◎●◎キリスト教総合スレ◎●◎

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401世界@名無史さん
>>399
>教義の普遍性もさる事ながら、個々の信者や信者集団の要求に柔軟に答える事ができたと云うのが世界宗教性の説明としてはいくらかは適切かと思いますが。

>実態としてはキリスト教と云っても緩やかな統一性があるだけであって、その根底にはいろいろな俗習やら迷信やらその他様々な個別の宗派運動やらでモザイク的な構図が広がっているように思います。

それは、わかります。
しかし、ここで仏教と比較すると、仏教の方は各地の「信者集団の要求に柔軟に答え」つつ分化していったと思うんです。
専門の方がなんと言われるかわかりませんが、キリスト教と比べるとそうとう異なった教義内容の教派が分立する。

翻るにキリスト教をみると、ご指摘のアルメニア正教やエチオピア正教のような得意な分化をした教派もありますが。根本的共通性(統一性ではなく)は認められると思います。
これは経典宗教であるためかと思います。
一枚岩でない、と言うのは賛成のです。にもかかわらず共通性もあれば、近親憎悪も含んだ緊張関係も(種種のキリスト教間に)あると思います。
旧教と新教、あるいは旧くは教皇庁と修道会と言った緊張関係はキリスト教の歴史そのものと言えると思います。

>ヨーロッ パ=キリスト教と云うイメージを全面に押し出す知識人がおりますが、そのイメージが現実としてアラブ系移民の排斥と底の部分でつながっているというのは極めてあり得る事だと思います。

これもわかるのですが。
欧州統合との関係と言ったオポチュニスティックなレベルではなく、緊張関係を孕んだ共通性を持つキリスト教という実態を歴史的に捉えることは、不可能ではなかろうと思います。
402世界@名無史さん:02/05/10 02:54
>>391

 さらにいえば、カトリック改革というのがもっと適切。
「対抗」でもまだ、反動臭い印象が残っていそうである。
403=401:02/05/10 02:59
>>401、に「様々な分化をしながら、共通部分を媒介に緊張関係を保っているキリスト教」という捉え方を提示したつもりですが。

私が思うに、上の捉え方の根底に、まず、キリスト教聖書の不可思議なテクスト構造があると思います。
4ヴァージョンの対観福音書(共観福音書)を併記し、かつ、新約編と旧約編がさらに対照されるという、構造のことです。

こうの聖典のテクスト構造と、神の前の平等の教義が結びついた結果、プロテスタント他のような聖典の多様な解釈が可能になり、「個々の信者や信者集団の要求に柔軟に答える事」(>>399)もできるようになったのだと思います。

一方、仏教のように次々教典が編纂されるような宗教でもないので、「共通部分を媒介に緊張関係を保って」分化がおこなわれたのだと思います。
404=401:02/05/10 03:11
どうも極論を言った方が話がはずむ(?)ようなので、また、あえて乱暴に極論を言ってみます。
ヨーロッパ文明、それからキリスト教の特色は、ネンチャク気質(笑)だと思うんです。
一昔前の流行語で言ったら、パラノです。

んで、近代科学も合理主義もパラノだから生まれたんだと思います。
同時に、文明による野蛮の教化も、西欧的な他者の排斥/同化も、パラノ体質ゆえと思います。
このスレでキリスト教の功罪という話題が出ていましたが。
私は、多分キリスト教はパラノ思想だと思うので、この観点からは功罪を切り離せません。
功だけ取り出そうとしても、罪だけあげつらっても、成り立たなくなる面倒なものがキリスト教であるように思えます。
(ただ、このキリスト教がイエスの思想そのものかという問題は留保したいと思います、そこにキリスト教が未だ持っている可能性もあると思えるのですが)

人権思想は、私はキリスト教精神の内から生まれて、キリスト教思想とは切れてる(>>387)ように考えているのですが。
こちらは、パラノな殺し合いの果てに生まれた思想、と言うように考えています。
405398&399:02/05/10 03:41
>>401

 仰る通りかと思います。かなり盛大に大放言していたのでその辺が置き去り
になってますが、ラテン語−のちには俗語含む−聖典の存在とその解釈の普
遍性−正統と異端の論証ヘの希求は確かに見落とせるものではないと思います。
おそらくはその普遍性への希求が、緊張関係を伴いつつも共通性を維持している
理由の一つでしょう。

 ただ私としては、神学内容を巡る議論をメインにして論を立てる事には少し
躊躇を感じます。先ほどの欧州統合の件ではオポチュニスティックとの評価を
もらってしまいましたが、むしろそうした社会的、日常的な側面にこそ宗派間
の相違や緊張は生まれるのではないかなと思います。因に前述したキリスト教
的ヨーロッパと云うのは現教皇ヨハネ・パウロ2世がよく使う台詞で、しかも
その際には「東西キリスト教圏はヨーロッパの両肺だ」と有機体的?表現が飛
び交ったりしております。プロテスタントでこういった表現をする方を私は今
のところ知りません。
 話を戻します。要するに私が提示してみたいのは、宗派的なミリューが社会的・
政治的信条や日常生活の差異とオーバーラップしてあらわれると云う事です。例
えばドイツの文化闘争当たりが端的なところではと思います。キリスト教は神学
体系であるのと同等に、政治的・社会的事象でもあり、そこから循環的に影響を
うけてもいたわけですから。

 眠気のため、どうも答えになってない気もしますね。多分後で訂正/補足するかと思います。
406=390=391:02/05/10 10:55
人権思想とキリスト教の関係について。
>>389で挙げられた、
>人権思想も最初は経済的自由の分野が端緒でした。
>つまり資本主義が発達するにつれて買い手と売り手を仲介する
>中間団体(ギルドなど)を否定的に捉え排除することで
>売り手と書い手をより直接的にし自由な経済活動を
>可能ならしめようとした。
>ですから人権思想は宗教改革の影響を多分に受けている

この辺の事情は、私は詳しく知らないので、興味があります。
ただ、ルターがユダヤ人排斥主義者であったことは有名で。
この一時をとっても、当初の人権思想が現在我々の知っている、思想の自由などをともなった人権に成長するには他の歴史過程があったと言えるはずと思います。

それで、宗教改革の影響も多分にあったとは思うのですが
>宗教改革とカソリック改革(対抗宗教改革)両面からの影響
も指摘しました。ちょっと昔のノートを引っ張り出してきました。

17世紀に典礼問題と呼ばれる議論がおきています。
これは、当時中国に出ていたイエズス会の布教団が、布教のために孔子の祭儀や祖先祭礼に妥協していく戦術の是非を巡る議論です。
イエズス会以外の布教団はこうした方策を採らなかったので、イエズス会は大分苦境に立たされたようですが。
この典礼問題議論と前後して、イエズス会士が伝えた中国の社会・民俗誌や、中国史が投じの西欧キリスト教、それから啓蒙思想家たちに相当なインパクトを与えました。
新教と旧教の間で争われていた、暦法問題、旧約解釈、特に旧約に基づいた歴史解釈について、泥沼のような議論が繰り広げられたと言います。
で、こうした議論の内から、聖書のファンダメンタルな歴史解釈から断絶した歴史認識が打ち出されてきた。

並行して、ライプニッツなどが中国の倫理学(と彼は呼んだようです)を西欧より優れているとする説を公言したりしはじめたようです。
人権思想の形成については、詳しい方の発言を期待したいのですが。
こうした経緯で、新教と旧教の理論闘争から影響を受けたり、横目で見ていたりして、構築された思想があるはずだろう、という気がしています。
407世界@名無史さん:02/05/10 11:46
>>396
イスラムのジハードですが、これはイスラム共同体の拡大を目指す戦いです。
しかし、これは異教徒に改宗を求めるためではなく、彼らには政治的な服従と
租税の支払いが求められました。
異教徒が征服されてムスリムになったとしても、それは結果であって、ジハード
の目的そのものではありません。
もっとも、同じ異教徒でも偶像崇拝者に対しては原則として「改宗か死か」
の選択が迫られます。
しかし「啓典の民」(ユダヤ教徒やキリスト教徒)に対しては税の支払いや
一定の行動制限に服従することを条件として、保護が与えられました。
ですからやはりキリスト教の十字軍とは性格が違うのではないかと思います。
408=396:02/05/10 14:38
世界宗教の異文化への浸透と適応について、キリスト教とイスラム教の比較

>>407
どうもありがとうございます。
>〔ジハードと〕キリスト教の十字軍とは性格が違う

はい。これはわかります。
改めてお尋ねしたいと思います。
古代キリスト教の世界宗教化(宗教が民族の枠を越えて広まる経過)と、中世イスラムの世界宗教化を比較した時。
私はイスラムのことがよくわからないのですが、どうも性格が違うような印象を覚えます。

で、両宗教の終末観をキーにして性格の違いを整理していけないか、覗いたいと思います。
キリスト教が地中海世界に広がったとき、信徒の間にあったのは社会不安を背景にした終末観だと思われます。
状況が緩い場合は「世直し期待」というニュアンスで、緊張がきつい場合は文字どおり「最後の審判待望」というニュアンスで。緊張感の強度や色合いに差があっても、世界宗教化の過程では終末観が前提として含まれていた。

これ現代人には理解しづらいので見落とされがちだと思うんです。
例えばパウロは、信徒は結婚しない方がよいが、結婚するなら一夫一婦の結婚生活を護るべき、といった趣旨のことを言っていますが。これなど、間もなく終末が来るという前提の下の発言と思うと大変理解し易いです。
また、仮現論などの古代異端説の一部には、終末期待が疑わしくなったことが起因となって生まれている物もあります。

ユダヤ教は、「いつかはわからないが、おそらく遠い将来に最後の審判の日が到来する」という終末観を持っている宗教と言えるはずです(イエスの頃は終末待望が高まった時期ではあるのですが)
キリスト教をユダヤ教と比較すると「極、近い将来終末の日がくる(かもしれない)」といった感じの切迫感が、基本的には強い。これもキリスト教の目立たないが特徴ある性格の1つだと思います。
例えば、ゲルマン民族の大侵入期にアウグスティヌスの『神国論』が著わわれたり、中世を通じて千年王国運動という型で、大衆的な終末待望が盛り上がったりするのは、これはキリスト教の習い性と言えると思います。

で、イスラム教についてお尋ねしたいのですが。
まず、イスラム教の終末観が実際どのようなものだったか、からわかりません。
ものの本を読むと、ムハンマドは「まもなく最後の審判の日が来る」と唱えたように書かれていますが。
まず、「審判の日到来」と「それにそなえる行動(例えばジハード)との関係」これがどのような関係として信者たち当事者に観念されていたのか。
できたら、その辺からお聞きできればありがたいです。

と言いますのは、例えばイエスの「カエサルのものはカエサルに返せ」などもイエス本人が終末を間近とみなしていた、と仮定すると、たいへん分かり易くなるからです。
キリスト教について、私はローマ国教化した後の公会議などに、ある程度の宗教的退行を認めざるをえないと思っているのですが。
で、どこで退行したかと言うと終末観念との緊張感が緩んでる面が目立つ。
キリスト教の功罪などを考える際にも終末観をうまく捉えるとよい補助線になると思うので、イスラム教の終末観についてお尋ねしたいと思います。
409世界@名無史さん:02/05/10 18:15
>>408
わたしはイスラームの専門家ではありませんが、たとえばシーア派で、
イランのサファヴィー教団などは、12人のイマーム崇拝と救世主の
到来を信じるメシアニズムを信奉していました。
この「十二イマーム派」は、預言者ムハンマドの女婿アリーを初代の
イマームとして男系子孫を第十二代までたどりますが、この十二代目は
9世紀末に「隠れ」の状態に入ったとされ、世界の終末に「時の主」として
再臨し、正義を実現すると考えられています。
それまでの間は、ファキーフ(法学者)だけがイマームの意図を推し量って
ムスリムに指示を与える、とするので、現在のイラン・イスラム共和国に
おけるホメイニー師の「法学者の支配」理論にもつながっていきます。
シーア派では神と人との関係、両者を取り持つイマームの役割を重視して、
個人が信仰や日常生活でいかに正しく精神的に生きるべきかが強調されて
きましたので、サファヴィー朝末期に入ると、王権をゆるがすことになります。

