1 :
人間七七四年:
2 :
人間七七四年:2010/03/08(月) 18:42:22 ID:PXh2Bl4g
この馬鹿殿になんで道雪、紹運、宗茂の三人は仕えてたんだろ……考え方とか
合わな過ぎだろ、豚に真珠だ。
3 :
人間七七四年:2010/03/08(月) 19:29:13 ID:YwK7l5lv
道雪や紹運みたいな同紋衆の一族は大半が大友家の分家だからね。
特に紹運は母が宗麟の姉で、妹が義統の正妻で、娘が義乗の正妻って
いう思いっきり大友家の親族だし、吉弘家自体が大友家の為に死ぬのが
生き甲斐って感じの一族だったからなあ。
4 :
人間七七四年:2010/03/08(月) 21:01:00 ID:lL6WTjtK
>>2 この三人が全て裏切っていたら大友は滅亡していただろうな
それくらい影響力があったと思う
5 :
人間七七四年:2010/03/08(月) 21:35:56 ID:ioz2opHm
裏切る必要もなく大友は滅亡しましたね
宗茂はなにしてた
6 :
人間七七四年:2010/03/09(火) 01:04:55 ID:9JVe+r0K
7 :
人間七七四年:2010/03/09(火) 13:23:18 ID:D60MEaXy
豊後の変態キリシタン大名、大友宗麟
8 :
人間七七四年:2010/03/10(水) 22:10:44 ID:zEhWUkt6
9 :
人間七七四年:2010/03/13(土) 00:35:46 ID:W1Og0f+F
>同紋衆の一族は大半が大友家の分家だからね。
同紋衆で大友の分家じゃない家ってあるの?
一族扱いだがもともと家臣ってこと?
10 :
人間七七四年:2010/03/13(土) 12:24:30 ID:H2VR6tvE
臼杵家みたいに元は他紋衆だったのが同紋衆の戸次家(こっちも元は他紋衆だが)
から養子を入れて同紋衆になった家がある。
11 :
人間七七四年:2010/03/14(日) 13:45:56 ID:AfcB1/qn
高橋・日田もそうだ。
もともと両氏は、豊後西部・筑後に勢力を張った大蔵氏系。
でも、一万田・吉弘から養子がはいって同紋衆に。
ちなみに大友氏初代の能直の弟の子孫は、他紋衆に分類されている。
12 :
人間七七四年:2010/03/14(日) 18:42:53 ID:pUtlDuZs
大友宗麟ファンです
島津に勝ってほしかった
13 :
人間七七四年:2010/03/14(日) 23:07:18 ID:Z3ThcR3P
今さらだが、大友で2スレ行くとは思ってなかったw
宗麟のあれやこれやの他に、立花も話題にできるなら当然か。
14 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 15:20:37 ID:qlNFFiMz
宗麟はすごく嫌いだけど宗茂、紹運、道雪は好き
この三人は宗麟より人望もあっただろう
15 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 17:21:15 ID:I0tao69W
むしろ宗麟が問題児だから道雪や紹運が放置しておけなかったと思われ。
普通に平凡な将で、力量もなければ各々勝手に動いていたかも
16 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 18:48:50 ID:ln/JHrJk
17 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/03/15(月) 22:15:44 ID:ZYzMA0vP
戸次の家督は合議制というか一揆みたいなもんだったのだろうか。
18 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 23:14:12 ID:xyTK7kCz
それに近いかもね。
立花道雪の又従兄弟の鎮秀が、加判衆になっていたり
、戸次の庶流の臼杵・清田が重用されていることから
すれば、そう考えるのが自然。
そもそも大友氏では、戸次も田原、吉弘とともに在国奉公衆に
なっていたので、警戒され、勢力を削がれていた。
そもそも道雪の祖父も四男。
19 :
人間七七四年:2010/03/16(火) 01:30:29 ID:xXr3AgjW
別喜右近(簗田広正)の別喜って戸次?
名族の姓だというけど惟任、惟住、原田、戸次ってなんか偏ってないか?
信長が思いついたのがこれだったんだろうか…
20 :
人間七七四年:2010/03/16(火) 13:27:38 ID:ZIJa6GPH
紹運は宗麟に殺されたような物だな
無謀な耳川の戦いを仕掛けなければ紹運は長生き出来ただろうに
21 :
人間七七四年:2010/03/16(火) 15:28:20 ID:ajc6iCy1
>>20 アンチ大友粘着乙
そもそも無知すぎるよ君。
紹運はコンスタンチノとジュスタのために犠牲になったにすぎん。
22 :
人間七七四年:2010/03/16(火) 16:10:10 ID:lphpucl9
道雪の戦術って単純に精強な兵のゴリ押し?
島津家みたいな釣り野伏せとか必勝の戦術みたいなのなかったの?
それと島津は釣り野伏せ厨なのは九州でも有名だったと思うんだけど、耳川の戦い
みたいになんでこうも簡単に引っかかるの?
「兵力が少ない……釣り野伏せの可能性がある。索敵しろ」ってならないの?
23 :
人間七七四年:2010/03/16(火) 17:49:37 ID:tk7LD9zx
>>20は別にアンチじゃないだろう
宗麟の愚行が原因で紹運を死に至らしめたのは事実
秀吉や島津にも死を惜しまれた程の人物をむざむざ死なせた責任は重い
24 :
人間七七四年:2010/03/16(火) 20:20:13 ID:JefpyI+A
>島津家みたいな釣り野伏せとか必勝の戦術みたいなのなかったの?
>それと島津は釣り野伏せ厨なのは九州でも有名だったと思うんだけど、耳川の戦い
>みたいになんでこうも簡単に引っかかるの?
釣り野伏せの様な伏兵を使う戦術はあっただろうが
島津の様に積極的に使う戦法じゃなかったと思うが
それに敵の兵力や伏兵を見極めるのは歴戦の強者でも難しいモノ
自我の兵力上回ってるのに釣り野伏せを疑って攻め切れず
敵を逃したなんて事になったら叱責ものだろ
25 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 01:25:50 ID:CDdbZu57
そもそも当時の武士たちが、そこまで戦術にこだわったものだろうか。
ましてや大名自身に陣頭指揮・戦術能力なんて、基本的に求められて
いなかったと思う。
当時の武士にしてみれば、大名に求めるのは、
大兵力を集める政治力、
軍勢ために武器・兵糧その他の物資を供給する経済力、
相手陣営を切り崩す外交・政略、
恩賞を公平に出す信賞必罰の態度だろう。
当時の大名は、平時に全体で演習を行っていたわけじゃないんだから
複雑な戦術を立てても、絵に描いた餅に終わる可能性が高い。
島津の場合は、江戸時代も大名として残り、さらに
様々な政治的な理由があったから、江戸時代に釣野伏せが、
実際以上に持ち上げられたんじゃないか。
26 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 10:25:29 ID:MaPiu6yD
道雪、紹運、宗茂は宗麟に過ぎたるものだった存在
もっと優秀な大名に仕えていればさらに出世していただろう
27 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 12:02:23 ID:CDdbZu57
>>22 >道雪の戦術って単純に精強な兵のゴリ押し?
大友氏の場合、開戦前に周囲に根回し、相手を孤立させて
圧倒的大勢で相手をタコ殴りが基本。
やばくなれば、将軍家などに手を回して和睦・停戦。
細かい戦術は発揮しようがない。
それに道雪が、大友全軍を指揮していたわけじゃないよ。
28 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 18:03:34 ID:rRdxzYoz
道雪と言えば、正奇の軍法っていう正攻法と奇襲を組合せる戦術だね。
耳川以降の秋月との戦いや、龍造寺との筒川の戦いとかだと、
まず正攻法で戦った後、別働隊で奇襲をかけて倒すってのが多い。
29 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 08:17:18 ID:GZ0emoVd
釣り野伏せなんてほんとにやってたと思ってんのか?
そんなの一次史料にねぇだろ。
30 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 15:59:59 ID:GZ0emoVd
宗麟の愚行とか何を指してんだ?
宗麟は英傑だし。
義統の愚行のことを宗麟とごちゃ混ぜにしてんだろw
最後は豊臣政権参加しろよ日向国やるから→わしは政治には興味ないきに・・・わしは海外に行きたいきのぅ発言
&
死せる宗麟生ける義弘を走らす
と言うカッコいい死に様。
31 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 19:29:24 ID:5FoJWlYm
>>29 普通に考えたら孫氏の「正を以って合し、奇を以って勝つ」がベースなんだがなw
32 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 20:45:15 ID:0dnoFFud
確かに九州6カ国を掌握していた時の宗麟はかなりの名将であっただろう
しかし家臣の妻を横取りしたり、神社、仏閣を破壊したりするなど理解に苦しむ事ばかりしているのもまた事実
それらを総合するとやはり名将とは呼べない、むしろ暴君と言った方が正しい
33 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 21:47:08 ID:niEDPthI
あの時代本当に暴君・愚将だったならとっくに家臣もしくは秀吉に殺られてたと思うが。
34 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 01:18:53 ID:RjiGUzNU
35 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 01:21:32 ID:d98HpCX5
>>32 >>家臣の妻を横取りしたり
これは毛利側の講談まがいの三次資料を根本史料として派生していった根拠ない中傷で一次史料にはない。
>>神社、仏閣を破壊
当時の大友直轄領はほとんどなく、寺社領の没収により、
世俗的権力を持つ寺社の影響力も剥奪していく政策の一環。
またそれと対立するキリシタン保護による南蛮貿易の推進と良港を持つ臼杵への遷都計画の推進。
信長が寺社を弾圧したらマンセーするのに、宗麟がやると暴君とは恐れいったわwww
つうかあまりに未熟かつ無知すぎるな。
36 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 01:59:41 ID:x44AW29m
>世俗的権力を持つ寺社の影響力も剥奪していく政策の一環。
大友勢が宗像の社領に攻め入った時は宗像氏貞は大島に逃げたが
博多・宗像近辺で水軍編成出来なかったのか氏貞を攻めきれず
その腹いせに宗像の社殿を焼いたが、1年後には許斐山城奪回戦以外
戦らしい戦を経ずに氏貞は宗像の社領を短期間で回復したが
これは大友・立花勢が宗像の社領を支配する気が無かったのか?
それとも領民に神郡意識があった宗像では他の寺社地の様に行かなかったと見るべきか?
37 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 07:42:28 ID:ttE/mP/j
宗茂は秀吉によって大名に取り立てられて本当に良かった
馬鹿な義統から独立する事が出来たんだから
38 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 10:25:58 ID:x44AW29m
>>37 宗麟が推したと言う説もあるが形としては秀吉の引き抜きだし
大友やその所領を守る為に奮闘したのは立花や高橋だけじゃない
他の大友家臣から見れば面白くない人事だったかも知れんな
39 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 20:21:55 ID:vKP6pLkv
志賀親次と佐伯惟定は秀吉が宗麟に日向を与えようとした時に、領地を新たに貰う予定だったけど、
宗麟が断って僅かに加増されただけだったからな。
さらに志賀親次は加増された1年後にキリスト教を棄教しなかったから領地を半分にされてるしな。
もともと吉統と仲悪かったけど、宗麟の死後は余計に悪くなっていった。
40 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 23:18:47 ID:LINtprPk
>>38 まあそれだけ宗茂の器量が優れていたという事だろう
そう考えたら納得の抜擢だと思うよ
家庭内が折り合いよくないから近い血縁を推薦しただけじゃないのか。
42 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 01:49:13 ID:nKJf722/
紹運の甥が次期大友当主だから
宗茂を豊臣直参に取り立ててもらうことで
豊臣政権内での大友の藩屏的な役割を期待しての宗麟の推挙だろう。
43 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 03:25:32 ID:ulgnZtEw
WIKIで立花宗茂見てみたけど、
>夜襲や火計でこれを撃破〜
>積極的に遊撃戦術を使った〜
>更に詐降の計を用いて〜
>鉄砲の速射や奇襲戦を活用し〜
>8百の兵を率いて高策2万2千の兵を夜襲と火計を使い撃破〜
>偽の陣地や營火と伏兵を使って〜
>塹壕を掘り起こして、ここより兵士に鉄砲射撃を行わせた〜
戦術の総合商社じゃないですかw
44 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 06:44:22 ID:Q5JnS/7/
>>43 最近立花厨が増えてかなり痛いことになってるな
45 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 11:28:01 ID:GIGMN2fB
知名度が上がれば確実に人気が出るであろう武将だったからなw
46 :
人間七七四年:2010/03/22(月) 02:40:09 ID:Qtm90/Zj
これが本当なら本多忠勝より遥かに強いのでは……
47 :
人間七七四年:2010/03/22(月) 15:49:59 ID:XMsPhFw+
>>46 戦術家としては確実に強いだろうけど、個人的な武勇だと剣術と弓術以外は負けそう。
48 :
人間七七四年:2010/03/22(月) 20:33:40 ID:Xm0zIFCZ
眼力とかでも負けそうw
49 :
人間七七四年:2010/03/22(月) 21:18:15 ID:XMsPhFw+
宗茂は動揺せんからなあ。胆力勝負だと決着つかない予感w
50 :
人間七七四年:2010/03/23(火) 03:44:09 ID:xyeY9Xgo
確か小田原攻めで秀吉に紹介された後に、宗茂のところに忠勝がやってきて
語り合ったらしいね。
確か歴史街道に載ってた。
51 :
人間七七四年:2010/03/23(火) 11:21:01 ID:7CjrMv5l
なにを?
52 :
人間七七四年:2010/04/02(金) 11:00:40 ID:PsptJC7X
>>51 秀吉の主催の宗茂と忠勝が酒宴の席で
「余興にそれがしの踊りでも」「ではそれがしも!」
と舞った時に
「ここは鴻門之会ではないわ!」と言われた。
53 :
人間七七四年:2010/04/09(金) 14:19:50 ID:iI2sK1nr
小田原にて家康の密命で忠勝が剣舞を秀吉の前で披露。
だんだん秀吉に近づく忠勝をみた宗茂が顔色を変えて剣舞を披露。
たまりかねた景勝が「ここは鴻門の会ではないわ!」と激怒
直江が秀吉に「秋月を戯れに舞わせるのとはわけが違いますぞ」と言うと
秀吉は「堀と蒲生がいるから安心じゃ」と答えたと言う。
54 :
人間七七四年:2010/04/09(金) 14:31:51 ID:zhAxSElt
なんか果てしなく格好いいなそれ
凡人が入る余地ないwww
55 :
人間七七四年:2010/04/09(金) 21:08:52 ID:T3FSIhAT
56 :
人間七七四年:2010/04/16(金) 14:02:57 ID:gVpulmBL
松永久秀のクリスマス休戦と同じで
ネタかと思ったら事実だったw
57 :
人間七七四年:2010/04/17(土) 17:01:03 ID:rEeEUAwd
臼杵鑑速ってあきはやなの?あきすみなの?
ずーっとあきはやと呼んでたんだけど
58 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 17:50:51 ID:8GSPfc79
どっちでもよいんじゃね。
基本的に当時の人名なんてほとんどわからないから。
書状でかな文字
または
宣教師がローマ字
このどちらで名前を書き記していない場合はわからない。
59 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 10:50:48 ID:50sPPaAt
大内義長対宗麟の戦いが見たかったぜ!
60 :
人間七七四年:2010/05/02(日) 17:37:35 ID:MjNmkWb+
豊後湾に沈んだ島々を調査すれば、
大友期の繁栄ぶりがわかりそうなのになぁ
大分県民ってそういう地元を盛り上げる気持ちって
あんまりなさそうだよね。
宮崎県同様に小藩分立のせいかな。
61 :
人間七七四年:2010/05/02(日) 23:21:56 ID:ZgMkQxE9
>>60 費用対効果を考えるとどこの県民も
そんな事しないだろ
何億円かかると思ってるんだ
62 :
人間七七四年:2010/05/03(月) 11:01:38 ID:XcEarP6v
63 :
人間七七四年:2010/05/03(月) 18:50:53 ID:VdqdRrA4
64 :
人間七七四年:2010/05/04(火) 01:07:13 ID:+i0QMhNF
志賀親次
豊薩戦争の折、肥後口から豊後に侵入してきた島津義弘軍3万7千の軍を恐れ
内通しようとした父を切腹させ岡城の城主となる。
岡城に攻め入った軍(新納忠元が指揮したと言われている)は3度に渡り撃破され
しかもその内の1戦においては島津得意の釣り野伏せを模した戦法で破られるという屈辱を受けている。
岡城攻略をあきらめた島津軍は稲富新介に5千の兵を与え志賀軍に備え主力を北上さ
せるが、功を焦った稲富は独断で岡城を攻め親次に散々に打ち破られた。
志賀親次はほとんど岡城から出て戦ってたみたいだけどな。
http://www.oct-net.ne.jp/~faulen13/ktsp/oka.html 吉田一祐カワイソ
http://www2.city.usuki.oita.jp/kyouiku/mamoru/saihakken/simokita/kuriyamajousi.htm 佐伯惟定
栂牟礼城には家久の子豊久が攻めてきた
島津からの使者を切り惟定は伊東家からの客将山田匡徳と組み惟定が正将として豊久軍に正面
から当たり注意を引いたところを匡徳が奇将として奇襲をかけるという戦法(立花道雪の正と奇の
軍法を模したと思われる)で島津軍を撃破した。
耳川合戦の翌年7月、島津方与党が佐伯に侵入したのを11歳の惟定が撃退し、。
以後たびたび佐伯諸浦が襲撃されたが、惟定はよく奮戦し防御した。
天正14年11月土持 親信、新名親秀 ら(豊久がいたかは不明)2千余人が佐伯に
出撃、惟定は千八百余の兵で堅田、鬼ケ原にて応戦、島津軍を撃退し、その戦死
者は千人を超え千人塚が建てられた。
以後島津に寝返った柴田紹安の妻子が籠る星河城を落とし人質にとり、紹安を再度
寝返らせ、さらに土持 親信の朝日嶽城を落とした。豊後から撤退中の島津義弘、家久
が梓山を越えて日向に入ろうとしていたところを、佐伯軍が急襲し島津軍を敗走させ、
府内から奪われていた大友家の家宝を取り戻した。(着服したようだが)
大友家改易後は藤堂高虎に仕え、慶長の役での元均との海戦や大阪の役の長宗我
部盛親との戦いに功があり、津祭りでは藤堂家の四天王として扱われている。
佐伯家は大友家が来る前に事実上豊後を支配していた緒方三郎(源義経を九州に招こう
としたので流刑にされた)の子孫と言われる家で、佐伯は豊後から半独立状態だった。
それが、10代惟治の時に因縁つけられて大友家に攻められたり、12代惟教の時に小原
鑑元の乱に連座したとして、佐伯を追われて、その都度何年後かに帰ってきてるっていう
大友家臣団でもっとも大友に含むところがある一族なのだ。
島津に敵対したのも家久が父や祖父の仇だからって印象があるし、奪った家宝の肩衝も
大友家改易後すぐに藤堂高虎に仕えて献上して、さらに高虎から徳川家康に渡ってる。
それゆえかその肩衝は「佐伯肩衝」というそうだw
佐伯惟定は祖母神大明神の末裔というだけあってか
神道に傾倒してたぽいな。
わざわざ加賀から佐伯までキクリヒメの像を取り寄せたり
してたらしい。
義統は豊薩戦争中に府内から逃げてた先でキリシタンになっていながら、
秀吉のキリシタン禁教令がでるやすぐさまキリシタンを弾圧して宣教師を
追放しだして、そのとき宣教師達を匿ったのが親次なんだよなあ。
秀吉に親次が言うことを聞かないと泣きつくと逆に秀吉から叱責される体
たらくだし、義統が秀吉から見限られてたのは確かだろう。
そもそも、朝鮮出兵時に親次が撤退を主張したっていうのも信憑性がない
し、大友改易後、親次が秀吉から日田を貰ってるとこを見ても原因は義統
の側にあると思うんだが
親次は日田1郡の領主→福島正則→小早川秀秋→細川忠興と流転
親次の娘が佐伯惟定の息子の嫁
義統が城を落ち延びる際に側室の心配ばかりするので、救い出しに行ったはいいが
そのあと女の心配ばかりして戦っている家臣を省みないので、怒って出奔した側近いるよな。
確か臼杵形部っていう義統の側近だった人。その後毛利家に仕えたそうな。
65 :
人間七七四年:2010/05/04(火) 01:09:44 ID:+i0QMhNF
勢場ケ原の戦いで吉弘氏直が討ち死
耳川の戦いで吉弘鎮信が討ち死
岩屋城戦で高橋紹運が玉砕
石垣原の戦いで吉弘統幸が討ち死
氏直の父である吉弘親信も大内との抗争で討ち死したらしいし
凄い討ち死率だよなこの一族は
石垣原はなあ、わざわざ従兄弟の宗茂のとこを出て徳川家にいた大友義乗
のとこに行こうとしてたら、吉統に出会っちゃって再起を図ろうとしてたから、
正室の子の義乗が徳川家にいるから東軍につくように言ったら、側室とその
子供が毛利に人質に取られてるから西軍につくって言われてアチャーと思い
つつも仕方なく参加して、思いっきり死ぬ気(辞世の句が明らかに死ぬ気)で
戦ってたからなあ。
いや、吉統なんかほっといて義乗のとこに行っとけよって感じなんだが
こういう生き方しか出来なかったんだろうなあ。。
あと吉統の情けないところは、府内から逃げた先の豊前の龍王城で
黒田如水に勧められてキリシタンの洗礼を受けるんだけど、秀吉の
キリシタン追放令で1年もせずにあっさり棄教し家臣たちにも棄教を
命ずるも、志賀親次らの反発を受けて、一計を講じて神道での誓詞
に大友家への忠誠を誓わせることで棄教の証としようとしたら拒否さ
れて逆にキリスト教の方式で忠誠を誓うことを許してしまうは、そのこ
とで秀吉に親次の非難をしたらかえって自分が叱責を受けたという。
そりゃもうなんらかの理由があれば改易させられるわなあ。
龍造寺もそうだけど二代目がぱっとしないよな
そのため暗愚扱いになってて弟の評価は兄より良い
義統は吃音だったみたいだな
秀吉にとっては所詮外様の大友を改易してそこに子飼いを封じる方が大事だったんだよ
当時は交通の要地だったし>豊後
逃亡して取潰しってあるけど朝鮮出兵前から大友家取り潰す気満々なんだがな、秀吉は。
ミスを待ってましたと言わんばかりだし人質名古屋城に連れてこらされてるし
そもそも大友家の当主は、現地で指揮をとったりしないよ。
現地で指揮をとるのは、戦の巧者の重臣。
父親の義鑑も大内の軍勢が、山香あたりに来ても府内を
動かなかったわけだし。
66 :
人間七七四年:2010/05/04(火) 01:11:31 ID:+i0QMhNF
1586〜1587年の薩摩軍との戦いで活躍した順番
1、志賀親次・・・島津義弘軍3万5千に僅か千余の兵で勝利を重ねた。
2、高橋紹運・・・岩屋城で玉砕戦を展開し時間を稼いだ。
3、立花統虎・・・↑を引き継ぎ援軍到着まで耐えた後反撃して失地回復する。
4、佐伯惟定・・・栂牟礼城を守り、豊後から撤退中の義弘家久を追撃し追い詰める等。
5、木付鎮直・・・杵築城を守りぬき島津軍の北上を止め、豊前に逃げた義統を助けた。
6、丹生島城の武将・・・宗麟を守り抜いた柴田礼能、吉岡甚吉、武宮武蔵等。
7、吉岡妙林・・・寡兵の鶴崎城で頑強に抵抗し、一度開城するが策略で取り戻した。
8、利光宗魚・・・鶴賀城主、家久軍の攻撃を3度防ぐが、流れ弾を受け戦死。
9、朝倉一玄・・・留守の火縄という策を用い島津軍を撃退する。
10、狭間鎮秀・・・島津と互角の戦いをするが、講和したため反逆者として討たれる。
11、吉弘統幸・・・戸次川に破れ島津軍に追われる大友義統を救出し、豊前まで逃す。
この当時の大友の城主は特殊な境遇で家督を継いだ人が多いしね。
佐伯惟定:耳川で祖父、父等が戦死し10歳で栂牟礼城主になり、
その翌年から島津に与する勢力の襲撃に抗し続けた。
吉弘統幸:耳川で父が戦死し、14歳で筧・屋山城主となり、16歳
の頃に田原親貫の討伐等で活躍した。
吉岡統増:耳川で父が戦死し10歳で鶴崎城主となる。母妙林に鍛えられた。
田北統員:統幸の弟、紹鉄の頼みで田北家に入り紹鉄の乱の後、
12歳で田北家を継ぐ
戸次統常:父鎮連が島津方に内通した疑いで粛清された後、鎧ケ嶽城の城
主となる。戸次川の戦いで戦死。
立花統虎:紹運の長男だったが道雪に乞われて14歳の時立花家の婿養子
となる。ただし7歳の頃に立花家を継いでいた妻から正式に家督
を譲られてはいないらしい。
志賀親次:18歳の頃猫尾城攻めに参加し、その後一度志賀家を継ぐが、
19歳の頃に勝手にキリスト教に入信したことから、家督を返上
する。翌年島津の侵攻に父が内応しようとしたことから、岡城の
指揮権を奪い、島津軍に徹底抗戦を行う。
概ね逆境で鍛えられた連中って感じなんだが、やっぱ志賀親次だけは異
端な感じがするなあ。
67 :
人間七七四年:2010/05/04(火) 01:12:15 ID:+i0QMhNF
留守火縄の朝倉一玄 島津家久を破った佐伯惟定
ついに落ちなかった岡城の志賀親次
岩屋城の高橋紹運 不随の立花道雪
その他にも、
一萬田宗慶・鎮実父子
戸次鎮連・統常父子
騙し討ちを成功させた阿南惟秀
強情な朽網宗暦と子の鎮則
穴囲砦に籠り勇敢に戦い島津軍を通さなかった農民
不運の将柴田紹安 戦巧者の利光宗魚 死して主君を守った足立図書
228 :人間七七四年[]:2007/05/25(金) 16:30:55 ID:NqBGFrNy
逐電した臼杵刑部少輔
鶴崎城の婆さん妙林尼と
息子吉岡統増
大砲を改良した武宮鎮元
日出生城主の帆足鑑直と妻鬼御前
夫婦で新納忠元の軍を破った
田原紹忍忘れてた
これに筑紫惟門と 秋月種実入れれば
最強家臣団完成
立花統虎、吉弘統幸、木付鎮直、吉田一祐、柴田(天徳寺)礼能、若林鎮興
田北統員、狭間鎮秀を追加で。
吉岡長増・臼杵鑑続・鑑速も入れてやってくれ。
入田宗和の名がないな。
大友家は武田並に人材が豊富だなあ
入田親実(義鎮の監視係、大友義鑑と共に末っ子塩市丸を擁立しようとするが
二階崩れにて大友家を追われる。その後舅の阿蘇惟豊を頼るも、かかわる事を
恐れた惟豊に斬られる。)
のち島津が大友領内に進行したとき真っ先に寝返ったのは、親実の子宗和で
あった。宗和は父が無実の罪によって殺されたと信じていたという。
68 :
人間七七四年:2010/05/04(火) 11:38:44 ID:Ic+uEWcn
その優秀な家臣団と肥沃な領土を有した大友家なら最低でも九州統一くらいしたんだよね?
69 :
人間七七四年:2010/06/19(土) 03:46:59 ID:HTdfY5Hf
結局家中を求め切れなくて自滅しました。
最盛期なら島津なんて敵じゃなかったんだけどな…
70 :
人間七七四年:2010/07/01(木) 13:56:03 ID:RyYIumAa
そもそも耳川の戦いに道雪と紹運が参加出来ない時点で日向へ攻め込むのを中止するべきだった
大友の没落はここから始まってしまったのだから
71 :
人間七七四年:2010/07/02(金) 11:56:57 ID:hOYrsGIJ
宗麟はこれだけの人材、戦力に恵まれながらも最終的には衰退させてしまったから
やはり名君とは呼べないわな
72 :
人間七七四年:2010/07/02(金) 12:10:27 ID:vJ2L0LCw
>>71 だからね義統の時代に入るまでは衰退してねーっつの。
宗麟時代は毛利を撃破して大友家最盛期を現出してんだっての。
73 :
人間七七四年:2010/07/02(金) 12:57:34 ID:LDsAFKaM
歴代最高の隆盛を得たのに衰退の原因も作っちまったからなぁ
秀吉を頼って主の地位から従の位置に降りたし名君とは呼びにくい
まぁ、国家最盛期を得たのに国を亡した商の紂王よりはましかも知れんが
74 :
人間七七四年:2010/07/02(金) 13:23:06 ID:vJ2L0LCw
>>衰退の原因
そんなもん作ってねぇぞ。
>>従の位置
はっ?惣無事令が発令したんだからしょうがねぇじゃん。
島津みたいにボロクソに負けてハゲにして家臣の反対を無視して
土下座するのが良いことなのか?
75 :
人間七七四年:2010/07/02(金) 13:44:42 ID:CBd1o+FM
久々にスレが動いてるんで覗いて見れば・・・
うわぁ、引用符すらまともに使えない子がいる
だいたいなんでここで島津を引き合いに出すかね?
事有る毎に大内や龍造寺や島津を貶める発言しか出来ない大友厨・・・頭悪いぞ
76 :
人間七七四年:2010/07/02(金) 15:25:01 ID:LDsAFKaM
>>74 ボロクソに負けても墨衣剃髪で土下座したら許してもらえたでゴザルの巻
(改易されて亡国の主となった義統は墨衣剃髪しても許してもらえなかったが・・・)
武家の命題でもある家名存続どころか本領安堵にも成功したんだから
恥を忍び家臣の反対押し切って土下座した価値はあったと思うがね
>はっ?惣無事令が発令したんだからしょうがねぇじゃん
惣無事令は大名間の領土問題の争いや私闘を禁じるもので
大名が豊臣政権に臣従するのとはまた別の話じゃん
それともなにかい?惣無事令は秀吉が諸侯は全部俺の家臣という宣言だったとでも言うのかい?
77 :
人間七七四年:2010/07/02(金) 18:05:47 ID:vJ2L0LCw
>>75 >>島津を引き合いに出すかね
惣無事の時期なんだから出すの当たり前だろアホか。
>>76 >>墨衣剃髪で土下座したら許してもらえたで
むしろ宗麟がすでに死んでいない時期を出してくるとか
惣無事の時期からすげーずれた時期を持ち出すとか
もう歴史認識がまったくおかしいね。
>>亡国の主となった義統&家の命題でもある家名存続どころか
大身旗本・高家として家名が存続してるのも知らないで書いてるとか笑えるんですけどw
>>大名が豊臣政権に臣従するのとはまた別の話じゃん
はっ?従一位関白として上位権力と大義名分を持つ秀吉が
指示してる時点で、それを守ることは臣従することであり
守らないやつは討伐を受け無理矢理にでも臣従させてやるって言う
二者択一であり、諸侯wおっと間違いたw
諸大名どころか日の本は関白である秀吉の支配下である表明に他ならない。
お前すべての文章でオカシなことを書きまくっててなに言ってんだ?
78 :
人間七七四年:2010/07/02(金) 19:09:15 ID:hOYrsGIJ
宗茂にとっては大友の没落は幸いだったな
秀吉に見出だされたし
79 :
人間七七四年:2010/07/02(金) 23:40:50 ID:vJ2L0LCw
>>78 いやいや、宗麟が宗茂を
秀吉に取り立ててくれるように
頼んであげてるわけだが。
80 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 00:13:01 ID:1nxflPmv
>秀吉に取り立ててくれるように
>頼んであげてるわけだが。
あれは事実上の引き抜きで
その説は後付っぽくてイマイチ信用出来ないんだが
第一城に篭もって島津と戦いそれを退け
大友家に忠義を尽くしたのは立花家だけではないのに
何故に推挙したのは宗茂一人だけなの?そこがおかしい
81 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 00:49:57 ID:HbgDlHqU
カルト狂いの精神疾患持ち君主
82 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 00:58:02 ID:sGe2D/zM
んな、お前の妄想を言われてもな。
なにしろ宗麟が秀吉へ
「義を専ら一に、忠誠無二の者でありますれば、ご家人となしたまわりますよう」
と推挙してるわけだし。
義統の義父である紹運の忠死の功績もあるし、そもそも活躍エリアが豊後本国じゃねーし
宗茂を推挙した理由も義を専ら一に、忠誠無二の者だと言ってるわけで。
志賀親次はドン=パウロって言うキリスト教徒で、しかも大友三支族だし。
秀吉自身も豊後で最も信頼できるのは佐伯惟定と志賀親次の二人だけって言ってたし。
豊後の義統の補佐役として両名は期待されてたと思うぞ。
83 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 00:59:08 ID:sGe2D/zM
84 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 04:17:53 ID:iy9o5BLp
人数的に考えてキリスト教はカルトか?
宗麟は性格的には普通だと思うが…
85 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 10:24:48 ID:0c4Q0wFW
一言も宗麟だとは言ってないけどねw自覚があるのかなw
86 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 10:34:52 ID:1eV71v8s
結局
>>70に書いてあるように、耳川の戦いに負けたのが全てだな
戦いそのものを回避していれば、最盛期の九州6カ国の守護から本拠地の豊後のみにまで転落する事は無かった
その辺りが宗麟を名君とは思えない原因の一つ
87 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 12:06:18 ID:iy9o5BLp
耳川ってそんなに重要か?
その前からのgdgdが有ってこその耳川だと思うが
88 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 12:15:54 ID:Rc3yTi4p
どっちがどうとは言えないが、
決定的な破綻を招いたといえば耳川なんじゃないか?
耳川が起こらなくても他で破綻していったろうけども、
そのスピードを早めたのは間違いなく耳川だしな
89 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 13:06:47 ID:JxipKDuQ
宗鱗の戦い方は堅実だし好きだな
名君として見習う人物
90 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 16:35:57 ID:1eV71v8s
>>89 「耳川の戦いまでは」という条件が付くけどな
91 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 17:00:52 ID:lhluEoda
>>86 おいおい耳川には紹運の兄の吉弘鎮信が参加してるのも知らんのか?
紹運や道雪は博多を中核とした北九州防衛をしてるから
日向の戦いなんか参加するわけけねーよ。お前かなり無知だよな。
>>87 まーた毛利のおかげで島津が勝てたからすべて毛利の功績ですかw
大友衰退の本当の原因は加判衆だった吉岡長増、臼杵鑑速が死んで道雪が府内の政治から
筑前防衛のために転出することになり、宗麟も家督を義統に譲って丹生島城へ隠居し、
府内の義統が家中でやたらと敵を作るようになってからだよ。
宣教師の資料に「義統は過度の飲酒癖やそれによる乱行が多い」と記されている。
佐伯惟教・・・そもそも土持氏に妹が嫁いでるため、
島津側へ寝返った土持氏を自陣営に戻したい気持ちがあった。
土持討伐の先陣は惟教と志賀親度。討伐完了後の惟教はそのまま駐屯。
>>88 耳川は決定的に大友を人材不足にしたからねぇ。結局のところ組織は人だよね。
>>89 同意。
>>90 君のために簡易ですまんが大筋の耳川情勢を書いとくよ。
島津の攻撃を大友側はよく防ぎ、日向戦線は大友優位に推移していたため
大友軍を2つの部隊に編成して大挙南下が決定されるが反対者も多かったとされる。
立花道雪らは開戦に時期尚早と強く反対していた。軍配者角隈石宗も反対したとか。
宣教師の石宗への記録には「日本の宗派に精通し、宗麟、義統、すべての家臣から(尊敬を超える)尊崇されている。」
しかし敗軍した場合、常套的に指導者のせいにして臣下は反対だったが押し切ったとするテンプレが必ずあり、
隠居してる宗麟は加判衆の反対を押し切ることは事実上不可能に近いため、これは怪しいものではある。
おそらく今後の田原親賢の思考が宗麟の本当の方針であろうことは間違いない。
斎藤鎮実は「島津と戦っている間に長引けば、龍造寺隆信は必ず蜂起し、
毛利輝元は祖父が筑前で負けたことを晴らそうとこの隙を突いて戦いを挑んでくる。
そうすれば我が大友は三方を敵に囲まれることになる。そうなればどうされるおつもりか」
と宗麟に言ったと言う。
第一軍は総大将の田原親賢が率いる(義統の叔父)
惟教が先陣となり南下し途中、島津家久を撃破したりと快進撃を続ける。
搦手軍第ニ軍は肥後国から矢ケ嶺越えで高千穂へ進軍し兵を率いてくる
志賀親守、朽網鑑康(キリシタンになりたかった老人)、一萬田鑑実。
志賀氏は大友三家の一つ。北志賀家は南郡衆の筆頭であるが
前年に親度が義統と対立し、それにより親度は加判衆から失脚。
義統によって親度ともども父親守も殺害されそうになるが、このときは宗麟の仲介があって助かったという。
92 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 17:01:33 ID:lhluEoda
総大将田原親賢の方針
(娘が宗麟正室なのを良いことに父の奈多鑑基や兄弟の鎮基が寺社奉行としての権限を私的に利用し
宇佐八幡の領地を横領狼藉して吉岡長増、臼杵鑑速の激怒を買うなど悪名がやたら高いため家中を纏め切れない人物)
決戦などせずほどほどのところで島津と和睦し領地確定させて帰るべし。
宗麟に忠実な男なので、これはおそらく宗麟の意向を汲んでいると思われる。
当時、勝っても被害も甚大なので、できる限り決戦をしないのが普通であり
川中島なども単なる偶発的な遭遇による小競り合いから決戦に拡大したとも言う。
大友軍の高城包囲は五十余日を数える中で、
大友の戦意が低いとイライラする先陣を任された勇将田北鎮周は(もともとこの遠征に反対だったと言う)
援軍の島津義久が四万余が佐土原に到着し本陣を構えると戦に逸り、志賀親守らの到着を待つべきとする
佐伯惟教や角隈石宗らの慎重論に憤慨し、先陣を任されたからには潔く突撃して死んでみせると激怒。
(実際、この戦いに反対だった志賀親守はわざとタラタラ進軍だったと言う。
のちにこの敗戦の責任として軍監の志賀親守の罪を糾弾している)
斎藤鎮実も同調し吉弘鎮信とともに耳川の強行渡河を謀る。そして彼等は討ち死にする。
惟教は誤った考えに基づいて死ぬことばかりを思う輩がいては、戦の作戦もたてらないと嘆息し
惟教はもはや、やむを得ないとして鎮周に続いて突撃。子の佐伯惟真、佐伯鎮忠とともに戦死。
角隈石宗も死の覚悟を決めて自身の書いた兵法書を全て焼き払って死地に飛び込み討ち死に。
初老の身で病身の蒲池鑑盛も筑後から率いてきた直属の兵1千と
島津氏の本営への突入を試みるなど奮戦し、三男統安と共に壮烈な最期をとげた。
叔父新介の補佐を受ける十八歳臼杵統景も討ち死に。
彼等の無謀に協力せずに傍観するものが出るという無秩序な戦いとなり大敗。
3000人近い人数が戦死したが、これの大半は敗走後に
数日来の大雨のため増水した耳川を渡りきれず溺死した者や、
そこを突かれて島津軍の兵士に殺されたものだという。
一萬田鑑実が殿を引き受けて武功大であったという。
搦手軍については義統による朽網・志賀両氏に対してその遅滞をなじる書状がある。
敗戦の責を追及された親賢は田原本家の親宏の主張で親宏から奪っていた所領を没収される。
奈多八幡宮出身の親賢は耳川の敗戦はキリシタン信仰によるものだと意味不明な開き直りをする。
天正5年から天正6年にかけて宗麟は領国経営に関する文書を発行していない。
さらに敗北後の事態収拾に当主だった義統ではなく隠居していた宗麟が家臣団の要請を受けて出馬していることから
耳川の戦いは宗麟ではなく義統主導によるものだったのではないかと言われている。
またこの戦いで大友要人が多数戦死してしまい、政務や国人への取り次ぎ役である加判衆の定員割れ、
経験豊富な武人の大幅減少により先陣では経験不足な若手主体になってしまい、攻城戦で大苦戦して
立花道雪やその補佐をしていた紹運がその手助けで出陣するハメになるなど大友を支えなければならなくなった。
93 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 17:01:43 ID:iy9o5BLp
94 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 17:51:40 ID:SeiIHyru
どうもこのスレには大友マンセー過ぎて
他の大名貶めずにはいられない人がいるんだよなぁ
なんでもうチョット公平な目で見られないんだろう?
