【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】4

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1神も仏も名無しさん
---論題---
 業道輪廻転生を否定する、これで仏法者か
  http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/02_02_04.html
 死後の世界や輪廻転生の邪説を厳しく批判
  http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/04_11_25.html

仏陀から約2500年を経たが、
現代においてもまだ見解が二分しているこの問題。
もう、そろそろ決着をつけませんか?
子供たちに教える場合にも困るので、仏陀は説いたのかそれとも説かなかったのか?
肯定派と否定派、両者からの屈託のない活発なご意見を是非、宜しくお願いします。
決着の暁には見解を誤っていた側は、
男らしく女らしく、スッキリとこれまでの姿勢について清く改めましょう!

*仏陀の教説として最も信頼性が高いとされる原始仏典からの引用と解説は特に歓迎します。

スレ3 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1229771174/
スレ2 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1226102674/
スレ1 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi#psy/1228627644/
2おや? リンクが違う???w:2008/12/31(水) 00:39:52 ID:P1o/gjw7
3神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 14:50:59 ID:gyfuw/Jk
前スレ756
についても同じこと、解釈が誤解だったことを認めるなら、
答えましょう。認めないなら話は終わり。
4747:2008/12/31(水) 14:58:28 ID:ZPDwu+9x
>>757
>涅槃へ導くための、教育的方便としてのおとぎ話や物語(フィクション)である、と書いています。(>>752)
5神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 15:01:07 ID:ZPDwu+9x
>>757>>752は前スレのものです。失礼。
6神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 15:02:55 ID:gyfuw/Jk
じゃ、話はおしまい。

よいお年を。
7前747:2008/12/31(水) 15:08:10 ID:ZPDwu+9x
>>6
来年こそあなたが現在の迷妄を脱し、開眼されるよいお年であることを願います。
8宝珠愚者:2008/12/31(水) 15:15:46 ID:j94YWP7c
スレ3/756
>・ブッダ没後100年以上経ってから、当然ブッダとは全く別人が書いた「経典」なるものが、
>正確に客観的事実を書いているかは、〜伝聞証拠であって、反対尋問による検証ができないから〜
>確認のしようがなく、真実性の担保はない。ウソである可能性も高い。(>>752)

それだったら全てが無意味だね!だったら大乗諸経はどうよ?
あなたのこの主張であれば、ゴータマが輪廻を説いていたことも否定できないわけだね。
では、議論の意味もないので(わざわざ登場してこなくてもいいから)
あなたは年越しそばでも食べてなさい!


スレ3/745
>君のような解釈なら、釈迦は、イエスと同様、「俺が、俺が」の自分だけを押し付けるエゴイストで、

 「これ以外には『道の人』なるものも存在しない。」(大パリニッバーナ経/スバッダの帰依)
 「比丘たちよ、だが、もし、比丘にして修習するに精進することがなかったならば、<わが心取著する
ところなくして、もろもろの煩悩より解脱してあれ>と望むといえども、その心は、取著するところなく、も
ろもろの煩悩より解脱してあることはできないであろう。」 (雑阿含経10.8応説/相応部経典22.101手斧の柄) 
 「これこそ道である。(真理を)見るはたらきを清めるためには、この他に道は無い。汝らはこの道を実践せよ。これこそ悪魔を迷わして(打ちひしぐ)ものである。」(ダンマパタ20:274)

これ(私の法)以外はダメだといってますが、これはエゴイストですか?

 「われは世間と争わない。しかし、世間がわれと争う。」(サンユッタニカーヤV,p.138 f)
9宝珠愚者:2008/12/31(水) 15:18:25 ID:j94YWP7c
スレ3/750
>並川氏などの論理を借りれば、「釈尊は「心ならずも」輪廻を前提とした教義を説いた。」
>を真とするならば、輪廻という迷信を真理への入り口と成すということになる。
>輪廻が観念的なもので、あらゆる観念的なものをを打ち破るのが釈尊の悟りの当体=空=中道ならば、
>40年を超える布教活動の中に、輪廻を実在とする観念こそ迷いに他ならないとする真説がなければ、
>釈尊はとうとう真実を説かなかったということになる。
>真説を説かなかったばかりか、弟子たちを真理に導かなかったことになる。
>なぜならば、輪廻を否定する仏教徒(自称)は本邦のごく一部にしか存在しないからである。
>
>よって、並川説は論理として成り立たない。
>並川氏説は氏の願望に過ぎないことは自明である。

 はい、これはけだし名文/名解説だと思いました。
 ゴータマは秘密の教えや特別な教えのようなものについては死に際でも完全に否定しました。当然、「実
は今までの輪廻の話はバラモン社会の中で止む無く説いていた方便なのでした。誤解しないように。」と
いったことはありません。

 「アーナンダよ、修行僧らはわたしに何を待望するのであるか? わたくしは内外の区別なしに(ことごとく)
法を説いた。完き人の教法には、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳[にぎりこぶし]は、存在しない。」
(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ/旅に病む―ベールヴァ村にて)
10宝珠愚者:2008/12/31(水) 15:23:41 ID:j94YWP7c
----再確認が必要!!


 【アーナンダよ、わたしはもう朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達して、わが齢
は八十となった。アーナンダよ。譬えば古ぼけた車が皮紐の助けによってやっと動いて行くように、わたし
の車体も皮紐のたすけによってもっているのだ。しかし、アーナンダよ、向上につとめた人が一切の相を
こころにとどめることなく一々の感受を滅したことによって、相のない心の統一に入ってとどまるとき、その
とき、かれの身体は健全なのである。
 それ故に、アーナンダよ、この世で自らを島(灯明)とし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせ
ず、法を島(灯明)とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」

 「やめよ、アーナンダよ。悲しむなかれ、嘆くなかれ。アーナンダよ。わたくしはかつてこのように説いた
ではないか、――すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生
じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということが、どうしてあり
えようか。アーナンダよ。かかることわりは存在しない。アーナンダよ。長い間、お前は、慈愛ある、ため
をはかる、安楽な、純一なる、無量の、身とことばとこころとの行為によって、向上し来れる人(=ゴータマ
)に仕えてくれた。アーナンダよ、お前は善いことをしてくれた。務めはげむことを行なえ。速やかに汚れ
のないものとなるだろう。」

 「スバッダよ。わたくしは二十九才で、何かしら善を求めて出家した。スバッダよ。わたしは出家してから
五十年余となった。正理と法の領域のみを歩んで来た。これ以外には『道の人』なるものも存在しない。第
二の『道の人』なるものも存在しない。第三の『道の人』なるものも存在しない。第四の『道の人』なるもの
も存在しない。他の論議の道は空虚である。――『道の人』を欠いている。スバッダよ。この修行僧たちは、
正しく住すべきである。そうすれば、世の中は真人たちを欠くことの無いものとなるであろう。」
11宝珠愚者:2008/12/31(水) 15:24:35 ID:j94YWP7c
 「アーナンダよ。あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない、『教えを説かれた師はましまさぬ、
もはやわれらの師はおられないのだ』と。しかしそのように見なしてはならない。お前たちのためにわたし
が説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるである 。」

(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)


---解説---
「第一の道の人」=『預流[よる]・須陀オン(=)[しゅだおん]』。聖者の流れに入った者。
「第二の道の人」=『一来[いちらい]・斯那含[しだごん]』。一度だけ戻って来る者。
「第三の道の人」=『不還[ふげん]・阿那含[あなごん]』。再び戻ることのない者。
「第四の道の人」=『阿羅漢[あらかん]』。尊敬されるべき人。

 預流向は三界(欲界・色界・無色界)の見惑(八十八使)を断じつつある見道十五心の間をいい、見惑を
断じ終って、第十六心である修道に入ると、これを預流果という。一来向は欲界の修惑[しゅわく]の九品
[ぼん]のうち、六品の修惑を断じつつある位をいい、それを断じ終った位を一来果という。不還向はさきの
修惑の残り三品を断じつつある位で、これを断じ終るとき、不還果という。ここでは再び欲界に還ることが
ないので不還の名がある。阿羅漢向は阿羅漢果に至るまでの位で、阿羅漢の境地(阿羅漢果)に至ると、
一切の見惑、修惑を断じ、迷いの世界に流転することなく、ニルヴァーナ(涅槃)に入ることができる。なお
この外に煩瑣[はんさ]な解釈がある。
[仏教語大辞典/中村元著・東京書籍] 】
------(ブッダ最後の旅『大パリニッバーナ経/涅槃経』等より)
12前747:2008/12/31(水) 15:34:40 ID:ZPDwu+9x
>>8
これってあなたにご都合主義的に引用されている中村元博士の説なんだけどねえw

「まず第一に仏教そのものは“特定の教義というものがない”。
ゴータマ自身は自分の悟りの内容を定式化して説くことを欲せず、機縁に応じ、
相手に応じて異なった説き方をしていた。
だからかれのさとりの内容を“推しはかる”人々が、いろいろ異なって伝えるにいたったのである。」
            (ゴータマ・ブッダT 417〜418頁)
13前747:2008/12/31(水) 15:43:18 ID:ZPDwu+9x
だからかれのさとりの内容を“推しはかる”人々のなかには
バラモン教義に犯され誤解している出来の悪い奴もいっぱいいただろうという可能性は
大いにあり得るということさ。
 あなたが鰯の頭も信心的な概念仏教徒なら勝手に妄想輪廻しててくれ、というしかないw
14宝珠愚者:2008/12/31(水) 16:00:37 ID:j94YWP7c
前747さんへ

 「無我」とは「我執を捨てよ!」という意味と、もう一つは「五蘊はアートマンでないからアートマンではな
いものを自己と同一視することなかれ!」として述べているのです。五蘊は「私のもの」ではない。五蘊は
「私」ではない。五蘊は「私の自我」ではない、と。真実の自己の確立を原始仏教は説いた。


 「---初期仏教---『スッタニパータ』などの最初期の韻文経典では、無我はさかんに説かれる。それらに
よれば、「無我」は我執の否定ないし超越を意味し、そのような無我を実践し続けてはじめて、清浄(しょう
じょう)で平安な涅槃の理想に到達できるとする。

初期の散文経典では、我(自我、aatman, ??????)を
 「私のもの」(パーリ語:mama ??)
 「私」(パーリ語:ahaM ???)
 「私の自我」(パーリ語:me attaa ?? ?????)
の3種に分かち、いっさいの具体的なもの、具体的なことのひとつひとつについて、「これは私のものでは
ない」「これは私ではない」「これは私の自我ではない」と反復して説く。これらをまとめて、諸法無我(パー
リ語:sabbe-dhammaa-anattaa ????? ????? ??????)という。」
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
15前747:2008/12/31(水) 16:05:00 ID:ZPDwu+9x
たとえばブッダは当時の優秀な弟子たちを集めてこういう問題を出した。
「比丘たちよ、なにがあるによって、なにを執着することによって、なにを貪ることによって、
 我見は起こるのであろうか」
こんな基本的な問題を誰も答えられなかった。おいおい・・・
「大徳よ、われらの法は世尊を根本とします。願わくは、われらのためにそれを説きたまえ。」
判りませんから教えてください、だぜ。
当時のサンガの比丘たちの平均レベルってこんなものだったらしい。

宝珠愚者なら天才だからこんな問題には即正答だろうが。
ブッダはもちろん答えている、ため息が聞こえそうだw
出所経典は伏せておくから、答えてみてくれ。

16前747:2008/12/31(水) 16:09:22 ID:ZPDwu+9x
>>14
>>15は我見(アートマンといっていいだろう)の起こりを問うブッダの直門だね。
ちょうどいいタイミングだったw
17宝珠愚者:2008/12/31(水) 16:14:24 ID:j94YWP7c
スレ3/732
>釈迦の教説の本旨はやはり
>>1119 (ブッダが答えた)、
>「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。
>このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」
>そうすれば死を乗り越えることができるであろう。
>これでしょう。

これは、
 「自我に固執する見解をうち破って」 =無我の教え
 「世界が空なりと観ぜよ」 無我=空
 「<死の王>は、見ることがない」 解脱=ニルヴァーナ=不死=永久不滅
自分で書いてて分ってないようです。
181/3 初代スレ7:2008/12/31(水) 16:19:20 ID:P1o/gjw7
>>9
ほほうw
((年明けにでも?)まとめて指摘しようと思ってたことと関連するが)、自分から引用しましたか・・・。
ならば、その部分だけピンポイントで・・。

貴方は、
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1229771174/23に於いて
 >  私は原理主義者(一句たり逃さず書かれてある通りの意味として受け取る)ではありません。書かれ
 > て在ることの背景であったり、その前後の文脈であったり、いろいろな要素からみて判断します。原始
 > 経典については、私は概ね記述通りでいいという部分が圧倒的だと見なしています。
 >  ただ、梵天勧請での「梵天」(ブラフマン/プラフマー)というのは、ゴータマ自身の心の中での葛藤にお
 > ける「良い思考」(これは我々にとってのかな?)を象徴的に示しています。
 >  ゴータマが苦行に精進している最中に出現した悪魔ナムチの例は、苦行を辞めるよう誘惑してきます。
 > これも辞めてもっと世間的な善行で十分に良いのではないか?ここまでする必要が一体どこにあるの
 > か?といった心の中に自然と湧いてくる想い「悪い思考」をそのまま表した象徴です。
 >  つまり、心理描写の文学形式の表れなのです。
 ※【心理描写の文学形式の表れ】
192/3 初代スレ7:2008/12/31(水) 16:20:07 ID:P1o/gjw7
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1229771174/31に於いて
 >  その返答は難しいです。その前後と及び全体としてみて整合性が取れているかどうか?といった観点は
 > やはり、とても重視します。あくまでも「そこに書かれてある事柄について」それぞれに!です。
 >  整合性ある全てを説明し得る見解を最も正しい解釈の可能性が高いものとして判断します。
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1229771174/32に於いて
 >  仏典のある部分については「E1:語られた通り」またある部分は「E2:誇張して(譬喩表現として)」、そして
 > またある部分については、「詩的・文学的表現として」であろうし・・。
 > 全部もしくは全体をコレとして決め付けることができない、というのが残念ながら仏典の中身なのです。
 > どこがどっちになるのか?それは自分で読み解いていくです。
 ※【ある部分については「E1:語られた通り」またある部分は「E2:誇張して(譬喩表現として)」、そして
   またある部分については、「詩的・文学的表現として」であろうし】
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1229771174/476に於いて
 >  『「われというものはない」「すでにわれなしと知らば」---その語句の部分だけを抽出して誤解すること
 > なく、他の経及び全体の文脈から語句の意味を理解する必要があります。
と、文献学的なアプローチが、自身の中にもあることを示唆している。
203/3 初代スレ7:2008/12/31(水) 16:22:09 ID:P1o/gjw7
そして、
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1229771174/657に於いて、こう述べる。
 > そう、その600億がそうです(汗)。
 > アートマンは時間と空間の制約の中で、その生成面から見た場合には「ジーヴァ」などと呼ばれる。
 > その600億は厳密にはアートマンそのものではなくて、アートマンを反映する真我であり、
 > 神智学では「モナッド」と呼ばれる。
 > ヒンドゥーではこれを「パラムブラッフマ」(唯一なる実体サット)などといっている。
 > 仏典や仏教辞典を開いても無駄。ゴータマは解説をしなかったのです。

 ※【ゴータマは解説をしなかったのです。】

はあ? (゚д゚)
前段で、比較検討による読み解き方を認め、
表現のうちの幾つかは文学的表現かもしれないことに同意しておきながら、
こと「輪廻」(及び「宿命通」)に関しては適用しない。
(だから、その理由は何ですか?と問うたのです。
 (流れから推測するに、実際に面識のある聖者達の神通に拠っているようですので、
  その姿勢を尊重したレスを心掛けてはいますが・・。 それが『貴方の【頷き】の肝』でしょうから。))
前段は、まあ今は目を瞑っておこうw
しかし、後段の【ゴータマは解説をしなかったのです。】とはどういうことか?
この発言と、「師の握り拳は無い」
及び「>>9 >ゴータマは秘密の教えや特別な教えのようなものについては死に際でも完全に否定しました」
との整合性をどこに見出しているのか? 同じ人物(宝珠愚者)が発したものとして、
弁明の必要のある(重要な)二つの発言だと思われるが如何?
21神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 16:29:33 ID:yzPcB/3Z
>13 :前747:2008/12/31(水) 15:43:18 ID:ZPDwu+9x
>だからかれのさとりの内容を“推しはかる”人々のなかには
>バラモン教義に犯され誤解している出来の悪い奴もいっぱいいただろうという可能性は
>大いにあり得るということさ。

師から弟子へと相伝する中で、誤解する者がいるかもしれないという。
何千人といる教団の教義が書き換えられるだろうか?
バチカンのごときヒエラルキーならそれも起こりうるやも知れない。
一世代何千人という構成員が平等の発言権を持ち、仏身を損ねることを最重罪として
サンガ追放の掟をもつ釈迦の弟子達の中で、佛語を損ねることの方が難しい。
佛語改竄の可能性があるとすれば、限りなく0に近い可能性だろう。
しかも、世界中に散らばった佛伝のどの地域のサンガも輪廻を認めている事実を忘れてはならない。

改竄された可能性が大きいとする見方は、UFOを隠蔽する組織の陰謀を論ずるのと程度は変わらない。
22神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 16:32:15 ID:agi8aaDL

そんなに仏陀もイエスも凄い超越したステージにあるのなら、後世に紛争・殺人・宗教犯罪・論争・・・
などの起こらない、万人に分かる立派な教えを垂れることが可能だった筈w

宗教団体の営業・拡大目的等の理由から、人間からの神格化・崇め奉り過ぎだったということもあり得る☆

.
/)/)
(・ー・)ノ   ■ とにかく2500年もの長い間、誰も実証出来なかったという<事実>が
゚L-J                     既に根拠の無いことの証明になる筈  ■


23初代スレの5:2008/12/31(水) 16:42:21 ID:Hr07DD8D
なんか、かなり私の論旨を捻じ曲げておられますね。
私は何度も書いているように「釈迦が輪廻に言及したことはない。」
とは一度も言ってませんね。あくまでも「釈迦の教説の中心は無我、空
へと繋がる『妄執』の消去」  これが本旨であって、輪廻業報思想と
いうのは釈迦にとっては「どうでも良いこと」 当時の普遍的概念であった
輪廻思想をあえて否定して、「おかしな奴だ。」と思われて、人々の耳を
ふさいでしまうような愚はおかさず、修行への動機づけには使用しよう。
と、このくらいの認識にすぎなかったと言ってるわけですね。(釈迦は
対機説法の名人でしたから十分考えられますね)
その論拠として最古層仏典であるスッタニパータの第4、第5をあげてる
わけです。
本当に第4、第5を全て読んでいるのでしょうか?
その全体像を見たとき、本当にこれが「輪廻業報思想を説く目的で書かれた」
のだと主張するひとがいるのでしょうか?
本旨はあくまでも「論争は無意味であること」 「妄執を消し去るべきこと」
であり、表現を色々変え、繰り返し説かれていることはこのことですね。
確かに輪廻を想起させるような表現はいくつか散見されますが、それは
あくまでも「妄執を捨て去る」べきことを強調するための強意表現、すなわち
動機づけの意味にしかすぎません。

24初代スレの5:2008/12/31(水) 16:43:32 ID:Hr07DD8D
さて、それでは各論に移りますが
>1075 「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? 
或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか? 
聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。
あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」
1076 師は答えた、
「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。
かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。
あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、
あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」

釈迦が「輪廻業報思想」をその教義の中心としていたならば、なぜ
ここではっきりと説かないのか?
彼が解脱しているのであれば「輪廻は断ち切れて再生することがない。」
となぜ説かないのか?
「かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。
あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、
あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」
なぜ、このように答えなければならないのか?
25初代スレの5:2008/12/31(水) 16:45:15 ID:Hr07DD8D
また同じように
836 (マーガンディヤがいった)、「もしもあなたが、多くの王者がもとめた女、
このような宝、が欲しくないならば、あなたはどのような見解を、
どのような戒律・道徳・生活法を、またどのような生存状態に
生まれかわることを説くのですか?」

これに対して
837 師が答えた、「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、
ということがわたくしにはない。諸々の事物に対する執著を執著であると
確かに知って、諸々の偏見における(過誤を)見て、固執することなく、
省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。」

なぜこのように答える?輪廻が釈迦の教義の主眼であるならば、
なぜここで輪廻業報思想をとかない?
なぜ「執着を捨てろ」としか言わないのでしょうか?

このような例を見ても釈迦が輪廻を自己の教義の中心とすることに
積極的ではなかったことが明らかですね。

また1009の部分が業の思想を述べていると繰り返し書かれておりますが
あれは第5の「序」の部分ですね。 あれは第5の中ででも唯一例外で
最古層とは考えられておりませんね。(ニッデーサに語句解釈がないこと
からみても後代に付け加えられたという説が有力です。資料的価値に疑問符がつきます。)
よって私は、第5の序を自説の論拠として用いたことはありません。
26前747:2008/12/31(水) 16:48:52 ID:ZPDwu+9x
>>17
>解脱=ニルヴァーナ=不死=永久不滅
まさか誤解してはいないだろうな?
生死、有無などの二項対立を超越した「中道」という意味で、
永久不滅という語はいかにもヒンドゥ的誤解を招く。不生不滅。
27宝珠愚者:2008/12/31(水) 16:53:52 ID:j94YWP7c
>>15
>こんな基本的な問題を誰も答えられなかった。おいおい・・・
>当時のサンガの比丘たちの平均レベルってこんなものだったらしい。

 呆れかえる・・。ゴータマの直弟子たちを愚弄するのは辞めておいたほうがよい!
 あなたはすでに経典や経典解説書/注釈書、仏教辞典といったものを読んできてるからいうのです。何
一つ読まず知らない状態では、あなただって何一つ答えられない。ていうか・・まともな正解は出せないで
しょう。

 しかも、今度は私にテストですか?
 そんな・・・似た経文の部分ならば沢山ある。愛執(タンハー)であるとか・・。回答もそのときに応じていろ
いろ可能ですよ。しかし、どの回答でも間違いということにはならない(正しく理解しているならば)。

 では回答します。
 まず文脈からみて、これも五蘊無我について教えていることはまず間違いがない。つまり、五蘊はアート
マン(自己)ではない。しかし人々は五蘊がアートマン(自己)である、五蘊が自己のものであるとする見解
にとらわれてしまっている。その思いに執着し自己のものだとしてこれを貪っている。このことが我執/我見
であると。五蘊は死後に崩壊し各元素に帰するものであるから、死後にもそこに永続する実体は何もないと。

 ただし、勘違いしてはいけないのは、五蘊は最初からアートマンなどではないということ。分ります?
 五蘊だから、そこには意志作用や認識作用も含めていう。これがパーソナリティーの低我(表層意識)で
あり、これが死後にも永遠に存続することを人々は願っているのですよ。しかし、これも死後には崩壊して
存続しないものであるから、永久不滅のアートマンではない(死後、一定期間留まる異常な正体が中有/
心霊存在)。
28宝珠愚者:2008/12/31(水) 17:03:58 ID:j94YWP7c
>>18-20
なるほど、初代スレ7さんらしい指摘です。
これはたぶん簡単に返答できそうです。

では、もしかしたら、
次は年明けからの投稿になるかもしれません。
私は無駄という見たかはしておらず、実に有意義な議論だったと思っています。
様々な意見が見られたことには意義があったと。

それでは皆さん、良いお年をお過ごし下さい。ペコリ
29神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 17:15:40 ID:gyfuw/Jk
>>23
>23 名前: 初代スレの5
>なんか、かなり私の論旨を捻じ曲げておられますね。
>私は何度も書いているように「釈迦が輪廻に言及したことはない。」
>とは一度も言ってませんね。あくまでも「釈迦の教説の中心は無我、空

以下ははっきりそう説いてるますね。

>前732 名前: 初代スレの5
>時間があったので、改めて最古層仏典(スッタニパータ第4、第5)を
>読み返してみましたが、やはり「輪廻業報思想」を説いてると観られる
>箇所はありませんね。繰り返し説かれていることは、「論争の無意味さ」

こう書いて置いて「論旨を捻じ曲げ」というあなたの言説というか、
認識は妥当なものとは思えませんね。

>本当に第4、第5を全て読んでいるのでしょうか?
>その全体像を見たとき、本当にこれが「輪廻業報思想を説く目的で書かれた」
>のだと主張するひとがいるのでしょうか?

輪廻業報を前提とする苦からの解脱が目的でしょう。
仏教徒で輪廻を素晴らしいもの、喜ばしいものと解釈する人は誰もいません。
あなたは、本当に文章が読めない人ですね。

>また1009の部分が業の思想を述べていると繰り返し書かれておりますが
>あれは第5の「序」の部分ですね。 あれは第5の中ででも唯一例外で
>最古層とは考えられておりませんね。(ニッデーサに語句解釈がないこと
>からみても後代に付け加えられたという説が有力です。資料的価値に疑問符がつきます。)

それなら最古層仏典(スッタニパータ第4、「序」を除く第5)と書くか、
スッタニパータ最古層部といった書き方をすべきでしょう。
自分の表記法に問題があると思わないのでしょうか?
30神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 17:16:41 ID:agi8aaDL


■オウムは き・え・ろ!!

        
          || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
          || 輪廻転生は 。   ∧_∧  いいですね。
          ||   有害!★ \ (゜Д゜,,)
          ||________⊂⊂ |
  ∧ ∧    ∧ ∧    ∧ ∧   | ̄ ̄ ̄ ̄|
  (  ∧ ∧ (   ∧ ∧ (  ∧ ∧ |    |
〜(_(  ∧ ∧ __(  ∧ ∧__(   ∧∧ ̄ ̄ ̄
  〜(_(  ∧ ∧_(   ∧ ∧_(   ∧ ∧  は〜い、先生。
    〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
      〜(___ノ  〜(___ノ  〜(___ノ



31神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 17:23:58 ID:2sfNdLuM
>>23
あなたこそ、自分の主張をシフトさせていますね。
前すれの↓には如何こたえるのですか?
根性ねじくれていませんか?

http://d.hatena.ne.jp/ajita/20060402/p2
並川『ゴータマ・ブッダ考』ですが、まったく受け入れられません。
>なぜなら、経典を最古層と古層に分け、最古層より古層が輪廻に対して積極的だということから、
>釈尊が最古層より輪廻に対して消極的で「あくまで現世に力点を置くという態度を強く示していた
>のではないかと推定できる」としています。ですが、その根拠である最古層が輪廻に対して否定的表現をとる
>から消極的というのは、他生や再生が望まれないことを指しているからです。
>他生や再生、つまり輪廻を厭う、否定的であるというのは通仏教的であり、
>特殊な表現でないことはお二人には自明のことでしょう。
>それに対して古層が輪廻に対して積極的というのは、輪廻の中で良い生まれを望むことを指してます。
>これまた通仏教的で、生天と言われ解脱に向かわない人への方便的教え、本来否定されますが、
>悪趣に行くよりはマシといった内容であることも、お二人には自明のことでしょう。
>つまり「資料に対して一貫した姿勢で臨み、それに基づく研究が徹底され」ているのではなく、
>釈尊は「現世に力点を置く」としたいために意図的に最古層が輪廻に対して消極的だと解釈しているのです。
>この現世というのは、彼が馴染んでいる常識的世界観であることは明らかでしょう。
>このような研究はまったく支持できません。
>凡人が馴染んでいる常識的世界観、つまり普通の認識が無明に覆われて倒錯した見方をしていて、
>それを行によって打ち壊さなければならないのに、かえって凡夫の常識的世界観を
>擁護する仏教学者が多いのには、困りものです。輪廻解釈はその試金石になると思いませんか?
>(ちなみにこの常識的世界観から逸脱した思想がカルトと呼ばれるようです)
>しかし世の中はこの常識的世界観を擁護する仏教学を好むものです。理由はもう言うまでもないでしょう。
32初代スレの5:2008/12/31(水) 17:45:35 ID:Hr07DD8D
>>29 意味がわかりませんね。

>前732 名前: 初代スレの5
>時間があったので、改めて最古層仏典(スッタニパータ第4、第5)を
>読み返してみましたが、やはり「輪廻業報思想」を説いてると観られる
>箇所はありませんね。繰り返し説かれていることは、「論争の無意味さ

私は「輪廻業報思想」を説いてると観られる
箇所はありませんね。  と書いたのであって「輪廻に関して言及した
箇所などない」 とは書いてないでしょ?

ところで>>24 >>25 で述べた 1076や837の釈迦の回答の合理的解説を
お願いします。「釈迦が自己の教義の中心に輪廻業報思想をおいているのであった
ならば、なぜそこで説かなかったか?」
33神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 17:51:12 ID:gyfuw/Jk
>>32
輪廻に言及することは「輪廻業報思想」を前提とするからじゃないんですか?
いやはや、あなたの仰ることはわからない。

>ところで>>24 >>25 で述べた 1076や837の釈迦の回答の合理的解説を
>お願いします。「釈迦が自己の教義の中心に輪廻業報思想をおいているのであった
>ならば、なぜそこで説かなかったか?」

既に答えてますよ。
34初代スレの5:2008/12/31(水) 18:10:46 ID:Hr07DD8D
>>31 全くとるに足らない説だったので今までスルーしてきましたが
答えておきます。
31で述べられてる論旨は、「並川氏が自説の根拠として、『最古層
仏典が輪廻に対して否定的表現をとる』ことに対する反論ですが、並川氏
の著作を読めばわかるように、それは論拠のほんの一つにすぎず
私自身、全くその点(否定的表現であるか否か)を重要視しておらず
そのことに言及したことはありません。(過去ログ参照)
(おそらく書評を書いたひとが、その中でそう述べたため、『否定表現』
の部分がクローズアップされてしまったのでしょう。
31の意見を書いた人は、それ以外の並川氏の主要論拠については、一切
触れておられませんね。 

>あなたこそ、自分の主張をシフトさせていますね。
何を根拠にこのようないいがかりをつけるのでしょうか?
私の主張は一貫して「釈迦は自己の教義に輪廻を取り入れることに
対して積極的ではなかった」 と、このように述べてきております。
初代のスレにも繰り返し書き込んでおります。
35初代スレの5:2008/12/31(水) 18:16:58 ID:Hr07DD8D
>>33 >輪廻に言及することは「輪廻業報思想」を前提とするからじゃないんですか?
いやはや、あなたの仰ることはわからない。

全く違うと思いますね。
「輪廻」が当時、普遍的な思想であるならば、自己の主張の強意表現、
すなわち動機付けに使用することは十分理由の有ることです。
必ずしも「前提」とは限りませんね。

>既に答えてますよ。

レス番をよろしくお願いします。
361/2 初代スレ7:2008/12/31(水) 18:57:46 ID:P1o/gjw7
先日、7時のニュースで、広島の交通事故を伝えていた。
おそらく田舎だろう。だだっ広い中に道路が走り、道沿いの家には塀もない。
花壇に花を植えようと庭に出ていた親子三人が轢かれたそうだ。
母娘は死亡。父親は意識不明。娘は4歳だったそうだ。
もし、父親が助かって二人の死を知った時、彼の胸に何が去来するだろう・・。
何が因で(縁で)父親の苦は生じるのか。何が因で(縁で)母娘は命を落としたのか。

輪廻があってもいい。前世の業があってもいい。
だが、この時、私は、
間違っても「母娘は前世の悪業により死んだのだ」などと言いたくはない。
父親に「前世の悪業を背負った女性と結婚し、前世の悪業を背負った娘を設けたのだから避けられない苦である」
などとは言わない。「父親自身の前世の悪業故に母娘を失ったのだ」などとは言わない。
本村さんの件も同じだ。綾瀬コンクリート事件の被害者及び遺族についても同じだ。
 (※前にも記したが、《ここをフォローする言辞なくして、輪廻や前世の業を語るべきではない》と私は思う・・・。)

残酷だが(仏教的に)指摘できることといえば、(キサーゴータミーの時の如く)、
「(様々なタイミング・時期・時節があろうが)死が生ずること」は不可避である」ことと、
「二人の“生”が何事もなく(長期にわたって)続くこと、続いてほしいと願うことは執着の一端である、
 (→教義的に言えば、無常・無我を見ていないことに起因する)」こと以外にはなかろう。
372/2 初代スレ7:2008/12/31(水) 18:59:06 ID:P1o/gjw7
(私自身も記述(の仕方)にこだわる方だがw)、記述(の仕方)にこだわる方々に問いたい。
《なぜ、キサーゴータミーに対し、「輪廻及び前世の業」が説かれなかったのか?》と。
《「輪廻及び前世の業」が仏教の“最大にして最重要の”教説なれば、なぜ、その時に説かれなかったのか?》
《これ以上にない、絶好のタイミングではなかったか?(三カッサパに火の譬えを示したように・・・)》
 (※赤沼辞典には多くの諸伝が示されているので、或いは、その中にはそのような教示もあるかもしれない・・。
   が、長老尼偈に残される告白をみても、
   彼女の胸を打った(≒目を覚まさせた)言葉は「輪廻及び宿命通」ではなかったように思われる・・。
   唯一、「(そなたは)・・・・・・幾千度か転生せり(南伝)」
   「・・・・・・幾千(の苦しみの)生涯にわたって、そなたは涙を流した(岩波文)」とあるのみ。
    ※(この一偈だけで十分だろうか・・・? 凡夫の生の前提(脱すべきもの)ではあっても、
      中心の教説(その方法)ではないようにも見える。
      また、今ある「子を失った苦」も「幾千かの生涯で受ける多くの苦のうちの一つ」にすぎない、
      という意味しかないようにも見える。))
       ※参: Khi^Nakuli^ne kapaNe, anubhu^taM te dukhaM aparima^NaM ,
            Assu^ ca te pavattaM , bahu^ni ca ja^tisahassa^ni.



ま、年の暮れの戯言です・・。 スルー推奨w
38神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 19:23:30 ID:qAN0tXjH
>>36>>37
輪廻がブッダの所説として存在しているのは、輪廻を忌むべきもの、避けるべきもの、厭うべきものとして説かれている。
それらからの「出離」を説いているのである。
論理は倫理の裏づけがないと成り立たない。
輪廻からの出離という論理を説くブッダが、倫理を外れる輪廻の用い方をするはずもない。
あくまでも、生死流転からの出離が基本である。


あなた方の理解しているような仏法を、今日にも日本全国の坊主が理解して行じるならば、
今夜から、かれらは葬式に来て人間死んだらおしまいよ、死んだらなーんにもなくなっちゃうからね。
生き残っていま泣きっ面して死んだ人間に執着してる奴等もそのうち死んだら楽になるから、心配スンナよ。せいぜい生きてるうちに楽しくやんな。と説教してくれるだろう。


何度も何度もくり返し同じ事を様々な輪廻前提派の人たちが語っているが、全て無理解という徒労に終わるのは語る人の責任ではない。
39初代スレの5:2008/12/31(水) 19:28:09 ID:Hr07DD8D
さてと、今年も残りあとわずかとなりましたが年が替わるまえに
皆様にご挨拶申し上げます。
「本年度はこのスレにおいて仏説につき数々のご教示を賜り心より
喜んでおります。スレ主さま初め多くの方々に感謝しております。
来年もまた、よろしくご指導お願い申し上げます。」
40神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 19:31:15 ID:17926vWA
>>34>>35
私は並川氏のその書は読んでいないよ。取るに足らないと思っているからね。

「ゴータマ・ブッダ考」
表紙裏の要約によれば、本書は、
1)私たちがよく知っているゴータマ・ブッダの生涯や事跡は、彼の死後に弟子たちが中心となって後世に伝えたものです。
2)しかし、そこに語られる事柄の大半は、ゴータマ・ブッダに対する信仰心などによって(つくられたもの)であると考えられます。
3)その認識に基づき、幾層にも塗り重ねられた伝承資料を批判的に眺めるとき、仏弟子たちの意図が明らかになってきます。
4)たとえ尊敬の念からであったとしても、その作為の跡を取り除かなければ、(実際にゴータマ・ブッダがどのようなひとであったのか)は解明されることはないでしょう。
5)本書は、このような視点から、もはや動かし難いと思われている重要な事柄について、改めて資料を見直した結果、浮かび上がってきた幾つかの新たな考え方を示したものです。
41神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 19:32:50 ID:17926vWA
上座仏教のパーリ仏典のうち、アングッタラ・ニカーヤなどは他のニカーヤに
比べて新しいと言われているので、著者の言うように、文章化された
“生涯や事跡”から第一結集の内容を浮き彫りにできれば、それは極めて画期的なこと思われる。
しかし、上記の1)については、“生涯や事跡”を伝えたのはどのような弟子たちであり、
しかも後世の誰に伝えようとしたのか、を明確にすることが重要である。
第一結集で確認された経と律は、原始仏教の阿羅漢が後世の阿羅漢に伝えようとしたものである。
その内容を理解できない、つまり阿羅漢でない修行者たちが理論構築に走った
小乗仏教では著者の言うような作為が行われたと思われる。
しかし、そのようなことが原始仏教で起こっているとするならば、
どの経典のどの部分で誰を対象にしてどのような作為が行われたかを明確にしなければ、
上記2)の“つくられたもの”、上記3)の“幾層にも塗り重ねられた”、
上記3)の“作為の跡”、という表現は著者の独断と考えざるを得なくなる。

しかも、その作業には経典をまとめた弟子たちと同等以上の境涯に立つことが必要と思われる。
そうでなければ、釈尊の悟りの宣言を理解できなかったウパカが示した理解不能という間違った判断を繰り返す恐れがあるから。
42机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/31(水) 19:38:40 ID:JYmNY0I8
>>36
>母娘は死亡。父親は意識不明。娘は4歳だったそうだ。

その後、父親は肝臓破裂で亡くなりました。
人生とは不条理ですよね。
こういう息も詰まるくらいな不条理観において除夜の鐘を聴くんですよ。

正月気分でウキウキ状態じゃ〜ないですよ。
不条理も全部受け入れて、そして無心にですね。
さすれば、鐘の音が脳を刺激して、なにかが閃くかもしれませんね。

不条理を理性で割り切ろうとしても、それは業報論とかの観念しか挿入されない。
そのベクトルとは違いますね。
43机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/31(水) 19:42:39 ID:JYmNY0I8
>>39
>来年もまた、よろしくご指導お願い申し上げます。」

ことらこそ宜しく御教示ください。

で、どなたか来年になって閃き(気づき)がありましたら
スレにて報告願います。
44初代スレの5:2008/12/31(水) 19:44:19 ID:Hr07DD8D
すみませんが今「ガキつか」見てまして、とても返信するような
状況ではありませんので、また年が明けましたら改めてレスさせて
いただきます。  申し訳ありません。
45前スレ170:2008/12/31(水) 19:56:34 ID:O0xJigv+
怒涛の書き込みを眺めるだけで精一杯です。
そんな中でも、前スレから並川氏の著作に関する議論が地味に行われていたりして、よいですね。

今スレ30さんへ
輪廻思想が有害だと思うなら
「■オウムは き・え・ろ!!」ではなく
「■仏教は ほ・ろ・び・ろ!」にしたほうがよくはないですかな?
現に部派・大乗・金剛乗の教義はそういう有害(?)なものでてんこ盛りです。
ただ、平和を愛するジャイナ教徒には手加減をしてあげてくださいね?
46神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 19:59:29 ID:gyfuw/Jk
>>35
もう結構です。

もう、仏教について書かない方がいいですよ。
母国語で、しかも命がけでその教えを学んできた聖者方より、
翻訳で、カギツカの片手間に考えるあなたが分かってると思うとは。

よいお年を


あらためて、みなさまよいお年を。
47初代スレの5:2008/12/31(水) 20:07:55 ID:Hr07DD8D
あら、「ガキつか」 みる人は、仏教を学んではいけなかったのですか。
それは知りませんでした。申し訳ありません。
48神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 20:13:41 ID:gyfuw/Jk
>>37
>(私自身も記述(の仕方)にこだわる方だがw)、記述(の仕方)にこだわる方々に問いたい。
>《なぜ、キサーゴータミーに対し、「輪廻及び前世の業」が説かれなかったのか?》と。
>《「輪廻及び前世の業」が仏教の“最大にして最重要の”教説なれば、なぜ、その時に説かれなかったのか?》
>《これ以上にない、絶好のタイミングではなかったか?(三カッサパに火の譬えを示したように・・・)》

先ず、「輪廻及び前世の業」が仏教の“最大にして最重要の”教説とは思いません。重要な前提です。
なぜか、病人に病気である自覚を持ってもらうようなもんです。
病人である自覚があって始めて、苦しい治療にも耐えられるように
輪廻にいるという自覚があって始めて、戒律や禅定にも耐えられるからです。

キサーゴータミーに何故、説かなかったか? そんな半狂乱の人に論理・道を語っても仕方ないでしょ。
だから、方便で誰もが死ぬという自覚を持たせた。
釈尊は自覚のない人には説きませんから。
当然、キサーゴータミーにもその後で輪廻等から教えたと思いますよ。
49悪寛:2008/12/31(水) 20:20:52 ID:ZPDwu+9x
本年は皆様方にはお世話になりました。
来年もいろいろご教授くださいませ。

ちなみに、あと六日で良寛さんの命日です。
頭の片隅に記憶していただいて、偲んでいただきたいと思います。
良寛さんなら輪廻のことは判らんで済ませられることでしょうね。
あってもなくとも、随縁且従容。
どっちでもいい程度のことでしょうね。

天保二年正月六日午後四時没(1831年)

     良寛74才

     良寛の法名   「大愚良寛高首座」

     和島町 隆泉寺に眠る



     明治五年二月十一日没(1872年)

     貞心尼75才   

     貞心尼の法名  「孝室貞心比丘尼」

     柏崎市 洞雲寺に眠る



           合掌!!

50神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 20:21:29 ID:5STVq2f7
>>45
>「■仏教は ほ・ろ・び・ろ!」にしたほうがよくはないですかな?

あなたは、「輪廻転生」以外には、仏教に真理を見出せないのですか。
51神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 21:02:57 ID:/oQr/3mK
>>44>>47
ガキつか必死で見てる割には、こまめにスレをチェックしながら丁寧にお返事とは、いやはや優しいお方です。
頭が下がります。よいお年を!
52神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 21:10:59 ID:f7uM242n



□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪


■仏教の根本思想は、「個は他との関連においてのみ存在し得る(縁起・
空)」ということ。

この「関係性の原理」は、「世界のすべて」に対して適用される、まさ
に「永遠の真理」である。☆★

■ この思想は、聖書からは「絶対に」出てこない。 ■

仏教とキリスト教との相似性などを口にする者は、根本的な誤りを犯して
いるのである。 ☆★

(*^。^*)


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪



53神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 21:25:08 ID:Ndh+DQ8l
「よいお年を」という言葉から
偽善臭が、たちのぼる
54神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 21:41:46 ID:f7uM242n
神も仏も名無しさん 投稿日:2008/12/31(水) 19:33:09 ID:3q1DTr+y

■仏教も、キリ教も、根本は一緒なので、わかる人になればよろしい。

846 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/12/31(水) 21:18:41 ID:p1aZFTjP

■仏教との完全一致に到達せねばキリスト教を知ったことにはなりません。

↑ 正に宝珠愚者初めとするクリ達のモクロミ・本音では?

クリスレのレスです。

この方法でいつも強引にキリスト教は、現在まで拡大してきたのでしょうw

全く、タクマシイというか・・・・・狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂!!

55神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 21:46:36 ID:J6C9wXu+
>>45
>「■仏教は ほ・ろ・び・ろ!」にしたほうがよくはないですかな?

呪われた宗教ともいうべき一神教の惨状に鑑み、仏教に期待をよせる
人々は、国内・国外共に多い。
ニーチェは、キリスト教のすべては「妄想」として、徹底的に批判する
一方、仏教は「唯一の実証的宗教」「心の衛生法」として、極めて高く
評価している(「反キリスト者」)。キリスト教の神学者でさえも、
「キリスト教が今後向うべき方向は仏教」と言っている。
仏教の中心思想が「輪廻転生(cycle of reincarnation)」などと解すれば、
単なるオカルト宗教として、誰も相手にはしなくなるだろう。
仮に仏陀が、バラモン教の影響下において「心ならずも」輪廻転生に言
及せざるを得なかったとしても、現代人としては、そのような荒唐無稽
な部分は一切無視して、「真理」の部分だけ採用すればよいだけである。
そもそも、宗教は、現実界に還元できない「観念」を語るが、「観念」は、
百人百様であり、その正誤・正邪の判断基準としての、厳然として実在
する現実界がなければ、いくら議論してみても、争いの原因となるだけで、
何らの合意に達することもできない。
自然科学における真理については、全人類的な合意が容易に到達できるが、
宗教における「真理」は、当該宗教・宗派内における真理に過ぎず、常に
争いの原因となるだけなのは何故かを、考えるべきである。
今後の宗教には、「現実界に還元できない観念は語らない」「脅迫の要
素は排除する」「如何なる教義も人命に優先しない」ことを、法律によ
って強制すべきだろう。さもなければ、宗教は、人間にとって弊害以外
の何物でもないことによる。現実界においてのみしか生存できない人間
にとっては、「観念論」「脅迫」「生命否定」は、害のみで、何らの益
ももたらさないことは、明らかだからである。
561/2 初代スレ7:2008/12/31(水) 22:05:07 ID:P1o/gjw7
>>48
解り易い解説ありがとうございますw (特に“病気の自覚”)
貴方なら、誠実に(明確に)答えてくれると思っていました。感謝。

>先ず、「輪廻及び前世の業」が仏教の“最大にして最重要の”教説とは思いません。重要な前提です。
>>38前段にも同意ですが)、私もそのように考えます。(「解脱」とは「輪廻からの解脱」である、と。)

>先ず、「輪廻及び前世の業」が仏教の“最大にして最重要の”教説とは思いません。重要な前提です。
けど、このスレでは、どうもそうではないような空気なので、私も極端な発言が多くなりますw (^^;
ましてや、「(菩提樹下の)成道(の根幹)は宿命通である(宿命通を得ることにある)」という発言を聞くと、
浅学な私でも「え!?」となります。「ちょw」となります。
(ちなみに、貴方もそうお考えですか?「宿命通を通過すること無しに他の教説の理解は無い」と。
 (けど、修道論上(菩提の支節区分上)は、そうならざるを得ないのか・・・w))

>そんな半狂乱の人に論理・道を語っても仕方ないでしょ。
なるほど。確かに、仰る通りですね。 同意せざるを得んか・・・w
>当然、キサーゴータミーにもその後で輪廻等から教えたと思いますよ。
その可能性も否定できませんね・・。
(出典・経証は?とは問いませんw 私もそのような様々な推察はしますので・・・。)
572/2 初代スレ7:2008/12/31(水) 22:09:13 ID:P1o/gjw7
>>48
>輪廻にいるという自覚があって始めて
2500年前のインドに於いては、当然の感覚であったのでしょう。
あらためて説いたり確認したりする必要のないものであったのでしょう。
では、現在(日本)に於いてはどうか。
貴方もやはり、≪【まず「輪廻」を信じさせて】【それから「他の教説」を説く】べき≫というお考えでしょうか。
 (それとも、当時のインドに於いても「輪廻する」ということは新しい世界観だったのでしょうか?
  それとも、《「前世の業が今生の果を生み、今生の業が来世の果を生む」という考えを、新たに輪廻に付加した》
  ということでしょうか?)

これは、「現代(日本)における仏教の語り方」として興味深いテーゼだと思いますが・・・。


(もっとも、続く文章の >自覚があって始めて、戒律や禅定にも耐えられるから を考えると、
 『今の日本人にこそ「輪廻への畏れ」が必要なんだ!』という宝珠氏の熱い想いも解らないではないですが・・・。
 (この効能は大きなものだと私も思います。))
58神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 23:12:35 ID:f7uM242n
>>55
>今後の宗教には、「現実界に還元できない観念は語らない」「脅迫の要 素は排除する」
「如何なる教義も人命に優先しない」ことを、法律によって強制すべきだろう。☆★
さもなければ、宗教は、人間にとって弊害以外 の何物でもないことになる。

ス・バ・ラ・シ・イ!!ご隠居氏のレス!! ヽ(^。^)ノ


☆************************☆*******************************☆

. /)/)   ■キリスト教の「罪の思想」と仏教の「輪廻転生の思想」は、
(・ー・)ノ     人間の「生」にとって極めて有害だから、
゚L-J             全面的に廃止すべきもの。■

☆************************☆*******************************☆


59前スレ170:2008/12/31(水) 23:34:06 ID:O0xJigv+
58さんへ

>58 :神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 23:12:35 ID:f7uM242n
>>>55
>>今後の宗教には、「現実界に還元できない観念は語らない」「脅迫の要 素は排除する」
>「如何なる教義も人命に優先しない」ことを、法律によって強制すべきだろう。☆★
>さもなければ、宗教は、人間にとって弊害以外 の何物でもないことになる。
>
>ス・バ・ラ・シ・イ!!ご隠居氏のレス!! ヽ(^。^)ノ

おやおや、55さんは名乗っていないのに58さんには名前がわかるんですね。
60神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 23:34:50 ID:f7uM242n


★彡☆彡☆彡☆彡☆彡★彡☆彡☆彡☆彡☆彡★

皆様、良いお年をお迎えください!ありがとう!

 (・∀・)ノ~~マタネー☆.♪〜☆
61神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 23:37:35 ID:gyfuw/Jk
>>56
7さんは立派な方ですね。

>ましてや、「(菩提樹下の)成道(の根幹)は宿命通である(宿命通を得ることにある)」という発言を聞くと、
>浅学な私でも「え!?」となります。「ちょw」となります。
>(ちなみに、貴方もそうお考えですか?「宿命通を通過すること無しに他の教説の理解は無い」

そんなこと思いません。宝珠愚者さんやカラスさんの見解はよく分かります。
私も初学者の時にそのような見解だったからです。
今、思うと縁起を全く理解してなかったといわざるえません。

そもそも、縁起は観なのです。止という精神集中の禅定状態に入らずに
縁起をただ論理的に理解しても大した効果はないでしょう。
でも、禅定状態で縁起を観ずると無我や空性を現観・体験できると諸伝統で説かれています。
これはパーリ経典にもはっきり説かれています。『大本経』や『律・大品』が有名ですが、
田中教照先生が『岩波講座東洋思想インド仏教3』で『象跡喩小経』に基づく修行階梯を次のように
簡潔に概観しています。宿命通も縁起も、これを見ればどの段階のものか分かるでしょう。

62神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 23:39:09 ID:gyfuw/Jk
1. 如来の説法と資産家たちの出家
2. 戒の修得
 1.身行清浄(不殺生など)
 2.語行清浄(不妄語など)
 3.生活清浄(種子を傷つけないなど)
3. 感官(眼〜意)の制御
4. 正念正知
5. 独住遠離、五蓋(貪欲・瞋恚・棔眠・掉悔・疑)の捨断
6. 初禅
7. 第二禅
8. 第三禅
9. 第四禅
10. 宿住随念智
11. 死生智
12. 漏尽智(四聖諦の観察)
13. 解脱
63神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 23:40:41 ID:gyfuw/Jk
以上は、信戒定慧に纏められます。
1.が「法を聞き、信を得て、出家する」なのですが、
これが生天と言われる準備的な心構え、意識の転換です。
いいことをすれば天に生まれ悪いことをすれば地獄に堕ちるという業因果を信じるかどうかということです。
これは八正道の正見に相当し『大四十経』でこのようにいわれます。田中教照先生の論文より

 比丘たちよ、それでは邪見とは何であろうか。布施なく、祭祀なく、供犠なく、善悪業の報いなく、
 此世、彼世、母、父なく、化生の有情なく、沙門バラモンにして正行正習、自ら此世と彼世を知り
 証して説く者の世になし、と主張する、これが、比丘たちよ、邪見である。

 比丘たちよ、煩悩があり、福徳を分有し、煩悩の拠り所たる心身の展開上にある正見とは、
 布施あり、祭祀あり、供犠あり、善悪業の報いあり、此世、彼世、母、父あり、
 化生の有情あり、沙門バラモンにして正行正習、自ら此世と彼世を知り
 証して説く者の世に在り、と主張する、これが、比丘たちよ、煩悩があり、福徳を分有し、
 煩悩の拠り所たる心身の展開上にある正見 である。

輪廻因果業報を信じない者は、邪見で1.の段階で問題にされません。
64神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 23:41:32 ID:gyfuw/Jk
2.が戒で、諸行為を整える。
3-9.が 定で、これは心の散乱を止め、集中して静めること、つまり止です。
止・サマタの手法は、一点集中に他なりません。
集中先は、なんでもあり、代表的なのはアーナーパーナ、つまり数息観も息への一点集中なのです。
禅定が深まるほど、有相から無相に集中先が移っていき、
その結果、10-11の過去の記憶などが出る。宿住随念智が宿命通です。
この段階で輪廻が体験できます。ですから、輪廻は方便でもなく、
宿命通を経なければ他の教説が分からないということはないでしょう。
そして重要なのが、その禅定状態での12.四聖諦の観察が、ヴィパッサナーに他ならず、
これがなければ、解脱・涅槃できず、ウッダカ・ラーマプッタのように禅定状態や、
宿住随念智・死生智を解脱・涅槃と勘違いしてしまうのです。
そして、宝珠愚者さんやカラスさんの見解は11.までで 四聖諦の観察がないので
空を悟れません。

以上、7さんの視点である現代との会通は私には関係のない考え方なのでコメントは控えます。
65神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 23:42:46 ID:f7uM242n
>>59
>おやおや、55さんは名乗っていないのに58さんには名前がわかるんですね。

そう。ご隠居氏のレスは誰も真似が出来ない独創性をお持ちですから
飛びぬけて素晴らしくすぐ分かります。(笑
66初代スレの5:2009/01/01(木) 01:38:13 ID:R3egwsyS
あけましておめでとうございます。

>輪廻因果業報を信じない者は、邪見で1.の段階で問題にされません。

なるほど。あなたの宗派では輪廻業報思想を信じない者は、第一段階で
門前払いですか。  大変ですね。
67初代スレの5:2009/01/01(木) 02:11:12 ID:R3egwsyS
>そんなこと思いません。宝珠愚者さんやカラスさんの見解はよく分かります。
私も初学者の時にそのような見解だったからです。
今、思うと縁起を全く理解してなかったといわざるえません。

しかし、これもまた、ものすごい物言いですね。
あなたから見れば、宝珠愚者氏もカラス氏も「縁起を全く理解して
いない『初学者』」なんですか。

あなたは、どうやら「自分はかなりの段階まで修行が進んでいる」
と認識しておられるようですが、自分でかかれた13段階のうち、
どこまで到達していると考えておられるのですか?
もしかして最終段階の「解脱」?
68宝珠愚者:2009/01/01(木) 03:29:47 ID:etMqvw80
---年頭のお願い---
このスレは元々、
「断滅論仏教者との議論」を意図して立ち上げたスレです。
ただの無神論/唯物論(そんなものは在る筈がない/害悪である)からの批判なら
わざわざ頂かなくても結構なので(議論の邪魔になる)ご遠慮願います!
また一部の変わった投稿、
キリスト教や一神教がダメといった話題についてはスレ違いなので、どうか他でやって下さい!
(マンガ付でないと投稿できない小学生なのかもしれませんが・・)

>>27訂正
 ×(死後、一定期間留まる異常な正体が中有/心霊存在)
 ○(死後、一定期間留まる異常な状態が中有/心霊存在)
---------------------------------
>>22
>そんなに仏陀もイエスも凄い超越したステージにあるのなら、後世に紛争・殺人・宗教犯罪・論争・・・
>などの起こらない、万人に分かる立派な教えを垂れることが可能だった筈w

 「万人に分る立派な教え」などといった都合の良い云い方は卑怯というもの。当時、その状況下の中にお
いてできるだけ分るように説法されたことは当然であり、それを周囲の理解しない者や遙か後世の無理解
の人間のことまで責任を擦り付けるのは如何でしょうか?自己責任の無さと放棄は別問題です。


>>58
>「如何なる教義も人命に優先しない」ことを、法律によって強制すべきだろう。

 それは本人が自ら望むのだからどうしようもないのでは?あなたは強制力によって人間の精神性を放棄
する気ですか?では、これは唯物思想と宗教の宣戦布告ですね!国民投票でそれが決定するなら望むと
ころですよ。まっ、たぶん思想と自由意志の侵害ということで、多くの国民から反対を食らってそんな法律は
成立できないでしょうが。
69宝珠愚者:2009/01/01(木) 03:31:49 ID:etMqvw80
新年明けましておめでとうございます!
また、本年も宜しくお願い致します。
(ご挨拶が遅れました)
-----------------------------

>>20
>しかし、後段の【ゴータマは解説をしなかったのです。】とはどういうことか?
>この発言と、「師の握り拳は無い」及び「>>9 
>ゴータマは秘密の教えや特別な教えのようなものについては死に際でも完全に否定しました」
>との整合性をどこに見出しているのか? 同じ人物(宝珠愚者)が発したものとして、
>弁明の必要のある(重要な)二つの発言だと思われるが如何?