こういうのがキリスト教の終末思想とどこまで似通っているかはわかりませんが。
410世界@名無史さん:02/05/10 18:24
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411過去ログ漁り補追 :02/05/10 23:47
>>363過去ログ漁りpt1、pt2>>369、pt3>>378、pt4>>384の補追です。
いろいろ取りこぼしもあるようですが、これでこのスレでの関連過去ログ漁りは打ち止めにしようと思います。もし、このスレ自体がパート2に続いたら、その時の状況をみてまた考えるかも。

この補追では、話題ごとに、[魔女狩り関連]と[ビザンツ関連]を集めてみました。
各スレタイトルの末尾の数字は、スレのレス数です。頭に※のあるスレはまだ倉庫に入ってないスレ。

[魔女狩り関連]
※魔女狩りについて
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/989810480/

魔女がりなどバカみたいな中世近世ヨーロッパ (83)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/980/980104305.html

魔女狩りの町 セーラム (45)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/975/975666059.html

魔女狩りについて詳しい人 (4)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/976/976387383.html

魔女狩りってまだあるんだね (21)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/994/994326204.html


[ビザンツ関連]
東ローマ帝国について (73)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/968/968341462.html

※ビザンツと周辺諸国について
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/986924050/

ビザンティン (13)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1007/10071/1007178863.html

※コンスタンティノープルって何?
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1007884117/

ビザンチン帝国はなぜモンゴルに滅ぼされなかったか (32)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/965/965543799.html

ビザンティン皇室って何? (23)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/962/962266586.html

※ビザンチン皇室って・・・
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1010214226/

ビザンチン教会とモスクはなぜ似てる? (55)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1003/10039/1003936810.html

※ビザンツ帝国滅亡の要因
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1002034484/

ビザンティン帝国の末裔 (15)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/974/974070327.html
412関連スレ漁り集・案内:02/05/10 23:48
過去ログ漁りpt1>>363
「キリスト教の歴史」、「■聖書■」など、基本的でカヴァー範囲の広いスレ

過去ログ漁りpt2>>369
「ユダ王国について(南部)」からはじめて「背教者ユリアヌス」まで
古代キリスト教関連を一応アバウトに時系列配列

過去ログ漁りpt3>>378
「謎の国 バ チ カ ン 情報求む」からはじめて「++オリバー・クロムウェル++」「魔女狩りについて」まで
中世キリスト教関連を一応アバウトに時系列配列

過去ログ漁りpt4>>384
「キリスト教思想の概略」「キリスト教をやさしく解説して欲しいスレ」など、汎用的な話題のスレの補完
「実際にあるらしいノアの方舟」「聖書アラビア起源説」などネタスレ(?)っぽいのもpt4に

過去ログ漁り補追>>***
[魔女狩り関連]と[ビザンツ関連]のスレログ
413世界@名無史さん:02/05/10 23:51
過去ログ漁りさん、どうもごくろうさまです。
過去ログ一覧見てつくづく思ったのですが
キリスト教って世界史にホントに多大な影響を
与えてきたんだなと。
暇なときに過去ログ見てみます。
どうもありがとう。
414世界@名無史さん:02/05/11 02:58
今でも影響大だよ
415世界@名無史さん:02/05/11 20:03
ユダヤ教では神とその被造物である人間の姿が同じであるとされていますが、
(神人同一形というのかな?)
こういう発想はどこからきたのでしょうか?
古代オリエント・インドなどは神が人とかけはなれた姿をしているのは
珍しくありませんが。
古代ギリシアでも、パーンやトリトンのように半人半獣の姿をした神々が
いますし。
416世界@名無史さん:02/05/11 21:40
ユダヤ教の神人同形思想の由来は、現状、解明が困難なテーマだと思います。

『創世記』を含む「モーセ五書」は、普通、紀元前4世紀「には」口伝からの編纂(結集)が終了していた、と言われています。
紀元前4世紀と言うと、古代イスラエルがペルシアを宗主国としていた時期(前536〜332年)の間にすっぽりおさまります。(もちろん口伝がどこまで溯り得るかは、文献学的にいろいろなアプローチが試みられれはいますが)
ちなみにバビロン補囚は、前586〜536年で、ほぼ前代のこと。

「メソポタミア神話の影響を言う説」――古代メソポタミアでは主要国家神の図像は概ね人間の姿で描かれました(有翼であったり有角冠を被っている程度です)か、
「神人同形思想より、『塵から造られ命を吹き込まれた』との観念の方がユダヤ教にとっては重要で、
神人同形説は『塵から造られた』の言わば補完として観念された」――塵から造られたのに姿まで違っていては「物質世界の全生物を治めるもの」としては不釣り合いだから、とする説
などがよくみる説だろうと思います。

前者の説は、レリーフなどの考古遺物も根拠に挙げられますが、後者はどちらかと言うと宗教学の一説と言った方がよいと思います。
現状、歴史学的定説をみていないテーマのはずです。
417=416の部分訂正:02/05/11 21:47
かなり恥ずかしいケアレスミスをしました。訂正させてもらいます。

×>紀元前4世紀と言うと、古代イスラエルがペルシアを宗主国としていた時期(前536〜332年)の間にすっぽりおさまります。

訂正>紀元前4世紀と言うと、古代イスラエルがペルシアを宗主国としていた時期(前536〜332年)の間とほぼ重なります。
418=416恥の上塗り:02/05/11 22:01
うぎゃ、何書いてんだ<<417
大間違い、逝ってきます。
419=416恥の上塗り:02/05/11 22:04
本当は「紀元前4世紀」の古代イスラエルは
ペルシアから独立したり、アレキサンダーに制圧されたり、後継者戦争に巻き込まれたり目まぐるしい時代でした。

すみません。
420世界@名無史さん:02/05/11 23:47
おちつけ。
古代イスラエルがペルシアを宗主国としていた時期は、前536〜332年であってる。
紀元前4世紀は、ほぼ重なってるでも構わない。

421世界@名無史さん:02/05/12 09:17
イスラエルは独立してた時期の方が短い
422世界@名無史さん:02/05/12 09:50
>>416
ありがとうございます。
ユダヤ教が、人間とそれ以外の動物の間に線引きをしたことや、
偶像崇拝を厳しく禁じたのは、神人同形思想と関係があるのかな、
という疑問がありましたので。
423=416:02/05/12 18:55
>>422
どうも、昨日は混乱した書込みをしてすみませんでした。

>ユダヤ教が、人間とそれ以外の動物の間に線引きをしたことや、
>偶像崇拝を厳しく禁じたのは、神人同形思想と関係があるのかな
なるほど。

ユダヤ教信徒の人はきっと関連づけて理解してるのだろうと思います。
歴史的なアプローチだと
偶像崇拝の排斥は>ヘブライ人の伝統的な神にこだわって外来の神を排斥した(>>374
という線がまずあったようです。
正確に言うと、諸民族の偶像崇拝が残存していたり、浸透していたりしたのを
モーゼ的な偶像否定信仰で排除し、古代イスラエルの結束を固めた時期があった
と言われます。
初期のイスラム教にも類似の運動がありましたし。破壊された旧い聖所の発掘例もある
そうなので説得力はあると思います。

人間とそれ以外の動物の間に線引きをしたことについては、古代ユダヤ人の素性と
関連付ける考え方があると思います。
カナン系の古代都市発掘に基づく一説ですが。
カナンの貧農、カナン社会の周辺に存在した半農半遊牧の部族がカナンの支配を
脱しようと後のヘブライ人の中核になった(?)部族と結集して武力行為を行った
という説です。紀元前13世紀〜12世紀頃と言われます。
背景事情として当時のエジプト王朝の外交政策の影響で、カンナ系諸都市が疲弊し
相互に紛争をしていた、という状況が想定されています。

諸部族が連携するに際し、半農・半遊牧の部族が主導で、「人間とそれ以外の動物の間に線引き」をするようになった、と言う説もあります。
この説では、生業形態が違う集団間の衝突を回避するためと言われます。

また、宗教説話の族長物語で個人として描かれているアブラハムを、上メソポタミアの周辺部で活動してた隊商部族と考える説もあって。
「人間とそれ以外の動物の間に線引き」は商業民族ならではのもの、とする説もあります。
この説は、個人的考えでは、現状、歴史学的裏付けが弱い説かと思うのですが。
メソポタミアには「人間は神々が自分たちに仕えさせるために造った」という神話がありますので。この神話と古代ユダヤの宗教観を関連付ける説明は、割りと魅力的と思います。

神人同形思想との関連を説いた説は、ちょっと思い出せないのですが。
思い出せる範囲で歴史学的な諸説をご紹介してみました。
424世界@名無史さん:02/05/13 21:07
西欧の個人主義の原点にキリスト教がある、という説については
どうお考えですか?
425世界@名無史さん:02/05/13 22:09
>>424
>西欧の個人主義の原点にキリスト教がある

複数の観点から検討できるとよい話題だと思います。
西欧人は「原点」と言いたがるでしょうが。
日本人など、文化も歴史も異なる人間がそう考える必要もないと思います。
私は、密接に関係すると思いますが。「原点」と呼んでよいかどうかは保留したいです。

私の考えとしては、次のような要因が関連付けられて検討されるのがよいかと思います。
用語は仮の物とみなしていただきたいです。

●西欧の個人主義とキリスト教が関係するはずである要因
A)聖書主義
(特に新教で顕著だがキリスト教全般で概ね観察されるものとして)
B)キリスト教的契約思想
(旧約的契約思想と新約の思想が二重構造を持ったものとして)
C)ユダヤ教以来の預言者の伝統と終末思想の結合態
(大衆自生的な蜂起のバックボーンとして)

●西欧の個人主義と関係するはずであるキリスト教以外の要因
D)公共性の理念:教皇権と皇帝権の緊張関係の下で成された国家形成との関連
E)市民の理念:社会的共同体のルールは構成員が自己決定すべきという理念
F)自由の理念:現代的資本市場を開発した歴史経緯と個人の自己責任の観念
(信用市場、金融市場、労働市場、株式市場を暫時開発した社会史的メカニズム)
G)人権思想:特に思想、表現の自由と信教の自由の定式化

大風呂敷にならざるを得ませんが、
西欧の個人主義と言っても、それは親族関係-個人と公共関係-個人の二重の関係性を西欧的整理した思想であるはずです。

キリスト教の影響も、原点とみなすのは一端保留事項にして、a「親族関係-個人の関係性」
b「公共関係-個人の関係性」に、一旦解きほぐしてみるのがよいように思っています。
a、bそれぞれの歴史的変遷にキリスト教がどう関ってきたのかを考えたうえで、再統合がはかれるとよいと思います。
そうした検討の結果として、原点とみなせるかどうか、それは私にはわかりません。判断保留です。
426世界@名無史さん:02/05/22 07:36
age
427世界@名無史さん:02/05/25 10:53
>b「公共関係-個人の関係性」

西欧の社会は、たとえば街の景観保存などを例にとっても、結構社会的な
規範が強いような気がしますが。
日本のように、「ここは私の家だから家の外観をどうしようと勝手」
などということは通用しませんし。
428世界@名無史さん:02/05/25 12:09
>西欧の社会は、たとえば街の景観保存などを例にとっても、結構社会的な規範が強い

これは、公共精神、あるいは公共性の意識が強いと言う事であって、

>「ここは私の家だから家の外観をどうしようと勝手」

こうしたことが通用してしまう社会は、公共精神、あるいは公共性の意識が弱い、ないしはない、または乱れている社会、と言えるはずです。

もちろん、一方で、F)自由の理念やG)人権思想に類した思想が社会的にも認められており、それらと緊張関係を持つ型でD)公共性の理念が説かれるのでなければ、ファシズムの類に堕すはずですが。
近代西欧社会の場合は、E)市民の理念の影響に独特の物が見られるのかもしれません。これはキリスト教とは間接的にしか関係しませんが。

近代西欧型の家族(家族形態)の生成も、西欧式の公共精神の形成に関係しているでしょう。
まだ細かく考えたことがありませんが、こちらはキリスト教とも直接関係していたはずです。一応、A)聖書主義の思想内容と言えるでしょうか。
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430世界@名無史さん:02/05/25 14:48
ゲルマンに広まったアリウス派はなぜ駆逐されてしまったのでしょうか?
アタナシウス派だか三位一体説の方がそれほどすばらしかったのでしょうか?
431世界@名無史さん:02/05/25 15:03
少数派のゲルマン人(アリウス派)が、多数派のローマ人(アタナシウス派)を統治するには、
回収してアタナシウス派になった方が、被支配者側の民衆や貴族からも支持を得やすかったか
らです。