そこがこのスレの残念なところだ
95 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 18:14:42 ID:iy9o5BLp
さっきから相手の意見を妄想する奴がいてよく分からないんだが、どこかに最近そんなレスがあったか?
96 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 18:18:05 ID:Rc3yTi4p
あったんじゃない?
彼の中ではな…
97 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 18:23:47 ID:1eV71v8s
ID:lhluEodaのように罵倒するレスしかしない奴には何を言っても無駄だな
98 :
人間七七四年:2010/07/04(日) 02:20:30 ID:PC3WUeH6
毛利厨涙目www
99 :
人間七七四年:2010/07/04(日) 07:42:55 ID:EMGz8BB6
100 :
人間七七四年:2010/07/04(日) 13:34:25 ID:+c3mbVFn
毛利は輝元のやる夫っぷりに萌える
大友は立花道雪の苦労っぷりに萌える
そうだろみんな!
101 :
人間七七四年:2010/07/04(日) 18:06:00 ID:9OAWwXgV
102 :
人間七七四年:2010/07/05(月) 01:21:44 ID:R/m+KfyY
毛利厨憤死
103 :
人間七七四年:2010/07/06(火) 02:28:12 ID:Q2uyP0aH
キリスト教を厚遇して寺社領を奪って家臣へ給付してたから
家臣の利益を図ってるんだよね。
そういや一条兼定も豊後亡命中に説教を聴き信徒になってるよね。
宗麟は離婚を決意して臼杵城外に館を建てて出て行って時点で
ほとんど義統の補佐を止めて隠居生活に入って説教三昧になるから
日向遠征計画は宗麟関係ないだろね。
日向遠征に行く寸前でも入信の決意したとか言って
自分の受洗の心配してて、結局フランシスコの教名にして欲しいとか言ってるし。
臼杵氏の誰だかわからないけど、その人物と宗麟夫人の姉妹が入信したりもしてる。
これに前後して義統が家臣への褒美として領地を捻出すべく
大友の菩提寺で府内最大の万寿寺を放火して廃寺にしたり、
こっちは宗麟説もあるが豊前宇佐八幡宮も放火したらしい。
これらは逆に奈多八幡宮の信徒が増えたり勢力の拡大になったものなのか
あるいは度重なる息子の洗礼に参ったのか
天正11年年報では「嫌いであった宣教師がいなくなったこともあり
新しい宣教師や教会には態度を改める決心をしました」と言ったと記述されてる。
志賀親教(親度)
義統の愛妾であった「一の対」という女性を奪い取り、
囲っていた事が露見し、蟄居させられた為、
これを長年恨みに思っていたと「上井覚兼日記」に書かれている。
この反キリスト教の人間ってのはなぜにこんなに愛欲まみれなのか・・・
姦淫を禁ずる戒律は受け入れられなかっただろうな。
その父の志賀親守も義統に天正12〜13年(1584年〜1585年)頃に送ったと推定される書状の中で、
親守を宇目村という場所に派遣したのだが、
折を見て持ち場を離れてしまう。
原因は女色家である為で、大友家存亡の時にこれでは困るとなじられてるし。
しかし親守が宗麟の娘と婚姻してることが大友に幸いした。
親教の子の親次は親の反対を押し切りキリスト教徒になり、対島津戦で大活躍するのである。
ただ親次の入信を反対していた義統は怒り狂い親次を殺害して志賀家を滅亡させようと謀ったらしい。
これに宗麟が反対して未遂に終わったとか。
義統のこのブレかたを見ると
いかに義統府内政権内で寺社勢力側が圧力を加えて
巻き返しを図ってるのかわかる。
104 :
人間七七四年:2010/07/06(火) 03:05:39 ID:Q2uyP0aH
訂正
あるいは度重なる息子の洗礼に参ったのか奈多夫人は
しかし親教が宗麟の娘と婚姻してることが大友に幸いした。
天正12年には
豊後のキリスト教徒は3154人にも上り
島津を撃退した玖珠郡の角牟礼城を含む玖珠・由布でのキリスト教徒入信者は1000と大きい。
105 :
人間七七四年:2010/07/07(水) 19:11:41 ID:xxUWxwgI
大友家の日向遠征の目的や動機は何だろうな?
北九州防衛に戦力を割かなければならない状況で南下を目指すのは下策だし
防衛戦力無しでも日向は落とせると踏んだのなら状況認識が甘いと言わざるを得ないではないだろうか?
106 :
人間七七四年:2010/07/08(木) 01:10:50 ID:JGui4AO5
>>105 田原親賢が考えていたのが大友の大方針じゃね。
そこそこのところで島津と和睦して国境線を決める。
それで伊東氏を置いて帰る。
決戦などせずほどほどのところで島津と和睦し領地確定させて帰るべし。
宗麟に忠実な男なので、これはおそらく宗麟の意向を汲んでいると思われる。
当時、勝っても被害も甚大なので、できる限り決戦をしないのが普通であり
川中島なども単なる偶発的な遭遇による小競り合いから決戦に拡大したとも言う。
107 :
人間七七四年:2010/07/08(木) 16:48:17 ID:JGui4AO5
義統って信長みたいにデウスの教えについて仏教徒と宗論を戦わせる会を催して
審判者として義統はデウスの教えの方の肩をもった結論を出してるんだよな。
ちなみに耳川の戦いの時の大友軍の軍議の内容は対島津の戦いに向けた戦略ではなく
親賢を中心になって「どうやってキリシタンを迫害すべきか」とか
「宣教師を皆殺しにする策」とかそういったことばかり話合われてたそうだ。
いざ戦闘開始になっていち早く逃走したのが親賢であり、兵を見捨てての総大将の逃亡で
踏みとどまってた大友将兵が崩壊したとされる。
また戦闘中の指揮官たちは、互いに協調しようとせずに、相手が失敗することを望んでいたという。
その結果、敗走。
後方の宗麟は落ち着いて逃走する兵の集結を待っていたが、宗麟を守る日田の者たちが
敵はすぐ近くまできたとか絶望的な報告をして宗麟を下がらせた上で
本来の目的である置き去りにされた財物を盗みまくったという。
妻を洗礼させたいと思っていたが母の圧力に苦しんでいた義統は敗戦の報告を聞いた時は宣教師と親しく話しをしていた。
敗戦を聞いて「勝敗は時の運。今日勝った者は明日には負ける。いちいち心配しないように」と勇気づけてる。
親賢の死亡の噂が経った時、誰もが「あのビビりで卑怯な親賢が死んでるわけがない」と信じなかったと言う。
案の定、現れた親賢は「デウスの教えのせいで負けた」と責任転換。
親賢の対抗者の田原親宏は、親賢がデウスの責任にしようとしてるのに反対し
「あれはデウスとはまったく関係ない。負けたのは指揮した将の卑怯な振る舞いのせいだ」
とこれまで教会になんら興味を見せなかった親宏が教会への弾圧を阻止する動きにでた。
教会側の耳川の敗戦理由は「我らを破滅させようと謀ってた豊後の主だった将たちがデウスの罰を喰らった」
しかし奈多夫人と親賢の圧力はすさまじく義統も抵抗不能になっていく。
その理由は日本では「勝者たらずんば治むるにあらず」と言って身近の者まで反抗しだすため
諸領主が自立を開始しまくって、親宏曰く「ついには親賢らがこうなったら義統を追放してしまえ」と考えはじめたからで
その話を聞いた宗麟は「親賢なんてビビりは信念も度胸もない。ちょっと脅せばおとなしくなる。
まして前妻は女だ。女はただうるさいだけで何ができる」と答えたという。
108 :
人間七七四年:2010/07/08(木) 17:10:23 ID:JGui4AO5
大友側2万戦死 島津側も多数の戦傷者のほか8000人の死者がでたという。
日向遠征軍に熱心に顔を出したいと望んでいた角隈石宗の目的は
陣営でキリシタンへの改宗反対の意見を主張したかったからだと言う。
奈多夫人は「死傷者多数の戦いで我が兄弟が生き残れたのは八幡様のおかげであり
その感謝のためによりいっそうキリシタンを迫害しよう」と思ったそうだ。
敗戦の報告を受ける前の義統は肉欲の煩悩から逃れるために冬季なのに
部屋に冷えた水を置いておき、煩悩に悩まされたら冷や水をかぶってたそうだ。
義統は食肉の欲求に苦しんだり、またデウスの教えを聞く以前に誘ったり、求めていた貴婦人がいたが
どうしても思いが達せられないでいた。しかし最近書状で「いつでも私も召してください」と言ってよこした。
これは悪魔の誘惑であるから無視したと言う。
109 :
人間七七四年:2010/07/08(木) 18:02:32 ID:JGui4AO5
義統がキリシタンの冷淡になってきたのは相良から「援助を受けたいなら異教を棄てろ」といわれたこともある。
諸国が蜂起し豊後がはなはだ窮状なのをみた、いまや主席老中の親宏はある日いきなり
政庁を出て「奪われた我が領地を親賢から返させるよう」要求をする。
これにより親宏が蜂起するのは間違いなく、もっとも強大で高く評価された権威を親宏は持っており
彼の蜂起に豊後の諸将が従うのも彼は知っていたため容易く府内を急襲できるため皆恐怖したが
悪性の癌で亡くなった。彼が蜂起したのは娘婿の秋月種実が筑前筑後で蜂起したのに連なっていたからである。
その後を継いだ親貫も手ごわかったが当時3000の兵を抱え豊後随一の勇者かつ策略家と言われた
田北紹鉄が秋月と合流すべく移動中の日田で殺され破滅したことで親貫の翼がもがれた。
そのころ領国の状況を憂いた宗麟が動き出し、豊後の大身を説得し
心を和らげ、もし豊後の統治を宗麟に委ねないなら、結局は自分たちも滅びるだけと悟り
そこで大身たちは「宗麟が国主に服し義統を惑わす側近4人を追放するなら親貫を討つ」と条件を出す。
宗麟は側近を追放し義統を一時的に引退させたが、自分が統治することは望まず、義統の統治を望んだ」
こうして豊後に安定が回復される中で義統は宗麟がいなければ豊後を統治できず、また父の愛を感じることができたという。
それ以前の義統は宗麟の再婚相手との間にできた子をすぐ殺して欲しいと父に頼み、
其の子に宗麟の持つものをすべて譲り渡すのではと疑ってきていた。
110 :
人間七七四年:2010/07/08(木) 21:54:14 ID:qwR4KaKA
崩壊のトリガーが耳川なのはともかく
有力な外戚が家中を纏められない、纏める障害になっている
という爆弾があるかぎり大友の凋落は避けられなかったのかもしれないね
111 :
人間七七四年:2010/07/08(木) 21:56:43 ID:YaIPqCPh
まぁ尼子のように強引に集権化しても、
当主があっさり死んじゃって、
跡継ぎを支える有力一門が居ないまま一気に衰退するなんて例も有るから、
外戚問題は一概に言えないんだよなぁ
112 :
人間七七四年:2010/07/08(木) 22:42:28 ID:qwR4KaKA
有力な纏め役が当主にも家臣にも居ないと没落するって事だな
人は城とはよく言ったものだ
113 :
人間七七四年:2010/07/09(金) 01:23:58 ID:9cWoTN6q
大友衰退の本当の原因は加判衆だった吉岡長増、臼杵鑑速が死んで道雪が府内の政治から
筑前防衛のために転出することになり、宗麟も家督を義統に譲って丹生島城へ隠居し、
府内の義統が家中でやたらと敵を作るようになってからだよ。
臼杵鑑速の死後、田原親賢は宗麟から国政の大部分を預かるようになっていった。
こうした親賢の急速な出頭に対し、元来の重臣である立花道雪は異を唱えたが受け入れられず、
大友三老など他の重臣が亡くなっていくにつれ、さらに立場を強化していった。
耳川で大敗を喫した際には宗麟に対して道雪は
「吉岡宗歓、臼杵鑑速の死後、大友の政治は無道でしかない。」(無道而巳)と書き送る
志賀親守はわざとタラタラ進軍だったと言う。
のちにこの耳川の敗戦の責任として軍監の志賀親守の罪を道雪は糾弾している
耳川の敗戦により人材は失われ、加判衆の欠員の補充もされないありさま。
さて筑後の黒木が豊後に対して叛旗を翻した。2万の軍勢が討伐に向けられたが
すでに優れた指揮官を欠いており、隊列はデタラメ、充分な軍議も行わず城攻めを開始。
城方の激しい抵抗により、豊後軍は300の死者と700の負傷者を出して怖じ気づきはじめる。
退却してくる豊後軍に対して豊後国内でも反府内の城将たちが待ち伏せている報告をうけ
進むことも退くこともできない有様になった。
この悲報を筑前の70歳を越えた老いた立花城督に伝わるや、ただちに豊後随一の名槍の鞘を振り払い
一同の前で「わしの鎧が二度と外れないように固定してしまえ。黒木の城周辺を平定するまでは
この鎧をわしが脱ぐことは絶対にない」と宣言しただちに
6、7000の優秀な兵を率いて周囲は敵だらけの重囲の筑後の敵を粉砕しつつ、わずか4,5日で簡単に到着した。
老将の到着をまだかまだかと不安におののいた豊後軍は大喜びして心をやっと落ち着かせた。
老将は着陣するやすぐぬ軍指揮官を集め激怒し叱責し
「おまえたちの性別はなんだ?男ならなぜに戦わぬ?いいか今後は卑怯な態度を見せるな。
もし豊後に帰りたいなどと言ったらわしがそいつを殺す。よく覚えておけよ」
こう宣言するや少しも休まず難攻不落の城へ自ら先頭の立ち攻撃を開始した。
すると最初の攻撃で簡単に城内へ突入し敵をほとんど殺してしまった。
さらに臆病風が蔓延してる豊後勢を感化させるべく、さらに他のニ城も彼等と一緒に攻撃し老将の武威の前に屈した。
しかしこの老将は異教のの教えに凝り固まっていてデウスの教えを嫌悪していた。
朽網親子が出陣し、老将の総指揮官に挨拶をしようと訪問する際に息子に注意した。
異教の父がロザリオをした息子に「お前も知ってるだろう。立花殿はキリシタンを好まない。
だからロザリオが目に触れぬように隠しておけ」息子はそれに従った。
しかし老将の前にくるやロザリオを取り出しはじめた。父は赤面し
「これは馬鹿息子であります。立花殿の前に出る前に、ロザリオを取り外すように注意したのに
取り外すどころかわざと見せ付けるありさまです」
老将は「ははは、心配なさらずに。まぁなんと言っても他人に優れた兵士って言うのは
初志を貫く気持ちが必要であり後退してはなりますまい」
このようなことから思うに日本人は理性的であると言えよう。
ためになる長文ながら、助詞が残念だ。
115 :
人間七七四年:2010/07/09(金) 01:41:11 ID:9cWoTN6q
田北紹鉄の凄さがわからない・・・
116 :
人間七七四年:2010/07/09(金) 02:52:19 ID:2ofdnNjc
>6、7000の優秀な兵を率いて周囲は敵だらけの重囲の筑後の敵を粉砕しつつ、わずか4,5日で簡単に到着した。
俺の田舎は八女で親戚も浮羽の方にいるんで分かるんだが
水納連山は車で越えるのも往生する程急峻な坂道が続くんだよ
しかも筑前衆は敵の攻撃警戒して最も険しい鷹取山ルート選んでる
いくら健脚な当時の人でも夏にあのルートを行軍するなんて簡単どころか相当きつかったと思うぞ
あと、黒木の猫城、あれは力責めでは落とせないわ
左右を川が作った大きな谷に挟まれた急峻な舌状地の先端に位置し
しかも城郭部分のみ突起した様になってるから後方から容易に近付けない
平地が少ないので大軍が展開出来ないし、攻め口が限られて本当攻めにくい
谷と谷の間隔が広すぎるのと川が深くて城の対岸に付け城築いてもあんま意味ないし
本当道雪がやった様に根回しして中から崩して行かないとあの城は無理だわ
117 :
人間七七四年:2010/07/09(金) 08:42:28 ID:j2f4a1p/
道雪、紹運も大友家以外だったらもっと出世していただろうに
118 :
人間七七四年:2010/07/09(金) 09:23:43 ID:Fg+PN2kr
ほう、例えば?
119 :
人間七七四年:2010/07/10(土) 01:28:31 ID:D6cVLUDg
そりゃあ無理だろうな。
戸次や吉弘と言う家に生まれたのが
大友の要職に付けれた最大の理由だからね。
120 :
人間七七四年:2010/07/10(土) 01:39:14 ID:6/XNhFgg
あの2人にそんな出世欲があったら
宗麟も立花や宝満の様な要地に
あの2人を置かなかったと思うぞ
あの辺は大友勢力圏の淵部で
他の勢力からの誘いが多い土地でもあるからな
豊後において2位もしくは3位の大身の国衆に道易がいた嫡男を太郎と言う。
義統の妻の奉仕をしていたが寵愛を失って道易の家にいたキリシタンの女性をイザベルと言う。
彼女は日々、キリシタンとしての生活を送っていた。
彼女が十字を切って跪くさまを見て驚いた12、3歳の太郎は、執拗にその理由を尋ねた。
それを聞いた少年はキリシタンになりたいと言い悪しき偶像崇拝をやめた。
父は息子に異教徒の妻を娶らせたが、その仕女にアンドレザというキリシタンがいて
太郎にデウスの話を聞かせた。7年の月日が経つ中で父やとりわけ祖父が信心を止めさせようとした。
祖父の道輝は豊後の大半を治めていて、義統は父よりも強い尊敬と服従を彼に示すのであった。
太郎はある日、父とともに祖母に会いに行った。太郎はこの機会を待望していた。
彼は臼杵に着くと観光したいと行って200名の家臣を連れて教会を訪ねた。
司祭や修道士は彼をもてなしたが、彼は慎重で少しも謝意を示さなかった。
しかし彼は「どうしても受洗したい。教会からの帰り道、バテレンたちの深い愛情に
とめどもなく涙がでました。身内がどんなに反対しても気にしない」と手紙でよこしたのである。
彼の父は家臣を使って夜分は監視しているので、寝たふりをしてから家臣1人を連れて家を抜けでて
暗闇の大雪の中を教会へ向かって進み10時には到着していた。
そして4時くらいに司祭たちは彼を無理矢理帰したのである。
それというのも教理をすべて聞かないと受洗できないと聞いたからである。
そして残りの教理を聞いて受洗の望みを司祭に頼もうとする機会がやってきた。
しかし祖母にばれてしまい、祖父や父に報告されてしまった。
司祭はフランシスコに聞いてみたところ「すぐにでも受洗させてやりたいが、彼の父は絶大な実力者なので
やっかいな事態がおきかねないし、彼はしばらくすれば家を相続する身分である。一人前になれば
誰も邪魔はできないので、しばらく延期した方がよい」と。
それでマリア像を贈ることにした。彼は大喜びし持ち帰った。
彼は京でガスパル師が日本の宗派と議論した時の反論が書かれた書物を懐に入れて持ち歩き
他の者がキリシタンになることを妨げようとする時はいつも暗記したその書物の事柄を述べていた。
フランシスコはその決意を知り、非常に美しい玉でできたロザリオを贈った。
彼はそれを非常に喜び、父が自分の前ではしまっておけと命じても
「お断りします。なぜならキリシタンでないと来世は救われないし、これはフランシスコが贈ってくれたもので
これを大切にすることはフランシスコへの尊敬と感謝を表すことだからです」
かれはあるとき親しい家臣たちに、受洗や信仰への強い気持ちを語った。
すると「祖父や父がどんなに感情を害するかわかりませんし、不測の事態に陥りかねません」と言われた。
彼は左腕の皮膚に剣を皮膚に刺して十字を刻んだ。
「俺がキリシタンに必ずなることを貴様らに強く伝えるためだ。この十字はいつまでも消えることはない」
さて豊後では寺院が姿を消しつつある。仏僧の収入は兵士たちに分け与えられているのである。
豊前では宇佐の宮と言う莫大な収入を誇っていた悪魔の礼拝所がありました。
フランシスコは常々、消えてしまえと念願したおりましたが、ついに火が放たれました。
フランシスコは聖週間の祭儀を公にやろうと宣言しました。
のちに義統はそれほど盛大だったのかと尋ねた。
「噂以上です。特にあの人数・・・あれだけいれば殿の敵を討ち領地を奪回できるほどです。
そしてキリシタンの従順さ服従の精神のほどは、大群衆でありながら采配を一振りするや声も発せずすぐに整列してしまいました」
これこそフランシスコの目指すところでより大勢をキリシタンにしようと決意した。
太郎殿も参加したく思っていたが父に邪魔され家臣に目撃したものを報告させた。
122 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 19:31:57 ID:D6cVLUDg
ワシはお前達息子達が、わしに愛情を示さないのが不満である。
特に義統にたいしてだ。お前は多くのことでワシの意見や助言を求めていながら
一度もそれを採用しないくせに、父を愛すると言う。
ワシはキリシタンであえうのを承知なはずなのに、ワシが悲しむように
キリシタン教団を圧迫している。ゆえにそちたちに申す。
ワシは遠からず世を去るであろうが、汝らがワシの葬儀をやりたいなどと
見当違いな考えは持つな。異教徒の葬儀などありえない。
なぜならワシは三男のパンタリアンにすべてを頼むつもりだからだ。
最年少ではあるがキリシタンとしてワシの忠告に素直に従う子だからだ」
これを聞くと義統は無言で、親家は涙を流した。
「義統が領国の安泰のためにすべてをたった一人の坊主に委ねていることが
はなはだ不可解で驚嘆すべきことだ。あいつはただの盗人で、忌むべき占い師だ。
お前があいつを信任してる限り、ワシの言を信用しないのは明白だ。
ワシがそれが悲しい。もう何も申すまい。ワシの病が助長するだけのことだ。
ここまで言えばワシの気持ちを充分に汲み取れるであろうし」
占い師は義統に誰よりも取り入り、過大な封禄を義統から受けておるどころか
毎日のように反物などを義統からもらっていた。それゆえ国中の殿から尊敬を受けていた。
フランシスコの諫言を聞いた義統は彼を追放し、親家は自領近辺を通過するのを知ると彼を部下に命じて殺害した。
義統は寛大になりキリシタンになりたい者は自由になってよしと言った。
ある時義統が由布の司祭館で修道士にこう述べた。
「以前父の説話で私は誰でもキリシタンになってよいと述べたが、そもそも限界というのが存在する。
私の目付役の老中、国を統する国衆たち、封禄を持つ大名、府内で私へ奉仕する者の4階級である。」
特に朽網殿の名を挙げた。彼はキリシタンの説話を聞いたところ親戚や仏僧が騒ぎ、
息子が反対したので教理を学ぶのを断念していた。
また豊後第二の名門志賀の後継予定でフランシスコの先妻イザベルの孫である太郎殿はキリシタンにしてはならないと。
修道士は「これは初めて聞く話で、以前は誰でもキリシタンになってよいと語られたはず。
これだけははっきりしておきたいのは、その4種の立場の者が自ら率先して洗礼を受けたいと欲するなら
どんな危険が舞い込もうがキリスト教の習慣から、その方に洗礼を施す義務をまっとうせねばなりません」
義統は「キリシタンの建前から伴天連のやることは邪魔しない。
しかし伴天連たちが率先してこの階級の者を説得するのは止めて欲しい」
フランシスコはこれを聞くと憤慨し「そんなに嫌ならワシを国外追放すればよいものを」と言ったが
義統にはフランシスコの行動と援助がいまだ大くの点で必要なので絶交などできなかった。
義統に対して蜂起した叛乱の際、貧困に瀕したフランシスコは秘蔵の一品である茶の道具は堺で売った。
この知らせを聞いた秀吉はあまりの一品であるがため急いで1000クルザード支払って手にいれた。
そして特別の好意を示すため代金を馬に積み陸路で毛利諸国を通過し、海路で豊後へ送った。
これで当座の資金に困らず府内の学院の教会の着工を始めた。
フランシスコは大在の地の大富豪である胡麻津留と言う者が地上の財産に拘り天の財産について無関心なのを憂い
「デウスの教えは人が永久に豊かになれる道を教えるであろう」と説教するや家臣200名とキリシタンになった。
府内の学院のそばにジョイと言うその町内でもっとも裕福な異教徒が住んでいた。かれは説教を三度聴いて辞めてしまい
偶像崇拝に堕落した。フランシスコは彼を呼んで「町内は以前、仏に対して、義統に対してと二重に納付する義務を負っていた。
しかし町内の者がキリシタンになると言うのでワシはそれを一切免除した。
ワシはそなたを信じているが、今後は彼等に課されていた納付のすべてをお前に課すことにしたからよろしく」
彼はこの負担から逃れる気持ちが先行しつつ教会へ向かいキリシタンに早くならなかった愚かさの許しを乞うた。
フランシスコの気持ちが理解できていないようなので彼には充分な時間をかけてよくデウスの信仰を理解させてから洗礼させた。
立花の偉大な将の話を以前した。彼は勇敢な城主であるのでその後は軍勢だけでなく義統まで支配していたので
義統はこの老人の言うがままになっていた。またデウスに対して彼は愛情を示すことはなかった。
義統の伝言を伝えるためにリイノという武人が老人のとこへ使いに行った。
「某がキリシタンを憎悪しているとフランシスコ様に告げ口をする者が多くいるようで迷惑している。そもそも某はデウスの教えを
まったく知らんのに、どうやってそれのことで意見できようか。フランシスコ様はデウスの教えを重く受け止めるキリシタンである。
某は国衆、老中、現在の豊後軍の総大将として全生涯をかけてフランシスコ様に忠誠を尽くしてきたのだ。
たとえフランシスコ様が呆けながら街角をふらふら踊りながら彷徨っていようが構わず、それに従うことも辞さない。
フランシスコ様は某の国主であり主君であり、某はそのフランシスコ様に仕えるためにいるのだ。
この気持ちを伝えてくれるキリシタンの友人にめぐり合えることを心待ちにしていた。
フランシスコ様と嫡子様がキリシタンの布教のことで意見が対立してるのも知っておる。某は和解させるべく尽力する決意であり
必要と思えばキリシタンの教えを広めるために援助しよう。」その後に秋月の領地で功労を立て筑前の大部分を奪回することに成功した」
悪魔が国主の姫を地獄に送ろうした。義統には姉妹が2人いた。その末の妹を嫁がせようとした。
相手との性格不一致を理由に彼女は拒否した。さらに不愉快な思いをした義統は妹を刀で脅し殺してやると脅迫した。
彼女は夜にフランシスコの元へ逃げ翌日には津久見で洗礼を受けこの上なく喜びマセンシアと名乗り後年に秀包に嫁いだ。
イザベルは息子が妹にヒドイ行いをしたのに悲しんだがキリシタンになったことには反応を示さなかった。
義統は妹と和解したく思い臼杵から出ずに彼女が戻るのを待った。マセンシアはキリシタンとともに過ごしたい気持ちがあったが父に説得され帰った。
姉もつねづねキリシタンななりたい気持ちを抱いていたのでマセンシアからデウスの教えを聞き機会を待つことにした。
フランシスコは太郎について「デウス様はワシが死んだあと、わしの代わりとして彼を選んだのだ。彼は豊後のキリシタンの偉大な支柱になるはずだ」
フランシスコと義統は府内で会議をした。国中でもっとも高位の主要な者達が集合した。
諸大身のうちでも特に重要な志賀の家名を継いだ19歳の太郎もいた。彼は国事の政治よりも魂の救済の方が重要だったので
家人の監視から逃れて受洗する事を考えた。義統からキリシタンになるのを禁じられていたが、かれは夜間に露見するのも気にせずに教会へ行き
洗礼を受けドン・パウロとなった。「数日前に初めて子供ができたがそれよりもうれしい」
翌日には公然と食料品や贈り物をパウロは教会に贈ったが両者ともはじめて会ったように装った。
すると彼は家臣とともに教会や学院見物にきた。そして帰ったあとに「伴天連様がそしらぬ風でとぼけていておもしろかったよ」と告げた。
うわぁ、掲示板を自分のホムペかなんかと勘違いしてる人がいる
暇人なんだろ スルー、スルー
太郎がキリシタンになったことは早くも街で話題になっていた。
義統がそのことを耳に挟んでしまうとどんな悪い事態になるか想像もつかない。
ゆえにこの報告を義統にすべきではないか?とフランシスコに司祭は相談した。
太郎の祖父はデウスを嫌悪しており、とんでもない発言をキリシタン教団にしたので
以前、フランシスコの怒りを買い、今では豊後の外れの宇目城に左遷され不遇の境遇であった。
そこに太郎が国主の命でパウロとなった報告がきた。
祖父は「遺憾だが国主の命令には従わざるおえまい」
しかししばらく経つとその発言を忘れ激しく怒りデウスを冒涜する発言を繰り返し
義統に伝えた。「孫がキリシタンになってしまった。先祖代々が帰依してきた神仏を軽んじ
寺院を破壊し僧侶をキリシタンにしようとしており志賀家が滅ぶのは明白です。このことはひいては豊後の破滅へ到ります。
もはや私の意見は聞かぬどころか、殿とのキリシタンにならない約束すら守らないので、厳罰に処してください」
義統はこれを聞くとあまりに激しく怒り「太郎の行いには驚かずにはおれん。約束を破るのはありえない話で
早速に使者を派遣しキリシタンをやめるように厳命しよう。もしさらに拒絶するなら彼からすべてを没収し国外追放してくれるわ!」
義統の使いはパウロに「祖父から話を聞いた。日本の慣習では高齢で健康状態が不安になり統治する上で職務遂行が難しくなると
隠居し息子達に財産を譲るのは、今後は来世の救いを求めることに専念するからである。
しかし若者が信心や来世の救いに熱中するのは不名誉この上ない。それは臆病や心の軟弱さの顕れに他ならず戦争における
処々の困難から逃れようとするように世間は見る。ゆえにそなたとの極めて親しい姻戚関係と愛情から助言する。
キリシタン信仰を棄てて仏閣を燃やし破壊するのは止めよ。そうでなければ国主として非情な決断をせねばならない」
翌日パウロはこの使者2名を岡城の屋敷に招いたが、屋敷は非常に高い場所にあり、領内がすべて見渡せた。
彼らが城上に立った時、突然に眼下の社の複数から火の手があがり、建物が燃え出しその中から異常な喧騒が聞こえた。
パウロの家臣達が狼狽していたがパウロはもたれかかった姿勢で眺めていた。そうパウロの指示で萌えているのだ。
使者に対して「気にせずともよい、キリシタンの家臣に命じてウザイと思ってきた寺社の掃除をしているところだ。
殿に伝言ください。キリシタンになったことでデウスに知識を得、今まで以上に殿に熱心に仕える気持ちでいっぱいです。
よくよく考えてください。殿は周囲の国がすべて叛乱した時に貧困し、いくたの困難に思慮を巡らしすばらしく
的を得た政策を実行なされたではありませんか。密かに万寿寺に放火しその膨大な収入を没収し
武士や兵士に分配したのをお忘れですか。この効果は絶大で諸事の難問をすべて解決に導きました。
私も同じ気持ちです。殿に尽くしたいからこそ破壊しているのであり、仏僧の収入を私の兵士に分配し
兵士の数を増し、武器も良馬も増え、彼等はよりいっそう鍛錬に熱意がこもることでしょう。
これは殿から賞賛をいただけることはあっても脅迫されるような真似はしてませんが何か?」
義統ははなはだ不快な気持ちになり再度、厳しい使者を出すと同時に、彼の父の道易へも使いをだし
「息子の罪ゆえおまえのすべての職権を奪う」と命じた。
道輝は日向の国境の宇目城におり薩摩との戦いも近いところの監視をしていたが
パウロは書状を出し「祖父という近親の間柄にありながら自分のことを殿に告発したのはどういうことでしょうか?
祖父というのは末裔の繁栄を望み援助するのが普通ではありませんか?豊後において絶大な影響力と経験を持つ
祖父が逆の行為をするのは理解できません。ゆえに直接に話合わねばなりませんので志賀へ来ていただきたい」
なんども訪問要求は拒絶したがパウロが執拗に願ったので志賀へ向かった。
祖父の前にパウロは家系図を出しつつ「残酷な仕打ちを悲しんでおります。なぜ殿に向かい、私を殺害するか追放して欲しい
などと申したのですか。しかしキリシタンの家臣達の忠誠と愛情が私を慰めます。皆が私が死ぬなら同じように死ぬと申します。
この忠誠心はデウスの教えを共有してるからに他なりません。あなたは豊後で極めて高貴な身分で皆の尊敬を集めております。
そのあなたにこれ以上不快な思いになってもらいたくないし、私もこれ以上非道な思いをしたくない。志賀の家督を
お返しします。弟が二人いるので好きな方に家督をゆずればよい。家督は二分しあなたが決めた相続人と私で分けるのがよい。
なぜなら当家の主だった家臣はわたし以外には仕えないと主張するので、志賀の領地を一部もらいうけざる負えません。
私は今後、志賀ののけ者として殿に仕えます」
祖父は志賀家を二分してしまうことに驚き、志賀の滅亡への道を想像し系図を受けろ受け取らないで言い争った。
そして「孫よ、ワシと父がそなたに志賀を譲ったからには、感情の行き違いで家督を返却すると言うのは困る。
殿に叱責を願ったのもそなたを憎むからではなく、愛情を抱くゆえである。」
涙を浮かべながら「わかったキリシタンになるのは構わない。殿にはとりなしておこう。ただひとつだけ望みを聞いてくれ
私は仏教徒であり、もうじき亡くなるので葬儀のために先祖からの菩提寺だけは遺してもらえないだろうか」
「それは無理です。悪魔崇拝を許すわけにはいきません」
祖父は義統に面談し「孫の件で殿に説得を依頼しましたが、勘弁願いたく参上しました。孫はまだ若く志賀の分解の危機に至る前に
説得できる者もおらず強いてしまうと志賀が崩壊し豊後が大混乱に陥りまた吾等の苦難がやってまいります。
やがて時が解決するまで許していただきたいのです。」
義統は激怒し「私はあなたが自分の発言に責任を持つものと誤解してきた。あなたは狂ってきたようだ。
あなたは私が口先ひとつで簡単に心が変わる愚か者と思っているのか。」
戦が始まった時、義統はいままでの行為からパウロに出兵依頼を出さなかったが、パウロはいち早く戦場に到着した。
パウロはわざと少人数しか連れておらず一同は、義統が罰を与えるかもしれないのに勇気があることだと感じいった。
「まだ国の者たちは誰も来ずのにかなり早く来たな。もう一度帰って兵を集めてくるように」と喜んで言った。
しかしさらなる困難をデウスはパウロに求めるのであった。それは数日前に生まれた子に洗礼をしてまもなく病を発したからだ。
さらに彼の両親が最大の敵として、棄教しない彼を実の子ではないかのような憎悪すら向けてきたのだ。
父は「そこまで言い切るなら志賀家は他の息子に継がせる手段を考えよう」と祖父にパウロの破滅について話合いを持った。
イザベルの娘である母は息子の説得が無理とわかるとさらに悪しき手段にでた。パウロの若き嫁マグダレナに対して説得を始めた。
マグナクレナは「母上、私を説得するのは無駄です。あなたの息子が棄教しても私は棄教しませんので。」
今にも死にそうな子を抱え悲嘆にくれるマグナクレナは苦悩が深まるばかりだった。夫は義統と親類に迫害され今や国外追放は間違いなく
最愛の赤子の顔に涙がたれるばかりであった。そんな時にパウロの母が怒鳴り込んできて彼女を厳しく責め立てた。
「キリシタンの迷信を信じたがゆえにその赤子は死ぬのだ。神仏が罰を与えているのだ」と。
マグナクレナは言った「ますます立派なキリシタンになります。この子は天国に行くのです。子と離れたくありませんので
立派なキリシタンとして最後まで生きることでもう一度あの世で会えるのですから」
パウロは家臣たちに寺社の収入を分け与え多数の騎馬を持ち十字架の旗のもとに進軍するのをみて
義統は見なかったこととし、パウロに親しくなった者にキリシタンにはなるなと命じていた。
義統はフランシスコを疎んじ、キリシタンに対する残酷さは次第に増していくだけであった。
ここに至りパウロ夫婦は家も生命も棄てる覚悟を両親に伝えた。
祖父はまたしても義統に「家督を没収し弟もしくは
道易に再度家督が戻るように」依頼し始めた。
>>124>>125 なんだよ。じゃあ止めるよ。
そのかわりなんかお前らが面白いレスくらいしろや。
>>128 素材が悪過ぎるとどんな凄腕調理人が
どう料理したって不味い料理にしかならないんだよ
この見るに耐えない長文ににどう面白いレスしろと?
