1 :
神も仏も名無しさん :
2014/03/17(月) 11:31:15.48 ID:2jld/tnf
2 :
道元 三時業論批判 :2014/03/17(月) 11:48:42.90 ID:1145BiDi
還滅現実(無分別の分別)での覚者の様相 2 524 師が答えた、「サビヤよ。天の田・梵天の田という一切の田を弁別して、一切の田の根本の束縛から離脱した人、──このような人がまさにその故に<田の勝者>と呼ばれるのである。 525 天の蔵・人の蔵・梵天の蔵なる一切の蔵を弁別して、一切の蔵の根本の束縛から離脱した人、──このような人がまさにその故に(巧みな人)とよばれるのである。 526 内面的にも外面的にも二つながらの白く浄らかなものを弁別して、清らかな知慧あり、黒と白(善悪業)を超越した人はまさにその故に(賢者)と呼ばれる。 527 全世界のうちで内面的にも外面的にも生邪の道理を知っていて、人間と神々の崇敬を受け、執著の網を超えた人、──かれは<聖者>である。」
3 :
道元 三時業論批判 :2014/03/17(月) 12:01:48.28 ID:1145BiDi
たとえ在家への方便だと見ても、 仏道上、如理作意=縁起の間接現実=一切の因果関係の徹見によって、道元禅師の三時業論は批判しておく必要がある。 道元禅師が三時業論を書いた当時、彼は『倶舎論』や『大毘婆沙論』などに嵌ってしまっていた現実背景がある。 縁起の行為(因)と結果(果)→業論が宿業観(カルマのデータベースという妄想)を伴うようなもの、 縁起説そのものが宿業観を伴うようなものとして解釈される《弊害》が生じたのは、 部派仏教時代になり、十二支縁起が胎生学的解釈、三世両重因果という解釈をされ始めてからだ、という時代背景があった。 明確なヒンドゥー教説の密輸入である。
4 :
道元 三時業論批判 :2014/03/17(月) 12:06:59.86 ID:1145BiDi
道元『供養諸仏』批判
仏教議論スレ 82
219 :神も仏も名無しさん:2013/12/24(火) 18:07:16.43 ID:HPvf4dxf
>>212 >三時業の時点で三世実有法体恒有なんだよ
『佛法は有部すぐれたり、そのなか、 祇律もとも根本なり。 祇律は、法顯はじめて荊棘をひらきて西天にいたり、
靈山にのぼれりしついでに將來するところなり。
★祖祖正傳しきたれる法、まさしく有部に相應せり。』(12巻本 正法眼蔵 供養諸仏より)
http://www.shomonji.or.jp/soroku/genzou.htm 理屈っぽい道元さんが説一切有部にシンパシーを持ち、三時業論→業縁起・宿業観を持ち、
有部の十二支縁起の胎生学的解釈、三世両重因果論に陥ったのは世親(ヴァスバンドゥ)のパクリでしょうか。
道元さん相応部35-23・70を全く無視してるやん、あかんなあw
それに、『祇律もとも根本なり』は明確な間違いです。このあたり、道元さん?甘い。
「摩訶僧祇律」は説一切有部の戒律ではなく・大衆部(後の大乗仏教運動の担い手)で編纂された戒律だったはず。
『龍樹祖師曰く、佛果を求むるが如きは、一偈を讃歎し、一南謨を稱じ、一捻香を燒き、一華を奉獻せん、
是の如くの小行も、必ず作佛することを得ん。これひとり龍樹祖師菩薩の所 といふとも、歸命したてまつるべし。
★いかにいはんや大師釈迦牟尼佛説 を、龍樹祖師、正傳擧揚しましますところなり。
われらいま佛道の寶山にのぼり、佛道の寶海にいりて、さいはひにたからをとれる、もともよろこぶべし。
曠劫の供佛のちからなるべし。必得作佛うたがふべからず、決定せるものなり。釈迦牟尼佛の所説 、かくのごとし。』
こんなこと言いながら、
なんぼなんでもそのあとで『 正傳しきたれる法、まさしく有部に相應せり』はないやろ!! ずっこけるわw
まさか、道元さん、中論を読んでないとか・・・w
この供養諸仏の説法は、特に在家向けの「供養」名目のお布施クレクレ!のコマーシャル臭が強いですなw
このあたり、一歩間違えばカルト認定されますよw
これホンマに道元さん?
5 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 12:17:51.91 ID:0VynT6gZ
還滅現実バカに説明してやるおw 519=一切の悪・汚れは心が作る、良く心を鎮め持つとは雑念を抑制する事であり、自ら安立とは思念無く立脚する事であり 輪廻を超えて完全な者とは人が人である事を一旦離れた知見の事であり、そう言う一切に拘りが無くなった人を バラモン=真実を究明した導師と言っている 520=安らぎに帰して善悪を捨て去るとは涅槃を知見した事を言い、塵とは戯論の事であり、この世かの世生死を超越とは悟り得た事を言い そう言う人を道の人=正しい行者と呼ぶ 521=万象に対しても三界に対しても一切の罪悪を洗い落とすとは涅槃を悟った境を言い、時間に支配される神々とは縁起で成り立つ この物理現象世界の事を言い、人間とのうちに有りながらとは今生きてる実感ある自己を指しその妄想に執着しない人 そう言う人を一風呂浴びてきた人(沐浴を済ませた者)と呼ぶ 522=罪悪の分別は心が作るからそれを離れ知れば罪悪を意図的には行なわない、一切の結び目(世間の柵)や不文律の束縛から離れ 全ての執着の原動力を知り尽くして解脱してる人、そう言う人を竜と呼ぶ 524=天に生まれる欲や糧・梵天になる欲やその糧、そう言う妄想から離脱出来た人を田の勝者と呼ぶ 525=天人や人や梵天の智慧の良し悪しに拘り、それを欲しがったりする妄想から離脱出来た人、それを巧みな人と呼ぶ 526=三界一切の綺麗なモノにこだわり希求し執着する心から離脱出来た人、これを賢者と呼ぶ 527=森羅万象三界全て正邪の出自を心得て、人や万象から何の障りも受けない=崇敬を受け、執着一切を捨てられた人 彼を聖者と呼ぶ
6 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 12:19:35.78 ID:0VynT6gZ
>>4 >三時業の時点で三世実有法体恒有なんだよ
多分その書体は俺だw
その時点ではまだ悟れてなかったから三時業の意味がイマイチだったのさ
すまんね
7 :
道元 三時業論批判 :2014/03/17(月) 12:27:35.59 ID:1145BiDi
そこで<仏法の「縁起」は人間の都合=共同幻想による道義的因果律か>が問題になる。 道徳的因果は縁起の間接現実における共同幻想であり、生前・死後が一切外(相応部35-23)である以上、 「現生的なる法」(同35-70)として一切内で考えざるを得ない。 しかるに縁起の間接現実における世界は時として極めて不条理(カミュ)である。 不都合である。理不尽である。不条理な様相の渦である。道義からはどうにも説明がつかぬことが多すぎる。 しかるに、その不条理を、一切外の三時業で帳尻をあわすことは一切外妄想上の合条理であっても、一切内の如理作意(中部2:Sabbasava sutta一切漏経)ではない。 単なる超越世界への逃避、脳内妄想上の合理化でしかない。 上記Snのように、釈尊は縁起の現実そのものには人間の勝手な条理・善悪とは関係がなく、縁起の現実(あるがまま)そのものを受け入れよといわれる。 実に厳しい。 曰く『安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世を知り、生と死を超越した人、 ――このような人がまさにその故に〈道の人〉と呼ばれる。』 (Sn.520) 行為が自己に属し、その結果も自己にあって、それを引き受けるのが間接現実の「自業自得」論である。因果である。 しかるに★自業自得が成立し、「責任」が成立するためには自己の行いの故意・過失の記憶がなければならない。 期待可能性がなければならない。帰責原理である。 そうでなければ、全く自身に覚えのない業罪の責任を負わされるカフカ「審判」の世界が成立し、それこそ不条理が再現される。 まったく身に覚えのない帰責を正面から認める三時業論=業報輪廻転生論は実に不条理・不合理・不都合な自業自得原則と帰責原理を破壊する破綻した妄想論理であるといわざるをえない。 一切外においては、検証不能故、無記(無視)が当然だ。
8 :
鴨そば ◆AxK1lCqg04yr :2014/03/17(月) 12:28:46.05 ID:LBPz1Z40
受け売りはお断りだ、直感知、般若知で理解した内容のみ引用で載せよ。 直感知、般若知でないのに、 輪廻は無我説で、本来、八不だから無我である。運動主体は縁起ゆえ無く(無我)輪廻はなく転生しないとか 学生までだろ(笑) こんなしょうもないアホが許されるのは。 直感知、般若知でないのにこんなもん書いてたらアホだぞ(笑)、自分で体験したレベルのみ話せよ。 ついでに言うと、お犬様は瞬間瞬間に輪廻を解脱している(笑)、それゆえ輪廻はない。
9 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 12:33:00.79 ID:0VynT6gZ
>>7 >生前・死後が一切外(相応部35-23)である以上、「現生的なる法」(同35-70)として一切内で考えざるを得ない。
お前は現生的なる法を甘く見すぎ
細胞分裂によって体を維持している俺らの仕組みは一切内か?一切外か?
一切とは六根と六境の法則だけを釈尊は一切だと言ってるぞ?
オメーは能書きは一人前に垂れる癖に肝心な事が全然奮って無いじゃねーかよボケナス
10 :
道元 三時業論批判 :2014/03/17(月) 12:35:15.64 ID:1145BiDi
道元『深信因果』批判 仏法のゲシュタルト(相対対象化思考「想い」からの離脱:Sn.1072)から還滅すれば 不落因果、不昧因果(無門関2)に意味はない。意味がないなら違いもない、価値・実体もない。 *⇔道元『深信因果』 言葉だけが仮設されている。 *非因非果(不落因果):勝義 即因即果(不昧因果)還滅 *因果を相対対象化している時点で勝義に達してはいない。 己(おのれ)は因果そのままであるからこそ、無意味な原因と結果、因果の有、すべては因果の流れなのである。 すべては縁起の現実なのである。 野狐にも身を堕すし、黄檗のように横面も引っ叩く。 決して大修行したからとて因果から離れるわけではない。 あるがまま(縁起の直接現実)なのだ。言葉を発したら即離れてしまう。 ★不昧因果も不落因果も、因果そのままであるから因果を昧(くらま)しえないし、因果に落ちることもありえない。 野狐と解釈し、脱することを願うことこと自体が因果に固執する姿だ。 逆に、真に<不落因果=不昧因果>←無意味と体得できているならば、野狐の身そのままで意に介さないであろう。 そんなことは意に介さずして、そのままで脱然として、自由気儘に生きればいいのである。 さらに逆に言えば、神がいようがいまいが、業報輪廻転生や回向があろうがなかろうが、仏・如来がいようがいまいが、 そのようなものは一向に意に介さない、どーでもいいのである。 意に介さずしてそのままで脱然として、自由気儘に存在するだろう。 すべては意味はない。 仏教というものもない。 遂には、仏法というものもないのである。 敢えて仮設せんとすれば、その縁において、いかなる遊びをせんとするや、ただそれだけのことである。 縁起のまにまに、遊びをせんとやうまれけん、である。 道元「三時業」論の浅薄さには呆れざるを得ない。 宗門権威確立という下俗動機があったにせよ名誉にはならない。 廃棄されるべきだろう。
11 :
道元 三時業論批判 :2014/03/17(月) 12:37:44.30 ID:1145BiDi
>>8 >直感知、般若知でないのにこんなもん書いてたらアホだぞ(笑)、自分で体験したレベルのみ話せよ。
→
>>10
>>10 そんだけゴチャゴチャ能書き垂れられて何で
「生と言えば生しかなく、滅と言えば滅しか無い」の意味が言えないんだよw
そんなんだからハッタリ禅とか知ったか禅とか言われまくるんだぜw
ところで単純な失念質問が一つ 禅の文字の意味を禅宗は何て言ってたっけ? 賢者よ、これを知れ
14 :
道元 三時業論批判 :2014/03/17(月) 12:44:09.49 ID:1145BiDi
>>12 アホは相手にしたくないんですが、
無意味な言語ゲームであって、意味なんかありません。
>>14 バカ野郎、意味大有りなんだよ
物事には始まりと終わりが厳格にあり、始まり終わりを分別してるのは人の心だ
事物の法性そのままから観るなら、始まりとは終わりの事であり、終わりとはまた始まりの事となる
輪廻は厳格な事実だから人が死んでも、死=人の終わり=他のものとしての始まりって意味で
生と言えば生しかなく、滅と言えば滅しかない ってなるんだよ
テメーはその奥深い意味を俺如き若輩から知ったんだ、恥を知れ!
16 :
道元 三時業論批判 :2014/03/17(月) 13:03:44.34 ID:1145BiDi
>>15 よほど日常生活にご不満がおありのようですね。
こんなところでしかストレス発散ができませんかw
>>16 意趣返しと詭弁を使い出したら閉口宣言なw
仏教で閉口は負けの事だ
お前は俺に嫉妬している以上、俺に勝つ事は出来ないんだよ
18 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/17(月) 13:09:40.30 ID:DYev9qJD
>事物の法性そのままから観るなら、始まりとは終わりの事であり、終わりとはまた始まりの事となる 法性って何かと思ったが、実はそういうことなのか? なかなか難しいものですね。 つまり人間が分別した・・・その相対が法性という視座である。 このような解釈かと思います。 死んだとおもったら、実はそれから新しい人生のスタートとか、 新しい人生のスタートも終わったかとおもたら、実は人間界に誕生する。 これを永劫に繰り返す。と、いう考え方もある。 独り言です。深い意味はない。 ちなみに私は貴殿とは考えが違う。
>>18 >事物の法性そのままから観るなら、
こう書けば絶対自意識過剰バカが突っ込んでくると思ったからわざと書いたまでw
つまり意味は「モノになったつもりで思念せず周りを見渡すなら」って事だ
バカはそう言う言い回しに直ぐ食いつくw ダボハゼの如くだな
20 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/17(月) 13:20:27.47 ID:DYev9qJD
>>19 >こう書けば絶対自意識過剰バカが突っ込んでくると思ったからわざと書いたまでw
貴殿はですね、現在は絶頂期にあるのです。これは誰でもそういう時期があります。
それで終わって、悟ったしまう方が多いかと思います。
別にそれならそれで良いかとおもいますけど、実はその先がある。
悟ったと思ったが、実は悟っておらんのじゃないか?
とか疑念が出るはずです。
そういう疑念が出ない方もいます。これは私も断言できません。
(つづく)
21 :
道元 三時業論批判 :2014/03/17(月) 13:22:10.44 ID:1145BiDi
>>15 >物事には始まりと終わりが厳格にあり、始まり終わりを分別してるのは
これでは、あなたは仏法の本懐には、ほど遠いといわざるを得ません。
あなたも、このスレの大部分の方々とおなじように縁起の間接現実に固執しているのです。
仏法の本懐は、実存苦の根本的超克です。
あなたの論では苦しみの原因として『物事』への想い=執着が残ります。
とうてい<「想い」からの解脱>=仏法のゲシュタルトではありません。
ましてや、<「想い」からの解脱>においての解脱=仏法のゲシュタルト崩壊(Sn.1072、金剛般若経6、中部22など→
>>10 )には、
ほど遠いといわざるをえません。
おきばりやす。
>>20 机、俺に指南すれば俺を超えたと思えるのか?それで優越を得てそんなんで良いのか?
ハッタリ禅ってのはその程度で満足なのか?
安上がりでいいなぁw
23 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 13:26:14.76 ID:cXU+DPo7
前スレ
>>994 >>その意味は理解出来てんの?
>縁起
釈迦の「縁起」などではなく、「透徹した現実主義」だろ。
道元は中論の直系。釈迦の縁起など関係ない。道元にSnなど持ち出すところ
で終わっている。
24 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/17(月) 13:26:38.39 ID:DYev9qJD
(つづき) 実は、こういう疑念があった方が良いんです。 疑がありませんと涅槃到達は無理です。 疑念というのは高度な精神状態なのです。これが分かりましょうや? つまりですね、疑がある。つうことは自己分析できてるんですよ。 なかなか自己分析できる者はおらんですね。 これできてこそ・・・涅槃ですから。 して涅槃でもって破壊がおきるんですよ。 まあ、私が言っても馬耳東風ですがね。 これは彼岸に行ってみないと分からんものです。 ヒントだけ書いてみました。かしこ。
>>21 何が「おきばりやす」だアホンダラw
テメーの論をまんま実行して実現したらそりゃ仏法じゃ無くなるんだよ
テメーのは外道の戯言だ、釈尊の悟りじゃ無い
モノになったらどうやって飯を食うんだ?どうやって糞小便を垂れるんだ?
テメーはモノに為り得て解脱だと抜かしてるんだよ
禅門の師が俺たちを何て言ったか思い出せ
糞袋だぞ?糞袋、既にモノだって言い放ってんだよ、モノに為る謂れがどこに有るんだ?
その為に悟りがあり、悟りの為に智慧があるんだよ
それが釈尊が悟って弟子たちが残してくれた仏教の遺産だ
お前みたいな路傍の石でも仏性があるって言われてんだ、感謝しとけバカモノ
26 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/17(月) 13:35:28.81 ID:DYev9qJD
>>22 >机、俺に指南すれば俺を超えたと思えるのか?それで優越を得てそんなんで良いのか?
「超える」ってのはないですよ。超えたとしても、それは偽物なんです。
まあ、実は殆どは偽物なのですがね。
本物ってのは、何もないのですよ。悟るってことは、そういうことですから。
だから、悟るってのも偽物になる訳ですね。
親鸞の自然法爾ってのは、こういう意味なんじゃないですかね。
27 :
道元 三時業論批判 :2014/03/17(月) 13:36:19.82 ID:1145BiDi
>>13 >禅の文字の意味を禅宗は何て言ってたっけ?
『外相を離るるを禅となし』(慧能)
外相とは二項相対対象化思考=縁起の知覚(間接)現実をいいます。⇒
>>21 ついでに、
『内乱れざるをもって定となす』(慧能)
いわゆるニルヴァーナです。
禅はブッダの成道の様相に直接学ぶということです。
28 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 13:38:50.80 ID:cXU+DPo7
>>21 >仏法の本懐は、実存苦の根本的超克です
それは釈迦カルト(小乗)だけ。釈迦(小乗)の誤りを克服し得たのが大乗。
小乗などに依拠するのは、禅とはいえない。
2諦説は無意味な二項分別。どこまで釈迦に洗脳されているのか。
>>28 大乗小乗も二項分別
仏法に大も小も無い
龍樹は悟れたから中論を残せたのだ
これは厳然たる事実であり、否定したら破仏法だと知れ
単に示すと書いて ”禅” 眼横鼻直って事じゃねーかw
32 :
道元 三時業論批判 :2014/03/17(月) 13:55:56.57 ID:1145BiDi
>>25 >テメーの論をまんま実行して実現したらそりゃ仏法じゃ無くなるんだよ
『「筏(いかだ)の喩えの法門」を知る人は,法さえも捨てなければならない。
法でないものはなおさらである。』(金剛般若経6,同趣旨 中部22)
Sn.1072の仏法ゲシュタルト崩壊と同趣旨。
>>32 あのな、お前はアーナンダなんだよ
お前から得られるものは俺にとって既に何も無い
釈迦に説法扱きたきゃ他を当たれ
34 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 14:00:16.84 ID:8FApRBV5
なんでこんなに自分の方が上だと言いたげな言論ばっかなの……? 仏法修めたいんじゃないの? 天狗道にでも堕ちたいの? 上から目線の言論が仏の目線に近い目線とでも思ってるのか?
>>34 そう言う論が出てくる時点でお前こそが自意識過剰なんだよ
おまえ自身が一番「そう思われたくない」と念じてるからこそのその書き込みって事だ
>>32 拈華微笑の伝説で、迦葉尊者が何を以心伝心されたのか書いてみ
あれも結局語録の一つなんだぜ
36 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 17:37:24.68 ID:G2hrL2Xp
>>35 お前は本当に救いようの無いクズだな。
お前ほどの自意識過剰馬鹿はさすがの俺も始めてみたわ。
お前は輪廻とは食物連鎖であると恐ろしく恥さらしな事をぬかしとったが
釈尊の解脱したものは輪廻を超えているというこの言葉にどう答えるんだおい。
37 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 17:57:44.97 ID:W8zKbRCW
閻魔宗終了だな 変なプライドを早く棄てろ 素直になれれば直ぐ度されよう
38 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 18:09:02.88 ID:G2hrL2Xp
>>37 お前は35か?コロコロID変えやがって弱虫のカスが。早く答えろ。
逃げんじゃねえぞコラ。
>>36 一応読んでは居たその事実は褒めてやる
ただ、額面だけで判断して食物連鎖だと思考停止した浅墓さを恥じた方がいい
お前は自分の体を維持するのにどうやって維持してるんだ?
霞でも食らって生き長らえているのか?違うだろ?
両親だってお前を出生させる因縁の行為をするまでにどうやって生き長らえて来たんだ?
精子や卵子を作る為にお前の両親は共に何をされて来たんだ?
霞を食って生き長らえて来たのか?仙人じゃ無いんだから違うよな?
他の生き物・植物等から養分を頂いてそこへ至ったんだろ?違うのか?
お前が2ちゃんを今出来るのも、他から養分を頂いて健康を維持してられて来た賜物じゃないのか?
自己を構成する細胞分裂を維持していられるのは他からの養分を摂取
つまり食って来たから今が有るんだろう?違うのか?
食物連鎖なる連想は強ち間違いではない、基礎学力有っての回答だろうし
しかし、間違いでは無いがその連想では全然足りないんだよ
仏法の輪廻として転生できるものは食えるものや生類に限らない
縁起するもの全てを対象に縁によって縁に応じて転生していくんだよ
落ち着いて変なプライドを捨てて坐禅で良いから瞑想してみろ
やれば解る、為してみればハッキリ解るから
嘘じゃないって事がな、これは老婆心から言っている
悪く思うな
>>36 >釈尊の解脱したものは輪廻を超えているというこの言葉にどう答えるんだおい。
これもハッキリ答えてやる
釈尊が教えた輪廻からの解脱とはな
前世や来世や私の永遠やらを有るのか無いのか迷い続ける心からの解脱
って事だよ
解脱に智慧が必要なのも、心こそが全ての惑い=無明の本体だと悟る為に必須なんだよ
前世来世を思うのは心だ、輪廻の事実不実を思うのも心だ
釈尊が言った涅槃とはそれらの心一切が滅し尽くせた世界の事だ
つまり、それは今居るここの事だったんだよ
心は煩悩の本体でもある、心こそがあらゆる迷いの元凶だったんだよ
その事に「気付く」事が解脱って事だ、そこに智慧が居るって話
スシーマ経の通りだ
41 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 18:27:15.27 ID:G2hrL2Xp
>>39 逃げずに書き込んだ事は褒めてやる。
だが全く答えになってない。
お前の書き込みは縁起の一部分を取り出したに過ぎん。
もう一度聞こうか?
釈尊の解脱したものは輪廻を超えているというこの言葉にどう答える?
>>41 解脱して超えねば為らん輪廻は「輪廻への迷い」の事だ
まだ解らんのか?輪廻は事実として現前と存在し続けて来た
龍樹が言う「釈尊は誰の為にも一切の法を説かなかった」と結論したのも
我らに説くことは「人の考えた常識」であり、釈尊の話したそれは
「出世間の常識」だったからだ
出世間に心は無いんだよ、心が有るから輪廻に迷う
如来は無始無終で今目の前で縁起している、それらが全部如来の当体なんだよ
それが解らないのは人の心で考えようと必死だからだ
その迷った心を超えて行くことを「解脱」と呼ぶんだよ
解脱には智慧が必要だ、ただ単に考えただけじゃ理解出来ない
それが出世間智って事だ
43 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 18:50:44.97 ID:G2hrL2Xp
>>40 前世や来世についての釈尊の答えは無記だ。そんなものははなから相手にしていない。
心は煩悩だけでなくあらゆる全ての本体だ。
もし完全に心を滅し尽くそうと思えば死ぬ以外にない。
>>43 >もし完全に心を滅し尽くそうと思えば死ぬ以外にない。
答えを自分で既に言っている、しかし仏道は死ぬ為に行うんじゃない
死ねば心を滅し尽くせると気付いたお前が仏道を以って生きたままそれを悟るんだ
それが解脱だ
縁起の現観とか目出度き境地とかも言葉遊びではない、事実だ
45 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 19:03:31.31 ID:G2hrL2Xp
>>44 俺は心は滅しつくせないといっている。
というより滅するとか滅しないとかあるとか無いとかそれがすでに間違いだ。
お前は空というものを全く理解していない。
>>43 >>45 一つだけ忠告しておく
>心は煩悩だけでなくあらゆる全ての本体だ。
煩悩の本体・器に当たるのは確かに心だ
しかし心には実体が無い、脳に依存したこの身一代限りの現象だ
ここを履き違えるな、実体の無いものを仮に”捨てろ・離れろ”と言っている
仮名の空をもってこれを説くとはこう言う事だ
47 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 19:11:31.26 ID:biVfbOvI
前スレ >
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1394363093/974 >全生命が俺ですからは、あなたも俺ですよね。
>現世に生きている一切の生命も俺ですよね。
>俺Aの前世がブリだった。
>俺Bの前世がマグロだった。
>俺Aの前々世がマグロだった。
> 俺Bの前々世がブリだった。
>これなら矛盾しませんね
ここまで論理矛盾させといて、よくもそんなこと言えたもんだな。
まさに基地外だよ。
気持ち悪いなぁ〜・・・
「俺Aと俺Bはまったく同一か?」 と問われたら、お前は何と答えるの?
まさか、「まったく同一です。」 とは答えられまい。
だって違うもんな。
同一じゃないから、過去世も違う。
なのでブリが前世の俺Aは、「マグロが前世」 とは言えない。
俺Aと俺Bは違うからだ。
にもかかわらず、お前は、「現世に生きている一切の生命も俺ですよね。」 と抜かす。
俺じゃねーだろ。
俺B,俺C,俺Dと、いちいち区別して呼べよ。
一切の生命が俺だと抜かしながら、俺じゃない俺B、俺C、俺Dを作り上げてる・・・・
気持ち悪いなぁ〜・・
48 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 19:13:40.06 ID:G2hrL2Xp
>>46 では聞こう。お前がその目で見ているこの書き込み
これは空だろうか?
>>48 空だろ、一切はみんな空だ
お前は俺に噛み付くが、お門違いも程ほどにしろ
お前が悟れないのは俺の所為ではない、おまえ自身の問題だ
素直になって瞑想しろ、全てが解る
50 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 19:20:46.09 ID:G2hrL2Xp
>>49 ならば何故心を滅するというのだ。
空ならば不生不滅だろう。
もう一つ聞くぞ。何ゆえに空だ?
51 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 19:21:13.82 ID:biVfbOvI
>>50 >ならば何故心を滅するというのだ。
実体は無くともお前だって実感は有るだろう?だから心は有るものだと妄想する
その妄想が我執だ、我執は頑固に実体無き事実を隠す、故に心を滅するとまで言い切らねば
それを悟る事さえままならない、だから滅すると言う、実際は一切の心を排したこの実世界を智慧で悟るんだよ
瞑想による智慧が無いとそのキャパシティに耐えられんと思うがな
>空ならば不生不滅だろう。
お前の凡愚の目には始まりと終わりが見えて真実が見えない、だから有生有滅に見えるだけだ
全ての事物は縁起している、縁起している故に自性が無い、故に空だ
53 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 19:40:41.57 ID:biVfbOvI
54 :
神も仏も名無しさん :2014/03/17(月) 19:49:13.10 ID:G2hrL2Xp
>>52 縁起しているから空なのではない。空だから縁起するのだ。
一切の心を排せば智慧もなければ悟りも無い。
お前は文字の上でしか理解していない。
>>54 空故に縁起し、縁起する故に空なんだよ
どっちからでも同じだ
>一切の心を排せば智慧もなければ悟りも無い。
縁起の現観とは思念を交えない如実知見の事だ
それは行が伴っていなければ判らない事でもある
お前には行が無いから信じられないのだ
それは俺の所為ではない、お前自身の問題だ
>>54 ついでに書いとく
空なのに縁起しないものや、縁起するのに空でないものなどこの三界に存在しない
縁起しないものも空でないものもこの三界に存在しない
57 :
輪廻を説いたのは道元だけ? :2014/03/17(月) 22:45:17.99 ID:bUEDVNMs
本スレの冒頭で道元禅師の『三時業』の批判がありました。 実は道元禅師は20代の頃に師の堂頭和尚老師大禅師より『三時業』の説法を聞いてメモしております。 釈尊も相手に応じて『輪廻』を説いたり、無記だったりします(長部経典の複数の経典にて)。 空海、最澄、法然、親鸞、日蓮らも『輪廻』を説いております。 釈尊がインドで活動された時は『輪廻』が社会常識だったので誘引方便だったという説には一理はありますが、 弘法大師や伝教大師が日本で活動された時は『輪廻』が社会常識だったので誘引方便だったということは腑に落ちないでしょう。 因って『輪廻』は誘引方便という仮設は理に合わないことが分かります。 また本スレの『輪廻』否定の各位が開祖達よりも修行完成がなされていたということは理証では如何でしょうか。 と異教の私はごく単純に考察しております。
58 :
ノスタルジア :2014/03/17(月) 22:45:46.65 ID:5dSewcu9
基本として徳の高さ57のノスタルジアです。もし、今、ぼくが我存在アルが 生きていて、ぼくに多大な迷惑をかけてもなお、あなたは、徳の高さ56で スタートしたのに、徳の高さ57であると自称する、僕に対して、憎悪するならば、 あなたは、怒るならば、ぼくはあなたが、どれだけの人であっても、今、ぼくの レスを読みただちに答える器量がないならば、ぼくは、そのレスに答えたとしても、 我存在アルならびに、神の裏切り者すべてを、他愛もない嘘だったと見なします、2014年3月17日、ぼくはまだ真面目に生きている。
>>57 お前が考える輪廻の場合、今生から次生に転生する時の因果と媒体は何だ?
>>57 一切の事物は縁起で成り立ち、それは三界悉く一つの漏れも無い
故に龍樹曰く”一切皆空”とさえ言った訳だ
ならば、輪廻も縁起で成り立ち、そこでの媒体も明らかでなければ縁起になり得ない
縁起でないものも存在しない
俺は輪廻は如実の事実であると確知している
故に輪廻自体を否定はしないが一般常識の輪廻は間違っていると主張する
原因や証拠・一般的常識での推測さえ許さない輪廻は有り得ないと主張する
>>57 善悪の報に三時あり、ひとつには順現報受、ふたつには順次報受、みっつには順後次受、これを三時という
善悪の報いを受けるタイミングに三種類有ると道元は言っている
一つは行って直ぐ報いを受ける順現報受
二つは行なってちょっと経ってから報いを受ける順次報受
三つは行なってから大分経って報いを受ける順後次受
だと
この用語からも文行からも来世・来々世とは触れていない
しかあらざれば多く錯(あやま)りて邪見に堕つるなり、ただ邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。
業報の理は厳格なので、行えば必ず報いを受ける旨を言っている
悪道と言っても長時と言っても来世等とは言っていない
そればかりか
当に知るべし今生の我が身二つ無し、三つ無し、徒(いたずら)に邪見に堕ちて虚しく悪業を感得せん、惜しからざらめや、
と、今生の人生は一度きりなのでやり直しが利かないので、下らない悪業に染まってはならんとさえ謹言されている
もし三時の業報を来世・来々世まで含めた業報と読むなら、自暴自棄になって好き勝手に身勝手三昧になるな
と読むべきであり、なにも間違った事は言っていないし、来世等で脅してもいない
これか 第一に順現法受業とは、謂く、若し業を此生に造作増長して、即ち此生に於て異熟果を受く、是れを順現法受業と名づく 第二に順次生受業者、謂く、若し業を此の生に造作し長して、第二生に異熟果を受くるを、是れを順次生受業と名づく 第三に順後次受業とは、謂く、若し業を此生に造作し長して、第三生に墮し、或いは第四生に墮し、或いは復た此れを過ぎて、 百千劫なりと雖も異熟果を受く、是れを順後次受業と名づく 輪廻は事実なので否定はしようがない 業報も如実の理なので否定のしようがない この原理を利用した現生に対する除悪の謹言と読める 真光などは魂の永遠性を説こうと必死なので、この謹言を利用したいのだろう 真光は出世間智を用いないのでこの三時業を逃れられない のみならず、手かざしの業が長時の苦を受ける因となる お御霊が有る限りそれは逃れられない
そんなバカな筈無い、と思う真光信者籍のものは 試しに自己の頭に手かざしの業を行なってみるべきである それをしてはならないと禁じられているなら、何故禁じ手なのかを疑うべきである 長時に於いての苦を受ける因縁はそこに由来し、お御霊が元凶である意味もそこにある 嘘は言っていない
64 :
ポータ :2014/03/18(火) 01:14:46.10 ID:lS+1VBT3
ちりあくたも生命循環しているとして、 なぜ、植物や、 動物、 人間に それが形成されるのでしょう。 職人さんなら、すぐにわかることですが、 素材が揃っていても、そこに形成する力が参加しないと 机ひとつ出来上がらないのです。 輪廻の話しの前提として、その形成する力はどこからきたのかまず。 (宇宙物理学者のホーキング博士は、その形成力=創造主とは、 に今も新たにその解明を物理学を用いてですが、駆使して挑んでおられます)
輪廻が縁起の1形態だとしても 輪廻するのが生物だけとは不思議だ 無生物も輪廻してもよさそうなのに
66 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 01:36:34.27 ID:gqKq/qRl
>>64 ホーキングはれっきとした無神論者ですよ。
私も含め、物理学者は大半が無神論です。
金平糖は職人さんがいちいち削り出しているわけではありません。
創造主にも、形成力なんてものにも用は無いのです。
安定非平衡系、散逸形成などお勉強しましょう。
>>65 仏法は縁起に因って全ての事象が成り立つと解明している
故に輪廻も縁起する事物全てに転生するとなる
この世界は古代インドの時代から既に地水火風の四大元素で成り立つと判っている
内訳詳細は割愛するが、光や闇、波動や波紋、匂いや光線に至るまで
凡そ縁起する事象事物全てに、縁起によって転生していく
それら全ての側からみると、人間だけが異質、となる
心を持ち文句を言い妄想するからである
そう言う俯瞰視の如き境地に一旦立つのが出世間なのである
これを可能にしてるのは仏教以外には無い
輪廻は文句の言い様が無いほど縁起によって緻密に流転し転生する事実である
68 :
ポータ :2014/03/18(火) 01:53:31.99 ID:lS+1VBT3
>>66 いや、無神論者であるかどうか、ではありません。
ホーキング博士は、神(創造者)について言及し、
そして、それが彼の物理学の探求と直結しています。
違う話しをつくりあげなさんな!
変態悪霊カルトなんですね。
>>68 >ホーキング博士は、神(創造者)について言及し、
博士は科学者であり、キリスト教圏の人だ
何故の力を以ってその形状になしたるや、を仮設するのに
神を持ち出しても何の不思議も無い
科学や西洋哲学では、因果は問うてもそれまでであり
縁起と業力とは説かないので不可思議境の保留と陥るのが常である
70 :
ポータ :2014/03/18(火) 02:11:52.47 ID:lS+1VBT3
>>69 キリスト強圏であるからというのは、思い込みだけが激しい場合はとても分かりますが、
そういった思い込みをもたない人もいます。
つまりその人物、その個性が、どういった範囲内に収まるかどうかをトリックしなさんな。
つまり違う話しをつくりあげなさんな。
私は、ちりあくたがどのような形成力で
例えば君になっているのかと、言ったのです。
72 :
ポータ :2014/03/18(火) 02:41:43.68 ID:lS+1VBT3
73 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 02:48:11.58 ID:1gvc3Ta0
>>64 >>72 規制掛かったからスマホで書く
塵芥が何故人にまで転生し得たのか、を問うているんだよな
塵やゴミと言っても具には鉱物やら死骸の破片やら様々かと思う
餌になり得るものも有れば、鉱物なら酸化作用や還元作用、触媒作用で
化学的変化を伴うかもしれない、変化すればまた次の生の始まりだ
酸化還元等で例えば気化に至れば俺らが吸ってるかも知れんし
動物や植物が吸ってるかも知れん、吸えば還元されそれらの組成の一部として転生した事になる
気体に限らずミネラルとかも考えられるし、死骸の破片の方だと食われて還元されるし色々だ
人になしえるには精子や卵子になれれば可能性はグッと高くなるだろうな
それらの選別は全て縁起によって都度決まるから選べないだろう
選ぶ意識すらどこにも無いんだから仕方の無い話し
俺は万物の神じゃないから全ての輪廻次第を克明詳細出来る力は持ってない
釈尊が概ね無記にした理由もこれ、全て書けたら人智を超えた膨大な情報量になるんだと思う
そう言う意味ではこの辺で勘弁してくれ
74 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 02:55:57.44 ID:1gvc3Ta0
>>72 縁起は縁起による
何度問うても縁起は無限に縁起だ
縁起も空なので実体は無い
神って言いたいんだろうけど無駄だよ
神には因果も縁起も無いんだから存在出来ない
75 :
○○○ :2014/03/18(火) 06:08:07.02 ID:TLIrke5Y
>>59 >お前が考える輪廻の場合、今生から次生に転生する時の因果と媒体は何だ?
【因果】
無明に起因する執着
【媒体】
異教でいうところの霊魂、世親菩薩が説かれた阿頼耶識
と普通に考えております。
>>63 >試しに自己の頭に手かざしの業を行なってみるべきである
>それをしてはならないと禁じられているなら、何故禁じ手なのかを疑うべきである
本スレであまり何回も同じ質問がありますのでコメントします。
まず真光の業では手かざしと鎮魂の業とがセットになっております。
憑依霊が浮き出してきて受光者の体を使って動いたり話したり指で文字を書いたりするのが所謂『霊動現象』です。
もし非常に強い憑依霊で鎮まりたくない場合には、自己の両手で自己の頭にうまく鎮魂の業ができないでしょう。
それが禁じ手の理由です。 いたってシンプルで理にかなっております。
とスレ違いなので簡単に回答します。
76 :
○○○ :2014/03/18(火) 06:19:16.23 ID:TLIrke5Y
>>73 >釈尊が概ね無記にした理由もこれ、全て書けたら人智を超えた膨大な情報量になるんだと思う
釈尊は『輪廻の法』が為にならない相手(特に常見者、出典「大智度論」)には説かれませんでしたが、
『輪廻の法』が為になる相手(特に断見者、出典は同上)には説かれました。
勿論、直弟子達には普通に説かれました。(例、舎利弗、出典「自歓喜経」)
と本スレで再々々々々々々々々紹介した内容ですが新しい住人各位に提示します。
77 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 06:31:47.13 ID:0K5ramBS
非仏教の在家のオナニーはやめてくれw
78 :
○○○ :2014/03/18(火) 06:32:41.53 ID:TLIrke5Y
>>76 >と本スレで再々々々々々々々々紹介した内容ですが新しい住人各位に提示します。
このことを調べることが起きた縁は40年以上前の黄檗宗万福寺岡崎大僧正と師との対談でした。
「本当の釈尊の教えを知るには原始仏教を調べる必要がある。」と大僧正がおっしゃられ
意気投合されたそうです。
その当時は「ふーん、そうかな。」と記憶に留めただけです。
30年以上が経過し大型書店で、中村元監修の春秋社「原始仏典」を手にとって立ち読みし、
読み易い現代語訳だったので第三巻まで買って真面目に読み始めたのが8年前です。
79 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 06:37:18.57 ID:0K5ramBS
わかりもせん、わかるきがないのに在家のデタラメ書き込み止めてくれw
80 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 06:51:40.77 ID:TLIrke5Y
>>77 本スレの常連の約半数は自称「非仏教徒」だと認識しておりますけど。
とリーマン在家は今朝はこれにて失礼します。 合掌
81 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 08:10:52.74 ID:M7WR1ofk
>>75 >無明に起因する執着
起因するのはいいが、執着は渇愛から起こるので
無明起因に限定した渇愛執着ならそれは過去世云々の事なんだろう
無明が無明たるのは真理を知らないから無明になるのであり
結論が出せないまま保留とし、悶々と溜め込まれてる雑念の倉庫と化すから無明なのである
霊魂の実在有無惑もこの無明に属し、阿頼耶識縁起を説く唯識哲学の流れも
悟りより心=我を研究対象とした為に、解脱以前の人間が解脱以前の心を研究した結果となっている
心の研究としてはある意味意義は有るのだが、釈尊初め中観派始祖たる龍樹も唯識哲学は用いない
それを言うのはもっと後代の法性宗や天台宗になり、この時代の大乗仏教は所謂仏教風呂敷説優勢となり
ご利益がありそうなものを片っ端から取り込んでいっている、故に外道在家が取り憑かれるのも無理は無い
ご利益本意の人間には打って付けの難解哲学となっているので煙に巻くには丁度良く成っているのだ
阿頼耶識だの阿摩羅識だの高尚な事を言った所で、それは所詮解脱を用いない心の妄想に過ぎないのだ
涅槃に識は無い、その涅槃を悟る事が出世間を知る唯一の手段となり、後期唯識では解脱時も
阿頼耶識が有ってと説く、これがおかしいと指摘されるや天台学では更にその上に阿摩羅識を説き
解脱時の識はこれである、と説く
唯識は龍樹用いず、阿摩羅識は五時八教の誤謬を生んだ天台が生み出した、多分邪義だ
そもそも瑜伽行唯識学派は外道である、苦楽中道にも中観思想にも反し、釈尊の現生なる法にも反する邪義である
82 :
おじゃる :2014/03/18(火) 08:13:53.66 ID:d0Q9AWz0
83 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/18(火) 08:32:34.60 ID:fknHbcDP
>>22 >机、俺に指南すれば俺を超えたと思えるのか?それで優越を得てそんなんで良いのか?
>ハッタリ禅ってのはその程度で満足なのか?
禅について簡単に説明します。
このスレッドで、輪廻がどうとか、輪廻転生がどうとか、こういう議論がなされておる状態を
貴殿は異常とか思わんですか?
それに狎れ(慣れ)てしまえば殆どは異常であるとか、気にもならんようになる。
しかし私にとっては異常かと思うね。
何故かというと、こういう状態ってのは神経症とかノイローゼの病態であるからだよ。
悟ったという状態ってのは、一種のこのような状態であって精神的には不安定になる。
そういう病人どもが私を叩いたりするけど、
実は禅と禅病(神経症)は付きもので、これは乗り越えねばならない。
彼岸到達ってのは、そういうノイローゼを乗り越えろ。ってことだから、
その先が大事なんだよ。
病気のままで良いんだったら、それまでだけどね。
84 :
おじゃる :2014/03/18(火) 08:58:50.14 ID:d0Q9AWz0
>> お前が考える輪廻の場合、今生から次生に転生する時の因果と媒体は何だ?
> 異教でいうところの霊魂、世親菩薩が説かれた阿頼耶識
縁起・空・無自性・「仮設としての」と言う意味で仮に
この現世においての
「過去からの心の流れ(心相続)によって現れ(滅し)ている」
と掴み捉えようとしている心の働きに依存して
「前世から現世に異蘊相続している」
と掴み捉えようとしている心の働きが現れ(滅し)ている
瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424 我愛を滅させていない
人が死ぬきに
我愛と戯論(けろん)と善悪業によって
中有が形成される
その中有が次に生まれるべき処を求めて母胎に入り
ここで精子と卵子が結合するとき
中有が滅するのと同時に生有が生じ
一切種子である阿頼耶識がこれに結合し
種子は成長し、胎児を形成し、出生に至るのである
と衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた
85 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 09:10:31.78 ID:M7WR1ofk
>>82 >我・我所を滅させる、云々
この部分は神の有無を何処で知るかを龍樹が例えと出して
”何に況んや虚妄、憶想等に、而も神有るをや。”と妄想だと結論している部分である
それ故に
”是の故に無我なりと知る。我有るに因るが故に我所有り。若し無我なれば、則ち我所無し。
八聖道分を修習して我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て智慧を決定す。”
と、八正道を修して我我所を滅し智慧を用いる、と空云々を言ってる訳では無い部分である
更におじゃるは意図的に論文を改ざん提示して
”滅尽定を以って第一と為し、又亦た終に無余涅槃に帰せん。”
と繋げてミスリードさせようと必死である
取りあえず言えるのは
>と衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた
をおじゃるはバズワードとして使ってる
86 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 09:20:28.58 ID:M7WR1ofk
>>84 心相続は生きてる内の心の十二因縁輪廻の事
異蘊相続は同じく生きてるうちの来世願望・若しくは脅迫に対する迷いの接続観の事
どちらも今世に於いての迷い・妄想の事だ
中有も思念が作り上げた妄想理論だ
心は電波じゃないので、空中を勝手自由に飛ぶ事等出来ない
それはテレパシーやらサイコキネシスを信じたがるオカルト連中の好みに過ぎない
”と衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた”
バズワード乙、最早悪意丸出しの必死な業態だ
87 :
おじゃる :2014/03/18(火) 09:42:48.13 ID:d0Q9AWz0
>>84 の続き
>> お前が考える輪廻の場合、今生から次生に転生する時の因果と媒体は何だ?
縁起・空・無自性・「仮設としての」と言う意味で仮に
この現世においての
「過去からの心の流れ(心相続)によって現れ(滅し)ている」
と掴み捉えようとしている
渇愛(タンハー)に依存して
「前世から現世に異蘊相続している」
と掴み捉えようとしている心の働きが現れ(滅し)ている
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html 第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
1.
無知(無明)の暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
三種類の行為を行う(カルマを積む)
6.
渇愛によって掴むこと(取)も生じる
11.
無知(無明)の停止は
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じるのである
88 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 10:11:09.05 ID:M7WR1ofk
>>87 凡夫は、無明に盲せらるるが故に、身口意の業を以って、後身の為に、六趣の諸行を起す。
起す所の行に随って上中下有り。識は六趣に入り、行に随って身を受く。
識の著する因縁を以っての故に、名色集る。名色集るが故に、六入有り。
六入の因縁の故に、六触有り。六触の因縁の故に、三受有り。三受の因縁の故に、渇愛を生ず。
渇愛の因縁の故に、四取有り。四取取る時、身口意の業を以って罪福を起し、後の三有をして相続せしむ。
有に従って、生有り。生に従って、老死有り。老死に従って、憂悲の苦悩、種種の衆患有り。但だ大苦の陰集有るのみ。
是の故に知るらく、『凡夫は無智なれば、此の生死、諸行の根本を起すも、智者の起さざる所にして、
如実の見を以っての故に、則ち無明滅し、無明滅するが故に、諸行も亦た滅し、因の滅するを以っての故に果も亦た滅す』と。
是の如く十二因縁の生滅を観る智を修習する故に、是の事滅し、是の事の滅するが故に乃ち生老死の憂悲に至るまで大苦陰は、
皆如実に正しく滅す。正しく滅すれば畢竟じて滅す。是の十二因縁の生滅の義は、阿毘曇、修多羅中に広く説くが如し。
何でこの章は国訳から引かないのか
故意ににミスリードさせるのが目的だからだろうか
そしておじゃると手かざしも而二不二だなこりゃ
89 :
おじゃる :2014/03/18(火) 10:43:52.83 ID:d0Q9AWz0
90 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 11:04:44.07 ID:M7WR1ofk
仏教は心の訓練法では無い 生き方を根底からもとに戻し止揚するリノベーションである
91 :
おじゃる :2014/03/18(火) 11:21:18.73 ID:d0Q9AWz0
>>91 >「空・無我」の意味を理解する事が出来なくて
「空っぽ」くらいの意味で押さえておけばいいと思いますよ
93 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 11:26:26.89 ID:pSjRWtOk
>>91 行じなけれはいつまでも無明になやむ
いくら経典の文字を頼った所で行が無いなら絵に描いた餅
それに悩んでも自業自得
>>93 >行じなけれはいつまでも無明になやむ
何を行じれば効果あるの?
95 :
おじゃる :2014/03/18(火) 11:57:16.15 ID:d0Q9AWz0
>>82 >>84 >>87 >>89 >>91 の続き
「仏教は心の訓練法では無い」
と掴み捉えようとしている心の働きを滅させる為に
縁起・空・無我を観察する為の練習が必要だ
般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html 世尊の時代、人々は輪廻を信じて
善行に励み、永遠ばかりを探してきた
だから、凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
無我を、縁起を、空を見ることがうまくない人達の為に
縁起・空・無我を観察する為の練習が必要だ
無知(無明)の停止は
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じる
因と縁で現れ(滅し)ている
「我愛からの依存を」掴み捉えようとしている
心の働きを滅させて、解脱すれば仏だと言う事に
気づくまでは、気づくことは難しい
96 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 12:04:38.08 ID:M7WR1ofk
>>94 >>95 ツベコベ言い訳してないで呼吸瞑想からでもやれ
経典にも載ってる
それが嫌なら口出すな
97 :
おじゃる :2014/03/18(火) 12:25:04.58 ID:d0Q9AWz0
98 :
ポータ :2014/03/18(火) 12:29:05.72 ID:lS+1VBT3
(
>>96 )
↑
ツベコベにむちゃワロタし。
ほんで、次はむちゃこわいはなしをすることにするわ(笑)
99 :
ポータ :2014/03/18(火) 12:43:44.81 ID:lS+1VBT3
その@、仏教はない。 あくまでもこのままでいけばの話しだが、 自分で自分を否定するほどストイックというのか 仏教などないと言っているに等しい。 これってむちゃこわいやんか(笑) そのA 行とはなんぞや。 例えば、よく普通の生活の中に行があるとか、いわはりますやん。 まあ、サラリーマンとか主婦とかといわんでも、 とにかく暮らしに 行があるみたいな事をツベコベと、時々いわはりますやん。 そんなん行ではありませんよ。 また、同じ意味で座禅してもだめ。 なんでか、アホはなにやってもアホですから。 こわかったか、むっちゃ。
100 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/18(火) 13:03:28.11 ID:fknHbcDP
>>95 >「仏教は心の訓練法では無い」
>と掴み捉えようとしている心の働きを滅させる為に
>縁起・空・無我を観察する為の練習が必要だ
この書き込みは、既に言語の迷宮に陥っているので、貴殿は重症かと思うぞ。
原因は自己と自己の対立関係だ。
認識の歪みという。クセみたいなもんだから、自覚があるなら治せる。
では、出掛けるのでオチ。
>>96 >それが嫌なら口出すな
俺は誰の命令も聞かぬ
102 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 14:21:21.60 ID:DIHN2tq0
>>99 自分と言う存在は、生きていく上で重要だ
しかし、重要故に見過ごし、うまく行ってない事があるはず
繊細なものはそれに気づき、対処講じたり気付かないふりでやり過ごす
無頓着のものならそもそも気付かない
これらは自分可愛さに行っている
自分は可愛いので痛めたくない、見ていたいので鏡も伏せたくない、非難されたくないから繕う
その内に嘗ての自分は、壮大なパッチワークと化し、どれが本当の自分かさえ分からなくなり
やがて病む、周りを巻き添えにしながら大いに病む
病んでからではもう遅いのだ、気休めしかしてやれない
それも望むなら仕方無し
行とは、実践の事
人の行いは必ず、理論と実践が伴う
それなのに仏教はやたらマニアが多く、実践は面倒だからすっ飛ばして理論ばかり、が多い
だから仏教では信行学と言われ、順位もこの並び順で123となっている
信は色々あるが、基本は迷った自分を信じてやる事からとなる
103 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 14:25:18.59 ID:XSh0Yaik
法華経を信ずる人冬のごとし 冬は必ず春となる 検索
104 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 14:26:38.84 ID:DIHN2tq0
そうかそうかw
105 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 16:03:21.03 ID:sKAvo1mU
釈迦もイエスも、その精神病の症状としての観念の遊戯により、生物としての 生存本能を破壊された欠陥生物。 彼等欠陥生物からではなく、懸命に生きている動物たちから学べ(動物行動学、 たとえば「ヒト、動物に会う」(小林明道著、2014年2月20日発行、新潮 新書)。 他の動物は、生存に関係なく、同じ種属同士で殺しあったり争ったりはしない。 その意味で、釈迦やイエスや宗教者は、文字通り「犬畜生にも劣る存在」。 中論は、いみじくも、「如来の本性は生類の本性(即ち、生存本能、生命)」 と教えてくれているではないか。
106 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 16:03:58.11 ID:qqRp1hPl
無我が理解出来ない人、空がわからない人 多分、これは判らないんじゃなくて他に信じきってる思想があるから判ろうとしてないんだと思う 阿頼耶識でさえ縁起空を建前とし、解脱の時はそれすら無効になると説かれてる 17歳の私は二年も三年も五年も十年も続くだろうか?実際は1年で18歳になる筈です でも、気持ちは頑固なのでいつまでも17歳の気持ちが続いてる気がする ひょっとした私が死んでもこの気持ちって無くならないんじゃないか? いや、無くなる気がしない、と 難しい事は抜きで、これが無我を解り難くしてる正体だったりするんです 我執とも言います、行き抜く気合の根幹を担ってるんで結構頑固です そんな頑固者に言って聴かないなら引っ叩くしか他にありません、今後の 生存の活力も掛かってるんで実力行使です それが仏道修行だったりします で、17歳の私は結局どこに居るの?それを何とかするために色々やってるのに 気持ちでは実感あるのに探してみても姿が見えない私 身体はウン十歳のオッサンだったりなんでそれは判ってるつもり、でもあの気持ちは何処に居るのか 17歳の私は17の頃の実感からずっと無我だったので実体など無かったんですね じゃあ、実感はどこにあるのか・・・ 実感も実体が無い空なのでどこにもその姿が無いのです 五感に感じ、意識で思う、この刹那の感触だけが私と言う存在のエビデンス この刹那の為に人は戦争すら起こす、我を通す為に自らの生存権すら賭して争う お釈迦様はそこに問題定義をされたのです
107 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 16:19:51.79 ID:mFnjlKpD
宇宙の生成に因はありません。
108 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 16:25:37.06 ID:qqRp1hPl
宇宙は全体を一括りに観れば固定では無く無常です、常に流転しています 宇宙と言う存在自体に生成の因は見つけられないかも知れませんが 個々は常に生滅を繰り返しイルミネーションの如き様相なので無常なのです これは壮大な因の塊とも見え、壮大な滅の塊とも見え、或いは壮大な縁起のショータイムでもある訳です もはや因がどこにあるかの次元では無いと言えます
109 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 16:41:41.87 ID:sKAvo1mU
>>106 >お釈迦様はそこに問題定義をされたのです
釈迦もイエスは根本的に誤り。生きとし生けるものは「肉体的存在」。心は、肉体の
維持とために使うもの。釈迦もイエスも、心のオナニーばかりやっていないで。肉体を
生きよ。それが生類普遍の法である。
>>108 >宇宙は全体を一括りに観れば固定では無く無常です、常に流転しています
規則性、法則性があるものは無常じゃないんじゃないの?
