知識としての宗教史から、個人の信仰のあり方まで、幅広く議論するスレ。
2 :
まい:2006/11/24(金) 16:47:42 ID:4dVd1zLo
乙で〜す!
4 :
シスコン侍:2006/11/24(金) 17:04:23 ID:vYUjnRnS
神は 美しい
5 :
よろw! ◆konbu//XQ6 :2006/11/24(金) 17:05:46 ID:QWcIVQUa
>>1 ノシです(^O^)/
向こうスレの2はしばらく休止することにしますヽ(^。^)ノ
もっと、ポイント絞れそうな気がしますし・・・・・・・・
フーテン氏のスレでいろいろ教えて貰って宗教の勉強することにしますw
ご隠居も乗ってるし(^O^)/
はやくきてぇ〜んヽ(^。^)ノ
>>5 世界史・宗教・哲学板は合併するべきと言う方向で行こうかと。
勿論、三位一体でw
7 :
よろw! ◆konbu//XQ6 :2006/11/24(金) 17:22:38 ID:QWcIVQUa
ご隠居の宗教批判(というかキリスト教批判)の中心は、いつも結局以下に尽きる。
★★日本の宗教雑考★★
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1163146726/992 >>992 まず、人間の生活の中から生まれた自然宗教と、開祖の精神異常の
結果として発生した創唱宗教とを、根本的に区別することが必要。
前者は、科学の存在しなかった古代において、科学に代る、人間が生存
するための精一杯の合理性・科学性の表れだった。いわば、人間の生その
もの。
後者は、開祖の精神異常による観念過多により、生存本能との関係が断ち
切られた妄想の、集団的大感染とその現代における惰性的残存に過ぎない。
まず、ここから、議論してみましょうよ。
ご隠居の云うように、自然宗教と創唱宗教って区別できるのですか?
できるとしたら、それは、名前?
それとも信仰の仕方?
わたしは、出来ないし、することに意味を感じないというのが、意見です。
8 :
うふっw! ◆konbu//XQ6 :2006/11/24(金) 17:25:49 ID:QWcIVQUa
>>6 ウヒャ(^^♪
俄仕込みがすぐばれるけど、でも、グチャグチャにした方が、おもしろそうw
世界史の視点は必要ですからね。
我田引水の知識が多いですけど(^_^;)
>>7 言葉による伝承がなければ、宗教として残れないでしょうし、
ご隠居が夢見ているような「自然宗教」は存在しないんじゃないかと。
>>8 グチャグチャにしないと、動きがないから、意味ないんですよね。
哲板みたいに、専門バカ同士で集まっても、新しい知識は得られない。
宗教の原動力は、知識を役に立たなくもするけど、
思いがけない出会いがあったりもする。
10 :
うふっw! ◆konbu//XQ6 :2006/11/24(金) 17:59:20 ID:QWcIVQUa
>>9 >
>>7 > 言葉による伝承がなければ、宗教として残れないでしょうし、
> ご隠居が夢見ているような「自然宗教」は存在しないんじゃないかと。
私がご隠居の立場になってみたら、明確なんですけど、
教祖に宗教の害悪の責任転嫁をしても、なんにも解決しないんですよ。
イエスはキチガイでした、シャンシャンで終わる。
オームがそうであるように、教祖が不在でも、信じる対象は一緒。
公務員の責任追及と一緒なんですよね。
まさに、連帯責任は無責任。
>
>>8 > グチャグチャにしないと、動きがないから、意味ないんですよね。
> 哲板みたいに、専門バカ同士で集まっても、新しい知識は得られない。
> 宗教の原動力は、知識を役に立たなくもするけど、
> 思いがけない出会いがあったりもする。
まあ、哲板には哲板のよさがありますけど、ここは、闇市のいかがわしさがあっていい。
全く、同意w
出会いすぎる方も若干お一人いますけどヽ(^。^)ノねっゴインキョウ〜
11 :
うふっw! ◆konbu//XQ6 :2006/11/24(金) 18:08:55 ID:QWcIVQUa
そもそも、科学と宗教の違いって、科学のほうが、薄情なこと。
それに尽きる。
宗教は、いきなり、
イエスはおじさんです間違いでした。。
今から、イスラム教に改宗します。
とはなりませんからね。
科学は、それがある。
というか、それがなければ宗教になる。
その薄情なところがとても気に入ってるんですけども、
近頃はその薄情さに欠ける。
科学も、ドン詰まってるようで、つまらない。
空飛んで、農耕民族に戻りたいw
13 :
うふっw! ◆konbu//XQ6 :2006/11/24(金) 18:17:46 ID:QWcIVQUa
>>12 ニュートンがアリウス派だったのは、わかるナァ〜
三位一体って結局、人智では理解できないから、神の位格なんじゃないかとw
結論としては、それで正しくない?
>>13 いや、神様には、分かんないでしょ、こんなのw
アリウス派は、聖霊が神ではないと言ってしまったのが、間違い。
問題は、父と子が同等であると言うこと。
「イエス・キリストは主(キュリオス)なり」という古い信仰告白は、元々
ローマが市民に強制していた「皇帝は主(キュリオス)なり」に真っ向から対抗するものだった。
皇帝=神という構図の中では、父を上位に於く限り、それは皇帝崇拝と結びついてしまう。
皇帝崇拝が免除されるのはユダヤ教だけだった。ユダヤ教から分離した新興宗教としては、
子であり、人であるイエスを主と呼ぶことでこれに逆らった。
だから、コンスタンティヌス帝が、父と子は同等ではないとする御子従属説を取るアリウス派
を支持したのも、もっともな話。
皇帝の支配下にある東方教会は、どっちかと言えばアリウス派支持。だから最終的には、
聖霊は「子からも」発するとした西方教会と分れることになった。
15 :
うふっw! ◆konbu//XQ6 :2006/11/25(土) 00:28:24 ID:4f11S1mE
さて、暇人と極悪ぢぃと昆布は一体?
17 :
素人:2006/11/25(土) 00:57:18 ID:w83BXRHK
18 :
うふっw! ◆konbu//XQ6 :2006/11/25(土) 01:17:14 ID:4f11S1mE
>>17 ふむふむヽ(^。^)ノ
問1
仏教は、人智で判断できると考えるほどに尊大なのかということに疑問を思ってのレス。
西洋哲学は、近代以降、そのように振舞って、進歩発展して来たというのに同意でしょ?
仏教も同じなのですかぁ〜
と思って、質問したのですよ。
素人氏のレスには触れているつもりはありませんでしたが、
素人氏も同じならば、やはりそういう疑問を持ちますよ。
問2
ここまでが、どこまでかということだと思いますけど(^^♪
そもそも、この問題はそれ以前のレス、
142 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2006/11/23(木) 23:53:25 ID:UEHV9udl
>>139 >遺伝子や公害ならわかるんだが
>もし前世の悪業やカルマでハンデイキャップ持って産まれるんだったら
>乙武はどんだけ前世で悪いことをしたんだってことになるよね。
>ある意味カルマ論てのは身障者に対する侮辱になるんだよな。
という内容から始まっています。
私はホントにその通りだと思いましたよ。
で、それに対して、次のような反レスが生じました。
144
>>ある意味カルマ論てのは身障者に対する侮辱になるんだよな。
>それは聞く側が、因果が三世に渡るという価値観を持っていない場合だね。 つづく
それは、時代背景として考えれば、
古代はそのように考えていたという事でしょうけど、
別に、そのレスは古代を問題としてるわけではありませんからね。
まあ、冷静に読めば、別にスルーしてもよかったのでしょうけど、
私には、価値観の押し付けに読めたので、
その表現は押し付けだろう( ̄□ ̄;)!!
と議論を迫ったんですね。
障害者が前世の因果なんて、無神経な発言過ぎますからね。
だから、煽りに近い表現になってるのでしょう(^_^;)
>>17 問3.問1の発言は、私とも喧嘩がしたいということで宜しいか?
対岸の火事なら放ってもおくが、降りかかった火の粉なら払わねばならない。
そうなの?
私にはそう思えないですけど?
なにがそう思えるのかに疑問が生じるのですけど・・・・・
その根拠をもう一度説明してw
>>19 ところで、ここで、その発言が私の極端な曲解であったことは、
ここで、付け足しておきます。
その時は、そのように判断したということです。
今、ここで、この問題を論じることは、まったく別であるということを前提にします。
ちょっと、1・2日消えます(^O^)/
あとは、素人さん、適当によろしく(^O^)/
週末に来て。。。旅行ですか。
忘年旅行?
因果応報のは誰が誰なんだかわかり難くなってますね。
こんぶ殿のスタンスと素人さんのスタンスも前と同じだからこういう展開になっただけでしょうね。
3世の因とかって言葉は意味や解釈を知らない人にとってはかなり怪しい言葉でしょうね。
そこに誤解は生まれる可能性もある。あとは性格の問題でしょうとw
宗教の「キモイ」言葉たちはよほどの相手からしか聞けませんよ。
口にされた瞬間に構えますし。
素人さんが言葉を最初に発したと分かって聞くなら受け手の反応も変わるんでしょう。
素人さんの話を聴く姿勢の人の場合ですけど。
ちょっと思ったけど、テストさんとか迷子になるかも。
>>26 仕方ないから、俺が宗教のキモイ言葉ばかりはいてあげようか?
俺は比較的平気ですよ、仏教の言葉だけなら。
神神とか押し付けはいやだけどw
仏教の言葉は結構聞き覚えあったり知ってるからまだいいのだけど。
例えばキリスト教のメシア?何のことだかさっぱり分からないけど、
その言葉を見ただけでなんかいんちき宗教っぽくてキモって思うし。
そんなもんじゃないのかな。
モーゼだなんだってのは映画なんかでも見てるから物語の人っぽく聞ける。
仏教でもアーナンダーとかなんじゃらなんだー見たいなのは
オームを思い浮かべるからなんかキモってなるだろうし。
神神が何故嫌かと言うと。
神神言うやつは会話にならないから時間の無駄だけだし。
ましてやUFOや心霊現象マニアがその世界の話してるのと何も変わらん。
サークルだけでやってくれって感じだから。
1行レスに4行レスで返す律儀な俺w
色即是空空即是色です。
神は街角にいます。パンを食べています。
昔は地下道にたくさんいたね。
毛布を奪うと怒るんだよ。
日本人はもともと「絶対的な宗教的を否定する」宗教感があるからね。
その宗教的基盤の上に、リベラリズムの善、つまり個人を優先するあまり
共同体の宗教的、精神的な価値観を否定し、経済的、物質的なものに
それを変えようとするリベラルの福音がやってきたから。
それに満足できる個性ばかりではないのにね。
>>27 迷子にならないでいられるほど、ここに入り浸ってる方が変だよ。
てすとさんは宗教板にくる必要があるとは思えない。
だから、逆に貴重な存在でもあるけどw
>>30 メシアを説明しようとしたら、
スレ一つ消費するかもねw
古代イスラエル史から始めなきゃ分らないから。
まあ、歴史は抜きにして抽象的にいえば、
メシアは、希望の逆説、だね。
@暇人風
ノシ
>>37 実際の日本人がどうか知らないけど、個人的感覚では
日本人は神だろうがなんだろうが力を貸せと願うことがあっても
導いてくださいとか支配下に置かれることはしない。
神であっても自分よりも上の存在は認めない。
それで天罰でも何でもあるならそれでいいって感じ。
日本人の美徳的感覚。
>>38 入り浸りも何も留守ですからねw
で、俺は必要性はあるのだろうか、客観的に見て。
メシアって言うのはそれが何なのかまったくわからないんで。
人物の名前なのか、役職名なのか。
でも、希望の逆説ってことはそれとも違うようだ。
後でググって辞書くらいは見てみる。
>それに満足できる個性ばかりではないのにね。
これは士農工商的、さらに現代ではもっと多くの○○的感覚や美徳感があると思う。
庶民的であったりもするし、でもそれを選んでるのは自分だということの自覚が足りないとも思う。
43 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 14:38:32 ID:5R/XzXOi
>>9 >言葉による伝承がなければ、宗教として残れないでしょうし、
>ご隠居が夢見ているような「自然宗教」は存在しないんじゃないかと。
あなたは、「言葉」について基本的な勘違いをしている。聖書やバルトに「書
かれた言葉」だけが言葉ではないよ。人間の言語活動の圧倒的大部分は、「書
かれない言葉」、即ち、口頭や、身振り手振りや、状況からの暗黙の推測によ
って行われている。書かれた言葉で詳しく表現すればするほど、書かれていない
部分は排除され、言葉の表現能力がより限定される結果になることを、認識す
べきである。
言語による表現能力は、人間界や自然の森羅万象に比較すれば、極めて限定
されたもの。聖書に書かれた言葉などは、大海の水の一滴にも足りない。あ
なたはその一滴があたかも大海であるかのような、とんでもない倒錯に陥って
いる。学ぶべきは、大海としての人間界と自然という「一大聖典」であり、
その一滴にも足りない聖書やもろもろの宗教書などではない。
ちなみに、本来の神道には、教義も教典も存在しない。人間の本質としての
共同体性とその生存を支える自然の尊重があるのみである。人間の生存本能
(生命)から逸脱することばない。
古代における科学の代替物であった自然宗教が、科学がいかなる宗教の奇跡も
及ばない発達を遂げた現代において存在し得ないのは、あまりにも当たり前。
古代の遺物である宗教が現代も存在するほうが異常で、不必要・無意味・有害
なのである。
一神教が齎し続けている限りない弊害に鑑み、「宗教の原点」であるアニミズ
ムへの復帰が提案されている。このことについて、あなたはどう考えますか。
「一神教の闇(アニミズムの復権)」(安田喜憲著、2006年11月10日
筑摩書房発行、ちくま新書、定価¥720)
キモいのは多分PTSD
45 :
素人:2006/11/25(土) 15:53:02 ID:w83BXRHK
>>25 ID:6u62AaBl=ID:WsmWItxp=私 (他にもあるかもしれんがw)
ID:c3CcQVsD ( おそらく =ID:8/nL2dLg )
ID:rqONpVih=ID:FaQCOQte=昆布
46 :
1/4:2006/11/25(土) 15:59:40 ID:w83BXRHK
>>18 問1
> 西洋哲学は、近代以降、そのように・・・・・・・・・
> ・・・・・・・・・・・・・・・・やはりそういう疑問を持ちますよ。
なるほど、貴方はそこを「自然界の征服」という意味合いで読んだということか。
私は(おそらく彼も)、そのような意図でなく、
確実に知りうる範囲・よりもっともらしく推察できる範囲に於いて、
考察し、吟味し、受けとめ、(生活へ)活かしてゆく、
という姿勢をイメージして作文した(読んだ)と言えるだろう。
47 :
2/4:2006/11/25(土) 16:00:52 ID:w83BXRHK
48 :
3/4:2006/11/25(土) 16:04:12 ID:w83BXRHK
144の、
> 歴史上の釈迦が、障害の因を過去の生に求めたかどうかは知らないけど、
> 釈迦は過去の悪業より現在のあり方を問うたのではないかと思う。
(→釈尊在世当時においても「過去世はともかく「今、どうするか?」を主眼としていたろう」という意見。
(→仏教には差別を容認する余地が確かにあるが、今は問わない。))
や、
> 信じない人は自己のあずかり知らない行為の責任の結果をおわされているという
> 不条理な印象を持つだろう。(→現代人の一般スタンスは寧ろこれであろう)
や、
> しかし、歴史的釈迦が説法したのは宿業論を信じている者だった。
> だから「過去の行いが悪かったからだ、だから今生では善く生きなさい」という話が通じたんだろう。
(→【>ある意味カルマ論てのは身障者に対する侮辱になるんだよな。】に対し、
そうでない時代・文化もあった、そしてその理由は・・というものであろう。
あくまでも、情報提供に過ぎないと思えるがどうか?)
を同時に、(意識の中に)拾い上げていれば、違ったレスになっていたろう。
この文――勿論【それは聞く側が、因果が三世に渡るという価値観を持っていない場合だね。】も含め
(これは、言い回し・口調が、反感を買いそうではあるが・・・)――は、
>>19 > 障害者が前世の因果なんて、無神経な発言過ぎますからね。
> だから、煽りに近い表現になってるのでしょう で言われる
【障害者が前世の因果】 【無神経な発言】 というものではないと思うが?
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1163832599/154 http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1163832599/167 で
述べられるような情報が142に付加された、と読めるのだが、
私の日本語読解能力が著しく低いということだろうか・・・。先入観が強すぎるということだろうか・・・。
49 :
4/4:2006/11/25(土) 16:08:11 ID:w83BXRHK
50 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 16:33:28 ID:5R/XzXOi
前スレより
>>988 >それより、自殺防止の指導に行き詰っている学校の先生に生きる意味
>を教えてください。
人間は、独りで存在しているのではなく、独りで存在することは絶対に
不可能であることを、歴史的にも現実的にも徹底的に自覚させることだね。
自分が死ねば、身近な周囲の人々にどれほどの悲しみと苦しみを与える
かを考えれば、「勝手に」死ぬことなど出来ないはず。
これは、現代の「個性の尊重」とか、宗教の「自分の救い」「自分の満足」
「自分の幸せ」「自分の解脱」などとは、正反対の概念。
>>40 空回りしてない?
ここではとりあえず誰もりょんちゃんに何も押し付けてないと思うんだけどね。。。
それと、日本人ってのも、逆に、日本人らしさを強制された経験を持つ者には
気になる言葉だと、一応言っておこう。りょんちゃんが日本人らしいとも思わないけど。
それから、これはただの知識として、いわゆる神の支配は、本来、
人が人に支配されることはないという意味で使われる。
>>44 たぶんじゃなくてそうなんだろうな。
カルトとかの悪いイメージが強いからってのが最大の理由じゃないかと。
それに宗教団体の実際の活動も不明瞭で良いイメージのほうが少ないし。
>>45 なんとなく眺めてたけど、いつの間にか素人さんが参戦してたから
あれ?って思ったw
>>50 ご隠居、おれんところにも来てよ。
>>51 してないと思いますよ。
自分自身のレスみたいな感じだし、日本人が日本人としてそう思ってるだろうとか、
べきってのじゃないから。
なんというのか、俺の神的概念だと、まあ、自然なんだけど。
自然が当たり前に身の回りにある。それを感じながら何かを願うのだとしても、
自分の力を引き出すため。見たいな。
別にフーテンさんやクリスチャンがどうということではなしに、
俺は一神教の神みたいなものを感じることも不可能なんで分かりにくいかもしれないけど。
それと、歴史小説張りの武士道みたいなものにも男らしさ、潔さを感じますねw
>>54 武士道って、結構セコイものだと思うぞw
俺、一応そーいう家系だから、言うけど。
「歴史小説張りの武士道みたいなもの」なんですよw
俺もいろんな本とか見て、実際がどうとかというのも知ってはいますから。
自分でイメージしてこういうのがいいなあと思えればそれが理想になりますw
57 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 19:06:07 ID:5R/XzXOi
>>51 >それから、これはただの知識として、いわゆる神の支配は、本来、
>人が人に支配されることはないという意味で使われる。
神は、実在でななく観念だから、「神の言葉」は、人間がどのようにでも
作れる。現に、君たちクリスチャンは、それぞれ好き勝手に「神の言葉」を
語っているではないか。
従って、「神の支配」とは、「人による人の支配」のこと。ユダヤ教の神も、
人間が人間を支配するために利用された道具であることは明らかではないか。
どの宗教の神も同じ。「神概念」は、人間が人間を勝手に支配するための最も
効果的な手段。
まあ、聖書の解釈云々はともかく、
キリスト教は支配のための宗教として布教されたと認識してるけど。
最初は違ったんだとしても、そういう形で進化してきた面もあるだろうとは思う。
フーテンさんの派は違うのかもしれないけどね。
>>57 圧政から解放する神なんだから、神=反体制と言ってもいいんだぞw
プロ批判のためのヘンテコなカト擁護から見ても分るように、
ご隠居は右翼だから、支配する道具の方は好きだろう。
カトなら右ってのも、ご隠居の妄想だけどね。
60 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 00:18:08 ID:C2nqfFBr
>>59 >圧政から解放する神なんだから、神=反体制と言ってもいいんだぞw
圧制する側も神を利用する訳だがw。
要するに、神とは、いずれの側も自分に都合よく利用できる概念。従って
すべての紛争の原因となるもの。このことは、歴史と現実があまりにも明確に
証明している。
カトはプロほど観念的ではなく、身体的・儀式的な要素が多いから、人間本来
の自然の感情が少しは保存されていると言いたかっただけ。
民主主義社会では、国民が「主権者」だから、支配も被支配もないよ。君は何
時の時代の話をしてるの。
プロは殆ど例外なく左翼、反体制、破壊的、「(観念上の)理想主義的」だね。
これは、現存在(在りて在るもの)の中に価値を見出すことができず、常に夢
想にふけっている愚か者ということ。イエスがその典型。
長い歴史において自然に築き上げられた現存在には、それなりの長所があるもの。
その破壊の後には、常に荒廃が生じる。キリスト教由来のマルクス主義の惨状を
見よ。
ユダヤ教→キリスト教→プロテスタント→イスラームと続く「改革」によって
一体何が改善されたのかね。あらたな紛争と大虐殺を生み出しただけではないか。
人間の営みなのに、肝心の人間と自然から隔絶たユダヤ教の神概念が誤りだった
からである。
>>60 >要するに、神とは、いずれの側も自分に都合よく利用できる概念。
だから、人を自由にする神を信頼するのと、神を利用するなというのは同じこと。
ご隠居が言ってることと聖書が言ってることは大して違わないよ。
>民主主義社会では、国民が「主権者」だから、支配も被支配もないよ。
そんな神の国がどこにある?
神が目標と言っても、人間の自由が目標と言ってもいい、その明確な方向性は聖書にも
繰り返し示されている。捕囚から解放する神への信頼、反体制の預言者の、腐敗した
宗教(政治)の批判、祭司・律法学者の宗教の中でのイエスの姿勢。
聖書は宗教には結構厳しいぞ。その割りに、預言書は正典から外されなかったし、
キリスト教のプロパガンダと一致し得ないイエスの言葉も、残されている。
それらはユダヤ教・キリスト教に当然不利に働くはずだし、そうなるべきでもあるが、
逆にその基盤を強固にしているのでもあり、ご隠居の宗教批判が宗教と何の変りがないのも、
宗教の逆説的な本質。
それにしても、在りて在るものって。。。
余程そこに突っ込んで欲しいと見えるな。ご隠居の存在自体が冗談だってことにw
62 :
御隠居教大王:2006/11/26(日) 18:02:00 ID:aysA5mUh
スレ立て、おめでとう、、御隠居、お元気ですなあ、、
あと、信仰問答的、具体的、解釈なんか、聞きたいなあ、、、
とくに、フーテンさん、、わくわく、、、
>>64 チラッと見たけど、あまり興味が起きない感じw
なんかやりとりのどっちも薄汚い。
そーかでは、三世の因果的なものは、この日蓮(大聖人様と様付けで呼ぶ)の
仏法?法華経?に巡り合えた事こそが三世の因によるものだと教えてますよ。
で、生まれながらに出会っているものは選ばれたものなのだ位の意味合いで使います。
それで追い掛け回すんですよ、2世、3世を。あなたは幸せなんだ、目を覚ましなさい的に。
海に漂う大木?大海をさまようつかまる木を見つけるくらい尊いことだとか。
で、自分たちが特別なんだと洗脳して行きます。
これは庶民感覚だと自分が特別な存在だとか言われることも少ないし、
手法的には効果的な言葉です。。。
専業主婦や一般労働人ほど使命感に燃えて布教するのもその為かと。
層化のカルト的な手口についてなら内部的にも語れますけどね。
スレの趣旨に合わないのとあまり得ることもなさげなんでこのくらいで。
思い出したから補足だけ汁。
人間はみんな大海を漂っている人のようなもので、溺れかけてるっていうんだ。
その大海の中に沈まないために漂っている木こそがご本尊(様付)で、
それに巡りあう事の出来たことのすばらしさ、云々。
で、溺れかけてる他の人たちを救わねばならない。みたいなにもってくんだ。
なんか、話にやたら都合のいいストーリーがあるんだよねw
ノシ
>>24 まあ、そんな都合のいいものならいいですけどね(^O^)/
>>37 そっそっw
でも、アメリカの進化論を否定する原理主義見てると、
つくづく、日本に生まれて、よかったと思う。
アダムのアバラからイブが生まれたなんて、信じ込まされたら、やっぱり問題。
私はリベラルになるために無駄な時間を消費することになる。
アメリカの科学者に、優秀な科学者が生まれないのにも、宗教的な理由があるとか・・・
早く、気づいてもらいたいと思う。
>>39 メシアって、ナウシカでしょw
日本のアニメって、なんか、あちらもんの神話・宗教の紹介見たいな感じw
エヴァンゲリオンなんてまさにそれをさらにパロってるし・・・・・・
>>71 それ以前にアメリカはまだキリスト教になってないですね。
>>72 メシアは、待っていたら永久に来ない。待つのをやめても来ない。
その気になれば今日にでも来る。本当に来た時にはもうメシアのする仕事はない。
>>46−49
>なるほど、貴方はそこを「自然界の征服」という意味合いで読んだということか。
>私は(おそらく彼も)、そのような意図でなく、
>確実に知りうる範囲・よりもっともらしく推察できる範囲に於いて、
>考察し、吟味し、受けとめ、(生活へ)活かしてゆく、
>という姿勢をイメージして作文した(読んだ)と言えるだろう。
まあ、結局は現状認識の把握なのでしょうが、大した違いがあるように思えないナァ〜
「征服」と把握するか、「利用・活用」と把握するかは、結果としたら、大きな違いはないでしょう。
まあ、その違いに宗教性があるのかもしれませんけどね。
>むしろ補足レスの役割を果たした、と私は読んだ。
どんな補足?
私には、意図しない方向の補足にしか思えないのですが?
>【障害者が前世の因果】 【無神経な発言】 というものではないと思うが?
その辺が私にはよくわからないのだが、
その障害者の障害を克服するのは誰?
結局は、自分がおこうなう以外に道はないのなら、目の前で語れw
こんなくだらないことで、誤解されるような差別発言するなw
というのが、私の意見になります。
最後に、人智或いは認識力の範囲内で、すべてを判断されたら、たまらない。
私は、有神論者ではないし、神はいないと思ってますが、
人間の知識や認識力に限界がないとは思わない。
限界があるからこそ、自然に対して畏敬の念を想起するし、
それに対して、神と云う形容を与えて、信仰する気持ちもわからないでもない。
でも、まあ、表現の違いかもしれないと言うのは、わからないでもないのですけどね。
>>73 その辺がフーテン氏のユダヤ教徒か?
と思えるところ。
私には、宗教って、そんないい子ちゃんではないだろうって思えるんですよね。
特に、三位一体や、プロテスタントを分派せざるを得ない状況と云うのは、
確実にキリスト教にはあるんですよね。
常に、なんか根本のところで矛盾しなければ気がすまない。
そもそも、今頃になって、コンドーム容認するとかなんとか・・・・・・
日本の官僚みたいw
76 :
まい:2006/11/26(日) 22:43:52 ID:GJ/fz5BE
昆布さんきたね☆
GJまいさんですね(^O^)/
ノシですw
>>75 元々一枚岩のユダヤ教から、キリスト教が出来たというものでもない。
ヘレニズムやイランの二元論の影響を受けて混乱して幾つにも枝分かれしていた時期の
ユダヤ教の一派だと言っていいでしょう。イエス自身は、エッセネ派と関係はあるが
どちらかと言えばパリサイ派。それに対して原始キリスト教はエッセネ派の霊肉二元論
の傾向が強い。
キリスト教内部では常にヘブライズムとヘレニズムの葛藤が続いて来た。
パウロなんかグノーシスすれすれだし。三位一体は、とにかく霊と肉を乖離させない為
の苦肉の策。でも、これは泣き所かというと、そうでもない…w
>>78 しかし、まあ、根本のところで疑問ですけど、フーテン氏って、やっぱり、キリスト教徒?
キリスト教ってなんですか?
愛の思想って、いやですよw
まあ、そうなのかもしれませんけど・・・・・・・・・・
80 :
素人:2006/11/26(日) 23:16:49 ID:+KxH/n3N
>>74 返答はそれだけか?
まだあるならもう暫く待つが?
>>79 キリスト教は異端です!
て答を期待してる?w
ところで、愛はキリスト教のオリジナルじゃなくて、バリバリのユダヤ教の愛ですよ。
エーリッヒ・フロムの愛。
>>80 うん?
ほかと云う意味がわからないですけど、
とりあえず思いつく範囲内では・・・・・・・・・
広めると、かなり広くなるような気が・・・・・・・
>>81 あっ、そうかw!
確かに、そうですね。
フロムの愛って、なんでしたっけ。
捧げる愛でしたっけw
うーん、かなり昔に勉強したようなしないような・・・・・・
オチノシw
84 :
素人:2006/11/27(月) 00:01:10 ID:+KxH/n3N
>>82 そうか・・・。
今日はチェックだけして寝ようかと思っていたのだが、どうしよう・・。
>>フーテンさん
建ったばかりのスレなのに申し訳ないが、
泥沼の展開になっても宜しいかな?
許可が出れば寝不足覚悟でバトル開始だが・・・w
しかし、もう零時をまわってしまう・・・
しかし、この葛藤が心地よかったりもするw
う〜む・・2ch中毒だなw
って、落ちるのかw
>>83 じゃあまた今度 ノシ
85 :
1/7 素人:2006/11/27(月) 00:42:21 ID:mqFTwWKQ
86 :
2/7:2006/11/27(月) 00:43:53 ID:mqFTwWKQ
551 1/2 sage 2006/06/08(木) 14:43:09 ID:Y4N/7cKg
>> 550
>細胞分裂(発生)や、食事によって成長することに関しても、
>識が深く関わっているという印象を受けるのだがどうなんでしょう?
特に心経等は、学者・僧侶問わず様々な人が、解説書≒生き方指南書を記している。
そのように、現代へ・・・いや、自身の生き方へ敷衍させることを否定するつもりは毛頭ない。
原始仏典を座右の銘として生きることは素晴らしい。
また、仏教【的】視点を利用して、現代の様々な事象へ斬り込んで行くことも、
有効で有意義なことであろうと思う。寧ろ大いに各分野の人にやっていただきたい手法である。
けれども私は、
仏教の理論(理屈)を、そのまま現代へ持ってくることは良くないと思っている。
(特に古代の思考は)時代背景抜きに語ることは出来ないと考える。
同様に、現代の価値観・知識等を仏典に投射することもまた、
細心の注意を払って、慎重になされるべきだと考える。
輪廻や無色界、四禅、神通等等等w
(最新の科学的知見との整合性を探るという作業も面白いだろうし、なされる価値はあると思う。
現代においては、説法の際の武器の一つとして、かなり効果的なものになるだろうとも思う。
しかし、それはあくまでも、仏教の周縁の周縁でしかない。プラスアルファ以上のものではない。
たとえ、仏典を再編纂するとしても、本文ではなく新たな註として加えられるものであろう。)
87 :
3/7:2006/11/27(月) 00:45:07 ID:mqFTwWKQ
552 2/2 sage 2006/06/08(木) 14:45:33 ID:Y4N/7cKg
また、余談になるが、(道場ちょこっと覗いてみましたがw)、
誰でもが、(特に2chでは)、理屈っぽい教義に走り、
論理としての普遍性をもって語ろうとする。(本スレもそうでしたねw)。大切なことだと思う。
釈尊は聡明な人物であったろうから、(菩提樹下ではまだぼやけていたかもしれないが)、
批判・反論をきちんと受け流すだけの思索があったろうと思うし、45年間の教化は、
そうした、自己の思想の点検整備の日々ではなかったかと妄想したりもするw
しかし、絶対に忘れてはならないことが一つある。
それは、仏教は、シッダッタ自身の苦悩が出発点であったということだ。
出発点は、慈悲でも運命でも神々の要請でもなく、
「人は皆、病み、老い、そして死んでゆく。私もまた、年老い死んでゆくだろう。
輪廻し、新たに生を受けても同様に苦悩することであろう。
なぜ、人は・・・いや、オレは、老病死を厭うのか?避けられぬことなのに・・・。
避ける方法はないだろうか?この苦悩を消し去ることはできないだろうか?」
ではなかったか。
そして、「ああそうか・・・『オレがオレが』と執着するから苦として受けとめてしまうのか・・・」と・・・。
どこかで書いたような気もするが、
縁起も無常も無我も苦も、遠いどこかの縁起じゃない。知らない誰かの苦ではない。
私自身が無常であり、無我であるのだ。私自身が縁起しているのだ。
この視点を忘れるならば、どれだけ精緻な論が重ねられようと、
無味乾燥な呪文にしかならない・・・。
>>84 栗が立てたスレにそんな気遣いは要りません。
泥沼大歓迎。
89 :
4/7:2006/11/27(月) 00:48:42 ID:mqFTwWKQ
393 1/4 素人 age 2005/11/28(月) 21:14:57 ID:5EXZmNdT
電波さんの方が少し大人なんですね(^^;)
さて、>> 360で仰ることはよく解ります。
その上で敢えてレスを返させて貰いたい。
ちょうどいい機会なのでスレ違いも先刻承知w どれだけ罵倒されようとも
より多くの目に触れるであろう此処で、少しばかりチラシの裏をさせて貰う。
論点がずらされてはぐらかされている印象を受けます。
私が、
なぜ >どう考えているのか?(≒スタンスの表明)くらいは で『=』でなく『≒』を使ったのか。
なぜ どこがふさわしくないのか? と問うたのか。
を汲み取って欲しかった。
それらは、>> 360で述べられているスタンスに縛られるものではなかろう。
いや寧ろ、 『 既成教団や組織化された教団のすべてを否定します。 』と言う貴方方だからこそ、
仏法の存続、サンガの発生理由、サンガの存在意義、サンガ・精舎の功罪、
ひいては比丘(出家者の)存在意義、律の存在意義、律ではない戒の存在意義、
経と論のみで仏教たりえるか、新たな律・戒の制定は不遜な行為か、
釈尊が細かな決まりは廃して良いと言ったのに長老達がそれをしなかったのはなぜか?、
法はどのようにして伝えられていくべきか、どのような伝え方(存続のさせ方)が現代社会では可能なのか、
釈尊の教えの原型を捕まえることができたとして、それを後代にどう伝えるか、
いや、個人の信条であるなら菩提樹下に坐したまま生涯を終えても構わないのではないか、
(付随して、なぜ釈尊は、自己の思想を外へ向かって発信せねばならなかったのか、)
なぜ釈尊が出家を推奨し「負債の無い生活」と讃えたのか・・・etc.
について、自分の気付かない視点・卓見があるのではないか―――と期待せずにはいられない。
(複問虚偽の見本みたいなレスだなw
けど、ひとつひとつ区切っているし、ひとつの問としているわけではないし
羅列にしかすぎないのだけどやっぱり複問虚偽なのかな (´・ω・`)?)
90 :
5/7:2006/11/27(月) 00:49:49 ID:mqFTwWKQ
394 2/4 素人 age 2005/11/28(月) 21:15:36 ID:5EXZmNdT
これらは、電波さんのやってこられた分野とは殆ど被らないものではあるだろう。
また、それ(仏法の存続・体現)を追求するには
釈尊在世当時の文化的背景、釈尊がどれだけ当時の思想を取り込んでいたのか、
律蔵の(パーティモッカの)成立史、部派分裂の詳細、各結集の詳細、
そして、現代日本の実情――についてのしっかりした学究と理解が不可欠であろうと思う。
けれども、それらを抜きにして実存的仏教はありえないと思う。
(僕は研究者ではない。むしろ求道者であらねばならないわけだが、
調べ物の量にorzとなり、究明をあきらめた身としては説得力の欠片も無いがね・・・w)
座右の銘として仏典を手許に置くことは容易い。(だから、電波さんは枠から飛び出したのでしょう?)
大学時代に、教授が言った台詞にこういうものがある。
『「経典にはこう書かれています。論文にはこう書かれています。これこれが伝統的解釈です。」と解説することは容易い。
が、誰かと相対して話をする時に、「経典にはこう書かれています。そして《私は》このように考えています(受け止めています)。」』
と語るべきなのではないか・・・」と。
経典に述べられている五蘊は、遠いどこかの他人の五蘊じゃない。今まさに生きている自分自身の五蘊なのだ。
一切が無常であるというのは、地球の反対側が無常なのじゃない。自分自身が無常なのだ。
この自分自身が、苦であり無我であり無常であるのだ。
「来て、見よ」と言われる涅槃も、他の誰かが見るんじゃない。自分自身が見るべきもの(自分自身しか見れないもの)なのだろう。
また、こんなエピソードも聞いた。
ある学生が雑談中、曹洞宗の現状を憂い「今、沢木興道がいたなら・・・」と言ったらしい。
そのとき上記教授は、「じゃあ君が沢木興道になればいいじゃないかw」と返したらしい。
その後彼がどう答えたかまでは聞かなかったが、忘れられない話のひとつだ・・・。
現代の仏教を憂えるなら、自分が釈尊になればいいw ・・・・・orz
91 :
6/7:2006/11/27(月) 00:50:33 ID:mqFTwWKQ
396 3/4 素人 age 2005/11/28(月) 21:16:48 ID:5EXZmNdT
参:
ある時アッサジは、朝早くに内衣を着け、衣鉢を具して(→威儀を整え)王舎城に托鉢に入り、
往くにも帰るにも、前を見るも後ろを見るも、屈するも伸ばすも(→かがむも立ち上がるも)、
端正で、眼を地につけ、全て如法にあった。行者サーリプッタは、見てこう思った。
『実にこの世に、阿羅漢、または阿羅漢の行を実践習得している者がいるならば、
この人はそうした行者の一人であろう。私は、彼に近付いて尋ねてみよう。
「友よ。貴方の諸々の器官は清く澄み、肌は清らかで清潔である。いったい貴方は、誰を仰いで出家したのですか。
貴方の師は誰ですか。誰の教えを奉じているのですか。」』と。
しかしまた、「今は訊くべき時ではない。彼は托鉢を行っているのだから。
では、私は彼の後をついていこう。これが求道者のやり方であるから。」と思い直した。
アッサジは托鉢を行い、食物を持ち帰った(→食事を終えた)。
そこでサーリプッタは近付いて、挨拶を交わし、親しみあり礼儀にかなった言葉を述べ、一方に立った。
一方に立って次のように言った。「友よ。 〜略〜 奉じているのですか」と。
「友よ、釈迦族の家から出家した偉大な沙門がいます。私はかの尊師を仰いで出家したのです。
私の師はかの尊師です。私は、かの尊師の教えを奉じているのです。」と。
「では貴方の師は、何を、どのように説かれるのですか。」
「友よ。私はまだ未熟で出家して日も浅く(この教え(と戒律)を奉じたばかりで)、
私は貴方に教えを説き示すことができませんが、要点をお話しましょう。」
「友よ。多少なりとも話してください。要点のみを語ってください。多くを語ることが何になりましょう。」
そこでアッサジは次の偈を唱えた。
「諸々の事柄は原因(条件)によって生じる。
如来はそれらの原因を説く。 また、それらの滅を説く。
偉大なる沙門はこのように説くのです。」と。
その時尊者サーリプッタは・・・・・以下略w
サーリプッタは、尊者モッガラーナの許を訪れる。
目蓮は言う、「汝の諸根は清澄なり、汝の膚色は清浄皎潔なり。汝は不死を逮得せるや。」
舎利弗は答える、「然り。不死を逮得せり。」と。
律蔵大品 1−23 より 要約
92 :
7/7:2006/11/27(月) 00:52:12 ID:mqFTwWKQ
397 4/4 素人 sage 2005/11/28(月) 21:17:22 ID:5EXZmNdT
(昔の、内々の者用に考えていた「仏伝のまとめ」の途中メモからコピペ。
細かい表現があるところを見ると、要所要所は自分で訳してたのかな?
原典のコピーも見当たらず、南伝の訳では堅くて古すぎるのでメモそのままにしたw
以前の暇人さんへのレスを、自分で否定してるなw ・・・・・ orz)
それから、
>葬式佛教など攻撃の対象でしかありません。
については、>> 330のリンク先の104と『在家宗学の提唱』山内舜雄/大蔵出版
を提示しておきます。(葬式仏教礼賛というわけではないですよ。念のため(^^;))
────────────────────
(※一部改訂あり)
◆4/4◆6/6◆7/7◆6
>>88 >泥沼大歓迎。
あなたは、“うしとら”の光覇明宗で言うと
和羅みたいなポジションですか?www
では、一旦 ノシ (昆布と私は、たぶん水と油でしょう・・・w)
仏教やキリスト教内部での議論よりも、仏教とキリスト教徒とで同じ問題をそれぞれどう解釈するかの議論のほうが面白いかな。
>>87 原始仏教の本を読んでも、仏陀の物語を読んでも書かれてるものは人間の物語にしか思えない。
そこにかかれる梵天とかの仏?神?にしても比喩や心の声、人間そのものであるように思えるし、
事実、解説者によっては別の意見もあるようだけど、神とは味方的な存在の人間だろうと書かれてたりもする。
その目で読んだほうがぜんぜん自然だし、すんなりと入るし、何よりも同じ人間として自分にも当てはめて考えることも易くなる。
キリスト教の聖書にしても同じで、俺は聖書も2度くらいだけど読んだことあって、ぜんぜん楽しく読めたし、
そこに書かれていることから得られるものもあるのだと思う。
>>94 禿同。
ただ仏教側の逃避癖の為にいつも対話が成り立っていない気がするのだが。。。
>縁起も無常も無我も苦も、遠いどこかの縁起じゃない。知らない誰かの苦ではない。
>私自身が無常であり、無我であるのだ。私自身が縁起しているのだ。
>この視点を忘れるならば、どれだけ精緻な論が重ねられようと、
>無味乾燥な呪文にしかならない・・・。
その通りだと思います。
仏陀が何故偉大なのかという事もそこにあるんじゃないかと。
だから、仏陀にしてもキリストにしても勝手な解釈で神格化を高めたり、
捻じ曲げた解釈で語ること自体が冒涜じゃないかと。
人がまるで仏陀やキリストの意思を語るかのように自分の意見を人に言う、愚。
>大学時代に、教授が言った台詞にこういうものがある。
>『「経典にはこう書かれています。論文にはこう書かれています。これこれが伝統的解釈です。」と解説することは容易い。
>が、誰かと相対して話をする時に、「経典にはこう書かれています。そして《私は》このように考えています(受け止めています)。」』
>と語るべきなのではないか・・・」と。
これについても97のレス的にもまったく同意。
当然、断定して語れるものでもないし、もっと疑うなら真偽さえも分からないものを
誰かの解釈で断定的に語るべきではないし、個々が感じるものだと思う。
その感じるときの参考にいろんな人の解釈も存在すればいいし。
その個々の解釈を持っていろんな宗派を作ってるという事実も認めるべき。
>経典に述べられている五蘊は、遠いどこかの他人の五蘊じゃない。今まさに生きている自分自身の五蘊なのだ。
>一切が無常であるというのは、地球の反対側が無常なのじゃない。自分自身が無常なのだ。
>この自分自身が、苦であり無我であり無常であるのだ。
>「来て、見よ」と言われる涅槃も、他の誰かが見るんじゃない。自分自身が見るべきもの(自分自身しか見れないもの)なのだろう。
こういう視点があってはじめて経典の重みも増すんでしょうね。
そういう視点が出来るから、宗教者には宗教的にも、無宗教者にであっても歴史的な哲学書?指南書?
そういうものを説いた人がいるという資料でもいいと思うけど、真価が出てくるんだと思う。
神神みたいに用いてしまってはその真価も理解されることなく、いずれは宗教とともに廃れるでしょうね。
>>96 フーテンさんが面と向かって誘えば可能じゃないですか?分からないけどw
内容は、別にして、なんで、こんなに屈折してんでしょうか?
>>84 >許可が出れば寝不足覚悟でバトル開始だが・・・w
>>85 >では、もしかしたら、これらが最後のレスになるかもしれないので、連投しておこう。
>私がこの系統のスレに顔を出してきたのは、言ってみれば、りょんが居たからだ。
>だから以下のレスは、「主に、りょんへ向けて」という理由にしておく。
>>93 >(昆布と私は、たぶん水と油でしょう・・・w)
私は、以前に仏教粘着さんに粘着されてかなり鍛えられましたし、
粘着そのものは全然オーケーですけど、
根本的になんで、そんなに構えちゃってるのか疑問です(^O^)/
なんで?
あと、根本的な疑問なんですけど、
昔のレスをそのままコピーするのはいいんですけど、対象が違うのに、
内容が同じと云うのがどうも理解できないんですよね。
私は、同じ人間に、なんども同じことを言いますし、
わかってもらえなければ、違う表現を考えます。
それが、粘着だと言われようがどうしようが、議論である以上は仕方がないでしょう。
かつてのレスをコピーするのは、南無菌と言った言わない論争が始まった時ぐらい。
それも、あちこち馬鹿コピ貼り付けまくって、しかもそれを他人のせいにしてたから。
リアルのカルトと一緒のことしまくってるから、
これは許せんヽ(^。^)ノ
と思って、泥沼に持ち込んであげた(^O^)/
そうでもしないと、本人は自覚しないでしょう・・・・・・
まあ、戦略的に失敗で今もまったく自覚してませんけどヽ(^。^)ノ
でも、それも今では一種の宗教なのだと思って、笑って済ませてますけどね。
どんなに奇麗事を言っても、あれも宗教といわれるものの、害のひとつです。
彼らが、信者らしいことを語って、その布教をやめさせることができないのも、宗教のひとつです。
カルトというのは、そういうものですから。
ということで素人さんも議論の範囲を示しているようなので、
一応、私も、ここまではいかないでしょうということで、示してみましたw
まあ、かなり極端な例ですけど(^O^)/
>>86 >仏教の理論(理屈)を、そのまま現代へ持ってくることは良くないと思っている。
>(特に古代の思考は)時代背景抜きに語ることは出来ないと考える。
>同様に、現代の価値観・知識等を仏典に投射することもまた、
>細心の注意を払って、慎重になされるべきだと考える。
私は、これについてはある意味同意で、ある意味疑問。
換骨堕胎というのは、まさに今の仏教にこそふさわしいのかもしれないと思いますので。。。。
例えば、般若心経の解説本というのがどれだけあるのかしりませんけど、
勝手な解釈本はおおいに百花繚乱すればいいと思うのです。
そして、大いに、勝手なことを言えばいいと思います。
そして、それに対して、批判しあえばいいのではないでしょうか?
それが不可能であれば、しかるべき人間以外は、
仏教を語ってはいけないようにすればいいのです。
その意味で仏教はまだ、古代のままなのだと思います。
これは、素人さんが言ってたような気もしますし。。。。
仏教の「知」は西洋の「知」とは違いますよね。
その点では、科学によってアプローチしても、瑣末な問題でしかないと私も思います。
ただ、仏教がそれを意識的に自覚して、どんどん先を言ってるかといえば、かなり疑問ですけど。
>>87 それは、ほんとに同意です。
だからこそ、他人の苦を理解できず、まして取り除くこともできないのなら、
余計なことは云うべきではないというのがわたしの意見です。
宗教はなにも出来ないのです。
可能にするのは、それを信じると決意した個人のみです。
私がキモイと感じて、そう表現するのは、いかにもなにかしてあげるようなことを云うときです。
輪廻から解脱するのは、個人でしかないでしょう。
地球がまるごと解脱するわけでもない。
もし可能なら、お釈迦様が解脱した時点で、すべての人間が悟ったはずなのです。
お釈迦様だって、生まれ変わってるわけですから、
結局、誰も解脱してないのでしょうし・・・・・・・
>>89 このレスは誰に対してのレスなのか、さっぱりわからないので、判断保留します。
相手の何に対するレスなのかわからなければ、
その意味することも微妙です。
私が勝手に、解釈してもいいのですけど、それでズレて、後で修正するのも面倒だと思います。
ただ、内容については、ほとんど、同意です。
てすと氏と私が現在の仏教の可能性について議論するときによく出てくるテーマです。
そして、その難しさもわかります。
それについては、もっと議論することが多いでしょう。
それこそ、インドと日本の違いと古代と現代の違いがあるでしょう。
そして、世俗に対する認識があるでしょう。
現在の仏教を語るときには非常に重要な点だと思います。
>>90-92 相手の何に対してのレスなのかわからないので、意味不明です。
私は、仏教もほとんど知らないで臨済録を読んで、その生き方に感銘して、
般若心経を読んで、その教えるところの深さと広さに大いに感銘した人間です。
だから、ほとんど、経典など知りません。
仏教がどういう思想なのかは、教科書程度の基本知識はあります。
まあ、その程度しかありません。
ということであしからず。
こんちわノシ
素人さんも好戦的ですよねw
熱いだけなのかもしれないけど。
でも、こんぶ殿も好戦的だからなあ。
>>107 そう?
お互いに、間合いを計ってるだけだと思いますけど。
しかも、素人さんが怖がってるのは、単純に、名無し電波だけだと思う(笑
私のファンが多いからヽ(^。^)ノ
間合いなんて図る必要ないじゃないですかw
>>109 だから、いきなりやっちゃうと、わたしの粘着が興奮するでしょw
素人さんデリケートだから、めんどくさくなるんですよ、きっと(笑
しかも、素人さんは私が粘着にも粘着すんの好きな性格をよくご存知なので、展開が読める(笑
シラケルのがいやなのかもヽ(^。^)ノ
でも、まあ、なんとなく、素人さんのやりたいことがわからないでもないですけどね。
でも、議論するようなことでもないとも思うんですよ。
その辺がイマイチよくわからないところでもあります。
それでも、こんぶ殿は無意識に挑発的だと思いますよ。
素人さん相手ってわけじゃなくて。
上のレスでも南無さんに喧嘩売ってるしw
素人さんには一目置いてるのか友好的なのは見てて分かりますから
今度のは素人さんが因縁つけてるようにも見えるけどw
ところで素人さんがやりたいことってなんですか?
>>111 >それでも、こんぶ殿は無意識に挑発的だと思いますよ。
それは意識的ですヽ(^。^)ノ
私なりの戦略(^^♪
>ところで素人さんがやりたいことってなんですか?
なんでしょうね。
議論していかなければ、明確にならないでしょう。。。。
このごろ、これを機会に神話系の本を読んでいるんですけど、仏教の流れがどうも特異なんですよね。
この辺は大王ドンが西洋思想も両方知ってるので、よくわかってると思いますけど、面白い。
しかも、現代に来るに従って、それが際立ってきている。
どちらかといえば、旧来の仏教がついて行ってないんじゃないかと思えるぐらい。
しかし、キリスト教も西洋思想では特異。
これは、フーテンさんがよく知っている。
113 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 14:59:36 ID:i9tN09OW
>>94 >仏教やキリスト教内部での議論よりも、仏教とキリスト教徒とで同じ問題を
>それぞれどう解釈するかの議論のほうが面白いかな。
いずれの宗教も、現実に立脚していないのなら、いくら議論してみても、その
正誤・正邪の判断基準が皆無な、百人百様の妄想同士の水掛け論。大昔の人間
が書いた聖書や仏典も、同様に根拠は皆無な、時代が大きく変化した現代には
関係ない代物。
古文献など無視して、早く現実に着地できたほうが勝ち。
中国もなんとなくわからんでもないんだけど、インドがわからん。
なんなんだろう、あの国( ̄□ ̄;)!!
これは、来年だナァ〜
意識的に挑発してるんじゃ降りかかってきても仕方がないすねw
神話系ですか。神話は好きですけど、より人間そのもの的ですよね。
今時の良識ある人間以下な神ばかりだし、そこが楽しまれたり親しまれる所以でもあるかも。
仏教の神話ってのはなんか暗くてどろどろしたイメージあるなあ。
ご隠居にとやかく言われるところでもないと思うけどw
歴史が好きで歴史の書を読み漁って、
そこに何かしらを感じたり得たりってのは良いことだとおも。
多くを知るってこと自体は現実を充実させる道具にもなる。
>>115 >意識的に挑発してるんじゃ降りかかってきても仕方がないすねw
別に降臨する必要もないと思うんだけどヽ(^。^)ノ
というか、まだ、粘着するファンがいることが嬉しかったりして\(^o^)/
もともと、文明の発祥地は、女神崇拝だったのだと思うのですよ。
大地の恵への感謝として、地母神崇拝。
それが、一神としての男神崇拝に変容する。
この辺が、非常に面白い。
今は、その点でも大きなターニングポイントだと思います。
>>117 挑発すれば降りかかる。
道理だと思いますけどねw
女神崇拝とかその辺は詳しくないですけど、昔見たものの中にもそんなような説はありましたね。
それが何らかの理由で男尊女卑的思想に移り変わっていく。
生理や出産で血を流す女性が不浄だとか不吉だとかって見方もあるようなものを見たことあります。
>>118 どーもです。
ご隠居や素人さんにはぜひ来ていただけるとありがたいけど。
ご隠居はだらだらくっちゃべってるとかいうんだろうなあw
まあ、良かったら来て下さい。
>>119 まあ、釣りの段取りは、いつもどこも同じです\(^o^)/
キリスト教もそうですが、男神と女神の信仰の相克でもあります。
特に、西欧はイシス崇拝が根深いようですよね。
仏教も、菩薩が女性。
で、これがまた、結構、社会構造にリンクしてる。
宗教は、女性を抑圧するためにもあるんですよ。
私が女性なのでつくづくそう思いますヽ(^。^)ノ
女性は死ぬと成仏するためにちんちん生やすのはなんでしたっけ?w
俺の記憶では菩薩とかは男女はなかったようななんだけど、どこかで知識が違ったかも。
観音様とかあるからなんか同じ仏教でもいろんなのが混じってしまったのかもしれない。
うっそぴょ〜ん、オチヽ(^。^)ノ
ご隠居殿(^^♪
りょん氏スレにもワンパカキコしてねぇ〜
>>122 基本はないんじゃない?