とはいえ、2、3百年間は、アリウス派が続いたことは興味深いね
432世界@名無史さん:02/05/25 15:33
>こうしたことが通用してしまう社会は、公共精神、あるいは公共性の
意識が弱い、ないしはない、または乱れている社会、と言えるはずです

なるほど。
ただ、キリスト教と直接関係ない話題になってしまいますが、人間という
ものは、何か制約がある場合のほうがそれに抵抗して個性を発揮する、
という面があるのではないかと思うときがあります。

たとえば、芸術家が、テーマが制限されているからこそ、その中で
なんとか自分の個性を表現しようとしたり、
あるいは、宗教的なタブーや権威の強い社会だからこそ必死に抵抗して
自己主張する、など。

スレと直接関係ない話題になってしまってすみません。
433430:02/05/26 00:43
>431
ありがとうございました。
……どうやら私は、ゲルマン人たちを必要以上に純真(=素朴、単純、愚鈍)だとイメージしていたようです。
434世界@名無史さん:02/05/26 11:36
キリスト教がヨーロッパ音楽の発展に果たした役割、なんてのを考察するのも
おもしろいかもね。
中世では娯楽としての音楽は悪魔の音楽とされていたとか。
435ふにゃぽん:02/05/26 12:04
>>434
イザヤ・ベンダサンが言ってたね。

ユダヤ・イスラム教は、「偶像崇拝」のタブーの念が強すぎて、あらゆる
抽象的な事象も「言語」のみで表さなければならなかったから、いわゆる「宗教芸術」
は発達しなかったと・・・。

反面、キリスト教は、布教にあたり、絵画、彫刻、音楽などをふんだんに取り入れたと。

そのへんが、キリスト教が今日、ここまで広がった原因の一つでしょうな。
436世界@名無史さん:02/05/26 12:52
ポリフォニーが一番発達したのは中世のヨーロッパだったとか。
キリスト教会が、音の世界をも整理し一元化していった。
437世界@名無史さん:02/05/26 13:11
あっ、自分、バッハとかヴィヴァルディ、ジョスカンとか好きなんだ。
ポリフォニーの話詳しく教えて。
438世界@名無史さん:02/05/26 13:14
中世西欧で発達したポリフォニーとは元々宗教声楽でした。
これに画期をもたらしたのは、普通グレゴリオ改革に伴った宗教楽だ、と言われます。

グレゴリオ聖歌の類を指して
>音の世界をも整理し一元化していった。

と言っているのでしたら、大雑把すぎる図式整理は歴史の実態とかけ離れていると思います。

また、東方正教会にだって宗教楽はありました。
こちらは私は詳しくないのですが、西欧教会に宗教楽と異なる神秘的なもの、との評を聞く事はあります。

このスレで以前話題に挙げたことがありますが、キリスト教は聖書のテクスト構造からして矛盾を孕んだ思想体系で
それゆえに、一元化を常に拒むダイナミズムを歴史上示してきています。

先入観に基づいた図式整理で結論づけるのには反対です。
439世界@名無史さん:02/05/26 13:18
ほおー、早速ありがと。
また暇なときにでもよろしくー。
440世界@名無史さん:02/05/26 13:44
グレゴリオ聖歌にまつわる話ですが、同じラテン語で歌いはしても、
北アフリカにはアンブロジオ聖歌、フランスにはガリア聖歌、イベリア
半島にはモサラベ聖歌など、その地域独特の伝統が存在していました。

やがてローマ教皇公認の礼拝のやり方と聖歌の歌い方が正式に
決められることになりました。
ただし、グレゴリウス1世がそれを確立したというのは半ば伝説的で、
はっきり分かっていないようです。

また、カール大帝なども教皇と協力して、聖歌を含めた学問と教育を
奨励したりしています。

438の方が書いているように、東方正教会は典礼をすべて歌い、音楽の
重要性はローマ・カトリック教会よりはるかに大きいです。
近世以降のロシアの典礼音楽は一部を除いて西欧の音楽ですが、
ある意味でロシアの寛容さ(?)を表しているといえるかもしれません。
441世界@名無史さん:02/05/26 14:20
結局、キリスト教、キリスト教会を意識しないうちにローマン・カソリックに代表させちゃう歴史理解が、既に西欧中心史観にやられてるってことだろ。

「キリスト教会」って言ったら、当然新教諸派も東方諸教会も含まれる。
これを「一元」とみなしたら、やはりおかしい。
442世界@名無史さん:02/05/26 18:27
キリスト教が布教に用いた「聖像」って、どのような理屈で「偶像ではない」のでしょうか?

現在でも、教会にはかならず磔にされたイエスや、聖母マリア像などが必ずありますよね。
443世界@名無史さん:02/05/26 21:00
>>442
これは、ローマンカソリックの教義史の問題で。
プロテスタント教会では、普通、聖人像や聖母像はみないはずです。(キリスト教ベースの新興宗教については、又別の話題になります)

カソリックでは、聖母や諸聖人はの像や図像は、「崇敬」されると言われます。
「信仰対象ではなく尊敬の対象として扱う」といったニュアンスで理解して、さほど間違いでないと思います。
「イエス磔刑の像」についても、あれ自体を崇拝の対象とするのではなく、「十字架上の罪の購いを称える」ために使うというのが基本的な理屈になっています。

歴史的に重要なのは、カソリックでは聖職者が扱うのでなければ、十字架像を伴ったロザリオなどでも秘蹟には預かれない(儀式的効力を持たない)、とされている点です。
そういう事になっているので、教義論争とそれに連動した破門問題が、影響力を持ち歴史上の問題になったわけです。
これに準じた歴史的問題として、カソリックにおける聖人認定や聖遺物認定を捉える事ができます。

ちなみに、カソリックでは、聖母マリア像は特に「尊崇」すると言われます。
これについても細かな教義論争の歴史があるはずなのですが、私は、そこまでは知らないでいます。
理解としては、「聖母マリアは諸聖人のトップに位置づけられるので、特に尊敬する(尊崇は崇敬より上位)」ということでよいそうです。
444442:02/05/26 22:51
>443
お答えいただきありがとうございました。

むむむ……複雑ですね。
神社やなんかでいう「ご神体」とは、それ自体が神のヨリシロなのでイコール神ですが、
それとは事情が違うのですね。

偶像崇拝が松井選手のホームランボールを崇めるものなら、
聖像は松井選手のサインが入った量産品のボールを大事にするようなものというところですか。
445=443:02/05/27 00:07
>>444=442
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の一神教で言うところの偶像崇拝について。

これまで、特に断わっていなかったのですが、私は>>1
>今でも西洋人の精神的バックボーンでもあり、それにとどまらず世界史的に政治的
>文化的に多大な影響を与え続けてきたキリスト教。
>なぜキリスト教が今日に至るまでこれほどの影響を持ち続けてこられたか

これについて歴史的に考えるという事は、特に日本人にとっては、
キリスト教を異文化として理解してゆくことだ、と考えています。

一神教で言うところの「偶像崇拝」についても、一神教の方の発想の癖や
メカニズムを理解すると言う事も含まれなければ、異文化理解につながらないはずです。

私個人は、クリスチャンではありませんで。
以下は、以前、日本人の新教徒の方に個人的にお聞きした話をご紹介してみます。

普通日本人は「お祈り」に「神仏に対するお願い」を含めるが、クリスチャンやユダヤ教徒、そしておそらくイスラム教徒も「神仏にお願い」をすることは「お祈り」には含めない、という話でした。
(私の考えでは、おそらく東アジアで道教を信仰している人も「お祈り」にお願いを含めると思います)

では、一神教徒の「祈り」とはなにかと言うと、そのクリスチャンの方のお話では
「対話を求めて神に語りかける事」だそうです。
その方の言では、神に対して「一体俺にどうしろと言うんだ?」と問い掛けつつ
聖書の章句を想起したりしていくのだ、という事のようでした。

この方は、聖職者の方と言うわけでもないので、個人的なご意見をそのままキリスト教の
歴史理解に適用するのには慎重であるべきだとは思うのですが。
私個人は、異文化としてのキリスト教の理解が困難ないろいろな点について、参考になる
コメントだと思っています。

上記の説明に関して、私自身もいろいろ疑問を抱いてはいまして。
例えば、世界中の無数の信徒のどれだけの人がこの説明のように考えているだろうか?
と言った疑問はすぐに浮かぶと思います。が、ここでは一旦この疑問は置いておきたいと思います。

キリスト教やユダヤ教の方で歴史的にも排斥されてきた「偶像崇拝」は、
おそらく(彼らの意識では)「神にお願いをする事」としてのそれだ、と考えるといろいろと
符丁があう事が多いです。

例えば、キリスト教の方では、神明裁判の禁止や、奇跡を求める事を「神を試してはいけない」と
いう理屈で禁じていますが「偶像崇拝=神にお願いをする事」説を採ると附合します。

この線で考えますと、
偶像崇拝は松井選手のホームランボールに対して、自分にもホームランを打たせてくれ、とお願いをする行為で。
松井選手のサインが入ったボールをよすがに、松井選手だったらピッチャーの配球をどう読むだろうか、と考える
よすがにする、と言うのが聖像の崇敬だ、と言ったところになるでしょうか。

個人的には、ほとんどの聖職者や、少なからぬ信徒は、このように考えているし、
大多数の信徒も、このように考えるべきだ、とみなしているのが、キリスト教社会なのだろう、と思っています。
446=443:02/05/27 00:12
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の一神教で言うところの偶像崇拝と聖者信仰などについて。

>>445
一神教側で考える「偶像崇拝」=「神にお願いをする事」説をご紹介してみました。
>>445で触れたように、歴史上の聖人信仰(教義で言うところの崇敬)や、
少し極端な例ですがルルドの泉に治癒の奇跡を求めに集まる人々の話などを読みますと、
キリスト教社会の方でも「お祈り」≠「神にお願いをする事」とばかりは割り切れまい、とは思います。

それとか、映画を見ていたり、小説を読んでいたりしてですね
「神よ許したまえ」とか「神よ祝福あれ」と言った類の成句。あの類は「お願い」ではないのか?とか疑問は出ます。

以下は余談になるのですが、>>445を捕捉する意味で、個人的に思うところを少し書いてみます。

異文化としてキリスト教を歴史的に理解していく場合、
聖人信仰や、奇跡を求めるような信徒の運動も、「神を試してはいけない」といったキリスト教的禁忌の
力場の中で社会的な機能を果たす、という理解を考えていった方が、歴史の実態が分かり易くなるはず、と考えています。

例えば、ルルドを聖地として認定する/しない、マザー・テレサなり、ジャンヌ・ダルクなりを聖人として認定する/しないに
類した事がローマン・カソリックでは今でも問題になるわけですが。
これも「神を試してはいけない」という禁忌が働く異文化システムの内に置いての理解を考えるべきだと思っています。

この書込みは余談であって>>444=442の方のご意見やご質問を云々するものではないのですが。

このスレで、一神教対多神教みたいな図式が持ち出される事がママありまして。
この図式も一神教を異文化として理解してゆく一助になるなら歓迎されるべきなのですが。
どうも、いたずらに一神教の内に多神教の残滓や影響がある事を指摘するばかりで、
多神教に類似の要素が、異文化システムの内でどのように機能するか、への考察につながらない事も少なくない。