 別にゴータマは、弟子に隠し事をしてるつもりは毛頭ないのだと思います。ただし、形而上学的な内容
に対する「無記」の姿勢を摂る理由については、ゴータマはこのように明示されました。

 「マールンキャープッタよ、なにゆえにわたしはこのことを説かなかったのか。マールンキャープッタよ、な
ぜならこのことは目的にかなわず、清らかな行ないの基礎とならず、世俗的なものを厭離すること、情欲か
ら離れること、煩悩を消滅すること、こころの平静、すぐれた智慧、正しいさとり、涅槃のために役に立たな
い。それゆえわたしはそれを説かなかったのである。」(マッジマ・ニカーヤ第63経「小マールンキャ経」)

 つまり、ごく簡潔にいうと、アートマン性質などの細部についてこだわってる内に毒矢で死んでしまうぞ!と
いうもの。それらについては知らなくても、毒矢を抜かねばならないことが理解されれば良いのであり、毒矢
を抜く行為によって救われる、という結果は確実に得られるというもの。
 しかし、誤解してはいけないのは、ゴータマは待機説法の人であり、相手によっては人(弟子)の死後の次
の生まれなどについて解説をしたり、また中には「ジャナヴァサバ〔神霊〕(ビンビサーラ王の霊魂)とも対話
したなどの話すらも残っています。要するにアートマン性質こそ解説はしなかったが、転生解説だけは明確
に説いたということ。
70宝珠愚者:2009/01/01(木) 03:32:17 ID:etMqvw80
 『「このように、アヌルッダたちよ、弟子が死去し死亡したとき、如来が『この者は、このところへ生まれる。
この者は、このところへ生まれる』と、再生する場所を予言するのは、人を欺くためでなく、人に吹聴する
ためでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく、『わたしは、このような超能力があることを人は知
れ』というためではない。アヌルッダたちよ、信をもち、広大な信仰をもち、広大な喜悦をもつ、良家の子
はそれを聞いて真理に心をはせる。アヌルッダたちよ、かれらにとっては、それは長いあいだ利益をもた
らし安楽をもたらす」以上のことを世尊は説いた。尊者アヌルッダは、歓喜し、世尊の教説を信受した。』
(中阿含経・第77・帝三族姓子経)
 スレ3/595-597の経、アーナンダに説いたものも同じです。修行の進歩に応じた死後の境地、転生回数
などといった四向四果の解説です。

 この私の場合は、個人的に「愚者」ですから、アートマン性質についても調べ上げており、かなり詳しい。
死後、生前のパーソナリティー情報が何処に刻まれ、どういう人間がどんな転生をするのか、更にはその
再生の過程(生前のデータがどのように刻まれるのか)や再生までの期間における状態についての全て
を把握済みです。
 確かにこれらは、知らねばならない事柄ではありませんが、「道と歩み(実践)」において疎かでないなら
ば、ゴータマの教えには反しないと思います。必要ではないが人によっては余計な疑問が解消され、歩み
もスムースで有利となるかもしれません。これが私が見た時代に適合させる事例です。

 たとえ仏典に相対性理論が説かれてなくても、【ゴータマが解説をしなかった】事柄はすべて間違いであ
るという意味にはなりません。私は自己責任において、自身の中に仏説(ゴータマ)以外の思想も吸収して
おり、そこには矛盾と混乱はありません。
71宝珠愚者:2009/01/01(木) 03:41:21 ID:etMqvw80
---資料---

【3. 前提となる世界観--輪廻・業
 最古層の詩句には、業・輪廻の思想は明確には現れてこない。しかし、当時一般に広まっていたこの
思想は、ごく早い時期に仏教の中にとりいれられた。『スッタニパータ』でも第 3章には濃厚に現れ、そ
の第10経コーカーリヤには嘘の報いとして落ちる地獄のありさまが詳しく説かれる。このような思想は
大衆教化に重要な役割を果たしたと思われる。このことは仏教説話『ジャータカ』からも推測される。『ジ
ャータカ』は、大衆向けの教訓的な寓話をブッダの前世物語として説くものであるが、ここには業・輪廻
の思想が前面に押し出されている。
 輪廻の観念を受けて、苦しみからの解放は、この苦しみの生存からの離脱、すなわち輪廻から脱する
ことであると考えられるようになる。そして、悟りを表す表現は、次のように定型化された。
「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。もはや再びこのよ
うな生存を受けることはない」
72宝珠愚者:2009/01/01(木) 03:42:11 ID:etMqvw80
 ところで、何に生まれ変わるかを決定する原因が何であるかについては、ブッダ時代の一般社会にお
いて、さまざまに考えられていた。臨終に際しての意志によるとの考え、あるいは神の意志によるとの考
えもあったが、支配的な考えは、前世における業によるという考えであった。
 ブッダと同時代の自由思想家の中には、プーラナ・カッサパやアジタ・ケーサカンバリンのように、業の
因果応報を積極的に否定したものもあった。彼らは善悪の行為が後に安楽と苦しみの果報をもたらす
ことはないと考えた。またマッカリ・ゴーサーラのように運命論を説く人もいた。さらに、業の因果応報思
想の中には、前世での行為(業)を宿命のようにみなす決定論的な考えもあった。現世での行いは、善
であれ、悪であれ、すべて前世の業によって規定されているというのである。この説によれば、意志の自
発による行為は認められない。
 これらに対し、仏教やジャイナ教は、このような人間の行為の効力を認めない説を行為否定論(akiriya
vAda, akriyAvAda)と呼び、道徳を破壊する説として非難した。
 仏教は、「世尊は業論者、行為論者、努力論者であった」(Anguttara NikAya I p.287)として、業思想を
容認しつつ、行為・努力に生存のあり方を変える効力を認める立場をとった。】
73宝珠愚者:2009/01/01(木) 03:42:40 ID:etMqvw80
【9. 人間観と無我説
 仏教は無我説を立てることで有名であるが、その思想内容は歴史的にかなりな変遷がある。それにと
もない「諸法無我」の解釈にも変化がみられる。
 無我説の始まりは、最古層の経典の執着するな、わがものという観念をすてよという教えにある。初期
の無我説は、「我は存在しない」ことを説くのではない。倫理主体としての真の我の確立は、むしろ積極
的に求められていた。
「常に思念をたもち、自己に関する誤った見解を捨てて、世界を空なるものとして観よ。そうすれば、死を
超越したものとなるであろう。このように世界を考察するものは、死神には見えない。」(Sn.1119.)
 無我説はこのように、我(自己)ではないものを我(自己)であると思いこだわることをやめよ、という教
えから始まる。当初の「諸法無我」は、無執着の立場から、「すべての事物は我(自己)ではない」と説か
れたものである。したがって、無我(我がない)説というよりは非我(我ではない)説であった。

 原始仏典のうち成立が遅いとされる散文では、人間を構成する五つのものの集り(五蘊)ひとつひとつ
について「これはわがものではない」「私ではない」「私のアートマン(我)ではない」と知るべきことが説か
れる。この表現形式は、ウパニシャッドのアートマン思想と密接にかかわることが指摘されている。ここ
では、すべてのものについて「アートマン(我)ではない」と否定することが「アートマン(我)は存在しない」
という主張を含んでいると考えられる。】
(インド思想史略説/第2節 原始仏教の教理)http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/muga.htm
74神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 04:33:39 ID:pNOkdUAf
>>63
>輪廻因果業報を信じない者は、邪見で1.の段階で問題にされません。

それはどこの宗派なのか、はっきりしてくれ。明らかに、オウム又はオウムを
超える超カルトだから、係り合いにならないよう、社会に警告を発する必要が
ある。
原始仏教は、開祖・教祖と原始教典を盲信するカルト。オウムは、原始仏教を
主体として、それがヒンドゥー教及びキリスト教と化合して発生した「化け物
宗教」。君のオウムに対する本質的批判を、まず開陳されたし。日本仏教界に
おける最大の汚点だから、君も仏教者として、十分な認識と反省があるはず。
君の善悪の「定義」とその判断具体的基準は何?同じ行為でも、具体的状況に
従って、善にも悪にも成りうる。例えば、人を殺すのは最大の悪だが、人を殺
した人間、例えば麻原や他のオウム信者を、裁判により厳格に判断しえ死刑に
するのは、悪とは言えない。
従って、具体的状況を考慮しない「善悪」という一般概念は、何をも示さない。
煩悩というなら、輪廻因果業報観念への執着こそ、最大の煩悩ではないのかね。
その煩悩を、君はどうやって解脱するつもりか。輪廻因果業報という「煩悩」
を去ることが、先決ではないのか。
他者との係わりの中で、毎日をひたむきに生きる生活者は、そんな煩悩は初め
から生じない。即ち、日常生活という「最大の修行」において、初めから悟って
いるからである。自らの観念で煩悩を作り出し、それを解脱するというのでは、
全くのマッチポンプ。何の意味も無い。
このスレから判断する限り、執着心や煩悩が最も強く、全く悟っていないのは、
輪廻因果業報を信じる、原始仏教信者であることは明らか。
原始仏教は、小乗の教典。小乗信者には、争いが多い。その原始仏教の持つ悪を
除去するために、無数の仏教者の、多年にわたる思索と努力により、大乗仏教の
巨大な体系が樹立されたことを、忘れてはならない。日本は、大乗仏教の国で
ある。
君は、唯物論を悪と呼ぶが、前世来世の「実在」を信じることが、まさに唯物
論ではないのか。
75神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 07:11:51 ID:4ha+9eBz
>>67
>あなたは、どうやら「自分はかなりの段階まで修行が進んでいる」
>と認識しておられるようですが、自分でかかれた13段階のうち、
>どこまで到達していると考えておられるのですか?
>もしかして最終段階の「解脱」?

本人ではないがレスしてみよう。
彼は正師と経典から学んだ「物差」をもっているのだよ。
本邦の仏教学には物差と物差の使い方を教える正師がいない。
学者の気ままな解釈で引っ掻き回しているだけ。

本人が目盛のどの辺りにあるかは、また別の問題。
76神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 08:41:34 ID:1Jq0nlaf
>>74
勝手に解釈。
最初の段階は、釈尊が在家に説いた「施・戒・生天」のことだろう。
施だけがないのは出家が前提だから。
次の戒の段階では五戒ではなく、出家の二百五十戒のことか?
最初に輪廻転生を信じさせたというより、「善因善果、悪因悪果」をわきまえる
ことが縁起を説かれることの、必須条件ということだろう。
一応は理にはかなってると思うよ。
ただ、現代において通用するかどうかは疑問符だね。
77神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 09:08:21 ID:sDFnch1L
>なるほど。あなたの宗派では輪廻業報思想を信じない者は、第一段階で
>門前払いですか。  大変ですね。
>>66

仏教学者が、西洋式合理的神学で仏教を論ずるようになるまでは、日本仏教どの宗派も公に輪廻説の上に成り立っていた。
もちろん、今でも教説は昔のまま。世界へと転伝した仏教諸宗派も輪廻説前提。
19世紀の合理的神学というキリスト教の影響を受けているのは、むしろ貴方のほう。
78カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/01(木) 09:12:25 ID:24Gfgma7
なんか放置してると、エゴからくる我見に満ちた盲人共が、
好き放題いってくれてんじゃんかよ。もう、頭に来た。

>>24
アホかおまえ。そこは、輪廻の鎖の輪を断ち切った者はもはや、識別作用から
離れ、形あるものからはなれ、もはや、計るよすがの無い存在になるって言ったんだよ。

>>25
じゃぁ、お前に逆に聞くが、なぜ釈迦は輪廻はないと悟ったなら、
はっいきりと、輪廻などない。迷信は捨てろと言わないんだ。
何が当時の人達は輪廻思想があたりまえだから、ゴータマは仕方なしに、
いやいや語っただ。おまえら六師外道の話何度教えてあげればわかるんだ?
当時の思想家は、業法輪廻などないと思えば、堂々とそんなものは無いと説法してたし、
死んで終わりなら、死んだら終わりで、何も残りませんよと説いてる。
ゴータマもなきゃないとはっきり言うだろ。じゃなきゃ、なんでも曖昧に、聞き手によっては
どうとでも取れるような説法をしたゴータマは、当時の思想家の中でも、もっとも
性質の悪いを通り越して、単なる詭弁家になる。なに?中道だから?馬鹿かおまえら。
お前らのような中道を使った詭弁で、はっきりした答えを与えない不可知論者の
論法を試みる思想家のことを、ゴータマは、はっきりと、外道だと言ってるんだよ。
79カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/01(木) 09:21:45 ID:24Gfgma7
な、言ったとおり、
あくまで、縁起=無自性=空の意味でしかない空を、こいつらは拡大解釈
して、中道=空にしてしまってるだろう。
言っとくが、中道とは、あくまで、自性の性質のことで、無自性という意味の空とは、
真逆なものだ。こいつらの幼稚なおつむじゃ、「空」という単語に魅力を感じ、
また神秘的に感じ、空という単語に執着し、本来、縁起=無自性=空。という意味の空
も、様々な解釈の元、いろんな意味に化けてしまう。「空」の単語に執着している
仏教ならず、空教の連中のおつむは、相当幼稚だと思うよ。てか、幼稚なのは、
この国の国民性なんだろうけどな。なぜか信仰心の無いこの国の民族には、
真理は根付かない。真理からおおきく外れてしまった、末法仏教がもっとも発展したのは、
何を隠そう、この日本だ。禅宗と、創価はさしずめ、その代表格だな。
80前スレ170:2009/01/01(木) 09:31:40 ID:bnBcUVsS
74さん
>輪廻因果業報を信じる、原始仏教信者であることは明らか。
「輪廻因果業報を信じる」のは大乗でも同じですよ。
前スレでたびたび取り上げられた道元や白隠も同様。
松本史朗さんはどうか知らん。


77さん
>仏教学者が、西洋式合理的神学で仏教を論ずるようになるまでは、日本仏教どの宗派も公に輪廻説の上に成り立っていた。
>もちろん、今でも教説は昔のまま。世界へと転伝した仏教諸宗派も輪廻説前提。
>19世紀の合理的神学というキリスト教の影響を受けているのは、むしろ貴方のほう。
こういう当たり前の書き込みを見ると心が和みますね。


81カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/01(木) 09:37:30 ID:24Gfgma7
〜スッタニパータ
>76 「あなたは農夫であるとみずから称しておられますが、われらはあなたが耕作するのを見たことがない。
>おたずねします。──あなたが耕作するということを、われわれが了解し得るように話してください。」

>77 (師は答えた)「わたしにとっては、信仰が種である。苦行が雨である。智慧がわが軛(くびき)と
>鋤(すき)とである。慚(はじること)が鋤棒である。心が縛る縄である。気を落ちつけることが鋤先と突棒とである。

>汝が聞きたいと欲することを、何でも聞け」と。そこでアーラヴァカ神霊は、師に次の詩をもって呼びかけた。──
>181 「この世で人間の最高の富は何であるか? いかなる善行が安楽をもたらすのか? 
>実に味の中での美味は何であるか? どのように生きるのが最上の生活であるというのか?」

>182 「この世では信仰が人間の最上の富である。徳行に篤いことは安楽をもたらす。実に真実が味の中で美味である。
>知慧によって生きるのが最高の生活であるという」

ドメクラ共が。ゴータマの言説のどこに信仰は全て捨て去れとあるんだよ。むしろ信仰は最上の富だといっている。
経典を読み正しく解釈する者は、ここの邪見に満ちた末法仏教徒のように、自分の思想似合う都合のよい箇所だけ
拾い読みして、自分の都合のいいように解釈せず、全体を見て全体から整合性の取れる解釈をするものだ。
ゴータマが信仰を捨てよと言ったのは、あくまで現代の、ゴータマの仏教を邪見だらけにしてしまったお前達のように、
ヴェーダを誤謬しまくっていた、当時のバラモンの教えるバラモン教のことだ。ゴータマは、間違った信仰は捨てろといったが、
正しい信仰は、むしろ人間の最上の富だと言っているんだよ。


82カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/01(木) 10:05:26 ID:24Gfgma7
当時のバラモン達は、真我を、今の私を認識しているこの精神。魂のことだと
誤謬したんだろ。肉体が滅んでも、この私を認識しているこの意識は、思考は、
永遠に残るとね。でもゴータマは、この魂と呼ばれるものも、所詮は縁起でしか成り立たない
主体性の無い、無自性な空だと見抜いた。この今の私を認識している精神。
皆が魂と認識しているものこそが、永遠不滅の真我だと誤謬していたのは、オウムの
麻原もそうだったようだ。いかにオウムの教祖が、仏教の基本中の基本を誤謬していた
無知なレベルの低い男であったのがよくわかる。ちなみにこの魂のことを、ギリシャ語では、
プシュケーと呼ぶ。キリスト教の永遠の命とは、この精神、魂を意味するプシュケーという単語を
使わず、生物学的命の意味の、ゾーエという単語を使い、ゾーエアイオノス。という単語を使う。
なぜ、魂的なものを意味するプシュケーではなく、生物学的な意味の生命であるゾーエという単語を
使ったのかを理解する人は、智慧のある人だ。新約聖書の原典は、ギリシャ語だ。
真我とは、我々の精神的なもの、魂のことではない。むしろ魂の解消の先にあるものだ。
人に食われる魂は幸いだ。彼は人となる。だが、魂に食われる者は災いである。彼は自らを獣にならしめるだろう。
当時のバラモンは、この皆が魂と呼んでいるものを真我とする
致命的な誤謬を犯し、人は行為により清くなり、真理に到達するのに、当時の無意味な
祭祀、呪術などに傾倒し、それにより人は、清められると重大でどうしようもない誤謬を犯し、
その間違った教えを、当時の人達に説いた。ゴータマが信仰を捨てろと言ったのは、
あくまで、当時のヴェーダをおもいっきり誤謬し、単なる迷信にすぎないものになってしまった
当時のバラモン教のことであり、正しい信仰は捨てろとは言わず、むしろ正しい信仰は、
人間の最上の富であると言っている。もし今の時代にゴータマが現れ、ゴータマの仏教を
思いっきり誤謬市まくっている君らの能書きを聞いたら、思わず言うだろう。君らの信仰は捨てろってね。

83カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/01(木) 10:15:02 ID:24Gfgma7
ゴータマが、なぜわざわざ新しい宗を立てなきゃいけなかったのかだって?
おまえらはそんなこともわからないのか。情けない奴らめ。
ゴータマが今の世に生まれ、今の仏教界の惨状をみれば、君らにも言うだろう。
君らの信じる信仰を捨てろってね。もちろん君らは言っても聞かないのをよく知っている。
だから正しい教えを伝える為には、現代の仏教ではない、新しい宗を立てるしかない。
それほどまでに今の仏教、特に日本の仏教界は、釈迦の教えた真理、本当の仏教とは
遠く離れてしまっている。丁度、2500年前の、ヴェーダを、思いっきり誤謬していた
当時のバラモン達と同じようにね。
84カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/01(木) 10:22:54 ID:24Gfgma7
おい。そこの隠居とかいう、創価の引き篭もりの屑。
ゴータマが弟子達に望んだのは、時代時代により、自分の残した真理の教えを
どんどん捻じ曲げて、全然違う話にしてしまうもんじゃなく、いつの時代でも
自分の伝えた真理を捻じ曲げることなく、正確に後世に伝えることなんだよ。戯けが。
ま、お前に言っても馬の耳に念仏だけどな。おまえ、一度病院に行ったほうがいいと思うよ。
なんで自分の宗教を公に言い表せないのか不思議でしょうがないが、ちゅうか、心の奥底では
カルトだと知って後ろめたいからだろうが、おまえが創価なのはよくわかっている。
なにがバージョンアップだ。真理は一つなんだよ。時代によりころころ変わるなんていうのは、
真理とは言わないんだよ。お前の書き込みには狂気を感じる。おまえは、カルトに嵌るとこうなるという
いいサンプルだ。
85カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/01(木) 10:40:20 ID:24Gfgma7
おまえらさ、たとえば俺が、地獄や、天の御国と言えば、この世とは別の形而上の別の世界のことを
言ってると思うんだろう。いいことを教えてあげるよ。キリスト教の言う地獄とは、この世のことだ。
もっと正確に言うと、肉の自我による生存のことだ。じゃぁ天の御国とはどこにある?それもこの世に
ある。全ては表裏一体。苦しみとは、観る者が、観られる者を自我と認識することにある。
今の私を認識しているこの思考は本当の自分ではない。この思考を止滅させたとき、観る者は、本来の
姿に安住する。思考を止滅させたとき、識別作用も止滅し観る者は、本来の姿に安住するのだ。
そこに苦の滅がある。涅槃静寂はそれとも違う。人は知恵により死んだが、その知恵により
再び生きる。そして安息する。涅槃静寂である。これは、”一つの完成” である。
ゴータマは悟りを開いたとき、七日間、法悦の境地にいたとする。そして、第八の日にそ座を崩し、
その境地から再びこの世に目覚めた。俺はこの意味をよく知っている。それは第六の日から数えて三日後
のことである。
86カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/01(木) 10:58:09 ID:24Gfgma7
もう仏教は終わりだ。君らはゴータマの仏教から遠く離れてしまっている。
それは日本の末法仏教しかり、、バッタもんの原始仏教の、テーラーワーダしかりだ。
彼らは無我思想し執着し、致命的な無我思想の誤謬をし、取り返しのつかないほどの
邪見に陥っている。自性を語れない彼らに、真理は無い。ゴータマはあくまで、
この形あるもの、それに付随してあるもの。縁起でしか成り立たないものには何一つ主体性の
あるアートマンは無いと説いたのあって、決してアートマンは無いとは言っていない。
また五感で知覚できる一切以外も無いとは言っていない。ただ、五感で感知できる一切を超える
ものは、我々の知覚領域を超えていると説明にしたに過ぎない。もし五感で知覚できるもの以外の境地
などないのであれば、後々様々な誤解を生む、紛らわしい言い回しなどしないで、単純にそんなものは無いと
言い切ればいいだけのこと。そうするのが優れた教師だろ。それは業法輪廻にしてもそうだ。
87カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/01(木) 11:15:06 ID:24Gfgma7
なにが俺と宝珠氏は縁起を知らないだ。
知らないのは君ら、唯物末法仏教徒のほうだろう。
あのさ、縁起を逆順で観想すると、最後には宇宙の始まりにぶち当たる。
では宇宙の始まりの前にはなにがあったか?神と呼ばれる存在か?ならばその
神は誰が作った?こうやって、縁起だけで完結させようとすると、その始まりはなにかと
いう、無限ループのパラドックスに陥り、結論なき、偽論に陥る。
あのよ、縁起を正しく理解すればするほど、全ての起点に、生まれ得ず、滅びもしない
元からある存在行き当たるんだよ。芯にそれがないと、縁起の法も崩壊する。
おまえらにはそんな簡単なことも「理解できないで、縁起の法の元となる因果律の法も
理解しない。生まれえず、元からある存在。こんなもの我々の常識を超えている。
つまりこれを、我々の知識領域を超えているというんだよ。この存在を自性という。
全ての起点となるものだ。おまえらにいくらいってもわからんあろうけどな。
仏教は、机のような、ただ言葉上の遊びでしかない、現実にはまったく役に立たない
思考上の遊びではない。机の話は、言葉遊びとしては面白いが、現実にはくその役にも立たない
ただの言葉遊びでしかならないのは、賢い人なら全てお見通しだろう。
88神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 11:31:24 ID:MayV2zDD
名誉カラスとかいうのはカラスの唄じゃないのか?
89カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/01(木) 11:37:41 ID:24Gfgma7
前スレの>>651。何が
>それにしても、STAX SR-007(ΩU)で聴くモーツアルトは素晴らしい!
>サリナ・ジョーンズもいい!
>ああ最高!  いい一年でした。
>みなさん、STAXでいい音楽を聴きましょう! 人生ってこんなに素晴らしいんだ。
だ。ゴータマは、耳に入る快楽。その他五感に入る快楽などは、すぐに消えてなくなる
幻だから、そんなものに執着するなと説いたんだよ。お前の能書きはただの凡夫の能書きと
同じだ。お前のような奴は、ゴータマの仏教を語るなよ。自分の言っていること、価値観が、
ゴータマの残した仏教とは真逆なものだとも気づかない池沼が、なに得意げに仏教を語ってるんだよ。
おまえらは、仏教を捨てろ。おまえらは全然違う道に行ってる外道なんだからよ。

この世に ”生まれてくる” 人には二種類の人間がいる。
そこに属している者か、そこには属していない者かの二種類だ。
ここの、唯物断滅末法仏教者達には何を言っても無駄なのはわかっている。
おれも宝珠氏も君らに悟ってほしくて語っているのではない。
仏教に興味を持った人が2chを除いて、君らのような名前の書かれていない人達に
惑わされて、誤謬に陥り、迷い、遠回りしないよう、書いているだけだ。
そこんところ君ら誤解しないように。悲しいかな名前の書かれていない人は、
どのみち、真理は悟れないようになっている。それは君らが巻いてきた種だから仕方が無い。
真理を冒涜し、義人を冒涜をする者は、その報いを受ける。君らが滅びるのは
君らが巻いてきた種による報いなのだ。君らは、悔い改めない限り、真理を悟ることは許されない。
90初代スレの5:2009/01/01(木) 11:39:05 ID:R3egwsyS
>>78 >アホかおまえ。そこは、輪廻の鎖の輪を断ち切った者はもはや、識別作用から
離れ、形あるものからはなれ、もはや、計るよすがの無い存在になるって言ったんだよ。

何が論点なのかもわかっておられないみたいですね。

>何が当時の人達は輪廻思想があたりまえだから、ゴータマは仕方なしに、
いやいや語っただ。

誰もそんなこと書いてませんね。ちゃんと読んでください。

あなたは人の書き込みを理解する能力に欠けているうえ、その
人を罵倒する汚い表現。まず最低限のマナーを身に着けましょう。
対話以前の問題ですね。
以後レスはご遠慮申し上げます。
91悪寛:2009/01/01(木) 11:42:30 ID:QO4HiS+E
あけまして、
おめでとうございます。
なにがめでたいのか、わかりませんが・・・
めでたいのはみなさんのあたまでしょうか。

カラスさんのお話はブッダの本懐とは関係のないいわゆる外縁起しかも、
中道無視の邪見にしかすぎません。ケロンパ丸出しですなw

もっとも、お正月はわたしモテモテでしてお相手している暇がございません。
ワクワクして人生をお過ごしのお方は正月からこんなスレで過ごされないでしょう。
お昼に彼女と待ち合わせ、出かけます。

では孤独な人の、お話の開始〜〜〜〜〜
92カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/01(木) 11:57:09 ID:24Gfgma7
>>91
ほう、俺の話のどこが外道なのか具体的に説明してもらおうか。
軽く論破してやるからよ。縁起を理解してないのはおまえらのほうだ。
お前らの中道論は、ただの言葉遊びだ。

釈迦もいってるだろう。
生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、
離れることがあるのである。ってな。

おまえらには難し過ぎるんだな(苦笑)
93カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/01(木) 12:05:22 ID:24Gfgma7
>>90
毒を制するには毒をもって制するだ。
どうせ、おまえらのようなエゴに凝り固まった醜い思考の人間には
まともに話してもわからんし、まともに話さなくてもわからん。どうせおまえらは
違う人なんだよ。

ちなみに、私達は、形而上のことは否定してません。ただわからないことは
無記を通すだけです。と言うのは詭弁な。おまえらはその詭弁を使っているが、どうみても
ただの唯物論者である、断滅論者だ。釈迦ははっきりとおまえらのような、断滅論者は
外道だといっている。おまえらは、仏教を語るなよ。外道なんだからよ。
おまえの思想は、仏教思想というより、仏教単語をベースにした、釈迦の仏教とはまったく違う
新しい思想、新興宗教のようなものだ。いいかげんそれくらい気づいて、釈迦の原始仏教を
語るなよ。

で、俺の話のどこが外道か、経典から具体的に説明してもらおうか。
なんどもいうが、六師外道の話を見ればよくわかるように、外道はどうみても、お前らのほうなんだがな。
94神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 12:29:10 ID:xG1rbE7i
>>77
原始仏教批判は、キリスト教批判にそのまま通じる。両者は、「同じ穴の狢」
だからだ。

キリスト教の影響を受けていれば、>>74のような発言は、絶対に出来ない。

従来、輪廻転生の概念があったとしても、それは、あくまで道徳論としての
比喩。前世・来世が「実在する」と信じる「唯物論」は、何時の時代でもカル
トである。

輪廻転生による「脅迫」ほどの巨大な執着と煩悩は、他にはない。仏教者は、
この執着と煩悩からは一体どうやって離脱する積もりなのかね。

輪廻転生の脅迫の下に「修行」に励む姿ほど、執着・煩悩まみれの浅ましいも
のはないことを、自覚されたし。脅迫からは、悟りは絶対に生じない。

悟りから最も遠いのは、まさにこれらの宗教者ではないか。他の生活者たちは、
「生活」という「最高の修行」により、とっくに悟りきっているのである。
95宝珠愚者:2009/01/01(木) 12:36:33 ID:etMqvw80
>>74
>それはどこの宗派なのか、はっきりしてくれ。明らかに、オウム又はオウムを超える超カルトだから、
>係り合いにならないよう、社会に警告を発する必要がある。

輪廻を説くのが伝統(正統)的な宗/教団です。あなたがゴータマを認めないのはご自由ですが・・。
あなたも「こんにゃく畑」と同様、交通事故死は自動車の発案者や製造/販売者が「悪」だとして喚いている
のと一緒で、とてもまともな精神状態とは思えません。

>例えば、人を殺すのは最大の悪だが、人を殺した人間、例えば麻原や他のオウム信者を、
>裁判により厳格に判断しえ死刑にするのは、悪とは言えない。

社会的には認められていますが、私はこれは大きな「悪」だと見ています。
「罪人なら殺していい」という論理は成り立たない。それは等しく殺人行為であり、
生命(の尊厳)に対する軽視です。

>その原始仏教の持つ悪を除去するために、無数の仏教者の、多年にわたる思索と努力により、
>大乗仏教の巨大な体系が樹立されたことを、忘れてはならない。日本は、大乗仏教の国である。

そういうのを自分勝手な「デタラメ」と呼ぶ。
96神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 12:42:30 ID:xG1rbE7i
>>95
>「罪人なら殺していい」という論理は成り立たない。それは等しく殺人行為
>であり、生命(の尊厳)に対する軽視です。

君が執着して止まない「悪因悪果の観念」とは、100%矛盾しているw。

97神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 12:53:04 ID:xG1rbE7i
>>95
君がいささかでも「人間の尊厳」を口にするのなら、ありもしない
「前世・来世」の「実在」の植え付けによる「脅迫」や、「解脱」と
いう「甘言」は、直ちに止めるべきである。

これは、キリスト教の「罪の観念」の植え付けによる「脅迫」や、
「贖罪」という「甘言」についても、全く同じである。

「脅迫」と「甘言」で人間を操ることほどの「人間軽視」が、他に
あるかね。
98宝珠愚者:2009/01/01(木) 13:14:09 ID:etMqvw80
>オウムは、原始仏教を主体として、それがヒンドゥー教及びキリスト教と化合して発生した「化け物宗教」。
>君のオウムに対する本質的批判を、まず開陳されたし。日本仏教界における最大の汚点だから、
>君も仏教者として、十分な認識と反省があるはず。

「日本仏教界における最大の汚点」という認識は間違いなのでお話になりません。
だれも最初から日本仏教の一つなどと認めていません。
輪廻転生の肯定を無差別テロ殺人の原因とするのはお門違いであまりにも愚かです。

 複合化合して発生した「化け物宗教」?は沢山ありますが、カルト教団の中には終末思想とかハルマゲ
ドンといった教義を持つところが多く、それらは全て無理解と誤認からきているもの(私は真義を知ってい
るので愚かに映る)。麻原は世界支配を企むフリーメーソンといった間違った情報(これらはトンデモの典
型)から、オウムが彼らから攻撃されているといった妄想を拡大していき(被害妄想もカルトに見られる特
徴の一つ)、ついに彼らの戦闘を行動に移したものでした(「フリー・ストーン・メーソン」の略だが正しい呼
称は「フリー・メーソンリー」)。
 殺人の肯定にはゾクチェンの「ポア」といったチベット密教の秘儀を悪用した。「時みちればポワを行ぜよ。
時いまだみちざるにポワを行えぜば、神々を殺害するに至る」として、まだ息があるうちには決して禁じら
れている秘儀を、殺人肯定の“合言葉”として使用したのです。
 これら基地外が誤解しないよう、理解できる境地の達した者でなければ真義を明かさない思想を「密教」
(秘教)という。
99神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 13:18:46 ID:xG1rbE7i
>>95
仏教の中心的思想が「輪廻転生」であるなどと言っている、一般向けの
啓蒙書が一冊でもあるのかね。

仏教の真理とは、「輪廻転生」だけという貧弱で、普遍性を欠くもの
なのか。特定の宗教・宗派内でだけしか通用しない「真理」は、真理
などではない。

君が出家を説いているのなら、家族の成員の出家は、残された者たちの
苦しみと悲しみという、巨大な「悪」の原因になていることを、忘れ
てはならない。同じ家族の間で、「人間」としての心の交流が全く不可能
になってしまうからである。

これは、釈迦の時代でも同じだったと思うよ。人間性は、何時の時代にも
変わる事はない。

出家という「悪因」に対する「業報」は、何かね。
100宝珠愚者:2009/01/01(木) 13:19:22 ID:etMqvw80
>>94
>輪廻転生による「脅迫」

 もう、余りにも無知で間違った認識でお話になりませんね!
では、少し違った方面から話しましょうか?

 このスレで断滅論仏教者たちから時折り飛び交う罵声、つまり「死による完全な断滅が怖いのだろう!」
という言葉がそれであり、輪廻転生という思想は実は「脅迫の真逆」であって、人々の救いとしても見なさ
れてきたのです。だから私はいってるのですよ。人々はパーソナリティーの存続を願っているのだと。つま
りそれは、家族や愛する人の完全な断滅はあまりに認め難く、肉体が無くなっても千の風になってどこか
にきっと生きており、この私たちを見守ってくれているという愛着からくる優しい想い(感情)からきてるので
す。これは愛する人は永遠に行き続けているのであり、また再び生まれて帰ってきてくれるという願いです。
 この人々の自然な感情は、たとえ全ての宗教組織と教団が地上から消え去ったとしても決して無くせな
い。あなたは人間の発祥と動物との境であるとして、仲間の遺体を葬ったところから動物が「人」になった
のだ。という話を知りませんか?これが人間の宗教意識への原点であり、全ての出発点なのです。
 輪廻転生の概念は時に悪く取られる場合には、「また来世から頑張るからいいや!」といった怠惰にも
繋がるものなのです。
 そして、この人々の救いの思想である輪廻転生の概念(であるからこの思想を信じている地域では、これ
をカルトなどとして喚く人などは皆無なのです)に釘を刺したのがゴータマ(あなたの嫌いなカルト教祖)なの
でした。
 つまり、人は死んだらそのような愛すべきパーソナリティーは崩壊して存続しないから、過剰に死の悲しみ
にくれ暮れること。そして故人の永遠の生命や復活を願うといった想いに対してに「ノー」を突きつけたので
す。ゴータマはそれらの迷信を排除して、真実の転生の法則(実体)について説いたのです。
101神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 13:28:20 ID:MayV2zDD
>>89お前の心理展開はいいからさ、答えろ?お前は名誉カラスなのか?
大体名無しだろうが名無しでなかろうが、そんな事は俺の知った事ではない。お前の考えはお前の記憶によって出て来ているだけだ。そんな事に真理などはない。お前は単に知識に固執した屍だよ。
102宝珠愚者:2009/01/01(木) 13:33:46 ID:etMqvw80
>>96
>君が執着して止まない「悪因悪果の観念」とは、100%矛盾しているw。

因果律の業報の法則とは、人間による裁き(法律)のことではない。


>>97
>これは、キリスト教の「罪の観念」の植え付けによる「脅迫」や、
>「贖罪」という「甘言」についても、全く同じである。

私は教会が説く「原罪」思想は認めません。


>>99
>仏教の中心的思想が「輪廻転生」であるなどと言っている、一般向けの啓蒙書が一冊でもあるのかね。
>特定の宗教・宗派内でだけしか通用しない「真理」は、真理などではない。

それは、あなたが自分自身で書店で確認すべきことです。簡単なことですよ。
たしかに「無我」については一般的に、バラモンの説くアートマン否定として解説されていることが多いの
ですが(後代に至って誤解されてしまったので)、しかし、輪廻を説かない一般仏教書(研究者による個人
研究書物ではなく)などはまず皆無でしょうね。どうぞご自分で確認してきて下さいな!!
103神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 13:54:20 ID:MayV2zDD
悪因悪果は己のした行いが招くんだよ。浮気したら浮気されるかもと必要以上に己の記憶より察してしまうということだ。これは免れない。考える際に記憶を要するからだ。
というか、何度も何度も同じ話題を繰り返してるんだな。
104神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 14:16:35 ID:xG1rbE7i
>>102
>因果律の業報の法則とは、人間による裁き(法律)のことではない。

業報の法則も、結局は「人間」が言っていること。全体の合意によらずに、
一部の人間が他の人間を裁いているということである。

この世は「人間界」。人間がいくら前世来世を思考してみても、それは
現世の人間の生命の機能であることを忘れてはならない。

人間がいくら足掻いてみても、「現世の人間としての生命」の機能から
逃れることはできないのである。

人間が死んで、その感覚器官や思考器官が灰になれば、前世来世の空想
も認識も全く不可能である。従って、前世来世があろうとなかろうと、
人間には全く関係ない。それが「現代人」としての常識である。

オウムの正体は、原始仏教、特にその輪廻転生の思想であることは、否
定できない。君が信じて止まない、「仏教の中心思想」である。
105初代スレ7:2009/01/01(木) 14:20:10 ID:pBphv13Y
>>61-64
御叮嚀なレス痛み入ります。

どこが立派なもんですかw 私のレスは全て、棚上げレスだと申しましたでしょうに・・・w


修道論上(修行の階梯分類上)は、仰る通りだと思います。
が、(支分を有す縁起としては、十二支縁起より五支縁起を原初形態と考える(考えたい)自分としてはw)、
修行の階梯分類もまた、余計な足枷となっているように思えてなりませぬw
(信)戒定慧で十分かと・・・。
ああ、けど、実際の修習の場面では(色んな意味で)必要なのか・・w
特に、サンガの構成員の大半が初学者で占められるようになって以降は・・・。
(現今上座部は、今でもそれを援用し続けているわけだし・・・。)


>現代との会通は私には関係のない考え方なのでコメントは控えます。
この誠実さには好感が持てます。(宝珠氏も初めはそんな感じだったんですけどね・・・w)

ただ、
一言負け惜しみを言わせて貰えば、
「現代と(→今と)会通しない仏教に存在意義は無い」ということですw
106神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 14:28:21 ID:EyuAZQrO
宝珠愚者よ。お前は人間は人間にしか生まれ変わらないと言ってる時点でもう仏教の輪廻とはかけ離れてしまっている
そのお前が仏教をかたるか。
1071/2 初代スレ7:2009/01/01(木) 15:23:01 ID:pBphv13Y
>>70
> たとえ仏典に相対性理論が説かれてなくても、【ゴータマが解説をしなかった】事柄はすべて間違いであ
>るという意味にはなりません。私は自己責任において、自身の中に仏説(ゴータマ)以外の思想も吸収して
>おり、そこには矛盾と混乱はありません。
「ゴータマが説いていなくても、仏典に書かれていなくても、それを仏説として(仏法として)付加する」
「仏典を(仏説を)恣意的に読む(組み上げる)」
という宣言と受け止めて宜しいか?w
(・・・半分は“ジョーク&言い掛かり”だ。 聞き流せw)
(´ー`)y━~~

 ※私は、仏教の教義は(その殆どが)現代科学(・物理学)の知見と矛盾しないものである、
  (―今後発展・進展・発見されるものについても言い得るであろうという意味も含め―)
  というスタンスをとるものであるが、それは、時々見られる
  《「相対性理論」や「量子論」をもブッダは既に説いていた》などという戯言を意味しない。
  あくまで、抵触せず、併存可能であるということでしかない。或いは類似する・相似するということでしかない。
  (これは、他宗教(例えばキリスト教)との共通点・類似点・相似点についても同様。)

 ※>>70中段
   > 確かにこれらは、知らねばならない事柄ではありませんが、「道と歩み(実践)」において疎かでないなら
   >ば、ゴータマの教えには反しないと思います。必要ではないが人によっては余計な疑問が解消され、歩み
   >もスムースで有利となるかもしれません。これが私が見た時代に適合させる事例です。
  この視線には同意いたします。(尤も、「“逆ver.”もあっていいのではないか?」とも思いますが・・・w)

 ※※問いかけっ放しで放置している事柄があることを申し訳なく思うが、
    多少は関連してるんで御容赦願いたい。
1082/2 初代スレ7:2009/01/01(木) 15:24:58 ID:pBphv13Y
>>69
>要するにアートマン性質こそ解説はしなかったが、
隠してるじゃんw 師の握拳じゃんww 笑わしよるwww
>転生解説だけは明確に説いたということ。
ま、「アートマン性質」は無記の範疇、「転生」は無記の範囲外ということで納得しておきましょう。
(過去世・来世は、神通により確かに知られるものとされているのだから・・・。)


下記は関連する戯言です。スルーされても構いませんw
>  つまり、ごく簡潔にいうと、アートマン性質などの細部についてこだわってる内に毒矢で死んでしまうぞ!と
> いうもの。それらについては知らなくても、毒矢を抜かねばならないことが理解されれば良いのであり、毒矢
> を抜く行為によって救われる、という結果は確実に得られるというもの。
>  しかし、誤解してはいけないのは、ゴータマは待機説法の人であり、相手によっては人(弟子)の死後の次
> の生まれなどについて解説をしたり、また中には「ジャナヴァサバ〔神霊〕(ビンビサーラ王の霊魂)とも対話
> したなどの話すらも残っています。要するにアートマン性質こそ解説はしなかったが、転生解説だけは明確
> に説いたということ。
この文に、以下のような構造を見たとしましょう。
A 知りえない事柄(無記・不可知の領域:毒矢を射た者(の詳細))にかかずらっていても歩みは無い。
B 処理可能な事柄(苦:毒矢)に対処すべき。
C 処理されれば救われる(苦の滅、涅槃:救命)。
D Bが自覚理解され、Cが実践、証せられるべき。
E アートマン性質は知らなくてもよい(説くに値しない(→Aに属す))。
F 転生は説くに値する(→Aに属さない)。
(G 転生(解説)はBの自覚に資する(或いは“要”である)。)(>>48を参考に挿入しました)
H Fは説かれたがEは説かれなかった。

さて、仏教に於いて重要なのは(その根幹は)BCDなわけだが、
《Fが説かれなければCもDも無い》のだろうか?
《Aに属さないと言いながらも、Aと(Eと)同じ扱いをすること》は不当だろうか?
《FなくしてBの自覚は不可能》なのだろうか?
109神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 15:33:20 ID:YcKOT264
>>105
不生不滅の存在。ありどうしの自己を垣間見て御覧なさい。
どんな苦境にある人も、今わの際に恐れを抱き苦しむ人にも、本物の安らぎを与えることが出来る。
そういう働きが出来る人になるのが、出家の本懐です。
命を掛けた問いかけに苦しむ人に、取り敢えずの気休め話では、誰の心にも届かない。
現代にこそ、覚者が求められている。
110神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 16:08:39 ID:x7YelhSg
>>100
>だから私はいってるのですよ。人々はパーソナリティーの存続を願っているのだと。
つまりそれは、家族や愛する人の完全な断滅はあまりに認め難く、肉体が無くなっても千の風になってどこか
にきっと生きており・・・・永遠に行き続けているのであり、また再び生まれて帰ってきてくれるという願いです。

偉そうに勝手に人々の代弁をし、美辞麗句で発展させ材料にしないでもらいたい。
人が死ぬことは、生物としての<自然>なこと。
死なないで何千年も生きるとしたら、そのことの方が辛いと思う人もかなりいるでしょう。
あるがままで良いと受容し仕方がない、と思う人もいるでしょう。

身近な者が亡くなって、「千の風」のようになって見守ってくれているとあきらめても、「愛する人は
永遠に生き続けているのであり、また再び生まれて帰ってきてくれる」とまで思うかは人それぞれです。
大概は、「苦しんだけれど楽になったね。安らかに眠って下さい」とか思うのではないか。
この世に再び生まれて帰ってきてくれると願ってもこちらも短い命でいつまで生きれるか分からない。
111机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/01(木) 16:35:22 ID:jlZv/fP/
謹賀新年
>>87
>無限ループのパラドックスに陥り、結論なき、偽論に陥る。

そうなんですよ。
人間の思考というのは、経験以上の事象なりは思議の限界になる。
これはアタリマエの話です。

これを例えば全て宇宙の起源を説明したとして(仮にですが)
誰もこれを理解ができない。
(経験以上なものは概念化されない)

>机の話は、言葉遊びとしては面白いが、現実にはくその役にも立たない

言葉遊びとは違いますね。
言葉というのは相対として成り立つものである。
というのを、最初から貴殿が理解してないに過ぎない。
その暗黙の了承として「空」という語を使ってるわけなんですが、
そもそも貴殿には、このコンセンサスがないために
「言葉遊び」になってしまう。
112神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 16:59:52 ID:uFKZv05H
>>111

くその役にも立たない
113神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 17:19:03 ID:82xZNFdC
みなさま、あけましておめでとうございます。
この新年の青空のようにみんなの心が晴れ渡ることを願い、新年の挨拶といたします。

>>78
>じゃぁ、お前に逆に聞くが、なぜ釈迦は輪廻はないと悟ったなら、
>はっいきりと、輪廻などない。迷信は捨てろと言わないんだ。
>何が当時の人達は輪廻思想があたりまえだから、ゴータマは仕方なしに、
>いやいや語っただ。おまえら六師外道の話何度教えてあげればわかるんだ?
>当時の思想家は、業法輪廻などないと思えば、堂々とそんなものは無いと説法してたし、
>死んで終わりなら、死んだら終わりで、何も残りませんよと説いてる。
>ゴータマもなきゃないとはっきり言うだろ。じゃなきゃ、なんでも曖昧に、聞き手によっては
>どうとでも取れるような説法をしたゴータマは、当時の思想家の中でも、もっとも
>性質の悪いを通り越して、単なる詭弁家になる。なに?中道だから?馬鹿かおまえら。

なるほどもっともですね。では同じく何故、釈尊はカラスさんの言うように
真我があるとか「縁起を逆順で観想すると、最後には宇宙の始まりにぶち当たる」と
言わなかったのでしょうか? また「中道とは、あくまで、自性」だと。

1075 「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? 或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか? 聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」

1076 師は答えた、
「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」

カラスさんの説通りなら、釈尊は1076で解脱したら「宇宙の始まりにぶち当たる」とか、
真我、自性を悟るといったことを述べるはずですが、違いますね。
それは何故でしょうか?
114神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 17:19:59 ID:82xZNFdC
>>79
>中道とは、あくまで、自性の性質のことで、無自性という意味の空とは、
>真逆なものだ。

先ず、なによりこんな変な説は、私が知る限り、どんな時代のどんな教義の仏教にもありません。
自性(svabhaava)という概念は、存在物の固有の性質、本質という意味で、
この言葉が使われるのは部派仏教においてです。
この部派仏教の自性の体系が釈尊の教えを捩じ曲げているということで
訂正したのが龍樹菩薩で、そこで無自性空を強調された。
では、中道とは何か? これは難しい高度な内容です。中道は縁起・空・無我ですよ。
そう言っても納得しないでしょうから、論証してみましょう。

『中論頌』で唯一典拠として引用される『カーティヤーヤナ教戒経』というものがあります。
これは梵パ蔵漢の大乗小乗問わずいずれの伝統でも認められている経典です。
パーリ:http://www.tipitaka.org/romn/
梵:http://www.sub.uni-goettingen.de/ebene_1/fiindolo/gretil/1_sanskr/4_rellit/buddh/nidansyu.htm
以下は、主に梵本に基づいています。
115神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 17:20:43 ID:82xZNFdC
> 正見、正見と、尊者よ! 言いますが、どのようなものが正見ですか? 
> どのようなものを、如来は認識して正見と仮設するのでしょうか?
> このように言われた世尊(釈尊)は、カーティヤーヤナ長老に
> 次のように仰られた。
> カーティヤーヤナよ! この世間はほとんど有ることと、
> 無いことの二つに依っている。
> もし、心の拠り所に執着し絡み付いているもの(随眠)に、赴かず、
> 掴まず、留まらず、執着せず、
> 「それら取因は、本質・実体(アートマン)でない」とするなら、
> 「この苦が生成し生起する。苦は滅して消える」というこれに、
> もし迷わず、疑わないなら、他に依らないこの智がある。
> このようなものが、カーティヤーヤナよ! 正見である。
> このようなものを、如来は認識して正見と仮設する。
> それは、なぜか? カーティヤーヤナよ! 
> 世間の集起を、あるがままに正しく認識し見る者が、
> 世間に何も無いとすることはない。
> 世間の消滅を、あるがままに正しく認識し見る者が、
> 世間に何か有るとすることはない。
> 以上二つのどちらにも従わずに中道によって、如来は法を示す。
> いわく「これあればこれあり、これ起こらばこれ生ず」
> つまり「無明に依るものが行である」と、
> 前に説かれたように集起するものである限り、消滅するものである。
> 正にこの法門が説かれている時、カーティヤーヤナ長老の諸漏が尽きて
> 心は解脱した。
116神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 17:23:45 ID:82xZNFdC
以上を理解するために有名な『中論』24-18が役に立つでしょう。

> 何か諸因に依って生成(縁起)するものは虚ろなもの(空性)と説かれる。
> それは諸因に依って仮設することであり、それこそ中道である。

これを月称菩薩は次のように註釈しています。

> 「何か空であるもの、それは諸因に依って仮設することである」とは、
> 空であるものこそが[諸質料因に基づいて形づける]取因仮設だと定義
> される。例えば車輪など車の部品に依って車と仮設する。それ自体の
> 要素に基づいて仮設されたものである... それ故、空性、取因仮設、
> 中道というこれらは、縁起の特殊概念である。

「取因」というのは「車輪など車の部品に依って車と仮設」することで、
何か原因となる諸要素に基づいて何かそれ自体 x であると仮設することです。
この x を仮設とせず本質・実体(アートマン)することが、世間の立場です。
「心の拠り所に執着し絡み付いているもの」というのは、三昧体験や神通も含むあらゆる知覚・認識を
本質・実体(アートマン)として有るとか無いとかという認識形態で捉えること、実在論的認識です。
本質・実体と見ず、無我・空と見るのが正見だということです。
それは有るとするのでもなく無いとするのでもない、それが中道であり。
それは「これあればこれあり、これ起こらばこれ生ず」、
つまり、此縁性であり、空性であり、取因仮設であり、縁起に他ならないのです。
「無明に依るものが行である」が、取因仮設であり縁起であることが分かるでしょう。
117神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 17:24:11 ID:82xZNFdC
「正にこの法門が説かれている時、カーティヤーヤナ長老の諸漏が尽きて心は解脱した」というのは
カーティヤーヤナ長老は、既に三昧による精神集中行は充分積んでいたので、
この教えを聞いて直ぐに縁起観、ヴィパサナを行じて解脱されたということです。
そして心が解脱して業を積むことがなくなった聖者の寿命という行(サンスカーラ)が尽きて
亡くなった時、もう再生する行(サンスカーラ)がないので

「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」

と説かれます。本当は有無を超えているので無記が一番相応しいのは言うまでもありません。
「宇宙の始まりにぶち当たる」とか、真我、自性を悟るといったことは述べられませんね。
118宝珠愚者:2009/01/01(木) 17:34:15 ID:etMqvw80
>>106
それはご自由にどうぞ!
この私は一字句も逃さず文字通りに受け取る原理主義者などではない。
人間から場合によっては動物へも生まれ変わると信じる人々を、
わざわざ特に責めようとも変えようなどとも思いません。


>>74
>例えば麻原や他のオウム信者を、裁判により厳格に判断しえ死刑にするのは、悪とは言えない。
>その原始仏教の持つ悪を除去するために、無数の仏教者の、多年にわたる思索と努力により、
>大乗仏教の巨大な体系が樹立されたことを、忘れてはならない。日本は、大乗仏教の国である。

ほう〜!!!
では、あなたは大乗仏教が死刑に賛同してるという見方なのですか?


>>110
>身近な者が亡くなって、「千の風」のようになって見守ってくれているとあきらめても、「愛する人は
>永遠に生き続けているのであり、また再び生まれて帰ってきてくれる」とまで思うかは人それぞれです。
>大概は、「苦しんだけれど楽になったね。安らかに眠って下さい」とか思うのではないか。

私は基本的にインドの民衆について述べています。
従って、日本人では「生まれ変わってくる」というところまでは思いが行き着かない人も多いかもしれません。
しかし何れにせよ、ただの唯物論者ならば「安らかに眠って下さい」という感情すらも不要な筈です。
唯物論者は全ての弔いの行為に対して、無駄で不要なものとして説くべきでしょう。
安らかに眠る対象もないならば、そのように自然と願う人々の想いすらも愚かで無駄な感情であるとして
諭す必要があるでしょう。弔い感情などは時間の無駄でしかない。
119神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 17:41:28 ID:82xZNFdC
>>105
いえいえ、立派です。もちろん私も棚上げしてます。
仏教は、ほんとうに深くて理路整然とした教えなので、まだまだ理解できない事がたくさんあります。
ですが、分かれば分かるほど、驚嘆すべき素晴らしい教えだと実感します。

私は大乗の方をより高く評価しています。

縁起は此縁性が根本だと思ってます。

修行階梯は、頓悟の禅宗では必要ないのでしょうけれど、
ある程度の見取り図として役に立つのではないでしょうか?
つまり、完全な誤解を、それは誤解だと指摘、認識できるので。

日本・シナでも密教と禅宗以外は五十二位とか煩くいいますし、
チベット・モンゴルでもカギュ以外は尊重しますよ。

会通に関してはどうでしょうか? 会通してないビルマ、チベットでは解脱者、覚者をたくさん出してますし、
西洋人でも伝統に従った方法でたくさん成果を挙げてますから、
私はこっちを取りますね。現代できっちり結果が出てるということで。
120初代スレ7:2009/01/01(木) 17:47:10 ID:pBphv13Y
面倒なので単発短文で。

>>118
>ただの唯物論者ならば「安らかに眠って下さい」という感情すらも不要な筈です。
>唯物論者は全ての弔いの行為に対して、無駄で不要なものとして説くべきでしょう。
>安らかに眠る対象もないならば、そのように自然と願う人々の想いすらも愚かで無駄な感情であるとして諭す必要があるでしょう。
>弔い感情などは時間の無駄でしかない。

ここまで短絡単純なお馬鹿さんだとは思わなかったよwww


以前、一枚の紙の喩えを出した。(貴方がアレを読んだかどうかは知らないがw)
あの喩えは、唯物論的視座についても援用できるものだ。
貴方の批判に対し、あの喩えを利用したらどのような返答になるか、聡明な貴方なら推察できますよね?w



愚者とは、よく自称したもんだwww

(´ー`)y━~~
121宝珠愚者:2009/01/01(木) 18:01:14 ID:etMqvw80
>>120
>ここまで短絡単純なお馬鹿さんだとは思わなかったよwww

そう!
人は己れの信念に基いて生きるべき。
唯物主義者はそれらしく生きなさい--そして宗教論者と正々堂々と人生を闘って生きるべき。
私は己れの信念によって生きています。

この私には葬儀は不要、葬式坊主も不要、戒名不要、弔い不要、納骨も不要、
死後の供養(法要やお参り)も不要・・・(遺言済み)。
人間は生前の生き方に応じて行き先が決まるのです。
葬儀や戒名や弔い供養によって行き先が決まるわけではない。
亡骸はただの元素の塊に過ぎない。
122初代スレ7:2009/01/01(木) 18:04:40 ID:pBphv13Y
>>119
> ある程度の見取り図として役に立つのではないでしょうか?
> つまり、完全な誤解を、それは誤解だと指摘、認識できるので。
スポーツや習い事・お稽古事、或いは職人さんの世界での技術面等、etc.etc.
凡そ何かを修し学ぶ際に「何かを修習する際の“登山ルート及びその注意書き”的なものとして」重要なもの、
同じ効用を持つもの、と私も認識しています。
闇雲に為すのでなく、ゴールと(先達が残した)途中経過の情報は有意義なものと思います。
貴方の“見取り図”という表現も適切と思います。(ショートカットを許容するかどうかは様々でしょうが・・・w)

> 会通に関してはどうでしょうか? 会通してないビルマ、チベットでは解脱者、覚者をたくさん出してますし、
> 西洋人でも伝統に従った方法でたくさん成果を挙げてますから、
> 私はこっちを取りますね。現代できっちり結果が出てるということで。
なるほど。
そのように見れば、仏教興起時の意義には合致しますね。
(エリートの物という批判は、已然免れ得ないままとなりますが・・・。)

「サンガ(比丘)の存在意義」(→日本仏教の抱える問題点)として、
『国会図書館に仏典が保存されていれば、「仏教が存続している」と言えるか否か』
という書き込みを、過去幾つかの場所で何度かしたことがあります。
その答えとしてのものと言えそうですね。
123初代スレ7:2009/01/01(木) 18:06:37 ID:pBphv13Y
>>121
そういうのを、≪勝義のみしか見ていない≫と言うのだよw
机やカラスと全く同じだw
124神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 18:08:36 ID:Dsu0bQ+p
>>113
釈尊は、カラスさんが何度も引用している、ウダーナの経をみればわかるように、
自性について語っているではありませんか。しかもご丁寧にも
そこの箇所のお経のテーマは、不生不滅です。
あなた方は文盲なのですか?
125初代スレ7:2009/01/01(木) 18:13:25 ID:pBphv13Y
自レス。

>>123
あ、カラスは『表』も大事発言をしてたか・・。 すまん、先に謝っておくw m(_ _)m
126机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/01(木) 18:18:46 ID:/goT65/w
>>121
>私は己れの信念によって生きています。

そうですか。
貴殿の求道心には敬意を表します。
して、拙者がもうひとつ解らんのは、
輪廻転生システムは、宇宙創成の属性としてシステム化されたのですか?
(つまり自然発生の法則)

それとは別に、何らかの意思(神とか)の働きによりシステムが構築されたのですか?
もしそうであるなら、神?のシステム化の目的な何なのでしょう?
(例えば、至上善の追求とか?人類の高次元ステージ化とか?)

これを貴殿は、既にご存知なんでしょ?
そうでなければ「信念」の所在が不明ですから。
どうか御教示くだされまし。
127神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 18:40:59 ID:aNZjt9+8
>>113->>117>>119
初スレ5さん、今度は名無しになりましたか。
128悪寛:2009/01/01(木) 18:55:57 ID:QO4HiS+E
>>124
>ウダーナの経をみればわかるように、
>自性について語っているではありませんか。しかもご丁寧にも
>そこの箇所のお経のテーマは、不生不滅です。

しかし、笑えるねえ。
実はウダーナのその句のキャプションの<不生不滅>は俺が勝手につけたものだよw
オリジナルにはタイトルはついていない。
原始仏教スレでカラスと論争したときに、
俺のノートから引用したときに、ノートがそのまま張り付いてしまったものさ。
カラス大明神にここまで使いまわしされるとは、お釈迦様でも気が付くめえw

ウダーナのその箇所はNo.3でも指摘したが「中道」のホント、ヘタクソ・未熟な表現だ。
生滅という二項対立・相対を超越した中道を表現しようとしている。
判って掴めてはいるのだがどう表現すべきか・・・
自性など“まったく”関係がない。

いまなら<中道>とでもキャプションをつけるか、そうなりゃカラスは引用しないだろうw
あなたは文盲なのですか?w
129机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/01(木) 19:11:07 ID:/goT65/w
>>128
>生滅という二項対立・相対を超越した中道を表現しようとしている。

京都学派なら「即非」とか言うんでしょうけど、
当時としては名文かと思いますね。

まあ、これで口説かれたら〜〜そのまま逝っちゃうかもしれません。
130悪寛:2009/01/01(木) 19:19:48 ID:QO4HiS+E
>>118
>しかし何れにせよ、ただの唯物論者ならば「安らかに眠って下さい」という感情すらも不要な筈です。
>唯物論者は全ての弔いの行為に対して、無駄で不要なものとして説くべきでしょう。
>安らかに眠る対象もないならば、そのように自然と願う人々の想いすらも愚かで無駄な感情であるとして
>諭す必要があるでしょう。弔い感情などは時間の無駄でしかない。

唯物論者はロボットだとでも言うのか?
知のようなものはあっても、情意はないとでもいうのか?
おれは唯物論者ではないが、上記の言葉の完全撤回を求める。
完全に狂った侮辱だろう。
ヒトラーがユダヤ人を、一神狂徒が異教徒を見る狂気の視線を感じる。
お前には仏教など語る資格はない。

131神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 19:33:04 ID:Dsu0bQ+p
>>123
あなた方の中道論は、ただの言葉遊びに過ぎず、中身の全く無い偽論でしかありません。
釈尊は、あなた方のような、どうにでも取れる、結論の無い不可知論者のことを、
はっきりと外道だと言っていますね。
いい加減あなた方は、釈尊の仏教とは違う外道だと気付かれてはどうですか?
六師外道の話をよめば、どうみても唯物仏教者のあなた方は、
外道なのですよ。
132宝珠愚者:2009/01/01(木) 19:47:12 ID:etMqvw80
>>130
>唯物論者はロボットだとでも言うのか?
>知のようなものはあっても、情意はないとでもいうのか?

論理破状です。
唯物主義とは元々、そういうことをいうのですよ。
あなたは批判の矛先を間違えています。

では、再びいいます。
人間は死ねばただの屍であり、「どうぞ安らかにお眠り下さい」ということは在り得ないこと。
確かに別れ(意志の疎通がないこと)に対する悲しみは確かにあるでしょうから、
しかしそれは、無駄なことであり、悲しみに暮れる時間はただの無駄であるという認識は必要でしょう。
いや、別れの悲しみが人を成長させるというのなら、また話は別となりますが・・。
何れにせよ、故人に対して「どうぞ安らかにお眠り下さい」という感情は馬鹿げていることになる。
唯物論者はそのような感情を持つことはない筈であり、
人様にもそのような感情は無益であると説くべきです。

もしそれができないのならば、自分の唯物論としての思考と感情とに
分離症状を起こしているとして知る必要があります。
あなたが唯物主義でないのなら、これはあなたには適用されない。

しかし、断滅論/唯物主義とはそういうことをいう。
全ては濃密物質によるただの反応現象に過ぎないと説く。
あなたは唯物論が何かを理解してから人にものを批判しなさい!

---以上
133初代スレ7:2009/01/01(木) 20:07:43 ID:pBphv13Y
>>131
なぜ、「>>123が」「貴方から」「>>131のようなレス」を返されねばならないのか、
お馬鹿な私に、具体的に説明してほしいものですw
134宝珠愚者:2009/01/01(木) 20:08:35 ID:etMqvw80
>>73
 「原始仏典のうち成立が遅いとされる散文では、人間を構成する五つのものの集り(五蘊)ひとつひとつ
について「これはわがものではない」「私ではない」「私のアートマン(我)ではない」と知るべきことが説か
れる。この表現形式は、ウパニシャッドのアートマン思想と密接にかかわることが指摘されている。ここ
では、すべてのものについて「アートマン(我)ではない」と否定することが「アートマン(我)は存在しない」
という主張を含んでいると考えられる。」(インド思想史略説/第2節 原始仏教の教理)

 折角、貼った資料なので一言だけ言及しておきたいと思います。五蘊の色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊
の何れも、「これはわがものではない」「私ではない」「私のアートマン(我)ではない」という繰り返しによっ
て、では結局のところは、全てはアートマンではないと否定しているのであるから、つまりはどこにもアート
マンはない、のだと。後にこれが「アートマンは存在しない」ことをいっているのだ、という具合にされていっ
たのです。経そのものには、決して「アートマンは存在しない」ということは書かれてないにも罹らず。これ
が「無我=アートマン存在の否定」の経緯です。
135宝珠愚者:2009/01/01(木) 20:10:32 ID:etMqvw80
>>126
私は、
これは進化の法則(生命=意識)であるとして理解しています。

これはゴータマ出現の如何に関わらず、元から定まった自然システムであって、
生命の基本は下等なものからより高度なものへと進化していく流れです。
人間の意識は生まれ変わり(人生経験の積み重ね)を通して学び、次第に成長していきます。
実に全ての人間が無意識的に自覚せずとも一歩ずつ、とてもゆっくりだが確実に成長しており、
それぞれが完成(相対的な意味での)へと向かっているのです。

仏道とはその歩みを速めて、まるで徒歩をやめて新幹線に乗るようなものです。
繰り返す生まれ変わりの中では当然、自分よりも遥かに前を進んでいる者もおり、
逆に大きく劣って、やっと後ろ側を追従してきている者さえいます。
この違いが生まれの境涯の差や人生の出来事の様々な違いとして顕れてくるのです。
そして、一定の必要とされる経験を経て人間としての完成の域に到達した者を仏陀という。

従って、
仏道に入っていない者の成長も止まっているわけではない。
早い乗り物、遅い乗り物、スピードは出るが遠回りする乗り物、等々・・
すべての人間の歩みは一様ではない。

簡単にいうとこういう感じでしょう。
これ以上は勘弁願います。

形而上学的な詳細な内容については
なるべく控えようと思いますので、ココで必要以上には述べません。
それを望む者には(私の知り得る限りにおいて)出し惜しみはしませんが。

---別に大それたものではなく、実に簡単な話でしょ?
136神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 20:19:22 ID:MU56R5lf
>>102
>私は教会が説く「原罪」思想は認めません。
でも、あなたは、宗教者でしょう?
教会は認めないがイエスは認める。輪廻・カルマは認めるが、仏教者ではない。

どういう宗教団体が該当しますか?やはり、キリスト教ですか?
137机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/01(木) 20:27:27 ID:jlZv/fP/
>>135
レスありがとうございます。
>私は、
>これは進化の法則(生命=意識)であるとして理解しています。

そうしますと、人類は進化しておるのですね?
拙者は退化しておるのかと思ってました。
これは仏教的な側面よりの人類学考なのでありますが。

人類は、狩猟している頃は今より高度な生活能力があったかと推測される。
それはある程度のスキルがありませんと狩猟はできませんから。
(貴殿の好きな神通力のょぉなものです)
それが次第に農耕するようになったのを境目に少しずつ退化しはじめた。
かような見解です。

あと、数百年もすれば著しく退化するですでしょう?
(戦前の人間と、今の人間を比べても明白です)→五蘊自体が退化している

>形而上学的な詳細な内容については
>なるべく控えようと思いますので、ココで必要以上には述べません。

そうですか。
しかしながら、貴殿の意見は大変参考になりました。
今後、この命題につきましても拙者なりに深く思慮する所存でありまふ。
138神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 20:56:06 ID:Dsu0bQ+p
アンカーミス。
>>131のレスは、>>123ではなく、>>128へのものです。

ま、>>123氏にも同じことが言えますけどね。
139宝珠愚者:2009/01/01(木) 21:18:35 ID:etMqvw80
>>137
>拙者は退化しておるのかと思ってました。
>これは仏教的な側面よりの人類学考なのでありますが。

それはあくまでも肉体的な側面にしか過ぎません。
弱肉強食の食物連鎖の中では、より強靭な肉体や柔軟な肉体を得て生存競争に勝ち残り、
次代へDNAを残そうとする本能だけが全てでした。
しかし、意識が発達した人類の場合はこの食物連鎖のチェーンを断ち切り
弱肉強食のシステムから遂に脱出した。
それにより、肉体上の強化は特に不要となり知能の発達がそれにとって代った。
人類の場合の進化とは「意識の進化」であり、転生毎に経験を蓄積していき進歩します。
経験の獲得による情報は当然、全てが記録されていますが、
過去世での記憶は表層意識には上がることはありません。
記憶を想起してもよい段階(状態)にならなければ、これも破壊的な出来事だからです
(いずれは全てを想起し自覚できるようになる時期がくる)。
転生は必ず、過去世の業の総計から最も相応しい時期と場所に母胎を見つけ出して、
その中で過去世のデータを記憶していた各元素が集積されて、胎児として出生してくる
(これは運命決定論ではありません。与えられた境涯と人生の出来事の中で当人がどう考え、
どう生きるかによって、その先が全て変わっていくからです)。

>あと、数百年もすれば著しく退化するですでしょう?