その儀式知りませんよ。
というか、初めて聞いた( ̄□ ̄;)!!
りょん氏に突っ込んでほしかったんだけどねヽ(^。^)ノ
スルーされちゃった(^^♪オモロw
125 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 15:26:31 ID:i9tN09OW
>>116 >歴史が好きで歴史の書を読み漁って、
>そこに何かしらを感じたり得たりってのは良いことだとおも。
>多くを知るってこと自体は現実を充実させる道具にもなる。
宗教の教典は、厳密な意味での歴史書ではない。むしろ、宗教観念によって
現実を歪曲し、捏造したもの。
そんな歪曲・捏造文書をいくら読んでも、「現実を充実させる道具」にはなら
ない。
また、宗教教典以外の歴史文献でも、その記述が「事実」であったかを確認
することはほとんど不可能。仮に事実であったとしても、解釈次第でその事実
自体も変わってくる。
要するに、昔の書物は、それが事実だとは思い込まないで、あくまで「参考程度」
に止めるべき。
>>123 わんぱじゃなくてw違った内容のレスきぼんなんでw
>>124 儀式って言うか、女性は本来成仏できないんですよ。
で、成仏するためにちんちんが生えてくるんですw
意味合い違うかもしれないけど^^;
突っ込むか迷ったけどw
誰かを釣るつもりなのかなと思ってスルーしましたよw
俺も落ちですノシ
>>125 参考程度で十分でしょ?
例えば俺は信長大好きで、小説から始まっていろんな解説書やら資料やら見て、
信長公記に武功夜話とか、少しでもリアル像に近づきたくて読んでも
結局は本人そのものは何も分からないわけで。
それでも自分なりのイメージで近づいたつもりになるわけです。
仏陀だキリストだなんてそれこそ捻じ曲げられてるだろうし数百年どころじゃないし。
。。。そのまま真実のように思う人がいるのは不思議でしょうがないですけどね。
でも、内心では本当の本当に真実なんて思ってないでしょう。。。そういうものじゃないってことなんでは。
ノシ
でもね、ご隠居もおかしい気がする。
自分の子供や孫が歴史の本を読んで夢中になってて、
そんなものは事実は分からないんだから読むな。とか言わないでしょ?
伝記や歴史書には真実かどうかだけではなく、作者の理想とするものなり
解釈なり意見なりが書き込まれてて、いろんな書からいろんな角度で自分なりの考えをまとめればよいだけで。
ご隠居のように否定してしまってはどうかって気もするけどね。
ちょっと思ったんで追加。落ちますノシ
>>128 まあまあ、ご隠居のレスも教典だからヽ(^。^)ノ
ノシ
130 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 16:00:15 ID:i9tN09OW
>>128 >自分の子供や孫が歴史の本を読んで夢中になってて、
>そんなものは事実は分からないんだから読むな。とか言わないでしょ?
少なくとも、「すべて事実だと勘違いするな」と警告はするよ。特に、宗教書
は論外w。「書いてあることはすべて嘘の塊」と教えるw。
ご隠居の信仰は七十人訳聖書以来の翻訳のズレで誤解された箇所を基本としている。
しかもそれをすっかり信じ込んでいるからもうどう指摘されてもそれは嘘だとしか思えない。
知識は個人の信仰と関係ないが、その信仰に大きな影響があるのは確実だw
132 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 17:04:52 ID:i9tN09OW
>>131 その「翻訳のズレ」がなかったら「聖書は正しい」という根拠もないでしょう。
盲信者特有のすり替えとあくなき自己正当化に過ぎません。
衝動のコントロールの問題
>>130 子供の読書に警告をするんだw
視点的に知らせるのは良いと思いますけど。
でも、ご隠居の宗教以外のレスからすると、そんなにうるさく言いそうにも思えないのだけどね。
宗教、特にキリスト教の本でも読んでたらいうかもしれないけどw
>>133 名無し粘着はなんの障害?
自己分析は得意でしょう、ブラックホールさん(^O^)/
ところで、なんで、聖書って、ギリシャ語なの?
なんとなく、疑問型・・・・・・
その聖書って、新約。
旧約はへぶる語でしたっけ・・・・・・・・
環太平洋の古代文明って、文字持たないんですよね。
この辺りの宗教にも興味あるナァ〜
138 :
1/3 素人:2006/11/27(月) 19:27:56 ID:2ACCJfTE
おまいらw 人の性格分析してんじゃねーよwww
まず、102及び、105、106の頭の文について。
君に対してアンカー打ってないでしょ。(´o`)b
君へ向けたものではない。 拾い癖のある(?)りょんなら喰い付くだろうとは思ったが・・w
85〜92にかけてのレスは、
いつかは、自分のスタンスの一端を提示する必要があるかもしれない、と感じていたので、
(また、自身でも内容の濃いレスになっていると思うし)前々から抽出してあったもの。
ちょうどいい機会かもしれないと思ったので貼った。 他意はない。
さて、
>>103 >勝手な解釈本はおおいに百花繚乱すればいいと思うのです。
>そして、大いに、勝手なことを言えばいいと思います。
私もそう思います。 「勝手な解釈本を出すな」とは発言していません。
103に於ける引用箇所は、「発話する際、考察する際には気をつけよう」 以上のものはないと思うが?
(応報スレの件も似た様相だなw)
ただ、執筆・発言・カキコする際に気をつける人が1人でも2人でも増えればいいな、という想い。
読む人は、(それがどんな書物・レスであっても)十分に身構え、吟味咀嚼するよう心掛けましょう、という想い。
(特にそれが、勉学的な考究の性格をもっていたなら、気をつけなければ・・。
もし、人に(たとえば仏教などを)紹介・解説する性質のものであれば尚更気をつけなければ・・。)
勿論、「みつをの言葉」的な受けとめ方・活用の仕方の場合はその限りではない。
家庭で作るケーキなら、不恰好でも、味にばらつきがあっても、極端な味付けでも構わない。
が、店頭で売るならそうもいかないでしょうw(出版という意味ではなく、利用のされ方に於いてということ。)
影響力が大きいものの場合は、危機感を感じたりもする・・(^^;
アレンジである自覚があれば構わないが、違うものを「正統だ」と主張されたなら、
その時は、やはり異議を唱えねばならない。
139 :
2/3:2006/11/27(月) 19:28:30 ID:2ACCJfTE
>>103 >そして、それに対して、批判しあえばいいのではないでしょうか?
仏教齧り立ての学部生なんかは、手あたり次第に批判しがちだぞw (ひろさちやなんかは特に評価が低いw)
けど、何でもかんでももまた良くない。それぞれに、どこかしらイイ所はある。
それなりに積み重ねてきた人たちは、ちゃんと取捨選択できるし、
人に薦める時も 一言二言添えるのを忘れない。
(特にそれが、勉学的な考究の性格をもっていたなら、尚更気をつけなければ・・。)
>それが不可能であれば、
どうでしょうね・・w 学界やストイックな人達はきっちり批判するでしょうけど、
一般では、みんな仲良くだし(→仏教の風呂敷はとてつもなく大きいしw)
「なるほど、そういう受けとめ方もいいかもね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー 」
という感じだろう。日本的で宜しいような気もするw
が、違うものは違うと発言する勇気は持ち続けたい。
>しかるべき人間以外は
資格や免許のように制限を設けようとは思わない。ただ、語り部となるなら気をつけようよ・・、と。
>仏教を語ってはいけないようにすればいいのです。
言論統制しようというのではない。ただ、自分が関わる人たちに対しては、注意を喚起してもいいだろ?
もし、(もう亡くなられたが)ヨハネパウロ2世と出会ったら、きっと喧嘩ふっかけていたろうw
140 :
3/3:2006/11/27(月) 19:29:10 ID:2ACCJfTE
>>106に関して一言だけ返すなら、
91は、仏教の在り様は如何なるものであろうか?という問い、
仏法の存続・継承・体現は如何なるものであろうか?という問い、に対する一つの参考事例であるだけ。
だから、当時のあの流れの中で挟んでみた、他のコピペとセット物なので外さずにそのままにした。
>>96 面白いだろうね。
てか、ほんとは、小さなシンポジウムとか、一部のネットワーク内のやりとりでなく、
もっと大きく広く為されるべきことなんだけどね・・・。
応報スレの件のポイントは、
昆布の(通常モードの)姿勢と、文意の汲み取り方、
及び煽りモードへの移行の早さ など。
たとえ言葉足らずに見えても、もしかしたら懸命に言葉を紡ぎ出しているかもしれない。
言い回しに不備が出ることもあろう。 それこそ、出方を伺うような待ち方も必要じゃないかな、と。
また、あそこで参戦した理由は、上述したように144が補足的な情報提供にしか読めなかったからだ。
また、尊大である云々の煽り方は、これも上述のようにその矛先に私の言葉も含まれるからだ。
(これに関してのレスはなかった。だから
>>80で「それだけか?」と問うた。)
落ち ノシ
>>74への返レスがあった方がよければ、また作文してみるが・・。
>>138 >君に対してアンカー打ってないでしょ。(´o`)b
>君へ向けたものではない。 拾い癖のある(?)りょんなら喰い付くだろうとは思ったが・・w
あっ、そうなの?
ふーむ。。。。。。
>応報スレの件のポイントは、
>昆布の(通常モードの)姿勢と、文意の汲み取り方、
>及び煽りモードへの移行の早さ など。
>たとえ言葉足らずに見えても、もしかしたら懸命に言葉を紡ぎ出しているかもしれない。
>言い回しに不備が出ることもあろう。 それこそ、出方を伺うような待ち方も必要じゃないかな、と。
そう判断できる場合はそうしますけどね。
もちろん議論になりそうにない人間には議論は吹っかけませんしw
>また、あそこで参戦した理由は、上述したように144が補足的な情報提供にしか読めなかったからだ。
>また、尊大である云々の煽り方は、これも上述のようにその矛先に私の言葉も含まれるからだ。
>(これに関してのレスはなかった。だから
>>80で「それだけか?」と問うた。)
その判断が私にはよくわからないのですが、尊大云々はまだ消えてないんじゃないんですか?
なぜなら、障害者に対して、障害が取り除けるわけでもないのに、お前の障害は前世の因縁だって、
決め付けるわけでしょw
それが仏教だという肯定しか聞いておりませんよw
それとも、奇跡を起して、目が見えるようなるとか?
奇跡的にオツムがよくなるとか(^O^)/
ところで、その「三世」の解釈ですけど、私の中村元訳の般若心経では、
現在・過去・未来♪〜の渡辺真智子になってますヽ(^。^)ノ
まあ、ケースバイケースなんでしょうけど(^^♪
拾い癖って。
名指ししておいてなんちゅう言いようなんだろうw
>>136 つ共通語。
旧約聖書も、ギリシャ語訳(七十人訳)が使われていた。このことは、
結局現在まで正典を混乱させた問題として続いてるんです。
>>144 口語と文語の住み分けみたいなものなのだろうか・・・・・・
考えてみれば、イエスはなんでユダヤ教で満足しなかったのだろう。
というか、なんで、メシヤなんて信じて、キリスト教なんて信じたのだろう。
ローマ人が嫌いだったのか?
ふむ・・・・・・・
信じたのは、イエス死後、復活後?の信者。
人種的には何人だろう・・・・・・・・
そういえば、イエスは黒人だっけw
あっそれは釈迦だっけ・・・・・
頭はニグロパーマだしw
マカデミアナッツはマカダ国でつくられた木の実とかwwww
>>145 ヘブライ語が読めない離散したユダヤ人や改宗ユダヤ人のために、紀元前3〜1世紀にかけて
翻訳されたのが、七十人訳聖書。外典・偽典として区別されている、元々のヘブライ語聖書
にはない文書も含まれている。ユダヤ教が、ヘブライ語の写本にはない文書を除外する
ことに決めたのは1世紀末。それで終りでもないですけど、とにかく、原始キリスト教も、
ギリシャ語圏のユダヤ教徒も、専らこれに頼っていたってことです。
>>145 イエスの言ってることは大体パリサイ派ですよ。
ただ、律法には不真面目だし、税金払う気無かったみたい。
案外、単純なことじゃないかと。
そういえば、死海文書はヘブライ語。
クムラン教団?は何語を話してたんでしょう・・・・・・
しかし、まあ、そもそも中国も言語滅茶苦茶の国だからナァ〜
一つになるのは、別段言語が障壁になるわけでもないと思いますけどね。
>>148 ということは、集合無意識・・・・・・・
プロテスタントも税金払うのイヤで結集したようだしw
やっぱり、キリスト教はフーテン氏のご指摘どおりに反体制的なんだな。
わたしはやっぱり入らないほうが見の為だわw
>>149 翻訳の違いっていうのは大きいですよ。意図的なものもあるだろうし。
今だって、20年かけた挙句の史上最悪版の日本語訳聖書が問題になってるんだから。
批判の声は上がってるのに、聖書協会が圧力かけてるから、古い訳が駆逐されつつある状況。
昔から、そんなことやってきたんだろうって思うんですよね。。。
>>150 ありゃ、また、誤字(^O^)/
しかし、キリスト教の無償の愛と仏教の慈愛の違いを教えてほしいナァ〜
ということで、オチノシ
>>151 >史上最悪版
そうなんですか?
傍目には、なんか重箱の隅にしか思えないんですけど・・・・・・・
まあ、新しいもので反対されないものはないですけどね。
どちらにしても、
古き皮袋に新しい酒を入れてはいけないらしいですから、
キリスト教やめるのがよろしいかとヽ(^。^)ノ
それとも、ご隠教に対抗して、フーテン教を創唱されてはいかがでしょう?
私は、幽霊信者になります(^O^)/
フーテン氏は日本人やめるのかなw
154 :
素人:2006/11/28(火) 00:20:03 ID:KvwSeLAQ
>>141 ほんと、ムカツク奴だなw
じっくりと次の文章を練らせて貰うよw
∧∧
(-ω-) < おやすみ
_| ⊃/(___
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(ま、君のレベルじゃ、どうせ一部分にしかレス出来んだろうけどなw)
<⌒/ヽ-、___
/<_/____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>>153 現状に満足しない程度には理想主義だけど、別の宗教探すほど理想主義でもありませんよw
一旦オチ
>>152 フロムの言葉を借りれば、愛することは技術である、ですね。
いわゆる愛のイメージが与える誤解を避けるなら、他者理解と尊重って所。
愛というとご隠居の悪寒。
オチノシ
>>154 うふふふふっ、
ほんとにムカついてくれたら嬉しいんだけどねヽ(^。^)ノ
自称仏教徒の方々は、ほんと逃避癖があるからなぁ〜
でも、これには、私は同意するしかないナァ〜
>(ま、君のレベルじゃ、どうせ一部分にしかレス出来んだろうけどなw)
そうならないように、頑張るよヽ(^。^)ノ
って、あんまり理解する積もりないからナァ〜
>>156 かなり、実践的ですね。
でも、よく言われるキリスト教の隣人愛が、
結局、同じ信者に対してのみという批判はわかる気がしますね。
実際、キリスト教の歴史はそういう歴史であったわけですし。
アガペーは結局、感謝の心なんでしょうけど、
結局、それが逃避の引き金になってなくもないし・・・・・・・
考えてみれば、ご隠居は噛み付きやすいところにしか、噛み付かないからナァ〜
愛に噛み付いてもしょうがないし、そもそも、信者に噛み付いても仕方がないだろう。
打つのは、そのものたちの神だw!
そのためには、神を一緒になって、信じないとねヽ(^。^)ノ
これは、別に、どんな宗教も結局同じだと思うのですけど、
どの宗教も、結局は、自分勝手で、自分の事しか考えないシステムにしかなってない。
立場上の上の人間には無償の奉仕を強いる。
奉仕が足りなければ、信仰が足りないと決め付けられる。
結局は、神は何もしないし、何もしないからこそ、
自分の都合のよい解釈で充足するしかない。
つまり、弱者に対しては徹底的な差別意識と排他意識を潜在的に所有する。
イスラム教もギリシア思想の名残で、奴隷所有を認めている。
キリスト教は慈善活動を積極的に進めているけれども、
別に、平等社会の実現のためではない。
仏教は、自立自体を放棄してるので、まあ、述べる必要はないだろう・・・・
その点では、逆差別か・・・・・・
フロムの愛は難しい(^_^;)・・・・・・・
ネットで調べて、読んでたら、いやになった。
まあ、いいけどね。
162 :
禅大王になれたかなあ、、:2006/11/28(火) 10:50:38 ID:uo5BErPB
やっと、神経性胃炎の苦悩から、ぬけだしたよ、、ん。
コンブ殿意見で、、
どの宗教も、結局は、自分勝手で、自分の事しか考えないシステムにしかなってない。
これは、宗教で、大部分妥当で、少数が違うね、、
キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教が、
神秘体験至上主義上徹底修業的である限りは、、強制力がない、、
なぜなら、徹底修行は強制力ではできない、
徹底修行は、自己中心主義者はやりたがらない、、
ま、新興宗教の教祖の大部分と、ヒンズーでも見世物で修行してますと、、
見せびらかす輩で、カルト的強制はするだろうけども、、
あと、キリスト教の中途半端修行主義のアメリカン聖霊派、ペンテコステ派の牧師も、強制するかなあ、、
163 :
禅大王になれたかなあ、、:2006/11/28(火) 11:04:36 ID:uo5BErPB
結局、現実的に考えて、宗教で他人を考えてとか、、有効性を見ようとすると、、
どうも、徹底修行の方向しかないのかもね、、
そうなると、宗教団体の有効性は、怪しくもなるね、、ま、ほとんど宗教団体は怪しさをもつというべきかもね、、
臨済宗主流妙心寺派は、今でも容赦なき、極道修行をしているようだけども、、
結局、現実的に考えて、本格的に、一番ましな宗教でも、
本人の責任で選択し、救おうとする材料を提供するしかできないだろうね、、
ま、現実的には一般的には、サービスの効いた宗教なんて、ほとんど、ないかも、、
されど、非現実的に考えて、神秘的存在はサービスするか、しないかは、神秘的存在の心次第と、、
責任もてない発言をしておこう、、
164 :
禅大王になれたかなあ、、:2006/11/28(火) 11:08:33 ID:uo5BErPB
仏教の慈悲と
キリスト教のアガペーの違いね、、
慈悲を現実的にいえば、、その方が幸せだ、、
慈悲を神秘主義的いえば、、瞑想の力が前提となる、、
キリスト教のアガペーは神秘主義的には、、聖霊がやってくると、人格が愛に満ちる。
結局、現実的にまともに論証可能なのは、、やくざ臨済宗的、仏教の慈悲かもね、、
>>162 せっかくなんだけど、それよりも、禅の身体性について知りたい。
結局、禅でも、神経性胃炎は直せないの?
なぁ〜んて、いじわるはいわないからさぁ〜
もっと、霊肉二元論について、語って語ってヽ(^。^)ノ
>>163 だから、それ考えると、
宗教よりも医者のほうが、よほどに悟達してる。
やれ、坐禅がどうだとか言ってないで、医学を勉強した方が早かったりして・・・・・
167 :
禅大王になれたかなあ、、:2006/11/28(火) 11:22:00 ID:uo5BErPB
臨済禅は、政治交渉の達人を生み出すからね、、
精神力は他人のために役立つだ、、
政治家で、テロ気違いと付き合い政治を、動かしたのは、
鈴木貫太郎、終戦時の首相、陸軍一億玉砕テロ馬鹿とのコミュニケーションは大変だっただろう、
別の首相じゃ、今頃、北日本人民共和国が、できあがっている。
勝海舟、幕末、江戸無血開城の立役者、坂本竜馬の海軍の師匠、
倒幕で、テロ土佐勤皇党の坂本竜馬を手なずけて、内戦で、日本が西洋のの植民地となる原因消したのだから、、
両人物は、有名な禅師匠について、修行しまくったらしい、テロリストに恐れなかったらしい、、
勝海舟は、開国派なのに、外国排斥派、テロリスト以蔵を警護に付けるなど、
人間力をもっていたわけ、、本人も、若き時に坐禅修行のおかげで、(判断間違わずに)殺されることなくできたと、言っている。
168 :
禅大王になれたかなあ、、:2006/11/28(火) 11:24:55 ID:uo5BErPB
神経性胃炎も、身体と精神のバランスが崩れていた原因みたい、、
精神は気合が入りまくっていたが、、身体に気合が入ってなく、、
その、バランスの悪さが、、神経性胃炎の原因だったのね、、
どちらも、禅の問題なわけ、、
>>160 愛が社会的に実践できるぐらいなら、愛について説く必要はない。
理想が実現できるぐらいなら、理想は必要ない。
現実があるから、理想がある。実現できることは、理想とは呼ばない。
悪がなければ、善もない。
メシアが来るなら、メシアは必要ない。
まあ、それだから、ローマには手向かうな、悪に抵抗することで強化するなと、
イエスは言っている訳ですが。ただ、大きな目で見れば、負の歴史がまた一つ刻まれるのは、
マイナスだけでも無いですけどね。教訓に出来るなら。何かが駄目だったから、それにかわる
何か画期的な新しいものを探すという姿勢は、現実逃避以外の何ものでもない。
ある意味、実現する心配がないからこそ、理想を叫ぶことが出来るのでもある。
キリスト教が世界制覇したら、キリスト教は消滅する。それもつまんない。
ご隠居の生きる支えもなくなるし。
何と言っても、人間はストレスがなければ生きていけないですからw
170 :
名無しさん@3周年:2006/11/28(火) 11:29:23 ID:jwsFCCEP
>>155 >現状に満足しない程度には理想主義だけど、別の宗教探すほど理想主義でもありませんよw
やっぱりどうしてもイエスから離れられないということですねw。
>>156 > フロムの言葉を借りれば、愛することは技術である、ですね。
>いわゆる愛のイメージが与える誤解を避けるなら、他者理解と尊重って所。
フロムは言いにくいことをずばり言いますね。
愛が技術であれば、それは共生のための技術、即ち道徳的義務であり、悪い言
葉で言えば偽善です。
勿論、共同体の維持のためには偽善は不可欠。ユダヤ教が愛を技術だと考えて
いるとすれば、それはそれで大変な見識。私も以前、ユダヤ教の愛は行為規範
だとい言ったと思います。
しかし、ユダヤ教が見落としていることは、その技術としての愛も、人間の
身体から発する本能としての愛に基づいていなければ、必ずひずみが生じ、
挫折するということです。それが一神教の姿です。
技術としての愛は、愛ではなく、共生のための技術、即ち「義務」「偽善」
なのです。キリスト教徒はそこを勘違いしている。これが彼らが状況次第で
良心の呵責なく人を殺せる理由です。
171 :
名無しさん@3周年:2006/11/28(火) 11:30:07 ID:jwsFCCEP
>>170の続き
神が人間に与えたものは、その身体から発する本能としての愛です。人間が
頭のてっぺんで勝手に考えた「アガペ」などではありません。その意味では、
キリスト教には愛が存在せず、従って神に最も遠い思想なのです。
しかし、ユダヤ教の「愛は技術」の概念は、それなりに十分な意味を持って
います。その欠点は上記のとおり。
それを勘違いして、「信仰義認」などを言い出したのが、他ならぬプロテスタ
ントではありませんか。ルターの「信仰のみ」の「のみ」は、ルターが聖書に
ない言葉を自分勝手に加えたものだそうですね。いずれにしても、パウロ、ル
ター、カルヴァン、そしてあなたの尊敬するバルトは、イエスの狂気の増幅に
過ぎません。
キリスト教は愛のない、神から最もはなれた宗教、その元凶は勿論イエスだが、
それを増幅したのがプロテスタントである、という私の指摘は、見事に当たって
いますね。
質問箱や談話室で、あなたが「愛は技術、即ち、道徳・義務・偽善」であることを
啓蒙してあげてください。殆どのクリスチャン、特にサロメなどは卒倒する
でしょう。
172 :
禅大王になれたかなあ、、:2006/11/28(火) 11:33:17 ID:uo5BErPB
禅の身体性は、沢庵和尚の不動なんとかという、剣術を禅的に書いた書があるなあ、、
禅は問答は、やはり、身体の表現が入っている、それが、体の感覚で理解できないと、理解できない。。
体の感覚を説明せよ、というのは、難しい、、
けど、冬季オリンピックの荒川静香の演技とか、あと、インタビューの表現なんか、いいとこいっているように思うなあ、
あと、星野監督のやくざな動きとか、、ィいい感じかも、
それが解らず、神経性胃炎でコマッッテタ、、
>>172 しかし、ヨガだと、自律神経を随意するでしょw
その調子で、胃袋の胃酸を調節できないの?
なんかできそうな気がするけど・・・・・
少林寺って、臨済宗?
調べればわかるか・・・・・
>>170-171 俺が言いかけたことを自ら実践してどうする。
ご隠居は実現しない愛の化身だなw
グノーシスや逆グノーシスじゃ、駄目なんだよ。
旧約を捨てずにのらりくらりとやって来なかったら、キリスト教は残っていないだろう。
宗教に救いがあって、無宗教には救いがないというのが間違いであるように、宗教の外に
救いがあると思うのも間違い。過去を善とするのも、悪とするのも、未来に善を見出すのも、
現在からの逃避に過ぎない。理想と現実は対立することによって両者が存在し、同居し続ける。
それがキリスト教の要諦だ。
> 質問箱や談話室で、あなたが「愛は技術、即ち、道徳・義務・偽善」であることを
> 啓蒙してあげてください。殆どのクリスチャン、特にサロメなどは卒倒する
>でしょう。
ご隠居は俺に何をねだってるんだ?w
卒倒するのは、俺の方だよ。。。
ノシ
>>174 無宗教者には救いはないよ。
そもそも、現実とその恐らくは連続的な未来と過去しかないから。
救済なんて考えてる無宗教者は、ご隠居ぐらいだろうヽ(^。^)ノ
地獄に落ちるとかいわれても、私は、別になんにも思わんナァ〜
そもそも、この板で水子の霊障を押し付けられたときに、
何度、南無に呪われると言われたかヽ(^。^)ノ
そもそも、彼らは、そうやって、自己暗示に掛けて、人の不幸に結びつける(^O^)/
しかも、それを誰も止めない\(^o^)/
まあ、キチガイ集団であることに変わりはないわなヽ(^。^)ノ
まあ、いつか死ぬんだろうけどね。
そして、彼らの言う、霊障もあるんだろう。
そして、彼らは人の不幸に拍手するのか?
浅ましいネェ〜
もちろん、そうでない宗教も存在する。
それは、宗教宗派には関係がないというところかな。
そして、無宗教も宗教だってことw
というところで、オチノシ
178 :
大王大王:2006/11/28(火) 13:45:48 ID:AHBNHUmG
仏教では、、信仰がないと、どうなるか???
ここが、イスラム、キリスト教の表現の違いらしい、、
仏教では、再び生まれてくると、、地獄は悪行をした者だけね、、ヒンズーもおなじか、、
臨済宗はそれに関心が無く、言わなんだらしいが、、、、仏陀も言わないという説がある、、
179 :
大王大王:2006/11/28(火) 15:01:50 ID:AHBNHUmG
173昆布殿意見ドウリだったんだけども、、精神的エネルギーが、上がり気味で、、
以前は楽勝だったんだけども、最近は上がり過ぎの精神エネルギーのせいかな、、
最近、やや、精神が上がり気味だったんだ、、ご隠居の18番の白隠禅師ヤバシに近かったから、、
180 :
大王大王:2006/11/28(火) 15:12:42 ID:AHBNHUmG
伝統仏教で、信じないと、、恐怖させたことを言ったのは、日蓮さんぐらいかもね、、
181 :
大王大王、:2006/11/28(火) 15:26:41 ID:AHBNHUmG
ご隠居は楽しい人だなあ、、
人の意見を否定することと、相手が否定したがる思想、宗教をぶつける、ということに情熱がおありなのねん、、
182 :
まい:2006/11/28(火) 15:52:31 ID:Q33usolf
>>180 末法思想の危機感がそうさせるのでしょうか。
キリスト教もそこらへんは諸説あるみたいですが・・。
実のところはどうなんでしょう?
183 :
名無しさん@3周年:2006/11/28(火) 15:58:38 ID:d2/lYEfd
>>170 「救い」「善」「悪」「理想」「現実」とは、具体的には何?まずそこから突
っ込んで考えなければ話にならんよ。言葉遊びしすぎ。
「理想と現実は対立することによって両者が存在し、同居し続ける。
それがキリスト教の要諦だ」などという言葉も、そこがはっきりしていなければ
意味不明。
あるのは現実のみなのだから、訳のわからん「理想」などが同居してもらって
は困る。
いずれにせよ、人間の生存には、そのような観念は一切必要ないこと。
>>180 仏教ではでしょ?
最初はどこの宗教も同じかと思ってた。
でも、神社で悪いことすると罰が当たるとかって発想はない?
>>182 キリスト教も神の前で嘘をつくと殺されるとか?
ご隠居の理想って何よ。
187 :
まい:2006/11/28(火) 17:11:33 ID:Q33usolf
>>185 簡単な話地獄行きでしょ。
仏教はその後があるようだけど・・。
神道は物質界精神界・陰陽・などの役割でしかなかったような?
死んだら黄泉に行くのは罰でもなんでもなく、フィールドが変わるだけだったような。
そもそも教義がないっていうし・・。
そうそう、神聖なところを冒すと祟るっていうのは、たしか人間神の単純な怒りだったんじゃない?
祀ると治まる類の。
>>176 宗教者は地獄へ行くと思ってる人が、結構いる…w
>>183 >あるのは現実のみなのだから、訳のわからん「理想」などが同居してもらって
> は困る。
ところが、理想を無くすと、現実が理想になって、
現実がなくなっちゃうんだなあ、ご隠居見てるとw
189 :
名無しさん@3周年:2006/11/28(火) 17:41:01 ID:d2/lYEfd
>>188 >ところが、理想を無くすと、現実が理想になって、
>現実がなくなっちゃうんだなあ、ご隠居見てるとw
理想は、脳内での観念に過ぎないから、百人百様だし、簡単に無くなったり変
わったりするが、現実、即ち在りて在るものは、万人にとって不変で、永久に
無くなることはありません。あなたが死んでも、残された者たちやその子孫に
とっては、現実は何の変わりもなく存在し続けます。
現実が無くなることに不安を覚える終末論、即ち「世界没落体験」は、統合失
調症の典型的症状の一つで、精神医学による治療の対象となります。
190 :
1/4 素人:2006/11/28(火) 23:06:06 ID:KvwSeLAQ
応報スレの件へ戻る前に、とりあえず
>>141 > あっ、そうなの? > ふーむ。。。。。。
棘のある口調だなw 言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ?
> そう判断できる場合はそうしますけどね。
> もちろん議論になりそうにない人間には議論は吹っかけませんしw
なるほど。確かに、常に相手からのリアクションを期待しているレスだよな。(芸人気質?w)
ま、煽られるということは「何か引き出せる」と感じて貰えたからだと、
彼も光栄に思うべきだったのかもな(爆
> その判断が私にはよくわからないのですが
後述。
> 尊大云々はまだ消えてないんじゃないんですか?
意味不明。消えてない? 解決してないという意味か?述べられていないという意味か?
私の >また、尊大である云々の煽り方は、これも上述のようにその矛先に私の言葉も含まれるからだ。
>(これに関してのレスはなかった。だから
>>80で「それだけか?」と問うた。)
という文章との繋がりをもっと明確にしてくれ。
> なぜなら、障害者に対して、障害が取り除けるわけでもないのに、お前の障害は前世の因縁だって、
> 決め付けるわけでしょw
> それが仏教だという肯定しか聞いておりませんよw
後述。
> それとも、奇跡を起して、目が見えるようなるとか?
> 奇跡的にオツムがよくなるとか
単なる飾り文句と判断してスルー。
191 :
2/4 素人:2006/11/28(火) 23:12:21 ID:KvwSeLAQ
>>142 > 現在・過去・未来♪〜の
宜しいと思いますよ。そのように見ることも可能です。
> まあ、ケースバイケースなんでしょうけど
はい。ケースバイケースでしょうね。
大きく二つの視線があります。一つは、広く(客観的に)世界を見る時のもの・・A
もう一つは、(輪廻をベースにした)個人の在り様を見る時のもの・・B
Aは、あなたが言うように歴史的な現在・過去・未来。
Bは、(輪廻をベースにした)「生」についてのもの。
勿論、Bにおいても、実存的に「この人生」における現在・過去・未来
と捉えることは可能だが、その時は「三世」という言い方はしないであろう。
つまり、三世と言った時に含意されるものは、「現在・過去・未来」と「現世・過去世・来世」と
二通りあるということだ。 が、専ら使用される時はAの意味合いだし、
Bの場合は「現世・過去世・来世」などと個別に述べられることが多いだろう。
故に以降も、ただ「三世」と言った時は、専らAの意味で用いることにする。
192 :
3/4 素人:2006/11/28(火) 23:13:47 ID:KvwSeLAQ
>>74 > まあ、結局は現状認識の把握なのでしょうが、大した違いがあるように思えないナァ〜
「たいした違いはない」というのは
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1163832599/233 が言うように同じだと認識しているのか?
また或いは、「たいした違いがない」ということは、
持てる知識・能力を総動員して事にあたる姿勢もまた尊大だ、という意味にとっても宜しいのか?
> 「征服」と把握するか、「利用・活用」と把握するかは、結果としたら、大きな違いはないでしょう。
同上。
> まあ、その違いに宗教性があるのかもしれませんけどね。
征服観が宗教的なのか?利用・活用の姿勢が宗教的なのか?
それとも、どちらも宗教的であり、違いは、宗教性の瑣末な差異でしかない、ということか?
※君の文章は、いつも対象が曖昧だ。引用する時も一部しか引用しないから、他の部分は
「同意なのか?理解不能なのか?この会話には必要ないと切り捨ててるのか?」が見えない。
(この点に関しては後述する際に再び触れることになるだろう。)
> どんな補足? > 私には、意図しない方向の補足にしか思えないのですが?
後述。
> その辺が・・・・・意見になります。
後述。
> 最後に、人智或いは認識力の範囲内で、すべてを判断されたら、たまらない。
なぜ、こうも曲解できるのか理解に苦しむよw そのような言説はどこにも為されていない。
(この点も、後述する際に触れることがあるかもしれない)
> でも、まあ、表現の違いかもしれないと言うのは、わからないでもないのですけどね。
わかれよwww
193 :
4/4 素人:2006/11/28(火) 23:14:53 ID:KvwSeLAQ
とりあえず作文してみた。文中の「後述」部分は本論に回す。
同時に触れた方が良いと判断した。
が、本論については、今日は無理そうだ。(風邪中の酒は効くねw だがそれがいい)
けどまあ、逃げはしないから、
数日空いても m9(^Д^)プギャー! しないでくれw
補足:
>>191に於いては、
あくまで、私個人の見解が主だということを断っておく。
一般的にはAの意味だが、Bが混濁する場合も多く見られるので、
注意を喚起しておく。A⊃Bというのが無難な視点ではあろう。
一個人の人生のスパンを越えた因果を見る時は、
この違いを頭の隅っこ位に入れておくことは無駄ではないと思う。
強制を恐れるのは
自分が何もしていないからかもね
>>190-191 >棘のある口調だなw 言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ?
トゲと感じるのは、自分に思い当たるからじゃないですか?
と誰かさんの口調を真似て見たりして(^O^)/
別に他意があるわけじゃないですけどねw
まあ、気にしないでくだせぇ〜(^^♪もう忘れたし・・・・・
>なるほど。確かに、常に相手からのリアクションを期待しているレスだよな。(芸人気質?w)
>ま、煽られるということは「何か引き出せる」と感じて貰えたからだと、
>彼も光栄に思うべきだったのかもな(爆
なんかオーバーリアクションになってません?
かなり意図的なものを感じますけどヽ(^。^)ノ
まあ、お互い様なので、楽しめますけどw(^O^)/
>単なる飾り文句と判断してスルー。
まあ、大方、そのスタンスなのか思ってたのですけどね(^O^)/
なんか、ノって来すぎで、恐縮なんですけど\(^o^)/
>つまり、三世と言った時に含意されるものは、「現在・過去・未来」と「現世・過去世・来世」と
>二通りあるということだ。 が、専ら使用される時はAの意味合いだし、
>Bの場合は「現世・過去世・来世」などと個別に述べられることが多いだろう。
>故に以降も、ただ「三世」と言った時は、専らAの意味で用いることにする。
ということは、三世代という意味はないということ?
これは、疑問ですわw!
もう少し、解説キボンぬw
>>192 >持てる知識・能力を総動員して事にあたる姿勢もまた尊大だ、という意味にとっても宜しいのか?
私が尊大だと言ったのは、その認識ですべてだwと完結することですね。
その認識でもまだ、把握できないものがあるというものがないと不自然です。
それが表現の違いにしか過ぎないのなら、大した問題ではないですね。
ということです。
>征服観が宗教的なのか?利用・活用の姿勢が宗教的なのか?
>それとも、どちらも宗教的であり、違いは、宗教性の瑣末な差異でしかない、ということか?
私が宗教的と言ったのは、上記の記述の理由です。
この世界を神が創ったわけでもないのに、神が創ったとし、
従って、神を理解できる人間しか、この世界を理解できないというのは、宗教的です。
その理由による、宗教的という表現です。
曖昧であるなら、質問してください。
違う角度で理解できそうな説明が可能か、考えて見ます。
>わかれよwww
であれば、まあ、始からの意見の対立はなしなんですけど?
表現の違いですよ(^O^)/
でも、そうすると、宗教って結局何?って話ですね。
>けどまあ、逃げはしないから、
>数日空いても m9(^Д^)プギャー! しないでくれw
m9(^Д^)プギャー! って、勝利宣言?
素人氏のレスの感覚がつかめましたので、まあ、よろしくですw
まあ、お大事にしてくださいませ(^^♪
>>194 ちなみに、世界と個人の違いが私にはわからない。
個人以外の世界なんてあるの?
ということは、空という概念には、世界的な空と個人的な空があるということ?
これは、難しいですねw
まあ、大した問題ではなさそうですけどね。
三世に対する意味が、三世代の意味ではないですから。
今の私には、余談でしょう、多分。
>>188 >宗教者は地獄へ行くと思ってる人が、結構いる…w
日本の天国と地獄の意識って、どこの宗派なのでしょうw
浄土真宗?
閻魔様に舌を抜かれるとか・・・・・・
結構、曖昧なんですよね。
諸星大二郎かなぁ〜
200 :
5/5 素人:2006/11/29(水) 13:05:10 ID:c3zeqvFl
>>196 > トゲと感じるのは、自分に思い当たるからじゃないですか?
wwwww
確かにw 勿論、一連のレスと無関係ではあるが、
昆布がどう読むか、という探りであったことは認めるw
> まあ、お互い様なので、楽しめますけど
お互い様か・・なるほどw
> なんか、ノって来すぎで、恐縮なんですけど
「ここを読んでないんですか?」というツッコミを避ける為、
(特に、こうした「レスの姿勢」に絡んでも来る場合があるような議論の時は)、
なるべく全ての文を拾うようにしている。 (もしかしたら、この点に関しても後々触れるかもしれない)
勿論、1レスの行数制限のこともあり、明らかに無関係であるような場合は触れない。
>>196 > ということは、三世代という意味はないということ?
三世代?
両親・自分・子供ということ?
祖父の代には・・私の代では・・孫の代では・・ということ
先祖・現在の家族・子孫ということ?
先輩・自分の世代・後輩ということ?
先達・現代の人類・子孫ということ?
先祖(クロマニヨン人)・現人類・子孫(ニュータイプ?www)ということ?
この発言には正直戸惑っています。
「三世(さん・ぜ)」と言われる時に、世代(ジェネレーション)の意味が含まれる例に出会ったことはありません。
国語辞書には、父・子・孫、本人・子・孫、三代、等の記載があるようですが、(今手許にないので広辞苑は調べてない)
日常会話の中でも、こうした「世代」を指して「三世」を用いる場面に出会った事はありませんでしたので少々面喰いました。
ここでは、その「三世代」という意味は捨象しましょう。
(或いは
>>191のAに含めてしまって構わないと思う。
もしかしたら、今後の流れによっては浮上してくることもあるかもしれないが、
その時はその時で注意・注記すればよい。 ってか「三世代」と言えば済むか・・・w)
202 :
3/5 a:2006/11/29(水) 13:10:12 ID:c3zeqvFl
また、詳細な掘り下げ(→どこからが過去で、どこが現在で、どこからが未来か?厳密にみれば『現在(瞬間)』しかない等々)
は、今の流れの中では不要でしょう。もし、意味があるとすれば、
【一個人の中で】、
「昨日も過去なら幼少時も『過去』である――これは通時的同一性から一括りにできる――が、
自分の生まれる前もまた、『過去』である」という点だ。
「人生の将来も『未来』なら死後延々と続く将来の時代もまた『未来』である」ということだ。
この、普段はそれほど気にならない微妙に異なる意味の違いは、
因縁果報・因果応報・(単純な意味での)因果、或いは業果という概念を考察する際には重要な意味を持ってくる。
単純に「過去の因」という言葉があったとしても、そこには大きくつの意味が含まれる。
一つは、自分が(或いは自分が関係した過去の事象が)原因となっているもの。(勿論、これもさらに分節可能。)
つまり、(一般的理解の上での)通時的同一性の中の過去ということ。
もう一つは、自分が生まれる前の事象も視野に入っているような原因としてのもの。
(更にはこの中でa「単に生まれる前の事象」とb「過去生として自分が為した(関わりのあった)事象」
という分節も可能だが、今は論旨を簡潔にするため↓のようにしておく。)
つまり、(輪廻をベースとした)過去生(過去世)の原因という見方だ。
だから、後者が言われる時(特に区別が必要な時)は『過去世』とか『前世』とか別の言い方がなされることが多い。
しかしながら、大概は文脈に於いて区別・判断される。
勿論、輪廻や生まれ変わり・前世来世を否定する立場からすれば、後者bの語義には何の意味もない。
203 :
3/5 b:2006/11/29(水) 13:15:59 ID:c3zeqvFl
だから、【論じられている時の土俵で】、
「それ(輪廻ベースの三世)を前提とするものかどうか、幾つかある視点の一つとして俎上に挙げられているのか、
全く否定されたもの(無きもの)として無視されているものかどうか?」が重要になってくる。
そして、そうした各前提が【話者に於いて】
「核となっているのか(→信じられているのか)? それとも、
信じられてはいないが知識の一つとして常に視野の隅に入れられているものなのか?」も重要な要素の一つだ。
応報スレの件に於いては、これらに、齟齬発生の因の一つがあるだろう。
厳密に語り合うなら、本来はそうした差異は事前に提示し合っておかねばならない。
が、実際の場面では(論文・論考等でない限りは)、会話の流れの中で突如現われるであろうし、
その時はまず文脈から判断するしかない。或いは文体・口調等から・・・。
だから、「彼の144の口調(文末の絞め方(「〜だね。」というようなもの))が誤解を招く一端だったかもしれない」、
と断り書きはしておいた筈だ。
204 :
4/5:2006/11/29(水) 13:17:11 ID:c3zeqvFl
三世、或いは因果、或いは応報等について語られる時は、
(もしかしたらどんな議論でもそうかもしれないが)、こうした複数の要素が複雑に交叉しあっている。
上記二つのみでなく、その他にも注意すべき要素はあるだろうから、その組み合わせパターンはかなりの数になろう。
必要なのは「今、どのパターンが用いられて、論が展開されているのか」を見究めることだ。
(しっかりと分類作業を行い、グループ分けが為された後ならば、多少は簡潔な交叉になるだろうが・・・)
なかなか本論へ入れない(→作文できない)理由はここにある。
そうした交叉を、なるべく明解にした上で話を進めねばならないからだ。
なんとなれば、そうした交叉こそが、(先の応報スレの件だけでなく)、
およそ因果をめぐる議論の中での混乱・誤解の元であろう・・と、私は見ているからだ。
恥ずかしながら、私は、業報理論に関して深くは学んではいない。深く考察したこともない。
仏教の中心理論の一つであり、縁起と並ぶ(或いは不可分な)要素には違いなので、
本来は避けて通ることはできない部分だ。
しかしながら、上述のようにその複雑さゆえ、先送りしている部分はある。
いつかは、自分の中で上述の交叉を洗い出し、体系立てねばならないと思ってはいるが、
なかなかねぇ・・・(^^;
(普通に語る場合には、大雑把な枠組みでも十分だし・・・。
けど、貴方のように喰い付いてくる人に対してはそうはいかないからなぁ・・・w)
けれども、今回の件はいい機会かもしれない。
何年かかるかわからないが、いいきっかけと受けとめたい。
205 :
5/5:2006/11/29(水) 13:21:11 ID:c3zeqvFl
>>198 > ちなみに、世界と個人の違いが私にはわからない。
> 個人以外の世界なんてあるの?
独我論ですか?w
素朴実在論的に捉えてくれ。他者は確かに目の前にいる、そんな程度で構わない。
> ということは、空という概念には、世界的な空と個人的な空があるということ?
なぜ、突然「空」が出てくるの?
てか、このレス(198)は不可解なので(↓も含め)詳述を求む。
> これは、難しいですねw
> まあ、大した問題ではなさそうですけどね。
> 三世に対する意味が、三世代の意味ではないですから。
> 今の私には、余談でしょう、多分。
――――――――――――
とりあえずはここまで。 疲れた。
197については、近々にレスを返せるだろう。
101については、本論に入ったら触れることになるかもしれない。
※ちなみに、ここで「本論」と言っているが、「三世」や「因果」「業果」等のみでなく、
一連の応報スレでの三者の姿勢のとり方も含めたものを言う。
つまり、「応報スレの一件に関する考察」という意味合いのもの。
だから、三世に関係ない話題も当然出てくるだろう。あらかじめ弁解しておく。
二文字で済むから便利なんだw
>>202 9行目
>単純に「過去の因」という言葉があったとしても、そこには大きくつの意味が含まれる。
は、
>単純に「過去の因」という言葉があったとしても、そこには大きく二つの意味が含まれる。
と訂正。
>>199 地獄って、どれにしようか迷うぐらい、いろんなのがあるなあw
北欧神話だと、戦死しないと天国に行けない。これって靖国?
ラグナロク?
個人的にはインド神話のシヴァが好きだな。
梵天の顔を焼いて5面の顔を4面にしてしまったとか面白いw
神話自体ではギリシャ神話がなんといっても面白い。
>>200 >「ここを読んでないんですか?」というツッコミを避ける為、
>(特に、こうした「レスの姿勢」に絡んでも来る場合があるような議論の時は)、
揚足取り合戦の時は、喜んでやりますけどねwヽ(^。^)ノ
まあ、不毛な戦いは、年末に向けて、省エネしたいものです(^^♪
>>201 >三世代?
日常的な用法としては、「ルパン三世」のような、三世の使い方。
この場合は、三代目ということでしょw
いわゆる、サーカスで使われる、「親の因果が子に報い」という使われ方じゃないかとw
って、実際に使われてるのを聞いたことはありませんけどね。
でも、そのような使い方は仏教ではないと言うことなんですね。
私が、単純に誤解していたようです。
ということでw
>>202 >(輪廻をベースとした)過去生(過去世)の原因という見方だ。
これには異論があるんですが、まあ、今は、ご指摘どおり瑣末ですね。
>>203 >応報スレの件に於いては、これらに、齟齬発生の因の一つがあるだろう。
>厳密に語り合うなら、本来はそうした差異は事前に提示し合っておかねばならない。
ご指摘どおりです。
それは、どのスレの議論でも本来はそうあるべきだとは思います。
でも、通常の2ちゃんでは省略されますね。確かにw
>>204 >必要なのは「今、どのパターンが用いられて、論が展開されているのか」を見究めることだ。
>(しっかりと分類作業を行い、グループ分けが為された後ならば、多少は簡潔な交叉になるだろうが・・・)
その通りですが、そうすれば、知識がなければ宗教を語ることは不可能ですね。
であれば、仏教を信ずるには基本的な知識がなければ議論できないというのが、
素人さんの意見なのですかね。
もちろん、私はその意見には賛成の面もありますが、ほぼ反対です。
というのは、必要なのは、知識ではなくて、論理性だと思いますから。
知識の不足が障害ならば、知識を補えばいい。
議論の方向性がつまらないなら、通常はそれで終わりますけどね。
>>205 >独我論ですか?w
>素朴実在論的に捉えてくれ。他者は確かに目の前にいる、そんな程度で構わない。
いえ、そうではなく、単純に、人は自分の周りのことしか認識することは出来ないということです。
だから、個人も世界も同じなはず。
もしかすると、おなじことを言ってるのかもしれませんけどね。
>なぜ、突然「空」が出てくるの?
この世界を形作ってるのが空なら、個人と世界で二つあるなら、空も二つか?
と言う意味です。
まあ、空は空だから、一つというのはわかりますけどね。
ということは、この世界もたぶん、一つでしょう。
というなら、まあ、わからなくもないですけどね。
そういう意味です。
>>207 基本的に神様は、権力者が権力で威圧するために存在してますからね。
いまだに、そのご都合主義を守ってるというのが、まあ、奇特なことですがね。
しかしまあ、充分な戦力もなく戦争を仕掛けて、
最後は肉弾戦の発想しか湧かず、そしてその犠牲になった人たちは、
国は慰霊して当然だとは思いますよ。
未だにまったく、反省の色はないようですけどね。困ったもんですw
213 :
名無しさん@3周年:2006/11/29(水) 23:52:20 ID:z0mIVxTs
素人さんのレスは、長すぎて、おまけに結局は何が言いたいのかさっぱり判ら
ん。
書き込みする以上、自分の考えをよくまとめてから、現実生活との関連におい
て簡潔に述べてくれ。
本に書いてあることを繰り返すのは無意味。2chは「自分独自の」考えを
のべてこそ、初めて価値があるのです。
>>209 神話自体はギリシア神話も含めて、ゾロアスター教の影響を受けたものが多いとか・・・・
きっと、この辺はご隠居が詳しいと思う。
>>212 でも、国が慰霊するという発想がある限り、靖国は不滅でしょう。
そもそも、国家なんて、それこそ存在しないという訳で。
>>213 とうとうご隠居が切れちゃったかw
>>215 >でも、国が慰霊するという発想がある限り、靖国は不滅でしょう。
>そもそも、国家なんて、それこそ存在しないという訳で。
考えても見れば、あれも三位一体と同じぐらい、自己矛盾してますネェ〜
政教分離の原則から反してる割には、天皇と国家が関与してるし、
財務的には、宗教と言うよりも不動産業らしいし、
まあ、慰霊と称して多額の金を遺族にせびるらしいですけどね。
戦没者の慰霊となった割には、裁判で死刑になった人間が祭られてるし、
アホバカで敗戦した割には、強気でガンガン戦争賛美してますしね。
まあ、時代の側面と言う意味では、実に健やかで気持ちのいい神社です。
境内のフリーマーケットもいい。
愛国心教育で、是非、靖国参拝は日本人の心だヽ(^。^)ノ
と入れてほしいものです。
もちろん、両親の正しい教育が前提になりますけどね(^O^)/
オレオレ詐欺にも引っかからないような正しい現状認識の出来る子供が育つかもw
ご隠居は面白いネタがなくなったのかナァ〜
ご隠居のおもな遊び場はどこなのでしょう?
ここで相手にされない時は、質問箱荒らしてますよ。
どっかで、みかけたと思ったら、あれはご隠居だったのかw
だけど、ほんとフーテンさんって、この板になぜいるんだろう・・・・・・
まあ、大変失礼な疑問なんですけどね(^_^;)
素朴な疑問だわw
あっ、でもその問題には昔、自己解決したレスしてたナァ〜
なんとなく、覚えてるけど、ふむ・・・・・・
しかし、フーテン氏にはほんと感謝してます。
フーテン氏がいなければ、教会はみんな談話室なんだと思ってました(^O^)/
そして、女性はみんなのぞみ嬢だと思ってました(^O^)/
その誤解を説いてくれただけでも、フーテン氏には、感謝状を贈りたいヽ(^。^)ノ
って、書くとフーテン氏はまた、
教会は談話室みたいなもんだとか言うんだろうナァ〜
222 :
素人:2006/11/30(木) 16:08:09 ID:TBGt8yIP
>>211前段について少しだけ。
君の姿勢の特徴を簡単に列挙すれば、
飛躍と(急ぎ足な)敷衍、そして言外を推察する能力の使い過ぎ。
もう一つ二つ加えるなら、結論を急ぎ過ぎ。
(真の結論というのでなく、21.0975km地点をゴールとしてしまうような・・。
或いは、障害物競走で障害越えずにショートカットでゴールテープを切るような・・。)
興味のない文章は拾わないとか。(これは私にもそういう所はあるが・・・w)
あ、あと、雑談スタイルオンリーなとこ。
牛若丸のようにあちこち飛び移るのも2chらしい在り方だが、
私の長文レスの時にそれをするなら、もうこれ以上話すのはやめよう。
君の飛び移る先をいちいち追っていたら、本を何冊書いても追いつけない。
険しい山を登る時に、要所要所にしっかりハーケンを打ち込みながら登るように、
そのように、手順を踏みながら、最低限抑えるべき所は抑えながら進まないと、ザイルを掛けてゆけない。
(「おいおい、もうそこにハーケン打っちゃうのかよ?
そこへ打つには、あそことあそことあそこに打たないと届かないんじゃないか?
或いはもしかしたら、別の場所へ打つことになるかもしれないぞ。焦らず順番に打っていこうや。」)
或いは、
(「ねぇ〜、ご飯まだ〜。もうお米のままでいいよ。早く食べさせてよ〜。」
「米のまま食えるわけないだろ!研いで、水入れて、火をつけて、炊き上がるまで待て!」という感じか・・・?w)
てか、雑談スレに手順や論理性を求めるおいらが間違ってるか・・・(爆
はっきり言わせて貰おう。
君は >必要なのは、知識ではなくて、論理性だと思いますから。
と言っているが、君のレスの殆どは、あまり論理的とは思えない。
牛若丸と表現したが、手順を踏まずに飛躍するのは論理的姿勢なのか?
