仏教 議論スレッド その2

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以下蛇足w
以前、縁起馬鹿は「パーリ仏教は見解が低い」と言った。
確かに、そういう面はあると思う。
中観(中論、龍樹)の、『勝義として「限界まで純化された縁起」』に比すれば、
俗っぽい説示ではあろう。
しかし(個人的意見としては)、≪仏教とはそうであるべきではないか?≫と感じているのも事実だ。
「純化された縁起」といえども、「それが“活かされる”」ということはどういうことなのか、
にピントを合わせたとき、中観は【エッセンスでしかない】。
勝義と世俗の二諦を立てながら、勝義という片輪で走ろうとしているようにも見える。


沙門果経(或いは梵網経の如来の戒もそうだが)の『目に見える果報』が、
長部第2の経できっちりと触れられる意義は重く受け止められていい。
或いは、律蔵大品で、【五比丘に会う前に】二人の在家者から供養を受け、
且つ【鉢がなければならない】と述べられていること。プックサーティが衣鉢を求めて小屋を駆け出すこと。
諸方へ散った初期弟子がその場で受戒させる為に【頭を剃り、衣鉢を準備させ、三帰依を唱えさせた】こと。
そして、何より、
【舎利弗がアッサジの姿を見てその許へ走り、「いったい、誰の教えを奉じているのか?!」と問い詰めた】こと・・。

我が身の未熟さ、甘え、「まあいいかw」的感性etc.etc.
(隠蔽している筈のw)誠実さの蓋を少しでも開けてしまえば、慙愧に堪えない・・・w (^^;

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その他。
原始佛教その17
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1132482980/394
■原始仏教談話室 その4■
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1146643240/552