>>129 で、お前の興味あるレスを期待して待とうか。
え?なに?ID:kqQ4vsWIのレスポンスの早さ?
まさかこんな過疎スレに張り付いて粘着してるの?
なんか気持ち悪い・・・
この生産性皆無のレスばかり。
無知なヤツほどクソレスしかしないんだよな。
>>132 >この生産性皆無のレスばかり。
>無知なヤツほどクソレスしかしないんだよな
>>121-123>>126>>127 こりゃまた生産性の悪い長文ですこと
3行でまとめられんかね?能ある鷹は爪を隠すと言うが
無知なヤツほどひけらかそうとするのは本当だよなぁ
内容は有益だとは思うが、長すぎる文は読ませる意識が低くて
他人から見たら単なる自己満足からくる迷惑行為に捉えられかねないんだよな。
原文は超長い。大幅削除してるぞ。
まぁ奇矯が指摘したように
知的水準が低い
漫画やコーエー出版人物ファイルを
愛読してるようなアホ厨には長すぎたということか。
だがこれ以上削除はできないな。
身道雪の思考や志賀親次の苦労
そして宗麟や義統の相克を原文テイストで伝えられないからな。
原文有るのならまず出典等書くのが
筆記者や著者への礼儀だと思うが
それが一切無いのは何故?
それに原文大幅に削除しようがしまいが
それがかえって読みにくくしてる様じゃな
それなら原文ママでコピペでもしてくれた方が
キミの私意が入り込まない分よっぽど読み易い
しかも仮にも擁護してくれた人を呼び捨てだし
知的水準が低いと書いてあるかのように解釈してるし
地元郷土史や他地方じゃ入手困難な歴史書でも写して俺偉いってか?
宗麟や義統の相克を原文テイストで伝える前にキミの底の浅さが伝わったわ
>>137 そのあきれ果てるまでに無駄に冗長な文章をまず添削してもらった方がいいよ。
言わんとしてる文意は1行で纏められるレベルの内容だし。
>>138 自分が冗長な文章を書いておいて何を言うかw
まぁ簡潔に纏めるなら、「出展の明記やってない時点で論外」
>>138 >言わんとしてる文意は1行で纏められるレベルの内容だし。
1行にまとめるとID:kqQ4vsWIは自分可愛い馬鹿
>>140 一行どころか"自分""可愛い""馬鹿"の単語3つかよww
末期の大友のようなgdgdさ!
143 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 02:54:17 ID:ZiHGfqpb
スレと関係ない誹謗中傷でスレを荒らす低脳は消えていいよ。
144 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 03:57:50 ID:IwNU+BS3
>スレと関係ない誹謗中傷でスレを荒らす低脳は消えていいよ
そうだな、ちょっと意にそぐわないレスされたぐらいで
他人を無知・クソ・アホ厨・低脳と誹謗する長文連投厨は
消えてもらった方がスッキリしていいな
145 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 17:22:44 ID:ZiHGfqpb
大友以外のレスすんなよクソ荒らし。
>>127 志賀親次が追放されそうじゃねぇか?
島津の侵攻から岡城防衛する以前に追放されるの?
また戻ってくんのか?
父はたしか島津に内通して豊後に引き入れる手先になるんだよな。
祖父は臼杵にいて内通疑惑あるはず。
その先どうなっちまうんだ?
146 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 18:38:52 ID:IwNU+BS3
>その先どうなっちまうんだ?
これは酷い自演ww
147 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 18:50:33 ID:ZiHGfqpb
>>146 無職の自演くん
やっと目が覚めましたか?
大友にかかわりのないクソレスしないでくれる。
こちらは本気で島津を敗走させた親次の
前半生を知りたいからレスしてんだから。
いままでその辺りのレスって見たことなかったし。
148 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 19:00:59 ID:cyHjqpAe
>>147 ID:ZiHGfqpb、いやID:kqQ4vsWIくん
お前もうみっともないよ
あの冗長文続けたいからと言って自演すんなよ
親次の前半生?そんなん自分の頭ん中に既にあんだろ
そんな自己満足オナニーレス見せられても迷惑なんだよ
まだやっとんのかいな。
150 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 21:07:05 ID:WI4RhNme
>>143>>145>>147 こ、これは分かり易い自演
というか、今時こんな分かり易い人もなかなかいない
自演する人は粘着体質でしつこいと言うのは本当だな
151 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 21:25:47 ID:IwNU+BS3
文体や下手な改行、注意された時の悪態の付き方で分かるが
彼ID:kqQ4vsWIは以前もここで長文連投して非難されてたよな
にも関わらず懲りずに同じ様な事繰り返すのは自己顕示が強い
と言うか、基本自分を偉く見せたいだけの馬鹿なんだろう
152 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 21:59:57 ID:ifFwuS9i
大友家末期のgdgdさが今ここに再現!
いい加減落ち着けおまいら
キリシタンにでも改宗したのか?
オレは臨済宗妙心寺派で。
154 :
人間七七四年:2010/07/13(火) 00:50:34 ID:BcnKF95/
中傷悪口でしか会話できない愚か者は無視して
スレに関係ある会話しようぜ。
どうせ大友について知識がない無知さの反動なのさ。
まっこんなくだらないことで
執拗に粘着顔を真っ赤にしての必死な自演だろうけど。
しかし日向国に近い宇目城ってのは正確な位置だと
どこらへんなんだろうか?
佐伯市のどこかなんだろが。
155 :
人間七七四年:2010/07/13(火) 01:04:45 ID:BcnKF95/
訂正
まっこんなくだらないことで
執拗に粘着して顔を真っ赤にしてるヤツが
複数いるとも思えないので
必死な自演だろうけど
156 :
人間七七四年:2010/07/13(火) 01:55:26 ID:ehcviBx/
>>154 >どうせ大友について知識がない無知さの反動なのさ。
本当前回とまったく同じパターンだな
IDが変わった頃を見計らって素知らぬ振りして自演と自己援護
自演がばれたら自演と言い返して誤魔化そうとするとこ変わらんし
煽り文句も決まって無知・クソ・アホ・低脳と貧困なボキャブラリー
全然学習してないんだなID:ZiHGfqpb、ID:kqQ4vsWI、ID:BcnKF95/くんは
しかし宇目城とは初耳だな
宇目地区には9の城と砦の記録があるが
宇目の名を冠した城は俺の手元の資料には1つも無いなぁ
157 :
人間七七四年:2010/07/13(火) 02:10:04 ID:ikUHnbh5
また自演か
158 :
人間七七四年:2010/07/13(火) 03:01:17 ID:J+xfOkX5
自演は大友の文化です!キリッ <二階崩れ
>執拗に粘着して顔を真っ赤にしてるヤツが
むしろ分かり過ぎる自演のお陰でニヤニヤが止まらんのだがw
まぁ、彼の駄文、自演のおかげで過疎スレ活性化したと思えば
少しは彼を許そうという心情も湧く・・・訳ないみたいだね、うん。
159 :
人間七七四年:2010/07/13(火) 07:35:33 ID:psx69eQH
宗鱗のファンなんぞマイノリティーだから、まあ自演だろうね
160 :
人間七七四年:2010/07/13(火) 10:48:58 ID:sTdACDm9
大友宗家の家紋が算木って本当?
あぼーん
162 :
人間七七四年:2010/07/13(火) 16:19:07 ID:oeMXDFLQ
大友はマイノリティーだから、
ずっとスレが沈んだままだったよね。
突然狂ったように短時間に
こんなにレスがきたこと自体がまったくないよな。
まぁ1人の人物による
個人的恨みによる執拗な
単発ID自演による誹謗中傷だろうね。
まるで一時期の単発ID連続投下による住人増大による
工作がはびこったマイノリティー最上スレの再来だよな。
しかしいろいろ調べたが島津の豊後侵攻前夜の
豊前の戦況がよくわからん。
豊後から遠い豊前に戦に出てた記述は見たが
相手は秋月の息がかかった者たちなんだろうが。
163 :
人間七七四年:2010/07/13(火) 17:33:41 ID:kp9MJ/n1
164 :
人間七七四年:2010/07/14(水) 00:56:14 ID:8I50J7Pa
>>163 kp9MJ/n1はガチで変態だった・・・読んで損した・・・
つか謙信スレなどでホモネタ書いてんの全部お前だろ・・・
そもそもリンク先にお前が書いたホモネタ長文山ほどあるじゃねぇかウエっ
165 :
人間七七四年:2010/07/14(水) 02:08:18 ID:TpoUlCtF
>>164 あそこは信玄公を頂点とする衆道ネタスレで
長文連投OKカモカモなジョークスレだからな、こことは違うよw
166 :
人間七七四年:2010/07/14(水) 03:19:31 ID:4/HP2vZB
>>164 >kp9MJ/n1はガチで変態だった・・・読んで損した・・・
>つか謙信スレなどでホモネタ書いてんの全部お前だろ・・・
ちゃんとリンク先のスレタイまで書いてるのに読む前に気づけよw
謙信スレにホモネタがあるかは知らんが、それが許されるスレなのかな?
俺がホモネタタブーのスレでホモネタ書く様なヤツならここでも書いてるとか思わないの?
>そもそもリンク先にお前が書いたホモネタ長文山ほどあるじゃねぇかウエっ
へ〜、俺が書いたのどれか分かったの?凄いねキミ
俺が前回男色信玄スレでネタ投下したのは1月24日なんだけど
そこまで遡ってあのスレ読んだの?ホモネタばかりのあのスレを?
それに俺が長文連投したのは前スレの08年7月28日まで遡らないと無いんだけど
キミ前スレの過去ログまで遡って読んだの?過疎スレとは言え結構な量だぞ
「ウエっ」とか嫌いなフリして本当は好きなんじゃない?ホモネタ
まぁ、衆道は武家の習いと言うからキミが男色に興味があったとしても
キミの好みを否定する事はないから安心してカミングアウトしていいよww
167 :
人間七七四年:2010/07/14(水) 03:21:04 ID:8I50J7Pa
ガチでキモい
168 :
人間七七四年:2010/07/14(水) 06:10:41 ID:TpoUlCtF
>>167 >ガチでキモい
深夜にも関わらず僅か1分半後に・・・レス早っ!
ID:8I50J7Paさん、パネェっす!本物のガイキチ、いや粘着力を見せてもらったっす
169 :
人間七七四年:2010/07/14(水) 09:18:50 ID:03vYOYmx
罵りあいしかできなくて
>>160について知ってる人はいないのか。
170 :
人間七七四年:2010/07/14(水) 16:13:19 ID:g54H7bdH
>>169 釣り針なら釣り針らしくしとけや
だいたいググれば直ぐ出る答えをここで待つ理由が分からん
それとも検索する方法を知らんとか、俺携帯とでもいうのかな?
171 :
人間七七四年:2010/07/14(水) 17:00:29 ID:0mPtIgJU
>>169 日本史板の大友スレのもマルチポストしてるからだよ。
172 :
人間七七四年:2010/07/14(水) 17:28:53 ID:eSv+mxuU
末期の大友もこんな感じのどうしようもない煽り合いだったのかねぇ
173 :
人間七七四年:2010/07/14(水) 17:50:03 ID:jolyELLX
罵りあいしかできなくて
>>154宇目城について知ってる人はいないのか。
174 :
人間七七四年:2010/07/14(水) 18:56:11 ID:0mPtIgJU
宇目って地名からすると岡城の支城で南郡への入り口にあたる場所かな?
ちなみに三重城って今で言う豊後大野市内にあったのかな?
宇目から北上すると三重城へ出るみたいな?
175 :
人間七七四年:2010/07/14(水) 19:26:44 ID:TpoUlCtF
う〜ん、宇目城ねぇ
宇目の朝日嶽城や城の腰城の別称かと思ったが違うし
大野町や三重町や岡城近辺にもその名は見受けられないわ
島津に備えた宇目の砦なら皿内砦、駒鳴砦、荒内砦だしなぁ
176 :
人間七七四年:2010/07/15(木) 01:26:21 ID:FhogGRVX
宇目にある城って意味じゃないか?守備範囲という広域ないい方。
しかし日田に当時は城があったか不明だったり
三重城もいまいち場所が特定できなかったりと
大友の防衛体制ってよくわからない点も多いんだよなぁ。
177 :
人間七七四年:2010/07/15(木) 04:04:22 ID:41pR/Uol
日田は豊前や筑後を結ぶ要地だけに結構城跡あるよ
大友と関わり有るのは筑後の備えとして築いた高井岳城や国見城
坂本城の城主坂本鑑次や安禅寺城の佐藤鎮真もその名前から大友との繋がり感じる
178 :
人間七七四年:2010/07/15(木) 23:24:51 ID:CiCalnbU
霊園墓地に日田堤城主子孫なんて書いたのがあったわw
179 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 13:38:30 ID:zT5lfNxl
180 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 16:04:27 ID:gMt2VAG+
>>179 それ見ると日田は文禄慶長期に作られたのしか載ってないね。
堤城は城と言うより居館って感じだと思うし。
あと高井岳城で筑後じゃなかったっけ?
何かの本で日田って戦国後期には城郭がなかったって読んだことあるんだよね。
日田で城と言っても当時は狼煙台程度のものだったって。
181 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 16:42:16 ID:Of/KPl1A
>>180 高井岳城は日田市大字川下の高井岳山頂の城だよね
高井岳が筑後と豊後の国境の山だけに城郭自体は
日田と浮羽にあると言えるが築城が大友側だけに
豊後の日田の城と考えた方が自然じゃね?
>何かの本で日田って戦国後期には城郭がなかったって読んだことあるんだよね。
近世城郭や陣屋と言った一般的に城を連想させる城と言う意味かと思うが
豊後・豊前・筑後を結ぶ戦略的に重要な地に城がないと思う方が変だわ
182 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 17:34:20 ID:yx4rcj3N
183 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 17:35:32 ID:gMt2VAG+
いや戦国中期までに日田の国衆が大友に叛したりで破却されてしまい
戦国後期にはすでになかったみたいな書き方だったな。
184 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 18:42:05 ID:Of/KPl1A
日田に石松(城)から発する石松姓があるのが面白いな
日田から筑豊経由で北に向かうと宗像の勢力圏に出るが
その宗像には石松姓が今も多くて戦国期には宗像氏の
重要家臣にその名をいくつか求める事が出来る
日田の石松家から別家を立てて別れた流れなのか?
それとも大友に背いて日田に居られなくなった流でもいたのか?
185 :
人間七七四年:2010/07/17(土) 02:17:27 ID:s38xNZ8S
島津の豊後侵攻での日田衆の動きがまったくわからん。
186 :
人間七七四年:2010/07/17(土) 23:38:27 ID:Xm7ZQzz2
日田といえば、日田鑑教が大友一族から養子として入ったというが。
187 :
人間七七四年:2010/07/18(日) 15:29:04 ID:MiVnNUQm
日田郡は大友の直轄地で奉行を置いてたと違うの?
「日田八奉行」
坂本伯耆守鑑次、財津長門守鑑永、羽野遠江守鑑房、石松肥前守鑑正、堤越前守鑑智
高瀬山城守鑑俊、佐藤出雲守永信、瀬戸口大和守永益
188 :
人間七七四年:2010/07/19(月) 13:18:09 ID:1vlV3RTO
189 :
人間七七四年:2010/07/24(土) 11:09:57 ID:S7iU3awO
日田は秀吉が「太閤蔵入地」にしたわけだけど(江戸期の「天領日田」の先駆け)、
大友が直轄地にしてたから目を付けたのかな?
190 :
人間七七四年:2010/07/24(土) 15:03:03 ID:9IISXHoQ
秀長が義統の無能ぶりに呆れる記述を読むと
秀長がガチで性格悪そうでイメージ崩れるw
確かに対島津戦での戦功を秀吉に賛美されて志賀や臼杵を嫉妬して対立する義統は無能を越えて害悪なわけだがw
191 :
人間七七四年:2010/07/25(日) 15:25:06 ID:MtvbFPMI
日田をそこまで要地にした要因は?
交通と木材?
192 :
人間七七四年:2010/07/31(土) 11:37:27 ID:DQxxdWEk
>>191 木材(植林)は、江戸時代からでは?
交通に関しては重要だね。
大友氏が筑前、筑後、豊前、肥後で大規模な軍事行動を
起こすときの拠点になっていたから。
実際現在でも、日田から国道を通ると便利さが、実感できるよ。
日田・小石原・嘉穂・博多
日田・耶馬溪・中津
日田・小国・熊本
日田・久留米
193 :
人間七七四年:2010/08/01(日) 11:26:09 ID:vmFInaWO
首都圏の俺はまず通ることはないだろうな・・・・
194 :
人間七七四年:2010/08/01(日) 16:44:16 ID:21obl0FM
>首都圏の俺はまず通ることはないだろうな・・・・
日田を新宿駅に置き換えれば想像しやすいかな?って、規模が違うか
鳥栖
196 :
人間七七四年:2010/09/08(水) 20:09:37 ID:2uM6CZ6F
ロシアに眠る幕府の大砲
一行を最も驚かせたのは砲兵博物館で確認した大砲だ。「フランキ砲」「石火矢(いしびや)」などと呼ばれる種類で青銅製。2門あり、どちらも口径79ミリ、全長約260センチだった。
大砲の一つには「FRCO」と刻まれていた。同編纂所の岡美穂子助教によると、これは戦国時代に大分を本拠に活躍したキリシタン大名、大友宗麟の印章だという。
宗麟の洗礼名フランシスコから図案化したもので、1579年から2年ほど使っていた。
「宗麟が注文したか、宗麟の受洗を祝いイエズス会が贈った可能性が考えられる」と東大の五野井隆史名誉教授。ポルトガルの拠点だったインドのゴアなどが製造地の候補にあげられるという。
フランキ砲は鉄砲より少し遅れ16世紀後半に日本に伝わった。宗麟が最初に導入し、城の攻防に威力を発揮、「国崩し」の異名をとった。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201009060087.html
197 :
人間七七四年:2010/09/08(水) 20:50:26 ID:rAVeHZ+s
>>191 鯛生金山はまだ見つかってなかったけど、川床とかで砂金が見つかったりとかしてたりしてなかったんかな?
一時は佐渡島金山より発掘量多かったって話やし、砂金くらいは見つかってもおかしくは無いと思うんよな。
198 :
人間七七四年:2010/09/09(木) 15:45:08 ID:tItGgBX1
>>195 鳥栖って筑紫氏の領地だったっけ?
あそこは今も九州のへそみたいな要路だよね。
九州新幹線が止まらないとかガチにあり得んと思うけど、単なる田舎町なんだよな実際…。
まあ日田を重視するなら久留米なんだろうが。
199 :
人間七七四年:2010/10/11(月) 10:21:02 ID:/ZUHddRN
200 :
人間七七四年:2010/10/11(月) 13:06:37 ID:B9VcI31T
過去レスが物凄い充実しててワロタ
大友の内情が詳し過ぎ
201 :
人間七七四年:2010/10/11(月) 15:18:07 ID:DZ0tUKzo
>>198 鳥栖は田舎町じゃないぞ
佐賀県第2の都市でJリーグチームのホームでもあるし九州じゃそれなりの都市
202 :
人間七七四年:2010/10/12(火) 19:43:41 ID:a9a8jddK
JR鳥栖駅周辺部って不便だよな。
秋月行くにも大宰府行くにも柳川行くにもめんどくせぇ。
めんどくせぇあまり柳川からバスで佐賀駅に行ったわ。
203 :
人間七七四年:2010/10/15(金) 15:36:50 ID:RSfre04N
新幹線用の新鳥栖駅は利便性向上したのかね?
204 :
人間七七四年:2010/10/15(金) 16:29:40 ID:5FP4FCvp
新幹線大友駅ってどこらへんになるんだろか
205 :
人間七七四年:2010/10/15(金) 16:51:16 ID:65tx4Oma
206 :
人間七七四年:2010/10/15(金) 22:04:58 ID:RSfre04N
新幹線のサンダー道雪ハニー号は?
207 :
人間七七四年:2010/10/17(日) 11:27:16 ID:FMbmCsG5
208 :
人間七七四年:2010/10/17(日) 13:52:32 ID:boxAVklT
209 :
人間七七四年:2010/10/17(日) 14:00:29 ID:nrJKTXsu
「九州のキリシタン大名」を読むと、宗麟のイメージが変わる。
暗愚になったと思っていた晩年でも、家臣の信頼はそれなりにあったのね
よっぽど息子がダメだったということか
210 :
人間七七四年:2010/10/17(日) 14:35:59 ID:8RczBLju
宗麟は名君だぞ。
毛利や島津の史料で中傷されてるだけ。
バカ光栄の武将ファイルやアホ歴史趣味雑誌を読んで誤解してるやつ多すぎ。
211 :
人間七七四年:2010/10/17(日) 20:31:46 ID:yTaf7d4G
人妻は浪漫
212 :
人間七七四年:2010/10/17(日) 23:39:22 ID:G/pzWgR8
内政的には善政敷いてたよね。
213 :
人間七七四年:2010/10/20(水) 04:28:40 ID:dNMWusRp
歴史にもしはないとは言え、
愚息が東軍についてたら豊後はどうなってたのか
214 :
人間七七四年:2010/10/28(木) 05:27:05 ID:RR/PZsZw
その愚息も
もともとは東軍に付くつもりだった・・・愛娼がいなけりゃな。
215 :
人間七七四年:2010/10/28(木) 06:26:09 ID:5eRvsCN1
>>214 実子が徳川にいるのに、愛娼のために毛利の走狗になったのが2重にダメだった。
何もしなければ吉弘統幸は徳川の義乗の元に行って東軍として戦ってただろうから、
大友家再興の可能性もあったのにな
216 :
人間七七四年:2010/10/29(金) 03:28:13 ID:y10MrEpe
如水の最後の説得に応じていればな
217 :
人間七七四年:2010/10/30(土) 19:58:21 ID:L5WjIlPq
秀長は義統を無能過ぎて嫌いって言ってたみたいだから
豊臣政権を憎んでいても味方になる選択肢はないはずなのだが。
家康も予想の斜め上の選択にビックリしたって話だし…ある意味てんさいw
218 :
人間七七四年:2010/11/06(土) 15:42:09 ID:H8Y/0HLv
宗麟は名君でもあったが同時に暴君でもあったと思う
219 :
人間七七四年:2010/11/08(月) 18:53:34 ID:boYLnL3F
まあ家臣達の信用を失うような事ばかりしてたから仕方ないな
220 :
人間七七四年:2010/11/08(月) 23:12:02 ID:qW7h5igs
>>219 それはちょっと言いすぎだろ。
客観的にみれば、大名権力の強化と行使を徹底的にやっただけともいえる。
祖父の義長、父の義鑑もそれをやって顰蹙を買うようなこともあったわけだし。
実際には、父の義鑑が家臣を一門衆(大友家初代の能直の子孫)とその他に二分して、
一門衆を重用する方針を始め、加判衆から他姓衆、特に被官層を外したわけだ。
ところが、大友宗麟は他姓衆や中小の一門衆も積極的に登用した。
これはかなり、反感を買い。
「重大の重臣を軽く扱った」と批判を受けるようになった。
221 :
人間七七四年:2010/11/09(火) 20:21:49 ID:nQ+eGteV
よく処刑されなかった
222 :
人間七七四年:2010/11/09(火) 22:03:28 ID:ah/YgLDQ
勘違いしてるやついるみたいだけど
大友って宗麟が独裁してたわけじゃねーよ。
だから勝手にやってることは無い。
そもそも大友氏の代々の菩提寺まで潰してるから好き嫌いで寺社潰しやってるわけでもない。
領地分配で家臣とその領民からすると豊かにはなってるはずだ。
ただ分配しちゃってるので大友宗家は常に財政難だった。
だから大領を引き継ぐ田原氏を率いさせた田原親賢のように信用できる重臣がいないと不安定になる。
223 :
人間七七四年:2010/11/11(木) 10:52:52 ID:hwHcn72W
224 :
人間七七四年:2010/11/11(木) 10:54:31 ID:hwHcn72W
でも一万田の妻を略奪した話は酷過ぎるわな
225 :
人間七七四年:2010/11/12(金) 14:05:45 ID:nXZWLAlK
>>224 それ史実じゃないから。
毛利の記録が初出典の捏造。
それを実際に行ったのは
幼女愛が高じて幼女を誘拐し側室にした輝元と
その暴君ぶりに怒った者を暗殺した隆景だから。
226 :
人間七七四年:2010/12/03(金) 00:29:25 ID:SpLBx3KT
史実(歴史)じゃなくて事実(真相)ってか?保守
227 :
人間七七四年:2010/12/13(月) 12:57:58 ID:wa3wFaH9
>>226 嘘つき毛利厨必死だなw
そういや義統は独眼竜なんだよな〜。
島津が弟が謀反する約束を取り付けてるって公言してたのを軽々しくも真に受けて
弟からすべてを没収したりと疑心暗鬼のアホ小人の片鱗を見せてるよな。
義統を更迭して宗麟の娘婿を当主にすりゃあまだマシだったのにな。
228 :
人間七七四年:2010/12/13(月) 13:14:07 ID:yd8aJqNh
単芝にはロクなのがいない
229 :
人間七七四年:2010/12/28(火) 00:51:29 ID:R1YtGLPf
当主死去と政権弱体化
44 :人間七七四年[]:2010/12/27(月) 12:48:46 ID:WwnFpB58
傘下の国人一揆連合による上位統治権力への抵抗が基本にある寄親寄子制は
トップダウン方式による命令と迅速な執行を妨げ、
不利とみるや大量の造反国人が敵に寝返るために強い統治支配が出来ず
国人達の顔色を伺いながら、意見調整をせねばならない。
そこから脱却し守護や旗頭から戦国大名へと脱皮するためには傘下の国人達の権力を剥奪し
併合し官僚化し統治の深化を進めなければこれ以上の遠隔地拡大が出来ない脆弱な統治機構のままになる。
そこで宗家の権力確立を目指し国人を圧迫していたのが、
戦に強い陶晴賢や大友宗麟や尼子晴久が代表だろう。
逆にこういう中央集権への国人達の反発から
口うるさくない傘下に入れば、領内に介入しない、国人一揆連合の盟主くらいな軽いユルユルで
国人として独立性を保てる我が儘が利く関係で支配がより後退した関係で媚びて実力に伴わない単に肥大化しただけなのが
戦に弱く下手に出て支持を受けた島津義久や毛利元就や北条氏康や伊達政宗でより上位権力がやってくるや傘下国人の瓦解や国人間分裂対立も早かった。
230 :
人間七七四年:2010/12/28(火) 12:26:45 ID:R1YtGLPf
毛利衰退の原因は、元就が作っている件
183 :人間七七四年[sage]:2010/12/28(火) 02:14:28 ID:N6fQfW6s
彼らの強国化への改革中の死で
中国地方による畿内統一の夢が消えて
暗愚元就によって50年は歴史の歩みが後退したよなぁ。
231 :
人間七七四年:2010/12/29(水) 12:44:53 ID:G8nGIPtZ
1日:SRbRt7/c
2日:yBuZd+3I
3日:o+o0gV/n
4日:rYPytEYc
5日:4unj3228
6日:HZyZHJuB
7日:Pr0BqS6o
8日:QZzSow+8
9日:dH21dwXm
10日:QhbdL8yu
11日:Fbumpij3
12日:NkFakL2T
13日:wa3wFaH9
14日:HVS9ZQrC
15日:FtIbsd7Z
16日:hymCl0X/
17日:L5q7gGw+
18日:yQDzX8T6
19日:vTXG1r1b
20日:n2y5dJB0
21日:PEdhLYSD
22日:FSYyFstb
24日:jtKKFyEp
25日:eq4xQsUO
26日:NNnl+Koa
27日:WwnFpB58
28日:N6fQfW6s V32SrUy9
29日:5mb8/5+B 90jVp0OA
232 :
人間七七四年:2011/01/19(水) 05:01:43 ID:vZIPzM1P
二階崩れage
233 :
人間七七四年:2011/01/19(水) 13:27:12 ID:fWu+Pkgo
>>225 ウソつき毛利が宗麟の生活を酒池肉林とまでこき下ろして捏造してるからね。
服部某の妻が九州一の美女と聞いて宗麟が近衆に命じて服部某を殺害して
その妻を略奪し寵愛したので大友家臣達が離反し始めたとか超絶デタラメばっか。
この毛利の根拠ゼロの悪口から宗麟が家臣の妻を奪ったり、
放蕩三昧だと言うイメージを広がったに過ぎない。
234 :
人間七七四年:2011/01/30(日) 22:59:33 ID:DuYdui/r
毛利を完全に撃退しての宗麟全盛期の1574年に島井宗室から軍資金に銀子百二十貫目の借金を申し込むあたり
大友の財政難はいよいよ逼迫してんだよなあ。
もはや寺社を潰してその領地を奪って家臣への褒美にしているだけでは間に合わないんだろう。
1572年から毎年朝鮮に貿易船を派遣して利益出そうとしてるがあんまり稼げないみたいだし。
待望の中国との貿易は相変わらず断られているようだし。
1576年に家督を義統に譲ってキリシタン修行に熱中し奈多夫人が激怒するわ、
その兄の田原親賢の養子まで受洗して夫人と親賢の怒りが頂点に達してるんだよな。
耳川の戦いは親賢が目前の島津軍よりどうやってキリシタンを撲滅するかの軍議になってたって言うが、
キリシタン貿易と寺社潰しだけじゃ間に合わない財政難によるところもあったのかも知れない。
のちに島津を撃退したあとに内応した家臣を一斉に改易したことから大友財政は一瞬で好転した。
235 :
人間七七四年:2011/01/31(月) 14:45:31 ID:CUA6DQ4q
宗麟が博多の実質的支配者だったから
借金もできた一面があるから
毛利との争奪戦に勝てた事はデカい。
毛利が全焼させた山口の復興に失敗したからどうしても博多が欲しかった毛利の財政破綻ぶりはそれ以上だからね。
博多に影響力を持てれば最悪、秋月みたいに脅迫して欲しい物を手に入れる事ができるからな。
そういう意味では堺で脅迫した信長と秋月種実のやってることは変わらない。
まあそのおかげで反抗しておきながら秀吉に降伏した際に助けてもらえたわけだがw
あと毛利同様に島津みたいに博多で略奪しまくってすべて燃やして帰るキチガイもいるが…
236 :
人間七七四年:2011/02/01(火) 01:46:24 ID:EqwDaHqm
戦国大名の借りるは、ジャイアンの「借りるぞ」だからなあ。
宗麟の茶器も商人達の「御芳志」だからなあ。
237 :
人間七七四年:2011/02/16(水) 20:56:02 ID:+8ZgDGjq
>>236 そうとは言い切れないよ。
まぁ政宗の「こないだ自慢してた鷹を今季だけでいいから貸して」はジャイアン発言だが…
238 :
人間七七四年:2011/02/22(火) 22:03:38.67 ID:CL4N7IOC
239 :
人間七七四年:2011/03/03(木) 12:02:51.07 ID:DY8IXE0T
大友宗麟は幕府などの権威を利用したり、菊池や大内を乗っ取るタナボタ的な政治工作は得意で
二階崩れでガタガタだった家中を家督継いで立て直しただけでなく大きく躍進したけど
豊前や筑前まで版図を広げた後はいまいち拡張していないのね。
名将も豊富な割に肥前や薩摩の蛮人に遅れをとったのは何故でしょう?
240 :
人間七七四年:2011/03/04(金) 13:46:09.54 ID:jBGvuUTa
>>239 基本的に名門出身に有りがちなんだけど欲が無い、又は薄い。
経済的には国際貿易港である博多を押さえれば十分だし、豊前は博多までの通り道だから
確保したが、それ以外は形だけでも服従しておとなしくしてくれればいいや、という
室町幕府従来の支配意識だと思う。(名門守護大名だからね、基本保守的)
まぁ戦国なんでさすがに統制はきびしくせざるえないが基本はそんな感じ、
本人自身は複雑な性格だったらしいから、家督をついでとりあえずがんばってはみたものの、
自分がほんとにしたいこと、目標なんかについて見いだせなかったんじゃないかな。
だからそれを埋めようと、いろんな趣味や宗教なんかに手当たり次第手をだしたりする。
さらに本人が病弱だったのも大きい気がする。
おおきな野望をもったとしても、体が弱ったりするとどうでもいいって思ったりするもんだからね、
この時代は欲望丸出しの時代だから、こんな君主じゃ物足りないって思ったり、
もっとビッグになりてぇって連中がうじゃうじゃいるからね、そんなハングリーな
奴ら相手じゃさすがに遅れをとらざるえなかったんだろうねぇ。
241 :
人間七七四年:2011/03/04(金) 14:01:21.50 ID:coHoIMNV
龍造寺隆信に甘すぎたんだよな。
あいつは戦国時代屈指の屑だぜ。
242 :
人間七七四年:2011/03/04(金) 17:08:14.18 ID:WlQJCCZG
大友は大身国衆ばっかで大友宗家直轄地がほとんど無かった。
これが一番大きい。
だから宗麟は朝鮮との貿易を開始し、明との通商を求めた。
キリシタン貿易も財源捻出のためという一面もある。
だから大友の菩提寺まで潰してまで寺社荘園領主潰しをして反発を食らってた。
ただこうやって没収した地はほとんど家臣への褒美で消えたし、
家臣達はそのまた家臣に与えて武具を揃えさせたりしてたといい
上下ともに裕福な生活は送ってなかったようだ。
ただ僧侶どもは民衆を騙し私服を肥し裕福な生活を送って我侭だったと言うから自業自得。
ただ政権運営においては宗麟の妻とその兄(親賢)が奈多八幡宮の宮司の出というのは致命的だった。
耳川の戦いの総指揮官もこいつで、島津打倒の策では無くキリシタンを破滅させる方策について議論にばっかり熱中していて大敗した。
大敗後に生死不明になっていた時期も皆が「臆病なあいつが死ぬわけねーよw」と死亡を信じなかったし、
生きて戻ってきたら、宗麟の妻にして妹の奈多夫人は
「神道を信心していたから兄は九死に一生を得た」などという始末。
ただ相隣が当主を息子の義統へ譲るまでは失策は無いと言っていい。
義統は猜疑心が強く、奈多夫人や田原親賢によって発言が左右し、言動に一貫性がなく秀吉と秀長からも嫌われたほどの小物。
結局、島津の豊後侵略でももっとも激戦地となり大抵抗戦を展開したのがキリシタンの志賀親次だったし、キリシタン人口の多かった球珠郡や宗麟が守った丹生島城も落ちなかった。
宗麟のやり方が徹底していれば団結力のある重商主義的なキリシタン国になっていたと思われる。
243 :
人間七七四年:2011/03/04(金) 17:15:16.92 ID:WlQJCCZG
>>241 隆信と言えば吉弘鑑理に降伏の使者を出したら
「お前の人柄はまったく信用できねえ」と拒否され
鑑理のように頼み甲斐のない人はもういやいやと言って
立花道雪に降伏を申し込んだら「信用できるかざけんな!」と
また拒否されたという話が笑えるよなw
244 :
人間七七四年:2011/03/13(日) 00:21:28.63 ID:psJGEnKQ
大友親貞宛書状
ちょっと出すぎたことをして申し訳ない。ちょっとした悪ふざけを本気で怒るなんていやじゃいやじゃ。
龍造寺隆信
245 :
人間七七四年:2011/03/14(月) 02:31:35.88 ID:TQbs5bo/
隆信の書状面白いなwww
なんかネタに使えそうw
246 :
人間七七四年:2011/03/14(月) 05:51:09.33 ID:q2e+Syee
>>240 ちょっと欲を出して日向進行したら痛い目にあったでござる
247 :
人間七七四年:2011/03/14(月) 06:35:25.79 ID:49oTPBZx
ゲームの話で申し訳ないんだけど
信長の野望天道では10号線というか宇佐から杵築に抜ける日向街道が通れなくて
国東半島を海岸線にそって大きく迂回するルートになっている。
このせいで対毛利の最前線である豊前から豊後への兵力輸送に日数がかかってしまい
北上する島津に府内館を落とされやすくなってます。
日向街道は江戸時代に整備されたと聞きましたが
戦国時代当時は山香や安心院のあたりは通れなかったのでしょうか?
248 :
人間七七四年:2011/03/14(月) 13:03:27.88 ID:quLB40aA
>>246 対島津の防波堤になってた上に
縁戚の伊東がボロ負けして泣きついてきた
しかたないっちゃしかたない
249 :
人間七七四年:2011/03/14(月) 13:18:24.00 ID:3gKFNp/i
>>247 通れないことはないと思う。
宗麟の何代かまえに大内氏がそのあたりに攻め込んできて、
大友側が山香で必死の防戦を行って撃退してたはず。
たぶんそのあたりの国人が島津側に寝返ったために通れなかったとか?
250 :
人間七七四年:2011/03/14(月) 15:07:22.82 ID:49oTPBZx
以下は天道における九州のマップをつなぎあわせたものです
(つなぎあわせ部分がちょっとおかしいですが)
黒線が通常の通路
赤線が山道を開発して通行できる隠し通路です。
http://loda.jp/tendo/?id=258 南九州は鹿児島湾をのぞけば比較的最短に近いコースで輸送できますが
大友領内は筑前・豊前や豊後・豊前間は大きく迂回するようになっています。
鹿児島から人吉のような険しい道をショートカットできるのに
なぜか大友領は変な山が通行不能なのは
やっぱり島津贔屓・大友いじめでしょうかw
251 :
人間七七四年:2011/03/14(月) 16:25:47.09 ID:qfJiSJsh
大内は国東半島を攻略せずに南下を狙ってたから普通に通れるでしょ。
宇佐→立石と南下できるはず。
ほかにも龍王城→高崎城ってのも間道がありそう。
>>246 宗麟の婿の一条を経由して伊東とは親戚だし、
土持氏が島津側に寝返った時に土持氏と婚姻してる佐伯が執り成しの弁明したために先陣を命じられてるから
親戚関連の絡みはいろいろありそう
252 :
人間七七四年:2011/03/14(月) 17:21:08.12 ID:uHvo4ZhV
>>250 その最短距離をバイクで走った事あるが
山とカーブばかりで速度上げられず数値以上の距離を感じた
鉄道がその最短ルートを選ばずに海岸ルート選んでるのも
町が少ない事もあるが山と川の難所続きで制限が多いって事もある
動力付きの乗り物でさえ苦労するんだ、人力の時代にその最短ルートを避けたのも当然かと
253 :
人間七七四年:2011/03/14(月) 18:01:06.04 ID:49oTPBZx
>>251>>252 やはり山越えもありえたんですね。
人吉が有りなら是非このルートも欲しかったなあ
立石峠の改良前は地蔵峠という所を通っていたようですね。
今では宇佐別府道路があるのでラクチンテクラ
254 :
人間七七四年:2011/03/14(月) 19:04:34.44 ID:uHvo4ZhV
薩摩−人吉を結ぶ加久藤峠ルートよりも短いのに
人吉−佐土原を結ぶ米良ルートがないのも地形的要因が高いかと思うよ
あのルートは本当山深くて平家の落人伝説もマジ信じられるくらい集落と隔絶してるから
255 :
人間七七四年:2011/03/14(月) 23:32:21.32 ID:zwqi7UQV
昨今の地震津波を鑑みるに、瓜生島伝説は史実だったのだろう。
256 :
人間七七四年:2011/03/15(火) 00:48:05.54 ID:vxflZ4Y1
隆信「いくらがんばっても言うことをきかない福島原発にはもういやいや」
257 :
人間七七四年:2011/03/15(火) 03:29:02.31 ID:Mk/A3Vsd
大友が幕末まで存続していたら
258 :
人間七七四年:2011/03/15(火) 12:42:04.77 ID:AB7/RFSU
小田原出身ね大友
259 :
人間七七四年:2011/03/15(火) 14:41:22.74 ID:yEPea1lz
チンテクラだと?