用語の使い方や言い回し、連想ゲームのような敷衍の仕方・・・etc.
甚だ疑問の生じる所だ。
ところで、211の内容に関しては、詳細レスを返した方がいいいですか?
>>222 要は、仏教は、宗教なの?
それとも、哲学なの?
それが結論なんじゃないですか?
あまり深い意味はない気がしますが・・・・・・・・
224 :
素人:2006/11/30(木) 17:21:25 ID:TBGt8yIP
あと、日常から離れて、宗教は存在してるのでしょうか?
宗教だけ切り離されるわけでもないのに、
仏教は、世と俗を分けて、切り離していますね。
というか、敢えて切り離すことで宗教であることを保ってますよね。
私からみるとそれは大きく矛盾してます。
それが仏教ならば、私はまったく関心がありませんね。
葬式仏教と霊障の押し付けで生活してるのでしょう。
江原や細木が目の上のたんこぶなのも大きく頷けます。
という結論になるのではないでしょうか?
>>221 談話室みたいな教会だったら、退屈はしないだろうなあw
教会は、活気がありすぎるのも変だし、無さ過ぎても…伝統的な教派は大体こっちの方向で、
俺なんかはそれに馴染んでる訳ですが、これはこれで、肝心の命がなくなってるとは思います。
しかし、胃炎で大人しくなっちゃった大ちゃんは、結構気が弱くて繊細な人なのかもねw
だからホーリネスが好きなのかも。
>>225 補足すると、俗世間の人間は、仏教を知る必要はないですね。
知りたければ、出家して、仏教に帰依する必要が有るのでしょう。
六波羅蜜には、布施がはいりますし、労働はケガレですから。
>>226 >しかし、胃炎で大人しくなっちゃった大ちゃんは、結構気が弱くて繊細な人なのかもねw
>だからホーリネスが好きなのかも。
私も、同じですよヽ(^。^)ノ
229 :
素人:2006/11/30(木) 17:30:49 ID:TBGt8yIP
>>225 > あと、日常から離れて、宗教は存在してるのでしょうか?
してないね。
> 宗教だけ切り離されるわけでもないのに、
> 仏教は、世と俗を分けて、切り離していますね。
はい。切り離してますね。
> というか、敢えて切り離すことで宗教であることを保ってますよね。
その通りですね。
> 私からみるとそれは大きく矛盾してます。
親鸞の在り方(厳密に言うと親鸞以降の教え)が、
矛盾なく構築された仏教(≒宗教)の姿だというのがあなたの意見ですか?
> それが仏教ならば、私はまったく関心がありませんね。
なら、仏教に対して毒づくのはやめろ。
風のように沈黙しとけ。
> 葬式仏教と霊障の押し付けで生活してるのでしょう。
誰が?
> 江原や細木が目の上のたんこぶなのも大きく頷けます。
確かに、ああいうチンカスが一番迷惑だなw
> という結論になるのではないでしょうか?
それを結論としたければそうしておけばいい。
それは、君の抱える君自身の見解だ。私が修正する必要はない。
ただ、それを他者に対して布教するのであれば、
私は抵抗勢力にならざるを得ない。
230 :
素人:2006/11/30(木) 17:35:38 ID:TBGt8yIP
>>227 > 補足すると、俗世間の人間は、仏教を知る必要はないですね。
なぜですか?
> 知りたければ、出家して、仏教に帰依する必要が有るのでしょう。
出家しなくても知ることはできますよ。
> 六波羅蜜には、布施がはいりますし、
だから何、この文の術語はどれになるの?
> 労働はケガレですから。
だれがそんなこと言ったんですか?
初めて聞きました。
>>229 >なら、仏教に対して毒づくのはやめろ。
ならば、人の弱みに付け込んで、仏教押し付けたのを謝罪するべきだと思いますが?
まあ、南無菌はチンカスなんだろうから、私には別にどうでもいいことなんですけど、
まあ、人であるなら謝罪ぐらいは、できるとおもう(笑
まあ、それができないんだから、私は私なりの仏教解釈は必要。
いわば、オレオレ詐欺と一緒で、相手を知る必要があるからね。
しかも、できれば、正確に知りたいと思いますしねヽ(^。^)ノ
別に、正確に教えたくないと言うなら、別ですけどね(笑
まあ、この次元は不毛でしょう。
私には、そう思いますけど(^^♪
232 :
素人:2006/11/30(木) 17:52:39 ID:TBGt8yIP
>>231 そうか。
押し付けたのは俺じゃないが、同一カテゴリーの中の者として謝罪しよう。
すまなかった。
南無の態度はふざけすぎている。TPOをあまり考慮しない書き込み方であろう。
本当に申し訳なかった。
これでいいか?
それとも、俺が、彼を君の前に連れてきて謝罪させる、という手続きが必要か?
ネット上でそれができるかどうかわからんが・・・。
>別に、正確に教えたくないと言うなら、別ですけどね(笑
耳をふさいでいたり、(わざと?)よそ見して聞いてなかったり、
ヘッドフォンしてたりとかする人に
どう教えたらいいんだい?
>>232 >そうか。
>押し付けたのは俺じゃないが、同一カテゴリーの中の者として謝罪しよう。
>すまなかった。
>南無の態度はふざけすぎている。TPOをあまり考慮しない書き込み方であろう。
>本当に申し訳なかった。
別に、素人氏に謝罪してほしくて、私はこの問題を持ち出したわけでもありませんよ、念のため。
私は、この問題は表面的に思えて、実に多くの深い問題があるような気がして、持ち出しただけです。
それと、もし仏教が宗教でしかないなら、信じる信じないの話しにしかならないので、
それは、私には知る必要がないということで、関心がない言っただけです。
ところで、ちょっと、レスの中で飛ばしてますね。
それについて、レスします。
用事で来ました、ちょっとオチます。
ノシ
234 :
素人:2006/11/30(木) 18:28:40 ID:TBGt8yIP
>>233 どう読んでも、「謝れ!」と俺に言っているようにしか読めんが?wwwww
>>231 >私は、この問題は表面的に思えて、実に多くの深い問題があるような気がして、持ち出しただけです。
俺も、応報スレの144の件に、同じように思っているから引っ張ったのだよ。
まさに、
「私は、応報スレの144の件は表面的に思えて、実に多くの深い問題があるような気がして、持ち出しただけです。」
な感じだ・・(爆 (ま、それほど深くはないかもしれんが・・・w)
>もし仏教が宗教でしかないなら
だけしかないことはなかろうw (世の中の全ての事象に言えることかもしれんがw)
>信じる信じないの話しにしかならないので、
どのような点(何)を、どのように信じるのか?は問題ではない、というスタンスか?
>私には知る必要がないということで、関心がないと言っただけです。
知る必要がないもの、関心のないものについてあれこれ考え、毒づいてるわけかw
たとえば、宇宙の果てはどうなってるんだろう?とか、死んだ後はオレ・・どうなっちゃうんだろう・・とか?
素人は今どんな格好でキーボード叩いてるんだろう?とか?
こういうことと同じ?
ノシ
235 :
名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 18:58:50 ID:mI/NNCc+
信じる信じないなんて要は何かを求めるかどうかだ
みなさん、おひさー。
りょんちゃんは時々、キリスト教の基本中の基本を、さらりと語ってるんだなあ。。。
神の道に歩んでいると言っていい。…こんな事言ったら、ムキになって、
神じゃなくて、とか言いそうw
だけど、こっちがびっくりするくらい、キリスト教の核心に迫ってることがあるから、面白い。
黄金律スレが良い流れだから、こっちに書いとこw
>>236 今まさに、
「ここに、てすとんが絡んできたら面白い(ってか手強い)だろうな(藁」
と書き込んでから寝ようと思ったとこだよ。
たぶんすぐ寝るけど・・w
>>237 神=人間だから同じことですよw
心の中に自分の神を持つのもオッケーだし。
それにキリスト教だろうと仏教だろうと核心の部分の共通性はあると思います。
具体的にどれのこといってるのか分からないけど。
だからこの板に黄金律スレなんて立ててみたんです。
てすとさん、おひさしですノシ
>この問題は表面的に思えて、実に多くの深い問題があるような気がして
同意見です。私も当時、南無氏と昆氏のやりとりをリアルタイムで見ていました。
そこで感じたのは、あからさまにさじを投げた南無氏は簡単に批判できるので特に問題は大きくなくて、
問題はある程度理性的な仏教徒までもが南無氏を擁護したことだと思います。
どの集団にも一定の割合で変な奴はいるので、それを指摘しても非建設的で意味はないのですが、
まともそうな人からも病的な臭いがしてきたので、これは仏教そのものに原因があるのではないかと仮説を立てたわけです。
だから、私も昆布氏も南無氏のことは本当にどうでもよくて、仏教の得たいの知れなさに段階を踏んで切り込んで行こうとしているんですよね。
批判のカテゴリーは下記の分類がメインだと思います。
1:仏教徒の人間性。
2:現存する仏教集団と国家社会との関係。
3:仏教理論
そして、最後は
4:開祖釈迦の方法論、および行動への批判です。
対機説法の不確定性。臨機応変は伝承可能か?
伝えられないものを、伝えようとしていなかったか?などですかね。
>>241 >段階を踏んで切り込んで行こうとしているんですよね。
おもしろい。是非やって頂きたいw
てか、はっきり言ったら(名指ししたら)どうだい?
○○の「×△○※◆×●□※▼○」という発言が、
仏教の胡散臭さを表している、と。
>段階を踏んで
とてもそうは思えませんが?
脊髄反射以外のまともな意見提示、問題提起は
どこのスレのどこに為されたんでしょうね?
>>242 おもしろい。おもしろいです。
ワクワクしてきました。
その分類は批判対象をピックアップしたもので他の要素もある、
と理解して宜しいか?
その分類の仕方(要素の選び方)から、まずコンセンサスがとられるべきだと思うので、
(おおよそ同意できるものだが)暫し猶予を頂きたい。
増やすか、もう一段階下層を設けるべきかどうか、直感がブレーキをかけている。
てか、てすとんは仏教の中の人でしょ?
そういう匂いのレスが多いよw
おやすみ ノシ
う〜む
酔ってるかもしれんw
許せw >>ALL
てか、おいらが2chモードになったら
途端にみんなマジになるってのはどういうこと?
おちょくってんの?
おいらの「ひきだし」は全部(個人情報を除く)使うから、
気長に待てwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
勿論、それなりの問い方をしてきた時だけだけどな(爆
うひょーーーーーーーーーー!1時回っちまったぜw
>>243 基本的に確定ではなく仮説なのでその辺はご容赦を。仏教が全然ダメダメだと言っている訳じゃないです。
>てか、はっきり言ったら(名指ししたら)どうだい?
過去スレ読めないんですよ・・。それに当事者の事情もあるので外野が過去スレを蒸し返すのはマナー違反かなと。
>脊髄反射以外のまともな意見提示、問題提起は どこのスレのどこに為されたんでしょうね?
相手によるんではないですかね。名無しと、ドキュコテには脊髄反射するしかないですし。それかスルーか。
2chに限らず落ち着いた議論のやり取りの場を設けるのは難しいですから、どちらにしても雑音のなかで抽出していくしかないですね。
>>241や、
>>242のような発言は相手が素人さんだから書いてるんですよ。名無し相手に労力は使いたくないですし。
私も昔、名無し&別コテだったので、てすと素人のやり取りは実質これが最初になるはずです。
>その分類は批判対象をピックアップしたもので他の要素もある、 と理解して宜しいか?
>その分類の仕方(要素の選び方)から、まずコンセンサスがとられるべきだと思うので
細かいのは時間がいくらあっても足りないので、絞った方がよさそうですね。
、とはいってもここは宗教全般を語る場所なので仏教オンリー議論は他スレに行きますよ。良さそうなところあったら教えてください。
害毒とかじゃなくてw
>てすとんは仏教の中の人でしょ?
単なる耳年増です。経典群にすべて目を通したわけじゃないです。解らないことがあったらこっそり名無しで質問箱に書き込みますw
246 :
名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 01:17:30 ID:d1eKgwen
>>237 >りょんちゃんは時々、キリスト教の基本中の基本を、さらりと語ってるんだ
>なあ。。。
あなたが「特定のプロテスタントの立場」から「解釈」している「キリスト教
の基本」とは何ですか。説明してください。
りょんちゃんは「 神=人間だから同じことですよ」と言いましたよ。勿論、
この「人間」とは、イエスのことではなくて、「すべての人間」のことですよ。
これが、あなたのいう「キリスト教の基本」のことですか。ご回答ください。
>>245 宗教全般なんだから、どういう流れでも構わないけど。
>>246 キリスト教批判と仏教批判二本立てで行く?
それも悪くはないな。
しかし、ご隠居とは何周目だろw
248 :
名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 01:38:10 ID:d1eKgwen
>>247 私の追及に対し、君が回答できないで逃げ惑うことの繰り返しだね。
質問には、真面目に答えなさい。
ご隠居か?
出てくるタイミングは、一流のコメディアンを軽く超えてるなw
「出オチの神」という称号を与えようw
みなさんオヤスミ〜 ノシ
へへw 明日は5時15分起きだぜw
フーハハーッ
>>245 了解しました。 (ただ、七誌に対する蔑視には異議のあるところですが・・w)
245及び242には、改めて丁寧に返答しましょう。
241についても、若干触れることもあるかもしれません。
ただ、今後の一歩を望むなら、
(害毒スレは典型としてもw)ヘッドフォンは外して頂きたい。
また、牛若丸も控えて頂きたい。
おそらく、長文レスが続くことになるでしょう。
数日空くこともあるでしょう。新たに資料の探索が必要になることもあるでしょう。
そして、(一応、都度断るようにしますが)、
私個人の見解だということを念頭に置いてください。
ところで、応報スレ144の件に関しては、終わりでもいいのかな? >>昆布
>>202-204で、概略は提示できているが・・・。
>良さそうなところあったら
過疎ってるココかなw
★ 仏教思想議論系雑談スレッド ★
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1141886647/ >>247 ご隠居が攻めて来れるのであれば、いつでも受けて立ちますよw
>>247 一般的日本人にキリスト教批判なんて無理ですよw
十字架とか煉獄とか天使とか、記号の断片しか頭に入ってないし。
それに自称マキャベリストとしてはキリスト教&聖書はたぶん好きになれると思うんですけどね。
読んでいたらいきなり兄弟殺しですからねw超受けました。
そりゃ弟の配慮が足りねーから殺されて当然でしょ、とか、いるいるこういうやばい奴、とか、どの時代も民衆って無責任だよな、とか。
結構新鮮です。
たぶんフーテン氏はクリスチャンに突っかかってくるやつより、適当に聖書読んで「まぁ、いいんでないの?」とか言ってる奴の方がきっと嫌いなんだろうな・・。
>>249 因果や輪廻については参加できなかったので、一応私の立場を言っておきます。
結果に対して原因があるのは事実。ただし原因は複数あり複雑なので事実上全ての原因の特定は難しい。
よって、「悪い原因を取り除けば悪い結果が出ないので解決する」は実行が難しく非現実的。人類皆兄弟のようなもの。
生まれ変わりや前世はない。自己同一性は記憶の問題なので、記憶を継承できなければ分子を継承しても生まれ変わりとは呼ばない。
もちろん死に対する方便や比喩としては有効。
時間軸を考えなければ因果応報はありえるかも。
AがBを殺す。Aが死に、時間がずれた世界でBに生まれ変わる。B(元A)がAに殺される。よって自分の行為が跳ね返ってくる。
永遠の時間をかけて、無限の宇宙を渡り歩き、過去も含め、全ての生物に生まれ変わるなら、因果応報はなりたつ?生まれ変わりの順番の問題は残るけど・・。
つまり過去に悪いことをしたから現在悪いことが起きるというだけではなく、未来に悪い事をしたから現在報いを受けるということも言うことができる。
全ての人生を経験できるなら平等だし・・。
まぁ、もちろんそんな事は絶対ないとは思うけどね。観測できないし。言葉遊びの中での話。
>>236 あら、ノシ
しかし、まあ、二日酔いの頭には結構しんどいヽ(^。^)ノ
なんか、話がものすごくややこしくなってるような、単純になってるようなよくわからない(^^♪
素人氏もとぼけてるのか、ポイントを絞ってるのかよくわからないし・・・・・・
おまけに、ご隠居まで(^O^)/
どちらにせよ、ちょっと整理しますね。
違う話が一緒くたに論じられたら、素人氏も面白くないでしょうし、
素人相手に感情的に煽られても不本意な方向になって、つまらないでしょう(^^♪
まあ、ちょっと、気長に行きましょう。
>>234 >どう読んでも、「謝れ!」と俺に言っているようにしか読めんが?wwwww
>>231 それは、売り言葉に買い言葉的な発言ですね。
まあ、かなり煽り的な発言であることは否定しませんので、謝罪しますm(__)m
私がこの件で言いたいのは、
仏教徒と自称する人間が、
仏教を語って、知らない人間に近寄ることが許されている以上は、
仏教を知ってようが、知ってまいが、
仏教を批判するのは止めれということは、絶対に言えないってことです。
片方に出来て、片方に出来ないと言うのは、おかしな話ですから。
仏教を自称するなら、仏教を正確に伝えるために行動すべきだし、
間違った行動があれば、すぐに、それを制するべきです。
それができない以上は、仏教を毒つく人間がいても、それは仕方がないでしょう。
そして、実際にそれらの行為がまかり通っている以上は、
ある程度は、誤解のないように誠意を尽くして解消すべきでしょう。
暴力で、黙らせると言うのは、論外の話になります。
私が言いたかったのは、これだけのことです。
別に、素人氏に謝罪してほしいと言う意図ではありません。
だから、仏教が仮に毒吐かれても、反論の余地はないのではないかと思います。
でも、私もてすと氏も毒吐くつもりはないとは思いますが。
この辺はまだ、議論の余地が有るのなら、したいと思います。
>>234 >俺も、応報スレの144の件に、同じように思っているから引っ張ったのだよ。
正直なところ、その問題点を私は認識してないと思います(^_^;)
> >もし仏教が宗教でしかないなら
> だけしかないことはなかろうw (世の中の全ての事象に言えることかもしれんがw)
>
> >信じる信じないの話しにしかならないので、
> どのような点(何)を、どのように信じるのか?は問題ではない、というスタンスか?
>
> >私には知る必要がないということで、関心がないと言っただけです。
> 知る必要がないもの、関心のないものについてあれこれ考え、毒づいてるわけかw
> たとえば、宇宙の果てはどうなってるんだろう?とか、死んだ後はオレ・・どうなっちゃうんだろう・・とか?
> 素人は今どんな格好でキーボード叩いてるんだろう?とか?
> こういうことと同じ?
この一連の質問に関しては、
>>254で解答したつもりですので、よろしいですか?
もし、私が誤解してる点があるのなら、それは解消していただければ幸いです。
そして、現に矛盾が有るのなら、それは解消されない疑問だと回答していただければ、別にいいことです。
まあ、この件に関しては、そういうことですね。
これで、解決がつけば、それだけのことです。
解決がつかないから、いつも、それだけではないんですけどねw
>>222 > 或いは、障害物競走で障害越えずにショートカットでゴールテープを切るような・・。)
> 興味のない文章は拾わないとか。(これは私にもそういう所はあるが・・・w)
> あ、あと、雑談スタイルオンリーなとこ。
> 牛若丸のようにあちこち飛び移るのも2chらしい在り方だが、
> 私の長文レスの時にそれをするなら、もうこれ以上話すのはやめよう。
> 君の飛び移る先をいちいち追っていたら、本を何冊書いても追いつけない。
> 険しい山を登る時に、要所要所にしっかりハーケンを打ち込みながら登るように、
> そのように、手順を踏みながら、最低限抑えるべき所は抑えながら進まないと、ザイルを掛けてゆけない。
これは、ひとえに私が素人氏と知識の量が違うから生じるのではないかと思いますが?
正直なところ、私が、問題と感じてるのは、潜在的に含む差別意識です。
ただし、それがどれだけ大きいことなのかは、今の私にはよくわかりません。
そもそも、輪廻転生というのが、仏教的によくわかっていませんから。
始まりがある以上、終わりがあるので、生がある以上、死で終わる。
ところが、死が終わりではないとお釈迦様はなぜか、気づいてしまった。
多分、そこから、仏教の深遠な教理が始まるのだとは思います。
しかし、その教理からは、なんら差別意識は出てきませんし、
障害の因縁云々というのも別にないと思います。
あったとしても、それを取り除くことが出来る人はいないわけです。
私が矛盾と感じているのは、この程度のことです。
まあ、勘違いがあるなら、訂正してくださいませ。
てすと氏のまとめも含めて、まだ、問題提起がある気もしますが、とりあえず、このニ点ですか?
まあ、気長にということですので、じっくり熟成したいと思います。
これを機会に、私も思わぬところで生じた仏教の嫌悪感と誤解が解消できるなら、
それに越したことはないですからね。
ということで、オチます。
>>257訂正
>てすと氏のまとめも含めて
含めて⇒除外して
失礼(^^♪
>潜在的に含む差別意識です。
そうそう、これです。ここ根深いです。私がアンチ仏教になったのも、これがあったから。
宗教者全般にそうなのかもしれないけど、対等にぶつかってくるクリスチャンにはあまり感じなかったなぁ・・。
なぜ仏教徒は世俗の人々を差別し、馬鹿にしてしまうのか?
>>251 そりゃ、キリスト教的に言えば、突っかかってくるより、無視する方が罪が重いからw
それはそうと、てすとさんの視点は、理論的にすっきりし過ぎてるから、
いつもレスする機会がないんですよ。だから、粘着ファンが付かないのかとw
※煉獄については、聖書にその記述が無く、プロテスタントでは免罪符共々否定します。
261 :
まい:2006/12/01(金) 13:28:19 ID:kaC0Hgus
>なぜ仏教徒は世俗の人々を差別し、馬鹿にしてしまうのか?
今救わなければというタイムリミットがあるキリスト教と、永遠のときの中の
一部分だと言うおもう仏教の違いではないかな?
262 :
素人:2006/12/01(金) 15:59:57 ID:wliau/CL
>>253 > 素人氏もとぼけてるのか、ポイントを絞ってるのかよくわからないし・・・・・・
さて、どっちだろうね・・( ̄ー ̄)ニヤリ
> 違う話が一緒くたに論じられたら云々
はい。その通りですねw
>>254 仰る通りでしょう。売り言葉に買い言葉と思ってもらえばいい。
さて、暫くレスはしません。暇見て返答作業を続けます。
ROMする度に拾い上げたりもあるだろうから、どんどん長くなりそうだが、
君達が誠実・丁寧にレスを続けるなら、誠実に返す義務も生じよう。
(自分の頭の中の整理にも役立ちそうだw)
とりあえずは、質問的な文章を拾い上げコメントする、という作業から入る。
スレの進行に追いついた時点で書き込むことにします。
応報スレ144に関しては一旦凍結しておきましょうか・・・。
それでは。 ノシ
>>261 |, ,_
|∀゚) < 違う、とだけ言っておく。
|⊂ノ
|
|彡サッ
|
263 :
まい:2006/12/01(金) 16:04:22 ID:kaC0Hgus
>>262 だからといって、仏教徒が差別しバカにしているのではないと言うのは補足しておきますね。
「今でないといけない」という拘りがないのだと思います。
264 :
名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 19:49:53 ID:eS8AiIRy
トルコ訪問中のローマ教皇が、イスラム教徒と一緒に、モスクでメッカの方向
を向いて祈ったそうだね。一体どの神に祈ったのだろう。まさかアッラーでは
あるまい。父なる神か、イエスか、それとも何かほかの事を考えていたのだろう
か。
生物としての人間の生存とは何の関係もない空想上の神を信じ、祈り、そして
人間同士が殺し合い、争い合う。一神教の罪は、あまりにも大きすぎる。
>>260 なるほど、全くその通りだと思います。
ご隠居が先に天国へ行ったら、くもの糸を垂らしてもらうか・・。
>>262 先に無宗教側が宗教側に粘り強く誠実に対応したら、どっちが宗教者だかわかりませんけどね。
宗教って人格形成に役に立つと思われているから国家に優遇されているんじゃないんですか?
無宗教側が多少(?)非誠実な態度をとっても釈迦やイエスのように受け入れてもらえると思っていましたが、
現状ではどうやら厳しいようなので、念のため無宗教側から先に誠実な対応をしたほうがよいでしょうね。
諸々了解しました。
棘を感じたので書き込まずにいられなかったw
>>265 >無宗教側が多少(?)非誠実な態度をとっても釈迦やイエスのように受け入れてもらえると
|, ,_ ヒョコ
|∀゚) < リアルのお釈迦さんは、
|⊂ノ 2chなんかよりはるかに辛辣であったと妄想してみるテスト
(あくまで妄想なw 証拠は何もないwww)
| ID違うけど気にすんなw
|彡サッ
|
補: あなた方が、仏教徒としてあらゆる人を一括りにするように、
無宗教側は皆、害毒スレの住人に見えるからだよ。
批判のための批判に優しくしろと? 多少? 笑わせるなw
スルーか徹底抗戦以外に何があるというのだwww
拉致して、手足拘束して、ヘッドフォンさせて無理やり聞かせるものではない。
耳を傾けた者に届くのが、ブッダの言葉なのだよ。
・・・と・・・、過剰反応だったか・・(^^;
このレスは忘れてくれて構わんw
268 :
名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 20:59:36 ID:0Nkx1qxQ
>>264 ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も全て同じ神に祈っているんだよ。
単に、神の言葉を下々に伝える預言者が違うだけ。
言うだけ言って忘れろって言うのは素人さんの悪い癖だな。。。w
270 :
名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 22:09:14 ID:eS8AiIRy
>>268 >ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も全て同じ神に祈っているんだよ。
>単に、神の言葉を下々に伝える預言者が違うだけ。
同じ神がいるのなら、預言者によってその内容がこんなに大幅に変わる訳が
ないだろう。要するに、神など存在しないのに、預言者がその幻覚・妄想に
よって勝手に神を作り上げただけ。
すべての預言者は、精神障害者であるという事実を忘れてはならない。
君の妄想では、その同じ神とはどんな神?他の人々の妄想が妄想している神と
はどう違う?
271 :
名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 22:28:07 ID:eS8AiIRy
>>267 耳を傾けた者に届く?また大嘘もいいところですね。
最初素直に耳を傾けたものに対して、仏教徒は非誠実で粗雑な対応を全くしていないと断言するというのですか?
素人さんは胸をはって耳を傾けたものにはきちんと届けることが出来る仏教徒がほとんどだと言えるのか?
卵が先か鶏が先かの話ではない。批判のための批判や感情的な批判をされるのはそもそも仏教徒が原因でしょ。因果応報って奴ですね。
一般人が面白半分に批判してると思わない方がいいですよ。
いままでは仏教カルトに責任を押し付けてあぐらをかいてきたけど、じじばばが死んだら一気に情勢は変わりますよ。
人の噂も何十日とかではなく、大衆の中にコールタールのように仏教への嫌悪感がへばり付きつつあるという現状はしっかりと認識したほうが良いと思いますが。
袈裟を憎まれる程度で済めばいいですけどね。
狭い現状ですね
>>272 >大嘘もいいところですね。
w
確かに嘘だな。
現実の(今現在の(2000年代の))仏教が、そうだなんておこがましくて言えないよw
この272の内容に対して、100%違うなどとおこがましいことは言わない。
批判の殆どは当たっているのだから。
私は、そこかしこ(あちこちのスレ)で、批判の原因はある、と言っている。
272には全面同意するところだが?
君がそれを目にしてるかどうか知らんが・・w
日本仏教は在家仏教だし、日本の僧侶はほぼ全てが在家信者だよ。
君も結論を急ぐタイプか・・・。
まあいいさ。私は、自分の引き出しの中から言葉を紡いでゆくだけだ。
君達に届かなくても仕方がない。(まだ一割も表に出てはいないが・・・)
その時は、自分のスキル不足を反省するだけだ。
てか、嫌味を言い出したのは君の方だろ?
・・・・・・・・・・う〜む・・・
やはり、
本気の文章と、軽いジャブと、きっちり区別できるようなレスをしなきゃいかんな。
反省する。すまなかった。 >>ALL
カチンと来ても、脊髄反射はやめる。
てすとや昆布の第一印象も削除しておくよ。
今後、ジャブや軽口にも反応しないようにする。
このスレでは長文のみ書き込むことにする。
要らぬ諍いでスレを消費してはフーテンさんに申し訳ない。
お騒がせしました。 ノシ
|, ,_ ヒョコッ
|∀゚) < てか、てすとんとは、リアルで話がしたいな。
|酒O
|
|彡サッ
|
>>274 >嫌味を言い出したのは君の方だろ?
素人さんを一個人として扱うか、仏教の代表窓口として扱うかで口調はかわりますよ。
後者なら皮肉や嫌味のひとつぐらいいたくもなりますよw
>>276 そんなに印象悪いのか・・。リアルでは気をつけようっと。
>>277 機会があれば是非。ノシ
>>271 それは牧師全体の何%ですか?
特殊な例を出して攻撃しても相手に突っ込まれるだけです。本気でキリスト教を批判したいなら、比率の多い分野を攻撃してください。
相手に塩を送っているようにしか見えません。
それに殺人やレイプを空想した人を批判しても無意味なように、妄想を批判したところで何かが変わるわけじゃないでしょ。
(ある程度の)事実をよりどころにするご隠居と私は立場が近いはずなのに、ご隠居は特定の事実だけ自分の都合よくキリスト批判のためだけにピックアップするから同盟を組みにくいんですよ。
大脳がないものをあるように感じやすく、誤解しやすいのは事実の一つでしょうに。だからこそ錯覚をかいくぐり事実を発見した人は偉人になれるわけだし。
って・・今日は機嫌が悪いな・・。寝るか・・。ノシ
>>271 >キリスト教徒の正体です。
それで?
キリスト教徒である俺に対してそう言っていると考えて良いのか?
いや、そんな筈はないな。ご隠居は、人格批判はしないとあれほど言ってるんだから。
281 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 00:54:55 ID:mggGxHOE
あほくさ
仏教叩いたら叩き返されるだけ
てめえがあるだけだ
仏教徒という自分の概念と喧嘩しとるだけ
282 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 01:09:30 ID:FE/pEqej
ただいまです。
たったいまグーグルアースのサンピエトロ大聖堂から帰ってまいりました。
イエスです。
キリスト教はうそっぱちでした。
>>262 > さて、暫くレスはしません。暇見て返答作業を続けます。
> ROMする度に拾い上げたりもあるだろうから、どんどん長くなりそうだが、
> 君達が誠実・丁寧にレスを続けるなら、誠実に返す義務も生じよう。
忙しいのはお互い様ですが、まあ、期待通りのクオリティーですねぇ〜
まあ、期待しないで、待ってますからね。
解答できそうな問でもあれば、答えてみてください(笑
まあ、しかしこういうタカビ〜なところが、
仏教が馬鹿にされ、なおかつ仏教を騙る馬鹿がはびこる要因なのでしょう。
結局、偉そうなことを言う割には、なんにもわかってないと言う証になりますものネェ〜
とだけ言っておきます(^O^)/
まあ、これは、やっぱり逃げだナァ〜
しかし、年末はムズイ( ̄□ ̄;)!!
>>267 > 補: あなた方が、仏教徒としてあらゆる人を一括りにするように、
> 無宗教側は皆、害毒スレの住人に見えるからだよ。
> 批判のための批判に優しくしろと? 多少? 笑わせるなw
> スルーか徹底抗戦以外に何があるというのだwww
> 拉致して、手足拘束して、ヘッドフォンさせて無理やり聞かせるものではない。
> 耳を傾けた者に届くのが、ブッダの言葉なのだよ。
>
>
> ・・・と・・・、過剰反応だったか・・(^^;
> このレスは忘れてくれて構わんw
なんか素人氏って、随分、ナイーブなんだなぁ〜
ナムのツメの垢でも煎じてみれば?
とっても不思議な人に思えるよ、ホント。
>>272 同意なんですけども、まあ、届かないから、今のあり様なんでしょうね。
現状の仏教は、実際に、細木や江原や血液型占い以下なんですよ。
それが、否定できない現実。
せっかく、てすと氏が現われたのに、トンズラでしたね・・・・・・
まあ、素人氏はきっと忙しいのでしょう。
問題はきちんと提出されてますからね。
あとは、素人氏が解答可能な質問にしてあげることと、
逃げ道を作って上げられることが、必要なのでしょう(笑
ホント、宗教者は我儘だわヽ(^。^)ノ
日常が大切だとか言いながら、一番おろそかにしてるからなぁ〜
まあ、それが宗教信者だと思ってるから、いいですけどね(^O^)/
>>276 >てすとや昆布の第一印象も削除しておくよ。
今でもキレキャラは継続してるから、大丈夫よぉ〜ん(^O^)/
>要らぬ諍いでスレを消費してはフーテンさんに申し訳ない。
>お騒がせしました。 ノシ
この辺の反応がよくわからない(^_^;)
フーテン氏はオーケー出してくれてるのに・・・・・・・・
結構、実は吉本系のキャラなの?
だんだん、おもろいおっさんにおもえてくる・・・・・・・
>>281 天に唾するほどに、仏教がまともならいいですけどね。
とてもそんなことをいえないのが現状でしょうねぇ〜
最も、現代的な仏教といえば創価学会ですからねぇ〜
まあ、異論あるでしょうけどねぇ〜
私は詳しいことは知らないですけど。
288 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 03:03:21 ID:xPItww3O
>>280 >いや、そんな筈はないな。ご隠居は、人格批判はしないとあれほど言って
>るんだから
「ありもしない架空の神など信じるから、社会常識から逸脱し、人間の
軽視・否定が生じ、こういうことになる」、即ち、その人の生来の人格
が悪いのではなく、宗教が原因だ、とちゃんと理由を言ってるでしょ。
アメリカにおけるカトリック神父のセクハラ事件(教会は多額の損害賠償の
支払いのために、その土地まで売り払っているそうです)を考えると、必ずしも
例外的なことではない。
人為的な宗教観念によって、「神が与えた」人間の生物的本能を抑圧するから、
このようなひずみが「必然的に」生じるのです。即ち、人間の生存本能(生命)
という「神」に背いているからです。
まあ、なんだかんだいっても、
仏教がまだ食っていける現状がある限り、
仏教者になにを言ってもムダなのだろう。
そう思う。
今の与党になにを言っても無駄なのに似ている。
>>288 なんだっw!
ご隠居はまだ起きてるのか(^O^)/
げんきだねぇ〜
しかし、ご隠居ほど、神に憑かれている人間はそう、多くないナァ〜
くれぐれも神を殺そうと、悪魔信仰に走らないようにお願いしますね。
それこそ、土地も家も賠償金の支払いのために売り払い、
ご隠居の老後が刑務所の中では、とっても心苦しい話になりますから・・・・・・・・
この板でこのごろ強く感じるのは、
キリスト教って、なんだかんだ言って、別にそれほど排他的でもない。
おまけに、教義の疑問に関しては、
熱心に、真面目に、信者同士で活発に議論して、展開しているということ。
一方仏教は、やれ悟りだなんだと能力不足なのか単なる逃避なのかさっぱりわからん議論しかしない。
このごろは、言語で表現できないのじゃなくて、
単純にわかっていないだけなのではないかと思えてきた。
これは多分、キリスト教は教会があって、牧師がいて、教義の解釈に自由に議論する場があるからだと思う。
キリスト教が坐禅を取り入れて、もっと、メジテーションを体系付ければ、かなり面白いと思う。
大王ドンあたりがやらないだろうか?
とおもって、久しぶりに、仏教の談話室覗いたら、面白かった。
>>292は訂正しとこかナァ〜
でも、もったいないナァ〜
ということで、オチ。
仏教徒が仏教批判者を馬鹿にするのは批判者のレベルが低すぎるからじゃないかな。
しらないでイメージで語ってる。仏教理論の矛盾点でも指摘できれば、見直して対応
してくれるかもね。
>>295 そうそう、だからますます馬鹿にされるネタになるんだよねぇ〜
信者で知ったかは、まあ、宗教患者の典型。
おまけに、そういうのに限って、無闇に布教したがる、困ったチャン。
仏教って、そういうのが多いから、馬鹿にされてるんじゃない?
まあ、どうでもいいけどね。
どちらにせよ、もうすぐ創価学会が仏教になるんだろうから。
基本的な仏教批判のレベルの典型が
>>296 仏教に限らないけど、何かを知りたければ自分のレベルを上げるだけで良いんだけどね。
299 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 11:19:56 ID:SjdVtGhp
キリスト教をはじめとする一神教が仏教を批判することなどおこがましい。
史上そして現在も、一神教は、一体何億人、何十億人の罪無き人間を、しかも
最も残虐な方法で殺してきたか。あらゆる大虐殺や紛争には、キリスト教の影
がある。マルクスもナチスもキリスト教起源。人間でありながら、人間以外の
架空の存在に最大の価値を認める一神教は、人間の営みとしては根本から間違
っているのである。
仏教は(一神教的要素を持つ浄土真宗や日蓮集以外は)、2500年間、殆ど
人を殺していない。この相違は一体どこから生じたのか。その原因こそ追究す
べきであろう。
>>299 多神教は人間からのアプローチ、一神教は神からのアプローチ。
多神教に大しては悪魔は欺くように立ち振る舞い、
一神教に対しては人が神を嫌うように立ち振る舞う。
てな感じでどうでしょうか。
>>295 >>298 ほんと毎回毎回。同じパターンだな。仏教を否定する奴は仏教を知らないからだという奴ばかり。
オウムや創価を批判するのに教義の勉強をしなくてもいいように、仏教の批判も本来教義をしらなくても問題はない。
教義を攻撃しているわけじゃないから。
こちらが譲歩して善意で教義を調べて批判してあげているだけのに、「まだまだお前は仏教をしらない」と永遠に言い続ける。
じゃあ、悟りを開き、仏教を教義的にも体現的にも「知っている」人間を教えてくれといっても誰も答えられない。
ID:SASkEhK。当然あなたはは仏教を「知っている人」なんですよね?仏教のレベルを上げた人間だって事でいいんですよね?
素人さん読んでます?こんな奴ばかりですよ。2chだけでなくリアルでもそう。
論語読みの論語知らずが仏教理論を語り悦に入ってるだけだから、釈迦が苦労してあつめた人心がどんどん離れてアンチが増えていくのです。
302 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 12:32:36 ID:mL7pK9sD
>>301 仏教理論の矛盾点でも指摘できれば、見直して対応
してくれるかもね。
>>299 またそういう直ぐに突っ込まれる事をいいだす。
ご隠居は本当はキリスト教関係の回し者でしょ?
本当のアンチを遠ざけるために、アホなアンチの振りをしてキリスト教を守ってるんでしょ?
病原菌から体を守るのにには、病原菌に近い性質のワクチンが有効なのと一緒。
本当の情報は、派手なゴシップで消すのと一緒です。
論調に歩み寄りがないので、キリスト教工作員として仕事でやっているように感じますよ。
>>302 君のいう仏教理論って何をさしているの?
305 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 13:30:49 ID:mL7pK9sD
>>304 じゃあ、ためしにダンマパダでやってみて。
>>302 >仏教理論の矛盾点
( ´,_ゝ`)プッ
仏教って、宗教なんだろうw
いつから、学問になったんだよ(笑
もし仏教で正しい生き方が出来るんなら、2ちゃんのレスぐらい正しい見本を示せば?
それだけで、レベルが知れるだろう(爆
君らがまさに、そのマンマだわ(^O^)/
この板には変態しかいないことを知っていますか。
なぜなら私はド変態ですし、ということは、つまり
私に縁する人(たとえネットで見るだけあれ)は
全て変態であることがわかっているのですよ。
いくらいいことを言ったって全員変態なのはわかってます。
>>305 「ためしに」とか言って逃げ道残さないで下さい。根性なしだなぁ。ダンマパダが仏教の真髄だって断言できないんですか?w
仏教とはなんですかー?本当にダンマパダの事でいいんですか?
仏教を批判してあげるから、仏教とは何かもっと頑張って語ってみなよ。あとから次に次にと追加されても困りますからね。
311 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 14:32:01 ID:mggGxHOE
仏教批判はこいつらには無理
出来るのは人格批判だけ
人格批判繰り返して逃げた逃げたと勝利宣言して満足
その繰り返しみたい
そりゃみんなわかってるけど、「仏教批判」と構えるからには、人格批判以外にも
なにか「仏教」に言いたいことでもあるのかなと。
ないなら「逃げる」だけだし。
まあ、もともと流れを見てると、キリスト教徒の出来の悪い奴が仏教徒の人格批判をするスレみたいだからしょうがないのかな。
314 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 14:37:02 ID:cj+QAYkz
仏教は受け入れが他宗教よりいいです。
まぁ、限界もあります。
素人さん、ほらほらたくさん湧いてきましたよー。同族に対するコメントよろ〜。
ダンマパダひはんまだかな〜
>>316 俺にもやっとファンが出来た・・嬉しい・・。ちょっとまってねー。仕事の合間に頑張ります。
あと、みなさん一応コテつけてね。ID変わると訳わかんなくなるから。全員は無理かもしれないけど、きちんとレスするよ〜。
名無しにはあんまり労力をさけない・・。
基本的に他スレには行かないので、なにかあればここでよろ〜。
318 :
てすとファン:2006/12/02(土) 15:42:12 ID:SASkEhKh
>>317 そんなにファンが欲しいのならなってあげよう。
じゃあ、的確な批判まってるよん。
>>318 つきぴえたんがファン1号なんで、あなたは2号ですけど一桁代なので勘弁してください。
的確かどうかはわかりませんが、ちょっとやってみます。
あと翻訳は↓ここのを借ります。翻訳に異議がある場合は先に言っておいてください。
http://www.j-theravada.net/sakhi/dhammapada-jp.html あと人格批判が多くなるのは仏教が宗教だと名乗っている以上、人格形成に寄与するものであるという認識が一般人にあるからです。
そうではなく、仏教徒はただの学者であるというのであればそういって下さい。そのつもりで対応します。
前提条件が崩れるとややこしくなるので、とりあえず、2号さんのスタンスを最初に教えてください。
>>319 翻訳はそれでいいよ。
仏教は宗教だよ。
語りえぬものについては沈黙しなければならない。
ただ一人犀の角のように歩む。
好きな修行はヴィヴァッサナと瞑想
こんなスタンス
>>320 仏教を宗教だとすると、批判の対象が二つに大きくわかれます。
1・仏教の教義は誤りである。
2・仮に教義が正しいとしても、あなた方は守っていないではないか。そもそも守れない無茶な教えなのでは?
2が主に仏教側に人格批判ととられてしまう。
泥棒に物を盗んではいけないよと言われたら、誠実な反応を期待できないでしょう。
宗教学者の立場であれば1だけ言えばいいのですが、宗教者であると宣言されると2は含まざるを得ません。
ダンマパダで
「72愚者に知識が生じても、それだけでは、義(意味)のためならず、〔その知識は〕愚者の幸運を打ち砕き、彼の頭を打ち落とす。」
といっている通り、教義だけでは宗教としては意味がないからです。
よって2も含んだ上で批判しますがそれでよろしいですか?
322 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 17:03:07 ID:mggGxHOE
あほくさ
2の立場の教義が正しいとしてその教義が守られとらんって
そのまま 自分は正しい仏教徒である の立ち位置じゃん
>>322 いや、人殺しをしてはいけないという思想の殺人者Aが、普通の殺人者Bに「殺したらいかんよ」と言うのでBが反論してるだけでしょ。
Aが殺人学者の殺人者なら「殺しの論文については同意だ。いや違うかも。」と返せるけど、宗教者の殺人者なので「お前がころしてんじゃん」という突っ込みが入る。
だから殺してない人である必要はない。つまり正しい仏教徒の立ち位置でなくてもよい。
「仮に」教義が正しいとしても、と言っているので、譲歩したとしても次がありますよと、言っているだけでしょ。
2号が学者なら1しか問わないよ。
人類皆兄弟と言うのは簡単で、学者でない宗教者は人類皆兄弟の論理性うんぬん言うより実行性の問題なんじゃないの?
優先順位からいって矛を収めるのは宗教者側。まぁ矛を出して嘩売ってくるのは不思議と仏教側なんだけどね。
自ら一般人の感情を逆なでする原因を作って、一体何がしたいんやら・・。争いなさいという教義なのか?
嘩売ってくるの
↓
喧嘩うってくる。
325 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 18:26:58 ID:mggGxHOE
つまり仏教徒への人格攻撃の繰り返しの言い訳と前置きだろ
前置き捨てればそれっきり
326 :
1/6 素人:2006/12/02(土) 18:27:05 ID:jFDxBU6r
まったくレスしないというわけにはいかないか・・・。
トンズラとか言われちゃうし・・・(^^;
>>301 > じゃあ、悟りを開き、仏教を教義的にも体現的にも「知っている」人間を教えてくれといっても誰も答えられない。
そうだなぁ・・。知ってる何人かは結構立派な人たちだけど、
【悟りを開いている】かどうかとなると どうかなぁ。 近代の坊さんでとかは記録しか残っていないわけだし・・・。
またそれらも、外部のものが見た基準からしたら不可なんだろうし・・・。自分もどうかとは思う。
が、それは、古代インドの社会に於ける覚者の在り様と、現代社会の中での覚者の在り様とを、
完全なイコールで結ぶかどうかにもよるだろうし、(だとしたなら、新仏教の立ち上げが必要なのかもしれないw)
その点、禅は、良く言えば自由、悪く言えばずるいところがあるから、
禅的に言えば、かなりの人が、悟っていると言い得るかもしれない。
結局それは、【悟り】や【ブッダ】【阿羅漢】の定義によるのだろう。
どう定義するかで、その網の中に入る人入らない人が出てくるのだろう。
私個人の見解で言えば、完全なイコールはともかく、
・かなり近い形で釈尊及び初期の弟子達を想定するなら、いない。
・(単純に時代の中頃という意味の)中期仏教の基準でも、いない、と言わざるを得ないだろう。
・禅的に見れば、それなりの人たちを含めることができるだろう。
・また、思想的、内省的部分で見るなら、上記三つの条件でも多くの者を含め得るだろう。
・もしそこに、具体的生活様式という要素を加味するなら、微妙となろう。
具体的生活様式のどこからが(或いはどのようなものが)
【悟った者の生活様式なのか?】という定義なしには判断できないであろう。
327 :
2/6 素人:2006/12/02(土) 18:27:37 ID:jFDxBU6r
>>301 > 素人さん読んでます?
読んでますよw
>こんな奴ばかりですよ。2chだけでなくリアルでもそう。
申し訳ないが、私の知人の中ではこういう人はいない。(少なくとも2chレベルの人はねw)
また逆に、「仏教を知らない人」「仏教を過去の遺物てきなものと見る人」
「単なる慣習と見ている人」「興味のない人」はいても、「嫌っている」人はいない。
だから私は2chを覗く。世に数多掲示板あれど、2chを選び続ける理由はそこにある。
もっとも、理をもって批判できてる人は極少数だが・・。(だから、貴方とはリアルで酒を酌み交わしたいと思うw)
私が、仏教の現状を何も知らないとでも?
初期仏教には非の打ち所がないと考えているとでも?
中期仏教の哲学性は西洋を凌駕するなんて考えているとでも?
現代仏教が多くの問題を抱えていることを知らないとでも?
現代仏教(の理論)に多くの矛盾があることに気付いていないとでも?
このままでいいと思っているとでも?
そして、私に革命のリーダーになれとでも言うのか?w
(遠慮しとくけど・・(^^;
328 :
3/6 素人:2006/12/02(土) 18:28:10 ID:jFDxBU6r
> 論語読みの論語知らずが仏教理論を語り悦に入ってるだけだから、
そういう人がいることは認める。世の中、仏教(宗教)に限らず、オタクのような追求・姿勢の人は多い。
小中高大学と過去を振り返ってみれば誰でも
「ああ、クラスに1人はこういう奴いるよなぁ・・w」と思える筈だ。
居士とか、禅を好む人なんかにはそういう人もいる。
>釈迦が苦労してあつめた人心がどんどん離れてアンチが増えていくのです。
判ってるよ。
「既信者に信を増大せしめ、未信者に信を起させるようにあれ」(この信者は『信者』ではないから。念のためw)
という意味合いの文章は原始仏典にもある。
もし、貴方達が、私の生活を批判するのであれば、
(今のところは、)「私は在家者だから」と答えるよりほかはない。
私の性格・人格を批判するのであれば、
「抱えるジレンマは、永遠に理解されないだろう・・」
と拗ねるよりほかはないw
それでも、仏教という枠組みを離れないのは、そこに価値あるものを見るからだよ。
他人から見たらガラクタでも、その有用性を評価し、素晴らしいと思えるからだよ。
そして、最大の課題(これは、仏教にその誕生の時から含まれ要請されるものとして)
「自分はどう使えるか?(→お前はどうなんだ?)」という自らへの問いが突きつけられるわけだw
329 :
4/6 素人:2006/12/02(土) 18:34:42 ID:jFDxBU6r
>>315 ほんと、嫌味なヤシだな・・・(^^;
>>295 相手が知っていないならば、イメージで批判されても仕方なかろう。
ある程度知識を共有しなければいけない。
その時に、ただ「調べて来い」だけでは、何をどうしていいかわからない。
あまり評価できないものが基準にされるかもしれない。
「○○を読め」「××を読め」でもまだ足りない。
どのように読むか、というフォローが、そのあとに為された方がいいのだろう。
理論の矛盾点は、かなり中へ入ってきてからでないと共有できないであろう。
基本的事項を再確認する作業から入るべきかと思う。
それから、馬鹿にしたレスをしてる者は所詮浅い理解の者、
といわれても仕方あるまい。押さえるところを押さえておかないと。
>>297 ま、脊髄反射は置いといて、
>>299 殺人等のことを言っているのではない。
日常的人間関係(レスの仕方)や現代社会の中での在り様について、
(或いは仏法の説き方について)、2500年の歴史を、
ほんとうに、仏教側が受けとめているのか?ということでしょ。
そのような極端な事例は意味をなさない。
>>301の
>オウムや創価を批判するのに教義の勉強をしなくてもいいように、
>仏教の批判も本来教義をしらなくても問題はない。
>教義を攻撃しているわけじゃないから。
が、端的に示している。
キリスト教系側も迷惑であろう。
330 :
5/6 素人:2006/12/02(土) 18:35:15 ID:jFDxBU6r
>>302 知らない人間に対して、いきなりそのようなことを言っても意味がない。
相手が知らないのであれば、そちらから、お題を提示すべきだろう。
スローガンとか、有名なフレーズとか、適切な著書(論文)のどこそことか・・・。
(ま、だからダンマパダが出てきたのだろうけど・・。→305)
>>310 >ではダンマパダが仏教の真髄だから
それはさすがに言い過ぎであろう。ダンマパダの全句が真髄と言えるか?
勿論、スッタニパータと並んで最古層の文献とされてはいるが、
(「だからこそ」という修飾語を付けてもよいが)その全てが、
仏教のコアを表していると即断はできないであろう。
一句ずつ吟味されるべきかと思う。
古いということは、仏教以前の価値観、概念を(より多く)含むということだ。
それは、換骨奪胎されているものもあれば、
(それほど不都合を生じないという理由で)そのまま流用されているものもあろう。
詩句そのままが、仏教以前のものである可能性もある。
そうした点を無視し、『「ダンマパダ」が真髄である』と言うのは性急であろう。
座右の書として、一個人の受けとめ方としてその位置付けをすること、
或いは(親しい)友人・知人・後輩等に紹介したりするのは構わないが、
それを、多少なりとも議論の形式を持った場へ挙げるには、
あまりに主観に拠り過ぎた言い様であろう。
331 :
6/6 素人:2006/12/02(土) 18:36:02 ID:jFDxBU6r
>>311 >>321の2の前半のような問題点がある以上、
人格批判とは重なる部分がでてきても致し方あるまい。
批判される側が、どれが人格批判でどれが一般的形態への批判かを見きわめなければならない。
(困難な判断ではあろうから、人格批判に目が行って、
もう一つ同時に提示されている点が見落とされるのもまた致し方ないのかもしれんが・・。)
>>312 まさにそれが、上記>もう一つ同時に提示されている点であり、
>>321なんじゃないかい?
>>313 それも、根拠の弱い悪口ですね。
相手がキリスト教徒であるという証拠を掴んでない以上、
推測による誹謗を越えられない。
こんな感じでどう? 全然足りない?
甘さが残っているという採点もあるかと思うが・・・
大目に見ては貰えないんだろうなw
321については、他の同系のレスと共に別の機会にします。
素人さんおつ〜。十分足りてますよ。まぁこんな連中です。
どこからこのスレ嗅ぎ付けてくるんだか、わらわらと湧いてくるんですよ。
私は他スレほとんど行かないんですけどねぇ・・。おとなしくしてるのに・・。仏教徒ってホント喧嘩好きだよなぁ・・
>>325 人格を批判されたり矢面に立つ覚悟がないなら、仏教徒なんて言わないで素直に仏教学者だって宣言すればいいのに。
びびってるだけじゃん。ボクをいじめないで〜っ人格攻撃よくないよ〜って事でしょ?プールナの話って知ってる?
2chだからまだいいほうだってわかってる?まぁ2chは安全だと解ってるから喧嘩売ってくるんだろうけど。楽でいいよねぇ〜。
まぁ2号に関してはコテ付けたから敬意を表して、教義理論のみの議論にしてあげてもいいけどね。
可哀そうだから仏教学者として対応しましょうか。まぁ本人がそれでよければだけど。
>>321 人格攻撃したいならすればいいけど。それはテスト1号の問題だから。
ただ、人格攻撃にはモナーが帰ってくるだけ。
俺も人格攻撃する自分に言い訳や能書きや自己正当化をたれるのはみっともないと思うけどこれは美意識の問題かな。
糞の投げ合いは嫌いじゃないけど、飽きやすいから途中で逃げるだけ。ずっとやってる人たちには頭が下がるな。
と言う前置きで進めましょうか?
