【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】4

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81神も仏も名無しさん
>>36
内紛が多いのは宗教団体の特徴だが、特に、岡田茂吉を含む大本系と、プロテスタント
系に多い。わが子でさえ、宗教のベールを通さないと見ることができなくなる。

両者から、最も多くのカルトが発生しているのは、周知のこと。

百人百様のでっち上げに過ぎない、人間にあらざる神概念などを信じるため、
肝心の人間を信じることが不可能になってしまうからである。
82神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 09:33:11 ID:Pjre2D+m
>>81
>人間を信じることが不可能になってしまう

カルトとか新興系に限らず、【「宗教的要素」を含むものには】、
そういう傾向(≒危険性、副作用)はあるだろうな・・。
絶対的価値観の傘の下、身内・知人問わず、
目の前の人間、今、相対している人のことすら見えなくなる、その声が届かなくなるような・・。

この予防や対策がどれだけ取れているか、が
選択基準、判断基準、評価基準としてクローズアップされるべきなのかもしれない。
83神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 09:41:24 ID:3fDBLoqx
>>82
やはり宗教が、少なくとも現代における「人間の営み」としては、根本
的に誤っているということ。中東の惨状が、その最も典型的な例。

竜樹と道元にはカルトが近づかないのは何故かを、考えてみる必要がある。
84神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 09:51:37 ID:q/wvv/IM
>>82
人間の営みであるのに、「人間から隔絶した絶対的価値感」というのが、
そもそもの矛盾と誤り。それは、人間界における「価値」ではない。
85閻魔大王:2009/12/13(日) 11:02:41 ID:aTlpdUyq
>>72 パラノイア耄碌隠居
>「縁起(相互依存性・関係性)」を悟らないで、何の悟りがあるか。

縁起を観る(中論24-40)とは、縁起の現観をいう。
現観は無分別智による直覚であり、そこにおいてはもはや相対分別はなく,
中道である。悟りの境地であり、勝義だ⇒無苦集滅道。
龍樹はそこで『苦集滅道を見る』というが相対分別はすべて相殺されている(縁生即縁滅)であって、
龍樹の論は不徹底である。(⇒>>70)

ましてや、そこに相対の実体(自性)・分別を前提とする耄碌隠居の論は、
はちゃめちゃ謬論そのもので、論外だ。

それにしても、パラノイア耄碌ゆえか性懲りもなく謬論を撒き散らす。
早急に都立松沢精神病院を受診せよ。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/451
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/452
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/453
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/454
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/455
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/479
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/480
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/481
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/516

86神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 11:38:03 ID:P0YF3xns
>>82 それが難しい。ある特殊な絶対的価値観を共有する集団
に属すると、極端な思考形態を有する者ほど、常人を超越した得難い者と
尊敬を集めるようになり、その結果、常識を忌むべきものとし、皆が極論に走る。

この宗教板には、その好例が数多く見られると思わないか?セブン。