つながらないばかりか異文化理解を阻害するような論旨もママ見られると思っています。

前からこうした一面的な図式の弊害(異文化理解の阻害)には疑問を覚えていたものですから、少し余談を書いてみました。
447世界@名無史さん:02/05/28 18:15
キリスト教が絵画の発展に果たした役割はどうでしょう?
あれは単にルネサンス時代のローマ教皇庁が、パトロンになったという
だけですか?
448世界@名無史さん:02/05/28 18:53
>>447
キリスト教が絵画の発展に果たした役割は、
ルネサンスだけではないと思われ。
あれはどちらかというと、キリスト教のモチーフを
絵画等に取りながら、実際のところは人間の実在の美を
追求していたと思う。
キリスト教は、偶像崇拝を禁止するユダヤ教から発展していて、
最初、原始キリスト教、ローマ帝国に弾圧されていたころ、
その頃はまだ、キリストの似姿を描くことはなく、キリストは
神の子とかいた、頭文字などがカタコンベ(地下墓所だったかな)
に残っている。しかし、その後、じょじょにキリストの姿が
描かれるようになる。最初、キリストの姿は今、大方の人が
思い浮かべる姿ではなく、青年の姿だったんよ。
本筋から外れることでも、実際のところ、目で見る聖書のほうが
一般の人にはわかりやすいよね。(文盲が当たり前だし)
また、キリスト教神学では、目に見えない父なる神の子として
生まれたイエス・キリストは目に見える人間の姿として生まれ
(受肉)たから、キリストの姿を描いても良いという考え方も
できてきたんだ。
ビザンティン美術(東ローマ帝国の一部、コンスタンノープル)
の粋のハギア・ソフィア礼拝堂のモザイク画とかは、ルネッサンス
より前だし(何年とはっきりいえなくてごめん)、羊皮紙に描かれた、
聖書の写本なんかはかなり古いものもある。5世紀のものとかね。
(レスかいてるのが普通の主婦だし)
ルネサンス前のキリスト教会絵画は、教会の権威が強い次代のもの
だから、やや硬い感じがするね。でも、ベリー公の祈祷書なんかは
青い色がとてもきれいで、ため息が出るよ。
キリスト教は、ヨーロッパの異教的な部分も飲み込んで、洗礼を
したと思う。そんなわけで、キリスト教が絵画の発展に果たした
役割は、ルネッサンスだけでないと思う。
449世界@名無史さん:02/05/28 20:58
>>447
キリスト教が絵画の発展に果たした役割
私は、>>448の書かれている事に全部賛成です。

私は東方正教会と宗教美術の関係はわからないので、西欧美術と西欧キリスト教の関係について書いてみます。

結論から書きますと、
美術家達にインスピレーションを与えつづけたのが、西欧キリスト教と西欧美術の根本的な関係だと思います。
私も>キリスト教が絵画の発展に果たした役割は、ルネッサンスだけでない、と思います。

>ルネサンス時代のローマ教皇庁が、パトロンになったという
ルネッサンス以前も、ルネッサンス期を経てしばらくしても、西欧では絵画は独立した美術のジャンルとはみなされていませんでした。

当時は、最高の美術は教会などのモニュメンタルな建築であり、彫刻や絵画は建築に含まれる要素とみなすのが主流の観念でした。
彫刻と言っても壁面を飾るレリーフも含まれますし、絵画と言っても壁画のことで、タブロー画は習作の類でした。後ステンドグラスも忘れられません。
>>448の方が書いてられる祈祷書や装飾写本の類も基本的には教会の備品です。

ですのでローマンカソリックが西欧「美術」の発展に果たした役割は、ローマ教皇庁というかカソリックの教会組織が、パトロンになったということではありますが。
単に「絵画」のパトロンになったわけではありません。
建築を頂点とした教会美術全体のパトロンでした。

このような美術のジャンル観念は各国の王朝にも継承されバロック期、ロココ期を通じて続いていくことになります。
この観念が崩れてゆくのは、a「宗教改革を経て挿し絵入りの聖書が印刷されるようになる動き」を経て
b「ロマン主義絵画を経てタブロー画が市民階層の自宅装飾用にも購入されるようになって以降」にかけてです。

で、西欧ではキリスト教が美術家達にインスピレーションを与えた影響関係ですが。
ことに後期ルネッサンスから、バロック時代にかけて、啓示や、奇跡などの超自然的な主題を絵画化するために多数の画家が様々な技法を磨いたりもしました。
西欧絵画という限定をするなら、こうした影響の方が「ローマ教皇庁が、パトロンになった」ことよりも根本的な影響と言えるはずです。
カソリックではなくプロテスタントの方の影響でも、デユーラーなど宗教画もありますし、ラファエロ前派も宗教主題を多数描いてます。

>キリスト教は、ヨーロッパの異教的な部分も飲み込んで、洗礼をしたと思う。(>>448
って言うのも鮮やかな指摘で。
私は、北方ルネッサンスの絵画を強く想起しました.(北方ルネッサンス絵画はキリスト教主題のみではなく異教的な主題の絵画も多いですが)。後、歴史的脈絡は省きますけどブレイクなんかも「異教的な部分も飲み込んで、洗礼をした」という印象を覚えました。
450世界@名無史さん:02/05/28 21:11
最近修復が終わって、鮮やかな色彩がよみがえったミケランジェロの
「最後の審判」ですが、あれは対抗宗教改革の時代に、破壊の危機に
さらされたことがあったんですよね。
教皇パウルス4世は、最初壁画の全面的な取り壊しを検討したのですが、
結局腰布を描き加えさせることにしたとか。
1596年には、教皇クレメンス8世が再び取り壊そうとしましたが、
聖ルカ・アカデミーの画家たちの嘆願によって未然にくいとめられたそうです。

(教皇庁にとっては公的イデオロギーに反する反正統的解釈と異端の一歩手前の
問題性をはらんだ作品だったので)

にもかかわらず、結局この壁画を破壊しなかったというところに、ローマ・
カトリック教会の寛容性や普遍主義や歴史主義を見るという人もいますが。


451448:02/05/28 21:39

ローマカトリック教会の寛容性について、
それにかんがみ補足説明ですが、キリスト教は
(本来は)偶像崇拝を禁ずる宗教です。
(先ほどいいましたが)
今は、東方正教会と、カトリックは別の宗派ですが、
以前はふところを同じくしていました。同じくしていたから
といっても、すでに前者は典礼がギリシャ語であり、(それ
は思想的にもヘレニズム文化の影響がある)後者はラテン語を
典礼に用いてきました。思想的、神学的にも違いがありました。
11世紀(だよねえ、たしか、はらはら)に決定的に分裂する
まえに、もう2つの宗派に分かれていたようなところもありました。
2つに分裂する前、8世紀ごろ(だよねえ〜)教皇権の基礎を
確立したカトリックは、東ローマ帝国の権威をバックボーンにした、
東方正教会(オーソドクス)と、対立を激しくするようになりました。
そして、(本来は偶像崇拝を禁止いていたにかかわらず)東西
(カトリック)教会共にキリストやマリアのイコン(聖像画)をかか
げるようになっていました。
それに対して当時の東ローマ帝国の皇帝が、西方教会(カトリック)
に、偶像崇拝という理由で聖画像破壊運動(イコノクラスム)をつきつけ
それを推進します。しかしローマ教皇はそれに従いませんでした。
このとき、おおくの絵画(聖画イコン)や聖像が破壊されました。
この動きは1世紀以上続きました。
また、カトリックにたいし、プロテスタント(新教)が起こったときも
聖書のみによる信仰ということで、彫像、絵画がだいぶ破壊されました
(絵画は多く残ったとおもわれます)。
452世界@名無史さん:02/05/28 22:07
ローマカトリック教会の寛容性について

私は、聖書と異端運動に興味があって、信者の方には申し訳ないですけど、カソリックには割りと意地悪な見方をしちゃうんですよね。
特に、アルビ派にはロマンチックな感覚も含めて惹かれますので、アルビ十字軍を指導したカソリックが寛容と言われるとちょっと納得しづらいです。

ヴァチカンは、(現存する)世界最古の官僚組織、でもありますし。
ローマカソリックの寛容性というのも、意地悪な言い方をすれば、保守中道ゆえの幅の広さでは、と思いますです。
>>450のお話を読んでそんな思いを強くしました。

教会組織と信仰内容は一応分けて考えたいです(むづかしいですが)、はい。
ヨハネ=パウロ2世のエキュメニズム運動は、偉大な達成が多かったと思っています。
ですから、カソリック教会を全否定するわけではありませんが。
453世界@名無史さん:02/05/28 22:07
世界史野郎Aチームっていうとこにこんな書き込みが
ありました。どう思いますか?
某歌手のコメントをいじったものだそうです。

ネロです

なんかここでいろいろ言われてるけど、ネロは自分でもキリスト教徒のことを考えてあげる気持ちが足りなかったなって反省してる
ネロが誤解されるような迫害をしたばっかりに、ネロを応援してくれてるローマ市民のひとたちや兵士、その他たくさんの人たちに疑惑を持たれてしまったこと、深くお詫びします。
あのときあの迫害には、ローマが放火されたから全員で一体となって犯人を罰したい、ネロの街が燃えちゃったんだよ?
黙ってていいの?黙ってる暇なんてないよ、ネロが皇帝として時間を共有できるのもあと少しなんだからがんばろうよ、って思いがほんとうは
込められてたの。悪辣なやり方でそれが伝わるはずない、それがわかんなかったネロはホントばかだよね。ネロはキリスト教徒を傷つける
気は全然なかった(ウソ)。しかも放火犯じゃなかったなんてネロ自身もすごくショックで(ほんとは朕が部下にやらせたの)、言葉が出ない。キリスト教徒に本当に心からあやまりたいです(これもウソ)、
ごめんなさい(なんてね)。そしてこんなバカなネロだけど、
これからも応援してね。みんなほんとにごめん(愚民どもめ、うるさいわ!)
454世界@名無史さん:02/05/28 22:20
>>453
どう思うかと問われると困ってしまいます。
あの世界史野郎Aチームのスレは、冗談、おふざけのスレですので
(2ch用語でネタスレってヤツですね)

私は捨て置いておいても構わないかと思うのですが。
逆にコピペされた意図をお聞きしたくなってしまいます。
455448:02/05/28 22:43
>>452
ローマカトリックは現存する世界最古の官僚組織。
そうですね。ローマカトリック教会は教皇(パーパ)を
ピラミッドの頂点にすえた、組織です。西欧世界の
歴史の背後につねにありました。
これに、対して東方正教会はこういった強い権力の
ピラミッドはありません。
なにせ、教皇は神の代理人ですから。教皇は神より
低いものだけど、一般ピーポーよりは大いなるものですし。
教皇は、天国の鍵をもつペテロ(岩の意味、教会の礎)の
後継者なんですし。カトリックは、地上にある神の国と
いうところなんでしょうかね。
だから、聖俗併せ持つことで続いてきたんでしょう。
456世界@名無史さん:02/05/28 22:44
>>452
ただ、現在の英国国教会やロシア正教会は、ローマ・カトリック教会に
比べてある種の「活力」を失ってしまっているように思えるのですが。
(あくまで印象です)
457442:02/05/28 22:58
>>445-446
443師、ご教授いただきありがとうございました(誤変換に非ず!)

極端な意見では、
「神への祈りとは所詮、自己の力を引き出すための媒介にすぎない」というものがありますが、
そういった先人たちの試行錯誤を知るといろいろと考えさせられるものがありました。
458世界@名無史さん:02/05/29 18:06
>>449
>ルネッサンス以前も、ルネッサンス期を経てしばらくしても、
>西欧では絵画は独立した美術のジャンルとはみなされていませんでした。
>タブロー画は習作の類でした。

そんなことはありませんよ・・・・
ミニアチュールや祈念用の聖画、祭壇画をみてくださいな。
それと宗教美術を離れて、世俗美術ですね、様々な独立した絵画がありますよ。
彫刻や絵画は、教会などのモニュメンタルな建築に含まれる要素とみなされていて、
ミニアチュールも教会の備品であるから例外でない、といった理論もよくわかりません。
中世美術の特徴として、建築に絵画や彫刻が従属しているという場合は、
あくまで物理的な意味でいうんですよ。
例えば、ゴシック聖堂の扉口の彫刻群だとか、穹窿のモザイク壁画とかですね。

それと>>448さんが挙げられている「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」は
正しく貴族のための豪勢を極めた時祷書であって、
全く教会の備品なんてものではないです。

>このような美術のジャンル観念は各国の王朝にも継承されバロック期、
>ロココ期を通じて続いていくことになります。

これもちょっとおかしいですね。
確かに、建築と彫刻と絵画の融合というのは南方バロックの十八番ですが、
だからといって絵画が建築に従属していた、あるいは上位である、
という事実は認められないと思います。

>a「宗教改革を経て挿し絵入りの聖書が印刷されるようになる動き」
>b「ロマン主義絵画を経てタブロー画が市民階層の自宅装飾用にも購入されるようになって以降」

宗教改革以前にも、民衆層に聖書主題の版画は出回っていました。
ですから、これによって建築>絵画という図式が崩れたとは、とても思えません。
それとロマン主義以前にも、タブロー画は市民階級が購入できるものでしたよ。
古くは15世紀のイタリア、17世紀のオランダフランスといった具合に。

私が思うに、建築>絵画という定式が1800年代前後まで残存していて、
それから崩れていったというのは、誤りだと思います。
そうでなく、中世には概して絵画や彫刻は建築に従属するものであって、
当然に建築>絵画と認識されていた。
その後、諸原因から、絵画が建築から解放されタブローとして制作されることが多くなり、
また表現力が豊かになったとき、もはや建築>絵画と誰も考えなくなった、
ということだと思います。
459=449:02/05/29 20:57
>>458
どうもありがとうございます。
えーと、質問です。
>それと>>448さんが挙げられている「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」は
>正しく貴族のための豪勢を極めた時祷書であって、
>全く教会の備品なんてものではないです。

これですが、貴族の館に付属した教会の備品なのではありませんでしたか?
そういうつもりで書いたのですが。
どうでしょうか?