>>329 >どのように読むか、というフォローが、そのあとに為された方がいいのだろう。
>理論の矛盾点は、かなり中へ入ってきてからでないと共有できないであろう。
>基本的事項を再確認する作業から入るべきかと思う。
それはそうかもしれないけど、人格攻撃を続けて知らずに批判を続ける相手に
参照を提示しつつ、読み方のフォローをし、かつ相手の批判に対応しつづけるというのは
能力的にも正確的にも俺には無理だな。
素人がんばってくれ。
>>332 >まぁ2号に関してはコテ付けたから敬意を表して、教義理論のみの議論にしてあげてもいいけどね。
>可哀そうだから仏教学者として対応しましょうか。まぁ本人がそれでよければだけど。
じゃあ、お礼に俺もかわいそうなテスト1号のために、「人格攻撃の正当化」に対する批判を封印してあげようかな。
本人がそれをのぞめばだけど。
>>332 ・それを学問的に考察することと、
・自身の生き方をそれにぴったりと則ったものにすることは、
並立し得ない。というのが、てすとの立場?
(勿論二つの間には、
・人生訓とか生活の指標とすること、
・自身の生き方を微調整してゆくこと、
という分類を挟んでもいいけれども。)
仏教に限らず、内部に居ながら且つ学者である人達は、
大なり小なりこの問題点を心の隅に置いているよ。
てか、拭い去れないものとして・・・。
これは、仏教よりもキリスト教系のその分野の人達の方が深刻?(それとも逆かな?)
当然、この点に関する深い考察も長い歴史があるだろうし。
残念(?)ながら、仏教では、この種の考察はメジャーではない。皆無と言ってもいい。
近代以降、西洋的学問(或いはキリスト教神学)等の影響から、
或いは原典批判的研究という手法が定着し始めた影響から、
現在は、重要な考察課題として受け止められているが・・。
仏教に於いては、
「学問としての追求や知識、他分野の知識等」が「おしえ」と対立するのでなく、
「おしえ」が常に要求するのは、「自身の生き方」との対峙だからであろう。
学問云々は問題とならなかったのであろう。
ん? ・・・・これって、もしかしてスレタイ通りのポイントか?・・w
だから前提条件として宗教には倫理教育や人格形成に効果があると一般人は思っているんだってば。
それが違うというならはっきり、そんなもんは宗教には関係ないよと認めてくれよ。
サッカーの試合を見に行ったら、選手がドリブルもパスもなんにも出来ない。
それに野次を飛ばしたら「お前らだってできねーだろ」と一般人に返したところで専門家は笑われるだけでしょ。
釈迦は糞を投げられたら投げ返すのか?そもそも最初に糞を投げてきたのはどっちだよって思うわけですよ。
宗教の教義を学び修行を積んだ人と、そうでない一般人がどう違うのか是非見せて欲しいと思うことはそんなに変な事か?
人格攻撃されても投げ返さないで耐える覚悟も根性もないなら宗教なんてやめてしまえばいいのに。
>>335 ん?封印しなくてもいいよ。きちんと場合分けしてくれれば。
あとてすとファン1号はつきぴえたんね。私は本人。
339 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 20:43:36 ID:DwktDK7U
>>329 >
>>299 >殺人等のことを言っているのではない。
キリスト教による大量殺人を肯定しながら、いくら仏教について語っても無意
味。オウムと同じ。
>日常的人間関係(レスの仕方)や現代社会の中での在り様について、
>(或いは仏法の説き方について)、2500年の歴史を、
>ほんとうに、仏教側が受けとめているのか?ということでしょ。
「2500年の歴史をほんとうに仏教側が受けとめているかどうか」などと
他人事のように語っているが、君は「仏教側」ではないのか。ないとすれば
どこの宗教か。「歴史を受け止める」も何も、2500年が仏教そのものでは
ないか。
>そのような極端な事例は意味をなさない。
君はキリスト教の歴史を学んでいないのか。「キリスト教系側に迷惑」などと、
君は仏教徒を騙るキリスト教系側の人間か。
げ・・仕事だ。また今度〜ノシ
2号もまた明日!
早く10人ぐらいファンできないかな・・。まだ昆氏の足元にも及ばない・・。
>>337 つまり、テスト1号は宗教者は
協調性、社会性がある人格者(いわゆる人格者)で、人格攻撃をされても耐える人、右のほほをぶたれたらってやつか。
キリスト教の聖者のイメージか。
それでか。
>>340 宗教指導者はおいといて、普通の信者は、一般人より心が弱かったり歪んでたりする事が多いよ。
多分テスト1号の方が相手より大人であることがほとんどだと思うから程ほどにね。
相手を「心の弱くてすがるものが仏教を最後の砦」としている人たちと思えば、それほどひどく人格攻撃をする必要も感じなくなるんじゃないのかな。
それから、テストが粘着されるのは、相手の心の中の「仏教・宗教」の比率が高くなっているから。
仏教的にはよくないんだろうけど、「宗教に執着」しているから。
大事なものを攻撃されると、粘着するのはしかたないんだが。
ということで、ファンはこれでしまい。じゃあね。
343 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 21:25:12 ID:DwktDK7U
「人格攻撃」などと、また宗教者特有の被害妄想。スレがたちまち低劣化する。
無神論者(humanist)は、人間としての宗教者の人格を尊重するが故に、その人
格を変容・破壊する宗教そのものを批判・攻撃する。
344 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 21:40:54 ID:g5rHlDST
>>342 >宗教指導者はおいといて、普通の信者は、一般人より心が弱かったり歪んでたりする事が多いよ。
調査したのか?
345 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 22:30:02 ID:DwktDK7U
宗教者が、自分の宗教を批判されるとすぐに感情的になり、人格攻撃などと
喚きたてるのは、彼らが、人間にあらざる、観念の産物に過ぎない神仏や
その他の宗教観念に心を占拠され、生来の人格が変容・破壊されているために、
「人間としての自分」に自信が持てないからである。
無神論者(humanist)は、人間の究極の本質である生物としての生存本能(生命)
を基盤としているから、いかなる批判にも動じることがなく、人間のすべての
問題は、生存本能の応用問題として容易に解決することができる。
生存本能(生命)に対しては、同じ人間による如何なる批判も成立し得ないか
らである。
なんだ、素人のオヤジは、甘い顔すれば、無視かヽ(^。^)ノ
まあ、いつも、君らはそのクオリティーだな。
なんだかんだいって、南無菌のレベルとかわらんなぁ〜
粘着のみでいきてるだけじゃん。
つまらんやつら。
んじゃ。
それと、素人にいっとくが、君が無視するレベルの人間に、
お前達は、さんざん粘着して、霊障押し付けたんだぞ(笑
しかも、押し付けた人間は、今も仏教スレで、自称仏教徒で常駐してるヽ(^。^)ノ
どんなに、奇麗事を言おうが、その姿勢は君らの高尚な理論とやらを吹っ飛ばすだけのものがあるだろうよ。
その説明が出来ない限り、君らが理屈に走れば走るほど、
君らの現実を見ているようで、馬鹿らしくなるよ。
まあ、無視したくなるのは、君らの現実があまりに酷いからだろう。
それぐらい、気づいているものと思ってたがな。
所詮は下らん奴等だよ(^O^)/
>>337 337は、336に対して?
だとしたら答えになってない。
けど、そう言ってしまっては、またループするから、
(それこそ「糞を投げ返した」と言われちゃうから)頑張ってみる。
・それを学問的に考察することと、
・自身の生き方をそれにぴったりと則ったものにすることは、
並立し得ないのかどうか。
※(少し付加するなら、「並立しないのは、<それ>に内在する要素によるものなのか」
それとも、「実践する個々の資質によるものなのか」という問いを立てることも可能だろう)
この問い方には、原則イエスかノーかしかないと思うが?
どちらでもないなら、別の事例を提示すべきだと思う。
自分は、
>>336 >・それを学問的に考察することと、
a>・人生訓とか生活の指標とすること、
b>・自身の生き方を微調整してゆくこと、
c>・自身の生き方をそれにぴったりと則ったものにすることは、
の三つの内、aとbは並立すると思う。cは場合によっては並立すると思う。
例えば、仏教哲学が発展した時代とか・・。仏教初期(草創期でなく、初期)とか・・。
さて、現代(日本)ではどうであろうか・・・?
337には、ほぼ同意する。だから、現代仏教は多くの問題を抱えていると言っている。
349 :
2/3 素人:2006/12/03(日) 00:10:26 ID:ki/sEXRi
>>337 >だから前提条件として宗教には倫理教育や人格形成に効果があると一般人は思って
私もそう思いますよ。
>「お前らだってできねーだろ」と一般人に返したところで
私はそのような発言はしたことはない。
>そもそも最初に糞を投げてきたのは
だから、法話等、語りでよく使用されるフレーズに「我々凡夫は・・」というものがある。
これは、詭弁という謗りを免れるものではないが、悪だとは思わない。
※(これに関して参考は、(DAT落ちしてるが)
最高宗教としての葬式仏教
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1123103830/ [68〜105]
少なくとも後期大乗仏教は、至高の仏を頂点としたピラミッドの様相を呈す。
それからすれば、まあ、ありうる言辞ではある。
てか、てすとの周りの、法話をするお坊さんって、皆そんなに押し付けがましいの?
法話だけじゃない、会話の中でもそんな傲慢な人ばかりなの?
まさか2chみたいな話し方の人は居ないだろうけど、
いきなり糞を投げつけるような会話をする人なの?
(禅の坊さんなら、破天荒な語り口はありそうだが・・・。)
普通に道徳的なことを語ることも許されないことなの?
350 :
3/3 素人:2006/12/03(日) 00:11:11 ID:ki/sEXRi
>>337 「〜すべきなんですね」とか「〜するのがいいんです」という言い方を、
しているから腹が立つということか・・。だとしたら、もうしょうがない。
沈黙するわけにはいかず、語らなければならない、のであれば、
(ま、「だったら黙っとけ!」というレスが付くだろうが)
同じ凡夫として、共に学ぶ者として、(→在家仏教(者)として)語り続けるしかないだろうし、
批判は甘んじて受け続けねばならないし、罵倒でない指摘には
宗門としても回答すべきなのだろうし、一個人であってもまた回答すべきなのだろう。
>宗教の教義を学び修行を積んだ人と、そうでない一般人がどう違うのか
>是非見せて欲しいと思うことはそんなに変な事か?
変じゃないよ。 それに対してお釈迦さんや初期の弟子達は、
まさに、「俺を見ろ」 であったと思うし・・。
で、今の僧侶が「俺を見ろ」と一般の人(特に仏教を知らない人)に言えるかどうかと言えば、
私だって疑問に思いますよ。
だから、「釈尊はこう言った」「お経にはこんなことが書かれてるんですよ」
という紹介になるのだろう。これ自体は別に無問題だろ?これもアウトか?
大乗仏教の姿の一つは「一緒に(悟りへ向かって)歩きましょう」という感じになるかもしれない。
――――――――――――――――
2chで、(てすとのように過激ではないにしてもw)てすとと同種の問題意識を持つ書き込みには
殆ど出会ったことがない。 最近、
僧という生き方
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1156999060/ ☆職業としての僧侶☆
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1163154378/ なんてスレもあったりして(いつまで生き延びるかわからんが・・・)、
興味深い書き込みもいくつかある。
けど、2chは、どうしても教理とその解釈に終始してしまうようだ。
ま、仏教に触れる者でなく、外部の者からそれが出てくるところが2chらしいのかもしれない。
まっとうな仏教者は2chどっぷりなんてことはないだろうしw
ご隠居、一人で勝利宣言か。
流石は本能教の神様。
しかし、神の家スレに殴り込みかけた風氏もなかなかw
しかもサロメがいるし。
素人は、まだ、理論に逃げてんのか( ´,_ゝ`)プツ
日常から離れていくら理屈語ってもムダだってw
まあ、そのクオリティだから、ナムみたいなのが生まれるんだろうなヽ(^。^)ノ
ミソ糞同じなら、同じネンブツレスでもクオリティは同じこったな(笑
>>348 あ、337は2号に対してです。
>>341>>342 心の弱い人が宗教によって前向きに生きることが出来るぐらいなら別に構わないんですよ。
問題はリバウンドが激しすぎて、急に態度が偉そうになって説教をはじめてしまう事だと思うんですよね。
初心者コースでやっとボーゲンがやっと出来るようになったばかりなのに、1級インストラクター気取りで無責任な指導を始める。それを見てみぬふりををする周りの連中。
で、必然の結果として苦情や攻撃がいくと、同族擁護であいつは本当は弱い奴だから大目に見てやってくれといわれても困るよね・・。被害者はどんどん増えるわけで・・
そうじゃなくて、2chもいまや巨大な掲示板なんだから、仏教を解っている人間が勘違い君をたしなめて、
全てのスレは無理にせよ質問箱とか窓口ぐらいはまともに機能させて欲しいって事ですよ。
苦しみには原因があるといいながら全然原因を取り除こうとしないじゃないですか。
批判のための批判だとか、ただの人格攻撃だとかいって言っていたら、いつまでも改善しないと思いますよ。
>>353 > 心の弱い人が宗教によって前向きに生きることが出来るぐらいなら別に構わないんですよ。
> 問題はリバウンドが激しすぎて、急に態度が偉そうになって説教をはじめてしまう事だと思うんですよね。
> 初心者コースでやっとボーゲンがやっと出来るようになったばかりなのに、1級インストラクター気取りで無責任な指導を始める。それを見てみぬふりををする周りの連中。
> で、必然の結果として苦情や攻撃がいくと、同族擁護であいつは本当は弱い奴だから大目に見てやってくれといわれても困るよね・・。被害者はどんどん増えるわけで・・
テスト1号は被害者の立ち居地だったのか。ちょっと勘違いしていたな。
被害者の立ち居地の相手とは2チャンで極まれに味わえる愉快なやりとりは無理だから、ファンはやめるかなw
延々と被害者の立場で謝罪と改善を要求し、被害者だからと自分のやってきたことの正当性を主張し続ける相手とのやり取りにはうんざりしてるんで。これはテスト1号のことではなく
一般的な話だけど。
> そうじゃなくて、2chもいまや巨大な掲示板なんだから、仏教を解っている人間が勘違い君をたしなめて、
> 全てのスレは無理にせよ質問箱とか窓口ぐらいはまともに機能させて欲しいって事ですよ。
> 苦しみには原因があるといいながら全然原因を取り除こうとしないじゃないですか。
俺の考えでは
匿名掲示板では、わかっている人がわかっていない人をたしなめると言う行為自体が成立しがたい。
とゆうよりも、時々たしなめる行為は存在するが、たしなめられても反発するだけ。
たしなめるほうも匿名掲示板では説得力もない。説得力の一側面としてそれは肩書きと己の立場に付随する。
> 批判のための批判だとか、ただの人格攻撃だとかいって言っていたら、いつまでも改善しないと思いますよ。
改善云々のスタンスから発言したいのなら、まず自分はどうか、というところからだろうね。
すくなくともテスト1号が改善者なら人格攻撃ではなく、理論と人格で淘汰する、程度のスタンスは持ってないと、
「テスト1号に説教される勘違い君」たちもお前はどうなんだとなるだろうね。
それとも自分は絶対外野から「改善だけを口にしながら、糞を投げ続ける」スタンスを取りたいのかな?
2chならそれもありだろうが。
>>351 > しかし、神の家スレに殴り込みかけた風氏もなかなかw
えっ?
どのスレ?
おもしろそw!
しかし、もう少し、素人はものがわかってると思ったがナァ〜
まあ、相変わらず、ほとんど内容読んでないけどねヽ(^。^)ノ
つまらん奴だったかァ〜
357 :
本物仏教徒かなあ大王、、:2006/12/03(日) 13:10:13 ID:gDEdoYYn
とりあえず、仏教は、ま、ええんちゃうかあ、、という思想。
肯定しまくれるし、否定しまくれる、思想、、
正しい!!、正しい!!、、とがちゃがちゃ、言うほど、、仏教で無くなる様な、、
マ、おいらは、素人さんより、原始仏教の瞑想は上手いかもね、、
サティをぶち込むと、、高速な動きで、仕事が出来た、、、
議論なんてめんどくさい、、、
肯定しまくりと、否定しまくりがあればいいのだ、、といいつつ、、
今日は、日本キリスト教団長老派の上手い牧師の、説教を聞いたなああ、、
>>354 だから、他スレは汚してないって言ってるでしょ?他スレで仏教攻撃してる私のレスがあるなら持ってきてみなよ。ないから。
このスレの常連は付き合いが長いから、いままでの歴史の信頼の上でコメントしてるんですよ。議論の中で突然消えたりしないし、それぞれの専門もわかっているから。
常連に対するレスに対して、君みたいなのが先に糞をなげてくるから、反応したら「お前も説教するのか」いわれてもねぇ・・
まず、2号はスレを覗いて食い散らかして糞撒き散らしてないで、少し落ち着いたらどうだい。
君がどうやってこのスレを発見してわざわざクリックしたのか知らないけど、書き込むときは「けんかけんかくそなげくそなげ」とラベリングしたほうがいいよ。
まぁ、喧嘩のための喧嘩が楽しい時期があるのもわかるけど、付き合ってあげるのも限界があるよ。ここの常連はそういう流れは望んでないだろうし。
まぁ私が言うと説教に感じるなら、自分自身で瞑想して君の心がどういう状態かみつめてごらん。
359 :
名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 14:32:35 ID:9YaaFTkM
宗教間の問答など、結局は無意味で、感情的な人格批判に終わるだけ。
お互いが唱える「真理」が検証されたものではなく、当該宗教だけにしか通用
しない、「普遍的真理」などとは似て非なるものだからだ。合意どころか、歩
み寄りさえ絶対に不可能。それが宗教の本質である。
ヒックの唱える普遍的崇拝対象なるものも、一神教の唯一神概念そのまま。
宗教の起源としてのアニミズムや、巣鴨の刺抜き地蔵さんの頭を、おじいちゃ
んの病気の回復を願ってごしごし洗っているあばあちゃんの行為は、宗教とは
認めていないらしい。ヒックの「宗教多元主義」めぐって、同じ宗教・宗派内
で激しく争っている有様だ。
宗教を全く離れた、「全ての人間に共通する普遍の事実」を見出して、合意する
努力から始めるべきである。
なお、仏教は仏陀の「悟り」を語るが、悟りとは具体的には一体何か?人間や
人生についての悟りは、他者との係わりの中における生活からのみ得られる。
独りいくら瞑想・思索・座禅しても、得られる訳がない。
>>354 >2チャンで極まれに味わえる愉快なやりとりは無理だから
まぁ、そんなものを目的にしてるなら、糞撒き散らすしかないよね。確かに。
>たしなめると言う行為自体が成立しがたい。
うん、だから君の大好きな仏教を攻撃する輩が増えていくって事でもういいじゃない。こっちもそれでいいよ。
>テスト1号が改善者なら人格攻撃ではなく、理論と人格で淘汰する
いや、違うよ。どんどん憎まれて人格攻撃されればいいよ。自業自得。
>独りいくら瞑想・思索・座禅しても、得られる訳がない。
なんでもそうだと思いますけど、ひととおり一生懸命やれば、なにか得られるとおもぉ。
私は、どちらかと言えば仏教の身体性に関しては、期待するものがあるんですけどね。
でも、言葉ばかりの頭でっかちw
大王ドンは違うんで、面白いんですけどね。
362 :
大王大王、:2006/12/03(日) 15:18:42 ID:HTTsLvlZ
ご隠居の人生の悟りは、、キリスト教に執着するからうまれるのねん、、
しかし、素人氏がタカビーでいる理由で、思い当たる節がないわけでもない。
南無菌があちこち馬鹿貼り付けレスを繰り返して、
おまけに粘着が集まって、仏教クオリティーを宣伝しまくってた頃、
唯一、オレに謝罪した人間がいた。
まあ、今考えてみれば、あれが素人氏なのかもしれない。
しかし、私が一時期消えても、南無菌の馬鹿粘着レスは止まらなかったから、
私は、また、現われてあげたけどね。
これは、仏教が自己批判できない組織であることを如実に物語る事件でもあるナァ〜
それぞれがなにもわかってないから、行動おいて、基本的な間違いも訂正できない。
被害者に対して、謝罪するのみ。
でも、馬鹿な行動は繰り返されるw
こんなバカな話はないのに、平気で理屈を言ってるのが、私には笑止千万。
自分の馬鹿息子を棚に上げて、どんなに立派な教育論をぶち上げても、説得力はない。
まして、家庭の教育が大事だとか言っても、笑い話にしかならない。
こんなことって、キリスト教ではありえないのではないだろうか?
やっぱりあるんだろうか?
昆布さん絶好調?
365 :
名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 15:39:23 ID:9YaaFTkM
>>361 >私は、どちらかと言えば仏教の身体性に関しては、期待するものが
>あるんですけどね。
それには同意。宗教など論じる代わりに、小宇宙としての人体の解剖
生理を論じた方が、はるかに有意義だし、生活における健康管理にも
大いに役立つ。身体そのものに、想像を絶する神秘を見出すことが出
来る。宗教者はすぐに「宇宙」などというが、小宇宙としての肝心の
自分自身の身体について、一体 何を知っているのか。
大王は、午前中座禅をやってから、午後はキリスト教の、しかもプロ
テスタントの牧師の説教など聞いて感心しているから、精神が狂って
しまった。座禅は、根拠皆無な、頭でっかちのキリスト教的「観念」
から離脱するためにこそやるべきものであるはずだが。
>>360 彼らはなんだかんだ、スキにやってんだからいいんじゃない?
全然、やりとりの内容が興味ない方向で読んでませんけど、
仏教って、結局、オナニズムでしかないし、その気持ちよさに浸りすぎでキモイ。
その行為がオナニーなんだから、人前に晒す必要はないと思うのみ。
この批判は、オナニーが気持ちよいうちはわからないでしょう。
セックスの方が難しいけど、確かに、オナニーの方が楽で快感は得られると思うしね。
私には、議論が成立することが奇跡に近いと思える。
>>364 仕事の合間に、逃避レスヽ(^。^)ノ
気分転換にならないところが、タマにキズ(*^。^*)
>>365 >大王は、午前中座禅をやってから、午後はキリスト教の、しかもプロ
>テスタントの牧師の説教など聞いて感心しているから、精神が狂って
>しまった。座禅は、根拠皆無な、頭でっかちのキリスト教的「観念」
>から離脱するためにこそやるべきものであるはずだが。
ということは、ご隠居も坐禅を?
でも、ご隠居もそうだけど、大王ドンの狂い具合も私にはなかなか深みがあるんだけどナァ〜
言ってないところに、味があると言うかw
飛躍の具合が心地いいナァ〜ヽ(^。^)ノ
ご隠居は特にその執着具合(^O^)/イイw
>>358 なんやら、被害妄想が激しいみたいだからテスト1号が落ち着くまでちょいとレスは控えるよ。
まあ、そういう時もあるだろ。じゃあね。
369 :
大王:2006/12/03(日) 15:50:12 ID:HTTsLvlZ
昆布殿、、素人さん煽っているなあ、、
乗る素人さんも、、わはははっ、、
原始仏教、南方仏教が日本人がやると、、
南方仏教そのものが、、出家主義で、、、
大乗仏教からは、、小乗仏教と、、揶揄されるわけで、、
素人さんは、、その傾向が出てきたんじゃないの、、
仏教の組織性、、日本人の天皇教的、組織性のような、、気がするなあ、、
南方仏教も、、議論なんかしないと、思うような、、、
なむさんは、、新興宗教系霊媒の色が強いしね、、真如苑かに影響された、霊媒的ッ新興宗教修験道のような、、、
仏教といえば、、イメージと、、違うような、、
370 :
大王:2006/12/03(日) 15:53:50 ID:HTTsLvlZ
ご隠居も、、かわいいなあ、、
また、いじめてあげたくなりそう、、、なんてね、、
ご隠居の人格障害たっぷりのカキコは、おもしろいなあ、、
ストーカーなど、、布団たたきおばさん、汚物おじさんのような、、病的人格が楽しいねえ、、
>>357 > とりあえず、仏教は、ま、ええんちゃうかあ、、という思想。
> 肯定しまくれるし、否定しまくれる、思想、、
> 正しい!!、正しい!!、、とがちゃがちゃ、言うほど、、仏教で無くなる様な、、
おっしゃるとおり。相手のレベルに合わせて正しい正しいといいつつ他者批判を繰り返すのはとりあえずおしまいにしようかね。
ここまで必死になられるとテンションが違いすぎてついていけないしね。
>>369 かなり素人氏はいい人なんですよねw
そして、私の毒にあたりそうになるらしいwwwww
しかし、仏教のそれぞれの偉いお坊さんって、ほんとに偉いんでしょうねぇ〜
多分、人間的にも結構、長けてるという気がする。
南無タンはほんとに不思議系だわw
まあ、現実の新興宗教もほとんど知りませんので、よくわかりませんけどね。
このごろ、私もよくこの板で長居してるナァ〜と実感する毎日ですし。
まあ、なんかあるのだろうと思って、レスしてるんですけどね。
わかるようなわからないような。
373 :
大王:2006/12/03(日) 15:58:34 ID:HTTsLvlZ
仏教のオナニズムねえ、、
というよりも、、天皇教オナニズムのDNAが、侵入しているような、、
昆布殿が、、素人さんの天皇教オナニズムのDNAを刺激して、開花させようとしているような、、
>>371 >相手のレベルに合わせて
あわせなければならないほど、自分は高いと思ってるから、馬鹿にされるのよんヽ(^。^)ノ
まあ、その意識変えろと言っても、オナニーは止まらないだろうけどね。
でも、レベルの問題はあるよ、確かに。
それは、知識の問題ではなくね。
というか、知識の問題だと思ってるうちが華。
375 :
大王:2006/12/03(日) 16:02:44 ID:HTTsLvlZ
ごいんきょちゃんの、、
「引越し!、引越し!、ささっと、引越しーーーしばくぞ!!!」
「キリスト撲滅!キリスト撲滅!ささっと、ぼくめつーーーしばくぞ!!!」
ごいんきょちゃんのおたのしみだなあ、、
>>373 それはないでしょうw
そんなことよりも、瞑想はひとりでやると害になる?
その辺が知りたいw
377 :
大王:2006/12/03(日) 16:09:34 ID:HTTsLvlZ
案外、素人さんのオナニズムと、細木和子のオナニズムは、お同じかもね、、
細木和子は、、日本儒教の婿と結婚している、、日本陽明学のね、、
日本の儒教になるとたんに、、強権的になる、、
今は会ってないが、最初、禅を、簡単に教えてもらった、禅坊主は、慈悲は深く、実践行動は、すばらしいのだけども、、
愛国右翼で、、日本的儒教に汚染されてるのね、、
層化もそうだけどね、、
>>359 そうですね。
真理の探究をしてるうちは、まだまだ過程です。
もっともらしい説明に納得してるうちは途中なんです。
この途中の状態で、さも悟ったかのように振舞う人たちがいます。
そしてそれを論じる。
家族のために働いてるお父ちゃん、お母ちゃんのほうが、
よっぽど悟ってますよ。
379 :
大王:2006/12/03(日) 16:14:13 ID:HTTsLvlZ
ほとんど、おいらは、一人で瞑想をやっていたような、、
ま、優れた禅坊主の出会いはあったし、、良い本にも、出会っていたから、、
本人のモノを見る目のみだろうね、、
モノを見る目が無い人は2ちゃんには、ご隠居を始め、たくさんいるだろうけど、、
でも、チベット密教は、危険かも、、精神病院行きになるかもね
>>368 じゃあね、じゃあねといいつつ、気にしてるじゃんw 反応しなきゃいいのにw
君は糞の投げあいが大好きなんだから、恥ずかしがらずに極めなよ。
クソナゲクソナゲ、カキコカキコとラベリングを忘れるなよw
仏教は糞だから仏教徒はやっぱり糞投げが似合っているよw
>>378 はじめまして、ノシ
ご隠居に賛同してくれる人がいないので、大歓迎ですよヽ(^。^)ノ
>>379 チベット密教の頭の天辺に変化があって、クサを刺すという話が面白くてw
大王ドンも思い当たる節がないのかなと・・・・・・・
大王ドンはカスタネダの本は読んだことないんですか?
>>379 禅か。
ベストセラーの「禅的生活」は読んだな。
生まれる前の父母以前の顔とはなに?
>>380 ごめんごめん。わかりにくかったかな。テスト1号へのレスを控えるってこと。
思索よりも人への優しさのほうが価値がある。
行き過ぎた思索は自己満足しか生まない。
優しさは人から人へと伝わるからね。
385 :
大王:2006/12/03(日) 16:22:54 ID:HTTsLvlZ
悟ったから、、悟れ、、というのも、、また無意味なんだけどもね、、
悟った、悟っていないなどと、、言うのも無意味、、
悟るは、、悟るが、欲しい者のみにあり、悟りは悟りを価値と思っている者しか、価値が無い。
禅じゃ、、悟りも価値無し、、ただの人が、価値がある、、
ま、雹 ◆IRN5rC2IGcさんが、同意するのは、、構わないが、、文体を見るべきだ、、
学者の論を引用している、ご隠居ちゃんのいやらしさをね、、
平凡な表現言いながら、、自分は偉いのだっ、、言っている姿をね、、
>>380 それでいけば、糞でもきちんと相手に向かって投げ合ってれば問題ないんだよね。
そのうち、ミソに変わってるからヽ(^。^)ノ
おまけに、自分で夕食に頂いてるしw
>>384 価値ってなんだろう。
やさしさと思考は次元が違うだけで、価値付けしても仕方ないと思うけど。
>>385 まあ、単純に雹氏は、流れに乗っただけのことだとw
フーテン氏が来ると、場が盛り上がるとこなんですけどねw
>>387 そのとおり。糞を投げることは問題ないよ。
糞を投げることの正当性を説明しつつ、言い訳しながら投げるのはなんなの?っていう質問を繰り返してるだけなのさ。
391 :
大王:2006/12/03(日) 16:29:30 ID:HTTsLvlZ
チベット密教は、確かに、、頭のてっぺんが、、、、感覚的に反応がある感じがあるな、、
教会で、礼拝中に4回ぐらい、、キリストに頭のてっぺんに手を置かれた感触がなあ、、
聖書を読んでて、、頭の上から、、油を注がれるような、、感触があったような、、
これらは、、何とも思っていないからね、、
ご隠居ちゃんなら、、「わたすは、最終解脱者だ!」と言いそう、、
>>383 うん、わかりにくかった。誤ればもういいよ。許す。控えたければ控えなよ。ご自由にどうぞ。
ここはちゃんとした宗教家もいるから勉強していきな。
カキコカキコ
394 :
大王:2006/12/03(日) 16:32:42 ID:HTTsLvlZ
カスタネダの本は読んだことないんだな、、
でも、霊夢は、多いなあ、、神道、キリスト教、仏教、それぞれあるなあ、、、
>>391 大王ドンはどうも、ご隠居になると、感情移入が激しいナァ〜
自分を見てるの?
あるいは、もしかして自演?
真相やイカに( ̄□ ̄;)!!
>>393 そか。俺から糞を投げつけられていると言う被害妄想が収まったら教えてね。
被害妄想の人苦手なんだよ、実際。
397 :
大王:2006/12/03(日) 16:35:00 ID:HTTsLvlZ
悟ったら、、禅で、もっと、日常生活が快適になるはずだが、、禅では、まだまだ、不快、、
悟りを得たからといって、なんになるでしょう?
それを利用しなくては価値がありません。
悟ってもなにもしなくては、そのまま終わり。
なにかを残さなくては。
大事なのは、宇宙の仕組みを知ることや宗教史を知ることでもなく、
慈悲の心です。
人生の意味を悟って悦に浸るより、苦しみの人を慈しみましょう。
優しさだけはいつまでも残ります。
知識を残したがる賢人より、優しい素朴な人のほうがいい。
399 :
大王:2006/12/03(日) 16:36:29 ID:HTTsLvlZ
ご隠居て、、知者ぶるでしょう、、
そういう奴が、、嫌いなのかな、、
>>390 >糞を投げることの正当性を説明しつつ、言い訳しながら投げるのはなんなの?
「正当性を説明しつつ、言い訳」←これも糞なんで問題ありませーん。
カキコカキコ クリッククリック
>>394 あれは、面白いとおもう。
西洋から東洋思想をみたら、ああなるんだと思う。
しかも、私にも非常にわかりやすい。
大王ドンに読んでもらって、是非、感想が聞きたいナァ〜
きっと、とんでもないと否定するか、大笑いするような気がするんですよ。
でも、体験しないとコメントできないと思いますし。
大王ドンなら、体験してるような希ガスw
>>394 カルロスカスタネダ?
ドラッグを使った変性意識の体験記みたいな内容だった記憶が。
禅的生活書いた人の般若心経の本はわかりやすかったな。
>>388 残るか、残らないか、ですね。
真理の探究で得た悟りを、自己満足で終わらせてはいけません。
悟りは知識ではなく実践なんです。
>>396 被害妄想も糞なので問題あーりません。
カキコカキコ クリッククリック
405 :
大王:2006/12/03(日) 16:39:29 ID:HTTsLvlZ
雹 ◆IRN5rC2IGc 君、、悟りが、知識????
そこで、、会話が成立たない、、、
もう一度言うね、、悟りは悟りを求める者にしか、意味をなさないし、価値が無い、、
>>403 残るか、残らないか。
それは区別であって、価値の有無ではないと思うけど。
他人から投げられたものが糞で自分が投げたものがそうでないというから、馬鹿にされるんだよ。
>>398 ホント、そう思います。
禅も、十牛図があって、悟りが入り口でしかないということを教えてるような・・・・
いつのまにか、特別なことであるようにしたんですよね。
仮に悟っても、それで他人になにかしてあげることが出来なければ、
なんの意味もわけですしね。
まして、それで迷惑を掛けてるようじゃ、本末転倒だと思います。
>>407 それは被害妄想ではなくて、ただの妄想だよ。
自分が投げたものがくそでないと俺が主張していると言う妄想。
あと、おれがテスト1号を馬鹿にしていることは理解しているかな?
馬鹿と思っている相手から馬鹿にされてもそれは別にかまわないよ。
410 :
大王:2006/12/03(日) 16:44:27 ID:HTTsLvlZ
408の昆布殿意見に同意、、
ほんとに、おいらは、、禅では、人の為に、何も出来ないんだなあ、、
チベット密教じゃ、出来そうなんだけども、、、
また、糞の投げあいをしてしまった。
カキコカキコクリッククリック
>>402 それは、君が、西洋思想に侵された知識だからそうなるんだと思う。
まあ、きっと、読んでないんだろうと思いますけどね。
>>405 たとえば人生の意味を知った時、これを「悟った」と言います。
人生の意味は言語化できるでしょう。
言語化できるものは知識です。
悟りとは、べつに涅槃【ニルヴァーナ】の状態ではありません。
それはただの感覚です。
感覚に満足しているようでしたら、それは自己満足で終わります。
自分が死んだら終わりです。
悟った人は慈悲があり、優しさを実践します。
優しさはいつまでも残り、価値があります。
涅槃を求めるだけなら、ただの自己利益の追求です。
それはなにも残らない。
414 :
大王:2006/12/03(日) 16:45:43 ID:HTTsLvlZ
:てすとファン2号さん、てすとさんを刺激して過ぎているような、、犬さんと同じパターン、、
>>414 そうですね。ここらへんでやめときましょう。
>>409 そう?では遠慮なく仏教を馬鹿にしますね。いちいちカチンとこないでね。
カキコカキコクリッククリック オナカスイタ
>>406 価値のないものは残りませんよ。
歴史が証明しています。
419 :
大王:2006/12/03(日) 16:50:04 ID:HTTsLvlZ
雹 ◆IRN5rC2IGcさんの、413の意見は 、、原始仏教的と、天台宗、唯識的には合格かもね、、
>>413 ここの人は、みんなそこまで説明しなくてもわかると思いますよ。
どちらかというと、私も含めて、くどさにウンザリしてるところありますから。
これは、ご隠居のせいかナァ〜ヽ(^。^)ノ
・・・・・・とご隠居のせいにしたりして(^_^;)
>>417 仏教を馬鹿にしてください。あんなもの糞です。
カキコカキコクリック ネコガキタ クリッククリック
>>405 では、「悟り」とはなんでしょう?
私の説明は間違っていますか。
臨済は、仏教の究極は、ただ糞して寝るだけだと言ってますからね。
実際、これが出来る人なんて、まずいないでしょう。
まして、今の仏教ではほとんど不可能だと思う。
今の臨済宗はしりませんけどね。
>>419 自己紹介が遅れました。
私はカトリックです。
>>424 談話室で、誰かさんとよく喧嘩してるのは知ってますヽ(^。^)ノ
わたしにはなにが論点になってるのか、さっぱりわかりませんけどねw
フーテン氏に解説してほしいところw
426 :
大王:2006/12/03(日) 16:56:06 ID:HTTsLvlZ
雹 ◆IRN5rC2IGc さん、そうですか、、
なるほど、、門脇佳吉さんて、ご存知???
わたすは、彼の反対側タイプのものです、、
聖霊と遊びますだ、、
427 :
大王:2006/12/03(日) 16:57:24 ID:HTTsLvlZ
422 :雹 ◆IRN5rC2IGc さん、マ、良いんじゃないんでは、、
>>425 いや、いつも怒ってるわけじゃないんですけどね。(笑)
>>426 知りません。
ググッてみたらイエズス会の神父様?らしいですね。
429 :
大王:2006/12/03(日) 17:00:26 ID:HTTsLvlZ
門脇佳吉さんの本はおもしろい、読んで見て下さい、、
>>426 >聖霊と遊びますだ、
それがわからないんですよね。
聖霊って、プーアハでしょw
以前に、聖霊と気は違うって、言ってましたよね。
もしかして、聖霊って、人間に属するものってこと?
一方、気は地球全体に属してるとか・・・・・・
>>405 >もう一度言うね、、悟りは悟りを求める者にしか、意味をなさないし、価値が無い、、
けっきょく、人生って自分が納得するかどうかなんですよね。
修行者も俗人も、禁欲主義も快楽主義も、それぞれが望んだ結果でしょう。
快楽に価値を見出す人は禁欲を理解できないかもしれないけど、
禁欲する人はそれをすることで得るものがあるんだよね。
432 :
大王:2006/12/03(日) 17:09:46 ID:HTTsLvlZ
けっきょく、人生って自分が納得するかどうかなんですよね。
431の雹 ◆IRN5rC2IGc さんへ、、
そこに、まとめると、また、違うんだな、、
人生はそんなに、簡単にまとめられないし、まとめると、間違うんだな、、
あなたの自身の人生観なら、、それでいいと思うよ、、
433 :
小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2006/12/03(日) 17:11:53 ID:PbMtYRki
123 :小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2006/12/03(日) 10:00:30 ID:EtkE/uez
ブルネルス、三位一体論の非対称性の矛盾について説明しました。さあ、
今度はあなたがきちんと答える番です。名無しによるいい加減な答えで
誤魔化さないで下さい。私はあなたに同情するが、あなたの行動について
同情はしません。あなたが人の信仰心を破壊しようとすることについての
同情は。
124 :小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2006/12/03(日) 17:02:46 ID:PbMtYRki
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/第]巻
「いつまでも永らえると、誰が言ったか?
もう十分長く 鷲のように舞い上がり、
星々の間に巣くい 刺となった。
さあ、戦いに出てきて 私と顔を合わせなさい。
顔を合わす相手は アベルでない。
おまえの剣を 叩き落す。
おまえは我が家を荒し、最も尊いものを そこから盗んだ。
心ゆくまで盗み取った。
我が民の門を通過し 民の目を見えなくさせた。
その闇の王国を広げ 私の民を誤った道に連れ込めると
まだ信じてはいるが、今や、おまえの時は終わった。
もうやめよ。今にも 義は水のように流れ出し
我が霊は 止めどない流れのように 溢れ出す・・・」
434 :
大王:2006/12/03(日) 17:12:51 ID:HTTsLvlZ
430の昆布殿、、
これが、また、やっかいな、、論証できない、、人格的存在感覚で、、
バルトが。論証のさじを投げたのは正しい、、
そういうしかない、代物で、、、
なぜ、それがあるのか???
私にもわかりません、、
からす、なぜなくの、からすのかってでしょう、、
せいれい、なぜいるの、せいれいのかってでしょう、、
そんな、かんじですは、、
オナニーは構わないけど、露出狂はこまる。
でも人前でち○ぽ出せるほど達観すれば確かに幸せなのかもしれない。
みんなが露出狂になってしまえば、そこは楽園なんだろうか・・。
>>385 禅は人生を楽に生きる(人生の苦を和らげる)という点では優れていますが、
霊魂の救済という人間の存在の究極の課題を解決していないように思われます。
カトリックでは他宗教の救済を否定していませんが、(煉獄の存在)
宗教とは、現世と来世の両方の救いを教えるものでは、ないでしょうか。
私の勝手な想像ですが、禅は現世のほうに比重を傾けているような気がします。
437 :
大王:2006/12/03(日) 17:15:58 ID:HTTsLvlZ
436 :雹 ◆IRN5rC2IGc さんよ、だからさ、、門脇佳吉さんの本を読んでから、、感想をいってくれ、、
それのほうが、おもしろいと、思うよ、、
>>434 存在の証明ではなくて、違い。
聖霊と気の違い。
存在に関しては、私は別に疑問を持ってません。
それよりも、差異の方に興味があります。
多分、わかる人にはわかるけど、わからない人にはわからない代物だと思いますけど。
あ、小乗ラベリング忘れた。
ワスレタワスレタ ワサビチャヅケウメー
>>432 もし自由な環境であるならば、人は自分の納得することしかしません。
神を信じる信仰者、
この世のみを考える無神論者、
悟りを得たい修行者、
形は違うけど、自分が望んだことをしてるという点では同じです。
自己愛も利他愛も自分が納得したいからなんですよ。
全く反対のことなんだけど、自分が納得したいという動機は一緒なんです。
しかし、自由な環境で生きられない人たちもいます。
こういう人たちは例外ですね。
441 :
大王:2006/12/03(日) 17:21:57 ID:HTTsLvlZ
気は、エネルギー体かなあ、、人間にある生命力かも、、禅の気合の方が近いかな、、
チベットの風(ルン)は、、粒子的生命なんだな、、フランス印象派の絵と音楽は、色彩と粒子感がある。
聖霊は、、愛の人格を感じる、、ルーテル教会の女牧師は、セックスのエクスタシーを越える愛の感覚といった、、
チベット密教は粒子的エクスタシーかなあ、、愛ではないなあ、、分解する快楽だなあ、、
「素人さんの歌」 作詞てすと
せっかく 土台をー つくっているのにー
仲間がー みんなー 壊していくよー
つくってもー つくってもー つくってもー つくってもー つくってもー
身内がー みーんーなー 壊していーくーよー
>>441 わっw!
案の上、全然、わからん(-_-;)
失礼しましたm(__)m
444 :
大王:2006/12/03(日) 17:25:36 ID:HTTsLvlZ
440 :雹 ◆IRN5rC2IGc さん、でもね、、
キリスト教的いうと、、聖霊がやってくると、、パウロが改心したように、巨大な力、自己選択とは言えない選択があるんだよ、
私は、チベット密教と禅と縁が強いから、、
キリスト、聖霊の力に魅了されたけど、入り込まなかったからね、、
宗教世界はそんなに単純じゃない、、
>>433 主よ、悪人たちの改心を待つ間に、義人たちが堕ちてしまうならば、
審判の時は早まったほうがよいかと思われます。
>>442 きっと、2ちゃんの素材を使わなかったからだと思うヽ(^。^)ノ
まあ、なにかを建設するのが間違いなんでしょうけど(^O^)/
>>444 自己選択(自由意志)と脳(神経伝達物質による個性)、霊の世界の干渉、
については悩まされています。
自分の中では解決できていません。
自由を尊重しておられる神がどうして??ってのはありますよ。
>>442 そういえば、それはどんな節回し?
って、小さなヨハネが降臨してるのには、笑った(*^。^*)
光って、結局、波なのか粒子なのか不明だし、説明不能で終わってる奇妙な絶対性。
科学って、ほんと、八百長だよナァ〜
ということで、オチノシ
>>449 科学者は八百長だってわかっていて公言してるからいいんですよ。
科学に幻想を抱いてる人がなにかごちゃごちゃ言うんですよね。
>>448 作曲は昆布氏にまかせますw
452 :
大王、、:2006/12/03(日) 18:11:32 ID:gDEdoYYn
447 :雹 ◆IRN5rC2IGc さん、、、
そうなのか、、イエズス会の修行でも、してみる???
ィグナチウス、ロヨラの「霊想」をよんで、してみたら、、
そこが、、いいと思うけど、、
なんだか別のスレかとおもたw
454 :
大王、、:2006/12/03(日) 18:19:05 ID:gDEdoYYn
初めて、カトリックのミサに出て、家に帰って、聖霊の力を味わって、天井の蛍光灯を見たら、
蛍光灯の光が、滝が広がって流れるように、光が、落ちてきた、、
福音書のバブテスマのヨハネが、キリストに洗礼をした時の光は、こんなのだろうか、、という感じだった、、
ィグナチウス、ロヨラの修行日記(岩波文庫の「ある巡礼者の、、」に、
天地創造の光を見たと、あり、、光が広がって、、と、あったなあ、、
455 :
大王、、:2006/12/03(日) 18:21:53 ID:gDEdoYYn
ィグナチウス、ロヨラの修行日記(岩波文庫の「ある巡礼者の、、」に
サタンの霊に悩まされるとあったな、、
カトリックペンテコステ派にも、そう言う、誘惑に付いて書いてあったなあ、、
456 :
キララ☆:2006/12/03(日) 18:26:43 ID:bVGpsdRn
霊想じゃなくて霊操だピピー!!!
457 :
キララ☆:2006/12/03(日) 18:31:07 ID:bVGpsdRn
イグナチウスでロヨラする(≧∇≦)の?
もう現実や事実をみるのやめた。論理思考もやめた。
生活も日常も倫理も家族も仕事も国家も人類も地球も宇宙も関係ねぇ!!
大王どんをみならって、あらゆる瞑想に挑戦だぁっ!!
俺も光を見るぞ!! 光あれっ!!
459 :
売人w:2006/12/03(日) 19:11:16 ID:x+UOYZ6K
にいさん、いいクスリありまっせw
論理的な思考と現実的なキレこそがてすとさんなのにw
>>459 どこかの南の島のシャーマンみたいに草を使うのはどうかなー。
とりあえず仏教系の瞑想は読経、写経、坐禅、ヴィパサナーとかありますけど、聖書系の瞑想って何があるんだろう?
ヒンズーと神道も何かあるんだろうか・・。
みんなで2ch発すぴりちゅある集団作って大もうけしようよー大王どん社長で・・って、俗世気分が抜けてない・・・?
いかんいかん。とりあえず、明日近くの神社や寺や教会さがしてみよー。引っ越したばかりなので・・。
>>460 飽きちゃったw
社会ではある程度やることやれたし。
でも。俺も三が日くらいなら草でも薬でもやって飛んでみたい気分w
464 :
名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 21:26:34 ID:l14XfvXr
>>463 三が日では済まなくなる、即ち病み付きになるのが、宗教による洗脳の恐ろしさ
なのです。人間にあらざる存在を信じ込ませることにより、人格そのものが
変容されるからです。
しかし、ご隠居は、
人間性ってものが洗脳されずに社会馴化すると思ってるのかナァ〜
確か、てすと氏とも共通してると思ったけど、教育とは洗脳だよ。
まあ、洗脳の定義が問題なのかもしれないけどね。
でも、まあ、どうせ似たようなもんだ。
ご隠居の国があれば、ご隠居ごのみに洗脳する(*^。^*)
>>465 そうそ、人間の大脳にはモラトリアム期間があり、それぞれのコミュミティに感化されるのです。
洗脳の定義は再インストールかな?でもハードディスクは完全にフォーマット出来ないので歪がでる。
ご隠居は善性がROM焼きされている派で、私はインストール派。無宗教同士でもここまで違う。
467 :
まい:2006/12/03(日) 22:14:16 ID:GAR0kRBt
大王さんと昆布さんの興味ある会話。
大王さんの体験にはビクーリ!
468 :
まい:2006/12/03(日) 22:15:21 ID:GAR0kRBt
日常は普通を維持出来ていますか?
わ、いろんな人が来てる。
雹氏に小ヨハネまで。キララも復活したかw
>>430 ヘブル語でルーアハ、ギリシャ語でプネウマ。混ぜないでねw
>>444 おーい、聖霊は自由だぞ。。。
ただ、自由は自由を主張したりしない。
キリスト教に洗脳されないでキリスト教やり直せ!w
だからフーテン氏のいう宗教、国家、教育は切り離せないというのは、私も本当にそうおもうんですよね。
子供が生まれて最初の書き込みが教育なんだから、なにをやっちゃだめで、なにをしていいのか刷り込むのは宗教であるわけだし。
私の言う無宗教っていうのは結局団体に属していないか、宗教に分類されない思想をもっているだけで、本質的には宗教なんですよ。
日本の場合、幼少から宗教教育を受ける機会が少なく、大人になって特定の団体を選択する人いるんだけど、ちょっと信仰は無理なんじゃないかなと思っています。
仏教被害者の会の歌 作詞 テスト2号
仏教は糞だ〜糞だ〜
仏教徒は糞だ〜 糞だ〜
仏教の改善を要求する!(要求する!)
俺様が仏教徒を攻撃するのは、仏教徒が糞だからだ!(糞だからだ!)
以下100番まで。
本当に仏教は糞ですね。
>>471 粘着ありがとう。ファンはやっぱりそうでないとね。
本当にいなくなったかと思って寂しかったじゃないか・・
数少ないファンなんだからそうやって顔だしてね。
>>471 っつうか、君遅いよ。君いない間に話の流れは変わって、瞑想することにしたから。
真逆でごめんねw
カキコカキコ コーラッテサイコウニウマイノミモノダネ
>>473 それもすべては御仏のお導きです。
瞑想とビヴァッサナーを継続するように。ナムナム
>>474 うん、大王ドンって本当に神や御仏の使いかと思うときがあるんだよ。不純物がないというかなんというか・・。
時々凄いキレのある言葉を言ったりするし。
ケンカヤハ オイテ サキヘイコウ・・
476 :
名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 23:19:25 ID:l14XfvXr
>>465 >教育とは洗脳だよ。
何度も言っているように、教育とは、人間の生存のための知識と技術を授ける
こと。生存に関係ない空想上の存在を信じ込ませる宗教とは、根本的に異なる。
>>475 被害者意識に浸っている間は、喧嘩野をおいて先に行くことはできないよ。
ダイオウドンハカルクサトッテルカラネ
>>464 忠告どうも有り難うですw
とりあえずビール飲みながらやることやることにしたノシ
479 :
1/4 素人:2006/12/03(日) 23:49:29 ID:ki/sEXRi
>>446 > きっと、2ちゃんの素材を使わなかったからだと思う
私は、この系統のスレに登場した時、2ch的スタンスを、まだ保持していた筈だ。
そして、
(きっかけは応報スレ144からだろうか? 昆布のみに関してなら
>>222だろうか?)
君(達)の態度が ガラっと変わった。私も変えた。
(実存的に見るなら、私のせいなのだろうな・・。それとも、呼び捨てだからか?)
なぜだい?私は差別肯定の発言もしていない。ただ、「144の【文章】は【差別発言】とは思えない」
という感想(意見)を持ったから、「144を差別発言ととるのはおかしくないか?」と言った。
君は、それに対して、144の【文章そのもの】には触れず、
別の(幾つかの)事例としての差別的事象を述べた。
私は、そうした事例と「144の【文章そのもの】」との間の関連を問いたかったのだが、
間に別の喧嘩が生じて頓挫した。
結局、「144の【文章そのもの】」と「差別観」との関連は明示されないままとなった。
ま、それはそれとして、その件以降、話のポイントは、
480 :
2/4 素人:2006/12/03(日) 23:50:01 ID:ki/sEXRi
イ、南無の件を鎮めなかったこと、
及びそうした系統の2ch上のやりとりを統制していないことへの非難。
ロ、そうした原因は、仏教そのものにあるのじゃないか。
ハ、仏教の知識がある者の発言の仕方。
ニ、仏教を知る者と仏教者、仏教徒であることの違い。
ホ、仏教徒は聖者であるべき。
ヘ、私個人に対する「聖者たれ」という要請。
という感じになるだろうか。(ヘ以外は一般論としてということになるが・・)
イに関しては、てすとの発言(或いは254中段)により ハ・ニ・ホ へと発展したが、
これは、至極当然の流れとして見ることができる。
寧ろ、南無を巡る諸相の個別性から、2ch内のマナーへと普遍化されたかに見える。
その意味では、事例として再度挙げられた意味もあろう。
(※が、昆布が、私個人に対して再度提示してきた(
>>347)理由は何か?
南無に関しては、[231〜234、254]で手打かと思っていたが・・・。
てすとが一般化したものを個別的な事例へ戻し、私へと結びつける理由は何か?
私個人を糾弾するにしても、ニ・ホ・ヘの段階として私のレスの抽出が為されるべきじゃないのか?)
ロに関しては、「そのもの」が何なのかが明確にされなければならないと思うし、
具体的に「この部分が・・」というものが炙り出せれば尚良いでしょう。
ハに関しては、確かに、「自身の生活に活かす」という意味でいけば、
種々指摘される部分はもっともではある。が、直接ホへ繋がらない以上、
弾劾されるものではなかろう。(純粋に煽り合いであるならまた別でしょうが・・。)
481 :
3/4 素人:2006/12/03(日) 23:50:49 ID:ki/sEXRi
ニに関しては、(ホやハに関してもそうだが)
a「仏教を知っていること」とb「仏教的に生きていること」と
c「仏教を生きているということ」とd「仏教系の団体に所属している・関係しているということ」の
間に違いがあると思う。今言われているのは、aと、cかdであろう。
それを指して、てすとは学者と宗教者という括りを出してきたのだろう?