あまりそのような心配は無用です。
また次の次代に相応しい肉体を持った人類(人種)が生まれてくるようになります。
たぶんもう、すぐでしょう。
140神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 21:42:37 ID:Ar9A+89t
>>135
>これは進化の法則(生命=意識)であるとして理解しています。

☆**************************☆***********************************☆


./)/)    ■ 何がそんなに大問題なのですか。■
(・ー・)ノ   「輪廻転生」も、「意識」も人間の生命の機能としての概念作用。
゚L-J      【生命】がなくなれば、その概念も当然消滅する、でよいのでは。  


☆**************************☆***********************************☆


141宝珠愚者:2009/01/01(木) 22:09:33 ID:etMqvw80
>>136
イエスから最も遠く離れてしまったのが彼らキリスト教です。
私は自分で聖書(特に新約)を読みますが、関心を持つのはイエスの教えであって
キリスト教(教会)がどうしたこうしたなどには興味ありません。
キリスト教は変わらなければならないし、でないならば自ら崩壊する以外にないでしょう。

私は自分を「仏教徒である」とはいわない。
しかし、真理についての最も重要な基本的な柱となる中枢を示したのは、やはり「仏教」でしょう。
もちろん共通する部分としてのバラモン、後代のヒンドゥーにも真理の重要な側面が示されています。
何も聖典の記述が全て正しいとするものではありません・・。
(自分で読み解けば済むことです)

私は仏教に関心を持つ者にはゴータマについて語り、
ヒンドゥーに関心を持つ者にはクリシュナについて語り、
キリスト教に関心を持つ者にはイエスについて語り、
霊性(精神世界)に関心を持つ者には神智学(セオソフィア)について語るのです。

私は特に何処にも所属していません。
ただの一介の求道者であり、宗教関係書籍は300冊はゆうに読んできました(少ない?)。
体調を崩してからこの十数年は本も読めなくなりましたが・・。
(書籍を読むことに価値はないと理解するようになりましたが、
でも、読めるうちに読んでおいて良かったとも思っています)

以上で返答になりましたか?
142神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 22:20:41 ID:Ar9A+89t


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪


宗教学者島田裕己の新著「平成宗教20年史」(幻冬舎新書)を読み終えたが、
宗教って、やっぱり、人間にとっては弊害ばかりのようですな。☆★

明らかに精神医学の対象。宗教学者と精神医学者とが協力して、何とか規制する
方向に持ってゆかない限り、今後も、人間、特に若い人々の、現実と社会常識
からの離脱と、それによる家庭破壊という、オウムの悲劇は防止できないと
思う。それにしても、宗教現象を叙述するばかりで、その病理の解明と除去に
何の行動も起こさない宗教学者たちは、社会科学者としての責務を忘れている。

■ 中東問題からも明らかなように、宗教こそは、人類最大の問題だと思われる。■

そこには、「自己」だけで、「他者」が全く欠如している。☆★

(*^。^*)


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪


143机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/01(木) 22:31:44 ID:jlZv/fP/
>>139
>あまりそのような心配は無用です。
>また次の次代に相応しい肉体を持った人類(人種)が生まれてくるようになります。
>たぶんもう、すぐでしょう。

そうなんですか?
拙者は予想もしてませんでしたね。
盛者必衰の理こそ釈尊の成道そのものかと思ってましたよ。
簡単にいうと人類滅亡です。
いつかはそんな時期が来るやもしれんことは思ってましたがね。
(数千年とか万年単位ですが)

戦前の人間より今の人間は、精子の数が半分以下になってるわけですから、
やはり環境的には生命の存続が下降局面に入ってるのは疑いようがない。

惑星の寿命からすれば、そこに生命が生存しているのはホンの一瞬程度ですよ。
ホーキンスが、その確立からすると、宇宙に生命が存在する(地球以外)のはゼロに近いらしいですよ。
つまり惑星に生命が誕生しましても・・・直ぐに滅亡する。

理論物理学は、それを数値的に導き出したもんですから、
やはり信頼性は高いかと思います。

拙者は大局的観点ならば、生命の存在こそ“稀”なもんかと思ってます。
まあ、つまりですね、生命とは儚いもんですよ。
故に、今ある自分こそ稀な存在なんじゃ〜ないでしょうか?

まあ、貴殿は「夢みる夢子」さんなんでしょうが、
夢をみるのは大事なのかもしれませんね。
いろいろと熟考したいかと思いまふ。
144初代スレの5:2009/01/01(木) 22:39:32 ID:R3egwsyS
>>127 私のことですか? 私は名無しで書きこんだことはありませんが。
145宝珠愚者:2009/01/01(木) 23:51:29 ID:etMqvw80
>>142
>宗教って、やっぱり、人間にとっては弊害ばかりのようですな。

弊害を起こしているのは「宗教組織」です。

>中東問題からも明らかなように、宗教こそは、人類最大の問題だと思われる。

 私も同じく心を痛めますし、愚かな行為であると悲しく感じています。「真理(神)は一つ、人はそれをさま
ざまな名で呼ぶ」のです。それらの悲劇は互いに自宗こそ唯一の真理であると見なして他を全て邪教とし
て破壊しようとするからです。

 「真実は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。」(スッタニ
パータ884) 「ただ一部分のみを見る人々がこれを論じて互いに争うのである。」盲人が象に触れては、
「象とはこんなものだ、あんなものではない。象とはこんなものではない。あのようなものだ。」(ウダーナV1.4)
と謂い合っていると。

>そこには、「自己」だけで、「他者」が全く欠如している。

 他者に対する愛と慈悲を説かない宗教はない。いつも同じことを投稿してるからきっと同一者でしょう?
あなたも投稿する以上は真面目に答えて下さいます?彼らがこれら言葉をしっかり理解すれば、殺戮といっ
た出来事は起きますか?あなたはこれに対して答えて下さい!
146宝珠愚者:2009/01/01(木) 23:51:57 ID:etMqvw80
---新約聖書---
 「たとえわたしが、人々の言葉や御使いたちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やか
ましい鐘やシンパルと同じである。たとえ山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わ
たしは無に等しい。」(コリント人への手紙13章1〜2節)
 「あなたがたに新しい戒めを与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あ
なたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ伝13章34節)
 「わたしの父の家には、住まいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろ
う。」(ヨハネ伝14章2節)
 「もはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・
イエスにあって一つだからである。」(ガラテア人への手紙3章28節)

 「『目には目,歯には歯』と言われたのをあなた方は聞いた。だが,あなた方に告げるが,悪い者に手
向かうな。むしろ,あなたの右の頬を打つ者には,反対側をも向けなさい。だれかがあなたを訴えて上着
を取ろうとするなら,外衣をも取らせなさい。あなたに強要して一マイル行かせようとする者とは,一緒に
二マイル行きなさい。求める者には与えなさい。そして,借りたいと望む者には背を向けてはいけない。
 『あなたは隣人を愛し,敵を憎まなければならない』と言われたのをあなた方は聞いた。だが,あなた方
に告げるが,敵を愛し,のろう者を祝福し,虐待し迫害する者たちのために祈りなさい。あなた方が,天
におられるあなた方の父の子供となるためだ。その方は,悪い者の上にも善い者の上にもご自分の太
陽を昇らせ,正しい者の上にも正しくない者の上にも雨を降らせてくださるからだ。自分を愛してくれる者
たちを愛したからといって,あなた方に何の報いがあるだろうか。徴税人たちも同じことをしているではな
いか。自分の友人たちだけにあいさつしたからといって,あなた方は何の優れたことをしているのか。徴
税人たちも同じことをしているではないか。だから,あなた方の天の父が完全であられるように,あなた方
も完全でありなさい。」(マタイ5:38-48)
147宝珠愚者:2009/01/01(木) 23:52:23 ID:etMqvw80
---仏典---
 「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。已が身をひきくらぺて、殺してはならぬ。殺
させてはならぬ。すべての者は暴力におびえ、すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。已が身にひき
くらべて、殺してはならぬ。殺させてはならぬ。生きとし生ける者は幸せをもとめている。もしも暴力によっ
て生きものを害するならば、その人は自分の幸せをもとめていても、死後には幸せが得られない。生きと
し生ける者は幸せをもとめている。もしも暴力によって生きものを害しないならば、その人は自分の幸せ
をもとめているが、死後には幸せが得られる。」(ダンマパダ10:129-132)

 「心の中であらゆる方向を巡ってみても、どこでも、自己よりも愛しいものに巡り会わなかった。それ故に
自己を愛する人は他人を害してはならぬ。」(サンユッタ・ニカーヤ:T.75)
 「自己よりもさらに愛しいものは決して存在しない。同様に他の人々にもそれぞれ自己は愛しい。故に自
己を愛するものは他人を害してはならぬ。」(サンユッタ・ニカーヤ:T.75-ウダーナ)
 「自己を護る人は他の自己をも護る。それ故に自己を護れかし。しからば彼は常に損ぜられることなく、
賢者なのである。」(アングッタラ・ニカーヤ:V.373)
 「もしも、自己を愛しいものであると知ったならば、自己を悪と結ぶなかれ。」(スッタニパータ:790)
 「生きものを(みずから)殺してはならぬ。また(他人をして)殺さしめてはならぬ。また他の人々が殺害す
るのを容認してはならぬ。世の中の強剛な者どもでも、また怯えている者どもでも、すべての生きものに
対する暴力を抑えて──。」(スッタニパータ394)

---ヒンドゥー---
 「非暴力(アヒンサー)に徹していると、全ての生き物が敵意を捨てる。」(ヨーガ・スートラ2:35)
(ヒンドゥーの聖者は、相手に対する恐怖心を持たずに好意を抱くならば、猛獣や毒蛇すらも彼を襲うこと
はないと説く。)
148宝珠愚者:2009/01/02(金) 01:21:28 ID:F3GjMLzD
>>70
> 確かにこれらは、知らねばならない事柄ではありませんが、「道と歩み(実践)」において疎かでないなら
>ば、ゴータマの教えには反しないと思います。必要ではないが人によっては余計な疑問が解消され、歩み
>もスムースで有利となるかもしれません。これが私が見た時代に適合させる事例です。
> たとえ仏典に相対性理論が説かれてなくても、【ゴータマが解説をしなかった】事柄はすべて間違いであ
>るという意味にはなりません。私は自己責任において、自身の中に仏説(ゴータマ)以外の思想も吸収して
>おり、そこには矛盾と混乱はありません。

 もう少し追記します:ゴータマは待機説法の人であり、ある場合には説き、その時のその相手によっては
沈黙した。そしてアートマン解説こそ最後までしなかったが、転生を説き、人の次の生まれについて予告し
て見せた。また心霊存在のことなども経典では明確に言及したりしている。
 これらのことから私は、この21世紀の現代においてさえも、ゴータマが説かなかったから「ない」とか、或
いは「その内容には触れるべからず」という態度ではなく、もっとスッキリと理解したほうが懸命であると見
なすのです。
 「興味がない」「そんなことを知らずとも歩みには関係がない」とする人は、もちろんそれでいいと思います。
しかし、古代人とは異なり、文明国の現代人(差別の意味ではなく)の知性からみて、詳細に正しく理解する
ほうがスッキリと疑問が氷解して、道にもかえって集中できると見ているのです。あるのかないのか?ゴータ
マが語ってないことは議論もタブーであり、21世紀の弟子も無記とかいって語らず・・自分の意見すら求めら
れても語らない・・というのは、あまりにも不自然な異様な態度であるといわればならないのです。
---私の摂る姿勢とはつまり、こういうことです。
149宝珠愚者:2009/01/02(金) 01:23:08 ID:F3GjMLzD
>>137
>しかしながら、貴殿の意見は大変参考になりました。
>今後、この命題につきましても拙者なりに深く思慮する所存でありまふ。
>>143
>まあ、貴殿は「夢みる夢子」さんなんでしょうが、
>夢をみるのは大事なのかもしれませんね。
>いろいろと熟考したいかと思いまふ。

はい、ありがとうございます。
考える何かのキッカケとなれれば大変、嬉しく思います。


>>143
 精子の数が減少したり(環境ホルモンの影響ともいわれる)、そしてまた性欲減退などともいわれてい
ますが、これは、或いは人口増加に伴う生物としての自らの無意識的な人口調整本能が働いているの
かもしれません。
 宇宙空間での人類発生確率は、ホーキング博士はかなり悲観的な見解のようですが、しかし、いろん
な見方はまだあります。フェルミという物理学者は居住可能な惑星系を持つ恒星系が平均10光年毎に
1つ存在したとすると、375万年程度で銀河系全体に宇宙植民できる計算だとか・・ドレイクの方程式とい
うものでの算出結果では、楽観的な予測に従えばこの銀河系だけでも約100万の技術文明が存在する
(入力値によっては0近くにもなり、答えはバラバラです---0にはならない)。たぶん古い情報かもしれま
せんが(笑)

 どうもオカルト論ですみませんが、もしも机さんのいうように全人類が肉体を失ったとした場合(死滅)、
それはそれで、ある意味では肉体があった頃とも、あまりまた変わらない生存(世界)が続くことになる。
地球に転生する肉体がなければ、他の天体の人間(いるならば)へと転生していくわけですし。
 また、私が理解する宇宙人とは、何もこのように濃密物資体であるとは限っていないのです。エーテル
生命体というのですが、これらは我々には通常は不可視なのです。しかし、この惑星にも肉体無き生命
体(心霊)がいるのだから(いますよね?)、それも大して違いとはならないのです。また濃密物質界を脱
すれば時間の制約は受けないので、物質宇宙が何億年を過ぎようとも関係がない。以上、ブッ飛んだ話
で失礼しました。ペコリ
150宝珠愚者:2009/01/02(金) 01:23:31 ID:F3GjMLzD
 で、以前のQ3.仏教の話や書物に出会えない人はどうしたらよいか?(アフリカ未開の地の住民や数年
で死去する幼児などについて )という問題についてです(Q1-2.「空」に対する私の見解はすでに繰り返し
述べた)。

 断滅論では、これに対する仏の救いを示すことはできないのです。いくら仏教がこんなに素晴らしい教
えなんだ。「これを知りさえすれば!」といったところで、仏教とは出会えない未開の地の人々やすぐに死
去してしまう幼児の存在を忘れてはいけないのです。これをどう説明するのか?断滅論を救いどころか、
これらについてのまともな説明すらもできない。そこにはやはり、ただの偶然とあきらめしかない。
 しかし、輪廻の真理からすれば、これらは非常に残念ながら、何かしらの過去世からの理由によって仏
縁ができなかった。という、まずは現状把握から始まって、そして彼らが悪業を控えて慎ましくあり、できれ
ば更に善きことをなしたならば、次かまたはその次の人生では、きっと仏縁を生じることができるという見
解に立つことができるのです。
 もしも更に、例えば死亡する直前に仏縁が得られた者であれば、それは尚更のこと。彼は次の生では、
人生のもっと長い時間において仏教に関わることができる良縁を得たことになるのです。ここに大きな救
いがある。
 断滅では死に際に偶然、仏縁ができても残念ながらそれを学ぶ時間がない。死んで終わりです。しかし、
輪廻の真理に立脚するならば、彼のその想いは決して無駄とはならず、肉体無き後にも、そして来世にお
いても仏道を歩むことが保証されるものといっていいのです。四向四果の教えを見れば、そのことは明ら
かで一目瞭然です。
151宝珠愚者:2009/01/02(金) 01:31:49 ID:F3GjMLzD
追記:
>>149
>ドレイクの方程式というものでの算出結果では、楽観的な予測に従えばこの銀河系だけでも約100万の
>技術文明が存在する(入力値によっては0近くにもなり、答えはバラバラです---0にはならない)。

 その約100万もの知的生命体が誕生する天体間は平均で約500光年の距離だそうです。光速度で500年
が掛かる距離だそうな・・(涙)
152神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 01:38:28 ID:1Y8NIQDa
>>145
>弊害を起こしているのは「宗教組織」です。

そうやって、宗教者は、自分の宗教やその教祖は一切批判できず、すべての
責任を他宗教・他宗派の「人間 」に押し付けることが、まさに宗教紛争の
原因なのだよ。「他者がない」とは、そういう意味。宗教に内在する最大の
「病理」である。

このスレにおける君の書き込みだけで、如実に証明されいているではないかw。

153宝珠愚者:2009/01/02(金) 02:05:40 ID:F3GjMLzD
>>152
>そうやって、宗教者は、自分の宗教やその教祖は一切批判できず、

 ふざけないで欲しい!あなたはID:Ar9A+89tさん?これらの教えに対して何をどう責めることができるの
です?? だから私は、弟子(信徒)たちが>>146-147といった始祖や大聖者たちの教えを【守って行動し
ていたら、そのような殺戮や戦争は起こるのかどうか?】と、こう私は聞いてるのですよ!!
 ---どうぞ誤魔化さないで答えて下さいな!回答を待っています。
154神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 07:13:39 ID:ADo41ysA


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


★マタイ10:34−39

■【平和ではなく剣を】

「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。
平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために
来たからである。

人をその父に、娘を母に、嫁を姑に。
こうして、自分の家族の者が敵となる。
わたしよりも父や母を愛するものは、わたしにふさわしくない。
わたしよりも息子や娘を愛する者もわたしにふさわしくない。

又、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、
かえってそれを得るのである。」        


★ ほんと、ここもかしこも、いつも論争・争いばかりなり〜(笑) ☆

゚+。(*′∇`)。+゚ 


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

155神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 07:17:01 ID:ADo41ysA



            ,へ
        。 \/  ヽ    (  )   .   。  .  .゚o 。 *. 。 .. ☆ . +. .  .
  。 .  . . _/*+*`、    ( )  .       ■ 聖書の間違い
     ゚ 。 <_______フ    )  ゚  .  http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/errors.html  。  ゚.  .  .
  .   。  ゚  从*・ 。.・)   〜 。, .。o ☆  +   。   。 .    。 *
   ゚ .゚ ゚  。゚ / ゙゙゙lll`y─┛+ 。. +。 * 。゚。゚., ,+    。゚.    .   ,
  ゚。゚+゚`,    ノ.  ノノ |゚*  。゚   。 ☆+。。 ♪  ♪   。  .   ,
    ゚. o * `〜rrrrー′゚。 ゚。+ ゚ 。 ゚。  ゚ 。  ゚ ■ 「宗教撲滅」
      ゚     ._i|_(_  .  ゚   ,   。* . http://religion.bbs.thebbs.jp/1166805222/e40
   _,,..-―'"⌒"~ ̄"~⌒゙゙"'''ョ
  ゙~,,,....-=-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ      .  。 ゚。, ☆ ゚.  + 。 ゚  ,。 . 。  , .。
  T  |   l,_,,/\ ,,/l  |
  .-r '"l\,,j  /  |/  L,,,/       ■ 神(ヤハヴェ)の性格          .゚o 。 *. 。 .. ☆ . +.
,,/|,/\,/ _,|\_,i_,,,/ /    http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_yhwa.html
  _V\ ,,/\,|  ,,∧,,|_/



156神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 07:21:00 ID:ADo41ysA


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


【申命記20:10−17】 ・・・「聖書」から

ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を勧告しなさい。もしその町がそれを受諾し、
城門を開くならば、その全住民を強制労働に服させ、あなたに仕えさせねばならない。しかし、もしも
降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、
あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。


だだし、女、子供、家畜、および町にあるものすべてあなたのぶんどり品として奪い取ることができる。
あなたは、あなたの神、主が与えられた敵のぶんどり品を自由に用いることができる。このようになしう
るのは、遠くはなれた町々に対してであって、次に挙げる国々に属する町々に対してではない。あなた
の神、主が嗣業として与えられる諸国民の民に属する町々で息のある者は、一人も生かしておいては
ならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたよう
に必ず滅ぼし尽くさねばならない。
  

↑ どこが 【愛の宗教】 でつか? (☆_☆)

キリスト教の神は、本当に恐ろしい!! ヽ(@。@;)ノ
  
コワー・・・・・・((((((;゚Д゚))))))


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

157机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/02(金) 07:49:43 ID:RVGuJ04E
>>149
貴殿は物理学にも関心があるようですから、少々その流れでレスポンしてみますw

数十年前までは謎とされましたユラギについて、理論物理学では仮説を立てております。
それは宇宙創成についてですが、
宇宙はもともと、陰因子?と陽因子?が対等にありまして、この因子がぶつかると消滅します。
つまり、陰と陽の因子が対等にある。ということは、
宇宙が存在してないことが・・・ノーマルな状態とされてます。

ところがどういう訳か、陰因子が消えてしまったのです。
これがビックバンですね。
つまりこの宇宙とは、陽因子の残存である。ということになる。→これが物質世界
(これが今現在における、ユラギについての合理的な推測です)

では、消えてしまった陰因子は何処に逝ってしまったのか?
これが反物質世界があるんじゃ〜ないか?との仮説があります。
(これがもしかしたら、ブラックホールの彼方なのかもしれません)
あくまでも理論物理学は、数値的に導きだされる理論です。

           (つづく)
158机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/02(金) 07:50:37 ID:RVGuJ04E
(つづき)
宇宙は膨張してますけど、やがては縮小に向かいそのまま宇宙は消滅。
そして新たなビックバンがありまして、宇宙は誕生する。
これを永久に続ける。
というのが近代理論物理学の見解(仮説)ですね。
宇宙は非常にダイナミックであります。

>地球に転生する肉体がなければ、他の天体の人間(いるならば)へと転生していくわけですし。

宇宙は偶然に創世された。というのが今の理論物理学の見解ですが、
生命においても、その偶然において誕生された。と見るようですね。

仏教は、この理論物理学においても全く教義的に矛盾はありません。
それは仏教は「生命」を第一義としてないからです。
生命が滅亡したとしても、その思想は全世界に燦然と光を放ち輝きを増すばかりです。
(これが空思想なのでありまふ)
159初代スレ7:2009/01/02(金) 08:03:06 ID:AFxcX1x0
横レス。

>>151
> 断滅では死に際に偶然、仏縁ができても残念ながらそれを学ぶ時間がない。死んで終わりです。しかし、
>輪廻の真理に立脚するならば、彼のその想いは決して無駄とはならず、肉体無き後にも、そして来世にお
>いても仏道を歩むことが保証されるものといっていいのです。

「断滅では・・・」という書き出しで始まっていながら、文意は「輪廻する(断滅ではない)という前提」となっている。
貴方は、相手の立場での考えを提示しているかのような発言をしながらも、実は、
「仮に輪廻しないとしたら・・・」という思考実験を一度も行っていない。(おそらく過去のどのレスもそうだろう。)
この文の内容も、書き出しを受けた後半部分とはなっていない。書き出しの部分だけが浮き上がっている。
「断滅では・・・」という形をとりながらも、『断滅であった場合はこうである』という文になっていない。
「輪廻する」という大前提のもとで文を組み上げるのは構わない。
が、ならば、書きだしは 『輪廻するという真理を断滅として見たならば・・・・』 とならねばならない。
そうして初めて、後半の部分と整合性が出る。
なんとなれば、書きだしの通り“断滅”であるなら、
文中の「無駄」とか「肉体無き後」とか「来世に於いて歩む仏道」とかは関係ない。
だって、「死んで終わり」なんですからw

言っていることがお解り頂けるでしょうか・・・。

仏教では・・とか、実際は・・真実は・・とか、真理は・・・ということでなく、
単に、文意の論理矛盾と、批判する際の誤魔化しを指摘しているだけです。
決して「輪廻無きこと」を主張するレスではないことを付け加えておきますw
160初代スレ7:2009/01/02(金) 08:06:06 ID:AFxcX1x0
あれ?
アンカーがずれてる・・・。
>>159>>150宛です。
161宝珠愚者:2009/01/02(金) 08:17:44 ID:F3GjMLzD
>>154-155
 あなたこそ文字通りにしか受けられない、ただの原理主義者ではないか!私には「平和ではなく剣を」
という気持ちが理解できますよ、この私も同じ心境だからです。これは霊の剣ね。
 殺人の武器については、「剣を取る者は剣によって滅びる」(マタイ26:52)といいました。事実、ユダヤ
の民たちは救世主とはローマの束縛から解放してくれる武将として待ち望んでいたので、イエスに失望
したのです。

 はいはぃ「申命記」-旧約の神ね。そんなユダヤの偏狭な意識で書かれたものには関心ありません。イ
エスの教えではない。ご紹介頂いた「聖書の間違い/佐倉 哲」のページは私も参照している素晴らしいも
のです。概ね同意しておりますが・・それが何か??そんなただの聖書批判ならばどうぞ他へ行ってくだ
さいな!

 味噌も糞も一緒で違いが分らないなら話になりません。
162宝珠愚者:2009/01/02(金) 08:25:25 ID:F3GjMLzD
>>159
 ある意味、意図的なものです。読めば理解されるでしょ!
でないならば、私は文章書きが下手なものですから、それはどうもすみませんね。
163宝珠愚者:2009/01/02(金) 08:58:34 ID:F3GjMLzD
>>154-156
ID:ADo41ysAさん、いいから
>>153の問いに回答してくださいな。誤魔化さないでもらえます?
164神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 09:22:51 ID:EmvzyiKy
昔から、年末には長生きするように年越しそばを食べお正月は家事をしない為に
暮れにおせちを用意し、事始は二日から・・とか伝え聞いてきたが、それも現代に
なればめまぐるしく時代は進歩して24時間ネットやショッピング・年中無休の仕事・・
等で、既に崩れている。

同様に、2500年前の大昔の経典や聖書の記述のみに今だ固執し、イエスや仏陀
に会ったことも無いのに盲信し、主張していることは、この意味に於いても既に時代
遅れであり、愚かなこと・ナンセンスだろうw

人間の知性や物の見方・時代の進歩・・・等は宗教とは比べものにならない位発展
している。もはや、批判に耐えられず崩れることも時間の問題であろう。

宗教者が宗教擁護をすればする程、墓穴を自ら掘っているかもねw

■ 輪廻転生・カルマ論は、2500年もの長い間、誰も実証出来なかったということが、
既に根拠が無いということの証明に充分なりえる ■

165宝珠愚者:2009/01/02(金) 09:25:13 ID:F3GjMLzD
ID:ADo41ysAさんへ
>>68でも述べた通りです。己れの論に自信がなく、マンガ絵付で誤魔化さないと投稿できないのならば
来なくていい。>>153について回答できないなら、他スレへと速やかに移動して下さい。議論の邪魔です
--以上、宜しくお願いします!
166神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 09:33:45 ID:EmvzyiKy
>>141
そうですか。宗教団体に属していないなら人釣って金儲けしてるわけではないのでしょう。
まぁ、言葉では何とでも言えるから聞くのも野暮ってもんですが、それではあなたは何で
生活の糧を得て生きておられるのですか?
167神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 09:45:18 ID:EmvzyiKy


☆**********************************************☆*************************************☆


./)/)     ■ 釈迦が自分で書いた経典など一つもない。すべて後代の人々が、それぞれの
(・ー・)ノ      解釈で書いたもの。経典が、釈迦の「真意」であることの保証は「皆無」である。 ☆★ 
゚L-J        従って、釈迦や原始仏典の「言葉」に拘るのはナンセンス。■


☆*************************************************☆***********************************☆


168カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/02(金) 11:15:43 ID:3/NWLivr
>>128
>生滅という二項対立・相対を超越した中道を表現しようとしている。

それを自性というんだよ、タコ。正確に言うと、識別され得ない自性は、識別智である
「言」では正確に言い表せないが、便宜上自性と表現するだけどな。
169神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 11:41:34 ID:X+QFTE+d
>>168
いいませんね。その自性説は佐倉さんの解説の誤読ですよ。
そうじゃないというなら、証拠を出してください。
170カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/02(金) 11:41:54 ID:3/NWLivr
ウダーナヴァルガの冒頭にはこうある。

>熱情ある者に、瞑想する婆羅門(ブッダ)に、まさに、諸々の法(もの・こと)が
>明らかに成るとき(諸々の法が生じては滅する、まさにその、
>あるがままのあり方が明らかに成るとき)、しかして、彼の、諸々の疑惑は、
>全てが消え去る――因を有する法(もの・こと)を覚知するがゆえに(因によって法が生起する道理、
>つまりは、縁起の法を覚知する)。熱情ある者に、瞑想する婆羅門(ブッダ)に、まさに、諸々の法(もの・こと)が明らかに成るとき
>(諸々の法が生じては滅する、まさにその、あるがままのあり方が明らかに成るとき)、
>しかして、彼の、諸々の疑惑は、全てが消え去る――諸々の縁の滅尽を知ったがゆえに
>(因によって法が消滅する道理、つまりは、縁起の法を知った)。
>熱情ある者に、瞑想する婆羅門(ブッダ)に、まさに、諸々の法(もの・こと)が明らかに成るとき(諸々の法が生じては滅する、
>まさにその、あるがままのあり方が明らかに成るとき)、悪魔の軍団を破り、〔彼は〕立つ――太陽が、空中を照らすように。

そして最後の締めの部分で、例の

>生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
>もしも生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、
>生じたもの、生成したもの、つくられたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることはないであろう。
>生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
>生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることがあるのである。

となるわけだ。
話の流れとしてはこうだ。この現象世界(物質世界)は、縁起で成り、縁起でなるものは全て生じては滅するものであり、
そんなものに執着することに苦しみはある。そうではなく、生じることも無ければ滅することも無く、形あるものでもない
境地がある。生じなければ形成されない、縁起よらない境地があればこそ、生じては滅する縁起の世界から離れることも
できるのである。そこに苦の滅がある。自分の思い込みというフィルターを取り除き、
何の偏見も無く読み解くと、そういうことだ。
171カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/02(金) 11:45:39 ID:3/NWLivr
>>128
ところがおまえの論法で行くと、ウダーナの冒頭でこの現象世界(一切)は、生じては滅するものであるといっているのに、
そうは違う。本当は、この現象世界とは、縁起でなり、縁起でなるこの現象世界は、生じては滅するものであるが一方では、
生じなく生成されないものである。これすなわち中道。なんて結局は縁起の法すらなかったことになるのだが、
一方では、仏教とは縁起だとのたまう。このような論法を、ただの詭弁といい、結論なき不可知論といい、ゴータマははっきりと
詭弁でしかない不可知論は、私の教えの外をいく、外道だといったんだよ。

>いまなら<中道>とでもキャプションをつけるか、そうなりゃカラスは引用しないだろうw

やればいいだろう。おまえは嘲笑の対象になるだけだ(苦笑)


172神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 12:42:18 ID:1GhcGyIz
>>153
>だから私は、弟子(信徒)たちが>>146-147といった始祖や大聖者たちの教え
>を【守って行動していたら、そのような殺戮や戦争は起こるのかどうか?】
>と、こう私は聞いてるのですよ!!

すべての人間に共通する唯一の普遍の事実は、「人間とは、生存本能(生命)を
中核とする動物の一種に過ぎない」ということである。宗教を含む人間のすべての
営みの根源は、この生存本能(生命)である。死者には、いかなる営みも不可能。
人間は、独りでは絶対に生存できないことを、これも本能的に知っているから、
この生存本能から、共同体形成維持本能、自他の死への恐れ、他者への思いやりと
いう本能や自然の感情が派生する。
これらの本能や自然の感情は、すべての人間の身体に生来的にビルトインされて
いる肉体的本能だから、他から教えられる謂れはなく、また教えられてはならない
もの。
愛とは、相手の具体的窮状を目の当たりにして初めて生じる、助けるための
具体的行動の原動力となる自然の感情。「状況依存的な行動」だから、抽象的・
観念的には存在し得ないもの。
愛という言葉を口にすれば、この肉体的本能に基づく行動としての愛が、観念
化、抽象化、精神化してその実質を失い、破壊され、偽善となる。
イエスが、浅薄にも、愛を「唱えた」ため、このように、人間の愛が破壊され
たのである。イエスを熱心に信じる者たちが、史上そして現在も、最も多くの
人間を、最も残虐な方法で殺してきたのは、イエスの「愛の教え」が原因なの
である。
173神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 12:43:23 ID:1GhcGyIz
>>172の続き

これは、イエスの統合失調症の症状としての「疎通性の欠如(他者の感情に対
する生き生きとした反応や感謝の欠如)」に起因するもの。
本当に愛のある人間なら、相手の具体的状況に応じて、黙って「行動」で示す。
愛という「言葉」の口にする人間に、愛があったためしがないのは、社会での
経験則。
アガペーは、イエスが舞い上がったギリシャ哲学における特殊概念であり、
肉体的本能としての愛ではない。
「愛せよ」と「命令」「強要」「脅迫」されて愛せる者はいないだろう。却っ
て、愛しなければならないという義務感、愛せなかったという罪悪感から、相
手に対する憎悪・殺意さえ生じることは、心理学的にも証明可能である。
そして、「人間のすべての営みの根源」としての生命を格納する身体は、五感
で知覚できる世界、即ち現実界に100%依存することによってのみ、維持さ
れる。
174神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 12:47:29 ID:sNQtauCF
>>153>>163>>165
それを歴史上で起こしたのは、信者・宗教者達でしょう。
宗教者・宗教団体の自己責任でしょうw アンチに聞くのはお門違い。
君の言うことは無責任そのもの、単なる言い逃れ〜

■ <観念は百人百様>
■ <言葉は魔物>の証明でしょw


君は、今だから結果を見て言葉では何とでも言えるが、大昔の人達は皆、
今の君の言うことと同様に、言葉通りに宗教指導者・団体の言うことや聖書
を信じて狂乱し実行したのでは?教義をマイコン・洗脳するしねw
故に、言い逃れ・卑怯・・とも言える。宗教指導者・信者の自己責任!

あなたと同様に、自分の信じていることをレスしてるのみですょン、
言葉の解釈は、人それぞれ〜、もっとも君達のように<宗教=命>?・・
ではないから、忙しくて読むのも大変で遅レスになるけどw(笑

オチ
175悪寛:2009/01/02(金) 14:07:34 ID:Fis1+kzW
>>171
大田正観(寺和田)の訳は相変わらず読みにくく、ヘタクソな訳だなw

>生じなければ形成されない、縁起よらない境地があればこそ、
>生じては滅する縁起の世界から離れることもできるのである。そこに苦の滅がある。
>本当は、この現象世界とは、縁起でなり、縁起でなるこの現象世界は、生じては滅するものであるが一方では、
>生じなく生成されないものである。これすなわち中道。なんて結局は縁起の法すらなかったことになるのだが、

その論述はまさに二項対立的価値判断思考的誤謬によるものだ。
ウダーナは『生じない⇔生じる』『有⇔無』『善⇔悪』『生⇔死』『陽⇔陰』などといった二項対立的価値判断(カラスの世界はまさにこういう苦を生む思考世界のみだ)を
超越した中道という境地をなんとか苦心して示そうとしているのだよ。
言語論理が通用しない無分別智によるから、言語という分別では表現不可能、
表現してもカラスがそうであるように、誤解を招くおそれが強い。
 しかし仏教ならこのことが掴めないとそれこそお話にならない。気が付け!としかいいようがない。
だから宝珠愚者にしても>解脱=ニルヴァーナ=不死=永久不滅などというお馬鹿な完全誤解をしている。
『永久不滅』などは中道ではない、表現するなら「不生不滅」(=般若心経)でなければならない。

まあ、カラスも宝珠愚者も小心者丸出しだから、「俺が消える?怖い、信じられない、俺は永久不滅でありたい!」が動機だ。
完全誤解であって、中道なら消えるかどうかなど問題にもならない。
無常=無我=縁起=空=中道
                                合掌
ちょっくら小旅行に出かけるから、またね。
176カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/02(金) 16:40:04 ID:3/NWLivr
>>175
うだうだ言ってんじゃねぇよ。
おまえらの中道を使った唯物仏教は、所詮は言語上の遊びでしかなく、
この現象世界は、ゴータマははっきりと、縁起で成り、縁起でしかならず、
縁起でしか成らないこの現象世界(物質世界)は、生じては滅する幻。
それは苦である。と言っているのに、い〜や違う。本当はこの現象世界は
生じては滅するものであり、生じず、滅することも無い、中道ですなんていう
おまえらの唯物中道仏教のような、どっちでも取れず、どっちでも取れない
答え無き、不可知論を言ってんじゃねぇんだよ。ゴータマは、
不可知論は、はっきりと外道だと言ってるしな。ドメクラ共が。

>まあ、カラスも宝珠愚者も小心者丸出しだから、「俺が消える?怖い、信じられない、俺は永久不滅でありたい!」が動機だ。
>完全誤解であって、中道なら消えるかどうかなど問題にもならない。
>無常=無我=縁起=空=中道

勝手に人の動機を決め付けるなよ。おまえらのように、自分の価値観と言うでっかいエゴという
フィルターを通さずに、普通に素直に読めば導かれる結論を述べてるだけだ。なにが中道だと消えるかどうかなど、
問題にもならない。だ。お前らの話はただの言語上の遊びでしかならない、糞の役にも立たない不可知論だと言ってんだよ。
177カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/02(金) 16:44:18 ID:3/NWLivr
>>114
おまえさ、俺は、ゴータマは一切皆苦だと言ったのに、この一切の中にしか
涅槃を見出せない竜樹の中論は、今の末法仏教の走りだと言ってるんだよ。
くだらないおまえらの教科書引用して自分達の論を正当化してんじゃねぇよ。
俺が間違いだと言っている教科書を元に、自分達の論を正当化されても、
説得力ゼロなんだよ、戯けが。
178神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 18:53:20 ID:3dQ5cOcg
>>153

>>146の新約聖書と>>147の仏典では、教えの説き方が全々違う。☆★

聖書は、上からの命令(〜しなさい)を、仏典は自己と他の関係性を
説いている。
宝珠愚者氏には、↑ が理解できたのでレスの引用に感謝 <(_ _*)>

それが、キリスト教と仏教の<残虐な殺戮数・戦争・紛争の差>となって
既に結果に出ているのでしょう。結果は誰も無視出来ません。

宝珠愚者氏は、キリスト教と仏教を強引に同列に配置しようとしているの
かもしれないが、素人から見てもそれはやはり無理で誤りでしょうw
又、仏陀の輪廻・カルマ論・・・等で結びつけることも誤りでしょう。

■ご隠居氏の論は、全て当たっていることの明らかな証明です!!★☆
179前スレ170:2009/01/02(金) 20:50:14 ID:OGZnNKEZ
いやいや、またまた
「仏陀は転生(再生誕)を説いた!?かどうか」のスレが
「輪廻はあるかないか」のスレになっていくな…

164さん
>同様に、2500年前の大昔の経典や聖書の記述のみに今だ固執し、イエスや仏陀
>に会ったことも無いのに盲信し、主張していることは、この意味に於いても既に時代
>遅れであり、愚かなこと・ナンセンスだろうw
うんまあ、そう考えるのもありかもね。
「仏教は邪教!お釈迦さんはカルト教祖!!」と言えば済む話なんだけれども。

宝珠愚者さんもカラスの唄さんも煽り耐性がないな。
後、神智学系オカルトの話やグノーシス流キリスト教の話はやめとけば良いんじゃないでしょうかね?
「仏陀は転生(再生誕)を説いた!?かどうか」には直接の関係は無いんだし。
輪廻を否定しておきながら「仏教」の看板は保持したい、というムシのいい連中が横から茶々を入れる際の、格好の攻撃材料になってますよ?
180神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 21:11:51 ID:qAEUgyw6
>>68
スレのスピードが早過ぎて今、見直したら宝珠愚者氏はおかしいこと言ってるでしょw↓

>「如何なる教義も人命に優先しない」ことを、法律によって強制すべきだろう。
>それは本人が自ら望むのだからどうしようもないのでは?

本人とは誰のこと?意味不明なので具体的にドゾー

「如何なる教義も人命に優先しない」は、何もおかしくない。君の思考の方が変で狂ってるw
オウム事件でも教義が人命より優先すれば、当然裁かれている。国民誰もが望んでいることでしょw
宗教殺人・サリン事件・自爆テロ・宗教犯罪・・・等、誰も望んではいません。
信徒も不幸になるし・・<不幸の元凶=教義>だから、「如何なる教義も人命に優先しない」は当然のことw☆★

>「万人に分る立派な教え」などといった都合の良い云い方は卑怯というもの。
意味が分かりません。六神通力があっても仏陀には無理ということですか?

>>106
ホント。人間は人間にしか生まれ変わらないと言うのは、人間と動物を明確に区別するキリスト教みたい。
181神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 21:23:03 ID:qAEUgyw6
>>118
>しかし何れにせよ、ただの唯物論者ならば「安らかに眠って下さい」という感情すらも不要な筈です。
唯物論者は全ての弔いの行為に対して、無駄で不要なものとして説くべきでしょう。

あなたは、本当に厚顔無恥というかお偉いさんですねw 君に指図される必要はないし、歪曲される必要なしw。
理論と人間としての感情は別でしょうw 勝手に自論を入れて方向を発展させ展開するのは、卑劣なやり方です!

>>130
>おれは唯物論者ではないが、上記の言葉の完全撤回を求める。完全に狂った侮辱だろう。
ヒトラーがユダヤ人を、一神狂徒が異教徒を見る狂気の視線を感じる。お前には仏教など語る資格はない。

悪寛氏、援護レスありがとう!
輪廻説を説く本人へカルマは返るでしょうから・・心配無し!!

>>132
>何れにせよ、故人に対して「どうぞ安らかにお眠り下さい」という感情は馬鹿げていることになる。
そんなことはないでしょう。今まで生きていた人に対する挨拶のような言葉、自然の感情です。

>唯物論者はそのような感情を持つことはない筈であり、人様にもそのような感情は無益であると説くべきです。

それはご自由にどうぞ!あなたの唯物論者に合わせる必要も、唯物論者と断定される必要も全く感じない。
見解の相違ですから・・押し付けないで頂きたい。君もイエスの擁護には、一生懸命な筈w(笑

では、お先にオヤスミ〜ン☆♪〜(。・_・。)ノ

182宝珠愚者:2009/01/03(土) 02:46:33 ID:mbzp37+p
>>166
 「宗教で金儲け」って、そんなの地獄行き一直線じゃ〜ないですか!(笑)
 ですから前にも述べた通りです。修行システムに高額料金を設定するようなところは全部、金摂り目的
なのだと。そんな〜金持ちほど霊性が進歩するようなシステムはこの世に存在してないと。そういうの(教
団等々)は大嫌いなんですよ、私は!(反吐が出る)

 【私はごく普通の会社員ですよ。】残業したり休日出勤したり、夜勤もやります。何かどこかの出家行者か
と思いましたか?お願いしますよ..ホントにw

 ま〜確かに若い頃は世俗を出ようとしたことがあります。私は今生だけで仏陀になれるものだと思い、そ
れに全てをかけようとしましたからね。私にとっては出世間のほうが容易な道に見えるたのですよ--その世
界に専念集中ができる。しかし最終的には、普通の社会人としての人生を自分は選択したのです。私にとっ
てはこちらのほうがより困難な道程なのですよ。
183宝珠愚者:2009/01/03(土) 02:50:10 ID:mbzp37+p
>>164
>輪廻転生・カルマ論は、2500年もの長い間、誰も実証出来なかったということが、
>既に根拠が無いということの証明に充分なりえる

 確かに、今ここにはゴータマ仏陀のような存在がいないからね。しかし、私は悲観していない。いずれそ
う遠くないうちに、再びゴータマのような大覚者が姿を現すものと信じます(世に不義が蔓延る時代には出
現するのです。この歴史は繰り返される)。
 また、時折りどなたかが貼り付けていく転生についての学術的な検証調査といったものにも、この私は
期待を寄せています。このような調査研究は今後は更に関心が深まっていくことになるでしょう。想起され
た過去世の情報が、本人が絶対に知り得る筈のないものであり、その中身が検証により正しさが確認さ
れればいいことです。ダライラマ14世の事例についてもそうであって、それが明らかでさえあればとても有
効なものとなります。
184神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 02:50:52 ID:CzHXaJre
オウムは仏教というより神智学の劣化バージョンでは?
日本人は宗教音痴だから霊現象には良い(天使の啓示)のと悪い(悪霊の憑依)のが有るのを知らない。
人殺しをするようなオウムは後者だな。

愛や慈悲を説く世界宗教は本物だよ。
185宝珠愚者:2009/01/03(土) 02:54:35 ID:mbzp37+p
>>167
>釈迦が自分で書いた経典など一つもない。すべて後代の人々が、それぞれの
>解釈で書いたもの。経典が、釈迦の「真意」であることの保証は「皆無」である。
>従って、釈迦や原始仏典の「言葉」に拘るのはナンセンス。

 なかなかまともな意見もちゃんと出せるじゃないか!だったらそんなマンガ絵や記号の装飾とかに頼らず
辞めたらどうです? では反論します。それは内容によって教えの中身によって判断するのですよ。もしも
万が一、ゴータマが存在しなかったとしよう。もしくはゴータマではなく、本当は別の人(後代の人の説でしか
ない)の教えが書かれてあるのであって、それをゴータマの教えだとされているものとしてみましょうか。
 仮に、もしそうだったとしても大して関係がない。何故なら、私たちはゴータマだからではなく、その教えの
「内容の素晴らしさ」によっ最大の価値を見出しているからです。従って、真実が何者による教えであろうと
も、私たちはその内容を理解することによって利益としているのです。

これは、>>164
>同様に、2500年前の大昔の経典や聖書の記述のみに今だ固執し、イエスや仏陀に会ったことも無いの
>に盲信し、主張していることは、この意味に於いても既に時代遅れであり、愚かなこと・ナンセンスだろうw

に対しても同様とします。
186宝珠愚者:2009/01/03(土) 02:57:13 ID:mbzp37+p
>>174
>それを歴史上で起こしたのは、信者・宗教者達でしょう。
>宗教者・宗教団体の自己責任でしょうw アンチに聞くのはお門違い。

 私は否定していません。反省なきところに改善はないでしょう。彼らの間違いは師の教えを守らず背い
たことにある。まっ、旧約のような記述(言葉)は問題であるとは私も思います。であるから、理性で判断
しなければならない。100%絶対に間違いがないものはない。聖典経典もそのように見なすべきです。

>もっとも君達のように<宗教=命>?・・
>ではないから、忙しくて読むのも大変で遅レスになるけどw(笑

 私は宗教という言葉は嫌い。「霊性」の道という。私にとってこの歩みは遊びではない。基本的に娯楽
には興味がない。


>>178
>宝珠愚者氏は、キリスト教と仏教を強引に同列に配置しようとしているの
>かもしれないが、素人から見てもそれはやはり無理で誤りでしょうw
>又、仏陀の輪廻・カルマ論・・・等で結びつけることも誤りでしょう。


キリスト教ではなく「イエス」です。
私は仏典(ゴータマの教え)の記述から主張しているだけです。
187宝珠愚者:2009/01/03(土) 03:08:21 ID:mbzp37+p
>>172-173
 あなたも時折り、投稿してきた方ですよね?わたしはあなたの言ってることが、そもそも各所でいろい
ろと疑問に感じます。では確認します---「死者には、いかなる営みも不可能」とあることから、あなたは
完全な唯物主義者であると見ていいのですね?人間社会での弔いの行為の全てと、亡くなった故人に
対する「安らかにお眠り下さい」といった感情すらも、全くの無駄に過ぎないということでいいですよね?

>人間は、独りでは絶対に生存できないことを、これも本能的に知っているから、

 確かに人間は群れることを好むでしょうが、しかし、独りだと生存できないというのは、ちょっと如何かな
と思います。これは話を分り易くするための極論ですか?

>この生存本能から、共同体形成維持本能、自他の死への恐れ、他者への思いやりと
>いう本能や自然の感情が派生する。

 うーーむ、これも極論ですか?他者への思いやりの感情も湧きますが、攻撃性も酷いものですよ。人類
の歴史とは同族同士の殺し合いの歴史です。同種族間の殺し合いをしないのは寧ろ、人間以外の動物の
ほうだと思います。基本的には戦争は人間だけの行為です。
 あなたは以前にも、本能から「戦争による死滅は起きないのだ(自覚して辞める)」とかいいませんでした
か?私は人間こそ殺し合いが好きな生き物である、歴史がそれを証明してきたとして理解します。例えば
この先戦争で誤って、核戦争によって殆どの人類が死滅に至らないなどとは、どうして断言できますか?
188宝珠愚者:2009/01/03(土) 03:08:45 ID:mbzp37+p
>イエスが、浅薄にも、愛を「唱えた」ため、このように、人間の愛が破壊されたのである。

 意味不明です。イエスでも誰でもいいのですが・・誰かが愛を呼びかけることはダメなのですか。あなたの
意見では?本能に任せろと・・・。あなたのそんな主張を一体、誰が支持するのです?あなたは自分の子
供たちにも、「愛など口にするな!自分の本能に任せておきなさい」などと教えているのですか?

 私の見解では以前にも投稿した通り、人間の脳の構造上、爬虫類時代からの生存本能としての名残(大
脳辺縁系/辺縁皮質)によって、冷酷無残で自己のDNAのみを残そうとする利己的意識が働くと見ています。
そんな単純な本能任せでは済まないでしょう。人間の理性の目覚め、理性を活性化させるものとは何か?
そのことが大切なのです。

>イエスの統合失調症の症状としての「疎通性の欠如(他者の感情に対
>する生き生きとした反応や感謝の欠如)」に起因するもの。

 それは誤解ではありませんか?新約の記述もイエス自身の言葉や記録ではありませんよ。

>「愛せよ」と「命令」「強要」「脅迫」されて愛せる者はいないだろう。

 何故、これを命令や脅迫として見るのです?それは新約の筆者の文学表現なのではありませんか?
189宝珠愚者:2009/01/03(土) 03:10:01 ID:mbzp37+p
>>180-181
>本人とは誰のこと?意味不明なので具体的にドゾー

 肉体生命よりも重視する世界を自ら受け入れている人たちのことです。この私もそう。

>意味が分かりません。六神通力があっても仏陀には無理ということですか?

 そういうのをご都合主義という。あれほど繰り返し、一生懸命に説いてるじゃないか?神秘力を駆使し
て強制力的に従わせるようなことはしないでしょう。基本的に人は自らの理解によって真理を受け入れる
必要があるからです。

>理論と人間としての感情は別でしょうw 

 それは通用しないな。唯物主義とは死んだら終わりという考えです。それが真理であり、その人がその
ように本気で信じているのならば、それに沿った社会の創造へと努める筈です。論理が破状していますね。
私には唯物論者が、「安らかにお眠り下さい」などと心の中で思っているとは到底、信じられませんね。恐
らくは社会的な体裁として、本当は心では「無意味なことだ」と思っているのだが、遺族の悲しみ
や弔いの心情に対して事さらに物事を荒立たせたくはないから、ただ表面上の態度として、自分に嘘をつ
いて手を合わせてみせたり、「どうぞ安らかにお眠り下さい」と祈っている“フリ”をしているのでしょう。
 もしもそうではなく、本心からそのような感情を抱く人ならば唯物論者とはいいません。もしも、そういう
人がいるとすれば、その人は「私は自分の考えと自身の中に沸き起こる感情とが合致しない異常な状態
にあります」といって、何らかの治療が必要とされるでしょう。感情か主義か?その何れのどちらかに統一す
る必要があります。別に誰も困らない。自分がその何れか一方に統一すべきことです。

 私は何も酷いありませんよ。酷いのは唯物主義だと私は見なします。この私にはクダラナイ感情論は興
味ありません。これらの問題についての論理的な理論で示して下さい。
190宝珠愚者:2009/01/03(土) 04:05:11 ID:mbzp37+p
>>179
 前スレ170さんのご意見はご尤もです。でもまぁ、「仏陀は転生(再生誕)を説いた!?かどうか」のスレ
テーマについては、私も疎かにはしてこなかったものと思いますよ。実際、このスレ題に対する論(主要
な)は殆ど出尽くしたものと思います。ですから終わりにしようと思えば、もうとっくに終了してるのです。し
かしまぁ、新しい人も参加(見たり投稿)してくるわけだし、それで繰り返しながら、また細かな点について
も意見を交し合ってるという感じだと思いました・・。

>宝珠愚者さんもカラスの唄さんも煽り耐性がないな。
>輪廻を否定しておきながら「仏教」の看板は保持したい、というムシのいい連中が横から茶々を入れる
>際の、格好の攻撃材料になってますよ?

 お気持ちは理解します。確かにスレ題には関係ないですね。実際、「仏陀は転生(再生誕)を説いた!?
かどうか」は現実からいうと、もうとっくに解答は出て終っています。
 つまり、経典では書かれてあることは否定できない事実であり、その多くを私からも提示してきました。
後はそれを各自がそれぞれで、それはゴータマの真実の教えであるとしてとるのか?ただの経典製作者
の勝手な筆記でしかないとしてみるのか?いや、そのどちらであっても自分は輪廻転生はない、ただの妄
想に過ぎないのだとして見るのか?といった、ただそれだけのことなのです。

 ごめんなさい!確かに、ちょっとスレ題からは脱線しながら進めてきたのは事実です。元々は断滅論仏教
徒たちとの議論が目的なのでしたが・・・。私も余計な内容を随分と投稿しましたね。
 では〜以降については、特別、この私に対する質問が無い限りは私からの投稿を控えたいと思います。
ということで、レスがついてもよほどでない限りは投稿はしません(ご了承下さい)。
191宝珠愚者:2009/01/03(土) 04:06:05 ID:mbzp37+p
 皆さん、今までどうも有難うございました。私も存分に遠慮することなく、意見を投稿することができました。
皆さんのご意見投稿も勉強になるものが多く、このスレを立ててやはり良かったと思いました。初代スレは
11/08(土) 09:04:34 に立てました---なんと時間が過ぎるのは本当に早いですね!
 この後も皆さん各自で意見交換等々、続けられる方についてはそのまま自由にしてお使い下さい。

 では、失礼致します。心から感謝です!!!
皆さんさようなら〜どうかお元気で。。。
192初代スレの5:2009/01/03(土) 04:21:41 ID:iWgSel4l
またおかしなこと言い出しましたね。
>仮に、もしそうだったとしても大して関係がない。何故なら、私たちはゴータマだからではなく、その教えの
「内容の素晴らしさ」によっ最大の価値を見出しているからです。従って、真実が何者による教えであろうと
も、私たちはその内容を理解することによって利益としているのです。

それなら、このスレが
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】4
このようにする意味がないのでは?スレタイを
「どれが最も素晴らしい教えか?」 このようにするべきでしょう。

「内容の素晴らしさ」は、各自の主観によって様々ですね。
釈迦がといたかどうかは関係ない。素晴らしければ良いでは、
スレの趣旨が全く変わってしまいますね。
193神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 07:13:40 ID:y3AOd3n2
>>179
>「仏教は邪教!お釈迦さんはカルト教祖!!」と言えば済む話なんだけれども。

レスが気に入らないからといって、無断で捏造しないで下さい。仏教は、ご隠居氏が<関係性>
に期待してるというコメントを出されていますからねw ご自分の感情と混ぜないで下さいな(笑

言葉を上手く塗り替えコントロールするテクは長けていますねン!!(・∀・)ノイクナイ!
<言葉は、魔物>でしょう!今も昔も<争いの元凶>では?★

>またまた 「仏陀は転生(再生誕)を説いた!?かどうか」のスレが 「輪廻はあるかないか」のスレになっていくな…

以前のレスでも指摘したけれど、何故、「仏陀は転生(再生誕)を説いた!?かどうか」の一点のみ
に執着してスレ立てしたいのか・・・その根底にある<心の方が問題>、多分クリ達の思惑があるw☆★


☆******************************☆*********************************☆

./)/)     ■ 仮に仏陀が輪廻を説いたとしても、2500年もの長い間、
(・ー・)ノ        誰も実証できなかったという<事実>が既に、
゚L-J          何おか謂わんやで、根拠の無い証明となり得るでしょう。

☆******************************☆**********************************☆


194初代スレ7:2009/01/03(土) 07:43:30 ID:ZjsbTHrE
>>187
>人間社会での弔いの行為の全てと、
>亡くなった故人に 対する「安らかにお眠り下さい」といった感情すらも、
>全くの無駄に過ぎないということでいいですよね?