111 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 16:49:06.98 ID:nsKtICk9
>>109 この世界は生きとし生けるものが無くても成り立つんですよ
だから肉体の維持なんて人にしか通じない妄想なんです
生きるとか死ぬとかも人間だから一大事なだけです
心のオナニーとか器用な真似ばっかしてないで月でも眺めてみたらどうでしょう
月にはどれだけの悲しんだものが居るでしょうね?
112 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 16:52:02.45 ID:nsKtICk9
>>110 >規則性、法則性があるものは無常じゃない
無常か恒常かに規則性や法則性は関係ありません
宇宙が無常な(固定ではない)証拠は君が生まれてやがて死ぬだけでも十分でしょう
君も宇宙の構成物の一つなんですから
113 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 17:07:52.63 ID:nsKtICk9
言われたら「あそっか」って気付く人はまだいいです 言われても認めようとしない御仁がこのスレでも散見されます これらの人達が一様にみんな患ってるのが我執です 我執が集団になると戦争を起こします どちらか相手が「参った」するまで殺しまくる訳です
114 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/18(火) 17:37:57.79 ID:fknHbcDP
>>100 自己レス
>認識の歪みという。クセみたいなもんだから、自覚があるなら治せる。
ちょっと急いでいまして「治せる」って簡単に書いてしまいましたけど、
これは「治すのは困難です」。に訂正します。
実はこういう事例は多くありまして、自分と違う自分を作りあげてしまう。
この違う自分が独り歩きしたりするから、実は怖いのです。
おじゃる氏はまだそこまで行ってませんので、今のところは心配ないです。
どうも失礼いたしました。
おじゃる氏の頭がオカシイと書き込みしたんじゃないですよ。
そこのところを了解してください。
実は私は、頭がオカシイんじゃないか?ってのは大体分かるのですが、
個人を特定して名指しで指摘することは、先ずありません。
116 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 17:41:43.55 ID:sKAvo1mU
>>113 我執がなければ、そもそも、生物は生存できないぞ。あんまりアホなことを言うな。
我執があるからこそ、他者の我執を認めることが出来る。
117 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 18:01:06.27 ID:nsKtICk9
>>115 無相は実相の事ですから
無常が無相の事でも何の問題もないですよ
空故に無常、無常故に無相、無相即ち実相、実相即ち皆空
一切皆空にどれも反しません
>>116 我執って執着のことですよ?拗らせると釈迦批判とかイエス批判とか始めるやつですw
118 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 18:19:41.25 ID:nsKtICk9
>>106 面白いけど、ここは違うと思うなぁ
>五感に感じ、意識で思う、この刹那の感触だけが私と言う存在のエビデンス
>この刹那の為に人は戦争すら起こす
エビデンスは常に記憶にあると思う
つまり、今じゃなくて、過去
人が思考をする時は、常に今から離れた状態
今という現実を突き詰めれば、人は無我になる
すなわち、思いはハラリハラリと去っていく
そこに執着はない
自分の存在のエビデンスを確認する暇がない
人は常に今ここから目をそむけてる
人の我は今ここでは生きられないからだ
だから思考の世界に逃避する
現実の世界が苦しければ苦しいほど、酒やパチンコ、薬物、娯楽に逃避するように、
人は常に今ここから逃げ出し、思考の世界に浸ってる
仏教の悟りとは、今ここに気づくこと
刹那の瞬間に生きる『私』に、思考の介在はない
120 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 18:40:10.28 ID:kJv1mgR8
121 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 18:42:48.51 ID:nsKtICk9
>>119 記憶は過去の情報としても、それを読み出すのは今です
そして、実感を直感してるのも今です
時間を置いてから実感が湧くって話もアリですが
例えば今空腹を感じてるのは今この瞬間です
昼に食事したからそれ思い出しても今の空腹は収まりません
私を感じているのは今なのです、過去ではありません
過去の自分の何かを思い出してみても、それを感じるのは今なのです
それだけ今とは抜き差しならない一瞬なのであり連続なのです
我々の眼は節穴ですから、今しか見えていません
刹那瞬前も後ろも現実として見る事は出来ないのです
しかも五蘊界空ですから今のこの刹那瞬すら実体が無く
仮和合に過ぎない為に仮の姿しか見えていません
>刹那の瞬間に生きる『私』に、思考の介在はない
思考の介在が許されないのですから”私”も残らないのです
涅槃は無分別故に厳格ですから
122 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 19:12:55.05 ID:qKnstLdh
>>119 思考実験、やってみます?
涅槃は思考しちゃ行けない云々の矛を一旦収めて、静かに考えてみて下さい
いまこの地球をまるっと一個、人間を一切除いてコピーしました、お隣にあります
このコピー地球には現在人っ子一人も居ません、寂しいので元居た人口分
寸分違わずおんなじ人の形の蝋人形でも置いておきましょう
便宜的に人形は行動くらいはしても良いでしょう、でもコミュニケーション一切は無しです
蝋人形ですから
あなたは日本の形したところの東京っぽいとある「渋谷」って書かれた
繁華街の駅前交差点見たいな場所に降り立って見ます
歩行者信号の様なものが青に変わり、あっちこっちから蝋人形軍勢が交差して渡って行きます
あなたはそのど真ん中に居るのです
一人に話しかけてみましょうか、反応してくれません、蝋人形ですから
蹴っ飛ばしてみましょうか?すっ飛んで転んでますけど何も言わずに去って行きましたよ
その世界ではあなただけが血の気の有る人間なのです
実は音も匂いも無く、ただ見えてて触った感じがあなたに有るだけです
じゃ、目以外の感覚を閉じて見ましょうか
どうです?蝋人形が動き回ってる渋谷の街です、音は聞こえません
話しかけようにも音が発せません、触ろうにも体が動かないのです、どうです?体温有る肉体はあなた一人です
ではそろそろ、目も奪いましょう、漆黒無音無感触無臭無味の渋谷のスクランブルです、どうですか?
楽しんで頂けたらいよいよ、意識も奪ってみましょうかw
?
おかえりなさいw
123 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/18(火) 19:16:50.61 ID:fknHbcDP
>>120 >中論批判ですか?
中論は殆ど無関係ですね。
神経症とか禅病の話です。
精神世界に興味を持つと、こういう事例になる場合が多い。修行僧でもあります。
この治し方もあって、原理は自己催眠です。
自分の頭にイメージしたものを利用して、自分に催眠を掛けるのですが、
これは私のオリジナルではなく、昔からある方法です。白隠が考案したものもある。
やり方は色々です。
では、おやすみ。
>>121 確かに記憶を読み取るのは今かもしれませんけど、
実感、直感しているものは何ですか?
過去でしょ?
今、今を実感しているのではなくて、今、過去を実感しているのです
つまり、今を実感出来ていない
空腹になる
今、過去の記憶を頼りに、あれが食べたい、これが食べたいと思うわけです
または、あれが食べられない、これが食べられない、こういうのは全て、過去の思いを元にしてます
いつ食べられるんだろうかと不安になるのも、過去食べられなかった時の記憶を元にしているのかもしれません
今この瞬間のみならば、空腹はただ空腹という現象として、過ぎていくだけだと思います
そこに介在する思考はない
人は今から離れた思考の世界に生きているために、未来の不安を感じたり、苦しみを
感じたりするんだと思います
今この瞬間に不安を感じたり苦しみを感じたりすることは、今この瞬間から離れたところからではないと、
出来ないと思います
>>117 >空故に無常、無常故に無相、無相即ち実相、実相即ち皆空
>一切皆空にどれも反しません
それなのに、「無常(固定ではない)」って言っちゃうんだ
「固定ではない」っていうのも相のひとつだよ
126 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 20:31:19.68 ID:nOADKDxu
>>124 記憶は実感ではなく情報です
過去記憶を想起し実感するのは今だけです
それは過去の情報を過去の事として”今”想起してる事なんです
それをあなたは過去を実感していると仮に認識しているに過ぎません
認識は実感ではありません、実感に対しての所感に過ぎません
実感は今この時の刹那瞬にしか起きていないのです
>>125 何の事かと思いきや、言語学かなんかですか?
仏教の言う実相と無相は同義であり、これらは無常であり
相たる相を持たないから無相なのであり、相が無いその状態こそが実相
と認識してましたがね、違うんですかそうですか
無常は固定の相を持ってないそのものを言う筈なんですけどね
127 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 20:40:53.20 ID:nOADKDxu
>>124 既に去ったものは去らず、まだ去ってないものも去らず、去りつつあるものも去らない
今この瞬間しか見えていない我々の眼に去るものは一つも見えないのです
つまり、去るものを実感だけする事が出来ない、これが現実なのです
では、去るものを我々はどうして知っているんでしょう?
実感から所感を得て認識しているんです
つまり、脳内で補完されてるんですよ、それが現実に起きてる現象なんです
128 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 20:41:56.75 ID:TLIrke5Y
>>117 >空故に無常、無常故に無相、無相即ち実相、実相即ち皆空
>一切皆空にどれも反しません
空として常住はない。どうして無常があろうか。
『一切皆空』と空論に囚われて分別してませんでしょうか。
中観の方々はこの辺りは注意されていると思いますが、囚われて分別してしまうと同様でしょう。
こういう阿呆な議論が続きますから、想定読者以外は「中論」を読まない方がよいと月称菩薩も注意書きされてます。
智慧と慈悲と功徳を積んだ想定読者(菩薩候補者)以外が読むと邪見に堕ちいて危ういそうです。
129 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 20:48:52.72 ID:nOADKDxu
>>128 >空として常住はない。どうして無常があろうか。
勘違いですよ
それは「空として」であり事物を言っていないんです
空は空であり非常住非無常だと言ってるに過ぎません
宇宙は無常です
非無常非常住なら貴方も私も今この場で2ちゃんなんて出来てませんw
130 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 21:19:45.49 ID:nOADKDxu
中論は難しいですからね、読んで面白いと思えても一部の章だけだったりで 全編まるっとスッキリ頭で理解しようとか覚えてしまおうとか、記憶に優れた例の気質の人じゃなきゃ無理っぽw あれが理解できなきゃ中観は云々って言う人も居るかも知れませんけどね 要点は案外簡潔で 仮観 空観 中観 (仮空中の三諦) これが解ってれば大体おkなんです 仮観っても要は形而下の事で、目に見えるこの世界の凡そ全部の事 空観も要は形而上の事で、目をつぶって想起できる凡そ全部の事 この二つだけで三界全ての事が表現できる訳で、悟ったと勘違いしちゃう、らしいっす って事は中観は上記以外の事になる訳です 良く中道だから間をって思うかも知れませんけどちょっと違うんです 目を半開きにした世界な訳じゃないんですw
>>126 >何の事かと思いきや、言語学かなんかですか?
分からないんなら別にいいや
ういう
133 :
成りすまし跋扈 :2014/03/18(火) 22:33:40.19 ID:2r5EdnGg
>>117 >空故に無常、無常故に無相、無相即ち実相、実相即ち皆空
ぜんぜんアカンやんw
134 :
神も仏も名無しさん :2014/03/18(火) 23:26:34.88 ID:kJv1mgR8
二諦 三諦 四諦 世俗諦 勝義諦 第一義空 仮観 中観 空観 止観
135 :
ポータ :2014/03/19(水) 01:23:39.26 ID:TPYh6dps
あんな〜 ほんま〜 そうでっしゃろ そやかて しやかて そうかいな 「今をいきる」(^▽^♯)
136 :
ポータ :2014/03/19(水) 01:30:46.67 ID:TPYh6dps
そやけど、今を生きてないとしたら、むちゃこわいし。 みなおちついてかんがえてみよし、そんな生命体って、こわすぎ。 ある人は過去を生き、またある人は未来を生きる。 そんな生命体って、めちゃこわいし。
137 :
ポータ :2014/03/19(水) 01:44:02.09 ID:TPYh6dps
過去を生きる、未来を生きる、かえっていまどき、こうなったら 案外おされかも。 「今をいきない」(^▽^*)
138 :
ポータ :2014/03/19(水) 01:58:36.90 ID:TPYh6dps
「あるがまま」と「わがまま」この違いについて述べよ。 幼子が、かく可愛いのは、過去も未来も現在さえ、そういった重荷から 離れているからです。 赤ん坊は例えば泣いたとしても、相対認識ではなく ただ、痛み(お腹が減った、糞尿でどうにもならん、眠い) という事実に対して泣くのであって、苦あれば楽ありなんて考えていません。
139 :
ポータ :2014/03/19(水) 02:14:18.09 ID:TPYh6dps
「あるがまま」とは自由のことです。 「わがまま」とは不自由なことです。 その不自由が息苦しくて、なのです。 オウムの信者、つまりカルトを考える時、不自由を考えなければなりません。 「わがまま」である彼らは、自分でまさか我がままだとは思っていませんでした。 なぜなら「わがまま」は「あるがまま」とは違い、不自由の事ですから。
140 :
成りすまし跋扈 :2014/03/19(水) 07:11:43.25 ID:NYxYUcqT
>>130 >仮観っても要は形而下の事で、目に見えるこの世界の凡そ全部の事
>空観も要は形而上の事で、目をつぶって想起できる凡そ全部の事
ぜんぜんアカンやんw
141 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 07:39:41.60 ID:lpmqj9w+
基礎知識すらないハッタリが跋扈する、ほんとクソスレだよなあw まったく・・・
142 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/19(水) 07:41:54.56 ID:8CEmCyyt
>>127 そうですね。つまり世俗諦のインチキを暴いたのが中論の骨子ですよね。
実は「去る」とか「来る」とかは、それ自体が錯誤でしかない。つうことですね。
不去不来です。
八不は勝義諦悟入への重要ポイントです。
現時は去るものであり、また現時は来るものである。という、
こういう論説もまた矛盾でありますから、現時はそれ自体はアリエナイ。いんちきです。
つまり中論はこのようなインチキを例示してあって、
インチキにおいて勝義諦を説示す。
このような解釈で良いかと思いますね。
143 :
成りすまし跋扈 :2014/03/19(水) 07:55:21.08 ID:NYxYUcqT
<一枚起請文> 唐土我朝にもろもろの智者達の沙汰し申さるる観念の念にもあらず。 又学問をして念のこころを悟りて申す念仏にもあらず。 ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、 うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細候わず。 ただし三心四修と申すことの候うは、皆決定して 南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり。 この外に奥ふかき事を存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候うべし。 念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、 尼入道)の無智のともがらに同じうして、 ★智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。 証の為に両手印をもってす。 浄土宗の安心起行この一紙に至極せり。源空が所存、この外に全く別義を存ぜず、 滅後の邪義をふせがんがために所存をしるし畢んぬ。 建暦二年正月二十三日 大師在御判(原文は「源空(花押)」) これはほんものです。成りすましではありません。 道元さんの「修証一等」と不異不同です。
144 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/19(水) 08:02:08.88 ID:8CEmCyyt
>>120 >中論批判ですか?
中論解釈には道程がありまして簡単に説明してみます。
@先ず禅定初期において世界観が構築される。→この段階で悟ってます。
A外観を悟っても自己の解決には至ってないことを気づく。→これでまた悟りました。
Bこの疑を自分に向ける。→悟ってます。
Cどうも、今までのことは無駄だったかも知れない。→またまた悟った。
Dそれから自分は慧眼でもって洞察が鋭くなる。→モノホンの悟りというのはこういうものか、と悟る。
Eしかしそれが全部偽物と気づく。→悟った。
Fやはりどうも無駄だったようだ。→悟ったか悟ってないか分からん。
こういう状態で中論を読めば納得いくかと思うよ。
145 :
成りすまし跋扈 :2014/03/19(水) 08:34:23.39 ID:NYxYUcqT
>>142 >こういう論説もまた矛盾でありますから、現時はそれ自体はアリエナイ
同意。
で、以下の自称覚者サマの奥深い意味の教えwとやらが、成りすまし相対俗論でしかないことが判明します。
『事物の法性そのままから観るなら、始まりとは終わりの事であり、終わりとはまた始まりの事となる
輪廻は厳格な事実だから人が死んでも、死=人の終わり=他のものとしての始まりって意味で
生と言えば生しかなく、滅と言えば滅しかない ってなるんだよ』(
>>15 )
自称覚者サマは俗物相対論のままであって、“無意味な”言語ゲームだということがお分かりではないようです。
道元「現成公案」の誤読でしょう。
『不實而生(滅)生已盡滅』(第一義空経)です。
146 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 08:45:23.81 ID:yufhjETs
>>144 実相こそが仏陀の悟りの内容そのものであるというので、
これを一実、一如、一相、無相、法身、法性、法位、
涅槃、無為、真諦、真性、実諦、実際などという wiki
147 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 08:49:50.96 ID:Q9oNw0JK
仏教は頭では理解等出来ない 経典を読んで知りえる事は可能でも書いて無いことは知りえない 行間を推測出来ても、その根拠を問われると推測だと一蹴されてしまう 釈尊は経典を読んでいない、資料になる助言は有ったかも知れないが それらは全て外道の言葉であった だから最後は全てを擲ち独悟したのである その時の釈尊が一番多用した事とは何か それこそが悟りへの一番の近道なのである めでたき境地はすぐそこにあり 我見に拘り一生を虚しく過ごして万障悔ゆることなかれ
>>146 いろんな名前を付けて読んでも
それが限定である以上、「実相」は「実相」じゃなくなるよ
149 :
成りすまし跋扈 :2014/03/19(水) 08:56:58.57 ID:NYxYUcqT
150 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 09:00:35.77 ID:lpmqj9w+
【一切門】透過という君も相当怪しい・・・
151 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 09:01:20.51 ID:yufhjETs
152 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 09:03:13.08 ID:2qFzLfkf
負 け /⌒\ オ 犬 ノ)´・ \・` h 閻 (/ ( ▼ヽ ボ 魔 / \_人_) エ の /|\ソ ヽ\ /  ̄L\|∩) | \ /\)\\ \ 〆 / | \\ |\/ ∧゚ | \\_ | / \|_ | / _|_ ノ  ̄\ \ レ ボエ〜〜♪ .|\\__レ | |
153 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 09:05:25.98 ID:yufhjETs
諸法実相
154 :
成りすまし跋扈 :2014/03/19(水) 09:07:23.96 ID:NYxYUcqT
>>150 相応部35-15&70のどこが怪しいの?
155 :
成りすまし跋扈 :2014/03/19(水) 09:13:10.05 ID:NYxYUcqT
>>152 >負け犬閻魔
そうですかw
不明にして、仏道般若門の法灯明に勝ち⇔負けの相対価値観があるとは知りませんでした。
もしそうなら、そんな仏道はガラクタですから自灯明によって廃棄します。
156 :
成りすまし跋扈 :2014/03/19(水) 09:16:18.32 ID:NYxYUcqT
>>153 訂正
× 相応部35-15&70
〇 相応部35-23&70
157 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 09:21:55.84 ID:p/95Ra8Y
必死だなw
158 :
成りすまし跋扈 :2014/03/19(水) 10:01:10.44 ID:NYxYUcqT
ああ、揶揄しか能のないお方ですかw
160 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 11:30:56.43 ID:2M/slhgf
>>155 お前のは自灯明ではない、法灯明にも値しない
経灯明知識灯明になってる
それはもはや釈尊諸説の仏法ではない
優れた設計図を手に入れながら、その通りに作ろうとしないお前は
釈尊の遺誡にも背く愚かな野弧に過ぎない
張り合いの心を捨てて今こそ菩提樹の下に座れ
同行二人で座れば必ず分かる
161 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 11:32:14.62 ID:lpmqj9w+
虚栄灯だろう、褒めすぎw
162 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 12:00:15.69 ID:yufhjETs
164 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 13:04:10.00 ID:yufhjETs
165 :
成りすまし屋跋扈 :2014/03/19(水) 13:07:16.87 ID:NYxYUcqT
>>160 おやおや、やはり揶揄しか能のないお方ですかw
筏が法であるわけがない。
まったく論拠のないトンチンカンな戯言でしかありません。
道元 正法眼蔵 現成公案 冒頭段を深解されてはいかがですか?
無理でしょうが。
その他は、過去レスで明快に示唆済みです。
とにかくあなたは、二項相対対象化思考から、一歩たりとも抜け出てはいません。
まあ、おきばりやす。
所用で出かけます。
166 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 13:24:45.58 ID:yufhjETs
>>166 ドグマは宗教・宗派における教義のことで
この場合の仏教的ドグマとは、仏教的な教条主義って意味だよ
168 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 13:44:56.90 ID:yufhjETs
169 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 13:45:34.86 ID:tPZvbXdM
ID:NYxYUcqT ↑ 彼の論から賢者諸氏は気付いて頂きたい 深解とは深く理解しろと言う意味である しかし、読むは結構だがそれは自己の勝手であり 理解出来ようが出来まいが、色々言おうが言うまいが 「花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみ」なのである 悟れるか否かを他人の所為にしてはならない 解脱出来るか否かを経の所為にしてはならない 全て自己責任なのである 経は筏で法である訳が無い、これは慢心である 筏も法も法なのである、一切法空故に 経は料理のレシピみたいなものである レシピは重要なれど目的ではない レシピを見て調理をし料理を完成させて、食べて旨い 旨いものを食べる事がレシピの意義なのである この場合、調理が仏道となり、食事が成道となる レシピの字句がああじゃないか、お前はレシピの解釈がどうしたこうした そもそもお前はレシピを理解出来ていないから云々 ID:NYxYUcqTはそう言っているのである 俺は誰も見捨てない、ただ老婆心から言っている 悪く思わないでくれ給え
170 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 13:48:38.29 ID:tPZvbXdM
すまん、ちょっち書き間違えたw >筏も法も法なのである 経も筏も法なのである、一切法空故に ってことで
>>168 釈迦の言葉だから正しいとか、龍樹の書いた内容と同じだから正しいとか
経文に載ってたから正しいとか
そんなやつ
172 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 14:14:07.39 ID:yufhjETs
>>171 >「法」は仏教的ドグマにあらず
三法印 四法印 諸法無我 は違うと云う解釈なんだろw
なら 一切皆空 や 諸行無常 涅槃寂静 も 違うとか言い出すのかいw
173 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 14:27:16.63 ID:yufhjETs
一切皆空 × 一切皆苦 ○
>>172 >三法印 四法印 諸法無我 は違うと云う解釈なんだろw
あなたが実証した結果としての「三法印 四法印 諸法無我 」ならば特に違うと言う気もないが
仏典読んで理解しただけでは違うと言わざるを得ないよね
175 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 14:36:27.07 ID:yufhjETs
>>174 的をえない否定ですね これこれこうで違うと説明いただけませんでしょうか?
176 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 14:40:17.41 ID:rbWvnpzp
ID:1hfSdYf0 ID:yufhjETs 議論は大いに結構だと思う、掲示板は文字こそが全ての表現の根幹と成っている 故に、自分の書く文字こそが真理を言い得ていると信じて書くのは良い事なのだ 但し、誇りをもって信じて書いて頂きたい 誇りが掛かっている以上、責任も付随して回ることも覚えていて欲しい 信じて書いた事が間違っていた事を畏れては行けない、それを恥じてもいけない 正しい事を書いてくれた相手に敬意を感じ、その時は黙って理解を咀嚼するべきである 正しい答えを書けた方も、それを慢心してはいけない、相手に更なる追い込みを掛けてもいけない 正しい事が掛けた者は、その分早く知り得たと言うだけであり、論が間違っていた相手の苦労や 得がたい経験に敬意を感じ、その場は理解を咀嚼しながら黙るべきである 仏法はとても難解なのである 生きてる自己を対象に、生きたまま生き様を転換せねばならない行為が主体となる ちょうど、運行を止める事無く線路を張替え、高架工事を済ませる鉄道の如く、である 一人では大変である、故に釈尊は別格なのである 我々が釈尊と違うのもそこである、経があり同志が居てくれる 感謝を念を忘れずに、大いなる議論を楽しんで頂きたいと切に願う
177 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 14:40:40.18 ID:m+kKtX7N
日本語、的は射て、当を得ましょうね。
>>175 「法」は、「法」そのものが「法」じゃなく
あなたが実証、納得して初めて法になるって言えば分かりやすいかな
179 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 14:53:05.96 ID:yufhjETs
>>178 「法」は、「法」そのものが「法」じゃなく 苦しい説明ですね
180 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 14:58:30.63 ID:yufhjETs
「法」は仏教的ドグマにあらず は ウソであるでいいですね それだけに興味があるだけなので
181 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 15:04:40.29 ID:lkb57ajE
ある事で空気に振動が起こる、振動の波が無い位に大きく木でも揺らせばそれは風である これも法 空気の振動が目にも止まらぬ回数を打つ、それが耳に届き感官から所感を得て音と認識される これも法である 法とは道理の事である事をわかって頂きたく 因みに、仏教で言う法も概ね道理の事である 現生的なる法はその代表格である 参考までに
>>180 >「法」は仏教的ドグマにあらず は ウソであるでいいですね
法≠仏教的ドグマ だから特に間違ってないよ
法=仏教的ドグマ って言うんなら話は別だけど
183 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 15:22:07.73 ID:lkb57ajE
ドグマとは教条主義に偏向したり独善意識を構えた論に大抵は投げる 例えば 「お前の言ってる真理とやらはドグマそのものだ」 となった場合は大抵「独善的」の方の意味となる筈である つまり、その真理やらは、言ったその人にしか通じない万有普遍ではない真理となり 概ね間違っていると言われてる事になる訳だ 逆に、教条主義的を言う場合は、教条に並んだもの以外を一切認めないと言う意味なる 仏法に教条は無いのである、現象全てが対象故に、現象に教条が無いからである 現象にあるのはただ、縁起する道理のみであるので、こんなものは大雑把過ぎで教条とは呼べ無いのである
184 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 15:37:18.34 ID:yufhjETs
185 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 15:43:21.57 ID:lpmqj9w+
182に明確さが欠落している、虚栄心で書き込んでいるのかもw
>>184 >どうどうめぐりですね
そう? じゃ、ウソだと思えばいいんじゃね
思うのは個人の自由だから
187 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 15:45:37.32 ID:yufhjETs
>>185 >虚栄心で書き込んでいるのかもw
ハハハ、ワロス
>>187 ふむふむ、ではウソだと思う理由を聞こうかな?
190 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 15:54:52.33 ID:yufhjETs
>>189 又どうどうめぐりですかw
>>174 >「三法印 四法印 諸法無我 」ならば特に違うと言う気もないが
ここでみとめてる訳だし粘るねw
191 :
ポータ :2014/03/19(水) 16:20:14.02 ID:TPYh6dps
>>859 (前スレ92)
>> Music Hall<ウタマロ>へ ようこそおいで下さいました。
>> 消費税があがるとかなんとかで、ささやかな物品に至るまでかけこみ需要
>> と言うのでしょうか、なにかと気忙しい新学期(新年度)でございますが、
>> はりきって、まいりましょう(笑)
>何ですか?(笑)
>2ちゃんねるスレ内部に休憩所的なものが建ったとか?(笑)
>ヨロシクー
・・・・・・・・・・・・
はい。
Music Hall<ウタマロ>
夢のひよこ
http://www.youtube.com/watch?v=J21MCRfHkvA
>>190 >ここでみとめてる訳だし粘るねw
おいおい、「あなたが実証した結果として」って言ったのが抜けてるよ
実証したの?
193 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 16:29:59.11 ID:lpmqj9w+
192は実証を要求するが、何の実証か。 普通、明確に提示するもんだがな。 自己陶酔激しくて提示ができんようだなw スレタイの上では普通、テーマを明確にして、追及するもんだが・・・・
194 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 16:41:06.28 ID:yufhjETs
>>192 誘導尋問なのだろうけど ヒントはここまでと言ったでしょw
196 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 16:49:29.90 ID:lpmqj9w+
範疇、スタンスを明快にできんようでは自己陶酔でしょうw
197 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 16:57:27.43 ID:yufhjETs
>>195 >「三法印 四法印 諸法無我 」ならば特に違うと言う気もないが
ここでみとめてる訳だし もういいよw嘘決定w
198 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/19(水) 16:59:37.78 ID:8CEmCyyt
議論がアカデミックな流れになったようなので、私もこの流れに乗って 少々、深遠なる書き込みで対応したいかと思う。 彼岸というのを何か勘違いしている方がいるようですが、 実は彼岸というのはリセットのことです。 パソコンで言うなら初期化のことですから、初期化までの経緯ってのは必要ない。 これが「筏は捨てる」の意味ですね。 実は彼岸到達は、禅においてはクライマックスなのですが、 これに固執してはならない意味あいにおいても「筏は捨てる」。 と捉えても良い。 私は「直ぐに忘れろ」という言い方をします。 いわば禅というのは、こういった繰り返しなのです。 白隠が何回も大悟を繰り返すのは、そのためです。 一回こっきりで悟れる訳はない。 かしこ。
199 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 17:03:48.87 ID:lpmqj9w+
何回か嘘を繰り返すだけだろw机はwカスが!!!
>>198 彼岸とは彼方のように思えども、実はここなり
201 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 17:09:45.03 ID:lpmqj9w+
>彼岸とは彼方のように思えども、実はここなり 最初からそういう風に言えば、明白やろ。 仏教的ドグマなんちゅう、めんどくさい事いわんとw
202 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/19(水) 17:09:52.22 ID:8CEmCyyt
>>200 彼方って?
彼岸というのは場所じゃないよw
イメージ化したものであって、いわば人間の思考というのは
そうしないと解釈できないようになっている。
西方浄土も、場所じゃなくてイメージ化されたもの。
そのくらいの事は誰でも知ってるだろうよ。
203 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/19(水) 17:17:38.17 ID:8CEmCyyt
>>199 >何回か嘘を繰り返すだけだろw机はwカスが!!!
彼岸というのは涅槃のことだぞ。
私が嘘を書いてる。つうなら、その嘘を暴いたらどうだね。
私は法を曲げる書き込みなどしたことはない。
それだけの責任を有しておるんでつ。
204 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 17:20:34.11 ID:lpmqj9w+
机のうんこ欲動が蠢き垂れ流す・・・・・ うんこ欲動を何回も繰り返しているなあw机はw
>>202 >彼岸というのは場所じゃないよw
知ってる、心的距離感を表現したかっただけ
206 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 17:27:55.48 ID:lpmqj9w+
机が即気付かぬ処が、 何回か嘘を繰り返すだけだろw机はwカスが!!! の理由w ガラクタを脳みそにため込んでいるから10年も成長できず哀れな机w
207 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/19(水) 17:38:15.86 ID:8CEmCyyt
>>206 >ガラクタを脳みそにため込んでいるから10年も成長できず哀れな机w
そうです。その通りです。
禅者は全てを受容する。これが涅槃だ!!
そこに何の偽りなどあろうか?
<ライヤーデスク・花押>
208 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 17:46:40.48 ID:lpmqj9w+
机はアタマ悪いんだから、白隠なんかw語るなw
209 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/19(水) 17:50:34.11 ID:8CEmCyyt
>>205 >知ってる、心的距離感を表現したかっただけ
そうですね。実は時制においても禅者は経緯感がないですから、
自分が老いた、とか全く自覚がないようです。
その為に禅者は長生きしますね。
無為自然なら当然なんじゃないですか?
ふじこ。
210 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/19(水) 18:03:52.77 ID:8CEmCyyt
>>208 確かに私は頭が悪いけど、今更にそれを指摘されてもどうしようもない。
頭が悪いなりに、どうにか生きてきた。
人生ってそんなもんじゃないですか?
皆様は何かコンプレックスなどありますか?
私はコンプレックスをバネに生きてきました。
211 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 18:36:05.40 ID:lpmqj9w+
そうやって、自己肯定して逃げる芸があるんだから、臨済宗禅を語るのは間違いという 自覚が無い恥知らずな机で10年・・・
212 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/19(水) 19:09:53.73 ID:8CEmCyyt
>>211 >臨済宗禅を語るのは間違いという
禅とは奥深いものでして、私は最近そのことについて書き込みしようかと思ってます。が・・
世俗視座では到底図り知れないものです。
あれが禅者なのか?
それ程にインパクトがあるものでも、
実はなんとそれは美しいものか、と圧倒されることしきり。ですが・・・
ただし、こういう話はセンスってもんがない者に話してもゴミでしかない。
だから、
こういう掲示板では書かんけどね(苦笑
無粋な連中ばかりで、書く気もせんわ。
というか・・・暗すぎる。性格が(笑
213 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/19(水) 19:29:12.90 ID:8CEmCyyt
>>211 お前、今日一日何か楽しかったこと書いてみろよ(笑
何か書けるか?
お前の書き込みは暗いんだよ。
ユーモアとか、ウイットとか、そういうセンスってもんを知らんのか?
書き込みに多少そういうもんを織り交ぜるってのも人生大事なんだよ。
人生は、頭の良し悪しより、そういうスキルってのがないと、
からきし人生はつまらんものになる。
そういうことなんだよ、人生ってのは(笑
214 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 19:30:21.93 ID:QZIXibdo
あんたは禅だ禅とはと言うが、禅って何かね?
215 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/19(水) 19:33:48.24 ID:8CEmCyyt
>>214 よくぞ聞いてくだされた。
禅とは、自分を知る。これに尽きるかと思います。
216 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 19:37:01.56 ID:QZIXibdo
ほう、ではその自分から、一体何を知れたのかね?
217 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/19(水) 19:40:50.58 ID:8CEmCyyt
認識の出鱈目。
218 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 19:44:34.94 ID:QZIXibdo
ほうほう、では何とする?
219 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/19(水) 19:46:17.85 ID:8CEmCyyt
そのありようで生きる。
220 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/19(水) 19:50:04.19 ID:8CEmCyyt
その後、質問がないようですので、もう寝ます。
221 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 19:52:29.50 ID:QZIXibdo
出鱈目な認識のままに? そりゃ随分と難儀な生き方ですなぁ。 禅とは仏教では無いのですか?
222 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 19:55:55.10 ID:QZIXibdo
机禅師の家風は「出鱈目禅」。 如是我聞。
223 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/19(水) 20:00:05.26 ID:8CEmCyyt
禅は宗教というカテゴリーに入らんのじゃないかな? というか、最も宗教らしい宗教が禅なのかもしれん。 仏教というより仏法でしょう? >そりゃ随分と難儀な生き方ですなぁ。 世俗観点なら難儀でしょう? では、質問はいいですね?
224 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 20:03:04.71 ID:xFbrZuQW
出鱈目の認識のままで生きる。 お釈迦様はそんな事を教えましたかのう?
225 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/19(水) 20:04:14.35 ID:8CEmCyyt
>>222 がっかりしたよ(苦笑
これだからセンスのない人間は苦手なんだよ。
まあ、お前らには一生、禅は無縁かもしれんぞ(笑
拝むのが好きなんだろ?
226 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 20:05:37.09 ID:xFbrZuQW
センスって何かね?
227 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 20:12:57.30 ID:xFbrZuQW
出鱈目眼蔵・与太った妙心、ビミョウな法門あり 文字を立てず寝言・世迷言に別伝して机に付属す
228 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 20:39:50.56 ID:Eqj6Qxp/
部派仏教の時代くらいまでは「天・人・餓鬼・畜生・地獄」の五道 大乗の時代からは上記五道に修羅を加えて六道 生前に良い行いを続け功徳を積めば次の輪廻では良き境遇へ 悪業を積めば苦しい境遇へ生まれ変わるとされてきた いずれにしても善行を行なえと言っている事には違いが無い 釈尊在世の時代は、何と驚く事に、人は死後に輪廻しない事など信じる事が出来なかったそうだ これは宗教の如何にかかわらず皆そうだったそうな だから経典ではあれだけ輪廻が説かれて居た訳で 解脱を果たせば輪廻が止まるとは相当な衝撃だった様だ(釈尊以外にも何人かはこの思想を唱えてた) 現代人の輪廻観は割りと半信半疑で、有って説いても無くて説いても暖簾にうで押しとなり あまり効用がある様には見受けられない、が、信仰として善行に励むべく輪廻観を据えるなら さもありなんとも思える、実際は悪用されて飯の種にされてる方が多いのも否めない ハッキリ言うなら、その気が有るなら解脱すべき時代なのでは? と思う、解脱すれば悪説に騙されないので ただ、修行が・・・ 今時の子は修行なんてアレだよね そこが課題だと思う
229 :
○ :2014/03/19(水) 20:43:18.81 ID:mzv0muxN
>>220 机氏は午後8時には寝板入りのようですね。私は10時かな。
しかし、本スレをボケ防止とコミニケに使って『毎日皆楽』のように観じられます。
230 :
○ :2014/03/19(水) 20:51:20.86 ID:mzv0muxN
>>228 >現代人の輪廻観は割りと半信半疑で、有って説いても無くて説いても暖簾にうで押しとなり
現代人には『解脱』もあまり誘引方便にならないように思います。
一度、「貴方は解脱と極楽往きと何れがいいですか?」とアンケートを取れば、後者が圧倒的に人気があると思います。
『空』も『涅槃』も同様に誘引方便としては不人気でしょう。それだけ現代の日本は物質的には豊かです。
とたまには平凡なかきこをしてみました。
231 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 20:56:10.33 ID:Eqj6Qxp/
>>230 解脱は方便ではない、実践的事実だ
お前が真光を辞める事も解脱の一種だ
一切の迷いを解き放て、それが解脱だ
232 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/19(水) 21:01:03.13 ID:jpTfwJKI
すいません、書き込んでも書き込んでも「人大杉」でレスできないんですよ。
ズーと待ってたんですけど、掲示板に戻れば書き込めるんですね。
お待たせしました。2ちゃんは不思議です。
>>47 >>「俺Aと俺Bはまったく同一か?」 と問われたら、お前は何と答えるの?
>>まさか、「まったく同一です。」 とは答えられまい。
まさかまさかの、まったく同一ですと答えます。
これこそ輪廻を解読するミソです。
>>一切の生命が俺だと抜かしながら、俺じゃない俺B、俺C、俺Dを作り上げてる・・・・
>>気持ち悪いなぁ〜・・
いえいえ、すべて俺なんですか俺A、俺B、俺C・・・も同一人物です。
それぞれに前世があるんですから、俺の前世がマグロでもブリでも矛盾いたしません。
これで納得していただけましたでしょうか。
キモくてすいません。謝罪します。
233 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 21:04:21.18 ID:Eqj6Qxp/
映画「マトリックス」に解脱を象徴したシーンがある 後半でネオがエージェントに倒されてから、起き上がって弾丸を全て落としきり 「無駄だ」と言うシーン位である 彼にはエージェントやその世界が「マシン語の列」として見え出したので それまでの敵の攻撃では通用し無くなるのだ 娯楽映画の世界では有るが、解脱もちょうどあんな感じである 嘘では無い
234 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/19(水) 21:29:53.26 ID:jpTfwJKI
おお、書き込めた!
>>51 ですから、俺がいっぱいいるんですよ。
全世界の人口が70億人ですか。
動物から単細胞生命をひっくるめると何兆何千兆、何京、何垓までいくかもしれません。
とても俺Aとか俺Bでは間に合いませんね。
とにかく俺が沢山いっぱいいる。それにb振っただけですよ。
世界に俺が一人ぼっちなら俺以外に俺Aは存在しません。
しかし沢山いっぱいいる。それぞれに前世があり輪廻している。
このことをどうか憶えておいてください。
>>今世の全生命が自分だと抜かしながら、前世の全生命はバラバラじゃねーか。
はい、バラバラです。
しかし輪廻には法則があります。
「行い(業)」によって次の輪廻の転生先が決まるのです。
俺の前世の場合はブリやマグロとして寿司ネタという人間のために自らの肉体を供養させた善行の結果、ブリから人間に転生できたのです。
ありがたやありがたや。
235 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 21:57:48.48 ID:Eqj6Qxp/
映画マトリックスに絡んでもう少し書こうか 覚醒したネオが解脱を果たして弾丸を落とし、エージェントと互角に戦いその場では勝利する 弾丸を落とした時点でまあ、現実的には不可思議な話ではあるが、映画だから矛盾にならない 映画故に全てが空想だからだ、映画的な空想にはそれらしくシーンを作って話を構築していける手段が有る 実際の我々の生活でも空想は出来るし、空想に富んだ人も割りと居る しかし、映画と違い実生活に於いては、空想が実像化する事は普通は有り得ない、有り得ないから空想なのだし その空想的な話を、あたかも有るかの様に語り、信じ切って、人に薦めて広めようとする人が居る 例えば、前世の記憶を語り出した老人の話を無批判で信じ、証明と称して 嘘では無い証拠だけを各種取り揃えて根拠として語る、などである この人は確かに「嘘では無い証拠」は探して来たのだろうが、その話が「妄想である証拠」を探していないのである これが信じてしまうトリックの一つでもある、話術ではブラフとも言われ、良くも悪くも引っかかって 袋小路に追い込まれているのである 解脱しても映画は楽しいです、その点は心配有りません しかし、上記のような妄想は簡単に見破れるようになります そう言う妄想を信じるのが趣味な人には確かに解脱は向いてないかも知れないでしょう それでいいのか、と言う一抹の疑念は否めない訳ですがw
236 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/19(水) 21:59:43.43 ID:jpTfwJKI
>>53 「抽出」の意味を理解できましたか。
輪廻という全体の中からブリやマグロという前世を純粋に抽出しただけです。
まさにただのサンプルです。
「是非」を問うことが抽出では断じてございません。
あなたがウソをついていたことになりませんか?
>>233 私のカルト教団「幸福の輪廻(ネオ日蓮宗)」では、映画マトリックスは法華経と並んで聖典としています。
信者は必ず年一回は鑑賞して論文を書く義務を課しております。
>>嘘では無い
続編でエージェントスミスが自己増殖したでしょう。
あれはまさに全生命は「俺」状態ですよ。
アレ?俺悪役じゃねーか!
237 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 22:10:00.09 ID:Eqj6Qxp/
>>236 君の全部俺か全部他人の誤謬は他人の受け売りですよね
それを最初にこのスレで言った人を私は知っていますが
君じゃ無い事は良くわかってます
つまり、その「全部俺か全部他人」の結論は間違いだと言う事です
238 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 22:14:59.11 ID:yufhjETs
台湾立法院(国会)を学生らが占拠 生中継 //live.nicovideo.jp/watch/lv173117558?ref=zero_nicotop
239 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/03/19(水) 22:15:30.89 ID:huXrgRTt
この100年ほどで50億ほど人が激増してるわけだけど、 輪廻転生の教えからはどう説明するわけ。 末法の世に人間道に転生する畜生が増えてるってか?それとも天道から下落した衆生かい?
240 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/03/19(水) 22:24:07.36 ID:huXrgRTt
仏教ってのは宗教の根幹ともいえる人間論が完全に欠乏してる。 人とは何者でどこから来てどこへ行くのかを思考放棄する。 一方で生死輪廻の苦からの解脱を標榜する。つまり救済論を持ってるわけだ。 人間論のないところで救済論を立てるから、無我だけど転生しますとか論理矛盾することを 堂々と言ってのける。 こら釈迦が仏法は滅ぶと予言したのも理解できるわ。
241 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 22:24:11.87 ID:Eqj6Qxp/
>>239 神の王国も人に転生する業報輪廻転生説も
人の心が作り上げた文学的空想です
しかし、仏教が据える輪廻転生は事実なのです
あなたの生まれた経緯がその証拠ですし、あなたの生きてる
その現実の身体こそが輪廻の証拠なのです
仏教はそれをも悟るのです
242 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/19(水) 22:36:17.53 ID:jpTfwJKI
>>237 >>それを最初にこのスレで言った人を私は知っていますが
やはりパイセンがいましたか。
そいつも悟っていますよ。
俺の主張は釈迦の受け売りです。
>>239 ちょっと他人の受け売りいいですか。
人間一人の細胞は60兆個ですよ。
毎日何兆個もの細胞が死んで生まれ変わって輪廻しています。
50億なんて誤差の範囲ですよ。
243 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/03/19(水) 22:46:36.41 ID:huXrgRTt
細胞って何道やねんwwwww ってか釈迦は輪廻転生なんぞ信じちゃいないね。 人という要素を物質的、精神的要素に分別還元した上で全て常在ではないとした。 同一性を保ち存続すべきものは「人」にはないと明確に言ってる。 これは釈迦の教説の根幹に位置する部分だから、対機説法や方便で有耶無耶にする部分じゃない。 もとい我執を超えた先にある悟りの境地においては、人間存在すら超克される。 それが否定を連ねて反転した先に釈迦が見出した究極の「自己」なわけよ。 釈迦の無我はそのように理解しなくてはならない。
244 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 22:52:43.67 ID:Eqj6Qxp/
>>243 >ってか釈迦は輪廻転生なんぞ信じちゃいないね。
釈尊の観た輪廻は信じる必要が無いんですよ
あなたは眠りに付く時、眠りを信じて行っていますか?
眠りから目覚める時に目覚める事を信じて目覚めていますか?
仏法は現生的なる法なので誤魔化しが通用しないのです
>釈迦の無我はそのように理解しなくてはならない。
それを独善と言うんですよ
あなたの法は独善以外の何ものでもないです
245 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/03/19(水) 22:55:03.50 ID:huXrgRTt
こういうとナーガールジュナ的な生死輪廻即涅槃みたいなうんこ理論に 陥りやすいが、あれこそミスリードはなはだしいw 龍樹さんは生成消滅の世界である地球がせいぜい46億年の年齢とは知らなかったんだろうw
246 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 23:01:10.03 ID:Eqj6Qxp/
閻魔はキリスト教の人々にも迷惑を掛けてたんだね 仏教の極意を得られなかったからって他人に八つ当たりしたって始まらんのに 龍樹がどうかは置いとくが、仏教の世界観は三界三世十方を閻浮提と見做し これを一切衆生の住所と見做してる、これ一つで我々の知り得る全宇宙となる 仏教甘く見るなよ?
247 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/03/19(水) 23:07:15.55 ID:huXrgRTt
>>244 で、御釈迦さんが前生でディーカンパラから授記を受けて菩薩道を邁進し、
ゴータマに転生して成道しましたとか信じてるの?
248 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/03/19(水) 23:19:17.34 ID:huXrgRTt
釈迦の予言だと末法の世では仏教徒は仏法の保持者を自称してるだけで全員糞になってるはずだから。 俺のような外道の方が真如に近づけるわけよ。
. 仏教陣営はグノーシスの導師様一人にに殲滅されたみたいですね. ちょっと弱すぎませんかね. .
250 :
神も仏も名無しさん :2014/03/19(水) 23:39:17.72 ID:Eqj6Qxp/
>>247 方便はその時の衆生を済度する為の処方箋であり頓服ですよ
その時を生きてない現世の我々には効果が無い他所の人の薬に過ぎません
>>248 釈尊が時代の移り変わりを言う事は有ったかも知れませんが
終末思想を唱えたとか知りませんけね
天台智の時代なら末法思想も創作されてた様ですからそれの事ですか
門外が混同するのは仕方ないです
>>249 ここ数日数ヶ月、このスレは仏教の話じゃなかったように思うが?w
どこに仏教陣営が居たんだい?
つか、レス番飛んでて導師とかワケワカメ
しかし、移転の追尾に苦労したわw
252 :
○ :2014/03/20(木) 04:11:39.70 ID:MA2L4I/6
>>239 ネオ・グノーシス派の導師
>この100年ほどで50億ほど人が激増してるわけだけど、
>輪廻転生の教えからはどう説明するわけ。
原始仏典では世界は幾度も生成消滅を繰り返しており、生ける者達も世界が無い期間は『光音天』に退避しております。
(参照:長部経典第二十七経「起源経」)
もし過去の世界での最高人口が100億であれば、現代の50億も範囲内でしょう。
>>240 >仏教ってのは宗教の根幹ともいえる人間論が完全に欠乏してる
なお仏教では全ての人に仏性が宿ると説かれております。(参照:法華経「方便品第二」)
貴グループでは一つの『神の雫』が拡散したのであれば、拡散の上限は50億とも言えないでしょう。
と非仏教の私も横からレスしてみます。
253 :
○ :2014/03/20(木) 04:20:14.45 ID:MA2L4I/6
>>250 >方便はその時の衆生を済度する為の処方箋であり頓服ですよ
>その時を生きてない現世の我々には効果が無い他所の人の薬に過ぎません
そうだと思います。
しかも当時でも四通りの処方箋を釈尊は使い分けていたと龍樹菩薩は解説されております。
(参考:龍樹「大智度論」四悉壇)
もし釈尊が現代に転生されたら、物質的に豊かになった先進国では「一切皆苦」という方便(筏)は使われないと思います。
254 :
○ :2014/03/20(木) 04:40:53.92 ID:MA2L4I/6
>>253 >もし釈尊が現代に転生されたら、物質的に豊かになった先進国では「一切皆苦」という方便(筏)は使われないと思います。
更に科学が量子力学や相対性理論を主張しておりますので、「諸行無常」、「諸法無我」という方便(筏)も使われないと思います。
でも「輪廻」は誘引方便になり得るかも知れません。
神通の一つで初対面の相手に、
「貴方は前世で○○村で庄屋の○○という名だった。小作達から酷い搾取をしていた。このカルマがあるから現世では経済的に厳しい目に何度もあっている。」
「貴女は前世で○○村で武士の○○という名だった。○○の戦で大勢の敵を殺して手柄を立てた。このカルマがあるから現世では事故や手術に何度もあっている。」
現代人は冷や汗をかきますが鵜呑みにはしません。
中には由緒正しい人がいて、実家にいって○○家の系図を確認し、「ああ、あの糞坊主の言った通りだ。先祖が○○村の武士で○○の戦で戦功をあげている。」
と変わりゆく私も早起きしたので考察してみます。
今朝は大雨でリーマンは満員電車では傘が邪魔ですが、植物にとっては甘露の法雨でしょう。
255 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 05:39:02.91 ID:HnIgAHJ/
在家の荒らし妄想の魔術だなw ひでえ、きえてくれw 寂しい、かまってちゃんはキモいぞw
256 :
○ :2014/03/20(木) 05:43:31.60 ID:MA2L4I/6
>寂しい、かまってちゃんはキモいぞw 良いネタが縁で起こっただけです。 と空らしく答えてみます。
257 :
ポータ :2014/03/20(木) 05:45:21.16 ID:SubNkKzY
仏教徒の皆さま、すこし時間をください。 このスレの消費を考える時、この少しの時間などたいしたものではないと どうか、おおらかに受け止めて下さればと・・・・お願い申しあげます。 ・・・・・・ 真光さん、おはようございます。 手というのは、使い様ですね。 つまり道具の初発です。 何度も言いますが、道具は使う者によって、変わります。 穢れた手でも、自他を清浄にすることは出来るとお考えでしょうか。 穢れたといえば極端なものいいですが、 やはり明朗で健康な人によって共に生きる光の道を整える準備ができるのではありませんか。 素人が手を差し伸べ合うというのは、生活を考えて頂ければ分かると思うのですが それは役割分担ですから混同がないようにお願いいたします。 (つづく)
258 :
ポータ :2014/03/20(木) 05:56:57.63 ID:SubNkKzY
まず、ずばっとお聞きします。 真光は、表現が難しいのですがしろうというよりも、 苦しんでいる人同士が手を差し伸べているのではなく エネルギー交換をしていませんか。
259 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 06:13:14.42 ID:HnIgAHJ/
犬タロータイムにしてやるかw クソポーターは全く、非仏教丸出しで喜んでいやがるw
260 :
○ :2014/03/20(木) 06:16:48.39 ID:MA2L4I/6
>>257 ポータ氏
>穢れた手でも、自他を清浄にすることは出来るとお考えでしょうか。
>>258 >苦しんでいる人同士が手を差し伸べているのではなく エネルギー交換をしていませんか。
施光者と受光者とが交互に神の光を放射し合っているので外部の方からはそう見えるかも知れません。
両者(レンズ)とも神の光が通過した分だけ清浄になっていると伺っております。
また穢れた手が悪カルマ大という意味でしたら、関係ないでしょう。
一般的な内容は公式ホームページでご確認下さい。
とスレ違いなので簡潔にレスします。
261 :
○ :2014/03/20(木) 06:19:43.13 ID:MA2L4I/6
>>260 元 施光者と受光者とが交互に
改 施光者と受光者とが約50分の交替で
262 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 08:08:52.11 ID:0MqBj3r5
>>229 >しかし、本スレをボケ防止とコミニケに使って『毎日皆楽』のように観じられます。
禅語では「日々是好日」とか言ったりする。
それはさておき、貴殿の祖父の寝言を資料に著書を出版したんでしょ?
で、このことを機会に、貴殿はこの著書をどうにか社会に役立てないものだろうか?
とかアクションを考えたことはないのですか?
いや、考え方は人それぞれ自由です。
私だったらそういうことを考えますが、どうでしょう?
(つづく)
263 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 08:11:30.95 ID:0MqBj3r5
(つづき) ちなみに大川龍法は、最初は半分ジョークのつもりで著書を出したのかと推測する。 そしたら、あまりにも喰い付きが良いので、これはもしかしたら・・・ ってんで勢いに乗ったのかと思うね。 立宗ってのは、最初は僅かな切っ掛けですよ。殆どは・・・ で、貴殿の場合は私事ではなく祖父ですからね、そこに信頼性はでてくる。 改めて浄土教を研究して、 私だったらアクション起こすけどね。 例えば、人生相談とか、世の悩める方へのボランティアとか・・・ いくらでもアイデアは浮かぶ。 だけど、貴殿は生真面目なのですよ。 良い意味でも、悪い意味でもね。
264 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 08:25:49.99 ID:HnIgAHJ/
机もほぼ、ジョークだろうw
265 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 10:04:18.92 ID:1lYYTrmy
>>253 生苦老苦病苦死苦が物質的豊かさで解決できると思うから手かざしじゃダメなんだよ
愛別離苦や五蘊盛苦や求不得苦、怨憎会苦も物理的豊かさの増減に関わらず起こる
そんなんだから手かざし真光じゃダメなんだよ
266 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 10:15:33.76 ID:1lYYTrmy
>>253 一切皆苦とは”一切”がみな”苦労”であるって意味では無い
一切が全て苦と感じる因である、と言う意味だ
つまり、
>そんなんだから手かざし真光じゃダメなんだよ
と言われて感じたそのお前の感情も苦なんだよ
浅墓な価値判断しか出来ない人間性と教義の相乗効果で世の中をどんどん蝕んでいく
それが崇教真光の社会的害毒だと言える象徴的レスであり、お前はその証拠だ
267 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 10:36:15.39 ID:1lYYTrmy
有名な「毒矢のたとえ」と言う方便がある これは確かに方便だが的確に真理を言い得ている 矢が刺さってる状況に於いて、毒が有るのか無いのかを吟味する必要などない 毒の種類や強さや半減期などを考慮して吟味する必要はない ましてや毒が塗られている事、塗られてない事を各々信じる必要も無い 矢がどんな性質・製品でどんな人物が何の意図で射って来たのかを吟味する必要はない ましてや矢が刺さっている事を信じる・信じない必要も無い 矢が刺さって健康や生死に係ってる一大事なのに、それも抜かずに対処もせず あれこれ考える暇など無いのである、それが現実である 崇教真光などの信者はそう言う現実を直視せず逃避して 違った角度の能書きを探しまくって垂れまくり手かざしをして祝詞を上げ「お鎮まり」とやる アホである 社会悪であるし人間にとっては世迷言にしかならないのである
268 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 11:36:54.55 ID:1lYYTrmy
21世紀以降の仏教は、俺が考えるに教団も僧侶も要らないと考える それでは仏典や教義を誰が後世へ伝えるのかと疑問になるが 仏典も所詮はいまや書物であるので大学の研究資料として保有し 公開していれば良い、教義も研究資料として全て文書化し、人文学あたりが保有すればいい 大学の研究成果としてそれらを公開していれば社会貢献にもなる 故に寺院はただの重要国宝として観光地化し、テキスト類は全て学閥が非営利で有してれば良いのだ 仏教はいくら根掘り葉掘り研究されても、行(実践)が無ければ言わんとしてる真髄は知りえない 知ったところで実体験が無ければその根拠が文字からは得られないのが仏典論書なので いくら研究されても全然問題ないのだ 問題大有りだと騒ぐ奴は、それで飯食ってるそう言う職業の人達だ 現代は出家も托鉢も、意味も判らず行う財施も一切不要なのだ 財施については、それを善意で出版してくれる企業が赤字ギリギリ程度の利潤で受けるべきで 利益を上げる気が出た時点で幸福の科学同等と化すので排除すべきなのである 今の時代は経典は無料で読めるしGoogleで容易に探せるし現代語訳文すら有るものは有る 教説の根幹は教えの骨目なのでこれだけで釈尊の教えの骨目は大いに知れるのだ 肉付けは実践以外にする方法は無い、釈尊は肉付けこそが教説の肝要なのだと教える それは不立文字教外別伝なのである、つまりツベコベ言わずにやってみろ、って事
269 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 11:53:35.54 ID:1lYYTrmy
>仏教はいくら根掘り葉掘り研究されても、行(実践)が無ければ言わんとしてる真髄は知りえない これが解ってた博士にして大賢者だった中村元氏は、仏教の行をちゃんと行なっていた人である 但し、研究者としての普遍妥当性や公平性を維持するには、実践者としての贔屓目は殺さなければならず その点では随分苦労された様である 考古学の吉村作治教授等もそうだが、彼らは例えばピラミッドやミイラや砂漠を掘るのが大好きで仕方ないのである 好きを仕事にする苦労は、研究者なら普遍妥当性や公平性との戦いなので皆同じなのである 好きじゃなかったら教授にはなれないのだ 彼らにとって研究者の立場は飯の種と趣味の満足の両建てに於いての鬩ぎ合いなので 我々凡人にはその苦労を中々伺い知る機会は無いのである そう言う研究者の労にも敬意を表したい
270 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 12:12:24.07 ID:0MqBj3r5
>>268 将来の日本は、少子化で経済も限界がありますから、既存教団も衰退していくのは明らかです。
つまり無縁仏が増えて、檀家が縮小されていくでしょう?
