武田勝頼って信玄以上の名将だったんだな part3
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人間七七四年:
京の公家日記に視認観測記録が記述される程の大規模噴火は、
1108年の大噴火(後日、浅間山のある上野国の国司が噴火の影響からか交通網寸断が原因で
かなり遅れて朝廷へ上野国壊滅の報告をしている)
に続いて武田滅亡のこの時で有史以来わずかに二回目でしか無い。
しかも武田滅亡寸前での噴火は大分県でも観測された規模なので
1108年の噴火よりもさらに超規模なのがわかる。
1783年の噴火に関しては京では一切、視認されてないので小規模噴火でしかない。
武田滅亡の大分でも観測された超噴火≫1108年国司による上野国壊滅報告大噴火≫1783年の1500人が死んだ小規模噴火