単なる用語の問題と片付けられない筈だ。
(※だから、私は「仏教者」という言い方をよくするし、
また「キリスト者」という用いられ方もよく目にする。)
ホに関しては、ニとも関連して「仏教徒」と括られるのはどの範囲か?
てすとの言説からは、学者と宗教者で違うことが示唆されているから、
「誰が」聖者であるべきなのかも、重要なポイントだと思う。
(これは、
>>242へのレスの時にもう少し詳しく触れたかったりするが・・・)
ヘに関しては・・・コメントを控えておこう・・。
(今後の流れによってプライベート情報を完全開示するようなことがあれば、
また変わるが、そうなるとまた違った話になってくるだろうし)
今はただ、上記イ〜ホに関して私の過去レスでもし問題箇所があるなら、
引用指摘されるのを待つ。
要するに、今為されている批判は、
「仏教そのもの(総体・全体)=仏教がこの世に存在していること」へのものなのか、
「仏教が説く所の○○という部分」へのものなのか、(
>>321へはレスをしたいと思ってはいるのだが・・。)
「仏教(の○○な部分)が社会に対して与えている(悪)影響」なのか、
「仏教に触れている者の資質」に対するものなのか、
が、ごちゃまぜになってるけどいいの? ということ。
私は、関連はあるが別個の問題と思っているが・・・。
482 :
4/4 素人:2006/12/03(日) 23:56:27 ID:ki/sEXRi
> まあ、なにかを建設するのが間違いなんでしょうけど(^O^)/
話の流れから、
『「批判が間違っているなら、仏教側(≒私)が、
批判や罵倒に耐える・誤解を解けるような理屈を提示せよ」
そしたら、そこを批判できる。仏教を教えてくれ』という雰囲気だったから、
また、昆布やてすとの一時のレスの仕方が、
そうした枠組みの設定を容認する論調であったから、そこへ向かっていただけだ。
不要であるならそれでもいい。
私がこのスレへ来た目的・意味が消失したことになる。
それならば、さっさと引導を渡してくれ。おとなしく去るから。
>>477 本当に先へ行けるかどうかはラベリングに関係ないでしょ。
怒ろうが差別意識や被害者意識を持とうが、心の動きをただ記すだけ。そこに余計なものはない。
ニゴウハ ダイジョウブカイナ コーヒーノミタイナ
>>483 そうですね。
1号が怒りと、被害者意識と、差別意識をただ記すだけ、ができれば先にすすめるかもね。
サキッテナンダロウ チンポノサキシカオモイツカナイ
>>482 ん?私は素人さんの姿勢を否定してませんよ。仏教徒の中では誠実な方だと思っています。
もちろん、私が仏教を嫌いになった根本原因が取り除かれたかというとそうではないですが、その結果を求めてはいません。
問題意識として共有していただけたのでそれで十分です。
ただ昆氏は私とは立場が違いますので、私としては今の現状では昆氏のほうに筋があると思っています。
>>484 ん? ただ記す以外に何があるの?心の動きは全てただの記しでしょ?
ラベリングノ イミノナイ 「サキ」 ニ ハンノウ シテルシ・・・
サキデモアトデモナイノニ・・
>>486 >心の動きは全てただの記しでしょ?
さっそく瞑想とらべりんぐの成果がでてきましたね。
まさに仏教的に模範解答です。
ナンダコイツクソブッキョウトクズレカ ツマンネ
>>487 ん?なんでいつのまに仏教の手柄になってるんだ。常識じゃないのか?
クズレルマデ ツミアガッテイナイヤツハ ラクデイイヨネ ショウジンシロヨ
>>488 >クズレルマデ ツミアガッテイナイヤツハ ラクデイイヨネ ショウジンシロヨ
これが被害者意識と差別意識をただ記すだけの実例かな。よくできました?でいいの。よくわからんな。
>>489 ただ記してるだけだから気にすんな。意味は特にない。
ケンカヤヲ チョウハツスルノハ ヤッパリ タノシイナ
491 :
名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 00:47:41 ID:nZmZVVk/
ばかみたい
493 :
名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 00:54:19 ID:nZmZVVk/
ガキの喧嘩
>>490 >ケンカヤヲ チョウハツスルノハ ヤッパリ タノシイナ
あら、いいレス。皮肉じゃなくて。
ガキノケンカハタノシイナト
>>495 ラベリングに嘘はつけないからね。っつうか俺も君もヴィッパはもういいんじゃないの?
ヴィッパとか公案とか初級レベルはさっさと切り上げて、次いこうよ次。
ミサや神道系はまだお互い早いから、ヨーガかなんかやろうぜ。
それかいいのあったら教えてくれ。
>>469 わっ、本気でプーアハだと思ってた( ̄□ ̄;)!!
フーテンさんアリガトウ\(^o^)/
一夜漬けで覚えると、知識がごった煮(-_-;)・・・・・・・・・・
だけど、それでいくと、大王ドン的な聖霊の解釈は違うのかなぁ〜
ただ、東洋思想の「気」って、外からやってくるものと、
内から噴出すものがあって、
その外からやってくるものを聖霊とよんでいるんじゃないかと・・・・・
でも、多分、同じものなのでしょうけど。
私は、この辺の知識体系ってやっぱり東洋思想にはかなわない気がするんですけど、
東洋思想もあまりにも一般化されなさ過ぎの割には、分派し過ぎで、よくわかんない。
誰か、スキっとさせてほしいもの(^^♪
まあ、あんまりやるとニューエイジになりそうなんですけどw
ニューエイジになると、あまりにも眉唾だしナァ〜
でも、この辺の気の世界が、私は死と繋がってると思うんですよね。
だから、結構、重要だと思うんですよ。
んでもって、キリスト教の三位一体も結構、面白いナァ〜と・・・・・・
あのスレ止まっちゃいましたけどね(^_^;)ワタシカ?トメタノ・・・・・
>>476 ご隠居は、以前にもそう言ってたので、そういうと思ってましたよ。
でも、その定義の疑問に感じる点は、
>人間の生存のための知識と技術を授けること。
多分、人間の生存ではなくて、「人間社会で生きる」だと思う。
だから、宗教を国教とする場合でも、その国の中では、教育として成り立つ。
我々も自由競争と市場経済による官僚社会を洗脳されてるわけです。
まあ、ある程度は弱者救済のシステムではありますけど、
現在はかなり矛盾が露呈してきていますよね。
今までは、それなりに上手く機能してましたけどね。
> 生存に関係ない空想上の存在を信じ込ませる宗教とは、根本的に異なる。
これはある意味同意なんですけど、神って、為政者にとっては便利ですよ。
それに、ご隠居は、いつも「神」という用語にこだわるんですけど、
別に「真理」でも「自由」でも同じだと思うんですよ。
社会組織がその実質的にあり得ない抽象的言語でまとまると、
かならず、ホップスの言うような、万人の万人による戦いが起こると思いますよ。
だから、マキャベリの言う偽悪的な君主論が必要なんだと思いますし。
従って、ご隠居の論って、大量殺戮が問題だとするなら、
別に「理性的な神」さえ存在すれば、それほど否定する事でもないと思います。
まあ、今までの経験から、それでも神を否定するのがご隠居なんですけど・・・・(^_^;)
>>479 >なぜだい?
私には、素人氏が一番よくわかってるとおもいますけど・・・・・
素人氏の私に対する批判が当たっていようがいまいが、
あるいは、私の素人氏あるいは仏教の批判が当たっていようがいまいが、
仏教はあるんでしょうし、私も素人氏もそれぞれ生きてるわけですよね。
その軽さの中で、いつも議論が成り立ってますよ。
私は因果スレの
>>144の以前に、仏教の潜在的な差別観について言及しました。
それは、自他の関係性の問題でしょう。
だから、自己を常に問題にするなら、差別観は問題にならないでしょう。
でも、世界という概念を提示するときに、そこには他者が含まれます。
そして、その世界という概念の中で、自然に他者を巻き込んでいくんです。
多分、ここで、食い違いが生じていると思いますよ。
その他者を自然に巻き込むのが宗教であり、
巻き込まれる他者が悪いんだといわれれば、それまでの話です。
そして、この辺で私はご隠居とも一致するんですけど、
その宗教の暴力性に強く嫌悪感を感じるんです。
そして、この論の飛躍を、素人氏は批判することもわかります。
>>480 イ〜ニに関しては、その通りですよ。
彼は、今も自称仏教徒で質問スレで解答してるわけだし、私はなんとなく疑問に感じますからw
聞けば、自分は仏教徒ではないと言いますしね(^_^;)
> ロに関しては、「そのもの」が何なのかが明確にされなければならないと思うし、
> 具体的に「この部分が・・」というものが炙り出せれば尚良いでしょう。
私はそれを探っているつもりでいましたけど・・・・・・・
というか、それしか関心がありませんけど・・・・・
ホに関しても、他人に宗教を押し付けるのならば、そうあらねばならないでしょう。
ただし、押し付けの定義が必要になるでしょうけどね。
簡単に言うなら、論理性もなく、他人に強要するという意味になると思います。
そうでないなら、私の考えはこのようなものだとアドバイス程度でしょう。
まあ、2ちゃんの場って、そのようなところですし。
>>481 >てすとは学者と宗教者という括りを出してきたのだろう?
うん?
私にはではないのか?
素人氏はプライド高いからナァ〜
また、真面目にレスしようとしたら、君にではないと言いそう出しナァ〜(笑
まあ、その辺は無視して、返レスするか(^^♪
>>481 > 要するに、今為されている批判は、
> 「仏教そのもの(総体・全体)=仏教がこの世に存在していること」へのものなのか、
> 「仏教が説く所の○○という部分」へのものなのか、(
>>321へはレスをしたいと思ってはいるのだが・・。)
> 「仏教(の○○な部分)が社会に対して与えている(悪)影響」なのか、
> 「仏教に触れている者の資質」に対するものなのか、
> が、ごちゃまぜになってるけどいいの? ということ。
> 私は、関連はあるが別個の問題と思っているが・・・。
その通りですよ。
仏教が近づいてくるときは、いつも、そのごちゃ混ぜで近寄ってきますから。
そして、気が付いたら、被害を被ってるわけです。
だから、我々は、それが近づいたときに、分類してあげなくてはいけないわけです。
そもそも、仏教批判される側の極論では、
お前達は仏教の葬式に出るなとか反駁するわけですよね。
この暴論はやくざと一緒ですよ。
だから、これから議論するぞって途中で逃げてる感覚が私にはありますね。
ただ、このままでは、議論できないって感覚もわからないわけではないですよ。
けれども、ここは別に会議室ではないですからね。
いつも問題が明確にあるわけではないですよ。
ただ、問題はいつも繰り返されてるんですけどね。
それは、こころない仏教徒が起してるのかしれませんが・・・・・・
>>465 教育とは洗脳
これはある意味当たってる。
国によって歴史の教え方なんて全然違うし。
学校があるのは個人のためではなく、個人を教育することによって、
国のため、社会のために役立つ人物を育てるためです。
国は個人のために教育、というような父性的ではありません。
人間の生存のために無償で与えられるものではなく、
国の利益のために行われます。
それが国の目的です。
無償[ただ]より怖いものはない。
学校に道徳教育を求めるのは間違っています。
それは家庭で教育するものです。
学校が教えるのは秩序が限界でしょう。
秩序を乱されるのは国益に反しますから。
>>482 > 『「批判が間違っているなら、仏教側(≒私)が、
> 批判や罵倒に耐える・誤解を解けるような理屈を提示せよ」
> そしたら、そこを批判できる。仏教を教えてくれ』
今も変わってませんよ。
仏教を知ってる側から見れば、私は偏見を持ってるのでしょう。
私は今まで、それほどの疑問はありませんでしたけど、
ここで、強い嫌悪感と自己矛盾を抱くようになりましたよ。
別にそれは、南無云々ではなくて、それを因にする様々な要因です。
まさに、因果応報ですね。
なかなか面白い。
しかし、臨済録と般若心経は面白いんだけどナァ〜
なんで、こんなに差があるのかわからない。
父が子に行う教育は父性であって、
そこに洗脳のような邪[よこし]まな動機はありません。
子のことを思ってこその教育は親心です。
子はいつか父の厳しさと優しさを知るでしょう。
母性だけでは人は育ちません。
父性と母性が一緒になって子は大人になります。
離婚によって片親が多いこの時代は哀れです。
霊魂も来世で、父【ヤハウェ】の優しさを理解するでしょう。
>>503 >学校に道徳教育を求めるのは間違っています。
>それは家庭で教育するものです。
>学校が教えるのは秩序が限界でしょう。
>秩序を乱されるのは国益に反しますから。
私もその通りだと思いますけど、
今ホントに必要なのは、家庭を仕切る親の教育なんですよね。
つまり、我々に道徳がないんですよ。
たぶん、ここでやったらかなり大変だと思いますけど、
子供に教える重要なことって、千差万別ですよ。
しかも、かなり荒れると思います。
まあ、そういう前提でやると、意外とおとなしいかもしれませんけど・・・・・・
いや、やっぱり荒れるかナァ〜
こういう話には、ご隠居は結構、まともないい味を出してくれると思うし・・・
>>506 不況で育った今の世代は良い子たちが多いような気がします。
貧乏は人を育てるんですね。(笑)
苦しみは成長のもとですよ。
貧しい国の人たちの笑顔が素敵なように、
逆境を経験することが勉強なのかもしれません。
親の世代に道徳がなくとも、大人になって気付くこともあります。
子はそれほどバカではありません。
反面教師や人生の苦で学んでいくのです。
>>507 いや、ほんとに・・・・・・・・・
大人のほうが子供だからナァ〜
オチます(^^♪
日本人の精神を高めなくては、日本は滅びる。
>>507 親は子供に同じ苦しみを味わって欲しくないと思うもんですけどね。
あと親が道徳をもつのは現状厳しいと思いますよ。何が正しくて、何が間違っているかなんて正直だれにもわからんですからね。
殺すな盗むなとかは無条件の刷り込みで教えられても、もっと複雑な事例には対処できないですよ。
>>509 みんな滅びることを前提に守りに入っているのでは?
精神の指針となる人が出てこないと、高めようがないですよ。陛下ご登場ってわけにもいかんでしょうし。
>>510 いいえ。私はそうは思いません。
無菌室で甘やかされた者は弱く、生きていけないのを知っているからです。
それに道徳心のない者は多くの敵を作ります。
社会で生きていけないのです。
苦労は人を成長させます。
もし我が子がいたなら、苦しみを知って優しい人になって欲しいですね。
苦しみの数だけ、優しくなれるはず〜♪
なんて歌もあったよね。(笑)
512 :
名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 11:15:13 ID:U0zcrkW0
乗り越えていくことは大切だから。
513 :
名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 14:54:44 ID:fNcTe0Uo
514 :
名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 15:03:49 ID:BnPl/BJN
>>511 >苦労は人を成長させます。
>もし我が子がいたなら、苦しみを知って優しい人になって欲しいですね。
そのとおり。宗教は、その苦悩を「自己欺瞞」により除去するものだから、
人間としての成長はゼロ。果てしない「ガキの喧嘩」を続けている。
自分の苦悩に真正面から対峙し、それを克服しようとする努力の中に、初めて
他者の苦悩への理解が生まれる。
しかし、親としては、子供に苦労はさせたくない。この矛盾はどうする?
515 :
名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 15:24:33 ID:BnPl/BJN
>>510 >精神の指針となる人が出てこないと、高めようがないですよ。
そんなことを何で人に頼ろうとする?他者との係わりの中での日々の生活と
自分自身の目による人間と社会の観察から、自分の指針を築き上げるべき。
君は、自分の精神までも他人に売り渡すつもりなのか?
516 :
コンブ殿へ大王:2006/12/04(月) 16:12:47 ID:rKsnV7wf
マ、素人さんは、原始仏教のいう、議論しない、無我であるが、ないなあ、、
無我なら、どうでもいいような、、
517 :
てすと殿へ大王:2006/12/04(月) 16:16:09 ID:rKsnV7wf
瞑想は、1、イエズス会の霊操
2、ギリシャ正教の呼吸法を含む瞑想、、
3、ホーリネス系(日本ホーリネス教会がいいなあ)聖化の体験を求める、
どうでしょう、、、
518 :
大王:2006/12/04(月) 16:37:21 ID:rKsnV7wf
ご隠居ちゃんは、キリスト撲滅の興奮を忘れられない苦悩と対峙しているのねん、、
今、原始仏教スレ覗いて来たんだけど、凄いね( ̄□ ̄;)!!
大王ドンはソーカになってるし・・・・・・・
談話室以上だった(^_^;)・・・・・・・・・
まあ、どちらも荒らしてるのは同じで笑えたけど(^^♪
>>514 さすが、いいこと言うナァ〜
ほんとw
ご隠居は素直にキリストから離れれば?
なんか必要なの?
521 :
コンブ殿へ、大王:2006/12/04(月) 16:57:42 ID:rKsnV7wf
聖霊の解釈というよりも、、
体験だからなあ、、
聖霊がやってくる、、骨が溶けるほど、快感が、、愛のエクスタシー、、
ルーテル教会のノルウェー女牧師と同じ意見、、
マザーテレサも私の夫はキリストです、、といってたな、、
聖霊がやってくる快感、、日本キリスト教団長老派とバブテスト派は、迫力不足だけども、、
カトリック、イエスキリスト教団、日本ホーリネス教団、アッセンブリーゴッド教団なんかは、、
ブリブリに体験し味わえる、、、何回もね、、教会へ行けば、、
522 :
コンブ殿へ、大王:2006/12/04(月) 16:59:35 ID:rKsnV7wf
気は、、禅もそうだけど、落着きとパワーなんだな、、
神社は、、霊気で、、チハヤブル感じで、荒々しいエネルギー、、落着きではないなあ、、
523 :
コンブ殿へ、大王:2006/12/04(月) 17:01:57 ID:rKsnV7wf
大王ドンはソーカになってるし・・・・・・・
がははははっ、、おもしろいなあああ、、
やっぱり、素人さんみたいに、真面目じゃないからなあ、、
どうでもいい、いい加減にんげんだからなあ、、
>>516 原始仏教スレ覗いて、しみじみ自分のかわいさがわかった(*^。^*)
ここのみんなまともだナァ〜
でも、素人氏はいい人なんだけど、ますます、なにしたいのかわからなくなった。
でも大王ドンの無我って、状態ですよね。
自分が無我って、自覚できるのは無我なの?
理屈で言うと、無我ではないんでしょうねぇ〜
なんかこれって、言葉遊びだよナァ〜
>>521 仏教だって、その愛の思想はあるでしょう。
タントラも仏教の一派でしょう。
まあ、この辺を知らないでやるとオームの性的エネルギーに行きそうだけど・・・
だけど、セックスだって、かなり深いと思うんですけどね。
エクスタシーも肉体的な接触がなくても感じる可能性はあるし、実際にあると思う。
もちろん私は、経験ないですけどねw
526 :
コンブ殿へ、大王:2006/12/04(月) 17:12:53 ID:rKsnV7wf
原始仏教は日本人がやると、、天皇教のDNAが働くんじゃないかなあ、、
禅の机さんは優秀だけどね、、
坐禅と見性では、、最近現れない、曹洞宗の坊主新潟東山寺のせったんはおもろい、、
話し相手してくれないが、、、深い、、、
無我は、どうでもよく、こだわらない、だろうね、、ま、おいらは完成してないけどね、、
密教星人だからなあ、、
タントラの性の方向はまだ、経験がないなあ、、仏の人格になってきたことはあるけど、、
もちろん、チベット密教、、
禅の見性体験も、深い快楽が一度あったな、、一度だけ、これも快楽で、、
やはり、性的に近いのは、聖霊の力が強いときだな、、
>>497 この霊はそれ自身神である。父であり、子であり、創造者として、また和解者として、
契約の神として行動する神(中略)単に人間の間にというばかりでなく、
人間の中に住いを持つ神、過去に於いて住み、この後もまた住まわれる神と同一の神である(中略)
それゆえに聖書の第二の創造物語によれば、神は人間に「生命の息」を、つまり、神御自身のもの
であり、人間のものである霊を吹き入れられたのである。(カール・バルト)
ヘブライ思想から言えば、人間は魂を持つのではなくて、魂なんです。
そして、心と言った場合は、肉体をも含む。
528 :
コンブ殿へ、大王:2006/12/04(月) 17:19:00 ID:rKsnV7wf
聖霊の体験(性的に近い深い体験)は教会へ行けば、、何度でもある、、
禅は一度だけ、、
チベット密教は、真言を一日中、仕事しながらやっていると、、仏の人格になっていく、
天台宗は一度だけ、これも仏の人格になる、釈迦誕生日に天台寺院に参ったとき、、、
真言宗は一度だけ、脳がオーバーランして、チベット密教と同じく、師匠の道場へ坐禅して事なきを得たな、、
軽いのは、真宗、浄土宗、日蓮宗、修験道、神社、なんでもありか、、
>>521 アッセンブリーなんかにも行くのか。。。
怖い者知らずだな…w
530 :
コンブ殿へ、大王:2006/12/04(月) 17:22:47 ID:rKsnV7wf
ははは、、コーラン読んで、イスラム神秘主義に入る、、
もう、やけくそだな、、
でも、教派神道系と新興宗教はいやだなあ、、
>>526 せったんさんとは、ネット上でやりとりしたことありますけど、日本語の理解が難しい・・・・
わかる人にはわかるけど、わからない人にはわからないw
どちらにしても、
山の霊気も体力がないと身体に毒ですので、近寄らないことにしてます(^_^;)
>仏の人格になってきたことはあるけど、、
???
きっと、この辺がソーカなのかも( ̄□ ̄;)!!
自分でも言ってることよくわからんけどw
エクスタシーは波動だと思いますよ。
それは、たぶん肉体に依存しないんですよ。
と、言葉ではなんとなくわからないでもないですけど、
実際に出来るかと言われると、限りなく不可能に近いナァ〜
532 :
コンブ殿へ、大王:2006/12/04(月) 17:24:35 ID:rKsnV7wf
タルムードの解説書でも、結構神秘主義的に、、ユダヤ教、、
世界征服だ、、、あほやな、、
533 :
コンブ殿へ、大王:2006/12/04(月) 17:28:32 ID:rKsnV7wf
仏の人格になってくる、、チベット密教では、勝義の光明ていうらしい、ゲルク派の表現ね、、
真言寺院で、真言を唱えると、瞳孔が開き、外の風景が、まぶしくなるな、、
禅では、瞳孔が閉まり、暗くなる、、
密教は精神の自由を味わえる、、、
>>527 それって、唯心論ですか?
イスラムの原理主義もそうですけど、それって発展すると現世否定するでしょw
私は人格歪んでますので、現世否定するのって、嫌いなんですよね。
やっぱり、とにかく能天気に肯定しまくる思想がいい(*^。^*)
そうしないと、人殺して快感得るタイプになりそう・・・・・・・
>>533 メチャおもしろいんだけど、でんでん言ってることわかんないです(^_^;)
536 :
コンブ殿へ、大王:2006/12/04(月) 17:31:22 ID:rKsnV7wf
コンブ殿は、やはり、密教肌なのね、、
>>534 逆ですよん。
霊と肉は離せない。神は歴史において自己を表す。
538 :
コンブ殿へ、大王:2006/12/04(月) 17:33:35 ID:rKsnV7wf
体験ばかり、言っているからね、、
論理じゃないからなあ、、
マ、精神が自由な感じがあるって、いうことかなあ、、
禅はそうはいかないんだけども、、
>>536 考えても見れば、性的な密教ならわからんでもないかナァ〜
たぶん、オルガスムって、呼吸なんですよね。
だから、聖霊が来るのはわからんでもないナァ〜
うむw
セックスも深いぞ、大王ドン( ̄□ ̄;)!!
私も言ってること全然わからんけど\(^o^)/
>>537 わっ(^_^;)それも全然わからないw
今日はわからんものだらけだw
> 逆ですよん。
ということは、現世の強い肯定?
でも、そうすると仏教とキリスト教の違いなんてほとんどないナァ〜
> 霊と肉は離せない。神は歴史において自己を表す。
歴史って、時間の堆積?
自己も個人的な時間の堆積ではないのですか?
これって、同義反復にも感じる・・・・・・
うーん、難しすぎ(-_-;)・・・・・
541 :
大王:2006/12/04(月) 17:45:55 ID:rKsnV7wf
ま、昨日いった、門脇佳吉さん、イエズス会の神父の本は、、
仏教とキリスト教の違いなんてほとんどないナァ〜
の世界かもね、、
変なクリスチャンと思いきや、上智大名誉教授、岩波文庫のイグナチウス、ロヨラを訳している、、
ま、仏教徒キリスト教の融合の世界味わってみては、、、
この人は、おいらの禅の師匠の師匠が同じだ、、
542 :
大王:2006/12/04(月) 17:47:22 ID:rKsnV7wf
では、また、あした、、おちるべ、、
>>541 大王ドンって、ほんと面白いナァ〜
キリストが釈迦と同じだとすると、やっぱり、新約読まないといけないナァ〜
般若心経以外のおお奨めの仏典って何?
だれかエロイ人教えてw
>>540 隠れた事は我々の神、主に属するものである。しかし表されたことは
長く我々と我々の子孫に属し、我々にこの律法の全ての言葉を行わせるのである(申命記29:29)
神自身は見えない。何ものにも属さない。歴史を通し、人間の言葉を通して、神の行為のみを知る。
これが基本です。
これが、三位一体の根幹でもある。グノーシスでは、地上のイエスは仮の姿でしかない。
あくまでも、人間としては完全に人間でなければ、意味をなさない。
そして言葉は肉体となり、私たちのうちに宿った、と言う訳です。。。
546 :
名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 18:51:17 ID:BnPl/BJN
宗教がやたらと強調する「精神的苦悩」や「死の恐怖」は、殆どすべて「自己
中心主義」から生じている。自分への執着から離れて身近な他者である家族に
心を移せば、苦悩は軽減し、消滅する。効果は抜群である。死の恐怖も、後に
残る者たちのことを配慮し、思い煩う過程の中で昇華され、自ずから解消する。
人間の本質が、生物としての種族維持(種族としての生存)であり、また、家
族の生命は、自らの生命の延長に他ならないからである。
自らが家族を捨てた釈迦やイエスは、この最も肝心なことに思い到らなかった。
最も身近な他者である家族を不幸にして、何が「人間への愛・慈悲」か。いくら
「親を敬え」などと説教を垂れても、それは彼らの言行不一致を証明する以外の
何物でもない。彼らを信奉する宗教者も、家庭的には、即ち人間としては出鱈
目な者が殆どである。
釈迦やイエスの宗教が、根本的な誤りであることを示すものである。
フーテン氏の、「キリスト教の正常化」のための努力は多とするが、神やイエ
スを捨てきれない限り、いくら足掻いても、出口はどこにもない。
547 :
名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 19:11:19 ID:pngrHFRy
イエスの時代の復活信仰は 人間の「死の恐怖」から生まれたものではない。
それは マカバイ戦争時の 義人の死 つまり殉教者が 世の終わりに
復活すると考えたからだ。
なぜなら 神の正義が この世の終わりに実行されると考えたからだ。
つまり 神の正義が行われるから 義人の復活 があるのであって
人間の死の恐怖からの解放 という視点から復活信仰が生まれたわ
けではない。
>>517 本当にありがとうございます。早速ためしてみます。
グーグルマップで近所の教会しらべたら結構あるのでびっくりです。
ここだけは近づくなってキリスト教系の団体があったら教えてください。
>>545 >そして言葉は肉体となり、私たちのうちに宿った、と言う訳です。。。
わかれと言われれば、わからないわけでもないですけど(^_^;)・・・・・
そもそも、言葉というのは意味があるから言葉ですよね。
同じように、肉体も魂があるから、人間というわけです。
だから、ある意味、これは同義反復なんですよ。
というか、循環論法です。
だから、三位一体なんですけどね(^_^;)
やっぱり、私はキリスト教には向かないナァ〜・・・・・・・・・(-_-;)
>>546 >最も身近な他者である家族を不幸にして、何が「人間への愛・慈悲」か。いくら
>「親を敬え」などと説教を垂れても、それは彼らの言行不一致を証明する以外の
>何物でもない。彼らを信奉する宗教者も、家庭的には、即ち人間としては出鱈
>目な者が殆どである。
それは、正論だと思いますよ。
ただ、搦め手からださないと、逃げられると思う(^^♪
キリスト教も仏教もイスラム教もみんな女性蔑視なんですよ。
おまけに、この社会も同じ。
まあ、私も男なんで、別にこの点を深く追求するつもりもないんですけど、
宗教の八百長って、結構、思いのほか根深いとおもぉw
>>550 女性は日本では得だと思いますけどね・・神道の影響かな?
宗教の魅力は八百長なところなんですけど、当事者が八百長の魅力に気がつかないからややこしくなる。
>>546 だから財の分配をどうするのさ。自分の家族を守るのは当然で、もんだいは他の家族の困窮をどこまでフォローするかでしょ?
自分で得た財は当然家族に優先するんだから、与えられない者は不平等→嫉妬→怨嗟→攻撃のパターンにはまるでしょ。
宗教は「無い奴ほど幸せ」と刷り込んでくれるんだから、社会には絶対必要なんだよ。自分の家族の安全のためにもね。
>>514 我が子を千尋の谷に落とす、という気持ちはわかりますけどね。
「ちょっと苦労してこい、おまえのためだ」みたいな。(笑)
>>546 キリスト、釈迦が自分のためだけに行っていたならば、言葉は残らなかったでしょう。
信徒としては、実践によって自分の霊魂を高めるのに問題はありません。
しかし、後世には残らないでしょう。残す必要もないでしょう。
開祖としては後世に教えを残す必要があります。
それは人類のために有益だからです。
開祖個人で終わらせるわけにはいかなかった。
開祖が教えを残したかったのは、人のためになるという慈悲の心からです。
人が宗教を完全に実践するならば、平和だけが残るでしょう。
人の中にある宗教心は邪心ではありません。
>>554 確かに、それは一面なんです。
宗教が犯した様々な害悪も同じ根っこです。
性善説に立つか、性悪説に立つか。
これは、宗教とは関係がないような気もしますけどね。
557 :
まい:2006/12/04(月) 22:06:24 ID:eK0hT32Q
がっぷり四つに組んで凄い会話が交わされていますね・・。
大王さんの日常は想像出来ませんねw
人間を性善説、性悪説、と分けるのは変だと思うよ。
どっちでもないから。
人は悪への傾きがあるけど、良心の呵責も持っている。
行動はその時の感情、経験、打算、などを判断し意志が選択を決定する。
嗜虐心、憤怒、殺意、傲慢、などの悪意と、
慈悲、良心の呵責、義侠心、正義、などの善意は人間に混在しています。
人間の中には善も悪もあるんです。
>>558 正確には世悪ではなく、性無善。
慈悲、良心、正義などは後付けだと思いますが・・
世悪→性悪
>>559 弱者が虐げられてるのを見て、義憤を感じた経験はないですか?
苦しんでる人を見て、助けてあげたいと心動かされたことはありませんか?
悪に正義で報いたいと感じたことは?
善とは道理じゃなくて、もっと単純なものです。
上に書いた感情です。心の動きです。欲求なんです。
悪も欲求ですが、善も欲求です。
無償で人を助けたいという慈悲の気持ちはありますよ。
道理よりも先に心動かされるんです。
>>561 だからそれは子供のときに読んだ物語や環境などに起因しているかもしれないのであって、
生まれながらと断言するのは拙速のような気がします。
もちろん、絶滅したネアンデルタールが死者に花を手向けたように、宗教心のようなものは生まれながらにしてあるのかもしれませんが、
義憤や良心まで拡張してしまうとさすがにそれは後天的環境によるものなのでは、とどうしても疑ってしまいます。
性善であるなら、宗教の役割は本来の善性を引き出すことに過ぎなくなってしまい、神も道具になってしまいますよ。
そうなのかもしれないけど。
563 :
名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 22:46:37 ID:BnPl/BJN
>>598 >人間の中には善も悪もあるんです。
それにももかかわらず人類がここまで存続し得たのは、やはり、究極の「善」
としての、人間の生物的生存本能(生命)の結果です。
すべての人間を「罪人」とみなすキリスト教の原罪・贖罪観念ほど誤った、人
間軽視・否定の教えはありません。これは、「過度の罪悪感」という、鬱病の
典型的症状そのものです。キリスト教は、イエスの狂気の集団的伝染という精
神医学的現象以外の何物でもありません。当時は精神医学が無かったから、
そのことが判らなかっただけ。「神」など一切関係ないのです。
>>563 ご隠居って、キリスト教批判のためだけにヒューマニストを名乗っているのかと思っていたけど、
本当に人間の可能性を信じているんだね。ちょっと見直した。
確かに、他人を疑ってばかりいたら何も進まないからね。
私は悲観的だけど、人類は数万年の存続だけで絶滅するとおもってるけどね・・恐竜の記録を更新できるかどうか・・・。
まぁ、この広い宇宙で人間に生まれたのも何かの縁なので人生を謳歌するけどね。
>>562 人間を人間たらしめているのは、教育と知識、経験、であって、
生物としての器質ではありません。
後天的かどうかを問題にしても、脳をリセットするわけにもいかず、
リセットしたとしても、その少ない例を人として扱うのは疑問です。
その人が生物的には人間でも、現実として大多数の人間は
文明社会の中で暮らしています。
その少ない例だけで「人は○○である。」と断言できません。
と、いうか人間の定義が間違ってる。
生まれたままでなんの教育も与えず中立[ニュートラル]な環境で人を
生かしても、それから得られるのは生物としての人の結果であって、
本当の人間ではありません。
現実の人間は教育を受け、家族を持ち、社会と関わっていますから。
これが私の言った人間の定義の違いです。
人間はもう知識も文明も持ってる。
リセットしたとしても再び持つだろう。
教育もなにもない人間を仮定しても、それは人間とは言えない。
ただの生物です。
現実の人間は知識も経験もあるのだから。
>>563 いいえ。キリストが教えたのは美しい生き方です。
美学ですね。
真理は人を自由にします。
私たちは罪の重荷を背負うのではなく、罪から解放された平和を味わいます。
キリスト教は誤解されています。
宗教を、どういう意味合いであれ救われるためのシステムであるべきだと仮定して
議論する限り、堂々巡りするだけなんだな。
まあ、そういう論争のための論争を楽しむスレタイには違いないんだけどw
3世の信仰からすれば、宗教で救われるとか、何か良いことがあるとか、
そういうことは生れてこの方考えたこともない。そんなこととは関係なしに、
信じて進むだけなのでね。。。
>>566 ご隠居は愉快犯だから、そんなこと言われたら舞い上がっちゃうよw
>>568 礼儀正しい態度を無視できません。
悪質な釣りはもっとひどいですから。w
>>561 なるほどー。勉強になります。確かに教育されていない人間はそもそも人間じゃないという考えもありですね。
>>558で「人間を性善説、性悪説、と分けるのは変だと思うよ。 どっちでもないから。 」 といったのは
正確には「人間を性善説、性悪説、と分けるのは変だと思うよ。生まれた素の状態にはできないから。」と解釈しますー。
>>567 その通りだと思うんですけど、不思議とそうでないと叫ぶ人が多いんですよ。
ぶっちゃけ信教の自由というのがかえって信仰の邪魔してるよう気がする。
「保護」してやってんだから、芸をみせろと言われるわけだし。
国家に補償されなかろうが、殺されようがやるやつはやるわけだし。宗教側にとってみれば余計なお世話だよね。
572 :
素人:2006/12/05(火) 00:27:42 ID:MAozTcyl
流れが変わってから、返レスした方がいいかな・・
と思うレスを抽出し続けているが、
かなりの量になってきた・・・orz
メモPADにコピペしてあるが、スレはどんどん進んでゆく・・・。
が、今の自分は、脊髄反射の無意味なレスを重ねるわけにはいかない。
しばし待て。
(大王にも一言二言(・・で済むかどうか判らんがw)言いたい事あるしね。)
>>572 おつです〜。私の憑き物はなんか落ちたみたいなんで、他の方優先してあげてくださいー。
574 :
名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 02:38:13 ID:tMGyTLr3
>>565 >人間を人間たらしめているのは、教育と知識、経験、であって、
>生物としての器質ではありません。
その教育、知識、経験も、すべて人間の生物としての生存本能(生命)が前提
であることを忘れてはなりません。生存本能を中核とする生物の一種に過ぎな
いという身の程を忘れ、自分が神になったつもりで神の意向を思考し、饒舌に
神を語るのが宗教者です。これが「知恵の木の実」を食べた結果としての原罪
の意味です。そのため、一神教徒は神の怒りに触れ、果てしない殺し合いを
続けているのです。
生物としての生命に、長い年月をかけて築き上げられた共生の知恵としての社
会常識とが加わって、初めて「人間」となれるのです。
>>559 我々は、所詮、生物ですから、自分の遺伝子を残せるかどうかです。
ただ、そこには、単純ではない、結構複雑なシステムがあります。
自分の延長としての社会的組織もありますし・・・・・・・
本当はこの辺の「本能」をご隠居が論じてくれればいいんですけどね。
宗教の怖いところは、この「本能」らしきシステムに
「あいつは敵だ」
とスイッチが入ると簡単に人殺しが可能になることです。
しかも、その修正がかなり難しい・・・・・・
だからこそ、為政者は利用しやすいんですけどね。
愛国心を植えつけると言うのも、似たようなものでしょう、きっと。
2チャンで議論しているうちが正常なのかもしれない。
私は以前にもレスしたんですけど、
宗教って最初は、民族の証みたいなものだったと思う。
どんな神を崇拝しているのかということが、
すなわち、自分達の仲間なのか、敵なのかということだったと思う。
つまり、民族の自決の証。
ところが、この中でも、仲間割れや世代交代があるから、
神の信仰が正しいかどうかが、また問題になる。
つまり、仲間同士の本当に仲間なのかどうかという審議の手段。
この辺は体内の免疫系と同じ。
宗教の神によって、敵か味方かを判別し、
次に、信仰の仕方によって、敵か味方かを判別する。
文明や科学が発達するまでは、これはこれで合理的だったと思う。
しかしまあ、これはいまでも有効なんだとは思いますけど、
科学が発達すると、
宗教がどうだ、国境がどうだという考え方では不十分。
というか、人類がひとつにまとまらなければ、
自壊するんじゃないかというところまで来ている。
そうなると、こんどは、この民族自決の証が足枷。
あるいは、自他の認識が問題になる。
まあ、堀江みたいに宇宙に逃げるという手もありますけどね。
人間ウイルス説。
だから、ルソーの社会契約説じゃないけど、
土地に囲いをして、「これは俺の者だ」っていう考え方も、同じく宗教だと思う。
って、私は思ってる。
ただし、共産主義は実現しないし、
官僚制による社会主義はロシアや中国が目も当てられないから、
この分配のシステムもダメ。
今の市場経済のシステムでもっとエコロジカルにシフトすることが可能だと思うんですけどね。
仏教は経済的ニートの大量生産しかしてないので論外なんですが、
メジテーションはいけると思う。
奴隷を容認してるのはいただけませんけど、イスラム教もいいし、
労働救済説のキリスト教もいいと思う。
これからの基本は自給自足になればいいのかも。
あっ、やっぱり無理か・・・・・・・
やっぱり、社会的コストをどうやって払うかが問題になるナァ〜
人頭税かなぁ・・・・・・
>>577訂正
俺の者だ⇒
オレのモノだwヽ(`Д´)ノゴルァ〜
>>578 人頭税は、なんの関係もなかったonz
貨幣経済を維持するのが問題だからナァ〜
やっぱり、自給自足ではないか・・・・・
でも、地域主導だ。
ということで、
この延長線上は、環境経済学や開発経済学か・・・・・・・・
生態系は複雑だからナァ〜
仏教のアプローチはおもしろいんだけど・・・・・
縁起って、生態系。
空って、生態系のシステム全体あるいはそれを支えるもの。
って解釈したら面白いんだけど、まあ、パリサイ派は怒るだろうナァ〜
583 :
:てすと殿へ 大王、、:2006/12/05(火) 10:26:17 ID:1t/QNhov
行ってはダメ教会、
おいらの霊感センサーが、拒否したのは、、
純福音教会、、韓国系ペンテコステ派、、礼拝行ったけど、、どっ、どっ、変な立てノリの聖霊で、、茶色の聖霊、2度と行きたくないなあ、、
イエスの御霊教会、、異端と言われている、、異端と知らずに入ろうとしたが、、霊気が変なので入らずに止めた、、
あと、単立教会も、(団対外の教会も、、当たりハズレがあるなあ、、
ペンテコステ派も過激派は危険だなあ、、全体的に真面目すぎるなあ、、
フーテンさんが、アッセンブリーなんて良く行くなあ、、といったが,,真面目すぎるからなあ、、
でも、アッセンブリーは異言を語りそうになったから、おもしろかった、、
異言、、、聖書にある、本人の知らない言葉をしゃべる、、
霊的、瞑想的、教義的バランスでは、、
日本ホーリネス教団、ローマカトリック、ギリシャ正教が、いいと思うなあ
584 :
まいちゃんへ 大王、、:2006/12/05(火) 10:28:38 ID:1t/QNhov
一応、働いているときは、禅的、非神秘主義的生活を好んでいるつもりなんだけども、、
この冬、京都寺院探検をしようと、思うべな、、
585 :
素人さんへ 大王、、:2006/12/05(火) 10:30:31 ID:1t/QNhov
一言、二言、楽しみね、、
ま、、そーーーですかあ、、、
と、思うだけで、私は終わりそうだけども、、
論理、思考がめんどくさいからなあ、、
586 :
コンブ殿へ大王、、:2006/12/05(火) 10:41:21 ID:1t/QNhov
おいらの師匠は(勝手にしている、、)「主の平和」、アーメンを平気で言う、禅坊主、、
多分、堕落した牧師より説得力があると、思う
南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏も最初会った時言ってたなあ、、
この師匠の出会いから、、キリスト教会を探検してみようと、、思ったわけだ、、
587 :
多分、来週の火曜まで、素人対コンブの論争になる予言大王:2006/12/05(火) 10:57:48 ID:1t/QNhov
今日を終えると、再開なんでしょうね、、、
>>583 俺からすればホーリネスでも熱心すぎてお手上げなのに…w
流石は何でも食べる大王だなw
>>576 実際の所、文明が発達してない。
というか、限界まで到達しては、崩壊するの繰り返し。
今はまた中世だと思う。
科学は、本来宗教とは関係ないし、さもなきゃ宗教のエサになるかのどちらかだし。
>人類がひとつにまとまらなければ、
> 自壊するんじゃないかというところまで来ている。
一つに纏まるには、なにか不合理な原動力が必要。で、そういう、一つに纏まろうとする
力が働く場合、目的は達成されずに、
>宗教って最初は、民族の証みたいなものだったと思う。
>どんな神を崇拝しているのかということが、
>すなわち、自分達の仲間なのか、敵なのかということだったと思う。
>つまり、民族の自決の証。
結局ここに戻る訳です。
要するに、メシア信仰なんですよね。
>>587 そうなの?
大王ドンはテキトーだからナァ〜
まあ、わたしと一緒なんだけどw
>>589 >今はまた中世だと思う。
ある意味賛成ですね。
ただし、科学教。
中世って、結局時代ではなくて、ひとのあり方。
地平線の向こう側は滝のように落ちていて、行ったら死ぬみたいなもん。
また、経済も同じですね。
呪術の延長程度の話しですしね。
いわば、ビルトインスタビライザーなんてもので、みんな拝んでるわけですし。
もちろん、それだけではないですけどね。
>一つに纏まるには、なにか不合理な原動力が必要。
ということで、宇宙人代襲来って話がでたり、
天変地異なんてものがまとよしやかに囁かれるんでしょうね。
しかし、近頃、アトランティス大陸は南米大陸説のテレビ見てたんですけど、かなり面白かった。
ジャレドダイヤモンド著の「文明崩壊」もそうですけど、
やっぱり、科学には限界がありますし、結局、環境破壊に拍車を掛けるしかないのが現状。
このままでは、同じわだちを辿るしかなさそうなんですよね。
あまり悲観的になるのはスキじゃないので、
大王ドンと同じで楽天してますけどw
>>556 >>583 フーテン氏、大王殿ありがとうございます。いろいろ調べてみました。
バランス的にイギリス聖公会か、コンスタンティノープルへ行こうかと考えています。
渡航費にやたら金かかるけど・・。
あと友人の結婚式でハワイの教会へ行くのでいろいろ話しを聞いてきます。
592 :
フーテンさんて、真面目なルター&カルバン主義ねえん大王:2006/12/05(火) 14:40:16 ID:1t/QNhov
日本ホーリネス教団でも、耐えられないのね、、、
聖書は、日基東京神学大学よりも、聖書好きで、、カルバン主義に近いから、笑えるんだよん、
593 :
てすと殿へ大王:2006/12/05(火) 14:42:29 ID:1t/QNhov
イギリス聖公会かあ、、神学的には、おもしろいなあ、、
コンスタンティノープル系、ギリシャ正教は、、呼吸法しながら、キリストに祈る、まさに、瞑想、、
大王ドンに質問(^O^)/
坐禅あるいは瞑想は一日どれくらいやるんですか?
初心者って、最低どれくらいやるもんなの?
30分ぐらい?
なんか、漠然としてるんですけど・・・・・・・・
あと、大王ドンの場合は、どれくらいで、意識が遊離した感じになるんですか?
いわゆる、トランス状態だと思いますけど(^^♪
おしえて(^O^)/
595 :
大王:2006/12/05(火) 15:01:04 ID:1t/QNhov
坐禅は一回、20分から、、40分ぐらいかなあ、、
意識が遊離するのは、、禅門では否定されているので、その方向は拒絶するなあ、、
チベットの曼荼羅に真言唱えまくっていたら、、その後、精神コントロール効かなくなり、
その、精神遊離しそうになった、ユウタイ離脱しそうな感じなった、、
禅門なんで、それは拒否なのだっ、、と、今の師匠の禅寺に逃げ込み事なきを得た、、
チベット密教ゲルク派(ダライラマ)のゾクリムにおいて、、幻身というらしい、
禅門主義なので、、拒否した、、こわいもん、、
あと、意識が遊離しそうになったのは、、
日本キリスト教団長老派(神秘主義軽視なのだが)の教会にて、礼拝中に意識を失いそうになったなあ、、
カトリックのミサでも、、
キリスト教に、おいて、、それを脱魂というらしい、、
ヒンズーも多いらしい、、
これも、おいらは、脱魂を拒否した、、
現実主義禅門主義者の立場だから、、、
596 :
大王:2006/12/05(火) 15:08:35 ID:1t/QNhov
スリーラーマクリシュナが、なんでも教ヒンズーの神秘体験を分類している、、
神秘体験の分類は、たしか、、
1、三昧に入る、、、、光の感覚を体に感じる、、おいらは、コーランを読んでいるだけで、そんな感じになるなあ、、
2、涙が出てくる、、キリスト教はよくある、、真宗、浄土宗もあったか、、
3、脱魂する、、しそうになるが、おいらは、拒否、、、
4、神、仏の姿を見る、、ラーマクリシュナは、キリスト、仏陀の姿を見たらしい、、
おいらは、裏手の真言宗の十一面観音さんの姿を、夜真言唱えたら一秒ぐらいでてきたなあ、
真言坊主はよくみるらしい、、三蔵法師は何分も見えたらしい、、
へぇ、、、、(^O^)/
中沢新一読んでるから、すっかりトランスして、
あちこち旅行いってんだと思ってた( ̄□ ̄;)!!
でも、チベット密教って、それを説教的に肯定してるからこそ、
密教なんだと思ってましたw
そうなんだ・・・・・・・・
否定してるんだ・・・・・
598 :
大王:2006/12/05(火) 15:18:18 ID:1t/QNhov
チベット密教は、勝手にやると、やばいので、、
すでに、勝手にできてしまっているけど、、
チベット密教のラマに付いていないので、、
避けているというのもある、、
こわいからなあ、、指導者なしでやると、、
しかし、考えてみれば、坐禅してトランスしないほうが難しいなぁ〜
600 :
大王:2006/12/05(火) 15:20:28 ID:1t/QNhov
幽体離脱を勝手にやると、、帰ってこれないんではないかと言う、怖さがあるからねえ
白隠さんは、飛びかけて、止めたらしい、、
>>596 脱魂はやっぱり危険ですか?
ブレーキって教わらなくても出来ますか?
>>598 いや、ほんと、怖いですよ。
カスタネダの本にその怖い話がいっぱい書いてますから。
個人的には、あの世界がなんなのかが知りたいですけどね。
トランスすると、いっちゃうあの世界って何?
大王ドンなら知ってそう・・・・・・
603 :
大王:2006/12/05(火) 15:26:45 ID:1t/QNhov
脱魂は安全だと思う、、メソジスト、ウェースレーは当たり前にやっていたらしい、
カトリックの聖者も当たり前に、、
ラーマクリシュナもキリストの姿を見て、後、脱魂した、、
カーリ女神に助けを求める様子がわらえるけど、、
あの世界は、見たことない、、禅門で抵抗するからなあ、、
604 :
名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 15:26:45 ID:3BUtdtVW
変なクスリ使ってそうな人達が集まってまつね
605 :
大王:2006/12/05(火) 15:28:34 ID:1t/QNhov
ラーマクリシュナはあの世界マニアらしい、、
現実主義のおいらは、、拒否し、抵抗する、、禅寺に逃亡する、、
エンドルフィンヽ(^。^)ノ
でも、大腿を激しく動かすと分泌するのは、
やっぱ、ランニングだけではないということについ最近気がついた(^O^)/
607 :
名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 15:55:13 ID:JDuz1XHU
>>589 >>宗教って最初は、民族の証みたいなものだったと思う。
民族宗教の性質を有するユダヤ教は別としても、その狂信者、異端者として
の特定開祖から生まれた創唱宗教としてのキリスト教とイスラームは、民族
や風土に関係なく世界各地に繁殖して、むしろ民族内での紛争の原因となって
いるのが現状である。
>>607 ご隠居も荒いんだよナァ〜
散々やってきたけど、キリスト教史って、そんな単一でもないでしょw
そして、一つにまとまったからといって、それで終わりでもないしね。
そのあとは内部紛争するように出来てる。
自己免疫系のシステムと一緒。
せっかく、ご隠居の本能論の伏線を張ってあげたのに・・・・・・・
オチノシ
609 :
名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 17:33:42 ID:fXhnLuRc
>>567 >信じて進むだけなのでね。。。
未開時代とは異なり、現代社会は基本的に「現実性・合理性・科学性」に基づ
いて構成・維持されている。もはや、何でもかんでも「信じればよい」という
ものではない。
未開人の妄想の産物の惰性的残存に過ぎない、精神障害の結果としての「観念
の遊戯」から生じた、現実上の根拠皆無な空想の産物を信じていることについ
て、少しはためらいや自省の念は生じないのかね。しかも、そのような「信仰」
が、現代の人類にとって最大の問題となっていることは、毎日のニュースを
読んだだけでも明らかなはず。
610 :
大王:2006/12/05(火) 17:36:35 ID:1t/QNhov
みなさま、火曜日まで、ごきげんよう、、
コンブ対素人論争になるでしょう、、火曜日まで、、、予想、、、
>>591 いきなり本場に飛んじゃうの?w
まあ、聖公会って傑作。ヘンリー八世の家庭の事情で出来ちゃった教会だから、
成立過程に変な誇りを持つ心配はない。聖公会から神学者は出ないけど、ある意味健全。
>>592 俺はね、エッセネ派じゃなくてパリサイ派なのよんw
>>609 もう、ご隠居のせいで、誰もキリスト教を批判しないじゃないか。
少しは自粛したら?
>>610 ノシ
オチ
>>611 そうなんですよねー。
宗教団体って自分のところが「正統」だと主張するのがほとんどで、
権威を批判して分派する団体も、開祖に回帰してるんだという主張で結局自分たちを権威付けしているように見えてしまいますからねー。
なのでイギリス聖公会みたいに「わがままの王様の離婚騒動で分派しちゃいました。てへへっ・・」って堂々というのは珍しいですよね。
>>612 そうだね。
気がついたら、私もキリストファンになってたw
これはフーテン氏の影響も大だとは思いますけど、
なによりも、ご隠居の宣伝活動の賜物だと思う。
ご隠居に感謝(^O^)/
615 :
まい:2006/12/05(火) 22:35:11 ID:9RJhetLW
フーテンさんの解釈は興味深いんだけど、それが一般的なキリスト教ではないことにちょっと疑問。
私の思う一般的は2ちゃん情報なわけだけど・・。
どう考えたらいい?
>>584 大王さんの感性にも注目しております。
京都寺院探検の報告も期待してます☆
616 :
まい:2006/12/05(火) 22:56:13 ID:9RJhetLW
以前「普遍救済論」だったか、そういうスレで結構白熱してた。
キリストを信じる人だけが救われるのではないと不公平だとかなんとか。
617 :
名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 23:13:55 ID:fXhnLuRc
>>612 >もう、ご隠居のせいで、誰もキリスト教を批判しないじゃないか。
>少しは自粛したら?
あなたは3代のプロテスタントで、自分ではそうは思えなくても嵌り込みが
最も深いから、いくら批判されても全く感じないのでしょう。見ざる、聞かざる
です。
これは私の長年のカルト問題への関与からの実感。フーテン氏を脱洗脳できれば、
すべてのカルト信者を脱洗脳できます。
うわーん。キリスト教ややこしーー。2ch公会議を開いてくれよー。
っていうか、教会って日曜しかやってねぇーじゃん。週休6日かよ!!