無縁仏について考えたことがありますか?
「無縁」な人はいないのであります。
皆様、縁あって、そして生まれて育って亡くなるのです。
無縁というのは、勝手気ままに人生を送ると、自然に人との縁が薄くなり、
やがて縁がなくなり・・・無縁になるのです。
人と人の繋がりは縁ですから、これは大事にしなければなりません。
また縁というのは、不幸になる場合もあります。
ストーカーなど良い例ですね。
これからの日本は、こういった地域社会について考える時代かもしれません。
既存教団は、あまり重要視されない時代がやってくるかと思います。
271 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 12:22:28.14 ID:0MqBj3r5
>>269 >考古学の吉村作治教授等もそうだが、彼らは例えばピラミッドやミイラや砂漠を掘るのが大好きで仕方ないのである
そうですね。私も禅が好きで、こうして掲示板に書き込みしているのですが、
しかし掲示板においても禅に全く興味がない御仁もおりますから、こういう連中では何を言っても
蛙に小便ですね。
全く通じないどころか、小便すら勿体ないような心境になることもあります。
しかし私は、小便もこれ道と、そこになんら差異はあらず。
このような心でもって日々是好日ふじこ。
272 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 12:30:16.06 ID:XZay/y5p
273 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 12:37:02.25 ID:1lYYTrmy
>>272 鵜呑みにしては行けないよ
俺の書いた事が間違ってない・俺の独善では無い
って保証はどこにも無いんだから
ただ、「テメー嫌味ったらしくカッコつけた謙遜なんかするなよ根性悪いな」
って気持ちが少しでも起きたら光栄だと思います、貴方には正法眼蔵が芽を出し始めてる
と俺はちょっと嬉しいと思います
暮々も鵜呑みにはされない様に、釈尊の謹言でもありますから
274 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 12:38:12.49 ID:XZay/y5p
真光の手かざしは脳に悪影響があると思うよ。 たとえばボケやすくなるとか(^^)
275 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 12:41:52.44 ID:1lYYTrmy
プラセボレベルならなんか有るかもですが 俺は手かざしに何の効果も無いと思います 自己の頭にかざしては行けないのも効果無しがバレるからだと思いますし 霊動?霊って何かね?w
276 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 12:59:42.75 ID:1lYYTrmy
>>270 お前はあいも変わらず虚栄心から釈迦に説法を垂れる愚行を重ねる気か
無縁仏の因縁を気にするより、何故「無縁”仏”」なのかを考察しろ
それらが仏か仏じゃないかは別として、そこにその字を当てる事に大いなる意味と意義が有るんだぞ
気にした事無いだろうけどな、無頓着故に観察眼が利かないからなお前は
277 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 13:05:38.34 ID:0MqBj3r5
>>279 >無縁仏の因縁を気にするより、何故「無縁”仏”」なのかを考察しろ
馬鹿たれが(笑
ほれ、
>皆様、縁あって、そして生まれて育って亡くなるのです。
> 無縁というのは、勝手気ままに人生を送ると、自然に人との縁が薄くなり、
>やがて縁がなくなり・・・無縁になるのです。
>>270
278 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 13:08:34.85 ID:0MqBj3r5
>>276 >気にした事無いだろうけどな、無頓着故に観察眼が利かないからなお前は
偉そうなことを言うなら、お前のその観察眼とやらを書いてみろ!
逃げるなよw
279 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 13:12:42.82 ID:1lYYTrmy
>>277 >自然に人との縁が薄くなり、
人との縁を至上と思う己の心に苦悶の因が有ると悟れない愚か者め
人の縁には良し悪しが付いて回る、これ自然の理
孤独に歩め悪をなさず、求めるところ少なく、林の中の象のように。
孤独を基本に楽しめないものは心の病を病んでるんだよ
280 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 13:14:29.54 ID:1lYYTrmy
>>278 涅槃に住していない普段の我々は、そのままでは一生を緊縛されて過ごす
仏道はそれを悟る唯一無二の手段
281 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 13:23:34.60 ID:0MqBj3r5
>>279 > 孤独を基本に楽しめないものは心の病を病んでるんだよ
まあ、貴殿は現実を知らないから悠長なことを書けるのかも知れんね。
それでも良いけど、それでは世間は通らないんだよ。
無縁仏というのはだね、引き取り手のいない仏様のことだよ。
親兄弟も子供もいない人とは限らない。
殆どは血縁はある方なんだけど、そういう血縁を切ってしまうんだよ。
それが問題なんだけど・・・
まあ、くだらんから、このくらいで止めておくか(苦笑
これで納得いったか?
分からんのなら、再度説明してやるよ。
282 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 13:26:42.95 ID:0MqBj3r5
>>280 あとね、あまり馬鹿馬鹿しいことで私を煽るなよ。
お前らの相手するつもりはないんだよ。
私の書き込み気に入らないなら、
華麗にスルーすれば良い。
面倒くさいんだよ。
283 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 13:28:06.20 ID:1lYYTrmy
>>281 テメーが一番の逃げ腰じゃねーかよいつもw
何で死んだだけで仏様なんだよ、考えた事ねーのか?
だから無頓着って言われんだよw
284 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 13:29:39.01 ID:YHpEwiRk
285 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 13:29:47.40 ID:1lYYTrmy
>>282 お前の書き込みに一つの真実も無い、だからたまには突っ込んどくんだよ
お前は見栄っ張りの嘘吐きだからな
286 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 13:34:41.08 ID:1lYYTrmy
机の家風は「出鱈目禅」で唯授一人寝言相承なんだよなw
287 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 13:42:58.13 ID:0MqBj3r5
288 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 13:49:14.96 ID:1lYYTrmy
>>287 言っとくが、あらゆる因はお前自身が起こしている
俺に絡まれたくなければ俺の書き込みにレスを返すな
俺はお前の賛同を必要としていないし否定も無用だ
お前の助言もヒントも無用だ
全てはお前が俺に張り合うから悪いのだ
バカモノ
289 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 13:54:03.81 ID:0MqBj3r5
>>288 そういうことで良いから。
兎に角、私のことは忘れろ。
今大事なのはそのことだ。
で、あまり私に粘着するなよ。
私は、独り言を書くつもりで掲示板を利用してるんだから、
290 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 13:57:31.67 ID:1lYYTrmy
>>289 何をトチ狂った事抜かしてるんだ?
お前が先に知ったか扱いて
>無縁仏について考えたことがありますか?
って質問を抜かしてきたんだろうが
テメーが俺に知ったかで張り合ってこなきゃ不問にしてやったのに
テメーからオメオメと急須の如く口を出してきたんだろうが
自業自得ってもんを仏法者を気取るなら少しは弁えろ糞ジジイ
291 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 14:00:06.18 ID:0MqBj3r5
>>288 >俺に絡まれたくなければ俺の書き込みにレスを返すな
馬鹿もんが!!
なんでこういう馬鹿がいるんだよ。
お前は「名無し」だろうが、馬鹿もん。
「名無し」が誰かは分からんだろ?馬鹿もん。
私は「名無し」にレスしてるんで、お前にレスしてるんじゃないんだよ。
馬鹿もんが。
292 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 14:01:24.29 ID:TMEWey6w
>>288 お前の書き込みに一つの真実も無い、だからたまには突っ込んどくんだよ
お前は見栄っ張りの嘘吐きだからな
293 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 14:03:13.03 ID:TMEWey6w
>>288 言っとくが、あらゆる因はお前自身が起こしている
俺に絡まれたくなければ俺の書き込みにレスを返すな
俺はお前の賛同を必要としていないし否定も無用だ
お前の助言もヒントも無用だ
全てはお前が俺に張り合うから悪いのだ
バカモノ
294 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 14:04:05.18 ID:TMEWey6w
>>290 テメーが俺に知ったかで張り合ってこなきゃ不問にしてやったのに
テメーからオメオメと急須の如く口を出してきたんだろうが
自業自得ってもんを仏法者を気取るなら少しは弁えろ糞ジジイ
295 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 14:06:14.64 ID:1lYYTrmy
遂に悔しすぎて発狂したな
296 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 14:13:11.24 ID:n7ahofCu
270 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [] 投稿日:2014/03/20(木) 12:12:24.07 ID:0MqBj3r5 [3/11]
>>268 将来の日本は、少子化で経済も限界がありますから、既存教団も衰退していくのは明らかです。
つまり無縁仏が増えて、檀家が縮小されていくでしょう?
無縁仏について考えたことがありますか?
「無縁」な人はいないのであります。
皆様、縁あって、そして生まれて育って亡くなるのです。
無縁というのは、勝手気ままに人生を送ると、自然に人との縁が薄くなり、
やがて縁がなくなり・・・無縁になるのです。
人と人の繋がりは縁ですから、これは大事にしなければなりません。
また縁というのは、不幸になる場合もあります。
ストーカーなど良い例ですね。
これからの日本は、こういった地域社会について考える時代かもしれません。
既存教団は、あまり重要視されない時代がやってくるかと思います。
297 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 14:16:34.18 ID:SoG6rygV
流石はデタラメ禅の机 因果の理法も弁えないバカっぷりw
298 :
ポータ :2014/03/20(木) 14:18:48.66 ID:SubNkKzY
>>260 〇氏へ
エネルギー循環であれば、自然に浄化がおきます。
例えば、水が濾過されてはめぐっているように。
循環は役割分担です。
カルトは自分の不自由、不足を他から奪います。
循環ではなく奪い合いをめぐっているように錯覚します。
個々人固有のエネルギーをへんな表現ですがいじくる事はこわくありませんか。
正循環に戻すのは、いじくるといいませんし、昔から手当てやハンドパワーはあります。
その場合、たとえ効果が薄くても正循環の流れに乗っていると思いますが、
毎日か毎週か頻度はわかりませんが、
多くの方が集まって、【素人】同士でいじくっているようなことになってはいませんか。
(つづく)
299 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 14:28:42.65 ID:8rwIyDRF
>>291 お前その馬鹿もん相手に肖ろうとしてレス被らせてんじゃん
セコイんだよセコ過ぎ
300 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 14:36:13.45 ID:TMEWey6w
301 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 14:37:58.91 ID:TMEWey6w
>>299 お前その馬鹿もん相手に肖ろうとしてレス被らせてんじゃん
セコイんだよセコ過ぎ
302 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 14:42:42.97 ID:0MqBj3r5
>>297 >流石はデタラメ禅の机
> 因果の理法も弁えないバカっぷりw
そういうことだよ。馬鹿だと思ったら私を相手にしないことだよ。
私は「名無し」にレスしてるんで、特定の個人を相手しているつもりはない。
それとも何か?いちいち「横槍ではありません」とか「独り言です」とか
書かねばならんのか?それも面倒くさい。
結論は、馬鹿な机を相手にするな。ってこった、
相手にする方も悪い。これで良いだろ?
303 :
ポータ :2014/03/20(木) 14:44:25.76 ID:SubNkKzY
悪気もないし、一生懸命お相手に光をおくっておられると思うのですが、 手術とは、手を使った術ですね。 霊動はもちろんよくご存じだと思うのですが、 個人固有の生体エネルギーの歪みを正循環に戻すには 神主や神父や拝みやなど、それ相当の伝統と行で鍛え上げられていなければ といいましょうか、あるいはもともとの資質がなければ・・・・ と思うのですが、どうなんでしょう、そういうことは考えられた事はありませんか。 歪みを感じて集まった者同士が・・・・。 (つづく)
304 :
ポータ :2014/03/20(木) 15:18:11.37 ID:SubNkKzY
歪んでいるのですから、歪んだエネルギーを被る、歪みを肥やしにする可能性をおおいに 考慮しなければなりません。 また、例えとして化け猫の話しは昔からありますが、 それは猫の性質と関係しており、正循環にのっていませんと エネルギーが猫に被ったりするのです。 歪みから、勝手にそのようなエネルギー分配のような事を起こす事は ありますが、 わざわざ増殖させるのなら、世の中に何をしているのか 本末転倒であります。 真光ではそういう話しはでないのでしょうか。
305 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 15:20:28.34 ID:bNYqG9Au
お釈迦さまはカルマからの解脱のみを求めたんだろ? だから仏教は道徳でもなく形而上学でもなく、ましてや教義的宗教ですらない。 それはある実践の道としか言いようが無いものだろ。 だからそれ以外の事柄(哲学や道徳や宗教教義等)には無視を持って答えた(無記説)んだろ。
>それ以外の事柄(哲学や道徳や宗教教義等)には無視を持って答えた(無記説)んだろ。 無記は形而上の事だけでしょう。哲学や道徳や宗教教義等は形而上ではないからいくらでも答えうる。 形而上は答え得ないから答えない。だから無記。
307 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 15:26:02.89 ID:zvWcbbEO
>>302 お前は結局無縁仏とか死者に対して仏と称する所以に答えられず
自分の立場だの主張の正当性だのを誇示する事に終始してんだろ
仏法者を名乗るんならそれは如何なもんなんだよ
筋の通せない奴が禅を語るんじゃねえよ
308 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 15:40:11.29 ID:TMEWey6w
>>305 >お釈迦さまはカルマからの解脱のみを求めたんだろ?
根拠は?
309 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 15:41:36.53 ID:0MqBj3r5
>>307 またかよ(笑
あのね、机は馬鹿なんだから相手にするんじゃない。と、あれ程・・
まあいいか、少し説明してやるよ。
>お前は結局無縁仏とか死者に対して仏と称する所以に答えられず
人で無縁な者はいない。ってことだよ。
そして無縁になるのは、それなりの理由がある。ってことだよ。
その理由ってのが、その人の人生そのものがここに映し出されている。ってことだよ。
勝手気ままに人生を送れば、縁も薄くなり・・・しまいには縁が切れちまう。ってことさ。
気ままに生きれば、それだけしっぺ返しがくる。ってことだよ。
これが因果だ。
だから私は、縁は大事に。って書いたまでのこと。
貴殿は若いと思うが、こういうことは知らなくていいよ。
だけど日本の将来のことを貴殿が書き込みしたので、私がこういう現実を書いたまでのこと。
私のことは忘れていいから。それだけだ。
310 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 15:41:36.75 ID:TMEWey6w
>>307 >無縁仏とか死者に対して仏と称する所以
習俗
311 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 15:46:34.00 ID:zvWcbbEO
やっぱ年寄りは思い込みだけで話を始めるからダメだな
>>309 何で死者に対して安易に仏と尊称してるのか、その意味を言ってみろと言っている
無縁になった経緯なんかどうでも良い、それを仏と呼ぶ意義を言えといっている
習俗としても意味あって定着している
気付かなかったのか?
312 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 15:52:47.25 ID:zvWcbbEO
これが答えられないで仏法者を名乗るのは詐称者だし 成したるを宣言してたら僭称者、西洋制度なら磔レベルの重罪だ
313 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 15:57:42.29 ID:0MqBj3r5
>>311 仏ってのは尊称なのか?
貴殿は禅をよく知らないようだけど、仏ってのは尊称ではない。
つまり対立しない相を仏という。対立しないのなら、尊称も蔑称もない。涅槃のことだね。
涅槃に逝くんだから仏様なんじゃないですかね。
いや、貴殿と教学の御勉強をするつもりはない。
問うたから答えたまでのこと。
314 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 16:03:41.34 ID:zvWcbbEO
315 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 16:03:59.92 ID:0MqBj3r5
>>312 だから貴殿は禅というのを全く知らないんだよ。
知らないなら知らないでいい。
だけど禅者を煽るのはよくない。
316 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 16:08:14.33 ID:Ha6xAhs4
317 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 16:14:18.59 ID:TMEWey6w
>>314 >涅槃ってどこだよ
娑婆しかないじゃんw
318 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 16:16:26.57 ID:R8GcDcWD
319 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 16:17:27.48 ID:0MqBj3r5
>>314 涅槃がどこにあるか私は知らないのだよ。
兎に角、馬鹿な机は相手にするな!
>>316 そうだ、その通りだ。
私のことは忘れろ。
320 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 16:18:48.64 ID:TMEWey6w
>>316 くだらん質問で見栄張って、お前は仏者じゃないだろ
321 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 16:20:51.54 ID:R8GcDcWD
>>320 自己紹介乙w
机の肩持つのはろくなの居ないなw
322 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 16:21:00.92 ID:TMEWey6w
>>318 >じゃ禅も仏法も不要じゃん
お前のトンチンカンなりすまし仏法wとやらは不要
323 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 16:23:18.53 ID:R8GcDcWD
>>322 成り済ましなのはお前だろ
俺は規制回避してるだけw
324 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 16:28:50.17 ID:bNYqG9Au
>>308 そんな仏教の常識に根拠を求めるバカwww
パーリー聖典や仏伝や仏教概論をまともに呼んだことない馬鹿だろ、お前www
325 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 16:28:50.99 ID:TMEWey6w
>>323 お前のようなトンチンカンなりすまし似非仏法にはろくなのは居ないなw
>>317 が答えられないで仏法者を名乗るのは詐称者だし
成したるを宣言しているから僭称者、西洋制度なら磔レベルの重罪だ
326 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 16:38:16.04 ID:R8GcDcWD
因みに、おれは仏法者だし、そもそも解脱出来てる 解脱してるから輪廻の迷いの道にはもう戻る事は有り得ないし 釈尊が正しかった事も龍樹が正しかった事も、最澄や空海や鎌倉仏教の有名祖師たちが 各々全員正しかった事もよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく解ってる 禅が正しいことも勿論よーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく心得てる でも机やその類は間違ってる 何と言おうがね 涅槃が娑婆なら仏教は不要になるんだよ それを言うと釈尊への冒涜だ 釈尊は涅槃の様相を常楽我浄だと表現している 娑婆は無常苦無我不浄とも表現している つまり娑婆=涅槃ではない、そう言うと釈尊への冒涜になり 禅者なら野狐五百生だ
327 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 16:47:24.40 ID:0MqBj3r5
>>325 >涅槃が娑婆なら仏教は不要になるんだよ
涅槃というのは現実世界そのものだし、涅槃であるものと涅槃でないものの区別はない。
色即是空 空即是色
要は個々人が死ぬ瞬間に何を思うか? 生きている間に言う事に意味は無い。 死にとうない〜はよ死にたい〜生きたくない〜もっと生きたい〜 嫌だと思わなければ、どのような感情でも良い。 生きている間の覚悟と死ぬ瞬間の思いが同じとは限らない。 それら諸々を含めて覚悟することが重要かもしれない。
329 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 16:50:44.53 ID:R8GcDcWD
机のコールドリーディング位解脱してればお見通しw
330 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 16:59:28.06 ID:0MqBj3r5
>>329 貴殿は何かの夢を見ている状態だよ。
>涅槃が娑婆なら仏教は不要になるんだよ
この書き込み見れば一目瞭然。
どうでもいい。これは個人の自由だから。
だけど禅者は貴殿以上に達観しているのは事実だ。
だから禅者を煽るのは止めといた方がいい。
331 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 17:02:39.51 ID:Q1lDhDWE
>>330 それなら解脱者を疑ったり罵ったり煽ったりもやめたほうがいいぞ?
禅者より心得てる釈尊配下10人の膝元に直参する覚者を見分けられない禅者も居ないんだから
332 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 17:21:54.02 ID:0MqBj3r5
>>331 >それなら解脱者を疑ったり罵ったり煽ったりもやめたほうがいいぞ?
私は相手に向けてそんなことしたことはない。
あくまでも「疑」は自分に向けての「疑」であって、相手ではない。
君達は君達で自分の解脱を信じてれば良いんじゃないか?
それは自由だ。
だけど、君達との価値観がまるで違う私にそれを言っても無意味だ。
だから今後、机はスルーすれば良い。
333 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 17:22:19.39 ID:Q1lDhDWE
禅者のつもりなら解脱者と張り合ってはならない、当たり前の話 俺を罵倒したり非難したりするのは構わない、いくらでも馬鹿にすればいい しかし、解脱したものを否定したり罵ったりするのは悟りや解脱に対しての否定になる だから行なってはならないのだ、本物の禅者ならそれ位心得てるはずだ 俺には見栄も損得も何も無い、だから俺が罵られる事はそれはそれで受け止め良くかみ締めた上で 不問とする、しかし解脱者を非難しては絶対に行けない、悟りを否定しては絶対にならないのだ 老婆心から言っている 悪く思わんで欲しい
>>331 ふふふ、オモロイ
虎の威を借る狐がいるぞ、ほれ、コンコンコン
335 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 17:46:11.76 ID:0MqBj3r5
>>333 君達は「行をしろ」とか「悟った」とか簡単にスレに書き込むけど、
そんな容易いことではないんですよ。
坐禅をすれば身体を動かさないから身心のバランスを崩したり、
そういうのが原因で自立神経症とか、神経症とかなったりするのが普通です。
だからそういう経緯を私がスレに書き込んでいる訳で、
ある意味、無駄なことも多いのです。つうか、
そういうことも含めて、忘れることも大事なのかな。ってとこもあるのです。
そうじゃないと身心がやられてしまうのです。
しかしそういったストレスとかの書き込みがない。つうことは
ここで書き込みしている連中は、そもそも行などしておらんのだろう?
そんなことは分かっているんですよ。
そういう体験談というのが皆無ですからね。
そんな連中に私が書き込みしても、意味は通じんだろう?
336 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 18:04:15.64 ID:Q1lDhDWE
>>335 >坐禅をすれば身体を動かさないから身心のバランスを崩したり、
それは白隠禅師曰く「悟達へ急ぐ強迫観念」が原因
解脱への要諦を知らないものはその本当の意味するところが解らない
お前が何をどう繕おうが俺は行によって解脱をした、他人が信じる信じないは別の話
坐禅をすればストレス云々は坐禅が原因ではない、悟りを急いでノイローゼになってるだけ
俺は正確に言えば禅門の人間ではない、禅門から見れば門外だ
しかし禅が仏教の端くれなら、悟達すれば観えるものは同じ事だ
そうでないなら釈尊発祥の教えの流れを汲んで居ない事になり、それは外道となるからだ
お前の書き込みの意味がここの他人に通じないのは独善だからだ
脈略も無さ過ぎるし慈悲もない、虚栄に満ちてるからROM者に気付かれてるだけだ
解脱宣言して良いことなんか一つも無い、しかしニセモノが多い以上言ってやらなきゃならんことも有る
解脱者はニセモノが見分けられるからだ
337 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 18:12:51.00 ID:0MqBj3r5
>>336 >俺は正確に言えば禅門の人間ではない、禅門から見れば門外だ
門外なら私に口出ししなければ良い。
>解脱者はニセモノが見分けられるからだ
そうか。じゃあ今まで通り、私を煽ればいい。
それで貴殿の心が晴れるなら、掲示板をどう使おうと自由だ。
ただし、私には絡まんでくれ。
338 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 18:18:12.29 ID:Q1lDhDWE
>>337 まてまてまてwまだ解らんのか?
禅は仏教では無いとでも言うつもりか?
禅門の人間を名乗る癖に、祖師たちが教えた礼儀をお前は破るつもりか?
仏教全宗で徳を守らん宗派など見たことも聞いた事も無いんだが
お前は一体何宗の行者なんだ?
339 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 18:22:37.75 ID:0MqBj3r5
>>338 >禅門の人間を名乗る癖に、祖師たちが教えた礼儀をお前は破るつもりか?
じゃあ、その礼儀とやらを書いてみろ。
あれほど、口出しせんように書いたのに、まだ私と絡みたいのか?
つうか、お前に礼儀なる意味を知ってるのか?
340 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 18:26:42.90 ID:Q1lDhDWE
>>339 >じゃあ、その礼儀とやらを書いてみろ。
その手は乗らないよ
お前のコールドリーディングで随分と騙されたからな
涅槃の所在がちゃんと書けるようになったらその質問をしてみろ
341 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/20(木) 18:31:52.02 ID:0MqBj3r5
>>340 お前に教えてやる。だから金輪際、禅には口出すな。
>仏教全宗で徳を守らん宗派など見たことも聞いた事も無いんだが
禅にはそもそも徳なんてないんだよ。
涅槃寂静。→(無差別)
まあ、意味は分からんかと思うけど。
恥さらしは止めた方がいい。
>涅槃の所在がちゃんと書けるようになったらその質問をしてみろ
涅槃は、所在もなければ徳もない。空。
342 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 18:46:11.75 ID:Q1lDhDWE
>>341 どこまでいっても嘘っぱちしか言えないんだな
ちなみに、
>>328 >死にとうない〜はよ死にたい〜生きたくない〜もっと生きたい〜
は駄目な例です。
344 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 19:52:10.15 ID:w5eVoUXs
345 :
○○○ :2014/03/20(木) 20:06:48.22 ID:MA2L4I/6
>>275 >自己の頭にかざしては行けないのも効果無しがバレるからだと思いますし
>霊動?霊って何かね?w
>>303 ポータ氏
>霊動はもちろんよくご存じだと思うのですが、
>個人固有の生体エネルギーの歪みを正循環に戻すには
『霊動現象』の説明をしなかった縁で誤解や妄想が起こっているようです。
(公式ホームページより抜粋)
「真光の業」とは、手をかざして掌から高次元の神の真の光を放射し、一切を浄め、あらゆる悩みや問題を解決していく業で、「手かざし」または「お浄め」とも言っています。
『霊動現象』の事例1(数年前に知人宅にて)
お爺さんが亡くなって四十九日の間に家族に手かざしをしていたら、家族の一人に故人の霊(仏様)が出て来られました。
生前の口調で、亡くなる直前のこと、遺族に伝えたかったこと、供えて欲しい食べ物等を順々と語りました。
お爺さんが大切にしていた物で探しても見つからなかった物を尋ねたら、どこどこの部屋のどこどこにあると語り、手かざしの後に探したらありました。
『霊動現象』の事例2(数十年前に知人宅にて)
奥さんが急死して四十九日の間に家族に手かざしをしていたら、家族の一人に故人の霊(仏様)が出て来られました。
生前の口調で、今明るく暖かい所にいること、遺族に伝えたかったこと、本当の死因等を順々と語りました。
最後に急死する直前に読んでいた本とそのページを語り、手かざしの後に確認したらその本は見つかり栞が挟んでありました。
輪廻を知る為の行として仏教には禅定がありますが、手かざしの実践(行)が縁で起こる『霊動現象』でもある程度は分かります。
とスレ違いですが、幾度もご質問や誤解がありましたので事例をもって説明致しました。 合掌
346 :
ポータ :2014/03/20(木) 20:49:45.97 ID:SubNkKzY
>>345 〇〇〇さんへ
>『霊動現象』の説明をしなかった縁で誤解や妄想が起こっているようです。
そうでしょうか。
そもそもなぜ、その真光に入信されるか。
その理由は人によって違うと思うのですが、
なんであれ【素人】ですよね。
事例の1,2は「不思議発見」のような話しです。
その不思議はほんとうのことであったとしても、見境なく快楽を刺激します。
ですから、真光を宣伝する事例に使うのにもってこいなのではありませんか。
又、真光に集まる人達は、素人ですよね。素人がいけないと言っているのではなく
、お金を払えば、手かざし者としてパスしてしまうのではないかしら。
そして、さらにその個々人は精神不安定で真光に来られた人が多くいらっしゃいませんか。
私はそこを述べています。
>>257 >このスレの消費を考える時、この少しの時間など
2ch素人か?
今、スレを立てることがどれほど困難か
(スレを立てることを許されるユーザーがどれほど限られてるか)
知らんのか?
会話し続けるには常にスレが継続しなきゃならんし、立て続けられねばならない。
早ければ週一で新スレが必要なペースだった場合、
スレ立て可能な人間が何人要ると思ってんだ?
普通のユーザーは、一回立てたら3・4ヶ月不可能なんだぜ。
そういう「実状」を理解せず「生暖かい目で見てください」とかw
なめてんじゃねーよ、カスが・・ ( ゚听)、
348 :
紐 :2014/03/20(木) 21:30:58.23 ID:P3EyrsqA
>普通のユーザーは、一回立てたら3・4ヶ月不可能なんだぜ。 そんなことは無いでしょう。 結構たて続けに立てられたりしますw
>>268 科学・物理の分野で言えば、それは、
論文だけ存在して、
実験による検証がされていない
仮説が図書館や研究室の書棚にある
ってだけだと思うが? (或いは今回のSTAP細胞のような?w)
「本(資料)だけあればいい」って考え方は、
ナスカの地上絵が、当時の製作者達の考えを、
我々が「(完全)再現、(完全)読解」できている、と言ってるのと同じだが・・。
実生活で仏陀の教えを感じ取れなければ意味が無いというのは全くその通りであろうと思います。 一方、仏教一筋の行者の道こそ仏教の生き方というのは間違いであろうと思います。 実験による検証ではなく、実生活での共感、同感、同意という性質のものでしょう。 これを抜きに文献一筋、行一筋、伝統一筋〜の一筋路線は全て駄目という事です。
351 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 21:50:20.91 ID:vuZlfLCB
さくら 咲く は合格電報である。 早いところではさくらの開花宣言もあちこちで出始めた。 公案で無くただ坐るのでも無い。 粘着のネタを探してヨダレを垂らし徘徊する者、多数あり。 花冷えのいちにち、いっぱいのあったかい珈琲に出会い 一句 詠む 公案に 取り組む無きぞ さくら咲き
352 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 22:53:11.43 ID:TMEWey6w
. 公案も 雪解け流れリャ みな同じ
353 :
352 :2014/03/20(木) 22:59:05.32 ID:TMEWey6w
.訂正 アホにも分かりやすく、 公案も 雪解け流れリャ 不同不異 成りすまし如来サマには、アカンやろなw
354 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 23:16:25.13 ID:TMEWey6w
>>352 >涅槃が娑婆なら仏教は不要になるんだよ
まったく逆。
<涅槃は娑婆にしかないからこそ、仏教は必要になるんだよ>
大部分のアホ仏教はこれが直覚できないからオカルトに嵌まる。
娑婆での「こころ(無我)と心の作用(涅槃)」〔相応部35-23←教典(捨てるべき法ではないもの:中部22、金剛般若経6)〕に他ならない。
この世が、お浄土でなければなりません。
355 :
○○○ :2014/03/20(木) 23:26:16.08 ID:MA2L4I/6
>>346 ポータ氏
>事例の1,2は「不思議発見」のような話しです。
>その不思議はほんとうのことであったとしても、見境なく快楽を刺激します。
>ですから、真光を宣伝する事例に使うのにもってこいなのではありませんか。
二つの事例とも私自身の実体験、 手かざし行の現証ですので、誤解なきよう。
亡くなったばかりの仏様だけでなく、数百年前の仏様が出てこられるケースも多いのです。
『霊動現象』の事例3(数十年前に自宅にて)
母親に手かざしをしていたら、戦国時代に先祖の○○に○○の戦いで殺されたとの仏様が出て来られました。
恨めしそうな口調で一族代々を早死にさせてきたと訴えました。
実家にいって系図を調べたら、確かに○○という名の先祖が○○の戦いで戦功をあげたとの記録を確認しました。
手かざしは最初は『信』がなくても、『行』として実践すれば、誰でも遅かれ早かれ『霊動現象』を実体験します。
体験者から口コミで世界の100カ国以上に広がっておりますので宣伝する必要もないのです。
とスレ違いですが、幾度もご質問や誤解がありましたので3つの事例をもって説明致しました。 合掌
現実の病気で科学的医学で治せるのを、手かざしで〜等というのは個人の選択の自由の上にあるとはいえ、 そのような選択をする人間も愚かであるし、そのような選択を強いる人間も罪深いと思います。 科学が手かざしより上なのは事実。これは唯物だとか科学一辺倒〜等の批判は該当しない。 病気を治すのに科学の世話にはならん〜というのは勝手に一人で自殺してください〜w
357 :
○○○ :2014/03/20(木) 23:36:18.26 ID:MA2L4I/6
>>262 机氏
>それはさておき、貴殿の祖父の寝言を資料に著書を出版したんでしょ?
>で、このことを機会に、貴殿はこの著書をどうにか社会に役立てないものだろうか?
>とかアクションを考えたことはないのですか?
自費出版をしましたが、自身のホームページのみしか宣伝しておりませんのでまったく売れておりません。
一応、アクションとして3つの手を打ちましたが、2つとも外れました。
尚、3つ目は年内に結果が出るはずですので、若干は期待しながら待っております。
3つ目も外れれば、それも仏縁と言うことで執着しないようにします。
358 :
神も仏も名無しさん :2014/03/20(木) 23:36:42.14 ID:TMEWey6w
訂正
×
>>352 〇
>>326 >そもそも解脱出来てる
おやおや、二代目麻原ショーコーさんですかw
>パーリー聖典(
>>324 )
中部26
初転法輪の中道と四聖諦のなんたるかも成りすまし最終解脱者サマは、体得されてはおられないようでw
人間はもっとも大事なことを最初に明快にするものだ。
ブッダは、カルマとか業報輪廻転生など歯牙にもかけていない。
このあたりは宝珠と変わらないw
359 :
○○○ :2014/03/20(木) 23:44:40.19 ID:MA2L4I/6
>>356 >病気を治すのに科学の世話にはならん〜というのは勝手に一人で自殺してください〜w
体の異常箇所を特定するのには、早目に病院に行って診てもらいます。
箇所と症状が分かってから、手かざしをするか、医学と結ぶかは各自が決めておりますので、誤解なきよう。
尚、「風邪に効く薬はない」と40年前に言いましたら非常識だと言われましたが、最近では医師達が
同様のこと(体の浄化作用)を口にしております。 予防接種の選択制もまた同様です。
360 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/20(木) 23:48:02.13 ID:EuB8psXU
>>358 >>ブッダは、カルマとか業報輪廻転生など歯牙にもかけていない。
そんなことはございません。
悪い業(カルマ)を積めば地獄に堕ちる。
ブッダの主張はこのワンパターンの繰り返しです。
ではおやすみなさい。
361 :
ぽかり!σ(‐εΘ)イテテナグラレチャッタ30棒 :2014/03/20(木) 23:53:25.28 ID:vuZlfLCB
>箇所と症状が分かってから、手かざしをするか、医学と結ぶかは各自が決めておりますので、誤解なきよう。 誤解もなにも、病気の症状と原因が明らかであればそのまま医者の治療を受けるだけで手かざしの入る隙間は無い。 無い隙間を無理やりこじ開けて手かざし治療をするのは極悪非道と言われても仕方ない事でしょう。
>>350 いやいやw
その場合、イコール(譬喩としての対比対応)は
「実験による検証=実生活での共感、同感、同意」
だろw
寝惚けたこと言ってんじゃねーよ ┐(´ー`)┌
365 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 00:23:52.80 ID:ROIMk5lJ
>>360 >ブッダの主張はこのワンパターンの繰り返しです。
⇒<涅槃は娑婆にしかないからこそ、仏教は必要になるんだよ>
★大部分のアホ仏教はこれが直覚できないからオカルトに嵌まる。(
>>354 )
366 :
ポータ :2014/03/21(金) 00:38:07.96 ID:Y/CZKJeP
>>355 〇〇〇さんへ
>二つの事例とも私自身の実体験、 手かざし行の現証ですので、誤解なきよう。
それが本当の話しだとしても、と私は述べています。
それは面白い話しですが、
そこではなく、精神不安定者が多く集まっているのではないかの
話しをなぜさけられるのでしょう。
>亡くなったばかりの仏様だけでなく、数百年前の仏様が出てこられるケースも多いのです。
そういうこともあるかと思います。
〇〇〇さんは、祖父さんの不思議が大事なはずです。
真光でも同じ様な事があることから、真光を大事に思っておられるのかもしれませんが、
真光は、精神健康を害している人が来られるとしましたら
その生体エネルギーの歪みに対しての対策は甘くありませんか。
祖父さんは健康な方だったと思いますが、
真光は、はたしてそうでしょうか。
「実験による検証=実生活での共感、同感、同意」はありえない。 どっちが寝惚けているのかw
368 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 00:56:00.67 ID:HxIbC6Tj
真光って非仏教的な新興宗教カルトだよ
369 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 01:02:13.82 ID:ROIMk5lJ
>>367 >「実験による検証=実生活での共感、同感、同意」はありえない。
yoniso (ヨーニソ)如理 manasikara(マナシカーラ)作意は仏道の根本ですよ。
俗にいう、徹底分析・徹底検証です。
これによって一切外の妄想を排します(相応部35-23)。
どっちが寝惚けているのかw
370 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 01:03:12.61 ID:EWQ4Dn+D
>>354 >涅槃は娑婆にしかないからこそ、仏教は必要になるんだよ
お前は涅槃は涅槃、娑婆は娑婆って概念を押し通してただろ
この期に及んで嘘言うんじゃねえよ
一切門何とかの透過による縁起の現観がどうのこうの言ってたろ
そもそもどうして娑婆に涅槃を観るのかすら未だに解って無いのがお前だ
観方が解らんのがお前なんじゃねえか
もしだよ?もしまかり間違ってお前に涅槃の観方が解ったなら
輪廻の意味もすんなり解けて然るべきなんだよ
これが解けなきゃお前のは偽物って事だ
要点は三つだ
涅槃・輪廻・漏尽解脱
これが説けないお前は偽者なんだよ
今まででも一度もお前は答えられてない
一切門何とかの透過なんて寝言でドグマ扱いてんのと同じだ
>yoniso (ヨーニソ)如理 manasikara(マナシカーラ)作意は仏道の根本ですよ。
これがまさに、
>>350 >仏教一筋の行者の道こそ仏教の生き方というのは間違いであろうと思います。
どっちが寝惚けているのかw
372 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 01:12:56.90 ID:EWQ4Dn+D
>>369 ヨーニソマナシカーラ(如理作意)は修法から習得するものでも習得できるものでもない
検証も分析も如理作意ではない、一切外の妄想を排すのは無為なので行為ではない
寝言は寝てる時に言え
373 :
ポータ :2014/03/21(金) 01:17:51.86 ID:Y/CZKJeP
>>355 〇〇〇さんへ つづきです。
>『霊動現象』の事例3(数十年前に自宅にて)
>母親に手かざしをしていたら、戦国時代に先祖の○○に○○の戦いで殺されたとの仏様が出て来られました。
>恨めしそうな口調で一族代々を早死にさせてきたと訴えました。
>実家にいって系図を調べたら、確かに○○という名の先祖が○○の戦いで戦功をあげたとの記録を確認しました。
この霊動現象は、確かにあったとします。その部分ではありません。
不思議現象はあるのだ、のその部分の話しではありません。
その霊動現象をあらわしたご本人は、何か憑依されているのか
苦しんでおられるはずです。
それを取り除いてあげなければ苦しみは解消いたしません。
真光で霊をひっぱりだした(霊動)として、その解決を真光で
という仕組みかと思いますが、
他の同質生命体、他者、あるいは猫に憑依さすようなことまではできても、
解決に至っていないのではありませんか。
余程の予想をはるかに超えるぐらいの光量が必要だと思います。
374 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 01:18:33.83 ID:EWQ4Dn+D
練習しなくちゃ「眼横鼻直」が見えない奴は頭おかしい 考えなきゃ・信じなきゃ眼横鼻直が見えない奴は健常者ではない 仏道以前の問題 これが解らない奴に如理作意が解る筈がない 如理作意はもともと考えるものでもない 得るものも失うものもない如実知見なのだから
375 :
○ :2014/03/21(金) 01:20:32.50 ID:fqVBsuwg
肉体の有無に関係なく涅槃。 涅槃は娑婆にも極楽浄土にもあり得ます。 現世で涅槃入りできなくても、浄土から涅槃入りできれば宜しいのは。 と私もそろそろ寝板入りします。 (U_U)zzz
「去りつつあるものは去らない」 これは瞬間の一場面を捉えてる、ってことだよね?
>>367 「実際に、行ぜられて(追体験されて)、同様の結果(功徳、果、悟り)が得られる」
「実際に、再試験されて、 同様の結果が得られる」
そもそも、
>>268 を極論として受けた上で始まった話だよな?
上記の対応しかねーだろw
だからSTAP細胞の小ネタまで入れたのにw
図書館にあればそれでいいのか?
実験結果が無くてもいいのかって話なんだよ。
>>268 は。 ( ゚听)、
378 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 01:25:54.60 ID:EWQ4Dn+D
>>376 端的にはそう言うこと
人間の目そのものは「去る」ものを見る事が出来ない
去る事(過ぎていく)もの・ことを認識できるのは識蘊が補完しているから
目には去ってる事実自体は見えてない
もう一言添えとくか・・。
>>367 「行じる(追体験する)」=「実験する(再試験する)」
って対比だ。
ノシ
380 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 01:29:34.86 ID:EWQ4Dn+D
>>377 >実験結果
資料体は全部アーカイブして学問的にも保管されればいい
実技体は個人ないし有志団体が決組して道場でもやればいい
宗教法人法を潰してしまうのが根本的開放に繋がる
381 :
念仏 :2014/03/21(金) 01:33:10.98 ID:fqVBsuwg
祖父の寝言の中に浄土でも念仏を唱えているとの話がありました。 また、念仏については。。。 昭和5年10月8日(水曜日) 午後8時 只仏様に向って拝むだけでは何の役にも立たん、大低念仏を唱えれば助けて貰えると思って念仏を唱える、 他の人から見ればあの人は念仏を唱えるから真の有る念仏の人だと思って居る、 凡夫は悲しいものですね、毎日御苦労なさる、 自分自身に仏を実現する事が何よりも肝心と思う、仏の道を実現せな真の信仰では無い、徒らに念仏ばかりでは無理が出来る、 どんな事でも事柄が終って行く、そこが仏の慈悲で有難いと思う。
>>380 >個人ないし有志団体が決組して道場でも
それが、サンガであり、比丘であり、応供じゃね?
教団・僧侶じゃね?
現代日本仏教の教団や僧侶がソレかどうかは別としてw
384 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 01:40:24.32 ID:OFgrzSQ2
>>382 国法に守られた仏教に功力は無い
托鉢を禁じられてる仏教に未来などない
あるのは墓守と戒名名付けと人生相談役だけ
>>378 >去る事(過ぎていく)もの・ことを認識できるのは識蘊が補完しているから
つまり、識蘊が“去るもの”を認識してるってこと?
瞬間的には目で認識出来ないって意味かな・・・。
386 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 01:45:00.99 ID:l5QRSxEd
>>375 おい在家さかもとwwww
てめえこないだサンパウロ市で「崇教真光の日」ができた
とか自慢しやがってよく聞いてみたら「生長の家の日」とか
「S学会の日」とかもあるらしいじゃねーかww
節操のねえ国のヨイショに浮足立ってんじゃねーよこの糞カルトがよwwww
387 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 01:45:30.76 ID:ROIMk5lJ
>>370 >お前は涅槃は涅槃、娑婆は娑婆って概念を押し通してただろ
レス番特定せよ
>娑婆に涅槃を観るのか
こころ(無我)とこころの作用(涅槃)<相応部35-23>
娑婆即寂光土だ。
仏法はオカルトではない。
龍樹 中論24-18、25-19参照
>輪廻の意味
仏道は菩提心凡夫のためにある。覚者や菩提心なき凡夫のためにあるのではない。
輪廻が一切行無常なら当然のこと。
輪廻が業報輪廻転生のことなら、菩提心凡夫にとって経験的検証は不能ゆえ、一切外として無記。
仏法は信仰ではない。
これを一切門といふ。
一切門の徹底透過によって般若門が開かれる。
今は梅華の時節。
道元禅師曰く、
『尽界は心地なり。尽界は華情なり。尽界華情なるゆゑに、尽界は梅華なり。
尽界梅華なるがゆゑに、尽界は瞿曇の眼睛なり。而今の到処は山河大地なり。
到事到時みな「吾は玆土に本来し、法を伝へ迷情を救ふ、一華は五葉を開き、結果は自然に成ぜん」の
到処現成なり。西来東漸ありといへども、梅華而今の到処なり。而今の現成かくの如くなる、成経荊棘といふ。』
(道元 正法眼蔵 梅華より)
これが仏道【還滅門】だ。
特別な行をもって何かが分かる〜とか、特別な何かを行って何かが分かる〜 と言うのは、一点ではまさにその通りでありますが、特別な何かを人が志向して やるべきか否かで言えばやるべきではないでしょう。やむを得ずやることになり 分かればそれで良いし、わざわざ志向してやるものでもない。 それが仏陀が苦行を止めて中道を志向した理由でしょう。
390 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 01:50:01.32 ID:OFgrzSQ2
>>385 君は昨日の思い出を思い出せるよね
思い出してる時は目で見て無いのに、見た記憶を今見てる様に思い出せるでしょ?
動態視力はその機能をごく短時間に補完として使うから、瞬間の切り出しの連続体しか見えてない目に
動的変移の識別を認識させることを可能としている
カメラとしての目そのものはスチルカメラと同等で、撮りつづけて情報を脳で補完して動的変移をしてると思ってる
動いて見えてるのは、残念だが本当は錯覚だったって事
デジカメなんかも開いてる時は動いてる画像をモニタで見れてるでしょ?
シャッターをレリーズしてスチル写真として撮影できる訳だが
あれも、レリーズする前は連続でスキャンを繰り返して動的変移をモニタし続けてる訳で
動画として収めるにはその連続体を帯で撮影する事になる
>>388 お前、「STAP細胞」って言葉を入れたの、
冗談で意味がないとでも思ってんの?
>>379 >「行じる(追体験する)」=「実験する(再試験する)」
異論あるならアンカー・引用してレスして来い、根性無しが・・・。
392 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 01:53:12.53 ID:OFgrzSQ2
>>387 おめでとう、多分お前、成れたね
おれは嬉しいよマジで
めでたき境地がわかる人が増えてく事は良い事だ
393 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 02:09:11.90 ID:ROIMk5lJ
>>372 >ヨーニソマナシカーラ(如理作意)は修法から習得するものでも習得できるものでもない
如理作意は縁起の(間接)現実=相対因果関係を正確に見る(知覚する)ことです。
特定の価値観・視点ではなく、因果関係を根本から正確に見ることです。
ヨーニソマナシカーラ(如理作意)は修法から習得できます。
これによって一切外の妄想・形而上的論議を排します。⇒無記。
>>390 なんとなく言いたいことが分かったけど、
次の部分が問題になると思う。
>瞬間の切り出しの連続体しか見えてない目に
>動的変移の識別を認識させることを可能としている
“瞬間の切り出しの連続体”の、“連続体”とは、
「去るもの」のことかな?
目は去るものを瞬間的に捉えることは出来るが、
動的変異を意味づけることは出来ない。。。
それを連続体として、動的変異を意味づけるのは識蘊
ということでいいのかな〜?
だとすると、ちょっと問題があるような気がする。
395 :
ポータ :2014/03/21(金) 02:22:06.48 ID:Y/CZKJeP
>>355 >手かざしは最初は『信』がなくても、『行』として実践すれば、誰でも遅かれ早かれ『霊動現象』を実体験します。
>>387 >仏法は信仰ではない。
>これを一切門といふ。
...............
信じるより行じるの、行も行を信じてはじまる。
信じるというのは、特別なことではなく生命活動のことだと思う。
洗脳と信仰が混同されているから、信を嫌うのかも知れないが、
実行するには、ほのかな夢や希望とでもいうべき明るい灯明があって
決して虚無でないのである。
396 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 02:36:49.43 ID:OFgrzSQ2
>>393 >ヨーニソマナシカーラ(如理作意)は修法から習得できます。
それは如理じゃないでしょ
作意は意に作られるのであり作るのではないでしょ
修法から習得できると思ってるのはプラジュニャーパーラミターを得る方法
得たら直ぐ行使されるから習得できたと思ってるだけ
如理作意の対境は作られていないし得てもいない
得られるものでもないし有無にも因らない
如理作意自体がも空であり業でも技でもない
また、如理作意そのものも縁起による
作る事ができないものを習得することはできないでしょ
般若も作る訳でも出るでも有るでもないものなんだからそのものを実は得られない
便宜的に得るとは言うけど実には得ていない、だったでしょ
>>394 >“瞬間の切り出しの連続体”の、“連続体”とは、
そう感じてるんだからそう説明しないと理解しにくくなるでしょ
動いてる事物に連続体なるものは存在しないんだけど
動いてる認識を語ろうとしてる以上、こんがらがるから便宜的に言わないと
要するに、去るものを認識は出来るが、目には見えないんだよって話し
龍樹のそれは三世を跨いだ認識に付いて言ってるから更に難解だったり
対論者は未来の去るものも過去の去ったものも用意されてて有り続け、生滅しながら
今に至り去っていくと言っている、だから龍樹は今だけが実像で未来と過去のそれはそもそも無いから去らないと言っている
去りつつあるものも去らずも、今のそれは空なのでそもそも実体(自性)が無いので実体は無いから去らないと言っている
397 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 02:48:12.09 ID:OFgrzSQ2
事物の去来認識の論考なんでね 早い話が「目の中に写る事物」がいつ生じいつ滅するかを議論してる それが中論の去来の考察 仏教の考え方は五感と意識で捉えた事物事象を世界の全てと考えるから 目の前のミニカーそのもの自体の去来は言ってないんだよね、目に映ったミニカーの去来を論じてる だから難解なんだけどね、それ言ってくれないからw
>>397 ちょっと気になるんだけど、視覚の話を中心にしてるよね。
例えば、視覚の対象にならない、「今東京につきつつある新幹線」は、東京に着くの? 着かないの?
だいたい考えてることは同じだと思うんだけど、
視覚に拘ってるところがちょっと引っかかる。
399 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 03:34:44.61 ID:OFgrzSQ2
如理作意と言うのは如実知見と意味は同じ事なんだよね ちょうど、縁起と空の関係と同じで、同じ事を違う角度から言ってるに過ぎない 如理作意・如実知見は「眼横鼻直」を見たまま「ああそうか」する事を言う、ここに本来考える余地は無い 思考が交えたら如理でも如実でもなくなっちゃうんだな、考察になっちゃうから 空が理解出来ないって人も居たよね 空ってのは察しの通り「自性が無い」事、つまり自発的能動本質を持ってないって事(なんじゃそりゃだよねw) 例えばここにコップが有るとする、このコップに水を注げばコップとしての機能は果たせる コップに機能は確かに有ったけど、このコップを俺がここに出した時、水は入ってない訳だ 俺が説明のために水を注いで始めて、水が注がれたコップとなる、水もコップも因で、注ぐが縁で果報が水の注がれたコップとなる もし、このコップに自性が有るなら(空では無いなら)、俺が何個コップをここに並べても全部水が注がれた状態で並ぶ事になる その一つのコップを俺がいくら中身を溢して見ても、こぼれない・もしくは注ぎ出せても中身は無くならない って事になる、コップも水も自性を持たないから、水を注ぎいれることも、溢し出すことも可能となる それが空って事 空である以上は縁起で成り立っていて、縁起する以上全ては空である、となる
400 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 03:48:17.88 ID:ApTG90yx
へ❔カトリックってそんなに 敷居高いんだ 面接でもしてしんじゃないの?