貴様は別府民だな
260 :
人間七七四年:2011/03/15(火) 17:25:59.91 ID:iy9HH3ML
>>255 同時期に九州のいろんな所で似た伝説があるから史実なんじゃないの?
261 :
人間七七四年:2011/03/15(火) 23:12:39.51 ID:IRAp0tpH
>>259 チンテクラは、獣臭いからいやっちゃ
>>260 歴史学者よりも地震学者のほうが先に史実だと確認しているよ。
ちなみに当時は、高崎山の裏側が主要な道だったとか。
262 :
人間七七四年:2011/03/16(水) 00:12:18.90 ID:aDMqnHtI
,.――――-、
ヽ / ̄ ̄ ̄`ヽ、
| | (・)。(・)|
| |@_,.--、_,>
ヽヽ___ノ 杉乃井城を土竜攻めしたら源泉を掘り当てたでござる
の巻
263 :
人間七七四年:2011/03/16(水) 00:40:25.29 ID:zTmWKTMp
あの辺土竜攻めしたら地熱で蒸し焼きになりそう
264 :
人間七七四年:2011/03/16(水) 07:23:47.76 ID:HExfixp1
宗麟が居館にしていた府内館というのは
今ある府内城跡なの?
265 :
人間七七四年:2011/03/16(水) 08:57:31.39 ID:jsWq2gXU
違うよ。
266 :
人間七七四年:2011/03/17(木) 22:28:20.30 ID:7uJRAsBl
267 :
人間七七四年:2011/03/19(土) 05:00:00.35 ID:/RrsXv3p
丘の上ってどこの丘だよw
268 :
人間七七四年:2011/03/23(水) 12:10:58.81 ID:Q4p3f50y
九州の大友氏の子孫だけど質問ある?
269 :
人間七七四年:2011/03/23(水) 14:10:16.90 ID:HoRn5gmI
はいはい、おじいちゃん病院戻ろうね
270 :
人間七七四年:2011/03/28(月) 18:18:26.19 ID:ProGKghV
10年ほど前にテレビで見かけたが栃木県には日露戦争に参加したと自称する当時の軍服を着て
「あの時は激しい戦じゃった〜」
「乃木大将を助けたもんじゃ」
と感慨を込めてお客さんに語るおじいちゃんがいた。
大砲などの兵器を庭に飾る日露戦争博物館の館長か何かだと思われる。
271 :
人間七七四年:2011/03/29(火) 06:58:36.66 ID:+L5aKoMs
昔遠藤周作原作の宗麟のドラマやってたんだけど、
もう見る方法ないかな
272 :
人間七七四年:2011/03/29(火) 07:22:20.47 ID:qQUOoXUD
NHKのやつだよね。
松平健宗麟の妻のDQN奈多夫人を
財前直見が発狂しながらやってたやつw
もう忘れちゃったからまた見たいなぁ。
あれ視聴率が関東も関西も11%くらいだったから厳しいんじゃないか。
大分県だけは30%もいったって話だけどw
273 :
人間七七四年:2011/03/29(火) 07:30:08.52 ID:HvNNJ5gm
>>262 やっぱりそこの城はパレスと呼んだほうがいいのだろうかw
274 :
人間七七四年:2011/04/04(月) 22:51:20.88 ID:v1yo4Ex7
大友ムネリン
275 :
人間七七四年:2011/04/04(月) 23:24:17.19 ID:ysuHL0Nw
>>267 伝説の桜の木が咲いてる丘
桜の木の下で待っているのは…
276 :
人間七七四年:2011/04/05(火) 11:43:31.88 ID:EKCSng3A
松野氏
277 :
人間七七四年:2011/04/05(火) 14:05:07.18 ID:WynDg4/+
領内の国人衆の反逆に手を焼いて九州統一が阻まれた感の強い大友氏ですが
なんとか国人衆を束ねるいい方法はなかったものでしょうか?
278 :
人間七七四年:2011/04/05(火) 20:57:43.88 ID:vpVtMcip
守護大名はいわばアパートの管理人みたいなもの
部屋主である国人地侍に口喧しく注意する管理人なんてどこ行っても歓迎されない
279 :
人間七七四年:2011/04/06(水) 02:42:19.15 ID:IrZMhoW+
>>277 普通は国人衆をまとめる一番の方法は拡大路線だと思うが
卵が先か鶏が先かになるな
まあ、大友に九州制覇の意志はなかったと思うけど
280 :
人間七七四年:2011/04/06(水) 17:11:07.22 ID:2LsSqwU7
道雪、紹運、宗茂に代表されるような優秀な家臣団に恵まれながらも
最終的に衰えさせてしまったから総合評価はどうしてもマイナスになってしまうな
プラスの部分も当然あるけど
281 :
人間七七四年:2011/04/06(水) 17:14:41.32 ID:9Z8Ya48+
九州南部は攻めるには険しい割に土地が痩せていたので侵攻するメリットがないんだよな。
九州北部は逆に裕福なので島津側には険しい道を超えてでも侵攻するメリットがあった。
不公平だよな。
282 :
人間七七四年:2011/04/06(水) 20:55:18.25 ID:Jbp+pnMX
筑後や肥後に関しては守護大名から戦国大名へ移行するために大友が国人支配を強化していくことに強く反発したと言うのが実態。
特に肥後は難治の国と呼ばれ佐々の統治に失敗。
自立心ある国人達は地頭職に島津家臣を配置する日向国型支配を認めず領主の自治を守り立花城攻めには一致団結して拒否した。
豊前・筑前はそもそも大内に従って大友と戦って死んでいった国人達で敵である大友の支配が深化するのを嫌い
毛利の国人領主連合の上下のつかない同盟的雰囲気に靡いた。
こういう九州の国人の自立割拠の風土を消し去るために秀吉は
筑前筑後は小早川に、肥前は龍造寺から鍋島へ
日向を伊東、秋月、高橋らを転封させ
佐々の失脚後に、さらに勃発した肥後南部や天草の一揆を鎮圧し検地徹底し、
梅北一揆で島津領を徹底検地で国人を衰退させ島津の立場を強化し朝鮮出兵で活躍できるお膳立てをしてあげた。
そして秀吉は寺社の大荘園の解体を進めた宗麟による豊後の改革が中途であったので大友領の改革を実行すべく大友を改易をして徹底検地をして九州を名実ともに支配の仕上げをしたのである。
283 :
人間七七四年:2011/04/07(木) 19:44:55.14 ID:71S35/bP
秀吉が宗麟に日向をあたえるって言ったのは本当?
284 :
人間七七四年:2011/04/07(木) 20:12:28.53 ID:lfF/6jPE
本当。
285 :
人間七七四年:2011/04/09(土) 20:55:40.57 ID:oqKFRiaH
吉統関ヶ原で泣いて命乞い
かなり恩知らずだし黒田は助ける価値あったの?
286 :
人間七七四年:2011/04/11(月) 22:47:57.73 ID:lvNgAyPo
もしも今山合戦や耳川合戦で親貞や田原親賢ではなく立花道雪を総大将にしていたら
大友は九州を統一できていたでしょうか?
287 :
人間七七四年:2011/04/12(火) 00:01:23.24 ID:LDzejJdB
>>286 今山も耳川も領土拡大というより勢力圏回復の為の局地戦だし
宗麟本人がその気になって支配地の拡大や九州統一を図って動かない限りそれはないかと
288 :
人間七七四年:2011/04/12(火) 12:06:17.27 ID:WZhnR46R
まあ道雪が総大将なら
対大内や対毛利における最盛期の大友軍ぶりを発揮するだろうから圧勝でしょ。
289 :
人間七七四年:2011/04/13(水) 15:24:36.91 ID:BKP36HMd
道雪、紹運が松永久秀みたいな性格だったら
大友の崩壊はもっと速かった可能性あるな
二人とも人望は宗麟を上回っていただろうし
290 :
人間七七四年:2011/04/14(木) 09:23:42.00 ID:kb+Y+FZM
でも息子は紛れもない馬鹿だが宗麟はもっと評価されて然るべきだよな。
彼は文治派としては戦国でも随一の能力を持ってると思う。
ただ相手が政略もへったくれもない南の国の脳筋戦闘民族だった為に
あまりにも相性が悪過ぎただけで。
291 :
人間七七四年:2011/04/15(金) 00:05:58.85 ID:bE6gmE9f
しかし宗麟に人望は無かった
292 :
人間七七四年:2011/04/15(金) 19:18:50.40 ID:Cg0DIfeQ
人望はムチャクチャあるだろ
耳川の戦いの後に反乱が相次ぎ大友が崩壊寸前の時に
みんなが宗麟の完全隠居からの復帰を懇願してるし。
最初はキリシタンの修業のため世俗の事にはもはや興味ないと固辞したけど、
皆が強く懇請したからやむなく「あくまで義統が当主でその後見なら」って条件で復帰すると財貨も惜しまずばらまいたりレター書いたりとやってたら
大友の謀反地獄が収束しちまったしな。
義統どんだけダメダメなんだって言うw
293 :
人間七七四年:2011/04/18(月) 22:18:06.75 ID:/KDbrktR
宗麟の外交センスはずば抜けてるよね。
関ヶ原での義統の外交センスの無さは泣ける。
294 :
人間七七四年:2011/04/18(月) 22:22:25.25 ID:aEbu14bh
宗麟の室町幕府への根回しとかあまり語られないけど
なかなか秀逸だよな
295 :
人間七七四年:2011/04/19(火) 00:36:56.76 ID:yhl+vYXf
>>292 見ようによっては壮大なマッチポンプに見えなくも無いが
外交センスに裏付けられた人望なんだよな
例えるなら遊ぶ友達はいないが宿題を見せる友達は沢山いるタイプ
296 :
人間七七四年:2011/04/19(火) 07:59:29.12 ID:W+dIKgrj
大友宗麟といえばキリスト教に手厚い一方で寺社には焼き討ちなど厳しいと聞きます。
恭順を申し出た友好的な寺社などにも厳しかったのでしょうか?
それとも厳しかったのはあくまで敵対した寺社だけなのでしょうか?
297 :
人間七七四年:2011/04/19(火) 12:40:17.90 ID:3/BUIa9W
大友家代々の菩提寺までやっちまったほど死角はどこにも無かった…
守護就任以来続く代々の大友枝諸家や大身家臣だらけの大友宗家は台所事情は厳しいのよ。
しかも大身家臣も家来衆に分与しまくってるから家臣も貧しかった。
贅沢をしてる者はいなかったんじゃないかな。
だから南蛮貿易や朝鮮貿易を開始したり、明との貿易を願ったりした。
298 :
人間七七四年:2011/04/19(火) 18:55:07.02 ID:W+dIKgrj
ありゃあ。寺社には一貫して厳しかったんですね。
299 :
人間七七四年:2011/04/19(火) 21:16:02.12 ID:Yvl0kk0d
>>298 それほど厳しいというのはないよ。
このスレの書き込みを読んでみてくれ。
まず純粋にキリスト教の信仰から起こした行動はほとんどない。
さらに島津の豊後侵攻時に焼かれたこととごっちゃになっている事例も多い。
さらに宗麟は、臼杵に引きこもったときにも宣教師たちを府内に残したまま。
300 :
人間七七四年:2011/04/20(水) 06:50:36.66 ID:WC7f0fBs
宗麟は極端な行動はとらないよ
なんせ大友の政治は合議制だから独裁者じゃない。
耳川での討ち死にで合議制メンバーの欠員が出たのに義統が独裁に走って、
しかもヒステリー気味の母や耳川の敗戦責任者の無能な母の兄を重用したからおかしくなった。
301 :
人間七七四年:2011/04/20(水) 12:04:38.84 ID:Vg78Ydhc
日向や肥前でやった大友の焼き討ちは言い逃れできないだろう
それと島津がキリシタンに焼かれた寺社を復興させようとした話は何故か出ない
302 :
人間七七四年:2011/04/20(水) 13:28:21.82 ID:X0vzA3V8
>>300 大友も女がしゃしゃり出ると国が傾く典型だなあ。
303 :
人間七七四年:2011/04/20(水) 13:31:56.16 ID:0d8lRjzO
牝鶏晨すってヤツですな
304 :
人間七七四年:2011/04/20(水) 13:52:38.97 ID:X0vzA3V8
牝鶏晨す
(ひんけいあしたす)
雌鳥が時を告げる意で、女性が勢力を振るうことのたとえ。『書経・牧誓』に古人の言として
「雌鳥は時を告げることはない。雌鳥が時を告げたならば、家が滅びてしまう」というように、
雄鶏に代わって雌鳥が時を告げることと、その家が滅びる前兆であるとした。
なるほど。こういう諺があるんですね。
305 :
人間七七四年:2011/04/20(水) 14:22:59.75 ID:X0vzA3V8
大和朝廷(斉明天皇)
室町幕府(日野富子)
豊臣政権(淀殿)
江戸幕府(桂昌院)
旧社会党(土井たか子)
夏(末喜)
殷(妲己)
周(褒似)
前漢(呂后)
越(西施)
陳(夏姫)
唐(武則天、楊貴妃)
清(西太后)
中華人民共和国(江青)
プトレマイオス朝エジプト(クレオパトラ)
ローマ帝国(小アグリッピナ)
フランス王朝(マリー・アントワネット)
ルーマニア社会主義共和国(エレナ・チャウシェスク)
日本に限らず世界中でも女が権力を握ると国が傾いているなあ。
女でも繁栄したのは大英帝国くらいなものかな。
306 :
人間七七四年:2011/04/20(水) 14:57:24.43 ID:0d8lRjzO
越、つーか、呉の西施は権力うんぬん関係無いんじゃね?
どちらかと言うと越が送り込んだハニートラップだし
呉が滅んだ後は越の手で早々に殺されちゃったしね
307 :
人間七七四年:2011/04/20(水) 15:01:23.50 ID:X0vzA3V8
なるほど。政治にくちだしたわけではないので意味が違いましたね。
308 :
人間七七四年:2011/04/20(水) 20:43:55.16 ID:WC7f0fBs
傾国の美女
福島みずぽ
309 :
人間七七四年:2011/04/23(土) 13:46:31.20 ID:jJgqP7qn
>>301 日向・延岡はそうそうに直轄領にして、蔵入り地を増やそうとしていたということだし
肥前の場合は、知らん。
敵対的な勢力であったり、敵対的行動をとれば、攻撃するのは当然にありうる。
というか、それを言うならば武田信玄も寺社の領地を横領しまくっているし、
寺社に自軍の兵が乱入したことに対して苦情を受けても、ほぼ無視している。
310 :
人間七七四年:2011/04/23(土) 13:53:28.40 ID:jJgqP7qn
>>300 田原親賢の重用は、田原本家(安岐田原)を抑える意味もあったわけで、必ずしも奈多夫人が
しゃしゃり出たというわけでもないよ。
そもそも実家の奈多氏は、被官層で宗麟の後ろ盾がなければ、加判衆や方分(国・郡)にも
なれない。とくに先代の義鑑の時代から、被官層は重職につきにくくなっていたしな。
だから外戚とはいえ、田原親賢は宗麟のイエスマンにならなきゃ解任される立場にあったわけよ。
逆に宗麟からすれば、コントロールの効く田原親賢に田原全体(除く吉弘氏)を握らせて、
大友氏歴代の課題を 解決することにしたわけだ。
だから田原親賢に対する悪評は、成り上がり者に対する悪感情も含まれていると考えるべきだと思う。
311 :
人間七七四年:2011/04/24(日) 18:59:21.46 ID:3wlIL483
田原親賢を批判した道雪は
吉岡宗歓、臼杵鑑速の死後、大友の政治は無道であると言ってるし
吉弘鎮信も吉岡宗歓殿、臼杵鑑速殿がいたときは政道正しく、
上下の礼儀に違わず、信賞必罰が行われ、人の恨みはなかった。今は田原親賢の意見が重用され、
代々の家臣が遠ざけられ、ねい臣ばかりがはびこり、浅ましい限りである。
立花道雪殿がここにいれば大友もここまで悪くならなかったろう
と言ってるし
親賢の父の奈多鑑基も娘が大友義鎮の正妻になったので寺社奉行に任命されたが
本社宇佐八幡の領地を横領したりと横暴していたので吉岡宗歓・臼杵鑑速らが叱責してる。
さらに関が原での西軍選択といい、黒田軍に大敗といい親賢親子は無能だと思うよ。
さらに好き嫌いがはっきりしてる奈多夫人も義統の統治方針を歪ませてるから
朝令暮改みたいな方針で家臣団は失望してるところがある。
312 :
人間七七四年:2011/04/25(月) 16:43:06.40 ID:7FWp5gXP
なるほどェ・・・・
313 :
人間七七四年:2011/04/25(月) 16:52:51.85 ID:88PXLBLW
道雪が府内にいて政務に参加してた時期は良かったが
立花城督に転出してからは府内政治に口出しできない立場になったからなあ。
それでも耳川の敗戦を聞いてあえて激文を送って叱咤激励してるのが熱い。
314 :
人間七七四年:2011/04/26(火) 23:21:45.93 ID:bJ+jmZlS
俺なら耳川の戦いの敗北を知った時点で出奔するわ
315 :
人間七七四年:2011/04/26(火) 23:29:13.49 ID:ONjI6EKv
>>314 それは耳川のその後を知ってるから言えるんじゃない?
破れたとは言え耳川は本国より遠く離れた局地戦
その後大友が本拠地に攻め込まれるまで弱体化すると予想出来た人は大友旗下にはいないんじゃない?
316 :
人間七七四年:2011/04/27(水) 06:04:57.62 ID:x6KF/Tec
いやだから義統の専制政治が始まり
田原指揮の耳川の敗戦が起こると
豊後本国ですら離反が激しくなり
このままじゃ豊後滅亡して困るのは豊後国人達自身だって話で
老齢でもはや俗世に興味ないって言って政治から後ろ向きになってる宗麟復帰要請の必死な陳情につながるわけだが。
317 :
人間七七四年:2011/04/27(水) 11:42:18.72 ID:15+20429
436:人間七七四年 04/14(木) 09:42 P5CoEOOS [sage]
元就が生きてれば元春と隆景の戦略外交の対立を表面化させないで
指揮命令系統を元就に一本化できるし元就がいる限りは大友織田同盟があっても背後の安芸本国に不安はなく
元春も出雲に戻らず京へ行けるだろう。
大友が耳川で敗北してもその後に龍造寺と島津が肥後で対立し始め、
織田が島津と大友の和睦を斡旋してるし
筑後では道雪が龍造寺を柳川城へ追い込み圧倒してる。
441:人間七七四年 04/27(水) 10:32 15+20429 [sage]
>>436 それは同意。
実際、織田→大友→周防鴻峯(山口市内)を守っていた市川元教が天正6年3月に宗麟に通じて謀反したりして周防長門が大混乱になってる。
これに困った元春は8月に義昭に頼んで京を奪回するために島津は大友を牽制し、毛利が東上する援軍を出すように使者を出してもらってる。
この天正6年正月は輝元が栗屋元種を摂津に派遣し、高野山金剛峯寺も出兵し、
義昭の先鋒として阿波・淡路の三好軍を率いて六角義堯も堺へ上陸し大和多武峰の衆徒も動員してる。
さらに淡路の岩屋城に水軍を率いて児玉就英が入り、三木の別所支援を開始と毛利方が圧倒的に有利。
まさに謙信の上洛戦を待つばかり。だが3月に謙信死去・・・謙信死すと備えていた信忠の大軍が播磨へ移動してくる情報が入る。
上月城攻略後に義昭と隆景が毛利全兵力を播磨に集結させて織田を播磨から追い出し陸路で摂津の本願寺を救おうと考えていたが
7月元春が但馬へ移動しての山陰再平定を主張して出発してしまった。
10月に荒木村重が本願寺と毛利に人質を出して挙兵してることも考えれば
三木城攻撃中の織田を毛利全軍で攻め寄せて雌雄を決した方が良かった。
信長は荒木を説得する時間を稼ぐために11月に正親町天皇の勅命を出させて
輝元と本願寺に信長と和睦するように伝えるほど危機的状況に追い込まれていた。
すぐに義昭が元春に大出兵を勧めたが隆景との対立からかダラダラして時間を浪費しているうちに
信長は荒木配下の高山右近と中川清秀を降伏させて摂津を奪回して荒木を孤立させるのに成功した。
これで最大のチャンスが消えて一転して毛利が圧されていく。
元就が安芸にいて息子達に全指令を出してればうまくいっていた話だろう。
あと6/26に九鬼水軍が大筒で雑賀衆の船を撃破しているんだがこれ鉄鋼船の実戦試験だったっぽい。
毛利はこれの研究を怠って11/6に鉄鋼船の前に大敗し海路での本願寺支援ルートが途絶えてしまう。
天正7年に輝元は謙信に代わって武田勝頼に家康を攻撃して織田兵力を引き付けてくれるに要求するも
その毛利は1/16の出陣寸前に正月早々にまた宗麟の調略で毛利重臣の杉重良が謀反して田原宗亀が援助に来援してきたために出兵中止。
武田軍は遠江の国安へ出撃してきたので信長は摂津から安土へ急いで戻ったので、
本願寺や荒木や義昭が播磨へ侵攻するチャンスと毛利へ言ってきたが、大友の動きが気になり、動かないうちに淡路岩屋も織田に取られてしまった。
これを見た宇喜多は毛利を見切り6月になると叛旗を翻した。すると美作の草荊景継や南条元続も毛利を見切り
光秀や幽斎により丹波丹後の制圧にほぼメドがつき天正8年に別所が自決し播磨が織田に落ちる。
すると3月には本願寺も降伏し、秀吉は宇喜多に美作で隆景を攻めさせ、南条には伯耆で元春を足止めさせてる内に
秀長を先鋒に但馬・因幡を平定する。
318 :
人間七七四年:2011/04/28(木) 12:40:37.99 ID:9wdQyX8x
宗麟って長州藩から相当に恨まれてるよな〜
すっげー中傷されまくりで明治の歴史書物出版の時にさんざん洗脳しまくりだもんな。
その戦前の評価を引きずって光栄出版物も酒池肉林な暴君扱い。
元就を神のように扱うためには邪魔な存在だもんな
そろそろ固定概念から再評価すべきだな。
319 :
人間七七四年:2011/04/28(木) 15:50:21.07 ID:4DN07AdW
毛利の子孫が明治政府の実権を握ったせいか
戦国時代の尼子・大内・大友をボロクソにこき下ろしているからなあ。
320 :
人間七七四年:2011/04/28(木) 18:31:02.90 ID:dbER3CO6
尼子・大内・大友は滅亡したから家譜もなく
擁護されないのを良いことに毛利マンセー無双でやりたい放題捏造歪曲してるからな・・・
321 :
人間七七四年:2011/04/28(木) 20:27:16.43 ID:Cx9iijXk
でも大友家文書録残ってるだけマシじゃね?
と一瞬思ったが、編纂した当の本人が元凶だった。
322 :
人間七七四年:2011/04/28(木) 22:34:54.80 ID:kB5Ewrxs
毛利が宗麟の弟、晴英(大内義長)を殺したのは拭い去ることの出来ない事実
323 :
人間七七四年:2011/04/28(木) 23:05:19.18 ID:VJ0zwowF
周囲の反対もきかずに大内に入った本人の自業自得感もあるけど
停戦をないがしろにする毛利は好かんが、九州平定時に先兵として
助けにきてくれたのも毛利なんだよなあ
324 :
人間七七四年:2011/04/29(金) 00:02:17.35 ID:gWumNjXj
秀吉の命令じゃねぇか。
しかも大友領だった筑前筑後を隆景は貰ってるし。
そもそも四国平定時には厳島で援軍出して助けてくれた河野を隆景は滅ぼしてちゃっかり伊予を貰ってたし。
なかなかに悪党。
325 :
人間七七四年:2011/04/29(金) 00:04:56.18 ID:ZhMsEalH
>>321 大友義統さえしっかりしていれば
没落せずに資料が散逸することもなかったなあ
326 :
人間七七四年:2011/04/29(金) 00:41:09.24 ID:0pDGX5B0
豊後大友藩24万石か
仇敵の薩長肥より柳川藩との関係が一番劣悪そうだな
327 :
人間七七四年:2011/04/29(金) 09:38:52.99 ID:o7hj7FD1
宗麟が秀吉に
立花を大友の藩屏にすべく
豊臣大名に引き立ててくれるように
頼んでいるんだから険悪な関係にはならんでしょ。
328 :
人間七七四年:2011/04/29(金) 12:00:11.21 ID:emwqQil9
宗茂は主筋の大友より下の官位にしてくれって言ったり、
大友再興を目指して出奔した吉弘を快く送り出してたり
これで険悪になるなら大友の一方的逆恨みだな
329 :
人間七七四年:2011/04/29(金) 12:10:05.49 ID:o7hj7FD1
一方、義統がむちゃくちゃ逆恨みしてた相手は志賀親次
執拗に秀吉や秀長に讒言しまくり失脚を謀ったり
親次に罠を張って陥れようとしたり
その自分の悪意ある行為から志賀が豊臣政権に自分の讒言をしたと疑い
志賀に俺はお前の味方ポーズをしたりした。
秀吉や秀長は対島津での親次の武勇を高く評価しまくっており
義統のやったことは秀長でさえ「義統はダメだなありゃ・・・」と呆れさせたのであった。
義統は疑心暗鬼とパニック障害や被害者意識が混在していたのかも知れない。
宗麟とはまったく似ても似つかない愚主であった。
330 :
人間七七四年:2011/04/29(金) 19:18:22.51 ID:9dVhJ5xF
>>326 そうか言われてみれば明治維新を主導した薩長土肥のうち大友は
3家と対立した挙句滅んだわけか。そりゃぼろくそ言われてもしょうがない。
というか運悪すぎだろ。なにこの面子。
331 :
人間七七四年:2011/04/29(金) 19:27:49.77 ID:gWumNjXj
関ヶ原後に入封した土佐山内氏では無いが
土佐国司一条氏を支援して長宗我部とも対立してる大友…
332 :
人間七七四年:2011/05/07(土) 17:48:33.48 ID:9fjKMxUL
大友は強盛だったからこそ、色んな大名と対立してしまったのだな
333 :
人間七七四年:2011/05/10(火) 08:09:23.67 ID:Ti5XFwuU
ダメダメですね。
334 :
人間七七四年:2011/05/14(土) 23:40:02.35 ID:nSLkeXo1
大友顕彰会が大河化を目指して活動とかなんとか
335 :
人間七七四年:2011/05/15(日) 12:59:37.09 ID:uirJF2AK
しかし義統先生のせいで
最後が締まらない大河になるなあ。
どういう終わらせ方をするつもりなのか…
奈多夫人を賢婦人にして信長と会談してキリスト教弾圧するように直訴したり
秋月陣まで来た秀吉に面談しキリスト教弾圧について意気投合しちゃうんだろうか。
336 :
人間七七四年:2011/05/15(日) 14:49:45.66 ID:1SAnCPwN
立花宗茂主役の大河ならありだけど、大友主役じゃ厳しいだろ。
337 :
人間七七四年:2011/05/15(日) 15:34:48.59 ID:uirJF2AK
宗茂大河だとギン千代の扱いに困る。
338 :
人間七七四年:2011/05/15(日) 17:55:19.18 ID:U6QR8LgU
どちらにしろ九州の負け組大名の
代表格みたいな大友単独は厳しいかと
339 :
人間七七四年:2011/05/15(日) 18:04:54.04 ID:uirJF2AK
九州の大名なんて
細川や黒田以外はみんな負け組だろ。
340 :
人間七七四年:2011/05/16(月) 15:38:48.77 ID:RJH8U350
伊東だけは勝ち組だろ
341 :
人間七七四年:2011/05/16(月) 23:03:25.74 ID:z2gYiWl8
晩年に国崩しで奮戦する宗麟が映像化なんて胸が熱くなるな
最期は府内奪還で綺麗に終われそうだけどな
342 :
人間七七四年:2011/05/17(火) 00:25:28.58 ID:0nnFy6wE
>>340 伊東氏が勝ち組なら77万石の本領維持出来た島津や
お家乗っ取ってまんまと国主となった鍋島は大勝ち組だな
日向48城の従三位義祐は木崎原の敗北で一気に支配地を失い
領地を逃げ出して豊後に逃げ、伊予に渡り最後は堺で野垂れ死に
息子は大名に復帰できたが僅か5万石、最盛期は日向の大半を手中に収めてたのにね
一時は大名という地位を失い支配地も大きく減らしたのに勝ち組とは、宗茂に笑われるぞ
343 :
人間七七四年:2011/05/17(火) 02:42:55.23 ID:ljKTZZWF
伊東は秀吉と共に九州へやってくるお家再興物語ができるし関ヶ原では慧眼を発揮して東軍参加してるからな。
鍋島は島津に内通して隆信を敗死させてのお家乗っ取りでブラックさが抜けないし
西軍参加した挙げ句に関ヶ原後に家康に脅されて立花攻めをする豹変ぶりでヘタレ過ぎだし。
島津も略奪拉致やってたら秀吉に征伐され、関ヶ原では敗走した混乱で
大阪とは真逆の関ヶ原から一番近くの大垣城に逃げ込もうとした馬鹿っぷりだからな。
義弘は父を討たれた宗茂がいなければ死んでた。
その後に正月の大阪伏見の挨拶にビビッて出席しない島津は大名連中を前に家康が馬鹿にしてるし。
とても大河としてキレイに終わらない。
それなら長宗我部大河やった方がまだマシだわ。
344 :
人間七七四年:2011/05/17(火) 21:44:11.95 ID:tb9n7EpE
345 :
人間七七四年:2011/05/23(月) 17:29:41.89 ID:SiPKm7NJ
大友厨としては、島津はまあ許せるが鍋島だけは絶対許せない!
346 :
人間七七四年:2011/05/24(火) 03:33:45.74 ID:Jw2JrBsG
それ大友厨というか立花厨じゃねーの?
347 :
人間七七四年:2011/05/25(水) 04:51:38.15 ID:ISS7GQAr
大友厨なら島津の方が許せないと思うけど
348 :
人間七七四年:2011/05/25(水) 05:01:59.36 ID:vMfSXsQB
鍋島が許せないのは龍造寺厨だろう・・・っているんかな?龍造寺厨
349 :
人間七七四年:2011/05/25(水) 08:28:51.17 ID:i7pIQG9W
大友を大河っていっても
s
大友を大河っていっても、今の大河にはなにも期待できない。それこそ「戦は
嫌にござります」を連呼する宗麟とかならやらないほうがいい。まあある意味
では今の大河都合がいいかもしれんけど……。
350 :
人間七七四年:2011/05/25(水) 08:30:11.49 ID:i7pIQG9W
すまんちょっとPCが軽い故障でな……。
351 :
人間七七四年:2011/05/25(水) 08:55:37.82 ID:Lu5qWIyb
>>349 戦国大名という側面だけでなく南蛮や朝鮮交易の第一人者でもあるのでそっちがメインになるかもな
352 :
人間七七四年:2011/05/25(水) 14:35:38.50 ID:xZ9xhlId
キリスト王国建国の夢を追うそーりん
九州出身の家の親父、戦国時代好きと自分で言ってたけど
大友家を始めとする九州の大名の事全く知らんかったわ
353 :
人間七七四年:2011/05/25(水) 15:19:46.65 ID:cyAevLkM
大友が九州を統一していたら
西洋からの技術導入を盛んに行い
大砲装備の大艦隊を率いてインドのゴアに宣教師を伴って
訪ねる宗麟とか見れたよな〜。
354 :
人間七七四年:2011/05/25(水) 16:09:09.81 ID:Lu5qWIyb
遣欧使節は伊達のほうが有名だけど
宗麟らの少年使節も評価されるべきだな
355 :
人間七七四年:2011/05/25(水) 23:12:29.41 ID:cyAevLkM
実は最近の研究で
遣欧使節団の存在を実は宗麟は知らず
実績を報告したい宣教師が宗麟の名を勝手に使った偽文書だとされている。
また宗麟が明との貿易がしたかったのは事実だが
朝鮮との貿易には全く興味が無く
朝鮮貿易も単なる名義貸し
もしくは無断で大友の名が使われていたのが現実なのだそうだ。
356 :
人間七七四年:2011/05/26(木) 07:13:29.83 ID:QBX+lw7I
日本で最初に象を持ち込んだのは宗麟
秀吉は二番煎じ w
357 :
人間七七四年:2011/05/26(木) 12:10:46.36 ID:jHZkzbd/
嫁が嫌で家出する大名なんて斬新じゃないか
358 :
人間七七四年:2011/05/26(木) 13:42:32.47 ID:FfPcaEZJ
(・◎・)大村益次郎も同意しております
359 :
人間七七四年:2011/05/26(木) 18:23:29.93 ID:0kwxvw7O
>>356 マジかいな?
国崩し砲の威力に一時動揺した島津軍であったが、少しずつ体勢を建て直し
つつあった。だがその時だった。不意にさらなる衝撃が島津兵をありえない
ほどの戦慄と恐怖へと誘った。かって聞いたことのない雄たけびが、島津軍
得意の猿声さえかき消した。地鳴りがした。なんとそれは象の群れだった。刀を構えたままの
島津兵が象の前に無力に押しつぶされていく。巨大な鼻が、天下に精強無比
だったはずの島津兵を、まるで赤子のようにあしらっていく……。
戦象部隊に蹂躙される島津と胸が熱くなるなww
360 :
人間七七四年:2011/05/26(木) 20:48:29.26 ID:QBX+lw7I
361 :
人間七七四年:2011/05/26(木) 21:01:11.49 ID:QBX+lw7I
362 :
人間七七四年:2011/05/26(木) 21:23:29.16 ID:/IrAXtXm
>>359 くもの巣を散らすように逃げ惑う島津軍・・・
調子にのって、深追いして、野伏せりで蜂の巣にされる象部隊の姿が
目に浮かんだ
363 :
人間七七四年:2011/05/28(土) 17:46:44.34 ID:YXS7cGCq
昔そういうif小説があったな
364 :
人間七七四年:2011/05/28(土) 20:31:41.04 ID:mdctkxpQ
>>359 1575年に宗麟に献上するために、象2頭と虎4頭が博多に来てたらしい。
ついでに宗麟のレリーフに孔雀が描かれてるから、一緒に孔雀も献上されてたのかもね。
365 :
人間七七四年:2011/05/29(日) 04:09:10.69 ID:+LzZeCxz
366 :
人間七七四年:2011/05/29(日) 14:33:16.37 ID:+LzZeCxz
うーんでも伝説によると、武田信玄が立花道雪との戦いを望んだらしいけど、
もし本当に武田と大友が合戦したら、大友の圧勝に終わりそうな気がするな。
大砲だのポルトガル船だの象だのと、それだけで武田みたいな豪族に毛がは
えたくらいの田舎大名はびびって逃げ出しそうだなw
367 :
人間七七四年:2011/05/29(日) 15:03:53.50 ID:a7hunTbv
大友は毛利を撃退するなど最盛期だったし
信玄が同じ武門として敬意を表しただけだろう
368 :
人間七七四年:2011/05/29(日) 15:33:36.42 ID:sR2piHJx
騎馬軍団があったかどうかは別として
山地の多い九州では騎馬は活用できなさそう
369 :
人間七七四年:2011/05/29(日) 16:41:33.08 ID:8grCL3K2
甲斐に比べれば四方海に囲まれて平野部も多いけどな
武田が戦に明け暮れたのも米が取れる土地(平地)を求めた側面もあるしね
370 :
人間七七四年:2011/05/29(日) 23:03:23.15 ID:L8j6zTYU
武田が大友と戦うと仮定した場合、普通に大友の大軍と平野で
大決戦なんかしないでしょ。
371 :
人間七七四年:2011/05/30(月) 06:11:25.21 ID:HEVJ+GEl
信玄の隠し湯
宗麟の隠しようがない別府の湯
372 :
人間七七四年:2011/05/30(月) 09:44:41.15 ID:hoeprfp9
>>366 戦いというよりも対面を望んだという話だろ。
鉄砲の数は間違いなく大友方のほうが多い。
373 :
人間七七四年:2011/05/30(月) 13:38:54.09 ID:F7yNm8yW
信玄と道雪の一対一
漢同士の拳と拳がぶつかり合う戦いだったりして
374 :
人間七七四年:2011/05/30(月) 14:49:13.59 ID:SRHS2XJf
宗茂と幸村が必死に止めに入るのであった
375 :
人間七七四年:2011/05/30(月) 15:12:32.09 ID:F7yNm8yW
>>374 いや、戦った後男同士の友情が芽生えるからそのままにして
その後、戦で絶体絶命な場面に両面見開きで助けに来てくれるから
それを見た敵陣営から「なっ、なにーーー!?」のセリフが大ゴマで・・・
376 :
人間七七四年:2011/05/30(月) 16:13:40.03 ID:HI28xZJd
謙信相手に逃げ回っていた癖に、道雪と戦いたいとな!
