は無いのだし。
しかもタスマニア人は船を持っていなかったので
沖へ出て漁をすることもなかった。
サケマス類は遡上したろうか?
調べてみたら、サケはタスマニアの特産品でしたよ。
カキも採れるようなので、船なしでも結構なんとかなるのでは?
と希望的観測してみます。
>>552-554 もうちょと詳しくいいますと、
狩猟採集技術のみなので、貯蔵技術はありませんでした。
焚き木も集めないといけないので晴れて風の無い日には
出歩いて焚き木集めや海岸で貝を拾っていたそうです。
「眠って我慢」は基本だったようですが。
>>555-556 全部族ではないでしょうが、
タスマニア先住民には魚食がタブーだったとか…。
月例保守に上がりました。
ドンソン文化の誕生が紀元前4世紀頃の紅河流域。
豪州大陸到達が紀元前1世紀、という設定でしたよね。
豪州北部のメルビル島から400q弱しか離れていないティモール島ではどうだったか調べてみました。
東南アジア方面から島伝いに新マレー人種系集団が移住してきたのが紀元前3000年ごろ。
同時に同島最初の農耕と土器文化が伝わったようです。
最初はタロイモなどの根菜栽培、遅れて(具体的年代は分からず)稲作とブタ飼育が伝播、と。
なお13世紀中葉(南宋末期)に中国人が白檀を求めてティモール島へ渡来して交易を続けていたとのこと。
惜しい・・・オーストラリアまであと一息なのになあ。
ところで稲作が伝播した東限はどのあたりまでなんでしょうね。
ウォーレス線を越えることはなかったのかな。
>>558 今年中に「続き」を…と宣言してみたり。
>>559 大航海時代以前ですよね>稲作東限
インドネシア地域ではチモール島〜スラウェシ島あたりで、
マリアナ諸島を経て日本、といったところでは。
何でそれ以上東に伝播しなかったの?
>>561 インドネシア地域やミクロネシアでは水の確保が容易ではなかったことがまず挙げられます。
(…いままでのIFはそこらを「上手くいったもの」としていますが)
海島地域は気候上、大量の水を得ることは案外難しいです。
ポンペイやハワイのように高い山があればいいのですが。
せめてニューギニア島まで稲作が伝わっていればなあ。
ジャワやバリでの農法の応用でおおむね栽培できそうだし。
山がちなニューギニア島も、インドネシアでおなじみの棚田の技術が伝われば内陸部まで浸透できるかも。
実際、マジャパヒト朝の頃にニューギニア島西部は朝貢貿易を続けていたんだよね。
何か文化や技術はニューギニアに伝わったんだろうか。
金属器は伝わったが大抵は装身具だったらしい。勿体ないw
交易するにしても終着点、ですからねえ>インドネシア東部地域
ナマコ漁に来ていたのはティモールあたりの人なんですかね。
中国人が直接ナマコを採りにオーストラリアまで来たわけではなさそうだし。
>>565 ティモール島民も来ていましたが
メインはセレベス島のマカッサル人だったとか。
一応、「道教の像」(かなり小さく年代は不明)が
発見されたりはしていますが、「中国人は(ほとんど)来ていない」というべきかと。
567 :
世界@名無史さん:2006/12/31(日) 23:21:56 0
保守
568 :
世界@名無史さん:2007/01/13(土) 10:58:24 0
なぜにニュージランドまで来ていたマオリがこの大陸を見逃していたのか?
高度な航海・農業文明を持っていた彼等がこの大陸に渡っていたら、
世界史は全く変っていた。
569 :
世界@名無史さん:2007/01/13(土) 11:16:08 0
一応上陸はしてたんじゃないかな?
で、不毛の地と見なされて放棄されたか、あるいは現地民とのいさかいで死滅したか
マオリ人といわず、ラピタ人大拡散の時代に
一艘くらい漂着してくれてもいいのになあw
年間を通じた乾燥もさることながら、乾湿の差が極端なのも過酷だよねえ。
メラネシア方面から、比較的気候が温和な豪州東海岸に漂着してくれれば
「軟着陸」できるやも・・・
オーストラリアで土器や鏃やブタの骨が出土したら、漂着の可能性大かもな。
定住したかどうかはまた別だけど。
>>568−672
マオリ漂着は伝説にもそれらしいものは無いようですし、無かったのでは。
ラピタ人もそうですが、海流的に困難だったんだと思います。
ちなみに、マオリ以前にもニュージーランドには「モア・ハンター」とよばれる
メラネシア系の狩猟民が定着していたようですがマオリに滅ぼされました。
オーストラリアでアボリジニが文明をきづいていたら
民族の交替が激しい
いえてる
オーストラリアってはんぱもんの集まり
580 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 23:35:58 0
>>573 モア・ハンターはアボリジニと近縁なんでしょうか?