401 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 03:54:26.15 ID:OFgrzSQ2
>>398 視覚と言うより認識全般の話
人間は五感と意識で捉えて識蘊で認識出来なければ世界を知る事が出来ない
だから、去来の考察も視覚で言ってるに過ぎない
一般的な認識は世界があって自分はどうか?と観る
仏教では逆で、感受と認識から世界がどうかを観る
自己にとって世界との境界は眼耳鼻舌触意以外に無く
そこに受けられるものは色声香味触法しか無い
これらを失うと俺らは暗黒無音無臭無味無感無心となり
そうなると悟ったんだか死んだんだかも分からなくなるw
>今東京につきつつある新幹線
東京には着くんでしょ、新幹線だし向かってんだからね、そう言う興行をしてるんだから着かなきゃ困るよねw
大事なのは君は東京を見てないし聞いてないし嗅いでないし舐めてないし触ってない
早く到着しないかを思ってる段階に過ぎない、その思いは今願望として思ってるのであり
未来からその想いが来て今を過ぎ過去へ流れて行ってる訳じゃないって事
去来の考察はそれを言ってる
思いも今思ってるのが現実で空だから実体無く去らない、それも空で未来の思いも過去の思いも去らない
今と言う瞬間に縁によって生じ縁によって滅してる
402 :
内容オカシイですw :2014/03/21(金) 05:41:38.96 ID:VLSeFyJm
268 :神も仏も名無しさん:2014/03/20(木) 11:36:54.55 ID:1lYYTrmy21世紀以降の仏教は、俺が考えるに教団も僧侶も要らないと考える それでは仏典や教義を誰が後世へ伝えるのかと疑問になるが 仏典も所詮はいまや書物であるので大学の研究資料として保有し 公開していれば良い、教義も研究資料として全て文書化し、人文学あたりが保有すればいい 大学の研究成果としてそれらを公開していれば社会貢献にもなる 故に寺院はただの重要国宝として観光地化し、テキスト類は全て学閥が非営利で有してれば良いのだ 仏教はいくら根掘り葉掘り研究されても、行(実践)が無ければ言わんとしてる真髄は知りえない 知ったところで実体験が無ければその根拠が文字からは得られないのが仏典論書なので いくら研究されても全然問題ないのだ 問題大有りだと騒ぐ奴は、それで飯食ってるそう言う職業の人達だ 現代は出家も托鉢も、意味も判らず行う財施も一切不要なのだ 財施については、それを善意で出版してくれる企業が赤字ギリギリ程度の利潤で受けるべきで 利益を上げる気が出た時点で幸福の科学同等と化すので排除すべきなのである 今の時代は経典は無料で読めるしGoogleで容易に探せるし現代語訳文すら有るものは有る 教説の根幹は教えの骨目なのでこれだけで釈尊の教えの骨目は大いに知れるのだ 肉付けは実践以外にする方法は無い、釈尊は肉付けこそが教説の肝要なのだと教える それは不立文字教外別伝なのである、つまりツベコベ言わずにやってみろ、って事
403 :
意味不明、内容オカシイですw :2014/03/21(金) 06:26:17.72 ID:VLSeFyJm
仏道は菩提心凡夫のためにある。覚者や菩提心なき凡夫のためにあるのではない。 輪廻が一切行無常なら当然のこと。 輪廻が業報輪廻転生のことなら、菩提心凡夫にとって経験的検証は不能ゆえ、一切外として無記。 仏法は信仰ではない。 これを一切門といふ。 一切門の徹底透過によって般若門が開かれる。 今は梅華の時節。 道元禅師曰く、 『尽界は心地なり。尽界は華情なり。尽界華情なるゆゑに、尽界は梅華なり。 尽界梅華なるがゆゑに、尽界は瞿曇の眼睛なり。而今の到処は山河大地なり。 到事到時みな「吾は玆土に本来し、法を伝へ迷情を救ふ、一華は五葉を開き、結果は自然に成ぜん」の 到処現成なり。西来東漸ありといへども、梅華而今の到処なり。而今の現成かくの如くなる、成経荊棘といふ。』 (道元 正法眼蔵 梅華より) これが仏道【還滅門】だ。
404 :
○○○ :2014/03/21(金) 07:15:33.47 ID:fqVBsuwg
>>366 ポータ氏
>そこではなく、精神不安定者が多く集まっているのではないかの
>話しをなぜさけられるのでしょう。
>>373 >他の同質生命体、他者、あるいは猫に憑依さすようなことまではできても、
>解決に至っていないのではありませんか。
>余程の予想をはるかに超えるぐらいの光量が必要だと思います。
『陽光子』と自称するほど、世間と比べてもよく笑う明るい人達が多いと思います。
おっしゃる通り、新約聖書ではイエスは憑依霊を動物に憑依させましたね。
当教団では道場長や導士と呼ばれる幹部が光を与えて浄化しながら、
人に憑依してはならない理由を根気よく説明して、仏様が自ら離脱するように
しております。
どこぞの霊能者のように力づくで追い出したりはしません。
とスレ違いですので簡単に説明致しました。
405 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 07:19:31.78 ID:VLSeFyJm
在家とポーターのポンコツ談義荒らしだな、まったくw
406 :
○○○ :2014/03/21(金) 07:26:17.74 ID:fqVBsuwg
>>390 >瞬間の切り出しの連続体しか見えてない目に
>動的変移の識別を認識させることを可能としている
本スレでもよくこの話が出てきますので横レスです。
まず動画とは静止画の連続だとの仮設ですね。
では動画と同時に記憶される音声は如何でしょうか?
音声は瞬間、瞬間で細切れにすれば、静止画と違って全く聴こえません。
よって最初の仮設が間違いではないかと疑うのも理証でしょう。
と元IT分野の研究者だったのでコメントします。
407 :
○ :2014/03/21(金) 07:29:27.93 ID:fqVBsuwg
>在家とポーターのポンコツ談義荒らしだな、まったくw m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m
>>391 >「行じる(追体験する)」=「実験する(再試験する)」
これに意味が無いと言っている。仏陀が苦行を捨てたのは苦行に意味が無いから。
中道で行くことにしたわけです。中道ではなくあくまで行じ、実験するというのは仏陀の教えに反する。
409 :
ポータ :2014/03/21(金) 08:48:03.74 ID:Y/CZKJeP
>>404 〇〇〇氏
>おっしゃる通り、新約聖書ではイエスは憑依霊を動物に憑依させましたね。
そうですか。 喩え話が多いと思うですが、しかし分かる事は悪霊を【解決】されたという
話しですね、それは。
少しポイントをずらされていませんか。
〇〇〇さんはどうかわかりませんが、カルト脳特有のポイントずらしが
ありまして、厚い壁の構築に言葉を組み立てていくというような
特徴があります。
>当教団では道場長や導士と呼ばれる幹部が光を与えて浄化しながら、
>人に憑依してはならない理由を根気よく説明して、仏様が自ら離脱するように
>しております。
説明し、浄化しても仏様の行方までなかなか難しいでしょうね。
そこに洗脳トリックがあって、道場内で笑い合って、道場の外の他者や
動物に対してまでの配慮はないと見えます。
>どこぞの霊能者のように力づくで追い出したりはしません。
追い出すことができないし、なら、いじくっているだけなのでしょうか。
どこぞの力づくというのはよく分りませんが、独りでまっすぐ向き合う厳しさがない
巣窟でのなれあいが、
偽(魔術によるその場だけのトリック)の光とともに、邪をあふれさせたりしていませんか。
410 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/21(金) 09:21:49.11 ID:N5l1u3gl
>>388 同意です。
だけど貴殿個人に同意したのではなく「名無し」に同意だからレスしないように。
貴殿はよく分かってらっしゃる。
私がよく「行はしなくていい」。ってのは、こういう意味ですね。
行ってのは、作為がなくても無意識的に行になりますよね、
こういう行じゃないと本物ではない。
私の経験ですけど。
で、行を意識したら、もう行でもない。
411 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 09:36:59.41 ID:OFgrzSQ2
>>406 >では動画と同時に記憶される音声は如何でしょうか?
ビデオ機器と音声録音機を頭に仕込んだかの様な発想は捨てろ
目に受けた時も耳に受けた時も、その情報を感官が検地して所感を出す時は
ともに体の中では電気信号として神経を伝い脳で情報処理される
つまり、元々瞬断する情報の一コマを観た時にはどれもそれそのものはまともな情報になってないのだ
体の中を巡る信号電気は交流的流れ方なんだそうで、神経一本で伝達されるが
接続形態としては神経がホット、体側全体がグラウンドアースとして機能し伝達される
電流も視覚情報も音声情報も、肉体が処理するときは究極の「アナログ処理」なので
デジタルと違い、伝達はすべて連続で行なわれてる、一つとして切り取って形態を保つものは無い
感官機器としての眼耳鼻舌身の五つはこの様にして境の情報を受け取っている
音声だけみても、境の情報は空気振動であり、実態は波動だ
その波動を受け取っているのは鼓膜だ、鼓膜は微細な振動を受けて音を音として受け取る
音を電気信号に変換すると、その形は交流伝送の波紋になり、所謂+と-を一波形(一波紋)ごとに
入れ替わって流れる波となる、この辺はググれ
>>408 だからw
実験せずに、或る仮説・論文が正しい(書かれている通り)だと言えるのか?
ってこと。
頭悪いなw
追試験(臨床試験含)無しで新薬使う事例があったら言ってみ?
>>412 STAP細胞や新薬の科学世界と宗教を混同するアナタが頭悪いのですよw
宗教が実証主義であるのなら科学と変わらないw
414 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 09:53:10.47 ID:OFgrzSQ2
>>412 >実験せずに、或る仮説・論文が正しい(書かれている通り)だと言えるのか?
仏教教義の効果だけを観るから実験にこだわる事になる
我々が普段目にする経典は、一体誰が翻訳してくれたものかね?
俺は基本的にパーリ語もサンスクリットも読めないし、漢文体も込み入ってくると読め無くなる
それを誰でも読めるようにするのに、本業の仏法者先達がしてくれたのかな?
鳩摩羅什や玄奘などは当時の人に向けた訳はしてくれたが、今の人にはやはり読みにくいだろう
何でもかんでも行者が行なってからだ、と判じるのは独善であると知るべき
415 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 10:09:17.98 ID:OFgrzSQ2
>>413 >宗教が実証主義であるのなら科学と変わらないw
他の宗教は信仰するものなので実証より信じるが先に立つのだが
釈尊の現生なる法=それを教える仏教に付いては科学的実証主義に割りと近いのは否めない
信じて行なっても疑って行っても釈尊のそれに付いては良いからだ、結果は同じものが得られる
来たって見よ、が基本なので道理に適わないものは仏法には無いのだ(方便を除く)
>>415 仏陀の教えは信仰ではなく、実証主義ではなく、あえて言えば以下のようなものだと思いますよ。
>>350 >実験による検証ではなく、実生活での共感、同感、同意という性質のものでしょう。
417 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 10:36:42.95 ID:OFgrzSQ2
>>416 >実生活での共感、同感、同意という性質のものでしょう。
つまり、他者が同意賛意を示しあわなきゃ存在し得ないと?
一切の現象に果たして賛意や同意が必要なんですか?
風や波は人の同意をもって揺れ起き、賛意をもって現象として認められ存在出来てると?
人は現象界の核ではありません、人が無くても現象は縁によって起きます
そこに賛意や同意は無力です、仏教はそう言う事実を事実と知る教義の集約です
教義である以上、先ずは人が認識出来得る形を整えねば教義には成し得ず
その仕事は宗教者だけの独壇場って訳でもありません
文献の成否を時代の新古から見る場合など、宗教者ではほぼ文盲です
翻訳も然りです
418 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 10:38:11.04 ID:ROIMk5lJ
>>396 >修法から習得できると思ってるのはプラジュニャーパーラミターを得る方法
逆でしょう。
プラジュニャーパーラミターは修法から習得できません。
相対“知覚(如理作意)”ではなく、無分別智“直覚(般若智”直覚)だからです。
般若心経では<行「深」>の「深」という相対【一切門】突破による<照見>です。
如理の理(理性)とは分別知ですから段階的に(試行錯誤によって)習得可能です。
★仏道の構造(ゲシュタルト)と崩壊
<【間接現実】自帰依(灯明・洲)←如理作意・大疑団 ―フィードバック― 般若智直覚→法帰依(灯明・洲)【直接現実】>
→崩壊 ⇒ 涅槃【還滅(間接)現実】
前記(
>>387 )のように★仏道は菩提心のある凡夫に向けられた八正道で、しかも信仰宗教ではありませんから、
一切とは菩提心凡夫の六処で検証可能なモノ・コトです(相応部35-23)。
ブッダの最初の「一切知者」宣言(相応部6)であり、「一切」四法印です。
【一切門】で相対思考で<縁起の間接現実を徹見(如理作為)>してゆけば相対思考の限界にぶちあたります。
その道程が「自己をならふ←如理作意(ヨーニソマナシカーラ)」:一切門
⇒ 「万法に証せらるる身心脱落←般若智直覚(プラジュニャーパーラミター)」:【般若門】です。(道元 現成公案 5)
脱落した身心に理(相対言語論理)はありえません。
>>417 >つまり、他者が同意賛意を示しあわなきゃ存在し得ないと?
他者ではないですよ。個々人が仏陀の教えに共感、同感、同意すと言う事です。
存在するしないの存在論は形而上です。よって無記でしょう。
420 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 10:46:32.45 ID:OFgrzSQ2
>>418 >プラジュニャーパーラミターは修法から習得できません。
良く見て下さいね
>修法から習得できると思ってるのはプラジュニャーパーラミターを得る方法
便宜的に得ると表現する状態に至る”方法”を習得してるに過ぎません
その状態になったとき、対境に対して即座に行使されるので詳しくは遍智も般若も区別がありません
境によるし縁によるので目でそのものを見たり、感受で感じたりもそれそのものには働きません
起きて発揮してその果報を体感して、ああこれか、となるに過ぎないのです
421 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 10:52:44.60 ID:OFgrzSQ2
>>419 >個々人が仏陀の教えに共感、同感、同意すと言う事です。
疑って行なっても同じ結果が得られるのが現生なる法ですよ?
共感同感同意などの思いの入る余地は有りません
STAP細胞の件だって、作れたと称した本隊に対して
外様は疑って公開されたレシピを重箱の隅の勢いで検証するのです
本物は確信あって信じて行なっても、疑って行なっても正しい結果が出るのです
来たって見よの釈尊の法とはそう言うことなんですよ
422 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 11:00:45.67 ID:VLSeFyJm
>★仏道の構造(ゲシュタルト)と崩壊 ハッタリ崩壊がw >STAP細胞の件だって、作れたと称した本隊に対して 外様は疑って公開されたレシピを重箱の隅の勢いで検証するのです 無我のスタンスを検証だなんてw
423 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 11:10:36.36 ID:OFgrzSQ2
>>418 因みに
>その道程が「自己をならふ←如理作意(ヨーニソマナシカーラ)」:一切門
> ⇒ 「万法に証せらるる身心脱落←般若智直覚(プラジュニャーパーラミター)」:【般若門】です。(道元 現成公案 5)
この一連の状態に於いて”思考”は厳禁の筈です
状態を観て知って記憶する事は出来ても、考えたら壊れます
そして般若智も多聞に漏れず縁起で成り立ちます
状態に至ってもそれがそうだとは言い切れない、姿が無い感触も何も無い、それが般若智なんですから
縁起で成り立ってる以上対境がなければ発動しません、しかも空なので境も智慧も自性がありません
施主は果報だけが体感できる訳です、だから理解しにくい、理解する必要もないんですけどね
424 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 11:26:38.65 ID:ROIMk5lJ
>>423 ⇒『【一切門】で相対思考で<縁起の間接現実を徹見(如理作為)>してゆけば相対思考の限界にぶちあたります。』
いわゆる公案は、<【間接現実】自帰依(灯明・洲)←如理作意・大疑団>での相対思考の限界にぶちあたらせるためのものです。
仏陀の教えに共感なく従う事自体ありえません。 疑うのなら従わないでしょう。疑うが従うって何でしょうか?
426 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 11:31:23.84 ID:ROIMk5lJ
如理作意とは縁起の(間接知覚)現実=因果関係を正確に徹見することです。 それはまさに思考そのものですよ。 不条理なれどわれ信ず、ではないのです。
427 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 11:31:32.25 ID:OFgrzSQ2
>>424 般若智の実態・正体、これを見破ってください
公案や書物には書いてありませんよ
煩悩を見破るのと同じ様に般若智を見破れます、実は何の事なのかと
コピペに頼って字句を追いかけるのは現生なる法では無いでしょう
教条に拘るのも同様です
428 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 11:34:51.30 ID:OFgrzSQ2
>>426 >如理作意とは縁起の(間接知覚)現実=因果関係を正確に徹見することです。
あまりこの用語は使いたくないですが、禅とは座禅中だけを指すものでしたっけ?
座禅だけが禅でしたっけ?違いましたよね
座禅中に考え事してちゃ成らないと思う訳です
429 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 11:37:29.01 ID:VLSeFyJm
>公案や書物には書いてありませんよ 424をハッタリと扱う由縁ですな、
430 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 11:46:51.96 ID:OFgrzSQ2
いや、多分彼は観え掛かってるか、もう観えてるかもしれません ただ、話と現実は相当違って天地雲泥というか混乱してるのかもしれません 迷って混乱ではなく、あまりの違い過ぎに拒否反応すら出掛かってるかもしれません 認めるしか他に無いので後は時間の問題かと
431 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 12:05:59.52 ID:ROIMk5lJ
>>428 >座禅中に考え事してちゃ成らないと思う訳です
そうですか、禅はブッダ成道の様相に徹底して学ぶことです。
修行僧は坐禅中にも、作務中でも公案をそれこそ如理作意(←正確に縁起を見る)しますよ。
ブッダの大覚成就のシーンをウダーナではこう描きます。
「★まこと熱意をこめて思惟する聖者に、
かの万法のあきらかになれるとき、
かれの疑惑ことごとく消えされり。
有因の法を智れるがゆえなり。」(ウダーナ 1)
この有名なシーンは、【間接現実】如理作意 =限界突破 ⇒ 般若智直覚(縁起の現観)【直接現実】を闡明にしています。
432 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 12:16:19.31 ID:OFgrzSQ2
>>431 >そうですか、禅はブッダ成道の様相に徹底して学ぶことです。
前言撤回します、君はまだまだですね
残念です
言葉だけは立派で、それこそ俺より学んでるのに
肝心なところを多く見過ごして得られていない
俺はこのスレのシリーズに去年の暮位に殆ど初めて来て
一切門のどうしたこうしたを透過して云々の人の言葉が大いに参考になり
長年謎だった部分を二月位に解き明かすに至ったんですよ
煩悩の正体の謎を解明し、無我や空、縁起の確たる根拠の謎を解明し
涅槃の自分的無理解からの謎をも解明し、座禅瞑想の謎も解明し
智慧の正体も解明し、さて次は何かな?としたところで
「え?」っとなった訳です
433 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 12:25:44.13 ID:ROIMk5lJ
>>432 >「え?」っとなった訳です
そうですか。
それは残念でしたねw
では、おきばりやす。
434 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 12:30:57.32 ID:VLSeFyJm
>修行僧は坐禅中にも、作務中でも公案をそれこそ如理作意(←正確に縁起を見る)しますよ。 知った風なハッタリ、机よりも劣悪w
435 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 12:46:33.14 ID:ROIMk5lJ
>>434 縁起(間接時空関係)の現実を正確に見る(如理作意)=中論24-40→四諦を体得するということだよ。
坐禅も四諦・八正道のひとつ正(禅)定(集中して縁起を見る⇒直覚する)です。
ブッダは筏のひとつだよ。
436 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 13:10:13.21 ID:PWY6n0er
もう一度書いておきます 如理作意も如実知見も思考や考察ではありません 思考や考察はあとで行なうのです、見る・知るのが先です、そこに思考は無く拒否も出来ません 事実ですから
437 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 13:21:40.60 ID:PWY6n0er
>>435 禅定は集中して何かを見る事じゃ無いですよ
それをするのは念処です
両方合わせて三昧(サマーディ)となります
念処は坐ってるとは限りません
禅定も坐ってる時に限りません
禅定には余韻があるので
438 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 13:29:26.54 ID:ROIMk5lJ
もう一度書いておきます 如理作意は仮観における縁起の正確な相対思考です⇒苦集滅道(中論24-40) 如実知見は空観における縁起の現観(直接現実あるがままの直覚)です⇒無苦集滅道(般若心経) 中道・中観です(中論24-18)。
>>425 だからw
共感の前に、当人の確認(頷き、検証)が挟まるでしょ?
或る人が、「このラーメンは塩辛い」と言ったとしましょう。
さて、この発話者の言葉の正しさを、実食せずに判断できるの?ということ。
(最近は機械で味を数値化する研究もされてるらしいが・・w)
冷暖自知って言葉すら知らんのか?w
或いはまた、
或る人が、「これこれこのようにして、このような味のキンキの煮付けが作れます」
と言ったとき、それが正しいかどうか、作らずにわかるのか?って話。
その人が嘘をついていて、まったく違う味に仕上がるかもしれない。
誰一人その確認(実験、実証、検証、再試験、再現の上での味見)無しに、
発言の正否がわかるのか?ってこと。
実際の検証無しに、図面だけの耐震設計が成立すると思ってんの?
馬鹿だろw
440 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 13:43:33.52 ID:ROIMk5lJ
要するに、仏教は初転法輪での四諦・中道に尽きるのです。
441 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/21(金) 13:53:10.98 ID:N5l1u3gl
私の経験ですと、 @先ず、禅定初期の段階において神秘体験?風な法悦(エクスタシー)が必ずあります。 Aこの体験はインパクトがあり記憶として鮮明に残存します。 B実はこの体験は忘れた方が良いのです。煩悩ですから。 C自己内面がこのように転換期(逆転)に差し掛かるのかどうか。 Dこれで大体は決まりますね。 Eその後に再び転換期が訪れる。 Fしかしその先も長い心の旅路がある。 注意・独り言です。レス不用。
442 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/21(金) 14:08:23.75 ID:N5l1u3gl
>>357 ○在家氏
>3つ目も外れれば、それも仏縁と言うことで執着しないようにします。
そうですか。
執着というか野心のある方も世の中には多くいまして、
昔、田賀井健次という御仁がネットで開宗を企んだことがありましたね。
ネット媒介ですから信者は直ぐに集まるけど、
また敵も多くなります。非常に難しいですね。
浄土宗というのは、禅宗と親和性があるのです。成功を祈ります。
>>399 だいたいいい線行ってると思うけど、ただ、
>水が注がれたコップとなる、水もコップも因で、注ぐが縁で果報が水の注がれたコップとなる
この部分
ここに時間を設けてるよね?
水とコップがあって、コップに水を注ぐ、そして満たされたコップがある
ここには時間的経過がある
縁起を瞬間的に捉えてるとは言えない。
また、視覚が瞬間的な一コマしか認識出来ないとすれば、すべての動きは静止していることになる。
したがって、動的な動きをするもの(去るものなど。。)を、個別に捉えることは出来ない。
確かに、水の満たされたコップに自性があれば、そのコップの水はいかようにしてもこぼれないだろう
しかし、もし自性がないというなら、水の満たされたコップはおろか、コップという固体も独立して存在出来ないよね?
ならば、コップを取り出すということも出来なければ、水を注ぐということも出来ないはずだ。
ちょっとこういう言い方は抽象的すぎて申し訳ないんだけど。。。。
>コップも水も自性を持たないから、水を注ぎいれることも、溢し出すことも可能となる
コップにも水にも自性が無いなら、コップという固体を取り出して、水という特定のものを取り出し、
注ぐことは出来ないんじゃないかな?
>>439 共感は経験を前提とするのは当たり前です。
わざわざ「確認(頷き、検証)」等と声高に指摘するまでもない事。
共感こそが重要で、その前提の経験が重要なのではない。
経験して共感できなければ話は始まらないのだから。
私にはセブンの方が馬鹿に見えますw
>>401 >今と言う瞬間に縁によって生じ縁によって滅してる
この部分は賛成
今この瞬間に縁でつながれた関係と、次の瞬間の縁でつながれた関係は、同一ではない。
つまり、時間の経過によって前のものは後のものに継承されない。
その瞬間はそれで終わり、またそれが全て。
故にーーーー
>東京には着くんでしょ、新幹線だし向かってんだからね
俺は着かないと思う。
縁起から考察すると、東京につきつつある新幹線は、東京に着かない。
去るものは去らず〜というのは去る主体がさらに去るということはない〜という事なんでしょうが 屁理屈にしかみえません。あるものは去るは去るが、去るものは去らず〜去るものは去るでも 一向に構わないでしょう。新幹線が東京に着くに決まっているでしょう。着かないのは途中で 事故って停止した〜等のアクシデントがあるときだけ。着きつつあるものがさらに着くということはない〜 というのは屁理屈w
>>446 ちがうちがう、縁起というものはそんな単純なもんじゃない。
>新幹線が東京に着くに決まっているでしょう。着かないのは途中で
>事故って停止した〜等のアクシデントがあるときだけ。
これは時間的経過で動的なものを捉えてるってこと。
瞬間瞬間のありのままの事象の中から、動的な特定のものを抜き出してる。
ところが、上の方でも言ってたけど、目や感覚で捉えられるのは、ただ瞬間のありのままの事象そのもので、
そこに個別の特定のものを抜き出したり、動的なものとして時間の経過を捉えるのは、人間の思考の働きってこと。
実際は、“東京につきつつある新幹線“という個別の自性体は存在しない。
その存在していると思われる新幹線は、背景に溶け入り、全体の状況と一体となってる。
切り離せない。
なので、全背景から切り離したその新幹線だけが、東京に着くことはない。
東京に着いたときの新幹線は、その時、その瞬間の、まったく違った縁起の背景がある。
1時間前の新幹線とその背景の縁起関係と、1時間後の新幹線とその背景の縁起関係は、
異なっている。
1時間前とはいわず、1秒前でも。
東京に向かう新幹線をその瞬間の背景の中から抜き取り、背景とは独立した新幹線が事故ったことを想定し、
また、背景から抜き取った新幹線が東京に着くことを想定しているーーー
これが、物事を自性があるように想定している人間の思考ってこと。
>>447 瞬間に意味があるというのはそうかもしれませんが、人間は時間の概念も根強くもっています。
時間の概念を無視して瞬間だけに焦点を当てれば去るものは去らずで結構ですが、時間の概念を
無視して人間は生きていけません。時間の概念無視の縁起オンリー人間は人間ではありません。
そのような気色悪いものを目指してどうするのです?w
>>448 もともと悟りというのは、無我、自然法爾、そこに働く人間の思考は
無いってことだと思いますよ。
それを気持ち悪いと感じるのは、自我の視点ですよね。
確かに、自我の視点から見ると、思考がないと生活出来ないような気がする。
このあたりは、無我、自然法爾、ありのままで全ての物事は整っている、完璧だ、っていうのを信じられなければ、
理解することは出来ないと思います。
仏教を真に信じられるかどうかは、ここを信じられるかどうかに懸かっていると思います。
私は悟りを目指さないものです。 私は仏教を信じるのではなく共感するものです。 慈悲や無常の認識も仏教です。
>>446 >去るものは去らず〜というのは去る主体がさらに去るということはない〜という事なんでしょうが
>屁理屈にしかみえません
まあ、そういう論理も成り立ちますが、また違う論理もある。
で私見を書いてみると、
「去る」のそれ自体の矛盾性を指摘したのが「去らず」なんじゃないかな?
つまりここで大事なのは、中論は最初に論を立てて、それを否定する論法は一貫している。
世俗諦を否定することにおいての勝義諦へと論証。
これかと思うね。
不去不来は、いろんな論を立てやすい。
どれが正論、つうのも無いんじゃないかな?
つうか、どれでも正論かもしれんね。
注意:レス不用。独り言です。
>>444 だからw
経験が必要なんじゃんwwwww
行じる(実際に行なわれる、思考される、経験される)ことなしに経験するの?
馬鹿じゃね?w ┐(´ー`)┌
>>452 馬鹿はアナタでしょうw
>>350 >実験による検証ではなく、実生活での共感、同感、同意という性質のものでしょう。
>>450 > 私は仏教を信じるのではなく共感するものです。
書き込みの切り取りだけ、私と同じです。
私は共感というより感動に近かったですけど。
文学でもなんでもそうです。
ある感動が、その後の人生を左右することすらありますから、人間、感動ですよ。
私はこう人に言うだろう
「貴方は仏教と出会い、そこに感動がありましたか?」。と
そして人はこう言うかもしれない、
「おお、それだよ、私はその言葉を忘れておった」。と
なんと素晴らしいではないか、感動こそ人の心を覚醒させるのだ。
注意・レス不用
455 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 16:37:54.58 ID:1iGtIQJh
>>443 >しかし、もし自性がないというなら、水の満たされたコップはおろか、コップという固体も独立して存在出来ないよね?
何かを言葉のあやで勘違いして先入観から固執が始まってると思いますよ
コップにも水にも、水の入ったコップにも、水を溢す時のコップにも、コップを取り出す手にも
どれ一つにも自性は無く全て空なので縁起するんですよ
自性が無いとは、それそのものに固定の実体、固定の相を持たないと言う意味です
>コップにも水にも自性が無いなら、コップという固体を取り出して、水という特定のものを取り出し、
>注ぐことは出来ないんじゃないかな?
コップにも水にも自性が無いから、コップも取り出せるし、水も用意できるし
結果として水を注ぐ事も可能だし、水を入れたコップにもなれるんですよ
これらはそこで生じた訳でも滅したわけでもなく、縁によって成り立ったと言う事です
自性が無い=空とは
あなたが今のその年齢のまま老いず、
肉体も精神も永遠に死ぬ事が無い固定の相を持っている事を否定する
拒否しようがない事実です
【縁起考】 縁起というのは、世俗諦でどう論証するのか?ってとこが最大のポイントなんだけど、 中論が評価されるのは、そういった論証テクニックが実に素晴らしいからなんだろうね。 結論からいうと、それは無理なんだよ。 無理なものをどうやって説明するか、なんだよね。 果たして今後、龍樹を超える論証の達人が出るか? これだよね。 レス不用。
457 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 17:07:05.27 ID:YW+xyGrB
┐(´д`)┌ヤレヤレ
458 :
○ :2014/03/21(金) 18:08:14.03 ID:fqVBsuwg
>>442 机氏
>浄土宗というのは、禅宗と親和性があるのです。成功を祈ります。
やはり貴方は人一倍親切な御仁ですね。
その慈悲故にお節介を焼いて対機説法でご苦労されているように観じられます。
対機説法はうまくいかないとハッタリとも映り、揶揄が起きる縁となりますので、
対機説法の対象をもう少し狭めて確実性を担保されては如何でしょうか。
釈尊の対機説法は四悉壇(一見すると四枚舌)でしたが、神通で相手の業も見ながら
完成された智慧で説法を使い分けられたようですので、説法相手もハッタリだとは
思わなかったのかも知れませんね。
それともオーラが常人でも見えるほど強烈だったのかも。。
私もこれまで数人ですが、すぐ目の前にいるのにハッキリ見えない方に出会ったことがありんす。
459 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 18:10:55.94 ID:NLcMLm0r
独り言なら ナルシスト机はメンヘル板にでも書き込んだらいいだろうw ここは議論スレだ。わかるよね。 もうおやすみ。キミはキミなりに十二分に頑張ったw
460 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 18:19:09.41 ID:NLcMLm0r
○氏は手かざしから足を洗え。 悪いことは言わない。手かざしを長年やってると頭が逝かれるよ。 手当は基本、温めていい場合に行う。 眉間を手かざしで温めたらダメ、眉間は冷やすんだよ。
461 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 18:22:12.30 ID:NLcMLm0r
病気しても、額を暖める手当など聞いたことがないw 頭を冷やし、冷静に考えたらいいw
462 :
○ :2014/03/21(金) 18:32:17.61 ID:fqVBsuwg
>>458 >やはり貴方は人一倍親切な御仁ですね。
もう一人本スレの住人で人一倍親切でお節介な方がおられますね。
本来は議論相手の一代氏が本スレを解脱された際に一緒に解脱されても
おかしくはなかったのですが、住人済度の為に幾スレも輪廻されては
邪見が登場した時にはイエローカードを出されております。
463 :
○ :2014/03/21(金) 18:50:41.09 ID:fqVBsuwg
>>461 >病気しても、額を暖める手当など聞いたことがないw
貴方は高熱が出たらすぐに『氷枕』を使う派なのでしょうか。
(ご参考)
まず解熱剤や氷枕などを使って熱を下げようとしますが、そうすることは感染からの回復を妨げている事になりかねないので、
しばらく熱があるときはそのままにしておいた方が良いでしょう、と答えてくれたのは
ニュージーランドのウェリントン病院の集中治療スペシャリストでもあり、熱の専門家でもあるポール・ヤング医師です。
大きな研究での結果まだありませんが、熱を下げる事は熱の主な原因になっている感染からの回復を妨げていることを
意味している、と研究でも証明されています。
(中略)
実際、このヤング医師が行った600,000人の集中治療を要する患者の実験で、感染していて入院から24時間は高熱だった患者は
死亡率が低かった事も分かっています。
http://news.ameba.jp/20131119-235/ 因みに「癌細胞は正常細胞よりも熱に弱い」でググって見れば最新の医学常識が読めて結構面白いですよ。
まさか癌の箇所を冷やしている住人はおられませんか?
464 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/21(金) 19:09:29.88 ID:N5l1u3gl
>>458 >対機説法の対象をもう少し狭めて確実性を担保されては如何でしょうか。
いや、私の書き込みは確実に効いちょるんですよ。
効いてるから、机龍之介のコテに即反応してアクション起こす連中もいるくらいですから。
私と貴殿とはスタンスが違います。
当然そこには対立がありますから、それを根拠として議論がなされるけど、
じつは仏教というのは弁証法ではありませんから、
結論は出ないのですよ。
つうか涅槃とは、そのような状態ですでに調和、と捉える訳ですから、
私もあえて対立は好まないのです。
と、いうような方向性を現在模索しているのです。
これを行というのなら、まさしく是が行なのですね。
人間は成長せねばなりません。
>>450 仏教でいう慈悲って、人間の思考で生み出されるものじゃないと思いますよ。
本来当たり前のようにあるもの。。
自然法爾に現れ来るもの。
縁起で一つに繋がっている、その関係が慈悲となって、愛となって現れるんでしょう。
人間が思考によって努力し得たものって、最終的にはうまくいきません。
根本に帰らないと。
>>453 だからw
設計図のマンションに住めるのか?と。
実際に建ち上がらなければ、どうやってそこに住むのか?と。
その、建設行為が「行じる」ってことだ。
てめぇは、絵に描いた餅でも食って寝てろw
>>455 >自性が無いとは、それそのものに固定の実体、固定の相を持たないと言う意味です
これは賛成です。
>あなたが今のその年齢のまま老いず、
>肉体も精神も永遠に死ぬ事が無い固定の相を持っている
これは時間的に同一物が相続されるということです。
老いる、老いない、ということも条件としてはいいですけど、
もっと精密に言うと、時間的に相続されるものがあるなら、
そのものは、自性があるということになると思います。
もし、5秒前のコップがここに存在するというなら、コップという固体を5秒後に
相続したことになります。
5秒前でも、1時間前でも、相続するということは、相続される自性を認めていることになります。
だから瞬間というのです。
>コップにも水にも自性が無いから、コップも取り出せるし、水も用意できるし
>結果として水を注ぐ事も可能だし、水を入れたコップにもなれるんですよ
これだと、コップを取り出し、水を取り出し、水灌ぎ、水が満たされるーーー
この間中、待機するコップ、待機する水、灌がれて、水が満たされるまで、
同一のコップや水が、相続されていることになります。
これは自性を認めたも同然です。
無常故に、同一物を次の時間に相続出来ないはずです。
>>466 実生活で共感している人間の方が行に埋没している人間より遥かにマシだと思いますが?w
まあ、アナタは行やら伝統、伝承とやらに埋没して実生活での共感からは離れた世界で生きるしかないという事ですね。
まさに哀れです。
>>465 性善説では人間は根本は善なる生き物ということでしょうが、慈悲の対象は生きとし生けるもの全てであり
命をしみじみと感じなければ慈悲には至らないでしょう。
愛は裏に憎があり慈悲とは別物です。
愛憎というでしょう。慈悲に愛や憎はない。
469 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 19:55:53.21 ID:V7UMuYmQ
>>467 馬鹿ですか?空を否定するのは今時外道だけですよ?
コップ・水・手・手の持ち主、これらだけでも各々が縁起によって仮和合した存在です
その各々仮和合同士がこれまた縁起によってコップの機能を果たし、水の性質を果たし
更なる縁起によってコップへ水が手を用いられて注がれるんです
各々仮和合でその後も仮和合、どれもこれも果てしなく仮和合で縁起空ですよ
これを否定するのは例えば崇教真光で霊魂の永続性を説くオカルトとかでしょう
470 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 20:05:56.46 ID:V7UMuYmQ
>>467 >無常故に、同一物を次の時間に相続出来ないはずです
無常を勘違いされてる様ですね
生滅をする故に無常ですが、ここで言う生滅は、突然生じ跡形も無く消滅するとは言っていません
生滅の一サイクルは、その仮和合なる存在の機能の有効性・期間に生と滅=始めと終わりを
仮に認めてるに過ぎず、一仮和合状態の相を相と認めてるのは人の認識に過ぎ無いのです
心のタガを外して観じてみれば、生は滅と混色無く、コップにはコップ然となる以前の相が有るのです
コップたる形に形成された故に人がコップと認めてるに過ぎず、その前の形態を安易に忘れ去るのが
心の弱い外道の心理なのです
471 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 20:40:51.61 ID:lA8mVdwb
>>468 慈悲に共感など無いよ
慈悲は上から目線基本だし老婆心基本だし甘やかさないから
お前らが全然言う事聞かないの知ってるし考えられないのも知ってる
だから方便使って誘導してやらないと扉ひとつも見つけられない
如来の慈悲は生易しくないんだよ
共感とか言ってる次元じゃない
472 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 20:42:35.53 ID:NLcMLm0r
>>463 高熱の時、高熱がいいならもっと暖めたらいいだろう。
しかしそうしないのは、高熱によって脳ミソが破壊されるからw
感染症でもない相手に手かざしするのは百害あって一利なし。
頭寒足熱が基本であり、手かざしは脳ミソに悪い。
おかしくなってから騒いでも手遅れ。
足かざしなら問題ないがw
認識は事実に従属する。世の中の多くの人はこの考えに賛同するのではないか。 私も同意見である。 しかし、カントが示したように人は物自体に触れることができないのであるから 事実から得られる認識は多分に既存の認識によって歪められている。 おそらく、認識は事実に従属するが、(認識は)確認された二三の事実を基に一般化されており、その予断によって すべての事実を配列するのであるから、認識は事実に対しておおよそ支配的であるのだと思う。 たとえるならば、認識と事実は、ちょうど警察と国民のような関係にあると思う。 警察は本来的に国民の意思に従属するが、個別の現場においては組織に従って国民を管理するからである。 認識は事実との間に乖離を起こすことがままある。道に迷うという場合がその典型だが そのような場合、認識はその本来の役割に従い、事実に従属することが求められる。 たとえば、心を落ち着け、事実を観察するなど。 しかし、事実とはどこまでが確認可能な出来事なのだろう。 先に挙げたように認識と事実は曖昧に交わっており、「これが正しい事実に対する認識である」とどこまで行ってもたどり着けない。 客観性、つまり周囲の人みなが対話してそうと同意できるのであれば、限りなく事実に近づくと経験的に我々は知っているが それとて、どこまでが正しい認識と言えるかあやしい。 まして、一人の人物が単独で一つの事実について正しい認識をもつということはなかなか難しいことだろう。 所詮、いわゆる認識と事実との間の乖離など、本人が生活する上で支障の生じる程度の差異にすぎないのであり 本来、認識が事実と乖離していないと考えることの方が不自然なことなのかもしれない。 そのように考えれば、多くの場合、観察とは自己の生活に納得を与える、自己を落ち着けるための作業と言えるだろう。 それは、物自体ではなく現象を扱うのだとしても同じことだと思う。
>>471 >慈悲は上から目線基本だし
果たしてそうでしょうか?慈悲とは相手の立場に立ち思いやる事でベースは命に対するしみじみとした気持ちがあります。
慈悲に共感なければ、慈悲はないでしょう。仏陀の慈悲に共感するから仏陀の教えに耳を傾ける。
疑念があり共感なく、行により悟りを目指すなどというのは私の姿勢とは180度異なるもので、セブンの姿勢でしょう。
行、伝統、伝承最優先で仏教を捉えている輩ですからねえw
475 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 20:52:33.71 ID:NLcMLm0r
原始仏典には、空思想と輪廻思想の萌芽がみられる。 しかしどちらも釈迦の真意ではない。 相対的な善悪ではなく、善悪の彼岸がニルヴァーナなのである。 すなわち、善そのものがニルヴァーナ。 これは体験しないとわからない。体得するものだ。
476 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 21:18:56.22 ID:NLcMLm0r
輪廻思想は、釈迦の弟子のうち、バラモン出身の影響が考えられる。 空は、それへの対抗意識から、別の弟子によって強調されたのだろう。 弟子同士の中に、こういった派閥があったのは間違いない。
>>468 だからw
実行なしに何か果がありうるの?
バットを振らずに打点が付くかつーの。
478 :
○ :2014/03/21(金) 22:21:46.85 ID:fqVBsuwg
>>476 >輪廻思想は、釈迦の弟子のうち、バラモン出身の影響が考えられる。
>空は、それへの対抗意識から、別の弟子によって強調されたのだろう。
釈尊は断見者には『輪廻』を説かれ、常見者には『諸法無我』を説かれたと
龍樹菩薩は「大智度論」の冒頭で解説されておられます。
『輪廻』と『諸法無我』とでは一見矛盾しますが弟子達のせいではなく、
全ては釈尊の説き方(対機説法)が因だったと思料します。
四悉壇もまた衆生済度の為の筏だったようです。
(参照)「大智度論」巻一上『四悉壇』より抜粋
云何 各各為人悉檀者。観人心行 而為説法。於一事中 或聴或不聴。
(『各各為人悉檀』とは何か。人の心行を観て彼の為に法を説く。一事中で聴す時も聴さない時もある。)
如経中 所説。 雜報業故。雑生世間 得雜生雜受。
(経の中に説かれている。「業の故に世間に雑生し雑触し雑受する」と。)
更有破群那経中説。無人得触無人得受。
(または『破群那経』中に説かれている。「触を得る人は無く、受を得る人も無し」と。)
>>477 >実行なしに何か果がありうるの?
>>444 誰が実行なし(経験なし)に共感を得ると言ったのか?
馬鹿でしょ?w
>>468 >慈悲の対象は生きとし生けるもの全てであり
>命をしみじみと感じなければ慈悲には至らないでしょう。
慈悲が生きとし生けるものにしみじみと行き渡るには、
分別があってはダメですよね?
人間の思考の分別があっては、生きとし生けるものを平等に扱うことは出来ません。
命をしみじみと感じるというのは、人間の浅はかな思考では不可能です。
深く深く統一して、人間の思考の及ばぬところまで行かないといけない。
少しでも思考が残れば、そこに分別が生まれ、二項対立が生じる。
二項対立が生まれれば、憎しみの反対の愛という、人間の思考の産物の愛ということになって、
すべてのものを平等に照らす、仏の慈悲のようなものにはなりません。
しみじみと感じるというのが、人間の思考で行われるならば、
いつまで経っても二項対立は消えない。
人間の思考を越えたところに、本当の慈悲があると思います。
>>479 だから「行」は必須でしょと言ってるのw
>>480 人間に分別や比較や二項対立などは有って当たり前。
これらが無い方が異常。
瞬間で無いというのはあっても常時無いでは非人間です。
そのような人間を目指して何が面白いのでしょうか?
まさかそんな世界を崇高なものとか思っていないでしょうねえ?
分別や比較や二項対立などがあっても慈悲は十分に成立する。
成立しないと考える方が偏狭な思考であると思いますよ。
>>481 人間が生きる上で息をするのは必須であるが、わざわざ声高に必須であると言う方がアホでしょ?と言う事。
>>469 空を否定してないですよ。むしろその逆です。
むしろ、もし、縁起によって保たれているコップがあるとして、
そのコップが水を汲まれるまでそこで、縁起によって待機し、水を汲まれた後もそこに縁起によって
保持されるというなら、それこそ“そのコップは空では無い“ということになりかねません。
なんたって縁起によって保持されながら、時間的に継承されているのですから。。。
仮和合だから、時間的に継承される同一物はないんです。
もし仮和合していなく、独立して存在しているなら、時間的継承もありえるかもしれない。
そうすると、自性があるということになってしまいます。
仮和合しているものの中から、何か一つを取り出して時間的相続をさせるなら、それは仮和合から外れた、
”自性ある存在”ということになります。
>>483 いやいやいやw
要らないと言い続けてるのは誰さwww ┐(´ー`)┌
要らないと言うから、要るでしょ?と返してるだけなのに・・・(´・ω・`)
>>485 要らないですよ。
コレこそが要ると言うアナタに要らないと言っているだけ。
所詮、前提となっているものを要る要る言っても意味のない事。
経験なしの人生と言うのはありえない。経験が要る〜というのは意味の無い主張。
要る要らないではなく生きている以上根っこに有るのだからww
これを要る要る〜言う方がアホつうことですよ。だから要らない(元々根っこにある)と言っているww
>>470 仮和合というのは、一定のものは無い、自性のあるものは存在しない
ということですよね?
もしも無常の世界を、ある一定のものが、一定期間存在するというのならば、
それは自性のある存在ということになります。
仮和合というのは、一定の存在に見えるということですよね?
一定の存在に見えるものが、本来無常の世界を一定期間存続するように見えているーーーー
見えているだけであって、実際は一定の自性のある存在が時間的に相続していることは無いってことです。
コップが時間的に相続するというのなら、それは間違いです。
仮和合のコップが時間的に相続するというのなら、それは仮和合のコップが自性のある存在ということになってしまいます。
仮和合のコップが時間的に相続しているように見えるーーーーというなら、これは正解だと思います。
なぜなら、実際にはコップは縁起において、時間的に相続されないからです。
無常というのは、縁起において時間的に継承される固定された(自性ある)存在は、何ものも存在しないーー
といことだと思います。
>>487 仮和合というのも甚だ怪しい表現だとは思います。
五蘊の仮和合〜とかww
時間を考えるのならじっくりと時間を考えるべきでしょう。
>コップが時間的に相続するというのなら、それは間違いです。
間違いではなく正解ですよ。
自性のある存在は無いという前提に立ってモノを言うから「間違い〜」などと言うのです。
無我は我が無いのではなく我に執着するなという教え。
自性が無いのではなく個々人の一生の間くらいは個人の自性はある。
コップも壊れるまでは自性はある。
何でも自性は無いという前提が間違い。
生物の死んだ後、モノの壊れた後に自性が継続されないだけ。
>>482 >常時無いでは非人間です。
縁起というのは全てのものが結びついてる状態。
本来は一枚岩のようなものだと思います。
それを分離しているのが、人間の分別、思考。
個人が独立して存在していると思ってるから、他との争いが起こります。
また、自分を害するものに、恐怖や不安、怒りを覚えることになると思います。
本来一枚岩である状態は、個々の目から通して見れば、一つ一つが強い状態で結びついてるように見えるーーー
自分も他人も分け隔てない、ということになります。
それが本来の愛。
仏の慈愛もそういうものでしょう。
誰かが慈愛を掛けるのではなくて、もともと縁起としてそこにあるものーーー
もともとそこにあるものだから、カバーが取れれば表に出てくる。
自我の思考が取れれば、本来の仏の慈愛があふれ出す。
私は仏教をそう捉えます。
490 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 00:23:58.20 ID:DIfU8pPV
>>487 時間的相続なる言葉はどこで覚えてきたのかな?
そんな難しい概念をペラペラ喋くる奴はそうそう居ない
>仮和合のコップが時間的に相続するというのなら、それは仮和合のコップが自性のある存在ということになってしまいます。
縁によって仮和合して存在し、縁に応じて機能し、縁によって機能を滅し、縁によって仮和合は形を変える、これらは空だから可能
空で無いならそもそもコップを動かす事も不可能、コップの因果も不明になり道理に矛盾を来たす
この世界には自性を持つものは一つも存在しない
これは疑い様の無い事実、変な宗教信じてなければね
>>488 もちろん、この世界ではコップに限らず、すべてのものは時間的に相続されるでしょう。
仏教的に言えば、相続されているように見えている。
しかし、それは個別のものを、その瞬間全体から一つ一つ抜き出し、一つ一つ独立させて考えなければ
不可能です。
そして仮に抜き出しに成功したとしても、じゃあ、その物体は全てのものから独立出来るか、っていうと、
そうではありません。
たとえば、車が一台あるとします。
その車は今高速道路を走っている。
もし、右のタイヤが独立した存在ならば、次の左カーブで右タイヤだけが
左に曲がっていってもいいことになる。
今高速道路を走ってる車において、右タイヤだけを個別に考えることは出来ません。
右タイヤだけが、全体と離れて個別に時間的に継承されることはない。
全体の関係性は常に変化していて、その中から人間は常に個々のものを分別して別け隔てているけど、
実際は全体から切はなすことは不可能。
実際は世界全体が溶け合っていて、そこに人間の思考が名前をつけ、区別することによって、
個々の存在があるように見えてるだけ。
コップは相続しているように見える
世界は時間的に相続しているように見える。
これはしょうがない、個々の存在が独立して存在しているように分別して、
それ故、時間的に存続しているように見えてるのだから。。。
これが仏教の考え方だと思うんですけどね。
492 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 00:32:33.22 ID:DIfU8pPV
>>489 愛は弱者の言い訳、思いや感情などは自発しない、全て縁起に応じて起こる妄想に過ぎない
なぜ迷いなぜ惑うのか、その根源を知らないで保留にしてる事がそもそもの妄想し易い原点
それは”私”と言う存在への拘りを維持しようとするから起こる、全ての妄想の元凶はこの”私”への拘り
その”私”に何故拘ってしまうのか、と言う最大の疑問、生存に対する様々な疑問、それら一切を含んだ根本疑
それが無明として生まれながらに備えて来てしまっているのが人間の生苦の原点となっている
それを解決出来る唯一の手段・方法は仏教しか無い
全て他との相関関係で成り立ち自性は無い。 無いなら無いで構いませんが、人の一生のその人の自性も無いと言うのは異議ありです。 コップならコップで役に立っている間は自性がある。人間も生きているあいだは自性がある。 我はある。無我で我が無い〜なんてのは阿呆丸出しの論。実体としての我は無いかもしれないが 一生の主としての我はあるに決まっている。コレが無くして何が人生か?w
494 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 00:34:30.86 ID:DIfU8pPV
>>491 縁起の道理に即していない論なので妄想以外の何ものでもない
仏教は君の戯論如きでは崩れない
495 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 00:35:13.82 ID:DIfU8pPV
>>495 自性とは他に依存せず自ら存在する性質でしょう。
厳密に言えば全ては他に依存して存在するので、全て自性なし〜が正解ではありますが、
人生の主として他に依存しているので自性が無い〜というのは間違いでしょう。
人生の主を自覚すれば自性無し〜とは言えないはず。コップも壊れるまではコップとして役にたっており
自性なしとは言えない。人もコップも同じ。
497 :
Sarah :2014/03/22(土) 00:49:50.34 ID:el7WMN9G
>>608 あなたは、十戒の中に『隣人について偽証してはならない』とあるのをご存知ですか?
また『安息日を憶えてこれを聖とせよ』ともありますよ。
不倫問題ばかりに着目してますが、頭は大丈夫ですか?
498 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 00:54:14.00 ID:DIfU8pPV
>>496 人生の主って、誰?
それは何処に居て何処から来たの?
499 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 01:10:26.99 ID:DIfU8pPV
>>496 >人生の主を自覚すれば自性無し〜とは言えないはず。コップも壊れるまではコップとして役にたっており
自性が無いからコップは壊れる縁によって機能を失う
自性が有るならコップはそもそも壊れない、しかしそれではコップの発生因果に矛盾が生じる
君と言う存在も同じ事、自性が無いから常に流転し生滅を繰り返してる
君から出る垢は細胞の入れ替わった証拠、尿は還元された水分や老化した血液の廃液
糞は栄養摂取の残渣や内臓物質の老廃物、呼吸は酸素と炭酸ガスの交換作業
どれ一つとして固定して存在するものは無く、自性を持って単立しているものなど無い
君自身の”私”と言う実感も脳の成果物に過ぎず、故に全身麻酔を掛ければ”私”を一時失う
”私”なるものも空だから実在しないのだよ
そもそも脳が空なんだから
空じゃないなら脳細胞の維持すら出来ない
500 :
○ :2014/03/22(土) 05:46:43.07 ID:cJONVcUj
>>492 >愛は弱者の言い訳、思いや感情などは自発しない、全て縁起に応じて起こる妄想に過ぎない
本当にそうでしょうか?
ならば慈悲の完成された如来は『最弱者』になります。
そして『衆生済度』もまた妄想となります。
501 :
○ :2014/03/22(土) 05:50:08.62 ID:cJONVcUj
>>500 >ならば慈悲の完成された如来は『最弱者』になります。
新しいお題ですので、智慧のあるかとはどうぞ。
502 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 06:08:22.86 ID:gLVjgNCl
解りもしない、学ぶ気も無い仏教を垂れ流すなw在家、きえろw
503 :
○ :2014/03/22(土) 06:13:38.21 ID:cJONVcUj
>>500 もし「智慧の完成も慈悲の完成も功徳の蓄積も、全て縁起に応じて起こる妄想に過ぎない」 と
私が言いましたら、多分智慧の無いお前がなぜそう断言するのか?と叩かれるでしょうね。
アナロジーでは「如来は空想上の産物だ」でしょうか。
504 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 06:34:46.49 ID:gLVjgNCl
在家の仏教が空想上の産物だから、気にするなw仏教忘れてくれw
505 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 06:41:13.88 ID:cJONVcUj
>w在家、きえろw 空として、w在家などどこにいようか。 ただ縁起に過ぎない。
506 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 07:16:37.90 ID:gLVjgNCl
在家の空想上の産物の縁起、空なんか、書き込むなw
507 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 07:34:01.74 ID:l8r95U5v
警告! 手かざしは危険だ! 脳ミソは頭蓋骨で、外部からの影響を受けないように保護されている。 それを無視、手かざしで脳ミソへ影響を与えようと試みる。 自然法則に反したことが安全であるわけがない。 道場で見聞したという妄言や体のケイレンなどは、 手かざしで惹起された脳波の異常であり、手かざしの危険性を示している。 釈迦は手かざしなど説いていないw
508 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 07:46:07.42 ID:l8r95U5v
ダンマパダ183 「すべて悪しきことなさず、善いことを行ない、 自己の心を浄めること、ーーこれが諸の仏の教えである。」 釈迦の教えはこれにつきる。ではどうして修行するのか。 凡夫は「善そのもの」を知らないからだ。それを体験、体得するため、 四諦八正道があり、縁起の理法があり、止観がある。 善悪の彼岸に、体験でき、体得できる「善そのもの」がある。 善と悪は縁起だから「空」という空観の先に「善そのもの」がある。 七仏通誡偈の善は「善そのもの」のことを言っている。
509 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 07:58:27.65 ID:l8r95U5v
>>478 違うw キミは経典を読みそこなっている。
時系列を考えながら原始仏典を読めば釈迦の真意が見えてくる。
釈迦は空や輪廻を説いたのではなく、釈迦の死後、
釈迦の弟子になったバラモンたちによって仏教に持ち込まれたもの。
それへの対抗から、空を強調する弟子たちも登場する。
510 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 08:13:13.75 ID:cL91vixf
>>500 >ならば慈悲の完成された如来は『最弱者』になります。
出世間無分別無為である如来の何処に人に掛ける慈悲などあるのかな?
慈悲の完成とかそんな甘ったれた事言うのは如来が何の事だか解って無い奴の妄想だ
衆生済度は如来の真実を知ったものが抱く老婆心からの”思い”だ
それを期待したり縋ってたりしてるのは弱者故の妄想
その妄想に応えてやるのもまた妄想だが、如来は妄想などしない
煩悩即菩提、生死即涅槃を実現するのは人間が行なう
お前が望んで妄想する如来は何もしてくれないんだよ
それが解らんからお前には元品の無明が生まれつき有る
手かざしお御霊お清めでその無明を晴らす事は不可能
511 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 08:27:03.03 ID:YqMDsVuN
「有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかりする。」 (ジョージ・バーナード・ショー)
512 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 08:28:13.72 ID:YqMDsVuN
「お前の道を進め、人には勝手なことを言わせておけ。」 (ダンテ)
513 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 08:30:26.73 ID:YqMDsVuN
「行いは俺のもの、批判は他人のもの。私の知れた事ではない。」 (勝海舟)
514 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 08:31:11.71 ID:cL91vixf
>>478 お前は四悉壇を鼻高々にして声高に自慢するが、四悉壇を知ってそれが何だと言いたいんだ?