毎日祈らんで大丈夫なんかいな・・・。とほほ・・。
620 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 00:28:05 ID:zej+g98J
カルト、カルトと騒ぐが、カルトもその他の宗教も、「原理的」には全く同じ。
その反社会性の「程度の差」だけです。どの宗教でも、「熱心に信じれば」
原理主義となり、カルトとなるのです。宗教が根本から誤っていることの証拠
です。
「カルト」という概念は、むしろ、伝統宗教が、卑劣にも、自分たちを社会的
に話題となった宗教から切り離し、自己防衛を図っているのです。
最大・最悪の超カルトは、文句なしにキリスト教。人間や自然から最も逸脱
した「異常な宗教」だからです。その要素を取り入れた他の宗教も、嵌り込み
が特に深い。キリスト教以外のカルトなど可愛いもの。
オウムの信者たちも、生来は善良で純粋な人々ばかり。宗教に嵌ったばかりに、
100%の善意で人を殺し、自らも死刑台に登り、彼らを慈しみ育ててきた両
親に想像を絶する苦しみと悲しみを与える結果になったのです。
宗教ほど恐ろしいものはないという事実を直視し、宗教の持つ「病理」につい
てもっと真剣に考えるべきです。
>>620 まぁまぁ、みんなどこか病んでいるって事でいいじゃない。
伝統宗教がカルトに責任を押し付けているのは同意だよん。
それにカルトの方が伝統宗教より上かもね。
聖職者とカルト幹部では信者への気遣いや配慮の点で全く勝負にならない。
カルトは真剣になって相談を聞いてくれるからねぇ・・。社会は冷たいし、自分を良く思ってくれる方になびくのは人の心理だと思うよ。
622 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 00:54:26 ID:zej+g98J
>>621 >カルトは真剣になって相談を聞いてくれるからねぇ・・。社会は冷たいし、
>自分を良く思ってくれる方になびくのは人の心理だと思うよ。
「みんなどこかが病んでいる」事実はない。宗教とは、病み方が本質的に異なる。
宗教は、空想上の架空の存在が「実在」すると信じ込まされることにより、本来
現実に対処できるようにプログラムされている人格自体が、変容・破壊される。
宗教は、人間の悩みに付け込み、優しい猫なで声で擦り寄ってくるが、それは
あくまで勧誘のためで、相手の幸せを本当に考えているのでは決してない。勘
違いしてはならない。
本当に相手のことを思っている人は、きれいごとなど言わない。
623 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 01:06:07 ID:zej+g98J
人間は、おぎゃーと生まれただけでは人間にはなれない。生物的生命に、
長い長い年月をかけて積み重ねられてきた、共生の知恵としての「社会
常識」を身につけて、初めて人間になれる。人間が、本質的に共同体で
あるからである。
狼少女は、この共生の知恵を身に着ける機会を奪われたために、結局は
人間になれなかった。
宗教は、自分だけの救い、自分だけの幸福、自分だけの解脱を求める
から、この人間の不可欠の要素としての社会常識を無視することにより、
人間そのものを破壊するのである。
>>622 本当に相手のことを思っているかどうかは関係なくて、受ける側が聞きたい言葉をサービスとして提供する方が、人心を得ることができる。
耳に痛いことを聞きたい人は、少数派なのです。
それからたとえ妄想が病だとしても、人間はその病にかかりやすい生き物なのです。
毎日風邪をひくのは辛い事ですが、人間の脳はそういう仕組みなのだから仕方がありません。
いくら妄想をやめよといったところで、人類全員の毎日の頭痛を治す人材もお金もないのだから甘んじて現実を受け入れるしかありません。
いつもどおりだなぁ。
626 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 01:14:37 ID:zej+g98J
>>624 >人間の脳はそういう仕組みなのだから仕方がありません。
そんなことはない。宗教が、意図的・人為的に、観念操作により変性意
識を作り出し、洗脳するからである。
>>623 宗教組織は、国家組織とは違うのですから、当然国家の社会常識と対立することになります。
ただ、宗教組織の存続を認めているのはその国家社会です。
宗教社会には国家にとって有害な部分もありますが、役に立つと考えられているからでしょう。
そうでないと判断されれば、警察や自衛隊に排除されるだけです。
ただ、日本国家常識と宗教常識の優劣については、個人個人か、神でないとわかりません。
628 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 01:17:32 ID:zej+g98J
>>625 君も、宗教の「病理」について、自分の意見を述べたらどうかね。宗教
に嵌っているから、その病理が見えなくなってしまっているのか。
重度の精神障害者や妄想者には、病識がなくなる。
>>626 だから人為的であれ、自然であれ、観念操作されやすい生き物であることは否めません。
それはキリスト教徒の信者数を見れば解ると思います。
>>628 宗教が一種の病性をもっているという意見には、反対はしていません。
私が言いたいのは、世の中には様々な病気があるし、不治の病とは付き合っていかなくてはなりません。
631 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 01:28:52 ID:zej+g98J
>>627 >宗教社会には国家にとって有害な部分もありますが、役に立つと考
>えられているからでしょう。
具体的にはどんな役に立っているのか。利害考量はやってみたのか。
政教分離は、キリスト教の内部紛争に手を焼いた国家がやむをえずとった
手段。
そもそも政治は、国民の生活にとって最も重要なものであるのに、それ
から宗教を排除せざるを得ないのは、宗教が国家そして国民にとってい
かに有害なものであるかを示しているではないか。
史上、国民の生存に責任を持つ為政者が、宗教にはどれほど手を焼いた
かという「事実」を、忘れてはならない。宗教とは、観念過多による狂
気の別名だからである。
632 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 01:32:57 ID:zej+g98J
>>630 病気であれば「治療」しなければならない。他の病気も、すべてそうでは
ないか。病人を放置すること以上の「人権侵害」はない。
>>631 国家の意思と、私個人の意思は違います。
国家の意思は、日本国においては、一部の政治家と官僚により意思決定されています。
そして個人は少ない影響力で政治家を選択することができますが、本当に少ない影響力しかありませんので、
キリスト教存続許可の決定は事実上政治家と官僚によってなされているので、私個人でキリスト教を排除する事はできません。
「クスリ投与か脳味噌いじりか」ってまるで「コーランか剣か」みたいだねっ。
>ID:zej+g98J
引越しなら埼玉県の戸田市がお勧め。
宗教というのは、どれも人間が本来持っている良心と、
その時代と場所に適応するための知恵を体系化したものにすぎません
だから最初から野心的な宗教をのぞいて、代表的な宗教の教義の核となる考えは
誰が読んでも「なるほどそうだ」ということになるでしょう。
核となる教義を聞いて「今まで知らなかった。私は今まで無知だった」というのは間違いです。
自分が「なるほどそうだ」と思うということは、自分の中にその考えに共鳴するものを元々持っていたのです
ただし、その当たり前のことに感動してしまうあまり、宗教の中で時代と共に読み替えなければならない
部分や儀式的な部分も絶対的なものだと、自己暗示にかかってしまう人がいます。
それは、それを都合よく考える為政者や偽聖職者が積極的にその方向にし向けることと、
それが麻薬と同様の作用があることから、その状態におぼれる人達がいる限り無くならないでしょう。
例えば、戦争は祭りと同様のトランス状態を引き起こします。宗教の集団儀式もトランス状態を引き起こします。
しかし、彼らは自分たちがトランス状態を楽しんでいることを認めず、何か高尚なことに携わっていると思いこみます。
だから、為政者と偽聖職者、エセ保守主義者は、カルト宗教が大好物なのです
私にはわかりませんが、虐殺や差別でトランス状態になる人たちもいるようです
実際には、誰もが同じような性質を持っているのでしょうが、通常はみんなそれを
プライドで制御しているので、制御できてる人から見れば本当に悲しい人たちです。
>>632 優先順位的に、貧困国の従来の疾病の治療に財を投資すべきです。
宗教病より先に、栄養失調を直してほしいと思うのが当事者の心理ではないでしょうか?
それから発熱に対して、解熱剤を飲ませる行為が最近になって見直されてきています。
人為的な治療行為全てが良いものだと判断するのは拙速だと思います。
人間の本来持つ自然な治癒能力に期待が集まっています。
639 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 01:53:58 ID:+ExwyMPF
荒らしなんかやめてほしいよねっ。
ん?ぽったんは荒らしじゃないよ。
641 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 01:57:43 ID:+ExwyMPF
「ぼったんの病気を支援する会」は荒らしだね。
642 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 02:00:21 ID:+ExwyMPF
病気呼ばわりされて勝手に支援と称して荒らしをやられたら
ぼったんという人も不快極まりない気分になるだろう。
ぽったん、おもしろいじゃん。
644 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 02:05:05 ID:+ExwyMPF
ひとの名前を借りてきてあんな真似をする奴って本当に嫌。
すぐに他人をブルネルスという人と同一人物にしたがる
小さなヨハネと似た精神構造をしてるんじゃないか。
粘着されるって事はキャラがたってるって事だから、ぽったんも気にしないと思うけど。
私なんて無個性だから・・
いや、むしろ我さんの偽者のほうに似てるか。
どうでもいいけど。
ほかの名前をもってくるって宗教に多いなぁ。
キリスト教イスラム教バハイ教大乗仏教しかり。
やっぱ先行宗教のネタは有効活用したくなるものかな。
>>645 その気分は本人しかわからないというのはその通りと思う。
うーん、ぽったんこっち来ればいいのにと思うんだけどね。
仏性もないし、座る必要もないってたぶんわかってるんだろうから、禅スレに常駐しなくてもいいのに。
本人が好きなんだからしゃーないけど。
もう寝なければ。ごんきょはもう寝たのだろうか?
>>649 おやすみー ノシ
ご隠居は過激な事いうけど、あれで結構やさしいんですよ。
652 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 03:01:01 ID:zej+g98J
フーテン氏は、その強固な洗脳(架空の神とイエスの狂気)の枠内で一生懸命
現在のキリスト教を批判し、改善しようとしているが、全く無意味なこと。
結局は、お決まりの宗教内紛争に過ぎないからである。
いずれかの宗教を批判しようとする者は、まず自らが宗教(観念の遊戯)の
枠から外に出なければならない。観念の対極にあるものが、現実界であり、自
然であり、人間の身体であり、その究極の本質としての生存本能(生命)であ
る。
ひたすら自然に依存し、ひたむきに生存を続ける他の動物たちの世界である。
人間は、本来的に動物であるという自覚である。
宗教故に理由無く命を奪われた無数の罪無き人間の断末魔の叫びを想像すれば、
宗教を肯定することなど、到底できるはずがない。
あら、つきたんノシ
ときどき見かけたけど、あんまりレス続かないよね。
メジテーションやトランス系詳しいんだから、
少し、レスってよヽ(^。^)ノ
あっちの世界にはいかないの?
もちろん、ナチュラルハイで(^O^)/
563 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 22:46:37 ID:BnPl/BJN
>>598 >人間の中には善も悪もあるんです。
それにももかかわらず人類がここまで存続し得たのは、やはり、究極の「善」
としての、人間の生物的生存本能(生命)の結果です。
すべての人間を「罪人」とみなすキリスト教の原罪・贖罪観念ほど誤った、人
間軽視・否定の教えはありません。これは、「過度の罪悪感」という、鬱病の
典型的症状そのものです。キリスト教は、イエスの狂気の集団的伝染という精
神医学的現象以外の何物でもありません。当時は精神医学が無かったから、
そのことが判らなかっただけ。「神」など一切関係ないのです。
564 :てすと ◆Y5g8YZ9wkQ :2006/12/04(月) 23:02:59 ID:oKKTyn13
>>563 ご隠居って、キリスト教批判のためだけにヒューマニストを名乗っているのかと思っていたけど、
本当に人間の可能性を信じているんだね。ちょっと見直した。
確かに、他人を疑ってばかりいたら何も進まないからね。
私は悲観的だけど、人類は数万年の存続だけで絶滅するとおもってるけどね・・恐竜の記録を更新できるかどうか・・・。
まぁ、この広い宇宙で人間に生まれたのも何かの縁なので人生を謳歌するけどね。
・・・・だね。
宗教を、どういう意味合いであれ救われるためのシステムであるべきだと仮定して
議論する限り、堂々巡りするだけなんだな。
・・・だね。
しかしまあ、これはいまでも有効なんだとは思いますけど、
科学が発達すると、
宗教がどうだ、国境がどうだという考え方では不十分。
というか、人類がひとつにまとまらなければ、
自壊するんじゃないかというところまで来ている。
そうなると、こんどは、この民族自決の証が足枷。
あるいは、自他の認識が問題になる。
・・・だね。
>一つに纏まるには、なにか不合理な原動力が必要。
ということで、宇宙人代襲来って話がでたり、
天変地異なんてものがまとよしやかに囁かれるんでしょうね。
しかし、近頃、アトランティス大陸は南米大陸説のテレビ見てたんですけど、かなり面白かった。
ジャレドダイヤモンド著の「文明崩壊」もそうですけど、
やっぱり、科学には限界がありますし、結局、環境破壊に拍車を掛けるしかないのが現状。
このままでは、同じわだちを辿るしかなさそうなんですよね。
あまり悲観的になるのはスキじゃないので、
大王ドンと同じで楽天してますけどw
・・・ふ〜ん。そうかぁ。
603 :大王 :2006/12/05(火) 15:26:45 ID:1t/QNhov
脱魂は安全だと思う、、メソジスト、ウェースレーは当たり前にやっていたらしい、
カトリックの聖者も当たり前に、、
ラーマクリシュナもキリストの姿を見て、後、脱魂した、、
カーリ女神に助けを求める様子がわらえるけど、、
あの世界は、見たことない、、禅門で抵抗するからなあ、、
604 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 15:26:45 ID:3BUtdtVW
変なクスリ使ってそうな人達が集まってまつね
605 :大王 :2006/12/05(火) 15:28:34 ID:1t/QNhov
ラーマクリシュナはあの世界マニアらしい、、
現実主義のおいらは、、拒否し、抵抗する、、禅寺に逃亡する、、
・・・アッチの世界には呼ばれたときに行けばいい。
それまでは、現実世界で人間として生きたほうがいいのかもね。
わかったつもりになって、この世に順応出来なくなるよりね。
宗教は、自分だけの救い、自分だけの幸福、自分だけの解脱を求める
から、この人間の不可欠の要素としての社会常識を無視することにより、
人間そのものを破壊するのである。
・・・宗教をもっと知ってから批判しなくちゃ。
>>622-623 宗教は、人間の悩みに付け込み、優しい猫なで声で擦り寄ってくるが、それは
あくまで勧誘のためで、相手の幸せを本当に考えているのでは決してない。勘
違いしてはならない。
本当に相手のことを思っている人は、きれいごとなど言わない。
・・・この場合の「宗教」とは、個人ではない化け物ですか?
この化け物を動かしているのはどんな心理を持った人間なのでしょう。
「猫なで声を出したら救われる」という間違った宗教を信じているとは言える。
そういう神の声を持ち出して、騙すことで利益を得ているものがいる。
これを本来の宗教の根っこにあるものだとして話をしても、本来の神と人間の話を説明していることにはならない。
・・・ま、病気か病気じゃないかの説明にはなったかな。
>>661 いつも、病気か病気でないかの議論になるから、仮に病気だとした場合の議論を試してみた。
ご隠居の言ってることは可能かどうか。
ご隠居はキリスト教が病理であると主張したいだけで、どのような方法でいつまでに治療するとか全く考えていないから。
病魔に襲われていると嘆くだけ。
その辺はヒューマニストの戦士としてはもうちょっと頑張ってほしい。
>・・・宗教をもっと知ってから批判しなくちゃ
なんかエラそうに、名無しでレスして奴がいるぞ(笑
どんだけ知れば批判できるんだかヽ(^。^)ノ
名無し様は、きっと、たくさん知ってんだねヽ(^。^)ノ
ヽ(^。^)ノエライネェ〜
ってかぁ〜(^O^)/
>・・・ふ〜ん。そうかぁ。
でも、この気持ちはわかるナァ〜
>わかったつもりになって、この世に順応出来なくなるよりね。
それが仏教の悟りだと思ってたけどナァ〜
まあ、おもろいけどw
665 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 16:08:29 ID:Abjf/Jgo
>>660 >・・・この場合の「宗教」とは、個人ではない化け物ですか?
>この化け物を動かしているのはどんな心理を持った人間なのでしょう。
そうです。宗教という「化け物」です。個人は、この「化け物」によって生来
の自由意志と後天的に獲得された社会常識とを奪われているから、もはや人間
ではない。
「本来の神」など、人間にとっては、どこを探しても実在しません。「化け物」
によって脳内に植えつけられた妄想です。
ふーん、ご隠居には、化け物が見えるのかw
>>665 問題は、その脳内妄想の神をどうやって追い出すか?
ノーゲはなしねw
>>666 ああああああぁぁぁぁぁwwwwwwおそろしやぁ〜〜〜〜
獣の数字だwwwwwww
ダミアンじゃあ〜〜〜〜〜〜
669 :
まい:2006/12/06(水) 17:41:11 ID:erVQMZNV
>>667 脳内妄想の神を追い出したら、本来の神に会えると言う希望的観測を持ちたいです。
>>665 ご隠居って、ストレートだよナァ〜
たまに変化球もチェンジアップも投げてるみたいだけどね。
面白いよなぁ〜
>>669 それは、西洋思想がかなりラディカルにやっていて、
結局のところは、自分を切り刻んで、自分の血を飲むしかないんですよ。
まあ、退屈な話ですよね。
脳内でまず神を創っておいて、否定したって意味ないんですよ。
そこで、マイモニデスの否定神学ですが。
これをやると強烈な神様が出て来るw
673 :
まい:2006/12/06(水) 18:03:04 ID:erVQMZNV
>結局のところは、自分を切り刻んで、自分の血を飲むしかないんですよ。
どういうことですか?
ワタシは、「金儲けに利用されている神」と「もともとある良心のようなもの」
を想定したんだけど・・。
>>673 えっと・・・・・・・・・・・・
幸せの青い鳥は、実はお家の中にいて、
しかも、食べたらとっても美味しかったですw
ますます意味不明?(-_-;)?
>ワタシは、「金儲けに利用されている神」と「もともとある良心のようなもの」
>を想定したんだけど・・。
このごろそんな神様がピンと来なくなったナァ〜
これもきっと、ご隠居のおかげだと思うヽ(^。^)ノ
675 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 18:15:58 ID:wccMwQpS
探しに行ってもいない?
うちの中を探してもいない?
みんな利益が絡んだ嘘だったの?
676 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 18:18:03 ID:wccMwQpS
ご隠居は、
「そうだよ。ずっとそうだと言ってるじゃないか。嘘つきでないのは、ワタシだけなんだよ。」
って言うんだろうな。
まいさんは金儲けに厳しいな・・。
別にムーの背表紙に広告載せて、びん詰めの聖霊売ってもいいと思うんだけどね・・。
678 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 18:38:57 ID:Abjf/Jgo
>>672 否定神学も肯定神学も、在外の「神」を前提としている点で誤り。
否定も肯定も、いずれも生物としての人間の生命の作用であるという
認識に到達することが重要。つまり、人間の生命を離れた神など存在
しないのである。どこまで行っても、人間の脳の機能としての空想作用
に過ぎない。
>>675 それが大人の現実というのは、ウソですw
結局、西洋思想って、他者の振りした自己との対話なんですよ。
まあ、その意味では、東洋思想は独り言になるんですけどね・・・・・
でも、そうでない沈黙が東洋思想にはあるはずなんですけどね。
近頃すっかり見当たりませんけどw
680 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 18:44:41 ID:EAvBr6hh
>>678 では なぜ人間は 神を発明したと思う?
682 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 18:50:46 ID:EAvBr6hh
>>678 >人間の脳の機能としての空想作用 に過ぎない。
人間の本来の目的は 自己の複製を多数のこす事だとすれば
つまり その人間個人の遺伝子を 多数複製することだとすると
神の発明が ある特定の個人の遺伝子を 多数複製することに
どのような有利な点があるのか?
>>681 近頃、ミクシィ休止してるからなぁ〜
まあ、お金の損失で済めばいいんでしょうけどね。。。。。
個人的には、自分が納得がいくまで、話を聞いてみます。
疑問点があれば質問してみます。
まあ、本人の気持ちがどこにあるのかがわかれば、本人も行かないかも。
難しいですけどねw
しかし、絶対行かせたくないし、行きたいと思う気持ちがわからない・・・・・・・
ご隠居頑張ってw
オチノシ
>>683 修行をつめば、独立して瞑想指導できるらしいから、回収プランがあるなら初期投資はやむを得ないと思うんだけど、
約20日の修行で60万はボリすぎだろうと・・。まぁ一人に対して複数指導員がつくなら原価一杯かなという気もするが・・
っつうかこんなの無資格で開業しちゃえばいいのに。
商標登録はしてるみたいだけど、係争になったところでなんとかなりそうだし。
686 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 19:54:13 ID:Abjf/Jgo
>>680 >では なぜ人間は 神を発明したと思う?
極めて簡単なこと。科学がなかった時代に、厳しい自然との闘いのなかに
ひたすら生存に努めた古代人たちは、生存を脅かし、または生存を助ける
自然現象が何故起こるかについて無知蒙昧だったのだから、それらの自然
現象を起こす不可知な力を「便宜上」神々と呼び、恐れ、憎み、あるいは
崇拝した。自然現象は生存を脅かすものが殆どだから、古代人にとっては、
殆どの神々は、憎むべき、闘うべき対象だっただろう。自然現象の原因が
殆ど解明された現代においては、これらの神々はもはや存在しない。
自然宗教の対極としての創唱宗教の神々は、開祖の精神障害による幻覚や
妄想、観念過剰から、自然宗教の神々を抽象化、精神化、非現実化し、人間
の生存から切り離してしまったもの。当時は精神医学がなかったから、精神病
であることが判らず、却って珍重された。信者は、この精神障害が伝染した
ものである。精神病は伝染する(感応精神病)。
687 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 20:01:37 ID:Abjf/Jgo
>>666 >ふーん、ご隠居には、化け物が見えるのかw
君たち宗教信者の姿を見れば、その化け物がはっきりと見えるよ。それは、
現実上の根拠皆無な「観念の塊」という化け物。
バハイ教も注目してよねっ。
690 :
まい:2006/12/06(水) 23:06:29 ID:3JRrWmza
691 :
まい:2006/12/06(水) 23:16:34 ID:3JRrWmza
>>685 同じような買い物ですね。
でも、結局はセンスの問題だろうから、修行日数や金額で手に入れられる技術ではないと思う。
聖霊を買ったつもり、技術を得たつもりの自己満足に対価を払うことになるんだろうけど。
自己満足にも効果はあるのかもだけど。
>>690 >>691 お金をつかうと、何かが解決したように感じるんですよ。
仕事が進まないから道具を買いなおしたり、なんかやる気の出る本かって最初の数ページ読むだけとか・・。
人って本当に不思議だなぁ・・・。
なんか君の人生観はおもしろいね
694 :
まい:2006/12/06(水) 23:27:33 ID:3JRrWmza
そうですね。
お金に癒されるってのもありますね。
狂わせることも出来るけど。
お金に振り回されるのではなく、使いこなせるようになりたいですね。
>>694 いや・・癒されてるって事は前に進んでいないって事だから、金で癒している暇があったらさっさと机に向かった方がいいと思う・・。
自分のことなんだけどね・・。仕事すすまないなぁ・・。
696 :
まい:2006/12/07(木) 00:11:48 ID:5YEgn7cx
何かが解決したように感じるだけじゃ駄目ジャン。
・・ワタシはケチだからそう思うw
癒されるってのは、パワーを補充するってことですよ。
お腹いっぱいになって眠くなってもイカンけどw
697 :
名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 01:50:10 ID:sm46NHAX
>>696 >癒されるってのは、パワーを補充するってことですよ。
「癒し」とは、特にカルト宗教が口癖のように使う言葉だが、「具体的」には
どういう意味?「パワーを補充する」や「救い」などという言葉も同様。
宗教は、「具体的な意味不明な抽象語」をやたらと振り回して、人を惑わせて
はならない。
>>696 本当は毎日の生活の一つ一つが消耗ではなく充足になるのがベストなんだろうけどなぁ・・
だいぶ良くなったけど。
>>697 具体的に説明したら、宗教なんてやる人いないですよ。どっきり体験コーナーでネタばらしてどうすんですか。
人は惑わされるのが好きなんですよ。
699 :
名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 03:07:26 ID:sm46NHAX
>>696 どっきり体験コーナーでは、騙されたことが番組の終わりには必ずわかる。
宗教では、騙されたことが殆ど一生涯判らなくなるのが問題。
自分が惑わされることが本当に好きな人は居ないと思う。宗教が、その自己満足
や、組織拡大という事業目的のために、あの手この手で惑わしているだけ。
実質、キリスト教は商売として考えたら、それほど成り立ってはいないんじゃない?
どちらかといえば、宗教法人としての寄付などで成り立ってると思う。
その寄付も金持ち相手のものだろうし。
701 :
名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 11:23:39 ID:9Xts47gv
>>700 世の中、「金で片付く問題」はそれほど重大でなない。金は生存のために
不可欠だし、誰でも金は欲しいからだ。
宗教紛争は「金で片付かない問題」だから恐ろしいのである。現在の一神教間
の紛争が「金で片付く」と思うか。
キリスト教を初めとする一神教が、人間の「精神」に与えた被害は、限りなく
大きい。
>>700 伝統的なキリスト教に関しては、その基盤が富裕層だから、
つまり、商売としては伸びないと言うことですからね。
貧しい者のためにあるのが本来のキリスト教の筈ですが、
低所得者層に支持を広げるタイプの新興教派の方が金が集まる皮肉。
やっぱり免罪符なんだなあ。。。
最近俺の抱える偉大な疑問を解決汁!
宗教屋が話すと長くなるから出来れば哲学屋でお願い。
今の時代ぶっちゃけ宗教って必要か?
いや信心は大切だと思うよ。
>>686の言う通り。
でも宗教はどうよ。個人レベルではいいかも知らんが世界レベルでは
対立しか生んでないような気がする。
>>703 宗教は必要
・人は死ぬので葬送儀礼の祭祀が必要。本人の問題ではなく、遺族の問題なので親しい人がやればいいというわけではない。
・死刑を恐れないものに、死後の苦しみがあるとの恐喝が必要。
・回答を与える人でなく、話を聞いてくれる人が必要。
あと宗教がなくなれば対立がなくなるという説明が足りません。
追加。
・不平等に対する不満のガス抜きに必要。
持たないものほど天国や悟りに近いという考えは、為政者にとっても都合が良い。WinWinの関係。
706 :
名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 14:12:23 ID:9Xts47gv
>>702 >やっぱり免罪符なんだなあ。。。
ルターなどが免罪符を否定したのが、諸悪の根源。イエスの、富に対する
理由のない嫌悪感(実は富に対する羨望と欲望)が増幅されたのである。
聖職者も人間だから、その生活のために、また組織維持のために、金は必要。
人間として、極めてノーマルな行為(宗教が介入したために、いびつなもの
にはなっているが)。
「腐敗」は人間性そのものだが、「信仰のみ、聖書のみ」の潔癖感は、見当
外れのその対極。非人間性の極致。
「腐敗」の否定が、それとは比較にならないほどの巨悪を生み出した。
金は、あくまで社会に対する貢献の対価として得られるべきもの。新興宗教
が、キリスト教的テクニックを利用して、観念操作により信者の精神を狂わ
せて金を儲けることが問題なのである。信者の一生というスパンで見れば、
これ以上の「精神の虐待(spiritual abuse)」はない。
上から
疑問は死者の祭祀に宗教的要素の介入がどこにあるか。
根拠は無いが日本における祭祀は宗教的側面より文化的側面の方が勝る気がする。
宗教的要素を廃せば、祭祀において重要なのは故人を偲ぶことである。
多様な祭祀の方法から喪主が決めればよい事であり、またそれで成り立つ。
次だが、これは宗教が無くなれば対立が無くなるという説にも関連するが、
死刑を恐れない者に対しての恐喝であるが、これは必要ない。
何故なら死を恐れない者などいないからである。
死への恐怖こそ恐怖の本質である。むしろ宗教的である程死への恐怖は薄い。
従って信念のためなら例え死刑が待っていようとオウムのようにテロを起こせる。
次は精神衛生上必要だと言っていると思うのだが、
まさにその為に現代にはセラピストがいる。
続く
>>707 >多様な祭祀の方法から喪主が決めればよい事であり
だから君と全く同意だよ。喪主が宗教的要素のある宗教か、宗教的要素の無い宗教か、無宗教を選択するんだから宗教は選択肢として絶対必要。
>何故なら死を恐れない者などいないからである。
死刑があれば全ての凶悪犯罪を防げるって事でしょうか?
>現代にはセラピストがいる。
石油があれば石炭はいらないのでしょうか?なぜ過去のものをゼロにする必要があるのですか?
709 :
まい:2006/12/07(木) 14:26:44 ID:ZVbP+QPi
>本当は毎日の生活の一つ一つが消耗ではなく充足になるのがベストなんだろうけどなぁ・・
てすとさん、ホントですねぇ。そうだったらいいですねぇ。
>「腐敗」の否定が、それとは比較にならないほどの巨悪を生み出した。
ご隠居さん。ビクーリ!単純じゃないんですねぇ。
続き
追加分
確かにどの宗教も富裕者への蔑みがある気がする。
だが富裕者への不満を宗教によって解消することがいいことであるとは思わない。
それは自分の欲求不満を代理の快感で解消していることに過ぎず、あくまでも
不満は残る。理想主義的かもしれないがむしろ原動力になるべきものであると思う。
宗教のもたらした対立に関して、歴史的に宗教に起因する紛争や
虐殺行為は繰り返し行われている。歴史を見れば明らかだ。
では何故宗教が無くなればいいのか。
私は宗教が無くなれば依存すべきモラルをも無くすとは思わない。
何故なら人には生存本能に起因する愛があるからである。
母性とも呼ぶべきであろうか。この愛を行動原理とすれば良い。
宗教はその性質上、信じなければ成り立たない。
だが愛は万人が受け入れることが可能である。
711 :
名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 14:49:29 ID:9Xts47gv
>>704 >>705 >宗教は必要
根拠が薄弱で浅薄。
>・人は死ぬので葬送儀礼の祭祀が必要。本人の問題ではなく、遺族の問題な
>ので親しい人がやればいいというわけではない。
現代では、葬送儀礼は、宗教というよりももはや単なる風習。その風習さえも、
葬儀の省略や散骨などと、次第に廃れる傾向にある。将来的には無くなるだろう。
>・死刑を恐れないものに、死後の苦しみがあるとの恐喝が必要。
人間の本質は生存だから、健常者であって死刑を恐れない者はいない。
死刑を恐れる自由意志を奪われた心神喪失者は、法律上死刑にできない。その
恫喝は、むしろ圧倒的多数の罪無き人々に対する脅迫やそれを利用した営利の
手段となっているのが現状。
>・回答を与える人でなく、話を聞いてくれる人が必要。
そんなことは、別に宗教でやる必要はない。自分の話や信仰を一番押し付けよ
うとするのが、実は宗教者ではないか。
>あと宗教がなくなれば対立がなくなるという説明が足りません。
生存の過程における対立はあるあるかも知れないが、それは「和解可能」な
対立である。宗教に起因する対立は、和解は絶対に不可能。相手や自分が
死に絶えるまで止めることができない。生存本能や共同体維持本能による
「自動制御」が働かないためである。
>・不平等に対する不満のガス抜きに必要。
宗教によるガス抜きは、かならず「爆発」して、相手を殺す。不平等どころ
ではない。
>持たないものほど天国や悟りに近いという考えは、為政者にとっても都合が
>良い。WinWinの関係。
そうやって簡単に騙され、利用されるのも、宗教の「病理」の一つ。殆どの場
合、利用する為政者自身も宗教者である。
宗教によって「持たない者」を煽てたら、肝心の働く意欲をなくし、彼ら自身
を含む共同体の向上・発展は不可能になり、ますます貧しくなるだけ。
>>710 >富裕者への不満を宗教によって解消することがいいことであるとは思わない。
ではそれに代わる不満解消の具体策と速度計算を提示してください。現状では宗教教育がベターだと思いますが。
>宗教に起因する紛争や 虐殺行為は繰り返し行われている。
>この愛を行動原理とすれば良い。
どのような手法で人間から母性愛を大きく顕在化させるのでしょうか?
人間は愛と同時に様々な感情を有していますが。
祭祀
同意できて嬉しい。
宗教があれば全ての凶悪犯罪を防げる
これは確かに是である。日本が全員オウム真理教徒であれば地下鉄サリン事件は
事件としてではなく、ただ預言が真であったことを示すだけである。
死刑がれば全ての凶悪犯罪を防げる
これは否である。あくまでも行動原理の一因にしかならない。
しかし、私は人を殺していない。
過去ゼロ
気になってはいたが、あなたは選択肢としての宗教はあっても良いという議論らしい。
間違っていた訂正してくれ。
文化的側面は認めるが、何せ神父等の持つ権力がいけない。
>>711 >次第に廃れる傾向にある。将来的には無くなるだろう。
その通り。存続か衰退かなんて自然に任せておけばいい。
>営利の 手段となっているのが現状。
営利活動の何がいけないのでしょうか?
>一番押し付けよ うとするのが、
セラピストもHPを使って営業してますよ。営業活動は忌み嫌うものなのですか?
>和解は絶対に不可能
和解なんてしなくてもいいでしょう。平和の基本は抑止力です。
>かならず「爆発」して
何十億の人が爆発してるようには見えません。80年ガス抜きすればいいだけ。
>簡単に騙され、利用されるのも
ではだれも騙さずに人民を統治してみてください。
>肝心の働く意欲をなくし、彼ら自身 を含む共同体の向上・発展は不可能になり
これは同意。でも秩序と発展を比較した場合前者をとらなければならない国もあるでしょう。
日本人の宗教論争は贅沢だと思いますよ。
>>713 >あなたは選択肢としての宗教はあっても良いという議論らしい。
あ、説明不足で失礼しました。そうです。
>>ではそれに代わる不満解消の具体策と速度計算を提示してください。
>>現状では宗教教育がベターだと思いますが
富裕者への不満は自己の怠惰が招いています。
勤勉であれば金はもらえます。宗教は幻覚を与えます。
愛を顕在化する方法は多くあります。宗教という名の大麻を吸うのも方法ですが、
リアルで吸うほうがラブアンドピースです。
日本の現行法では子供に愛を与えるのが一番いい方法だといえるのではないでしょうか。
実は私もこの議論で一番気になることなのが、多様性に関することです。
人類は多様性によって生存可能性を伸ばしてきたことは議論の余地がありません。
しかし信仰の対象の多様性はどう貢献してきたでしょうか?
>勤勉であれば金はもらえます
創価学会は信者にいろいろ本を読んで勉強しろといいます。
政財界、法曹界、官界にも人材を送り出しています。与党であるために信者の就職や住居を斡旋しています。
あ・・創価は宗教団体じゃないか・・。創価教育学会でしたね・・。
>子供に愛を与えるのが一番いい方法
ですからどのように?子供嫌いな人や好きでも嫌いでもないひとに、どうやって子供への愛を持つように仕向けることができるのでしょうか?
絵に描いた餅じゃないですか?
>>717 ローマ帝国は滅び、キリスト教は生き残りましたが・・・。国家より宗教の方が滅びにくいのでは?
720 :
名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 15:37:12 ID:9Xts47gv
>>716 >日本の現行法では子供に愛を与えるのが一番いい方法だといえるのではない
>でしょうか。
それは疑問。「愛」とは観念ではなく行為。その「言葉」を口にすると、観念化
して内容が失われ、偽善となり、却って、反発、罪悪感、憎悪、殺意さえ生む。
イエスが浅薄にもその言葉を口にしたために、人類に憎悪と殺意の「観念」が
生じた。
最近の教育学者の調査における、「仲良くしましょう」「いじめはいけません」
などという「馴れ合い 学級」に、実はいじめが最も多いとう事実も、この
ことを裏付けている。
愛とは、人間の共同体維持本能に基づく「他者への思いやり」という自然の
感情から生じる「行為」である。
「愛」という「言葉」を、軽軽しく使うべきではない。
>>717 もともと単一遺伝子の微生物は繁殖力はありますが、なにかあれば全滅してしまいます。
そこで雄と雌にわかれて、遺伝子をシャッフルし、不測の自体に保険をかけてきたわけですから、思想の多様性もまた必要だと思います。
宗教がどのように人類に貢献したかは後世の子孫たちに判断を委ねましょう。まだ過渡期ですからね。
国家や思想と生命を混同してはいけない。
ローマ帝国崩壊に関しては詳しくないが、生存可能性を議論すれば、
問題はキリスト教徒が他宗教より多く生き残ったかであり、国家が存続したかではない。
>>722 単純に生存のことを考えるなら、衛生や食料事情がよくなったからかもしれません。
どちらにしても、今人類が生き残っているのはだれの手柄か?という論功行賞の問いはよくわからんですね。
>>720 軽率でした。
もう少し具体的に述べるべきだったのですが…
早く議論を進めたかったのです。
人類は確かに思想の多様性によって生存可能性を伸ばそうと努力してきました。
思想が影響を及ぼすその最たるものが国家制度だとも思います。
多様性の重要な要素は淘汰だと思うのですが、
遺伝子が実験と失敗を繰り返し、失敗は淘汰され、成功は継承される。
共産主義と資本主義では共産主義が淘汰されかけています。
が、宗教はその性質上失敗しても淘汰は虐殺によってしかできないのでは?
>>724 虐殺の実験が失敗すれば、淘汰されるだけだからいいのでは?
100年後は虐殺なんていったら笑われる時代かもしれませんよ。
>>724 >が、宗教はその性質上失敗しても淘汰は虐殺によってしかできないのでは?
そう?
消失や大きな変容は、歴史上実際にあったりするんじゃね?
727 :
名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 16:36:32 ID:9Xts47gv
>>724 >が、宗教はその性質上失敗しても淘汰は虐殺によってしかできないのでは?
宗教、特に一神教の本質とその歴史・現状からみて、残念ながらそのとおり
ですね。その「原因」「病理」を、歴史的、心理学的、精神医学的に徹底的に
分析・解明し、指摘・批判することが、現代の人類に課せられた急務だと思い
ます。やはり、彼らの「外在の神概念」が、最大の原因ではないでしょうか。
架空の、外在の神から、現実のすべての人間とその生存を支える自然へのパラ
ダイムの大転換が、人類にとっての喫緊の課題であると信じます。
>>727 宗教に真っ向から立ち向かった共産主義や全体主義がへたれたから士気さがってるんじゃないの?
しばらくは宗教の天下かも〜♪
729 :
名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 16:49:17 ID:9Xts47gv
>>728 マルクス主義もナチスも、その起源はキリスト教であることを忘れては
ならない。現実には実在し得ない「共産主義ユートピア」の観念信仰は、
キリスト教の「神の国」信仰と同じ。だから、マルクス主義は「擬似宗教」
と呼ばれる。信じる「神」が違うだけ。
マルクスの宗教批判は、お決まりの「宗教・宗派内紛争」に過ぎない。
>>729 それいったらご隠居もキリスト教起源じゃん。
パラダイムの転換っていうのは転換前があるから転換っていうんだよ。
>>729 あと、科学もキリスト教起源が多いよ。キリスト教の影響少ないのってなに?遺伝子のこと?
宗教の淘汰についてもう少し。
>>725 100年後にあるべき思想を議論しましょうよ。
>>726 消失の原因が気になります。他宗教に取って代わったのでしょうか。
思想の消失というのはその非現実性からその思想に依存する行為を
行わなくなるという意味で、という理解ですがあってますでしょうか。
>>727 現実的に淘汰が出来ないとすると、
人々は宗教という思想自体からは進歩できないのでしょうか?
>>732 >100年後にあるべき思想を議論しましょうよ。
目の前の問題を一つ一つ解決するほうがいいと思うけど、言葉遊びとしてなら付き合うよ。
734 :
名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 17:34:55 ID:TRpMP36e
無宗教にこだわっていること自体、宗教から目をそむけることが出来ないでいるということだね。
何らかの形で、常に宗教が頭をよぎっているんだろう。
逆説的だが、732のその姿勢こそが、宗教という思想から抜け出せないでいる象徴になっている。
>>733 お察しの通り、言葉遊びは好きです。是非お付き合い願いたい。
>>734 >>703で述べた通り確かにそうだが、それにはかなり個人的なバックグランドがあって・・・
簡潔に言えば俺自身の病気と世界規模の一家離散というところかな。
まぁ、理由はともかく宗教は俺個人でなく人類に対して肯定的な側面の方が強いのか
弱いのかがもの凄く気になるのよ。
話が出たついでであれだけど、俺今カリフォルニアにいて深夜だから落ちるね。
また付き合ってくださいな。
>>735 人類というのがひとくくりで語ることが可能かはわかりませんが、食糧援助などの偽善に物理的に救われている人達もいますので、
宗教とくにキリスト教はボランティア活動等の面で有益だと思います。
737 :
名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 19:06:35 ID:nPPh7440
>現実には実在し得ない「共産主義ユートピア」の観念信仰は、
>キリスト教の「神の国」信仰と同じ。
聖書の「神の国」等の記述を 後世の人間が解釈する為に
使った思想と 「共産主義ユートピア」と言う考えに
いたる為に使った思想が 同じナンじゃないか?
つまり 聖書等の記述を解釈する為に使った色眼鏡と
「共産主義」思想に至った人達の使っていた色眼鏡が
同じ傾向に色づけされていた だけの話なんじゃないか?
人間は本来各自の 独特な色眼鏡を掛けているはずだから
聖書を読む場合は 独特な解釈が出てくるはずなんだね。
それを 違った傾向の色眼鏡で解釈することを 異端だとして否定すること。
つまり 同じ解釈を共有し 異質な解釈を排除することが 問題なのですよ。
738 :
名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 20:56:53 ID:9Xts47gv
>>737 聖書自体が、最大の色眼鏡ではないのか。それを現実と人間の視点から解釈
することは、その色眼鏡を外すための唯一の方法である。
739 :
名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 23:15:50 ID:TRpMP36e
>>738 主観的生き物の人間から、色眼鏡を無くすことは不可能。
聖書が無くても人は自分勝手な思いで物事を見て判断するだけのこと。
やはり何らかの基準・道徳となるものは必要。
そしてそれは時代や政権が変わるたびに変化するものであってはならない。
何かを強く信じている人は「...主義は...悪い(あるいは良い)」
と何かにつけて他人の考えを単色で色分けして考えて、それで自分を安心させているのか知らないが、
人の考えは毎秒変化してるし、100人のキリスト教徒がいても、
100人のキリスト教の概念がわるわけで、そんな単色で色分けできるというのは幻想にすぎないわけで
その人たちと話をしなければ「あいつは悪魔だ」と言い切っちゃう事も平気なわけだが
いったん話をすると、あぁ確かにわかる部分もあるなぁと言う部分が必然的に出てきてしまう
なぜ、そんなことになるかというと、何かを強く信じている人は、
言い換えれば、自分のことを一切信じられなくなっているからだ
例えば私はイエスの言っていることを理解できるから、イエスの言っていることは
正しいと思うわけだが、イエスのことを強く信じている人は、
もう自分がどう感じるか、というのは全く関係なくなってしまっていて、
だから、イエスを信じていない人は悪魔だということになってしまう
でも、私の考えでは、信じるというのは、自分が全くそう思わないのに
正しいと思うというのとは、ちょっと違うと思う。
相手の言っていることが正しいと思うから(それが間違っているかもしれないが)
それを信じるということだと思う。
もちろん、後になって理解できることもあるだろうから、少なくとも
いつかわかろうと言う努力を怠らない姿勢は不可欠だと思う。
それを、もうわからなくてもいいや、あの人は絶対なのだから、という考えは
相手を単に偶像化しているわけで、大変失礼で無礼なことだと思う
例えば、天皇が「強制はよくありません」と言った時に、それは違うと思いつつ
天皇陛下万歳とか叫ぶようでは、天皇の人格など全く認めていないことになる
それから強く信じてる人たちは「真実の愛とは何か」とか探求しがちだけれども
愛ってそんなにややこしいものか? 自分が行動を起こす前に、相手の立場で考えて
自分も相手もハッピーになれる道を探す、そのくらいのことが実行できれば
それがイエスの言いたかったことだと思うのだけど
ああ、つかれた\(^o^)/
寝る。
おやすみw
742 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 10:46:11 ID:16GqeGEI
>>740 何が言いたいのか判りにくくて、読むのに疲れる。
キリスト教徒は、聖書とイエスを信じ、絶対に否定できないとい点では、皆同
じ。
日本人の天皇崇拝は、終戦と同時に殆ど一夜で覚めた。キリスト教徒は、何故、
2000年間もイエスの呪縛から逃れられないのか。
イエスは単なる精神病者。それが理解できるあなたは、彼の精神病が感染
した状態。
イエスが、相手の立場に立って考えた例が一つでもあれば上げられたし。
すべて、自分の考えの押し付け、「私を信じなければ裁かれる」という
脅迫ではないか。
>>736 聖書や神の「命令」で、または自分では「愛」だと思って行う行為は愛では
ない。単なるエゴに過ぎない。
無意識に、または自分では偽善だと自覚して行う行為が愛である。
娼婦や異教徒に、あなたも救われると言った点は?
744 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 10:58:23 ID:t27WdcJ3
聖書があるから、自分の愛はどんなに愛を持っても、本当の愛じゃないと分かる。
本当の愛は、すべてを超えてすべてを覆う。
745 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 11:18:56 ID:16GqeGEI
>>743 >娼婦や異教徒に、あなたも救われると言った点は?
誰が、何のために、何から、どうやって救うのか。イエスの勝手なでっち上げ
ではないか。その裏には「救われなければ裁かれる、地獄に行く」という
恐ろしい脅迫が隠されている。
すべての人間は、「この世に生を享けた」ということが、すでに大いなる救い
なのである。それ以外の救いの概念は一切必要ないばかりでなく、むしろ人間
の生命そのものの軽視・無視と、人間差別である点で、極めて有害である。そ
のような救いの必要を説くこと自体が「罪」なのである。救いなど説く人間
は、その罪を「悔い改める」べき。
746 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 11:26:57 ID:t27WdcJ3
だから十字架にかけられちゃったじゃん
747 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 11:48:34 ID:16GqeGEI
>>746 イエスは、十字架の上で、神を恨み、神に救いを求めたのだから、最後
まで「悔い改め」てはいない。自らの罪を潔く認め、イエスのことを
思いやった隣の罪人のほうが、はるかに立派である。
キリスト教徒は、イエスと同時に処刑された他の二人の罪人に対しては
何故少しも同情しないのか。ここにキリスト教徒の病理・非人間性がある。
当時、ローマでは、多くの犯罪者が十字架で処刑された。イエスはそれ
らの犯罪者のうちの一人に過ぎない。イエスの罪状は「父なる神の冒涜
罪」であることは、恐らくすべての聖書学者の一致した意見であろう。
その理由で、イエスの罪が最も重い。
精神医学が発達して現代では、イエスは精神病による心神喪失を理由に
処刑されず、精神病院に収容されて治療を受けさせられたはず。要するに、
単なる基地外である。その基地外を有難がって崇拝するのがキリスト教。
748 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 11:57:49 ID:t27WdcJ3
そんなに必死になって
何か恨みでもあるのか?
749 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 12:03:11 ID:16GqeGEI
>>748 当たり前の事実を言ってるだけ。その当たり前のことさえ気付かない
キリスト教徒が極めて異常だということ。イエスの狂気が感染して、
精神が侵されているからである。
750 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 12:05:40 ID:t27WdcJ3
まあ、その主張はそれとして置いといて、
その文面を一般の人が見たら、どう思うだろうか?
なにかに追い詰められてるようにも思えるが
751 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 14:31:36 ID:16GqeGEI
>>750 一般の人は、キリスト教について認識が浅いからだよ。
>>750の言うような切羽詰った感は読み取れない。
そういった感覚を覚えるのはなぜ?
1人の人から始まった宗教てのは誰もがまずは疑うのが当然ジャマイカ?
753 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 14:49:07 ID:t27WdcJ3
ではどのようにしたら、認識が深くなるのか教えてくれないか?
754 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 14:59:12 ID:t27WdcJ3
>>752 2ch上ではそうだね
今は、彼とソクラテス式対話を試みてるのさ
755 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 19:12:28 ID:16GqeGEI
>>754 >今は、彼とソクラテス式対話を試みてるのさ
人のことよりも、まず君自身の宗教洗脳から離脱する努力をすべきではないか。
「ない」ものが「ある」と思い込み、目の前に証拠を付きつけられても絶対に
認めることができないのを、精神医学では「妄想」と呼び、精神病の症状と
して、治療の対象となる。この「妄想」と「宗教的確信」とを区別することは、
精神医学的には、実質上不可能である。
いえいえイエスは十字架にかけられてはいないですよ。
アッラーにより天に引き上げられたんですよw
>>755 例えば「もらうより、与える方が幸いである」とか聞いて、
あぁ、そういうこともあるかもしれないなぁ、とか思ったりしないですか?
あるいは「もらうより、与える方が幸いである」などの言葉を聞いて
なるほどなぁ、いいこと言うなぁ。こういう事を言った人は他にどんな
ことを言ったんだろう?と思って、もっといろいろ知ることが、
「キリスト教徒である」ことの必要十分条件ですが、
そういった、素直に「いいものはいい」という感性は、何か異常なことなのでしょうか?
ちなみに、キリスト教教会に所属していることと、キリスト教徒であることは
限らないと思いますよ。なぜなら、イエスが今のキリスト教教会を認めているかどうかは誰にもわからないわけですから。
ちょっとでも共感したら狂人扱いですからw
759 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 20:17:06 ID:16GqeGEI
>>757 そんなことは、すべての生活者が日々の生活の中で悟り、意識的・無意識的に
「実行」していること。宗教などから教えてもらういわれはないし、また
へらへらと口にすべきことでもない。口にした途端に観念化し、肝心の実質
が失われてしまう。
「愛」という言葉も、全く同様である。
精神病者で「十戒違反」と「父なる神の冒涜」という大罪を犯したイエスが、
今のキリスト教会をどう思おうと、知ったことではない。
760 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 20:33:08 ID:16GqeGEI
>>758 >ちょっとでも共感したら狂人扱いですからw
狂人を理解できたり、共感できたりすれば、狂人扱いされるのは当たり前だろ。
>>759 > そんなことは、すべての生活者が日々の生活の中で悟り、意識的・無意識的に
> 「実行」していること。
その全ての生活者の中にキリスト教徒
(キリスト教の教会に所属しているという意味ではなく、イエスに興味がある人)
がいて(別のキリスト教徒が口コミのように伝えたことによって)
意識的に実行してもいいんじゃないの?
確かに、キリスト教を盲目的に信じるがあまり「人の悪口を言うやつは悪魔だ」
みたいな発言の自己矛盾に気づかない人たちもいるが、そのようなたぐいの誤りは
誰でも日常おかしてしまっている誤りで、人間は誤りを犯すもので、
それは無宗教の人にも同等に日常同じ割合で起こっていることです。
なにしろ、あなた自身が「無宗教」教の教祖みたいにみえますが、
それだって、私から見たらりっぱな宗教ですよ。
そういえばイエスは「他人の目にチリがついていますよと、
(だからちゃんと見えてないのではないですか?)と悪口を言う前に
自分の目に梁があるのに気づきなさい」って、(私に対して)イヤミを言ってました。
(だって、人間なんだからしょうがないじゃん)みたいな。
762 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 21:50:51 ID:q2mJh1y3
宗教はある特定のミームを後世に確実に残す方法としては優れている。
例えば身近な食文化に関連して言えば ブタを食さないと言う文化は
ユダヤ教やイスラム教等により古代より現代に確実に伝えられている。
この様な優れた、文化伝達の方法を無知蒙昧な古代人の妄想だとする
考えが 無知蒙昧な妄想なのである。
763 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 23:37:45 ID:16GqeGEI
>>761 人間の知恵とは、他者との係わり合いの中における日々の生存の過程において
得られるものだけが、本物であり価値があるのであって、生活者ではない開祖
の精神障害の結果として発生する妄想から得るべきものではない、ということ。
イエスも含めて、人間は独りで生存することは絶対に不可能。イエスは、その
最も肝心なことに思い至っていない。彼の言葉には、人間である他者への感謝
の言葉が、唯の一言でもあるか。彼が毎日食って寝て、下手な説教を垂れること
が出来たのは、一体誰のお陰だと思っているのか。「神」など全く関係なく、
専ら「人間」である他者が作ってくれる「パン」や「衣服」や「住居」のお陰
ではないか。
イエスは、「神が作ったままの自然の人間に対する愛と洞察の欠如」という、
自分の目の中の大きな梁には気付いていない。
>>762 ブタを食べないのが「優れた文化」?ならば、彼らの「空想上の、架空の神」の
ために人を殺し続けるのも、「優れた文化」か。
文化じゃなくてさ、
文化伝達の方法として優れている、って書いてあるじゃん・・・
>>763 あなたの言ってることは一理あると思います。勉強になりました。
人間を動物学的に見れば、群れをなす動物である以上、極端な個人主義は
現実からかけ離れた考えにも思えます。
あなたの考えをある程度認めた上で思うけども、
キリスト教には医者としての機能もありますよ
希望を失った人が生きる支えとして一時的に生きる力の手助けをしてもらう場合とかです
全く希望が無くて、それでも神の存在を信じることで、絶望せずに済むような場合です
そのおかげで、耐えてるうちに助かっちゃう場合とかあるんですよね
だから、個人的には神の概念というのは、実は人工的なものでは無く、
実は本能的なものでもあるのではないかと思ったりします。
ちなみに、イエスが「神の国はあなた方のうちにある」と言ったことが私のなかでは符号します。
あなたは、彼のことを精神障害と言いますが、私は天才だったと思います。
言い方が違うだけです。
766 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 00:51:09 ID:W0FFCYw0
>>763 あらあら、ちょっと留守している間に書きまくってるみたいね。
君はソクラテス知らんの? まっいいけど。
ところで、君は
>>753のどのようにしたら認識が深くなるのかの問いに答えてないのだけど?