>>373 道雪は輿に乗って戦わざると得ないことを考えたらハンデありすぎww
雷を操れるくらいの飛び道具を持たせなきゃあ
377 :
人間七七四年:2011/06/01(水) 14:28:28.17 ID:ZIeZQqYx
では宗麟公ご愛用の国崩しでも・・・
378 :
人間七七四年:2011/06/01(水) 15:31:38.27 ID:05bKv18h
宗麟退治には鬼嫁を。
宗茂の妻もそうだが大河になったら
女性の言葉の暴力怖そうだな…
379 :
人間七七四年:2011/06/01(水) 18:11:13.30 ID:EGdVsjVh
>>376 >道雪は輿に乗って戦わざると得ないことを考えたらハンデありすぎww
足を正座した姿勢で真田紐で縛った姿で現れた信玄
信玄「これてお主と対等に戦える(ニヤリ)」
道雪「ハンディのおつもりか?後悔しても知りませんぞ(ニヤリ)」
380 :
人間七七四年:2011/06/01(水) 21:09:50.17 ID:gd6fLZag
と、次の瞬間普通に立って歩く道雪の姿が!
これには思わず信玄も苦笑い
381 :
大友義統:2011/06/05(日) 14:10:10.46 ID:z8uRtkWg
行け!からくり道雪!
信玄の首なんかネジ切っちゃえ!
382 :
人間七七四年:2011/06/08(水) 20:45:22.46 ID:7oWSBKx+
>>380 マジで盛大に茶吹いただろwwwwwwwwwwww
383 :
人間七七四年:2011/06/08(水) 20:51:00.87 ID:x42Wrcti
信玄「ちょおまっ!謀ったな。」
道雪「ホントに雷に当たったら死ぬだろキリッ」
384 :
人間七七四年:2011/06/12(日) 15:57:34.95 ID:ALhkhaTN
おいかけていたら毬栗を踏んだ信玄
385 :
人間七七四年:2011/06/12(日) 17:12:38.14 ID:peOK4NKI
ベッキアキツラって言いにくすぐる たぶん昔もいいにくかったに違いない
なんて呼ばれてたのだろうか・・・
386 :
人間七七四年:2011/06/12(日) 18:02:19.73 ID:SvF66coZ
金沢に大友という学生服店が、あります。
387 :
人間七七四年:2011/06/12(日) 20:01:07.82 ID:LDLGDmsv
志賀親次
島津軍の猛攻に晒されるも鮮やかに撃退
決戦場を指定し、正々堂々と瀬踏みで案内した上で大勝
弱冠19歳
佐伯惟定
寡勢ながら城を出て島津軍と何度も野戦に挑み、堅田で家久、梓峠で義弘を破る大活躍
義弘からは名物茶器まで分捕る
弱冠18歳
立花宗茂
島津軍に城を囲まれるも親父の命がけの時間稼ぎと和睦するする詐欺でろくに戦わずに逃げ切る
秀吉の大軍を恐れて退却する敵をコソコソ追撃し、空城同然の城を奪ってどや顔
不肖19歳
388 :
人間七七四年:2011/06/12(日) 21:21:29.94 ID:ALhkhaTN
大友が内部崩壊してただけで
島津軍が強かったわけじゃないんだよね。
島津に勝ってるやつらってロクに指揮した経験がない素人ばっかりだからな
389 :
人間七七四年:2011/06/12(日) 22:20:47.99 ID:kGJXnQUN
元亀天正あたりからの九州の大きな合戦は大抵寄せ手が負けてるんだよな
防衛陣地の大切さがわかる
390 :
人間七七四年:2011/06/12(日) 22:23:10.29 ID:CRyUN4QT
>>388 本当に島津が脅威だったら大友が長年放置していないはずだしなあ
391 :
人間七七四年:2011/06/12(日) 22:57:07.98 ID:0mQdDaTo
紹運が降伏申し出てた説はショックだわ
392 :
人間七七四年:2011/06/12(日) 23:09:39.82 ID:ALhkhaTN
立花城同様に条件闘争による時間稼ぎでないかい?
島津が拒否する理由がわからんし。
交渉下手な宝満城はヘタ打ったが基本的には城攻め直前に交渉はあるでしょ
393 :
人間七七四年:2011/06/13(月) 12:35:27.52 ID:IqDVSc61
紹運側の要求が図々しすぎて交渉破綻とかなんとか
どこまで信用できる資料なのかわからんけどね
394 :
人間七七四年:2011/06/14(火) 02:18:50.43 ID:IPWw8+tE
大友大河は島津大河よりまだ難しい題材ではあるわな。最大の山場は耳川合戦
あたりになると思うが、戦場に出現しない宗麟を描くには、相当な脚本家でないと無理。
395 :
人間七七四年:2011/06/14(火) 23:36:14.00 ID:hq39aBt8
後日談で朝鮮出兵の不手際で改易、関が原時に再興を図って挙兵するも石垣原で大敗
なんて悲しすぎる。
396 :
人間七七四年:2011/06/16(木) 22:05:03.00 ID:IAPGaqrj
そこはバッサリと切っていただければいいよ
信玄大河だってその後の衰退の描写はなかった
397 :
人間七七四年:2011/06/18(土) 11:09:20.08 ID:H+c0J8fq
道雪の死で終わりでいいよ
398 :
人間七七四年:2011/06/19(日) 03:53:45.53 ID:8SHnf9P3
最後は大友家文書録をまとめる義統のシーンで一つ
399 :
人間七七四年:2011/06/23(木) 22:03:37.84 ID:+Jr4qZDq
大分県民の俺としては、信長の野望やってるとかなりの確率で島津にあっさり滅ぼされるのが気に入らない。
400 :
人間七七四年:2011/06/23(木) 22:15:17.06 ID:pvajgqqH
信長の野望と言えば宗麟で頑張って宗茂辺りを養子にして
大友による統一を図ろうとするんだけど肝心の宗麟がさっさと引退して
息子代替わりもしくは大内氏化でグタグタになるシナリオに泣いた事が
401 :
人間七七四年:2011/06/23(木) 23:07:56.94 ID:eu5H9PD6
今の作品はともかく昔の作品だと大友晴英は大内義長で大内の人間扱いになり
継がせると大内の家紋になって乗っ取られた感じになっていたからなあ。
逆だってのw
402 :
人間七七四年:2011/06/24(金) 18:22:21.86 ID:FLRPqUDf
>>399 そのゲームは糞ゲームだな
島津が九州統一出来なかった障害物・大友家が簡単に陥落するわけねぇ
丹生島城、立花山城舐めすぎ w
403 :
人間七七四年:2011/06/25(土) 00:09:45.41 ID:ta/qeUmn
やっぱあれかな。
島津好きは大友嫌いなのかな。
大友好きも島津好きも、お互いにあいつらさえいなけりゃ…、って思いは多少なりともありそう。
404 :
人間七七四年:2011/06/25(土) 17:34:53.88 ID:NX1rQPuH
大友を障害物扱いとは失礼な。
405 :
人間七七四年:2011/06/25(土) 18:12:10.00 ID:q/VEUIIF
俺は大友も島津も好きだから
どっち側でやっても楽しめるが
好きが高じてマンセーにならん様にしてる
406 :
人間七七四年:2011/06/25(土) 22:06:05.00 ID:T7cyHbB5
角牟礼城と栂牟礼城はもっと評価されてもいい
むれむれ
408 :
人間七七四年:2011/06/26(日) 00:44:55.81 ID:rxq2BC6k
大友氏は滅んでいない
れっきとした一族が大名になっている
409 :
人間七七四年:2011/06/26(日) 10:00:09.48 ID:XZMKwyXq
wikiに志賀小左衛門ってのがあるんだが、これ志賀親次の説明で
この記事は検証可能な出典がまったく示されていないか不十分ですとなってるが下記の話はどこまで本当?
福島正則、小早川秀秋と仕えたが関ヶ原後小早川家は断絶、福島家は改易となりまたも主君を失う。
加藤忠広(清正の子)に召し抱えられるも忠長事件(家光と忠長の徳川将軍家家督争い)の連座で
加藤家も改易と不運が続く。最後は肥後細川藩に250石奉行待遇で晩年を迎えた。
410 :
人間七七四年:2011/06/26(日) 13:32:34.91 ID:tmfLxXUV
>409
気になったので調べてみた
参考 www. shinshindoh.com/samurai/11-shi.htm
志賀太郎 (南東51-19)
これによると、加藤に250石で
召し抱えられたのは息子の親勝。
この時点で親次は没後。
wikiの記述は混同してる。
確証が必要なら各資料を確認。
資料名は参考サイトに載ってるよ。
411 :
人間七七四年:2011/06/28(火) 00:43:48.29 ID:nLd9VRkz
岩屋も宝満も捨てて、立花山城で全員で籠って戦ったら普通に勝てたんじゃないの?
親父のカリスマで兵の士気はMAX、宗茂は戦国随一の戦上手、守りに適した山城だし、
さらに秀吉の後詰がある。
実際に後詰めの到着を待たずに宗茂は追撃戦して快勝だったから十分いけたとおもう。
412 :
人間七七四年:2011/06/29(水) 12:14:59.92 ID:UOvthfqo
後詰到着までの時間稼ぎができなくて全滅の可能性も
413 :
人間七七四年:2011/06/30(木) 00:03:24.56 ID:+qa2gZXI
大宰府近辺の郷士がその場から退くとも思えない
もし高橋が退くとしたら身一つでの退散になり、それだと実質役にたってないので
論功行賞で本領安堵されなくなる可能性がある
立花の後詰めを待たずにといっても
豊後口では大友本隊、筑後口では龍造寺が南進を開始していて
島津の後方連絡線は既に崩壊していた
そうした既に出来上がった大局の上での追撃なので、
個人的な力量でどうにかされるような場面ではなかった
414 :
人間七七四年:2011/06/30(木) 17:42:05.19 ID:dU+r5YpJ
岩屋城址行ったことあるけど、岡城みたいな堅固な城でないし、普通の城に見えた。
あれで島津を足止めしたんだから、高橋紹運って楠木正成レベルの相当な武将と関心した。
415 :
人間七七四年:2011/06/30(木) 21:10:07.87 ID:j++DnQyc
岡城って豊臣恩顧の中川秀成が大改造してるんじゃないの?
それに高橋家の領地から逃げるのも武士の面目としてどうなんだって思う。
秋月が一端滅亡する時も玉砕してたし
416 :
人間七七四年:2011/06/30(木) 21:45:36.95 ID:dU+r5YpJ
薩摩の猛将・義弘は岡城攻略しようとしたが、あまりの堅固さに攻略諦め、
配下に丸投げして久住や玖珠攻略に方針転換しました。 志賀親次の頃でも小田原城並みの鉄壁ですよ。
岡城は天正14年〜15年、島津義弘、稲富新助、島津歳久の薩摩勢3度の攻撃をことごとく跳ね返した堅城。
417 :
人間七七四年:2011/07/01(金) 04:43:07.40 ID:bFBErjJD
当時の籠城戦ってのは10倍の戦力を相手に出来る反面、領民を見捨てるって行為だからね…
そこら辺を理解出来ない人は、大友が何故凋落したのか分からないと思う
籠城戦で無双する余裕があるなら侵略を要所で阻止しとけと言う話
418 :
人間七七四年:2011/07/01(金) 06:32:39.62 ID:RneUqVDP
いやいや義弘に挑戦状を叩きつけて
誘き出し岡城から出撃して
釣り野伏で志賀は圧勝してるでしょ。
当時の岡城自体が堅城だとは思えん。
つうか志賀の強さは領民がキリシタンとして一致団結していたことにあると思うんだが。
それがまた義統にはムチャクチャ気に喰わないで秀長に讒言しまくる理由になるんだが
秀吉は志賀の器量を誉めてることもあり
逆に秀長にまで義統は呆れられる。
419 :
人間七七四年:2011/07/01(金) 19:11:13.09 ID:LxH8K62W
>>417 良民を見捨てるも何も強欲な島津に良識を求めるほうが間違いなわけだが。
島津は、侵略した国の領民を捕らえて薩摩に送り、女、子供は海外に売り飛ばす非道を行った。
侵略した土地に見境なく火を放つ。久住連山を司る猪狼鹿寺も火を放たれ全焼した。
つまり、ああいう非道行為をすると凋落せずにすむということですか?
420 :
人間七七四年:2011/07/02(土) 00:29:25.63 ID:+ZOsKdJi
足軽の放火乱取りなんか常識だろ
大友も日向進行で大規模な放火乱取りしてるし
耳川決戦時にはその事で当初はあった日向領民の支持を失い
伊東領にいたはずの推定1万5千の兵はどっち付かずの諦観状態に
非道行為の結果が凋落を招いた例かと
421 :
人間七七四年:2011/07/02(土) 10:51:09.76 ID:vEIQUUhG
島津は国内に攻め込まれる前に降伏するから領地を焼かれる痛みがわからない。
だから無謀なことをする。
西南の役でも大分に攻め込み、火を放ち、巡査を殺した。
んで西郷軍の兵は死んだら使い捨て。 見るに見かねて大分が鹿児島兵のため墓建立してやった。
100年以上経っても未だに鹿児島県はその亡骸を鹿児島に引き取らずに放置。
豊後大野と佐伯の境、三国峠旧道に鹿児島兵の墓のなんと多いことよ。
422 :
人間七七四年:2011/07/02(土) 13:19:17.47 ID:+ZOsKdJi
鹿児島は九州中の供養塔から御霊分けを済まして弔辞を毎年地元でやってる
遺骸云々はあなたの勉強不足だし
そもそも西郷軍=薩摩軍で無い事くらいは知っとこうよ…
アソコは関ヶ原の供養塔までお参りしてるトコだぞ
423 :
人間七七四年:2011/07/02(土) 14:17:35.30 ID:Wx2sJ4+P
424 :
人間七七四年:2011/07/02(土) 20:51:24.71 ID:HPo4gSic
>>417 >当時の籠城戦ってのは10倍の戦力を相手に出来る反面、領民を見捨てるって行為だからね
周辺領民込みでの篭城とか割と普通だと思うんだが
425 :
人間七七四年:2011/07/03(日) 00:07:56.30 ID:B9+SFs5O
島津が豊後蹂躙した後、商人に連行された主人を救出した下人の話とか、
上方で豊後出身の姉妹が身売りされていた記録とか残ってるよね
426 :
人間七七四年:2011/07/03(日) 00:40:13.97 ID:v1pCNFka
岡城は、北を稲葉川、南を白滝川(大野川)、西を玉来川という天然の外堀と、険峻な絶壁の上に立つ、
地形的に難航不落の堅城だよ。島津戦では、川を利して島津軍を撃退してるから城下町も無事だった。
427 :
人間七七四年:2011/07/04(月) 22:15:28.95 ID:UCLDZwz8
島津は高橋統増(後の立花直次【立花宗茂の弟】)と妻・加袮姫を騙して祁答院に幽閉したなあ。
拉致監禁はお家芸。
428 :
人間七七四年:2011/07/05(火) 11:14:04.83 ID:pfyvOkCU
志賀オヤジ
高橋ちんシュ
高橋トーマス
アソコれ長
大友関係者は愉快な名前が多い
429 :
人間七七四年:2011/07/05(火) 14:33:24.72 ID:wXtr3EJc
宣教師に財政支援して病院や学校を作った宗リン
430 :
人間七七四年:2011/07/05(火) 18:56:25.21 ID:hUrggzbZ
大友吉統
関ヶ原敗北時点で斬られてもおかしくなかったのによく助かったな
431 :
人間七七四年:2011/07/07(木) 13:32:10.82 ID:CLu1FUwC
高家筆頭次席格
大友近江守
432 :
人間七七四年:2011/07/07(木) 17:19:39.11 ID:5l2hoWuh
秀郷流藤原氏は仮冒
本当は大伴氏の末裔だ
433 :
人間七七四年:2011/07/07(木) 20:24:20.00 ID:iWoauWQY
>>430 義統は息子は家康に仕えてたから助かったんじゃなかった?
あれは義統による東西生き残り策でしょ。
西軍が勝っちゃったら毛利に恨まれてる大友は完全滅亡させられるから
関ヶ原で毛利側に恩を売っておくのは悪い手では無い。
434 :
人間七七四年:2011/07/07(木) 20:51:12.04 ID:zQVnU6i7
435 :
人間七七四年:2011/07/08(金) 19:18:50.70 ID:2uBUsxgf
>>433 毛利に恨まれる? 大友が何か恨まれることしたのか?
逆に毛利は大友から恨まれても仕方ないことしたんだが。
九州に攻め込んできたり、宗麟の弟切腹させたり。
436 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 00:33:36.46 ID:JOfwtfro
毛利の逆恨みだろ
437 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 01:58:31.55 ID:fvJwJUkn
弟は宗麟の制止もきかず大内継いじゃったんだから自業自得
義宗が両面作戦取れるほど頭がまわるとも思えない
438 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 18:21:54.01 ID:IcGYJWvF
そもそも大友は毛利にとって不倶戴天の敵じゃないのか。
439 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 19:26:54.06 ID:Iq5sN6gU
状況が変われば友人も変わりますよ
440 :
人間七七四年:2011/07/10(日) 00:24:09.77 ID:6bzRcmwu
毛利秀包みたいな例外もおりますが…
441 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 10:01:39.46 ID:i/IYVuuN
毛利より龍造寺隆信の方がはるかにうざかった
442 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 15:31:10.36 ID:s1AAUao9
毛利には守り勝った
龍造寺には攻めて負けた
もともと事情が違う
443 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 16:05:40.43 ID:Pzfe9+k2
いやいや北九州の大半は親毛利国人ばっかじゃん。
守り勝ったのではなく攻め勝ったんだよ。
444 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 18:12:39.69 ID:E8sos/K0
大友氏遠祖
伴善男
445 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 19:06:39.80 ID:LbV65xSX
>>442 今山ばかり取り上げられるけど
対龍造寺戦はだいたい勝ってるんだけどね。
446 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 20:20:44.15 ID:VPOPRtpE
実は今山の後も竜造寺とちょくちょく戦ってんだよね
天正2年に大川の榎津に竜造寺が攻め込んで来たので防戦しろと宗麟が筑後衆に命令書を出してる
で、この時はちゃんと撃退したっぽい
447 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 22:19:11.36 ID:G0dMdteE
毛利は織田が攻めてきて九州どこじゃなくなっただけで
勝ったとはいえないだろう
448 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 22:30:25.13 ID:i/IYVuuN
はっ?信長と毛利が戦う以前に
すでに毛利は大友に撃退されまくりだろ。
449 :
人間七七四年:2011/07/13(水) 19:38:17.18 ID:mPctnOtu
門司あたりは盗ったり盗られたり
450 :
人間七七四年:2011/07/15(金) 14:43:20.40 ID:P/Yl3HFk
>>449 門司は確かな記録がないから語れない。
そもそも高橋や長野の帰属からして不明瞭過ぎる。
451 :
人間七七四年:2011/07/17(日) 00:02:15.66 ID:qGahnHHE
友達百人できるかな
452 :
人間七七四年:2011/07/17(日) 01:16:57.54 ID:Us3wRj4m
クソスレ乙
453 :
人間七七四年:2011/07/17(日) 07:52:49.76 ID:G51kriUs
帰属が不明瞭なんて言い出したら豊後以外の全ての国人がそうだろ
>>446の時だと龍造寺は蒲池をスルーして田尻の手引きで三池まで攻撃してる
454 :
人間七七四年:2011/07/21(木) 22:48:21.83 ID:NriXLuw8
455 :
人間七七四年:2011/07/27(水) 11:53:27.27 ID:M84ouBmi
大友ムネリン
456 :
人間七七四年:2011/07/27(水) 14:56:43.17 ID:1F4uHtCH
457 :
人間七七四年:2011/07/28(木) 04:52:16.96 ID:Okr/zWp2
458 :
人間七七四年:2011/08/01(月) 11:13:03.74 ID:neCyAAi1
大友氏にはダイナミズムがある。
459 :
人間七七四年:2011/08/01(月) 18:16:36.91 ID:dROCu20S
田舎から天皇呼んだり応天門燃やしたりした奴等だもん
460 :
人間七七四年:2011/08/04(木) 19:45:32.91 ID:US6qeXlB
温泉大名
461 :
人間七七四年:2011/08/04(木) 19:58:09.88 ID:JHz2X2O/
最近の信長の野望では湯治場の施設があるのに効果は全国一律で
特に豊後は優遇されていないんだよな。
豊後の湯治場は効果が高いとか優遇措置がほしいぜ。
そういえば新聞広告で別府某所の8800円の謝恩プランを度々みかけるけどあれって利益出ているのだろうか?
462 :
人間七七四年:2011/08/05(金) 13:12:32.82 ID:eYlI9vJL
豊後は四方が山谷に囲まれた天険の地だが海運には恵まれている。
そして豊前や日向などへ行くより伊予宇和郡方面に行く方が容易い。
こういうのがゲームには反映されないんだろうな。
463 :
人間七七四年:2011/08/06(土) 02:41:32.34 ID:+nre4z7u
464 :
人間七七四年:2011/08/07(日) 05:23:15.49 ID:9HvJy1PZ
人妻を奪うそうりんw
痛いほど気持ちは分かるがww
>>461 ちなみにギリ利益出せるよ
465 :
人間七七四年:2011/08/07(日) 12:28:35.89 ID:6qDIYWP7
>>464 人妻を奪う宗麟ネタの初出典は毛利の捏造資料だけ。
それ以前には記録が出てこない。
むしろ輝元こそが人妻を誘拐してる事実。
その旦那が騒ぐと隆景がそいつを暗殺して脅迫してる。
466 :
人間七七四年:2011/08/07(日) 17:02:03.00 ID:YDAWqt5v
>>464 すげー。そうなら遠慮無く夏休み終わって安くなったころに休暇とって家族でいってみます。
アクアガーデンが楽しみだ。
以前、別府家族旅行に行ったときは嫁が間違えて亀の井ホテルに予約していてがっかりしたなあ。
467 :
人間七七四年:2011/08/07(日) 17:53:22.04 ID:ZQbG9UIz
毛利の捏造癖は重症だから
チョン州人と陰口叩かれるほど。
468 :
人間七七四年:2011/08/08(月) 02:55:01.81 ID:vilPI43l
>>465 捏造だったの?
今大分住みなんだが、たまにすごいベッピンさんみるからあながちホントと思ってた。
失礼しました。
>>466 今度は間違いないでねw
別府の温泉と夜景と食べものを堪能してきてください。
469 :
人間七七四年:2011/08/10(水) 10:31:44.17 ID:YRGpQ71L
おおともっこりん
470 :
人間七七四年:2011/08/13(土) 22:23:58.94 ID:K+7AqzmP
471 :
人間七七四年:2011/08/17(水) 02:13:19.20 ID:hUmX/ReU
なんか色々なサイトで最近杉の井のバナー広告をよくみかける。
472 :
人間七七四年:2011/08/17(水) 09:43:02.64 ID:1Yt09h4a
大内、毛利、龍造寺と戦いまくってたから
島津を相手をする以前にすでに家臣に領地を与えて恩賞することが無理になってきていて
ついには大友代々の菩提寺まで破壊して領地没収しまくってたからなあ。
473 :
人間七七四年:2011/08/18(木) 15:31:49.78 ID:zhM8Ma6g
単純な領土で見れば、大内亡き後の筑後豊前とか増えてるんだが
封建制は難しいね。
まぁ寺社領没収とかは大友や織田に限らずしばしば耳にするが、
何も焼かんでも……と思わんでもない。
474 :
人間七七四年:2011/08/18(木) 15:37:30.09 ID:zhM8Ma6g
実を言うと、筑後ではなく筑前と言う積りだった
475 :
人間七七四年:2011/08/18(木) 18:41:52.09 ID:NbwgiJ+h
筑前・豊前は領地として増えたとは言い難いよな。
大内領時代から大友と戦ってきた国人たちの地だから
大友にとってはほとんど敵性国人だらけだからね。
むしろ大友の重荷になってた。
476 :
人間七七四年:2011/08/18(木) 19:14:37.91 ID:ZizFqE8z
豊前下二郡が大分県なのは宗麟の功績だろう
焼き討ちというパフォーマンスが無ければ
不可侵の領域になっていた宇佐へ進駐する事も出来なかった
477 :
人間七七四年:2011/08/18(木) 20:37:47.18 ID:zP+tp6cT
旧律令国でわけると北九州が大分県側になったり、中津が福岡県側になっていた可能性もあるんだよなあ。
478 :
人間七七四年:2011/08/19(金) 04:19:02.44 ID:0R8q54gQ
財政難の打開策としてキリスト教保護による貿易と寺社領の没収は
大友の政策における両輪の関係だよな。
479 :
人間七七四年:2011/08/19(金) 10:31:35.07 ID:yObmY910
北九州の国境はよくわからんw
480 :
人間七七四年:2011/08/20(土) 23:47:52.87 ID:3zAU5/NX
九州というのに7県しかないよな
481 :
人間七七四年:2011/08/21(日) 00:11:48.46 ID:eLqUrwky
豊前、豊後、筑前、筑後、肥前、肥後、日向、薩摩、大隅
482 :
人間七七四年:2011/08/21(日) 13:53:43.82 ID:wXojdyP3
そいいや対馬入ってないんだな
守護少弐守護代宗だっけ
483 :
人間七七四年:2011/08/21(日) 14:12:30.33 ID:JE+JxCca
壱岐対馬は壱岐国・対馬国
五島列島は肥前国松浦郡
天草諸島は肥後国天草郡
甑島列島は薩摩国甑島郡
大隅郡島は多禰国→大隅国
奄美群島は琉球国
484 :
人間七七四年:2011/08/21(日) 17:00:53.94 ID:wXojdyP3
離島国は入んないのか
神州88州にも佐渡や対馬は入ってないのかね
485 :
人間七七四年:2011/08/21(日) 17:20:36.10 ID:7XWqRHjd
神州六十余州は聞いたことあるけど八十八もあるとは知らんかった
486 :
人間七七四年:2011/08/21(日) 19:44:14.91 ID:UwW5oVkA
キリがいいから無理やり88と言いはったんじゃね? ぜんぜん知らんけど
487 :
人間七七四年:2011/08/21(日) 20:04:10.42 ID:wXojdyP3
スマン真面目に間違った
488 :
人間七七四年:2011/08/22(月) 00:05:17.62 ID:qw4ZKt1D
>>475 そうともいえない。
豊前は祖父の義長他の歴代当主が守護になっていて、城井のように
大友氏から一字切り出しを受けている豪族も多い。
その後も大友・大内両氏にと所属するという変則的な主従関係を
結んだりしている。
筑前も博多等の元寇以来の所領もあるので、完全に敵対者だらけと言うわけでもない。
489 :
人間七七四年:2011/08/22(月) 03:09:28.87 ID:onRuoIek
>>483 奄美は15世紀に琉球から侵略併合されたが、あれを是とするの?
島津は仇敵だが、1609年奄美を琉球から解放した処置は天晴れ。
490 :
人間七七四年:2011/08/22(月) 07:24:57.18 ID:ucWXjlTE
そうは言うが大内義興によって
豊前国から大内の上洛や尼子との戦いに動員された国人はかなりだぞ。
491 :
人間七七四年:2011/08/24(水) 21:49:32.62 ID:h84WsV+5
>>489 琉球が統治していた時代の奄美と鬼薩摩が統治していた奄美の地獄とどちらが良かったと思ってんの?
西郷隆盛も奄美の人間を差別しまくってたくらいだ。
492 :
人間七七四年:2011/08/25(木) 10:58:53.88 ID:RUtOh+Dy
>>391 まじで!?紹運降伏説とかあるんだ。
どういう資料から降伏説が浮上したの?読んで見たい。
493 :
人間七七四年:2011/08/25(木) 11:54:03.61 ID:QLC6EpDq
個人的には立花城で降伏を申し出て時間稼ぎしてた宗茂と同じパターンな気がする。
494 :
人間七七四年:2011/08/25(木) 15:01:08.73 ID:RUtOh+Dy
降伏に応じる素振りを見せつつ、交渉破綻するような要求をわざと投げてゴネて時間稼ぎか。
なるほど凄い納得できた。
紹運・宗茂と立て続けに降伏で時間費やされる島津たんかわゆす。
495 :
人間七七四年:2011/08/26(金) 12:56:13.70 ID:QDazOluS
保守
496 :
人間七七四年:2011/08/26(金) 17:59:19.56 ID:KLCDlGia
497 :
人間七七四年:2011/08/26(金) 18:06:02.81 ID:BIZV8G5E
義弘ってガチで道雪を恐れまくって大友との戦端を開くのを回避しまくりだよね。
いくら竜造寺や秋月や筑紫らが大友と戦うように要請しても
とっくに死んだ信長が斡旋した大友との和睦を持ち出して拒否ってるし
天正13年9月になっても「島津の家が始まって以来、大友殿ほどの衆と
御弓を交わすことなど今度が初めてだし、その上、肥後のことも
一向に静まらず、このたび勝利したとは言え豊後衆は1人も越度がない。
義統の書状を見るに敵たるべきことは明らかなれど
よくよく御談合して御鬮(神前でのくじ引き)で決めるのが肝要に思う」
島津氏は仏僧に支配され、その僧たちにとてつもない貢物をして敬っており
島津の戦略戦術はことごとく彼らの御鬮で決定される。
大友家のように加判衆による政策の決定というシステムさえ無かった。
498 :
人間七七四年:2011/08/29(月) 01:10:12.66 ID:KChwR00T
499 :
人間七七四年:2011/08/31(水) 23:16:11.70 ID:vLEsfS0u
道雪の寿命があと一年長ければ大友の栄光は約束されていただろうね。
島津の統治手法はかなり後進的で呪術的だったよね。
しかも国人達の自立性が高く、島津本家による集権が阻害されまくり
それに義久まで同調しなければ一揆勃発で島津自体の組織が瓦解するほど致命的だったため三成や細川幽斎も呆れたほどで
それが原因で義久に怒りながら義弘は「日本一遅参して大恥をかいた」と屈辱に感じたり情けなくて泣いたりしている。
500 :
人間七七四年:2011/08/31(水) 23:51:31.72 ID:e8HlbYpx
いくら道雪が優秀でも一人奮闘したところでどうしようもなかろう
501 :
人間七七四年:2011/09/01(木) 00:16:06.71 ID:G6S1oyG1
別に道雪が独りで無双するなんて書いてないだろ…
502 :
人間七七四年:2011/09/01(木) 00:27:17.88 ID:Bd6DKMFE
ハイハイsub乙
503 :
人間七七四年:2011/09/01(木) 17:07:09.05 ID:wdFWNWsa
無双できなきゃ史実と大して変わらんだろ
道雪の寿命より、義統をどうにかした方がいいと思うがw
504 :
人間七七四年:2011/09/01(木) 17:41:41.64 ID:pOWxq3Mh
大友シーリン家
道雪「サンダガ剣みだれうちwwww」
紹運「能登ちゃん家に突撃ィィィィィ」
505 :
人間七七四年:2011/09/02(金) 14:38:38.35 ID:2DdMWx3F
殿がまともで家中がゴタってなかったら残ってただろうな
506 :
人間七七四年:2011/09/02(金) 15:38:06.37 ID:8hJVYqTj
大友が滅んだのは集団思考の失敗の一例だろう
集団の合議が却って単純かつ危険な意思決定に繋がるというやつ
義統が独裁できるような下地が出来上がっていたら結果も違っていたと思う
507 :
人間七七四年:2011/09/02(金) 19:30:30.32 ID:M9ZyEz87
508 :
人間七七四年:2011/09/02(金) 22:54:07.50 ID:jMi+Bz/X
今の大分県民にとって大友氏ってどんな存在なんだろ?
ソーリンは確かに有名だろうけど、それでも貨幣デザインに選ばれるかどうかは微妙なような気がす
由布岳とか臼杵の石仏とか別府温泉ヤングセンターにすら負けそう
それにしてもソーリン以前の大友氏って余り話題にならないねえ
二階崩れの変で義鑑が出てくる程度か?
509 :
人間七七四年:2011/09/02(金) 23:05:23.17 ID:E7EWqNvC
南こうせつに入れてくるわ
510 :
人間七七四年:2011/09/03(土) 06:39:28.06 ID:KDjTe/re
大分駅の入り口から石像が大友そーりんって解答できる程度だと思う
府内城で子供逹が甲冑をきて歩き回る大友稚児行列ぐらいしか大友の認知は低いと思う
511 :
人間七七四年:2011/09/03(土) 07:49:03.30 ID:v/eGILy6
>>506 宗麟時代は集団の合議が成立していた時期だったから大友は強かったぞ。
むしろ義統が独裁してて離反を生み出す原因になってるし、
義統自身が優柔不断で猜疑心もムチャクチャ強くて愚主過ぎた。
512 :
人間七七四年:2011/09/03(土) 13:19:23.13 ID:Id4fWHYy
全てはキリスト教で崩壊した人間関係が悪い
513 :
人間七七四年:2011/09/03(土) 13:25:51.00 ID:fYUor3Os
NTRしたのはキリスト関係ないと思うがな
514 :
人間七七四年:2011/09/03(土) 15:00:22.40 ID:39iZMSNZ
ひょっとしてアタマおかしい人だったんじゃね宗麟って
いまだとオウム真理教に入っちゃうタイプ? そりゃ見捨てられるわ
515 :
人間七七四年:2011/09/03(土) 16:36:04.90 ID:ue5ICSGg
宗麟て別に見捨てられてなくね?
516 :
人間七七四年:2011/09/03(土) 16:42:52.53 ID:c3390Tjk
>>511 実際には、祖父義長・父義鑑・宗麟も合議制とは言いつつ
結構、えぐい事をやっている。
例えば、肥後に対する方針の転換を強引に進めたのが原因で
巧網氏の反乱が起こっているし。
吉岡長増が10年以上干されたり、二階崩れの変も義鑑の
方針転換に対する反対が原因になっているといわれている。
もっとも宗麟は、祖父・父以上に強引に進めていったが、
勢力バランスをうまくとったり、成果を出したりして
不満を吸収できていたわけだが、義統にはできなかった。
>>512-514 このスレ読み返してから書きこしろ。
程度が低すぎる。
517 :
人間七七四年:2011/09/03(土) 16:52:49.66 ID:39iZMSNZ
挑発釣り師は即NG
518 :
人間七七四年:2011/09/03(土) 18:53:47.64 ID:fYUor3Os
程度が低いレスみたくないって・・・
なら自分のHPやら掲示板でやってろよと思うわけです
519 :
人間七七四年:2011/09/03(土) 19:10:19.26 ID:Kmg1P4dm
>>516 でもそれって合議での決定なのか
合議で複数に方針が割れて主君が最終決定したかどうかの
細部がわからないのだから決め付けはできなくね?
520 :
人間七七四年:2011/09/03(土) 21:03:56.54 ID:c3390Tjk
>>516 実は加判衆は、大友家当主による指名で決まっていた。
だから合議と言っても、自分の意に沿わない者を外すことが出来るし、
申次が加判衆に当主の意向を伝える。
だから合議と言っても、実質当主の意がそのまま通っていたりする。
もちろんその介入とか圧力の程度は、人によって違うだろうけど。
521 :
人間七七四年:2011/09/04(日) 21:25:50.08 ID:IlkmeVMD
>>497 豊後から出撃した大友軍が苦戦していた猫尾城攻めに
道雪が参加した途端に落城とか凄まじいよな。
一度でいいから道雪に大友全軍の指揮権を預けていたらなあ
522 :
人間七七四年:2011/09/04(日) 21:31:01.69 ID:2/OqIvjI
それは柳川藩の誇張込みだとおもうが
523 :
人間七七四年:2011/09/05(月) 05:16:56.41 ID:ZAW/7AtH
宗麟はよく臼杵石仏ぶっ壊さなかったな
524 :
人間七七四年:2011/09/05(月) 20:38:45.92 ID:NVvH4kTa
>>522 柳川藩史には該当部分はどう書かれてるの?
525 :
人間七七四年:2011/09/05(月) 22:42:48.66 ID:mf8OMvuy
>>521 >道雪が参加した途端に落城とか凄まじいよな。
う〜ん、それはどうだろ
確かに立花・高橋連合軍が合流して膠着状態が解け
黒木勢の内部切り崩しに成功したから落城したんだけど
立花勢が加わるまでに黒木勢は既に猫尾城に一月籠城
しかも水手を切られてたから落城する条件揃いつつあり
落城への最後の一押しが立花・高橋勢の参戦であったと俺は見るけどな
526 :
人間七七四年:2011/09/06(火) 22:42:30.64 ID:tm7jBJpI
旅順要塞攻略戦みたいなものか。
527 :
人間七七四年:2011/09/07(水) 04:22:37.49 ID:vC6claFC
高橋鑑種は気の毒だよな
528 :
人間七七四年:2011/09/07(水) 22:33:49.33 ID:5BzTATaf
気の毒どころか二度も謀反してバカだろ
529 :
人間七七四年:2011/09/08(木) 07:45:14.24 ID:SgJwwXiR
兄ちゃんがNTRの上に殺されたらぶち切れるのも無理は無い。
530 :
人間七七四年:2011/09/08(木) 23:08:01.35 ID:Tw6rEOXA
それは毛利の捏造軍記が初出典のデタラメだろ
リアル幼女略奪とそのダンナを虐殺したのを実際にやったのは輝元と隆景。
531 :
人間七七四年:2011/09/09(金) 20:34:37.22 ID:Zs7aZw6y
>>525 実際に水の手が止められていたとは考え難い。
龍造寺の援軍もやってきていたから苦戦していたのに道雪が来たらすぐ落城。
532 :
人間七七四年:2011/09/10(土) 02:51:59.77 ID:+YFfHIWb
群書類従にある高橋記って成立したのがいつ頃かって分かりますか?
533 :
人間七七四年:2011/09/11(日) 20:21:01.30 ID:QOrsCYKF
わかりません
534 :
人間七七四年:2011/09/11(日) 21:57:27.52 ID:xlbodad+
535 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 22:24:55.10 ID:Y0UtaBc0
ほほう
536 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 22:02:30.47 ID:+dDMWdk4
537 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 19:59:19.04 ID:RwAmbW22
この間、由布院の温泉に旅行に行って温泉に入ってたら
全裸の宗麟の亡霊に「やらないか・・・?」って言われたよ!