単にお前は、喘息の人の頓服・心臓病の人の頓服・糖尿病の人の頓服。精神病の人の頓服
とこれら以外も含めた様々な人の抜苦与楽の為の頓服を、風邪が治らないお前が
全部飲んで悩乱して大騒ぎしてるだけだろ
いや、お前は悩乱ついでに他人に効きもしない手かざしを薦めて弘ろめたいだけだろ
差し詰めインチキ薬の売人って事だ
>>486 いやいやいやいやw
>>483 で、息をする事に譬えて必要だと言ったのは貴方じゃないですかw
息、しなくてもいいんですか?(-_-)
516 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 09:00:51.03 ID:YqMDsVuN
>>508 >善と悪は縁起だから「空」という空観の先に「善そのもの」がある。
『安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人、
──このような人がまさにその故に<道の人>と呼ばれる。』(Sn.520)
きっと、善と悪は縁起だから「空」という空観の先に「悪そのもの」もあるんでしょうねw
きっと、苦と楽は縁起だから「空」という空観の先に「苦そのもの」もあるんでしょうねw
517 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 09:03:32.19 ID:cL91vixf
>>478 お前が望んで已まない輪廻の仕組みを説いてやる
人が生涯を終えるまでに仏教に帰依せず悟達も無ければ
業報に応じた輪廻転生の苦悩は止められずに死ぬ、これは事実である
人が生まれる時にも前世の苦悩や輪廻の苦悩、神や仏の真実への疑問などを
それら答えの出せない苦悩一切を生まれながらに背負ったまま生まれてくる、これも事実
人は先ず、生まれながらに脳や心臓・各種臓器を装備するのと同じ様に生苦と無明を携えて出生する
解脱して生まれてくる奴なんかただの一人も居ない事実を人は考えない
518 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 09:12:41.66 ID:cL91vixf
思いの輪廻転生を止められるのは事実だし、それが可能なのは仏道だけ 思いの輪廻転生を止められなければ、その業報に従って異蘊相続に悩まされる、これも当たり前の事実 真光在家は勿論の事、これを否定して已まない仏道修行者は当に知るべし 輪廻の惑は煩悩の一つであると、その煩悩の格納場所が無明である事を見過ごすから断見に陥るのだと 真光在家の常見堕地獄は免れない事は言うまでも無い、一切の緊縛を解かずんば一切の自由を豈図らんや
519 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 09:32:47.89 ID:cL91vixf
では、真光在家が好んで書く「前世の記憶の想起、発言」これが何故起こるのか? 先ず、アホ在家は発言者の記憶の「偽ってない根拠・妄想とは言えない証拠」は必死に探して来るが 「実在の証明の立てられない妄想」である事は探していない、つまり最初から信じる為に信じる材料しか用意して無いのである 前世の記憶の出所は無明に飛び交う雑念や妄想や嘘や空想である どんな不思議な事を言えたとしても、本人にとってそれは結論の出せなかった保留記憶なのである 結論が出せなかったのは真実を知り得なかった為に解答にたどり着けなかったからだ それを見た事、記憶してた事実を後に忘れてれば、それは本人にとって知らない事、初めて見る事と成り得る ペラペラ喋り出して、オカルト好きなアホ在家が「ホントに前世の話をしてる」と信じたとしても何の不思議も無いのである 業報に応じた前世来世の問題は大抵のオカルト連中は皆信じている、信じないものも居る 信じてれば当然死ぬまでその問題を抱えたままなのであり、死後にまた人間になったときに 無明を抱えて生まれる以上、輪廻問題は相続される、これを止めるのが仏教の目的の一つでも有る 業報の輪廻など無く、異陰相続など無いと信じて死んだものは、次生に人間になったときに無明の惑を異蘊相続する これを止めるのも仏教の目的の一つである 当に知るべし これはオカルトに非ず
520 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 09:34:30.52 ID:YqMDsVuN
>>517 >業報に応じた輪廻転生の苦悩は止められずに死ぬ、これは事実である
業報輪廻転生がイデオロギーではなく事実だというなら、その存在についてあなたの経験的検証を明晰に証明して下さい。
みんなで追検証しますから。
STAP細胞の検証と同じで、
>>515 のセブンさんが待っておられます。
521 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 09:58:56.25 ID:cL91vixf
>>520 業報も輪廻も転生の良し悪しも、これらを思うなら全て無明に格納されている未決事案だ
真理を未だ知らないから結論に悩み悶々と残り続ける
人間は生まれながらにこの無明を持って生まれて来ている、凡そ健常者なら一人の例外も無くである
異蘊相続とは違った身体の現世と前世・来世で何かが接続される事を言っているのであり
小包を受け渡す事を意味していない、前世から業報の小包を受け取って今開いて悩まされてる
と思っているのは勝手な解釈なのである
仏教が言う異蘊相続とは、死ぬまでに生まれながら持って生まれた無知の謎(バカ癖)を
これに悩む事自体が妄想であったと悟らず死んだなら、次生に人となりし時は
必ず無明は持って生まれてくるので、無知の謎(バカ癖)に接続されるよ
と言う意味なのである
業報で悩み死んで、次生も必ず業報の悩みを起こす故に繋がってしまうのである
悩むのはあくまで現世である事を人は考え様としない、故に無明惑なのである
そもそも無明惑は心が空で脳に依存した一代限りの現象だと考えられない
故に仏法は無我にて候、となる
522 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 10:07:58.81 ID:YqMDsVuN
>>521 >異蘊相続とは違った身体の現世と前世・来世で何かが接続される事を言っているのであり
>>520 の問いを分かっていない。
なんらの経験的検証性もない単なるイデオロギーでしかありません。
あなたの文言はなんら現生的なる法ではありません。
『1.明証性 Sn.1066、1053参照: 現に証せられるもの(現実に今ここで実証できるもの)
2.即時果報認証性 同: 時を隔てずして果報あるもの(時間をかけることなく瞬時に効果の現れるもの)
3.客観的再現性 同上:来り見よというべきもの(ここに来て実際に見なさいと言えるもの)
4.涅槃合目的性 Sn.737: よく涅槃に導くもの(苦の寂滅・心の平安に導いてくれるもの)
5.自力検証性 Sn.908: 知者がそれぞれに自ら知るべきもの(勝れた知者が、自分で知ることのできるもの)
<相応部35-70 ウパヴァーナ>
上記の基準によって検証されなければなりません。
なぜなら、上記基準を外れたものは「ありもしないもの(妄想・物語)を語っているからです。(相応部35-23 一切)
523 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 10:10:44.02 ID:cL91vixf
>>522 >あなたの文言はなんら現生的なる法ではありません。
そう思うならお前の経典解釈がおかしいか、そもそも無明を軽んじている
お前の仏法はインチキだ
何の解決にもならない
524 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/22(土) 10:11:33.63 ID:ILNFJ8kF
>>521 悟達すれば、貴殿の輪廻転生強迫症から解脱できる。
@禅定初期において世界観が構築される。
この@の段階だから、まだ先で何度も悟達がある。
まあ。こういう話は精神的には結構ストレスになるので、
私はなるべくしないようにしてます。が・・・
何方か、私に成り代わってレスポンスするでしょう?
私は余計なレスはしませんので、これは無かった話と受け止めてくりゃりょ。
525 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 10:13:46.89 ID:oYrfe/lN
>>521 じゃあ、前世・来世、カルマがないなら、
なぜ仏陀は善行を為せと言ったの?
526 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 10:14:21.83 ID:cL91vixf
>>522 異蘊相続の正体を熟知しろ
仏・若しは仏の眷属が経論にその言葉を使い、輪廻に絡んで語ってる事は軽んじては成らない
いや、異蘊相続が認められないと断見の惑は晴れないとも言い切れる
まあ、悟ってないお前には無理だろうがなw
527 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 10:16:38.72 ID:cL91vixf
>>525 今世に善行を成して世の為になる生き方が悪い事なのか?
善行を行う事に疑問を持つ自体が本末転倒だと気付かんか?
悟った人がおられるようなんで 「千日回峰行」は心を清める修行になりますか?
529 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 10:20:00.45 ID:oYrfe/lN
>>527 そんなことは聞いてなくて、
前世来世、カルマがないなら善行を為す
必然性はどういう理由であるのか?ってこと。
530 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 10:26:43.49 ID:cL91vixf
>>529 善行を行なう事に必然性が必須なのか?
万民の理想的行動なんじゃないのか?
カルマ云々の下心有り気な善行も別に構わんが
人はそれを”偽善者”って言うんだろ
ID:cL91vixfさん、悟った人とお見受けしました。 ありがたや。
532 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 10:31:24.62 ID:YqMDsVuN
>>523 >>526 経験的検証性のないイデオロギー的断罪でしかありません。
一切外の妄想(相応部35-23)には対応しません。
>異蘊相続の正体を熟知しろ
第一義空経抜粋
『有業報而無作者。此陰滅已。異陰相續。除俗數法。
(業報有るも而かも作者無し。此の陰滅し已らば異陰相續す。 俗數法をば除く。)
# 業(おこない・行為)と報(むくい・異熟・結果)はあるけれど、作用の主体はない。
ある諸要素の集積の作用が已めば、関係にしたがい、次なる異なった諸要素の集積の作用が起り続ける。
十二支縁起は存在しない。』
もちろん、上記は前段の、
『不實而生(滅)。
生已盡滅。
# 実際には生(滅)しない。
そしてそれは起った途端に已(や)んでしまう。』を受けたものです。
きわめて、明晰に説かれています。
異蘊相続は異蘊相続ではありません。これを異蘊相続と名づけているだけです。
533 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 10:32:01.96 ID:oYrfe/lN
善行の必要性は、「エゴ」を滅するためだと思います。 「エゴ」を滅したら「悟り」にほかなりません。
535 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/22(土) 10:38:02.73 ID:ILNFJ8kF
輪廻転生強迫症が長く続くと、オウムの信者みたく精神が不安定になってくる。 限度は1年くらい。それ以上だとリスクがある。 オウムの信者でも、林郁夫が早期にこのマイコンが解けたのは はからずも禅の頓悟と全く同じだったことだ。 これは特筆すべきだろう、と思う。 林は警察の尋問室からぼんやりと窓の外を見ていたら、 そこに親子で戯れる姿を見て、突然に悟った。 彼はこう言った、「民衆救済は間違いであった」。と そしてその後にこうも言った、「世界は何の矛盾もなかった」。 それはまるで、仏教の大意そのものではないか。 人は過ちを犯し、悲しくも、その縁によって悟達するのである。 善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。by親鸞
536 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 10:39:05.03 ID:6XYA3o4b
>>532 >異蘊相続は異蘊相続ではありません。これを異蘊相続と名づけているだけです。
テメーで答え書いててその意味を理解出来ていない、お前は愚かだ
それを有ると妄想している心を解脱するのが出世間智だ
お前はそこに到達していないから額面しか読めてない
愚かの極み
>>533 カルマや輪廻転生で脅されなきゃ善行を行なえないお前は
悟りや仏法以前に人としてどうなんだ?それで良いと思ってるのか?
釈尊はそれを方便使って正したに過ぎないんだぞ?
道徳心など仏法以前の躾けレベルなのに、仏教はわざわざ踏み込んでくれてただけだ
537 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 10:42:17.32 ID:oYrfe/lN
>>537 いえいえ。わたしは、しょっちゅう間違えますから。
539 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 10:46:47.60 ID:YqMDsVuN
>>536 なんらの明晰な理由による反論ではなく、
単なる罵倒語の羅列者は愚かではないんでしょうかw
>テメーで答え書いててその意味を理解出来ていない
意味が有るとは、いやはや自称如来サマも劣化されたものですな。
540 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 10:49:27.63 ID:6XYA3o4b
>>539 お前は仏教を拗らせてるだけだよ
幾つか知らんが歳相応で下手すりゃそれは直らんな
がんばれや
541 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 10:50:01.04 ID:oYrfe/lN
>>538 「エゴ」の観点から見て、
ID:cL91vixfさんが悟ってないことはわかるでしょ?
>>541 それについては、はじめは悟った人だと思ったのですが。
543 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 10:58:05.15 ID:oYrfe/lN
>>542 自称解脱者には引っかからんようにね^ ^
544 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 10:58:55.95 ID:eBOf0FOs
>>516 中村訳「神々との対話」4章10節雨雲の娘 3
ブッダと真理とに敬礼しつつ。・・・
わたくしが心のなかで理解し得た限り、その意義を要約して語りましょう。
世の中のどこにあろうとも、ことばでも、心の中でも、身体によってでも、
【いかなる悪をもつくるな】。欲楽を捨てて、心を落ち着けて、
気を静めて、禍いをともなう苦悩を受けるな。
善と悪の使い方は、相対的な場合と絶対的な場合がある。
世間への執着をやめよ、というとき、世間が悪として断罪されている。
悪が断罪され、修行者は「絶対的な善」を選び取る。
546 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 11:08:38.20 ID:eBOf0FOs
このスレには、執着自体を悪いことだと誤解している人がいる。 そうではなく、世間に執着することが問題なのである。 世間が有難がる物質的なものごと、これが捨てられるべき悪だ。 善いことに執着することはよい。悪いことに執着することが悪い。
善いことは、執着を離れること。苦しみは執着からですよ。
548 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 11:24:18.40 ID:YqMDsVuN
>>544 >世間への執着をやめよ、というとき、世間が悪として断罪されている。
>悪が断罪され、修行者は「絶対的な善」を選び取る。
『安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人、
──このような人がまさにその故に<道の人>と呼ばれる
SN.4-10-3は仏道での調心の必要性を言ったものです。
>善と悪の使い方は、相対的な場合と絶対的な場合がある。
そもそも善悪の価値判断は二項相対以外にありません。
絶対善・悪などは一神教的もしくは不二一元論的妄想です。
諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意
550 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 11:30:10.66 ID:eBOf0FOs
アラヤ識は輪廻する業識だと言われている。 それ自体は死んだ識であり、何も発信しないから無覆無記である。 しかし、マナ識がアラヤ識に執着することで無明が生まれる。 この経過は、マナ識に問題があるからではなく、 アラヤ識に問題の根源がある。アラヤ識を清算することが解脱である。 アラヤ識を清算すると滅尽定に入る。 アラヤ識は坐禅中の「魔境」において清算する。 魔境に関しては、中村訳「悪魔との対話」に数多く記録されている。 修行者は暗闇で坐禅することから魔境を体験できた。
551 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 11:43:13.44 ID:eBOf0FOs
>>548 >安らぎに帰して、善悪を捨て去り・・・
安らぎに帰して→安らぎに執着、善悪を捨て去り→相対的な善悪、
あるいはニルヴァーナは善そのものだから、善であることも意識されない。
>そもそも善悪の価値判断は二項相対以外にありません。
>絶対善・悪などは一神教的もしくは不二一元論的妄想です。
そういった考え方は予断。心を白紙にして臨まないと見えてこない。
事物の真相は、洋の東西、人種の如何を問わない。
552 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 11:46:19.95 ID:eBOf0FOs
>>547 >善いことは、執着を離れること。苦しみは執着からですよ。
理由をつけて説明しないと単なる主張ですね (^^)
553 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 12:06:27.22 ID:YqMDsVuN
>>551 仏教の仏教たるゆえんはし四聖諦・八正道=仏道以外にありません。
世界観・存在感の構築が目的ではなく(それは哲学です)、
実存苦の根本的超克という修行者への本懐へ向けての実践そのものです。
ですから教えも修行者(菩提心凡夫)へ向けて機能的に把握する必然性があります。
>ニルヴァーナは善そのものだから、善であることも意識されない。
「ニルヴァーナは善そのもの」は未達者の矛盾妄想です。
善そのもの(悪そのもの)とやらが存在するということを、修行者が検証できるでしょうか?
何のために「一切経」(相応部35-23)が説かれているのでしょうか?
善そのもの(悪そのもの)とやらが存在するということは信仰する以外にありません。
もちろん仏法は信仰ではありません。
554 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 12:14:07.54 ID:YqMDsVuN
>>549 >諸悪莫作
>衆善奉行
>自浄其意
⇒修行僧へ『仏道での調心の必要性を言ったものです。』(
>>548 )
555 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 12:36:25.11 ID:eBOf0FOs
>>553 善そのものがわからなければ、どうして善いことができますか。
それを知るために釈迦が説いたのが、
四諦八正道と縁起の理法(空の思想)です。これだけで十分でしょう。
釈迦は必要十分に説いています。
善そのものを実際に見て、味わえたら、
四諦八正道と縁起の理法(空の思想)は筏としての役目を終えます。
逆に、善を知らずに仏典を読んでも、ほとんど記憶に残りませんよ。
抽象的な、空虚なことばの連続としか思えないからです。
だから最初に、善そのものを知る必要があるのです。
556 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 12:45:48.19 ID:YqMDsVuN
>>555 >善そのものがわからなければ、どうして善いことができますか。
善悪は共同幻想での二項相対分別思考による世俗諦です。
これだけで十分でしょう。
557 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 12:48:06.58 ID:SwpoA2nx
ID:YqMDsVuNさんは何の目的で書くのでしょうか? 見た感じただの知識自慢にしか見えません 方便も使わず、覚えた字句のペースト合戦に持ち込みたい そう見えます 自分の言葉で書く事は出来ないのでしょうか? 体得してれば出来る事だと思うんですけど
558 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 12:55:14.20 ID:YqMDsVuN
>>557 もちろん、仏道実践上の自分なりの如理作意を書いています。
559 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 13:33:23.58 ID:SwpoA2nx
>>558 仏道実践上の自分なりの如理作意をコピペに仮託して主張してるだけですよね
如理作意を語らなければ如理の証明者になってないと思います
あなたは自分の主張を自分の言葉で書くのが怖いんですか?
自分の言葉など書く意味など無い、とするなら主張の依拠文のリンクを書けば済む事だと思います
560 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 14:00:02.56 ID:YqMDsVuN
>>559 >仏道実践上の自分なりの如理作意をコピペに仮託して主張してるだけですよね
自分なりのことばをずいぶん書いてきました。
・多くの人から難解だといわれました
・また、初期に一代からは、テキスト上の根拠を求められました。
ですから、できるだけ根拠テキストを挙げるようにしています。
それが『コピペに仮託して主張してるだけ』と誤解されるのは心外ですよ。
もちろん、テキストそのものも如理作意の対象です。
ちなみに自分の言葉で書けば、
如理作意とは縁起の間接現実=時空事実(因果)関係を正確に分析観察検証する、
客観的に、原因と結果を観察・検証するということになります。
六処で検証不能なものは、一切外の(狭義の)戯論・妄想として無視(無記)します(相応部35-23)。
これがブッダの本懐である「実存苦の根本的超克」に直結していることは言うまでもありません。
561 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 14:03:42.16 ID:YqMDsVuN
訂正 △ これがブッダの本懐である「実存苦の根本的超克」に直結していることは言うまでもありません。 〇 これがブッダの本懐である「実存苦の根本的超克」(四聖諦)に直結していることは言うまでもありません。
562 :
○ :2014/03/22(土) 14:26:45.22 ID:cJONVcUj
>>514 悟られた方
>お前は四悉壇を鼻高々にして声高に自慢するが、四悉壇を知ってそれが何だと言いたいんだ?
>単にお前は、喘息の人の頓服・心臓病の人の頓服・糖尿病の人の頓服。精神病の人の頓服
>とこれら以外も含めた様々な人の抜苦与楽の為の頓服を、風邪が治らないお前が
>全部飲んで悩乱して大騒ぎしてるだけだろ
「四悉壇」の紹介を再三再四するまでは、住人各位がそれぞれの「如是我聞」(処方箋)を
担いで言い争っておりました。
「四悉壇」の解説が腑に堕ちた方々は既に経典間の矛盾では言争うことはないようですので
善きことだったと思っております。
私に付けたコメントが縁で住人各位からのご批判が集中したことも縁起なのでしょう。
563 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 14:40:21.41 ID:SwpoA2nx
>>560 >客観的に、原因と結果を観察・検証するということになります。
>六処で検証不能なものは、一切外の(狭義の)戯論・妄想として無視(無記)します(相応部35-23)。
それでは無明の原因が明かされませんね
原因が解らないものは
>これがブッダの本懐である「実存苦の根本的超克」に直結していることは言うまでもありません。
に為り得ません
そんな戯論が仏の本懐と教条を並べるなら、それは仏陀に対する冒涜でしょう
564 :
○ :2014/03/22(土) 15:12:04.05 ID:cJONVcUj
>>560 >六処で検証不能なものは、一切外の(狭義の)戯論・妄想として無視(無記)します(相応部35-23)。
横レスですが、一般人(衆生)が六処で検証不能なもので、禅師が正しい作法の禅定で実体験したものは
一切外の(狭義の)戯論・妄想でしょうか?
それともその禅師に限定の一切内でしょうか?
565 :
○ :2014/03/22(土) 15:15:15.02 ID:cJONVcUj
>>564 仏はカラスは白いと説き、衆生はカラスは黒いと言い、
禅師が禅定にて白いカラスを見た場合はどうするのでしょうか、というお話です。
原始仏典の中にもこういうシーンが散見されます。
>>562 他住人云々の前に
てめぇは四悉壇からも外れてるってことを自覚しろ。
567 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 15:37:40.71 ID:SwpoA2nx
在家くん、方便って何か考えたことは有るでしょうか? 一般認識の言葉で言い換えれば方便とは方言と同義の意味なんですよ 嘘を尤もらしく語る事を方便と言うのではなく、仏の教説に従って 仏道を行なったり、その行いを通して得られた仏の教説への各種証言を その行者の言葉=方言=方便として語るのでそう言うのです その観点からすれば >それともその禅師に限定の一切内 が重要となり、そうだったと言う体験を語る事が重要となるのです その体験が検証可能かどうかは同じ行をする事から得られるのです 同じ行を一致させる為に、ここで初めて文証が必要になる訳です 仏教は現生的なる法なので実現可能で検証可能な道理しか扱いません 霊動は・・・実現も再現も検証も出来ないオカルトです 仏教経論にこの依拠を求めても無駄だと思います
568 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/22(土) 15:54:08.13 ID:ILNFJ8kF
>コップも壊れるまでは自性はある。 自性である、というのは成り立たない。 つまり根拠がそこに内在していないからだ。 もし成り立つのでしたら、それ自体を対象化することにおいて仮和合として コップを認識できる。ということで、 そこに必ず認識する主体を想定しなければならない。 その認識主体を仮に想定とするのが、いわゆる中論の仮設になる。 もしこのような仮設においてなら、コップを認識できよう。 認識することにおいて、そこに主体・客体という分別が生じるのである。 縁起というのは、この認識という現象の理である。 ですから第一義空であって、主客分別が第二義になる。 つまり中論の骨子は、縁起においてしか、そもそも主客自体が成り立たない。つうことですから コップそれ自体に自性があるのではなく、縁起においてしかそれが生起することはない。 また、縁起それ自体が生起しているのではなく、縁起なれば仮設として生起としている訳で、 仮和合という縁の織り成す集合当体としての論なのである。 平たく言えば「縁の束」なのだ。
569 :
○ :2014/03/22(土) 16:02:30.44 ID:cJONVcUj
>>567 >その体験が検証可能かどうかは同じ行をする事から得られるのです
>同じ行を一致させる為に、ここで初めて文証が必要になる訳です
>仏教は現生的なる法なので実現可能で検証可能な道理しか扱いません
長部経典第二「沙門果経」にて、正しい禅定をすれば前世を想起すると説かれております。
異教の私ではなく、仏法者で禅定の実践者の方々に検証可能かと数年間問うて参りました
多くの禅者からは却下され、一部の禅者からは結構暗い前世を想起したとの回答でした。
>霊動は・・・実現も再現も検証も出来ないオカルトです
なお霊動は同じ行(施受光)をする事で100カ国以上で再現されておりますので、
仏教経論にこの依拠を求める必要もないでしょう。
私のご質問は禅定で前世想起が再現されるのかという、仏の教説への各種証言聞く
シンプルなものです。
570 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 17:50:49.61 ID:SwpoA2nx
>>569 沙門果経の意義は出世間の智慧を明かす事です
対告衆は阿闍世王です、つまり仏教的には初心者となります
魔法的な話しの現実性よりも仏道への誘引が第一となるのは言うまでも無いでしょう
まさか、その魔法的な話しをあなたは信じてしまってる訳じゃないですよね?
観察には二つあると思う。自身の興味に沿う観察、そうでない観察。 前者の場合、たいていなんらかの必要に迫られての観察であるから有無を言わせず解決に心が向けられ定まる。 だが、後者は、対象に心を向けようと努力することから始めなければならない。 観察しようと力むごとにささいな出来事に目移りし心が散乱してしまうからである。 ちょうど、若い頃に勉強をやれと言われたからやろうとしたが、なぜこんな退屈なことをしなければいけないかわからず、 いざ勉強をしようと椅子に座ってもしばらくするとついそわそわと腰が浮いてしまうような感じである。 しかし、そういった世間における興味に沿う、沿わないの行為にしても、口や体は拘束できても、たいてい心までは縛らない。 いや、本来縛れないものだ。 たとえば、本を読むにしても、まずは興味のありそなところが出てくるまで目次などパラパラとめくっておおよその意欲をかき立てようと努める。 なるべく心に興味を起こさせようと努力するのであって、心を縛っている?とは言えるかもしれないが 決して心の我が儘から離れているわけではない。 だが、その心まで制御しようとするのが仏教における観察の大前提と言えるだろう。ゆえに難しい。 しかし、心を制御するのも結局は口や体を動かそうとする心の働きを抑えていくのと同じであると思う。 まずなんと言っても意思である。ついで習慣。ついで思想。ついで人生観となる。 たとえば、勉強をつづけるコツはまず机に長時間座ることに日頃から慣れることだ。形から入るのが得策だ。 慣れてくると心は自然とその形が当たり前になり、愛着をもつようになるから。 そして、そのためにはそう習慣付けようとする意思が必要となってくるはずである。 習慣を変えるということは、なかなかに難しい。よって仏教において戒律という習慣に入ってゆく際に戒壇での儀式を行なうのである。 もちろん、仏教における観察にスッと入れる人も中にはあるだろうが、それは素質や日頃の習慣によるものであり つまるところ前世の善業によると言うことになる。
572 :
○ :2014/03/22(土) 19:08:41.75 ID:cJONVcUj
>>570 >沙門果経の意義は出世間の智慧を明かす事です
>対告衆は阿闍世王です、つまり仏教的には初心者となります
はい、御指摘の通り「沙門果経」の対告衆は阿闍世王です。
長部経典の三十四経の内、過半数の二十経で前世や輪廻に関する説法がございます。
例えば正しい禅定による前世想起は第二十八経「自歓喜経」にも詳細に説かれております。
対告衆は「智慧第一」と呼ばれた舎利佛ですね。
因みに形而学上のことに対して無記だったのは第六経「マハーリ経」と第九経「ポッタパーダ経」で
第十五経「大縁方便経」では縁起、無我、八解脱を説かれて対告衆は「多聞第一」のアーナンダでした。
阿闍世王と舎利佛には前世想起を説かれ、アーナンダには縁起、無我を説かれたのも、対告衆に応じた
釈尊の対機説法(四悉壇)の所以でしょうか。
私はこれより私用にて外出します。
573 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 19:18:33.53 ID:w+y2sCTq
真光の○氏はまず、 手かざしが身体にプラスであることを科学的に立証すべきだろ。 仏教うんぬんの話はそれからだw 寝言やオカルトにどっぷり漬かってる人の話は信用できない。
>>572 しつこいなw
対機説法ってのは、
「ずっと、最初の設定のまま」
ってことじゃねーんだよ。
(各経毎の)対告衆の別を統計的に括るのは、仏教学的に重要な作業だが、
≪それが、教えの色合いを全て決定している≫と考えるなら、大間違いだ。
四悉壇も、その別は、入り口の別でしかない。
それなのにお前は、その別を、最後の最後まで引っ張って、
勝義に於ける根幹の相違にさえ、その別があるとして、
自身の立ち位置を仏教の枠内に収めようとする。
卑怯極まりねーよ。 ( ゚听)、、、、、、、、、、、
575 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 21:08:02.18 ID:mXwYkV64
>>574 同意だね
対機説法は「相手の機根に合わせて」説法をする手法だもんね
相手は石仏や機械や路傍の石じゃなく生きてる人間である以上
機根も縁起に因って都度変わるし、話の聞き出しと中盤と最後でも柔軟に変化するだろうし
なにより、如是我聞自体が寸分違わず一言一句伝達するんじゃなく
私はこう言う趣旨の話をこう言った趣意で聞きました、って事だから
正確ではあっても割と細部はアバウトだった、だから研究対象にもなってるんだしね
仏教というのは利剣のようなものだ。 我々は心しておかなければならない。 鋭い刃も料理につかえば人々のお腹を幸せにすることができるが 一転、人を殺す刃にもなる。 仏教もよく悪を断ち、善を切り開く利剣であるが 自己に都合よく使えば人を傷つける道具ともなる。
577 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 21:23:31.28 ID:tDTEegBp
>なお霊動は同じ行(施受光)をする事で100カ国以上で再現されておりますので、 >仏教経論にこの依拠を求める必要もないでしょう。 あたりめーだ馬鹿ww仏教にかすりもしない精神病の類だからなwwww 八百長糞カルト風情がナニ「対機説法」に希望見てんだよ粕wwwww
578 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 21:55:05.68 ID:mXwYkV64
あたりめって言えばコンビニのやつは何であんなに美味しくないんだろうね
悟った人間がこの世の問題を何一つ解決できてないところを見ると 本当に役立たずな存在だと思う。
580 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 22:52:50.50 ID:YgWB29t1
この世に問題なんか無いだろ 有るのは個人の都合と、その都合に絡んだ烏合の衆の勝手 そんなのを一人の自覚に頼ろうって魂胆がそもそもの顛倒 本当の世間なんて静かなもんだ
今日は地上波で、先日の超常現象特集のダイジェストをNスペでやってたな。
582 :
神も仏も名無しさん :2014/03/22(土) 23:09:50.08 ID:dzysGG9X
部派仏教までの一部の考え方だと
悟るまでは何世代も輪廻しないと無理とか言うのも
そもそも悟らなくても菩薩道で十分とした大乗の考え方も
悟り難い奴の為の気休めだったんだろうと思うよ
仏教挫折する奴は大抵他力願望の奴ばかりの様だし
他人の助力を100パーセント当てにして待ってる奴が
>>579 的な事を言う
確かにw
だったら自分で解決すればいいじゃん、って話だなw
>>579
584 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 06:19:52.46 ID:NWYqB1lJ
575 :神も仏も名無しさん:2014/03/22(土) 21:08:02.18 ID:mXwYkV64
>>574 同意だね
対機説法は「相手の機根に合わせて」説法をする手法だもんね
突然本人すら理解できていない禅語が出たり、
新興宗教の輩が解りもせん仏教出したりと・・・
ま、対機説法、これが相手がまともか判定できる基準でもあるなあ。
585 :
○ :2014/03/23(日) 08:07:04.37 ID:d2023Ei2
>>574 多分セブン氏
>それなのにお前は、その別を、最後の最後まで引っ張って、
> 勝義に於ける根幹の相違にさえ、その別があるとして、
> 自身の立ち位置を仏教の枠内に収めようとする。
釈尊は涅槃に導くために断見者には輪廻を説き、常見者には無常・無我を説いたとの解説を
大智度論から再三再四紹介しましたが、それが「勝義に於ける根幹の相違にさえ別がある」
とのミスリードだという貴僧のロジックはよく分かりません。
と腑に落ちないイエローカードには言ってみます。 本日是好日
586 :
○ :2014/03/23(日) 08:13:02.10 ID:d2023Ei2
>>575 >なにより、如是我聞自体が寸分違わず一言一句伝達するんじゃなく
>私はこう言う趣旨の話をこう言った趣意で聞きました、って事だから
文言上は同じといえるような前世想起の説法を阿闍世王と舎利佛とでは違った趣意で
聞いたであろうということには同感です。
舎利佛が『輪廻』で自歓喜されたのはより深い何かを悟られたと推測しますので。
587 :
1/2無明 :2014/03/23(日) 08:15:55.62 ID:DuBywGiA
ちょっと急いでますので、取り急ぎ書きます。あらかじめ、乱筆失礼。
>>563 ・中論12、24-40参照
・
>>369 、
>>387 、
>>387 、
>>393 、★
>>418 参照
>無明の原因
あなたはあなたの生(誕生)以前の「無明」をどのようにして確認検証できたのですか?
無明の原因をオカルト的思考に求めるのですか?
書いてあることの丸吞み信仰なのですか?
執着(取)などに関係なく生物は誕生(有→生)しているではないですか?
誕生以前の無明→執着(十二支縁起の概念では、無明→取)をどのようにして確認検証したのですか?
誕生・無明以前の「潜在的形成力」(Sn.731)の存在を経験的に検証・立証してください。
誕生後、ものごころついて以来なら、潜在的形成力という因果関係を検証できます。
たとえば、投資しなければ利回り収益(損失)は実現しません。
十二支縁起論は、業報輪廻転生論というフィクション・イデオロギーを前提として組み立てられた妄想の羅列ではないのか?
第一義空経は明快に『除俗數法』(十二支縁起論を排除する)と言い切っている。
破綻した論理でしかないからです。
588 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 08:19:01.72 ID:NWYqB1lJ
在家は仏教理解する気なんか無いのだから、仏教忘れろよw消えてちょうだいw
589 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/23(日) 08:20:58.08 ID:UThT8sAM
(つづき) >また、縁起それ自体が生起しているのではなく、縁起なれば仮設として生起としている訳で、 生起は生滅を前提としなければ論理整合性が担保されない。 故に生起以前は生滅となる。 これを無限に繰り返せねばらなない。 つまりそこに論理矛盾が内在していることになる。 勝義諦はこの論理矛盾を否定したものだ。→不生不滅 理論的には不去不来と全く同じ。 つまり中論においては世俗諦の矛盾、つまり言語の矛盾性を指摘したもの。 私見の「世俗諦の出鱈目」は、このような見解による。 そしたらどこかの馬鹿もんが、「禅の出鱈目」とかレスポンする。 禅を知らん者は、とにかく掲示板に書き込みするなよ(苦笑 恥を晒すだけだから。 閻魔氏が良いこと言った「センス」だ。 つまり禅というのは、ある程度のセンスがないと、読解できない。
590 :
2/2無明 :2014/03/23(日) 08:22:00.77 ID:DuBywGiA
仏法のアイデンティティは四諦です。 実存苦の超克です。 そもそも、苦しみはアプリオリかつ超越的なものではなく、それにはなんらかの原因があるから、 その原因をなくせば苦しみはないという<縁起。の考え方は現代人には判りやすく納得できるでしょう。 反面、「前世」妄想での超越的『罪』概念に縛り付けられていた古代インド人には衝撃だったでしょう。 現代では子供だましもいいところですw しかし、十二支縁起論自体がナンセンスなのです。 そもそも苦しみのプロセスは大脳の発達に伴う記憶能力(ものごころがつく)→自己意識作用=こころ→我執→苦でしょう。 ★<十二縁起+業報輪廻転生>などという超越的妄想物語・フィクションはまったく関係がありません。 荘園経営で暇をもてあまし貴族化したスコラ坊主がバラモン化するためのでっち上げこじ付け妄想です。 DNA→脳の発達(ものごころ)⇒記憶 (A)生起→自己意識(≒無明)→こころ→我執→苦 (B)未生起(喪失)→無我→涅槃寂静(*≒完全熟睡状態) だいたい縁起の起発点をアプリオリに生以前の無明(無我に無知)に置くのがスコラ部派坊主たちの妄想であって、間違っているのです。 無明かどうかがいえるのは脳(特に大脳前頭葉)の発達による記憶機能が働きだして、自己意識(その作用がこころ)が出てからです。 記憶が生じるまでに何らかの障害(事故、薬物・放射能障害など)が生じた場合、無明とはいえないではないか。 だから無明が起発点ではないし、そもそも無量の諸要素の集合(無我)変化(無常)を伴うネットワーク関係性(密度濃度変化)に根源的な起発点などありえない。 各支をみてもスコラ部派坊主はあまりにも無知蒙昧で稚拙過ぎます。 風が吹いても桶屋が儲かるとは限らないのです。 十二支縁起論は業報輪廻転生論密輸入を企てたマハー・カッサパ教末裔坊主どものナンセンス答案であるといえます。
591 :
○ :2014/03/23(日) 08:26:14.76 ID:d2023Ei2
>>587 1/2無明
>あなたはあなたの生(誕生)以前の「無明」をどのようにして確認検証できたのですか?
『十二支縁起』を説かれた方は禅定で実体験されたのであれば、戯論・妄想でしょうか?
【未回答・無記の関連質問】
>>564 >一般人(衆生)が六処で検証不能なもので、禅師が正しい作法の禅定で実体験したものは
一切外の(狭義の)戯論・妄想でしょうか?
それともその禅師に限定の一切内でしょうか?
>>565 >仏はカラスは白いと説き、衆生はカラスは黒いと言い、
禅師が禅定にて白いカラスを見た場合はどうするのでしょうか、というお話です。
>>585 ざっくり例を出せば、
「(諸法が)常住」とか「有我」とか
或いは
「輪廻の河を渡り続ける主体(我)がある」とか「涅槃に安住する真の主体(我)がある」とか
そういうことは、方便としても説かれていない、ということ。
百歩譲って、店の入り口の人寄せ人形の如く相手の望む方向の言い回しがされたとしても、
それはすぐに(後に)、当人の中で却下されていく。
幾千幾百の川が大海、一に帰すというのはそういうことだ。
が、君達(宝珠&カラス共々)のやっていることは、
流れ入る先の海までが違っている、別の海に流れ込んでいるということだ。
593 :
○ :2014/03/23(日) 08:31:51.51 ID:d2023Ei2
>>588 >在家は仏教理解する気なんか無いのだから、仏教忘れろよw消えてちょうだいw
私も8年前に比べれば随分と誤認識が解けたと自己分析しております。
空として『一在家』などいない。どうして消えることができようか?ということでしょう。
594 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 08:32:32.55 ID:DuBywGiA
>>564 >禅師が正しい作法の禅定で実体験したもの
相応部35-23・70参照(⇒
>>522 、
>>418 )
そのために修行僧には師家さんがついているんでしょう?
『莫妄想』(無業禅師)です。
【一切門】透過のキーワードです。
白いカラスという分別妄想に迷っているようでは、一切門透過は遠いでしょう。
595 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 08:36:02.77 ID:NWYqB1lJ
594,ハッタリ禅教説やめてくれw
596 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 08:40:38.09 ID:NWYqB1lJ
589 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/23(日) 08:20:58.08 ID:UThT8sAM(つづき) また、勝義諦はこの論理矛盾を否定したものだ。→不生不滅 理論的には不去不来と全く同じ。 ハッタリ机めがw 禅どころか、禅に至るまでの大乗仏教教説すら理解できておらん、 知識的にもアウト、ハッタリw
597 :
○ :2014/03/23(日) 08:41:33.63 ID:d2023Ei2
>>585 >釈尊は涅槃に導くために断見者には輪廻を説き、常見者には無常・無我を説いたとの解説を
大智度論から再三再四紹介しましたが、それが「勝義に於ける根幹の相違にさえ別がある」
>>592 >「(諸法が)常住」とか「有我」とか或いは
「輪廻の河を渡り続ける主体(我)がある」とか「涅槃に安住する真の主体(我)がある」とか
そういうことは、方便としても説かれていない、ということ。
それは最近の大智度論の紹介ではなく、以前の「法華経 如来寿量品」の引用のことのようです。
意訳「現象界だけ見れば無常(大火)だが、仏の眼には世界は常住で美しい。」
と変わりゆく私は引っ越し済みです。
598 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 08:46:02.94 ID:d2023Ei2
>>594 >そのために修行僧には師家さんがついているんでしょう?
『莫妄想』(無業禅師)です。
まともな一つの回答だと思いましたが、「594,ハッタリ禅教説やめてくれw」ですか?
と禅師は他宗に比べて分散が大きいのでしょうか 、独り言を言います。
599 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 08:56:03.58 ID:NWYqB1lJ
在家は理解もできぬ仏教忘れてひっこししろよwきえろw
600 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 08:58:09.88 ID:NWYqB1lJ
【一切門】透過という造語の自覚はないらしいなw
お彼岸に帰ってくるのは 何なのだ 詐欺すんなよ
602 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/23(日) 09:35:48.72 ID:UThT8sAM
>>596 >禅どころか、禅に至るまでの大乗仏教教説すら理解できておらん、
貴殿はセンスというもんがないね。
私は
>>398 の
> 例えば、視覚の対象にならない、「今東京につきつつある新幹線」は、東京に着くの? 着かないの?
このお題にも同時に答えておるんですよ。
詳しく解説してやっても良いけど、果たして私の解説が通じるか?どうかも分からんから、
ただ書かないだけ。
まあ、君達はどこかのカルトに騙されているんだろうけど、
何処ぞにある涅槃という場所で、綺麗な姉ちゃんと戯れる夢でも見ていた方が良いよ。
その方が健康で長生きできるかもしれんね。
603 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 09:44:33.47 ID:NWYqB1lJ
>まあ、君達はどこかのカルトに騙されているんだろうけど、 嘘をつき10年机、2チャンネルで散々叩かれたのにも関わらず、 ゴキブリ並みの生命力の虚栄心w
604 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 09:53:01.39 ID:d2023Ei2
>>601 >お彼岸に帰ってくるのは 何なのだ
ご先祖の仏様方でしょう。
無我だから仏様方も方便という仏法者が本スレでも多いようですが
私は普通に『ご先祖の仏様方』と信じて食事をお供えしております。
49日法要やって 彼岸をするのは 矛盾している。
606 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/23(日) 10:07:17.77 ID:UThT8sAM
>>589 のつづき
生滅したとしても、何かの縁においてそれが生起する。これが人の記憶です。
これは殆ど刹那なんですが、
縁において、過去の分節・変異したバラバラの記憶が再構築されるんですね。
この瞬間に我が生起する。
つまり縁が先で、その後に主客の生起になります。
(この縁に依りての我の生起が重要です)→依存・関係性
この我の生起に一瞬、自己が立ち会う。これが禅の悟りと言われている。
つまり無我を悟る。
607 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 10:08:22.14 ID:NWYqB1lJ
>この我の生起に一瞬、自己が立ち会う。これが禅の悟りと言われている。 つまり無我を悟る。 また、デタラメを、ホント、知識レベルでも不合格だな、
608 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/23(日) 10:26:04.21 ID:UThT8sAM
>>521 >異蘊相続とは違った身体の現世と前世・来世で何かが接続される事を言っているのであり
異蘊相続について、私が
>>606 に書いておきました。
つまり生滅したはずですが、何かの縁において、その生滅したものが再構築される場合がある。
これを相続と言ってる訳で、実際には相続されているのではない。
縁において生起しているに過ぎず、それはそのまま生滅す。
闇夜のカラスとか、竹林に小石が当たるとか、裏山のせせらぎの音とか、
そのような縁において、我が生起する一瞬を禅師は直覚する
609 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/23(日) 10:31:39.03 ID:UThT8sAM
>>607 だからお前は、禅を知りもしないのに口出しすんな!!
って言ってるだろ。
私の書き込みは有名な禅師をモチーフに書いてるんだから、
お前が恥かくだけだぞ(苦笑
610 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 10:36:13.69 ID:NWYqB1lJ
10年嘘つき机がハッタリかましていやがるw ま、机の限らず、禅に不要な知識を在家みたいにデタラメ混ぜ合わせて 正統で禅を知っていると豪語するからなあw その禅以外の知識を披露するなら、禅を用いるのは不要であるという次元が解らんアタマの悪さだなw
611 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/23(日) 10:46:24.98 ID:UThT8sAM
>>610 だからそれは個人の自由なんだよ。
私とボータ氏と絡んでも、互いにイライラするから絡まないし。
互いの考えが違えば、正当性を議論してもイライラするだけなんだよ。
お前はお前で好きな道を歩めば良いことだよ。
私のことは忘れろ。
野狐禅なのか どっかの坊主なのか教えて
613 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/23(日) 10:58:24.54 ID:UThT8sAM
>>612 スレッド立てるのも大変なんだよ。
だから無駄な書き込みはしないように。チャットやってるんじゃないからね。
これでこの話しはお終いにしよう。
614 :
天声神 :2014/03/23(日) 11:04:44.23 ID:uWSV/8Bd
615 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 11:22:37.05 ID:NWYqB1lJ
机の書き込み全て無駄w 自覚が無いらしいがw 自覚無しに10年の月日・・・あわれw
話のブランド名を聞いたら 無駄 と言われたよ。
617 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 11:37:31.63 ID:y2pj/H/c
>>587 >あなたはあなたの生(誕生)以前の「無明」をどのようにして確認検証できたのですか?
つまり、それだけ貴方は仏教を学んでいながらそこの部分が理解出来ないから
教 え て く れ
と言いたいんですね?
所謂悟りと言う言い方をするなら、多分大概の人が悶々と持ち続けて居るであろう
前世からの因縁等の疑問、これを貴方は仏道を以って自力で悟れて居ない
と、自白しているんですよ
業報輪廻転生の事をも解決するのが仏教ですし
そもそも全ての煩悩克服を果たすのが釈尊の目指した彼岸だったじゃないですか
貴方は一番大事なところを「オカルトだから一切無視」と決め込んで
思考放棄していたんです、それは外道の思考・手法となんら変わらない逃避術に過ぎなかったんです
第一義空経に曰くの除俗數法とは、世俗諦の各種の事は含まない話をしてる、って意味です
十二支縁起を排除ではありません、そう言うのとは別の話として言ってるに過ぎない説明を言ってるだけですよ
混同してるのは貴方の方です
618 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 11:46:45.54 ID:y2pj/H/c
因みに、閻魔くんの持つ最大の弱点・盲点の炙り出しに成功したと自分は思います 自己の無明を解明し切ってない事実は悟達してない事実の証明なのです 無明の全解明は考えて行なう訳じゃないので、幾ら考察しても限度があります その限度程度が終点と見做して思考放棄した人、それが閻魔くんであると
619 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 12:10:59.71 ID:y2pj/H/c
彼の場合、 ”所謂一般的な「疑問だらけの自分」が答えを探す為に考察で対象に向き合った” と言う立場だったのであり、それでは悟達に至れないのです 悟達は、 ”答えを全部観た(解った)、しかし凡夫にはそれが答えだと判別出来ない” に先ず至って、そこから ”智慧を以って「ああなるほど」を得る” となるのです 閻魔くんは随分偉そうに御託宣を並べておきながら、この肝心な部分に至ってないか 若しくは拒否していたと言う訳です 嘆かわしい
620 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 12:28:49.16 ID:y2pj/H/c
謎や各種疑問に対して、学説や反論などの数多の資料や思考から答えを導いて疑念を晴らしていく これが普通の人の考え方です、彼もこの立場で仏教に挑んでいたのです 仏教の悟達(悟る)立場とは 行から一切の疑問の答えを一挙に観てしまう、解ろうが解らなかろうが観てしまう で、答え有りきの立ち位置から智慧を使って解明させて行くんです 一切は縁起で成り立つ訳ですから、疑問と答え(因と果)だけが有ってもどうしようも無いのです そこを智慧(縁)で悟る、これが仏法のあらましです
621 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 12:34:12.54 ID:d2023Ei2
>>617 >そもそも全ての煩悩克服を果たすのが釈尊の目指した彼岸だったじゃないですか
貴方は一番大事なところを「オカルトだから一切無視」と決め込んで
確かに「オカルトだから一切無視」の論調は本議論スレではメジャーです。
と相槌を打ちます。
オカルト無視は極めて正常な人間の判断です。 オカルトに嵌る姿勢こそ異常です。
オカルトかどうかは 時勢による。 現代の常識だって 数百年後には オカルト扱いされてるだろう。
624 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/23(日) 12:48:17.28 ID:QohLjD6q
>オカルト無視は極めて正常な人間の判断です。 >オカルトに嵌る姿勢こそ異常です。 はい、そこの貴方、 大正解www
625 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/23(日) 12:57:48.18 ID:QohLjD6q
>だからお前は、禅を知りもしないのに口出しすんな!! >って言ってるだろ。 wwwwwwwwwwwww 禅マスターが、叱られてるwwww
626 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/23(日) 13:48:29.57 ID:UThT8sAM
スレッドの流れで、ちょっと私見を書いてみます。 いわゆるオカルトってのは、幽霊とか超常現象とかだろうけど、 例えば禅師の前に幽霊が出現したとしても驚いておるようだと、もうそれでアカンのですよ。 驚かない心、いわゆる不動心というのがないと、そこで脳乱などする。 静中禅は、このような不動心が自然と身に付きますね。 だからそういうオカルト的なもののは関心がなくなっちゃうんじゃないですかね。 いわゆる「涅槃で生きる」ってのは、そういうものも含めて 幽霊が自然に溶け込み、それを全部受け入れていくのが菩薩ですから。 そこに何らかの意味付与すること自体が・・・迷いでもある。 こういうのが禅ですね。
627 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 13:56:50.55 ID:y2pj/H/c
オカルトを信じたり半信半疑で迷うのは我見です オカルトを無視したり信じないから否定したりも我見です ともに仏教に於いての見解としては採用されません
628 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 14:00:49.04 ID:y2pj/H/c
オカルトの事に於いても仏教の見解の立場は「非有非無」です これを解って無いならその人は知ったかぶりに過ぎません
629 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/23(日) 14:08:55.82 ID:UThT8sAM
>オカルトの事に於いても仏教の見解の立場は「非有非無」です そうです。オカルトも仏智では非有非無です。 世俗諦で、人が「オカルト」と分別しているに過ぎません。 だから涅槃では、綺麗な姉ちゃんも幽霊も、それが自然な風景として映るでしょう? もっとも禅では幽霊って分別もアヤフヤなもんですから、 間違って口説くこともあるんじゃないですか? いい女なら。
630 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 14:16:23.53 ID:tAVaDTeM
非有非無とは”気にしない”とか”執着しない”って事ではありません 執着する・執着しないの分別に無い上位概念の事です 上位概念なので全て包摂され全て空となります これがちゃんと言えてない人は知ったかぶりです
631 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/23(日) 14:19:43.36 ID:UThT8sAM
仏智・空・涅槃・差別相・無分別、非有非無、 全部同じ意味です。
632 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/23(日) 14:21:43.65 ID:UThT8sAM
×差別相 ○無差別相
633 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 14:26:17.43 ID:tAVaDTeM
分別を離れられた思考を得ていない人は張り合いが止まらない 土瓶やヤカンや急須の様に自分から口を出してしまう、虚栄心故に 非有非無が理解出来てる人は禅者が幽霊の分別がアヤフヤとは観ません
634 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/23(日) 14:31:32.10 ID:UThT8sAM
無分別の分別は、人それぞれでしょう? 世俗智は、その人の価値観でしょうし、 どう観るか?なんて、そこまでは突っ込めない(笑
635 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 14:36:22.67 ID:tAVaDTeM
非有非無は立場の事なので、言葉を知っているだけではダメなんです それを体得している立場、それが悟りです 理解する・とは便宜的に言ってますが、理解出来ることでも実はないのです 頭で考えて薀蓄を並べようとする人はこの立場に無いので 非有非無が実はどう言う事か、と言う真実を知らないで語るでしょう 大抵矛盾した事しか言ってないので、この人は知ったか語りの人、となります 非有非無の見解は人それぞれにもなりません 真理の境地での見解なので統一見解となります 故に普遍・不偏です
636 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 14:40:35.03 ID:tAVaDTeM
>>634 非有非無が解って無いのに語るバカとはお前の事だよ
恥を知りなさい
637 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/23(日) 14:44:44.26 ID:UThT8sAM
>>635 >非有非無の見解は人それぞれにもなりません
>真理の境地での見解なので統一見解となります
真理の境地ではない。
非有非無自体にそれ程の意味はない。空ですから。
で、真理がどうでこうで、って話になると、それは議論の価値はない。
暗黙の了承でないと。
638 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 14:52:57.61 ID:tdwldc8y
そんなに単純なら2500年も続いてこなかったのが仏教 以下、机は相手にする価値無しなので彼には黙示を以って示しましょう
639 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/23(日) 15:02:28.36 ID:UThT8sAM
>>638 >机は相手にする価値無しなので彼には黙示を以って示しましょう
そのとおりだよ。
私は一貫して仏教の、徳なし功徳なしを言い続けてきた。
ですから私のスタンスが気に入らないのなら、私に絡む必要性はないので、
君達が信じる仏教を大事にした方が良いんだよ。
机のレスポンスに心揺れるのは、貴殿が自信のない現れかと思うぞ。
自分の信念を貫けば良いんだよ。
机など気にすることはない。
640 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 15:08:33.87 ID:gsqzY7/2
俺にも薀蓄を語らせろ、それが嘘吐き机の要望。 自分の書き込みが嘘八百の知ったかでそれが非難されてんのに それは棚上げして「俺に構うな、心揺れるな、俺にも語らせろ」と必死。
641 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/23(日) 15:27:07.72 ID:UThT8sAM
>自分の書き込みが嘘八百の知ったかでそれが非難されてんのに だったら一休も嘘つきになる。 過去の自分に出会って悟った。というのは嘘なのか? まあ、どうでも良いけど、 禅門は時制を超えて出会いがあるからね、そういうのを説明しても難しい。 世俗に合わせるのも世俗智だから。 禅師が、「今師匠の教えを頂いた」。ってのも嘘か? お前らだったら、 「嘘つくなよ、師匠など亡くなってるだろうよ」。とか言って 嘘つき禅師になっちまうんだろうな? まあ、どうでも良いけど。
642 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 17:01:56.70 ID:b3/arjms
なすべき事をなしてる者は(お前ら)と(自己)を比較しないし それを根拠としての言い訳などもする訳が無い
千日回峰行を2度達成された大アジャリ様の動画を見ました。 腰が低く、朗らかで、話好きそうな方でした。 あれだけ話しても、生臭さが感じられないのはさすがだと思いました。
644 :
ポータ :2014/03/23(日) 19:14:14.49 ID:X2ANR7+I
少し印象トリックのように感じる。 なすべき事をなしている者となすべき事をなしていない者との比較か。 比較なくして、教師と生徒の関係はありえないし、あらゆる関係にそれはある。 お茶をいれるも、そんなひとつからでもそれはある。 なすべき事をなしているかどうかではない。 もし問題であるとすれば、劣等感から優越感にひっくり返るような 他と自に別の関係を生じさせているからではないのかな。
645 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 19:26:00.61 ID:KNi+LQhq
全てを額面で受け取るアスペに比喩は通じない
646 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 19:55:36.76 ID:XnwBnFx1
十二縁起への疑義は、近代仏教学以来ずっとあったことでしょ。 あまりにも、 でき過ぎている、形式として整いすぎている、と。 形式として(完璧に)整っているが故に、その公式に落とし込めない事例がでてきてしまう、と。
12縁起の懐疑を払しょくし、かつ現代科学に反しない解釈としては 生命誕生以前の状態を探るというのはどうですか? 生命の最初は、細胞です。その細胞が形成されるまでの課程が 12縁起とマッチするかどうか。
さてそうして観察の前提が整った上での話であるが そのような前提が整うといわゆる主客未分化な状態が現れてくる。 「私が対象を観察している」という枠組みから離れた、ただ”ある”状態である。 極まれば、有の最高の頂きである非想非非想天に処すことになるのであるが そのような業によって起こされた、心の、運動を続けようとする慣性を、業を起こさないことで抑えてゆこうとすることだけが 仏教の目的ではないと私は考える。 なぜなら、自己の器から色なり受なり想なりを分離して器を空じていったとしても最後には死以外に何も残らないのであり その中途である観察主体の識のみが残った状態を最上とし、それ以外を非我であり、惑であり、仮のものと見て否定していくあり方は 精神世界への逃亡につながる可能性があると考えるからである。 十二支縁起によれば、識も、所詮、行(=過去につくった業)によって形成された産物にすぎないはずではなかったか。 であるならば、観察において重要なのは、識のみを残そうとする姿勢ではなく 色受想行識の五蘊が次第に消えてゆく様、あるいは過去の業によってそれらが次第に生じてくる様を観察し いかなる業を起こした結果、どのような行・識・想・色・受が生じてくるかを知ることであるはずである。 色受想行識のいずれも我ではないと弁え、それらの観察対象の事実を観察し、その事実を通して 認識を改めてゆくことこそ、精神世界への逃亡に陥らず、かつ事実(現実)を受け入れて適応への糸口を探ろうという姿勢になるのではないか。 奇しくもそれはサムエ論争が示したことでもあると思う。 しかし、私は、漸機も頓機もたいした違いはないと考える。 それらはちょうど一念多念義の論争と似たような問題だからだ。 一念という悟った瞬間はあるだろうが、所詮、それらは後のその者の多念を見なければそうと判断できない。 反対に多念という習いの中には必ず一念があるとは限らないが、一念は知らずそのうちにこもっているものである。 一念は必ず多念を生ずるし、多念の中には必ず一念があったはずという時がくる。 そのようなものではないか。
650 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 21:26:47.13 ID:va1Kov4+
オカルトが非有非無とか言ってる連中いるけどさ、実際にオカルト糞真光の在家が言ってんのは 空中から金粉が突然湧き出してタライ一杯に積もったのを見たとか古代のインドで核戦争があったとか 手かざしで癌が治ったとか馬鹿なこと言ってんだよな? 死後の世界のなんたらだったら非有非無はわかるけどさw オカルトって死後のような形而上学の問題じゃねーんじゃね?在家みてーなインチオカルト集団は現世今生で ありのままを見ない単なる頭のおかしい状態だと思うんだけど(笑)
651 :
ポータ :2014/03/23(日) 21:32:50.77 ID:X2ANR7+I
オカルトは、正統キリスト教会から外れている異教、民俗信仰、民間伝承などを 指したらしい。神秘主義や高等魔術など形式に落としこめない事柄にはいる。 ハーブ(薬草)や鉱物を用いた長きに渡り自然と暮らしてきた者の智慧を保有した魔女狩りなども 利権体制には脅威であっただろうし、レッテルを貼ることで除外の口実にしたと 私は考える。 オカルト、カルトの話しが出ていたので付け加えると、 オカルトとカルトの混同がよくあるが、別だ。 利権の体制維持が正統だとすることこそ、内実は反社会的な狂乱信仰である。 オカルトにも正統にもカルトは発生するし、オカルト系も正統系にもカルトに該当しないものも あるということ。
652 :
神も仏も名無しさん :2014/03/23(日) 22:09:03.09 ID:va1Kov4+
>>651 いやオカルトとカルトの区別くらいはわかるけどさwww
オレが言ってんのはたとえば、水の中に沈んだ石を念じることによって
浮かばせる…みたいなこと言ってんのがオカルトってわけ。
こういう問題は「非有非無」のどっちつかず(わからない)の問題じゃねーだろって話。
653 :
ポータ :2014/03/23(日) 23:41:44.54 ID:X2ANR7+I
>>652 私は、今日、オカルトということばが出てきていたのと、
>>647 を読んで、そこで関連して思う事を書きました。
少しの時間差で君の
>>650 を読まずに投稿しました。(その為、少し話しが被り紛らわしくなりました)
>>651 (
>>653 )
あほか・・・
「落とし込めない」ってのはそういう意味でのことじゃねーよ。
縁起の形式(論)が何も見えてねーな・・・。
655 :
ポータ :2014/03/24(月) 00:00:31.86 ID:5pQkaJeN
>>654 では、縁起の形式論に落とし込めないのはなぜですか。
完璧であるのなら、落とし込めてみて下さい。
656 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 00:34:32.01 ID:IVAlW4qM
>>652 非有非無は「解らない」って事じゃないよ
理解出来る・理解出来ないのどちらにも属さない上位の概念だよ
そもそも有無を論じる自体がナンセンスって次元の話
657 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 00:45:33.48 ID:/6bq3KAL
例えば、世界三大宗教たる仏教以外のイスラム教・キリスト教 それと一切のオカルト話やそう言う信仰(手かざし・お光さん系その他) それらと仏教の始祖たる釈尊の解明したものとの根本的な違いがあって 他の宗教(外道一切)やオカルト話は仏教には絶対太刀打ちできない それは 人間とは要するに何なのか? これを解明した事が宗教・思想・哲学一切の中での最大の功績であり 仏教以外が絶対に太刀打ちできない理由 人間は生まれながらにパラドックスを抱えて生まれてるから この問題を普通には解けない、馬鹿には特に解けない それが悟りの内容を端的に表現するものにもなる
658 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 00:49:56.21 ID:iNCL2pZg
>>656 おんなじだよww非有非無は認識領域の外にある問題ってこったろ?