そして君の認識は果たして実際に深いのかどうかを探っていきたいと思う。
私は自分はここの誰よりも知らないということを知っている。
というわけで、
レスよろしく
767 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 01:15:23 ID:eORvZkEL
>>766 大昔のソクラテスのことなどどうでもよいから、史上そして現在も絶え
間なく続く宗教紛争の原因とその防止・絶滅の方法でも考えたらどうか。
ソクラテスが有名だからという理由で「信仰」しているようだが、彼も
宗教者で精神障害者であった。後世、キリスト教が自分に都合のよい
哲学者だけを祭り上げただけ。
「有名人」だからといって「偉い」わけではないよ。そこを「自分の頭」
で判断できないから、宗教などに嵌る。
768 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 01:40:00 ID:W0FFCYw0
>>767 君は
>>763かい?じゃあ763だと思って書き込むよ。
いちいち言わなくても分かると思ったんだが、言ってあげないと勝手に誤解しちゃってる
みたいだし。君は哲学ってものを知らないですか?
ソクラテスなんてどーでもいいんだよ。彼の対話によって理解を深めていく手法をしているわけだよ。
宗教を批判したり否定するのはいいと思う。だからこうした掲示板などを活用して議論を深めることも出来る。
ただね、君もすべて色眼鏡にかけてものを見てないか?それだけでも宗教否定していながら、自分の価値観をおしつけ
るだけの存在なら、何が違うんだろう?読んでいてそう思った。
さて、別に俺は君の宗教否定を覆そうとか説得しようとか微塵も思っていない。
そいう考えに至るまでにはいろいろ事情があるだろうからな。
さてここで本題に戻そう。
>一般の人は、キリスト教について認識が浅いからだよ。
という君の意見に対して、どうしたら認識が深くなるのか教えてくれという質問をしている
わけだけれども、その回答をまだもらえてない。
俺はここにいる誰よりも知識が無いことを前提にしてできるだけ詳しく書いてもらえたら助かる。
さて答えてくれないだろうか?
769 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 01:42:10 ID:eORvZkEL
>>765 >ちなみに、イエスが「神の国はあなた方のうちにある」と言ったこと
>が私のなかでは符号します。
イエスは、その言葉では、いかにも神が人間の心の中の神性であると
いうような言い方をしながら、全体的には、やはり神が人間を超越した
外的存在であることを強調している。イエスやパウロお得意の二枚舌
です。
神の国が人間の心の中にあるのなら、そもそも、人間の罪も、死後の
裁きも、ある訳がないではありませんか。「悔い改める」必要もなく、
そんなことをすれば、却って心の中の神の国が無くなってしまいます。
相互に矛盾した教えがあれば、いずれの教えも帳消しになって無効です。
なお、人生における苦難に直面して、それを自分で乗り越える努力をせず、
神などによって自己欺瞞により逃避しようとすることは、長い人生のスパン
から考えれば、結局は生の意欲を減退させ、人間としての成長の停止を意味
招くものではありませんか。それでは、他者の苦悩に対しての本当の理解は
生まれません。ニーチェがキリスト教を強く批判するのはその点です。
770 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 01:59:31 ID:eORvZkEL
>>768 >という君の意見に対して、どうしたら認識が深くなるのか教えてくれ
>という質問をしているわけだけれども、その回答をまだもらえてない
聖書を、初めから無意味に有り難がらずに、現代人としての知性、合理性、
現実性、科学性を持って「批判的」に読み、その誤り、矛盾、人間に対
する愛や洞察の欠如、イエスの「我よし」の態度、修辞によるすり替え。
家庭の無視、他者への感謝の念の欠如、狂気の要素、などを見出して批
判すること。
771 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 02:32:47 ID:W0FFCYw0
>>770 やっと回答がもらえましたね。トンクス。
さて、あなたの回答からすれば、理解を深めるためには「批判的」に読むということが必要ということですね。
批判的に読むためには、常に記述に疑問を抱き、或いはその書いてあることが正しいか正しくないかの検討をしなければなりません。
さっそくそれに従って、講義の時に講師のすすめよりも自分の理性を信頼してテキストを批判的に読むことにしよう。
それによって講義を受けた彼は、テキストを深く知ることに繋がるだろうか。
マーチン・ルーサーキングの演説とマルコムXの演説を批判的に聞けば、二つの思想を深く知ることに繋がるだろうか。
そこでひとつのことに、気がつく。批判的に聞く側において、ベクトルがかかっていることに。
そしてそのベクトルは、100人いれば100人とも違うことに。
つまり、批判的にテキストを読むということは、100人いれば100通りの深い理解というものが生まれることになる。
この100通りの深い理解は、すべて深い理解と成り得るのだろうか?
772 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 03:51:04 ID:eORvZkEL
>>771 >つまり、批判的にテキストを読むということは、100人いれば100通りの深い
>理解というものが生まれることになる。
まず「講義する側」即ち聖書は、ベクトルは掛かりっぱなしです。それを100
とおりの違ったベクトルで批判することにより、その100通りに共通する理解、
即ち「真理」を見出すことが、初めて可能になります。
なお、これはより根本的なことだが、厳然として実在する自然を対象とする科
学とはことなり、宗教・思想の分野では、観念の世界ですから、よるべき確固
たる判断基盤はなく、百人百様の考えが乱立するだけで、全員の合意の成立は
不可能です。だから、宗教やイデオロギーの分野では、争いや殺し合いが絶え
ない。
それを防ぐためには、すべての人間に共通する事実を見出し、それを思考や
対話の基盤とする必要がある。そのすべての人間に共通する事実が、「生存
本能(生命)を中核とする、生物としての人間」です。人間のあらゆる営み
は、この生物学的生存本能(生命)の上に成り立っています。これについては、
そのスレの前スレである「宗教・無宗教」に膨大な書き込みをしていますので、
是非ご参照ください。
773 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 04:06:54 ID:eORvZkEL
>>765 >あなたは、彼のことを精神障害と言いますが、私は天才だったと思い
>ます。言い方が違うだけです。
「天才」という言葉は、やはり人間社会に対して顕著な貢献をした人に
対して使うべきでしょう。「悪の天才」という言葉もありますがw。
イエスの思想を信じたが故に、恐らくは数億人数十億人の罪無き人間の
生命が失われ、現在も失われつつあります。イエスの思想がこのような
結果を齎したとすれば、彼の思想は、やはり「欠陥商品」だったと言わ
ざるを得ません。そのようなイエスに対してあなたが「天才」という
尊称を使うことは、あなたも大量殺人行為に精神的に加担していると看
做されても仕方がありません。使うとすれば「悪の天才」というべきで
しょう。
774 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 04:22:54 ID:IAXlht28
バカは早く寝れ。
>>766 まあ、わかってるとは思いますけど、
ソクラテスの無知の知は、そのような「知」では断じてないw!
と、一ソクラテスファンの私は、言っておきます(^^♪
あくまでも、念のためです(*^。^*)ハイw
このごろ、漠然と感じてきたんですが、
ご隠居のような立場が、ほんとの「無宗教」といえるのに近いのかも。
無宗教と言う以上は、
現実上はやっぱり、明確に宗教を否定する必要が有るのかもしれない。
問題は、その批判内容になるんでしょうけどね・・・・・・
でも、姿勢としては、正しいんじゃないんですかね。
私は、ご隠居のその戦い続ける姿勢は、尊敬に値すると思ってますし、尊敬してます。
ただ、一言言わせてもらえれば・・・・・・・・・・・・・・(#^。^#)ノシ
777 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 11:47:29 ID:W0FFCYw0
>>775 ノシ
そうなんだけど、そこから始めると膨大に長くなるからね
778 :
ソックリダス:2006/12/09(土) 12:01:21 ID:W0FFCYw0
>>772 回答トンクス
今までの対話で、100人の人間にもベクトルがかかっており、聖書にもベクトルが
かかっていることが明らかになりました。
そして、
>それを100 とおりの違ったベクトルで批判することにより、その100通りに共通する理解、
>即ち「真理」を見出すことが、初めて可能になります。
という回答を基盤にすれば、「真理」を見出せることもわりました。
100人が批判的にテキストを読み、それぞれのベクトルの中から共通理解を
導きだすというのです。そしてこの共通理解を、対話の基盤にして「真理」を
見出していくことが、聖書を深くしることだと。
そこで、私は考えました。その100人の共通理解というものは、時代の変遷
や政治形態によっても不変であり得るだろうか?
ある時代に出来た共通理解が、100年後の未来の人々にも共通理解であり続けられる
であろうか?
そして更には、今は2006年であるが、過去から現在まで、その100人の批判と
共通理解という実践は全くなされてないのだろうか?
できあがった共通理解が存在していても、時代によって、それを受け入れない人も
また新たに存在していくのではないのだろうか?
779 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 12:01:35 ID:CbeL8w13
宗教が、ありもしない「神・霊・前世・来世」が実在するなどと教え込むから、
このような悲惨な事態が生じます。このような「観念」を、特に年少時に植え
つけられると、一生涯離脱することは不可能で、現実から遊離した「虚偽観念
の精神的奴隷」として一生を送らなければなりません。
宗教者や宗教学者は、一体どう思っているのでしょうか。
宗教が「神・霊・前世・来世」などの「虚偽」を語ることは、もはや法律で厳
重に禁止すべきです。これらはいずれも古代人の妄想の惰性的残存に過ぎず、
現実界に生きる人間にとっては「百害あって一利なし」です。
中2男子が飛び降り自殺、自室にに「生まれ変わる」メモ
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061209it03.htm?from=top
780 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 12:13:18 ID:CbeL8w13
>>779 人間の観念は百人百様だから、時代によって変わるのは当たり前。現実上何の
根拠もない、「観念の塊」に過ぎない大昔の聖書を、現代人が大真面目に信じ
たり、何かの意味があるなどと思い込むのが、そもそもの大間違い。
人間界において永遠に変わらないものは、「生物としての人間の生存本能(生
命)」と、その生存を支える「自然」だけです。
名無しで自演か?
ややこしいことするのはいいけど、
自分で分けわかんなくなるだけとだと思うぞw
そもそも、誰も読んでないからw
あっ、フーテンさんはいい人だから、読んでるかも・・・・・・・
782 :
まい:2006/12/09(土) 14:44:43 ID:GCs/BmUf
>>769 >イエスは、その言葉では、いかにも神が人間の心の中の神性であると
>いうような言い方をしながら、全体的には、やはり神が人間を超越した
>外的存在であることを強調している。イエスやパウロお得意の二枚舌
>です。
>神の国が人間の心の中にあるのなら、そもそも、人間の罪も、死後の
>裁きも、ある訳がないではありませんか。「悔い改める」必要もなく、
>そんなことをすれば、却って心の中の神の国が無くなってしまいます。
自分の中に、罪も裁きもあると思う。
それが出来る(自浄的に)と言うことが、 人間の中の神性じゃないだろうか。
そう考えると、瞑想もキリスト教が言う神と、そう違うものを見つめてるわけじゃないのかも。
783 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 16:46:21 ID:CbeL8w13
>>782 >自分の中に、罪も裁きもあると思う。
>それが出来る(自浄的に)と言うことが、 人間の中の神性じゃないだろうか。
その神性は、すべての人間に、程度の差はあれ、生来的に備わっているもの。
だからこそ、「神性」なのである。宗教が、ことさら唱える必要はなく、人間
の無意識の自然の感情にまかせればよい。
宗教が、それを意識的に「観念化」「教条化」するから、神性が変容され、
歪曲され、結局は破壊される。
784 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 18:53:58 ID:IRDvCClc
>>783 だからその「人間の無意識の自然の感情」とあなたが考えている
ものが 色々なミームの複合体 なんだと思いますよ。
また宗教を ミームの複合体だとすれば
あなたの考えている 「人間の無意識の自然な感情」が
宗教と 同じものなんだね。
785 :
大王:2006/12/09(土) 18:58:11 ID:iwH0rtby
チベット密教ニンマ派を突き進むぞう、、
>>785 トランスしないんなら、チベット密教の肝はないんじゃ・・・・・・・・・ヽ(^。^)ノ
って、大王ドンの預言当たんないぞぉ〜w!
788 :
まい:2006/12/09(土) 20:22:51 ID:zibGpyiT
>>783 >宗教が、それを意識的に「観念化」「教条化」するから、神性が変容され、
>歪曲され、結局は破壊される。
「観念化」「教条化」されてしまったユダヤ教を、キリストは本来備わっている神性へと引き戻したと言えるのではないか?
その後キリストが神格化されて普通の人間とは区別されてしまったから、
>>782の論は
現在のキリスト教では否定されるけどねw
もっと広い範囲でいろんな人を相手に論戦するのを見たい。
792 :
ソックリダス:2006/12/09(土) 20:45:02 ID:W0FFCYw0
>>778のソックリダスだが、返事はまだかの?
なら晩飯にするべ
793 :
まい:2006/12/09(土) 20:50:17 ID:zibGpyiT
>>745 >すべての人間は、「この世に生を享けた」ということが、すでに大いなる救い
>なのである。
それは違うと思う。
今の恵まれた環境の私たちと比べると、当時の生まれによる大きな差の中で生活していた人々とでは、
救われるイメージはもっと切実だったんじゃないかな。
もっとも、神の言葉を「眉唾」だと考えれば、ただの慰めだったのかもしれないけどね。
>>789 つきたんのミームの意味は?
>>790-791 意外かもしれないけど、論戦することが目的ではないよ。
こんな広いはずのネットでも、ご隠居みたいな人に出会うのは難しい。
それは、論戦したから可能なわけでもないですしね。
面白さって、なんなんでしょうね。
今のところ、言葉にはならないナァ〜
>>792 ご隠居との付き合いは難しいwwwwww
都合が悪いと、その質問には既に答えてるとか、言うからね(^O^)/
馴れるとそのコメントもなかなか味があるんですけどね。
たぶん、その質問に回答がないのは、
質問の内容がご隠居のスキな方向に整理されてないからでしょ。
質問の角度を変えてみたらいいかが?
夢見るご隠居の独走状態か。。。
神が人間に対してどれほど間違いだらけでも、それは人間の側が正しいという理由にはならない。
だから、神をいくら攻撃しても始まらないんだが、ご隠居は純真無垢だからなあw
フーテン氏とかてすと氏その他、コテの方々は
大体、実生活の人格って、なんとなくわからないでもないんですけど、
ご隠居って、ほんと、なんか興味が湧かないし、想像つかない。
ネットならではなんですよね。
>>794 >面白さって、なんなんでしょうね。
>今のところ、言葉にはならないナァ〜
猫になってほかの猫とじゃれあうような感じ?
>>797 そう?
俺はリアルでいつもご隠居みたいなのに好かれる運命だから、よく分るんですけどw
>>798 わっ、なんてコメントしずらいコメwwwwwww
でも、その方向性ではないんですよぉw
>>799 そういえば、そう言ってましたよね。
ほんと、全然、想像つきません。
きっと、日常生活で宗教に関して全く、触れてないからなんでしょうね。
ビジネスで言えば、クレーマーの中に分類されるのかな・・・・・・・
801 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 21:56:02 ID:4wcFLwPB
(1) 世の中には宗教があろうがなかろうが、生まれつき宗教的なものを信じたがる人々がいる
特に女性は本能的に何か宗教的なものを信じないではいられない傾向がある
宗教政党や、口先だけの威勢だけはいい政治家に、女性(と気持ち悪い男)が群がるのがそれを証明している
(2) 民主主義を守るためには政教分離は絶対である。政治において、宗教は100%、本当の狙いを隠すために利用される。
なぜなら、政治に頼らなければならないような宗教はその宗教的存在価値が最初から無いからである。
例えば郵政改革解散選挙で、バカ有権者が何も調べずに調子に乗っていたが、同じ理屈である。
(3) 国家体制から宗教を切り離す方法は、2つの方法が容易に思いつく
一つは宗教を完全に禁止することであるが「宗教を切り離すべし」ということ自体が強烈な宗教なので
結局この方法は、さらに悪い、単一宗教による国家の洗脳を招くことになる。
このことは共産主義国でのモラルハザードの結果により実証済みである。
すなわち、無宗教化と言うのは、裏を返せば、カルト宗教の日本征服の情熱となんら変わらないわけである
「もう一つは、歴史が長く、結果、多くの人々によって検証され、生き残ってきた宗教を
(キリスト教、仏教、神道、イスラム教)小さな時からできるだけ多く徹底的に教育することである」
たぶん、ちょっと真剣に考えれば思いつくことだが、政治家はこんな方法を絶対に採用しない。
なぜなら、政治家にとって、宗教は民衆をコントロールするものであり、大切な大切な集票マシーンだからだ。
この方法をとれば、人間はみんな自立した本当の意味での大人の人間になってしまい、政治家にとって宗教が意味の無いものになってしまう。
だからこそ、この考えは信用に値すると言える。
長いなぁ〜
よくわかんないんだけど、
要は、現在の日本の衆愚政治には、宗教は便利っていいたいの?
それは、今がそうであるように誰も反論できないんじゃない?
そのうち、創価学会が日本の国教になるかもね。
そうなると面白そうだナァ〜
803 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 22:12:00 ID:5SpV9eZp
>>796 >神が人間に対してどれほど間違いだらけでも、それは人間の側が正しいと
>いう理由にはならない。
神は、人間による空想の産物、人間による創作に過ぎないから、神と人間とを
対比するあなたの立論は、意味をなさない。
まだ、神など夢見てるの。そんなものは、人間にとってどこにも存在しない。
年少時からの洗脳って恐ろしいもんだね。一生その妄想の中に、「本当の神」
を見ることなく酔生夢死に過ごさなければならない。一度きりのあなたの人生
を、単なる人間である一開祖の観念でそのように破壊してしまう宗教の罪は、
限りなく深い。
要するに、宗教を、信教の自由という檻に閉じ込めたってことなんでしょうw
引っかかるのは、民主主義と政教分離が対立するって意見なんですよね。
別に、両立するでしょ。
自由主義と民主主義は対立しますけどね。
対立しないで、名前に堂々と掲げていて、しかも与党の国がありますけど・・・・・
民主主義がキリスト教であることを考えれば、まあそうでしょうけど。
>>804 それって、奴隷の自由にすれってことw
まあ、なにをしてもいいというと、いきなり人殺す奴がいるからナァ〜
808 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 22:27:19 ID:5SpV9eZp
>>805 >引っかかるのは、民主主義と政教分離が対立するって意見なんですよね。
>別に、両立するでしょ。
全国民が単一の宗教によって洗脳されている間は立派に両立するね。全員一致
の民主主義だw。
そもそも、政教一致とは、キリスト教の旧教と新教との対立に手を焼いた結果
の妥協としての制度。政治は、人間の生存にとって最重要な営みであるのに、
それから宗教を締め出さなければならないということは、宗教が、いかに有害
なものであるかを証明している。
809 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 22:31:12 ID:5SpV9eZp
>宗教は、人間の生存にとって最重要な営みであるのに、
>それから政治を締め出さなければならないということは、政治が、いかに有害
>なものであるかを証明している。
なるほどw
>>808 別に、宗教であっても、民主主義は成立してるでしょ。
民主主義は、多数決の原理による少数意見の名目上の尊重。
そもそも、宗教って、宗教内部でイデオロギーが統一されてないですからね。
フーテン氏がよくご存知だと思いますけどw
>>810 ご隠居がそれ言ったら、ご隠居でなくなるナァ〜
そんな現実的なご隠居は、尊敬できない。
813 :
ソックリダス:2006/12/09(土) 22:41:35 ID:W0FFCYw0
いま熱く書いてる人は、ご隠居かのう?
熱くないご隠居は、ご隠居ではない(^O^)/
815 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 22:42:47 ID:5SpV9eZp
>>810 宗教は、人間の生存に逆行する。だから誤り。
最重要な「政治」から締め出されているのは「宗教」なんだよ。頭冷やしてね。
ご隠居の宗教の定義って、なんだっけ・・・・・・・・
その定義からすると、政治も必要ないんじゃない?
しかし、ご隠居も慈風たんも律儀な釣りだなあ。。。
>>817 わっ、釣りだったのw
ということは、外道ばっか釣れてるわけね(*^。^*)スイマセンw
>>818 常識的に考えれば、釣りでしょ。
ただ、もう釣ってるのか釣られてるのか、訳分りませんけどw
なるほどw
スレ自体が釣りってのもあるナァ〜
まあ、楽しければいいんですけどね。
個人的には、ご隠居がいないと、落ち着かない・・・・・・
ご隠居依存症(*^。^*)
ご隠居、談話室で暴れてる(#^.^#)
822 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 23:13:21 ID:5SpV9eZp
>>788 >「観念化」「教条化」されてしまったユダヤ教を、キリストは本来備わって
>いる神性へと引き戻したと言えるのではないか?
イエスには、そんな人間性の洞察や人間に対する愛はない。要するに、当時の
ユダヤ社会の現状に「個人的に」不満だっただけ。今で言えば、跳ね返りの
サヨク。
ガリラヤとギリシャ文化の中心地とは歩いて30分程度の距離だったことから、
現代のサヨクが軽薄にもマルクスに舞い上がったと同様に、イエスはギリシャ
思想に舞い上がったのではないか。全く異質なユダヤ思想とギリシャ思想とが
化合して、キリスト教という「化け物」が出来上がった。フーテンさん、いか
がですか。
マルクスの最初期のテーマも、ギリシャの自然哲学だった。
どうも、ギリシャ哲学が胡散臭い。ソクラテスも、精神異常の宗教者だった。
彼が西洋哲学の祖と言われるのも、後世のキリスト教による祭り上げでは
ないか。ソクラテス以外にも、彼とは異なる思想の立派な哲学者が多数いたは
ず。ソフィストも、むしろ現実感覚豊かな人格者だった。
ニーチェは、たしか、西洋哲学を駄目にした元凶はソクラテスだと批判して
いたと思う。その弟子であるプラトンも宗教者であり、論外。
「ソクラテス・ファン」の昆布さん、いかがですか。
823 :
ソックリダス:2006/12/09(土) 23:13:38 ID:W0FFCYw0
談話室?
ご隠居はどんなコテ名かの?
824 :
ソックリダス:2006/12/09(土) 23:16:06 ID:W0FFCYw0
>>823 小さなヨハネヽ(^。^)ノ
なんだなんだなんだ( ̄□ ̄;)!!
随分、気が短いんだナァ〜\(^o^)/
826 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 23:20:06 ID:5SpV9eZp
>>824 >>780で返事している。晩飯など食っていないで、ちゃんと読めw。
簡略化しているが、内容は押さえている。
827 :
ソックリダス:2006/12/09(土) 23:21:33 ID:W0FFCYw0
>>825 トンクス
小さなヨハネとこのスレでは、随分書き方がちがうんじゃのう
ご隠居の技ですか。
気長に待ちますワイ
>>822 >「ソクラテス・ファン」の昆布さん、いかがですか。
まあ、その程度のコメントに返レスするつもりもないよw
その通りでいいんじゃないんですか?
>ソフィストも、むしろ現実感覚豊かな人格者だった。
これは、その通りなんですよ。
今でいうなら、教育者がソフィストですから。
だからこそ、ソクラテスは憎まれたんですよ。
なぜ、憎まれたのか?
その辺からですよね、やっぱり。
でも、ギリシァ哲学はタレス辺りからやらないと、復習にならないでしょw
どうしてご隠居ってIDが変わるの?
みんなご隠居を見くびってるようだナァ〜
きっと、そのうち緻密なAAだって、貼り付けるぞw
831 :
ソックリダス:2006/12/09(土) 23:32:03 ID:W0FFCYw0
>>826 回答探すのも苦労しますな
さて、ご隠居の
>>778に対する回答によると、
>間の観念は百人百様だから、時代によって変わるのは当たり前。現実上何の
>根拠もない、「観念の塊」に過ぎない大昔の聖書を、現代人が大真面目に信じ
>たり、何かの意味があるなどと思い込むのが、そもそもの大間違い。
ということになり、当初の、多くのクリスチャンは聖書を浅くしかみていないので、
深く知るということによって(多くの人の共通理解を抽出)、「真理」を導き出す。
というご隠居の前述の回答に抵触しており、矛盾がある。
さて、そこでまた質問ですが、
ご隠居の考える「真理」とはどんなものですか?
一貫性とか、記憶力とかについてどう思いますかの?
832 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 23:45:11 ID:5SpV9eZp
>>831 「真理」とは、その言葉が大好きな宗教者へのサービスとして使った
だけで、単に聖書の「共通理解」の意味。
検証されなければ「真理」ではない。従って、厳然として実在する
自然という「検証基準」が存在する自然科学では「真理」はあるが、
百人百様の観念の世界であり、その検証基準が皆無な宗教や思想に
おいては、「真理」などない。
「真理」「真理」と口走るイエスに対して、ピラトが「真理とは何か」
と聞いたが、イエスは答えられなかった。ニーチェは、このピラトの
言葉が、「聖書の中で唯一の価値ある言葉」だと言っている。
>>822 24の分派に分れていたというのが本当かどうか分らないが、
当時のユダヤ教はイエス以前にかなりギリシャ思想と混淆している。
今あるようなユダヤ教の路線に向かうのは神殿崩壊後。
ご隠居が考えているような単純な構図ではないよ。
834 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 23:51:31 ID:5SpV9eZp
>>833 ギリシャ思想が、本来のユダヤ思想に対して、具体的にはどのような
影響を与えたのか、教えてください。
ユダヤ教にも、ギリシャ思想に染まりやすい人と、そうではない堅実で
賢い人とがいたとおもうよ。これは、現代において、マルクスやキリスト
教に嵌りやすい軽薄な人と、そうではない人がいるのと同様である。
>>834 ちょっと、お聞きしたいけど、ご隠居の言う、ギリシァ思想って、なにを指すの?
ネオプラトニズム?
それとも、ソクラテス以前?
Certa amittimus dum incerta petimus.
「我々は不確実なものを求める間、確実なものを失うであろう。」
・・・でも確実なものは飽きやすい・・。困ったものだ。
837 :
ソックリダス:2006/12/10(日) 00:18:37 ID:yi7kG+V2
>>832 回答トンクス
ご隠居の考えだと、「真理」と「共通理解」は同じということかの。
先の対話でも出たように、共通理解を得るために、例として100人のベクトル、
聖書のベクトルの話をしました。そして、そこで培われた100人の共通理解は時代や
政治形態を超えてその価値観を維持できるかとの対話をしたところ、「人間の観念は百人百様だから時代によって
変わるのは当たり前」との回答を得ました。これらを通して考えると、
ご隠居の考える「真理」とは、「共通理解」であり、それは時代や政治形態によって変わるものという
ことになります。これは、その通りですか?
また、自然という検証材料がある自然科学では「真理」があるという回答ですが、
ここの「真理」と先の共通理解の「真理」は同じ意味ですか?真理は一つですか?複数ですか?
さらには、自然という検証材料が存在しているが、自然科学では解明しきれない自然(例えば宇宙等)が存在していますが、
解明できない状態では、(例えば宇宙には)真理はないと考えますか?
さてまとめて、そこで私は考えた。
真理は一つか?それとも複数か?
人間の知覚で確認できるものが真理たり得るのか?それとも、確認できなくても真理は存在し得るのか?
838 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 00:30:09 ID:tKN02nOp
>>835 「ギリシャ思想」だから、ギリシャ人が南下した紀元前2000年ころから
始まったのだろう。勿論ソクラテスよりもはるか前。詳しいことは知らん。
マルクスが学位論文を書いたのも、ソクラテス以前の哲学者についてであった
と思う。
ここで、マルクスはおかしなことを言っている。曰く「ギリシャ以降、人間が
自然を加工するようになったから、疎外が生じた」と。冗談じゃない。人間が
自然を加工して生存するのは、まさに自然の一部として生存していることでは
ないか。「疎外」などではない。彼の「疎外概念」とは、それほどお粗末なも
のなのである。
ギリシャ哲学については、以下を参照。
「現代思想としてのギリシャ哲学」(古東哲明著、ちくま学芸文庫)
>>834 教えて下さいと頼むからには、大人しくしてくれないとね。
でもご隠居、いつも暴れるでしょ?だから教えてあげないw
840 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 00:42:37 ID:tKN02nOp
>>837 既に述べたように、宗教・思想においては、検証の基準がないから、「真理」
はない。「共通理解」も、あくまで百人百様の観念による理解であり、検証
は不可能だから、「真理」ではない。時代と共に変わるのは当然。
自然科学は、検証さえ出来れば、真理はいくつでも有りうるのは当然。
自然科学における検証は、五感の知覚によってのみ可能。
「真理の基準は、現実界(知覚できる世界)に合致するか否かである。」
ざわざわ・・・
きょ・・共同体本能は、け・・検証されてないんじゃ・・。・・って・・ていうか出来ないんじゃ・・。
ま・・またこれの繰り返しか・・・
842 :
ソックリダス:2006/12/10(日) 00:58:18 ID:yi7kG+V2
>>840 回答トンクス
まず、ご隠居が
>>772にかいてある
>まず「講義する側」即ち聖書は、ベクトルは掛かりっぱなしです。それを100
>とおりの違ったベクトルで批判することにより、その100通りに共通する理解、
>即ち「真理」を見出すことが、初めて可能になります。
という事項は取り消しということでよろしいのですかの?
真理は当然、複数です。観測には観測者の意図が入ります。
厳密に言えばほとんどは仮説。
844 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 01:08:39 ID:bo2qM9eW
むしろ、「感覚の如何なるものも頼るべき真理ではない」とするべきかもね。
仏教的に言うならゴウン非我ってやつなのかな。
私も出発は経験論&帰納だから、ご隠居の気持ちはよくわかるし、味方してあげたい。
でもやっぱ厳しいと思うよ・・。2006年12月の段階で人類が全てを観測してるわけないんだし・・。
あくまでも限定されてることを認めないと・・・
ソックリダスさん面白そうだね。
ご隠居批判はともかく、自論はないの?
847 :
ソックリダス:2006/12/10(日) 01:23:52 ID:yi7kG+V2
>>842 さて、対話によってご隠居の真理の基準が明らかになりました。
まず、
>既に述べたように、宗教・思想においては、検証の基準がないから、「真理」
>はない
ということと、そして次に、
>検証さえ出来れば、真理はいくつでも有りうるのは当然。
>「真理の基準は、現実界(知覚できる世界)に合致するか否かである。」
ということが回答でありました。
この世では、いくつもの真理であふれていることになります。
数学の教科書は、真理の塊ということでもあります。
また、宗教や思想に真理が存在しないので、仏陀の縁起も、デカルトの「我思うゆえに我あり」も
真理ではありません。さらには、ニーチェの言葉も真理ではないことになりました。
思想は検証ができないので、この対象から外されたのが理由です。
真理とは、人間が五感によって知覚できたときにはじめて真理たり得るのが、真理の基準だというのです。
ある人が、アフリカで筆のようなものを発見しました。
またある人は、アフリカの同じ場所で大きな壁を発見しました。
またまたある人は、アフリカの同じ場所で巨大な棘を発見しました。
この三人は同じ場所で、見たものが違うので、自分の検証結果が正しいのだと主張して譲りませんでした。
ついにある日、この三人は、アフリカの同じ場所に複数の真実があるのだと結論をだすことで合意に至りました。
そのアフリカにあったものとは、実はとても大きな一匹の像っだった。
さて、ここで私は考える。
人間が、五感によって知覚した真理は、正しいもの足りえるのか?
>>847 >人間が、五感によって知覚した真理は、正しいもの足りえるのか?
時間の概念が抜けてませんか?
いつまでの五感の知覚を使うんですか?
>>847 壁も棘も筆も、象も4つとも正しい。
光は波であり粒であり、そして光である。
壁 × 胴体
棘 ○ 牙
筆 × 尾
静物≠生き物
>>850 象の胴は壁として機能し、尾も筆として機能し、生き物は静止できますが。
最初の観測者にとって、その時は真理です。象牙密輸団にとっては真理ではありません。
観測者の時間がたてば新しいデータが増えて反証されます。
852 :
ソックリダス:2006/12/10(日) 01:57:37 ID:yi7kG+V2
てすとさん、レス トンクス
ソックリダスです。ソクラテスのパロディみたいなモンですw
真理とは、事実とは、像の尻尾を筆として見るか否かでは無いと思います。
それとは別に、テストさんとも、対話をしていきたいですね。
ただ、
>>847はご隠居にむけた対話ですので、ここでテストさん
とこの話題で対話をすすめてしまうと、ご隠居のピュアな意見が聞けなくなるので
控えようと思います。
テストさんとは、別のテーマで話をしたいと思いますが、いかがでしょうか。
>>852 了解です。ご隠居との対話頑張ってください。
854 :
ソックリダス:2006/12/10(日) 02:08:58 ID:yi7kG+V2
>>853 トンクス
また話しましょうね。しかし今日は今から寝ますw
855 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 03:19:15 ID:tKN02nOp
>>842 「真理」という言葉を使った理由については既に述べたのだから、取り消す
必要はなし。
>>843 人間の本質は共同体性だから、常に「不特定多数人による知覚」という条件
が付いている。
>>844 人間は、知覚に頼らなければ生存できない。仏陀はどうやって生存したのか。
>>847 数学上の真理も、究極的には、五感によって検証されない限り真理ではない。
リンゴ一つにもう一つ加えると2個になるから、1+1=2が検証されるので
ある。ある数学の理論を使って建物を立てた場合、その建物が他の原因なく
倒壊したとすれば、その数学理論は間違っていることになる。
デカルトのコギトの命題が誤りであることは、今までに度々述べた。縁起は
五感によって検証できる。
そのアフリカ人の例は、現実的にはおかしい。象にごく近づいて観察した場合
は、3人とも正しい。一歩離れて観察すれば、3人とも像の全体像を知覚できる。
>>848 時間は、知覚により物体を成立させるための要件。どんな知覚(観察)にも
最小限度の時間を要する。時間がゼロであれば、知覚(観察)は不可能。
なお、時間の本質も、五感により知覚できる天体の運行。「心理的時間」は、
「物理的時間」との対比における単なる心理状態。
人間のすべての営みは、その生物的生存(生命)を前提とする。そして人間は、
知覚に頼らない限り生存できない。すべての論理や思考は、それが生存の方向
に向かって居る場合にのみ「正しい」。
>>845 人間は、言葉によって自分の知覚経験を他者に伝達することができる。
>>841 共同体本能は、人間行動の観察により容易に検証できる。人間は、何故、家庭、
近隣、市町村、都道府県、国家という共同体を形成しているのか。一人では、
生存も種族維持も不可能だからである。
>>855 横槍ごめん。レスは返さないので、しばらくソックリダスさんと楽しんで。
今日は、近所の教会行く予定入れてたんだけど、起きれそうにない・・・orz
>
>>835 > 「ギリシャ思想」だから、ギリシャ人が南下した紀元前2000年ころから
> 始まったのだろう。勿論ソクラテスよりもはるか前。詳しいことは知らん。
> マルクスが学位論文を書いたのも、ソクラテス以前の哲学者についてであった
> と思う。
相変わらず、ご隠居って、粗いよナァ〜
歩いて30分ってのも、なかなか香ばしいしナァ〜
ちなみにその学位論文は「エピクロスとデモクリトスにおける自然哲学の差異」。
エピクロスは、自然の不決定性論者。
デモクリトスは、決定論者。
マルクスは、エピクロスに強く魅かれたし、強く魅かれたからこそ、彼はマルキストではなかった。
マルキストは、エンゲルスとレーニン。
つづきw
> ここで、マルクスはおかしなことを言っている。曰く「ギリシャ以降、人間が
> 自然を加工するようになったから、疎外が生じた」と。冗談じゃない。人間が
> 自然を加工して生存するのは、まさに自然の一部として生存していることでは
> ないか。「疎外」などではない。彼の「疎外概念」とは、それほどお粗末なも
> のなのである。
> ギリシャ哲学については、以下を参照。
> 「現代思想としてのギリシャ哲学」(古東哲明著、ちくま学芸文庫)
ギリシア思想を理解するには、彼らの日常生活を流れるギリシア神話も理解する必要があるでしょう。
ソクラテスが有名なのは、なにも、無知の知だとか、産婆術が凄かったからだけでもないと思いますよ。
今でいう自然が、そのころの神話だったのですし・・・・・・・・
私はそのマルクスの言葉を知らないですし、その意味するところもわかりませんけど、
ご隠居は、論じるときになんでも、自分に近づかせすぎです。
私も、かなり意図的に、暴力的に、ケレン味タップリにやりますけど、
無意識には、そうならないように気をつけているところでもあります。
ソクラテスの凄いところは、すべての答えが自分自身の中にあると信じていたことです。
彼が対話法で導き出されるのも、汝自身を知れを座右の銘にしたのも、これがあったからです。
ソクラテスはその頃から、人間の知識・知恵の限界を意識しながら、知識・知恵を駆使してたのです。
要は、ご隠居もロゴス中心主義なのです。
論じる時にその人を自分に近づけてしまうというのは確かにあるなー。
ムハンマドはイエスを論じる時に自分の考えにあうように、
アブドル・バハーはブッダを論じる時に自分の考えに合うようにしてしまった。
宗教的だな〜。
860 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 10:25:19 ID:EZC3kWHh
ソクラテスの問答法は、相手を質問攻めにして相手の「無知」を覚らせると
いうものだが、少しおかしいのではないか。質問自体に、誤り、矛盾、無知、
相手の回答の理解不十分などが含まれていた場合はどうするのか。アメリカ
のロー・スクールではソクラテス・メソッドを使うが、頭のよい学生なら、
逆に教授の質問の矛盾を付き、木っ端微塵にするだろう。
弁証法も、物事を「正」と「反」に二分するが、その「正」自体が「正と反」
から構成され、「反」自体も「反と正」から構成されていることを忘れている。
従って、ソクラテスも弁証法も、ひいては西欧的な二分法も、初めから致命的
な論理的誤りを犯していることになる。
861 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 10:32:15 ID:EZC3kWHh
>>650 >宗教的だな〜。
「宗教的」にならないように、すべての人間に共通する「根源的事実」として
の「人間の生物的生存本能(生命)」を思考の基盤としているのです。同じ
基盤に立つ宗教が一つでもあれば挙げてください。
862 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 10:58:56 ID:EZC3kWHh
>>857 >彼はマルキストではなかった。
>マルキストは、エンゲルスとレーニン。
学問としての「マルクス論」の筈なのに、「マルクスは偉大だ、凄い」と手放
しで賞賛する「マルクス教信者」の吉本隆明と同じレベルだなw。ひたすら
「教祖」を正当化・擁護するほかには能がなく、批判は一切出来ていない。
863 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 11:04:04 ID:bo2qM9eW
>>855 >人間は、知覚に頼らなければ生存できない。仏陀はどうやって生存したのか。
いや、「真理として頼みとすべきではない」と言ったのであって、
釈迦自身も生存のためにはゴウンどころか色んな人やものからの恩恵で生きてたと思うよ。
生存に向かうことのみが正しいのであれば、
必ず死を迎えねばならない我々は、あり方として常に誤りということになるのではないかな?
864 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 11:21:46 ID:EZC3kWHh
>>863 釈迦も自分の知覚に頼って生存していたのなら、知覚こそ真理ではないか。
それ以外の真理とは何で、一体どうやってその「真理性」を検証する?
論理は、生物的生命があるから可能なもの。論理の基盤としての生存を
否定する論理は、論理そのものの否定である。
死は、すべての人間に公平かつ必然的に訪れるもの。死により肉体が
消滅するから、肉体から生じるすべての思考も感覚も消滅し、すべては
無になる。従って死についていくら「論じて」みても無意味。
死があるからこそ、生の意味があり、生が尊い。生きてる間は生のこと
のみを考えよ、ということ。
865 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 11:39:16 ID:bo2qM9eW
知覚こそ真理ねえ。
「自分の知覚のみよってしか、世界を推し量ることはできない」というのは
分かるが、それを以って「真理」などと名づけるのは傲慢ではないかな?
個人的事象世界に「真理」などという概念をくっつける必然性が分からんのだけど。
866 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 11:50:12 ID:gxjhyD4z
自己肯定感の強い人とは、今自分が生きていることを「無条件に」肯定できる人だそうだ
867 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 14:12:27 ID:EZC3kWHh
>>865 釈迦もイエスも、「専ら」知覚に依存して生存した。霞を食って生存した
のではない。その彼らが、みずからを生かしてくれたのが知覚であることに
思い到らずに、自分から「私は真理である」などとほざくことほどの傲慢は
ない。
釈迦は、それでも、「眼耳鼻舌身」という要素を指摘し、本質にかなり肉薄
している。しかしそれらに「意」を加えたのは、彼の誤り。「意」は五感を
統括するものではあるが、物質(世界)を成立させる要素そのものではない。
五感による物質(世界)の成立には、「意(観念)」の介入を要しない。
しかし、2500年前の人間がここまで考えたのは驚嘆すべきこと。イエス
には、五感という究極の本質が念頭にも浮かばなかった。
五感の知覚は、人間のすべての営みの根源である生物的生命のために不可欠
な機能。むしろ、生命そのものである。
人間万歳!!
でも、人間を作れる人間はいないから、仮定の存在に感謝するんだな。
仮定の存在に感謝するより、親や先祖に感謝するほうが現実的かな。
宗教も人間が人間のために必要とした人間の道具だろう。
道具に縛られたり脅されたりしている現実を、優しいご隠居は見ていられないのだろう。
今日の自演は、ちゃんとIDが変わってるねw
>>860 プラトンの本を一冊でも読んだことがないだろう。
借り物を思想を批判するくせに、その辺で手抜きするんだから・・・・・・
>>862 その辺はもう散々やったよね。
メンドイから、省略。
>>866 自己肯定感が強いってどういう意味だろう・・・・・・・・
普通は、強いんじゃないのか?
違うのかナァ〜
スレ立てようと思ったらだめだった・・。
宗教板でスレ立てるようになったら、もう脱出は無理だよなぁ・・
ちなみに、私のお奨めは、「饗宴」。
その次ぎは、「ソクラテスの弁明」。
まあ、どうせご隠居は読まんだろうけどね。
>>873 別に、いいんじゃない?
私はここに来たときに、立て逃げされて、押し付けられて、大変だったけど、
それなりに、面白かったナァ〜
つきたんが時々、粘着遊びに来てくれてたしw
>>875 昆氏は宗教板名コテでカリスマあるから、色んな粘着が来てスレ盛り上がりますからねw
なんかコツあるなら教えてくださいw
てすとたんったら・・・・・・・・・・(^_^;)
でも、なんのスレ立てるんすか?
おもしろそw
878 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 18:59:39 ID:gxjhyD4z
>>872
コンプレックスの逆みたいな意味でしょうね
>>878 他者分析ばかりして、自己を確定する病気って、なに?
しかし、ここは、信仰問答なんだよナァ〜
無宗教信仰vs宗教にでもなればおもしろいんだけど、
ご隠居の立つ位置がどうにも微妙なんだよナァ〜
>>877 こんなの
【おいしい】フリーランス宗教者【とこどり】
・宗教の価値は認めるが組織には所属したくない。
・教義の一部には感銘を受けるが、全部を受け入れるのは無理。
・教義は認めないが、瞑想や儀式は好き。またはその逆。
・専門職に偉そうにされるのは嫌。自分で結論を出したい。
・自分は無宗教だと思っていたら、実は多宗教だった。
・宗教が好きで、2つ以上の組織に内緒で所属している。
こんな人のための雑談スレ。
組織は絶対必要、アンチ日本教、絶対無宗教の皆さんも参加どうぞ。
重複かな?
>>881 それ、面白そうw
>・宗教が好きで、2つ以上の組織に内緒で所属している。
これで、来るのがいるなぁ〜
883 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 19:43:26 ID:EZC3kWHh
>>874 プラトンの言ってることは、概説書で大体判る。宗教者で妄想患者の本を
読むのは、貴重な時間の無駄。
君も、妄想本ばかりに手を出さないで、少しはきちんとしたイギリス経験論
でも読んだらどうか。そしたら、洗脳が覚めるかも知れない。
日本の西欧輸入が、ドイツ観念論が主であったことは、不幸なことだね。
東大で観念論ばかり植えつけられた役人の精神構造がどうなるか。先の大戦
も、現在の公務員の観念優先も、原因はそこにあるのだと思う。
>>883 >プラトンの言ってることは、概説書で大体判る。
どの概説書でわかったのだろう?
というか、まあ、相変わらずの自己矛盾だナァ〜
聖書なんか読む時間があれば、プラトン読んだほうがよっぽど、ためになるぞw
ちなみに、君が読んだことがないと言うのは、こんな疑問を持つからなんだよね。
>>860 >ソクラテスの問答法は、相手を質問攻めにして相手の「無知」を覚らせると
>いうものだが、少しおかしいのではないか。質問自体に、誤り、矛盾、無知、
相手の回答の理解不十分などが含まれていた場合はどうするのか。
原典に当たれば、こんな疑問を抱きようがないから。
>>883 だから、イギリス経験論からプラグマティズムに自然に移行しようよ〜。
ご隠居って、
言ってることも、やってることも、極めて中世的なところが、
私のスキなところなんだよなぁ〜
本人はどう思ってるのかわかりませんけどw
887 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 20:20:05 ID:EZC3kWHh
>>884 >どの概説書でわかったのだろう?
西洋哲学史や西洋哲学の概説書は、書店に行けば腐るほどある。西洋の学者の
借り物だけのくだらない本が多すぎ。プラトンなど、該当箇所の10分程度の
立ち読みで十分。店員から嫌な顔をされることもない。
>聖書なんか読む時間があれば、プラトン読んだほうがよっぽど、ためになる
ぞw
フーテン氏とは違って、聖書は2chでのキリスト教批判用に、いやいやなが
ら読んでるだけ。読めば読むほど、矛盾と浅薄さだらけでうんざり。
>原典に当たれば、こんな疑問を抱きようがないから。
では、「原典を読んだ」君が、反論してご覧。 原典読んでも、本当に理解で
きなければ無意味だよ。そして、批判ができなければ、理解もない。
888 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 20:58:29 ID:EZC3kWHh
社会科学関係の日本の学者の最大の問題は、西洋の学者の学説の批判ができない
こと。専らありがたがって紹介するだけで、自分自身の考えはどこにもない。
佐々木元東大学長の「プラトンの呪縛」という本を読んだが、殆どが外国の
学者の見解の紹介ばかり。自分の意見は、最後の2、3ページにちらっと出て
くるだけ。騙された感じ。
東大の宗教学科の元主任教授の宗教の定義も、実は(恐らくはキリスト教徒で
ある)ある西洋の学者の定義そのまま。東大の主任教授ともあろうものが、自
前の定義も出来ないとは。
西洋の「権威者」を批判すると、国内の学界で批判されることを恐れている
のだろう。
外国語能力が不十分だから、辞書を引き引き表面的な意味がわかったら、
嬉しくなって感心し、それで満足してしまうのかも知れない。
外国人は、もっと根本的な批判をするようだ。ある学者が、米国の大学で「文化」
について長々と講義したのち、学生の一人から「先生、文化って何ですか」と
質問されて、答えに窮したそうだ。
890 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 21:11:43 ID:bo2qM9eW
>>867 あんたに「意」はないの?
感覚的欲求にしか呼応しないのって、動物的な生にしか思えんが。
>>887 >西洋哲学史や西洋哲学の概説書は、書店に行けば腐るほどある。西洋の学者の
>借り物だけのくだらない本が多すぎ。プラトンなど、該当箇所の10分程度の
>立ち読みで十分。店員から嫌な顔をされることもない。
立ち読みで充分じゃないから、
原典に当たってないことがばれたんだろうw
とりあえず、自分の疑問は、自分で解決してねw
少なくとも、君よりも何千年も前に、君の疑問を解決してる人間がいるんだからw
というか、その疑問も持たないかナァ〜
>読めば読むほど、矛盾と浅薄さだらけでうんざり
それこそ、時間の無駄だけど、まあ、趣味というものは、そんなもんだわなw
>では、「原典を読んだ」君が、反論してご覧。 原典読んでも、本当に理解で
>きなければ無意味だよ。そして、批判ができなければ、理解もない。
別に、反論も批判もないよ。
ご隠居が疑問に思ってるから、
原典読んでないという誤解を明らかにしてあげただけのこと。
別に、その誤解を抱いて死んでも、ご隠居の問題だけどね。
気にしないでね。
>>888 そう言えば、ご隠居が西洋批判してるの見たことないナァ〜
中傷と嫉妬なら見たことあるけどw
嫉妬は愛の変容だからナァ〜
ご隠居のキリスト教はかなり深いと思うぞ。
はやく、中世の呪縛から逃れたほうがいいと思う。
>>881 一応ここも、何でもありのつもりなんだけどw
というのも俺がキリスト教スレからはみ出てるからw
894 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 22:47:41 ID:EZC3kWHh
>>892 >そう言えば、ご隠居が西洋批判してるの見たことないナァ〜
私のキリスト教批判は、すべて西洋批判であることもわからないのか。
君がいくら原典よんでも、理解していないのでは無意味。聖書を初めから
ありがたがって読むだけで、批判は一切できないクリスチャンと全く同じ。
批判のないところには、理解はない。
>>893 いつも宗教・無宗教論争なので多宗教主義者vs組織宗教主義者の専門の場があってもいいかなと・・
あ、今日寝坊しました・・。すんません・・。7:30開始とか結構つらいっすね・・。
キリスト教はキリスト教、仏教は仏教のスレに閉じこもっているという状態も、
宗教と無宗教の壁を厚くしているような気がする。だから俺は、いつも無宗教者のスレに
いる訳なんだけど。そして、宗教者側から言えば、キリスト教徒だと言うと、
無宗教者から個人として認められない現実…まあそれが面白いのだけれどw…がある。
キリスト教にしろ仏教にしろ、宗教史や教義に関することはもはや信仰どころではなく複雑化
しているために、無宗教者の疑問に答えるにも、知識の押し付け合いになることが屡々。
そして、宗教知識に関することには、出来るだけ自分の信仰は伏せて説明しなければならない
こともあり、議論がぎすぎすしてくる。そもそも、宗教も無宗教もないと思うんだけどね。
>>894 >私のキリスト教批判は、すべて西洋批判であることもわからないのか。
キリスト教=西洋思想を借り物でなく説明してごらんヽ(^。^)ノ
少しは、ご隠居を見直してあげる。
>君がいくら原典よんでも、理解していないのでは無意味。
いえいえ
>ソクラテスの問答法は、相手を質問攻めにして相手の「無知」を覚らせると
>いうものだが、少しおかしいのではないか。
という、初歩的な疑問を抱く間抜けさはないよ。
ちなみに、それはどの副読本からの、受け売りなのかな?
そのマヌケな副読本を教えてくれ。
>聖書を初めからありがたがって読むだけで、批判は一切できないクリスチャンと全く同じ。
>批判のないところには、理解はない。
というか、ご隠居の聖書の誤読は、衆目の一致するところ。
聖書に限らず、どんな本も誤読しまくりのところも、まあ、一致してそうだけどね。
しかし、ご隠居って、もしかすると複数なのかもね。
人のあり方としてなら、あまりにも、成長がないよナァ〜
>>895 別に謝らなくても…w
説教中は、寝る時間だったりw
>>896 教会行きながら、チベット仏教の瞑想もありだという人は、宗教者や無宗教者からはそもそも敵扱いなんですかね?どうでもいいんですかね?
私的にはそれが正しいスタンスだと思うので今後そうしていこうと思っているんですが・・。
なんとなく日本教から、確固たる日本教への脱皮が出来そうな直感があるんですよね・・。
日本教がなぜ正しいのかの理論構築をしてみたいかなと・・いままで教義なかったですからね。
900 :
ソックリダス:2006/12/10(日) 23:39:36 ID:yi7kG+V2
いま帰宅した。
なんかすっごいレスが進んでるなあ
今疲れて気力無いから、明日また顔だしまする
ノシ
>>898 私は宗教施設で寝たこと一度も無いですよ。恐れ多くてw
902 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 01:38:34 ID:nXmPsgd8
>>897 その「初歩的な疑問」に対してさえ、君は反論できない。私の言っていること
は、どこの本にも書いてないことだから、君がいくら慌てて「本」を探しても
無駄。
「聖書の誤読は種目の一致するところ」などというが、私の聖書批判に対して
まだ「衆目の一致する反論」など誰も出せてはいない。
「誤読しまくり」などというが、それは君が「本に書いてあることは正しい」
と初めからありがたがって読み、知性(批判力)を以って読んでいないことを
示している。それではいくら「原典」を読んでも、本当に理解出来ているとは
思えない。
「原典」を読むというなら、そえぞれ「原語」で読まなければ無意味。「翻訳」
には常に無数の誤りがある。君はそれだけの語学力を、一体どこでどうやって
身に付けたのか。一般に、Nativeと外国人とでは、語学力に関する限り雲泥の
差がある。
君は、日本人ではないのではw。
>>899,
敵とか、正しいとか、そもそも、教会行くこととチベット仏教を別々に、それぞれ意識して
いること自体、何かに囚われてるような気がするんだけど。修行することや儀式に参加すること
によって宗教者になるんじゃなくて、自分が生きていることの全てが宗教だから。
日常生活と宗教は絶対的に分けて考えることでもなければ、一方がもう一方に隷属するもの
でもない。一つの宗教に集中するのも、あれこれ味見するのも、どっちも一つの儀式宗教の
ような気がする。
>>901 それじゃ、まだまだだなw
904 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 02:04:15 ID:nXmPsgd8
>>803 宗教は、「人間にあらざるもの」に最大の価値を置くから、論理的に、日常
生活とは分けざるを得ないのでは。分けなければ、人間ではなくなってしまう。
>>903 もちろん囚われてますよ。人は分類の囚人ですからね。
創世記でも最初に神は分類するじゃないですか。天と地に囚われなくてもいいのに。当然神は人型でなくてはなりません。自然は分類しませんから。
味見も一つだけやるのも変わらないというのは同意です。
ただ、味見派の教義が体系化されていないので、考えてみようかなと。なんか同じなはずなのに文句言われるから。
結婚式がキリスト教式で葬儀が仏教でも何の問題もないのに。
分類の神を信仰するキリスト教のほうが、分類を否定する仏教より健全なのは当然で、
仏教徒が三位一体を無限位一体とか言い出すとなんじゃそりゃ無責任なと思うわけで。
>>902 >その「初歩的な疑問」に対してさえ、君は反論できない。
まあ、今更だけども、頭ン中ダイジョブか?
