1 :神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 15:56:55 ID:BqBqdtvt
---論題---
無霊魂論としての仏教
http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/sin-iti/lekcio/seminar2.pdf 前シリーズ、【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】に続き、
今回は、無我の問題について議論します。
仏教は無我を説くことでバラモン教との違いを明確化したといわれています。
しかし、仏陀は本当に「アートマンは無い」と説いたのでしょうか?
「それら(五蘊)はアートマンではない」(非我)としか説いていない、とも云われており、
中には、「仏陀はアートマンを説いていた」という意見も・・。
再び、当スレではこの仏教の根底を覆しかねない大問題について討論します。
*仏陀の教説として最も信頼性が高いとされる原始仏典からの引用と解説は特に歓迎します。
(投稿「750-800」を目安に善意の方どなたか次スレを立てて下さいm(__)m)
2 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 17:56:58 ID:UoDNX4JO
「世界を空と観ぜよ」。この「世界」には、「観じている者自身」も含まれる
ね。その者も、世界の一部なのだから。
従って、釈迦がアートマンと説いたか、説かなかったなど、もはや関係ない。
アートマンも「空」なのだから。神も、聖霊も、釈迦も、イエスも、すべて
「空」、即ち、「関係内存在」に過ぎない。
ヘーゲルの「世界内存在」も、御釈迦さんのパクリw。
3 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 18:02:16 ID:FAXfVvVa
>>2 >この「世界」には、「観じている者自身」も含まれる
>ね。その者も、世界の一部なのだから。
この世界は感じている者の「識」に過ぎないから、「識」の中には
自分自身(意)は含まれない。
眼は眼を見ないというではないか。
4 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 18:07:17 ID:UoDNX4JO
>3
他者(他の自分)から見れば含まれる。人間、いや、すべての生物は、
共同体である。独りで生きている、生きられる生物はいない。
5 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 18:19:09 ID:UoDNX4JO
「業報論」は、「良い事も悪い事もした人間はどうなるか」の質問に答えられ
ないから、完全に崩壊している。どんな悪人でも、一生に一度は、良い事を
しているはずだ。
6 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 18:31:10 ID:FAXfVvVa
他者の認識は自らの意識によって他者の言葉や表情・身振りなど
から自らの意識と比較して推測することしかできない。
7 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 18:32:48 ID:FAXfVvVa
自業自得は戒としては効果があるだろ。
9 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 18:39:32 ID:UoDNX4JO
>>6 その者も、更なる他者から見れば空である。この関係が、世界の人類の
最後の一人まで反復されれば、結局は、「人間を含むこの世界」は空と
なる。
10 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 18:46:18 ID:FAXfVvVa
>>8 >なら私も私を見ることはできないな
そうですね。
私の身体の一部が見えるだけで、また私の想いの一部が
感じられるだけだろうね。
私は私の全体を対象として意識できない。
>>10 むしろ、私は私を見ることができないから
私が見る部分は、私ではなく、私の一部でさえなく、執着であるにすぎない
12 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 18:52:58 ID:UoDNX4JO
>>8 私を考えているのも、もう一人の私。そのもう一人の私を考えているのも、
更にもう一人の私。この関係が合わせ鏡の像のように無限に連続する。
結局は、私の主観を越えることはできない。従って、私を判断できる
のは、他者だけであり、「自分探し」は、不可能でナンセンス。
13 :
宝珠愚者:2009/06/07(日) 18:57:34 ID:BR2jUhTP
仮に私を定義するなら一切と表現できる
ここには主客が発生しようがない、ただ”ある”だけだ
仮にこの述語に主体を想起するなら、その時点で世界は二つに分かれる
よって、この仮定は空見におちいり、知の罠にはまりこむ
世界すべてが私ということは、私はいないと言っているのと同じであると言える。
そして、この”ある”状態は生物的存在である私を自性とせず
因果によって相依相生しているだけだ
15 :
旧7:2009/06/07(日) 19:55:02 ID:fORQy/Md
仕事早いなw
1乙と言わざるを得まい・・・ (`・ω・´)
16 :
暁:2009/06/07(日) 20:06:20 ID:bWG3lSx5
17 :
旧7:2009/06/07(日) 20:24:22 ID:fORQy/Md
さて・・・、カラスなんぞはどうでもいいんだがw、
宝珠氏の頑なさと、そのベクトルについては興味が尽きないw
前シリーズでは、『【伝統仏教】が輪廻を認めないのはおかしい!』というスタンスであった。
今シリーズでは、『【伝統仏教】の【無我】は、間違った伝承・ゴータマの仏教ではない!』という。
前シリーズでは、多くの者を『【伝統仏教】の立場と違う』という点で、外道認定している。
今シリーズでは、『【伝統仏教】の【「無我」という解釈】は間違っている!』と言う。
(→これは、≪以前依拠した【伝統仏教】を、今度は外道扱いする≫ことにならないのか?)
前シリーズでは、『【説かれていないこと】を【捏造】している』と外道認定の基準としていたが、
(実は、前シリーズでもそうだがw)、今シリーズでは、
『【説かれていないこと】は、理解され難いことだから、混乱のもとになるから【説かなかった】』と言う。
このような姿勢を、『イイカゲン』と言わずに何と言うのか?
賢い方々に教えた頂きたい。 こんな言説はありなのか? と・・・。
18 :
暁:2009/06/07(日) 20:30:43 ID:bWG3lSx5
>>旧7氏
宝珠氏の見解もまた、うつろいゆく、『空』なのだろうw
19 :
旧7:2009/06/07(日) 20:43:36 ID:fORQy/Md
>>18 だから、第2シリーズも4スレ目に入り、改めて、再確認として思うのは、
『神智学の権威付けとして、歴史の長い、開祖の名前が流布している仏教を利用しようとしている』んだろうな・・
ってこと。
仏陀を神格化するやつらは、大体、
自分を仏陀の理解者であると自認していて、
仏陀のカリスマのおこぼれに預かれると盲信している。
以下、華厳経から引用。
『自分が見るということが無ければ、よく一切の真実の法を見るであろう。
法に於いて見るのであれば、その人が見るということはないのである。』
『自分が見るということは煩悩であり、このような人に仏の見解は無い。
諸々の仏には自分の見解など無い。 それ故清浄に見るのである。』
『説法は無尽なる智慧が説いているのであり、その人が説いているのではない。
有はことごとく無であると明らかに知って悟りを得るのである。
無尽が無尽を説くのである。衆生はもともと空寂であるが故に真実の本性を知ったならば、
仏にまみえることができるのである。
見ることなくして見ることを説き、自我なくして衆生を説く。
見ることや衆生を説いてもことごとく有ではない。』
(東京美術 和訳華厳経より引用)
22 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 20:58:28 ID:UoDNX4JO
宝珠愚者氏は、キリスト教崩れの超カルト宗教である神智学による強力な洗脳
の結果。彼も、キリスト教から入ったものであることは確か。
現在のすべてのカルト宗教の源泉ともいえるもの。
禅で、彼の極端な「観念信仰」を治療できないのだろうか。
23 :
暁:2009/06/07(日) 21:26:03 ID:bWG3lSx5
>>19 旧7氏
そもそも神智学というものは、世界中の様々な宗教思想をごちゃまぜにし、霊的世界を研究し、
オカルト的な説を唱えるものだからね。
主張に一貫性を求めるのは困難でそ。
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり
空海の三教指帰・序
ここにひとりの沙門あり われに虚空蔵聞持の法をしめす
ここに大聖の誠言を信じて ひえんをさんすいに望む
阿国大りゅう嶽にのぼりよじ 土州室戸崎に勤念す
谷響きを惜しまず 明星来影す
空海の瞑想体験・・・谷響きを惜しまず 明星来影す
この序を読めば、何が響いたのかを想像できるのではないか。
たぶん虚空蔵聞持法で唱える陀羅尼だろうと思う。この法は
「ノウボウ アキヤシヤキヤラバヤ オン アリキヤマリボリ ソワカ」
この陀羅尼を1日1万回、あるいは2万回唱え、計100万回唱える。
27 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 22:20:25 ID:BcYoODrE
空海は言葉に注目し、声字実相義で次のように語る。
五大にみな響きあり 十界に言語を具す
六塵ことごとく文字なり 法身はこれ実相なり
ブラフマンは宇宙の本質であり、それはヴェーダーの言葉を意味しており、
言葉の響き(ヴァイブレーション)のことをいうらしい。
別の説明によれば、あらゆる物質的なものを取り除いた後の場所をいうらしい。
この場合は、仏教で言う<空>のイメージと似ているかもしれない。
これに対するものが、アートマンであり、元来は気息を意味していた。
それが後に、自己の実体(本質)はアートマンであると言われるようになった。
29 :
旧7:2009/06/07(日) 22:27:48 ID:fORQy/Md
>>28 >言葉の響き(ヴァイブレーション)のことをいうらしい
ほうw
では、どの言語なら及第点を得、どの言語なら及第点を得られないんだ?
当然、答えられるよな?w
>>29 ブラフマンとは言葉の響き。インドではそう理解されてきたという話です。
どの国の言語にも、よい響きを持つ言葉と悪い響きを持つ言葉がある。
ポロリはぜったい及第点だな
たとえばクルアーンは、その音楽性が高く、
当初の布教はその音楽性によっても助けられたらしい。
また原則、アラビヤ語以外のクルアーンを認めていないと思う。
僧侶は歌うように読経する。たしか声明は読経に酔うのではないか。
また神道でも言霊と言って言葉の響きを重視する。
イザヤ書などにも洗練された言葉を感じる。
34 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 23:08:10 ID:OsYiC+D+
>>26 >谷響きを惜しまず 明星来影す
雄大で、美しい言葉だね。空海の文才を証明して余りある。
こんな雄大で美しい自然描写を、ちっぽけな人間の心や呪文などと結びつける、
卑小な心理状態は理解できないね。やはり、大自然に悟ったと解すべきだろう。
たしかに言葉が精神に与える呪術性はあると思うが・・・
業やカルマの問題なのか、日本の解釈のように言葉そのものに霊性が宿っていると考えるか
ヒンドゥーのように芸術の神の城が現出していると感じるのか、解釈はそれぞれだろう
>>34 ご隠居? 空海と言う名は、<見性体験の後>
眼前に空と海としかない、広々とした風景を見て決めたという。
いい雄大な名前ですね。
38 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 23:18:44 ID:OsYiC+D+
>>36 マンネリは、人間の肉体的表現を、無理やり精神や霊にこじつける宗教者
のほうだろう。
人間は、肉体的・具象的存在。どんな宗教でも、音声や体を動かしての
祈りなど、肉体的動作を取り入れている。精神性がもたらす狂気から、
人間を取り戻そうとする、本能的努力なのである。
37の訂正 ○ 雄大ないい名前ですね。
そういえばアラビヤ語の母音はアイウしかないという。
空海もアイウになってますね。
40 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 23:25:27 ID:OsYiC+D+
>>37 やっぱり、大自然からの悟りですね。人間のちっぽけな精神などでは
ない。
大日如来も曼荼羅も、大自然の象徴なのです。キリスト教とは全く異な
り、自然や人間から一歩も離れてはいないところに、仏教の比類のない
偉大さがあることに、仏教者は気付かなければならない。
41 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 23:33:53 ID:OsYiC+D+
真言宗の声明は素晴らしいですね。まさに一大音楽芸術。精神など吹っ
飛びます。
声明のテープやCDがあるのなら、教えてください。
>>40 ご隠居のような、自然信仰のほうが日本的なのかもしれませんね。
それはそれでいいのではないかと思います、
ただこのスレとしては、何が証明されたらアートマンを認めるのか、
何が証明されたらアートマンを<認めない>のか、という点を具体的につめ、
意識している必要があるのではないかと思います。
そうしないと、釈迦が言っているからアートマンがあるとか、
いや言ってない、アートマンなど仏教ではないの言い合いで終わりそう。
43 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 23:42:51 ID:OsYiC+D+
>>42 釈迦の教えの基本は、「世界を空と観ぜよ」です。前レスでも述べたように、
アートマンがあろうとなかろうと関係ない。アートマンも、世界の一部として
「空」なのですから。
>>41 わたしは残念ながら曹洞宗の檀家です。
このスレには真言宗の方もいるかもしれません。待ちましょう。
>>42 自然信仰のように見えてるだけで、
実際は自分信仰の唯物論。
>>35 言葉には、文脈と意味と響き、という要素があるのでしょうね。
言葉の響きと言ったとき、単に響きだけではなく、
ヴェーダーとか仏典とか聖書とかクルアーンとかが前提になるのでしょう。
48 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 23:57:40 ID:OsYiC+D+
>>45 マンネリの典型が宗教。数千年間、何の進歩もないw。自然科学、例えば
医学などは、ほとんど6ヶ月単位で急速な進歩を続け、人間に巨大な恩恵
をもたらしているのだよ。一切皆苦から人間を救っているのは、宗教ではなく、
自然科学であることには、間違いないね。
>>48 お前のいってることも進歩ないけどな。思考停止の典型だな。
>>48 真理は永遠に同じ。同じであることが真理であることを証明している。
自然科学などの発展は、人間の認識が不完全であることの証明でしかない。
51 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 00:10:05 ID:wdQVhI2u
>>46 >実際は自分信仰の唯物論。
厳然として実在する現実界に基づかない観念論は、いくらやっても百人
百様。その正誤正邪を判断する基準が皆無だからである。従って、宗教
上の「真理」は、常に人間同士の争いの原因となっているだけ。
一方、自然科学上の真理は、自然という絶対的な判断基準が存在するから、
全人類的な合意が容易に到達できる。
「真理の基準は、現実と合致するか否かである」。他には、判断基準は
「皆無」。
>ヴェーダーとか仏典とか聖書とかクルアーンとかが前提になるのでしょう。
これはないと思うよ
日本人にとっての大和言葉が外国人にちんぷんかんぷんなのと同じように
もともと民族的なものだろう
つーことは、マントラのひびきがもつ不可思議さは日本人には理解しがたいと思う
タントラはともかく
>>52 言葉は、宗教的な文脈を背景にしている、という意味です。
たしかに民族的なものがあると思います。
民族ごとに、言葉に対する感性が違っていて当たり前ですね。
残念ですがマントラ、タントラ知りません。
54 :
一在家携帯より:2009/06/08(月) 00:22:12 ID:bWFRjLwF
横レスですが、言葉の大切さを論じるのは分かります。
キリスト教でも「神は言葉なりき」ですし、神道でも言霊を重視します。
「空」ですが「諸行無常」に近い説法でしたら、法華経のある章を鏡にすれば、第一義ではない可能性があります。
法華経の作者は第一義を知っていると残しました。
大乗のスタンスであれば、諸行無常にて経典を統一しておくべきでしたのに。
自分の眼も姿も鏡を使えば見えますし、過去の自分もビデオにて認識できる現代です。
素粒子も実在しても、相対的に影響し、測定も困難です。
波であったり、粒子であったりと、相は無常ですが、常住します。
言葉で感動したことがある。
ある<原住民>の男女が、歌うように話していた。
裸同然の暮らしなのに、何てやさしい響きの会話なのだろうと。
言葉の意味はわからないけど、ふたりの気持ちはわかった。
56 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 00:28:29 ID:wdQVhI2u
>>53 言語とは、人類が発生して共同体を形成後、その成員間の意思の疎通のための、
「人間」の最大の発明。その本来的機能は、生存に必要な「物」を指示し、
区別すること。そして言葉は、その生存共同体ごとに異なる。
従って、「初めに言葉があった」という聖書の文句は、全くの誤り。神は、
その言葉を、一体どこの人間から教わり、どこの人間に対して使ったのかね。
>>56 小鳥のさえずりのような言葉があるのですよ。
58 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 00:37:12 ID:wdQVhI2u
>>54 >相は無常ですが、常住します。
それは、あくまで、人間であるあなたの感覚器官に映じているだけ。
「本当に」常住しているか否かの証明はできません。そこで、「色即是空。
空即是色」です。
TVで見たことがあるが、ある村では感情が高まると歌ってストレスを発散するらしいよ
夫婦げんかすると、怒りを表現して歌いながらくどくどと不満を伝えるらしい
こうすると、いつのまにかけんかがおさまり夫婦仲が円満になるそうだw
いいことだね
60 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 00:40:46 ID:wdQVhI2u
>>59 肉体的行動が、精神を制御することの一例です。
>>60 だね
肉体のない頭だけの理解では花のうつくしさを知ることもない
62 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 00:51:15 ID:wdQVhI2u
>>61 「美しい花がある。花の美しさなぞない。」(小林 秀雄)
>>59 歌はいいね。音楽療法なんか昔からやっている。
言葉自体が音楽だよね。
ヒット曲は言葉の抑揚がそのまま曲のイメージになっている。
64 :
一在家携帯より:2009/06/08(月) 00:53:42 ID:bWFRjLwF
原始仏典に登場するブラフマンは究極の唯一神でなく多神です。
多神を仮定した場合、神は人から見れば全知全能かも知れません。
でも、神から神を見れば全知全能でしょうか。
エホバもアラーも人類の教化には大変苦労されておられるようです。
アブラハム、ノア、モーゼ、イエス、マホメットと預言者を出しておられます。
神々もどんどん変化しているようにも見えます。
また死海文書では、人は光と闇とを内在します。
闇を欲心と言い換えますと、欲心が全て悪とも言えません。
性欲は人類を増やします。自己実現欲は、科学者、宗教者、芸術家、スポーツマンの成長をもたらします。
神の子、人に欲心を与えた神は低い神ではないと思います。
以上、横レスにて失礼します。
恐竜は花で絶滅したってNHKが言ってたよ
恐竜には花はおぞましく見えるのかもしれないな
66 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 00:55:52 ID:wdQVhI2u
「美しい花がある。花の美しさなぞない。」(小林 秀雄)
「美しい花」を離れて、「花の美しさ」があると考えるのが、ソクラテス
に始まり、キリスト教と経由した、西洋哲学の誤謬と倒錯なのです。
恐竜は花で滅びたけど、その恐竜の子孫が小鳥たちであり、
花の蜜を吸ったり、花の果実を食べたりしている。
生命の不思議を感じますね。
花がどうしたって?
花の美しさより、恐竜のドラマのほうが諸行無常を感じる。
イエスは統合失調というご隠居の持論は、
二項対立の縁起・空と似ていると思う今日この頃。眠いのでオチ
69 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 02:04:40 ID:wdQVhI2u
70 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 08:06:43 ID:FPC7+So/
>>28 >の説明によれば、あらゆる物質的なものを取り除いた後の場所をいうらしい。
>この場合は、仏教で言う<空>のイメージと似ているかもしれない。
それを言うなら五位七十五法の無為の<虚空>だろう。今で言葉で言えば<真空>
のことだね。<空>は虚空とは違う。虚空も実相は空ではあるが。
71 :
一在家:2009/06/08(月) 08:13:56 ID:y9yAiM6Y
グノーシスという言葉も最近知りましたので一般解説を読みました。
肉体や目に見えるこの世界「色」は悪であり、それを創造した神も
低い神だと見る思想のように解釈されているフシが見受けられます。
原始仏典、法華経、死海文書を鏡として見ますと、一般大衆(凡夫)は
確かに肉体や目に見えるこの世界「色」を重視し過ぎるようですし、
あまり固執しますと苦しみを生じます。
本当の主体は目に見えない世界の霊(アートマン)やブラフマン(神仏)
であるということを伝えたかったのではと推測します。
「霊が主体で、肉体は悪」というよりも、「霊が主体で、肉体は従属」と
いった表現が適切であったように考えます。
凡夫は「肉体が主体で、霊は従属」または「心が主体で、霊はない」ですか。
尚、私は「霊魂」という言葉を使いますが、厳密にはエクトプラズム、
幽体、霊体、魂(光と闇、良心と欲心の二つ)に分類できることは認識して
おります。尚、エクトプラズムは可視光線領域で確認されます。
以上、グノーシスへの所感です。
72 :
暁:2009/06/08(月) 08:29:56 ID:l76zqGJ4
>>71 フシが見受けられるというより、物質=悪、という思想そのものだと思いますよ。
グノーシスは見えざる神を設定していますが、
それはアートマンや神仏のようにワラワラと複数いるものではないので
質的に違うんじゃないでしょうか。
霊魂の分類ですが、どうやってその分類が正しいことを認識しているんですか?
あと、さっき書きましたがアートマンとは関係ないと思うので、
専用スレに書いた方がいいんじゃないでしょうか。
>>72 以前、俺も疑ったことがあるんだが違うらしい。
そうかでもないらしい。
74 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 09:00:13 ID:FPC7+So/
「美しい花」を賛嘆することやや「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と
詠嘆することで思考停止してるのが日本の文芸だろうね。
思想はともかく哲学は日本文化には無い。
その哲学の代わりをしたのが日本では仏教だったのだろう。
理屈っぽいのは坊主だけ。
無常観と無情感の違い、とよく言われるね。
76 :
暁:2009/06/08(月) 09:06:27 ID:l76zqGJ4
>>73 あらそうなの。
俺はてっきりそうなのかと思ってたw
77 :
宝珠愚者:2009/06/08(月) 09:07:06 ID:jh4ruD3z
>>2 それは大間違いです。
「色即是空/空即是色」の「色」とは現象世界(あなたがいうこの現実世界)のことです。これは「空」
と呼ばれる実体無き世界なのだと教えているのです。無常なる世界は実在ではない、という意味ですよ。
仏陀に成るということ。つまりニルヴァーナ意識境に到達するということは、この現象世界(流転変滅
して止まない世界/輪廻)の制約から解脱することです。
従って、「空」なる制約を完全に超越していて、永久不滅(常住)の状態です。ゴータマは無常なるもの
には価値がないと教えている。つまり、仏教の目指すべき世界とは不滅の境地なのです。
簡潔にして究極。完璧な説明でしたね。お・わ・りです ---以上。
>>43 同じく大間違いの勘違いしたトンチンカン!!
「世界を空と観ぜよ」という時の「世界」、「一切皆空」などという時の「一切」とは、この森羅万象の無常
なる現象世界を示しています。アートマンはそれらを超越したものであり、従って、客観的に「コレ」として
示すことができない存在をいうのです。それが、「五蘊無我」(それら五蘊はアートマンではない)です。
まっ、このスレでしっかり勉強しましょうか!
78 :
宝珠愚者:2009/06/08(月) 09:10:49 ID:jh4ruD3z
挨拶が遅れました。
1さん-スレ建てご苦労さまでした。
>>22 >彼も、キリスト教から入ったものであることは確か。
デタラメです!! こちとら正直にプライベートも答えてあげているのですから、勝手な決めつけは
辞めましょう! 以前に教えた通りですよ。心霊世界(心霊科学)→仏教(原始仏教と少しチベット密教)
→ヒンドゥーアヴァターの教え(ラマナ・マハリシ、ヨガナンダなど)→そして、最後に神智学です。聖書を
開くようになったのは本当に最後の最後ですよ。ただ時々、必要に応じて確認のために開く程度であっ
て、私はパイブル信奉者などではありません。
79 :
宝珠愚者:2009/06/08(月) 09:12:52 ID:jh4ruD3z
>>スレ3/788
>その君が、大乗仏典には、目もくれないのは何故かねw。
>より古い原始仏典は、大乗仏典よりも、釈迦の言葉であるという保証は「皆無」である。
『文献学研究の結果では、時代区分として、初期仏教(原始仏教)の中の仏典『阿含経典』、
特に相応部などに最初期の教え(釈迦に一番近い教え)が含まれていることがほ ぼ定説に
なっており、少なくとも「大乗仏典を、歴史上の釈尊が説法した」という文献学者はいない。』
(Wikipedia)
もしも、そんなに原始仏典に信頼が置けないのならば、
大乗経典にゴータマの思想を求めることがどれほど無謀であるかが分るでしょう!
>それに、教祖の言葉だからと言って無条件にありがたがるのは、現代のカルト宗教の信者と同じ。
無条件ではなく、言葉の意味を理解しようとする方向性においてですよ。
>大乗は、原始仏典の数箇所の言葉を「ヒント」として、無数の人々が思索と知恵
>を積み重ね、いかなる西洋哲学も及ばない巨大な体系を築き上げたものである。
大乗はゴータマから離れた勝手な理論展開が基盤です(部分的には優れた思想もありますが)。
>仏典の「思想」の中に、現代にも通用する「真理」があるかどうかを思考する場所。
>
好き勝手、デタラメは仏教にはならないからw
もちろん思想の自由は認められるし、それは誰にも止められない。
しか〜し、それは仏教ではない。
>キリスト教崩れの超カルトである神智学
神智学はアンチ・キリスト教です。
そろそろ覚えましょうか!
80 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 09:14:14 ID:FPC7+So/
無情感とは「情感が無い」という意味だね。
美しいとか感じることも無いのが無情感だろ。
無常とは何の関係も無いだろ。
「花の命は短くて」は明らかに無常観だね。
81 :
宝珠愚者:2009/06/08(月) 09:22:20 ID:jh4ruD3z
>>17 >宝珠氏の頑なさと、そのベクトルについては興味が尽きないw
はいはぃ、有難いことですwww
この私を楽しく観察してるのかな?そんなに眺めても何〜んも出てきませんよ!w
>前シリーズでは、『【伝統仏教】が輪廻を認めないのはおかしい!』というスタンスであった。
基本的には伝統仏教は輪廻を認めています。一部の浄土真宗などを除く(ここは本家の浄土宗
から分派してからか?)すべての仏教は輪廻を説きます。
ところが、ゴータマは輪廻など説かなかった。それらの経文は後代の付加である。もしくは方便と
して語っていただけとする、これらの輪廻否定論者というのは、このつい近年になってから急激に膨
れ上がった異端派です。私が問題にしてるのは、これらの異端者たちです。
82 :
宝珠愚者:2009/06/08(月) 09:23:55 ID:jh4ruD3z
>(→これは、≪以前依拠した【伝統仏教】を、今度は外道扱いする≫ことにならないのか?)
【伝統仏教】は輪廻を説いていますが、無我については誤解した(変えられた)といってるのです。
そのまま正しく仏教が伝わり、それを信奉しているところなどはない。エー、あると思ったの??あれ
ば帰依してるわ。何を今更 wwwww
>『【説かれていないこと】は、理解され難いことだから、混乱のもとになるから【説かなかった】』と言う。
当然、そういう部分もあるでしょ!
それ位も読み取れないで、よく難しい仏教書ばかり睨めっこしてますね?
>このような姿勢を、『イイカゲン』と言わずに何と言うのか?
>賢い方々に教えた頂きたい。 こんな言説はありなのか? と・・・。
それが判断力というものでしょw
>>19 正しく輪廻が説かれ、無我の誤解が晴れればそれでよし。
それ以外の目的なし!
83 :
宝珠愚者:2009/06/08(月) 09:25:55 ID:jh4ruD3z
>>29 「言葉の響き(ヴァイブレーション)」とは、つまり、マントラムについての真義とは“創造の原理”
(物質出現の原理)のことです。
科学はようやく物質の究極の姿を「波」(波動)の性質として捉えるところまできた。しかし、解脱
した賢者というのは数千/数万年前の遙かなる太古から、自己の意識によってそのことを把握して
いました。つまり、神秘体験によってそのことをよく知っていました(これを「直知体験」という)。
これはやや抽象的な表現ですが、波動が低下して荒くなると「霊」(スピリット/心霊ではない)は物
質化し、波動が上がり精妙化すると物質は「霊化」するのです。物質の差(違い)とは振動率の違い
です。物質現象界を顕している振動を言葉で表現したものがOm(オーム)であり、これは「A」「U」
「M」(アウム)の三つの音から構成されている。解脱者はその音をハッキリ聞きとることができる。
これが、キリスト教会で使われるエジプト人の「アーメン」(Amen)、ギリシア人の「アイオーン」
(Aion)とラテン語の「アイヴム」(Aivum)/及び「イーオン」(Aeon)、そして、仏教における「阿吽」
(あうん/A-hum)として使われているのです。
>>56 >従って、「初めに言葉があった」という聖書の文句は、全くの誤り。
>神は、その言葉を、一体どこの人間から教わり、どこの人間に対して使ったのかね。
>
無知な証拠です。この「言葉」とはギリシア語の「ロゴス」(Logos)であり、
“意志”あるヴァイブレーション、即ち「オーム」(アーメン)を意味する。
要するに物質創造の原理のことです。
仏教枠外にて、オマケはここまでですw
84 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 09:40:02 ID:FPC7+So/
>>77 >簡潔にして究極。完璧な説明でしたね。お・わ・りです ---以上。
「空即是色」の説明が完全に落ちていますよ。
仏教は不滅を求めるものではない。現象は実在だと認識することだね。
不生不滅の縁起が仏教だね。
85 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 09:41:21 ID:AjeWFWvr
>>41 隠居もクルアーンを聞こうぜ。声明が好きならハマれるよ。
ネット上にいくらでも転がってるから検索して試してみなされ。
>>82 >当然、そういう部分もあるでしょ!
そこに恣意をねじ込む危険を説いているんだよ。
86 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 09:54:42 ID:FPC7+So/
仏教はゴータマ・ブッダの仏教ではない。
無名・無数の「仏」の教えが仏教である。
仏教に小乗も大乗も無い。
仏教がゴータマ・ブッダの仏教だとしてゴータマ・ブッダを神格化
している人たちは大パリニッバーナ経のゴータマ・ブッダの遺言を
守らない人たちである。
87 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 09:58:42 ID:AjeWFWvr
>>86 大乗がゴータマとは別に悟った人の教え、とされているのなら当はまるかもしれない。
本来一万円の価値になっていた碗でも、偽って
美術や骨董で珍重される巨匠の名前を入れれば二千円になってしまうもの。
覚者が不妄語戒をおかすものだろうか?
88 :
一在家:2009/06/08(月) 09:59:52 ID:y9yAiM6Y
>>83 >この「言葉」とはこの「言葉」とはギリシア語の「ロゴス」(Logos)であり、
“意志”あるヴァイブレーション、即ち「オーム」(アーメン)を意味する。の「ロゴス」(Logos)であり、
>“意志”あるヴァイブレーション、即ち「オーム」(アーメン)を意味する。
同感です。 「神は波動」と説く代わりに、凡夫に分り易い「言葉」を
聖者が使われたように拝察します。
また、先にも書きましたが、ギリシャ語原本ではLogosは小文字だという
プリンストン大教授(ナグ・ハマディ文書研究者)の解説にありました。
大文字にするのは「イエス=言葉=神自身」の洗脳手法だとも。
89 :
宝珠愚者:2009/06/08(月) 09:59:59 ID:jh4ruD3z
90 :
宝珠愚者:2009/06/08(月) 10:06:13 ID:jh4ruD3z
>>88 ん?それは失礼!
大文字にしたの私です。特に意味はなしです。
大文字だとなんだとか知りませんでしたねw
気にしないで欲しいです^^
91 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 10:37:23 ID:FPC7+So/
>>89 >つまり、それが不滅の境地です。
だから、仏教は不滅の境地など求めない。
不生不滅の境地だね。「不生」を抜いたら仏教ではない。
「生滅法」を悟ることが仏教の解脱だね。
「つくられたものは実に無常であり、
生じては滅びるきまりのものである。
生じて滅びる。
これら(つくられたもの)の安らいが安楽である。」
諸行無常 是生滅法
生滅滅已 寂滅為楽
これが仏教の「いろは」だよ。
不滅(常住)を求めるのは仏教ではない。
92 :
一在家:2009/06/08(月) 11:03:06 ID:y9yAiM6Y
>これが仏教の「いろは」だよ。
その通りです。 諸行無常は「いろは」ですね。
93 :
宝珠愚者:2009/06/08(月) 11:04:15 ID:jh4ruD3z
>>91 ]無常なるものに自己を求めるな、といっているのであり、
無常なる五蘊の囚われから離れた悟りの境地は楽しい(「苦」から脱した)ということ。
---その境地は永遠に続くものです---
>不滅(常住)を求めるのは仏教ではない。
五蘊や物質現象世界の不滅を求めるのではありません。
無常な世界から解脱した境地のことです。従って、“没する”ことすらない。
「これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解
脱の境地である。」(ウダーナヴァルガ26-29)
旧7は、俺の全体的な主張ではなく、前スレの
>>948の解説を
しただけだと逃げるわけだ。ま、この言い訳もいかにも末法仏教徒らしい
詭弁なのが笑える。唯物論者の旧7の思考回路は、形而上のことを語れば
無条件に中身のない話となるらし。これでは議論はなりたたない。
元から議論を放棄しているのだから、ここにいる意味がない。
そういや、前世を記憶する子供たち&立花隆の臨死体験の話が議題になったときも
同じく形而上のことは証明できないのだから、どんなに状況証拠がなくても
証拠にならない。あるというなら証拠を出せ。てな論法で絡んできた、まともに会話の成立しない
発達障害の吉外がいたっけな。こういう連中とは最初から議論は成り立たない。
最初から議論を放棄しているのだから、なぜここでうだうだ言ってくるのか理解できない。
何度も言ってるが、「それ」は、他人が証明するものではなく、自分自身で知るしかないのだ。
で、ゴータマはどうか?ゴータマも輪廻転生を筆頭に随分形而上のことを語っている。
ゴータマは一切形而上のことは無記を通したというのは、こいつら末法仏教徒達の妄想。
彼らは待機説法すら理解していない。またエゴの塊の彼らは、仏典を読んでも
自分達の気に食わない文言は、脳内削除できるらしい。旧7よ、お前の論法で言うと
ゴータマの説法も全体的に判断すると、中身のないものになるってことに気づいているか?
何せ彼は、業法による輪廻転生を詠っているんだからな。
で、おまえ。ちゅうか末法仏教徒の皆さん。自分の胸に手を当てて自分の胸に
よく尋ねてごらん。あんたらの仏教にいったい何の意味があるのかとね。
>>91 ゴータマは不死の境地を説いてるんだよ。そこが涅槃だ。
不死とは不滅のことだろ。ちゃうか。
>これら(つくられたもの)の安らいが安楽である。
この世の生存は苦であり、安楽ではない。これらつくられたものが安楽をえる
ということは、もう生まれてこないこtだ。これを輪廻の鎖の輪を断ち切るというんだよ。
仏教の基本の教えは、一切は皆苦。だ。なのに君らは、この一切の中の生存に
涅槃を探している。一切皆苦の教えも理解しないなんて、君らは本当に仏教を知らないんだな。
96 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 11:30:44 ID:FPC7+So/
>>93 >「これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解
>脱の境地である。」(ウダーナヴァルガ26-29)
そうだね。
この世は無常だから気の持ち方一つで無上の静けさの境地が得られるね。
だが、それに酔っていてはいけない。怠らず修行に勤めなさい。
97 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 11:37:21 ID:+xqUMTs7
村上春樹が例の
売り切れ在庫無し手に入らない話題の新作の中で
初期仏教についてふれてたぞ
おまえらみたいな奴が
宗教団体つくったらこうなるだろ?
みたいなお話が話の核になってる。
んで、現実は、おまえらみたいなこといってる奴らが
10歳の女の子をレイプして子宮を破壊して…
っていう。。。
98 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 11:39:21 ID:FPC7+So/
>>95 >この一切の中の生存に涅槃を探している。
そうだね。
この世で苦が滅しないなら仏教なんて意味ないもんね。
死んでホトケに成ることが仏教ではない。
即身成仏が仏教だろ。
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。
すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、
一つとしてこれによらないものはなかった。 〜ヨハネ
前スレ
>>871 >ブラフマンは宇宙の本質であり、それはヴェーダーの言葉を意味しており、
>言葉の響き(ヴァイブレーション)のことをいうらしい。
元々宗教というのは一つの教えjから各地域に向けて変化して伝えられていったが
根本は同じものである。本物の宗教はね。創造神であるヴェーダのブラフマンは「言」を
意味している。それはキリスト教も同じだ。名称は「言」によって成り、
言によって成らない名称は何一つない。「言」は識別智。彼女がこの世界を造った。つまり
我々人間の心である。この世界はあなたと共にあり、あなたが滅びれば、あなたにとって
この世界はなきに等しい。ただね、このブラフマンも最初は無知でね。この世界を創造
するのはいいが(ブラフマンが世界を創造するということは、我々がこの世に生まれるということである)、
最初は自分が何者かを知らない無知なんだ。だが彼女が知恵を得、再び識別をやめたとき
「一」の元に帰る。宗教的な「女」の意味とは万物の生みの母である、彼女(言)のことをいってね、
男(人)とは、在りて在るものの事を言うんだ。「言」は識別智。彼女が識別をしたため、
自分自身を殺したが、彼女が識別をやめる知恵を得、黙るなら、再び元の夫である「一」と
ひとつとなり、命を得る。仏典では、ブラフマンを馬鹿にした記述があるのはなぜか?
その意味を理解する人がいれば、幸いだ。ちなみにグノーシスでは創造神のことを悪神デミウルゴス
として描かれる。彼のまたの名を、無知という。ま、末法仏教徒たちに聞かせても仕方ないことだが
聞く耳のある人は聞けばいい。そして話の内容を理解してもらえると、幸いだ。
>>96 >「これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解
>脱の境地である。」(ウダーナヴァルガ26-29)
そこの文言はとてもいいね。ここの末法仏教徒達には永遠にわからない理法だろう。
>>98 君はいい文言を出しても、内容を理解しない。
ある意味可哀想な人だね。
あのさ、肉の自我を持つ限り、人はエゴの呪縛から逃れられず
互いに争い、また欲も捨てられず、苦しむんだよ。
>>96 >「これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解
>脱の境地である。」(ウダーナヴァルガ26-29)
ここに没することなきと書いてある。肉の自我は、どうあがいても没するものだ。
ここの末法仏教徒達はどうしてこう無理解なんだろう。
103 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 12:00:56 ID:FPC7+So/
>>101 >あのさ、肉の自我を持つ限り、人はエゴの呪縛から逃れられず
>互いに争い、また欲も捨てられず、苦しむんだよ。
そう思っているのもお前の心のなせる業だろ。
濁ったボンノーより清んだホンノーだろ。
肉体は善でもなく悪でもなく無記だね。
旧7よ。どうみても、願望を語っているのはお前のほうなんだよ。
ゴータマは明らかに業法輪廻転生を語っている。それを社会的な悪影響という
他の正しく業法輪廻転生の思想を理解すれば人々の間に悪を成さないで生きようという
いい影響もあるという側面をまるっきり無視して、一方的に自分の価値観似合わせるため
悪い側面だけを根拠に、業法輪廻転生の思想を仏教から削ってまおうとしている。
ゴータマはあきらかに業法輪廻転生を説いているのに、自分の価値観に合わないから
排除して、仏教は業法輪廻転生を詠っていないとするのは、どう考えても
お前の願望に合うように仏教を捻じ曲げているんだがな。
105 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 12:03:13 ID:FPC7+So/
>>102 >ここに没することなきと書いてある。
そうだね。涅槃は空だから没することは無い。あたりまえだね。
106 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 12:04:51 ID:n/TS2+jC
>>77 > 従って、「空」なる制約を完全に超越していて、永久不滅(常住)の状態
>です。ゴータマは無常なるものには価値がないと教えている。つまり、仏教
>の目指すべき世界とは不滅の境地なのです
大分混乱している。言葉を無視した解釈が入りすぎ。
現象世界は、人間も含むのは当然。
空を説きながら「不滅」などという言葉を使ったら、釈迦は完全に論理矛盾
していることになる。
釈迦は、無常は「価値がない」などという「価値判断」を、どこでしている
のかね。
イエスは自分のことを、人の子と呼んだ。
イエスが明かした父の名とは、「人」というんだよ。
それは我々自身の名だ。だが人々はその名を信じない。
ゆえに自分自身を死に定めている。
人の心。それは「言」である。それは我々の心である。
108 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 12:09:10 ID:FPC7+So/
>>104 >ゴータマは明らかに業法輪廻転生を語っている。
そうだね。方便としてこの世の業法輪廻転生を語っているね。
生まれる前の前世とか死後の来世とかについては語ってないだろ。
六道輪廻はこの世の物語だよ。
>>80 そうじゃないよ。無情感は詠嘆のこと。
散る花を見て、はかなんだりすること。
情優位でとらえるという意味。
無常観は、現象としての生滅を観察すること。
情的な部分ではなく論理性でとらえるという意味。
(デフォルメすれば)
110 :
一在家:2009/06/08(月) 12:11:23 ID:5GQ+/eRH
(脳総合スレ 哲学板)で6/5質問してきました。
Q.では、ニューロンを結合させて簡単な記憶回路が作れますか?
たった1回の入力で、0と1、YESとNOを記憶するだけで結構です。
A.できるよ。
普通のニューラルネットワークモデルが学習に繰り返しを用いるのは
学習の精度をあげるため。
記憶の仕組みを質問したのですけで、ニューロンの伝達特性の変化が
回答されました。
他の住人は無回答(無記)でしたね。
やはり、脳(ニューロン)に過度の期待は抱かない方が懸命です。
>>103 >濁ったボンノーより清んだホンノーだろ。
なんだよこれ。ゴータマの弟子の成れの果てがこれだ。
ゴータマも草葉の陰で泣いてるだろうよ。
いっとくけど唯物論者の巣窟になっている今の仏教は、真理から最も遠いところに
ある宗教だよ。ちゅうかおまえら末法仏教は宗教というより、単なる哲学に成り下がっているけどな。
112 :
宝珠愚者:2009/06/08(月) 12:14:33 ID:jh4ruD3z
>>102 はぃ、ですね!
「一切の相」とは、この無常である現象世界であり、自己の肉体です。
たとえそれが滅びてなくなっても、没することがないのが解脱の境地だといってるのです。
であるから、これが最上にして究極の境地であると。
無常なる世界には価値がないと説いているということは、
ゴータマは常住なるものを求めよ、といってるに決まっている。
無常ではない世界、仏教が目指すニルヴァーナとは、
つまり永遠であり、そこに到達したホトケは不滅ということ。
こんな当たり前の話すらも理解できないのです。
まっ、仏教用語(漢訳)辞典を開いても、そうは書いてないからね。
正直、書いている当人もハッキリ分らず書いてるのだから・・当然です。
恐らく中村氏は理解してる希少な学者の一人でしょう。
>>105 だから善も悪もない中道なんてのは、言葉で表現するなら
一元の世界で始めてありえる話で、相対世界であるこの現象世界にいくら
探しても無いって言ってんだよ。それを無理やりこの相対世界は
善悪を離れた中道だと説いても、本質的には何の意味も無いただの
言葉遊びしか成らないといってるんだよ。しかし君らの智慧の無さは、絶望的だな。
114 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 12:18:36 ID:n/TS2+jC
>>104 >それを社会的な悪影響という
>他の正しく業法輪廻転生の思想を理解すれば人々の間に悪を成さない
>で生きようといういい影響もあるという側面
「善も悪もなした人間(すべての人間がそうであろう)」の業報輪廻転生
はどうなるのか、という疑問に答えられない限り、その理論は完全に崩壊
する。むしろ、一度悪をなした人間の、善への意思を阻むものである。
人間は、輪廻転生で「脅迫」されない限り、善をなし得ない存在なのかね。
脅迫によって、即ち自由意志を奪われた状態での「善」は「善」では
ない。自己の輪廻を逃れようとする、人間の「エゴ」に過ぎない。
>>108 >そうだね。方便としてこの世の業法輪廻転生を語っているね。
ほら出た。方便。これも詭弁家達が好んで使う仏教用語の一つだ。
自分達の気に食わない説法は、それは方便だといえばいいものな。
原始経典を読めば、業法輪廻転生は、方便どころか、ゴータマの仏教の教義の根幹になるもの
だってことは、小学生でもわかるぜ。しかし、待機説法だの方便だの、仏教用語は
本当にだめだな。詭弁家達のいい道具だよ、仏教用語は。
>>95 > ゴータマは不死の境地を説いてるんだよ。そこが涅槃だ。
> 不死とは不滅のことだろ。ちゃうか。
これが微妙なんじゃないかと俺は思っている。
煩悩が尽きた状態。全てが灰になった状態というのは、
不死とは違うんじゃないかという気がする。
不死というのはどこか「永遠の生」というのと同値な感覚があるが、
涅槃にはそれがない。「尽きた」という形で敢えて表現されている部分は
尊重したい。
>>114 お前は議論に参加するレベルではない。
子供の口答えばかりだ。ちゅうか、2chでこいつのような引きこもり
の相手をするというのは、引きこもりたちのいい暇つぶしの相手にしかなっていない。
社会になんら貢献することも無く、他者との関わり方も知らず
ひたすらその強いエゴを押し付けるこの引きこもりたちは相手にする価値の無い者だ。
ま、こういうやからは無視するに限る。相手をしたら餌を与えるだけだからね。
次からテンプレで、隠居なる名無しは、特徴を列記して、原則無視する方向でと
入れたほうがいいだろう。こいつは人のいうこと聞かないで、ただひたすら自分のエゴを
垂れ流すだけだし、話す内容も、凡夫丸出しで、レベルが低い。相手にする価値は無いだろう。
こいつはリアルの世界でもそうだが、たとえネット社会でも、他人とのコミニュケーション能力を
養ってから他人に接するべきだろう。
>>116 >涅槃にはそれがない。「尽きた」という形で敢えて表現されている部分は
>尊重したい。
尽きたたというのは、煩悩が滅し、生存(再び生まれる)の矢が尽きたという意味なんだよ。
君らの迷いは本当に深いな。ちゅうか君らは多分、名前の無いひとたちなんだろ。
そういう人達にいくら法を語ろうとも理解し無いものだ。なぜなら、彼らは滅びる人達だからね。
可哀想だけど、全ての人が命を得るわけではない。救われる人もいれば、滅びる人もいる。
滅びる人にいくら真理を語っても、彼らは決して理解しないし、受け入れない。
>>118 このスレでは、仏性、真我、エゴではない大我、アートマンは、
大体同じような意味で使われているような気がするけど、
涅槃というのはむしろ、真我の真我たる理由が尽きること、
アートマンのアートマンたる理由が尽きること
滅び尽くしたことを意味しているように思えてならない。
>>119 君は睡眠の例え話をまるで理解していないんだな。
真我と呼ばれる者は、いつも夢を見ているわけじゃないんだよ。
121 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 12:46:10 ID:n/TS2+jC
>>117 反論できなくなると罵詈雑言しか吐けない君が、エゴの典型だろう。
釈迦もイエスも、すべての人間は「肉」としての存在。イエスは、「肉」と
して「復活」したw。
他者への思いやり(愛)も、「肉」から生じる。それがなければ、「肉(生命)」
が維持できないことを、「肉」が知っているからだ。
肉を否定するから、肉としての人間はいくら殺してもよい、という、キリスト教
やオウムの狂気と倒錯が生じたのである。
アートマンや真我というのはまだ「個」を保っているだろう?
これが全に完全に回収されてしまうと、
ほどけてしまい、その形を保てなくなる。
つまり寂滅に至ると思うんだよ。
123 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 12:49:36 ID:n/TS2+jC
>>117 エゴというなら、ひたすら「自分の」救い、「自分の」満足、「自分の」
解脱を求める宗教者が、その典型だろう。
社会には、くその役にも立っていないのである。
124 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 12:59:32 ID:n/TS2+jC
>>117 「一」「一」と喚くが、君は仏教徒ではなくて、忌むべき一神教徒なのか。
「一」ではなく、多様性の間の相互関係(縁起)に思い到ったのが、仏教
なのである。イエスが逆立ちしても思い至れなかった「真理」である。
125 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 13:12:44 ID:RtWSCwyh
>>114 >「善も悪もなした人間(すべての人間がそうであろう)」の業報輪廻転生はどうなるのか、という
善行の総量−悪行の総量+臨終時点での人格=来世の状態
と思ってた。
126 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 13:27:50 ID:n/TS2+jC
>>125 「総量」など持ち出したら、計算は不可能だね。誰が、その総量を、
いかなる基準で決めるのか。
総和がゼロになった時が、解脱かねw。
仏教では、「個々の行為」の善悪を言ってるのだと思うが、個々の行為
は、状況次第で、善悪両面を持ちうる。
それに、「俺は悪の総量が多すぎるから、善はヤーメタ」という結果
も生じうる。
そもそも、輪廻転生で「脅迫」すること自体が、最大の悪の行為である。
127 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 13:37:05 ID:n/TS2+jC
>>125 やはり、「業報輪廻転生」などという「人為的外部基準」ではなく、己
の生命の指示という、「生来的内部基準」に従うべきであろう。「生命」
という「内部基準」は、そもそも、悪をなすことを好まないのである。
善をなせば、快を感じ、悪をなせば不快を感じるのが、その証拠である。
それ故に、人類はこれまで存続し、ますます発展を続けているのである。
128 :
暁:2009/06/08(月) 13:56:17 ID:l76zqGJ4
>>117カラス
>お前は議論に参加するレベルではない。
これはあんたにそのまま当て嵌まるだろう。
都合のよい時だけ議論なんて言葉を持ち出すのはやめろよ。
反論されると口汚く罵るそのみっともない振る舞いは最低だろ。
>たとえネット社会でも、他人とのコミニュケーション能力を
養ってから他人に接するべきだろう。
これもまんまあんたのことではないか(笑)
言ってることがめちゃくちゃだよ。そのうち空気扱いされるぞw
129 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 14:08:35 ID:FPC7+So/
>>109 >情的な部分ではなく論理性でとらえるという意味。
この世はなぜ無常なのか、と論理的に思考した結果の
法が「諸法無我」ということだろうね。
「一切法空」でもある。
> 「生命」
> という「内部基準」は、そもそも、悪をなすことを好まないのである。
> 善をなせば、快を感じ、悪をなせば不快を感じるのが、その証拠である。
そうかなぁ。他の生命を殺して栄養として食べると快を感じるのが
動物細胞系の生物の本質なわけだけど。
つまり自分の利益のために他者を殺すってのが動物の基本なんだけどな。
自分の利益のために他者を殺すのって、一般的には悪だよね。
しかもそこに快楽まで感じてるしね。
131 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 14:16:28 ID:FPC7+So/
>>111 >末法仏教は宗教というより、単なる哲学に成り下がっているけどな。
根本仏教もバラモン教という宗教を否定した自由思想家の1グループ
としての思想・哲学だっただろ。っていうか、インドには宗教という言葉が
無かったではないか?ダルマとかダルシャナとかが宗教の代わりだろ。
132 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 14:25:21 ID:FPC7+So/
>>117 岡目八目で見てもお前はすでに論破されている。
問答には問答で答えよ。
罵詈雑言は問答ではない。
133 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 14:56:54 ID:tCil3Ei7
御隠居とカラスは同類でコミュニケーション能力がなく一方的に意見を押し付ける点では酷似している。
近親憎悪やめれ
うーん。カラス氏批判が多い中すまないんだが、
最近、俺は考え方を変えて、
カラス氏に限って暴言を容認するようになった。
この人は、暴言吐いている自分の問題点を自覚しているし、
間違いを認めて反省する時は反省する。
そこはご隠居とは完全に異なるので、人を傷つけても自分自身でどこか
傷ついているだろうし、何かを少しずつ蓄積して行きそうな気がする。
その意味で、こういう生き方もありじゃないかと思い始めてる。
他の人には勧めないけど。
あと、カラス氏の発言内容には
自分的にまだ若干未知の領域がありそうな気がするので、
そこには一応興味がある。(明星とかに関する領域)
135 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 15:28:16 ID:RtWSCwyh
>>126 >誰が、その総量を、いかなる基準で決めるのか。
カルマって魂や体に溜まるもんじゃないの。
創造神話の設定が無い仏教では、自然法則のようなものだろう。
勝手にそうなる、そういうもの、という扱い。
不条理だと申し立てようにも相手が居ない。設計されたものじゃないから。
>、「俺は悪の総量が多すぎるから、善はヤーメタ」という結果
多くなりすぎるまで悪行を重ねるような相手には、そもそもどんな死生観をふりかざしても無駄だろう。
一回限りの命だからこそ、も都合よく受け取って好き勝手やるに違いない。
>総和がゼロになった時が、解脱かねw。
ゼロにあたるところにポンと飛ばされるんじゃね。ゼロとは行っても、その値になるための
悪行や善行はあるわけで、少なくとも何とかを滅したとか放擲した、という状態とは言えない。
136 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 15:42:10 ID:n/TS2+jC
>>130 >つまり自分の利益のために他者を殺すってのが動物の基本なんだけどな。
人間は、他の動物には成り代われず、他の動物の世界はわからないのだから、
まず人間という種属の範囲内で考えるべきだろう。人間の範囲内で考えれば、
自分の利益のために他者を殺すのは、人間の基本などではない。若しそうなら、
人類はとっくに滅亡しているはず。
しかし、他の動物の生命を奪うことについても、更なる考察が必要だろう。
仏教やジャイナ教は、その考察をすでに行っている(アヒンサー)。血の
滴るビフテキを最も好むのは、クリスチャンである。
>自分の利益のために他者を殺すのって、一般的には悪だよね。
>しかもそこに快楽まで感じてるしね。
身体と同様、生存本能も病む事がある。その病気は、特に、肉体を忘れた宗教
の観念から生じる。一神教徒は、「神のために」人を殺すことに快楽を感じる
のである。
137 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 15:54:46 ID:n/TS2+jC
カラス氏は、エゴ、エゴというが、一般でいうエゴイズムの「エゴ」
と勘違いしているのではないか。
エゴとは、もっと突き詰めて考えれば、生存本能のことである。そして、
その意味でのエゴは、縁起(関係性)の自覚を伴うとき(潜在的には、
すでに伴っているのだが)、「善」の根源となる。
法句経の、「己が身に引き比べて」の大文章は、「己(エゴ)」こそが、
「善」「道徳・倫理」の発する根源であることを、見事に示している。
なお、カラス氏の罵詈雑言は、イエスに嵌った結果に過ぎず、人間として
のカラス氏は、いささかも批難するものではない。
138 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 15:58:33 ID:RtWSCwyh
>>136 > 自分の利益のために他者を殺すのは、人間の基本などではない。若しそうなら、
> 人類はとっくに滅亡しているはず。
なに夢みてんだよ。
こんなに同族で殺し合ってる人類みたいな種は珍しいと思うぞ?
牛などの草食動物とかだけじゃなく、
ライオンとかだって、トップ争いを除けば、
ライオン同士の殺し合いなんてまずしない。
ところが人間同士の大量虐殺は、キリスト教以前から無数にある。
たまたま滅亡してないだけでいずれ滅亡するとしか思えないだろ。
140 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 16:16:23 ID:n/TS2+jC
>>95 >ゴータマは不死の境地を説いてるんだよ。そこが涅槃だ。
>不死とは不滅のことだろ。ちゃうか。
ゴータマは、それほど生に執着したのかねw。
それはそれで、立派なものだが、「不死・不滅」とは、執着の度が過ぎている
のではないかね。
生きとし、生けるものは、必ず死ぬ。それにより、新たな生命の誕生と種属と
しての生命の新陳代謝を可能にする。それが「法」である。
>>138 ご隠居はとにかく、言葉尻とらえたような「とにかくおれは悪くない」
みたいのが多くて、そのレス以外では謝ったことなんてない気がするんだよね。
でもまぁ確かに好き嫌いの問題かもしれない、という気もする。
142 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 16:24:07 ID:n/TS2+jC
>>139 >ところが人間同士の大量虐殺は、キリスト教以前から無数にある。
生存のための殺し合いと、生存に関係ない「架空の神」のための殺し合い
とは、明確に区別するべきであろう。前者には、生存本能による「自動制御」
が働き、適当なところで和解が可能になる。後者では、生存本能が制限・変容・
破壊されているから、和解は困難で、相手を皆殺しにするまでは、止めること
ができない。
イエスの出現後、「生存に関係ない殺し合い」が飛躍的に増加したこと
は、否定できない。
143 :
一在家:2009/06/08(月) 16:24:59 ID:LLFAfHno
>>125 >善行の総量−悪行の総量+臨終時点での人格=来世の状態
死海文書には、全ての人には光の箇所と闇の箇所を宿すということは
紹介済みですが、正しい心で善行を繰り返すと光の比重が増し、
逆に邪な心で悪行を繰り返すと闇の比重が増すと説かれております。
肉体を去る時に、光の比重が大きい霊は光の世界に向かい、
闇の比重が大きい霊は闇の世界、地獄に向います。
清流にしか棲めない魚がいれば、泥水の中で暮らす魚もいるのと
似ております。
>>142 > 前者には、生存本能による「自動制御」
> が働き、適当なところで和解が可能になる。後者では、生存本能が制限・変容・
> 破壊されているから、和解は困難で、相手を皆殺しにするまでは、止めること
> ができない。
おまえ何考えてるのか知らんけど、古代の戦争とか相当皆殺しあるぞ?