近縁どころか無縁。
582 :
世界@名無史さん:2007/05/05(土) 10:15:46 0
ディンゴがオーストラリア大陸に出現したのが約3000年前。
当然東南アジアから自分で泳いできたわけでもないので、
このころ人間が船でオーストラリア大陸に連れてきたはず。
当然アボリジニではない集団と思われる。
年代から察するに・・・ラピタ人の一グループだろうか?
ドンソン文化はもう少し次代が下るし。
しかし、ディンゴ以外に来豪を示唆する証拠品もないのが実情。
土器・鏃・ブタの骨などが出土してもおかしくないんだがな・・・
584 :
世界@名無史さん:2007/05/26(土) 22:09:38 0
585 :
世界@名無史さん:2007/05/26(土) 22:57:42 0
>ラピタ人もそうですが、海流的に困難だったんだと思います。
東オーストラリア海流に上手く乗っかれば到達できそうなもんだけど・・・。
あの辺の海流の詳しい資料ってないのかね?
587 :
世界@名無史さん:2007/05/27(日) 14:25:44 0
>>585 日豪EPAは出来る限り農産物を除外した方が日本にはいいんですが…、
難しいでしょうね。
>>586 到達しててもラピタ人の技術(トレス海峡人くらい?)では
そんなに影響はなかったと思います。
589 :
世界@名無史さん:2007/06/01(金) 21:58:46 0
590 :
世界@名無史さん :2007/06/01(金) 22:11:50 0
オーストラリアだったっけ、
昨夜ものすごい禁煙キャンペーンのニュースが取り上げられていたの。
一箱千円くらいするタバコのパッケージには、ことごとく、
タバコの害によるむごたらしい人体写真が貼られているとか。
日本もそのくらいすりゃいいのに、
合衆国の事実上の自治領だから無理なんだろうな。
591 :
588:2007/06/02(土) 20:45:39 0
>>588 いや,ラピタ人に限らずポリネシア人が到達できたんじゃないかと思った訳で。
マオリはニュージーランドに到達してるし,メラネシアンはニューカレドニアにまで到達してる。
どちらも上手く海流に乗っかればオーストラリアに入植出来てたんじゃないかなぁ?と・・・。
アテオアロアにもっと早く(ハワイぐらい?)到着していたら
よかったのかもしれないですけどねえ。
593 :
世界@名無史さん:2007/06/04(月) 10:35:41 0
594 :
世界@名無史さん:2007/07/05(木) 00:52:29 0
まとめサイトの掲示板に歴史小説のような長編投稿がいきなり現れたが、
何かの続きなんでしょうか? <とてたさん
白人渡来以前のオーストラリアの考古学的年表ってある?
えらく変化がスローペースな社会だったんだろうけど。
50000年前 最初の人間上陸
12000年前 ニューギニアと海で隔てられる
3000年前 誰かが犬を連れてくる
1000年前 ナマコ漁師がコンニチワ
これで全部か(笑)
>>594 おお、見てる人がいたのですな。
PBeM「浪漫遊戯」のハワイ関連リアクションです。
(公武合体的明治維新を迎えた日本の第一次世界大戦時代が舞台)
僕も参加していたのですが、パソコンがわやになった時に消失したので替わりにアップしてもらった次第です。
(所有者の人がメール不可だったわけで…)
>>595-596 「大幅な気候変動に伴う技術進歩」とやらが無かったですからねえ。
再生可能な狩猟採集技術が確立するとそのまま変化する理由もないですし。
もし文明ができるとしたらやはり、マリー河のあたりだろうか
599 :
世界@名無史さん:2007/08/19(日) 03:06:20 0
もし文明を発達させていたらアボリジニの風貌も華奢に変化していたのだろうか
>>598 マーレー川流域もそこそこ定住人口が確保できるでしょうが、
東部山地の方が主流になるかと。