君は、質問してるんだから、反論以前なのw
そして、原典を読んでないってンだから、基本中の基本を踏まえてないだけのことなの。
おまけに、この場合は、それが致命的なのよぉ〜ん。
>質問自体に、誤り、矛盾、無知、
>相手の回答の理解不十分などが含まれていた場合はどうするのか。
こんなことは、いくらでも対話のなかに出てくるぞ。
どうしてるか読めというだけのことで、反論も糞もないんだよ。
バーか( ̄□ ̄)!!藁
>私の言っていること
>は、どこの本にも書いてないことだから、君がいくら慌てて「本」を探しても
>無駄。
あほかwwwwwwww
これも今更だが、ご隠居がいってることにはなんの価値もないから、別に探しもしないぞw
ご隠居のオリジナルってのは、ご隠居の妄想なだけだからね。
どうしても、オリジナルだと言い張るなら、どこが、オリジナルなのか、マーカー引いて(^O^)/
説明してくれ(笑
さあぁ〜て、寝よ。
>>902つづき
> 「聖書の誤読は種目の一致するところ」などというが、私の聖書批判に対して
> まだ「衆目の一致する反論」など誰も出せてはいない。
聖書批判ではなくて、揚げ足取りだろ。
それが衆目の一致する見解。
>「誤読しまくり」などというが、それは君が「本に書いてあることは正しい」
>と初めからありがたがって読み、知性(批判力)を以って読んでいないことを
>示している。それではいくら「原典」を読んでも、本当に理解出来ているとは
>思えない。
ご隠居は、本に書いてあることは間違いと、歪んだ精神と濁った視線で読むから、
誤読を素直に認められないのだろう。
批判というのは、常に自由な精神でなければ出来ないのだよ。
共産党みたいに何でも反対の意識では、
いざ、自分がリーダーになると、なんにも出来なくなるんだよ。
ということで、ご隠居は熱心な有神論信者であることも衆目の一致する見解w
>「原典」を読むというなら、そえぞれ「原語」で読まなければ無意味。「翻訳」
>には常に無数の誤りがある。
などという、レベルではないんだよ。
翻訳すらも読んでないんだから、なにが、原語なんだか・・・・・・・
でも、そういう厚顔無恥なところが、ご隠居のいいところだよね。
今回は、ちゃんと、自演もうまくいってるしw
ノシ
909 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 03:53:19 ID:nXmPsgd8
>昆布氏
結局は、何一つ反論できないw。感情論と反論は違うよ。
まあ、確かに、感情論なんだけどさぁ〜
ご隠居の論って、なに?
あらためて、考えたわ。
なんにもなかった・・・・・・・・・(-_-;)
本能論とかは、もう、破綻してるからなぁ〜
もう、ないぞ、ご隠居・・・・・・・・・・・
さて、俺はこれから、仕事だw
んじゃノシ
あっ、そうそう、
クリスチャンディオールって、キリスト教に関係あるの?
教えて、エロクない人w
>>903 ちなみに私は儀式肯定派です。
人は昆虫のようにさなぎから成虫へ変わるわけじゃないので、節目節目で儀式を執り行う必要がある。
アメリカ先住民じゃないけど、連続したアナログな人生において子供と大人を分けるには、大人になるための儀式が必要になる(エロい表現ですが)。
儀式を終えたものは責任が生まれる。
葬儀も結婚も元服もようは節目とケジメの問題。もちろん葬儀に関しては遺族のケジメがついたかどうかはわからんが・・。
>>908 誤読という点だが単なる言語の違いから来る単語の意味の
相違なら大して問題ないんじゃない?
その意味の相違が概念を歪めるなら話は別だけど。
聖典も殆どは物語りで読み手の解釈次第でどうにでも取れる希ガス。
逆にそれを目的として物語り調にしてる部分も大きいはず。
それなら、誤読という観念自体間違っているのでは?
914 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 11:59:29 ID:+EXIPuqt
>>910 「本能論」は衰えても、「本能」は永遠になくなることはない。君の「身体」
に聞いてみれば、容易にわかること。
「本」を読む場合に大切なのは、その「中心思想」であって、枝葉末節では
ない。どんな膨大な本でも、その中心思想は、1ページ以内にまとまるはず。
それが出来ないのは、著者の思想がまとまっていない証拠。いろいろと言い訳
しなければならない思想は、著者の思想が煮詰まってはいない証拠。
すべての宗教書や思想書には、1ページ程度のsummaryをつけるように義務付け
たらよい。自然科学の論文では、みなそれをやってる。
それから、抽象論は、そもそも思想にはならないので注意。ここは現実界なの
だから、「現実界に還元できない単なる観念」は、初めから「無価値」。誰で
も何とでも言えるし、その検証の基準は皆無。単なる空想と妄想、その意味で、
宗教思想はすべて無価値。論じる意味はない。
915 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 12:10:49 ID:+EXIPuqt
>>910 「現実に還元できない単なる観念」である、西洋観念論哲学も、すべて無価値。
人間に現実からの遊離を生じさせる点で、むしろ極めて有害な代物である。
>>913 >言語の違いから来る単語の意味の
>相違なら大して問題ないんじゃない?
うん?
なにに対してのコメントなのかな?
ご隠居とのやりとりについてコメントしてるなら、ムダだぞ。
まあ、普通だと信じるなら、ご隠居とやりとりすればいい。
>>914-915 相変わらず、ご苦労さんヽ(^。^)ノ
まあ、私の本能に聞いてみたら、神のみぞ知るって、答えてくれたぞw
ご隠居ぉ〜w
本能フェチはわかったけど、
ご隠居の本能は、いつもなんて答えるの?
2ちゃんやれってかぁ〜(^O^)/
まあ、借金作って、家族困らせれないでねw
>>916 そんなに深い意味は無いんだけど、自由な意思で読まなきゃならんと言いつつ
ご隠居が誤読してるとか言ってるから、ご隠居が言語のを読まなきゃダメとか言ってるの
と同じじゃんとか思って。横槍入れてみただけ。
>>ご隠居
ところでご隠居の本能論ってどっかに論文としてまとめておいてあるの?
言語X
原語○
>共同体本能は、人間行動の観察により容易に検証できる。人間は、何故、家庭、
>近隣、市町村、都道府県、国家という共同体を形成しているのか。一人では、
>生存も種族維持も不可能だからである。
ご隠居は本当に人間好きなんだなぁ。
ふむふむ、行動の観察により、本能を判断するのか。
ご隠居のいう、本能というのは、人間の行動を観察して、その結果により判断するという事でいいんだよね?
人間が共同体をつくるのは、人類全員の生存の維持のためではなく、富の独占(農業用の土地、狩場、漁場等)のためである。
他の共同体から自分を守るために共同体を維持するのである。
共同体を形成するのは本能ではなく、個人生存本能の帰結でしかない。
国家が軍を持ち、税の利権を他に委譲しない等、人間行動の観察により容易に検証できる。
他人の生存は、あくまでも自分の生存の確保のために考える事であり、生得的な本能ではない。
まぁ個人生存本能を教育で押さえ込む宗教はご隠居の言うとおり病的かもしれないが、共同体本能などない。
個人生存本能から演繹で導き出されるものというのならわからないでもないが。
世界は分割統合を繰り返している現状を見つつ、地球共同体が形成されて始めて観察結果から共同体本能を語ることが出来るのではないか?
>>917 まあ、ご隠居を知らないから、噴出する疑問ですね。。
なんか、面白そうな質問してみてくださいませw
私の言ってることが、深く納得いくと思いますよ。
矛盾とか、そういうレベルの話ではないんですよねぇ〜
本能論はもう飽きたしなぁ〜
つぎないのぉ〜(^O^)/
>>919 今、ふと感じたのだが、公務員を全員、ご隠居の本能理論で洗脳したらどうだろう?
そうすれば、利権争いなんてなくなって、
一気に、税金あまるんじゃないだろうか?
富は一極集中しないし、
公務員は、私欲にまみれないから、かなり尊敬される。
そうなれば、彼らの平均年収が1000万円以上でも、誰も文句言わないだろう。
ご隠居、公務員相手に、本能理論で教育してくれ。
きっと、世のためになるぞ(^O^)/
922 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 17:47:58 ID:+EXIPuqt
>おっはw(昆布氏)
君の身体から生じる生存本能(生命)は、それ自体が唯一無二の神だから、他
いかなる要素の介在もなく、君に直接語りかける。君の身体が「神のみぞ知る」などの
言ったのなら、それは君の脳の障害による幻聴か妄想。精神科に直行すべしw。
生存本能(生命)は、人間の究極的本質だから、その次には、もはや何もない。
何を期待してる?
本能理論でまず脱洗脳すべきは、観念まみれの宗教者と観念論者である。
以前も聞いたけど、現代における宗教の必要性って何だと思う?
924 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 18:43:59 ID:+EXIPuqt
>>923 宗教は、自然科学が存在しなかった古代人の空想・妄想の惰性的残存に過ぎず、
創唱宗教は、例外なく、開祖の精神病の信者への感染に過ぎないから、現代に
おいては、その必要性は認められず、逆に大きな弊害を齎している。史上そして
現在も、人類における大虐殺、大紛争の主原因は、すべて宗教である。
現代社会は、基本的に「現実性・合理性・科学性」に基づいて成立し、維持さ
れ、発展している。宗教は、これらすべてに逆行する。
古代人の妄想であった架空の、空想上の、在外の神から、すべての現実の人間
とその生存を支える自然へのパラダイムの大転換が、現代人類の喫緊の義務で
ある。さもなければ、人類は宗教で滅亡する。その兆しは、既に明らかである。
925 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 19:02:28 ID:OZ1bgjGU
瞳の色が黒い現代人は 古代人からその遺伝子を伝えられた
逆に言えば 瞳が黒くなる遺伝子が 生き残ったといえる。
それと同様に 神観念という「ミーム」が古代社会で発生し
それが 淘汰されずに残った ということだと思うよ。
神の罰として地獄の火で焼かれる と言うミームも残った。
天国と言う観念も残った 豚肉を食さない というミームも残った。
宗教はミ−ムの複合体として進化して来たのだと思うよ。
つまりポケットに入れた飴玉は三つだって事ですね?
>>924 思想の格闘は宗教に限らないのでは?
民主主義、帝国主義、共産主義、によって引き起こされた戦争が
最も多くの死を招いたのでは?
>>925 MEMEを情報の遺伝子と捕らえるけど、神概念の変異は
どのように起こると予想する?
928 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 19:57:31 ID:+EXIPuqt
>>919 >共同体を形成するのは本能ではなく、個人生存本能の帰結でしかない。
「共同体形成維持本能は、(個人)生存本能という基本本能から生じる」と、
口が酸っぱくなるほど言ってるだろ。「個人生存本能の帰結」なら、まさに
本能ではないか。
>他人の生存は、あくまでも自分の生存の確保のために考える事であり、生得
>的な本能ではない。
人間は、独りでは決して生存できないことを、これも本能的に知ってるから、
共同体を形成維持する。共同体を形成しない人間はいない。仙人でさえ、時々
人恋しくなり山から下りてきて物乞いする。
君はもっと頭がよいと思ってたが、買被りだったか。昆布氏と同じレベル。学校
時代、国語の読解力は何点だった?これじゃ零点だよw。
929 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 20:14:16 ID:+EXIPuqt
>>927 宗教紛争の歴史をもっと勉強されたし。
マルクス主義は、キリスト教から発生し、現実に存在し得ない「共産主義
ユートピア(神の国)」の観念に最高の価値を認める宗教の一種。「擬似
宗教」と呼ばれる。宗教とは、信じる「神」が違うだけ。宗教だから、
多数の人間を最も残虐な方法で殺すことが可能になる。
ナチスもキリスト教起源。ヒットラーは敬虔なキリスト教徒。彼の反ユ
ダヤ主義は、言わずと知れたキリスト教のもの。ナチスの成立には、
キリスト教教会の影響と支持が大きく、当時のローマ教皇は、ナチスの
行為を少なくとも黙認している。
931 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 21:43:55 ID:OZ1bgjGU
>>927 たとえば 霊 と言うミームが表れる以前の神々は
創世記の ネフィリムの話のように 人間とセックスをして
子供をつくっていた。
しかし霊ミームが発生した後は 神々は人とセックスを
して子供を作ら無くなった。
周辺の文化や そのミームを受け取る個人や集団の文化的背景で
変化するんじゃないかな。
某スッレットで成されている議論も
この辺のことが関係しているのかもしれない
>>930 なつかすぅ〜
それは、かつて2チャンの政治板をにぎわせた有名な話ですよ。
チーム世耕が電通に依頼して、電通が下請けに出してバレたのでしょう。
選挙にコンサル会社を利用して、大勝するやり方は、中曽根から。
アメリカかぶれの大前が、ゲリマンマンダーで選挙区を分けて、中曽根自民が大勝したんです。
ちなみに、私は民営化賛成のB層でした(^O^)/
今でも、政治板においてB層は頻出用語ですね。
今は、層化を制するものは与党を制すですね。
その割には世の中いっこうによくならないようですけど・・・ヽ(^。^)ノ
しかしまあ、未だに復党とかやってんだから、小泉は天才だったんだろうねぇ〜
ミームって、しかし、古い概念だよね。
今でも、使ってるの?
正直、ほとんど聞かないけど・・・・・・・
934 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 23:32:33 ID:+EXIPuqt
ミームは、単に「後天的に」獲得された文化や風習の伝承のことで、言い換え
れば情報の言い伝えである。生物学的必然ではない。それと混同すると、あた
かも必然であるかのような誤解を生じる。「獲得形質は遺伝しない」。
ミームも本能も神概念の置き換えだってことだな。
日本人はみんな層化遺伝子を持ってるの方が、わかりやすいな。
936 :
名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 00:08:15 ID:fqeDiEBl
>>935 >ミームも本能も神概念の置き換えだってことだな。
全くの誤り。ミームと神概念は、「後天的」に獲得されたもの。「本能」は
先天的」「生来的」なもの。前者には、「生物学的遺伝子」など関係ない。
創価も宗教だから、後天的に獲得されたもの。やはり遺伝子など関係ない。
それに、創価は、「外在の神」など認めていないはずだよ。「久遠実成」が
少し怪しいが、あまり強調はしていないのでは。仏陀の教えも「2000年
で期限切れ」と言ってるし。
>>936 本能が先天的なら、後天的に変えようがない。
後天的に変えようがないものなら、意識する必要がない。
ということで、ご隠居理論は、簡単に破綻してると思うけどね。
ところで、私には神概念の創出こそ、本能だと思うけどね。
どうかんがえても、ご隠居理論は二重に破綻。
938 :
名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 00:53:56 ID:fqeDiEBl
>>937 一般の生活者は、本能など意識しなくても、無意識的にでもそれに従って
生存・生活している。何らかの宗教を信じている生活者でも、狂信者でない
限り、日常生活では、宗教は切り離している。聖職者でさえ、宗教の呪縛を
逃れ、本来の人間に戻ろうとする本能的行動をしているではないか。
宗教だけが、その人為的な「観念過剰」故に、生存本能(生命)という人間の
究極の本質を忘れ、または「意識的」に否定しているから、「生存本能(生命)」
というすべての人間に共通する判りきった「普遍の事実」を、わざわざ指摘しているだけである。
神概念が「本能」なら、すべての人間が、その養育地や養育環境に拘わりなく、
同じ神を信じるはずだし、そもそも無神論者などいないはずである。しかも、
神概念など持たない世界宗教(仏教)もある。またキリスト教徒が仏教徒に
改宗することなどもないはずである。事実は、ゴマンとある宗教ごとに、神
概念はばらばらだし、環境によって神概念などいくらでも異なる。神概念が、
あくまで後天的・文化的な獲得形質である所以である。
君の理論は、三重四重に破綻している。それで「原典」読んで理解ができてる
のかw。
>>928 >「共同体形成維持本能は、(個人)生存本能という基本本能から生じる」と、 口が酸っぱくなるほど言ってるだろ。
基本本能AからBが生まれたとして、B' B'' B'''とあるんだってば。観察には意図が入るから、ご隠居は都合の良い事実しか抽出してないんだよ。
わかってると思うけど。
>「個人生存本能の帰結」なら、まさに 本能ではないか。
宗教は人間の存在からの帰結です。世界を観察すればあきらか。いっこうに信者の数が減らないではないか。
宗教が病気だというなら、宗教が感染していない人類を用意してくれ。いつの時代に宗教がなかったというのか。
>人間は、独りでは決して生存できないことを、これも本能的に知ってるから、 共同体を形成維持する。
人間は、独りでは決して生存できないことを、そして全ての人に富が分配されないことを本能的に知ってるから、 共同体を形成、「維持」しようとする。
>君はもっと頭がよいと思ってたが
いえいえ、私はお馬鹿さんですよw
940 :
名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 01:11:10 ID:NR7KvmaT
>>938 ところであなた、友達はいますか?
さみしいでしょう?
特に12月はww
942 :
大王:2006/12/12(火) 12:30:09 ID:BAmVJb4l
宗教施設の泊まった事あるなあ、、、
日本基督教団長老派の教会、
高野山、真言宗寺院、、
どちらも、エネルギー溢れるが、、
高野山の方が、印象強かったなあ、、、
オフ会をしたらご隠居はまろやかになるだろう。
944 :
聖霊大王:2006/12/12(火) 12:46:16 ID:lhjYb9na
ご隠居おちょくり、まつりだったのね、、、この一週間、、
945 :
フーテンさんに軽く喧嘩売る大王:2006/12/12(火) 15:23:36 ID:BAmVJb4l
903 :フーテン ◆fun4F5xTy. :2006/12/11(月) 01:41:34 ID:1ufm5M+q
>>899,
敵とか、正しいとか、そもそも、教会行くこととチベット仏教を別々に、それぞれ意識して
いること自体、何かに囚われてるような気がするんだけど。修行することや儀式に参加すること
によって宗教者になるんじゃなくて、自分が生きていることの全てが宗教だから。
日常生活と宗教は絶対的に分けて考えることでもなければ、一方がもう一方に隷属するもの
でもない。一つの宗教に集中するのも、あれこれ味見するのも、どっちも一つの儀式宗教の
ような気がする。
甘いな、、フーテン殿、、
霊的存在の眼から見れば、、やはり、別々で、、
フーテン殿の思考上、そのように、あるだけだな、、、
946 :
フーテンさんに軽く喧嘩売る大王:2006/12/12(火) 15:25:46 ID:BAmVJb4l
熊野よしたかも、何故キリスト教徒なのか??
と聞かれて、、
縁があったから、、
と答えたのだ、、
縁があり、どれを選ぶかだだな、、、
霊的実在も味わってもね、、、
947 :
大王:2006/12/12(火) 15:29:18 ID:BAmVJb4l
で、フーテン殿、次スレは、立つのか???
反論は、次スレ希望だな、、
しばらく、見れない、、、火曜日までごきげんよう、、、、
948 :
大王:2006/12/12(火) 17:05:49 ID:BAmVJb4l
あげあげ、さらば、、、
>>938 日本人って特殊だと思うのは一度信仰を失ってるとこにあると思うんだ。
神を信じていたが人間宣言された。この人達、まぁ僕の爺さん婆さんくらいの世代だが、
は相当ショックだっただろうと思う。
>>938の言うとおり仏教は神が不在なので
宗教足り得ない。従って以来日本人は宗教難民となり新興宗教に走りやすくなる
環境が生まれたのかな。ってふと思った。
950 :
聖霊大王:2006/12/12(火) 17:26:55 ID:lhjYb9na
ざんねんしょう、、、
正確には、、、、明治政府の行動を調べてみよう、、、
宗教の歴史は物語る、、、、
もうチョいヒント頼む。
952 :
聖霊大王:2006/12/12(火) 17:28:51 ID:lhjYb9na
国家神道の暴挙を知るべきで、、、、
明治政府の神道自体がすでに、新興宗教、、、、、
953 :
聖霊大王:2006/12/12(火) 17:33:24 ID:lhjYb9na
明治政府の生み出した、神道、天皇を神と強く意識した、神道は江戸時代の主流でなく、
明治政府は、神道江戸時代の神道を、根こそぎ滅ぼした、、、
仏教弾圧政策もすさまじい、、、、、
954 :
聖霊大王:2006/12/12(火) 17:35:32 ID:lhjYb9na
国宝と言われる仏像も外国に、すべて、売られるくらいに、、弾圧政策はすさまじい、、、
955 :
聖霊大王:2006/12/12(火) 17:37:43 ID:lhjYb9na
タリバン並みの、明治政府の国家神道があったのさ、、
イヤハヤ国家神道とは興味深い。宗教としての神道と祭祀の場とを便宜上分離して
国家政策として神社を建設していたとは知る由も無かった。
しかしながら同時に他の宗教を禁じてたのならあながち
>>949も間違いではないのでは?
それとも日本人には元々新興宗教に走りやすい傾向があるとか?
ところで儒教思想は宗教じゃないよね?仏教も違う。神道はそうだが、継承のされ方が違う。
となると日本人古来の宗教って何?
だんだん宗教の不在からそういう傾向が現れるとしか思えなくなってきた。
そう考えると全く違う話だけど、宗教には悪意のある、あるいは悪意は無くとも愚劣な為に悪影響な
思想に対する抗体としての役目がるんじゃないかな。>>てすとよ
958 :
名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 18:55:53 ID:OLGTJQ0h
>>938 >宗教だけが、その人為的な「観念過剰」故に、生存本能(生命)
>という人間の究極の本質を忘れ、または「意識的」に否定しているから、
>「生存本能(生命)」というすべての人間に共通する判りきった
>「普遍の事実」を、わざわざ指摘しているだけである。
宗教を信仰しやすい傾向の人間が 少なからずこの世に存在する。
この種の人間は 上記の説だと「生存本能」を行使できない傾向に
あるから この種の人間は淘汰され 宗教を信じにくく「生存本能」
強い人間だけが 生き残るはずである。
しかし 宗教を信仰しやすい傾向の人は 少なからずこの世に存在する。
また聖職者が「独身」で子孫を残さないと言う教義の宗教が
淘汰されずに生き残っているのは この種の教義が人間が
「生存」うえで有利に何らかに働いているからである。
つまり人間の「生存本能」という本能が淘汰されずに残ったのと同様に
一見 人間の「生存本能」にマイナスに働く宗教の教義が 淘汰されずに
残ったのは この種の宗教上の教義が 人間の「生存本能」が有利に働く
様に助ける存在だらだである。
つまり この世にある程度の歴史のある宗教は 人間の「生存本能」
を 助けることはあっても 妨げることはあり得ない。
>>930 です。
あちゃー。超極秘情報を入手したと思ってドキドキしてたのに。
かっこわるー
>>932 おっはw!さん、レスとフォローありがとうございました。
結局、信仰って、誰のためのものなんだろうね。
マジレスするとさぁ〜
無宗教の信仰も含めて、なんか、みんな矛盾してるよね。
落ち着くところは、結局、みんな自分が信じ切れないし、
信じ切れないことにも、信じ切れない。
対立関係でしか自分が存在しないならば、自分もなくなっても問題がないはず。
対話も会話も重要。
でも、また、自分を中心に語ってしまう。
結局、この連鎖でしかないんだよね・・・・・・・・・
大王ドンが思考するのがいやってのも、わかる気がするw
>>292 > 一方仏教は、やれ悟りだなんだと能力不足なのか単なる逃避なのかさっぱりわからん議論しかしない。
仏教が語られている場面のどれだけを君は知っているんだ?
そんなのは仏教ヲタクだけの話だw
・じじばばはそんな議論はしない。 ・学究の分野では各方面の研究者が居る。
・仏教好きな人達はマニアックなアプローチはしてない。素朴に、「いいね」と頷くだけ。
(ま、知的パズルとしての仏教はメチャおもしろいわけだが・・・w)
> このごろは、言語で表現できないのじゃなくて、
> 単純にわかっていないだけなのではないかと思えてきた。
自己紹介乙w
>>346 > なんだ、素人のオヤジは、甘い顔すれば、無視か
明らかな煽りレスは無視されて当然www
と言いながら無視してない俺ガイルw
> まあ、いつも、君らはそのクオリティーだな。
オマエモナー (´∀`)
>>347 > それと、素人にいっとくが、君が無視するレベルの人間に、
> お前達は、さんざん粘着して、霊障押し付けたんだぞ(笑
> しかも、押し付けた人間は、今も仏教スレで、自称仏教徒で常駐してる
2chで何言ってんだよw なんで俺が南無の行動に責任を持たないかんのだw
>>347 > どんなに、奇麗事を言おうが、その姿勢は君らの高尚な理論とやらを吹っ飛ばすだけのものがあるだろうよ。
ああ、確かにな。 ちと迷惑な時もある。
けど、それが仏教そのものに由来するかどうかは論証されていませんが?
個々人の資質じゃないんですか?
人格形成に役立ってないじゃないかって? → 薬の効果には個人差があります。 by 仏教製薬
もし論証できると言うなら是非やって頂きたい。勉強させて頂きます!師匠!m(_ _)m
> その説明が出来ない限り
説明?
個々人の資質じゃないんですか?
人格形成に役立ってないじゃないかって? → 薬の効果には個人差があります。 by 仏教製薬
>>352 > 素人は、まだ、理論に逃げてんのか( ´,_ゝ`)プツ
理屈っぽいのは生まれつきw ほっといてくれwww
> 日常から離れていくら理屈語ってもムダだってw
同時に語ることができるのは、しっかり理解し咀嚼したその後だよw
複雑な場合、理論は理論で別個に分析という手法はあって当然だと思うが?w
> まあ、そのクオリティだから、ナムみたいなのが生まれるんだろうなヽ(^。^)ノ
君のようなクオリティにならないように仏教はあるのだよw
>>356 > しかし、もう少し、素人はものがわかってると思ったがナァ〜
> まあ、相変わらず、ほとんど内容読んでないけどね
読んでない人間に、何を言う資格があるんでしょうね・・( ´,_ゝ`)プツ
>>499 > 私には、素人氏が一番よくわかってるとおもいますけど・・・・・
いや、わからんね。 222しか思い当たらんが?(↓の文からすれば222なんだろうが・・・)
> 素人氏の私に対する批判が当たっていようがいまいが、
> あるいは、私の素人氏あるいは仏教の批判が当たっていようがいまいが、
> 仏教はあるんでしょうし、私も素人氏もそれぞれ生きてるわけですよね。
ああ、そうさ。 けど、その中でコンセンサスを探っていくというのが、
社会的動物である人間の性じゃないのかい?
>>500 > 私はそれを探っているつもりでいましたけど・・・・・・・
> というか、それしか関心がありませんけど・・・・・
ほうwww とてもそういう態度には見えなかったが?w
> ただし、押し付けの定義が必要になるでしょうけどね。
こういうとこが昆布(やてすと)のイヤラシイ所なんだよw
解ってて、ポイントをずらして煽る・・w プロ2chねらーかよ・・(^^;
>>501 > 素人氏はプライド高いからナァ〜
う〜む・・・ 高いのかなぁ・・・w
> また、真面目にレスしようとしたら、君にではないと言いそう出しナァ〜(笑
> まあ、その辺は無視して、返レスするか
今回は違いますよw アンカー在ったでしょ。
こーゆーやりとりって、粘着力の戦いなんだよね^^
>>502 > 仏教が近づいてくるときは、いつも、そのごちゃ混ぜで近寄ってきますから。
あのな・・・(^^; どういう近寄り方だよw(→別レス参照)
> お前達は仏教の葬式に出るなとか反駁するわけですよね。
極論だったらいいんじゃね? 気にいらなきゃ仏教と関わらなければいい。簡単なことだw
> だから、これから議論するぞって途中で逃げてる感覚が私にはありますね。
煽りの先手を打つのはいつも君らの方だと思うが?w
> ただ、このままでは、議論できないって感覚もわからないわけではないですよ。
ほらまたwww 解ってるくせに、煽り続けるw 議論になるわけがないwww
> けれども、ここは別に会議室ではないですからね。
> いつも問題が明確にあるわけではないですよ。
ああそうだな。俺こそが、場違いスレ違いの邪魔者だったってワケだw
>>504 > ここで、強い嫌悪感と自己矛盾を抱くようになりましたよ。
> 別にそれは、南無云々ではなくて、それを因にする様々な要因です。
「ここ」ってのは2chのことか?
君らの周りには、普通にお寺の人とかいないのかい?近くのお寺さんの話とか聞いたのかい?
(2chのような言葉遣いは、まさかしないと思うが)気になることを質問してみたりしたのかい?
禅系なら、師家クラスの人の話を聞いたりした事はないのかい?
> しかし、臨済録と般若心経は面白いんだけどナァ〜
> なんで、こんなに差があるのかわからない。
むしろ、臨済と心経は個性派と言ってもいいくらいだぞw
他へ敷衍するには、ちと無理があるんじゃないか?w
そして、これまでの経過を台詞化すれば、
仏 「バッターボックスに入って、構えてから言えよw」
「ベンチで野次飛ばすなら誰でもできるw」
昆・て「どうせ、きちんとした球は投げられないくせにw」
「口ばっかりで実際には投げない人達w」
そして、(色んなピッチャーが居るので)
昆・て「そんな悪球打てるわけないでしょw」
「それはボールだよwww ストライクと言い張ってるのは君だけw」
等のやりとりになる。で、さらに、
仏 「大口叩いてるが、どんな球でも打てるのか?w
打てやしないくせにw どんな球種があるか知らないくせにw」
昆・て「たぶん打てると思うよw でも投げないでしょw」
「球種? うん、知らないよ。だから、どんな球種があるのか見せてよw
そうしたら、どれが打てそうでどれが打てないか判るからw」
「ま、どうせたいした球じゃないだろうけどねw」
「たいした球種も持ってないだろうけどw」
「それに、投げても悪球ばかりだしwww」
というのが、これまでの様相であろう。
(南無の場合、危険球だったわけだが・・・。)
> ところで素人さんがやりたいことってなんですか?
そこで私が採ろうとした方法は、
・危険球は投げない ・ストライクゾーンを外さないよう制球に神経を使う
という条件で、バッターボックスに立ってもらう。
・(自分の持つ)全ての球種を使う ・投球の組み立てを予め示す
という条件でバットを構えてもらう。
そして、
・内角外角、或いは高め低め、などの指定をして貰って、
そこから球筋を少しずつずらしながら、全ての球種が投球し終わるような流れ、
を想定した。
ところが、(危険球に近い球を投げてしまったからか)、
彼らはバットを下ろした。 或いはボックスを外し素振りを始めた。
或いは、モーションに入ったら余所見をされたような、
ボックスには立っているがバットは構えていないような、そんな感じを受けた。
けど、もともと一人相撲だったみたいだ。(→
>>502> けれども、ここは別に会議室ではないですからね。)
理屈っぽいのは子供の頃からの性分なので、
今更とやかく言われても「すいませんね・・w」と言うしかないわけで、
りょんの視線に始まり、また
>>327中程でも触れたたように面白い機会だとも感じられたので、
どのような言葉の重ね方が届くのか、どのような語りの順序がいいのか、等の実験的意味合いはあった。
ゼロどころかマイナス地点からスタートする時に、どのような手順がとりうるだろうか・・、と・・。
>>108の >間合い 発言は至言であったw
てすとの言うように、厳密にゲームを成立させるなら、
マウンドに立つのはその資格のある者、という指摘は至極ごもっともなわけで、
違う種目の者はともかく、同種目であってもスキルを問うべきだ、というのは理に適ってはいる。
ドカベンで山田太郎がマウンドに立つのは如何なものか?という所だろう。
たしかに、その通りであるが、TPOを多少なりとも考慮すれば、
学者が仏教を語っても構わない。仏教好きな三丁目の田中さんが仏教を語っても構わない。
全面禁止される謂れはない。それが、場面によって制限がかかる場合があるということではないか?
また少なくとも、ここが2chであるという、場の性格を容認するのであれば、
ここまでつつかれる筋合いはない、という想いがあったのも事実だ。
昆布やてすとの言うように、試合は既に始まっている(我々は今まさに生きている)。
ぐだぐだ言ってる暇はないわけだが、聖者・行者でない限りは、
考察する時に多少の棚上げがあってもいいではないかw
・・・しかしやはり、スレ違いは自分であったようだ。
雑談形式の中へ、理詰めの長文・段階を踏む長文を捻じ込むのは、
あまりに大人気ない自己中だったと思う。
よって、今現在提示されている幾つかの過去レスに返答して、
それが済んだら、ここを去ることにします。
結構な量溜まってるので暫く日数はかかると思いますが、
気が向いた時にでも読んで頂ければ幸いに存じます。
こう喩えると、昆布やてすとと私の対立の構図が
りょんにも少しは判るかな・・?
>>111 > みんな一人ひとり我が強すぎるんじゃないか?とw
かもなw
>>111> ところで素人さんがやりたいことってなんですか?
>>342(→もう見てないかもしれんが・・・)
私がてすとに粘着したのは、彼の指摘する部分と同じ所を問題点と思っているからだ。
ただ、その次の思考として、私は、
・2500年のどこにその発祥があるのか?
釈尊から(それ以前から)あったのか/途中生じたものなのか/
近現代の問題なのか/ずっとあり続けた問題なのか/
・それは、法(理論(経・教え))の部分にあるのか?
・戒の部分にあるのか(→≒生活信条にあるのか)?
・律の部分にあるのか(→生活スタイルにあるのか)?
・戒や律の部分にあるなら、現代社会の様相が圧力をかけているのか?
・単に時代に合わなくなってきただけなのか?
・僧(比丘)の側にある問題なのか(実践する際の問題なのか)?
資質の問題なのか/集団で(定住)生活をすることによるものなのか/
社会(世相・大衆の価値観)が古い在り様を認め難くなってきたせいなのか/
(勿論、上記それぞれは、それぞれが独立したものでなく少しずつ重なりを持っているであろうが・・。)
によって、それが、解決の可能性を持つかどうかを炙り出せるのではないかと思うし、
・問題点の解消の方法は如何なるものがありうるか、
・そうした問題点は、(トータルに見た)仏教に於いて致命的であるのかどうか、
・そうした問題点は、(各種誕生した各)仏教に於いて致命的であるのかどうか、
・少なくとも、深く或いは親しく仏教に接する者は把握しておくべき事柄であろうし、
理解し、受け止めるには、こうした細かな部分も必要であろう、
というベクトルが設けられてもいいだろうと思うのだ。
現状を嘆くことは容易い。が、たとえ変革の力を持てないとしても、
上記のような知識を持つことは無駄ではない筈だ・・。
勿論、現在自分のことは棚に上げている。
その点で、昆布の「理論だけか」という指摘は当たっているし、返す言葉はない。
>>255 > 正直なところ、その問題点を私は認識してないと思います(^_^;)
だから、私が粘着して炙り出そうとしてたんじゃないですかw
概略は
>>202-204ではあるが、取りこぼしている部分・敢えて捨象した部分なども数多い。
>>256>知識の量が違うから と言われるように、用いられる語義も措定せねばならない。
作業量は膨大だ。 が、ここに顕われているすれ違いの構造は、
今の、私とあなた方、或いは一般的に見られる仏教の内と外との対立要因であるはずだ。
またこれは、以下(2/8)の>大アリですねw以降の文と被るものでもある。
これが明確になるだけでも、(2chに於いては)えらい進展だw
けれども、
>>262にも述べましたが、応報スレ144に関しては一旦凍結しておきましょう。
もしかしたらもう解凍不要かもしれないが・・。
> この一連の質問に関しては、
>>254で解答したつもりですので、よろしいですか?
二点。
>もし仏教が宗教でしかないなら
仏教は、哲学であり・倫理道徳であり・人生観(≒世界観)であり・支えであり・(現在は)文化であり・・・etc.
そして宗教であろう。 いや寧ろ、上記のような多様な側面を持つから宗教と呼ばれうるのだろう。
(当然、学問的研究対象として扱うこともアリだ。(イスラム世界ではどうなんだろう?
あまり歓迎されないスタンスなのかな?純粋な学問的考究、特に原典批判的研究とかは・・・。))
> どのような点(何)を、どのように信じるのか?
これは、君が
>>225に於いて >あと、日常から離れて、宗教は存在してるのでしょうか?
と問いを発した立場、つまり、「宗教は我々の日常に接している」という立場からすれば、
絶対に外すことのできないものの筈だ。 具体的在り様・働き・様相のないものほど空虚なものはない。
だから、議論や語りの進行上やむを得ないとしても、棚上げに対する後ろめたさが消えることはない・・・。
>>255 > そして、現に矛盾が有るのなら、
大アリですねw
てか、「矛盾めいている」「<ある視点・立場>を取ることで解消する矛盾点」 は山ほどあります。
この<ある視点・立場>を、受け入れずとも理解できるかどうかが鍵となるでしょう。
この<ある視点・立場>というのは、「悟りの立場から見れば・・・」というものであろうし、
「勝義に於いて・・・」と言われる際のものであろう。
てか、これも、あなた方が提示を迫るもののひとつだと思われる。
(これは、いみじくも>225>227に関連する、聖と俗という二つの側面に依拠するわけだが・・・)
当然視点が異なれば矛盾に見えて当たり前でしょう。
しかし、ある基準なしに、何がしかの選択判断なぞできるものであろうか?
仏教(釈尊が示したところのもの)が根幹としたのは、
「涅槃に資するかどうか(→自身の苦悩の解消に役立つかどうか)」であった筈なのだ。
そのための理となるのが、縁起であり四諦であったのではないか。
(或いは、無常・五蘊・無我であったのではないか。)
そこに、取捨選択、正邪の別が設けられなかったとしたら、
修道論の構築が設けられなかったとしたら、
出家行者という在り様が当時のありふれた風景でなかったなら、
仏教は、拡散する前に消滅していたろう。
>>211 > その通りですが、そうすれば、知識がなければ宗教を語ることは不可能ですね。
そうでもないだろ? 学問的に語るのであればそうであろうが、
もし、自身の感慨や頷き、自分が受けとった利益(=糧)の紹介であるなら、
そこに縛られるものではなかろう。
※だから、君らがやっているのが単なる雑談(TVを見ながらツッコミを入れるようなもの)
であるなら、私が空回りしてるだけであり、お邪魔虫ということだ。
> であれば、仏教を信ずるには基本的な知識がなければ議論できないというのが、
> 素人さんの意見なのですかね。
ある意味その通りだし、ある意味そうではない。
少なくとも、その文章自体がおかしいと思う。『信じるには議論が必要』という文になっている。
或いは、『信じるということは、知識をもとにした議論の後に現れる』とでもいうか・・。
(ま、そういう場面もありうるだろうが、どこかしっくりこない文だ・・・。)
とりあえず、「信じるには知識が必要」と読み替えておいて・・・。
信と知は、強い結びつきはあろうが直結はしていない。
(信・)戒・定・慧を言い出すとややこしくなるので捨象しw、
主にりょん宛であった「帰依」や「信じるということ」に関する過去レスを、参考として示しておく。
(※「両輪」という言い方が妥当なのかもしれない・・・。)
> もちろん、私はその意見には賛成の面もありますが、ほぼ反対です。
> というのは、必要なのは、知識ではなくて、論理性だと思いますから。
> 知識の不足が障害ならば、知識を補えばいい。
本来的に必要なのは、知識であり、論理性であり、且つそれについての「頷き」
なんじゃないかと思ってはいる。
>
>>205 > いえ、そうではなく、単純に、人は自分の周りのことしか認識することは出来ないということです。
> だから、個人も世界も同じなはず。
う〜ん、もう少し言葉を増やして欲しい。 てか、言葉通りであるなら、
>>49を、なぜ尊大だと評したのかが解らなくなる・・。
> もしかすると、おなじことを言ってるのかもしれませんけどね。
うむ、同じような気がするのだ・・・。
> この世界を形作ってるのが空なら、個人と世界で二つあるなら、空も二つか?
> と言う意味です。
> まあ、空は空だから、一つというのはわかりますけどね。
> ということは、この世界もたぶん、一つでしょう。
> というなら、まあ、わからなくもないですけどね。
> そういう意味です。
すいません m(_ _)m チンプンカンプンです・・・orz
重要なことが述べられているのであれば、お手数ですが
「空」という語を使わずにもう一度述べて下さい。私も、自分の引き出しの「空」という語義を
一旦無きものとして読んでみますので・・・。
>>256 > 正直なところ、私が、問題と感じてるのは、潜在的に含む差別意識です。
> ただし、それがどれだけ大きいことなのかは、今の私にはよくわかりません。
差別「意識」が(仏教の中に)潜んでいるわけではないと思う。
男女の別(と(当時の)社会的状況)を考慮した上での差異と見るべきかと・・・。
勿論、歴史的に2500年を俯瞰すれば、そこかしこに、現状の影響を受け(入れ)過ぎ、
差別的語りが為されたことは認めなければならない。
その意味では、「仏教に差別はない」と断念できないことになる。
歴史的にはそういう事例はあるのだから・・・。
※これも、語ろうと思えば、雑談程度でできるものじゃない・・・(^^;
> そもそも、輪廻転生というのが、仏教的によくわかっていませんから。
仏教(学)内でも決着ついてませんよw 大雑把に言えば、
「外的な(物理的)事実と見るか」
「内的な(個人の心の在り様の変遷)様相と見るか」
「当時受け入れられていた常識を援用しただけと見るか」
という分類になるでしょうか・・・。
勿論、「輪廻」と「転生」は(無関係ではないにしろ)全く別の概念ですが・・・。
> 始まりがある以上、終わりがあるので、生がある以上、死で終わる。
> ところが、死が終わりではないとお釈迦様はなぜか、気づいてしまった。
そうは言っていない。少なくとも、初期中期の仏教では、
輪廻を脱した後は、死で完結する。
> 多分、そこから、仏教の深遠な教理が始まるのだとは思います。
どうだろう? 大乗(及びジャータカ)のデメリットも同時に含むベクトルにも思える。
> しかし、その教理からは、なんら差別意識は出てきませんし、
> 障害の因縁云々というのも別にないと思います。
仰る通り。 お釈迦さんの採用した具体的決め事は、
差別のためのものではなく、現状必要とされる配慮だったのではないか?
>>338 > これは、仏教が自己批判できない組織であることを如実に物語る事件でもあるナァ〜
確かに・・。 現代日本仏教は、自己分析が足りないという実態はあるかもしれない。
(※色々活動してる宗派やグループ・個人等あるようだが、
キリスト教の真似事の域を出ているかどうか・・・。)
> 自分の馬鹿息子を棚に上げて、どんなに立派な教育論をぶち上げても、説得力はない。
> まして、家庭の教育が大事だとか言っても、笑い話にしかならない。
これも、仰る通り。(
>>969)
> こんなことって、キリスト教ではありえないのではないだろうか?
> やっぱりあるんだろうか?
フーテンさん、どうなんですか?
>>366 > 仏教って、結局、オナニズムでしかないし、その気持ちよさに浸りすぎでキモイ。
しょうがないじゃんw
出発点が、シッダッタ自身の苦悩の解決だったのだから・・・。
> その行為がオナニーなんだから、人前に晒す必要はないと思うのみ。
「お、それいいじゃんw」って言う人が居ないとも限らんだろ?w
> この批判は、オナニーが気持ちよいうちはわからないでしょう。
外の声が聞こえない者は、外を知らずに自説が最高だと思う。
外を知るものは、だからこそ・その故に・外を知るからこそ、自説が最高だと思う。
この、表に現れない差異は重要か否か?
> 私には、議論が成立することが奇跡に近いと思える。
だからお釈迦さんは、菩提樹の下から立ち上がる時、ためらったんじゃないかな?
>>499 > 私は因果スレの144の以前に、仏教の潜在的な差別観について言及しました。
> それは、自他の関係性の問題でしょう。
これは、また機会があれば激論を致しましょうw
勿論、余計な要素はなるべく持ち込まないという互いのコンセンサスが必要ですが・・・。
とりあえず、「差別を生み出しうる要素は、仏教(の実践面)に内包されている」とだけ言っておきましょう。
> だから、自己を常に問題にするなら、差別観は問題にならないでしょう。
> でも、世界という概念を提示するときに、そこには他者が含まれます。
> そして、その世界という概念の中で、自然に他者を巻き込んでいくんです。
> 多分、ここで、食い違いが生じていると思いますよ。
これも、やはり、別個に語り直さねばならないでしょう。(↑の文も、もう少し詳述して貰わねばならないし。)
今、短文で適切なコメントをする自信はありません。
> その他者を自然に巻き込むのが宗教であり、
> 巻き込まれる他者が悪いんだといわれれば、それまでの話です。
何度も言うが、巻き込んでしまう力学的要素を宗教はその内に持ち合わせている。
(それは、人と言う種が要請するものかもしれない。(ご隠居は首肯しないだろうが・・w))
しかし、「巻き込まれる方が悪い」という態度の伝統宗教はない筈だ。
少なくとも、「巻き込まれて御覧なさい」というスタンスはありうるだろうが・・。
(ああああああ、長くなりそうだw 省略www)
また、他者を巻き込まないものは単なる個人の人生観人生哲学に過ぎない。
他者が関わって初めて宗教に昇格(w)するんじゃないか?
すぐ上の引用文は、それを意味するものではないのか?
> その宗教の暴力性に強く嫌悪感を感じるんです。
暴力性ね・・・。各宗派の暴力的な部分を具体的に指摘して欲しい。
それが、根源から発しているのか、途中発生したものか、末端にのみ見られるのか、
組織的な(システム上の)問題なのか、教理に内在するものなのか・・・。
> そして、この論の飛躍を、素人氏は批判することもわかります。
解ってて噛み付いてくる君が愛しいよ・・(爆
>>502 > 仏教が近づいてくるときは、いつも、そのごちゃ混ぜで近寄ってきますから。
それ(引用先の各項目)は、批判する時の材料だろ?
近づく時にそのような要素で近づくことなどありえんだろ?用いられるのは、もっと別の要素の筈だ。
また、ごちゃ混ぜの近寄り方というのがどういうものか、私にはピンと来ない。
これも、(豊富な)具体例が欲しいところだ。
> そして、気が付いたら、被害を被ってるわけです。
上記、<巻き込まれる>関係の文参照。
> だから、我々は、それが近づいたときに、分類してあげなくてはいけないわけです。
分類?何を? 近づいた時に用いられた手法が「どのようなものか」ということ?
「幾つの」手法が用いられているかということ?
用いられた手法が「弱みに付け入っているかどうか」ということ?
いずれにせよ、それは推奨される態度でしょう。特にこれからの時代には・・。
(そのため(批判するため)にも、害毒スレのような反応でない、冷静で、俯瞰できた視点・知識が必要でしょ?)
> だから、これから議論するぞって途中で逃げてる感覚が私にはありますね。
> ただ、このままでは、議論できないって感覚もわからないわけではないですよ。
それでも、カキコや返答の際のスタンスを変えるつもりはないんだろ?
> けれども、ここは別に会議室ではないですからね。
そうだったな・・。私が勘違いしてた。私の書き込みこそが嵐的であったのだろう。
> いつも問題が明確にあるわけではないですよ。
その通りだ。 私が過剰に反応し過ぎていただけなのだろう。
> ただ、問題はいつも繰り返されてるんですけどね。
> それは、こころない仏教徒が起してるのかしれませんが・・・・・・
2chでは、致し方のないことだと思う。 渋谷のスクランブル交差点、或いは浅草寺の雷門下で、
一度や二度の発言を、(これから)通る人全てに「把握了承しておけ」と言うようなものだ。無茶すぎるw
(いや・・・世の中全てそうなのかもしれない・・
だから、教育や、本の重版、命ある限り語り続ける必要があるのかもしれない・・・。)
>>357 > とりあえず、仏教は、ま、ええんちゃうかあ、、という思想。
> 肯定しまくれるし、否定しまくれる、思想、、
見方によってはそのように見える部分もあるだろうけど、
あるしっかりとした基準に基づいて、あるものは肯定し、あるものは否定する、
というのが仏教であろうと思うわけで・・・。 (大王は、やっぱり禅がベースのようだね。)
参:
>>973 > 正しい!!、正しい!!、、とがちゃがちゃ、言うほど、、仏教で無くなる様な、、
涅槃に資するかどうかが、仏教に於ける究極の正邪の基準では?
参:
>>973 > マ、おいらは、素人さんより、原始仏教の瞑想は上手いかもね、、
かもねw おいらは、瞑想はてんでダメさw ま、理論担当ということでw
>>369 > 原始仏教・南方仏教を日本人がやると、、
> 南方仏教そのものが出家主義であり、大乗仏教からは小乗仏教と揶揄される要素を持つので、
> 素人さんは、その傾向が出てきたんじゃないの、、
原理主義ってことか? 本スレほどじゃないと思うが・・・w ↑の文、改変してみたが意味不明だw
日本語で桶w
> 仏教の組織性、、日本人の天皇教的、組織性のような、、気がするなあ、、
私にそうした要素があると? 詳細を求むwww
> 南方仏教も、、議論なんかしないと、思うような、、、
んなことはないだろw 議論なくして、他の見解と自説の見解の差異を炙り出すことができる?
>>373 > 昆布殿が、、素人さんの天皇教オナニズムのDNAを刺激して、開花させようとしているような、、
日本語で桶w
>>377 > 案外、素人さんのオナニズムと、細木和子のオナニズムは、お同じかもね、、
ほうw 詳細を述べて貰おうか・・・w
>>516 > マ、素人さんは、原始仏教のいう、議論しない、無我であるが、ないなあ、、
それは言える。その通りだ。(原始仏教が議論をしないというのは大間違いだと感じるが・・w)
仮初に顕現している「私」が、過敏に反応しているようだwww
> 無我なら、どうでもいいような、、
風かよw
私がなぜ、風を「静観する」とだけ言ったか。
彼のベクトル・スタンスは、(一般的に)「悟り」と言われる視点に限りなく近い。
が、同じではない。外界との関係を遮断するからだ。
仏教に於いて、外界の入力を断ずるとか、感官を制御する、というのは、
外界との間に壁を作ることではない。
2ch的に言えば、それらをスルーするということだ。
(勿論、物理的・現実的に遮断できるものは遮断する方がベストであろうが・・。)
自らの内に仏の視点を設け、さて、そのあとどうするか・・・。
そうした視点を拠り所にしながら、どうやって自と他の関係性を築いてゆくか、どのような関係がありうるのか、
そうしたベクトルなしに「生」はない。 上記は、かなり荒っぽい言い方だが、
人は核シェルターの中で一人生きるのではない、ということだ。
「自他の区別が虚妄だ」などの禅的言辞は、日常への働きとしては無意味だ。
体・相・用の三者は、三つの側面を表しているに過ぎない。
どれか一つに固執するなら、それは顛倒夢想と言うべきであろう。
無我だからどうでもいい、なんて無責任な発言は、
飲みながらの冗談でしか通用しないw
スレが埋まる前でないとアンカーの意味がないので
少し焦って乱文になっていることを、まずお詫びする。
また、これが完全な回答というわけでもない。ツッコミ易い文も多々あることだろう。
復習せずに思いつくままの文を書き殴った感もあるので、その辺を割り引いてもらえれば幸いである。
また、てすと(+α)へのレスは、またの機会にしよう。
再びテンションが上がったら記すこともあるだろうが、
とりあえずは、これで中締めとしておく。
お騒がせしました。 m(_ _)m
>>982 質問。初期仏教で転生を否定してる派閥、学派ってなんていうんでしたっけ?
無常や非執着を説きながら、転生ってなんやねんと思う。矛盾しまくりです。
インド哲学から改宗した人のための対機説法であり、方便だったんじゃないの?
985 :
名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 03:29:46 ID:WRLTD4SP
>>984 同意。「自分の解脱」「自分の満足」のために修行するのも、執着の塊。
見ていて浅ましい限り。他者のことは、一体どこへ行ったと言いたい。
しかし、すべての宗教は「矛盾しまくり」。矛盾の点では、キリスト教には
叶わんw。
ほんと矛盾しまくりですよね
見えるようにしたら論理から逃げたくなるほどに
987 :
名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 09:52:34 ID:V1fUfzqx
あれ。なんか俺の名が出てるw
新スレ立てますよ。
>素人さん
こっち、ぜんぜん見てませんでした。
今レス読んだんで、言いたいことはたぶん理解しました。
>>982 結構、行ったり来りのレスになってるので、私の煽りレスがかなり薄まって、いい感じです(*^。^*)
とりあえず、ひとつひとつレスしていきたいのですけど、
素人氏もそれほど急いでいるとは思えませんので、まあ、私も、気長に行きます。
ということで、とりあえず次ぎスレで・・・・・
ノシ
なんかみなさん、映画の批評家みたいですね
他人の作品の悪いところを見つけようとすれば、いくらでも見つかる
でも、意図的にいいところを見つけようとしても、いくらでも見つかるはずなのにそれは、決してしない。
小さな真理などは、一冊の本の中にいくらでもありそうなのに、全体としていくつかの欠陥があると
全体が真理で無いというのも不自然な感じがします
欠陥は無視して、いいところだけ吸収するというわけにはいかないのでしょうか?
世の中何でも、そんなもんじゃないですか。むしろ、完璧な人間や完璧な思想を見つけることの方が不自然です。
そもそも、それさえ守れば全てOKなんてものあるわけないじゃないですか?
それを、あると信じているところに問題があるように思います。
ある意味「完璧な真理が存在するはずだ」教みたいですよね。
そんなものあるんでしょうか?あるいは、真理の定義ってなんなんでしょうね
さらっと流してください。たまにしか見ないので。