どの辺が自動制御働いてるのかと。
そもそも昔は、ネアンデルタール人とか他の人類もいたんだけど、
クロマニヨン人系の俺たちの先祖が皆殺しにして、完全に根絶やしにしたんだぜ?
どの辺が自動制御してるんだよ。夢みるにも程があるんじゃね?
145 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 16:34:01 ID:n/TS2+jC
古今の宗教の開祖は、「善悪」を語ったが、その定義は誰もできていない。
だから、解釈が百人百様となり、「善のために人を殺す」という、キリスト教
やオウムの倒錯が生じたのである。
これらの開祖に代わって、「善悪」を、次のように定義しておく。
「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」。
いずれも、表面に現われる「行為」であるから、「内心の思い」は関係ない。
じゃあ死が確定していて、痛みに苦しんでる人に
無理矢理延命措置を施して、いたずらに生を長引かせても善なんだな。
本人も家族も号泣して、もうやめてー!と訴えていても、延命すれば善なんだな。
147 :
暁:2009/06/08(月) 16:57:24 ID:l76zqGJ4
>>138 >その通りだな。私は口の罪を犯し過ぎるきらいがある。己の心を制するのは
まことに難しい。
これなんか反省ではなくて居直りだろう
乱暴者が「私は人を殴る拳の罪を犯し過ぎるきらいがある。己の拳を制するのはまことに難しい」
と同じだろw
148 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 17:01:31 ID:n/TS2+jC
>>146 医師が勝手に救命装置を外せば、殺人罪や自殺幇助罪になる。家族も同様である。
だから医師は、出来るだけ苦痛を減少する措置を執りながら、懸命に救命に努
める。
絶対に救命できないことが明らかな脳死者に対しては、臓器移植さえ許される。
いずれも、「善とは、他者の生存を助ける行為」という定義は、揺るがない。
149 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 17:15:13 ID:RtWSCwyh
おそらく
>>146は本人の切実な意思に反してでも許されるか、という問いなんだ。
>本人も家族も号泣して、もうやめてー!と訴えていても、延命すれば善なんだな。
これにイエスかノーではっきりこたえるがよいぞ
150 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 17:39:30 ID:n/TS2+jC
>>149 本人の切実な希望があっても、少なくとも現在においては、自殺関与罪・
同意殺人罪となる。生命とは、もろもろの縁起の集まりであり、自分だけ
で処分することは許されないからである。即ち、生命とは、自分だけの
ものではない。
それに、医学の驚異的な発達により、殆どの病気の苦痛は、軽減が可能で
ある。しかし、それでも軽減し得ない苦痛の場合の「安楽死(euthanasia)」
の問題は、医学界や法学界において、真剣な議論の対象となっている。
151 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 17:46:50 ID:4CKmmw48
前スレ3・>899
>このスレッドには、ブッダよりも凄い人がいますね…。 誰とは申しませんが…。
は〜い、御明察!!ヽ(^。^)ノ
■ 勿論、世界に誇るイエス・仏陀を超越した<日本の国宝>ご隠居氏のことで〜す!!■
■ 「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」。 ■
いずれも、表面に現われる「行為」であるから、「内心の思い」は関係ない。
゚+。(*′∇`)。+゚
在家氏の幅広い知識を評価するけど、
体験していないことをそのまま信じている姿勢には疑問を感じる。
あの世のこと、神々のことなどには慎重であったほうがいい。
だれかの本の受け売りは相当に危険が伴う。
153 :
暁:2009/06/08(月) 18:10:12 ID:l76zqGJ4
在家氏はやっぱ停白じゃないのかなぁw
なんかかぶるんだよな
「幸福実現党」について聞きたいw
154 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 18:11:57 ID:gBCpgCZv
>>145 北朝鮮のミサイルが日本に落ちて大量の死者が出た場合、
日本が取るべき善の行為は?
155 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 18:19:02 ID:n/TS2+jC
近年では、「安楽死(euthanasia)」は、「尊厳死(death with dignity,
dignity death)」とも呼ばれ、話題とされている。
しかし、死に際して、いかに苦痛があっても、尊厳を保つことができる
人もいるのだから、苦痛があるから死なせる、というのは、安直に過ぎる
と思う。やはり最後まで延命の努力を続けるべきであろう。宗教とは
異なり、医学は日々進歩しているのである。
なお、「死が確実」という判断も、確実ではない。1976年に、裁判所
で安楽死を認められたカレンさんは、人工呼吸器を外した後、自発呼吸を
始め、その後9年間、生き続けたのである。
156 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 18:22:06 ID:gBCpgCZv
>>145 人に精神的ストレスを与える行為は?
仮にストレスの段階を1〜100段階(100は死に直結)とした場合、
最も軽いストレス1を感じさせてしまった場合は、悪ですか?
正しい事を教えてあげたのに、相手が勝手にストレスを感じてしまった場合は、悪ですか?
157 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 18:29:20 ID:n/TS2+jC
>>154 生存を助ける行為(善)は、身近な者から始めなければならない。
それによって、全体善が成立する。その意味で、イエスのいうアガペー
は、善とは似て非なるもの。
直ちに反撃して、それ以上の犠牲を防ぐのは、当然である。麻生総理も、
「必要な時には、闘わなければならない」と述べた。
しかし、北朝鮮の主体主義も、元をただせば、キリスト教から発生した
マルクス主義である。
>>153 亭白氏は死海文書やナグハマディを語らない。
在家氏は神をエホバと呼称することからエホバの証人を思わせる。
現在の主流はエホバの証人を除いてヤハウェだが、
個人的には母音をアイウにしてヤハウィにしたいですね。
159 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 18:36:41 ID:n/TS2+jC
>>156 ストレスは、生存を害することもあるが、また助けることもある。
そのあたりは、「他者の生存に対する良心と責任」という、君の内なる
神(生命)の指示に従ってくれ。
160 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 18:36:50 ID:gBCpgCZv
>>157 >必要なときには、闘わなければならない
ってのが、人類の歴史。
>>158 日本人の発音なんて。。。
161 :
一在家:2009/06/08(月) 18:37:41 ID:5GQ+/eRH
>在家氏はやっぱ停白じゃないのかなぁw
>なんかかぶるんだよな
>「幸福実現党」について聞きたいw
私に似ているという「停白氏」をグーグルで探しましたが
見つかりませんでした。
それから、私は高橋氏の弟子だった中川氏のことは
尊敬しているという訳ではないと表明済みです。
旧7氏と宝珠氏は私のことをご存じですが、皆さんの先入観が
入ることを配慮されて無記のようです。
母音アイウにこだわれば、アーメンはアーミンが正しいのではないか。
アラビヤ半島にいるアラブ人と、近くにいる同じ人種のイスラエル人が、
似たような言語であったとしても不思議ではない。
ヤハウェ → 「ヤハウィ」 アーメン → 「アーミン」
在家氏は、前世の記憶とか、除霊とかに肯定的でしたよね。
これらは自分で体験したことなのでしょうか?
164 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 19:00:10 ID:gBCpgCZv
>>159 >そのあたりは、「他者の生存に対する良心と責任」という、君の内なる
>神(生命)の指示に従ってくれ。
ってことは定義なのに、人によって基準がばらばらになるわけだ。。。
その人の良心基準によって、善悪が変わる、か。
とすると、善悪の基準はきわめて主観的なものとなる。
まずは、仏教においては「魂」や「心」「自我」について考える、
つまり見えない霊について考えるのは愚かなことではないかというのがある。
つまりアートマンについて釈迦が説いたか?という問い自体仏教ではなく、
そうしたものを論じてもなんの意味もなさないのだ。これを「毒矢の譬え」で、
釈迦は語っている。
ではなんなのか。結局は、ハイデッガーのいう存在から発して、神に行き着く
ように、神がこの世界をつくったという結論になるのだ。創造論である。
しかしてキリスト教とグノーシス、ヘルメス思想が融合し、仏教の教えが
一乗思想となって現れるのである。
166 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 19:09:25 ID:gBCpgCZv
>>157 >北朝鮮の主体主義も、元をただせば、キリスト教から発生した
>マルクス主義である。
そんなこといったら、オームは、元をただせば。。。
167 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 19:24:02 ID:/mTVC0v9
>>156はID:gBCpgCZv氏ご自身のことでしょw
「他者の生存に対する良心と責任」という、君の内なる 神(生命)の指示は?
多分、君のような宗教マイコン・洗脳信者は適用外でしょう!(笑
オチ
在家氏へ
浄霊が可能だとする立場だったと記憶するのだけど、
それはカトリックがやっていた免罪符と同じ発想ではないだろうか?
人間が人間の罪を赦せるなら、この世に罪は存在しない。
169 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 19:39:52 ID:rT2Ihi5r
>>150 法律の話じゃないなんだよなあ。それだったらそもそも問うたりしないだろ。
道義的にだよ。生命の美名のもと生き地獄に閉じ込めることが許されるのか、という話。
>即ち、生命とは、自分だけのものではない。
家族であっても許されるか、ということだ。
>>155 ズレてるなあ。死を望んでない人に死ね、という話じゃない。
忍耐力のある人を盾にとって迫るのこそ安直だな。
170 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 19:45:13 ID:gBCpgCZv
>>167 ID:n/TS2+jCさんが、開祖に代わって、「善悪」を定義してくれたので、
素朴な質問をぶつけてみたのに、
ID:/mTVC0v9さんったら、レッテル貼って、ののしって
>笑 オチ
ときましたか。。。
171 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 19:57:33 ID:gBCpgCZv
>>167 >「他者の生存に対する良心と責任」という、君の内なる 神(生命)の指示は?
>多分、君のような宗教マイコン・洗脳信者は適用外でしょう!(笑 オチ
このレスに、この方の他者に対する良心の基準が見事に表れていますよね。
だから
>>164となる。
172 :
暁:2009/06/08(月) 19:59:58 ID:l76zqGJ4
>>158 ああ、では俺の思い過ごしだね。
ありがとう。
>在家氏
いやぁ、なんだか物言いが亭白氏に似てたもんで
違ってたならすいません
173 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 20:01:57 ID:FPC7+So/
>>164 >善悪の基準はきわめて主観的なものとなる。
善悪は価値感だろ。主観以外にそれを決める物差しは無いだろ。
だから、仏教の教えが正しいだろ。
諸悪莫作
衆善奉行
自浄其意
是諸仏教
自らの心を清らかにする行為が善い行為だろ。
やったあとで後悔する行為は悪い行為だろ。
ブッダたちで無くてもわかることだ。
>「これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解
>脱の境地である。」(ウダーナヴァルガ26-29)
鞍下に馬なし、鞍上に人なし
だな
自分が馬であり、馬が自分である
人馬一体であり、人馬すなわち世界だ
空の概念に他ならない
175 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 20:10:23 ID:FPC7+So/
>>169 >道義的にだよ。生命の美名のもと生き地獄に閉じ込めることが許されるのか、という話。
日本は法治主義の民主主義国家だよ。道徳も最大多数の最大幸福を目指して法制化されるべきだろ。
176 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 20:13:57 ID:gBCpgCZv
>>173 人殺して後悔してない人たくさんいますが。
土浦殺人事件の犯人とか。
これは悪じゃないとでも?
仏教は基本世俗のことにはノータッチだと思います
世俗が最良のシステムと思うものにまかせるだけですよ
だから仏教徒として宣戦布告することはない
宣戦布告したものが仏教徒であることはあっても
178 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 20:24:37 ID:FPC7+So/
>>176 >これは悪じゃないとでも?
ほんとに後悔して無いならその人にとっては悪じゃないだろうね。
あの人は死刑願望だから普通の人と感覚が違うこともあるだろ。
179 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 20:25:25 ID:OKQHc6nY
>>176 >人殺して後悔してない人たくさんいますが。
キリスト教の殺戮の歴史は如何でしょうか?
180 :
旧7:2009/06/08(月) 20:43:52 ID:lIrZTEeA
Uv 26.29
eSA hi paramA niSThA zAntam padam anuttaram /
kSayaH sarva nimittAnAm pradAna padam acyutam
これは[eSA] (実に[hi]) 最上[paramaA]の 究極[niSThA]であり、
無上の[anuttaram] 静けさ[zAntam]の 境地[padam]である。/
一切の[sarva] 相[nimittAnAm]が 滅びてなくなり[kSayaH]、
没することなき[a-cyutam] 解脱[pradAna] の境地[padam]である。
誰か、Skt読める人詳細宜しくw
>>151 幼児的万能感全開ですね。
こういうのは、中二病とか言われてて、
高校以降には治るもんなんですが。
>>157 > 生存を助ける行為(善)は、身近な者から始めなければならない。
> それによって、全体善が成立する。その意味で、イエスのいうアガペー
> は、善とは似て非なるもの。
だから善はイエスのいう隣人愛なんだろ。
もうわかったからw
183 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 20:59:25 ID:gBCpgCZv
>>179 キリスト教に対する強い反感をお持ちのようですね。
やっぱり宗教を超えられないんでしょうかね。
>>176は
>>173に対するレスなのに、なんでキリスト教を持ち出すんですか?
>>166の発言で勝手に私をキリスト教徒だと思い込んでいるようですが、
キリスト教がいいなどと、一言もいってませんよ。クリスチャンでもないし。
むしろ弊害が大きいと思ってます。
>166は
>>157でいきなりキリスト教がでてきて、北朝鮮と結び付けているので
論理的飛躍を指摘しただけです。マルクスの親が元ユダヤ教のラビで、キリスト教に改宗したこと、
そのキリスト教に対する矛盾と反発からマルクス主義が生まれたことぐらいは知ってますが、
だからって、北朝鮮をつくったのはキリスト教だぞってのはどうかと。
>>175 つまり善悪は結局、生命を助けるかどうかではなく、
国家の法律によって決まるといいたいわけだね。
185 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 21:07:27 ID:gBCpgCZv
>>182 このスレの住人って、決めつけ早合点の人多すぎますね。よく読んでくださいよ。
>>157の人は反キリスト教でしょ。
>>185 いや、皮肉だからこれでいいんです。
以前のスレとか読むと分ると思うけど、
ご隠居は唯物論の皮を被った隠れキリシタンだというのが
俺の主張なんですよ。結局、言ってること整理してくと隣人愛でしかないんだよね。
生命を唯一神といってたこともあるし、劣化キリスト教以上の内容はないみたいなんだよ。
>>184 共同体の原理で決まるんじゃないかな
おれはホッブスの善悪が基底される原理についておおいに賛同するね
188 :
旧7:2009/06/08(月) 21:21:39 ID:lIrZTEeA
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1243666615/926 > もちろん、同じアートマンのことです。
解ってねーなw 仮に、《本来は!》同じ【A】だったとしよう。(君やカラスが言うのはこの次元・このレベルでの言辞だ。)
この時、ブッダ以前は『それを【CであるA】』と説き、ブッダは【BであるA】と説く。
【CであるA】と【BであるA】とは違うだろ?ブッダ以前は【A】を『Bであるもの』とは見ていないだろ?
ブッダ以前も、《【A】は【BであるA】と説かれていたのか?》ってことだよ。説かれていたということを示せばいい。
> しかし、そこまでゴータマは説いてないと思います。仏典のどこにも記されてはないでしょう。
いやいやいやいやwwwww
「仏典に拠らない仏教などあり得ない!」と豪語していたのは貴方ですよ?
その貴方が、仏典にないことを仏説としますか・・・w (相変わらず何でもアリですな・・・ ;´ー`)y━~~ )
> 必要な教えは全て説いたのでは。
> ゴータマの性格上、余計なおまけ的な部分は説かないでしょう。
おまけ的な部分なら、(前シリーズでもそうですが)、なぜ、その『おまけ』でもって外道認定の基準とできるのか?
『おまけ』なのに仏教の根幹と見做すの? (´・ω・`)???
> ただ常住論については説いた可能性として認めますが、まだ、仏典中の明確な根拠(決定打)が確認できない。
がんばって探してくれよw 散々、典拠を要求してきた貴方方だ。当然明確な典拠によって主張するんですよね?w
> アートマンについては控えたと思います(それらは違うとだけ述べて、
> 真実のアートマンたるものはそうではない、とだけ説いてるのが経文でしょう)。
だったら、その態度で止めておくべきでしょう?
なぜ、仏典の記述をはみ出して、そこから踏み込んで、仏典にないことを仏説としたがるのですか?
この姿勢は、(前シリーズから)貴方方が口を酸っぱくして批判してきた姿勢そのものですよ?
> しかし、ニルヴァーナとは常住の世界の筈ですから、それについては説いたと考えます。
『世界』?「常住の『世界』」とは何ぞ? 「loka」?
189 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 21:23:36 ID:n/TS2+jC
>>166 >そんなこといったら、オームは、元をただせば。。。
オームは、原始仏教、ヒンドゥー教、チベット仏教、キリスト教が化合して
出来た「化け物宗教」。日本の大乗仏教は含まれていない。
この組み合わせの方が、このスレにもおられますねw。
たとえば二千年前、砂漠を遊牧する集団を想像すれば、
その集団の<善>は族長を中心とする多数派が決めていたのだろう。
多数派に逆らう連中には<悪>のレッテルが貼られる。
この集団に敵対する別の集団は当然<悪>になる。
法などない。武力が善悪を決める。
>>189 オームを産んだ責任が仏教にはあるよ
つーかチベットに言って法脈をうけついだと言ってたんだろ?
実際は当地にいくと少し会っていただけですぐ消えたということらしいが
日本で、こいつが仏教をなのって活動したとき
日本の仏教会はなぜ監視できなかったのか知りたいね
きちんと弁明しなければ似非仏教がはばをきかせる
そして、信教の自由といって無視を決め込んでいる日本仏教関連の人たちは
仏教にたいする一般人の嫌悪感をどう思っているのか
192 :
一在家:2009/06/08(月) 21:43:14 ID:5GQ+/eRH
>>163 >在家氏は、前世の記憶とか、除霊とかに肯定的でしたよね。
>これらは自分で体験したことなのでしょうか?
そうですね、体験に基づきます。
学生の頃は宝珠氏のように日本心霊科学協会、サイ科学会の会員で霊媒、
霊能力者、超能力者とも交流を持ちました。
私自身は霊視はできませんが、他人の体にかかった亡くなった方の霊が
その人の口を使って、生前の口調で語る場面には幾度も立ち会っております。
亡くなった本人しか知らない筈の死ぬ数分前の出来事や、前世からの因縁や、
命を奪った悪霊の正体や、その内容は色々とありました。
ですから、宝珠氏やカラス氏の解釈が大体正しいなと私の体験から見て応援して
おります。
193 :
一在家:2009/06/08(月) 21:45:20 ID:5GQ+/eRH
無知な人が憑依霊に対して「悪魔よ、去れ。」などと言った時は、霊が怒って、
「俺も好きでかかった訳ではない。俺よりもこいつの方がずっと悪行をしておる。」
と逆に説教されている場面もございました。
このネタはスレ違いですので止めておきますが、アートマンは肉体の消滅後も
存続することは確信しております。 当然、神仏も実在です。
外人さんが憑依すると英語がしゃべれたりするんですか?
195 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 21:51:43 ID:FPC7+So/
>>184 >つまり善悪は結局、生命を助けるかどうかではなく、
>国家の法律によって決まるといいたいわけだね。
戒と律は別だろ。個人がどのような戒を信じようと自由だね。
でも、律は社会集団の規律であり法律として定めるべきだろ。
仏教の僧たちも戒律として国家とは別の規律にしたがっていた
のではないか?
196 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 21:52:05 ID:n/TS2+jC
>>164 >とすると、善悪の基準はきわめて主観的なものとなる。
そうかな。だったら、宗教が説く「善悪」とは、すべて無意味であり、何らの
普遍性もないことになる。
一緒にいる人が病気で路上に倒れたら、君は何もしないかね。その人が、ホーム
から落ちようとしたら、思わず手を差し伸べないかね。病気や怪我で苦しんで
いる人を見たら、「可哀想」「何とかしたい」という気持ちは起こらないかね。
これらのことは、幼い子供でも変わりはないことを観察した。
一部の宗教を除き、共同体における人間の努力は、究極的には、すべて、「生命
の維持」に向けられているのではないかね。
孟子に出てくる話だが、ある王様が、屠殺場に引かれてゆく牛を見て、可哀想に
なり、「羊に代えよ」と部下に命じた。王様は、羊を見たことがなかったので
ある。少し本題からずれたが、この挿話の持つ、深い意味が、理解できますか。
197 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 21:54:31 ID:FPC7+So/
>>191 >オームを産んだ責任が仏教にはあるよ
そんなことは無いだろ。
勝手に仏教をなのるカルト・セクトなんかほっとけ、ほっとけ!
198 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 21:55:03 ID:Qx/Fr2t3
ここは結局オカルト電波たちが、自説の権威付けに仏教を利用しようとするスレなのですか?
199 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 21:58:05 ID:n/TS2+jC
>>190 結局は、自己を含む共同体成員の「生存」のためである。
200 :
旧7:2009/06/08(月) 21:58:35 ID:lIrZTEeA
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1243666615/927 > >沙門果経:77節〜88節でも読んでみろwww (特に86節88節なw)
> >※ここは、以前、宝珠氏が何度も引用した箇所の直前に当たるw※
>
> あなたは自分の言葉で意見を述べない悪い癖があるようです。
> 「見りゃ〜分るだろ!」ってな慢心の顕れかな?
貴方の出方(当該部分の読み方)に興味があったからだよ。(また、先に手の内を明かしてしまっては意味ないだろw)
> で、何が言いたいの?w
しょうがない・・w 老婆親切で一言だけ。 「身体が資本でしょw」 ってねw
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1243666615/931 だから、
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1243666615/845で言うように、
> なぜ、「 >真の自己 」と言い方を変えるんだい?
> なぜ、「 アートマン 」のままではないんだい?
> それは、貴方自身が(或いは貴方方が)、(無意識なりとも)
> 《そのままでは不都合がある、語弊を残す、こぼれおちる意味がある、余計な意味が付随する》 ことを、
> 敏感に感じているからじゃないかい? と言いたくなるし、
そして、
> 我々が使用している≪『自己』『自身』『自分』『自分自身』『自ら』≫
> などと同じ用法であった可能性を否定してゆく作業 が必要なんだよ。
貴方方でさえ、「 アートマン 」のままでなく、また単に「 自己 」と言うだけでなく、
何らかの、多くの修飾を付して、その意味を確定させようとしている。
逆に、そのようにしなければ語義の確定ができないということでもある。
「 アートマン 」が ≪ 『自己』『自身』『自分』『自分自身』『自ら』 ≫ という意味を超えて、
何らかの重要なニュアンスを含むのだとしたら、違う語義となっているなら、
全ての用例で後者なのか、前者の時もあれば後者の時もあるのか、吟味が必要だと思うぞ。
>>196 でも、強盗を犯した者、殺人を犯した者はむかしであればその場で殺されても文句はいえないと
認識されていたよ
共同体の維持こそが善なんでしょ
他人のこどもを助けるのは
自分にとってこどもが自分が先祖からの受けついだものを託す存在であるからで
この場合、血だとか家の学問だとかなわけだが
そういったものを他人ももっていることを知っているわけで
自分が命を捨ててそれを守ることは同様に自分のこどもにたいしても
同じ共同体の一員がそうあってほしい、そうあるべきだという
善悪観念から発生したものだと思うよ
>>197 同じ論理をカルトが使ってるよ
カルトが手下に悪事をおこなわせる
カルトを訴える
悪事をおこなったものは教えを知らない不届き者、うちの教義とは関係ない
責任とれ
もう今の役から解いている
再犯の可能性があるだろ
聞いていない
以下、同じ事のくりかえし
203 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 22:05:01 ID:n/TS2+jC
>>191 伝統仏教の人々は、「オームは仏教ではない」と言って、自己保存に
努めているようだね。他の、社会的批判の対象となった新興宗教に
ついても同じである。
キリスト教国アメリカでは、カルトに対する批判はあまりない。伝統宗教
もカルトも、「原理的」には全く同じであり、批判すれば、すべて自分に
跳ね返ってくるからだ。
204 :
暁:2009/06/08(月) 22:16:38 ID:l76zqGJ4
麻原焼香は自らの権威付けのためにダライラマと会ったのだよ
そしてLSDなど薬物を用い、変性意識下で強力な洗脳を行った
そこには、尊師への疑念を抱いたり、発言すると
凄まじい恐怖が信者を襲うように、洗脳の過程で仕組まれてたというね
205 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 22:20:06 ID:n/TS2+jC
>>201 >共同体の維持こそが善なんでしょ
そうです。人が二人集まれば、そこに共同体が構成されます。
「善悪(道徳・倫理)」とは、「自分を含む」共同体維持(共生)のため
の「技術概念」。人間は、独りでは生きられないことを、これも本能的に
知っているから、生存本能から、共同体形成維持の本能、自他の死へ
の恐れ、他者への思いやりという自然の感情が派生します。すべては、
「エゴ(生存本能)」から発生するのです。この意味での「エゴ」が、
道徳・倫理の基礎となります。
人間が独りで生きているのなら、善悪の概念は発生しません。何を
やってもよいのです。
仏教教団はサンガのことには真剣になったほうがいいマジで
浄土真宗はサンガじゃない、在家集団だから、在家がどんどん不平不満を言えばいいのかしらんが
>>205 ひとりで生きているのなら、己一人が生きるためにするすべてが善だろうね
まあ、万人の万人による闘争は、常に死の不安におびえることになり
生存確率が極端に低くなるから、共同体をつくった種が生き残り
現在は、善といえば共同体の善であり、これが当たり前になっているのだろうけど
208 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 22:25:27 ID:n/TS2+jC
>>204 原始仏教の「業報輪廻転生」、キリスト教の「終末論」も、100%
利用していますね。あと、チベット仏教の教理はどうでしょうか。
大乗の「空」の理論をしっかりと理解していれば、また、キリスト教の
影響がなければ、あのようなことにはなっていなかったと思います。
ただ、仏教が異民族支配における治安対策として使われた面を考えると
仏教は共同体とはいっても、多共同体連合の善を説くといったほうがいいのかもしれんな
インドでも、ギリシア文化の乱入によって仏教は支持されたし
中国でも、鮮卑の華北支配に大いに利用された
日本でも、豪族連合であった大和朝廷から天皇による中央集権にうつりかわった、大化の改新ごろから
各豪族の鎮撫、慰謝のために仏教を導入し、国家鎮護、安康を願った可能性がある
でも、仏教がえらいのは為政者に利用されても、政治にのみこまれないことかな
この際、平城京や道鏡はみないことにする
210 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 22:41:36 ID:n/TS2+jC
>>186 >結局、言ってること整理してくと隣人愛でしかないんだよね。
イエスは、隣人愛など説いたのではない。隣人愛にかこつけて、自分の気に入らない
者を批難・排斥したのです(「善きサマリア人の話」)。
その証拠に、「隣人を、『そしてすべての人間を』愛せよ」とは、口が裂けても
いえなかった。イエスにとっては、隣人とは、自分を信じてくれる者、自分が
気に入った者だけで、そうでない人間は「裁かれるべき存在」に過ぎなかった
のです。
イエスは、最も近い「隣人」であるはずの、自分の家族さえ愛せなかった。
それどころか、「自分(イエス」を信じるためには、家族間の敵対を勧めてい
る。彼の最大の関心事は、「人が自分を信じてくれる」ことしかなかったの
です。人に仕えるのも、「自分が一番先になるための『手段』」だった。
なお、イエスは、「神がすべての人間に与えた肉体的本能としての愛」など
一言も言っていません。「愛」とは何かを、自分でも理解してはいなかった
のです。
あと、創価も除いておこうか
日蓮正宗は破門したらしいけど、依然として仏教という目で見られてるよな
どうかしろよ
212 :
暁:2009/06/08(月) 23:03:45 ID:l76zqGJ4
>>208 オウムは生まれ変わりの論理を教義に取り入れてますよね。
カルトの教義。これには霊的ステージ必ず付随してくる。
その霊的ステージがが高い者は、低い人を蔑み、自分の周囲から廃除しようとする。
そのような論理で殺人を認めるトンデモ集団だったわけだよね。
麻原は相当な策士だったといいます。
彼はオウムを立ち上げる前に、薬事法違反で逮捕されている。
つまり、偽薬でもプラシーボ効果で病が治ることがあると知っていた。
麻原の原点はまさにそれで、ダライラマに会いにインドへ赴いたのも、
自分の主張に信憑性を持たせるためにダライラマを利用したんだよね。
>>210 はいはい。で、キリスト教の教義にある隣人愛って話になったよね。前回。
つか、記憶ない?いつも同じ会話繰り返してるけど。まじで記憶ないの??
214 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 23:25:28 ID:n/TS2+jC
>>213 「結局、言ってること整理してくと隣人愛でしかないんだよね」と言ったのは、
君ではないのかね。そうだとすると、君の記憶力も相当怪しい。「若年性アルツ
ハイマー病」かw。
215 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 23:54:03 ID:gBCpgCZv
>>196 >そうかな。
これまでの流れを追ってみると、
>「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」。
→では、ストレスを与えること=生存を害する、と言えるか。
>「他者の生存に対する良心と責任」という、君の内なる神(生命)の指示に従ってくれ。
→それだと、人によって基準がばらばらになる。
>そうかな。だったら、宗教が説く「善悪」とは、すべて無意味であり、何らの普遍性もないことになる。
という流れだったと思いますが、
>>176の例のように人を殺しても心痛まぬ人間もいるのであれば、ストレスを与える場合も同じはずです。
つまり、「他者の生存に対する良心と責任」の感覚は、万人共通の普遍的基準とは言えない。
ID:FPC7+Soさんは、
>ほんとに後悔して無いならその人にとっては悪じゃないだろうね。 (
>>178)
と言われてますが、これは、まさに善悪基準は主観的であって、客観的普遍的基準がないという
ことだと思います。
もちろん、一般的には大雑把に 「良心の向かう方向性が善である」 と言っていいと思いますし、
それはとても重要だと思いますが、ただ、仏教の教えとしての善悪の基準としては、
曖昧すぎるんじゃないかと。
>>192>>193 在家氏へ
結局、自分自身の前世の記憶を思い出したわけでもないし、
霊視できないから必然的に除霊も浄霊もできないし、
神仏を見たわけでもないということですよね。
自称霊能者は、事前調査を行い、証明できないような話をします。
在家氏はそれを聞いて信じたのです。
本当に霊能力があるなら、未解決の殺人事件を解決できるはずでしょう。
かれらは、そういったことはやらないし、決してできません。
在家氏へ
前世の記憶や輪廻転生や除霊や浄霊などを信じるのは自由ですが、
それらを自分自身で直に体験していないなら、
知らないことを信じ、単に思い込んでいるだけということでしょう。
その自覚を持って慎重に語るべきだろうと思います。
>>210 また隠居は同じことを壊れたスピーカーのように言ってるよ。
もう何度目だろう。それも間違いですよと何度も指摘されてる話を。
この人、人の話聞けないんだね。同じことばっかり言っているところや、
人の話、全く聞けないところや、へんな自作自演までして、自分は、
イエスや釈迦より自分は優れているなどと、妄想全開なところをみても、
絶対総合失調症患者だと思う。精神病んでいるのは間違いない。なんかさ、
この人のイエス批判は、全部自分のことの鏡写しなんだよね。
>>214 君の記憶力「も」?
やっぱり本当に覚えてないのか?
俺の方はわざとやってる自覚あるよ。
220 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 00:07:37 ID:atopzIMN
行じ、無意識の領域へ入り、知覚の目を開かないと、全く理解出来ないだろう。超越した存在が実在すれば、存在理由で罪、善悪が成立する。別の知識として…原始キリスト者達は、超越した存在を何と言うか苦悩している。←それが気になる。誰か説明を…アートマンと類似?
超越した存在はもちろん<神>であり、善そのものである。
人がこの<神>を知るのは<聖霊>による。
これに対して人自身の本質が<アートマン>である。
これらの三つは<生命>で共通する。
222 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 00:20:21 ID:xT9uO0ae
>>215 >→では、ストレスを与えること=生存を害する、と言えるか。
一般的には、ストレスは、生存を害する行為。しかし、状況によって、生存を
助けるこもある。「火事場の馬鹿力」がその例w。物事には、作用と反作用、
効果と副作用がある。そのバランスが必要。
>つまり、「他者の生存に対する良心と責任」の感覚は、万人共通の普遍的基
>準とは言えない。
普遍的であるからこそ、「神」なのであるw。
>
>>176の例のように人を殺しても心痛まぬ人間もいるのであれば、ストレス
>を与える場合も同じはずです
例外的、少数、偶発的な例を、一般化してはならない。どんな製品にも、極く
少数の不良品は生じるものであり、修理の対象となる。宗教の影響がない限り、
どんな極悪犯罪人でも、どこかで心が痛んでいるはずですよ。少なくとも、楽
しくはないでしょう。
>それはとても重要だと思いますが、ただ、仏教の教えとしての善悪の基準と
>しては、曖昧すぎるんじゃないかと
仏教は、どんな善悪の基準を設けているのですか。私の基準は、一宗教だけで
はなく、すべての人間に通用する普遍的基準です。
223 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 00:26:09 ID:xT9uO0ae
>>218 壊れたスピーカーとは、2000年間、イエスや聖書から一歩も踏み出
せないキリスト教のことw。
>>221 キリストのいない三位一体が正解。
キリスト教(神と聖霊)と仏教(アートマン)で真理が完成する。
225 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 00:31:42 ID:xT9uO0ae
>>224 イエスを廃止して、「すべての人間に宿る神性」で置き換えることを
提案している、神学者もいるよ。
「エゴと独善性の塊のイエス」では、外部からは、批判の集中砲火を浴
びるだけ。
ここの人は宗教的善悪に全人類が幸せになる鍵があるとか思ってるの?
つーか、ここにいる仏教徒もそう思っているとか?
別に宗教は善悪を説いたわけではないと思うけどな
隣人愛は、他人に善いことをしなさい、そうすれば見返りがある、と期待したものではないだろ
でも、人間は必ず善をすれば何かを期待する
だから、結果、慢心もしくは、そっけなくされて怒りの心を起こす
そうではなくて、
ただ、純粋な隣人愛というものがあれば、自分は救われる
そして、それはイエスだった、
そこに感謝をしていく、という構造があるだけだと思うけどな
そして、感謝のおかえしに、まわりにすこしお裾分けしたいということだろう
この辺わきまえてないからキリスト教徒は傲慢なんじゃね?
トーク ウィルソニアン アクト ヘゲモニストとどっかの国は言われるよね、よく
227 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 00:40:17 ID:xT9uO0ae
>>226 >でも、人間は必ず善をすれば何かを期待する
何かを期待しているのは、宗教者だけ。無宗教者は、善の行為そのもの
に喜びを見出す。それは「与えること」のみの喜びである。無宗教者に
とっては、宗教的救い、満足、贖罪、裁き、天国、解脱を信じないし、
不必要だからである。
>>225 その神学者は、すべての人間に宿る神性をアートマンであると
しっかり理解していますか? そうでないなら誤りです。
>>227 そんなことないだろ
朝おはようと声かけたとき、なにあれと無視されたら誰でもおもしろくない
もしかして、これをむかつくと素直にかえすのが無宗教者の善か?
これではお互い憎しみを生むだけだぞ
共同体で教育、躾が必要なのは、共同体の善をきちんとしつけないと
原始的な善が共同体内の分裂を産むからだ
230 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 00:49:23 ID:xT9uO0ae
>>228 アートマンという言葉は、ヒンドゥー教用語で、一般的でなく、判り
にくい。「生物的生命」とすべき。アートマンも聖霊も、原義は、
「空気」「生命」である。人間の生命から離れた「霊魂」「神」「聖霊」
ではない。
231 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 01:04:07 ID:xT9uO0ae
>>229 無宗教者・無神論者は、「神」「霊」その他の架空の存在ではなく、
厳然として実在するすべての人間とその生命を支える自然とに最大
の価値を認めるから、その生存を害する行為、即ち「悪」は、原理
的にできない。
宗教者は、架空の存在に最大の価値を認めるため、その正誤・正邪を
判断する基準は皆無で、必然的に人間は二の次、三の次になり、常に人
間同士の憎しみと争いが生じる。あやふやな架空の存在を信じることか
ら生じる、絶えざる不安感と焦燥感に苛まれているからである。
共産主義者は虐殺しまくったじゃないか
233 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 01:08:30 ID:xT9uO0ae
>>229 >原始的な善
善を、「他者の生存を助ける行為」と定義すれば、「原始的な善」「現代
的な善」という区別は生じ得ない。「生命」は、その発生以来不変だから
である。
>善を、「他者の生存を助ける行為」と定義すれば
だから、他人に対して誰しも不快を少なからず感じているって
それを表に出さないだけでさ
そしてある日喧嘩がおこることがある
これが他者の生存を助ける行為か?
もし、生命が根源的に善を行うならどうしてサバンナで生命は殺し合うのさ
どうしてライオンがトムソンガゼルを追うとき、トムさんは逃げるのさ
ライオンは追うのさ
彼らは何か信じているのか?
人間がばらばらなままで幸福ならどうして共同体ができたんだよ
235 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 01:20:05 ID:xT9uO0ae
>>232 >共産主義者は虐殺しまくったじゃないか
マルクスは、唯物論者を自称するが、実は、キリスト教を信じる、
ヘーゲル直系の西洋観念論者。彼の「下部構造」には、「上部構造」で
あるはずの「価値」がたっぷりと含まれている。共産主義は、現実には
在り得ない「共産主義ユートピア(神の国)」の観念信仰の宗教の一種。
「擬似宗教」と呼ばれる。彼の富に対する憎悪(実は、羨望と嫉妬)は、
イエスの思想そのままである。
バートランド・ラッセルは、キリスト教とマルクス主義との間の相似性
を、見事に分析・解明・指摘している。
宗教だからこそ、あのような大量虐殺が可能になったのである。
中国人はマルクスじゃないだろ
それにアメリカ人も人を殺しているぞ
レイパーは何か信仰しているのか?
238 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 01:33:56 ID:xT9uO0ae
>>234 >だから、他人に対して誰しも不快を少なからず感じているって
少々不快であっても、殺されるよりはマシw。相手の誠意を信じれば、
不快は快に変わる。イエスのように、相手の弱みに付け込み、上目使い
のきれいごとで相手に擦り寄る行為は、愛ではない。
イエスとは異なり、ライオンは、家族には優しい。子供たちには、自分
が捕らえてきた獲物を分け与えている。テレビで見た。家族のためにガ
ゼルを捕らえるのが、本来の愛。生存の最小基本単位である家族愛に基
づかない愛は、本物ではなく、偽善に過ぎない。
結局、家族のために他人を殺しても善なわけだ
240 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 01:39:21 ID:xT9uO0ae
>>239 最も身近な者の生存を守ることが、善の基本である。共同善は、その
基本の上に築かれなければならない。
>>240 んなわけないわ
共同体は究極、その存在が強ければ強いほど内部のものが生存する確率も高くなる
そのためにはささいな矛盾も認められる
例えば、全体的に見ればエントロピー増大の法則がくずれなくとも
掃除や冷房と言った局所的なエントロピーの流れの逆流のようなものは起こりうる。
老いるという現象もそのひとつだ。全体的繁栄のために局所的に矛盾を孕むしくみがある
よって、共同体のためにこどもを身代わりに差し出すエピソードが涙をさそうのだ
>善を、「他者の生存を助ける行為」と定義すれば
無宗教者がこのような善をする根拠がそもそもない
いじめをするものは、無宗教だが、他者の生存を助ける行為をしているか?
共同体内にいながら、しつけられていないため
万人の万人による闘争状態からぬけだしておらず、おのれが生き抜く行為すなわち善という
小さな善概念から抜け出せていないだけだ。
また宗教教団という共同体が、神概念をもちだし
これに従う者はどんな民族であろうと善であり
これに反するものはすべて悪と決めつけるのも共同体の善から一歩もはみだしていない
こういった善悪判断をもちだすことは宗教にとって不幸しかもたらさないだろう
世間の共同体の善悪概念に任せるのが一番無難な方法だ
243 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 01:57:24 ID:xT9uO0ae
>>241 >よって、共同体のためにこどもを身代わりに差し出すエピソードが
>涙をさそうのだ
そんなことに涙する人間は、唯の一人もいない。轟々たる批判と批難の
的になるだけ。
旧約聖書で、神はアブラハムにその息子イサクを犠牲に捧げることを
命じるが、土壇場でストップをかける。新約とは異なり、このあたりが
旧約に流れる人間性である。新約では、なんと、この挿話を、死者の
復活と結びつけて解釈している。
>>243 ほう、なら日本の伝統的な切腹はどうとらえるのか?
たとえば両地域の勢力同士が戦ったとき、勝者は相手地域の根絶やしをねらうが
体のいいところで休戦をもちだし、領主一人の命一つで
領主の家族と譜代家臣の罪は不問とし、相手側の勢力下にはいる。
これはひとつの身代わりだ。
今の民主主義にも当てはまる。
民主主義は主権が国民にあるのだから、責任も本来国民にある
だが、多くの場合不問にされ、責任者だけが処分されるのは
共同体の概念に身代わりがあるからだろう
>>223 お前は、自分自身がキリスト教とまったく同類だということを強調してどうするwwww
キリスト教に目を向けさせて、自分から目をそらさせようというのは
イエスにお前の罪をかぶっていただいているのと同じだろ?
恥ずかしくないのか?
ご隠居ってやつは、自分の罪も責任もキリスト教に転嫁しようとする。
人類の罪も責任も、イエスやキリスト教に転嫁しようとする。
まさにイエスを神の子羊、スケープゴートとして利用して、
自分の罪を軽くしている。
247 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 08:18:05 ID:Z3XRvYRi
>>202 だから、なに?
信教・思想は自由だろ。それを不自由にして欲しいの?
結果は法律に従って裁さけばいいのだし、自己責任だね。
248 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 08:22:41 ID:Z3XRvYRi
>>205 >人間が独りで生きているのなら、善悪の概念は発生しません。何を
>やってもよいのです。
そんなこと無いだろ。行為の結果の快楽・苦痛と結びつけて快楽は
善・苦痛は悪と判断するんじゃないか?
善悪は自己のうちにある価値判断でしょ。
どーでもいいが、
キリストが人類の原罪をかぶるために死んだって、
キリスト自身が言った事なのか?
本人はいってないだろうな。
復活とかも後付けだろうしな。
つか、史的イエスの実在は証明されてないしな。
251 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 08:30:05 ID:yMS+HcPV
おまけ
イスラエルでデビル(悪魔)というのは、デビィ+エル。
デビィとは、インドの神でディーバ(歌姫、女神)のこと。
イスラエルと敵対したインドの神がすなわち悪魔ですね。
神と悪魔なんてそんなものさ。
252 :
一在家:2009/06/09(火) 08:49:05 ID:U7E0p864
>>217 >前世の記憶や輪廻転生や除霊や浄霊などを信じるのは自由ですが、
>それらを自分自身で直に体験していないなら、
>知らないことを信じ、単に思い込んでいるだけということでしょう。
あれー、いつ私が除霊や浄霊を体験していないと書きましたか。
本スレの議論には不要なので「無記」を通しただけですよ。
実際の体験もなく、確信などできませんよ。
253 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 09:22:34 ID:Z3XRvYRi
>>230 「アートマン」は輪廻転生の主体である「霊魂」だね。
霊魂と身体の生命とは何の関係も無い。
身体が死んでも残るのが霊魂だからね。霊魂は不生不滅だ。
これがバラモン・ヒンドゥーの「アートマン」だろ。
生きてる人に「霊」があるというのがおかしいというなら
中国語のように「魂魄」といえばよい。
身体についてるのは「魄」で死んでも残るのは「魂」として
区別する。
日本語の「いのち(命)」「たましい(霊・魂)」が「アートマン」に相当する。
生命とは生きている命のことだから死人には生命は無いが命は残る。
>>253 ほんっと、定義をはっきりさせろよ。
死んでも命があるってことかよ。
それじゃあ、命って言葉に意味ねえじゃん。
とにかく、自分で辞書作るのやめろよ。
話ができないからな。
256 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 09:38:06 ID:Z3XRvYRi
>>254 親しい人の死に出会ったこと無いの?
普通の人は死んだらその人の命は無いなどと思えない。
あなたの命はしっかり私の心のうちで生きてるからね、
と思うのが人情だろ。
>>256 生きてる人は、もう死んでると思ってるよ。
でも、本当に死んでしまったら何もしてやることができない。
そこで慈悲が起こる。君の父、母、親しい人は死んじゃったんだ。
そして、死んでる人に生前してやりたかったことを今やる。
慈悲の語源カルナは悲しみ。
人間の宿命を受け止めることより仏教は始まる。
目をそらすことではないよ。
魂があろうが無かろうが、その人はもう戻ってこない。
君たちは「正確」に見ることに執着して、
「正しく」見ることがわかっていないんじゃないのか?
アートマンが有ろうが無かろうが、やるべきことは、
それほど変わらない。
むしろ、生まれ変わりがあるとして、
後世にやるべきことを後回しにすることは害悪であるといえる。
260 :
宝珠愚者:2009/06/09(火) 10:44:40 ID:l50QEfpd
>>96 >この世は無常だから気の持ち方一つで無上の静けさの境地が得られるね。
>>105 >涅槃は空だから没することは無い。あたりまえだね。
「空」というのは即ち「色」、森羅万象の物質現象世界のことをいう。流転変滅する性質の無常なる
世界には、「実体はない」から「空」という漢字が当てられているのです。現象世界は「空」だから、そ
こに囚われず、その世界から解脱せよ、と説いているのです。
仏教の目指すべき最高境地である涅槃、即ちニルヴァーナが「空」であるわけがないでしょ!
まっ、漢訳仏教用語辞典などを開いたってそこまで書いてない。それらを書いた人間もよく判らないで
書いてるのだからw それらを頼りにしている人も皆んな迷う!
あなたがた唯物論者の考える仏教を纏めると、つまりはこうなる。
輪廻(転生)などというバラモン教の教えは迷信であると理解しよう。これによって輪廻(を現実と信
じることからくる恐怖から)の囚われから解放されると。つまりは気の持ちようだったのだと。輪廻など
最初からなかったのだと知ることが悟りであり、輪廻からの解脱である。
この輪廻が迷信だったと気付くために、ゴータマは生涯において命懸けの壮絶な修行をし、そして
やっとそのことを分ったのだと。ゴータマはそんなにも脳障害だったんだと。
ま〜殆ど笑えるwwwww
261 :
宝珠愚者:2009/06/09(火) 10:49:50 ID:l50QEfpd
>>108 >生まれる前の前世とか死後の来世とかについては語ってないだろ。
>六道輪廻はこの世の物語だよ。
ゴータマはこの世の話(物語)としては述べていない。
明確に前世と来世について述べた。とにかく〜あなたは前シリーズからやり直しです!
『比丘たちよ、この身は汝たちのものではない。また他のものでもない。比丘たちよ、これは過去
世の業によって造られたものであり、過去世の業によって考えられたものであり、また過去世の業
によって感受せられたものであると知るがよい。比丘たちよ、だから、わたしの教えを聞いた聖なる
弟子たるものは、縁起の理法をよくよく思念するがよいのである。』
(サンユッタニカーヤ12-37)
『かれらは身体が壊れ死んだ後、悪い所、苦しい所、地獄に生まれる。また、他のこれらの人々
は身体で善い行為をし、ことばで善い行為をし、心で善い行為をし、多くの聖者を非難せず、正しい
見解をもち、正しい見解にもとづいて行為をする。かれらは身体が壊れ死んだ後、善い所、天界に
生まれると。
わたしは、このように清浄で超自然的な天眼によって、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。
すなわち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞ
れの行為に従っているのを見た。』(マッジマニカーヤ100/サンガーラヴァ経)
262 :
宝珠愚者:2009/06/09(火) 10:51:16 ID:l50QEfpd
『このように、アヌルッダたちよ、弟子が死去し死亡したとき、如来が「この者は、このところへ生ま
れる。この者は、このところへ生まれる」と、再生する場所を予言するのは、人を欺くためでなく、人
に吹聴するためでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく、「わたしは、このような超能力が
あることを人は知れ」というためではない。アヌルッダたちよ、信をもち、広大な信仰をもち、広大な
喜悦をもつ、良家の子はそれを聞いて真理に心をはせる。アヌルッダたちよ、かれらにとっては、そ
れは長いあいだ利益をもたらし安楽をもたらす。以上のことを世尊は説いた。尊者アヌルッダは、歓
喜し、世尊の教説を信受した。』(中阿含経・第77/帝三族姓子経)
『実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へ、暗黒から暗黒へと(生まれ
かわる)。死後には苦しみを受ける。』(スッタニパータ278)
『前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅し尽くすに至った人、かれをわたしは〈バラ
モン〉と呼ぶ。』(647)
『けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。
愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。』(666)
『物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、止滅を知らな
いので、再びこの世の生存にもどって来る。』(754)
263 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 10:52:38 ID:nVlmEP0s
梵天とか梵我一如については、仏教のなかでは色界禅定によって
至れるとしている。
別に否定はしていないが、そこが最終地点とはしていない。
264 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 10:54:27 ID:nVlmEP0s
禅定に入れれば、前世の業なども理解できるらしいが
欲界レベルの認識(五感と通常レベルの心)では理解できないとしている。
これは南伝仏教の経典にも論蔵にも明記されている。
265 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 11:07:51 ID:nVlmEP0s
>>108 禅定とか瞑想体験がない段階では、そのレベルの論理思考が限界
だろうし、科学的思考をする姿勢がある、という点においては、その辺の
オカルト信者よりなんぼかマシなんじゃないの。
266 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 11:10:05 ID:nVlmEP0s
でも、科学は仏教においついてないね。
ぜんぜん比較にならない。
267 :
一在家:2009/06/09(火) 11:15:03 ID:zlzTox+5
自分の弟子達(僧侶、自称仏教徒)は正法を説かなくなると、現代は
釈尊の末法の世の予言通りですね。
世の中は荒廃し、女性は信心深く寿命も伸びますが、男性は神仏を糞土と見なす。
諸天竜神は号泣し、やがて菩薩が現れて正法を説くとも。「法滅○経」
まあ、500人はいたコアの比丘達の何人かが現代に再生してくるのかも。
268 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 11:17:29 ID:nVlmEP0s
自分で直接経典にあたればいいだけのことじゃない。
270 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 11:19:34 ID:nVlmEP0s
本物のサンガがあるなら、そこの僧にきけばいい。
ここにいるのは仏教オタクだけであって、悟った人なんてひとりもいないんだから
正法を期待する方が間違い。
日本仏教界に本物のサンガがあるとは思えないが。
271 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 11:22:40 ID:nVlmEP0s
だいたい日本仏教は、大乗仏教ですらないだろ。
それぞれの宗祖教であって、釈尊の教えじゃないんだし。
272 :
宝珠愚者:2009/06/09(火) 11:32:28 ID:l50QEfpd
>>139>>144 激しく同意。
>>106 >釈迦は、無常は「価値がない」などという「価値判断」を、どこでしているのかね。
>
あなたがいうところの「肉体」は無常であるから苦であり、我がもの(アートマン)ではない。我が
本体でもないから、それらには執著するな、と説いているのです。
『比丘たちよ、眼は無常である。すべて無常なるものは苦である。すべて苦なるものは無我であ
る。すべて無我なるものは「これ我がものにあらず。これ我にあらず。これわが我(アートマン)にあ
らず」と、このように正しき智慧をもって、あるがままにこれを見なければならぬ。比丘たちよ、耳に
ついて言うも同じである。鼻について言うも同じである。舌について言うも同じである。身について
言うも同じであり、また、意について言うも同じである。』(サンユッタニカーヤ35:1)
『比丘たちよ、色(肉体)は無常である。無常であるから苦である。苦であるから無我である。無我
であるから、これはわが所有 (もの)にあらず、我にあらず、また、わが本体でもない。そのように
正し智慧をもって如実に観察するがよいのである。比丘たちよ、受(感覚)は無常である。・・・比丘
たちよ、想(表象)は無常である。・・・比丘たちよ、行(意志)は無常である。・・・比丘たちよ、識(意
識)は無常である。無常であるから苦である。苦であるから無我である。無我であるから、これはわ
が所有にあらず、我にあらず、また、わが本体でもない。そのように、正しき智慧をもって如実に観
察するのがよいのである。』(サンユッタニカーヤ22-46)
>>252 在家氏へ
あなたは
>>192 で次のように書いています。
>私自身は霊視はできませんが・・・
霊視ができない人に、除霊や浄霊ができるわけがありません。
そして自称霊能者の話について、その真偽を語れる立場にもありません。
あなたは<直に>体験したわけではないのです。
すでに書いた通り、自称霊能者が本物なら、
ほんものであることを証明したらいい。迷宮入りした殺人事件の犯人を、
被害者を霊視することであてたらいい。なぜやらないのか。
274 :
宝珠愚者:2009/06/09(火) 11:56:20 ID:l50QEfpd
>>スレ3/76
>相手が端から持っていないものを「出せ!」と要求するのはおかしくないですか?w
>
相手の意思を尊重するからです。相手は「コレ」として提示するべきものを持っているかもしれな
いからです。それは私の知らない部分であるかもしれないし、私がダメとして切り捨てた部分である
かもしれない。一応、それは、やはり相手に問うてみないことにはわかりませんから。
>「感傷に浸ってる(浸ろうとしている)のはお前らの方だろ?」と・・・。
ゴータマは業論者であり、その教えの基本を受けているだけです。仏教の根幹だろうと思います。
>>スレ3/77
>貴方の判別が適切かどうかということは、吟味の対象にならんのですかな?w
当然、必要でしょう!だから私は議論の場を設け参加してるわけです。もし、個人の主張をただ読ん
で欲しいだけであれば、自分のウェブサイトをアップしているだけでいい。
そして、私の述べることに「絶対に間違いがない」などとはいいません。通常の人間に間違うことなし
に全てを語ることなどは不可能でしょう。 判断材料の提示をしているのです。それはお互いにです!
>>273 在家氏へ
たまたま今夜、TV番組に自称霊能者の犯人探しがある。
音楽とナレーションで盛り上げるが、犯人は結局見つからないで終わる。
霊能力が嘘だったのに、次回に期待させるような印象を与えつつ。
番組を見なくても最初から内容はわかる。
276 :
宝珠愚者:2009/06/09(火) 12:00:14 ID:l50QEfpd
>>188 >「仏典に拠らない仏教などあり得ない!」と豪語していたのは貴方ですよ?
>その貴方が、仏典にないことを仏説としますか・・・w
私は仏教徒ではないのでw しかし、この私は見ての通り、仏説であるとの主張は仏典に根拠を求
め、それを提示するようにしていますよ。また「恐らく経典にはない。ゴータマは語っていない」とかいっ
て、ちゃんとそのこも私は断わってるでしょ?「ゴータマは説いた。教典に書かれてある」とする場合に
は、またそのように述べています。
>『おまけ』なのに仏教の根幹と見做すの? (´・ω・`)???