>私が思うに、建築>絵画という定式が1800年代前後まで残存していて、
>それから崩れていったというのは、誤りだと思います。

これについては、それから崩れたと主張するつもりではありませんでした。
一方、上層には建築>美術という観念は1800年代前後まで残存していたと考えられます。
社会階層によって観念に拘束される強度は異なったと思います。

書き方が曖昧でしたことは、すみません。
崩れる過程と、その動因を私的しようと思いました。

>その後、諸原因から、絵画が建築から解放され
の諸原因の内主要な物、を挙げたつもりです。
460世界@名無史さん:02/05/29 23:55
>>451
>ビザンティン美術(東ローマ帝国の一部、コンスタンノープル)
>の粋のハギア・ソフィア礼拝堂のモザイク画とかは、ルネッサンス
>より前だし(何年とはっきりいえなくてごめん)

ハギア・ソフィアにはイコノクラスム以前のモザイクは残っていません。
いま残っているモザイクは10−13世紀くらいのものです。

でも、十分、西欧のルネサンスよりは時期的に早いですね。
絵画的にも、ハギアソフィア2階のデイシスは、ジヨットあたりよりはよっぽど
"進んだ"表現に見えるな

イコノクラスム以前のビザンティンモザイクとしては、ラヴェンナのサン
ヴィターレ聖堂なんかが有名ですね。人の顔の表情にローマンモザイクの
特徴が残っていて、古代の残照という感じです。
461世界@名無史さん:02/05/29 23:59
ビザンツの芸術復古としては、コーラ修道院(カリエ・ジャミ)のフレスコ画も
いい。

同時代の西欧にあれだけの表現力のある画家はいたと思えない。
462460:02/05/30 00:04
>>448だった。>>451じゃなくて
463448:02/05/30 09:14
いろんな、レスがついていてとても、勉強になります。
>>460
ハギア・ソフィアについて、ありがとうございます。図書館で、本を見て、
ああすごいな、と思いその印象を書いたのでした。
自分が、もうすっかりそういう世界から遠ざかっているつもりでしたが、
やはり、心惹かれるものはいいですね。いつか、その場に
逝ってみたいです。
ハギア・ソフィアは名前が好きですね。神の叡智というところなんでしょうか?
神の叡智と言うのは、美しい衣をまとった女性の姿でたとえられたと、何かの
本で読みました。思弁的、瞑想的な正教のイメージとあいます。
私は、高校の頃は、ルネサンスいいな、とか思っていましたが、30近くなり
ビザンティン美術の深みを持った姿にひかれました。ただ、もともと
専門的知識もありませんから、ついているレスは大変ありがたいです。
東方正教会、ビザンティン美術は、カトリック、西欧美術に比べ、脚光のあたり
方が弱いような気がします。

>でも、十分、西欧のルネサンスよりは時期的に早いですね。
>絵画的にも、ハギアソフィア2階のデイシスは、ジヨットあたりよりはよっぽど
>"進んだ"表現に見えるな

私も、そう思います。すくなくとも、ルネサンス期までは、東方正教会の方が
カトリックが拠点としていた西側より、文化的水準の高さを感じます。

>>449
>>458
建築、絵画発展についての示唆的な考察レスありがとうございます。


464世界@名無史さん:02/05/30 11:47
ええと、キリスト教では「罪」ということがよくいわれますが、
罪の意識というのは、実際のところ、欧米人の行動様式にどのくらいの
影響を与えているのでしょうか?

欧米人はよく「西洋の文化は罪の文化だ」とか、
「仏教徒はキリスト教徒ほど明確な倫理観をもっていない」とか
主張したがるようですが。
(つまり、倫理・道徳の面で西洋人は東洋人より優れていると
言いたいらしい)
465世界@名無史さん:02/05/30 13:05
>>464
これ、歴史的に検討するのすごく難しいテーマです。
>キリスト教では「罪」ということがよくいわれますが、

これは元々、旧約で半ば神話的表現で語られている、原罪思想の文脈から捉えていかないと検討が混乱します。
原罪思想って現代人の、少なくとも日本社会の通念からは凄く理解しづらいですし、
欧米人が考える「原罪思想」も、西欧社会がキリスト教をいかに受容したかという歴史に関るので、簡単に要約することはできません。

>欧米人はよく「西洋の文化は罪の文化だ」とか、
>「仏教徒はキリスト教徒ほど明確な倫理観をもっていない」とか
>主張したがるようですが

こういう意見は、文字通りの意味にとらない方がいいと思います。
>>460で紹介しましたが、17世紀の西欧社会は当時の中国文明に接したとき、物凄く衝撃を受けています。
倫理学についても、ライプニッツなどが中国の方が優れていると主張し、こうした意見は啓蒙思想家達に受け継がれました。

倫理学、という分野に限定するなら、17世紀の西欧人は、主に中国で接した儒教に驚いたわけですが。
同時に、「儒教が、当時の中国社会の社会秩序のバックボーンになっている」と理解して驚いたわけです。

欧米人が「仏教徒はキリスト教徒ほど明確な倫理観をもっていない」と言う場合、
仏教徒の間で、どの仏教経典が正統なものとみなされるのか判断が困難だ(儒教には『尚書』があります)、とか、
仏教の価値観では俗世間を捨てての修養という価値が、儒教やキリスト教よりも重きを置かれる、
(キリスト教にも俗世間を捨てる修道僧の伝統はありますが、西欧では、
修道院も社会との関係を取り結びながら発展しました――東方正教会や、エジプト、近東とは事情が異なります)
などなどの点が彼らの前提からは理解し難いがために生まれた、欧米人流の異文化誤解だとは言えます。

私が思うには、「仏教徒はキリスト教徒ほど明確な倫理観をもっていない」は欧米人流の異文化誤解ではありますが、
根も葉もない勘違いとも言い切れない点が面倒だと思います。

>罪の意識というのは、実際のところ、欧米人の行動様式にどのくらいの
>影響を与えているのでしょうか?

については、とりあえずは、時代によって違いますし、人によって違います、としか言えないです。
答になってないはずですが。簡単に議論できることでは無いと思います。

社会的事実としてはどうかと言うと、政教分離が達成されてからは、
宗教的な原罪思想と、日常的な罪悪感を混同することは欧米社会ではスタンダードではなくなっています。
もちろん、キリスト教ファンダメンタリストのように、原罪思想と、日常的な倫理観を混同する人々は現在でもいるわけですが、
こうした思想は社会的にはスタンダードではない、と一応は言えると思います。
※例えば、クローン人間の作製とか、旧来の日常的倫理観で判断が困難な問題が新たにおこると、繰り返し、キリスト教的な倫理観「も」動員されて社会的な議論になります。
※ですから「一応は」の限定を付けています。
466>>465の修正:02/05/30 13:19
>>465では、重要な点で不正確な表現がありましたので、修正、捕捉させていただきます。

×>社会的事実としてはどうかと言うと、政教分離が達成されてからは、
>宗教的な原罪思想と、日常的な罪悪感を混同することは欧米社会ではスタンダードではなくなっています。

修正>社会的事実としてはどうかと言うと、政教分離を経て、信教の自由を含んだ基本的人権の理念が定式化された後は、〜

捕捉>啓蒙思想家達は、キリスト教的な思想を乗り越えようとして、基本的人権の理念を構築した、と言えます。
理念が定式化された後も、社会的に実現されるまでは紆余曲折があったわけですが。
そういう意味では、「キリスト教で言われる『罪』」の観念も、
歴史的には、「欧米人の行動様式」に間接的影響を与えてきた、とは言えると思います。
が、宗教的な原罪思想と、実社会での罪悪感は混同して捉えない方がよいです。
例え、混同している欧米人が一部にいた場合でも、そこには混同がある、と指摘できた方がよいと思います。
467448:02/05/30 14:15
原罪とは何か?
私はこの点にしぼってだけ、お話します。
関連性まで示すと、ものすごく難しくなってしまうので。

キリスト教では「罪」を、道徳観からみた罪悪や法律上の犯罪
と区別しています。
(日本では「罪」と言う一言も、諸外国(キリスト教国ということで)
では、その内容によっていろいろな言葉があります)
そして、宗教的意味合いをもってこの言葉を用いています。これは、
人間の原初的、根源的な罪であるので「原罪」とよばれています。
原罪に関して、聖書(旧約聖書=ユダヤ教の聖典)では、「創世記」の中に、
その元となったエピソードがあります。

神は最初に世界のあらゆるものを創造します。
最初に創られた人間はアダムと(そしてその体の骨から創られたは女性の)
イヴでした。二人は最初、エデンの園に裸で暮らし、何不自由してはいませんでした。
しかし、あるときイヴが蛇にそそのかされて、アダムと共に、園の中央にある善悪を知る木
の実を食べてしまいます。そして、二人の目が開け、自分たちが裸であることに気付くのです。
その木の実は神によって、食べることを固く禁じられていました。
ここで、初めて人間は神にそむいたのです。神は、(知恵を得た、2人が園の中にある生命を
得る木から、木の実をとって永遠に生き続けるのをおそれ→ここを抜いて聖書を読む人は
多い)罪を犯した2人を、楽園から追放し、男には労働、女には出産の苦しみを与えます。
人間は額に汗して働き、やがて地の塵になるよう(死)運命付けられたのです。
そして、その罪は消えることなく、その子孫に受け継がれることとなりました。
これが、原罪についての起源的エピソードです。

原罪は神にそむく罪ですので、人間誰でも持っているとされます。
キリスト教ではイエスが十字架の死で、その罪をあがなった(贖罪)とされ、
キリストを信じるkとにより、罪から解放され永遠の生命を得ることが、
信仰の教義になっています。

ただ、日本人にとって(その罪と言う観念)は分りにくいものです。
カトリック作家の遠藤周作「海と毒薬」等の作品、三浦綾子「氷点」で
この問題に向かい合っています。
「氷点」が、私には原罪と言う点では、分りやすかったのですが。
どんなに清い人間でも、知らずに罪を侵しているということの可能性。
分りにくく、長くなってどうもすみませんせした。



468世界@名無史さん:02/05/30 14:52
>>465
>>466
>>467
どうもありがとうございます。
こういうことを主張する欧米人は、学者よりもジャーナリストや一般人に
多いようです。
そういう書き方をしたほうが読者ウケする、ということもあるのでしょうけど。
ようするに、専門家でもない人間が生半可な知識を振り回している、
という面があるようで。
469=465:02/05/30 15:09
>>467
どうもです。
「原罪」について解説していただけたので、勝手ですけど、少し捕捉させてください。

>キリスト教では「罪」を、道徳観からみた罪悪や法律上の犯罪と区別しています。(>>448

この議論は、多分ここで戸惑う人が少なくないと思います。
戸惑いは、道徳/倫理の日本語の概念と、欧米語での概念の差違によります。

興味のある方はお手元の日本語辞書を調べていただきたいのですが。
普通、日本語辞書には、道徳は「社会的に共有された良い/悪い(good/bad)の価値尺度」といった意味が記されているはずです。
倫理の方は「個々人が内面的に有する善い/悪い(just/eveil)の価値尺度」といった意味が記されているはずです。

私も、自分ではきちんと調べたことは無いのですが、
上に書いた道徳/倫理の辞書的な定義の違いは、日本語に伝統的な差違ではなく、
明治期の翻訳語が関って生じた差違だと聞きます。

「道徳」の方が明治以前の意味が継承されてて、「倫理」の方は明治以前の意味が変質されたはずです。
ですから、辞書に書かれているような道徳/倫理の意味の違いは、普通日本語の日常会話では意識されることがマレです。

例えば、日本語で「人倫にもとる」と言う表現が、普通に意味が通じますが、
英語でこれをEthics(≒倫理)を用いて表現をしようとするとなかなか苦労すると思います。
Immoralと一言で言った方が早い。が、moralはどちらかと言うと「道徳」に近似の概念なんです。

欧米人が「仏教徒はキリスト教徒ほど明確な倫理観をもっていない」という意見は
少し私なりに意訳すると
「仏教徒(個々人)は、キリスト教徒(個々人の)間での明確な議論に用いられるような型では倫理観を持っていない」といったことを意味しているはず、と思われます。

これが、>>465で>>「仏教徒はキリスト教徒ほど明確な倫理観をもっていない」とか
>主張したがるようですが
>こういう意見は、文字通りの意味にとらない方がいいと思います。

と示唆したことの本意です。

私は、西欧人がこうしたEthics/Moralの差違を思想的に整理したのは、歴史的にはそう旧い時期のことではなく、近代以降であるように思っています。

が、西欧中世史の阿部謹也さんなんかは、こうした思想に関連した概念は、
中世から西欧人がキリスト教を自分たちなりに咀嚼しようとした長い積み重ねの上に形成された、という主旨のことを主張されてます。
正確に言えば阿部さんは別に「Ethics/Moralの差違」を問題にしているわけではないのですが。
例えば阿部さんの『西洋中世の愛と人格』に収められた諸編などが参考になると思います。
470世界@名無史さん:02/05/30 15:23
確か英語のEthicsはギリシア語のエートスが語源だったと思います。
この「エートス」という言葉自体、現代語にはなかなか翻訳しにくい言葉
でして(真摯で高邁な性格と訳してもぴったりこない)。
471世界@名無史さん:02/05/30 15:40
なんまんだぶ〜なんまんだぶ〜。
472世界@名無史さん:02/05/31 20:42
「ナチズムにはキリスト教の影響がある」
という主張についてはどうでしょうね?