538 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 09:49:15.57 ID:yvThqoei
ソースは大筒、じゃなくて今朝の朝刊、じゃなくて今日の朝刊。
539 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 17:29:15.61 ID:FdT1D9Dx
ロシアに宗麟製造の大砲 東大調査で確認 [2011年09月29日 09:52]
戦国時代の豊後のキリシタン大名・大友宗麟が日本で初めて量産化に成功した
「石火矢(いしびや)」(ファルコン砲)とみられる大砲が、
ロシア・サンクトペテルブルクの国立軍事史博物館に収蔵されていることが28日までに、
東京大学史料編纂(へんさん)所の調査で確認された。
その破壊力から「国崩(くにくずし)」の異名を取った大砲。
宗麟の洗礼名「ドン・フランシスコ」を図案化した印章が砲身にあることが決め手となったという。
調査団に同行した「豊後中世砲史研究会」の神田高士代表(45)=臼杵市教委文化財課長代理=によると、
大砲は青銅製で全長2・64メートル、口径8センチ。
砲身にはフランシスコの頭文字をかたどった「FRCO」の印章が鋳文字として刻まれていた。
幕末期の軍事・外交に詳しい同編纂所の保谷徹教授によると、日本国内に残る文献では、
江戸時代後期に起きた日ロ両国の紛争で、北方の防衛力強化を迫られた徳川幕府が
全国から集めた武器を利尻島(北海道)に運ぶ途中、ロシア船の襲撃に遭い強奪された。
中世イエズス会の宣教師ルイス・フロイスがまとめた「日本史」によると、
宗麟は1576年にポルトガル領インドから大砲を国内で初めて輸入。
それをモデルに2年後には領内で大砲数門を鋳造し、量産化に成功したとされる。
同博物館には、宗麟が輸入したとみられる東南アジア製の大砲も収蔵されていた。
神田代表は「印章の存在や砲身の形状を見ても、宗麟が製造した大砲である可能性が極めて高い。
宣教師の文献とも時期的に符合している。
国産大砲のルーツであろう東南アジア製の砲も含め、大砲製造の歴史を研究する上で貴重な資料だ」と話している。
ttp://www.oita-press.co.jp/localNews/2011_131725761421.html 宗麟の名はロシアにも知れ渡ったな。 さすが国際派大名・大友氏。
540 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 21:12:25.60 ID:iEr8ZzVh
>>539 たったの2年であの時代に南蛮製の大砲をコピー化量産するとはwww
541 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 21:16:17.04 ID:iEr8ZzVh
大分県民はかつてのご当地の英雄がこれだけ文化的にも先進性に富んでいたことに
誇りを持ったほうがいいよ
熊本県民なんてよそ者の清正公を売り出して飯食ってるんだから
大分県ももっとキリシタン大名だった宗麟公を売り出して観光に活かそうよ!
第一「大友宗麟」って歴史の教科書でも戦国時代のとこで絶対に出てくる有名人だぞ
542 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 21:18:18.71 ID:iEr8ZzVh
「大分県」は県名を「大友県」って変更した方がいいと思う
何となく似てるし差し障り無いでしょw
543 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 21:41:10.29 ID:oVkF0kzb
>>539 なんでロシアにあるの?
毛利に取られる→四カ国戦争の敗戦時に取られる
で合ってる?
544 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 21:54:13.60 ID:VQhbb34U
545 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 22:01:26.73 ID:l66ji2GI
>>543 徳川幕府が全国から集めた武器を利尻島(北海道)に運ぶ途中、ロシア船の襲撃に遭い強奪された。
546 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 22:14:27.94 ID:TqzxUvls
>>541 宗麟をもっとアピールするのは同意だが、
虎坊はよそもんでも現代に残るような立派な文化遺産を建立してくれたでしょ
島津に追いまくられた晩年は県民でも擁護できんわ
547 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 22:41:28.38 ID:31X6L+rm
追いまくられた?
冗談じゃない。
あれは籠城遅滞戦略で島津の疲弊を待っていただけ。
島津は各地の重要拠点を
一つ足りとも奪えてないし
548 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 23:54:21.43 ID:JIDAoyh1
ハイハイ久しぶりのsub乙
549 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 00:04:37.82 ID:+oE7qrSx
でも実際、あそこで宗麟が諦めてさっさと臼杵城を開城してたら
豊臣軍が九州上陸する前に大友滅亡で島津に九州統一されてたかもね
岩屋城の奮戦も無かったかも・・・
最後に国崩しで火を吹かせた宗麟はやっぱ武将だったと思うよ
550 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 08:39:07.59 ID:Y/VQyvRZ
博多や府内を散々荒らされて重要拠点を奪われていないと言えるやら
落ちなかった岡城や角牟礼が重要とも思えないんだが
551 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 08:58:28.43 ID:UGUswN+E
臼杵への島津兵力は散発的兵力しか派遣できてないから
まったく攻略できなかったよ。
降伏どころか臼杵側が圧勝。
島津は各地の攻城に兵力分散しまくり
家久は臼杵攻略のために義弘に兵力の分派を要求しまくり
肥後から豊後への入り口間もなくにある岡城すら攻略できない義弘はそれを無視してたから
家久は「義弘は卑怯者で大将にあるまじき振る舞い」と義久に中傷しまくり。
岡城の志賀氏が離反した各城を調略しまくり
義弘は肥後への退路を封鎖されてしまうし
家久も退路を封鎖される恐怖心に脅えながら戦っていたが(現在の豊後大野に三重城と言う城があり唯一の日向への退路だったので家久は危惧しまくり)
三重城への佐伯と志賀の攻勢で
豊後奥深く招き入れられた島津は袋のネズミ状態に陥り
言う家久は義弘を見捨てて我先に三重へ逃亡。
佐伯の重包囲の中で軍は崩壊。
続く義弘も志賀の追撃を受けながら佐伯の重包囲にフルボッコされ
島津の殿を勤めた相良軍がいなければ義弘は死んでいた。
552 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 09:18:17.08 ID:M5Arunm3
府内はともかく博多は大友のものじゃないだろ
近所に所領があっただけ
553 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 09:18:29.81 ID:UGUswN+E
立花城が落とせなかった腹いせに博多に放火しただけだろが。
だったを手に入れないかぎり博多は手に入れられないからな。
ついか博多を燃やしたなんて過去に何度もあるし、秋月すら燃やしてるレベルで島津勝利宣言とかワロタw
府内は館レベルで戦闘に向かないし
首都機能はとっくに臼杵だったから。
そもそも大友本隊は豊後で秋月や高橋や長野の兄弟と戦っていて島津ガン無視してたし
豊後の小城や支城は
降伏ではなく戦闘停止の和議を島津と取り決めただけで
各地の拠点城に島津を誘導してただけに過ぎないわけだが。
そもそも筑前攻略に失敗し筑後国人まで島津から離反し始めていたためにバカバカしいクジ引き占いによって発動されたのが
豊後攻略計画であり島津が兵站線の概念が欠如しており長期戦が苦手なのを見越した戦略。
島津には豊前の大友本隊までたどり着くことすら不可能だったのが現実。
554 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 09:27:16.62 ID:Rktyf3AX
強力な援軍が見込める状況なので丹生島で耐えたのは上策だよな
もし正面決戦に挑んでいたら持たなかったかもしれない。
一番怖いのは島津ではなく劣勢下における味方の裏切りだね。
555 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 09:29:37.65 ID:UGUswN+E
誤字だらけだった…
だったを手に入れられない→立花城を手に入れられない
大友本隊は豊後→大友本隊は豊前
豊後攻略しないと筑後の動揺が、いまだ落ち着かない肥後国人の動揺の拡大につながるから島津は大友に勝つ必要があったが
立花宗茂に続いて大敗を豊後と日向国境で佐伯にやられた為に
肥後や日向の北半分は大友側に降伏。
島津は秀吉の南下に対する抗戦ラインを大幅に後退させるハメになり
秋月の援軍要請も無視して脅えていたのが現実。
556 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 17:26:29.72 ID:A7iekaLZ
>>540 種子島に鍛冶職人を派遣しているし、南蛮船からも直接技術を学んでもいる。
さらに唐にも大砲の製造を学ばせるために家臣を派遣している。
後に徳川家康に仕えて、大坂の陣で使った大砲を造った。
>>549 >角牟礼が重要とも思えないんだが
これは明らかに間違い。
当時の交通路は、肥後・熊本から豊後に行く場合。
小国を経て玖珠を通るルートと阿蘇から竹田・田北・野津原をへて府内に行くルート。
だから玖珠の角牟礼城は、大友氏直轄で国境の城として防備を固めてあったし。
竹田の岡城もやはり重要拠点。
>>552 んなことはない。
>渋川満頼が九州探題を辞したのち、大友氏は1429年(永享元年)朝鮮に使者を遣わして博多支配を宣言、宗金など商人たちは大友氏の保護下で貿易を行う。
>当時の博多の町は、港がある北東部「息浜」(おきのはま)に6000戸、聖福寺・承天寺周辺の南西内陸部「博多浜」に4000戸あり、
>息浜を大友氏が、博多浜を少弐氏が治めていた。
>日明貿易が再開した1432年(永享4年)、少弐嘉頼家臣・三原入道の家人と秋月満種家臣・原田種泰の家人が見物に来ていた博多祇園山笠の「追い山」の会場にて衝突、
>三原方50人余、原田方20人余の死者を出した。翌年には少弐家人と大内持世家人が博多で衝突。さらに翌年には大内家人と少弐家人が箱崎にて衝突している。
>この他にも守護大名同士や大身らは、筑前国の覇権や日明貿易の主導権をめぐって抗争を各地で起こした。
>1478年(文明10年)、大内政弘は少弐勢力を博多から追放、筑前や豊前までを勢力下に置き、博多の町は大内勢力と大友勢力の配下となる。
557 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 17:35:25.48 ID:A7iekaLZ
訂正
>>540 種子島に鍛冶職人を派遣しているし、南蛮船からも直接技術を学んでもいる。
さらに明にも大砲の製造を学ばせるために家臣を派遣している。
後に徳川家康に仕えて、大坂の陣で使った大砲を造った。
ちなみにその家臣は、渡辺宗覚。
558 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 11:05:19.65 ID:ze654yWX
555はもう少しまともな日本語と改行を覚えてからレスしてね
559 :
人間七七四年:2011/10/05(水) 17:29:10.32 ID:h+N8RYws
俺の宗麟さんのイメージ。
キリシタンランド
戦国鍋から気になって調べてみたら、面白い逸話の多い人だね。
560 :
人間七七四年:2011/10/05(水) 19:40:10.23 ID:biUvn4kj
奇人変人だよな
561 :
人間七七四年:2011/10/05(水) 19:50:34.95 ID:4xr4CvC4
信長に十分対抗できる、戦国時代ばさら大名だろう。 やることが常識外れで突き抜けてる。
562 :
人間七七四年:2011/10/06(木) 13:02:24.68 ID:oVIPF5Le
>>561 宗麟さんは体が弱くて長い従軍には耐えられないからな。
信長みたいに東奔西走してたら二十代であの世行きは間違いない。
やる気があっても体がおいつかない、そりゃ性格もゆがむわー。
563 :
人間七七四年:2011/10/06(木) 13:11:15.01 ID:EhJUHOdd
性欲は人一倍なのに
564 :
人間七七四年:2011/10/06(木) 21:16:04.67 ID:EdpegcUK
>>561 父親の義鑑も陣頭亜指揮はとらなかったよ。
重臣たちにしてみれば、下手に大友家の当主が前線に出張って
あれこれ口を出されちゃかなわんのじゃないかな。
565 :
人間七七四年:2011/10/06(木) 22:38:55.91 ID:qBWm7RXO
守護大名の名門一族だからね>大友
最後は猛烈性欲大魔王転じて熱烈な新興宗教キリシタン信者と守護大名らしからぬ迷走ぶりですが
566 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 00:03:34.60 ID:Xox588i/
性欲言ってる人は軍記物と史実の区別はつけようぜ
567 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 03:49:30.54 ID:+VuwIb2y
宗麟の性欲話が近世軍記物語の創作なのは常識
568 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 09:11:05.75 ID:AVw9fuY6
太閤立志伝のイベコンで作られたハーレムイベントはチンコが勃起したお
569 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 18:11:45.04 ID:r0motI9+
職務が明確なんだよね大友って。
だから当主は前線なんかに行く必要がない。
島津義久もそんな感じだよね。
570 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 18:24:24.50 ID:IG4UOj7H
現代的にいうとシビリアンコントロールか なんちって
571 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 09:22:57.30 ID:9BPojUfM
むしろ子供作りまくった挙句に
子供を虫ケラ呼ばわりして
虫ケラどもがいくら死んでも構わないって言ってる元就こそ
性欲大魔王な罠
572 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 12:24:57.21 ID:7/RGmN6Q
それは当時の武家としてマトモな事かと
573 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 12:50:28.64 ID:t9oxuY8t
さすがキチガイ毛利厨
宗麟の場合はダメだが
元就の場合はOK
しかも宗麟の場合は完全に毛利による中傷なのに。
574 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 15:09:53.55 ID:lHrME8w8
その毛利中傷が歴史研究の進んだ近年になっても解ける事なく
何百年に渡って地元民にまで信じられてる事自体が
宗麟の人となりを知らしめてると思う
575 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 15:31:40.27 ID:C0+Iwe7N
>>574 チョン州人くん気持ち悪いよ。
地元民が何百年も信じてきたなんて
どうやって証明すんだアホ
そもそも大分県は小藩乱立で
宗麟どころか大友のことすら
興味ないわ。
576 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 16:23:26.59 ID:lHrME8w8
>>575 俺は佐賀だけど
否定的な書き込みは全て長州・薩摩人ですか?
大友厨は相変わらず決めつけが酷いなぁ
信長の桶狭間とか松永弾正の大仏殿焼き討ちとか
長年信じられていた事が近年間違いであったと知られて来た事に対し
大友宗麟の行為は誤解が解けるどころか未だ信じられたままなのは何故?
って事なんだけどね、それに地元民にまでと書いてる様に大分に限定してる訳じゃないんだが
君は否定的な書き込みは全て悪意にしか取れんのか?
577 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 18:42:21.59 ID:4CweF2AR
大友宗麟公って禅宗出家時に剃髪しているけど
洗礼後も剃髪続けたの?
578 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 22:19:26.90 ID:iXO+fhjK
>>576 大友の研究をしている学者の少なさだろ。信長と比べるのはおかしいよ。
松永の焼き討ちのことも、松永に興味ある人間以外にはまだまだ知られてないよ。
研究が進んでるって言ってもそれは一部だけだと思う。
579 :
人間七七四年:2011/10/09(日) 09:01:30.93 ID:d3ln5Fo0
そもそも佐賀を大友の地元と書いちゃう時点で土地勘がないチョン州人なのは確定。
580 :
人間七七四年:2011/10/09(日) 09:04:46.45 ID:tF/OV7WJ
581 :
人間七七四年:2011/10/09(日) 10:10:57.70 ID:iSvX2xDe
龍造寺も大友傘下だったから佐賀も大友領だべ
582 :
人間七七四年:2011/10/09(日) 10:55:37.54 ID:/XI15Evv
あの状態を傘下と言うなら天正時点で大友は織田傘下ということに
583 :
人間七七四年:2011/10/09(日) 14:07:42.76 ID:KmXqjglS
もうここまで地元の用語を拡大解釈させたら
宮崎県も熊本県も地元でもいいなw
584 :
人間七七四年:2011/10/09(日) 15:02:08.05 ID:9KzMFHBJ
定期的に宗麟を性欲狂いと執拗に粘着レスしといて
今度は佐賀県民はみんな宗麟が性欲狂いって認知だとかデタラメを吐く気持ち悪い毛利厨房
585 :
人間七七四年:2011/10/09(日) 17:15:28.21 ID:tF/OV7WJ
>今度は佐賀県民はみんな宗麟が性欲狂いって認知だとかデタラメを吐く気持ち悪い毛利厨房
毛利厨とか大友厨とか別にして
取り敢えずお前が日本語読めない事は分かった
586 :
人間七七四年:2011/10/09(日) 18:56:26.75 ID:KmXqjglS
翻訳
毛利厨「地元の大分や佐賀や熊本や宮崎や福岡の県民全員が宗麟が性欲大魔王だと
戦国時代から現在までずっと語り継いで来ましたのは
暗黙の了解であります。」
587 :
人間七七四年:2011/10/13(木) 10:13:03.43 ID:1gRVV2+R
大友宗麟がもうちょっと強欲だったら
陶と結んで大寧寺の変の際に九州側全部
毛利と結んで防長経略の際に長門
尼子と結んで毛利を挟撃して周防
と言った具合に労せず少しずつ領土を広げることができたものを。
588 :
人間七七四年:2011/10/13(木) 17:17:14.48 ID:55dC+/G6
>陶と結んで大寧寺の変の際に九州側全部
この時点で手詰まりになるんじゃね?
陶と組めば筑前の大内旧領や
山口と親密な国人衆に手出せなくなる
手を組んだ証として毛利との攻防にも手勢出さなきゃならんだろ
589 :
人間七七四年:2011/10/13(木) 17:52:13.34 ID:1gRVV2+R
筑前の杉興運は陶に討伐されているし、豊前の杉重矩もすぐに陶と争って討伐されている。
この討伐を弟の救援という名目で大友が行なって占領し、
厳島の戦い後は弟を傀儡化している陶残党を毛利と共に討つことで返還をうやむやにしつつ長門を手にする。
んで保護した弟に大内をまとめさせつつ実質属国みたいにうまくできないものかなあ。
590 :
人間七七四年:2011/10/13(木) 18:51:28.75 ID:MBNSHxGc
無理
591 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 19:27:07.85 ID:Z8D+msvZ
キャラデザに凝った大友のサイトが昔あったんだけど、誰か知らない?
斎藤鎮実が渋いイケメンでさ
592 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 23:26:32.29 ID:zQaHncTv
あざやか!大友家臣団…
593 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 23:47:51.15 ID:Z8D+msvZ
>>592 まあサンクス
閉鎖してたのね
そういや似たような趣向のサイト(扱ってるのはフランス革命だが)で
「白百合は散った」てのもあったけどこっちも閉鎖してたっけ
さびすーのー
594 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 12:47:44.38 ID:1jl+/a2q
所詮、九州を一勢力に纏め上げるのは無理だった。
全盛期の大友ですら肥後や肥前や筑前の全域支配は
どうやっても無理だったし。
山谷川が険しく当時の交通・通信の技術では根本的に無理。
国人達の自立性の高さは北関東並みだよな。
595 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 15:49:18.34 ID:O59igU6E
全盛期っていつ?
596 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 17:34:41.96 ID:QGwpcBG3
吉岡長増や臼杵鑑速が亡くなる4,5年前頃。
597 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 18:24:26.75 ID:HwRoCTNt
毛利を粉砕〜宗麟が隠居までだろ。
大友絶頂期に義統が家督継いでるからね。
すぐ耳川の敗戦になるけど。
598 :
人間七七四年:2011/10/18(火) 08:38:44.48 ID:yyXQ/cJY
宗麟隠棲後に
恣意的に田原紹忍と奈多夫人が義統を朝令暮改させまくったのが
大友衰退の根本的原因。
義統の無能さは秀長も呆れたほど。
599 :
人間七七四年:2011/10/18(火) 09:03:13.79 ID:I1UBtp4I
大友義統はアホや
関ヶ原で再興を計るのはいいけど
毛利輝元なんかに援助をもらうなんてアホや
600 :
人間七七四年:2011/10/18(火) 12:14:08.06 ID:Qr1uVJaz
まあ嫡男が家康の元にいたから
義統が豊臣方になることで家を分けて
どっちが勝っても生き残れるようにしただけなんだがね。
おかげで家康によって大友も高家として存続できた。
601 :
人間七七四年:2011/10/19(水) 01:51:54.53 ID:iyk4te8e
やったこととこれまでの経歴的に切腹させられてもおかしくない気がするがな
よく妹婿(陪臣)の命乞い程度で助命されたもんだ
602 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 11:19:38.79 ID:G5zxedZK
宗麟の祖父の義長の時点で、
大聖院宗心や朽網親満や田原、佐伯、英彦山らが大内政弘や義興らと組んで、
大友家督に介入しまくりだったからなあ。
宇佐神宮も大内側だったし、
大友ボロボロからよくあれだけ巻き返せたよ。
603 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 13:07:05.98 ID:MBrhzqgO
宗麟の親父が有力な家臣を粛清するなどして盛り返して来たからな。
もっともやりすぎて逆襲されたけど。
その後宗麟の家督相続がすんなりいったのも、
先代の強引さに辟易した家臣団が病弱な宗麟なら
あそこまでしないだろうって家臣団の思惑があったと思う。
なんせ弟の義長は大内家のバックがあるから
無茶でもされたらかなわんし。
この点、武田晴信の家督相続の背景とにてるね。
604 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 18:49:32.63 ID:6uf7K2Vd
大友家の血って義統で完全に断絶?
605 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 21:36:14.35 ID:uQ1DvjVx
大名としてなら義統、血筋なら孫の代じゃね
606 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 00:27:07.49 ID:E42WNVrY
嫡流家は義統の孫、義親で断絶。
高家としてなら19世紀はじめくらいの義智まで続いた。
義智が迎えた婿養子の義路の子が幕末のどさくさで行方知れずになった。
607 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 00:28:18.24 ID:E42WNVrY
義智は義統の子松野正照の実子ね。
608 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 00:29:01.50 ID:E42WNVrY
ごめん、義智× 義親○
609 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 01:03:34.13 ID:fw07KErC
>>606 おおそうなんだ
しかし新人物往来社の『地方別日本の名族』では昭和辺りまで書いてあったような
気のせい?
610 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 02:22:12.79 ID:E42WNVrY
611 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 11:08:39.87 ID:PFyQhj9/
>>606 『豊後 大友一族』(新人物往来社』)では義路以降の大体昭和期くらいまでの当主の名前が系図に載っていた。
612 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 12:07:55.74 ID:eWNMmFFZ
大友は朝鮮との交易利権を持っていたはずだけど
どのくらいまで交易が続いていたのでしょうか?
613 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 12:43:49.92 ID:7bQ/wnp3
勝手に大友の名義を使われていただけで
大友には朝鮮から輸入したりしていた証拠はないそうだ。
614 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 13:04:22.37 ID:eWNMmFFZ
それは残念。南蛮と朝鮮の両方を担っていたのかと思ってた。
615 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 16:35:40.25 ID:uY12O8IV
大友殿印を対馬の住人が所持して朝鮮貿易をやってた。
ちなみに遣欧使節派遣も宣教師が書状を偽造していて
実は宗麟はまったく聞かされてないので知らなかった。
616 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 22:20:03.52 ID:RxZup7HB
>>602 英彦山や宇佐や宗像のような
豊前筑前の宗教的権威が、
ことごとく大友の敵だから厄介だよね。
宇佐衆なんて
大友が小倉で毛利と戦っているときに
補給線をぶった切って退路遮断するから、
迂回撤退しないとならんし。
まあ我慢の限界がきて
宇佐神宮は大友に焼き討ちされたけどw
617 :
人間七七四年:2011/10/24(月) 00:15:12.53 ID:mRPx/UiJ
大友の場合宗教の権威が敵だったと言うより
余計な事して敵を作ってしまったって感じ
なにしろ大友が博多に進出するさい
必要無いのに宗像の出城に手を出して焼き討ち皆殺しとかして行くんだもん
618 :
人間七七四年:2011/10/24(月) 13:47:33.91 ID:5lfcAUKF
大内の影響力がおよばない阿蘇さんは味方。
そして阿蘇さんが、筑後と肥後経営安定の鍵
619 :
人間七七四年:2011/10/24(月) 20:35:52.68 ID:75GGzPWp
宇佐ってやたら豊後に敵対するから焼き討ちも已む無し
勢場ヶ原の戦いで序盤、大内優勢にしたのは、宇佐の佐田衆。
宇佐神宮は緒方惟栄からも焼き討ちにあってる ざまあ w
620 :
人間七七四年:2011/10/24(月) 22:59:16.72 ID:iNDWwMTK
緒方惟栄の頃は、宇佐神宮の宮司の権威が強くて横暴だったからなあ。
緒方家というか大神一族にとっては因縁深く相当憎んてて、平家を筑紫から
追い出した勢いで、その後ろ盾を無くした宇佐神宮を燃やしちゃったみたいね。
621 :
人間七七四年:2011/10/25(火) 09:12:42.19 ID:rXp3516N
英彦山と阿蘇神社って仲悪そうだな。
地理的にも比較的近いし遠方の平地の宇佐と違って
山岳信仰組は、あいつらのはダメ。ホンモノはウチらだよとか修験にプライドありそう。
622 :
人間七七四年:2011/10/25(火) 21:02:44.43 ID:m+V5uWYl
>>621 え?
阿蘇と英彦山は直線でも60kmあるぞ
その間には谷や山々に隔てられて体感的な距離感は遠く
片道40km程度で英彦山降りればほぼ平野部を進む宇佐ほど近くはない
それに阿蘇氏は国家安泰や五穀豊穣の神道系で山岳信仰とは根本が違うんで
阿蘇と英彦山の仲良いとか悪いとか言う以前に接点が無いわな
623 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 09:35:18.71 ID:ZISVmAeJ
>>617 余計な敵を作るというわけでもないと思う。
緒方氏のころから豊後国内には、宇佐神社にかかわっている荘園が多かった。
例えば、別府市に荘園という地名が残っているがここは宇佐神社の荘園だった。
他にも歴史的景観で注目されている田染荘も宇佐神社の荘園だった。
豊後を始めとした九州北部で支配を強めていけば、宇佐神社と対立するのは必然だわな。
624 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 19:34:12.96 ID:GAefFfFr
>>623 いや、余計な敵って宇佐の事じゃ無く宗像の事言ったんだけど
625 :
人間七七四年:2011/10/28(金) 15:36:02.65 ID:EvTw3skU
626 :
人間七七四年:2011/10/30(日) 21:42:38.46 ID:OOWkpE4T
あgておく
627 :
人間七七四年:2011/11/06(日) 15:44:57.88 ID:Qs0o+k8s
大友親親
628 :
人間七七四年:2011/11/06(日) 20:04:06.71 ID:FWlLaTSD
黒田くんゴメンね
内府様に命乞いお願いね
629 :
人間七七四年:2011/11/10(木) 11:35:36.20 ID:0H81N0o2
ちゃっかり東西どちらが勝っても良い二股をかけた大友くん。
630 :
人間七七四年:2011/11/11(金) 21:07:55.83 ID:cuVa5W6Z
631 :
人間七七四年:2011/11/12(土) 01:06:39.45 ID:iEQxpZeO
632 :
人間七七四年:2011/11/13(日) 23:39:37.94 ID:jviOvnRf
633 :
人間七七四年:2011/11/15(火) 17:14:50.27 ID:k2aSwqL9
日田市の千年あかしの祭りで
久津媛の舞の踊る相良姉妹って何者なの?
634 :
人間七七四年:2011/11/15(火) 23:03:32.79 ID:uEEPT8Oo
大友なのに親睦なし
635 :
人間七七四年:2011/11/17(木) 01:50:46.95 ID:pG80eaMi
大友義統と義乗の親子は、
なんで奈多から嫁をもらわず、
吉弘から貰いってんだろ
636 :
人間七七四年:2011/11/17(木) 10:06:19.97 ID:UDSDapki
奈多悦子
637 :
人間七七四年:2011/11/17(木) 11:15:41.26 ID:4iRYVq5S
638 :
人間七七四年:2011/11/17(木) 12:13:10.18 ID:UDSDapki
奈多の外戚が力を持ってウゼェと義統もウンザリし
嫁の相手先が慎ましく権勢を求めない家を選んだのか
奈多の方で将来のライバルになりそうもない家を選んだのでは?
大友の藩屏としては吉弘家は充分に役にたったのは事実。
639 :
人間七七四年:2011/11/17(木) 12:46:03.88 ID:29XLCW6s
道雪さんもだしね
640 :
人間七七四年:2011/11/17(木) 20:47:33.06 ID:Kh0kiZZu
藩屏と言えば志賀も忘れないで
641 :
人間七七四年:2011/11/19(土) 16:38:48.67 ID:tw6DK7G4
>>639 道雪さん、吉弘じゃないでしょ。
吉弘の出は紹運さんじゃ。
642 :
人間七七四年:2011/11/20(日) 09:27:35.36 ID:bvkb6op1
歴代当主が続けて戦死してる吉弘家
その本家筋は歴代当主が謀反しまくりの田原家
643 :
人間七七四年:2011/11/20(日) 11:45:13.74 ID:MHlhfLI4
国東半島の彼らの縄張り範囲がよくわからん
644 :
人間七七四年:2011/11/20(日) 19:41:59.89 ID:dEYclyI6
ベッキー爺さん
645 :
人間七七四年:2011/11/20(日) 22:43:38.95 ID:HM0XAixz
安芸に幽閉されていた前豊後国主大友義統は旧領回復を目指し、毛利から兵を借りて豊後に攻め込んだとあるが、あくまで義統は傀儡
646 :
人間七七四年:2011/11/21(月) 00:28:07.57 ID:75GDT1KS
ちゃんと秀頼様から貰ったもんだから、
それは無いでしょ。
そんなことしたら清正が秀頼様をないがしろにしたと怒るぜ!
647 :
人間七七四年:2011/11/21(月) 13:27:35.99 ID:NQk4OroO
日本語でおk
648 :
人間七七四年:2011/11/23(水) 09:24:17.47 ID:rUPYccQE
>>616 >英彦山や宇佐や宗像のような豊前筑前の宗教的権威が、ことごとく大友の敵だから
大友がキリスト教勢力と結んだのは、こういう日本の既存宗教勢力と対立していたから?
649 :
人間七七四年:2011/11/23(水) 12:55:38.88 ID:9vNRn5sQ
背後に大内がいたり、
寺社領を守るために大友勢力拡大を阻むべく
擁立し家督争いに介入したりしたのが寺社勢力。
また奈多夫人の実家が自分らの寺社を優遇してたからね。
650 :
人間七七四年:2011/11/23(水) 14:49:37.79 ID:hXULUX+H
宇佐八幡とか宗像大社とか背後に大内がいたんだよなあ
651 :
人間七七四年:2011/11/23(水) 19:01:28.51 ID:wqjguy3T
宗像の場合背後と言うか大宮司職が交代制で
大宮司職にない時に当主格が山口に出て出務していたからな
それに文化志向が強い大内家と、古来の文化や作法を伝える社家系は
互いの好みと合致する事が多いし、縁組みもあって自然繋がりが強くなるよ
652 :
人間七七四年:2011/11/26(土) 22:09:41.17 ID:rSNDHUb6
653 :
人間七七四年:2011/11/26(土) 23:08:27.78 ID:ItvFdAhs
陶晴賢を排除して大友兄弟で西日本を支配できていたら
天下統一も夢じゃなかったろうに
654 :
人間七七四年:2011/11/29(火) 12:22:20.16 ID:ns/r0F2U
>>643 おおまかには次のとおり。
安岐町 田原本家 親宏
武蔵町 武蔵田原家 親賢
武蔵町の吉弘 山の中。吉弘氏の本拠。ただし、屋山(豊後高田)はひと山越えた距離。
旧大田村(現杵築市) 田原氏初代の地。田原氏の分家が住んでいた。
奈多(杵築市) 奈多氏。隣は安岐町。
655 :
人間七七四年:2011/11/30(水) 22:15:56.96 ID:cRDYfrpU
なにその改行w
656 :
人間七七四年:2011/12/04(日) 14:52:02.32 ID:jCFzDRyt
豊後高田って誰の領土だったの?
宇佐神宮領かい?
657 :
人間七七四年:2011/12/04(日) 19:44:27.60 ID:biUltj83
注意!
ID:jCFzDRyt=例の妄想長文荒らし
>>656 皆様に迷惑だからここへの書き込みを禁じます
658 :
人間七七四年:2011/12/04(日) 21:42:12.48 ID:MDmrdYIC
659 :
人間七七四年:2011/12/07(水) 22:51:20.65 ID:hSv2RH7b
播磨屋さん最高や!
660 :
人間七七四年:2011/12/08(木) 23:01:27.73 ID:QN9Iu8G2
宗麟は欲望は凄いけど野望が少なすぎる。
逆なら九州統一していたろうに
661 :
人間七七四年:2011/12/11(日) 21:56:16.68 ID:R+PwrGGA
キリスト教があれば他に何もいらんタイプだから
欲望無い方だろ宗麟って。
物惜しみする人物だったら
耳川の敗戦後の離反だらけの状況を
建て直せなかったのは間違いないし。
662 :
人間七七四年:2011/12/12(月) 01:24:15.92 ID:8snSso9W
663 :
人間七七四年:2011/12/12(月) 11:22:24.09 ID:eCuCrXXC
>>662 毛利の捏造軍記が元ネタであって
そんなのを証明する史料はまったくない。
664 :
人間七七四年:2011/12/12(月) 19:27:56.63 ID:A0HPJ2O/
大友は足利将軍家に忠実で悪党は懲らしめるけど天下は狙わない
根っからの守護大名
665 :
人間七七四年:2011/12/13(火) 00:37:57.03 ID:iIirjqSp
>>656 国東半島の宇佐八幡の荘園の支配権は、宇佐氏系から大友氏に移っていった。
たとえば都甲氏から吉弘氏に検校職が移り、行政権は吉弘氏へとうつった。
これに伴い吉弘氏は、吉弘(国東・武蔵)から屋山(豊後高田)に居を移した。
666 :
人間七七四年:2011/12/18(日) 21:19:36.61 ID:Mm83gk1o
667 :
人間七七四年:2011/12/25(日) 21:58:46.55 ID:/+PX3ZlL
m9(^Д^)プギャー
668 :
人間七七四年:2011/12/31(土) 09:47:09.26 ID:T2MT96yO
669 :
人間七七四年:2011/12/31(土) 21:51:36.32 ID:tVa40Xys
670 :
人間七七四年:2011/12/31(土) 23:51:08.54 ID:ot4PXevb
671 :
人間七七四年:2012/01/01(日) 15:26:28.62 ID:x32wAHeB
だがマツケン演じる宗麟がガタイ良すぎ。
宗麟にはもつと病弱っぽいお公家顔にしてもらいたい。
財前直美の奈多夫人は、これぞ大分ってかんじで うーん。
渡辺典子に出て欲しかった。
672 :
人間七七四年:2012/01/01(日) 17:07:06.80 ID:VuQDXHiH
財前は奈多夫人の怪演を契機に、大河で北条政子に登りつめた
673 :
人間七七四年:2012/01/01(日) 23:39:47.77 ID:T/TffKOI
674 :
人間七七四年:2012/01/03(火) 22:35:07.27 ID:6OTud7B/
終わった、眼福眼福。
2004年の時は4:3で観たが、今日はちゃんと16:9ワイド放送でよかった。
>>669の画像なんかも、左下で切れてる兵士の顔がバッチリ見えた。
675 :
人間七七四年:2012/01/03(火) 23:11:30.34 ID:98TNdCFR
676 :
人間七七四年:2012/01/04(水) 01:36:12.05 ID:4Ke/G3UZ
この鮮明な画像、2004年新春時点では関東・近畿・中京の3大広域圏しか見れなかったんだな。
大分県の地デジ開始は2006年12月1日から。
3大広域圏と今日の大分県を除く地域はDVD買わないと16:9見れないので可哀想。
677 :
人間七七四年:2012/01/04(水) 11:04:36.14 ID:MWbFx7NQ
道雪の火縄銃火力凄すぎwww
678 :
人間七七四年:2012/01/06(金) 11:47:44.02 ID:bvUhQsWF
時間足りないとしても岩屋陥落や耳川ボロ負けがないってのは…。
道雪は増田長盛のイメージがあって今一つ威厳がない。
679 :
人間七七四年:2012/01/07(土) 03:17:22.34 ID:RjcxE5kK
680 :
人間七七四年:2012/01/07(土) 08:01:17.67 ID:QLtam3t9
>>679 関東の人間でも、同じぐらい誤解しているよ。
実際関東とほとんど気温同じなのに、沖縄の気候と勘違いしている。
681 :
人間七七四年:2012/01/09(月) 12:54:07.67 ID:T4gTu7V6
むしろ北部九州より房総や伊豆は暖流に面してて暖かい。 雪も降らない。たまに降っても1日で溶けるか、日陰に残ってるだけ。
682 :
人間七七四年:2012/01/10(火) 20:45:17.20 ID:+scz4xHl
大友氏が秀郷流藤原氏というのは仮冒、本来は伊豆に流された伴喜男の子孫である
683 :
人間七七四年:2012/01/11(水) 00:34:33.49 ID:7+FE+TxJ
本拠地は臼杵城でいいのかな
684 :
人間七七四年:2012/01/15(日) 23:17:50.28 ID:bDxSS9q+
685 :
人間七七四年:2012/01/18(水) 03:12:50.67 ID:M20CvWUs
>>683 宗麟・義統の近臣や重臣は臼杵に集住してる
つまりそういうことだ
686 :
人間七七四年:2012/01/21(土) 23:38:08.92 ID:SmNbKHzK
言わせんな、はz
687 :
人間七七四年:2012/01/22(日) 15:31:19.60 ID:bEKnzvdx
なかなか良いサイト発見
ttp://www1.bbiq.jp/hukobekki/bungo2/bungo2.html 島津が大友に大敗した原因が、
志賀や佐伯らの攻勢で、
三重郷の松尾城が奪われる危機に
家久が動揺して、
宗茂らの南下で筑後口が封鎖。
肥後口からの撤退も志賀により不可能で、
もはや完全孤立した義弘を放置して
自分だけが佐伯の追撃を受けながら
三重経由で日向まで逃走したってのがあるけど、
サイトみたら松尾城って序盤では簡単に陥落してんのな。
戸次氏まじ使えねぇ。草葉の陰で道雪が泣いてるぞ!
688 :
人間七七四年:2012/01/22(日) 23:08:27.48 ID:aE9ltLvO
>>687 道雪の跡に戸次家を継いだ戸次鎮連は義統に諫言するなどして大友家を
立て直そうとしてたんだけど道雪の死後に島津との内応を疑われて
時期が不明瞭だけど死に追いやられてたからなあ。
その子供の統常は戸次川の戦いで父の汚名を注ぐために家財を焼き払って
参戦して戦死してるし、まともに働ける状況じゃなかったぽい。
689 :
人間七七四年:2012/01/24(火) 11:32:54.55 ID:1yRjIOJd
松尾城は対島津用に築いた城だけど、なんせ脆弱な城だったからね。
さらに攻城側は、耳川や沖田畷での戦いで名声高い家久という状況。
島津軍の松尾城攻めの頃には、豊臣勢の援軍が来ることが決まっていたので、
加判衆である戸次鎮連・鎮秀は当然その事を知っていたと思う。
そこで、守りの弱い松尾城を放棄するといった戦略的撤退をしたところ、
簡単に相手方に城を明け渡したということで内応を疑われ鎮連が誅殺されたんじゃないかな。
岩屋城の戦いの後という事もあって、紹運は守りの弱い岩屋で壮絶な討死を遂げ忠義を示したのに!