オマケを仏教の根幹とは主張してないでしょう!
277 :
宝珠愚者:2009/06/09(火) 12:01:46 ID:l50QEfpd
>がんばって探してくれよw 散々、典拠を要求してきた貴方方だ。
>当然明確な典拠によって主張するんですよね?w
その候補となりそうな経文を提示中です!しかも、これらはかなり有力では? 『汝のアートマンが
知っているのだ。証人よ(sakkhi)。実に尊いアートマンを汝は軽視している。』(AN.T,p.149G.)
『一切
の相が滅びてなくなり、没することなき解脱の境地である。』(ウダーナヴァルガ26-29) アートマンを
説いた経文、及び仏教の目指すべき境地とは永久不滅のことである、という仏典中の根拠(記述)を
検索中です。
>なぜ、仏典の記述をはみ出して、そこから踏み込んで、仏典にないことを仏説としたがるのですか?
>この姿勢は、(前シリーズから)貴方方が口を酸っぱくして批判してきた姿勢そのものですよ?
「アートマンはそれら五蘊ではない」と繰り返し述べているということは、他(五蘊ではないもの)に存
在することを示唆している可能性もあるということです。そして、その可能性を示す経文も見つかりそ
うですね。上記の経も有力候補でしょう。
>『世界』?「常住の『世界』」とは何ぞ? 「loka」?
世界とは意識の状態のことですよ。
278 :
宝珠愚者:2009/06/09(火) 12:03:06 ID:l50QEfpd
>>200 >貴方の出方(当該部分の読み方)に興味があったからだよ。
>(また、先に手の内を明かしてしまっては意味ないだろw)
しかし、カウンター狙いが好きなようですね!
>「身体が資本でしょw」 ってねw
そりゃ〜そうですよ。“生存している間”に非科学/超自然現象を体感していくのですよ。
>貴方方でさえ、「 アートマン 」のままでなく、また単に「 自己 」と言うだけでなく、
>何らかの、多くの修飾を付して、その意味を確定させようとしている。
>逆に、そのようにしなければ語義の確定ができないということでもある。
常識ですよ。通常、そのままでは自覚できない自己を示そうとするための二重の言い回しなのです。
>「 アートマン 」が ≪ 『自己』『自身』『自分』『自分自身』『自ら』 ≫ という意味を超えて、
>何らかの重要なニュアンスを含むのだとしたら、違う語義となっているなら、
>全ての用例で後者なのか、前者の時もあれば後者の時もあるのか、吟味が必要だと思うぞ。
一体、あなたは何年、宗教の世界に触れてるの?? それは「高級我と低級我(高我と低我)」、
「大我と小我」、「表層意識と潜在及び集合的無意識」などと呼ばれる、二つの相成れない自己の
二重性質についての理解が全ての鍵です。この意味が解からないことには話にならない。
自己のアートマンという二重の言い回しが不要なのは解脱者だけです。解脱者はこの自己の二
面性は解消しているからです。我々は現時点では不可能なので、言葉で二重に表現するのです。
>>260 宝珠愚者氏へ
>「空」というのは即ち「色」、森羅万象の物質現象世界のことをいう。
現象世界とは、犬や猫、リンゴやバナナという現実そのものでしょうか?
それとも現実そのものとは違う何かですか?
280 :
一在家:2009/06/09(火) 12:27:15 ID:zlzTox+5
>>273 >>私自身は霊視はできませんが・・・
>霊視ができない人に、除霊や浄霊ができるわけがありません。
心霊体験の無い方としてはロジックは正しいですよ。
(離脱プロセス)※バイブルの中の除霊ではない。
・憑依霊がかかった人の体や口を使って、動き、語る
・かかられた人の今世、前世、先祖との因縁を語る
・何回も繰り返す度に、浄化されて恨みや執着が消えていく
・「ありがとうございました」と深々と一礼することが多い
・以後、その霊は浮いてこない
・かかられてた人は肉体的または精神的な課題が解消されていることを知る
私の知り合いの中には霊視できる人もいて、後でその時の様子を
伝えてくれます。
「先祖だと言っているが、嘘で非常に恨みの強い霊」とか、
「たった今、霊は指先から抜けっていった」と。
281 :
一在家:2009/06/09(火) 12:29:10 ID:zlzTox+5
日本では知りませんが海外では霊能力者が捜査に協力しておりますよ。
30年前でしたか、オランダ?のクロアゼットが日本のテレビに出演し
行方不明の少女?が湖に浮いているのを生番組で透視しましたね。
テレビ局スタッフが現場に駆けつけますと確かに行方不明者が浮いて
おりました。
その番組は、どこかのサイトにビデオが残っているかも。
282 :
一在家:2009/06/09(火) 12:33:44 ID:zlzTox+5
>・何回も繰り返す度に、浄化されて恨みや執着が消えていく
ここで神のある力を借りますが、本スレの議論には関係なく、
無記とします。
次回は回答しませんよ。
283 :
宝珠愚者:2009/06/09(火) 12:37:05 ID:l50QEfpd
>>279 そうです。私たちが見たり触れたりして知覚する全てです。この肉体ですらも自己のものではない、
自分の本体ではないとして正しく見なさいと教えているのです。「無常」と「空」とは同義語です。バラ
モン/ヒンドゥーは「マーヤー」(幻力)と呼び、仏教はこれを「空」と呼んだのです。
これを我もの(真実)と見なすところから「苦」が生じるといっているわけです。
『比丘たちよ、色(肉体)は無常である。無常であるから苦である。苦であるから無我である。無我
であるから、これはわが所有 (もの)にあらず、我にあらず、また、わが本体でもない。そのように
正し智慧をもって如実に観察するがよいのである。』(サンユッタニカーヤ22-46)
>>272
つまり人間本体を「アートマン」としたバラモン教が間違いということを、
仏陀は「アナートマン」、無我としてバラモン教を否定したことは確かだ。
アートマンなるものは常に変化するのであって、アートマンが輪廻することは
ないということだ。つまり本来無我なるものが輪廻していき、いずれ仏になる
というのが仏の教えである。これから、すでに無我となった仏陀は、前世でも
仏陀であり、仏陀の輪廻は完成された輪廻であることが明らかである。
よって、普通のカルマの刈り取りによる輪廻とは区別されなければならない
ということは明らかであろう。
286 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 12:59:25 ID:Z3XRvYRi
>>257 >そして、死んでる人に生前してやりたかったことを今やる。
ちょっとちがうね。
死んだ人の生前したかったことをやってあげる、だね。
墓に布団は着せられず、というだろ。
故人の求めし処を求めるのがそのあとを継ぐことだ。
>>286 その死んでる人ってのは生きてる人ってことだよ。
解りにくくてごめんね。
>>282 在家氏へ
すでに書いたのだけど、何かを信じるのは個人の自由ですが、
信じていることを事実であるかのように語ってはならないと思います。
なぜなら、信じる行為は、<信じる対象を知らないで成立する>
単なる<思い込み>にすぎないからです。
霊感商法という詐欺商法が横行している以上、当然の配慮です。
輪廻転生、前世の記憶、除霊、浄霊、神通力などは、
そういったものが実際にありうるかどうかは別にして、
もともとアートマンがあっての話です。
スレテーマとまったく無関係でもないでしょう。
289 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 13:23:07 ID:Z3XRvYRi
>>260 >仏教の目指すべき最高境地である涅槃、即ちニルヴァーナが「空」であるわけがないでしょ!
いや、涅槃は輪廻とまったく変わらないよ。ニルバーナ(涅槃)が空でなければニルバーナに
到達することはないでしょ。ニルバーナ以外のものからニルバーナになることはないのだから。
>輪廻(転生)などというバラモン教の教えは迷信であると理解しよう。これによって輪廻(を現実と信
>じることからくる恐怖から)の囚われから解放されると。つまりは気の持ちようだったのだと。輪廻など
>最初からなかったのだと知ることが悟りであり、輪廻からの解脱である。
そうだね。
ここまでは正しい仏典の解釈だろうね。
しかし・・・
>この輪廻が迷信だったと気付くために、ゴータマは生涯において命懸けの壮絶な修行をし、そして
やっとそのことを分ったのだと。
これはまちがいだね。大パリニッバーナ経も読んでないのか?
ゴータマは29歳で善を求めて出家して・・・とか記述されてんだろ。
35歳ころ成道したんじゃないか?それからは遊行三昧だろ。80歳まで
正理と法の領域のみ歩んで、入滅したことになってるね。
生きているうちに成道しなくては何の意味も無いだろ。
成道とは死ぬことではない。仏とは死んだ人(ホトケ)ではない。
ゴータマはそんなにも脳障害だったんだと。
290 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 13:33:43 ID:Z3XRvYRi
>>289 >ニルバーナ以外のものからニルバーナになることはないのだから。
これちょっと解りにくいね。ニルバーナが空でなければニルバーナ以外の
ものからニルバーナに成ることは無いのだから、ということだね。
ニルバーナもまた縁起するものだからね。縁起は空でありそれは中道だね。
>>283 宝珠愚者氏
その理解はご隠居と同じです。ご隠居も人間の身体(肉体)を空にしている。
本屋に行くと、同じように理解した般若心経の解説書が並んでいる。
しかし犬や猫やリンゴやバナナなどを同じようにみなし、
この現実を空にするのはまちがっていると思う。
釈迦の言っている空は、愛憎や善悪などという心の思いを空と観じ、
それらに執着しないことを説いていると思うのです。
292 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 13:46:10 ID:Z3XRvYRi
>>278 >世界とは意識の状態のことですよ。
意識は生存中しかないのではないか?
生前・死後の意識など存在しない。
293 :
暁:2009/06/09(火) 13:47:52 ID:DETZ1EVg
空をないもないことと解してないかい?
犬猫リンゴバナナを成立させるものが空だと解したらいかが?
本屋にもネットにも、悟りを教える<十牛図>が並んでいる。
これも相当に奇妙な解説がなされている。
そこでは<牛>が真の自己だとか言っている。
常識で考えたって<牛>が真の自己であるはずがない。
<牛>は、人間の食欲・性欲などの欲望であり、本能である。
真の自己は、白い円、八番目の人牛倶忘になる。
これが空であるのか、アートマンであるのかは判断が難しい。
個人的には、<十牛図>は縁起を語っていないから、
白い円はアートマンであると解釈している。
295 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 14:05:21 ID:Z3XRvYRi
>>287 >その死んでる人ってのは生きてる人ってことだよ。
>解りにくくてごめんね。
解りにくくてなんてレベルの話じゃないよ。
「死んでる人」が「生きてる人」だったら大問題になる。
脳死問題どころの話じゃない。
>>293 犬や猫やリンゴやバナナなどは空であり、
その空が現象しているだけだと観じることは無意味でしょう。
そんな思いでいたら、現実が空という<まぼろし>でおおわれ、
蜃気楼の中を生きることになるでしょう。
人間は、犬は犬、狼は狼、猫は猫、トラはトラなどと
この現実をしっかり区別することで生きているし、生きられるのです。
分別知
>>294 十牛図の牛はニルヴァーナを表してるんだよ。
悟りだね。
禅は悟りをも、途中経過としてるのだよ。
299 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 14:27:31 ID:Z3XRvYRi
>>296 そうですね。
五感を通して知覚される現象こそ現実の相であり
実在する物事ですね。まぼろしであるわけが無い。
夢・現・幻はしっかり区別するよう目覚めて生活
しなければね。
300 :
暁:2009/06/09(火) 14:29:05 ID:DETZ1EVg
301 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 14:31:10 ID:Z3XRvYRi
>>298 >禅は悟りをも、途中経過としてるのだよ。
禅だけでなくゴータマ・ブッダの初期仏教も悟りは修行の入り口だね。
悟りを得て出家できるがまだ修行僧のままだからね。
ゴータマ・ブッダの修行僧への遺言でもあきらかだね。
幻のようであるから、ものに対する執着する意味が無いということだろう?
煩悩を絶つのが涅槃であって、他に涅槃があるわけではない。
>>298 牛(本能)をニルヴァーナと解するなら、
牛からイメージできる生き方を参考にして生きるといい。
ひたすら食べてよだれを流し、雌牛は子供をたえず孕み、
役に立たない雄牛は人間に食べられてしまう。
雌牛だってやがて食べられてしまう。
途中経過? 食べられたら先がないではないか。
>>290 > ニルバーナもまた縁起するものだからね。
違うだろうな。定義からいって。
涅槃も空といえば空かもしれないが、
空というよりは滅だろうな。
>>302 心の中の思いが幻なのか、この現実それ自体が幻なのか、
このへんが空の問題なのかもしれません。
>>303 ちょ、牛=本能を忘れろよw
牛は悟りなんだから、本能とは逆でしょうに。
正論。
308 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 17:58:03 ID:jsCLMSiH
>>284 霊能力とか超能力とかの映像はだいたいマユツバ。
言葉だけでなく映像も人をだますのだ。やらせもある。
自称霊能者が迷宮入りの殺人犯をどんどん捕まえたら信じてもいいけど。
そんな人は大昔から現在に到るまで皆無である。
ユリゲラーのスプーン曲げとか、UFOや宇宙人の解剖とか、
911だとか、アポロの月着陸だとか、みーんなウソ。
309 :
旧7:2009/06/09(火) 18:57:33 ID:rXLoKKrM
>>94 馬鹿丸出しのレスだなw
いいか。
≪『形而上の話だから』『中身スカスカ』≫と言ったんじゃない。
≪『お前の作文の仕方』が『スカスカ』≫だと言ったんだ。
頭に血が上り過ぎて判らなかったか?w
> で、おまえ。ちゅうか末法仏教徒の皆さん。自分の胸に手を当てて自分の胸に
> よく尋ねてごらん。あんたらの仏教にいったい何の意味があるのかとね。
お前こそ、胸に手を当ててよく尋ねてみろ。お前の言う「安息日」に何の意味があるのか?と。
「一切の中で生きる(いや、一切の内の諸現象として生存している)人間」にとって、
「一切」と別にある「涅槃」を意味あるものにする手立てを示してみろ。
(宝珠のように別世界を想定してたんでは話にならん。)
君は、涅槃は『一切ではないが』『一切の【外に】あるのでもない』と言った。
ならば、そこに断絶がみられてはならない。乖離がみられてはならない。
涅槃は、「時を置かず」「行じた者に、目の当たりに見られる」もの、と説かれているのだから・・。
(とりあえず、ちょっとずつ投下していくか・・・w)
310 :
旧7:2009/06/09(火) 18:58:27 ID:rXLoKKrM
>>94 > 旧7は、俺の全体的な主張ではなく、前スレの
>>948の解説をしただけだと逃げるわけだ。
逃げるも何も、それしかしてないわけだが・・・w それ以外の何を、あのレスに求めてたんだ?
自分の無い物ねだりを人のせいにすんなよ!ヽ(*`Д´)ノ
> ま、この言い訳もいかにも末法仏教徒らしい詭弁なのが笑える。
貴方の詭弁の羅列には敵いませんよwww
> 唯物論者の旧7の思考回路は、形而上のことを語れば無条件に中身のない話となるらし(い)。
ハァ?(゚д゚) 前スレ948に、そんな高尚な内容がありましたかねぇ・・・?w
子供が駄々捏ねてる文章でしか無かったようですが・・・?(同じように読んだ人もいたんじゃないかな?w)
> これでは議論はなりたたない。元から議論を放棄しているのだから、ここにいる意味がない。
その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。
> そういや、・・・・・・いたっけな。
> こういう連中とは【最初から議論は成り立たない。最初から議論を放棄しているのだから】
同じことを繰り返し述べるのもカラスさんの特徴ですねw
─────────────────────────
さて・・・。
> 何度も言ってるが、「それ」は、他人が証明するものではなく、自分自身で知るしかないのだ。
これは禿しく同意するんだぜw 仏教は、まさに、この次元でこそ受けとめられねばならない。
だからこそ、≪【(特に三世に跨る)業報思想は】【ここに】抵触する≫んだよ。解るか?
そうだw 過去ログ見れるか? 君の、『トイレに落ちたおにぎり』についての感想が聞いてみたいなw
> 旧7よ、お前の論法で言うとゴータマの説法も全体的に判断すると、中身のないものになるってことに気づいているか?
ハァ?(゚д゚) 「>お前の論法で言うと」「>全体的に判断すると」・・・この時点で捏造じゃねーかw
何度も言うように、前スレ948を小学校の国語レベルで解体・要約しただけで、なぜそこまで飛躍できる?
相変わらず狡猾な作文をしよるw
311 :
旧7:2009/06/09(火) 18:59:15 ID:rXLoKKrM
>>104 > 旧7よ。どうみても、願望を語っているのはお前のほうなんだよ。
お互い様でしょう?
少なくとも私は、「貴方方の、どの点が願望と評し得るのか」明確に何度か提示している。
比べてみたらどうだい?どっちが、『願望・希望的』かを・・・。
> ゴータマは明らかに業法輪廻転生を語っている。
ああ、仏典には確かに色んな(→荒唐無稽なw)記述があるね。
> それを、社会的な悪影響という、 > 一方的に自分の価値観似合わせるため悪い側面だけを根拠に、
「価値観に合わせるため」ではなくて、実際の、世俗の事象としてまさに存在している在り様を提示しただけだ。
この側面の解決法を君らは提示できるのか?実際に生じている弊害に対して、何ら関知しないつもりか?
そんな奴らが、よく現代日本仏教を貶せるもんだ。やってること(等閑視)には変わりないw
> 他の正しく業法輪廻転生の思想を理解すれば
> 人々の間に悪を成さないで生きようといういい影響もあるという側面をまるっきり無視して、
無視? 私が、いつ無視をしたと?w
天秤として、「そのメリットはメリットとして機能してるのか?」ってことだ。
デメリットをフォローし、メリットが増長される事態になっているのか?或いはそれを目指し得るのか?ということだ。
前の何度かのレスでも、私は、そうしたメリットがあることに触れているし認めている。
てか、『善業の果報を想定しても、構図は同じ』なんだけどな・・・。たぶん解らんだろうけど・・・w
> 業法輪廻転生の思想を仏教から削ってまおうとしている。
メリットをメリットとして用いることができないなら、デメリットを削減削除できないなら、
その方向性も視野に入れるべきだと言ってるのだよ。
てか、個人的には、
業報と輪廻と転生をセットにして、一つの複合語として用いる姿勢自体に嫌悪感があるんだよw
312 :
一在家:2009/06/09(火) 20:25:38 ID:xpdY/F+e
>>308 2ch過去ログより紹介します。
投稿日: 2001/03/04(日) 02:41
でも、もう25年も前だから、本人亡くなってるかもしれないが
ユダヤ人の「クロアゼット」という霊能力者はすごかったぞ。
当時、TVの公開捜査番組で、ずっと行方不明になってる
ちいさな女の子の捜査に、このクロアゼットが鑑定して、
地図を広げ「私の脳裏に○○と川の水が見えてくるので・・・」
と、彼の供述通りの場所をピックアップした。
彼への鑑定は海外の自宅からだったので、番組スタッフが
帰国し、現地へ赴くと・・・・川の土手のあたりに何やら
プカプカ浮かんでるものが・・・。
!!!何と、水死体となった女の子の遺体がうつ伏せに
なって浮かんでる!!
当時はまだ放送倫理の規定がなかったので、その水死体
がモロ写され、翌日の朝刊に、「行方不明の女の子、遺体
で見つかる。テレビ局職員が発見」という記事がでた。
鑑定に際し、「私の能力は困っている人を助ける為神が
与えてくださったものだからお金は貰わない」という理論を
徹底していたそうだが、もうお亡くなりになってるだろうなぁ。
当時、FBIの捜査にも難問の事件には捜査協力していた
らしい。
※偽者も多いですが、一人でも本物がいれば十分です(一在家)
313 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 20:44:37 ID:gvQcr84x
>>312 アホか? クロアゼットなんて全てネタばれしとる。
恥ずかしいから、そんな話だすなよ
314 :
旧7:2009/06/09(火) 21:01:36 ID:rXLoKKrM
>>95 > ゴータマは不死の境地を説いてるんだよ。そこが涅槃だ。
> 不死とは不滅のことだろ。ちゃうか。
ということは、涅槃は「滅」であり「不滅」である、と?
それとも、「“煩悩の(或いは迷いの生存の)”滅」であり「“アートマンの”不滅」である、と?w
他の方への参考も兼ね、大学時代のノートから・・・。
「無生(ajAta)」であり「無有(abhUta)」であり「無作(akata)」であり「無為(asankhata)」なるものがある。
もし、これらが無ければ、「生」「有」「作」「為」からの出離は知られないであろう。
これらがあるから、出離が知られるのである。(itivuttaka.37/南伝23巻P284)
他、涅槃(nibbAna)の同義語。
滅尽nirodha/離脱・寂滅nibbuti/解脱mokkha/解脱vimutti/脱mutti/
苦尽dukkhakkhaya/愛尽taNhakkhaya/無恚avyApajjha/
寂静santi/寂静(寂止)santa/
出世間lokuttara/諦sacca/
無色arUpa/離貪virAga/無著・無住所anAlaya/足・法pada/
無為asaNkhata/無為界asaNkhatadhatu/無漏anAsava/
無生ajAta/不作akata/無有abhUta/不死amata/不滅accuta/不壊akkhara/
彼岸pArAyaNa/彼方pAra/清浄visuddhi/浄suddhi/幸siva/
洲(灯明)dIpa/帰依所saraNa/救護(所)tANa/逃避(所)leNa/安穏khema/安穏yogakkhema/
最上para/無上anuttara/妙勝paNIta/究極apavagga/無比anupameyya/無辺ananta/独存・純一kevala/
無災anItika/堅固dhuva/極難見sududdassa/不可見anidassana/
還転vivaTTa/照見apalokita/微妙nipuna/ ・・・・・etc.etc.
このように多様な形容を前にした時、「不死だから不滅だろ」などという短絡な発言はとてもできん・・・www
重要なのは、「形容はあくまでも形容である」ということだろう。
字義通り読むことがふさわしくないことくらいは誰でもわかると思う。
カラス氏もよく言っている、「字義通りでなく、何が言われているのかが重要だ」と・・・w
315 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 21:01:41 ID:Z3XRvYRi
>>308 >ユリゲラーのスプーン曲げとか、UFOや宇宙人の解剖とか、
>911だとか、アポロの月着陸だとか、みーんなウソ。
UFOは未確認飛行物体ということでウソとは関係ない。
911もアポロの月着陸も事実だろ。たとえそのニュース映像に
編集があったとしても、その出来事が事実であったことは否定
できないだろ。
316 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 21:15:37 ID:Z3XRvYRi
>>304 >違うだろうな。定義からいって。
あなたのニルバーナ(涅槃)の定義は何?
五位七十五法に基づいているの?
>空というよりは滅だろうな。
有為法の「滅」がなんで無為法になるの?
有為と無為の区別もわからないの?
317 :
旧7:2009/06/09(火) 21:23:11 ID:rXLoKKrM
318 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 21:23:27 ID:8T4rtjJi
/ ̄| . 人
| |. (__) イェ〜ィ!
| |. (__)
,― \( ・∀・)
| ___) | ノ
| ___) |)_)
| ___) |
ヽ__)_/
■ 誰にも分からない「神・サタン・天国・地獄・天使・来世・悪霊・転生・罪・・・」
等が分かる人は 「現世」の不明なことも全て答えられなければおかしいし、現世の
方が目で見れるから判断はラクチンラクチン〜!!■
例えば、政治家の収賄事件・横田めぐみさんの消息・世界中の暗殺事件の真相・・etc.
さぁ、宗教布教家さん達、頑張ってくださ――――い!!(笑
まだまだ・・・・不明なことは、沢――――山、ありますょン!!
インドでは悟るために、苦行による修行悟りが中心であり、
肉体行をしていたわけだが、
釈迦はその肉体行・苦行を捨てたところに悟りの特徴があったわけだ。
では釈迦教団とは実際何をしていたのだろうか?
瞑想でもしていたのか?釈迦の説法を弟子が聞いていただけなのか?
原始仏教とは何なのか?事件まえのオウムのようだったのだろうか?
推論してみた
・目は目を見ることができない
←目が目それ自体に触れることはできない
・しかし、鏡によって見ることは可能である。
←虚像によって客観的に知ることができる
・刃は刃を切ることはできない
←しかし、刃が鏡の刃を切ったところで、刃を切ったとは言えない
・私は私を把捉することはできない。
←私も私それ自体に触れることはできない
・私は法鏡によって把捉可能である
←虚像によって客観的に知ることができる
実像→霊的存在である私
虚像→生物的存在である私
では、霊的私は存在していると言えるか?
←私とは何かという基底が不明である。
ではどう基底すべきか?
○例1
目が目を見ることができないなら、
目それ自体を目はどう基底すべきか?
目が見る一切が目それ自体の存在を縛るだけである
○演繹
私も、私が把捉できる一切が私を基底しているだけである。
(注:一切、これは物質的な対象に制限されない)
私とは、定義するなら一切である
○疑義
一切が私が縛るとしても、一切が私とは言えないのではないか?
○例2
目は目それ自体を見ることはできない。
しかし、鏡に映る目、また類型として他人の目それ自体を見ることができる。
それによって、自分の目それ自体は虚像を通して類推可能である。
○演繹
私は私それ自体を見ることはできない。
しかし、鏡、法鏡で把捉される私、また類型として他人それ自体を把捉することができる。
それによって、私それ自体は虚像を通して類推可能である。
○疑義
私は、果たして他人それ自体を把捉しているのか?
私それ自体は私の体や他人を通して把捉可能か?
○例3
目は見ていない、見ているのは私である。
目はカメラのごとく、目をとりまく光を眼孔を通して内に集めているだけである。
刃は切っていない、切っているのは私である。
刃は相対するものに触れるべくして触れているだけである。
○演繹
私は世の仮の存在たる私ではない、真の私がおり、その本分に任せているだけである。
私はありのままであり、私のおもむくままに存在しているだけである。
○疑義
例そのものに私が関与してしまっているが
私に対しても第三の私を想定して説明してしまうのは無理がないか?
○例4
目は眼孔を通して、目の内に目をとりまくすべての光を内包する。
目はとりまく光を閉じこめる道具である。
目は目であるだけで、見ているわけではない。
しかし、目は存在する
○演繹
私の体は私の体を通して、私の体をとりまく世界と接する。
私の体は、世界と接する道具である。
私の体は私の体であるだけで、交渉しているわけではない
しかし、私の体は存在する
○疑義
私の体にのみ言及しているが
客観的に見すぎて、主観的な私が排除されていないか?
私的に例1は仏教的、例2は世俗的、例3はアートマン的、例4は科学的
視点だと思っている。
原始仏教が文献的にどう読み取れるか、それは研究者の成果に委ねることにする。
最後に、昨日ついでに見ていた動画の言葉を引用したい。
国家が人格的存在として論じられるのは外交においてである。
内政においてはこれが人格的存在として扱われることはない。
>>316 先に有為無為に分類しているから、そういう齟齬が生じるだけだと思うよ。
涅槃の定義は、煩悩が尽きること。苦集滅道の滅。
あと、自分の発言を否定された時の
自分の感情的な変化についてよく観察した方がいい。
325 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 22:08:31 ID:3NeQ742y
予想通り失望した。くだらないねえ。
霊能者が霊視し、スタッフがそれらしい所を探して走り回り、
最終的に見つからないという結果に終わる。
>>247 信教・思想の自由っつーか、心の中までとりしまれないよ
だが、現実の団体として、反社会的な宗教は認められるべきではないね
自民党にも宗教法人優遇税制を問題にしている人たちがいる。
優遇税制を廃止すればかなり整理できるだろう。
328 :
旧7:2009/06/09(火) 22:38:05 ID:rXLoKKrM
>>99 しかし、
> 元々宗教というのは一つの教えjから各地域に向けて変化して伝えられていったが
> 根本は同じものである。本物の宗教はね。
今どき、こんな考え方してる人がいるとは思わなかったよw
────────────────────────
> 創造神であるヴェーダのブラフマンは「言」を意味している。それはキリスト教も同じだ。
> 名称は「言」によって成り、言によって成らない名称は何一つない。
> 「言」は識別智。彼女がこの世界を造った。つまり我々人間の心である。
> この世界はあなたと共にあり、あなたが滅びれば、あなたにとってこの世界はなきに等しい。
> ただね、このブラフマンも最初は無知でね。
> この世界を創造するのはいいが(ブラフマンが世界を創造するということは、我々がこの世に生まれるということである)、
> 最初は自分が何者かを知らない無知なんだ。
> だが彼女が知恵を得、再び識別をやめたとき「一」の元に帰る。
> 宗教的な「女」の意味とは万物の生みの母である、彼女(言)のことをいってね、
> 男(人)とは、在りて在るものの事を言うんだ。
> 「言」は識別智。彼女が識別をしたため、自分自身を殺したが、
> 彼女が識別をやめる知恵を得、黙るなら、再び元の夫である「一」とひとつとなり、命を得る。
> 仏典では、ブラフマンを馬鹿にした記述があるのはなぜか?その意味を理解する人がいれば、幸いだ。
> ちなみにグノーシスでは創造神のことを悪神デミウルゴスとして描かれる。
> 彼のまたの名を、無知という。
美しい神話ですね。 けど、どの辺が仏教なんでしょう?
愚鈍な凡夫相手に、もう少し噛み砕いて頂けますでしょうか・・・w
329 :
旧7:2009/06/09(火) 22:59:24 ID:rXLoKKrM
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1243666615/909 > アートマンも縁起しているという話が理解できない人がいるので
いや、そうではなくて、
「ブッダ以前の思想の潮流として、『“縁起するアートマン”という概念、或いは捉え方』はあったのか?」ということだよ。
貴方方は、
「ブッダ以前も、“アートマン”は“縁起するアートマン”だった」という立場ですね。
「ブッダ以前のアートマンも、“常住不変”ではなく、“変転生滅を繰り返すアートマン”だった」という立場ですね。
「縁起するものは、この現象世界のことであり、一切のこと」でしたよね?
「アートマンも、一切の内であり、現象世界のことであり、無為ではなく有為にカテゴライズされる」わけですね?
「“有為なる(≒縁起する)アートマン”は、“無為なる涅槃”とは一線を画す」のですね?
こういうことで宜しいのかな?w
330 :
旧7:2009/06/09(火) 23:26:15 ID:rXLoKKrM
孤独は慣れてるが、
ほんと、俺が書き込むとスレが止まるな・・・w
よっぽど嫌われてんだなw 俺はwww
おやすみ ノシ (続きはまた今度にするよ。)
331 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 23:27:05 ID:erwZm54m
>>317 >■誰にも分からない「神・サタン・天国・地獄・天使・来世・悪霊・転生・罪・・・」
>等が分かる人は 「現世」の不明なことも全て答えられなければおかしいし、現世の
>方が目で見れるから判断はラクチンラクチン〜!!■
宗教的な事柄のことごとくを否定したら誤りです。
現世がすべてと思ったら宗教が成り立たない。そういう極論ではなく、
宗教で語られることの、どれが正しくてどれが誤っているかを、
論理的に体験的に明らかにすることではないですか。
>>330 俺は割と楽しみに読ませてもらってるから。
>>333 一番たよりになる良識人と見てます
でも、だから刺激を求めている人にはつまんないのかもしれませんね
カラス氏との対論は傍聴してます
あっ
335 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 23:38:05 ID:FLTMiR4I
>>327 旧7さん。カラスさんの話は内容あると思いますよ。教義的に理にかなっている。
彼はなぜ因果応報、業法が起こるのか、上手く説明もしていましたしね。
議題を作文力にすり替えるのは狡いと思います。
作文力をいうなら旧7さん。あなたの文章はわかりづらい。
簡単なことを、たとえば専門用語等を駆使して、難しく説明する人は無能です。
優秀な人は難しい話でも、誰にでも理解できるように簡単に話すものです。
原始佛教のスレもそうでしたけど、あなた達は教義面より、
言語学者ばりに仏典を学問的に分析ばかりして、奇異に感じられました。
あと旧7さんの仏典の読み方は、はじめに自分の信じる唯物仏教ありきで、
唯物仏教にあわない文言はあれこれ粗を探し、そうとれなくもないという曲解をして、
自分達の唯物仏教に無理やり合うように解釈するというもので、根本的におかしいと思います。
336 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 23:46:55 ID:f/IonfB3
>>326 >反社会的な宗教
NHK教育テレビの高校世界史で、西欧諸国によるアフリカの分割を
やっていた。
目を背けたくなる奴隷売買、手かせ足かせされ奴隷船にすし詰めにされて
輸送され、死ねば海中に投げ込まれる奴隷たち、次には、アフリカの
資源の収奪、植民地獲得と、勝手な国境の設定。
これらすべての行為となったのは、キリスト教(イエス)の思想。
イエスに狂った人々は、100%の善意で、100%の悪を行った。
現在も、キリスト教の指導者による、アフリカでの「民族浄化」は続いて
いる。
イエスの思想こそ、人類に巣食った悪質ながん細胞、人類の諸悪の根源
であると結論せざるを得ない。それは、聖書におけるイエスの言動から
既に明らかである。
338 :
暁:2009/06/09(火) 23:55:46 ID:DETZ1EVg
>>296 空は虚無論ではない。虚無ではなく、空はあらゆるものを
成立させる原理。空は縁起、すなわち犬、猫、リンゴ、バナナも空という縁起で成立する。
あなたは空という幻と述べられてますが
それは自己の考えを(空は幻であると)固定化してるようにみえる。
その固定化した考えを相対化するのが空だよ。
>>336 > イエスに狂った人々は、100%の善意で、100%の悪を行った。
善悪は行為だけが問題で、
内面の意図は関係ないんじゃなかったのか?
340 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 00:06:58 ID:moy5ULVy
>>230 >>253 おたがいの用語の使用法による混乱もありますね。
1 宝珠氏・・・アートマンは、自我+真我
2 230氏・・・アートマン=聖霊=空気・生命 →生物的生命で統一
アートマンは霊魂や神ではない。
3 253氏・・・アートマン=霊魂≠身体的生命
魂魄 → 魂=(死後も残る)命、たましい 魄=(死後は消える)
1と3にはほぼ同意できる。
2は・・・神の息(アートマン)と聖霊(神の油)を区別していない。
また生物的生命という言葉の<生物的>という限定に唯物的な偏りがある。
341 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 00:11:38 ID:LjvOLurD
>>338 「空」という言葉を使うから、種々の誤解が生じるのだと思いますよ。
「空」を「相互依存性」「関係性」と言い換えれば、誤解の余地はなくなる。
論理的には、それ以外には解釈の仕方はない。
仏教の中心思想は、「色即是空・空即是色」に尽くされています。古今の如何
なる西洋哲学者も反論不能な一大「存在論」です。
仏教者自身が、般若心経を理解していないフシがある。
>>341 般若心経は、色即是空空即是色の後も続くわけだが、
もし空即是色までで尽くされているなら、続く必要ないんじゃないか?
般若心経の最後の部分の意味とかどう思ってるんだ?
343 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 00:20:31 ID:moy5ULVy
>>338 釈迦が説いたとされる小空教は、
あらゆる思いを空として消し去っても、最後に身体と生命が残るとしています。
つまりこの現実は消し去れないのです。
食べなければ腹が空くし、犬や猫にも食べさせなければならない。
こういった現実に対し、縁起してるから空だと考えても無意味です。
344 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 00:22:02 ID:n0F+Z4yq
困ったときには「後世の追加」これに限る
345 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 00:31:37 ID:LjvOLurD
>>339 >内面の意図は関係ないんじゃなかったのか?
だから「行為」だけを問題にしている。
100%の善意で、100%の悪が行えることが、イエスの「教え」の
根本的誤りと、恐ろしさなのである。
「内心の思想は関係ない」と言ったのは、正常な人間は、本来的に、
内心で何を思っても、「他者への愛」で、それを行為に表わすことは
我慢する。イエスに狂わされると、それが不可能になる。イエスに、
基本となる「人間そのものへの愛」が欠けているからである。
「すべての人間を愛せよ」とは口が裂けてもいえなかった、イエスの
「エゴ」が原因である。この言葉さえ加えていれば、数億人、数十億人
の人間の生命が、理由なく奪われることはなかったのである。
346 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 00:34:28 ID:moy5ULVy
ご隠居は、眼光紙背に徹するような発言をすると同時に、
ひどく皮相的な発言をしていることがある。
空海の三教指帰・序の理解など、うすくて皮相きわまる。
しかしネットで調べたら、ご隠居の皮相的な見解が並んでいた(TT)
情けないですね。空海も泣いていることでしょう。
347 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 00:37:21 ID:LjvOLurD
>>342 すべて、「色即是空・空即是色」の意味の説明である。ギャーテーギャ
ーテーの意味は誰も判らんから、単なる「掛け声」として考えればよい。
>>345 > だから「行為」だけを問題にしている。
ハァ? 行為だけが問題なら善意なんて定義できないだろ。
何が善意なんだよ。善は行為だけなんじゃないのかよ。
どっちかハッキリしろよ。すっきりしない奴だな。
349 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 00:45:50 ID:LjvOLurD
>>346 物事は、皮相的に考えたほうがよい場合がある。そもそも、この世は
皮相的w。
考えすぎると、真理から反れ、または真理を突き抜けて、あさっての
方向に行ってしまうおそれがある。人間は、深い思考によって生きて
いるわけだはないよ。
>>347 この経典書いた奴も意味が分らず書いてるのかよw
>>349 皮相的に考えた方がいい場合もあるだろうが、
この場合は皮相的で思慮が浅すぎた、ということだろうな。
考えすぎるとあさっての方向にいくのかもしれないが、
なぁ〜んも考えてないのは、どこにも行けてないだろうな。
地面をはいずってるだけw
352 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 01:00:54 ID:LjvOLurD
>>348 行為は、意思を原動力とする。イエスには、「善」とは何かがわからず、
「悪」を教えてしまったから、クリスチャンの「善」意が悪の行為を
生み出した。つまり、根本が間違っていたということ。
353 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 01:13:21 ID:LjvOLurD
>>348 人間は、悪の意図を抱いても、それが悪であるという自覚がある限り、
他者への思いやりによって、行為を思いとどまる。これが、「他者の
生存に対する良心と責任」という、神が人間に与えた「自己の分身」
としての内心の神である。イエスは、この悪を善と勘違いして教えた
ため、即ち、内心の神(生命という神の分身)を破壊したため、収拾が
付かなくなってしまったのである。
354 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 01:17:30 ID:LjvOLurD
>>351 >地面をはいずってるだけw
人間とは、専ら「地面をはいずって」生きている生物ですよ。他のどこ
にはいずる場所があるのですかw。
355 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 01:29:22 ID:LjvOLurD
>>346 >空海も泣いていることでしょう。
空海が、「谷川の響き。明けの明星」という大自然から悟ったと解釈
されて、「泣く」理由は何ですかw。空海は、大自然を、どのように
見ているのですか。 何故、狭い小屋の中ではなく、大自然の中で瞑想
したのですか。
356 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 01:29:53 ID:chJBujo/
うけるw
>>354 ああ。ごめん。ご隠居には比喩を理解する能力が欠如しているのを忘れてたよ。
ここでの「地面をはいずってるだけw」というのは、
「なんの進歩もない」っていう意味だよ。
>>353 > 人間は、悪の意図を抱いても、それが悪であるという自覚がある限り、
> 他者への思いやりによって、行為を思いとどまる。
では自覚のない人間には、それが悪であり罪であると教え込まなければなりませんね?
> イエスは、この悪を善と勘違いして教えた
> ため、即ち、内心の神(生命という神の分身)を破壊したため、収拾が
> 付かなくなってしまったのである。
生命を破壊したら、収拾が付かなくなるどころではなく、
(生物として)死ぬのではありませんか?
361 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 08:21:44 ID:9mgfxRwG
>>326 >だが、現実の団体として、反社会的な宗教は認められるべきではないね
宗教法人法は廃止すべきだけど、反社会的な宗教団体だからといって
規制すべきではない。
法律に従って規制すれば済むことだね。
362 :
宝珠愚者:2009/06/10(水) 08:34:53 ID:+BLywQmc
>>285 もう、あまりにもメチャクチャです。アートマンは基本的に変化しません。あなたは一体、どこから
そんなアートマン観を得たのです?
輪廻するのはアートマンです(輪廻の主体としてみなすのが、アートマン理論の基本です)。人間
を構成する五蘊は輪廻しません(死後に崩壊していくもの)。久遠仏(前世から仏)というのは在り
得ません。人はいずれかの生涯にて解脱し、仏陀となるのであり、1度、仏陀になればニルヴァー
ナ世界に常住します。しかし、それ以前は仏陀ではなく、ただの人間なのです。
「人間本体」とは何んのことなのかが不明です。まさか肉体じゃないでしょうね?ゴータマの説く
「無我」とは、それら五蘊はアートマン(自己/我)ではないというものです。
バラモン大衆の信じる「パーソナリティー(低我)=アートマン」といった同一視の迷信。それと、
アートマンとて究極のところでは縁起に拠るという真意があった可能性もあり、ゴータマはアートマ
ンを全面に出すバラモン伝統のアプローチを摂らなかったのです。また、アートマンについての形
而上の議論に価値を置きたくなかったということ。
363 :
宝珠愚者:2009/06/10(水) 08:36:50 ID:+BLywQmc
>>289-290 ニルヴァーナは縁起しません。縁起している様を無常というのですよ。「無常は苦である。無常で
ある肉体は我れではない。我が本体ではない」
>>272といっているのです。その無常なる世界からの
解脱が苦からの解放なのであって、その境地がニルヴァーナです。従って、ニルヴァーナは縁起し
ない。無常/空を超越した不滅の境地です。再び没するような境地ならば、求むる価値などない。ゴ
ータマは、「没することなき解脱の境地である。」(ウダーナヴァルガ26-29)といっている。
>ここまでは正しい仏典の解釈だろうね。
ふざけるのは辞めましょう!
>>261-262 >35歳ころ成道したんじゃないか?それからは遊行三昧だろ。80歳まで
分ってますよ!はいはぃ-訂正しておきます。
一般、仏道修行者は一生涯、修行に明け暮れるのです。実際には解脱には何生涯も掛かる。
>生きているうちに成道しなくては何の意味も無いだろ。
>成道とは死ぬことではない。仏とは死んだ人(ホトケ)ではない。
それはいいとして、それがどーして「輪廻が迷信と理解すること」に繋がるのか?
輪廻が止み、二度と再生しないことを解脱(成道)というのです。
>>292 >意識は生存中しかないのではないか? 生前・死後の意識など存在しない。
死んだら終わり-それは断滅論です。完全な唯物主義であり、全くの間違いです。仏典中にはいく
らでも、死で終わりではないことが繰り返し強調されている。あなたは前シリーズに戻って下さい!
死後の生存を信じないのはあなたの自由ですよ。しかし、仏教はそのことを説く宗教です。あなた
の勝手で仏教を改変しないで下さい!書いてあります。とにかく、あなたは自分で仏典を読んで下さい。
>>299 あなたには、まだ(仏教を学ぶ)時期が早いのかもしれません。
364 :
宝珠愚者:2009/06/10(水) 08:38:37 ID:+BLywQmc
>>291 それは自己ではないから、身体(肉体)に執着するなといってるのです。彼(ご隠居?)は肉体生命
に固執しており、それでは「空」を理解したことにはならない
>しかし犬や猫やリンゴやバナナなどを同じようにみなし、
あなたの自由は誰も止めない。しかし、ゴータマは分け隔てなどしていない。物質現象世界の「一切」
を同様に無常/空として指摘している。それらは自己ではなく、また自己のものではないと。そこには
価値はないと教えているのです。
>>296 「空」とは、肉体が病気を患っても医療を受ける必要がないことを意味しません。これは存在論に
ついての理解であって、このことにより価値観の転換と執着からの離脱を図るためのものです。この
空なる現象世界での生存とは、朝起きて歯を磨いて病院にも行って、仕事して夜には床に着く生活
のことです。誤解せず、賢明に判断することです。
>>362 輪廻の主体がアートマンで、アートマンが常住なら、
永遠に輪廻しつづけることになり、解脱はありえないのではありませんか?
366 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 09:09:59 ID:9mgfxRwG
>>363 >「輪廻が迷信と理解すること」に繋がるのか?
>輪廻が止み、二度と再生しないことを解脱(成道)というのです。
輪廻が迷信だと理解することは輪廻がやむことと同じだね。
それが不死であり輪廻からの解脱だろ。
ゴータマ。ブッダが35歳で成道したとき以後の境地だね。
涅槃というのだろ。だから涅槃も成仏も死ぬことではない。
>死後の生存を信じないのはあなたの自由ですよ。
「死後の生存」など語義矛盾であって信じる以前のことだろ。
「死んでる人」は「生きてる人」である、なんてバカなこと言ってたやつ
とおなじ七日、八日、九日、十日・・・。
367 :
一在家:2009/06/10(水) 09:23:43 ID:BqsCEuHB
>>362 >1度、仏陀になればニルヴァーナ世界に常住します。
>しかし、それ以前は仏陀ではなく、ただの人間なのです。
このスレの住人の学習段階も随分とアップしましたので、
もうそろそろ第一義で伝えても宜しいのではないですか。
確かに涅槃に入れば再生する必要はありません。
しかし涅槃に入った仏が再生することはあります。
前世が仏の仏が存在します。 出典「大本経」
仏や菩薩が再生するのには何らかのミッションが必要ですが、
大乗仏教の編集者達はミッションの一つを「衆生済度」と
定義したように思います。
末法の世で、地球温暖化により人類と万生が共滅の危機を
迎えている時に、慈悲深い仏や菩薩達が涅槃や天国でただ
見ているだけでしょうか。
>>367 > 前世が仏の仏が存在します。 出典「大本経」
出典詳しくおしえてください。
たとえば「ヴィパッシン仏は兜率天から下生し」と書いてありますが、
この場合は「後のヴィパッシン仏」が菩薩だった時に下生したという意味のようですし、
どこの箇所でしょうか?
369 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 09:59:00 ID:2fNqP8Zg
>>360 >では自覚のない人間には、それが悪であり罪であると教え込まなければ
>なりませんね?
肉体的本能とは、生得的なものであり、教え込むものではなく、教え込んでは
ならないものです。イエスには、それが理解できなかった。
>生命を破壊したら、収拾が付かなくなるどころではなく、
>(生物として)死ぬのではありませんか?
自分は死ななくても、他人を殺しまくるのは、人間として、死んだも同然です。
もはや、人間ではないのですから。
370 :
宝珠愚者:2009/06/10(水) 10:02:54 ID:+BLywQmc
これらは、わたしのせいでもあるので横槍で少し失礼します m(__)m
>>311 >てか、個人的には、業報と輪廻と転生をセットにして、
>一つの複合語として用いる姿勢自体に嫌悪感があるんだよw
「輪廻」とは現象界の実体のこと。「業報」とは人間の行為と結果の関係性。及び行為(因)から
結果(果)に到る作用。「転生」とは業報法則の延長上であり、業報が在る限りは人は死んでも、
それで終わりとはならずに輪廻する(断滅しない)。それが来世への再生誕ということであり、これ
を輪廻転生と呼ぶ。
以上の理由により、“セット扱い”となりますw
輪廻転生を抜きにして、「業報」だけをご都合主義で利用しようとしてもそれは仏教にはならない。
>>328 >今どき、こんな考え方してる人がいるとは思わなかったよw
は〜ぃ、ここにも一人います(笑)
一つの教えが(万教帰一)というよりは、究極的には同じ真理に到達するということ。
>>329 それは大変、申し訳ない。わたしの見解では、ブッダ以前のバラモンの世界では“常住不変”
のアートマンが説かれた。しかし、ゴータマの説く否定意には、アートマンも縁起しているという意
味が含まれている可能性もあるのではないか?という、これはただの憶測(現時点)によるもの
です。
>「縁起するものは、この現象世界のことであり、一切のこと」でしたよね?
もちろんです。
ただし、これはアートマンも縁起するしないのレベルとは次元が大きく異なる話です。
371 :
宝珠愚者:2009/06/10(水) 10:04:46 ID:+BLywQmc
>>365 自己意識の焦点が低我からアートマンに定まった状態においては輪廻は止む。意識の焦点が
どこに置かれているかによって回答は全て変化します。
勝義でいうならば、輪廻そのものが幻なのです。しかし、我々の意識は常に低我に置かれてい
るから輪廻を止まないのです。これを無明という。
>>366 >輪廻が迷信だと理解することは輪廻がやむことと同じだね。
頭で考えることではない。思考によっては解脱はできない。「輪廻など迷信で最初からない」などと
思考したところで、またたとえ百万回それを繰り返し唱えたところで、決して輪廻からは免れない。
あなたは来世に再び再生する。
>「死後の生存」など語義矛盾であって信じる以前のことだろ。
仏教は唯物論ではありませんよ。仏典を真面目に読みましょう。まず前シリーズ読んで下さい!
>>367 ま〜仏のカルマに拠らない再生はまた別問題ですね。
仏陀存在はカルマの制約を受けないので、再び生れることを望めばそれも自由です。
その場合はカルマによる再生ではなく、目的のためであり教化奉仕のためでしょう。
ただ、解脱という観点からは久遠仏というのはない。
372 :
宝珠愚者:2009/06/10(水) 10:08:11 ID:+BLywQmc
>>370 訂正:
×「輪廻」とは現象界の実体のこと。
○「輪廻」とは現象界の実態のこと。
>>371 > 自己意識の焦点が低我からアートマンに定まった状態においては輪廻は止む。
では、輪廻を起こしているのは自己意識の焦点ということになりますから、
輪廻の主体は自己意識の焦点ではありませんか?
>>369 >
>>360 > 肉体的本能とは、生得的なものであり、教え込むものではなく、教え込んでは
> ならないものです。
では殺しまくってる人に対して教え諭してはならないというのですね?
> >生命を破壊したら、収拾が付かなくなるどころではなく、
> >(生物として)死ぬのではありませんか?
> 自分は死ななくても、他人を殺しまくるのは、人間として、死んだも同然です。
> もはや、人間ではないのですから。
そんなことは聞いていません。
生命を破壊したら死ぬかどうかをきいているのですが。
375 :
宝珠愚者:2009/06/10(水) 10:22:30 ID:+BLywQmc
はーい、皆さんありました!
ニルヴァーナとは、やはり「常住(常恒)の場所」のことでしたね。
無常なる世界からの解脱を説くのですから、
ニルヴァーナが常住世界なのは当たり前のことですねw
『生きものを殺すことなく、つねに身をつつしんで聖者は、不死の境地(クニ)におもむく。そこに至
れば、憂えることがない。(ダンマパダ225)
訳注:不死の境地---accutam tha^nam.直訳すれば「没することのない所」。accutan
ti sassatam
tha^nan ti akuppattha^nam dhuvattha^nam.(Comm.vol.V,p.321.)けっきょくニルヴァーナのことで
あるが、「常住の場所」「常恒の場所」と解していることに注意。』(中村 元訳)
376 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 10:23:57 ID:2fNqP8Zg
>>364 君がNirvanaを考えているのも、Nirvanaを認識するのも、アートマン
(生命)の機能としての五蘊。
アートマン(生命)がなくなったら、そのNirvanaとやらは、一体どうやって
認識するのかね。認識できなければ、あってもなくても、関係ないこと。
「死後の生命」とは、矛盾語法だから、使ってはならない。
377 :
宝珠愚者:2009/06/10(水) 10:29:39 ID:+BLywQmc
>>373 それは「主体」ではなく、「原因」のことです。
その原因を無明といってるわけです。無明が原因して転生する。
バラモンは輪廻の主体をアートマンとしており、仏教ではその解説を避けたのです。
形而上存在の議論には価値を見なかった。
ということです。
378 :
宝珠愚者:2009/06/10(水) 10:38:09 ID:+BLywQmc
>>376 誰も肉体は無用だの、生存を無価値だのとは述べていません。
この生存期間中に仏教と出会い、そして学び修行して、最終的には解脱していくのです。
今は肉体脳で思考の最中です。ニルヴァーナや死後についてね!
仏典は死後の意識を説いています。それが仏教。
あなたがそれを信じないのは自由です。
どうぞあなたは仏教を信奉なさらないで下さい。
379 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 10:53:23 ID:2fNqP8Zg
>>374 >では殺しまくってる人に対して教え諭してはならないというのですね?
もちろんです。殺されないように、自分の身を守ることです。
イエスの、「敵を愛せよ」の教えは間違い。まず「敵」という言葉で
敵意を作り出しておいて、「愛せよ」などと「命令」したら、相手は
葛藤状態になり、かえって、「敵」に対し、憎悪と殺意さえ抱くように
なります。イエスは、「すべての人間は神の子だから、本当の敵など
いない」と教えるべきだったのです。
ちなみに、敵を最も憎むのが、イエスであり、クリスチャンです。
「右の頬」の教えも間違い。相手も、「自分は正しい」と信じて右の頬
を殴ったのです。その相手に左の頬を差し出すことは、明らかな挑発行為、
相手に対する侮辱の行為であり、相手は激昂して、さらに殴りかかると
いう結果になるでしょう。
キリスト教の中心教義である、「(自分が)人にして欲しいことを、人に
しなさい」からして誤り。これでは「エゴの押し付け」以外の何物でも。
クリスチャンは、このイエスの教えを信じて、「自分のして欲しいこと」
即ち、イエス信仰を人にもするために」、他国を侵略し、異教徒の改宗
を迫り、応じない者は皆殺しにしたのです。
東洋では、「己の欲せざるところを人に施すこと泣かれ」と、否定形を
用いる。法句経でも、「己が身にひきくらべる」が、「殺してはならない」
と否定形です。ユダヤ教でも否定形です。この、肯定形と否定形との間の
巨大な意味の相違を、イエスは、そのエゴゆえに、気付くことができな
かったのです。
生命を破壊すれば、死ぬに決まっています。揚げ足取りに終始しないで、
言わんとすることの意味を、すこしは自分の頭で考えたらどうですか。
380 :
宝珠愚者:2009/06/10(水) 10:55:20 ID:+BLywQmc
ちゃんと書いてあるでしょ!
>>375 経文はp41-42/訳注はp113
参加者の多くは持ってるでしょ?
中村 元訳『ブッダの真理のことば/感興のことば』岩波文庫刊
>>377 アートマンは、無明の影響下にあって輪廻しているということですか?
無明が輪廻を起こしており、無明がなくなったとき輪廻が終るのであれば、
無明が輪廻の主体ではないのですか?
382 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 10:59:34 ID:2fNqP8Zg
383 :
宝珠愚者:2009/06/10(水) 11:06:11 ID:+BLywQmc
>>379 まるで、グレまくってる非行少年のようで卑屈ですね!
イエスは、「すべての人間は神の子だから、本当の敵などいない」と教えましたねw
「右の頬」の教えは、イエスの教えを理解するための喩ですよ!
「エゴの押し付け」は嫌がられる行為です。
自分がされて嫌なことはするな、と説いたのだから、
つまりは、正しいじゃありませんか!
384 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 11:09:40 ID:2fNqP8Zg
>>378 >今は肉体脳で思考の最中です。ニルヴァーナや死後についてね!
生命を以って、生命のなくなった後を考えることの矛盾に気付いて
ください。死後とは、生命による認識や思考が、全く通用しない世界
なのですよ。現世でいくら考えても、無意味なものです。
生命で考えるNirvanaや「死後の世界」は、あくまで「現世」のものと
しなければ、収拾がつきませんよ。
385 :
宝珠愚者:2009/06/10(水) 11:11:09 ID:+BLywQmc
>>381 難しい話じゃないです。
主体とは、何が輪廻するか?ということです。
原因は意識の焦点であり、それを無明といっている。
主体をバラモンはアートマンだと説いた。
ゴータマは主体を明らかにせず、単に縁起を説いた。
>>379 > >では殺しまくってる人に対して教え諭してはならないというのですね?