>私には唯物論者が、「安らかにお眠り下さい」などと心の中で思っているとは到底、信じられませんね。
>恐らくは社会的な体裁として、本当は心では「無意味なことだ」と思っているのだが、
>遺族の悲しみや弔いの心情に対して事さらに物事を荒立たせたくはないから、
>ただ表面上の態度として、自分に嘘をついて手を合わせてみせたり、
>「どうぞ安らかにお眠り下さい」と祈っている“フリ”をしているのでしょう。

こういう発言をするから短絡単純馬鹿だと言うのだ。
君に、衆生を見る慈悲の心があるとは到底思えない。
傲慢で、不遜で、仏教外の人間を見下し、侮蔑し、優越感に浸っている嫌らしい笑顔が見えるようだ。
君は、人の心模様を何だと思っているのだ?
仏教外の人間には心が無いとでも?悲しみが無いとでも?喜びが無いとでも?祈り・願いが無いとでも?
哲板での議論なら、上記のような極論も許容できる。しかし、君は血の通った(宗教的)話をしているのだろう?
私は、君のような者が「慈悲」やら「愛」やらを口にすることが恐ろしい。


>これらの問題についての論理的な理論で示して下さい。
今度はこの件で続けるか?
(投稿止める宣言してるようなのでその気はないかもしれないが)、君が望むなら参戦してもいいぞ。

お前に他人のことは言えない。お前にもまた、仏教を語る資格なぞ無いだろう・・。
195初代スレ7:2009/01/03(土) 07:47:21 ID:ZjsbTHrE
夜にでもまた覗きに来るわ  ノシ
196初代スレ7:2009/01/03(土) 08:05:08 ID:ZjsbTHrE
またアンカーずれた。 感情に任せてはいかんなw

>>194>>189

でかける
197神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 09:23:18 ID:+AnxXs0g
>>189
>肉体生命よりも重視する世界を自ら受け入れている人たちのことです。この私もそう。

↑ 誰でも、生まれた時には真っ白です。宗教の教義はマイコン・洗脳します。洗脳された
彼らが宗教殺人事件・犯罪・・等を起こすので「如何なる教義も人命に優先しない」は必要となります。

>神秘力を駆使して強制力的に従わせるようなことはしないでしょう。基本的に人は自らの理解によって真理を・・

あなたの歪曲なとり方でしょうw そういう意味ではありません。
六神通力で世界を見通しても「万人に分る立派な教え」・「現代にも通用する立派な教え」を仏陀は悟ることが
出来なかったのですか?・・という意味で、神秘力を駆使して強制力的に従わせるということではありません。

>感情か主義か?その何れのどちらかに統一する必要があります。

確か、私の>>110のレスは、君の>>100のレスに「偉そうに勝手に人々の代弁をし、美辞麗句で
発展させ材料にしないでもらいたい。」ということが趣旨です。それを勝手に君がそらし、唯物論者
と断定し噛み付いてきただけのことですから、ご自由にどーぞw(笑

個人的には、自分も人も死んだら『千の風』になり自然に帰る・・というのが現在の心境です。
この世界には戻らないから、苦しんだ人に「安らかにお眠り下さい」という自然の感情です。

>>130氏の主張のように
>ヒトラーがユダヤ人を、一神狂徒が異教徒を見る狂気の視線を感じる。お前には仏教など語る資格はない。

あなたには、やはりキリスト教に嵌った宗教セールスマンの匂いがするのは否めないでしょうw
198神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 10:33:41 ID:YdnlCqPR
>個人的には、自分も人も死んだら『千の風』になり自然に帰る・・というのが現在の心境です。
>この世界には戻らないから、苦しんだ人に「安らかにお眠り下さい」という自然の感情です。

あなたも立派に「千の風」に洗脳されてますねw
「自然に帰る」のではなく厄介な廃棄物ゴミになるだけですw
「この世界に戻らない」この世界以外にどこかあります?
この世界で肉体は塵芥になるだけw
戻るも何も実体などはありません。
死者は死んでいるのであって、「眠っている」のではありませんw
分かりますか?
199神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 10:37:12 ID:YdnlCqPR
>この世界には戻らないから
何が戻らないというのでしょう?
まさか霊魂などとは言わないでしょうねw
この世に戻らなければどこに行くのですか?
自分で言っていて矛盾を感じませんか?
あなたは何に洗脳されたんですか?
200神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 10:41:02 ID:YdnlCqPR
いいですか?
生命は機能です。
仮にそう名づけたにすぎません。
あなたは生命を霊魂とおなじ実体としてとらえるという過ちを犯している。

あなたはきっと「一人の命を救うために何万人も死んでも構わない」という
タイプなんでしょうね。
201前スレ170:2009/01/03(土) 10:48:08 ID:xUTprPe1
>193 :神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 07:13:40 ID:y3AOd3n2
>>>179
>>「仏教は邪教!お釈迦さんはカルト教祖!!」と言えば済む話なんだけれども。
>
>レスが気に入らないからといって、無断で捏造しないで下さい。仏教は、ご隠居氏が<関係性>
>に期待してるというコメントを出されていますからねw ご自分の感情と混ぜないで下さいな(笑
捏造?何を言っているのかな?
前スレの自分の発言を加工して再利用しただけなのだけれど。
あー、あとご隠居さんって誰?このスレではまだ名乗っていないはずだけれども。

>./)/)     ■ 仮に仏陀が輪廻を説いたとしても、2500年もの長い間、
>(・ー・)ノ        誰も実証できなかったという<事実>が既に、
>゚L-J          何おか謂わんやで、根拠の無い証明となり得るでしょう。
素直で結構。お釈迦さん(あるいは仏教)は間違っているってことね。
そして既成仏教教団の九割九分九厘は間違っている(あるいは真実を大衆から隠して布施をむさぼっている)ってことだ。
202神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 14:31:55 ID:qyFH2fX1
>>187
>>188

>人間社会での弔いの行為の全てと、亡くなった故人に対する「安らかにお眠
>下さい」といった感情
無宗教者は、その言葉を、故人に対する人間としての自然の感情から言う。だか
ら本物の言葉。宗教者は、その言葉を、他の人間が作った宗教のフィルターを
通してしか言えない。だから偽物の言葉。
>確かに人間は群れることを好むでしょうが、しかし、独りだと生存できない
>というのは、ちょっと如何かなと思います。
すべての生命は、その発生時から共同体。朝から晩までの生活は、すべて他者の
お世話になっている。あなたが無人島の置き去りにされたと仮定した場合、
先人や同時代人が残してくれた知恵や利器がなければ、飢え死にするか猛獣に
食われて死ぬだけ。異性がいななければ、種属としての生命は維持できない。
>攻撃性も酷いものですよ。人類の歴史とは同族同士の殺し合いの歴史です。
にもかかわらず、人類がこれもで存続し、ますます発展を続けているのは、
一体何故かね。宗教者以外は、人を殺すこと、害することに不快感を感じるのは、
何故かね。人を助けたとき、充実した満足感と喜びを感じるのは何故かね。
井戸に落ちようとする子供に、無意識に手を差し伸べるのは何故かね。
>それは誤解ではありませんか?新約の記述もイエス自身の言葉や記録ではあ
>りません。
君は、聖書のイエスを信じいるのではないの?それとも、聖書を超えた「永遠
のイエス」を信じているの?それは聖書以上の妄想ではないのかね。
>何故、これを命令や脅迫として見るのです?それは新約の筆者の文学表現な
>のではありませんか?
イエスは「隣人を愛せよ」と命令している。そして、イエスを信じない者は、
裁かれるし、永遠の罪人に留まるのだよ。これが「脅迫」以外の何?
>肉体生命よりも重視する世界を自ら受け入れている人たちのことです。
君は、その書き込みを、肉体を使わないで(即ち、指でキーボードを打たないで、
または音声入力もしないで行ったのかね。君が死んでから出来ることが、唯の一つ
でもあれば、挙げてください。
203机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/03(土) 15:03:07 ID:1TPyqDRN
>>191
>この後も皆さん各自で意見交換等々、続けられる方についてはそのまま自由にしてお使い下さい。

そうですか。お疲れさまでした。
このスレは拙者が自由に使わせて頂きます。

【唯物論について】
そもそも仏教では、唯物論とか唯心論とか偏った発想はしないですね。
(これは西洋哲学的発想です)
で、唯物論ですが、
拙者の経験では、唯物論者でも神棚はありますし、仏壇もありまして、
生活様式は殆ど変化はないですよ。

つまり、哲学はあくまでも人生の指標でして、
それで全て脳をコントロールされるわけじゃ〜ない。

60年代は唯物論者が日本に多くおりましたけど、
脳をコントロールされちまったのは、ごく一部ですね(数%くらい)
(浅間山荘事件に関する極左勢力くらい)

マルクスは家庭を階級闘争の一環としてとらえ、この崩壊も目論見ましたけど、
これは日本の文化に馴染めませんので、こんなの本気にする奴はいない。
ただ、この論を利用する人間は今現在でもいますけど、
利権として利用してるだけ。

つまり、唯物論に洗脳されたふりをしてるだけですよ。
(人間というのは、そういうとこは賢いです)
ちゃんとそこのとこの分別を弁えないと、今度は自分が利用されちまう。
人を利用したがってる人間は多いですよ。
そういう輩に騙されちまうと、ケツも毛が無くなってしまいまふ(笑
204神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:00:03 ID:XIhMHwbl
>>198-201
宝珠愚者とクリ達の暇人一派が、このスレで思うようにならなかったので八つ当たり~(笑
国会より酷いクリ達の罵詈罵倒は、感情的でいつものこと


   人
  (__)
  (__)
  (,,/)(ヽ,,) イナイイナイ・・・   ★ 感情的な汚い罵りと歪曲した傲慢な態度は
  (   )
   'u ̄u'

 
   人
  (__)
  (__)
(ヽ(,,・∀・,,)/) バァー・・・   宗教にマイコンされ嵌ってる証拠!!★☆
  (   )               恥ずかしい!!★☆
   'u ̄u' 


205堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/03(土) 16:08:50 ID:o5Tkyarw
>>203
一般的な唯物論/物理主義(Materialism/Physicalism)と、
Marxismの唯物史観(Historical materialism)、弁証法的
唯物論(Dialectical materialism)はちゃんと区別した方が
いいですよ。
206ラーフラ考 1/4:2009/01/03(土) 16:18:01 ID:/1oncve2
 初期の仏伝によると、ゴータマは16歳のときに結婚したと言われております。
後の伝説では、ゴータマの妃は同じシャカ族のコーリカ城主スッパブッダの娘ヤソーダラー
ということになっておりますが、彼女は「ラーフラの母」と呼ばれていることが多く、
実際には出身も名前も確かなことは分かっておりません。
現代のインドでも、個人名はできるだけ直接呼ぶのを避ける習慣がありまして、
子供の名前を介して「だれそれの父」とか「だれそれの母」という呼び方がよく用いられています。
おそらく、ゴータマの妃は、特に目立ったところのない典型的なインド女性だったために、
個人名が伝わらなかったのではないかと思います。
ラーフラは、ゴータマが29歳のときに生まれました。その誕生の場面を仏典では次のように伝えています。
「そのとき、『(ゴータマの妃が)男子を出産された』と聞いたスッドーダナ大王は、
『息子(ゴータマ)にわしの喜びを伝えよ』と使いをやった。
すると、ゴータマはその知らせを聞いて、『ラーフラが生まれた。束縛が生じた』と言った。
帰ってきた使いの者に、王は『わしの息子はなんと言ったか』とたずね、その言葉を聞くと、
『これからのちは、わしの孫をラーフラ王子という名にしよう』と言った」と。
207ラーフラ考 2/4:2009/01/03(土) 16:18:48 ID:/1oncve2
このときゴータマがつぶやいた「ラーフラ」という言葉は、
伝統的には「束縛、覆障、障碍、繋縛、捕捉者」を意味すると解されています。
つまり、「ゴータマが、生まれた子供をラーフラと呼んだのは、
その子が自分の出家の障碍となるもの、自分を家庭に束縛するものになると感じたからだ」
というのが、伝統的な解釈です。
こんな解釈が生まれたのは、「ラーフラ」という言葉が、後世の仏教徒に「ラーフ」
という悪魔を連想させたからだと言われています。
「ラーフ」というのは、古代インドの神話で、太陽を飲み込んで日食を起こし、
月を飲み込んで月食を起こすと考えられていた悪魔(アスラ)の名前です。
ですが、この解釈は明らかに不自然です。
というのは、ゴータマの言葉を伝え聞いた父王スッドーダナが、
ラーフラという命名を喜んでいるからです。
インドでは古来、新生児の名前は祖父がつけることになっていますが、
初孫の誕生を喜び、後嗣ぎができたことを喜んでいるスッドーダナ王が、
いくら息子の言葉を尊重していたとしても、孫に「悪魔」などという名前をつけるはずがありません。
208ラーフラ考 3/4:2009/01/03(土) 16:19:23 ID:/1oncve2
洋の東西を問わず、またいつの時代でも、個人の名としては、神聖な言葉や、
麗しい言葉が用いられるものです。たとえばインドなら、ソームナート(月の神)、
チャンドラ(月)、ジャワーハルラール(赤い宝石)、スマン(花)、シャーンティ(平和)
といった名前などがよく用いられています。子
供に「悪魔君」などという名前をつけて面白がっているのは、
よほどの変わり者だけでして、一国の王のすることとはとても思えません。
おそらくは、仏典が編集された時代には、すでに「ラーフラ」という言葉の意味が
分からなくなっていたのではないかと思います。
当時すでに意味不明になっていた「ラーフラ」という言葉を、
「ラーフ」(悪魔)からの連想によって「束縛、障碍」などと解釈したのは
後世のこじつけに違いありません。悟りへの道を妨げるものはみな悪魔だというのは、
教条主義的発想と言うべきものです。
「ラーフラ」には、何かもっとお目出たい意味があったはずなのです。
もちろん、今となっては本当のことが分かるわけではありませんが、どうせなら、
こんな考え方はいかがでしょうか。
インドの古い文献に、シャカ族はアーリア人種ではなく、キラータ(山の民)だと
書かれているといいます。キラータというのは、ヒマラヤ東部からアッサム、
雲南にかけての山岳地帯に住むモンゴロイド(蒙古系人種)のことです。
インドに稲作を伝えたのは、このキラータでした。釈尊の頃のインドでは、
麦や粟や稗が主食でして、米はまだ珍しかったはずですが、シャカ族だけは、
ちゃんと米を食べていたのです。ですから、どうもシャカ族がキラータだった
という説には信憑性があるように思えるのです。
209ラーフラ考 4/4:2009/01/03(土) 16:25:05 ID:/1oncve2
このシャカ族のトーテムはナーガ(竜)でした。ナーガというのは一般にニシキヘビや
キングコブラやワニのように胴体の長い生き物のことを言いますが
シャカ族のトーテムだったナーガ(竜)は、クンビーラ(金比羅)というワニの一種(ガビアル)
だったと言います。
ところで、古代インドの占星術にもナーガ(竜)が出てまいります。
そして、そのナーガの頭を「ラーフ」、尻尾を「ケートゥ」と呼んでいるのです。
釈尊より古い時代の文献『リグ・ヴェーダ』によると、日食と月食を引き起こすのは
悪魔アスラだと言われていますが、それが「ラーフ」だとは言われていません。
また、同じく『アタルヴァ・ヴェーダ』には「ラーフ」と「ケートゥ」という言葉が出てまいりますが、
それと日食や月食との関係については触れられてはいないのです。
そこで想像するのですが、本来「ラーフ」というのは、悪魔(アスラ)のことなどではなく、
「ナーガの頭」のことであって、「ラーフラ」というのは「ナーガの頭になる者」
という意味ではなかったのでしょうか。もしそうなら、ラーフラの誕生伝説は
もっと分かりやすい話になってまいります。
インドでは古来、家の後嗣ぎがないと出家はできません。出家を願っていたゴータマは、
子供が産まれるのを待っていた。そこへ男子出産のニュースがもたらされ、ゴータマは
「ラーフラ(シャカ族のトーテムであるナーガの頭になる者、シャカ族の指導者となる者)
が生まれた」と叫び、父王スッドーダナも、その「ラーフラ」という言葉の意味を
理解したからこそ、その命名を喜んで受け入れた。
そして、後嗣ぎとなる男子の出産を確認したゴータマは、後顧の憂いなく、
喜び勇んで出家した。これなら分かるのですが、いかがでしょうか。
210神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:30:34 ID:qyFH2fX1
>>205
唯物論者ではない人間っているのですかね。そもそも、人間は、100%
物質に依存しない限り、生存できない。

一方、物質は、人間が知覚しないかぎり「実在する」とは言えないの
だから、すべての人間は「唯心論者」ということになる。

本当の唯物論者とは、「知覚できない神や前世・来世が実在する」と
信じ込む、自称唯心論者でしょう。
211神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:39:00 ID:XIhMHwbl
>>210
な〜るほど!!
さすが、ご隠居氏!! ヽ(^。^)ノ

212神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:39:30 ID:YUl8W6GN
>>170-171
その引用のどこが自性と呼ばれるんでしょうか?

ニルバーナ、涅槃とは呼ばれるようですが?
213神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:43:19 ID:YUl8W6GN
>>177
教科書引用などしてませんよ。全て梵パ蔵漢原典を検討した結果です。

パーリとサンスクリットの原始経典であるカーティヤーヤナの中で
はっきりと中道は縁起だと説かれているでしょう。
それが認められないのないのでしょうか?

214机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/03(土) 16:47:09 ID:1TPyqDRN
>>205
区別とういうか、古典的唯物論はそれ自体はあまり意味はない。
これを行動哲学にまで発展したことに、その思想は全世界に燦然と輝きました。

思想というのは、悠久の歴史を経て確立されるものでありまして、
仏教も例外ではない。

このスレをロムり続けてきましたけど、
それをなお確信しましたね。

         <机龍之介・花押>
215堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/03(土) 16:53:02 ID:o5Tkyarw
>>210
それはちょっと極端な混同ですね。

>>214
いや、脳科学や遺伝子との関連がありますんで、
Marxism以外の唯物論を古典的と看做すのも誤りですし、
意味無いと看做すのも誤りです。
216机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/03(土) 17:04:18 ID:1TPyqDRN
>>215
そうでしたか、それは申し訳ありません。

しかし、唯物論とかそういった哲学に関心があるのですか?
それよりも今の時代は、量子力学とかの分野が先行してるのではないでしょうか?
これの方がより哲学的見解に到達されるんじゃ〜ないかと、
そのように思っております。
217神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 17:29:13 ID:TcAV8O7m

>206-209 ラーフラ考

ありがとう。 私にとっては新知識です。
私も これは疑問に思っておりました。
お説も、うなづけるものがあります。
218堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/03(土) 17:49:15 ID:o5Tkyarw
>>216
量子力学は生物の思考・行動に関与する
分野じゃありませんからね。
219神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 17:57:51 ID:XIhMHwbl
>206-209 ラーフラ考

>>217氏に同意

よく大昔のことを調べて下さいました。ありがとう!
正反対の見方が出来て面白いですね、

そしてこちらの方が筋書き的にも納得し易いですね☆★

ヽ(^。^)ノ


220机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/03(土) 18:23:37 ID:Xxry9w+n
>>218
それはチョッとオカシイですね。
そもそも唯物論といふのは、先ずは物理法則が先行するのですよ。
生物の思考・行動に関与するのは、その属性じゃ〜ないですか。

物理法則にしても、その生物の観測において決定されてしまう。

前者は唯物論でありますし、後者は唯心論であります。
古典的哲学はもはや通用せんのですよ。



221堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/03(土) 18:30:24 ID:o5Tkyarw
>>220
ええ、ですから、世界を構成する根源的な要素の探求
という意味では、量子力学は興味深いですが、
生物の思考・行動に直接関与するのは、基本的に
脳・神経であったり、遺伝子であったりと、原子以上の
世界の話になるわけです。
222机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/03(土) 18:39:14 ID:Xxry9w+n
>>221
>生物の思考・行動に直接関与するのは、基本的に
>脳・神経であったり、遺伝子であったりと、原子以上の
>世界の話になるわけです。

これは哲学じゃ〜ないですよw
生理解剖学であります。
つまり人体のメカの部分ですよ。

拙者は古典哲学を語ちておるんです。
223堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/03(土) 18:44:15 ID:o5Tkyarw
>>222
あなたの言う「古典哲学」がどの範疇を指してるのか
分かんないなぁ。Hegel以前の話ですか?
224机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/03(土) 18:56:00 ID:Xxry9w+n
>>223
ヘーゲルもなにも、哲学自体が既にカビが生えてきてしまったのかと思います。
それは一般相対性理論が世に出てからが顕著になったと分析。

物理学において、状況(動体)と観測者という視点が新たに導入され、
xyz(空間)にt(時間)の要素の、四次元論法ががその切っ掛け。

つまり、観測者という精神世界にまで物理学が関与するようになった。
225神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 19:21:18 ID:RK8C1SmC
>>184
>愛や慈悲を説く世界宗教は本物だよ。

オウムも愛や慈悲を説いていたと思いますけどねw
まだ本物が出ていないのかもしれませんね。

>>185
>なかなかまともな意見もちゃんと出せるじゃないか!だったらそんなマンガ絵や記号の装飾とかに頼らず・・

あはは・・・(笑)残〜念! 多分、ご隠居氏の紹介レスで〜す!
キリスト教の宣伝力の方が凄いでしょw!・・サンタ、Xマスツリー、トナカイ、・・・etc.

>仮に、もしそうだったとしても大して関係がない。何故なら、私たちはゴータマだからではなく、その教えの
「内容の素晴らしさ」によっ最大の価値を見出しているからです。従って、真実が何者による教えであろうと・・・

既に>>192氏が指摘されてるように、おかしいよン〜(笑

釈迦や原始仏典の「言葉」に拘って一歩も譲らなかったのはどこのどなたでしたっけ?
それなら勿論、大乗でも内容が素晴らしければ良いのでしょうね?(笑
226悪寛:2009/01/03(土) 19:22:40 ID:YimpuytL
>>191
>この後も皆さん各自で意見交換等々、続けられる方についてはそのまま自由にしてお使い下さい。

おやおや帰ってみれば、スレ主逃亡かよ。
【最終決着】はついていないし、つくはずもないが。
ゴータマが待機説法で柔軟に悟りの立場から説いた内容を
『推しはかる人々が、いろいろ異なって伝えるにいたった』(中村元)のだから、
相互間に矛盾が生じても不思議ではない。
真実も、ウソも、誤解も、記憶違いも、あっただろうとは想像できる。
ほんと振り回されているな。
四聖諦と四(三)法印を核にそれぞれの仏教を深め、
涅槃に達して充実した生を生きてゆけばブッダの本懐は実現されたと言えるだろう。

で、ここは仏教雑談スレにするのかい?
227堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/03(土) 19:32:59 ID:o5Tkyarw
>>224
いや、「時間と空間」という発想は、Kantの時代ですら既に
提示されているものですよ。

あなたの持ってる「哲学」imageがいまいち分からないな。
228初代スレ7:2009/01/03(土) 19:37:49 ID:ZjsbTHrE
>>227
金剛経を焼いた徳山にとっての金剛経みたいなもんじゃね?w
229神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 19:46:23 ID:RK8C1SmC
>>186
>彼らの間違いは師の教えを守らず背いたことにある。

その捉え方には、大変疑問・違和感があります。既に、クリスレでご隠居氏が的確に指摘されているでしょう。
旧約も新約も確か、神の霊感により書かれた神の言葉=真理であると、今もクリ達は盲信していると思いますがw
聖書の危険な箇所を削除も何もしないのですから、オウムのポァとある意味一緒でしょうw
神の言葉は、宗教指導者や信徒達には神聖な言葉で手をつけられないのかもしれませんね。

>100%絶対に間違いがないものはない。聖典経典もそのように見なすべきです。

↑ 何か今までの主張と幾分ズレてきましたか?(笑

■ このように <言葉は魔物> 完全ではありません! ■


>キリスト教ではなく「イエス」です。 私は仏典(ゴータマの教え)の記述から主張しているだけです。
イエスも仏陀も直接自筆のもの等、無いし実在したかも不明でしょうから、その違いが分かりません。
230神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 19:56:56 ID:YUl8W6GN
>>191
おつかれさま。

231神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 19:59:39 ID:Nhxren4L
>>191
おつかれさま。
232神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 20:05:28 ID:u+Sg8k9e
秀逸なラーフラ考を某所で見つけたので、貼り付けてみました。
並川氏の本にラーフラに纏わる考察があるということらしいのですが、そちらの方は読んでいません。
そちらを読んだ事のある方、並川さんのラーフラ考を教えてくださいませんか?
233机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/03(土) 20:31:24 ID:Xxry9w+n
>>227
>いや、「時間と空間」という発想は、Kantの時代ですら既に
>提示されているものですよ。

ぜんぜん時代が違いますよね。

その時代はニュートン力学でして、ひとつの法則が発見されれば
全てその法則で不便がなかった時代です。

今は、法則が発見されても、他の分野で矛盾が出てきたり・・・
それで統一理論が発見されたとしても・・・
それはごく一部の「法則の側面」だったり・・・

つまり、ひとつの事象なりが複数の法則が適用されたり・・・
この差というのは、
ニュートンとアインシュタインの違いなんですよ。
それが、
>xyz(空間)にt(時間)の要素の、四次元論法ががその切っ掛け。

これ↑の意味です。

  (では、おやすみなさい)

234堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/03(土) 20:41:29 ID:o5Tkyarw
>>233
うーん、あなたの言う「古典哲学」というのは、まだ
自然科学、社会科学が未分化な時代の、万物を
説明するものとして存在できてた時代の哲学という
ことかな?
235机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/03(土) 20:55:19 ID:1TPyqDRN
>>234
1700年代の哲学じゃ〜古くはないですか?

例えば、今から50年前にしてもかなり古いですよ。
今は2009年の正月ですけど、
この時点でアインシュタインは古くなりつつある。
(彼の理論を適用してもですよ)

で、カントやへーゲルは新しい哲人なんですか?
拙者は古いかと思いますがねw
236堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/03(土) 21:04:40 ID:o5Tkyarw
>>235
うん、古いね。
あなたの言う「古典哲学」の範疇が分からないから、
さっきから聞いてるんだけどねw
全然答えてくれないねw

ところで、2つのIDでコロコロ変わってるのはなぜ?
PCと携帯?
237机龍之介 ■8Z1PfzdK1:2009/01/03(土) 22:26:25 ID:7I/wDH+B
只今、〜「古典哲学」の範疇〜を猛勉強中に付、明日までお待ちくださいまし。

                [机龍之介 花押]
238悪寛:2009/01/03(土) 22:57:33 ID:YimpuytL
なんだこいつら時系列時間で生きているのか。

ツマンネ。

>>237
おんどりゃー、エエ加減にさらせ!

ツマンネから、寝る
239神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 23:03:52 ID:qyFH2fX1
思考は、何を基盤として思考するかにより、百人百様。西洋哲学は、
思考の基盤自体についての思考が無いから、すべて無意味。
240神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 23:35:45 ID:nrXQV3/I
すごい発見!
241神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 23:39:16 ID:nrXQV3/I
>>68
それは本人が自ら望むのだからどうしようもないのでは?あなたは強制力に
よって人間の精神性を放棄 する気ですか?


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪


現行憲法において、明治憲法第28条の「日本臣民は安寧秩序を妨げず
及び臣民たるの義務に背かざる限りにおいて信教の自由を有す」という、
誠に当然の制限を取り去って、こともあろうに「信教の自由」を絶対化
したのは、キリスト教宣教の目的であることは、明らかである。☆★

宗教法人法では、ご丁寧に、この「信教の自由の無制限性」が重ねて規
定されている。


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪

おやすみン〜☆

242机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/04(日) 07:06:41 ID:qiYYvvCS
>>236
おはようございます。

>あなたの言う「古典哲学」の範疇が分からないから、
>さっきから聞いてるんだけどねw

いや、なに、そんなこと拙者に聞くこともなく
カント・へーゲルは1700年台ですから古典ですね。
かなり古いです。
日本では江戸時代ですからね。
杉田玄白の解体新書が書かれた年代ですよ。

貴殿が書込みしました「脳・神経」とか「遺伝子」どころじゃないですね。
人体を解剖して、そして腑分けするのがやっとの時代ですから。
かなり古い時代だというのはお分りになられたでせうか?

>ところで、2つのIDでコロコロ変わってるのはなぜ?
>PCと携帯?

たしかに、拙者が確認したところIDが変わってますね。
たぶん、いったんPCを切断して、まだ電源を入れ起動するとIDが変わるのかと思います。
(ちなみに>>237は拙者の書込みとは違いますね)
243神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 07:36:59 ID:QP0ofr4m
>たしかに、拙者が確認したところIDが変わってますね。
>たぶん、いったんPCを切断して、まだ電源を入れ起動するとIDが変わるのかと思います。

   *   *
 *   + うそです
  n ∧_∧ n
+ (ヨ(*´∀`)E)
  Y   Y  *
244堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/04(日) 07:37:44 ID:kVjRRWSw
>>242
いやだから、それじゃ答えになってないでしょw
まあいいか、あまり概念的に詰めて書いたものじゃ
ないようだし、特にこれといったものが出て来そうも
ないから。
245机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/04(日) 07:46:50 ID:/uOzDqUf
>>244
>特にこれといったものが出て来そうもないから。

西洋哲学は限界がある。
>>239が、ある意味正解です。

>>238
>なんだこいつら時系列時間で生きているのか。

三時をよく誤解する御仁がいるけど、
歴史考証は別問題。

           (ID test)

246堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/04(日) 08:05:14 ID:kVjRRWSw
>>245
いや、それはあなたや>>239が西洋哲学の一側面しか
見てないからで、その種の素朴な相対主義は、
ancient Greece(古代ギリシャ) のProtagorasが典型の
ように、大昔に提示済みです。

Heideggerあたりからの現代哲学も、その流れに属して
います。
247神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 08:10:49 ID:yVc14umm
>>246
>西洋哲学の一側面しか見てないからで、

西洋哲学の側面ではなく、その思考の「基盤」は何ですか?その基盤は、
すべての人間にとって普遍の基盤ですか?
248堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/04(日) 08:16:39 ID:kVjRRWSw
>>247
脳であり、それに情報を与える物理的環境だね。
249神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 08:20:41 ID:yVc14umm
>>248
「万物の尺度は人間である」。

この命題を超えることが出来ますか。物理的環境も、人間が認識する
ことにより、存在する。
250神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 09:52:44 ID:vQpbCbWT
あら、病人がこんなとこにいたらだめでしょw
251堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/04(日) 10:13:02 ID:kVjRRWSw
>>249
できますね。

>物理的環境も、人間が認識することにより、存在する。

というのは、素朴な唯心論であり、誤りです。

認識しなくても、物理的環境は存在し、我々自身も物理的
実体(Physical entity)として構成されているという現実は
変わりません。

そして、そうであるがゆえに、我々人類は、それを段階的に
「発見」し、「学習」することになりますし、認知内容が
洗練・収斂されていくことになります。

そして、人間が社会的動物である以上、それが共有され、
継承され、同調圧力がかかる環境で生きることになるので、
その情報から大きく逸脱した者は「狂人」と看做され、
社会的生活が困難になるので、そこから逸脱しようとする
態度は抑制され続ける。それが認知内容の洗練・収斂を
担保することになります。

例えば、いまだに「太陽が地球の周り回っている」と主張
する者がいたとして、それが承認され、社会的支持を
受けることになるでしょうか?なりませんね。

以上で、その命題の破綻を示すことができます。

人間は認知の中を生きているわけではありません。
その認知の外側に存在する物理的環境の中を生きている
わけです。
252前スレ170:2009/01/04(日) 10:48:53 ID:yus6uVaT
204(=211)さんへ

クリ達って誰?
もしかしたら存在しない敵と戦ってないか?

あと、ご隠居さんって誰?
253旅人 ◆Trip.cNm8U :2009/01/04(日) 10:52:40 ID:a2nAsHcL
>565
あのさ、テーブルに着かないという意味では同じなのだけれど何がしたいの?
見えないテーブルには着けない。

> 監視する他者の視線に敏感でありなさい。
他者の視線は謙虚であれ、確実に反応として現れる。
反応なき部分は十分に伝わらないのか、無言の承認なのかは除外し、
普通に反応のあった場所に限り吟味してみるといいよ。
>508のように明示して反応しているのは今のところあなただけだ。
対して他方の反応の多様性を観ることです。

これは、あなたが排除するとした観念の系によるものだが、
是を解きほぐす術や姿勢を示さない限り止らないはずですよ。

そして、この板の名称を見るように。
254旅人 ◆Trip.cNm8U :2009/01/04(日) 10:53:22 ID:a2nAsHcL
あ・・>253のポスト先まちがえました…w
255神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 12:06:28 ID:fuKJyk/w
>たしかに、拙者が確認したところIDが変わってますね。
>たぶん、いったんPCを切断して、まだ電源を入れ起動するとIDが変わるのかと思います。

   *   *
 *   +    ホントです
  n ∧_∧ n
+ (ヨ(*´∀`)E)
  Y   Y  *
256神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 12:39:47 ID:R0TZBiC8
>>251
>というのは、素朴な唯心論であり、誤りです。
>認識しなくても、物理的環境は存在し、我々自身も物理的
>実体(Physical entity)として構成されているという現実は
>変わりません。

それだと、人間が認識しなくても「神」が実在する、というのと同じに
なってしまいますよ。

人間にとって「ものが実在する」とは、「(必要な場合には観測装置を
使用して)、共同体の不特定多数の人間の五感でほぼ同一に知覚できる
こと」という命題を否定できる「人間」がいますか。

すべての人間が死に絶えたと仮定した場合、この世界は存在するでしょうか。
その存在は、誰がどうやって確認しますかw。
257神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 14:23:40 ID:cqHf0nMW
人は眼耳鼻舌身意の六門から入る刺激・情報に対して、アクションしている。
現象を観測し説明を行なうのが人間であり、人間が人間に対して情報を伝えようとするのだから、表現する手段は人間の感覚を超えない。

世俗諦はみんなで決めた真実
勝義諦はそれ以上変化できない真実そのもの
アビダンマ面白い
http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-901679-14-5.html
258神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 14:50:28 ID:9g/QYiaK


■ イスラエル軍 地上侵攻を開始、数十人殺害 ■
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn/20090104/20090104-00000021-nnn-int.html

先月27日からパレスチナ自治区ガザへの空爆を続けてきたイスラエル軍は日本時間4日朝早く、
戦車などの地上部隊を侵攻させた。ロケット攻撃を続けるイスラム原理主義組織「ハマス」のロケット
発射施設への攻撃が目的としていて、侵攻後、既に武装したパレスチナ人数十人を殺害したという。

 また、バラク国防相は「作戦は簡単ではなく、短期では終わらないだろう」と長期化を示唆している。
一方、ハマスのスポークスマンは侵攻後、アラブ系メディアに対し、「ガザ地区はイスラエル軍にとって
『墓場』になるだろう」などと話し、反撃に出るのは確実。

これまでのパレスチナ側の死者は、民間人を含む450人以上に上っている。
[4日12時36分更新]
259机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/04(日) 15:09:23 ID:/uOzDqUf
>>251
>>251
>認識しなくても、物理的環境は存在し、我々自身も物理的
>実体(Physical entity)として構成されているという現実は
>変わりません。

これが古典哲学ですよね。
今から50年くらい前の日本では通用してました。
しかし現在においては、全く通用せんようになったのです。

その切っ掛けというのは、量子力学の分野の急進歩によるものです。
このジャンルにおいて脚光が出てきたのは、
なんと!2500年前の釈尊の言説ですよ。
つまり、思議を超えることが物理学の分野で起きておるんです。

仏教にはもともと「存在」という概念はなく、
観測者は「存在に内在する」。
つまり主客の分別はなく(主客未分)、主客が不二の法門です。

量子力学の分野において、この主客不二の法則が適用されてます。
ですから、もはや西洋哲学を語ちる者は殆ど沈黙するようになったのです。
つまり、
カント・ヘーゲルは、もはや古典哲学と逝ってよろしいかと思うんです。
260堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/04(日) 15:14:46 ID:kVjRRWSw
>>256
>それだと、人間が認識しなくても「神」が実在する、というのと同じに
>なってしまいますよ。

ならないですね。物理的実体(PE)についての体系知としての
自然科学(Natural science)から大きく逸脱していますからね。

それに、あなたが直後で書いているように、不特定多数に
同じように知覚されないからです。


>人間にとって「ものが実在する」とは、「(必要な場合には観測装置を
>使用して)、共同体の不特定多数の人間の五感でほぼ同一に知覚できる
>こと」という命題を否定できる「人間」がいますか。

できますね。
人間(の知覚)が誕生する前から、この物理的世界は存在し、
その中の地球上の進化の過程で、我々人類は誕生しました。
我々の知覚と共に物理的世界が実在するのなら、その我々の
知覚の誕生自体を説明することができないわけです。
261堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/04(日) 15:14:52 ID:kVjRRWSw
>すべての人間が死に絶えたと仮定した場合、この世界は存在するでしょうか。
>その存在は、誰がどうやって確認しますかw。

しますね。
例えば、仮定の話として、こうしたらどうですか。
人間を自動生産・養育するsystemなりrobotなりを作り、何ヶ月後かに
稼動するようsetして、一旦皆死んで、人類を絶滅させる。

その後、そのsystemで生み出された人間は、また同じように
活動を始めます。

人類が絶滅し、空白期間があったのにも関わらず、物理的世界は
相変わらず存在していることが、それで証明されるでしょう。


あるいは、もっと直接的に、人間と同等以上の知性を持った動物なり
robotなりを生み出し、人類は死んで絶滅してみる。
物理的世界の認知・探求・利用は、その代替的知的活動体が継続
してくれることでしょう。


物理的世界は、我々人類の認知と共にあるわけではありません。
262悪寛:2009/01/04(日) 15:16:27 ID:Q7EMqYCn

>>251
ここは泣く子も黙る仏教スレ。 そーゆー戯論は相手にされない。
>認識しなくても、物理的環境は存在し、我々自身も物理的
>実体(Physical entity)として構成されているという現実は
  
って証明不能の一種の信仰にしかすぎないじゃんw
単純素朴実在論?それとも形而上学的唯物論?
*およそあるもの(A)があるもの(B)に縁って存在しているときには、
*それ(A)はそれ(B)と同一なのではない。また別異なのでもない。
*それゆえ、断滅でもなく、また常住でもない。
(ナーガールジュナ、『中論』18:10、三枝訳)2

仏教においては認識論から離れた存在論、すなわち「客観的実在」などという素朴実在論は、仏教とは無縁ですよ。
*[認識方法と認識対象の]二つは自立的に存在しない。もし認識方法とその対象との二つが本体[実体]として存在しているなら、
*認識方法[がある]、認識対象[がある]などと言われることもできよう。
*しかるに、[相互に]依存して存在しているということは相互に成立させあうという意味であって、
*それは自立的存在[客観的実在]ではないのである。
(ナーガールジュナ、梶山訳、『ヴァイダルヤ論』、2)
263神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 15:21:01 ID:9g/QYiaK
あら、病人がこんなとこにいたらだめでしょw
264初代スレ7:2009/01/04(日) 15:24:21 ID:tapWjpDS
>>262
「認識されないものは存在しない」という言い換えは妥当?
「一方が欠けているが故に成立していない」という観点から・・。
265堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/04(日) 15:24:30 ID:kVjRRWSw
>>259
>しかし現在においては、全く通用せんようになったのです。

そんなことはありませんw
それじゃ、あなたが拠り所にしている量子力学自体も成り立たなく
なってしまいますよ。滅茶苦茶な話です。
どこでそんなデタラメ情報仕入れたんですか?w

しかも量子力学によって仏教が脚光を浴びたという事実もありません。
どっかのNew age系の怪しい宗教にかぶれてる人ですか?
266悪寛:2009/01/04(日) 15:26:56 ID:Q7EMqYCn
>>261
>その後、そのsystemで生み出された人間は、また同じように
>活動を始めます。

誰が確認するんですか?証明してください。
あるからあるんだ!という信仰にしかすぎませんw
267堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/04(日) 15:29:21 ID:kVjRRWSw
>>262
ええ、素朴実在論で括ってもらって結構ですよ。

あなたなりの仏教理論解釈で否定してみたところで、
現実の物理的実体(PE)は無くなりはしません。
268神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 15:31:14 ID:9g/QYiaK
あら、病人がこんなとこにいたらだめでしょw
269悪寛:2009/01/04(日) 15:33:26 ID:Q7EMqYCn
>>264
>「認識されないものは存在しない」という言い換えは妥当?

>[相互に]依存して存在しているということは相互に成立させあうという意味(>>262)
で尽されていると思いますが。

270悪寛:2009/01/04(日) 15:35:17 ID:Q7EMqYCn
>>267
そんなの経験主義的証明不能の信仰にしかすぎないと言っているんですが・・
271初代スレ7:2009/01/04(日) 15:36:34 ID:tapWjpDS
>>269
いや、そうではなくてw
あの言い換えが妥当かどうかを尋ねているんです。
272悪寛:2009/01/04(日) 15:42:21 ID:Q7EMqYCn
>>271
Yes.
273神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 15:42:58 ID:xl+AwaFV
>>260
>人間(の知覚)が誕生する前から、この物理的世界は存在し、
>その中の地球上の進化の過程で、我々人類は誕生しました。
>我々の知覚と共に物理的世界が実在するのなら、その我々の
>知覚の誕生自体を説明することができないわけです。

それも、人間が知覚した対象からの「推論」に過ぎず、「証明」はなされていない。

「実在とは、知覚されることである」というバークリの命題を否定すること
は不可能。

実在・非実在のテストは、知覚された対象が、人間の生物的生命の維持に直接
関係するか否かである。
274堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/04(日) 15:46:39 ID:kVjRRWSw
>>266
その種の素朴唯心論で真面目に突っかかられると、
ちょっと困ってしまうというか、笑ってしまいますし、
「分からないなら、分からないまま死んでもらって結構、
誰も困らないし、物理的世界に何ら影響ないから」と
常識的な見解を述べて、切り上げたくもなるわけですがw、
>>260を見てもらっても分かる通り、物理的世界を
認めなければ、我々が誕生し、こうして存在していることも、
こうしてcommunicationが成立していることも、説明でき
ないことに無自覚な時点で、素朴唯心論の人はちょっと
思考がアレですしw、我々の認知様式が、物理的世界の
実在になんら影響を与えないことは、毎日何万もの人間が
地球上で死んでも、我々を取り巻く物理的世界が、何ら
影響を受けていない事実のcorollaryとして、分かりそうな
ものなのに、それが分からないのは、やっぱりちょっと
思考がアレなんですね、といったことだけ、書き添えて
おこうと思いますw
275初代スレ7:2009/01/04(日) 15:54:42 ID:tapWjpDS
>>272
その「認識」は、どこまでも「自身の(自身による)認識」であり、
「他者の認識」というような“一般的(包括的)「認識」”ということは含意されない、ということでしょうか?
「知覚認識されるという場面に於いて“自己の認識が疎外されること”はありえない」、という観点から・・。
276机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/04(日) 16:01:12 ID:/uOzDqUf
>>265
>どっかのNew age系の怪しい宗教にかぶれてる人ですか?

怪しい宗教かどうか分りませんけど、
このスレでオカシナ書込みをする御仁が多いものですから、
ついつい書き込んでしまうのです。

貴殿の哲学余話も読んでみましたけど、感想とすれば
やはり時代を感じてしまいますね。

ノスタルジーに浸るなら、それはそれでイイのかもしれませんけど、
杉田玄白の解体新書レベルで、「これはどぉよ」と仰られても
机龍之介は、ただただウロタエルばかりです。
277神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 16:04:16 ID:xl+AwaFV
>>274
>毎日何万もの人間が
>地球上で死んでも、我々を取り巻く物理的世界が、何ら
>影響を受けていない事実

死者にとっては、「我々を取り巻く物理的世界」は消滅するが、生き残った
者に対しては存続する。

まあ、思考・認識・議論しているのは、専ら「生き残った人間」ですから、
「実務上w」は、堀井さんの考えで充分だけどね。
278堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/04(日) 16:12:58 ID:kVjRRWSw
日本に伝来した大乗仏教は、唯識派の影響が
強いものが多いようだし、日本仏教にかぶれると
こういう素朴唯心論に走る者が一定数出て来る
のだということがよく分かるthreadだね。

くれぐれも変な宗教にはまらないようにね。
279神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 16:16:08 ID:xl+AwaFV
>>275
人間界は、徹頭徹尾、共同体だから、共同体の不特定多数の成員の、
ほぼ共通した平均的認識、としか言えない。他者に成り代わらない限り、
他者の認識を経験することは不可能だからである。

その平均的認識があるからこそ、人間社会の成立が可能になる。

人間は、言語によって、自己の知覚や認識を、他の成員に伝達する
ことができる。

平均値から著しく逸脱した知覚・認識は、知覚異常・妄想として、共同
における治療の対象となる。
280神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 16:30:28 ID:9g/QYiaK
>>278
ふ〜ん。で、君の宗教的立場な何?
281神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 16:31:12 ID:xl+AwaFV
>机先生へ

量子力学においても、粒子自体は、観測装置を使って知覚できるから、
実在といわざるをえない。量子が実在であるからこそ、その位置や運動
の不確実性を論じることが出来る。

仏教のいう「空」「縁起」とは、粒子の集合体としての「色」をいう
のであり、最小単位としての原子・中性子・電子等の実在については、
どう解するのでしょうか。

勿論、粒子を構成するさまざまな粒子が発見されつつあるから、その意
味では、縁起・空の原理が働いているとも言えるが。
282神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 16:31:30 ID:9g/QYiaK
宗教的立場は何?
283神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 16:33:34 ID:xl+AwaFV
>>282
宗教的立場を超えた議論ですw。
284神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 16:38:29 ID:xl+AwaFV
>>282
宗教的立場を超えなければ、「真理」の探究は出来ません。

宗教的真理とは、あくまで当該宗教内のみで通用するもの。それは「真理」
とは言えない。
285机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/04(日) 16:46:08 ID:qiYYvvCS
>>281
>最小単位としての原子・中性子・電子等の実在については、
>どう解するのでしょうか。

仏教では、そもそも実在という概念自体が適当ではないですが、
一応そのことも踏まえてレスポンします。

一応、原子核は実在とされてますが、
電子については計算上において導きだされたもんでありますから
実際のところは実在しているかどうかは分らんのです。
(これは科学がどんなに発達しても謎かと思いますね)

このように
>粒子自体は、観測装置を使って知覚できるから、
>実在といわざるをえない。

知覚できるかと言っても、それが即実在というのは早計過ぎる。
龍樹の論を拝借しますと、
認識とその対象は明確な境界線はない。ということなんですね。
(中論では、これが精一杯です)

あまりこれを解説しますと・・・中論が崩れてくる。
(これは唯識論でも同じ)
286堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/04(日) 17:01:44 ID:kVjRRWSw
仏教的解釈と、哲学と、自然科学を混同する人間が
いるのは問題だなぁ。
287神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 17:16:12 ID:vQpbCbWT
こんな妄想たれまくっている奴に言われたくないw

【究極の宗教】Physical Mankindism3【物質人類教】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1219099869/

堀井君w
288堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/04(日) 17:19:22 ID:kVjRRWSw
>>287
疑問・質問があれば、そのthreadで、どしどしどうぞ。
289神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 18:22:09 ID:qPUl84L8
>>74
明らかにこいつは狂っている。
290悪寛:2009/01/04(日) 18:33:10 ID:Q7EMqYCn
291悪寛:2009/01/04(日) 18:36:26 ID:Q7EMqYCn
>>275
>その「認識」は、どこまでも「自身の(自身による)認識」であり、
>「他者の認識」という>ような“一般的(包括的)「認識」”ということは含意されない、ということでしょうか?
>「知覚認識されるという場面に於いて“自己の認識が疎外されること”はありえな>>い」、という観点から・・。

言語では答えにくい、その意味では難問ですね。YesともNoとも言えないと思います。
「存在=認識とは何か?と人に聞かれなければ、私はそれを知っている。しかし、人に聞かれれば、私はそれを知らない」(アウグスチヌスもどき)
仏教は自他不一不二=中道の法門です。従って、自他分裂前提では真実は説けないのではないでしょうか?
その意味では>>279は正解であるとも不正解であるとも言えませんね。
この点につき以下の認識が必要と思います(私のノートより中村元さんの説改の一部引用します)。
 『人間は根源的な生存欲を中核(コア)とした妄執と執着によって自己を構築(仮構)している。
さらに、生存欲から立ち昇るさまざまな欲求、願望によって自己中心の世界を構築(仮構)する。
一般の普通人(凡人)は、自己の都合に合わせて対象を分別・識別して世界を切り取り、レンガを積んで家を建てるように世界像を構築するのだ。
この世界像が偏狭で利己的であればあるほど争いが起こる、犯罪が起こり、人種差別、不当な収奪、戦争まで起こる。
これが我々の現実なのだ。
 したがって、「現実」=存在とは個人の欲望の作り出した“虚構”(共同幻想)にすぎない。
我々はけっして「ありのままの世界」を観て(現観)はいないのだ。』


292初代スレ7:2009/01/04(日) 18:49:36 ID:tapWjpDS
>>291
さすがですねw 貴方に訊いてみてよかった。

続けます。
「世界五分前創造説」を、仏教が覆す(或いは反駁する)為に必要な言辞(≒視線)はどのようなものとなりましょうか?

この方向の思索は、毒矢を射た者を探すことと同じでしょうか。
卑俗な喩になりますが、
目を閉じれば見えていたものが見えなくなるように、そのように、
“世界”とは、畢竟《個人の中にしかない》ものでしょうか・・・。
293神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 19:31:34 ID:7QZ71qk8
>>289
>明らかにこいつは狂っている。


  人
 |___)         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |__)クスクス    < どこが? 君のレスの方が余程、狂ってるように見えるょ(笑
 |∀・ )        \_________________________



294神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 23:44:40 ID:BDYLPXGq
>>285
ご回答ありがとうございました。

>知覚できるかと言っても、それが即実在というのは早計過ぎる。

知覚できるものは「一義的に」実在としないと、人間は生存できない。目の前に
迫ってくる猛獣や自動車は一義的に実在として対応しない限り、殺されるだけです。

従って、五感は、物の実在・非実在を判断して生命を維持するための必須の器官。
生命そのものとも言えます。五感による実在・非実在の判断には、観念の介入を
要しません。

電子も、何らかの観測装置を使用すれば知覚可能だし、そもそも触ればピリリと
来る。従って実在です。照明・動力など、生命の維持に必要な多数の利便を提供
してくれる。人体も世界も電子で構成されているし、人間の思考・認識作用自
体が、電子の働き。

色即是空・空即是色は、「この世界は、人間の目に映じた世界だから、実は空
かもしれない。しかし、その世界こそ、人間が現に生きている、そして生きる
べき世界なのだ」という、優れた存在論、そして大いなる現実肯定だと解します。
295神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 00:10:22 ID:oduNBh2l
生物的生命(生存本能)がなければ、釈迦もイエスもなく、仏教もキリスト教
もない。知覚も認識も思考もない。従って、この世界もない。

従来の宗教は、生命とそれを維持する自然(現実界)の根源性に、充分に思い
至っていない。

しかし、生活者たちは、意識的・無意識的に、その根源性を基盤として生存
している。
296堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/05(月) 00:17:46 ID:BTD9oDGO
>>295
その発想は素朴唯心論であり、仏教徒が陥りやすい錯誤です。
297神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 00:32:27 ID:oduNBh2l
>>296
君がそう言えるのも、生物的生命の機能w。

人生そして世界は、「生物的生命(生存本能)」の「応用問題」。

それを基盤にすれば、すべての問題に対して、明確な解答が、迅速かつ
容易に得られる。

君のPM論も、その基盤から、容易に説明できるはず。

従来の創唱宗教の問題点は、「生命とそれを支える自然」の根源性・究
極性がすっぽりと抜けていること。開祖の精神障害による、観念過剰、
自然宗教に存在した生存との関係の切断が原因。
298堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/05(月) 00:41:53 ID:BTD9oDGO
>>297
言わんとしてることは分かりますが、唯心論的
切り口はmisleadingです。

その生物的生命(生存本能)を生み出しているのは、
物理的実体(PE)であり、物理的実体(PE)が、生物的
生命(生存本能)に先行します。

先行して存在している物理的実体(PE)から、生物的
生命(生存本能)、というか認知機能を持った我々
生物が生じ、その能力で以て、物理的環境を「発見」
「探求」してるに過ぎません。

その順序を踏まえない唯心論は、必ず独断的分裂
の果てに、崩壊します。
299神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 00:45:47 ID:oduNBh2l
仏教は、関係性(縁起、空)に基づく見事な存在論を語るが、キリスト
教には、存在論はゼロ。

すべて「神様」「イエス様」止まりの思考停止。

その意味で、釈迦は、現実存在の本質を追求した、冷厳な科学者、唯物
論者だったと解する。

それは、ハイデッガーの「世界内存在」、ゲシュタルト心理学、量子力学、
その他、あらゆる科学と思想の、現在及び今後の方向を示していると言える。
300カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 00:52:58 ID:1Z121rLR
>>262
竜樹の話ばかりしてんじゃねぇよ、タコ。
お前らの仏教は、ゴータマの仏教じゃなく、竜樹の仏教だ。
ゴータマの仏教とは違う。

>仏教においては認識論から離れた存在論、すなわち「客観的実在」などという素朴実在論は、仏教とは無縁ですよ。

さて、お前の論だと、この物質世界は、我々の五感による認識によって
成るものであり、それぞれ縁起でなり、独立して存在するものではない。この二つは切っても切れない
相互依存によってなる。確かにそのとおりだろう。量子力学の不確定性原理を理解すれば、
ここの堀井文隆とか言う人の素朴実在論は真理ではないからな。ではここでひとつお前に聞こう。
ビックバンから始まったこの宇宙に、この物質世界を認識する肉体を持った生命が現れたのは、宇宙誕生から
随分たってからだ。ビックバンから、この物質世界を認識する生命が誕生するまで、お前の論だとどう説明するんだ?
答えてみろ。
301神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 00:55:24 ID:oduNBh2l
>>298
「鶏が先か、卵が先か」の問題になるが、「あるがまま」の基盤から
離れなければ、どちらでもよいのではないか。

しかし、現実に還元できない「精神性」は、人間の狂気を招くことは
確かである。人間の心身、即ち生命は、現実に100%依存することに
よってのみ維持できるよう、プログラムされているからである。宗教は、
その現実から遊離した観念性故に、このプログラムに生じたバグなので
ある。
302神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 01:18:24 ID:jRpPR/zo
ここの議論すべてが、根本仏教中の根本経典『梵網経』の「62の網」の範疇を超えて居ない。
まず、仏教徒を自称するならば、その経典を真剣に読み吟味し咀嚼してみるべきだろう。
驚くべきことに、仏陀は、それらの62種の形而上的見解に対して、否定も肯定もしていないのだ!
これを、理解できる人間こそが、覚者(仏陀)とよばれる。
いつの時代にも宇宙には上には上がいるのだよ。
303カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 01:18:44 ID:1Z121rLR
>>261
量子力学が発展した現代において、素朴実在論を真理として説かれてもねぇ〜。
量子力学の不確定性原理からみると、この物質世界の未来は、観測者がいて初めて
決定することになる。ここに素朴実在論は崩壊する。素朴実在論は真理ではない。
あんたの

>人間を自動生産・養育するsystemなりrobotなりを作り、何ヶ月後かに
>稼動するようsetして、一旦皆死んで、人類を絶滅させる。

>その後、そのsystemで生み出された人間は、また同じように
>活動を始めます。

の解答はこうだ。ビックバン以降、生命が誕生したのは随分たってからというのが、現代の
定説である。ではそのあいだ観測者はいないということになり、不確定性原理からいうと、
観測者がいない宇宙には、未来が決定しないと言うことになり、今の未来も無いという、重大な
パラドクスに陥る。このパラドクスを解決するにはどうすればいいか?答えは簡単だ。
この宇宙の創造(ビックバン)のはじめから、観測者はいるということなんだよ。ここにあんたの
話の合理的な説明ができる。今の人類、いまの生命が全て滅びたとして、あんたの思考実験のような
人間を自動生産・養育する装置を滅びる前の人類が設置したのち、この世界を認識できる
あんた達が常識だと思っている生命を全て絶滅させたとしても、宇宙の創造のはじめからこの宇宙を
観測している存在が観測をやめない限りあんたの思考実験のとおり、この宇宙は存続し、
人間を自動生産・養育する機械により生み出された人間は、再び生命活動をはじめる。そういうことだ。
何も矛盾はない。逆にあんたの思考実験のとおり、滅びる前の人類が、人間を自動生産・養育する
装置を設置したところで、宇宙の創造(ビックバン)のはじめからこの宇宙を観測している
存在が、観測を止めると、文字通り、この宇宙の観測者はいなくなり、不確定性原理からいっても
未来は確定しなくなり、つまり、未来は存続しなくなり、この宇宙は滅び、あんたの思考実験も崩壊する。
304堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/05(月) 01:19:12 ID:BTD9oDGO
>>299-300
量子力学が好きだねー、みんな。
あれか、観測問題における、Neumannあたりの
意識概念導入に仏教との接合点を見出してるわけね。

しかしね、まだ十分解明・地ならしされていない、しかも
極めてmicroな領域の話を、macro的な物理現象と
一緒くたにしながら、唯心論的にまとめ上げるというのは、
どう見ても無理がありますわ。

しかも、>>299に到っては、実存哲学と心理学まで
巻き込もうとしてるからね。色々混同し過ぎだよ。
305カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 01:42:20 ID:1Z121rLR
堀井さん。あんたは、宗教的な話を全く理解していない。あんたの信じる物質世界は、
所詮は相互依存(縁起)でしか成り立たない、主体性の無い幻。宗教者はそんな物質世界を、
実体(真理)としては捕らえない。それは、あなたと、私という自他についてもそうだ。
善と悪も、それぞれ一つでは存続できず、相互依存により存在している、主体性の無い、幻。
これを仏教では空と表現する。私とあなたは見せかけに過ぎず、善と悪もみせかけに過ぎない。
それらは二つでひとつである。私とあなたという命も、実態の無い幻であり、在るのは、一つの命だけである。
前にも書いたが、宇宙の始まりを思推すると、宇宙の始まり以前はなにがあったのか?
無か?物理法則から言っても、完全な無からは何も生まれない。では神と言う存在か?
ならばその神は誰が作った?その神を作ったのは誰か?と言う、我々の今の常識で思推していと、
無限ループというパラドクスに陥る。仏教をたしなむものならよくご存知のように、この世は
縁起で成り立つものだ。その縁起を逆順で観想していくと、宇宙の始まり以前にぶちあたる。
宇宙の始まり以前を、縁起の法で思推していくと、どうしても生まれえず、元から在るある存在にぶち当たる。
全ての始まりに、生まれえず、元から在る存在を置かなければ、宇宙の始まりも合理的に説明できないし、
縁起の法も完全に説明できない。生まれえず元からある存在。これを自性と呼ぶ。全ての起点を、
この自性を置かない限り、縁起の法も前にあげた、パラドクスに陥り、矛盾を含む不完全な
法となる。逆に言うと、全ての起点に、この自性をおいてこそ初めて、縁起の法も、完全なものとなるのだ。
生まれえず、元からある存在。縁起によらず、それ一本で存在する、主体性と呼べる存在。
これこそアートマンであり、真理はそこにある。智慧あり、真理を求める者は、その存在を求めるべきであり、
真の宗教とは、その存在を証すものである。
我々の知識領域を超えている存在。生じたこともなければ、元からある存在
306カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 01:47:20 ID:1Z121rLR
>>304
あんたがなにを信じるかはあんたの勝手だが、素朴実在論は真理ではない。
あんたが宗教者にいくら素朴実在論を真理だと説いたところで、皆耳を貸さないと思うよ。
それどころか、量子力学の発展した現代では、あんたがた唯物論のよりどころとなる、現代科学の
最先端の科学をいく物理学者ですら、あんたの話は、真剣に聞くに値しないものとみなすだろうよ。
307神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 01:51:10 ID:oduNBh2l
>>305
>縁起の法で思推していくと、どうしても生まれえず、元から在るある存在に
>ぶち当たる。全ての始まりに、生まれえず、元から在る存在を置かなければ
>、宇宙の始まりも合理的に説明できないし、

そんな「人間が考えても分るはずのないもの」を一切考えないのが、仏教だよ。

軽薄にも、すでにイエスに嵌ったカラス氏には、ここでの議論は無理。仏陀と
は異なり、イエスは単なる精神病者。真理とは無関係。
308カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 02:01:25 ID:1Z121rLR
>>307
精神病はどうみてもお前のほうなんだが。

>そんな「人間が考えても分るはずのないもの」を一切考えないのが、仏教だよ。

ゴータマは最古層の仏典、スッタニパータを読んでもわかるように、
形而上のことを決して語っていなかったどころか、大いに語っている。
それは業法輪廻にしてもそうだ。ゴータマが無記を通したと言うのは、おまえのような
がちがちな唯物論者に語っても仕方がないので、そういう相手に法を語るときは
あえて形而上のテーマは、黙して語らなかったんだよ。それは、他人が証明するものではなく、
自分自身でしか確かめようの無いものだからな。ちゅうかおまえはレベルが低すぎる。
相手にする価値の無い人間だ。おまえの汚いエゴを、自分と価値観の違う人達に執拗に
押し付けるなよ、屑。その我の強さゆえ、他人から指図されるのが極端に我慢できず、
まともな社会生活も送れず引き篭もっている屑が「。おまえは人間の屑なんだよ。
309カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 02:06:04 ID:1Z121rLR
>>307
そもそも死んだら無になるのか、それとも輪廻にしろ、なにかしら残るのかも
知らず、この世界の始まり以前はなにがあったのか?全ての根源とはなにかも知らない
のであれば、ゴータマは真理を悟っていなかったことになるな。

ちゅうか、ゴータマは、普通に業法輪廻を説いてるわけだが。盲人のお前にいくら言っても
わからないだろうがな。
310堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/05(月) 04:09:02 ID:BTD9oDGO
>>305
>生まれえず、元からある存在。縁起によらず、それ一本で存在する、主体性と呼べる存在。
>これこそアートマンであり、真理はそこにある。

で、あなたの言うこのatmanはどうして生じたのかを
巡って、あなたが言うところの「無限ループ」が生じます。
あなたは言葉の移し変えをしただけで、なんら問題を
解決も、洗練もしてないわけです。いわゆるtautology
ですね。
お分かりですか?