よく引き合いに出されるのが、アウシュビッツの強制収用所の門に、
ドイツ語で、
「働けば自由になれる」
と書かれていて、これはキリスト教からきた言葉だ、ということですが。
473世界@名無史さん:02/05/31 21:10
>>472
ナチは、反カソリックでもありましたし、
ナチ思想とキリスト教の共通点は、ユダヤ民族差別と反マルクス主義くらいだと思います。

「千年王国」みたいな言葉のイメージをナチが借用しているとは思いますが、これは影響というようなものではなく内実が全く異なると思います。

「労働による自由」キリスト教から来た言葉ですか?
ちょっと思い当たらないのですが。どの辺でしょうか??
474世界@名無史さん:02/05/31 21:25
私が参照した『20世紀特派員』(産経新聞社)からの引用ですが、

この「アルバイト・マハト・フライ」の意味は、ナチズムに詳しいという
日本人ガイドが思い付きで言ったような単純なものではなかった。それどころか
ナチス体制下の強制収容所に必ず書いてあるこの標語には欧州思想史の根幹に
かかわる問題が含まれているのだ。
ミュンヘン郊外にあるダッハウ強制収容所はナチス政権が最初に建設した収容所
だ。そこで、ギムナジウム(ドイツの中・高校)の生徒に収容所の歴史的な意味を
説明している五十五歳の歴史科教師、ハーゲ・ドルンによると、
「アルバイト・マハト・フライ」を最初に提唱したのは十九世紀ドイツでセツルメント
(貧民救済)運動を始めたカトリック神父のケトラーだった。彼は産業革命の進行と
人口増加で急速に進む都市の荒廃を憂えて、「灰色の家」をミュンヘン市内に設置した。
ケトラーによると、新約聖書の「パウロの使徒行書」の内容には「勤労こそ世の中の邪念を
捨てさせてくれる」という意味があり、「社会からはじき出された失業者と犯罪者を
救う道は労働にある」と唱えたのである。
文字どおり「労働こそあなた自身を救う」というわけだが、実際、ケトラーの
始めた「灰色の家」は失業者対策としての職業訓練所的な側面が強かった。
しかも、ケトラーにとってキリスト教社会になじまないユダヤ人は矯正を
必要とする人々だったのである。

475=473:02/05/31 22:41
>>474
どうもです。
なるほど。

>十九世紀ドイツでセツルメント(貧民救済)運動を始めたカトリック神父のケトラー
という人のことは私はよく知りません。
が、紹介された「使徒行伝」のケトラー解釈は、カトリック伝統的なものではない、とは言えます。

推測になりますが、紹介された「使徒行伝」解釈は、カトリック聖職者であるケトラーが、新教が優勢だったドイツの宗教文化の内で独自に唱えたのではないか、と思えます。

一方、「労働による自由」は、確か、強制収容所の標語に用いられたのみでなく、ナチが一般大衆向けにも用いたキャッチフレーズの1つだったと思いますが。
強いて言えば、プロテスタント的な職業召命(大要では>世俗の職業であっても天命のようなものである)が見られる、と言えるかもしれません。
その意味では、キリスト教とまったく関係なしとも言えないでしょう。

が、20世紀になると、第一次大戦前後の頃から、カソリック聖職者の間で、教会内改革運動が生まれています。
労働司祭と言って、聖職者も一般的な労働に従事し、貧困などの社会問題に直接関わりを持つべきだ、という運動がカトリックの下部で起きています。
おそらく、「灰色の家」もそうした運動のルーツの1つなのでしょう。

この労働司祭の運動は、「解放の神学」と呼ばれるトレンドにもつながり、現在も南米やアフリカなど各地で推進している聖職者がいます。
その意味で、紹介されたケトラーと言う人の思想も重要なものなのだろうと思います。

が、ドイツでは労働司祭達もナチ政権に迫害を受けました。
ですので、「労働による自由にキリスト教(特にカトリック)の影響がみられる」とする『20世紀特派員』(産経新聞社)の要約は、論旨に無理があるように思えます。

ことに、「労働による自由」を強制収容所の標語として扱う事例については、
もし、これをキリストの影響を受けたものだとすれば
仮定の話ではありますが、ナチによるキリスト教思想のパロディ化と言えると思います。
それもかなり毒を含んだパロディ化になると思いますので、やはり、影響を受けたという判断は不適当なものだと思います。
476世界@名無史さん:02/06/01 08:15
>>474
>ナチス体制下の強制収容所に必ず書いてあるこの標語には欧州思想史の根幹に
>かかわる問題が含まれているのだ。

>文字どおり「労働こそあなた自身を救う」というわけだが、実際、ケトラーの
>始めた「灰色の家」は失業者対策としての職業訓練所的な側面が強かった。
>しかも、ケトラーにとってキリスト教社会になじまないユダヤ人は矯正を
>必要とする人々だったのである。

『20世紀特派員』(産経新聞社)の筆者は、ナチによるユダヤ民族差別が、キリスト教からの影響だ、と
暗に示唆しようとしてるのかな?
前後の文脈読まないと判断つけ難い。

仮にそうだとしても、やはり論証、弱いと思うな。
西欧のユダヤ民族差別が、歴史的に西欧のキリスト教と関係ある、は正しいが。

>>474で紹介されてる部分だけでは論証弱いと思う。

>キリスト教社会になじまないユダヤ人は
とあるが、フランスやドイツのユダヤ系は18〜19世紀、富裕層を中心に、随分西欧社会への同化が進んでいたから
ミュンヘンでの同化事情とか、失業者の間でのユダヤ系の比率とかわからないと、論証としては弱い。
477474:02/06/01 12:51
>>475
>>476

「ヒトラーは第一次大戦後のドイツでそうした反ユダヤ的なスローガンを掲げ、
大衆に根強いユダヤ人差別を前面に押し出すことによって政治を大衆運動
として成功させたのだった。しかし、強制収容所でのユダヤ人虐殺の印象が
あまりに強かったため、ヒトラーとナチスだけが反ユダヤ主義に陥ったかの
ような誤解も生じている。」

と前置きがあって、私が引用した箇所の次に、

「ナチスはこのケトラーの言葉を強制収容所にかならず書き込ませていた。
ドイツ社会の犯罪者や脱落者を社会復帰させるための矯正という意味がそこに
込められていたことは疑いない。実際、ナチが建設した初期収容所であるダッハウの
巨大な屋根には、すぐに目につく白ペンキでこう書いてあった。
「自由に至る道はたった一つしかない。その道標は服従、勤勉、誠実、秩序、
清潔、節度、真実、犠牲、そしてとりもなおさず祖国への愛である」
収容された人たちの中には、ユダヤ人だけでなく社会民主党員や共産党員ら
政治犯、同性愛者もいたのである。

英国の歴史家、E・H・カーは「危機の二十年」や「ナショナリズムとその後」
のなかで、十九世紀末に英国が人類史上最初の強制収容所を南アフリカに設けた
事実を指摘し、個人のイデオロギーや思想を強制収容所で矯正しようとしたのは
単にナチズムだけでないと断定している。
カーによると、そうした時代の理念となったのが、ダーウィニズムだった。」

このあと、ダーウィニズムやジンゴイズムについての記述がありますが、
この文章を書いた記者は、ナチズムは突然変異的に発生したのではない
ということをいいたかったようです。




478474:02/06/01 12:53
ちなみにケトラーという人物については、

▼ウイルヘルム・ケトラー(1811−77年) 
カトリック聖職者で1850年、マインツの司教に就任。政治、社会問題に
関心が高く、1848年のフランクフルト国民議会や1871−72年の
ドイツ国会の議員にもなっている。労働者階級に対する福祉は教会の責務
であるとの考え方に基づき、社会活動に積極的に関与した。

と解説されています。
479世界@名無史さん:02/06/01 13:32
>「ナチズムにはキリスト教の影響がある」 (>>473
>ナチによるユダヤ民族差別が、キリスト教からの影響だ(>>474
>ナチズムは突然変異的に発生したのではない (>>477

これらは歴史的深度がまったく異なる話題だ。

特に、>ナチによるユダヤ民族差別が、キリスト教からの影響だ
だが、「ヨーロッパのユダヤ民族差別は、キリスト教会の影響だ」は正しく、中世西欧や、その前末期ローマ帝国の時代まで溯らないと経緯を整理できない話題だ。
(歴史的深度は深い)

>個人のイデオロギーや思想を強制収容所で矯正しようとしたのは単にナチズムだけでないと(>>477
これも歴史的には正しい。
ヨーロッパ諸国は、近代化と並行して、浮浪罪なんて刑法を作って、定職につかないものを収容して矯正しようとしたり
精神病院を作るようになった。
精神病院の収容基準は当初は幅広くて、病的に性欲が強い者、なんてカテゴリで密通者を収容したりもしてた。
(精神病院の収容基準が厳しく限定されるようになる過程はそれだけで歴史研究のテーマになる)

これらは、西欧近代化の歴史のダーク・サイドで、こうした面を研究しているのは、例えばM.フーコーなどが有名。

>ナチズムは突然変異的に発生したのではない
は多分歴史的にも正しい主張だと思う。

が、それを言わんがために、「ナチズムにはキリスト教の影響がある」と言うのはやはり無理がある主張。

「ナチズムは西欧近代化の思想が一部で極端化したもの」と言われるのなら、首肯できる。
480474:02/06/01 21:01
>>475
>>476
>>479
ご回答ありがとうございます。

ちなみに、塩野七生氏は、『ローマ人の物語 V 勝者の混迷』(新潮社)で、

「イエス・キリストは、人間は『神』の前に平等であるといったが、彼とは
『神』を共有しない人間でも平等であるとは言ってくれていない。それゆえ、
従来の歴史観では、古代よりは進歩しているはずの中世からはじまるキリスト教文明も、
奴隷制度の全廃はしていない。キリスト教を信ずる者の奴隷化を、禁止したに
すぎない。だから、ユダヤ教信者を強制収容所に閉じ込めるのは、人道的には非でも、
キリスト教的には、完全に非である、と言いきることはできない。アウシュビッツの
門の上に掲げられてあったように、キリスト教を信じないために自由でない精神を、
労働できたえることで自由にするという理屈も成り立たないではないからである」

と書いています。
もちろん塩野氏は歴史学者ではなく作家ですが、これを読んだ人の中には
誤解する人も出てくるかもしれませんね。
481世界@名無史さん:02/06/01 21:50
塩野さんてDQNなんだね。
イエス時代と、その後のキリスト教との差別化を同列にあつかってるし、
善きサマリア人のお話もしらないのね。
それに福音書の中に、父なる神を信じていさえすれば平等なんてことは
書いてないんじゃないの?