> もちろんです。殺されないように、自分の身を守ることです。
相手を捕え、こちらに身の危険がない状態になった上でも、
教え諭してはならないというのですね?
> なります。イエスは、「すべての人間は神の子だから、本当の敵など
> いない」と教えるべきだったのです。
なんのつもりです? ついさっき、自分の身を守るべきだと言っていたではないですか。
敵などいない、などといって防御もしないのですか?死にますよ?
> 生命を破壊すれば、死ぬに決まっています。揚げ足取りに終始しないで、
> 言わんとすることの意味を、すこしは自分の頭で考えたらどうですか。
妄想を排除するための、手順を踏んでいるだけです。
> 即ち、内心の神(生命という神の分身)を破壊したため、収拾が
> 付かなくなってしまったのである。
生命を破壊したら死ぬわけですよね?
イエスは自分の生命を破壊したのですか?
それとも他の人の生命を破壊したのですか?
この文章はどういう意味なのです。
387 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 11:19:00 ID:2fNqP8Zg
>>383 >自分がされて嫌なことはするな、と説いたのだから、
まだ気付かないのかね。イエスは、「自分が人にして欲しいことを、
人にも『せよ』」と言ってるのだよ。「相手がいやがることを『する
な』ではない。「『相手が』して欲しいことをせよ」でもない。
聖書でさえ、さすがにこのイエスの誤りには気付き、最後の部分では
訂正しているらしい。
>>385 > 主体とは、何が輪廻するか?ということです。
お話をうかがう限りでは
無明が輪廻しているようにしか思えないのですが?
389 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 11:34:56 ID:2fNqP8Zg
>>386 >相手を捕え、こちらに身の危険がない状態になった上でも、
>教え諭してはならないというのですね?
そうです。相手の「内なる神」が回復してくれることを待つだけです。人間が
神に「教え諭す」ことなどできません。
>なんのつもりです? ついさっき、自分の身を守るべきだと言っていたではないですか。
>敵などいない、などといって防御もしないのですか?死にますよ?
相手に対する憎悪のためではなく、自分の「生命」という内なる神を守るため
です。
>妄想を排除するための、手順を踏んでいるだけです。
「妄想」の定義は、「実在しないものが、実在する」「実在するものが、実在
しないと信じ込む」ことです。
>生命を破壊したら死ぬわけですよね?
>イエスは自分の生命を破壊したのですか?
>それとも他の人の生命を破壊したのですか?
>この文章はどういう意味なのです。
イエスは、必ず処刑されるに決まっている「父なる神の冒涜罪」を犯し、己の
生命を破壊しました。その誤った「愛の思想」により、無数の他者の生命を
破壊しました。
>>389 > そうです。相手の「内なる神」が回復してくれることを待つだけです。
内なる神って生命のことなんでしょう?
回復ってなんです? 元は大丈夫だったけど壊れたとでもいうのですか?
> 相手に対する憎悪のためではなく、自分の「生命」という内なる神を守るため
> です。
心なんて関係ないんでしょう?
行為だけにしか善悪はないんじゃなかったんですか?
「〜のため」などという感情的理由に意味などないんじゃなかったんですか?
> イエスは、必ず処刑されるに決まっている「父なる神の冒涜罪」を犯し、己の
> 生命を破壊しました。その誤った「愛の思想」により、無数の他者の生命を
> 破壊しました。
言いたいことは分ったけど、元の文からこうは読めませんよ。
391 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 11:57:06 ID:2fNqP8Zg
>>390 まあ、聖書という「人為」を捨てて、公園で小動物でも観察しながら、前の諸レス
レスからの意味を、ご自分でゆっくりと考えてみてください。
大昔の人間が書いたちっぽけな聖書からではなく、すべての人間と自然という
「一大聖典」から学ぶことです。
392 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 12:31:10 ID:6yYgKrKh
般若心経は人気が高く、日蓮宗を除く、大乗の各宗派が受け入れている。
それこそ修験道にも神道にもこれを読む人々がいる。
もともと大乗経典・大般若経600巻を、
だれかが自分の理解したままに要約したものであり、経典ではない。
現在流布している般若心経は玄奘三蔵訳による。
その最古のサンスクリット本は驚くことに法隆寺が所蔵している。
中国では翻訳が終了すると原本を廃棄するのに原本があるのは異例である。
さらにその原本が日本にあるとなれば異例中の異例。
393 :
一在家:2009/06/10(水) 12:35:34 ID:BqsCEuHB
>>368 >> 前世が仏の仏が存在します。 出典「大本経」
>出典詳しくおしえてください。
>たとえば「ヴィパッシン仏は兜率天から下生し」と書いてありますが、
>この場合は「後のヴィパッシン仏」が菩薩だった時に下生したという意味のようですし、
>どこの箇所でしょうか?
あれー、出典は長部経典(春秋社)の中の「大本経」だと示しましたが。
確かに最初のヴィパッシン仏の前世は不明ですね。
続く6人の仏はヴィパッシン仏の生まれ変わりでしょう。
ただし、釈尊の前世は転輪聖王ですから、その前世かずっと以前に仏だったそうです。
バラモンの家に生まれた仏もおられますが、今手許に経典が無いので、2番目〜6番目の
仏の名前はアップできません。
>>391 質問に答えられなくなって逃げたということですね?
>>393 > 続く6人の仏はヴィパッシン仏の生まれ変わりでしょう。
> ただし、釈尊の前世は転輪聖王ですから、その前世かずっと以前に仏だったそうです。
> バラモンの家に生まれた仏もおられますが、今手許に経典が無いので、2番目〜6番目の
> 仏の名前はアップできません。
すみませんが、続く6人がヴィパッシン仏の生まれ変わりという箇所と、
釈迦の前世のどこかで仏だったという箇所の引用をお願いします。
般若心経で有名なのは、色即是空 空即是色
この対句の理解が、般若心経のポイントになっている。
色がこの現実そのものなら、この現実が空、実体がないことになる。
しかしそういった理解は正直、困難であり、不可能である。
般若心経が正しければ、この理解はどこかか誤っている。
あるいは、般若心経自体に誤りがあることになる。
397 :
一在家:2009/06/10(水) 13:07:00 ID:BqsCEuHB
>>378 >今は肉体脳で思考の最中です。ニルヴァーナや死後についてね!
本当は「今はアートマンで思考の最中です。」と言ってよいでしょう。
第一義か第二義で伝えられない相手には言葉を選ばれるのも分ります。
さて、哲学板でニューロンの記憶について質問しましたが、的外れ
の回答でした。
ニューロンも遺伝子も繰り返された刺激による変化は可能ですが、
たった1回の刺激での記憶は苦手なのです。
398 :
一在家:2009/06/10(水) 13:07:57 ID:BqsCEuHB
サイ科学会では、アートマンは分子、電子でない素粒子によって構成
される情報系モデルと仮説しておりました。
人間の日常行っている情報処理量から逆算して、一線の科学者が
幽子情報系(アートマンの一部?)の存在を仮定した訳です。
脳の電子情報系と遺伝子のアミノ酸情報系とはそのインタフェースか
固体メモリに過ぎないというモデルです。
アートマン情報系が活動しますと、対応する脳の電子情報系が活性化し
その結果として脳波計にて活性箇所が特定できる現代です。
色即是空 空即是色
竜樹は、中論18.7で「心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。
真理は不生不滅であり、実にニルヴァーナのごとくである。」と、
空が心の話であり、言語の話であることを語っている。
それゆえ竜樹には、この現実が空であるという認識はない。
般若心経が竜樹の空を説くなら、色はこの現実であってはならない。
空とは、あれがあるからこれがあり、これがないならあれもない、である。
素粒子によって構成されているなら、縁起しているということになり、
常住ではなくなりますね。
401 :
一在家:2009/06/10(水) 13:15:31 ID:BqsCEuHB
>>395 >すみませんが、続く6人がヴィパッシン仏の生まれ変わりという箇所と、
>釈迦の前世のどこかで仏だったという箇所の引用をお願いします。
はい、週末に調べておきます。
>親切な宝珠氏へ
コピーされた中に「大本経」があれば、ご紹介いただければ幸いです。
それから、法華経にも「釈迦は前世のどこかで仏だった」という記載が
ありましたね。
>法華経に帰依された方々
どの品に記載があるか、ご紹介いただければ幸いです。
大乗仏教はこの板では軽視されがちですが、法華経の編集者は第一義も
よくご存じで、さり気なく経典の中にアソートされています。
色即是空 空即是色
たぶん大般若経は、竜樹と同じような空ではないかと推測する。
これを要約した般若心経は「観自在菩薩・・・般若心経」である。
内容は「自らを観じれば菩薩あり・・・それは般若の知恵である」
これが、般若心経の文脈であり、前提であり、大枠である。
こういった視点から眺めれば、色はこの現実そのものではない。
色とは、<心>に映じたイメージや言葉であり、現実の影である。
今更唯識でっか。
405 :
一在家:2009/06/10(水) 13:38:30 ID:60UtPEnK
>>400 >素粒子によって構成されているなら、縁起しているということになり、
>常住ではなくなりますね。
我々が真空だと思っていた空間に素粒子(または波)が充満しております。
それらの構成により智情意を生みます。
その組み合わせの相は変化するでしょうが、肉体の死滅とともに消え去る
ものではないという情報系モデルだったと記憶します。
色即是空 空即是色
色を現実そのものと理解すれば、この現実は空であり、
犬も猫もリンゴもバナナも空であり、どれもこれも等しいことになる。
そしてこの空が、この現実に区別を持って現れたという話なのだろう。
しかし、そんな風に考えても無意味だろ、というのが常識だと思う。
こういった理解の仕方は、この現実をまず肯定し、
この現実を空で解体し、犬=猫=リンゴ=バナナにしてしまう。
しかしこのプロセスには肝心要の<縁起>がない。
それゆえ、こういった理解は空を語ってはいるが、
縁起を欠いているから空ではなく、空をはずせば単なる<唯物論>である。
縁起が空なのであり、縁起していないものを空とは言わない。
色即是空 空即是色
この色をこの現実であると
般若心経が説いているのであれば般若心経が誤っている。
そうでないなら、そう理解する読者が誤っている。
色を現実そのものとする理解は、空を隠れ蓑にした<唯物論>である。
なぜなら縁起が消えている。関係性は縁起ではない。
>>309 なに火病ってんだよ。
あのさ、賢い人は、その人の文章力をどうこうより、
話の内容を読み解き、その人が何を主張しているのかを
考察するものだ。お前はくだらないんだよ。
お前らの断滅唯物末法仏教は意味が無い。
教義面も特に中論かぶれの馬鹿者共のほとんどは
単に言葉遊びだけで、本質的にはまったく意味の無い者だし。
結局あれこれもっともらしい能書き垂れても、君らの末法仏教
結論はこの世は気の持ちよう。で終わる話だ。そんなのでは宗教やる意味もないし、
現代の心理カウンセラー、自己啓発セミナーなどが君らの末法仏教よりよほど
有意義な結果をもたらすだろう。
ところが我々の仏教は、”それ” が本当にあるなら、大変意味のあるものである。
それは朽ちない宝。
我々一人一人の人生は、彼の人生そのもの。我々の体験は皆彼の体験。
我々の歴史は彼の歴史。ゆえに、History。
ゴータマは晩年言った。
「ああ、この世はなんと美しく、人間の命はなんと甘美なものなのだろう。」
君ら末法仏教徒は、なぜゴータマが、この世の生存は苦しみでしかないと説く傍ら
最晩年にこのような今まで自分が説いてきたことと矛盾することを言ったのか?
永遠にわかるまい。
人の命とはなんと甘美なものか。このかけがえの無い宝を、失ってはならない。
失ってはならないのだ。
言葉遊びって、お前の頭が悪くてりかいできないだけだろ。
そもそも、まともに中論よんでないだろ。
アホウ。
>>310 おまえら末法仏教徒よくいうだろ。
形而上のことをいくら語っても、それは戯論にしかならないと。
ならば業法輪廻転生を筆頭に、いくらでも形而上のことを語っている
ゴータマも戯論を語っていることになり、お前に言わせるとゴータマの説法も
中身が無いということになるだろう。という話をしてるんだよ。
ところがお前は、俺の作文力を問題にし、その作文力から中身がスカスカだとか
抜かしてきた。下手な文章でも内容を読み取れる
賢い人ならわかるが、形而上のことをはなから否定し、形而上のことを
話すだけで戯論認定で、中身がないというレッテルを貼る人達でなければ、
十分中身のある話をしてるんだがな。俺の話はどこまで言っても
本質的にはまったく意味の無い、所詮は言葉遊びでしかない君らの戯論とは違う。
>>314 お前は人の話をまったく理解していない。
それは見方を変えると、無為でもあり、見方を変えると、有為でもある。
それは見方によれば、無でもあり、見方によれば、有である。
それは、見方によれば無自性であるが、見方を変えると、自性でもある。
あれだけわかりやすく夢の例え話で話してあげたのに、わからん奴はいつまで
たってもわからんものだ。
あとあんたの上げた、滅尽nirodha/離脱・寂滅nibbuti/解脱mokkha/解脱vimutti/脱mutti/
等々の文字。これらはその境地いたるとは、その境地とはをいろいろな言葉で表現している
とこで、仏教を理解するものなら別段問題にするものでもない。ただお前が、なんとか不生不滅
などを否定したいがために、何か気になる単語を羅列しただけだろう。あのよ、それらの境地が、
不生不滅の涅槃なんだよ、ば〜か。
>>328 仏典には、形態は何によって成ると言ってんだよ。
ちゅうか識別は何によって成り、その何は、何によって成ると言ってんだよ。
それがわかれば、俺の「言」の話は、ゴータマの仏説に繋がっていくことを理解する。
知っていて、理解できないのなら、その人には智慧が無い。
ところでおまえスッタニパータも読んだこと無いの?(苦笑)
ま、「言」と男と女。ブラフマンと創造神。そして無知と知恵。
この辺の話は君らにはもったない話だ。豚に真珠を投げてしまった。
「一」と「男」と「女」。「言」と「霊」。そして知恵。これらを理解すれば
なぜイエスが自分の存在以降、自分がこの世から(形態上)いなくなっても聖霊を
つかわすと言ったのか。そもそも聖霊とはなんなのかを、理解するだろう。
スッタニパータ
7 想念を焼き尽くして余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、
この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである
231 [T]自身を実在とみなす見解と[U]疑いと[V]外面的な戒律・誓いという三つのことがらが少しでも存在するならば、
かれが知見を成就するとともに、それらは捨てられてしまう。
かれは四つの悪い場所から離れ、また六つの重罪をつくるものとはなり得ない。このすぐれた宝が<つどい>のうちに存する。この真理によって幸せであれ。
477 自己によって自己を観じ(それを)認めることなく、こころが等しくしずまり、身体が真直ぐで、みずから安立し、
動揺することなく、疑惑のない(全き人)(如来)は、お供えの供物を受けるにふさわしい。
502 『これは(わたしの)最後の生存であり、もはや再び生を享けることはない』ということを、
この世で如実にしっている人々がいる。──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。
523 サビヤがいった、「諸々の目ざめた人(ブッダ)は誰を<田の勝者>と呼ぶのですか?
何によって巧みなのですか? どうして<賢者>なのですか? どうして<聖者>と呼ばれるのですか? 先生! おたずねしますが、わたくしに説明してください。」
524 師が答えた、「サビヤよ。天の田・梵天の田という一切の田を弁別して、
一切の田の根本の束縛から離脱した人、──このような人がまさにその故に<田の勝者>と呼ばれるのである。
525 天の蔵・人の蔵・梵天の蔵なる一切の蔵を弁別して、
一切の蔵の根本の束縛から離脱した人、──このような人がまさにその故に(巧みな人)とよばれるのである。
ちなみに漢字の成立にどういう人達がかかわったのか知らないけど、
漢字って面白いよね。
「人」ってあるだろう。これは「一」と「一」が寄り添い「人」だ。
男と女は一つで、「人」なんだ。もちろんここでの「男」「女」は、生物学的な
オス、メスのことではない。
そういえば英語のOne。これは数字の「一」といういみでもあるが、
ここの翻訳サイトで翻訳してごらん。面白いから。
http://honyaku.yahoo.co.jp/transtext 「一」とは、「人」のことである。
漢字のみならず、我々の会話に使う言語の成立に、いったいどんな人達が
かかわったのか、激しく興味がある。
>>329 おまえ、アートマンも縁起しているという宝珠氏の話を理解
できなかったんだろ。だから俺が猿にでもわかるように、話してやったんだよ。
それでもこの人は、こんなことを言っている。
>「アートマンも、一切の内であり、現象世界のことであり、無為ではなく有為にカテゴライズされる」わけですね?
>「“有為なる(≒縁起する)アートマン”は、“無為なる涅槃”とは一線を画す」のですね?
全然人の話を理解していない。
>>335 そいつはどうも。2chで語るのはよそうと思っていたのですが、聞く人がいると
話したかいがあるというものです。でもひかえないと。ここで真理を語るのは、豚や犬共に
真珠を投げるようなものですからね。
>あと旧7さんの仏典の読み方は、はじめに自分の信じる唯物仏教ありきで、
>唯物仏教にあわない文言はあれこれ粗を探し、そうとれなくもないという曲解をして、
>自分達の唯物仏教に無理やり合うように解釈するというもので、根本的におかしいと思います。
その通りだと思います。賢い人は、仏典を読むにも余計なフィルターを通さず、
ゴータマの教えとはなんだったのかを素直に探ります。だがここの末法仏教徒達は、自分達の
エゴに見合うように、内容を曲解して読みます。ここに大きな違いがあるのでしょう。
そういえば仏典には、邪見とは、己のエゴが巻き起こすといったことが書かれているのを
読んだ覚えがあります。まさしく彼らのことでしょう。
アートマンがエゴだよ。
お馬鹿さん。
日本語でもギリシャ語でもそうだが、年代を追うに従って、
合理的機能的になり、音と意味との結びつきは減少していく傾向にある。
古代のギリシャ語は、ただ普通に話すだけで歌になっていたという。
古代の日本語には一音一音に神が宿っている。
たとえばカは神を表わす。ミは、流動する精神性を表わし、かつ
神の宿る場所をも意味する。つまりカミとはこの世に顕現した神性のこと。
ひとついえるのは古代の言葉は、それ自体が非常に呪術的であって、
全体としての整合性が妙にとれているということ。
宝珠さん。ゴータマがなんとかアートマンを説いたという文言を
仏典からみつけられないかとのことですがこれなんかいかがでしょう。
>生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
>もしも生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、
>生じたもの、生成したもの、つくられたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることはないであろう。
>生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
>生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることがあるのである。
>『ウダーナ』8章3節<不生不滅>
生じたものは生成されたもの。形成されたものとは無常であり、無我であるものです。
生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
とは無常であり無我である生じたもの。形成されたものの反語であるから、無常、無我の世界の
傍ら、恒常で、アートマンともいえるものもあると、ゴータマは説いたとみるのが自然でしょう。
ま、ここにいた中論バカは、上の文言を。これは生じたもの、生じないものの中道を
語っているんだべ〜と、お得意の本質的にはまったく意味のないただの言葉遊び出しかない
戯論にしてしまっていましたけど、彼は、言葉遊びを得意げに語っているのも気づかない
脳障害の持ち主のようですから、相手にする価値はないでしょう。
実は大乗仏教は呪術的側面の強調により、原始仏教から異なってきているのである。
霊力を得ようとするなら、まず、無我及び無欲は必須項目。
故にこれを軽視するものは修行者として未熟なことがすぐわかる。
ところで宝珠氏がいままで、仏典に記載されている無常を説くゴータマの説法を
ここに引用してくれてただろ。それらの説法は、要約すると、この形あるものこれらに
付随してある我々の意識も、常住ではない。アートマンでもないと言い回しで説法
していることに注目。それらのものはアートマンではないという言い回しは、
アートマンはあるのだけれども、きみらがアートマンと思っているこの現象世界違いますよ
といっているようなもんなんだよ。ゴータマは説法のとき、アートマンは存在しない
とはいわない。必ずこの現象世界を指して、それらのものはアートマンではないという
言い回しで説法している。賢い人はそこで感づくんだよね。なんでこれらのものは
アートマンではないですよといっているだけなのに、アートマンなど存在しないと
説いたになるのか、意味不明。末法仏教徒達の迷いは深い。というより、この人達は
違う人達なんだと思う。
422 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 15:36:20 ID:chJBujo/
瞑想してない、禅定体験もない、経典もろくに読んでないってことだと
無理もないよ。
「まだその段階」というだけのことであって、論理的思考は身についている。
欲界の一切をさして、それらは無常であるといってるけれども、涅槃について
物質世界の理屈で理解できるはずもない。
423 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 15:37:18 ID:chJBujo/
少なくとも、実社会生活においてオカルトに引っかかるようなことは
ないだろ。
そういう人たちなら。
>>417 バカは貴様だ。
エゴとは、自我(肉の)のことを言うんだよ。
それを生み出すのが、エゴイズム(利己心)
エゴイズム(利己心)を滅ぼす道は、エゴ(肉の自我)を再び
再生させない道でもある。それは善の修行の完成の道でもある。
おまえの善悪の知恵は、世俗の価値判断でいくらでも変わる
世俗の善悪で、勝義ではない。社会科の先生の話す善悪の話して変わらない
レベル。イエスの教えとは、月とすっぽんだ。お前の話は宗教的には
まるで価値も無く、真理も無い。ちゅうか
ゴータマは、今の私を認識している自我は、アートマンではないと
言ってるんだよ。おまえ仏教を語る上で、根本から間違ってるんだよ。
ちゅうかおまえ相手にしてないし。おまえはレベルが低すぎる。
宗教板で真理を語る器でもないし、智慧も無い。
ただ凡夫の知恵を得意げに語っているだけ。
425 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 15:37:54 ID:chJBujo/
カラスが力んで罵倒してもどうしょもないだろw
426 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 15:39:20 ID:chJBujo/
しかし、そもそも釈尊はアートマンに至れなどと言ってない。
「貪り、怒り、無知のないこと。それが涅槃です」と言ってる。
カラスのやってることも、無益な論争じゃないのか?
427 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 15:40:20 ID:chJBujo/
>>424 >エゴとは、自我(肉の)のことを言うんだよ。
なんだ。
きみも初禅すら知らないんじゃないか。
自分的には、アートマンは仏性のことで、
見性するということが真我に目覚めるのと同じことを意味しており、それが悟りなのかと思っていたんだが、
どうも仏陀のいっている涅槃はそういう話ではないように思う。
見性しようとしまいと、自分の苦しみを背負い、そこにある煩悩をただ焼き尽くしていくだけで、
それ以外のことはないんじゃないだろうかと。
430 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 15:43:39 ID:2fNqP8Zg
>>414 >「人」ってあるだろう。これは「一」と「一」が寄り添い「人」だ。
「一」と「一」とが寄り添えば、「二」だろ。単純な計算間違いw。
「人間」とは、「人」と「人」との「間」の関係。即ち、「縁起」「相対」
の関係。
「絶対(一)」は、排斥・破壊の構造。「相対(多様性・関係性)」は、
「受容」と「生成・創造」の構造。
軽薄にも、イエスのエゴで狂った君が、何を言っても無駄。自分の気に入
らない人間を、「豚」呼ばわりするイエスや君が、「豚」なのである。
432 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 16:00:20 ID:2fNqP8Zg
>>396 >色がこの現実そのものなら、この現実が空、実体がないことになる。
>しかしそういった理解は正直、困難であり、不可能である。
君は、釈迦が、現実と空想との区別が付かない「妄想患者」だったというの
かね。
妄想にならないために、「空即是色」をちゃんと付け加えているではないか。
君の言うとおりなら、「色即是空」だけでよかったはず。「色」とは、文字通り、
五感で知覚できる世界、即ち現実界。そうでなければ、「色」という言葉は、
初めから不要。「空即是空」だけでよい。
狂気とは、「現実との接触の喪失」と定義される。
>>422 おまえ偉そうだな。レスつけるときはちゃんとアンカーつけろよ。
おまえ頭いいんだろ(苦笑)
お前らの中論はただの言葉遊びだ。それすら気づかない。おまえ、頭いいんだろ?
おまえ禅系の人か?そういや禅坊主が、偉そうに2chで能書き垂れてたわけよ。
でその坊主に聞いたわけ。「和尚、涅槃に入るのには、我々はどうすればいいのですか?」
ってね。そうすりゃくだらない禅の能書きなんか言ってたよ。で俺は言ったわけよ。
「お答えありがとうございます。僕は八正道だと思いました」と返事を返したら、その和尚
切れちゃって、知っているなら、初めから聞くな、八正道なんてのも迷いだ!
なんていってるわけよ。八正道すら迷いとは、いつから禅坊主はゴータマより偉くなったんだ(苦笑)
今の仏教徒はある意味気の毒だな。支障がこの程度で。
ちなみにお前らがいくら座ろうと、いくら禅定だの、見性だのといったところで、全て脳内現象だ。
おまえらはいくら座っても悟れないよ。君らは決定的なところがかけている。ゴータマも必死でしたことを
君らはしない。君らはいくら座っても悟れない。単なる脳内現象で、えらそうに語るなよ。
いまから仕事だ。帰ってきたら相手してやってもいいぞ。名前も名乗れないチキンが。
434 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 16:11:54 ID:o7ODpfV0
>>331 >そういう極論ではなく、宗教で語られることの、どれが正しくてどれが誤っているかを、
論理的に体験的に明らかにすることではないですか。
君の目は、オガクズだらけですか?
既に、ご隠居氏が何回も根気よく論理的に明晰に分析研究指摘されてま〜す。
残〜念でした いつもソラシと逃げと誤魔化しばかりの無回答〜(笑
☆★☆
人
(__)
(__) 政治家の収賄事件の真相教えてね!! ★
('(・∀・/゙゙) 横田めぐみさんの消息教えてね!! ☆
ヽ / 世界中の暗殺事件の真相教えてね!! ★
) (⌒))
(,__,ノ゙´´
435 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 16:16:17 ID:2fNqP8Zg
>>394 >質問に答えられなくなって逃げたということですね?
通常の知能のある人が、聖書を捨てて、ちょっと考えれば判るような質問には
答えないということです。残り少ないw人生の、貴重な時間の無駄だからです。
>>429 竜樹の中論と、お前らの中論は違うんだろう。
おまえらは竜樹の中論さえ正しく理解することなく邪見してんじゃねぇの。
ま、いい。あんたに議題をあたえておこう。
>エゴとは、自我(肉の)のことを言うんだよ。
>なんだ。
>きみも初禅すら知らないんじゃないか。
この辺を詳しく解説してみな。恥かかせてやるからよ。
帰ってくるまでに逃げないで答えとけよ。
>>435 お前の相手が一番時間の無駄なんだがな。
>>433 残念だなW
ちゃんと臨在に入門したら、
毎日棒で殴られてたのにな。
禅に言葉などいらぬよ。
座るか、拳で殴るか、棒で殴るで十分。
言葉遊びだってW 禅が不立文字であることも知らぬとは。
笑えるのうW
>>428 だからさ、その程度の話なら、現代の心理カウンセラーで事足りるって
言ってんだよ。本当にこいつら馬鹿だよな。馬鹿につける薬は無しとはよくいったものだ。
>>438 お前らの普段の能書きはただの言葉遊びだろ。
あと詭弁な。不立文字の意味知って言ってんの?
おまえらにかかると、不立文字という単語も詭弁の道具になるからな。
聞かれたことに答えとけよ。
>>436 心と体を一つにできないんだよねえ。
このド素人が。
>>433 訂正
×「お答えありがとうございます。僕は八正道だと思いました」
○「お答えありがとうございます。僕は八正道だと思っていました」
443 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 16:26:21 ID:2fNqP8Zg
>>439 カラス氏は、禅をやって、まず「イエスのエゴ」から離脱することだな。
効果なかったのかw。それとも、イエスが抜けるのが恐いから、禅が
やれないのかw。
>>439 その程度とかって気楽にいうけど、
カウンセリング受けたくらいで煩悩が尽きるとは到底思えんのだがな。
繰り返していうけどさ、アートマンを自覚してそこからのメッセージを受け取れるようになっても
多少人生の効率化が図れるだけで涅槃にはほど遠いだろうって思うんですよ。
>>428 焼き尽くすのではなく、吹き消すことをニルヴァーナといっています。
「涅槃」、ニッバーナといいます。「涅槃」はパーリ語の音写であり、
漢語では「滅尽」などともいいます。
この世を諸行無常・諸法無我という言葉で表し、
煩悩の炎を吹き消すことによって、得られる境地、
これを涅槃寂静といいます。
まあ、涅槃寂静がアートマンと定義するなら、いいのですが、
バラモン教ではアートマン(魂・自我・自分)が教義(梵我一如)としてあるので、
釈迦はアナートマン(無我)としたのでしょう。
ここが仏教の最大の混乱のもとだと思います。
ゆえにインド・バラモン教から離れ中国に仏教がわたった時に
涅槃経や法華経が中心となる仏教が成立したのではないでしょうか。
>>435 なにが聖書を捨ててだよ。最初から持ってないよw
お前さんが答えられないのもキリスト教のせいにするつもりかいな?
447 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 16:40:57 ID:2fNqP8Zg
カラス氏と宝珠愚者氏とを預かってくれる禅寺はないのですかね。
禅は、下らない「観念」から脱却するするために、効果があると聞いていますが。
お二人には、曹洞宗と臨済宗との、どちらがお勧めですか。
曹洞宗。
449 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 16:46:46 ID:2fNqP8Zg
>>448 >曹洞宗
有難うございました。実は、自分もそう思っていました。
カルト宗教は、白隠は引用するが、道元は絶対に引用しませんw。
>>449 キミも自分の脳内からイエスとキリスト教という言葉が
消えて無くなるまで座り続けるといいよ。
453 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 17:59:22 ID:2fNqP8Zg
>>452 その書き込みが、きみがクリスチャンであることを証明している。
私は、イエスで狂わされてはいないからこそ、いくらでもイエスを批判できる
のだよ。
イエスは絶対に批判できず、すべての責任を「他の人間」に押し付けることが、
クリスチャンの証明。
この世の悪は、すべてイエスのせいにしておけば、ほぼ間違いないw。
454 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 18:27:24 ID:on2gln+3
>>451 カラスさんは随分前からみてますけど、仏教の基本的な思想は
よくわかっていると思いますよ。むしろ知らないのは
般若心経はよく知っているが、原始仏典はろくに読んだこともい禅系の人に多いと思います。
涅槃に至るにはどうすればいいか?というカラスさんの問いに、
八正道と答えられなかった禅宗のお坊さんの話は、そのいい例でしょう。
禅宗は、釈迦様の仏教とは違うものだと思いますよ。
>>454 禅宗の具体的などういった処が
仏教とは違うとおっしゃるのですか
456 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 18:45:05 ID:9mgfxRwG
>>419 不生不滅は縁起のことだよ。
有為と無為の相依関係としての縁起だね。
457 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 18:48:39 ID:on2gln+3
>>457 諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教。
459 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 18:53:14 ID:9mgfxRwG
>>454 >禅宗は、釈迦様の仏教とは違うものだと思いますよ。
何もって仏教とするか仏教の必要十分条件がよくわからないから
禅宗が仏教かあは決めかねるね。
でも、確かに禅宗では「教外別伝」とか「不立文字」というから釈迦様の
遺言である大パリニッバーナ経からは相当ずれてるね。
師匠から弟子へ世襲されるのも違うところだ。
一休禅師の掛け軸にはこのようなものがあります。
ダンマパダですね。
461 :
一在家:2009/06/10(水) 18:54:25 ID:0v7B7ODd
>>453 >イエスは絶対に批判できず、
私もイエス様には敬意を表し、批判していないつもりです。
ただし、今日のキリスト教の状態をもたらした原因を「ヨハネの福音書の編集者」と
仮定しております。
「自称イエスに(最も)愛された弟子」ですが、ヨハネが自意識過剰なことを書く筈は
ないと思うからです。
あと、「ヨハネの福音書」を担いだエイレナイオス、アタナシウスにも原因があります。
でも、彼らのことは当時迫害と分裂の危機に直面したキリスト教を救う為に、
方便で「イエス=神自身」としたのであれば、釈尊が衆生済度の為に第一義や第二義で
法を説かなかったのと似ているなと思っております。
>>459 残念ながら、本当の禅宗の実態というのは、
入門して室内に入り、師家から印加をもらわないとわからないのです。
臨済宗ならなおさら。
私が推測しますに、日常の生活態度などを、師から弟子へと見習いで
覚えようというものです。
いくら本を読んだ所で実際の生活が悲惨だと、何の意味も無い。
そういう意味での、不立文字、教外別伝だとおもっています。
463 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 19:07:28 ID:kc167CfX
>>418 興味深い話、ありがとう。
>>428 >自分的には、アートマンは仏性のことで、
>見性するということが真我に目覚めるのと同じことを意味しており、
>それが悟りなのかと思っていたんだが、
ほとんどいいのだけど微妙にずれている。
アートマンは仏性ではない。したがって見性ではなく悟りのほうが適切。
また悟りとは、真我に目覚めるのではなく、アートマンを自分の目で見ること。
>自分の苦しみを背負い、そこにある煩悩をただ焼き尽くしていくだけで、
>それ以外のことはないんじゃないだろうかと。
悟りにいたる道は難行道である、という認識は正しいと思う。
釈迦は6〜7年、命がけの修行をしている。
空海も虚空蔵聞持法を命がけで修行している。
>>458 常用でない漢文でごまかさないで、
分かりやすい日本語で聞かれたことに答えていただけないでしょうか?
まさか日本語が不自由な人じゃないでしょ?
>>361 反社会的な宗教だからこそ規制されるのであって
宗教法人だから規制されるのではない。
法律は、決まりをつくらないと良識を守れない者のためにある。
よって、宗教法人法は伝統的宗教団体の保護のためにあってもよい
反社会的な宗教はいらない。
法律で規制すべき
>釈尊が衆生済度の為に第一義や第二義
第一義諦がでてきたのって大乗仏教からだろ?
もうそのころには仏説が煩雑なほどたくさんでてきて
まとめる必要があったから、教えに順序をつけた。
支那仏教もその典型だよな。教判が必ずいる
アートマンがあるって言ってる人は、神がアートマンをつくったと言うことでFA?
470 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 19:39:56 ID:kc167CfX
>>432 >「色」とは、文字通り・・・現実界。
>そうでなければ、「色」という言葉は初めから不要。
>「空即是空」だけでよい。
現実 → 空 → 現実 という無意味な頭の操作をしているだけです。
この空には<縁起>が欠けているので、竜樹の説いた空ではなく、
唯物論の単なる隠れ蓑です。これが世に言う空理空論です。
色即是空 空即是色 については、
>>392>>396>>399>>402>>406>>407 にまとめました。色=現実に関しては、
>>406>>407
471 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 19:59:30 ID:CKaw6nAp
>>1-470 自らの禅定体験に基づいて、正しくアートマンを論じて下さい。
現代の素粒子理論などに、空を見出している人たちもいる。
しかし釈迦や竜樹の時代には、素粒子理論などはなく、
こういった科学理論とは無関係に空が論じられたのである。
かれらは唯物論者ではなく唯心論者である。
この物質世界をいくら研究しても、心の執着が消えるわけではなく、
また物質ではないアートマンを見出せるわけでもない。
般若心経を漢訳したのは玄奘三蔵ですが、
かれはインドのナーランダ寺で5年間<唯識>を学んでいる。
だから心教が玄奘の<唯識の視点で検証されている>と考えてよい。
同じようなことは<十牛図>にもいえる。
これは唯識の悟りであり、空観を描いたものではない。
だから縁起の視点が抜け落ちている。
ねえねえ、ヒンドゥでも仏教でも、始まりのない過去から終わりのない未来を説くけど
ここのアートマン論者たちは神がアートマンをつくったということでFAなの?
475 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 20:23:51 ID:chJBujo/
神がアートマンを創ったなら、その神は何がつくったのだ?
どっから出てきたのだ?
という堂々巡りになる。
そういう思考では成り立たないし、説明できない。
悟りとは知識ではなく、体験であることを確認したほうがいい。
釈迦は読書ではなく修行に没頭して悟った。
空海も険しい山で体力をつけ、後に室戸崎の洞穴で勤念して悟った。
現代人にはこういった余裕がない。
しかしストレスの多い生活そのものが修行になっている。
それに昔より楽に貴重な情報が手に入る。
色即是空、空即是色はまあ、正確に言えば論理的じゃないよな
色受想行識のすべてが空であり、空がまたそれぞれであると言っている
論理的にとらえると、空=色=受=想=行=識となりそもそも識別することが無意味になる。
空を固定的にとらえるから、理解できない。
空は把捉できるものではないから仕方ないのかもしれんが
例えるなら、空とは内に無限の縁起生を抱えているがゆえに無自性であり
無自性であるがゆえに、境界がなく、ゆえにどんなものにもなる可能性を秘めているということだろうな
だから、固定的にとらえることもできず、かといってどんなところにも存在する。
一即多、多即一であると同時に
一即家、家即一、一即椅子、椅子即一、一即机、机即一である。
私が馬であり、馬がわたし、また私は鞭であり、鞭が私、馬が鞭であり、鞭が馬。
こう説明すれば誰でも理解できるのだろうけどな
それとも事事無碍法界と言ったほうがいいか
478 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 20:57:38 ID:RP1VzkE3
>>470 >この空には<縁起>が欠けているので、竜樹の説いた空ではなく、
>唯物論の単なる隠れ蓑です。これが世に言う空理空論です。
岩波仏教辞典の解釈では、縁起(関係性)は、「空即是色」に含まれている。
辞典くらい読んだ上の結論か。
>>453 > その書き込みが、きみがクリスチャンであることを証明している。
妄想キターーーwwwwww
いいか、イエスなんて(少なくとも聖書の形では)実在してないんだ。
あれは後代の人間が勝手に作った人物像でしかないんだぞ?
水を葡萄酒に変えたとかいう奇蹟とかも物理的にはありえんしな。
聖体拝領とかして、飲んだ葡萄酒が体内で物理的にキリストの血に変化するという説も
全く信じてない。
ここまで書いてもクリスチャンだと思うのか?
480 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 21:27:11 ID:RP1VzkE3
>>470 色即是空・空即是色:
「般若経の諸本にはこれと同類の表現が反復される中で、般若心経のこのフレーズ
は特によく知られる。<色>(rupa)は、いろ・かたちあるもの、現象する対象、
物質的な存在の総体をいい、一切を五蘊(五つの集まり)に分つその第一で、
たんに<もの>とみなしてもよい。
<もの>に関して、通常それが<そのもの>として実在しているという素朴な
日常的な考えを、このフレーズは根底から否定し、<そのもの>が現象し存在
しているとするのには、それを成立させる主体的・客体的なあらゆる諸条件が
十全に備わってはじめて可能であることを明らかにする。すなわち、<もの>
それ自体が実体として現象し存在するのではないことを<色即是空>といい、
また実体としてではなく、諸条件に支えられているからこそ、<そのもの>が
<そのもの>として現象し存在することを<空即是色>と説く。」
(岩波仏教辞典)
君の言ってることとは全く違うな。仏教徒なら、般若心経くらいはちゃんと
理解すべきではないのか。
481 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 21:32:15 ID:RP1VzkE3
>>479 >いいか、イエスなんて(少なくとも聖書の形では)実在してないんだ。
そうやって、聖書に書かれていない「真実のイエス」などを求める者の
ほうが、嵌り込みははるかに深いw。
482 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 21:34:17 ID:gg1jrENt
長々とくだらない議論をやっているが、ようは霊はあるかないかだろ?
釈尊が霊を認めているのはもうわかっただろ?
アンチ(唯物論仏教者)は見苦しい。
霊はあるかないか?
あるにきまってるだろ(笑)
>>481 真実のイエスってなんのことを言ってるんだ?
意味不明すぎて謎なんだが。
484 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 21:40:19 ID:RP1VzkE3
>>483 イエスを、「まともな格言おじさん」に仕立てようとする「Q資料」の
ことは知ってるだろw。
>>481 マジで意味不明なこと言い始めてるし、
はまってるのはお前の方なんじゃないか?
スターリンみたく、イエスの狂気に当てられて
唯物主義者になるバカがいるけど、お前もそのクチなんじゃないのか?
自己を知るとは、自己を忘るることなり
この後の言葉知っているかい?
自己を忘るるとは、万法(一切法)に証せらるるなり
自己を忘れ去って、空となったとき、世界そのものの中に自己があったと自覚されるということだ。
触れるものすべてに自己の存在が証明されるということだ。
>>484 Q資料なんて実在しないしな。想定されてるだけで。
イエスの実在さえあやしいのにQ資料を更に想定して
真実のイエスを探求とか、
もうどこまでイエスの実在を信じたいのか分らないわけだが。
なんでそんなにイエスが実在してる必要があるんだ?
お話の登場人物のひとりじゃいけない理由でもあるのか?
488 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 21:49:40 ID:RP1VzkE3
>>485 マルクスも、ヒットラーも、スターリンも、現在のアフリカの「民族浄化」
の首謀者も、皆クリスチャン。彼らの「悪」の起源は、イエスである。
北朝鮮の主体思想もマルクス主義だから、やはりイエスが起源。
ホロコーストのプログラムも、ほとんどそのまま、ルターが既に提案して
いる。
>>488 お前の近親者にもクリスチャンがいて、お前の狂気もイエスが起源だったりするんじゃないのか?
イエスには同情する。
しかし、弟子、パウロを除いて、みな大して知識もなかったものたちじゃないか
よくイエスを信仰しつづけたよな
まあ、パウロの教えしか残ってないから、信仰できなかったんだろうな
491 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 21:54:30 ID:RP1VzkE3
>>487 私は、クリスチャンが実在であると信じて止まない「聖書上のイエス」
を批判している。「聖書に書かれていない真実のイエス」の探求は、
「聖書上のイエス」に対する批判を逃れようとしているだけ。従って、
イエスに対する嵌り込みは、更に深い。
>>491 で、それが俺と何の関係があるんだよ。いい加減にしろよ。
この妄想野郎が。
八正道
正しいとは何か?考えたことがあるか?
正しいとは何か分かっていないと正しい生活などできるわけがない。
そして、釈尊はこれが正しい知識だと披露したかね
この凡夫に、正しいということはないと知れ、こう知ることこそが正しいことであると言ったまでだ。
これが正しいものだと執着して生きる、流転輪廻を繰り返す生存こそ、釈尊が戒められたものだ。
しかして、仮名人たる我らは、どう生きるのが無難か?世間の道徳に任せていきるまでだ
494 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 22:02:08 ID:RP1VzkE3
>>492 ホントのこと言って悪かったな。すまん、すまんw。
>>493 > 正しいとは何か分かっていないと正しい生活などできるわけがない。
それは合ってる。
> そして、釈尊はこれが正しい知識だと披露したかね
してるだろうな。それができないと八正道を示し、悟りに導くことができない。
> この凡夫に、正しいということはないと知れ、こう知ることこそが正しいことであると言ったまでだ。
それだけだったら八正道という言葉も残らなかっただろう。意味がなさ過ぎる。
> これが正しいものだと執着して生きる、流転輪廻を繰り返す生存こそ、釈尊が戒められたものだ。
それは合ってる。
> しかして、仮名人たる我らは、どう生きるのが無難か?世間の道徳に任せていきるまでだ
世間の道徳はむしろ破壊してるだろ。
カースト批判してるし、王家の仕事を放棄して出家するようにし向けてるし。
相当に反社会的なやつだぞゴータマは。
496 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 22:14:15 ID:RP1VzkE3
>>495 釈迦は、やたらに「正しい、正しい」と言うだけで(8回もw)、「正しさと
は何か」の定義は出来ていないと思うよ。原始仏典で、一番気になった点。だ
から、途中で読むのをやめた。
>してるだろうな。それができないと八正道を示し、悟りに導くことができない。
なら、八正道だけを説けばよかったろう。いろいろ例を出して、人を導いたのは
八正道が単に当時の社会生活上、心身を整える行為であったにすぎない。
まあ、それがために当時富裕層にしかひろまらなかったわけだが
>それだけだったら八正道という言葉も残らなかっただろう。意味がなさ過ぎる。
確かに精神の統一に不可欠な技術、教えはあるな。
正しいものはないと見るには、そう見るための方法を教えなければならないわけで
人間が種である以上、方法的に限定されるのはいたし方あるまいが
>世間の道徳はむしろ破壊してるだろ。
>カースト批判してるし、王家の仕事を放棄して出家するようにし向けてるし。
>相当に反社会的なやつだぞゴータマは。
サンガの生活においてだろ?それは
サンガの中までカーストをひいてはいないが、基本政治には無関心。
498 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 22:24:06 ID:RP1VzkE3
>>497 生まれたばかりのわが子を残して家出し、しかもその子には「悪魔」という名を
付けた。イエスほどではないが、釈迦も、「道徳の模範」ではない。
>>497 > なら、八正道だけを説けばよかったろう。いろいろ例を出して、人を導いたのは
> 八正道が単に当時の社会生活上、心身を整える行為であったにすぎない。
「単に当時の社会生活上」
ここの部分がわからない。
> サンガの生活においてだろ?それは
> サンガの中までカーストをひいてはいないが、基本政治には無関心。
つまり、世間の道徳に任せていきるまでだというのは間違い。
>>496 言語的に定義はできていないが、ゴータマ自身は
それを人に伝達することはできたということだと思うよ。
仏陀が亡くなって伝達力が衰えた時点から、
仏陀の神格化がはじまったんじゃないかと思うけどね。
空海の禅は今には伝わっていない北宗禅だろうから、真実は分からんが
谷響きを惜しまず 明星来影す
この禅体験は、谷の響きや明星の輝きに意識を向けているのではなくて
意識外、といえば御幣があるが、執着することなく、音や光が識別されている状態
音や光と自己が一体になっている状態を表したものだろう。
ちょうど、TVでピタゴラスイッチを見ているとき、となりの家で赤ん坊がないている声がするように
意識することなく識別されている世界がとつぜん目の前に現出して、
自分を強調するでもなく卑屈になるでもない光や音をそのまま受け入れている空海の境地を表したものだろう。
>>499 ああいえばこういうだなあ
>「単に当時の社会生活上」
>ここの部分がわからない。
八正道がすなわち真実ということではない、道徳規範ではないということだ。
学校にいくのに、自転車でいくが、自転車にのることが目的ではないだろ
>つまり、世間の道徳に任せていきるまでだというのは間違い。
真実を知るためにサンガは運営されているわけだろ?
サンガを知る上でみな平等に意見を取り入れる。当たり前の話だ。
政治からきりはなされているわけだから。
だが、サンガが世間と関わるときは、世間の道徳にあわせるということだ。
たとえば、王が法にそむいた者を殺したとき、釈尊がそれをたしなめたか?
仏典読んでない人が議論に加わって、推測からものを言ってるので
収集がつかなくなっています。
505 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 23:00:05 ID:on2gln+3
>>477 だからなに?で終わる話ですね。
そんな知識知ったところでなんの意味もありません。
「空」=「識」=「色」等、それらはイコールなのだから識別できないとのことですが、
文字(言語)で現している時点で、識別しています。
え?だから不立文字なんだって?その通り!真理とは識別され得ないものですから、
識別智の言語では、正確に言い表せない。ゆえに、その領域は不立文字。
これが正しい不立文字の使い方です。ところが答えたら都合の悪いものは、
禅は不立文字だだと逃げる。これはただの詭弁です。
あなた方は、不立文字の意味も悟らず、不立文字という単語を、弁の道具にしている。
と、カラスさんが言っています。
ちなみにカラスさんは、あなた方のサマタの瞑想ではなく、観法のビパッサナをやってるって聞きました。
あなた方の、ただの一点集中型のサマタで悟れるのか、はなはだ疑問ですね。
訂正
>>503 >サンガを知る上でみな平等に意見を取り入れる。当たり前の話だ。
真実を知るためにみな平等に意見を取り入れる。当たり前の話だ。
基本、世間は最大多数の最大幸福を実現するようにまたそうあるべきように
人が争い、運営されていくものだ。
だが、仏教はそういった世間的な幸福からぬけだして、真実を求める集団であるわけだ。
だから、真実を知るための一切の共同体運営がされるわけ
それが、カーストの廃止であり、父母との縁切りだったりするわけ。
でも、共同体も世間的に見れば、小規模の団体のひとつなわけで
世間的な善悪規範に従って、相手が喜んだり、怒ったりする原理を利用する。
自分たちの善にしたがわなったら、悪ときめつけ攻撃したりはしない。
>>505 まったく分かってないねえ
空のとらえ方の問題を言っているのに、
きちんととらえられる色受想行識にこのとらえ方を勝手に敷衍されても困りますよ。
善知識よ、何をか名づけて坐禅とするや。
此の法門中は、無障無礙なり。外に一切の善悪の境界に於て、
心念が起こらざるを名づけて坐と為し、内に自性を見て動ぜざるを名づけて禅と為す。
善知識よ、何をか名づけて禅定とするや。
外に相を離るるを禅と為し、内に乱れざるを定と為す。
外に若し相著れれば、内に心即ち乱れ、外に若し相を離れれば、心即ち乱れず、本性は自浄・自定なり。
只だ境を見、境を思えば即ち乱るると為す。若し諸境を見て心乱れざれば、是れ真の定なり。
善知識よ、外に相を離るる即ち禅、内に乱れざる即ち定なり。外に禅、内に定なり。是れ禅定と為す。
六祖壇経
509 :
旧7:2009/06/10(水) 23:22:40 ID:fwtS4oy4
面倒なんで一言だけ挟んどくか。
>>505 >と、カラスさんが言っています。
自分の頭で考えろw
それから、カラスの語用の仕方は、
その多く(―全てとは言わない、同意する語義、解釈もある―)が、
「(原意ではない)換骨奪胎されたもの」だということに気付いとけ。
(少なくとも、スタンダードな・オーソドクスな・広汎に流布する辞書的語義でないことが多い。
おそらくこれは、聖書関連の用語についても言えるんじゃないか?よく知らんけどw)
ま、本人は「こっちが《本当の・本来の・真の・原初の》意味なんだよ!ドメクラ共がw」とでも返答しそうですが・・・w
510 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 23:24:05 ID:XKhAzY9a
>>504 常識論を注入しなければ、仏典は死んでしまい、単なる「自己満足」「思考停止」
の道具になるだけ。何の意味もない。
宗教者といえども、社会によって生かされているのだから、そのお返しを考える
べきだよ。外部の人は、みな、そのために汗を流して働いている。生きていなければ、
宗教もへちまもない。
宗教は、社会にどんなお返しをする積りなのかね。
511 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 23:31:50 ID:IbQAkrjb
百歳八萬の法蔵を談論すとも 三毒の賊いずくんぞ調伏せんや
512 :
旧7:2009/06/10(水) 23:34:33 ID:fwtS4oy4
>>510 >宗教は、社会にどんなお返しをする積りなのかね。
珍しく、重要で、今の時代にこそ必要な側面の、根源的な問いを発したなw
普段の姿勢はともかくw、この問い自体は高く評価する。
(今の私に、その答えが出せるわけでもないが・・・w 教科書通りじゃ意味ないし・・。
カラス氏なら、何か言葉を紡いでくれるかもしれない・・。彼は「生」に対して誠実だから・・。)
おやすみ ノシ
経中に道ふ、一切の治生産業、皆実相と相違背せずと。且く道へ、非非想天、即今幾人有てか退位す
>>510 まぁ、それはいいんですけど...。
504の発言の論点は、
“仏典の内容を知らないままで、推測から「仏教はこうだ」と
断言するのは、議論を混乱させる元ではないでしょうか”
という趣旨であって、
“常識論を仏教に持ち込むか否か”
ではないのですけれども。
社会からあぶれた人間が何かにたよりたくて仕方がないときに、甘いささやきをするのが反社会的な宗教団体。
社会からあぶれてしまった劣等感を、自分をあぶりだした社会こそが劣等なのだと決めつけるために
都合のいい善悪基準を用意してくれる反社会的な宗教団体はまことに心地よいものかもしれない。
だが、たんなる劣等感を本当に劣等にしてしまっているにすぎないことに気づこう。
516 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 23:46:16 ID:XKhAzY9a
>>512 >普段の姿勢はともかくw
一言多いw。
>カラス氏なら、何か言葉を紡いでくれるかもしれない・
カラスに縋るのかw。ここでこそ、君の仏教の薀蓄を傾けてくれ。
仮にきみの属する団体が革命でも起こし、多くの人の賛同を得て今の社会を打倒したとしよう
そのあと、楽園ができると思うか?
おそらく、中の人が少し入れ替わっただけでそのあとも相変わらず同じような社会がつづき
次なる反社会的な宗教を生むだけだろう。
そうやって運動していくうちに本当の楽園が実現できる?
釈尊はそういった行為自体を排斥されたのだよ。
我々は、宗教、自分の実存は度外視して、現実的に政治にアプローチしなければならない。
どうすれば、自分の夢が叶うかとか、楽な生活ができるかではなく、
なるべく安定した社会が実現できるかをね。
518 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 23:58:48 ID:XKhAzY9a
>>514 大昔の仏典をいくら読んでいても、「解釈」という作業が伴うから、
結局は、「推測」と同じ。何千年考えても、論争しても、合意に至る
ことは不可能で、争いの原因となるだけ。
それよりも、現代の視点から、現代に通用する思想上の真理があるか
どうかを探ることほうが、本道であろう。
御釈迦さんも、あくまで、当時の社会情勢における、当時の人々に対して
説いたに過ぎない。2500年後のことまで、面倒は見れないよw。
歴史とは、現代の視点からの、過去の「解釈」である。
>>507 わかっていかいのはあなたです。
あなた方の空は、縁起=無自性=空と、中道=空とごっちゃになってる滅茶苦茶なものなんですよ。
いいですか、中道というのは、二辺の間に行くもので、識別され得ないものをいいます。
識別されえないものを自性と呼びます。つまりあなた方は、
自性と正反対の無自性をごっちゃにして、ひとくくりに空と呼んでいるのですよ。
中には、「空」=「色」の=(イコール)の部分を縁起と解釈して、
縁起=中道=空なんて言っている人もいます。だがちょっと考えればわかりますが、
縁起自体は、識別される二項から成り、識別されえない中道とは=(イコール)とはならないのです。
ところであなたに聞きたいのですが、あなたは、なにかと禅とは不立文字だといい、
聞かれたことから逃げていますが、禅とは、いや、涅槃とはなぜ不立文字なのか、説明できますか?
>中道というのは、二辺の間に行くもので、識別され得ないものをいいます。
は?ww
中道だから二見にとらわれず空なんだがww
>識別されえないものを自性と呼びます
なんだこれwwwカント?ww
>縁起自体は、識別される二項から成り、識別されえない中道とは=(イコール)とはならないのです。
縁起は識別される認識対象を表したものではなく、抽象概念だよ
中道は両極端にとらわれない態度を表しているだけで、法そのものではない。
>ところであなたに聞きたいのですが、あなたは、なにかと禅とは不立文字だといい、
俺は言ってないよ。別の人じゃないか?
ここ一週間で参加するようになった者です。
>聞かれたことから逃げていますが、禅とは、いや、涅槃とはなぜ不立文字なのか、説明できますか?
逃げた記憶がないんだがwww言葉には気をつけような
宗教は自分の体で知らないと分からないだろう。知識ではないのだから。
知識で分かったつもりになるのと、体で分かるのは別だから。
自分の言葉で表してはじめて分かったと言えるものだ。
君はほんとに一足す一は二だと思ってる?