>>306
あのねw、あなたこそそんなこと言うと笑われるよw
量子力学の観測問題は、素朴実在論を否定するものでは
ないし、ましてや、あなたのような素朴唯心論を肯定する
ものでもない。
しかもmicroの観測問題をmacro次元に拡張して混同し過ぎ。
それにそもそも、そういう我々のcommunication自体が、
確固たる物理的環境を背景に成り立っていることに無自覚
なのは頭が悪過ぎる。


はっきり言って、あなたは程度低過ぎるわ。
311堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/05(月) 04:45:58 ID:BTD9oDGO
そうか、New age系のガラクタoccult思想の中には、
こういう風に量子力学と仏教をこじつける論もあるんだね。
で、それを真に受けちゃったかわいそうな被害者がちらほら
このthreadにも存在すると。

玄侑宗久って小説家が結構な発端になってるようだね。
罪深いことするなぁ。

↓ここなんて面白いね。Christianity(キリスト教)まで
関連付けてるよw
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/daiyogen36.html
どうせoccult垂れ流すなら、これぐらいやった方が
いさぎよいねw


まあ↓このblogあたりで書かれてることが、ごく普通の
まっとうな見解だと言えるね。
http://aquarian.cocolog-nifty.com/masaqua/2007/02/post_b933.html
312てすと:2009/01/05(月) 05:04:09 ID:dNzAG8yO
プランク単位系では e=mなんだから、

実存っていうのはある状態に便宜上名前をつけただけでしょ。

天動説も生活の実用には耐えるわけだし、結局何の目的でどこを切り取ったかにすぎないと思うけど。

あんまり難しく考えなくてもいんでないのかな。
313机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/05(月) 07:24:59 ID:898S6qaq
>>294
>電子も、何らかの観測装置を使用すれば知覚可能だし

電子顕微鏡なら原子配列が目視可能です。
(ミクロ領域に関心のある御仁は、たぶん感動するでしょう)
見事に綺麗に原子は配列されてますね。
(ネットでは見たことはないですが、検索すれば見られるかとおもう)

まだ電子顕微鏡が一般化されてなかった時代に、目視できたなら
たぶん原子は雲のような状態になってるであろう?
とか言われてましたね。

原子核が1センチくらいだと、
電子はその周囲を直径1kmくらいで旋回というのは分ってました。
つまり、原子というのは殆どが空洞の状態ですね。
(これは古い情報です)

原子は、それ自体が動くんですよね。
特に鉄(fe)は動きます。→温度に比例
314カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 07:54:19 ID:1Z121rLR
>>310
>で、あなたの言うこのatmanはどうして生じたのかを
>巡って、あなたが言うところの「無限ループ」が生じます。

あんたは馬鹿だな。馬鹿すぎる。
素朴実在論を真理だとするあんたの思考回路じゃ、自性については理解不能らしい(苦笑)

>しかもmicroの観測問題をmacro次元に拡張して混同し過ぎ。

こいつの頭の中では、ミクロの世界は、物理現象ではないらしい(苦笑)
馬鹿じゃねぇのか、おまえ。

こいつは言ってる事が馬鹿すぎる。こういうレベルの低い人が、何を言ってるんだか。
仏教的に言うと、お前の大好きなこの現象世界は、幻だ。この物理的現象を確固たる現実だと
みるおまえのような唯物論者のことを、無明に囚われた、凡夫だと言うんだよ。
縁起=無自性=空の思想も理解できない、自性についても、ちんぷんかんぷんなおまえが、
ここに何の用だ?
315カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 07:58:37 ID:1Z121rLR
>で、あなたの言うこのatmanはどうして生じたのかを
>巡って、あなたが言うところの「無限ループ」が生じます

だってよ。ククク。わっははははは〜。俺さっきから笑いが止まらないんだけど。
本当、言ってる事が馬鹿すぎるだろ、こいつ。
316神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 08:16:36 ID:FpZ3Vvba
>>314

だから、仏教でいう自性はそういう意味ではありません。
しかも、部派仏教の用語で原始仏教では説かれません。
あなたが引用する『ウダーナ』『スッタニパータ』『ウダーナヴァルガ』の該当箇所は、
すべてネハン、ニルバーナについて述べた箇所で自性について述べたものではありません。

あなたの説は一切にせよ、自性にせよこの佐倉さんの説を誤読しただけですよ
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku01.html
317神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 08:19:02 ID:qeHHN0du
>>261
>しかもmicroの観測問題をmacro次元に拡張して混同し過ぎ。

では、マクロの世界では不確定性原理が働かないというのです
ね?それを証明してください。

あと、ミクロの世界では不確定性原理は、観測結果としても証
明されていますよね。あなたは、ミクロの世界は物理現象では
ないというのですね?

量子力学は、素朴実在論を否定する要素は含みますが、決して
素朴実在論を肯定するものではありませんね。少なくとも、ミ
クロの世界では、素朴実在論ははっきりと否定されるわけです


で、もう一度聞きます。
あなたはミクロの世界は、素朴実在論の適用外だけど、マクロ
の世界は素朴実在論が真理だというのですね?いってることが
滅茶苦茶ですね。
318カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 08:24:05 ID:1Z121rLR
>>316
おまえらの話や、佐倉氏の解説の話をしてるんじゃないんだよ。
おまえらは自性を知らないから、俺が簡単に誰でもわかりやすいように話してあげてるんだよ。
それでもちんぷんかんぷんなこといってる、おつむの弱い人がいるようだけどな。

まぁいい、おまえらの仏教的に言う自性とはなにか、言ってみろよ。論破してあげるから。
いっとくがおまえらの末法仏教では、自性は無いことになってるよな。
なにせ、一切は無自性な空だからな。さぁ、おまえのいう仏教的な自性とはなにか言ってみな。
319カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 08:30:58 ID:1Z121rLR
>>310
なにが、『しかもmicroの観測問題をmacro次元に拡張して混同し過ぎ』だ。
おまえシュレティンガーの猫という、不確定性原理を応用した思考実験を知ってるか?
お前の理屈で言うと、ミクロの世界をマクロの世界で応用した、
シュレティンガーの猫のパラドクスを考えた当時の物理学者も、神はサイコロを振らないと、
必死で、不確定性原理を否定しようとしたアイシュタインも、程度が低すぎるということになるな。
俺はどうみても、お前のほうが、程度が低い思うがな。
320神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 08:31:23 ID:FpZ3Vvba
>>318
いや、自性の根拠を出さなきゃならないのはあなたでしょう。
321神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 08:41:19 ID:FpZ3Vvba
あなたの説は単純だ。佐倉さんの以下の「一切」を現象界、縁起と解釈する。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku01.html
> みなさん、わたしは「一切」について話そうと思
> います。よく聞いて下さい。「一切」とは、みな
> さん、いったい何でしょうか。それは、眼と眼に
> 見えるもの、耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻にに
> おうもの、舌と舌に味わわれるもの、身体と身体
> に接触されるもの、心と心の作用、のことです。
> これが「一切」と呼ばれるものです。
>
> 誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の
> 「一切」を説こう、と主張するとき、それは結
> 局、言葉だけに終わらざるを得ないでしょう。さ
> らに彼を問い詰めると、その主張を説明できず、
> 病に倒れてしまうかも知れません。何故でしょう
> か。何故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えて
> いるからです。(Sanyutta-Nikaya 33.1.3)

322カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 08:41:50 ID:1Z121rLR
不確定性原理とは、物はそこにあるが、未来は何者かが観測して初めて未来というか
今ここが確定するということだ。観測する者がいなくなれば、未来は確率的に存在するだろうという
だけであり、決して確定しないことになる。つまり、観測者がいない限り、今ここは、確定しないことになる。
今ここが確定しなければ、それは存在すると言えるのか?

過去とは何処にある?それは過去を思う、いまここにある我々の思考(記憶)の中に。
未来は何処にある?それも未来を思う今ここの、我々の思考の中に。過去も未来も幻。
在るのは、今ここだけなのだ。

宗教をたしなむものなら、在ると言えるのは、”今ここ” しかないということはよくご存知だろう。
323神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 08:42:12 ID:FpZ3Vvba
佐倉さんの以下の「自性」を実在と解釈する。

http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku01.html
> 自性はそれ自身、存在し、実在し、知ることが出来る
> から、「(ダルマは)自性を含む」と説いてあるので
> ある。自性はそれ自身、(ダルマの)外にあるのでは
> なく、(ダルマから)離れて存在しているのでもな
> く、(ダルマと)別のものでもなく、つねに不空であ
> るがゆえに、「(ダルマは)自性を含む」と説いてあ
> るのである。自性はそれ自身、過去に存在しないとい
> うことも、現在に存在しないということも、未来に存
> 在しないということもあり得ず、常に存在するのであ
> るから、「(ダルマは)自性を含む」説いているので
> ある。自性はそれ自身、増加もせず、減少もしないか
> ら、「(ダルマは)自性を含む」説いているのであ
> る。諸々のダルマが自性を含むというのは、例えば、
> 手が食物を掴んだり、指が着物を摘んだりするのとは
> 違うのである。(ダルマは)それぞれの自体(自性)
> を執持し、決して散壊させることがないので、「(ダ
> ルマは)自性を含む」と説いているのである。(「大
> 毘婆娑論」卷59)

> 「おおう」(の自性)は三世を通じて存在する。
> なぜなら、すべてダルマの自性は三世を通じて存
> 在するからである。(「大毘婆娑論」卷35)

324神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 08:46:51 ID:FpZ3Vvba

しかしながらこの「大毘婆娑論」というのは、部派仏教の中で
三世実有法体恒有という特殊な説を展開した説一切有部の論書であって、
この自性が釈尊の説から離れていることは周知のこと。

さて、カラスさん、これ以外にあなたの根拠はないでしょう。
325カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 08:47:29 ID:1Z121rLR
>>320
それは簡単な思考実験でそれに行き着くだろう。
全ての始まりに、自性を置かないと、因果律が崩れ、縁起の法も崩壊する。
証明?そうさな〜。それは自分自身で確かめるしかないな。

>>321
だからさ、生まれもしなければ、元からある存在。そんな存在は我々の知識領域を
超えていると言ってるんだよ。

縁起を自性だと混同しているドメクラ共が、誰に説教してんだか。
326カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 08:52:48 ID:1Z121rLR
>>324
>この自性が釈尊の説から離れていることは周知のこと。

俺あんまりさ、後の大乗経典など興味なくて、大毘婆娑論だの、
説一切有部だの専門用語出されて、ごまかされてもわかんねぇんだよ。
専門用語でごまかさず、その説一切有部とかいう自性が、ゴータマの説とは
違うというなら、具体的にどう違うのか、言ってみな。
327机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/05(月) 08:58:42 ID:898S6qaq
>>304
>量子力学が好きだねー、みんな。
>あれか、観測問題における、Neumannあたりの
>意識概念導入に仏教との接合点を見出してるわけね。

いや、そういう訳ではなくて、
貴殿が「素朴実在論」とか「素朴唯心論」とか書込みしてますから、
そういう古典哲学はもう通用しなくなった。ということを
“気づく”切っ掛けとなれば宜しいかと思いまして、
あえて論題とした訳です。

ある同一事象なりを論じる場合、それが素朴実在論であったり、また素朴唯心論であったりする。
これは主観における「捉え方」の問題です。
素朴実在論と素朴唯心論が同時にある場合もありますし、
(ある側面だけ正解ということです)
この古いゲージでもって思考するのはもはや通用せんのです。

釈尊の成道というのは、形而上学的諸問題の解決ではなく、
こういった心の問題でして、
貴殿が主張しております古典哲学はすべて超克した・・・・
それよりもハイレベルなもんですね。

それは、こういった論題を通して、そして気づくより他は手立てなし。
哲学的に逝ったら「直覚」ということになりまふ。
328神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 09:03:45 ID:FpZ3Vvba
>>326
大毘婆娑論も説一切有部も大乗仏教ではなくてテーラワーダと同じ部派仏教ですよ。
小乗仏教と言えば分かるでしょうか?

既に釈尊の説が、あなたのいうように中道=自性でなく
中道=縁起であることは論証していますが?

だから、あなたは中道=自性説を放棄しないなら、証拠を出さないといけない。

あなたの説は、上に明らかなように佐倉さんの記述を適当に誤読しただけですよ。
それはあなたが一番よく分かってるはず。もう、誤解と認めるしかないでしょう。
329神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 09:08:31 ID:FpZ3Vvba
>>326
>専門用語でごまかさず、その説一切有部とかいう自性が、ゴータマの説とは
>違うというなら、具体的にどう違うのか、言ってみな。

簡単に言うと釈尊の縁起は、実体を何も設定しないからこそ、縁起するという説。
有部の縁起は、実体として自性を設定してしまった説。自性として実在する約七十五法によって縁起を説明する説。

どちらにしてもあなたの縁起・現象/自性・実在説とは違います。
330カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 09:17:49 ID:1Z121rLR
>>328
テーラワーダ?そいつは失礼したね。ま、あそこにも真理は無い。
自性を語れないからな。

この世は全て縁起で成り立つ。善と悪も切っても切れないものであり、
それぞれが依存して成り立つ、どちらかが一方で独立して存在するものではなく、
二つで一つのものだ。これを中道と言うのなら、それは否定しない。俺の話も同じようなものだ。
ただ、二つのものでしか成り立たない縁起はあくまで縁起であり
それは実体(主体性)の無い、無自性な空であり、決して自性ではない。
それぞれ二つに見えるものは見せかけにすぎず、二つで一つのものだ。
俺はその実体である、間を行く一つのものについて話してるんだよ。

しかし言葉のあやを突っ込んで本論からは離れる。こういうのを揚げ足とりという。
揚げ足取りは程度の低い者がするものだ。
331カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 09:31:03 ID:1Z121rLR
>>329
>簡単に言うと釈尊の縁起は、実体を何も設定しないからこそ、縁起するという説。

おまえ自分の言ってることが支離滅裂だと気づかんか?実体が何も無ければ、縁起すらも存在しない。
おまえらは無我説を誤謬している。無我なのは、あくまで二つに見えるどちらか一方のことであり、
善と悪のことであり、私とあなたのことだ。この現象世界では、それぞれ独立して存在しているように見えるが、
それは見せ掛けに過ぎず、実体の無い幻。それらはそれぞれ縁起で結ばれている二つで一つのものだ。

ウダーナの生じなければ滅しないものがあればこそ、生じては滅するこの現象世界から脱すると言う一文は
それはそのままでいいんだよ。そういやどっかのスレで、涅槃という意味の原語とは、元々は主体性という意味
だったといってた人がいたな。まさにそのとおりだ。なにを屁理屈こねくり回して、簡単な話を、複雑怪奇なものにして
悦に入ってんだか。今の仏教はもうだめだ。無我説を思いっきり誤謬している君らは、
ある意味、もっとも真理から遠くにいる人達だろう。
332カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 09:38:52 ID:1Z121rLR
で、君らの末法仏教の結論は、ただの言葉遊びでしかない
糞の役にも立たないものだってことくらいも君らは気づかないわけ?
君らがいくら屁理屈をこねくり回しても、所詮は言葉遊びでしかなく、決して
この世の苦はなくならないということも気づかないわけだな?
おまえらの仏教では決して苦はなくならない。はっきり言ってさ、肉の自我による
生存を続けている限り、決して苦はなくならないんだよ。
ゴータマも言っているだろう。たとえゴータマと同じ悟りを開いた阿羅漢であろうと、
今生を生きる限り、常に気をつけ、八正道を励みなさいとな。
裏を返すと、どんなに悟ろうとも、決して悟った時点で苦は跡形もなくなり、真理に即した
生き方ができるというものではなく、肉の自我による生存を続けている限り
苦は付きまとう。そもそもお前らのように、一切の中に涅槃を見出そうとする末法仏教
では、悟ればそれで終わりで苦の滅は達成することになり、わざわざ八正道なども、
勤め励む必要も無いわけだ。
333神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 09:43:04 ID:FpZ3Vvba
>>331
大雑把にいうと有部もカラスさんのように「実体が何も無ければ、縁起すらも存在しない」と考えたので自性を設定したんですね。

それ以外の唯識にしろ、サーンキャ、ヴェーダーンタなどのインド哲学も何か
アートマン(実体)を、
西洋哲学もアルケーとか様々な実体・本質を設定した。

そのような実体は全くないというのが無我説であって、それこそ釈尊の説なんです。

これはちょっと理解しずらいでしょうが、素直に教えを読めば分かるし、
如何に深く合理的なものかも段々分かってきます。

334神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 09:54:25 ID:FpZ3Vvba
>>332
私は、輪廻否定派の適当な現状肯定説ではありませんよ。
もちろん、戒定慧の行は必要。
必要ですが、あなたの説では戒定までできるけど、
三昧の中で縁起観などのヴィパシャナを誤認しているから、
慧が出ないんです。実体を想定してるから無我が悟れないんです。
つまり、三昧でよくて四禅とか無色界の禅定状態を悟りと勘違いして終わるだけ。

縁起観などのヴィパシャナこそが、無我・空・仮設を体感する行で、
これが外道と仏教を分ける根本的な違いなんです。
もちろん、縁起観を行うためには三昧に入れないとだめです。
三昧に入った状態で縁起を観じた釈尊が悟ったというのは、
多くの仏伝が伝えることでしょう。

それはこの意味ですよ。
335カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 09:58:26 ID:1Z121rLR
>>333
だからさ、宝珠氏がいうように、ゴータマはあくまで縁起で成り立つこの
現象世界は、主体性の無い無我なるものだが、アートマンは存在しないとは
いっていない。言っているのなら、原始経典から引用文を出してくださいと
言っているんだよ。ちなみにゴータマは、一切というこの現象世界以外のものも
無いともいっていない。あくまでそれは、我々の知識領域を超えていると言ったんだよ。

おっと、俺は何も、今のキリスト教徒が思っている、この世とはまるでべっこの死後の世界。
あの世なんかあるなんて言ってないぜ。地獄とはどこのこと?それはこの現象世界であるこの世
のことだ。では、天の御国とはどこにある?それもこの現象世界であるこの世にある。
全ては表裏一体。二つで一つなのだ。そして今の時が終わるとき、静寂がある。ま、おまえらにいくら言っても
わかんねぇだろうな。
336カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 10:02:44 ID:1Z121rLR
>>334
>縁起観を行うためには三昧に入れないとだめです。

アホやろおまえ。どっかのサイトに書かれているレベルの低い者が適当に
書いた寝言を言われてもね。なんかおまえら縁起をなにか特別で神秘的なものと
勘違いしてるようだな(苦笑)
337神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 10:13:36 ID:cUKn26/m
>>302
>驚くべきことに、仏陀は、それらの62種の形而上的見解に対して、否定も
>定もしていないのだ!

仏陀の時代とレベルでは、結論が出せなかっただけでしょう。

しかし、人間のすべての営みの根源としての生存本能(生命)およびそれを維持
する自然、並びに人間の本質的共同体性という、すべての人間に共通する唯一
普遍の事実を思考の基盤とすることにより、結論は容易である。

何を思考するかではなく、何を思考の基盤とするかをまず思考して決定しない
限り、思考は、根拠皆無で無意味な、百人百様の妄想の循環論に留まるだけ。
338神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 10:15:22 ID:FpZ3Vvba
>>335
いや、あなたの説は単純なんですよ。
実在と仮象、現象と本質、縁起と自性でしょう。
単純な二元論です。ここで分からない人はほとんどいないでしょう。

その宝珠愚者さんが依った中村元先生の非我説を誤解してますよ。
あなたの説に近い学者に宮元啓一さんと津田真一先生がいますが、
どちらも誤解です。

しかし、人には根拠を求めるのに自分では自性の根拠を一切出しませんね。

339カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 10:26:03 ID:1Z121rLR
>>338
俺の話は一元なんだけどな。
おまえ全然理解してないじゃないか(苦笑)

>その宝珠愚者さんが依った中村元先生の非我説を誤解してますよ。

ほう、どこをどう誤解しているのか説明してもらおうか。

ちゅうか単純な話を、屁理屈こねくり回して違う話にしてしまうのが仏教ではないんだがな。
おまえらの末法仏教はそれそのものだが。
340カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 10:34:56 ID:1Z121rLR
>>338
>しかし、人には根拠を求めるのに自分では自性の根拠を一切出しませんね。

根拠なら何度も言ってるんだがな。
なら逆に聞こう。縁起は何処から来た?無から生まれたのか?
文字通りの無からはなにも生まれんぞ。まさか縁起だけは元からあったなんていうなよ。
其の理屈では縁起は自性となり、縁起=無自性=空という縁起がくずれ、論理破綻となり、
そもそもビックバン理論も崩壊する。さぁ聞かれたことに答えてみろよ。
341神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 10:43:11 ID:cUKn26/m
確固たる基盤を欠く精神性が、百人百様の混乱と狂気をもたらすことを
防止するという目的のために、堀井氏のPM論に一票。

しかし、その言うところの「物理的世界」を観念化して、再び宗教にし
ないよう、注意が肝要である。
342神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 10:50:13 ID:cUKn26/m
>>340
「ビッグバン(宇宙卵)理論」とは、カトリックの神父が、聖書の「天
地創造」を正当化する目的のために唱えた「仮説」に過ぎない。証明は、何ら
なされていない。

クリスチャンの数が多いから、賛同者が多いというだけの話。
343神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 10:59:48 ID:cUKn26/m
ビッグバンの主役が「人の似姿」の神などではありえないw。あくまで、
原初の「自然」である。
344カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 11:04:18 ID:1Z121rLR
>>342
根拠も無く否定ですか?ビックバン理論の正しさは、観測による結果でも、導き出されて
いるんだけどな。唯物主義者が、ビックバン理論を否定するこの矛盾。
しかも否定する根拠は、キリスト教が嫌いだか。お前は話にならん。
ちゅうかおまえは一度病院で頭見てもらえ。お前のキリスト教に対する憎悪は尋常じゃなからな。
345神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 11:08:58 ID:cUKn26/m
>>344
君の言う「一元」とは何?まさか「ナザレ村のイエス」ではないだろうなw。
それこそ話にならん。

しがない大工の子倅で、まともな教育も生活経験もない30歳そこそこの
気の狂った若者をいくら追っかけても、何も得られるはずのないことは、
常識でちょっと考えれば分ること。
346カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 11:10:59 ID:1Z121rLR
>>343
だから其の自然は、何処から来たと言ってんだよ。

文字通りの無からは何も生まれんぞ。

ちなみに原初の状態のときは、無であり、無ではない。
つまり見方によれば、それは無とも呼べ、見方によれば、無とはいえないものだ。
つまり、完全な無ではないのだ。何度も言うが、完全な無からは、何も生まれない。

ちゅうか精神病患者のお前相手にしても、単なる時間の無駄だけどな。
こういうでっかいエゴの虜になっている人は、何が正しく、なにが正しくないかを判断する基準は、
理詰めで合理的に判断することななく、あくまで、自分の価値観で判断するので、正しい
見解は生まれない。それはここの唯物末法仏教徒も同じこと。彼らはでっかいエゴという梁が
目の中にあるので、輪廻について書かれているものも、読めないでいる。
347カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 11:14:10 ID:1Z121rLR
>>345
>君の言う「一元」とは何?まさか「ナザレ村のイエス」ではないだろうなw。

おまえは馬鹿だな。俺はそんなレベルの話をしているんじゃない。
単にキリスト教に対する憎悪でしかものを話さないおまえは、相手にするに値しない。
くだらない人間だ。

どうせお前と話しても話は一方通行だ。おまえは単に自分のエゴをぶつけるだけで、
論理的な話はなにひとつできないからな。言ってることはつまらない、誰でも知ってる
ただの唯物論だし。
348神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 11:45:15 ID:FpZ3Vvba
>>339
>俺の話は一元なんだけどな。

自性一元論ですか? それは失礼。

アートマンがないと釈尊は否定しません。それは何故か?
釈尊は、外道の説を否定しないからです。>>302 はそのことを言っています。
その代わり、十無記で、「私はそうは言わない」と言っています。
これは間接的な否定です。
x はアートマンではないという非我説もこれと同じことです。

>>340
ですから、あなたの出した『ウダーナ』『スッタニパータ』『ウダナーナ・ヴァルガ』は全てネハン、ニルバーナについて述べたもので、自性ではないのです。
つまり、あなたが今までに出した証拠は自性の証拠ではないと反証されているので、証拠になりません。

縁起は、法則ですから。別に存在してるわけではないんです。釈尊もこのように仰っています。これはパーリ、梵蔵漢で確認できる一致した説です。
[SN. 12.20;大正2, p.84中;Tripathi, ed. 14]

縁起とは何か? いわく「これあればこれ生じ、これ生ざばこれ生ず」である。
そして、無明を縁とする行など多くの集起がある。
 「無明を縁として行がある」というのは諸如来が出現されても出現されなくてもこれが法則(法性)で、
諸物事の決まった性質は定まっている。それを如来自身がありありと理解されて現等覚されて説かれ、
仮設なさり、決定され、弁別なさり、解釈され、解明なさり、教えられ、極めて正しく教を説かれたことである。
いわく「無明を縁として行がある」である。
349神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 11:49:26 ID:FpZ3Vvba
>>336
佐倉さんのサイトをあなたが見たからと言って私も同じだと考えないでください。
私の説は、伝承と経典で確認して自分で納得したものだけです。

三昧、定、サマタ、なんと言ってもいいですが精神集中状態で、縁起観などのヴィパサナを行うことで悟りがあることは、
原始仏教、部派仏教、大乗仏教全てが一致して説くことです。

まあ、これ以上言っても無駄でしょうから、もう言いませんが。
350カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 12:08:24 ID:1Z121rLR
>>348
だから涅槃も、ニルヴァーナを、生まれ得ず、元からあるものだと言っているんだよ。
それを自性だといってるんだよ。

>縁起は、法則ですから。別に存在してるわけではないんです。

だからさ、其の法則にしろ、この現象世界は何処から来たんだと聞いてるんだよ。
まさか、縁起は法則だから生まれなかったとでも言う気じゃないだろうな。
法則もはじめからあったもんじゃなく、この現象世界とともに生起したものだ。
そんな理屈は、小学生でもわかりそうなものだがな。

無明を縁として行が起こり、という話は、それぞれの個人。それぞれの業の話だ。
逆に言うと、無明から脱した者は、行も無く、縁起も無い。縁起もなく存在するものを、
それを自性だと言ってるんだよ。正確に言うと、それは、無であり、無ではない状態のことだけどな。
なにが、『つまり、三昧でよくて四禅とか無色界の禅定状態を悟りと勘違いして終わるだけ』だ。
四禅とか無色界とかいうのは、あくまで安息の境地。涅槃の境地でしかない。俺は
それで終わりの話をしているんじゃない。ゴータマは、七日の間法悦の境地に浸り、八日目に
座を崩し、再びこの世界に正覚者として目覚めた。それは第六の日から数えて、三日後のことである。

351カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 12:15:16 ID:1Z121rLR
>>349
なにが佐倉産のサイトだ。はっきりいってあんなとこ、ろくに読んでねぇよ。
俺の言う自性とは、グノーシス文書にはっきりと書かれていることだ。真理はそこにある。
無自性な現象世界であるこの物質世界には無い。
いや、正確に言うと、この物質世界にあるとも言え、ないとも言える。

なるほど、ゴータマが悟りを開いたとき、私の悟りは深遠で理解しがたいとはよく言ったもんだな。
352カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 12:17:49 ID:1Z121rLR
>>349
で、おまえ。縁起はあくまで法則だから、始まりも終わりも無いってか?クスクス。大爆笑〜。

おまえは救いようの無い馬鹿だよ。
353堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/05(月) 12:26:17 ID:BTD9oDGO
>>351
今度はGnosticismかよw
かわいそうなOccult信者だなw
354てすと:2009/01/05(月) 12:26:51 ID:dNzAG8yO
>>350

現象世界は人間が生まれて、文化が形成されながら生まれたんでしょ?

人間がいない箱庭を思考実験してそれをどうやって証明するの?
355カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 12:38:49 ID:1Z121rLR
ま、ゴータマさんも、当時の唯物論者や、当時のヴェーダを思いっきり誤謬していた
当時のバラモン達から、俺のように、今の唯物論者や、釈迦の仏教を思いっきり誤謬している
我の強い人達から、いろいろ論戦を仕掛けられ、苦労したんだろうな。そのようなことが
あったであろうことは、原始仏典を読めば容易に推測できる。だが彼の偉いところは、自分より
劣る思想家のものいい、いちゃもんにも、決して怒らず、心を平静に保てたところだ。
論争は、真理を悟る者からすれば、滅びへの道だということをよく知っている。己のエゴを貫く
ことは、滅びへの道だとよく知っているのだ。だから論争はしない。俺は駄目だ。
こいつらのような、何も知らないくせに、態度だけはでかい豚に論争を仕掛けられると、自分の感情を
制御できない。自分の感情を制御できない者は、無闇に教師にはなってはいけない。
そういう者が教師になると、人一倍裁かれると聖書にもそう書いてある。なぜそうなるのかは俺はよく知っている。
また俺は裁かれるだろう。他人にしたことしなかったことは、全て自分にしたこと、しなかったこと。
宝珠氏も去ってしまったことだ。俺もここらで沈黙するとしよう。

無明の中にいる唯物論者にしろ、仏教を思いっきり誤謬している末法仏教徒にしろ、迷信に過ぎない
今のキリスト教会の教えるキリスト教を妄信している人にしろ、たせいぜい迷って、今生を無駄にするがいいさ。
俺には責任は無い。
356神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 12:39:50 ID:PUNckz+b
>353
衒学オナニー乙!

でもあんた・・・梵語は読めないらしいねw
357堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/05(月) 12:43:08 ID:BTD9oDGO
>>355
Occultに引きこもって人生を無駄にしてるのはあなた自身です。
358机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/05(月) 12:44:19 ID:898S6qaq
>>346
>だから其の自然は、何処から来たと言ってんだよ。

万物は先ず「静止状態はありえない」というのが、そもそも基本になります。
この基本から、アインシュタインの相対性理論が誕生した。

ビックバン以前の真空状態においても、それは何らかの動きはある。
(これがノーマルな状態です)
この動きというのはユラギとも言われてまして、
(量子力学の不確定性原理と同じもんです)
微妙なユラギの誤差から〜〜やがては飽和状態になったりして
エネルギーが蓄積されたりもする。

>文字通りの無からは何も生まれんぞ。 」

そうしますと、無とか有とかも確立の問題になってくる。
つまり統計上の問題です。
じつは、
自然科学とか社会科学というのは、統計的に定義は確立されたりするんですね。
(ごく稀なものも当然ありますけど、それは排除すれば問題にはならない)

人が便宜的に有無を決定付けてるだけで、
この決定論もユラギつつあります。
(これはシャレですw)
359カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 12:46:05 ID:1Z121rLR
>>353
反論になってないんだよ、おまえ。

おまえグノーシスを理解して言ってんの?グノーシスを善悪二元論などとのたまってる奴は
何もグノーシスを理解していないぞ。創造主とされる悪神デミウルゴスとは、またの名を
「無知」といってね。それは真理を悟らない我々自身のことだ。それと対極の至高の存在も、
我々自身のことだ。グノーシスは究極の一元論だ。グノーシスを善悪二元論だと言ってる奴は
なにもグノーシスを理解していない。何も知らないで、グノーシスという単語を聞いただけで嘲笑している
お前と同じでな。

しかしおまえ、しょうもない横文字を意味無く随所にいれて、程度の低い奴だな。
360初代スレ7:2009/01/05(月) 12:52:03 ID:5QZBkXzp
原始佛教 その23 http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/188
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/217
223 1/2 sage 2007/04/05(木) 17:12:52 ID:LuGG1Msz
ところで雑阿含におけるこの五蘊無我の経典では、
無我説が他の系統や有部毘奈耶破僧事におけるものと違っている。
パーリをはじめすべての五蘊無我の論証においては、有部毘奈耶破僧事におけるように、
 色無我、若
 色有我、 不応生諸疾苦、 能於色中作如是色、不作如是色。是故汝等、知
 色無我故、  生諸疾苦、不能   作如是色、不作如是色。
とあって、これを平易にいえば、
「色がもし我(自在者)であるならば、色には病苦が生ずることもなく、
 色に対して『このような色となれ』とか『このような色となることなかれ』とか
 いうことができるであろう。だが、
 色は無我(不自在者)であるから、色には病苦が生ずることもあるし、
 色に対して『このような色となれ』とか『このような色となることなかれ』とか
 いうことはできないのである」
ということになる。
これに対して漢訳雑阿含の無我相経では、以上の部分が
 色非有我、若
  色有我者、於色不応病苦生、亦不得於色欲令如是不令如是。
 以色無我故、於色有病有苦生、亦 得於色欲令如是不令如是。
となって、逆の意味となっている。これを解り易くいえば、
「色は無我である。
 色がもし我(絶対的)であるならば、色には病苦の生ずることはあり得ないし、
 色に対して、かくあらしめ、またはかくあらしめざらんと
 欲するを得ないであろう。
 色は無我(相対的)であるから、色には病苦の生ずることもあり、
 色に対して、かくあらしめ、またはかくあらしめざらんと
 欲するを得るのである」
ということになる。
361カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 12:52:28 ID:1Z121rLR
>>357
そうかな?人生無駄にしているのは、どうみても君らなんだが。

唯物論者の真理はどの道、死ねば終わりだ。つまり、おまえらの真理は、
どうせ死んで幕を閉じるこの人生そのものが、無駄なんだよ。

てかおたく、宗教板で能書きたれたければ、宗教的な思想を少しでも理解してから
物を離そうや。宗教板でただの唯物論を得意げに語られても、皆、聞く耳持たないんだよ。
いくらもっともらしい御託を並べても、ただの唯物論でしかないお前の話、実際くだらないし。
362堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/05(月) 12:56:32 ID:BTD9oDGO
>>361
>唯物論者の真理はどの道、死ねば終わりだ。

逆だよ、逆w
すごいな、ここまで妄想に染まれるってのも。

まあこういうoccultに走っちゃう元々の認知的癖が
あるんだろうね。
363カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 12:57:47 ID:1Z121rLR
何度も言うが、唯物論者の真理は、どんな御託を並べようが、所詮は死ねば終りの、
この人生そのものが、所詮は無駄なものとなる結論しか導かれない。
だが俺の話は違う。今この生がある間に、どう生きるかが問われるのだ。
せっかく生まれたこの命。無駄にしてはいけない。無駄にしてはいけないのだ。
364カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 13:02:54 ID:1Z121rLR
>>362
おまえのつまらないHPのURLなんかはってんじゃねぇよ。
おまえら唯物論者の真理は、どんなに財を成そうとも、どんなに
悪業を成そうとも、どんなに全業を成そうとも、個は死ねば終りだろう。
あなたが生きた影響は子々孫々残るだ?おまえがどんな御託を並べようとも
個は死ねば終りだ。死ねば終りなら、個の生は、いったい何の意味があるというのだ?
365堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/05(月) 13:09:07 ID:BTD9oDGO
>>363-364
ということで、カラスの唄◆S5WLCcUno2は、大方の予想通り、
GnosticismやBuddhismやQuantum mechanicsをデタラメに
混同した挙句、本人の素朴かつ凡庸かつ自己慰撫的志向が強い
occult性を端的に告白するのであった。
めでたし、めでたし。
366初代スレ7:2009/01/05(月) 13:09:07 ID:5QZBkXzp
>>364
>個は死ねば終りだ。死ねば終りなら、個の生は、いったい何の意味があるというのだ?

以前、『表』も大事だ、と発言したカラスさんとは思えないお言葉ですね・・・w
貴方も宝珠氏と同じ“短絡単純馬鹿”ですか?w

唯物論(的思考)は、貴方の以下の主張に抵触しない筈なんですがねぇ・・・。
>>363
>今この生がある間に、どう生きるかが問われる
>せっかく生まれたこの命。無駄にしてはいけない。


;´ー`)y━~~
367堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/05(月) 13:16:48 ID:BTD9oDGO
そもそも唯心論に染まる人間てのは、心霊を信じちゃう人と
同じで、元々認知的枠組みに欠陥のある人だからねw
ネジが一本抜けてるってやつw
ある種の知的障害に分類できるかもしれませんが。
368カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 13:18:24 ID:1Z121rLR
>>366
全然意味が違う。ぜんぜんおまえは人の話を理解しない。
死ねば終りなら、今生をいくら快楽にふける
個にとっては楽しい人生であろうと、所詮は意味が無いといってるんだよ。
お前ら唯物論者の結論は、どうせ死ねば終りなんだから、生きてる間に
すき放題、快楽を傍受したほうが勝ちとなる。だが、ゴータマはそうはいっていない。
むしろ、現世の快楽を否定する教えを説いている。お前は其の矛盾をどう理解してるんだ?
369カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 13:20:39 ID:1Z121rLR
>>367
おうおう、いよいよ論理的に反論できなきゃ、誹謗中傷か。
ま、お前に限らず2chではよくある光景だけどな。単なる唯物論を宗教板で得意げに語る
しょうもない男がよ。
370初代スレ7:2009/01/05(月) 13:22:45 ID:5QZBkXzp
>>368
>どうせ死ねば終りなんだから、生きてる間に
>すき放題、快楽を傍受したほうが勝ちとなる。

これを短絡だと言ってるんですw
これ以外の思考・感情は存在しないとでも?w

>だが、ゴータマはそうはいっていない。
>むしろ、現世の快楽を否定する教えを説いている。お前は其の矛盾をどう理解してるんだ?
え?
私はまだ仏教と関連付けていない筈ですが・・・? (´・ω・`)
371堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/05(月) 13:29:03 ID:BTD9oDGO
>>369
このthreadで一番非論理的なおまえが何言ってんだよw
372カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 13:35:04 ID:1Z121rLR
>>370
俺の話は、唯物論が真理だと一つの真理だがな。
どう考えても、死ねば終りの人生なら、この世の快楽を傍受して生きたほうが
勝ちだ。気持ちの持ちようで、たとえ貧乏でもそれが幸せだと思えばそれでいいというなら
そんなのは気休めでしかない。おまえは乞食で、飢え死にして終わる人生で、それでも俺はいいと
思う人生も、この世の快楽を傍受して、世間からも尊敬され、家族からも愛され幕を閉じる
人生と同じだといんだな?そんなのは気休めにしかならないんだよ。ゴータマの仏教の結論が
全ては気の持ちようというなら、そんなのはわざわざ空だの、縁起だのと小難しい御託を並べるまでもなく
現代では取るに足らない、カウンセリングレベルのくだらない話になる。
そもそも、死んで終りでなら、わざわざ、この世の快楽を全て捨て去り、一日中瞑想修行をする
意味がわからない。このよの快楽を否定し、一日中瞑想修行をしていることが涅槃の境地であるというなら、
とても現代では通用しないくだらない思想となるだろうな。
373カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 13:36:34 ID:1Z121rLR
>>371
おれは全ての起点に、自性を持っていかないと、物理現象の始まりをうまく説明できないと
言ってるんだよ。この話のどこが非論理的なのか、言ってもらおうか。
374カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 13:38:39 ID:1Z121rLR
>>371
ま、おまえはこの五感で感じられる現象世界と、それを認識する思考が現実だとする、
馬鹿の壁を越えられない凡夫だっていうことだ。
375堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/05(月) 13:42:00 ID:BTD9oDGO
>>373
はいはいtautology、tautology。
376初代スレ7:2009/01/05(月) 13:53:42 ID:5QZBkXzp
>>372
だからwww

「死ねば終わり」「一回限り」【 → 】「快楽・享楽」、
という矢印を短絡だと言ってるんですが、日本語の不自由な方ですか?

「次の生がある」「ニ度三度生きることができる」【 → 】「次の生でいいやw」「今生はこのまま楽しもう!ヽ(゚∀゚)ノ」、
という矢印とどこが違うのでしょうか?
377初代スレ7:2009/01/05(月) 13:57:01 ID:5QZBkXzp
やっぱり、輪廻を巡る対立点の表をロダにあげねばならんかな・・・w
あと一項目、うまい言い回しを見つけられてないんだが・・・。
378カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 13:57:51 ID:1Z121rLR
>>376
全然違うだろ。
業法輪廻の思想があるからこそ、今生で悪業を積んではいけない人は
考えるし、善業を積んで生きなきゃいけないとなる。唯物論者の様に、どうせ死ねば終りなんだから
他人を泣かしても利己的に生き、この世の快楽を傍受して生きたほうが勝ちなんて思想は生まれない。
379カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 14:01:49 ID:1Z121rLR
>>376
死ねば尾張の人生なら、他人を泣かしても、利己的に生き、
この世の快楽を傍受して生きるが勝ちという価値観も間違いではないよな。
ちゃうか、おまえ。あとさ、ゴータマが「説いた輪廻思想は、あくまで頭に ”業法” がつく、
業法輪廻な。ただの輪廻思想ではない。で、おまえ、原始経典には
輪廻思想は書かれていないのかよ。
380カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 14:07:59 ID:1Z121rLR
>>376
屁理屈をくだくだいってんじゃねぇよ、屑。
だからさ、死ねば終りの唯物論が真理なら、貧しいながらもそれで幸せだと
思うのも一考だが、其の逆に、どうせ死ねば終りなんだから、他人を泣かせても
自分が不利益をこうむらない程度なら利己的に生き、この世の快楽を傍受して生きるのが
吉だと考えるのも間違いじゃないよな、と、聞いてるんだよ。
ならばなぜゴータマは、後者のこの世の快楽を否定したんだ?答えろよ。
381堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/05(月) 14:11:33 ID:BTD9oDGO
凡庸かつ素朴な道徳論と、世界の実相の話を混同し過ぎ。
382てすと:2009/01/05(月) 14:18:03 ID:dNzAG8yO
まだ、脳が時間をどうとらえるかが解明されないなかで死後の結論を急いでもしかたがない。

周りの観察者からAさんの死の経過を観察した場合、

Aさんの主観からはアキレスの亀のように死にはたどりつかないで永遠に時間がゆっくり感じられるかもしれない。

そのときに良いことも悪いことも記憶から永遠に何度も引き出されると仮定して、

過去の行動によって苦しみの違いが起きる可能性があるかもしれない。
383初代スレ7:2009/01/05(月) 14:18:53 ID:5QZBkXzp
>>378
だからwww

貴方も宝珠氏と一緒だ。
思考実験をしていない。
思考実験をした上で、それは成立しないと言うなら解る。

前提Aと前提Bがある時、そこから導かれるA´B´という経過論議があり、
どちらが、Zという結果に繋がっているかを検証する場面としよう。(或いは別のYという結果に繋がっているかどうかを)。
当然、A´はAからのみ導かれ、B´はBからのみ導かれる。
この時、
A→A´→Zの不成立が述べられるなら話は解る。
が、今はそうではない。 というより、古今東西これまでのそうした議論
(たとえば『一回きりの「生」か、繰り返される「生」か』、『唯物論(的思考)は無感情・無情緒・快楽主義』という批判など)
に於いてはそうではない。
「A→B´→Zは成立しないだろ? Aは誤謬だ」という論調しか見当たらない。
諸君は、これをおかしいと思わないのか?
B´はBから導かれているのだ。成立しないのが当然だろう。(勿論、逆もまた然り。)
AがZに繋がらないことを証すなら、『A→A´→Z』の不成立を述べるべきだろう?
なぜ貴方方は、『A→B´→Z』しか述べないのだ?
A(及びA´)についての考察なく、最初からBのみで論理を展開する。
この不思議な様相がなぜ生じているのか、誰か冷静で賢い人に解説してほしい・・。
384カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 14:23:16 ID:1Z121rLR
>>381
おまえさ、宗教的な思想を全く理解してないんだからさ、黙ってろよ。

本物の宗教家は押しなべて道徳を語るものだ。真理に至る道は道徳の完成の
他ならない。単なる唯物論者にはそれがどうしても理解できないので、道徳を否定する見解を
持ちがちである。それは唯物末法仏教徒達にもいえることだ。真理を悟らない彼らは
どうしてもゴータマの説いた道徳的な話と、イエスの説いた、善人の上にも、悪人の上にも
平等の愛を示しなさいという、真理の愛を理解しない。
385カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/05(月) 14:31:10 ID:1Z121rLR
>>383
行ってる意味がよくわかんねぇんだよおまえ。
なぜ俺の話が、
>なぜ貴方方は、『A→B´→Z』しか述べないのだ?
になるんだよ。ちゅか原点に帰ろう。
原始仏典を見る限りゴータマは業法輪廻を語っているのは明らかだ。
それは認めるな?
386初代スレ7:2009/01/05(月) 14:33:28 ID:5QZBkXzp
>>380
>屁理屈  ?
笑わせてくれるw

>自分が不利益をこうむらない程度なら利己的に生き、この世の快楽を傍受して生きるのが
>吉だと考えるのも間違いじゃないよな、と、聞いてるんだよ。
他者に迷惑がかからない限りに於いて可、なだけでしょう?
一回限りの生か複数回あるかは、(【直接の】)関係はない。

「死ねば終わり」「一回限り」【 → 】「快楽・享楽」、
「死ねば終わり」「一回限り」【 → 】「感謝・尊重・慈しみ」

この二者の矢印の違いを、愚鈍な私の為に解説して貰おうか。
387初代スレ7:2009/01/05(月) 14:34:25 ID:5QZBkXzp
>>385
認めますw
388堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/05(月) 14:35:18 ID:BTD9oDGO
>>384
Kant以前の水準だな。
事実と道徳の峻別もできていない幼稚な思考。
389てすと:2009/01/05(月) 14:44:11 ID:dNzAG8yO
快楽も極めると結局同じところへいくのでは?

エピクロスとエピクロス派は最も有名な古代の快楽主義者である。
エピクロスは哲学的思索の内にこそ最高の快楽が含まれると考え、
身体の健康や精神の平静を奨励した。倫理的利己主義の一種。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%AB%E6%A5%BD%E4%B8%BB%E7%BE%A9
390てすと:2009/01/05(月) 14:57:26 ID:dNzAG8yO
釈迦は待機説法なんだから転生をといた相手と、そうでない相手がいるというだけの話。

幸福になるための道具がすべて同じである必要はない。

説いたか説かなかったかを厳密に判定するのが目的ならば、そりゃ説いたのでしょうね。

でもそれって、釈迦から見れば「だからなに?」ってことになるのではないでしょうか。
391初代スレ7:2009/01/05(月) 15:01:26 ID:5QZBkXzp
>>390
本物のてすと氏みたいですねw

発言内容や改行から、そんな感じはしてたんですが、
390は実に「らしい」www
392てすと:2009/01/05(月) 15:20:12 ID:dNzAG8yO
>>391

いやぁ、なんか大変そうだなぁとw

ちょっと遊んでますねw
393初代スレ7:2009/01/05(月) 15:48:50 ID:5QZBkXzp
>>392
数名程、真摯に耳を傾けたくなるレスをされる方もいますが、
遊びにとどめて、深入りしない方が良いと思いますよ。

火中の栗を拾わずとも、足下の栗を拾えばいいことですからw

私のように「火中の栗を何とかしよう」などという姿勢は実用的ではありませんので・・w
394神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 16:02:54 ID:kRUAHtvS
ID:FpZ3Vvba氏ではありませんが、

>>350
>それを自性だと言ってるんだよ。正確に言うと、それは、無であり、無ではない状態のことだけどな。

それは非想非非想定として、悟り(涅槃)ではないものとして明確に区別されていますよ。

>なにが、『つまり、三昧でよくて四禅とか無色界の禅定状態を悟りと勘違いして終わるだけ』だ。
>四禅とか無色界とかいうのは、あくまで安息の境地。涅槃の境地でしかない。

「涅槃の境地ではない」と言いたかったのでしょうか?

いずれにしろ、その自性とやらも、立派に無色界の一境地ということになってしまいますが……。
395神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 18:22:48 ID:cUKn26/m
>>384
>本物の宗教家は押しなべて道徳を語るものだ。真理に至る道は道徳の完成の
>他ならない

宗教と道徳とは、本質的に異なる。前者は、超越的存在と人間との関係。
「道徳的行為」は、「自分の宗教的満足」のために過ぎない。

これに反し、道徳は、人間同士の共生のための「技術」。あくまで「人間である
他者」のための行為。

両者に重なり合う部分があったとしても、それは単なる偶然。
396神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 18:29:36 ID:cUKn26/m
>>384
イエスがいくら「隣人を愛せよ」などと言ってみても、彼にとっては、
常に「人間にあらざる神」が人間よりも優先するのである。

神と人間との二者択一を迫られた場合に後者を優先すべき教義は、聖書
のどこを探してもない。
397堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/05(月) 18:29:37 ID:BTD9oDGO
>>395
うまい説明だね。
398神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 18:58:02 ID:h/7zAMlN


**************************************************************************************************


■ 宗教は論争だけでも自説を曲げず罵詈罵倒になりますから、排他性の一神教の紛争・殺人は当然の成り行き☆
■ カラスを初めとする宗教家は、使える言葉は何でも使って取り入れ布教する<言葉の魔術師!> ■


ぷち頃します!
ぷち頃します!

  ∧_∧
  ( ・∀・)    ブッシュだけでなく、一神教が存在する限り、戦争は絶対に絶えない。■
  ( O┳O            ■ これは【預言】である。■
≡◎━`J┻◎


****************************************************************************************************


399神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 19:56:47 ID:1Ag9+amJ
釈迦仏陀は幸福の科学総裁として既に再誕しており身をもって輪廻転生を証明しています。
これは輪廻転生思想が正しく釈迦のものであった事の最高の現証でしょう
400神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 20:02:31 ID:55bfxsi0
      | Hit!
      |
   ぱくっ|
     /V\
    /◎;;;,;,,,,ヽ   そんなエサで
 _ ム::::(,,゚Д゚)::|   俺様が釣られると思ってんのか!!
ヽツ.(ノ:::::::::.:::::.:..|)
  ヾソ:::::::::::::::::.:ノ
   ` ー U'"U'
401神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 20:03:41 ID:yNItn2FP
カラスさんID:FpZ3Vvbaさんが、値打ちを認めて語りかけたのは貴方だけですよ。
世間の三昧と出世間の三昧は似て非なるものです。
ほんの少しの違いが大違いなんです。
その事については、胸の中に留めて置かれたほうがよいですよ。
将来ナルホド!という時が必ず来ますから。
402前スレ170:2009/01/05(月) 20:41:41 ID:N7X1emB5
401さんへ
カラスさんのグノーシス的仏教思想に価値があるか(そもそも仏教に価値があるか)はさておき、FpZ3Vvbaさんが仏教徒として模範的な解答をしていたのには同意。
理性的で落ち着いていたし。

399さんへ
>釈迦仏陀は幸福の科学総裁として既に再誕しており身をもって輪廻転生を証明しています。
>これは輪廻転生思想が正しく釈迦のものであった事の最高の現証でしょう
これは何というデカイ釣り針!

400さんへ
そんな律儀に釣られなくても…
403神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 20:53:27 ID:h/7zAMlN


☆*************************☆*********************************☆


./)/)    >>399 → 根拠をドゾー
(・ー・)ノ   ■ 知りえないことについて知っているかのように語られる
゚L-J         あらゆることは物語である(池田晶子)。


☆**************************☆********************************☆

404神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 21:02:15 ID:bWcUBXg2
BSでやってる医龍に大川の本のCMがあってげんなりした。
405神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 21:06:24 ID:cUKn26/m
>>404
大川も、半分以上はキリスト教である。キリスト教の影響によるカルト化の
一例。
406新人:2009/01/05(月) 21:07:05 ID:1Ag9+amJ
池田といえば朝まで生テレビで夢見る文学少女みたいな表情で「神とは思考だと思うんです」とか語っていたのが思い起こされるがその時、何故か故影山氏が言葉に詰まってしまって話が進まなかったが
「そうです!その通りで我々が崇拝しているのもヘーゲルの絶対精神であり究極の思考なんですよ
」と言えばよかったんだよね

ちなみに大川総裁が釈迦の再誕だというのは方便の部分もあって
実際輪廻転生のメカニズムももっと巧妙な仕組みでなりたっている面もある。
その点についてもっと知りたければ幸福の科学の書籍を読んで頂ければと思う。
輪廻転生のメカニズムそれ自体に関してここまで権威を持って語った例は少なく、この事自体をもってしても大川氏が一種の宗教的天才であることは間違いあるまい

何が知り得る事で何が知り得ない事かということは各人の悟りの段階に応じて相対的なものなのだ
407神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 21:07:32 ID:qeHHN0du
>>402
ただの言葉遊びに過ぎない、
現実的には糞の役にも立たない、屁理屈仏教は楽しいですか?
408神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 22:27:58 ID:fiTr5fqY
フ〜〜ン♪
仏教を知らない仏陀。過去のご自分の教えすら忘れた仏陀ね(笑)
原始仏典を読めない仏陀に、二度と再生しないと宣言した嘘つき仏陀の最誕ね
〜〜〜ゲラゲラwww
ご商売ご苦労さまですわ
---仏陀が自ら地獄行きとわね!南〜〜無チ-ン♪♪
409神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 22:44:46 ID:jRpPR/zo
新人氏に賛同します!by仏教徒
410新人:2009/01/05(月) 22:58:43 ID:1Ag9+amJ
これは輪廻転生の原則・ルールなのですが転生前の記憶はいかに高級霊であってもすっかり忘れています。ちなみにイエスキリストの前世はクリシュナ(インド)→クラリオ(エジプト)となっています。
大川隆法総裁も例外ではないですが、仏教の理解度は最強クラスです
原始仏典も勿論読んでます。
ただこりゃ転生のルールなのでこの世でサンスクリット語を学ばなければ古代文献は読めません
私も前世はドイツ人だということらしいですが
「こんにちは」位しか言えませんからね(笑)
411神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 23:55:06 ID:kRUAHtvS
>>410
あなた、ちょっとあまりにもトンチンカンすぎます。408氏が言ってることの意味も
正確に伝わっていないようです。ある程度の仏教の基礎知識があれば通じるはずです。
最初、ネタだと思ったのですが、どうやら大真面目なようなので、言わせてもらい
ますが、

仏陀というのは輪廻を脱した人のことを言うのです。その当人が転生して、「私は仏
陀である」と言うというのはどういうことでしょうか? おおかた、仏陀の名をかた
る「低級霊か何かの仕業」と考えられませんか?
大川氏自身、原始仏典を読めば、そんな矛盾は当然のこととしてわかるはずですが、
読んでいないか、「読めない」=「読解力がない」ことは確かですね。また、原始仏
典は現代日本語でも、読めますよ。幸福の科学の奇体な出版物を読むよりも、ご自分
で原始仏典なりをお読みになることをおすすめします。
412神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 00:10:14 ID:Sv5cpC8u
会員増(一人で何口も会費払わせて人数の大誇張)と会費集めに汗する仏陀。
学歴インテリ-東大出トーメンの霊媒大川、筆記試験の偏差値導入好きの仏陀。
霊媒に成り下がった仏陀、しかも降りた高級霊?も当人の記憶喪失中でデタラメ三昧。
南〜〜無チ-ン♪
413神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 00:20:40 ID:2jkjxEuu
>カラス氏へ

君の言いたいことは分からないでもないが、人間を初め、いかなる生物も、
独りだけで生存しているものはないという「事実」を観察すれば、仏教の思想が
理解できるのではないか。さまざまな点で、「お互いに助け合わない限り」、
生存はできないのである。

すべての物質は、無数の原子の「相互関係」によって存在している。そして、
原子も、さまざまな粒子の相互関係によって存在する。

独りにならなくても、個体数が極めて減少すれば、種の絶滅の危機に瀕する。
独りでは、そもそも、子供が出来ないw。

それから、来世など確認したものは、史上誰一人としていないのだから、
来世の存在など信じるのは危険ではないか。死んでみて、若し来世がなかった
ら、どうする積りかw。

「死ねば無になるから、限りある現世をよりよく生きる」ほうが、ベター
ではないのか。他者を不幸にすれば、自分の充実した、永続的な、強い幸福感は、
絶対に得られないことを、人間はその本質としての共同体故に知っているから、
一度きりの貴重な人生なら、他者との係りあいにおいて幸福になることを、
努めるものだよ。

「個は、他との関連においてのみ存在し得る」という「関係性の原理」こそが、
仏教の中心思想である。これは「俺が、俺が」のイエスには、逆立ちしても
思い至らなかったこと。
414新人:2009/01/06(火) 00:24:34 ID:GFO3Cz7C
仏陀が輪廻から解脱したのは事実ですが
これは自由自在に時空の法則を出入りすることが出来るという意味でもあると思います。だから再誕もありえます。
また原始仏典が釈尊の言葉を全て網羅している訳ではありませんし、当時の人々の理解力に合わせて語った面もあるでしょうから盲信は禁物だろうと思います。
輪廻から解脱するとは天界にとどまるという事ですが末法の世で衆生が苦しむのをただ眺めているだけでは仏陀はただのサディストであり全然慈悲深くないですからね
衆生の苦しみに鈍感なのが悟りならその悟りは死んだ悟りに過ぎません。
仏典の逐語解釈だけではなく、再誕に関してはあらゆる角度から考えていかねばなりますまい
415新人:2009/01/06(火) 00:26:57 ID:GFO3Cz7C
仏陀が輪廻から解脱したのは事実ですが
これは三次元空間への執着から完全に自由になったという宣言でもあり
解脱したからこそ時空の境界を自由自在に出入りすることが出来るようになったという意味でもあると思います。
また原始仏典が釈尊の言葉を全て網羅している訳ではありませんし、当時の人々の理解力に合わせて語った面もあるでしょうから盲信は禁物だろうと思います。
輪廻から解脱するとは天界にとどまるという事ですが末法の世で衆生が苦しむのを天界からただ眺めているだけでは仏陀はただのサディストであり全然慈悲深くないですからね
衆生の苦しみに鈍感なのが悟りならその悟りは死んだ悟りに過ぎません。
仏典の逐語解釈だけではなく、再誕に関してはあらゆる角度から考えていかねばなりますまい
416神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 00:42:44 ID:2jkjxEuu
>>414
根拠皆無な妄想。史上、完全に死んで生き返った人間は、唯の一人も
いない。

釈迦が「天界にとどまっている」のなら、天界で輪廻したことになる。
天界が禄でもない場所だったらどうする?そこには、解脱はなかったこと
になる。

人間の同一性は、脳における自己の生の記憶に依存する。死んで脳が灰
になり、または腐敗して機能しなくなったら、どこで「自己の同一性」
に必須な記憶を保持するのかね。

人間が死んでも、その身体を構成する原子はなくならないから、その
原子は、自然界の生物・無生物に循環する。しかし、自己同一性の保持
に必須な脳の記憶は失われるから、もはや自己を認識することはない。
これが「輪廻転生」の正体である。
417神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 00:46:57 ID:OJvbqzvU
>>414
>自由自在に時空の法則を出入りすることが出来る

では大川氏はそんな能力をお持ちなんですか?