「議論できない」なぜか?「わからない」問題だからだろが
659 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 00:52:11.46 ID:xLIm7EYP
>>658 君が気付いてないだけだよ
わからないなら悟りにならない
君がわからない事が解って悟りとなる
660 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 01:06:27.55 ID:iNCL2pZg
>>659 なあオレの言ってる意味わかる?www
「気付いてない」「悟る」とかさあ(笑)
見当違いだったかな?wwwwwwwww
おめえも在家みてーにオカルト主義だわ
661 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 01:10:52.62 ID:Pt3LZIz7
>>660 頭で考えるから解らないんだよ
俺は何回か
人間とは要するに何なのか?
の答えを書いて来ている
しかし、行によって智慧を得ていない人間には
その俺が書いた答えは鼻で笑われて終わってる
つまり、理解出来ないんだ、頭ではね
疑問(因)が君にあって、その答え(果)を俺が書いても
智慧(縁)が無ければ理解不能
それが悟りの仕組みなんだよ
662 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 01:17:36.24 ID:iNCL2pZg
>>661 情報共有できなきゃ<純粋経験>もしょせんオカルトだわな。
わかった気になってるかもしれんしなwwwおまえ自分の脳を疑う謙虚さくらい持てよなw
663 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 01:21:35.20 ID:Y/BrOfQV
>>662 >情報共有できなきゃ
それは君の勝手な先入観だろ
釈尊の悟達の境地とはどんな状態の事かはWikipediaにすら載ってる初歩的知識だ
それすら知らないで謙虚さを他人に打つ方がどうかしてると思うよw
664 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 01:29:06.09 ID:CzqcbtCG
まああれだ、ゴチャゴチャ頭だけで取り繕って考えようとしてると出世が遅い、とか言ったり言わなかったりw
665 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 01:47:03.03 ID:Y/BrOfQV
共有は甘え
>>情報共有できなきゃ > >それは君の勝手な先入観だろ >釈尊の悟達の境地とはどんな状態の事かはWikipediaにすら載ってる初歩的知識だ Wikiで共有できてんじゃん
667 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 02:17:12.84 ID:CNEOCOws
わかんないのは自分の問題だからな
668 :
ポータ :2014/03/24(月) 05:38:57.91 ID:5pQkaJeN
669 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 05:45:33.48 ID:I1BOh5WW
ポータは悟りたいのか?
670 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 05:49:42.47 ID:I1BOh5WW
因みに >学問の世界では、未だ、ブッダの悟りは解明されていません。 は、学問は行に絡んだ検証は出来ないから解明できなくて当然で >永平寺さんは、開祖・道元の意思を汲まれ、全山を挙げて、「ブッダの悟り」の解明に取り組んでおられますが、まだだそうです。 は、解明に至ってても門外不出にすると思われる、公開したら宗門の存続意義が無くなるから
671 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 05:53:57.76 ID:CLBVsWXC
水平線は、見る人の目の高さにあるのサ
672 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 06:12:28.16 ID:I1BOh5WW
そう思う事が根本的な間違いだったと解るのが仏教
673 :
ポータ :2014/03/24(月) 06:45:51.78 ID:5pQkaJeN
>>669-670 仏教議論スレでは、まずどんなことが話されているのかでした。
学問ではなく行に絡んだ検証とは、体験であり神秘的ですね。
解明に至っても門外不出も、まるで神秘教団のような趣が。
674 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/24(月) 07:51:18.00 ID:2ILHI9yr
議論の流れで、私の私見を少々・・・ 無用なものについての鑑識がなかったら、用あるものについて議論することはできない。 例えば、人間が大地に立つとする。 自分の立つ位置以外が全てポッカリと深淵になり、人間が虚空の中に立つとしたらどうだろうか? 堅固なところは足の下以外どこにもないとしたら、人間は用いている地を用いることができるだろう。が、 しかしそれでは、どんな目的の役にも立たない。 つまり、 無用と思われるものの絶対的な用。 これをヒントにどうでしょうか?
675 :
587・590無明 :2014/03/24(月) 08:19:25.68 ID:2h6LAoEr
>>617 >前世からの因縁
これでは『あなたはあなたの生(誕生)以前の「無明」をどのようにして確認検証できたのですか?』
の問いに対する直答ではありません。
相応部35-70にもとづき、またはもとづかないなら相応部35-70を批判の上、直答ください。
>>618 >その限度程度が終点と見做して思考放棄した人、それが閻魔くんであると
★仏道の構造(ゲシュタルト)と崩壊
<【間接現実】自帰依(灯明・洲)←如理作意・大疑団 ―フィードバック― 般若智直覚→法帰依(灯明・洲)【直接現実】>
→崩壊 ⇒ 涅槃【還滅(間接)現実】 (
>>418 )
自称オカルト如来サマ
.喫茶去!
676 :
587・590無明 :2014/03/24(月) 08:31:31.57 ID:2h6LAoEr
>>627 >>628 おやおや、馬脚を現しましたね。
>>627 >オカルトを無視したり信じないから否定したりも我見です
オカルトは菩提心凡夫にとって経験的検証不能だから、“実践仏道上”「一切外」(相応部35-23)として“無記”(否定・肯定判断をしない)→“無視”と言っています(中部63)。
いわば「棚上げ」であって、実践仏道では迷妄要因として無視・排除しなければなりません。
仏道上当然であって、なんらの我見ではありません。
>>628 >オカルトの事に於いても仏教の見解の立場は「非有非無」です
これは明確な間違い。
→オカルトの事に於いても仏教の見解の立場は二項相対・間接現実「一切外」です
「非有非無」は四句第4の世俗論理です。
だからあなたは(A)間接現実一切&一切外から一歩たりと脱却できていない。⇒中論22-12
オカルトは、既に一切門で経験的検証不能の一切外として無視(無記)していますから、
実践仏道上、勝義とは関係ありません。
アナタは、言わせてもらえば、【一切門】さえ透過できていません。
<混ぜるな!危険>侵犯者です。
般若門は、一切存在は時空際断の如くで<非有非無の如し>を般若智直覚するが如くです。
『仏教の見解の立場は「非有非無」です』←このようなタワゴトを「空見」(中論13-8)というのです。
上記については、龍樹 中論7-34 、金剛般若経 32、相応部 22-95、大智度論1-11、など参照。
677 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 09:38:48.98 ID:VbKKW9rV
全く、仏教嘘ゲシュ崩壊クンと嘘机のスレか? 不毛だなあw
678 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/24(月) 10:22:48.76 ID:2ILHI9yr
(つづき) もし無用というのを否定したら、用というのは一切なくなる。 これは非常に難しい。 何故なら人は有用なものを強調することに慣れすぎているからだ。 人は生を思うとき、死を考えたり輪廻転生を考えたり、あるいは自死を考えるかもしれません。 これは自分に都合の良いように思考がその方向に向くのです。 実はこういった方向性そのものが間違いだ。つうのが仏教の教えですね。 生とか死とか逆なものが、絶妙なバランスにおいて自分にある。というのが良いと仏教はいうのです。 そこが中道ですね。禅では生死一如などと言いますが。 生はとてつもなく無限です。 それは地獄があったり極楽があったり、神や悪魔もいたりで、それがトータルで存在しているのが生です。 その相対立したものが絶妙なバランスがとても良い、というのですね。中道ですから。 これで机の、無用と用のお話を終わります。
679 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 10:58:54.07 ID:j8J2e61w
>>675 >『あなたはあなたの生(誕生)以前の「無明」をどのようにして確認検証できたのですか?』
ある者が前世の因縁を想起し悩んだりするのは意根に法を生ずるからである、これは無明の惑なので結論は出せない
お前が前世の因縁等の話を聞いたりしても、オカルトだと断定し棚上げし排除する観念を意根に法として生じ念ずる
しかしお前のそれも、断定・排除・棚上げの観念に過ぎず結論は出せていない、前者は常見、お前のは断見なのである
常見・断見は意根の上で法として観念され認定される、故に邪見のままに於いて何の解決にもなっていないのである
>★仏道の構造(ゲシュタルト)と崩壊
お前の考えは釈尊の慈悲に対する大冒涜、破仏破法の一闡提の大妄語に過ぎない
><【間接現実】自帰依(灯明・洲)←如理作意・大疑団 ―フィードバック― 般若智直覚→法帰依(灯明・洲)【直接現実】>
>→崩壊 ⇒ 涅槃【還滅(間接)現実】
自分の”何”に帰依するのか解って無いのがお前、だから如理作意になっていない
如理作意出来てないから帰依すべき法も解って無い、故に般若智も何も無い
そもそもお前は現実が何かが解って無い、故に涅槃も何の事だか解って無い
つまり、お前は一切解脱出来ていない、と結論できる
>喫茶去!
湯を沸かし茶と茶碗を用意しお膳建て出来てから言え!
680 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 11:07:09.51 ID:j8J2e61w
>>676 >オカルトは菩提心凡夫にとって経験的検証不能だから、
つまりお前は単なる仏道修行の途上のもの、と言う訳だ
それならそれなりの口の利き方も有るだろうに、悟達した如く口を叩くから叩いている
身の程を弁えないとはお前の行儀の事を言う
経論を引くなら真光在家にすら出来る、その程度しかお前は出来てないのに
一丁前に法を説く如くの無節操を呈するからお前は叩かれてるのだ
悟ればオカルトは完全に破折出来る、それをお前が私に教えて欲しい、と懇願するなら
吝かではない
非有非無の見解とは出世間の見解の事だ
だから有に非ず無に非ずとなり、有無を論ずる次元に当たらない上位概念となる
偉そうに御託を並べ講釈を垂れ経を引きながら
お前はお前の無明の解明一つも出来ないで生意気だけを垂れてきた
その業に従ってもう暫く無間で苦しめアホンダラ
681 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 12:50:32.78 ID:j8J2e61w
補足 >常見・断見は意根の上で法として観念され認定される、故に邪見のままに於いて何の解決にもなっていないのである これを解決可能にするには自己の無明を般若智を以って解明しなくては解決できない 故に、自己の持って生まれた無明解明は煩悩解脱の一つとして重要なのである 解脱を匂わせたり言ったりするものにこれが出来てる奴は居ないので 真に解脱に至ったものから見れば、偽物達の業態はこれ一つ取っても全てお見通しなのである
682 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/24(月) 12:56:14.63 ID:2ILHI9yr
解脱に至って、それが偽物と気づくと世俗智を得るのですが、 なかなかそこに達するも至難なり。 そこをクリアして般若の完成ですね。
683 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 13:02:49.25 ID:j8J2e61w
般若の完成とは般若が不要になる事である 般若を用いて来て仕舞いに不要に至るのは つまり仏滅=無余涅槃と言う事である 智慧を使って大いに行き死ぬか 智慧に至れず普通に死ぬか 違いはそれだけである 現実の輪廻はこの差別も無く徹底される 事実故に
684 :
1/2 675・676無明 :2014/03/24(月) 13:12:36.57 ID:2h6LAoEr
>>679 (自称オカルト如来)
>お前が前世の因縁等の話を聞いたりしても、オカルトだと断定し
相応部35-23&70にもとづき、またはもとづかないなら相応部35-23&70を批判の上、“直答”ください。
オカルト如来サマは、罵倒と意図的論点外しで逃げるのに必死ですなw
ここは議論スレッドだっせw
四法印:<一切行無常、一切法無我、一切皆苦> ⇒ 涅槃寂静
一切とはなにか?
『比丘たちよ、なにをか一切となすのであろうか。
それは、眼と色(物体)とである。耳と声とである。鼻と香とである。舌と味とである。身と触(感触)とである。意と法(観念)とである。
比丘たちよ、これを名づけて一切というのである。
比丘たちよ、もし人ありて、< わたしは、この一切を捨てて、他の一切を説こう>と、そのように言うものがあったならば、
それは、ただ言葉があるのみであって、他の人の問いに遇えば、よく説明できないばかりか、さらに困難に陥るだろう。
何故であろうか。比丘たちよ、それは、★ありもしないものを語っているからである」(相応部35-23)
上記のように、経験主義的検証が可能な内と外の六処をあげて、そのほかの「一切」は考えられないとする。
この一切を徹見してゆき、遂に<関>を突破したとき、縁起の直接現実の直覚=現観である。
685 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/24(月) 13:17:30.37 ID:2ILHI9yr
解脱は外観ですから、それに狎れ(慣れ)てきますと腐りはじめてくるのですよ。 新鮮なものは新鮮なうちに忘れることが良いと思います。 >つまり仏滅=無余涅槃と言う事である これがどうも意味不明ですね。無余も有余も生死一如ですから差異はない。 仏滅ってのがよく分かりませんね。仏とは森羅万象ですから不生不滅。 >智慧を使って大いに行き死ぬか >智慧に至れず普通に死ぬか 前者は涅槃で既に生死分別から解脱してますから、 解脱後の生死の迷いは何としたことか? これは、まだ解脱しちょらんのと違いますか?
686 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/24(月) 13:18:52.11 ID:2ILHI9yr
×前者 ○禅者
687 :
2/2 675・676無明 :2014/03/24(月) 13:22:01.33 ID:2h6LAoEr
<現生的なる法>の基準
仏法の教典・論説などは下記基準を満たしていなければならない。
なぜなら、「それは、ありもしないもの(妄想・物語)を語っているからである(相応部 35-23
>>684 )。
『1.現に証せられるもの(現実に今ここで実証できるもの)、*
2.時を隔てずして果報あるもの(時間をかけることなく瞬時に効果の現れるもの)、
3.来り見よというべきもの(ここに来て実際に見なさいと言えるもの)、
4.よく涅槃に導くもの(苦の寂滅・心の平安に導いてくれるもの)、
5.知者がそれぞれに自ら知るべきもの(勝れた知者が、自分で知ることのできるもの)。
<相応部 35-70ウパヴァーナ>
<仏法はオカルト信仰に非ず>
『われは知る。われは見る。これはそのとうりである」という見解によって清浄になることができる、とオカルト如来は理解している。
たといオカルト如来が見たとしても、それがそなたにとって、何の用があるだろう。
オカルト如来は、★正しい道を踏みはずして、他人によって清浄となると説く。』(Sn.908)
<一切外を無記とする理由>
『マールンクヤプッタよ、それらのことは、何故わたしによって説かれなかったのであろうか。
マールンクヤプッタよ、それは、他でもない、なんの利益もなく、清浄の行のはじめにもならず、
厭離・離貪・滅尽・寂静・智通・正覚・涅槃にも役立たないからである。
その故にわたしはそれらのことを説かなかったのである。』(中部63)
上掲経典の批判論破をお願いします。
688 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 13:24:13.88 ID:j8J2e61w
>>684 自分には解らない、どうしても理解出来ないので教えて下さい、だろ?
ただ負けたくないだけの反論なら既に終わってる
お前に説明する義務は私に無い
済度してくれと頼むなら吝かではない
しかし、私が説くものは勝義そのものとなり
競争心からの反論の為に説く訳ではない
故に、説かれたものをお前は反論してはならず
それをした時点でお前はオカルト論者に脱落する事に相成る
前提としてちゃんと行をこなし瞑想し禅定を高めて覚悟を決めてから再度懇願すべし
その覚悟が無いなら説く機根無きものと諦めよ
代々の出世間の仏はみんなそうして来ているので悪く思うな
689 :
2/2 675・676無明 :2014/03/24(月) 13:29:50.27 ID:2h6LAoEr
690 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 13:31:08.37 ID:j8J2e61w
>>687 私が説く準備の有るものは勿論
なぜなら、「それは、ありもしないもの(妄想・物語)を語っているからである(相応部 35-23
>>684 )。
『1.現に証せられるもの(現実に今ここで実証できるもの)、*
2.時を隔てずして果報あるもの(時間をかけることなく瞬時に効果の現れるもの)、
3.来り見よというべきもの(ここに来て実際に見なさいと言えるもの)、
4.よく涅槃に導くもの(苦の寂滅・心の平安に導いてくれるもの)、
5.知者がそれぞれに自ら知るべきもの(勝れた知者が、自分で知ることのできるもの)。
のどれにも適していて更に六十二見のどれにも掛からない正真正銘の勝義である
故に反論したらオカルト論者に落ちるのである
然と知るべし
691 :
675・676無明 :2014/03/24(月) 13:35:34.85 ID:2h6LAoEr
>>690 (オカルト如来)
>正真正銘の勝義
wwwwwww
直答せよ!
>反論したらオカルト論者に落ちるのである
逃げるなよ! オカルト如来サマw
692 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 13:35:48.64 ID:j8J2e61w
>>689 お前が本当に釈尊所以の行を行い、純真に求道していた輩なら
>>690 のレスを見て「その様なものとは何か?」を自ら悟れる筈だ
その時お前は真に釈尊へ平伏す事になり、龍樹の釈尊への賛嘆も余す事無く理解できよう
釈迦は悟った後、十二縁起で悟ったかどうかを検証したという。 かりにそうであるなら、釈迦は自分自身の無明に気づくことで悟り、 だからこそ無明を出発点に苦の発生を観想したのだろう。 この考えが正しければ、無明を「過去世の因縁」と解釈する前に、 無明に気づくことが悟りなのだ、と考えたらどうだろうか。 無明を前提にした場合、十二縁起の各支は合理的なのかどうか。 余計なものは入ってないか。その順序はどうか。 @無明ーA行ーB識ーC名色ーD六処ーE触ーF受ーG愛ーH取ー I有ーJ生ーK老死
694 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 13:43:17.35 ID:j8J2e61w
>>693 >過去世の因縁
これが無明に絡んで想起されるから苦滅をしなければそのまま迷って死ぬことに為り
次生に人となりし時には必ず持って生まれる無明と連結される
因縁だの業報だのの有りもしない妄想も、一度も絶たれず連結するために
心の輪廻と言われ、それが煩悩解脱の一つとして数えられているに過ぎない
人の心は弱いのである、根拠など無くても条件さえ揃えば・縁さえ調えば信じてしまうのである
釈尊が教えた涅槃に至れれば止められる輪廻とはこの「心の輪廻と言う妄想の迷い」の事なのである
695 :
675・676無明 :2014/03/24(月) 13:46:46.65 ID:2h6LAoEr
>>692 (オカルト如来)
反論不能となれば、
罵倒と論点外しで逃げるとは、姑息なオカルト如来サマの根性が丸見えなのですが?
>正真正銘の勝義
アホでしょ? 笑わしよるw
龍樹は云う、
『(1)他(人)によって知られるのではなく、
(2)寂静であって、
(3)戯論によって戯論されることなく、
(4)無分別であり、
(5)種々の意味を持たない、──これが勝義の相である。』
(中論18-9))
彼岸=勝義相は、
(1)で仏法における「信仰」を否定して、菩提心凡夫による自力直覚であること(Sn.908参照)、
(2)で涅槃とは執着を離れた還滅現実に於ける慶安の境地であること(相応部35-23)
(3)で仮設・仮説された一切外の分別言語論理と混同せず(混ぜるな!危険)
(4)で分別様相そのものが不立であり(空見するな←中論13-8)。
(5)で無意味・無価値・無実体・無相であること、
以上を闡明にしている。
執着の主体・対象・行為そのものが空であった。
ブッダの本懐である「実存苦」の超克の「実存苦」そのものが幻の如き錯覚だったのである(無苦集滅道:般若心経)。
【最上の<想い=苦からの解脱>において解脱】(Sn.1072)、仏法のゲシュタルト崩壊である。
ここに仏道=智慧の完成の旅を終わる。
十二縁起を見て気づくのは、五蘊(色受想行識)の並びと、想の欠落。 しかし想は、G愛とH取が表現している。問題は並びにある。 A行は志向作用であり、物事がそのようになる力=業をいう。 B識は識別作用=好き嫌い、選別、差別の元をいう。 この二つが、C以下に先行していることの意味が明らかでない。 人間がまったくの白紙で誕生するなら、C以下が縁起になるはず。 しかし、そうなってないのはなぜだろう。人間は最初から、 @無明に覆われた、A行とB識を持った状態て誕生するのだろうか。 ウソかホントか、釈迦はそう観想したことになっている。
697 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 13:57:58.37 ID:2VQN31CF
>>695 『(1)他(人)によって知られるのではなく、
(2)寂静であって、
(3)戯論によって戯論されることなく、
(4)無分別であり、
(5)種々の意味を持たない、──これが勝義の相である。』
それは何の事かがお前は解らないと駄々を捏ねているに過ぎない
彼岸=勝義相は、
(1)で仏法における「信仰」を否定して、菩提心凡夫による自力直覚であること(Sn.908参照)、
(2)で涅槃とは執着を離れた還滅現実に於ける慶安の境地であること(相応部35-23)
(3)で仮設・仮説された一切外の分別言語論理と混同せず(混ぜるな!危険)
(4)で分別様相そのものが不立であり(空見するな←中論13-8)。
(5)で無意味・無価値・無実体・無相であること、
これもお前は自力で正体を悟れて居ないので私に教えろと駄々を捏ねているに過ぎない
それで良いのかね?
答えが書いて有るのに理解出来ないのは私の所為でも釈尊の所為でも龍樹尊者の所為でもないだろ
全てお前自身が悟れないから悪い、誰の所為でもないので誰にも悪態は付けない筈である
698 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 13:58:46.97 ID:inGQa7FW
(順観) 無明(根本的無知)によりて 行(潜在的形成力)が生じる ↓ 行(潜在的形成力)によりて 識(認識作用)が生じる ↓ 識(認識作用)によりて 名 色(名称と形態) が生じる ↓ 名 色(名称と形態)によりて 六入(六つの領域) が生じる ↓ 六入(六つの領域)によりて 触(感覚器官と対象の接触) が生じる ↓ 触(感覚器官と対象の接触) によりて 受(感受)が生じる ↓ 受(感受)によりて 愛(とらわれ)が生じる ↓ 愛(とらわれ)によりて 取(執着)が生じる ↓ 取(執着)によりて 有(生存)が生じる ↓ 有(生存)によりて 生(誕生)が生じる ↓ 生(誕生)によりて 老死(老いと死)が生じる
699 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 14:01:54.72 ID:inGQa7FW
(逆観) 生(誕生)がなくなれば 老死(老いと死)も無くなる ↓ 有(生存)がなくなれば 生(誕生)も無くなる ↓ 取(執着)がなくなれば 有(生存)も無くなる ↓ 愛(とらわれ)がなくなれば 取(執着)も無くなる ↓ 受(感受)がなくなれば 愛(とらわれ)も無くなる ↓ 触(感覚器官と対象の接触)がなくなれば 受(感受)も無くなる ↓ 六入(六つの領域)がなくなれば 触(感覚器官と対象の接触)も無くなる ↓ 名 色(名称と形態)がなくなれば 六入(六つの領域)も無くなる ↓ 識(認識作用)がなくなれば 名 色(名称と形態)も無くなる ↓ 行(潜在的形成力)がなくなれば 識(認識作用)も無くなる ↓ 無明(根本的無知)がなくなれば 行(潜在的形成力)も無くなる
700 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 14:05:51.65 ID:2VQN31CF
>>695 『(1)他(人)によって知られるのではなく、
(2)寂静であって、
(3)戯論によって戯論されることなく、
(4)無分別であり、
(5)種々の意味を持たない、──これが勝義の相である。』
それは何の事かがお前は解らないと駄々を捏ねているに過ぎない
彼岸=勝義相は、
(1)で仏法における「信仰」を否定して、菩提心凡夫による自力直覚であること(Sn.908参照)、
(2)で涅槃とは執着を離れた還滅現実に於ける慶安の境地であること(相応部35-23)
(3)で仮設・仮説された一切外の分別言語論理と混同せず(混ぜるな!危険)
(4)で分別様相そのものが不立であり(空見するな←中論13-8)。
(5)で無意味・無価値・無実体・無相であること、
これもお前は自力で正体を悟れて居ないので私に教えろと駄々を捏ねているに過ぎない
この様に答えが有りながら、彼が悟りに至れないのは、疑念(因)と解答(果)だけがそこに有っても
人は人である限り悟れない、と言う証拠にもなるのである
これを悟る為に般若の智慧(縁)が必要不可欠なのである
それが仏法の厳然たる事実である
701 :
675・676無明 :2014/03/24(月) 14:13:55.02 ID:2h6LAoEr
>>697 >これもお前は自力で正体を悟れて居ないので私に教えろと駄々を捏ねているに過ぎない
おやおや、やはり二代目ペンキ屋さんですかw
相手を理解できていないと黒く塗って、自分で塗った黒さを非難するとは、姑息なオカルト如来サマですなw
『彼岸=勝義相は、
(1)で仏法における「信仰」を否定して、菩提心凡夫による自力直覚であること(Sn.908参照)、
(2)で涅槃とは執着を離れた還滅現実に於ける慶安の境地であること(相応部35-23)
(3)で仮設・仮説された一切外の分別言語論理と混同せず(混ぜるな!危険)
(4)で分別様相そのものが不立であり(空見するな←中論13-8)。
(5)で無意味・無価値・無実体・無相であること、』
上記は、龍樹ではな、くワタシでなければ書けないよ。
<理解>できるものではないw
即不中だから。
ほんと、セコイこと。
702 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 14:19:15.45 ID:2VQN31CF
>>701 『彼岸=勝義相は、
(1)で仏法における「信仰」を否定して、菩提心凡夫による自力直覚であること(Sn.908参照)、
(2)で涅槃とは執着を離れた還滅現実に於ける慶安の境地であること(相応部35-23)
(3)で仮設・仮説された一切外の分別言語論理と混同せず(混ぜるな!危険)
(4)で分別様相そのものが不立であり(空見するな←中論13-8)。
(5)で無意味・無価値・無実体・無相であること、』
↑
正体を書いてみなさい
要するに人とは何なのかを言わんとしている
”人=人間”の正体の事をなんと言うかを言っている
それは他との区別が無くなる事をも意味すると言っている
意味した境に最早戯論など有りえない本当の静けさを言っている
本来静かなところには意味や価値や実体の妄想や気にする形状なども無いと言っている
それは何かを早く悟れ、誰もお前に禁じては居ない
703 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 14:20:41.79 ID:2VQN31CF
まて、お前が悟ったら書いては行けない 解ったと言ってくれれば全て済む
>>688-699 無明がわからないと、十二縁起をいくら唱えても無意味だよ。
無明に気づくとは、気づいて終わりじゃないから。
悟ってからじゃないとわからない。
705 :
675・676無明 :2014/03/24(月) 14:27:38.10 ID:2h6LAoEr
>>702 >正体を書いてみなさい
その前に『あなたはあなたの生(誕生)以前の「無明」をどのようにして確認検証できたのですか?』
>正体を書いてみなさい
アホですか?
すでに書いた。
706 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 14:30:31.96 ID:2VQN31CF
>>705 >すでに書いた
書けてない
だからお前は無明を解明出来ていない
無明の確認方法を尋ねてる時点で既にダメ全然
無明対峙は仏法者の行の基本中の基本
707 :
675・676無明 :2014/03/24(月) 14:44:21.36 ID:2h6LAoEr
>>706 (オカルト如来)
>お前が悟ったら書いては行けない
>解ったと言ってくれれば全て済む
>書けてない
『上記は、龍樹ではなく、ワタシでなければ書けないよ。
<理解>できるものではないw
即不中だから。』
だから、<解る>わけがない。
『ブッダの本懐である「実存苦」の超克の「実存苦」そのものが幻の如き錯覚だったのである(無苦集滅道:般若心経)。
【最上の<想い=苦からの解脱>において解脱】(Sn.1072)、仏法のゲシュタルト崩壊である。』
無無明(般若心経)
筏の喩えの法門である。
708 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 14:46:11.65 ID:2VQN31CF
>>707 >だから、<解る>わけがない。
解らないものは悟れない、それを真実と認めれば
解脱を否定し涅槃の否定になる
故にお前は破仏法の人、一闡提となる
それで良いのか?って話
709 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 14:54:01.97 ID:2VQN31CF
般若の智慧は仏道の行を以って、人間だけがある条件の下に於いて行使できる 今日の転法輪は事情によりここで終了w
710 :
675・676無明 :2014/03/24(月) 14:56:30.82 ID:2h6LAoEr
>>708 >解らないものは悟れない
だから、般若智(無分別智)直覚だと言っている→
>>675 <解らないものは悟れない、それを真実>というのが
相対間接現実から一歩も抜け出られていないオカルト如来サマのお姿w
悟りは悟りではない。これを悟りと名づける。
711 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 15:01:24.25 ID:2VQN31CF
>>710 宿題
>般若智
これの実態は何か?
><解らないものは悟れない、それを真実>というのが
変な括りは使うな
この世界の正体・実態を端的に知り尽くす事が遍智の果報だ
それはどう言う事が実態なのか?
712 :
ぽかり!σ(‐εΘ)イテテナグラレチャッタ30棒 :2014/03/24(月) 15:01:55.62 ID:x00k7M4z
> 学ぶ事無くただ太るだけの嘘ばか狗、【嘘臭】(; -y-)ツ)) クチャイクチャイ♪ ほんとに粘着があっても、まなぶことがないなあ。 みんななかおくれるばかりだ、しっかりせい! 無字の公案 新参の修行僧、問う、門前の痩せ狗にも仏性がございますか? 師、答える、有。 古参の修行僧、問う、門前の痩せ狗にも仏性がございますか? 師、答える、無。 野狐の公案 修業僧問う、悟後の人はおしゃか様のおさとりである因縁果の因果の法(しんり)に拘束されますか? 師、答える。因果の法に落ちず(不落、ふらく)。 修業僧問う、悟後の人はおしゃか様のおさとりである因縁果の因果の法(しんり)に拘束されますか? 師、答える。因果の法くらまされず(不昧、ふまい)。 同じ事をこの二つの公案は老婆親切にも姿を変えて、問い、答えている。 バカ狗でもやる気があるならこの公案に真っ正面からぶつかってみよ。 粘着に終わるなら、物縁も無いのだろう。
713 :
675・676無明 :2014/03/24(月) 15:32:17.86 ID:2h6LAoEr
>>711 存在に本質・実態・実体は非有非無の如し。
仏法は本質主義ではない。
714 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 17:33:58.78 ID:NQa1HgoX
>>713 この世界の本質は実に常楽我浄である
それを悟れて居ないお前に非有非無を言う資格など無い
仏法は実践主義である
座禅瞑想もまともに出来ず、自分の無明も解らない奴の玩具ではない
715 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 17:40:17.16 ID:uZuNxPA3
>>699 逆観の並べ方は、K→@ではなく、@→Kの方がベターでは?
これあればかれあり、これなければかれなし、という縁起の話だから、
素直に@から始めたらいい。
無明なければ行なし。行なければ識なし。・・・ ← これがベター
順番に潰して行くのではなく、最初から一気に潰してしまう。
716 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/24(月) 17:54:48.81 ID:2ILHI9yr
>釈尊が教えた涅槃に至れれば止められる輪廻とはこの「心の輪廻と言う妄想の迷い」の事なのである どうも解脱の意味が分からなかったけど、この書き込みで分かった。 涅槃に至れば、妄想の迷いから解脱して、もはや「妄想の迷いが相続することはない」から 次生に生まれ変わる時には、一切の妄想のない悟りの境地で生きられる。ってことだろ? その為に >智慧を使って大いに行き死ぬか >智慧に至れず普通に死ぬか つまり般若とは、解脱する為の実践の智慧なのである。 この実践は死ぬまで続けなければならない。つうことだろうね? だったら涅槃に行ったとしても解脱できる訳ではない。ということですね。
717 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/24(月) 17:59:02.70 ID:2ILHI9yr
(つづき) だけど、死ぬまで実践するというのは、考えようによっては非常に残酷だね。 そこまでするんだったら、普通に生きた方が楽なんじゃないかね? 次生に普通に生まれたとしても、 普通に生きていけば、それなりに幸福かと思うぞ。
718 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/24(月) 18:12:55.25 ID:2ILHI9yr
君達は輪廻転生して、次生ではハイクラスのステージで生きることを想像しているに違いない。
そうだと思って、私は既にその解答を
>>674 に書いておきました。
これを読めば直ぐにでも悟ることができます。
非常に薀蓄がありますから、よく読んで下さい。
眼が開いたとしてもレスは必要ありません。
719 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 18:13:44.13 ID:inGQa7FW
(逆観) 無明(根本的無知)がなくなれば 行(潜在的形成力)も無くなる ↓ 行(潜在的形成力)がなくなれば 識(認識作用)も無くなる ↓ 識(認識作用)がなくなれば 名 色(名称と形態)も無くなる ↓ 名 色(名称と形態)がなくなれば 六入(六つの領域)も無くなる ↓ 六入(六つの領域)がなくなれば 触(感覚器官と対象の接触)も無くなる ↓ 触(感覚器官と対象の接触)がなくなれば 受(感受)も無くなる ↓ 受(感受)がなくなれば 愛(とらわれ)も無くなる ↓ 愛(とらわれ)がなくなれば 取(執着)も無くなる ↓ 取(執着)がなくなれば 有(生存)も無くなる ↓ 有(生存)がなくなれば 生(誕生)も無くなる ↓ 生(誕生)がなくなれば 老死(老いと死)も無くなる ↓
720 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 18:14:10.67 ID:NQa1HgoX
「業報有りて、而も作者無し」 第一義の概要はこう言う事である この義がわかれば三界は常 楽 我 浄であると解り戯論も存せず、となる しかし人が人である以上度し難く、上記は理解出来ないから 仏は俗数法を教えたのである 世俗諦である俗数法の立ち居地は 「無常 苦 無我 不浄」であり、人の心が常楽我浄を望む限り 一切世間は無常 苦 無我 不浄として煩悩の障りを受け続けるのである 煩悩障の根幹は無知であり、その所在すらも覆い隠しわからなくする 在り処は解らないのに苦悩は続き苛まれ続けるのである 坐禅瞑想が最も手軽で導入し易い解脱への方法で 行い始めから直ぐに煩悩の障りが無明から訪れる つまり、無明の何たるかは修行を始めてその場で解るのである 教科書の丸暗記しかしていない知ったか小僧にこれが解ってるとは到底観えない と言うと「仏法は解るものではない」とか嘯くが、それは大きな間違いである 悟りとは気付くことである、解脱とは本当の事を知る事なのである 涅槃とはその本当の事の内容を言っているのである 教科書の丸暗記者には与り知らない事なのである
721 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 18:17:38.10 ID:inGQa7FW
般若智=無分別智
722 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 18:18:28.75 ID:uZuNxPA3
>>694 >釈尊が教えた涅槃に至れれば止められる輪廻とは
>この「心の輪廻と言う妄想の迷い」の事なのである
ちょっと違う。本当に苦しんでいる人は、輪廻など少しも頭にないと思う。
世のなかの理不尽さを呪うだけだ。なぜなら前世の記憶がないから。
前世が、輪廻が、と言われても何の実感も湧かない。
閻魔のいい所は、自分を信じて自分に誠実なところだ。
御隠居もそうだが、こういった人々が悟りへの最右翼ではないかと思う。
釈迦は「信仰をやめよ」と言ったが、その条件をクリアしている。
723 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 18:23:15.62 ID:NQa1HgoX
>>722 >ちょっと違う。本当に苦しんでいる人は、輪廻など少しも頭にないと思う
違くない
輪廻の迷いは煩悩の一つに過ぎず、苦滅対象は母艦たる煩悩の方なので
輪廻は迷いの種類の一つを言ったまで、全ては縁起によって起きたり起きなかったりする
故に輪廻を心に持たない人(迷う迷わない以前の人)が素で居ないとは言っていない
境遇等に依存してそう言う土壌に生きてこなければ輪廻観も育たず、と言う人も珍しくない
724 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/24(月) 18:26:31.27 ID:2ILHI9yr
涅槃というのは何もないことだから、 「何もない」ということにおいては、有余涅槃も無余涅槃も同じことだよ。 有余と無余の違いで、涅槃は全く同じ。 だから仏様が涅槃に逝く、ってのは理に適ってる。 有余涅槃というのは、生きながら死に逝くことなんだよ。 だから全ての無明が寂滅しちまうんだよ。
725 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 18:27:29.01 ID:uZuNxPA3
>>719 それでいいw 釈迦も無明からスタートし、考えたはずだw
>>721 無分別なことを言ってはいけない。
そういう頓珍漢なことを言っているようだから悟れない。
悟りは無分別ではなく、その逆、善悪がナイフで切り裂かれるように、
善悪を明確に分別することにある。
726 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 18:31:44.35 ID:NQa1HgoX
>>721 君は智慧が何だか知りたがってる訳か
自己の無明の解明が出来ない彼も多分智慧が何の事だか解って無いので
今は教えて上げられない
が、悟ればその正体は確実に知ることになる
観念ではない事実としてね
727 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/24(月) 18:35:28.76 ID:2ILHI9yr
無分別に何の意味もない。 分かりやすいように説明すると、人が原初に戻った状態だから、 綺麗、まっさらなことだよ。 言葉はメッセンジャーだ。だから言葉に固執すると何も見えない。 言葉を離れたとこが涅槃だよ。
728 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/24(月) 18:35:50.50 ID:ZL7V3KFE
>>719 「無明(根本的無知)」とは、何を知らないんでしょうか。
みなさん教えてください。
俺はもちろん「輪廻」だと思うのですが。
729 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 18:36:18.19 ID:NQa1HgoX
>>725 全くここは知ったかぶりたがりの宝庫だな
>悟りは無分別ではなく、その逆、善悪がナイフで切り裂かれるように、
>善悪を明確に分別することにある。
涅槃に善悪は無い
730 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 18:46:01.09 ID:x5dqA9TK
>>724 >涅槃というのは何もないことだから、
涅槃は何もないらしいけど、この前読んだあるお坊さんの本によると
滅尽定において涅槃を「明晰に認識できる」らしいよ。
こう考えると解脱=無ではないことがわかるし、
輪廻転生の実在も見えてくるんだけど、この断見スレの人たちの参考にはならんか・・・。
731 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 18:46:46.53 ID:inGQa7FW
732 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/24(月) 18:48:12.39 ID:2ILHI9yr
涅槃というのは、それまでの全ての過程が崩壊することを言う。 つまり世界観の崩壊であり、そこに何の意味あいはない。 それを悟り、というなら悟りかもしれないけど、 ようするに何もないことだから、悟りもない。
733 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 18:49:56.73 ID:NQa1HgoX
仏道ゲシュタルト崩壊バカはいくつもハンネ使って回ってるんだな
734 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 18:53:19.31 ID:inGQa7FW
>>730 明晰に認識できるのだけれど 善悪では理解出来ないんだよ
735 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/24(月) 18:53:47.38 ID:2ILHI9yr
>>730 >滅尽定において涅槃を「明晰に認識できる」らしいよ。
認識というよりも、風景が真っ白になるんだよ。
心に穴が開いたような状態なんだけど、
それが非常に心地よい。
神秘体験?というのは心がhighになったような気分だけど、
それとはまったく異質で寂静ってとこかな。
736 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 18:57:11.97 ID:jCbU9wfx
>>735 おい、嘘吐き
滅尽定の入り方出方をソース付きで開示してみろ
経には無い筈だが?
737 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 18:58:26.84 ID:inGQa7FW
>>728 無明=輪廻 たまには正しい事いいますねw
738 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 18:58:27.49 ID:uZuNxPA3
釈迦は自分自身の「無明」に気づいて悟ったと言われるが、 では釈迦は、いったい何を悟ったのか。 この悟りは、坐禅(サマタ)中ではなく、観(ヴィッパサナー)の最中だ。 簡単に言えば、考え事をしている最中、自分の無明に気づき悟った。 では、釈迦はいったい何を悟ったのか。 空を悟ったのか、輪廻を悟ったのか、それとも他の何かか。 無明とはキリスト教の原罪のようなものだろう。 であれば悟りは、聖霊か甘露になる。
739 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/24(月) 19:04:40.79 ID:2ILHI9yr
>>736 私は止行だから、観行のことはよく知らない。
止行でも神秘体験?はある。
740 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 19:06:09.43 ID:JawV2qVu
動中禅とかやっぱり知ったかだったんだなw
741 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 19:10:29.02 ID:inGQa7FW
>>732 ここが 机さんの残念な処ですね
色即是空 空即是色なんですけどね
742 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/24(月) 19:12:51.74 ID:ZL7V3KFE
>>731 え?
>>737 ちょ、誤解しないでください。
無明=輪廻を知らないことです。
>>738 >>では、釈迦はいったい何を悟ったのか。
輪廻というか前世を悟ったんですよ。
743 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/24(月) 19:14:51.14 ID:2ILHI9yr
止行は静中禅、動中禅は作務とか。 つうか、そんな書き込みはスレの浪費しかならない。 もっと大事にスレを使え。ってのが動中。
745 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 19:17:57.55 ID:inGQa7FW
>>742 釈迦の以前から輪廻思想は存在した
釈迦が新たに加えた思想は 涅槃という思想である
746 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/24(月) 19:23:04.73 ID:2ILHI9yr
>>741 >色即是空 空即是色なんですけどね
世界観の崩壊の一瞬というのは、そんなもんですよ。
そこから少しづつ洞察が鋭くなるけど、そうこうしている内に
それらについても全てが偽物と分かってきた時が、
般若における「空」でしょうね。
仏智の智慧を会得する。
747 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 19:30:02.60 ID:uZuNxPA3
坐禅、止のプロセスは、 非想非非想処→魔境→滅尽定(想受滅)→神界で霊魂体験→地上に生還 止のプロセスにおいて、その中の魔境で、無明=アラヤ識を見る。 それを捨てることで滅尽定に入る。 なぜなら、アラヤ識の中に霊魂が覆い隠されていたからである。 自分自身を捨ててしまうから自分自身を失う。 自分自身を捨てちゃったのは、霊魂がアラヤ識に覆われていたから。 それを知らずに捨てちゃったわけだね (^^) うまく行けば自分自身に出会う。自分の霊魂を見ることができる。
748 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 19:36:13.17 ID:NQa1HgoX
わざと間違いを書いて正答を書かせるVIPのやり方まんまだな
749 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 19:42:09.41 ID:zROql82H
おい、嘘吐き机 >仏智の智慧を会得する。 会得ってのは会得したものを「これがそうだ」と言えなきゃ会得になんない 仏智とはどんなものか説明してみろ、会得出来てるならノラクラせず説明できる筈だ
750 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/24(月) 19:42:52.66 ID:2ILHI9yr
>>747 唯識派と中観派の違いは、あれは相性のようなもんだろ?
私は最初は唯識派だったけど、どうも自分と相性が悪いので中観に変更。
だから唯識のことはよく分からんのです。
で、魔境というのは阿頼耶識に関係なく、神秘体験への固執みたいなもん。
では、おやすみ。
751 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/24(月) 19:49:48.76 ID:2ILHI9yr
>>749 お前は人に訊ねるのに、何だ?その書き方は。
色即是空 空即是色だから、それ見れば分かるだろうよ。
仏智はコレ世俗智とそこに書いておろう。
これ以上は説明しない。バカたれ。
752 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 19:57:57.14 ID:inGQa7FW
>>746 机さんは カリスマ性があるのに残念です
753 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/24(月) 20:02:44.77 ID:ZL7V3KFE
>>745 仏として永遠に輪廻することが涅槃だと思うんですが駄目ですか。
仏は解脱してるから輪廻しない、ってのは違うんじゃないかと。
754 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 20:10:56.31 ID:inGQa7FW
755 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/24(月) 20:13:48.75 ID:ZL7V3KFE
756 :
ぽかり!σ(‐εΘ)イテテナグラレチャッタ30棒 :2014/03/24(月) 20:17:00.53 ID:x00k7M4z
>>712 > いつ和合しますか?w
w(大爆笑) が付いてるね。
マジメさが無いのは狗と同類か・・・・・・メモメモ...φ(◎◎ヘ)..オットットカゼガε=ε=ε=(/ ̄□)/メモマテ〜ヒラ〜〜□
和合せよ!とは、上から目線からの戦争してるぞっと言う指摘か。
狗が赤狗なら 撲殺して 煮て喰え!焼いて喰え!と言う事を知らないのかな!?
これは狂犬病予防と言う側面も有るのだ。
古来、狗も歩けば棒にあたる、と言われ続けてきた。
つまり人々は狂犬病の予防的処理として、必ず棒を手に持ち撲殺し食べてきたのである。
気をゆるめていけない、狗を見たら古来の若者達「狗追う者」と同様に馬上から騎射(きしゃ)し、射殺(いころ)せ!
> 他人の自我に口を挟むのはヤボですにゃん♪ 南無 (⌒人⌒)
凹○コテッ
一神教は、神と我との契約で、縦系列。
仏教は、仏と我はマブダチのあいだがら。
自他が二では無い、一の如し、と言うよ。
757 :
○ :2014/03/24(月) 20:47:00.06 ID:9Tl7Tdww
>>753 >仏として永遠に輪廻することが涅槃だと思うんですが駄目ですか。
>仏は解脱してるから輪廻しない、ってのは違うんじゃないかと。
「輪廻する必要はない」と「輪廻しない」との違いではないでしょうか。
阿羅漢は「輪廻する必要はない」し「輪廻しない」でしょう。
一方、菩薩は「輪廻する必要はない」のに「輪廻しない」訳ではないでしょう。
法華経の如来寿量品では、如来も「輪廻する必要はない」のに「輪廻しない」訳ではなく
衆生済度の為に下生されたそうです。
と経と論を引くだけの私も少し考察してみます。
758 :
○ :2014/03/24(月) 20:52:22.71 ID:9Tl7Tdww
しかし今日は常連の閻魔氏が同門の方に叩かれており、幾度も反論されてました。 お二人のやりとりは正直分かりませんでしたが、第三者の同門の方ならばどういう レベルの議論なのか分かるのでしょうね。
759 :
○ :2014/03/24(月) 21:01:32.90 ID:9Tl7Tdww
なんとなく分かることは、禅定でもいくつものステージがあって、自身の透過した ステージに長居をしてはならないということでしょうか。
760 :
○ :2014/03/24(月) 21:13:33.55 ID:9Tl7Tdww
>>720 >悟りとは気付くことである、解脱とは本当の事を知る事なのである
どなたか存じませんが、実に分かり易いです。
智慧の完成→解脱、という構図通りだと思います。
ただ、入中論を読んでおりますと、智慧の完成+慈悲の完成+功徳の蓄積→解脱
とも読めます。
と経論を引く私も時々疑問が生じております。
761 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 21:39:59.82 ID:iNCL2pZg
>>760 よお在家ちょーしコイてるなwwwところでおめえのくたばったじいさんの寝言って
あれ悟りなの?www純粋体験という?(笑)
762 :
○ :2014/03/24(月) 22:12:03.40 ID:9Tl7Tdww
>>760 >よお在家ちょーしコイてるなwwwところでおめえのくたばったじいさんの寝言って
>あれ悟りなの?www純粋体験という?(笑)
いつも釣ってくれて有難う。
あれは悟りというよりも、『前世想起』ですね。
祖父は前世で釈尊の弟子の一人で衆生済度の為に輪廻したけれども忘れてしまったようです。
(昭和6年2月23日、祖父寝言)
御涅槃の事を四枯四栄と云うは四本の木が栄えて四本の木が枯れたと云う事じゃ、
釈尊は其の樹の下に頭北面西右脇して涅槃に入られたのである。
円い生活、悩みの無い生活、喜びの生活をせねばならぬと云う御教訓の為に北枕に御休みなされた。(中略)
地球の自転磁気の関係で北は高いで北枕で寝れば安眠する事が出来る。西向に右を下にして寝れば心臓の圧迫を防ぐ事が出来る。
其の外多くの御話がある。釈尊常に我に対して仰せられた。
「我今幾多の教訓を残せり、汝は必らず我教えを忘るる事なかれ」と仰せられた。
763 :
○ :2014/03/24(月) 22:23:06.22 ID:9Tl7Tdww
>>762 >「我今幾多の教訓を残せり、汝は必らず我教えを忘るる事なかれ」と仰せられた。
長部経典第二十八経「自歓喜経」で舎利佛が四通りの入胎の法を暗誦して、釈尊から保証されました。
なんでも主声聞、独覚ですら出産の際には意識(記憶)を失うという法があるそうです。
祖父は法話も聞いたことがなく薬学者として生涯を終えましたので、禅定による前世想起など縁がなかったです。
764 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/24(月) 22:52:11.90 ID:ZL7V3KFE
>>757 >>衆生済度の為に下生されたそうです。
何を隠そう俺のことです。
あなたかもしれませんね。南無妙法蓮華経
765 :
○ :2014/03/24(月) 23:03:30.66 ID:9Tl7Tdww
>何を隠そう俺のことです。 そうでしたか。 それならば精神科など一日も早く解脱されて下さい。 貴方は変わっているだけで正常でしょう?