521 :
谷と星の影響:2009/06/11(木) 00:39:00 ID:N/U+eA7D
>>502 >空海の禅は今には伝わっていない北宗禅だろうから、真実は分からんが
>谷響きを惜しまず 明星来影す
>この禅体験は、谷の響きや明星の輝きに意識を向けているのではなくて
朝廷に高野山を請うときの文章に「四禅」や「禅経」などの語がありますから、唐の長安にいる間に
禅に接したこともあったでしょうが、入唐の前、自然智宗の修行をしていた頃は、どうでしょう
か。最澄は北宗禅を日本にいる間に行表から伝承していたし、また法相宗の道昭の伝承などもあり、
空海も、禅に接する機会は、日本にいる間にもあったかも知れませんが。
次の2件は「谷不惜響。明星来影。」の典故とされるものです。
王巾「頭陀寺碑文」(『文選』)「それ幽谷は私なく、至るあればここに響く。
洪鐘(大きな鐘)は虚受し(虚心に打たれ)、来たるとして応ぜざるなし」
『法華文句』「普香は是れ明星天子にして虚空蔵の応作(あらわれ)なり」
>>スレッド3/839
>空海は朝廷の御前で大勢が見ている前で全身から光を発したという
>記録も残っております。(誰か、出典をアップ願います。)
もっと古い記事があるかも知れませんが、とりあえず『今昔物語』本朝仏法部(巻11の第九)から
「清涼殿にして南に向かって大日の定印を結んで観念するに、
顔色金の属(たぐい)にして身より黄金の光を放つ」
>>503 > ああいえばこういうだなあ
というか、意見の違いを認識していないだけでは?
まず、あなたは世間に対して楽観的なように思える。
> 基本、世間は最大多数の最大幸福を実現するようにまたそうあるべきように
> 人が争い、運営されていくものだ。
それは時と場所によってそういう場合もある、としかいえないというのが私の意見。
今の日本なんかは相当マシな時代であって、
専制国家とかだと君主一人の幸福のために国家があり、運営されている。
スターリン時代のソ連とかでも実質的にはスターリンひとりのために運営されている。
こういうのも結構人類の歴史には多くあるので、私はとてもそこまで楽観的にはなれない。
世間の常識、世間の道徳というのは、基本あてにならないという観点が自分にはあるが、
あなたには、それほど無いように見える。
次に、私とあなたで八正道に対する信頼度が違う。
> 八正道がすなわち真実ということではない、道徳規範ではないということだ。
八正道は真実だが、道徳規範かどうかは道徳の定義によりそうな気もする。
一般的な年功序列とか、儒教道徳的な社会規範のようなルールとして
あるわけではないとは思うが、カントの言うような内なる道徳律みたいなものとして
考えるのであれば、道徳規範という言い方もできなくはない。
というのが私の意見。
不安定な社会道徳に従って、世間に迎合し一緒になってナチスに荷担したりするより、
自分の内部の道徳律に従ってシンドラーみたいに生きた方がいいかもしれない、と私は思うわけですよ。
>>520 人違いでしたか。それは失礼しました。
ちなみにカラスさんは、前シリーズ、仏陀は輪廻転生を説いたか?
で、なにが正しく、正しくないかを、イエスさんの言葉らしき文章で
書き込んでいました。その文章には、机さんも、多少なりとも影響を受けたようです。
まだ机さんが活発に書き込んでいたときのスレです。
なにが正しく、なにが正しくないのかわからないのであれば、
一度読んでみることをお勧めします。八正道をあまり意味の無いものにしてしまったら、
もはや仏教とは呼べません。
524 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 03:17:25 ID:bsdUWiK4
>>523 >なにが正しく、正しくないかを、イエスさんの言葉らしき文章で
>書き込んでいました
何故、釈迦の言葉ではなく、イエスさんの言葉が出てくる?それこそ仏教とは
呼べない。
仏教の理解は、釈迦とイエスとの間の本質的な相違の理解から始まる。
525 :
誤認者へ:2009/06/11(木) 08:10:18 ID:yqSQu5NB
このスレッドで、マルクスと共産主義を生み出したの
はキリスト教だとの意見がありました。
共産主義と「自由と平等」を説いたのは、メーソン様です。
メーソン様の信仰は旧約聖書だとの認識も甘いです。
労働者は資本家から奪い取れ!
大衆、人民は王、国家から奪い取れ!
このスレッドで求められる出典として、タルムードとします。
その中にある教えが見つかるでしょう。
ゆだや人はゴイ(非ゆだや)から奪っても罪にならない、と。
527 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 08:49:09 ID:t60srVgs
>>515 >都合のいい善悪基準を用意してくれる反社会的な宗教団体はまことに心地よいものかもしれない。
>だが、たんなる劣等感を本当に劣等にしてしまっているにすぎないことに気づこう。
自らそれに気づける人はそのような団体に所属していたいとは思わないだろ。
やはりそれに気がつくようにしてやる支援が必要なのではないか?
周りの人はおせっかいと思わず口出し手出しをしたほうがよい。
新興宗教系オカルトには要警戒だな。
ヒトラーもオカルトどっぷりだったらしい。
529 :
一在家:2009/06/11(木) 09:03:06 ID:xfFOFyW7
>>525 >>526 ご指摘のたるむーどの記載は(陰謀とは関係ない)事実でしょう。
現在、メジャー(金融、石油)は世界の経済、政治、メディア(マスコミ)
を掌握しております。ネット上での検索エンジンも最強でしょう。
陰謀でなく、正々堂々とやりたいことを仕掛けておりますが、正しく見ないと
実態を見間違うようです。
この板でも書きましたが、環境技術にブレーキをかけていた石油メジャー達も
昨年あたりから180度方向転換をして、逆に環境技術に投資しております。
「ノアの大洪水」の再来を止めないと、彼らのわんワールドも水没するから
でしょうか。
また、たるむーどの記載の指摘をオカルトに結びつけるのは浅はかな見解だと
思います。
そういう君は大川君とこの子だろ?
宗教に政治はいらないよ。
少なくても仏教にはね。
531 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 09:12:32 ID:/13klA+2
にせタルムードを捏造してユダヤ叩きする輩もおるようだし。
すべてが見えた
すべての暗闇を見た
光を見つけた
一筋のちいさな閃光の中に
何を選ぶのか何が必要なのか
わかってきた
それだけで充分だから
もっと欲しがるのは欲張り
自分がどんな人間かわかったし
どんな人間になっていくのかもわかってる
すべてが見えたから
もうこれ以上見るものは何もない
すべてが見えた
見えたものすべて
小さなスクリーンに
映っている
光と暗闇
大きいものと小さいもの
心の中に残すだけ
もう何もいらない
どんな人間になっていくのかもわかってる
すべてが見えたから
もうこれ以上見るものは何もない
533 :
宝珠愚者:2009/06/11(木) 09:25:17 ID:J9SGjI7U
>>426 >「貪り、怒り、無知のないこと。それが涅槃です」と言ってる。
これらもニルヴァーナの部分的な属性にしか過ぎません。
「清浄visuddhi/安穏khema」
>>314 といった限定的な個々の表現では
ニルヴァーナからは逸脱してしまうでしょう。
>>422 >涅槃について物質世界の理屈で理解できるはずもない。
激しく同意します!
>>384 ニルヴァーナとは意識の状態です。従って、肉体を持って生存中にも到達可能であることは本当
です。しかしながら、人間は肉体のみで構成されているわけではありません。「死」は肉体の崩壊
に過ぎない。
“科学は遅れている”ので、まだまだ魂存在を証明できませんが、人の死後に残存する肉体以外
の痕跡くらいならば科学的に捉えることは十分に可能です。いわゆる心霊存在は温度の変化と
(僅かな)磁場の変化として精度の良い装置ならばキャッチされます。
自分の見聞きする世界が全てなどと自惚れるのは辞めたほうがよい。
534 :
宝珠愚者:2009/06/11(木) 09:27:41 ID:J9SGjI7U
>>340 >1 宝珠氏・・・アートマンは、自我+真我
「自我」という言葉も使い方次第で様々になります。私はなるべく明確さを記すために、パーソナ
リティー(personality)/人格個性の「低我(低級我)」と呼んでいます。
これは生まれついて条件付けられた田中良雄(仮名)さんが、自分で自覚できる意識のことです。
対して、アートマンとは田中良雄(仮名)さんといった存在ではなく、在る生涯では鈴木浩太(仮名)
さんであり、また別の生涯では佐藤光一(仮名)さんというパーソナリティー(人格)を纏った不変の
意識存在です。
これは、田中良雄(仮名)さん通常では決して自覚することができない本質なのです。従って、もし
「自我」が私のいう低級我という意味であるならば、「自我+真我」がアートマンということではありま
せん。
535 :
宝珠愚者:2009/06/11(木) 09:30:42 ID:J9SGjI7U
>>397 >本当は「今はアートマンで思考の最中です。」と言ってよいでしょう。
残念ながら、たとえどんなに正しいこと(真理)を述べていようとも、
これら思考活動というものはアートマンの所産ではないので、
「アートマンで思考している」ということはできません。
しかし、真理により近づいていく過程はアートマンとの接触による影響です。
我々のレベルではそれは無自覚でなされます。アートマンとの接触が多い人ほど、
より正しく正確に真理を理解し、それを語ることが可能になります。
>>401 >コピーされた中に「大本経」があれば、ご紹介いただければ幸いです。
借りた文献は返却しましたが、最低限の部分だけはコピー取りました。
パーリ訳文の自歓喜経と梵網経の重要部分(全文ではない)のみです。
しかし、すみませんが「大本経」のコピーは摂っていません。
>大乗仏教はこの板では軽視されがちですが、法華経の編集者は第一義も
>よくご存じで、さり気なく経典の中にアソートされています。
法華経は初期大乗であり、成立年代的には確かに古いレベルです。
536 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 09:34:44 ID:t60srVgs
>>465 >よって、宗教法人法は伝統的宗教団体の保護のためにあってもよい
>反社会的な宗教はいらない。
>法律で規制すべき
だから、国家が政治権力で特定の宗教団体を支援し、恣意的に反社会的
と判断した宗教団体は支援しないというのは明確な憲法違反だろ。
宗教団体だからということでなく犯罪は一般の刑法なりで規制すればよい。
537 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 09:49:44 ID:t60srVgs
>>534 >不変の意識存在です。
意識は生存中のひとの意(こころ)を手段として認識された外界の「法」
であって、死ねば無くなるから不変じゃないない有為のものだね。
意識をことばや情報として外部に記録として残しておいてもそれも作られた
ものだからやがては滅する。
538 :
宝珠愚者:2009/06/11(木) 09:57:15 ID:J9SGjI7U
>>419 はぃ、この経文は明らかに
「無常であり、形成される世界」とは全く異なる世界が別にあることを述べています。
つまり、恒常であり、現象世界では捕らえられないものが存在するといっています。
これも確信的ですごく重要な経ですね!
>これなんかいかがでしょう。
たぶん間違いないと思います。素晴らしい経文であり、
ここにしっかりと気付いているカラスさんの眼力に絶賛します!
>>421 >なんでこれらのものはアートマンではないですよといっているだけなのに、
>アートマンなど存在しないと説いたになるのか、意味不明。末法仏教徒達の迷いは深い。
重要なことだと思います。
末法唯物論仏教者はこの
>>421を繰り返し読むべきです。
>>424 >ゴータマは、今の私を認識している自我は、アートマンではないと言ってるんだよ。
>
その通り!(アタック・チャ〜ンス!!www!)
539 :
宝珠愚者:2009/06/11(木) 11:15:29 ID:J9SGjI7U
“不滅(不死)の境地”とは、無常/空なる現象世界から解脱した「恒常(常住)の世界」です。ここ
に集う末法仏教者たちは「諸行無常」の「諸」とは、「諸法無我」の「諸」とは、「一切皆苦」の「一切」
が何を指しているのか?が、さっぱり解からない人たちです。国語で「それ」とはどれのことですか?
というのを勉強しますが、それができない人たちです。
「常住」というだけで、ゴータマが否定したバラモンの迷信と思うのです。経を読めさえば、しっかり
と説かれている。
『解脱の境地においては、生死が存在しない。修行を完成した者は《生死を明察せる者》(スッタ
ニパータ484)である。この究極の境地は、「不滅の領域」、「不滅の境地」といい、あるいは単に
「不死」とも称する。また単に「不老」ともいうのである。 そして仏教はこのような最高目的に達す
ることを教えているものであるから、仏教は「不死の門」、「不死の獲得」であり、修行者は「不死の
境地を見る」のである。』
(中村元著『原始仏教---その思想と生活』NHK出版社刊)
540 :
宝珠愚者:2009/06/11(木) 11:16:33 ID:J9SGjI7U
『過去の〔心の〕制止者(瞑想修行者)たちを思念して、彼らの行持[おこない]を思い浮かべなが
ら、たとえ、何であれ、〔今が〕最後の時であっても、不死の境地を体得するがよい。』
(テーラーガーター947)
『〔気づきを〕怠ること(放逸)を「恐怖である」と見て、そして、〔気づきを〕怠らないこと(不放逸)を
「平安である」と〔見て〕、八つの支分からなる〔聖なる〕道(八正道)を修めよ。〔修めた者たちは〕不
死の境地を体得する。』
(テーラーガーター980)
『何時、林のなかの山窟で、冠毛ある孔雀鳥の鳴き声を聞いて、不死〔の境地〕を得るため、奮
起して思弁するのだろう。それは、いったい何時のことに成るのだろう。』
(テーラーガーター1103)
『これは、まさしく、わたしのことである。まさに、それは、他者たちのものではない。甲冑〔を身に
付ける〕時に嘆き悲しんでいて、何になるというのだろう。「この一切は、動揺するものである」と見
つつ、不死の境地を望み求める〔わたし〕は、〔家を〕出た。』
(テーラーガーター1110)
『しかして、そののち、カーラは、ネーランジャラー川に向かって出発した。彼は、正覚者(ブッダ)
が不死の境地を説示しているのを見た。』
(テーリーガーター309)
541 :
宝珠愚者:2009/06/11(木) 11:54:44 ID:J9SGjI7U
>>537 >死ねば無くなるから不変じゃないない有為のものだね。
そう考えるのはあなたの自由です。
しかし、仏典が説いているのは、
最も分りやすく簡単にいうと、「死して終るものには価値はない」ということ。
これが認められない人は仏教を信奉するな、といってるのです。
ていうよりは、そんなものは仏教の信奉にはならないし、仏教徒とはいえない。
>>521 谷と星の影響さん
>次の2件は「谷不惜響。明星来影。」の典故とされるものです。
>王巾「頭陀寺碑文」(『文選』)「それ幽谷は私なく、至るあればここに響く。
>洪鐘(大きな鐘)は虚受し(虚心に打たれ)、来たるとして応ぜざるなし」
>『法華文句』「普香は是れ明星天子にして虚空蔵の応作(あらわれ)なり」
横レスだが参考になりました。感謝。
543 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 12:05:06 ID:PEF5Yg7L
「言葉遊び」とは、言葉に現実界の裏づけがない場合をいう。カラス氏や宝珠
愚者氏の「言葉遊び」が、その典型。
竜樹は、「万物の関係性」を説いている。現実界において、関係性ならざる
ものはない。世界は、関係性の塊である。従って、言葉遊びでななく、現実界
の原理である。
肉体を軽視する者がいるが、すべての生物は、その発生以来、自然の変化に
対応するために、専ら、その肉体を変化させることにより生き抜いてきた。
そうでない生物は絶滅したのである。これは、古生物学によって証明された
事実であり常識。心など関係なかったのである。
心は、肉体を生かすための「道具」「手段」に過ぎない。手段と目的とを、
取り違えてはならない。知覚も、肉体の生存に必要な現実とそうでない空想
とを判別するための道具に過ぎない。五感で知覚出来ない対象を「空想」と
呼び、生存には何の役にも立たない。
544 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 12:22:05 ID:PEF5Yg7L
>>539 オウムを生み出した中村氏の言説など、持ち出すべきではない。ひたすら、
他人の本ばかり読んで、現実との係わり合いを自分の頭で考えることが
出来なかった思考停止の中村氏は、学者として無価値である。単なる
「他人の見解の紹介」は、「学問」ではない。
色即是空 空即是色
これについては般若心経を漢訳した玄奘三蔵が、インドのナーランダ寺で
<唯識>を学んでいた、ということをもっと重視すべきかもしれない。
唯識はもともと、この現実を心の表れ、<幻>として把握する。
般若心経では「色即是空 空即是色」と空が使われている。
この空で読者は、空観の<空>かと思ってしまうのだ。
しかし玄奘は、この現実を<幻>と理解した上で、空を用いたのだろう。
空観派に対する配慮があったのかもしれない。
正確には「色即是幻 幻即是色」だと思う。
この表現になれば、縁起は無関係であり、すべては<幻>になる。
この現実は<幻>であるという話である。
546 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 12:54:02 ID:PEF5Yg7L
>>545 この現実界は、人間の目に映じているだけだから、まさに「幻」である。
しかし、人間は、その幻の中に生きており、それ以外には生きる場所はない
ことも真理である。それが「幻即是色」の意味である。
バークリの「実在とは、知覚することである」という言葉と同義。
竜樹の「空」は、色即是空・空即是色にヒントを得て、人間にとっての幻として
の「現実」の意味をさらに突き詰め、その幻の実体を「縁起・空・関係性」で
あると見破ったのである。西洋の宗教家も哲学者も、この「関係性の原理」に
思い至った者は皆無である。
547 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 13:09:44 ID:PEF5Yg7L
現代の西洋哲学も、この「色即是空」の方向に向っていると言われている。
何人も、否定することは不可能だからである。しかし、「関係性の原理
(空即是色)」には、まだ充分に思い到ってはいないようである。その
「関係性の原理」は、むしろ自然科学や環境問題においてこそ「原理」
とされている。「色即是空・空即是色」が、現実界において完全に適用
され得る原理だからである。
>>546 般若心経の空は縁起していない。この現実を単に幻と決めつけている。
竜樹は、諸法の縁起を語るのであり、この現実の話ではない。
それに関係性とは何か? 縁起とは関係性ではない。
549 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 13:24:17 ID:PEF5Yg7L
>>548 >それに関係性とは何か? 縁起とは関係性ではない。
関係性とは、「これ(あれ)があるから、あれ(これ)がある。これ
(あれ)がなければ、あれ(これ)はない」という、万物の「相互
依存性」の意味。最近の仏教哲学では、「縁起(関係性)」という
表現を用いている。
>>546 般若心経の中に「諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中」
という言葉が出てくる。これは竜樹の思想と同じ。
むしろ心経のほうが、竜樹の思想を踏まえようとしている。
>>549 縁起は愛憎、善悪のような関係を言う。相対立する項の関係である。
ここには確かに関係性、依存性が存在する。
しかし相対立する項の関係という限定をはずしてしまうと、
関係性、依存性という表現は、この関係をだらしなく拡大していき、
風吹けば桶屋が儲かる、というレベルにまで脱力してしまう。
552 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 13:53:11 ID:PEF5Yg7L
>>551 人間は、自己やもろもろの他者・他物が、個々に独立した絶対的実体ではなく
、相互に依存・共存する関係的・相対的存在であることを自覚することにより、
初めて精神の安定と平安を得る。これが、現代的意味における「悟り」である。
ちなみに、中村元氏は、「涅槃」を「やすらぎ」と訳しているそうだ。
色即是空 空即是色
個人的な感想だが、般若心経は<唯識>の視点で書かれており、
<空観>については誤解しているような印象がある。
それがもともとの資料によるのか、玄奘によるのかはわからないけれど、
玄奘が訳したのだから、玄奘の責任は免れないだろう。
いずれにしろ、<空観>を誤解しているという前提に立てば、
前で色受想行識を空とするのに、後でそれらを無であると訂正していることも
理解できる。そして苦集滅道も無であると言っていることもわかる。
そして最後に陀羅尼が登場するのも理解できる。
554 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 14:06:38 ID:PEF5Yg7L
>>551 関係性とは、他者は自己であり、自己は他者であるから、いずれも別個
の絶対的実在ではないことの自覚である。従って、二項対立自体が消滅
する。
>>552 そう思って、なまぬるく生きることは個人の自由でしょう。
しかしやがて、周囲との関係を切り離され、ひとりで死へと旅立つ。
そのときになって後悔しても遅いのです。オチ
556 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 14:27:21 ID:PEF5Yg7L
>>551 >脱力してしまう。
「相対」を自覚して「絶対」から離脱し、「脱力してしまう」のが、仏教では
ないだろうか。
「風が吹けば桶屋が儲かる」という単純な「因果」関係だけでなく、その中間に
もろもろの「縁」という要素を考えるのが、仏教だと思う。
557 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 14:53:42 ID:l2e1PsVk
>>545 >この現実は<幻>であるという話である。
それでは単に現実という言葉の代わりに<幻>と読み替えたに
すぎないでしょ。何の意義も意味も効用もない。
夢・現・幻はしっかり見分けるよう目覚めてよく気をつけて
怠ることなく生きようね。
558 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 16:03:34 ID:u8NIvNMY
>557
よく「現実は幻」というのは、現実と想っていたものが現実ではなく幻であり、現実を正しく認識していないということですか?
正しく認識すれば現実は正に現実ということですか?つまり現実は幻ではなく、正しく認識していないけど実在ですか?
559 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 16:26:27 ID:t60srVgs
現実に見ていて眼を閉じれば消える像は幻とは言わないでしょ。
幻とは現実には無いのにあたかもあるように見える像のことだろ。
眼を閉じても変わらないなら幻とうたがったほうがいい。
同時に見ている他の人に聞いて「それは見えない」というなら
幻だと疑ったほうがいいでしょ。
なんという低次元
561 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 16:50:18 ID:PEF5Yg7L
>>560 現実と空想との区別が付かない宗教者こそ、最も低次元。生まれたばかりの
赤ん坊にも劣る。
562 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 17:10:33 ID:u8NIvNMY
>560
低次元というのは、あなたがそう想っただけで、事実ではない。
低次元だと指摘するまえに、あなたが高次元だと思っている話をしてくださいな。
563 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 17:21:17 ID:t60srVgs
>>534 自我・真我・低級我とまるで我の分裂した統合失調症みたいだね。
564 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 18:30:53 ID:xaKO3pfR
>>534 宝珠氏によれば、
人間はアートマン(真我)と低級我を持っていることになる。
その低級我は、日ごろ自分自身だと思っている自我意識だろうけど、
ではその低級我とアートマンの関係はどうなりますか?
565 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 18:39:54 ID:xaKO3pfR
>>556 愛憎、善悪などは、相対ではなく絶対的な依存関係がある。
これに対して、風と桶屋にはこういった関係がない。
まったく関係がないわけではないが、どうでもいいような因果である。
猫と犬も同じであり、猫がいなくても犬の存在には無関係。
566 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 18:52:27 ID:xaKO3pfR
>>557 世界観に唯物論と観念論がある。ちがいはアプローチの仕方にある。
唯物論は、現実から出発して、現実の本質に迫ろうとする。
観念論は、本質(神)から出発し、現実を理解しようとする。
しかし唯識は、ただ識だけが存在し、この現実は幻に過ぎないと主張する。
観念論に似ているけど、この現実を認めないところが違う。
色即是空 空即是色
般若心経は出所不明である。
いつごろ作られたものか不明である。だれが書いたかも不明である。
さらに漢訳したのがだれであるかも不明らしい。
鳩摩羅什訳もあるが、その真偽は不明らしい。
世間に流布している玄奘三蔵訳も、その真偽は不明らしい。
568 :
旧7:2009/06/11(木) 19:15:50 ID:oTDUm+kB
>>566 「本質から出発」ということは、あり得るんだろうか?
タブララサという言い方が適切かどうかわからないが、
そのような状態から何が見えるのか、どこへ行こうというのか。
とっかかり、手がかりなしにそこに何がありうると言うのか。(これは「接触を縁として」という部分とリンクする)
いや、おそらくそうではあるまい。
「その状態こそが、本質」なのだろう。そのことに気付くだけで良いのだろう。
現実というとっかかりは不要なのだろう。直に、本質に近づけば良いのだから・・・。
いや、たとえ本質へ向かうにしても、そこに「何のとっかかりもない」ということはありえるだろうか・・。
これは、カラス氏の本業なのでお任せするとしても・・・。
(彼は、これを「涅槃」「安息(日)」だと言いそうだが・・・。)
569 :
旧7:2009/06/11(木) 19:25:37 ID:oTDUm+kB
>>335 >カラスさんの話は内容あると思いますよ。
勿論、評価している部分はある。原仏スレでは、賛同のレスを入れたこともあった。
同意する部分、同じ考えである部分もあるさ。
けど、違う所もある。そして、その、違う所が、各種のスレでテーマになってるんだよ。
言い合いになって当然だろ?w
>教義的に理にかなっている。
「一切」の捉え方、その「一切」と「涅槃」との別、的確だと思いますよ。
原仏スレの頑なな人wより遙かにマシですw
>議題を作文力にすり替えるのは狡いと思います。
「議題をすり替えた」のではない。最初から、948の薄さを指摘する目的しかない。
単発の、目的の限られた行為に関して、目的を無視した全体評価をされてはたまらん。
原仏スレの頃から、その本質・要点に関しては頷ける部分も多かった。
(→その表現の仕方、踏み込み過ぎな印象、キリスト教色の濃さ等が鼻につくだけだw
いずれ、宝珠&カラス派のポイントを列挙してみようかとも思っている)
>簡単なことを・・・・・・話すものです。
ほう。 カラスの文章は、(全てとは言わないが)その多くは、
抽象的観念語の羅列で、「誰にでも理解できる」ようなものではないと思うが、如何?
(或いは、同じ内容の文の繰り返しが多く、まとめると実室産業だったりする所とか?w)
贔屓し過ぎじゃないか?w
こうした特徴が顕著だったから948をサンプルとしたんだが、そんなに気に障ったか? もっと探してきてもいいんだぜ。
>唯物仏教に・・・・・・おかしいと思います。
お互い様だと言ってるんだよ!馬鹿垂れw
宝珠やカラスにも言ってやれよ。 彼らの読みもまた「恣意的」なんだよ。
また、もし、私がそのような読みをしているレス(仏典の引用・和訳)があれば、提示してください。
自分の書き込み全てを憶えてはいないので、指摘して貰えると助かります。
専ブラにログは残ってるんで、URLを貼るだけで構いません。宜しくお願いします。
本質から出発することはありえる。
たとえば聖書のヨハネ伝3章にある「新たに生まれなければ・・・」だろう。
たとえば空海の「明星来影す」である。思い違いも多々あるだろうけど。
>>522 >というか、意見の違いを認識していないだけでは?
>まず、あなたは世間に対して楽観的なように思える。
確かにお互いズレがあるようだな。
日本がマシ?今の日本がマシかと言えば大いに文句があるな
まあ、社会・政治学の話になるとスレちがいも甚だしいから
宗教側からアプローチするか。
俺は、別にスターリンの言う通りに従っとけばいいとは言ってないからな。
むしろ、共産主義は疑似宗教であるという誰かの意見に賛成で
宗教的な反社会的組織が、生半可な理想を掲げて政治を動かしたために
社会が混乱して、多大な犠牲者を産んでしまったと判断している。
さらに共産主義国家の横暴に抵抗したのは宗教家ではない。
家族や共同体を守るために立ち上がった人たちだ。
国家の横暴に抵抗するに、世間の道徳で十全だ。
まあ、その抵抗も、個人の欲望にまかせてちゃ、なんの意味もないがな。
宗教は人の実存を満足させるものにすぎない。
つまり、死ぬべくして死ぬことを教えるものだ。
厳しいことを言えば、人生に目的なんぞなく、糞の役にも立たないのが人間だと
自覚させるもんだ。死して悔いなし、生きて損なしそれを教えるだけでいい。
そうして、はじめて、人は自分の欲望をしりぞけて
社会のため、国家のために冷静に関わることができる。
己を修めれば、国家は足る。
実存を満足させられない者が、所詮よるべなきこの浮き世で
なにかすがりつけるものはないかさがし、彷徨し、人の心を傷つける。
宗教が善悪判断をもちだし、人心を扇情すれば無駄な犠牲を産むだけ。
善悪判断は共同体のそれで間に合っている
どうしてそこに宗教が必要だ
>八正道は真実だが、道徳規範かどうかは道徳の定義によりそうな気もする。
八正道はそれ自体が真実ではない。心身を整えるものだと言ったろう。
というのは、八正道にはなぜそれが正しいのか、正しくとはどういう意味か
という視点が抜けている。
なぜ、正しいのか教えるのが真実であるはずなのに
真実だから八正道というのはとりつくしまがない。
なぜ真実か知ることがなければ八正道と言えど、無意味。
もちろん、サンガの運営が、伝統的に八正道や戒律に従ってされるべきというなら賛成だ。
釈尊が示されたことに従わないものを仏教教団と呼べるかと言えば呼べないからね。
だが、悟りの本質がそれであるというなら違うとしか答えられない。
八正道にあてはまらず、悟った者がいたとき、八正道にしたがわないから
この者の悟りは偽物だと言うことがあろうか?
なら、摩訶迦葉が釈尊に高く遇されたことと矛盾する
573 :
旧7:2009/06/11(木) 19:42:46 ID:oTDUm+kB
>>571 >死して悔いなし、生きて損なし
惚れました!w o(><*o )
>カントの言うような内なる道徳律みたいなものとして考えるのであれば、
>道徳規範という言い方もできなくはない。というのが私の意見。
人の理性に信頼が置けないことを知ったとき、神に祈ったのがカントであり
己の赴くままに行動したのがサドだ。
この場合、神とは、道徳規範を裏付けるものとして現れており
道徳規範は何かに裏付けられねばならない、そうしなければ不安である
という依頼心を抱き留める存在として仮定されたものだ。
俺は、この道徳規範において神を仮定するがゆえに人は傷つけあうと思っている。
その点でカントもサドも同類でしかない。
道徳とは、連綿と過去から我々が受け継いできたものであり
共同体における文化的ホメオタシスである。実証により我々の理性を離れている。
そして、歴史の風雪に耐えて我々が/を守ってきた絆である。それこそ誇るべきだ。
自分たちの共同体を誇る。だからこそ相手の共同体も尊重する
だが、ここで自分の神を誇ってみろ。他人の神は尊重できまい。
他人と自分の神を無理矢理いっしょにしてしまうようなやつまでいるが
自分のために神にすがるのはいい、だが、他人をそれにまきこむな。
宗教(実存の解放)と善悪(社会生活)をいっしょにするな
歴史的アーキテクチャを無視した帝国は必ず崩壊し
むやみな人類平和を説いても戦争はなくならない。歴史はそう証明する。
575 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 19:50:14 ID:t60srVgs
>>566 何を「実在」とするか世界観の違いでしょうね。
仏教の世界観は現代物理学の従う科学的実在論に相当するのでしょうね。
プラトンのような観念実在論(実念論)ではないし、見たもの(現象)が
そのまま実在するという素朴実在論でもない。
唯物論は観念論であって実在論ではないね。
すべての物事は変化し続け無常であり、常住不変の物事はない。
すべての物質は複数の素粒子から構成され自性を持つ独立の存在ではない。
恒常であるのは無為の真空だけだ。
>>536 伝統宗教は財産や思想が既に国民のそれと化している。
いや、化していると定義できるものを伝統宗教とよぶ。
よって、その維持運営が許される程度の保護(歴史標本として維持)は
我々の義務とよぶべきもので、信仰の自由とは別に扱うべき。
もちろん、伝統宗教と言えどさらなる布教活動には
反社会的な態度があれば、完全に国有化する必要がでてくるがね。
あと、「反社会的」の定義で神経質になっているようだが、
もちろん、慎重にされるべきものだ。
これは近代概念によって一方的に、あるいは国家が独善的に決めるべきものではない。
まあ、共同体の伝統に則らず、この和を乱し、社会から孤立する形の組織を
反社会的な宗教とすればよいでしょうか。
名前を偽った勧誘や未成年に対する近親者、同郷者、国家以外からの勧誘など、
あるいは、国政にかかわろうとする団体などはアウトですね。
証人の了解を得れば、即、税制の優遇は解除すべき。
付け加える、反社会的の認定は国家の独立状態が不安定な場合におけては
避けるべきだろうな。
577 :
旧7:2009/06/11(木) 19:55:10 ID:oTDUm+kB
>>82 > 【伝統仏教】は輪廻を説いていますが、無我については誤解した(変えられた)といってるのです。
> そのまま正しく仏教が伝わり、それを信奉しているところなどはない。
いやいやいやw 「或る事柄は正しく伝えられ、或る事柄は誤解されて伝えられた」
とする時の貴方方の基準のイイカゲンさを皮肉っただけですよw
> エー、あると思ったの??
金口の説法は伝わっていない、完全なる復元も不可能、というのは業界内での共通理解でしょw
で、≪「誤解された内容を伝えている」系譜≫をそのまま評価するんですか?
貴方は、多くの諸部派や大乗を仏説を歪めたものと位置付けてきた。
「アナートマン」について歪めて伝えてきた上座部や原始仏典(漢訳阿含)への評価を維持する理由は何か?
誤解を伝えてきた仏典なぞ捨ててしまえばいいでしょう?そんな伝統に依拠する必要はないでしょう?
信奉しなければいいのです。(→これは、前シリーズからの貴方方の助言ですよ?w)
> >『【説かれていないこと】は、理解され難いことだから、混乱のもとになるから【説かなかった】』と言う。
> 当然、そういう部分もあるでしょ!
勿論、貴方の推測ですよね?
「実は、混乱・誤解を避けて説かなかったんだ・・(´・ω・`)」 なんてのは貴方の嫌いなw大乗仏典の十八番でしょう?w
> それが判断力というものでしょw
ちんけな判断力だな・・w
> 正しく輪廻が説かれ、無我の誤解が晴れればそれでよし。
> それ以外の目的なし!
いやいやいやいやwww だから、仏教に(お釈迦さんに)、或いは原始仏典に拘らなくてもいいでしょ?w
なぜ、神智学だけではだめなんですか?
無我を誤解して伝えてきた仏教(原始仏典・上座部)、
誤解の元を断たなかった(≒説き足りなかった)ゴータマ、
いずれにしても、ほっとけばいいじゃないですかw 捨てちまったらどうですか?w
と、言いたい所ですが、「ゴータマリスペクト」ということで了解しておきましょう。
以降、この点についてはツッコミませんw
578 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 19:58:18 ID:t60srVgs
>>572 >なら、摩訶迦葉が釈尊に高く遇されたことと矛盾する
そんな物語を信じてるの?
>>578 パーリでも摩訶迦葉の話はでてくるから見て批判しなさい
580 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 20:23:26 ID:xaKO3pfR
宗教法人の優遇税制を廃止すべきときが来ている。
なぜなら、ただの哲学を宗教だと自称しているケースが多く、
脱税の隠れ蓑にラブホテルが宗教法人を利用したケースまである。
現代においてはもはや、宗教を優遇する意味がなくなった。
581 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 20:39:07 ID:xaKO3pfR
悟りもわからないのに、悟ったような顔をしている生臭さ坊主どもを
優遇する理由は何もないだろう。坊主も俗人にすぎない。
いまや俗人を優遇する時代ではなくなったのだ。
582 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 20:50:54 ID:xaKO3pfR
全部とは言わないが、坊主の中に唯物論を説いている無為徒食の輩がいる。
583 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 21:01:46 ID:xaKO3pfR
悟りもしないで仏教でメシを食っている坊主ども、
はっきり言って、あんたたちは仏教に巣くう寄生虫だよ。
584 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 21:18:23 ID:y6demRys
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
このスレをロムれば
悟った方は、勿論、論理明確なご隠居氏でしょう(・∀・)ノ
┏━━━┓
┃GO ★ ┃
┗┻┻┫┃
★ ☆ ┃┃ ★
\\┗┛/ (・∀・)ノ
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
なんか俺を愛は生物的にビルトインされていると言ってたやつと同一視しているようだが
俺は宗教が不用だとはいってないからな
文章読解力のないやつは冷静になって読み直そうな
実存、自分がこの世界にいる存在理由を問う行為は人間には止められないわな、
だって人間だもの みつを
俺は、これを世界との関わりとも表現したし、あるいは行動性ともとれる、
また世界の不均一性ともとれるか。
まあ、それらもろもろのことは、他人とは絶対共有できない頑としたものがある。
自分だけの世界だ。
それらをもし善悪観念にまでもちこむと、社会の収拾がつかん
そういうことをいってんの
587 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 22:20:00 ID:hI8Lws2Z
たまたまTVで、戒名料500万円というふざけた話をやっている。
こんな生臭さ坊主は必ず地獄へ落ちるだろうね。
宗教法人の優遇税制を廃止すれば、怪しげな坊主は自然に淘汰されるだろう。
やどうかいは面白いとは思うけどな
まあ、家に来たら入れたくはないが
尺八の一つや二つ披露してくれれば、さほどでもない
589 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 22:55:30 ID:ukO6V3s4
>>573 >>死して悔いなし、生きて損なし
>惚れました!w o(><*o )
女と同様、簡単に惚れてはいかん。
生時には生を軽視し、死後の転生や裁きを説く宗教が、「悔いのない死」と
「損のない生」をもたらすか、もたらすことが出来るか。むしろ反対であろう。
渡部昇一氏の文章に出てくる実話だた、ある極めて高名なキリスト者は、死に
臨んで、「悪魔が来る」と叫んで狂いまわったそうだ。それを「死ねば無」と
一喝して鎮めたのが、禅者であるその弟子だった。
宗教というフィクションに惑わされることなく、ひたむきに生きた者にとっては、
死は、大いなる平安と休息である。後に残る者たちへのさまざまな配慮の中に、
死の苦痛も和らぐ。
最後まで「自己欺瞞」「自己満足」の中に生きた宗教者の一生は、果たして
「損のない生」「悔いのない死」であり得るだろうか。
590 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 22:58:48 ID:ukO6V3s4
591 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 23:02:29 ID:hI8Lws2Z
TVのその後の展開・・・
戒名料500万というふざけた話を聞いたある僧侶が、
その話に疑問を感じ、10万弱で引き受ける会社を設立したという。
いまは繁盛しており、これからの僧侶のありかたを予感させた。
どうでもいいが、おれはイエスにはものすごく同情している。
でも、キリスト教教団が歴史的にやってきたことで感心できることは
ひとつもないと思っている。
カタコンベにしろ、反社会的な宗教組織じゃないか
しかも、仏教は民族宗教をうけいれて、その古い姿をなるべく保存するように
扱うが、キリスト教はあとかたもなく消しているだろ。
なにか迫害された者のヒステリックな宗教性を感じざるを得ないんだよ
フィリピンは、クリスチャンドゥーティといって
邪教徒の魂を救済するといって30万虐殺したよな、アメリカ大統領の名においてさ。
今ではフィリピンは立派なキリスト教国家になったけどさ、
結局、彼らは救われたのかい?
教育熱心なわりに科学者がでないよな
それは、自民族の言葉で勉強できず、英語の語学力=科学力となっているからだよ
当地の文化的な構造を考慮せず、キリスト教はすばらしいから伝えるっていうことが
いかに欺瞞か、キリスト教徒はいいかげん知れよ
これはキリスト教徒にかぎらず、宗教家すべての課題だがよ
593 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 23:39:16 ID:ukO6V3s4
>>592 それらの行為も、すべて、「イエスを熱心に信じたことの結果」であることを、
忘れてはならない。「生来的な悪人」だけが、クリスチャンになるのではない。
594 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 23:46:23 ID:rc6yqoLO
近年のキリスト教は、仏教からぱくりまくって
なんとかヤリクリしてきたんだよ。
仏教が著作権にうるさくないのを悪どく利用して
英語におきかえて、ブッダのメソッドぱくりまくって
まるでキリスト教のものであったかのように
信者に教えてるしw
仏教徒弾圧したり、日本のお寺が金欲まみれになってる裏に
在日系のキリスト団体いるだろ?
595 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 23:50:22 ID:rc6yqoLO
イギリスは、スリランカを植民地にした時に
スリランカの宗教を徹底的に破壊して
キリスト教をねづかせようとしたけど失敗した。
あまりに論理的で完璧なブッダの初期からの教えを
まもってきたスリランカの長老たちを
キリスト教の長老たちや弁舌巧みな論者たちも論破できず
逆に返り討ちに合い、仏教を認めるしかなくなった。
それによってイギリス人によって
初期仏教のきれはしが日本にも伝来したのではあるけれど。
だが、欧米人は傲慢で独善的で負けず嫌いだから
だったら、、、ということで
仏教の使えるところをぜんぶ自分たちの宗教に
リメイクしようとした。
596 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 01:12:12 ID:izSKUxUd
>>589 その禅の高僧、一休は死に際、「わしゃ死にとうない!」とみっともなく騒いだそうじゃないか。
死に際に、自分が無になる恐怖と、この世への未練たらたらで、苦しみにまみれて死んでいったんだろ。
唯物論者の死の結論は、無だ。自分の存在が完全に無となる。
これは想像するだけで大変な恐怖だ。自分存在が、完全に無くなるのだからな。
しかもその時は遅かれ早かれ必ずやってくる。あんたにもね。
あんた自分は滅びる者だって自覚してんだろ。
だからあんたのような者は滅びると明かすイエスを逆恨みして、彼を呪う。
さんざん義人(聖人)を誹謗中傷してきた報いは当然あんた自身に降りかかる。
あんたはその我の強さから、滅びるのは確実だろう。
遅かれ早かれ、その時はやってくる。必ずやってくる。
さて、その時、あんたの精神は平常を保てるかね。
その話はこうだと記憶するが。
一休禅師がいよいよ死ぬとなって、弟子達がさいごに辞世の言葉を聞こうと枕元に集まった。
一休ほどの大徳だから、いかなる有徳な言葉が下されるだろうかと弟子達は銘々期待して待っていたが
一休禅師から頂いた言葉は「死にとうない」の一言。
医師「自分の名前がわかりますか?」 三平「田村正和」に匹敵する名言だと思うが。
598 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 01:41:47 ID:+Q7rU1fc
>>596 死ねば無になるからこそ、一切の苦悩も苦痛もなくなる。あるのは、
永遠の平安と休息である。まさに「涅槃」である。
しかし、自分が死んでも、住み慣れた我が家、見慣れた街角、この
世界は、そのまま残る。そして、自分の想い出は、残された、愛する者
たちの心の中に残る。これが、「死後の世界」である。
死後、無になるからこそ、生をよりよく生きる意欲が生じる。
宗教者には、このような平安も休息もない。それどころか、生の苦悩や
苦痛は絶えることなく繰り返され、恐ろしい転生や裁きが待っている
からである。
一休は、死に際して、生の唯一性とその価値を悟ったのである。
599 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 01:55:14 ID:+Q7rU1fc
宗教者は、死ぬ時まで、宗教のフィクションによる「自己欺瞞」を続けなければ
ならない。これほど惨めな、生と死があるだろうか。
一休はただの凡夫だよ。あれを悟っているとみなすなんて、禅者の迷いは深い。
>>598 果たしてあんたがその時になっても、
あんたが書いた心境でいられますかな。その時が楽しみですな。
あんたは間違いなく滅びるから。
とりあえず、ググれといっておくか、基本認識からして(ry ねる
602 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 02:02:29 ID:+Q7rU1fc
イエスの「復活」も、「再臨」も、「永遠の生命」も、生への執着以外
の何物でもないではないかw。しかも、イエスは、肉体さえ持って復活
したw。
イエスも、処刑前には、随分と心配し、悩み、苦しんだらしいね。
これも、一休の「死にとうない」と同じ「悟り」だったのかも知れないw。
>>602 復活なんてヨタ話、よく信じられるな。
妄想はほどほどにしとけよ。
>>571 > 国家の横暴に抵抗するに、世間の道徳で十全だ。
世間の道徳って何? 儒教とかキリスト教とか仏教とかで培われてきた倫理観のこと?
> 厳しいことを言えば、人生に目的なんぞなく、糞の役にも立たないのが人間だと
> 自覚させるもんだ。死して悔いなし、生きて損なしそれを教えるだけでいい。
目的もなく役にも立たないのに、死して悔いなしとは思えないでしょう。
目的もなく役にも立たないことと、死して悔いなし生きて損なし、の間をつないでください。
> 宗教が善悪判断をもちだし、人心を扇情すれば無駄な犠牲を産むだけ。
> 善悪判断は共同体のそれで間に合っている
> どうしてそこに宗教が必要だ
この場合の善悪はドグマ的なものだから問題を起こすということです。
八正道の「正」はドグマではない。
> というのは、八正道にはなぜそれが正しいのか、正しくとはどういう意味か
> という視点が抜けている。
ご隠居でさえその視点が抜けていることには気づくんだから、
そんなのはみんな気づいている。その上で、正しくとはどういう意味かを求め、
答えを得た時、八正道はようやく本来の機能を持てるようになる。
その答えに到達していないのは、あなたの問題。
> 八正道にあてはまらず、悟った者がいたとき、八正道にしたがわないから
> この者の悟りは偽物だと言うことがあろうか?
正しいがどういうことか分った時、八正道にあてはまらずに悟るということが
ほとんど論理矛盾であることに気づく。
>>574 > 道徳とは、連綿と過去から我々が受け継いできたものであり
> 共同体における文化的ホメオタシスである。実証により我々の理性を離れている。
> そして、歴史の風雪に耐えて我々が/を守ってきた絆である。それこそ誇るべきだ。
道徳って基本的に何らかの宗教がベースになって作られてると思うよ。
そしてそれはドグマであって、柔軟性があまりない。
(そのため非人間的な適用のされ方をすることがある。)
たとえば貧しい人に施しをすべきだ、というのはキリスト教の慈善であったり、
仏教で、来世の自分の幸福のために功徳を積むことだったりする。
でもそれはドグマだから、実際に施しをすることで、その人をスポイルする可能性については
あまり考えが及んでいないことも多いと思う。
> 自分たちの共同体を誇る。だからこそ相手の共同体も尊重する
それは心が狭いだけで、自分の共同体では非人間的なことが沢山行われており、全然ダメだ。
こっちの共同体の形の方が理想だ。と思うことはいくらでもある。
> だが、ここで自分の神を誇ってみろ。他人の神は尊重できまい。
何を思ってるかしらないが、自分の神を信仰しながら他人の神を尊重する人はいくらでもいる。
> 宗教(実存の解放)と善悪(社会生活)をいっしょにするな
政教分離はした方がいいと思うよ。それには特に反対しない。
共同体の価値観に委ねても構わないためにはいくつかの条件をクリアする必要がある。
1 その共同体が、ナチスやスターリン時代のソ連のようなヤバイ価値観で動いていないこと
2 その共同体において、自分自身や愛する者が「切り捨てるべきマイノリティー」に属していないこと。
606 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 06:01:18 ID:y7WEkFCJ
>>604 >>605 なりふり構わぬ宗教の「自己正当化」だけで、宗教の持つ「病理」を全く理解
していない。むしろ、宗教の病理そのものである。宝珠愚者氏だな。
まず、宗教と道徳とは、本質的に異なる。宗教とは、「人間にあらざる超越的
な存在と人間との関係」。道徳とは「人間同士の共生の技術」である。その
意味で、宗教は、本質的に反社会的・反道徳的である。たまたま、若干重なり合う
要素があったとしても、それは単なる偶然に過ぎない。
宗教は、「自分の救い」「自分の満足」「自分の解脱」を求める、カラス氏の
好きな「エゴ」の行為の典型である。そこには、他者へのまなざしは、皆無で
あるか、極めて乏しい。
釈迦がいう「正しさ」を理解している仏教徒がいるのか。釈迦でさえ理解して
いなかったと思われる。宗教の開祖や教祖には、このように、自分でも意味の
判らない「観念語」で、自己陶酔している場合が殆どである。イエスの「愛」
もそうである。
ヨーロッパの歴史をよく調べてみるとよい。「神の名」「イエスの名」によって、
一体どれほど多数の人間の生命が失われたか。少年十字軍では、判断力もない
多くの子供たちまでがイエスで狂わされ、無残な死を遂げている。
ローマ教皇は、先年、十字軍の行為についてイスラム教徒に謝罪したが、その
文面をよく読むと、「十字軍は、真理(verite)のために戦った」などという
言葉を使っている。本心から反省し、謝罪しているのでは、決してないのであ
る。
ユダヤ・キリスト・イスラム3教の「聖地」であるエルサレムが、現在、世界で
最も殺し合いの多い「最も呪われた地」であるのは、一体何故か。
ユダヤ教は、自分から侵略迫害を行ったことはあまりないし、キリスト教の
焼き直しと言えるイスラムも、被侵略国の人間を皆殺しにしたことはないようだ。
金を払えば、共存を許している。最大の悪は、やはりキリスト教(イエスの
教え)であることは、疑いの余地はない。
607 :
一在家:2009/06/12(金) 08:18:43 ID:vd+pKAC5
この板は哲学者、医師も含めて知能指数が高い人が多いようで、
使う言葉も難しく、ロジックも一般大衆(凡夫)には難解かと
存じます。
「常住と無常」の譬話を一つ考えてみました。
地上では空気はありますが(常住)、その状態(相)は変化(無常)
します。
太陽や雨雲や生物や周囲の空気の関係で気温、気圧、湿度、酸素濃度
は絶えず変化します(縁起)。
608 :
一在家:2009/06/12(金) 08:19:55 ID:vd+pKAC5
人が生活していく時に空気を意識(固執)する必要も無いですし、
なくなる心配をしてたくさん吸っても(欲)仕方ないことです。
だからといて、空気は存在しないと考えるのは浅はかな見解です。
以上、長部経典と法華経の「常住と無常、縁起」の譬話とします。
609 :
一在家:2009/06/12(金) 08:24:16 ID:vd+pKAC5
宝珠さんの使用する言葉「低級我」は顕在意識と言ったら
分りやすいかと思います。
アートマンは「真我」としますと、「真我」と「低級我」
との間に潜在意識があるように思います。
ここまでの意識の分類は心理学的用語で表現できるのでは。
610 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 08:30:52 ID:/BDyojGe
>>572 >八正道にはなぜそれが正しいのか、正しくとはどういう意味か
>という視点が抜けている。
そんなことは無い。
何のために八正道が説かれたのか、苦を滅し涅槃寂静の境地に
いたる道としてではないか?
その道は経典に詳細に説かれている。涅槃寂静にいたるなら
それは正しい道だろ。
釈迦は八正道で悟ったわけではない。無師独悟だといっていなかったか?
苦行やらいろいろ試行錯誤して、最後はスジャータのオッパイで体力をつけ
アシュバッタ樹(菩提樹)の木陰で坐禅して悟りを開いたのだろ。
八正道は釈迦の経験・ノウハウを秘密にすることなく惜しみなく誰にでも
説いただけだろ。
絶対的な「正さ」があるという考え方を否定し、かといって明らかに無駄な
「邪なこと」はせず「中道」をサイの角のようにただ一人歩めというのが
「八正道」だろ。
611 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 08:38:26 ID:/BDyojGe
>>609 そもそも意識が「我(アートマン)」だとすることが間違いだろ。
意識は私の意識であって意識が我(私)ではない。
私には身体もあり、五感もあり、想いもあり、意志もあり、認識も有る。
612 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 09:17:51 ID:/BDyojGe
>>607 >地上では空気はありますが(常住)
地上でも真空パックのなかのように空気の無いところは有る。
常住はただそこにあることを言うのではない。
時間を限定せずにいつでもあることを「常住」言うのだろ。
いつまでも有るかなんて寿命が限定されてる人には
誰も経験できない。経験できないことを形而上学的
事柄というんだろ。
だから、そんなことは議論してもしょうがないから無記とするのが
釈迦の教えではないか?
それに反しこの世が無常であることは誰でも経験してる。
「何かが常住である」なんてウソをいってはいけない。
613 :
宝珠愚者:2009/06/12(金) 10:17:06 ID:KMWsgp2R
今回のアートマンスレ4は投稿の進みが早いですね!
自分で考えて意見を交わすことは基本的に良いことです^^
-------------------------------------
>>611 そのように自覚できる自己は表層意識、顕在意識です。
それは低級我であり、自己の真実の本性ではありません。
あなたが信じないは全くご自由ですが、仏典も同じようにそのことを説いている。
自覚できない自己意識、潜在意識、更には集合的無意識など・・・
というものが在るくらいは精神科学の範疇でも気付いています。
614 :
宝珠愚者:2009/06/12(金) 10:18:23 ID:KMWsgp2R
>>577 >誤解を伝えてきた仏典なぞ捨ててしまえばいいでしょう?
>そんな伝統に依拠する必要はないでしょう?
仏典における記述の大部分は現在でも大変、有効です。
その仏典の記述を理解せず、それに逆らおうとする自称仏教者たちが問題なのです。
ここに巣食う自称仏教者たちは、仏教知識については恐ろしく豊富でありながら、
肝心の中身はカラッポで何も知らない。
>なぜ、神智学だけではだめなんですか?
>いずれにしても、ほっとけばいいじゃないですかw 捨てちまったらどうですか?w
>
仏典に何が書かれてあろうと、別に私個人は何も困ってはいない。
仏典の記述を無視し、その意味を曲解して説く自称仏教徒の影響を受け、
新たに仏教に触れる多くの人々が誤解していく様が、私には“勿体無い”ものとして映る。
>「ゴータマリスペクト」ということで了解しておきましょう。
それは間違いありません。
615 :
宝珠愚者:2009/06/12(金) 10:20:42 ID:KMWsgp2R
>>564 それについては、仏教枠で語ることは殆ど困難かと思います。無明が晴れるということは、自
己意識の焦点が低級我からアートマンに移るということであり、我々は意識の焦点を変えるた
めに修行(経験)を積むわけです。これは理論的に理解することによって達成できるものではな
く、自己変革を伴う体験そのものが必要です。
自己の行為によるカルマ(生前の情報)はアートマンに蓄積され、アートマンはその情報を元
にして来世のパーソナリティーを決定し、情報(カルマ)に適した両親を選択して、その肉に鍵を
下ろします。アートマンの情報は無意識層として貯蔵され、そこから新たな低級我を形成します。
つまり、低級我はアートマンによって形成されるのです。厄介なことは、低級我自体はアートマン
及び無意識層に気付くことはできません。
人は誰から教えられなくても、生れて間もなく第一人称として自己を「わたし」として意識します。
この低級我の“わたしは在る”という感覚(自覚)は、実はアートマンから来るものです。
神智学を使えば、より詳細に説明は可能ですが、ここではスレ違いにて控えています。
『あらゆる人はアートマン(自己)の存在することを意識する。決して「われは存在しない」とは考
えない。実に、もしもアートマンの存在が確定していないのであるならば、一切の人々は「われは
存在しない」と意識するに違いない。』
(シャンカラ著『ブラフマ・スートラ注解』.T,1,4)
> この低級我の“わたしは在る”という感覚(自覚)は、実はアートマンから来るものです。
そうかなぁ。無明からくるんじゃないかと思うけどな。
個に限定するところが実に無意味な気がするよ。
>>610 > 何のために八正道が説かれたのか、苦を滅し涅槃寂静の境地に
> いたる道としてではないか?
> その道は経典に詳細に説かれている。涅槃寂静にいたるなら
> それは正しい道だろ。
まったくもってその通り。
> 釈迦は八正道で悟ったわけではない。無師独悟だといっていなかったか?