>再誕もありえます

仏典では、「生まれは尽きた」という表現で輪廻からの解脱が述べられていますが。

>輪廻から解脱するとは天界にとどまるという事

違います。天界も輪廻の世界の一部であり、あらゆる輪廻から解脱したのが仏陀です。
418新人:2009/01/06(火) 00:53:39 ID:GFO3Cz7C
記憶や人格というのは脳が消滅しても永続します。

脳=精神という認識は近代文明が生み出した最大の錯誤です。
脳の機能が失われれば確かに精神性の一部が欠落したかのような印象を受けますが、それは霊魂が表現手段を失ったということで
脳を支配しているパイロット=霊には影響はないのです
身体が失われれば三次元に置ける表現手段を完全に失うので死をむかえたかのように見えますが
実際は霊体が残り、霊界に移行しています
暫く天界に留まり次期が来ると再び肉体と繋がります
これが輪廻転生の一連の流れです
419神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 00:54:44 ID:2jkjxEuu
>>414
大川氏は、釈迦の脳を移植してもらったのかね。しかし、残念ながら、
釈迦の脳は、とっくに消滅し、原子として、自然界を循環しているだけ。
自己同一性の記憶は消滅しているから、大川氏は、釈迦の生まれ変わり
とは言えない。

大川氏が釈迦のクローン人間でも、外見は同一だが、脳の記憶は失われ
ているから、「外見だけの生まれ変わり」に過ぎない。大川氏の外見が、
釈迦のそっくりサンとも思えないねw。
420新人:2009/01/06(火) 00:57:48 ID:GFO3Cz7C
>天界が禄でもない場所だったらどうする?そこには、解脱はなかったこと


あの世とは純粋な心の世界です。
釈迦は天国的な精神の持ち主なので天界の最上階にいってます。
論争を好む魂は死後「修羅界」に行きます。
あの世の正体とは心の世界だからです
あの世と心のメカニズムに関しては天台教学を学べばわかりやすいと思います。
421新人:2009/01/06(火) 01:00:33 ID:GFO3Cz7C
天界も六道の一部である限りは輪廻の中にありますが、これは言葉の問題です。
天界という言葉に忌避感があるならば霊界とか仏界と考えればいいでしょう。
422新人:2009/01/06(火) 01:07:48 ID:GFO3Cz7C
419
君の誤解の構造は唯物論を前提している所にあります。
実際は唯物論は間違った見解なのでそこから導出される見解も全て間違いです。
423神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 01:08:02 ID:2jkjxEuu
>>418
>記憶や人格というのは脳が消滅しても永続します。

アホですか。脳に酷い損傷を受ければ、記憶も消失するし、人格も
変容する。どんなに偉い宗教者でも、その脳をメスでちょっと傷つけて
やれば、彼の神は、瞬時に消失する。

アルツハイマー病で、脳の細胞が減少しただけでも、記憶力は飛躍的
に低下する。重症患者は、1分前に何をやったさえ思い出せないでは
ないか。アルツハイマー病の症状を、医学書で調べられたし。

それから、人間の生死は、医学の専門分野。宗教の出る幕ではない。
さもなければ、ライフスペースと同じになってしまう。

死亡証明書は、専ら医師が書く。宗教家ではない。

君は、何のために義務教育を受けたのかね。
424神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 01:14:04 ID:2jkjxEuu
>>420
>あの世とは純粋な心の世界です。

君がまず死んで、天界を確認してきてから言ってねw。

天界がなくても、責任は負わんぞw。
425新人:2009/01/06(火) 01:21:45 ID:GFO3Cz7C
>脳が壊れたら人格も変容する

それは例えばアイルトンセナのようなドライバーでもタイヤがパンクしたら運転が乱雑になるようなものなんですよ
タイヤを取り替えれば真っすぐ走れます。
しかし車自体が運転をしている訳ではないからね
脳はあくまで受動的な器官で、動かしているのは「霊」です
426神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 01:30:22 ID:2jkjxEuu
>>425
霊は、どこに居るの?居たら捕まえて、檻に入れ、公開してくれ。
世界の大ニュースになるぞ。

君が霊を考えられるのも、君の脳みその機能。死ねば一切不可能。

「死」とは、「全脳の機能の不可逆的停止」と定義されている。死んで
覚器官や思考器官が灰になrか、腐敗すれば、たとえ来世があっても、
どうやって知覚・認識するのかね。知覚・認識できなければ、「無い」と
いうのと同じ。
427新人:2009/01/06(火) 01:35:55 ID:GFO3Cz7C
知覚・認識が死滅したらもちろん霊覚・霊識が発動する訳ですよ
そこで現れるのが霊の世界です
つまり心の世界ですな
仏教では五感六識のさらなる根源に八識・九識を想定しますが
この潜在意識層が死後の世界と大きく関わって来ます。
この層は不死なのです
428神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 01:39:58 ID:2jkjxEuu
>>422
唯物論者も唯心論者も、「身体」の構造とその各器官の働きは全く同じ。

解剖学書に、何か区別が書いてあるかね。病院では、唯物論者か唯心論
によって、治療の方法が異なるのかねw。

あんまりアホなことは言わないでくれ。現代は「原始時代」ではない
のだよ。何を勘違いしてる?
429新人:2009/01/06(火) 01:45:55 ID:GFO3Cz7C
物理世界が霊界の下位世界だとしても物理世界世界は存在し物理法則が存在することは当たり前の事です。
しかしそれは別に霊界の存在とは矛盾しない。
身体は霊の乗り物で身体が失われれば霊界に帰るのです
430新人:2009/01/06(火) 01:54:33 ID:GFO3Cz7C
物理次元で心を理解しようとして失敗した例がロボトミーであり現代の精神医療の無惨な状況です。
年間数万人の自殺者が出ていても対処出来ないのです
薬で脳を酔わせ現実認識能力を失わせることで治療としていますが
心と脳は別次元なので心の病は投薬ではなおらないのです
かえって沖縄のユタのような古代のシャーマンの方がうまく「精神病」を治療をしているようです
それは例えば「死者の声」を妄想ではなく実在と見るからです
実在を実在と認めるだけで治るのだから精神病とはあるいみ近代主義という邪教が生み出した副産物的な病と言えるでしょう
このことからも近代以降の常識より古代の常識の方が正しい事がわかります
431神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 03:08:25 ID:YBqyNF1Q
釈迦は不変な物は何もないと言っている。
魂があったとしても、不変じゃないから、輪廻はない。
432神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 03:42:11 ID:2jkjxEuu
>>429
>身体は霊の乗り物で身体が失われれば霊界に帰るのです

君も、ご他聞に漏れず、キリスト教の「聖霊」の影響を受けたのだと
思うが、「聖霊」とは、旧約聖書では、創造主が創造時に、人間に
吹き込んだ「プネウマ(空気、生命)」のこと。すべての人間の身体
を神殿として、その中に格納されている生命。それを、イエスの狂気と
知能低下により誤解して、人間の外のどこかから「鳩のように舞い降り
てくるもの」にすり替えてしまったのである。
同様に、「神」も、旧約聖書では、「在りと在るもの」、即ち「全存在」
「自然界」のことである。

>>430
精神病が、脳内神経伝達物質という「物質」の異常によって生じるという
発見は、人類最大の発見の一つである。神経伝達物質を調整する多くの
薬剤が開発され、使用されて、効果を挙げている。
一昔前には「不治の病」であった多数の病気が、現在では治療可能になって
いる。一昔前と現在の、死亡率や平均寿命の飛躍的な相違を考えてみる
だけで充分だろう。
病気治しを売り物にする新興宗教の教祖でも、自分が病気になれば、
病院に駆け込んで、最新医学による治療を受けているのが現状。教祖自
身は、宗教では病気は治らないことを知っているからである。知らぬは
無知な信者だけ。
ロボトミーも、効果は高いのだが、副作用の故に中止しただけである。
医学の発展の一段階であったことは、確かであろう。
最新医学を充分に勉強した上で、書き込んでくれ。口から出任せの無責
任な書き込みは、重大な結果をもたらすことになる。
君は一体、どこのカルトかね。教えてくれ。キリスト教の影響を受けた
ものであることは、確かだろう。一般人が被害を蒙らないよう、警告す
る必要がある。
433カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 06:26:56 ID:ltaToQC2
>>394
>それは非想非非想定として、悟り(涅槃)ではないものとして明確に区別されていますよ。

あほか、おまえ。俺の言っている境地とは、滅想定のことだ。
また有想三昧ではなく、思考の止滅した、無想三昧のことだ。なにを適当なこと言ってんだよ、このタコ。
その状態は、無であるともいえるが、無ではない。
無であると言い切ると断見となり、有であると言い切ると、常見となる。そういう性質のものだ。
これを誰にでもわかるように説明すると、熟睡の状態のときを思えばいい。
人は熟睡のとき、意識は無いともいえるが、有るともいえる。なぜなら、彼は再び目覚めるからだ。

おまえは馬鹿だから教えてあげるよ。おまえはゴータマは、瞑想で得られる境地、滅想定に達して
悟ったと思っているようだが、ゴータマは無想三昧の境地を知って悟ったのではない。
彼は、その後、明けの明星をみて悟ったんだよ。これは縁起の法を知り、この世の理を知ることにもつながる。
ゴータマも言うように、人は、この世の理を知らないで100年生きるより、この世の理を知って一日生きるほうが優れている。
ま、盲人のお前達には、ゴータマのみた、明けの明星とはなにかを知ることは無いだろうな。
なにせ、ゴータマは文字通り、悟りを開いたとき、七日間其の境地にいたと思ってるし、
空に光る天体に過ぎない、金星をみて全てを悟ったなんて、まじめに話してる連中だからな。
七日も座を崩さず、蓮華座で座ったままでいたら、足が腐るって。
こんなレベルの低い奴が、俺に意見する。忍耐ほどの荒行は無いとはよく言ったものだ。
434カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 06:49:35 ID:ltaToQC2
>>401
なにが、
カラスさんID:FpZ3Vvbaさんが、値打ちを認めて語りかけたのは貴方だけですよ。だ。
そいつは人の話をまるで理解してないじゃないか。あれだけ誰にでもわかるように簡単な
言葉でわかりやすく説明してあげてるのに、俺の話は二元論ときたもんだ(苦笑)

ウダーナの、

>生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
>もしも生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、
>生じたもの、生成したもの、つくられたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることはないであろう。
>生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
>生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることがあるのである。

これは縁起でなるこの無自性な、現象世界の反語だ。これを自性というんだよ、ドメクラが。
これは単に中道を話した内容だとすれば、ウダーナの冒頭にしろ他の原始経典にしろ、
ゴータマは繰り返し、この現象世界である物質世界は、縁起でしかならない主体性の無い
無自性な空であり、形成されるものは生じては滅する幻のようなものだという趣旨の話をしているのに、
お前らにかかると、ゴータマは舌の根が乾かぬうちに、
「そうは言ったが、実は違うんだ。この現象世界は生じては滅する幻のようで、生じては滅することも無い中道だ」
と、わけのわからんことをいっていたということになる。これじゃただの詭弁家だ。ちゅうか、そうならそうで最初から
そう言えよという話だ。もちろんそれは違う。ゴータマは明らかに、この現象世界は生じては滅っする、幻のようなものだと
言っているのであって、い〜や違う。この現象世界(物質世界)は、生じては滅私、生じなければ滅することもない。
などとわけのわからんことを言ってはいない。もし言っていたとしたら、これじゃ、結論のない不可知論だ。
お前らは形而上のことも、結論なき不可知論だし、この物質世界である形而下のことも同じく、
結論の無い不可知論にしてしまい、これが仏教だとのたまっている。
ゴータマはお前らのような詭弁でしかない不可知論者のことを、はっきりと外道だと言ったんだよ。
435カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 07:20:02 ID:ltaToQC2
こいつらのよくある誤謬。
ゴータマは、信仰を捨てろといったが、それはヴェーダを思いっきり
誤謬していた当時のバラモンと呼ばれる人々が教える、バラモン教であり、
正しい信仰はむしろ捨てろというどころか、この世では信仰が人間の最上の富である。
とまで言っている。一方ではこういっているのに、それはまるっきり無視して、
信仰を捨てよという原始経典の一節だけをとり出して、自分達の都合のいいように、
ゴータマは信仰を捨てろといったと言い切るのは、こいつらのエゴである。

無我について。この語源は元々、頭に一切という単語が付いて、一切法無我と説く。
ゴータマはあくまで、この現象世界である、一切には、主体性ともいえる、我は有りませんよと
説いたのであり、我(主体性)と呼べるアートマンは、完全にありませんよとは言っていない。
そもそも完全に我と呼ぶアートマンなど無いのであれば、無我に、なにが自灯明だという
話になる。ゴータマの否定した真我とは、当時のバラモン達が真我だと思っていた、
今の私を認識する自我が死後も残り、この精神的なもの、魂と呼ばれるものこそが真我だと
していた真我論であり、ゴータマは、それらも所詮は縁起でしか成り立たない生起したものであり、
いずれは滅する定めの、無自性な、空ですよと説いたのに過ぎず、真我自体を否定するものではない。
ただ、それは、真我だと言い切ると常見となり、真我ではないと言い切ると断見となる性質のものだ。
まことに、真理とは、深遠で、了解しがたいものである。
436カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 07:21:37 ID:ltaToQC2
>>435 続き。
おまえは梵我一如を説いている。ゴータマは梵我一如は否定した。
そのとおりだ。ブラフマンとは女性性。女は命を得ず、あくまで男と一つとなるところに命はある。
この馬鹿者共は、宗教的な意味の、男と女の意味も知らないで、梵我一如を語っている。
もちろん宗教的な意味の男と女とは、生物学的な、オス・メスの話をしているのではない。
もちろん、今の私を認識している肉の自我がブラフマンと一体になるという話でもない。
今の肉の自我も所詮は無自性な空であり、それが真理と一つとなることはない。
縁起で成り、縁起で生起した肉の自我は、死ねば消えて無くなる幻である。
ゴータマの悟りを開いた瞑想の行は、あくまでヨーガである。ヨーガとは合一という意味である。
我々の魂は、女性性であり、ヨーガの合一とは、あくまで男と一つとなることである。
女は自らを男としない限り、命は無い。
437机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/06(火) 07:29:57 ID:0hEVZfl/
>>414
>仏陀が輪廻から解脱したのは事実ですが
>これは自由自在に時空の法則を出入りすることが出来るという意味でもあると思います。
>だから再誕もありえます。

これよりもまだ、釈尊が空中を飛びまわる方がリアリティーがあるんじゃないでしょうか?
(冷静に考えてみれば、の話ですが)

昔、大川隆法の本は読んだことがありますが、理屈が多くて辟易してしまいました。
やはりファンタジーがないとw

ファンタジーというなら、拙者は丹波哲郎の「大霊界」が好きですね。
理屈なしで楽しめる。
これはただ霊界を紹介するだけです。

丹波は著書の最後に「霊界を信じることと、信じないことは人生に大差がある」。
と述べてましたけど、
このひと言だけで、この本の価値はあるかと思いますね。

丹波はイイ意味で書いたんでしょうけど、
人によっては人生を台無しにする。
(妙薬は使い方によっては猛毒になる)
438机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/06(火) 07:37:52 ID:0hEVZfl/
>>436
>我々の魂は、女性性であり、ヨーガの合一とは、あくまで男と一つとなることである。
>女は自らを男としない限り、命は無い。

これは何処から情報を得たのですか?

統一教会の創造原理にもこんなのがありましたね。
(これもパクリですが)
陰陽思想のパクリです。
439カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 07:40:22 ID:ltaToQC2
>>445 続き
ゴータマは、当時、輪廻思想は常識だったので、いやいや輪廻思想を説いた。
そんなことは無い。当時の思想家の中には、無神論者もいれば、業法輪廻をはっきりと
否定していた有名どころの思想家は、ごまんといた。みんな、そんなものはないと思えば
はっきりと無いと語っていた。そういう世情で、ゴータマだけが当時は輪廻思想が当たり前
だから、いやいや説いていたというのは、こいつら末法仏教徒達の自説に合うように
こしらえた、詭弁である。

ゴータマは形而上のことは一切無記を通した。これも間違い。
最古層の経典、スッタニパータをみてもわかるように、、ゴータマは無記を通したどころか、
大いに語っている。ゴータマが無記を通した相手は、あくまで他人が証明しようも無い、
自分自身で確かめるしかない其の手のテーマの話を、がちがちの、猜疑心の凝り固まった
相手に話しても仕方が無いので、そういう相手には無記を通しただけである。証拠に
自分の弟子達には、形而上のことも大いに語っている。

ゴータマは業法輪廻を語っていない。これは真っ赤な嘘。これはこいつら唯物末法仏教徒達の
願望でしかない。原始経典など読めば、明らかに語っている。これを後世の者達の書き足しとするなら、
原始経典は隙間だらけになり、もはや教義的なものは何も見出せず、全く価値の無いものである。
業法輪廻を教義の中心として据えて書かれている原始経典を全く無視して、ゴータマの死後、随分たって
から書かれた竜樹とかいう末法仏教の走りとなったボケの能書き、中論を自分達の経典とするなら、
それはもうゴータマの仏教ではなく、ゴータマの仏教用語を応用した、もはやゴータマの教えとはかけ離れた
新興宗教である。
440カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 07:44:25 ID:ltaToQC2
>>438
あほかおまえ。俺は誰にも教えられてねぇよ。
ちなみに統一教会のいう女とはなにか、また、男とは何か言ってみな。

俺は明確に答えを持っている。さぁ、言ってみろ、邪見の王様の机さんよ。

論で勝てない相手には、いわれの無い、オウムや統一教会等のカルト宗教だと
レッテル貼りをするのは、おまえら我の強い人格障害者達の乗員手段だからな。
さぁ聞かれたことに逃げないで、答えろ。
441カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 07:50:59 ID:ltaToQC2
ゴータマは、死ねば終りの断滅論者をはっきりと、外道だと説いた。
ゴータマは、業法輪廻を否定する思想を説くものを、はっきりと、外道だと説いた。
ゴータマは、善業善果。悪業悪果の因果応報を否定する者を、はっきりと、外道だと説いた。
ゴータマは、物質世界であるこの世こそ、現実だと説く唯物論者をはっきりと外道だと説いた。
ゴータマは、はっきりと結論の導き出さない、単なる詭弁家でしかない不可知論者を、
はっきりと外道だと説いた。

み〜んな、お前達のことだよ。
442机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/06(火) 08:00:28 ID:0hEVZfl/
>>440
>ちなみに統一教会のいう女とはなにか、また、男とは何か言ってみな。

世界は陰と陽で構成されている。
人(男女)、動物(♂♀)、鉱物(+−)とか・・・
陽を男性性相、陰を女性性相。
この両相を帰納法的に推論していくと、神とは男性性相と女性性相の合一である。
と、かように結論つけることが出来る。

貴殿の好きな「一」ですよw
443カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 08:04:31 ID:ltaToQC2
なんか誤解している奴が多いようだが、俺には教師はいない。
所属している宗教はカトリックだが、俺はイエスの教えは信じているが、今の教会が
教えるキリスト教は信じていない。あんなのはただの迷信で、俺がカトリックに籍を置くのは
あくまで気分的な問題で深い意味は無い。繰り返し言うが、俺には教師はいない。

霊に祈る時、知識を信ずるが故に、乞い求めるものが与えられ、貴方がたはそれを受け取る。
力と心が自分の中にある筈がないという、間違った教えを信じる時は、知識に欠けた者となり、
霊的に貧しく生きることになるだろう。
求めよ、そうすれば与えられる。捜せ、そうすれば見いだす。門を叩け、そうすれば開かれる。
自分の心に希う者は、それを得る。自分の心の力によって、捜すものは見付けるのだ。自分の心によって、
門を叩く者は、開けてもらえる。
貴方がたの誰が、息子がパンを求めているのに、石を与えるであろうか?
魚を求めているのに、蛇を与える者があろうか?
この様に、貴方がたが悪い者であっても、自分の子供には良い贈り物をするのだから、貴方が求めれば、
貴方がたの霊は貴方がたに、もっと沢山のものを与えてくれるであろう。

霊とはなにも神秘的なものではない。この言も霊そのものなのだ。それは我々人の心の中にある。
それは生命そのものである。答えは全て自分自身が持っているものだ。エゴというフィルターを通さず、
真摯に真理を求める者はそれを見出す。どっかのアホが、霊界などと寝言を言っているようだが、そんなものはない。
あるのは、この世と、静寂だけである。
444堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/06(火) 08:08:18 ID:432SO65S
>>442
韓国は国旗見ても分かるように、朱子学(理学)、陰陽五行説、
八卦の影響が強いからね。そこにChristianityが入ってきて
そういう奇形的な宗教が生まれるのは容易に想像できるね。

日本もそういう中国文化の影響受けてるけど、神道や大乗仏教
の勢力の方が大きいから、神道系の新興宗教や、幸福の科学
みたいな宗教になり、理学、陰陽、八卦などは、もっぱら占い
水準で留まることになる。
445カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 08:10:22 ID:ltaToQC2
創世記
>人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。

>>442
全然違うは、ボケ。
それじゃ、女は全ての生みの母とはならねぇんだよ。

女は男のあばら骨から作られた。これの意味するところは、女は男のハートである。
さぁ、おまえらにこれの意味するところがわかるかな。男とはなにか、おまえらにわかるかな。
女は自らを男性にしないと、そこには帰れない。おまえらにはそれの意味がわかるかって聞いてんだよ。
446堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/06(火) 08:12:55 ID:432SO65S
このthreadのように、日本人に仏教大好き人間が
多いのも、仏教に普遍性があるからというよりも、
もともと大乗仏教の基盤が強くて、そこに70年代からの
New age的なtrendがUSAから入ってきて、エセ科学な
言説を撒き散らした結果なんだよね。

そういうことに無自覚で大真面目に仏教を称揚してる
連中はあわれだね。
447カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 08:22:29 ID:ltaToQC2
>>444
おまえさ、単なる唯物論をここで得意げに語り、
イエスの教えを何一つ理解せず、仏教思想を何一つ理解もできない
無能の癖に、、うだうだ、うぜぇんだよ。単なる唯物論に過ぎないお前の話には
何の価値も見出せない。キリスト教、グノーシスという単語を聞いただけで、其の思想を
まるで理解していないくせに、条件反射で、馬鹿にするしか能の無い男がよ。
シュレティンガーの猫のパラドクスの思考実験の意味も知らずにミクロとマクロの
物理現象は別だと言い切り、自性はどこから生まれたなどとちんぷんかんぷん
なことを得意げに語る、お前の思考回路に乾杯だ。

馬鹿の壁を超えられない池沼が、なに単なる唯物論を得意げに語っているんだか。
せめて、なぜイエスが「あなたがたは互いに愛し合いなさい」と説き、ゴータマが、あなたの
好きな人も、嫌いな人も、皆、幸せであれと、慈しみの心を説いたのか、単に道徳でしか
捕らえられない無能が、せめて彼らの真理の愛を理解してからものを言おうや。
おまえら唯物論者は、どうころんでも、彼らの説いた真理の愛を理解できないものだ。
それはここの唯物末法仏教徒も同じだろう。現に唯物末法仏教の代表格である禅宗などは
この道徳すら、ゴータマの説いた四正勤ですら、否定的な見解を取るには、開いた口が塞がらんほどの
迷いぶりだ。
448机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/06(火) 08:23:18 ID:0hEVZfl/
>>444
茶道も、もともとは陰陽思想が発端になってる。
それを利休が禅とミックッスさせて茶禅一如を完成させた。

拙者は、その流れからの末端に席を置くものでございます。
449カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 08:23:54 ID:ltaToQC2
>>446
おまえのような単なる唯物論者をよ、仏教では、無明に囚われた、凡夫だというんだよ(嘲笑)
ある意味気の毒だな。
450堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/06(火) 08:31:31 ID:432SO65S
>>447
Jesusの目的はあくまでもJudaismとJew communityの復興であり、
彼にとって、異民族は救済対象外の、眼中に無い、「犬」でした。
Jesusの隣人愛の範疇は、あくまでも同胞であるJewで完結しています。

その程度の知識も無く、なんとなくChristianityを引用するのは滑稽ですね。
その他の知識もデタラメとこじつけばかりですがw


Jesusの本心は、福音書に明確に記録されています。





救済を求めるカナン人の女に対して、Jesusは、

「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には 、つかわされていない。」
「子どもたち(ユダヤ人)のパンを取り上げて、小犬(異民族)に投げてやるのはよくない」

と言って拒否した。


マタイの福音書 15:22-26



451カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 08:33:07 ID:ltaToQC2
>>386
なんだ、このレベルの低いレスは。
だからよ、死んで終りの唯物論が真理なら、
なんで、「死ねば終わり」「一回限り」【 → 】「感謝・尊重・慈しみ」の一方
だけの見方が正しい生き方になるんだと聞いてるんだよ。
死んで終りの唯物論が真理なら、一方で
「死ねば終わり」「一回限り」【 → 】「快楽・享楽」、
の生き方も否定できないよな。ちゃうか?頭の悪い人。
ならば、ゴータマのような、欲を捨てて、無所有で一日中瞑想に明け暮れ、
食物は贅沢せず、他人から恵んでもらったわずかな食物で我慢して乞食生活で
生きていきなさいと、極端な生き方を推奨するのはおかしいといってるんだよ。
言ってる意味わかるか?おまえの論法がいかにおかしいか、わかるか?
馬鹿だから、わかんないか。おまえは馬鹿だからな。
しかしこのレスは、レベルが低すぎる。
452カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 08:45:13 ID:ltaToQC2
>>450
おまえさ、イスラエルと異邦人の意味も知らずに何ちんぷんかんぷんなこと
言ってんだよ。ちなみにエルサレムの意味も知らないだろう。
イエスをメシアとするキリスト教は、等のユダヤ人ではなく、異邦人達に伝わったんだよ。
ユダヤ人達は、いまだにイエスをメシアだとは認めていない。ちなみにおまえの引用した
異邦人の女は、自ら示したその信仰により、望みどおり、イエスにより自分の娘は救われている。

ちゅうかよ、イエスの説いた真理の愛を、単なる世俗の道徳としか捕らえられない無能のお前が、
なに知ったかこいて、キリスト教を語っているんだ?

453カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 08:52:45 ID:ltaToQC2
どのみちここの唯物末法仏教徒の仏教は、ただの言葉遊びにしか
過ぎず、現実的には糞の役にも立たないものだ。それはちょっと頭のいい人なら
すぐに見抜くだろう。こいつらの仏教は、所詮はなんでも気持ちの持ちよう。
気持ちの持ちよう一つで、この世はハッピー。などという実にくだらないもので、
これなら、別に八正道も必要ないし、出家して、乞食生活を送る必要も無い。
わざわざ仏教をたしなむ必要も無ければ、単なる心理カウンセリングレベルの話ですむ
話だ。こいつらはただ自己満足のためだけに、思考ゲームに過ぎない、現実的には
糞の役にも立たない、屁理屈仏教を喜んでしているだけなのさ。
自分の愚かさも気づかない、馬鹿な連中だ。
454新人:2009/01/06(火) 08:56:59 ID:GFO3Cz7C
おっしゃる通りかと思います。
これだけの知識を独学されたカラスさんには尊敬の念を覚えますな
幸福の科学で一緒に仏教やりませんか?
455神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 09:00:54 ID:jt99Y7qi
>351 名前: カラスの唄>なにが佐倉産のサイトだ。はっきりいってあんなとこ、ろくに読んでねぇよ。
>俺の言う自性とは、グノーシス文書にはっきりと書かれていることだ。真理はそこにある。
>無自性な現象世界であるこの物質世界には無い。
>いや、正確に言うと、この物質世界にあるとも言え、ないとも言える。

いやだから、グノーシス思想を基に佐倉さんの一切=縁起=現象と読んで、
自性=実在と読んだんでしょうが? そうは釈尊は説きません。

>なるほど、ゴータマが悟りを開いたとき、私の悟りは深遠で理解しがたいとはよく言ったもんだな。

>>436
>ゴータマの悟りを開いた瞑想の行は、あくまでヨーガである。ヨーガとは合一という意味である。
>我々の魂は、女性性であり、ヨーガの合一とは、あくまで男と一つとなることである。
>女は自らを男としない限り、命は無い。

そうは釈尊は説きません。女性単数のダルマや中性単数のダルマは、確かに出てきますが、
それは主として大乗経典ですね。

ヨーガ説はグノーシス思想に基づく完全な誤解でしょう。
456神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 09:02:21 ID:Sd9Fa2pz
>>355
>だが彼の偉いところは、自分より劣る思想家のものいい、いちゃもんにも、
決して怒らず、心を平静に保てたところだ。

さしづめ、このスレでは机氏やご隠居氏他・・・が該当します
457堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/06(火) 09:06:11 ID:432SO65S
>>452
また意図的に論点から逃避するのか?w

>>450>>447
>なぜイエスが「あなたがたは互いに愛し合いなさい」と説き、

に焦点を当てていることは言うまでもありません。
あなたが妄想的にJesusの愛を拡大解釈したとしても、
Jesus自身が説いたのは、あくまでもJew communityの不和・形骸化を
克服するための、Jewの間においての愛です。

あなたの論は、全てこの調子で、半知半解の知識を妄想的に
拡大解釈・混同したガラクタです。
458カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 09:10:40 ID:ltaToQC2
>>455
そうか、中村先生の翻訳した、仏弟子の告白、テーラガータには
はっきりと、自分達の瞑想はヨーガだと、ヨーガという単語がでてくるんだがな。
お前に言わせると、中村先生の翻訳能力もいい加減なものだな(苦笑)
当時の瞑想とはヨーガだと思うんだが、お前は違うというわけだ(苦笑)

ちなみに、ヨーガスートラの成立には、ゴータマの直弟子達の阿羅漢達も加わっている
といっている学者さんもいるようだぞ。

てか、おまえ、グノーシス思想とはなにか理解して物言ってんの?どうせ何も知らないで
言ってるんだろう。お前の話は単なるお前の願望でしかないんだよ。
459神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 09:16:12 ID:zx4JrkJW
>>458
落ち着いて、人の話には耳を傾けてください。
ID:jt99Y7qi氏は、断滅論者・唯物論者ではありませんよ。
460カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 09:16:37 ID:ltaToQC2
>>457
違うはアホ。
おまえは隣人とは何かとイエスに尋ねたユダヤ人の律法学者に、
当時ユダヤ人と対立関係にあった、サマリアの例え話で話したことも知らんのか。
イエスはサマリア人を隣人として話したんだよ。

しかしなんで、イエスの教えも知らなければ、仏教の空の思想も理解しない
この物質世界こそが現実だとする、凡夫の見本みたいな奴に、ものいいをされなきゅいかんのだ。
忍耐とは、最大の荒行とはよく言ったもんだ。

お前の能書きは、俺らからすれば、単なる無明に囚われた、凡夫の戯言でしかないんだよ。
461堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/06(火) 09:17:31 ID:432SO65S
しかも拡大解釈・混同の果てに辿り着くのが、近代哲学認識論、
あるいはNew age水準の、素朴唯心論なんだからお話にならないw
半周遅れどころか、courseを反れて逆戻りの素朴さ。

伝統宗教に権威付けを求める者は、必ずこういう退落に陥って
人生を棒に振ることになります。いい見本ですね。
462新人:2009/01/06(火) 09:18:33 ID:GFO3Cz7C
確かルカ福音書には異邦人だろうがなんだろうが困った人を助ける事(隣人になること)が則ち隣人愛ですというくだりが出て来るはずだぞ
463堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/06(火) 09:20:35 ID:432SO65S
>>460
ほらねw
Good Samaritanが構成に創作され、付け加えられた物語で
あるという常識も知らないんだからねw
お話にならないね。
464新人:2009/01/06(火) 09:24:10 ID:GFO3Cz7C
堀江さんのヒューマンなんたらとかいう主義思想自体が意匠を変えた新左翼というか現代思想と逆行する素朴唯物論だと思うけどね‥
465カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 09:24:16 ID:ltaToQC2
>>459
>断滅論者・唯物論者ではありませんよ。

詭弁だろ。お前らの話は、ゴータマが猜疑心の強い者に説法するにおいて、
自分自身で証明するしかないそのてのテーマを、猜疑心の強い相手に語っても仕方ない
ので、そういう相手には、形而上のテーマは無記を通したというエピソードを逆手に取って、
スッタニパータなどの他の原始経典ではいくらでも語っているのに、
ゴータマは全てそのてのテーマは語っていないことにして無記だとしているだけだ。
だがおまえらの主張は、どうみても断滅論であり、それは外道だとゴータマは言ったんだよ。
それに、おまえらのような、無記という仏教用語をを利用した、どっちでも取れるアプローチ、論法は、
立派な不可知論であり、ゴータマははっきりと、おまえらのような、不可知論者のことを
外道だと言ったんだよ。
466堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/06(火) 09:26:43 ID:432SO65S
>>464
そういう半知半解だから、幸福の科学あたりにはまってしまうんですよ。
467神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 09:28:41 ID:gPEPMDZg
>>465
いいえ、全く違います。
ID:jt99Y7qi氏の説は、無我にして輪廻です。
貴方が躍起になって叩いている、「気の持ち方」程度の話ではありません。
468神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 09:29:13 ID:jt99Y7qi
>>458
>そうか、中村先生の翻訳した、仏弟子の告白、テーラガータには
>はっきりと、自分達の瞑想はヨーガだと、ヨーガという単語がでてくるんだがな。

ヨーガというのはウパニシャッドからあったものですよ。
つまり、当時の修行者たちの共通の修行法だった。
釈尊ももちろん修行した。ラーマプッタとかの元で。
でも、それでは悟れないとした。
つまり、ヨーガ、三昧だけでは悟れない。
そこで縁起観が必要となるんです。これが外道と仏教の違い。
あなたは、それが全く分かってない。

>ちなみに、ヨーガスートラの成立には、ゴータマの直弟子達の阿羅漢達も加わっている
>といっている学者さんもいるようだぞ。

それは初耳、パタンジャリ、ヴィヤーサが仏教の影響を受けているというのは有名ですが、
『ヨーガスートラ』がヨーガの起源ではありませんし。

グノーシス思想は、翻訳文献しか読んだことないからもちろん知りませんよ。
ただし、グノーシス思想を根拠に釈尊の思想を語ることは滑稽以外のなんなのでしょう?
つまり、あなたの自性は仏典に見いだせずグノーシス文献に根拠があるというなら、
それはグノーシス思想とは言えても仏教とは言えないのは誰が見ても明か。
真実は一つなんていうのは、唯の妄信です。
469カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 09:29:17 ID:ltaToQC2
>>461
反論になっていないんだよ、おまえ。
俺の話のどこが、ニューエイジなんだよ(苦笑)
こいつはキリスト教も知らなければ、ニューエイジの意味も知らないらしい。
俺の話のどこが唯心論なのか知らないが、まぁいい。
唯心論のどこが間違いか、おまえ、合理的に説明してみな。
470堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/06(火) 09:32:19 ID:432SO65S
>>469
New ageの影響を受けてることにも無自覚なのかw
かわいそうだなぁ。
471新人:2009/01/06(火) 09:33:52 ID:GFO3Cz7C
実際、無意味に英語を混ぜたりするのは中味の無さを補う為だと思うぞ
なんとか生き残りを計ろうとしている左翼知識人の残党にしか見えん
十年位前も浅田とか柄谷とかの難解で意味ありげで学術的な言説が流行ったが、全く内容のない運動だったことが時が経つとはっきりする
472カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 09:34:08 ID:ltaToQC2
>>468
>『ヨーガスートラ』がヨーガの起源ではありませんし。

だから、ゴータマが悟りを開いた瞑想とは、ヨーガだといってるんだよ。
でだ。ヨーガスートラは、ゴータマの元で悟りを開いた阿羅漢達の手が加わり成立したという
学説もあるという話をしてるんだよ。だれがヨーガスートラがヨーガの起源だと
いったんだよ、文盲。おまえも頭が悪いな。
473神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 09:36:52 ID:gbrQu6/0
老子の道、プロティノスの一者、エックハルトの離脱、仏教の涅槃など、
我々には知覚することができないが、全ての現象の根源がある。
それは、全ての『有る』と『無い』を包括した究極的な存在であって、
全てはここから生まれた。
求道者が求めているのはまさにこれであって、思考から生じる論争や概念は
すべて道から遠ざけてしまう。それでは真理には辿り着けない。
それを真摯に求める時、あらゆる論争は無駄であるため、真理を知った人は、
争う事がないとブッダは語ったのである。
474カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 09:41:38 ID:ltaToQC2
>>471
なにげに方をもってくれてる人のようなので言うのも悪いが、
幸福の科学の大川隆法なんてのはバッタもんだぞ。そもそも解脱したゴータマが、
再び輪廻により今生に生まれてきたのなら、ゴータマは解脱していなかったことになるし、
解脱もしていない、再び迷いの生存に戻ってきた者の能書きなど聞くには値しない。
それにそいつが、この世と別の、霊界などと二元論を説いていたなら、間違いなくバッタもんだ。
あんたも真理を真摯に求めるなら、他人の解釈、他人の言説をそのまま妄信するんじゃなく、
自分自身で仏典なり、聖書を読んで、自分自身で判断するんだね。
475カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 09:44:24 ID:ltaToQC2
>>473
ま、このような程度の低い連中のものいいに反応してしまい、
論争してしまう俺は未熟者だってことだよ。それはよく自覚している。
476神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 09:44:59 ID:jt99Y7qi
>>472
>だから、ゴータマが悟りを開いた瞑想とは、ヨーガだといってるんだよ。

その証拠は? 釈尊が悟りを開いたのは禅定(ヨーガでもいいでしょう)中に縁起を観じたからという経典はたくさんありますが?
それでヨーガだけではだめだったというのがラーマプッタ等の二師についても悟れなかったという伝承ですが?

あなたの上の説を根拠づける伝承は聞いたことがありませんが?
477カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 09:49:07 ID:ltaToQC2
>>467
>t99Y7qi氏の説は、無我にして輪廻です。

ほう。俺の話を善悪二元論。霊肉二元論だとしか解釈できないそいつは、
真理を全く理解してるとは思えないがな。

で、そいつは輪廻を肯定しているのか?あくまでゴータマの輪廻思想は、ただの
輪廻ではなく、業法輪廻だぞ。理解してるのなら、言ってみろよ。どうせお前ら中論仏教、
現実的には糞の役にも立たない、ただの屁理屈仏教の、ただの屁理屈だろうけどな。
478新人:2009/01/06(火) 09:49:58 ID:GFO3Cz7C
>カラスさん
アドバイスありがとう。
ただ私は仏典も尊重しているがかといってそれを盲信はしないようにしているんだよ
超宗教的総合解釈として釈迦再誕も有り得ると思います。
悟りを開いた仏陀が再び地上に現れる場合はこの世への執着ゆえにではなく
衆生へね愛ゆえに再誕する訳で
再誕しちゃ駄目だという法はないはずです
479堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/06(火) 09:54:26 ID:432SO65S
>>471
浅田すら理解できないのに、現代思想うんぬん言っちゃうのは
お話にならないですねw

あなたの言う現代思想とはNew age的occultのことですか?
まあNew ageの影響下で成立した幸福の科学を信仰して
いらっしゃるのだから、そうなんでしょうねw
480カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 09:55:03 ID:ltaToQC2
>>476
あほか、当時の瞑想といえばヨーガだろうが。
そういえばどっかの仏典になかったか?ゴータマは新たな
悟りにいたる瞑想法を編み出したのではなく、当時忘れさられた
真理にいたる瞑想法を再び蘇らしただけだと。

で、おまえ、中村先生の翻訳したテーラガータには、はっきりと、ゴータマの弟子達、
ゴータマの元、悟りを開いた阿羅漢達の修めた瞑想修行は、その阿羅漢の一人の口から
はっきりとヨーガだといっているのは、中村先生の、誤訳なんですね?
答えてください。
481新人:2009/01/06(火) 09:56:06 ID:GFO3Cz7C
×衆生へね
〇衆生への

ちなみにカラスさんは大乗仏教に関してはどういう評価をされているんでしょうか
大乗的観点からすると過去の発言は全部方便で
衆生を救う為にはもはや生まれないといった三次元世界にも生まれてくる
熱血仏陀も成立すると思いますが
482カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 10:00:06 ID:ltaToQC2
>>478
悪いことは言わない。
大川という偶像への執着は捨てろ。
他人を頼るのではなく、自灯明でいけ。
大川などに執着すると、君は道を踏み外し、遠回りをすることになる。

真理は心の力で見出す。それはおまえ自身で見出すものだ。
ただで与えられたものは、ただで与えてやれ。

大川はバッタもんだよ。宗教をビジネスにしてる奴は、全て、バッタもんなんだよ。
483新人:2009/01/06(火) 10:06:39 ID:GFO3Cz7C
菩薩は外道の道を道として外道の道を歩まずといいます。
偶像への執着がない(色即是空)がゆえに自由自在に偶像を崇拝する(空即是色)
それが出来てこそ一人前の仏教徒ではありませんか?
484てすと:2009/01/06(火) 10:08:38 ID:WyF0tynm
一人前の仏教徒に執着しなくてもいいじゃない。

気楽にいこうよ。
485カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/01/06(火) 10:18:00 ID:ltaToQC2
>>481
大乗経典の代表である法華経は、どうみても新約聖書のパクリだ。
新約聖書のテーマは、愛だ。

大乗は、当時出家者だけが救われると、おごり高ぶった、当時の誤った見解
を持った出家修行者へのアンチテーゼだ。元々ゴータマは、涅槃経を見てもわかるように
在家も救われると、言っていた。元々大乗、小乗などの区別はないのだ。
真理に至る道とは、真理を悟り、この世の生存のうちに道徳の完成するに他ならない。
それは善の修行の完成である、。ゴータマも言っている。私は善の修行の完成車だとね。
その道に、在家も、出家も関係ない。ただ、世俗の欲を捨てる出家修行者は、
その修行の完成の近道にいるということだ。

善とは愛だ。それは好き嫌いの愛ではない。好き嫌いの愛は、その人のエゴでしかない。それは悪だ。
真理の愛とは、善人の上にも、悪人の上にも平等に示せる愛だ。そこに我々の心に巣食う
エゴイズムを滅ぼす道があり、我々のエゴを滅ぼす道になる。

もう寝るわ。馬鹿共の相手をしても、時間の無駄だし、こいつらにいくらいっても無駄ろう。
もうここにはこない。というより、自分の心が未熟な間は、2chでは法は語らない。
こいつら豚の相手をしたおかげで、また俺の心は汚れてしまった。おれはまた、裁きを受ける。
こういう豚共にも愛を示すのには、まだまだ俺は未熟すぎる。

ま、あんたにも真理の光が指すといいな。陰ながら祈ってるよ。
486新人:2009/01/06(火) 10:18:39 ID:GFO3Cz7C
釈迦は自灯明だけではなく法灯明ということも説いていますが

カラスさんに執着がなければ幸福の科学からもこだわりなく学べるはずです

我々はカラスさんの参加をお待ちしてます!

幸福の科学スレッドにもたまに遊びに来て下さいねo(^-^)o

487机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/06(火) 10:23:55 ID:kAL/fAvj
>>481
>衆生を救う為にはもはや生まれないといった三次元世界にも生まれてくる
>熱血仏陀も成立すると思いますが

仏教は自他不二ですから、衆生を救うということは有り得ないですね。
これは、自分と他人は平等である。ということです。
平等ですから、「救う者」と「救われる者」という差別がなく一枚平等ということです。

もし「衆生を救う」という輩が出現したら、それは紛れもなく詐欺師です。
慈非喜捨です。
慈非を施そうなんて奴は、何かを企んでる証左です。

釈尊は在世当時は法を説いたけど、
これはスポークスマンとして法を説いただけであって、
衆生を救済している訳じゃ〜ない。

大川隆法は釈尊より偉い。ということになる。
たしか、
池田大作も釈尊より偉いらしい。
大川と池田はどちらが偉いですか?
488新人:2009/01/06(火) 10:25:38 ID:GFO3Cz7C
>485

カラスさん
貴方のそのお覚りは幸福の科学の教えそのものでもあります。
貴方が頼りにされている「自己」とは我々が崇拝している「エルカンターレ」(大日)と同一なのです
声聞と独覚の違いで結局は仏法真理という同じ山を登山っているのです
489神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 10:25:49 ID:jt99Y7qi
>>477
>ほう。俺の話を善悪二元論。霊肉二元論だとしか解釈できないそいつは、

いえいえ、仏教でいう現象と実在、縁起と自性という考え方を二元論と表現したわけです。
これは仏教の二現、dvayabhasa, gnyis snang が二元論と訳されるので、
こちらの意味で使ってました。一般的には dualism の意味で二元論と使われるので語弊があったので訂正したのですが、善悪二元論。霊肉二元論という意味ではありません。

いえ、あなたに言っても無駄ですから。説きませんよ。

>>480
たぶんあなたの誤解・誤読でしょう。では引用してください。
ガーター番号だけでも結構です。
490新人:2009/01/06(火) 10:33:27 ID:GFO3Cz7C
>仏教は自他不二ですから、衆生を救うということは有り得ないですね。
これは、自分と他人は平等である。ということです。
平等ですから、「救う者」と「救われる者」という差別がなく一枚平等ということです。


これは低劣な詭弁もいいとこで
確かに宗教的には救うものも救われるものもいない
大川も信者も真理の層から見れば一体であるとは言える訳ですが
しかし同時に助けてもらった人と助けた人の区別はあるわけです
分別知と無分別知の違いですね
あくまで区別に立脚した上で平等があるわけで
糞も味噌も一緒にして平等平等というのは間違い。
低劣な議論はやめましょう
491初代スレ7:2009/01/06(火) 10:37:10 ID:gpSrGMU3
>>451

・・・・・・  ;´ー`)y━~~

相変わらず狡猾な文章を書く御人だ・・w
私は、“語り方の構図”と、“その構図が示す文中要素の関係性”を提示しているんです。
文中要素の固有の意味(→価値)を問題にしているのではありません。
お解りにならないですかねぇ・・・。
>>386に於いて、「条件付きで可と言える」と申しましたでしょうに・・・w
 (でなければ、在家の生き方を否定することになります。)

「“一回限りの生”か“次の生がある”か」は、
【 → 】の矢印を成立させる絶対条件ではない、ということです。
この矢印を成立させるのに重要な影響を与えているのは「“解釈”と“受け止め方”」だと言っているのです。
貴方が、「死ねば終わり」「一回限り」から「快楽・享楽」のみを導いていらっしゃるので、
そうでない受け止め方もありうるでしょう?と言っているのです。

> の生き方も否定できないよな。
否定する理由は幾つも挙げることができるでしょう?
仏典のあちこちにちりばめられているでしょう?
勿論、その理由が、「死ねば終わり」「一回限り」でないことは明白ですが・・・w
 (”次の生へ悪業の果を引き継がせないように”というのも理由の一つであることも認めますよw)

≪【 → 】「快楽・享楽」≫、この思考ベクトルに陥らないように、
種々の教戒がされているのでしょう? それは、矢印の手前がどんな内容であっても同じです。
お解りになりませんか?
492机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/06(火) 10:47:43 ID:0hEVZfl/
>>490
>これは低劣な詭弁もいいとこで

そうでしょうか?

>しかし同時に助けてもらった人と助けた人の区別はあるわけです
>分別知と無分別知の違いですね

誰が区別するのですか?
自他不二ですから自他は区別しようがない。
区別するとしますと第三者ということになる。

>あくまで区別に立脚した上で平等があるわけで

やはり論理的には矛盾が生じてきます。

>低劣な議論はやめましょう

そうですかね?
493新人:2009/01/06(火) 10:59:36 ID:GFO3Cz7C
貴方は机さんでしょ
私は新人さんです
悟性段階ではそういう区別はあるのです
無きゃ日常生活も歩めません
しかしその上に理性パンニャーの智恵があって
机さんや私という区別を統合していく訳です
平たく言うと仲良く喧嘩しなという事ですよ^^
494神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 11:01:33 ID:jt99Y7qi
>>493
すいません。幸福の科学を何故、信じられるか教えてください。
495神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 11:27:10 ID:ebhZx5pE
>>477
貴方の説で到達できるのは、平等性智のみで、妙観察智が無いと正しく大円鏡智が得られず、定所作智の後得智が働かない。
よって、四智円満な成仏に行き着かない。というとことでしょう。
貴方は摩訶衍の過ちを繰り返しているのです。
496机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/06(火) 11:32:12 ID:0hEVZfl/
>>493
では新人さんは、机を救ってくれるのですか?
それとも机から救われたいのですか?

もしもこんな観念なりが想起したなら、それは迷いです。
某宗教とは、ごく自然にこのような観念が植え付けられます。
それは自覚に関わらずです。

>しかしその上に理性パンニャーの智恵があって

そのような智慧がありましたら、
この観念は即寂滅しますね。

某宗教は、これが寂滅するどころか肥大化しまして、
やがては自らがこの観念に従属しなければなりません。

ですから、自分が大切なら、
民衆救済のことはすっかり忘れることです。
それしか、いま残された道はありません。

          <机龍之介・花押>
497机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/06(火) 11:49:59 ID:0hEVZfl/
>>482
>大川という偶像への執着は捨てろ。

そうか?
「幸福の科学」というのは偶像崇拝だったのか?
大川隆法の写真が〇百万両とか?そんなスレを見たことがあるが。

偶像崇拝は駄目だろ?(ワラ
いくらなんでも、これは信者が愚鈍すぎるだろ(ワラ

地方都市においても、「幸福の科学」の立派な殿堂が建ってる。
相当寄付をしていると推測。
(これは、なにを隠そうご利益期待の反映)

モノホンの宗教というのは、ご利益が全くない。
宗教というのは、本来こういうもんだよ。
498神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 12:22:55 ID:Q2TQ/sKF
幸福の科学まで出てきてドン引きだなw
嫁の操り人形みたいな大川のどこがいいのやらw
499神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 12:47:33 ID:FpvnotOq
>新人さんへ

幸福の科学における、キリスト教の影響について教えてください。

「仏教を語っているが、半分以上はキリスト教」というのは、誤りですか。
500初代スレ7:2009/01/06(火) 13:11:44 ID:gpSrGMU3
>>498
だから私は、このスレタイの付け方に異議を挟んだんだけどね・・・w
「仏陀は輪廻を説いた!?」なら、まだ良かったんだが・・・。

勿論、「輪廻」自体、多方面wで利用されるものではあり、
「輪廻する」という事柄・概念が、「転生」や「最生誕」という事柄・概念を内在することは認めるものの、
(その点では、たとえ「輪廻」という言い方をしたとしても結果は同じかもしれんが・・・。)
それは、「輪廻する」という包括的謂いの一部にすぎない。
(或いは、《単に「次の生を受ける」ことしか意味しない》と言ってもいい。)

ましてや、「転生」や「最生誕」が、
・「過去の記憶や経験を引き継いだ上での」「生まれ変わり」
・「過去存在した人物そのままの」「生まれ変わり」
というようなことが核心となるものであれば、尚更、別枠で語られるべきだろう。
また、現在、一般的に流通する「転生」や「最生誕」の語義(イメージ)は、
上記のようなものではなかろうか?
だとしたなら、やはり、スレタイの付け方に小賢しい作意が仄見えてならない・・・。
 ※参:http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1226102674/9

「転生」や「最生誕」も、「輪廻」と同じく原意としては
《単に「次の生を受ける」ことしか意味しない》筈であるが、
それでは都合の悪い方々が大勢いるようだ・・・。
そして、上記のような「転生」や「最生誕」の限定解釈を「輪廻」についても当て嵌め、
商業利用しているのが諸々の仏教系カルトではないだろうか。

手垢のつき方で言えば、「輪廻」の方が「転生」や「最生誕」よりは若干マシなんじゃねーかなぁ・・、
と、スレが建った時には感じましたw
501神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 13:36:24 ID:Sv5cpC8u
>>487
>仏教は自他不二ですから、衆生を救うということは有り得ないですね。
>これは、自分と他人は平等である。ということです。
>平等ですから、「救う者」と「救われる者」という差別がなく一枚平等ということです。
>もし「衆生を救う」という輩が出現したら、それは紛れもなく詐欺師です。

たまにはイイこともいうなぁ!感心感心...

>大川と池田はどちらが偉いですか?

勲章コレクターは多いもの勝ちでしょw

>>497
>モノホンの宗教というのは、ご利益が全くない。
>宗教というのは、本来こういうもんだよ。

珍しくイイこというね...


>>500
「輪廻」は転生を意味しない。転生はない、とか
やっぱり、こういう馬鹿が現れるから・・

仏典のどこ読んでんだかw
502神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 14:09:44 ID:FpvnotOq
>>501
>>モノホンの宗教というのは、ご利益が全くない。
>宗教というのは、本来こういうもんだよ。

>珍しくイイこというね...

宗教の起源は、「生存のための現世利益の追求」だよ。古代人にとって、宗教は
生存のための「手段」であり、現代における「科学」に相当するものだった。

創唱宗教になって、教祖の精神障害による「観念過剰」から、本来、生存の
「手段」であった宗教を、生存の「目的」とするという「倒錯」と「誤謬」
に陥ったのである。

現世利益云々より、その倒錯こそ、問題にすべきである。

現代においては、現世利益はすべて科学によってもたらされ、宗教からはゼロ
である。その意味で、宗教は、廃棄されるべき過去の遺物以外の何物でもない
のである。
503神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 14:31:19 ID:Q2TQ/sKF
>その意味で、宗教は、廃棄されるべき過去の遺物以外の何物でもない
>のである。

まるで自分が最初に言い出したかのように得意げだねw
504初代スレ7:2009/01/06(火) 14:59:19 ID:gpSrGMU3
>>501

       _, ,_
     ( ゚∀゚) ,  < 曲解しちゃヤダヤダw 極論ヤダヤダw
   //\ ̄ ̄(::;)\
  // ※.\___ \
 \\※ ※ ※ ※ ※ ヽ
   \`ー────── ヽ
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
505神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 15:15:19 ID:OJvbqzvU
>>433
>>それは非想非非想定として、悟り(涅槃)ではないものとして明確に区別されていますよ。
>
>あほか、おまえ。俺の言っている境地とは、滅想定のことだ。
>また有想三昧ではなく、思考の止滅した、無想三昧のことだ。なにを適当なこと言ってんだよ、このタコ。
>その状態は、無であるともいえるが、無ではない。
>無であると言い切ると断見となり、有であると言い切ると、常見となる。そういう性質のものだ。
>これを誰にでもわかるように説明すると、熟睡の状態のときを思えばいい。
>人は熟睡のとき、意識は無いともいえるが、有るともいえる。なぜなら、彼は再び目覚めるからだ。

ですから、それは滅尽定ではなくて非想非非想定だと言っているのです。

お釈迦様は、アールニーやラーマプッタについては一応、過去にお世話になった人達なので、沙門果経
で外道として明らさまに非難されるようなことはしていませんが、一方で、「解脱に資さない」として
見限っており、悟りを得た後も、無師独覚と称しています。あなたは、アールニーやラーマプッタの無
色界禅定では解脱とは無関係であったということの意味をよく考えてみたことはありますか? ご自分
の見解が、アールニーやラーマプッタの境地とどう違うのか、把握していますか?

基本的に、非想非非想定のレベルは、彼等のようにゴータマ仏陀以前のバラモン教の修行者も到達して
おり、その高度さの意味では、バラモン教が、外道といっても、決してあなどるべきではないのです。

ただ、「高い境地」と「解脱の境地」はまったく別問題だということです。
506神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 15:17:50 ID:Sv5cpC8u
>>476
仏教とヨーガ

 「謂ゆる安那般那の念(出息と入息のこと)を多く修習し已(おわ)らば能く四念処をして満足せしむ。四
念処満足し已らば七覚分満足し、七覚分満足し已らば明、解脱満足す。」---『阿難経』

出息と入息=プラーナヤーマ(ヨーガ用語で呼吸法)だな。
ヨーガはヒンドゥー外道だといった単純な見方しかできない馬鹿には理解不能だ。
ヨーガとは「行為の道」をいう。仏教がこれを実践すれば仏教ヨーガとなる。
それだけのことだな。

仏陀はカルマ・ヨーギンの達人であった
(果報を得ようという欲望を持たず、行いの結果を気にすることなく最善を行う道)。
原始仏教の世界では自分たちをヨーギンとも呼んでいたのだ。
 「肉は親族から生ずるものであり、(良き行いから)逸脱するものであり、(両親の)精と血との(汚汁)
から生じるものであるから、生類の厭い嫌悪するものであり、ヨーガ行者(yogin)は肉から離れるべき
である。」---サンユッタニカーヤ87/雑阿含経47巻
広義的には空海すらマントラ・ヨーガ、法然はバクティ・ヨーガ、
道元はラージャ・ヨーガ・・といったいい方すらも可能なのだ。

仏陀が弟子に禁じたのはハタ・ヨーガだろ。
507神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 15:34:21 ID:jt99Y7qi
>>506
仏教でヨーガを行わないとは言ってませんよ。誤読しないでください。

戒定慧の定は、禅定、三昧、ヨーガ、サマタ、止のなんと言っても結構です。
要するに精神集中するための行。

ただそれでけでは、外道と変わらない。仏教には縁起を観じる観行が必要であり、
こちらが重要、中心であるということです。
だから、仏教では縁起・無我・空が中心に説かれるのです。

これが分からないから、三昧で現象が消えた状態を悟りと勘違いして、
現象と実在に分けて捉える。

原始仏教だけでなく、大乗でもヨーギンといいますよ。
それは単に行者という意味。ヨーガ行者と訳すのは蛇足。
508神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 15:35:23 ID:Sv5cpC8u
>>504
278 実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へと生まれかわり、暗黒から暗黒へと赴く。死後には苦しみを受ける。---スッタニパータ

勝手に仏意(仏典)を変えるでない!
曲解はそなたよwww

仏典嫁
509せっかく当たっても死んだら終わりw:2009/01/06(火) 15:39:38 ID:3nom9rBx
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1231212382/

「くじは自宅で放置されており、捨てられかけていた」
死亡の夫、妻に思わぬ遺産…死直前に購入の宝くじ9億円が大当たり

先立った夫が妻に思いがけない遺産を残していた−。
米東部コネティカット州で昨年11月に心臓発作のため79歳で死亡した男性が、
死の数時間前に購入していた宝くじが1千万ドル(約9億3000万円)の高額当せんと判明、
男性の妻(78)がこのほど当せん金を受け取った。AP通信などが5日、報じた。

男性は20年間にわたって、地元のコンビニで宝くじを購入。当せん番号は12月に発表されていたが、
男性の死亡後、くじは自宅で放置されており、捨てられかけていた。
妻が近所の食料品店で念のため確かめてみたところ、大当たりと判明した。

妻は、当せん金の使い道について、じっくり考えるという。(共同)

ソース:産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090106/amr0901061217005-n1.htm
510神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 15:42:22 ID:Sv5cpC8u
>>504
輪廻が転生を意味しないというなら、その根拠を仏典(原始)から摘出せよ!
輪廻が転生以外のことである、という明確な根拠をな!!!!!
今度はそなたの番じゃ。。。
511神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 16:54:12 ID:FpvnotOq
仏典に書いてあろうとなかあろうと、「輪廻転生」などというチンケな思想を、
仏教に関して語るべきではない。転生の恐怖を麻原から植え付けられて、「修
行しろ」「修行しろ」とわめくオウムと同じになってしまう。オウムの誤りを、
繰り返してはならない。

そのような荒唐無稽の思想は、「仏陀の誤り」として訂正してあげるのが、現
代の弟子たちの義務ではないのか。

「輪廻転生」が中心思想の宗教など、現代の世界の人々は誰も相手にしない
ことは確実である。アーベンドカルのインド仏教も、輪廻転生やその他一切の
オカルト的要素は、完全に廃棄している。
512神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 16:58:59 ID:d8Ycr8ZI
仏典書いたの釈尊じゃないから、今となっては真実は誰にもわかんね

輪廻が有ろうが無かろうが、やるべきことは同じだから、どっちでもいいじゃん

って結論でいいじゃんw
513神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 17:13:39 ID:7UReJaYQ
>>511>>512
あなた方のような、程度の低いチンピラには、もとより答えなど求めてはいません。
初スレ7氏のような、股座膏薬の人がぶらぶらしているのを見るのが気持ち悪いのですよ。
女の腐ったのみたいです。
514神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 17:27:00 ID:JLJL+lAO


■ 一神教の聖地のどこに <愛> が・・・・? ■

<イスラエル軍>ガザ都市部で本格交戦、侵攻後最大規模に ■
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090106-00000033-mai-int
                 (1月6日12時3分配信 )


【エルサレム前田英司】パレスチナ自治区ガザ地区に地上侵攻したイスラエル軍は5日夜、主要都市ガザ市東部で、
イスラム原理主義組織ハマスの戦闘員と激しく交戦した。3日の侵攻以来、最大規模で、都市部での本格的な衝突
は初めて。ガザ北部を中心に地上戦が激化の様相を呈している。

AFP通信などによると、先月27日の空爆開始後のパレスチナ人死者は少なくとも555人に達した。地上侵攻で
一般市民への被害が拡大しており、救急関係者によると、うち死者の約100人は子供。★☆
国連のホームズ事務次長(人道問題担当)は「人道危機が急速に悪化している」と指摘。攻撃にクラスター爆弾が
使われたほか、現地では飲み水や燃料、食料、医薬品が不足していると訴えた。


515初代スレ7:2009/01/06(火) 18:22:23 ID:gpSrGMU3
>>508>>510
何必死になってんだよw

「曲解しないでください」と言ったのは、私の文章(>>500)に対してだよ。
日本語の不自由な方ですか?
500に於いて、
〔 >「輪廻」は転生を意味しない。転生はない   >輪廻が転生を意味しない 〕
などと、どこに書かれているのか?