766 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 23:04:32.99 ID:keFVeorB
法華経は後世の大乗仏教の偽経ですよ、お釈迦様とは何の関係もありませんよ
767 :
神も仏も名無しさん :2014/03/24(月) 23:57:02.54 ID:inGQa7FW
768 :
○ :2014/03/25(火) 00:16:10.30 ID:4oyKzsjA
>>762 (昭和6年3月4日、祖父寝言)
「我汝を救わずは正覚を取らず、此の世はつらきものなり」と仰せられた。
「我他界するとも汝等我を相継ぎ相継ぎて衆生済度に努むべし、此の本願を立てずんば諸の衆生如何にして救うべき、多くの衆生を救うには……
然る上に於て不巧不変の本願を相継ぐ者は汝に譲る」と仰せられた。
阿難曰く「勿体ない事でござります」
月明の中夜、釈迦如来は斯くして御涅槃に入り給う。
百獣百鬼生あるものは相集いて相悲しみ地に伏し天に慟哭し天を仰ぎ地に慟哭した。
釈迦如来 ほほ笑み賜い、
「衆生よ 諸の衆生よ、嘆く事なかれ、必ず汝等と共に相見ゆる時来らん、汝等の責任重大なり、
汝等の弘めによりて又一人づつ助かる。かくの如くにして救うが御本願じゃ。我、浄土に於て衆生と共に楽しまん」
斯くして御涅槃に入り給う、釈迦如来後涅槃に入り給う時がんがこうと云う鳥が来て妙音をかなで遂に浄土に入り給う。
769 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 02:20:18.02 ID:l08Dzt2r
>>760 >智慧の完成+慈悲の完成+功徳の蓄積→解脱
智慧の完成とは智慧が不要になる事だ
慈悲の完成も然り、功徳とは善報の事でその蓄積に意味は無い
つまり、これらは解脱の要件には当たらない
転じて言うなら
知恵ではなく智慧を用いられる立場が解脱
慈悲を慈悲として感じるだけでなく、用いられる様になるのが解脱
善報も、意図して行う様になるのが解脱である
これらの実形は貪瞋痴を克服した煩悩即菩提の姿として現れる
770 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 02:29:57.90 ID:l08Dzt2r
>>768 釈尊は法を弘めろとか教説を弘めろとかは言っていない
そもそも釈尊が教えた内容は既に成っている事実を教えていて
故に四顛倒を教えた
つまり、爺さんの寝言は世迷言って事だ
771 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 03:06:41.55 ID:l08Dzt2r
真光在家○くんが好んで読む入中論とは チャンドラーキールティと言う人が興した中論の解説論である 中論は元々説一切有部と言う部派仏教時代の最大勢力が掲げた邪義 三世実有法体恒有を破折する為に龍樹が帰謬論証形式で興した対論である 故にその内容の世俗的理解度のレベルは相当高く、難解である、それは何故か? 龍樹は釈尊の教説に従って解脱を果たした阿羅漢であり、有部の論者も 釈尊の教説に従い龍樹のレベルの一歩手前まで上り詰めた者達なので そこでやり取りされる内容は自ずと人智に及ぶギリギリの線と為り 形式も「問い」に対して「正答」を出し且つ「故に、何故そんな問いが出来ようか」と言う 正す形式になっている そして、それを入門書として解説したのがチャンドラーキールティの入中論となる 中論は途上の者の学びの書には当たらず、今一歩の者が最後にたどり着く書に当たる 故に、普通の学途の者が読むと顛倒を起こしかねない それを心配したのがチャンドラーだったのである
772 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 03:16:34.65 ID:l08Dzt2r
中論が難解なのは三世実有法体恒有を生み出してしまうほど 実は釈尊の悟られた内容は甚深微妙で見難く難解だったと言う事なのである つまればその内容とは縁起の理法その事なのだが、通常人はこれを軽んじて考え さして難解だとは見ないのである、しかし、釈尊の縁起の理法をその通りに理解=悟達すると 中論となるのである 中論は龍樹の対論の書ではあるが、その内容は対論と言う縁によって 釈尊の縁起の理法を説明し尽くした悟りの解説書とも成っているのである 故に難解なのは致し方がないのである
773 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 03:28:59.93 ID:l08Dzt2r
解脱は、その気になって根気良く精進すれば誰でも起こせるアクションである しかし、全てが悟れたその瞬間は、疑念は晴れたのに実感が無く 疑いが無い筈なのに疑いを探してしまう顛倒を軽く起こすのである そして記憶が苦手な人でも十二支縁起を覚え、順観逆観は師と同じように試してみるのである それでしてもまだ解脱に疑念が残ってると、あれだけ苦手だった中論が割と容易に理解出来ることを確認し そこで改めて釈尊と龍樹尊者へ五体倒置の如くに平伏すのである 釈尊の教説・一切の教学は頭脳の思考で理解しようとしても無駄かと思う 良いとこ行って説一切有部の様な邪義を構え出し、最後は嫉妬に来るって散逸して終わる 釈尊の教えの肝要は行である、行によって智慧を得るので、自分の行による智慧を頼るのである これが狭義の自灯明となる
774 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 03:55:06.15 ID:Tlp+w8iJ
私はこのスレのシリーズで「行こそ最大事」と散々言って来た 行が無ければ仏教は唯の哲学論考となってしまい解脱どころじゃ無くなるからである 解脱が無いなら菩薩道も有り得なくなり、それは既に仏法では無いのである 思考と研究でその解脱を目指したのが説一切有部であり、頭脳は相当明晰だったと推察できる 現行のこのスレでそれに当たるのが閻魔くんである、彼も頭脳と記憶力は私を遥かに凌駕していると思われる しかし、頭脳力では悟れない事も現実であり、彼は悟れず私に悪態を付いているのが現状である 「オカルト如来サマ」の異名を頂戴した事を誇りに思う事にします 頭能力では縁起の理法の現実は悟れません、彼がその証人なのです 縁起の理法の現実を悟れ無いならば、輪廻の事実も当然悟れません 涅槃の正体も解りません、故に彼の悪態はそれを象徴している訳です 勝義を文字に出来ない理由は、文字・文章は意味が数通りとなる為 書いた時点で世俗義に化け、しかも世俗義は否定可能になる為書けないのです 勝義を書いて(言って)否定させてしまうのは忍びない、と言う老婆心がここにある訳です 書かないからと癇癪起こして悪く思わないで欲しいと思います 便りにすべきは自灯明法灯明なんですから
775 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 04:10:50.14 ID:y2ENlaPA
自灯明とは、釈尊に習った行法を以って得る智慧を頼る事です これが狭義の自灯明であり、広義では縁起に即した自己と言う存在を頼る事を言います 法灯明とは、釈尊に習った行法がその灯明たる法となり、それに頼る事です これが狭義の法灯明であり、広義では縁起に即した自己と自己以外との現象を頼る事を言います これらの境界は眼耳鼻舌身意となり、六根清浄に徹し清浄道に励む事を仏道と言うのです
776 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 05:08:50.15 ID:x9W+/eNJ
般若とも言われる智慧の実態とは何か? これは多分勝義には当たらないので書いても差し支えないと思うので書こうと思います 釈尊の教説に習って会得した行法を以って得られる智慧の最高峰を般若と言う訳ですが 度合いの因らず智慧その物に実態が無いのが正体となります、一切は空なのでこれは仕方ないことです では、何で得ると言うのか?それは普段我々が使っている脳の構造を逆手に取って 能かも得てる如くを作す為にそう言うのです、その内訳は 普段の我々の思考は常に何かを考え念じています、所謂雑念と言う小さな記憶等の切欠が 常に頭の中に飛び交っていて、縁に触れてそれが想起され縁に触れそれが次の雑念に切り替わり を繰り返しているのです、これを心相続とも言います、相続ですから切れ目に隙間が無く延々と 前後の脈略に因らず、或いは因って想起が連続していくのです、これが普通の思考の状態で 人はこの中を様々に縫って知恵を絞って色々を考える訳です、知恵を絞る? そうです、頭脳は自然と雑念に満ちた中を、正規の思考の為に一旦少し考慮空間を明け渡すのです これにはちょっと集中力が伴い、考える事に疲れてしまうのもこれが有るためなのです 考える為の空間を空ける事が、良い思考結果=結論を得る最良の環境となります 通常それを得るためには相当の集中力と努力が必要になるのです 仏道の智慧はそれを逆手にとって、雑念が起こる人間の脳を、一切の雑念を強制的に止めて 即物的に観法出来るまでにして始めて実現される、観る事と気付く事の原動力となるのです それはものや事の様に有る訳ではなく、逆に無い・起きない状態を作して始まります 集中力はここでも使いますが、思考の為の集中力と違い、無心を集中するので 疲れても持続可能な疲労感となり、禅定が高まれば疲労も感じなくなる為割と容易に得られます 坐禅=無心の意味がここにあると言う訳です
777 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 05:26:25.93 ID:x9W+/eNJ
禅定が高まって、頭がスッカラカンになった状態、これが般若と呼ばれる智慧の領域となります そのエリアは”私”と言う主観すら想起されない頭脳全域になるので、日常の状態では 容易にその領域へ至る事は無いのです、忘我の境地はこれに近いのかもしれませんが ”私”の主観がまだ残ってるのでやはり行以外にその領域へ至るのは難しいと思われます 主観が外せないと雑念の前線を黙らせられないので、押さえる手を離すことが出来ないのです イメージとしては坐禅始めて先ず、頭の中の雑念を手で押さえ尽くす感じから始まるので 止まってくれないと手が離せない=大義を観法出来ないとなる訳です その前線が無明であり、その本丸が我執となります この両者は”私”と言う主観によって守られている為、主観を・・忘れる努力が肝要となる訳です 以上です あとは行なうだけかと思います 曹洞宗や臨済宗の公式ページに坐禅の作法が載っています 簡略化されてますので化義部は外して坐禅そのものだけでも その通りに行なってみれば良いと思います 雑念の多さを理解するのが先ず一歩になるかと
>>774 行も大事だが、教も同様に大事だよ
方向が間違っていれば、どんなに力強く進もうと証という目的地にはたどりつけない。
行なうことこそが大事とはすでに悟った人の言うことだよ。
798 :せったんmyoejoe:2005/12/31(土) 20:40:40 ID:h8R7RYLM見つめる自分のない座禅です、悟った悟らぬという、だからどうのという自分が失せ切る、達磨の不識です、 一人じゃなかなか出来ないですよ、野狐禅独りよがりは、思考停止耄碌じっさになっちまう、わっはっは若いくせにさ、いつか取り返しがつかない。 799 :せったんmyoejoe:2005/12/31(土) 20:43:26 ID:h8R7RYLMおれは悟ったんだからという、自然界にそんなものないです、 水が氷になる、 大脳の発達が止まる、いいことしいで頭なぜなぜ、ふんぞりかえってものみなわからない、みじめです。 800 :せったんmyoejoe:2005/12/31(土) 20:48:18 ID:h8R7RYLMそうではない、この事はただ因果歴然を知る、境地も迷悟もないんです、 ただ、手つかずに行く、いいですか人間以外みなこれなんです、廓然無聖個々別々。 心してかかって下さい、どこまで行ってもですよ、なんの取りえもないんです。 802 :せったんmyoejoe:2005/12/31(土) 21:20:56 ID:h8R7RYLM無所得を以ての故に菩提サッタ、首くくる縄もなし年の暮れ。
あなたへの反論を見たが、それらはあなたが教を軽んじているから、されたものであって 別に彼らが行を軽んじているからではないと思うよ 君の言っているのは 座禅のメソッド、レシピのようなものに従って、なんらかの神秘的体験をえれば それが悟りなのであって、経典に書かれている哲学的論考は必要ないということなんでしょ? 座禅で得られるところの境地について、認識論的な推論も批判もなく 伝統的に受け継がれてきた「互いに同じ境地にある」と判断するためのメルクマール、認可も認めず ただ、方法論を抽出して、追体験できたと思えればそれでいいと言ってるんでしょ? 正直、それは常識的にも、哲学的にも、仏教的にも認められないことだよ だって、そうして悟ったとして、それが本当に釈尊と同じ悟りだとどうして言えるの?言えないでしょ。 たとえば、同じ夕日を見ていたとしても、気温や湿度や季節によって見え方が変わるし、それを見る人の気持ちも千差万別で 同じとは言えない。ちょっと冷静に考えれば同じ動作・同じ行動をしたからといってみんな同じ気持ちになるとは限らないと分かるはずだよ むしろ勝手におまえの気持ちといっしょだという前提で話しかけてくるなと言い出す人もいると思う それほど同じとは断定しがたい他人の心を、こと悟りについては、見切り発車で同じだと断定してしまうのは如何なのだろう? そう思いたい、だけなんじゃないの?自分はあの子のことが好きだから、あの子も自分のことを好きでいてくれたらいいなって感じの願望があって 何かの理由であの子の気持ちを誰も推し量れなくなったから、分からないなら両思いだったってことにしちゃえ的な記憶改竄の欲望が働いてないか? もし本当に釈尊と同じ境地に至ろうと真剣に思っているなら、そんな棚ぼた式の夢はいだかないと思う もっと自分に厳しく悟りについて考えると思うよ。しかるべき師につくとか。 残念ながら君にはそういう厳しさがあまり感じられない。 もちろん、君が本当に悟りを得ているかどうか私にはわからんが、態度から君が悟っているとは思えない。 反論者の多くが勘づいていることだと思うけど。 淡い恋心のような悟りは一旦捨てた方がいい
781 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 05:33:16.80 ID:GoUe1VJh
>>777 そのスッカラカン状態はどういう行法で達したの?
小乗の止瞑想?それとも禅の只管打坐的なもの?
782 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 06:09:33.90 ID:x9W+/eNJ
行は経から得たものです、大念住経などに詳しく書かれています 経を軽んじていないので教えも当然重んじています 坐禅だけ行なえば悟れる訳では有りません、坐禅は智慧を得るための作法の一つなんですから これも経に書かれてることを重んじ行ってる事に他なりません 瞑想が二段構えになってるのも経には書かれています 先ず禅定、そして観法となります(本邦上陸のヴィパッサナーも禅定から入ってる、呼吸を観じがそれ) この作法は経に因らなければ理解できません つまり、行を軽んじてるから教に入れ込むのです 釈尊は教に入れ込んで悟達をしていません 経に書かれてる行に沿う以上、教を軽んじる事は有り得ません そう言う疑念や反抗が生まれる時点で仏教に対する冒涜が始まると言えます 禅宗のサイトを提示したのは手軽さ故の体験の手引きの為です 経によって確り打ち込まなければ、その先は望めない事は誰でも解る事です
783 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 06:15:55.45 ID:x9W+/eNJ
>態度から君が悟っているとは思えない。 あなたが思おうが思うまいが、私は智慧によって解脱したのです 解脱とは他人に許諾を得るものではありません、自分自身の事以外の何ものでも無いのです 先ず、 >そう思いたい、だけなんじゃないの?自分はあの子のことが好きだから、あの子も自分のことを好きでいてくれたらいいなって感じの願望があって 的な幼稚な表現をし無くなる事から出世は始まると思われます
784 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 06:37:06.98 ID:GoUe1VJh
>>782 じゃあ、君の解脱までの道程を教えて欲しい。
例えば、どのような行を行ったか、
行を始めてから初禅に達したのはこれくらいの日数かかったとか、
どういう理由で解脱したと感じたのか等。
785 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 07:05:20.36 ID:FOYY7FfP
786 :
○ :2014/03/25(火) 07:16:04.02 ID:4oyKzsjA
>他称「オカルト如来サマ」 貴方の書き込みの大半が腑に落ちました。真に有り難うございました。 多分、私も前世で禅定を行ったのかも知れません。
787 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 07:19:50.29 ID:/NNvAUfc
ポンコツ・ゲシュタルトと机と仏教無縁の在家とポーターで議論する不毛スレw こいつら。きえろw
788 :
○ :2014/03/25(火) 07:29:55.12 ID:4oyKzsjA
>>787 そう思うならば、君が議論に参加すればいいじゃん。
不毛スレが縁で今朝のような一連のよいかきこも起こったのだから。
しかし、短時間でIDを4つも替えれるなんて部屋に何台PCがあるのだろう。
プロか組織の人かも。。
とIDの動きを正しく見ます。
789 :
釈迦の教え :2014/03/25(火) 07:44:09.43 ID:03CPMYSS
@ 出発点は、「四諦八正道」と「縁起の理法(空の思想)」だけでよい。 A 修行は特に必要ない。世間での苦労が、そのまま行になり観になる。 B 時が熟し、運が良ければ「無明」に気づく。 C 無明を洞察した瞬間、甘露(聖霊)という不思議な体験をする。 D 神との出会いであり、この体験によって智慧が完成する。 E ここで坐禅(サマタ)をスタートする。 F 坐禅の目的は、自分自身との出会いであり、霊魂体験にある。 G 非想非非想→魔境→滅尽定→涅槃定(霊魂体験)を経て成道する。 H 釈迦は成道後、さらに観(ヴィッパサナー)を行っている。 I その成果が「無明」から始まる「十二縁起」である。
790 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/25(火) 08:11:43.94 ID:o7h6o5Sq
坐禅の行法だが、これは自分に合ったやり方が最良かとおもう。 沢庵の行法というのは、心が落ち着かないので心を腹に据える。というものらしい。 この情報は昔、本で読んだのだが、それをヒントに私は丹田呼吸法を坐禅に取り入れてる。 つまり心を丹田に集中させるため雑念が起きにくくなる。 精神疾患患者は、所詮坐禅は無理と考えてる方が多いかと思いますが、 坐禅ではなく、丹念呼吸するつもりで坐ったらどうでしょう? これだけでも精神が安定します。 先ず、坐禅のカタチから入ります。 @鼻から空気を沢山吸い込んで、その空気を腹に溜めるイメージで腹を膨らませる。 Aそして腹から空気を出すイメージで、口から静かに吐く。 Bこれを、なるべくゆっくりやる。 D5分くらいでも心が鎮静する。
791 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 08:50:23.50 ID:/NNvAUfc
坐禅の業法すれば、机みたいに恥知らずの嘘つきになれますか?
792 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 09:06:03.54 ID:GoUe1VJh
>>789 >G 非想非非想→魔境→滅尽定→涅槃定(霊魂体験)を経て成道する。
それって龍神体験云々のやつかな?
793 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 09:20:30.64 ID:GoUe1VJh
行法としては、ヨガにもサハジャサマーディ(無種子三昧)と呼ばれる三昧があるが、 これが恐らく仏教の滅尽定だろう。その証拠に仏陀もヨガではサハジャの聖者と呼ばれている。 この三昧に至った聖者は全ての想念が無くなり、生命の根源に溶け込み、 常に深い瞑想時のような意識状態であるという。そして静寂を好む。 つまり、真に解脱しているのなら、こんな所で持論を喚き散らしたりはしないということだ。 こんな事をしてるのは全てニセモンだ。
794 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 09:30:30.63 ID:/NNvAUfc
>仏陀もヨガではサハジャの聖者と呼ばれている。 違います。 仏陀は悟る前からヨガの達人でしたが、 ヨガでは人生の現実を苦を解決できないと知り、修行するのです。 osho-系のつまらん発想だとそう考える節がありそうですが・・・
795 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/25(火) 10:15:21.44 ID:o7h6o5Sq
お前は何度もID取り替えて、私に粘着しているようだけど、 もう諦めろ。 決着は付いてるし、既に私が論破済だ。
796 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/25(火) 10:16:37.60 ID:o7h6o5Sq
>>795 は
>坐禅の業法すれば、机みたいに恥知らずの嘘つきになれますか?
>>791 への返事です。
797 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 10:19:06.40 ID:/NNvAUfc
798 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/25(火) 10:24:53.95 ID:o7h6o5Sq
>>794 お前はもう、ここに書き込みしなくていいから。
他所いって書け。
カルトに騙されてるから私に粘着するようになるんだよ。
粘着ってのは、神経症の一種だから。
799 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 10:27:02.83 ID:/NNvAUfc
カルト教祖の机の嘘から一切衆生を守る為にカルト・バスターとして 私はいるのである。
800 :
675・676無明 :2014/03/25(火) 10:28:16.18 ID:X3rKiKYd
>>714 (成りすましオカルト如来)
>この世界の本質は実に常楽我浄である
仏法は非本質主義である。
存在に本質・核・一元は認められない。
縁起の直接現実は、★<非恒常非無常、非苦非楽、非無我非有我、不浄不垢>の如し★ →空の如くである。
「常楽我浄」は二項相対一辺への執着心満載であり、反中道・反ニルヴァーナそのものだ。
オカルト如来は間接現実一切外一辺倒の妄想徒、勝義未達の成りすまし如来でしかない。
801 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 10:31:01.22 ID:/NNvAUfc
ゲシュタルト馬鹿がハッタリ仏教で説教w
802 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/25(火) 10:31:33.48 ID:o7h6o5Sq
>>797 分かったから、もう書き込みするな。スレの浪費なんだよ。
いいか、よく読め。
私への怨恨が消えないってのは、それがそもそも病気なんだよ。
いくら修行したって、無明どころか病気が悪化するだけだ。
神経症を早く治すことを考えろ。
803 :
675・676無明 :2014/03/25(火) 10:33:38.63 ID:X3rKiKYd
>>720 (成りすましオカルト如来)
>「業報有りて、而も作者無し」 第一義の概要はこう言う事である
>この義がわかれば三界は常 楽 我 浄であると解り戯論も存せず、となる
!!! m9(^Д^)プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー !!!
アホ!
「業報有りて、而も作者無し」とは、即業(因)即報(果)・即有我即無我←還滅現実をいう。
前段の「不實而生(勝義)。生已盡滅(還滅)」 を受けた文言だと、前に教えてやっただろう→
>>532 。
できの悪いアホ如来だなw
戯論そのものではないか。
相対間接現実から一歩も抜け出られていないのに、如来を自称するオカルト如来のお姿は、実はピエロであったw
苦の原因は二項相対化思考による一辺への我執による。→妄想「三界は常 楽 我 浄であると解り戯論も存せず」(オカルト如来)
縁起の直接現実は対象化そのものが問題になりえない→龍樹 中論24-18、18-9
★ゆえにブッダの転回の根本は、人類の誰もが信じて疑わなかった<「二項相対・対象化思考」そのものを放棄する>という驚天動地なアイデアだったのだ。
対象化思考そのものの放棄に「〇〇〇〇〇を悟る」という対象化はありえない。
まさにコペルニクス的転回である。超天才としかいいようがない。
★ゆえに悟りは迷妄である。
しかし、誰もが超天才の域まで到達・体得できるわけがない。
だから、二項相対・対象化思考から一歩たりとも脱却できていないオカルト如来(間接現実一切外)のような連中がこのように跋扈する。
成りすましオカルト如来の自称「悟った、解脱した」は迷妄そのものなのだ。
自称オカルト如来は、雑巾掛けからやり直せ!
804 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 10:39:13.05 ID:/NNvAUfc
机の浪費の自覚は無いらしい、過去にどれだけオナニー的レスをしたかを忘れた ハッタリ机w
805 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/25(火) 10:52:29.80 ID:o7h6o5Sq
>過去にどれだけオナニー的レスをしたかを忘れた ハッタリ机w お前は2ちゃんねるの管理人なのか?そうじゃないだろ? だったら私が何を書こうと自由じゃないか? 他人を誹謗・中傷している訳ではないしね。 で、私はボケ防止に書いてるんで、貴殿宛てにレスポンスしている訳ではないんだよ。 だから私には絡まんで欲しいのです。 勘違いするなよ。お前は「名無し」なんだから、 私がレスポンスするのは個人宛ではない。 匿名の「名無し」だから。
806 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 10:55:46.28 ID:/NNvAUfc
ああいえば上祐脳、論点ずらし無限妄想、ハッタリの山盛り机w
807 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 10:57:48.42 ID:/NNvAUfc
802>分かったから、もう書き込みするな。スレの浪費なんだよ。 805>だったら私が何を書こうと自由じゃないか? 相手に自由は無いが。 机には自由ありw 無責任ハッタリ場当たり論法の机w
808 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/25(火) 11:02:50.59 ID:0MCKTNCU
>神経症を早く治すことを考えろ。 wwwwwwwwwwwww 机に「神経症認定」されてやんのw 自称 禅マスターの名が泣くぞww
809 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/25(火) 11:03:52.70 ID:o7h6o5Sq
>>807 >相手に自由は無いが。
アタリマエだろうが!!馬鹿もんが。
お前は他人を誹謗・中傷するから問題なんだよ。
ネチケットの問題なんだよ。分からんのか?馬鹿もん。
私は相手を誹謗・中傷しないように努めてる。
こういうのは社会性というんだけど、まあ、お前に言っても無駄だろ?
810 :
ブッダ無悟テキスト :2014/03/25(火) 11:11:47.79 ID:X3rKiKYd
ブッダはなにも悟っていないし、なにも悟っていないのに、「〇〇〇〇〇を説く、悟る」ということもありえないのは当然だ。 ・師が答えた、「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。(Sn.837) ・戯論の滅失なるがゆえに、ブッダはいかなる教えも説かなかった。(中論25-24) ・無有定法名阿耨多羅三藐三菩提。亦無有定法如来可説。 何以故。如来所説法。皆不可取不可説。非法非非法。(金剛般若経7) # 如来がこの上ない正しい悟りであるとして、現に悟っておられる法というのはなにもない。 また、如来が教え示された法もない。 なぜなら、如来の法というものは、対象を知覚できずまた説くこともできず、法でもなく法でないものでもないからだ。
811 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 11:18:08.73 ID:/NNvAUfc
>自称 禅マスターの名が泣くぞww そりゃ、バービー将軍様のプロパガンダ脳内現象でしょうw 禅マスターなんぞ、どこにいるかな?
812 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/25(火) 11:19:02.81 ID:o7h6o5Sq
>坐禅の業法すれば、机みたいに恥知らずの嘘つきになれますか?
>>791 >坐禅の業法すれば、机みたいに恥知らずの嘘つきになれますか?
>>791 >坐禅の業法すれば、机みたいに恥知らずの嘘つきになれますか?
>>791 >坐禅の業法すれば、机みたいに恥知らずの嘘つきになれますか?
>>791 こういう書き込みは、坐禅・仏教への冒涜だろうし。
これはギャグか?
ギャグやジョークでは通らんだろ?
813 :
ノスタルジア :2014/03/25(火) 11:20:17.32 ID:VNqNeUVW
パーピマンと大王氏に 虐待されました・・・ シクシク(涙)のシク教〜w
814 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 11:20:18.81 ID:/NNvAUfc
お前は他人を誹謗・中傷する小心者の分際で禅を語る、 いや騙る机の間違いかw
815 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 11:21:25.27 ID:/NNvAUfc
812は事実だが。 将軍様バービーは弁護してくれるこもしれんぞwwww
816 :
ブッダ無悟テキスト :2014/03/25(火) 11:22:25.91 ID:X3rKiKYd
>>786 (アホ在家)
>貴方の書き込みの大半が腑に落ちました
やはり“オカルト類はオカルト類を呼ぶ”法則だなw
アホ在家は、オカルト臭があれば、ダボハゼのように飛びつくw
オカルト依拠テキスト
『オカルト如来は一切外を知る。われは見る。これはそのとうりである」という“見解”によって清浄になることができる、とオカルト如来は理解している。
たといオカルト如来が妄想としても、それがアホ在家にとって、何の用があるだろう。
オカルト如来&アホ在家は、正しい道を踏みはずして、一切外オカルトによって清浄となると説く。』(Sn.908改)
817 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/25(火) 11:26:54.10 ID:0MCKTNCU
>そりゃ、バービー将軍様のプロパガンダ脳内現象でしょうw > 禅マスターなんぞ、どこにいるかな? うわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜、このバカ、神経症のうえに認知症か?ww 自分で、「ワイは、臨済、曹洞、両方マスターした、「禅マスター」だ」 とか、ほざいてたの、もう忘れてやがるww さらに、超絶的センスで天台密教もなんちゃらとか、言ってたなww もしかして、あれ?ww あんまりに恥ずかしいんで、なしにしてほしいの? 「禅マスター宣言」 wwwwwwwww
私は正しい、お前は間違いだ〜という論争ほど見苦しいものはない。 と仏陀は言わなかったっけ?見苦しい〜ではなくともそのような論争には赴かない〜と。
819 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 12:07:08.05 ID:FDemKHR0
荒れてるな・・・どうにも愚かな仏教に対する無理解な者が仏教を云々するほど 愚かなることは無い。
820 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 13:05:01.02 ID:5011JUUp
家族が戒名自作 → 僧侶激怒「どんなビジネスにも入ってはいけない領分がある
821 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 13:24:55.97 ID:+w6+7fvA
>>784 禅定には大まかに4段階あると説明されてるが、実は段階は説明に過ぎず
実際はトランスミッションの様に段を踏まず、初禅さえ得れば自然に深くなる
禅定最高点である四禅へも間の段階をあまり意識せず、慣れれば直ぐに到達する
意識が無いだけで段階が無い訳ではなく、単にその中間に留まらないだけなのだと思う
何か縁が有る人は二禅や三禅に至るのだろうが人に因る様だ、実は私は二と三禅の経験が殆ど無い
初禅は2〜3日中の内、1〜2回の参禅で到達出来ると思う、自分はそれ位だった、これに入らなければ
坐禅瞑想は始まらない
禅定は得られれば「鐘の音」の如くに余韻が残る、余韻は深さに応じるので鐘の音が大きければ長く余韻し
小さく鳴れば短く余韻する様に、禅定で得るサマディも深さに応じ余韻の長さが変わる
つまり、余韻が長ければ、禅定を解いて日常生活に戻っても、デフラグされた頭脳はそのままで
ゆっくりと元の雑念一杯のいつものボンクラに戻って行くことになる
日常に戻っても、また坐禅のままでも、サマディを得ている状態で観察したり思惟したりすれば
それが即ちヴィパッサナーと言う事になり、禅宗の考える作務等もこれに当たる
解脱の事実は自分が至った状況、得た結論の受け入れがたい事実を受け入れる作業から認定される
先ず、涅槃の事実・所在が明らかになる、しかし、自分が思い描いていた事とは全然違う何かだとこの時点で解る
そこで起こるのは「否定」なんだ、自分の想定と実際の真逆の如くの違いに驚き、絶望に近い感覚の様なものが襲う
そこで事実なのか不実なのかを経典(この時は般若心経)を読み返し、議論になり易い部や戯論になる部分を省いて
核心部分だけを何度も何度も何度も読み返し、自分が観たものと照らし合わせてみる
何度やっても経典の説明通りの事実を自分は実際に観て、それを否定しようと必死になってた事に気付く
解脱は信じる信じないに因らない、認めざるを得ない事実を強制的に観せられ、それの事実認定をして
受け入れ切る作業の果報の事だ、とそれで知る
だから、他人が信じようが否定しようが関係無い話となり
誰かの印可も許諾も一切要らない、となる
君にもちゃんと行なう限り可能性は誰も否定できやしない
822 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 13:39:48.08 ID:+w6+7fvA
経典の言葉は文献学的には誰が書いたのか解らない 解らないけど、書いてくれた人達はみんな善意の釈尊の弟子達なんだ 釈尊の教えが正しい事を確認できたから一字一句でも参加して 経典として証言に後世の人のために加わりたい、その思いで書かれてると感じた ならば、それは釈尊直々のお言葉であると拝して読むべきであると、今は思う 全く嘘は言われてなかった、しかし仏は寛大であるので、経典を疑ってても お説の行法さえ守って確かめてみれば、同じ結論は必ず得られるのである 信じる信じないに因らないのが釈尊の伝えたかった事実なのだから 信仰と捉えてる人にはちょっと難しいかも知れん 釈尊は”汝の信仰を捨てよ”と教えられてる これは”自分宗”も含まれる事なので、心して挑んで戴きたく
823 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 14:23:27.74 ID:+w6+7fvA
821の補足 涅槃らしきものを実際に観たあと、想定とは余りの違いすぎから拒絶が起こり必死に否定しようとした 経典の言う涅槃との相違の無さから、結論として観たものの方が正答であると認定できたのは 否定しようと必死に反論をかき集める自分やその行為を散々呈しても否定しきれる根拠が皆無だと気付く訳だ 否定なのか?肯定なのか?の二者択一の岐路に立たされた時、普通は論拠が明快の方を選択する 解脱の時の認定作業にはこれすら破ろうとする自分が居た事実は否めない、恥ずかしい話 涅槃の事実は”事実”なのだから観た事が事実である以上、目で確認も出来る事なのである 私が戸惑いまくったのは当に”これ”である、ちょっとまて!である、嘘吐くなである 経典の言ってる事と(実は自分の想定のこと)全然違う、違い過ぎる、なのである 拒絶が起こっても何等不思議は無いのは今にしてみれば至極当然かと思う 人間は兎角保守的な生き物なので、自分の想定外のものは例え事実であっても直ぐには受け入れられないのである 下世話な話に訳した方が解り易い人も居るだろうから仮託すると 彼女に告白して、受け入れて貰えたら君は喜ぶと思う、それは想定した願望に沿った事実 しかし、縁無くフラれてしまった君は絶望するかも知れない、それは案外想定外の事実 どちらも結果は事実であり、前者なら即受け入れて喜び、後者だと暫く自問自答の否定・承認の葛藤が続く 故に、事実と言えども善悪に因らないとなる 現象って難しいね
824 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 14:27:55.29 ID:GoUe1VJh
>>821 >初禅は2〜3日中の内、1〜2回の参禅で到達出来ると思う、
流石にこれはないわw
じゃあ、初禅への入り方と、入っている時の心の状態を詳しく。
あと、光がどのように見えるか等。
825 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 14:40:55.48 ID:+w6+7fvA
>>824 >光がどのように見えるか等。
ニミッタを使うのは観法の方になる
禅定段階ではニミッタが見えても注意をそちらに向けたら禅定が崩れてしまう
禅定自体は多く語る必要も無く「心身脱落」これに尽きる
道元師は正しかったとこれで解る
826 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 14:50:45.65 ID:+w6+7fvA
ニミッタ(光の玉とか網とかオブジェ)を用いる観法は 数息観を已めても禅定が保ててる安定した初禅から 一気に四禅へ心身脱落していき、それが安定して来て始めて成り立つ 観法中は要するに座禅の形を保った考え事、と言う事になり 普段の生活でも、難しい事を思惟するときに我々は空中とも物とも言えない 何か一点を見つめて考え事をする筈である、目が泳いでる場合は集中が浅い筈である(迷ったりしてる) 観法は座禅の形態を保ってそれを行い、集中を高める禅定と隣り合わせで行う ポンプで風船を膨らまし(禅定)、自然に空気が抜けていく風船が萎んで行く過程で 深い考察を行い、萎みが極まってきたらまた直ぐポンプで膨らませる 止観の行とはこんな感じで行ったり来たりを繰り返す
827 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 14:52:22.47 ID:GoUe1VJh
>>825 >ニミッタを使うのは観法の方になる
そのニミッタをどのように使うの?
828 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 15:05:54.66 ID:+w6+7fvA
>>827 意識をニミッタに集中し、観察の対象へ向ける
ニミッタに意識を向けてもニミッタが消えたり分散せずに安定するには
それなりのサマディが必要で、不慣れは意識をニミッタへ向けた時点で
光が分散したり消えてしまう
安定して意識してられるまでに至れたら、お望みの観察対象へ向けるだけ
対象をニミッタで見れるのは各一度きりとなる、何故なら真実をそれで知り得る訳だから
解った以上、もう二度とそれに対しての疑念は湧かないので行く必要も機会も失せる
829 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 15:13:41.88 ID:+w6+7fvA
ニミッタで観る真実は個々に対しての個別の真実なので 向ける対象の数だけ機会は有る事に為り、一個が一度きりの機会と言う事に留意し 何度も違う対象に向けた観察瞑想を繰り返す事になる ヴィパッサナーの行者はこっちから入ってる人が多いため、解脱者は相当少ないと思われる 般若心経を否定したスマ師も私はちょっと懐疑的である 世俗義としての文字列になってる教典を比丘の立場で否定するのは慢心以外の何ものでも無いかとさえ思う 最初から心身脱落を教えた道元師は、その後の宗門の変貌は抜きにして 卓越した偉業を齎したと私は思う 臨済師も然りである
830 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 15:15:50.19 ID:GoUe1VJh
>>828 なるほど。
で、観法でどんなものが見えたの?
831 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 15:29:26.56 ID:MTdsXork
>>830 観法に付いては色んなものを観たが、一々は上げてられない
それ以前に、私の場合は心身脱落に徹しそれに徹しそれに徹していたのである
つまり、解脱の認定に至った時までは観法自体をあまり重要視していなくて
使い方も良く解っていなかった、兎に角心身脱落に徹していたのだ
つまり、見方を変えると智慧の貯金ばっか行なっていた事になる、使わず貯める様な
実際は日常に戻ったときに消費され、ボンクラへゆっくり戻っていくので貯まってる訳ではないんだが
イメージはそんな感じで、兎に角心身脱落に徹して右往左往していた
要するに涅槃って何なのよ?をのべつ幕なし日常では考えてたんだろうと思う
ある日である、坐禅して気を失った様な状態を30分くらい体験した
30分に実感は無く、数秒の感覚である、それを何度も体験し出す
気絶と違うのは姿勢が崩れていない事、睡魔もそうだが、禅定は崩れると
姿勢も崩れる為、禅定に至れて居ない事は外から見ても姿勢でわかる
この体験から涅槃の事実が解り、大ショックを受けて七転八倒の認否に至るわけである
832 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 15:40:20.96 ID:GoUe1VJh
833 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 15:42:53.19 ID:MTdsXork
行から入っても経から入っても、結局最後に重要なのは 経に書いてある証と理と体験になる、体験が事である どれに偏っても中道ではない為釈尊の伝えたかった真実とは違うものになる これは確かに中々理解し難く思議し難い それと、方便と言う用語があるが、これは言い換えれば方言と同じで 地方によった言い方と言う事になり、方便は「その人の言葉」となる 嘘も方便が広く伝わってるため、教導の為の嘘の様に思われて居るがそうではなく 経典全部は誰かの方便なのであり、体験談は体験者の方便なのである 故に釈尊は何事も鵜呑みにしてはならないと教えたわけで、これも釈尊の方便である 方便はその人が話す勝義となり、聞き手からは世俗儀として聞こえるものなのである これが方便の真実だと伝えたい、方便ゆえに
834 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 15:59:19.88 ID:MTdsXork
つまり、私がこれまで書いてきた事を鼻で笑って一蹴し反論しようと まかり間違って私の論に盲信を始めたとしても どちらに於いても方便に固執した事になり意味がない、となるのである 自由は認められてるので何をしようが世法の適う限りに於いては自由だろう しかし、大事なのは己がどうするか?だと思う 仏道は自分自身を律する事なのであり、他人を操作する事ではない 解脱も自分自身で解決する問題の事なので他人に因っては成し遂げられない それを証言したく書き込んだまでの事なので、気を悪くした人には一応お詫びを申し上げたい 失礼したしました
835 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 17:34:57.06 ID:MTdsXork
無我の考察に付いて方便を一つ 無我とは”私”に付いての処遇に決着を付けた結論名だと言えます 私を私たらしめるものはググれば直ぐ有る「我思う、故に我あり」が解り易く 私を考え私を実感しているその感覚を”私”の実体と考えてしまっています それの対境に対して言っているのが無我と言えるのです 決して”私”に執着しないとか気にしない程度のレベルでは無いため 非常に思議し難く思慮し難い境地な訳です 現象であるとか如来の境地であるとか色々言いましたが 釈尊所以の教説は”現生的なる法”故に、証拠を確認できなければ絵空事となります この上で無我を論じるなら、目の前に既に見えているのです 事物に”私”は有りません、どの事物も他者を認識していません、事物は自分も解らないのです そう言う状態へ自分を置いたとしたならどうでしょう? 我々の脳は ただの脂肪類で出来た有機的計算機なのではないでしょうか? その計算機が”私”の起こす様々な苦、煩悩、思い一切を如実に傍観したとしたらどうでしょう 傍観している計算機は誰でしょうか?既に誰ですら無いと言えなくも無いのでは無いでしょうか 少し難しい話ではありますが、現生的なる法として思考実験するとそんな解答もあるいは導き出せるかも知れません 要するに、大人の目線(有機的計算機)で子供の悪戯(我執)を観切る立場 そんな感じが無我の真実と言えると思います
自分はありません、といってる自分があるんですよ、 見てる方の自分ね、 これを百人が百人、不都合とも何とも感じない 世にいる悟ったさんはほとんどこの部類
837 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 18:16:24.50 ID:MTdsXork
それは脳と言う物体が思考と言う成果を出し続けてる結果に過ぎないのです 我々は人である前に物なのであり、人と言う名の、宇宙中の一現象なのです そこに本来、私なるものは存在しないのです、脳が演算した結果なのですから もし、私なるものがあるなら、私には全身麻酔は効かないでしょう 気絶しても気絶中に起きてる事象を具に覚えて居られる筈です ”私”は脳の成果物に過ぎないのでこの限りにならないのは言うまでもないのです
>>837 それは全部、過去の出来事の分析、知識ですね
法とは何?
839 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/25(火) 18:21:34.93 ID:tIXhNF2J
>>765 「精神科医」VS「如来(俺)」
どちらが正しいのか対決してる真っ最中でございます。
今更引くに引けません。
>>766 >>法華経は後世の大乗仏教の偽経ですよ、お釈迦様とは何の関係もありませんよ
フッフッフッ、まさかあなた、釈迦は歴史上のただ一人の人物だとお考えですか。
釈迦弐号機、参号機、四号機・・・いくらでも量産されているのです。
俺は何号機目の釈迦かは知りませんが。
>>767 すいません。自重します。南無妙法蓮華経
840 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 18:23:59.16 ID:MTdsXork
>法とは何? 理(ことわり)の事です 縁起する現象は全て法です、これを理法と呼ぶのです 835を苦も無く解ったらそれが悟りとなります だから思議し難く思料し難く思慮し難い訳です 釈尊が説く事を躊躇った甚深微妙なる法が現生的なる法の本当の正体なんですし
841 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 18:31:38.40 ID:MTdsXork
甚深微妙なる法がどう言ったレベルの法かと言うと 人々が一般的に想起してる真理みたいな真面目な話と 現実の実際現象とは往々にして紙一重の相違しか違いがなく しかもその紙一重が天地雲泥の差を生んでいる為 非常に説明し難い、説き難いと言う意味で甚深身妙なのです
>>840 不可思議というのに思議する、どうなってるんでしょう?
843 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 18:39:59.35 ID:MTdsXork
今風に言うなら「悟ってみたんだけどさ、何か結構本当の事って大差ないのね」的であり 「だけど、そのビミョーな違いが大きな誤謬を生み過ぎてて、説明したらゼッテー荒れるよね」 って訳だったんです 私が体験しただけでももう、自分と喧嘩だったんですから当たり前です 観たものが現実だと思えず、思っていた事は全否定される訳です 流石は甚深微妙なる法、狂う一歩手前とさえ思いましたよ
844 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 18:41:21.89 ID:MTdsXork
>>842 >不可思議というのに思議する
仏法の智慧はその為にあるんです
>>837 それを言うのもあなたの脳ですね、ならば、正誤はどのような基準ですか?
あなたの脳ですか?
846 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 18:45:05.78 ID:MTdsXork
847 :
釈迦の教え :2014/03/25(火) 18:46:19.76 ID:/s9gatRy
>>831 あなたの話は興味深いです。
たった一回だけど、わたしも滅尽定を体験しているからです。
あなたの場合、非想非非想処からいきなり滅尽定に入ったのですか。
魔境を経過しなかったですか。
滅尽定から、どうやって意識を取り戻したのですか。
>>841 違いって何ですか?
人によって月が赤に見えたり?
それ、全部、自分の中だけの都合じゃあないんですか?
>>844 仏法の智恵って具体的に何?
脳じゃないんですよね?
850 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 18:52:52.88 ID:MTdsXork
>>847 方法を問わないと言うなら私には全身麻酔の体験が実際にあります
これは一種の滅尽定の状態と認めざるを得ないでしょう
しかし、自力で滅尽定の体験はありません、と思います
入り方は兎も角、出方を説かれていないものなので
自力で入ったとして意思の介入無くどうやって出るのかが解らないものです
有るなら有るで、出方を良く知らなければ危険極まりない行法とも言え
そう言う危険性は抜きで安全に出られると言うなら四禅と何が違うのかが不明で
もっと深いと言うなら気絶や死亡との違いも明白になってないものと思います
あまり目指す必要は無い気もします
851 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 18:56:07.95 ID:MTdsXork
>>849 脳はあなたですか?
あなただと言うなら取り出してみてください
あなたのものでしょうから自在の筈です
>>851 自分でなければどうなんです?
言葉の上だけの無我で苦が無くなるんですか?
本当に?
853 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 19:04:09.29 ID:MTdsXork
>>852 苦は心で思った全ての行為から煩悩の効果として起こります
苦が自発的に起こる事はありません、引き金は全部心が引いているのです
その心が自分の心なのか、他人の心なのかは問いません
一切の心の群集が一切の苦の引き金を引き続けているのです
株価相場も戦争も社会現象も人間関係も交通事情も
全て人の心が作り上げた、良くも悪くも現象です
その一切の一端が”私”を思い他人を区別してる我執なのです
854 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 19:07:44.83 ID:MTdsXork
始めも空終わりも空、それでも腹へりゃご飯は食う 飯食ってきます
>>853 私を思うのが苦ならば
「仏教を知ってる自分」も「悟りを体験した自分」も
握りしめておくべきでしょうか
856 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 19:13:58.34 ID:MTdsXork
>>855 煩悩即菩提
閻魔くんが口酸っぱくして言ってた筈です
仏道とは菩提心凡夫の為にあると
菩提心が有る限り煩悩克服の対峙は真っ向から挑むべきだと思います
>>856 退治する自分、退治される自分、思考の遊戯ですか?
どっちが勝っても自分が残りますね?
勝った自分はどうするの?
858 :
釈迦の教え :2014/03/25(火) 19:18:33.00 ID:/s9gatRy
>>850 滅尽定と全身麻酔はよく似てますね。
どちらも時間が飛ぶ。だから滅尽定を体験すること自体は無意味です。
意味があるのは、滅尽定の入と出です。
滅尽定でUターンしてしまうと、その先を見ていないことになります。
その先、その先へと動くのは、その人の「意志」です。
意識に全身麻酔は効きません。神経細胞がマヒするだけです。
部分麻酔の場合、意識はあるけど、感覚のない肉体があるでしょう?
それに、気絶しても意識は持続してます。
859 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 19:20:00.38 ID:bJRSA4ui
悟ったら、残りの人生はオマケみたいなご褒美です あとは好きな様にしたら良いと思います 悪業は封じられてる(克服してる)筈ですから悪い事はしないでしょうし 霞の様な楽しい人生以外有り得ないでしょう んじゃ
860 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 19:24:09.27 ID:WzKYHxMV
>>763 >祖父は法話も聞いたことがなく薬学者として生涯を終えましたので、
>禅定による前世想起など縁がなかったです。
おめえナニ言ってんの?禅定で前世想起ってバカじゃねーのwwwwww
見てきたみたいに「前世」とか狂ってるの?
精神科医の対機説法を受けてこいよww
861 :
釈迦の教え :2014/03/25(火) 19:34:33.96 ID:/s9gatRy
>>793 >つまり、真に解脱しているのなら、こんな所で持論を喚き散らしたりはしないということだ。
>こんな事をしてるのは全てニセモンだ。
2chをバカにするもんじゃない。
ホンモノはどんな場所でも気にしない、ということではないか。
ホンモノもニセモノも似たもの同士だよ。
やがては全員「仏」になる。
862 :
釈迦の教え :2014/03/25(火) 19:39:42.36 ID:/s9gatRy
>>859 悔し紛れに捨て台詞? どなた様か知らないが、
そんなこと言って悪業を積まない方がいいですよ〜ん (^^)
863 :
○ :2014/03/25(火) 19:43:01.08 ID:4oyKzsjA
>ID:MTdsXork氏 禅定での前世想起はありましたか?
864 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 20:01:37.45 ID:WzKYHxMV
>>863 てめえはいつも他人を巻き込もうとするよなwwww味方つけよーとよww
てめえで「禅定で前世想起」ってさもあるかのような体を出してきたんろうがよ
865 :
○ :2014/03/25(火) 20:03:13.84 ID:4oyKzsjA
> ID:WzKYHxMV 君には聞いておりませんよ。 ID:MTdsXork氏への質問です。
866 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 20:14:11.34 ID:WzKYHxMV
「禅定で前世想起」は俺との掛け合いでアゴ動かしたんだろうがw
867 :
釈迦の教え :2014/03/25(火) 20:38:09.16 ID:/s9gatRy
>>810 鰯の頭を拒絶する閻魔を高く評価するが、
釈迦は何も説かなかった、という主張についてはどうなんだろう。
四諦八正道や縁起の理法を説いているではないか。
事実を語ることは、何も説かなかったことにはならない。
科学者が新事実を発見しても、それは前々からあった事実だから
お前は何も発見していない、と切り捨てるようなものだろう。
しかし、そうやって切り捨てるところが閻魔のいい所なのだが、
早く悟れ。仏教の知識が悟りの邪魔をしてると思う。
>>821 よくわからないんだが、じゃあなぜここに書き込んでるの?
やたら直接体験を重視するような口ぶりをしながら
現実に直接会っている人との縁を優先させるわけでもなく
ネットで布教に勤しんでいるのは自己矛盾なんじゃないの?
>だから、他人が信じようが否定しようが関係無い話となり
>誰かの印可も許諾も一切要らない、となる
別に釈尊と同じ悟りを得たから満足しているわけじゃないんだよね?
自分が行った行為に満足しているんだから
そこに仏教的な要素を持ち込んでくること自体、一切不要なんじゃないの?
なんか芸能人の名前をつかった商売してたのに、本人の同意をきちんと得ていなかった的な
争訟の臭いがするわ
で、争った結果、本人は酒の席でそれをよく理解せず同意したのであって
それは法的な拘束力はないみたい結論になりそうw
自分に正直に生きようぜ?悟りは現実逃避の道具じゃない。
くだらない独断論はもうやめようぜ せめて自分の責任とれる範囲で話をしよう
870 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/25(火) 21:05:17.45 ID:o7h6o5Sq
>>836 >自分はありません、といってる自分があるんですよ、
> 見てる方の自分ね、
そんなに難しく考える必要はないんで・・・
あまり難しく考えると神経症になる。
寝る前に一言書いておく。
いわゆる涅槃というには死体(しにたい)のことだから思惟が入る余地は全くない相をいう。
仏教はシンプルに考えた方が良い場合もある。
ではオチ。
872 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/25(火) 21:18:06.23 ID:o7h6o5Sq
>>871 おかしなこと言うね?
無我ってのは、思考停止の状態なんじゃないですか?
>>872 無我ってのは、自分が常住不変の存在ではないという意味じゃないの?
>>870 >
>>836 > >自分はありません、といってる自分があるんですよ、
> > 見てる方の自分ね、
>
> そんなに難しく考える必要はないんで・・・
> あまり難しく考えると神経症になる。
なりません、「考えて、自分が有る」んです
>>872 全く駄目ですね
六祖壇経にこうあります
「心が何も考えないよう強制するのは間違いです。その時だけ強制して心を滅すことができても、また別の界(あるいは有)に生まれなければならないからです。」
>>870 無我は思考停止ではありません、従来からの考え方、
自分中心に物事を考えるのを止めるんです
自己をならふとは自己を忘れるなり、と言います
自分に全く手付かず、自分の事を切って落としたように考えない、
「識中に自己を忘ず」
です、死人とはこれ
877 :
神も仏も名無しさん :2014/03/25(火) 23:27:49.29 ID:EvDSYIyH
>>810 ブッダを応身如来と観るなら何も悟ってないし何も悟れない
語る事も無いし説く事も無い、涅槃に住す如来に他人は居ないし利く口も無い
理法を人の為に説いたのは真実を悟ったゴータマ・シッダールタその人である
我らを含んだ全ての仏弟子は、歴史上の彼を仏陀と称している
如来の真実・縁起の理法は人間ゴータマの口より齎された
人間にしか法は説けない
故に、君の仏性所以の可能性は誰にも否定されない
坐禅で良いから早く観て下さい、涅槃の事実を
878 :
ぽかり!σ(‐εΘ)イテテナグラレチャッタ30棒 :2014/03/26(水) 00:41:48.95 ID:b1ajz/QW
> 学ぶ事無くただ太るだけの嘘ばか狗、【嘘臭】(; -y-)ツ)) クチャイクチャイ♪ ほんとに粘着があっても、まなぶことがないなあ。 みんななかおくれるばかりだ、しっかりせい! 無字の公案 新参の修行僧、問う、門前の痩せ狗にも仏性がございますか? 師、答える、有。 古参の修行僧、問う、門前の痩せ狗にも仏性がございますか? 師、答える、無。 野狐の公案 修業僧問う、悟後の人はおしゃか様のおさとりである因縁果の因果の法(しんり)に拘束されますか? 師、答える。因果の法に落ちず(不落、ふらく)。 修業僧問う、悟後の人はおしゃか様のおさとりである因縁果の因果の法(しんり)に拘束されますか? 師、答える。因果の法くらまされず(不昧、ふまい)。 同じ事をこの二つの公案は老婆親切にも姿を変えて、問い、答えている。 バカ狗でもやる気があるならこの公案に真っ正面からぶつかってみよ。 粘着に終わるなら、佛縁も無いのだろう。
879 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 01:44:39.03 ID:mF+0YU/v
いつかは有、今は無、縁起する現象に即せば空 縁起する現象は如来の当体、故に因果律そのものでもある 因果に落ちないものなど存在しないので、因果を誤魔化す事など出来はしない 同じ事を訊いている訳では無い
880 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/26(水) 07:33:06.20 ID:GbSoN7yw
>>875 >「心が何も考えないよう強制するのは間違いです。その時だけ強制して心を滅すことができても、また別の界(あるいは有)に生まれなければならないからです。」
そういう思惟の連関の中の一瞬の隙間を垣間見るとこに仏教の本懐がある。
無用においての一瞬の有用のことだよ。
例えば、ニーチェの虚無における受け止め方でも、人それぞれに違うのは当然。
虚無においての絶対肯定をそこに垣間見る人もいるだろう?
どう読み取るか?というのは、
その人のセンスとか、感性とか、直覚とか、第六感とか、そういった領域にある。
公案は、そういった領域に人を導くものだよ。そのカラクリってのは非常に単純。
頭を混乱させて自省を促すもの。
簡単に透過できる者もいれば、一生かかっても駄目な人もいる。
アスペルガーは先ず無理。
文面どうりにしか受け止められないから。
881 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 07:43:05.17 ID:ZD5EqagV
机はハッタリ10年を総括しろやw ハッタリ病の意見言われてもなあw
禅思想の本質をなす基本的論理には、人間の思考を一切の迷妄と苦しみの根源として根源悪と見なし、 「思考の停止」を迷妄と苦の消滅の因として説くという考え方がある この考え方には、思考・思慮・思念、言語活動・コトバの世界、分別・戯論というものは「悪」であり、 不思不観・無念無想、言語道断、無分別・離戯論は「善」という捉え方が控えており、そのため、 修行においても後者を目指して取り組むことへと繋がってゆくこととなってしまいます。 「思考の停止」というものを目指すことが、やがて仏教の目指すべき最高の目的となってゆくと、 基本的な仏教の教説(四法印、四聖諦、縁起・空の考え方、慈悲行、利他行、六波羅蜜行など)さえもが、 簡単に破壊されていくという弊害が生じる この「思考の停止」・「無分別知」を目指すという誤った考え方は、長らく仏教思想史上において強力な 勢力を占めることとなってしまうわけですが、その見直し、是正を目指す動きが起こったのは、 インドでも、また、中国でもなく、チベットの地において、「サムイェーの宗論」という、一大宗教論争が端緒となって現れる
883 :
釈迦の教え :2014/03/26(水) 07:50:54.99 ID:mSBOHwsB
釈迦は、悟った後に十二縁起を観じたと言われている。 それが事実なら、十二縁起は釈迦に関する重要な情報を与えてくれる。 釈迦はなぜ、十二縁起を「無明」からスタートさせたのか。 空でもなく、物質でもなく、霊魂でもなく、神でもないのはなぜか。 釈迦は自分の体験から、悟りの前後の違いを明らかにし、 悟りの意味を明らかにしようとしている。そこで「無明」が選ばれたのは、 出発点に「無明」があったからに他ならない。凡夫は「無明」に覆われている。 これに気づけば悟れる、という釈迦のメッセージなのではないか。
884 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/26(水) 07:51:13.19 ID:GbSoN7yw
>>881 まだ居たのか(苦笑
私が書き込みすると即レスする。ってことは
このスレを監視しているのかと思うけど、それは異常だよ。
普通は例えば私への怨恨があったとしても2・3日過ぎれば忘れる。
神経症の場合は、忘れるどころか日に日にその怨恨が自分を苦しめる。それは病的なプライドがあるから。
貴殿は、今その段階だから、早く病気を治せ。
885 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 08:03:50.88 ID:ZD5EqagV
机のハッタリで、一切衆生が惑わされる事無いよう業務しているだけだがなw
886 :
釈迦の教え :2014/03/26(水) 08:10:35.86 ID:mSBOHwsB
十二縁起を「無明」からスタートさせるのは奇妙ではないか。 それは凡夫の在り様を図式化したものである。 では「無明」に気づいた釈迦の在り様は何からスタートするのか。 空であるはずがない。空からは何も展開しない。 物質でもない。物質からは物質が展開するだけだ。万物は流転する。 神や霊魂ならわかる。しかし「無明」が選ばれている。 しかし、この「無明」は奇妙であり、「無明」の正体が不明だ。 「無明」自体は実体のない形容詞に過ぎない。 釈迦はいったい何を「無明」だと形容したのだろうか。自分自身?