> 苦行やらいろいろ試行錯誤して、最後はスジャータのオッパイで体力をつけ
> アシュバッタ樹(菩提樹)の木陰で坐禅して悟りを開いたのだろ。
苦行 → 無駄だった
役に立ったこと → 八正道
> 八正道は釈迦の経験・ノウハウを秘密にすることなく惜しみなく誰にでも
> 説いただけだろ。
そう。
> 絶対的な「正さ」があるという考え方を否定し、かといって明らかに無駄な
> 「邪なこと」はせず「中道」をサイの角のようにただ一人歩めというのが
> 「八正道」だろ。
人それぞれで、この人が今これをすると悟りに近づくが、これをやってしまうと
悟りから遠のくといったことはあるだろうね。
>>606 > 釈迦がいう「正しさ」を理解している仏教徒がいるのか。釈迦でさえ理解して
> いなかったと思われる。
それはない。理解していないのに人を涅槃に導けるはずもない。
これだけ涅槃、涅槃といいながら、
本人が涅槃に到達していないというのはまずない。
えっと・・・後は全部一神教関係の話かw
619 :
暁:2009/06/12(金) 11:09:39 ID:7zHwSOxg
>使う言葉も難しく、ロジックも一般大衆(凡夫)には難解かと
存じます。
>>607 自分を何様かと勘違いしてないない?
620 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 12:41:52 ID:p6Mus5iO
>>619 在家氏の話し方は皮肉のように聞こえるよね。
それに後半の例えもまちがい。
621 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 13:05:51 ID:p6Mus5iO
自分とは何か、という問いに答えるのは難しい。
ひとつのモデルとしては、操り人形と人形師の関係がある。
操り人形が五蘊の自分であり、人形師が五蘊外のアートマンである。
通常、意識は、操り人形を自分だと思っている。
この意識が自我意識であり、操り人形が宝珠氏の言う低級我なのだろう。
解脱後には、意識は人形師を知り、新しい意識を構築することになる。
この人形師が宝珠氏の言うアートマンなのだろう。
操り人形と人形師は同じではない。しかし無関係でもない。
本当の自分とでも言うべき存在である。
四諦・八正道については、つぎのような理解の仕方もある。
釈迦はそれらに基づいて成道したわけではないが、
解脱後に、自分の経過を振り返り、成道に必要なものとして整理した。
それにしても「正」という言葉の意味がはっきりしない。
パユットーさんの著作にくわしい。
あの解説よんでから経典読み直すと、ちゃんと書いてあるのもわかるはず。
624 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 13:38:59 ID:/BDyojGe
>>621 >人形師が五蘊外のアートマンである。
五蘊の外ってどこにある?
人形師はどこにいる?
自分が操られているとするなら外界・環境である「色」だろうね、やはり。
生物とは自己の領域(内界)を定めその外界である環境に対して開かれた
動的平衡を保つ存在ではないかな。
「人形師」などいないし、いらない概念だ。
自己制御こそ五蘊の機能だろ。「自灯明 法灯明」は正しい法だろ。
625 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 13:46:01 ID:/BDyojGe
>>622 >それにしても「正」という言葉の意味がはっきりしない。
正道か邪道かの判断ということではないか?
やってみて涅槃に近づけるなら正道であるし、それから遠ざか
るなら邪道ということでしょう。
涅槃寂静だから自分の気持ちが静まるなら涅槃に近づいてるのだ
ろうし、自分の気持ちがますます荒立ってくるなら涅槃から遠ざ
かっている、と判断したらどうかね。
626 :
絶対神:2009/06/12(金) 13:49:21 ID:CK2B3weT
創造論と創造科学とID論と進化論Part34
ここに真理を書いた、熟読しておけ。
627 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 13:56:29 ID:/BDyojGe
コテハン見りゃ、見るだけ無駄だと一目瞭然だね。www
628 :
暁:2009/06/12(金) 17:15:51 ID:7zHwSOxg
>>620 こういう人に当て嵌まるのは「驕」という煩悩だよね。
驕り誇り思い上がったその様を自分で客観視してもらいたい。
仏教とは程遠い人なんだと思う。
629 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/12(金) 17:58:17 ID:RsbRN2l/
(^。^)バカは偏在する。ばーい承狂♪
630 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/12(金) 18:02:53 ID:RsbRN2l/
(^。^;)漢字間違えた。(笑)
×偏在
○遍在
631 :
一在家:2009/06/12(金) 18:21:59 ID:vd+pKAC5
>>620 ID:p6Mus5iO
>在家氏の話し方は皮肉のように聞こえるよね。
>それに後半の例えもまちがい。
あなたは礼儀正しい人のように思います。
理由は、自身の譬え話をアップされるからです。
私も「常住と無常」を説く為の分り易い譬え話を、昨晩から
考えておりますが、中々うまくいかないです。
「意識とアートマン」も然り。
632 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 18:36:46 ID:1dd5ZAs9
>>624 >自分が操られているとするなら外界・環境である「色」だろうね、やはり。
この認識は正しいと思う。わかってるじゃないですか。
もう一回整理すると、操り人形(低級我)には操り糸がついており、
人形師(アートマン)が操っている。それを見ている観客(意識)がいる。
観客(意識)は操り人形を自分だと思う。これが自我意識である。
しかしその操り人形には命がない。
操り人形は現実のいろいろな物語を演じてくれる。
観客(意識)はそういった現実の物語こそ真実であると思い、
そこにいる操り人形を自分だと思って現実を理解する。
これらは体験の反省ですね。
そしてその思いで再び、ドンキホーテのように現実に挑む。
633 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 18:49:30 ID:1dd5ZAs9
>>631 ひとつのモデルにすぎないのですが、
常住なのは人形師(アートマン)、無常なのは操り人形(低級我)
観客(意識)は死後に消失? ・・・意識は無常かも?
>>615 肉体が低級我(自我)を形成するのではないのだろうか?
この低級我を釈迦はアートマンとしているから、五蘊は肉体五官の作用であるから、
「五蘊はアートマンにあらず」と言ったのではないのか。
そうした低級我を恒常のものとしたバラモン教の有我説を釈迦は否定したんだろう。
しかし、それがアートマンを霊魂や自分と解釈したために霊魂の否定となり、
哲学的な解釈に仏教がおちいってしまったのだろう。ゆえに真のアートマンは無我であり、
無常であり、常に流動の立場にあり、そこから縁起が出てくる。
何人も因果やカルマには逆らうことができないゆえんである。
636 :
宝珠愚者:2009/06/12(金) 19:18:20 ID:KMWsgp2R
---おまけ---
空海は、『声字実相義』の中で「五大にみな響き有り」と述べており、宇宙を構成する五大に
はすべて響き(振動)が在るとしている(
>>83参照)。「内外の五大に悉く声響を具す。一切の音
響は五大を離れず、五大は即ちこれ声の本体、音響は即ち用なり」と。
このことからも、『三教指帰』での「谷響き惜しまず、明星来影す。」とは空海自身の神秘体験
を述べたものであって、自分が唱える真言が谷間に響いている自然描写や単に天体(金星)を
見た、などといったものではないことが分るのです。
以下に、『三教指帰』序文の註訳〜を一部転載しておきます。
『そのころ一人の僧侶が《虚空蔵菩薩求聞持法経》を教えてくれた。その経典の中に「この経典の
教えるとおりに、虚空蔵菩薩の真言を百万回となえれば、あらゆる経典を暗記し、理解することが
できる」と説いてあった。そこで私はこれは仏様のお言葉であるから間違いないと信じて、木を擦っ
て火を出すときのような熱心さで、少しも怠ることなく、阿波の大滝岳にのぼり、土佐の室戸崎でこ
の教えの修行にはげんだ。すると、谷はこだまし、明星があらわれるなど、この経典に説かれてい
る通りの現証があり、奇蹟があった。それ以後、私は名誉や財産に対する欲望がなくなった---』
(渡辺照宏編集『日本の思想最澄空海集』筑摩書房刊)
637 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 19:24:22 ID:/BDyojGe
>>634 >涅槃の定義は何でしょうか?
「あさきゆめみしゑひもせす」・・・朝が来るまで夢みていない 酔ってもいけない
>>637 酔ってもないのに、浅い夢をみているような気がする
639 :
暁:2009/06/12(金) 19:52:49 ID:7zHwSOxg
>>636 そうですよね。瞑想体験であると理解するのが正解。
ご隠居は皮相浅薄この上もない時がある。
641 :
暁:2009/06/12(金) 20:16:20 ID:7zHwSOxg
世の中のあらゆるものは洗脳みたいなものだ。
ある意味人間は洗脳なくしては生きていけない。
それは教育や社会生活などすべてを含めて定義した場合だ。
問題なのは本人の利益にならない洗脳だよね。
例えば、仏教を学びたくてある教団に入信したのだが
気が付けば原価千円の壷を百万円で売らされてるとかね。
客観的に観れば明らかに騙されているにもかかわらず
本人は自分のためになっていると思い込み、何の疑い
も持たずに信じ込んでいる場合とかね。
これはホストと客の関係に似ているらしい。女性が
ホストに金を湯水のように遣うのは、ホストクラブ
において、その雰囲気や酒との相乗効果も加わり、
ホストとの間に、強いラポールが生成されるという。
そして何回も通うごとに、その洗脳はより強く、深く
なり、破産するまで…。
これの厄介なとこは、思い込みが洗脳をより深く、
強固なものにしてしまうことだ。オウムの信者が、
今だに麻原を崇拝していることでも分かる。
怖いのは死ぬまで洗脳が解けないことだ。
頑なであるように見える人も、実は強烈な洗脳下に
置かれてる人なんではないかと俺は思うことにしてる。
え?来世でも洗脳は解けない?そりゃあ困った(笑)
642 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 20:35:58 ID:R9PVNuV1
■☆☆☆☆☆★☆━━━━━━□■□■□■□■□━━━━━━━□■□■□■□■□☆☆☆☆☆★☆
■ 宗教者を初め、人間がいくら思考、議論、信仰しようとも、それは<人間の生物的生命の機能。> ■
死者には、いかなる営みも不可能である。生命を以って、「死後の生命」など思考することは、矛盾の塊。
この生存本能(生命)という普遍の基盤から離れた思考は、百人百様の「観念論」に過ぎず、いかに議論
しようとも、全人類的な合意に至ることは絶対に不可能で、紛争の原因となるだけ。その典型が宗教である。
ご隠居氏の深く冷静な洞察力は、秀逸・卓見で素晴らしい!!パーフェクト!! ■ ヽ(^。^)ノ
■☆☆☆☆☆★☆━━━━━━□■□■□■□■□━━━━━━━□■□■□■□■□☆☆☆☆☆★☆
>>604 >世間の道徳って何?儒教とかキリスト教とか仏教とかで培われてきた倫理観のこと?
こんなところで宗教の講義をすることになるとはなぁ…。
まず、創唱宗教と自然宗教を分けようか。
人類の黎明期において、生き残ることが善だった時代、人間の生活は神とともあった。
それは常に死の危険があり、生きることがすなわち自己存在証明だったからだ。
彼らは、生き残るために神に祈った。
人類はだんだん、生存確率が高い、大きな共同体運営をするようになったが
死の危険とまったく切り離されているわけではなかった。神権政治によって
自然の神の怒りに触れないように、いかに死者を出さず生きることができるか、
他の共同体と争いになったとき、いかに団結し勝利するか
そのための倫理が発達していった。これが共同体運営のための道徳だ。
人身御供などの倫理があったのはこのため。
当然、異なる神を信奉する共同体はどう扱うべきかという共同体間の道徳の
問題もあるが、このころ、生きることが善であるゆえ、共同体が互いに
生きる上で助け合えるなら異なる神々との交流も許された。神は人間が把握する
ものではないからな。こうして神話がつくられていった。
そののち、人間社会が成熟してくると、一見、死が目の前からなくなったような
社会状況が現出しはじめる。こうなると、人間が自然の中でいかに生きるかではなく、
人間は、人間社会の中でなぜ生きなければならないか?(内側からの自己把握)
また、自分たちの世界をどう把握すればよいか?(外側からの自己把握)がテーマになった。
しかし、これは「自然が実証によって明確な答えを出してくれる」というようなテーマでない。
人々は神話の解釈やら神託により、神慮を窺い、答えを見つけようと、もがいた。
しかして、そうした問いにこうだと答えを与えたのが創唱宗教を立てた人々だ。
ちなみに、鬼神についての言及を避けた儒教は、教えが実存と直結しているとは言い難い。
孔子は周の時代を理想として、世間が一番安定するにはどうすればよいか考え、
そのために道徳とはこうあるべきだと論じた。
つまり、既存の道徳の再整理を行っただけで、いわば自然宗教を体系化しただけだ。
日本の神道では義なきを義とすという古代の形式を残すが、これを抽象化し言語化したのが
儒教と言えよう。
それゆえか、中国では共同体からはみ出した者が奉る宗教が仏教であり
民間の者は道教を専ら信仰していた。儒教を信奉したのは政府の役人だった。
>目的もなく役にも立たないのに、死して悔いなしとは思えないでしょう。
>目的もなく役にも立たないことと、死して悔いなし生きて損なし、の間をつないでください。
ん?生きる価値がないなら、どう死んでもいいでしょう。悔いは残らない
むしろ、ここには生きる意味こそ必要だ。死に場所をえらぶ意味がね。
ここに、生物としての私の自覚、私を形作る因縁、私をとりまく環境の自覚がまきおこる。
つまり、自分のまわりの人、あるいは自分の住む世界、に資するような活動をすることに
冷静に目が向けられるというわけ。釈尊は周りの人の実存を解放することに専念された。
まあ、そんな難しいことを考えるより、
虚心坦懐になって、君らの信じる神、教えを捨て去ってごらん。
自分がいかに価値のない存在か分かるよ
何も残らないだろ、それだけ頼りにしてるのさ
>この場合の善悪はドグマ的なものだから問題を起こすということです。
>八正道の「正」はドグマではない。
もちろん、「正」とは真実という意味だよ、この真実には八正道という教義は必要ないね
>答えを得た時、八正道はようやく本来の機能を持てるようになる。
>正しいがどういうことか分った時、八正道にあてはまらずに悟るということが
>ほとんど論理矛盾であることに気づく。
ははぁ。分かった、ズレが。
あなたは真実とは八正道を実践している状態だと言っているわけね?
その生存のあり方が真実だと。
たしかに真実はわかったらそれで終わりというものではない。
知識ではないからね。理解と実践はちがう。
体得した生存のあり方を続けることが精神を涅槃の状態へと近づけるのだから、
八正道をつづけることが真実だと言えるわな。
というのも、人は社会に関わっていくとどうしても
自分を真実につなぎとめることはできなくなるからね。習慣、業の力と言えようか。
おれは、こういった上座部のスタンスは認めるよ。
でも、前にも言ったように金持ちしか実践できないよね、八正道。禅さえ難しい。
俺は、そういう形は廃して、真実を忘れなければよいという考え方。
大乗仏教徒とのちがいなのかなと思う次第。
おれは傲慢な大乗仏教徒は上座部より大嫌いだがね
>>605 >道徳って基本的に何らかの宗教がベースになって作られてると思うよ。
うーん。難しい質問だねえ
まず、自然宗教と創唱宗教を分けようか
実存の解決は創唱宗教の方だから。
そう理解した上で、俺は基本、花が美しいと思うのも、女性をみて興奮したりするのも
水が清いと感じるのも、今この瞬間に永遠を感じるのも
人の宗教性による作用だと思っている。人として因果と言おうか。
科学では、世界は均一だ。母親の涙も、小便もおなじ価値しかない。
だが、我々は世界に濃淡をつくる。不均一性をね。
これは生きていく上でというより、生き残る上で必要な感覚だよ、
我々が生物である限りは。
そして、これはわれわれの実存を知る上でも必要なものだね。
さて
集団をつくる動物っているよね?
アリやら、魚やら、トムソンガゼルやら。
そういう動物たちも、仲間が傷つけられると防衛本能が働く。
彼らが宗教を信じていると思う?
ところで、人間ひとりの体だって、細胞が協力しあっているんだぜ?知ってた?
なぜ、彼らはこうだー!と信じることなく、これらの規範を守られると思う?
それは、実証されてるからだよ
そもそもなぜ、君らは仏教を信じていると思っている?
われわれが仏教徒なのは日本が仏教を伝えてきたからだろ
それなのになぜ日本仏教を否定してこうも釈尊を愛慕すると思う?
それは釈尊の魔力?
釈尊を愛慕するのが実存で、おれらを仏教徒にさせたのが世間の道徳だと俺は考える。
>それは心が狭いだけで、自分の共同体では非人間的なことが沢山行われており、全然ダメだ。
>こっちの共同体の形の方が理想だ。と思うことはいくらでもある。
うん。前にも言ったように、道徳が共同体運営において機能すると評価できるのは
自然淘汰によって実証されたものだからだよ。いわば自然という神から勝ち取った絆なわけ。
急ごしらえでつくられた道徳、理性的につくられたルールはカントが指摘したように
理性が信用できないものだけに、恐ろしい結果を招く可能性がある。
歴史も示しているから知ってるよね?
今、世界はようやく共同体間の連絡が深まり、骨肉の争いによって覇権を立てるという行為は
少なくなってきた。まあ、中国やらはひどいけどね。宗教家は何も言ってないし。
そういうとき、我々が大切にしなきゃいけないのは、君の実存のよりどころの神ではなく、理性でもないわけ。
歴史的なアーキテクチャに裏付けられた、共同体の倫理だよ。
>何を思ってるかしらないが、自分の神を信仰しながら他人の神を尊重する人はいくらでもいる。
うん。よく読もうな。おれは宗教を否定しているわけじゃない。
神の名において道徳概念を持ち出す人間について論じているんだよ。
>1 その共同体が、ナチスやスターリン時代のソ連のようなヤバイ価値観で動いていないこと
>2 その共同体において、自分自身や愛する者が「切り捨てるべきマイノリティー」に属していないこと。
うん。超どうでもいい議論だね。
俺は世間で理性的に話されていることを実行すべきとは一言もいってないからね。
そもそも理性というものは疑わなければならない対象であるのはカントを否定しても揺るがないものだ。
おれは、歴史的アーキテクチャというものは人間の理性を越えているという考え方なの。
そういう意味において、共同体の善たる道徳は優先されるべき事項だと言っている。おk?
つまり、ナチスが、ドイツやフランス、ソ連の内部にある歴史を尊重するなら、
それは認められるべきだし、それに反した行為があったなら罰せられるべき。、
マイノリティが切り捨てられるべきかはそのマイノリティがその社会に順応しているかどうかで
判断されるべき。以上。
649 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 22:06:23 ID:Hjhm6Q26
>>535 >谷響き惜しまず、明星来影す
この、雄大で美しい言葉を自然描写とすれば、何人も感動する。空海は、稀代の
名文家であったことを忘れてはならない。
この詩を、空海のちっぽけな精神世界や神秘体験に矮小化すれば、感動するのは
信者だけである。従って、感動は普遍的なものにはなり得ない。
>>610 それは否定してないよ
方法論として八正道があるんだよ。
釈尊がこれが一番分からせやすいだろうと思ったものが
八正道としてまとめられた。
だが、それが真実ではないということ。
いわば、的を打ち落とすように弓矢を渡されたが
どう射てばいいか分からない状態が修行者なのさ。
八正道は真実じゃない。八正道を行ってよるべなきものだと
体感することが真実なんだよ
651 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 22:41:35 ID:Hjhm6Q26
>>648 >おれは、歴史的アーキテクチャというものは人間の理性を越えているという
>考え方なの。そういう意味において、共同体の善たる道徳は優先されるべき
>事項だと言っている。おk?
西部流の「歴史至上主義」に似ているが、西部は、その歴史自体も、特定国土
及び風土における人間の生存のために、生存本能に基づく人間の理性と感情に
よって形成され、現在も形成され続けていることを忘れている。その意味で、
「歴史至上主義」には破綻がある。何時の時代においても、歴史は、「その時
点における現実」に対応する努力の中で作られたのである。歴史を尊重するの
はよいが、歴史に執着し、信仰したら、そもそも歴史は生まれていない。
652 :
一在家:2009/06/12(金) 22:42:42 ID:/Bos1HJu
>>633 >人形師(アートマン)、無常なのは操り人形(低級我)
>観客(意識)
観客(意識)は人形師(アートマン)が見えない。
人形師(アートマン)は観客(意識)も操り人形(低級我)も
見えている。
良い喩えだと思います。
653 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 22:52:38 ID:Hjhm6Q26
>>651の続き
その意味で、マルクス主義のいう歴史的必然などという考えは誤り。因と果と
の間に存在する、存在し得る、無数の未知の「縁」に思い至っていないから
である。
宗教の「予言」は、論外である。
654 :
旧7:2009/06/12(金) 22:55:35 ID:dPW1SOuj
>>652 ったく・・・w
≪「アートマン」が「見る」(或いは「知る」)≫とはどういうことか、解説して貰おうか。
見る、知る、等、これらは五蘊(十二処)に於けることなんだけどな・・・。
655 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 22:55:39 ID:vdE8tKcl
>>623 パユットー師に言及されるということは、真言様ですか?
是であれば、御投稿の継続を御願い致します。
>>652 心が分かれているようじゃ悟りじゃないぞ。
アートマンは無我であり、無常であり、苦であると知るべし。
657 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 23:26:34 ID:FF9Hhuje
>>652 良い喩えというか、あんまりピッタリしていて、気持ち悪いものがある。
操り糸が霊子線のような気もする。
658 :
旧7:2009/06/12(金) 23:36:11 ID:dPW1SOuj
>>657 人形師は、「覚者とならない限りは」
「観客に働きかけることもできず」「人形を操ることもできません」。
人形師が、人形師であることを思い出すのが、「悟り」「涅槃」ということ?w
人形師であることを思い出せば、
寿命を何万年も伸ばしたり、水の上を歩いたり、何でもかんでもし放題ってことですかwww
659 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 23:37:06 ID:vdE8tKcl
>>652 もしもアートマンが蘊そのものであるならば、生滅を持つことになる。
もしも蘊から異なるのであるならば、蘊相を持たないことになるだろう。18.1
常住なはずの我が無常な人形を操るならば、必ず関わらねばならぬ。
否であれば操りようがない。関わるならば無常に堕す。
660 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 23:44:14 ID:Hjhm6Q26
>>655 パユットーのことをWikiでしらべたら、何とテーラーワダではないか。
彼は、タイの人は楽をもとめて、いつもニコニコしているなど言っているが、
それは、宗教で人為的に造り上げた笑いである可能性がある。本当の笑顔
であるかどうかは疑わしい。カルト宗教の人は、いつも意味も無く笑っている。
これほど気味の悪いものはない。
661 :
暁:2009/06/12(金) 23:45:58 ID:7zHwSOxg
もろもろのブッダは「我(アートマン)が有る」と仮説し、
「無我(アナートマン)である」とも説き、また「アートマン
なるものは無く、無我なるものも無い」と説いた。
(18.7)
心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。
真理は不生不滅であり、実にニルヴァーのごとくである。
(18.7)
他のものによって知られるのではなく、寂静で、戯論
によって戯論されることなく、分別を離れ、異なった
ものではない。これが真理の特質(実相)である。
(18.9)
中観派においては定説というものが無い。
戯論は「空」においては滅びる。
662 :
旧7:2009/06/12(金) 23:48:14 ID:dPW1SOuj
>>659 支援しときますねw
カラスや宝珠説が持つ難点の一つはここにある。
663 :
暁:2009/06/12(金) 23:49:15 ID:7zHwSOxg
誤爆w
ニルヴァーナね
>>660 パユットーさんの解説、わかりやすくて良いと思ったんだが
スリランカの坊さんはお嫌いとな。
どのソースだったら納得できますのんか?
1.中村元
2.前田惠學/前田專學
3.片山一良
4.浪花宣明
5.増谷文雄
6.水野弘元
7.渡辺照宏
8.宮元啓一
9.鎌田茂雄
もしくは
A.北伝大乗仏典系
B.南伝パーリ仏典系
>>651 別に歴史上の何かを尊崇するというのではない。
長くその土地を治めてきた文化構造がもっとも実証された安定な構造であると
自明な態度をとっているだけ。
ゆえに人間が冷静に社会生活をおこなう上で、これに従うのが妥当な対処だと言っている。おk?
たとえば、自分がこうしなければ気が済まないといった実存に固執する問題は
そのときそのときの民衆が熱狂的にこれをとりいれ、無用な混乱をまねく可能性がある。
ゆえに、こういった宗教的な態度は歴史的に多くの犠牲者をうんできた。
さらに俺は、政治体制をまったくかえるなとは言っていないからな。
歴史的アーキテクチャを考慮にいれて、モデル型ではなく補完型によって
これをかえていくべきと言っている。
たとえば、政治的な仮説とよばれるものがあって、
これをすれば世の中がよくなると言ったとする。
しかし、これには実証性がないわけだ。
論理がいくら正しく、理性によって非の打ち所がない論理としても
人間の知性には限界がある。ちょうど環境ホルモンが意識外からの恐怖であったように。
カントが理性に信用がおけず絶望し、神に祈ったのはある意味道理だ。
ゆえに、仮説はマーケティングやら他国における実証をみて、
害をおこしていないか冷徹に判断してから慎重に導入すべきもの。
そういっているわけだが?
女は男と平等であるべきだ、成績で上下をつけるのはかわいそうだ
大いに結構。だが、それらの実存を社会的善悪の場面にもちこむなと言っている。
666 :
神も仏も名無しさん:2009/06/13(土) 00:41:26 ID:gFh1JKFx
>>664 オウムに見られるように、小乗仏教(原始仏教)は、カルトの原因になりやす
い。また、小乗やヒンドゥー教の国は、争いが多い。
浄土真宗は、仏教界のキリスト教。一向一揆によって、社会に大きな害毒
を流した。現在でも、左翼思想との親和性が高い。
やはり、道元ではないかな。道元は、世界最大の思想家であると評価する
哲学者もいる。
667 :
旧7:2009/06/13(土) 00:50:46 ID:JjJq4lsB
>>666 馬鹿だろ?w
>>664は、「“解釈”の系譜」を示してるんだよ。
原典・オリジナル・金口の説法を言ってるんじゃない。
道元を出すなら、《今、道元の思想がどのように解釈されているのか、その系譜の上で》言うべきだろw
っんとに、どいつもこいつも・・・ ┐(;´ー`)┌
おやすみ ノシ
>>665 結局、正しいとはどういうことか、自分の内部に見えてるものがないってことだよ。
だからアーキテクチャがどうとか、そういう外部に頼る形になる。
>>667 予想されるレス
「馬鹿は妄想にひたっている宗教者」
「開祖の言葉の一字一句にこだわるの方が馬鹿」
670 :
宝珠愚者:2009/06/13(土) 08:02:52 ID:IRBky7os
>>649 あのだねぇ〜仏教は宗教なのですよ。
それが気に入らないなら、トットと出て行って下さいなw
『ぶっ‐きょう〔‐ケウ〕【仏教】
釈迦(しゃか)の説いた、仏となるための教え。キリスト教・イスラム教とともに世界三大宗教の一。
しゅう‐きょう〔‐ケウ〕【宗教】
《 religion 》神・仏などの超越的存在や、聖なるものにかかわる人間の営み。古代から現代に至
るまで、世界各地にさまざまな形態のものがみられる。』(Yahoo!百科事典)
>>666 その浄土真宗が輪廻転生を害悪だとして否定する伝統宗門の代表です。
あなたにピッタリの宗派です!!
671 :
宝珠愚者:2009/06/13(土) 08:04:10 ID:IRBky7os
>>621>>632 「操り人形と人形師」とは、
これはなかなか良い喩ができたようですねぇ!(これは使えそうです)
>>658 >人形師は、「覚者とならない限りは」
>「観客に働きかけることもできず」「人形を操ることもできません」。
はぃ、そこがポイントなのです。
覚者となるべきは人形師ではなくて、操り人形の側です。
それまでの間は、操り人形は人形師の指示(操作)に正しく反応することはできないです。
>人形師が、人形師であることを思い出すのが、「悟り」「涅槃」ということ?w
>人形師であることを思い出せば、
人形師は自分を決して忘れてはいません。
指示に従わない操り人形が人形師の存在に気づくのを暖かく待っているのです。
操り人形は、いずれ何をしても旨くいかないことに気付いて、
その原因が自らの身勝手な(自滅的な)行動にあることを悟ります。
その身勝手な欲求を鎮めて静かにしていると、
操り人形は人形師からの微妙で絶妙な糸引きを気付くことができるようになり、
それに素直に従うようになるのです。
最終的には、人形師と操り人形は一つに溶け合い融合する。
>寿命を何万年も伸ばしたり、水の上を歩いたり、何でもかんでもし放題ってことですかwww
人形師と融合した操り人形(元々、人形師一人しか存在していなかったのです)は、
自由に舞台裏でもどこへでも行き来し、劇場という制約を受けません。
いろいろ言ってても、全然実感が伴ってない件をどうするよ。
673 :
宝珠愚者:2009/06/13(土) 09:02:31 ID:IRBky7os
>>672 実感できないのは当然です。
通常時は、アートマンを低我では感知することはできないのです。
存在を感知したときに、人はそれを神秘体験というのです。
これを体験すると、永遠の生命(意識)存在を知ることになるので、
つまり、それまでの無常なもの(死んだら終わりとなるもの)に対する興味は全て消え失せるのです。
『この経典に説かれている通りの現証があり、奇蹟があった。
それ以後、私は名誉や財産に対する欲望がなくなった---』
>>636 仏典(仏教)は低我と求めるへ゛き自己/高我(アートマン)を説いています。
>>スレ3/931
『二つの自己-----最初期の仏教においては、二種の異なった自己を想定していたことがわかる。
一方は悪徳煩悩の基体としての自己であり、凡夫の日常生活のうちに認められる。--略--これに反
して他方は理想として実現さるべき自己であり、その真実の状態は聖者が具現しているものである。
簡単にいえば、小我と大我、と呼んでもよいであろう。ただその両者は相即しているものなのである。』
(中村 元著『原始仏教-その思想と生活』p88-89/NHKブックス刊)
>>673 そういう意味じゃないだろw
じゃあその神秘体験を経験して、無常に対する興味が全て消え失せたのかい?
その自分の体験に基づいて話しているのかい?
675 :
宝珠愚者:2009/06/13(土) 09:36:12 ID:IRBky7os
>>674 それは、どうも失礼したぁ m(__)m
私自身の自己の実体験にもとづいて語っているとしたならば、
もう、恐らく私はすでに並の人間ではないでしょうね。
空海レベルか、それ以上かもしれません・・。
しかし、残念ながら-それはないです。
かといって、全く何もないかというとそういうわけでもない。
物質科学では未だに認めていない現象を現実にこの目で見ましたし(物体移動)、
また、別に内的な体験は何度もある(詳細は述べません)。
客観的に第三者に何か示せるようなものはないです。
物体移動は幻覚(や内的体験など)ではないので、
同席していればあなたも目撃できたでしょう(私にとっても1度だけの体験です)。
あとは、理論的に自分で納得しています。
物体が移動したからって、何が面白いのか。
そんなもの見たって
「うわー、すげー」って、気分的なものを満足させた、
という以上の事実はあるまいよ。
サーカス見て喜ぶのはいいけど、それと内的な問題は
まったく関係ないと思わない?
677 :
宝珠愚者:2009/06/13(土) 10:03:54 ID:IRBky7os
>>676 >サーカス見て喜ぶのはいいけど、それと内的な問題は
>まったく関係ないと思わない?
そういう問題じゃないですよ!
「物質科学の常識は間違いである」という事実確認が自分自身にできた、
という重大な意味を持つのです。
これは仏典の説いている内容に対する「信」(信頼性)へと繋がるものです。
そこに価値がある。
>>668 >結局、正しいとはどういうことか、自分の内部に見えてるものがないってことだよ。
これはその通りだな
こう、素直に見つめることができるから。実存に振り回されない。
>だからアーキテクチャがどうとか、そういう外部に頼る形になる。
外部にたよる、というより、外部は外部にまかせるべきだ、という冷静な
対処ができると言っている
>>677 それってただ「懐疑的視点」から「なんでもあり」の前提に移行しただけじゃないか。
無批判に信じるようにはなったかもしれないが、それでは盲信との区別がつけられまいよ。
>>678 その考えは次善としては否定しないけど、見えてない部分で限界あるね。
>>680 なるほど。まあ、それは見解の相違というところか。
すべてを把握するということをあきらめるということが
科学的な態度にはない宗教的な態度のもっとも真髄にあるところだと思っているのでね
ご静聴ありがとう
ちなみにおれは真宗信者なんだけどね、少なくとも自称は
683 :
宝珠愚者:2009/06/13(土) 10:40:03 ID:IRBky7os
>>679 「なんでもあり」ではない。
識別でしょ!
684 :
神も仏も名無しさん:2009/06/13(土) 11:05:50 ID:69XsSO72
>>650 >八正道は真実じゃない。八正道を行ってよるべなきものだと
>体感することが真実なんだよ
あなたは仏典を読んだうえでこのように解釈してるの?
このスレでは仏典の根拠を示すお約束になってるようだから
仏典から引用しておくね。
「わが齢は熟した。わが余命はいくばくもない。汝らを捨てて、
わたしは行くであろう。わたしは自己に帰依することをなしとげた。
汝ら修行僧たちは、怠ることなく、よく気をつけて、よく戒めをたもて。
その思いをよく定め統一して、おのが心をしっかりとまもれかし。
この教説と戒律とにつとめはげむ人は、生まれをくりかえす輪廻をすてて、
苦しみも終滅するであろう」と。(大パリニッバーナ経 第三章五十一の一部)
これは釈迦の修行僧に対する遺言だね。これを聞いて理解できない修行僧がいるとは
思えないけどね。
八正道を実践するとどうしてよるべなきものになるのだ。
「自灯明 法灯明」だろ。自己こそ自分のよるべとしっかり観じるのが自灯明であり
それは自己に帰依することだね。
「この教説と戒律」を便りとするのが法灯明・法に帰依することだね。
そもそも、仏法僧に帰依することから仏教修行が始まるのだろ。
685 :
神も仏も名無しさん:2009/06/13(土) 11:18:08 ID:69XsSO72
>>670 >あのだねぇ〜仏教は宗教なのですよ。
それはまた心の小さいことで・・・。www
お釈迦様の手のひらのようにとは言わないが、
仏教は宗教なんてせまいものではなく文化であり、美術であり
哲学であり、道徳であり、商売であり、儀礼であり・・・・
なんでもありだろ。
八正道を行って、
よるべなきものだと体感すること
が真実なんだよ
その意味において八正道は真実。
八正道そのものが真実ではないと言っている
自己に帰依するというのは欲望に任せるという意味ではない。
かといってマニュアル通りやればいいというものでもない。
じゃあ、何?というところに真実を体得するための視点が必要になる
687 :
神も仏も名無しさん:2009/06/13(土) 12:59:36 ID:69XsSO72
>>686 >自己に帰依するというのは欲望に任せるという意味ではない。
そうだね。自己は欲望ではないからね。
欲望をよるべといっていたのか?だからよるべなき者は欲望なき者
と同じだと。
それだと「自己を島(灯明)とし」の意味がわからないだろ。
「よるべ」は「島(灯明)」でいいんじゃないか?
688 :
神も仏も名無しさん:2009/06/13(土) 13:12:55 ID:69XsSO72
>>677 >「物質科学の常識は間違いである」という事実確認が自分自身にできた、
>という重大な意味を持つのです。
物質科学というなら物理学や自然科学なんでしょうね。
自然科学で常識ということは自然科学の定説ということでしょうね。
あなたは具体的に自然科学の定説で間違いである説を特定しなぜそれが
間違いであるのか論文をかけますか?
689 :
神も仏も名無しさん:2009/06/13(土) 13:28:48 ID:8uko86Wo
690 :
神も仏も名無しさん:2009/06/13(土) 13:48:37 ID:ppEabN4O
いろは歌の意味をアップ
花は咲いても、やがては散ってしまうではないか
命がいつまでも続く人間などいない
意義深いはずの今日という日も過ぎてしまえば
まるで夢を見ていたようである 酒に酔っていたわけでもないのに
>>687 >そうだね。自己は欲望ではないからね。
アートマン信者?
ちがうでしょ?
自灯明、法灯明というのは
早い話、真実をたよりとしなさいと言っているの
自分は欲望の存在であるし
法は所詮マニュアルだ
じゃあ、何に?それをつなぐものが真実。
真実に従うなら、真に自分に従うことができるし法にも従える
八正道と同じ落とし穴にはまってるね
ここでいう自己も法も同じ意味
釈尊も自己も法も同じなのだから、
真実をあきらかにするために自分の存在を客体化し、
そこでは、あえて自己と法を強調したまで。
釈尊に執着するあまり、真実のあり方を曲げるなということ。
692 :
神も仏も名無しさん:2009/06/13(土) 15:11:35 ID:VvrtWG1r
>>671 >覚者となるべきは人形師ではなくて、操り人形の側です。それまでの間は、操り人形は人形師の指示(操作)に正しく反応することはできないです。
「操作」に「正しく反応する」かなど問題ではない。「操作」そのものが問題なのだ。
第一に「操作」は無常な行為だ。もしも否なら「操作」し得ない。第二に「操作」するには「人形」と関わらないと不可能だ。そして「操作」出来無いなら“人形師”ではなくなり、「人形」とは全く無関係だ。つまり「操作」するなら必ず「人形師」は無常に堕す。
>人形師は自分を決して忘れてはいません。 指示に従わない操り人形が人形師の存在に気づくのを暖かく待っているのです。 操り人形は、いずれ何をしても旨くいかないことに気付いて、その原因が自らの身勝手な(自滅的な)行動にあることを悟ります。
だったら元々「人形師」などいらないではないか。「人形」は「指示に従わない」ことが可能であり、「その原因が“自らの”身勝手な行動にある」のだから。「人形師」を要請する必要が何処にあるのか?
693 :
神も仏も名無しさん:2009/06/13(土) 15:15:12 ID:1Ro2PffE
通りすがりの者です。
仏教ってとても深いんですね。
主に海外のスピリチュアル系の本を好んで読んでいるのですが
仏教は今まで食わず嫌いしてました。
しかし結局同じこと(真理)を別の言葉で表現、説明しているだけで、
目指す(?)ところは一緒だと感じます。
今までもったいないことでした。
どうしても葬式仏教のイメージがあったものですから。
議論の途中で失礼しました。
>>673 低我が感知しないなら、一体何がアートマンを感知するのですか?
>>621 あえていえば、人形師も操り人形も同じ自分。
つまり前世での霊界に関係しているのが人形師。
操り人形は現世の自分。現世の自分は仮の存在であり、
無常であり、無我である。恒常ではないゆえんである。
>>633 常住、常でもなく、無常、断ずることもなく、
中道、断常の中道。
697 :
神も仏も名無しさん:2009/06/13(土) 16:39:54 ID:ppEabN4O
心の中で、観客(意識)は操り人形(低級我)を自分だと思っている。
その心でこの現実に立ち向かい、生きるわけだが、
その生き方が人形師(アートマン)の操作に反するとき、
良心が痛み、さらには操り人形に仕掛けられた死への願望が発動される。
生きる意味を見失い、あるいはひどく虚無的になってしまう。
観客(意識)には選択できる自由意志が与えられている。
操り人形(低級我)を選ぶとその行く手に死が現れる。
人形師に気づき、人形師の操作に一体化しようとすれば生が現れる
生きる目的などないと考えるようになる原因は、
観客(意識)が操り人形(低級我)になりきってしまうからである。
かれらはこの現実を操り人形の舞台であると勘違いする。
かれらは人生を演じる。これは虚無主義である。
才能のある人は、才能があるがゆえに、
操り人形やら舞台などが見えてしまい、虚無主義に落ち込む可能性が高い。
これに対して、正義や道徳などを信じて誠実に謙虚に生きている場合には、
ヨブ的な180度転回という救済の道が残されている。
701 :
宝珠愚者:2009/06/13(土) 17:47:19 ID:IRBky7os
>>685 >文化であり、美術であり
>哲学であり、道徳であり、商売であり、儀礼であり・・・・
それは後の人間が“勝手につけた”付加価値です。
>>688 自分が科学的に説明できないことが、非科学的事実がなかったことを意味しません。
事実現象は元から在る。その説明の術は後に構築されるのです。
理解のキーポイントは、
全てはエネルギーであり、エネルギー以外には存在しない。
物質の究極は無限的な分割性にあり、波の性質を持つ。
究極の状態においては互いに干渉し合うことができる。
>>694 感知できるようになります。
書物を読んでも無理です-----修行に拠る
>>683 いまのところ、なんでもありにしか見えないんですが、
じゃああなたが否定する超能力はどういうものですか?
またその理由をお願いします。
>>681 こちらこそありがとう。
真宗ですか。とてもシンパシーを感じます。
その合理性と共に真宗という感性はいいですね。
八正道の何が「正」なのかというテーマ
1 悟る前は、「正」が何であるのかわからない。
いろいろ考えて結論を出し、それを実行し、そしてうまく行かないなら悔い改め、
そして再び実行する。その繰り返し、試行錯誤の連続である。
そしてある日、「正」が何であるかがわかる日が来る。
2 悟った後は、釈尊が「正」を強調した意味を改めて思い知り、
以前とはまったく違う観点から「正」をとらえ直すことができるようになる。
自分で「正」だと思ったことを実行すること、これが「正」である。
「正」で問われていることが、その人の思いであることを理解する。
3 「正」がほんとうに「正」であるかどうかは人間にはわからない。
しかし「正」を選ぼうとする「意志」は「正」である。
これが釈尊の八正道で言う「正」はないかと思うのですね。
705 :
宝珠愚者:2009/06/13(土) 18:17:30 ID:IRBky7os
>>705 超能力は無批判に全部認めてるんだったら、
なんでもありとしかいいようがなかろうよ。
「超能力に対して懐疑的」→「超能力について無批判に肯定」
という図式しか見えない件について話しているわけで。
708 :
宝珠愚者:2009/06/13(土) 18:34:08 ID:IRBky7os
>>706-707 デタラメやインチキもある、という意味は理解します。
しかし、「在り得ない」などというのは無知である証拠です。
>>708 なかなか話通じないんだけど、
どういうのがデタラメでどういうのがそうじゃないわけ?
同じこと旧7氏が前に聞いていたような気もするけどw
一応いっとくけど、俺はありえない、なんてひとこともいってない。
が、認めるにも認めないにも根拠ってあるんじゃないか?
710 :
宝珠愚者:2009/06/13(土) 18:47:27 ID:IRBky7os
>>709 聖者にはそれができる、ということについては説明してきたし、
仏典の記述も紹介してきた。
個々のケースがインチキかどうかについては、
当人の精神性の高さと説く教えの妥当性やトリックの有無など・・でしょう。
それについて述べることは難しい。
現時点での私には、
「在り得ない」とする無知に対する批判しかできない。
>>710 そうじゃなくて、仏典に記述があることと、それが真実であることを
どうやってつないでいるのか、ということですよ。
仏典に記述があれば全部OKなんだったら、
三十二相だって円盤宇宙論だってみんなOKなはずでしょう?
象徴的に理解すべき事柄と、事実として理解すべき事柄(超能力など)を
どうやって区別しているのかと聞いているのです。
712 :
宝珠愚者:2009/06/13(土) 18:56:00 ID:IRBky7os
>>711 逆質問したいと思う。
あなたは全否定ではないという。
では、あなたが認める超能力って、一体どれ?何?
>>704 仏教を学んでください、としかいいようがないのです。
八正道は仏教の教えの一つにすぎないのですから。
714 :
偽本尊:2009/06/13(土) 19:16:58 ID:73hv8PG4
>704
何が「正」かはスッタニパータに載っている。
ああ、見付からない、引用できない。
確か、涅槃に向かうかどうかだったような。
715 :
旧7:2009/06/13(土) 19:24:08 ID:JjJq4lsB
横から失礼w
>>712 チャーマーズ風に言うなら、《「自然的因果関係」に反しない》という感じじゃね?
或いは、《
>>688のような部分に抵触しない》とか。
で、貴方方はそれを 「狭い、唯物論的世界観でのみ見るから、信じられず、すぐに却下してしまうのです」
と批判してきたんだろ?w
今更、逆質問されて答えるような事ではない筈だが・・・w
(
>>701が
>>688の応えになってるとは到底思えないし・・・。)
716 :
神も仏も名無しさん:2009/06/13(土) 20:21:53 ID:5+FbobZ7
また、あいもかわらず超能力の話が出てきているが、いい加減に下らない与太話は止めたらどうか?
「超能力が実証された例は皆無」
これは動かしようのない事実であり、あると主張するものは所詮「ボクはあると信じてる」と言う信仰の範疇でしかない。
717 :
これが売国だ:2009/06/13(土) 20:26:38 ID:yeb7VcK6
★マスコミがスルーする鳩山氏の恐ろしい発言
民主党鳩山氏、「政権交代するため、韓国からご協力を」…韓国・李大統領実兄「小沢氏の在日参政権推進に感謝」
民主党鳩山氏、「日本はアジア諸国と濃い友情を」「靖国・教科書などは日本が清算」…※ 韓国で講演
民主党鳩山氏、「独島問題は日本の外交的失敗」「日本側が歴史を正しく理解すべき」…※ 韓国で講演
民主党鳩山氏、「靖国参拝を中断しない限り、韓国・中国の信頼を取り戻せぬ」と小泉首相を批判…※ 韓国で講演
民主党鳩山氏、「在日韓国人に一日でも早く地方参政権を付与しなければならない」…※ 韓国で講演
民主党鳩山氏、「中国と韓国が含まれない安倍政権の価値観外交では東アジア共同体の実現は不可能」・実現に必要なのは「友愛外交」…※ 韓国で講演
民主党鳩山氏、「サハリンに残留する韓国人の韓国への永住帰国は日本人としてやらなければならない問題」…※ 韓国で講演
民主党鳩山氏、「(慰安婦)被害者に補償をし、名誉を回復していくのは当然だ」…従軍慰安婦問題の解決を促す決起集会で講演
民主党鳩山氏、「中韓の主張を聞く方が変という偏狭なナショナリズムが…」「国益を損なってでも公約を守るのか」…小泉首相の靖国参拝を批判
民主党鳩山氏、「首相が靖国参拝をすると、中国・韓国は裏切られることに」「教育基本法改正に強く反対する」…安倍首相を批判
社民党福島氏、「与野党逆転で教育基本法を元に戻し、教師の免許更新制の廃止目指す」
民主党鳩山氏、「日教組と国を担う覚悟です」
718 :
神も仏も名無しさん:2009/06/13(土) 20:50:18 ID:5+FbobZ7
この宝珠とか言う奴の論法は
>>701 の「非科学的事実がなかったとは言えない」
のように「完全否定できないのだから、ある」と言う典型的なオカルト信者の主張パターンだな。
超能力を肯定するなら、まず自らその存在を実証しなけりゃ話にならん。
>>712 大体、
>>716と同じ意見で、
自分としては超能力は、自分ができるようになって再現性を確立できないと
「ある」とはいえない気がするんだよね。
逆に「ない」というのはもっと断定しにくい。ご隠居が「ありえない」と断定することは
大体ありえたりするように、原理的に否定したつもりでも実際ありえたりすることもあるから
ないと断定するのは実に難しい。
その意味で自分のスタンスは
「超能力は有無双方に関して断定する材料に欠いている」というのが基本。
まぁ身近なところで、自分にできそうで再現性がありそうなのは、お守りかどうかを当てるとかね。
お守りは目をつぶって触ってるとジリジリする。波動が高いか低いかくらいは分る「気がする」。
下準備とかやる気しないし、あまり再現性確認する気なかったけど、
やってみたらできるかもしれないしできないかもしれない。
でもこれって仮に再現性が確保されたところで超能力なのかは疑問だが。
ただね、仮にこういうことできたから何?という気が非常にするわけですよ。
空中浮遊とかも意味ないとしか思えない。
予知能力やテレポーテーションなら便利だと思うけど。
ただ、生活上便利なだけでね。悟りと何か関係あんのかと。
721 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 02:49:46 ID:bo65Q/w2
>>713 あのさ、仏陀は真理に至るには、八つの聖なる道、八正道しかないと言い切ってるんだよ。
それをお前ら末法仏教徒にかかれば、八正道は方便の一つ、
本質的にはあまり意味が無いものにされてしまう。
なにが正しくなにが正しくないか。なにが善で、なにが悪なのかもわからず。
なぜ真理に至るには八正道なのかもわからないのは、お前らが涅槃とはなにか知らないからなんだよ。
お前ら末法仏教は邪見ばかりだ。特に禅宗。
道徳を馬鹿にし、良心の呵責もなしにエゴのまま生きる獣が悟っているなんて、
お前らは邪見を通り越して、邪教なんだよ。
ゴータマの仏教は、とどのつまり、今生において、八正道を勤めあげる。これに尽きる。
八正道をないがしろにするものは仏教じゃないから。お前らは仏教の看板おろせって。
一休禅師さんって
すんごいハチャメチャな人でしたね
目の見えない障害者の女の子をめちゃくちゃ犯したり
皮肉ばっかり言って、周囲の人の心を傷つけたり
死に際は
かなり情けないこと言ってましたね。なんであんなにグレちゃったとですか?
723 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 03:47:43 ID:bo65Q/w2
>>722 だから一休なんてただの凡夫だって。
こいつを悟っていたとみる禅者の迷いは深い。
精神的に幼稚な彼らは、一般的に正しいと言われていることの逆のことをすれば
悟っている人らしい(苦笑)
こいつらにいわせると、道徳を重んじる人は悟っていなくて、不道徳に生きる人は悟っているらしい。
こいつら禅宗は、ゴータマの仏教とは違うから。
724 :
一在家:2009/06/14(日) 05:00:46 ID:UA+2tyVE
また超能力が議論されてますね。
唯物論者と哲学者には否定派が多いようです。
科学者には肯定派も半分はいると思います。
釈尊が説かなかった、無線通信やコンピュータも実用化。
情報もソフトウェアも質量は零、霊です。
IEEEでも超能力の論文があり、博士号をとった人もいます。
まあ、偽の超能力者もおりますが、超能力は研究から応用に入っています。
725 :
一在家:2009/06/14(日) 05:13:40 ID:UA+2tyVE
大宇宙の実相を見れば、万物・万象は大調和の相をとっている。
これが究極の涅槃の相だ。
この板で参照少ない法華経の方便品も参考になります。
726 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 05:30:39 ID:UA+2tyVE
四諦で至る境地から、究極の境地へ至る道があるそうですね。
それは菩薩向けの説法かも、空海はご存じだった。
727 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 07:33:08 ID:UyoMxEWK
>>725 大宇宙など考えなくても、あなた自身の身体も同じです。
一在家氏は、どちらの系統のカルトですか。やはり大本系やGLA?
宝珠愚者氏は、すべてのカルトの特徴の塊。
あなた方は、カルト被害の現状をどう考えているのですか。
明らかなことは、すべてのカルトには、キリスト教の影響があるということです。
728 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 07:55:15 ID:GzaTfppn
>>713 >仏教を学んでください、としかいいようがないのです。
>八正道は仏教の教えの一つにすぎないのですから。
反論するなら、あなたの考えを簡潔に述べてくれたら助かります。
仏教を学んでくださいでは、反論になっていませんね。
人形師(アートマン)と操り人形(低級我)との関係
これを明らかにしろ、とだれかが言っていたような気がする。
これについては、まずあなたが、肉体と生命を別々に分け、
生命を目に見えるようにつまんで見せてくれたら、説明してやろう。
あなたは肉体と生命の関係を<知っているから>生きているのか。
それとも、それを知らなくても生きているのか。
>>727 > 明らかなことは、すべてのカルトには、キリスト教の影響があるということです。
キリスト教以前にはカルトがなかったとでもいうのか
と、以前指摘されただろうに。
731 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 08:23:15 ID:UyoMxEWK
>>730 あくまで、現代のカルトの話をしている。大昔のことなど、誰にも
わからん。
しかし、人間の営みでありながら人間を軽視・否定するという倒錯に
陥ったキリスト教ほどのカルトはなかったものと推測される。ユダヤ
教も、民族の生存のための「行為規範」である。キリスト教のような、
生存を離れた甘ったれた「精神規範」ではない。
すべての人間に共通する唯一の普遍の事実は「生存本能」だからである。
732 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 08:24:47 ID:KU0V8xJJ
超能力とは無能力に他ならない。
>>731 誰にも分らんとか、推測されるとか言ってないで、
少しは歴史書読めよ。
大体、現代の話をしてるなら、そう書かなきゃ言語として機能してないだろ。
自分がすっかり忘れちゃってるのを誤魔化そうとするなよ。
神通力や超能力に関しては、
そういったものが<ある>とも<ない>とも断定できない。
部分的には<ある>かもしれないし、まったく<ない>かもしれない。
答えを知るための最善の方法は早く悟ることである。
そしたら今までに語られていない能力を知るかもしれないのである。
サタンによって、<不運>の陣で周囲を囲まれたヨブ記のヨブは、
神を知ることで<幸運>を手に入れる。
こういった<幸運>を呼び込む能力かもしれないのだ。
735 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 08:47:35 ID:KU0V8xJJ
肉体と生命の関係ははっきりしてる。生命は肉体の機能であり、その行動として目に見える。アートマンも低級我も目に見えない。
736 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 08:50:19 ID:UyoMxEWK
ヨブ記の後半は、「神様信じればハッピーになりますよ」という、安っぽい
宗教の宣伝に過ぎない。旧約としては異質で、極めてキリスト教的。
ヨブが最後まで神に反逆して、不幸の中に死んでこそ、初めて文学作品と
しての香気と迫力が保てたのである。
>>731 >すべての人間に共通する唯一の普遍の事実は「生存本能」だ・・・
どんな見解をもとうが基本的に個人の自由ですが、
この見解は十牛図の第六(騎牛帰家)であり、悟りにはまだまだ先があります。
今はまだ<上がり>ではなく、悟りへの中途だと思われます(^^)
>>735 生命は肉体の機能であるという見解があるなら、・・・唯物論
肉体は生命の機能であるという見解もある。・・・唯心論
肉体は生命の機能であることがわからないなら、肉体と生命を別々にし、
生命を指でつまんで示してください。そしたら説明しましょう。
739 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 09:12:41 ID:tLkHhefm
デュオニソス崇拝のマイナス
740 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 09:13:54 ID:tLkHhefm
は間違いなくカルト。
741 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 09:23:14 ID:KU0V8xJJ
肉体はもの、機能はこと。ことはもののけ。
<十牛図>は悟りの階梯を教えている。
牛は<本能>であり、真の自己は月(明星)によって示される。
また白い円は、真の自己(生命=アートマン)が球体であることを示す。
第七(忘牛有人)・・・真の自己(月or明星)を見るという体験である。
第八(人牛俱忘)・・・真の自己(月or明星)との一体化である。
これは禅者が言っている<空>ではない。
十牛図はどこで瞑想すべきかを教えている。
少なくても第六(騎牛帰家)の後、本能をコントロールできてからである。
その前にやっても、雑念に邪魔されて瞑想が深まらない。
本能のコントロール、ここに修行があるのであり、
この修行の後に、瞑想があり、悟りがある。この道を仏教が採用している。
この道によれば、空海のような若さで悟ってしまうということもある。
聖書の場合は、神の霊が下ってから、霊に導かれ、荒野に出かけて瞑想する。
霊に導かれているので、魔境に悩まされる禅病はない。
>>736 たしかに文学的には、ヨブ記の最終章は蛇足のようにも思える。
しかし最終章が言わんとすることは理解できる。
ヨブからサタンが引き上げたのである。
745 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 10:21:43 ID:G/9Jhkbt
このスレでも臓器移植のことが出たけれども、
今、TV『サンデープロジェクト』で臓器移植法改正について取り上げ中!
------------------------------------
>>704 この説明はなかなか良いように思います。
我々、凡夫のレベルでは確かにこういうことであるように思われました。
>「正」がほんとうに「正」であるかどうかは人間にはわからない。
>しかし「正」を選ぼうとする「意志」は「正」である。
これはいい表現ですね!