>「輪廻する」という事柄・概念が、「転生」や「最生誕」という事柄・概念を内在することは認めるものの
という一文を無視か?
そして、その後の文脈は、≪「転生」や「最生誕」は、カルトの手垢のついた考え方の方が主流となっていないか?≫
という流れだ。そのようなカルト的ベクトルで「輪廻」を語るのは(→そのようなベクトルで語る準備をされたスレタイは)
おかしくないか?と言っているのだ。「>(認める)ものの」という言い方は、この流れへ繋ぐための言葉だ。
解らなかったか? (ま、私の作文スキルを批判してくれても構わないが・・・w)

仏典中に、「転生」に相当する(転生と訳される)語句は山のようにあるだろう。
「再生」と訳されている語もあろう。(「再生誕」に該当するものがどれかは知らないが・・・。)
また、初スレの7に於ける発言は、500内で記したような意味合いで「転生」を見るなら、
それは意味を限定し過ぎじゃないだろうか、という「スレ建立(の意図)に対する私の印象」に過ぎない。
初スレ7に於いてもまた、「仏典に“転生”の語が用いられていない」ことを意味するわけではない。
普通に文章を読めば、500が極論でないことくらい解りそうなもんだが・・。


(結局、その憂いは現実のものとなったわけだが・・・w)



貴方は、仏典には誠実かもしれないが、他人の文章に対しては全く尊重する気が無いようですね。
「仏典は尊重するが、他人の文章は捻じ曲げてもよい」という価値観のお人のようだw
516神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 18:22:47 ID:PHo5jrUc
>>463
出た。自説に合わない所は全て後生の者の書き加え。もしくは修正。
この手の輩のいつもの手ですね。聖書の成立から比較的初期の、
現代に伝わる内容と変わらない写本が見付かっています。
当時、大幅な書き加え、修正があったのなら、当時の教父達が黙っているはずがありません。
それでも該当箇所が、後生の者の手により書き加えられたものだと主張するなら、
証拠を出してください。証拠もないのに、自説に合わない箇所は、
後生の書き加え、修正というなら、それはただの、詭弁ですよ。
517堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/06(火) 18:35:01 ID:432SO65S
>>516
Synopticだけでも4つのGospelがあるのに、
何を言ってるんだあなたはw
518初代スレ7:2009/01/06(火) 18:41:27 ID:gpSrGMU3
>>513
立派な方ですね。 今の私には真似できないw

輪廻(及び宿住随念智等諸神通)に関しては(―実は、他の教義(『おしえ』)についても同様なわけだが―)、
畢竟、「実体験」、「先達による確かな提示」、「仏典の記述」(或いは「先輩の言葉」)、を
 ≪「信じる」か「信じないか」≫ しかない。
その間を揺れている私に対する貴方の批判は真っ当なものです。そのことに対して弁明をするつもりはない。
(私には「仏典の記述」しかありませんが・・・w)
私の態度は、とても「浄信」があるとは言えないでしょう。貴方の批判は正当です。

貴方は、邪念なく仏典を読むことができるのでしょう。観音経(法華経)の様々な記述も素直に信じられるのでしょう。
羨ましい限りだ・・・。

縁あって仏教に触れ、様々な授業を受け(原始仏典に触れ)、様々な人の様々な意見を耳にし目にし、
微少ながらも種々の仏典を読んできて、
自分の中で、「ああ、そうか」、「ああ、そうだ」、という【頷き】を重ねて、私は『仏のおしえ』を肯ってきた。
これからもそれは変わらない。 自身の中に【頷き】が生じれば、その時は素直に「輪廻」も「神通」も受け入れることだろう。
態度変更、思想転向を恥とはしない。
(五比丘にしても舎利弗目連にしても、そこに【頷き】があった故の帰依であった筈だ。)

(このスレでも、以前、御隠居風のレスをする方とやりとりをした。それを踏まえた上でのことだが)、
他の様々な(日常の)事柄もそうだが、
『仏のおしえ』についても、≪一つ一つ頷き、肯ってゆく≫ しかないではないか。

歩みは遅いかもしれない。遠回りをしているかもしれない。 けれども、
《「仏典に書かれているから」「誰それが(偉い学者さんが)言ってるから」》
というだけで鵜呑みにする態度だけは避けたいと思っている。
《自身の【頷き】があって、その上で紡がれた言葉であった時、その時初めて、
 胸を張って口にすることが出来、また、相手の胸へ届くものとなる》 だろうと思っている。
5191/2 初代スレ7:2009/01/06(火) 19:01:37 ID:gpSrGMU3
ttp://xtp0001.s3.x-beat.com/cgi-bin/up/source/Sonata_26645zip.html

馬鹿だ・無駄だという侮蔑覚悟で、『輪廻を巡る対立点』をまとめてみました。
作成理由の一つには、「対立の全体像が見えている人はいるのかな?」という疑問がありますが、
もう一つ、これまで捨象していた(必要性を感じなかった)「輪廻」を巡る細部の問題について、
整理把握してみてもいいなと思ったから。 ぶっちゃけ、自分の為と言っていいw
(その意味で、このスレに出会ったことは有意義なことだったと感じています。宝珠氏に感謝すべきかな?w)
だから、興味のない方はスルーして頂いて構いません。また、勝手に改変・修正して頂いても構いません。
この表が、互いの足場の確認に役立つことがあれば当初の目的(自分の為)を超えた幸いだと感じます。







(鬱陶しく思う人も増えてきたようだし、そろそろ潮時かな・・・w)
5202/2 初代スレ7:2009/01/06(火) 19:03:57 ID:gpSrGMU3

以下、表の下部に記した注を引用しておきます。

※完璧な一対一対応ではないが、それぞれに於いて、
  「批判は利点(擁護)の、利点(擁護)は批判の裏返し」 のような様相。
※多少、仏教的価値観も混入しているが、大筋では「一般的対立点」と見做してよいと思う。
※解り易くする為に“簡易フレーズ”の項を設けたので、そこを見比べるとよくわかるが、注意してほしいのは(※1と被るが)
 ≪どちらも、批判される要素が利点要素に、利点要素が批判される要素になりうる≫ ということ。
※そして、最も重要なのが、★の項だ。ここに於ける解釈の仕方が、そのままそれぞれの批判・擁護に繋がっているということ。
※ま、種明かしをすれば、そのような構図――批判(の列記)に対する擁護(の列記)――を意図して作成したのではあるが・・・w
※「認識の限界」については、肯定否定双方を(同時に)批判する視点・考え方が存在する。
  肯定派否定派それぞれがそれぞれに反論を用意すべき面もある。 どちらも、ヒトの知覚認識に関わることであり、
  (人の“知覚の制限・限界”或いは“考察の限界”を極限まで突き詰め)五感の入力そのものをも懐疑の対象に据える時、
  確かなものは「今ここに、この思惟がある」ただそれだけとなる。
  その「“思惟内容”を担保するもの」は何一つない。 (その“思惟するもの(者)”もまた担保されない。)
  本来はもっと複雑ではあるが、哲学素人でもあるし端的に短く言い切る語彙を持ち合わせていないので、
  表現に不満は残るがこれが限界。  御容赦を願う。

※言い回し等、或いは類別そのものについて、多くの不備があろうことは自覚する。
  が、(全体を俯瞰した時に見えてくる)対立構図の一端は提示し得たのではないかと思う。
521神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 19:06:15 ID:Q2TQ/sKF
仏教を学べば、怒りや慢心が人よりも少なくなると思っていたが・・・
このスレを見る限り・・・
学び方が悪いのか?
それとも教えに問題があるのか?

輪廻を毒矢と言うのなら、早く抜けばいいのに
今度は毒矢なんて最初から無いと言いだす始末。
すでに毒は回っている。

法を学ぶ兄弟であるなら如何にすべきか自明ではないでしょうか。
522神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 19:12:02 ID:FpvnotOq
>>518
>の仏典を読んできて、 自分の中で、「ああ、そうか」、「ああ、そうだ」、
>という【頷き】を重ねて、私は『仏のおしえ』を肯ってきた。

その「頷き」が危険なのだよ。カルトを含めて、すべての宗教信者は、「頷いた」
からこそ信じているのである。「いいこと言ってる」と思った瞬間が、マイン
ドコントロールの始り。

常に、人間がそこでしか生きられない「現実界」や、人間が長い長い年月をかけて
築き上げた、共生の知恵としての「常識」に照合して、批判する態度が必要。

知性とは、批判力のことである。
523神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 19:19:40 ID:PHo5jrUc
>>517
は?福音書が4っつあることが、該当箇所の書き加えの証拠になるとでも?
何を言ってるんだ、この人は?言ってることが馬鹿すぎて話にならない。
どうやらあなたは、相手にする価値の無い人のようですね。

しかし言ってる事が馬鹿すぎる。
524初代スレ7:2009/01/06(火) 19:34:36 ID:gpSrGMU3
>>522
なんだかなぁ・・・  orz


「頷き」の手前には、「吟味」「検討」が存在するのだよ。
そこには、当然「批判的検討」も含まれる。

貴方が522中で述べる >「現実界」 や >共生の知恵としての「常識」 は、
どのような理由で “依拠するに値する” のでしょうか・・・。


>その「頷き」が危険なのだよ。カルトを含めて、すべての宗教信者は、「頷いた」
>からこそ信じているのである。「いいこと言ってる」と思った瞬間が、マイン
>ドコントロールの始り。
そこには、「吟味」「検討」がない。(極端に言えば、「一点の合致をもって、他の不整合点に目をつぶる」姿勢のことだ。)
それは【頷き】ではない。貴方の言うように短絡的盲信だ。
(信者が情報規制されることは貴方も御存知でしょう?w)


>知性とは、批判力のことである
私だって袴谷さんの授業は受けている。
彼の言わんとする所を蔑ろにしているわけではないよw
525神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 19:51:55 ID:FpvnotOq
>>524
>貴方が522中で述べる >「現実界」 や >共生の知恵としての「常識」 
>は、どのような理由で “依拠するに値する” のでしょうか・・・。

人間は、現実界に100%依存し、常識に従わない限り、生命を維持できない。
生命がなければ、宗教を含め、いかなる営みも不可能だからです。
526神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 20:43:49 ID:gRowACCv


■ 色即是空・空即是色は、「この世界は、人間の目に映じた世界だから、実は空
かもしれない。しかし、その世界こそ、人間が現に生きている、そして生きる
べき世界なのだ」という、優れた存在論、そして大いなる現実肯定だと解します。 ■
 

   _____________________________
   ||
   ||
   ||        /^r ´ ゙̄ヽ   みんな仲良く 生きましょう!!
   ||          l i ノノハリ)))   。    『生命』が一番大切! ★☆
   ||        )ノC|' ヮ'ノ| /
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ  つ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

                /  ̄ ̄ ̄ ./|
                | ̄ ̄ ̄ ̄| |  
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|____|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                      
      \ は〜〜〜〜い           /
    ∧ ∧    ∧,,∧   ∧ ∧
    (・,, ∧▲  ミ  ∧ ∧ ( ∧ ∧
  〜(_(  ∧ ∧ _(∧ ∧ ミ・д・ ∧ ∧
    @(_(,,・∀・)@ (   *)〜ミ_ (   ,,)
      @(___ノ 〜(___ノ    〜(___ノ
      /  は〜〜〜い            \




527神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 20:47:41 ID:gRowACCv


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪


■仏教の根本思想は、「個は他との関連においてのみ存在し得る(縁起・
空)」ということ。

この「関係性の原理」は、「世界のすべて」に対して適用される、まさ
に「永遠の真理」である。☆★

■ この思想は、聖書からは「絶対に」出てこない。 ■

仏教とキリスト教との相似性などを口にする者は、根本的な誤りを犯して
いるのである。 ☆★

(*^。^*)


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪


528神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 21:06:17 ID:bz9eAIJx
転売ヤーに朗報です!

”あるもの”を”ある場所”で安く仕入れて、
高く売っているというだけの非常にシンプルな方法

http://2ch.zz.tc/shiire
529初代スレ7:2009/01/06(火) 23:23:39 ID:gpSrGMU3
>>525
返答としては多少物足りない感もありますが、一応了解しておきましょう。



おやすみなさい ノシ
530神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 02:09:15 ID:8/587UNq
>>517
おまえは馬鹿だな。
知らない事は黙っていればいいのに、知ったかで語れば
アホ丸出しのレスで恥を晒し、
宗教的な思想は何一つ理解していないのに、宗教板で宗教者相手に
凡夫の戯言だと馬鹿荷にされてるのも知らないで、単なる唯物論を得意気に語る愚かさよ。
531堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/07(水) 05:36:55 ID:XALU9fek
>>530
素朴な「言霊」が好きですねw
何も言ってないに等しいことに無自覚なのかな?
532神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 07:12:03 ID:Id6jBWQr
>>511
>そのような荒唐無稽の思想は、「仏陀の誤り」として訂正してあげるのが、現
>代の弟子たちの義務ではないのか。

単純ミスを犯すような凡夫は仏陀とはいわないの!キミは馬鹿??
仏陀の教えが認められないものは仏教を信奉しなければいいだけのことだ。

>>512
>仏典書いたの釈尊じゃないから、今となっては真実は誰にもわかんね
>輪廻が有ろうが無かろうが、やるべきことは同じだから、どっちでもいいじゃん
>って結論でいいじゃんw

ところが、どっちでもよくないんだな。これが!
輪廻がないと論理が崩壊するんでな。
533神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 07:12:38 ID:Id6jBWQr
>>515
>500に於いて、 〔 >「輪廻」は転生を意味しない。転生はない >輪廻が転生を意味しない 〕
>などと、どこに書かれているのか?
>「仏典は尊重するが、他人の文章は捻じ曲げてもよい」という価値観のお人のようだw

おまえが〜
>「仏陀は輪廻を説いた!?」なら、まだ良かったんだが・・・。
>手垢のつき方で言えば、「輪廻」の方が「転生」や「最生誕」よりは若干マシなんじゃねーかなぁ・・
といった、クダラナイお喋りなんかするからだよぉ!!

>>518
>≪「信じる」か「信じないか」≫ しかない。 その間を揺れている私に対する貴方の批判は
>真っ当なものです。そのことに対して弁明するつもりはない。

仏陀(の教えが)が信じられないなら、仏弟子にはなれないわな。
まっ、無理になる必要もないわけだし(笑)

>>62-66
>>輪廻因果業報を信じない者は、邪見で1.の段階で問題にされません。
>>なるほど。あなたの宗派では輪廻業報思想を信じない者は、第一段階で
>門前払いですか。大変ですね。

キミもこれと同じだ。
1.番目で門前払い〜ハハハッ!仏陀の教えを疑うのだから当たり前だわな。
誰も弟子になってくれ〜などとは頼んでないのでね(笑)
どうぞ好きに立ち去れや
534神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 07:13:04 ID:Id6jBWQr
>歩みは遅いかもしれない。遠回りをしているかもしれない。 けれども、
>《「仏典に書かれているから」「誰それが(偉い学者さんが)言ってるから」》
>というだけで鵜呑みにする態度だけは避けたいと思っている。

まっ、一応...その姿勢だけは立派じゃな(笑)
鵜呑みにするよりはいいじゃろ。それにしても時間が掛かるようだなぁ〜
一体、何が邪魔してるかな??
別に誰も邪魔してないのにな〜^^


人生が今、楽しくてショウガないという人はイイだろ。
しかし、今は生きているのが辛くて希望がないという人にとってはどうだ?
輪廻転生を否定するということは、我慢して無理に行き続ける意味もない。
自殺が最善じゃろな!無理して生存を続けるよう説く理論も希望もないからな。

業報もなし。善因善果-悪因悪果もなしとは、デタラメも酷過ぎるw
こんなもの何の意味もないだろ。何したって無駄ってことじゃん。ガハハハハ
そんなに仏典が嫌いなら辞めればいいのに・・輪廻と業報取ったら論理崩壊だ!
カラス氏の指摘は正しい。死んだら終わりなら、
「俺は好き勝手三昧に楽しむ。他人は関係がない!」という人間を説得する理論がないからな。
酷い教えだな-これでも宗教なのか?これで究極の真理だってか??
笑わせるなぁ(爆)

おまえは好きにすればいい。
だが他の人間が誤解するから消えろ!!!
535机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 07:19:11 ID:mabPMxIQ
>>483
>偶像への執着がない(色即是空)がゆえに自由自在に偶像を崇拝する(空即是色)
>それが出来てこそ一人前の仏教徒ではありませんか?

なるほど、そうでしたか。
つぅか、
これは大川隆法が禅宗からパクッたもんですね。
>(色即是空)がゆえに自由自在に偶像を崇拝する(空即是色)

自由自在に拝んでもいいけど、全くご利益はないですよ。
って意味ですよ。
(拝んでよし、拝まざるもよし)
それを前程としたもんです。

これは裏読みすれば、偶像崇拝を真っ向から否定したもんです。

大川隆法はこの真義を解しているかどうか分りませんが・・・
信者にマインドコントロールを掛けてますね。

結果的には「エルカンターレ」の崇拝でしょ?
騙されてますよね。
般若心経がうまく利用されてる。
536堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/07(水) 07:23:02 ID:lG3OVeVG
なんで幸福の科学threadになってるの?w
537机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 07:26:38 ID:mabPMxIQ
>>536
拙者はカルトバスターですから、知る人は殆ど知ってるわけだが。
538新人:2009/01/07(水) 07:27:13 ID:MRCmSiVc
机さん
まずあなたはハンドルネームからして仏法を誹謗しておるから反省してください
法論以前の問題です
539新人:2009/01/07(水) 07:31:25 ID:MRCmSiVc
禅宗を隠れみのにせず昆布くんのように堂々と無神論・無宗教と名乗ればいいのに。
禅の祖師が泣くぞ
いや怒るぞ
540堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/07(水) 07:31:47 ID:lG3OVeVG
>>537
そうなんだw
頑張ってください。
541机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 07:34:54 ID:mabPMxIQ
>>538
髑髏仮面ではどうでしょうか?

以前に、2ちゃんねるガイドに拙者のハンネが紹介されまして、
それ以降に髑髏仮面は捨置しました。

これはハンネへの執着から離れるためです。
「机龍之介」なら、よもや紹介されまいと思って付けたのですw
542机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 07:35:16 ID:mabPMxIQ
>>538
髑髏仮面ではどうでしょうか?

以前に、2ちゃんねるガイドに拙者のハンネが紹介されまして、
それ以降に髑髏仮面は捨置しました。

これはハンネへの執着から離れるためです。
「机龍之介」なら、よもや紹介されまいと思って付けたのですw
543新人:2009/01/07(水) 07:35:39 ID:MRCmSiVc
ここでは輪廻転生が議題になっているが伝統仏教は輪廻転生を前提としており、輪廻転生を否定する方がカルトなんですよ
544机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 07:57:30 ID:GrxNrvvk
>>543
禅宗は「本来無一物」が法燈になっております。
(これは南宗禅です)

この南宗禅を起こしたのが六祖・慧能でして、
慧能が開眼した切っ掛けというのが
「応無所住而生其心」
(応(まさ)に住する所無うして而(しか)も其の心を生ずべし)という意味です。
これは金剛般若経の一節でして、
「こころというものはなくて、その都度生じる」という意味ですね。

ですから、もともと禅宗というのは輪廻転生は無記とはしてますけど、
実質的には否定してますね。
こころが無いんですから、転生しようがない。
545堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/07(水) 07:58:00 ID:lG3OVeVG
まあ根本的なことをひとつ書いておくとね、特定の誰かの
言説に権威を求め、その人物が何を言ったかを巡る「解釈
問題」に身を投じても、論理的に詰めていけば、ある程度
その内容の絞り込み・限定は可能だけれども、最終的には
「確定不可能性」の前に、結論は出ずじまいになるわけ。

また同時に、そういうcommunicationは、そもそもその人物の
言説が真理なのかについての議論も、等閑に付しているわけ。

したがって、そういうcommunicationは究極的には不毛なんだよね。

したがって、真理についてのcommunicationは、どんな思考の
持ち主であろうが従わざるを得ない、唯一絶対の実体である、
物理的実体(PE)と共にのみ、存在していないといけないわけ
です。

そこで、究極的な宗教としてのPhysical Mankindismが登場
することになるわけですね。
http://mankindism.xxxxxxxx.jp/

【究極の宗教】Physical Mankindism3【物質人類教】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1219099869/
546神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 07:59:18 ID:Id6jBWQr
>>543
ほほう〜大川の門弟が初めてまともなことを述べたわぃ!

自分たちは、二度と再生しないと説き転生からの解脱を教えた仏陀が、
またこの世に舞い戻ってきたというトンデモなのだがw
エッ?あれは方便だって?「方便」って何でも使っていいのか?
過去はカルマによる転生だったが、今回は自由自在を得た自己の意思による再誕とな^^
それってつまり〜ただの詐欺ってことだろ?www

今頃になって何を気になって再誕するよ?
全て教えたから、後は残した教えに沿って自灯明法灯明っていって入滅したろよ〜w
自分のしたこと忘れたかいなぁ?かなり忘れんボの仏陀だなぁ。
東大と偏差値導入好きだし・・(藁)

10冊読まんと入会できんなら、ご老人のことは無視かいなぁ
試験が多いしwww-ひでぇ仏陀さまだぁ
547新人:2009/01/07(水) 08:05:44 ID:MRCmSiVc
>机さん
では道元禅師についてはどう考えている?
道元も輪廻転生を否定してるかね
違うね。三時業と言う事を言ってる。
「前生に学んだ仏法を今世また学ぶなり」という一文は余りにも有名。
548新人:2009/01/07(水) 08:12:21 ID:MRCmSiVc
546
おっしゃるとおり
法華経なんかでは釈迦の入滅自体が方便で
「お前達の修業を完成させる為にわざと死んだふりをしたのだ」といってるね
死んだふりをして息子が薬(仏法)を飲んだ後、ふらりと帰ってくる父親の比喩なんかも記してるね

ちなみに今は十冊以上読むとか試験の制度はないです
是非気軽に訪ねて下さいね。
お待ちしてます^^
549机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 08:12:40 ID:GrxNrvvk
>>547
道元は三時を否定してますね。
(生きてるという経緯の結果として死があるわけではない)と逝ってます。

ちなみに龍樹も三時は否定してます。
三時というのは、過去・現在・未来のことです。
これら時系列は全部否定してます。
よって死後の世界などありようがない。

禅は「即今即所」です。
今が一番大切。ってことですね。
一期一会です。
550新人:2009/01/07(水) 08:19:36 ID:MRCmSiVc
道元が三時を否定しているならば「前生で学んだ仏法を今生でまた学ぶ」というのはどういう意味だよ
前生とは昨日の話しかね(笑)

551机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 08:21:41 ID:GrxNrvvk
>>547
>違うね。三時業と言う事を言ってる。
>「前生に学んだ仏法を今世また学ぶなり」という一文は余りにも有名。

禅者というのは、こういう洒落が好きなんですよ。
一休もそうでしたが。

三時業というのも、前世というのも今においてある訳ですから。
それを暗に示しただけのこと。
つまり皮肉を込めて言ってるに過ぎない。
552新人:2009/01/07(水) 08:29:08 ID:MRCmSiVc
(笑)
まぁいいでしょう
仏教ではないですが机ブッキョウとしてそれは認めましょう

ちなみに「前後裁断」の思想に関しては前世がないといっている訳ではなく過去は過去、現在は現在で、過去未来に囚われず今という時間を大事にしなさいという話で
カルマもなければ輪廻転生もないんだって話しでは全然ないからね
553机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 08:32:29 ID:GrxNrvvk
ちなみに非風非幡の公案がある。

幡がたなびくのは風か?幡か?って公案です。
ここで慧能は「心がたなびく」と言う。

本来無一物の心がたなびく訳はない。
ってことなんですが、
これは、心がたなびくことを本気にしては駄目なんです。
それしか言いようがない場合は・・・心もたなびく。

道元も同じですね。
554新人:2009/01/07(水) 08:35:42 ID:MRCmSiVc
仏陀といえば過去の人
現在仏陀が生まれるはずがないというのは思い込みで
現代のような混迷の時代だからこそ仏陀は再誕す
発想を転換してみることが大事だ
555新人:2009/01/07(水) 08:41:52 ID:MRCmSiVc
そうだね机ブッキョウだと道元はマルクス・レーニン主義者だったみたいな話になるね(笑)
唯物論なら動じる必要がないからね

‥机さん。もう諦めろ

仏教など無理矢理持ち出さないで昆布くんみたいに堂々と唯物論・無神論を名乗ればいい
556机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 08:45:41 ID:mabPMxIQ
>>554
仏陀は解脱したなら今世に生まれることはないはずですが。

日蓮や大作も仏陀の生まれ変わりですから、大川は池田と兄弟ですか?
557神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 08:51:49 ID:+kgsv3H8
>>555
新人さん、何故、幸福の科学を信じられるのですか? 教えてください。
558机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 08:54:30 ID:mabPMxIQ
>>557氏が言うように、拙者も何故信じられるか関心がある。
559神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 09:05:39 ID:Id6jBWQr
オウム麻原は彼なりに真面目だったろう〜そして彼の狂気はついに無差別殺人に至った。
ところがこの大川はただのビジネスだ。もろ「意図的な金儲け」だw
さてさて、どっちがより大罪であろうか?こりゃ勝敗も難しいな。

大川はトーメン程度よりも、
もっとビジネスチャンスを広げるべく「宗教」という商品に目が留まったのだ。
三井物産の入社だったらそこで満足できたかもだな(笑)
それにしても霊媒仏陀とは恐れ入ったぜ。
そんなインチキ霊媒ではイタコにも申し訳ないなw
560新人:2009/01/07(水) 09:10:58 ID:MRCmSiVc
新人は長らく幸福の科学のアンチであったからでしょうな
いや意識的にアンチ活動をしていた訳ではなく
他の仏教、キリスト教、ヒンズー教、近現代西洋哲学、現代宇宙論などなど非幸福の科学の教えを突き詰めて学んでいたがゆえに、巷の幸福の科学の批判には逆にその底の浅さを見切れるようになっていたということでしょう
それくらい現代に置いて幸福の科学にたどり着くのは難しい。
ヘーゲル弁証法やユイマ経典の教えじゃないですが
徹底してアンチを突き詰めていく事でかえって信者になるという逆説のパラドックスもあるかと思います。
皆さんはひょっとしたら今世では一生アンチかもしれませんが
一生たっぷりアンチをしたら来世では信者になると思います
だけどせっかくなら今、現世で信者になった方がいいことは言うまでもないでしょう
来世だと直接リアルタイムで法を聞けず経典での修業になっちゃうからね
561神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 09:14:47 ID:+kgsv3H8
>>560
なるほど。では、幸福の科学のどのような言説に「これは信じるべき」と思ったのでしょうか?
562新人:2009/01/07(水) 09:30:53 ID:MRCmSiVc
まぁ、組織宗教というのは日本では評判悪いが
やってみると面白いものです
皆さん、文字の上で仏教やってますが
組織宗教になると寺も立つし仏像も立つので
環境そのものが変わってくるわけです
マニア的な興味からリアルな現実になる訳ですな。
実際、念仏修行なんかにしても本来は仏像の前で祈ってなんぼですよ

563新人:2009/01/07(水) 09:35:34 ID:MRCmSiVc
幸福の科学の根本教義は「与える愛」の教えです。
周り人間を幸福にしていく事が自分の幸福に繋がるという事ですな
これは真理なので信じるもなにも成功している人はみな実践しています
だから信じるというか正しい事を説いているので認めるといった側面が強いかもしれないですね
564神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 09:38:21 ID:SBJpvPfo
幸福の科学の根本教義は「教祖に与える銭」の教えです
565神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 09:38:37 ID:+kgsv3H8
新人さんの仰ることはよく分かりませんね。理論より実践ということでしょうか?

では、幸福の科学では、どのような行を実践するのでしょうか?
566新人:2009/01/07(水) 09:50:19 ID:MRCmSiVc
幸福の科学の信者は菩薩行の実践を目標としてます
日々の生活の中で利他の気持ちをもって活動するということですね
567神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 10:14:21 ID:v2TS2kt3
●信仰の対象
幸福の科学では、「エル・カンターレ」を自称する大川隆法を信仰の対象としています。
エル・カンターレとは「地球系霊団の最高大霊」、仏教で説く「久遠実成(くおんじつじょう)の仏陀や法身仏(ほっしんぶつ)と呼ばれる存在、神々の師である釈迦大如来」を意味するとし、それが地上に大川隆法として現れたなどと主張しています。
さらにインド応誕の釈尊等はエル・カンターレの「意識の一部分」であり、隆法は本体意識であるなどとしています。そういうことで教団では、隆法の写真を本尊として祀(まつ)り、信者に拝ませています。

●教典その他
教団の根本教典は、昭和61年に隆法が釈尊の啓示を受けて自動書記したとされている『仏説・正心法語』です。
また隆法著の『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』の三部作と、『釈迦の本心』『真説八正道』『仏陀再誕』など数百冊の出版物を教義の基本書としています。
568神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 10:15:54 ID:v2TS2kt3
●教義その他について
・二十次元論
大川隆法は自分勝手な「二十次元論」なるものを主張しています。これは一般的な「線の一次元、平面の二次元、立体の三次元、立体に時間を加えた四次元」という数学的概念に、
独自に「精神」「真理意識」「菩薩界」「慈悲」その他もろもろを継ぎ足して、「大宇宙の根本仏は二十次元以上の存在である」などというものです。
・四正道(よんしょうどう)
教団では、「正しき心の探究をしていくところに、この世とあの世を貫く幸福が実現する」などと主張し、「四正道(愛・知・反省・発展の探求)」がその具体的な方法であるとしています。
この四正道の実践によって各人が幸福になり、それを社会全体に広げていくことで世界的にユートピアが実現するのだそうです。
569神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 10:16:51 ID:v2TS2kt3
・誌友会員と正会員
幸福の科学の会員は、教団誌『幸福の科学』の購読契約者である「誌友会員」と、『新・太陽の法』を読んで感想文を提出し、教団の審査に合格した「正会員」の2種があります。以前は、隆法の本を最低でも10冊以上読んで論文を提出しなければならず、
それでも不合格や待機を言い渡されるケースもありました。
正会員になると、教団の教典である『仏説・正心法語』や『祈願文』をもらうことができ、教団のすべての行事に参加する資格が与えられます。
・悪霊撃退と病気癒(いや)し
正会員になると、「エル・カンターレ・ファイト」と呼ばれる悪霊撃退の修法と、「エル・カンターレ・ヒーリング」という病気癒しの修法を執り行うことができるそうです。
例えばヒーリングの場合、相手に向かって合掌した後、手を横に開いて頭の上に組んでから胸の前に突きだして「エル・カンターレ・ヒーリング」と叫びます。
570神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 10:18:56 ID:+kgsv3H8
>>566
菩薩行、それは素晴らしい。『華厳経』などに説かれる普賢行として六ハラミツを行ずるということですね。
571新人:2009/01/07(水) 10:31:35 ID:MRCmSiVc
はい。六波羅蜜も修行法の一つとして取り入れてます
私は幸福の科学に入る前から六波羅蜜を修行法として取り入れていたのですが
忍辱波羅蜜一つ守るだけでも絶大な功徳があります。
戒律に関しては反省行の一貫として当会の教えに即して必要なものを必要に応じて掲げて守っていくという方法を取っています
572神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 10:33:48 ID:+kgsv3H8
>>571
では、発心、禅定ハラミツと般若ハラミツ、廻向の実践はどのように行うのでしょうか?
573新人:2009/01/07(水) 10:36:05 ID:MRCmSiVc
私は受けた事はないですが恐らく研修会などで禅定の指導などもされると思います。
574新人:2009/01/07(水) 10:40:40 ID:MRCmSiVc
幸福の科学の支部は全国に200〜300はある(布教所も含めてか?)はずなので一度最寄りの支部に行って聞いてみられるといいと思います
575神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 10:48:45 ID:+kgsv3H8
発心と廻向のない菩薩行はありえないのですが?
発心と廻向は、行わないのですか?
576初代スレの5:2009/01/07(水) 10:49:31 ID:sGkFBMWO
なんか本当に「幸福の科学」の宣伝スレになってますね。
577机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 10:54:43 ID:GrxNrvvk
>>560
>徹底してアンチを突き詰めていく事でかえって信者になるという逆説のパラドックスもあるかと思います。

そうでしたか。なるほど。
で、貴殿の書込みを拝読して思ったのですが、
アンチを突き止めて逝って・・・それから劇的なコペルニクス的転換を迎えた。
ということですね。

つまり、大川隆法に傾倒して逝くためには、それなりのインパクトがあるわけです。
そういった劇的インパクトというのが、
貴殿の書込みからは見えてこないのですが・・・

貴殿の書込みは従来の(既存の)価値観ですよね。
そこがどうも謎ですよね。

大川は立宗するにあたっては、それなりのプログラムは用意してあるかと思います。
それでなくては信者は付いてこないでしょうし、
悟性のレベルアップとか、それなりのファンタジーがありませんと
新興宗教は存続は至難です。
(たぶんそれは、内部では秘密?うらに語ちてるんでしょうけど)

・・・このように、貴殿の書込みを拝して思ひました。
578新人:2009/01/07(水) 11:02:08 ID:MRCmSiVc
>机さん
あくまで既存の宗教の土俵の中で論じているだけで、既存の仏教、前世の釈迦仏が説かなかった新しい教えも勿論説いております。

ちなみに575さんはどこかの宗教の信者さんですか?
579神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 11:05:33 ID:+kgsv3H8
私は大乗仏教徒です。

すると、新人さんは発心と廻向は、行わないわけですか?
580机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 11:07:12 ID:GrxNrvvk
>>578
>あくまで既存の宗教の土俵の中で論じているだけで、
>既存の仏教、前世の釈迦仏が説かなかった新しい教えも勿論説いております。

そうでしょうね。
大川が好みそうなのが「二十次元論」でしょう?たぶん
これで信者にファンタジーを与えられる。

やはり宗教というのは、どこかに神秘性がありませんと魅力はないですから。

ちなみに禅は、全く神秘性はなくて
功徳もありません。
581神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 11:07:35 ID:+kgsv3H8
>>578
>あくまで既存の宗教の土俵の中で論じているだけで、既存の仏教、前世の釈迦仏が説かなかった新しい教えも勿論説いております。

なるほど。小乗に対する大乗のようにというわけですね。
新人さんはそれを何故、信じられるのでしょうか?
582神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 11:17:59 ID:YeB9jta2
>>553

慧能は仏性認めているではないかと。

無門関 狗子仏性では無も否定してますよ。
583机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 11:18:24 ID:GrxNrvvk
釈尊は四次元は悟ってますよね。
それは大川も分ってるかと思います。

この四次元を拡大解釈しまして、多次元まで教義を編み出したのが大川かとおも。
なかなか大川は東大出だけあって、このプログラムは優れています。

ただ五次元(多次元)というのは理解は不能かと思います。
観念的に想像する範疇。
(これは私見ですから、他の方は知りません)
584新人:2009/01/07(水) 11:23:53 ID:MRCmSiVc
大乗仏教といっても様々あるかと思いますが?

発心と廻向というのが幸福の科学の修行法の中では何を指しているのか不明なのでもう少し詳しく説明して頂ければと思います。
585机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 11:24:22 ID:GrxNrvvk
>>582
即心即仏は世俗諦で
非心非仏は勝義諦。

明鏡台を払拭するのと、明鏡台を払拭しないのは同義。

神秀は世俗諦の範疇でして、
これを勝義諦にまで推進したのが慧能。
神秀も慧能も相の違いだけ。
586新人:2009/01/07(水) 11:28:55 ID:MRCmSiVc
逆に聞きますが何故貴方は信じないのですか?
587神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 11:41:20 ID:+kgsv3H8
>>586
それは簡単ですよ。
まず、第一に伝承と矛盾するから。
特に、幸福の科学本の内容といったら倫理の教科書を元にしたマンガにしか思えませんから。
第二に悟りや解脱などという結果をだした人がいない。
これについては大川さんはブッダの化身と仰ってるので、それはとりあえず認めるとしても、
幸福の科学を実践して悟ったという話はもちろん、三昧すら体験できるという話も聞いた事がありませんから。

そもそも幸福の科学は、戒律のような道徳・エチカはあっても、サマタ・ヴィパシャナ、止観といった仏教の根幹に関わる行があるとは思えません。
ですから、菩薩行という名目は掲げても内容は戒律しか説かれないのだと考えてます。

逆にいうと仏教に引かれるなら伝統仏教で、悟りや解脱という結果を出している伝統からなんで学ばないかと不思議に思います。
588堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/07(水) 11:48:59 ID:lG3OVeVG
とりとめもない無根拠な「観念」(Idea)、「物語」(Story)、「主観性」(Subjectivity) は、
同じように、とりとめもない無根拠な「観念」(Idea)、「物語」(Story)、「主観性」
(Subjectivity) によって永遠に崩され続けます。

後発の物語の方が、学習を経て巧妙になっており、その時代状況にも
則しているので、優位です。

伝統宗教に依存する者は、新興宗教に負けることになる、これが現実です。
伝統的権威にあぐらをかくものは、それを利用するものの奴隷となるのが必定。

その現実を十分認識したら、半端な概念に頼らない、唯一絶対の物理的
実体(PE)に依拠するPhysical Mankindismに到達するまであと少しです。

http://mankindism.xxxxxxxx.jp/

【究極の宗教】Physical Mankindism3【物質人類教】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1219099869/
589神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 11:52:08 ID:z5/Prmyy
いい加減にしなさいよ
590堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/07(水) 11:52:43 ID:lG3OVeVG
>>587
それじゃ無理なんだなぁ。

「なぜ伝統仏教が、釈迦の教えを正確に継承・体現していると言えるのか?」
と混ぜっ返せばおしまい。

現に色々分裂してるわけだからね。仏教の宗派も。
591新人:2009/01/07(水) 11:59:19 ID:MRCmSiVc
なるほど。
しかし伝承というのは尊重すべきではありますが
絶対的なものではないでしょう
伝承にないからと現実を否定するとしたら愚かな事です

ちなみに伝統仏教でも自動車の大量生産の如く仏陀が出たと言う話は聞きませんぞ
実際、釈迦存命中に釈迦仏と同程度の悟りを開いた人もいなかったはずです。近い所にいたのが文殊といわれますが
また如来といわれるクラスは日本史の中でも
聖徳太師や空海くらいのもので親鸞や道元でも菩薩位のレベルだと思われますし、幸福の科学の評価でもそのようなところです
592机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 12:00:49 ID:mabPMxIQ
>>586
それは簡単ですよ。
仏陀が再生誕したとしても、そんなにインパクト性はないからです。
仏陀は人間ですから。
これが神だったら・・・少しは関心が向くかと思います。
(たとえば、又吉イエスのような御仁)

仏陀の教説というのは、既に山ほど資料がありますから、
今さら仏陀が出現したとして、何か聞くこともない。

また、仏陀は自身の教説は流布したとしても、
民衆を救済する目的ではない。
593新人:2009/01/07(水) 12:08:39 ID:MRCmSiVc
大体ね。
仏陀になるなんてのはこの世での数十年の修業でどうにかなる訳ではなく
仏陀になられるようなお方はどんな宗教をやってたとしても必ず仏陀としての頭角を現すものなのです
宗教があって仏陀が出る訳ではなく
仏陀があって新しく宗教が生じるのです
そうじゃなきゃ仏陀とは言えないでしょう
594机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 12:15:03 ID:mabPMxIQ
>>591
>聖徳太師や空海くらいのもので親鸞や道元でも菩薩位のレベルだと思われますし、
>幸福の科学の評価でもそのようなところです

人間はある程度悟ればいいんですよ。
そんなに欲は出すもんじゃ〜ないと。かように思いますね。
(禅では平常心是道という)

で、貴殿はそんなにハイレベルの境地を目指したいのですか?
そうじゃ〜ないでしょ?
ただ、大川の価値観に沿っての話でしょ?
これがマインドコントロールという奴ですよ。
そもそも宗教に、競争原理が働くのが問題。
何故それを気が付かないのか?
595神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 12:18:20 ID:+kgsv3H8
>>591
仏教の伝承というのは、文献の伝承を指すのではありません。
悟った聖者の教えを受けて悟った弟子が聖者となって伝えてきたものを言います。
悟らないと完全に分からないから、伝承できないんです。
逆にいうとただ経典を伝承しても、内容が伝わっていなければ伝承ではありません。

確かにブッダは、出現していません。聖徳太子も弘法大師も菩薩と伝統的に考えられています。
ただし、日本でも平安時代に悟った聖者が輩出したと伝えられています。
近代でも白隠さん慈雲さんのような聖者が出ると悟った弟子もたくさん出たと伝えらています。

現代でもビルマやチベットなどでは、かなりの解脱者や覚者がいます。
西洋人でもかなりの境地に達している人がいますよ。
まあ、単純にいえば何故、こっちを選ばないのかと思うわけです。
596新人:2009/01/07(水) 12:19:07 ID:MRCmSiVc
過去七仏という言い方がありますが
釈迦仏陀以前の転生の軌跡を述べますと
ゴータマ・シッダルタ→ヘルメス→オフェアリス→リエント・アール・クラウド→トス→ラ・ムーとなっております
それぞれの転生の過程で新たに宗教を起こし新たな文明を創造しています
近年ではインドに生まれアジア地域に仏教文明を創造されました。
このクラスの方を仏陀(如来)と呼ぶ訳で
仏陀の悟りも得ていない道元や親鸞のしかもそのまた弟子が「仏陀」を指導出来る訳がない
597神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 12:25:37 ID:+kgsv3H8
>>593
なるほど、そうかもしれませんね。ただブッダはどのブッダも縁起で悟ったと仰られています。

そして何より、もしブッダが出現されたら直に教えを受けた弟子は、
どんどん悟ってるはずですが幸福の科学で悟ったり解脱した弟子はいるのでしょうか?

そこが重要ですよ。少しもいないなら、悟ることや解脱することはできないと考えるのが縁起ではないでしょうか?

いわく、これがあるときこれがあり、これが生じるからこれが生じる。
これがないときこれがなく、これが滅するからこれが滅する。



598机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 12:27:58 ID:GrxNrvvk
>>596
>仏陀の悟りも得ていない道元や親鸞のしかもそのまた弟子が「仏陀」を指導出来る訳がない

大川隆法は悟ってますか?
般若心経の誤解釈からして、まだ悟ってないかと思います。
「空即是色」で偶像崇拝というのは・・・ありえんですねw
599新人:2009/01/07(水) 12:35:30 ID:MRCmSiVc
白隠さんなどはその影響力からして仏陀などとは到底言えないでしょう
「影響力ではない悟りの深さなんだ」という意見もあるでしょうが
深い悟りは影響力もそれに応じ生まれくるものです。白隠が仏陀なら当時の徳川将軍や中国の皇帝などが参拝しに来ても不思議ではないが仏教内部の一分派の中での影響力しかなかったようだしね
人知れず霞を食っていきるような悟りを求めるのはそれは「仙人道」であって、オーソドックな悟りの道からは外れているんですよ
600机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 12:41:46 ID:GrxNrvvk
>>599
悟りの境地というのは、これはモデルがありまして
布袋(ほてい)さんがモデルですね。→あくまでもモデルで架空の人物です。

徳利をもってブラブラと、街に逝っては酒くみかわし、
そのまま家路に着く。

まあ、つまりは自由の境地なんですが。
良寛も一休も自由人としての評価は高いですね。
601新人:2009/01/07(水) 12:41:56 ID:MRCmSiVc
机さんは人の悟りを云々するレベルではないと思いますが(笑)
般若心経の解釈に関しては幸福の科学に入会する以前に般〇宗に居た事があるのでその影響もあるかと思います。
(幸福の科学でまだ「新人」という事ですね)
602新人:2009/01/07(水) 12:50:28 ID:MRCmSiVc
>なるほど、そうかもしれませんね。ただブッダはどのブッダも縁起で悟ったと仰られています。

はい。あらゆる仏陀の悟りはエル・カンターレ(大日如来)から来ています。
603机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 12:50:32 ID:mabPMxIQ
>>601
そもそもインドと日本では「悟り」という概念が違うのかも知れません。
つまり文化が全く違いますからね。

勤勉実直な日本人は、レベルを上げようと死にもの狂いの努力はしますけど、
そういうマッシグラなベクトルとは・・・また違うようです。

これは言葉で説明するのは難しいけど。
604新人:2009/01/07(水) 12:54:07 ID:MRCmSiVc
念仏や瞑想など全部インドから来ています。
インド人は非常に熱心です。
友達のインド人も毎朝欠かさず座禅瞑想しています。
605神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 12:55:30 ID:+kgsv3H8
>>596
>このクラスの方を仏陀(如来)と呼ぶ訳で
>仏陀の悟りも得ていない道元や親鸞のしかもそのまた弟子が「仏陀」を指導出来る訳がない

伝承とは随分違いますが、大川さんがブッダ、如来だというわけですね。

>>599
>白隠さんなどはその影響力からして仏陀などとは到底言えないでしょう

そうです。白隠さんはブッダではない。
その白隠さんの弟子でも悟ったものがたくさん出た。
それなのにブッダである大川さんの弟子で悟った人が何人いるのでしょうか?

606神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 12:59:31 ID:+kgsv3H8
>>601
え〜、般若宗ですか?
http://www.hannya.net/


これまた、信じる人いるんですか? 驚きです。
607机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 12:59:34 ID:mabPMxIQ
>友達のインド人も毎朝欠かさず座禅瞑想しています。

インドではそういう文化があるでしょうから、生活に溶け込んでる。
日本はそういう文化がないから、
ノルマ的に努力・努力ということで、そのことだけに終始してしまう。

ってか、新人さんは宝珠愚者さんじゃ〜ないですか?
やはり書込みせんと・・うずくのですねw

608新人:2009/01/07(水) 13:02:35 ID:MRCmSiVc
仏陀の悟りをメタボ親父のぼやきみたいなレベルにおとしめるような発言はやめるべきです
唯仏論でカルマの教えも否定してしまうと快楽主義に行き着きますので一休や布袋さんの人生が理想になってしまいます。
しかし蒔いた種は刈りとらなくてはなりません
「現世」で報いが来なくとも、あの世や来世で責任を取らされる事になります。
609神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 13:04:16 ID:BRUYJA5Q
>>462
>確かルカ福音書には異邦人だろうがなんだろうが困った人を助ける事(隣人
>になること)が則ち隣人愛ですというくだりが出て来るはずだぞ

その程度の浅薄な読み方だから、カルトに嵌る。

「善きサマリア人」の話におけるイエスの真意は、サマリア人にかこつけて、
自分の気に入らない祭司とレビ人を非難することであった。さもなければ、
わざわざ彼らを名指しで挙げて「悪者」にしないで、単に「他の通行人たち」
だけでよかったはず。また、彼らには、被害者を助けられない事情があった。
被害者のことを気にしていなかったわけではない。だから「道の向こう側
を足早に通り過ぎた」のである。さらに、「サマリア人の女」の話にあるように、
イエスはサマリア人に対して特別の個人的関係と好意をもっていたのである。
イエスは、サマリア人の子であったという説もある。イエスの、自作自演、自画
自賛に過ぎない。

このように、イエスのすべての「教え」は、常に、「自分の気に入らない他者
に対する憎悪・非難・排斥」とセットになっていることを見破る必要がある。
イエスは、善きサマリア人とは対極的な人間に過ぎなかった。

カルト宗教には、例外なく、このようなイエスとキリスト教の影響がある。
>>499の質問に答えられたし。
610新人:2009/01/07(水) 13:06:14 ID:MRCmSiVc
> そうです。白隠さんはブッダではない。
その白隠さんの弟子でも悟ったものがたくさん出た。
それなのにブッダである大川さんの弟子で悟った人が何人いるのでしょうか


誤解があるようですが
仏陀とは覚者という意味で特定の人物を指す言葉ではありません
話が通じてない原因です
611新人:2009/01/07(水) 13:07:41 ID:MRCmSiVc
×唯仏論で
〇唯物論で
612神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 13:10:32 ID:+kgsv3H8
>>602
>はい。あらゆる仏陀の悟りはエル・カンターレ(大日如来)から来ています。

なんで、それを信じられるか? それが知りたいんですが?
たぶん、新人さんは大川さんをブッダだと信じているから、本の内容が信じられるのでしょう。
私が知りたいのは、何故、大川さんをブッダだと思う理由です。
これが何かあるはずです。それを教えてください。私には理解不可能なので。
613机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 13:11:37 ID:mabPMxIQ
>>610
修行して悟った者は阿羅漢ですね。
614新人:2009/01/07(水) 13:13:08 ID:MRCmSiVc
覚者でない白隠さんの弟子に続々悟るものが出たとしたらその悟りはどうみても魔境ということになっちゃうでしょう
615神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 13:17:44 ID:fN0M+cBr
唯物論・科学的には転生とはクローンをいう。
肉体的には同一でも、精神的には環境因による縁起が異なるから転生はありえない。
したがって、転生はありえない。
616堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/07(水) 13:19:53 ID:lG3OVeVG
別に幸福の科学の信者さんの肩を持つわけじゃないが、

「なぜ大川隆法の言うことを信じられるの?」
という質問は、

「なぜ釈迦の言うことを信じられるの?」
という質問となって、皆さん自身に跳ね返ってくるわけです。

そして、結局はどれも究極的に無根拠なんですよ。
617神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 13:20:29 ID:BRUYJA5Q
「輪廻転生」や「再臨」などを信じるから、このようなカルトが続々と
発生する。

「転生」を否定できないなら、誰でも仏陀の生まれ変わり、イエスの再
臨者と「自称」することが出来る。言った者勝ちであるw。

生まれ変わりは、ホームレスのオジサンたちの中にいるかも知れないぞ。
618新人:2009/01/07(水) 13:22:39 ID:MRCmSiVc
>何故信じられるか

幸福の科学に入信したらやたら幸福になったという事も一つでしょうね

619神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 13:23:58 ID:+kgsv3H8
>>614
う〜ん。そういう方向にいきますか。そういう詭弁は止めましょうよ。
悲しくなる。

まあ、あなたの道ですから。好きなように歩めばいいでしょう。
言うべきことはいいましたので、もう何も言いません。
おつきあいいただきありがとうございました。
620机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 13:25:30 ID:mabPMxIQ
>>614
書込みの流れを読んでみると、
大川が悟性のレベルを評価してくれる。
その評価自体が嬉しくてしょうがない。

それから、もっと頑張ってレベルを上げるぞぉ〜〜!!
と努力をする。

こういうのに嵌ると、人はそこから抜け出すのは困難です。
もっとも、大川は頭がイイから、これくらいのことは全部お見通し。

でも、前に書込みした御仁がいたけど、
悟性などは大川に分るはずがない。
(偶像崇拝がその証左)
621神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 13:26:46 ID:BRUYJA5Q
>>516

全く同意。現実上の根拠皆無な開祖・教祖・教典の「盲目的崇拝」が、
すべての宗教に共通する最大の「病理」であることを覚る必要がある。
622新人:2009/01/07(水) 13:30:11 ID:MRCmSiVc
ホームレスのおじさんが釈迦の生まれ変わりだったらその「おじさん」はただのホームレスではなく、文明の過去未来現在を見通し、大宗教を作り上げて、時の首相を呼び付けて説教してしまうくらいのポテンシャルは持ってる訳です
転生前と後でも魂の次元では過去の履歴が持ち越されるからです
623机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 13:30:22 ID:mabPMxIQ
>>616
釈尊は自身のことは再生誕とは言ってないし、

最生誕という時点であうと。

又吉イエスも再生誕だけど、誰も本気にしないのは、
ある意味健全である。
624神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 13:36:35 ID:BRUYJA5Q
>>618
>幸福の科学に入信したらやたら幸福になったという事も一つでしょうね

本当の幸福とは何かは、一生をひたむきに生きてみてから、初めて分る(かも
知れない)もの。わからなくても別に構わない。他者との係わり合いの中で、
ひたむきに生きたこと自体が、実は幸福だったのだから。

浅薄にも「幸福」とか「愛」を口にする宗教は、名前からして、すでに
胡散臭いカルトである。
625神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 13:37:06 ID:+kgsv3H8
>>458
>そうか、中村先生の翻訳した、仏弟子の告白、テーラガータには
>はっきりと、自分達の瞑想はヨーガだと、ヨーガという単語がでてくるんだがな。

『テーラガーター』でヨーガが良い意味で使われるのは次の三つでしょうか?
以下クリシュナ会訳

> 413まさに、教師(ブッダ)は、執着から
> の、生と老の恐怖からの、過去の、この
> 道を征圧した。夜の前後に、〔気づき〕
> を怠らず、〔心を一境に〕専念せよ。断
> 固として、〔心の〕制止(ヨーガ)を為せ。
>
> 585精進の常恒を成就した者(不退転
> の修行者)として、〔心の〕制止(ヨー
> ガ)に専念する者として、常に、存する
> もの。しかして、賢者は、苦しみの終極
> [おわり]を得ずして、確信〔の思い〕に
> は、至らぬもの。
>
> 1142知慧によって、邪道に従い行く
> 〔心〕を断ち切って、〔心の〕制止(ヨー
> ガ)によって〔心を〕制御して、〔正しい〕
> 道を確たるものとせよ。〔物事の〕起因
> と消滅を〔あるがままに〕見て、〔縁に
> よって〕生起するものを〔あるがままに見
> て〕、〔おまえは〕至高〔の境地〕を説く
> 方(ブッダ)の相続者と成るであろう。
626神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 13:37:14 ID:fN0M+cBr
転生論は縁起撥無の妄想でしかない。
627新人:2009/01/07(水) 13:37:25 ID:MRCmSiVc
悟性という用語をどういう意味で使っているのかはさておき(笑)

修行者の悟りの段階を大川総裁が評価するという事はそういえばないですな。
意識的にそういう事をしないようにしているのかもしれません
幸福の科学の職員に関してもあくまで「仕事能力」で評価しているようです。
オウム真理教などでは教祖が悟りの段階を認定してそれに応じて組織の立場も決まっていたようですが
ま、確かに組織宗教にはそういうイメージがまだあるのかもしれません
勉強になりました
628神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 13:38:31 ID:YeB9jta2

幸福の科学信者の共通点

バカの一つ覚え。
629神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 13:39:19 ID:+kgsv3H8
前に言ったようにヨーガが行われることは否定しません。
上のようにクリシュナ会訳はヨーガを「制止」と訳します。
理由は分かりません。アッタカターは以下のようにヨーガをbhāvanaṃ「修習」と注釈しています。
つまり、前に述べたような三昧、禅定のような狭い意味でなく、
より広い修行、行、訓練、練習といった一般的な意味で使われています。

413.
‘‘Satthā hi vijesi maggametaṃ, saṅgā jātijarābhayā atītaṃ;
Pubbāpararattamappamatto, anuyuñjassu daḷhaṃ karohi yogaṃ.

アッタカター:
appamatto sato sampajāno hutvā
anuyuñja yogaṃ bhāvanaṃ daḷhañca karohi.

1145.
‘‘Paññāya chetvā vipathānusārinaṃ, yogena niggayha pathe nivesiya;
Disvā samudayaṃ vibhavañca sambhavaṃ, dāyādako hehisi aggavādino.

630神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 13:39:34 ID:BRUYJA5Q
>>621は、>>616へのレスでした。訂正します。
631神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 13:40:42 ID:+kgsv3H8
アッタカター:
Paññāya chetvā vipathānusārinanti uppathagāminaṃ āyatanasamudayaṃ yāthāvato disvā
yena samudayena uppathagāmī, tassa kilesavissandanaṃ kilesavipphanditaṃ
indriyasaṃvarūpanissayāya paṭisaṅkhānapaññāya chinditvā sotavicchedanavasena āvaraṇaṃ katvā.
Yogena niggayhāti vipassanābhāvanāsaṅkhātena yogena sāmatthiyavidhamanena niggahetvā.
Pathe nivesiyāti vipassanāvīthiyaṃ nivesetvā, patiṭṭhapetvā.
Yadā pana vipassanā ussukkāpitā maggena ghaṭṭeti,
tadā maggapaññāya ‘‘yaṃkiñci samudayadhammaṃ,
sabbaṃ taṃ nirodhadhamma’’nti (mahāva. 16; saṃ. ni. 5.1081)
nidassanena sabbaso āyatanasamudayassa vibhavaṃ sambhavañca
asammohato disvā sadevake loke aggavādino sammāsambuddhassa
dāyādo orasaputto hehisi bhavissasīti attho.
632机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 13:41:49 ID:mabPMxIQ
>>622
「釈尊の生まれ変わり」というのは、釈尊を利用してるだけ。
(これが一番たちが悪い)

ノウハウが全部パクって、それでそれなりの脚色すればいいんだから。

そもそも「悟り」というのは、
こういった世間のカラクリを見通す智慧が授かってくる。
これを慧眼とか仏眼とかいう。
633新人:2009/01/07(水) 13:44:30 ID:MRCmSiVc
机さんは幸福の科学の信者が「悟り競争」をしているかのようにイメージしているのかも知れませんが、それはないし
恐らく、「悟り競争」が負担に感じるとすると
机さんが考えている「悟り」はちょっとおかしいのです。
悟りが高まるというのは利他の気持ちが高まるということなので
悟り競争が始まるとしたらそれは皆が幸せになることなのです
たとえるならばいつもムッツリしている奥さんが笑顔になるとかそういう事です
それは誰も困らない競争なのです
634神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 13:45:40 ID:NO53vjlB
>>618
>幸福の科学に入信したらやたら幸福になったという事も一つでしょうね

出たーーーーーーーーーーーーーーーどこの宗教も布教に使う<殺し文句>

ネットでは、証明不能ですw
635神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 13:48:25 ID:BRUYJA5Q
>>622
どうやって見分ける?w自己申告しかないではないかw。ホームレスが
続々と自己申告してきたらどうする?大川さんの立場はどうなる?

あまり口から出任せを言わないこと。

そもそも、エルカンターレとは何語?西洋語臭いが、仏陀や大日如来は
西洋語をしゃべっていたのかねw。
636神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 13:52:29 ID:+kgsv3H8
1145.のアッタカターを訳してみました。

「般若で断って邪道に従うことを」とは
1.「邪道を歩む六処の集起を十分に見て、
何か集起によって邪道を歩む者、彼が煩悩に流され、
煩悩にもがくのを、感覚器官を抑制することに依って、
分析考察の般若で断って、聞くことを断つことで防御をなして、
ヨーガによって抑制する。
2.ヴィパッサナー修習と名付けられたヨーガでできる破壊によって抑制し、
道に安定させる。ヴィパッサナーの路に安定させ、確立させて、
さらにヴィパッサナーに励むものが道に努める時、
3.道の般若である「何か集起する法、それは全て滅する法である」
という教えによって六処全ての集起の消滅と生起を迷いなく見て、
天界を含む世界で最高の教師である等正覚者の継承子となるであろう
間違いない」という意味である。

1.感覚器官と意識によって業>苦>煩悩が縁起することから、
感覚器官の抑制と、諸法無我の分析修習で抑制する行を。
2.ヴィパッサナー修習という行。
3.「何か集起する法、それは全て滅する法である」これが縁起観、
これによって解脱する。

これだと、2.が後代の三昧・サマタに相当するのでしょうか?
いずれにしろ、3.の縁起観が最終的な行になっていることが分かります。
しかも、名前が「道の般若」「道行般若」を彷彿とさせませんか?
637新人:2009/01/07(水) 13:53:14 ID:MRCmSiVc
635
では君、私は仏陀ですと名乗って活動してみるといい。
まず笑われるのが落ち。
人間には器というのがある。
638机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 13:57:27 ID:mabPMxIQ
>>633
そういうノウハウというのは、大川じゃなくても世間一般の共通認識でしょ?
いわゆる倫理の問題。

拙者も原理講論の講義を受けたから分る。
(昔だから全てロハですが)

それなりの講義を受ければ、それなりに洗脳はされる。
(これがいわゆる程度の問題になってくるが)
やはり人間というのは、どこか覚めた部分があって本能的に拒否する。
しかし、なかには本気にしてしまう人間もいる。
だけどそれは構わない。
十人のうち一人でも洗脳されればいい。
(これは拙者の経験から)
639神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 14:00:43 ID:YeB9jta2
>>637

笑われてなんぼでしょう。

教祖をばかにすんなよ。
640神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 14:02:54 ID:BRUYJA5Q
>>637
>では君、私は仏陀ですと名乗って活動してみるといい。
>まず笑われるのが落ち。

「自称生まれ変わり」の大川さんもその一人w。信者以外は、すべて笑
っているのだよ。

そもそも、「生まれ変わり」をどうやって見分けるのか。その方法を
具体的に説明してくれ。

イエスの再臨と「自称」する者は、(特に精神病院には)多数いるが、
彼らについてはどうかね。

精神医学では、これら「生まれ変わりの自称」を「宗教妄想」と呼び、
治療の対象となる、
641新人:2009/01/07(水) 14:07:33 ID:MRCmSiVc
640
しかし大川総裁の場合は信じる人が何十万と居る訳だが
君の場合は全ての人間が笑うだろうし
能力的に教団を造ったりするのも無理だろう
ここに偽れない魂の器の違いがあるんだよ
642神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 14:10:35 ID:YeB9jta2
>>641
まったく正見できてないな。
643神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 14:14:06 ID:BRUYJA5Q
>>641
もともな人間は、口から出任せの「嘘」を植えつけて、他人を洗脳するよ
うな、「悪行」は犯さないものだよ。

キリスト教の影響について、早く説明してくれ。
644新人:2009/01/07(水) 14:14:08 ID:MRCmSiVc
もしその辺のホームレスが「私は覚者だ!」といいだして
実際にそれを信じる人が何十万と生まれ、喜捨献金が何百億と集まり、土木事業をしたり病院を建設したりしたら
それはなんであれ、ただのホームレスではなく「行基菩薩」の生まれ変わりかなんかだろう
普通はそういう能力が「逆立ちしても無い」からホームレスやってたり派遣社員してたりするんだからね
645机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 14:16:28 ID:mabPMxIQ
>>641
逆を言えば、何十万人以外の人間は大川のことは見抜いている。
ってことだよ。

まあ、ある種健全ではある。

統計学的に、数%の人間はカルトに嵌りやすい。
それは仕方が無いことだ。

646新人:2009/01/07(水) 14:20:45 ID:MRCmSiVc
645
逆を言えば真理に気がついている人がまだ数十万人しかいないという事でもある
悪い事はいわんから一休や布袋信仰からは脱皮することをお勧めするぞ
確かに布袋腹を持て余したメタボ親父は星の数ほど居るが数が多いからといってそれが真理だという事は、ない。
647神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 14:21:44 ID:BRUYJA5Q
>>644
「嘘」で騙して金を出させることは、「詐欺」という犯罪行為である。

犯人が、その金を慈善事業に使っても、彼の犯罪は、消えるものでは
ないのだよ。マネーローンダリングと全く同じではないか。

全財産を奪われて泣いている被害者のことは、考えないのか。
648新人:2009/01/07(水) 14:25:05 ID:MRCmSiVc
嘘かどうかを判定するには結局その人の人格や才能を見るしかないではないか
自分はエジソンの生まれ変わりですとか言っててラジオ一つ直せなかったらそりゃ嘘でしょ
649神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 14:27:32 ID:fN0M+cBr
>>644
幸福の科学の信者だった景山民雄が自殺したのは何故かね?