とか無茶なこと言われてたりして。
この一件で片賀瀬戸次の心が大友から離れ、鎮秀・統貞親子が揃って島津方に2城を開城。
てな経緯だと踏んでいる。
その後の片賀瀬戸次の動向は薩摩方の資料に残ってて、薩摩にて優遇されてたことが分かる。
統貞の子だったか忘れたけど名前に『義』貰う程に。将軍さまから買った『義』なのに…。
>>687 そんなあたなに、戸次次郎兵衛。
690 :
人間七七四年:2012/01/30(月) 00:24:26.22 ID:KxOqJ4HK
それ以上に仙石がゴミ
691 :
人間七七四年:2012/01/30(月) 00:26:24.79 ID:KxOqJ4HK
>>689 ていうか城破棄ぐらい重要なことだったら上申しないか?
692 :
人間七七四年:2012/01/30(月) 00:40:22.08 ID:FYaadaWJ
>>691 なんか勘違いしてない?破棄じゃなく放棄と書いてあるが
693 :
人間七七四年:2012/02/05(日) 22:52:49.45 ID:rd6NKs33
大友軍って島津軍に比べて統制緩かったの?
694 :
人間七七四年:2012/02/06(月) 07:08:50.33 ID:U2BpHBOI
麦とイモの違いだな
695 :
人間七七四年:2012/02/06(月) 10:00:48.48 ID:KXJOb/P4
このスレ長文やネタやら忙しいスレだな
696 :
人間七七四年:2012/02/07(火) 18:56:46.02 ID:TaWj5Gpn
いいとこまでいっといて大友はなぜ生き残る事ができなかったのか
697 :
人間七七四年:2012/02/08(水) 20:29:34.82 ID:sWLDicQ0
義統の外交センスがダメだったから。
698 :
人間七七四年:2012/02/08(水) 21:36:39.35 ID:RMZvswqZ
あの程度の命令違反で所領没収ならどの道難癖つけられて終わってたと思うわ
699 :
人間七七四年:2012/02/08(水) 22:14:58.91 ID:xmeqYL4+
義統の無能っぷりに秀長が呆れたくらいだから無理ゲー過ぎ。
特に秀吉が高く評価した志賀親次を豊臣政権に讒言したと思ったら、
逆効果になり、こんどは志賀の口からとりなしてくれとか言い出したり、
頭がおかしい小人っぷりをいかんなく発揮
700 :
人間七七四年:2012/02/08(水) 22:20:00.17 ID:BgRwAdKq
大友好きのスレ住人でも義統を擁護する人は少ないなあ
701 :
人間七七四年:2012/02/09(木) 01:32:23.96 ID:5YoiYh6R
大友好きというより、大友家臣好きって方が多い気がする。
その中でも佐伯家好きの俺は珍しい部類か
702 :
人間七七四年:2012/02/09(木) 12:27:35.13 ID:tllagH5l
大友と対等に接そうとする姿勢が大神氏!って感じでいいよね。
703 :
人間七七四年:2012/02/09(木) 18:10:21.24 ID:5YoiYh6R
大神一族が惟を通字にするのって、惟神(かんながら)の意を込めてるんだろうか?
704 :
人間七七四年:2012/02/10(金) 21:57:13.47 ID:EmH1pgKn
国東半島で、これ見とけっての何かある?
705 :
人間七七四年:2012/02/12(日) 01:05:02.25 ID:XRDfLAWx
大友と大内がごっちゃになって収拾がつかなくなった
706 :
人間七七四年:2012/02/12(日) 01:28:22.52 ID:mAyNjP+W
707 :
人間七七四年:2012/02/12(日) 18:19:34.92 ID:bGwkKLrD
>>704 吉弘関連で長岩屋行くなら、無明橋もお勧め。
708 :
人間七七四年:2012/02/13(月) 07:34:44.79 ID:y5W/Bt00
宗茂生誕地のカケイ館?ってどのへんなの
709 :
人間七七四年:2012/02/14(火) 00:31:20.55 ID:NOZyxMut
>>704 大分県国東市国見町岐部にあるペトロ・カスイ・岐部神父記念公園もな。
710 :
人間七七四年:2012/02/14(火) 19:28:36.76 ID:fBk6yh9N
>>708 屋山城の詰城だから、屋山の麓ってことになってるけど、詳細は良く分かってない。
地元民からなら有益な情報得られるかも。
道雪が雷に撃たれた場所とされる雷山塁を探しに藤北へ行った時、
伝承を知る地元民から場所を教えて貰えったことがあったりしたので、
現場で情報を集めることお勧め。時に掘り出し物の情報に出会えたりする。
711 :
人間七七四年:2012/02/14(火) 21:17:14.02 ID:NOZyxMut
>>710 屋山城については、宇佐風土記の丘に模型があった。
当時の国東の仏教と吉弘氏の関係も解説されていた。
712 :
人間七七四年:2012/02/16(木) 04:19:21.70 ID:nTQAbdv3
713 :
人間七七四年:2012/02/19(日) 00:12:19.09 ID:evYyMujx
伝承・・・。
714 :
人間七七四年:2012/02/19(日) 18:05:07.39 ID:JLPilFD7
地元民(特に年配の方)から教えて頂ける伝承は馬鹿にできませんぜよ。
実体験で他の例を挙げると、
豊後府内付近で400年前から行われてきたお祭りが鶴崎踊り以外にもあって、
郷土史の書物だとこぞって消えてしまったお祭り文化と書いているのにも関わらず、
地元民に話を聞いていくうちに、なにやら断片的な情報が集まってきて、
最終的には、そのお祭りが未だにひっそりと続けられていることが分かったんだ。
部外者ながらそのお祭りに参加させてもらえたし、貴重な体験だった。
現場には書物で得られない情報が多いと実感してる。
715 :
人間七七四年:2012/02/26(日) 21:44:52.77 ID:rs4O9JxL
>>714 禁忌に触れてきてしまったようですね・・・・。
716 :
人間七七四年:2012/02/28(火) 19:03:02.05 ID:Nb/7J2qA
小野鎮幸の出身調べているんだけど知ってる人居ない?
717 :
人間七七四年:2012/02/29(水) 22:56:50.48 ID:GK72sye0
しらぬ・・・・・・宗麟の世代だとは思うが
718 :
人間七七四年:2012/02/29(水) 23:25:17.26 ID:hPEW/01f
オノ・ヨーコにでも聞いてみれば?
719 :
人間七七四年:2012/03/01(木) 18:55:11.79 ID:Ayc5Vrv0
720 :
人間七七四年:2012/03/01(木) 19:59:41.89 ID:vSDs3F3v
甲府サポからしたら、宗麟…誰それ?( ・ω・) って感じだろうね。
もしかしたらトリサポも同様かもしれないけど。
721 :
人間七七四年:2012/03/02(金) 00:15:18.29 ID:g0LL5dIu
どうせなら武田信玄に会ってみたいと言わしめた道雪とだな…
722 :
人間七七四年:2012/03/02(金) 08:18:55.69 ID:Ek+aT4mx
アッー
723 :
人間七七四年:2012/03/02(金) 10:07:48.18 ID:9/O6o+5A
道雪ブランドは福岡県が貰ったばい
724 :
人間七七四年:2012/03/02(金) 11:24:10.25 ID:G9Rrun9x
京都の西陣織は中国から学んで確立した博多織の技術を盗んで作られたパチもの
725 :
人間七七四年:2012/03/02(金) 19:26:57.00 ID:AHnHgcCf
新製品は市場規模が大きい所に持っていかないと
商売的に成功した事にならないのは古今東西共通
726 :
人間七七四年:2012/03/04(日) 03:25:46.08 ID:/nawzNmq
小野鎮幸くんはたしか豊後大野市
727 :
人間七七四年:2012/03/04(日) 18:39:39.92 ID:Jctq25KB
728 :
人間七七四年:2012/03/07(水) 21:07:32.18 ID:nUR4vVq1
>>726 まじで!?もしよかったら情報の出所を詳しくおしえて
729 :
人間七七四年:2012/03/10(土) 00:27:13.71 ID:1IRKUGjR
大友軍は騎兵が強かったの?
730 :
人間七七四年:2012/03/10(土) 03:19:58.51 ID:SXHCuWTR
西国は騎兵の運用は弱い。大友に限らずな。いい馬が少ないから。
731 :
人間七七四年:2012/03/10(土) 21:48:24.57 ID:Aqa9GUbx
ちがった。小野鎮幸は野津の人だ。今は合併して臼杵市野津
「炎の軍船 立花道雪」に書いてある。小野家の文書は福岡にあり
おそらく系図もあって作者が見たのでしょう。
732 :
人間七七四年:2012/03/12(月) 12:56:36.35 ID:Fi1avwZO
733 :
人間七七四年:2012/03/12(月) 16:57:49.27 ID:pDnLtxk3
高橋ちんシュ
小野チンコ
734 :
人間七七四年:2012/03/14(水) 22:36:24.95 ID:NPIqqMLq
735 :
人間七七四年:2012/03/17(土) 22:45:49.12 ID:gXPvju6e
大友の瓦解っぷりは見事だよな
736 :
人間七七四年:2012/03/18(日) 06:56:09.79 ID:l6hP5WdY
瓦解どころか島津の撤退路を塞ぐ寸前まで追い詰めた協調ぶりで、
島津軍の泣きの撤退をフルボッコで歓迎してやったが。
737 :
人間七七四年:2012/03/20(火) 23:36:02.88 ID:wMtJfyjG
大友オタ乙w
738 :
人間七七四年:2012/04/07(土) 22:50:11.09 ID:zqLaVyX4
保守
739 :
人間七七四年:2012/04/08(日) 02:34:05.69 ID:baFqLgu7
豊薩戦争って志賀親次と佐伯惟定とかに関しては島津に完全に勝ってるけど、
当主の義統は敗走して豊前に引きこもったり、地域ごとに勝ち負けが変わる
妙な戦いだよなあ。
740 :
人間七七四年:2012/04/08(日) 16:30:16.05 ID:lhrb8VFo
当時の大友主力軍は秋月・長野・高橋の兄弟と豊前で戦ってたから
豊後はがら空き。
そこで宗麟が臼杵籠城戦で島津を大筒で撃破して
明らかに戦況が好転した。
初期は南郡衆の裏切りで
いわば電撃戦のように侵攻され戦況がつかめず混乱した大友も
籠城遅滞作戦で時を稼いでる間に状況が見えてきたからね。
豊後への入り口にあたる佐伯や志賀らを平定せずに
盲進したけど、疲弊しきった島津軍には余力なく
逆に裏切った者まで大友に再鞍替えしまくって
退却すら困難になった。
741 :
人間七七四年:2012/04/08(日) 17:49:27.97 ID:jH5/wuQe
序盤は相次ぐ大友離反で島津軍圧倒的有利で展開。
大友が秀吉傘下に降った中盤は両家どっこいの展開。
秀吉軍到着後は、ラスボスの圧勝。島津も秀吉傘下に。
勝ったのは秀吉。大友vs島津は色んな意味で引き分け。
742 :
人間七七四年:2012/04/08(日) 17:57:30.49 ID:QbpqYHSO
秀吉へ介入する口実を与えたうえで豊後半国の知行にされたのは政治的に大敗じゃないか
743 :
人間七七四年:2012/04/08(日) 18:03:57.75 ID:jH5/wuQe
そう、だから勝ったのは秀吉。
744 :
人間七七四年:2012/04/08(日) 18:46:17.20 ID:lhrb8VFo
豊後侵攻以前に
すでに筑前で立花宗茂に大敗して
筑後まで追撃されて
島津は高鳥居城の星野兄弟を見捨て肥後まで敗走。
高橋紹運の玉砕美談以上の玉砕を演じた星野兄弟は
見事に犬死。
島津のために忠節を尽くしても報われないで
使い棄てられている者たちを数えると
相良などいとまがない。
745 :
人間七七四年:2012/04/08(日) 18:54:52.29 ID:S2EnnBU3
>高橋紹運の玉砕美談以上の玉砕を演じた星野兄弟は見事に犬死。
犬死にいうなよ
確かに星野兄弟は無駄死にだったけど名は残した
吉塚の地名の由来も星野兄弟にちなんでだし、武家としての面目は保っただろ
746 :
人間七七四年:2012/04/08(日) 21:14:18.85 ID:jH5/wuQe
島津に限らず、どこの大名も使い捨てしてるんだけどね。
747 :
人間七七四年:2012/04/08(日) 22:03:28.78 ID:7UcU9qru
直前に島津から大友に鞍替えした筑紫は賢かったのか
748 :
人間七七四年:2012/04/09(月) 10:43:09.17 ID:mazmxf5Q
筑紫が島津に付いた事なんてない、幽閉されていたのに
龍造寺から鞍替えした後は大友にべったり
749 :
人間七七四年:2012/04/12(木) 22:04:41.00 ID:GFJJdB60
筑紫って秋月に協力していた時期が・・・・
750 :
人間七七四年:2012/04/13(金) 11:06:35.70 ID:X8OJh2hJ
秋月が筑紫に内緒で高橋と同盟しようとしてたのを知り
焦って筑紫が高橋に娘を送りつけて
むりやり縁組させてもらって秋月を出し抜いたよな。
でも秋月と同盟していた方が良かった。
そのせいで豊後軍は豊前方面などで秋月・長野・高橋と
戦い続けないとならない状況が続き、
南部方面への防衛がガラ空きになっていた。
751 :
人間七七四年:2012/04/13(金) 13:04:57.20 ID:D+9HNd79
>>748 岩屋攻め前に大友に乗り換えたのは間違いないし
幽閉されたのは大友方として籠城したからだよね
752 :
人間七七四年:2012/04/13(金) 20:47:37.50 ID:e5uhkfKk
福岡の那珂川町や大分の一部に宗雲(むなくも?)姓があるが
鷲ヶ岳城主の大鶴宗雲と関係あるのだろうか?
今は東京にいるが実家は福岡市南区で
よく南畑ダムに遊びにいったが
那珂川町の城をネットでいろいろ調べていたら
なんか再開発?してるみたいね。
なんかさびしい・・・
753 :
人間七七四年:2012/04/13(金) 22:28:41.14 ID:A13xQQjA
那珂川町は市になろうとやっきになってるからなぁ
754 :
人間七七四年:2012/04/13(金) 22:50:44.09 ID:CSeQIq1m
そーりんて結局どんな人?スケベと言われる割りに子供少ないし
病院とか立てたから、賢いしちょっと優しいけどメンヘル、ちょっと現実逃避気味
てイメージ
755 :
人間七七四年:2012/04/14(土) 21:42:20.78 ID:pbjH3YsK
そもそも子供も一人を除いて正室腹。
恐妻家と言う側面も会ったのかもしれん。
ただ相当にさばけたというか合理的な思考の持ち主だったと思う。
・例えば、一色氏からの妻を離縁し、奈多氏から二番目の妻を迎えた。
政略から考えてるときわめて合理的。
でも当時の家格からすればかなり大胆だと思うよ。
大友家の歴代当主夫人は、基本的に守護大名かそれに準じる大名家の出身なのに
奈多氏は大友氏の被官層で明らかに格落ちでありえないバランス。
当主の娘も守護大名かそれに準じる大名家に嫁がせていたのに、
一族や過信に嫁がせている。
家格とか格式よりも実利・政略を優先した考えられる人だったと思う。
756 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 00:10:25.43 ID:5LwjlB3G
>>755 ありがとう。
スケベで品行が悪い人だと思ってた。双麟さんごめんなさい。
奈多夫人との結婚は合理的だったんだ。
夫人は気の毒だけど怖い人だし、もめまくりなイメージだったから知らなかった。
でも結婚当初はキリスト教にハマってなかったから事情も違うか。
双麟は戦バリバリ!って言うより、ジャイアンをかぎわける外交センスと、
優れた経済センスで、戦いは優秀な部下に任せる
というタイプなの?
すぐ出家したがるイメージだけど。
あと、大友氏についてお勧め本があったら教えて下さい。何度もすみません。
757 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 01:20:49.79 ID:IsAB5JKJ
小説系は問題外。
「大友宗麟の全て」が無難じゃない。
ちょこちょこ出る本に興味深い記述があったりなかったり。
大友宗麟の戦国都市・豊後府内 (シリーズ「遺跡を学ぶ」) [単行本]
これは買っといた方がいい。
758 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 01:33:36.70 ID:5LwjlB3G
>>757 ありがとうございます!
楽天かアマゾンで探してみる!
759 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 01:47:29.93 ID:5LwjlB3G
すみません文章を読み返したら、質問側なのにすごく失礼な言い方でしたorz
申し訳ありません。
760 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 11:38:07.95 ID:OuL2tlWM
別に気にしてないから。
大分市にいるならば、明屋の郷土史コーナーにわりとある。
761 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 17:08:04.23 ID:rw6REw4H
福岡の那珂川は永禄11年の9月、吉弘鑑理と立花道雪が守りに入っているのを
吉岡長増が書いている。おそらく敵は竜造寺か原田だろう。
762 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 17:48:14.78 ID:G1so7gFZ
>>755 一色って四職だから大友よりもさらに名門だよね?
伝統を重んじる大友家にしては思い切った決断だなあ。
763 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 22:03:59.51 ID:OuL2tlWM
>>762 価格は勿論、東の一色と西の大友で大内を挟みうち&幕府とのぶつといパイプ
ゲットだぜってところだったんだけど、思ったほど役には立たなかった模様。
ばく大な献金で、パイプは持てたので豊後国内の不安定要素・田原氏本家を
封じ込める奈多氏の娘を娶ったほうがお得って計算だね。
764 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 23:19:47.54 ID:G1so7gFZ
765 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 23:23:54.62 ID:3Xfbm/g0
一色は少弐によって九州から叩き出されるなんてとんでもない失態犯した割には
足利一門内でも優遇されてる不思議な家
766 :
人間七七四年:2012/04/26(木) 23:58:17.40 ID:zOIeFYoM
そんなに優遇されてた?
767 :
人間七七四年:2012/04/27(金) 00:30:33.65 ID:z9l6jEhn
足利の没落と共に一色も沈んだから
宗麟も一色の嫁を切る事出来たんだろうね
768 :
人間七七四年:2012/05/04(金) 00:39:02.42 ID:lzwpCGkH
>>760 ありがとうございます
すみません。
「大友宗鱗のすべて」が書店に問い合わせてもらっても在庫なしで、
楽天でもAmazonでも見つからないので、
他にも参考になる本があったら教えていただけるとありがたいです。
769 :
人間七七四年:2012/05/04(金) 02:39:09.53 ID:xwjKXIUc
m9(^Д^)プギャー
770 :
人間七七四年:2012/05/04(金) 03:43:02.95 ID:bfX9YwnA
>>768 「九州のキリシタン大名」吉永正春著はどうでしょう
吉永氏の本は九州戦国史を知るとっかかりにはちょうどいいと思う
物足りないって人もいるかもしれんけどね
771 :
人間七七四年:2012/05/05(土) 01:40:46.33 ID:h5DF2EVj
>>770 ありがとうございます。
早速探して見ます!
ちなみに渡辺澄男先生の本はどうなんでしょう
遺跡を歩くシリーズの参考文献にあったので
772 :
人間七七四年:2012/05/12(土) 23:18:40.34 ID:U3/WkhLs
大友ムネリン
773 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 21:44:19.86 ID:JkGymGTb
(#^ω^) ビキビキ
774 :
人間七七四年:2012/05/26(土) 21:32:52.08 ID:39OukolN
吉良上野介の同役大友義孝は、浅野内匠殿中騒動の時難を避けて公家衆の休息所にいたらしいのだが
その場に駆けつけなかったことで罷免されたらしいな
武士って大変だな
775 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 23:21:30.36 ID:hU4/8Kf+
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
776 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 09:40:04.23 ID:kVlZXyqr
守護から戦国大名への脱皮がいかに難しいかわかるのが大友。
与える領土はすでになく、代々の重臣や親族が大領をもって
大友本家の仮想敵国状態で、
いかに政権に取り込んで謀反させないかが当主の力量にかかってるという無理ゲー状態。
宗麟はうまくやったが、義統は案の定、失敗した。
実際、代々の家臣がいない新興勢力の方がやりやすかっただろう。
777 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 10:55:46.94 ID:Q7+h7V32
>宗麟はうまくやったが
結局、義統と何が違ったの?
778 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 12:19:15.52 ID:IQb/qL6B
毛利戦ぐらいまでは守護大名家の威名が機能していたけど
その後は地力の足りない守護大名惣領家が相互防衛機構の総領足り得ないのが暴かれたのだろう
誰が頭張っていても身内の粛清もできなければ、どの道頭打ちになっていた筈だし
現にそうなった
779 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 23:46:22.02 ID:nlGP2dxT
>>777 人格が糞過ぎて豊臣秀長まで義統に呆れてた・・・
猜疑心の塊で志賀がキリシタンだと秀吉にチクって
秀吉に気にいられようとして逆に秀吉を不快にさせると
今度は志賀に讒言した言い訳をして
逆に志賀から良いように言ってもらって
秀吉に気にいられようとするなど
とにかく最強のアホ
780 :
人間七七四年:2012/06/06(水) 16:06:54.86 ID:vkpJx+dx
>>776 菊池とか親族が一番やっかいな存在だったからなあ
781 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 13:10:50.44 ID:oVjNqNLl
来週の歴史ヒストリアは闇千代と妙心尼か
大友女傑伝だな、どんなふうに描かれるのやら。
782 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 12:38:50.05 ID:rdME5fh1
闇千代はいろいろと知名度上がったから
むしろ妙心尼の描き方に期待。
でもババアなんだよね・・・
783 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 15:02:28.97 ID:MvUovLzx
妙林尼が吉岡鑑興の妻なら、耳川で夫が死んで10歳の息子が家督を継いだらしいから
豊薩戦争時は30後半から40代くらいじゃないかな。
しかし、豊薩戦争で取り上げられるのって妙林尼とか戸次川の戦いばかりで、
妙林より遥かに活躍してる志賀親次や佐伯惟定がテレビで放送されることは無いんだろうな。
妙林の子の甚吉も丹生島城で宗麟守って、甚吉坂って地名に残るほど活躍してたけど
784 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 06:14:52.34 ID:QglLzkbc
戸次鎮連の妻志賀夫人は出ないのかな
785 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 10:06:59.11 ID:d5e3CMnB
>>784 志賀夫人流石にキチガイ過ぎるだろ……
どう考えてもお茶の間ドン引き
786 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 22:53:14.75 ID:n7TGTiq4
くわしく
787 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 13:20:54.39 ID:KnF6sStU
やる夫の関ヶ原戦線異状ありの
番外編を見るべ。
788 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 14:04:58.36 ID:5PGXypiY
789 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 17:54:25.32 ID:KXdkB9g8
790 :
人間七七四年:2012/06/14(木) 18:51:07.41 ID:sqRAU7+v
玖珠郡の角牟礼城こそ至高の堅城
791 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 15:11:59.26 ID:L8yI2z2i
豊薩戦の後に築かれたらしいがあの長い石垣は素晴らしいね
792 :
人間七七四年:2012/06/20(水) 08:14:22.82 ID:1HdwEKIH
岡城・臼杵城・杵築城は見たことあるが
いずれも天嶮の要衝だったな。
臼杵城は埋め立てしてなければ
さらによかったんだが。
次ぎは栂牟礼城と佐伯城へ行きたい。
793 :
人間七七四年:2012/06/20(水) 12:00:36.90 ID:QGhJz/NJ
質問なんですが、竹本弘文著『大友宗麟』(大分県先哲叢書) って専門書なのですか?
794 :
人間七七四年:2012/06/20(水) 20:13:53.84 ID:vWkVeXTy
795 :
人間七七四年:2012/06/26(火) 23:26:26.58 ID:w/ZaT8X4
???
796 :
人間七七四年:2012/06/27(水) 22:49:06.35 ID:0f9qP92M
立花に住んでるけど、なんか東のガンダムみたいに後付けの設定がガンガン湧いてくるのが気に入らない
797 :
人間七七四年:2012/07/03(火) 00:14:47.58 ID:JGpOXBsB
798 :
人間七七四年:2012/07/08(日) 22:25:48.01 ID:QGAaads1
大友親親
799 :
人間七七四年:2012/07/08(日) 23:21:48.33 ID:KDEcJCXv
大友義義
800 :
人間七七四年:2012/07/14(土) 12:13:19.50 ID:61wPxEL0
大友家はちゃんと調べるとかなり面白い。
801 :
人間七七四年:2012/07/16(月) 00:31:13.99 ID:UKrIuEJR
宗麟の人生だけでもかなり面白いけどな
家臣団まではまると夏休みがつぶれるわ
802 :
人間七七四年:2012/07/16(月) 05:34:26.27 ID:YxkuixPR
臼杵家の人が出奔した後どうなったか気になる
同じ苗字なもんで
子孫じゃなくて地名姓だろうけど
803 :
人間七七四年:2012/07/21(土) 23:24:08.74 ID:dl9o7iCj
>>800 だよねー
凋落っぷりもすごい 豊臣軍到達前は豊後の七割方を
落とされていたんだっけ?
804 :
人間七七四年:2012/07/22(日) 01:44:30.58 ID:V2m2g6AR
大野市と大分市は落ちてたけど、他は案外落ちてなかったような。
臼杵市、佐伯市、竹田市、杵築市は撃退してるし、玖珠郡の角牟礼城
とか、由布市の権現岳みたいに部分的に落ちてないとことか、全く攻められて
いなかったとこもあって、実際どんくらい制圧されてたのかははっきりしないんだよな。
805 :
人間七七四年:2012/07/22(日) 09:51:26.22 ID:lx3+DRtu
そもそも杵築市まで島津が本当に来てたのかも怪しい
完全に伝承レベルの話も多い。
つか豊後軍本隊は豊前戦線で秋月・高橋・長野兄弟と戦ってて
完全に留守だった豊後を落せない島津精鋭の方が微妙すぎる。
その前にはたかが一城主に過ぎない宗茂に筑後まで鬼追撃を喰らって大敗走してる島津だし・・・
806 :
人間七七四年:2012/07/22(日) 21:47:30.76 ID:zk2kdjtg
宗麟がわざわざ大坂まで助け求めに行ったのは何故に
そんなに大友強いなら危険犯して大坂に行く必要なかろうに
807 :
人間七七四年:2012/07/22(日) 22:24:47.08 ID:mlH41w3h
多少の支城が残ろうが豊後の中心府内を落とされたらダメっしょ
808 :
人間七七四年:2012/07/22(日) 22:33:06.52 ID:V2m2g6AR
府内は防衛能力ないからな
攻められたら放棄して高崎城とかに籠るのが
南北朝の頃からの基本態勢だった
809 :
人間七七四年:2012/07/22(日) 22:42:36.51 ID:tRA2caWo
>>806 秀吉が後ろについたということが明確になったので、筑前・豊後の国人連中の
寝返りが抑えられたのだし。
810 :
人間七七四年:2012/07/23(月) 00:43:26.82 ID:bSUs8tSd
>>807 当時の府内は周囲を武士の集住する集落に守られていたわけよ。
吉岡氏の鶴崎もその一つだし、ほかには小野鶴、下郡、津守なんかもそう。
811 :
人間七七四年:2012/07/25(水) 09:00:28.51 ID:yz5GR6yB
まぁすでに首都移転をしたりしてたしな。
812 :
人間七七四年:2012/07/26(木) 11:38:17.47 ID:IVQnGr0J
いまは臼杵の一部になってる野津ってかなり大きな町だったそうだね。
なんであんな所が栄えていたの?吉四六さんくらいしか有名なものないのに。
813 :
人間七七四年:2012/07/26(木) 11:39:31.62 ID:IVQnGr0J
吉四六さんだって大分県民しかわからねえか。
814 :
人間七七四年:2012/07/26(木) 13:14:38.39 ID:SlyBUZlR
吉四六さんの知名度って一応全国区じゃね?
日本のとんちキャラでは一休さんの次に出てくる名前だし
ATOKでも吉四六一発変換するし、福岡県民の俺でも知ってる
815 :
人間七七四年:2012/07/26(木) 13:16:56.64 ID:lYQJFCQV
「すみま千円」後藤散かぜ薬が九州ローカルと知った時のショックを思い出した
816 :
人間七七四年:2012/07/29(日) 04:37:19.29 ID:flvMYxdd
>>812 もともと野津は、臼杵の商業圏だったんだよ。
昭和30年ぐらいまでは、大野川から東側も臼杵との
結びつきのほうが深かったし。
だからこそ臼杵に移るという選択肢が生まれたわけよ。
ついでに言えば吉四六さんのモデル広田吉衛門は庄屋で、
大友氏の家臣の末裔。
817 :
人間七七四年:2012/07/29(日) 14:20:15.99 ID:6wbVi6Lv
吉四六さんって武士の家系だったのか!
818 :
人間七七四年:2012/07/29(日) 14:21:50.57 ID:6wbVi6Lv
広田って名字もあったのか!有名なのは下の名前だけだし
カラスとか売ってたから商人かとおもってた
819 :
人間七七四年:2012/07/29(日) 14:24:14.29 ID:q1IoyATS
>>818 小作農というイメージで語られているけど、実際には庄屋さん。
また天上りの話からは、隠れキリシタン説もある。
実際に大規模なキリシタン墓地も野津で発見されたしね。
820 :
人間七七四年:2012/07/29(日) 22:16:42.05 ID:ZtBxIL8v
うちの家系図たどってたら、耳川の戦いのことを大友六千VS少弐二万って書いてあってびびった
821 :
人間七七四年:2012/08/02(木) 13:07:15.14 ID:/Hkcy+U3
吉四六さんか、
なぜか泥鰌鍋が食いたくなったのぅ。
誰かとっちきくりぃ、
わしゃぁ豆腐もっちいくけん。
822 :
人間七七四年:2012/08/04(土) 11:44:57.19 ID:OH0WXgtI
>>828 それ明治の系図作成ブーム期に作られた偽系図だね
823 :
人間七七四年:2012/08/04(土) 23:48:43.52 ID:uJN10VfG
824 :
人間七七四年:2012/08/05(日) 06:43:07.87 ID:2jbhv+Db
思いっきりスルーするに決まってる
825 :
人間七七四年:2012/08/08(水) 12:23:02.43 ID:3YNZAJIg
参勤交代で豊後街道は125キロもあったようだが
あの山間の道かキツそうだが
当時は商人の貿易路で栄えていたんだろうね。
826 :
人間七七四年:2012/08/12(日) 03:21:45.43 ID:SsZhgE2N
突然の質問で済みません。大友氏家臣、志賀親次の家臣について調べられるサイトや文献などご存じないでしょうか。
うちの墓と仏壇を田舎から移したのですが、過去帳やら位牌やらが大量にあったとの事です。両親が管理しているので私は実際に見ていないのですが・・・。
で、記録を遡ると天正時代、志賀親次に仕えた後藤某が祖先にあたるらしく、興味を持った次第です。よろしくお願いします。
827 :
人間七七四年:2012/08/12(日) 13:04:57.57 ID:74h/I0hZ
えーと。
ずっと竹田に住んでいるの?
住んでいるのならば地元の郷土史を扱った本(自費出版)あたりを
丹念に探っていくといいよ。
地元の本屋の片隅とか、公民館の図書室辺りにあるから。
ちなみに俺の先祖もそうやって探した。
一応、直参で一字書き出しももらっていたが、有力者の寄り子だったもよう。
断片的にしか情報はなかったが、そうやっていくと意外とわかってくるよ。
828 :
人間七七四年:2012/08/12(日) 13:20:37.43 ID:SsZhgE2N
>>827 祖先が竹田から阿蘇に移る→現在熊本市内という流れです。
母方が熊本市内で、父も営林局勤めだったので熊本市内に家を建てて住みました。
父方墓と実家(無人家屋)は熊本と大分の県境、歩いて30分もせず大分県領です。
やはり大分県側に出ないと判りませんね。ありがとうございました。
829 :
人間七七四年:2012/08/12(日) 19:00:22.68 ID:epdSg7uC
親次が島津軍の侵攻に備えて波野原の十二口に布陣した際に
柏原口の担当に後藤遠江守以下150人を配置してたらしいけど
その縁者かなってくらいしか判らないですね。
830 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 22:36:53.05 ID:VE/Hkd4R
あの辺は後藤がたくさんいるからな
志賀の家臣は中川入国の際に抵抗して相当やられてるね
831 :
人間七七四年:2012/09/01(土) 22:48:34.79 ID:DxkJBL0S
・・・
832 :
人間七七四年:2012/09/02(日) 02:42:25.74 ID:lFSfvs8T
833 :
人間七七四年:2012/09/02(日) 12:25:18.48 ID:Kx0CX3tT
834 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 01:17:25.45 ID:V90uEjE4
【大分】大友宗麟PR大作戦 大分市 まちづくりへ検討委
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1346829411/ 1 名前:そーきそばΦ ★[] 投稿日:2012/09/05(水) 16:16:51.74 ID:???0
大分が生んだ戦国時代のキリシタン大名、大友宗麟(1530〜87)を大分市のまちづくりに生かしていこう、と同市は有識者や町おこしグループをメンバーに
「大友宗麟プロモーション検討委員会」(委員長=吉津弘一・日本文理大学経営経済学部教授、9人)を発足させた。
宗麟は南蛮貿易に取り組み、西洋音楽や西洋医術などを積極的に導入。宣教師フランシスコ・ザビエルにキリスト教の布教を許した。
ヨーロッパでは、九州の地図は「BUNGO(豊後)」と記され、宗麟が描かれた絵画も残っており「王として知れ渡っていた」(鹿毛敏夫・東京大学史料編纂所国内研究員)。
3日に同市役所であった検討委初会合では藤沢卓弘・大分商工会議所青年部副会長は「パエリアなど南蛮料理を飲食店と提携して出してみたらどうか」と提案。
牧達夫・NPO法人大友氏顕彰会理事長は「業績や資料を目にすることができる場所の確保を」と求め、
県立芸術文化短期大学1年の竹中容子さんは「歴女(歴史好きな女性)の学生には甲冑を着けたいという人もいる。難しい話よりインパクト重視で」とアイデアを出した。
委員会は、来年1月まで毎月1回開き、具体的なPR方法をまとめ、来年2月に釘宮磐市長に報告書を提出する。
同市は織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らに比べて知名度の低い宗麟にあらためてスポットライトを当てよう、
と昨年の市制施行100年を契機に宗麟を柱の一つにしたまちづくりに着手。本年度は児童向けの副読本作成や
国史跡「大友氏遺跡」を観光拠点とするための保存事業など14事業を予算化。観光客を意識し宗麟像があるJR大分駅前に、
ザビエル像を3年以内に新設することも予定している。
=2012/09/05付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/322259
835 :
人間七七四年:2012/09/12(水) 00:09:32.24 ID:Hx5bMzSJ
大河ドラマ化への道のりは長い。
836 :
人間七七四年:2012/09/13(木) 01:46:21.68 ID:Ps8awHg5
最近夕方のニュースに宗麟関係のが多くて嬉しい。
けどあんな時間帯家にいねえ。
いつもメル友からの「今から宗麟ニュースくる」のメールで知る。
837 :
人間七七四年:2012/09/13(木) 19:30:46.88 ID:iPv9iG5E
>>834 >委員長=吉津弘一
一瞬、吉弘さんの子孫かと思ったw
吉弘家なら熱烈なPR活動が期待できるだろうに
838 :
人間七七四年:2012/09/14(金) 01:37:44.23 ID:l7OA38KL
関係団体には子孫と思える苗字の人もいるね。
839 :
人間七七四年:2012/09/23(日) 01:00:35.34 ID:bGuheuU9
840 :
人間七七四年:2012/09/23(日) 01:44:05.25 ID:MpHctfWg
松健主演の正月時代劇があったから、
大友宗麟の大河化はもう無理だろ。
841 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 00:21:45.60 ID:uGhCODRP
そういう法則は無いと思う。
利家とまつも正月時代劇→大河ドラマ化したケースだから。
それに松健の正月時代劇はじつはNHKとしては二回目の宗麟のドラマ化。
一度ドラマ化したからもうやらないという事はないという事。
他にも同様のケースを知ってる。
842 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 01:08:25.74 ID:mfUgCiz0
大友宗麟で大河やっちゃうとラストがなー
それに家族仲の悪さは戦国大名の中で屈指
優秀だが女癖が悪く、おまけに宗教にハマる
史実に忠実に作りこんだらそのへんの昼ドラよりも凶悪なシロモノが出来上がりそう
まぁそんな宗麟様だから俺は好きなんだが
843 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 01:32:46.53 ID:gkNvrbBZ
宗麟が跡継ぎになるまでの展開は、伊達あたりに比するドラマチックさはある
家臣たちの忠義と逆切れは見ていて最高に燃える
キリシタンだ女好きだ国崩しとかキャラは立ってるんだけどねえ
844 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 01:46:46.86 ID:mfUgCiz0
キリスト教が絡まなければ大河の主人公としては逸材なんだけど
宗教ネタって一般人は敬遠するし、宗麟はそれで身を滅ぼしたようなものだからね
特にキリスト教は侵略の尖兵だったという説もあるわけで、悪いイメージが広まったら大変
845 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 01:47:37.70 ID:uGhCODRP
そんなに悪いラストか?俺は気に入ってるけど。
一応目的をとげた上での病死だし。
妻の奈多夫人も最後は宗麟と同じ行動をとって宗麟と同じ病気で死んだわけだし。
きれいに纏まった終わり方だと思う。
846 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 02:09:09.42 ID:mfUgCiz0
>>845 言われてみれば確かにラスト自体は悪くないのかも
むしろ後半のキリスト教傾倒→耳川→没落&謀反祭りをどう描写するかが心配かな
鬱展開の連続で視聴者置いてけぼりになるかも
847 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 09:20:03.42 ID:k7UvhfQ/
ダメ主君義統さんが実は平和を愛する妻に優しい、
誰も知らないが妻だけは知っている実は天才演出だけはやめて欲しい。
848 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 23:40:15.35 ID:xDW2hEHY
脚本家の腕の見せ所だよ。後半生にも盛り上げどころはある。
@道雪の檄文
A家臣団の隠居の宗麟に現役復帰の嘆願
B宗麟、千利休に秀吉謁見のための協力要請の交渉
俺は案外宗麟は秀吉との謁見は積極的だったんじゃないかと思っている。
重臣や息子ではなく病弱な宗麟本人が上坂して謁見したんだから
おそらく宗麟としては確実に秀吉の九州征伐の約束をとりつける大勝負のつもりだったんだろう。
この時宗麟は利休を通じて秀吉に九州征伐に関するポジティブ情報を流している。
この時期の他九州大名はみな重臣の上坂の謁見にとどめている。
宗麟の覚悟がうかがえるエピソードだと思う。
849 :
人間七七四年:2012/09/29(土) 21:41:12.41 ID:FczQTgI0
宗麟主役は無いだろ。
ただ、ザビエルとか、立花道雪とか、妙林尼とか、メンデス・ピントとか、アルメイダとか、大内とか、島津とか、
水軍とか瓜生島の話とか
周りに面白いものはたくさん転がってるので、近年の創作OK大河なら、
脚本家の手腕によってはかなり人気出るものが作れる
850 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 00:54:24.42 ID:/ldgK4Z5
宗麟が女癖悪いとか
毛利の捏造をいまだに信じてるやつがいるのに絶句…
それに当時の大友財政状態から南蛮貿易は必須だし、
寺社権力を解体して荘園没収するのも、
信長がやれば改革者マンセーになるのに、
宗麟がやると無道な行いになるダブルスタンダードも糞だな。
そもそも対島津戦では玖珠郡などキリシタン人口が多い地域の方が、活躍してるように、
豊後防衛成功はキリシタンによる部分も少なくない。
当時の豊後軍は豊前で秋月、長野、高橋兄弟との戦いに釘付けで、
豊後が空っぽな中で宗麟が島津を撃退した事実を無視しちゃいけないし、
孤児のための学校や病院作りまでやってるのは素直に評価すべき。
また毛利との戦いなど、宗麟の外交戦略面も評価すべき。
851 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 01:46:59.89 ID:EKpC/8b9
そりゃ宗麟の女好きを否定する資料が乏しいからねぇ
対立した他家の記述とは言え捏造だと言いきれない
852 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 02:03:07.61 ID:nPoj1qR3
宗麟は町造り文化推進などの分野には才能のある統治者だったから、アンチ宗麟の人が思ってるほど主人公適性のない人物じゃないよ。
現実に単発テレビドラマ化2回。非売品のビデオドラマ化1回。映画化1回の実績がある。
今、宗麟が主人公の自主制作の漫画描いてる。
宗麟の半生を描くので長丁場になるが、がんばって描ききりたい。
853 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 04:07:20.10 ID:iog/LXjk
>アンチ宗麟の人が思ってるほど主人公適性のない人物じゃないよ。
とは言え、宗麟メインで一年はきつい。
日本全体の人間の興味を繋ぎ止めないといけないわけだから。
854 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 09:19:22.62 ID:fEp2Wb0i
まあそれはお互いの見解の相違と言うしかない。
宗麟のドラマを作ろうと思ったらザビエルやアルメイダ、インドに宗麟の書状を届けた家臣のエピソードにもふれる事になるから
それらの人物をドラマの中で追っていったら大変なボリュームになる。
855 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 10:14:44.69 ID:l+vRAQ1i
中央との劇的な関わりが乏しいのが辛いな
敗者で陪臣の直江兼続が一応大河になれたのも、なんだかんだで石田や徳川との絡みが大きいし
856 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 13:12:35.21 ID:8Am/VBJA
粘着毛利厨は相変わらず気持ち悪いな
857 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 16:33:29.45 ID:lTKniEJ7
信長存命の頃から織田と連絡をとりあっていたけど、そういうのじゃダメなの?