「正」を求める意識があれば、いうことないと思います。
現代社会は大分、そういう方向性に向いてきたように思います。
しかし、昔の時代は違いました。
一権力者が自己の欲望を満たすべく社会を支配し、
それ以下の者たちは強制的に従属させられる恐怖政治でした。
746 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 11:11:55 ID:G/9Jhkbt
747 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 11:13:58 ID:G/9Jhkbt
>>711 >仏典に記述があれば全部OKなんだったら、
>三十二相だって円盤宇宙論だってみんなOKなはずでしょう?
>象徴的に理解すべき事柄と、事実として理解すべき事柄(超能力など)を
>どうやって区別しているのかと聞いているのです。
私は、「仏典の記述であれば全てOKだ!」などとは、このスレでは1度も主張したことがない。
そして、記述の通りに受けてしまうことを原理主義として批難してきました。その区別の理由につ
いても述べてきたと思います。
例えばこれは、三つの神通力に分類が可能かもしれません。一つは「必要な能力」。二つ目は
「可能な能力」。そして、三つ目の最後として「無意味な能力」です。私としてはこういう説明もどう
か・・とは思うのですが、便宜を図るための喩えにはなるかもしれません。
この「必要な能力」とは何か?というのはなかなか言い難いことです。ただいえることは、仏道修
行の過程における取得達成の段階としては、自己意識のコントロール(制御)の能力が求められる。
その成果として必然的に付随するのが神通であり、これは達成度の一つの尺度としても見なされる
ものです。これが六大神通の話であると思う。
この基本を理解した上で、可能ではあるが、有用であるか無意味なものであるかという判断があ
るでしょう。三十二相については、能力を発揮すれはそういう実際的な肉体変化も可能であろうし、
また、相手にそのようにして見せる(幻覚を見せる)こともできるでしょう。しかし、その徴が聖者の
物的証拠に成り得るという妥当な正当性が見られるかどうか、ということです。
748 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 11:16:16 ID:G/9Jhkbt
>>715 >チャーマーズ風に言うなら、《「自然的因果関係」に反しない》という感じじゃね?
>或いは、《
>>688のような部分に抵触しない》とか。
奇跡現象/神通力(超能力)というものも、当然、自然界の摂理に沿っているのです。
物質自然科学というものは、その“部分だけ”しか気付いていない。
>>688 >自然科学で常識ということは自然科学の定説ということでしょうね。
>あなたは具体的に自然科学の定説で間違いである説を特定しなぜそれが
>間違いであるのか論文をかけますか?
私の記憶違いでなければ、量子力学上の実験で量子(粒子)は人間の思念の作用に反応することが
確認されたというのがあった筈です。大槻教授もTVタックル「超常現象バトル」中で肯定論者側からそ
のことを指摘されると、「それはあくまでも量子の分野での話しだ」としてこれを認めていました。
しかし、量子の世界で起きたということは、“物質は思念の影響を受ける”という確認以外の何ものでも
ないのですよ。日常における平常時で、物質の三態が(人間の思念を受けて)特に変化していないかとい
って、奇跡現象や超能力の否定理由としての根拠としては稀薄と化したということです(理論として成立し
なくなった)。
この量子力学上の実験が、何年で誰による検証実験であったか・・もし、ご存知の方はお願いします。
749 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 11:28:37 ID:Tz+sChyH
>>748 すべての動物の種属は、それぞれの生存に最も必要な能力を持つ。
その意味で、超能力者を自称する者は、人間ではなく、獣に堕した人間
である。
思念そのものが、電子の作用によって生じる。順序が逆。
750 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 11:37:32 ID:9GiOEO1Z
>>74 お前はろくに知りもずに一般通俗本ぐらいの知識で量力に言及するのは止めな。
恥かくだけ。
思念が物質に干渉するだ?
アホですか。かつてそのようなとんでも理論を言った学者がいたことは事実だが、現在、そのような話は学会では議論の対象にもならないのは常識。
隠れた変数の不存在と思念の干渉とは全く関係ない
751 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 11:39:22 ID:9GiOEO1Z
752 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 11:58:29 ID:KU0V8xJJ
そうだね。ベル不等式やリベットの実験で意識が物理作用しないことは明らかだろ。
753 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 12:06:10 ID:G/9Jhkbt
>>750 ---教えてくれることは助かります。
では、あのときの大槻教授の態度は何?
あれは古い情報をそのまま、ただ受けていただけだったということですか?
>>749 人間は唯一、食物連鎖から逸脱した動物であって、人間の持つ発達した前頭連合野(人間だけ
が有するという)の働きは、あなたのいう、共同体だの種族繁栄だのといった生存本能マンセー理
論を補足するものじゃない!
であるから唯一、人間だけが種族間の殺戮を止まない異なった動物なのです。だから、人間を他
の諸動物と同列に判断してはいけないということ。これを制御するのは別の理論に拠るのです。
>思念そのものが、電子の作用によって生じる。順序が逆。
そんな・・ただの神経組織ニューロンの電気反応みたいなものが“精神そのもの”じゃないから。
では聞こう!何故、肉(ただの物質の集合体に過ぎない有機体)が勝手に電気信号活動を始める
か?これを説明してみなさいな!
まっ、思念は精神活動の所産であるとはいえる。
思念は「エネルギー波」ですw
754 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 12:07:17 ID:G/9Jhkbt
>>666 >オウムに見られるように、小乗仏教(原始仏教)は、カルトの原因になりやすい。
>また、小乗やヒンドゥー教の国は、争いが多い。
まず、
あなたは前提とすべき基本的理解に乏しいようです。
『なお明治以前の中国や日本の仏教では、小乗仏教の中に部派仏教だけでなく、部派以前の
原始仏教をも含めていたが、小乗といわれるべきものは形式的な部派仏教だけであって、原始
仏教や根本仏教といわれる初期の仏教は小乗とすべきではない。』
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』春秋社刊)
755 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 12:22:33 ID:G/9Jhkbt
>>750 >現在、そのような話は学会では議論の対象にもならないのは常識。
ということは、
あなたは学会の常識を知れる位置にいる方なんですね!?
まっ、私自身が物体移動(ポルターガイスト/心霊存在によると思われる)をこの目で目撃しているし、
この現実に起こっている現象を正統な?科学者たちが未だに知らず、
または説明できないでいるとは情けない限りです。
事実を自分らの無知によって無事実に摩り替えるのならば、ただの無能の集まりに過ぎない。
756 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 12:31:24 ID:13jhRXGf
宝珠愚者さんは仏教スレにも良く来るんだね。
>>746 >あなたは肉体と生命の関係を<知っているから>生きているのか。
>それとも、それを知らなくても生きているのか。
この文章は、アートマンは五蘊外であるという主張に対して、
それなら五蘊外(生命)と五蘊(肉体)はどう関係するのかと言う、
空論者や唯物論者に対する反論です。
>>729 省略しすぎて、意味がはっきりしなくなったようですね orn
758 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 12:36:11 ID:9GiOEO1Z
>>753 大槻が「思念は物質に干渉する」と言ったのなら、はっきりと間違い。あいつは全てプラズマで説明しようとする、おかしなところがあるので、そのくらいのことは言ったのかもしれんが。
「思念がエネルギー波」????
そんなものが観測された事実はない。適当に妄想で発言するな。
あとお前が挙げて過去ログ あれが超能力 あるいは非科学的事象の実例のつもりか?
そんなのは本屋にいけば、その手の本は山ほどある。もっとすごいのがいっぱいあるぜ。
俺が言いたいのは、そんな何の検証も成されていない与太話ではなく、学会等で多くの批判的検証に耐えた実証例があるのか?と言うこと。
今までそのような例はなく、全て其れを主張する奴等が言ってるにすぎないことだ 言いたいわけ。わかる?
つまり、信仰の範疇なの。
759 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 12:38:11 ID:G/9Jhkbt
>>757 >空論者や唯物論者に対する反論です。
>>729 >省略しすぎて、意味がはっきりしなくなったようですね orn
でしたか!了解しました(笑)
それは失礼しました m(__)m
760 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 12:49:02 ID:G/9Jhkbt
>>758 >大槻が「思念は物質に干渉する」と言ったのなら、はっきりと間違い。
(削除したけど)録画もしていて繰り返しみたので間違いなし!
>あいつは全てプラズマで説明しようとする、おかしなところがあるので、
>そのくらいのことは言ったのかもしれんが。
了解-たしかにダメな人ですw
>「思念がエネルギー波」????
>そんなものが観測された事実はない。適当に妄想で発言するな。
疑似科学用語にてスマナイ m(__)m
しかし、いずれは認められるでしょうね!
エネルギー以外のものは存在しないので、思念もエネルギー波動として認知される日がくるでしょう。
>学会等で多くの批判的検証に耐えた実証例があるのか?と言うこと。
確かにない!
しかし、本格的な検証実験として採り上げてないだけでは??
761 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 12:49:37 ID:9GiOEO1Z
>>755 超常現象を信じない科学者は無能の集まりかね?
それなら、俺の周りにいる者は皆、無能者となるな。
お前はまるで、科学のことをわかってない。科学はお前が脳内で考えるような妄想とは全く違うのだよ。
ある一つの有力な仮説が提示されれば、世界中の学者がそれに批判的検証を加える。それに耐えたものが法則として現在、認められてるの。それこそ何千回もの追証してね。
その積み重ねで人類は現在の知見を獲得できたわけ。お前の脳内妄想と一緒にするなよ
762 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 12:54:57 ID:G/9Jhkbt
>>761 要するに、説明可能なものだけを対象にし、
現実に起こっている現象(説明できる手段がないもの)には、目をつむるということですね!
763 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 13:01:51 ID:9GiOEO1Z
>>760 「思念もエネルギー波動として認知される日がくるでしょう」
これは単にお前の願望にすぎない。科学における、絶対のタブー。個人の願望は完全に排除しなくてはならない。
検証するに足ると認められるものは、当然検証する。よく、超常現象系の論文は門前払いだなどと言うやつがいるが全くそんなことはない。どんなにくだらない論文に対しても門戸は開かれている。
ただ、反証するに足る論文が皆無なだけ。
764 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 13:05:11 ID:G/9Jhkbt
761
>その積み重ねで人類は現在の知見を獲得できたわけ。
ま〜立派であるとは思う。
確かに、私たちはその恩寵に預かっている。
765 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 13:09:19 ID:9GiOEO1Z
>>762 とんでもない。「現実におこっている」現象なら、当然、合理的説明を探求する。なぜなら、現時点における知見により、説明不可能な現象であるなら未知の法則の発見につながるからな。それこそ、こんな魅力的な話はないんだよ。科学者それこそ皆、飛びつくさ。
問題は「現実に起こっている」保証が全くないこと。
つまり再現性の欠如
766 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 13:15:47 ID:G/9Jhkbt
>>763 >ただ、反証するに足る論文が皆無なだけ。
まっ、科学教育の素地のない人からが多いだろうから・・。
では、一層の研鑽に励もう!
私は何も科学が認めたとはいってないので(量子論の実験の話
>>748は保留としますw)。
>>747 > 私は、「仏典の記述であれば全てOKだ!」などとは、このスレでは1度も主張したことがない。
> そして、記述の通りに受けてしまうことを原理主義として批難してきました。その区別の理由につ
> いても述べてきたと思います。
問題は神通力に関してです。仏陀の超能力に関しては、仏典に書いてあるから信じろ。
そうでないなら仏教やめろという論調しか見た記憶がないのです。
> この「必要な能力」とは何か?というのはなかなか言い難いことです。ただいえることは、仏道修
> 行の過程における取得達成の段階としては、自己意識のコントロール(制御)の能力が求められる。
> その成果として必然的に付随するのが神通であり、これは達成度の一つの尺度としても見なされる
> ものです。これが六大神通の話であると思う。
自己意識を制御すると、どうして神通が付随するのですか?
無批判に「付随するものである」と定義されているように見えるのですが?
> この基本を理解した上で、可能ではあるが、有用であるか無意味なものであるかという判断があ
> るでしょう。
ではまず基本からお願いします。それは本当に基本といえるのですか?
生まれつき目の見えない娘に「『色』って何?どんなもの?」と尋ねられた父親が、
「音楽が沢山の音でできているように、この世界は沢山の色でできているんだよ」と答えた。
それ以来娘は、赤い紙と青い紙の破れる音を聞き分けるなど、色の違いから音の違いを認識できるようになった。
その一方で、水の流れる音、風の吹く音――透明なものが発する音は聞こえなくなってしまった。
日本では、東北地方に、お肉の貸し借りの話が、けっこう伝わってます。
江戸時代の飢饉のときに、お隣のお婆さんの、左足を分けて貰ったとか、
うちの祖先の肉を食べて、生き延びたくせにとか、
昔からの言い伝えや、確執が、今も農家に伝わっています。
人のお肉を食べると、病気が伝染しないかって、問題だよね。
ヘロドトスは、スキタイ人のことを、自分の身体の中に、
亡くなった母親を埋葬するって、書いてました。
むかし、インドに行った時、
ポンティシェリのイギリス人が、こんなことを言ってた。
インド人を品種改良して、お肉のおいしい人種を作ると、
人口問題と食糧問題が、一挙に解決するって。
子供の頃から、将来は、おいしいお肉になって、
みんなに食べてもらうのが、最高の幸せって思うように飼育すると、
人間は頭がいいから、自分で自分を飼育するでしょう?
手間がかからずに、妙案だなあって、思ったことがあります。
770 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 13:38:11 ID:GzaTfppn
>>768 作り話、乙。目が見えなくても真っ暗闇ではないでしょう。
目をつぶっても、明るいところであれば赤みがかった色がある。
実際のところは、当事者に聞かないとわからない。
771 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 13:40:40 ID:GzaTfppn
>>769 ご隠居がこういったブラックユーモアが好きなんだよね。
772 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 15:33:40 ID:9GiOEO1Z
もう一度言っておくが、「仏典の中には神通力に関する記述があり、ボクはそれを信じます」
こう言うのならば、何ら問題はない。「あぁ、そうなんですか」で話は終わり。それは「個人の信仰告白」であり、他者がどうこう言うことではない。
問題はその神通力とやらが、「普遍性を有する客観的事実である」かのように主張すること。
そうなれば、「それは間違いである」とこっちも指摘することになる。
特定の一宗教内の教義に関する話ならともかく、現在我々が存在するこの世界の普遍的な事実である
と主張するのであれば、まず自らそれを実証しなくてはならない。
さらに、前の人も指摘していたが、「神通力を信じられないのであれば、仏教を止めろ」
この主張も問題があると思うが?
773 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 17:55:36 ID:UddK0SAe
日本には<この現実は空である>という主張をしている人々がいる。
こんな馬鹿げた主張がをしている人々がいる原因は何だろうか?
1 般若心経なる怪しげなものが禅宗で基本経典にされている。
そして禅宗ばかりでなく、日蓮宗を除く、その他の宗派も受け入れている。
さらに修験道、神道にまでも受け入れている人々がいる。
日蓮宗は法華経に基づくが、この経自体が<空>思想に基づいている。
2 今でこそ中村先生などの詳細な<中論>研究が簡単に入手できるが、
それ以前は漢訳を読めないと<中論>を読めなかったわけであり、
<空>を正しく理解する僧侶はほとんどいなかったといっていいだろう。
その代役を般若心経が果たしていたのかもしれない。
3 そしてさらに、詳細な<中論>研究にも関わらず、
いまだに<空>が誤解されているのは、竜樹の<中論>自体が詭弁じみていて、
わかりにくいことにある。解説書を読んでも何のことやらわからないのだ。
そのために再び、怪しげな般若心経に舞い戻る。
4 僧侶がそんな状態だから、普通の人はなおさらである。
竜樹の<空>が、愛憎とか善悪の相関関係を語っているなどとは思わない。
般若心経の<空>は縁起していないから<空>ではない。
この現実を無意味に<空>とする考え方は単なる唯物論である。
<空>を主張している僧侶は単なる唯物主義者である。
ここに気づいた唯物主義者は般若心経に共感するかもしれない。
こうして空論者と唯物主義者の立場は一致する。同じ穴のムジナだ。
かれらは、生命は肉体から生じる、肉体の機能が生命である、
あるいは生命とは肉体に分散して存在する、などと虚しく主張している。
そして生命が五蘊外のアートマンであるなら、
五蘊である肉体との関係を明らかにせよ、などと甘えたことを言っている。
そう主張するなら、手術で切断された手足に生命があることを証明すべきである。
おかしいじゃないか、どうして切り取られた手足に生命がなくなるのか。
患者は手足がなくなっても、前と同じ「わたし」という完璧な意識を持っている。
それはなぜなのだろう。考えてほしいね。
776 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 18:34:49 ID:UtmQ8JiW
>>773 >>774 物やこの世界が実在するとはどういうことか。それは、君の目に映じる(五感
で知覚できる)からである。それ以外に、「実在」を証明する方法があるかね。
「本当には」実在しない、仮想現実かも知れない。しかし、人間は、その仮想
世界の中に生きており、それ以外には生きる場所はない。
君の目に映じる物や世界は、つぶさに見れば、それ単体で実在しているのでは
なく、もろもろの事物との関係において実在している。例えば、目の前に見える
机は、無数の原子、さらには電子、素粒子の関係的結合により構成されている。
これが、「色即是空・空即是色」の意味である。
反論できますか?
>>776 生命をまるごとそっくり忘れている。生命とは何か?
778 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 18:49:17 ID:UtmQ8JiW
>>775 同じく肉体の一部である脳を切り取られたら、「わたし」という意識
はなくなる。
生命の中枢がどこにあるか、明らかであろう。
精神(理性と感情)とは、生命が宿る肉体を維持するための「道具」
に過ぎない。本末を転倒してはならない。
779 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 18:55:47 ID:UtmQ8JiW
>>777 生命を以って、「生命とは何か」を知ることはできない。主体と客体
が同一だから、観測は成立しない。知りうるのは、生命の機能としての
生命現象のみである。
>>778>>779 問題になっているのは生命そのものです。
生命と死とは別のものではないのか。
それはわからないというボヤキは敗北でしかないでしょう。
少ないけど「自分の生命を見た」という証言が残されている。
たとえば空海や十牛図である。
781 :
一在家:2009/06/14(日) 19:21:19 ID:UA+2tyVE
脳腫瘍で脳の何割かを切除した人がいました。
どうなったと思います?
記憶も意識も残り、通常の生活をしています。
唯物論者なら、それは普段脳の一部しか使っていないから、と言うかも。
空海のみならず、かのアインシュタインも宇宙の大調和を感じて、宇宙に意思ありと提唱しました。
日本の素粒子論の父、湯川博士もまた、
「科学は宇宙のある絶対なものとつながっていることを否定できない」と。
この板だと、お二人は信仰者にされそうです。
782 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/14(日) 19:27:48 ID:ETh9msIg
>776
物質の素粒子の構成を理解する事と、
仏教の空という概念は、
全く別だ♪このボケ茄子が♪(笑)
783 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 19:28:58 ID:UtmQ8JiW
>>780 既に述べたように、生命を以って「生命そのもの」を知ることはできない。
生命の有無は、「生命現象」の有無以外では判断できない。生命現象の
消失を「死」と呼ぶ。
空海も、自分の生命を以って見たに過ぎないから、その観測自体がナンセンス
である。
784 :
旧7:2009/06/14(日) 19:43:46 ID:DAKkT9rg
脳と聞けば「どこも一緒、部位なんか関係ない」と思ってる馬鹿発見w
>>781
アートマン(生命)は五蘊ではない。五蘊の外にある。
五蘊の外とは、この現実ではなく、心の中に広がる世界を言う。
心の中にあるものを見つける技術が瞑想である。
死は五蘊の話である。アートマン(生命)は五蘊の外にある。
だとすれば、死はイコール生ではなく、ふたつは別ものの可能性が高い。
それを確かめるには自分で体験する以外にない。
そろそろ瞑想を始めたらどうでしょうか。
786 :
旧7:2009/06/14(日) 19:50:47 ID:DAKkT9rg
>>785 ほうw
「心」って、(漢字だけどw)日本語だよね?
ちなみに、パーリやサンスクリットでは何て言うの?
で、ブッダは「“それ”(日本語で言う“心”)」を五蘊の外へ置いたの?
或いは、「“それ”の中に広がる世界」を、五蘊の外に置いたの?
教えて偉い人w
787 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 19:52:06 ID:UtmQ8JiW
>>781 アインシュタインも湯川博士も、そのちっぽけな肉体の一部である、
ちっぽけな脳で考えただけ。
脳も、その箇所によって、さまざまな機能を分担している。一部を
切除しても、他の箇所が補償して生命を維持する。しかし、当該切除
箇所の機能は障害される。脳幹を切除すれば、必ず死ぬ。
Something Greatの存在などを口走る極く少数の科学者がいるが、科学
は、専ら対象(現実界)の厳密な観察を基礎とする。対象たる現実を
離れたSomething Greatなど考えたら、対象の厳密な観察が妨げられ、
そもそも科学が成立し得ない。
なお、アインシュタインは、「私は、科学で証明される限りにおいて
神を信じる。私は、スピノザの神を信じる」と言っている。スピノザ
の神とは、「神即自然」である。自然に神が宿るのではなく、あるが
ままの「自然そのもの」が神なのである。
宗教者は、何故「宇宙」のことばかり言って、自分の身体という「小
宇宙」を知ろうとはしないのかね。観測も困難な大宇宙ではなく、自分
の身体は観察が容易であり、身体に宿る複雑さと神秘は、大宇宙のそれ
と比べて勝るとも劣らないのである。
788 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 20:02:01 ID:UtmQ8JiW
>>782 釈迦が、素粒子のことを知らなかっただけw。
しかし、その原理は、現代でも完全に通用するではないか。
時代、風土、人種を超えて通用する原理を、「真理」と呼ぶ。
この意味での、仏教における「真理」は、何だと思うかね。
789 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 20:05:34 ID:9GiOEO1Z
>>781 あのね、そうやって偉大な功績を残した科学者の誰それは神を信じていた と言う奴がこの宗教板では絶えないが
彼らが自己の業績に神の干渉を許した例はない。
つまり、熱心なクリスチャンである科学者が偉大な発見をしたからと言って神が実在することにはならない。
いい加減に、自己の教義を正当化するのに科学及び科学者を出すのはやめたらどうか?
ちなみに、アインシュタインについては全くの誤認
790 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 20:41:51 ID:1u/rwAHM
このスレを見て素朴な感想
「どうして唯物論者が仏教を信仰しているの?」
791 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 20:46:41 ID:tLkHhefm
在家氏の論理で言えば記憶や意識に障害が残った人は霊魂自体に障害があるということになる。
なかなかエグいね。こういう優劣を霊魂にあるとする教えは
ユダ福音書に載ってたな。世間にはミカエルから霊を与えられただけの人々と
カブリエルがさらに魂も与えた人々がいるという。
792 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/14(日) 20:59:54 ID:ETh9msIg
>788
(^。^)他人様に質問するなら、それなりの態度を取れ♪(笑)
このスカタンが♪(笑)
だいたい、一切智智を得て一切事業を成就したとされる善逝を、その境地を、
俺や貴様程度が云々出来る訳無いだろうが、この腐れユトリ野郎が♪(笑)
793 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 21:08:25 ID:tLkHhefm
霊魂に差があるわけではない、と返したら
では実際にある障害の差は何で起こって
いるのかという話になる。この場合、霊魂にも急所があるというのだろうか。
794 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 21:16:33 ID:9GiOEO1Z
>>790 唯物論者が仏教を「信仰」している?
わけわからん。論理矛盾。
仏教を「信仰」してる時点で唯物論者ではない
795 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 21:31:44 ID:1u/rwAHM
仏教が科学や哲学や論理学であるならば、宗教法人格を放棄せよ。
それならば誰も文句はいわない。
しかし仏教(歴史上の釈尊の説いた教え)は間違い無く「宗教」だし、「オカルト」」なのだよ。
796 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 21:33:52 ID:UtmQ8JiW
>>790 >「どうして唯物論者が仏教を信仰しているの?」
釈迦が、冷厳な合理主義者、科学者、唯物論者、無神論者だからであろう。
科学者が信仰しても、違和感はない。
「霊魂」については、釈迦は無記。無記(捨置記)事項は、次の通り。
(1)世界は常住(永遠)であるか、無常であるか。
(2)世界は、有限であるか、無限であるか。
(3)霊魂(jiva)と身体とは、同一であるか、別異であるか。
(4)如来は、死後に存在するのか、存在しないのか。
釈迦が無記とした理由は、「これらは無益で法に適合せず、・・・涅槃
に導かないからである」。
(岩波仏教辞典より)
797 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 21:48:17 ID:UddK0SAe
>>790 仏教は、空論と唯識という、哲学と心理学に基づいている。
これだけなら仏教は宗教ではなく、仏教はただの唯物論でしかないだろう。
哲学や心理学を宗教と自称しているにすぎない。
ではなぜ、宗教を自称しているかといえば、
宗教としての建前によって寺院経営が成り立っており、
宗教法人の優遇税制を利用するためであり、
また宗教という職業に自尊心を感じているからではないだろうか。
僧侶は普通の人々より、自分の職業に自尊心を感じている。
日ごろから、仏・法・僧への帰依を説くわけだが、
傲慢にも、自分に帰依しろという職業も珍しいものだと思う。
釈迦の説法は全く一貫していなかったそうだよ、説法の聞き手によってその内容をがらりと変えることが
よくあったそうだ。だから一番釈迦の近くに長年居てその矛盾した説法を聞いてきたアーナンダは混乱したらしい。
だからアーナンダは弟子の中でも一番最後に悟った、本来なら長年釈迦の説法を聞き続けてきたアーナンダ
が一番最初に悟ってもいいはずなのに、実際はは一番最後だった。
>>798 アーナンダの悟りは、まさか<空>ではないじゃろね。
800 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 22:08:32 ID:1u/rwAHM
>釈迦が、冷厳な合理主義者、科学者、唯物論者、無神論者だからであろう。
ワロタ
>>799 悟りの内容は知らないが、釈迦の死後数年たってやっとのこと悟ったらしい、因みにアーナンダが
寝るとき頭が枕に就く刹那に悟ったとのこと。知ってると思うが虚無僧の祖となった坊さんは
偶然足に当たった小石が竹に当たってその音で悟ったらしい。
802 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 22:17:26 ID:1B/B9NcN
>>800 釈迦は、それらの要素は備えているのではないかね。特に、「霊魂」に
ついて「無記」としたことは、唯物論者、無神論者以外では在り得ない
だろう。
>>797 唯識は唯物ではないです
僧というのはサンガのことです
宗教と科学のちがいに反証不可能性と再現性がある
真実というものがどうすれば間違っていると示せるか?具体的な方法が明らかでないと
反証可能とは言えない。
真実というものが、どこでもいつでも、一定の条件下で
誰にも確認出来る形で示せないと再現性があるとは言えない。
修行者が自分の体験に基づいて真実を体得していく行為は
現実世界との交渉にどう折り合いをつけるかが主目的の、非常に感覚的なものであって
他人の目による賛同、客観性を期待する行為ではない
その意味において仏教は科学とはまったく相容れない、宗教だろう。
>>801 具体的な状況から、アーナンダを含め<空>の悟りかと推測する。
釈迦や空海の命がけの修行に比べて何と軽々しいことか。
あー何だよ、おまえも<空>の悟りか。
釈迦が皆の前で説法するとき禁止した質問があったらしい、聴衆(質問者)に質問してはならない
メモを渡してそれから質疑応答をしたそうだ。なぜそう言うことをするかというと、沈黙によって
のみ答えられる質問というのが有り、その質問をうっかりしてしまうと釈迦は本当に深い沈黙
に落ちてしまうから。
>>804 釈迦の死後アーナンダが悟ったか否かを他の悟った弟子達が心配して確認していたそうだよ、
「ああ、まだお前は悟っていない・・・」なんてことを数年繰り返したそうだ。でアーナンダが悟った
ら確認しに来た弟子はやっとアーナンダが悟ったことを認め喜んだ。
807 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 22:29:03 ID:1B/B9NcN
>>803 修行、悟りの目的が「縁起・空(関係性)」であるのなら、科学とは
充分に相容れる。
なお、宗教としての仏教というベールをはがした、「仏教思想・哲学」
を追求する必要がある。宗教としての仏教は、信者の解釈や、時には
誤解、思い違いも介入している可能性があるから、釈迦の「思想・哲学」
を必ずしも正確に反映するものではないことを、忘れてはならない。
808 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 22:29:04 ID:tLkHhefm
メモを渡すというのは初めて見たな。
出典は?
>>808 > 出典は?
忘れたw
葉っぱにその項目を書いて渡していたらしい。
810 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 22:44:10 ID:G/9Jhkbt
>>806 何度もいってきたように、そのような意味での「悟り」は解脱ではないから。
禅がいうところの「悟り」「悟った」なるものも、ニルヴァーナを意味しない。
空や縁起の理解も解脱じゃない。
>>781 確かに脳は部位で働きを分担していて異なる・・。
しかし、脳はその一部を欠損すると他の部位がそれを補おうとし始める。
>>786 785には全体的に意味としては同意します。
が、厳密には心と呼ばれる働きも仏教の分類では五蘊の部分です。
尚、ゴータマは明らかに、「アートマン(わが本体)は五蘊ではないもの」だと教えた。
『比丘たちよ、色(肉体)は無常である。無常であるから苦である。苦であるから無我である。無我
であるから、これはわが所有 (もの)にあらず、我にあらず、また、わが本体でもない。そのように
正し智慧をもって如実に観察するがよいのである。比丘たちよ、受(感覚)は無常である。・・・比丘
たちよ、想(表象)は無常である。・・・比丘たちよ、行(意志)は無常である。・・・比丘たちよ、識(意
識)は無常である。無常であるから苦である。苦であるから無我である。無我であるから、これはわ
が所有にあらず、我にあらず、また、わが本体でもない。そのように、正しき智慧をもって如実に観
察するのがよいのである。』(サンユッタニカーヤ22-46)
811 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 22:47:52 ID:UddK0SAe
>>803 唯識は今風に言えば心理学であり、心理学が唯物論であるということ。
仏・法・僧と並んだら、普通に僧侶をイメージしますけどね。
もしかしてこの言葉は、僧侶だけに通用する業界用語のようなもの?
まあいずれにしろ、僧侶には傲慢・尊大なイメージがある。
>>810 涅槃について釈迦はその内容を一言も解説していないらしい、前述した質問してはいけない
リストに入っていたんだろうな、その質問をすると沈黙で答えようとするためになん十分も何時間も
沈黙したままになって聴衆は困惑したらしい。説法会にならなかったんだよ、悟った人なら
釈迦の沈黙を受け取れるが一般の悟ってない聴衆にはチンプンカンプンの無益な時間にしかならなかったんだな。
>>807 別に科学は縁起や空を説かない。
還元主義的な傾向はかつて旺盛だったが、マクロの視点もある。
統計学や熱力学はこの類。
>なお、宗教としての仏教というベールをはがした、「仏教思想・哲学」
を追求する必要がある。宗教としての仏教は、信者の解釈や、時には
誤解、思い違いも介入している可能性があるから、釈迦の「思想・哲学」
それはそうだが、仏教は理解ではなく実践。
だから、師匠による認可、記別、師資相承による法脈が重要視された。とくに禅では。
また、アビダルマや教判がでてきたのも、できるだけ誤解をなくそうとした当時の努力だろう
814 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 22:54:05 ID:G/9Jhkbt
>>810の
>確かに脳は部位で働きを分担していて異なる・・。
>しかし、脳はその一部を欠損すると他の部位がそれを補おうとし始める。
は、
>>784へのレスでした。
----------------------------------
>>765 >問題は「現実に起こっている」保証が全くないこと。つまり再現性の欠如
まっ、そりゃ〜そうだね!それができれば、こちらも苦労はしない。
わたしはポルターガイストをこの目で実際に見た体験を持ちますが、残念なことは、その決定的瞬
間を見たのはこの私一人であり、そして、それを再現することができないことにある。つまりは、何か
それを可能にする偶発的な諸条件が重なっただけだろうということ。
しかし・・
スレ2/866
>トリックなしで封印しているビンに聖水を満たしたので、インチキ疑惑が晴れて無罪釈放の記録。
>24年間不食だった日本女性「長南年恵」(国の機関たる裁判所が超能力を認めた前代未聞の事例)
>
http://sweets-ukulele-sp.at.webry.info/200803/article_18.html この事例でも、トリックのやりようがないことが確認できたから無罪釈放されているのだから、“現象
は在った”という事実を素直に認めざる得ないでしょう!何故できるのか?その現象解明については
科学者が自分たちで解明すべき仕事ですよ。
>確かに脳は部位で働きを分担していて異なる・・。
>しかし、脳はその一部を欠損すると他の部位がそれを補おうとし始める。
それは生物の時間でやっていた、細胞の再生機能だろう
人間でも子供の時には万能細胞とよばれるなんにでもなれる細胞が残ってて
機能不全におちいった箇所の機能の代替えを行うことがある。
816 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 22:57:49 ID:G/9Jhkbt
>>811 いや、唯識は唯心論だよ
世界はすべて心がつくったものという論。
しかも、心理学は唯物論ではない。
物質はでてこない
>僧侶には傲慢・尊大なイメージがある。
たしかにそういうイメージはあるね
あんまり奇特に心奪われると宗教の本質から外れるのでは?
819 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 23:08:21 ID:G/9Jhkbt
もしも、超常現象を本気で解明しようとするのならば、
心霊科学の機関と共に調査にあたるべきですよ。
まっ、たぶんアカデミックなプライドがそれを許さないのでしょうが・・。
〜 一在家さん、違いますかね?w
『奇しくもこの教会を設立したロビン・フォイが始めたスコールグループによって、1990年代の
イギリスにおいて、誰もが認めざるを得ない心霊現象があり得ることを示す一連の証拠が形作
られました。SPRから出ている、この証拠を述べた「Scole Report(スコールレポート)-
1999」を
読んだだけでも、たいていの人は死後の世界を受け入れざるを得なくなるでしょう。
エクトプラズムは実在し、数々の驚嘆すべき物理心霊現象の基礎になっていることを示すかな
りの数の証拠が、ノーベル賞を受賞した生理学者を含む第一線の科学者によって提出されてき
ました。
820 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 23:09:25 ID:1B/B9NcN
>>817 世界はすべて心が作った、というのは、ある意味、当たり前の話だから、
唯識が必ずしも唯心論だとはいえない気がする。存在とは何かを追求
しているのだから、いわば、唯物論の基礎。
心理学も、自然科学だから、必ず、客観的な「物」による「検証」を
要する。
821 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 23:09:36 ID:G/9Jhkbt
ミュンヘンの医者、フォン・シュレンク・ノッチング男爵は、エクトプラズムが多量の白血球と色々
な上皮細胞で構成されていることを示しました。物質化現象が起きている間、エクトプラズムは霊
媒と交霊会の出席者たちの身体から提供されます。アイルランドのベスファルト工科大学とクィー
ンズ大学の機械工学講師であったW・J・クロフォード教授は、エクトプラズムについて長期間に渡
る入念な研究を行ないました。彼は三冊の古典的な研究書「The Reality of Psychic
Phenomena
(物理心霊現象の現実)- 1916」、「Experiments in Psychic Science(心霊科学実験)-
1919」、
「The Psychic Structures in the Goligher Circle(ゴライヤーサークルにおける心霊現象の構造)
- 1921」を書き表しています。物質化現象の間、彼は霊媒の体重が54キロから30キロにまで落ち
たことに気づきました。文中の他の例では、霊媒の体重が7キロから18キロ減った事実が報告さ
れています。近年の研究者ジョージ・ミークも、交霊会中に霊媒と出席者たちの体重が一時的に減
るのを確認しています。彼自身の実験において、研究チームを構成する内科医、心理学者、その
他の総勢15人の体重が、合計で12キロほど減りました。
もう一人、エクトプラズムについて広範囲にわたる研究を行なったのは、パリのソルボンヌ大学
生理学教授、ノーベル賞受賞者でありフランスの権威ある研究所のメンバーであったシャルル・リ
シェ教授です。手術の間に外に取り出されている器官を指し示すギリシャ語「エクトプラズム」という
言葉を、この未知の物質に対して用いたのは彼です。』
http://www.asahi-net.or.jp/~QR7S-TMYM/ITC/Lawyer12.htm >>772 >特定の一宗教内の教義に関する話ならともかく、現在我々が存在するこの世界の普遍的な事実である
>と主張するのであれば、まず自らそれを実証しなくてはならない。
残念ながら、この私にはそれはできませんが、
仏典が主張しているのは、「普遍性を有する客観的事実である」という、
まさに“そういうこと”でしょう。
奇特な現象は科学的に究明するものじゃなくて、別世界からの深遠なメッセージとして
受け止めるべきだよ、人の成長・悟り・解脱に役立つ何らかの有益なメッセージとして理解するべき。
823 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 23:13:27 ID:1B/B9NcN
>>821 あまりオカルトや似非科学を振り回すな。君の子供の理科の点数は
零点になるぞw。
824 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 23:16:54 ID:tLkHhefm
宝珠氏的にはそのマリアは羅刹みたいなもんかな。
マリアの無原罪とか被昇天という後付け設定を裏付けようとしてるみたいだし。水を出すガネーシャがビシュヌだったら、釈迦を化身扱いするついでに貶めた
邪神風情がふざけた真似をしている、となるのかな?
オカルト的な奇特な現象は確かにあるんだけど、それを科学的に解明しようとか再現しようとか
する努力は無意味だと思う、その奇特に示された意味を理解しようと努力するべき。
826 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 23:22:31 ID:UddK0SAe
縁起主義者や唯物主義者は、
自分の<生命>をどう理解しているのだろうか?
<生命>を理解できなければ、死という現象も理解できないはずである。
脳に<生命の根本>が宿っていることには全員が了解するだろう。
これをベースにして説明してもらえないだろうか?
>>728 とりあえず、八正道は四諦である「苦・集・滅・道」の「道」であり
正しさというのは、苦である「四苦八苦」を知ることが大事なのです。
それによって、人生の無常を悟ることになります。
この世は移ろいゆくものであり、はかないものであるのです。
じつはここから常住なるもの、つまり梵我一如なる、霊的世界へと
目が開けてくるのです。よってこの世を常住的、肯定的に捉える
バラモンとは正反対であったわけです。
実はこれはキリスト教の悔い改めとも同じ思想なのです。
ただここでいうように、常住の世界、つまり法華経の教えも
釈迦は晩年あたりに説いたということです。
イエスが三年しか教えが説けなかった違いでもあるのです。
>>820 >世界はすべて心が作った、というのは、ある意味、当たり前の話だから、
心は認識しているだけで、外界は心とは別に独立して存在しているというのと
外界は存在しない、心がつくったのだというのはちがいます。
唯物論というのは、唯心論と対するもので
すべてを物理現象によって説明できるという考え方。
仏教は、色受想行識と心的作用も対象化している。しかしこれを無我とする。
>心理学も、自然科学だから、
心理学は自然科学ではない。自然科学は自然現象、物理現象を対象とする。
観念は対象外。
>必ず、客観的な「物」による「検証」を
学問とはそういうもの。しかし、心理学は科学ではない。
829 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 23:24:18 ID:9GiOEO1Z
>>816 なんかお前は科学の検証というのを甚だしく誤解してるな。
トリックがない?アホかね。なぜ、トリックがないなどと簡単に断定できる?
完全な実験の環境設定をしってるのか?
目撃者が何人いて、それらが皆、トリックはなかったと証言したから?
それなら、差し詰めマリックなどは神になるぞ。
空中から取り出したと言う水の成分分析は?
そして、その液体がその部屋にもちこまれる可能性の排除法は?
太陽が回転した?
その観測記録は?
全くアホですか。
科学の検証とは、あらゆる可能性を考慮し、それ以外に考えようがないと判断して初めて未知の可能性の探求に踏み込む。その時点における知見により、合理的説明がなされるのならば、それを超常現象に帰結したりはしない
830 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 23:30:48 ID:tLkHhefm
アガスティアの葉、サイババ・・・
インドはヤバい。
831 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 23:35:40 ID:UddK0SAe
>>817 >いや、唯識は唯心論だよ
>世界はすべて心がつくったものという論。
それは知っている。しかし普通、そうは思えない。だから心理学にした。
>しかも、心理学は唯物論ではない。
>物質はでてこない
心理学に物質は出てこないけど、考え方が唯物論に基づいている。
観念論に基づく心理学など、聞いたことがない。
>>826 唯物論なら、物質が物理現象の中で、偶然ウィルスなどの生物を産み、
地球におりてきて雷などの作用などで単細胞生物へと進化し、だんだん進化してきたと説明するだろうね。
仏教者なら、縁起であると説明して終わり。
この世に自性などないのだから、生命などという固定的存在はない。
それに執着するのは迷いであり、苦しみである。
833 :
暁:2009/06/14(日) 23:42:53 ID:k3ZmQVTy
そういやどっかで空からおたまじゃくしが降ってきたと
いうニュースやってたな。
834 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 23:48:28 ID:tLkHhefm
天狗の仕業だな!
>それは知っている。しかし普通、そうは思えない。だから心理学にした。
心理学とするのはいいけど、科学じゃないし、唯物論でもない。
>心理学に物質は出てこないけど、考え方が唯物論に基づいている。
>観念論に基づく心理学など、聞いたことがない。
例えば?
霊魂などの仮定によって説明しないのはそうだが、
だからこれは唯物論である、とはならないよ。
客観的に判断するためにある宗教だけに肩入れした分析はしないし
人の思考傾向を比較したり、サンプル収集によって人の平均的な思考傾向を把握していくことは
唯物論ではないから。
836 :
宝珠愚者:2009/06/14(日) 23:53:44 ID:G/9Jhkbt
>>818>>822-823>>825 ---科学的解明などは---
確かに、私たちがすべきことではない。
>>824 マリアも尊敬(聖者として)の対象です。
無原罪の御宿りなどといった附加迷信は信者が勝手にやっていることに過ぎない。
ヒンドゥーが卑劣する意図でゴータマを化身に取り込んだことと
(これも人間による勝手な教義に過ぎない)、
高次の存在が信仰の証として奇跡を起こして見せていることとは別次元の問題です。
彼ら高次の存在が聖なるものへの憧れと信仰を抱く者たちに与える祝福には、
宗教間による違いや細かな教義の差などは殆ど関係がない。
837 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 23:54:01 ID:9GiOEO1Z
さらに書くと「ポルターガイストを見た?」
それについて、自己の認知システムの異常の可能性はどのように排除した?
エクトプラズム?
その構成成分の検出法は?
生体内における製造過程は?
そして何より問題なのはそれが「医学論文」として公表されているか否か、及びその評価。
わかるね?
現在、エクトプラズムを研究している「医療機関」などはない
ここの人は疫学をどう解釈しているのかな
たばこをすうと魂に悪い影響がある?
>>835 そしたら唯物主義で折れ合える? 唯物主義的手法ではどうですか?
もともとの質問者に合わせて、唯物論にしただけであり深い意味はない。
素人なのでアバウトに言葉を使っている orz
これについてはこのくらいにしましょう。
840 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 00:11:27 ID:OGbCfrpz
>>810 >
>>785には全体的に意味としては同意します。が、厳密には心と呼ばれる働きも仏教の分類では五蘊の部分です。
「五蘊の外とは、この現実ではなく、心の中に広がる世界を言う」「 アートマン(生命)は五蘊の外にある」と言っている
>>785に対して、
貴方は「心と呼ばれる働きも仏教の分類では五蘊の部分」と言うわけだが、にも関わらず「全体的な意味としては同意」って何ですか? 根本的に違うでしょ。
アートマンが「心の中に広がる世界」にあり、且つ、「五蘊の部分」ならば、無常に堕すと何度も指摘してますよ。
そして、無常ならば、単なる縁已生法である我見に過ぎない。だからこそ断ち得るわけだが。
それとも、体験せねば分からぬなどと詭弁して、教証も理証も無視して自分の信じたいことを信じたいように信じるのですか?
であれば、このスレは完全に理論武装と権威付けの道具であることを自ら証明することになりますね。
更に反対者も体験せねば分からぬと言い出したとき、それを批判出来ないことになるな。
また、貴方が再三加えてきた輪廻否定論者批判がそのまま貴方自身に向かうわけだよ。教証を無視するだけでなく、言語慣習に基づいて考えることも785のように放棄しているのですか? ここは言説を以ってやり取りする場なのですよ。
>尚、ゴータマは明らかに、「アートマン(わが本体)は五蘊ではないもの」だと教えた。(サンユッタニカーヤ22-46)
「“アートマンは”五蘊ではない“もの”」ではなく、「五蘊はアートマンではない」と説かれているのですよ。主語が違う上に意味も違う。
841 :
宝珠愚者:2009/06/15(月) 00:12:33 ID:qgflhpBU
>>829>>837 >その液体がその部屋にもちこまれる可能性の排除法は?
あるわけないでしょう!ソース読んで下さいな。
裁判中に全裸で隔離された密室で栓をしたビンに水を満たしたのですよ。
だから、無罪釈放となったという記録のお話し。
これで持ち込めないかどうかも判別つかないような人間の
脳細胞こそ故障を疑うというのが健全な思考判断でしょう。
>エクトプラズム?その構成成分の検出法は?
心霊科学、サイ科学会には詳細記録が在るでしょ。
地球の自転も確認されてから、自転(回転)を始めるわけじゃないから!
地球は最初から自転していたのであり、それが後でやっと確認されたに過ぎない・
まっ、あなたのいいたことは全てわかるが・・。
取り合えず、のがきはこの辺までにしておきますわw
五薀は一切でしょう、一切はすべて。
アートマンが別にあるのなら一切とは言わない。
843 :
宝珠愚者:2009/06/15(月) 00:23:24 ID:qgflhpBU
>>840 言葉尻を取ることしか出来ない人を
“話しの分らない人”という。
読解力の問題。
844 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 00:24:00 ID:OGbCfrpz
『相応部』35.23では、「これら(十二処)を名付けて一切という」と明言し、
「私は、この一切(十二処)を捨てて、他の一切(例えば、五蘊と我が一切)と、
「そのように言うものがあったならば」「ありもしないものを語っている」と明言している。
さて、以上を前提して、『相応部』22.11や『無我相経』のように、
五蘊は“三世に”我ではない(つまり、『中論』9.12とも重なる)、
と明言するならば、どうなるだろうか?
845 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 00:31:52 ID:5K8XaDlB
>>841 だから、その液体の成分分析は?
生体内で製造可能なものではなかったことが証明されてるわけ?
エクトプラズムについても、それを主張している一部の者たちの研究資料でしょ?
医学会において公式に認知または継続研究の対象とされているとでも言いたいわけ?
太陽の回転時における定量データは?
例えば放射線量の異常な変動が確認されたの?
わかる?お前さんの言ってることは全て、それ系の本に腐るほど載ってる与太話の類いであり、科学的実証例などとは、とても呼べないものなの。
>>840 もともとの発言者だけど、何がどうしたのですか?
五蘊は<言葉>で分別できるものでしょう。
心にはそれ以外に、広くて奥深い世界があるのですよ。
もともとの趣旨は、五感による外部世界に生命や神を探しても見つからない、
ということを言いたかったのです。そのときに話している当事者でもずれるのに、
全員がわかるように話すのは難しいですね。
847 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 00:41:24 ID:OGbCfrpz
>>844を一部修正。
『相応部』35.23では、「これら(十二処)を名付けて一切という」と明言し、
「私は、この一切(十二処)を捨てて、他の一切(例えば、五蘊と我が一切)を説こうと、
そのように言うものがあったならば」「ありもしないものを語っている」と明言している。
さて、以上を前提して、『相応部』22.11や『無我相経』のように、
五蘊は“三世に”我ではない(つまり、『中論』9.12とも重なる)、
と明言するならば、どうなるだろうか?
848 :
宝珠愚者:2009/06/15(月) 00:42:40 ID:qgflhpBU
>>840 教証も大切にみなしてるから、こうして投稿してるわけですよ。
全体的に同意とはいっても、心も五蘊に過ぎずアートマンではないといったでしょう!
>「“アートマンは”五蘊ではない“もの”」ではなく、
>「五蘊はアートマンではない」と説かれているのですよ。主語が違う上に意味も違う。
>
どう違うの?何か不都合でもありますか?
私は、「ゴータマはアートマンは在るといった」などとは述べてない。
五蘊がアートマンでないなら、「アートマンは五蘊ではない」ということです。
>アートマンが「心の中に広がる世界」にあり、且つ、「五蘊の部分」ならば、
>無常に堕すと何度も指摘してますよ。
私がいつそんなことを述べましたか?
あなたは例の真言氏ファンでしょ?
あなは頭イイんだからさ、
>>844 もっと分りやすく述べて下さいよ。
何がいいたいの??
849 :
宝珠愚者:2009/06/15(月) 00:57:45 ID:qgflhpBU
>>845 >それ系の本に腐るほど載ってる与太話の類いであり、
>科学的実証例などとは、とても呼べないものなの。
誰も(この私は)科学的に証明されているなどとは主張してません。
>医学会において公式に認知または継続研究の対象とされているとでも言いたいわけ?
>
〜のわけないでしょう!
エクトプラズムの成分はここにも
「多量の白血球と色々な上皮細胞で構成されていることを示しました」とある。
たしか唾液の成分にも似ていた筈です。
回転(動いた)する太陽というのは、恐らく物理的に太陽が動いたのではなく、
7万人に一斉に幻覚を見せたという奇跡現象だったものと推測しています。
エクトプラズム現象は物理的な現象を伴うものであり、
すでに歴史ある長い伝統の実験です。
会には膨大な記録データが蓄積されているでしょうし、
名立たるメンバーが参加に連なっていることも確認されるでしょう。
関心があれば自分で調べることです。
何故、メジャーな研究成果とならないのかも明らかになるでしょう。
>>848 違いが見えてきた。840氏の言っていることに一理ある。
宝珠氏はアートマンを<心の外>に描いているけど、
アートマンは識のひとつであり、アラヤ識の先にある根本識である。
マナ識もアラヤ識も根本識も<心の中>にある。
851 :
宝珠愚者:2009/06/15(月) 01:12:51 ID:qgflhpBU
>>850 アラヤ識なるものはアートマン代価として大乗が発案したものだと、
以前にこの私は述べています。これは元々はゴータマの説いたものではありません。
五蘊は「色」(肉体)を除く構成四つの、
つまり、「受」「想」「行」「識」を「名」(みょう)といって、
これが「心」、及び心理的/精神的な活動を示すものとしています。
ゴータマはいうアートマンとは、これら五蘊ではないということであり、
私たちはアートマンではないものをアートマンであるとして誤認していると戒めているのです。
852 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 01:17:58 ID:5K8XaDlB
>>849 すなわち、実証されていないと言うわけだから、それらを信じる者たちの信仰の対象にすぎないわけだ。
それなら、それで何の問題もない。初めから言ってるように俺は「個人の信仰」に干渉する気は毛頭ない。
問題とするのは、それらがあたかも、普遍性を有する事実であるかのように述べることであり、科学的視点においても妥当性有するかのごとき、虚偽の発言をすることだ。
「ボクは信じてるんだ」に対しては「あぁ、そうなんだ」で終わり
853 :
宝珠愚者:2009/06/15(月) 01:29:25 ID:qgflhpBU
>>852 フム。分りやすい人で良かったです^^
この私は、「信じる」という言葉は嫌いなので、
「このように理解する」ということにしますw
〜以降、気をつけます。
大変、お騒がせしました m(__)m
854 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 08:50:32 ID:x+ULT1TI
宝珠さんって意外と霊的存在と宗教の歴史を切り離して
考えるんだな。美しいままにしたいイコンを保持しようとしているようにも見える。
855 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 09:13:05 ID:x+ULT1TI
バアルやイシュタルやモレクの信仰が今まで生き残っていたら
クリーンなイメージも持たれていたら
その奇跡現象と過去の「間違った信仰」は別物と言われただろう。
856 :
宝珠愚者:2009/06/15(月) 09:40:21 ID:qgflhpBU
>>854-855 なんの話?
>>836のこと?
具体的に指摘し意見述べてくれよぉ^^
>>767 >問題は神通力に関してです。仏陀の超能力に関しては、仏典に書いてあるから信じろ。
>
>そうでないなら仏教やめろという論調しか見た記憶がないのです。
こっちが聞きたいな^^
そんなに信用できない姿勢でどうやって弟子入りできるの?って思う。
まっ、「神通についてはまだ信じられないけど、教えを学びたいのです」と
真剣に嘆願すれば許可されるとは思うけどね。
メカニズム解説はヨーガ経典にあたるといいと思うけどね。
チャクラ、ナーディー、シャクティ、イダー・ピンガラ・スシュムナー管といった知識と理解は基本。
あとは体験の問題でしょうか・・。
857 :
宝珠愚者:2009/06/15(月) 09:42:15 ID:qgflhpBU
>>837 >さらに書くと「ポルターガイストを見た?」
>それについて、自己の認知システムの異常の可能性はどのように排除した?
一言、返答しておきたい!これは偶発的なものであり、厳密な観測実験化で捉えた出来事など
じゃないから、物体の移動前と移動後の変化や距離、時間などを示すデータなどは一切ないし、
人為的な力に拠らないといった証拠もある筈もない・・。
しかし、だからといって、勝手に「無かった」ことにされたり、「幻覚」や「記憶違い」の類いに決め
付けられるのは冗談じゃーない。起きたことは起きた。このことは誰が何を言おうとも紛れも無い
事実ですよ。
当時、たまたま心霊存在の通り道と化すような状況があったようであり、その時、その存在が接
近してきた気配を私は感じ取っていた。階段を上がってくる足音、襖戸の前で立ち止まり「ハァハァ
〜」と息遣いがしている。こいつは間違いなく「出たなぁ!!」と分り、こちらも臨戦態勢モードに突
入していた。
その瞬間、15cmほど開けていた襖戸が「タンッ!!」と勢いよく瞬時に締まった。こちらは、「キ
サマ〜〜〜!!」(怒)といって間髪空けずに襖戸を全開、心霊とのご対面に挑んだ。しかし、何も
見えず気配も掻き消えた。もちろん、他の人間に拠るものではない。
階段を上がってくる足音と気配はそれから殆ど毎晩、約1ヶ月間もの間続いて、そしていつの間
にか途絶えた・・。夜の9時30分前後が多かった。
自分としては、襖戸の上に貼っていた護符が効いていて部屋まで侵入できなかったのだろうとみ
ている。これは自分で書き上げた梵字による光明真言を綴ったものでした(笑)
以上、全く科学的でない定量的じゃない話でスマソ^^
858 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 09:51:33 ID:x+ULT1TI
856
そうだよー。「マリア」の場合はカトリック教会の権威を前提とする面
ビシュヌの場合は釈迦のアレな扱いという面があるが
その部分は切り離して、清浄な部分のみを高位の存在のものとして扱うことにしている。
859 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 10:05:20 ID:x+ULT1TI
あの「マリア」はマリア本人だとおもいますか。
超自然は超自然でも天魔や羅刹のような存在ではないか。
あれがマリア本人だとすると彼女自身がカトリック教会を認めていることになりうる。
ガネーシャは奇跡を見せることで神々のヒンドゥーの正当性を見せつけ、人々をヒンドゥーに縛り付けようとしているのではないか。
彼らは本当に高次の存在なのだろうか?
860 :
宝珠愚者:2009/06/15(月) 10:16:14 ID:qgflhpBU
>>858 私はそういう教義は認めていないし、正しいとも見なさい。ですから、「奇跡現象=教義の正しさ」
などではないのですよ。恐らく、その辺が理解できないのではないですか?