大川は祟られるぞw
650神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 14:27:57 ID:BRUYJA5Q
>>648
まず嘘で騙して、自由意志や判断能力を奪うのだから、客観的判断など
一切できる訳が無い。
651新人:2009/01/07(水) 14:35:11 ID:MRCmSiVc
ま、色々疑問もあるかと思います。
それが健全でしょう
ある種、これまでの常識とは異質の事も説いている訳ですからね
今日聞いて、全て信じますといったらその人は大天才か嘘をついてると思います
652神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 14:39:15 ID:YeB9jta2

幸福の科学にとっての反省は三帰すること。
三帰によって、伝道と布施(献金)がはじまる。

八正道の正見とはまったくちがい、信者は正見できなくなる。
653神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 14:56:38 ID:fN0M+cBr
>>633>>651
>悟りが高まるというのは利他の気持ちが高まるということなので

悟りの境地で自利と利他を『分別』している時点で
新人=宝珠愚者がまったくのニセモノ(解かっていない)であることがわかる。
大川についても同じ。
654新人:2009/01/07(水) 15:00:08 ID:MRCmSiVc
自利即利他と言いたい訳でしょ
それも教えの一つですよo(^-^)o
655神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 15:00:49 ID:bHDq2Zn2
>>651
カルトは、まず、「誰も否定できない常識的なこと」から始め、その
中に、「神・霊・前世・来世」などを巧みに忍び込ませて、現実や
社会常識からの逸脱を生じさせる。これがマインドコントロールである。

一旦マイコンされると、いくら「自分の頭で考えている」と思っても、
実はその「マイコンの範囲内」でしか考えられなくなる。自由意志と
判断力(知性)をのものを奪われるからである。

なお、すべてのカルトは、伝統宗教を母体として発生し、その宗教テク
ニックをすべて「利用」している。従って、伝統宗教もカルトも、「原
理的には」全く同じ。反社会性の「程度の差」に過ぎない。すべての
宗教は、本質的には「反社会的な営み」である。

やはり「宗教」という根源を絶たない限り、カルトの発生は絶えることは
ない。特に、キリスト教の荒唐無稽の影響があると、例外なくカルト化
する。このスレの、宝珠愚者やカラスを見ても明らか。幸福の科学も、
半分以上はキリスト教。麻原も、キリスト教の影響さえなければ、あそこ
までは絶対にやらなかったはず。
656新人:2009/01/07(水) 15:11:18 ID:MRCmSiVc
社会常識というのはまさに「無常」で時代状況によって千変万化するものでもあるんですよ
いくら君がこれが常識だと思い込んでも時の流れの中で君の常識も君自身も消えていくものです
これが時代常識に関わらず妥当する不滅の真理なのです。
657堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/07(水) 15:11:41 ID:lG3OVeVG
いやだからね、新興宗教を否定したがる人は、まず己の拠って
立っている常識も検証してみないといけないんだよ。

そうしてみると、社会的常識というのも、慣習の寄せ集めであって、
それもひとつの宗教であり、それを自明視しているということは、
それにmind controlされていることになるわけ。

大乗仏教は果たしてほんとうにまともか?
神道は果たしてほんとうにまともか?
Christianityは果たしてほんとうにまともか?
天皇を崇めることが果たしてほんとうにまともか?
民族主義が果たしてほんとうにまともか?
市場経済が果たしてほんとうにまともか?

そういう相対性にまず敏感であらねばならない。
そして、我々は無根拠な泥沼の宗教性にまみれて生きているという
現実に自覚的であらねばならない。

そのことに無自覚なまま素朴に新興宗教を批判しても、それは
自分達の宗教性の無根拠さを暴くことにしかならない。
658堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/07(水) 15:15:10 ID:lG3OVeVG
そして、その無根拠な泥沼の宗教性の果てに、我々は
唯一絶対の実体である物理的実体(PE)への依拠こそが
唯一そこから抜け出す手段であることを理解してくては
ならないわけです。

http://mankindism.xxxxxxxx.jp/

【究極の宗教】Physical Mankindism3【物質人類教】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1219099869/
659神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 15:28:42 ID:jbYrSa/l
カルト野郎は江原のチンポでもしゃぶってろよ
660堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/07(水) 15:29:08 ID:lG3OVeVG
ついでに言うとね、ほとんどの新興宗教の勧誘手段は、

・社会的(集団的)承認・包摂

なわけ。で、そういうのに入る人たちは、そういうのを
求めている人達なわけ。
だから、そういう宗教においては、お題目は何でも
いいんだよ。求める人がいて、与える人がいて、という
環が存在しているだけ。

これは宗教に限らず、例えば一昔前だったら、左翼団体
なんかもそうだったよね。


で、そういう実存で、そういう宗教に属している人達に対して、
「その教義は間違っている」
と言っても、あまり意味は無いわけ。

「なら、おまえ達は、私にこれ以上の承認・包摂・幸福感を
与えてくれるのか?どうなんだ?」

と反論されて、応えられますか?
おそらく、ここで匿名で批判書き込みしている人達が、そういう
承認・包摂を与えることは無理でしょう。

着眼点がそもそも間違っているわけです。
661神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 15:35:54 ID:fN0M+cBr
>>616
>「なぜ釈迦の言うことを信じられるの?」
信じる、信じないという問題ではない。仏教はいわゆる信仰ではない。
なにが釈尊の直説かは定まっていない。
かりに定まったとしてもその時点での“釈尊の”真相の言語『表現』であり
真相自体ではない。ましてや方便に於いてをや。
経典自体もそれを表した人のその時点での空蝉であり蛇の皮を示されたに過ぎない。
いわゆる先達の公案にしかすぎない。
真相表現の固定化などありえない。
だからこそ仏灯明ではなく法灯明であり自灯明なのだ。
真相=仮に空と表現するなら、言語による分節化以前を言語で表現できないのは当然だ。
語りえぬコトの前に沈黙(ウィトゲンシュタイン、維摩)せず語るとすれば、
逆説・否定表現・無差別平等=等価=無化なものとして交換・変転・無意味たらざるをえないだろう。
間違ってはならない。
逆にその表現が体系的な有意味性があるとすれば、それは真相表現ではありえないのだ。
662新人:2009/01/07(水) 15:37:41 ID:MRCmSiVc
要するに堀江くんは「同じ新興宗教だったらウチに入って下さい」といいたい訳だね

かいつまんでどういう教義、イデオロギーなの?

663神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 15:43:20 ID:fN0M+cBr
すべてが逆説的であらざるをえない
664神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 15:47:35 ID:fN0M+cBr
>>662
>どういう教義、イデオロギーなの?

教義、イデオロギー?
こういうことを平気で言っている以上なにも判っていないことは明白。

cf⇒>>661
665神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 15:52:24 ID:ogUWE5VI
結局宗教ってのは教祖の神秘体験がすべてなんだよ。

だから、仏教もいろいろと分かれるわけ。

釈迦に神秘体験がなく、哲学と思えば哲学となる。
ソクラテスとかもそうだしね。
666堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/07(水) 15:55:33 ID:lG3OVeVG
>>661>>663
一種の否定神学ねw
それなら、あなたの他解釈への批判もまた否定の対象となる。
誰の手も届かないのだから。

>>662
残念ながら、私の宗教は他の宗教と横並びではありません。
物理的実体(PE)から切り離された妄想的観念を垂れる類の
宗教とは明確に一線を画しています。

唯一絶対の実体である物理的実体(PE)に依拠することで、
実態と規範の結節点として存在している唯一の宗教です。

であるがゆえに、「信仰」は必要ありません。
全ての人類が無自覚なまま従っているのですから。
その内容を知って、自覚的に賢く振る舞う人間と、そうでない
人間の差異があるだけです。

詳しくはwebsiteでどうぞ。
http://mankindism.xxxxxxxx.jp/
667神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 15:57:32 ID:fN0M+cBr
池田や大川に教義、イデオロギーなるものがあるとすれば、

完全なニセモノでありカルトであることの逆証明である。
668227 :堀井の程度、実力:2009/01/07(水) 16:04:26 ID:S56gplF5
堀井君の攻略法、堀井君スレにかいてやったぞ、
皆様ご参考を。
669神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 16:07:02 ID:fN0M+cBr
>>666
だから>すべてが逆説的であらざるをえない ーと言っている。

仏教のポイントであり、このことを掴むこと、直覚することが悟りなのだ。
開眼なのだ。
無明な新人=宝珠愚者だの堀井だのには無理だ。
いつまでも迷妄の淵を彷徨うしかない。
670堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/07(水) 16:10:59 ID:lG3OVeVG
>>668
攻略どころか、あなた程度の素朴な書き込みは、
当初からいくらでもあるよw
あなたがNew age系の素朴な人だということは
わかったよ。

>>669
というあなたの信念・書き込みも否定されることになります。
671神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 16:23:11 ID:fN0M+cBr
>>666
>唯一絶対の実体である物理的実体(PE)

なんら経験主義的に証明しえないノーテンキな形而上学的唯物論であり、
カント以前の素朴実在論にたいする信仰にしかすぎない。
物理的実体(PE)を『ウンコ』とか『物自体』とか『神』と言っても形而上学として成立する。

戯論であって論外。

672神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 16:25:02 ID:fN0M+cBr
>>670
 やっぱりアキメクラとしか言いようがないねw
673堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/07(水) 16:33:22 ID:lG3OVeVG
>>671
>>615はあなたの書き込みでしょ?
ずいぶんブレや混同が激しいね。
認識が定まってない証左ですよ。
674神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 16:37:31 ID:fN0M+cBr
>>673
だから>唯物論・科学的には と断っている。
675堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/07(水) 16:40:45 ID:lG3OVeVG
>>674
だから、それを論拠に出すということは、認めて
しまっているわけです。自覚ないのかもしれないけどw
無自覚なままブレまくりなんです、あなたは。
676神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 16:48:21 ID:fN0M+cBr
>>675
わざわざ他の視点から見ることをことわって書いているのに、
それが『論拠』になるとは意味不明。
唯物論的科学視点からすれば転生とはクローンのことだろうと視てみるのが、
なにゆえ唯物論者になってしまうのか理解できない。
彼女の立場で考えれば、俺はオンナになるのか?
6771/3 初代スレ7:2009/01/07(水) 17:06:51 ID:/CQJ0Nr5
>>534
>輪廻転生を否定するということは、我慢して無理に行き続ける意味もない。
>自殺が最善じゃろな!無理して生存を続けるよう説く理論も希望もないからな。
だからw
こういうのを短絡だと、極論だと言ってるんじゃないですか。頑固な人だなぁ・・・w

人々が生きていくに際し、互いに掛け合っている言葉を無視か?
(それは輪廻と直結していない。多くの人は、“輪廻を【信じて】”言葉を掛け合っているわけではない。)
カラス氏や貴方の指摘する「自己中心の刹那思考」といったベクトルが存在することを否定はしない。
ただ、そうではないベクトルも存在するし、その後ろ盾は必ずしも「輪廻」であるわけではない、と言っている。

>「俺は好き勝手三昧に楽しむ。他人は関係がない!」という人間を説得する理論がないからな。
一例として・・・。
サンユッタ・ニカーヤ 第T章-第3篇-第1章-第8節 "マッリカー"
仏教内にも仏教外にも種々あるだろう。根拠も語り口も種々あろう。
それらを無意味・無根拠・役に立たないと切って捨てるなら、それは、
前向きに生きている人々の姿勢に対する大きな侮辱だ。

上のマッリカーの逸話も、突き詰めれば「自分中心の位置」からスタートしているわけだが、
それでも、そこから“他者”との関係性が導かれている。(勿論、現世に於ける、今まさに自己を囲んでいる他者に対してだ。)
6782/3 初代スレ7:2009/01/07(水) 17:07:39 ID:/CQJ0Nr5
>>534
「輪廻への畏れ」もまた「自己中心的動機」でしかない。
自分が(来世に於いても)苦を受け続けるのを厭い、その為に悪を為さず善を重ねる。理論としては完璧だ。
しかし、仏教の(お釈迦さんの求道の)出発点が「自身の苦の解決」という「自己中心的動機」であったとしても、
45年間の説法の間、それのみではなかった筈だ。
慈悲の後ろ盾は、必ずしも輪廻のみに依拠するものではない。
貴方方の論調が、「輪廻から【しか】慈悲は導けない」という風なので、疑義を挟んでいるのです。
「輪廻【のみ】が、悪行の忌避と善行の推奨の基盤である」という風なので、疑義を挟んでいるのです。
「現世には因果や業報はない」という風なので、疑義を挟んでいるのです。
「輪廻への畏れ」を動機とする時、他者の姿は霞んでしまうのです。
その時、他者の姿を浮かび上がらせるのは、別の理由に拠っているのではないか?と言っているのです。

仏教がその究極として、実存的に、徹底的に自己を見つめ尽くすものであったとしても、
他者なぞどうでもいいというわけではなかろう?
他者の生を尊重する理由は「輪廻から【しか】導けない」のだろうか・・・。

>業報もなし。善因善果-悪因悪果もなしとは、デタラメも酷過ぎる
因果は、現世の中にはないとでも? 現世には業果がないとでも?来世にのみ果はあらわれるとでも?

現世の因果(→「(今この瞬間の)自身の心の在り様」)を見ずに、どうして
「自身が無常であること」「自身が縁起するものであること」「自身が無我であること」
に頷くことができようか。


悪行を避け善行に親しむ為の理由付として、そして併せて(同時に)刹那的思考を戒める為の理由として、
「輪廻への畏れ」は最適だろう。ただ、それ以外にも理由付けできるのでは?と言っているのです。
輪廻以外にも理由付けとして有効な事柄はあるのでは?と言っているのです。
(付け加えるならば、現代に於いて「輪廻への畏れ」は諸刃の剣となってないか?ということです。)
6793/3 初代スレ7:2009/01/07(水) 17:08:56 ID:/CQJ0Nr5
>>534
駄弁ついでにw

>しかし、今は生きているのが辛くて希望がないという人にとってはどうだ?
>輪廻転生を否定するということは、我慢して無理に行き続ける意味もない。
次の生があるなら、(頑張って頑張って、浄く生きてきた自負があるなら)、
無理して生きずに自殺して、来世に希望を託して再挑戦すればいいじゃないですかw
うまくいかない人生なら、次の生に持ち越せばいいじゃないですかw
なぜ、そうしないんです? 自殺して次のチャンスに賭ければいいじゃないですかw
(宝珠氏はハッキリそう言ってましたよ?www)


ちなみに、
「今生は悪いことをせず(他人様に迷惑をかけず)、
(いいこともちょこっとして)、そこそこ楽しんでおいて、来世で頑張ろう!」
というベクトルを戒める言葉にはどんなものがあるのでしょう?(それとも、戒める必要はない?)
680神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 17:19:11 ID:+kgsv3H8
>>679
>次の生があるなら、(頑張って頑張って、浄く生きてきた自負があるなら)、
>無理して生きずに自殺して、来世に希望を託して再挑戦すればいいじゃないですかw
>うまくいかない人生なら、次の生に持ち越せばいいじゃないですかw
>なぜ、そうしないんです? 自殺して次のチャンスに賭ければいいじゃないですかw

酷いですね。行でなく絶望して自殺したら来世、いいわけないでしょう。
とてもじゃないがよい生は、望めない。
仏教が自殺を認めない理由は、それ。自殺しても、より苦しい状態になるだけだから、なんですけど。

あなたから、上のセリフを聞くとは思いませんでした。
681初代スレ7:2009/01/07(水) 17:23:25 ID:/CQJ0Nr5
>>680

≪「死ねば終わり」→「自殺すれば?www」≫

を裏返した表現のつもりなんですがね・・w
なぜ、上の表現は批判されずに済むのでしょう?
貴方は説明できますか?
682初代スレ7:2009/01/07(水) 17:55:18 ID:/CQJ0Nr5
>>680

「輪廻」という考え方を知らずとも、
自分を大切にすることはできるし、他者を大切にすることはできるし、
【今を大切にすること】はできる。
「輪廻」という思想背景を持たない考え方を、断罪・弾劾する姿勢が見え隠れするから咬みついているんですw
今は、世界宗教者会議なるものもあるようだ。
様々な価値観の方と対話する時に、自説以外をこき下ろすあり方が、果たして正当かどうか?ということでもある。
私だってTPOで語り口・内容・詳しさは変わる。普通に仏教を解説、話し合う場なら、こんな喰い下がり方はしない。
だが、ここはそうした、「内部の者のみで語り、深める場」ではなかろう?
宝珠氏も怪しかったが、大川の手先(巧妙な釣りじゃないかという気もするが・・w)まで登場している。
御隠居系統の書き込みも多い。
仏教の枠の外から言葉を投げかけてくる者に対して、適切な言葉を用意することは愚かなことか?
 (正直な感想を言わせて貰えば、決定打は未だ記されていない。)
梵天勧請の逸話じゃないが、
「聞く耳を持たない者は聞かなくていい」、「必要とした者が耳を傾ければいい」
というのが仏教の本質ではあろうが、今の時代、「だから、解んなきゃいいよ」と
対話自体の放棄や、伝わる言葉の模索をしなくてもいいとは思わない。

>>676ではないが、
スレ1の段階から、私は「仏教外の者の足場」へ寄り添う形でこのスレに参加しようと決めていたし、
「敵を知れば云々」ではないが、言葉を紡いでゆく際の参考には有効だ。
《対論者の根拠と論理展開が如何なるものであるか》を把握できていた方が、言葉は紡ぎ易くないか?

その意味で、極論の横行する2chは大変興味深い。(自分が言葉を選んでいく際の大きな参考になってもいる。)
683神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 18:00:02 ID:+kgsv3H8
その表現法、態度は問題ですが、基本的な論理には同意しますから。
なぜなら、仏教を受け入れて一切皆苦を認めるなら、輪廻がしないんだったら自殺するのが論理的でしょう。

仏教という前提をなしにしても、死ねば終わりと思うから、
絶望したら自殺するのが現代日本でしょう。
あるいは、死ねば終わりだから何やってもいいとか?
違いますか? 





684神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 18:02:27 ID:vGzYbkoS
>>681
>>輪廻転生を否定するということは、我慢して無理に行き続ける意味もない。
>>自殺が最善じゃろな!無理して生存を続けるよう説く理論も希望もないからな。
>だからw
>こういうのを短絡だと、極論だと言ってるんじゃないですか。頑固な人だなぁ・・・w

あんた、世俗の感覚と仏教的厭世観でみる世間とすり替えては、極論だとか言って逃げているんじゃん。
おんなじことばっかり繰り返して駄々っ子みたいに逃げてるばかり。
ちょっと追い込まれたら、直ぐに泣き言いって哀れみ誘ってみたりして。
みっともないったら、ありゃしない。
その癖に、人が弱いと思ったら思いっきり叩いてみたりして、イジケの塊みたいなヤシだね。
少しずつとか、殊勝っぽいことたまに言ったりするけど、全く進歩なし。
臨在禅はキンタマの無い女の腐ったのしか居ないのかい??
685初代スレ7:2009/01/07(水) 18:04:03 ID:/CQJ0Nr5
こうして考えると、
昆布やてすと、りょんの態度は素晴らしかったんだなぁ・・と感慨深いよw
686神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 18:04:08 ID:Eb2grsna
>>657
>そうしてみると、社会的常識というのも、慣習の寄せ集めであって、
>それもひとつの宗教であり、それを自明視しているということは、
>それにmind controlされていることになるわけ。

すべての人間に共通な根源的事実は「生存本能(生命)」だから、その生命
維持(共生)の知恵としての常識は、「宗教」とは本質的に異なる。

貴君のPM理論も、「人間は物理的現実に100%依存しない限り、絶対に
生存できない」という点において意味がある。従って、PM「教」というのは
おかしい。人類共同体における、すべての成員の、唯一至高の「権利にして義
務」である。

「基本的常識」、例えば「人を殺し、傷つけてはならない」は、時代によって
変化することはない。人類が存続する限り、存続する。
687堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/07(水) 18:13:07 ID:lG3OVeVG
>>686
ええ、Physical Mankindismの内容の大部分は、宗教という体裁を
採る必要が無いものです。

ただし、
・PMが開示する実態のprocessを、「穏健・円滑・迅速」に進めるという
点において、価値観が介在している
・分かりやすさ
・連帯の必要性

等、諸々を考慮した結果、宗教という体裁を採った方がいいという判断に
達しました。
688神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 18:13:49 ID:2xzfKdRC
>>仏教の枠の外から言葉を投げかけてくる者に対して、適切な言葉を用意することは愚かなことか?

自分の仏教徒としての足元すら怪しい人間が、なにを偉そうなことを。
カルトがどうとか言ってるが、生身の人間としてきちんと自州が出来ていれば、どんな教義の上にでも人道的生方は出来るはず。
戦乱の軍国主義の世の中にも人としての善悪をわきまえ、真っ当に生きた人はゴマンといる。
ましてや、四句或いは五句の誓願を保つ菩薩ならば、輪廻の教説を破壊的に使うなどありえない。
男なら、しゃんとしろ!この、ばかちんが!!
689初代スレ7:2009/01/07(水) 18:24:06 ID:/CQJ0Nr5
>>688
ほうw

>生身の人間としてきちんと自州が出来ていれば、どんな教義の上にでも人道的生方は出来るはず。

自分で発したこの言葉、忘れないでくださいね。

ちなみに、上の発言は
《「輪廻」のない教義の上でも人道的生き方は出来る筈》
という文意と受け取って宜しいので?w
690神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 18:25:14 ID:Eb2grsna
>>687
了解。但し、「物理的現実」が観念化して、「宗教」に逆戻りをしない
歯止めが必要。「宗教間論争」を何千年やっても、何の成果もないことは、
歴史が証明するところ。
691神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 18:30:56 ID:Eb2grsna
>>682
>決定打は未だ記されていない。

「生物的生存本能(生命)」以外の決定打があれば、是非挙げてください。

もっとも、生命がなければ、宗教や輪廻についての議論はもとより、
あなたの意見の書き込みさえできないのだがw。
692神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 18:43:31 ID:6zElQL0G
>《「輪廻」のない教義の上でも人道的生き方は出来る筈》
>という文意と受け取って宜しいので?w

もちろん、よろしい!
ただし、それは解脱への道ではない。
ましてや仏法ではありえない。
人としての、最低限の道。

屁理屈ばかり捏ねているから、何時までも泣き言のくり返し。
693初代スレ7:2009/01/07(水) 18:43:53 ID:/CQJ0Nr5
>>691
誤解すんなwww

このスレでの私の発言は、その殆どが貴方の立場を擁護するものだというのに・・・w
694神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 18:46:32 ID:Eb2grsna
>>692
「自分の」輪廻を逃れるための解脱など、他者にとってはくその役にも
立たないw。
695初代スレ7:2009/01/07(水) 18:47:12 ID:/CQJ0Nr5
>>692
了解。
その言葉が聞きたかったw
696初代スレ7:2009/01/07(水) 18:51:58 ID:/CQJ0Nr5
>>683
>なぜなら、仏教を受け入れて一切皆苦を認めるなら、輪廻がしないんだったら自殺するのが論理的でしょう。

ならば問う。
なぜ釈尊は在家信者の在り方を認めたのか?
すぐにでも出家させて、阿羅漢を目指させるべきではないのか?
なぜ、(適切な時節が来るまで)思い留まる様助言したのか?
年少者の出家に猶予を持たせたのはなぜか?
村落の全員が出家したら、そこでの托鉢は不可能だ。他の村へ行くしかない。
他の村の全員が出家したら、そこでの托鉢は不可能だ。また他の村へ行くしかない。
人類全てが出家した時、比丘は生存不可能だ。それこそ、般涅槃を待つのみだ。
(もしかしたら、地球にとっては人類が絶滅する方が良いのかもしれんが・・・w)


>一切皆苦を認めるなら、輪廻しないんだったら自殺するのが論理的

「一切皆苦」とは、そういう“世俗的負の要素”として捉えるものだろうか?
いみじくも>>684が述べてくれている。
>世俗の感覚と仏教的厭世観でみる世間とすり替えて
と・・・。

勝義で言う(→ >仏教的厭世観でみる )「苦」と、一般的世俗の「苦」は違うだろう?
寧ろそれを(意図的に)混同させているのは貴方方ではないか?
697神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 18:52:44 ID:+N3Fnpp7
>>694
向こう岸まで泳げるライフセーバーと金鎚のライフセーバーがいて、どっちに助けてもらいたい?
先ず、その減らず口を閉ざすところから、解脱の道は始まる。
698初代スレ7:2009/01/07(水) 18:59:13 ID:/CQJ0Nr5
>>694>>697

参:
217 神も仏も名無しさん sage 2008/01/21(月) 18:41:14 ID:9Hm+vYNA
>> 216
はい。同意します。

ただ、自分の解決の後、
ふと、後ろを振り返った時、
自分が避けてきた水たまりに、よそ見して踏み込もうとしている人がいる。
水たまりに入り込んで、足がずぶぬれになっている人がいる。
これまで、何度となく水たまりに入ってきて、ドロドロに汚れている人がいる。
そういう人達を見て、
・「そこに水たまりがあるよ」「水たまりはこうして避けるといいよ」
と声を掛けるか、
・「他人がずぶぬれになろうが汚れようが知ったこっちゃないww」
 「とりあえず俺は難を逃れてるからそれでいい」
と考えるか、
ってとこですね。
699神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 18:59:21 ID:Eb2grsna
>>697
ライフセイバーは、その文字どおり「生命」を助ける。解脱は、肝心の
生命を助けることは出来ない。

それに、金槌のライフセイバーがいるかねw。例えがおかしい。
700神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 19:02:06 ID:o6tqjpwm
>>696
あほか。
釈尊が老体に鞭打って歩き回った末に、こんな不肖の弟子が出来たとわかったら、悶死するぞ。
お主が、自分の食い扶持ばかり気になるから、こんな下らん質問までする。
アホらしい上に、手がだるいから、返事はせん。
701初代スレ7:2009/01/07(水) 19:07:14 ID:/CQJ0Nr5
すぐ近くにあったのでついでに。

206 神も仏も名無しさん sage 2008/01/21(月) 11:52:12 ID:xpqcoxgD
>> 204
同意。

山の頂上にいる人と麓にいる人。
頂上にいる人は、その景色の素晴らしさを語る。
麓の人はその景色を知らない。
頂上にいる人が、景色の詳細を微に入り細に入り語っても、麓の人には伝わらない。
概要程度にしておく方が良いかもしれない。
頂上にいる人は、その登山ルートをも語る。「自分はこうして登ってきた。あなた方も登って来なさい」と。
その言葉を信じた者は、頂上目指して登るだろう。
体力に自信のない者は、頂上の景色を思い描きながらゆっくりゆっくり登るだろう。
自分にその景色が必要なくとも、頂上にいる者の言葉を信じた者は、それを分析するかもしれない。
違う景色を欲する者は、別の山の頂上にいる(行ったことのある)者を選ぶだろう。
違う景色を欲する者は、自分で別の山の頂上を目指すかもしれない。

ちなみに、
百尺竿頭、下化衆生、菩薩道などは、頂上から一旦麓へ降りてきて、共に手をとり登るようなものだろう。
702神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 19:10:26 ID:fN0M+cBr
>>683
>一切皆苦で輪廻なしなら自殺すればいい
 無常=無我=縁起=空を自得できないから無明相対世界で一切皆苦なのであって、
無明自我が寂滅して不一不二の生死一如の中道の真相を悟れば苦⇔楽自体が寂滅し、
さらに業報輪廻などチンケな無明妄想だということが判然する。
だからこそ、早いとこ悟って慶安に生きればいいだけのこと。
そうでなければ、自殺しても無明人間として縁起しているのが一切皆苦で終わるよ、だよ。
・無明人間⇒一切皆苦
・明智人間⇒慶安寂静 
ブッダの問題意識は、『人間として縁起している間に無明人間から明智人間に転換すること』 これだけ。
あとはどーでもいい金魚の糞だ。
703初代スレ7:2009/01/07(水) 19:13:58 ID:/CQJ0Nr5
>>700
ほうw
具体的批判はできないらしいw

>アホらしい上に、手がだるいから、返事はせん。
逃走宣言か? 不甲斐ないなw
704堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/07(水) 19:30:15 ID:lG3OVeVG
>>690
ええ、ですから、Natural science(自然科学)に常に
寄り添いながら、その知識を共有・普及するための
勉強会を日常的に開催していこうと考えています。
そうすれば、発散・分裂・観念化を避けつつ、一定の
consensusを維持できるでしょう。

まあ、人類がNatural scienceに到達できたように、
どんな妄想に逃避しようとしても、物理的実体(PE)
からは誰も逃げも隠れもできないので、一定の
枠内に収まると思いますが。
705神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 19:36:14 ID:JgYMqzPJ
>>701
>頂上にいる人は、その景色の素晴らしさを語る

ロープウェイが出来たら登るよ。
脳内物質が解明されたら、仏教なんていらねw
706神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 19:37:00 ID:XJUml3ME
>>699
>それに、金槌のライフセイバーがいるかねw。例えがおかしい。

いるよ。

大川隆法は、どうだい?
池田大作は、どうだい?
桐山靖雄は、どうだい?
麻原彰晃は、どうだい?
etcetc...

けっこういるじゃないか。

>>703
>逃走宣言か? 不甲斐ないなw

じゃあ、一つだけ応えとこう。
釈尊も人としての限られた時間を有効に使ったのだよ。
生天の器には、今生の生天を足がかりに順後の解脱を、羅漢の器には解脱を、芽の出そうなところから種をまいた。
お主みたいに物分りの悪いのの前は、何時の生かわかってくれよと拝みながらスルーした。
707神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 19:49:54 ID:AUgHtCOb
>>683
>なぜなら、仏教を受け入れて一切皆苦を認めるなら、輪廻がしないんだったら自殺するのが論理的でしょう。
仏教という前提をなしにしても、死ねば終わりと思うから、絶望したら自殺するのが現代日本でしょう。

ループしてるだけw
頭でっかちで論だけ考えるから、そんなイチャモンつけになってしまう(笑
君は、宝珠愚者と同一人物?

<生命>は何よりも優先する本能でしょう!
708神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 19:51:23 ID:+kgsv3H8
>>696
>なぜ釈尊は在家信者の在り方を認めたのか?
>すぐにでも出家させて、阿羅漢を目指させるべきではないのか?

個人の意志が重要だから。仏教は何事も強要しないでしょう。

>なぜ、(適切な時節が来るまで)思い留まる様助言したのか?
>年少者の出家に猶予を持たせたのはなぜか?

年少者が自分の意志で判断できないことと、
サンガの中で自立して生きていけないからでしょう。
これは障害者が出家できないことと同じだと思われます。

>村落の全員が出家したら、そこでの托鉢は不可能だ。他の村へ行くしかない。
>他の村の全員が出家したら、そこでの托鉢は不可能だ。また他の村へ行くしかない。
>人類全てが出家した時、比丘は生存不可能だ。それこそ、般涅槃を待つのみだ。
>(もしかしたら、地球にとっては人類が絶滅する方が良いのかもしれんが・・・w)

そういう仮定論は現実的ではありませんね。
実際、ビルマ、タイ、チベット、ブータンでもサンガが維持できてるという
現実をみれば、全員出家などありえないと分かるでしょう。

>>世俗の感覚と仏教的厭世観でみる世間とすり替えて
>
>勝義で言う(→ >仏教的厭世観でみる )「苦」と、一般的世俗の「苦」は違うだろう?

同じというか、包括されるでしょう。仏教は世間でいう楽も苦と見るんですから。

今回は、ずいぶんおかしいですね。7さんは、厭離の実感が弱いのではないでしょうか?
もちろん、厭離を説くことが通仏教的なことであるのはご存知ですよね。
709神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 19:52:57 ID:AUgHtCOb


☆******************************************★*****************************************☆


★ 従来の宗教は、生命とそれを維持する自然(現実界)の根源性に、充分に思い至っていない。

☆ しかし、生活者たちは、意識的・無意識的に、その<根源性を基盤>として生存 している。


  _            
  /〜ヽ プルルン♪      ■生物的生命(生存本能)がなければ、釈迦もイエスもなく、
(((。・-・))) プルルン♪       ■ 仏教もキリスト教もない。知覚も認識も思考もない。★☆
  ゚し-J゚    プルルン ルン♪       ■ 従って、この世界もない。



☆******************************************★*****************************************☆


710神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 19:55:57 ID:+kgsv3H8
>>702
あの〜、ということは宿命通とか出てるはずですが出てますか?
無常=無我=縁起=空を悟ってるということは、
当然、三昧には入っているはずですが。

どうも、ただ観念的に無常=無我=縁起=空を理解してるだけのような気がしますが?

輪廻と無常=無我=縁起=空が矛盾しないのは当然、悟っておられますよね?
711神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 20:01:32 ID:5SIK1f5Q
>>710
曽我逸郎のコピペじゃないのか?
712前スレ170:2009/01/07(水) 20:03:42 ID:DS2D91vm
新人さんは釣りだと思っていたのだけれど、本気なんだね。
からかってすまなかった。御免なさい。
…いや、かといって、大川隆法の言うことに賛同する気は毛頭ないんだけれども。

>551 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/07(水) 08:21:41 ID:GrxNrvvk
>>>547
>>違うね。三時業と言う事を言ってる。
>>「前生に学んだ仏法を今世また学ぶなり」という一文は余りにも有名。
>
>禅者というのは、こういう洒落が好きなんですよ。
>一休もそうでしたが。
道元に洒落が通じると思っているのか…
死ぬ前に如来神力品を読むような狂信者に、無いものねだりしてないか?
机さんの三時の解釈と道元の三時の解釈は違うと考えるが普通じゃないかね。
大川隆法信者に肩入れするのは癪だが、この件に関しては新人さんが正しいと思うぞ。
(まあ、道元の言う事が正しいかどうかは、また別の問題だけれども)
713神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 20:07:53 ID:5SIK1f5Q
>死ぬ前に如来神力品を読むような狂信者

おもいっきり、ワロタ。
道元は仏法の為なら、非情になれる男だ。
714神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 20:10:16 ID:+kgsv3H8
>>711
違います。曽我逸郎さんは、常識仏教派でしょう。

無我=縁起=空を悟るには三昧・サマタ、止という状態が必要だということは通仏教的なことなんです。

『大四十経』を田中教照先生の論文より再掲しときます。

 比丘たちよ、それでは邪見とは何であろうか。布施なく、祭祀なく、供犠なく、善悪業の報いなく、
 此世、彼世、母、父なく、化生の有情なく、沙門バラモンにして正行正習、自ら此世と彼世を知り
 証して説く者の世になし、と主張する、これが、比丘たちよ、邪見である。

 比丘たちよ、煩悩があり、福徳を分有し、煩悩の拠り所たる心身の展開上にある正見とは、
 布施あり、祭祀あり、供犠あり、善悪業の報いあり、此世、彼世、母、父あり、
 化生の有情あり、沙門バラモンにして正行正習、自ら此世と彼世を知り
 証して説く者の世に在り、と主張する、これが、比丘たちよ、煩悩があり、福徳を分有し、
 煩悩の拠り所たる心身の展開上にある正見 である。



715神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 20:48:43 ID:I3Rh0kDd
>>702
答えになってないね。
無明だろうが明知だろうが死ねば
おわりだから関係ない。
苦で死のうが静で死のうが関係ない。
死んだら無なんだから。

君達の決定的誤謬というか
輪廻肯定者に対しての敗北は
この点に尽きるよ。

何故人間としてある時に明知にならねばいかんの?
死ねば無なのに。あフォちゃう?

ブッダは今生で確かに苦を脱したかった。
そのために煩悩を絶てと仰った。
結果として当時のインドで問題であった
輪廻解脱もしてしまったのだよ。
ブッダの力点は輪廻解脱にはなかったかもしれん。
しかし輪廻を否定しておられた訳ではない。
716神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 21:01:22 ID:fN0M+cBr
>死ねばおわりだから

どうして確認しましたか?証明してください。
ついでに、輪廻が実在であることも確認証明してください。
尚、仏典記述などについては>>661参照。
生⇔死の二項対立、相対世界、我執のままですね。
PMと同じ無明世間常識論です。
717神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 21:18:06 ID:I3Rh0kDd
机だかちゃぶ台だかしらんが
ナマクラな禅を組むと本当に野狐になる
と言う事がよくわかった。

ちゃぶ台、その他輪廻否定論者にとっては
死即ち無なんだろう?
718神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 21:34:42 ID:fN0M+cBr
>>686
>貴君のPM理論も、「人間は物理的現実に100%依存しない限り、絶対に
>生存できない」という点において意味がある。従って、PM「教」というのは
>おかしい。人類共同体における、すべての成員の、唯一至高の「権利にして義
>務」である。

それとブッダの本懐である『生存苦からの脱却』とどういう意味的関係がある?
実を言うと紛争戦争犯罪だらけの「人類共同体」とやらは残念ながら無明集団であり、
そのような無明世間から脱し、出世間のまなざしを獲得することがブッダの教えではないのか。
『関係性』『共同体』を叫ぶあなたの論はアジタ・ケーサカンバリンの唯物論そのままであり、
PMとやらのカント的物自体信仰教と同じく、無明世間的常識論の以上でも以下でもない。

あなたの世界はその実、自他分裂のままだ。


719神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 21:39:20 ID:fN0M+cBr
>>717
>死即ち無なんだろう?

生死・有無の二項対立・相対世界を超越した真相=空=中道を直覚することです。
スッタニパータ1119参照。
720神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 21:39:53 ID:I3Rh0kDd
>>549
よっ。ちゃぶ台。俺みたいな素人でも
道元禅師の修証義くらいはよんだことあるぞ。
なにかい?あれも洒落かい?
大した禅だなちゃぶ台の禅は。
721神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 21:44:55 ID:I3Rh0kDd
>>719
おまえさんは輪廻をどう考えてるの。
そして瞑想したことあるの?
三帰依はしているの?
722神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 21:47:36 ID:ROosFWn8
部外者だが、ここの仏教徒は、仏教の「関係性の原理(縁起・空)」という
「永遠の真理」を軽視して、何故、一切皆苦や輪廻転生などというチンケな
ことに執着するのかね。一切皆苦は、仏陀のうつ病の症状だし、輪廻転生は、
カーストという極めて非人間的な制度を生み出した病巣。これらを強調する
ことは、仏教の恥部の露出以外の何物でもないではないか。部外者は、誰も
相手にしないよ。
723神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 21:56:32 ID:ROosFWn8
>>722の続き

目を覆うような一神教の惨状を目の当たりにして、仏教に期待している
者は多い。キリスト教を「弱者のルサンチマン」として徹底的に批判
したニーチェは、仏教を「唯一の実証的宗教」「精神の衛生法」として
絶賛しているし、キリスト教の神学者でも「キリスト教が将来向うべき
方向は仏教」とさえ言っている。一切皆苦や輪廻転生は、実証的でも、
精神の衛生法でもあり得ない。

キリスト教とは全く異なり、仏教が2500年間、殆ど人を殺さなかった
理由は何かを、考えてみることだ。「神や霊、前世来世など、人間が考え
ても無意味なものは考えるな。涅槃に到らず」と説いた仏陀の、類い稀な
偉大さと先見性を想起すべきである。
724神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 21:58:55 ID:I3Rh0kDd
正しくは一切行苦な。
皆だと整合性がなくなる。
理由は自分で答え見つけろ。

本来レスする甲斐もない文章だが
少し酔っているのでな。
725神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 22:02:38 ID:I3Rh0kDd
四聖諦を否定しながらブッダ礼賛してる
奴もいるし。。
面白い人間がたくさんいるよ、ちゃぶ台を初めとして。。
726神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 22:12:54 ID:ROosFWn8
>>724
>>725
君も、浅薄にも、キリスト教に嵌ったのかね。
7271/2 初代スレ7:2009/01/07(水) 22:19:27 ID:/CQJ0Nr5
>>706
>お主みたいに物分りの悪いのの前は、何時の生かわかってくれよと拝みながらスルーした
全く同意しますよw
私はスルーの対象でしょう。貴方のご指摘通りですw

>>708
>現実をみれば、全員出家などありえないと分かるでしょう
そうです。現実的ではありません。
ですが、(【輪廻を基準に】、苦を脱する(輪廻から脱する)ことが目指されるものであるなら)、
《【論理的には】全員が非生産者となるべき》でしょう?ということです。(そのような批判をする人もいるでしょう。)
《【論理的に】「死ねば終わり→自殺」が導かれる》ように・・・。

>厭離を説くことが通仏教的なこと
はい。
ですから、牛飼いダニヤとの対話があり、出家の生活が「負債の無い生活」と讃えられるのでしょう。
この時、押さえておかねばならないことは、
仏典は、その記述の殆どが「出家者の為のもの」だということです。(援用可能性は一先ず措く。)
負債を処理しきれない者は、
《今生を善行で飾り、悪行の垢を落とし、来世での解脱を目指す》ことを当面の目標とする。
理論としての整合性は十分にあります。それを否定するものではありません。

ただ、(日本)仏教が歴史的に「輪廻」や「業報」をもってして「差別に加担(或いは容認)してきた事実」を思う時、
その語り口には慎重さが必要だと思うのです。(どこから間違ったのだろう・・・。)
差別意識など微塵もない若い和尚さんが、そうした負の遺産の処理に奔走しているのを見ると、
つくづく、「用い方が重要だなぁ・・」と感じさせられる。
翻って、(少なくとも)このスレに限ってみれば、そうした負のベクトルを修正する言辞は見当たらない。
水掛け論に終始しているように見えるのは気のせいか?
7282/2 初代スレ7:2009/01/07(水) 22:20:51 ID:/CQJ0Nr5
>>708
>>38さんが記されていました。
>輪廻からの出離という論理を説くブッダが、倫理を外れる輪廻の用い方をするはずもない。
>あくまでも、生死流転からの出離が基本である。
と・・・。
仰る通りだと思います。初期仏典として括られるものの中には、
負のベクトルを助長するような言葉は皆無でしょう。(ゼロとは言えないかもしれない・・・。)
そこに負のベクトルを生じさせるのは「解釈の仕方」によるのでしょう。
であるならば、(だからこそ!)、《今の時代に合った“語り口”が必要》だろうと思うのです。
「“ある”んだから信じなさい」とか「仏典の記述そのまま」では、同じ38さんが言うように、
>何度も何度もくり返し同じ事を様々な輪廻前提派の人たちが語っているが、
>全て無理解という徒労に終わる
でしょう。
ただ、 >語る人の責任ではない と言い得るかどうかは・・・。


私には、「輪廻」を印籠として用いる姿勢に抵抗があるのかもしれません。
(別に、被差別部落出身者でも、知り合いがいるわけでもないですが・・。)

38さんの言辞は重いと思われます。
仏典に輪廻が説かれている以上、仏典に依拠して何事かを語る時(そして、「輪廻」に触れざるを得ない時)、
その語り口こそが重要なのだろう、と・・。

伝統仏教が「輪廻」に関する言辞をトーンダウンさせ、新興宗教・カルト等が「輪廻」を(転生を)声高に語る・・。
この構図が意味するものは何だろうか・・・。

>厭離の実感が弱いのではないでしょうか?
弱いのかもしれませんねw
729初代スレ7:2009/01/07(水) 22:21:51 ID:/CQJ0Nr5
>>715
> ブッダは今生で確かに苦を脱したかった。
> そのために煩悩を絶てと仰った。
> 結果として当時のインドで問題であった
> 輪廻解脱もしてしまったのだよ。
> ブッダの力点は輪廻解脱にはなかったかもしれん。
> しかし輪廻を否定しておられた訳ではない。


このような言葉が聞きたかった。 多謝。 m(_ _)m
730神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 22:42:58 ID:ROosFWn8
>>729
他人の言葉に、一々感心しなくてもよろしいw。冷厳に「自灯明」で歩め。
731神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 23:41:20 ID:6PKly+cH
仏典を知る以前に転生輪廻を知ることはあると思いますか。
それとも、人に教わり転生輪廻を知るのでしょうか。
私はどちらもあるだろうと思っています。
732神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 00:23:16 ID:mbnsAI1D
>>717
もしも、本性上、あるものが有であるならば、そのものの無はあり得ないであろう。
何となれば、本性の変化することはけっして成立しないからである。
本性が無であるとき何ものの変化することがあろうか。また本性が有なるとき何ものの変化することがあり得るであろうか。
「有り」というのは常住に執着する偏見であり、「無し」というのは断滅を執する偏見である。
故に賢者は「有りということ」と「無しということ」に執着してはならない。
(竜樹 中論 15:8〜10)

733神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 00:45:27 ID:EP0cNyiC
>>732
それって、本当に竜樹の思想なのですか。前段で、すでに「有る」「無い」を
断定的に認めているから、最後の文章とは矛盾する。

「有る」「無い」を断定的に認めてしまえば、「執着するな」と言われても、
執着せざるを得ないのでは。
734神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 00:57:07 ID:mbnsAI1D
>>721
>おまえさんは輪廻をどう考えてるの。
輪廻転生肯定論を否認します。
>そして瞑想したことあるの?
あります。
>三帰依はしているの?
>>661 法灯明、自灯明 
     *現代において盲目的三帰依強調はカルトの温床となります。
735神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 01:09:57 ID:mbnsAI1D
>>733
『竜樹』(中村 元 講談社学術文庫 355頁)
???
<もしも〜であるなら>と否定予定の仮説です。
本性=自性
中道表現そのままだと思いますが。
おかしいですか?
736初代スレ7:2009/01/08(木) 01:12:00 ID:AIStc5AV
日が変わってしまった・・。夜中なのにスレの伸びが悪いなw

しかし、夜更かしが過ぎる・・・。
酒飲みながら夜更けにパソコン弄ってる時点で失格ではあるw

私に「浄信」がないという批判に、弁明の言葉は無い。


親鸞の
「たとひ法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候」
という宣言は、重く、深い・・・。



寝るw
737神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 01:22:28 ID:EP0cNyiC
>>736
>「たとひ法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりと
>も、さらに後悔すべからず候」

親鸞は、明らかに、現代の盲信カルトの元祖w。
738神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 01:46:04 ID:EP0cNyiC
>>735
無自性を言いたかったのですね。

それにしても、分りにくい文章。「本性の変化」などというから、本性
は認めているように解されてしまう。

無自生の説明には、もっと分りやすい表現があるのではないでしょうか。

前レスでの、原子、電子、素粒子に関連した堀井さんの説明のほうが分
りやすい。
739神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 02:12:57 ID:EP0cNyiC
>>735
その文章では、「無自性」のよってきたる「縁起・空・関係性」が全く述べ
られていない。ただ、「有る」と「無い」だけ。中村先生は、「縁起・空」を
本当に理解していたのでしょうかw。

竜樹の思想をもっと簡潔・完全に表現した文章があれば、またご教示ください。
740神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 07:01:06 ID:Fl3izL4r
>738
自作自演wwww
741机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/08(木) 07:18:50 ID:jVmhHUB8
>>633
>悟りが高まるというのは利他の気持ちが高まるということなので
>悟り競争が始まるとしたらそれは皆が幸せになることなのです

これは「悟り」というんじゃなくて、
広義のアナウンス効果ですよ。
(つまり宗教というより心理操作ですね)

大川は虚言癖がありまして、これはいわゆる人格障害の一種です。
サイコパスなどは、こういった心理操作にかけては優秀な才能があります。
またサイコパスは人間的にも魅力がありまして、
凡人は直ぐに騙されて詐欺にあったりしますね。

一連の書込みを通して、やはり大川の人格に問題がある。
と、このように結論つけました。
742前スレ170:2009/01/08(木) 07:28:48 ID:y5WGWHw7
715さん
>ブッダは今生で確かに苦を脱したかった。
>そのために煩悩を絶てと仰った。
>結果として当時のインドで問題であった
>輪廻解脱もしてしまったのだよ。
>ブッダの力点は輪廻解脱にはなかったかもしれん。
>しかし輪廻を否定しておられた訳ではない。
当たり前の書き込みを見ると心が和みます。

722さんへ
>一切皆苦は、仏陀のうつ病の症状だし、輪廻転生は、
>カーストという極めて非人間的な制度を生み出した病巣。これらを強調する
>ことは、仏教の恥部の露出以外の何物でもないではないか。
仏教はこのような恥部を持つ、邪教ってことでOKなのでは?
あと、輪廻転生とカーストの関係がよくわからん。
輪廻思想が確立する前にカースト制はあったし、非バラモンでも輪廻思想を受け入れることはありえる(ジャイナ教とか)。
大体、お釈迦さん御大はともかく、「仏教」自体はカースト制を克服できたわけではない。

あと、
>仏教が2500年間、殆ど人を殺さなかった
これはなんじゃ?
どこのパラレルワールドの話?義務教育で歴史は習ったよね?
743素人A:2009/01/08(木) 09:36:50 ID:2fFBI4vj
外のとこで書き込んでいるうちふと思いついたのですが、
夢なんか輪廻転生に似ていると。昨日の夢と今日の夢は私が観ているので
夢の中昨日の夢と今日の夢自体は魂輪廻しない。
この方式を輪廻転生に移行すると、元は仏?空?無我?一つが色という夢見ているとしたら、
色の夢は元では無いので、夢と夢がたとえ輪廻している様な事が有っても
それも空の夢の中の出来事か。不生不滅の空たけじゃ何か寂しいので?やっぱり
色色な夢見るのか。本当は私の命永遠に続き脳も呆けず健康我輪廻転生の本心か?
無我夢中の輪廻転生は不満足なのでしょうか。真我は芯が無いようですがまいいか。
744神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 09:43:18 ID:Fl3izL4r
インドでは輪廻思想と言うのはBC5,6Cごろ生まれたといわれている。
ギリシャでもだいたいそのころらしい。
したがってカーストの原型となったプルシャ神話と輪廻は直接関係がない。
そもそも、バラモンにとって非バラモンが死後バラモンに転生されては
都合が悪い。
745机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/08(木) 10:14:02 ID:XG7jq3iR
>>712
>道元に洒落が通じると思っているのか…

道元の論書は市井向けに書かれておる部分もありまして、洒落ですね。
この意とするところは、
末世の比丘は破壊をする者もおりまして、
これを口実に布施をしない在家信者がいる。

道元はこれを批判して、比丘の善し悪しには関係なく
ただ至心に供養すれば善い報いがくる。
(これが三時業を利用した)
と、かように説いたのです。

あと、禅者でも来世を云々する場合もありますけど、
これはあくまでも市井向けですね。

本気にしては駄目です。
あくまでも世俗の智慧ですからw
746机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/08(木) 10:17:56 ID:XG7jq3iR
×  破壊
○  破戒
747神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 12:38:06 ID:uCyldKv3
仏教以外でも、前世を記憶する子供達の話とか、いろいろあるわけですが、
それでも輪廻転生を信じない?
それとも、あくまで釈迦がそう言ったか言わなかったかが問題で、
実際に輪廻があるかどうかは、ここではどうでもいい?
748神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 13:08:25 ID:utuhLQGY
>>742
>>仏教が2500年間、殆ど人を殺さなかった
>これはなんじゃ?
>どこのパラレルワールドの話?義務教育で歴史は習ったよね?

一神教との比較において話している。キリスト教による大虐殺を認めたくない
だけだろ。簡単には、岩波キリスト教辞典の「宗教戦争」の項目を一覧されたし。

モーセによるバール教徒の皆殺し、宗教「改革」後の新旧両教間の血を血で洗
う殺し合い、欧州の人口の3分の1が殺された30年戦争、南米原住民の大虐
殺、魔女狩り、現代まで続くアイルランド紛争、旧ユーゴの一神教3教及びそ
の教派が入り乱れての陰惨な殺し合い。マルクス、ヒットラー、スターリン、
すべてクリスチャン。現代のアフリカにおける大虐殺の主導者たちは、みなキ
リスト教のリーダー。ほとんど毎日のように果てしなく続く中東での殺し合い。
世界のすべての大虐殺には、イエスの「愛の思想」の影がある。

これらの一神教の大虐殺に匹敵する大虐殺が、仏教で唯の一度でもありましたか。

なおヒンドゥー教は、実質的には一神教的であり、小乗仏教も原始仏教に近く、
やはり争いが多い。
749神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 13:19:09 ID:7IApFpW2
>>748
貴方は先ず、過去スレを読んでみてくださいね。
前スレ170さんは、今時珍しいくらい素朴な伝統的仏教徒ですよ。
750机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/08(木) 13:19:15 ID:jVmhHUB8
>>747
>>747
大川隆法が釈尊の再生誕ということで、信じてしまう人間もいるわけだから、
子供の戯言だって信じる人間はいますね。

子供というのは、空想と現実の狭間で生きてますから、
本人が嘘を言う自覚がないにしても、
虚言はあります。

本気にしないで、軽く流してしまうのが宜しいのではないでしょうか?
751神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 13:20:42 ID:7IApFpW2
机龍之介というのは、空想と現実の狭間で生きてますから、
本人が嘘を言う自覚がないにしても、
虚言はあります。

本気にしないで、軽く流してしまうのが宜しいのではないでしょうか?
752神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 13:29:50 ID:mbnsAI1D
いずれにせよ
業報輪廻説や三時業説は迷妄世俗イデオロギーであり(イデオロギーは仏教に相応しくない)、
−少なくとも私の意識の中ではー
論外のものとして廃棄処分にし、以後問題としない。
こんなくだらんことで惑わされるより、他にやるべきことが山ほどある。
753神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 13:34:17 ID:mbnsAI1D
業報輪廻説や三時業説はゴミだ。
754神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 14:31:59 ID:mbnsAI1D
  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
        | ○。         l  
       ノノ)            从   
      ( i从 〓〓ノ   〓〓 从从   
     从从 -=o=-   -=o=- 从从  
     从从        l      从从) 
     (从:.|.∴ヽ    ∨    /∴从人)   <三時業?まあ、あれはパスしとけ
    (人人| ∴!  ー===-' !∴.|从人)  
     (人人| ∴!  しw/   !∴|从人) 
    (人人| ∴!        !∴|从人) 
    (人人人_______ 人人ノ

By 道元かせんといかんばい
755神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 14:35:55 ID:QTqxq3YD
ルドルフ・シュタイナー
Books
シュタイナー輪廻転生譚
ジャンル: 哲学・心理・宗教
発行年月: 2009年01月
共著・訳者・掲載人物など
西川隆範

HMV レビュー
人間は死んだら終わりか? 死後の人生はあるのか?
ルドルフ・シュタイナーが語った「輪廻転生譚」の中から、プラトン、ニーチェ、シューベルト、ゲーテなど、著名な歴史上の人物の生まれ変わり論を紹介。
756神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 14:48:43 ID:QTqxq3YD
読売新聞社が17、18日に実施した年間連続調査「日本人」で、何かの宗教を信じている人は26%にとどまり、信じていない人が72%に上ることがわかった。
ただ、宗派などを特定しない幅広い意識としての宗教心について聞いたところ、
「日本人は宗教心が薄い」と思う人が45%、薄いとは思わない人が49%と見方が大きく割れた。
また、先祖を敬う気持ちを持っている人は94%に達し、「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」という人も56%と多数を占めた。

多くの日本人は、特定の宗派からは距離を置くものの、人知を超えた何ものかに対する敬虔(けいけん)さを大切に考える傾向が強いようだ。
調査は「宗教観」をテーマに面接方式で実施した。

死んだ人の魂については、「生まれ変わる」が30%で最も多く、「別の世界に行く」24%、「消滅する」18%――がこれに続いた。

(2008年5月29日23時41分 読売新聞)
757神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 15:38:15 ID:/1gRj+kW
>>728
>伝統仏教が「輪廻」に関する言辞をトーンダウンさせ、新興宗教・カルト等が「輪廻」を(転生を)声高に語る・・。
この構図が意味するものは何だろうか・・・。

ひとえに<脅しと甘言>で信者の心理操作に悪用・金儲けが出来、キリスト教の教義と
同じように語れて、この世界を邪教で支配したいという野望からでしょうw

■ 宗教団体・宗教指導者の野望は大きなエゴです。 ■
758神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 15:40:45 ID:/1gRj+kW
>>749
貴方は先ず、キリスト教の歴史を呼んでみてくださいね。

>>749=ID:7IApFpW2というのは、空想と現実の狭間で生きてますから、

本人が嘘を言う自覚がないにしても、

虚言はあります。

本気にしないで、軽く流してしまうのが宜しいのではないでしょうか?

759神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 15:45:39 ID:/1gRj+kW


☆************************☆**********************************☆

.
/)/)     ■キリスト教の「罪の思想」と仏教の「輪廻転生の思想」は、
(・ー・)ノ      人間の「生」にとって極めて有害だから、
゚L-J             全面的に廃止すべきもの。■


☆************************☆**********************************☆

760神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 15:48:13 ID:tbvgEHIl
>>728
>伝統仏教が「輪廻」に関する言辞をトーンダウンさせ、新興宗教・カルト等が「輪廻」を(転生を)声高に語る・・。
この構図が意味するものは何だろうか・・・。

二つの現象を同一線上に語るのは、ミスリードであることは、7氏自身がよく知るところ。
伝統諸宗派が輪廻に対してトーンダウンしている主原因は、7氏自身が先に答えているように同和問題における「悪しき業論」である。
7氏には、持って行きたい結論があって、上のレスは、そのための布石なのだよ。
761神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 16:48:10 ID:Fpa5q0pj
>>759
隠居教の儲さん今日もご苦労様です。
儲さんのマイコンが早く解けますように、お祈り申し上げます。
762神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 16:52:51 ID:1W5rauvR
>>744
沿革は別として、輪廻転生がカースト制度維持のための基盤となっていること
は否定できない。

下層民にたいしては、「現世が苦しくても、来世がある」と騙して安心させ、
上層民は教養があるから、来世などないことは分っているから、カースト制度
は安泰である。
763神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 17:11:03 ID:ahopmBes
>伝統仏教が「輪廻」に関する言辞をトーンダウンさせ、新興宗教・カルト等が「輪廻」を(転生を)声高に語る・・。
この構図が意味するものは何だろうか・・・。


単純に戦後平等主義、唯物思想と相性が悪かったからだろう
764神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 17:21:37 ID:nhmTPCAz
輪廻なんてネッシー、イッシーと同レベルのオカルト
765堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/08(木) 17:24:46 ID:ATP81h7u
釈迦、仏教、その権威に囚われてる時点で、そもそも限界があるわけです。
皆さんは。
766神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 17:25:01 ID:S0uUg8as
>>762
釈迦は輪廻説を前提としながらも、カーストを退けた。
輪廻説単体では必ずしも非人道的思想には繋がらないと>>744は言いたかったわけだ。
767神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 17:32:42 ID:ahopmBes
ヒンズー教の輪廻説でも本来はカースト制度とは矛盾するよ
一種の宗教改革で、大衆レベルでヴェーダ聖典が読めるようになった現在、インドでもカースト制度の思想的基盤が揺らぎ始めている面があるんじゃないかと思う。
神クリシュナは生まれではなく魂に格差があると言っている訳だからね
768机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/08(木) 18:02:46 ID:XG7jq3iR
>>765
そうですね。
仏教というのは、答えを自ら導きだす(自灯明)ものだから
般若心経においても結論までは書いてない。
(だけどそのヒントは書いてある)→彼岸への道筋
彼岸到達したら、何事も囚われることはない。

でも議論は面白いですね。
宝珠愚者さんが去ったと思ったら、古典哲学が登場したり、
またその後は、大川隆法の門弟が登場したり。
これが2ちゃんの醍醐味なんでしょう。


769堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/08(木) 18:27:08 ID:ATP81h7u
>>768
いや、もっと根本的な問題として、
どうしてそもそも釈迦の考えたこと、言ったことや、
仏経典に書いてあることが真理だと言えるのか
という問題があるわけです。

それは聖書の前で思考停止するChristianと同じ
話で、素朴にその権威に浸っているに過ぎません。

なぜ仏教典や聖書を拠り所としないといけないのか、
なぜそれが真理なのか、
その根拠はどこにもありません。

真理を求めるなら、そもそもそんなものに依拠する
必要すらないわけです。
770堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/08(木) 18:29:36 ID:ATP81h7u
逆に言えば、そういう人は、そういう無根拠な
ものに依拠してしまっている時点で、自らを
真理から遠ざけてしまっているわけです。

そこには単なる「解釈ごっこ」と「正統性の奪い合い」
があるだけで、真理はありません。
771神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 18:35:04 ID:2NLzu8fw
仏教における輪廻{Wiki]
仏教においても、伝統的に輪廻が教義の前提となっており、輪廻を苦と捉え、
輪廻から解脱することを目的とした。仏教教義では輪廻において主体となるべき我、
永遠不変の魂は想定せず(無我)、主体の存在しない、無我だからこそ輪廻という
現象が成り立つとしている。この点で、永遠不滅の我(アートマン)を説く他の
インドの宗教と対立している。
上座部仏教の見解では、原初的な「再生」ではなく、「輪廻」という概念を、
はじめて完全に持ったのは釈迦である。当時の一般的な思想において、
輪廻が通説となっていたわけではなく、当時のバラモン教には輪廻という
概念はなかった。理由としては、仏教経典においては三つのヴェーダ聖典までが
記録されており、他にも当時の様々な自由思想家(六師外道)の存在も
記されているが、ウパニシャッド文献については全く記述がないことがあげられる。
仏教における輪廻の定義とは、単なる物質には存在しない、認識という
働きの移転である。生命に永遠不滅の霊魂は存在せず、また、生命自体も、
物質と様々な認識機能のあつまり(五蘊)であり、自我とはそこから
生じる錯覚にすぎない。それゆえ輪廻における、単立常住の主体
(霊魂)を否定する。輪廻のプロセスは、生命の死後に認識の
エネルギーが消滅したあと、別の場所において新たに類似の
エネルギーが生まれるということである。このことは科学の
エネルギー不滅の法則にたとえて説明される場合がある。
この消滅したエネルギーと、生まれたエネルギーは別物であるが、
心の流れとして一貫している。これが輪廻という現象である。また、
このようなプロセスは生命の生存中にも起こっており、心とは、
単なる認識の流れにすぎない。それゆえ、仏教における輪廻とは、
心の生滅全体を説明する概念であり、単なる死後説のひとつではない。

772神も仏も名無しさん
一方、現代の仏教者、僧侶、仏教研究者のなかには、「釈迦は輪廻説を前提としておらず、
インドに古代から信じられて半ば常識化していた輪廻を直接的に
否定することをせず、方便として是認したに過ぎない」と主張する者も
少なくない。[和辻哲郎・望月海慧・並川孝儀など ]
新仏教運動の開祖、ビームラーオ・アンベードカルはブッダが
輪廻転生を否定したという見解を持つ。この解釈はアンベードカルの死後、
インド新仏教の指導者となった佐々井秀嶺にも受け継がれている
「輪廻」は、「業」や「縁起」と共に釈迦の教説の根本をなしているため、
釈迦が輪廻を積極的に否定したとは考えられない。
また、科学に近い唯物論を説き、輪廻を否定したアジタ・ケーサカンバリンは、
原始仏典において、誤った見解をもつ思想家である、六師外道の中に
入れられていることも考慮すべきである。