あと、奴隷云々の思想的根拠はアリストテレスだよ。
ローマ史とかやってんのにアリストテレスの思想も知らないの?
480さんが紹介してくれたおかげで、無駄なお金使わなくて済んだよ。
ありがたう。
482480:02/06/02 11:08
>>481
あとですね、塩野氏は『男たちへ』(文芸春秋)のなかで、

「あるとき、外国人のほうが多いシンポジウムの席で、日本人の働き好き
を弁明する羽目になった。
(中略)
キリスト教徒にしてみれば感じるのは当然の、労働につきまとう忌まわしい
イメージについても、お話しする必要があるように思います。
アウシュヴィッツの強制収容所の鉄門の上には、ドイツ語で、労働は精神を
自由にする、と彫まれていました。ヨーロッパ人ならば知っている事実です。
ただ、これはナチの独創でないこともご存じでしょう。
キリスト教では、とくに中世のキリスト教では、奴隷貿易を認めていました。
売り買いする奴隷が、キリスト教徒でなければよいという条件つきでしたが。
それは、キリスト教の信仰者でない者を、肉体的な労働できたえなおすことによって、
異教徒である、またはいまだキリスト教を知らないこれらの人々に、精神の自由を与え、
最終的にはキリスト教徒として救ってやるという、彼らなりに論理的な帰結だったのです。
だから、奴隷貿易は悪ではなかった。そのちゃんとした大義名分が、二十世紀まで生き残ったのが、
アウシュヴィッツの鉄門上の文句ということです。」

キリスト教史の専門家からみたら、この発言には間違っている箇所がありますか?
483≠481:02/06/02 12:49
>>482
>>482で紹介された塩野さんの意見についてです。

>彼らなりに論理的な帰結だったのです。
>だから、奴隷貿易は悪ではなかった。そのちゃんとした大義名分が、二十世紀まで生き残ったのが、アウシュヴィッツの鉄門上の文句ということです。

さすがに、塩野さんは文学者なので、レトリックに長けています。
私は>>482で紹介された意見の論旨は、きわどい線を縫っています。

間違いとも言えないですが、背景の西欧史を考えると、とても一面的です。
西欧の奴隷貿易の歴史の一面だけを強調した型になっている。
そのために、大変、誤解を招き易い。

塩野さんは文学者なので、その点に自覚的なのではないか、と思います。

けれど、>>480で紹介された塩野さんの意見の方は、いくつか誤った論述がみられます。
>奴隷貿易は悪ではなかった。そのちゃんとした大義名分が、二十世紀まで生き残ったのが(>>482
>キリスト教を信ずる者の奴隷化を、禁止したにすぎない。だから、ユダヤ教信者を強制収容所に閉じ込めるのは、人道的には非でも、キリスト教的には、完全に非である、と言いきることはできない。(>>480

この2つの主張の間には、内容面に大きな違いがあります。
484>>483の続きです:02/06/02 12:53
ナチズムとキリスト教思想の違いについて。

まず、>475に書いたナチズムとキリスト教の差違の件を捕捉します。
ナチズムには、民族差別と人種差別が恣意的に混同され、さらに優生思想と結びつけられた現代的な差別主義がみられます。

一方、カソリックや大方のプロテスタントは、宗教倫理から優生思想には反対しています。対象がクリスチャンであれ、非クリスチャンであれ、断種とか人口中絶には否定的です。

例えば、ナチ政権は精神病者を安楽死処分にしてましたが、一説によれば、これがヴァチカンに嗅ぎ付けられ、国際的に公表されそうになっったがために処分を中断したと聞きます。優生学的に問題がある、とした人物には強制断種などもおこなっています。
※参照≫山本秀行、世界史リブレット『ナチズムの時代』、山川出版社

仮に、影響関係云々を言うにしても、この点での違いは決定的なものとして、認められるべきです。

ただし、この件には反面もあります。(ナチズムとの関連ではありませんが)
例えば、ヴァチカンの人工中絶に極端に否定的な教説、この影響力は各国で社会的な議論を招いてもいますよね。
485世界@名無史さん:02/06/02 12:55
ある長さの線分が、はみ出さずに内部で360度回転できる最小面積の図形は、
正三角形の3頂点を「人」のように引っ張ったような図形と聞いた。
で、それは納得できる。

しかし理論上は、横がその線分と同じ長さで、縦が無限小の長方形であるというようなことを、聞いたことがある。
これはどういう理論?
486>>484の続きです:02/06/02 13:40
>>482で紹介された塩野説の一面性について
>キリスト教では、とくに中世のキリスト教では、奴隷貿易を認めていました。
>売り買いする奴隷が、キリスト教徒でなければよいという条件つきでしたが。

まず、この部分ですが、西欧史における奴隷貿易、という視点では、塩野さんの意見は一面的です。
例えば、次のように言うのが正しいです。
中世西欧では、カトリック教会が、無制限な奴隷狩り・奴隷貿易の対象を、非キリスト教徒に限定するところまで指導した。

日本語で書かれた西欧史では、体系的に論じられたもの、私もみたことないのですが、
ローマ帝国末期や、中世西欧では各地で奴隷狩りや奴隷貿易がみられました。

特に辺境部や、交易・旅行ルートの辺ぴな箇所で、海賊に襲撃された人たちが奴隷として売られるような事が珍しくなかった。

中世西欧では、初期にまだキリスト教に改宗していない段階のヴァイキング達がキリスト教徒、非キリスト教徒を問わず奴隷貿易に供しました。
後に、ヴァイキング達のキリスト教化が進むのと並行して、カソリック教会の指導も進んだので、今度は奴隷貿易の対象は、当時非キリスト教徒だったスラブ人などに限られるようになりました。

これら奴隷達が売られた先は、東方、イスラム圏です。
イスラム王朝や大商人に使用された白人奴隷の供給先はヨーロッパでした。

もし、中世を通じての白人奴隷の対象変化に、信徒と非信徒に差別的なキリスト教の特徴を見て批判する、というのなら、それはまた(今問題にしてる塩野さんの主張とは)別内容の主張です。
ここでは、中世と言っても時期によって違うが、カソリック教会も決して万能の存在ではなかった、と言っておきます。

中世西欧では、カトリック教会が、無制限な奴隷狩り・奴隷貿易の対象を、非キリスト教徒に限定するところまで指導した。

歴史的には、上は、歴史的限界は認められるものの、やはり中世カソリック教会の貢献とみなさざるを得ないはずです。
487>>486の続きです:02/06/02 14:09
>>482で紹介された塩野説の間違いについて

>キリスト教では、とくに中世のキリスト教では、奴隷貿易を認めていました。
売り買いする奴隷が、キリスト教徒でなければよいという条件つきでしたが。
>キリスト教の信仰者でない者を、肉体的な労働できたえなおすことによって、 異教徒である、またはいまだキリスト教を知らないこれらの人々に、精神の自由を与え、最終的にはキリスト教徒として救ってやるという、彼らなりに論理的な帰結

西欧史では、普通はこういう整理は唱えられていません。

この件は、もしかすると、ローマ在住の塩野さんが、私の知らないような歴史文書、あるいは研究学説を踏まえている、という事はあるかもしれません。
が、だとしたら、塩野さんは意見の主張と同時に、その論拠に言及すべきです。

正しくはこうです。
中世において、カソリック教会は、世俗的な労働の価値に重きを置く教説を唱えてはいなかった。
それどころか「二重道徳説」と呼ばれる教説で、俗人は聖職に預かる者より道徳的に弱い存在なので、キリスト教の教えを完璧に実行することができないのは仕方ない事である、と説いた。
この「二重道徳説」を否定したのは、新教であり、特にカルヴァン以降のプロテスタント諸派で、世俗の職業もそれに専心することは、推奨されるべきことと説かれた。

>キリスト教の信仰者でない者を、肉体的な労働できたえなおすことによって、 異教徒である、またはいまだキリスト教を知らないこれらの人々に、精神の自由を与え、最終的にはキリスト教徒として救ってやる

カソリックで、これに類した事が言われるようになったのは、中世ではなく、大航海時代以降のことです
大航海時代は、その初期が、中世末期に含まれることもありますが、この労働による異教徒矯正思想は、普通は近世のそれ、と言われます。

すでに書いたように、カソリックは伝統的に世俗的労働の価値を積極的に認めない伝統を長く持っていましたので、
大航海時代にカソリックで言われたのは塩野さんの要約のようなものではなく(塩野さんの要約はプロテスタント的)、もっと人種差別的なものでしたが。
今はそこの差違については置いておきましょう。

で、18〜19世紀はどうか?
と言うと、カソリック教会の方ではかえってこうした思想は後退していきます。
プロテスタントの方はどうか、と言うと教派ごと、また地域ごとにバラつきがみられます。

アメリカの新教会では、ずっと後まで唱えていた教派もある、とか。そうした状況です。
西欧では、カソリック、プロテスタントを問わず、異教徒の強制的教化の正当化は、近代に入って、特に、政教分離が社会的にも実現してから後退していきました。

>>475に書きましたが、カソリックの方で、世俗的労働の価値を再評価する動きが出るようになったのは、普通は20世紀に入ってからと言われます。
>>474で紹介していただいたケトラーと言う人の思想・社会運動などは、その先駆的なものなのでしょうが。
これは、社会的な貧富の格差などの社会問題への対応が説かれたもので「異教徒の教化」と言った内容ではない、と考えられています。
同じ考えから、塩野さんの言ってるような歴史整理は、普通はされていません。

※この件は>>474で紹介された、『20世紀特派員』(産経新聞社)の論旨への疑問を>>475で挙げました。>>476で挙げられている指摘も正しいです。
488>>487の続きです(まとめ):02/06/02 14:25
>>483-487の総括です
>>480>>482で紹介された塩野説の時代錯誤について

>>481の方が
>イエス時代と、その後のキリスト教との差別化を同列にあつかってる
と批判していますが。
私も同感です。同様の時代錯誤は>>482で紹介された意見にも見られます。

時代錯誤な説と言うのは、歴史的経緯が混乱し錯綜した型で唱えられているものですから、
その誤りを指摘するのは、どうしても長くなりました。
とりあえずのまとめとして、>>480>>482で紹介された塩野説の時代錯誤について総括します。

古代の間は、キリスト教も奴隷制を是認しています。
残酷な主人(奴隷の所有者)を批判しても、奴隷身分の人には奉仕を推奨もしました。

この件の理解の仕方には、いくつかの異見がたっているところですが。
私は、初期のキリスト教が、間もなく終末がやってくる、という観念を前提にしていたため、と考えるのが、非キリスト教徒が異文化としてのキリスト教を理解してくにはいいだろうと思っています。

ナチズムとの比較で話題の焦点にした、勤労の価値については、新約諸編では、直接語られている箇所はほとんど無いはずです。
旧約にも、勤労の勧ととれる箇所もあれば、「人間が労働をしなければならないのは失楽園による原罪への罰」といった説もみられます。
ですから、>>480や、>>482の塩野説も半ばは正しいことを言っています。

労働の在り方について、国家の在り方について、奴隷制の是非については、カソリックや、プロテスタントや、オーソドックス(正教)が、それぞれの立場で歴史的に、聖書を解釈してきた教説内容だ、と言えます。
すでに説明したように勤労の価値がキリスト教義と結び付けられるようになったのは、普通、ヨーロッパではプロテスタント、特にカルヴァン以降のことです。

私は、こうした歴史経緯を整理してくのが、キリスト教についての歴史的考察だろうと思います。
キリスト教は宗教思想ですから、キリスト教側では、例えばカソリックだったら、ヴァチカンが聖書の内容を正しく解釈した結果が教説になってる、と主張しても構わないのですが。
歴史的にみれば、教説内容にも歴史的経緯は跡付けられます。

紹介された塩野説の
>従来の歴史観では、古代よりは進歩しているはずの中世からはじまるキリスト教文明も、
奴隷制度の全廃はしていない。(>>480

というところは、「中世が古代より進歩しているはず」と言う点がまったくの歴史錯誤と言えます。
>>482
>彼らなりに論理的な帰結だったのです。
>だから、奴隷貿易は悪ではなかった。そのちゃんとした大義名分が、二十世紀まで生き残ったのが、アウシュヴィッツの鉄門上の文句

と言うのも、時代錯誤です。
大航海時代のキリスト教説と、現代に入ってのキリスト教的労働観の間には歴史的な断絶がありますし。宗教思想としても文脈が異なります。
489世界@名無史さん:02/06/02 15:19
>>484
>>487
>>488
ありがとうございます。
異教徒の権利を認めるローマ教皇や神学者や聖職者(インノケンティウス4世、
トマス・アクィナス、ラス・カサス)などに触れずにキリスト教史を論じるのは
あまりにも一面的ですね。
「コンスタンツの論争」や「バリャドリードの論争」では、一方の
当事者が異教徒だという理由だけで彼らを奴隷化したり、財産を
奪ったりすることに反対していますし。
490世界@名無史さん:02/06/03 10:28
キリスト教が日本であまり広まらなかった理由ですけど、教会側が
あまりにも杓子定規な布教の仕方をしたのも、その一因ですか?

