天正10年の武田攻めを語るスレ 4

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391人間七七四年
史実の虎倉合戦
宇喜多の攻勢により備中・美作で敗勢著しい毛利軍が巻き返しを図るために
輝元・隆景・元春まで出張ってきての虎倉城攻略作戦で(虎倉合戦)
10万石前後の小勢であった伊賀久隆にまんまと毛利軍が大敗し
粟屋元信など大物が討ち取られる。

萩藩閥閲録・毛利家日記
あれは合戦では無かったので虎倉合戦では無く加茂崩れと呼称。
毛利軍は有漢から福山への陣替のために
近習が夜に先発し移動開始したけど
現地に不案内で進む先すら見分けられない有様。
そのため間違って小倉の尾頭へ出てるのに気づかず
高地の敵城から見透かされて、ことごとく討ち出してきて
鉄砲を撃たれたので移動中に小児与七郎、名古屋与七郎らザコが死んだ。
その後、死期を悟った悪魔の直家が伊賀久隆を毒殺したので、
これによって伊賀家久が長州藩の家臣となった。