関ヶ原の西軍の真の首謀者は毛利輝元だったのか?

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878人間七七四年
関が原の戦いの首謀者は
秀吉生前から仲が悪かった小西と清正。
朝鮮帰国をめぐって
小西・義弘と清正の対立は頂点を向かえ
そこにつけこんだ忠興が三成嫌いの個人的理由から
専横していた家康に三成が謀反すると再三に渡り讒言し陥れようとする。
輝元や秀家がそれに乗って、奉行と示し合わせて
大坂城を占拠するや三成を大義名分のため勝手に擁立。
これにより輝元・義弘・秀家VS政権簒奪を狙う家康の戦いに発展。