887 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 08:12:28.62 ID:ZD5EqagV
>禅思想の本質をなす基本的論理には、人間の思考を一切の迷妄と苦しみの根源として根源悪と見なし、 「思考の停止」を迷妄と苦の消滅の因として説くという考え方がある はったり机やポンコツ・ゲシュタルトクンの見解をみれば、そうかもなw ホントの処は、物事の正確な把握が中心。 >チベットの地において、「サムイェーの宗論」という、一大宗教論争が端緒となって現れる 学問理解の不要の有無の論争でしょう。ダライラマの宗派、ゲルク派のシステムをみれば明白。 あと、大乗的見地、解釈の差でもあるな、 教義的には、リアルに全員解脱した精神状態にさせるべきであるとと反禅サイドはいったのでしょう。 前期中観派よりも後期中観派の方が優れていると、チベットは選んだのであろう。 ダライラマの宗派、ゲルク派は建前上前期中観派としているが、 教義研究内容は唯識的発想、かつ後期中観派であるな、実質上。。
そのような不思不観の瞑想は、8世紀末の「サムイェーの宗論」以来、チベット仏教では厳しく戒められているのです。
889 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/26(水) 08:24:42.64 ID:GbSoN7yw
>>882 >「思考の停止」というものを目指すことが、やがて仏教の目指すべき最高の目的となってゆくと、
> 基本的な仏教の教説(四法印、四聖諦、縁起・空の考え方、慈悲行、利他行、六波羅蜜行など)さえもが、
> 簡単に破壊されていくという弊害が生じる
色即是空 空即是色ですから、貴殿の言説は極論やに思いますけど如何かや?
空で留まっちまえば、そういうこともあるかもしれません。
しかしそういう御仁は精神的にはキツイんじゃないですか?
だから精神的にやられちまった病人が、このスレッドにも常住するような有様。
仏智から世俗智へ、こうして般若は完成されるやに思ひます。
インド仏教哲学の巨匠シャーンタラクシタの弟子カマラシーラ(蓮華戒)は、サムイェー僧院において 中国禅の摩訶衍和尚と論争し、主に1.座禅のみを修すれば、六波羅蜜の一々を修行する必要はない としたこと、2.禅定中は不思不観を徹底すべきとしたこと―の二点を取りあげて、摩訶衍説の非を糺した。 その結果、ティソン・テツェン王の裁定により、以後チベットではインド伝来の大乗仏教を正統とすることに決したという。
891 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 08:28:35.82 ID:ZD5EqagV
>そのような不思不観の瞑想は、8世紀末の「サムイェーの宗論」以来、チベット仏教では厳しく戒められているのです。 忠実にやっているのはゲルクのみですよ。 ニンマあたりは、ゲルクから、禅かぶれ扱いとなります。 889ハッタリでも答えられる範疇てかw チベット密教の知識が無いから的外れ、 これぞ10年ハッタリ机と言われる由縁w
892 :
釈迦の教え :2014/03/26(水) 08:29:32.98 ID:mSBOHwsB
「無明」の背後に、自分自身が想定されているなら理解できる。 自分自身が「無明」に覆われているから凡夫なのである。 この「無明」を消滅させれば、本来の自分自身になれるはずである。 しかし、どうやって「無明」を消滅させるのか。 それに気づくことはもちろん必要だが、それだけではまったく足りない。 魂が震撼するほどの体験をしないと消滅しない。 それほどの体験とは、古い自分が死に、新しい自分が誕生すること、 キリスト教でいう復活(聖霊体験)に他ならない。 神との出会い(甘露体験)、釈迦はそれを体験しているはずである。
893 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 08:30:44.20 ID:ZD5EqagV
>以後チベットではインド伝来の大乗仏教を正統とすることに決したという はい。 ダライラマの宗派、ゲルク派は建前上前期中観派としているが、 教義研究内容は唯識的発想、かつ後期中観派であるな、実質上。。 と言う事で、顕教用のツォンカバの論書読んだ事ありますから。 批判する点も当然・・・ アタマ悪いので正確に記憶できていませんが・・・・w
894 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 08:34:42.45 ID:ZD5EqagV
>中国禅の摩訶衍和尚と論争し、主に1.座禅のみを修すれば、六波羅蜜の一々を修行する必要はない としたこと、2.禅定中は不思不観を徹底すべきとしたこと―の二点を取りあげて、摩訶衍説の非を糺した。 学問、仏教学を要、不要の論争の争いかと思われます。 むろん、ハッタリ机や、ポンコツ・ゲシュタルトクンには 理解できない論争でしょうなw
895 :
釈迦の教え :2014/03/26(水) 08:40:48.67 ID:mSBOHwsB
神との出会いは、聖霊体験でも甘露体験でも、 神を知るのはもちろんだが、同時に自分自身を知ることでもある。 古い自分が死に、新しい自分の誕生を自覚する。 しかしまだ、自分自身の「実体」が明確になってない。 これについては後に、坐禅(サマタ)によって霊魂であることを知る。 ここまで来れば「無明」の背後にあるものが明らかになる。 それは霊魂(我、アートマン)であり、 それを覆っている「無明」とは唯識のアラヤ識に他ならない。
896 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/26(水) 08:45:29.39 ID:GbSoN7yw
>>891 >チベット密教の知識が無いから的外れ、
密教と禅は、対極的に相性が悪い。
例えば密教では「禅は土足で如来界に入り込む」とか考えてるからね。
それはどうでも良い。
問題は、貴殿が密教なら、そもそも絡んでもどうしようもないのだよ。
だから私は「絡むな」って言っておろうが。
絡まなくていいから。密教には関心がないんでな(苦笑
八世紀のインド大乗仏教中観派の論師シャーンタラクシタの『中観荘厳論』はナーガールジュナに端を発する中観派の歴史の中では後期の著作に属し、 中観哲学において最も思想的に発展した文献の部類に属すると思われる。なぜならそれは日本においては奈良時代に学問仏教として 令名を馳せた唯識・阿毘達磨・因明の教学をほとんど網羅し、インドの六派哲学の教学をも引用しているからである。 しかもそれらの哲学的体系に対して彼一流の中観哲学理解に基づいた鋭い批判を加えている。
898 :
釈迦の教え :2014/03/26(水) 08:59:57.93 ID:mSBOHwsB
釈迦は、十二縁起を「無明」という形容詞でスタートした。 その理由は、悟りの原点が「無明」に気づくことにあるからだろう。 凡夫に神や霊魂を説いてもわからない。だから「無明」になる。 凡夫の筏は、四諦八正道、縁起の理法で十分である。 十二縁起は、凡夫のどこに問題があるのかを明確に教えている。 十二縁起を考えたことで、釈迦の悟りの内容がだいぶ見えてきた。 釈迦は、悟りの目的や、悟りの方法を十二分に説いている。 釈迦は真のブッダである。
899 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 09:03:51.20 ID:ZD5EqagV
こういう論争の見地も無く禅的だと思い自慢げに幼稚に垂れ流す、ハッタリ机とポンコツ・ゲシュタルトクンを批判している訳ですな。 バービーは北朝鮮みたいに空虚にギャーギャーいっておるがw ハッタリの上にハッタリを重ねる机かな。 詐欺する人間の思考回路だな机はw
900 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 09:08:12.15 ID:ZD5EqagV
とにかく、ハッタリ机、ポンコツ・ゲシュタルト氏の言説が、禅と思わない様にと、 897氏に願う処であります。 朝から、レスする気が起きん、新興宗教の輩クンががんばっているなw ハッタリ机、ポンコツ・ゲシュタルト氏のご高説の餌だなあw
瑜伽行派はこの時代、梶山などが主張されるようないわゆる「瑜伽行中観」として世俗諦では唯識を説きつつ、 勝義諦では中観の教義に従うとして存続したか、あるいは山口などが主張されるように中観派によって一方的な非難を受けたか、学者により見解が異なる。 チベットの大訳経官イェシェーデの『見差別』の記述にしたがって「瑜伽行中観」はインドに実在したとされるが、 山口は「『中観荘厳論自疏』では正面から唯識を否定する記述があり云々」とされ、「瑜伽行中観」は存在しなかった、と主張される。 また瑜伽行派は、知識と形象が実在し、かつ両者の本質が同じだとする「形象真実論者」と、 知識の本質である自己認識のみが実在するとする「形象虚偽論者」に分けられるという さらにアーラヤ識が悟りの段階で否定され、知識と形象の区別がつかなくなるという立場をとる「無形象唯識論」と、たとえ悟りを開いてもアーラヤ識そのものは否定されず、 知識と形象の区別は付くのだとする「有形象唯識論が存在し、前者は安慧の『唯識三十頌』解釈に由来し、後者は有名な玄奘三蔵の師匠でもあった護法の『三十頌』解釈 に基づくのだという とにかく瑜伽行派については古来からさまざまに論議されているが、そのうちのほとんどが中国の僧侶による報告にもとづいている。 従って現在のところ一部の碑文の記述を除き、大乗仏教の実体は少なくともインド語による資料の中には見いだされていない。 それゆえに大乗仏教は「派閥」というよりはむしろ個人的な思想的信条のようなものであり、中国仏教やチベット仏教、日本仏教におけるような「宗派」ではなかったとおもわれる 以上のようなことから、山口や梶山が用いられるような「学派」なる概念を当時の大乗仏教に対して用いることは正しくないと思われる。 従って部派仏教が行なったように僧伽として大乗仏教が成立していたと考えることには疑問を生ぜざるを得ない。 ゆえに「中観派」とか「瑜伽行派」なる概念は「中観思想家」あるいは「瑜伽行思想家」と呼んだほうが適当であるように思われる。
902 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/26(水) 09:15:12.50 ID:GbSoN7yw
>>899 >こういう論争の見地も無く禅的だと思い自慢げに幼稚に垂れ流す
こういうことは見地がない方が良いのだよ。
まあ、貴殿はアーレフとか、そっち系の何たら教団に騙されているのかと思うけど、
そういう教団といのは、
既存の宗教教団を批判することが善と教え込まれてるから、
始末におえんのだよ。
903 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 09:19:07.30 ID:ZD5EqagV
>とにかく瑜伽行派については古来からさまざまに論議されているが、そのうちのほとんどが中国の僧侶による報告にもとづいている。 当たり前だ、玄奘時代の中国は原語原典破棄主義だ。 >それゆえに大乗仏教は「派閥」というよりはむしろ個人的な思想的信条のようなものであり、中国仏教やチベット仏教、日本仏教におけるような「宗派」ではなかったとおもわれる 学問論ではなく修道論的見地だと、 恐らく、学者の想像する以上に唯識は強力な影響力を持っているよ。影響の受けた宗派がゴロゴロと、故に玄奘はインドに行った訳だ。忠実な論書、学を求めて。 天台、華厳、密教は唯識が無いと無理である。 禅はビミョーなんだなあ、唯識の影響があるとも言えるし、無いとも言える。 >ゆえに「中観派」とか「瑜伽行派」なる概念は「中観思想家」あるいは「瑜伽行思想家」と呼んだほうが適当であるように思われる。 禅を排除もしくは、禅を知らない学者の仏教史観点だと、そんな処だろう。・・
904 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 09:21:11.58 ID:3/8xneNz
甘露とはソーマではないのかな
905 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 09:22:48.46 ID:ZD5EqagV
>こういう論争の見地も無く=既存教団の話が、 >既存の宗教教団を批判することが善と教え込まれてるから、 始末におえんのだよ すりかえる机の病的自己愛の発露だなw こういうことは見地がない方が良いのだよ=。 アーレフとか、そっち系の何たら教団 と思考できないハッタリ10年机の真の実力なりw
906 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 09:26:02.03 ID:dPcTdak2
ナーガールジュナの主著である『中論』サンスクリット原典は、現在のところ六世紀のチャンドラキールティによる注釈の中から しか得られていない。従ってチャンドラキールティによる特殊な解釈がナーガールジュナの『中論』にも混入している可能性がある。 『中論』という書物は読んでみればわかるように、そのままではほとんど理解できないほど難解な文献である。 中国ではこれが青目という人の注釈と一緒に読まれるのが普通であった。このため『中論』という場合、この青目釈をも含んでいるのが普通である。 この青目釈はほぼ逐語的な注釈であるが、訳者鳩摩羅什によって創作された独自の思想が盛り込まれている。 この青目釈は中国仏教理解のためには欠くことのできないもののうちの一つである。 『中論』の注釈者は現在知られているだけで七人いる。この中には一般に中観思想家には含まれない無著や安慧が含まれているが、 彼らの注釈は漢訳のみにしか伝わっていない。したがってそれ自体あまり信頼すべき注釈ではない、として『中論』を読む際には無視されてきた。 しかし一般に『中論』とはあまり関係のない唯識思想家によってこの『中論』の注釈が著わされたという事実は、たとえそれがあまり信用できない注釈であったとしても、 それ自体に大きな意味がある。なぜなら、もしそれが事実であるとすれば中観や唯識といった前にも述べたいわゆる「派閥」はインドにおいて、 存在しなかったのではないかという推論がますます真実味を帯びてくるように思われるからである。 『中論』に関係するサンスクリットあるいはチベット語で書かれた注釈書で現在伝わっているものは、 ブッダパーリタの『ブッダパーリタ根本中論註』、 バーヴァヴィウェーカの『根本中論註般若燈論』、チャンドラキールティの『明らかな言葉』、そして釈者不明の『無畏論』である。 ブッダパーリタの注釈は中観哲学において帰謬論証派といわれる思想的流れを創始したブッダパーリタによるものであり、 チベット仏教の中興の祖ツォンカパ・ロサン・タクパがこの思想的見解を奉じていたため、チベット仏教にとっては後に述べるチャンドラキールティ註とともに重要な注釈である。
方便の教えは 相手の心を抜き取ることを 第一に考えてるから
そこに執着していると 己の心の殻にとじこもったままになる
910 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 09:38:09.26 ID:ZD5EqagV
>『中論』という書物は読んでみればわかるように、そのままではほとんど理解できないほど難解な文献である。 難解丸出し=禅という 可能性を知ることのできるモノは禅の修行した事があるもののみだったりしてw
911 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 09:39:36.42 ID:XVnOwSvt
しかし 殻にとじこもって じっと内側を見つめると 答えがあったりする? これに堪えれる人がいればだが…
912 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/26(水) 09:41:03.75 ID:vCFGW1gg
ほんじゃあ、ちとマジで聞くがなwdaio- チベット密教について、なにやら「語って」おるが、お前は、一代みたいに リアルで十年くらいチベットで修行してきた経験をもつのかい? きちんとチベット僧の師匠について、修行してきたのか? 密教は、それこそ「師承」がすべてだろうがww まさか、単なる知識の集積のうえで、密教を語ってるのか?w 当然、チベット語には精通してるんだろうな?w
913 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 09:43:08.32 ID:ZD5EqagV
>方便の教えは 相手の心を抜き取ることを 第一に考えてるから おお、相手の罵倒wバービーの嫌いなw >そこに執着していると 己の心の殻にとじこもったままになる んな事より、世に戻ろうぜ。 じゃ、バービーは禅とチベットを知った上で罵倒評価しているのかな?
914 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/26(水) 09:49:29.92 ID:vCFGW1gg
>>913 wwwwwwwwwww
俺は、ず〜〜〜〜〜と、自己を外部者と規定しているw
だから、仏教の教義についても、その是非を言及するときは、必ず
「・・・・・なのでは?」 という疑問形式で、一歩ひいた形で
疑義を提示するw それは、このスレの古参住人皆の知るところだと
思うぞww
俺のは、単なる「知識」ww
よって、内部者の心情、信仰等は、うかがい知れないところであるから
そこに抵触する部分は対話に参加していないわww
オマエみたいに、「知ったかして」 「・・・・・は、まだまだ」
「・・・・は、わかってる」みたいな評を薄っぺらな知識をもとに
喚いたりしないのwww
チベット仏教については ジョニーイングリッシュ 気休めの報酬で 詳しく勉強した
916 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 10:00:46.50 ID:Xfba8izB
>>883 敢えてこれを説かん、賢者よこれを知れ
無明は一切衆生にしか無い十二種の煩悩縁起中に於いての根本煩悩に当たる
この無明を確知出来る種族は現在までに人間だけとなっている
人間には人類最高の英知に因って見出された仏教=仏道があり
無明を確知する術は今のところ、この仏道にしか術を見ない
無明の正体は”完璧なる無知”であり、疑念に解答が見出せない
一切保留の疑念がここに格納されている
この疑念は折に触れ絶えず縁起し思考判断を鈍らせ続け
時として生存の危機すらも厭わず迷妄が已む事がない
この無明に格納される最大の保留疑念は自我であり
解った気がして実は正体不明の自我が我執となって無明に
鉄壁の守りを齎し、常人の心を惑わし続けている
最大の防御力は言わずと知れた「心が無かったら生きて行けない」
と執着させるミスリードである
心が無ければ確かに生存活動は不可能である
であるならそれに甘んじて居て言いなりで良いのだろうか?
心の緊縛に隷属するのではなく、もっと高みから使役する道を示した人
それが釈迦牟尼世尊が説く事を決めた真実の仏教なのである
918 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 10:06:07.28 ID:ZD5EqagV
で、バービーこのバービー様の御判定の矛盾はバービーの性格異常のなせる技か? 論理的矛盾が自覚出来ないのか? 知識だけの奴が、どんな風に判定できるんだ? バービーが性格異常だからか?閻魔の本体だったら、最高だけどなw >俺のは、単なる「知識」ww よって、内部者の心情、信仰等は、うかがい知れないところであるから そこに抵触する部分は対話に参加していないわww >オマエみたいに、「知ったかして」 「・・・・・は、まだまだ」 「・・・・は、わかってる」みたいな評を薄っぺらな知識をもとに 喚いたりしないのwww
920 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/26(水) 10:16:22.82 ID:GbSoN7yw
>『中論』という書物は読んでみればわかるように、そのままではほとんど理解できないほど難解な文献である。 中論というのは理解するものではない。 良い例が、私が中論を在家氏に説明したら「机上空論」で終わってしまう。 そんなもんだよ。理解ってことなら在家氏が一般的だろうよ。 貴殿のその書き込みで、貴殿の中論解釈の程度は分かった。 つうか、そもそも中論というのは、行者が悟達としての摺り合わせとして解釈するものであって、 一般的な宗教書とか、哲学書、思想書とはレベルが違う。
921 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/26(水) 10:16:44.91 ID:vCFGW1gg
>>918 wwwwwwwwwwwww
は〜〜〜〜〜??? 何が論理的矛盾?
それ、前にも説明したな? ww
俺のは、単なる知識w だから、「・・・・・は、チベット密教的に
いって、是・・・・・これは非・・」などと評を加わえたり、判定したことなど
「一度も」ないわいwww
俺が今まで、唯一、チベット密教に対して、異論を提示したのは、
一代が『聖者の遺体にはしばしば、・・・・という宝石みたいなの(名前
忘れたww)が現出する」・・・というリアルでの現象面の話題に触れた時だけww
「ゲルクでは、なんちゃら・・・・二ンマでは、なんちゃら・・」などと
語ったことは一度もないwww
俺のは、ネットで閲覧できる範囲の知識に限定されてるから、それについて
語ることは憚られると考えてるからww
(実際、リアルではゲルク坊主と話したことは一度しかないしなww)
922 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 10:19:16.96 ID:ZD5EqagV
へえwバービーはトボケ芸をするんだw 北朝鮮にまともな会話は不要かもなw正確な事実は不要なんだろうなあw
チャンドラキールティは七世紀に活躍した人物で、ブッダパーリタが用い、そしてバーヴァヴィヴェーカによって批判された 経緯をもつ帰謬法による論証方法を復活させる方法をさがしもとめた。彼の主な論争相手は先にものべた唯識派や仏教論理学者たちであったと考えられている。 彼は勝義とは言葉を否定したところに実在する「本質」であると考え、世俗を言語活動 を本質とするものであると考えた。そしてその結果としてインド論証学を軽視し、宗教的実践や修行を重視した ナーガールジュナによって説かれた二諦説は、さまざまな解釈を受けた。そしてその意味も註釈者によって異なっていた。 『中観荘厳論』もこの二諦説に対して特徴のある解釈を示している。山口瑞鳳はこの著作を「中観二派(バーヴァヴィヴェーカとチャンドラキールティ による中観思想の理解)の誤りをも正して、ナーガールジュナの哲学に対する最終的な解釈を打ち出した」と評されるが、 それは『中観荘厳論』における二諦説の特徴ある解釈方法を評する言葉としておおすじ適当であると思われる。
924 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/26(水) 10:22:14.92 ID:vCFGW1gg
>>922 は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜????
とぼけ???
なら、俺が、「語ってるレス」を一つでいいからあげてみなwwww
このバカ、反論に詰まると、いつものように「北朝鮮」だの「将軍様」
だの、罵倒に走って逃げだすとwww
そいうところが、皆から相手にされない理由だと、いい加減に「悟れ」www
925 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 10:25:31.14 ID:ZD5EqagV
ハッタリ机とポンコツ・ゲシュタルトクンは、 武っ虚学的に言えばチャンドラキールティとバーヴァヴィヴェーカの区別がつかぬ 次元で、禅はーーとやっている訳だな。 これだけ、真面目にやっても異常性格バービーには・・・・w
926 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 10:29:09.48 ID:ZD5EqagV
異常性格のバービーは918の論理的矛盾を認めず、 バービーが異常性格による罵倒に終始している訳だなw ま、バービーの基本は境界例的な嫌いと思った奴に一方的に揚げ足取りの罵倒があるw
927 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/26(水) 10:30:40.08 ID:vCFGW1gg
ちなみに、過去において何度か、一代にチベット密教について疑義を 提示したことはもちろんあるw だが、その際も、「・・・・は。。。。。といことかい?」 というような疑問形式で、 「・・・・・は、〜〜〜〜である」 などと、よく知りもしないことを 断定的に語ったことは「一度も」ないwww 俺は、お前みたいな「知ったかバカ」が嫌いなのwwww
928 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/26(水) 10:30:51.09 ID:GbSoN7yw
>>925 >武っ虚学的に言えばチャンドラキールティとバーヴァヴィヴェーカの区別がつかぬ
こういう講釈で騙されるのがカルトの特徴w
まあ、私に噛み付きたいなら、基本的に中論を学ぶことから出直してこいw
これは理解ではないぞ。
929 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 10:32:23.54 ID:ZD5EqagV
ははは、境界例的病状的に嫌いなだけだろwバービーちゃんw 自覚しろw 境界例的な病的な揚げ足取り行為の自覚が必要だなあw
930 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/26(水) 10:35:37.76 ID:vCFGW1gg
wwwwwwwwwwwww そろそろ、いつものやつが始まったwwwwwww このバカ、興奮すると同一語句の連騰文になるww 「境界例的」・・・・・wwwww こりゃ、確かに精神やられとるなあww
931 :
1/2ブッダ無悟テキスト :2014/03/26(水) 10:40:23.42 ID:k5P7S/Hq
>>867 >四諦八正道や縁起の理法を説いているではないか。
・『縁起(間接現実一切)を知覚<如理作意>するものは、すなはち、<苦・集・滅・道>を見る(龍樹 中論24-40)
・『縁起(直接現実)を般若智直覚<如実智覚>するものは、すなはち、無<苦・集・滅・道>を現観す(般若心経)
仏は矛盾なきを矛盾のうちに説く。
矛盾なき様相そのものは、対象化不能ゆえ「説く」ことは不可能←不立文字。
四諦八正道や縁起の理法は、勝義から還滅(無分別の分別)された相対を前提とする対機説法だ。
ブッダの追体験が禅だが、<如理(すじみち)作意>と<如実(あるがまま)智覚>のフィードバックが実践仏道だといえる。
932 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 10:42:26.00 ID:ZD5EqagV
ま、バービーちゃんは、閻魔あたりに境界例的に依存していて、 依存した相手を攻撃すると自分が攻撃されたが如くに怒り、 執拗な揚げ足取り罵倒を繰り返すのだろうねw
933 :
2/2ブッダ無悟テキスト :2014/03/26(水) 10:45:05.66 ID:k5P7S/Hq
>>867 >早く悟れ。
ありがとうございます。
仏教議論スレッド73
643 :神も仏も名無しさん:2013/10/04(金) 15:27:13.96 ID:4SJsjsZr
>>637 >縁起一代は「三昧において縁起、因果」を観ることにより、悟るというな?
>では、長らく仏門にいた者が瞑想において、「自分は悟った」とおもったとき、
>彼は「本当に悟ったのか?」 「悟ったと錯覚したのか?」
そのような想定自体が迷妄ナンセンス(仏道のセンスがない)である。
そのような<悟り>一発主義・<悟り>万能主義・<悟り>神秘主義との誤解が、仏道を歪ませ弱体化させハードルをむやみに高くし、
一切外に魑魅魍魎を蔓延跋扈させてきたのが伝承と称する「仏教」の現状なのだ。
「悟りは悟りではない。これを悟りと名づける。」
仏道とは徹底した八正道実践であり
八正道実践の『修証一等』において<悟り>それ自体はありえない。
★万法ともにわれにあらざる時節、まどひなく“さとりなく”、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。((現成公案 冒頭)
修をはなれて証はなく、証をはなれて修もない。証とは修である。
ゆえに悟りそれ自体は迷妄である。苦の滅尽そのものもありえない。
仏法の本懐が実存苦の超克(四諦)実践機能にあるならば、
本懐から逆算して機能的に
娑婆においていかなる事態にも、<第二矢を受けず:相応部36-6><二念を継がず:白隠>で、
慶安に過せるか、だけが問われうる。
脩証一等=二相の相即的実践である。
934 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/26(水) 10:45:18.67 ID:vCFGW1gg
>>932 は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜????
閻魔に依存???wwww
オマエ、ちょっと前に俺が閻魔とやりあったのしらないの?www
935 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 11:19:38.04 ID:ZD5EqagV
ポンコツ・バービーには同じ言葉での躾が必要なようだなw このバービー様の御判定の矛盾はバービーの性格異常のなせる技か? 論理的矛盾が自覚出来ないのか? 知識だけの奴が、どんな風に判定できるんだ? バービーが性格異常だからか? >俺のは、単なる「知識」ww よって、内部者の心情、信仰等は、うかがい知れないところであるから そこに抵触する部分は対話に参加していないわww >オマエみたいに、「知ったかして」 「・・・・・は、まだまだ」 「・・・・は、わかってる」みたいな評を薄っぺらな知識をもとに 喚いたりしないのwww
936 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/26(水) 11:32:04.86 ID:vCFGW1gg
>知識だけの奴が、どんな風に判定できるんだ? このバカ、日本語読めねえのか?www 俺は「判定などしてないの」ww 繰り返し、言ってるでしょ?ww 俺が、「・・・・は、まだまだw・・・・は、いい線言ってる」・・・ などと、知ったかして判定下してるレスがあったら、あげてみろと いってるでしょ?www それは、お前の得意技だろうがwww
937 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/26(水) 11:36:24.95 ID:vCFGW1gg
あ、それから補足しておくけど、「知識しかない」奴でも、 →「自己顕示欲丸出しで、『見てみて、ぼくちゃんすごいでしょ?』 と、他者にダメ出しすることで自己の優位性を保とうとする『なんちゃって 覚者」さんが、悟ってないことくらいは分かるから」wwwww
938 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 11:42:50.67 ID:ZD5EqagV
>あ、それから補足しておくけど、「知識しかない」奴でも、 →「自己顕示欲丸出しで、『見てみて、ぼくちゃんすごいでしょ?』 と、他者にダメ出しすることで自己の優位性を保とうとする『なんちゃって 覚者」さんが、悟ってないことくらいは分かるから」wwwww 痴呆なのか?判定してるじゃんwバービー脳委縮ですか?
939 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/26(水) 11:52:18.01 ID:vCFGW1gg
>>938 wwwwwwwwwww
それも前に言ったよな?w 認知症ww
「・・・・は、悟ってる」という判定は、自己が同じ境地に達していなければ
判定不可能だろう?w だから、俺は、一度も「だれそれは、いい線まで行ってる」
「・・・・は、まだまだ」などといったことは一度もないw
しかしだな、逆は凡夫でも十分、わかるのw
「金銭に執着し、つねにうまいもの、いい女をあさってるような奴」が
悟っていると思うか?ww
そういう「俗な心境」は、凡夫でも十分理解可能なわけw
なぜなら、自己がそうだからww
同様に、→「つねに自己が注目されて、皆から敬意を表されることを望む
自己顕示欲丸出しの俗物も、十分わかるのw」
『見てみて、ぼくってすごいでしょ? 僕はこんなすごい境地に達しているんだよ」
・・・・・というバカWW
そう、「ワイを認めろ〜〜〜〜」と喚いてたお前のことだよwww
そいうバカは、「知識だけの凡夫にも、十分、判定可能なの」www
940 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/26(水) 11:59:00.76 ID:vCFGW1gg
何やら、このバカ、かなり日本語が不自由なようなので、少し補足しておくと 俺が「判定などしていない」・・・という表現における「判定」という語彙の 意味合いは、→「自己を上位に設定し、他者を上から目線で評価する」 ということねww 「・・・・・は、俗物根性丸出しの、ただの自己承認欲求のかたまり」 であることを見分けることを指示していないので・・・・ って、このバカは、んなことも読み取れないほどアホなわけかww
941 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 12:00:17.89 ID:ZD5EqagV
ヒステリー脳情報捻じ曲げ脳バービースンニダ? スンニダ付ければ理解出来るか?スンニダ?
942 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/26(水) 12:05:14.33 ID:vCFGW1gg
>>941 wwwwwwww
反論できなくなると、またいつものパターンww
同一語彙の連騰罵倒ww
今度は、「スンニダ」か?ww
ちったあ、違う芸見せるくらいの頭はねえのか? このバカはwww
943 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 12:14:44.06 ID:ZD5EqagV
ワンパターンの俺様、バービー将軍様の判定と御意見は絶対であーると 言いたい気持ちは良く理解出来るスンニダw ホント、ワンパターン・スンニダ・バービーは情緒不安定異常性格過ぎて、 理解力が無いから困るスンニダw
常に「私は解ってます」側から、“横入り”する”口を挟む” のは、机と大王共通してんだよな・・w あと隠居も。 その際ちゃんと異議の提示がされて、議論のネタが追加並列されるなら、 幾らでも割って入って構わんと思うけどね。 隠居その他の系統(たとえば紐君とか)は、 対論として或いは反面教師として素材にし易いいから、或る面有意義だけど・・。
945 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/26(水) 12:17:23.70 ID:GbSoN7yw
>>923 >彼は勝義とは言葉を否定したところに実在する「本質」であると考え、世俗を言語活動
>を本質とするものであると考えた。そしてその結果としてインド論証学を軽視し、宗教的実践や修行を重視した
これは馬鹿じゃない限り、うすうす分かるかと思うが、こんなことやってもキリが無いんだよ。
西洋哲学も、やはり結論が出ないままに衰退していった。
仏教を弁証法にしてしまったら即アウト。
・・・ああ、密教じゃしょうがないか?ヒンドゥー教だから。
946 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 12:23:29.28 ID:ZD5EqagV
>その際ちゃんと異議の提示がされて、議論のネタが追加並列されるなら 俺はチベット教学論争ネタで明確に提示したがw 情緒不安定バービーちゃんのいちゃもん粘着は問題視されないのかよw
947 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 12:25:43.49 ID:ZD5EqagV
ハッタリ机は、日頃大概、勝義だの小理屈並べてた分際でタワゴトを抜かしていやがるw
>>946 さっきはね。
でも、スレへの登場回数にからしたら、初に近いんじゃない?w
その意味で、彼の野次は当ってるしね。
949 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/26(水) 12:31:00.19 ID:vCFGW1gg
俺が思うに、 仏教において、師匠が弟子にまず一番に教えるべきことは →「自己の境地について人に語るな」・・・・これだと思うがwwww 禅を少しかじった奴に共通にみられる特性として、必ず、「自己を語りたがる」 だろ?www そして、「お前は分かってない」と必ずやりだすww その裏返しの心理として、「自分はわかってるぜ〜〜〜〜」という 自己顕示欲がしっぽを出しているのを少しは意識しろよとww 純粋なる菩薩の心理・・・・ただ衆生を救いたい・・・なら、語るのも わかるが、ここにホントにそのような者はいるか?w 自己を語る、他者の境地を評価することの醜悪さをちったあ、理解しろよww
950 :
釈迦の教え :2014/03/26(水) 12:33:01.83 ID:mSBOHwsB
>>904 >甘露とはソーマではないのかな
祭祀でソーマを使って気分を高揚させていた人々もいたらしい。
しかし釈迦の場合は、祭祀に否定的であった。酒やソーマに酔ってたら、
瞑想ができなくなってしまう。甘露はソーマではない。
それに乞食行の生活であり、酒やソーマを利用するゆとりもない。
早寝早起き、朝は暗いうちから瞑想をやっている。
>>949 自己を語っても良いんだろうけど、瞑想からみの話では特にそのような傾向が顕著のように見えますね。
○○が見える〜だの見えた〜だの、自らのこの境地に至らないのは駄目〜等などw
952 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 12:41:56.01 ID:3/8xneNz
ソーマとは 神の酒 神にあてられて酔ったような感覚におちいる事
953 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/26(水) 12:43:49.35 ID:GbSoN7yw
>>946 >俺はチベット教学論争ネタで明確に提示したがw
お前はね、チベット教学が好きなんだら、チベット教学だけ掲示板に書けばいいんだよ。
誰も邪魔しないから。
だから私が書いてる禅の話題でも、
貴殿が興味がなかったらスルーしてくれ。ってことなんだよ。
分かるか?
954 :
釈迦の教え :2014/03/26(水) 12:46:32.66 ID:mSBOHwsB
>>916 >最大の防御力は言わずと知れた「心が無かったら生きて行けない」
>と執着させるミスリードである
>心が無ければ確かに生存活動は不可能である
>であるならそれに甘んじて居て言いなりで良いのだろうか?
>心の緊縛に隷属するのではなく、もっと高みから使役する道を示した人
>それが釈迦牟尼世尊が説く事を決めた真実の仏教なのである
釈迦は、心が無い、とは言っていないと思うよ。
心が無いなら悟りもないことになる。無明さえなくなってしまう。
人の道がないなら、退廃的な、どうでもいい生活に堕落する。
955 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 13:19:54.86 ID:lj2ULRyC
>>954 心の有る無しが問題なのではない
心の傍若無人に気が付かない己の奴隷の根性が問題なのだ
気付いてないから有る無しに拘る
956 :
釈迦の教え :2014/03/26(水) 13:22:15.20 ID:mSBOHwsB
釈迦の歩みを想像してみよう。 仏教のキーワードを時間的に並べることで見えてくるものがある。 @ 成道前は、四諦八正道、縁起の理法を中心に思考を重ねていた。 A その末に、「無明」に気づき甘露体験、神と出会う。 B さらに坐禅(サマタ)で、滅尽定から霊魂体験を経て成道する。 C 成道後も瞑想を継続し、十二縁起で自分が悟ったことを検証した。 四諦八正道や縁起の理法は、成道後に振り返って整理したものだろう。 説法としては、十二縁起の方が先になるかもしれない。 体験の核は、無明に気づいたこと、甘露体験、霊魂体験など。
957 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 13:24:36.11 ID:lj2ULRyC
>>886 無明は自我と共に実体が無い
無明は解脱出来るが、元々生ながらに持って生まれている
愚者はそれに気付かない
958 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 13:26:14.04 ID:lj2ULRyC
エルカンターレは覚れてない
959 :
釈迦の教え :2014/03/26(水) 13:30:11.05 ID:mSBOHwsB
>>955 >心の緊縛に隷属するのではなく、もっと高みから使役する道・・・
高みから使役する道とは具体的にいったい何だろう。
中観派の「空」が言いいたいのと違うの?
それが釈迦牟尼世尊が説く事を決めた真実の仏教なのである
960 :
釈迦の教え :2014/03/26(水) 13:33:33.82 ID:mSBOHwsB
>959の訂正 最後の一行は消し忘れです onz 外出オチ
961 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 13:40:19.67 ID:lj2ULRyC
>>959 世間のアレコレを世間の中から、無い頭使ってツベコベ考えても無駄
涅槃の事実を知れば全て解る、愚者には無理
962 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 13:57:06.51 ID:lj2ULRyC
チャックパーラとやらは解脱を詐称してる 外道の解脱って意味に於いても奴は真理など観れて無い
963 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 14:10:25.08 ID:lj2ULRyC
解脱詐称者ソーパーカ >あのとき、人から傷つけられたのは、その前に人を傷つけたからだ。 >あのときいじめに遭ったのは、自分より弱い生き物をいじめたからだ。 >これまで自分自身が認められなかったのは、自分が他を認めてこなかったからだ……。 因果律が滅茶苦茶で縁起観が調って無い こんな支離滅裂な迷妄を吐くバカが恥しげも無く解脱を宣言出来てしまう そう言う教団も実在する
964 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 14:45:05.18 ID:XAeEDsvX
簡単に言うと、どの人も幸せ:幸福になりたいのだよ。 一時の有限な幸福ではないものを教えたのが釈尊だ。 永遠の幸福を教えたのである。 一時的な幸福は幸福ではない。 相対的に存在する幸福は、諸行無常の真理により否定した。
965 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 14:52:30.59 ID:lj2ULRyC
>>4 >供養諸仏
道元師がその論を直筆されたのなら、書かれたとされる時代からも
「万民が一様に悟れる訳では無い」事を歳相応に理解したので
後学の為、悟れず自暴自棄に陥るものを戒める為に敢えて嘘の方便を用いた
と、好意的には読める
道元師が書けず、後代が書き加えたとも否めない
何れにしても戒めている目的は理解出来る
仏道は菩提心凡夫の為のものだが、正法だけを教えていても
必ず悟れる訳じゃない、万民に門戸は開かれて居るが
どうしても個人個人の機根次第では腑に落ちないものもある
それでも焦って暇乞いして下山しくさるよりも、修証一如に徹して
ずっと修行を続けられれば或いは機会もあると言う訳で
良くも悪くも
宝くじは買い続けていなければ当たらないのが事実
仏道も、修行し続けていなければその果報は無い
例えは悪いが、そんな感じだ
966 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 14:55:47.61 ID:XAeEDsvX
人の寿命は多寡だか100年である。こういう期間限定的な幸福は相対的な存在である。 寿命の終わりと同時にその幸福は消滅する。恐ろしい幸福ではないか。 恐ろしい幸福が幸福であるはずないだろう。 釈尊は永遠の幸福、これを永遠の「平安」と言われた。 そういえばキリスト教のイエスも「平安」と言っているな。
967 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 14:58:33.46 ID:lj2ULRyC
>>966 あんたは幸福幸福と言うが、幸福って何かね?
968 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 15:16:42.14 ID:XAeEDsvX
平安と解脱は一緒でなければならない。同じものでなければならない。 解脱したことを知るのは、この平安を得たかどうかで、これは自分の知るところだろう。 子の世の一切は相対的に存在する。これ以外に存在の仕方がない。 これらは一切虚妄の存在で、とるに足らない。捨てるべきもんだ。 この理法に従って、平安を求めるべきである。
969 :
根本的生存欲=渇愛 :2014/03/26(水) 15:19:57.21 ID:k5P7S/Hq
十二支縁起論者はその最終的原因を〈渇愛(かつあい)(トゥリシュナーtṛṣṇā)〉ないし〈無明(むみよう)(アビドゥヤーavidyā)〉と見る。 したがって,それを滅ぼせば輪廻的生存はやみ,〈苦〉もなくなることになると… 業報輪廻転生という意味での<輪廻的生存>が、輪廻論者によって本当に「根源的な苦しみ」と感受されているならば、 輪廻的生存(十二支縁起)の根本原因・起発点を 「根本的な生存欲(無明・渇愛)」に求める(宮元啓一 ブッダの考えたこと p110)のは、矛盾だろう。 生存を「根源的な苦しみ」と感受している者に、「根本的な生存欲(無明・渇愛)」があるわけがないからである。 それこそ生存を断ち「死んだほうがマシだ」と思うだろう。 生以前(誕生以前)の無明〜有までを経験主義的に確認検証したものは誰もいない。 無明の主体が誰なのか、まったく自覚(故意・過失)がないのに帰責されるのは因果応報原理・自業自得原理に反するだろう。 業報輪廻転詳論というフィクションを前提とする十二支縁起論は根本的に破綻しているのである。
970 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 15:22:57.65 ID:XAeEDsvX
>>967 幸福とは永遠の平安である。
永遠とは、大乗が解釈するように、空と言うこと、無量と言うこと、
一相と言うこと、無我であること、無相であること、である。
生ぜず滅せずの世界は何の心配もありえない。
971 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 15:35:56.55 ID:lj2ULRyC
>>968 平安も解脱も知ることも、彼岸では戯論だ、戯論は一切存在しない
それが解った所でそれ自体は解脱ではない
>>969 根本的生存欲なるものが、借り有ると仮定してよ?
ならば自我もその欲に依存して精神活動を運用してる事になる罠?
自我は生存欲をダシに一切の心の活動を支配し緊縛している訳で
私(自我)を封じればこれ(生存欲)も封じられ、一切の生存活動も不可能になる
と、無言の不文律で脅し続けて来た訳だ
そんな自我に獅子身中の虫がいる事など露も知らず、良かれと思って仏道に身を投じる事を許す
詳細は省くが、もしこの身中の虫が生存欲を制圧し牛耳ったとしたらどうよ?
自我はその配下に下る以外、活動の源を失うことになる
「出家とは生きながらに死ぬ事」寂聴さんはいい事言ったと思うよ
敵を叩くには補給路を断つのが一番な訳で、自己内の葛藤で死をも省みずねじ伏せると言えばこれしかない
972 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 15:47:17.43 ID:XAeEDsvX
>>969 ≻ 生存を「根源的な苦しみ」と感受している者に、「根本的な生存欲(無明・渇愛)」があるわけがないからである。
それこそ生存を断ち「死んだほうがマシだ」と思うだろう。
お前おかしいぞ。根源的な苦しみであるかどうか、人は検証されねばならない。釈尊は、
根源的な苦しみではないと言われ、生存の苦しみの原因は、生存欲(無明、渇愛)であると
教えたのである。これが根源的苦しみ=生存欲=無明;渇愛と言うことなのだ。
973 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 15:53:53.19 ID:lj2ULRyC
>>972 生存欲を絶てば仏でも死ぬぞ?
仏教じゃそれをどうするって教えた?
原因だけ解ってもダメなのが仏教な訳で
974 :
根本的生存欲=渇愛 :2014/03/26(水) 15:56:51.44 ID:k5P7S/Hq
>>970 >永遠とは、大乗が解釈するように、空と言うこと、無量と言うこと、
>一相と言うこと、無我であること、無相であること、である。
幸福実現党の方ですか?
大川センセとおなじインチキですなw
ここは地獄の一丁目、そんな浅薄論理は通用しまへんでw
975 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 15:59:57.22 ID:lj2ULRyC
肝心な事を見過ごすんだなお前らは 煩悩即菩提 だろ だから釈尊以来小乗仏教も大乗仏教も上座部仏教なんかの立て分けも本来無意味だったんだよ 釈尊も煩悩即菩提で菩提樹以来、人に教えを説いたんじゃないか
976 :
根本的生存欲=渇愛 :2014/03/26(水) 16:02:07.36 ID:k5P7S/Hq
977 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 16:07:49.23 ID:ZdyDxQTO
>>976 そーゆーのは己が覚ってから言うもんだよ
978 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 16:11:35.04 ID:XAeEDsvX
>>974 幸福実現党は、こんな教えを説く集団ですか?
もしそうなら捨て難いよ。
>>973 ≻生存欲を絶てば仏でも死ぬぞ?
仏教じゃそれをどうするって教えた?
その仏教の教えを教えてください。
さて、釈尊はこの世の一切を捨てたのだ。この世とは俗世間のことだ。
俗世間を捨てるとは、俗世間の人間には死ぬことに他ならないと解釈される。
出家とは俗世間の人間には、死ぬことを意味するのだ。ところが出家したものには、
反対に、まさに本当の命に近づいたことを知るのである。
979 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 16:15:07.82 ID:XAeEDsvX
>>978 続き
俗世間の人間と出家の人間とは相対的に存在する。生と死が相対的に存在するのと同じだ。
出家の世界が存在するのは俗世間のためである。俗世間の人間を救いとるためである。
出家が乞食するのは、出家の人間のため、すなわち自分のためではなく、俗世間の人間のため、
ずなわち俗世間が求めるからである。これは生存欲ではないだろう?
980 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 17:16:29.32 ID:XAeEDsvX
キリスト教のカトリックの聖職者たち、これらのものは生涯独身を貫くのであるが、 彼らは出家したものと言うべきだな。 渇愛を絶ったのだ。これはいい見本だ。
981 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 17:18:20.88 ID:lj2ULRyC
>>978-979 俗出の差も悟れば差は無くなる
彼岸には俗出の分別も存在しない
そこに至る道が仏道なのであり、生存欲なるものを制圧するのもそれ以外に術は無い
愚人には与り知らん事だろうがな
982 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/26(水) 17:57:43.86 ID:GbSoN7yw
涅槃というのは、言葉を忘れることです。 でもこれはとても難しいことです。 恋人達は「愛してる」と言葉によって互いに愛を確認しようとします。 ですが、一点の曇りもなく信頼しているのであれば言葉などいらんのです。 しかしどうでしょうか?恋人が初めて巡りあったとき、遠目で見ても胸が熱くなったでせう? それはその人が重要だったから。 「愛してる」って言った瞬間に、実はそこにリアル性はないのです。そのことに気づくでしょうか? そして人はこう言うかもしれません。 「もし言葉で伝えようとしたら、それは欺瞞になってしまうでしょう?」。と そして人は、またこう言うかもしれません。 「言葉だけで生きている、言葉だけがリアリティー、そして意味は意味を失ってしまった」。と
983 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 18:30:08.65 ID:UWLEGMCU
忘れるとは思念に過ぎない 仏は彼岸に際してはそんな甘っちょろい事など教えてない
984 :
ぽかり!σ(‐εΘ)イテテナグラレチャッタ30棒 :2014/03/26(水) 18:35:40.88 ID:b1ajz/QW
985 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/26(水) 18:41:45.52 ID:GbSoN7yw
言葉はメッセンジャーです。
言葉で頭がいっぱいの人は、もう既に言葉を入れる場所がないのです。
でも気づいて欲しい、本当のメッセージとは言葉ではないことを。
そして人はこう言うでしょう
「もう私は言葉で頭がいっぱいなので聞くことさえできないのです」。と
そしてこうも言うのです
「私はどうしたらいいでしょう」。と
そしたら私はこう答えるでしょう
「受け入れるのです、言葉においては言葉で闘わないことです」。と
>>984 「忘れる」とは闘わないことです。
986 :
ぽかり!σ(‐εΘ)イテテナグラレチャッタ30棒 :2014/03/26(水) 18:52:17.99 ID:b1ajz/QW
> 学ぶ事無くただ太るだけの嘘ばか狗、【嘘臭】(; -y-)ツ)) クチャイクチャイ♪ ほんとに粘着があっても、まなぶことがないなあ。 みんななかおくれるばかりだ、しっかりせい! 無字の公案 新参の修行僧、問う、門前の痩せ狗にも仏性がございますか? 師、答える、有。 古参の修行僧、問う、門前の痩せ狗にも仏性がございますか? 師、答える、無。 野狐の公案 修業僧問う、悟後の人はおしゃか様のおさとりである因縁果の因果の法(しんり)に拘束されますか? 師、答える。因果の法に落ちず(不落、ふらく)。 修業僧問う、悟後の人はおしゃか様のおさとりである因縁果の因果の法(しんり)に拘束されますか? 師、答える。因果の法くらまされず(不昧、ふまい)。 同じ事をこの二つの公案は老婆親切にも姿、形を変えてまで、問い、答えている。 バカ狗でもやる気があるならこの公案に真っ正面からぶつかって答えてみよ。如何!? 粘着に終始するなら、佛縁すらも無いのだろう。ちーん Ωヾ(-"-;)南無南無。。。。~~│Д (-人-;) /"Ω ポクポクポク…
987 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/26(水) 19:00:41.06 ID:GbSoN7yw
>>986 公案は一時的には効果があっても、持続すると本当に頭がイカレます。
忘れることが一番です。
988 :
ぽかり!σ(‐εΘ)イテテナグラレチャッタ30棒 :2014/03/26(水) 19:17:47.57 ID:b1ajz/QW
> 学ぶ事無くただ太るだけの嘘ばか狗、【嘘臭】(; -y-)ツ)) クチャイクチャイ♪ ほんとに粘着があっても、まなぶことがないなあ。 みんなから取り残され遅れるばかりだ、しっかりせい、このバカチンが〜!!!川`0´)/ポカッ/ポカッ☆#T。T)グキッ!!! 無字の公案 新参の修行僧、問う、門前の痩せ狗にも仏性がございますか? 師、答える、有。 古参の修行僧、問う、門前の痩せ狗にも仏性がございますか? 師、答える、無。 野狐の公案 修業僧問う、悟後の人はおしゃか様のおさとりである因縁果の因果の法(しんり)に拘束されますか? 師、答える。因果の法に落ちず(不落、ふらく)。 修業僧問う、悟後の人はおしゃか様のおさとりである因縁果の因果の法(しんり)に拘束されますか? 師、答える。因果の法にくらまされず(不昧、ふまい)。 同じ事をこの二つの公案は老婆親切にも姿、形を変えてまで、問い、答えている。 バカ狗でもやる気があるならこの公案に真っ正面からぶつかって答えてみよ。如何!? 粘着に終始するなら、佛縁すらも無い。ちーん Ωヾ(-"-;)南無南無~~│Д (-人-;) /"Ω ポクポクポク…
989 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/26(水) 19:25:01.92 ID:GbSoN7yw
>>988 公案は作為的に神経症を作りあげるので、答えが違ってもいい。
では、おやすみ。
990 :
ぽかり!σ(‐εΘ)イテテナグラレチャッタ30棒 :2014/03/26(水) 19:38:18.32 ID:b1ajz/QW
>>987 机 さん
>
>>986 > 公案は一時的には効果があっても、持続すると本当に頭がイカレます。 忘れることが一番です。
ミ( ノ_ _)ノ=3ドテッ!
わからない と言える素直さは無くしたくないものだ。。
公案と言うのは問い、答えると言う問答による対話の形式。
何を問い、答えるのか。
真理さとり をである。
机 さん
悟前の人は やはり 真理さとりを求めなさい、得なさい。
さとれば、得たので、もはや求めない。
そこを忘れる、と言う。・・・・・……( ̄ε ̄;) ボソッ
991 :
ぽかり!σ(‐εΘ)イテテナグラレチャッタ30棒 :2014/03/26(水) 19:57:28.97 ID:b1ajz/QW
>>989 机 さん
>
>>988 > 公案は作為的に神経症を作りあげるので、答えが違ってもいい。 では、おやすみ。
(。_゜)〃ドテッ!
知識が高く、つまり、分別が強くあれば、「 神経症を作りあげる 」 事もあるだろう。
願わくば 悟前の人、机 さん、いそぎ初関(しょかん)を透(とお)れ。
992 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/26(水) 20:00:25.67 ID:GbSoN7yw
>>990 コピペ貼った理由は、
無字の公案における、有無の違いのことかな?
そして、不落因果と不昧因果の違いかな?
何故に坊主が間違ったかというとだな、坊主も間違うこともあるんだよ。
そういうことを考えてもどうにもならない。つうことだよ。
どうにもならない。
これが不落因果だし、不昧因果だよ。
因果はどうにもならんのだよ。
これが公案の答えになる。
>>990 ,991
ポッタンよ。
おまえは、初関も透ってないで、人にあれこれ言う立場じゃないだろう、ん?
まず己を知れ、 バカもの!
>>992 > 因果はどうにもならんのだよ。
> これが公案の答えになる。
あんたも、こんなのは答えになってないってことが分かってないんだよ。
机もポッタンも、同じ穴のムジナなのさ。
おまえたちは、禅は永久にわからない。
995 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/26(水) 20:06:09.21 ID:GbSoN7yw
>願わくば 悟前の人、机 さん、いそぎ初関(しょかん)を透(とお)れ。 公案というのは、何回やっても二番煎じ、三番煎じだから、 只今から初関を透ります。
996 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/26(水) 20:09:31.40 ID:GbSoN7yw
>>994 ジョークだろうよ(笑
だいたい、掲示板で公案をやるのは間違ってる。
間違ってるから、それを指摘したまでのこと。
997 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/26(水) 20:11:28.44 ID:GbSoN7yw
公案を、人を試すのに使ってはいかん。 そういうことを私は書いたんだよ。
998 :
ぽかり!σ(‐εΘ)イテテナグラレチャッタ30棒 :2014/03/26(水) 20:19:18.44 ID:b1ajz/QW
>>996 ,997
ジョークで言っても、間違われるようなこと言ってはいかん。
言い訳としか思われんからな。
> 公案を、人を試すのに使ってはいかん。
> そういうことを私は書いたんだよ。
その認識であれば、ポッタンよりは、ましか。
しかし、おまえさんも、数年前からちっとも変わらんな。
これじゃ、禅は永久に分からん。
ポッタンと同じじゃ。
1000 :
ぽかり!σ(‐εΘ)イテテナグラレチャッタ30棒 :2014/03/26(水) 20:22:30.36 ID:b1ajz/QW
>>995 机 さん
願わくば 悟前の人、机 さん、いそぎ初関(しょかん)を透(とお)れ。
> 公案というのは、何回やっても二番煎じ、三番煎じだから、 只今から初関を透ります。
(_△_;〃 ドテッ!
虚勢だね。
まじめになったらどうだ。
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