けど中央との関わりのかわりに日本の文化史には多大な影響を与えているけど。
宗麟治世の府内では「日本で初めて○○○○が行われた」という文化が多数あるよ。
858 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 21:31:38.19 ID:iog/LXjk
>宗麟治世の府内では「日本で初めて○○○○が行われた」という文化が多数あるよ。
単に日本で初めてでは、年表にはいいけど他の地方から見て面白いドラマにはなりにくい。
語り手を外人にしたりして(昔フロイスでやったように)、国際的視点から見た日本の評価に
すると、当時の九州の重要性が飛躍的に上昇する。
内政的な天下統一観点からすると、九州は絶対的に不利だからね。
>>855 歴史小説も、ヒットさせようとしたら織豊徳の3人の誰かをちょっとは登場させないといけないからね。
大友だと、やっぱり豊臣になるが、島津、妙林尼、宣教師を絡めてなら、結構立体的構成が可能。
859 :
人間七七四年:2012/10/01(月) 01:23:11.27 ID:D9Q7tBAK
宗麟の女好きと言う毛利側の記述を否定するには
それを証明する材料がいると第三者的な目で書いたのに毛利厨扱いされるとは
860 :
人間七七四年:2012/10/01(月) 07:42:05.96 ID:Zwub+26Q
句点を打ってくれw
無茶苦茶読みにくい
861 :
人間七七四年:2012/10/01(月) 10:37:53.13 ID:QFihWklu
>>859 はぁ?宗麟が女癖悪いと証明する一次史料出せよアホ毛利チョン
862 :
人間七七四年:2012/10/01(月) 13:22:12.73 ID:qvNLetGF
>858
それについては異論はない。スレの流れ上そういう例えを出しただけ。
やろうと思えば大友氏には色々と素材はあるという事が言いたかった。
863 :
人間七七四年:2012/11/06(火) 12:16:43.41 ID:v0n3/5/T
やろうと思えば素材はあろうけど一般受けするかどうかは別問題だからなあ
864 :
人間七七四年:2012/11/13(火) 13:50:50.77 ID:00y8ABzz
大分合同新聞より
宮下あきらの大友宗麟原画展が大分市であるらしい。
魁男塾風の絵柄の宗麟がまったく想像できない。
865 :
人間七七四年:2012/11/13(火) 15:08:17.01 ID:6Z56sl+t
ファラオ(前期)→ファラオ(後期)
866 :
人間七七四年:2012/11/13(火) 22:32:41.35 ID:DUM17OOX
毛利のでたらめ捏造ぶりはすさまじい。
宇喜多直家の奥さんが秀吉に喰われたおかげで秀家が厚遇されたとか平気で大嘘を書きまくるキチガイっぷり。
福島正則がバカなような印象を植え付けてるのも
関が原後に広島城を正則に取られた恨みから中傷。
実際、秀吉子飼いのうちで、
もっとも早く大きな加増を受けたのは正則で
それだけ多くの武功があった証拠。
867 :
人間七七四年:2012/11/14(水) 01:05:09.38 ID:8gdhdMjy
868 :
人間七七四年:2012/11/14(水) 08:05:38.93 ID:8JJMB4Sy
毛利は原本皆無の秀吉勝利の偽書状写しを家臣団が作りまくった捏造大国
869 :
人間七七四年:2012/11/14(水) 09:43:27.61 ID:Sv+0eDGl
だから毛利スレでやれって
870 :
人間七七四年:2012/12/21(金) 15:43:57.93 ID:q4BPZvIp
\とりあえず町村合併で消えると言えば?/ナンダココハ サムイモナー ヒイィィィッ
米とれないから.\ ∧_∧ ∩安心院だろ! / ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
ブドウで酒だって. \ ( ・∀・)ノ______ / ( ;・∀・) (; ´Д`) (´Д`; )
∧ ∧\ (入 ⌒\つ / | / ⊂ ⊂ ) ( つ ⊂ ) ( ⊃ ⊃
(゚Д゚ )_\ ヾヽ /\⌒)/ |/ 〉 〉\\ 〉 〉 く く //( (
/ ̄ ̄∪ ∪ /| .\ || ⌒| ̄ ̄ ̄| / (__) (_) (_.)(_) (_) (__)
/∧_∧マジですか・・・\ ∧∧∧∧ / 『とりあえずサファリパーク』
/ (;´∀` )_/ プッ \ < ま > 別府温泉地獄めぐりのワニに対抗して、作ってみた。
|| ̄( つ ||/ \< あ た > しかし、パンフレットのジャングルバスが、ライオンに
|| (_○___) || < じ > 強襲されているように見えて、観光客がよりつかない・・・
―――――――――――――――< む >―――――――――――――――――――――
∧_∧旅行番組で < か > ∧_∧プッ ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ;´∀`)いつもスルーされ∨∨∨ \ ( ´∀`) (´∀` )<あんしんいんってケモノくさいよね
_____(つ_ と)___てる… ./ \ ( )__( ) .\_______
. / \ ___ \アヒャ / ∧_∧あ\∧_∧ ∧_∧  ̄ ̄ ̄/.//|
.<\※ \____.|i\___ヽ.アヒャ ./γ(⌒)・∀・ )じ .\ ;) ( ;) <「あじむ」と読めないですか・・・
ヽ\ ※ ※ ※|i i|.====B|i.ヽ /(YYて)ノ ノ む \↑ ̄ ̄↑\)_/ |__|/
\`ー──-.|\.|___|__◎_|_.i‐>/ \  ̄ ̄ ̄ ̄\!! \安心院町民| | ┃
 ̄ ̄ ̄ ̄|. | ̄ ̄ ̄ ̄| / ||ヽ|| ̄ ̄ ̄ ̄|| \
871 :
人間七七四年:2012/12/21(金) 23:49:13.78 ID:gEemqq+M
>>864 実際には、病弱でよく寝込んでいたそうだし。
そもそも自分で槍や太刀を振るったことなんてなかったはずだよ。
丹生島城で篭城した時が、生涯で唯一の実戦指揮した例じゃなかったか。
872 :
人間七七四年:2012/12/23(日) 03:17:56.44 ID:gc+gfY1Y
それまでは大まかな指示だけ与えて前線は方分に任せておけばよかったからね
優秀な人材が揃ってたし
>>870 安心院は謎の読み方だろw
873 :
人間七七四年:2012/12/24(月) 22:33:22.03 ID:B16wykag
宮下あきらの宗麟画はもろ主人公風の容姿だったよ。
874 :
人間七七四年:2012/12/25(火) 12:37:36.16 ID:773mbQfV
安心院と聞くとなんとなくジャングルジムを連想してしまう。
875 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 00:33:41.27 ID:Ylxu08SG
先月開催された大河ドラマ化総決起集会は盛況だったそうだ。
876 :
人間七七四年:2013/01/01(火) 00:43:58.79 ID:IsmPuAIK
今年は大分市ほか宗麟関連の市民団体の具体的な宗麟宣伝事業が動き出す勝負の年になるな。
個人的には大友館の復元計画の具体的な日程が早く決まってほしい。
877 :
人間七七四年:2013/01/07(月) 23:13:40.59 ID:yOMbQbaB
個人製作の宗麟漫画は第二話の製作に入った。
早く道雪や紹運を登場させたい・・・。
878 :
人間七七四年:2013/01/11(金) 12:57:55.35 ID:mGWJqjHw
BSフジでやってる再放送の浅見光彦シリーズで
鯛生金山がでてきた
879 :
人間七七四年:2013/01/11(金) 13:10:27.82 ID:mGWJqjHw
甲斐 金山2 産出8000
南越後 金山2 銀山1 産出10000
出雲石見銀山5 産出10000
豊後 金山1 産出4000
薩摩 金山1 産出4000
金山と言えば甲斐黒川金山や佐渡金山ばかり有名だけど
大正以降昭和にかけて国内最大の金山は大分が誇る鯛生金山。
鹿児島の菱刈金山は世界一の高品位金山。
戦国時代世界一の大森銀山も扱いが低いし、
コーエーは西日本が嫌いなのかねえ。
880 :
人間七七四年:2013/01/12(土) 07:45:33.68 ID:dYfBN/Ik
武田と上杉さえしっかりしてればいいって感覚なんじゃねえの?
881 :
人間七七四年:2013/01/12(土) 13:29:17.39 ID:Q9Q7rkZ1
そもそも信長の野望の最新作は豊後より土佐半国が豊かな時点でおかしい
882 :
人間七七四年:2013/01/12(土) 21:05:02.18 ID:KLuXUsnN
豊後を分割するとしたら南北?東西?なかなか難しいところだけど
志賀親次が島津を撃退したり、荒城の月などで全国的に有名な岡城の登場が待望される。
883 :
人間七七四年:2013/01/12(土) 21:09:00.85 ID:KLuXUsnN
>>879 ゴールドパーク串木野で砂金を拾ったのを思い出した
884 :
人間七七四年:2013/01/13(日) 11:40:12.23 ID:bXyIXors
>>881 ゲーム好きや歴史好きな人間を求めていませんと言い切っちゃう会社に何を期待しろと
885 :
人間七七四年:2013/01/13(日) 22:59:56.41 ID:3IemTsld
なんせ府内城が出てきちゃうぐらいだしw
886 :
人間七七四年:2013/01/14(月) 02:03:23.71 ID:c72UjbIj
やっぱ高崎城だよな
887 :
人間七七四年:2013/01/15(火) 18:08:31.00 ID:8d//A/3Y
高崎山って昔から猿がいたの?
888 :
人間七七四年:2013/01/15(火) 18:22:24.47 ID:jTI/9p5q
高崎山に限らず昔は大抵の山に猿はいた
鹿なんざ未だ山地付近の山里に行けば姿を見せる
889 :
人間七七四年:2013/01/18(金) 22:24:27.17 ID:ZetuLlk7
>>879 戦国期に発見されてない金山が登場するのがそもそもおかしくね?
それを言ったら佐渡島もおかしいんだけどさw
890 :
人間七七四年:2013/01/20(日) 11:22:12.66 ID:3+qj8vB2
大分商工会議所は2月3日、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの
そっくりさんを集めた「ザビエルそっくり選手権『我こそはザビエル』」を大分市で開く。
1551年、山口で布教中のザビエルは大分に招かれ、キリシタン大名、大友宗麟に
会った。市内にザビエルの銅像もあるが「もっと知ってもらおう」と企画した。
*+*+ 毎日jp +*+*
http://mainichi.jp/select/news/20130120k0000m040025000c.html ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人
日本の各地でザビエルは布教するのですが、出会った日本人が彼に決まって尋ねた事があります。それは、
「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」ということでした。
そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、今、どこでどうしているのか」ということだった。
つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、
やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・当時の日本人はザビエルにこういう質問を投げかけた。
元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、ザビエルもそう答えました。すると日本人が追求するわけです。
「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」
ザビエルは困ってしまいまして、本国への手紙に次のように書きました。
「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本の布教は苦労するであろう」と。当時の中国にも、韓国にも、
インドシナにもこうしたキリスト教の急所(?)を突くような人間はいなかったわけです。
この他にも、『もし神様が天地万物を造ったというなら、なぜ神様は悪も一緒に造ったのか?(神様がつくった世界に悪があるのは変じゃないのか?)』などと質問され答えに窮していたようです。
ザビエルは、1549年に日本に来て、2年後の1551年に帰国しますが、日本を去った後、
イエズス会の同僚との往復書簡の中で「もう精根尽き果てた。自分の限界を試された。」と正直に告白しています。
ttp://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=164843 大分の住民つええw
891 :
人間七七四年:2013/01/20(日) 19:28:24.53 ID:GykidKzz
ご先祖様云々は先祖供養の文化がある地域ならではだと思ったが、
中国……
それはそれとして、ザビエルのそっくりさんってやっぱ頭髪はry
892 :
人間七七四年:2013/01/30(水) 23:38:27.79 ID:8dyoKeZg
ザビエルって小中学生に異様に人気あるよなw
893 :
人間七七四年:2013/01/31(木) 07:14:26.55 ID:ysuUrf/3
中学のとき近くに工場があって、いつもいい匂いがしてたからな
894 :
人間七七四年:2013/01/31(木) 08:23:15.06 ID:YiUEziaT
お菓子の方かよw
895 :
人間七七四年:2013/01/31(木) 23:59:20.96 ID:I/ISJVvT
ワロタw
896 :
人間七七四年:2013/02/01(金) 23:02:41.17 ID:iItKgsoo
大分県人なら常識だな。
あっでも中津はハマグリ汁粉か。
897 :
人間七七四年:2013/02/02(土) 05:45:24.19 ID:Xd0oVWAF
高校のときの先生
「ザビエルちゅう、うまくもない菓子があるやろ。
わしはあれが好きでなぁ」
898 :
人間七七四年:2013/02/02(土) 13:19:26.99 ID:2/niBOJp
差し入れでぷりんどらを買って行ったら喜んでくれる同僚が
ざびえるだとがっかりしてた。
899 :
人間七七四年:2013/02/02(土) 16:35:38.34 ID:Wo29ptIx
君たち、大分県のトップシークレットをここまで軽々と漏らすとは……。
あれは愛郷心で食うもの、他県人にお土産で食わせるものだ。
ちなみに別府市の地獄蒸しプリンは美味だ。
900 :
人間七七四年:2013/02/03(日) 20:42:20.13 ID:SZwVQt7p
これはざびえるの巧妙なステマですわ
機会があったら食います
901 :
人間七七四年:2013/03/18(月) 13:00:53.00 ID:ln0dR44A
中津って鶏唐揚げと鱧ちゃうのん?
902 :
人間七七四年:2013/03/20(水) 01:42:29.90 ID:vLwSeoIU
スレチ
903 :
人間七七四年:2013/03/20(水) 08:37:50.90 ID:KEtLM197
そろそろ、話を人間のザビエルに戻す頃かな
904 :
人間七七四年:2013/04/01(月) 15:15:03.47 ID:6drfqlPR
親の仕事で小中複数転校したけど各学校に必ずひとり、ザビエルってあだ名の先生がいたな
905 :
人間七七四年:2013/04/02(火) 07:29:05.26 ID:2PEwcDkK
聖人君子だったんだな
906 :
人間七七四年:2013/04/03(水) 11:34:52.68 ID:nilrfknn
蟹の手をして左上見れば誰でもなれる
907 :
人間七七四年:2013/04/03(水) 11:39:07.77 ID:6hcicTva
ザビエルに対し知名度で負けてるビスマン
908 :
人間七七四年:2013/04/04(木) 12:35:10.39 ID:Sk56tAze
ぷりんどら、東京だと中央高速道ののぼり石川PAでいつも買えるよ。
909 :
人間七七四年:2013/04/11(木) 01:00:43.31 ID:LFDr0hm0
知名度では
ザビエル>>(越えられない壁)>>フロイス>ヴァリニャーノ>>アルメイダ、カブラルなど
910 :
人間七七四年:2013/04/18(木) 23:05:41.28 ID:ALrj/yIG
911 :
人間七七四年:2013/04/19(金) 23:19:54.65 ID:Hqhxq/B0
朝鮮の役で除封改易される直前の大友氏の石高はいかほどで?
912 :
人間七七四年:2013/04/19(金) 23:28:56.83 ID:qDqN1XVu
改易される前の大友氏の領地は豊後一国
太閤検地による豊後の石高は41万8千石
大友家の所領は豊後国検地目録で23万6千石
木材の重要な供給地だった日田を初め、秀吉の代官は九州仕置段階から豊後中に虫食い状態で入り込んでる
豊後を一つの大名家が一円支配していたという事は一度も無いと思うよ
914 :
人間七七四年:2013/04/20(土) 07:56:08.77 ID:RFfQBFW6
島津に走った国人をだいぶ改易したらしいから
財政破綻してた大友本家の支配力をかなり向上したんじゃないか?
それに豊臣代官がいたのも本家直轄領以外なんじゃないか?
国東半島なんて大友本家に圧力加えるような強大な支流ばっかだし。
915 :
人間七七四年:2013/04/20(土) 11:55:13.10 ID:bfW+10Dd
戦いもせずに城を明け渡した連中はともかく
かなり頑張った上で島津と講和しただけの狭間鎮秀まで
粛清しちゃったのはどうかと思う
916 :
人間七七四年:2013/04/20(土) 12:23:53.22 ID:tBLaGgfo
疑わしいそぶりを見せたら即粛清だからな
戸次鎮連の内通疑惑とかあやしいと思うんだが
917 :
人間七七四年:2013/04/20(土) 13:58:15.07 ID:qaK0dayF
信長や政宗と同じで、自分が粛清されかかってる経験があるとどうしてもなあ
918 :
女子校生歴女:2013/07/15(月) 07:24:11.97 ID:DAYiah2S
江戸時代の大友氏一族の動向って、どうなの?
高家の大友家や立花家は有名だけれど、同紋衆は江戸時代どうなったの?
919 :
人間七七四年:2013/07/21(日) 05:24:29.87 ID:O5xXRz6P
噛むと府内
920 :
人間七七四年:2013/07/21(日) 08:27:21.54 ID:7/5Cthcr
義統は豊臣秀長も呆れるほどのバカだからなあ。
猜疑心も異常レベルで粛清しまくってた。
特にキリシタン武将殺しで秀吉への忠誠を示そうとしたことが、
かえって義統の小人ぶりだけを露顕させただけで、
秀吉の不興を買ったバカっぷり。
やることなすこと全部が裏目に出る無能。
921 :
人間七七四年:2013/07/21(日) 09:26:33.45 ID:6utow4zV
宗麟の悪い遺伝子しか引き継がなかったんだね
922 :
人間七七四年:2013/07/22(月) 00:59:45.33 ID:Pq8y5DxQ
>>918 帰農と他家への仕官。
三大諸子家の詫間氏は、肥後から豊後に移っている。
あと、大分県出身の日銀総裁の一万田さんとかは、その子孫だろうね。
923 :
人間七七四年:2013/07/22(月) 19:58:07.07 ID:lt3Zx0kq
>>922 一万田の子孫が日銀の総裁になったり大分の代議士になっていたのか
生まれる前のことだから知らなかったぜ。
言われてみれば一万田ってお金に強そうな名前してやがるぜ。
924 :
人間七七四年:2013/07/22(月) 23:39:43.39 ID:fEM7IfLJ
陸軍大臣の阿南惟幾も大友旧臣の子孫だね
阿南氏は大友二階崩れで失脚、後に許されて武功をあげるも今度は大友家が没落
その後は中川家(豊後岡藩)に仕官したらしい
925 :
人間七七四年:2013/07/22(月) 23:50:53.87 ID:fEM7IfLJ
>>924 阿南氏は他紋だったスマソ
一万田氏は肥後細川家に仕えた
名家コレクター三斎様のお眼鏡にかなった模様
926 :
人間七七四年:2013/07/23(火) 00:42:56.38 ID:tXiszJUo
阿南氏って惟を通字にしてるのかな?
阿蘇氏も通字を惟を使ってるがなんか繋がりあるんかな?
927 :
人間七七四年:2013/07/23(火) 01:20:01.01 ID:weUF9YC5
>>926 阿南氏は大神系国人で「惟」はその通字
同族で有名なのが佐伯氏
阿蘇氏は大神とは別系統の古代豪族なので
通字に関して直接の繋がりはないんじゃないかな
928 :
人間七七四年:2013/07/23(火) 07:13:07.41 ID:bknRD9p0
これは勉強になるなあ。
929 :
人間七七四年:2013/07/23(火) 12:29:35.59 ID:5UBeLKcV
>>923 昔、国東から田原という代議士が出ていたよ。
ちなみに吉四六さんのモデル、広田吉衛門(庄屋)の広田も一応同紋衆。
それほど有名な一族じゃないけどね。
こまめに探すと、そういう例は多いよ。
930 :
人間七七四年:2013/07/24(水) 19:44:02.29 ID:q8HmQwPf
931 :
人間七七四年:2013/08/04(日) 21:48:21.65 ID:jcrZEdRi
>>929 田原隆か
リクルートや佐川事件の抑えのためだけに
法務大臣に任命された経世会の議員
932 :
人間七七四年:2013/08/07(水) 18:04:55.82 ID:WVNwzxQ4
宗麟っていまのタイやラオスあたりにまで名が知れ渡ってたんだよね。
933 :
人間七七四年:2013/08/07(水) 18:17:12.64 ID:OJix/NK5
宗リンはカナダ・トロントでも人気者
934 :
人間七七四年:2013/08/07(水) 20:10:39.28 ID:3a+d9Wvb
難破した船が東南アジア諸国に漂着しても、
大友宗麟の船だと言えば、略奪を防げたどころか船を修理して送り返してくれたくらい、
宗麟は東南アジアとの交渉を持っていた。
しかし島津船は倭寇海賊として東南アジア沿岸を荒らし回り恐れられていた。
935 :
人間七七四年:2013/08/07(水) 20:57:53.15 ID:eRbEN5+5
ソースは?
936 :
人間七七四年:2013/08/08(木) 09:29:12.44 ID:QKrJmXXM
大航海時代のアジアと大友宗麟
とか宣教師の記録だろ。
937 :
人間七七四年:2013/08/08(木) 18:38:49.47 ID:skCdE+ug
宗麟って人間としては屑なのに・・
938 :
人間七七四年:2013/08/08(木) 19:12:11.52 ID:Qd6x0mWt
939 :
人間七七四年:2013/08/08(木) 23:48:12.82 ID:skCdE+ug
道雪に愛猿を鉄扇で打ち殺されただろうw
馬鹿殿だぜww
940 :
人間七七四年:2013/08/09(金) 00:14:49.98 ID:XLGnxhpT
反大友的なレスをするだけで
毛利廚だの島津廚だの恥ずかしくないの?
941 :
人間七七四年:2013/08/09(金) 10:39:59.29 ID:mXlb6OFS
>>940 反大友をキチンと一次史料の裏づけを提示してやるなら
ちゃんと相手してくれるんじゃないかな?
根拠を書かずに
>>937みたいなことを書いたらただの反大友の厨房キチガイでしょ。
ちなみに毛利厨が誤まった歪曲捏造知識を手に入れてるだろうことは想像がつく。
江戸時代に毛利は捏造歪曲毛利マンセー史を編纂してる。
大友や大内や尼子や宇喜多や竜造寺や浦上や赤松が滅亡してるから
他家史料との比較もできず、やりたい放題捏造できたから。
そしてその捏造軍記を手本に偽感状が生産され先祖の名誉ある武功が事実のように語られた。
それでまぁ、宗麟のこともデタラメを書いて、毛利の自己正当化が図られてる。
たとえば陰徳太平記での宗麟像は、
歳若い美女を領国中から求め、酒池肉林に溺れた生活をしていて
それを憂えた道雪が居所を集めて宗麟の気を引いてから諫言したが、すぐ元の堕落した生活に戻ったとか
家臣の妻が九州一に美女だと聞いて、その家臣を殺して妻を略奪したとか
まったく一次史料にない話をデッチ挙げている。
そのエピソードを盗用して高橋記では一万田の妻を奪った遺恨が実はあったなどと捏造し自己正当化してる。
宗麟がダメ人間とするエピはすべて大友滅亡後の江戸時代に作られた軍記ネタ
そもそも宣教師は宗麟は体質は元来、虚弱だが優秀な人物と評価しているし、
妻がそもそもヤバイ奈多夫人なので、略奪妻とかありえない。
>>939 猿を折檻する話は戦国日本エピではもはやテンプレ
たとえば将軍義政の猿を叩いたのは大田道灌
将軍義輝の猿を叩いたのは小島弥太郎
太閤秀吉の猿を叩いたのは政宗
すべて作り話です。
942 :
人間七七四年:2013/08/09(金) 10:43:02.45 ID:mXlb6OFS
訂正
×それを憂えた道雪が居所を集めて
○それを憂えた道雪が美女達を居所に集めて
943 :
人間七七四年:2013/08/10(土) 17:40:19.86 ID:mRjl5dPw
どうしても宗麟を立派な人間にしたいようだなww
耳川の戦いの負け戦に対してどういう感想を持っているか聞きたいww
家臣の意見が分かれ、収拾が付かない場合はどうするのか?
944 :
人間七七四年:2013/08/10(土) 18:28:12.25 ID:vGlLhTWo
大友家は加判衆が政治を行ってるから宗麟は口出しできないし
そもそも耳川の戦いの前にすでに息子に家督を譲って
府内から出てるから、耳川の戦いに感想も糞もない。
ただ一つ言えることは耳川から敗走してきた混乱中の兵を収容し
混乱を統制したのは後陣にいた宗麟だったと宣教師が書いているように
優れた統率力を宗麟が持っていたということだろう。
耳川後に加判衆が大量欠員になってしまったのに義統が補充せずに独裁したため
豊後が謀反だらけで大友家が崩壊寸前になった時に
いよいよ家臣達が宗麟の当主復帰を懇請してきた際に
あくまでワシは後見役としてならという条件で政治復帰するや
たちまち豊後の混乱を纏め上げて、毛利軍を撃破してしまった辺り
やはり宗麟の軍略の凄さの証明になるだろう。
945 :
人間七七四年:2013/08/10(土) 18:50:12.08 ID:mRjl5dPw
島津が台頭して来る中で、息子に家督を譲ったとは言え、また加判衆に政治を任せたとはいえ、
大友家の今後の行く末を案じるなら、要請ではなく自らTOPで指揮を執るのがまともな器だと
思うが?
946 :
人間七七四年:2013/08/10(土) 19:18:47.80 ID:vGlLhTWo
義統の指揮権を奪うことは
義統の面目が失うことになり
将来的な家臣への求心力低下は免れない。
それに宗麟48歳・義統20歳である以上は、
義統の後ろ盾として支える方が理想だろう。
ただでさえ島津の豊後侵攻では義統に当主としての能力がないとして
弟の大友親家が島津への内応があったのだから。
もし義統の指揮権を奪っていたら
完全に大友家は義統を見限って兄弟争いの内乱になっていたろう。
あくまで御隠居は嫡男支持なのだと家臣団に認識させていたから
分裂せずにいたといえる。
また宗麟は外交上のサポートもしており
常に中央政権と交際して対抗勢力に対して
戦略的に優位に立つということをしている。
宗麟のやり方の方が賢明だと思うが。
947 :
人間七七四年:2013/08/10(土) 19:22:34.37 ID:mRjl5dPw
息子が事実上無能なんだから、完全に戦いの指揮もとればよい。
一族の運命が掛かってるんだぞ。それに家督を譲るが早すぎる。
948 :
人間七七四年:2013/08/10(土) 20:16:31.47 ID:fWBoS5tJ
949 :
人間七七四年:2013/08/10(土) 20:35:29.28 ID:r0hVd3gm
無能だからといって強引に義統を廃嫡するのも危ないのよね
あの状況下でもう一度二階崩れが起きたら間違いなく詰みだし
950 :
人間七七四年:2013/08/10(土) 20:50:06.43 ID:lDYJLsrH
奈多夫人やその兄の田原親賢らが義統を廃嫡する気がそもそも無いし、
次期当主として、各国人達の子弟を側近として付けられ成長した者を
みだりに廃嫡するのは親子争乱の元だしね。
新政権側近団と旧政権側近団と弟が外国勢力を引き入れるなどして崩壊もあり得る。
宗麟はみだりに乱を呼ぶ不測の事態になるのを防いだ英断だったと思う。
951 :
人間七七四年:2013/08/10(土) 20:57:55.88 ID:mRjl5dPw
だから家督を譲るが早すぎる。
952 :
人間七七四年:2013/08/10(土) 21:16:24.48 ID:r0hVd3gm
>>951 義長が家督を継承したのが19歳
義鑑は13歳
義鎮(宗麟)が20歳
義統は18歳
大友家としては別に早いわけでもないみたいよ
953 :
人間七七四年:2013/08/11(日) 18:30:06.09 ID:78AJK9Lo
>>951 何歳で家督を譲るのが良いと考えてるわけ?
954 :
人間七七四年:2013/08/11(日) 18:39:54.59 ID:u/Lruf1g
死ぬ前まで。
>>952 宗麟は義鑑の遺言だから、例外。
大友家の命運が掛かっている時に、先例を踏襲するのはアフォのやること。
955 :
人間七七四年:2013/08/11(日) 18:48:44.66 ID:78AJK9Lo
でも命運も何も宗麟は大友家最盛期に家督を譲ってて
これ以上よいタイミングはなかったと思うよ。
他の大名にしたってそのくらいで家督譲られるの普通でしょ。
その論法で批判するなら佐竹義重が家督を譲らず死ぬまで当主でいたら
会津を失ったりしなかったとかいくらでもイチャモンつけれるけど
それは神の視点でしょ。
当時の島津は大友にビビって慎重だったくらいだから
当時の常識では大友衰退へのターニングポイントなんて意識はなかっただろうし。
956 :
人間七七四年:2013/08/11(日) 20:57:30.44 ID:ZYMpLcue
高橋鑑種(最後は謀反起こして毛利につく)や立花道雪がいた頃は最強だったが、宗麟が宗教や酒にのめり込み
家臣に見放されて自滅した大名。島津が力付けて来た時に大人しく家臣になっとったら良かったのに。
957 :
人間七七四年:2013/08/11(日) 21:08:49.45 ID:Klcn+Ljo
958 :
人間七七四年:2013/08/11(日) 23:13:45.78 ID:5HbWx8e4
>>956 宗麟が、まじめにキリスト教にのめりこんだのは、
晩年の時期だけだって知ってるか?
臼杵に移ったときにも、ほとんどの宣教師は府内に残り、
臼杵には連れて行かなかったぐらいだ。
959 :
人間七七四年:2013/08/12(月) 23:20:33.06 ID:JbNyH/Xi
さすが指原大友軍だな
嘘ばかり吐く
960 :
人間七七四年:2013/08/14(水) 23:16:08.70 ID:Ru9rRwtW
大友家の有力他紋の勢力って大神氏と大蔵氏、宇都宮氏以外にあります?
961 :
人間七七四年:2013/08/16(金) 10:59:42.11 ID:GhFZaY2o
>>956 子供の頃を思い出し、懐かしい気持ちになれるくらいのテンプレだなw
962 :
人間七七四年:2013/08/16(金) 11:15:46.09 ID:lBc0JS+X
>>955 そういや佐竹義重は15歳で家督を継いでるもんな。
963 :
人間七七四年:2013/08/16(金) 12:45:45.09 ID:9kQM5R9b
毛利との戦いが落ち着いた時期に代替わり出来たのは幸運だったのでは
964 :
人間七七四年:2013/08/17(土) 23:21:20.28 ID:NFDz6nEk
家督譲った後は口出ししないようにしてたしな
理想的な禅譲ではある。普通なら
965 :
人間七七四年:2013/08/17(土) 23:53:42.83 ID:lsP3cQhf
名実共に九州6ヵ国の守護と九州探題として
義統に家督を譲ってるしな。
966 :
人間七七四年:2013/08/18(日) 00:40:32.44 ID:er3deQ5H
>>964 禅譲とかまるで義統が大友家の者ではない様な言い方
967 :
人間七七四年:2013/08/18(日) 02:35:10.23 ID:axtuQzDw
宗麟スレもあと少しで3スレ目か。すごいな。
大分県人の書き込みはどのくらいあったのだろう。。。
ほとんどいない気がw
968 :
人間七七四年:2013/08/18(日) 19:06:12.36 ID:0NrjNKxN
969 :
人間七七四年:2013/08/18(日) 20:40:43.89 ID:er3deQ5H
過疎スレなんだし、黙ってスルーしときゃそのまま流されてたんじゃね?
970 :
人間七七四年:2013/08/18(日) 22:56:07.59 ID:hlLDSCrM
他紋衆三十七家
971 :
人間七七四年:2013/08/18(日) 23:06:47.61 ID:+WfToczf
アンチ大友宗麟じゃないならそれでいい。
宗麟は再評価され名誉回復されるべき。
972 :
人間七七四年:2013/08/19(月) 21:56:52.74 ID:lRB3G5qO
道雪はほんと凄い奴だぜ
973 :
人間七七四年:2013/08/19(月) 22:10:29.77 ID:BmGYXuNY
俺は地元を何度も攻撃されたのと
河津氏やお色姫の事があるから大友嫌いだけど
宗麟始め道雪、雪下、紹運、宗茂、増時、摂津等々嫌いになれない
つーか、人間味あり過ぎて大好きなんだよなぁ、ハッキリ嫌いと言えるのは義統ぐらいだ
974 :
人間七七四年:2013/08/20(火) 21:30:24.53 ID:lj5krX0v
臼杵氏が柑子岳城を抑えていた期間はいつ頃ですか?
975 :
人間七七四年:2013/08/21(水) 01:19:41.79 ID:HvxhlTo5
不明な点も多いですが・・・
臼杵安芸守鑑連(臼杵親連と書かれている場合もあり)
天文元(1532)年に原田隆種に攻められ柑子嶽城から臼杵安芸守鑑連が退去
※鑑連は系図に見えませんがもしかしたら臼杵長景の従弟:臼杵安芸守鑑親の誤記または別名かも
奪還後
臼杵安芸守鑑連と臼杵安房守鑑続(鑑栄の弟)が城番
↓
臼杵民部少輔鑑栄(臼杵長景の子)
↓
臼杵安房守鑑続(鑑栄の弟)
↓
臼杵新介安房守鎮続(紹冊・鑑栄の弟)
↓
臼杵進士兵衛鎮氏(鑑栄の弟) 元亀三年(1572)年原田隆種との池田下河原合戦で討死
↓
臼杵新介安房守鎮続(再任) ※しかしすぐに木付鑑実と交代
これから考えると天文元(1532)年以前から元亀三年(1572)年頃までかな
976 :
人間七七四年:2013/08/21(水) 03:09:38.35 ID:WmggMuSq
jh
977 :
人間七七四年:2013/08/24(土) 08:48:29.06 ID:DMOW9oRa
978 :
人間七七四年:2013/08/28(水) 14:34:30.66 ID:qpUNR0L+
「金子備後守元宅」の著者は神社仏閣の破壊は毛利や織田もやってるのに
なんで長宗我部元親ばかり非難されるんだと書いてるな
今は大友だけどこの頃は長宗我部元親が有名だったらしい
979 :
人間七七四年:2013/08/29(木) 09:20:55.38 ID:TdZlhe4t
奴隷売買にしてもそうじゃない?
島津もやってるのに大友だけが吊るし上げられる。
ところで奴隷売買について大友の記述があるソース誰か知らない?
みんな大友を槍玉に挙げるけどソースはなんなんどろう。
980 :
人間七七四年:2013/08/29(木) 11:34:31.02 ID:uVMYXPds
981 :
人間七七四年:2013/08/29(木) 11:44:25.89 ID:RC7CS/1y
大友が槍玉に上がるのは豊臣・徳川によるキリシタン弾圧のせいもあるんじゃないかと
耶蘇の連中はこんなにひどいことしたんだぞ〜、みたいな
あとキリシタン大名ってことで一くくりにされてる感じ
982 :
人間七七四年:2013/08/29(木) 11:58:10.14 ID:RC7CS/1y
>>978 >長宗我部
ちょっとググったら
寺焼こうとしたら蜂の大群に撃退されたとか、ご本尊の薬師如来像に無双されたとか、仏罰受ける逸話が豊富なのね
983 :
人間七七四年:
>>980 >>981 ありがと。
やっぱりか、自分でもちゃっとさがしてみたんだけど、
見つからないからからもしかしてソースなんてないんじゃないかと思ったけど。
けどそうならやっぱり大友氏は不遇だな。