しかし、それをどの教団(新興宗教も含め)も超常的な体験/出来事を以ってして、それを当教団
の真理(正しさ)の証明であるとしたがるのですよ。
奇跡現象には二つがある。一つは、主催者側の人間が神通力を発揮している場合。これもその
人の宗教的な正しさの証明というわけではない。
もう一つは、これも重要なことなのですが、解脱したほどの超高度な存在方の中には、これ(奇跡)
を仕事にしている担当者がいるのですよw
彼らは、その個々の宗教の教義の正しさや個人の見解の正しさの程度、その如何に関わらず(と
はいっても程度問題ですが)、“聖なるものを志向するその純粋な想い”に反応して、それを評価し、
信仰者を励ますべく現象(奇跡)を見せるのです。
従って、宗教信者たちによる真剣な集いの中では、いろいろな奇跡現象は起こり得る。それはどん
な教団にも起こる。
>>859 そういう考え方は大変な間違いなのです。彼らはもっと大きな目で物事を見ています。
861 :
宝珠愚者:2009/06/15(月) 10:28:57 ID:qgflhpBU
>>859 マリアがカトリックを評価する筈がないとか、
ヒンドゥーは間違った教義だから、奇跡は起きないとか。
もし起きてるなら悪魔現象だろうとか・・
そういう物事の見方が全ての宗教戦争のキッカケなのですよ。
高次の存在というのは、
より正しいほうへと向くことを暖かく忍耐強く見守っているのです。
純粋で真剣な想いを評価し、励ましているのです。
より正しい教義に向かうかどうかは本人の進歩に任せられている。
862 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 10:31:11 ID:x+ULT1TI
翻訳者のベロが燃え残ろうと法華経が正しいことの証にはならない、ということは自明の理だ。
言いたいのは、それは都合の良いアンチョコではないか、という事。奇跡であるという一点でのみでチームを組ませようとしているようにも見える。
そのために新たな背景を設定している。
マリアの出現やメッセージで後付け設定を
否定した例を知らない。
863 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 10:33:12 ID:5K8XaDlB
>>857 長文により、そのときの状態説明がなされているが、やはり「お前さんの認知システム異常の可能性を排除」する根拠が全く見当たらない。
勘違いするなよ。俺はお前さんが、確信犯としてウソをついてると言ってるわけではない。多くのそれ系の体験者と言うのは、「本当に彼ら自身にはそれが知覚されている」わけだ。勿論、彼らの知覚システムの異常によってだが。
最も簡単な類似体験としては薬物使用がある。
すなわち、それらの所謂、神秘体験は個人の認知システムの異常と結論付けるのが最も妥当である。その可能性を排除する根拠が示されなければね。
864 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 10:35:35 ID:x+ULT1TI
ヒンドゥーに奇跡が起こり得ない、とは一言も言ってないし
レスのどこかにでも込めたつもりもない。
865 :
宝珠愚者:2009/06/15(月) 10:41:04 ID:qgflhpBU
>>863 何が薬物体験だよ。興味ないわw
あなたの持つ狭き知識が全てであるとする(薬物と決め付ける)傲慢さの顕れですね!
科学者は、自分らの未熟な知識と理解を疑うことができないのですね。
まっ、ご勝手にどうぞ!
あなたの言いたいことは分ったから、もう結構です。
866 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 10:57:23 ID:x+ULT1TI
バハイ教が仏陀をアッラーのメッセンジャーにしている
と知ったとき、「それに何の意味があるんだろう」
と思ったものだ。開祖らの人格は素晴らしいとは思うのだが、
やっていることは理解ではなく、教義内の位置付けをかぶせているだけではないか・・・
867 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 10:59:56 ID:yFMg+C9d
私たちは全てを知ることはできず、全てを所有することはできません。
でも、全てであることはできます。
868 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 11:05:39 ID:5K8XaDlB
>>865 俺はあくまで神秘体験と言うのは知覚システム異常の可能性が排除できなければ無意味と言う、ごく当たり前のことを指摘したにすぎないのだがね。
統合失調の患者は、お前が体験したのとは比べようもないくらい凄い体験をしてる。
自己の体験がそれらの知覚異常(病的であるか、一過性のものであるかにかかわらず) と異なると言うのならば、まずその根拠を示さなければ無意味と言っているのだよ。
薬物使用は何もお前が、それを使用していると言うわけではなく、人間知覚システムなど特定の状況下では簡単に異常を来す例として挙げたわけだが、
そう読めなかったか?
それと、自己の主張が入れられないと、すぐ切れて相手を罵倒するその癖は正したほうが良い
869 :
宝珠愚者:2009/06/15(月) 11:22:06 ID:qgflhpBU
>>866 アッラー(神)のメッセンジャーという扱いと、
大日如来の生身/応身の姿と見なす密教との比較・・。
そんなに大して変わりありませんね。
本質的で重要なことはそういうことじゃないでしょ。
>>868 私は心が広いから大丈夫です(自分でいうのだから間違いない)。
ただ、あなた方のいいたいことは全て分ってるということ。
無知の顕れですから、しょうが無いことです。
ですが、ま〜健善な態度であるとはいえる・・。何も知らないのだから仕方ないです。
870 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 11:33:05 ID:5K8XaDlB
>>869 有意な反論ができなくなると、相手は無知であり、何も知らないのだから仕方がないと一方的に議論放棄。まさに、オカルト信者の典型だな。
「お前はわかってない。わかるやつには分かるんだよ。お前は霊性が低いからだめ。」 オカルト信者の逃走時の決まり文句だ。
なら初めから、自己の信仰の世界に引きこもっていれば良い。なまじ、普遍性を主張するから反論される
871 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 11:37:12 ID:x+ULT1TI
応身に合わせるならなら、三位一体のほうがやりやすそうだがいずれにせよ意味を感じられない。
本質とはユニフォームがわりになる共通点のことでしかないのか・・・
872 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 11:52:51 ID:x+ULT1TI
論者によって見い出された共通点はこの場合、ユニフォームの生地にあたるのだろう。
そこにバハイや幸福の科学やニューエイジや現代の常識といったデザインを施し
着せてみる。これだけでチームが完成する。選手を実際に動かすのは論者だからだ。
ニューエイジではモリヤ大師が
このスレでも釈迦がスカウトされている。
873 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 11:57:54 ID:5K8XaDlB
しかし、何故オカルト信者と言うのは、この宝珠のように
自己の見解に客観的普遍性、科学的妥当性を求める奴が多いのかね?
もっと超然としてられないのか?
信仰を否定する科学者はいない。
それを現実の現象として語るから問題なのだと言うことが、理解できないのかね?
874 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 12:05:14 ID:F7To6+Xf
プロレスラー 三沢光晴さんの死を悼む
花は咲いても、やがては散ってしまうではないか
命がいつまでも続く人間などいない
それと同じように、
意義深いはずの今日という日も過ぎてしまえば
まるで夢を見ていたようである
酔っていたわけでもないのに
876 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/15(月) 12:45:20 ID:3i8OTwJK
(^。^)ちょっと混ぜっ返すとだな♪(笑)
心霊現象ってのは、ごく稀にだがホントにあるし、術による霊の制御も可能な訳だよ♪
宝珠某程度の素人では理解出来ない世界だから、一般には尚更理解出来ない世界だがな♪
再現性は無いが、体験は縁があれば可能だ♪
(^。^)まぁ、仏教とは殆ど関係無い話だわな。(笑)
877 :
一在家:2009/06/15(月) 14:36:39 ID:c4O4kc9z
>>787 >脳も、その箇所によって、さまざまな機能を分担している。一部を
>切除しても、他の箇所が補償して生命を維持する。しかし、当該切除
>箇所の機能は障害される。脳幹を切除すれば、必ず死ぬ。
海馬、側頭葉、前頭葉を切除しても生活に支障ないという報告もあります。
更にひどいてんかんの場合は、脳半分を取り除く「半球切除」を行なっても
それほど変わりなく生活を送っている事例も多いことは調べれば分ります。
更に昨年は米ウェストバージニア州の女性が脳死してから17時間後に
生き返り、後遺症もなくしっかり話したというニュースで世界中が震撼して
おります。復活という点ではイエス並です。
アートマン(霊)は存在せず、脳が全てを担っているという仮説の根底が
確かでないことも事例を調べれば次第に分ってまいります。
脳は霊とのインタフェースというのが私の仮説ですが、これならば半分無くても
思考、記憶、感情にはそれほど支障を与えないでしょう。
878 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 14:39:06 ID:glx2pY7H
ニュースを書くなら出典も併記がマナー。
879 :
一在家:2009/06/15(月) 14:59:26 ID:c4O4kc9z
880 :
一在家:2009/06/15(月) 15:13:00 ID:c4O4kc9z
通常よりも長時間の蘇生努力にも関わらず心停止からの回復が見られ
なかったフランスの心臓発作男性が、臓器移植のための臓器摘出の
準備を医師らが開始したときに突如自発的な呼吸を開始しました。
(08年6月13日、Bio Todayニュース)
http://www.biotoday.com/view.cfm?n=27481 心停止や脳停止からの生き返りの事例は調べたら結構あります。
臓器移植に反対する人々の理由になりますね。
日本では葬儀まで1日はおく「お通夜」の習慣がありますが、私の親戚でも
棺桶に入れた後に生き返った人がおりましたよ。
881 :
一在家:2009/06/15(月) 15:22:18 ID:c4O4kc9z
この板の住人に医師がおられましたが、他にも脳停止や心停止からの
生き返りの最近の事例をご存じでしたら、ご紹介いただきたく。
他の住人からのかきこも歓迎します。
釈尊が説かれたアートマンへの正しい認識に近づく為に。
882 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 15:47:25 ID:5K8XaDlB
>>881 一つ聞くが、それらの事例が霊の存在の肯定理由に何故なるのか?
現在の脳死判定基準が妥当か否かの判断材料にはなると思うが。
>>882 霊は存在すると思っていい、しかしそれを知ったところで我々人間に何の成長も、もたらさない。
かえって害悪を招く恐れがある。
884 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 16:01:48 ID:x5c6hf5l
885 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 16:05:13 ID:5K8XaDlB
>>883 「霊は存在すると思っていい」
こう考えるべきであるとする根拠は?
霊の認識の功罪について論じる前に、まずその実在を実証しなくては。
>>876 >心霊現象ってのは、ごく稀にだがホントにあるし、
何を心霊現象と言うかだが、たしかにまったくないとは言い切れない。
>術による霊の制御も可能な訳だよ♪
これは言葉による暗示効果が混じっているようにも思う。
よく検証すれば、偶然だったり、自分で無意識にそう動いているだけ。
>>820 >世界はすべて心が作った、というのは、ある意味、当たり前の話だから、
>唯識が必ずしも唯心論だとはいえない気がする。存在とは何かを追求
>しているのだから、いわば、唯物論の基礎。
唯心論は、心からスタートし、この現実を否定しない。
唯識は、心からスタートし、この現実を<幻>にしてしまう。
付け加えれば、心理学は社会科学に分類される。
科学は、唯物主義であり、現実に基づかない精神を妄想として排除する。
>>832 >唯物論なら、物質が物理現象の中で、偶然ウィルスなどの生物を産み、
>地球におりてきて雷などの作用などで単細胞生物へと進化し、だんだん進化してきたと説明するだろうね。
★ 外から運ばれて来ない限り、生き物がいない星には永遠に生き物がいない。
>仏教者なら、縁起であると説明して終わり。
>この世に自性などないのだから、生命などという固定的存在はない。
>それに執着するのは迷いであり、苦しみである。
★ 自分に生命がないなどと思っているいるのは空論者だけ。
>>833 暁氏
>そういやどっかで空からおたまじゃくしが降ってきたというニュースやってたな。
>>834 >天狗の仕業だな!
889 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 17:25:26 ID:D72KaEgw
心霊現象を否定しないけど、恐怖や不快に満ちているならお断りですね。
それが清らかで楽しいなら大歓迎する。
>>827 仏教の概略を述べ、これが「正しいことだ」と言われても???
それに梵我一如はヒンズー教の思想ではなかったのですか?
無常や四苦八苦を説く仏教は果たして<中道>でしょうか?
単なる厭世的な虚無主義ではないのですか?
891 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 17:51:13 ID:oEy2H55J
>>890 「中道だから正しい」という根拠は、論理的にも、現象的にも皆無だな。
>>779 >生命を以って、「生命とは何か」を知ることはできない。主体と客体
>が同一だから、観測は成立しない。知りうるのは、生命の機能としての
>生命現象のみである。
★ これはご隠居の持論ですが、もっともなことを言っていると思います。
しかし自分が自分を観測することは日常的な作業ではないでしょうか。
それは<反省>です。順観より、むしろ<逆観>をすることが重要なのです。
<心の世界>を掘り下げていくと、 五蘊外のアートマンに出会うでしょう。
これが空海の体験であり、十牛図の教えではないでしょうか。
893 :
一在家:2009/06/15(月) 17:57:32 ID:c4O4kc9z
5年近く前の話ですが、私の知人の精神科医が退行催眠の研究を
しておりました。
多くの事例を読んで、確かに今世の記憶では説明しきれない
前世の記憶があると彼は認識しておりました。
さて、前世記憶のモデル化ですが、私のように霊魂が輪廻すると
思っている場合はシンプルですが、霊魂(アートマン?)モデルを
使用しない場合は「遺伝子情報」として先祖の記憶を継承するという
モデルが妥当だということになりました。
私としましてもそのモデルを否定するだけの判断材料もありません
でした。
その後、ヒトゲノムの研究成果が次々に発表され、「遺伝子情報」の
ことが詳細に分るようになりました。
DNA鎖は、リン酸群、糖、塩基(グアニン、シトシン、チミン、アデニン)
で構成される単位ヌクレオチドが繰り返し連なってできており、DNAは
規則的な2本の鎖で構成する螺旋構造をしております。
894 :
一在家:2009/06/15(月) 17:58:36 ID:c4O4kc9z
細胞分裂の際にDNAが複製され、もし外部刺激で複製を失敗しますと
その細胞はガン細胞にもなります。
または生活環境によっては、複製時に一塩基が入れ替わって別のDNAに
なる場合もありますが、同じような刺激の繰り返しが必要となります。
つまり、先祖(前世の候補)の記憶が都合よく塩基の置き換えでDNAに
記録されるというモデルはあり得ないということが先端ゲノム科学で実証
されております。
半分無くても生活に困らず、脳停止からも復活する脳と、情報記録には
容量不足の遺伝子とで人間を説明しようとした20世紀のモデルは既に
崩壊しております。
みんなの主張がピッタリ一致することはないと思うけど、
おたがいの言葉の意味内容が違うがために、言葉の定義が違うがために、
争うことは避けたいと思う。こういった争いは徒労に思う。
896 :
旧7:2009/06/15(月) 18:15:18 ID:343q8Zi8
>>888 ほうwwwww
>外から運ばれて来ない限り、生き物がいない星には永遠に生き物がいない。
では、その「“外”から運ばれてきた“モノ”」はどうやって生じたんでしょうね・・・?
しかし、まぁ、なんだw
他のレス群を見ても、カオス過ぎて横槍すら挟み難くなってるぞ
897 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 18:18:42 ID:5K8XaDlB
>>894 あのね、「前世」と言うものがあることを前提に話をしても全く意味ないでしょ?
この「前世」の実在が実証された例は現時点で皆無。
例えば「普通のおばちゃんが、前世が数学者であり、そのときの記憶で非常に高度な数学の問題をすらすら解いた」とか、そのような「前世の実在ぬきにしては説明がつかない」ような例が、たとえ一件たりともありましたか?
898 :
一在家:2009/06/15(月) 18:35:22 ID:c4O4kc9z
>>897 子供達が古代の外国語でぺらぺら話し出したとい事例はあったと記憶します。
(録音しておいて、後に判明したという事例です。)
また、見つけたらアップします。
ただし、「前世」の記憶なのか、「憑依霊」の仕業なのかは、もう少し
状況を分析する必要があります。
899 :
一在家:2009/06/15(月) 18:40:14 ID:c4O4kc9z
ネットで探すとすぐに見つかりますね。他も探しておきます。
「前世の言葉を話す人々」春秋社
突然、学ばなかった言語で話し始めた二人の女性。
その一人の語った一族の名は千キロ離れた百年以上前のある系図に
一致した。
博士の収集例の中でもきわめて特異な外国語で前世を語る事例の
調査報告。
〈スティーヴンソン〉ヴァージニア大学健康科学センター人格研究室教授。
著書に「前世を記憶する子どもたち」。
900 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 18:40:43 ID:oEy2H55J
「霊」という言葉はよくない。
人間は(恐らく他のすべての動物も)、五感で知覚できる対象、即ち実在物
に100%依存して生存するようプログラムされている。「人間は、パンがな
ければ、生きられない」のである。「知覚できないものが実在する」などとい
う観念を植えつけられると、このプログラムが狂ってしまう。
多くのカルト宗教は、専ら「霊概念」の植え付けにより信者を狂わせ、金銭
を騙し取っている。
そもそも、「霊」とは、英語では、spirit, soul。即ち「精神」のことである
人間の外部に実在するものではない。「霊」という言葉は「幽霊」と紛らわしい
から、すべて「精神」とすべき。
「インドの関連術語が、「霊魂」や「魂」と漢訳された例は確認されていない。
ただし、霊魂の観念に最も近似するのは「命(みょう)」「命者(みょうしゃ)」
「寿者(じゅしゃ)」「神(しん)」などと漢訳されたjivaである。この語は、
身体をささえ、生き物を生かしめる命、を原義とする。ウパニシャッドでは、
哲人ウッダーラカ・アールニがアートマン(我)を、太古以来の存在そのもの
であり、しかもさまざまな創造物の中にそれぞれの命として内在すると語り、
後世に多大な影響を与えた。」(岩波仏教辞典より)
仏陀も、身体とは別個な「霊魂」など考えるな、と戒めている。「法に適合せず
無益であり、・・・涅槃に至らない」からである。
キリスト教でいう聖霊も、創造時に人間に吹きこまれた「空気」「生命」の
意味。新約聖書が捏造したような、「人間のどこか外部から、鳩のように舞い
降りてくるもの」などではない。
「人間から離れた霊・霊魂」とは、あくまで、原義からかけ離れた俗称である
ので、使うべきではない。「神」という言葉も同様である。
901 :
一在家:2009/06/15(月) 18:45:56 ID:c4O4kc9z
私も「アートマン=霊魂」をこの板で実証しようとは思って
おりませんよ。
ただ、原始仏典には肉体(脳神経、遺伝子含む)が死滅した後も
存続して再生を繰り返すアートマンを釈尊が説かれたという記述が
一杯あるにも関わらず、現代科学・常識だと言って否定する人が
多いのでびっくりしております。
因って、お節介で現代科学から見た脳神経や遺伝子の実態を紹介
している次第です。
902 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 18:46:11 ID:5K8XaDlB
>>898 もし、それが事実であるなら十分に検証に値する事例だな。
ただし、この「古代の外国語」と言うのが如何なるものか?
それに精通している言語学者または考古学者たちによる検証を経ているのか?
単語レベルではなく、会話として成立しているのか?
その他、詳細希望
903 :
旧7:2009/06/15(月) 18:47:58 ID:343q8Zi8
>>898 >ただし、「前世」の記憶なのか、「憑依霊」の仕業なのかは、もう少し状況を分析する必要があります。
あのな、ついでに宝珠宛にも言っておくが、
『常識的考え』ってのはな、
『“確からしさ・あり得そうな度合”の高いものから当てはめていくもの』なんだよ。
現在手にしている様々な理屈で、『より整合性の高いものから当てはめていくもの』なんだよ。
例を言えば、
或る男が、下着を手にした状態で捕まった。
彼は言う「いや、空から降ってきたんですよ」。或いは「目の前に急に出現したんで、思わず掴んだだけです!」と。
いいか、
この時、《いきなり“この言葉”を信じるか》、他の、《下着が、この男の手に握られるにいたった経緯を探るか》
この選択肢で前者を採ることと同じだということに気付け。
後者の系列で全ての可能性が絶たれた時、その時初めて、前者が検討されるのだよ。
この違いが解るか?
ったく、馬鹿共が・・。
904 :
旧7:2009/06/15(月) 18:55:50 ID:343q8Zi8
あ、それから、
>>848 > >「“アートマンは”五蘊ではない“もの”」ではなく、
> >「五蘊はアートマンではない」と説かれているのですよ。主語が違う上に意味も違う。
> どう違うの?何か不都合でもありますか?
この違いが解らぬ頭で仏典に触れて来たのか? おめでたいなw
>>894 ん?
科学はDNAに前世代の記録はあっても個人的記憶が記されているとは言ったことがないぞ?
ユングはある、というような主張をしたが退けられている。
個人的に子供が知らないはずの知識を知っているのは胎教の影響と思っている。
親の考えていることや不安も臍の緒や、胎壁ごしの声によって伝わってくるからな
>>891 何を極論におくかで中道の意味が変わってくるからな
自称、中道論者はしまつにおけないふしがある
907 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 19:01:12 ID:5K8XaDlB
>>901 現代の知見より原始仏典の記述が正しいとする根拠は?
俺としては、科学的な視点を放棄し、仏典にそのような記述があるからと言うだけで信じ込むほうが、びっくりなんだがね
908 :
一在家:2009/06/15(月) 19:16:28 ID:c4O4kc9z
>>903 >『常識的考え』ってのはな、
>『“確からしさ・あり得そうな度合”の高いものから当てはめていくもの』なんだよ。
釈尊の説法を聞いた凡夫が「いやー、釈尊の教えは俺の考えに近かったな。」と言った。
同じくバラモンは「思ったほど釈尊も非常識ではないな。」と笑った。
釈尊の横で説法を聞いていた秘書のアーナンダは思った。
「尊師はどうしてあれほど違うことを真理だと伝えるのかな?」
909 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/15(月) 19:20:44 ID:3i8OTwJK
>886
確かに、暗示効果も多数見かけたが、
(真言・祝詞等の術)
言語も視覚作用も除外可能な仙術や気功に関しては暗示作用以外の何かが有る訳だな。
(^。^)まぁ、大概はインチキや思い込みなんだが。(笑)
910 :
旧7:2009/06/15(月) 19:22:11 ID:343q8Zi8
>>901 ついでに言っておこうか。
いいか、仏典には、
『“《所謂》アートマン”とは、これこれこういうものです(≒これこれこういうものとしてあるものです)』
と、《明確に》説かれているわけではない。 ここの所をまず把握しろ。
少なくとも、極一部に、関連して述べられる一節が見られるにしても、それは、明確な解説ではない。
だから、
>>904であるし、
パーリ仏典で考えるならば、「 attan 」が、どのように用いられているかの吟味をしなければならないんだよ。
「 attan 」は、「所謂アートマン」としての語義を含むが(―これはSktのAtmanも同じかもしれんが・・・―)、
同時に、我々の日常日本語での「自己」としての語義も含むんだよ。
君らの引用する数々の用例も、
我々の日常日本語での「自己」に置き換えたとしても、立派に意味が通じてしまうんだよ。
(※
>>904及び、この辺が、君らの読みも恣意的である、という言とリンクし始める部分だw)
911 :
旧7:2009/06/15(月) 19:25:40 ID:343q8Zi8
>>908 馬鹿か?
手ぶらで出かけた子供がケーキの箱を抱えて帰ってきた。
親は、まず第一声として何と言う?
「どうしたの?誰に貰ったの?」ではないか?
それとも、君が親だったら、
「どこを歩いていて空中から出現したの?」とでも子供に尋ねるつもりか?
笑わせんなw
>>887 >唯心論は、心からスタートし、この現実を否定しない。
>唯識は、心からスタートし、この現実を<幻>にしてしまう。
そうだね、たいていの唯心論者は霊魂の存在によって物質的現象を説明しようとするが
現実は、その霊魂から生まれたものだから肯定的にとらえる人が多い。
一方、唯識にかぎらず仏教は現実を苦ととらえ、排斥する。
デカルトの観念論は、どこかの研究室で脳が見ている夢がこの現実かもしれないと言う。
唯物論ではあるが、現実世界を幻ととらえる論でもある。
結論として言えば、唯心論であろうが唯物論であろうが、現実を肯定的にも否定的にもとらえることがある。
>付け加えれば、心理学は社会科学に分類される。
>科学は、唯物主義であり、現実に基づかない精神を妄想として排除する。
社会科学は正確には科学とは言えない。
なぜなら、人間を相手にしているからだ。
「人は鉛筆を床に落とした場合、すぐにこれを拾う傾向にある」と社会科学が推論実験観察分析から導いたとしよう。
しかし、この科学的真理を教えた人間を対象にもう一度実験を行ったとする。
果たして、まったく同じ結果が出るだろうか?出るわけがない。
人の思想や概念を内に含む系において、科学的方法がその本来の意義をその通りに発揮できるのは
対象の系がかぎりなく内に閉じている場合のみだ。つまり被験者と実験者に情報のやりとりがない場合のみ。
人間社会において、こういった思想や概念の交換なしに取引できることがあろうか?あるわけがない。
ということで、社会学も心理学もこの類に入るので、科学とは言えないというわけ。
さらに言うなら科学は霊魂の実在をまったく排斥しているわけではない。
電流や音波は物質ではないが、これを扱う。なぜなら、いつでもだれでも実験器具によって可視可能だからだ。
つまり、観察できる。そして、これを物理現象として説明する説によって実証することができる。
よって、結果として唯物論なわけ。
913 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 19:40:59 ID:5K8XaDlB
初めにことわっておくが、以下は横レスだ。詳しく読んでないので論点ずれていたら勘弁。
>>904 を読んで思ったのだが「五蘊はアートマンではない」と「アートマンは五蘊ではない」は同値ではない。 すなわち、前者「五蘊はアートマンではない」の記述から「アートマンは存在する」とは帰結しない。
例えば「あなたは金星人ではない」から、「あなたとは異なる『金星人』というものが存在することにはならない」
こういうことなんでは?
914 :
旧7:2009/06/15(月) 19:41:05 ID:343q8Zi8
ったく、どいつもこいつもどいつもこいつも・・・
カラスは“宝珠&在家”側に組しちまうし・・・w
この二人の系統とは違うと思ってたんだが・・・。(てか、宝珠と在家も異質な筈なんだがな?・・・w)
買い被り過ぎだったか・・・w ┐(´ー`)┌
>>912 >さらに言うなら科学は霊魂の実在をまったく排斥しているわけではない。
>電流や音波は物質ではないが、これを扱う。なぜなら、いつでもだれでも実験器具によって可視可能だからだ。
>つまり、観察できる。そして、これを物理現象として説明する説によって実証することができる。
>よって、結果として唯物論なわけ。
この辺が、彼らには理解不能なんでしょうかね・・・w
915 :
旧7:2009/06/15(月) 19:47:49 ID:343q8Zi8
916 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 19:58:25 ID:5K8XaDlB
>>915 そうか。
「AはBではない」 この記述から、Bの実在を主張することはできない。
勿論、それ以外にアートマンの実在を肯定する、どのような記述があるのかは俺の知るところではない。
仏典の専門家におまかせだ
917 :
暁:2009/06/15(月) 20:02:15 ID:W1E6gmqI
>>888 あたくしのおたまじゃくしのくだりが何か?w
918 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/15(月) 20:04:07 ID:3i8OTwJK
>914
(^。^)仏教徒なら、サイの角のように一人歩まなきゃな♪
919 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 20:18:41 ID:FeiTBFaZ
そもそも、仏教では五薀を超越した存在である神なんか説かない。仏教の神神は六道輪廻の心のうちの存在だろ。
そろそろ終わりだな
次スレは必要かい?
五薀は一切か?でまだ議論できそうだけど
>>900 ご隠居は相変わらず、<神の息>と<神の油>を区別していないw
>>909 心霊現象は、承狂氏のほうが適切に発言していると思う。同意します。
>>912 同意します。たしかに自然科学と社会科学には違いがありますね。
>>917 暁氏の<縁起・空>がおたまじゃくしを作り出しているのでは?
922 :
一在家:2009/06/15(月) 20:32:56 ID:lnritJhg
>>912 >電流や音波は物質ではないが、これを扱う。なぜなら、いつでもだれでも
>実験器具によって可視可能だからだ。
科学の進歩により、唯物論の「物」の定義も随分と変化してますね。
今じゃ素粒子まで測定できるから、「物」の範囲でしょう。
でも最初に研究していた科学者達は、その時代の人達に、基地外、魔女、
ペテン師、悪魔と蔑まれてましたね。
このスレでも紹介しました偉大な科学者達は実証されていなくても、
自然や宇宙や人体の大調和を見てアートマンやブラフマンの存在を
感じ取ったということでしょう。
「偶然でできるものか? 目には見えなくても何らかの意思が働いている」と。
>>922 >科学の進歩により、唯物論の「物」の定義も随分と変化してますね。
>今じゃ素粒子まで測定できるから、「物」の範囲でしょう。
もの、これはニュートン力学で定義される剛体とみなしうる対象ということだろうな。
波は剛体じゃないし。ものじゃない。
電流も波だが、電子というものの振動によって生まれるエネルギーの形態のひとつだから
結局ものという観点でとらえ直せる。
そして、量子力学によって、粒子と波はおなじ存在の観測のされ方によるちがいということが明らかにされて
結局、ものっていうのは即物的な真理というより、現実世界の真実のとらえ方の一つということだろうな。
まあ、霊魂はとらえ方のひとつですらないということを暗に示しているわけだがね。
この世はすべてエネルギーといえるし、粒子ともいえるし、波ともいえる。
924 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 20:44:21 ID:oEy2H55J
>>922 >「偶然でできるものか? 目には見えなくても何らかの意思が働いて
>いる」と。
自然の一部に過ぎない人間が考えるから不思議に思えるだけで、自然から
見れば、なんでもないこと。
最初に研究した科学者たちは、Something Greatなどの考えを排除して、
自然そのものを直視したからこそ、発見や発明が可能になったのだよ。
Something Greatなど考えていたら、対象(現実)の厳密な観察は不可能
になり、そもそも科学が成立し得ない。
科学者を自称するのなら、いい加減で似非科学は止めて、学会にも通用する
本当の科学をやったらどうかね。
925 :
宝珠愚者:2009/06/15(月) 20:49:25 ID:qgflhpBU
>>904 疲れるな〜
「ゴータマの説法によれば、もしアートマンが存在するのならば、
それは五蘊ではないことになる」という意味ですよ。
>>913の説明には同意します。
私は何も、ゴータマがアートマンが在ると述べた、とは(まだ)いってない。
>>910 私はあなたのことを
“頭がイイ”と褒めていたけれども-取り消すわw
>同時に、我々の日常日本語での「自己」としての語義も含むんだよ。
>君らの引用する数々の用例も、 我々の日常日本語での「自己」に置き換えたとしても、
>
>立派に意味が通じてしまうんだよ。
ふーむ。
日常での普通の自己ね!つまり、唯物論でいう自己だと??
では、スッキリ答えてもらいましょうか?
「五蘊は我ではない。我にあらず、わが本体でもない」というときの、「我」とは何んなのか?
五蘊は“日常の普通の自己”ではない、というこの説法のどこが日常の自己の話なのか?
さ〜解説を願いますか。
926 :
宝珠愚者:2009/06/15(月) 20:50:53 ID:qgflhpBU
皆さん、どうかご静粛に!
これから旧7さんが、五蘊ではない普通の自己とは何か?について説明してくれます。
では、解説を宜しくお願いします。是非、アートマンではなく普通の自己として宜しく。
もし、この訳文が気に入らなければ、旧7さんお得意の原語から解説でも構いません。
あっ、解説は普通の日本語で宜しくw
次のスレでタップリ解説してもらっても構いません。
カウンターばかりでなく、自論の展開のほうも宜しく。
『比丘たちよ、色(肉体)は無常である。無常であるから苦である。苦であるから無我である。無我
であるから、これはわが所有 (もの)にあらず、我にあらず、また、わが本体でもない。そのように
正し智慧をもって如実に観察するがよいのである。比丘たちよ、受(感覚)は無常である。・・・比丘
たちよ、想(表象)は無常である。・・・比丘たちよ、行(意志)は無常である。・・・比丘たちよ、識(意
識)は無常である。無常であるから苦である。苦であるから無我である。無我であるから、これはわ
が所有にあらず、我にあらず、また、わが本体でもない。そのように、正しき智慧をもって如実に観
察するのがよいのである。』(サンユッタニカーヤ22-46)
927 :
宝珠愚者:2009/06/15(月) 21:03:34 ID:qgflhpBU
>>897 >そのような「前世の実在ぬきにしては説明がつかない」ような例が、
>たとえ一件たりともありましたか?
逆行催眠で、前世がピアニストであった記憶を取り戻して、
凄いピアノ演奏を始めた事例が一つではなく、数例確認されている筈です。
もちろん、今生ではピアノは全く弾けないことは周囲も家族も保証しています。
それが練習なしでプロの演奏を始めた。
どんな天才も日々の練習なしで弾けるようなった者はいない。
しかし、これらの被験者はそれをしたのです。
ここにいる霊魂信者の方達に安心しておいてほしいのは、おれは宗教が必要なものだとは思っているからな
霊魂があるという宗教を認めないとは言っていない。
仏教徒だから、神をとく宗教はこの世から抹殺するべしとも言わない。
これらは、冷静に自分を見つめさせるために、己を修養するために必要不可欠のものだから。
ただそいつを政治の場面で用いたり、他人を軽蔑する道具として用いるなとは言う。
また、そのようなことを目的とした宗教は排斥されるべきと言う。
929 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 21:03:58 ID:FeiTBFaZ
自然科学ではまだ物しかその対象にできない。心の自然化はこれからの課題だよね。
仏教では物心一元に五位七十五法や五位百法として分類するからどんな物事でもどこかに位置付けられる。
例えば、霊は妄想として。
930 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 21:04:10 ID:oEy2H55J
「アートマン」とは、「生物的生命」。「五蘊」とは、生命の機能だから、生
命そのものではない。「生命」も、その発生以来の無数の縁起(関係性)で成り
立つから、「自性」はない。
これでスッキリ。
>「五蘊は我ではない。我にあらず、わが本体でもない」というときの、「我」とは何んなのか?
常駐不変の存在としての我だろ
人間がお互いあると認識することによって成立している因縁生の仮名人たる我とは区別される
932 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/15(月) 21:15:29 ID:3i8OTwJK
(^。^)とりあえず逆行催眠なんてのは、暗示以外の何物でも無いとだけ言わせれ♪(笑)
933 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 21:16:55 ID:oEy2H55J
「神」も「霊」も、アートマン(生命)の機能(即ち、五蘊)としての観念作
用・空想作用の産物に過ぎないから、実在ではない。常に、アートマン(生命)
が優先する。
934 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 21:22:57 ID:5K8XaDlB
>>927 あのね、それが何故前世の存在ぬきには考えられないのかな?
家族が保証した?
どうして、その証言が信じられるわけ?
家族に隠れて練習してた可能性も排除できないでしょ?
例えばね、前世がショパンであったとかで、いきなり世界的なコンクールで優勝したとかじゃないの?
プロ並とは?
俺が数学者の話をだしたのも、おばちゃんがいきなり数学の高度な問題をすらすら解きだしたりしたら他の合理的説明がつかないから。
必要とされてるのは、他の合理的説明の介入する余地のない事例
935 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 21:25:28 ID:FeiTBFaZ
仏教では生命は有為法、心不相応法の命根になる。アートマンが生命ではない。
936 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 21:37:48 ID:oEy2H55J
>>935 アートマンとは何かを、ああだ、こうだと考えているのも、生命の機能。
従って、生命を超えるものはありえず、究極は生命に帰着する。
アートマンの原義からして、「生命」である。
北朝鮮には3才でバイオリンをプロ並みにひける子がいたが
あれも前世の影響かもな
>>936 釈尊はその認識がもう迷いのはじまりだとしているけどね
939 :
宝珠愚者:2009/06/15(月) 21:47:57 ID:qgflhpBU
>>936 肉体(生命)は自己の本体ではありませんが
>>926、
だからといって、肉体は無視でいいなどという話ではないのですよ。
この肉体を使って仏道修行に入るのですよ。
940 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 21:49:34 ID:igkzPB7g
よし、ジハードは努力という意味だから、これからは隠居もその意味で使いたまえ。
>>922 いい視点だと思います。
科学は再現性を重んじるゆえに一回キリの現象に無関心というか
人の心に与える影響を無視しすぎている感がありますね。
同じことのくりかえしは人の心を味気なくさせ、無意味な行為と認識させてしまうのは
科学の欠点と言えましょうな。
ベルグソンはそれゆえに純粋体験の重要さを指し示したと思われる。
ベルグソンの主張は隻手の声を聞けという禅ととても相性がいいと思います。
942 :
旧7:2009/06/15(月) 21:56:46 ID:343q8Zi8
>>925 >日常での普通の自己ね!つまり、唯物論でいう自己だと??
ハァ?(゚д゚) お前、「唯物論」という語に過敏になってないか?w
なんで突然唯物論が出てくるんだよw
普通に、「自己を確立する」とか「自我の目覚め」とか「アイデンティティ」とか「本当の自分」とか
《単に自分を指さして「私」》というでなく、
過去様々な経験を背負い、受け止め、
今まさに様々な事象に相対し、識別し、分別し、判断し、行動してゆく、
そうした“実存的存在”(≒在り様)を「自己」と表現することはないのかい?
中村元は「アートマン」と訳すことが多いのかもしれないが、片山さんは少ない。(ってか、ゼロかも?)
片山さんが「我」と訳している部分は、彼もまた《「アートマン」が説かれている》と読んでいる部分だろう。
彼が「自己」と訳している部分については、《実存的自己》《アートマン》どちらの読みも可能だといことだ。
これじゃ不服か?w 全部引用しなきゃダメか?
そうだ、とりあえず、Dhpから一つ二つくらい挙げておこうかw (【 】・「 」は引用者が付加。)
・62偈(部分): 〜 attA hi attano natthi. 〜
中村訳:〜 しかし、既に【自己】が【自分のもの】でない。 〜
片山訳:〜 【自己】でさえ【自己のもの(≒主)】でない。 〜 (・・・ノートからなので自信無しw 「主」という注記は160偈を受けてのこと)
・160偈: attA hi attano nAtho , kho hi nAtho paro siyA.
attanA hi sudantena nAthaMb labhati dullabaM.
中村訳:【自己】こそ【自分】の「主(あるじ)」である。他人がどうして(【自分の】)主であろうか。?
【自己】をよく調えたならば、得難き主を得る。
片山訳:【自己】こそ【自己の】主である。どうして他が主となり得ようか。
【自己】をよく調えたならば(≒調えた者は)、得難き主を得る。 (・・・ノートからなので自信無しw)
別に難しいことじゃなく、≪わざわざ「アートマン」とせずとも≫文意は通る、ってだけの話なんだけどなw
ちなみに、その時の片山さんの台詞も付記しておくか・・・。→「“主である”という表現はおかしいと見なければならない」とねw
943 :
一在家:2009/06/15(月) 22:01:49 ID:c4O4kc9z
もし釈尊が真理「ケーキ」を悟ったら、どうバラモンや凡夫に説明したでしょうか?
その時代の人々は食べたこともなく、見たこともない。
もっとも常識的であり得る説法は大変そうです。
944 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 22:06:17 ID:qgflhpBU
>>934 ヘリクツ乙!!w
どういう経緯で逆行催眠治療を受けることになったかは忘れましたが・・、
では、あなたの懐疑的な可能性で説明すると、つまりはこうなる。
彼は、いつの日にか逆行催眠を掛けてくれることを夢見てひたすらピアノの特訓をしてきた。
しかも、誰にも知られることなくひっそりと続けてきくてプロ並の実力を身につけたと。
そして、ついにその夢が適って、逆行催眠を受けることで晴れて人々の前でピアノの実力を初公開した。
それは何のため?
彼は、この奇跡のような出来事に人々が驚く顔が見たかったから?
逆行催眠の効力?もしくは前世の存在の証明に寄与したくて、このような計画を遂行してきたと?
945 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 22:09:26 ID:oEy2H55J
>>938 >釈尊はその認識がもう迷いのはじまりだとしているけどね
釈尊も、自己のアートマン(生命)によって説教したのだから、そんな
こと言ったら、完全に自己矛盾に陥るよ。
946 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 22:12:39 ID:igkzPB7g
>>944 出典と経緯ははっきりさせておくべきだった。一在家のように
>>945 自己があると認識するのと、話すことは別だよ
948 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 22:20:04 ID:5K8XaDlB
>>944 またなんで、そうなるのかね?
逆行催眠を受けることがなぜ前提になるの?
お前だって家族の知らないことやってるだろ?それともお前の家族はお前のやってることを全て知ってるわけ?
その「彼」なる人物がたまたま一人でピアノを練習してた。
そして自分の前世を聞かれたとき、ピアニストとこたえた。その可能性は?
あるいは、彼と家族がウソをついてる可能性は?
結局、お前のあげた事例はその証言が全て真実であると言う前提にたつもの。
すなわち、信じるか信じないかの範疇なの。わかった?
必要されているのは「それを信じるか否か」など問題としない事例
だから俺は数学者の話をだしたの
いい加減理解したら?
949 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 22:21:19 ID:oEy2H55J
>>947 釈迦が認識しなくても、彼はアートマン(生命)によって話している
ことは、絶対に否定できない。彼にアートマンがなければ、彼はそもそも
口が利けない。
>>949 生命はアートマンじゃないから。生命は五薀で定義される。
因縁生によって認識されているかりそめの存在。
おいおい、釈迦がああ言った釈迦がこう定義したと体系化された知識を列挙してるが、釈迦の説法は
全部方便だったことを思い出せよ。釈迦はある人には輪廻はあると言い、別の人には輪廻は無いと言った、
ある人には魂はあると言い、別の人には魂は無いと言った。
953 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 23:26:44 ID:oEy2H55J
>>950 >生命は五薀で定義される。
その五蘊は、生命以外の一体どこから発生するのかね。
宗教者が、生命という根源に思い至れないのは、頭のてっぺんだけで考える
「観念の病」に犯されているからである。
生存本能(生命)のみが、すべての人間のみでなく、すべての生物に共通する
唯一の普遍の事実。人生とは、「生存本能の応用問題」に他ならない。
古代人や現代の圧倒的多数の生活者のほうが、はるかに人間の本質を把握して
いる。
954 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 23:34:36 ID:yFMg+C9d
もしお釈迦様ならば、
インターネット、パソコン、携帯電話が
生存している環境に存在した場合
それらを利用するでしょうか?
しばらく洞察して、、、、
棄てるでしょうね
使わない事を呼びかけるでしょうね。
しかし、あまりにも人類にそれらが当たり前のように
生活の中へ組み込まれて行くのならば、
逆に率先してその中に入って行き
説法の嵐を最も効果的なやり方で説くような気がします。
955 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 23:36:43 ID:oEy2H55J
「生命」という根源に思い至れない宗教って、実はとんでもない食わせ物、
単なる「観念の病」という精神の病理現象に過ぎないのではないだろうか。
>>953 五薀は五薀から生まれるんだろ
アートマン論者が、五薀という根源に思い至れないのは、頭のてっぺんだけで考える
「観念の病」に犯されているからである。
>>954 別につかうときはつかうだろ常考
真実へ導く助けになるものはなんでもつかうはず
そして釈尊は無関心な人には無理に教えようとはしなかった
958 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 23:53:50 ID:oEy2H55J
>>956 >五薀という根源
あれ、釈迦は五蘊は根源ではないと否定しているのではないのかな。
960 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 23:56:54 ID:oEy2H55J
一切
962 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 00:32:09 ID:4BmH/aUx
>>961 五蘊の発生源には、思い至れなかったということだな。
963 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 00:34:16 ID:4BmH/aUx
>>961 「一切」なら、仏教とは、五蘊にまみれた宗教ということだな。
そうだよ
965 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 00:50:48 ID:4BmH/aUx
>>964 >そうだよ
いい答えだw。人間はみなそうだからな。さすが仏教。
966 :
一在家:2009/06/16(火) 06:39:09 ID:iDsex/6p
肉体の命。
魂の命。
輪廻の主体のアートマンは魂の命。
脳神経は肉体の命と一緒に生死する。
967 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 07:03:23 ID:ixYpk1Pf
>>936 >生命を超えるものはありえず、究極は生命に帰着する。
これは生命教と言う新宗教だよね。仏教ではない。
968 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 07:16:11 ID:ixYpk1Pf
仏教は人間教育だろ。霊魂については何も言わない。
969 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 08:02:50 ID:mFtKzsIv
一人一人が思いやりの心を温かく育てていくならば
世界は遥かに平和になるでしょう
ダライラマ14世
970 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 08:16:14 ID:ixYpk1Pf
不殺生戒があり一切の犠牲を許さないのは、仏教とジャイナ教だよね。
971 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 09:53:02 ID:z+gXKvZN
>>969 チベット仏教では、争いが多い。仏教徒が政治運動やったり、デモ行進やったり、
暴行を働くのは誠に異常。チベット問題で、ヒステリックな反応を示さず、
法句経の「己が身に引き比べて」の章句を引用するに止めた日本の仏教界は、
仏教としてのあるべき姿を示したといえよう。
ダライラマが海外において、キリスト教やヒンドゥー教の影響を受けたこと
も考えられる。
あれは中国政府の虐殺が問題なんだから当然のデモだろ
二次大戦後に他国侵略した国って中国ぐらいだろ
973 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 11:54:18 ID:zBSehMCQ
唯物主義者と縁起主義者の生命観は、
物質から生命が自然に発生し、生物そして人間が生まれたという話につきる。
かれらがかれら自身の生命観をあまり語らないのは、
かれらの生命観があまりにも貧相であり、いかにバカバカしいものであるかを、
かれら自身が気づいているからである。
物質から生命が自然に発生する?
あるいは物質から生命が作れる?
そんなことは永遠にありえない。生命は物質ではないし、
物質でない生命を物質的に解明することは永遠にできないから。
生命は肉体(物質)の機能ではないか?
これは少し言い方を変えただけで、肉体(物質)から生命が自然発生する、
という主張と同じである。かれらの主張に基づけば、
土や石にも、横たわっている死体にも生命が宿らなければならない。
この現実は空あるいは幻なのだろう?
かれらの主張は妄想であり、虚しい主張をしている。
975 :
旧7:2009/06/16(火) 12:19:41 ID:i24dMNjH
>>974 >土や石にも、横たわっている死体にも生命が宿らなければならない。
ここにも短絡馬鹿がいるwwwww
976 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 12:27:11 ID:+FlX0EKN
>>974 いったい、どういう思考回路をしてるんだ?
お前はもしかして、あれか?
人間と言うのは、神さまが現在の人間のような状態で創造したとか言う
進化論否定の創造論信者か?
唯物主義者と縁起主義者のひどく貧相な生命観は、
かれらが生命についてあまり考えていないことを証明する。
かれらは表面的であり、死の外見的な状態から死を理解する。
そしてここから、<命が死ぬ>という奇妙な妄想に落ち込んでいく。
肉体には寿命がある・・・これはいいだろう。
しかしだからといって、生命にも寿命がある、ということにはならない。
かれらも<肉体イコール生命でない>ことを知っているはずである。
だれも切った爪や抜けた髪の毛などに生命があると思いはしない。
切断された手足に生命があるなどと、だれも思わない。
そしてそんな風に思いながらも、
かれらは肉体イコール生命でないことに気づかない。奇妙なことである。
死とは切った爪や抜けた髪の毛のようなものである。
978 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/16(火) 12:45:25 ID:cU13KvaY
大概のオカルティストやカルト信者は>973みたいに魂とか霊が、この世の真理であり、
「それが理解出来ない」良識的人々を一段下に見ています。(笑)
(^。^)そして連中は永遠にマトモに世界を見る事は出来ません♪(笑)
唯物主義者や縁起主義者は、かれらの生命観自体は貧弱なのに、
肉体とは別の生命(アートマン)が存在するという話には、
それを否定しようとやっきになる。
知れるものなら知りたいのかもしれないが、
これは知識ではなく、聞いただけで納得できるものではない。
納得するには、自分で体験する以外にない。
980 :
暁:2009/06/16(火) 13:27:08 ID:D+3H/4CN
>>979 >肉体とは別の生命(アートマン)が存在するという話には、
それを否定しようとやっきになる。
躍起さでいうとあんたの方が相当だよ。
981 :
一在家:2009/06/16(火) 13:58:42 ID:J4AIt5wK
唯物主義者や縁起主義者にも仏性(神性)が宿り、仏にも獣にも
なり得ると私は信じております。
まあ、現代科学では実証できませんので、信仰の上のことです。
信仰の論拠には、原始仏典と法華経と死海文書(最古のユダヤ教聖典)
に記載があります。
982 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 14:19:52 ID:CGMrS7yE
>>981 仏性は、生命に宿る。生命がなくなれば、仏性も消滅するのが当然。
生命の存在は、生命現象のみから判断する。死体にいかなる生命現象が
現われるか、科学者の目で冷静に観察されたし。
釈迦は、煩悩・執着を去ることを説いた。「死後の生命」などに執着する
ことこそ、最大の煩悩であり、醜悪そのものである。
仏典における「死」の定義:
「寿命(ayu)と体温(usma)と意識(vinnana)という三つがこの身体を離
れるとき、この身体は捨てられ、心のない木片のように横たわる。」
(中部第43経)
「死とは、受けたところの身を捨するなり。」(大般涅槃経)
悟りは、「死後の生命」などへの執着を去ることから始まる。
983 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 16:11:36 ID:mFtKzsIv
釈尊が法華経を説いた時期はやはり三障四魔が働いて、
釈尊を【カルト教団】だと民衆をたぶらかした僧侶が居て、
お弟子さん数人が殺害されたのよね
釈尊は「過去世で殺人を犯した人が殺害されたら
罪障消滅になる」と説いたから、逃げても構わないが
完全に成仏するのならと、逃げなかったお弟子さんも居たのよ
984 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 16:13:28 ID:mFtKzsIv
ウソばっかこくなよw
釈尊が法華を説いた史実事実は存在しないw説いたのスッパニパーダだw
法華はナーガの教団のプロパガンダと「創作」
シャクブクじゃなくても
四国じゃ地区長が不倫のはてに殺人したり、藤沢じゃ酒席でシャクブクして逆縁だからと殴ったり
横浜じゃ公道衆人の目前で退転希望者の首絞めて現行犯タイホと犯罪者ばっかだろがw
985 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 17:13:15 ID:tvwa6BKW
日本では聖徳太子の頃から法華経信仰が盛んである。
しかし法華経が偽経であり、作者不明の作り話であったことが暴露されている。
法華経が見捨てられるのも時間の問題でしょう。
法華経の気味悪さは、釈尊の臨終の場面からスタートすることにある。
これでこの経の匂いが読み取れる。それは死臭である。
方便というものがあり、相手次第ではウソをついてもいいのだという姿勢、
こんなことを説くようではそれで終わり。釈尊の教えではない。
八正道の正反対であり、八正道を頭から否定している。
法華経がなぜ平然とウソを認めるかといえば、
この経が竜樹の<空>の系統につながる作り話だからだろう。
釈迦は待機説法をしていたなどはウソのカムフラージュでしかない。
相手がだれであろうが、時に「ある」時に「ない」などと、
正反対のウソをついてはいけない。
釈迦が真に悟っていたら、そんなことをするはずがないのだ。
自分の知らないこと、判断がつかないことに<無記>と言う釈尊が、
待機説法と称して、どうしてウソをつかなければならないのだ。
そんなことをするはずがないだろう。
989 :
旧7:2009/06/16(火) 17:47:00 ID:i24dMNjH
>>988 いやw
その『「無記」としたこと、その行為自体』が、方便だったってことでしょ?w
いきなり真実を告げたらみんなビックリしちゃうから、
最初は、みんなが親しみ易い、理解し易い内容に修飾して話していた、とwww
法華経の中にある呪いの言葉は、この経がニセモノであることを証明する。
聖書の黙示録にも最後のほうに同じような記述がある。
そうやって暗示にかけ、脅すような経典はことごとくニセモノである。
ニセモノだから安心していい。そんな経典は捨ててしまおう。
だから釈迦が唯物論かそれとも霊や輪廻を認め、永遠の生命を信じるか、
ということであり、大乗運動にしろ、密教にしろ、唯物論の波を押し返すように、
いったりきたりする、振り子のようにゆれているようなものだろう。
唯物論であれば無我からは何もでてこない。ゆえに空という霊的なもの、
目に見えないものを見た人がいて、浄土教や法華経として、小乗仏教に
くっつけることが可能となる。そうしてまた空仏教が唯物論的解釈される
わけであります。
科学的啓蒙は大事であり、もしかしたら宗教を根絶やしにできるかもしれない。
しかしながら宗教のほうが歴史は古いわけであります。
>>992 釈尊は何を説いたのだろうか? という原点に戻って検証することも必要だろうと思う。
苦集滅道あるいは一切皆苦は果たして中道なのだろうか?
こういった考え方は、イエスの<貧しい人々は幸いである>と共通するのではないか?
かりに同じなら、豊かな人々、世を楽しんでいる人々は、
悟れないという論理的結論になるが、果たしてそうなのだろうか?
一切皆苦、四諦八正道を認めるなら、釈尊はイエスの説いていることと酷似するのだ。
承狂氏と暁氏には、あなたがたの生命観を語れ、と言いたい。
文句ばかりでは始まりませんよ。あなたがたの生命観を10行以内で語れ。
旧7も語れ。物質から生命が湧いた、ではダメだぞ。
生命について気の利いたことを語れ。
ご隠居の「関係の束」などはもう賞味期限が切れてるぞ。
995 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 18:56:47 ID:gYFcE4/i
>>992 物を大切にすれば、心故に、物としての肉体を傷つけることはない。
心は、常に揺らぐ。物は揺らがない。
>>994 生命とは、語るものではない。十全に生きるものである。
996 :
旧7:2009/06/16(火) 19:37:57 ID:i24dMNjH
>>994 私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」と、ついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」
日記はあの日で終わっていた。
「今日はOOの好きな海老を入れた。相変わらず体が思うように動かなくてぐちゃぐちゃになったけど・・・喜んでくれるといいな」
後悔で涙がこぼれた。
997 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/16(火) 19:43:32 ID:cU13KvaY
>994
10行じゃあ足らんし、面倒臭いから、まぁ省略して書いとくとだな。
自身の制御もロクに出来ない鼻垂れが、生命云々なんぞオコガマシイわ、このボケナスが!
という批判を覚悟して、敢えて生命について論ずるならば、
(この一文の意味すら判らねぇ猿ばかりだから嫌になるな♪)
先ず、機械論的唯物論では、生命は説明不可能である。
然りながら、魂や霊界などは客観的一次資料は皆無である。
従って生命とは、仮に成立している幻影の様なものであり、
霊的事象から、残留思念もまた現実としてある。
無論、文化として言語や非言語で継承される思念とは別にだ。
(中略♪)
従って、個体の維持と繁殖するという生命の指向性に止まらず、物質レベルでもまた、何らかの形で存在するという指向性が有ると推測される。
(^。^)簡単に言うと一切は縁起する仮設であり、無自性であり、大日の説法な訳だな。(笑)
>>996 旧7よ、作り話じゃないだろうな。この親不孝者があっ、喝!
でもほんとの話なら、みんなこんな思い出を持っているよね。
ごめんねって言いながら一生背負うんだよね。
>>997 霊 → 肉体 → 外界 という流れがあり、
説明は困難だけど → があるということを言っているのだろうか。
それだったら、おおよそ同意する。
999 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 20:10:42 ID:5eqjSeaL
>>952 ゴータマはある人には輪廻を説き、ある人には否定したというのは間違いな。
正確には、ゴータマは、ある人には輪廻を説き、ある人には無記を通した。だ。
君はここで議論するレベルじゃないね。ちゅうか2Chで長らく主流派
だった断滅仏教徒のレベルはほどがこの程度。
1000 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 20:16:25 ID:tvwa6BKW
みんな、早く悟ろう。
悟りとはアートマンを見ることである。
1001 :
1001:
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