ゲルマン人に対して布教したときは、ずいぶん柔軟なやり方(ゲルマン古来の
慣習も一部組み込むような方法)をとったと聞きましたが。
491世界@名無史さん:02/06/03 13:45
>>490
それに関しては、遠藤周作が短編小説集「母なるもの」の中で、
語っていた。精神風土的な問題として…

隠れキリシタンが、(きびしい時代を)生き抜いて、明治またキリスト教
の布教ができるようになったとき、神父たちは、隠れキリシタンが今でも
信仰を守ってるのを知り、感動し、接触をはかり、彼らが何を
拝んでいるのか知って、驚くと言う話。彼らが礼拝していたのは、
イエス・キリストでなく(彼らと同じ農婦の姿をした)聖母マリアだった。

遠藤周作は、自分が親の影響で(日本においては当時なじみのない)クリスチャン
になることで、日本とキリスト教のかかわりという問題について結構、
書いている。是非はあると思うが、この問題を考えるとき、貴重な作家だと
思う。

専門的見解については、誰かがこのスレにカキコしてくれると思います。
492世界@名無史さん:02/06/03 18:14
>>490
>キリスト教が日本であまり広まらなかった理由
については、いろいろな事が考えられています。

>あまりにも杓子定規な布教の仕方をしたのも、その一因
というのもよく言われる事で、考えるべきテーマだと思います。

他に、よく言われているのは次のような事でしょう。

●初期にキリスト教を受容した日本人(日本人キリスト教者の近代第一世代)の間では、佐幕派の士族出身者が指導者となった。そのため、彼らの指導方針には独特の偏りがあった。

●明治以後の日本社会では、伝統的なイエ制度を拡大した疑似家族主義が唱えられた(例えば、国民は天皇の赤子と言った神話的な言説)。キリスト教の内にある個人主義的な側面は、この疑似家族主義と軋轢を招いた。
この件については、キリスト教の内にある「個人主義的な側面」が日本の伝統的な地縁主義とも軋轢を招き易いことを併せ考えると理解が進むと思います。

●明治22年(1899)大日本帝国憲法で「信教の自由」が明文規定された後、ミッションスクールが創設されるようになった。
が、ミッションスクールでキリスト教に接する階層は、大正時代以降勃興する中産階層以上に限定された。
この層でのキリスト教理解は、傾向としてキリスト教思想と人道主義(欧米のヒューマニズムの日本的理解)とが渾然一体となった曖昧なものだったし、教養主義的に理解されることが多かった。

●明治24年(1891)明治政府が公布した「学校教育大綱」は、「神道(国家神道の儀礼)は宗教祭儀ではない」という理論を踏まえたものでで、信教の自由が形骸化された。
この件は明治32年(1899)に「宗教教育禁止令」が施行され、ミッションスクールでも宗教教育が禁止された事で完遂された。
内務省令で、日本国内におけるキリスト教布教が公認されたのが、同じ明治32年だった事も重視されるべきである。
それ以前のキリスト教布教は、未公認のものであり、欧米諸国との外交関係上施行された「キリスト教布教が公認」と「宗教教育禁止令」の同年施行には、明治政府の政治的意図が推測される。
当時の日本のキリスト教団の方も「神道は宗教ではない」との政府見解に迎合的だった。

●20世紀に入ってからの日本で、一時的にキリスト教の教線が伸びた時期があったが、この時の入信者の主体は、都市中産階級だった。農村や都市下層では教線が伸びなかった。
この件については「日本救世軍」の活動などの例外はあり。

○あまりにも杓子定規な布教の仕方をした
については、明治時代〜戦前の日本を訪れた外国人宣教者の方に、日本の文化-社会システムに対する理解が薄すぎた、と言う主旨の事はよく言われると思います。
これは、私はちょっと判断保留なんですが。
あり得る事で、そう言っても構わないのだろうな、とは思っています。

ただし、この件については、近代日本でのキリスト教宣教は、専任のキリスト教宣教者だけによったのではなく、
明治期に日本に招かれた各種知識人、技術専門家を通じても広まったという事情も考慮した方がよいと思います。

総合して個人的な意見を述べると、
日本社会の側からすれば、民主主義、個人主義、自由主義、社会主義、などなどの近代西欧思想とキリスト教は、短期間の間にほぼ同時に紹介されたため、言わば選択肢が多すぎた、と言えるだろう、と思います。
キリスト教の側について考えると、日本社会に伝統的な、地縁主義、大家族主義との思想的対話をうまく処理できてない、と言えるのではないかと思います。

それから神道との宗教思想的論戦、これは現在も進行中の課題なので、歴史的検討で結論づけることは困難です。

日本社会の方でも、神道は宗教なのか、宗教ではないのか、まとまった意見を聞くことはまれだと思います。
宗教だとしたらどういう宗教なのか、宗教でないとしたら、いつ頃からどのような経緯で宗教ではなくなったのか、などなどについてまとまった考えが聞かれないと思いますので。

キリスト教の問題としてだけ考えても有意義な検討にならないように思います。
493世界@名無史さん:02/06/03 18:16
>>490
>ゲルマン人に対して布教したときは、ずいぶん柔軟なやり方(ゲルマン古来の
慣習も一部組み込むような方法)をとったと聞きましたが。

>>490の質問主旨とははずれますが。
世界史板なのでちょっと言及させてください。

>ゲルマン人に対して布教したときは、ずいぶん柔軟なやり方(ゲルマン古来の
慣習も一部組み込むような方法)をとった

これは割りとよく言われることと思いますが。
長い時間の歴史経緯を圧縮した言い方で、少し不正確だと思います。

私が思うには、
ゲルマン人への布教に際しては、ゲルマン古来の慣習を一時にキリスト教化することはできなかった、
とでも理解した方が、歴史理解としては正解に近いように思います。

古代末期の宣教者達(アリウス派もアタナシウス派も双方)は、単身ゲルマンの部族社会を訪れ、殺されたり、追われたりしながら布教しました。
布教に成功した場合も、伝承によれば「部族に信仰されていた樫の樹の巨木を斧で打ち倒したが神罰を被らなかった」ので結果として、布教に成功した、
などと言う話が伝わっています。

古代末期〜中世初期には、ゲルマンへのキリスト教布教は、まず族長が改宗し、
族長が改宗したから、部族も信徒になると言う上からの改宗が主でした。
これは北欧への布教でも同じです。

キリスト教は、もともと都市部を拠点に広まった宗教(古代末期のこと)ですから、
西欧中世を通じて農村部での土俗信仰の残存は濃厚でした。
近世西欧の魔女狩りなどは、こうした背景を無視しては検討も理解もできません。

西欧中世を通じて復興した都市部から、異端(と呼ばれる)教派が多々でたことも、
ヨーロッパ人なりのキリスト教理解、受容の歴史として捉えられると思われます。

キリスト教史を検討することは、少なくとも西欧史を検討することに不可欠だと思う所以です。
494世界@名無史さん:02/06/03 20:44
>>491
>>492
>>493
ありがとうございます。
戦国時代末期から江戸時代にかけて、日本ではキリスト教に対する迫害が
続きますが、それはキリスト教そのものに対する反感というより、
そのバックにいるヨーロッパ諸国の植民地主義に対する警戒心や、
ヨーロッパ人が日本人を奴隷として売買したことに対する反感などが
混ざり合ったもののように思いますが。
もちろん、自殺の禁止、神の前での平等を説くなど、日本の支配階級にとって
邪魔な思想をキリスト教が含んでいるということもあったでしょうけど。
495494:02/06/04 08:55
前のカキコに少し補足しますね。
日本では、キリスト教を帝国主義や植民地主義と重ねて色眼鏡で見る人が
多いですけど、これは中国でも似たような状況らしいです。

2000年10月に、ヨハネ・パウロ2世が中国での殉教者120人を
聖人に列した際には、中国は
「帝国主義の栄光をひけらかす侮蔑的な行為」と激しくヴァティカンを
非難しています。
ヨハネ・パウロ2世は
「植民地支配勢力と結んで行われた布教活動は中国国民の利益と一致しなかった」
と19世紀から20世紀にかけての布教のあり方を謝罪してはいますが。
パール・バックの小説『大地』では、
「軍官学校で教えられたところでは、宣教師は宗教を売りものにして外国へ行き、
愚民を惑わして、何か秘密の目的で自分の宗派に引き入れるものだということであった」
という箇所がありますので、この時代には中国でそういうキリスト教イメージが
広まっていたらしい、ということが推測できます。
アジアの国々でこういうキリスト教イメージがつくられていくプロセス、というのも
興味深いテーマではあります。
496世界@名無史さん:02/06/04 18:34
>>495
>アジアの国々でこういうキリスト教イメージがつくられていくプロセス、というのも興味深いテーマ

そうですね。興味深いと思います。
私はこの方面は、断片的な事しか知らないので。
詳しい方のご意見をお聞きしたいと思います。

歴史の話題には違いないのですから、
歴史上の言説の主体がどこであって、対象はどうイメージされていたかの整理が肝要かと思いますが。
497=496:02/06/04 18:36
断片的な事しか知らないなりに、考えてみた事を書いてみます。

>>495
>中国は「帝国主義の栄光をひけらかす侮蔑的な行為」と激しくヴァティカンを非難
これは、私は政治的言説だと思うので、「帝国主義」は拡大解釈気味ではないかと思います。
間違ってると言う事ではなく、歴史的な話題の検討に付すには補正が必要かと思います。

植民地での宣教師については、丁度、植民地の人類学者(文化人類学者や社会人類学者)同様、
彼らが提供した情報が、植民地統治にも役立てられた、と言うことが多々あるわけですから。
これらを、西欧による植民地支配の協力者と見なす意見には根拠があります。

が、これらが教会の積極的方策なのか、各国政府の要求なのか、宣教師個々人の思想によるのかは時代により地域によりいろいろ違うし、歴史的変遷もあるはず、と予想されます。

戦国時代の日本に関して言えば、
キリスト教禁教の主体は、豊臣政権や江戸幕府なわけですから。
彼らの宗教政策(檀家制度)などと併せて考えれば、>支配階級にとって邪魔な思想をキリスト教が含んでいる
という要因が主で、
>バックにいるヨーロッパ諸国の植民地主義に対する警戒心
が従と言う整理の方がよいようにも思えますが。どうなのでしょうね?
個人的には、一向一揆との戦争の歴史が、彼らの政策決定に及ぼした影響は大きいように思いますが。

中国については、例えば太平天国の乱(1850〜1864)を主導した上帝会は、天主教(キリスト教)に刺激を受けた新興宗教ですので。
地域によっては、太平天国以前にも、西欧キリスト教の教義がそれなりに知られていたように思えます。
498世界@名無史さん:02/06/04 21:57
>>497
なるほど。
中国の場合、現在の中国政府が、キリスト教が反体制運動に転化するのを
恐れているのかもしれませんね。
政府が公認しない地下教会の摘発強化が続いているそうです。
中国政府が公認している教会は、「三自愛国」思想を掲げているそうです。
「三自」とは、「自分で管理し、自分で経費を調達し、自分で伝道する」
ことを意味しているとか。
つまり、外国勢力の徹底排除です。
499世界@名無史さん:02/06/05 04:14
http://teri.2ch.net/korea/kako/980/980567849.html
なぜ韓国人にはキリスト教徒が多いのか?

http://kaba.2ch.net/korea/kako/1005/10057/1005794268.html
韓国にキリスト教信者が多いって本当?


500世界@名無史さん:02/06/05 12:29
日本、中国の話がでたついでに、韓国のキリスト教についても過去ログを
読んでみましたが、どうやら、祖先崇拝、シャーマニズム、現世利益などの
伝統と大胆に妥協しているようです。
あと、日本の植民地時代にキリスト教が抵抗のよりどころになったこととか。
東アジア三国の中で、韓国だけがキリスト教徒の数が多い理由について
考察してみました。